エルデンエムブレム (yononaka)
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あーあ 死んじまって バカなやつだ

 獣が叫ぶ。

 長かった戦いに終止符が打たれた。

 何のために狭間に呼ばれ、何のために進み、何のために戦ったのか。

 自分にはわからないままだった。

 

 残酷にも終着点は自らの手で選ばされる。

 幾つかの光が灯っていた。

 

 どれもこれも、思い入れのない終着点。

 そのキーワードだけは知っているが、何かはわかっていない。

 当然だ。

 何も理解しないままに進んだ自分が悪い。

 

 終わりを知らせる光の中で、知り得ないキーワードがあった。

 

 【新たなる火を灯す道へ】 

 

 続く道があるのなら、次は自らで考え、自らの足で進もう。

 先を与えられると言うなら、文句はない。

 

 ───────────────────────────────────

 

 

 鈍い輝きに手を向けると、まばゆい光が辺りを包む。

 

 光に思わず目を瞑り、再び開いたときには草原が広がっていた。

 見渡せば離れたところに城や村が見える。

 かすかに海の匂いもする。

 

 オレが何者かを思い出す。

 これは自分に対する儀式だ。

 オレは褪せ人だ。

 しかし、その前には違う名で呼ばれていた。

 更に前もあった。

 その更に更に前には日本で生きていた取るに足らない学生であった。

 どこにでもいるゲーム好きで、取るに足らないような理由で命を落とした。

 

 目が覚めたときには違う世界にいたことを認識した。

 夢だと思って駆け抜けた先、その先の先、一心不乱で戦った果てに行き着いたのが狭間の地、その物語の果て。

 誰の話を聞くわけでもなく、ただ前へ進むことだけを考えた、果ての果て。

 そして、戦いの日々は終わった。

 

 何もわからないままに。

 

 オレは転生者、あるいはこの場合は転移者なのだろうか。

 それすらも今までは考えなかったが、終点に行き着いたあとに後悔をし、

 そして次こそは考えて進もうと思ったのだ。

 

 常ならば何も考えずにそこらを歩き回るだろう。

 だが、今回こそは考える。

 

 ここはどこか。

 自分は何をすべきか。

 

 遠くに煙が上がっている。

 村が焼かれていたのが見える。

 

 ゆるりと進む。

 鮮やかで美しい風景は前の世界では貴重だった。

 煤け、しかし滅びと隣合わせだったあの世界が美しくないわけではないが、

 やはり新緑とどこまでも広がる青空はそれだけで心が踊るものだ。

 視界のどこにも黄金の騎馬兵が闊歩しているわけでなし。

 

「い、いやっ……誰か……!」

 

 風に乗って聞こえてきた声がある。

 少女の声。

 

 イベントあらば進むのが道理というもの。

 自らで考えるとして、考えるための要素がなければそれもしようがない。

 現状で必要なことはこの世界を理解することに他ならない。

 

 ───────────────────────────────────

 

「もうマヌケな王子も、バカなお付き共もいねえぜぇ」

「お頭には連れてこいって言われてるが、五体満足でとは言われてねえよなあ」

 

 下卑たセリフだ。

 だが、それすらもオレには新鮮だった。

 狭間において喋りかけるものは少なかった。

 そして喋りかけるものに対応することもなかったからこそ、しっかりとセリフを聞くことの重要性と新鮮さを噛み締めている。

 

 が、それも長くは続かない。

 

「何を見てやがるんだ、クソ野郎!」

 

 少し離れたところでやりとりを見ていたが、じっくり見すぎたわけだ。

 風体の悪い、有り体に言えば盗賊の類といった群れの一人がこちらに睨みを聞かせてくる。

 

「いや、噛み締めていた」

「はあ?」

「人の言葉を聞けたのが随分と、その、久しぶりに思えてな」

「物狂いかよ」

「それとも王子の手下か?」

 

 王子が何者かは知らないが、とりあえず彼らの敵であるのは間違いないらしく、

 その手下となればやはりオレも敵ということになる。

 群れがこちらを見やり、武器を手にとってこちらへと向かってきた。

 

「あー、そうだな。こういう場合はなんと言えばいいか」

 

 悩ましい。

 

「カスのクズに構ってる暇はないが、戦うのも面倒だ

 ここからさっさと消えてくれるのならばお互い得をすると思うんだが、どうかな」

 

 折角だ。

 下衆には下衆の答えを返そう。

 今のオレが、自分で考えた結果だ。

 

「な、て、てめえ」

「この数に向かって喧嘩売ってくるとは、バカかよ!」

 

 賊たちが一斉にこちらに向かってくる。

 だが、全員が一列というわけではない。

 

 一人目の攻撃。

 驚くほどに隙だらけだ。

 意地悪な溜めもない。

 左手で相手の武器を弾く。

 パリィと呼ばれる技術で、狭間ではこれを練習するために幾度となく死んだ。

 現在では得意とまでは言わないが、この程度の攻撃であれば余裕を持って弾くことができる。

 反射的に攻撃を繰り出す。

 武器を持っていないので素手であるが、みしり、と音を立てて腕が体にめり込む。

 筋力に対してそれなりに数値を割り振っていたお陰だろう。

 が、流石に脆すぎる。

 あるいは、狭間の地に棲む連中が頑丈すぎるだけなのか。

 

「お、おい……素手で、殺したのか?」

「バケモノかよ……」

「悪い悪い」

 

 どこからともなくオレは武器を取り出す。

 陽光をぬらりとした光で返しているそれは狭間にて愛用のレイピア、神肌縫い。

 

「次からはちゃんと武器を使う」

 

 彼らにとって凄惨な光景だったのか、それとも出血する光景にオレが慣れすぎているだけかはさておき、

 動かないのであれば打たせてもらおう。

 

 呼吸一つ、

 その後に放たれるは『連続突き』。

 

 オレにとっては長く感じる攻撃も、流れる時間からすればたったの一瞬。

 一拍おいて盗賊たちが出血して倒れ伏す。

 

「……で、そっちのお嬢さんは」

 

 悲鳴をあげたであろう少女の方へと向かう。

 少女の目の前には、少女と似た、青色の髪をした少年が倒れている。

 

「ああ……どうして……マルス様……」

 

 オレが降り立った世界がどこかわかった。

 ここは、ファイアーエムブレムの世界だ。

 それがFCかSFCかDSかはまだわからない。

 

 自分の頭で考えるといったが、そのハードルがグングンと上がる音だけが聞こえた気がした。



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死んでしまうとはなさけない

 それなりにゲームが好きだった。

 別に上手いわけでもなければ、追求するタイプでもない。

 目の前にあれば何となくゲームを取る、どこにでもいるゲーム好きだ。

 ゲーマーと名乗るのはおこがましい。

 

 両親ともに同じようなタイプで、ありがたいことに家には大量のゲームが転がっていた。

 ファイアーエムブレムシリーズもその転がっていた中の一つ。

 実際にやったのはDSでリメイクされたものであったが、それもやり込んだほどでもない。

 それでも幼少期ではじめて触れたシミュレーションゲームで、記憶には残っている。

 クリアした後にそれは「新・暗黒竜と光の剣」という作品であり、そこから物語は更に続いていることを知った。

 勿論、幼少のオレには時間は有り余っており、次々に手を出した。

 

 さておき、

 目の前で倒れている、いや、損壊された死体というべきそれを知っている。

 その作品の主人公たる少年、マルス王子だ。

 傍らで半ば自失しているのはシーダ王女であろうか。

 外見はDSのものよりも、よりわかりやすい美少女といった具合だ。

 狭間の地にはいないタイプの造形である。

 

「……」

 

 マルス王子が死んでいる。

 シーダ王女は泣いている。

 

 この章はチュートリアルのためのマップと言える。

 わかりやすい状況。

 わかりやすい雑魚。

 わかりやすい回復地点。

 わかりやすい勝利条件。

 負ける要素はないはずだ。

 

 だが、どうやらこの世界のマルス王子は驚くほどに戦術への適性がなかったのだろう。

 わかるよ。

 オレも最初にやったときはここで詰んだ。はじめてのシミュレーションゲームだからね。

 だが、狭間の地でも経験したことだが、オレが立つここは世界そのもの。

 ゲームの世界に飛ばされたわけではない。

 王子が死ねばゲームオーバーになり、世界が閉ざされるというわけでもない。

 

 どうしたものかと見ていると、少女がこちらを向く。

 

「……あなたはアリティアの騎士、ですか?」

 

 アリティア。

 マルス王子の国、だったはずだ。

 滅亡したんだったか。

 

「いや、違う」

 

 嘘をつく理由もない。

 素直に答える。

 

「お父様が雇った傭兵ですか?」

「いいや、違う」

「では、誰なのです……」

「解らん」

「どうして、もっと早く来てくださらなかったのですか!」

 

 突然の激昂。

 それもそうか。

 想い人であろう王子が眼の前で殺されたのだから。

 その心中は察することもできる。

 しかし、

 

「そいつは死んだ、オレの到着がどうのこうのではない

 ここで死ぬ奴はオレが間に合おうと後々に死ぬことになる」

 

 チュートリアルマップで死ぬマルス王子がこの後も戦い抜けるはずもない。

 八つ当たりされたことを怒っているわけでもない。

 と、言いたいが冷たい言葉をかけた辺りで自分の器量の狭さを感じる。

 

「それは……、それは……ッ」

 

 悔しげに言葉を詰まらせる。

 

「オレはアンタを知らん。そこで死んでいる奴もな」

 

 じろりと目線を向ける。

 知っちゃいるが、それを言ったところで何かになるわけでもなし。

 

「この方は、マルス様。アリティアの王子。希望となられるかもしれなかったお方……」

「アンタは?」

「私は、……私はシーダ。このタリスの王女、です」

 

 わかっちゃいたが、この世界はやはり、そういうことなのだろう。

 

「いたぞ!王女だ!」

「先に出ていた連中は何してんだ?」

 

 ぞろぞろと集まり始める賊たち。

 

「どうしたもんかな」

 

 未だ立ち直っていない王女と、賊を交互に見る。

 

「倒して、ください」

「誰を」

「彼らを、マルス様を殺した者たちを、城を奪った彼らを!」

 

 シーダの叫び。

 慟哭そのものといった叫びを聞く。

 

 だが、簡単に頷くわけにはいかない。

 オレは自分の頭で考えるためにも要素が必要だ。

 だから質問を投げかける。

 

「オレが連中を蹂躙したら、アンタはオレに何をくれる?」

 

 この世界にはないであろう、道徳心(カオスフレーム)がグングンと下がる音が聞こえた気がした。

 



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きずぐすり

 シーダ王女が何か言おうとしたタイミングで賊たちが武器を片手に向かってくる。

 狙いはまずは王女。

 ここでオレが動かなければ結果はわかりきっている。

 物語を次へ進めるためにオレは半歩ほど踏み込んで、神肌縫いから連続突きを放つ。

 

「なっ、に、が……」

 

 レイピアと言っても、それはあの神肌の貴種(デブ)が持っているからそう見えるだけで、常人が持てばそれは槍のようなものだ。

 彼らの持つ粗悪な斧とはリーチが違う。

 その上で、速度も違う。

 

 一息で再び数人が血しぶきをあげて倒れる。

 

「が、ガザック様に報告だ!!」

 

 攻撃の範囲に入らなかった賊たちが引き返していく。

 ゲームでは脳停止で突っ込んできた彼らだが、現実ともなれば流石にそうはいかないらしい。

 

「シーダ王女、何をくれるかは後でってことでいいか」

 

 それにこくりと頷く。

 ただ、マルス王子の亡骸からは離れがたいようでもある。

 

 しばし悩むが、死体を持ち歩くわけにもいかない。

 かといって、いい言葉を思い浮かべれるわけでもない。

 オレは何も言わずに賊たちが走り去った方へと歩き出す。

 

 少し歩いて振り向くと、諦めたように背についてくる彼女の姿を見ることができた。

 そういえば、シーダ王女といえばペガサスであるが、その姿がない。

 だが、彼女たちのことを知らないという体を取った以上は突っ込むこともできなかった。

 

 暫く歩くと村、そして更に奥には城が見える。

 村が滅ぼされている様子もない。

 シーダに休んでいくかと聞くとかぶりを振る。

 いち早く城に行きたいのだろう。

 村に行ったところでここでは……いや、ここでジイさんが仲間になった気がする。

 回復アイテム代わりの……僧侶リフだ。

 

「歩き通しで城に向かって、戦いの中で倒れられるわけにもいかんな

 村で一休みしていこう」

 

 その言葉に不承不承頷くシーダ。

 村へと入るとシーダを心配する村人たちの歓待を受ける。

 

「海賊どもが暴れまわって、どうなるかと思いましたが……」

「彼が……倒してくださいました」

 

 そういってオレを紹介する。

 

「このまま城を解放されるのですかな?」

「そのつもりだ」

「であれば、私も同行させてくださいませんか

 このリフ、老いぼれではありますがきずぐすり程度の役割は果たせますぞ」

「では城まで頼む。

 いや、きずぐすり程度のといったな」

「ええ、杖によって傷を癒やすことができるのでございます」

「では王女を頼む」

「私は──」

「ここで休んで、城を解放したあとで迎えに来るでもいい

 だが、見たいのではないか」

 

 性根の曲がったことを発する。

 だが、善良なままで一癖も二癖もある戦乱を生き残れるとも思えない。

 ここはファーストインプレッションを貫くべきだ。

 

「賊の頭領が討たれる様を」

 

 王女の整った顔が苦渋に歪む。

 

「いくら城の者の仇であっても王女殿下にそのような」

 

 リフが苦言を呈そうとするも、シーダ王女はそれを制するように言う。

 

「リフ殿、私に治癒を」

 

 それは討たれる様を見たいと彼女が言ったのと同義だった。



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タリス解放

「アア!?

 もう王子はぶっ殺したんだろうが!」

「が、ガザック様の言う通りにしやした!」

 

 ガザックが怒りを隠すこともなく手下を怒鳴りつける。

 

「ですが妙なナリの男が現れまして……」

「妙なナリだ?そいつはどうしてる!」

 

「そいつならここにいる」

 

 村から城まではそう距離が離れているわけでもない。

 賊が相談を終えるよりも先に到着できた。

 

 手下はそれを見るや戦うではなく、逃げ出そうとする。

 

「オレの手下を可愛がってくれたみたいじゃねえか」

「可愛がる前に死んじまったよ」

「そいつぁ、甲斐性がなくて悪かった……なぁ!!」

 

 机に置かれていた斧を掴むと同時に逃げようとした手下を切り倒し、

 さらに急速な踏み込みからの斧の振り下ろしを敢行する。

 世が世ならば海賊たちの王にでもなれたかもしれない。

 急襲して一国の城を落とした男だ、どうあれ傑物なのは間違いあるまい。

 だとしても、

 

「素直すぎる一撃だな」

 

 悪辣な攻撃(エスト狩り)などに晒され続けたオレには通じない。

 振り下ろされた一撃を前転で避け、その背に神肌縫いを突き刺す。

 だが、すぐには抜かない。

 そのまま羽交い締めにして、シーダ王女に見せる。

 箱入りであろう貴人に見せるべきものでもなかろう。

 しかし、復讐心はその解決に徹底しなければしこりを残すもの。

 

 神肌縫いを乱暴に背から上方へと強引に動かして断ち切っていき、

 やがてその半身が割れ、大量の出血が雨のように振る。

 

 血しぶきが止むと同時にシーダ王女はふっと倒れた。

 

 ───────────────────────────────

 

 多くのものが殺されたようだが、それでも国家の中枢たるものたちは存命だった。

 シーダ王女は気を失い、その介護でどたばたしている。

 

「騎士殿、救援を感謝します」

「それよりも先に、王子たちの亡骸を

 タリス王をお助けするためとは言え、野晒しのままにしてよいお方ではないのでは」

「ああ、すぐに人を向かわせよう」

 

 といった具合で、あれこれと戦後処理を進める。

 例え王女を救出したとはいえ、故知らぬ騎士よりも王子たちの死をどうするべきかの相談が先のようで、

 オレは別室での待機を申し付けられていた。

 リフは負傷兵たちの手当に忙しくしているらしい。

 

 多少の時間の後にオレは呼び出しを受ける。

 謁見の間、王の御前。

 玉座にはタリス王、そしてその側にはシーダ王女がいる。

 王女は多少なりと顔色は戻ったが、それでも表情が晴れたわけでもない。

 

「騎士殿、改めて礼を言う

 タリスと我が娘を救ってくれたことに心からの感謝を

 我らが英雄の名を伺いたい」

 

 名前。

 名前か。

 そういや暫く自分の名前なんて考えたこともなかった。

 褪せ人としか呼ばれてなかったし、そもそも話を追わなかったオレにとって人から名を呼ばれるという体験そのものが希薄だ。

 

 とはいえ、名乗るほどのものでは、なんて言えるわけもない。

 どうしよう。

 待ち時間長かったんだから考えておくべきだったろう。

 紋章の謎でカミュがシリウスって名乗ってたし、オレもあやかってプロキオンとかベテルギウスとかにするべきか。

 マルス繋がりでアレスとかにするべきか、いや、アレスは聖戦の系譜でいたよな。

 取止めもないことがぐるぐると浮かんでは消える。

 ええい、シリーズ作品の登場人物(アレス君)には申し訳ないが、そこから頂戴しよう。

 

「どうした、騎士殿」

「レウス、そう呼ばれております」

「随分と名を名乗るに時間を要したな、レウス殿」

 

 苦し紛れにアレス(アーレウス)から失敬した。どこぞの狩りゲーでもレウスという文字列はある。その名の響きだけでも箔は付きそうだろう。

 が、それはそれとして、そりゃあ疑わしい。

 身分定かならないもんな。

 賊同士で潰し合って生き残った奴だと疑われてもしかたない。

 

故も知らぬ騎士(ナイト・エラント)の身、自らの名を出して不信を買わないかについてを悩んでおりました」

 

「そう、か

 だが、その名を聞いても我々は何かを感ずるものはない」

「ここより遥か遠方が故国でありますので

 何か無作法があればご容赦を」

 

 遠方だと言っておけば今までの自分の行動に疑問が出ても都合よく解釈してくれるだろう……と淡い期待をしておこう。

 

「さて、シーダからは話を聞いている

 我がタリスがレウス殿に支払うべきは何か、それを決めねば」



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実績厨

 幼少期からゲーム漬けだった。

 登校前にゲームをやり、登校中に攻略を考え、授業中に眠り、

 下校で攻略法を脳内で確立し、夜を徹してゲームをやる。

 両親の遊んだゲームをお下がりされているわけで、やっていたゲームに最新作はそう多くはない。

 勿論、最新作は自分の金で買うわけだから徹底的に吟味して買う。

 バイトもしない学生が買える数は知れた数だからだ、ハズレを引くわけにはいかなかった。

 だから普段やるゲームはその「お下がり」が殆ど。

 

 ゲームでオレがやる事といえば感覚に従った結果の縛りプレイだ。

 戦国・三国系のシミュレーションなら捕らえた武将は片っ端から斬首だとか、そういう奴だ。

 今、自分を俯瞰して見ると実にシミュレーション向きの人間ではない。

 自分の趣味に寄りすぎて難易度を上げている。

 そうして詰んだことなど数え切れない。

 ただ、一般的に想定されるルートを進んだとて、オレは途中で飽きてしまう。

 

 そういう意味では自分の腕前そのものが縛りになっていた狭間の地は「居心地のいい場所」であった。

 一方で、この『新・暗黒竜と光の剣』の世界はどうであろうか。

 チュートリアルマップの雑魚を蹴散らしただけで大きなことを言うべきではないが、

 狭間の地に比べればよほど良心的である。

 そもそもとして、今のオレは強くてニューゲーム状態なのだ。

 縛りもなく、立場の上の人間から命じられるままに動くことになったら……確実に飽きる。

 それを自覚している。

 

「タリス王」

 

 であれば、不利になることを進めよう。

 詰まない程度で、しかしこの先を見通せない程度の不利を。

 

「オレの求めるものは一つ」

 

 かしずいている態勢を崩す。

 

「ご、御前であるぞ。その口と態度を改めよ!」

 

 家臣の一人が烈火の如くに怒り、非難する。

 それに留まらずオレの腕を掴み──

 

 癖ってのは抜けないもので、

 敵意があるものに近づかれて、接触されそうになったらやってしまうことがある。

 

 咄嗟の判断(パリィ)

 

「貴さ」

 

 言葉が終わるか終わらないかのところで拳が家臣へと向かいそうになり──

 

「レウス様、お止めください!」

 

 シーダの声。

 ギリギリのところで止まる拳。

 家臣はもはや意識を手放している。

 

「危ねえ危ねえ

 だけど、不用意に近づくほうが悪いよな」

「れ、レウス殿……」

 

 タリス王もまた、絶句している。

 

「改めてになるが、オレの求めるものは一つ」

 

 神肌縫いを抜き払う。

 周囲の緊張感が高まる。

 兵士たちも構えを取ろうとするも、ガザックに良いようにやられた連中だ。

 こちらの抜刀に応じることはない。

 

 銀色の突剣をシーダに向け、その後にタリス王に向ける。

 

「そこのシーダ王女か、この国の王としての地位だ」

 

 抜群の不敬っぷりに一同は固まっている。

 

「冗談では、済まされぬぞ

 例えあなたがこの国を救った方であっても」

 

 タリス王はギリギリの所で王たる意思を見せつける。

 ただ、オレが見てきた王だったなら、ここでバリバリに激怒してガザックの死体を腕に縫い付けて襲ってくることだろう。

 

「記憶はないが、やりたいことはある

 この辺境からどこまで行けるのか試したい

 ドルーアや、グラやら諸国を相手にしてどこまでやれるかを」

 

 国の名前が出た時点で、一同の表情が曇る。

 それはマルス亡き今、反帝国の旗印がない以上、支配されるのは時間の問題であることを理解しているからだ。

 

「勿論、オレが一人で戦い続けてもいいんだが……そんなのはつまらない

 オレに必要なものはモチベーションだ

 そしてモチベーションを維持するのはいつだって実績解除(トロフィー)なのさ」

「わ、我が娘を戦利品(トロフィー)扱いするか!」

「アンタの玉座でもいいって言ってるだろう」

 

 不敬度の天井を叩いたのか、流石に周りの兵士たちも武器を抜く。

 

「ま、それでもいいか」

 

 オレは神肌縫いで空を斬る。

 威嚇するような音が部屋を叩く。

 そうしてからゆっくりと、オレも構えを取った。

 



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よっぽどマシだろ?

 一触即発。

 文字通りの状況──

 

「お止めください!」

 

 それを止めたのも、やはりシーダ王女であった。

 

「お父さま、私はレウス様を信じます

 この方であればタリスを他の支配から遠ざけ、同盟国アリティアの無念を晴らしてくださると……」

「シーダ、我が娘

 お前を戦利品扱いするこの男にお前を渡すことなどできるものか」

 

 口を挟むようにオレは――

 

「戦利品扱いするねえ、ばっちりする

 シーダ王女を戦場に駆り立てて、一緒に戦ってもらう

 夜には添い寝して歌でも唄ってもらっちゃおうかなあ」

「き、き」

 

 貴様ァ!と、怒号と共にタリス王は遂に玉座から立ち上がる。

 

「だが、ドルーアとその愉快なお仲間が来るよりよっぽどマシだ

 国は支配され、必要であれば村を蹂躙し、臣民を凌辱するだろう連中よりもよっぽどマシだろ

 玉座はアンタの血で汚れ、その上に私腹を肥やすことだけを考える執政官が後を継ぐよりも尚マシだ

 名実ともに支配するためにシーダをドルーアの有力貴族のボンボンと結ばせて、タリスの歴史は塗り替えられるよりも、絶対的にマシだろう」

 

 地面に剣を突き立てて、がなるようにオレは言う。

 

「シーダをオレの戦利品にして、タリスと王家の名誉を維持するか」

 

 自分の首をなぞるようにして、

 

「今暫くの家族団らんと安寧を楽しんだ後に来る確実な滅びを歩むか」

 

 家臣たちはその言葉に対して、未来を想像し、息を呑む。

 

「どちらがいいか、選択しろ

 その権利まで奪う気はない」

 

 タリス王は激怒しながらも、しかし、何かを言う事はできなかった。

 アリティアを追われたマルスをドルーアに差し出さなかったのは正しくその未来を回避するためだったからだ。

 

「お父さま、私の心は既に決まっています

 どうか、どうか私をレウス様と共に行くことをお許しください」

「シーダ……すまぬ、私にもっと力があれば、我がタリスがもっと精強であれば」

 

 その家族愛劇場を断ち切るように――

 

「話は決まったな、さっさと次に行くぞ

 こんな島に待っていれば待っている分、状況は悪化するだけだ」

 

 宮廷を出ていこうとする。

 それを止めるものは誰もいない。

 やや遅れて、もう一つの足音が聞こえる。

 

 ───────────────────────────────

 

 とはいえ、直ぐに次へ向かう訳にも行かない。

 そもそもどこへ行こうというのか、ノリで次に行くなどと言ったが……。

 

 シーダは旅装を整えてくると行って離れた。

 

 本来であれば、

 主人公であるマルス、腹心であるジェイガン、両翼を担うカインとアベル、

 一団の盾であるドーガ、射手のゴードン、

 状況が許していればフレイという騎士とノルンという女射手もいるはずだ。

 しかし、そのいずれもいない。

 戦力はシーダとオレで2騎、7騎も欠損している。

 

 加えて、オレの立場は故知らぬ騎士でしかない。

 大義名分ない身分の人間が一体どこまでやれるというのか。

 

 ああ。

 ゾクゾクしてきた。

 これだよ、これ。

 詰んでるとは思えないが、極めて不透明な行き先。

 不気味な銀の帳(ボス前カーテン)を前にしたのにも近い、鬱然とした高揚感。

 

「レウス様」

 

 風を伴って降り立ったのは羽持つ白馬、ペガサス。

 

「シーダ王女、いや、もうオレのトロフィーなんだから呼び捨てでもいいか」

「……ご随意に」

 

 不承不承って感じだ。

 そりゃそうだ。

 だが、戦場で敬称略を付けて呼んでいる間に殺されちゃあたまらん。

 

「ペガサスか、そいつは」

「先程の戦いでは怪我を負ってしまい、隠れさせていました」

「傷が癒えたのか」

「リフ様のお陰です」

「ふぅん」

 

 戦力は増えたのは喜ばしいが、それよりも悩ましいことがある。

 が、シーダはそれに対して先回りをして言葉を紡いだ。

 

「この島の対岸にガルダという港街があるのですが、

 そこでタリスが雇っている傭兵が防衛に当たっています」

 

 ああ、そうだそうだ。

 思い出した。

 次のマップでオグマと、サジマジバーツが仲間になるんだったな。

 妙にステータスの伸びが良いのは誰だったか……。

 いや、どの作品かでそれも違うんだったよな。

 

「そいつらを拾って戦力を底上げしろってことか」

「はい、ですが……そこも賊に」

「蹴散らして進めばいいんだろう、それでお前の気が晴れるなら素通りはしない」

 

 シーダの表情から伺い知れるものはない。

 怒ってないならなんでもいいか。

 ともあれ、トロフィー扱いしたことで大いに信頼は損なわれているだろう。

 これが忠誠度があるシステムだったら次章で脱落もありえたから、この世界で良かったと思う。

 いや……狭間の地と同じで、ゲームではないのなら普通に脱落もありえる……のか?

 

「そいつらの腕前は知らんが、さっさと行くに越したことはないな」

「はい、レウス様」

 

「お、お待ちくだされ!足腰の弱った老人に走らせるのは酷ですぞ!」

 

 とりあえず、この章で脱落者はいないようだった。

 



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ガルダから憎悪を込めて

「……レウス殿、私はオグマ

 王の命令により、レウス殿の一行に加わりたく参上しました」

 

 頬に傷を持つ偉丈夫、オグマ。

 歴戦の傭兵ってだけじゃない。

 記憶が正しければ、死罪同然の刑罰をシーダの嘆願によって助命された過去があったとか、そんな記憶がある。

 敬意の無い敬語はいっそ敵意に近い。

 こいつは王の命令で一行に加わりたいのではなく、

 

「オレを監視するためだろう、オグマ」

「だとして、たった三人でこの戦場を何とかできると思っているほど頭が軽いわけでもないはずだ」

「お、オグマ!」

 

 今度こそ敵意むき出し。

 そりゃそうだ。

 話が全部伝わってるなら忠犬オグマがオレを敵視するのは当然。

 

「それに、これからの戦いを見据えるのなら一兵でも多く欲しいはずだ

 それとも、監視を嫌って援軍を断るか?」

 

 そんなことはできまい、と断定するような口調だ。

 確かに戦えるものは少ない。

 リフはそもそも攻撃手段を持たない。

 シーダは高い成長性があろうが、現時点では姫君の枠からは超えない。

 マルス王子であればジェイガンを始めとした王家直属の正騎士がいた。

 しかし、オレにはそういうものはない。

 監視であろうと、獅子身中の虫であろうと断れない。

 オグマはそう判断している。

 

「要らん」

「……なに?」

「お前みたいな敵意むき出しの剣士に、むさ苦しい男三人が付いてくるなんて勘弁してくれ」

「それで頷くと思っているのか、貴様」

「シーダを連れて小勢で激戦区に突き進んだら、お前の姫様が死んじまうかもしれないものな

 けど安心しなよ」

 

 手札として隠し持っておくか悩んだが、側に敵になるかもしれない凄腕剣士が付いて来る方が厄介。

 オレはそう判断する。

 

 懐から取り出したのは鈴と鈍く輝く鉱石。

 

 オレは縛りプレイをするタイプではあるが、狭間の地ではそんな余裕はビタイチなかった

 使えるものはなんだって使った。

 これはその使えるものの中で最大級に有効だった逸品──『霊呼びの鈴』。

 

 りぃりぃん。

 瀟洒な音が響き渡る。

 

 鈴の柄とともに握り込んだ鈍く輝く鉱石のようなものから濃密な霧が吹き出したかと思うと、

 それはオレの眼前で人の形をとっていく。

 オグマは武器をこちらに向け、サジマジバーツも一拍遅れて斧を構えた。

 

「……」

 

 現れたのは斧を持った海賊たちが複数名。

 その中心には海賊の中でも一際体格のいい男が立っている。

 

「な、……なぜ……」

 

 シーダが絶句し、やがて言葉を漏らす。

 

「タリスを襲った、海賊が……」

 

 その男の名はガザック。

 タリス城を急襲し、占領した海賊。

 そして、その周りには王子一行を殺したであろう、その手下たちが立っていた。

 

 オグマがいきり立って剣を振るう。

 が、それは流石にこの後に支障が出かねないので神肌縫いで防がせてもらう。

 剣同士で火花が散る。

 

「こいつらはなんだ」

「落ち着けって。こいつはオレの部下みたいなもんだ」

「ですが……彼らは死んだはずです、あなたが、殺した……そうでしょう!?」

 

 王子の死という記憶を揺さぶられて、お淑やかな王女様といった雰囲気が崩れる。

 

「ああ、殺した

 確実に殺した

 アレで生きていられちゃ困る、それくらいに殺した」

「じゃあ、これはなんなのです……?」

 

 そりゃあ、まあ、そういう反応になるよな。

 

 ───────────────────────────────

 

 『霊呼びの鈴』

 

 オレが狭間の地で最も世話になった道具だ。

 正確にはこれと、対応する遺灰と呼ばれるもののセットでだが。

 

 道中で手に入れた腕利きの果ての果て、つまりはその肉体か魂を構成していたであろう『遺灰』から、

 生前の力を呼び出して戦列に加えることができる。

 狭間の地を旅している中でオレはこの鈴に大いなる可能性を感じていた。

 

 それは、旅の中で手に入れた『遺灰』以外のものからも召喚できたことから始まった。

 名を残して死んだものや、強く残念したもの以外から、能動的に『遺灰』同然のものを作り出す技術があることを知った。

 勿論、その存在……『傀儡』を知ったときにはもう全てが遅かった。

 その作成方法を知っていた人間はオレに頭をかち割られて死んでいたし、死んだ人間をオレは蘇らせる手段を持ち合わせなかったからだ。

 

 それでもその人間が残した研究レポートや手記、研究の手伝いをした者から情報を引き出した。

 ただ、研究成果は狭間の地では発揮することはできなかった。

 正確には、それを研究する必要もないほど強力な『遺灰』を手に入れてしまったから先に進むことを優先してしまったのだ。

 

 タリスに降り立ったオレが最初にしたのは空気を体感することだったが、その次に試したのは持っているものの確認だった。

 多くのものは手元で持っていなかったせいで取り出すことはできなかったが、この鈴をはじめとして、普段から身につけていたものだけは無事だった。

 だが、次の問題がある。

 『遺灰』が消えていた。

 『遺灰』なくして『鈴』は力を発揮できない。ただの良い音を奏でる楽器だ。

 そうして他のものを試そうと思っていた矢先でシーダと出会うことになった。

 

 重要なのはその後。

 ガザックを殺したときだ。

 筋肉と臓腑を破り、命を奪った実感と同時に別の手応えがあった。

 鈍く輝く黄金の光。

 狭間の地で追憶と呼んでいたものにも似た質感だった。

 

 研究の中で求めて、しかし手に入らなかった傀儡の核心。

 オレに足りていなかった最後のピース。

 今、その追憶にも似たものを鈴で共鳴させた結果がオレの目の前に現れたのだ。

 

 ───────────────────────────────

 

「何かって説明は難しい

 だが、こいつはもうお前の国を襲った海賊じゃない

 その成れの果てで、今はオレの手駒だ」

「監視を嫌って、海賊を信じるというのか」

「こいつが生者に見えるってのか、オグマ」

 

 睨むようにして観察する。

 どう見たって生者じゃない。

 

「こいつはオレの手足と変わらない

 お前と違ってオレを監視もしなけりゃ、寝首を掻こうともしないだろうさ」

 

 オグマはその言葉に否定はしない。

 

「オグマ……」

 

 聡いシーダはその沈黙が、つまりは肯定であることを理解してしまう。

 当然だろう。

 島の小国とはいえ、国家に喧嘩を売った挙げ句に跡取り娘を奪われたのだ。

 毎夜毎夜枕元に暗殺者が立っていたって不思議じゃない状況だ。

 

「だが、どれほど戦える?

 それがお前の手足だとして、所詮は海賊だろう

 このガルダにはグルニアから送られた騎馬兵も確認されている

 オレや、オレの部下ならば片付けることができる

 だがお前はどうだ、お前のその手駒はどうだというんだ」

 

「ここでグダグダ言ったところで意味もないだろう

 見せてやるさ

 だが、お前の手を借りずにここから賊とグルニアの兵士を退けたら、お前は付いてくるなよ」

「……ああ、約束する」

 

 さあ、オレのはじめての作品(傀儡)は上手くやってくれるかな。



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ガルダの海賊

 オグマは何度も止めたが、オレはシーダを出陣させた。

 シーダも自身が戦利品だと言われている以上はそれに従う。

 

 リフはオレとオグマの諍いに対しては口を挟まないが、戦闘には参加するようだ。

 

 こちらの兵力はオレ、シーダ、リフ、そして傀儡(ガザック)たち。

 高台から見渡すと地形がわかる。

 北の方に島があり、そこにそれなりの規模の部隊が展開していた。

 おそらくは港を攻略するためのものだろう。

 その中で体格に優れた海賊が一人見受けられる。

 確か、ダロスとかいう男で、足を洗いたがってたんだったか。

 

 西には手前側に偵察兵代わりにぽつぽつと敵影がある。

 城の周りにはかなり部隊が待機していた。

 オグマが言っていたグルニア兵も含まれているのだろう。

 

 オレがこの場所でやらねばならないことは二つ。

 一つ、傀儡の性能・機能テスト。

 はじめて自分で生み出した傀儡だ、何ができるかまるでわかっていない。

 二つ、シーダのレベリング。

 どちらかといえばこちらのほうが急務だ。

 栄えある我がレウス軍は三人、そして戦闘可能なのは二人。

 シーダには徹底して強くなって貰わねば戦力がまるで足りない。

 

 とはいえ、恐らくは初期レベルの王女様が国を乗っ取るような賊に真っ向勝負で勝てるとも思えない。

 そう、正面から戦えば。

 

 ───────────────────────────────

 

 出立前、タリス

 

「あったあった、っと」

 

 一度は港へと向かったオレたちだったが、すぐに引き換えした。

 焼け落ちた村を漁ると、溜め込んでいた銭を発見する。

 記憶では1万ほどあったはずだが、村が襲われたゴタゴタで半分ほどになってしまっている。

 それでも無いよりはマシだ。

 死体漁り同然の事をシーダにさせるわけにもいかず、オレが一人で火事場泥棒をしているわけだ。

 

 このタリスには必要なものがまだあったからだ。

 

「いらっしゃい……って、あんた……」

 

 どうやら噂にはなっているらしい。

 こんな辺鄙な店ですら。田舎って恐ろしい。

 

「ここは武器屋だな」

「ああ」

「姫を拐かしたも同然のオレに売るものはないか」

「いや、まさか。買ってくれるならあんたが何者でも構わねえ」

「商人の鑑だな、この金で買えるだけ手槍を頼む」

「六本ってところだな、いいか?」

「ああ」

 

 ゲームと違ってなのか、それともオレが狭間の地から来たからなのかはわからないが、所持数制限には引っかからなかった。

 

「ああ、ちょっと待ちなよ」

「なんだ、もう金はないぞ」

「いいや、ちょっとあんたに恩を売っておきたくてね……」

 

 商人はにたりと笑うと、棚をがたがたと動かし、隠し棚を開く。

 そこには銀で拵えられた豪奢な槍が置かれている。

 

「銀の槍だ、持っていきなよ」

「こいつは……ははぁ、アンタも火事場泥棒したのか」

「死体が持ってたって役には立たねえだろう

 だったらオレみたいな商人が持っていたほうが役に立つ、今こんな風にだ」

「だが」

「金はいい、あんたがいずれ名を挙げたら是非贔屓にしてくれ」

 

 かのようにして、オレは6セットの手槍と一振りの銀の槍を手に入れた。

 銀の槍の出どころはジェイガンの死体からだろう。

 戦乱の時代だ、道徳心ってのは捨て置かれるもんだ。

 

 ───────────────────────────────

 

 オレが取った戦術はこすっからいのも良いところだ。

 ガザックを呼び出したときのオマケの海賊たちで橋を封鎖し、シーダには上から手槍を投げ続けさせるというもの。

 箱入りと言っても、戦の世で甘いことは言えない、シーダは躊躇なく槍を投げる。

 彼女にとっての初めての殺し(ファーストブラッド)が起こっても、顔色一つ変えないどころか、次の対象へと切り替える。

 かつての彼女であれば心痛に表情を曇らせたのだろうか。

 今の彼女が遠間から冷酷に槍を投げつけて相手を殺せるのはマルス王子を失ったことに起因した何かしらの感情か。

 

「ちょ、調子に乗るなやぁ!」

 

 弓兵がシーダを狙う。

 だが、それが打ち出される前に橋の封鎖から溢れ出た海賊が弓兵を襲い始める。

 

「な、くそ!近づくなあ!!」

 

 その言葉を最後に、弓兵の声は途絶える。

 

「こんなことなら、もっと早くに足を洗うべきだったな……」

 

 その様子を見ながら生き残っている男が意を決したようにこちらへと向かって来る。

 そう。

 ダロスだ。

 海賊から足を洗いたいとマルスに嘆願し、軍へと迎えられた海賊。

 

「今からでも遅くないんじゃないか?」

「仲間をやられておめおめと降れるほど腐っちゃいねえんだ」

 

 にべもなくダロスに断られる。

 

「そうかい」

 

 神肌縫いを構え、相手の機先を制して連続突きがダロスを幾度となく貫く。

 

「ぐっ……これまで……か……」

 

 ダロスは後悔の念を強く思わせる言葉を吐くとそれきり動かなくなる。

 一方、異変に気がついた西の部隊もちらちらと動きはじめたが、手下同様に橋を占拠していた傀儡のガザックによって足止めされている。

 

「シーダ、まだ行けるか?」

「……はい」

「海賊が足止めしている、先と同じ要領で空から撃ち殺せ」

 

 肉体的というよりは、精神的な疲労が滲んでいる。

 だが、それでも休ませることはしなかった。

 オレの言葉に小さく頷くとペガサスを走らせる。

 

 暫く後に戦いの音が止む。

 そろそろ前進しどきだなと判断し、オマケで付いてきた海賊傀儡を前進させる。

 幾人かは消えてしまっているが、元より生者でもなし、気にしない。

 どうせ戦いが終われば消え去るのだから。

 

「妙な感触ではありますが、傷は癒やすことはできますなあ」

 

 リフは残存していた傀儡にライブの杖を振っていた。

 元々遺灰は祈祷などでも回復ができたのだから、ライブの杖の恩恵に与れるだろうと思っていた。

 それについては問題がなかったようで安心する。

 『この後の展開』を考えると傀儡を回復して長く戦わせられるかどうかは死活問題にもなり得るからだ。

 

 ゆるりと進軍していると、シーダが再び戻ってくる。

 

「どうした?」

「タリスの顔見知りを敵軍で見つけてしまい……」

 

 オレが代わりに殺そうか、と言うと余計に追い詰めそうなものだが。

 いやいや、よく考えろ。

 ここでの顔見知りはあいつだ、あいつ。……カシム!

 詐欺師だの何だのと言われてたけど、なんか重めの理由を抱えてた奴。

 あんまり詳しくないからよく知らんが、シーダと金で懐柔できるのだけは覚えている。

 いや、金で懐柔するのは次作か?

 

「説得できるならするといい

 金が必要だと言われたなら……即金では難しいが、この戦いの後には用意すると伝えてくれ」

 

 シーダは頷くと、再び前線へと飛び立つ。オレはその間にガザックたちを使って騎馬兵を釣り出すことにした。

 城を守る海賊とグルニアの騎馬との戦いでこちらの海賊傀儡が壊滅寸前まで追い詰められたものの、倒し切ることはできた。

 立っているのはガザックだけだ。

 

 更に歩を進めたあたりでシーダとカシムがこちらへと合流する。

 

「あ、あなたがこの軍の」

「レウスだ、シーダの顔見知りだって話だったが」

「はい、島で家族がよくしていただいていました」

「それがどうしてタリスの敵に手を貸してたんだ」

「……そ、それは……」

 

 オレの言葉に息を詰まらせるも、説明を始める。

 とはいえ、こいつが金のために海賊側に付いていたのは知っている。

 病の母のために金が必要なんだと。

 泣かせるね。こいつが詐欺師とかって名前で呼ばれてなけりゃだが。

 

「郷里の母のために金が必要なんだろう

 幾らあれば治療に足る」

「いえ……シーダ様がこちらにおられる以上、海賊たちに手を貸すことはできません

 お金も受け取るわけには」

「いいや、そういう訳にもいかん

 お前の家族が倒れればシーダも悲しむ」

 

 手の空いた時間でオレは海賊や騎士から剥いだ身ぐるみを武器屋に売っていた。

 軍資金としては心もとないが、カシムが貰う予定だった金よりはきっと多いだろう。

 ずしりとした重さの袋をカシムに持たせる。

 

「郷里に戻って、これで何とかしてやれ」

「れ、レウス様……」

「目を潤ませるな、感謝はシーダにしろ」

 

 とはいえ、城で守備を固めている男、ゴメスは手斧を持っている。

 下手にカシムと戦わせればあっさりと殺されるだろう。

 カシムにはオグマたちが見ている場所まで下がるように命じ、

 その先からはガザック、シーダ、リフ、そしてオレが進むことになった。



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ガルダの決着

「ガザァァァァッッッック!!!」

 

 怒号。

 地を割るような怒号。

 

 この一帯に存在する海賊たちの主、ゴメスという男が叫ぶ。

 

「てめえ、裏切りやがったかあ!!

 マルスを殺しておいて!なぜタリスなんぞに降るッ!!」

 

 ガザックは何も答えない。

 当然だ、こいつは生者ではないのだから。

 

 ここでの戦略は単純。

 ガザックを突っ込ませ、死ぬまでゴメスと戦わせる。

 弱ったところをシーダが殺す。

 シーダが殺せないようなら、オレが殺す。

 

 本来であれば厳しいマップかもしれないが、こっちは死んだって構わない兵士がいる。

 本来の戦術では採りにくい手が取れるアドバンテージを良いだけ使わせてもらう。

 相手を弱らせるまではガザックを戻してリフで治療しながらという手もありだ。

 

 かくして戦いが始まる。

 何度か回復のためにガザックが戻り、リフの治療を受けて攻め、それを繰り返してガザックが消える頃にはゴメスは虫の息となっていた

 

「シーダ」

 

 手槍を持たせる代わりに預かっていた彼女の愛槍(ウィンドスピア)を手渡す。

 

「マルスを殺したのは有象無象の海賊どもじゃない

 そいつらの上にいて、連中を駆り立てていたガザックと目の前で死にかけているゴメスだ

 オレがアイツを殺してもいい

 だが、お前がその手で殺さなければお前の復讐心が安んじることはない」

 

 それまでオレを見ようとしなかったシーダの瞳が、ようやくオレに目を合わせる。

 スカイブルーであった瞳は、淀んだ藍色にも見えてしまう。

 かつてタリスの領民たちの心の支えでもあったろう姫君は冷酷な手段で敵を打ち殺した戦士に変貌している。

 

 自らの清廉が血によって汚れた自覚があるのだろう。

 普段であれば想像するだけで怖気を覚えるかもしれない所業の連続であっても、

 今の彼女は震えの一つもない。

 ウィンドスピアを受け取ると、ペガサスを駆けさせる。

 

「た、タリスの小娘に、お、オレが……」

「よくも……よくもマルス様を……ッ!よくも私たちの希望をッ!」

 

 はばたきの音が止むと、ペガサスが落ちる。

 いや、あれは滑空だ。

 猛禽類が獲物を狩るための必殺戦法。

 ぱぁんと激しい衝突音と共にゴメスが槍で貫かれる。

 ペガサスはそのまま、再度空へと駆け上がる。

 

 槍で貫かれた状態のゴメスは半ばペガサスに体重を預けさせられた状態だ。

 空へと舞い上がり、ホバリング状態を維持する。

 シーダは槍を横に振るうようにすると、ゴメスは手をばたつかせながら落下していった。

 

 彼女は酷く褪めた色の瞳で、落ちていくゴメスを見ている。

 暫くすると、ゴメスは城門の前に衝突して赤い花を咲かせた。

 

 こうして、ガルダでの戦いに終止符が打たれたのだった。

 

 ───────────────────────────────

 

「完勝だ

 文句あるまいな、オグマ」

「文句がないか、だと……!

 ふざけるなッ!姫の様子を見ろ!その顔を見たのか、貴様は!」

「アンタよりも間近で見ていたさ

 シーダに命令をしたのはオレだからな」

「オレには貴様が冥府魔道から這い出てきた亡者としか思えん……ッ!」

 

 オグマが剣の柄に手をかける。

 亡者ね。

 いやあ、言い得て妙だ。

 夢も希望も人間性もありゃしない狭間の地からやってきたんだ、正当な評価というものであろう。

 

「止めてください、オグマ

 私が望んで、踏み出せなかったことを命じてくださっただけです」

「姫、あなたは騙されてい──」

「オグマさん、それ以上は私が許しません

 レウス様は私だけでなく、母を、そしてシーダ様を想ってくださっています

 その慈悲を踏みにじるなら容赦しません」

 

 オグマであれば矢を避けた返しでカシムを斬り殺せるだろう。

 更にその後ろからはサジマジバーツも殺到してくるのは間違いない。

 リフもまた、カシムの近くへとそれとなく移動している。

 万が一、即死しなければライブの杖で命を繋ぐつもりなのだろう。

 

「……姫」

「オグマ

 今回でよくわかりました

 世界は揺れています、賊は増え続けるでしょう

 我がタリスは先日のような不幸に再び晒されるかもしれません

 暴力の嵐からタリスを守れるのはオグマ、あなただけです」

 

 剣の柄に触れたオグマの手にシーダは自分の手を重ねる。

 

「私はレウス様と共に嵐を鎮めに往きます

 オグマ、お父さまとタリスをお願いできますね」

 

 断じるような言葉だ。

 シーダのような人物からそれが発せられたなら、抗えるものは少ないだろう。

 オグマも観念し、剣から手を離す。

 

「姫、どうか……どうかご武運を」

 

 頭を深々と下げた後、次はオレを睨みつけてくる。

 

「何があっても姫を守れ

 守れなかったときは」

「安心しろよ、オレは自分が得た戦利品は絶対に手放さない

 一個でも欠けたら目標(トロコン)を果たせないのを知っているからな」

 

 その言葉に反論する気もないのか、オグマとその一同は去っていく。

 やや遅れてカシムもタリスへと戻ることにしたようだ。

 

 この日はガルダの住民たちが感謝の意と共に寝床を用意してくれた。

 



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シーダ

 空が途轍もなく広い。

 星星が瞬き、巨大な月が浮かんでいる。

 空の美しさは狭間の地と違えども、同じほどに心が沸き立つ。

 

 かの地では風呂一つ入るのにも苦戦したが、この世界ではあっさりと入ることができた。

 久しぶりに危険のない風呂だ。

 巨大な海老も出て来ないし、石化を狙ってくる爬虫類もいない。

 透明度の高い、程よい水温の風呂。

 

 そこから上がるとあれやこれやと食事を振る舞われ、やがて宴も終わる。

 オーシャンビューのベランダで夜景を楽しんでいると、控えめなノックが鳴った。

 

「どうぞ」

 

 警戒心もない。

 いや、ここで万が一暗殺者だのが来たところで対応できないわけでもない。

 警戒心を持つ必要がない程度の状態ってだけだ。

 だが、入ってきたのはタリス王かオグマが雇った暗殺者というわけではなく、

 汚れを落として元の美しさを取り戻したタリス王女シーダであった。

 

「夜に男の部屋に入るもんじゃないって教えられなかったのか?」

「そうなのですか?」

「おっと、パーフェクト箱入り娘来たな」

 

 男が狼であるということすら教えられてない奴だ。

 

「で、どうしたね」

「その……お礼を、と思いまして」

「礼?」

「私に復讐を遂げさせてくださった、そのお礼です」

「おいおい、冗談は止めてくれ

 オグマには反論したが、アイツが言っているのも正しいんだ

 オレはシーダを戦場に駆り立てて、道具として扱った

 殺さなくてもいい連中を殺させたんだ」

「はい……きっと、殺さなくてもいい方々だったのでしょう

 私が手を下す必要のないもの、いえ、レウス様であれば無用な苦しみなく殺めることができたのでしょうから」

 

 確かに、そりゃそうだ。

 神肌縫いを使えば一手で数人纏めて殺せる。

 痛みに無用もクソもないとは思うが、それは置いとくとしてだ。

 

海賊の主(ゴメス)を殺すためには、無闇な苦痛を振りまいてでも彼らと戦い、経験を積んで、

 そして命の手触りを知る必要があった……違いますか?」

 

 シーダの勘の良さは一介の王女様が持っていいレベルのものじゃない。

 一種の神憑りだ。

 いや、そうでなくては世界を救う英雄たるマルスの伴侶になれるわけもない。

 前へ前へと突き進むマルスの代わりに周りを見渡し、見渡しきれないものを直感で掴み取る存在。

 お互いを補うために運命から与えられた力なのだと、そう考えるしかない。

 

「それに気がついて、実行できるシーダが凄いのであって、オレが偉いって話にはならねえよ」

「自分の価値を自分で下げようとしないでください、レウス様

 私に与えた指令は他者に非難されるようなものであれ、実行した私はあなたにこれ以上無いほどに恩義を感じているのですから

 感謝している相手が自分を貶すような姿は……悲しいのです」

「……悪かった」

 

 どうにもよくない。

 性格が捻れている。

 元々がそうでもあるが、徹底的な悪意と害意に晒されたせいでより酷いことになっている。

 太陽でも信仰していればオレにも快活さが与えられていたのだろうか。

 しかし、ないものはない。

 

「レウス様、この後はどうするのです?」

「行く宛はできたから、そこに向かってみるつもりだ」

「明日からですか?」

「ああ、早いほうがよかろうからな」

 

 次に進むのもまた、血風吹き荒むことになる場所だ。

 

「シーダ

 復讐は成り、その心を安んじさせることもできるだろう」

 

 じっと、彼女の目を見る。

 瞳は透き通るようなスカイブルー。

 たとえ彼女が手を汚そうとも、復讐心だけは晴れたことを端的に表していた。

 

「タリスに戻っても──」

「オグマに告げた言葉を反故になさるのですか?」

 

『戦利品は絶対に手放さない』

 そうだとも。

 オレの信条だ。

 だが、

 

「オレの戦利品で居続ければ、今日の戦いじゃ済まないほどの骸を作ることになる」

「戦利品にそれをお求めになられているのでしょう」

「ここから先もオレは悪辣に戦う、忌避されるような力を使い、お前に流れる血に、王族の名誉を汚すことになる」

「今の私はタリス王女ではなく、一つの戦利品なのでしょう?」

「オレは」

「あなたが不名誉な戦いをして、非難されるなら私が弁護します

 あなたが私を戦いに駆り立てたなら、恐怖ではなく優雅を伴ってあなたの元に舞い戻りましょう」

 

 ですから、とシーダは続けた。

 

「あなたは帝国を打倒してくださるはずです

 これからより深みに落ちる戦の世になり、やがて何もかもが壊れてしまう未来

 それを止めることができるのはレウス様以外にはいないのです」

 

 けれど、オレは飽き性だ

 何か理由がなければ投げ出してしまうだろう。

 そのことを直感しているのだろうか。

 

「私の希望をどうか……どうか奪わないで」

 

 ここは後に英雄王と呼ばれるべきマルス王子亡き世界だ。

 シーダが見た希望は潰えた。

 天下の広くは戦乱という嵐で、地面に血の雨を降らせることだろう

 もはやそれを止められるものはいなくなった。

 いなくなったはずだった。

 

 だが、オレが現れた。

 ラダゴンを打ち破り、エルデの獣を屠り、遂には黄金律を超克した存在。

 神憑り的な直感で、彼女はオレに新たな希望を見たのかもしれない。

 

 彼女の瞳は恐怖に曇っている。

 約束したオレが、その約束を反故にしようとしているのを恐れている。

 オレがどこかへと行き、帝国との戦いなどつまらないと投げ出すことを恐れている。

 

「これから共に先に進むのなら、本当にお前を戦利品扱いするぞ」

「望む、ところです」

「その果てがお前が望まない場所だとしても、戦利品のお前に否定する権利なんか無くなるんだぞ」

「希望が手から離れるより、恐ろしくはありません」

 

 自分の頭で考え、その足で歩くことを望んだ。

 新たなる律を示すではなく、別の道を狭間の地はオレに与えた。

 かの世界は知っていたのだろうか。

 全てが己で決定するということが、どれほどに重責を備え、その路路で艱難辛苦が与えられることを。

 だが、それでもオレは確かに望んだ。

 

 ──ああ、そうか。

 どこに歩けばいいかを決めるってのはそういうことか。

 

「オレがお前の希望になってやる」

 

 その言葉が自由を損なうものであっても、損なうことこそが自由の終着点であるのなら。

 自由(獲得トロフィー)を経て、シーダの希望になることが、次の目標(未達成トロフィー)となったわけだ。

 

 オレの言葉に、シーダは大粒の涙を零す。

 彼女が与えられた宿命の重さも、本来あるべき片翼(マルス)が失われた痛みも、オレにはわからない。

 ただ、もうこのような涙は流させるべきではない、心の中でそっと誓った。

 



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悪魔の山の麓にて

 次に向かう宛。

 それは宴の最中に頼まれたことがある。

「レナというシスターがデビルマウンテンに行ったきり戻ってこない、彼女を助けてほしい」

 どちらにせよ次にどうするかも決めていなかったので、台本に従うが如くにデビルマウンテンへと進む。

 

 昼であっても薄暗く、遠くから風の音なのか、それとも人の悲鳴だったのかもわからないものが聞こえる。

 ここにはサムシアンという凶悪な山賊が棲み着いている。

 オレの記憶ではナバールという剣士の説得と、レナとジュリアンの救出を同時に行わねばならないマップだったはずだ。

 

 上空から周囲を見渡していたシーダが戻ってくると、状況を報告してくれる。

 女性と青年が山賊から逃げている、と。

 どうやら頼まれていた心優しきシスター・レナと元サムシアンのジュリアンがこちらへと向かっているらしい。

 ただ、問題があるとすると、こちらに素直に逃げてきてくれるかどうか。

 

 ───────────────────────────────

 

「レナさん、こっちだ!

 杖はオレが後で何とかするから!」

「ですが……」

 

 一時はサムシアンに捕らわれたレナであったが、サムシアンの盗賊ジュリアンによって救出された。

 だが、それがサムシアンの頭目であるハイマンの逆鱗に触れて、追討指令が出されたのだった。

 

(……くそ、この先に進んだって……逃げ道もない)

 

 常ならば、

 この先にはアリティア軍が進んできたことをジュリアンは知っている。

 アリティア軍を警戒していたハイマンからの情報があったからだ。

 だが、今は違う。

 ガルダの港での戦いはゴメスとガザックの仲間割れによって共倒れたとされており、

 そもそもアリティア軍はそのガザックによって全滅させられているのだ。

 レウス、シーダ、リフの三人ともなれば、もはや物見遊山の旅人としか見られない可能性すらある。

 

 常ならば、

 彼らは全速力で南下していた。

 だが、今回は逡巡してしまった。

 リライブの杖か、ここではないどこかへの逃走を果たすか。

 その逡巡こそが致命的なものとなった。

 

「どこまで逃げようと、無駄だ」

 

 長髪の剣士がジュリアンに追いついてしまう。

 剣士ナバール。

 その名声は周辺だけでなく、島国タリスにまで聞こえてくるほどの腕前を持つ。

 だが名声と善性は必ず繋がるものでもない。

 今の彼はサムシアンに雇われた傭兵でしかない。

 追討指令に従って、裏切り者であるジュリアンを始末しに向かった死神なのだ。

 

「レナさん、このまま南下するんだ!早く!!」

「でも、ジュリアン……」

「早く、逃げろッ!!」

 

 必死の声にレナは走り出す。

 それを見たジュリアンは満足げに微笑むと、腰に吊っていた鉄の剣を抜き払う。

 

「抜くまで待っててくれるなんて、優しい所があんだな」

「どうせ長くは掛かるまい、お前が剣を抜こうと、命を賭して時間を稼ごうと……いずれ無意味な事になる」

「ああ、でも、それでも……一歩分でもオレは時間を稼──」

 

 言葉が最後まで紡がれることはなかった。

 一瞬の踏み込みとしか見えない動きは、目で追うことができないほどの速度で振られた居合の一撃が同居していた。

 

 キルソード。

 名の通り、殺しに特化した薄刃の刀剣。

 ナバールがひと度これを抜けば、倒れぬ敵はいなかった。

 

「ナバールの旦那!……ジュリアンをやったんだな!

 げへへっ、ざまあみやがれ、腐れ裏切り者がよ!!」

 

 死体を蹴り上げるサムシアン。

 それを冷ややかにナバールは見ている。

 

「そんなもので遊んでいていいのか

 あのシスターが逃げ切るぞ」

「っと、いけねえいけねえ

 ナバールの旦那はどうするんで?」

「オレは裏切り者の始末を命じられた、シスターの捕縛は仕事に入っていない」

「そうですかい……それじゃあオレたちはこのまま南に向かわせてもらいやすぜ」

 

 サムシアンたちが進んでいく。

 蹂躙され、見る影もなくなったジュリアンの亡骸を一度だけ見て、ナバールは与えられた居住区へと戻るのだった。



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サムスーフの無惨

 空からの報告を受けて、オレたちも北へと向かう。

 シーダだけを先行させる手がないでもないが、弓兵が確認された時点でリスクを犯すことはできなくなった。

 アーマーナイトでもいれば随伴させて陸路を塞ぎ、弓兵をシーダで確実に処理するなんかの手もあろうが、

 残念ながら我が陣容にそのような者はいない。

 

 進んでいくと、森を抜けてきたシスターが見える。

 赤毛の女性だ。

 目的のレナであるのは間違いないが……ジュリアンの姿がない。

 

「シスター、大丈夫か」

「はあ……はぁ……、あ、あなたは?」

「レウス、故も知らぬ騎士(ナイト・エラント)だ」

「騎士様、お願いです……あの森に私の友人が山賊の足止めをしているのです

 どうか、どうか彼の命をお救いください」

 

 ジュリアンが足止めを?

 おいおい……なんで一緒に逃げてこない?

 

「承知した、シスター

 シーダ、彼女を守っていてくれ」

「シーダ……?」

 

 その名に覚えがあるらしく、レナは少しだけ驚いたような表情を見せるも、その後の事をオレは知らない。

 急ぎジュリアンを助けに行かねば。

 ここでアイツに何かあったら本格的に人手が足りなくなる。

 

 ───────────────────────────────

 

 森を走る。

 こういう暗い森ってのはどうにも苦手だ。

 夜の騎兵とばったりと出くわしそうだってのが大きい。

 それ以上にトラウマがあるとするなら大木だったと思ったらクマだったことだろうか。

 とにかく、森には良い思い出がない。

 

 だが、夜の騎兵やクマには出会わなかった。

 代わりに登場したのは山賊たちであった。

 サムシアン。

 サムスーフの悪魔とまで呼ばれた残虐な連中だと言われている。

 が、だからといって恐れる理由もない。

 恐ろしさ満載の通り名を持っていたところで、ルーンベアよりも強いはずもないからだ。

 

「よお、お兄さんがた

 この辺りで青年を見かけなかったか?

 赤毛の……こう、抜け目のなさそうな奴なんだが」

「ああ?ジュリアンのことか?」

「そうだ、待ち合わせしてたんだが全然姿を表さなくてさあ」

「この辺りは迷いやすいからなあ、オレたちが案内してやるよ」

 

 気安い感じで近づいてくるサムシアンたち。

 オレも「いやあ、助かる助かる」といった具合に近づく。

 

「地獄への案内だがなあ!!」

 

 サムシアンの一人が鉄の斧を抜き打ちするように振るう。

 なるほど、凶悪な山賊と言われるだけあってそこらの兵士とは比べ物にならない筋力だ。

 だが、オレものほほんとしているわけでもない。

 神肌縫いで斧を弾くと、返し手で額、胸を刺突する。

 振り返りざまに一歩引いての連続突き。

 

 白銀の突剣を振り払うようにした瞬間にサムシアンたちの体からほぼ同時に血しぶきが上がる。

 一撃で殺せる範囲だ。

 まだ、単独行動でも危険水域ではないことが理解できた。

 

 オレは森の奥へと歩を進める。

 

 ───────────────────────────────

 

「……クソッ」

 

 オレは誰もいない森の中で悪態を吐く。

 そこには蹂躙されたジュリアンの亡骸が転がっていたからだ。

 なぜかを考え、答えはすぐにわかった。

 

 オレが『マルス』ではなく、『アリティア軍』でもないからだ。

 

 軍でなければサムシアンたちが警戒する理由がない。

 警戒しなければ話題にはならない。

 

 本来であればジュリアンたちはアリティア軍を頼って南下しようと発言している。

 だが、寄る辺がなくなれば彼らは逃げ出したはいいがゴールの設定ができなくなる。

 そうして行き先を迷った結果、サムシアンに追いつかれたわけだ。

 

 軍ではない影響が遂に目に見える形で現れた。

 だが、今はそれを悔いても仕方がない。

 ジュリアンの亡骸が綺麗であればよかったが、この状態の彼をレナに見せるのは酷だ。

 木の洞に彼の亡骸を隠し、そこらの草木で洞そのものを隠蔽する。

 彼が握っていた剣で何があったかをレナに説明することにしよう。

 

 オレは森から出て、シーダたちの元へと戻った。

 気は重いが説明責任を果たそう。

 

「シスター、彼は……」

 

 鉄の剣を見せる。

 レナはそれで全てを察したのか、頽れて、肩を震わせて泣き始める。

 私が我が儘を言わなければ、私が大切な杖を二つとも失わなければ……。

 小さな声で自らの行いを悔いている。

 

 そうだ、彼女はワープの杖も持っていたはずだ。

 それも見当たらない。

 ただ、今聞ける雰囲気でもない。

 

「彼はサムシアンに殺されたようだったが……」

「サムシアンに雇われた剣士にジュリアンは立ち向かったのです……私を逃がすために……」

 

 ああ、クソ。

 なんてこった。

 ナバールか。

 シーダに説得させれば味方に引き込めるからと甘く考えていた。

 ジュリアンを殺したのがナバールであれば、ナバールを引き込んでしまうとレナが同道してくれるとは思えない。

 いや、同道してくれたとしても、そうした関係を取りまとめるだけの才腕はオレにはない。

 結局のところマルス率いるアリティア軍が多国籍化しても問題が出なかったのはマルスが絶対的なカリスマ性を持っていたからだ。

 

 無い袖は触れない。

 そうなれば二者択一となる。

 

 レナか、

 ナバールか、だ。

 

 ───────────────────────────────

 

「お頭ァ!何人か戻って来てねえって報告が上がってます!」

「あ?ジュリアンに殺されたってことか?」

「まさか、ジュリアンに取られるほどナマってねえッスよ」

「じゃあ何が起こったってんだ?

 ま、何が起こったって構やしねえか。

 ナバールに向かわせろ!渋るようなら金を追加してやれ!」

 

 サムシアンたちの頭目、ハイマン。

 無論、腕は立つ。サムシアン随一の斧使いである。

 だが、それだけではない。

 この男の恐ろしさは人使いの上手さであった。

 用兵術というわけではない。

 誰を、どのタイミングで動かせば効率的かを判断する能力。

 そして動かすためには何が求められるかの判断の上手さ。

 将来的に必要になりそうな人材確保の上手さ。

 ナバールがサムシアンに雇われているのはハイマンのその手腕あってのものと言えるだろう。

 

(ジュリアンを追った連中は四……五人だろう

 それを返り討ちにできるような奴がここらにいたってことか?

 ……だとしたら、ナバールの野郎でもちょっとばかりマズいかもしれねえな)

 

 ハイマンはさらさらと手紙をしたため、それを部下に渡す。

 

「おい、早馬を飛ばしてこいつを連中の駐屯基地に届けてくれ」

「へい!」

 

 部下が早足で去っていく。

 

「ベンソンよぉ、今日みたいな時のためにお前にも甘い汁を吸わせてやってんだ

 存分に手伝ってもらうぜえ……」

 

 にたりと笑う。

 彼らがサムスーフの悪魔と呼ばれる理由はその残虐さからではない。

 残虐な手段を考えたときの笑顔こそが、悪魔そのものに見えたから名付けられたのだ。

 



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非英雄的殴打

 悩むという行為は実に裕福だと思う。

 詰んでさえいなければ、無限に時間を使えば正しい答えに辿り着けるからだ。

 無限と言わずとも、時間を注げば注ぐだけ辿り着きやすくなるのは間違いない。

 勿論、思考の量が増えれば増えるだけ正しい答えってのに行ける確率は減っていく。

 

 倒せなかった敵から離れて、攻略手段を編み出していたあの日々。

 特に閉所で暴れ狂っていた降る星の獣にバチボコにされた日からは強くそう思うようになった。

 徹底的に対策と行動を時間を消費して記憶して、一切のミスが無いように戦う。

 事前にした準備が入念であればあるほど勝率が上がることをあの獣は教えてくれた。

 

 そう、時間が物事を解決してくれるというのはある意味で正しいのだ。

 ならば、だ。

 時間がない場合はどうなるか。

 

 それは解決できたかもしれない問題が解決できなくなることになるわけだ。

 

「素直にここから去ればいいものを、余計な犠牲者を呼び込むとはな」

 

 剣士ナバール。

 オグマと並ぶアリティア軍のエースアタッカー。

 アリティア軍の、だ。

 

 オレはレウスで、マルスではない。

 更に言えばアリティア所属でもなければ軍ですらない。

 

 レナか、ナバールか。

 選ぶときが来た。

 ナバールを選ぶならシーダに説得を頼めば何とかなるかもしれない。

 レナであればナバールを倒し、ジュリアンの仇を取ったことを示せばなし崩し的に同道願えるかもしれない。

 

 では、どちらを選ぶのか。

 

 今のオレに必要なのは……シスターだ。

 ジイさん(リフ)一人では足りない。

 霊呼びの鈴を多用することを考えれば、杖による回復実行者は多ければ多いほどいい。

 アタッカー不足は……今暫くはオレが必要なだけ働けばいい。

 

「シスターと一緒に逃げていた盗賊を殺したのはアンタか」

「ジュリアンか

 ああ、オレが殺した」

 

 まずは一つ聞き出した。

 

「何故二人を逃してやれなかった」

「何故、だと?

 二人を逃してオレに得があったか?」

 

 これで二つ目。

 本心では逃してやりたい気持ちもあったかもしれない。

 だが、そういうことを素直に言うタイプでもないだろう。

 それでいい。

 

「高名な剣士と聞いていたから、期待していたが……残念だ」

「勝手に期待して、勝手に落胆するのは不快だ」

 

 すらりと腰から剣を抜くナバール。

 キルソードだ。

 下手を踏めば首が飛びかねない。

 

「巻き込まれたのはかわいそうだが死んでもらう」

 

 言葉にさせるべきことはさせた。

 レナに対する説得材料にはなるだろう。

 次の問題は単純で、重大だ。

 

 オレはナバールに勝てるのか。

 それを考えながら、神肌縫いを構えた。

 

 ───────────────────────────────

 

 オレは強いという自認がある。

 ラダゴンを倒し、エルデの獣を倒したのだ。弱いと思うのは諸々に対して失礼というものだろう。

 オレは強い。

 強いが、無敵ではないし、不敗でもない。

 なにより、オレにはわかりやすく弱点がある。

 

 読み合いの弱さ。

 それが弱点だ。

 

 平時であれば人の心を口先八丁で乱すことが得意でも、攻撃を読んだり、読ませたりするのが苦手なのだ。

 時間を掛けて敵に挑むのが好きなのもそれが理由だ。

 瞬発で読み合いをするのではなく、相手のパターンを記憶して戦って勝ってきた。

 

 オグマとの戦いを避けたのもこれが理由だし、

 ナバールに対しても同様に避けたかったことだった。

 

 身体的なスペックは間違いなく凌駕している。

 だが戦いはそれらが第一義ではなくなることは少なくない。

 

(一手で決める……読ませなければ問題ない)

 

 息を吐き、吸う。

 そして一気に急加速し、オレはナバールの獲物が届かない地点から連続突きを放つ。

 槍の如き長さを持つ神肌縫いに、連続突きを組み合わせれば半ば射撃武器のようなレンジで戦える。

 

 予測以上の速度で進み、攻撃を放つオレに対してナバールはそれでも半身を捻りながら跳ねるように回避行動を行う。

 

 手応えが無いわけじゃない。

 

 着地したナバールは体の至るところから出血がある。

 だが、それでも殺しきれなかった。

 

「オレの予想を超えた使い手か……面白い」

 

 既に準備されているキルソードとは別に、もう一振りを抜く。

 やや短い、長脇差くらいのもの。

 その大小を構え二刀流となる。

 

「オレにこれを使わせた奴は随分と久しぶりだ

 この必殺の剣、躱しきれるか」

 

 血を垂れ流しながらも、オレに向かって肉薄する。

 マズい。

 神肌縫いの得意な距離を潰された。

 ならばパリィを狙おうとするが、大小それぞれがまるで違う流派の剣士が振るう武器のようで、タイミングを掴めない。

 一撃一撃は軽い。

 だが、距離を離せない。

 じわじわと殺されてしまいそうだ。

 

「レウス様!」

 

 その声と同時に手槍が投げつけられるも、ナバールには当たらない。

 だが、それでもオレはナバールから距離を取ることができた。

 

「よくやった、シーダ!」

 

 悩む時間はない。

 隠していた手札を切る。

 

 オレは神肌縫いを投げ捨て、どこからか取り出すようにハンマーを装備する。

 こいつをここで使う気はなかったが、この戦いを勝つためにはなりふり構うことができない。

 本当であればこのハンマーが、こちらのハンマーと同様の力を持っているのを試したりしてから使うつもりだったのだが、それはもういい。

 

 姿勢を低くして、強く踏み込む。

 やらせまいと再び距離を詰めて、間断なき斬撃を放ち始める。

 だが、遅い。

 攻撃が遅いのではない、手段が遅かった。

 

 このハンマーは状況を強引に潜り抜けるために込められた力がある。

 何もかっこいい名前が付いているわけじゃない。

 

 踏み込み、切り上げ。

 

 シンプルな戦灰の名だが、その力は絶大。

 大抵の攻撃を無視して、かち上げる暴力の化身みたいな一撃だ。

 自身の斬撃がダメージを与え、しかしまったく怯みもしない様子を理解したときにはもう遅い。

 ナバールはオレのハンマーで打ち上げられていた。

 

 読み合いが下手なら、読み合うのを止めてしまえばいい。

 オレの結論がこの鈍器には詰まっている。

 

 ───────────────────────────────

 

「お前は……一体、なんだ?」

 

 打ち上げられたナバールは地面に叩きつけられていた。

 だが、それは彼にとっては最早どうでもいいことだった。

 切り上げが入った時点で致命傷だったからだ。

 だからこそ、武器を構えることもなければ、悪態を吐くこともしない。ただ、素直な疑問を向ける。

 

 彼の傷を見れば最初の連続突きの時点で与えた出血を考えれば逃げ回っていれば勝てていたのかもしれないとも思えたが、それもまた読み合いの弱さが出ていたのだろう。

 

故も知らぬ騎士(ナイト・エラント)だ、その故の先ってのがどこにあるかはオレも知りたい」

「気取った、ことを……ごほっ」

 

 血泡を吐き出すと、ナバールはそれきり動かなくなった。

 勝利こそしたが、この結果はただただ残念だ。

 

 彼の亡骸からキルソードを二振り獲得する。

 長さこそ違えど、どちらもキルソードで間違いないようだ。

 

「シーダ、割り込み助かった

 あれがなかったら今頃死んでたのはオレだったかも知れない」

 

 騎士道に反するような行いとして観戦に徹するかと思いこんでいた。

 あの手槍からシーダの覚悟は感じ取れた。

 自身を戦利品と定義して、持ち主とも言えるオレに尽くそうとしている。

 そこにあるのが不名誉だったとしても。

 

 シーダには感謝を伝え、それからようやくレナの前に立つ。

 

「シスター……、えー……」

 

 レナであることは理解しているが、彼女から名乗ってもらうべきだろう。

 

「レナ、と申します」

「シスター・レナ

 あなたにとっての戦いは終わりだ、友人の仇は果たされたのだから

 ……なんて、聖職者であるアンタにそんなことを言ったところで慰みにもなるまいが

 だが、それでも戦いは終わりだ」

 

 騎士らしく振る舞おうとは思ったが、どうせボロが出るに決まってる。

 オレは言葉の途中から普段通りの態度をすることにした。

 

「いえ……、私は……」

 

 恨みは育ち、芽を出して、しかし剪定された。

 彼女の今の態度こそが、オレの望んだ状態である。

 聖職者として持つべきではない感情とその解決が同時に来れば彼女でなくとも呆然となるだろう。

 

「私は止めるべきだったのでしょうか、騎士様とジュリアンの仇との戦いを」

「いいや、これでよかったのさ」

「どうして」

「少なくとも『シスターがナバールを後ろから刺した』なんて場面を未来のどこかで見ずに済む」

「私の代わりにあなたが手を汚して、それに何の意味が」

「意味を求めすぎるなよ、シスター

 こいつは自己満足さ、オレの自己満足に過ぎないんだ」

「……」

「だから、アンタはアンタの自己満足に生きるべきだ」

「私は……」

 

 レナの目線がオレからリフへと移る。

 正確にはリフの持っている杖に、だろう。

 爺さんはそれに気がついて、杖をレナへと手渡した。

 

 その杖を祈るようにしながらオレへと向ける。

 ナバールによってズタボロにされたオレの体が癒やされていく。

 

「これがアンタの自己満足か?」

「いいえ」

 

 確たる意思を持った瞳がオレを見やる。

 

「まだ。まだまだ。満たされて足るには程遠いです」

 

 レナの瞳に宿った意思が何か、オレにはまだ理解が及んでいなかった。

 このときのオレは、

 杖を握ったということは同道してくれる可能性は高そうだな、やった~。

 ……程度の能天気さであった。



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ハイマンとベンソンの生存戦略

 今、ハイマンに退場されるのは具合が悪い。

 

 オレルアン王国の南部を任されていたベンソンは手紙を読みながらも悩んでいる。

 騎士を殺し続け、遂には同じ騎兵を殺すための特別部隊を率いることになったベンソンは、

 ハーディン率いる騎兵部隊、狼騎士団を散々に打ち破った。

 中核たるハーディンとその近衛部隊こそ取り逃がしたものの、報奨としてオレルアン南部の一時的な統治権を与えられていた。

 

 ベンソンはそもそも騎士として身を立てたいわけではなかった。

 長く長く続けられる飯の種が欲しかっただけ。

 南部の統治で問題になっていたサムスーフ山の治安を解決した時にハイマンと出会い、蜜月が始まったのだ。

 

 ベンソンは彼らを見逃す。

 ハイマンは巻き上げた金品をベンソンに支払う。

 

 ただ、ベンソンの誤算があったとするならハイマンの『人を扱う才能』だった。

 約束の中に組み込まれていた「サムシアンの危機には介入し、サムシアンを救援する」ことである。

 利益の長期的維持のためにという名目のそれであったが、

 サムスーフは戦略的に価値の薄いところで騎士団が出向かねばならないことなどなかろうとして承認したのだ。

 

 それが、現在のベンソンの懊悩に繋がっている。

 誰が襲っているのかも書いていない、だが、早馬を出している以上は間違いなく危機であろうのがわかる。

 もしもこれがどこぞの正規兵によるものであれば、ベンソンとハイマンの関係が露見することを示している。

 

「……騎士団に伝えろ、サムスーフ自警団が他国からの攻撃を受けていると連絡があった」

 

 サムスーフ自警団、それがサムシアンに与えられた表の名前である。

 

「は!」

 

 ベンソン麾下の兵士が敬礼の後に準備のために退室する。

 

「アリティアの王子は殺されたと聞いている

 であれば、誰がここまで来る?

 ……いや、細かいことなどよい」

 

 誰がどうあれ、このナイトキラーの前では紙切れ同然。

 ベンソンは己の腕前と愛槍には過剰なほどに自信があった。

 

 ───────────────────────────────

 

 オレルアン南部に駐屯していた騎士団は3つに分けられた。

 元より計画されていた対ハーディンの包囲網を狭めるための部隊、

 ベンソン自らが動かねばならないサムスーフ自警団への救援部隊、

 そしてこの南部を守るための鎮護。

 

(まだ街の方にゃ魔道士がいるって話だけど、戦略的な空白地帯ってのにしちまっていいのかねえ)

 

 赤毛の騎兵、マチスは状況を伝えられると心の中でそうぼやいた。

 ハーディン包囲網は重要であろうが、万が一ここを失陥したならハーディンにとって唯一絶対の血路になりかねない。

 城に籠もられでもしたなら、昼夜問わず狼騎士団が包囲を切り裂いては戻っての戦いを取られることになるはずだ。

 

(ハーディンが死んでないとわかれば反抗勢力ってのが集まってくるんじゃねえの?

 そうすりゃそこを起点にしてやべえ状況が起こりかねないとは思うが……)

 

 マチスは無気力な騎士という評価を与えられ、マケドニア軍部からも一般兵程度の扱いに留められている。

 ベンソンからもその態度から麾下には含められず、包囲網への援軍に振り分けられていた。

 

(提言なんぞして、下手に危険な戦場に送られるなんてごめんだからな)

 

 保護下からレナが消えた話を受けてから、マチスは無気力な態度を装い、危険から逃げ回っている。

 たった一人残った肉親と再会するまで死ぬわけにはいかないのだ。

 



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鈴の音響いて

「レウス様!」

 

 レナの状態が落ち着いたとして、シーダは天馬を駆って周辺の警戒を行ってもらっていた。

 急ぎ戻ってきた彼女は血相を変えて報告する。

 

「北からサムシアンが、西の砦方向から騎兵が見えました」

「騎兵?」

「軍旗などは持っていませんが、揃いの装備です」

「ってことはどこぞの正規兵か

 どこの誰かわかるか?」

「オレルアンを制圧したマケドニア軍か、それとも各地に派兵を行っているグルニア軍かもしれません」

「どちらにせよ帝国側の勢力が山賊とも手を結んでるってことなのだけは確かってことか」

 

 山賊だけなら一度退いて準備を整え直すのもありかもしれないが、騎兵が迫ってきている以上はそれも難しい。

 レナだけならシーダに抱えて天馬ともども高速で離脱することも可能だろうが、そうなるとジイさんを抱えてダッシュで離脱するのはオレの仕事だと考えると勘弁して欲しい。

 そもそもとして、徒歩(かち)で騎兵から逃げること自体、現実的ではないが。

 

 オレ『霊呼びの鈴』と傀儡の石を取り出しそれを優しく振る。

 

 りぃりぃん

 瀟洒な音が響くと、傀儡の石から霧めいたものが溢れ、ガザックと手下たちが現れる。

 

「同時に攻められるのはおいしくないからな、攻めるべきは北だ」

 

 正面、つまりは西には手前に砦があるはずだ。

 あそこでどん詰まりになると後ろからサムシアンに詰められる可能性が高い。

 

「シーダ、オレは戦利品を宝物のようにしまっておくタイプじゃない」

「わかっています」

 

 シーダが天馬を駆り、舞い上がる。

 

「シスター、ジイさん

 アンタたちは一歩遅れて来てくれ

 サムシアンどもに巻き込まれても助け出す自信がねえ」

 

 2人は頷く。

 オレはガザック以外の海賊を散発的に西へと向かわせる。

 わかりやすい足止めだ。

 使い捨てできる兵士のあるなしで戦術の立てやすさは段違い。

 

 ガザックを伴ってオレも北の道へと進む。

 

 ここからは時間との鬼ごっこだ。

 

 ───────────────────────────────

 

「ベンソンさん自ら来ていただけると助かりますなあ」

 

 ハイマンが敬意の欠片もない様子で労いの言葉を投げかける。

 

「お前に倒れられてはわしにも被害が出る、しかしここでゆるりとしていてよいものか」

「相手の動きを見てからでも遅くはありやせんぜ」

 

 相手が騎兵を突破しようとするなら弱ったところを叩けばいい。

 北を抜けようとするなら手前の森林地帯で迎撃すればいい。

 サムシアンとマケドニア兵のどちらかは損耗するだろうが、今必要なのは確実な勝利だ。

 ベンソンもそれをわかっているからこそ、口を出さなかった。

 

 ───────────────────────────────

 

 森を横目に走る。

 あそこにはジュリアン、そしてナバールが眠っている。

 可能であるなら二人とも仲間に加えたかった。

 オレがマルスじゃなかったから起こってしまったこと。

 だが、それに悔やんでいるわけにもいかない。

 

 ジュリアンを悼むならばレナを守り切る。

 ナバールを惜しむなら並び立つような剣士を別の手段で得る。

 そう思い込んで意識を切り替える。

 

 風体の悪い連中がぞろぞろと歩いているのが見えた。

 

「手槍で援護を頼む!」

 

 オレは神肌縫いを握り込む。

 ガザックはその場から跳躍してサムシアンの脳天をかち割った。

 突然振ってきた巨漢にサムシアンが目を奪われた横から、オレもランスチャージを仕掛け、一人を討ち取った。

 突然の強襲にサムシアンたちは一瞬動きが堅くなるも、すぐさま臨戦態勢を取る。

 そこに降り注ぐ手槍。

 頭上から打ち出されたそれが一人、二人とサムシアンを倒していく。

 

 六部隊相当の山賊たちは見る見るその数を減らしていき──

 

「きゃあっ!!!」

 

 シーダの悲鳴が響き渡った。



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アイオテの肉盾

 その声に気が付き空を見上げる。

 ペガサスが矢を受け、高度をぐんぐんと落としている。

 

「どこ見てやがる!」

 

 サムシアンがオレに斧を振りかぶる。

 お前に関わっている場合じゃない、どけ、と口に出すのも時間の無駄だ。

 受け即突き(パリィ致命)で命を奪い、残心することなくシーダの予測落下地点へ走る。

 

「天馬はいい、あの騎士を射殺せ!」

 

 山賊の弓兵と騎馬弓兵だ。

 指揮しているのは騎馬の方で、最低限の戦術眼はあるらしい。

 褪せ人の時には痛みなんて殆どなかったが、こっちではそうでもないらしい。

 そりゃあ人間の頃(褪せ人以前)に比べれば鈍覚も良いところだが、

 ああ、いやだいやだ。

 痛いのは嫌だ。

 歯医者だって何かと理由をつけて行こうとしなかったんだぜ。

 放置するほうが痛いから行ったけどさ。

 

 オレは天馬からシーダを引きずり下ろす。

 流石はシーダの愛馬と言えばいいのか、オレの意思を酌み取ったのか、飛ぶことはできずとも軽快な走りで山の方へと向かっていった。

 あそこであれば戦いが終わるまで隠れ、或いは逃げ切れるだろう。

 

「レウス様、何を」

 

 オレはシーダを抱き込むようにして、そのまま走る。

 風切り音が幾つも通り抜け、やがて――

 

 だ、だだん、と重い音がしてから鈍い痛みが背中を支配する。

 

「お、下ろしてくださいレウス様!」

「的が増えるだけだ」

「所持者を傷つけようとする戦利品など論外です!レウス様!」

 

 言葉の応酬をしている間にも矢が突き刺さる。

 ああ、クソッ!これだ!痛いって感覚をバッチリ思い出せた!

 クソ、クソ、クソッタレ!

 

 ───────────────────────────────

 

 オレを射的ゲームの的にしているのに夢中だったせいか、跳躍して襲いかかってくるガザックに気が付かず、乱戦に持ち込まれている。

 そのおかげでレナとジイさんのところまで後退することができた。

 

「し、シスター……シーダを治療してくれ」

 

 息も絶え絶えにレナの前にシーダを座らせた。

 シーダは今までにない表情──信じられない物を見たときのものと、泣きそうな顔がないまぜになっているそれをオレに向けている。

 

「わ、私よりもレウス様を」

「どちらも癒やしますから、どうかそのまま」

 

 レナはまずはシーダを治癒する。

 ああ、ライブの杖も補充したいなあと思いながら、背に刺さる矢を抜く。

 手が届かない場所のそれはジイさんに引っ張ってもらった。

 このジイさんも戦場で活動したことがあるのか、人体に突っ立った矢を取り除くことに忌避感もなければ、

 矢じりを残すようなミスもしない。

 

「シスター・レナ、レウス様にライブを」

「はい……」

 

 祈るような姿勢を取り、ライブの杖に秘められた力が解放される。

 矢で受けた傷が塞がって痛みも消えていく。

 

「ありがとよ、シスタ──」

 

 オレが言葉を言い終える前に

 どん、と横合いから何かが当たる。

 攻撃ではない。

 シーダの手がオレの体を押していた。

 

「戦利品を宝物のようには扱わないと言ったのに、その舌の根も乾かないうちになにをしているのです!?」

「大切な戦利品を使い捨てるようなことをしないだけだ」

「もう二度とあんな真似を」

「しないなんて言えると思うか」

 

 王女として育てられていた彼女が感情のままに手をあげるようなことはできない。

 だが、駄々をこねる子供のように暴力にはまるで満たないことで怒りを示していた。

 オレはその手を掴む。

 

「私は、……」

「まずオレを信じろ。オレは死なないし、その上強い

 あのナバールもぶっ殺した男だ。超強い

 矢の十本、二十本で殺しきれる相手じゃないんだよ、オレは」

 

 そばにいるレナの手をもう片手で掴み、

 

「オレが矢衾になったら腕のいいシスターが癒やしてくれる

 それで足りなかったらジイさんもやってくれる、医療体制も充実だ」

 

 勿論、今はライブの杖がそもそも足りてないが、そこは言う必要もないことだ。

 

「オレはアリティアの王子マルスにはなれない

 人徳も足りなければ運命にも愛されてないだろう

 神様がくれねえなら、必要なもん自分で拾い集めるしかない」

 

 じっと、シーダの目を見て、宣言するように言う。

 もしかしたなら、これは自分に対して言っているのかもしれないなと心のどこかで思いながら

 

「手に入れたものは宝物みたいには扱わない

 だけどな、手に入れたものを無闇に壊してしまうようなこともしたくない

 オレは抱えるだけ抱えて前に進む

 戦利品第一号のシーダさんよ、忘れてくれんな」

 

 一拍おいてから、改めて言う。

 

「お前はオレのものだ、だから末永く扱われろ」

 

 戦場に駆り出しておいて無茶な事を言うな?

 伝説の武器の数々だって幾つもの戦場を渡り歩いて残ってるんだろう。

 だったら多少は無茶かもしれないが、矛盾ではないはずだ。

 

 オレは痛いのは我慢できても、失うのは我慢できないことを自覚している。

 



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試し切り

「シスター」

「なんでしょうか」

「シーダが動かないように見ててくれ」

 

 レナが頷くも、シーダは――

 

「待ってください、私は──」

「天馬に騎乗するための装備で徒歩(かち)の戦いするのか?」

 

 末永く扱われろという言葉の続きのようなものだ。

 渋々その言葉にシーダは従ったようで、小さく頷く。

 

「んじゃあ、ま……行ってくる」

「どうか……どうかご無事で」

 

 見目麗しい王女様に無事を祈られるのは気分がいいもんだ。

 

 ───────────────────────────────

 

 ガザックは北側から西に抜けるところに広がる森林地帯で待機させる。

 オレは南で手下の海賊傀儡に捨て奸(すてがまり)させまくって時間稼ぎしていた騎兵の方へと向かう。

 

 歩きながらも感じるのは焦燥感と高揚感(銀の帳の前みたい)だ。

 騎兵たちを視認できる位置まで進んで、理由がわかった。

 数こそ減っているものの、潰走にはまだ遠い騎士たちの数と、それに守られている山賊と身なりのいい騎士。

 

 サムシアンたちの頭目、ハイマン。

 オレルアン南部を守る騎士、ベンソン。

 

 あの騎兵がどこの誰かと思っていたが、なるほど、ベンソン麾下ということであればマケドニア軍だったわけか。

 

「よぉー!騎士殿よお!オレの手下を随分と可愛がってくれたみたいじゃねえか!!」

 

 ハイマンがまるで焦りもなく声を掛けてきた。

 

「サムスーフの悪魔なんぞと呼ばれているから警戒していたが、

 かわいらしい小悪魔ちゃんばっかりだったぜ

 ハイマン、アンタもあいつらとそう違いはなさそうだな」

 

 舌打ちをし、睨みつける。

 

「待て待て二人とも

 わしはマケドニアのベンソン

 まずはお前の手腕に拍手を送りたい

 見事な強さだ、あのナバールすらも殺したのだろう」

 

 馬上で悠長な拍手をするベンソン。

 生き残った騎兵の数に加えてハイマンと自分が居る以上は負けはないと思っているようだ。

 

「どうかね、わしの下で働く気はないか

 金ならたんまりと用意するぞ

 ハイマンがナバールに支払っていたニ倍……いや三倍は出そう、どうだ?」

 

「金なら要らんよ」

「では何を求める?」

 

 わざとらしく悩んでますといった姿勢を取る。

 

「試し切りの的」

 

 オレはそれを言い終えると同時に敵陣に向かって走り出す。

 利き手には神肌縫いを、もう片手には短剣を抜く。

 

「バカな男だ

 切り捨てろ!」

 

 ベンソンの号令に麾下の騎兵が突き進んでいく。

 それでいい。

 持ち越せた道具を試すには人目もなく、口封じもし易い今こそが好機なのだから。

 短剣に力を込めると、封じられている戦灰が呼応する。

 青白い光を伴って、オレの背に四つの剣が現れる。

『輝剣の円陣』

 手が足りないなら、手数だけでも増やせばいい。

 それぞれの剣にアベル、カイン、ドーガ、ゴードンと名付けようかと思ったが流石に不謹慎なので止めた。

 

 近づく騎兵にそれぞれの剣は呼応して打ち出され、穿たれた。

 別の騎兵は神肌縫いであっさりと討たれる。

 一手番で二騎を落とせた。

 ひとまずこの状況ではかなり有効だ。

 

「ベンソンさんよ、こいつは状況悪いんじゃねえのか?」

「ハイマン、わしら二人で一気に片付けるぞ」

 

 騎兵が蹂躙されるのを見た二人が高みの見物を止めて、こちらへと殺到してくる。

 距離はまだある、もう一息で更に騎兵を殺す。

 残り……クソったれ、まだ六騎も居やがんのか。

 もう少し高みの見物していてくれよ。

 

 オレは流石に悪態を口に出して言う暇もない、心の中で毒吐いて両翼に展開している騎兵の片方を集中するように襲いかかる。

 練度こそ高くはないが、こいつらは囲んで少数を叩いて勝つという戦術を徹底しているらしい。

 兵の質が悪くても一点集中で戦術を叩き込めば有用であるとベンソンが考えて実行したのなら、小勢の指揮官としては有用な人物だろう。

 

 頭数足りなくて誰でも高く評価しちゃう癖が付いてるのか?

 血しぶき舞い上がる戦闘でそんなことを考えている。

 過小評価するよりは過大評価しているほうがまだしも健全だろう。

 それに、実際にベンソンもハイマンも舐めてかかっていい相手じゃない。

 こちらが確実に騎兵を仕留めていっているが、ハイマンは手斧で間隙を縫うようにしてオレを中距離から攻撃を仕掛けてくる。

 ベンソンはランスチャージをしてオレとの切り合いを徹底的に拒否している。

 

 オレの体力も相当削られたが、それでも騎兵は掃除できた。

 

「もう一度だけ勧告してやろう、こちらに降る気はないか」

 

 ベンソンが槍をこちらに向けて言う。

 

「試し切りも終わっちまったしなあ」

 

 『輝剣の円陣』は有効な手段だった。

 ただ、手練との睨み合いで新たに剣を生み出す暇がないことは明確な弱点と言えるだろう。

 

「気が済んだならよかろう」

「って言うとでも思ったかぁ、バカがッ!」

 

 ベンソンの言葉に合わせるようにしてハイマンが手斧を投げつけてくる。

 「と、油断させといて」をやるには相当早いと思うが、流石にそれを警戒しないほど疲労はしていない。

 次の手が来る前にハイマンへ突きかかり、それが当たるか当たらないかの所でオレは前転(ローリング)を敢行する。

 眼の前から消えたように見えるだろう、褪せ人ならば誰しもが繰り返し行った基本中の基本。

 相手の視界と攻撃範囲から外れつつ、背後から致命を取る。

 転即撃(フロム式基本戦術)、こいつも試したいことの一つだった。

 その効力に衰えなし。

 

「戦場で、ふざけた……真似を」

「ローリングだけですり潰されてるわけじゃないんだ、文句言うなよ」

 

 ぐり、と神肌縫いを回し、引き抜いた。

 赤い噴水の完成を喜ばしく思いつつベンソンへと向き直る。

 そこらの三下であれば離脱も考えたであろうが、ベンソンは愛槍を構え、馬上からオレを一突きにせんとしている。

 

 馬上の騎士に対してのパリィは、やはり褪せ人ならばきっと誰だってやっているだろう。

 つまり、ベンソンの末路はそういうことだ。

 



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アイテム漁り、それは人の喜び

 ドロップ率、というものがある。

 特段説明がいることでもないとは思うが、誰を倒したら、そいつの持ち物は何%で手に入るというものだ。

 狭間の地での戦いでは戦った果てに壊れずに手に入った場合は入手扱いとなり、

 レア度が高ければ高いほど、持ち主の扱い方が雑だったりして使い物にならないものばかり転がっていることになる。

 

 アカネイアの地においては事情が少し異なる。

 倒した相手の持ち物は全てドロップする。

 

 ただ、そのドロップにも2種類あり、一つは「無傷で手に入る可能性が高いもの」。

 先程赤い噴水に変えてやったハイマンであれば、リライブの杖が該当する。

 

 もう一つは「手には入るものの、傷物である可能性が高いもの」だ。

 先程のハイマンであれば、手斧がそれに該当する。

 記憶違いでなければ『新暗黒竜と光の剣』において手斧の耐久値は30。

 だが、手に入ったものはいいところ、耐久値は5か6程度だ。

 戦闘中に景気よく使っていたが、それでも本来なら20前後は残っているはず。

 

 狭間の地と違って、ここでは絶対に手に入るが品質は保証されないということである。

 もしかしたならマルス王子率いるアリティア軍でも同じことはできたのかもしれないが、

 彼らは国の王子であり、後には同盟軍の中核ともなる栄光ある戦士たちだ。

 火事場泥棒同然の行いを軍規によって禁止していたのかもしれない。

 

「手斧に、ナイトキラー。この辺りは価値があるだろう

 あとは大量の鉄の槍に鉄の斧

 売り払えば多少の金にはなるか……」

 

 大っぴらにオレが火事場泥棒をしないのはシーダに悪印象を抱かれたくなかったことに起因する。

 死体を漁り、武器を手に入れ、それを売り払うなど王家の人間からすれば唾棄すべき行いであろうからだ。

 

「おっと、この鋼の斧は高く売れそうだな

 それにきずぐすりも嬉しい」

 

 このままサムシアンの拠点も物色したいところだが、流石にその前に合流するべきだろう。

 オレは戦利品を『どこかしら』に隠し持つとシーダたちが待っているであろう地点へと移動した。

 

 ───────────────────────────────

 

 オレの姿を見て、シーダは言いたいことが有りげではあったが、レナが駆け寄ったために発言の機会を逸してしまったようだ。

 

「また、傷を作ったんですね」

 

 そういうレナはどこか嬉しそうにライブの力を解放している。

 ほどほどで良いと言うと、そこは素直に聞いてくれる。

 余るほどに回復されるとライブがもったいないからな。

 

 疲労も溜まっているし、夜明けまでは警戒しつつサムシアンの拠点で休むことを提案すると一同に否定はなく、そのようになった。

 

 シーダ、レナ、リフはそれぞれが持ち回りで見張りをすることになる。

 一方のオレは拠点内で使えそうなものがないか物色するために見張りには参加しないことを告げる。

 ちょっとした城並に大きい拠点を漁り切るのは徹夜になるだろう。

 とにかく、あるべきものがなかったから、それを探す必要がある。

 

 ワープの杖だ。

 

 本来であればレナが抱えていた貴重な一振り。

 七度までしか使えないが、その力は絶大で、一人をほぼ無制限に飛ばすことができる。

 マップの中でどこでも、という力だが、現実として存在するここではその範囲はどこまで及ぶかはわからない。

 だが、狙われてはならないものを急場で逃がす、オレを大将首の元に飛ばして強引にゲームセットさせるという王道な使い方から、呼び出した傀儡を敵陣に投げ込むような運用もできるし、夢が広がる逸品だ。

 欲しい。

 とても欲しい。

 

 徹夜を厭わず、オレは探索をする覚悟を決めていた。

 

 ───────────────────────────────

 

 タリスの王女シーダ。

 私が何者かは生まれた時から定められていた。

 それに疑うこともなく育った。

 

 マルス様とは幼い頃からの繋がりがあって、不思議と私はこの人と添い遂げるのだろうなあと直感していた。

 彼も私もすくすくと育ったが、数年前に興ったドルーア帝国によって戦火が各地に拡がる。

 アリティア領から辛くも脱したマルス様はタリスへと落ち延びた。

 しかしドルーア帝国と盟約を結んだ諸国いずれかの手によってか、或いは戦乱に乗じてだったのか、海賊たちがタリスへと攻め入り……

 

 マルス様は殺されてしまった。

 

 彼が戦下手だったわけではないと思う。

 ただ、海賊たちの強さは予想以上だったのだ。

 

 私はどうすればいいかわからなかった。

 ただ、きっとずっと一緒にいるだろうと直感していた人が、

 己の半身だと思い続けていた人が死んでしまって、

 まるで今までの自分が全て否定されたような気持ちになって、

 何も考えられなく成っていた。

 

 そこに現れたのがレウス様だった。

 最初の印象はどこかの正騎士、というものではなかった。

 赤い布で顔や体を隠した姿は自らの所領を失地したような、失礼ながらもそんな印象があった。

 

 ただ、彼は強かった。

 尋常という言葉では計れない強さ。

 寝物語で話される孤高の英雄アンリにその姿を重ねてしまうほどに。

 

 ただ、破天荒という言葉では片付けられないくらいには破綻した人だともわかった。

 お父さまに国か私かを選ばせて、

 挙げ句に私を戦利品扱いする。

 人を物扱いしてくる無礼な人は見たこともなかったから驚いた。

 

 けれど、その扱いに安堵する自分を見つけた。

 半身を失い、定められていたと思っていた運命を失い、歩く力を失っていた私の手を引いてくれる。

 乱暴で、慮外者だと言える人であると同時に、奇妙に疼いてはじりじりと燃えるような感情が胸の奥にあることに気がついた。

 この感情が何か、私は知らない。

 彼との旅の中で私はその答えを知ることができるのだろうか。



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火山館の成果を見せるとき

 ない。

 

 ……どこにもない。

 

 てっきりオレはワープの杖は砦に置いたままなものかとばかり思っていた。

 どこにもない。

 砦のどこにも

 金目のもの及びゴールドそのものならあった。

 ざっと15,000ほど。それはいい。とてもありがたい。

 

 だが、ワープ、ワープの杖だ。

 あれは金じゃ買えない代物なんだ。

 

 オレは亡者のような足取りで砦を彷徨く。

 

「──……」

 

 音、いや、声?

 

「──……けて」

 

 近くはない。

 

「たす──……けて」

 

 確かに聞こえた。

 周りを見渡す。音の方向には壁。

 が、オレはこう見えてもメッセージに踊らされて現地時間で一週間以上壁を叩き続けた男。

 こういうのところには隠し扉があるに決まっている。

 

 ハンマーを取り出し、ひとまず眼の前の壁をぶっ叩く。

 がぁん、その音と共に壁が脆くも崩れる。

 やはり隠し通路だ!

 

 その眼前に現れたのは下半身剥き出しのサムシアンらしき男と、

 年端もいかない少女が組み伏せられている姿。

 

「な、あ、か、壁を壊し……?」

「た、助けてえ!!」

 

 少女のその声に即反応する。

 手に持っていたハンマーを横薙ぎに振るうと、サムシアンの男はまるで風に飛ばされた木の葉のように吹き飛び、水風船が壁にあたったように破裂した。

 

「大丈夫か?」

「あ、う……う、うわぁあぁああぁん!!!」

 

 少女が泣き出す。

 うーん、もしかしてオレは間違ったことをしてしまったのか?

 「そういうお楽しみ」をしていた二人の邪魔をしてしまったとかなのか?

 などと考えそうになったところで、少女がオレに抱きついてきた。

 わんわんと泣く彼女を見て、とりあえずオレの妄想は的はずれであったことは安堵しつつ、

 やるべきこともないので彼女の頭でも撫でて落ち着かせんとした。

 

 ───────────────────────────────

 

 彼女が泣き止み、落ち着いて話せるようになる。

 その辺りのことは省略するが、オレが発見(破壊)した通路の先はサムシアンの主力商品の一つである人間を保管する場所だったらしい。

 この先にあるオレルアン王国南部の街から連れてこられた女子供だそうだ。

 

 状況を説明するためにシーダたちのもとに彼女らを連れて行くと、シーダは商品になりそうだった人々を元の場所に返してあげたいと願い出る。

 

 オレとしても次に行く場所は決めていなかったわけだし、それに同意した。

 

 それなりの人数がいたために、取りまとめ役として先程の少女がそれを担当することになった。

 

「今更だが、名乗っておくか

 オレはレウス、故も知らぬ騎士(ナイト・エラント)だ」

「わたしはフィーナ!よろしくね、騎士様!」

 

 ───────────────────────────────

 

 夜が明けはじめた頃にサムスーフの拠点からオレルアンに向かい、出立する。

 ペガサスは傷こそ癒やしたものの、空を飛ぶことをどうにも嫌がっており現在は捕らえられていたものの中で、怪我を負っているものを乗せている。

 

「ねえねえ、騎士様!」

「レウスでいい」

「様を付けて呼ばなくてもいいの~?

 男の人はみんなそれが嬉しいって言ってたけど」

「どこの世界の『みんな』かは知らんが、オレは別に気持ちも入ってない様に興奮はしねえなあ」

「ふぅん……

 ね、レウス!レウスはどこから来たの?」

「狭間の地」

「はざま?」

「遠い場所だ、誰も知らねえくらい遠い場所だよ」

 

 物怖じせずにオレに質問を投げかけ、オレも別段隠すようなこともないので返答する。

 シーダやレナはオレの出自が気になっていたらしく、側で耳を傾けていた。

 

「どうしてこんな物騒なところまで来たの?」

「物騒……サムスーフのことか?」

「ううん、そうじゃなくて。アカネイアのこと」

「物騒、物騒ねえ」

 

 つい、ククク、と笑いを漏らしてしまう。

 人によってはせせら笑ったと取られかねない笑いだったろう。

 そういう意図は無いが、笑ってしまった。

 

「オレが来た場所ってのはな、話が通じる奴は殆どいなかったし、

 話が通じるかもって思ったやつは時間が経ったら頭がパーになっちまったのか、

 殴りかかってくるような場所だった

 それに比べればここは天国みたいな場所だ」

 

 両手を開くよう(すしざんまい的)にして、オレの話を聞いていたシーダとレナを示して、

 

「オレがいた場所にこんな美人は殆どいなかった

 ゼロじゃないが、少なくともオレには縁のなかった相手だった

 美人がいて、話が通じて、いきなり殴りかかってくる奴がいなくて──」

 

「騎士殿ーッ!

 て、敵襲ですぞ!」

 

 リフが声を上げる。

 

「いきなり殴りかかって来るのはいるみたいだよ、レウス」

 

 フィーナが苦笑を浮かべてそう言った。

 



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オレルアン南部

「き、騎士様

 あいつらです、私達を拐ったのは……」

 

 目の前に現れたのは紛れもなくマケドニアの正規兵たち。

 ベンソンがサムシアンと繋がっていた時点でそうなるのは納得できる。

 

「そこのもの!

 お前が連れているのは我らマケドニア軍の臣民である!

 すぐさま引き渡さなければ」

 

 ゆっくりと歩いていく。

 フィーナは無防備にも見える態度で歩いて行くオレを止めようと手を伸ばしかけ、それをシーダがそっと制した。

 

「大丈夫です、レウス様ですから」

 

 背にそんな言葉を受けながら、マケドニア兵の前まで進む。

 

「引き渡さなければ、どうなる?」

「当然、お前を」

 

 マケドニア兵の言葉を聞きながらオレはすらり、と武器を抜き、構える。

 神肌縫いではない。

 ベンソンから頂戴した騎士殺し(ナイトキラー)だ。

 

「──そ、それは」

「気がつくのが早い、が……もっと早ければ死なずに済んだのにな」

 

 槍を振るう。

 突くではなく、回し、払うような扱いができる。

 中々使い心地が良い。

 もう少し振り回しても良かったが、試し切りの相手はもうどこにもいなかった。

 

「つ、強い……!」

「騎士様、素敵です!」

「本当に帰れるんだ!」

 

 歓声が上がる。

 戦えば非難されてばかりいたのでこういうのは新鮮だ。

 

「レウス~~~!」

 

 跳ねるように近づいて飛びつくフィーナ。

 

「ほんとに強い!すごくすごく強い!おとぎ話の英雄様みたい!!」

「あいつらが弱いだけだ」

 

 それに加えてナイトキラーの特効が乗っただけだ、とは言わないでおこう。

 

 その後は平和なもので、道中こそそれなりに長かったものの、日が落ちる頃には街に到着した。

 拐われた者たちの帰還に街はわいて、悪政を敷いていたマケドニアの将ベンソンを討ち倒したことを彼らが知ると、大いに歓待された。

 

 ───────────────────────────────

 

 囚われていた女子供はそれぞれの家路についた。

 オレたちは別荘のような場所を与えられ、そこで寝食をすることになる。

 シーダ、レナ、リフ、そしてフィーナだ。

 

「お前、家は?」

「んー……ここ、わたしの家がある場所じゃないから」

「なら、好きな部屋で好きなように休むんだな

 部屋はダダ余りするレベルでここは広い」

「ありがと、レウス」

 

 そう言いながらも、くわあとあくびをするフィーナ。

 見たところ12かそこらだろう。

 アレだけ歩いたわけだし、気絶するように寝落ちて、泥のように長く眠って当然だろうに。

 

 リフは早々に部屋に入り、眠ったようだ。

 レナはどうやら、それなりに旅歩きなれているようで、まだ元気そうだ。

 シーダは流石に戦いを経験したあとでもあるからか、側にあろうとしていたようだが、船を漕ぎ始めたので部屋で寝るように勧め、それに渋々従った。

 

「レウス様」

「シスター、オレに様は要らんよ

 貴族でもなんでもないんだ」

「では、あなたもレナと呼んでくださいますか?」

 

 改めてそう言われると恥ずかしくなってくる。

 シーダやフィーナは別だ。

 自分のものと、がきんちょにそういう恥ずかしさを向けることはない。

 このレナという女性はゲームプレイ時には何も思い入れがなかったが、

 いざ目の前にすると溢れ出る気品のようなものに気圧される。

 本来であればシーダにも感じるものであろうが、出会いも出会いだったせいかもしれない。

 

「あー、レナ……」

「はい」

「で、何か用件があるから残ってるんだよな?」

 

 彼女はゆっくりと頷いてから、

 

「この後のことをご相談したくて」

「ま、そうだよな」

 

 ここまでの旅路はなし崩しもいいところだ。

 シーダには希望になってやると大口を叩いたものの、サムスーフで痛感した。

 オレはマルスでもなけりゃアリティアの王族でもない。

 その上、軍を率いているわけでもない。

 ドルーア帝国からタリスを守るにしたって、手段がまるで見当たらない。

 次に何をするかも決めれてはいないのだ。

 

「世直し珍道中をしたいってわけじゃあないんだ、なし崩し的にそうなっちゃいるがね」

 

 いつのまにかフィーナはオレの膝に体重を預けてすうすうと眠っている。

 その頭を優しく撫でてやる。

 オレがこの年齢の頃はゲームばっかやっていた。親に甘えまくっていた。

 一人で旅をして、山賊に捕まる人生なんて想像もできない。

 その様子を慈しむように見るレナ。

 別に彼女に体重を預けたいわけではないが、それでもオレの状況は全て伝えておく必要があるだろう。

 勿論、タリスに来てからのことになるが。

 

「シーダ様のために帝国と」

「タリスなんてオレにとっちゃどうでもいいが、シーダに泣かれるのはたまらんからな」

 

 それは本音だ。

 タリス王も、オグマたちも、どうでもいい。

 

「レナ、お前は何かしたいことがあるのか?」

「私は……」

 

 少し考えるようにしてから、レナは――

 

「今は、レウスの側にありたいと思っています

 あなたがお許しになるのなら、ですが」

「願ってもないが、オレの旅路は道徳心とは無縁だが」

「道徳は大切なことです、ですが、それだけでは人を救えないことも……知ってしまいましたから」

 

 ジュリアンの死。

 それは彼女にとっての転換点になったようだ。

 あいつが生きていれば「正しいことをすれば報われる」ことの証明になったはずだ。

 しかし、シスターを逃したジュリアンに待っていたのは死と、そして蹂躙。

 その姿こそ見ていないが、こんな時代だ。

 結果を考え、ジュリアンにあったことを的中させるのは難しくない。

 

「なら、オレと一緒に歩んでくれ

 アンタの希望になるなんて大きな口は叩けないが、

 今までの旅では見えないものを見せる努力はしてみるよ」

「一緒に歩む、ですか」

 

 ふふ、とたおやかに笑うレナ。

 

「なんかおかしなこと言ったか?」

「あまり、他の女性にはそういうことを言ってはいけませんよ」

 

 あー……、口説き文句に聞こえたわけね。



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草原の戦い

 この日は実に有意義で、そして忙しかった。

 行商が立ち寄ってくれたお陰でアイテムの売買ができることが、だ。

 アリティア軍であればこういう行商が付いてきてくれるんだろうが、オレの場合はそうはいかない。

 ここで売れるものは売り、買い込めるものは買い込まねばならない。

 

 今までかき集めた戦利品をじゃかすかと並べていく。

 勿論、どこかの青狸のように目の前で広げるわけにもいかないので別荘から運んできた体だ。

 

 山ほどの鉄の斧に鉄の弓、やや数が少なくはなるが鉄の槍も相当な数がある。

 戦利品で残すべきだろうと思えたのはナイトキラーと手斧、キルソード、後はきずぐすりくらいなものだ。

 所持数として見て珍しいものでいえば鋼の斧、鋼の剣だろうか。

 数が数のせいで買い取りきるには金がないと言われたので、ありったけのライブの杖を要求した。

 

「あ、ありったけかい?相当な数があるが……」

「何本ある?」

「30と少しだ」

「流石に売り払うものとの物々交換じゃ足りないよな、差額はゴールドで支払うよ」

「そいつはありがたいね」

 

 少し遅れてシーダ、レナ、フィーナが行商とオレのもとに現れた。

 

「こりゃあまた、べっぴんさん揃いだ

 服や宝石もあるよ、よければ見ていってくれ!」

「あー……」

 

 彼女たちの服も戦いでところどころ破れてしまっている。

 フィーナに関しては捕らえられていた場所のせいで、汚れている部分が見受けられた。

 

「だそうだ、好きな服を買ってやる。

 着たきり雀ってわけにもいかんから、数日分纏めて買えよ」

「きたきりすずめ?」

「それはいいから、ほら、選べ選べ」

 

 彼女たちは最初こそ申し訳無さそうにしていたが、フィーナが次々と二人にこれが似合うやら、こういうのはどうかだのと着させているうちに盛り上がっていった。

 美少女たちの買い物に付き合うというシチュエーションは素晴らしいものがあるな。

 

「ありがたいですなあ」

「ああ……うおっ!?」

 

 つい同意したものの、気配もなく後ろに立っているリフに心臓が潰されかける。

 

「ああ、ジイさんも服買っとけよ」

「いえいえ、それらはしっかりと持ち込んでおりますのでな」

 

 暫く彼女たちの買い物を二人で見つめているとリフが再び会話を切り出してきた。

 

「騎士殿、彼女らが衣服を買うついでにご提案がありましてな」

 

 リフ曰くに、ペガサスは空を飛ぶことはできても戦いに赴けるほど回復はしていないとのことだ。

 おそらく精神的なものだろうと。

 シーダをこの後も戦わせるのならば兵種を変更する必要があるのではないかという話だった。

 

 ───────────────────────────────

 

 ある程度の買い物が決まった段階でオレはシーダに兵種変更の話を持ちかける。

 彼女も今の状態の愛馬を戦闘には出したくないらしく、同意してくれた。

 弓兵か魔道士のどちらかになってくれというオレの提案に対して、彼女は魔道士を選んだ。

 現時点での魔力はそう高いものでもないが、相手の防御能力を考えれば低かろうと大きな問題でもないはずだ。

 

 必要そうだったのでファイアの書を数冊買い足すことも忘れない。

 それに加えて衣服の代金で、ここまでの道中で敵を倒して得た諸々で作り上げた軍資金はほぼ使い切った。

 廃墟やら城やらで手に入れた分のゴールドがまだそれなりに残ってはいる、路銀に困ることはなさそうだ。

 

 こうして楽しい楽しいお買い物は終わり、別荘へと戻る。

 普段着として購入したものをそれぞれが着て、楽しげにお喋りをしている。

 至福だ。

 こんな光景、狭間の地では見れなかった。

 あの場所でのオレの癒やし空間は鳥のバケモノとどこぞの兵士が多対多で殴り合っているのを見ているときだけだった。

 

 まったりとした時間を過ごしていたところに駆け込んできたのは、ここに到着して最初に駆け寄ってきた男。

 この街の長だ。

 

「はぐれサムシアンでも現れたか?」

「い、いえ……マケドニア軍がこちらに向かってきております

 どうか我々にお力をお貸しください!

 もはや我らはマケドニアの支配を容認することはできませぬ!」

 

 そりゃそうだ。

 女子供があれだけ拐われたことがわかった以上、次に何されるかわかったものではない。

 

「わかった、何とかする」

 

 オレの言葉を聞くと、他の皆も準備に取り掛かった。

 

 ───────────────────────────────

 

 本来立ちふさがるべき敵将は不在。

 街へと向かってきているのはベンソン麾下のものではないだろう。

 

「我々はマケドニア軍としてこの街を平穏に保たねばならない!

 この街に我らの同僚を討ったものがいる!」

 

 焦りが見える。

 フィーナもそれを察しているようで、

 

「わたしたちが逃げたのを知って、口封じしようとしてるんじゃない?」

 

 その発言は――

 

「いや!この街こそが同僚を討った者たちの根城であることを掴んでいる!

 それ故、この街を今より打ち払い、抵抗するものがあればこれを倒す!

 我らが求めるのは降伏と臣従のみだ!!」

 

 というように翻された。

 

「敵の数は多くない、一気にケリをつけるぞ」

 

 緊張した風に見えるシーダの手をレナがそっと握る。

 その行いに落ち着きを得たのか、小さく頷くシーダ。

 

「まずは前衛から突っ込んで、シーダさんの援護を頼る……でいいよね、レウス」

「ああ、だが魔道士としての戦いはシーダにとって初めて、援護を信頼しすぎるなよ」

 

 ん?

 

「いや待った、何を抜刀しているんだ」

「レイピアだけど」

「武器種を聞いているんじゃない、子供が何をしようとしているのかって話を」

「私、多分だけどシーダさんと少ししか年変わらないよ

 子供扱いしないで」

 

 それを言われると言葉もない。

 オレにとってシーダは戦利品であり、武器の如くとして扱っているという背景はあるが、

 それとシーダの年齢で戦いを行わせていいという話は別問題だ。

 

「わかった、戦えるというならそれに越したことはない

 なにせ見ての通り戦力と呼べるものは僅かだ」

 

 強く頷くフィーナ。

 

「だが、折角助け出したフィーナがむざむざ殺されるのは相当に堪える

 可能な限りオレの側で戦うって約束できるのなら戦列に加わってくれ」

「まっかせて!」

 

 オレたちを迎え入れてくれている街で『霊呼びの鈴』を使う気にはなれない。

 そうなると元々少ない戦力はさらに少なくなる。

 フィーナの参戦は実際、助かるのは間違いない。

 だが、可能な限り怪我をさせないように立ち回る必要も出てきたわけだ。

 

「無傷で終わらせられたら、実績(トロフィー)の一つでも貰えるかねえ」

 



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吹き荒れる嵐

 ごく少数の騎兵と、どう考えてもお前サムシアンだろって風体の賊が複数部隊。

 それとあとはアーマーナイトやら弓兵やら。

 

 気合を入れたものの、割とあっさりと勝ててしまう。

 フィーナの剣技はまるで舞い踊るようなもので、鮮やか。

 美しいだけでなくときに急所を狙うような実戦的な面もある。

 とはいえ、その細腕では流石に倒し切る力はない。

 それをシーダのファイアの書が的確に刈り取っていく。

 戦闘のはじまりのときこそ連携は拙かったものの、フィーナは相手をリードするのに長けているのか、

 シーダが経験の中で戦術的な才能が開花し始めているのか、或いはその両方か。

 ともかく、いつのまにか二人の息はぴったりと合っていた。

 

 オレもしっかりと戦果を上げるように戦うかも悩んだが、ここはサポートに徹することにする。

 こういう所で周りに経験値を溜め込んでおいて損はないだろう。

 

 戦いが終わってみれば、傷一つ無い状態での勝利であることも知れた。

 時に危なそうな場面もなくはないが、そうした相手はオレが倒していたのもあるだろうが、

 予想以上に魔導書とシーダの相性はいいらしい。

 

「騎士殿!敵の増援ですぞ!」

 

 リフが報告を上げる。

 敵が現れたのとは別の方角から騎兵たちが現れる。

 騎兵が少ないと思ったのは奇襲のために分けていたってことか。

 

 クソ、逃げ遅れている住人がいる。

 オレが行くよりも早く騎兵が到着する。

 隠し持った手を使えば同着かそれ以上で何とかなるが、可能な限り手札は晒したくない。

 霊呼びの鈴を使うか。

 タッチの差程度ならば輝剣の円陣でも間に合うかもしれない。

 オレは手段を考えながらそちらへと全力疾走する。

 

「マケドニア万歳!ベンソン閣下万歳!」

 

 騎兵が槍を向けて住人に向かっていく。

 これは、間に合わない!

 

「エクス……──」

 

 声が響く。

 風が巻いては吹き荒れる。

 

「カリバーーーッ!!」

 

 逆巻いた風は魔力を帯びて、白いガラスのような膜を形成し、まるで自我を持った刃のように騎兵に襲いかかる。

 騎兵は数瞬遅れて馬ごと分割された。

 

 現れたのは緑色の髪をした魔道士。

 そうだ、この街にはマリクがいたんだった!

 マルス王子との関係性は親友だった、か?

 ってことはお貴族様か何かだろうが……。

 

「カダインから出てきてから向かう、どこもこんなことに……」

 

 年齢はシーダと同じくらいだろうか。

 まだ幼さの残る顔立ちは凛々しいよりも可愛らしいと表現できる。

 

「そこの騎士殿、ぼくはマリク。カダインの魔道士です

 先程の戦いに参加するのは間に合いませんでしたが、ここから先はぼくも一緒に戦わせてください」

故も知らぬ騎士(ナイト・エラント)、レウスだ

 力を借りるよ、マリク

 オレは突っ込んで暴れる、討ち漏らしを任せていいか?」

「はい!」

 

 とはいえ、そこからはワンサイドゲームだ。

 騎兵の質に関してはそう高いものでもない上に、オレのナイトキラーが一振りされれば一騎が死ぬ。

 討ち漏らしこそないが、オレに背を向けた騎兵は容赦なくエクスカリバーによって刈り取られる。

 

「レウス様!」

 

 シーダたちが到着する頃には全てが終わっていた。

 戦力差がありすぎたとしか言いようがない。

 

「ふー……犠牲を出さずに済んだのは、そこそこの結果だろう」

 

 戦いの終わりを知った住人たちはオレたちを囲み、称賛し、宴席が設けられた。

 その後、マリクはオレたちが使わせてもらっている別荘に来てもらうことになった。

 話さなければならないことがあるからだ。

 

 マルス王子の死について、である。

 



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Chained

 王子の死を告げられたマリクは目を開いて呆然とする。

 

「本当だ、その死体も確認している」

「……ぼくはマルス王子に何も返せていない、魔道士の道を応援してくれた彼に……」

 

 慰めの言葉など掛けられるものか。

 オレの今までの立ち回りも含めて、それを許される人間ではない。

 

「シーダ、ジイさん

 マリクを見ててやってくれ」

 

 オレはパトロールとする名目でこの空間から逃げ出した。

 

 ───────────────────────────────

 

「レウス」

 

 オレの背にフィーナが声を投げかけた。

 

「どうした、っと、それよりも先は見事だったな

 助かった」

「まさか無理やり教えられてた剣術が役に立つとは思わなかったよ」

「どこぞで聞いたが、レイピアってのは王族の証なんじゃなかったか?」

「証って訳じゃないよ。王族なんかが手習いさせられるものの一つってだけ」

「つまりお前は」

「その話はいいでしょー、今はさ」

 

 横に並んで歩き出すフィーナ。

 

「逃げたでしょー」

「あー……女子供なら抱きしめてやるなんて選択肢も出てくるだろうがなあ」

「かわいい子だったじゃん」

「フィーナはオレが見境のないタイプだと思ってらっしゃる?」

「どうだろーね」

 

 まあ、実際にマリクは少年らしさを十分に残した過渡期の美しさのようなものがある。

 狂わされる奴は狂わされるタイプかもしれない。

 

「正直、マルス王子に関わることが苦手でな」

「なんで?」

 

 オレが現れるために、マルスが犠牲になったかもしれない、なんてことを言えば天動説、地動説に続く自動説の持ち主、世界が自分中心で回っていると考えているやべえ騎士が爆誕してしまう。

 

「オレが遠くから来たって話をしたろ」

「してたね

 狭間の地、だっけ?」

「そういう出自の人間ってのは、ほら、期待されるもんだろ?」

「特にこんな時代だもんね

 勇者とか英雄になってくれそうな人だったら誰でもいい、

 とりあえず崇めておこうって感じになりそうだよね

 特にレウスの場合は強さもあるし、そうなる資格は十分って感じじゃない?」

「ああ、オレもそう思う

 けどな、強くて変わった出自があったとしてもオレはマルス王子にゃなれない」

「マルス王子と同じじゃないとだめなの?」

 

 フィーナは小首を傾げる。

 

「オレがアリティア軍を率いていりゃ、目を引いていたからな」

「目を引いたら何か良いことあったの?」

「少なくともレナを冥府魔道側に引っ張り込もうとは思わなくて済んだろうさ

 ジュリアンが生きてりゃ、善徳の価値ってのを示せたからな」

 

 と、いったところでフィーナには何のことやらだろう。

 しかしそれでも、彼女には話してしまいたくなる魅力があった。

 聞き上手な人間という奴なんだろうな。

 

(冥府魔道に、か)

 

 オグマの言葉を思い出す。

 冥府魔道から這い出てきた亡者。

 亡者と褪せ人にそう違いもないか、褪せ人としてやったことを考えればそれ以下かもな。

 

「そんなことを思っておられたのですか、レウス」

「……聞かれたくない話ってのは、聞かれたくない奴に聞かれるもんだな」

 

 オレはため息を漏らす。

 レナはパトロールに出たオレとフィーナを心配したようだ。

 

「思っていたさ、目を引けていればジュリアンは下手に彷徨(うろつ)かずに真っ直ぐと南下してきたはずだ

 そうなりゃ二人纏めて保護できた」

「悔やんでいるのですか?」

「そのことをか?

 笑ってくれよ、オレはまるで悔やんじゃいないのさ

 ジュリアンが死んでも、ナバールを殺してもな」

 

 歩を止める。

 

「アイツらは大なり小なり戦える力と選択する力の両方を持って運命に抗った

 その結果死んだんだ、それが自由ってやつさ

 だが、オレはそいつらをダシにしてレナを繋ぎ止めようとした」

「レウスはレナお姉ちゃんの自由を奪ったことが苦しいんだ?」

 

 フィーナが言う。

 

「自由ってのはさ、いいものだもんね

 自分の意思が許すなら不自由になったっていいのが自由、矛盾だって飲み干せる強さがあるもん」

 

 でもね、と

 

「レウスはレナお姉ちゃんが一方的に自由を奪われたと思ってるの?」

「思ってるさ」

「だって、レナお姉ちゃん

 わかってないよねえ、レウスって」

「付き合い数日もないお前に何がわかるってんだ」

「それくらいわかりやすい人だってこと」

 

 彼女があははと笑う。

 バカにしているという空気ではないのがわかるのも彼女の人徳ってやつなのだろう。

 もしかしたら縋るような目でもしていたらと思って、一度瞑目して、それからレナを見た。

 

「言ったはずです、あなたの側にいますと

 いつか私の望みを伝えられるその日まで、側にいたいと思っていることは数時間の間では変わるものではないですよ」

 

 不自由を選ぶことができるのが自由。

 オレがシーダに向けた思いでもあることが、自分だけが思うことではなかったことを考えもしなかった。

 

「だってさ、レナお姉ちゃんが優しくてよかったね」

 

 女心のわからん奴めという意味なのか、弱音を許して甘やかしてくれる人という意味なのか。

 

「でもさ、アリティア軍じゃないから嫌だって言うならなっちゃえばいいじゃん」

「なっちゃえば、ってなんだよ」

「アリティア軍にさ」

 



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止まり木のような街

 マリクはマルスの死を告げた翌日こそ部屋から出てこなかったものの、

 更にその翌日には塞ぎ込んだ感じもなく、共に朝食を摂った。

 

 部屋から出てこなかったときは流石にオレたちもどこかに行くわけにもいかなかったので、

 シーダ、レナは屋敷で待機、

 リフは街の子供達に勉強を教え、

 フィーナは共に捕らわれていた人々と炊事の手伝いをしている。

 というのも、最近はオレルアンの他の場所から逃げてきたものがこの街に集まってきているのだ。

 住人と避難民が一丸となって仮設住宅を作っている。

 

「騎士様がいなければ我々は避難民を追い返していたかも知れません」

 

 街の人間に感謝をされる。

 人間性を失わずに済んだ、と。

 オレは大したことをしていない。

 避難民には行儀よくしていれば何とかすると伝え、

 住民たちには街に人が増えれば立派な自警団を作れるかもしれないと提案した程度だ。

 

 だが、オレの影響力というのはバカにできないものらしく、

 「あなたがおっしゃるなら」と従うばかりだ。

 そのおかげで諍いもないならなによりというものだが。

 

 逃げてきた避難民を取りまとめていた人間に会うこともできたので幾つかの情報を仕入れることもできた。

 オレルアン全土を実質的に制圧したマケドニア軍と、オレルアンの王弟ハーディン率いる狼騎士団の戦いは続いており、

 アカネイアの王女ニーナがハーディンのもとに身を寄せたことで一度は敗北したオレルアンの残党軍とアカネイアの一部の軍が結集しているのだという。

 

 結果として、戦いは長期化。

 

 その影響でオレルアン地方そのものの治安が悪化。

 衝突を繰り返しているオレルアン中央部から離れた東南側、

 つまりこの街からは大雑把に東側ではガルダ海賊とサムシアンの残り滓どもが徒党を組んでいるという情報を得た。

 

 恐るべき生命力、と言いたいところだがサムシアンに関してはベンソンの影響が強いのかもしれない。

 もしくは賊を増やすことそのものがマケドニア軍の戦略である可能性もある。

 王弟がオレルアンの治安を軽んじれば求心力を損ない、

 重く受け止めて退治に乗り出せば戦力が分散される。

 

 善悪はさておけば、悪くない策かもしれない。

 ベンソンを始めとして私腹を肥やすためにあれこれと画策する連中を放し飼いにしていると考えれば

 統率にかけるコストそのものも極めて安く済むのだろう。

 

 ドロドロとした戦争については考えるだけで体力を奪われる。

 だが、次に進むべき場所が見つかったのは悪くない結果と言えた。

 

 ───────────────────────────────

 

 マリクたちとの朝食が終わると、オレは東に進むことを宣言した。

 

「この街に悪さをする前に合流した賊を叩く」

「いいね~」

 

 フィーナが拍手をする。

 こいつにとってオレはどうにも歩く英雄譚製造機だと思っている節があり、

 派手なことをすると喜ぶことがわかってきた。

 

「ただ、フィーナとマリク、リフは残ってくれ」

「えー!なんでー!」

「ぼくも戦えます!」

 

 ほぼ同時にブーイング。

 リフは特に異論はないようだ。

 

「この街の防衛を空っぽにしたくねえんだよ、目に見えた敵勢力はないが、それでも万が一を警戒したい」

 

 フィーナに関しては残ってくれれば街で何か諍いが起きても仲裁できる能力が期待できる、

 マリクに関しては大切な人間の死から完全に立ち直っていないだろうから休んでいてもらいたい。

 ジイさん(リフ)に関してはわかりやすく体力面の問題だ。

 突っ込んで、倒して、物を漁って即帰還。

 結構な強行軍になるそれに年寄りを連れ回すのは気が引けるし、何よりリフが街で教えている勉強はこの街の将来のためになるだろう。

 生産性のある未来を作ることはオレにはできない。

 オレができるのは壊すことばかりだ。

 

「シーダ、レナ

 悪いが手伝ってくれ」

「はい」

「よろこんで」

 

 決して両手に花を楽しみたいわけではない。

 この弁明に説得力はなさそうだが。

 

「早く戻ってきてね」

 

 フィーナが心配そうに言う。

 懐かれるのは悪い気はしないが、

 その言葉に誓って、焦りすぎてミスをしないようにだけは気をつけねばなるまい。

 

「ほどほどに急ぐさ

 そっちも街をよろしくな」

「うん!」

 

 フィーナたちに見送られて、オレたちは東へと歩を進めた。

 



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オレルアン東部の戦い

 オレルアン東部への道。

 平坦な道であるため、歩きやすくはあるが、目的地と考える場所まではひたすらに長い道のりだ。

 一日の半分は歩き、残りは大なり小なりの休息に当てる。

 

「普段からどれほどペガサスに頼っていたか痛感しますね」

 

 シーダがそう言って笑う。

 だが、ギブアップ寸前の弱音というわけではないらしく、むしろ限界が見えれば見えるほど燃えるタイプなのか、オレが休憩を申し出るまで文句を言わずに歩いた。

 

 王女たるシーダは勿論だが、レナもマケドニアの有力な貴族の生まれだったと記憶している。

 貴人であればそろそろ泣き言の一つでも言うかという道中でも文句を言わない。

 オレはそれが怖くて休憩を多くしている。

 もしかしたならオレが道中の足を引っ張っている可能性すらあるなと考えながら。

 

 二日目も朝早くから歩きはじめ、昼になる頃に聞いていたものが見えてきた。

 打ち捨てられた砦だ。

 その周囲には騎兵やら弓兵やら盗賊やらがなにかの準備をしていた。

 なにか、などというのは勿論知れている。

 どこぞへの略奪行為だろう。

 出立したあの街であるかもしれないし、この近くに村でもあるのかもしれない。

 どうあれ賊どもは殺すだけだ。

 

 神肌縫いを取り出すのを見た二人もファイアの書とライブの杖をそれぞれに構えた。

 

 ───────────────────────────────

 

「お、オレたちが殺されたところで……他の仲間が黙っちゃいねえ!

 お前らがいかに強くても6つの砦を攻略するなんてのは不可の ぐふっ!」

 

 わかりやすく情報を吐きながら死んだ三下のお陰で倒すべき目標数が明確になった。

 来る前は倒してさっさと帰る、なんて言っていたがこれは少しばかり時間がかかりそうだ。

 

 一つの廃墟には四、五部隊程度がいた。

 強さは正直、サムシアンの一線級からは格落ちしている感じだ。

 この辺りで略奪の練習でもさせていたのか、とでも思えるくらいに。

 

 一日で三つの廃墟を落とし、休憩を取る。

 その翌日もまた、賊を探す。

 発見した最初の廃墟の賊たちを倒し、次のターゲットを探そうとしたがそれはあっさりと完了する。

 

「兄弟どもを手にかけてくれたのがここにいるってのは知っている!

 出てきやがれえ!

 オレはゴメス様の右腕!そこらの雑魚とは段違いに強えぜ!!」

 

 声の大きさはゴメスレベルだ。

 

「私にやらせてください」

 

 シーダが怖い顔で魔導書を開く。

 レベルってのが可視化されているわけでもないからどれほど強くなったかは明確ではないが、

 今の彼女の強さはゴメスを倒したときとは比べ物にならない。

 オレの中で、破壊力はあるが回避も防御もダメ、みたいなイメージが魔道士にはあるが、

 この王女様は違う。

 攻撃は避ける。致命打は受けない。炎の魔法は二段打ち。

 魔力の出力こそマリクよりも相当に下であるが、豪勢な戦力を持たないオレのチームでは死から遠い場所にいる後衛というだけで素晴らしい価値なのだ。

 

 避ける、燃やす。

 避ける、燃やす。

 

 繰り返していけばいくほどに、相手の数が減っていく。

 

「なんだか、仕事ありませんね」

 

 レナが困ったように笑う。

 

「そんなにライブ振りたいのか?」

「シーダ様には傷を受けて欲しくありませんから」

「……オレは?」

 

 ふふ、と小さく笑われる。

 否定がないのがなんだか怖い。

 



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トライアングル★バンディッツ

「レウス、敵です」

 

 レナが声と指で場所を知らせる。

 シーダがファイアの書片手に暴れている場所とは違う方角から一団が走って来ていた。

 

「オレ様はガザック様一の子分!!」

「おいどんはハイマンの義理の兄!!」

「ワイはベンソン様の弟子!!」

 

「「「覚悟!!!」」」

 

「いやなトライアングルアタックだな……

 レナはシーダに目を向けてやってくれ、危険そうならシーダと一緒に相手から距離を取ってライブを」

「レウスは?」

「アホな名乗り上げだが、

 連中の言うことが事実かはさておいても近い能力を持ってるってなら

 そいつは十分すぎるほど脅威だ

 試したいこともあるし、オレが戦う」

 

 そういって二手に分かれる。

 

「オレ様たちとたった一人で戦うってのか?」

「おいどんたちも舐められたもんだす」

「ワイらの怖さを教えてやろうではないか!」

 

 ベンソンの弟子が指笛を高らかに鳴らすと、連中の後ろからぞろぞろと手下が現れた。

 単騎性能は知れているだろうが数というのはそれだけで厄介だ。

 

「だが、性能を試すにはそれくらいの数がいたほうが助かるってもんだ」

 

 『霊呼びの鈴』を構え、鳴らす。

 

 りぃりぃん。

 瀟洒な音が響く。

 

 濃密な霧が人の姿を取る。

 

 靭やかな体付き。

 長い髪。

 力みを感じさせない立ち姿。

 

「な、な」

 

 ハイマンの義理の兄が口をあけ、言葉を吐こうとするも絶句が先に来てしまっているようだ。

 ならば、代わりに言ってやろう。

 

「ナバール、行けッ!」

 

 その声に反応するように、電撃のような速さで敵陣へと切り込んでいった。

 

 紅の剣士(ナバール)の傀儡。

 殺した相手を傀儡にするオレの研究成果。

 二例目でわかったのは以下のことだ。

 

 オレが殺した相手しか傀儡の鉱石は手に入らない。

 殺した相手は誰でもいいわけではない。

 オレが殺した相手に多少なりとも感情を向けている。

 殺し方は関係がない。

 

 勿論、これから更に実例が増えていけば変わるかもしれない。

 

 ナバールの傀儡は踊るように敵を切り裂いていく。

 すんでの所で回避し、相手の首を刎ねる。

 相手の攻撃を受け流(パリィ)して致命を取る。

 戦闘能力はオレが上だった。

 しかし決闘めいた殺し合いであればナバールが上。

 オレがナバールと戦う際に思っていたことは正しかった。

 よく勝てたとも思う。

 

「調子に乗るなよ、紅の剣士さんよお!

 オレ様たちの数はこんなもんじゃねえぜ!!」

 

 ガザックの子分が指笛を鳴らす。

 どこかに隠れていたのか、海賊たちが走ってくる。

 

 試したいことはまだある。

 増えてくれる分には文句はない。

 

 もう一度、『霊呼びの鈴』を鳴らす。

 ナバールが消えることはなく、さりとて別のものが現れる様子もない。

 

 複数を呼び出すことはできないわけだ。

 戦力の拡充を鈴に頼り切るのは難しい。

 サイン溜まりでもあればいいのだが、あいにくアカネイア大陸に着いてからは一つも見ていない。

 もっとも、サイン溜まりがあるということは赤霊(プレイヤーキラー)もいるってことになるので無いことに安堵するべきなのかもしれないが。

 

 ナバールの傀儡は圧倒的だ。

 それでも徐々に傷が増えている。

 

 そろそろ参戦するとしよう。

 オレは利き手にキルソードを、逆の手にはダガーを持つ。

 

 敵へと歩きながら戦灰の力をイメージし、それを喚起させる。

 ふわりと現れたのは『輝剣の円陣』、つまりはダガーの力だ。

 無防備に歩くオレに対して、ナバールよりはマシかもしれないと的を変えた海賊たちが走ってくるが、その途中で射出された輝剣によって撃ち殺される。

 

 キルソードには戦灰がないってことだ。

 となると、手持ちにある『狭間の地』産の武器は大切にしないとならない。

 

 元の世界で戦っていた頃は武器が壊れるなんて考えてもいなかったが、あれも『黄金律』のご加護(機能)だったのだろうか。

 流石に『黄金律』はそういうものではないか。

 であれば無闇やたらに頑丈だったと考えていいのか、つまりは耐久値の事は考える必要はないのか。

 

 オレはキルソードとダガーをしまい込んで、神肌縫いを取り出す。

 殺してきた数を考えれば神肌縫いは壊れてもおかしくないが、損傷一つ見当たらない。

 判断に困る。

 安心を得るために暫くは拾った武器で戦うことにしよう。

 

 別の奴が指笛を鳴らすと同時に、三馬鹿は手下とともにこちらへと突き進んでくる。

 ナバールが武器を構え直した。

 オレもそれに習い、再びキルソードを取り出し、構えた。

 



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Unchained

 戦いの後のお楽しみ。

 このために戦っているというのは過言だが、それでもこれに勝る喜びはそう多くない。

 鉄の斧に槍、剣。

 どれも安物だ。

 耐久値も知れている。

 だが、自警団を設立するというのであれば、武器はあればあるだけいいだろう。

 

「レウス様、終わりました」

「怪我は?」

「ありませんよ」

 

 安心したオレの顔が面白かったのか、シーダは小さく微笑んだ。

 

「心配でしたか?」

「心配に決まっているだろう、壁役なしの戦闘をさせてんだから」

 

 心配されたのが嬉しいのだろうか。

 シーダの情緒がわからない。

 

 ───────────────────────────────

 

 帰路は気楽なものだ。

 ひたすらに距離があることを除けば、だが。

 

「レウス様」

「なんだ」

「不躾なことをお伺いしても」

 

 藪から棒になんだろうかと思うも、ひとまずは「ああ」と了承する。

 

「フィーナさんとお話ししていたこと、私も伺いたいのです」

「狭間の地のことか?」

「シーダ様、もっとわかりやすく聞いたほうがよろしいですよ」

 

 レナの言葉で余計にわからなくなりかけるも、

 

「レウス、シーダ様は妬いておいでなのですよ」

 

 流石のオレでもそれでようやく理解した。

 フィーナに身の上を明かして、戦利品(一番身近にいる自分)に話していないのが気に食わなかったのか。

 

「そりゃあ、なんというか……配慮が足りなかった」

「い、いえ……その、そういうつもりでは……なくてですね」

 

 しどろもどろ。

 だが、嫌われるよりかは興味を持ってもらえるほうが嬉しいのは確かだ。

 

「ここから随分と遠くにある場所から来たってのは話したよな」

「狭間の地、ですね」

「ああ、アカネイアとは比べ物にならないほど『終わってる』場所だ」

 

 別に比喩的な表現ではない。

 『終わっている』のに『終わりきっていない』、それがあの世界だ。

 

 オレは話を聞かず、読み解かずに突き進んだ。

 それでも目に入った情報はそれなりにある。

 完全な循環機構を持つ世界そのもののルール、『黄金律』。

 

 だが、完全であったはずのそれに矛盾を見出したところから全てがはじまったのだとか。

 ……まあ、このあたりのことはいい。

 オレも全てを説明できるわけでもないし、全貌を見てすらいないオレが語っていいことでもあるまい。

 

「そんな世界……ああ、いや、場所で戦ってたオレには選択肢ってもんがなかった」

「将来何になりたいかも誰かに定められるような?」

 

 王女として生まれたシーダからすれば、未来が決定されているということは自然なことなのかもしれない。

 

「そういうことじゃない

 オレにゃ死ぬ権利すら存在しなかった、おおよそ自由ってのがない世界だったんだよ」

 

 頭がおかしくなって、自殺したことは何度もあった。

 巨大な敵に身を投げ出す、高いところから飛び降りる、海へ沈む、火山の中に落下する。

 どんな手段を取った所で、オレは還った。

 死ぬという選択肢も、狂うという選択肢すらない世界。

 

 その上、バカなオレは考えることすら放棄した。

 ただひたすらに攻略だけを目指した。

 それだけが救いになると信じて、ひた走った。

 

 最後の最後で突然突きつけられた選択肢。

 どの終わりを迎えたいのか、という強制された自由。

 

「オレはさ、そんな場所がイヤで逃げ出してきたんだ」

「今のレウス様は救われていますか?」

「救われていないように見えるのか」

「それは……」

 

 意地悪な聞き方だったなと反省する。

 

戦利品(オレのもの)扱いしてもこうして話してくれるシーダがいるってのは、

 あの世界じゃ絶対に得られない幸福だ」

 

 喜ばせるために言っているわけではない。

 こればかりは心からそう思っている。

 そして、同時に自分の矮小さに暗澹たる気持ちにならないでもない。

 

「シーダをそういう扱いしないと安心できてないって事なのかと思うと、

 まあまあ自分の狭量具合に楽に落ち込めるってもんだな」

 

 ははは、と力なく笑うのが精一杯だ。

 

 ───────────────────────────────

 

 帰路は気楽なものだとレウス様は語ったけれど、距離は距離。

 

 私たちを案じてか、到着前にしっかりと休んでおこうと野宿の提案があった。

 確かに徹夜で歩き続けるという訳にもいかない。

 夜ともなればこのあたりは本当の闇が包む。

 手を伸ばした先までしか見えないほどに暗く、濃い夜闇が。

 

 道中でレウス様が話してくださったことが頭の中を巡っていた。

 

 まだ私の手足が伸び切っていない頃、

 街の広場で刑罰に処されていたオグマを見て、それを止めたことがある。

 この御方こそが王女の鏡だと、聖女のようだと後日におだてられたことを覚えている。

 私はただ、人の体を、人の命を所有物扱いする人間に反発しただけだ。

 オグマを『所持していた』男は父との話し合いで渋々手放すことになった。

 

 ガルダの港でオグマが強く反発したのは私をレウス様が所持物扱いしたからだろう。

 かつての自分を所持物から人間へと変えた私が逆の立場になったから。

 彼が激怒する理由は正当だ、と思う。

 

 けれど、最近私は別のことも思う。

 人は自らが誰かの所持物ではないことなどあるのだろうか。

 

 私は生まれてから王女として育てられていた。

 マルス様と結ばれるものだと思っていた。

 戦乱が深まっていく情勢を聞いてそれを平定する手伝いをするものだと決めつけていた。

 使えるだけの言葉を尽くして、

 時には必要以上のことを話して、戦列を共にする仲間を増やしていただろう。

 

 今はなぜ、そう感じていたのかもわからない。

 だから、『そう感じさせられていた』のではないかと考えていた。

 この世界に本当に神が在らせられるなら、私は神の所持物であったのではないかと。

 

 今の私は、今の立場を喜んで迎え入れている。

 戦利品(レウス様のもの)であるということを。

 

 今日、彼と話して納得できた理由を見つけることができた。

 私はあの日、マルス様が死んだ日から神の所持物から、レウス様の所持物になったとするなら、

 神の定めた運命よりも、今のほうが自由であると感じられていた。

 

 これから先の道は、マルス様が生きていたなら与えられていたものよりも険しいだろう。

 胸の中で音を立てて燃えている熾火のような、疼きまわるような感情が、

 そうした直感すらも喜びに変えていた。



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霊馬トレント

「ここまで来ればもう目と鼻の先だな」

 

 なだらかな丘陵地帯を進む。

 すぐに戻るとは言ったものの、なんだかんだそれなりの日数を掛けてしまった。

 それでもあの街が賊に狙われる可能性を潰すことができたのだから悪くない投資だったと思う。

 

「──レウス様、あれを!!」

 

 シーダの目の良さは、元が天馬乗りだったからか、オレよりも遥かに優れている。

 オレには何も見えないが、シーダのその形相からただ事ではないのはわかる。

 

「シーダ、何が見えた?」

「煙です。街から……、煙が!!」

 

 オレは走り出す。

 

「シーダ!レナを守りながら街へ向かえ!」

 

 言外にオレは足並みを揃える気がないことを伝え、全速力で走りだす。

 

 切るつもりはまだまだなかったが、今こそが切り時かもしれない。

 

 オレは指笛を鳴らす。

 周囲に霧が溢れ、より集まり、馬の姿へと変わる。

 

『霊馬トレント』

 凄まじい速度で大地を駆ける褪せ人の友。

 無限のスタミナを持ち、休むことなく走り、跳ねる。

 挙げ句、跳ねた空を踏んでもう一度跳ね跳ぶことができる芸当ができる。

 『霊呼びの鈴』と共に、オレにとって狭間の地を潜り抜けることができた理由そのものである。

 

 久しぶりのトレントが出す速度が、オレの焦りを鎮めてくれているようだった。

 だが、安心などしていられない。

 走れ、もっと速く走ってくれトレント。

 シーダが見た煙が煮炊きのものであってくれるならそれでもいい。

 

 街が見えてきた。

 

 ああ、クソッ。

 

 あの煙は狭間の地で見覚えがある。

 あれは戦火か、その残り火だ。

 街に何があった、オレが不在の間に何が。

 

 街の入り口までトレントは駆け抜けてくれた、オレは霊馬を霧へと還して街に転がり込むように入った。

 

 それに住民と避難民が力を合わせて作った多くの仮設住宅が崩されている。

 そこかしこで人々が倒れ、或いは呻いていた。

 見渡しながら、オレは見知っている人間の姿を探す。

 いない。

 ならばどこにいけばいい?

 

 駆けながら、考える。

 いや、この惨状が敵意あるものによる状況であるなら武器を構えておくべきか?

 敵が来る可能性を捨てて大声で仲間を呼ぶか?

 

 大通りの辺りに到着する。

 オレに人間性を損なわなくて済んだ、と言っていた男が死んでいる。

 不快感が胸の中で広がってくる。

 

 幾つかの道が合流した繁華街に到着する。

 拐われたものを連れてきたときにいち早くオレのところに来た街の長が死んでいる。

 不快感が指先にまで広がり始めるような感覚が伸びている。

 

 街の中心部まで来た。

 多くの人間が倒れている。

 その亡骸はまだ、誰も手を付けることができていないのが街の惨状を端的に示している。

 

 亡骸たちの中心に見覚えのある剣が転がっていた。

 王家の手習いだと言っていたレイピア。

 無理やり教えられたのが役に立ったと笑っていたのを思い出す。

 

 遂には不快感が足の、指の先まで浸透した。

 走ることができた。

 まるで大酒を飲んだあとのような千鳥足でレイピアへと近づく。

 

「ああ、ああああ……」

 

 そこに、彼女がいた。

 シーダとそれほど年齢が変わらないのだからと子供扱いを怒った少女が。

 誰より早くオレ自身のことに踏み込んできた少女が。

 進むべき道がわからないことを告げたときに、見ていなかった可能性を教えてくれた少女が。

 

『早く戻ってきてね』

 

 そういってオレたちを送り出した少女が。

 フィーナが。

 

 細い体に矢が突き立っていた。

 

「なあ、おい……ウソだろ……?」

 

 信じられない。

 なにかの冗談だろう。

 彼女の体を抱き寄せる。

 くてん、と腕が垂れ下がった。

 まるで人形のようだ。

 

「おい、……フィーナ?

 帰ってきたぞ、なあ

 そりゃあほどほどに急ぐって言ったけど、一日とかそこらで到着できる距離じゃないって

 早く戻るって約束を破ったのを怒ってるんだったらこんな悪ふざけじゃなくて、

 普通にさ、声を荒らげたりするでいいじゃねえか」

 

 少女は何も言ってくれない。

 

 頭のどこかじゃわかってるんだ。

 

 彼女は──

 

 もう死んでいるんだってことを。

 



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落ちた葉が伝えている

 どのくらいの時間、フィーナの体を抱きしめていたかわからない。

 オレの温もりが彼女に移ってまた元気な姿で話しかけてくれるんじゃないのかなどと、思考をしていたのだけは覚えている。

 

 意識が錯乱した状態から正常寄りに浮上したのは馬蹄の音が聞こえたからだ。

 

「そこの騎士……、聞こえているか」

 

 馬蹄の音は止み、騎手であろうものが降りてから声をかけてきた。

 

「……ああ」

「その姿とその状態、この街に故あるものと見受ける」

「……」

「この街の倉庫はどこか」

「倉庫?」

「ああ、一通り探したが見当たらない

 この街の規模であれば蓄えがあって然るべきだ」

「蓄えなんてないと思うぜ、避難民への炊き出しに使っちまったはずだからな」

「そ……そうか、炊き出しに……」

「なんでそんな事を聞く?」

「ああ、名乗り遅れた

 俺はザガロ、オレルアン狼騎士団の騎士だ

 この街には戦時であるから徴発のために来た」

 

 戦時の、徴発?

 

「この死体の山は……どうした?」

「……それは……うむ……徴発に対して街には何もないと言い張って」

「それで?」

「我らに対して、出て行けと、この街を守ることもしないで徴発などふざけるなと衝突寸前になった」

「……」

 

 絞り出すように、続けろ、とだけ発音する。

 いや、発音できたと思う。

 

「その少女は我らと街の者との間に割って入った

 剣を抜き、構えて、

 何かあれば自分は彼らを守らねばならない、

 戦いになってほしくないから帰れ、と」

「それで」

 

 オレはフィーナに刺さったままの矢を引き抜く。

 

(これ)をくれてやったって、ことか?」

「俺が射ったわけではないが、いや……」

 

 含むような、或いは飲み下すように言葉を切る。

 

「どうあれ、ここでの物資の徴発は我らオレルアンがマケドニアを倒すために絶対に必要だったもの

 アカネイア王国救済にも繋がり、この大陸をも平和にするためにも」

「そのために……フィーナは射たれた、のか……?

 大陸の平和(そんなこと)のために?」

「いずれハーディン様がそれを成し遂げる、そのためにもここでの犠牲は」

「必要なものだった、のか」

「ああ……そうだ」

 

 眠るような表情のフィーナを見つめる。

 死を象徴しているかのようなその表情を。

 聞き流したはずのバアさん(指読みのエンヤ)の言ったことを、朧気に想起していた。

 

 ───────────────────────────────

 

 ……█████は解き放たれた

 

 ██は、暗い死の運命に覆われ

 

 だがそれは、███をも焼いていく

 

 お別れだよ、あんた

 

 きっと、█████の王におなり……

 



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炎の紋章

「もう、いい」

 

 手に持っていた、フィーナの命を奪った矢を地面に落とす。

 

「もう……、どうとでも、なればいい」

 

 脱力した腕に何とか力を込めて、フィーナを抱きしめようとする。

 

 ───────────────────────────────

 

 ただならぬ雰囲気を察してか他の狼騎士団の団員たちが集まってくる。

 

「どうなさりました、ザガロ様」

「いや……」

 

 この状況に掛ける言葉を見つけられないザガロはただそう返すだけであった。

 少女を抱く騎士の姿が悲痛であったから、

 自分たちの行いの間違いに気がついていながらも止められなかったことを謝罪したいと思っていても、それを受け入れてくれるはずもないことを理解しているからか。

 どうあれ、ザガロは行動どころか、声を発することも忘れてしまったようだった。

 

 それきり黙ってしまったザガロに代わり、団員たちが状況を進めようとする。

 

「ああ、あの子供ですか

 ウルフ様の邪魔をしたのが運の尽きでしたね」

「騎士のような風体だが……おい、貴様

 この街の人間であれば蓄えを隠している場所を知っているのではないか」

 

 騎士も言葉を返さない。

 団員は頭の横で指を回すようにして周りに「物狂いか?」と聞くようなジェスチャーをしたが、

 周りは肩をすくめるだけだった。

 その団員は少し強引にでも聞くべきだとして、騎士の肩を掴むと強引に向き直させようとする。

 

 騎士は抱きかかえる以上の力を失っていたのか、少女の亡骸がするりと零れ落ちて、(したた)かに地面に叩きつけられた。

 

「死者は何も語らん

 我らに必要なのは物資を徴発することを手伝える生者だけだ」

 

 『死者』というワードで何か刺激されたのか、騎士はああ、あああと声を漏らす。

 漏らした声がそのまま連なり、やがてその声量が上がっていく。

 

「ああ あああ ああああッ!!!」

 

 その声と同時に、騎士の背後に円と、それを貫くような線が刻まれた光が現れる。

 それは一つではなく、次々と。

 七つの『それ』は重なり合って、一つの紋章のようにも見えるものへと転じた。

 

「な、なんだ!?」

「ザガロ様!ただごとではありません!」

「お下がりください!!」

 

 やがて、一つとなった紋章の中に黒色の、歪な十文字が浮かび上がる。

 紋章は金と黒、そして赤を伴って燃えるように揺らめいている。

 

 騎士が纏った甲冑が紋章に呼応するように、所々から黒と赤の炎が漏れ始めていた。

 

「████」

 

 床に転がってしまった少女を抱きかかえようとする。

 鎧から漏出する炎が亡骸に触れると、その体は砂か霧になるように消えていく。

 

「████……」

 

 抱きかかえていた手をゆっくりと握る。

 

「████ーーーッッ!!」

 

 騎士は自らにこびりついた人間性を吐き捨てるように、獣のような咆哮を上げた。

 叫びに従うように鎧そのものがもう一つの皮膚にでもなるかのように、形状を変えていく。

 その姿はまるで吟遊詩人が語る獣人(マーナガルム)を思い起こさせた。

 

 鎧姿の獣人──より正確にその姿を表して言うなれば『獣騎士』だろうか──が腕を振るう。

 近づくなと言いたいのかと、団員が思った次の瞬間に彼らは寸断されていた。

 切れ味がよほど鋭かったのか、出血は数拍遅れた。

 

「ざ、ザガロ様を守れッ!」

 

 団員たちがザガロを自らの後ろに追いやり、武器を構える。

 

 獣騎士は掌を上に向ける。

 周囲から鋭利な石が自らを呼ぶ飼い主の元に身を寄せるように掌へと集まる。

 

「回避だ、回避しろ!」

 

 ザガロは狼騎士団でもハーディンの近習を任されるほどの人材である。

 戦場での勘働きは騎士団内でも屈指と言える。

 

 その言葉と同時にザガロと、幾名かが回避行動を取る。

 だが、多くの団員は次の瞬間には体中に風穴を開けられていた。

 

「投石……!?いや、は、速すぎる!」

「ザガロ様、馬にお乗りください!ここからお逃げくだざっ」

 

 甲冑の隙間から漏れ出た赤と黒の炎が剣の形を成し、獣騎士の手に収まっていた。

 それを団員は顔面に叩きつけたのだ。

 命を奪うと、役目を終えたと言わんばかりに剣は炎へと代わり、やがて消える。

 

 一瞬のことで頭が真っ白になりかけたが、ザガロは直ぐに乗馬する。

 

「ハーディン様をお守りください!我らの国(オレルアン)をお救いください!」

 

 団員たちがザガロに叫ぶ。

 命を懸ければ数瞬は時間を買えると考えたのだ。

 

 ザガロは彼らにかける言葉を探そうとしたが、それは止め、馬を走らせる。

 次々と団員たちが集まってくる。

 その流れに逆らうようにザガロは駆けていく。

 半分ほどは狼騎士団の団員ではあるが、もう半分はオレルアンのために立ち上がった民兵たちだ。

 彼らの命を使い潰してでも、あの怪物の事を報告しなければならない。

 そして、怪物が何かしでかすまえにオレルアンとアカネイア両国を取り戻して、あれを倒すだけの力を得てもらわねばならない。

 

 あれは死そのものだ。

 

 ザガロは死という概念の中心に立ってしまったからこそ、そう直感した。

 彼はこれ以上無い正解を引き当ててもいた。

 

 それは、あらゆる概念()を殺し尽くす、死そのものである。

 



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徴発

「これは、どういうこと……?」

 

 シーダとレナが到着したそこは一面、白い砂漠のようであった。

 その光景にシーダが困惑した声を漏らす。

 

「これは、灰、ですね……」

 

 レナが白い砂のようなものに触れて確かめる。

 

「街が燃えたとしても、こんな風には」

 

 手の灰を払って、レナは周りを見渡しながら呟く。

 

「シーダ様、シスター・レナ……よくぞご無事で」

 

 リフが近づく。

 

「一体何があったのですか?」

「こちらへご案内します、説明はその後に」

 

 案内される先はかつては街の中心であった場所。

 そこに灰の山に呆然自失と座っているレウスの姿があった。

 傍らにまるで何かの墓標のようにレイピアが突き立っている。

 

「レウス様!?」

 

 シーダが駆け出し、呆けているレウスの肩を掴み揺する。

 何の反応もない。

 

「私が見れたものはそう多くはありませんが、お伝えいたします」

 

 リフは努めて冷静に話しはじめた。

 

 ────────────────────────

 

 勉強を教え、昼休みの時間となったのでリフは学び舎にしている小屋を出て、

 居住地として使っている別荘へと戻る。

 何やかんやと旅に付いてきてはいるが、本来であればお迎えが来ていてもおかしくない老齢。

 別荘の辺りは静かで、リフにとって午後の授業を始めるまでの体力回復には適した場所だ。

 

 戦乱がどれほど長く続くかはわからない。

 だからこそリフは自分が経験し、得てきたものを勉強という形で伝えていた。

 文字の読み書き、それができるものには簡単な算術、それもできるものには風土や歴史の話をした。

 

 揺り椅子にもたれかかってうたた寝をしていたリフが目を覚ました。

 原因は騒音だ。

 この辺りでは聞くものでもない、人々が叫ぶような。

 

 何事かとリフが外へと出て、騒音の中心へと足を向ける。

 街の中心辺りで騎兵と、馬廻りの歩兵たちが住民たちと言い争いをしていた。

 

 住民を代表して、この街の長が対応している。

 

「ですから、この街にはもうお出しできるものはありません」

「何度も言わせるなよ

 我らはハーディン様とオレルアンのために徴発に来たのだ

 ここで出せるものがないということは我らの敗北を願い、マケドニアに屈服することを意味しているのだぞ」

 

 居丈高に語る青年。

 周りの様子から見ても彼が徴発しに来た者たちの長であることがわかる。

 

「そうは言われましても、無いものはありません

 我らとて次の冬を越せるかもわからないのです」

「越冬できぬかもしれないのに、避難民を助け、炊き出しをしたのを信じろというのか?」

「ええ

 我らとて最初は見放そうとしました、ですがレウス様ご一行によって考えを改めました

 確かに今我らの手元には越冬できるだけの準備はありません

 ですがレウス様を信じれば、道は切り開けるものと確信しております」

「知らん名だが、それよりも、オレルアンの臣民として貴様はハーディン様よりもそのレウスとやらを信じ、我らには何も力を貸さぬ、そう言いたいわけか!」

 

 そう言っているわけではないが、忠臣からすればハーディンへの侮辱同然だと判断したのか、弓を手に持った。

 

 割り込むように、街の長と弓騎士の間に少女──フィーナが立ち塞がった。

 

「だれもそんなこと言ってないじゃない!」

「なんだ小娘、お前も」

「ハーディン様が何をしているのかなんてわたしたちは知らない!」

「貴様、オレルアンを誰が守っていると……」

 

 ハーディンの近習であるからこそ、彼はその数多の苦労を知っている。

 フィーナの言葉は無理解極まり、とても許容できるものではなかった。

 

「う、ウルフ、少し冷静になるんだ」

「ザガロ、お前はハーディン様を愚弄されて黙っているつもりかッ!」

 

 ウルフと呼ばれた青年がなだめられている一方で、

 フィーナも少し遅れて現れたマリクが立っていた。

 

「フィーナさん、危ない真似してはいけませんよ!」

「でも!」

 

 騎士の一団もどうようにヒートアップした結果か、

 

「もういい!徴発せよ!

 どうあっても、我らはマケドニア軍を破らねばならない!

 我らが汚名を被り、ハーディン様の勝利に貢献できるというのならば、そうするべきなのだ!」

 

 その声にウルフの後ろにいた団員たちが動き始めようとし、

 

「ふざけるな!!」

 

 住民たちも団員を止めようと動こうとする。

 

「街の人にひどいことは止めて!!暴力を振るうって言うなら、わたしが戦う!!」

 

 レイピアを引き抜き、構える。

 

「くっ……」

 

 武器を構えられてしまえば、弓を構えないのは騎士としての沽券に関わる。

 愚かな話かもしれないが、この地の士道とはそういうものなのだ。

 瞬きほどの間にウルフは弓に矢をつがえてフィーナへと向ける。

 

 勿論、フィーナもウルフもお互いを傷つけたいわけではない。

 

「どうしても、退いてくれないの」

「お前こそ何故それほどまでに抵抗する」

「……私は、この街を守るように大切な人(レウス)に頼まれたから」

 

 その眼差しはウルフにとって眩しすぎた。

 かつてのハーディンと自分たちを重ねるのに十分なほどに。

 

「ハーディンの犬は出て行け!」

「徴発反対!」

「貴様ら、許さんぞ!」

「持っている分を出せッ!」

 

 フィーナとウルフの睨み合いをよそに取っ組み合いが始まる。

 それに一瞬気を取られたのが致命的だった。

 どちらから投げられたものかもわからない。

 だが、投石がウルフへと当たり、つがえられていた弓が射たれ、フィーナの心臓へと突き立っていた。

 本当に一瞬の出来事で、当人たちはもとよりマリクとザガロもそれを防ぐことができなかった。

 

 どさ、とフィーナが倒れると、広場は怒号に包まれた。

 一度火が付いた怒りは簡単には止まらない。

 オレルアン軍に対して農具で殴り殺された同僚を見て、槍で住民を突き殺し、住民は置いていた兵の武器で──

 

 何とか射たれたフィーナに近づこうとするリフであったが、狂乱状態となった民衆に押し退けられ、外へ外へと運ばれてしまう。

 

 ────────────────────────

 

 矢を射ってしまったウルフ。

 ザガロはその状況が読み込めなくなっているウルフを正気に戻すべく近づく。

 一方で、マリクは目の前で倒れたフィーナに、その場を見ていないはずのマルスの最期を重ねていた。

 

「お前はどれほど近くに仲間がいても、助けることなどできないのだ」

 

 運命にそう言われた。

 マリクはそれを聞いていた。

 無論、それが本当に何者かがマリクに語りかけたものかは誰にもわからない。

 だが、マリクがそう思ってしまったことだけは事実であり、

 

「ぼくは」

 

 虚ろな目をマルス(フィーナ)からウルフに向ける。

 

「守れない、助けられない……なら、奪うものを、奪われたあとに──」

 

 錯乱の中で言葉をつぶやきながら、ゆらりと片手をウルフへと向けた。

 

「エクス……──」

 

 膨大な魔力が練り上げられる。

 

「ウルフ!」

 

「カリバアアァァアァッッ!!」

 

 ザガロの叫びにウルフがすんでの所で気が付き、マリクが放ったエクスカリバーを回避する。

 だが、完全に避けきれたわけではない。

 弓と、それを掴んでいた腕、半身がずたずたに切り裂かれていた。

 

「ウルフ、離脱するんだ!」

「……ザガロ、後を任せた」

 

 愛馬も負傷はしているが、ターゲットが明確にウルフに向けられていたからか、走るのには支障がない。

 無事な方の手で手綱を操って、駆け出していく。

 

「待て、逃げるな、待て、……待て!!」

 

 マリクがウルフを追って走り出す。

 馬の足に追いつけるはずもない、

 ザガロはマリクをどうにかするよりも、街を包むこの状況をなんとかせねばと周りを見渡した。

 



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 現在のオレルアンは繰り返し行われた激戦と、予想を超えた戦局の長期化によって平時とは異なる状態でいることを強いられていた。

 

 オレルアン軍部が管理するオレルアン軍、

 王弟ハーディンが率いる狼騎士団、

 オレルアン各地から集まった民兵、

 オレルアン王が雇いあげた傭兵、

 ニーナを慕って集まったアカネイア兵、

 

 オレルアン軍そのものはほぼ機能しておらず、オレルアン王の守護を何とか維持しているに過ぎない。

 現在、オレルアンの軍権を実態的に握っているのはハーディンであった。

 国内外に強い求心力を持つ狼騎士団がマケドニア軍に対して戦果を上げるたびに各地の民兵が傘下にと馳せ参じる。

 ハーディンの近習であるウルフ、ザガロ、ビラク、ロシェこそ健在であり、マケドニア軍相手に優勢に立ち回っているが、

 狼騎士団全体で見ると、戦いのたびに数を減らしている。

 

 指揮官の数の差である。

 

 オレルアンはその領土を取り戻さねばならないという命題以外に、

 西のグラ、

 南のアカネイア、

 そしてマケドニア本国からの侵略を止めねばならない。

 

 それぞれの侵略部隊の指揮官はその仕事を任せられるだけの能力を持つものが派遣されている。

 一方で、狼騎士団にはハーディンと近習の四人を除くとそれら侵略軍相手に立ち回れるだけの指揮官がいないのだ。

 小規模の遊撃隊を中心とした部隊で立ち回りはするも、

 数と指揮官の差でじりじりと団員の数を減らしていた。

 

 減っていった騎士や団員の代わりとなるのが民兵と傭兵、そしてアカネイア兵である。

 

 侵略者撃退のためであれば苛烈な手段をも厭わない民兵と、

 戦略眼のないオレルアン王の目先しか見ていない指示に従う傭兵と、

 ニーナ王女のためにと独断で動くアカネイア兵。

 

 平時であれば厳しい軍規で縛り上げ、纏められている狼騎士団の現状は常とは大きく姿を変えていた。

 

 声に圧されるようにしてウルフたちは徴発へと向かう。

 戦時において徴発は珍しくない行いである。

 だが、今回のそれは民兵、傭兵、アカネイア兵が主動となって行おうとしたものを、

 近習であるウルフたちが監視するためもあって同行することになった。

 

 ウルフはハーディンのことを敬愛しすぎていた。

 オレルアンの民の全てが自分と同じように考えているはずだと思っていた。

 

 南部の街が何者かによって解放されたと聞き、諸手を挙げて歓迎される。

 徴発とは言っても、マケドニア軍が残した多くの物品をそのまま渡してくれる。

 それが当然のことだと思ってしまっていた。

 

 ただ、ウルフの盲目的な敬愛が全ての元凶であったかと言われれば、ザガロはそれは否定したかった。

 ならば、どこから間違っていたのか、どうすれば名誉と秩序ある狼騎士団が狂わずに済んだのか、

 ザガロは逃走の中でそれを考えないではないが、

 今はあの怪物をどう伝えればよいのかに脳の処理の殆どを使っていた。

 

 ────────────────────────

 

 リフは人混みに押され、倒され、当たりどころ悪く気を失っていた。

 次に目を覚ましたときにはレウスが獣の如くに咆哮し、姿を変えていたとき。

 それは一方的な蹂躙だった。

 

 『運良く矢が当たった』などと言うことが起こり得ない。

 たとえ後ろから射ったとしても、まるで背に眼でもついているかのように転がって避けてしまう。

 避けた先で腕を振るえば団員たちは細切れになり、逃げる背に石の礫を打って殺した。

 やがて、背に浮かぶ燃えるような不気味な印は、溶けるようにして黒と赤の炎を大地に拡げていった。

 

 それに触れたものは生きていたものであれば分解し、灰へと変えた。

 それに触れたものが自然によって以外で作られたものであれば分解し、灰へと変えた。

 まるでびっしりと描かれていた街の風景画が白く白く塗られていき、何も存在しないキャンバスへと強引に戻されていくように。

 

 生きていたものがいないではないが、その光景に恐怖し、どこかへと走っていった。

 何とか呻くことができる程度だけ生きていたものはまるで死者と断じられたように灰に変えられた。

 リフはそれらを何とかしようとし、何を尽くしても無意味であることを悟った。

 

 一面を灰に変えた頃、死体の山だったもの(灰の山)の上までレウスは歩き、どこからか取り出したレイピアを突き立てると、それが最後の体力とでも言わんばかりに膝を突いた。

 背に浮かんでいた紋章は消え、鎧もまるでそうした生物であるかの如くに元の形へと戻っていった。

 

 シーダとレナが()に踏み入ったのはそれと殆ど同じタイミングであった。

 



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メリナ

あーあ。

派手にやってるなあ。

 

オレの感想はそのくらいだった。

狼騎士団の皆さんを灰に変えて、街も何もかも灰に変えて、変えて、変えていった。

 

暴れ狂っているオレを、希薄な感情で見ている。

それは俯瞰しているようでもあったし、映画館で上映されたものを見ているようでもあった。

 

やがてオレは灰の山に膝を突いて、どうやら意識が消えたのか、この空間そのものも暗く暗くなっていった。

 

「暇そうね、貴方」

 

久しぶりの声がした。

 

「えーと、あー……──メリナ」

「随分な間の開け方ね、こいつ誰だったっけって顔されるのは流石に心外なのだけれど」

「なにぶん、多くのことを聞き流してたもんで」

「はあ……どうして私は貴方と取引を持ちかけたのかしら」

「いやいや、お望み通りにしたろうよ」

「どこが」

 

オレが狭間の地にあって、数少ない話したことのある相手だ。

いや、話したといっても聞き流していたことが大部分だけど。

大分前に美人が殆どいない世界とはいったが、メリナはその例外の一人だった。

当たりがキツいのはオレが話半分で過ごしたせいだろう。

 

「それ」

 

オレの背を指差す。

その背には未だ輝くものがあった。

 

「貴方は狭間の地を選ばなかった、律を作り出すことができたのに、

それをこの世界に持ち込んだ」

「あー……やっぱ大ルーンなんだな、これ」

ルーン(欠片)ではなくて、その全て()よ」

「律って、黄金律とか、そういう?」

 

話半分のオレは多くを知らない。

ただ、狭間の地は終わりを迎えていて、次に進むために王を探していた。

王になるには大ルーンとかいうものを集め、現在の王をはっ倒す必要があるんだとか。

で、オレはその大ルーンを全部集めて、ラダゴン(当時の王)を倒して、

 

「あー……」

「ようやくわかったのね」

「どれも選ぶこともなく、修復もしないでほっぽりだしたってことか」

「それよりも最悪よ」

 

長話になる。

オレはそれを直感した。

メリナがオレの横に座ったのだ。

こうなると絶対に長話になるのをオレは知っている。

その長話の内容をまったく覚えていないから当たりがキツいんだろうな。

 

「貴方は世界の法則そのものをどうとでもできる権利を有したまま闊歩している」

「あー、もう少し噛み砕ければ」

「……」

 

冷たいまなざし。

諦めたようにため息を吐くと、メリナは続けてくれた。

 

「あなたは狭間の地に新たな律をもたらすものになるはずだった」

「狂い火以外ね」

 

じろりと見る。

『狂い火の律』は全ての生を失わせて、混沌の状態にするためのものらしい。

話半分なオレに対してメリナは肩を掴んでそれだけは止めろと言ってきたから覚えている。

おそらく、それ以外の律であれば彼女は構わなかったのかもしれないが、

そもそもオレはその複数ある律のこともわかってなかったのもあるが──

 

なにより、それは自由ではなかった。

 

「わかっている、貴方が本当に欲しかったのは選択肢ではなく、それそのものを作る権利だったのでしょう」

「……ああ」

「気がつけなかったことは悪かったって思ってるから、わざわざこうして『ここ』に現れた」

「『ここ』はなんだ?」

「『それ』の中よ」

 

背中のを指して――

 

「貴方と一緒に世界を渡ったせいで変質はしているから、

 ルーンではなくエムブレムと呼ぶべきかもしれないけれど」

「この中にオレもメリナもいるってこと?」

「ええ、そう

 貴方があの光景を見ても感情が揺り動かされないのも、ここは完全ではないにしろ、止まっている世界だから」

「出た、曖昧表現」

 

じろ、と睨まれる。

 

「曖昧表現じゃない

 端的に言っただけ」

 

ふてくされながらも説明を続けてくれるようだ。

 

「……エムブレムは本来の機能として律を施行し、世界そのものを形作る

 その機能を選ばずに進んだせいで世界そのものが形を取ることなく停滞している」

「その止まっている世界には持ち主であるオレと、オレと取引をしたメリナだけしか住民がいないってことか」

「そう」

「止まっている以上、情動とかも薄くなるってことね

 フィーナが理不尽に殺されて、頭おかしくなるレベルでキレてたのに、今は穏やかなのがその証拠でもある……か」

「でも、情動の類がゼロ(ニーヒル)にならないのは完全に止まった世界ではないから」

「そんじゃあ、このまま何もせずにずーっと持ったままだったら別の律が生まれるのか?」

「私たちが知っている数字よりも遥かに大きな数に相当する時間が流れればそうかもしれない

でも、現実的ではない」

「で、オレとお話してくれてるってことは何かしらのヒントをくれに来たって思ってていいんだよな」

 

現状説明もありがたいが、それだけで喜ぶ褪せ人じゃないことをメリナは知っている。

だからこそ彼女もええ、勿論、と頷いた。

 

「あの少女も言っていたでしょう」

「フィーナか?」

「ええ、アリティア軍がないなら、貴方がそうなればよい、って」

「羆みたいなこと言ってたよな」

「……羆?」

「なんでもない」

 

続けるけど、とメリナ。

 

「言われたでしょう、あの方(指読みのエンヤ)にも」

「あー……そうだな、言われた

 王になれって」

「世界を(うつ)ってしまったけれど、貴方の仕事は終わってない」

「王にならないとこいつ(エムブレム)は使えないのか」

「ええ、たった一人の王という自認こそが鍵になっている」

「そうかい……まあ、そうだな──」

 

オレはいつかのように、彼女の手に触れた。

 

「メリナにも言われたしな、きっと王になれるって」

「案外覚えているものね

 聞き流してるかと思ったけど」

 

メリナはオレの手を包むように握った。

 

「私は今、新しい使命を得た

 そうしてようやく初めて貴方の巫女になれた

 貴方が王たるものになり、エムブレム(新たなる律)を開くその時まで

 どこよりも遠く、どこよりも近いこの場所で貴方を見ている」

 

ゆっくりと意識が拡散していく。

 

「自由という苦痛に耐えて歩き続けて、王になりなさい」

 

消えていく意識とは裏腹に、巫女(メリナ)の声が鮮明に聞こえた。

 



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HPが半分以上なので怒りません

「──ッ!」

 

苦しい!

 

「げほっ、ごほ、おえっ」

 

むせる。

肺が潰れるようだ。

なんとか呼吸を整える。

 

視界が明滅する。

なんだ、ここ、どこだ?

明滅が消え、視界は安定していく。

 

オレは、……メリナと話してて、いや、フィーナが死んで、……。

 

「レナさん!こちらへ来てくださいますか!」

「どうしました、シーダ様……レウス様がお目覚めになったのですか!?」

 

そうだ……。

思い出した。

オレは……、

 

「レウス様!」

 

どん、とやや重く鈍い衝撃のあとに柔らかさと、何とも表現しようのない芳しい香り。

シーダがオレの胸に飛び込んできたのだ。

 

「シーダ、」

 

レナはシーダの後ろに侍っているが、どこか泣きそうな、安堵したような表情だ。

 

「レナ……」

 

オレは呼吸を整え直してから、

 

「おはよう」

 

ついでに抱きついてきたシーダを抱きしめ返すことにした。

幾ら戦利品(オレのもの)扱いしていても、こういう機会でもないとこんなことできんからね。

細くて、でもしっかりとした感触。

切った張ったみたいなことでしか人体なんて感じたこともない人生なので、何ともこう、新鮮だ。

 

────────────────────────

 

オレは随分と眠っていたらしい。

シーダが感極まって飛びついてくるくらいには。

 

今逗留しているのは旧アリティア王国と、グラの国境線近くの街らしい。

随分と遠くまで来ているが、意識のないオレを連れて山越えは難しいと判断し、サムスーフを越えるのを断念。

何とか近くの村まで運んだあと、いつぞやの行商が通りがかったことで逗留が可能そうな場所まで運んでもらったのだという。

女二人に老人一人でよく甲冑装備のオレを運んだもんだと思う。

本当に、相当に苦労をかけた。

 

逗留する上での条件は戦の匂いが薄い場所。

旧アリティア連邦は既に解体、グラはそもそも戦力として積極的に戦いを仕掛けるほどの力も野心も持たない。

勿論、弱腰を見せれば隙になるからか、オレルアンには侵略軍を向けた体で小競り合いで済ませていたようだが。

 

さておき、

 

そうした理由からアリティア・グラ国境線近くの街で逗留することになったという。

オレが寝ている間、レナとリフは持たせていたライブの杖を使って治癒を生業としていたらしい。

シーダも生活費を稼ぐために商人の元で仕事を受けていたらしい。

王族として高等教育を受けていたお陰か、算術が大いに役に立ったようだ。

彼女は何不自由ない暮らしをしていた故に初めての労働となったが、

 

周りを見渡す。

オレの纏っていた甲冑一式以外に、レイピアが大切に保管されている。

リハビリが必要かと思いながら、緊張して体を動かしたが不自由がない。

今も褪せ人の肉体であるというわけではないのだろうが、それでも特別製は特別製のようだ。

 

「レウス様、フィーナは」

「……ああ、わかってる」

 

レイピアを掴み、刀身を抜く。

曇り一つ無い。

よく手入れされている。

 

「大丈夫だ」

 

あの空間から、情動というものが波のように寄せてきた。

怒りだ。

どんな事情があろうと、フィーナを殺したことは揺るがない。

だが、この怒りは大切に残しておく。

 

オレはシーダとレナには見えない角度で留まりきらぬ怒りを表情に漏らしながら、

少しずつ息を整える

もう大丈夫だ、あとはいつもみたいにへらへらしてりゃいい。

それができるくらいには落ち着いた。

 

「おお、起きなされたか、騎士殿」

 

ジイさん(リフ)も安堵した風で、少し遠巻きにオレを見ている。

シーダやレナのような距離感でいられても困るしな。その配慮はありがたい。

 

「これからのことを話したい」

 

レイピアを鞘に納めるとオレはそう三人に切り出した。

 



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羆になろう

「国をオレのものにする」

 

 唐突な発言。

 が、シーダもレナも、リフすら特に驚いた表情はしなかった。

 驚き役の一人でも欲しくなるな。

 

「フィーナさんのおすすめですものね」

 

 レナがたおやかに微笑む。

 

「ここまで来たのなら、この老骨にできる範囲のことはお手伝いしますとも」

 

 リフが己の禿頭を撫でるようにしながら「ただ、若いもののようには働けませぬゆえ、ご留意くだされや」と笑う。

 

「シーダ、お前にはどうとかは聞かない」

「はい、私はあなたのものですから」

 

 その言葉がオレにとっての安心になることをシーダはよく理解しているのだろう。

 実際その通りだし、シーダの優しさに甘やかされている自覚がある。

 

「とはいえ、一言に国を持つと言っても……どのように?」

 

 オレの夢想どころか妄想めいた目的にも真正面から聞くのは暴れ狂っていた獣騎士(オレ)を見ているからだろう。

 アレを軽率に引き出したいとは思わないが、単純戦力として考えれば一人で国を壊せるだけの力はある。

 特にあの炎は(ローデイル)を滅ぼしているわけだしな。

 が、滅ぼすのと持つのはまるで違うことだ。

 臣民あっての国。

 人が付いてきてこその国である。

 

 メリナに言われて王を目指しはするが、狭間の地と違って暴力で王になれるわけでなし。

 いや、あのメリナ(黄金樹放火魔)のことを思うと、暴力で全て解決できると思っている節はあるかもしれない。

 

「オレを王にしてくれる奴を探す」

「シーダ様とご結婚なさるのですか?」

 

 レナの発言にシーダの顔色が細やかに紅潮する。

 モノ扱いには照れないのに、こういうあざとさがあるのか……。

 

「それも考えたが、タリスじゃ国としての格が足りん

 オレが必要としているのはアカネイア全てを支配できるだけの格だ

 ああ、別にシーダと結婚はしないってわけじゃないから安心しろ、ちゃんと責任は取る」

 

 細やかどころではなく紅潮する。

 これくらい明確に言っておかないと伝わるものも伝わるまい。

 

「狙うのはエリス王女だ」

「マルス様のお姉さまのエリス王女、ですか?」

「ああ、そのエリス王女だよ」

「ですが、彼女はアリティア失陥のときに命を落としたと噂になっています……」

「いや、生きている。多分。おそらく。きっと」

「だんだん曖昧になりますのう、騎士殿」

 

 うろ覚えな知識ではあるが、

 現在アリティアを支配しているバジリスのモーゼスがアリティア后リーザは殺され、王女はガーネフに引き渡したというような話をしていたはず。

 あのエリスの母親というならさぞかし美人であったろうに、もったいない。

 だが、それもゲーム的には中盤から後半に入るくらいの話。

 オレがそれなりに長い時間寝ていたとしたって、

 行軍なんかの時間と照らし合わせれば大した消費でもないはずだ。

 

「まだアリティアに捕らわれている可能性が高い」

「ですが、あそこは……」

 

 現在のアリティアは相当に戦力を残しているのは間違いない。

 各国を動員して徹底的に叩くのもわかる。

 

 本来は生き延びたマルスが反帝国の盟主となったわけだが、

 マルスの人望が厚いのは当然として、祖にアンリを持つという正当性は権力的・象徴的な側面からも極めて重要なわけだ。

 侵略側としてはアリティアには大義名分を持って立ち上がってくる可能性があると考えるだろう。

 

 だからこそ向こう数年、十数年はアリティアが元の気風を忘れるくらいまで支配できる程度には軍備は整えて然るべきだ。

 

 マルスがアリティアを奪いに来る頃には各国の勢いも全盛期ほどではなくなり、

 その影響もあり解放も現実的なものとなったんだろうが、

 現状の、各国が元気な状態であればそこかしこの国から派兵されていると考えていい。

 つまりオレの知っている戦力を遥かに凌ぐ状態だろうってことだ。

 

「問題は見当たらん

 いきなりアリティアを奪うのが無理ってだけでな」

 

 国を興す話をして、何を?といった表情の三人。

 

「暫く三人はこの街で生活しててくれ

 オレが帰ってくりゃどういうことか一発でわかる」

 

 三人を国を興す道連れにすると言った手前でいきなり待機を申し付けられたなら、

 思いっきり出鼻をくじかれる気持ちだろう。

 なので、オレはそれ以外に三人に目標を与えた。

 



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秘密の店

 シーダには現在手伝っている商人を起点として、商人のネットワークに潜り込むこと。

 レナには治療屋を続けてもらうこと。

 リフは治療屋でできるであろう厄介なファンを上手くブロックするように。

 

 それぞれに目的を与えた。

 

 レナは同じことを続けてていいのかと聞いてきた。

 シーダよりも目標ハードルが低い、というか現状維持だけでいいことに疑問があるらしい。

 

 ライブの杖で治療しないとならないほどの奴は戦闘に関わる奴も少なくない。

 オレたちが表舞台に出た時に支持者がいればいるだけいい。

 それが兵士になれる人材なら尚よい。

 

 自身の治癒の力を下卑た考えの道具に使われることに不満げな顔をするかなと思ったが、

 かしこまりました、そう普段通りに微笑むだけだった。

 不満をひた隠しにされて爆発されるのは怖いが、それを聞き出す暇は今はない。

 オレは持っていた山のような数のライブを全て部屋に置いた。

 

 ────────────────────────

 

 オレはシーダの紹介で、働いている商人のもとへと案内してもらう。

 

「シーダが世話になっていると聞いてな」

「あ~~!あなたがシーダちゃんのヒモの!」

「ですから、そうではなくて!」

「でも話を聞いているとヒモじゃないのさ」

「あああ!お気を悪くなさらないで!」

 

「安心したよ」

 

 オレの発言にヒモ扱いしていた商人とオレの気を逸らそうと必死なシーダがぴたりと止まる。

 シーダからするとオレはそこまで狭量な人間に見えるのか。

 ……まあ、オグマとのやり取りを考えれば売り言葉を料金三倍くらいで買っていたし、そうなるか。

 

「オレは暫く留守にする、その間シーダをよろしく頼む」

「このアンナさんに任せなさい」

 

 自分の胸を叩く。

 アンナ、アンナ?

 スターシステムなんだかカメオ出演なんだか世界を股にかける存在なのかわからん、あのアンナ?

 って、言ったところで怪しまれるだけだ。

 ただ、そのアンナであるとするならこれ以上ない信用がある。

 そうでなくともシーダ(箱入り王女様)を働かせてくれていたわけだしな。

 

「アンナ、か。改めてシーダを頼む

 っと、一方的に名前を知っているのは無礼ってものだな」

「レウスくんでしょ?」

「知ってんのか」

「そりゃあ毎日のように『今日はレウス様が寝返りを打ちました』だの、

『今日はレウス様がねごとを言いました』だの聞かされてれば名前は覚えるわよ」

「わーー!アンナ様!わーわーわー!!」

 

 薄ぼんやりと感じていたが、オレの側にいる二人の女性はもしかしなくても結構お高めの問題(湿度)を抱えているのでは?

 いや、まあ……実害もないしそれはいい。

 

「……まあ、生きているだけでえらい扱いされるの、オレとしちゃ悪い気持ちはしないからいいけどな」

「あらー、ダメな男の発言」

「自覚はある」

「自覚のあるダメ男はもっとヤバいわよ」

「かもな

 で、話は変えさせてもらうぞ

 アンナと馬鹿話(ファニートーク)を繰り広げに来たわけじゃない」

「私はそれでもいいけれどね、じゃあご用件は何かしら」

「ここじゃちょっと問題がある」

 

 話しているのはカウンター前。

 つまりは一般的な店舗の中だ。

 

「倉庫の中に入れてくれとは言わんが、それなりのスペースが欲しい」

 

 なら、こちらへどうぞとオレはアンナに先導される。

 シーダはオレの横に付いた。

 案外、こういう風に一緒に歩いたりするのってなかったりするな、と日常的動作に感じ入ったりする。

 

 ちらりと彼女の横顔を盗み見る。

 整った造作だ。

 これほど美しい女はそういまい。

 視線に気がついたのか、彼女はこちらを向いて微笑む。

 こういう表情一つで他人を落とすんだろうな。恐ろしい。

 

 案内されたそこは小屋だった。

 店主曰くに作ったはいいけど使っていない在庫置き場だそうだ。

 

「で、ここで何をするのかしら」

「ちょっと待っててくれ」

 

 オレは懐から次々と武器を取り出す。

 青狸もかくやという量の武器の山だ。

 いや、青狸もといったがあんな風に投げたりはしない、流石に鉄製の武器をポイ捨てするのは危険だ。

 ……あのロボットもヤバそうな道具を乱暴に扱っているのかもしれんが。いや、青狸のことはいい。

 

 元々、一つの街で自警団を作るために必要だと思って集めに集めた装備だ。

 スクラップ手前のものも少なくないが、そういうものは鋳潰してしまえばいい。

 今は戦時、武器の素材になるものは高騰していくだろうからな。

 

 あのときに倒したゴメスやガザックの手下、ハイマンの手下、ベンソンの手下を倒して奪ったものだけではない。

 サムスーフの砦で手に入れたものの行商が買い取らなかったガラクタも山ほどある。

 使い終わったきずぐすりの瓶だとか、何らかの手違いでファイアの書がフォイアの書になってて無用な紙束になっているものとかだ。

 サムシアンは何でもかんでも奪うわりに、金にならないものはそこかしこに纏めて床上収納(放り投げ)をしていたお陰でオレの懐はガラクタにまみれていた。

 だが、持ち運ぶものの数に制限のある行商にとってはガラクタでも、

 これだけの店を構えているのならばやりようがある。

 

 オレはアンナに対してガラクタの再利用をプレゼンしはじめる。

 やり手の商人であるアンナは最初こそ聞いているだけだったが、

 オレが考えもしないような方法で再利用を提案したりしてくれた。

 あっという間に数時間が経過する。

 

「ふー……で、レウスくんはこれを幾らで売ってくれるの?

 まったく、アイデアを先渡しにして、それを含めてガラクタに幾ら出させるかなんていうのは、

 商人泣かせなやり口だと思うなあ」

 

 ぶうぶうと非難の声を上げる。

 その態度は勿論、お茶目のたぐいであるのはわかるが、実際に悪辣な手ではあろう。

 ここで安く買えばアンナの持つ商人の看板に影響が出る。

 商人たちは金だけでなく、信用という通貨で仕事に繋げることは少なくないからだ。

 

「驚きの金額は……」

 

 勿体振るように溜めて

 

「無料だ」

「そんな怖い話イヤに決まってるでしょ」

 

 ただより高いものはない。

 全くその通り。

 

「金じゃなくて、オレが欲しいのは商人としての力なんだ

 アンナ、シーダを育ててやってほしい

 オレが戻ってくるまででいい、商人として最低限仕事ができる程度に」

「最低限、ね」

 

 このアンナがオレの知るアンナであるという前提条件はつくものの、

 アンナという辣腕商人に対しての最低限。

 辣腕であればあるほど他人に対する評価は高くなる、秘密の店の主(アンナ)ほどの商人のその最低限ともなれば、

 普通の商人では最低でも一流かそこに食いつける程のはずだ。

 

「働かせるのがシーダちゃんじゃなきゃ断ってるからね、こんな取引」

 

 どうやらこの取引はハナっから意味がなかったのかもしれない。

 アンナ曰く、シーダほどの商人の才能を持っている人間は他にいないのだから、だと。

 シーダの人たらしの才覚を考えれば納得するしかない。

 

「それはそうとして、鎧を見繕いたいんだが」

「それじゃ、戻りましょ」

 

 ────────────────────────

 

 オレが愛用している鎧を持ち込んでもいいが、

 次にやることを考えるとがちゃがちゃと音がなる装備は控えておきたい。

 盗賊めいたルックスの上から寝具にもなるという毛皮の外套をおすすめされた。

 その姿、完全に野盗の類。

 全身真っ黒だし夜盗の類かもしれんが。

 

「色々あるんだな」

「そりゃあもう、この辺りで一番の大店(おおだな)だもの」

 

 店に行っても手槍だけ買うだとか、行商人に会ってもライブの杖だけ買うとか、

 目的のものにしか目を向けていなかったのでこうして店というものを見て回る経験は、

 狭間の地を含めて初めてだ。

 前のところは露天商ばっかりだったからなあ。

 

 とは言っても、まあ、特段目を引くようなものはない。

 鉄装備、鋼装備、ファイアーの書、サンダーの書、ライブにきずぐすり、鉄塊……。

 

 鉄塊(グレートソード)……?

 

「こりゃあ、なんだ?」

「あー、漂流物だよ」

「漂流物?」

「港じゃ時々こういうのが流れ着くんだ、海を漂ってきたとは思えないくらいの状態の良さでね

 まるでどこかから逃げてきたみたいに現れる

 って言っても、それを含めても振り回せるような人はいないけどね」

「含めてもって、他にもあるのか?」

「前にはあったんだけどね、金色で綺麗なハルバード。

 アカネイアの貴族様がそれを聞きつけて買ってったよ」

 

 黄金のハルバード(ツリーガードさんも愛用)か?

 だが、売れてしまったものに見出すものはなにもない。

 今は眼の前のグレートソードだ。

 

「こいつ、持ってみても?」

「ふらついて店を壊さないでよ」

 

 掴み、握り、持ち上げる。

 こいつは……お約束を言いたくもなる。

 次にやることにゃ不釣り合いかもしれないが、持っておきたい。

 この手の特大武器はそのうちに必ず仕事が来る。

 

「非売品か?」

「不良在庫だよ」

「売ってくれ」

「ただでいいよ、ただで」

 

 勿論、それが真実ではないだろう。

 先程並べた諸々の売却品のおつりだと思ってありがたく頂戴した。

 鎧の代金とあとはきずぐすり、聖水、扉の鍵あたりもチョイスし、支払いを済ませた。

 それはそれ、これはこれ。

 これでヒモの印象を脱却……にはならないよな。

 

 身支度を整えたオレが店から出ると、シーダも後ろから付いてくる。

 起きないオレの世話をして、目が覚めたと思ったら街を飛び出す。

 たまったもんじゃねえよな、シーダからすりゃあ。

 

「後のことをよろしくな、シーダ」

「はい、レウス様もどうか……ご無事で」

 

 だが、シーダはその気持を飲み込んで、見送ってくれた。



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アリティアの夜陰

 アリティアまでは徒歩であればそれなりの距離もあるが、

 トレントに頼れば時間はかからない。

 枝と枝を飛び跳ねてみたり、多少の川幅なら飛び越えてみたり、

 何よりオレの意思と直結しているかのように動いてくれる。

 

 オレはアリティアを見渡せる場所まで来ることができた。

 幾つかの島によって構成されたアリティアは実に攻めにくい構造をしているように見える。

 だが、それは同時に逃げ道をも失うことを示していた。

 

 敵の数に関しては把握できない。

 そこかしこに砦があり、平時はそこに駐留しているのだろう。

 

 今のオレの目的はアリティア解放じゃあない。

 エリス王女だ。

 

 オレは夜を待つことにした。

 単身、夜陰に紛れればアリティア主城へ潜り込むことは難しくないだろう。

 見つかりそうになったら殺っちまえばいい。

 乱暴な手段だって?

 オレにはもう下がるような人徳と道徳(カオスフレーム)なんてないんだよ。

 

 ────────────────────────

 

 ザルかよ。

 

 オレはアリティアの裏口から侵入し、一息つけるところまで来た感想を漏らしそうになる。

 橋の上には検問めいたものは設けられていたものの、

 うたた寝している奴やら、カードに興じている集団であったりと士気の低さがありありと見えた。

 兵士の装備を軽く見た感じ、グルニア、ドルーアの兵士は多いものの、

 グラ、マケドニアの兵士もいる。

 

 士気の低さに関してはどの兵士も同程度だが、少し身なりのいい装備をしている連中……おそらく騎士かなにかだろうが、そいつらに関しては別だ。

 夜であっても命令を飛ばし、報告を受けている。

 何かあったから動いているというわけではなく、やる気のない兵士たちが多いせいで忙殺されているのだろう。

 かわいそうに。

 

 本題はここからだ。

 アリティアの城はゲームでやったときよりも遥かに広く感じる。

 しかも上下に階層が分かれているし、二階建てってこともあるまい。

 囚われの姫君がいるのは牢屋か、それともどこかの部屋に拘禁されているか。

 夜は短し、探せよ褪せ人。

 ……なんて、一夜で発見できるとも思えないので脱出経路なり、次の夜まで潜んでいられる場所なりも並行して探すべきだな。

 

 ────────────────────────

 

 地下、西エリア

 牢屋はあったがエリスの姿なし。

 というか、殆ど人影なし。

 ……竜の餌にでもされたか?

 

 地下、東エリア

 船着き場。

 といっても、大きなものではなくボートくらいの大きさまでだろう。

 だが、これは僥倖だ。脱出ルートの一つに入れていい。

 夜の時間は出入りがないからか、見張りもいない。

 

 一階、西エリア

 宝物庫と兵士たちの駐屯施設があるらしく近づけない。

 

 一階、東エリア

 玉座があるからか、兵士の数が多く近づけない。

 

 二階、西エリア

 豪奢な作りをした大部屋、それに上に行くための階段。

 大部屋は人を集めて何かを催すときにでも使っていたのだろうか。

 ただ、現在は使われていないらしい。

 机なんかも埃が積もっている。

 小部屋が幾つかある、そのうちの一つに潜むのはアリかもしれない。

 

 二階、東エリア

 警備が厳重。

 見回りは少ないが、出入りをがっちりと見張っている。

 

 三階、西エリア

 迎賓のための部屋などが存在していて、使われている形跡がある。

 広いバルコニーがあり、東側も同様の作りのようだ。

 ただ、使われているのなら長居は危険か。

 

 三階、東エリア

 直通するのがニ階西エリアからのみらしく、登れなかった。

 

 ……っと、メモと地図を制作していたら日が登りはじめてきやがった。

 潜めそうな二階西の小部屋で時間を潰すことにした。



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夜盗同然

 アリティア城、二日目の夜。

 

 状況に変化なし。

 二階、三階の東エリアの捜索をしたい。

 二階を真正面から進むのは透明にでもなれないと無理だろうが、三階には行ける。

 

 皆大好きトレントジャンプタイムだ。

 

 バルコニーからバルコニーの距離は常人ではとてもじゃないが渡れる距離じゃない。

 だが、走らせたトレントを飛ばし、更にもう一段飛べば余裕を持って着地できるだろう。

 音で気が付かれちまったら……ま、そんときはそんとき。

 

「よーし、こっそり頼むぞ、こっそりな」

 

 オレの気持ちが伝わっているのか、高く嘶くことはしない。

 はいはい、わかりましたよ、といった感じで顔を振るう。

 苦労をかけてすまんね、と馬体を撫でてから騎乗する。

 

 さあ、やってくれ!

 手綱を引くとトレントが猛然と駆け出し、ぱんっと飛んだ。

 そうして程よい高度で更に飛ぶ。

 

 トレントは見事に対岸に着地してくれた。

 オレは頼りになる相棒の首を抱きしめてから霧へと還した。

 

 バルコニーの先には部屋。

 元々はアリティア王コーネリアスの私室だったのかもしれない、見事な作りだ。

 って、ことはこの階層のどこかに他の王族の部屋もあるのか?

 もしくは厳重な警備をしていた二階東エリア(この階の一つ下)だろうか。

 

 部屋の外から音は聞こえない。

 とはいえ、扉を開けたらばったり、なんて状態は避けたい。

 『擬態のヴェール(変身アイテム)』でもありゃあ、やりようもあるんだが、あいにく手元にない。

 

 暫くして、意を決して扉から出る。

 デカすぎる扉のせいで音が鳴る。

 カチャ、キィ

 なんてもんじゃない。

 ゴチィ、ギギィ

 って感じだ。

 勘弁してくれ、潤滑油かシリコンスプレーをコーネリアスの部屋にあるかを探すべきだった。

 オレの不安をよそに見回りが来る気配はない。

 ならば探索だ、探索を続けよう。

 

 ────────────────────────

 

 この階はやはり王族の私室がある。

 

 最初に入った部屋は一番奥、王族の私室というのはその多忙さからか調度品はあれど私物と呼べるようなものは少ない。

 しかし、この部屋にはベッドの近くに剣が置かれていたであろうものがある。

 刀掛けみたいなやつだ。

 そこに本来あったであろうものがないことを考えると、ここはマルスの部屋と予想できる。

 異変を感じてか、それとも誰かが彼を呼んでなのかはわからないが、マルスは置かれていたレイピアを掴んで飛び出したのだろう。

 

 次の部屋はマルスの部屋と同程度の広さだが、正直、推理できるようなものはない。

 マルスの部屋やこの部屋もそうだが、人が入った形跡がないし、独立したバルコニーもあるので今日も朝日が登ってしまいそうになったらここに潜むのもありだな。

 中から鍵を掛けちまえばベッドでぐっすりと寝てもいいし。

 いやあ、今日は辛かった。褪せ人の体でも凝るもんだな。

 

 この階で目につく部屋は残り一つ。

 それ以外にもこまごまとした部屋はあるが、それらは王族のお召し物を保管する場所だったり、

 トイレであったり、調べてもピンと来るようなものはなかった。

 

 その部屋に近づいた辺りで来てしまった。

 物音だ。

 足音は一人分だ。

 名もなき一般人とか、お世話係のメイドさんとかそういうのであってくれれば楽だが……。

 

 物陰で息を潜ませる。

 致命の一撃(バックスタブ)で対処するしかない場合はそうさせてもらおう。

 オレはダガーをいつでも抜けるように準備しておいた。

 

 姿が見えてきた。

 口ひげを蓄えた、やや肥満体型の男。

 

 ホルサードか!

 

 アイツはアリティアを守護していたグルニアの将だ。

 場内になんで、と一瞬思ったが、そりゃ休むよな。

 そんで、寝るならいい部屋で寝たいから王族の部屋に来たのか?

 

 こちらに気がついた様子もなくホルサードは懐から鍵を取り出し、解錠する。

 そうして室内へと入った。

 オレはその背を追って扉へと張り付く。

 あいつから何かを聞き出せるかもしれない。

 簡単な質問(穏当な手段)がダメでも、丁寧に質問(血を見る手段)すればこちらの心も伝わるだろう。

 



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貴公も、知るがよい

「考えていただけましたかな?」

 

 ホルサードの声。

 その言葉から、どうやら寝に来たってわけでもないようだ。

 相手がいる。

 と、なるとモーゼスか?

 

「そのようなこと、許されることではありません」

「では、あなたを慕って今も反抗を行っている健気な反乱分子がどうなってもよいとお考えで?」

「それは……」

 

 女性の声。

 落ち着いた声音で、ややハスキー。

 側で囁かれたらさぞかし心地の良かろうことだろう。

 

「王族たるあなたが、この剣はファルシオンであると認めればよいのです

 そうなればアリティアは再びあなたとファルシオンの下で一つに纏まる

 あとはグルニアと条約を結べば再びアリティア王族として再出発ができるのですぞ

 悪い話ではないかと思いますがねえ」

 

 内容的に考えても、エリス王女だろう。

 どう考えても不平等条約結ばせて属国にする気満々だろう。

 

「あなたの言葉に従い、条約を結んだとしてそれが平等なものになるとは思えません

 あなたがたグルニアが欲しいのはアリティアという属国でしょう」

「当然、平等な条約にはなりますまい

 お忘れですかな、あなたの国は負けたのです、あなたもモーゼス様に引き裂かれていないのは私が待ったを掛けているからにすぎないのですよ」

「私は王族として、国を辱めさせるような真似は選択できません

 たとえ、この身が引き裂かれようとも」

「では、仕方もありませんな」

 

 ホルサードは諦めたように、

 

「その身を引き裂くなどもったいない

 あなたを辱めさせていただきましょう

 もしもわしの子を孕んでいただければ、あとはなし崩し的にことを進めることも」

「や、やめなさい、人を呼びますよ!」

「どうぞ

 ですが、この階には誰もおりませんし、階下にもわしの手下を見張りを立たせております

 誰も来ることはありません

 辱めよりもファルシオンの認定を選ぶのでしたらいつでも仰っしゃられよ、ひ、ひひひ」

 

 目的よりも下卑た欲求と笑いが漏れ出てるぜホルサードさんよ。

 エリスは戦利品(オレのもの)になる予定なんだ、脂ぎった手で触られたくもない。

 オレは扉をそっと開き、中へと入る。

 

「そこまでにしておくんだな、ホルサード」

「なっ、ど、どこから!?」

 

 この体格の男を切るにはダガーでは足りない。

 グレートソードじゃあエリスもろともになりかねん。

 外套から手品のようにキルソードを取り出し、抜き払う。

 

「賊だ、賊だぞ!出会え!」

「おいおい、ホルサードさんよ

 自分で言ったことを忘れんなよ、叫んでも誰も来やしねえんだろ」

「……く、う……」

「豚のようではなく、せめて騎士として殺してやるよ」

 

 オレはキルソードをもう一振り取り出し、ホルサードに投げ渡す。

 

「ばかな男よ、このホルサードの武芸を甘く見おって!」

「甘く見たんじゃねえ、それに武芸を見せるのはこっちの方さ」

 

 ホルサードとオレが踏み込み、交差する。

 

 一拍置いて、ホルサードが肩口から寸断され、血が間欠泉の如くに吹き出る。

 

「知り得たか、ってな」

「ホルスタット……あとは……頼んだ……」

 

 キルソードをしまい込む。

 ついでにホルサードに渡したやつも回収。お前の墓碑にするにゃあ勿体ないんでね。

 それにこれくらい時間かけりゃ乱れかけた服と居住まいを正す時間にはなっただろう。

 

 オレは改めてエリスに向き直る。

 大きな窓から注ぐ月の光が彼女を照らしている。

 シーダやレナとはまた違うたぐいの美しさだ。

 その佇まいからだけで既に深い優しさを感じることができる。

 ホルサードが暴走するくらいに、特定部位に関しては豊満であった。こりゃあ男を狂わせる。

 

「オレはレウス、あなたを娶りに来た」

 

 彼女は突然の発言にあっけに取られている。

 そりゃまあ、強姦されそうになって、その下手人が眼の前で真っ二つにされ、

 鉄臭い部屋んなかで告白されたらそうなるか。

 

「ホルサードみてえに辱めたり、ウソは吐かせたりしない

 あなたがアリティアと臣民、国の歴史を守りたいのならオレと共に来るべきだ」

 

 オレは一呼吸置いてから続ける。

 

「アリティアを……そこからはじめて、やがてアカネイア大陸を安んじさせるためにも、オレにはあなたが必要なんだ」

 

 彼女は少しだけ惚とした表情をしている。

 もうひと押しか?

 そんな所で声がする。

 

「ホルサード様!何事かありましたか!」

 

「おいおい……聞こえないんじゃなかったのかよ

 立てるか?」

「は、はい」

 

 オレは彼女の手を掴むとゆっくりと立たせる。

 この部屋はバルコニーがないのか……扉から出て走ってコーネリアスの部屋(仮)に、

 可能ならトレントでそのまま下に進む、ダメなら西エリアを突っ走って地上か水路か、だな。

 

「こっからは派手に行く

 絶対に守るから付かず離れずくらいの距離にいてくれ」

 

 彼女は頷く。

 理由があってここからは動けません、なんて言われたらどうしようかと思っていた。

 

「慣らし運転にはちょうどいいか」

 

 扉へと進みながら、オレは外套からグレートソードを取り出す。

 

「オォッ!」

 

 気を吐くように扉に対して大剣を振るう。

 扉の向こうにいた兵士たちは声をあげる暇もなく諸共に叩き割られている。

 こりゃあ、いい。

 

「行くぞッ!」

「はい……!」

 

 隠れんぼは終わり。ここからは大立ち回りして突き進むだけ。

 ここが狭間の地ならメッセージの一つも残しておきたくなる。

 

 *この先、死体があるぞ*



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アリティアの誤算

 ホルサードのお付きだろう。

 それなりの練度だが、眼の前で埒外の大きさを持つ鉄塊が振るわれ、

 音が鳴るたびに人体が肉片に変わる光景を見せられていれば心が折れる。

 折れて動かなくなった相手にも容赦なく鉄塊を喰らわせる。

 奮起されて後ろから襲われたくもないんでね。

 

 彼女を連れてコーネリアスの部屋(仮)に雪崩れ込む。

 

「怪我は?」

「あ、ありません……」

「グロいもん見せつけたことは謝る

 だが、暴力無しで解決する手段ってのを持ち合わせてなくってな」

「いえ……」

 

 オレの行いに対する否定はないようだ。

 コーネリアスを殺し、国を奪った連中だ。

 復讐心ってのがあって、それが少しでも満たされたのならオレにとってはありがたい。

 そいつを餌にして引き込むって手段もあるしな。

 何も絶対に娶らないといけないってわけでもない。

 

「派手にやってくれたな、勇者気取りよ」

 

 掠れてはいるが、声量がないわけではない。

 いっそ不気味とも取れるその声の持ち主は死体を踏み越えながら現れた。

 

「わしの懐で喚き散らしたならばどうなるかを教えてやらねばらん」

「どうなるもこうなるも、お前が死んでオレは帰るって結果にしかなりえんよ」

「ほざけ、ようもわしにそのような口を聞けるものだ

 無知とは恐ろしいな」

 

 思いっきりバカにした風に、ついオレは言葉を返してしまう。

 

「アンタを知らねえからデカい口叩いてると思ってんのか

 冗談にもなってねえな、バジリスクのモーゼスさんよ」

「知っていながら、その強気な態度でいるわけか

 そうしなければ恐怖に潰されるからこその虚勢であろう」

「バジリスクなんぞ、何匹狩ったかも忘れた相手を恐れるほうが難しいって言ってんだ」

「虚勢ではなく虚言であったか、痴れ者めぇ!」

 

 その姿が濃い霧のようなものに包まれながら変質する。

 霧が晴れると、首長竜を思わせるような外見の、巨躯のドラゴンが現れていた。

 いかに王族の部屋が大きいといってもそこかしこの壁が壊れていく。

 

「矮小な人間め、ここで朽ち果てるがいい!」

「今更お前みてえな『もやしドラゴン』が怖えわけねえだろ!!」

 

 相手からすればなんのことだと言いたいだろうが、狭間の地に現れていたドラゴンと較べてなんとも貧弱そうなこと。

 だが、油断はしない。

 そのためにオレはこのグレートソードに目をつけたのだから。

 神肌縫いでチクチクと刺しても致命傷にはなりにくかろう。

 ダガーと輝剣の円陣でも同様だ。

 一番早い解決策は、巨人狩り(抉るように、突き上げる)ッ!!

 

 今までモーゼスが相手にしてきた連中はどれも竜化したことに驚いたり、様子見してみたり、

 無謀な攻撃をしたりでろくに痛手を受けてもいないのだろう。

 

 オレは違う。

 

 ドラゴン相手には躊躇しない。

 踏まれて死にたくないからでけえ一発撃ったらさっさと安全距離に戻る。

 殺せる時に殺す。

 アカネイア大陸の連中と違ってこちとらドラゴン狩るのにゃ慣れっこなんだよ。

 

 首の真芯を捕らえた一撃が深々と刺さり、

 オレは乱暴にグレートソードを左右に振って首を落とした。

 モーゼスが何か言いたげに呻くも、人の姿に戻り、動かなくなった。

 その手には禍々しい色の石が掴まれている。

 これは『魔竜石』ってやつか、一応もらっておこう。

 

「まるで……勇者アンリ……」

「ドラゴン相手に七日七晩も掛けねえよ、オレは」

 

 彼女の手を引いて、バルコニーへ。

 周りを見渡すとこの城には程よい出っ張りが幾つもあるのが確認できる。

 皆大好きトレントアスレチックタイムだ。

 

 だが、このままだと人拐いになってしまう。

 最終確認はしっかりしねえとな。

 

「ここから脱する前に先程の答えを聞かせてくれるか?」

「あなたならば戦乱を鎮め、平和をもたらせるのかもしれません……

 どうか……アリティアをお救いください」

 

 勇者アンリのような戦いっぷりが効いたようだ。

 モーゼス、お前の犠牲は無駄じゃなかったぞ

 

「今日、この日より私をあなたに捧げます」

 

 その返答にオレは彼女の手を取る。

 月光の光にも負けぬ美しさを備えているのを改めて確認できた。

 彼女は潤んだ瞳でオレを見ながら宣言する。

 

(わたくし)はアリティアのリーザ

 アリティアとアカネイアの安寧が大陸を満たすその日まで、

 そのお側で尽くさせてくださいませ」

 

 ……ん?

 



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夜の騎兵

 リーザ、リーザ……リーザってマルスのママか?

 アリティア王国の王妃、モーゼスに引き裂かれたって原作でナレ死してた、あの?

 

 この人エリスじゃないの?

 え?

 めっちゃ潤んだ瞳でオレのこと見てるけど。

 見られるから見返すよ、そりゃあ。

 

 ……うん、再確認したけど美人だ。

 この人が二児の母?このお体(ボディライン)が経産婦だっていうのか。

 どう見ても二十代中頃。

 こういう言い方は失礼かもしれないけど、多く見積もったって三十路入るかどうかくらい。

 ちょっと気合でもいれようものなら二十代前半でも通じるんじゃないのか?

 ただ、ここでその話をしている暇はない。

 

「呼び方なんてなんでもいいよな?」

「ええ、お好きに」

「そんじゃあリーザ、捕まってろよ」

「は、はいっ」

 

 オレは呼び出したトレントに乗り、自分の前に引き上げたリーザを座らせた。

 

「多分めちゃくちゃ怖い思いするから目を瞑っててくれ」

「え?それは──」

 

 管楽器の大演奏の如き悲鳴。

 わかるよ。

 オレも最初、トレントアスレチックタイムをやったときは同じような声を上げたからな。

 まあ、オレの場合は管楽器なんて言えた音じゃあなかったが。

 

 ────────────────────────

 

 アリティアを駆けるトレント。

 ここまで来れば隠れる必要はない。

 

 片手には手綱を、そしてもう片手にはベンソンの遺品(ナイトキラー)を構える。

 

「死にたくない奴は道をォーッ!!開けろォ!」

「な、なんだあの騎兵は……!?」

「開っけろォーーーッ!!」

 

 敵意が感じられずとも進路に居るものはナイトキラーの餌食にする。

 敵意があるものは思い切り振ったナイトキラーの餌食にする。

 

 とはいえ、闇を駆け抜ける騎兵を目視し続けることは難しい。

 電灯なんかの明かりでもあれば別だが、この世界にそんなものはない。

 少し街道をそれれば闇に包まれる。

 だが、闇の中であろうと褪せ人の視力が見通せぬわけでもない。

 追手を走らせてこないであろう場所までトレントに進んでもらった辺りで止まる。

 

「疲れただろうが、下馬はさせてやれない」

「いえ、若いときは乗馬も嗜んでおりましたので」

「今も若いだろ?」

「……!」

 

 もじもじとするリーザ。

 二児の母には失礼な物言いだったのか、それとも嬉しい言葉だったのかはオレにはわからない。

 

「ただ、問題はこっからだ

 選択肢にもならんが、一応道は二つ

 一つはグラ国境近くにある街まで逃げる

 そこなら休むことができるが、アリティアが放っておきっぱなしになってしまう」

「もう一つは?」

「短時間で可能な限り兵を集め、アリティア主城に寄せる

 今なら大将のモーゼスも、城を守るホルサードもいない

 兵士だけを破るなら簡単だが……どうやって兵を集めるかが問題になる」

 

 リーザも少し考えるように俯き、

 

「アリティア北に砦があります」

 

 増援出現しますよって感じで四つ並んでる、あそこか。

 

「そこにアリティア王家に忠義を持っているものがいます、レウス様の力になってくれるはず」

「様はいい」

「ですが」

「妻になった人間から様呼ばわりされるなんておかしいだろう」

「妻……」

 

 娶るって話をして、それを受け入れた以上はそういうことだろう。

 が、夫を無くした彼女にそれを真正面から向けるのはまずかったかもしれない。

 

「はい、あなたの妻として、そう望まれるのでしたら」

 

 そうでもなかった。

 どういう結婚生活だったんだ、コーネリアス。

 それとも王族ともなればやっぱりシステム的に婚姻しているだけだったんだろうか。

 でもマルスもエリスも原作で触れた感じではよく育てられてた感じもあるしなあ。

 

「北の砦に向かおう

 ああ、でも、四つあるよな?」

「東の橋を渡ってすぐにある砦です」

 

 すらすらと答える。

 話していてなんというか、不安になるというか、

 世俗やら勢力のことがわからないパーフェクト箱入り娘なのかと思っていたが、

 案外そうではないのかもしれない。

 シーダやレナと違って、リーザのことをオレは何も知らない。

 情報の先回りができないってのは何とも不安なものだ。

 



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アンリの子孫

 夜明け前に砦近くにまで辿り着けた。

 普通の馬じゃこうは行かない。

 途中でバテバテになるだろう。

 

「ここからどうする?」

「砦まで進んでください」

「射掛けられたりしないか?」

「大丈夫です

 今の姿勢でしたらまず目に映るのは私でしょう、見えもしない相手を打つほど彼らは粗忽ではありません」

 

 その言葉を信じ、トレントを進める。

 やがて、

 

「何者か」

 

 声が聞こえた。

 

「私はアリティアの王妃、リーザ

 この声、この姿を見て疑うのならば刃を向けなさい」

 

 応じるように明かりが向けられる。

 そうしてすぐに、

 

「王妃殿下、どうしてここに!」

「話せば長くなります」

「では、中へ」

 

 そうして通された所に満たされていたのはオレに対する疑心、それを露わにする目だ。

 まあ……そうだよな。

 何せ王妃と相乗りしてたし、リーザはオレの手を握っていたし。

 不義密通って言われたらそれこそおしまいだが、手を握っていたことに関してはどうしようもないと思う。

 今の彼女からして、置かれている状況が現実感が薄い夢物語同然なのだ。

 これが現実であるという証拠に触れておきたかったのだろう。

 

「オレはレウス、故も知らぬ騎士(ナイト・エラント)

 アリティアを解放しに来た

 リーザを連れてきたのはその手始めに過ぎない」

「王妃殿下になんと無礼な口を」

 

 兵士がいきり立ちそうになるも、ベテランそうな騎士が制する。

 迎えに来たのも彼だ。

 そんで、オレはこの騎士を知っている。

 フレイ。

 タリスに死体がなかったから、アリティアから逃げるときにでも死んでいるのかと思っていたが。

 

「王妃様、騎士殿の態度を許しておられるのですな」

「はい

 ですが仔細については教えます」

「承知しました」

 

 リーザは周りを見るようにしてから、

 

「何度か連絡を受け取りながら、返事を出せなかったこと、申し訳ありません」

「いえ、拘禁されているのですからやむを得ぬこと」

「ですが、状況そのものは理解しています

 最後の手紙は半月ほど前でしたが、なにか変わりは?」

「いえ、大きくは

 ただ、北の四砦に詰めていた派兵組は先日帰国の途に付きました

 村については、ノルン、お前の担当だったな」

「はい、西、東の村ともに譲歩する気はないと……

 こんな時に主義も何もないと思うんですけどね」

 

 ノルン、可愛らしい顔立ちの女弓兵だ。

 ただ、アリティアがあんなことになっても生き残って、なおかつここに居続けていることはそれだけで彼女の力量を予想することはできる。

 

「主義?」

 

 確か、原作じゃ仲の悪い村ってくらいしか描写はなかったが。

 

「はい、彼らは国に対するスタンスで相容れないと」

「あー……なるほどね

 王家に対してはどうだ?」

「強い忠誠心があります

 あるんですが、片方を選べば、もう片方は……」

 

 そこは原作の通りか。

 だが、どちらの村も入り口は開けられている。

 片方が重用されるまでは聞く耳はあるってことか。

 

「村には騎士団の長も経験をしたことがある騎士様と、

 闘技界隈では知らぬものもないほどの剣闘士がおられます」

「両方が味方になればアリティア解放もぐっと近くなるんだがな」

 

 答えは出ている。

 が、

 

「やりようはあるが、あー、フレイ、だったか」

「ええ、騎士殿」

「一日休ませてほしい、時間がないのはわかっているが」

 

 リーザのことを視線で追って――

 

「事を急いて失敗するのは愚か者のやることですな

 食事と寝床、必要でありましたら湯浴みができる準備を致します

 ノルン、お前は王妃殿下の側に」

 

 つまり、オレにはアンタが付くのね。

 いいけどさ。

 

 ────────────────────────

 

 目まぐるしすぎる状況に、リーザは寝床に着くなり深く寝てしまったらしい。

 この後、リーザにはアレコレと動いてもらわないとならない。

 今はじっくりと回復してもらおう。

 

「フレイ、オレがやったことを説明する

 集まれる奴を集めてくれ

 全員じゃなくていい、歩哨やら休息中やら以外だ」

 

 という、オレの頼みに一同が集まる。

 目つきはまあ、相変わらずだ。

 フレイとてリーザの言葉があったから従っているに過ぎない。

 

 だとしてもオレは説明をした。

 証拠はあるのかと問われれば、これしかない。

 

「それはモーゼスが持っていた」

「ああ、魔竜石だ

 これ以上ない証拠だと思うが、どうか」

「……ええ、疑いようもない

 しかし、ホルサードも討ったとのことですが」

「流石に首を持ってくる時間はなかったが、

 王妃が城から逃げたってのにそこら中に松明の明かりが見えてるわけじゃないってのが証明にならんか」

 

 フレイはそれに対しても頷く。

 場内の混乱があればこそ、ここまでの追手を出すことができていない証左。

 他のものもオレの言葉を信じたり、フレイが信じたからと納得したものなどで纏まったようだ。

 

「騎士殿、この後はどうするのです」

「アリティアを解放する、って話じゃないよな」

「ええ、それをなさるためにまずは何を?」

「ノルンも言っていたが、西と東にはどちらにも優秀な人材と村がこの状況下でも存続できる程度には兵士がいるわけで、

 それらは今後に絶対に必要な要素だ」

「モーゼスを倒せるほどの力があるのにですか?」

 

 ノルンのごもっともな質問、そしてそれを求めてもいた。

 

「正直、アリティアを解放するだけってならオレ一人で十分だ

 今からカチコミかけて終わらせたっていい」

 

 文字通り全部終わりを迎える(死のルーンが輝く)ことになるだろうけどな。

 

「だが、それじゃあダメだ

 アリティアが解放され、国として立ち直り、そこからドルーアと戦うためには戦争する力が必要になる

 解放したあとに欲しいのは指揮できる人材だ、戦闘中に部隊を動かせるだけの人材がな」

 

「騎士殿は戦争を続けるおつもりなのですか」

 

 兵士が質問をする。

 質問をしてくれる程度には距離は縮まったってことだ。嬉しいね。

 

「続けるんじゃない、ここから始めるんだ

 アカネイアの地から奪われたものを取り返し、ドルーアによって今も奪われ、破壊されている現状を打開する

 このアリティアにはそれを成し遂げなければならない責務がある」

「責務……ですか」

「ああ、そうだ

 アリティアは勇者の国、世界に平和をもたらした太祖アンリの国だからだ」

 

 その言葉に全員がざわつく。

 

「ここにいる全員がアリティアの臣民、つまりはアンリの子だ

 名誉ある血がこのまま大陸を包む不和を晒すのを見ているだけでいいのか?

 いいはずがないッ!」

「そ、そうだ!」「オレたちはアリティアの民!」「アンリの子!」

 

 熱に浮かされるように兵士や騎士が声を上げる。

 

「騎士殿、我らを名誉の戦いに誘ってくださっておられる

 そう考えてよいのですな」

「ああ、フレイ

 そのためにオレはここに来た」

「このフレイ、そしてアリティア最後の騎士団の名誉と命はレウス様にお預けいたしますッ」

 

 全員が礼を取る。

 最初に礼を取ったフレイは元より、ノルンとて例外はない。

 

 これでいい、とりあえず第一関門は突破だ。



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黒馬の王妃さま

 出立前の少しの間、オレはリーザと二人きりにしてもらった。

 

「二人っきりで話したいことがある」

「村のこと、ですね」

 

 ここで恋愛脳爆裂させてきたらどうしようかと思ったが、大丈夫だった。

 一安心です。

 

「連中を村から引きずり出せば全てが上手くいく、そのためにも幾つか聞いておきたい」

「あなたに隠し立てすることはなにもありません」

「昨夜、乗馬経験があると言っていたが、戦いに関係する技術は何か持ち合わせているか?」

「魔道書、弓の扱いなら多少心得があります」

 

 ホルサードに組み伏せられていたから戦闘能力は怪しいと思っていたが、それは儲けものだ。

 

「人を殺すことは、できるか?」

「あなたと、アリティアのためなら」

「わかった」

 

 それにしても騎乗できる魔道士ってことはマージナイトとかダークナイトか?

 ホースメンはいても、そっちは原作にはいないよな。

 

 ま、いるもんはいる。

 できるもんはできる。

 それでいいか。

 リーザが生きていることそのものが例外的な状況であろうし、原作にないってのを言い出したなら、そもそもマルス(主人公)がいねえんだから。

 

 ……マルスか。

 その事をリーザ(母親)に告げるのは気が重い。

 

「レウス……?」

 

 そんなオレを心配そうに見ているリーザ。

 

「あー、いや、大丈夫」

「休んでいないからでしょう、フレイから聞きました

 騎士団を一致団結させるために演説して、その後も一人ひとりと話をしていたと」

 

 オレの表情の暗さが寝不足によるものだと捉えられたらしい。

 

「今は一兵の信頼でも欲しい状況で──」

 

 今は休むよりも重要なことがある、と説明しようとしたが、

 不意に抱きしめられ、そのまま横に倒される。

 

「出発まではもう一時間もないでしょうが、少しでも休みなさい」

 

 その声音は女というよりは母だ。

 そう言われてしまうと、急激に眠気が襲ってくる。

 母性ってのは……まったく……恐ろしい……。

 

 ────────────────────────

 

 オレは東に来ていた。

 予想であれば小規模の国境警備隊がいる程度のはずで、考えは的中した。

 王妃がどこに逃げるかわからない以上は国境に多少なりと兵を向けるというのは正解だったのだ。

 

「おい、アンタら」

「なんだ……っと、騎士か?」

故も知らぬ騎士(ナイト・エラント)だがね、仕事を手伝えば金になると聞いた」

「傭兵には金を出すんだもんな、まったく、ホルスタット様の下には就いていたくねえなあ」

「そこで相談なんだがな、仕事はアンタらと変わらんわけだよ

 王妃様を捕えろって話だ、……なんだが、その周りにアリティアの敗残兵どももくっついていてな

 オレ一人じゃどうにもならん」

「ははあ、なるほど

 オレたちと一緒に戦いたいってわけか」

「報酬はアンタらに丸々やるよ、オレはグルニアへの仕官の口が欲しいだけなんでな」

「謙虚だねえ……だが、乗った

 その報酬とやらを貰えりゃこんな軍足抜けしてやるんだ」

 

 といった具合に、士気が底を叩いているグルニア兵を手に入れた。

 オレは彼らを先導し、或いは扇動して西へと突き進む。

 

 ────────────────────────

 

「……」

 

 目を瞑り、精神を落ち着かせているリーザ。

 そこにフレイが横に付き、彼女は目をゆっくりと開く。

 

「お邪魔でしたか」

「いえ、大丈夫ですよ」

「騎馬の調子はいかがですか?」

「良い子です、初めて乗せた騎手を嫌がりもしない」

「我が騎士団でも最優の黒馬ですが、騎手を選んでおりました

 王妃様に懐くとは、選ぶ目も確かな騎馬であったようですな」

 

 その話が信じられないほどに、この黒馬は大人しかった。

 まるでレウスが駆るトレントのように騎手と心を通わせているようですらある。

 

「しかし、騎馬に跨がりながら魔導書をお使いになるとは」

「そうしたやんちゃをする魔道士はいなかったのでしょうね」

 

 実際にはそうではない。

 魔道書を使うというのは多大な集中力を必要とする。

 その上で、この時代のアカネイア大陸の馬はどれもこれも落ち着きというものがない。

 単純に調教技術の未熟さから来る所があるのかもしれないが。

 

 彼女が言うやんちゃな魔道士がいなかったからなのではない。

 魔道を戦闘の道具にするには高い練度が必要で、

 その学習機会はカダインが寡占しているのも理由の一端だ。

 

 しかし、騎兵となるような才能があるものがカダインに入学することは極めて稀だった。

 騎兵になれるほどの才能があれば騎士になることのほうがよほど名誉だからだ。

 

 そもそも初期の条件も厳しい上で、高度な技術。

 リーザがその二つの才を備えているのはエリスのお陰でもあった。

 幼いエリスがマルスの親友であるマリクのために魔道書を読みたい、教えられるようになりたいとせがみ、

 まずは彼女がエリスに教えていた。

 もっとも、マリクの成長速度はずば抜けており、エリスが教える教えないという話の前にカダインに行ってしまったわけだが。

 当のエリスも国の神事に必要であるとして魔道ではなく杖の力に手を伸ばした。

 

 それでも彼女は魔道書を学習した。

 理由はたった一つ。

 

 暇だったのだ。

 

 元より要領のいい彼女は王妃としての仕事はさっさとこなしてしまう。

 二児を子育てした体力は伊達ではない。

 その上で、エリスもマルスもいい子であった。あまりにもいい子過ぎたのだ。

 誇張抜きにリーザは二児に困らされたことがなかった。

 乳母を含めた教育係ですら「こんなに手がかからないと給料をもらうのが申し訳ない」というほどだった。

 

 そうなれば、暇なのだ。

 アリティアには文化的な財産が多く、魔道書の学習には困らないだけの教材があった。

 日々学習し、その後に夫であるコーネリアスが戦死し、拘禁されたあとは、より学習に力が入った。

 魔道書を学んでいれば、復讐の機会が回ってきたときにそれを果たせる、その一念を拠り所にしていた。

 騎馬と魔道書を実際に合わせたのは今日が初めてだが、それが無茶ではないことを彼女は直感していた。

 

(私は……戦える

 あなたも力を貸してくれますね)

 

 黒馬はやはり、心を通わせたようにリーザの心情に嘶きで答えた。

 

「敵兵!敵兵ーっ!!」

 

 フレイ麾下の兵が叫んでいる。

 

(行きましょう、私と共に)

 

 馬がゆるりと進撃し始める。

 こうして、リーザはアカネイア歴で初めてのダークナイトを自らの才を以て誕生させた。

 



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両雄並び立たせる

「よし、騎士共はオレが相手をする!

 アンタらは王妃様を確保しろ!」

「よっしゃあ!」「任せとけえ!」

 

 オレは国境警備隊の歩調に合わせながら、急いでいる風にフレイたちのもとへ。

 フレイたちも『打ち合わせ通り』にオレへと向かってくる。

 オレもまた、『打ち合わせ通り』にフレイたちを通り過ぎて、南下を始める。

 

「リーザ王妃、確保させてもらうぜえ」

「──サンダーッ!!」

「えっ」

 

 リーザの指先から電雷が迸る。

 先頭を突き進んでいた騎兵は予想もしていなかった攻撃に直撃し、煙を上げながら落馬する。

 

「お、王妃が魔道だと!?」

 

 すぐさまリーザは黒馬を走らせて、次の敵をサンダーで撃ち落とす。

 ちらりとその様子を確認するが、リーザの現在の能力はそれほど高いものではない。

 ただ、完全に油断していた兵士たちを倒すには十分な火力がある。

 

「連絡を受けて来てみれば、どういうことだ」

 

 腕の立ちそうなアーマーナイトがおっとり刀で現れる。

 

「……アリティアの残党どもが、神輿を得たというわけか

 全員オレの周りに戻れ!」

 

 号令にはっとした国境警備隊がアーマーナイトへと集っていく。

 一方のオレもまた、タイミングよく目的地に到達した。

 

 ────────────────────────

 

 駆けていったその先、二つの村ともにオレと王妃を一望できる場所でオレは声を張り上げた。

 

「お前たちも見ているのだろうッ!

 東西の村で主義を前に手をこまねいている場合か!

 アリティアのためにと立ち上がった健気な王妃を見殺しにするのがお前たちの正義かッ!!」

 

 オレは魔竜石を掲げる。

 

「オレはアリティアとアカネイアの地のためにリーザ王妃殿下と共に主城に巣くう魔竜モーゼスを討ち取った!!

 それだけではないぞ!この地を侵したホルサードをも討ち取った!!」

 

 一喝するように、

 

「リーザ王妃殿下の背に続き、アリティアの安寧を勝ち取ろうとする勇者はいないのか!

 天下万民の日常を砕いた帝国に立ち向かう騎士はいないのか!

 太祖アンリの想いを受け継いだアリティアの臣民はいないというのかッ!!」

 

 オレは声を張り上げる。

 煽りってのが得意なんだ。

 

 ……もっとも、そいつは狭間の地じゃあまったく役に立たない技術だったがな。

 マルギットを扇動して味方に引き入れられないもんかって言ってみたら、バチクソに煽られ返されて敗北感を得たから役に立たないというか、むしろマイナスですらあったかも知れん。

 アイツの二つ名、読み方は忌み鬼(レスバの鬼)だろ絶対。後にも先にも舌戦でけちょんけちょんにされたのアイツくらいだ。

 この世界は説得とか無理だって思って人の話を聞かなくなった理由の一端でもあるんだよな……。

 

 思い出に浸っている場合じゃねえ。

 ともかく、こっちじゃ殆ど上手く行ってるってことさ。

 

「ここにいるぞッ!」

「機とは今だッ!」

「王妃殿下を守れぇ!」「アリティアを取り戻すぞォ!」

 

 村から武装した人間がどかどかと現れる。

 あの村まるごとが騎士やら兵士やらの駐屯所になってたのかって具合だ。

 そりゃあ占領軍も手を出せないだろう、ってレベルの。

 

「我が名は騎士アラン!

 アリティア王家に加勢致すッ!!」

 

「オレはサムソン、この剣は守るために振るうものと決めている

 今はアリティアの名誉を守るという大義のために剣を取ろう」

 

 熱に浮かされた村人たちに圧されるようにしてか、

 それとも言葉の一片でも刺さってくれたのか、アランとサムソンも現れた。

 その後は語るまでもない。

 王妃を守るために突撃してきた一団に、国境警備隊は跡形もないと言える勢いで撃破された。

 

 ────────────────────────

 

 戦いのあと、砦に戻った一同の前には村人たちがずらりと並んでいた。

 その集団の前には代表するようにアランとサムソンは傅いている。

 何となくなイメージだけど、サムソンは涼しい顔して腕組でもしてそうだなと思ったが、

 剣闘士として長く戦えば上の人間と会わねばならんこともあるだろうし、礼節もそうして身についたんだろうか。

 

「改めまして、私はアリティア王国の王妃リーザ

 あなた達の協力に感謝を」

 

「遅参お許しください、王妃殿下

 我らの目は曇っておりました」

「最初はくだらぬと考えていた村同士の主義のぶつかり合いに、

 わたしまで毒されてしまっていた」

 

 アランとサムソンがそのように謝罪する。

 屹然と立ち向かう王妃の姿を見た村人たちの言葉を代弁しているところもあるのだろう。

 

「大切なのはこれからです

 私たちはこのアリティアを取り戻し、やがてはアカネイアの地に平和をもたらさなければなりません

 そのためにもあなた達の協力は必要不可欠です

 私の下で皆の力を振るってはいただけませんか?」

 

 その言葉にアランとサムソンが目を合わせる。

 二人が見知らぬ仲というわけではないようで、むしろ村同士の諍いのために何度か刃を交えたこともあったのかもしれない。

 その上で、

 

「我らが持ち得た力、全てはアリティアとリーザ王妃殿下のために」

 

 アランがサムソンを含めたものの総意として宣言した。



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閉塞と解放

 グルニアの会議は踊っていた。

 

 アリティアの王妃、主城を脱す。

 

 それだけではない、ドルーアのモーゼスと、自国の将軍ホルサードまで討たれたのだという。

 

「今こそ我らがアリティアを攻めるときでしょう!」

 

 グルニアの将ダクティルが強い口調で求める。

 この男は自らの利益になることであればどのような行いもする、悪徳の男である。

 今のグルニアの問題の全てがこの男にあるわけではない。

 

「しかし、ドルーア帝国との関係もあろうから」

「陛下、何を気弱なことを!アリティアを治めきれなかったのは連中の手落ち

 我らであれば民草も安んじるというものですぞ!」

 

 国王ルイは気弱な男であった。

 悪人ではないが、王としての才覚はまるで備えていなかった。

 それ故に今のように、抗言されてしまう。

 この時に抗言したのはラリッシュという男で、この男もダクティルと同様の低俗な人物である。

 与えられた所領には重税を貸し、支払いきれぬとなれば奴隷市場に民を売り捨てている。

 

 グルニアの問題。

 それは軍部の腐敗である。

 諸将がアリティアの再征服を声高に叫びはじめた。

 もはや収拾はつかないだろう。

 

「現在は戦時」

 

 バリトンの声音が重く会議室に響く。

 声量こそ大喝というものではないが、たった一言で調子づいていた諸将を黙らせる圧があった。

 グルニアの名将として名高いこの男に逆らえるものは国内では誰もいない。

 王であろうと。

 

 今もグルニアがドルーアに併合されていない理由はこの男と、黒騎士(ブラック・ナイト)カミュの尽力あってこそである。

 だが、併合を免れる代わりに各地への派兵を行わねばならず、低俗な人間を将軍位に挙げねばならなくなったことから腐敗を招いている側面もあり、

「いま、国が死ぬか」「あとで、国が死ぬか」で後者を選んだに過ぎないとも陰口されている。

 

「諸将も知っての通り、我が国とドルーアとの関係は微妙なものである

 アリティアを二重権力的な状況にしたのもそれが理由だ

 その状況で大量の兵をアリティアに向けることはドルーアに後背を突かれる可能性もあることに他ならん」

 

 ロレンスは目の端で主君を見て、肯定も否定もないのを確認すると続けることにした。

 

「アリティアに向ける軍はダクティル殿にお任せする」

「我が軍のみで行け、ということですかな」

「……アリティアでの『戦利品』に関しては全てダクティル殿の好きにするがよい」

 

 略奪行為を容認する、ロレンスはそう言っている。

 本来であればこの老将はまっさきにそれを止める立場にある。

 だが、今それができないのは諸将にかけた不満が爆発し、ドルーアに寝返られる可能性があるためだ。

 ロレンスが自国と他国を天秤に掛ければ、その答えは一つしかない。

 

 準備していたのだろう、ダクティルはその翌日に兵を挙げて出立した。

 

「ロレンス、つらそうなおかおしてどうしたの?」

「かなしいことがあったの?」

 

 その報告を受けたロレンスを見て、まだ幼い王女、王子が心配そうに声をかけた。

 

「いいえ……何も問題はありませぬ、ご安心なされよ」

 

 どのような悪名を纏おうと、ロレンスは全ての難事から国の未来であるこの二人を守らねばならない。

 老将は黒い甲冑の中に私情の全てを閉じ込めるのであった。

 

 ────────────────────────

 

「オレはレウス、リーザの……」

 

 呼び捨て云々の話をまたしなけりゃならんのかと思うが、経費のようなものだ。

 自分が求める立ち位置ってのは最初に決めておくのが一番いい。

 

「戦友だ」

 

 夫とか言うわけにもいかんし、パートナーってのもこの場には則していない気がする。

 

「王妃殿下もそれを認めているのと言うことか」

 

 サムソンの言葉にフレイが頷き、「当人からもそう伺っている」と返す。

 

「であれば、お前たちの関係にわたしが口を出すことじゃあない

 惚れた腫れたで命を懸けるようなことも、この時代じゃ珍しくもないだろうからな」

 

 さっすがサムソン先生。

 シーマさんのために命を投げ出す男は違いますなあ。

 ……などとは言えない。

 しかしまあ、不干渉よりの同意はオレとしてもありがたい。

 

「私も同じ意見だ

 それに貴殿の力量は十二分に伝わった

 ホルサードは人品はさておいて、その実力は屈指である事は槍を交えて知っている」

 

 サムソンもそれには同意らしく、小さく頷く。

 こいつら、なんというか……案外仲が良いのね。

 

「兵力は揃いました、しかしこの後はどのように進めますか?」

 

 フレイが切り出す。

 聞くべきはそれだ、とアラン、サムソンもオレを見る。

 

「ノルン、地図拡げてくれ」

「はーい」

 

 ノルンが机の上に置いた地図には幾つかの書き込みがされている。

 事前に作っていた戦略概要だ。

 とはいっても、オレは攻めることはできても軍を動かすための細かい差配のやり方はわからない。

 そうしたことはノルンを中心に手伝ってもらった。

 

 勿体ぶる必要のない作戦だ。

 重要なのはリーザが救国の主となること。

 そしてこの地からグルニアとドルーアの兵を駆逐することだ。

 東西で部隊を分け、突き進む。

 アラン、サムソンの二枚看板には激戦必死の西側を頼んだ。

 東側はオレとリーザ、そして少数の護衛。

 フレイは北東の国境に至る道を見張ってもらう。

 グラなりマケドニアなりの兵が後ろから突かれると厳しい。

 ノルンはニ枚看板が倒したあとの砦を確認し、伏兵になりうる敵がいないかの確認を担当してもらう。

 

「騎士殿」

「レウスでいいよ」

「では、レウス殿」

 

 アランが挙手をする。

 

「西側の戦闘が激化するのはその通りかと考えます

 しかし……」

「東側が手薄すぎるって?」

「ええ……」

 

 アリティアの出城。

 それを少数で攻め落とせるものなのかという表情だ。

 

「あそこにアランが心配するほどの兵士はいねえさ」

「なぜ、そう言い切れるのです」

「モーゼスとホルサードが討たれて、しかもその下手人は北西に逃げた

 その上で二つの村が挙兵しているって情報も上がってくる頃だろう

 こんな状況で兵を出し渋るなんてできやしない

 それが前線に全部送るか、主城に送るかの違いでしかない」

 

 アランに向かい、サムソンが口を開く。

 

「アラン、お前は自分のことを過小評価するきらいがある」

「……そうかもしれんが──」

「敵からしてみれば、

 我ら二人はモーゼスやホルサードがいて尚倒せなかった武人だ

 連中にとっての救いは我らが反目していたことだろう。

 しかし、今のように二つの脅威が手を取り合えば、お前が敵であればどう思う」

「サムソンよ、貴殿は人を納得させるのが上手いな」

「わたしはお前という騎士を買っているだけだ」

 

 とりあえず、サムソンの言葉でアランは納得してくれたらしい。

 

 早い段階でサムソンにシーマさんを紹介しなければ濃密な友情で()せ返ることになりかねない。

 オレは心のタスクリストにそれを刻み込んだ。



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アリティアの雷神

 準備に多少の時間こそとられたものの、戦いは始まった。

 

 出城の近くまで歩を進めていた。

 予想通り、兵士の殆どは居ない。

 弓兵が顔を出したが、リーザのサンダーによって撃破されている。

 

 ここでやることは以前シーダにやったことに近い。

 リーザに敵を倒させて少しでもレベルアップする。

 それと、命を奪うことにも慣れてもらわねばならない。

 アリティアの主として自ら戦いに出向くようなことはなくとも、

 グルニア、カダイン、グラと周辺は敵だらけだ。

 攻めずとも守るための戦いには出ることがあるだろう。

 今のこの時代で弱い王も強さを見せられない王も、国と人心を守り切ることなどできないのだ。

 

 オレは出城の扉をいつぞやアンナの店で買った『扉のカギ』で解錠する。

 そうして、リーザは敵城へと踏み込んでいた。

 少数の護衛は流れ矢と懐に潜り込もうとする敵を排除することを徹底させている。

 その上でオレも彼女の側で護衛についた。

 

 出城にいたのは弱卒ばかりであった。

 それでも戦いを挑むのは忠義ではなくドルーアやグルニアからもたらされている恐怖だ。

 リーザはそうした相手に躊躇をせず、サンダーで撃破していった。

 

 そうして出城に敵がいなくなった頃にリーザはオレに視線を投げかけた。

 

「ありがとう、リーザ」

「……いいえ、あなたのお願いですもの」

 

 護衛に城内を確認してもらい、問題がないことを確認したのでここで休憩を取ることにした。

 西側では本来よりも多い敵兵が集っており、一昼一夜での決着にはなりえないだろう。

 一方の出城から敵の背を叩くことができないのがもどかしい。

 それを行うと今度はアリティア主城に待機している大軍がこちらに攻め寄せてくるのが目に見えているからだ。

 

 次にオレたちが動けるのは、西軍がアリティア主城があるエリアの手前までを制圧してからとなる。

 

 ────────────────────────

 

 出城はその後、この戦の間の本拠地となった。

 フレイの部隊が国境の警戒と砦や村にあった物資を運び込み、

 ノルンが手が空いているときに西と出城を繋ぐことができる迂回路の策定を続けていた。

 

 西側からの逃げてきた兵士をリーザが撃退し、経験を積ませる。

 主城の方に逃げられないのは敵前逃亡は死だと言われているからだろう。

 可哀想だが、こちらも許す道理もない。

 

 だが、そのようにリーザが戦っていると風聞は拡がるもので、

 アリティア失陥の際に散っていたアリティアに由来する騎士や兵士が集ってきていた。

 以前は広すぎた出城も、現在では十分すぎるほどに人が集まっていた。

 

 人が集まっても迎撃に出るリーザを見て、騎士たちの中には勇ましい姿に涙するものも少なくない。

 アリティアの人間が集まればオレのリーザに対する態度が問題となるが、

 オレもそれを払拭するためにリーザが行う迎撃では背を預けるようにして戦っていた。

 王妃が電雷を戦場で閃かせるその影に、彼女を守る一人の騎士。

 吟遊詩人が唄う一幕のようにオレは戦いを演出する。

 そうした細やかな努力もあり、出城ではコーネリアスの名を出すものはいない。

 

 リーザのかけがえのない戦友レウス。

 それが今のオレに与えられた称号と言えた。

 

 ────────────────────────

 

「ねえ、レウス

 いま……いい、かしら」

 

 西からの情報が来て、明日には合流地点を確保できるという知らせが来た日、その夜。

 リーザはオレが寝泊まりしている部屋に来ていた。

 オレはいつぞやを思い出して複雑な表情になるも、とりあえずは部屋へと案内する。

 流石に王族とはいえ、二児の母。男が狼になるかもってことくらいは承知しているだろう。

 

 彼女はオレのベッドに座ると苦笑を向けてきた。

 

「なれないも……んん、」

 

 咳払いをする。

 

「なれないなあ、こういう砕けた言葉遣い」

「いやなら戻してもいい」

「あなたの望みだもの」

 

 昨夜、リーザとの食事のおりに頼んだことだ。

 敬語を止めて喋れないものかと。

 不思議そうにリーザはオレを見たが、それで喜んでくれるならと同意してくれた。

 とはいえ、やはり疑問は疑問。

 気になったことを追わずにはいられない性質が彼女を魔道士として大成させたことを考えれば否定できる性質とは思えない。

 

「でも、どうしてそんなお願い事をしたの?」

「なんか距離ある感じがする」

「そう、かしら」

「戦いが終わったらリーザの口から正式にオレを夫に迎える宣言もしてもらわないとならん」

 

 そんで、とオレは続けた。

 

「そうなればリーザはオレの妻になるってことだ」

「ええ」

「夫婦間なら多少崩れて喋ってくれる方が気が楽なんだ、敬語で喋られるの嫌いってわけじゃあないが」

 

 シーダやレナから敬語で喋りかけられるのは嫌いじゃない。

 むしろいい気分になる。

 とはいえ、全員がそうであると気が塞がりそうだ。

 なんて、そんな事は言えないので前述のような言い訳をした。

 

「不思議な感じ」

「そうか?」

「ええ、私はコーネリアス様とはそんな風に喋らなかったから」

「でも関係が冷えてたわけじゃないんだろ?」

「勿論、愛していたもの」

 

 面と向かってそう話されるとなんとも、こう、よくない感情が湧き上がる。

 とりあえずそれは何とか我慢はしよう。

 

「コーネリアス様と私はアリティアの礎となるための結婚だったから」

 

 オレはコーネリアスの事を殆ど知らない。

 マルスのような心優しき王子様ってタイプではなく、厳格な武人だって話を薄ぼんやりと見聞きした程度でしかない。

 

「愛はあったけれど……」

 

 リーザはオレに微笑みかける。

 

「恋をしたのはあなた相手が初めてよ、レウス」



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撹拌

 アリティア主城

 

 グルニアの騎兵のみならず、マケドニアから増援として置かれているドラゴンナイトもその陣営には姿が見える。

 所属こそグルニアとなっているが、ここにいる騎士や兵士たちの国籍は様々だ。

 ドルーア帝国が「各国の名誉に(あた)う人材を」と命じた結果である。

 

 本来であればマルスが各国との戦いを繰り広げ、足りなくなった人材をアリティアから戻したのだが、

 現在はある意味で『アリティア占領軍全盛期』と言える。

 更に主城に陣取っていたモーゼスが死んだ今、決戦のために控えていた城内の勇士たちまでも城の守りに就いている。

 

 橋を隔てた先の島には現在では『アリティア解放軍』と呼ばれており、リーザを筆頭とした軍が陣を構えていた。

 

 騎士アラン、勇者サムソン。

 二人は前哨戦と言うには苛烈であったアリティア南西の戦いで多大な戦果を挙げ、

 互いの死角を補う姿から正しく『二枚看板』だと誉れを込めて呼ばれている。

 

 騎士フレイは増援に来たグラの侵略軍を小勢にて撃退し続け、

 槍、盾、それに鎧までも赤く染めて立ち塞がるその姿を『鬼神の如く』と敵兵に言わしめた。

 グラも一向にアリティアの戦場へ入ることも叶わず損耗していく状態に困り果て、撤退した。

 

 弓手ノルンの活躍は彼らのような戦場の中心にあって華々しいものではなかったが、

 ある側面においては三人を凌ぐほどの結果を紡いだ。

 マケドニアからの増援として現れた大量のドラゴンナイトたちを砦に籠もり、孤軍だというのに散々に打ち破った。

 当人は「運が良かっただけ」と言っていたが、逃げ帰ったマケドニア兵がその話を伝えた結果として、

「アカネイア王国に『大陸一の弓騎士』あらば、

 アリティア王国に『大陸一の弓箭手(きゅうせんしゅ)』あり」

 とまで呼ばれるようになっている。

 

 主城を、国を失陥した王妃に、帝国とそれに従う列強に立ち向かう彼ら四人を誰が言ったか、

 『アリティアの四侠(しきょう)』と誉れ、畏怖の両方を込めて謳われていた。

 

「国境はアリティア解放軍の別働隊で封鎖済みです」

「飛兵の到来もその影なしとのこと」

 

 ノルンとフレイが報告を上げる。

 

「敵の前線にはジェネラル、パラディンが立っております

 アリティア主城防衛軍の要として開戦初期から倒せずじまいの勇将です」

「厄介なのはその二人をカバーしている勇者二人だ

 片方は見知った奴だが、もう片方は城内の将軍格だろう

 おそらくだが、アイツは……かなり、やる」

 

 アランとサムソンもまた報告を上げた。

 

「以上を踏まえても気持ちに変化はないの」

 

 アリティア解放軍の長、そしてアリティア王国が王妃リーザが顔を向けたのは誰もその来歴を語られたことなき、故も知らぬ騎士(ナイト・エラント)

 

 ────────────────────────

 

「問題ない」

 

 オレはトレントの上から返す。

 

「オレが先手(さきて)となり、敵陣を撹拌(かくはん)する」

「か、撹拌?」

 

 ノルンが撹乱ではなく、ですか?と聞く。

 そうそう、それを待っていた。

 

「ああ、刃物(こいつ)を使ってな」

 

 オレは撹拌に使う道具であるグレートソードを見せつける。

 戦場で言いたい台詞で十位以内には入る台詞だろう。

 まさか言える日が来るとは思っても見なかった。

 

 心の中でるんるん気分になるが、表情に出ていたらしく、

 解放軍兵士の皆さんは静寂に包まれ、誰かが息を呑んだような音が響く。

 オレはそんな獣みたいなツラをしていたのだろうかと思い、居住まいを正す。

 

「リーザ、号令を」

 

 改めて黒馬に騎乗した王妃リーザは全軍に向きなおる。

 

「アリティア解放軍で力を振るう全ての者よ!

 今日このときからこそ、アリティアを取り戻し、新たな歴史の始まりとなる!

 解放の戦士たちよ!

 あなたたちの攻撃の一振り、治癒の一振りが歴史に刻まれる日になると心得なさい!!

 ……全軍!──レウスに続けッ!!」

 

 その号令が終わると同時にオレはトレントを疾駆(はし)らせる。

 

 オレの相棒は騎兵よりも飛竜よりも遥かに速い。

 右へ左へと跳ね回りながらの突撃。

 橋を封鎖していた部隊を『撹拌』し終わると、オレは息を()くこともなくその後ろにいた防衛隊の要であるジェネラルとパラディンのコンビへと殺到した。

 オレの背後からは地鳴りか山鳴りのような音が響く。

 連中が到達する前にどれだけ『撹拌』しきれるかが戦後にも関わってくる。

 一将でも多く、一兵でも多く生き残らせる。

 これが今のオレの目標だ。

 

「ドルーアに与する弱卒どもッ!!

 もはや誰も生きて帰れぬ、なればこそオレと打ち合ってみせろッ!!

 それが打ち合えぬ(できぬ)ならば木端(こっぱ)の如くに千切れてくたばれッ!!」

 

 アリティア解放、その締めくくりの決戦の只中にオレは突き進んでいった。

 



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アラン/ノルン

 『霊呼びの鈴』を使いたいところではあるが、多数の味方を前にして正体不明の亡霊みたいなものを呼び出すのは戦後に禍根を残しかねない。

 

 いいさ。

 

 トレントとグレートソード(こいつ)だけで十分だ。

 

「貴様、何者だッ」

 

 パラディンが馬首をこちらに向けて投げかけてくる。

 

「レウス、故も知らぬ騎士(ナイト・エラント)ッ!」

「参るぞ、レウスッ!!」

 

 銀の槍を振り、構え、パラディンが突き進む。

 迷いのない突撃。

 グルニア騎兵が優れているのは知っているが、その練度を目の当たりにすると驚かされる。

 そして同時に思う。

 

 馬と馬が交差する。

 銀の槍はオレの頬を掠め、オレの大剣は下から上へ昇り竜のように奔った。

 

「お、みご……と」

 

 落馬しながらパラディンがオレを称賛する。

 これほどの騎兵をここで失うなんて勿体ない、それが同時に思ったことだ。

 

 その後ろでジェネラルが指揮を掛けている。

 囲んで殺せ、と。

 そりゃあ土台無理な話だ。

 

 トレントは羽があるかのように飛び、包囲を抜ける。

 ジェネラルが追え!追え!と命じているが、それは悪手ってもんだ。

 

「随分と余裕だな、鎧騎士よ」

 

 アランが猛然と橋を突き進む。

 獲物を定めた獰猛な肉食獣を思わせる気迫を纏っている。

 騎士らしい立ち振舞を忘れぬ、礼の人といった印象だが、戦場では一変するものだ。

 

 手に持っているのは分厚い装甲には不利とも考えられるキラーランス(薄刃の槍)

 だが、ジェネラルがアランの言葉に気が付き振り返ると同時に、その首が宙を舞った。

 装甲が分厚かろうと、可動部は守れないということを見せつける。

 見せつけたところでそれを誰が真似できるかと思うが、周囲の兵士を恐怖させるには十分だったようだ。

 

 オレは他の四侠の活躍も見たくもあったが、仕事を放るわけにもいかない。

 残りは当人か吟遊詩人に聞くとしよう。

 

 ────────────────────────

 

 戦場が切り裂かれている。

 いや、それでは生ぬるい。

 

「ほんとに撹拌してる……」

 

 それは鉄塊の暴風だった。

 レウスが疾走る度に、そこかしこで敵部隊が撃滅されていく。

 敵が逃げようとしても、主城に辿り着かせまいと前進させられる味方の兵士が邪魔で逃げることすらできない。

 

「騎士様が味方で良かったあ」

 

 ノルンはのんびりとした口調で矢を番える。

 他の四侠や部隊と異なり、彼女はたった一人である。

 理由は単純だ。

 

 弦を引き絞り、矢を放つ。

 風切り音が遠く、遠くへと消えていく。

 常人では気が付かないような赤い飛沫を彼女は見ていた。

 

 彼女が兵を連れ歩かない理由は一つ。

 その射程距離に合わせられる射手が存在しないからだ。

 

「他の三人は大丈夫かなあ」

 

 今や兄弟姉妹よりも強い絆を結んでいる四侠を心配しながら、彼女はまた一矢を放つ。

 主城防衛軍はどこから飛んでくるかもわからないその矢を見えざる死神の鎌だと捉え、

 恐怖している事を当の死神(ノルン)は知ることはなかった。



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フレイ/サムソン

 稲妻が迸る。

 アランの突撃の後に続くように彼の麾下が進撃する。

 その勢いを削ごうと、稲妻が部隊の横っ腹に叩きつけられた。

 

「調子に乗るなよ、敗残兵ども」

 

 防衛隊の主力でもある勇者が魔法剣(サンダーソード)を放ったのだ。

 泰然自若とした雰囲気に兵士たちが飲まれそうになるが、そこに手槍が投げ込まれる。

 勇者はそれを容易に盾を使いいなした。

 

「お前の相手は私だ、勇者」

「アリティアの敗残兵如きがオレに挑むか」

 

 フレイは返答もなく、馬を走らせる。

 

「騎兵どもはバカの一つ覚えで突撃(それ)をする!」

 

 サンダーソードを構え、放つ。

 それと同時にフレイは放たれた雷撃に向かって小瓶を投げ込んだ。

 勇者の一撃で割れたそれが電撃を一瞬で霧散させる。

 

「何!?」

 

 勇者がその様子に驚き、

 何が起こったかの答えを得る前に強い衝撃が体を揺さぶり、意識は消える。

 

 フレイは出撃前にレウスに呼ばれていた。

 

「こいつを持っていってくれ」

「銀の槍、それに……聖水ですか」

「その銀の槍はジェイガンの遺品だと聞いている、

アリティアの騎士であるフレイがそれを受け継ぐべきだろう」

「……感謝致します」

「聖水の方はちょっとした使い方がある」

 

 彼が教えたのは自分に振りかけるのではなく、

 魔力そのものにぶつけるという荒っぽい手段だった。

 聖水の許容量を超えた魔力であれば意味はないが、

 許容内であれば聖水の効能とぶつかりあって魔力が霧のように蒸発するのだという。

 大体の魔道士には無意味でも、魔力が低い勇者であれば有効な手段であるらしい。

 本来であれば長時間、身を守ってくれる道具を一回こっきりで使ってしまう奥の手だ。

 

「その使い方をするにはあまりにも──」

「たったそれだけで勝率が上がるんだったら、無料みてえなもんだろう

 戦後の、アリティアの安定にはお前みたいな騎士が必要なんだ、フレイ」

 

 正直、フレイはレウスに対しては疑念を持っていたのは事実だ。

 しかし、戦後のアリティアを考え、

 自分が必要だと考えてくれていることを実際に触れさせられると、

 考えは変わるもの。

 

 銀の槍が勇者を突き殺し、振り捨てるようにして死体を放り、再び槍を構える。

 

「……アリティアにレウス様あり!

 我らはそれを槍と騎兵を以て喧伝するのみだッ!」

 

 フレイの雄叫びのような宣言に、

 勇者を倒した部隊長(フレイ)の活躍に浮かされた騎士たちも戦の咆哮を上げた。

 

 ────────────────────────

 

 苛烈、いや、熾烈を極める戦場で『そこ』だけが静かだった。

 

 サムソンは目の前の敵……城の守りから出てきたドルーアの勇者と睨み合っている。

 戦力としては自分が上、だが、問題は相手の持っている剣だった。

 誰が呼んだか、それは『魔剣(デビルソード)』と呼ばれる代物。

 持ち主の正気を奪う代わりに絶大な殺傷能力を与えるという、正しく魔剣。

 

「……血に酔っているな」

「……」

 

 ぎちり、とドルーアの勇者が獰猛に笑う。

 

「冷静でなければ……わたしには勝てん」

「……ッ」

 

 その言葉を呼び水に、踏み込み、魔剣が閃く。

 サムソンは盾で魔剣を受けるではなく、振るう腕を弾く。

 よろめいた相手に対して斧を振るではなく、柄を握っている拳で殴りつける。

 

 魔剣の力か、痛みを感じはしないが、押し込まれるような力にたたらを踏んだ。

 

「言ったはずだ」

 

 踏んだせいで、地にしかと足を付けては構えられない。

 ドルーアの勇者がサムソンの言葉を理解できたかはわからない。

 ただ、結果だけは理解できた。

 

 大上段から振り下ろされた銀の斧が剣もろとも勇者を両断する。

 

「冷静であれば、お前にも勝利の可能性はあったというのにな」

 

 サムソンは元剣闘士である。

 彼らは騎士や傭兵のような戦い方はしない。

 必要なのは確実さである。

 傷を負えば次の戦いに支障が出る。

 深手を負えば捨てる同然のマッチアップを組まされる。

 だからこそ、無傷で勝つ。

 武器を振るうのは相手を殺せると決定した盤面になるときだけ。

 必ず殺せる盤面で武器を振るうからこそ、勇者(サムソン)とは『必殺』の一撃を得手とするのだ。

 



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ホルスタット

 ホルスタットとホルサードは双子であった。

 グルニアにおいて、単身であれば並の武将であったが、二人並べばグルニアでも上位の力を発揮すると言われていた。

 

 アリティア主城で発生したホルサード、モーゼスが殺された後を取りまとめたのはホルスタットであり、

 モーゼス麾下の一部の兵士は彼の指揮に入ることを快く思わず、反乱した。

 だが、それもいち早く止め、一つに纏め直したのがこの男であった。

 

 ホルスタットは生まれてから今の今まで爪を隠してきた。

 双子の兄弟であるホルサードに劣等感を与えないために。

 彼の実力は主城防衛隊であれば誰もが知っていた。

 反乱の中心に居たマムクートを一人で倒し、その上で余力まで残していたのを誰もが見ていた。

 

 ホルサードがこの世に生まれねば、彼はカミュ、ロレンスに続くグルニアの守護者となっていたかもしれない。

 だが、彼はホルサードと共に在ることを選んだ。

 それこそが家族の、兄弟の絆だと人生を通して一貫した考えを持っていたために。

 

 だが、そのホルサードが死に、目覚めることのない猛将の才覚が急速に花開いていた。

 

 そのホルスタットは今、アリティア主城の正面にある門の上に陣取っていた。

 馬に跨り、遠間を睨むように見やる姿は威圧的で、彼の近習を除いては近くに寄ることすら難しかった。

 

「ただ一人に戦局を良いようにされているわけか」

「は、はい

 未確認の情報ではありますが、暴れている先手の男こそが」

「ホルサードを殺した男か」

 

 馬鹿げた大きさの剣を振り回している。

 だが、まことに恐ろしいことはその膂力ではない。

 あれは息吹する旗印だ。

 

 グルニアのカミュ、マケドニアのミネルバ、アカネイアのアストリアやジョルジュ。

 オレルアンのハーディン。

 そして、アリティアのコーネリアス。

 

 前線で武器を振るうことで兵の士気は高まり、いるだけで軍の力は大きく底上げされる。

 ホルサードやホルスタットにはない才覚。

 

「風靡の才というやつか」

 

 愛槍(キラーランス)を担ぐホルスタット。

 彼が騎馬の横っ腹を軽く蹴ると、嘶き、門の上から馬が跳躍した。

 

「そのようなものが幻想であると、この槍で証明してくれるッ」

 

 どん、と地鳴りのような音が響き、猛将が着地する。

 彼とその鎧の重さに耐えうるような騎馬は極めて稀である。

 この騎馬はアリティアの野を駆け巡っていたのをホルサードと共に捕らえたもの。

 二人で調教を施した一頭であり、ホルスタットにとって兄弟との最後の絆でもあった。

 

「主城防衛隊諸君!

 今までの献身に感謝を伝えるッ!」

 

 ホルスタットが高々と声を上げた。

 

「今より、敵軍の中心人物である大剣使いへと挑む!

 この勝負の結果で全てが決まる

 わしが勝てばアリティアは今度こそ我らのものとなろう!

 しかし、わしが負けたとしても心中する必要なし、あの大剣使いに降伏せよ……!」

 

 将たるものが気弱なことを言えば士気に関わるもの。

 

「だがッ!」

 

 槍を高々と掲げ、猛将は続ける。

 

「ここにいる誰がわしの敗北を見ようか!

 この地にあって誰こそが最強であろうか!」

「ホルスタット!」「ホルスタット!」「ホルスタット!」

「そうだ!最強とは並び立つものがないものの称号!

 それを今、アリティアにて証明するッ!!

 ──ホルスタット麾下騎兵、ホルサード麾下騎兵!

 大剣使いまでの道を作れぇぇいッ!!」

 

勇壮騎士(グレートナイト)ホルスタット閣下の道となるぞ!」

「今こそ弔い合戦のとき!」

「万歳!勇壮騎士(グレートナイト)万歳!」

 

 槍を横薙ぎに振るい、号令を飛ばす。

 彼の両翼からなだれ込むように騎兵が戦場へと突き進み、ホルスタットもまた狂馬と共に戦場へと邁進した。



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よーいドン

 猛然と突き進んでくる一団がある。

 鶴翼よろしく、左右に広がった騎兵がオレと味方を分断するような動きを取り、陣取るようにして解放軍との戦いが始まっていた。

 

「わしはグルニアのホルスタット」

 

 名乗りを上げながら現れたのは、

 いつぞやリーザを押し倒していたホルサードのそっくりさんだった。

 

「……ホルサードのお友達ってわけじゃないよな?

 ってことは」

 

 ホルサードが死ぬ直前に名を出していたが、こいつのことだったのか。

 

「双子の兄弟とか、その辺りか?」

「いかにも

 わしの望みは一つ」

「一騎打ちか」

 

 ふ、とホルスタットが笑う。

 嘲りではなく、話が早くて助かる、と言いたげだ。

 

「わしが負ければ速やかにアリティア主城を明け渡そう

 兵士たちもわしに殉ずるではなく投降せよと伝えておる」

「負ける用意は周到だな

 で、オレが負けたら何を約束すりゃあいいんだ」

「何も要らぬ」

「すんごい無欲な将軍……じゃあないんだよな」

「貴様を倒せば解放軍はそれで終わりだ

 それ以上に望むことなどわしには考えつかぬ」

 

 買いかぶりすぎな気もしないではないが、否定してオレに得があるわけでもない。

 

「わかった」

 

 オレとホルスタットの会話はそれなりの大声だ。

 特に武将ともなれば声は戦場でよく通るもの。

 

「フレイ、聞いていたな!

 手出し無用だ、他の皆にも伝えとけ!」

「……承知いたしました」

 

 加勢をしたい気持ちもあったようだが、ホルスタットの出した条件はあまりにも魅力的だった。

 ホルスタットを倒した所で掃討戦になれば戦後に役立ってくれる兵が死ぬ可能性が出てくる。

 であればそのあたりを手打ちにできるのならばこれ以上ない戦果でもある。

 

 距離が距離だからノルンの一矢もここまでは飛んでこないとは思うが、

 

「ノルンに伝えておいてくれ」

 

 一応ね、一応。

 

 ────────────────────────

 

 馬上での戦いってのは雑兵どもなら問題もないが、

 このホルスタットって男はちょっと読めない。

 ホルサードはただのオッサン以外の何者でもなかったが、同じ姿をしているくせに、纏っている気配がまるで違う。

 質というべきか、受け取れる恐怖の深さは紅の剣士(ナバール)に似ているが、少し違う。

 彼が持っていた寒さを感じさせるような殺意ではなく、ホルスタットが放っているのは熱だった。

 将兵たちが彼の背に託した勝利の願いが彼に力を与えた余波のような熱だった。

 

 騎兵としてそんな相手との戦いは明らかに不利だ。

 恥ずかしい話だが、オレが狭間の地で最初に沼った(殺され続けた)のがエレの教会前(最初)のツリーガード戦だった。

 本当にあそこで徹底的に殺されたからこそ、狭間の地での死に対する恐怖というものがまるでなくなった。

 先生として感謝しているかと言われれば勿論ノーだ。

 二度と戦いたくない。まあ、二度、三度とあったんだけどさ。

 脱線したが、とにかく騎兵戦ってのは得意分野じゃねえってことだ。

 

 とは言っても、ホルスタットはツリーガードではないのだ。

 普通の人間であれば落馬する。

 その『落馬させる』って工程が最初の目標になるわけだが、上手くやれるだろうか。

 見るからにただの騎兵でもないし、ただの騎馬でもないんだよなあ……。

 

 ……やる前に弱気になっても仕方がない。

 

「ホルスタット、決着はどう決めようか」

「どちらかの死以外にはあるまい」

「わかりやすくていいね」

 

 オレは空になったきずぐすりを懐から取り出す。

 

「こいつを投げて、地面に落ちたら決闘の合図ってのはどうだ」

「良かろう」

 

 空き瓶を上方に放り投げる。

 少しの間のあとに落下地点に石でもあったのか、ぱりんと割れる。

 軽やかな音がオレとホルスタットの決闘のベルとなった。



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魔槍『鎌首』

 まるで蛇のようであった

 総金属で拵えられているキラーランスが、まるで蛇が四方を囲んでいるかのように襲い来る。

 

 レウスはその一撃に防戦一方を強いられている。

 ホルスタットは慢心も余裕も見せず、徹底して驚異的な槍技を繰り出し続けている。

 

 ────────────────────────

 

 かつて、ホルスタットはカミュと一度だけ手合わせしたことがある。

 

 下半身の制御を利かせないホルサードは何度も宮廷で問題のやり玉に上がり、

 その度にホルスタットは裏から手を回し、それを打ち消していた。

 

 だが、()る侯爵家の令嬢と強引に褥を共にしたことが明るみに出たときはホルスタットであっても隠しきれるものではなかった。

 カミュが声をかけてきたのはそのときだった。

 

「あなたと一度手合わせさせてくださるのであれば、何とかしましょう」

 

 清濁を併せ持つタイプではなく、質実剛健にして愚直なほどに騎士道を進むものだと思っていたホルスタットは訝しみながらも、了承した。

 ただ、彼は「本気でこなければ話は無し」だとも言う。

 

 実際の槍を使っての、殺し合い同然の試合。

 

 カミュの槍技は尋常ならざるものであった。

 打たんとすれば打たず、打たぬとすれば打つ。

 あらゆる機を裏返しにし、必殺にのみ集中した恐るべき技。

 直線的な攻めではまるで勝てない。

 そもそも読み合いの段階で全ての行動を完全に読まれている。

 

 勝つには技術で上回るしかない。

 死地にあってホルスタットが編み出した技こそが、魔槍『鎌首』。

 腕足の動きだけではなく、細かな体の制御、それに相手の目の動きをも利用し槍の軌道を読ませないことに特化した技。

 それはまるで蛇が獲物を捕食するかのように、想定できぬような角度から牙を剥いているように見せる。

 ホルスタットが槍の天賦の全てを懸けて手に入れた魔技である。

 鎌首が入ったと直感したそのときに、冷たい穂先が首の前に来ていた。

 カミュは魔技すらも上回った。

 

「また一つ、高みへと進むことができた

 ホルスタット卿、感謝する

 あなたの望みは必ず叶えられるだろう」

 

 その翌週には訴えは取り下げられ、ホルサードには何のお咎めもなかった。

 それ以来、流石のホルサードも反省したのか戦場以外ではそのようなことをすることはなくなった。

 

 あの夜、背を向け去っていくカミュに強い敗北感を持ち、しかしホルスタットはそこに留まらなかった。

 カミュへの殺意ではなく、同じ槍の天賦を持ったものとして、彼を驚かせたかった。

 見えない努力を続けた中で、彼の魔技『鎌首』は完成していた。

 馬上のように、鎧に身を包んだ状態で肉体の可動域に行動制限あろうと、

 『鎌首』を打ち出すことができるようになっていた。

 

 槍の天賦、ホルスタットのその技が戦場で放たれたのは今日、この日が最初であった。

 

 ────────────────────────

 

 冗談だろ!?

 槍があんなうにょんうにょん動くものかよ!!

 いや、中国拳法の槍はそういう感じのもあるんだっけ?

 だとしても、アレは総金属で出来てるカッチリしたものだ!

 とてもじゃないが、攻めれば負ける!

 

 オレは焦っていた。

 ホルスタットには隙がない上に、あの槍技を打たれる度に命の火が消えそうになるのを感じている。

 打たんとすれば打たず(隙だと思って攻めればフェイント)打たぬとすれば打つ(守りかと思えば攻めてくる)

 まったく隙が見えない。

 初遭遇時の坩堝の騎士かよ、てめえは。

 

 攻めれば負ける、攻めれば……。

 だめだ、戦技とか読み合いに持ち込んだ時点で絶対に負ける。

 それで勝てるような才能がオレにあるならもっとシンプルな問題だ。

 

 であれば別の土台で考えろ。

 エルデンリングのボス相手ならどうする?

 ファイアーエムブレムのボス相手ならどうする?

 

 何か抜け道は?この閉鎖された状況でできる手は……

 

 ──ある。

 確実性に欠ける上にどう考えても姑息だが、この状況であれば打てる策がある。

 

 ……姑息だどうのって言うなら、狭間の地で鈴玉狩り(難敵)の一人を家の上から狙撃して倒していた過去があるオレが今更言えたことではないか。

 勝てさえすりゃいいんだよ。

 技術も才能もない(スーパープレイできない)褪せ人(オレ)らしく戦わせてもらおうか。



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鈴玉狩りと同じだよ

 あのやべえ技が放たれる。

 勢いからして甲冑を纏った騎士ですら打ち破る一撃だろう。

 だが、使用している武器は薄刃の槍(キラーランス)

 あの技を打つには武器の重さが関わるのかもしれない。

 だが、技発生の条件が今大事なことではない。

 

 重要なのは薄刃の槍(キラーランス)だってことだ。

 あれは剛槍だのの類じゃない。

 一方でオレの今持つ得物はグレートソード。

 速度において不利でも、守るだけなら頑丈な盾同然に扱うことができる。

 

 やべえ技が飛んでくる。

 グレートソードで弾く。

 

 お互い必殺の間合いから外れたところから剣を振るい、槍とカチ合わせる。

 相手はオレを殺すために踏み込み、技を放つ。

 オレはそれをやはりグレートソードで防ぐ。

 

 意図がバレちゃ困る。

 体格で劣るトレントには無茶をさせるが、あの牛みてえな馬に前脚でちょっかいをかけさせる。

 ホルスタットの愛馬は怒って体当たりを敢行するが、それをトレントに避けさせる。

 ごく近距離になればあの技は打たれない。

 勿論オレもグレートソードを万全には扱えないが、振ることくらいは問題なくできる。

 無闇な一撃は槍で簡単に弾かれる。

 

 言葉にしちまえばダレた泥仕合に思えるかも知れねえが、

 ホルスタットの動きは愛馬の力強さもあってそこらの騎馬の1.5倍速くらいの早回しに見える。

 つまり、オレたちを遠巻きに見ている連中からすると超絶技巧がぶつかり合う戦いに思えるだろう。

 

 オレがそれに付いていけている理由はただひとつ。

 

 倒す気がないからだ。

 相手へ向ける攻撃の隙を探す必要ないから。

 狭間の地のボス連中と同じ、逃げるだけならそれなり以上に時間は引き伸ばせる。

 

 こちらが本当に目を向けるべきはたった一つ。

 

 ────────────────────────

 

 こっちに来てからの疑問があり、その答えはついぞ出していなかったことがあった。

 耐久値についてだ。

 オレが倒した敵やら、誰かが討ち取った敵からアイテムを回収していると確実に耐久値が減っていた。

 ここらへんはドロップ率ってことなんだと思っちゃいたが、

 確実にわかっていることは、元々の耐久値を超えたものは手に入らないってことだ。

 つまり、耐久の残りが10の手斧は拾った時点で11以上の耐久を持つ手斧としては手に入らないってことで、

 敵が使っている武器ってのは確実に削れていっているってことである。

 

 ただ、オレとの戦いってのはオレ側の過剰な攻撃力もあってか、長期戦になることはなかった。

 一番手持ちの武器を使用した奴はハイマンじゃねえかな。

 さておき、武器が削れるってのはわかっていた。

 

 つまり、長期戦になれば武器は壊れる。

 使用すれば壊れるってことだ。

 

 しかし、その『使用する』ってのはどこからどこまでだ?

 オレはこの戦いで研究し、それを突き止めかけていた。

 

 一つは攻撃を打つこと。

 ただ攻撃を振るい、何にも当たらなければ耐久値は減らない。

 

 次に攻撃を当てること。

 こりゃ普通に減少する。

 

 そんで、次に攻撃は当たったがダメージにはならなかった場合。

 どうにも、これも減少するらしい。

 この場所(アカネイア大陸)ではスキルの類ってのは見ちゃいないが、大盾(ダメージ無効化スキル)が発動したとしても耐久値は減少するってことだろう。

 

 つまり、大雑把に言えば武器が何かに当たることが耐久が減少するルールってわけだ。

 まあ……現実でもそうだから当然っちゃ当然なんだが、

 幾ら乱暴に扱っても武器が壊れたりしない狭間の地出身のオレからすりゃ、

 こういう『普通のこと』を確認する必要があるんだ。

 

 オレがどう武器を振るおうと、相手が防いだ時点で武器の耐久は減っていく。

 相手の攻撃がオレにダメージを与えようと与えまいと武器の耐久は減っていく。

 

 ここまで言えばわかるやつはわかるかもしれない。

 

 オレの狙いはホルスタットの命じゃない。

 

 アイツの槍だ。

 

 ────────────────────────

 

 数度の打ち合い、数度の小賢しいやり取り。

 オレの目はついにキラーランスの耐久が切れる寸前であることを見抜く。

 

 トレントを再び相手の騎馬へとちょっかいを出させ、体勢を揺るがせる。

 ほどよい中距離。

 

「うおおおォォォッ!!!」

 

 裂帛の気合。

 オレは剣を横薙ぎに大きく振るう。

 その気迫が『攻め同士が噛み合えば倒されるのが自分だ』と認識させてしまう。

 ホルスタットからすれば焦る必要はない。槍でいなして、返しでポンで自分の勝ちだと考えるだろう。

 

 甘えよ、ホルスタット。

 こちとら姑息な勝利も喜べるタイプの褪せ人なんだよッ!

 ──などと口から喜びが漏れ出そうになるが、まだ我慢だ。

 勝ち名乗りみたいなことをするのは完勝したときだけってのは狭間の地で学びました。

 

 オレの渾身の一撃をホルスタットは槍で防ぐ。

 しかし、この戦いで無理をおしにおして扱われた槍は砕け、馬上から叩き落とされた。

 砕けた槍がクッション代わりになり、頑丈な鎧もあって大きな痛手とはならなかったようだが、

 これで当初の目的は完遂した。

 

 鈴玉狩りと同じだよ、ホルスタット。

 相手が満足に戦えない状況にすりゃあ、オレの勝ちだ。

 



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HPゲージ二本目詐欺

 折れた槍を杖に、ホルスタットはなんとか立ち上がる。

 よしよし、これでオレも下馬できるってもんだ。

 

「ホルスタット!」

 

 オレは外套からナイトキラーを取り出す。

 あまりアイテムを取り出すのは不可思議な現象にしか見えないだろうから衆目に晒したくはないのだが、

 それを惜しむとこのあともその事で引きずりそうだからな。

 

 ナイトキラーをホルスタットの側に投げて寄越(よこ)す。

 地面に突き立った槍を不思議そうに、或いは疑問を抱えた顔でオレを見やる。

 

「なぜ、わしに槍を投げ渡す

 このまま踏み込んで斬り伏せれば貴様の勝ちだというのに……」

「バカなことを言うなよ、ホルスタット

 オレとお前の……アリティアの決戦がそんな終わりで良いはずもなかろうさ」

 

 武人の扱いをする。今はそれが必要だ。

 ホルスタットは折れた槍を捨てるとナイトキラーを手に取った。

 

「なぜ、そこまでする」

「ここでオレが死んでも、お前が死んでも、オレたちの戦いは永く永く(うた)われることになる

 オレたちは今まさしく、伝説の中にいるんだぜ

 格好悪いまま歴史に名を残すつもりかよ

 なあ、ホルスタット」

「……くく、ははは……ははははは!!」

 

 大きく笑うホルスタット。

 

「……わしの負けよ、アリティアの旗印

 わしのような男を武人扱いしてくれた貴様を、わしはもう討つことなどできぬ」

「そうやって言う奴を殺せるような人間でもないんだよ、オレも」

 

 オレもつられてか、小さく笑って返す。

 

 ナイトキラーを掲げ、ホルスタットは叫ぶ。

 

「グルニアの偉大な将兵たちよ!我が同胞よ!

 アリティアでの戦い、このホルスタットの負けだ!

 わしは死よりも恥ずべき敗北を選んだ!!

 もはやわしに諸卿らの司令である権利などない!!」

 

 だが、とホルスタットは続ける。

 

「願わくば、停戦を聞き入れて欲しい!

 聞き届けられぬというならば、わしの首を討て!

 わしはそれでも構わん、どちらにせよ我らの戦いは……それで終わる!」

 

 最初に動いたのはホルスタットの麾下であった。

 彼らは持っていた武器をその場で鞘に納め、或いは投げ捨てた。

 ホルサードの麾下たちは逡巡していたが、その取りまとめらしきものが言葉を投げかけた。

 

「我らはホルサード閣下の兵

 しかし、名誉こそはホルスタット閣下にあると見ている……

 我らをホルスタット閣下の配下と認めてくださるのであれば、降伏に諸手を挙げて賛同しましょう」

 

 ホルスタットはモーゼスたちが亡き後に城と勢力を能く纏めた。

 彼らにとっての司令官は彼以外には考えられんということなのだろう。

 

「諸卿らがそう言ってくれることにどのような違和があろうか!」

 

 その言葉にホルサード麾下の騎兵たちも同様に武器を捨てる。

 やがて、それらが伝搬し、アリティア主城防衛隊は誰一人として抵抗することなく降伏した。

 

 ……ちょっと、予想よりも出来すぎた結果だったが、まあ、よし。

 

 ────────────────────────

 

 本当は下馬状態で一騎打ちして勝利する予定だった。

 騎乗戦をしたのも、ナイトキラーを渡したのも敵味方ともにその決闘を納得させるためだった。

 そして、ナイトキラーを選んだのは手持ちの槍がそれしかないからでもあるが、

 重さという観点もある。

 あのやべえ技が重い武器で打てないのならばナイトキラーを渡すことで封じられるかもと考えていたわけだ。

 

 ただ、結果は敵軍の降伏。

 敵兵たちがホルスタットの命令で整列する中で、オレはアリティア解放軍全員からの喝采を浴びていた。

 

 我らが勇者、新たなるアンリ。レウス万歳。

 アリティアの英雄レウス万歳。

 

 そこまで評価を上げられると、今後が怖い。

 

 オレはその声に背を押されるように、近づいてきたリーザへと向かう。

 

「レウス……」

 

 潤んだ瞳でオレを見つめる。

 

「私の英雄、無事に帰ってきてくれて……」

 

 彼女はその場でオレへと倒れ込むように胸に飛び込む。

 そうして涙を流しながらオレの名を呼び続けていた。

 

 もしかしたならコーネリアスもこんな風に戦いに挑んで、アイツは帰ってこなかったのであろうか。

 リーザは過去を重ねながらもオレを送り出してくれたのだろうか。

 

 それを思うと、オレは人前だからと彼女を引き剥がすようなことはできなかった。

 



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多忙の中で

 アリティア解放の式典を行うのは国の再スタートを意味しており、現状の最重要タスクではあるのだが、

 投降した兵士の多さを含めて、予想よりも何倍もの量の戦後処理に追われている。

 

 今日もその件での会議で参集された。

 アリティアとは小国であるが故に政治に口を挟めるような格の貴族は存在しない。

 そのため、国家の会議はリーザ、四侠、そしてオレで完了してしまう。

 勿論、書紀担当やら四侠の副官やらお付きの文官がいなくはないのだが、それもまあ、顔なじみの連中だ。

 

「──と、いうわけです。

 式典は予定変わらず三日後には行いますよ!」

 

 ノルンが手を上げて報告をする。

 式典の担当は彼女である。

 任命された理由は彼女がこの軍全体をよく見ており、各村や城下町の有力者たちとのパイプを持っているからである。

 リーザが囚われていた頃にノルンとフレイがやっていたゲリラ活動をしていた頃の協力者との繋がりのようだ。

 

「西と東の村が協力してドレスを仕立て直しているとのことでです」

 

 補足するようにフレイが報告する。

 

 それを聞いたアランとサムソンは目を合わせ、同じようにして小さく微笑む。

 彼らにとってもあの村には思うところがあるようだ。

 自分たちと同じく、手を取り合えていることを喜んでいるのがわかった。

 

「ノルン、例の件はどうか」

 

 フレイは続けて、ノルンに別のことを問う。

 

「真実かどうかというよりは、真実だと思うべきという風潮ですね」

 

 ノルンはそう返答する。

 

「アリティア王家が二代目国王、マルセレス様の落胤の血統。

 表沙汰にできない出生からバレンシア大陸に渡っていた彼が、

 先祖の祖国の危機に立ち上がり、帰還した。

 正直、物語でしかありえないような展開ですけど、ドルーア帝国相手に大立ち回りをやってみせたのは真実で、

 民兵たちも信じがたいような戦闘を見た後じゃあ」

「勇者アンリの再誕と言う英雄譚が目の前で作られている、と考えるか」

 

 サムソンがそう言った事にノルンは続ける。

 

「各地には吟遊詩人を派遣したり、前線で戦った様子を見ている兵士を帰省させたりしています

 民は目に見える支配が去ったあとも戦乱が続くだろうと考えています

 落胤の血筋と言えどもアンリのもの、風聞ではなく実際の解放の立役者をとなればつつがなく進むでしょう」

 

 そう締めくくる。

 アランは加えるようにして、

 

「ドルーアを筆頭として多くの列強がアリティアを攻め潰そうとしたのは市民の記憶に強く刻まれている

 その恐怖を払拭し、庇護してくれるのであればそれがアンリの血であると彼らは自分たちを納得させるでしょう」

 

 アランは言葉とは裏腹に、民をどこかで裏切っているような気がしているのか、表情は少し暗い。

 だが、飲み下すようにして

 

「少なくとも、私はレウス殿がアンリの血を持っているものと信じております」

 

 そう、皆に告げる。

 

 この一連の会話でリーザが口を挟まなかったのは明確な理由がある。

 彼女が玉座に座るまで、彼女には戦後処理に対する発言権を四侠によって封じられているという形を作っているためだ。

 何かあったときにリーザの意向を聞き取らなかった四侠こそが悪であるとするために。

 これはオレが言い出したことではない。

 意外なことにそれはサムソンからの提案だった。

 

 曰く、現在の地点は戦場の地続き、悪名と汚名、それに血を浴びる役は我らの仕事だと。

 リーザは責任を持たせて欲しいともいったが四侠全員がサムソンに同意したことでリーザは厚意に甘えることにしたようだ。

 

「では、次の議題ですが……」

「オレだな」

 

 フレイの進行にオレが立った。

 

「入ってくれ」

 

 会議場の外へと呼びかけた。

 物怖じせずに入ってきたのはホルスタットだ。

 手枷などは嵌めていない。

 一部の部下からは虜囚の扱いをするべきだという声もあったが、それはオレが拒否をした。

 

「……」

 

 居心地が悪いであろうに、それでも伸ばした背筋を丸めることもなく、視線はまっすぐにオレを捉えていた。

 

「オレからは一つだ

 ホルスタットをこのあとのアリティアに将軍として迎え入れたい」

「なっ……」

 

 声を上げたのは四侠の誰でもなく、ホルスタット本人であった。

 

「何を言っておるのだ、レウス殿」

 

 名を教えてからは息吹する旗印なんて呼ぶことはなくなった。

 二つ名ってちょっとまだオレには照れがあるので止めて欲しい。

 いや、それよりも周りの反応であるが、

 

「強者は歓迎だ

 骨のある武人であれば尚の事、な」

 

 サムソンは同意、と。

 

「私は武将としての経験が足りないと自覚している

 貴殿のような経験のある武将が来てくれるというのならば心強い」

 

 アランも同意だ。

 

「来てくれたら仕事が減りますね!やったー!」

 

 ノルンも良さそう、というか頼まれてる範囲が大きいんだろうな。

 ごめん。

 

「私はレウス様の指示には従うのみ」

 

 フレイは、まあ、そう言ってくれると信じていた。

 

 問題は……同じ顔した奴に犯されかけてるリーザだけど……。

 

「レウスが求めた人材ならば、私が口を出せることなどありません」

 

 そう言った上で、

 

「しかし、アリティアのために解放軍と共に戦った人間として一つだけ言いたいことがあります」

 

 ホルスタットは敬礼を取る。

 グルニア王ルイと異なり、戦場にまで出てきた王族だ。

 武人としても、敵だったものとしても最大級の敬意を持たねばならない相手だと考えているのだろう。

 

「ホルスタット将軍、アリティアの未来のため、その力を貸してはくださいませんか」

 

 アリティアの王族として助力を頼むリーザ。

 

「御前……、四侠のご一同……」

 

 がく、と膝を突くホルスタットはそのまま涙をぼたぼたと地面に落としていく。

 

 後に聞いた話だが、彼はグルニアにおいてこのような扱いを受けたことはなかったそうだ。

 ホルサードの側にいて、彼の悪逆をそれとなく諌め、或いは処理する立場であったからだが、

 だからといって鼻つまみものというわけでもない。

 グルニアは腐っている。

 武人や騎士が誉れを与えられる場所ではなく、狡知のみが意味を持つ場所に成り下がっていていると忌々しさと、その中で腐敗の中から這い出ようとしなかった自分をも自嘲するように言う。

 

 この場所は彼にとって、夢に見て、しかし己の罪と業を思うと辿り着くことのないと諦めた場所だったようだ。

 

「レウス殿……、いや、レウス様」

 

 そのまま片膝を立て、騎士としての習いか、礼節のために居住まいを正す。

 

「このホルスタット、

 今よりアリティアの末席にて罪とともに生涯の忠節を国、リーザ様、そしてレウス様にお誓い申し上げる」

 

 そういうわけで、猛将ホルスタットがアリティアに加わった。

 ただ、とりあえず必要なのは武芸ではなく降兵の取りまとめ。

 その辺りも万事お任せを、と色よい返事をもらえた。

 

 ────────────────────────

 

 式典二日前。

 何とか軍関係のアレコレは目処が付いた。

 

 まずは降兵に関してだが、

 多国籍軍だったが、結構な数がホルスタットの頼みであればということでアリティア軍への配属を求めた。

 

 ただ、この後に行われるのはグルニアやグラといった近隣国との戦いであるのもわかっている。

 リーザは彼らに対して家族や愛するもの、国や土地を忘れられないものは去っていいと宣言する。

 罪も問わないと付け加えて。

 彼女の慈悲に帰らんとしていた兵たちの中でリーザへの忠義を誓うものもそれなりにいた。

 

 アカネイアの兵はオレの戦う姿にアンリを見たと言って残ることを求めたものがかなり多い。

 おそらくアカネイアそのものへの忠義が失せていたのも理由だろう。

 

 グラの兵はオレだけでなく、リーザに対しても熱い眼差しを向けていた。

 元々グラは歴史的にもアリティアとの繋がりが深く、

 現在の王の失政もあってアリティアへの回帰を求める声が大きかった。

 グラに戻る兵士は実に少数であり、その誰もが家族や恋人のための帰還だった。

 

 マケドニアの兵はそもそもそれほどの数は残っていなかったが、残っていたドラゴンナイツはノルンの下で戦えるなら残りたいと申し出た。

 敵として死神に(まみ)えるのだけは絶対にごめんだ、と。

 だが、オレは知っている。

 恐れたふりをしてあいつらはノルンファンクラブを作っていることを。

 

 最大の問題はドルーア兵であったが、彼らは残らず帰還を選んだ。

 すわ洗脳かと思ったが、どちらかと言えば彼らの目にあったのは絶対的な恐怖であった。

 哀れにも思ったが、引き止めるための手段を見つけることができなかった。

 

 四侠は軍の中核にとしてそれぞれに改めて部隊が当てられる。

 

 アラン、サムソンにはホルスタットの麾下とホルサードの麾下が与えられた。

 主を離れることにはなるが、元グルニア兵のなかで最も忠義に厚い部隊であるから問題が起こりにくいだろうという判断だった。

 それ以外のグルニア兵は一度アリティアの軍学校(即席のものだが)に編入してもらい、

 改めてアリティア内に配備することになる。

 

 フレイには元々アリティア騎士団に所属していたものや、アラン・サムソンがいた村の人間たちが入団した。

 アリティアの盾という名で治安維持と問題解決を主に、既に動いていた。

 

 ノルンは相変わらず戦場においては一人がいいと希望したものの、マケドニア兵他に熱烈に希望されたため、

 しぶしぶそれを承諾。

 なんだかんだその規模がフレイの騎士団を超えていたりする。

 彼女の容姿の愛らしさもあるかもしれないが、それ以上に彼女の戦場での姿に敵ながら胸を打たれたものが多かったようだ。

 孤軍でマケドニアのドラゴンナイツおっ返したらそりゃあ、まあ、ファンは増えるよな。

 

 あとはオレだが、オレに与えられる予定の騎士団やら他のアレコレは全てホルスタットに頼んだ。

 まだオレは身軽な状態でやらねばならないことが多い。

 アリティアもすぐさま戦争ができる状態でもないしな。

 

 オレの持つ全権を委任することにホルスタットは「それは流石に」と言うも、

 アリティアではオレと一騎打ちした猛将は子供でも知る最新の英雄譚となっており、

 かつてこの国を襲ったグルニアの話をホルスタットに重ねる者は誰もいないことを(お忍びで街にでかけたりして)見聞きさせると渋々承諾した。

 

 現状確認が随分と長くなった。

 そんなこんなで忙しくしていると、式典の前日となったわけだ。



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淫蕩にして正気

「レウス、明日ね……」

「式典がどうかしたか」

「その、勝手に決めてしまったことがあって」

 

 もじもじと指と指をこねくり回しながらリーザが報告する。

 ここはアリティア城にあるコーネリアスの部屋(仮としていたが、どうやらそうであったらしい)だ。

 アリティア解放後、オレの部屋としてリーザにあてがわれたものの、リーザは自分の部屋に帰ることなくこの部屋で過ごしている。

 

 元夫の部屋でオレを迎え入れていいのかとも思うが、まあ、征服欲が刺激されないかと言われれば、まあ、まあ……。

 その辺りはリーザに上手くやられた感は拭えない。

 

 さておき、

 

「勝手に決めたこと?」

「ええ、その……」

 

 少しだけ逡巡するようにしてから、入りなさい、と声をかける。

 部屋の外に待機していたメイドたちが何かを部屋に持ち込んだ。

 

 主に服。

 それに装飾品。

 

 それらが何かと言われれば、鈍いオレでもわかる。

 王族の式典衣装だ。

 

「あなたは私の夫、よね?」

「ああ、王配ってやつだな」

 

 王配ってのは、女王様の旦那ってことだ。

 

「私は、あなたに王になってほしいの」

 

 それは無理というものがあるだろう。

 アリティア国民が納得するとは思えない。

 当初はアリティア王家最後の一人であるエリスを娶って王になるつもりだったが、

 王妃が生きている以上は彼女が女王になるのが一般的ではなかろうか。

 

 何より、アンリの血を継いでいるという物語をアリティア中に広めたとはいえ、

 アリティアの正当な王位はコーネリアスのものであるのは変わらず、

 ぽっと出の人間が王を突然名乗ったときにどのようなことになるのか予想もつかない。

 

 その点で言えば、リーザは王妃としても、戦時の総大将としても活躍を見せている。

 エリスやマルスがいたのなら別であるが、リーザがその事を話さないということは、

 彼女はエリスやマルスがどうなったのか知っているのかもしれない。

 

 もっとも、エリスに関してはガーネフが回収しているとオレは考えている。

 ただ、ここでエリスの事を出すと色々と面倒なことになるのでやはりそれについても沈黙を選ぶしかなかった。

 

「む……」

 

 なんと断るべきか。

 彼女が納得する答えはなにか。

 理路整然と説明しても、おそらくそれに対する準備は万全だろう。

 リーザという女はオレの前では甘々な態度になるが、

 それ以外では極めて聡明で、準備を怠らない人間だ。

 

 つまり、予想もしていないことを、なおかつ彼女に刺さりそうなことを言えばいい。

 

「男ってのは、とまでは言わんが、少なくともオレは征服欲ってのが強い方なのは」

「知ってる」

 

 リーザが微笑む。

 まあ、こう、その微笑みには淫蕩なと付けたほうが良さそうなものだったが。

 

「オレの嫁が女王様、

 つまりオレの女がアリティア最高権力者って立場だったら色々と捗ると思わないか」

 

 勿論、捗ると言ってもオレの最終的な目標であるアカネイア大陸の王になるためにという意味だ。

 しかし、リーザにはオレのやましいところのない発言は届かず、

 彼女はオレを突き倒し、メイドたちはまったく動じずに去っていく。

 

 ────────────────────────

 

 気の済んだリーザから解放されたオレは改めて先の話をする。

 やるべきことを彼女に隠すのは裏切りであるように思えているからだ。

 ただ、他の世界から来ましたとかは流石に説明が難しいし、オレも詳しくは言えない。

 

「炎の紋章を知っているか?」

「ええ、勿論」

「アカネイア王国に伝わるものとは違う、炎の紋章があるのは?」

「ううん」

 

 彼女がかぶりを振る。

 

「オレはそれを持っている、正確には備えている、というべきかもしれないが」

 

 オレはこのように説明した。

 かつてこの世界にはナーガやメディウスのような存在とは別に神が存在した。

 その神は世が乱れた時に纏めなおすための装置を作った。

 それは『律』と呼ばれるものであり、それを備えるものを『褪せ人(The tarnished)』と呼ばれている。

 

「褪せ人?神子のようなものなのでしょう?……なのに、なんていうか」

「色鮮やかではない時代、つまり血に汚れ、淀み、色あせた時代に現れたる人、それを大胆にカットしたんだろうってオレをこの世界に案内した巫女が言ってた」

 

 メリナと会ったのはオレがここに来た後だが、彼女を納得させるためだからな。

 リーザはオレの説明に特に疑問を抱く様子はない。

 

 『律』を以て、大陸に秩序(新たな世界)をもたらすのがオレの仕事。

 その為にもオレは玉座も必要ではあるが、今は大陸中を巡るための自由が必要だ。

 アリティアの王位は枷になりかねない、しかし臣民(アリティア)たちにはここに座する象徴が必要だ、と。

 

 彼女はオレを疑うこともなく、納得したと言ってくれた。

 その上で少し悩むようにしてから。

 

「でも、いや」

 

 拒否された。

 えっ、わかったわ、ってなる展開じゃないのこれ。

 

「それを聞いて、ますますあなたを王にしたくなった」

「あのな、リーザ」

「わかってる

 王という位が枷だということと、

 私が女王の方がその……喜んでくれるというのは」

 

 言い訳のつもりではあったが、それも事実ではある。

 女王陛下っていうプレミア感はくらっと来ちゃうだろ。

 

「けれど、あなたの位を私の下にしてしまえば、アリティア復興のあとに多くの強権を渡すのが難しくなるかもしれない

 だからこそ、レウスには立場が必要なのよ」

 

 前もって準備していたわけではなかろうが、それでも淡々と論破されてしまった気がする。

 正論はファルシオンよりも強し。

 

「だから、こうしましょう──」

 

 彼女はオレの頬に優しく触れ、諭すように言葉を続けた。

 リーザの愛は重くも深い。

 出されたその提案は……式典で大々的に発表されることになる。



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リーザ

 式典の日。

 アリティア主城の前に全アリティア国民が集まっていたのではないかと思えるほどの人の海ができていた。

 

 こうした際に使われる、正面口のバルコニーに立つのは美しいドレスに身を包んだリーザ。

 月光ではなく、陽の光に晒されたとしてもその美しさが衰えることはない。

 本当に二児の経産婦なのか、割と成長している長女を持つ母親なのか。

 それともコーネリアスが実はとんでもない年齢的な方向の性癖の持ち主だったのか。

 オレは緊張のせいか、そんなことをバルコニーの奥、つまりまだ人の目に映らない場所で考えていた。

 

「アリティアは解放されました!

 今日、このときからアリティアは新たな時間を歩み始めるのです!」

 

 リーザは身振り手振りを交えて、演説を続ける。

 

「アリティア王国は今日を以て国号を改めます!

 今日より我らはこの地をアリティア聖王国と名乗り、

 アカネイア王国やドルーア帝国に従っていた多くの国が失った(ひじり)を聖王国の手で正すのです!」

 

 歓声が一際大きくなる。

 

「我らが聖王国を名乗るその正当性について疑うものはいないでしょう

 神が遣わせてくださった、今様(いまよう)の、我らの為のアンリがここにいるからです!!」

 

 オレの事は広く伝わっているらしい。

 ホルスタットとの一騎打ちだけではない。

 モーゼスとの戦いもそこかしこで吟遊詩人が唄っており、彼らにとっては稼ぎの良いナンバーになっているそうだ。

 ノルンから聞いた話だが、吟遊詩人が唄う物語のベースはリーザが作ったものだという。

 彼女はにやにや笑いながら「愛されてますねえ」などと言ってくる。不敬だぞ。不敬。

 

「我らのアンリ、アリティア聖王国の英雄レウス様!」

 

 リーザの声にオレがバルコニーへと姿を現す。

 昨夜メイドたちが持っていた衣装を結局は纏っている。

 そのデザインはリーザが着ているものの対になるようなデザインであり、式典でなければペアルックじみたもの同然である。

 

「私はアリティア聖王国の女王リーザとして、皆を導きます

 ですが、私を、そして国という大きな枠組みに加護を与える存在が必要なのです

 アリティア聖王国を代表し、

 あなたにアリティア聖王国の現人神(アンリ)であることの証明として『聖王』の座を捧げます」

 

 彼女の考えたことはこれだった。

 実質的な国家としての信仰対象としてオレを据えることで、

 有事の際は神の声として実質的な多くの権限を振るうことができるというもの。

 

 リーザの言葉に続かなければならない。

 人間がまるで絨毯かというくらいに並んでいる様子なんて今までで見たこともない。

 その誰もが喝采し、聖王の誕生を祝福していた。

 

「このレウス、今より聖王の責務を以てアリティアに加護を、

 アカネイア大陸の中で道を違えた国の全てを正すことを誓おう!」

 

 とりあえずは台本通りに喋れたことにリーザは安堵した表情を見せている。

 

 ここから先はオレのアドリブだ。

 

「オレはアリティアの加護を担う聖王として、

 国に身を捧げたリーザを孤独にするわけにはいかない!

 アリティア国民であれば吟遊詩人が唄う魔竜討伐の後にオレが彼女に言った言葉を聞いているだろう!

 オレはその誓いをアリティア聖王国の、我らの民の前で真実のものとする!」

 

 突然の言葉にリーザはきょとんとしている。

 オレは彼女を優しく抱き寄せ、その指に指環を見せる。

 

 ここに来る前にメリナと相談し、

 『白い秘文字の指環』と『青い秘文字の指環』と『ルーンの弧』を組み合わせて作ったものだ。

 

 メリナは随分と手先が器用で、

「巫女が私じゃなかったらどうするつもりだったの?」

 などと言いつつも完成したものを渡してくれた。

 

「リーザ、あの夜の答えをもう一度聞かせて欲しい

 ──オレに娶られてくれ」

 

 民を見て、それからオレを見る。

 

「はい……!

 永く……、末永くあなたの心の側に私を置いてくださいませ……」

 

 彼女はオレに指を差し出し、そうして契約は強く結ばれた。



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離しがたく、手を掴む

 聖王としての仕事というのはほぼ存在しない。

 名ばかり閑職って奴だ。

 暫しの時間をアリティアで過ごしたオレは迎えに行かねばならない人間がいるから、と旅に出ることを告げる。

 

 リーザは確実に嫌がると思っていたものの、あっさりとオレの旅を納得した。

 あまりにもオレを繋ぎ止めようとしたら嫌われると思ったのだろう。

 昼は女王、夜は妻としての彼女を見ているのは満たされる気持ちが間違いなくあったが、

 ここで揺りかごの中の生活をしていればアカネイア大陸の情勢から置いていかれる可能性がある。

 そうなればアリティアも平和を維持できない。

 

 トレントに跨がり、まだ空が薄暗いうちに城を出る。

 リーザと彼女のお付きのメイドだけが見送りに来た。

 四侠たちはアリティア中を飛び回っており、殆ど主城に戻らないためである。

 

「それじゃあ、行ってくる」

「はい、いってらっしゃい」

 

 柔らかな表情を浮かべるリーザ。

 エリスやマルス、或いはシーダも持つ青い髪。

 彼女のそれはやや薄く、それが儚さにも似た美しさを際立たせていた。

 

 メイドの手前なので彼女の手の甲にキスをし、旅立ちを告げる。

 この辺りの所作に関してはノルンが礼儀作法として色々と教えてくれた。

 最初はフレイに教わっていたのだが、女性を喜ばせるならもっとロマンチックな作法がありますなどと。

 二人とも忙しいのにオレの勉強に付き合ってくれるあたり、面倒見が良い連中だ。

 

 アランとサムソンが構ってくれないわけではなく、

 アランはアカネイアのボードゲームのルールを教えてくれたし、

 サムソンは剣技の修行に付き合ってくれる。

 

 ホルスタットはあの日渡したナイトキラーを拝領したいと言ってきたのでプレゼントした。

 その後、数日経ったあとに槍の礼として魔道書をくれた。

 遥か古の時代に使われていたもので、

 それも魔力の幽かな痕跡や本の装丁から相当な貴人の手にあったものだとも言われているらしい。

 鑑定ではわかったのはそこまでで、中身(効力)まではわからず、使用できるものもいない。

 ただ、骨董品としての価値はかなり高く、旅の中で貴族などの賄賂に使えるでしょう、と。

 

「……」

 

 ところで、手の甲にキスをしたが、嬉しくなさそうなんだけど。

 ノルン先生?

 

「すぐに戻れなかった場合、この離れ方は寂しい……」

「……あー、」

 

 メイドたちを見ると、それぞれが周囲を警戒しますよという雰囲気で姿勢を逸してくれる。

 

 オレはリーザを抱き寄せて、唇を重ねた。

 一拍というには少し長い時間のあとにどちらともなく離れる。

 

「いってらっしゃい、あなた」

「ああ、いってくる」

 

 どこにでもあるだろう、妻が夫を見送る光景。

 オレは彼女のその姿や声に安堵のような、満足のような感情に(ひた)される。

 コーネリアスには悪いが、リーザはもうオレのモンだ。

 

 ────────────────────────

 

 人の目があることまで考えると過日のようにトレントを爆走させるわけにはいかない。

 早馬程度の速度で街道を走らせる。

 

 シーダ、レナ、リフと分かれてからそれなりに時間が経ってしまっている。

 彼らは何か得るものがあっただろうか。

 何かを得て、新たな道を見つけていたのならそれを手伝うことができるだろうか。

 

 流れる景色の中でそんなことをぼんやりと考えていた。

 

 オレの体はありがたいことに常人と異なり休息する時間というのが短い。

 短いというよりは、休息するまで動き続ける時間が長い、が正しい表現か。

 トレントを一昼夜通して走っても疲れたりもしない。

 あと二日くらいは飛ばしたって大丈夫なくらいだが、リーザと離れた翌日の朝、

 目的地の近くまで到着することができた。

 あとは徒歩でも問題のない距離なのでトレントを還し、街へと向かう。

 

 ……しかし、どうにも違和感があった。

 確かこの辺りから既に街が見えていたはずだが。

 

 暫く歩くと、ようやく建物をちらちらと発見できるようになる。

 だが、そこはオレの知っている風景とは違う。

 

 道を間違えた?

 

 いや、間違えようがない。

 

 周りをきょろきょろと見渡していると、住民がこちらへと声を掛けてきた。

 

「どうしなさった、旅の人」

「ああ……この街で人と落ち合う予定なんだが……

 随分とその、オレが前に来たときと風景が異なっている気がして……」

「旅の人が最後にここに立ち寄ったのはいつ頃だったのかね」

「ええ、と大体……」

 

 記憶している時間を告げると住民は少し表情を暗くした。

 

「ああ……そうか……

 旅の人がここを出てからふたつ月せんくらいにな、

 この街は……戦に呑まれたんじゃよ」



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修繕した裂け目から

「……どういうことだ?」

「そう剣呑な顔をするでないわい、おっかないのう

 説明するから落ち着いてくれ」

 

 オレが旅立ったあと、グラは周辺国家の情勢不安を理由に兵士を駐屯させたいと考えていたが、

 当のグラには明確に戦力が足りていない。

 

 その解決策として隣領レフカンディのカルタス侯が以前より送っていたラブコールを受けた形だ。

 

 この土地はグラのものではあったが、アカネイア、オレルアン、レフカンディを除く五大侯家などの諸領は混沌とする情勢で

 自領安定のために強引な手段(徴発)をすることを選んでもおかしくはないと考えたのだ。

 

 それを防ぐためのレフカンディ軍の駐留であったが、指揮していたカルタスが突如として街を略奪した。

 呼応するように現れたのがグルニアの騎兵たちであった。

 

 襲われた理由など街の人間にはわからない。

 多くの物と人がレフカンディ領へと運ばれたとのは間違いないことだろう。

 

「規模は小さくなったが、街は残っているのは何故だ?」

「カルタスが去ったあと、グラの軍が来て収拾をつけるために修繕をしたんじゃよ」

「もう少しだけ聞きたいことがある」

「ああ、良いとも」

 

 街の住民に付いてきてもらい、付いた場所。

 オレが寝続けていたって宿だ。

 そこには何もない。

 

「ああ、宿には戦えるものもいると考えたんだろうのう、手酷く壊されたよ」

 

 次に向かったのはレナとリフが治療をしていたという施設だ。

 宿の隣にあったので探す手間もない。

 そして、別の意味でも探す手間はなかった。

 存在しないのだから。

 

「ここに、……ここにいた人はどうなったか知らないか?」

「赤毛の優しいシスターと、禿頭の男性だったか……

 気がついたらこの状態、

 どうなったかはわからん、他の住民の話じゃあ誰かに言われるままに街から逃げるのを見たとか……」

 

 一先ず、何とかそれで爆発しそうな感情を押し留めることができた。

 あのレナとリフがシーダを置いて逃げるとは思えないがここで知りようもない事情があるのだけは理解できた。

 何よりも生きているなら、まだ大丈夫だ……。

 

「もう一つ」

 

 そう言って付いてきてもらった場所はアンナの店があった場所。

 街の中ではかなり大きい敷地面積だったが、そこも他と同様。

 

「散々略奪されたのよ、アンナちゃんがやっていた店は大きかったからなあ」

「ここで働いていた青髪の少女がいたろう、彼女は?」

「カルタスに挑んだ姿を見たものがいるが、死体は出ておらん

 アンナちゃんもな」

「……そう、か……」

 

 どうにか、どうにか、オレは感情を抑えている。

 大丈夫だ。

 生きてるなら希望がある。

 

「もしもカルタスの所へ行こうと言うなら無駄じゃよ、

 レフカンディは今オレルアン軍とマケドニア軍の戦いでとてもじゃないが入れる状況じゃあない」

「そうか、色々とありがとよ」

 

 ゆっくりと歩く。

 知った事か、カルタスからだ。グルニア騎兵が来ていたのも気になるが、

 地理的にはレフカンディの方がよほど近い。

 

「旅の人や、言うか迷っておったが……その表情からすると、あんたの大切な人だったのかね」

「そうだ」

「……グラが来たと言ったろう」

 

 修繕をしていったって話はこの住民から聞いたことだ。

 オレは頷いて続きを促す。

 

「わしはグラの民。

 墓の下まで持っていこうかと思ったが……あんたには話さないといかんじゃろうな」

 

 住民は周りに誰もいないことを確認し、それから口を開いた。

 

「グラの兵が修繕の計画を話し合っているときにな、

 ここまで壊すなんて聞いていない、面倒な計画に巻き込みやがって

 そう言うな、レフカンディからは十分な報酬が出されているんだから、

 とそう言っていた……

 街の襲撃はグラも承知の上だったのかも知れん……」

「……そうか、参考になったよ」

「旅の人

 わしは青い髪のお嬢ちゃんに(くわ)(すき)を譲ってもらったんじゃ」

 

 すぐさまグラへと向かおうとした背に彼が言葉を続けた。

 

「直す金も新しいものを買う金もないわしは途方に来れていたときに、

 あなたの作る野菜が市に並んでいると嬉しくなるから、と……

 わしはあの娘の名も知らんのに、あの娘はわしが作った野菜を知っていてくれた

 なのに……あの時にカルタスに挑んだ娘に何もしてやれんかった……」

 

 長い時間を農作業に費やしてきた、皺は多いが無骨で頑丈そうな手を握り、震えさせている。

 

「なあ、旅の人

 どうか、助けてやってくれ……言われずとも助けようが、あんた以外にもあんたの大切な人には恩があるものが沢山いる……

 あの赤い髪のシスターや禿頭の男性にも多くのものが助けられている……

 力もなく、踏み潰され、食い物にされるわしらの代わりに……どうか、頼む」

 

 オレが背負っているエムブレム(ルーン)が王としての資格と資質そのものであるのなら、

 民を安んじさせるのは、アカネイア大陸の王を目指すのなら成すべきこと。

 敵を砕き、葬るのは狭間の地の王であれば何をも比べずに優先すべきこと。

 

 この住民の頼みを聞き入れるのはその二つに背を向けないことでもある。

 

「あんたが思いもしないくらいに、どうにかしてやるよ」

 

 ああ、そうさ。

 誰の戦利品(もの)に手を出したか、教えてやらねばならない。



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あばれはっちゃく

 グラ主城近く

 グラの兵は多くない、それ故に主城や正門を除くグラ領の防衛はレフカンディ軍やグルニアの派兵で賄われている。

 

 一歩、一歩と歩いてくる人影を見つけたのはグルニアの巡回騎兵だった。

 

「そこの貴様!グラの王ジオルの名において止まれ!

 先はグラ主城のみがある!

 城下町へ行きたいというのならば大きく迂回せよ!!」

 

 何事かとグルニア兵以外にも鎧の色やデザインが異なるレフカンディ兵たちが視線を向け、

 或いは巡回騎兵へと向かう。

 

 男は懐から鈴を取り出す。

 言葉が通じていないのだろうか?と訝しむグルニア兵。

 

「グラの王ジオルの名において、貴様の目的を述べよ!」

 

 りぃりぃん。

 瀟洒な鈴の音が響く。

 

 不気味な色の霧が鈴からもたらされると、それは騎馬兵と、体格に優れた斧使いが現出する。

 

「ま、魔道か?」

 

 レウスは答えない。

 答えた所で『二愚(ベンソンとハイマン)の傀儡』の事は彼らには理解できない。

 

「目的を聞いたか」

「ああ、何者だ、何が目的だ」

 

「オレはレウス、名を知らずば聖王と覚えておくがいい」

 

 ずるり、と外套から手品のように鉄塊(グレートソード)が取り出される。

 

「目的は、返してもらうことだ」

 

 大仰な風が断ち切られる音。

 その後には赤色のシャワーが空に向かって吹き出した。

 

「逃げたければ逃げろ!

 守りたければオレの前に集え!

 どうあれ殺す!(ことごと)くに殺すッ!

 お前たちが触れたものが何かを、他のものに伝えるためになッ!!」

 

 その言葉と同時に騎馬兵が弓から放たれるかの如くに猛進する。

 

 手に持った槍は騎兵を殺すことに特化した、功名生みの槍(ナイトキラー)

 歩兵には目もくれず、騎兵だけを的確に狙って殺していく。

 殺した騎兵の首を槍で刎ねると、突き刺し、馬が前脚立ちをすると槍を掲げた。

 

 それは自らの功名を喧伝しているかのようでもあるが、死を喜ぶ異邦のドルイドのようでもあった。

 

「囲め!騎兵の動く場所を潰せ!」

 

 レフカンディの歩兵たちは騎兵の潰し方を熟知しているのか、駆け抜けられないよう戦術を使う。

 

 ぱん、ぱぁんと兵士たちが聞いたことのない音が聞こえ、その方向を見ると、首のなくなった同僚たちがゆっくりと倒れるのを見てしまう。

 その向こう側に笑った表情が張り付いているような、不気味な男が手を上に上げている。

 まるで意思に従うように手斧が男の手に収まった。

 

「て、手斧……だとして、こんな切れ味が、あんな精度が……!?」

 

 その隙を騎兵は逃さない。

 曲乗りするかのように馬を操り、包囲を抜けて騎兵へとまっしぐらに進んでいく。

 

「クソッ!追え、追」

 

 包囲していた兵の一人が騎馬兵を指差し、他の者へと命じようとしたが、

 その視界がぐるん、と一回転した。

 何が起こったかを確認するまもなくその生命は途切れた。

 

 歩兵の上半身が割られていた。

 馬鹿げた大きさの剣が命中したその衝撃で割られた部分が飛んでいったのだ。

 鈴を鳴らした男だ。あの男の剣がやったのだと歩兵が遅まきに理解する。

 その情景に恐怖に支配された歩兵が腰から崩れ落ちる。

 

「た、助けてくれ!」

 

 尻もちを付いたレフカンディの兵が武器を捨て、命乞いをする。

 まるで聞こえていないようにグレートソードを台座に置くかのようにして兵を叩き割る。

 

(ことごと)くに殺す』

 

 男が叫んだ言葉を聞いたときは物狂いかと多くのものは思った。

 今も兵が駐屯所などから集まってきている。

 警笛が鳴らされ、他の場所でのパトロールをしていた騎兵も集まっている。

 これだけの数を誰が突破できるというのだ。

 

 殺戮を遠巻きに見ていたレフカンディの指揮官は寝物語に母親に話してもらっていた英雄譚を思い出していた。

 

 独りの英雄アンリ。

 

 全ての敵を倒し進み、悪い竜(マムクート)どもを屠り、やがて悪い竜の親玉をも打ち倒す。

 

 いるはずがない。

 あれは誇張された物語のはずだ。

 だが、アカネイアの地に住むものであれば、口に出してしまうものがある。

 

「アンリ」

 

 誰もが寝物語を聞いた後にそうなりたいと思う英雄に重なる姿。

 それがこちらへとまっすぐに歩いてくる。

 

「い、いやだ……アンリ、英雄……」

 

 司令官は武器を捨てる。

 

「英雄は、アンリは殺せない!オレたちの目標を殺せるわけがない!」

 

 レフカンディの司令官は地に頭を擦り付けて許しを乞う。

 

「どうか、どうかお許しください!」

「何を許す?」

「そ、それは」

「レフカンディの主、カルタスの下に付いていたことをか?

 国境沿いの街で暴れたことをか?」

「な、なにを」

「知らないなら、いい」

 

 林檎や梨のような果実が割れたような音が鳴る。

 レウスがひれ伏した頭を無造作に踏み潰した音だ。

 

「一体、一体何が……?」

 

 一時間ほど前はいつもどおり、この辺りは平和だったはずだ。

 何があってこんなことに?

 どこかでこの世ならざる門が開いて、現れては行けないものが這い出てきたのか?

 

 兵士が恐怖で足を動かせないでいると、すかん、と手斧がその首を跳ねた。

 それらの死体を踏み荒らしながら騎馬兵がグルニアの騎兵を狩り殺している。

 

 血風の中を歩くレウスは寄り道もよそ見もすることなく直進する。

 歩みの先にはグラの正門が見えてきていた。

 



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えのころ

 正門に近づく前にレウスは振り返る。

 後ろで行われている凄惨な戦い(ワンサイドゲーム)を見ても、傀儡を戻す気はしなかった。

 グルニアもレフカンディもどうなろうと興味がない。

 生かしておく理由もない。

 

 再び正門へと向き直り、歩こうとしたが、正門に兵士たちが立ち塞がっているのに気が付いた。

 止まる気もない。

 止まる理由もない。

 

「お前たちのために文言を考えるのすら、オレは意味を持てない

 だから繰り返す

 逃げたければ逃げろ

 守りたければオレの前に集え」

 

 一歩歩く。

 

「どうあれ殺す」

 

 グレートソードを一度振り、肩に担ぐ。

 

(ことごと)くに殺す

 お前たちが触れたものが何かを、他のものに伝えるために」

 

 その瞳を見た正門を守る兵士が膝を突いてげえげえと吐き出す。

 戦乱であっても、レウスの目や体から漂う『死』そのものを感じてしまえば常人であれば耐えきれないもの。

 レフカンディの指揮官がおかしな投降をしたのもまた、それ()を受け取ってしまったからだ。

 

 だが、全員が耐えれないものではない。

 アカネイアの地は心が強いものは少なくない。

 

「と……止まりなさい!」

 

 それは少女の声だった。

 凛とした、よく通る声だった。

 

 レウスがどろりとした瞳を向け、それでも尚、後退しなかったのは彼女だけであった。

 

 ────────────────────────

 

 轢き潰すことしか考えていなかったオレに思考の猶予が生まれた。

 

「止まる気はない」

 

 のしのしと歩いて、少女の前に立つ。

 それとほぼ同時に彼女は槍を構えようとする。

 

 オレの後ろじゃあ殺戮が行われていて、いやでもその風景は見えてしまっているだろう。

 少女の手が震えている。

 オレは彼女の首を掴むと、持ち上げた。

 

 彼女を守る兵はとうの昔に誰もいなくなっていた。

 

「勇気は認める、名前は?」

「かっ……ぇ゛……」

 

 槍を落とし、足をばたばたとさせて首を掴む手を振りほどこうとしている。

 締めすぎて喋れないのか。

 

 仕方なしに、乱暴に彼女を投げ捨てる。

 げほげほと咽び、それでもオレに目を向けながらも槍を掴む。

 

「グラの王女……シーマ」

 

 記憶にある原作の姿を思い出そうとするが、随分と幼い。

 ……当然か。

 彼女が登場するのは何年かあとの物語だものな。

 

「ここに、グラに何の用だ!」

「シーダを知っているか」

「……シーダ?」

「青い髪を長く伸ばした女だ、年の頃はお前と同じくらいだ

 背はさほど高くはない、すらりとした体型をしている」

 

 将来的には相当成長するみたいだが、今の時点じゃスレンダーという表現が適している。

 

「シーダとは、シーダ王女のことか?

 タリスの、あの?」

「そうだ、そして今はオレの戦利品(もの)でもある」

 

 一国の王女に対して何を言っているのか、という顔だ。

 だがそれもすぐに表情を戻す。

 

「ここにはいない」

「国境近くにある街を襲った時に拐ったはずだ」

「あの街にタリスの王女が……?

 いや、そもそもそれはレフカンディの者の暴走だと聞いている、我らはむしろ被害者──かはっ」

 

 成長すれば装甲騎士(ジェネラル)となる彼女も今は重装甲を纏えない槍兵に過ぎない。

 それでも最低限の防具は身につけていたので拳を軽く打ち付けた。

 

「じゃあ何故あっちでレフカンディの兵がここを守る」

「それ……は、暴走した事に対する、埋め合わせとして、兵を……出してくださっているのだ」

 

 今度は首ではなく、服を掴み、強引に立ち上がらせる。

 

「何も知らないのか」

「何もとは、何をだ?」

「あの街はレフカンディとグラが共謀してやったことだ、もしかしたらグルニアもな

 大方グラの城に出せるものがなかったから街を生贄に捧げたのだろうさ」

 

 さあっと顔色が青くなるシーマ。

 

「あ、ありえない……」

「ありえます、って顔色のようだが」

 

 グラの王ジオルは暗君であるということを知っている。

 ドルーアが戦いを始めた頃に同盟国であるアリティアを早々に裏切った。

 コーネリアスを突き殺したのもアリティアを背後から襲ったグラであったはずだ。

 

「お前の父親は自分のためであれば同盟国を売る、

 国家を左右する問題を身の保身第一に考えた男が

 自領の街一つを売らないと何故言い張れる?」

 

 反論しようとして、しかし、言葉を見つけられない。

 何とかオレの手から逃れ、睨みつけてくる。

 

「だ、黙りなさい……父への侮辱は、グラへの侮辱です」

「ドルーアやアカネイアの犬の国、そこの王女も所詮は犬か」

「ッ」

 

 彼女はオレの悪罵に耐えかねたのか、涙をぽろぽろと流す。

 それをぐいと袖で拭い、槍を構えた。

 

 気骨がある。

 

「武器を構えるな、死ぬことになるぞ」

「わたしの血に名誉がないというのは、そうだと思う

 父が名誉を売り払ったからと言われれば否定もない」

 

 彼女が恐怖から来ていた震えを、自らの意思で止めた。

 橙色の瞳がまっすぐにオレを見つめ、「でも、」と続けた。

 

「ここで道を開けたら、私は一生……汚れた野犬のままだ!」

 

 殺すのを惜しみそうになる。

 しかしオレに考える暇は与えられなかった。

 

 矢がオレに向けて放たれた。

 それを避けはするが、射ってきた方向を見るとかなりの規模の兵団が現れている。

 騎馬兵(ベンソン)斧使い(ハイマン)はどうやらやられてしまったらしい。

 それだけの数が襲ってきたわけだ。

 相当な数を向けられていたことに気がつく。

 

 騎馬弓兵が矢を打ちながらこちらへと突き進む。

 

「シャロン様!」

 

 20そこそこの年齢だろうか、鋭い雰囲気の男がシーマとオレの間を割るように現れた。

 

「誰だ、お前」

「ディール侯爵家、当代のシャロン

 そしてシーマの許嫁でもある」

 

 知識にない人間だと思う。

 ディールってのが『五大侯』の一つであるのはわかるけど……。

 

「貴様こそ何者か!」

「聖王レウス様だ、覚えなくていい」

 

 シーマがその言葉にはっとしたように、

 

「聖王……!

 アリティアの現人神の……!?」

 

 流石は元同盟のグラ。

 アリティアの情報はよく存じ上げているってわけだ。

 

「リーザがそう扱ってるだけだ」

 

 こちらにシャロンとやらの兵団が近づいてきた。

 長話していたら、囲まれて虐殺しか打つ手がなくなりそうだ。

 このまま、思う様に武器を振るってもいいが……オレが求めている情報に行き着くにはそれよりも別の手段が有効だろう。

 

「先の気迫は悪くなかった

 お前が犬ころかどうかは次にあった時に決めるとする」

 

 オレはシーマやシャロン、そして彼の兵団とは別の方向に走り、トレントを呼び出して撤退した。

 情報を得るための光明を得た。

 さて、そのためにはどう動いたものか……。



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はしれ!つけひげくん

 聖王襲撃の翌日。

 シーマはようやくシャロンと落ち着いて話せる状態になっていた。

 彼女の精神的な動揺もあったが、シャロンがグラ王ジオルとの軍議などで話せる状況でなかったのだ。

 

「シャロン様、どうしてこちらへ?」

「アリティアの警戒のために兵をグラに回しに来たんだ

 フィアンセに何かあっては困るからね」

「シャロン様……」

 

 五大侯とは、

 アカネイア領にあってその発言力と軍事力はそれぞれにグラを遥かに凌ぐものを持つ大貴族であり、

 レフカンディ、サムスーフ、メニディ、ディール、アドリアの五つを指す。

 

 レフカンディは国境の街を襲ったと言われているカルタス、

 ディールはシーマの許嫁であるシャロン。

 

 レウスの視界に入ってきていない家で言えば

 メニディはノア侯、

 サムスーフはベント侯、

 アドリアはラング侯。

 

 それぞれの家と当主はアカネイア王家がドルーアに呑まれた以前または時点でドルーアに恭順している。

 アリティアが聖王国を名乗り、明確にドルーアの同盟に反旗を翻したことから警戒を強めるのは自然なことであり、

 先王コーネリアスを討った直因がグラであるとなれば協力するのがフィアンセというものだ、というのがシャロンの言である。

 

「ですが、シャロン様

 御家の方は……」

 

 現シャロンはその座を引き継がれたばかりである。

 五大侯はそれぞれに御家騒動でドタバタしており、シャロンのディール家も例外ではない。

 先代が戦乱で命を落としたことから複数の子で血みどろの争いになったが、

 アドリアのラングが後ろ盾になったことで彼が当代のシャロンと認められた背景がある。

 

「もう落ち着いたよ

 グラにはジオル様からお許しをいただければ兵と信頼できる指揮官を置く予定だ」

「ありがとうございます」

 

 あの戦いの後でグルニアとレフカンディの兵の殆どが死に、生き残ったものは逃げ帰ってしまった。

 今、グラの防備は極めて低下している。

 

「シーマ、大事な話があるんだ」

「なんでしょうか?」

「予定よりも随分と早いのだけど、我がディール家に来てくれないか?」

「え……それは」

「結婚しよう、シーマ

 そうすればあの悪魔のような男からだって守れることができる」

 

 シャロンはシーマのフィアンセだ。

 時間が流れればそうなるだろう。

 しかし、シーマはまだその準備ができていなかった。

 妻として、女としてもシャロンを受け入れる学習も準備も未熟だからである。

 

「駄目かい?」

「い、いいえ!」

 

 シャロンは幼い日からシーマの憧れでもあった。

 その彼に誘われ否やと言えるはずもない。

 大々的な婚礼は戦乱が終わった後にという約束とはなったが、

 ディール家に入れば、すぐさま嫁としての立場が始まるのだ。

 予測もしなかった展開にシーマは混乱したままであった。

 

 ────────────────────────

 

 非常に神経を使ったが、スニーキングミッションには成功した。

 シャロンとジオルの間で話されたことは正直、取るに足らないことが多かった。

 ただ、気になる会話もあった。

 

「レフカンディとグルニアに街を渡したというのに、シーマを手放す気はないのですか?」

「……その気がないわけではない

 だが、レフカンディも我が娘を高く買うと言っている

 シャロン殿、あなたはどれほど積めるのだ?」

「ここに来た兵団とそれに掛かる全ての経費を三年分、

 それにディール家の分家が持っている商隊を四つお渡ししましょう」

「む……むう……」

「まだご不満がおありですか

 では、あのバケモノ(レウス)が殺したレフカンディの穴も埋めるだけの兵団を送りましょう、そちらの経費も三年分お持ちします」

「そうか、うむ、そうかそうか

 シャロン殿はもとより娘のフィアンセ、お送りするのが自然なことよ

 は、ははは!」

 

 というもの。

 ジオルすごいよお前。

 会話で一回も娘の名前を出さないことってある?

 娘に対して『買う』とか『積む』とか……手前の所の王女に使う言葉かよ。

 いや、これ以上は完全にブーメランだな。

 

 ともかく、シャロンは大枚はたいてシーマを『買った』わけだ。

 そこまでするのは何故だ?

 本当に愛で?

 レフカンディもシーマを必要としていたようだが、何か理由があると考えるべきかな。

 

 ただ、とりあえずは目先の餌に食いつくとしよう。

 オレはシャロンの後をついて回ることにする。

 

 黒い毛皮やアリティアを共に駆け抜けた装備は一度外し、身軽な旅人といった服装に変わっておく。

 ジオルとシャロンの話を聞くために城から盗んできたもので、王族がご贔屓にしている代物なのか着心地は悪くない。

 

 それと、面白いものも見つけたのでそれも頂戴していたので使うことにしよう。

 付け髭だ。真っ白いやつで、口の周りをびっしりと覆うものだ。

 貼り付け方は裏面にゲル状のものがついていて、肌にしっかりと張り付く。何でできてんだ、これ。

 

 まあだが、問題はなさそう。

 あと匂ってみたけど無臭だった上に使用感もない。

 デザインからしてもジオルのあのヒゲだ。

 もしかしてアレ、付け髭だったのか?

 なんというか……貫禄付けないといけない社会ってのは大変だなあ。その点については同情するよ。

 

 日が昇る頃、城から一団が現れる。

 遠間からシャロン、シーマ、そして護衛たちを見ながらトレントで後をつけることにした。

 

 数日でようやく到着したディール侯爵領はなんというか、普通だった。

 それが逆に、なんとなしに不気味でもある。

 今のところ活気がある街か、廃墟か、戦地しか見てないからそんな感想になるんだろうか。

 

 ともかくディール邸をどのように入り込むかが次の課題だ。

 そこらの兵士を数人ボコボコにして一式揃えてからのカモフラ入場するか……。

 折角ならスマートな手段を取りたいもんだが。



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A:狼の戦鬼、バルグラム

「ああ、ようやく見つけた

 アンタが新しいお馬番だろう」

 

 邸の人間がやれやれといった感じで話しかけていた。

 誰だこいつ。

 お馬番?

 ま、いいや、話し合わしとけ合わしとけ。

 よくわからんけど頷くのは得意だぜ。

 

「ああ、邸が広くってな、オレが入ってもいい入り口がわからんかった

 表から行くわけにもいかんだろう、馬番がだ」

「ははは、シャロン様はそこまで狭量ではないよ」

 

 案内されたのはお馬番以外にも多くの使用人が集う場所だった。

 

「前のお馬番が逃げちまって、次がすぐに決まってよかったよ

 シャロン様は最近、随分と軍馬を集めてらっしゃるから」

「逃げた?」

「と、思うんだがね

 最近多いんだよ、邸から逃げちまうのがね

 戦の気配を感じたのかもしれないねえ」

「ああ、軍馬を揃えているって言ってたものな」

 

 などと話を合わせる。

 意外とコミュニケーション能力が高いだろう。

 こう見えてもVCありのゲームでは必ずオンにするタイプの人間なんだぜ。

 

「アリティアとの戦争になるって話だけどねえ」

「シャロン様は弓が達者なんだろ?」

 

 実体験だけどな。

 悪い腕前ではなかった。

 オレの知っている弓使いの実例が死神(ノルン)なので「悪くない」程度の評価に落ち着くけど。

 

「生前の先代ノア様にご指導を受けていたからねえ」

 

 ノア……メニディ家の当主か。

 大陸一(ジョルジュ)の父親ってことは、まあ弓の腕は立ちそうだ。

 そいつからの教えを受けてる、か。

 

「そりゃあ凄い、だったら活躍を期待してお馬番ができるな」

「ははは、仕事ぶりに期待しているよ」

 

 などという話の後に邸の内部を案内される。

 使用人が入れる範囲、それと邸の外に立てられた使用人のための住居(アパート)

 

 気にしておくべきは絶対に入ってはならないところに一階のエリアが指定されていた。

 理由を聞くと、

「牢屋に入れられないような人を拘禁するための場所」

 らしい。

 現在は使われてないとは言っているが……。

 

 仮にシーダを捕らえているのが五大侯で、

 この家の預かりになっているかもと考えると一応見に行く必要があるか。

 

 ────────────────────────

 

「そこのお前、お馬番だったな」

 

 働きはじめて数日。

 

 結構早い段階で拘禁部屋に行ってみたが使われている様子はなかった。

 次はディールの部屋か、そこもなかったらどうしたものかな。

 と、考えながら食事をとっていると邸の警護役が声を掛けてきた。

 

「ああ、そうだ」

「中々いい体格をしているな」

「馬の世話ってのは筋力が付くんだ、あんたもやるかい」

「いや、それはいい

 それよりもだ、もっと金が欲しくないか?」

 

 兵士へのスカウトかね。

 まあ、ここにいてもしゃあないし、河岸を変えるのもありか。

 

「ああ、そりゃあ欲しいさ」

「だったらいい仕事がある」

 

 ────────────────────────

 

 オレはヒゲを撫でながら、警戒しつつも新たな仕事へと赴いた。

 

「この邸に滞在している貴人の護衛が必要だ」

 

 そう言われて面通しされた相手はシーマだった。

 バレたら即、暴力的な手段に訴えかけよう。

 流石にシーマを盾にすりゃ何かしら情報は手に入るんじゃないか?

 だって兵団二つ他とトレードするレベルで惚れているフィアンセだろ?

 

「……」

「シーマと申します

 ……あ、あの、お名前は」

「……バルグラムだ」

 

 入った時にパッと出てきた名前がそれだったのだ。

 ただ、誰の名前か全然思い出せん。

 狭間の地の……赤霊(人型の敵)だったと……思うんだけど……。

 人の話を聞かない弊害がバッチリ出ている。

 これにはメリナもにっこり(馬鹿にした笑み)だな。

 

「バルグラム様、何卒よろしくお願い致します」

「……ああ」

 

 声音を変えているせいで超絶陰キャ感が出ている。

 

「シーマ様は今日の所はお休みだ、バルグラムは外で待機を」

 

 オレを誘った兵士がそう言うので従う。

 外に出たオレに兵士が

 

「突然声音変えてどうしたんだよ」

 

 オレは窮して答えた。

 

「女の子と喋ったことがないから……死ぬほど緊張しちまうんだ」

 

 今どき小中学生だって女の子を前にしてそんなんにならねえだろ。

 自分のへっぽこな返答に心の中で突っ込むことでしか自尊心を保つことができなかった。



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やはり排泄物か…

 それにしても来て数日の人間に侯爵夫人(予定)の警護をさせるってのはなあ。

 意図が読めん。

 シャロンに取っちゃ大枚叩いてでも迎えたかった自分の嫁さんのはずだろうに。

 彼女をダシに信頼できるものかどうかチェックしているとか?

 わからん……などと考えているとシーマが声をかけてきた。

 

「バルグラム様」

「……私は護衛だ、呼び捨てで構わない」

「では、バルグラム

 私は外で稽古をしたいのだけど……その」

 

 外に出すなと言われている。

 悩みどころだ。

 波風を立ててクビにされるのも困るが、この立場が飽きているのも事実。

 時間を無限に使えるわけでもないしな。

 

「……わかった、外へ行こう」

「いいの?」

「……私はシーマ様の護衛、お気持ちを尊重する」

「ありがとう」

 

 まだ幼さが残る顔をぱあと明るくして外へと向かう。

 流石に邸の外には出ない。

 そんな事をしなくてもここには大きな裏庭があるからだ。

 

 槍に見立てた棒を使い、振って、回し、叩く。

 背丈や筋力が追いつかずに、どこか不安が残る練習風景ではあるが。

 

「あなたは強いの?」

「……人並みだ」

「本当に?」

「……ああ」

 

 シーマは、槍代わりの棒を一つ渡してくる。

 

「練習に付き合って!」

 

 少し迷う。

 オレは単純な技量勝負は死ぬほど弱い。

 戦いの読み合いが致命的に下手なのだ。

 

「……わかった」

 

 彼女の姿を見て、無様は晒さなくても良さそうなので乗ることにした。

 コミュニケーションは大事だからな。

 

 かんかん、と槍の打ち合いをする。

 気をつけねばならないのは彼女に触れること。

 勿論、シーマは侯爵夫人になるのだから余人が触れるのはNGなのもある。

 ただ、それ以上にオレは過去に彼女を掴んでいる。

 顔は騙しきれても実際の感触で思い出される可能性がある。

 

「精が出るね、シーマ」

「シャロン様!そ、その……」

「いや、閉じ込めておくようなことをした私が愚かだった

 護衛の君も我が儘を聞いてくれたんだね」

 

 シャロンが感謝を述べながらオレの肩をぽんぽんと叩き、

 

「……ッ」

 

 シーマからは見えない角度で拳を腹に打ち込んできやがった。

 

「下郎が調子に乗るなよ」

 

 小声でオレに警告してくる。

 そして振り返ると笑顔を向けてシャロンと楽しくお喋りをはじめた。

 

 正体見たりって感じだな、ディール侯さんよ。

 

 ────────────────────────

 

 それからもシーマに乞われて何度か庭での練習に付き合う。

 その度にシャロンには睨まれ、舌打ちなんぞをされる。

 これだけオレに絡んでおいてシーマにバレないようにやれてるのは陰湿さの才能に溢れているとしか言いようがない。

 

「バルグラム!今のはどう?」

「……悪くない、が……もっと、腰を入れるんだ」

 

 オレはいわゆる武術なんかを学んだことがない。

 狭間の地には戦灰という大変便利な道具があり、そこから記憶を読み出すことで長年かけた技のように武芸を繰り出すことができる。

 なので、技術面で教えられることがない。

 

 とはいえ、ただ見ているだけというのも間が持つわけなく、

 苦し紛れであったがオレは戦灰の一つである『巨人狩り』を教えることにした。

 戦灰を渡してこれで覚えてね、なんてことはできないので、身振り手振りの教え方になるが。

 触れないってのは、こう、結構教えるのに響くな。

 

「腰を入れ……こう?」

「……いや、違う」

「わからないわ、触れても構わないから教えて」

「……」

「お願い!」

「……わかった」

 

 年齢のせいもあってシーダを思い出してしまう。

 早く探さねばならないが、闇雲に探して見つけられるとも思えない。

 まだ幼いとも表することができる少女の願いを断ることがそもそも辛いのに、

 シーダを重ねてしまったらそりゃあもう無理ってもんだ。

 

 可能な限りオレの手がかつてシーマの首をがっちりと締め上げたものだとバレないように指導する。

 

「はぁッ!!」

 

 シーマの気合一閃。

 ぎゅんと風が練り上げられて切り開かれたような音が、突き上げた槍と共に放たれた。

 

「……できている、シーマ様の才覚には驚かされる」

「ほ、本当!?」

「……ああ」

 

 正門で見たときとは違う、年頃の少女としか見えない態度。

 戦乱の世だ。

 王族ともなれば強く、模範的で、尊きものであると見せ続けねばならないのだろう。

 

「もう一度やるから、指導して!」

「……わかった」

 

 腰の入りを修正するために手を触れたときに、ぱしん!と空を裂く音共にオレの手から血が迸る。

 

「護衛とは言え、それを許した覚えはないぞ」

 

 シャロンが手に持った馬鞭をオレの手に叩きつけやがった。

 

「……申し訳、ございません」

 

 ここでアカネイアで初めての前衛アートにしてやろうかとも思ったが、ぐっと堪える。

 それをするなら最初からすりゃよかったんだからな。

 何とか害意を抑えながらシャロンを見やると、シャロンも値踏みするような目でオレをじっと見ていた。

 

「しゃ、シャロン様!ごめんなさい!

 私なのです、バルグラムに無理を言って──」

「いいんだよ、シーマ……無理に彼を庇わずとも

 さあ、あちらへ行こう」

「シャロン様……」

 

 シーマはここでオレの名を呼べば更に問題が長引くと思ったのだろう。

 オレを心配そうに何度も見ながらもここから離れていった。



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ディールの暗がり

 シーマが食事の後に「ひどく眠い」と言って机に突っ伏すように眠り始めた。

 ここ数日、シーマに付いていたが何をするにも折り目が正しい、俗な言い方だが『委員長』って感じのタイプだ。

 そんな人間が気絶同然に寝るってのはどう考えてもヤバそうな状態だが、使用人に言っても寝かせておきなさいの一点張り。

 

 オレはそのままというわけにも行かず、彼女をベッドに寝かせた。

 静かな寝息が聞こえはするのでひとまずは安心。

 

 情が移ったわけじゃない。

 

 ノック。

 音の感じからするとシャロンじゃあないな。

 

「入ってもよろしいか」

 

 聞き覚えのない声。

 

「……お開けします」

 

 開いた先には神経質そうな男が立っている。

 シャロンやそのお付きも一緒だ。

 何となしに見覚えのあるルックスだ。

 

「ヨーデル殿、お言いつけのとおりにしました」

 

 ヨーデル……。

 ああ、カダインの魔道士か。

 見覚えがねえと思ってたが、年齢のせいだな。

 

 しっかし、なんというか、こんなに淀んだ目の男だったか?

 

「よくやった、ディール侯爵」

 

 シーマへと近づくヨーデル。

 お言いつけってことはメシになにか混ぜ込んだのがシャロンで、それをやらせたのがヨーデルってことか。

 カダインが五大侯に関わっているのか?

 このディール侯爵領とカダインは大陸の南北でがっつり離れちゃいるんだが、

 距離というものを置いてでも価値があるってどちらかが考えた結果なのだろうか。

 

 ヨーデルはシーマの衣服を無感情に脱がしていく。

 控えめに言って発育途上といった裸体だが、流石にカダインの魔道士様がセクハラしにわざわざ来たわけではあるまい。

 

 ヨーデルが何か言葉を紡ぐと、彼の手は黒や紫、そして白の粘度のありそうな霧が立ち上がった。

 

 なんだ、見覚えがあるぞ。

 ……今のカダインはガーネフの支配下だったはず。

 アレ、……もしかして『マフー』か?

 

 禍々しい霧はまるで触手のように蠢いて、シーマの体へと触れていく。

 しかし、肌に触れるとその端から霧が霧散した。

 

「合格だ、この娘は資格がある」

「承知しました」

「この娘はお前の妻だったか」

「ええ、ジオルから兵団と金で召し上げました」

「手を出したいのであれば構わない、ただ」

「子を孕めば嬰児(みどりご)はカダインへと提供すること、でしたね」

「そうだ」

 

 シャロンは恭しく礼を取った。

 

「『要塞』へ運び込みますか?」

「いや、その娘は後日に試験運用に利用する

 レフカンディの話は聞いているか?」

「いえ」

「オレルアン軍に突破を許したそうだ」

「……それは、厄介ですね」

「要塞にはまだ動いていて貰わねばならんが、

 万が一アカネイア首都(パレス)が落とされる可能性も考えるべきだろう。

 であれば、別の拠点も必要になる」

「グラを手中にするのはあと一歩です、そうなれば」

「あれをオレルアンとアカネイアの目に入れたくはない、

 グラを手に入れたならすぐに『巫女』を動かせ」

「はい」

 

 ヨーゼフは用件を伝えた以上、ここにいる意味もない。

 そんな具合に部屋から退室する。

 シャロンは「服を着させておけ」とオレに命令する。

 触れたらキレる癖になんなんだ。

 

「……かしこまりました」

 

 頷くけどさあ。仕事だからさあ。

 こいつ、後で「大切な妻の裸体を見た!死刑!」とか言い出しそうなんだよな。

 

 外へと出た連中はまだ何かを話している。

 聞き取れたのはグラを治めるためにはジオルへの貢物がまだ必要だとか、そんな話だった。

 ジオルの首はオレが取りたいんだが今はそれどころでもない。

 

 シーマがうう、と苦しげに呻く。

 マフーの影響だろうか。

 大玉の汗が額をはじめ、体中から溢れている。

 部屋に備え置かれている布を使い、それらを拭く。

 性徴が完全ではない体ではあるが切り傷の痕などが残っていたり、しっかりした筋肉がそこそこに見受けられたりできる。

 王女として生まれたにしては過酷な道を自ら選び歩んできたことが透けて見えた。

 

 思い返せば人の世話を焼くなんてどれだけぶりだろうか。

 介護のスキルなんてまるでないので、服を着させるのだけは少し苦戦したが、

 シーマの顔色は少しはマシになった。

 

 彼女から離れるわけにもいかないので、椅子を持ってきて座ることにした。

 

 ヨーゼフからは良いことが聞けた。

 オレルアンがアカネイア王国へと進行している。

 連中は首尾よくやったらしい。

 生きているわけだ。

 

 ──連中にはわからんだろう、フィーナがオレの支えになってたことが。

 あけすけにオレの事を聞くようにして、言葉を引き出してくれた彼女の優しさはわからんだろう。

 絶対にこの手で叩き潰す。その歴史も何もかもを。

 

 オレが怒りを再沸騰させそうになったところに、シーマは呻き、跳ねるように起き上がった。

 止まっていた息を取り戻したように「はあ、はあ」と空気をなんとか取り込もうとしている。

 そのあとに周りを見渡し、オレがいるのを確認するや否やぼろぼろと泣き出す。

 

 マフーは現在の魔道の国カダインを支配している『ガーネフ』という男が作り出した魔法だ。

 人を狂わせる秘宝『闇のオーブ』から作り出したというそれは

 攻撃対象を束縛し、一方的に蹂躙する恐るべきもの。

 

 攻撃としてではないにしろマフーでシーマがなにかされたのだったら、

 人の心を狂わせる闇のオーブの力の一片が作用しているのかもしれない。

 

 オレはシーマの側に行くと戦士と呼ぶにはあまりにも小さな体を抱き寄せる。

 王女としてという立場、愚かな父が壊していく国を守ろうとする心、自ら槍を以て兵士たちと共に戦うという意思。

 遠いディールの地にてその全てがなくなり、幼い体と心にマフーが触れた。

 彼女を守る心の武器も防具もない。

 心を折られたシーマを無視してヨーゼフたちの話を盗み聞きに行くなりをするようなことはできなかった。

 

 初めて男に抱きすくめられたのか、

 一瞬身を硬くするがすぐに安心が勝ったようでそのまま泣き続けるシーマ。

 彼女が泣き止んだのはとてもではないが、「すぐ」と呼べるくらいの時間ではなかったが、

 オレも彼女が落ち着くまでは抱きしめていた。

 

 情が移ったわけじゃない。……いや、本当だって。



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 体を離したシーマはぐしぐしと目元を拭う。

 

「ごめんなさい、弱気になっていたみたい」

「……構わん

 ……だが、どうした?」

「恐ろしい夢を見たの、黒い黒い、泥のような闇が私を包む夢を」

 

 マフーの力かは判断できないが、どちらにせよ連中の力にいい影響はなさそうだ。

 

「……シーマ様、」

 

 投げるべき言葉を悩む。

 だが、何を言うべきかは思いつくことができなかった。

 気の利いたことも、彼女の未来を救う手段も思いつきはしなかった。

 

「……今日はおやすみください

 ……バルグラムが側におります」

「うん……ありがとう、バルグラム

 おやすみなさい……」

 

 彼女は横になるとすぐに眠りに落ちる。

 今度の眠りは悪夢をもたらさなかったようだ。

 オレは彼女が起きるまで、ただじっとどうするべきかを考えていた。

 

 ────────────────────────

 

 このまま、ここにいても答えは出ないだろう。

 あれから二日ほど考えてみたが、それが結論だった。

 ヨーゼフの姿がないことから、あの後にすぐ帰ったのかもしれない。

 進むべきはここをもう少し進んだディール要塞か、一度アリティアに戻るべきか。

 

「おい、バルグラム、聞いたか?」

「何をだ?」

 

 オレの後にお馬番になった男が話しかけてくる。

 こいつとは業務引き継ぎを通じてそれなりに打ち解けた相手だ。

 

「使用人のアプリールだよ、聞いてないのか?

 死んだんだとよ、それも……猟奇殺人だって」

「穏やかじゃないな」

「しかもな……」

 

 お馬番が周りを気にしてから、声を潜ませて

 

「多人数で嬲ったあとで殺されたとか……

 まるで何かの生贄にでもしたかのようなエグい殺され方だったってよ……」

「だから猟奇殺人か」

「ああ……しかし、あのアプリールはお貴族様だ

 今、シャロン様のところに抗議しに入ってったところだ」

「本当なら怒鳴り込むか武器持って押し入るところだろうな」

「ディール家にそんなことができるやつなんて他の五大侯くらいなもんだ」

 

 まったく、ろくでもない事だったら売るほどあるな……。

 

 進むべきなのは間違いない。

 だが、ここにシーマを残していっていいのだろうか?

 

 ────────────────────────

 

 立ち直ったシーマはまた槍の稽古をはじめていた。

 オレも付き合っている。

 なんというか、成長速度が凄まじいものがあり、巨人狩りはもはや彼女の技と言っても良いキレになっている。

 

「他にも教えて!」

「……他、ですか」

 

 技のバリエーションの少なさに定評がある。

 あと踏み込みとかだけど、あんなんただの『耐え』だからな。

 

「……では、」

 

 オレが口を開いた所で

 

「シーマ、今大丈夫かい」

 

 シャロンが割り込んできた。

 ただ、オレの方を見る目は敵意のものではなく、なんというか、粘着質な、不快なものだった。

 

「は、はい、シャロン様」

「今夜、時間が取れそうなんだが食事を一緒にどうかなと誘いに来たんだ」

「嬉しいです」

「では、後ほど迎えに来るよ

 ああ、バルグラムといったかな、君も同席するように

 シーマの警護なのだからね」

「……かしこまりました」

 

 シャロンは日々忙しくしている。

 自分の手下同然の貴族たちを集めての晩餐会やら、軍議やら。

 オレルアン軍が近づいているからこそ警戒しているのだろうか。

 

 そうした場にはシーマは連れていかないため、食事は大体オレと食べている。

 元々はオレは彼女の食事をサーブするのと毒見するのが仕事だったが、

 あるタイミングで一緒に食べて欲しいと言われてからは食卓を囲むようになった。

 

 シーマからすれば久しぶりにシャロンとの食事だ。

 嬉しそうにするのは当然だろう。

 アイツがクソなのを知らんからな。

 だが、あのねっとり視線はなんだったんだ。



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夜の片隅

 邸とその周辺の捜索は昨夜にようやく完了した。

 少なくともディールに従う貴族の別荘だとか、そういうわかりやすい場所にシーダを見つけることはできなかったし、シーダ以外の誰かが捕らわれているということもなかった。

 あるとすればもう少し足を伸ばしたディール要塞だが、使用人の話やら聞いたことを考えれば相当な──グラを凌ぐ防備が固められている。

 要塞って名乗るんだからそりゃあそうだろう。

 

 ここ最近の情報収集やら状況での最大のポイントは一つ。

 

 ヨーデルだ。

 いや、カダインだと言うべきかもしれないが。

 

 連中が随分と離れたこのディールにまで足を運ぶってことの理由はなんだろうな。

 パッと考えつくのはディールが五大侯だから、つまり権力と軍事力を持った家だからってことだ。

 実際にあいつらの話からすりゃあ、シャロンがグラを手に入れるのを期待している風でもあった。

 

 それと気になるのはレフカンディの話をしていたこともある。

 つまりレフカンディも関わってるとすりゃ、「暫定シーダ誘拐犯」であるカルタスもシャロンと同じようにカダインに関わっていると考えていいだろう。

 

 カダインの狙いは判然としないが、シーマにやったような手段で「何かの資格」ってのを探しているとするなら同じ王女であるシーダもその「何か」ってのを有している可能性がある。

 

 「巫女を移送しろ」ってことをヨーデルが言ってたが、

 その辺りが資格を持っているものと考えりゃあ……一番手っ取り早いのはグラをシャロンに握らせて、そのグラをオレが落とすことかもな。

 

 探すべき場所としてディール要塞もあるが、巫女の移送云々を考えるならどっちにしろだ。

 グラならアリティアの軍を動かすこともできるし、なによりそれはやるべきタスクの一つだ。

 元々グラはアリティアと一つ。

 アンリの再来としてかつての地を取り戻すのも大義名分って奴を高めることになる。

 

 シーマが寝静まる頃まで護衛をしつつ、思考を纏める。

 寝息が深くなったあたりでオレはこっそりと部屋を出た。

 

 使用人のために用意されているアパートへと向かう途中、馬を走らせて戻ってきたシャロンと鉢合わせた。

 

「こんな夜更けにお一人でとは、危ないでしょう」

「バルグラムか

 なに、そう遠くない場所だし、ここは自領だ

 危ないことなどないさ」

 

 実際にこの辺りは野伏だの盗賊だのの話は聞かない。

 殺人事件やら物騒な話はあくまで邸の中だけだ。

 

 丁度いい機会だ。

 グラ攻めがシーダに近づくための道になりえるわけだし、少しせっついてみるか。

 

「シャロン様、グラを手中に……というのは」

「ああ、ヨーデル殿の話にあったことか

 そうだとも、私はグラを私の国にしようと思っている」

「そうですか」

「安堵したような顔だな」

「シーマ様もグラを恋しがっておりましたので」

「……シーマがか

 いや、そうだろうな

 故郷から離れて暮らすにはまだ彼女も幼い、ということか」

 

 それに関してはシーダを連れ回していたオレができる返事はないな。

 

「やはりシーマが心配かい」

「それは、ええ」

「そうか……ふ、そうだな

 グラを手に入れるのがシーマやシーマを思うバルグラムのためになるというなら、

 予定を少し早めてもいいかもしれないな」

 

 シャロンの下馬の手伝いをしながらの会話。

 降りたシャロンは愛馬を撫でながら言う。

 

「少し強引な手段になるが、バルグラムは手伝ってくれるかい」

「それがシャロン様がグラを手に入れる近道ならば」

 

 小さくシャロンが笑い、「近く、君を何度か呼ぶことになる」と言い残して去っていった。

 

 邸の中には怪しい場所もなく、過去に誰かが囚われていた形跡もない。

 グラへの動きが遅けりゃ、ディール要塞かレフカンディのところに足を向けるべきだろう。

 或いはシャロンにレフカンディやカダインに関する情報を抜いてから動くべきだろうか。

 

 そういや、オレルアンがレフカンディ領を抜けたって話、そこでカルタス死んでないだろうな。

 やはりシャロンから情報は抜けるだけ抜くしかない。

 後日私室にでも潜り込むか……。



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くすんだ黄金

 風に金の毛髪が揺れている。

 神経質そうな顔付きだが、その造作は美少年と言って差し支えない。

 或いは美少女と言っても通じるかもしれないほど整ったものだった。

 

 カダインの生んだ駿才の一人、エルレーン。

 彼は街道にある大樹の木陰で、睨むように道の果てを見ていた。

 

 その視線の先にあるのはカダイン。

 ここ、レフカンディからは見ることなど当然叶わないが、それでも彼は睨むように見ていた。

 

(どうしてこうなってしまったのか

 どこから、こうなってしまったのだろうか)

 

 好敵手だとお互いを認めていたマリクが旅立ったときからだろうか。

 カダインの長、ガトーが消えたときからだろうか。

 自分の師であるウェンデルが去ったときからだろうか。

 

(それとも……)

 

 がらがらと背の方から馬車が走ってくる音が聞こえ、やがて彼の側で停まる。

 

「お待たせしました、エルレーン様」

「……ああ」

 

 御者が馬から降りて、扉を開く。

 王族が使うような豪奢で、広い馬車だった。

 

 中には自分より遠方に向かっていた同じく学友であったヨーデルが座っている。

 

「首尾はどうだった、エルレーン」

 

 どろりとした目をこちらに向ける。

 元はこのような男ではなかった。

 マリクやエルレーンにその才覚を嫉妬していたのは事実ではあるが、

 それでも彼らと同じくカダインの駿才が一人として数えられ、やがてはカダインでも屈指の魔道士になるだろうことを約束された男だった。

 

 傲慢な所もあるが、優秀な男だとエルレーンは知っている。

 だが、今の彼はまるで人形のようであった。

 意思というものが奪われた、哀れな人形。

 或いは命が這い出ていってしまった死体のようだとエルレーンは思う。

 

「レフカンディの貴族たちは喜んでいた

 人間をおもちゃにしていい大義名分を得たようなものだからな」

「そう言うな、エルレーン

 彼らは牧場の管理者のようなものなのだ、勤勉であって困ることなどない」

 

 その勤勉さによってどれだけの人間が犠牲になるというのだ。

 口には出せないが、忌々しいという気持ちが胃の痛みを強くした。

 この感情を飲み下すのには毎度毎度苦労する。

 

「こちらは大きな収穫があった、資格がある女がいた

 まだ幼いが……おそらく十分な働きをするだろう

 そうでなくとも」

 

 ヨーデルは懐から濁った色の宝玉を取り出す。

 

「灰のオーブに力を注ぐだろう、あれ一人で何百人分の乙女の力をな」

 

(いつから、など……わかっている

 ガーネフだ

 アイツがカダインからガトー様とウェンデル先生を追い出したときから、こうなるってわかっていたはずだ)

 

 エルレーンは責任感の強い少年だった。

 ガーネフがカダインを支配した時に、カダインの歴史の全てを失わせないために彼は居残ることを決めた。

 だが、状況は彼が考えるよりも遥かに最悪な状態であった。

 

「劣化品である灰のオーブでも、十分に力を溜めれば闇のオーブの欠片程度の力にはなる

 エルレーン、お前もはやくレフカンディの連中を利用して灰のオーブに力を溜めろ」

 

 ヨーデルの手には不気味な、粘液のような黒い魔力が湧き上がっている。

 

(マフー……

 ガーネフが作り出した最新最悪の魔法だ

 たった一つならまだしも、灰のオーブさえあれば作れるなど……)

 

「オレルアン近くで見つけられた街の灰は全て回収し、オーブ生成に使ってしまっている

 あの灰はあれから発見されていない

 灰のオーブは数に限りがある、エルレーン、早く、早くお前もマフーを手に入れろ……」

 

 にたり、とヨーデルが笑った。

 

(あの灰はアカネイア大陸のものと別の力としか思えない、異形の法則物

 そりゃあ僕だって、こんな状況でなければ研究しただろう

 それだけあれは魅力的なものだ

 だが……ガーネフの研究で作られたあれは、あってはならないものになってしまった)

 

 アカネイアにはオーブと呼ばれる宝が存在する。

 はるか昔にはそれは神が遣わした戦士が持っていた盾に備えられた宝玉だとも言う。

 光、星、大地、命、そして闇のオーブと呼ばれたそれは至宝と語られている。

 ただの伝説だとばかり思われていたオーブの中で、ガーネフが手に持っていたものこそが闇のオーブであり、

 その力は強大……いや、甚大と呼ぶに相応しいものだった。

 

 高位の魔術師たちが守るカダインをガーネフがたった一人で支配するだけの力を備えていた。

 ガーネフは闇のオーブの力を利用し、マフーを作り出した。

 

(本当に最悪だ

 灰のオーブが作られたことが致命的だった)

 

 レウスが死のルーンを使い街を消し去って作られたものこそが、灰のオーブの原材料の正体である。

 闇のオーブの所持者であり、誰よりその研究を進めていたガーネフは『闇のオーブの量産品』を作り上げたのだ。

 

「ディールのその資格者が灰のオーブに力を注ぐのはいつになるんだ?」

「そう遠くない

 シャロンの様子からすれば明日明後日にでも絶望を突きつけるだろう」

 

(僕に何かできる時間はないってことか……

 僕が天才だったなら、僕が万能だったなら……僕が強かったなら!

 ……この世界を、どうにか……、できたんだろうか?)

 

 エルレーンの表情が神経質そうにしているのは、彼の性格によるものではない。

 彼を苛む状況がその美貌を苦しげに歪ませていた。



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ねっとり

 きっつ~~~~。

 

 それがオレの感想だった。

 夕食が終わり、目の前でシャロンとシーマがイチャコラとし始めた。

 とはいってもべったりべたべたというわけではなく、

 指を絡めたり見つめ合ったりと、まあそのくらいである。

 いや、きっついのはそれじゃない。

 

 話している内容もさして興味のあるトピックはなかった。

 一つを除いては、だが。

 

「ジオル様から連絡が来てね、近々にグラへ向かわなければならない

 シーマも来てくれるね」

「はい、勿論です」

「では挙式はグラであげよう、華々しいものにしようじゃないか」

 

 という内容。

 だから何かと言われれば普通の内容ではあるかもしれないが、

 貴族の結婚となれば家臣団も兵団も連れて行くだろう。

 領内の直接的な部下ではない軍を引き入れる貴族も参列するかもしれない。

(というのは翌日に使用人たちとダベりながら仕入れた知識だ)

 

 先日の夜、シャロンと話したことが実際に動き始めたってわけか。

 

 トピックではないが、気になったことはもう一つある。

 

 シーマが眠そうになってきたのを見たシャロンがお開きにしようと言ったその帰り際。

 

「バルグラム」

「……はい」

「彼女の抱き心地はどうだったかな?」

 

 そう耳打ちするとシーマのエスコートへと戻っていった。

 どういう勘違いをしているのかはわからないが、

 ただ、少なくともシャロンからするとオレとシーマの仲が近いという考えているのだろう。

 それを非難するわけでもなく、むしろまるで挑発的ですらあるような。

 ねっとりした声音から来るものが、実にキッツいものだった。

 ただ、キツいというのはこれだけに留まるものではない。

 後日も、オレをそれが待ち受けていた。

 

 ────────────────────────

 

 その日はシーマが学問の授業の、締めくくり(学力テスト)ということで護衛の役割は休みだった。

 ちょうどいい機会だ。

 前々から調べておきたかったことがある。

 

 使用人のアプリールが殺された事件だ。

 勿論、殺された使用人のことを思って調べたいってわけではない。

 

 オレが雇われたときも前のお馬番がいなくなったと言っていた。

 使用人の中でも位が上の人間から聞き出したりしたが、

 そのお馬番も殺されていたらしい。

 ただ、平民だ。

 

 他にもキッチンスタッフが殺されていることもわかった。

 アプリールの前、お馬番の後。

 貴族の徒弟をしていた経験があり、平民よりかは社会的には上の立場だ。

 お馬番の前には先代シャロンが面倒を見ていた孤児の一人が殺されていた。

 順番はお馬番の前。

 

 ここからわかることは、社会的な身分を少しずつ上げていっていること。

 そして殺された人間は全員女であるということ。

 

 名探偵じゃあなくたって導き出せる答えがある。

 

 次に、或いは殺人計画のようなものの先でシーマは殺される。

 ……だが、どこで?

 グラに連れて行ったあとで?

 いや、試験運用がどうとかを考えれば、儀式のようなものに消費されるのか。

 あのあとに何を話したかがわからない以上、ここからは推理のしようもない。

 

「バルグラム、シーマ様がお呼びです」

 

 などと頭を抱えていると教師役をしている使用人がオレを呼びに来た。

 

「あ、ああ、悪いな」

「いえ、随分と考え込んでおりましたね」

「シーマ様のことでな」

「ああ……」

 

 意味深な顔をする使用人。

 その後に、

 

「いくらシャロン様がお許しになっていると言われていても、節度をお持ちあれ」

「何の話だ」

「噂になっておりますよ、あなたとシーマ様のことが」

「……どんなだ」

「まさか、そのような恥ずかしいことを面前で言えるわけが」

 

 なるほど……。

 どうにも使用人も含めてオレに情報をくれるやつがいたと思ったが、

 シーマとオレがシャロン公認の浮気相手だと。

 オレに情報をくれた奴らはオレを取り込もうとしているんだな。

 

「しかし……シャロン様とお過ごしの間はシーマ様の話はなさるのですか?

 もしもしておられないなら、いい刺激に──」

 

 どうやら使用人たちの間ではオレとシャロンはデキていて、

 オレとシーマの関係はスパイスのためってことのようだった。

 

 貴族社会ってのが爛れてるなんてのはどこであってもよく聞く話だが、話題の中心にされるとこう言いたくもなる。

 

 *ああ、排泄物よ…*



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蹂躙の殿堂

 夜、ディール邸。

 寝ていたオレを起こすノックがあった。

 褪せ人の恩恵なのか、睡眠と覚醒のスパンは長く、睡眠そのものもそれほど重要ではない。

 ノックに直ぐに対応できたオレは扉を開く。

 

 カンテラを持った使用人だ。

 

「シャロン様がお呼びです、シーマ様のことで話がおありとのことです」

「わかった」

 

 先日の件もある。

 不意打ちにしろ包囲にしろ、対策できるようにしておくべきだろう。

 大暴れするならグレートソードが望ましいが、室内か……。

 キルソードか、ダガーか……。

 どうあれ抜き打ちできるよう準備だけはしておこうか。

 

 邸に入り、地下へ。

 

「こんな人気のないところに?」

「ここの牢屋は見せかけのようなものですから」

 

 その牢の一つに入ると、備え付けられたベッドを押し込む。

 がちり、と何かが噛み合うような音がして、壁が内向きに開いた。

 

「隠し扉か」

「代々のシャロン様はこうした設計を好みまして」

「そうかい」

 

 ってことは、代々後ろめたい事をするのが趣味だったのか?

 ということを口から漏れ出そうになるのをなんとか止める。

 

 通路の先には階段があり、更に下へと続いていた。

 やがて古めかしい扉の前へと至る。

 扉には竜の刻印のようなものが刻まれていた。

 

「隠し扉の先にあるにしてはなんとも」

「随分と昔の遺跡を流用していると伺っています、私も知識にはないのですが何かの教団の跡地だったとか」

「竜が関わるような教団、ね」

「さて、お静かに……この先にシャロン様がおられます」

 

 恭しく使用人が扉を開ける。

 オレもバルグラムへと意識を切り替えた。

 

 光がぶわ、と流れ込んでくる。

 目が馴染む。

 室内の広さは相当のものだ。

 おそらくその『教団』が祭儀などで使っていたのだろう。

 

 扉の逆の位置には玉座が備え付けられており、そこにシャロンが座っている。

 

 部屋の中心には石台が置かれており、それを囲むように椅子が円形にずらりと並ぶ。

 その椅子には余すことなく不気味な仮面を付けた人間が座っていた。

 

 石台には手枷と足枷、それに猿轡を噛まされた薄布を纏ったシーマが繋がれているのを確認した。

 

 ────────────────────────

 

 一歩、部屋に入る。

 シャロンは手を叩き、オレの登場を労う。

 

「ようこそ、我が殿堂へ!!」

「……これは、一体?

 ……いや、ここは、と問うべきでしょうか」

「ここはかつて、()る竜族を崇めていた教団が持っていたものだ、と教えられている

 それが何かまでは興味もないから調べてもいないがね

 だが、ここが神聖な場所であるということだけは事実であろうし、

 私は正しく、この場所を神聖な場所として使っているのだよ!」

 

 熱に浮かされたようなテンションだ。

 

「……シーマ様は、これは一体?」

 

 距離が遠すぎる、何をするにしても歩み寄らねば。

 警戒されないよう、自然な演技で……だ。

 

 表情が見える。

 シーマは恐怖と困惑を顔色に出していた。

 

「ようやく準備が整ったのだよ、バルグラム

 下賤なものの魂から少しずつ練習と準備を繰り返し……

 ようやく私も苦しみや悲しみをいかにして封じるかのやり方を掴んだ!」

 

 シャロンは懐から灰褐色の宝玉を取り出す。

 禍々しい気配を幽かに漂わせている。

 以前、モーゼスから頂戴した魔竜石にも似た雰囲気だ。まるで、何かを封じているような。

 そう考えれば苦しみだの悲しみだのを封じる石であるのだろうか。

 

「バルグラム、シーマには手を出していないのか?

 私はあれだけ貴様に機会も隙も与えたつもりだったが、趣味ではなかったかな?」

「……」

 

 趣味かどうかで言われたら、難しいところだ。

 庇護するべき対象と見ていたのを余人からそう捉えられると説明の仕様がない。

 

「だが、今こそ機会だ

 我々に見られていることなど気にせずに存分にシーマで遊ぶといいだろう」

「ーーーっ!?ーーーー!!」

 

 シーマが声にならない声を上げている。

 信じていたシャロンが私に何を言うのか、そんなところだろう。

 枷を嵌められ、薄布だけを纏わされた理由もわからず、

 その上で周囲にいる仮面の男も、愛していてくれていたと思っていたシャロンすらシーマを生贄の牛か豚程度にしか自分を見ていない。

 

「……私が、手を出したあと……私とシーマ様はどうなるのです?」

「貴様が望むのならば我がディール家の家族として迎えよう

 グラを手に入れた暁には将軍の地位を約束してもいいぞ」

 

 自らの寛大な言葉に酔いしれるように笑い、

 

「シーマはお前のあともまだまだ仕事がある、数日はここからは出られないだろう」

 

 仮面の連中もシーマの尊厳奪い隊の隊員ってことか。

 あんな娘が数日も持つか?

 

「その目はシーマを心配しているのか、まったく優しい男よ、バルグラム

 安心するがいい!

 心が壊れることこそが目的、それによって我が灰のオーブが力を備える!

 カダインの連中には肉体さえくれてやれば文句も言うまいし、それに連中と次に会うのはグラだ

 流石の魔道が達者なカダインだろうと城を得たディールの精兵に勝てるわけもないッ」

 

 ひとしきり笑い、シャロンは言う。

 

「さあ、バルグラム

 好きなようにシーマを蹂躙するといい

 それで私たちと貴様は家族になれるんだ!」



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シャロン

 気持ちよく笑い声をあげているシャロン。

 涙を流し、叫んでいるシーマ。

 

 オレは石台の近くに向かう。

 恐怖か不信かそれとも別の感情か、シーマはオレを見つめていた。

 

 選択肢だ。

 このままシャロンの言いなりになればカダインのことやら、灰のオーブだとかいう物のことやら、

 同じ五大侯のレフカンディについても聞くことができるかもしれん。

 何せヤツの『家族』になるんだからな。

 やることは簡単だ。

 衆人環視の前でシーマを蹂躙する。

 

 もう一つはシーマを助け、連中をこの場で蹴散らすことだ。

 見たところ全員、戦うに関わるようなものは身につけていない。

 一息で四分の一、もう一息で殆ど半分は潰せる。

 そのまま勢いでシャロンまで行って、ひき肉なんだかシャロンなんだかわからねえ有様にすることも可能だろう。

 

 どっちも選ぶことができる。

 どっちだって進めることが。

 

 その後はどうする。

 前者ならカダインを相手にするのか、それとも情報を引きずりだしたらシャロンが治めるグラをまるごと叩き潰すか。

 後者は……まあ、シャロンの持っているオーブやら結局入れずじまいだった私室を徹底的に探すか。

 

 オレにとって重要なことはシーダに関わる情報を拾い上げること。

 あちらこちらと情報を探しても手に入らなかった以上は別の手段で切り拓くしかない。

 そして、オレが取れる手段というのも短絡的でわかりやすいやり方(暴力)しか思いつかない。

 

 ただ、その暴力(解決手段)はどこの誰よりも解決力のあるものだと信じている。

 

「……オレは」

「ああ、なんだいバルグラム」

「オレは誰かに選択肢を強制されるのが、大嫌いなんだよッ!」

 

 ぎちり、と笑って付け髭を剥ぐ。

 

 だから、あるだろ?

 どれもこれもできるやり方ってのが。

 

「選択肢が二つなわけねえよなあ、シャロン!」

「ははっ、貴様は……そんな古典的な手段で目眩ましさせられてるとは、はははは!」

 

 たった一つの手段を実行する。

 オレはグレートソードを取り出すと乱暴にシーマの枷を砕く。

 

「シーマは頂いていく、その後にグラもな!

 カダインの連中に叱られたくねえなら、オレよりも早くグラを落として見せるんだなッ!!」

 

 振り向きざまにグレートソードを振り回し、仮面の連中数名とオレを案内した使用人を砕き割った。

 肉片が地面を叩くよりも早くオレはシーマを抱えて階段を駆け上っていった。

 

 ────────────────────────

 

「はははははは!!!

 してやられたなあ!!

 ははははは!!!」

 

 シャロンは狂ったように笑い、ぴたりと表情を冷たくする。

 

「兵を起こせ

 グラに攻め寄せる

 バルグラムよりも先に玉座に座るのはこのシャロンだ」

 

 仮面を付けた者たちは肉片となったそれらに狼狽している。

 こうなるとは思っていなかった、と言いたげに。

 

「貴様たちもこのディール家に、シャロンに従う貴族だろう!!

 命を惜しむならここで私がオーブの餌にしてくれるぞ!!

 戦準備を進めろッ!!」

 

 主の激昂に圧されて、彼ら……シャロンに付き従う貴族たちが部屋から出ていく。

 一人になった部屋でシャロンは小さく笑う。

 

「バルグラム……貴様のあの目、馬鞭を受けて怯むこともない強い眼差し

 あんな目をした男を私は知らん……

 このディール侯を……シャロンを恐れなかった男が……」

 

 やがて、悶えるように

 

「ああ!バルグラム、貴様が、貴様が欲しいッ!!」

 

 シャロンは叫び、悶ていた。

 灰のオーブがそれを反射する。

 シャロンの悦に浸った顔だけが歪んで映っていた。



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山麓を抜けて

 階段を駆け上る。

 隠し扉になっているそこはグレートソードで叩きつけたら簡単に壊れた。

 可動式の扉にしているわけだから重さや硬さは見せかけだと思っていたが正解だったようだ。

 

 邸内は夜ということもあり、静かだった。

 外へと飛び出し、突っ走りながら『霊馬の指笛』を吹く。

 オレを追いかけるようにして現れたトレントに飛び乗り、全速力で駆けさせた。

 

 ディール侯爵領を出て、オレルアンまで続く山麓を進むことにした。

 夜のうちにどれだけ進められるかが勝負だ。

 むーむーとシーマが何かを叫んでいる。

 聞いている暇はないので暫くは放置したが、侯爵領を出た辺りで乱雑に掴んでいた彼女をオレの前に座らせ、猿轡も外してやった。

 ぷは、と空気を吸い込んでから、シーマはオレを見る。

 睨むように見られるか、首を締められた経験から泣かれるかとも思ったが、そっと一度だけオレを見てから、前を向く。

 

 何かを聞かれることもない、オレはトレントを走らせる。

 

 やがて陽の光がそこらを照らし始めた頃、シーマはオレに言葉を向けてきた。

 

「バルグラムじゃ……なかったのね」

「ああ、そうだ」

「シーダ王女を探しに来たの?」

「ああ」

「シャロンさ……ディール侯なら知っていたかもしれないのに」

「レフカンディと繋がりもあるだろうからな」

 

 少しの沈黙。

 

「この後、何処へ行くの?」

「アリティア、オレの国に行く」

「……それから?」

「グラを潰す」

「……っ」

 

 冷えた声音だったと思う。

 だが、どうあれ、隠す必要のないことだ。

 

 シーマは愚直ではあるかもしれないが、愚昧ではない。

 石台で聞いた話からグラは遠からずシャロンの手に落ちるだろうことはわかっている。

 シャロンがグラに置いた手勢と自領から連れてくる兵団の二つがあれば半日も掛からず制圧できるだろう。

 

(お父さまなら兵を寄せた時点で玉座を明け渡すだろうな)

 

「その後は?」

「シーダの情報を得られたなら、シーダを取り返しに行く」

「そんなに大切なんだ」

「オレの戦利品(もの)だからな」

 

 トレントの蹄の音だけが響く時間が流れる。

 中天に陽が瞬く頃、体力が尽きたのかシーマはオレにもたれるように眠った。

 気を失ったというべきかもしれないが。

 

 休ませてやりたい気持ちがないわけじゃないが、その時間を作ることは難しい。

 グラの主城が随分遠くではあるが見える。

 シーマが眠っていてよかった気がした。

 

 やがて、陽が落ちて、夜が訪れる。

 走る速度を緩め、毛皮の外套を取り出し、シーマを包む。

 それで目を覚ましたのか、トレントが速度を増した辺りで再びオレに声を掛ける。

 

「お父さまを殺すの?」

「ああ、殺す」

「ディール候も殺すの?」

「ああ、殺す」

「……私も殺すの?」

「……殺してほしいのか?」

 

 彼女のその返答を受ける前に、アリティアの関所へと辿り着く。

 オレの姿を見た兵士はまるで神か、絵物語の英雄を見るかのように目を輝かせた。

 シーマが何を答えたかったのかを知る間もなく、オレたちはアリティアの主城へと進む。

 

 ────────────────────────

 

 食事も取らずに走ったものだから、到着して最初にやったことはそこらのメイドを捕まえて、

 

「こいつの世話を一通り頼む」

 

 と、シーマを渡したことだった。

 別のメイドには彼女がグラの王女であること、心身共に弱っている事を告げ、自傷行為に及ばぬよう徹底させる。

 大丈夫だと思うが、念のためだ。

 

 一息つく間もなくそこらに居る兵士たちに四侠とホルスタットを集めれるようなら来てもらいたいと頼む。

 

「戻ってきたと思ったら、女の子連れとはね」

 

 リーザがやれやれと言った表情でオレに言う。

 本気でそう言っているわけではないくらいはオレもわかる。

 

「手は出しちゃいねえよ、妹みたいなもんだ」

「どうかしらね~」

 

 などと言っていると諸将が集まってくる。

 

「おかえりなさいませ、我が王」

 

 ホルスタットが深々と礼を取る。

 その声に従うように四侠が並び、同じようにした。

 

「余計な言葉なんざ不要だと思うから、やりたい事を言う」

 

 リーザはオレの側で嬉しそうに微笑んでいる。

 その理由はこの時点ではわからなかったが、

 

「ディール侯爵がグラを落としたと考えられる

 オレたちはそのグラを落とし、アリティアをアンリの時代へと回帰する」

 

 ふふ、と我慢できなかったのかリーザが笑い声を漏らす。

 

「私の聖王様、気分はいかが?」

 

 ようやく彼女が笑っていた理由がわかる。

 

「アリティアを奪い返すのはここからだ、リーザ」

 

 これは、彼女にとっての復讐でもある。



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狼の戦鬼

「アリティア軍の状況は?」

「元グルニアの兵によって編成されたホルスタット隊は全盛期のアリティア軍と同程度の規模に急成長です

 アリティア・グルニアの混成騎兵隊がフレイが担当している国境警備軍として配備

 私、ノルンの麾下部隊としてドラゴンナイトが小部隊ですが編成されています、

 要撃部隊って奴ですね」

 

 ノルンが告げていく。

 四侠とホルスタットは現在、名を呼び捨てる仲のようだ。

 戦場で敬称付けて呼んでる暇もないしな。

 

「アランは旧アリティア近衛兵団が再編され、治安維持軍を持っています

 サムソンは歩兵部隊を幾つかに分け、それらの取りまとめをしています」

 

 ホルスタットは連れていきたいところだ。

 指揮能力も個人の勇にも優れているアイツこそ、オレの代わりに全軍の指揮権を預けられる。

 あとは……シーマは連れて行かないとならんだろう。

 そうなると本来的には彼女の側にいたサムソンは相性がいいかもしれない。

 弓兵は欲しいけど、ノルンの部隊は運用が違うだろうし……。

 サムソンの歩兵隊に弓使えるのがいたら優先的に持ってきてもらえばいいか。

 

「ホルスタット、サムソン

 グラ攻めに付いてきてくれ」

「この生命、聖王陛下のために」

「期待に背くような真似はしない」

 

 ホルスタットとサムソンがそれぞれに同意をしてくれる。

 

「ねーえ、私も付いていっていいでしょ?」

 

 リーザが抱きしめんばかりの勢いでオレに体重を預けてくる。

 

「……だめ?」

 

 耳朶に触れる近さで囁く。

 オレはぐいと彼女を抱きかかえると耳元で返すように言う。

 

「コーネリアスの仇、取らせてやるよ」

 

 彼女はその言葉に気を良くしたようで、ぎゅうと抱きしめ返す。

 普通なら女王が何をと言うかもしれないが、リーザは女王の前に復讐鬼であることをオレは理解している。

 そうでなければ執念を薪にして魔道を殆ど独学で修めたりはしまい。

 戦場に総大将として立つこともしまい。

 

 リーザがオレのために聖王という立場を作り維持することで愛を見せるのであれば、

 オレは復讐の機会を与えることがそれに報いる数少ない手段である。

 

「レウス様、女王殿下は今日のために一団を整えております」

「どんな?」

「アリティア魔道騎士団、名の通り、魔道の使い手に特化した部隊です」

「弓兵をどうにか揃えたいと思ってたけど、それがあるなら今回は要らんな」

 

 リーザは準備を喜んでもらえてか、にこりと笑った。

 これが復讐のためにじっくりと手をかけて用意した彼女の刃でなく、焼いたクッキーだとかなら可愛らしいと表現できるんだけどな。

 

「陛下」

 

 顔なじみのメイドが側に来て報告をする。

 

「王女の状態は安定されました、精神的にも問題はないと判断します」

「ありがとう、すぐに行くから待っていてくれ」

 

 恭しく頭を下げ、メイドは下がる。

 

「グラ攻めにどれだけ時間が必要だ」

「後詰を副官に任せてよいのでしたら、空が白むまでには」

「準備がいいな、ホルスタット」

「それが努めです」

「では白んだころに出発と皆に伝えておいてくれ」

 

 オレは通路へと出て、メイドの先導に従って進む。

 

 ────────────────────────

 

 薄布ではなく、身分相応の衣服を纏っているシーマがいる。

 疲労した様子はない。

 

「彼女と二人きりにしてくれ」

「承知しました」

 

 メイドはオレの強さを理解しているようで、「襲われたらどうするのか」なんて事も言わずに世話係を連れて退室した。

 

「本当に聖王レウスなんだね、……バルグラムじゃ、ないんだ」

「オレにとってはどちらも同じだ」

「私にとっては……」

「違うものか」

 

 こくりと頷く。

 

「態度は変えてくれるなよ」

「聖王レウス陛下に不遜だって配下の人に」

「お前も一国の王女だろうに、それにオレはバルグラムと偽ってはいたが、心まで偽っていたつもりはない」

「怖い顔で首を締め上げたのも、怖くて泣いた私を抱きしめてくれたのも……残酷だね、聖王──」

「バルグラムでいいさ、そう呼んでくれ」

「……バルグラムは、冷酷で残酷だよ」

「自覚がある」

(たち)が悪いよ」

 

 小さく微笑むシーマ。

 

「もう一度告げなければならない

 オレはグラの王ジオルも、ディール候シャロンも殺す

 シーマ、お前はどうする?」

「お父さまは私を軍備の代わりに売り払ったんでしょう、それくらいは理解できているから」

「シャロンの元に戻るか」

「……」

 

 彼女は自分の手を見て、それから泣きそうではなく、意志力が込められた瞳を向ける。

 

「犬に成り下がりたくない」

 

 自分の喉を撫でるようにして、

 

「私は父にも許嫁にも裏切られた、……バルグラム、あなたにも

 でも、それが私が自分のために生きてこなかった報いだから」

 

 だから、とシーマはオレと目を合わせて続ける。

 

「槍をちょうだい、バルグラム

 一兵卒の扱いで構わない

 私も戦場に連れて行って」

 

 その目、その表情はどこか狩りを行う前の狼のような、獰猛な獣のようでもあった。



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頼み事

「伝令!伝令ぃ!

 国境を越えて他国の軍が侵略!!」

「は、旗はどこのものだ!!」

「アリティア聖王国です!」

 

 兵の報を受けるジオル。

 彼は玉座にはいない。

 他の配下に並ぶように、玉座の前にいた。

 

 玉座に侍るのはディール侯シャロン。

 この状況は娘であるシーマが予想した通りのものである。

 

 シャロンの一軍が寄せ、城内に入ってきた彼を見て全てを察したジオルは玉座を譲った。

 だが、誤算があったとするならジオルは解放されず、グラ兵の司令官として任命されたことだ。

 金も持たずに逃げることはできない。

 シャロンが「次の戦いが終われば金を持たせてディール領の一角をくれてやる」と約束した。

 

(次の戦いが、せ、聖王軍だと?

 以前に我が領地を散々に荒らした……あの、聖王の……)

 

「全軍で迎え撃つ

 何も出し惜しむな、主城の守りも全て外に配置するのだ」

 

 シャロンの号令に一同が解散する。

 配下が去ってもジオルだけが残っていた。

 

「どうした、ジオル殿」

「……わ、私は戦いたくはないぞ」

「ではここで死にたいか」

「……ぐ、ぬ……」

「元国王らしく、自らの民を指揮して見せろ

 それとも私に捨て駒にされるのを見ていたいのか?」

「わかった……私も陣を敷かせてもらう」

 

 納得したのは国民や兵士を捨て駒にされたくないからではない。

 彼が生き延びるためには彼自身がそれらを捨て駒にして方が確率が高いと考えたに過ぎない。

 

 ジオルが去った後、シャロンは玉座の肘置きを撫でる。

 

「ああ……あああ……バルグラム……早く、早く来てくれ

 貴様の腕、貴様の脚、貴様の胸板、貴様の技、貴様の眼……ああ……おあああ!

 バルグラム、我慢ならん、我慢ならんぞ──ッ!」

 

 自らを慰めるように、懐から取り出した灰のオーブを磨く。

 それはシャロンの精神を反映するかのように、或いは正気ならざる瞳と同じように不気味に輝いていた。

 

 ────────────────────────

 

 ホルスタットが命令を飛ばし、彼の下につく無数の軍師や指揮官などが大いに働いている。

 手際よく陣地が構築され、兵士たちが戦の準備を整えている。

 こいつがいなけりゃ今頃もたもたとオレが準備していたんだろうか。

 

 側にぴったりと付いているリーザを見て、それはないなと思った。

 そうなれば彼女がやっているだろう。

 戦術的な手腕は解放軍を率いている時に十分に発揮されていた。

 

「サムソンを呼んでくれ」

 

 メイドが恭しく頷き、暫く後にサムソンが入ってくる。

 

「オレは前と同じ、単騎駆けする」

「その後ろを援護すればいいか?」

「いや、あの娘を」

 

 オレの近くでじっとしている少女を指す。

 身なりは立派な少女騎士といった感じだ。

 出立前にリーザが可能な限り質の良い装備を彼女に身につけさせていた。

 アリティア王族のためにと拵えられたそれらは軽量で、そして頑丈である。

 かつて戦場で王を失ったことから、アリティアの鍛冶や細工師は主を守るための防具を作ることに異常なまでの熱を上げている。

 槍はアリティア解放後に軍備強化・拡張のために行われた遺構の発掘によって発見されたもので、

 持っているだけで傷を癒やす力を秘める、安直に『聖なる槍』と名付けられたものを持っていた。

 彼女は槍と対話するように磨いている。

 

「守ってやってくれ」

「わたしがか」

「お前がだ

 お前の部隊は副官とホルスタットの所の軍師が引き継ぐそうだ

 たまには軍団の長でなく傭兵らしく戦いたいだろう?」

「……わかっているじゃあないか、レウス」

 

 オレへの呼び方は自由にさせている。

 呼び捨てでも構わないと言ったら、サムソンはその通りにした。

 唯々諾々と従うタイプとも思えないし、周りも同意見のようでその『らしさ』を咎めるものはいない。

 

「グラの王女だが、おそらく戦場でジオルか総大将のシャロンを見かけたら単身で突っ込む」

「言い切れるのか」

「オレと同じような目をしている、って言えば説得力は?」

「これ以上ないほどだな」

「戦いを手助けしろとは言わない、死なないようにだけしてくれ」

「お前の女か?」

「妹みたいなもんだ」

 

 サムソンは「お前も家族の情のようなものを向けることがあるんだな」と言う。

 間髪入れずにリーザは「私と愛し合っているのを知っているでしょう?」とオレが愛を持つことに対しての弁護をし、ふふんと自慢げにしている。

 若干以上の的外れな返答にサムソンは一瞬呆気に取られ、その後に呵々大笑した。

 

「一国を差配する女王殿下にそう言わしめる男はこの世界ひろしと言えど、お前ぐらいのものだ」

 

 褒めてくれているのかわからないが、サムソンのツボには入ったらしい。



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グラの落日

「リーザ」

「なあに?」

 

 流石に戦の準備もあるので彼密着距離からは離れている。

 

「ジオルは──」

「あの子に討たせてあげたい?」

「……ああ、できたらな

 父殺しなんざ残酷だろうが、アイツが本当に自由になるためには孤独な場所に落ちた方がいっそ早い」

「這い上がれるかしら」

「這い上がるさ、アイツはそれができる」

 

 オレの答えに満足言ったのか、微笑み、

 

「でも私にコーネリアスの仇を取らせてもあげたい、そうでしょう」

「そうだ、お前に取っては──」

「私の夫はあなたよ、レウス

 それにね」

 

 陣幕の外を見やるようにするリーザ。

 

「ジオルに復讐するなんて別にいいの

 私が復讐したいのはこのグラの地の全てだから」

 

 柔和で優しいリーザのままに、声音だけが冷えていた。

 女は怖い。

 改めて思う。

 

 ────────────────────────

 

 トレントに跨ったオレが一歩前に出る。

 服装は悩んだが、結局のところ黒い甲冑に毛皮の外套を纏った。

 解放軍の頃と同じような出で立ちだ。

 甲冑に関しては聖王への献上品をとアリティアの鍛冶たちが作ってくれたものらしい。

 曰く、オレの使い方でどれだけ耐えれるかわからない、聖王陛下への献上品ではあるが試作品でもある。

 素直にそう言ってきたらしい。

 嘘偽りのない職人への礼を言付けている。

 

 グレートソードを天に掲げる。

 

「聞けッ!聖王国の勇士たちよッ!!」

 

 オレは声を張り、味方は元よりグラに立つ兵士全てに聞こえるように叫ぶ。

 

「過日、グラはアリティアのコーネリアスを背後より手をかけた

 かつてアリティアの一部であったグラの行いを晴らす時が来たのだ

 

 今よりこの地にあるのは慈悲無き戦いだけである

 今よりこの地で行われるのは大いなるアリティアを取り戻す大義ある戦いのみである

 

 グラの将兵よ!ディールの将兵よ!

 常の戦場であれば投降の猶予を与えるものだろうが、オレは宣言をした!!

 

 もはや、この地に慈悲はない!!

 伏して泣いて、命を捨てよッ!!」

 

 グレートソードを振り下ろし、トレントを走らせる。

 

 やや遅れて、怒号と地鳴りのような音を立ててアリティア聖王国軍も攻めを始めた。

 

 ────────────────────────

 

 足並みを揃えることができる傀儡がいない以上は『霊呼びの鈴』は使えない。

 温存しておいて使う機会があるかはさておき、無駄になるよりはいい。

 シャロンとの戦いで役に立つ可能性だってあるからな。

 

 オレの戦い方は相変わらず、突っ込んで暴れるだけだ。

 読み合いこそ上手くなったわけじゃないが、武器の振るい方は変わってきた。

 狭間の地で振るう力任せの一撃ばかりではない。

 この鉄塊めいた剣でいかにして振るえば効率よく敵兵を砕けるかを理解してきた。

 

 血しぶきの中を駆け抜け、オレは一つ探しものをしていた。

 おそらく居るはずのものを。

 

 ディールの部隊を二、三叩き潰した辺りでそれらの軍旗とは異なるものが目の端に入った。

 

 グラの王旗、つまりはジオルのそれだ。

 

 オレがやることは一つ。

 周りを蹴散らし、奴を追い立てる。

 

 ────────────────────────

 

 なぜ、なぜこのジオルがこのような事に巻き込まれねばならぬ!

 王として生まれ、王として生きただけだ。

 王は尊いもの、であれば他を犠牲にしてでも生き延びるべきもの。

 コーネリアスを討ったのも、私よりも奴が下だからだ。

 アリティアなどという地に縛り付けられながらも、私を、このジオルを下に見るような目をしていた!絶対に見ていた!

 

 ドルーアに従い襲った。

 だが、そうではない。

 恐ろしかったのは事実。

 だが、コーネリアスを殺せる理由が見つかったのだ。

 恐怖に屈服し、弱い王であると勘違いさせれば服従しているように見えるだろう。

 生き延びればいつかは機会がある。

 コーネリアスを殺せる機会が巡ってきたように。

 

「ジオル様!ぶ、分断されました!」

「後ろもです!何かはわかりませんが、怪物めいたものが暴れています!」

 

 兵士たちが叫ぶ。

 

「え、ええい!どこなら行ける!!」

「ほ、北西です!国境の方は逆に手薄なはずです!!」

「進むぞお!!」

 

 未来へと進軍する。

 生き残るのはシャロンでも聖王だかでもない。このジオルだ!!!



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シーマ

 遠くに光が見える。

 剣が陽光を返していた。

 

 出発前にバルグラムが言っていた。

 お前が戦うべき相手の場所はオレが知らせる、と。

 

 あの人は酷い男だ。

 父を殺せと私を追い立てる。

 本当に酷い男だと思う。

 けれど、私は酷い優しさを理解していた。

 

 私が、シーマという一人の女がグラの王女という立場だけで生かされていることも、

 ディール家の夫人になる条件で売られるような立場にいる存在であることも、

 それらを理解して、全てを踏み越えて、己の意思を持てと伝えていることを知っている。

 

 例えそれが獣よりも浅ましい行為に手を染めなければならないことだとしても、

 犬ころみたいな人間でいるよりはよっぽどマシだ。

 

 剣の光が動く。私を誘導している。

 槍を掴み、駆け出す。

 ここではただの一兵卒、いや、それ以下だ。

 兵団として群れで戦わず、己の意思のままに戦おうとしている。

 獣になろうとしている。

 獣に落ちて、そうして初めて自らの意思を得るために。

 

 ────────────────────────

 

「お父さま」

「ひい!……し、シーマか!よくぞ生きていた!」

「お聞かせください、私をディール家へ売ったのですか?」

「売ったなどと!お前を守ってもらうためだとも」

「では、国境沿いの街はどうでしょうか」

「あそこは、うむ、裏切り者の巣窟であったから、レフカンディ軍に掃除を任せたのだ!」

「そう、ですか……」

「シーマよ、この戦場の抜けみ──」

「母上はどこへ行ったのですか」

 

 私の母は美しい人だった。

 リーザ女王殿下もとても美しい方だが、母はあの方ほどに強い意思を持っている人ではなかった。

 ある日を境に母は消え、それから数年間の父は羽振りがよかった。

 

 幼い私には何があったかはわからなかった。

 

 何があったのかを理解したのは石台に寝かされたあのときだった。

 私はシャロンへ売られたのだと思った時に、母も違う誰かに売られたのだと。

 

「ああ……あやつは、その、逃げたのだ

 サムスーフ領で見たという声も、あった、かな?うむ……」

「では、最期に一つ」

「最後に?」

「タリス王国のシーダ王女をレフカンディ軍が拐ったと聞いています、事実でしょうか」

「……さ、さてな……何を聞きたいかがよくわから」

 

 私は踏み込む。

 父の護衛は彼の言いなりになるものばかりで構成されている。

 上手なのは軍働きではなく媚びへつらうこと。

 槍が閃き、二人を仕留める。

 

 ジオルを守るように複数の兵士が立ち塞がる。

 その数名は実際に手練であることを記憶している、片方は模擬戦で一度も勝てたことのない相手だ。

 

「シーマよ、お前はジオルへ向かえ」

 

 サムソンと呼ばれていた男が私の横に立つ。

 

「……サムソン殿」

「サムソンで構わない

 お前はあのレウスが妹のようなものだと言っていた

 他者を大切に扱う人間だとは思ってなかったが、存外奴は他人にそう見せているだけなのかも知れん」

 

 彼が盾に納められていた斧を抜く。

 

「そういう人間は自分のものが失われた時、心の均衡があっさりと崩れるものだ

 お前が死ねばそうなるだろう

 それに……」

「……それに?」

「なぜだろうかな、お前を守らねばならない、そうせねばならぬ気がするのさ

 ──行け、聖王の妹よ、グラの戦士よ

 お前とこの大地(グラ)の名誉を汚したものに報いを与えてくるがいい」

 

 私はその言葉に背を押されるように走り出す。

 敵陣を突っ込む私に合わせてサムソンも突き進み、彼が道を切り開き、私の背を守るようにして反転した。

 

「ジオル、覚悟ッ!!」

「し、死んでたまるかあ!!」

 

 お互いの槍が叩きつけられる。

 必死な彼の攻めに私は戦いを決する一撃の隙を見出だせない。

 

「シーマ、我が娘!であれば!父のために死ぬのが当然のことだろうがああ!」

 

 自分勝手な怒りで闘志に火を付けたのか、速さを増した穂先が迫る。

 死を間近で感じる。

 けれど、聖王に首を掴まれたときほどの恐ろしさはない。

 時間がいやに緩やかに感じる。

 槍をゆるりと紙一重で避ける。

 懐に潜り込む。

 

『……できている、シーマ様の才覚には驚かされる』

『ほ、本当!?』

『……ああ』

 

 バルグラムが教えてくれた技が、初めて心から人に褒められたと思えたあの時間が鮮明に思い出せる。

 腰を入れて、手首を意識して、体全体で槍を押し出すようにする。

 全ての動きを以て、強大なものを倒すために作られた技。

 

「巨人狩りッ!!」

 

 シーマの咆哮のような声と共に、

 ぎゅんと風が練り上げられて切り開かれたような音が、突き上げた槍と共に放たれた。

 まるで子供が大人に持ち上げられたように高く打ち上げられ、やがてジオルが地面に激突する。

 

「ご、ごえぇほっ」

 

 大量の血を吐く。

 例えライブやリライブの力があろうと永らえられない、致命傷だ。

 

 私の父。

 そして、私も母をも売った男。

 

「わ、割がいい、取引だった」

「……なにを……」

 

「ひひ……レフカンディは、窓口に過ぎん……

 サムスーフが、お前の母を良い値段で買いたがったんだ……ひひひ……

 タリス王女の情報をレフカンディが高く買って、くれたのだ……あのときのように……良い、取引に……」

 

 失血から来た正気ではない意識のものだったのか、

 それとも弱き王が長年腹に溜め続けた苦悶が傷口から溢れ出ただけなのか、

 

 私にはわからない。

 

「あれ、だけの金額だ……今回もサムスーフが買ったのだろう……

 ……シーマよ……お前も着飾れ……

 ぐ、グラの血は高値で売れる、タリスの王女なんぞに負けないほどにな……あ……ひ、ひひひ」

 

「もう、もう喋るなッッ!!」

 

 私は槍を叩きつけ、ジオルの顔を砕き、殺した。

 

 槍に名付けられた『聖なる槍』という名を汚してしまった。

 私はバルグラムにこの戦場を求め、立たせてもらった。

 槍の名を取り戻す名誉ある戦いをしなければ、バルグラムに報いるために戦わねば。

 

「うう、あああ……」

 

 それでも、私はその場で立ちすくんで、泣いてしまう。

 

「あああ、ああああああああ!!」

 

 この涙が父を殺したからなのか、愚かだと思っていた父が許しがたい悪党であったからなのか、

 私にはわからなかった。

 戦場から離れた場所だったから敵が来ることはなかったけれど、それでもサムソンは泣きじゃくる私を守るように側にいてくれた。



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神鳴る鉄槌

 想像以上にディール家の兵士が強い。

 『国を得るために粛々と力を蓄えた』それが伝わってくる。

 国の正規兵と変わらぬ、いや、国によってはこいつらの強さは凌ぐだろう。

 マケドニアのようにドラゴンナイトがいるわけでも、グルニアのように精強な騎兵がいるわけでもない。

 統率された歩兵がこれほどまでに暴れにくい相手であることを学習することになるとは思わなかった。

 

 その時、空から幾つもの稲妻が降り注ぐ。

 意思を持つようにオレを避け、周囲を焼き焦がしていった。

 

「次の準備を」

「承知しました、女王殿下」

 

 アリティア魔道騎士団。

 揃いの黒馬に跨がり、リーザに従うアリティアに存在しなかった新たな兵種。

 短期間で自らの技術をノウハウ化し、才ある人間によって固められた少数精鋭の特殊騎士団。

 時間さえあればリーザはその騎士団をより多く、より正確に仕上げるのだろう。

 だが、まことに恐るべきは――

 

「エルサンダー!」

 

 魔道騎士団の団員が一斉にエルサンダー(高位の雷撃魔道)を空に放つ。

 撃った方向はちょうどリーザの真上だ。

 彼女は空に手を掲げ、指で何かを手繰るようにし、手を振り下ろすと同時に魔道を喚起する。

 

「ミョルニルッッ!!!」

 

 稲妻が迸る。

 まるで神が彼女の怒りを体現するかのように、振り下ろされる度に数部隊が纏めて消し炭に変わった。

 彼女は魔道を()く使うが、大魔道士と呼ばれるような才覚はない。

 彼女の麾下たる魔道騎兵も優れた兵士だが、カダインの駿才には遥かに及ばない。

 

 だが、リーザは女王だ。

 人をどのようにして扱えばいいか、どのように配してやれば効率がよいかを瞬時に判断する王たる才を備えた女である。

 一人では英雄譚のような戦いができないのならば、束ねて戦う。

 一人では魔力が足りないのならば、束ねて扱う。

 特権階級的で個々人の技である魔道を、集団運用し指揮するという新たな可能性をリーザは開いたというわけだ。

 

 復讐が人を変えるとは言うが、ここまで変わるとは誰も思うまい。

 本来モーゼスが彼女を引き裂いて殺していたはずだが、あいつだけが彼女の危険性に気がついていたのかもな、などと思う。

 

 彼女の周囲はホルスタットが選別したという近衛騎兵が守る。

 ここはもう彼女に任せてもいいだろう。

 

 そう思った瞬間にオレはグレートソードを構えた。

 何かが見えたと思った瞬間に剣が盾代わりになって矢を弾いた。

 

 矢が放たれた方角にはグラの主城。

 そして、一際高いところに弓を持っているシャロンが立っている。

 次の矢を構えず、オレを見ていた。

 

 オレが姿を確認したのを理解したのか、片手をこちらに向け、手招く。

 

「おもしれえ……」

 

 トレントを走らせ、オレは主城へとまっしぐらに進む。

 この戦場では最早オレを止めようなどという蛮勇を持ち合わせるものはいない。

 オレはそいつらを無視する……わけもなく可能な限り暴れ狂い、蛇行運転をするように敵の数を減らしていった。

 倒せば倒すだけ、オレは理解できる。

 歩兵に囲まれたときは面倒であったが、主城に辿り着く頃にはディール歩兵が面倒になることはなくなっていた。

 

 ────────────────────────

 

 主城の中は静かなものだった。

 近習の一人もいない。

 

「警戒しなくてもいい……バルグラム」

 

 遠くから声が響く。

 

「こっちだ、早く来てくれ……」

 

 悦に浸るようなシャロンの声。

 玉座だろうと思っていたが、それは間違いではないようだ。

 

「ああ……バルグラム

 いや……聖王レウスと呼んだほうがいいかな?」

「別に、好きに呼ぶがいいさ」

「そうか……では、好きに呼ばせてもらうとしようか……、我が愛バルグラム……」

「訂正は間に合うか」

「駄目だよ、もう遅いさ

 我が愛バルグラム」

 

 オレは心底後悔した。



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愛しの聖王様

「私は理解したのだよ、我が愛バルグラム」

「何をだ」

「私は君だ、君の一部、ああ、我が愛!」

「オレが言う立場になるとは思わなかったぜ、──物狂いッ!!」

 

 グレートソードを振り下ろす。

 

 ぎきぃと、弓で鍔迫り合いに挑むシャロン。

 馬鹿げている。

 そんなことができるやつがいるかよ!?

 

 だが、押しつぶせない。

 圧し切れない。

 砕けない。

 それどころか、じり、じりとオレが押し込まれている!

 

 ばっ、と後方へと飛んで距離を取り、グレートソードを担ぎなおす。

 

「どんな手品だよ」

「どんなと言われると、わからないのかな、我が愛バルグラム

 ではこれはどうかな?」

 

 懐から取り出したのはあのオーブ。

 灰のオーブだとか呼んでいたものだ。

 

「闇のオーブのお友達か?」

「連中は劣化品だとか言っていたが、まったく、我が愛バルグラムのことを理解していない凡俗は困ってしまうな

 確かにこれを使えば──」

 

 姿が掻き消える。

 オレは直感めいたもので前方へ向かって前転回避(ローリング)を行う。

 元いた場所にはシャロンの矢が突き立っていた。

 姿の隠蔽、ではないだろう。

 

「流石だ、流石だよ、我が愛バルグラム!!

 だが、理解できたかな?」

 

 あいつは確かに動いた。

 どっかの吸血鬼よろしく時を止めたわけじゃない。

 制動が利かないレベルで直進を何度かして、程よい距離で矢を射ったのだ。

 狭間の地での経験から(ケン)に回った時の集中力と学習能力には自信がある。

 だが、わからないのは……

 

「闇のオーブは他者を縛るって力だったよな」

「ああ、そうらしいな

 マフーもそこから作り出したとヨーデル殿は言っておられた

 その後に灰のオーブを作り出したカダインのガーネフ殿が器たる灰のオーブを満たし、マフーへと変換した

 ……もっともそのマフーは本来のものよりも遥かに力が弱いものだがね」

「そんなにぺらぺらと喋っていいのか?」

「先程も言っただろう、凡俗だと

 この灰のオーブの本当の意味を知らぬ者たちの研究などまるで価値のないことだ

 価値の無いことを喋って誰が損をするんだい、そうだろう我が愛」

 

 消えた。

 回避をしようと動いた先に現れたシャロンの弓が振りかぶられ、激突する。

 オレは大きく吹き飛ばされ、グレートソードを床に刺し、それでも後退が止まらず、

 勢いに負けて柄を離して、剣からも距離が少し空いてようやく停まることができた。

 

「素晴らしい!常人ならば四散していてもおかしくないのに!!」

「ドラゴンに踏まれても原型が残るくらい頑丈なんでね」

 

 とはいえ、とんでもないダメージだ。

 竜人兵のパンチ並に効いた。

 

「しかし……ち、力が溢れるよ!我が愛バルグラム!!

 やはり、やはりそうだ!ああ、我慢ならん!!あああああ!!!!!」

 

 絶頂しているシャロンへオレはハンマーを横薙ぎに叩きつける。

 内蔵を破裂させる勢いでぶん殴ったそれは確かな手応えと共に吹き飛ばす。

 いや、吹き飛んでしまった。

 今までの連中であれば、上下が泣き別れになる威力だったはずだ。

 

 壁に使われていた石材がごろごろと床に転がり落ち、土埃から原型のまま、100%気持ち悪い状態のシャロンがのっそりと現れた。

 

「失礼失礼、少々正気を失っていた

 さて、どこからだったか……ああ、そうだ

 貴様と灰のオーブとの関係性だった」

 

 先程までの狂乱はなりを潜め、オレの知っている傲慢な貴族に戻っていた。

 

「これに本当に覚えはないのかね」

「……ない」

「自らが作ったものだとしても、かい?」

「そんな物作った覚えは──」

 

 オーブを見ると、それはガラスのような素材が容器となっていて、中に砂のようなものが納められているのだとわかる。

 ……いや、あれは砂じゃない。

 

「気が付いたかな」

「まさか」

「灰だよ、その場を見たものは誰もいないらしいが、状況証拠から推理して、

 私は君こそがあの灰を生み出したと考えている」

 

 頭を押さえるようにしてから、シャロンは――

 

「これは、カダインの支配者であるガーネフ殿が闇のオーブを研究した成果で作った、からのオーブを使って作り上げた『もの』なんだよお、我が愛バルグラムゥゥゥ!!」

 

 ぎゅん、と再び増速する。

 何度か見たお陰で避けて一撃を入れることくらいはできる。

 オレは読み合いは苦手でもボス攻略自体は得意なんだよ。

 

 避けて、ハンマーを叩きつける。

 次は確実に殺そうと頭に叩きつけ、顔面で地面を割るほどの一撃。

 オレはステップで距離を取る。

 だが、やはりシャロンはむくりと立ち上がった。

 血の一滴も流れていない。

 

「ふう、失礼

 カダインとその協力者は『価値のある商品』を得るために苦労して君の仲間を拾おうと努力はしただろう

 或いはどこかで捕まえているかもしれないが……安心するといい、無事なはずだよ

 痛めつけるのも殺すのも意味のある行為とは思えない

 なぜならこんな、素晴らしい……ぐ、うう……」

 

 この男の事は気に食わないが、豹変を抑えようと尋常ならざる精神力を発揮しているらしい。

 

「わ、私の望みはただ一つだ、バルグラム

 このアカネイア大陸を、お前の持つ力で……は、灰にし……たい、んだよお、我が愛バルグラムゥゥ」

 

 その精神力による抵抗も無駄だったか。

 オレはハンマーを構えようとした瞬間に蹴り飛ばされる。

 先ほどと違う。

 明らかに増速の力を制御している。

 

「ふうー……素晴らしい力だ

 我が愛バルグラム、貴様の腕、貴様の脚、貴様の胸板、貴様の技、貴様の眼……

 そうではないだろう!そうではないはずだあ!!」

 

 消えたと思ったときにはオレは弓でカチ上げられていた。

 その空中で一瞬で蹴りが三発も飛んでくる。

 半端じゃない威力だ。

 天井に埋もれて、落下する。

 なんとか命がつながっているだけだ。

 オレが落ちた後に天井に突き刺さっていたハンマーも落下してきた。

 

「武器に頼るなよお、貴様の腕、貴様の脚、貴様の胸板、貴様の技、貴様の眼……

 獣たるお前の姿を、完全な姿を見せてくれ……」

 

 悦に浸ってこちらを見ていない隙にオレはきずぐすりをがぶ飲みする。

 なんとか体力が戻ってきた。

 

「死のルーンにゃ頼りたくねえんだよ、何が起こるかもわからねえ」

「全てを破壊できるというのに、何故だあい」

「全てを破壊なんざしたくねえからだよッ!」

 

 武器はない、持っているものを引き抜く余裕もない。

 オレは拳を全力でシャロンに叩きつける。

 シャロンはそれを甘んじて受け、

 

「んフゥゥゥあああアァアああぁあああぁあぁああッッッ!!!!!

 そうだぁ、それだあ、我が愛、我が愛ィィ!!」

 

 絶頂した。



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獣性

「それだあ、それだよお、我が愛バルグラム

 死のルーンを解放するんじゃない……

 私は獣の貴様を愛しているんだあ……わかってくれえ……わかってくれるだろう?」

 

 祈祷を使えっていいたいのかよ。

 今の手元に聖印(触媒)はねえんだが……。

 

 いや……、オレはあのとき、

 獣騎士になっていたときにどうやってアレを使っていた?

 

「集中しろォ、くくく、あははは!!!声が聞こえる!!!声が声が聞こえこえる!!!!

 うるさいうるさい!!!アアアアアアアアアア!!!!」

 

 頭を抱え、振り乱し、狂乱するシャロン。

 

「我らを思い出しええええェェェアアああまれええ、黙れ黙れ、黙れ!!

 わ、私はディール侯爵シャロンだぞ、貴様なぞに、アアア、グ、ウウウ獣、獣めえ……」

 

 シャロンは弓を地面に叩きつけ、砕く。

 割れて鋭利になった『弓だったも』のを一切の躊躇なく自らの手の甲に突き刺した。

 オレは、この光景を知っている。

 状況は違えど、

 

「だま、れええ……

 ……ば、バルグラム

 あれは、お前の記憶だ、それに気がついているものはいない、私を除いてな……

 私が知り得たのも偶然にすぎない……」

 

 獣だ。

 その行いにマリケスと呼ばれた獣の剣士を想起する。

 

 灰のオーブにシャロンは力を込める。

 みしみしと音を立てるとヒビがオーブ全体に走っていく。

 

「私はお前の力を得て、五大侯を食らいつくし、アカネイア王国を打倒する……

 朱く腐れたこの大陸の歴史を破壊するために、誰もがもうおぞましいものを見る必要のないために」

 

 オーブを頭の上に掲げ、最後の一息で砕く。

 シャロンは大口をあけて中から溢れる灰を含んでいく。

 

「ウウ、あああ、ああああああ!!!!我が愛!我が愛バルグラムよ!!!

 愛し合おう!!!獣のように!!

 ウウウウウ、流れ込む!我が愛バルグラムよ、貴様が私に流れ込むゥゥ!!!」

 

 その動きは洗練こそされていないが、死のルーンの番人(黒き剣士マリケス)の動きに酷似していた。

 

 狭間の地で最も苦戦した相手。気が狂いそうなほど──いや、何度か狂い自殺を敢行したほどの回数だけ戦いを挑んだ相手。

 オレが対人は苦手だがボスならと言ったのはマリケスを倒したことでそう言えるようになった、冷静に戦いを見ることを知れた相手だった。……気がつくのに遅すぎたきらいはあるけどな。

 さておき、だ。

 

 マリケスを知るはずもないシャロンが何故それができる。

 灰を食らったから?

 ……戦灰()を……?

 

 オレは思考を中断する。

 再び増速したシャロン相手にこれ以上はただの自殺だ。

 

 武器を振るう暇などない。

 回避。

 回避、回避。

 ひたすら回避をするしかない。

 

 武器を振るえないなら、獣じみたシャロンに通じる攻撃を打つのなら、──同じ速度しかない。

 

 聖印はない。

 だが、獣騎士のときのオレは発動させた。

 獣の司祭(グラング)はどうやって発動させていた?

 ……答えは決まっている。

 

「ああああああああああァアァァァア!!!!」

 

 叫ぶ。

 理性が吹き飛ぶくらいに、オレは全力で叫ぶ。

 

 獣騎士だから獣の祈祷を使用できたわけじゃない。

 あれは己自身こそが聖印だったのだ。

 

 オレの奥深くにある原始的な欲求に触れる。

 

 ──これだ。

 

 理性も人間性も損なわれていった狭間の地からではなく、

 この地、アカネイア大陸という理性も人間性も担保された世界だからこそ、オレはオレの獣性を理解した。

 オレの原始的欲求こそが、祈祷の根源(触媒)となる。

 

 いかに速く動こうと『()』を取り込んだものをオレの眼(獣の瞳)が見逃すことはない。

 動きを捉えることができたなら、あとはシンプルな殺し方で十分だ。

 

 オレは手を鈎のようにし、乱暴に横薙ぎにする。

 

 獣爪

 

 飾り気のない名前だが、相手を殺すためだけの力に洒落た名を付けるなんて獣のすることじゃない。

 

 オレを通り過ぎるかのようにシャロンが通過する。

 血液ではなく、狭間の地の存在のように霧のようなものをはらわたから吐き出しながら。

 

 壁に激突し、ようやく止まったシャロンへと近づく。

 

「思考が……透き通っている……なるほど、敗北、いや……完敗か

 灰のオーブによって意思を染められても、私はこの程度が限界というわけだ」

 

 シャロンは自嘲気味に笑う。

 

「お前は何をしたかったんだ、シャロン」

「……言ったはずだ、私はアカネイアを壊したかったのだよ……

 くだらん権力争いの果てに砕かれた王国

 いや、我が一族とて権力争いという意味では滅びに加担した……だから、父を殺した」

 

 五大侯の中でもアカネイア防衛をしなかった貴族があるって話だったが、ディール侯爵はどうだったか。

 オレがパッと覚えているのはラングくらいだ。

 そのラングもドルーアとの戦いでは出てきた覚えがない。

 恐らくはシャロンの言う所の権力争いの結果として見て見ぬふりでアカネイアの滅びに加担したのだろう。

 

「我が家が他の家と手を取り合えばアカネイアは滅びなかったかもしれない、

 だが父上は汚れた家だと言ってラングたちを糾弾した……それこそが連中の狙いだったかもしれないが……細かいことなど興味もなかろう?」

 

 オレは返答しなかった。

 興味がないわけでもないが、それは別の機会に、他の誰かから聞けるようなことだろうと考えたからだ。

 

「どうあれ、政治的な軋轢さえなければ、アカネイアは今も維持されていたかもしれない

 私は朱く、腐敗したこの大陸を正したかった、おぞましいものから民を遠ざけたいと思っていた……

 だが、やがて、私如きの力で大事を成そうなどできないことを知り……」

「そこをカダインにつけ込まれた、か

 いつからだ?」

「最初は単純な武力の供与などを餌にされていただけだ、グラを、国を手に入れて自分の理想の場所にすればいいとね……」

「そんなんになっちまったのはヨーデルが来てからってことか」

「どうだろうな……本当に狂わされたのは貴様を見たからかもしれんよ」

「我が愛ってか」

「ああ、そうとも……

 貴様のように、権力など知らぬと言う獣のような瞳を持つものがアカネイアに一人でもいたなら……私の側に居てくれたら、そう思えば、そういう存在がいると知れば、憧れに身を焼くことになる」

「冗談はよしてくれよ」

「死に際に冗談を言えるほど、ぐ、ごほ」

 

 血の代わりに吐かれたのは鈍く光る霧。

 苦く笑うシャロン。

 その生命ももうじき尽きるのだろう。

 

「獣性の(あるじ)

 バルグラムよ

 貴様が王であるなら、貴様のようなものこそがアカネイアの王であれば……

 私は、貴様にこそ仕えたかった……」

 

 手を伸ばす。

 オレにではなく、シャロンが幻視()た理想の王へと。

 

「王に……──、そして、アカネイアを……──」

 

 言葉の全てを尽くす前に、シャロンは霧となり、霧散する。

 灰のオーブもまるで役目を追えたかのようにこぼしたものも風に浚われるようにして、或いは霧のように立ち消えていった。

 

「悲しいな、シャロン」

 

 血統という糸に絡まって死んだ、或いはカダインの駒として死んだシャロンを哀れんだからなのか、

 自由を知らぬままに死んだ一人の男を悼んだからなのか、

 オレはまだ自らに浮上してきた悲しいという感情に追いつけず、ただ言葉として吐き出すことしかできなかった。



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聖王の妹

 戦いは決した。

 シーマはジオルを、

 リーザたちアリティア聖王国軍はグラ・ディール軍を、

 そしてオレはシャロンを討ち倒した。

 

 戦いの後、すぐにシーマがオレを探しに現れた。

 

「シーダ王女の居場所がわかったかもしれない」

「どこだ!?」

「サムスーフ領だと、ジオルが死に際に言っていた」

「レフカンディじゃあないのか」

 

 シーマはこくんと頷き、

 

「あそこは窓口なんだって……おそらく人身売買か、そういう類の」

「そうか……」

 

 オレはその情報を噛みしめるようにして、

 

「シーマ、ありがとう」

「お礼なんて、だって、本当ならバルグラムはシーダ王女のところに──」

 

 辿り着けていたかもしれないと言おうとしたシーマにオレは頭を振る。

 

「妹みたいに思えちまったやつを、オレは放っておけなかった

 お前はそんなオレに何となく助けられた

 それでいいじゃねえか」

 

(シーダ王女になにかあっても、私は悪くないのだと、そう言いたいのだな)

 

 小さく笑うシーマ。

 

「残酷な人だ、兄上」

「はははっ、かもな」

 

 兄上と言われて、嫌な気持ちになる男なんてそういねえだろ。

 遠回りにはなったのかもしれない。

 だが、次に向かうべき場所は決まった。

 

 サムスーフ領だ。

 

 ────────────────────────

 

 すぐさま発ちたいところではあるが、戦後処理のことだけは立ち会う必要がある。

 ここまで面倒を見たのだから、戦いの後のことまでは見ておかねばならないだろう。

 

 グラはアリティアに再び統合された。

 その『グラ』という名前は地方の名前としては残されることになる。

 

 アリティアと同じく、グラはドルーアに近く、弱ったここに攻め寄せる可能性は否定できない。

 やるべきことは防衛力の強化とグラ地方の安定化だ。

 

 何者か土地を治めるべきものをアリティアから送るべきであろう。

 その手配はリーザに任せるとして、

 

「グラについてだが」

 

 オレが声を上げる。

 一同──シーマを含めて──はオレを見る。

 

「その前に皆に伝えておくべきことがある」

 

 オレはシーマの側へと歩く。

 

「このシーマは聖王レウスの妹である、隠していて申し訳ない

 長年に渡って行方不明であったのだが、五大侯の手によって拐かされ、

 ついにはグラへと渡っていたのだ」

「へ?」

 

 シーマの間抜けな声が漏れ出る。

 そうだったの、というわけではなく、

 突然この人は何を言い出すのだ、という声だ。

 ただ、この会議に参列している事情を知らないホルスタットの軍師や副官は――

「そうだったのか」

「あの凛々しさはご兄弟であるからだったのか」

「ご兄妹ともに素晴らしき戦功をあげるとは、聖王様万歳!」

 と称賛している。

 

「知っての通り、我が聖王国は愛する妻であるリーザの手腕によって成り立っている

 ただ、アリティアは今大変な時期である

 大義あって我らはグラを取り戻したが、リーザにこの地を任せるのは負担が大きい」

 

 副官達は――

 

「自ら権力を持たず、現人神として広く俯瞰しておられる……」

「女王殿下の仰るとおりの高い視座だ……」

 

 と漏らす。

 ちなみに人が喋っている時にあれこれ言うのはオレからするとマナーとしてどうなんだ、と思うが、

 オレが何度か「忌憚のない意見を」と求めたことで始まったものらしい。

 今は静かにしてくれとでも注意しない限りはこれが常だ。オレが悪い。

 しかし、ああして持ち上げてくれるのはサクラと同じでオレにとって都合よくことが回る潤滑油になるので助かっている。黙らせる理由もない。

 

「誰であろう、我が妹であればこのグラを任せることができる

 この地を聖王姫シーマの庇護下とすることに反対するものはいるか」

 

 拍手が起こる。

 全会一致。

 

「レウス、女王殿下」

 

 サムソンが意見具申したいと声を上げる。

 オレはなんだ、とサムソンへ。

 本当はこういうのは全部リーザに頼みたいところだがたまには聖王らしく仕事をせねばなるまい。

 

「聖王姫殿下の護衛、そして聖王レウスが取り戻したグラの守護……

 このサムソンに任せてもらえないか」

 

 お、良いね。

 強い意図を含んだわけではないが、それでもこの展開は心が踊らないと言えば嘘になる。

 

「オレの可愛い妹だ、しっかり守れよ」

「無論、このサムソンの魂に懸けて、万難から守ると誓おう」

 

 終始シーマはその状況に振り回されていたが、グラについてはそういうことになった。

 

 ────────────────────────

 

 会議が終わり、オレはリーザに後事を頼む。

 

「妹だなんて、狡い手ね」

「リーザの義妹でもあるんだぞ、可愛がってやれよ」

「毎日きせかえ人形にしたいくらいだもの、可愛がりたいけれど」

「隣領とはいっても中々難しいか」

「戦後処理の間くらいは好きにさせてもらうけれどね、ふふ」

 

 リーザが淡く笑い、そうしてから――

 

「急ぐのよね」

「流石に場所がわかった以上はな」

「……戻ってきてね、あなた」

「ああ」

 

 口吻を交わし、彼女を離そうとしたところで――

 

「兄上、こちらに……し、失礼!!」

 

 ばったりと目撃してしまい、狼狽するシーマ。

 

「いいのよ、シーマ

 こちらにいらっしゃい」

「は、はい……ええと」

「リーザでいいからね」

「そういうわけには……殿下」

「だめ、せめてさん付けで呼んでちょうだい」

「リーザ……さん」

「よくできましたねえ」

 

 撫で、抱きしめる。

 直線的な母性の一撃にシーマは目を回している。

 

「あ、あの、そうではなくて、兄上!」

「なんだ」

「その……先程の話は」

「妹だってやつか」

「それもそうだけど、グラのことだ。

 私が治めろなんて」

「イヤか」

「そうではなく、その資格が」

「聖王の妹なんだから資格なんてこれ以上ないぞ」

「ジオルが国中を狂わせてしまったんだ、その血を引いた私が」

「なあ、シーマ」

 

「お前が住みたい国はどんなところだ?」

「私が……それは、皆が笑顔で、安心して暮らせるような土地だよ」

「じゃあそいつを目指して復興しろ、わからんことや解決が難しいことはリーザを頼れ

 お前がその血統が忌まわしいと思うのであれば、お前の代から変われ

 その血が誉れあるものだと人々に語られる、ジオルと対照的だと後世に謡われるような為政者になるんだ」

「……果てのないことだ」

「挑むも挑まないもお前の自由だ、どうする」

「当然、進む自由を選ぶよ

 兄上の示してくれた道を進むという自由を」

 

 オレは彼女の頭を撫でると、トレントを呼んで跨る。

 

「じゃあ、行ってくる」

「はい、あなた」

 

 一拍置いて、シーマは声を上げた。

 

「兄上!

 ……戻ってきたら私やグラを見て欲しい、あなたが自慢にできる妹であったかどうかを!」

「ああ、シーマ

 だが、サムソンをあまり困らせてやるなよ

 アイツもオレと同じでお前の頼みを何でも聞いちまうからな!」

 

 目指すはサムスーフ領だ。

 オレはトレントを突っ走らせる。もう立ち止まることはない。

 

 ────────────────────────

 

 走り去るレウスを見送るリーザとシーマ。

 

「兄上は……酷い人ですね」

「ふふ、そうね

 辿り着くのが大変な夢を見せて、それを叶えろって言うんだから」

「はい、だからこそ……私はあの人の妹として、運命に手折られぬよう、支えになれるように復興を目指すことを誓います」

「じゃあ、レウスが帰ってくるまでに素敵な場所にしなくちゃあね」

 

 はい、とシーマは真っ直ぐな視線でリーザから、そしてもう見えなくなってしまったレウスの、

 その進んだ方向を見る。

 

 その瞳の輝きは、彼女の歩んだ人生の中で一番に輝いていた。



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黒いカダイン

 グラでの決戦から時間は少し遡る。

 

 魔道の国カダイン。

 各地での研究を終えたヨーデルとエルレーンはそれぞれの日常、つまりは研究に戻るはずだった。

 

「エルレーン、ガーネフ司祭がお呼びだ」

「僕を?」

「急げよ」

「……わかったよ」

 

 カダインの秩序を破壊したガーネフに対して憎悪を抱いているかと言われれば、

 無いわけではない。

 だが、エルレーンが憎むのは常に自分の弱さ、至らなさであった。

 こうしてガーネフに呼ばれ、会ったとしても憎んだりは──

 

「エルレーン、灰のオーブの調子はどうか」

 

 髪を後ろに撫で付けた鷲鼻の男。

 年齢は相当な高齢のはずだが、それを感じさせない若々しさがある。

 それがこの男をより不気味に見せていた。

 

「その……僕のオーブはまだ」

「であれば急ぎレフカンディへと向かえ、儀式が行われるそうだ

 誰を犠牲にするつもりかまでは知らんが、暴走されて灰のオーブが無駄になっても困るのでな

 余剰分でもお前であればマフーを生み出すだけの力は回収できるだろう」

「……」

「何をしておる、早く行け!時間は黄金、それも後で買い戻せぬものぞ!」

「は、はい」

 

 帰ってきてすぐに出張。

 決して憎んだりは……しないとは言い切れない。

 

 ────────────────────────

 

 とんぼ返りというべきか、なんというか、足の早い馬車を走らせて再びレフカンディへ。

 エルレーンの優秀さについてはレフカンディ侯カルタスは極めて高く評価しており、

 揉み手をする勢いで邸へと招き入れた。

 

「オレルアンに抜かれたと聞いたが」

「通してやったのですよ、オレルアンが金を積んだのでね」

「そうなのか」

 

 聞いた話だと王弟でありアカネイア攻略部隊を率いるハーディンは高潔な人物だと聞いている。

 となれば、話をつけたのは違う人物なのだろうか。

 それとも存外、ハーディンという男は世慣れしている人物なのか。

 だが、それを気にしている暇もあまりない。

 

「儀式をすると司祭から聞いて、手伝うようにと」

「おお、流石はガーネフ様

 儀式は明日の日が昇る前に行います」

「……そうか、わかった」

「それまでは部屋を用意しますのでそちらでお休みください」

 

 止められないものだろうか。

 ……止めたところで、そのあとはどうすればよいのかもわからないが。

 

 案内された豪奢な部屋の椅子に座ると、表情を曇らせる。

 何をするべきなのだろうか。

 ふいに机の上にある鏡に目が行く。

 彼は自己評価については、少なくとも外見をどうこう評価するタイプではない。

 対外の評価で言えば美少女とも取れるほどに美しい顔立ちをした少年である。

 

「……ひどい目の隈だな」

 

 当然か、とエルレーンは思う。

 眠ると言っても馬車の中であったり、研究に椅子の上であったり、

 休息なんてろくに取れていない。

 しっかり睡眠を取れば妙案の一つでも浮かぶかもしれない。

 睡眠の魔力に手を引かれるように、大きなベッドに不釣り合いな小さく細い体を横たえ、そうして眠りに就いた。

 

(よく考えたらこの一週間、八時間も寝てないんじゃないのか……ああ、泥のように、……眠い……)

 

 ────────────────────────

 

 瞼が重い。

 いや、痛いと表現できるだろう。

 どれだけ寝ていたのか。

 誰も起こしに来ないのも妙であるが、起こす気にならないほど深く寝ていたのか。

 猫のように骨を鳴らし、深紅で染められている外套を纏う。

 華奢な体をこれで隠さねば魔道士としての威厳もへったくれもない。

 

 扉を開く。

 暗い。

 廃墟のような静けさだ。

 

 遠く、恐らくは儀式に使う部屋で音がする。

 その部屋自体は前回来た時に呪紋などの配置を手伝ったから場所はわかる。

 自分抜きで儀式を始めたというのだろうか?

 折角来たカダインの魔道士を放置して進めるような『勿体ない』真似をあのカルタスがするだろうかと思う。

 

 ────────────────────────

 

「おい、質問しているんだが」

「ま、待ってくれ、本当に知らないんだ!」

 

 エルレーンが目を覚まし、歩き始める直前辺り。

 

 レフカンディの邸は地獄と化していた。

 黒い甲冑に黒い毛皮の外套を纏った人相の悪い男が儀式の場に踏み込んできたのだ。

 儀式の前に全員でのリハーサルを行っていた彼らは全くの不運で一網打尽にされた。

 抵抗はした。

 

 意味があったかは薄い。

 彼が、ではなく、彼が鳴らした鈴に釣られるように現れた海賊風の亡霊たちに出入り口を封じられ、

 逃げようとしたものは撫で斬りに、抵抗しようとしたものは縦斬りにされた。

 

 生き延びているのは最早カルタスとその側近のみ。

 

「もう一度言うぞ

 オレは・ジオルから・話を・聞いている」

 

 言葉を区切るようにしながら黒い男が質問する。

 

「どれほど耳が遠かろうと今のはしっかり聞こえただろう

 タリス王国の王女シーダ、サムスーフに売った、よなあ?」

「それは」

 

 ぎゅん、と鉄塊が唸り、側近の一人が凡そ人体としてはあり得ざる死に方をする。

 真っ赤な液体がじわじわと、とめどなく『人体だったもの』から溢れ出た。

 

「話す気はないか

 商売人としては素晴らしいのかもしれんな」

 

 亡霊たちはなにかの意思を受け取ったかのように、側近の一人の手足を掴むと、無造作に引っ張り始め、

 やがて彼も『だったもの』にされる。

 

「大絶叫だったな」と無感動に黒い男が言う。

 

「別に殺す必要もないのはわかっているが、シーダを探しているってのに、時間を取られてむしゃくしゃしている

 オレからすればお前らは音の鳴るおもちゃみたいなもんだ

 できるだけ大きい声で泣いてくれ」

「待て!待てえ!!!話す!!

 シーダ王女だろう!!」

 

 カルタスは観念したように言う。

 

「ああ、グラの街で捕らえた後にサムスーフに売った!

 タリスに対しての切り札にすると言っていた!」

「タリスに?」

「ディールと同じだ!奴も国が欲しいのだろうさ!

 アカネイアの大貴族ではなく、ただ一人の王になりたいのだろう!

 お、愚かなことだ!国の経営など金にもならん!!」

「……なるほどな

 それともう一つ、灰のオーブはどこだ?」

「なっ、なぜそれを」

「五大侯であれば持っているだろう、カダインからもたらされたはずだ」

「こ、ここにある」

 

 懐から取り出されたはそれを掴み、片手であっさりと砕く。

 灰はまるでこの世界にはなかったかのように霧になって消えていった。

 

 海賊の亡霊たちは手足を掴む。

 

「な、何を!?

 すす、全てを話したぞ!!」

 

 黒い男は鉄塊めいた大剣を大上段に構える。

 

「ま……待てっ!!」

 

 少年……エルレーンは事態を掴めないまま、抱えた道徳心に突き動かされるようにして扉を開いた。



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割り放題

 どっちにしろグラの後はここ一帯を掃除するつもりだったんだ。

 今手を下した所でそれは早いか遅いかの違いに過ぎない。

 カルタスの死は決まっていたことだ。

 

 音を立てて扉が開き、待ての声。

 

 振り返れば、金髪の……少女が立っている。

 気が強そうというか、難しそうというか。

 年頃の少年少女はまあ、あんなものかとも思う表情だ。

 

 ただ、外に居たということは大絶叫も聞こえていたし、オレとカルタスの話も聞いていたはずだ。

 正義感か、勇気か、どちらにせよ──

 

 オレはカルタスに視線を戻し、立て看板でも地面に刺すかのようにカルタスにグレートソードを叩き込んだ。

 一度。

 

「ひっ……」

 

 金髪が息を呑む。

 

 二度。

 

「……ッ」

 

 三度。

 

「やめ……止めろッ!!」

 

 遂に制止する。

 

 四度。

 

「げ、外道め!」

 

 魔力が紡がれる。

 ほぼ同時に発動条件を整わせ、発動のためのキーとなる魔道の名前が放たれる。

 サンダーだろう。

 真正面から受けても大したことは

 

「トロンッッ!!」

 

 マジかよ!

 オレはガザックを盾にするようにしながらローリングで飛び退く。

 凄まじい放電がオレが居た場所に直撃する。

 照射の中心点から外れたとは言え、ガザックは耐えかねて霧へと還った。

 

 オレはグレートソードを手から離しながら前進、ローリング、ローリング、背後を取る。

 狭間の地に生きる褪せ人なら誰だって行う戦術機動ってやつだ。

 

 首を掴み、壁に叩きつける。

 魔道士は「かはっ」と肺から空気が押し出された音を吐く。

 シーマからの経験で、締めすぎないコツは掴んでいる。

 喋れはするだろう。

 脚が地面から離れているし、魔道を使おうとすればすぐさま首の骨をへし折れる。

 こんな細い首、一瞬だ。

 

「トロンだと?

 ……カダインの人間だな、お前」

 

 トロンはアカネイアでもトップクラスの魔道書だ。

 強さも、難易度も、そして金額も。

 これを行使できるものは少ないし、先程のように威力を引き出せるものとなれば更に少ない。

 

「お前も連中と同じ──」

 

 カダイン、灰のオーブを作り出した連中。

 別にシャロンを狂わせたなどと鼻息を荒くする気はないが、オレが作ってしまった灰で跳ね回られるのは気に食わない。

 灰の一部にフィーナのものも含まれているのだろうから、

 それで作ったマフーでイキられたら怒りでどうにかなりそうになる。

 

 じたばたと足を動かされてうざったいので、壁に更に押し付ける。

 その衝撃か、懐から何かが溢れ落ちて、地面でかつんと音を立てた。

 

 ……灰のオーブ。

 

「……そうかい、お前もそういう奴か」

 

 みしりと指に力が入る。

 

「ひっ、く、かふ……ちが、う、ぼ、僕は……お願い、だ……話を聞い……て」

 

 目尻に涙が浮かび、足掻きながらも言う。

 

「魔道を使う素振りを見せたら殺す、

 ウソをついても殺す、

 オレの機嫌を損ねたらエグい手で殺す

 わかったか?」

 

 こく、と何とか可動させられる範囲で頷いたので地面に落とす。

 

 げほっ、げほっと酷く咳き込んでいる魔道士を横目で見ながらオレは灰のオーブを拾う。

 

「名前から聞いておく」

「え、エルレーン……だ」

「……」

「なんだよ……」

「いや、オレはレウス」

 

 男だったのか。

 原作だと金髪ロングのイケメンじゃなかったっけ。

 どうみても特定の層が好きそうな線の細い美少年、

 それどころか美少女と言われても納得できるレベルだけど。

 時間の流れというのは可愛いを美しいに変えるんだなあ。

 

 じっと見られて居心地が悪そうにしてから、

 

「いや、え、レウス……!?

 アリティアの聖王!?」

「ああ」

「なんでここに」

「奪われたものを回収しに来た」

「……先、侯爵に言っていたタリスの王女様か」

「そうだ」

 

 灰のオーブを突きつけるようにして、

 

「コイツについて知っていることを話してもらう」

「わかった……」

 

 エルレーンが話したことは概ねオレが知っていることだった。

 曰く、オレルアン南部の街で回収した灰で作った

 曰く、カダインに協力している勢力に渡している

 曰く、作れる数はそう多くなく、灰も研究用に少量残るだけ

 曰く、マフー(量産品)を作れるほどになったのは片手で数えて余る程度

 

 狂気に呑まれることなども知っていた。

 

「お前はその片棒を担いでたわけだ」

「それは、それは違う!!」

 

 ムキになるようにして否定し、すぐに消沈する。

 

「……いや、違わないか

 結局僕は止められなかったんだから

 カダインから出ることもできず、何とかしようって思う、ばかりで、何も……」

 

 深紅の外套の裾でぐしぐしと目の辺りを拭う。

 それでも弱音が引き金になったのか、暫くはそのままだった。

 喚きはしなかったのは男の子のプライドってやつかね。

 

「……ごめん、取り乱して……」

「構わねえよ

 で、お前は灰のオーブ(コレ)やらカダインやらを何とかしたいってことか」

「ああ、……そうだ」

「オレがレウスってわかっているってことは」

「灰が現れた事に関係している人間だろう」

 

 シャロンの言った通り、オレが生み出したかどうかはわかっていないようだ。

 

「他に灰に関わってそうだと思われているのは誰だ」

「タリスの王女シーダ、それ以外には赤毛のシスターと禿頭の男性だと

 ただ赤毛なんてマケドニアに行けば多くいるし、禿頭の男性なんて探しようがない」

 

 じっと目線を交えて話す少年にごまかしはないように見える。

 原作知識で言えば、天才魔道士(マリク少年)のライバルとの競争に負けて敵対、

 でもその後に恩師に説得されて味方になる、とかだったよな

 

 目をかけてくれていたはずの恩師がライバルの方を認めて一点ものの魔道書渡したりとかして、

 差をつけたように感じたら捻れちまうもんか。

 他にも理由はあるのかもしれないが、オレの目の前にいるエルレーンはそういうのとは無縁そうではある。

 あんまりごっちゃにすると痛い目を見るかも知れん。

 

「実質的にカダインや協力者が目をつけてるのはシーダ王女と貴方くらいだ」

「その割には襲ってきたりしないな」

「シーダは暫く前にカルタスが誰かに渡したって話をだしたきり、行方が知れない

 貴方に関しては、正直わかっていることが少なすぎるし、

 聖王と名乗ってそれが認知されはじめている以上、

 ちょっかいをかけて国際問題になる方がマズいって皆思っているんだろう」

 

 オレはなるほど、と納得する。

 その上で

 

「マフーが欲しいか?」

 

 灰のオーブを見せて、問う。

 

「冗談じゃない、絶対にごめんだ

 あんなもの魔道士の(ひじり)なものか」

「安心したよ」

 

 そう言って、オレは灰のオーブを眼の前で砕く。

 

「さ、先からパリンパリン割ってるけど、竜に踏まれたって砕けないようになっているはずだよ!?」

「ここにある灰はどうにも、オレの所に帰りたがっているみたいでな

 邪魔するものは壊してでも、ってことらしい」

「ははは……ガーネフの奴もまだまだ研究が足りないってことか、ざまあみろ」

 

 灰が霧へと変わっていくのを見ながらエルレーンが笑った。



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苦悩するよりきっとマシ

「お前、もう行っていいよ」

「……あんなに怖い顔してたくせに、解放するのか」

「それに安心しろ、カダインはそのうちオレが潰してや……──」

「?」

「そうだ、カダイン

 カダインにエリスはいるか?」

「……エリス?」

「アリティアの王女だよ、いないのか?」

「いるなんて話は聞いた覚えがない

 もしかしたらガーネフが拘禁している可能性もあるけど……だとしても話には出ると思うんだけどな

 あの人はカダインを留守にしがちだし、そうなれば世話係も必要になるだろうけど……

 人の口に戸は立てられないだろ」

「ガーネフが女を匿ってるとしたら、世話役なり何なりから漏れるだろう、か」

 

 エルレーンは頷く。

 

「あのガーネフが女性を、ってなるのは間違いない

 カダインの人間ってのは気になったことは口に出しがちだからね」

「在籍者が言うと重みが違いますなあ」

「ウソつくなって言ったのは貴方だろ?」

 

 それにつられてオレも笑う。

 

「さて、行くとするかな

 カダインに戻るもどこなりと行くもお前の自由だよ、エルレーン」

 

 そう言って外へと向かい、トレントを呼ぼうとした時に待ってくれ、と少年が引き止めてきた。

 

「なんだよ」

「カダインを潰すって本当か?」

「灰のオーブがある以上はな」

 

 これ以上シャロンみたいなのが増えられると心底困る。

 材料が無いにしたって、その少ない材料で量産できるようになられたら最悪だ。

 

「……アリティア聖王国を使って更地にするのか?」

「ははは!しないしない!

 そんな勿体ないことするかよ」

 

 聖王国の評価が透けて見えて笑ってしまった。

 

「戦乱であれば魔道士は有効な兵種だし、平和な時代になれば生活の質を上げる基盤になり得る

 学術的な研究を専門的にできるカダインを壊すなんて勿体ないだろう」

 

 エルレーンはオレの言葉にぽかんとしている。

 

「なんだよ」

「い、いや……先程の貴方がやったこともそうだけど、聞こえてくる話とは違うものだなって」

「聞こえてくるものも大体が事実だと思うけどな、相応以上に悪徳を抱えている自覚はある」

 

 少年はその場に礼をとるようにして、跪く。

 

「聖王レウス、僕も手伝わせてくれ」

「手伝うって……オレはこのままシーダ助けに行くぞ、そんで先みたいなエッグいことをするだろう」

「そ、……それでも」

「やめとけよ、そんな年齢から悪行重ねるようなことしなくたって」

「いやなんだ」

 

 顔を上げ、オレを見つめる。

 

「もう、そうやって待つのがイヤなんだ!

 カダインをガーネフに支配されたときも僕は同じように待とうとした、

 その結果が僕にとっての行き止まりだった!

 ……お願いだ、」

 

 顔を横に小さく振り

 

「お願いです、聖王レウス

 僕を連れて行ってください、いつかカダインを取り戻してくださったときにもお役に立ちますから」

「……お前がいるからってカダイン攻略への優先順位が上がったりしないぞ」

「はい、大丈夫です」

「オレに従うってなら、相応に酷い扱いをされると思った方がいい」

「……覚悟します」

 

 先のを見て、首を締められて、挙げ句にここまで言われても折れないのか。

 アカネイア大陸で育っている少年少女の覚悟の決まりっぷりには参った。

 

「わかった、これからは見習い近習として役に立ってもらう」

 

 オレはぐいっとエルレーンを引っ掴いながら指笛を響かせる。

 霧から現れた霊馬にさっそく彼は「わあ」と目を輝かせるも、

 オレと一緒に乗馬させられた。

 

 リーザにシーマと、トレントに人を乗せるのに慣れてきた。

 トレントには苦労を掛けるね、と心で思うと振り向くようにしてちらりと見る。

「本当は一人乗りなんだからな」と言いたげだ。

 それでも振り落としたりしない優しき我が愛馬に感謝をしつつ、オレはトレントを走らせた。



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見習い近習の策

 結果的に言えば、エルレーンを連れてきたことは正解だった。

 ガーネフに代わり、灰のオーブを配り、或いは確認するために彼を含めたカダインの高弟たちはアカネイア全土の地理情報を頭に叩き込んでいる。

 その上でエルレーンは実地でこの辺りにも足を伸ばしており、サムスーフ侯爵の邸も案内してもらえたわけだ。

 

「邸の近くまでは来ましたが……そこが空振りだとすると、あとはつけられそうな目星はサムシアンたちが使っていた廃城くらいになります」

「ああ、……あそこか」

 

 随分懐かしい。

 フィーナと出会った思い出がある場所でもある。

 綺麗な場所でもないから戻りたいとも思わないが。

 

「カルタスがタリスに対する札としてシーダを使うって話だったよな」

「ええ、言ってました」

「……あのな、エルレーン」

「はい」

「敬語じゃなくていいからな」

「ですが、貴方は僕の主君ですから」

 

 当人の考えならば止めろとも言えない。

 まあしかし、こういう性格が常であるならばウェンデルにも可愛がられただろうな。

 しかし才能で比べられて……なんだか早くも同情しそうになる。

 いかんいかん、原作知識(そういうもの)に引っ張られないってのは自分で思ったことだろうに

 

「あー、でだ」

「そのように扱うなら、廃城ではなく主城だろう……ということを仰っしゃりたいのですよね」

「それそれ」

「レウス様はやはり正面から殴り込んで、とお考えですか?」

「忍び込むのは難しいだろうからなあ」

 

 まるで同じとは言わないが、同じ五大侯であるシャロンの邸は警備はしっかりしていた。

 使用人扱いであれば隙を伺ってアレコレと探索もできたが、

 立場もなく泥棒のように忍び込むのは難しかろう。

 タリスと喧嘩になったときのために兵力もそれなり以上に準備しているだろうしな。

 

「その、不敬な手段を取れば入り込むことは可能なのですが」

「不敬な手段ね……面白そうだな」

 

 ────────────────────────

 

「おお、カダインのエルレーン様

 お久しぶりでございます」

「ベント殿、灰のオーブの具合を拝見しに参った」

 

 こいつがサムスーフ侯爵のベントか。

 別に養護する気はないんだが、

 カルタスといい、ベントといい、それに原作知識で見たことのあるラングもだが、

 五大侯ってのは顔か体型をこってりとしていないと駄目なのか?

 ……シャロンは外見だけはさわやかだったが、アイツも性格はいいだけこってりしてたしな。

 

 オレはベントを今すぐ真っ二つに引き裂いてやりたい衝動に駆られるが、そんなことをすればエルレーン迫真の演技が無駄になる。

 情報を引き出すために我慢だ、我慢。

 

「なるほど

 こちらの方は?」

「バルグラム、エルレーン坊っちゃんの傭兵だ」

「なるほど!腕の立ちそうなお方をお連れですな!

 ささ、こちらへ」

 

 不敬、というのは罰当たりなことをするってわけじゃなくてオレを傭兵として、

 エルレーンがカダインの人間であることを利用して入りこむものだった。

 可愛い顔してどんな悪いことすんだよ~と期待していたが、残念。

 

「ガーネフ司祭も気にしておられる

 灰のオーブに纏わる儀式を執り行う気がないのか、と」

「勿論ございますとも、はい

 ですがやるのならばしっかりと生贄を選別したいと考えております」

「……生贄を、か」

 

 表情が曇り、眉間に皺が寄る。

 こんな年齢から眉間に皺がなんて可哀想にと思ってしまうが、茶々を入れるわけにもいかない。

 

「御存知の通り、この辺りはロクな生贄候補がおりませんで」

「カルタス殿からタリスの王女を抱えていると聞いているが」

「ほう、彼がそれを」

「彼は灰のオーブを満たし、その力を確認しましたからね

 ベント殿にも早く味わってほしかったのでしょう」

「なるほど、カルタス侯らしいというか、なんというか」

 

 客間に通される。

 オレは傭兵として座ることはしない。

 エルレーンとベントは椅子に座り、それからベントがオレを見やる。

 

「彼は灰のオーブのことなど概ねのことを承知しておりますので、お気なさらず

 ガーネフ司祭も存じていることです」

「そうですか、では」

 

 そういって懐から取り出したのは灰のオーブ。

 

「一度も儀式を行っていないのですね」

 

 エルレーンはそう言うが、オレから見ても違いはわからない。

 

「ええ、お恥ずかしながら」

「先程の生贄の選別について伺っても?」

「カルタス侯から聞いておられるでしょうが、今我々はタリスに対して要求を始めています」

「王女を使い、玉座を、と?」

「その通りです

 タリスの王にさえなれば島の人間から広く生贄を集めることができます、それにどれほど派手に儀式を行ったとしてもそれが他のものに露見することもない

 理想的な祭場になるというわけです」

「現在、タリスはなんと?」

「拒否ですよ、拒否

 戦の準備を始めているとも聞いております」

「サムスーフとしてはどうしているのです」

「無論、戦の準備を」

 

 エルレーンは少し黙る。

 事前にここでの動きは好きにしろと言っている。

 オレがやることは何かあれば邸の人間を片っ端からミンチにするとも。

 

「であれば、僕も手伝いましょう

 それにバルグラムも」

「エルレーン様がたが、ですか?」

「ええ、このまま手ぶらで戻れば僕に対するガーネフ司祭の評価も下がりますからね

 さっさとタリスを鎮圧して儀式を行いたい

 それが偽らざる本音というものです」

「おお、これは大変心強い」

 

 といった具合で、オレたちはベントの助っ人になることになる。

 

 ベントは直ぐに答えを出しますので少しお時間を、と去っていった。

 エルレーンが手伝うというのならば事を急いでもいいと考えたのだろう。

 

 シーダを一目でも見ておきたかったが、この後のことまで考えればそれが躓きになりかねない。

 ぐっと我慢し、オレたちは使用人の案内を受ける。

 本邸とは別の離れが客室らしく、そこに通された。

 

 離れの中、それに周辺の気配を探るが、こちらを探ろうとしているものはいなさそうだ。

 

「随分と信頼されているな」

「初めてここに来た時にサムシアンの残党が襲ってきていたんですよ」

「それを撃退したってわけか」

「ええ、トロンで」

「過剰だろう、それ……」

 

 手元にトロンしかなかったもので、としれっと言うエルレーンは言葉と続ける。

 

「後々でわかったのですが、サムシアンの背後にいたのがベントだったらしく、

 首領が死んだから保護を求めて」

「断られたから逆上、か」

 

 頷くエルレーン。

 オレも思わず全力で回避したくらいの魔法を見せつけられたら、助っ人になるなんて言われちゃあ事態を急ぐだろうな。

 さっさとやればその分だけ費用は安上がりになる。

 トロンを持った魔道士が一人いるだけで殆ど勝ったようなものだろうからな。

 ……普通なら。

 本当にこのままタリスにカチコミしても良いくらいなんだが、オグマがいんだよなあ。

 

「渡る時にシーダは連れていくものかな」

「それはベント次第でしょうね、現地で見せしめにでもする気があるなら連れていきそうですが」

「逆に奪還される可能性が出てくるものな」

「ええ、その通りです」

 

 オレは口の前に指を立てる。

 気配を感じた。

 誰かが近づいてくる気配が。

 

「しかし、幸運だったなエルレーン坊っちゃん

 トロンを使えばタリスなんざ一瞬だろう」

「バルグラム、戦いはそう簡単ではないよ」

「ははは、気楽に行きましょうや」

 

 オレのジェスチャーと口調の変化に即乗りできるとは、お堅い学者タイプかと思っていたが柔軟だな。

 今後も期待しよう。

 といったところでノックが響く。

 

「誰だ?」

 

 まずはオレの出番だ。

 

「ベント様の使いでございます、出発するとしたならばいつがいいかと」

「早いほうがいいに決まっているだろう

 エルレーン坊っちゃんが暇な学生にでも見えるってのか?ああ?」

「ひっ、す、すいません!

 早ければ明日にも出れると!」

「じゃあそれで進めろ!」

「はい!!」

 

 逃げるように去っていく使用人。

 再び気配も無くなる。

 

「レウス様、聖王とあろう方が弱者を恫喝なんて……」

 

 うーむ、やっぱりお堅いところはあるようだ。



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タリスの土を踏み

 サムスーフ領が保有する港は街でこそないが、物資の供給地点としての設備が整えられている。

 以前タリスから渡ってきたときはタリスからガルダの港までで、海流の影響もあってかすぐに到着できた。

 ただ、ここからであれば二日ほどは最低でも掛かるらしい。

 

 オレはこの手の船にはまったく造詣がないので偉そうなことは言えないが、

 櫂船(オールが出ている船)ではなく帆船(帆が大きな船)であるってことだけは見ればわかる。

 この世界で船の話は殆ど聞かないのが気になる。

 

「船ってのはどうなんだ?」

「ええと、それはどういう意味ですか?」

「船ってもんに関する文化に触れる機会がなかったんだ

 どれだけ便利なもんなんだろうなって」

 

 なるほど、と納得してくれた。

 

「確かに船を使うなんてことはあまりないですからね、海風の計算をしたり、

 進めないときは魔道士が強引に風を呼び込んで少しずつ進めたり……」

「櫂船はないのか?」

「オールで漕ぐような?」

「ああ」

「短い距離であれば使われていますよ、タリスとガルダとか」

「今回は?」

「船の種類を問わない話になってしまうんですが、海上は無防備ですから」

 

 この世界には空を飛べる兵種ってのがあるものな。

 確かに空から襲われたらたまったもんじゃないのか。

 

「だから高額なんですよ、漕ぎ手も」

「そもそも船自体がメジャーな移動手段じゃないってことか」

 

 ってことは海賊ってなんなんだろうな。

 船にも乗らずに、と思ったが何故知らないのかって話になると面倒だ。

 

「それに飛兵だけではありませんから」

「っていうと、何だ?」

「沖を進むと飛竜や水竜なんてのもいるそうです、僕も見たことはないのですが

 船の沈没理由の殆どがそれだと聞いています」

 

 ああ、飛兵以外にもで思い出しましたが、と続けるエルレーン先生。

 

「時々は海賊が手漕ぎのボートで襲ってきたりもするらしいですね」

「海賊なのにボートなんだな」

「彼らはあくまで海の近くに住んでいる賊であって船上で生きている賊ではありませんし

 山賊も山で生活している盗賊ってわけでもないでしょうから間違いではないんでしょうね」

 

 と言った所で、使用人がオレたちを呼びに来た。

 授業は終了ってわけだ。

 

「教え上手だな、坊っちゃん」

「よしてください」

 

 と言いつつ、嬉しそうだった。

 

 ────────────────────────

 

 ベントも搭乗すると宣言している。

 ガルダ・タリス間みたいな近さじゃないし、交渉になるにしろ、支配するにしろその場にいたいのだろう。

 

 オレとエルレーンはベントとは違う船に乗せられる。

 人を案内できる客室があるのが別のものだったというし、それを断ってベントの船に乗る理由は見つけられなかった。

 目の前にいるであろうに中々行動できない。

 どうせあちらに行ってシーダの姿を探すなら、ここで暴れるのも同じではなかろうかと思い始める。

 

「無理に行動してシーダ王女が乗っている船が出港されるのが一番マズいと思います」

 

 と先んじてエルレーンが釘を刺しに来た。

 冷静な意見だ。

 頷く他ない。

 

 海上では特に何かあるわけでもない。

 客室の中で今後の相談をしたくらいだ。

 

 到着後、エルレーンがそれとなくベントから情報を探る。

 場所が割れればよし、駄目であれば船を潰して逃げる足を失ってから倒す。

 タリス軍と鉢合わせたらオグマを呼んでもらえばいいだろう。

 ……まあ、話くらいは聞いてくれるはずだ。

 

 船は一度、沖合で停泊する。

 主城に近い港はやはり警戒が強く、例え辿り着いても部隊を展開するのは難しいと考えたらしい。

 ぐるりと回って、東側の港まで行くことになったらしい。

 

 再び沖合で夜を待ち、そうして船乗りたちの努力と技術のお陰で夜半も過ぎた頃にサムスーフ軍はタリス島東側の港を降り立ち、部隊を展開することに成功した。

 

「で、どうするんだ?」

 

 と、エルレーン坊っちゃんに代わって面倒事はオレが聞いておくぜといった感じで、

 ベント家の指揮系統を担っているものに問う。

 

「行きがかりで見たが、島の真ん中あたりにある砦を中心に展開していたからな

 まずは捨て駒代わりの連中を突っ込ませてみる予定だ」

「容赦のねえ使い方だな」

「元サムシアンの山賊だ、こんなところでしか役に立てられん」

「んで、その後は?」

「相手の戦力を測れたらサムスーフの正規部隊で戦う

 正規部隊が勝てない相手と事前の捨て駒で判断したら、エルレーン様にお手伝い願うことになるだろうな」

 

 地図を見下ろしながらオレは聞く。

 

「相手が先に攻めてきたらどうする?」

「連中で戦力にカウントできそうなのは傭兵オグマの部隊くらいだ、

 数がいるわけでなし、回り込んで叩くか、城を落とすかとなる」

 

 そうなれば囲んで叩くか、タリス王を人質に取るってことか。

 悪くはない気がする。

 ただ、オグマがどれだけ仕上がってるかにも影響しそうだが。

 

「そういや、切り札はどうすんだ?」

「王女か

 サムシアンどもを一波目、正規部隊が二波目と数えたら、選抜部隊を出す時に使うから三波目に切ることになるだろう

 切らなければ籠城されたりしたときに使う」

 

 シーダを連れてきているのは確定したのは安心できる。

 これで実は持ってきてないとか言われたら頭を抱えていた。

 

 オレが乗っていた船にはいなかったし、荷降ろしを手伝うついでに物資運搬用(兵士も運搬していたけど)の方にもいなかった。

 ってことはやっぱりベントの乗っていた船か。

 

 もうやっちまってもいいんだが……。

 ここで強引に攻めるのは手っ取り早いが、シーダが偽物だった場合は面倒なことになる。

 一番最悪なのはそのタイミングでベントが逃げたり殺されたりすることだ。

 ここで三波目を待って視認できてから行くのは確実だが、敵のど真ん中から救出することになると、

 オレは大丈夫でもシーダの身の安全が確保できない。

 

 今少し悩む時間もある。

 エルレーンにも相談しておこう、と考えた辺りで早くもあの少年を何だかんだと頼りにしている事に気がつく。

 ……あんなこと(フィーナ)もあったんだ、あまり年下に頼りきり任せきりにはなりたくねえなあ。



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蛮力の帰還

「どうしても、御出でになるのですか」

「くどい」

「タリス王が討たれれば終わりなのですよ」

「くどいぞ」

 

 家臣の言葉を一蹴し、その男は一歩前に出る。

 

「サジ、マジ、バーツ

 貴様たちは城を守れ

 オグマ、貴様は儂と同道せよ」

「ですが、王……」

「止めるというのか、儂を」

 

 伸びた眉毛、落ち窪んだ奥の瞳が光るように見つめる。

 オグマは意を決したようにして

 

「承知しました、お供させていただきます」

「……うむ」

 

 タリス王モスティン。

 その太い足で主城の外へと踏み出した。

 

 ────────────────────────

 

 時間は大いに逆巻く。

 

 シーダがレウスによって奪われたタリス。

 オグマたちがシーダの一言もあり、島へと戻った頃。

 

 タリスは常と変わらない、とは言えないものの過日の海賊騒ぎからは立ち直っていた。

 

「オグマだ、王にお目通りを願いたい」

「おお、オグマ殿

 ……王は、その」

「やはり臥せっておられるか」

 

 モスティンのシーダに対する愛情の深さを知っている。

 まさしく王の全てを捧げて、タリスを彼女が安息して住むことができる楽園にするために並々ならぬ努力をしていたことを知っている。

 タリスに騎士団や戦士団を極力置きたがらなかったのも戦いの匂いを遠ざけたかったのだ。

 モスティンの判断は王としては暗愚ではあったが、娘を思う父としては正しいだろう。

 

(あんな男に奪われたのだ……その苦痛、察するに余りある)

 

 オグマは自らを恥じる。

 あの場でレウスを斬るべきとまでは言わずとも、強引にでも付いていくべきだった、と。

 

「王への謝罪をしたいのだ、私室の扉外からでも構わない

 頼めないか」

「……わかりました、どうぞこちらへ」

 

 オグマの哀愁と苦悩が湛えられた瞳に負けたように使用人が案内を始める。

 

「こちらは私室ではないはずだが」

 

 進む道はどう考えても中庭の方である。

 声が聞こえてきた。

 

「モスティン様、もうお止めください!」

「これ以上はどうか!」

 

 メイドたちの悲痛な声。

 

(王、よもや悲嘆のあまり──)

 

 オグマが使用人を追い抜いて、走り中庭へと向かった。

 

「七百、五十……三」

「王よ、どうか!どうか!」

「七百、五十……四」

「御慈悲を、御身にどうか御慈悲を!」

 

 メイドたちが声を上げているその先には上裸になったモスティンがいる。

 だが、それはオグマが考えていた乱心の姿とは違った。

 

 木剣を手に持ち、それを振るう度に数えている王、モスティンの姿であった。

 

 その体は枯れ木のように細く、その肌も血色の悪さからか灰色めいている。

 

「……七百、五十……」

 

 そうしてついに老骨に耐えかねたように木剣が落ち、モスティンも気絶する。

 地面に倒れる前に走り込んだオグマがそれを見事受け止めた。

 

「……医務室へ運ぼう」

 

 オグマの声に、追いついた使用人とその場にいたメイドも頷いた。

 

 ────────────────────────

 

 王が急変したのはごく最近であるという。

 シーダ王女が城を去った後、呆けたようになっていたとき、彼が何を見たのかはわからない。

 だが、突然に木剣を持ち出し、それを振り始めた。

 

 起きて、食事を取り、木剣を振るう。

 一日の殆どを木剣を振るうことに費やしていた。

 しかし、使用人曰くに変化がないわけではなかった。

 

 医務室に運び、数時間の眠りについていた王はくわ、と目を開く。

 側についていたオグマはその様子に声をかけようとするも、

 以前……シーダが城に居た頃よりの彼よりも矍鑠(かくしゃく)とした様で、しっかりと歩いている。

 

「いつも通り、作るのだ」

 

 歩きながら使用人へと命じる。

 モスティンが到着したのは食堂。

 普段であれば王族のために作られた部屋で行う食事を、使用人たちが使う食堂で行おうとしている。

 

 オグマは困惑したが、すぐに理由がわかった。

 

 運ばれて来たのは大量の野菜と肉。特に肉料理の多さは尋常ではなかった。

 何人分の食事であろうか。

 自分の部下もよく食べるほうではあるが、その食事よりも遥かに多い。

 家族団らんをする程度の机の大きさでは足りないのだ。

 

 モスティンはそれらにかぶりつく。

 咀嚼し、飲み下し、果実を絞りいれた飲料水を口へ注ぐ。

 ひたすらにそれを繰り返す。

 

 それは止まらず、オグマが呆気に取られていると、やがて食事が終わった。

 

(あ、あの量をお一人で……?)

 

 オグマはそこで異変に気がつく。

 

(室温が上がっている……いや、王から熱が発せられている……!)

 

 モスティンはオグマの横を通り抜けるように部屋を後にする。

 向かう先は当然、中庭であった。

 

 ────────────────────────

 

 あれから数日が経つ。

 モスティンの姿は変わりつつあった。

 枯れ木のような腕はオグマほどではないにしろ膨らみ、

 その肌の色はむしろオグマよりも瑞々しい。

 

「……二千、四百、六十、七」

 

 更に代わったことはただ振るうだけでなく、全身運動を加えた素振りになったこと。

 尋常ではない体力を消費しながら、それを続けている。

 そして、倒れ、眠り、喰らい、再び振るった。

 

 オグマは言葉こそかけられなかったが、モスティンの側で彼を支え続けた。

 

 それから更に時間は流れ、常とは異なる行動を王が取る。

 

 玉座へと進む。

 今やオグマだけでなく、彼の配下であった力自慢の戦士たちよりも太くなった腕が玉座を掴むと軽々と転がした。

 玉座の下には空間があり、そこに手を入れ、引き抜く。

 

 モスティンはそれを掲げるようにして構えた。

 

 タリスがまだ国ではなかった頃の話だ。

 モスティンは独力でタリスを纏め、国とした。

 かつての彼は蛮勇で知られた男であり、多くの戦いに挑み、しかして負けを知らぬものだった。

 彼がめっきりと老いたのは国を作り、政務に明け暮れ、外交を続け、その多忙の中で妻を看取れなかったことに起因する。

 こんなことならば静かな生活を選ぶべきだった……、国の発展など望むべきではなかった……、と。

 シーダが慈しみを持って育てられた経緯こそも、そうであった。

 

 彼が掲げる剣は『勇者の剣』。

 モスティンが勇者(サヴェッジ・ヒーロー)と呼ばれて居た頃に振るっていた剣である。

 

「オグマよ」

 

 オグマが島に戻ってきて、はじめて彼は名を呼ばれた。

 

「よく尽くしてくれた、礼を言う」

 

 その声は、全盛期よりも深く、重く、よく通る声であった。

 モスティンのもとにサムスーフのベントから脅迫が届くのはこのすぐ後のことである。



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兵団殺し

「メルツ将軍、砦から出てくる人間を確認したとのことです」

 

 メルツと呼ばれた男はサムスーフ侯爵領での軍事顧問の一人である。

 命令系統の確率のために外様ではあるが将軍の位をベントより預かっていた。

 

 彼はレフカンディ侯爵に仕えていた外様の騎士だったが、オレルアンと軽い衝突を行ったあとに金を握らされて道を開けたことで職を辞した。

 アカネイアへの道を守護するレフカンディ家に入ったのは戦いを期待してであったからだ。

 その後にスカウトされたのが同じ五大侯のサムスーフで国盗りを狙っているからと言われ、喜んで召し抱えられることを選ぶ。

 

 広く物事を見れる男であり、実務経験も豊富。

 彼が外様の騎士や軍事顧問という形で雇われているのは年齢的にも一線で武器を振るうのが難しいという客観的な判断をくだされたのに従っているからだ。

 騎士として生まれ、守ってきた場所から名誉職(彼からすれば閑職)に送られたことがその自認の始まりでもあった。

 

 武器を振るえなくなったのはつまらないが、それでも指揮官としての道は思った以上に楽しく、年嵩を重ねても現場から離れる気は置きなかった。

 

「何部隊だ?」

「二名、だそうです」

「二部隊でなくか」

「はい」

 

 タリスに兵無しとは聞いていたが、本当にあっけなく終わるかもしれない。

 おそらくその二名は死兵として突き進む傭兵のオグマ、それに三人の配下のいずれかだろうと当たりをつける。

 

「サムシアンどもを進ませろ、予定通り戦力を計る」

 

 メルツの命令でサムシアンが進撃させられる。

 

(オグマ、か……まさか彼と戦えるとはな)

 

 自分よりも年下のオグマに、メルツは憧れにも似た感情を持っていた。

 自分の主に連れられて見た剣闘士の戦いで、あれほど勇壮に戦う男を彼は見たことがなかった。

 それだけでなく、相手への慈悲を願う姿は戦士としてではなく、吟遊詩人が唄う騎士のような振る舞いにすら感じた。

 

 彼がタリスに囲われた話は聞いていたが、それを思い出したのは少し前の、タリス攻めの為の軍議による報告からであった。

 

(私がもっと若ければ、手合わせを願いたかった

 だが、今の私の土俵は一騎打ち(そこ)ではない)

 

 だが、オグマが相手だ。

 油断はできまい。

 

「マムクートどもに準備をさせておけ」

 

 奴隷商から買い上げたマムクートはベントの隠し玉の一つである。

 タリスを手に入れたあとの侵略兵器として考えられていたが、使い潰してもいいという許可は事前に受けている。

 ベントにとって、手に入れたあとではなく、手に入れる今こそが重要なのだ。

 

「……偉大な剣闘士をこんな手段で討ちたくはないが……ホースメンの部隊にも準備をさせておけ」

 

 ────────────────────────

 

 最前線。

 サムシアンたちは殺しで使ってきた愛用の斧を握る。

 

 ちょろい仕事だ、と思っていた。

 ガルダの海賊どもが何とかできる島なんて、サムシアンの自分たちであれば余裕もいいところだ。

 

 だが、いつだって予想なんてのは儚いものだ。

 

「ゥ儂のォ、名前はァ、モォォスティィィンッッ!!!」

 

 大喝。

 空気が震えるような、否、大気が狂ったように震えるほどの大声が放たれる。

 

「我が蛮勇の記憶をォ、取り戻すためのォ、贄となれェェェいッッ!!!」

 

 ぎゅん、とその姿が消える。

 筋肉の塊が、一瞬で消える。

 

「なっ」

 

 首を掴まれたサムシアンはそのまま大きく跳躍していた。

 モスティンと共に。

 

 急速に落下し、その地点には大喝に正気を失っていたサムシアンたちがいる。

 掴まれたサムシアンはそれらに叩きつけられ、微塵に千切れ、立ち呆けていたものたちも砕かれ、散らばった。

 

雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄(オオオオオオオオオオオオオ)ッッ!!!」

 

 叫ぶ。

 彼が暴れ狂っていた時代の、その姿を同道したオグマは知らない。

 いや、今この島で知るものは誰もいない。

 大陸を広く見たとして、それを知るのはグルニアのロレンスくらいのものだろう。

 

「どうしたァァァ!儂はまだ剣すら抜いておらぬぞァァッッ!!!」

「ひっ、ヒィイイイ!!!」

 

 サムスーフの悪魔とまで言われ、恐れられた山賊が恐怖一色に染まり、武器を捨てて四方に散らばるように逃げる。

 

「オグマ、山賊どもが市民を傷つけかねん……わかっておるな」

 

 振り返るその瞳は理性に溢れていた。

 オグマは承知しましたとだけ言って、山賊たちの背を追い、確実に仕留めていく。

 

(このままでよいのだろうか、それで姫を助けることができるのだろうか……)

 

 オグマは懊悩していた。

 

 ────────────────────────

 

「メルツ将軍!サムシアンが潰走しました!」

「もう、か?」

「は、はい」

「オグマ、私が知るよりも腕を上げ──」

「敵はオグマではありません」

「……なに?」

「タリス王、モスティンです!」

 

 アカネイア大陸には幾つもの英雄譚が存在する。

 不滅のアイオテによる激戦。

 勇者アンリによる魔竜退治。

 歴史上の更に過去から伝わるおとぎ話として、銀の剣によって紡がれる英雄譚など、枚挙に暇がないほどだ。

 

 だが、それは生きた伝説とも言えない。

 しかし、生きた伝説と言われるものの全ては眉唾なものである。

 

 蛮勇のモスティンの物語もタリスが作ったプロパガンダでしかないとメルツは考えていた。

 

 その報告を受け、メルツが陣幕から出る。

 高所に置かれたそこから見下ろし、確認できるのはこの世ならざる光景と言ってよかった。

 

 一人の男が、軍を圧している。



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開花の兆し

「──って話だ」

 

オレが指揮系統に関わる人間から聞いた情報を伝える。

 

「悩ましい話ですね」

「ああ……ただ、オレの目的はたった一つでしかない

 シーダを無事に取り返すことだ」

 

 エルレーンも考える。

 彼は魔道士であり、軍師ではない。

 しかしウェンデルからも物事を広く、遠くまで考えろと教えられ続けた。

 学者としての視点のためであるが、その教育の結果として、軍師の真似事ができている。

 

「両方を取りましょう」

「両方?」

「シーダ様を表に出させながら、人質として矢面に晒される前に取り返すのです」

 

 魔道士として一流となるエルレーン。

 ここではない時間(世界)においては、カダインを掌握し、マルスの軍を迎え撃つことすらしていた軍才。

 結果として負けたとしても、彼にはそうした才能が秘められていた。

 しかし、それは急を要した結果と、嫉妬という自らを曇らせたことによって三分咲きの才能発露でしかなかった。

 だが、主を戴いた彼にはその才能が少しずつ、しかし確実に花開こうとしていた。

 

 ────────────────────────

 

「き、奇襲だあああ!」

 

 兵士たちの叫ぶような報告。

 

 突然、本陣の近くに海賊たちが現れる。

 それも恐ろしく手練である。

 主力を最前線近く、メルツ将軍まで送っていることが裏目になっていた。

 

 ベントのもとに急ぎ現れたのはエルレーン。

 

「ベント殿、報告は聞いていますか」

「ああ、聞いておる!」

「切り札を失うわけにもいきません、ベント殿と共に船に戻られるべきでしょう」

「う、うむ

 しかしですな、この状況では檻ごと戻すにしても……」

「檻?」

「逃げられでもしたら事ですから、常に檻にいれて管理しているのですが」

「そんなもの外に出して歩かせればよいでしょう」

 

 そこまで姿が見つけられないと思えば、そんな管理方法をしていたのかとエルレーンは思いつつも言葉を返した。

 

「やむを得ませんな」

 

 ここまで確実な運搬と脱出不能な状況を作っていたからこそベントは渋っていたようだが、それも諦めたようで、早足で兵士たちが多く詰めているエリアへと向かう。

 小屋の眼の前まで来ると、兵士を何名も入り口を固めさせてから、何重にもなっている鍵を開く。

 

(この小屋ごと持ち込んでいたってことか……)

 

「シーダ姫、こちらへ来ていただきましょうか」

 

 睨むではなく、自らの立場や状況を理解している王女の表情は暗い。

 諦めたようにベントのもとへと歩む。

 

「ベント様、船へ移動する準備はできております」

「うむ、シーダ王女を丁重にお招きせよ」

 

 ────────────────────────

 

 エルレーンの考えた策はわかりやすく、効果が大きいものだった。

 

『霊呼びの鈴』によって場を混乱させ、その間にオレは桟橋に急ぐ。

 船に至るためにはその桟橋以外に道はない。

 

 一方でエルレーンは船へ戻ることを進言し、桟橋に向かわせる。

 勿論、その際にはシーダを連れて行くようにも告げる。

 そこでシーダがいないとか、他の不安要素があった場合はトロンを空に打ち出して合図をする手筈だった。

 それが上がらないということは桟橋で待機しておけばエルレーンの考えどおりの展開となる。

 

 到着した桟橋には兵士はほぼ存在しない。

 ボートの準備をしているものが数名。装備はなし。

 もっとも警戒すべき弓兵や魔道士もいない。

 

 であれば、あとは桟橋で待っていりゃいい。

 

「あ、アンタは?」

 

 ボートの準備をしている男が緊張した面持ちでオレを見やる。

 

「エルレーン坊っちゃんの護衛だ、ここに敵の姿がないかを先に確認しに来た

 あっちで暴れてる連中が海賊だってならこのあたりも警戒するべきだろう」

「そりゃそうだな、守ってくれるなら心強い」

「……お前も侯爵の兵士なのか?」

「オレ?いやいや、ここらで武器を持ってない奴らはみんな食い詰め農民さ

 支払いは安いが、無いよりはマシだからな」

「サムスーフは食い詰めるような状況なのか?」

「あー、元々はそうでもなかったんだがなあ……オレルアン軍が南下した影響だかで山賊どもが村を焼いたりしてんだ

 オレたちもその影響をモロに受けたのさ」

 

 こういうのを殺すことになったら後味がちょっとだけ悪い。

 殺さなくて済むならそれに越したことはないのだが。

 

「ボートの準備が終わったらあの、ちょっと遠いが岩陰にでも隠れてるといい

 ベント殿が確実に不機嫌な状態でここに来るだろうから」

「お手打ちになるかも、か……」

「ああ、ボートから船への案内はオレができる」

「へへ……助かるよ」

「いいさ」



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過日のように

 囚われたあの日から、運が良いと言えるかはわからないが、少なくとも乱暴されるようなことはなかった。

 ただ、そちらの方がまだマシだったと思ってしまうようなことになるのはまだ理解しきれていなかったけれど。

 

 (シーダ)を捕らえたのはレフカンディ侯だった。

 拘禁されていた私に会いに来るものは誰もいない。

 何度か脱出は試みたものの、いずれも失敗している。

 彼らはどうやらこの手の『仕事』には随分と手慣れているようであり、アカネイア王国に従うはずの五大侯の腐敗という噂が真実であることを私に感じさせた。

 

 何度か、貿易商が売り込みに来ているのを扉の外からの音で聞こえる。

 数度の訪問でレフカンディ側が折れたのか、貿易商は取引をするようになった。

 私の衣服などに関してもその商人の手によるものだったらしい。

 

 その貿易商が誰かがすぐにわかった。

 アンナさんだ。

 私が拐われたあとに、何とかしようとしてくれているのだろう。

 久しぶりに私はその想いを受けて涙を流した。

 一人ではないと思えることがどれほどの救いになるか。

 

 彼女が脱出のための準備をするだろうか、来る回数も増えてきた頃に私はサムスーフ侯へと送られることになる。

 送られる道中でアンナさんとすれ違う。

 あの時の彼女の悔しそうな表情が今も焼き付いている。

 

 その後はサムスーフ侯の元での拘禁。

 だが、レフカンディ候とは違って、サムスーフ候は私にアレコレと相談を持ちかけてきた。

 その内容はとてもではないが受けいられることではなかった。

 

 タリスの降伏。

 私との婚約による実態的なタリス支配など……。

 

 私はサムスーフ候に正面から断った。

 私はもうレウス様の戦利品(もの)なのだ、と。

 

 それが彼を激怒させたのか、それとも最初から色好い返事はしていなかったのかはわからないが、この日から小屋での拘禁が始まった。

 何をさせられるかはわからない。

 時々小屋が揺れ、まるで足が生えて歩いているかのようでもあった。

 

 それが実際に動かされていることに気がついたのは一週間近く前のことだった。

 遅まきにそれに気がつけたのは小屋が船へと運ばれていることに気がついたから。

 

 扉を介さずに物の受け渡しをできるように工夫されており、

 昨夜には湯浴みの道具と布と石鹸や香油、その後には綺麗なドレスが入れられた。

 

 何が起こっているかはわかっている。

 タリスに到着し、私を何かしらの道具に使うということなのだろう。

 

 私は粛々と渡されたもので準備をした。

 綺麗にできるならばそれに越したことはない。

 なぜなら、本当の絶体絶命のときには必ずあの人が……レウス様が現れることを私は信じているから。

 

 ────────────────────────

 

「さあ、シーダ王女

 こちらへ」

「……」

 

 シーダの歩調に合わせてであるために、桟橋までは少し時間は掛かったが、

 どうせボートの準備などもあるのだからとベントはカリカリせずに歩を進めた。

 

 ようやく桟橋に到着する。

 

「おお、あれはエルレーン様の護衛の方ですな」

 

 そう言ってベントは前へと歩みを進める。

 

「ボートの準備はできておられるようですな

 シーダ王女、俯いて歩き続けるのは危ないですぞ、ほら、前を向くとよかろう

 あそこにある船を御覧なさい、あそこであれば我々の無事は──」

 

 信じてはいる。

 けれど、絶望を感じるのにも十分である。

 シーダは俯いていたが、ベントの声にゆっくりと前を向く。

 

 潮風に晒されて、黒い毛皮の外套が美しいタリスの砂浜に不釣り合いに揺れていた。

 シーダの瞳にゆっくりと艶が戻っていくように、

 信じ続けた、信じられない光景を見て表情を変えていく。

 

「随分待たせたな、シーダ」

「レウス様っ!!」

 

 シーダが駆け出す。

 彼女が逃げぬようにと戒められていた縄があることも忘れて。

 ベントはそれを引こうとしたと同時にそれは「ばちん」と音を立てて焼き切れる。

 

「折角の再会なのですから、邪魔するものでもないでしょう」

「えっ、な、エルレーン様!?」

 

 エルレーンは距離を取った場所から出力を絞ったサンダーによって縄を正確に断ち切った。

 

 シーダはレウスの側に走る。

 レウスもシーダへと走り、彼女を抱きとめ、懐に入れるようにした。

 

「手を離したマヌケなオレの戦利品(もの)でいてくれるか?」

「私は、……レウス様の戦利品(もの)です、これまでも、これからも」

「それじゃあ、まずはオレの物を勝手に取り上げたこいつらに支払うものを支払ってもらわないとなあッ!」

 

 レウスはそう言いながら、過日にシーダを救い出したように神肌縫いを抜き払った。



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救出と解放

 銀色が閃く度に命が消える。

 神肌縫いは今や死神の刃となり、ベントの配下を次々と屠っていった。

 

 抱き寄せたままだがシーダは踊るようにオレの動きに合わせてくれる。

 

「良いドレスだな」

「サムスーフ候からの贈り物です」

「いいセンスしてるじゃないか、ベント」

 

 部下はもはや誰も残っていない。

 逃げ道とてエルレーンが塞いでおり、そこに殺到したものは残らずサンダーの餌食になった。

 トロンをサムシアンに使ったのを勿体ないといったのを気にしてたりするんだろうか。

 

「あ、ああ。そ、そうだろう?

 どうかな、私の邸にはまだまだシーダ王女にも似合いのものがたくさんある

 それで──」

 

「いや、いい。支払いはできるものからやらないとな

 これはドレスの代金分だ、受け取ってくれ」

 

 神肌縫いを強く、速く振る。

 一拍遅れて、ベントの首は地に落ちて転がっていった。

 

「こんな血腥(ちなまぐさ)い場所で話すのもどうかとは思うが……」

「あなたと一緒でそうじゃないことのほうが少ないと思います」

 

 その言葉に思わず苦笑する。

 

「シーダ、怒ってる……よな?」

「怒っているって、なぜです?」

「助けに来るのがその……遅れたから」

 

 その言葉に困ったようにシーダは微笑む。

 

「私が無謀にもレフカンディ候に挑んだのがそもそもの始まりです

 それにあなたはこうして私を助けに来てくださったのに、どうして怒るのです?」

 

 オレはなし崩し的に彼女の細い腰を抱くようにし──

 

 ようとしたが、それは中断される。

 巨大な、そして聞き覚えのある音が聞こえたからだ。

 

 それは、ドラゴンの咆哮。

 アカネイアの大地はもとより、狭間の地においてはより多く聞いたもの。

 

「いちゃつかせちゃくれないわけか」

「いちゃ……れ、レウス様?」

 

 リーザのせいにするわけじゃないが、どうにも距離を踏み誤りやすくなっている気がする。

 それはシーダのやや赤みの差した顔色でわかった。

 が、今はそれはさておかねばならない。

 

「もしもドラゴン大進撃とかやらかしてるなら、お前の実家がヤバいからな

 まずはそっちだ」

「は、はい!」

 

 ────────────────────────

 

「戦線が崩壊!」

「アーマーナイトを前に!ホースメンで囲んで射殺すのだ!」

 

 メルツが指揮を飛ばす。

 ああ、無意味だ。こんなことは。

 

 あの男が、モスティンが動けばそれだけで全て蹴散らされる。

 矢が当たった所で深くも刺さらない。

 

「……マムクートを出せ!」

 

 切り札は温存するものではない。

 勝つために切るものだ。

 

 紙切れのように倒されていく兵士たちの後ろからフードを目深にかぶった男が二人が現れる。

 それぞれが石を掲げ、刹那、その姿は巨大な竜に転じた。

 

「……竜族か」

 

 マムクートとは蔑称であり、そうした差別的な意識を嫌うモスティンは竜族と呼んだ。

 

「偉大な姿を持つ生命が、このような戦いに駆り出されるとは」

 

 ぎゅん、とモスティンが増速し、竜族の足元に現れたと思うと跳躍し、大きく開いた腕で首を掴む。

 

「その誉れをこれ以上穢さぬためにも、ここで介錯いたすッッ!!」

「ギ!?ギィ!?!!」

 

 ただ、怪力一つで竜の胴体を支えにして、強引に首を回転させ、そのままに自らとともに駒のように回ると竜の首が引きちぎられる。

 モスティンは着地すると、掴んだその首を放り投げる。

 どすんと音を立てた後にその首は老人のものへと変わった。

 

 もう一匹の竜と睨み合いになるも、それを破ったのは炎のブレスであった。

 

「ちェェェェイッッ!」

 

 腰に帯びていた剣を抜き払うと気合とともに振るう。

 炎が真っ二つに断たれると同時にモスティンが走る。

 勇者の剣がニ度振るわれると、その足は二つとも両断され、支えを失った巨体は崩れ落ちながら加速していく斬撃によって文字通りの細切れにされていった。

 

 竜のそれが人だったものに変わると、切り札であったはずのマムクートを失ったことに遅まきながら気が付いたサムスーフ候の兵たちが悲鳴とともに逃げ、或いは武器を捨て、頭を地に叩くようにして伏した。

 

「モスティン王よッ!」

 

 今や完全に瓦解した兵団を掻き分けるようにして現れたのは軍事顧問を受け持っていたメルツである。

 

「私はサムスーフ侯爵の軍事顧問、メルツと申す!

 一手お相手願うッ!」

 

 メルツはモスティンを見て自らの愚かさを知る。

 年齢を理由にして戦いから逃げていたことに。

 

 それを取り戻す手段はたった一つ。

 

「その心意気やよし、褒美として貴様が持っていた兵の投降には慈悲を与えようぞ」

「感謝ッ!!」

 

 腰から引き抜いた鋼の剣は彼が最初に仕えた主から下賜されたもの。

 思えばこの剣をこうして戦いの空気に晒してやったのはいつぶりであろうか。

 ──なんだ、思ったよりも体が動くじゃないか。

 剣を振るい、メルツとモスティンが太刀を合わせる。

 ──見事だ、メルツ。

 その褒美と言わんばかりに、勇者の剣が(ひるがえ)る。

 ──ああ、なんと心地よいか。

 メルツが最期に感じたことは痛みではなく、奇妙な解放感であった。



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モスティン

「……なんだこりゃ」

 

 オレが呟いたのはその状況だった。

 竜族を二体鎮圧し、将軍格も一瞬で屠った。

 

 ベントを倒した以上、交戦を止めるにしろ、タリスの手伝いにするにしろ構わない状況ではあったが、

 そんな時間はないほどの時間であった。

 

「タリスにあんな強い奴いたのかよ」

「お、お父さま……!」

「は?」

 

 タリス王ってあれだろ?

 なんか、白くて、もさもさしてる……しょぼい爺。

 

「……冗談だろ?」

「レウス様、その」

 

 まあ、状況を知る必要もあるから行くべきなのかもしれないが……。

 

「殺し合いになりかねんぞ、ありゃ……」

 

 オレはああいう爺を知っている。

 狭間の地で戦ったことがある。

 とんでもない強さだった男だ、名をホーラ・ルー。狭間の地の最初の王。

 

 あの爺(ホーラ・ルー)とタリス王は同じだ。

 呼吸一つが熱を帯びているような、

 目線一つが矢のような鋭さと恐ろしさを帯びているような。

 

「私が止めてみせますから」

 

 いいや、逃げるぞとは言えないのは後ろめたさもある。

 理由や状況はどうあれ、シーダを拐われた。

 情報が必要だったとはいえ、時間を掛けたのは事実だ。

 オレは今もアレがタリス王だとは信じられないが、そうであるのなら謝意を見せねばならない。

 

「わかった、……行くか」

 

 ただ、謝意なんて受け入れるんだろうか。

 あんなん「そうか、では命で支払ってもらおうか」みたいなタイプだろう。

 本当に恐れるべきは、シーダの眼の前で父親と死合をぶちかまさなきゃならなくなることだ。

 そうなったら、流石に一旦逃げるしか無い。

 

 他の連中ならまだしも、シーダの眼の前で近しい人間をどうこうできる気にはなれない。

 

 ────────────────────────

 

 おそらくタリス王はこっちに気がついていたのだろう。

 オレたちが目の前に現れるまで、待っていたかのようだった。

 

「お父さま、随分とお元気そうなお姿ですね」

「ああ、シーダよ。我が娘、愛する家族よ

 お前を失うことを恐れるあまり、あのような男に渡したこと許せとは言わぬ」

 

 じろり、なんて甘い感じじゃない。

 ぎぬろ、といった感じでオレに目を向ける。

 

「レウス、儂は貴様を信じていた

 だからこそ戦利品扱いする貴様に歯を噛み締めて預けたのだ

 儂は戦乱を理解している

 この時代は心安らぐような甘い時間は流れぬ

 蛮力こそが全ての鍵となる無法と悪徳の時代に足を踏み入れかけている

 そんな時代であればこそ、貴様に任せた」

「そうかい、見込み違いだったろうよ

 ああ、そうさ、お前が言いたいことはわかってる

 そんな無法の時代に娘を安全な場所に置かず何をしていた、だろう」

「わかっておるならば、よい」

 

 腰から剣を引き抜くタリス王。

 

「その首を落とし、儂の非をここで改めさせてもらおうか」

「悪いな」

 

 オレもグレートソードを取り出す。

 

「まだやってないことがあるんだ、アンタの望みどおりにさせてやることはできん」

「貴様のやっていない事など、その刃で自らを開きにする努力くらいしか思い浮かばんが」

「シーダとはまだ、いちゃこらしてないんでな」

「きィさまァッッ!!!」

 

 お互いの剣が加速しようとする瞬間に

 

「待ってください!!」

 

 シーダがオレたちの間に入り込む。

 ギリギリ、とまでは言わないがオレの剣も、タリス王の剣も彼女を掠めることもなかった。

 

「何考えてやがんだ!」

 

 オレはグレートソードを投げ捨ててシーダへと走る。

 

「危ない真似をしてくれるな、我が娘よ!!!」

 

 歩み寄ったのはほぼ同時。

 

「……」

「……」

 

 再びの睨み合い。

 

「お願いですから、戦わないでください

 私はこの通り、今も無事ですから」

「だが、シーダよ」

 

 タリス王が何かを言おうとするも

 

「お父さま、彼は私を助けに来たのです

 そして見事救ってくださいました」

「それは、……うむ、そうではあるが」

「レウス様、お父さまはここまで体を仕上げて戦いを挑んだのです

 タリスを守り、私を取り返すために」

「そりゃあ……並々ならん努力だったろうが」

 

 バツが悪い。

 オレだけでなく、タリス王も同様らしい。

 

「レウス、貴様に問う」

「なんだよ」

「シーダをどうするつもりだ」

「そりゃあ」

「これからも戦利品(もの)扱いするのか」

「……」

 

 オレは狭間の地から降り立ったここでは自由に生きようと考えていた。

 彼女を奪うようにしたのも、いっそのこと今までやれなかった多くの無法を試してみるのもいい、

 そんな気持ちだった。

 

 彼女が王女ではなく戦利品として扱われ、

 その尊厳を侵されようとも、オレ自身に自らの希望を見出したからこそ共に進むことを選んだ。

 

 彼女を奪われ、頭が怒りで沸騰した。

 目論見は色々あった、彼女であれば達成してくれるだろうと思い、未来の布石にしようと考えてもいた。

 ただ、結果だけを見ればオレが手を離したが故に起こったことでもある。

 怒りはなにもグラやレフカンディ、サムスーフなどにばかり向けられたものではない。

 誰よりもオレはオレに怒りを覚えた。

 

 オレは奪い、奪われの道を辿り、シーダに対して自分が何を考えているかを十分に理解している。

 

 口で何と言おうと、オレはシーダをこれ以上、ただの戦利品(もの)扱いなどできないことを。

 

「……できない」

 

 シーダの顔が少し曇る。

 言葉にせずともわかる、私を捨てるのかという表情だ。

 

「ものではないのならば、どうするというのだ

 アリティア聖王国、その現人神にして最高位に立ちし者──聖王レウスよ」

「オレの目的はこのアカネイア大陸の王になることだ」

「ほう、大きく出たものよ」

「そうでもないさ、大陸の王なら一度なっている」

 

 いや、正確なところで言えば律を選んでいない以上はそうではないのか。

 が、それを説明する意味はない。

 

「その最初の一歩として、オレはアリティアで妻を娶った

 タリス王、あんたは言ったよな

 この地は、この時代は無法と悪徳ってやつに片足突っ込んでるって」

「ああ、同様の意は語った」

「だったら、オレが何人と結婚しようと関係ねえよな、

 それだってアカネイア大陸じゃ悪徳の一つだろう

 オレはシーダとも結ばれる、大陸の王に近づくためなら他の女とも結婚する」

 

 タリス王の目線が再び、「何を言っている」と言いたげに鋭くなる。

 だが、オレは続けた。

 

戦利品(もの)扱いはできねえが、オレの周りの誰がどうとか順番も付けねえ

 この時代が無法と悪徳だってなら、オレがオレの都合がいいように法を作る立場にのし上がる

 一番ってのを決めなきゃいけないなんてルールはオレには適用されないような、

 そんな(世界)を作ってやる!」

「なんと……クク、なんと低俗で最低な男かッ!!!」

 

 くく、と笑い、そして大声で笑い出すタリス王。

 

「それを成し遂げられると本当に思っているのか」

「思ってねえならシーダを助けに来ると思うか?

 シーダも何もかもをオレが抱きかかえて、この大陸の新たな律になる」

 

 律、という言葉に反応してか、

 それともオレがルールを作ると思ったことに反応してか、

 オレの背にエムブレム(ルーン)が浮かび上がる。

 王になっていないオレはこれをどうにか使うことなどできないし、使う気もないが、それが浮かび上がるほどの意志力があることを自身で把握できた。

 

 揺らめくオレの背に浮かんだものを見て、タリス王は「炎の紋章……」と小さく呟いたのを聞く。

 

「いいか、タリス王

 こいつは夢でも妄想でもない、叶えられる範囲のことを目的っていうんだぜ」

「改めて問うぞ

 大陸の王となるなどという大業、成し遂げられると本気で思っているのか」

 

 ぐい、とオレはシーダを抱き寄せる。

 シーダは小さな声を上げてオレに体重を預けた。

 

「成し遂げてやるよ

 アンタが老衰でぽっくり逝く前に『アカネイア大陸覇王の嫁シーダ』って石像をタリスに……

 いいや、大量生産して大陸中に配置してやる」

「なんと」

 

 馬鹿げたことを打ち出すが、それくらいの勢いがあるってことを言いたいだけだ。

 目まぐるしい展開にシーダは目を回している様子だ。

 だが、オレは構わずに告げるべきことを告げる。

 確かにこのことを言う前にしては馬鹿な事を語ったなとは思うが、いいさ、下手に格好がつかないくらいがオレらしい。

 

「シーダ、オレの嫁に来いッ!」

「え、あ、──は……はい!」

 

 勢いに負けただけかもしれないが、それでも断られなかったことに安堵した。

 

「聞こえたか、タリス王!

 同意が得れた以上、もう親父が出しゃばる話じゃなくなったんだよ!!」

「ハハ、ハハハ……ハハハハハ!!

 いいだろう、蛮地を支配した王の娘、その夫には相応しい傲慢さだ!!

 認めてやろうぞ、レウス

 今日からタリスの王女シーダはお前の妻よ!!

 だが、シーダが実家に帰ってきて泣こうものなら、儂はいつでも貴様の首を引き抜きに行くことを忘れるでないぞッッ!!!」

「上等だ、そんなこた起こらないのは確実だがそうなったら首でも手足でも好きに引っこ抜け!!」

 

 売り言葉に買い言葉をした後に、タリス王はゆっくりとオレに歩み寄る。

 

「儂はモスティン、義父の名くらいは覚えておけ

 ……シーダを頼むぞ」

 

 その手が肩に置かれる。

 わかっている。

 それが自らの命よりも大切な娘を託したと、オレに告げていることが。

 

 オレはその手を掴み、除けるようにする。

 そうしてからオレはモスティンの手の前に握った拳を見せる。

 ふむ、とモスティンもそれを真似する。

 オレは拳同士を打ち付けて、

 

「約束するさ、義父(おやじ)

 

 オレの言葉が終わる頃に、ひいひいと少年の息が上がった声がする。

 

「な、なんだかわかりませんが、終わったのですね」

「残念であるなら今からでも角力(すもう)で白黒を付け直してもよいが、やるか、レウス」

「勘弁してくれ」

 

 っていうか、相撲あるんだ……。

 

「す、スモー?」

 

 あのエルレーンが知らないとか、タリス独自の文化なのか……。

 

「全盛期には及ばぬにしても、ここまで戻したのだ

 折角ならば腕試しの一つでもしたいのだがな」

「お父さま、レウス様を困らせないで」

 

 シーダが止めてくれている間にオレはエルレーンの方へと向きなおる。

 

「随分時間がかかったな、エルレーン」

「魔道士の運動能力と体力の低さを舐めているんですか、レウス様……はあ、ふう……」

 

 額の汗を拭うようにしてから、

 エルレーンは「おや」となにかに気が付いたかのように声を出す。

 

 その目線の先にあったのは、エルレーンと同様に遅れて現れたオグマだった。

 



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ガーディアン

「オグマ!」

「……?」

 

 シーダが駆け寄ろうとするのをモスティンが制止する。

 オレも、その雰囲気の違いに気がつく。

 

 あの頃とは違う鎧を纏っているし、帯びている武器も違うが、時間も流れればそうもなろう。

 オレもグレートソード使っているし、鎧もあの時とは違うしな。

 そう、つまり言いたいことはそういうことじゃない。

 

 オレはちらりとモスティンを見ると、義父も承知したようにシーダをいつでも守れる体勢を取る。

 

「エルレーン、何か動きがあったらオレではなくシーダを頼む」

 

 耳打ちするようにエルレーンにも伝えた。

 彼はオレの力を眼の前で見ているからか、逡巡もなく頷いた。

 

「オグマよ、なんか変わったか

 整髪料でも変えたとか、香水を違うのに試したりとかよ」

 

 くだらないことを言いながら近づく。

 様子を見る。

 変化を伺う。

 

「レウス、災厄と悪徳をもたらすものよ

 オレはお前を──殺すッ!」

 

 その変化と言えば、物騒さは数段階は上がっていた。

 

 ────────────────────────

 

 オグマの視点、そしてその時間も遡る。

 サムシアンの一人は必死に逃げ、方角的に主城へと向かっていた。

 意図はないだろうが主城近くの村にでも入られれば厄介だ。

 

 オグマは更に加速するべく足に力を込めようとしたそのとき、

 光がサムシアンを包むように起こり、その光が消えると同時に幾つかの肉片すら残さず消え去っていた。

 傭兵であり魔道は畑違いであるオグマが知る由もないが、オーラと呼ばれる極めて強力な光の魔法であった。

 本来であればプロテクトされた魔道書であるが、それを付与したものがいるなら、解除することができるものもいよう。

 

 光が消えたあとには複雑な魔法陣が浮かび上がったと思うと、人影が一つ現れた。

 オグマは見たこともない状況に剣を構え、警戒する。

 

「サムスーフの奇策か!」

「いいや、そうではない。歴戦の傭兵オグマよ」

 

 魔法陣が消え、人影の姿が明瞭となる。

 老人であった。

 だが、ただ老人とは言えない特徴を幾つも有している。

 まず目を引くのは長身であった。

 そして老いて、枯れたようではない、そもそも生物としての格が違うと言うような体の、筋肉や骨格が優れ、老齢になったとしても衰えない様子を湛えていた。

 その分野であればオグマは理解できる。

 彼は戦士としての肉体と見ても超一流であろうことがわかる。

 次に目を引いたのは服装だ。

 極めて仕立ての良いもので、剣闘士時代にあったどんな貴人が纏うものよりも美しい。

 そいて、最大のものは存在の大きさ。

 人の形こそしているが、オグマの本能はそれを人とは形容しがたいものだと警鐘を鳴らしていた。

 

「……何者だ」

 

 警戒はしない。

 

「わしは神竜王ナーガ様の遺志を継ぎ、この世界の安定を構築するものである」

「……神の使い、か?」

「そうとってもらっても構わぬ

 お前はレウスという男を知っておろう、性状卑しきあの男を」

「ああ、……いやというほどに知っている」

「あやつはこのアカネイア大陸の災いとなろう、大陸のあるべき姿を崩す大災厄にな」

 

 オグマはそれほどまでにと思う心と、

 そうであって欲しかったと思う心の二つを感じていた。

 

「お前……いや、あなたは何者だ?」

「わしの名はガトー

 この身を知るものは白の賢者、或いは大賢者などとも呼ぶ」

 

 オグマはその歴戦の経験からただの傭兵では知らないことも多く記憶している。

 ガトーと言えば魔道国家カダインを興した人物であり、同魔道学院の創設者でもある。

 白の賢者や大賢者という名よりも、オグマのように風聞のみで実態や行動を知らない者からすれば、彼こそが最も近い存在ではないかと考えるほどに。

 

「ガトー様……、オレに何の用件でしょうか」

「お前の腕と、レウスに対する感情を以て頼み事をしたいのだ」

「頼み事?」

「アカネイアを踏みにじられぬためにも、奴を討って欲しい

 それで全ては丸く収まるのだ、正しきアカネイアの地を取り戻せる

 シーダもまた、タリスに……モスティンやお前の元に戻ることになる」

「姫が……」

 

 オグマにとって、それは最大の理由であった。

 彼にとってシーダは恩人である。

 だが、すくすくと育つシーダを見て、その美しさに身分違い、年齢違いの恋も患っていた。

 それをひた隠しにし、恩を返すべく側にいると誓っていた。

 

 奪ったものが現れた。

 人品劣悪なる、あの男……レウスだ。

 あれがシーダを奪い、タリスの象徴を汚した。

 

(アイツこそが……レウスこそがオレの憧れをも、穢したのだ)

 

「我が頼みを聞き入れるか、オグマよ」

「ああ、だが」

 

 あの男の強さは本物だ。

 勝てる見込みは薄い、それが悔しかった。

 

「安心せよ」

 

 まるでオグマの心を見透かしたように言葉を遮り、

 ガトーは何かを念じると、オグマの前に二つの光を転移させた。

 

「我が頼みを受け入れるならば、まずは左手の光を取るが良い」

 

 オグマは言われた通り、左の光を触れる。

 まるで電流が走るような衝撃が体を突き抜ける。

 そして、同時に……全身に今までにないほどの力の充足を感じる。

 

「今よりお前は守護勇者(ガーディアン)、ナーガが作りし秩序を守る者なり

 その身に相応しき衣装を纏うが良い」

 

 ガトーの言葉とともにオグマの体に装甲が組み付く。

 過剰なものではない。

 恐ろしく軽く、可動域を担保したもの。

 

「……ガーディアン」

「さあ、右手の光を掴むのだ」

 

 オグマは迷うことなく利き手を光へと差し込む。

 何かが手に纏わりつくようにうねり、それを引き抜く。

 光から漏れ出るようにして、更なる光がその手に掴まれて現れた。

 やがてそれは剣の形へと転じていく。

 

「それは擬剣ファルシオン、ナーガが人のために生み出したファルシオンをこのガトーなりに模造したもの

 だがこの大陸においてその擬剣ファルシオンを超える武器はそう多くあるまい」

 

 軽く、靭やかな剣だ。

 オグマはこれほどの剣に触れたことがなかった。

 

「オグマよ」

「はい」

「必ずや、レウスの命を消し去るのだ

 このアカネイアの大陸から……確実にな」

「承知いたしました」

 

 剣にて礼を取り、オグマは続けた。

 

「ガトー様と、この擬剣ファルシオンに懸けて!」

 



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物思う暗黒竜

 ドルーア主城。

 

 帝国の主は久方ぶりに目を開く。

 常に玉座に座り、瞑目していたメディウスがそのようにするのは数日か、数週間ぶりである。

 

「……かつての同胞にも向けぬ手段を取るか、ガトーよ」

 

 暗黒竜と呼ばれ恐れられたメディウスの目的は明確にガトーの考え、つまりは神竜王ナーガと衝突するものである。

 人と共にあらんとしながら、人に裏切られ、マムクートなどという蔑称を与えられた竜族たち。

 メディウスはそうした経緯から『太古に回帰し、竜こそが至上となる国』を目指すようになったとされている。

 

 ナーガとの約束を破り行動するメディウスに対してガトーは度々、人間側に手を貸していた。

 それでもかつての同胞であるメディウスに本気で敵対することはできなかったのか、

 長い時間をかけて軟着陸のための手段や、或いは世俗との関わりを断ち、世界がどうなろうと構わないという態度も取った。

 

 そのガトーがなりふりも構わずに人間に力を与えた。

 メディウスが目を開いたのはその例外を感知したからであった。

 

「ガトーよ、かつての同胞よ

 貴様はいつもそうだったな

 意に集中すればするほどに、

 点を見て、面を見ることを忘れるのはどれほどの時間が経っても抜けぬ悪癖のようだ」

 

 暗黒竜が嘲笑うように。

 しかし、その後に別の考えも去来する。

 

 これは彼にとっての実験であったらどうか。

 ガトーはその生真面目さから視野狭窄的になることは少なくない。

 だが、メディウスが知るガトーは決して愚鈍でもなければ愚劣でもない。

 その知性も精神も磨かれ、高潔であると評価されていたことを知っている。

 

「……ガトー、貴様は何かを考えておるのだな」

 

 そしてメディウスも現存する最強の竜であるが、その力に溺れる蒙昧さなど持っていない。

 

「我が目的が果たされる前に、ガトーよ

 お前の目的の成就は間に合うか?」

 

 嘲笑うではなく、かつてナーガと共に居た頃を思い出すようにして笑い、やがてその表情も消す。

 

「人が生き、成し遂げる時間の早さは我ら竜族の及ばぬところだ

 ガトーよ……、よもやそれを忘れてはおるまいな」

 

 メディウスは再び瞑目する。

 

 ────────────────────────

 

 タリスに勇者が立っている。

 神に選ばれたと言ってもいいだろう、勇者が。

 

 勇者オグマは剣を抜くと、力強く構えを取る。

 

「オレは名誉を穢すことはしない、レウス……武器を抜け」

「いきなりだな

 お前がオレを殺したいってのはわかるぜ、で、なんで今だ?」

「……それを天命と受け取ったからだ」

 

 正直、コイツとはかなり戦いたくない。

 オグマと言えば、本来はプレイヤーにとってのナバールと共にエースアタッカーとして運用されるような奴だ。

 ガルダの時点で戦いを避けたくらいだが、

 今のアイツはなんだ?

 めちゃめちゃ強そうな鎧つけてるし……良い感じにユニーク感のある武器構えてるし、

 勝ち目あるのか?

 勝つためにはどうすればいい?

 オレはそれを策定するためにも会話を続ける。

 

「天命だと?

 元剣闘士で傭兵なんて来歴のお前が、天命?」

「オレも信じられんさ

 だが、天命としか言いようがない

 オレはガトー様よりお前の始末を託されたのだ、このアカネイア大陸のためにな」

 

 げえ、ガトーだと?

 あの爺だよな。

 スターライトエクスプロージョンだのを作ってくれる、元竜族の。

 カダインの創設者で、世間を疎んで身を引いた……んだっけ?

 

 オレはとんでもないことを思考から落としていたんじゃないのか、と気がつく。

 ガトーはマルスに、メディウスを倒すために幾つものアドバイスや実際的な手伝いを行った。

 言い方は悪いが、プレイヤーからすればクエストマーカーみてえな爺だ。

 

 別に引き継いだわけでもないが、漠然とオレはプレイヤー目線でいたのかもしれない。

 だが、ガトーからすりゃあオレは危険分子以外の何者でもない。

 

 マルスは母国をメディウス率いるドルーアに倒されたから、ドルーア帝国との戦いを決めた。

 ガトーはメディウスが考える竜族のための国家設立を止めたいからマルスに助力した。

 

 オレはそうじゃない。

 別にドルーアには何の戦う理由もない。

 無論のこと大陸制覇のためには戦うことにもなるだろうが、メディウスや竜族の国云々に関してなんてどうでもいい。

 ガトーからすれば、メディウスに対しての明確な敵でもないオレもまた敵だってことだ。

 

「オグマさんよ、じゃあオレを仮にここで殺せたとして、それからどうすんだ?」

「お前を殺せるほどの力があるならば、オレ一人でもタリスを守り抜くことはできる証明になる」

「馬鹿を言うなよ」

「馬鹿なことだと?

 アリティア聖王国の現人神、今様のアンリを殺したのならば、アンリを超えたも同義だ」

 

 ああー……そうか。

 オレが考えている以上にアンリってのはアカネイアの地において明確なシンボルだったんだ。

 そりゃそうだ、たった一人で戦争を終わらせちまうような奴だからな。

 同じように扱われているオレを倒せるなら、確かに一人で国を守れるなんて思っちまえるかもしれない。

 少なくとも抑止力になれば外交で何とかできるとでも思っているのかもしれねえ。

 

 本当に、馬鹿を言うなよ、オグマ。

 オレが死んだらリーザとシーマが大陸中を火の海に沈めかねんぞ。

 特にリーザなんてオレが思いつきもしねえようなエッッッグい戦略を組み立てかねん。

 外交なんかで解決するもんかよ。

 

 ただ、説得材料にはならねえよなあ。

 ならそれはナシ。

 ちょっとでも戦いを有利になるように小賢しく立ち回るとしよう。

 

「怒らずに聞けよ、オグマ

 オレを殺したってシーダがお前のものになるわけじゃあねえぞ」

「……ッ」

 

 まあ……、そりゃ怖い顔するよなあ。

 説得は不可能。だったら挑発でもなんでもして1%でも冷静さを失わせる。

 ただ、手持ちの武器で殺せるかもわからねえ。

 グレートソードも神肌縫いもハンマーも、相手の手数に押し負けそうだ。

 なによりあのユニーク武器っぽい剣……。

 

 ……アレ、見たことがあるんだよな。

 

 もしかして、

 

「ファルシオンか、それ」

「ああ、ガトー様から拝領したこの擬剣ファルシオン

 本来はオレのようなものが持てるわけもないが、

 お前を殺すための刃であり、それ故にオレが握ることができるのだろう」

 

 聞いたことねえものが出てきたな。

 何かわからんけど、とりあえずファルシオンってだけでヤバそうなのはわかる。

 

 オレを殺したあとに、ファルシオンで振ってナーガの後ろ盾を唄えばアカネイアやアリティアが味方になる可能性があるって踏んでいるのか?

 おいおい、ガトーさんよ。

 それは流石に人間を善く見過ぎだ。

 ファルシオンはマルスが持って、しかも各地を解放したからこその象徴だろう。

 オグマが持ってて、今様のアンリなんて呼ばれてるオレを殺したらむしろその声望は下がるんじゃねえのか?

 

 もしくは、それすら何かの策の一環なのか?

 

 突然降って湧いた情報の洪水に、

 戦いの前だというのにオレは頭痛を覚えていた。



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鼓動なき追憶

 戦うべき手段は、この身一つに頼るしかない。

 

「オグマ」

「なんだ」

「シーダには元気な子を産んでもらうから、安心しろ」

「──ッ!!」

 

 それが引き金となり、踏み込む。

 ──速い!

 

 オレも獣性に触れる。

 オグマの間合いを潰すように『獣の石』を放った。

 鋭い石を呼び込み、それを散弾のように高速で飛ばす祈祷、こっちで言えば魔法である。

 

 オグマはファルシオンを盾のように扱って防ぐ。

 一瞬目線が刃に動いた辺り、剣の信頼性を確かめているようだ。

 

 読み合いは苦手だが、まるで戦えないってわけじゃない。

 それに苦手意識そのものの何度かの戦いで改善もしている。

 

 オレとオグマの差があるとすると、間合いの優劣だ。

 オレは獣の祈祷によって中距離までを間合いにできるが、オグマは剣一つだ。

 踏み込みの鋭さにさえ気を払えば削り殺せる。理屈上は、だが。

 

 が、あのオグマがそんなことを許すはずもない。

 オレを中心に回るように走る、踏み込みの度に獣の石を打ち、牽制するも体を躱されて剣や鎧で弾かれる。

 それでも散弾状に放たれる『獣の石』は驚異のようで、更に踏み込むには至らない。

 

 状況が変わったのはオレが『獣の石』を打った瞬間だった。

 剣ではなく鎧の装甲任せにオレへと突き進む。

 

 運任せじゃない。

 こいつは鎧の強度を確かめていたんだ!

 それでも焦らない。オレは気を強くし、『獣爪』で応戦する。

 今までに見せていない技だが、オグマの目はその一撃が自分の命が奪いきれないことを見切って、間合いギリギリで剣を振るう。

 傍目から見れば相打ちにも見えるが、オレの攻撃はオグマの鎧を砕いたに留まる。

 

 オレはたたらを踏みつつ、後ろへと。

 

 傷は……かなり深い。……はずだ。

 出血こそあるが、致命的でもない。

 何かが壁にあったように。

 

 オレの懐から身代わりになったものが落ちる。

 それは傀儡の追憶(結晶物)だった。

 

 ────────────────────────

 

『霊呼びの鈴』が使えればまだしも戦い方もあったが、シーダ救出の策で使ってしまった以上、頼れない。

 再使用までどれだけの待機時間があるかはわからないが、発動した一定地域から離れるか、一日ほど経てばしようできている。

 が、タリスから離れるのは移動手段的には無理だし、休んでいる暇だってない。

 

 獣性を使ってもここまで押し込まれるのは予想外だった。

 あの鎧に剣は一体何でできてんだよ

 シャロンですら切り裂けたから自信満々で振ったんだぜ、獣爪。

 鎧諸共行けたと思ったが、まったく甘い目論見だったわけだ。

 

 オグマが剣を肩に担いでゆっくりとオレの方へと歩いてくる。

 オレとて何もしていないわけじゃない。

『獣の生命』を発動し、ゆっくりと生命力を回復し、補っていっている。

 ただ、リジェネ系の回復ってのは即時と違ってこういう状況じゃ弱いんだよな。

 

 まだ試していない力もあるっちゃある。

 シーダを巻き込まないかが心配だが、言い訳もできない状況になったら使わざるを得ないだろう。

 だが、鎧は砕いたんだ。

 もう少し獣性に頼ってみても──

 

 そう考えた時、砕けた傀儡の追憶が灰から霧へと変わっていく。

 灰のオーブと似た挙動だが大きく異なる点があった。

 

 その霧はゆるやかに人の姿となっていく。

 

 やがて、それは傀儡の追憶によって生み出されるはずの存在となった。

 

 紅の剣士ナバール。

 生前と変わらない、冷えた目線をオグマへと向けていた。

 

 ────────────────────────

 

 オグマ(オレ)とナバールの関係性は常に敵と味方だった。

 剣闘士ではなく傭兵として身を立て始めた頃、たった一人の剣士に所属していた傭兵団が憂き目にあった。

 他の傭兵団に所属していたときには逆にナバールの雇い主を倒し、逆襲に成功したこともあった。

 戦場で一騎打ちになったことも数度ある。

 

 細身の剣を振るえば命が刈り取られるような恐ろしさがあるが、この男の本当の恐ろしさは技の冴えではない。

 

 この男は空っぽだった。

 死に対する恐怖もなく、道徳的な側面で剣を鈍らせることもない。

 噂では用心棒家業をやっているのは誰かを探しているから、という話もあるらしいが、当人から聞いたわけではないからわからない。

 だが、もしかしたならその旅は終わっており、だからこそ空っぽであるが故に魔性の剣士として完成したのだろうかとも思っていた。

 

 戦乱が深まればどこかで会うことがあるかと思っていたが、

 最悪の形で結実したと言えるだろう。

 

 レウスは死者を鈴を使って操ることができる。

 つまり、ナバールは死んでおり、レウスによって傀儡にされているのだ。

 

 あの時に扱った海賊たちと同じく、自我もなく使われる武器として。

 やはり、あの男を野に放つままにしておくことはできない。

 ガトー様の依頼があったからではない。

 オレがオレであるためにも、切らねばならない相手だ。

 

 剣を構える。

 だが、ナバールはどこか、心ここに在らずといった感じだ。

 手を握り、自分の髪の毛に触れ……そうして嘆息する。

 

 やがて、自我がないはずの亡霊が口を開いた。

 

「オグマか、久しいな

 その格好はなんだ?」

「ナバール……お前、レウスの道具にされたのではないのか?」

「ああ、死したその技や力はそのように扱われているのは理解している

 だが、それがどうした?」

「奴は死したお前を辱めているではないか!」

「それはお前の価値観の話だろう、オレにそれを強要するな

 オレはただ、剣を振るえればそれでよかった

 数多の人間を殺して鍛え上げた技の冴えが残るのならば、それこそがオレの本懐だ

 オレの自我など、オレの剣の前では意味をなさぬ」

 

 相変わらずだ。

 空虚ではあるが、それ故にこの男は明確に己を理解している。

 

「お前はどうだというんだ?

 その力はお前のものではないだろう

 剣も鎧も、その身に走る力でさえ、お前のものではない

 誰に借りたのだ、そんなもの」

「黙れ、お前にはわからんことだ」

「……ふん、女か

 シーダと言ったか、お前を助けた女の名は」

 

 オレが姫に助けられた話は広く知られている。

 誰かに話したことはなかったが、オレは剣闘士として名声を得ていたし、

 姫がオレを助けてくれた情景はノルダを中心に美談として広まっている。

 ナバールが知っていてもおかしくないことではあるが……。

 

「女を手に入れるために、自分以外の力に頼るのか

 落ちたな、オグマ

 一時でも好敵手と考えていたオレが愚かだったようだ」

「黙れ、その言葉もレウスに言わされているのだろうッ!」

「その眼まで曇っているのか」

 

 その言葉を皮切りに、ナバールが剣を振るう。

 生前と変わらぬ、いや、生前よりも遥かに鋭い斬撃が繰り出される。

 死したことで肉体が本能的に制限をかけていた部分が取り払われているからだとすぐにわかる。

 そして、ナバールはそれすらも理解して自らの技へと組み込んでいた。

 

 薄刃の剣(キルソード)自体にそれほどの威力があるわけではない。

 だが、レウスが鎧を砕いたのが響いている。

 破損した鎧は一部分だが、それでもナバールであれば致命傷を狙えるだろう。

 

「どうした、オグマ

 装備頼みか?

 オレの知っている貴様はそんな臆病者ではなかったはずだが」

「黙れッ!!」

 

 鋭さを増していくキルソードに合わせるようにオレもファルシオンを叩きつける。

 みしりと刀身にヒビが入った。

 ガトー様の言葉が思い出され、そして改めて認識した。

 この剣は大陸随一だ。



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オグマ

 蹴りをオグマに叩き込み、その反動で距離を取る。

 着地と同時に佩刀は砕けた。

 

 ナバール(オレ)は死んだはずだ。

 オグマの言葉からすればあの男(レウスとやら)がオレの魂を縛り、傀儡として操っていたのだろう。

 殺してからどのような手段を取ったのか、オレにとってはどうでもいいことだ。

 オレはアイツに負けた。

 負けた以上、好きなようにされても文句など無い。

 

 それどころか感謝さえしている。

 オレの技の冴えは生前を凌いでいる。

 命がないからこそ、これ以上の成長がないとしても。

 だが、生前の決着はつけることもできる。

 

「深紅の剣士ッ!」

 

 オレの背後から雄叫びめいた声が響く。

 ちらとそちらを見ると巨漢が腰に帯びていた剣を投げ渡そうとしていた。

 同時にオグマはオレへと剣を振るう。

 手に持っていた壊れたキルソードを投擲し、一瞬の隙を衝いてまだ宙で弧を描いている剣を飛び跳ねてオレから迎え入れる。

 

 鞘を抜き捨てて、剣を構える。

 見事なものだ。

 

 だが、

 

「無常だな、オグマ」

「何がだッ!」

 

 着地と同時に剣を振るう。

 オグマの持つファルシオンと何度となく打ち合う。

 

「借り物の力を馬鹿にしたオレが、他人の剣でお前と斬り合おうとしている」

「力は力だろうに!」

「ああ、そうだ

 だからこそ無常だと言ったのだ」

 

 ファルシオンが迫る。

 オレとオグマの違いは明確だ。

 

 オレは躊躇せず、ファルシオンに左手を伸ばし、ファルシオンの盾にする。

 元々オレは二刀流を()く使うことを喧伝している。

 ファルシオンが腕を切り裂いて砕くのと同時に、オレの手にある剣も鎧を失い、剥き身になっていた胴をニ度切り裂く。

 

 お前は心より力を渇望したのだろう。

 だが、オレは横合いから投げられた何者かの剣を受け取った。

 その剣でお前はオレに殺される、願ったものが報われないのは無情で、無常だ。

 

 刃が届いたのは同時。

 その衝撃が届いて飛ばされたのはオレだった。

 死者に痛みはない。

 躊躇もいらない。死んだのであれば、これ以上どこへ行こうというのか。

 

「オグマよ」

 

 ファルシオンを杖のようにして立ち上がろうとするオグマの前へ歩いて行く。

 

「我らはどこで間違ったのだろうな」

「……間違った、だと」

「もしも、我らが剣を捧げてもよいという英雄が現れたなら、

 肩を並べて戦う未来があったのではないか

 そう思うと……哀しいとは思わんか」

「……」

「元よりオレはアカネイア大陸の趨勢になど興味はない

 悔いがあるとするならば本当の、何のしがらみもない貴様と戦いたかったものだ」

 

 ゆっくりとオレの肉体が霧散するように消えていく。

 

「わかっているだろうが、その傷は致命傷だ

 最後の時間をせめてお前らしく生きるが良い」

 

 この世界に『もしも』などありえない。

 だが、もしも、違う歴史を辿れるならばオレはどこから歩み直すべきなのだろうか。

 オレにしては感傷的になりながら、やがてその意識も消えた。

 

 ────────────────────────

 

「オグマ!」

 

 大量の血を流し、何とか立とうとする。

 しかし、バランスを崩し、剣もまたオグマの手を離れた。

 彼の名を呼び近づくシーダ。

 エルレーンは警戒し、止めようとするがそれよりも早く動かれてしまっては手も届かない。

 

「姫……近づかないでください、オレは姫の敵だ」

「敵なものですか、あなたはいつも私を想って行動してくれていたのに」

「……オレは愚かな男だ、ノルダで助けられた日から……

 姫とタリスの恩義に報いると誓っていたはずなのに」

 

 ノルダから救われたあと、剣闘士だけの経験ではシーダとタリス守りきれないと考え、傭兵として活動した。

 厳しい戦いを切り抜けられたのはシーダへの恩義を果たすためだからだった。

 彼女が育っていくと、オグマが腹に抱えていた思慕の感情は強くなったが、それでも彼女にはアリティアのマルス王子というやがて結ばれる相手がいることを知っていた。

 だからこそ、秘していた。

 タリスのために戦うことで、思慕の感情を満たすことができたから。

 

 だが、王子が死に、シーダがレウスの戦利品(もの)になってからオグマの歯車は狂った。

 

 もしかしたならレウスの立場は自分だったかも知れない。

 あの場でレウスを殺せば自分のものにできたのかも知れない。

 長い時間をかけて熟成された思慕はオグマの常ならざる思考をさせていた。

 それはノルダの剣闘士として長年に渡って晒された悪意が伝染し、萌芽したのかもしれない。

 芽吹かぬはずの感情が育ってしまったのは誰が悪いわけでもない。

 

 だが、結末としてはオグマは自らの終わりを定めたことになる。

 身に余るほどの悪感情が誇り高いはずの一人の傭兵を殺したのだ。

 

「オグマ、ごめんなさい

 私はあなたにも側にいてもらうべきだったのです」

「姫は優しいな……だが、オレはもうあなたに優しくしてもらう価値を自ら捨ててしまった

 ガトー様が何を考えているかはわからない

 だが、レウスを明確に消そうとしているのは確か……」

 

(愚かだった、オレがやるべきは……

 姫とレウス、そしてその御子を生涯通して守ることだと……ようやく気がついた)

 

 だがそれは口には出さない。

 借り物の力を命とともに失い、冷静になった自分がようやくそれを言う資格がないことに気がついた。

 

「姫、どうか……幸せな日々を」

 

 消えゆく意識の中で思うことはナバールの言葉だった。

 もしもナバールと肩を並べて戦うような世界であったなら、自分はどうなっていただろう。

 剣の道に邁進し、浅ましい感情に支配されなかったのだろうか。

 

 いいや、『もしも(IF)』なんてものは存在しない。

 後悔が尽きなくとも、それが結果だとオグマはそれを死の途上で受け止めた。

 

(ああ、我が魂にどうか苦しみあれ)

 

 どうか我に罰あれ、ただ罰のみあれと願いながらオグマの意識もまた死へと解け消えた。



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ぐんにゃり

 シーダを慰めるべきか、少し考える。

 だが、彼女は自らの意思を明確にして行動を促させるために、オレは(たお)れたオグマを見て言葉をかけることにした。

 

「シーダ、オレの持ち物じゃあコイツも嫌がるとは思うからな、

 改めて弔う時にお前が選んだ布に包んでやるといい」

 

 オレは外套をオグマにかけた。

 

「レウス様……、ありがとうございます」

「いいさ」

 

 許す気も、彼女を渡す気もないが、同情はする。

 どんな風にこの世界に渡ってきたとしてもオレはシーダに惚れていただろうから、

 結果は変わらなかっただろうとも思う。

 だから、するのは同情だけだ。

 

 傍らに落ちているファルシオンを見やる。

 それに触れようとすると光の粒になって消えていく。

 灰が霧になるようにとはまた違う。

 そこに残されたのは宝石のようなものだった。

 或いは、また別の名を持つオーブか。

 

「弔ってやろうぞ、シーダ

 例えお前の夫に刃を向けた逆賊であったとしても、

 今までタリスに尽くしてきただけの礼は失するわけにはいかぬ」

 

 モスティンがそう、厳かに告げた。

 

 ────────────────────────

 

 機械的にノックがされる。

 

「入ってよい」

 

 その声に入室したのはヨーデルであった。

 

 ここはガーネフが支配するカダインは魔道学院。

 その学長室兼研究室である。

 

「何事だ」

「研究にお忙しいと思いますが、重大なご報告を」

「話してみよ」

「観測台から灰のオーブの反応が4つ消失しました」

 

 観測台とは灰のオーブを作り出した時に、その力の具合を遠隔から確かめるための装置である。

 魔力的な接続(パス)が繋がっており、即時性こそないものの、パスが切れれば破壊されたと判断できる。

 或いは、強く輝けばマフーに転じたこともわかるようになっていた。

 

「……もう一度、頼む」

 

 ガーネフは信じられぬという風にヨーデルに繰り返させたが、返ってきた言葉は同じであった。

 

「わかった、下がってよい」

「はい」

 

 扉が閉まり、その気配が遠のいたのを確認する。

 

「ぐぬうおおおおお!何故だ!どうして何もかも上手く行かんのだ!」

 

 頭を抱え、机に突っ伏す。

 その表情は生まれ持ってのいかつい面構えのせいもあり、ある意味で恐ろしい光景となっている。

 

「何が良くないのだ?ヨーデルはマフーを作り出した

 成功だ、いや、ううむ……人格に問題は生じたが、それも取り除く研究は前向きに進んでおる

 それはいい……それはいいが」

 

 灰のオーブを強固に封じることに成功はしている。

 外側の硝子面だけでなく、灰に秘められた力を利用し、単純な物理的な強度は凄まじいものにしてある。

 それが4つも簡単に割れるはずがない。

 誰かが意図してそれをやったとしか思えない。

 

「……これができるものは、もはやガトーだけだ」

 

 ガーネフは魔道士の派閥としては少数派の『開派(かいは)』に属している。

 単純に行ってしまえばこの派閥は魔道の力を広め、魔道の可能性を多数によって模索することを目指している者の総称である。

 

 ガトーとガーネフの溝はそこから始まっている。

 強力なだけではなく、様々な可能性を秘めている『オーラ』の魔道書を受け継ぐ者を定める場において選ばれたのは同門同格のミロアであった。

 

 ガトーは開派とは立場が真逆の『閉派(へいは)』に属しており、魔道そのものは神に許された特権階級だけに与えられるものとするべきであり、魔道の扱いに慎重な者たちである。

 学院を開いたガトーはその思想と真逆のようなことをしている風ではあるが、

 その実態としては各地の神秘に携われるだけの才能を探すではなく自ら訪れることで己の労苦を軽減するために作られている。

 

 ミロアもまた閉派の一人である。

 ただ、彼の場合は魔道の力が戦争に広く扱われるようになると戦火は際限なく拡がるだろうという考えの上である。

 

 ただ、ガトーがオーラを渡したのはミロアであり、ガーネフからすればその思想の違いによってレースから脱落したと思うに十分な理由となっていた。

 

 ガトーのそうした考えからすれば、オーブという秘中の秘たる逸品の模造を作ることは到底許される行いではない。

 であれば、己の手で破壊して回っていると考えても不思議ではない、と。

 

「このままでは、メディウスの執る侵略戦争までに間に合わぬ……」

 

 ガーネフという男は考えたことを口に出して思考を纏めるという悪癖があった。

 ミロアには散々に注意されたことであったが、ついぞそれを何とかできる手段をガーネフは見つけることもできなかった。

 

 ちらりと研究室でその力を制御するための魔道器械に繋がれた『闇のオーブ』と残り全ての『灰』を見やる。

 あと少しで灰のオーブから作り出したマフーの悪影響を取り除く成果を生み出せる。

 それができれば研究の成就まであと一歩。

 ガーネフが有事に持ち出す真打ちとも呼ぶべきマフーを他の魔道士に持たせ、しかし狂うことなく扱うことができるものも出てくるだろう。

 

「わし並の魔力が無くば使えもせんが……エルレーンめであれば」

 

 再びノックが響く。

 

「ええい、次はなんじゃ!」

 

 現れたのは違う魔道士であるが、ガーネフの癇癪めいた態度は今に始まったことでもないのでそのまま報告を続ける。

 

「エルレーンがカダインを裏切ったようです」

 

 あくまで比喩的な表現ではあるが、ガーネフはぐにゃりと曲がった。



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人間性

 ベントの部下の一部は逃したものの、大部分は捕らえることができた。

 とはいえ、タリスに留め置くことは難しいのでガルダへと移送し、サムスーフ領の貴族に賠償を迫る形となった。

 それで解放されるのは一部の騎士などに留まるであろうし、残りの者はどのように扱われるかはわからない。

 とはいえ、ガルダもモスティンのお膝元ではあるから無体には扱われないだろう、というのが家臣団の話であった。

 

 オグマを弔ったあと、サジマジバーツはそれぞれの道を選ぶことにしたらしい。

 ガルダに戻り漁師になったり、木こりを目指したり、タリスの兵に志願したり、とのことだ。

 彼らはオレに対して敵意でも向けるかと思っていたが、特にそういうこともなかった。

 そうした行いは彼らが隊長と慕ったオグマの名誉を穢すものだと考えたのかもしれない。

 

 モスティンはオレに約束を守ってもらうぞと凄む。

 何事かと思ったが、結婚のことであった。

 どうやら内外にそれを知らしめるための結婚式を行いたいようで、オレはそれに反対する理由もないので好きにしろとだけ伝えた。

 もっとも、式の準備でてんやわんやの忙しさにはなった。

 

 オレとシーダは海を一望できる王城の離れを現在の居室としていた。

 シーダと何となしに流れる時間を過ごすのがはじめてだったせいで、当初はオレ側がぎくしゃくとしてしまっていた。

 それを上手く蕩かすように対応するシーダの手並みにアカネイア一の人誑しの才能を見たりもした。

 

 ────────────────────────

 

 二人で沈みゆく夕日を見ている。

 結婚式まではもうすぐであり、ここさえ乗り切れればといった状況。

 段々と島への来客も増え、事前の挨拶回りなどで時間が火に炙られたチーズのように溶けていった。

 

「なんとか今日も終わったな……」

「ご苦労さまです、レウス様」

「シーダもな」

 

 オレはごろりと寝転び、シーダの膝の上に頭を乗せる。

 

「前はこんなに距離を近くにとってくださることがなかったと思いますが、お変わりになられましたね」

「いやか?」

「いいえ、前よりもあなたを恐ろしく思わなくて済んで、嬉しいです」

 

 変えたのはリーザであろう。

 人の体温に触れると狭間の地で徹底的に削られた人間性が回復していくような気持ちを教え込まれたからだ。

 リーザとはまた違うシーダの感触を楽しむ。

 まだ成熟しきってはいないが、そっとオレを撫でる手は母性というよりも慈愛を感じる。

 ここらへんはまあ、感覚的なものだから説明も難しいが。

 

「ここの夕日を見てると、レナを思い出すな」

「朱くて綺麗ですものね」

「……」

「そうでした、レナさんとリフさんならご無事ですよ」

「言い切れるのか?」

「はい、捕らわれている時にアンナさんから伺いました

 レウス様に話す機会を逸していて……ごめんなさい」

 

 そりゃあまあ、ゆっくり話す時間もなかったしな……。

 

「いや、それはいいんだが……どうしてるんだ?」

「アカネイアに戻られたそうです、レナさんの実家がそちらにあるそうで」

「ふぅん……ん?」

 

 レナが旅を続けていたのは記憶違いじゃなけりゃ、

 マケドニアの現国王であるミシェイルに言い寄られたのが原因だったような。

 

「むう」

「どうしたのですか?」

「いや、争いに巻き込まれたり、囚われていたりはしないだろうから安心はするが……」

「いつかまた再会できますよ、レウス様なら」

「それまで待っててくれりゃいいけどな」

 

 その言葉の意図を掴みあぐねたようだが、オレが抱えている何かしらの不安は感じ取ったのか、頭を撫でて来た。

 

「子供じゃないぞ、オレは」

「いいじゃないですか」

「……まあ、悪い気はしないけど」

 

 なんやかんや、オレの人間性はもりもりと高まっていく日々だった

 

 ────────────────────────

 

 結婚式は華々しいものであった。

 リーザとはこうした式をしてはいないので、新鮮でもある。

 参列者は基本的にタリス王国の関係者が中心だ。

 

 アリティアから人を呼ぶには距離もあるし、話もややこしくなるのでアクションは起こさないことにした。

 自動的にオレ側の参列者はエルレーンだけである。

 

 多くの人に祝福され、喜びの感情が溢れたせいでシーダが涙する一幕もあったが、それ以外は恙無(つつがな)く終了したと言える。

 

 ある意味で若々しくなったモスティンに次の王妃の椅子を巡っての熾烈なラブコール合戦があったり、

 オレの近習であるエルレーンに唾を付けておこうとする貴人たちもいたり、

 盤外でも色々とあったらしい。

 

 ともかく、宴は全て盛況のままに終わり、戻ってくる頃には月が煌々と海を照らすような時間であった。

 

「あー……終わった終わった……いや、オレよりもお前の方がお疲れだよな」

「いいえ、全然平気ですよ」

「そうか

 そりゃあ……、まあ、何よりだが」

 

 このドレスを選ぶのに凄まじく時間をかけたのを知っている。

 目的もわかっている。

 

「シーダ、近々にアリティア聖王国に戻ろうと考えている」

「はい」

「その『はい』は」

「付いていきます、どこまでも、の『はい』です」

 

 オレも今更シーダを置いて戻る気もないが、それでも同意してもらえるってのは嬉しいものだ。

 

「タリスには暫く戻れない」

「はい」

「この景色も暫くは見納めだ」

「ええ、名残惜しいです」

「ここでまだやるべきことも、一つだけある」

「……はい」

 

 オグマへの売り言葉にしたものではあるが、それはあの場の話だけで終わらせるべきことでもない。

 

「そのドレス、ベントが渡してきたって奴よりも似合っている」

「あなたのために選びましたから」

 

 竜族にドラゴンキラー、騎兵にナイトキラー。

 そしてオレにはシーダが自身で選んだドレスで威力三倍、

 ついでに惚れた弱みという必殺効果で更に三倍。

 

 翌日の起床は随分と遅れたものになったことは言うまでもない。



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馬車

 ガルダの港に到着したのはそれから更に数日のこと。

 長い道中になるからとガルダに馬車を手配するのに時間を要したのが主な理由である。

 まあ、そりゃ他にも理由はあるけどそれはいいだろう。どうあっても、おセンシティブな話になるしな。

 

「アリティア聖王国の主城への到着はこのくらいの日程になりそうです

 グラには立ち寄りますか?」

 

 エルレーンが秘書めいて旅程などの再確認をしている。

 

「妹の顔は見たいが、計画は変わらずでいい

 まずは女王殿下にお目通りせんと後が怖い」

「馬車の準備もできたそうですよ」

 

 シーダがオレたちに声を掛ける。

 王族であるのは間違いないのだが、何せ従者のない旅になる。

 重いものの上げ下ろしはオレが担当し、コミュニケーション担当はシーダ

 予定などの管理はエルレーンに任せた。

 

 目指すは聖王国、リーザとシーダの顔合わせがどんなことになるか不安がないわけでもない。

 平和に終わって欲しいもんだ。

 それに大陸の情報を集めるだの、次はどこを攻めるだの考えることは多いがそればかりでも気が塞ぐ。

 馬車での旅は良い息抜きになるやもしれん。

 

 ────────────────────────

 

 あの『灰』には特定のエネルギーを別種のものに変換する力がある。

 闇のオーブや光のオーブにも似ているが、あれらは精神エネルギーを蓄積・増幅するという力があるのみなので、似て非なるものだ。

 

 今のわしの研究は、長年溜め続けた闇のオーブの力を灰を通じて別のエネルギーに変換するというもの。

 変換されたものは順次、『灰』に溜め込まれていく。

 溜め込まれた力は闇のオーブが持つネガティブな精神エネルギーではなく、フラットなものになり、

 それを魔道器械を通じて精神の変質を寛解(かんかい)させるものにしていく。

 

 とにかく、闇のオーブとマフーの悪影響は害意ばかりが表に出て、研究に対するモチベーションが下がることだ。

 メディウスを復活させ、ガトーに目にもの見せてやるなどと愚かなことをしたと今でも思っている。

 あの竜のせいでわしの研究時間がなくなっていくのだから。

 だが、それもわしの行い。自業自得である。

 

 そう考えるように成ったのも『灰』のお陰で研究心に火が継がれた結果であった。

 エネルギーに関する研究で必要となったせいで闇のオーブを手元から離し、それでも足りないのでマフーまで魔道器械に注ぎ込んだ。

 そのせいで、今のわしの精神は学生時代に極めて近い状態に戻っている

 オーブやマフーを手放しただけではない、フラットなエネルギーに変換を噛ませ、光のオーブに近い作用を受けてみた研究結果だ。この手の実験は自分でデータを取るのが一番早い。

 

 メディウスを復活させたことは愚かな行いだとは思うが、ガトーや世界に対しての謝意ではない。

 愚かだと思うのは研究時間が少なくなったことに対してだけだ。

 やがて、あの暗黒竜はアカネイアを支配に動くだろう。

 それはわしにとってのチャンスでもある。

 メディウスや奴に従う竜さえなんとかできれば、開派の理念を大陸に広めることができるであろうからだ。

 そのためにもマフーや、新たな魔道書が必要となる。つまりは研究を進めねばならぬのだ。

 

 わしの目的は精神と同様に回帰している。

 開派として魔道を究め、広めること。

 

 そのためにもマフーに汚染されていない優秀な研究員の増加は急務だ。

 ミロアは死んでおるし、ウェンデルはどこに行ったかもわからぬ。

 若手で言えばヨーデルだが、あやつはマフーの影響で闇のオーブの所持者に従うことが最大の喜びになっている。

 強い自我がなくて魔道の研究はできぬ。

 となれば、ウェンデルの弟子であるマリクかエルレーン。

 その二択であれば、少し前まで学院に所属していたエルレーンが適任である。

 

「……一度、面談が必要じゃな」

 

 わしは外行き用の緑の外套を纏い、研究室を出ようとし、

 魔道器械に繋がれた闇のオーブとマフーの魔道書を見やる。

 物の安全と身の安全持っていくべきであろうが、今は研究を進めるためにも接続し稼働状態にある魔道器械を止めるわけにはいかない。

 

 目線を戻し、研究室を出た。

 

「お出かけですか、学長」

「ああ、少し長い出張になるやもしれん」

 

 扉を閉め、その上から物理錠と魔法による施錠を行う。

 これを解錠できるものは限られるだろうし、万が一破られたとしても闇のオーブに不用意に触れればガトーですらただでは済まぬほどにエネルギーは活性化されている。

 そうなればこの部屋と周囲は更地になるだろうが、闇のオーブは再回収できるだろう。

 

「ドルーアですか?」

「いいや、新興の、あの国よ。なんといったか」

「アリティア聖王国ですか」

「うむ、それよ」

「あそこにはアンリがいるだとか眉唾な噂があります、どうか護衛を」

「護衛だと?

 馬鹿者、研究できる人間を連れていけるものか」

「で、ではヨーデル殿を」

「奴はもう既にアドリア侯の所へ向かわせておる、奴も暫くは戻るまい」

 

 今のカダインにも正気なものはいる。

 というよりもそれが大多数である。

 無論、全員が開派ではない、むしろ閉派の方が多くすらある。

 わしを引き止めているこの男も閉派で、元はミロアが持っていた生徒だったはずだ。

 

「よい、貴様も研究に戻れ」

「ですが」

「研究の成果でわしよりもミロアの考えが──閉派が正しいことを証明するために残っておるのだろうが」

 

 ばつが悪そうにして、ではお言葉に甘えますとその場を辞した。

 わしも馬車の手配をして、アリティア聖王国へと向かう。

 ワープが使えれば早いが、あの杖を使うにも管理部の認可が必要で、出張での利用程度では認可は下りはしまい。

 その管理体制はわしが作ったものだ、その面での特権を振るうわけにもいかぬ。

 であるから、遠回りな道のりになるのは、まあ、よい。

 馬車での旅は良い息抜きになるやもしれん。



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おくちわるわる

「そろそろレフカンディか」

 

 オレの言葉にエルレーンとシーダも頷く。

 ここに至るまで宿に泊まることは何度かあり、そこで集めた情報によるとレフカンディ侯爵領の治安が著しく低下しているという。

 

 理由はまあ、わかってる。

 オレがカルタスを殺したからだろう。

 

 ただ、どうにも理由はそれだけではなく、ハーディンが率いるオレルアン軍との戦いによって打倒されたアカネイア軍やマケドニア軍の敗残兵たちがそのまま野盗に成り下がっているのも大きな要因らしい。

 

 どうあれ、準備をして、しすぎになるということはない。

 エルレーンにはサンダーを引き続き持ってもらい、シーダには新たにウィンドの魔道書を渡した。

 

 オレはウィンドを知っているが、この時代に、少なくともアカネイア大陸に存在した記憶はない。

 こいつはカダインから流れてきたらしい。

 量産のための試作品ではないかと売り主が言っていた。

 流出元は不明だが、試験に出ていた魔道士が野盗に殺されたあとに巡り巡って貿易品に紛れたのだろう。

 見たこともない魔道書を手に入れたのは幸運だっただろう。

 

 オレはダガーを準備しておいた。

 グレートソードで暴れて馬車が壊れたら目も当てられないからだ。

 

「皆様……あれを」

 

 御者が小窓を開いて確認を促してくる。

 

 ────────────────────────

 

 研究のための道具がなくとも、研究を進めることはできる。

 わしは持ち込んだ紙を束にし、備忘録や蓄えていた知識をひたすらに記述している。

 長く生きた脳には魔道に関わる数多の知識が眠っている。

 闇のオーブを手に入れてからというもの、それを眠らせすぎていた。

 すわ痴呆かと思う程に思い出す力を失っており、それを取り戻すための一環として自らの記憶への問いかけを行うのだ。

 出力したこれらの記憶は後で整合性を確認し、正しいものは清書していけばよい。

 

「そろそろ野草についての項目う゛ぉ ッ」

 

 馬車が急停止し、馬車の中で転げる。

 

「馬鹿者!停まるときは馬車に無理をさせるでないわ!」

「も、申し訳ありません学長……ですが」

 

 御者の目線がこちらから外へと向けられる。

 

 ────────────────────────

 

「野盗がなんか群がってんな」

「身なりがあまりよいとは言えない方がいたのですが」

「避難民を襲う野盗ってところか」

「恐らくは……」

 

 御者も精一杯言葉を繕っている。

 王族に雇われているんだからそりゃあまあ、砕けた言葉は使えんよな。

 

「どうしましょう、レウス様」

「僕が行きますか」

「数も多い、全員で行ってさっさと片付けるぞ」

 

 馬車から降りる。

 不意打ち……するのも、流石にシーダもエルレーンも嫌な顔をしそうだ。

 一応声を掛けるとするか。

 

「おい、ゴロツキども

 昼間っから楽しそうだな、オレも混ぜてくれよ」

「アア!?ンッダ?テメエ!!」

 

 アカネイアの地に来てから一番チンピラっぽいのが現れたな。

 よく考えりゃ統率取れた海賊やら山賊やら、後は正規軍だったりして、こういう手合と遊ぶ機会はなかったものな。

 

 野盗の数は……10か、11くらいか。

 

 こちらに向き直り、或いは包囲を広げてきた。

 囲んでいたものは御者の言う通りボロ布を纏ったものたちだ。

 

「ようやくお宝手に入れたってのに、邪魔してんじゃねえぞ!!」

 

 頭目らしき男が片手に持っているものを見せてくる。

 竜石だ。

 

「襲われていたのはマムクートだったのか」

「エルレーン」

「はい」

「竜族だ、いいな」

「え、あ……はい」

「それは蔑称、いい言葉じゃない

 恨んでもいない、悪とも限らない連中にそういう言葉は向けるもんじゃない」

「そう……でしたね、ごめんなさい」

「謝れるのはえらいぞ」

 

 我が妹(シーマ)に続いて、エルレーンは出来のいい弟のように感じることもある。

 が、今はそれどころでもない。

 

「サンピンのゲボカスどもッ!

 軍から転がり落ちてただの敗残兵どころか野盗とは愉快な出世街道を走ってるじゃねえかッ!

 今からつまらねえこの辺りの風景を変えるための面白オブジェになる仕事を与えてやるから大人しくくたばりやがれッッ!!」

「あの……レウス様、蔑称どころの騒ぎではないのですが」

 

 エルレーンは複雑な表情でオレの大喝に意見する。

 

「オレが律だッ!!」

 

 こういうところは諦めていきましょうと言いたげなシーダは、少年の肩を叩く。

 エルレーンは小さく首肯した。

 

 おいおい、移動の邪魔された恨みと推定無罪の竜族を殺した悪党ってことはそういう言葉を向けていい相手だろう。

 オレの言葉に一点の曇りもないぞ。



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竜族

「ええい、わしが道を開けてくれるわ」

 

 マフーこそないが、カダイン製の試作魔道書を幾つか持ってきている。

 量産に伴って威力は落ちたものの、

 あの程度の野盗にはこの試作リザイアでも勿体ないとは思うが、使用実例が欲しい。

 わしは生命簒奪(リザイア)を持って外に出ると、声が聞こえてくる。

 

『襲われていたのはマムクートだったのか』

『─────』

『はい』

『竜族だ、いいな』

『え、ええ』

『それは蔑称、いい言葉じゃない

 恨んでもいない、悪とも限らない連中にそういう言葉は向けるもんじゃない』

『そう……でしたね、ごめんなさい』

『謝れるのはえらいぞ』

 

 全てを聞けたわけでもないが、

 ……今どきの者にしては珍しい考えを持っておるな。

 ドルーアを相手にした人間は竜族を虐げても止む得ぬことだと思うが。

 

 その直後に馬鹿げた大喝が響く。

 頭が割れるかと思った。

 

 その直後から戦いは始まる。

 少年魔道士がサンダーを放ち、横合いから少女魔道士がウィンドを放っている。

 ん?ウィンド?カダイン学生か……?

 

 大喝を発した男はと言えば……なんだ、アレは。

 短剣を振るうと青白い光の剣が生み出され、それが猟犬のように野盗共を切り裂いている。

 あんな魔法は見たこともない、聞いたこともない。

 何者だ、あやつは!

 

 ではこの二人もカダイン学生ではなく、あの男の徒弟か?

 ……ん?

 

 あの片方の、少年魔道士……エルレーンではないか!

 

 思わず口に出しそうになるのを我慢し、わしは馬車へと戻ると布を何枚か用意し、変装を急ぐのであった。

 

 ────────────────────────

 

 戦いはあっけなく終わった。

 所詮は野盗。

 

「生き残ってるのはお前だけか」

 

 ボロ布を纏う人影に近づく。

 

「立てるか?」

 

 反応はない。

 周りには同じような服装の者たちの死体が転がっている。

 

「……もう少し早く来ていたなら、か

 恨んでもいい、が……この辺りは物騒だ

 せめて安全そうな場所まで一緒に来る気はないか

 恨みつらみはそこで──」

「私は……竜族……恐ろしくはないのですか……?」

「今すぐ変身して噛みついてきたりするのか?」

「そんなことは……しない……」

「じゃあ怖くないだろう」

「竜族は高く売れる……竜石だけでも……高く売れると」

「あー……オレがお前を捕まえて売るかもってことか?」

 

 声の感じからすると女性だ。

 であれば彼女との話はシーダにさせるべきだったかもしれないな。

 

「いいえ……そうではない……です」

「ああ、また連中みたいなのがお前狙いで襲ってくるかもってか?」

「……」

 

 こくりと頷く。

 

「あんな連中百人来ようが千人来ようがどうにでもなる

 オレは聖王レウス、今様のアンリなんぞと呼ばれている

 そんくらい強いってことだ、安心しろ」

 

 オグマからも受けた、オレルアンの人々に流れるアンリの伝説に対する信頼感。

 今回はそれを利用させてもらおう。

 

「アン……リ?」

 

 あれ、ピンと来てない感じか。

 

「とにかくすげえ強いんだよ、だからその点は安心していい」

 

 逡巡の末に彼女はオレの手を取る。

 そっと手を引いて起こし、シーダを呼んだ。

 

「馬車に乗せてやってくれ」

「はい、レウス様」

 

 彼女の手をバトンタッチするようにしてシーダに預ける。

 

「あー、名前聞き忘れたな」

「名前……」

 

 意味は通じているが、言葉は続かない。

 

「周りで倒れているのがお仲間か、ご家族だったとしたなら

 精神的な負担から来る記憶の欠落かもしれません」

 

 エルレーンが耳打ちするように。

 

「名前は、まあ後ででいいか

 じゃあ馬車に」

 

 そりゃまあ、そうだとしたらむしろ喋れるのは心が強い方でもあるか?

 正気を取り戻せたら近くの街でも、ダメそうならアリティアの治癒が専門の連中に任せるしかないか。

 

「そこのお方、お見事であられる」

 

 シーダが馬車に送っている後に話しかけてきたのは、布でくぐもってはいる男。

 

「野盗って感じじゃないな」

「故あって旅をしている魔道士でな……先程のお主が使っておった魔法に驚かされた

 それにあの竜族をマムクートと呼ばなかった心根にもな」

「誰だって蔑称で呼ばれたらムカつくだろ、殺し合いする相手なら別にいいけどよ」

「高潔なのか粗暴なのかわからぬお方であるな」

 

 少し困ったような声。

 どう対応すればいいやら、と言った感じか。

 

「で、オレの魔法に興味があるのか?」

「独学で魔道を研究していてな、今までに見たことのない魔法の構築であったことに驚かされた

 一体、それは?」

「あー……」

 

 戦灰です、なんて言えるわけもないし。

 

「秘密だ」

「それは、そうでしょうな……」

 

 残念そうにする男。

 だが、直ぐに。

 

「先程の話を意図せず聞いてしまったのですが、聖王と呼ばれているとか」

「アリティア聖王国でな、アンタは……いや、いいさ」

 

 顔を隠しているのであれば相応の理由がある。

 深く追求するのも野暮ってもんだろう。

 そりゃ美女とか美少女だったとしたら見たいけど、どう考えても男だしな。

 

「身分を明かせと仰っしゃらないのですな、王族であるならば命令もできるはず」

「言いたくないから顔隠してるんだろう」

「……ご配慮に感謝する」

 

 戦いのお手伝いはできませなんだが、と言葉を続け、薬を取り出す。

 

「これをお持ちになられよ、聖王殿」

「薬、だよな」

「先程の竜族が精神を起因としたもので苦しむのであれば気休めになるやも知れぬ」

「へえ」

 

 怪しい……と思ったのがバレたのか。

 

「友人にも竜族がいましてな、そのものに頼まれて調合した薬

 その集団に属していた竜族には副作用はなく、

 一時的ではあるものの精神錯乱の緩和を認められたものになる」

「竜族は竜のままだと理性を失っていくんだっけか」

「本当に、よくご存知で

 ただ、あくまでそれはその場しのぎにしかなりえませぬ

 それの完成ができたならよかったのですが……」

 

 口ぶりからすると解決策にはならないんだろうな。

 ま、経口薬で理性が戻るってならメディウスだって穏便な手段を取っていたかもしれない。

 ……いや、それはどっちにしろ無理筋か。

 

「もらっておくよ、流れの魔道士」

「いいえ、ではわしも先を急ぎますゆえ……」

 

 オレが竜族相手になにかできるわけもないし、薬の信頼性は……まあ、ちょっとアレだが、

 いざとなったら使ってみるとしよう。

 

 エルレーンはのろのろと去っていく馬車を見ている。

 

「どうした?」

「いえ、どこかで見たか、お会いした気もしたのですが」

「思い出せないか」

「ええ、申し訳ありません」

「あんだけ顔隠してたらな、声だって意識して変えているだろうし」

 

 数人分の竜族の亡骸を布に包み、馬車の後方の荷物エリアに安置する。

 この近くに村があったらそこで葬らせてもらおう。

 それなりの金を握らせれば頷いてくれるだろう。

 

 あとはまあ、戦利品も拾わせてもらった。

 何が役に立つかわからんからね。



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妙薬の巡り

 道中の村を探したものの、結局グラの領内まで入ることになった。

 結局領内のひと気がない場所で竜族たちを葬ることにした。

 

 再び馬車へと戻り、移動を続けようとしたところで『竜族の女性』は道中で苦しみ始める。

 その苦しみが何かはわからないが、

 肉体的というより精神的なところから来るようにも見えた。

 少し悩んだものの、あの薬を飲ませることにする。

 いざ苦しんで倒れたならトレントでグラの主城まで運び、

 治療してもらえばいいという雑な考えでもある。

 

 薬が効いた頃には苦しみもなくなったようで、眠りについた。

 

 アリティアまであと一歩、といったところで今度は馬車を引く馬がバテてしまった。

 御者は申し訳無さそうにしていたが、これに関しては竜族の亡骸を積んだことで過剰積載になったのが理由なのは明らか。

 何とか付近の街の宿まで進めて、一泊することになる。

 

 宿に着いた頃に『竜族の女性』も目を覚ました。

 こういう辺りで「そういえば王族の夫婦であった」ということを思い出すのが、

 宿は常に最上級を、部屋はその中の最上級を、ということになる。

 グラまで来るとオレの顔も名も知れ渡っているせいで宿が「お泊りになっていただくだけで光栄です」とお代をもらおうともしない。

 相手からすりゃ請求なんてできるわけもないか。

 まあ、後日に王宮から直接支払っといてもらえばいいだろう。

 

「思い出し……ました」

 

 部屋に入り、エルレーンが紅茶を人数分淹れた辺りで竜族が喋り始めた。

 

「何を思い出した?」

「名前……」

「是非聞きたいね、呼ぶ時にどうすりゃいいか困ってたんだ」

「ナギ……それが私の名前」

 

 ナギ……ナギ?

 

 原作知識じゃ、ラスボス討伐に必要な要素が足りていない状態で挑む直前、

 ガトーが救済策的に『異界の塔』ってところにマルスたちを送った先で待つ神竜族。

 ただ、当人は記憶もなければ何もなく、ファルシオンと共に仲間になるだけ。

 

 彼女はそもそもここではない空間、つまりは異界とやらにいるはずで、

 しかも条件が揃った上でマルスが救いを求めるように思ったから目を覚ました、とかだったはず。

 マルスは死んでいる、ファルシオンが必要な状況でもない。

 そもそも異界からどうやって現れたのか。

 それらの事情を知るものはここにはいない。或いは、どこにも。

 

「他には何かわかったことは?」

「……」

 

 ないんだろうか。

 だとしたらお手上げだ。

 

「それじゃあ、したいことは?」

「したい……こと?」

「あるだろ、何かしら」

「……世界を見てみたい」

「いいねえ、もう少し落ち着いたら──」

「この世界を……あなたがどう変えるのかを、見てみたい」

 

 どうやら、名前以外のなにかしらの記憶も戻っていたらしい。

 

 ────────────────────────

 

 ナギは多くのことを語らない。

 当人が竜族、それも神たるナーガに連なる存在であるからより世俗から離れた精神を持っているのだろう。

 オレにとっての神と言えば、狭間の地で出会い、戦ったどうにも人間臭いデミゴッドたちばかりだったので新鮮でもあるし、「神だし、そういうものだろう」と置いておけるものもあった。

 

 馬車の中の居心地に関しては、悪かった。

 ナギはじっとオレを見ている。

「なにかあったか」と聞いても「見ていて悪いのか」と返ってくる。

 

「そのように見つめてはレウス様の居心地も悪くなってしまいます、ナギ様」

「そうなのですか

 あなたも同じようにしていたようだけど」

「わ、私はいいのです!その、私はレウス様の妻、なので……」

 

 何となく珍しいなとも思う。

 嫉妬を露わにしているように見えるシーダ。

 今度は彼女が居心地が悪そうに窓を見たり、天井を見たり、床を見たりする。

 

「レウス、そんなにじっと見てはシーダの居心地が悪くなるのでは?」

「それもそうだな、じゃあナギを見るとするか」

「私は居心地が悪くないので大丈夫です!」

 

 などというやり取りをしていると、馬車がゆるやかに速度を落とした。

 

「到着いたしました」

 

 御者が扉を拓く。

 久方ぶりのアリティアの地だ、と柄にもなく思ってしまう。

 

 関所を通った時に伝令が走ったのだろう、

 

「レウスーーーっ おかえりなさーーーーーっい」

 

 女王の威厳は欠片もない、リーザがオレに飛び込んでくる。

 

 それは新たな戦いの幕開けを知らせるものであった。

 

 ────────────────────────

 

 本来であれば恐らくは関係者を呼んでの会食となったりするのであろう。

 ただ、オレが堅苦しいのと面倒なのを嫌っているのをわかっているリーザとメイド一同はそうしたことを執り行わず、客間の一つにソファを複数用意させた。

 

 距離こそ離れてはいるものの、車座になるようにリーザ、シーダ、ナギ、そしてオレが座っている。

 

「その、レウス様……?」

 

 シーダはここまでずっと思考停止状態だったが、ソファに座らされ、

 ハーブティに口をつけたあたりでリブートが完了したように言葉を紡いだ。

 

「……ええと、ごめんなさい。

 聖王になられたというのは伺いました、ええ、伺いましたとも

 アリティアの聖王となられたことも」

「あ、ああ」

「別離を取る時、王にしてくれるものを探し、ご結婚される話も伺っていました」

「したね、うん」

「でも!」

 

 シーダにしては珍しく語気を強くし、

 

お義母さま(おかあさま)とは聞いていません!!

 どうしてです!?エリス様でしょう!ご結婚されるのでしたら!!」

「オレだってエリスだと思ってたんだよ!こんなに美人で若々しかったらエリスだって思うだろ!」

「うん……リーザは外見も魂もとても若々しい」

 

 同意するようにナギが言う。

 

「あら、そのお話をまだ覚えていてくれたのね、シーダ」

 

 リーザの話では、マルスとの結婚自体は内々に決まっており、彼女自身かなり早い段階から自身をお義母さまと呼ぶよう言っていたらしい。

 

「ふふふ、複雑です!どうすればよいのですか、私は!」

「シーダ」

 

 女王というよりは母親めいた優しい声音で彼女を呼ぶ。

 

「私はあなたがそんな風に取り乱すのをはじめて見ました

 活発ではありましたが、でもお淑やかで、素敵な女の子のあなたが声をそんな風に出すなんて考えてもみなかった」

「お、お義母さま……」

「私は嬉しいのよ、マルスを失ってあなたとの縁が切れてしまったのだと思っていたから」

 

 話すべきだと思い続けていたが、彼女は知っていた。

 もしかしたなら随分と昔から知っていて、知らないように構えていたのかもしれない。

 我が子の死が、自らを弱くすると思っていたのだろうか。

 

 マルスの死から立ち直ったかもオレにはわからない。

 それでも、前に進んでいるのであれば今更オレができることもなかろう。

 いつかリーザが弱音を吐く時があったなら、その時は側にいなければと思いながら聞いていた。

 

「私はコーネリアスを愛していました

 あなたもマルスを愛してくれていたのでしょう?」

「それは……ええ、そうです」

 

 自分たちの夫の前で何を言い出すのか、と言いたげに目を向けつつもシーダは同意する。

 

「でも今、私たちはレウスを愛している。

 愛した人が同じになったのなら、きっと私たちももっと仲良くなれる、そう願っているの」

「お義母さま……」

 

 元からリーザに対して母のように思っていたところが強いのだろう。

 信頼や家族愛のようなものをまっすぐに向けられたなら、シーダに反論する故もなくなる。

 

「これからは同じ人の妻として、そして家族として一緒に歩んでほしい」

「……ずるいです、リーザ様」

 

 大好きなあなたにそう言われて断れるはずがないじゃないですか、とシーダは微笑みで返した。

 

 とりあえず最悪の状況はリーザの手によって回避された。

 おそらく彼女はずっとこの展開を予測し、どうするべきかを考えていたのだろう。

 それくらいに周到な説得だった。

 

「ええと、ないがしろにしてしまったけれど……レウス、この方はどなた?」

「ナギだ、神竜の血に連なっている」

「……神竜?」

 

「神竜族、ナギ……これから、よろしく」



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纏うべき名

 アリティアにおいて、神竜の名はアンリと同じく憧憬と信仰が重なった対象である。

 自らの牙をファルシオンとして与え、人類救済の切り札として与えた深い愛を持つ神。

 神が去ってどれほど時間が流れようとその敬意は損なわれない。

 

 神竜、つまりナーガの血統たる神竜族もまた神そのものである。

 ナギは神としてのその威光を十分に備えた容姿を持っていた。

 オレよりも高い背を持ちながらも、しなやかさを内包した美しさを湛えている。

 

「ナギ様、我が夫レウスが無礼なことをしておりませんか?」

 

 リーザの言葉に対してナギは

 

「彼は私にとてもよくしてくれた、流石は私の目を覚ました男だと言えます」

「……本当に何もしていないのでしょうね、レウス」

「してない、誓ってなにもしてない。今のところは」

 

 ナギは慈悲深い眼差しをオレやリーザに向ける。

 

「レウスがこの地に来た時に私は目覚め、

 それから新たなる兆しをこの世に顕現させたことで私はアカネイアへと辿り着けたのです」

「……なるほど」

 

 つまりは、狭間の地に来た時に何らかの影響が、彼女の眠っていた『異界の塔』に伝搬した。

 そこで彼女は目を覚ました。

 暫く後にフィーナを失ったオレが発動した(エムブレム)

 その影響で彼女がいた塔とここを繋げてしまったらしい。

 

 死のルーンの影響か、

 それとも単純に大ルーンを重ねた結果に起こったことかまではわからない。

 

「アカネイアに降り立ったあと、レウスと会うまでは私は記憶もなく彷徨っていた

 運良く他の竜族たちが私を拾ってくれたお陰でこうして生き延びることができた

 記憶が戻ったのはあの時のレウスが飲ませてくれた薬のおかげだと思う」

「経緯は何となく理解いたしました」

「それはよかった」

 

 ナギは自分の説明に不足が多いと思いつつ話したのだろう。

 それでも理解されたことには嬉しそうだ。

 浮世離れした性質を見た目からも口調からも発している彼女だが、

 その感情のアウトプットは実に明瞭だ。

 

 しかし、その口調の不安定さはナギが対人能力そのものが育つ環境にいなかったからだろう。

 敬語(のようなものだが)を使うときはナギが生来備えている神としての対話機能だったりするのかもしれない。

 断定的な口ぶりのときは思考を直接アウトプットしているから言葉に「色をつける」のを忘れてしまっているのかも。

 なんて……勝手に判断するのも不敬ではあるか。 

 

「この後はいかがなさるのですか、ナギ様」

「レウスが作る世界を見たいと……思っている」

 

 リーザは少し複雑な表情をしてオレを見やる。

 オレは彼女に言わせるでなく、言葉を引き継ぐことにした。

 

「ナギ、オレは神竜族であるお前が側にいていいような存在ではないと思う」

「私が嫌いなのか……?」

「いや、そんなことあるはずもないだろう」

「ならいいのではないか」

「う……」

 

 シーダが「呑まれてますよ、レウス様」と言ってくる。

 確かに、ここで呑まれると会話を引き継いだ意味がない。

 

「オレは自分の目的を叶えるためであれば何でもする、女を奪い、敵を殺し、国を壊す

 道徳心って奴を後ろ足で砂を掛けながら大陸の統一を目指す

 人々の信仰を集める、正しき存在であるのが神竜であるならば」

「それは神竜王ナーガとそれを信じるものたちの(ひじり)だ、私のものではない

 私は、私を目覚めさせる奇跡をくれたレウスの世界が見たいと願う、

 これでは説明になっていないのだろうか」

 

 悔しいが、オレの理屈で言うなら十二分に説明になっている。

 つまりは、

 

「オレはオレの自由のために生きる、ナギも自由であるべきだ

 ナギの自由とはオレが作る世界を見たいから共に歩むことなのか?」

「自由!ああ……なんて素敵な言葉なのでしょう

 ああ、ああ、そうだともレウス

 私の自由はレウスの世界と共にある、だから側で見せて欲しい」

 

 ああ、そうさ。

 自由ってのは最高だ。

 自由によって選んだ不自由ってのは輪をかけて最高でもある。

 ナギはそれを知っている。

 マルスと共に戦っていた彼女にそれはなかったのかもしれない。

 かつて、オレが求められるままに狭間の地で戦い続けたのと同じように。

 

「だが、オレが作る世界を見たいというならナギ、お前にも汚れてもらうことになる」

「力を振るい、人の戦いに介入せよ……そう言いたいのだろう」

「そうだ」

「レウス、それはだめ!」

 

 リーザが叫ぶ。

 そりゃそうだろう、信仰対象を戦争の道具にしようとしている。誰でもない、自分の夫がだ。

 

「リーザ、お前はナギの自由を奪うのか?」

「それは……でも……」

「私は構わない、けれど、レウス」

「なんだ?」

「望むままに戦おう、人を倒し、軍を退けるだろう

 血に汚れ、汚名を纏うだろう

 私は構わない、それが私が持つ自由なのだから」

 

 ナギはどこを見ているのか、或いは全てを見ているような目をしながらゆっくりと目線をオレへと向ける。

 

「けれど、レウスは私よりも強く憎悪されることになる、私を使えば使うほどに

 レウスは私とともに穢れてくれるのか?」

 

 オレの答えは決まっている。

 

「ああ、汚名なんざ纏い放題だ」

 

 オレはナギに続ける。

 

「オレが大陸を支配した暁にはお前の像もそこら中に立ててやるさ」

「像?なぜだ?」

「『大陸の覇王と共に戦った神竜族ナギ、人の歴史と共にあった竜族』なんて名前を付けてな

 オレたちの汚名なんざ数百年もすればおとぎ話にでもなっちまう

 その千年後、二千年後に語られるのは汚名ではなく伝説だ

 お前やオレがかぶる悪名も汚名もひとときにしか存在しないものなら──」

 

 ナギは微笑む。

 

「纏い放題、か」



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盤上に見合う

 久方ぶりのアリティア聖王国だが、休んでいる暇は与えられない。

 ホルスタットとフレイ主導で行われるのは現在の勢力図の説明と各国が取っている戦略の予想。

 離れていたオレに情報を叩き込んでくれるらしい。

 正直かなりありがたい。

 

 とは言っても会場にフレイの姿はない。

 彼はこのあたりの警備を担当しているらしい。

 あとで労いに行こう。

 

 この場にいないのはフレイを除いた四侠……つまりはサムソン、アラン、それにノルンだ。

 サムソンは久しぶりの再会だろうとシーマを送り出したらしい。

 緊急時に即応するための部隊としてノルンが待機。

 アランは国境の警備を強めている。

 

 会議前にシーマが

「……まさかとも思わないけど、兄上」と声をかけてきた。

 

「まさかとも思わないってなんだよ」

「長身の女性に、私よりも年下の少女……流石に女性は麗しいですし、理解もできますが

 私より年下の少女は……どうかと思う」

「僕は男です……」

「なっ……、そ、それは失礼」

 

 旅の垢を落としただけではない、リーザにあれやこれやと着飾らされているエルレーンは少女性、或いは神秘性とも言うべき何かを感じさせる美しさを持っている。

 そういう趣味のお兄さんが我が王国にいなくてよかったな、エルレーンよ。

 

「私はナギ」

「シーマと申します、兄上がお世話に……ナギ様!あなたがお噂になっている神竜様!」

「畏まらなくていい、その崇拝は私のものではなくナーガのものなのだから

 となりに住んでいるお姉さんだと思うがいい」

「と、となりに……?」

「ああ、そう言っておけば親近感が湧くだろうとレウスが言っていた」

 

 神竜様になにを教えているのかとシーマに説教される。

 精神的に立ち直り、強くなってくれて兄は嬉しいぞ。

 

 ────────────────────────

 

「お久しぶりです、陛下」

「ああ、変わりないか」

「アリティア聖王国軍が日々拡充されていき、楽しく過ごしております」

 

 皮肉ではなく本当にそう思っているのだろうな、とホルスタットの表情からわかる。

 まったく、得難い武将を持てたことを実感する。

 

「早速ではありますが、現状についてのご説明をさせていただきます」

「頼む」

 

 目下、大きな動きを見せているのはオレが知る所で言うオレルアン軍。

 現在はオレルアン軍ではなく、『オレルアン連合』を名乗っている。

 この辺りはどうやら『アカネイア連合』か『オレルアン連合』かで揉めたというゴシップも出てきたようで、

 

 最終的に盟主たるニーナが

「自分を匿い、そして再起の機会をくれたオレルアンの名を冠したい」

 と宣言したことで現在の名になったのだとか。

 

 オレルアン連合は各地の反ドルーア勢力を糾合しながら南下。

 レフカンディとは一時は戦ったものの、最終的には金銭による同意で擬似的な同盟を結んだ。

 現在はアドリア侯爵領付近に展開したアカネイア軍と一進一退の戦いを続けている。

 ラングはどちらの戦いにも積極的に参加していないらしい。

 

「戦力的にはどうなんだ、アカネイアの首都(パレス)は落とせそうなのか?」

「現状、連合軍有利ではありますが、パレスに駐屯しているマケドニアのドラゴンナイツが本腰を上げていない以上、判断が難しいですな

 パレスに到達した時点でニーナ王女が諸侯や騎士たちを味方につけるような動きができれば別ですが……」

「何か言いたげだな」

「誰もが女王殿下のように戦術と軍才を持っているわけではない、ということです」

 

 つまり、戦線に出て来ない以上は味方につけるようなことは難しい、と言いたいらしい。

 普通に王族が前には出ないのよ。普通は。

 

「グルニアに関しては平和と言えば平和ですな」

「王が及び腰なんだっけか」

「軍の規模だけは大きいので兵団をマケドニア経由でアカネイアへ輸送している噂もありますが、

 グルニア本国が動くことはないでしょう」

 

 マケドニアはパレス防衛に準備を進めているらしいが、周囲がアリティアの敵国で固まっている以上、情報が抜きにくいようで、情報は出回っていない。

 ただ、連合軍との遭遇戦でミネルバ王女が援軍に駆けつけたときは決まってマケドニア軍の勝利になっていたらしく、

 国家の声望としては下がるどころか、アカネイア側の結束を強めている要因になっているらしい。

 

 ドルーア帝国に動きはない。

 ただ、少人数ではあるが野戦での戦いに竜族が出現していると言われており、

 状況を完全に傍観しているわけでもないようだ。

 

 ペラティなんかの戦乱に関係しない勢力を除けば、残るはカダインだが……。

 

「今後の戦略的にはどうだ?」

「オレルアン連合次第ではありますが、

 更に南下するようであればパレスとの戦いに介入する形を取ったほうがよいのではと聖王国としては考えております」

「下手にパレスを取られたら世間的な大義名分はあっちに流れるか

 けど、そうなると聖王国側の防備が問題になりそうだが」

「仰るとおりです

 その為、まだ確定事項とはなっておりません」

「オレの個人的な考えを言ってもいいか」

「勿論です、聖王陛下」

 

 オレの考えは単純だ。

 カダインを落とす。北伐だ。

 連合軍やグルニアでの戦いがあったとしても、常にカダインに注意を向け続けねばならない。

 危険を排除したいという気持ちが強い。

 

 が、それは消極的理由でしかない。

 積極的理由で言うなら、魔道士兵団が欲しい。

 

 リーザ麾下の魔道騎士団は強力だが、それは点の強さだ。

 だが、今欲しいのは面制圧が可能な戦力。

 

 それを得るためには弓か魔法、しかし弓兵に関しての育成、戦術的ドクトリンはオレルアンやアカネイアに大きくリードされている。

 

 だが、魔道は別だ。

 

 どうにもこの地における魔道の扱いは理解しがたい。

 強力であるはずだが、戦術的に運用されているケースがあまりない。

 おそらくそれは単純に魔道が特権階級的な能力であることが影響しているのだろうが、

 お陰で各国は魔道を戦術的に扱う技術が未熟だ。

 

 であればどこより早く強力な魔道兵団を構築できれば有利に立ち回れる。

 

 ……これは言えたことではないが、カダインを目指す最大の理由は灰のオーブだ。

 問題はガーネフのマフーだが、解決策は幾つか考えている。

 それを実行しようとすると歪な侵攻作戦になってしまいそうだが、そこらへんは実際に詰める段階の話になる。

 

「カダイン、ですか」

「難しいか」

「聖王陛下のご親征であれば不可能ではないかと」

「軍を預かるものとしては反対か?」

 

 ホルスタットは少しの間思考し、

 

「陛下の御身を考えれば反対ではあるのですが……」

「何か言いたげだな」

「陛下の戦いを見たいという側面で言えば賛成であります

 そして私と同じ考えのものは軍の殆どがそう答えましょう

 であれば、高い士気を備えての北伐となれば、十二分の勝率がある。

 軍を預かる身として賛成であるという結果と相成ります」

 

「では、北伐の──」

 

 そう号令を発さんとしたのに対して扉が開いた。

 

「軍議の最中にし、失礼いたしますッ!」

「何事かッ!!」

 

 ホルスタットの声が響く。

 

「か、カダインから使者がお越しになりました!」

「使者であれば担当を」

「それが……、お越しになられたのはカダインの主、ガーネフ閣下です!」

「とんでもないタイミングで来たな

 ……部屋を用意してくれ」

 

 オレはメイドたちにそう指示を出した。



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カダインから来た男

「一国の主であるガーネフ閣下には失礼であるとは思いましたが、

 事前の連絡もないとなれば内密のものと考えて、こうした部屋に通させていただきました」

 

 外交を担当する家臣が説明と謝罪をする。

 

「ああ、そのとおりじゃ

 家臣の皆には悪いがレウス殿と二人にしていただきたいのだが……いかがかな」

 

 流石にそれは、といった空気が流れるが、

 

「構わんよ、皆下がってくれ」

「私だけでも残らせていただけませんか」

 

 食い下がったのはシーダである。

 リーザもそう言いたげではあったが、アリティア聖王国の女王という立場である以上、

 唯一の上位である聖王の言に待ったを掛けるのは難しいようだ。

 一方でシーダはタリス王女ではあるが、その立場よりも聖王の妻であるという身分のほうが世間的には通りもいいらしく、

 それを武器にした形だろう。

 

「わしは構わぬよ

 ただ、同席すると言うならばエルレーンにも残ってもらいたい」

 

 その言葉にちらりとエルレーンを見やる。

 複雑な顔だ。

 恐怖と、怒り、困惑。

 その感情を理解するのは一種、或いは一言で表すのは難しい。

 だが、だからこそ

 

「エルレーン、残ってくれるか」

「レウス陛下の仰せに従います」

 

 聡い少年だ。

 ここで出ていけば後々、自分の心に引っかかりがあり続けることになるのを理解している。

 

 そうして一同は去っていく。

 残ったのはオレとガーネフ、それにシーダとエルレーン。

 だが、何も言わずに残るものもいた。

 ナギだ。

 

「私も残る」と一言告げる。

 神竜の言葉はアリティアにおいては絶対の影響を持つようで、連れ出せる雰囲気ではなかった。

 ガーネフも残っていただけるなら話も早いと承知した。

 

「さて、ガーネフ殿

 何用かな」

「まずは謝罪をしたい」

「謝罪?」

「多少の目くらましはしていたが、これを渡した者を覚えておいでか」

 

 机の上には薬。

 ナギに飲ませたもの。つまりあの時の覆面の貴人である。

 あんなものでもわからなくなるものだ。

 いや、目くらましを、ということは何かしらの魔道が関わっているのかもしれない。

 

「本当であればあそこで姿を見せるべきであったのだが、興味が別のものに移った故にな」

「移る前は?」

「そこにいるエルレーンよ

 カダインを裏切ったと報告を受けたので何故だと問おうと思っておったのだ」

「そうか」

 

 オレはエルレーンに言葉を話させる気はあまりなかった。

 彼が激昂してなにかするであれば別だが、努めて冷静で居ようとする少年がそこにいるだけだ。

 

「何故、彼を?」

「我が学院でエルレーンの才能が必要になったから、ではあるが……」

「なるほど、そこで先の別の興味に入るわけか」

「然り」

「で、それは……オレの使っていた魔法について、だろう」

「然り」

「どうしたい」

「無論、解明したい」

「その後は?」

「……ふむ」

 

 ガーネフは思案するような顔をする。

 

「その前に、レウス殿に幾つか伺いたい

 答えられぬならそれはそれで構わぬ

 だが、答え次第では……」

「敵対するしかなくなる、か?」

「まさか」

 

 ガーネフは肩を竦ませる。

 オレのイメージしている『悪の司祭』ではない。

 今の印象は、学識に富み、生真面目さだけでなく少しばかりのウィットを備えていそうな紳士だ。

 

「答え次第では、レウス殿とは味方になれるやもしれぬ」

「なるほど……、それは個人的なだけでなく、我がアリティア聖王国と魔道王国カダインとして、そう考えても」

「無論」

 

 ガーネフはエルレーンを見て、

 

「エルレーンの持っていた灰のオーブを砕いたのはレウス殿ですかな」

「ああ、そうだ」

「なるほど、やはり」

「エルレーン、貴様の見立てをわしに教える気はあるか?」

 

 押し黙るエルレーン。

 オレは「話してくれるか」と言うと「陛下の不利なことを言いかねません」と返した。

 

「構わない、話してくれ」

「……では、実証などもない仮定でしかありませんが」

「伺おう、カダインの駿才よ」

「灰のオーブを壊せるものはそう多くありません、

 考えられるのはオーブそのものに付与された魔法的な保護を解除できるもの

 これは魔力の波長さえ理解していれば僕でも可能です

 ですが、その魔力の波長自体を狂わせる、もしくは喪失させるものが仕込まれています、あの灰そのものです

 逆に、灰そのものに影響を当たられるとしたなら、プロテクト自体の機能をも失わせられる事になります

 魔力の波長合わせもなくオーブを素手で砕いたことからも、

 あの灰の主こそがレウス陛下であると、僕は考えます」

 

 ガーネフは頷く。

 

「わしもそれと同じことを考えていた、思考的アプローチは異なるがな」

「では、一体?」

 

 エルレーンの問いに、ガーネフは小さく笑んだように見える。

 それは目をかけていた学生の質問を受けた教授のような姿にも映る。

 

「先日にレウス殿が使っていた魔法、あれはこのアカネイアの……いや、この世界の理に存在せぬもの

 あの灰と同じく、まるで違う力だ

 そうしたものが同時に、偶然的に見つかるかと言われればそうではなかろう

 ならば、それを繋いで浮かび上がる者こそが、その主であり……その主こそがこの世界の住人ではないことを示している」

 

 そこまで喋ると一呼吸し、「いかがかな」とオレへ言葉を向けた。

 見事な推論だ。

 

「答えの前にオレからも質問がある」

「お答えしよう」

「灰のオーブの中身はそれほど特異なものか」

「特異なもの、どころではない

 あれは……革命的な物質だ、革命的すぎてわしですら道を惑うほどにのう」

「では、続けて聞きたい」

 

 うむ、とガーネフは頷く。

 その表情は政争とは無縁の、研究者同士が意見を戦わせている時にするものだ。

 次のオレの言葉は彼にしてみれば研究から外れたことに、つまりは肩透かしになるかもしれない。

 

「灰をこのまま持ち続けるか、オレについての話を聞くか

 そのどちらかだけだ

 オレの話を聞きたいならガーネフ殿が持っている全ての灰を返してもらいたい

 灰のオーブも含めて」

「……」

 

 目を細める。

 大切な研究対象、そして闇のオーブからマフーを作り出せるような稀代の魔道研究者である彼をして革命的な物質とまで言わしめるもの。

 選び難いだろう。いや、或いは選ぶ必要性のない選択肢だろうとオレは思う。

 

「承知した、灰のオーブも残った灰も全てレウス殿に返還しよう

 ただ、一つだけ願いがある」

「承知するかはさておき、伺おう」

「灰のオーブによって影響を受けているものが数名いる

 それらが灰のオーブの、いや、マフーの影響を受けて常とは異なる性格になっているのを解除できるまで研究の猶予時間をいただけないだろうか

 勿論、それはそれでただとは言わぬ、見返りは出す」

「見返り?」

「オーブをお渡しする」

「灰のオーブを?矛盾してい──」

「闇のオーブを、さ。レウス殿

 それに、マフーもお付けする……闇のオーブから作り出した真打ちのものをだ」

 

 すぐに返答ができなかった。

 闇のオーブはガーネフの生命線だ。

 それだけでなく、ガーネフにとっての最強無比の奥の手、マフーまで出すと言ってきた。

 流石に理解が追いつかず、エルレーンを見るが彼もオレと同様の状態のようで、いい案を貰えはしなかった。

 だが、それに対してある種の助け舟を出したのは、

 

「ガーネフ閣下は……悼んでおられるのですか」

「シーダ王女、わしが悼むとな

 そのようにお見えか」

「失礼な言い方かもしれません、けれど……あなたの瞳からは後悔ばかりが積まれているように見えるのです」

「……ふ、ふふ……はははは」

 

 ガーネフは小さく、しかし、確かな声で笑った。

 

「何を、どこまで見透かされてるやら、のう……」

「レウス様、闇のオーブやマフーを渡してでもガーネフ閣下は」

「それはわしの口から話させていただきたい

 老いたりと言えど紳士が夫人の心を煩わすわけにはいかぬものであろう」

「……失礼しました」

 

 一息吸い、ガーネフが言う。

 

「老人の話は少しばかり長いもの、お付き合いいただけようか」

 

 オレが知るガーネフとは違う、

 或いは闇を側に置いていないからこその彼がゆっくりと語り始めた。



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人道と魔道

 わしはガトーの徒弟であった。

 彼はわしの才覚を認め、魔道を教えた。

 自分で言うのも、とは思うが、覚えのいい生徒であった。

 魔道がアカネイア大陸の光となると考え、理想に燃えていた、毎日毎夜と勉学に励み、やがてわしはガトーの求める学習基準を超えた。

 

 他にも幾人かの徒弟はいたが、ガトーの覚えがよかったのはわしと、もう一人。

 後にアカネイアの司祭長の椅子を得た男、ミロアだった。

 

 魔道の学習をする中でわしとミロアは共に切磋琢磨した。

 その内に与えられる範囲だけでなく、その応用研究も始めた。

 

 ガトーの求める答えは──彼がどう考えていたかまではわからないが──人の身では叶わないほど長い時間がなければ達成できないものばかりだった。

 受け取った学識を応用し、結果を出すことで何とか基準を満たしていった。

 

 ガトーは自らの後継者となるべき人間を探していた。

 神秘を晒さず、魔道は特権階級だけが持ち、ガトー曰くするところの真の支配者たるナーガの、

 その心を煩わせぬための管理機構としての魔道士。

 その育成こそがガトーの目的であったのだろうと今のわしは考えている。

 当時か?そんな事、忙しさにかまけて想像すらせなんだ。

 

 わしは元より、魔道学は広く扱われるものであると願う立場にあった。

 魔道を()く扱えれば、その生が報われぬことが決まっている者や、そうした土地に根ざしたものにも救済や光明を与えられると考えていたからだ。

 

 だが、ガトーはあくまで魔道の全ては特権的であるべきだと考えていた。

 アカネイアの貴族社会に生きたミロアも、それに同意する立場だった。

 

 ガトーは自らの後継者、その証としてオーラの魔道書をミロアへと授けた。

 やむを得まい、わしはそう思っていた。

 

 後継者になれなくばそれで全てが終わるわけ、そういうわけでもない。

 研究は続けられるだろうし、いつかわしの理想を分かち合えるものが現れるとも思っていた。

 

 ────────────────────────

 

「ば、馬鹿な……研究費用は一切出さぬ、そう言うのかミロアよ」

「全てはカダインの決定だ」

「待ってくれ、ミロア

 もう少しだけ、半年……いや、二ヶ月で成果を出して見せる

 それができたならレストの杖をより安価で、より多く作り出す技術を確立でき──」

「それを許さんと言っているのだ」

「な……なぜだ」

 

 ガーネフは狼狽と困惑を隠すこともできない様子だ。

 

「レストの力が広まればどうなる」

「病に倒れ死ぬものが減る、例えそれが辺境であっても命を繋ぐものが増える

 報われぬものたちの光明になるであろう!」

「そうだな」

「ではなぜだ、なぜ……!」

「それは我ら魔道士や司祭の権能であるべきで、神の奇跡として存在するものであるべきだからだ

 レストが普遍のものとなれば、やがて人々はそれが当然のものと考えるだろう

 奇跡として神を称えることを人は忘れてしまう」

「何を……言っている?」

「カダインは、ガトー様は、そして私もまた奇跡を普遍化させる気はないのだよ

 奇跡は限定されるから奇跡でいられるのだ、ガーネフ」

 

「それにな」とミロアは続ける。

 

「神の威光なくしてこのアカネイアは成り立たぬ。

 私はアカネイアに戻り、司祭長を目指す

 ガトー様も去られた今、この学院はごく一部の学生を魔道士にする程度の機能に落ち着くことになるだろう

 どちらにせよ、もう研究費用など用意できんのだ」

「い、いや、そんなはずはない……留学に当たって各国や貴族、門閥が拠出した資産の総額はアカネイアの軍事費を上回るほどになっているのを知っているぞ

 それだけの巨額がそう簡単に尽きるはずが」

 

 ガーネフの表情は信じたくないことに気がついたような、そんな表情に変わった。

 

「ま、まさかミロア……お主、司祭長の椅子を」

「ガーネフ、我ら魔道士の役割は既存の特権階級を維持し、

 偉大なる神であるナーガ様の名を永遠に残すことだ

 いつか大いなる闇が訪れたときに、再びナーガ様のご寵愛を受けられるようにな」

 

 ミロアはガーネフから離れていく。

 ガーネフは待て、と手を伸ばすも、声は出せなかった。

 全てに裏切られたような気がした。

 師に、学友に、故国に、歴史に。或いは自らの全てを否定された気すらした。

 全ての意気は刺されたかのように消沈し、故に声は出せなかった。

 

 その後、カダインからミロアの姿は消え、一年としない間にアカネイアには新たな司祭長が立つことになった。

 

 優れた学識に加え、神竜ナーガの象徴たる『光』に由来するオーラを持つミロアは徹底した貴族社会であるアカネイアにおいてすら、特権階級を得ることとなった。

 

 ────────────────────────

 

 研究費用なくては先へは進めない。

 やがて一人、また一人と学院を去っていった。

 カダインの火を消さぬために学生への授業をするために教師陣もまた爪に火をともすような生活を強いられていた。

 元よりカダインは魔道以外には金に換えられるようなものはない。

 

 わしの弟子の一人が病に倒れたとき、それを治癒するためのレストの杖は一振りとて残っていなかった。

 苦しみの中、弟子は死に、そこでわしの魔道学者としての意志も折れてしまった。

 

 行き場のない怒りがわしを無軌道な道へと走らせた。

 知識を持ち、ガトーすら認めた才覚で行ったことは封じられていたオーブの簒奪だった。

 オーブから力を得られれば、何か新た道を得られるかもしれないと短絡的に考えてしまった。

 

 だが、手にした闇のオーブが与えたのは無軌道な道を加速させることと、その後に残る後悔だけだった。

 

 闇のオーブの囁きに従い、メディウスたちの眠りを晴らし、彼らの始めた戦争に協力し、

 ミロアや多くのものを手にかけた。

 

 その中で『灰』を手に入れたわしは、それによって闇のオーブの量産ができる可能性に気が付いた。

 久しぶりに行った研究ではあったが目論見通りにいった。

 闇のオーブに近い力を発揮し、そうして……わしは多くの魔道士や魔道学者の未来を、自我を奪うことで閉ざしてしまった。

 

 灰の研究が進むにつれてわかった力が一つある。

 それは消去であった。

 

 魔法によって発生した持続する影響を打ち消す、ある意味でレストの上位互換であったもの。

 闇のオーブの呪縛を晴らしたとき、『闇』は自らの増殖を望んでいることを理解した。

 

 その分身として灰のオーブはうってつけであった。

 

 消去するという法則は自らにも半ば作用しており、あらゆる魔力の受け皿となった。

 闇のオーブの影響をある手段で与えたなら、灰のオーブは他の性質を消去し、闇のオーブの性質だけを残す。

 研究は進み、やがて灰によって闇のオーブの『増殖欲求』のようなものを中和することができた。

 

 だが、研究(やるべき事)はまだ残っている。

 闇のオーブが『増殖したもの』となった灰のオーブから持ち主を救う研究は完全ではない。

 わしには灰と、力と、時間……何より奇跡が必要だった。



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三本指

「長話に突き合わせてしまったな」

「アンタが悼んでいるのは」

「あり得たかも知れぬ、辺境にあったかもしれぬ未来たちを」

 

 ガーネフは酷く疲れたような声で続けた。

 

「わしがメディウスを呼び覚まして戦争は起こった。

 ドルーアが引き起こした戦争によって多くのものが死んでいく中で何を言っているのかと思われような」

 

 闇のオーブは人の悪感情を増幅し、精神を犯し破壊するものだという。

 だが、もしかしたなら闇のオーブはそれらの悪感情によって自らを崩壊させまいとする機能があるのではなかろうかとも思う。

 今のガーネフは罪に押しつぶされそうな、哀れな老紳士でしかない。

 闇のオーブこそが彼を支え続けたのだろうか、と。

 

 シーダが悼んでいると見抜いたものは

 オレが考えるものよりも遥かに大きかったのだけは確かだ。

 

「いや、暗くなってしまったか。

 申し訳ないのう、老人の話はだから嫌われる

 ……さて、レウス殿のお話を聞かせていただけるかな

 まずは、わしの条件を飲むかどうか、ではあるが」

 

「オレの話か」

「外しましょうか」

 

 エルレーンが言う

 オレは「リーザに聞いておいてもらいたい、彼女も連れてきてくれ」とエルレーンにリーザを連れてきてもらった。

 彼女にはオレの過去をガーネフのことや今からオレの過去の事を話すことを説明する。

 エルレーンは退室するべきかと聞いてきたが、今後も知恵を借りることを考えて、同席を頼んだ。

 

「オレはこの世界の人間ではない」

 

 ガーネフを含めて、そうだろうな、そうでしょうね、と口々に反応する。

 まあ……驚いてほしかったわけじゃないけどさ。

 

「そのような世界や渡るという現象があるのはガトーを知っていればわかること

 お主のその力の説明はもらえるのかな」

「オレが元居た世界は狭間の地と呼ばれる場所だった

 どんな場所かってのは……説明が難しい」

 

 何せ話半分未満で突き進んだ世界のことだ。

 

「その世界には半神(デミゴッド)と呼ばれてる半神半人の存在たちが世界の覇権を目論んでいた

 オレはその世界獲得レースに偶然巻き込まれたんだ

 戦いの日々、オレは一柱、また一柱とデミゴッドを倒していき、やがてその世界を支配する王と呼ばれるものをも倒し、世界を支配できる権利を得た」

「そこでアカネイアへと転移してきたの?」

 

 リーザの言葉にオレはいいや、と答えた。

 

「この世界に飛ばされたというより、オレが飛ばされることを選んだ、が正しい

 勿論飛ばされる世界がどこかまではわかってなかったが、

 狭間の地ではない場所であればそれでいいと思っていた」

 

 説明が難しいのはルーンのことだ。

 この辺りはそれらしいウソで進むしかない。

 

「狭間の地で王になったものには力が与えられる

 本来であれば狭間の地を望む形に支配するためのものだが、

 オレはそれをこっちの世界に持ち込んでしまった

 それをオレはエムブレムと呼び、或いはその機能の一部を以て『死のルーン』と呼ぶこともある

 死のルーンの力はあらゆるものを灰に換えていくもの」

「世界を支配するほどの力によって、しかし方向性を定めぬものであるが故に、

 莫大な可能性を持っていた、ということか」

 

 ガーネフがひとりごちるように納得している。

 ウソではあるが、結果としてアウトプットされるものが同じであれば後々の問題は多くはない、

 ……と願っている。

 

「狭間の地で手に入れたものを全て持ち込めているわけではない

 それと、オレが使う魔道……狭間の地では魔術、祈祷と呼ばれている力だったんだが、

 この世界における魔道書と同じで、触媒をもとに力を発揮する」

 

 大雑把な説明をすることにした。

 オレが話したのは以下のことだ。

 

 オレが持つ戦闘に関わる力は『戦灰』と呼ばれるものを武器に封じることで任意に発動できる。

 流麗で複雑なものでも、封じれたら熟達したかのように扱える。

 

 魔法は武器ではなく自分自身に封じたものを触媒を通じて発動する。

 

 霊呼びの鈴と霊馬の指笛に関しては今は省略した。

 

「レウス様はあの剣を呼び出すもの以外にも魔法を扱えるのですか?」

「あー……そうだな、使えなくはない

 ただ、その力の本質は死のルーンと同じもの、使用したとき、どんな影響がアカネイアにもたらされるかがわからない以上は迂闊に使用できない」

 

 狭間の地においての使い方とは違う力……つまり獣性に触れることで使用可能になる祈祷もあるが、

 それも一旦は置いておこう。

 

「つまるところ、オレの力は灰を通じて発揮されるってわけだ

 灰のオーブにマフーが宿るのではなく、マフーを灰のオーブに宿らせているってのがわかりやすい証左じゃないかと思う」

 

 ふむ、と考えるような素振りをする。

 

「レウス殿の能力については理解した

 では別の話を伺いたい」

「ああ、どうぞ」

「お主は魔道についてどう思う、いや、魔道をどのように扱うつもりか」

「そりゃ個人として聞かれているわけではない、ってことだよな」

「無論」

「戦乱の現在においてはアリティア聖王国の主力兵科として備えたいと思っている

 騎馬においてはグルニアに負け、装甲兵と弓兵においてはアカネイアに負け、

 騎馬と弓の扱いでオレルアンに劣り、飛兵においてはマケドニアに勝てる要素がない

 だが、魔道を兵科として整えることができれば連中が持ち得ない戦術で戦えるようになる」

「魔道を明確な兵器の一つとして扱う、と?」

「ああ、そうだ

 今までは兵科としてではなく、助っ人程度の扱いだったものを、だ。

 その過程で魔道は貴族や一部の才能に優れた者に限定されたものではなく、多少でも素養があれば使える技術にしていく

 目が良いものが弓兵の素質がある、体幹に優れたものが騎兵の素養がある、魔道士、いや、魔道兵をそうした所に落とし込む」

「既に発達した技術を、例えば騎兵などを傭兵などで補填するのでは駄目なのかね」

「ああ、駄目だ」

「何故だね」

「これは戦乱を乗り越え、オレがアカネイアの支配者になってから必要になる事だからだ」

 

 続きを求めるようにガーネフは小さく頷く。

 

「戦乱の中でできるだけ多くの魔道兵を育て、オレの治世下でそれらを魔道士として扱い、新たな生活基盤を作る

 火や風や、氷や雷を操り、そして杖の力があればアカネイアはより安定的に発展することができるはずだ

 オレがパッと考えた事なんか鼻で笑われるくらいに便利な使い方を考える奴が兵士から生まれる

 それも一人や二人じゃない

 何十、何百……もしかしたらそれ以上の改革者が必ず現れる

 それを成し遂げるために、魔道士を兵科としなければならない」

「既存の権力機構、貴族や高い地位にある魔道士は反発すると思うが」

「その為の戦乱だろ」

「それは」

 

 ガーネフはどういう意味だ、と言いたげに

 

「アカネイア全土を巻き込んだ戦いで、オレは邪魔になる連中は片っ端から始末する

 王道なんざ歩く気もない

 オレが目指すのは覇道のみ」

「反発を受けぬほどに、それを持つものを倒すというのか」

「ああ、そうだ」

「血に塗れ、狂わぬと言えるのか」

「狂わぬ、じゃない

 オレはもう狂い飽いてんだよ、狭間の地でな」

 

 指を二つ畳み、三本だけ立たせたそれを見ながらオレは続ける。

 

「あっちの世界の法則はこっちと違う。死んだ所でまた蘇るのさ、オレの意思とは関係なくな

 狂って死んで、でもあっちじゃあ死は復活の前段階に過ぎないからまた死んで、死んで、死んで……

 狂気が底を尽きて、オレは正気に戻って、また狂って……

 そのオレがアカネイアの戦乱如きで狂う訳がないんだよ、ガーネフ殿」

「は、ははは……死の向こう側を見て、ぐるりと大陸を回る旅のように狂気から正気へと戻ったと語り……まるで絵物語の魔王のような口振りよな」

「覇王で魔王でも構わない、オレが目指すのは王であることだけだ」

 

 ガーネフは苦笑を浮かべる。

 オレの言葉を嘘と思わぬからこそ、そういう表情になるのだろう。アレは一種の憐れみだ。

 

「レウス殿の考えは開派と呼ばれるものだ、魔道の技術や知識を広く開示し、より高次元の魔道を目指すもの

 ガトーやミロア、そして多くの者の思想である閉派とは逆のもの」

「だが、ガーネフ殿は開派なのだろ」

「……ああ、そうであるよ

 わしは魔道を知った日から、人のために、いつか報われぬものたちに届くものになって貰いたいと、願っていた……」

「そいつを、その願いを過去形にしていいのか、譲れなかったから『そうなった』のではないのか、ガーネフ殿」

 

(求めていた奇跡が此処にいる、確かに此処に……)

 

「レウス殿、聞きたいことは終わりだ

 ──……次の交渉に入りたいのだが、よろしいかな」



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魔王への道のり

「交渉?」

「アリティア聖王国に魔道学院を作ってもらいたい

 必要なノウハウなどは全てこちらから提供する」

「条件は」

「カダインを受け取ることが条件となる」

「……ん?」

「学長、条件になっていないように感じますが……」

 

 オレとエルレーンが疑問符をそのままに質問にする。

 

「レウスの下で魔道を究め、広めたい、そう言っているんだと思うが……

 違うのか」

 

 事も無げにナギが言う。

 平文的に受け取ればそうだろうけども……。

 

「レウス殿が覇王になるのであれば、

 魔道発展の最大の近道こそが聖王国にとって最大の学術団体になる、と考えるが間違っておるかね」

「いや、そりゃあまあ、そうだが

 カダインを手放すって言っているに等しいことだと受け取っているが、それは間違いないか?」

「手放すのではない、迎え入れてもらいたいのだ

 ああ、運営にわしを絡める必要もない

 ただ、研究だけは続けさせてもらいたい」

 

 こりゃ本気か。

 本気なんだな。

 

「それに以後の魔道の発展にも、灰のオーブの研究の残りをするにしてもお主がいてくれることは何よりの近道になる」

「だが、国を手放すって……そうあっさりとできるものか?」

「できるのさ、今のカダインは国とは名乗っているが、信心深いものはガトーが消えてからはそれを求めて旅立った

 文化的な生活を求めたものはミロアが去るときに共に出ていった

 街に残っているのは細々と生活する開派の市民がごく一部だ」

 

 リーザでも、手放すでなく主となった。

 オレをその国の信仰対象という形ではあるが、頂点に置いていると考えれば近いことなのだろうか。

 

「汲んであげてほしい、レウス」

 

 ナギが言う。

 

「ガーネフは私と同じなのだと思う」

「同じ?」

「レウスに夢を見た、己が見たいという風景を見せてくれる人間だと確信を持ってしまった」

 

 そう言われると、納得はできる、が。

 ガーネフを見やる。

 

「老骨に咲かせる徒花、その手伝いをしてほしいのだ」

「研究者だけじゃ居させないぞ、ガーネフという人間が持つ力、知恵、経験はオレに取って重大で重要になる」

「ああ、カダインが認めた我が能力、いかようとも使われるがよい」

「……わかった

 その代わり、実現させてみせるさ

 アカネイアの地に、魔道を(あまね)く普及した未来って奴を」

「頼もしいことよ

 魔道のしもべを従わせし王となられよ、それが魔王と称され恐れられたとしても……

 このガーネフ、

 お主が魔王を目指す限り、魔王で居続ける限り、いかな冥府魔道にも付き従おう」

 

 こうして、ガーネフが支配したカダインはアリティア聖王国の支配下に置かれることとなった。

 

 ────────────────────────

 

 大変なのはここからだ。

 カダインの運営を補佐するものたちを呼び、あれこれと折衝を重ねる。

 とはいえ、カダインはその勢力をかなり小さくしており、運営自体は開派のみで取り仕切られている。

 

 急な話であるから焦ると思っていたが、ガーネフがオレに対するプレゼンを行うとあっさりと受け入れた。

 その上でエルレーンにやっかみの声も上がった。

 ただ、それは出世がどうのではない。

 

「聖王陛下が使った能力についての報告書は纏めてあるんだろうな」

「間近で魔力を感じたのだろう、どのような波長だった」

「我々の知る魔道とは違う魔法を使うとはどういうことだ」

 

 と、質問攻めの中身は研究者としてのものだった。

 エルレーンはほとほと困った顔をしながらも対応する。

 だが、その顔は心から嫌だと言うものではなく、一人の魔道士として対話できている喜びに溢れていた。

 

 結果として、カダインの魔道学院はまるまるアリティア聖王国に引っ越しとなる。

 輸送コストに関しては全てアリティア聖王国持ちとなる。

 莫大なコストではあるが、運び込まれる中に存在する魔道書、杖は全て聖王国の所持物となる。

 特に研究用に作られた魔道書で、実用実験まで完了しているものだけでも優に六部隊ほどの量があり、

 杖にしても同様の、それもライブやリライブでは収まらない品も大量に作り出されていた。

 

「聖王陛下!これを見てください!」

 

 研究者が自信満々に杖を見せる。

 

「なんだこれ」

「これを使うと……ハッ!」

 

 杖が輝く。

 が、なにか起こった様子がない。

 

「……?」

 

 オレが疑問符を浮かべていると、

「わかりませんか」とドヤ顔でこちらを見てくる。

 

「す、すまん

 わからん」

「一時的にですが運が良くなった気がする杖です!どうです!」

「……わ、わからん」

 

 幸運が上がる杖、ってことだろうか?

 

「なんかもっとわかりやすい効果のものはないのか、力が強くなるとか」

「ああ、ありますよ」

 

 そう言うと実につまらなさそうな表情で試作品の杖が収まる樽から一つを引き抜いてこっちに振るう。

 筋肉がムキムキになる!とかはないが、確かに腕から手に掛けての筋肉がいつもよりも靭やかに感じる。

 おそらく微小な効果なのだろうが、強力な兵団同士のぶつかり合いでなければ微小な効果は馬鹿にならない差にもなる。

 戦争においてはかなり強力な効果だろうが……研究者は不満そうだった。

 

「素晴らしいじゃないか!」

「まあ、そうですね……でもそんな目に見えた効果を実証するのはつまらないんですよ

 何度やったって数値ぶれたりしないので研究としては完了扱いですから」

 

 カダインの研究者はこともなげに言う。

 こいつら戦場を一変させるようなものを、そんな風に……。

 

「もしかしてその樽一杯の杖が実証が済んでるものか?」

「まさか」

「ああ、だよな」

「これは今年の分です、我々の成果物はこれの十倍……もう少しあったかな、という程度です

 ガーネフ学長はその二倍は作っておられますよ」

「な、なんでそれらを戦闘に使わないんだ?」

「誰が使えるってんです」

 

 そうか……そもそも研究の過程のそれらは作って終わりである以上、ドクトリン(戦闘教義)に組み込むってプロセスがないのか。

 ガーネフにしてもそうだ。

 聞いていれば、闇のオーブを手に入れる以前からずっと学生、そして研究者へとステップアップした男で、戦場に出るようなことはなかった。

 

「……おい」

「はい、なんです?」

「絶対に、何も置いていくなよ!お前らの研究はオレの宝だからな!!」

「は……は、はい!」

 

 この後日から、研究者がオレを見る目がなんだか「次の出資者」程度の目だったものから「信仰対象」めいたものに変わっていったのだが、その理由は研究者でもないオレには永らくわからないものだった。



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その細い指に

 目を覚ます。

 側にはシーダが小さな寝息を立てている。

 褥を共にするのはリーザかシーダであり、それぞれが持ち回りにしているらしい。

 オレが口を挟めることではないので詳しいことは知らないが、仲良くやっているならオレはそれで構わない。

 平和な家庭が一番、そうだろう。

 

 ふと、窓を見ると置いた覚えのない小箱がある。

 なんだろうかと開けてみると手紙とリーザの指に嵌めたものと同じ指環。

 手紙にはきっちりとした文字でこう書かれていた。

 

「お嫁さんに指環の一つも渡さないのは甲斐性なしと呼ばれて当然の行い

 我が王、狭間の地の王とは思えない愚かな日々を過ごしたと巫女として叱責する

 今日はお嫁さんを甘やかし、夜には指環を捧げねば向こう一週間の味覚をシャブリリ味にする」

 

 過保護な母親めいている手紙の主はメリナだ。

 オレの手ではなくあいつの意思でも道具を外に吐き出せるのか……。

 

 ただ、メリナの言うことに一切の反論がない。

 それにシャブリリ味ってなんだ。何かわからないが怖すぎる。

 彼女がオレの体やら神経やらをいじれるわけではないのでちょっとしたジョークではあるのだろうが、

 メリナにはそれをしかねない凄みがある。

 アイツは短刀一つで半神半人(モーゴット)に突っ込んでいく女傑なのだから凄みの一つや二つくらいは出るものか。

 

 その日はシーダと共に過ごし、夜に彼女の細い指に指環を嵌めると涙を流す。

 焦ったものの、嬉しくて泣いてしまったのだ、と言ってくれたので安心していいのだろう。

 

「本当であれば結婚式で渡すべきものだったのだが」

「そうなのですか?」

「文化の違いか」

 

 タリスでは指環の交換ではなく、誓いの言葉と口吻、それに王家の人間を示すための王冠などの装身具をお互いに身につけさせ合うものだった。

 そう考えるとアリティアでのオレの行動は謎の行動に見えたのだろうか。

 

 後日聞いた話だが、アリティアの市井ではプロポーズの際に指環を渡し、嵌めてもらえるかどうかでその意思を確かめるものが流行っているらしい。

 ノルン曰くに、聖王陛下が流行らせたことですよ、だと。

 

 オレの行動が奇異に映っていなかったのなら一安心。

 

 ────────────────────────

 

 カダインからアリティアへの大移動の計画は予想よりも難航しなかった。

 

 この移動そのものもオレにとって試したいことが含まれていたのだ。

 それがうまい具合に作用した。

 試作品で大量に生み出されていた通称『ライブ未満の杖』、或いは『駄菓子の杖』などとあだ名されるものを駄獣に定期的に掛け続けることで長距離移動を可能にしたのだ。

 

「陛下が考えることは面白うございますな」

 

 ガーネフは本格的な学院の引っ越しの前日にオレと主従の契りを結んだ。

 聖王国及び聖王の相談役という立ち位置となっている。

 その流れで、というわけではないがエルレーンにも正式に聖王直属の参謀という立場を与えた。

 勿論、無理矢理にではなく、相談の結果だ。

 ただの魔道士に恐れ多いと最初こそ断ったが、シーダ救出までに提案した策や、要所要所でのオレの相談対応などは以後も無くてはならぬものだと伝えると、引き受けると言ってくれた。

 

「まずはこれで一つ、軍部に対してカダインの有用性を示せるようになった

 どうすりゃいいかって思ってたんだよな、

 他の国を出し抜けるようなロジスティクス(兵站)の構築をさ」

「こちらも実地でのデータが大量に集まるのは一研究者としてありがたい」

 

 ガーネフとオレは現場を見回りながら、そのような話をぽつぽつとしていた。

 

 巨大な蛇のように動く列を見回っているのはシーダとペガサスライダーたち。

 

 羽ある白馬に混じって、黒いものが空を舞っている。

 それもまた試験運用のもの。

 かつてシーダが乗っていたペガサスとは異なる。

 リーザの駆る馬と同じ、黒馬のペガサスであった。

 

 ダークペガサスと名付けられており、有翼黒馬は有翼白馬とは異なる点がある。

 それは魔法に対する恐怖心の無さであった。

 魔法が引き起こす音や肉体的な刺激をむしろ心地よいものと捉えるらしいもの。

 

 これらは自然発生するものではなく、通常のペガサスを『慣らしていく』ことで体質の変化を促した結果に転じるものである。

 草案状態であったカダインのレポートを参考にし、ようやくにして生み出すことができた。

 ただ、シーダの一騎のみしか実用段階にまで至っておらず、

 兵科として運用するほどに数を揃えるのはまだまだ先になりそうであった。

 

 長い列で倒れたものがいれば救援に飛び、ポイントごとに用意された休憩所でライブやレストによって治癒される。

 それらもまた実際にはライブやレストそのものではないのだが、ここで必要な程度の効力は発揮できる。

 

 大移動はまだまだ時間が掛かりそうだが、無事に達成できそうでもある。



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新旧それぞれ

 カダインからの引っ越しで忙しいのはむしろ聖王国側だった。

 何せ巨大な学院の中身が、人も物も片っ端から参上するなどと言うのだ。

 

 とにかくそれに胃を痛めているのはエルレーンであった。

 ただの魔道士である彼は聖王から直々に受勲の儀式を受けた。

 聖王国内では賢者などと呼ばれているが、彼はそれに対しては未だに過分な称号だと思っていた。

 

 しかし、対外的評価で言えば、彼の才腕と実現能力は間違いなく賢者のそれであった。

 

「カダインを受け入れるのは、僕としてもありがたいです、とってもありがたいです

 でも、レウス様!どこにカダインの学院を用意するのです!」

「まー、建設は間に合わんよな」

「当然です!」

「んー」

 

 そう悩むような声を上げながら執務中のリーザの所へと足を向ける。

 

「リーザ、東の出城あるだろ」

「ええ、それがどうしたの?」

「あれ欲しいんだけど」

「レウスが欲しいっていうものを私があげないわけないでしょー?」

 

 少しばかりイチャイチャとしてから、メイドにやんわりと叱られた二人。

 レウスは扉の外で待っていたエルレーンに対して、

 

「じゃああの城な、今日からカダイン魔道学院ってことにしよう

 広さは元よりも全然広いだろ?

 んじゃあ、そういうわけでよろしくな」

 

 破茶滅茶なオーダーをされたエルレーンの激闘の幕開けである。

 カダインが動きを見せる前に騎士団を含む各所に軋轢を生まないように折衝する。

 元々、あそこは殆ど使われてはいない施設ではあったが、

 年に一度、騎馬隊の志願者を訓練する場に使われたり、飛兵たちの発着練習の現場にされたりしているらしい。

 それらに関しての新しい施設を作る計画書や、認可、必要な資金の試算と捻出の手伝い。

 今の出城のままでは学院として機能しにくいところも多い。

 改修工事の立案やら、またも費用との戦いやら……エルレーンの不断の努力は続き……、

 

 そうして、カダイン魔道学院はアリティアに誕生した。

 

 カダインの名を未だに冠しているのは学院側の要求ではなく、レウスの求めであった。

 曰く、「カダインって響きが魔道感がある」だそうだ。

 まったく理屈のない発言であるが、

 カダイン側からは「故郷の名を残してくれた」という恩義をレウスへと向けている。

 エルレーンはレウスの、そういう意味での適当さと良く取ってもらえる幸運を目の前で何度も見て、体験している以上は何も言わなかった。

 

 それでも、日々到着するカダインの人間たちの新たな門出に喜ぶ姿は、

 賢者としてはじめて行った大事業の成功を他に表現のしようがないほどに示していた。

 エルレーンはそれを見て、自然に笑みが溢れていることに気がつく。

 

 魔道士としての道を断ったわけではないが、賢者として王を支える道の充実感を今更忘れることはできないだろうな、と少年は深く感じていた。

 

 ────────────────────────

 

 カダイン魔道学院、いや、旧魔道学院は静かなものであった。

 全てのものが持ち出されている。

 一つを除いて。

 

 ガーネフは「陛下、こちらへ」と案内した部屋。

 見るからに堅牢な扉の前で老魔道士は小さく詠唱を唱える。

 アンロックとはまた違う魔法だろうか、解錠を知らせるように小さく軋む音がした。

 魔法的な解錠を行った後に、懐から鍵を取り出し、差し込む。

 物理と魔法の二段階の施錠がこの部屋の重要さを否応なく表現していた。

 

 部屋に入って目を引いたのは、奥まったところに水槽にも似た何か。

 中には更に容器に入れられている紫、或いは黒とも取れる色合いの宝玉が安置されている。

 

「あちらが闇のオーブとなるのだが……」

「自分で取るよ、大丈夫だ……けど一応レストの準備だけは」

「仰せつかった」

 

 闇のオーブの隣には同じように容器に入れられている『灰』があった。

 オレはそれらを取り出す前にガーネフへと質問をするべきだと考えていた。

 

「ヨーデルの様子は?」

 

 研究は進んでいるのだろうか、と。

 カダインを引き払う前には最低限の処置はできたと言ってはいたが……。

 

「あとは薬と杖があれば復調するかと」

「それは安心できる一言だ

……最後に聞くけどさ、ガーネフ」

「なんなりと」

「いいんだな、闇のオーブを回収して」

「わしには過ぎたる宝玉であることは、この身を以て理解できておりますのでな」

 

 オレは頷くと、『灰』と、そして闇のオーブを回収する。

 灰に関してはオレが触れた瞬間にさらさらと霧に変わり、消えてしまう。

 

 闇のオーブは……何も感じない。

 悪感情が強化されるような気分にもならないが、莫大な力を得られている実感もない。

 あれ、と思いガーネフを見る

 ガーネフもまた「どういうことか」と近づこうとすると闇のオーブからにわかに黒紫の揺らめく陽炎のようなものが立ち上がり始めた。

 オレは焦って懐へとしまい込んだ。

 褪せ人としての恩恵であろう、限定的な次元倉庫めいた能力によって、闇のオーブは隔離されていることになる。

 

「誰であっても反応していたオーブが……いや、心清らかなる乙女であれば反応せぬと言うが……」

 

 ガーネフはオレを見てから

 

「……」

 

 いやいや、というような表情をしてから思考に入る。

 

「おいおい!なんか失礼だろ!」

「では陛下は心清らかなる乙女を持つお方なのですかな、それこそシーダ殿のような」

「……まあ、そうだな

闇のオーブも人を選ぶんだろうよ、きっと」

 

 どうやら闇のオーブには嫌われてしまったようだ。

 そういうことにした。

 

「マフーはその魔道器械の下に納められております」

 

 その言葉の通りに安置されているマフーの魔道書がある。

 それを掴むと、先程ガーネフが闇のオーブに近づいたときのように、ぬらりとした陽炎めいたものが立ち上がる。

 オーブは反応せず、マフーは反応したことに少し驚くも精神に変調などは今の所感じない。

 

「陛下、お離しください

 危険やもしれませ──」

「いや、大丈夫だ

 ……声が聞こえる」

「魂を縛る魔道書である以上は、何かしらの作用が発生しておるのか、判然とはしませんが」

 

 ガーネフは一応、とオレにレストの杖に眠る力を解放している。

 それには感謝を伝え、感じていることを伝えた。

 

「うーん……どうだろうな

 まだ自分は役に立てる、消さないでくれ、そんな声なんだが」

「そのような事、わしの研究の中では見当たらなかったが……ふむ……」

「オレの預かりにする話はそのままでいいか?」

「ええ、それは無論

 わしには制御しきれぬもの……例え実験や研究の対象にしても再び魅入られるのが関の山」

 

 自嘲というよりは再自認といった様子だ。

 オレはマフーを懐にしまい込む。

 どちらにせよ、今この場でできることもない。

 

「暫くは旧魔道学院も利用したいが、構わないかな」

「既にここは陛下のものじゃて、如何ようにも

 興味本位で伺っても?」

「構わない」

「用途は実験かなにかですかな」

「いや、箱罠に使いたい」



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砂塵の鎖

「見えてきた」

 

 ナギが目を凝らすようにして報告した。

 

 オレに同行しているのはナギとシーダ。

 三人だけなのには理由がある。

 

 カダイン領北部にオレたちは来ていた。

 

「レウスが言っていた試したいこと……」

「ああ」

 

 オレは数日前からナギに打診をしていた。

 それは彼女を兵器のようにして使うという話の具体化だった。

 彼女は戦いに出ることに否定もなく、そしてためらいもないと言っていた。

 その心に偽りや、そうせねばならないという強迫観念に捕らわれている様子もなかった。

 

 ならば、次に確認するべきは「彼女は戦えるのかどうか」である。

 神竜族の力は発揮できるのであれば間違いなく強力だが、戦う姿は見ていない。

 或いは、彼女の特異な出現によってその力が使えない可能性もないわけではない。

 

 万難を廃するためにも、戦いは必要不可欠だった。

 

「ナギ、これを」

 

 彼女に幾つかの石を渡す。

 竜石と呼ばれるものだ。

 竜族たちがその力を移した宝玉と言われているが、それ以上の事は知らない。

 原作では元々持っていたものでなくとも発動でき、神竜族であっても他の竜族の姿に化身できていた。

 他の竜族の力を行使できる理由はわからない。

 

「綺麗だ」

「竜石ってのは」

「その知識なら有している」

 

 ナギは「どれから試せば良いか」と聞いて来る。

 目の前に迫るのは『砂の部族』と呼ばれるここより更に北部に行った場所を根城にするものたちだ。

 先陣として現れているのは弓兵たち。

 シーダの姿を見て、まずは目に見える有効打を与えに来たのだろう。

 

「赤い竜石から使ってくれ」

「わかった」

 

 ゆっくりと踏み出したナギを見送る前にシーダが、

 

「レウス様、私は」

 

 と役割を求めてくる。

 

「とりあえずは弓兵を何とかするまでは待機していてくれ、こんなところで危ない真似をさせたくない」

「承知しました」

 

 流石に目に見えている弓兵を相手にする危険に加えて、彼女の慣れない砂漠ということもあって素直に引き下がってくれた。

 

 彼女が竜石を起動したのか、その麗しい立ち姿は風を伴う魔力の霧に包まれ、晴れる頃には巨躯の竜へと転じていた。

 

「███████ッッ!!」

 

 およそ人では発音できないような咆哮を上げ、弓兵たちへと突撃する。

 突如現れた火竜に慄きつつも攻撃を加えるもドラゴンの鉄壁とも言える竜鱗の前に歯が立たず蹂躙されていく。

 

 最初こそ単純な質量攻撃と火の吐息を乱暴に吐き散らすだけであったが、そのうちに竜の姿に慣れてきたのか、それとも戦闘に関わる知性が発露していったのか、

 巨躯を飛ばすことこそできない翼を、飛び跳ねて滑空するように使って離れた敵を叩き潰し、

 吐息の吹き方を調整し、より遠くへと飛来させるようにしたりと見る見る内に戦闘能力が上がっていく。

 

 このままナギに任せれば倒せはするだろうが、今回やりにきたのは殲滅戦というわけでもない。

 

「シーダ、ナギと交代だ」

「はい!」

 

 一気に戦場を走る。

 弓を持った伏兵がいないかの確認をしながらであろうのはわかるが、人馬一体となった彼女の速度は例え伏兵が居た所で射抜けないほどの速度である。

 

「ナギ様、お下がりください!」

「█████」

 

 同意を意味するように咆哮を上げて、こちらへと戻るナギ。

 交代したシーダはウインドの魔道書によって的確に対地攻撃を行っていた。

 風の刃は当たらずとも砂漠の砂を巻き上げ、空を舞うシーダの姿を隠す。

 弓はなくとも手斧などを工夫して攻撃を敢行しようとするも、目隠しと制動がしっかりと聞いた回避行動もあって、シーダを捉え、攻撃を当てることができるものは現れない。

 

 シーダの戦い方は不殺だった。

 殺せないのでもなければ、致命打を出せないからでもない。

 徹底してかすり傷やあえて当てずの攻撃を繰り出している。

 目的は時間稼ぎと魔法戦闘への習熟だ。

 相手を当てるよりも当てられることを確信した状態であえて外すことは案外難しいもの。

 だが、シーダはオレが出した時間稼ぎのオーダーを的確にこなしてくれていた。

 

 一方で、下がってきたナギは化身を解く。

 竜石を使っても無敵というわけではない、特に砂の部族が誇る戦闘能力は侮りがたいものがあり、

 致命傷からは勿論、程遠いが無傷というわけでは決してなかった。

 

 オレは外套から杖を取り出した。

『ライブ未満の杖』の一つで、淡く回復する光を出すことから『ちょうちん』などと馬鹿にされている。

 ナギが受けている傷からすればちょうちんで十分である。

 が、試したいことはこれだった。

 

 オレはこの世界の武器を別に苦もなく扱える。

 戦灰があるわけではないから戦局を覆すような技を放つことができるわけでもないが、

 キルソードなんかは要所で役に立ってくれている。

 であれば杖はどうだろうか、ということに今更気が付いたわけだ。

 今まではレナがいたり、そもそも孤軍で戦う事ばかりで杖に意識を向けたことがなかった。

 

 狭間の地でも杖はあったし、それに封じられた力を振るうこともできた。

 

 ちょうちんはバカにされる理由がある程度の回復力しかないものの、

 その扱いは極めて簡単であると説明を受けている。

 これすら使えないのならばオレに杖の適正はないということだが、

 

 意識を集中し、ナギの傷を癒やしたいと願うと杖の戦端がほんのりと光り、じわりじわりと彼女の傷が消えていった。

 

「治してくれたことに感謝を──」

「おお!成功だ!ナギ!痛い所はないか!治しきれなかったところとか!」

「なにかわからないけど、おめでとう

 痛いところはもうない、ありがとう」

 

 オレが喜んでいることを喜んでくれているようにナギも微笑んでいる。

 

 今度はシーダがこちらに戻ってきた。

 

「予定通りにこちらへ引き付けています」

「おつかれ、ダークペガサスって兵種はどうだ?」

「とても戦いやすいです、元々こういう戦いをしていたんじゃないかというほどに」

 

 元々が学習能力の高い彼女であったが、実戦前に暇さえあればリーザと模擬戦を繰り返していた。

 リーザは既にダークナイトとしての能力に慣れきっていたが、

 当初のシーダは久々の飛兵と、初めての騎乗での魔法使用に苦戦していた。

 集中力の持続が難易度の壁であったらしい。

 

 ダークナイトの経験を踏まえた説明や練習をリーザから受ける内に少しずつ少しずつ前進していった。

 その結果が今日に繋がっている。

 

「私もそろそろ出るとする」

「ああ、次は」

「飛竜石、だろう」

 

 石の力を解放し、空を舞い上がるナギ。

 試したいことと、やりたいこと。

 それがどこまで結実するだろうか。

 

 ────────────────────────

 

 見えてきた。

 竜族だ。

 しかし、私とは違う。

 彼らは理性を殆ど失ってしまっていることがその動きからもわかる。

 

 はぐれ飛竜と呼ばれている彼らに私は会いに来た。

 世界を見渡す度に、世界を見て歩く度に新しい感情に気がつく。

 今もまた、初めての感情を認識している。

 

 これは憐れみだ。

 

 はぐれ飛竜たちに向けて咆哮を上げる。

 私の言葉は届くまい。

 自分のことを何もわからない私と、理性を失った飛竜にどれほどの差があるというのだろうか。

 彼らの姿を見ると余計なことを考えてしまう。

 

 はぐれ飛竜は牙を剥いて襲ってくるも、先程の砂の部族とは異なり、直情的な攻撃だ。

 火竜に較べて飛竜の体は随分と動きやすい。

 ひらりと攻撃を避け、足を使って飛竜の首を掴むとそのまま地面へと叩き落とす。

 叩きつけられた衝撃でじたばたともがく飛竜を見てから、残る三匹を睨むように見た。

 

 理性がない飛竜であっても、仲間がやられたことはわかるらしく、何も考えずに突き進んできたりはしない。

 その三匹は私を包囲するように浮遊(ホバリング)している。

 

 ████と鳴き、掛かってこいと呼びかける。

 意図が伝わったのか、それともただ焦れただけなのかはわからないが一匹のはぐれ飛竜が戦いを挑んでくる。

 牙を避け、爪を避け、ブレスを警戒するためにも風上を確保する。

 飛竜がブレスを使いたがり、風上に移動しようとしたときを見計らい、鞭のようにしならせた尻尾を顔面にぶち当てる。

 飛竜はぎぃぃと鳴き声ではなく、嗚咽のような音を立てながら砂漠の砂を巻き上げて落下した。

 残り二匹。

 飛竜の扱いはわかってきた。敵であっても、自分であっても。

 

 ────────────────────────

 

 砂の部族がこちらへと走ってくる。

 だが、その顔は闘志を持ったものではない。

 しきりに後ろを気にしながら、明日への逃走といった感じでこちらへ向かってきている。

 

「砂の部族諸君、オレはアリティア聖王国が聖王レウス

 えー、諸君らは我が領土を侵犯している

 これ以上の侵入に対して断固たる──」

「た、頼む!オレ達の負けだ!」

 

 武器を投げ捨て、手を組んで祈るような姿勢で命乞いをする。

 

「れ、レウスの旦那!頼む!殺すにしたって餌は嫌だ!!」

 

 砂が舞い上がり始める。

 部族の一人が振り向いては「ひい」と小さな悲鳴をあげる。

 

 現れたのは飛竜だった。

 威圧するように登場し、着地すると同時に人の姿へと戻った。

 

「どうしてだ、どうして、どう、どうやったんだ……!?」

 

 錯乱する砂の部族だが、落命の危機から来るものではない。

 

 ナギに付き従うかのように、五匹の飛竜が叫び声を上げて次々と着地する。

 

「どうしてはぐれ飛竜が従っているんだァ!?」

 

 砂の部族は堪らずに叫ぶ。

 彼らとはぐれ飛竜の関係性は複雑だ。

 あるときは飛竜の餌であり、

 あるときは砂漠に入り込んだよそ者を追い立てるために使う。

 圧倒的な力を持つはぐれ飛竜は部族の者たちにとっては恐怖を根幹とした信仰にも似た感覚を持っていた。

 

 その恐怖という信仰の対象は、

 飛竜たちは人の姿にこそ戻らないが、主従の関わりが明確になっているかのような振る舞いを見せていた。

 



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旧カダインの黎明

 狭間の地からこっち、やっていないことがある。

 

 アイテムクラフトだ。

 クラフトするための手引が書かれた製法書と材料があれば空気中に漂うルーンの影響か、アイテムを作り出すことができる。

 ルーンそのものが理想を実現化させるための力を持っていて、

 都合よくものを作り変えているのだろうというのがオレの理解だ。

 

 つまり、オレはこのアカネイアの地ではアイテムクラフトはできない。

 製法書はあれど、空気中にルーンを含んでいないからだ。

 

 逆に言えば、ルーンさえ含ませれば可能であるかもしれない。

 

 オレの目の前にはカダインから引き上げるときに集められた研究レポートが大量にある。

 その中で目を引いたのは竜族に関わるものだった。

 元はガトー肝いりの研究であり、ガトーが去ったあとはミロアの弟子たちがほそぼそと研究を続けていたもの。

 彼らだけでは結実に至ることはできず、メディウスからの命令もありガーネフが彼らと協力して作り上げたもの。

 

 一例として存在するのはナギに飲ませるよう渡されたあの薬だ。

 レポートでも「理性を失っていない竜族の精神状態を悪化させないもの」という記述がある。

 求めていた結果としては理性の回復だったのだろうが、それを解決する手段はどうにも見つけることはできなかったらしい。

 

 研究レポートの中で、ペーパープランでしかないものは幾つもあった。

 その中で気になったものがある。

 

『逆竜石』

 力を(うち)へ裡へと封じ込めるのが竜石であれば、逆竜石は名前の通り竜としての力を外に拡散させるものだという。

 素材となる竜石の希少性に加えて、発散するという性質上凄まじい勢いで消費されるらしく、実現されなかったらしい。

 

 これだ。

 竜族は理性を失い、恐ろしい野生生物となってしまうことを語られている。

 飛竜やら火竜やらは竜族の成れの果てだ。

 だが、彼らはそれでも徒党を組んで襲ってきたりもする。

 その理由は野生に戻ったが故の力による明瞭な原始的な上下関係が構築されているからだろう。

 

 であれば、圧倒的な力を見せ、従うべき相手だと思わせたなら……どうなるのだろうか。

 

 冒頭に戻り、アイテムクラフトを試してはいない。

 ルーンが周囲に無いからだ。

 であれば、それを用意し、素材、製法書があれば可能であるのかもしれない。

 

 ここに用意しましたるは黄金のルーン。文字通りルーンが固まったものだ。

 それに竜石やいくつかの素材、研究レポートという名の製法書。

 オレは黄金のルーンを砕き、霧散するルーンの中でつなぎ合わせるように竜石と素材に触れる。

 ルーンの霧に隠されるようにしていたそれが晴れると『逆竜石』がそこに鎮座していた。

 

 成功だ。

 これならアイテムクラフトができる。

 大いなる問題としては固形化したルーンの残りはそう多くないことだ。

 製法が不明なものも当然作ることはできない。

 制限は多いし、作り出したものが効果を発揮するかもわからない。

 わからないのならば試せばいい。

 

 ……と、言うことが試したいことに含まれていたわけだ。

 

 飛竜たちが咆哮を上げて砂漠の部族を威嚇する。

 ナギが叫ぶのを止めろと言いたげに片手で飛竜に触れると、飛竜たちは大人しく従った。

 

 成功している!……んだよな?

 これで単純にナギの持つ強さとカリスマ性に従っているだけだったら作り損というか、効果の有無がわからないが……この辺りは引き続き観察する必要があるだろう。

 

 ────────────────────────

 

 砂漠の部族はアカネイア大陸で『最も新しい王』への恭順を誓った。

 彼らにとってある意味での象徴たる飛竜を従えたものには当然の行為でもあった。

 

 彼らが戴いた王、レウスはもぬけの空になったカダインを守護するように命じる。

 つまりは砂漠のオアシスでもあるカダインに住むことを許したことに驚きながらも、

 言葉も通じないはぐれ飛竜を従わせたものたちだ。

 何を言ってきても不思議ではないと納得も早かった。

 

 部族の主にはアリティアから彼らを監督する立場の者を送ることも決め、

 細かいことは彼と取り決めよと言われるのに従った。

 

 はぐれ飛竜を従わせた王が去っていったその数日後に、アリティアから監督者が現れた。

 

 ────────────────────────

 

「どうしてこんな事に……?」

 

 私の名はヨーデル。

 カダイン魔道学院の駿才だ。

 自分で言うのもなんだが、優秀な男さ。

 

 誰より早くガーネフ学長が出した課題である灰のオーブからマフーを作り出すことにも成功し、

 それからの意識はないが、きっと私のことだ上手くやったのだろう。

 優秀なるこのヨーデルが意識を取り戻したのはつい最近だ。

 

 カダインが引っ越しし、アリティア聖王国とかいう聞いたこともない国に統合されていた。

 駿才ヨーデルはそんなことでは驚かないが。

 

 私は王からじきじきに召喚される。

 聖王レウスという人物はオレを評価していた、見る目のある男だと思う。

 やや粗暴そうな雰囲気もあるが、人を見る目がある人物に従えというのが親の教え。従おう。

 

「ヨーデル、駿才のお前に頼みたいことがある」

「ハッ!この駿才ヨーデルに何なりとご命令を!

 カダイン魔道学院の実質的主であるあなたは私の主でもあります!」

「良い返事だ

 では旧カダイン魔道学院及びカダイン領の運営と安定をお前に命じる

 今日付でお前には領主としての位も授け、カダイン侯ヨーデルと名乗ることを許す」

「な、なんと……そのご意思とご慧眼に背かぬよう、このヨーデル、命の全てを以て励みます!!」

 

 学院ではマリクやエルレーンに声望で負けていた。

 フン、たしかに奴らは外見が美しい。

 風采というのは人を彩る。

 だが、才能が負けたわけではない!

 聖王レウス陛下は私の才を見抜いてくださった!

 

 私は数名の文官(ヨーデル最初の部下だ!)を連れてカダイン領へと到達した。

 そこで華々しい生活が待っていると思ったのだが……。

 

「どうしてこんな事に……?」

 

 私は呻いていた。

 砂漠の部族たちは従いこそすれど、私のようなシティ・ボーイとは文化がまるで違う。

 

 力こそ全て。

 欲しいものは奪う。

 味付けが異常に濃い。

 

 舐めた態度を取られるのは寛大であるからこそ許すが、命令に従わないのは困る。

 カダインの運営上、好きにされすぎると収拾がつかないからだ。

 

「では、領主

 力の強いものこそが砂漠の掟なのだから、力比べをしよう」

「何をすればよい」

「殺す以外は何をしてもいい、この土俵から出たら負けだ」

 

 なんたる!なんたる蛮的思考!

 父よ、母よ。

 私を教育してくれた全ての者たちよ。

 今日、私は天命を知った。

 

「わかった、では力比べをしようではないか」

 

 私は領主になったことのお祝いだと我が友、エルレーンが渡してくれたボルガノンを構える。

 

 我が天命。それは教化。

 このカダインの地に住まう蛮族たちを教化し、第二の学術都市を作り出すのだ!!



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グルニアの黎明

 グルニアは異例とも呼べるほどの豊作に湧いていた。

 元々軍事に寄せていた国であるのもあって、軍を食べさせることはグルニア最大の問題であった。

 

 諸将や兵士たちを大いにそれを喜ぶが、手放しで喜ばぬものもいた。

 カミュとロレンスである。

 

「ロレンス殿、本当にこれで良かったのか?」

「……やむを得まい、王子がお望みになったことだ」

 

 この豊作は人為的なものであった。

 神の奇跡などではない

 

 まだ言葉を覚えて間もない頃からグルニア王子ユベロは現王ルイの悲嘆を聞いて育った。

 人望がない、金がない、何より食べさせるものがない。

 軍事国家でありながら戦いを無為なものだと考えていたルイはグルニアの主流とは折り合いが悪く、

 王として国を良くしようにも軍閥の反対を突きつけられ続けた結果、すっかりと意気を失った。

 

 ユベロはせめて父の負担を減らしたいと文字を読めるようになってからというもの、学術書を通じて学問を修め続けていた。

 やがて、グルニアが軍事国家として成り立つ理由の根源と現代の問題点をユベロは理解する。

 

 元々グルニアは沃土を多く持った土地であり、そこに住む部族たちは土地に適した農業を行っていた。

 建国王オードウィンが肥沃な大地から得られた、余るほどの食糧を武器に兵士たちを囲い、増やしていったのだ。

 だが、歴史が進むにより価値の高い作物や、貴族たちが好むものに田畑の実りは切り替えられていき、それに連れて土地に根ざしていった農学や作物は失われた。

 百年もしない内にグルニアはかつて部族たちが持っていたそれらをまるで忘れてしまったのだった。

 

 若き王子はそうした旧来のやり方であれば成功するかもしれないと小さな畑を作ろうとしたが、

 病弱な彼ができるわけもなく、近しい兵士たちの協力で実験的な畑を作り、それらの成功を踏まえ、ルイへと奏上した。

 

 最初こそ懐疑的であったルイであったが、我が子可愛さと、折れた心が何かをしようという心を失っているせいもあって、

 その奏上された内容に一切の手を加えずに部下たちに実行させた。

 その結果、グルニアの食糧事情を一気に解消するだけでなく、それらを大量に輸出することでの外交的な優位を確保することができそうでもあった。

 

 この一件からルイの声望は上がった。

 カミュの言う、よかったのか、とはそれであった。

 

「だが、あなたもわかっているはずだ

 王の声望が高まれば……」

「軍部は静かにはしておれぬだろうな」

 

 気の弱さが致命的ではあり、王としては暗愚ではあるが、

 ルイも一人の人間としてはそれなりの人物なのだ。

 それをカミュもロレンスも理解している。

 

「王はユベロ王子に託したいのだろう」

「グルニアの玉座をですか」

「いいや、グルニアの未来をだ、カミュよ」

 

 ルイは数年内に、軍部に何らかの形で暗殺されるだろうと考えている。

 それまでに王室の声望を高め、自分の死を以て悪名以外の全てをユベロに継がせるつもりなのだ。

 

「だが……」

 

 グルニアの問題は単純ではない。

 腐敗しながらもオードウィンから引き継がれ続けた強さを保っている軍部である。

 彼らはその力を好き勝手に扱い、国内外での敵を作り続けていた。

 仮にルイの目論見通りになったとしても、国内はよくとも国外の敵によって身動きが取れなくなる可能性もあった。

 

「……ロレンス殿、私はグルニアの騎士

 国のためであれば個人の名誉を損なおうとも構わない」

「それはわしもだ、カミュ

 我が身に汚名が与えられて解決するのであれば喜んでそれを受けよう

 だが、その手段も──」

「いいえ、手段ならあります

 国は乱れ、歴史にこの名が悪人と刻まれる覚悟がおありならば」

 

 アカネイアの大地が現れるはずもないエムブレム()を備えたるものの登場によって、

 多くの国と多くの人々に変化をもたらした。

 グルニアの忠臣カミュは清廉にして潔癖の騎士ですら、歴史のうねりのなかで自らが最良だと考える立ち位置を変えんとしていた。

 

 この後、少しばかりの平和の時間こそ流れるも、

 グルニアにおいてロレンス率いる国軍と、

 腐敗した王権の排除を掲げたダクティル将軍たちを含む軍部の内戦が火蓋を切ることになる。



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マケドニアの黎明

 マケドニアの若き王、ミシェイルはその王としての成り立ちから血に染まっていた。

 王殺し、いや、親殺しによって王冠を戴いた彼の声望は地に落ち、マケドニアは独裁のもとで戦闘に参加している。

 

 ……ということはない。

 その成り立ちから戦うことにアイデンティティを求められたマケドニアは正当性は力によって示されると考えているものも少なくはない。

 勿論、蛮族でもあるまい国家国民が表立ってそれを言うこともないが、

『アイオテの再来』とまで謡われるミシェイルの戴冠に反対するものなど誰一人いなかったのが端的にその国民性を示していた。

 

 ドルーアとの不平等な同盟の締結もあって、マケドニアは激戦区への派兵を求められている。

 結果として国力の弱体があったのかと言われるとそうでもない。

 派兵の見返りとしてドルーアから多額多量の支援を与えられているからだ。

 竜が文明と国を持っていた頃の知識や、副葬品などドルーアには他国で見ることがないものがメディウスによってもたらされている。

 ドルーア帝国の兵力の少なさは国家単位の傭兵事業の如くにマケドニアの兵力によって補われている。

 

 ではマケドニアが属国の如くに扱われているのかと言われればそうでもなく、

 アカネイアの防衛や必要な程度の迎撃さえ行えば文句もない。

 今のマケドニアにはある種の余裕があった。

 

「陛下、急報です」

「何事か」

「グルニアで内乱が起きたとのこと」

 

 ロレンス・カミュの王室派と、私利私欲のままに動く軍部との軋轢がピークに達し、

 それが内乱を引き起こした。

 隣国であり、戦線維持に欠かせぬ補給源であるグルニアの報は衝撃を以て伝えられたはずだった。

 

 しかし、ミシェイルは特に驚きもせず「そうか」とだけ答える。

 報告をした兵は泰然自若としたミシェイルの姿に英雄を見ていた。

 

 ミシェイルはこの事を事前に知っている。

 彼はカミュと武の天賦に恵まれた同士である故か、お互いにとっての数少ない友人である。

 

 戦乱が深まってもその友情が崩れていないのには理由がある。

 生来、忠節の士であるカミュとは野心的な性質を持つミシェイルとで反りの合わない所も少なくはない。

 彼らの友情が今も続いているのはひとえに最終的に目指す場所は国の平穏という点があるからであり、

 そして、それを得るためには共通の敵でもあるメディウスを倒すことが目的として一致しているからでもある。

 

 内乱の手引はカミュか、或いはカミュが信頼する何者かの策略だろう。

 硬骨漢であるからといって、策謀を練れない男ではない。

 ミシェイルはいつか「私情か信念か国かを選ぶときが来れば、国を選ぶだろう」と考えていたし、

 その日が来ただけのことだとも思っていた。

 

「リュッケを呼べ」

 

 ミシェイルの命令はすぐさま達せられた。

 

 ────────────────────────

 

「グルニアのことは聞いているか」

「はい、先程」

「今、グルニアに機能停止されるわけにもいかん

 リュッケよ、マケドニアの防衛は貴卿に任せる」

「その信に背かぬことをお誓いします」

 

 リュッケは気の小さいところはあるが、野心もない。

 その気の弱さに因るところからだろうが、兵士たちに気を配ることも多いためマケドニア軍から評価を得ている男である。

 アイオテの再来とも呼ばれるミシェイルには自分にはない武力やカリスマ性を信頼しているが、

 それに心酔をしているわけではない。

 ミシェイルが彼を信用しているのがその点である。

 小心であり、現実主義的であるからこそ自分が不在のときに発生した問題に冷静に対処できると考えたのだ。

 

「アカネイア方面は動きはないだろうと思うが、万が一押し込まれるようなことがあれば」

「すぐさま増援を手配します」

「ミネルバは自分からは言い出すまい、何としてでも武功を挙げねばならんと息巻いているだろうからな」

「既にアカネイアには我々の兵でも多く固められています、必要な状況が来れば」

「ああ、頼む」

「グルニアに対しては」

「一切の判断は不要だ、俺が行く以上はな」

「承知しました」

 

 一拍置いてリュッケが問う。

 

「陛下、レナ様には」

「伝えずともよい

 彼女は俺を見てはおらぬだろうからな」

「……承知しました、では取り掛かります」

 

 ミシェイルとレナの関係性を知るものはマケドニア内で多少でも立場がある人間であれば知っている事だ。

『一国の王を袖にし続けている悪女』が現在のレナに向けられている風聞である。

 

 リュッケはマケドニアの留守居のための準備もあるため、急ぎ王城を去る。

 また、ミシェイルも麾下の兵団に準備を号令した。

 

(メディウス、お前はグルニアや俺の行動を知らぬわけではなかろうが……さしたる興味もあるまい)

 

 竜に跨がり、ゆっくりと上昇する。

 視界の果にあるであろうドルーアを睨むようにして、ミシェイルは思う。

 

(暗黒竜よ、喉元に我らの槍が近付いていることをそう遠くない日に知ることになるぞ)



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聖王国の宝

 ようやくにしてカダイン魔道学院が安定し、兵科として魔道兵が実戦配備手前まで来た頃。

 アリティア聖王国の事情を知るものは祝福に沸いていた。

 

 聖王后シーダの妊娠、そしてその半月もしないうちに聖王国女王リーザの妊娠が確認できたのだ。

 暫くは政務をしていたが、二人ともがそれが難しくなる頃に聖王が『代理』という形で仕事をバトンタッチ。

 そうして世間に広く周知されることとなった。

 

 聖王は現人神であり、聖王后は巫女のようなものであるという認識が広まっており、

 一夫一妻が暗黙的に敷かれているこの大陸でも批判的な態度を取るものは少なかった。

 人々からすれば聖王は人間ではないからだろう。

 

 このまま平穏に時間が流れればよいが、そうならないのが戦乱の常でもある。

 

『オレルアン軍、パレス攻めを開始』

 

 それは妊娠とはまた違う形で聖王国を揺るがせるニュースとなった。

 

 ────────────────────────

 

「オレルアン軍のアカネイア攻略軍の主力がパレス攻めを始めたそうです」

 

 フレイの言葉に対してオレは質問をする。

 

「主力って、狼騎士団か?」

「いえ、攻略軍の主力はジョルジュ殿とミディア殿、そしてアストリア殿とのことです」

「おげげ、アカネイア王国のお歴々かよ」

「噂ではパレス内部で騒ぎがあったらしく、それに乗じて逃げ出したミディア殿、ボア殿がオレルアンに合流

 オレルアンへの合流の呼びかけから戦局がそちらへ傾いたとのことです」

 

 ノルンが付帯情報をつらつらと言う。

 ジョルジュはアカネイア五大侯が一つ、メニディ家の子で大陸一の弓使いなどと呼ばれている。

 ミディアもアカネイア五大侯が一つ、『あの』シャロンが司っていたディール家、そこに連なるオーエン家のご令嬢だ。

 そしてアストリアは大陸でも名を響かせている傭兵で、アカネイアに、正確にはミディアのために戦っている。

 ボアはアカネイア王国の司祭であり、ミロアに次ぐ発言権を持っていた男だ。

 

「軍を編成してくれ」

「どちらへの進軍をお考えですか?」

「オレルアンだ、連中の後背を衝く

 今更オレに騎士道なんぞを語ろうとする奴はいないよな」

「軍議を開きます、聖王陛下は」

「数日内に出立する、オレは一人でも戦える、というか、一人でしか戦えんしな」

「……先遣軍を用意しますので、どうかそれまではお待ち下さい」

 

 ここで駄々をこねても仕方がない。

 オレは承知したことを伝える。

 こことはまた別に話しておくべき相手がいるからだ。

 

 アリティア聖王国でのオレの私室にリーザとシーダに足を運んでもらう。

 妊娠してはいるが、まだ腹の大きさがそこまで目立つほどでもない。

 政務から離れているのは周りの人間の勧めもあってのことだった。

 

 エルレーン、ガーネフ、それにメイドたちが部屋に集まっている。

 

「孕ませておいて悪いんだが、オレは戦に行かにゃならん

 ここでオレルアンにパレスを取られると計画にかなりの狂いが生じるんだ」

 

 現状の聖王国が持つ大義名分はアカネイアの不甲斐なさをベースにしているところがある。

 そこにアカネイアを取り戻したオレルアンが登場されると大義を失いかねない。

 後背を衝く形となれば名誉は損なわれるが、それは多少のことだ。

 パレスに陣取られるのと違って『ひとときの悪評』で終わらせられる。

 

「シーダにはどんな戦場にでも連れて回す約束をしたのに、すまん」

「いいえ……今はお腹の子を守ることが私の一番大事なことですから、レウス様は安心してご出立なさってください」

「リーザ、エリスやマルスのときと違って夫不在な状況ははじめてか?」

「ええ、そうよ」

「不安か?」

「不安って言ったら残ってくれるのかしら?」

「残るって言ったら自分の仕事をなさい、って言うことくらいはわかる」

 

 リーザはふふ、と笑って

 

「あなたの分までシーダと仲良くしているから、戦働きをして凱旋なさって」

「……ありがとう」

 

 彼女がハグを求めるようにして手を広げたので応じる。

 耳元で「シーダにも忘れずにね」と囁く。

 世話焼きのリーザに従ってシーダに向き直る。

「あっ、えっと……」と、困ったような声をあげてから顔を赤くしながら、リーザに習うように腕を広げた。

 

「……もう、寂しい気持ちになっています」

「そんなに時間掛からんから安心しろ、な」

 

 そんなことんなでイチャイチャとしていると後ろからガーネフが

「少しばかりよいかね、陛下」と声をかけてきた。

 いやあ、お待たせしてすみません。

 

「以前に受け取っていたものの解析だが」

 

 現在のガーネフだが、

 カダイン魔道学院の初代学長はやはりガーネフ以外にはありえないとオレは思っており、

 引き続きその椅子に座ってもらっている。

 ただ、技術的な検証を含めた研究に時間を使ってもらいたいので実質的に運営をしているのは学長の下に用意したグループに任せる形である。

 

 この『以前受け取っていたもの』とは、オグマが持っていた擬剣ファルシオンから手に入れたオーブのようなものだ。

 あの武器から取れたものであればよほど価値のあるものだとも思っていたし、

 何よりガトーの手が入ったものであれば彼に関わる情報を得られるかもしれない。

 

「灰のオーブに近い性質を持っている、とは言え効力の消去という部分は持っていないが」

「受け皿にはなるってこと?」

「正確には求める形になるもの、ではあるがの」

「灰のオーブがキャンバスなら、アレは粘土みたいなもんか」

 

 ただ、その変化させるための技術はまだまだ開発が必要であり、

 研究素材があれ一つなので壊さぬよう細心の注意を払わねばならないため、研究の進みは牛歩もいいところだという。

 

「次に、これが主題ではあるのじゃが」

 

 そう言って取り出したのは魔道書である。

 

「これは?」

「マフーだ

 ……ああ、無論、闇のオーブや灰のオーブは使っておらん

 正確にはマフーに近い力を持つものよ」

 

 ガーネフ曰くに、自分よりも魔力や精神力に劣るものを束縛する力があるものらしい。

 言ってしまえば彼はマフーを操ってやっていた行いの逆のもの、つまりは非殺傷武器を作り上げたわけだ。

 今も結局は扱いの難しさや量産性の目処の無さが問題のようではあるらしいが。

 

「わしが扱えばよほどの相手でもない限りは縛り上げられるであろう

 陛下の家族はわしがこれで守るゆえな、安心して遠征されよ」

 

 老紳士はそれが贖罪になると考えているのか、それともオレやオレの家族を親しい者として守ろうとしてくれているのか、

 闇のオーブを手にする以前の、或いはより昔の生真面目で実直な男へと立ち戻った事を察することができる。

 だからこそ、

 

「頼んだぜ、ガーネフ老」

 

 オレは親愛を込めてガーネフをそう呼んだ。感情が伝わったのか、彼も小さく笑う。

 多くは語る必要もないだろう。

 お前の罪を許すだとか、これから報いていこうなんてのは結局おためごかしだ。

 オレもガーネフも精算するのなんて土台無理な罪を背負っているし、これからだって作り続ける。

 ガーネフだってそれは理解している。

 だからこそ、ただ頼りにするのだ。

 その多忙の中であれば塞ぎ込む隙も無くなるだろう。

 

「しかと任された」

 

 悪の司祭ガーネフでも、魔王ガーネフでもない。

 聖王国の魔道士ガーネフとして頷いた。

 少なくともオレはそう受け取った。



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パレスの黎明

「このような攻めではニーナ殿下の威光を知らしめることなどできぬ!」

 

 机を叩き、激するのはアカネイア攻略軍の指揮官が一人、ミディア。

 

「だというのに、軍を後方に下げろというのはどういうことか!

 パレスには到達しているのだぞ!!」

「で、ですからこの状況が大きな危険を孕んでいるのだと、ハーディン将軍が……」

「ふん、ヤツのようなオレルアン人にはわからんのだ

 この戦局の重大さが!

 ニーナ殿下のお側に長くいながらそれが何故わからんのだ!?」

 

 アカネイア攻略軍の軍議は踊っていた。

 パレス攻略の位置についたオレルアン連合であったが、本格的な防衛隊を相手にすると状況は一気に膠着した。

 もともとのアカネイア軍は野戦での迎撃には殆ど興味を向けなかったが、

 パレスへの侵攻となると話は別だと言わんばかりに積極的に参加を始める。

 

 パレスを守るアカネイア防衛軍はハーディンの勢力下にあるアカネイア貴族たちに対して

「故国を、都市を破壊するものを同国人とは認めない」と反発。

 それまでは五大侯に従うばかりであったアカネイアの小規模軍閥が手を取り合い参加したのだ。

 特にオレルアン連合が手を焼いたのは防衛の中核を担うトムス、ミシェランの装甲兵コンビと弓兵のトーマスであった。

 

 彼らはミディア、ボアと共に囚われていたが、オレルアン連合と繋がっている内通者の手で解放。

 途中までは共に行動していたが、オレルアン連合がパレスを攻撃したことを知った途端に別離を取った。

 

「パレスを得れば、ニーナ殿下の名においてアカネイアは再出発ができるというのに、

 あやつらは……」

 

 ミディアの怒りの矛先はトムス、ミシェラン、トーマスに向いていた。

 正直な所、彼らが参加することでここまで攻略難易度が上がるとは思っていなかった。

 ミディアたちも必死であったが、故国を守る意思を持つ彼らもまた必死であった。

 

「どうしても退けというのならば、次の攻めを最後とする!

 それでよいな!」

 

 伝令はほとほと困っていた。

 もう戻ってこいという命令をどう捉えたら「あと一回攻めてもよい」になるというのか。

 だが、アカネイア貴族に反抗することもできない。

 その事を伝えますとだけ言って伝令は去った。

 

「アストリア、ジョルジュ、パレス攻めだ

 率いている兵を全て使う」

「そう激するな、ミディア

 苛烈な君も美しいが

 安心してくれ、この戦いで君の気持ちを鎮めてみせよう」

「アストリア……」

 

 それを目の端で見ながらジョルジュは溜息を飲み込んで兵に号した。

 

「明朝、攻めを再開する!」

 

 ────────────────────────

 

 アカネイアパレスの会議室では城の防衛を担うグルニアの将ボーゼン、

 グルニア騎士のヒムラー。

 遊撃と偵察から戻ってきたミネルバ。

 治癒を受けながらのトムス、ミシェラン、

 彼らと共に虜囚から兵士へと戻ったトーマス。

 そしてそれ以外にも多くの指揮官や騎士たちが集まっていた。

 

「防衛はどうなっている」

「このままであれば問題ないはずだ」

 

 ボーゼンの言葉にトムスが返す。

 

「正面はわしとミシェランさえ入れば守りきれる

 多少の増援であってもトーマスもおるからな」

 

 その報告を聞きながら、ヒムラーはミネルバを見やって

 

「ミネルバ王女、この後の展開どう予想される」

「このまま戦い続けても兵を失うだけ

 オレルアン連合の大義名分を考えれば兵士をすりつぶすような真似はできぬはず

 撤退すると思いたいが」

「そうは思えない、と?」

「相手が五大侯の家に連なる者だからな、兵の命は我らが考えるよりも軽く扱うかもしれん

 それこそ、ハーディン将軍が考えるよりもだ」

「……なるほど」

 

「あの、ボーゼン様」

「なんだ」

 

 トーマスが手を挙げ、ボーゼンへの質問を求める。

 

「ボア司祭から回収したトロンはどうなったのです?」

「グルニアへの手土産にしたいところだが、そうもいかんだろうな

 ミネルバ王女が考えた最悪のプランが実現すれば、このボーゼンも前に出て戦わねばなるまい

 その時に使わせてもらおうと思っている……がどうしたのかね」

「いえ、それならば構わないのですが」

「ああ、着服を考えていたと言いたげか」

「それは」

「よいよい、そう思われてやむもない

 こんな顔付きの男を信用せよという方が無茶というものよ、ははは!」

 

 ボーゼンはグルニアの司祭であったが、心情としては新ドルーア派の人間であり、

 メディウスの計画である竜族の国を作るということに賛成している人間としてはマイノリティである『竜族復権派』の人間である。

 その立場のせいでグルニアからアカネイアという遠方まで送られてはいるものの、

 パレスの守護を任せられるのには彼の才覚があった。

 

「わしもミネルバ王女と考えは同じ

 ただ恐らくは兵士を消費する前にジョルジュとアストリアが露払いに現れるだろう

 連中も必死であろうし……何よりパレスを奪還したとしても兵士を消費したあとであれば声望もあるまい」

 

 ボーゼンは軍略家として確かな目を持つ男であるからこそ、パレスの守護を任されていた。

 事実、これまでの攻めの全てをボーゼンはしっかりと見抜いて、対策を講じてきた。

 トムスたちが捕らえられたのも彼の手腕であり、

 グルニア、アカネイア、マケドニアの三カ国が奇妙な一枚岩で成り立っているのもまた実績あってのものだ。

 

「ミネルバ王女、貴女には悪いが明日は危険な任務に付いてもらうことになる」

 

 その男がこう言うのだから、想像よりも悪いものになるのだろう。

 ミネルバは覚悟を決めて頷いた。



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戦問答

 先遣隊は行軍速度に全ての重点を置いた編成となった。

 四侠のアランと、彼の麾下である聖王国騎兵隊。

 カダイン魔道学院は戦術科の肝いり新兵科である杖持つ騎兵、医療騎兵(ロッドナイト)

 そしてトレントを駆る聖王レウス。

 

 先遣隊出発よりも前に事前に送っていた補給部隊と合流すると、アカネイア王国領での戦いの状況が鮮明化してきた。

 

「アラン、斥候の情報をどう見る?」

「攻略軍が全兵力を使ってアカネイアパレスに突き進もうとしているのは確かです

 ただ、どうしても行軍速度は低下するでしょう

 となれば、攻めが始まるのは明日以降かと」

「マケドニアの飛兵もいると思うが、ちょっかいは掛けてこないのか」

「ミネルバ王女が指揮するドラゴンナイツや白騎士団は素早く精強ではありますが、攻略軍にはジョルジュ殿がおられます」

大陸一(ジョルジュ)か」

「ええ、飛兵は強力な攻撃手ですが、それ以上に戦場を俯瞰する大切な目でもあります

 撃ち落とされる算段が高い状態で攻めには使わないかと」

 

 可能ならここで攻略軍を叩いてオレルアン連合の戦力を削りたい。

 しかし、下手に叩きすぎると今度はアカネイア防衛軍との戦いに巻き込まれる。

 今回の勝利条件はパレスの占領ではなく、あくまで連合軍の相手だ。

 

 事前に聞いている話だけでもげんなりする。

 ジョルジュとアストリアに関しては知識としてあるが、ミディアの強さはオレが知る限りではないらしい。

 苛烈な性格をした女騎士ではあるが、それを許されるだけの武力を備えているんだとか。

 てっきり元から上位職(ジェイガン族)の一人だと思っていたんだが、ハイマン(山賊の頭)ベンソン(汚職騎士)みたいな覚えてるか怪しい奴らであの実力だったんだ。

 どこでどんな風に成長しているかなんてオレにはわからない。

 少なくともここでのミディアは恵まれた体(4ピン5ピン当たり前)に育っていたのだろう。

 

「派手に攻めるのは怖いが……ううむ」

 

 オレの対人戦に対する苦手意識は相変わらずではある。

 そこに猛将と化したミディアなんて話を聞かされたら出たくもなくなるというものだ。

 だが、避けて通れない相手になりそうではあるなら、望むべくは乱戦だ。

 

「オレたちもここで一泊しよう

 翌日、相手が本格的に動く前に出立する」

「どのように動きます」

 

 オレは地図上で動きを説明する。

 アランは頭を抱えた。

 

「いつだったか、サムソン越しにシーマ様から承った言葉が思い出されます」

「なんだよ」

「聖王陛下は良くも悪くもアンリと同じだ、と」

 

 個の英雄(ぼっち)で悪かったな、とオレは心の中で返答した。

 

 ────────────────────────

 

「……正気か、あやつら」

 

 トムスが思わず口走った。

 オレルアン軍が軍事演習の如くに隊を並べている。

 

 パレスの城壁に向かい、隊を背にした3つの影が立っていた。

 

 ジョルジュ

 アストリア

 ミディア

 

 攻略軍の大将首が兵を盾にするでもなく立っている。

 

「よく聞け!アカネイア防衛軍よ!

 我が名はジョルジュ、メニディ家のジョルジュである!

 我らは諸君らを殺したいわけではない!

 投降するのであれば寛大な処置をメニディの名において約束する!」

「ほざくなよ、ジョルジュ!

 そのような心があるのならば何故城市に火を放つような真似をした!!」

 

 何度かの衝突の際に攻略軍が撹乱のために火を放った。

 混乱した戦場での報告は事実かはわからず、火自体も燃え広がることもなく消火には成功している。

 今となってはその真相を確かめる術などないが、

 例えそれが事故やアカネイア人同士に対する離間策だったとしても今までの彼らの言動もあって、ジョルジュの言葉を信じようとするものは誰もいなかった。

 

 それでも、対話を求めるものはいる。

 

「では一つ伺おう、アカネイアの戦士よ!」

 

 空から響く凛とした声。

 武器や具足だけではない。

 髪の毛や瞳に至るまで赤に染まった竜騎士。

 マケドニアの空舞う戦姫、ミネルバの声であった。

 

「貴卿らの(ひじり)はどこにある!」

「無論、ニーナ殿下だ!!」

 

 ミディアが叫び返した。

 

「そのニーナ王女は戦場で立っている姿を見た者はいない!!

 戦いの中に城や街を持つ主たちは誰もがその姿を戦場に晒している、

 私もそうだ、各地を見ればアリティア聖王国の聖王の英雄譚は聞いた覚えはないか?

 老齢のタリス王ですら武器を取り戦ったと噂はどうか!

 武器を掲げず示せる大義がこのアカネイア大陸にあるというのか!

 そんな弱腰でアカネイアはニーナ王女の物であるとどの口で言える!」

 

 民草が王という立場に求める行き過ぎた英雄譚を求めるのは飢餓感のようですらある。

 だが、それを果たしてこそのアカネイア大陸であり、

 それを蛮族の習いなどと言うものは存在しない。

 『平和な時代』の方がよほど夢物語である歴史がそうした思想を作り出してしまっている。

 

「ほざけ、ドルーアの犬に、いや、ドルーアの腹の下で這い回るトカゲどもにはわかるまい!!

 ニーナ殿下のお姿を晒すまでもない戦いだという事だ!」

「では重ねて問おう!」

 

 煽られようと顔色一つ、声音一つ変えない赤き王女。

 ミネルバは生来の戦上手である。

 言葉という矛は戦場で振るう鉄や鋼よりも力を発揮する場合があることを理解している。

 

 それが刺し易ければ扱い、

 逆に刺されて痛い腹があるか、刺し返され易いのであれば打ち切るべきである。

 愚直なまでにアカネイア貴族、アカネイア騎士であるミディアとはとことん相性が良いこともミネルバは理解していた。

 

「ニーナ王女が連合の盟主と認めていたハーディン将軍の麾下が自領で強引な徴発を行なった挙句、現地のものに手痛い反撃をうけ、それが元で街を滅ぼした

 そんな唄を吟遊詩人から聞いた

 そのような軍こそがアカネイア軍の誉れだとでもいうのか!

 盟主が自領を焼くようなものに対して、(いさお)しありと見て頼るのが貴卿らの主、ニーナ王女だというのか!」

 

 

 燃えては消えた街ではあるが、そこに居たものを全て灰にできたわけではない。

 狼騎士団は生きて戻っている。

 誰かがそれを報告したなら漏れ出てしまうのは必然だ。

 戸が立たぬなら、それは伝わり、やがては吟遊詩人の商売道具へと早変わりする。

 

 その渦中にいたのが『今様のアンリ』とまで呼ばれる聖王レウスであるなら、春に吹く風よりも早く吟遊詩人たちに伝わっていく。

 

「であればやはり、貴卿……いや、貴軍に大義などありはしない!

 貴軍は侵略者であり、自らの故国に火を付けて回る悪逆も納得できるというものだ!

 悪逆にこれ以上加担できないと心に一片でも思える篤実な者はいるか!

 いるのであればこの戦場から離れるべきだろう

 その名誉をこれ以上穢す必要はないッ!」

「ぬ、ぬ……抜かせ!田舎武者!!」

 

 ミディアが槍を振るい、馬の腹を蹴った。

 

「突撃せよ!!

 我らが殿下を侮辱したパレスの凌辱者に鉄槌を与えるのだッ!!」



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きっと、同じ御旗であったはず

 怒りに任せた騎兵など取るに足らない、ネギを背負ったカモのようなものだ。

 城門を守る歩兵たちは突撃してきたミディアに対して武器を構える。

 だが、その突撃を止められるものも、その槍を受けて耐えることができたものもいない。

 

 その槍が振るわれれば例え盾を構えようと吹き飛ばされ、壁や家に叩きつけられる。

 逆の手には手槍を構え、馬を走らせながら城壁の上に立つ弓兵に打ち当てる。

 

「き、鬼神の類か?」

「ミシェラン!よそ見するなァァ!!」

 

 その声に暴れまわるミディアから目線を外すミシェラン。

 ぎぃんと鈍い音が響く。

 

「反応がいい

 お前たちがそれほどまでに強いのは誤算だった」

 

 盾による防御が間に合った。

 それはアストリアの疾風めいた一撃だった。

 

「アストリア、ここは通さんぞ」

「ほう、どのようにして?

 まさか盾と槍を使ってなどと言うまいな」

「そのまさか──ぐぉあ!!」

 

 盾を構え直そうとした瞬間にタワーシールドとガントレットが切り開かれ、真っ赤な花が咲くようにしておびたたしく出血する。

 

「確かにお前たちは強い

 だが、それでもまだ私の剣を超えるには随分と差があったようだがな」

「よくもミシェランをッ!」

 

 トムスがアストリアに襲いかかり、城門の戦いの継続を知らせる。

 

 その一方で睨み合いが続くものがいた。

 

 ────────────────────────

 

 ──ジョルジュとトーマスである。

 名声も実力もジョルジュは遥か格上の相手である。

 だが、それでもトーマスは退けなかった。

 

「ジョルジュ様、私は未だあなたの望む弓の腕には到達していません

 ですが、それでもここであなたに挑まねばならない」

「トーマス、オレはお前を打ちたくない」

「私もです、ですが……」

「ああ、そうだ

 それでもオレたちは弓を引き合わねばならない

 ここが戦場であり、オレたちはこの弓以外で自らを表現することなどできないからだ」

 

 ジョルジュは当人すら気がついていないことに気がついていた。

 トーマスの才能の開花は起こっている。

 そして戦いの運が少しでもトーマスに寄せられたならば射抜かれるのは自分であろうかと思えるほどに、

 今のトーマスは、現時点での彼が保つ力の全てを弓によって表現できることを。

 

「我が一矢に全てを込めましょう、ジョルジュ様!」

「お前のその才に矢を以て敬意を示そう、トーマス」

 

 トーマスは弓を引き絞り、矢を放つ。

 一瞬だけ遅らせてジョルジュもまた矢を放つ。

 

 たった一瞬だ。

 ジョルジュはトーマスが射った矢を狙って矢を放った。

 空中でトーマスの矢は真っ二つに割れ、勢いを殆ど失わないままにその矢がトーマスの体を刺し穿った。

 

 大陸一の弓使いの名はメレディ家が喧伝したもの。

 ジョルジュはそれを過分なるキャッチコピーだと嫌っていた。

 

 しかし、その腕前は紛れもなくこのアカネイアの頂点に君臨する腕前である。

 

「……」

 

 ジョルジュは配下の兵に見られぬよう、目線を落としていた。

 オレはあと何度、同じ故郷のものに矢を放たねばならぬのだろうか、と苦しんでいた。

 

「ジョルジュ様、我らも進まねば

 アストリアめに手柄を全て奪われてしまいますぞ」

 

 何も知らない部下たちが急かしてくる。

 こんな思いをするならば弓の才覚など欲しくはなかった。

 だが、それでも五大侯の呪いめいた責任感が背を押してくる。

 

「ああ、進撃せよ、それのみがこの戦いを終わらせる鍵に他ならん」

 

 そういって配下を進ませる。

 そういって自分を進ませる。

 

 この地獄に終りがあることを祈って、ジョルジュは進むしかなかった。

 

 ────────────────────────

 

 なぜ、我らの戦いの正しさがわからないのか。

 ミディアは激昂していた。

 確かにニーナ殿下は戦いに御出にならない。

 それは彼女が優しき人であり、

 そして戦いがない時代になったときに自らが戦いに参加しなかったことで、

「戦わずとも平和を作り出したもの」、

「武器を持たぬからこそ平和を口に出すことを許される唯一の存在」になるためである。

 ニーナ自身から聞いたわけではないが、同じアカネイアの人間として心で理解している。

 彼女こそがこのアカネイアに恒久的平和を生み出す現人神になられる方だ、とも。

 

 血風が吹かぬ場所での戦いはボア司祭が上手くやってくれる。

 彼こそがニーナ殿下の最大の理解者だ。

 戦いは私やアストリア、ジョルジュが担当すればいい。

 

 盟主がオレルアンの王弟(ハーディン)であることは引っかかるが、

 それでもあの将軍の軍才は紛れもなくこの戦乱を吹き消せるだけのものだ。

 

 我らの正しさを示す手段はたった一つ。

 このパレスに巣食う不心得者を排除し、正しき王を戴くことだけ。

 

 戦いの中でそうした事を考えながら、敵を屠り続けるミディア。

 

 鬼神と呼ばれるようになった女騎士は視線の先にあるパレスを望む。

 ……落としきれば、あの城を凌辱するボーゼンを打ち取れば、正しさの証明ができるだろうか。

 そうすれば戦いは終わるだろうか。

 

(何を弱気なことを

 戦いは終わる、終わらせてみせる

 誰でもないこのミディアの手で、必ず)

 

 そう心に思うとミディアは次の瞬間にはパレスへと一心不乱に突撃を敢行していた。



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鳴り響くは馬蹄の轟音

「まったく、聖王陛下は無茶を押し通して一人で進まれる

 付いて行く我らの必死さたるやを知らないのだろうな」

 

 アランは銀の槍を抜き払いながらぼやく。

 

「だが、英雄らしい行動ではある」

 

 銀の刃が自分の姿を返している。

 随分と血色が良くなったものだと自分でも思う。

 カダインの魔道士たちには感謝しなければならない。

 咳一つせずに戦いに挑めることに。

 

 アランは生来のものか、後天的に得てしまったものか、大病を抱えていた。

 医術の心得や治療の杖を振るえるものでも癒せないもの。

 だが、それを知ったカダイン魔道学院の研究者たちはその研究を進め、眠る間もなく続けられた研究の結果、

 その病を完全に克服させる手段を手に入れた。

 元より開派の理念は兵士ではなく遍く人々の為の魔道を、である。

 病からの救済は理念の最も重要な部分を占めているといっても過言ではない。

 

「準備整いましてございます、アラン将軍」

「では、手筈通りに進めるぞ」

 

 槍を手鏡のようではなく、武器として構えなおす。

 

「我らの目的はジョルジュ及びアストリアとの交戦だ

 可能そうな方から狙い、更に可能であればここで決着も付けようぞ」

 

 アラン麾下の騎兵たちがそれぞれの武器を構える。

 そこに一つの声とて存在しない。

 

「全軍、……突撃」

 

 四侠となり、聖王国の騎士となった彼には一つのジンクスのようなものがあった。

 戦場において怒号をあげない。

 静かに、確実に。

 

 声などよりも、もっと我らの心根を表現するものがある。

 

 それは馬蹄の響き。

 我らが踏ませたその音色はいかなる蛮族の雄叫びよりも雄々しく戦場に響き渡る。

 我らの咆哮はそれに混ぜ合わせられぬ雑音なのだ。

 

 聖王国騎兵部隊は選抜されたアラン麾下の騎士たちによって新たな戦場が切り開かれた。

 

 ────────────────────────

 

「アストリア様!後背を突かれました!!

 騎兵です!」

「……ほう、ということはグルニアか?」

「いえ、旗は……アリティア聖王国です!!」

 

 アストリアは対峙するトムスから目を離さずに、しかし音で状況を探る。

 

(静かだ、戦の咆哮一つ無いなど……)

 

 聞こえてくるのは自軍の悲鳴ばかり。

 敵軍の音であろうものは馬蹄の音だけ、長くアカネイア傭兵として戦うアストリアにとってもはじめての状況だった。

 

 だが、アストリアにはより気がかりなことがある。

 単騎で先行したミディアだ。

 彼女の強さはもはやアストリアを超えているだろうことは彼も承知している。

 しかし、激しやすい彼女は単騎駆には向かない性格をしている。

 横合いからの対処ができないのだ。

 

(……私が行くしか無いのだが……しかし……)

 

 ジョルジュはトーマスを討ち倒したあとに高所を取るために移動しているため、姿が見えない。

 ここを離れればトムスと聖王国の騎兵に挟まれて甚大な被害が出る。

 

「アストリア様、ここは我々だけでも問題ありません!

 しかしオーエン家の血を引く彼女を失えばアカネイアの兵団の士気に影響が出ます!

 どうか、ミディア様を!」

「……すまぬ!」

 

 アストリアは剣の冴えと同じ程に鋭い足さばきで敵陣を切り抜けていく。

 

「せ、聖王国が来ただと?

 漁夫の利を狙ってか……、ハゲタカどもめ!」

 

 攻略軍がそちらに気を取られている間にトムスはミシェランへと近づく。

 傷は深い。

 問題なのは治癒ができる僧侶は城内にまで戻らねばいない事。

 

「と、トムス……わ、わしのことはいい……」

「何を言っている、我らは二人で一人ではないか

 自らの手足を引きちぎって逃げ出す者などこの世におらぬ」

「自分の傷の深さは自分でわかる、お前は逃げてくれ、トムス……」

 

 咆哮一つなく馬蹄だけが響いている。

 それはやがて、十分に蹂躙したことを示したのか、こちらへと近付いていた。

 

 ────────────────────────

 

 ジョルジュは高所を求めて移動する、が、それは言い訳に過ぎないと自分で思ってもいた。

 

 ジョルジュの部隊は弓兵と馬を持たない手練の戦列騎士(ナイト)たちで構成されている。

 元々、アカネイアには常駐の兵団はそう多くない。

 そのため、アカネイア傭兵と呼ばれる『専属契約を結んだ傭兵』を常備軍代わりにしている。

 ジョルジュと共に動くのは元騎士だったり、所領を何らかの理由で失ったりなど訳有の貴族やその徒弟であったものが多い。

 彼らは他の部隊からもあぶれた者ばかりだが、それでもジョルジュには従っている。

 それはひとえに彼の性格を理解しているからだ。

 

「ジョルジュ隊長、オレらははぐれているミディア隊の馬廻りに移ります」

「すまん」

 

 弓兵たちには高台となる場所に陣取り、それぞれが散発的な攻撃を始める。

 相手を打ち倒すというよりは注意をこちらに向けるためのもの。

 背中や横っ腹を衝かれた軍を立て直すのが目的である。

 

 ジョルジュはようやく目的地に到着する。

 そこにはぐったりと横たわっているトーマスがいた。

 

「……」

 

 矢を引き抜く。

 その後に薬瓶を取り出すと、それを飲み下させ、応急手当をしておいた。

 

「じょ、……ジョルジュ、……様、どうしてここに」

「寝ているといい、トーマス

 この戦いの後にアカネイアにはお前のような男が必要だ

 オレのように五大侯の血などに踊らされぬアカネイア人がな」

 

 失血は致命的ではないが、それでもトーマスの意識を再び昏倒させるには十分だった。

 薬の力もあるだろうから、数時間の後には立って歩けるほどになるだろう。

 それまではとばっちりを受けないような場所に彼を安置しておく必要がある。

 

 ジョルジュはトーマスを抱えると、城壁内の一室に彼を置き去りにした。

 

 彼は熱烈なニーナ信者であるミディアや、その恋人アストリアのように自分たちの正義を持たない。

 自分が正しいと思えたことなど一度もない。

 何故今もアカネイア攻略軍として、いや、なぜ戦い続けているのか。

 

 彼が戦わないことを選べば、より多くのアカネイアに血が流れるからだ。

 五大侯の名誉を持って弓を取れば従うものも多くなり、その腕前を以て大将首を取れば兵士たちは死なずに済むことも多い。

 

(……言い訳だな

 オレは怖いのだ、結局は……人に失望されることが)

 

 大陸一と謡われる名は元々はメニディ家が喧伝のために作った風聞だった。

 ジョルジュは失望されることを恐れ、弓の練習をした。

 し続けた。ひたすらに、ひたすらに打ち込んだ。

 彼にはメニディ家の当主ノアのような優れた射手として才能があったわけではない。

 ただ、彼には人並みの恐怖心があっただけだった。

 失望されることへの恐怖心が。

 

 いつからかその絶大な修行の時間によって彼は名実ともに大陸一の弓騎士となった。

 戦乱が始まり、その弓で多くの命を奪っていった。

 だが、それでも恐怖は拭えず、そして戦いの中で正義を見つけることもできなかった。

 

(トーマス、オレはお前のようにこそなりたかった

 己の正義を信じて弓を取れるような男に)

 

 ジョルジュは宝弓パルティアを握ると再び戦場へと戻る。

 己を信じられず、しかし、それでも戦場に立たねばならない男の背中はなによりも悲痛に満ちていた。



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新たなる士道

「ミディア様はどこへ?」

「あのお方のことだ、大将首にまっしぐらだろう」

「よし、我々も」

 

 城市で相談をしているのは騎兵。

 ミディア麾下の騎士たちである。

 だが、彼らの行動が完了することはなかった。

 

 彼らの頭上、家屋の屋根に赤霊(通り魔)が座っていた。

 

 赤霊、或いは聖王レウス。

 彼が狭間の地で娯楽にしていたことがある。

 

 それは高所から落下しながら武器を敵に叩きつけることだ。

 彼は狂っていた。過去形としてではある。

 だが、正気に戻っても真人間に戻るわけでもない。

 

 久々に趣味に興じることができるポイントを見つけ、邪悪な笑みを漏らしそうになりながら、

 グレートソードを構えるのであった。

 

 ────────────────────────

 

「よし、我々も」

 

 ぱぁん。

 水を含んだ破裂音が爽快に響く。

 これこれ。

 こいつは狭間の地でもアカネイアでも変わらないな。

 

 オレは屋根から自由落下しつつ、グレートソードを騎兵に叩きつけた。

 眼の前で破裂した仲間を見てぽかんとしている騎士たち。

 

「いかんよ君たち、狭間の地の兵士だったら即抜刀即斬撃だったぜ」

 

 オレはグレートソードを乱暴に横薙ぎにする。

 騎兵達は反応する暇もなく、馬ともども真っ二つにされた。

 

「城下町っつー動きにくいフィールドでいの一番に騎兵を突っ込ませるとはな……」

 

 ナバールの傀儡を失ったのは痛手だった。

 そろそろ何とかして新しい傀儡を手に入れないとな。

 できれば強力な歩兵が欲しいんだが、ないものねだりはしたところで……。

 

 大道を走る騎兵の姿を見る。

 長い時間生き延びれるかは怪しいが、それでも連中に対しての特攻武器を持っているコイツに頼るのが早いか。

 

 オレは二愚(ベンソンとハイマン)の傀儡を以て、鈴を鳴らす。

 

「オレとお前らでレースだ、どっちが多く敵兵をぶっ殺せるかのな」

 

 自我のない傀儡だが、まるでオレの遊びを理解したかのようにベンソンとハイマンは大道を走っていく。

 オレもまた飛び跳ねて屋根へと上り、次の獲物を探して疾駆した。

 

 ────────────────────────

 

「どの程度落とすことができたか」

 

 アランの質問に対して副官は「一割と少しでしょうか」と返す。

 

「悪くない戦果だが」

 

 しかし、アランが出立前にホルスタットや四侠たちによる内々の軍議とは違う状況になっていることには困っていた。

 足の早い騎兵を使ったのは市街戦になる可能性は少ないと考えていたからだ。

 パレスを攻めるのはあくまで未来で行うべき計画段階に過ぎない。

 目下の目的はアカネイア攻略軍を可能な限り痛手を負わせた状態で追い返すこと、可能なら将軍級を倒せるならそれに越したことはない。

 

「それにしてもまさか最前線に将軍格がそれぞれ立つとは……」

「その後に単騎駆ですから、胆力の塊としか言いようがありませんな」

「噂でしか聞いたことはないがミディア殿は社交界で静かに咲いた花と言われるような可憐な人物だと聞いていたが……」

「噂は噂、そういうことでしょうな」

 

 ただ話しているわけではない。散っていった敵兵を把握し、次の手を考えている。

 存外、アランという男は押し黙って考えるタイプではなく、何か別のことを話しながらの方が思考が纏まるのであった。

 かつて村の守護者をしていたアランの時代から付き従う副官はそれを知っているからこそ雑談に付き合っていた。

 

「アラン将軍、城門守護のアカネイア武将を発見しました」

「こちらへの態度は?」

「特に何も見せておりません、仲間が死にかけていてそれどころではないようです」

「まずはそちらへ向かおう」

 

 副官には城門付近の調査と警戒を任せ、アランはそちらと走る。

 よほどの激戦であったのだろう。

 そこかしこに攻略軍と防衛軍の亡骸が転がっている。

 

 報告を受けた武将は少し暗めの緑の鎧を纏った装甲兵と、やや明るい紫紅の鎧を纏った装甲兵の二人。

 今にも死にそうなのは紫紅の装甲兵の方だ。

 

「ミシェラン!わしを一人にするな!我らは二人で一人!それでようやく無敵の壁足り得るのだろうが!」

 

 もはや意識も殆どないのか、ミシェランと呼ばれた男が返事をする様子はない。

 

「まだ息があるのか」

「ええ、いかがしますか?」

「……医療騎兵(ロッドナイト)、あの騎士を癒やしてやってくれ」

 

 お言葉ですが、彼は敵将ですよと言いたげなロッドナイトであったが、言葉にはしなかった。

 軍人として、指揮者の命令は絶対である。

 それが人道的な行いならば文句のつけようもない。

 

 数名のロッドナイトたちは杖を掲げ、装甲騎士を癒やす。

 

 その様子に驚いたトムスはアランを仰ぐ見るようにして質問した。

 

「聖王国の騎士団、なぜわしらを癒やした?

 我らは誇りあるアカネイアの騎士だ、恩を着て貴様らに味方することなど」

「ああ、そんなことは期待していないさ

 輩の死を前に、心が死にそうになっている騎士を放っておく──

 そのような行いは我が聖王国騎士の士道に反する」

「だから助けたと言うのか」

「ああ、そうだ

 それが聖王国の騎士、最も新しきアカネイア大陸の騎士の形だと私は考えている」

「わしらが聞いている聖王国は聖王の戦場での暴虐ぶりだけだ

 まるでその不名誉をお前たちの名誉で埋めようとしているようにも感じる」

「ふ……そうかも知れん

 聖王陛下はたしかに粗暴で女好き、王としての誉れを語るのは難しいが……あれほどまで『人間らしい王』を私は知らん

 だからこそ名誉を捧げる甲斐もあるのだ」

 

 トムスとミシェランはその言葉に苦笑する。

 

「もはやこの戦場ではお前と戦えそうにないわい

 わしらは一度主城に戻り、そこの守りを固める

 騎兵ばかりの編成を見るにお前達の狙いは我らではなく攻略軍の方なのだろう」

「ご明察の通りだ」

「であれば、敵ではない

 敵ではないなら武器を向ける事もできまいさ」

 

 それは友情と呼ぶにはあまりにも薄氷のようなもの。

 だが、トムス、ミシェラン、アランはこのいっときの友情に安らぎを覚えていた。



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絶好の狩り場

「ミネルバ王女!先程の悪罵を取り消してもらおうか!!」

 

 パレスへ邁進していたミディアであったが、攻略軍の別働隊の処理対応をしているミネルバを発見すると名を呼び、目標を変える。

 名誉なくしてアカネイア貴族ではなし。

 城攻めの武勲よりも誉れを傷つけたものへの返礼を優先する事こそが多くのアカネイア武門の行動理念である。

 

「事実を並べただけのこと

 事実を取り消すことなど神であっても行えまい、ミディア殿」

 

 冷めた目で見下ろすミネルバ。

 燃える瞳で睨み上げるミディア。

 

「ならばこの槍で口を縫い止めてくれよう!」

 

 手槍を構え、投擲する。

 ただの使い手であれば飛兵相手にかすりもしないだろうが、ミディアの手槍はその加速度も、洞察力も並の騎兵を大きく凌駕している。

 ミネルバはそれを一瞬で判断し、大げさなほどの回避行動を取る。

 

(当たっていたら落とされていた……、このまま別働隊の相手をしながら彼女の相手をするのは不利か……

 白騎士団を連れてこれていたなら幾らでも対処のしようもあるが)

 

 ミネルバ麾下、選抜飛兵である白騎士団はペガサスライダーで構築されており、

 ドラゴンナイトを凌ぐ機動力を誇る。

 勇名を轟かせるのは彼女一人の武勇が理由ではなく、小回りの聞く兵士を指揮するに長けた小戦の達人であることが大きな理由である。

 例え小戦だとしても、それが勝敗の分け目になる戦いであればその価値は黄金を勝るものになる。

 

 だからこそ、今の彼女は白騎士団を奪われていた。

 アカネイアに大勝ちされても困り、武勲を立てられすぎても困る。

 ミシェイル統制下のマケドニアは彼女にとって多くの不利を背負わせていた。

 

「貴卿は強い、だがその力を私に向けるばかりでよいのか?」

「何を言って……」

 

 離れた所では死体が高くかち上げられていた。

 弄んで投げているわけではない。

 何かが衝突して跳ね飛ばされたような。

 

「あれは貴卿の兵だろう、それを助けずともよいのかと聞いているのだ」

「……!!」

 

 睨み、しかしミディアは馬の腹を蹴ると猛然と走り去っていく。

 別働隊とミディアが合流されていたら厄介なことになっていたが、

 上手く意識を反らせたおかげで別働隊を処理できるだろう。

 彼女の相手はその後だ。

 

 しかし……、

 

(我らの勢力にあれほどの力で兵を飛ばせるようなものはいたか……?)

 

 ミネルバはまだここにアリティア聖王国軍が到来していることに気がつけていない。

 常であれば情報を最速で獲得する彼女であるが、限定された飛兵の数に、攻め寄せるアカネイア攻略軍に対しての要撃に忙しすぎたせいでそれができない。

 

(ここを手早く片付け、ミディア殿を倒さねば……

 鬼神のような武力を持った彼女だ、王城への到達を許せば本当に落とされかねない)

 

 時間制限のある戦いに、ミネルバは敵を倒すことに集中する。

 ボーゼンの言う危険な仕事は、しかしマケドニアで死を望まれているかのように危地に送られ続けたミネルバにとっては日常とさして変わらないものだった。

 

 ────────────────────────

 

「どォしたあ!!アカネイアの貴族騎士なんて所詮こんなもんかあ!!」

 

 思う様にオレは鉄塊(グレートソード)を振るう。

 ひと度振るえば騎兵が馬ごと斬り飛ばされる光景は最高に楽しい。

 性格が悪いとか人品が終わっているなんてのは今更な話だ。

 それに

 

「我が名はメニディ家が分家デツェンバ男爵なり!

 其処な騎士に一騎打ちを申し込~~~~~むッ!!」

 

 このように、自主的に倒されに来る。

 

「そうか、よッ!!」

 

 名乗りをあげた直後に唐竹割りの如くに真っ二つにされるデツェンバ。

 先程から騎士が一騎打ちを求める、オレが殺す。

 オレのやり方が気に食わないと囲んでくる、オレが殺す。

 次の部隊が来て一騎打ちを……というループだ。

 このままずっとここでこれをやり続けたら攻略軍壊滅したりしねえかなと思いながらの作業(殺戮)

 

「随分と盛況だな」

 

 ゆるりと現れたのは金髪の騎士然としちゃいるが、家紋を誇示したりはしていない。

 傭兵か?

 いや、こいつがアストリアか。

 

「私も混ぜてもらおうか」

「アカネイアの人間なら名乗りでもあげるかと思ったが違うのか」

「ああ、私のことを知っているものだとばかり思っていたのでな

 では聞くがいい、我はアカネイア傭兵がアストリア、

 貴公さえ(たお)れてくれればミディアの安全は確保される

 武器を構えるといい、聖王レウス」

 

 ひとまずはやはりアストリアだってことはわかった。

 そしてオレの事を知っているんだな、どこかですれ違いでもしたか?

 

「名乗る必要はないってわけか」

「規格外の大きさの剣に王らしくもない毛皮の外套、孤軍で敵を蹂躙する力

 聖王レウスの詩を(そら)んじているものであれば一致するのは貴公だけだ」

 

 他のアカネイア貴族はオレの事を知りもしないようだが、中にはしっかり世俗の情報を拾おうとしている奴もいるわけだ。

 

 美丈夫といった外見の男だが、鼻につく態度。

 やっかいなのはおそらくコイツは……──

 

「では、一局付き合っていただこうか」

 

 ぐん、と体を落とすようにして走り出す。

 緩急を交えての見事な距離つぶしだ。

 距離を取らせる目的のオレの大ぶりの横薙ぎは踏み込んで空中に身を投げるようにして回避された。

 まるでサーカスの軽業師だ。

 左に向けて振った攻撃に対して右に跳ねられると切り返すまでに一瞬の隙ができる。

 オレが佐々木某であればここで燕返しを閃くかもしれないが、あいにくオレの獲物はグレートソードだ。

 そんな精妙な動きができるわけもない。

 

 が、できないからといって詰んでもいない。

 オレは振り抜いたグレートソードから手を離す。

 すっぽ抜けた鉄塊が周りでアストリアを応援していた兵士に叩きつけられた。

 ちょっとした事故だ。

 

 そのままオレは回避行動(ローリング)しながらアストリアの着地位置に滑り込む。

 ほぼ同時にオレが外套から取り出すのは狭間の地の無銘の名刀(ドロップ武器)、『獣人の曲刀』

 こいつがオレにとっての一騎打ちの秘策になるかどうか

 アストリア、お前の剣才で試させてもらうぜ。



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獣人の曲刀

 聖王レウス率いるオレルアンによるアカネイア攻略軍への掩撃(えんげき)作戦より時間は遡る。

 

 アリティア主城の客室は賑わっていた。

 シーダはその感激に涙を浮かべている。

 

 貿易商として大陸中を旅している商人であるアンナがアリティアに顔を出したのだ。

 

「アンナ、シーダから話は聞いている

 気を回してくれていたんだな」

「こっちこそ、何もできなくてごめんね

 自信満々にあの娘を預かったのに……」

 

 といった謝罪の交換をした後にオレは彼女に問う。

 

「でも、商人のアンナがただ遊びにきたってわけじゃあないんだろ?」

 

 オレは期待していた。

 何せ秘密の店のアンナ、原作じゃノーヒント同然で隠されている場所に特定のアイテムを持った状態で立ち止まらないと入れない場所。

 品揃えはゲーム中でも個数限定でしか手に入らないものが目白押し。

 そのアンナが来たんだから期待しないほうが失礼というものだ。

 

「ふっふっふ

 そりゃあ当然、アンナさんが何も持たずに来るわけないでしょう?」

 

 そうして並べたのは銀の武器たちだった。

 高額であることもそうだが、戦乱の影響もあってか流通数が極端に少なくなっている。

 戦いが始まっても銀を武器として戦うことができるほどの物資を持つ軍はそう多くない。

 

「勉強しますよ~」とアンナ。

 

 財政の担当者を呼んでの交渉となる。

 おそらく持ち込んだものを見たものから四侠が情報を仕入れたらしく、ここに来るまでの間に財政担当は「なにがあっても全部買え」と言われていたのだろう。

 一つ残さずそれらを購入することになる。

 この程度で財政破綻などするわけもないが、それでも急な出費は担当の顔を青くするには十分だった。

 それとも、よほどの剣幕で四侠に詰められたのかもしれない。

 後々酒か飯でも奢るとしよう。ああ、勿論オレの自腹で。

 

「さて、こっからが本題」

 

 アンナは兵士に運ばせた大きな箱を指差す。

 

「これは私の手柄じゃないって先に言っておくね」

「ん?ああ」

「じゃあ中身確認よろしく」

 

 言われるままに箱を開くと緩衝材に埋もれた中から武器が一振り現れる。

 

「おい、これって……」

 

 うねるような刀身、尖りもう一つの刀身をなしているナックルガード、

 柄の先端もまた鋭利に削られている。

 素材は金属質のようであるが、実態はわからない。

 光沢は薄く、錆びのような色合いが暴力的なデザインによく馴染んでいる。

 

 これは──

 

「獣人の曲刀!?」

 

 オレは叫ぶ。

 

「そ、漂流物だよ」

「売ってくれ!」

「それは無理かな」

「そこを、そこをなんとか!アンナ様!商売の女神!」

「褒められて悪い気はしないけどね~

 それ、売れないってのはレウス宛、正確にはシーダ宛の贈り物なんだよ」

「私、ですか?」

「ほら、あの街でさ……──」

 

 オレがアリティアへ向かった後、シーダは約束を果たすべく商人としての活動に力を注いだらしい。

 その甲斐もあって各地の商人や好事家たちとパイプを得ていた。

 特にそのコネクションの中でも五大侯はアドリア侯の家に連なる分家の人間との関係であった。

 ラングと大喧嘩をしてアドリア領が保持していた美術品(コレクション)を持ち出して売りさばき、

 財を得た人物だそうでアンナが秘密の店で並べる商品の卸の一端も担っているらしい。

 

 貴族社会のブラックマーケットを取り仕切っているなどという噂もあるらしいが、真相は不明。

 その女主人はシーダをいたく気に入ったらしく、彼女の望みを一つ叶えてもいいと約束した。

 

 シーダが願ったことは

「レウス様は漂流物の武器を探している、何か見つけたら売って欲しい」であった。

 それをよこせではなく売れという態度もまた気に入ったらしく、

 転がり込んできた漂流物を贈答する事を決め、アンナに運搬を任せたらしい。

 

 オレが考えていた、

 というか、予想していた商人へのネットワークとはちょっと違ったが、喜びは大きかった。

 

「レウス様、よかったですね」

 

 そう微笑むシーダを抱きしめ、オレの喜びがどれほど大きいものかを伝えるのだった。

 

 ────────────────────────

 

 グレートソードが霧となって消える。

 オレが持つ武器はどこの由来とも関係なく、オレの所持物となった時点で手放す意思を持たない限りは手から離れたそれは霧となってオレの(次元倉庫)に戻ってくる。

 

 オレの利き手には『獣人の曲刀』、逆の手には小盾(バックラー)が握られている。

 バックラーは狭間の地のものではない。

 不人気な装備故にアリティア聖王国の城下町でワゴン(大特価)されていたものだ。

 

「不可思議な手段で、不可思議な装備へと切り替えたか」

 

 アストリアはその様子に驚いた風な事を言うも、油断も隙も感情の動きも感じさせずに反応した。

 

「ぼちぼち、オレも対人ができるってところを見せつけていかないとな」

 

 この後はこうした強者との戦いはどんどん避けられなくなるだろう。

 

 考えたくはないがオートクレール(強力な宝斧)を持っているマケドニアの王女ミネルバ、

 グラディウス(とんでもない宝槍)を持っているグルニアの黒騎士カミュ、

 それこそ眼の前にいるアストリアもまたメリクルソード(半端じゃない宝剣)を佩刀としている。

 この世界の優れた武器の厄介なところは一点ものの貴重品の癖に、

 それを持つに相応しい武人が持ち、戦場で気兼ねなく振り回してくるところにある。

 

 優れた武芸に優れた武器を持つ相手が増えていくならば、こっちも対軍ではなく対個を意識していくべきだろう。

 獣人の曲刀はそのオレの考えにぴったりと嵌ったものだ。

 

 着地位置に滑り込んだオレは無遠慮に獣人の曲刀を振るう。

 アストリアは睨むようにしながら斬撃を浴びる。

 流石に致命打には程遠いが、その表情は武芸において格下だと思っていた相手にしてやられた怒りが滲む。

 

 アストリアは斬撃を受けながらも着地と同時にオレへと刃を振るいながらバックステップで後ろへと飛び跳ねる。

 ナバールのような精妙さというよりも、この男の力は勝利に必要な総合的な数値を全て高次元で備えているように感じた。

 

 恐らくは今までオレが戦った猛者たちとはそれぞれの能力単体でみれば少し見劣りするかもしれないが、

 それら全ての要素をそのようにして持っていて、それを過不足無く扱える判断力があるとするなら、なるほどこの男がアカネイア最強の勇者であると言われる理由も納得できる。

 

「どうしたよアカネイアの勇者さんよ、随分と憤慨されてるみたいじゃないか

 ああー、もしかしてオレがデカい武器しか振るえないと思いこんでたわけか」

「……」

 

 一度は睨むも、平時の表情へと戻る。

 

「ふ、挑発には乗らんよ」

「そうかよッ!」

 

 オレは踏み込み、斬りかかる。

 アストリアはそれに盾で応じ、宝剣メリクルソードでオレの頭をかち割わらんと振り下ろす。

 

 甘いんだよ、アストリア。

 性悪な相手(狭間の地の戦士)と戦い続けたオレがそんな素直に攻撃を振ると思うか?

 

 オレの斬撃が『遅れながら重なるように』発生する。

 盾を掠めるようにしながら、二人から放たれた刃の如くして発生したそれがアストリアの体を切り裂いた。

 その上で、オレはたった一瞬でもう一振りの一撃を放つ。

 アストリアが振り下ろした剣はやや勢いを失う。

 それを小盾で弾き(パリィ)、がら空きに成った体に深々と剣を突き立てんとするが、剣が突き刺さり始めたあたりでひねるようにして飛び避ける。

 

「ぐ、ごぼ、ごふ、……な、なにをした!?」

 

 致命傷ではないにしろ、時間の問題だ。

 

「知り得たか、獣人の刃を

 ──とは言えないか、その感じだとまるで知り得てないものな」

 

 この獣人の曲刀には戦灰が備わっていなかった。

 つまり、ただの武器。

 振るうには使いやすい武器だが、隠し玉的なものはない。

 ──と思っていた。

 

 これがいかにして漂流していたのか、その結果でどのようにして得たのかはわからないが、

 狭間の地にはない、別の力が備わっていた。

 

『追撃』、そして『突撃』。

 追撃はオレの斬撃を送らせてもう一つを生み出す技。

 突撃は本来引きずられるはずの物理的に『そうなるはず』の挙動を無視して自分の意思通りの斬撃を打ち出す技。

 

 元はこの地にかつて存在したものたちの技であったろうそれが、武器に刻まれるようにして保持されているとオレは感じた。

 何故、どうしてなんて事を聞ける相手はいない。

 であればオレにできるのは技術のタイムカプセルをありがたく頂戴するだけだ。

 

 手負いというか、死に体の勇者を殺してアイテム漁りのお時間に進ませてもらおう。

 

 アストリアが持つ宝剣『メリクルソード』はそれそのものが権威の象徴足りうる武器だ。

 大義も名分も物理的に用意できるならそれは多ければ多いに越したことはない。

 

「さーて、お腰に下げたメリクルソード、一つ私にくださいな、っと」

 

 今は抜刀しているから正確にはお腰にはないけど、細かいことはいいだろ。



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乱闘はアカネイアの華

 第六感って言葉がある。

 平たく言えば直感とか嫌な予感とかそういうもんだろう。

 これが物語の主役だってんなら、そういうものが備わっているからこその華麗な回避……とかできるんだろう。

 

 オレの場合は残念ながらその手の素質はないらしい。

 

 だが、今回に限っては主役であろうとなかろうと気がつくことができる。

『ぎよん』とか『ぐうおん』とか聞いたこともない空気の破裂音が響いた。

 

 それがオレに飛んできているのは明らかで、瞬間的に回避運動(ローリング)で飛び跳ねると、

 オレが居た位置を何かが通過し、その先にある家屋に命中し、その壁一面が文字通り粉砕した。

 

 がらんがらんと音が響く。

 飛んできたものは手槍だった。

 

 

「アストリアぁぁぁぁーーーーっ!!!」

 

 女の声とともに跳躍した馬が傷つき倒れているアストリアの前に降り立つ。

 片手に鋼の槍、もう片手には手槍。

 馬も甲冑も血に汚れているが、それら全てが返り血であることは明白だった。

 

 髪の毛の色や姿からそれがミディアであることはわかる。

 だが、事前に聞いていた苛烈な性格が許される実力って話だったが、こりゃどう見ても女呂奉先って感じだぞ。

 別に大柄になってるとか世紀末もびっくりな肉体ってわけじゃない。

 纏っている気配が猛将というべきか、むしろ猛獣のそれだ。

 

「ごほ、み、ミディアか……情けない姿を見せてしまったね」

「……私がまた一人で突き進んだから、巻き込んでしまったんだ

 ごめんなさい、アストリア……」

 

 槍を振るうとミディアが一歩前に出る。

 

「アストリアを回収して撤退を、この男は私が抑える」

 

 そう言うと大急ぎでアストリアに向かう兵士たち。

 普通ならオレはミディアとじりじりと睨み合い……とかなるんだろう。

 普通ならな。

 

 オレはそういうお約束が大嫌いなんでな、お定まりの台本展開なんて知らねえ。自由にやらせてもらう。

 

 小盾のグリップから手を離し、ダガーを取り出す。

 戦灰、起動。

 輝剣の円陣を発動して、左側の兵に即時に打ち出す。

 発射と同意にオレは右側へと突き進み、獣人の曲刀を振るう。

『突撃』が発動し、一人殺した直後に更に巻き添えでもう一人も殺す。

 倒れかけている兵士を踏み台にし、さらに輝剣の円陣を発動。周辺にいる兵士を撃ち抜く。

 

 飛び跳ねた先は最初に犠牲になった左側。

 着地と同時に獣人の曲刀が閃く。一人を解体し、『追撃』も発動したので手近な奴にも犠牲になってもらう。

 

 最高だ。

 雑魚を散らばすならグレートソードでもまったく問題はないが、小回りを利かせたい状況なら獣人の曲刀は適切だ。

 二刀流できたらさぞかし気持ちいいだろうが、ないものねだりは良くねえからな。

 片方が小盾なら小盾で読み合いありきの戦いなら多いに意味がある。

 それに今みたいにダガーを取り出して輝剣の円陣を頼ったりするトリックも活かせるしな。

 

『追撃』と『突撃』は知っている効果(出典準拠)なら戦闘しているものにしか発動しないが、

 オレ(褪せ人)にとっちゃあ敵がいりゃあそれは戦闘中ってことか、武器に封じられている力の発動を対象に限定しない。

 勿論、そもそも追撃や突撃も普通(この世界)で使えばそのようになるのかも知れないが、使える奴は見たこともないので実証しようもない。

 

「き、貴様ぁ!!」

 

 一瞬のことで呆気にとられたミディアはすぐにその状況を理解する。

 

「それでも騎士か!!」

「はあ?騎士?誰がいつ騎士だなんて名乗ったよ

 お前の尺度で計るなよ、三品キングダムの傲慢ナイト様がよォ」

「があぁあああぁ!!!」

 

 獣じみた咆哮を上げてミディアは大上段から振り下ろすようにして鋼の槍を操り出す。

 流石に馬上の騎士相手だと、こりゃあ『この先、グレートソードが有効だ』ってヤツか。

 

 攻撃自体は避ける。

 大振りだからこそ見切りやすい。

 

 しかし更にそこに新たな混迷の種が割り込んできた。

 手槍がオレたちの間合いを潰すように振ってきたのだ。

 流石に先程の手槍のような爆音はない。

 

 オレとミディアは距離を取り、飛来してきた方向を見る。

 そこにはドラゴンナイトが滞空していた。

 髪の毛も目も、鎧も赤い。

 凛とした姿が戦場に映える。

 一目でわかる、あれはマケドニアの王女ミネルバだ。

 

 こりゃあ、アレか、もしかしなくても三つ巴になるのか?

 

 ────────────────────────

 

「我が名はミネルバ、マケドニアの王女

 野性的でありながらも流麗、その刃に敵に危難の全てを感じさせる手並みは見事

 そこの戦士の名を伺いたい」

 

 将たる素質を強く感じさせる要素ってのは声だと思っている。

 狭間の地でもただ強い奴と、強さの中に理由を感じさせる奴の二種類がいた。

 ミネルバの声はよく通り、耳障りな音でもなく、しかし使い方によっては安息も恐怖も与える低い音が調和している。

 

「いい声だな、ミネルバ王女!

 その音色には名乗りで返させてもらおうか」

 

 オレは血糊を払うように獣人の曲刀を振るい、肩に担ぐ。

 

「アリティア聖王国が聖王レウス!

 孤軍にてなお輝く我が威名、忘れじのものとするがよい!」

 

 名乗りはミネルバにだけ向けたわけではない。

 この猪武者にもしかと覚えておいて貰わねばならない。

 ここまで名乗れば流石のイノシシでも忘れないだろうよ。

 

「……貴方が聖王国の現人神……

 なるほど、噂はあてにならないものだな」

 

 ミネルバは手斧を竜に備えたウェポンラックに納め、代わりに戦斧を引き抜く。

 オートクレール。

 メリクルソードと同じ、アカネイア大陸の至宝が一つか。

 

「マケドニアの戦姫にアリティアの聖王か……」

 

 両手の槍を構え、ミディアは二正面を相手取るように構える。

 名乗りなどの合間にアストリアは兵士たちに連れられてなんとか距離を稼いでいた。

 

「アストリアも渡さない、アカネイアも渡さない

 我ら貴族の誇りは誰にも奪わせはしないッ!」

 

「三つ巴の戦いか、ぞっとしないな」

 

 ミネルバは冷静に状況を俯瞰しているようだ。

 オレの技も見ていたということは相手取る二人はどちらも飛兵に対して届く技を持っている。

 一方でオレもミディアも重装甲ではないならばオートクレールでの一撃必殺を狙えるだろうとも思っているのだろう。

 

 オレもまるで構えを変えるみたいなフリをして、発生に隙が生まれる輝剣の円陣を発動する。

 

「あんまりいじめないでくれよ」

 

 本心であった。



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アストリア

 アストリアを逃しちまったのは手痛かったかもしれない。

 仮にここでミディアを殺せたとして、アストリアは復讐鬼になってオレを狙うことになる。

 復讐心ってのは恐ろしいもんだ、オレ自身がそれを持っているからよくわかる。

 逆にミディアを殺せなかったとしたなら、オレと戦った人間が二人いるオレルアン連合と戦う必要が出てくる。

 オレは達人でもなんでもない。

 対策をバチバチにされるともう勝機はかなり薄くなる。それこそほぼゼロだ。

 オレが今まで順当に勝っているように見えるのは全て『わからん殺し』が決まっているからに過ぎない。

 

 どちらの方がマシかを考えれば、二人より一人のほうが当然やりやすいだろう。

 ではミディアを殺すかと言われれば、次の問題になってくる。

 

 ミネルバだ。

 極めて単純に分が悪い。武器相性で考えれば小回りの聞く剣は斧に強い。

 こちらが不利なのは滞空できる相手ということだ。

 空を舞うやつを叩き落とせるだけの技は今の手元にはない。

 それ以上に問題なのは彼女が敵であるかどうかの確定がオレの中でできていない。

 原作じゃ彼女の妹であるマリアが人質になっていたから仕方なく戦っていたはずではあるが、もはやその知識は役に立つまい。

 何かしらの説得材料でもあればミネルバを味方に付けることもできるかもしれないが、

 その材料はまるで持ち合わせていない。

 

 一方でミネルバもまた攻めあぐねている様子だ。

 見たこともない戦術を持つオレと、明らかに本来の騎兵が持つであろう平均スペックから外れている猪武者。

 

 この静寂を打ち破るのは当然、ミディアであった。

 馬の腹を蹴り、ぱあんと跳躍させる。

 対空状態のドラゴンナイトの翼の付け根を狙って槍を叩きつける。

 そのままであれば切り落としかねない一撃だが、オートクレールによるブロックに入るも、力で押し負け、騎乗竜がバランスを崩してその高度を落としていく。

 

 勿論、オレもそれに乗じる。

 狙うはミディア。

 輝剣の円陣を発動し、振るい終わりを狙って放つ。

 それと同時に獣人の曲刀を鋼の槍を持つ手に合わせた。

 利き手を失うか、武器を失うか。

 選ぶ権利などない二択だ。

 ミディアは鋼の槍を捨てるが、この女騎士はただのイノシシではない。戦闘知性(バトルIQ)がずば抜けて高いのである。

 即時判断で鋼の槍をオレに投げつける。

 

 ミディアは輝剣の円陣を背に受け、オレは鋼の槍で打撲し、ミネルバは竜の飛行高度を失った。

 

 オレは鋼の槍を更に遠くへ蹴り飛ばしながら、ダガーをしまって曲刀と小盾に構えなおす。

 

「さあて、次はどうしたもんかね」

「……ふん、弱腰だな」

「慎重と言ってほしいね」

 

 ────────────────────────

 

 アストリアたちは何とかアカネイアの都市から脱出することができた。

 敵の影がないことを確認した兵士の一人がきずぐすりを取り出し、アストリアへ飲ませる。

 彼はかなり弱っているものの、致命傷は受けていない。

 きずぐすりが効いたのか喋る力だけが取り戻されたようだ。

 

「……迷惑をかけているな」

「アストリア様は普段我々を守ってくださっていますから、その恩返しをしているだけです」

 

 そういって護衛たちは手にあるもので何とか応急処置を済ませる。

 

「馬車があれば……いや、戸板があればアストリア様を運べるはずだ、戸板を」

「ははは、いや、気持ちだけもらっておく

 そんな格好悪い真似をしてみろ、お前たちも愛想を尽かすだろう

 走るのは流石に無理でも歩いて安全圏まで行くくらいの体力はある」

「アストリア様……」

 

 護衛達はアストリアの気力を信じ、道を進む。

 事前の話し合いで夕方を過ぎれば撤退になるはず。

 そのルートも決まっている、運が良ければミディア隊かジョルジュ隊と合流できるはずだ。

 

 全員が敵に出会わないことを祈りながら、道を進む。

 

 それは突然だった。

 幾重にも重なった魔法陣が現れ、光とともに厳かな声の、長身の老人が現れたのだ。

 

「アカネイアの勇者、アストリアよ

 我が名はガトー

 神竜ナーガの徒であり、この大地に現れた災厄を止めるために力あるものを探す者である」

「ガトー……カダインにそんな名前の賢者がいると言う話は聞いたことがある

 大掛かりな魔法を使ってわざわざ半死半生の私に会いに来るとは、よほど困っているようだな」

「……人間よ、お前がその様子なのは、人間であるからであろう

 所詮その器では今の状態が関の山だということだ

 それでは我らアカネイアに根ざす者全てに関わる災厄を止めようもない」

「先程から口に出す災厄とは何を指している」

「お前をそのようにした男のことよ」

「聖王レウスか、確かに人品も戦力も災厄そのものかもな」

 

 小さく「ふ」と笑いながらアストリアが答える。

 

「お前はこのままでは勝てぬ、もしかしたならば道中に賊に襲われそこで終わりかもしれん

 だが、わしはそれらを跳ね除け、災厄の主レウスを倒し得る力を与えることができる」

 

 そういうとガトーはアストリアの前に二つの光を呼び出す。

 

「触れるがいい、そこにお前が望むものがある」

「……」

 

 力無く一歩歩き、光に手を差し込む。

 引き出すとそこから現れたのは剣であった。

 

「……ファルシオンだと?」

「それはわしなりに作ったファルシオンの模造、しかしそれこそはお前に力を与え──」

 

 がん、からん、と音が響く。

 擬剣ファルシオンが無造作に投げ捨てられ、岩場に転がった。

 

「つまらん男だ、ガトー

 神竜の徒だかなんだか知らんが、このアカネイア大陸は貴様の所持物ではない

 そして私やこの国の人々もまた貴様の人形でもない」

 

 腰からメリクルソードを抜く。

 その立ち姿はとてもではないが、剣を振るえるような姿ではない。

 それでもアストリアは構えを取った。

 

「神竜ナーガだろうが、その徒だろうが、貴様たち神如きが我ら人間の戦いに口を出すことなど許されん

 貴様が災厄と呼び、憎しみをレウスに向ける理由はわからぬ

 だが神が我らに何をしてくれたというのだ

 気に食わないものが出てきたから排除させるためにおっとり刀で現れた貴様たちを信用しろなどと」

 

 力は入らない。

 だが、アストリアの剣には尋常ならざるほどの集中力が込められている。

 

「馬鹿にするなよ、神話の怪物ども」

「人間如きが神竜ナーガを侮辱するか……愚物めが」

 

 明らかな怒りを発するも、すぐにそれを抑え込むガトー。

 

「……後悔するがよい、お前たちではアリティア聖王国は止めることなどできぬ

 ミロア亡きアカネイア王国が、神竜ナーガの愛を忘れた蒙昧な者たちの群れである事をよく理解できた」

 

 魔法陣が再び複雑に絡み合う。

 その次の瞬間にはガトーとファルシオン、そして残された光もその場から消えた。

 

「……先を急ぐぞ

 だが、警戒は緩めるな

 あの老人が何を言おうと関係はないが、聖王国などとふざけた名前を名乗る連中に裁きを与えるのは我らアカネイアの武人の成さねばならぬことだ」

 

 アストリアは一度も振り返らずその場を進んだ。

 神が何をしてくれたというのだ。

 本当に神が、神竜が我らを愛しているというのならば、なぜアカネイアに我らが望む偉大な王を遣わさなかったのだ。

 偉大なる、力ある英雄王を。

 

「……ふ、どうにも血が足りんようだな」

 

 その姿を思い浮かべたとき、現れたのが自分を切り裂いたレウスであったのに自嘲し、

 アストリアは先を急いだ。

 先程まで薄れていた気力が、馬鹿げた考えのお陰で取り戻すことができた。

 

 急ぎオレルアンへと戻らねばならない。

 次の戦いに備えるために。



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薄氷、崩れる

 三つ巴の均衡を破ったのは一本の矢であった。

 

 ミネルバに向けて放たれたそれは利き腕に直撃し、オートクレールを取りこぼしそうになるも、何とか抑え込み、竜の鐙に付けられた鞘へと納める。

 そこからの判断は早かった。

 怪我を負って高度を上げられないものの、騎乗竜を進ませる。

 アカネイア主城へと戻りたい所だったろうが、矢が飛んできた位置とミディアの立ち位置からして戻ることはできないと考えた彼女はオレの横を通り過ぎて首都の外へと移動する。

 

 オレ側に来たのはこれまでのやり取りからの判断だろう。

 攻撃をミディアに集中させており、ミネルバに対しては牽制のみを行っていた。

 これはミネルバも同様のことだが、オレもミネルバも鬼神めいたミディアを一対一で相手するのは極めて苦しい状態になるのがわかっている。

 

 逃げ出したミネルバを討ち取ってしまうとオレがミディアとの一対一に移行するどころか、

 今の射手の相手をせねばならなくなる。

 勿論、射手がオレ側のものである可能性もあったが、そこは賭けだったのだろう。

 そして彼女はその賭けに勝ったわけだ。

 

 一拍遅れてオレも『霊馬の指笛』を吹いてトレントを呼び出し、駆ける。

 ミネルバを倒すにしろ何にせよ、放っておく必要はない。

 万全の彼女と戦うことになると厄介なのは目に見えている。

 しかも今回は狙い目なのは間違いない。

 彼女にはその麾下に白騎士団と呼ばれる飛兵のエリートチームを抱えている。

 それが登場したならば苦戦するのは間違いない、苦戦どころか敗北確定になる可能性すらある。

 機動力がある部隊はどの戦局で登場するか読めなくなる危険性を孕む。

 

 戦いでバテていたミディアの馬は流石にミネルバやオレのように機敏に反応することはできなかったが、

 それでもミディアの一喝もあってか、走り出す。

 

 オレは走る最中でアランを発見する。

 ここでの選択肢は瞬発で出せたのは二つ。

 一つは付いてこいと命じること。

 そしてもう一つは先遣隊全てを撤退させること。

 実際、攻略軍が防衛軍を破るのは不可能だろう。

 オレルアンにさえ取られなければやり方なんていくらでもあるのだ。

 

「アラン!『道は渡らず!』『林を進む!』」

 

 そう叫び、ミネルバの背を追った。

 

 先のは暗号、というべきか、圧縮言語、というべきか。

 使う機会もないからいらないだろうと言ったが、エルレーンに一度でも使うなら作りましょうと言われた。

 よほど一人で暴走する可能性を見られていたらしい。

 そして結局こうして使う機会が来た。

 

『道は』は目的の達成について、

 走れ、ならば目的達成にどんな犠牲が出ても構わない。

 渡れ、ならば無理がないなら目的に向かって、難しいなら撤退。

 渡らず、であれば即時撤退。

 

『林を進む』はオレが一人で行動し、その帰還の長さを示している。

 流石にオレが長時間国を開けるのはマズい。

 しかし単騎で戦う事の多いオレを毎度心配して軍を動かすわけにはいかない。

 なのでオレが定めた期間を超えるまでは探さなくてもいいことを示したものだ。

 草なら数日。

 木々なら一週間から十日程度、林なら最大でも一月。

 森ならば三ヶ月程度……という具合に植物や木々の繁茂具合が期間を示している。

 

 オレがこのままミネルバの撃破なり、マケドニアまで追いかけるなりをしたとしても、

 せいぜいが一月でリミットなり何かしらの成果を得るなりするには十分な期間だと判断した。

 

 結果としてのオレの判断は『軍の即時撤退』、『オレは一ヶ月は戻らないと伝えてくれ』って事になる。

 

 アランもすぐさまそれに対応する。

 兵を集め、それぞれの部隊長から兵士の状況を取りまとめて、可能な限り早く撤退する。

 途中まで退けば第二陣との合流もできるだろう。

 アカネイアとは距離を取っての睨み合いになると考えられるが、いつかは倒さねばならない相手なら喧嘩腰でも問題はあるまい。

 そもそもとしてオレが喧嘩を売ってきた時点で戦の狼煙が上がったようなものだ。

 

 ────────────────────────

 

 流石はマケドニアの騎乗竜と言うべきか、それともミネルバの相棒と言うべきか、それとも彼女の操竜技術の(たまもの)か。

 かなりの距離を走っている。

 方角は北東。

 この辺りは横たわるように存在する山脈を縫うようにして、複雑に入り乱れた川やカナートが存在している。

 川はそのまま進めばアドリア侯爵領に隣接した内湾に繋がっている。

 

 ドラゴンであれば縦穴の洞窟へ入り、そこから別の出口を目指すことも可能だ。

 それまでにミネルバを何とかできないと判断したならここからさっさと離れてしまったほうがよい。

 トレントは無限の活力があるにしても、損傷を与えられると復活までに時間を要する。

 ミディアとその馬に関してはそろそろ限界だろう。

 だとすれば、何か手を打ってくるのは間違いない。

 

 ミネルバもそれはわかっているはずだが、矢傷が深いのか、集中力に欠いていそうなのが直線的な逃走経路という形からも目に見えてわかる。

 逃げるのが精一杯。そんな感じの飛行だ。

 

「そろそろ幕引きだ、ミネルバ王女!

 まずはそちらから引導を渡すッ!アカネイアを穢した恨みを思い知れーーーッ!!」

 

 ミディアが叫び、手槍を放つ。

 怪我を押して叫び投げつける槍。

 加速度はかなりのものだ、ただ、精妙さには欠ける。

 王女を狙った一撃だが、それが吸い込まれたのは騎乗竜の横っ腹。

 その威力は凄まじく、体内で止まらず、そのまま顔面を突き破った。

 

 ミネルバが落下する。

 落ちる先は落ち窪んだ川と、低い滝が幾つか。

 ここがこの戦いでの最後の選択肢だ。

 

 トレントを方向転換させ、次の手槍の前に急ぎ脱出する。

 これは多いにアリだ。

 アカネイアを攻略させなかっただけでなく、ミネルバがどうなったかも情報として得ることが出来た。

 

 次に転進してミディアを討つ。

 これもかなりアリ。

 心身ともに限界なのは相手だ、他に邪魔も入らないならグレートソードで馬ごと殺すのもありだし、トレントの機動力に任せて遠間から輝剣の円陣でちまちまと削り殺すのも可能かもしれない。

 

 最後が、ミネルバを助ける。

 正直、かなり無い。無いよりの無いと言ってもいい。

 しかし、彼女の身上は同情の余地ばかりある。

 王女として戦わねばならず、しかし兄とは対立している。

 妹を守るために戦局に投入され、白騎士団がいなかったのは彼女に信頼できる手勢を渡したくないという政治的なしがらみだろうことも読める。

 

 彼女の価値はどうだろうか。

 政治的な発言権は期待はできないだろう。それがあるなら孤軍で戦わされていない。

 オートクレールを持っているという点は正直加味できない。欲しいのなら殺して奪えばいいからだ。

 では、その血はどうだろうか。

 彼女を説得し、聖王国に連れていければ対マケドニアでの大義名分を持つことができる。

 父王を殺したミシェイルを下し、正当な女王として戴冠する。

 若年である彼女を庇護するという形で聖王国が同盟を結べば実質的な属国の出来上がりだ。

 

 ……まあ、ここまで自分で言っていてわかっているつもりだ。

 あれこれと理由を付けはしたが、結局オレはミネルバを助けたかった。

 このまま死ぬなんてあんまりにも可哀想だろう。

 兄との確執、妹の為に命を張って、同胞たちからは敵視され、信頼できる部下たちからは(暫定的な予想だが)離されている。

 孤独の中で戦い、孤独の中で死ぬ。

 オレであれば因果が確かに巡っていたのだと納得もできるが、彼女はそうではない。

 竜とともに落下していく彼女に向かってトレントを走らせ、空中でトレントから飛び跳ねてミネルバを抱き抱える。

 下を見ると大きな川が流れている。着地には問題ない。いや、この場合は着水か。

 大きな問題があるとするなら、川の流れが早いことと……

 

 オレは泳ぎが下手だということくらいのものだ。



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狭間の地だったら終わってた

 何事かを理解できなかった。

 竜が取られたのは理解できた、その顔から槍が突き出ていたからだ。

 

 浮遊感を覚えた。落下している。

 

 下には川が流れているがあの急流だ、今の私の体力では溺れ死ぬだろう。

 悔いのない人生であったかと言われれば悔いばかりの人生だったとしか言いようがない。

 それがどこから始まったかもわからないほどに。

 

 だが、その悔いから死によって解放されるのだと思うと、少しだけ気が楽になった気がした。

 

 ──何かが私を掴んだ。

『何か』を理解するのに少し遅れたが、それは聖王レウス。

 なぜ彼が?

 落下から何かできる見込みでもあるのかと思ったが、私を抱きかかえた状態で落下していった。

 

 彼のお陰で着水の衝撃は緩和され、急流に飲まれても上手く浮かせてくれたお陰で溺死からは免れた。

 次の問題は彼自身だ。

 

 急流が途切れるまでにはかなりの時間が必要で、その間に彼もまた体力を使い果たしてしまったのだ。

 溺れはじめた彼を今度は私が何とかサポートする。

 いつ上からとどめの手槍を投げられるかとも思っていたが、私が思うよりも急流の速度は早く、距離も長かったらせいか、追撃が飛んでくる事はなかった。

 

 水の流れが少し緩やかになった辺りで、何とか着岸することができた。

 完全に気を失っている聖王を引き上げるのには難儀したが、それも何とか成功した。

 先まで殺し合っていた相手が自分の命を拾ってくれたのだ、彼を捨て置くのはマケドニア王族の名折れだと自身を鼓舞しながら。

 

 これほどまでに苦労した理由は利き腕の矢傷だ。

 傷のせいで力は出ないし、精密に動かせもしない。

 結局のところ、彼が起きるまでの間……そう長い時間ではなかったがお互いに濡れた鎧で凍えそうになりながら待つことになったわけだ。

 

 ────────────────────────

 

 目が覚めたとき、青ざめた顔のミネルバが最初に映った。

 そりゃあビビったよ。

 死んでるんじゃないかと思ったほどだ。

 

 しかし濡れた服のままで申し訳ないと謝られたが、彼女もまた鎧を脱げずに凍えていたことがわかった。

 急ぎ服を脱ぎ、或い片腕の自由が利かない彼女を脱がし、

 ……これはまるでアレだ。

 火を()こし……よくある無人島で敵と二人きり……始まるドラマみたいなね。

 

「しっかり布を噛んでいてくれ」

「……」

 

 頷き、適当な布を噛むミネルバ。

 オレは一気に矢を引き抜く。

 噛み締めた布の奥から「ぎ……ぅ……」と悲鳴が漏れる。

 オレは急いで『きずぐすり』を振りかけ、簡単にだが傷を縫い縛る。

 暫くは痛みに俯いているが、それでも弱音を吐かないのは心の強さを理解するに十分なことだった。

 

 その後は周りを集めて燃えそうなものを探した。

 オレもミネルバもガタガタと震えながら。

 枯れた枝やら、藻類やらを集めたあとが次の問題だった。

 火を()こすってどうやるんだ、ってな。

 

 (黒と赤の炎)ならあるだろうって?

 それをやると死のルーンの力で何もかにもが灰になるんだから求めてる結果にゃならんのよ。

 

 結局持っていた武器同士を打ち付けて起きる火花を乾燥した藻類に落とし、着火させた。

 言ってしまえば簡単だよな……。

 これも死ぬほど苦労したんだよ。マジで。

 こんなことなら攻撃に使えるアイテムを狭間の地で大量生産しておくべきだったと後悔した。

 

 このままだと死ぬかもしれないと思ったオレたちは()きた前で濡れた服を捨てて抱き合った。

 ちなみにこれはまったくロマンチックな意味じゃない。

 本当にこれは死ぬなと思って、動物的というか本能的な意識で肌をすり合わせていた。

 濡れ場?そんな余裕あるわけないんだよ……。

 

 ようやくお互いの体温が上がってきた辺りで、流石にオレから離れる。

 幾分冷静になったオレは荷物を漁る。

 見つかったのはシャロン家で着ていた使用人用の制服だった。

 数着分あったのは助かった。

 ミネルバに渡して、オレも早速着用した。

 

 まあ、それだけ懐の中身を整理してないってことでもあるんだが。

 シャロンの所の使用人はまったく、誰も彼も気配りをしてくれていた。

 こちらが頼んでも居ないのに服は全て洗って綺麗に畳んでくれるし。

 今にして思えば使用人はオレのことをシャロンの情夫だと思いこんでいたからこそ世話をやいてくれていたんだろうか……まあ、終わったことだ。掘り返すまい。

 

 鎧はさておき、毛皮の外套も乾燥させたり、懐を漁って出てきた『免疫の干し白肉』と『茹でエビ』

 を二人で分けて食べた。

 食いでがありそうな『勇者の肉塊』とかがありゃよかったんだが残念ながら手元に無し。

 ミネルバはオレが懐から食べ物を出して、それが美味しく食べれる鮮度を保っている茹でエビだったりするのには驚いていた。

 よく考えんでも不思議だが、今はそこには言及すまい。

 狭間の地に感謝するだけだ。

 不思議なのはこっちの世界の武器はしまえるが、食事のたぐいはしまえない。

 狭間の地のメシのように何かしらの恩恵(バフ)があるものでないと収められないのだろうか。

 

 外套だが、元よりそれなり以上に撥水なのか防水なのかはわからないが、水に強い性質だったらしく毛皮の外套はふわふわふかふかになった。

 血が足りないのか、体力が完全に尽きたのか、半死人状態のミネルバを外套に包んで寝かせた。

 オレは前も言ったかもしれないが、眠りまでのスパンがかなり長いので、今日は寝る必要も感じなかった。

 とはいえ、ミネルバを置いて周辺の探索に行く気も起きなかった。

 

 まるで捨てられた子犬というか、親に置いていかれた子供のような表情をするミネルバをそのままにしておける感じでもない。

 

 鉄の女というか、武人というか、そんなイメージが先行していたせいで、その表情をされると心配になるが、腕に大穴開けられて、落下して、急流に飲まれつつ、助けに来たと思った男は溺れてて、その後は凍え死にかけて……まあ、精神的に弱るのも当然だ。

 

 眠りこそしないが、火の番を続けるという名目で彼女が起きるまでの間は側にいることにした。



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逐われたる王女

 起き上がろうとしたときにがくんと体勢を崩す。

 腕に力が入らない。

 

 この場所は……。

 

 ああ、思い出してきた。

 昨日のあれこれの事を。

 ……そのあれこれに関しては、命の危機だったんだ。お互いに触れることもあるまい。

 

「無理に起きるなよ」

 

 聖王が私の側に来て、腕の傷を見る。

 

「風穴空けられた事を酷くないと考えるなら、それよりは悪化はしてないな」

 

 つまり膿んで腐り始めているということはない……ということだろう。

 

「きずぐすりをもう一度使おう、その後に包帯を替える」

「……手数をかける」

「いいさ」

 

 治療行為を行う彼を見やる。

 小器用だ。

 

「手慣れているな」

「あー、今使ってる奴が便利なだけだ

 オレの所の開発者は優秀でね、オレが必要だって頼ったものはすぐに試作品を作ってくれる」

「今使っているのもか」

「ああ、医療杖は誰しも使えるわけじゃないからな、戦列歩兵(ソルジャー)戦列騎士(ナイト)たちだけでも最低限の医療を行えるための医療キットって奴でね

 きずぐすりと違って即効性はないが、怪我の治り自体はかなり早くなる

 それにかなり安価に量産できる予定だ」

 

 きつく縛りすぎていたら言ってくれ、いやちょうどいい、なんて会話をしたあとに。

 

「一国の、それも敵国の王に看病をされる王女とは、笑い話にもならんな」

「そう言うなよ、抱えて落下した勇気に免じて一旦立場は忘れてくれ、お互いにな」

「努力はする……だが、質問はある」

「答えれる範囲なら答えるよ、暇だしな」

「なぜ、私を助けた?

 ……貴方は粗暴で我欲に忠実な人間だと聞いているが、戦略上で失敗をしているという話を聞いたことはない

 その眼力があるのならば私の価値は定め終わっているはずだ」

「マケドニアの王女だが、政治的立場は無く、後ろ盾になる貴族もいない

 むしろ国全体がミシェイルを推している今、目立たれては困るからこそ最前線に送られた

 白騎士もいないということは半ば死ねと命じられているようなもの」

「そこまでわかっているのに何故、助けた?」

 

 やはりそこらの賊が運に任せて王になれたわけではない、それに加えて私には妹のマリアをマケドニア軍部とアカネイア貴族に人質に取られているという背景もあるが、知らずとも当然のことだ。

 聖王は小さく、苦笑めいた表情を浮かべた。

 

「戦場で斧を構えた孤影のお前が美しかったから、

 そんなお前が落ちるときに何もかも手放したような顔をしたから

 ……まあ、オレはお前が思っているほど全てを見通しているわけじゃないんだ

 自分に対する風聞なんて知ろうともしてなかったしな

 理屈で動いちゃいないんだよ、ただ、お前が言う所の我欲ってやつに従って生きているお陰で一貫するっていう合理性を持っているだけだ、そいつが上手く人も国も回してくれるようになっている」

 

 理解できない。

 

「理解できない」

 

 思ったことを口にしてしまった。

 そうしてしまった以上は続けねばならない。

 

「聖王レウスはアカネイア大陸の生ける伝説だ、それを私の姿が気に入ったから、気に入った姿に陰りがあったから助けた、そう言っているのか?

 ……正気なのか、貴方は」

「度々言われるけどな、正気だからって狂ったことがないって話にはならんのよ

 生卵を茹でるのと同じでな、一回狂っちまった奴は正気に戻ったからって元々の形には戻れないのさ」

「ええい、(けむ)に巻くな、聖王」

「レウスでいい、立場を持って喋った所でここに臣民がいるわけでもなし」

「それは……わかった……レウス

 よく聞いて欲しい」

「ああ、なんだ」

「貴方はどうして『そんな』なのだ?」

「『そんな』って、なんだよ」

「流石に近しくもない人間にこれ以上の直言はできん」

「それを言った時点でしてるのよ、ミネルバさん」

 

 思わず溜息も漏れ出るというもの。

 

「……貴方を普段止めるものはいないのか、苦言を呈したりするものは」

「いなくはないが、最終的にはみんなオレを甘やかしてくれるからな」

 

 私は頭を抱えた。

 正直な話、アカネイアを荒らし回るアンリを騙るかのような蛮人レウスの話は良くも悪くも吟遊詩人たちの格好のネタだ。

 

 どこまでが真実かは定かじゃあない。

 

 海賊に支配されたタリスとガルダを武器一つで救い出した伝説の始まり、

 歴史上最悪の山賊サムシアンと恐るべき剣士を一人で退けた大乱闘、

 アリティアの后リーザを襲う魔竜との決闘、

 グルニアの猛将ホルスタットとの一騎打ちと猛将がまことの主を見つけるまでの一章、

 若き王女シーマをディール侯爵の手から取り返し、一騎打ちでの決着、

 タリスの老王が覚醒し、全盛期の姿に若返っての拳と拳のぶつかり合い、

 カダインの魔道王ガーネフとの魔法合戦。

 

 どれもいかにも『嘘』だ。

 けれど、彼はその全てを辿り、自らの下につけている。

 それがでたらめな嘘を物語にするまでの補強をしている。

 私は吟遊詩人の唄を聞く度に少女に戻った頃のようにわくわくしていた。

 この閉塞したアカネイアの地に英雄が来たのだと。

 

 いかにもな嘘、いかにもな伝説。

 下支えする聖王レウスという男の破天荒で向こう見ずな性格。

 都合のいい男がいるものか。

 それがあってしまった、その破天荒で向こう見ずで、正気とは思えない行動を見せつけられた。

 

「御身はこの閉塞したアカネイア大陸を変えうるものなのだ、それを自覚されるべきだ」

「それでお前を見殺しにしろって?」

「……それは、……ああ、そうだ

 私なぞ見殺しにするべきだったのだ」

「そんなことしたらリーザに叱られて、シーダには心を心配されちまうからなあ」

「細君がお二人いらしたというのは吟遊詩人の創作ではなかったのだな」

 

 叱られる、のは見殺しにするのはアリティア聖王国の主としての振る舞いではないからだろう。

 心配される、のは予想もできないが。

 

「リーザだったら、『好みに合う娘だったんでしょ?その上で見殺しにするなんて信じられない』ってな」

「女王殿下はその……特殊な趣味をお持ちなのか?」

「嫁さん増えても自分を愛する心が誰かと同じ種類にならない限りは怒らないだけだろう」

「空のように心の広い方だな……」

「それにどうあってもオレが離れられないって自信があるんだよ、リーザには」

「事実そうなのか?」

「事実そうだな」

 

 予想もつかない。

 私であれば夫がそんな事になるとしたなら……いや、考えたこともない。

 一般論ならば予想も付けられるが、レウスの細君二人は凡人でもないのだから。

 ……私はそうなったらどう思うのだろうか。

 

「シーダも似たようなものだろうな、『心を動かされたのに手を伸ばさなかったのですか……?』って言ってくるだろうよ、その後に部下に言って数日休ませろとか、ガーネフに薬を処方してもらうだのと騒ぎそうだ」

「それもまた愛……なのだろうか」

 

 私の両親は、いや、多くの王家とはそれほど近い関係性にならないものだ。

 夫婦とはあくまで王族や貴族としての仕事。

 その関係性は羨ましくも思う。

 そうした家庭で幼少期を過ごせていたらきっと楽しい日々だったのだろう。

 

「とにかく、オレはお前が放っておけなかった

 お前の外見が好みだったから、それで納得できるならそういう事にしておけよ

 少なくとも一国の王が命をかけるくらい好みの外見をしていたことは自慢になるんじゃないか」

「……今は、それで納得しておこう」

 

 どこからか取り出した食品を渡され、寝ているように言われる。

 彼はどうやら焚き木に使えそうなものを探しに行くらしい。

 手伝いたいが、この体でできることなどない。

 食事と火の暖かさで私は再び意識を眠りへと落としていった。

 



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助けを求める

「お前の騎乗竜を見つけた」

 

 竜に括り付けていた武器を回収して戻ってきていた。

 手斧はまだしも、オートクレールを遺失するわけにもいかないだろう。

 

「……何故私に渡す?」

「お前のだろ?」

「それはそうだが、これがオートクレールであることは理解しているのだろう」

「ああ」

「自分のものにしない理由は何故だ?」

「そんなつまらんことでお前の信頼を損なう方が損だと思ってな

 もう少しで傷も癒えるだろうし、そうなればここからおさらばできる

 その時に下手に敵対でもしてようものなら、」

「今更敵対するものか」

「ま、どっちにしろオートクレールはミネルバ王女の手にあってこそだと思ってるんだよ

 そっちの方がかっこいいからな」

「貴方のことが本当にわからんよ、私は」

 

 だが、それでも愛用の武器が手元に戻ったことは安心にも繋がるだろう。

 

「気の重い報告もある」

 

 オレは焚き木の燃料となるものを懐からそこらに転がしながら言う。

 

「お前の騎乗竜は死んでいた」

「ああ、そうか……いい竜であったが、残念だ」

 

 だが、彼女曰く、あの騎乗竜はアカネイアのために渡された竜であり、

 多くの空を駆けた相棒は今もマケドニアで生きているらしい。

 それも戦力として数えられて巻き上げられたわけか。

 

 周りを少し調べてみたが、地上部に向かうためには徒歩で進むしかない。

 トレントを呼ぼうとしてみるも、やはり霊馬にとっては屋内扱いなのかをいやがって現れてくれなかった。

 焚き火をしているここは天井部が空いており、日中には太陽光を得られるし、煙もそこから逃げてくれる。

 追手がいることを考えれば一長一短だが、これで追手が来てくれるなら物資の補給ができると割り切れるというものだ。

 

 道中で泳いでいた魚を幾つか捕まえてきたのもあるので、それを調理する。

 味付けは『鳥足の黄金漬け』を細かくしたものと、『ヘルバ』という草を刻んだもの。

 それらで蒸すようにしてやると程よい塩加減と香草独特の香りが魚に移り、食欲を刺激してくれる。

 

 利き腕が自由にならない彼女のために魚の身をほぐしてやる。

 何の他意もなかったが、病人の世話だと思っていたせいで「はい、あーん」とやったら、

「自分で食べることはできる、そこまでされるとマケドニア王女としてのプライドが割れてしまうから容赦してほしい」と言われた。

 いじめたかったわけではないので、ダガーで削り出したカトラリーを渡す。

 

 マケドニア王女が「これほど美味しいものを、こんな場所で作れるとは……」と喜んでいた。

 戦乱で負けたら田舎で料理屋でもやるかな。キャッチコピーはマケドニア王女も震えて喜ぶ。

 まあ、震えたのは単純に未だに体調が戻りきっていないだけだが。

 

 ────────────────────────

 

「準備はどうだ?」

「ああ、しかし石鹸まで持っていたのには驚いた」

「オレも自分で驚いた

 あっちじゃ使ったことなかったんだが、持っていてよかったよ

 この地下水脈生活で一番の功労者だな」

「あっち?」

「ああ、えーと、故郷の事さ」

 

 ミネルバとの地下水脈生活は大体十日ほどだった。

 思っていたよりは長くなったが、ミネルバも完全に復調している。

 その生活の中でお互いにあえて口にしていないことがあった。

 

 ここを出た後にどうするか。

 

 ミネルバはレナの為にも戻る必要があるだろう。

 オレもこのままぼんやりしているわけにもいかないのでアカネイアパレスを攻めなおす必要がある。

 そうなれば敵同士。

 あの場で話すべきことじゃあない。

 だから何も言わなかった。

 

 ここからすらどれくらいの冒険になるかもわからない。

 狭間の地のように理不尽な怪物が現れることはないと思うが、それでも警戒は必要だろうし、

 人為的に作られた場所ではない以上、明確なゴール(出口)が存在しない可能性もある。

 

「随分と世話を焼いてもらったな、全身の筋力の低下を感じるほどに」

「たった数日で大げさな」

「では私の気が抜けただけか」

「ははは、それだろ」

「ふふ……そうだな」

 

 王女という身分ではあるが、ミネルバはその生い立ちや育った環境から他人との距離を計るのが上手い。

 お陰でオレにとっては気のおけない友人のようにすら感じている。

 

 地下水脈を抜けるのにも三日ほど掛かった。

 毒気溜まりがあったりするとそれでおしまいだろうとか、単純に袋小路に何度も当たったりだとか、

 そんなこんなで時間は消費された。

 

「ミネルバ、見ろよ!」

「陽の光か……?」

 

 この地下水脈の冒険の冒険も終わるときが来たわけだ。

 

 出入り口となっていたそこも、それなりに急でオレがよじ登った後にミネルバの腕を掴んで引き上げる。

 

「うおお、外だ!」

「ああ、こんな事を思うのも馬鹿らしいのかもしれないが、空気が美味しく感じるものだ」

 

 オレたちは脱出に喜ぶ。

 が、次の問題はここがどこか、だ。

 ここまで来たからには街道までは一緒に出るべきだろう。

 

 ……そこからはまた敵同士だ。

 

 方角と進み方に関してはミネルバに任せた。

 空から何度も土地と、そして地図を頭にいれているであろう竜騎士ならば適切なルートを取れるだろう。

 ここまでの付き合いでオレを危地に連れていく可能性はゼロだと言い切っていい。

 そういうことができる奴なら妹を盾に取られるまで国での立場を失うこともなかろう。

 

 半日ほど進むと、ついに街道まで到着した。

 戦乱の時代であるからか往来は無い。

 

 片方を進めばそれなりの規模の街があり、アリティア聖王国への帰り方はそこでわかるだろう。

 もう片方の道はまっすぐアカネイア・パレスへと続いているらしい。

 

「……じゃあな、ミネルバ

 暫くは無理をするなよ」

「ああ、レウス……私の命を拾ってくれた事を感謝する」

「自慢にしていいぞ」

「ああ」

 

 お互いに歩き始める。

 だが、すぐにミネルバの足音は止まり、こちらへと近付いてきた。

 

「──レウス!」

 

 振り向くと装備を投げ出して、跪いているミネルバがいる。

 

「……レウス、貴方は私の外見を好むと言ったな

 それは……おためごかしではないと信じていいのか?」

「ああ、そんなつまんねえ嘘は吐かんよ」

 

 頼む、と声を強くして言う。

 

「ディール要塞に私の妹が囚われている……

 パレスを、アカネイア地方を制圧し、マリアを……妹を助け出してくれないか」

「無茶言っている自覚はあるよな」

「ああ、無論だ

 だからこそ、こうして頼んでいる」

 

 その辺りはそもそも予定のうちではあったが、ここで彼女に恩を売れるならばより素晴らしいことではある。

 

「それを果たしてくれたなら私はお前の端女でも何でもなろう

 私が貴方に支払えるものは我が身しか残っていない……」

 

 私には、と続ける。

 

「私にはもう、誰も頼れないんだ……国も、国を守護する貴族たちも……」

 

 感情が決壊したかのように、言葉を紡ぐ。

 街道の土にぽたぽたと小さな涙の雫が落ちる。

 

「兄上も……誰も……」

 

 オレはミネルバを見る。

 誇り高いマケドニアの戦姫の姿とは思えないほど、小さな姿にっていた。

 

「ミネルバ、本当にその約束をしていいのか?」

「ああ、もう私にはマリアしかいない……

 あの娘さえ助かるなら、私はどうなってもいい」

「オレに粗暴で我欲の人間だと聞いていたっつったが、否定はしない

 いや、肯定をする

 目の前にぶら下げられた餌には人目を憚らずに噛みつくタイプだ

 それをわかって言っているんだよな?」

「……ああ

 ……──どうか、慈悲を」

 

 オレは彼女が落としたオートクレールを掴み、膝を折ってミネルバに目線を合わせる。

 

「なら、まずは聖王国に戻る

 お前の気が変わらない内にパレスを落とすためにな」

 

 オートクレールを持たせる。

 お前にも戦ってもらうという意図は彼女にも伝わったようで、それを掴むと涙も拭かずその双眸(そうぼう)がオレを捉える。

 

 こうして、次に戦うべき相手は定まった。



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聖王国の陣容

 トレントに乗せようと思うも、流石に『まだ』オレの物になったわけじゃないしな。密着距離はな。

 などと心で思う。

 水脈での一件はカウントはしていない。アレは命の危機あってのことだからな。

 

 それにしてもミネルバは確実にオレを誤解しているよなあ。

 据え膳は余さず食うんだよなあ。

 今がその状況じゃないだけで。

 

 それにミネルバが手中に転がり込んでくれるのは、

 オレの性状という意味とはまた別の側面から考えても大変助かる。

 マケドニア支配後のプランに目処が付けられるかもしれない。

 レナは探し出すのは確定だとしても、国を彼女に預けたくはない。

 明らかに彼女は政治向きじゃないからだ。

 

 単純なオレが持つ欲求部分以外で、まだ彼女に嫌われるには早いというのが実情ってだけだ。

 

 まあ、その辺りをミネルバが理解するのはまだ先の話。

 近くの街までそれほどの距離もなさそうなので徒歩で歩き、馬を一頭買い上げる。

 値段は安くはないが、徒歩でちんたらと移動するわけにもいかないし、

 馬車なんて足の遅い移動手段を取っている場合でもない。

 

 馬に乗れるかを聞くと「王族の基礎教養だ」と返ってきた。

 竜に乗れるんだから馬にも乗れるか、とは思っていたが、基礎教養か……。

 

 馬を走らせ、何度か宿やら野宿やらで進む。

 約束はあれど、オレも彼女も努めてそれまでの関係性を維持しようとする。

 ギクシャクしている場合でもない。

 それにオレはミネルバとの関係性が気に入っているのもある。

 ……まあ、この先で手を出したらそれも終わると考えると残念ではあるが。

 

 聖王国に到着する。

 まず最初にやるべきことはリーザとシーダに会うことだ。

 安心させねばならない。

 腹に子供を抱えているのだから。

 ひとしきり三人での再会を祝った後に、

 

「えーと、そちらの方は?」

 

 とリーザが質問する。

 ミネルバはフードを目深に被っており、その姿は見えない。

 王族の前であるのはわかっているので事前にオレから「ちょっと事情があって、あとで説明する」言っておいている。

 つまりその『あと』が来たわけだ。

 

 ミネルバはフードを下ろす。

 赤い髪と瞳があらわになる、リーザは勿論、シーダもその姿が何者を示しているか理解できたようだ。

 

「マケドニア第一王女、ミネルバと申します

 聖王国女王リーザ殿下、聖王国聖王后シーダ殿下の御前で顔を隠し、名乗らなかった非礼、どうかお許しください」

 

 (うやうや)しく礼を取るミネルバの姿は、流石に絵になる。

 

「我らは子を宿しているため、常の如き礼を取れないことを許されよ

 私はアリティア聖王国、女王リーザ」

「聖王后シーダです」

「と、堅苦しい挨拶はこれくらいにしましょう、ミネルバ王女」

 

 リーザがリラックスして頂戴と態度を軟化させる。

 そうしてすぐにオレに顔を向けた。

 

「あなた、『また』なの?」

「レウス様……、『また』なんですね……」

「『また』って何だよ、『また』って」

 

 リーザは会話を区切るようにしてから、

 

「ミネルバ王女、失礼な事を言うかもしれないけれど許してくださるかしら」

「ええ、何なりと」

「レウスが何か失礼な事をしていない?」

「失礼な事などと、私は彼に命を救われました」

 

 ここでようやくミネルバと共に有ったことを説明する。

 そうして、後半のやり取り……つまりは彼女の身柄に付いての約束の話が終わった。

 

「端女でも何でも、なんて仰ったの?」

「ええ」

「レウスにとってあなたの外見が好みだというのは理解されているのよね?」

「それに関して、謝罪のしようもありません

 事実として何もやましい関係にはなっていませんが、

 それでも泥棒猫のような真似をして約束を──」

「そんな事はいいのです、ミネルバ王女」

「あの、私達が心配しているのはですね、ミネルバ様……」

 

 シーダが困ったような顔をしてから、それでも言うべきだろうと言葉を続けた。

 

「そこまでレウス様が執着なされるなら、その……」

 

 おそらくシーダが言いたいのは妻に迎えられる覚悟はあるのか、なのだろうが、

 ミネルバの解釈は違ったようだ。

 

「この身の全てをどうされようとも、レウス殿の物である以上、私に否やはありません」

 

『道具扱い』される事は承知している、と発言する。

 我が妻二人も誤解に気がついているようだが、

 シーダはどう言えばいいかわからず、

 リーザはその状況を楽しんでいた。

 

 実際にどうなるか決めてすらいないが、険悪にならないのであれば安心だ。

 心の広いというべきか、オレの最大の理解者二名が彼女たちで大変ありがたい限りである。

 

 この後も多少の歓談を交えたが、ミネルバも疲れもあるだろうということで解散となる。

 ガーネフに選んでもらった杖使いを集め、ひとまずはミネルバの治療も進めることになった。

 

 ────────────────────────

 

 オレはオレでアランに謝ったり、こっちの視点で何があったかの報告をしたりで忙しかった。

 ミネルバも動けないわけでもないので立ち会ってもらう。

 

「お前らに言葉を着飾ってもなあ」

「着飾った事ってありましたっけ」

 

 オレの言葉にノルンが返す。

 

「なかったっけ?」

「お味方に付かせていただいて以降は聞いたことはありませんなあ」

 

 腹心たるホルスタットまでそう言って一同が笑う。

 ひとしきり笑った後に

 

「ここにいるミネルバ王女のためにアカネイア・パレスを攻め、支配する

 どちらにせよアカネイア攻めは既定路線ではあるが、オレにとっての理由ができた」

「王女のため、と?」

 

 フレイがどういうことかを投げかけ、

 

「……いえ、やはり結構」

 

 止めた。

 

「賢明ですね」

 

 ノルンがフレイに言葉をかけた。

 

「ともかく、アカネイアを攻めるがその辺りの情報はミネルバが持っている

 話してもらえるか?」

「無論だ、レウス」

 

(呼び捨てですよ)

(やはりそういうことでしょうな)

 

 ノルンとホルスタットはひそひそと話している。

 ミネルバには聞こえていないかもだが、オレには聞こえているんだよなあ……。

 

 ともかくとして、ミネルバがもたらした情報はアカネイア・パレス攻略に対して非常に大きいものであった。

 

「アカネイア攻めですが、動員するものは決まっておいででしょうか」

 

 アランの質問にオレは「まだ決めていない」と答える。

 

「であれば、もう一度参加させていただけないでしょうか

 戦場での知己を得ました

 もしかしたならば説得が通じるかも知れません」

 

 何が有ったかの情報を聞いた上でオレは、或いはアランも、応じずとも少しでも力が減衰する可能性を考えている。

 汚かろうと、戦いは勝つことが至上命題なのだ。

 

 暫くの時間は掛かったが、陣容は決定した。

 

 アランが率いる騎兵部隊、これは先遣隊で動員したのとほぼ同じだ。

 通常の騎兵に加えて、医療騎兵が従軍する。

 

 ナギと従わせた飛竜たち、飛竜は完全にナギの支配下にあるようで、

 彼女の手によって躾まで終わっているという。

 

 ミネルバには兵を付けるかどうかで少しばかりの問題は出たものの、

 最終的にはホルスタットが新たに設立した戦列騎士(ナイト)戦列歩兵(ソルジャー)の陸戦部隊を預けることになった。

 というのも、ミネルバもまた騎乗竜を失った状態であり、斧を使う以上はその戦いぶりに耐えられる馬を探すのが難しいため、彼女も歩兵として参加するためだ。

 

 学院の仕事が終わったのか、ガーネフも途中参加し、彼までも参加したいと言い出した。

 曰く、自分が目をかけた魔道兵が気になるのだと言う。

 幾つかの研究中の魔道書の実地データも欲しい、つまりは戦いが欲しいということらしい。

 ただ、自分は王城とリーザやシーダを守らねばならないため、エルレーンに軍を任せたいと言う。

 勿論、実地データの回収も含めてだろう。

 

 同じく途中から入ってきたエルレーンは嫌な顔を隠すこともなく、

 しかし、

「レウス様のお目付け役も必要ですからね」

 と同道することを決めた。

 

 連合軍に背を衝かれるを警戒し、ホルスタットが軍を後ろから率いてその辺りを睨み上げる。

 

 アラン、ナギ、エルレーン、そしてミネルバ。

 アカネイア・パレス攻略の陣容はかのようして決定した。



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おめかし

 グルニア、

 防衛用の出城

 

 そこにミシェイルはいた。

 本国からの報告を受け、密使を下がらせる。

 

 同席しているのは朋友たる黒騎士カミュ。

 

「話せるような報告か、ミシェイル」

「お前に隠し立てするようなことはなにもない、カミュ」

 

 手紙をカミュへと渡す。

 それに目を通すとミシェイルとは違い、少しばかり表情を崩す。

 

「ミネルバ王女が討ち死にされた?……不確定な情報とはいえ、こんな情報が出る状況なのか?」

「オレルアン連合の鬼神ミディア将軍、

 そしてアリティア聖王国の現人神レウス、

 この二人を相手にして逃走、戻ってきたのはミディア将軍だけだったそうだ」

「聖王国はレウス閣下が死んだことを隠すような国ではなかろう」

「そうだ、つまりはミネルバはそのどちらかによって殺された

 しかしミディア将軍はオートクレールを持っていなかったともされている」

 

 ミネルバの細首を取って晒すか、さもなくばオートクレールを掲げるか。

 戦果を伝えるならそのどちらかをするだろう。

 特にオレルアン連合はその声望を上昇、維持させるためにはそうした事を忘れるような真似はしない。

 

 一方でアリティア聖王国、いやレウス当人に絞って言えば、雑兵の戦利品すら漁る浅ましき男。

 そんな噂を纏った人間がオートクレールを奪わぬはずがない。

 しかし、同時にレウスは武器を誇示したりもせず、あたかも蒐集(しゅうしゅう)することが目的かのようにも見えるときがあるらしい。

 

 王女の首も宝斧も見つからないとしたなら、疑うべきはレウスとなるのは必然であった。

 

「国に戻るか」

「馬鹿を言うなカミュ、この計画は妹などよりもよほど重要だ

 グルニアとマケドニアの未来が掛かったこの計画に勝ることなどない、それが俺の命であってもな」

 

 扉のノック、カミュは手紙をミシェイルに返すと入っていいと告げる。

 

「報告します!

 ラリッサ将軍が自領よりダクティル軍に合流したとのこと!」

「そうなるだろうな」

 

 ミシェイルは報告に同意をする。

 グルニアの計画、この国の膿を全て吐き出させる内乱の地獄。

 カミュは故国がこれほどまでに腐っていたのかと突きつけられる度に心を痛める。

 

「もう暫くは防戦を続けよ」

「は!」

 

 兵が下がる。

 扉が閉じ、カミュが弱音のように言葉を吐く。

 

「膿を出し切るまで、我らは耐えなければならない

 グルニアとマケドニアの未来の為、ただ、それあるのみだ」

 

 拳を握り、自らを鼓舞するように呻いた。

 

 ────────────────────────

 

「う、む……本当にこれをする必要があるですか?」

「あるのですよ~」

 

 レウスに連れてこられた者の最初の試練。

 それはリーザによる着せ替え人形劇場である。

 

 リーザが女性や美少年を連れ込んでも怒らない理由の中に美的センスの一致があった。

 彼女にとっての好みにあたる外見が完全にレウスと一致しているのだ。

 

 その上でリーザは王族の妻となるべくして徹底した教育を受けており、特に美術・芸能方面に関する教育は当人も熱心であったため、

 他者がどのような格好を取れば不釣り合いにならず、似合うのものをできるかを決定する力が強い。

 

 特に今回でいうとレウス直々に頼まれたからというのもある。

 

 曰く、彼女が戦場で暴れたとき、早い段階で姿が確認されると支障が出る可能性がある。

 だからこそ「彼女の良さを残しつつ、別人になるように仕立ててほしい」と頼まれたのだ。

 

 愛する男にそうまで言われて全力を出さぬ女ではない。

 

 ミネルバとて王女、それも第一王女であるからこそ外見を磨き、着飾ることを学んでいる。

 だがそれは基礎教養としてのものだ。

 ここまで熱心にされる機会はない。

 大勢のメイドを使って、あれでもないこれでもないとして、挙げ句は魔道学院の長まで呼びつけていた。

 

「女王殿下、わしもですな、その、どちらかといえば忙しめな立場でな」

「わかってますわかってます、どうしてもガーネフ老にしか頼めないことがあって」

「……ふー……

 承知しましたぞ、伺いましょう」

 

 ガーネフとてリーザを嫌うわけではない。

 むしろ自分の謀が始まりで『こうなった』という負い目がある。

 そして何より、心服したレウスの妻という立場であれば彼にとっても大切な人物なのは間違いない。

 だからこそ甘えられれば応えたくなるのも仕方がないことである。

 

 暫くして戻ってきたガーネフは部下を数名連れていた。

 

「これでよろしかったですかな」

「そうそう、これこれ」

 

 大斧と呼ぶに相応しいものだった。

 ただ、それ以上に目を引くのは全体の色合い、そしてデザイン性である。

 

「さ、これを持って頂戴」

 

 言われたとおりに掴むミネルバ。

 

(かすかに魔力を感じる?

 マリアのような魔道の才がなくてもわかるということは)

 

 ミネルバが武器の感触に触れているとガーネフが口を開く。

 

「それは我らカダイン魔道学院が作り上げた最新の武器じゃ、風の大斧と呼称しておる」

「何とも、不思議な力を感じる」

「扱える者がいるかは不安なものであったが、軽々と持っている辺り適合したようじゃな

 まだ試作品故に持てるものがおらんでな」

 

 かかか、と笑う老人。

 ミネルバは持てるかわからない試作品を持たせるのか……と思うが、彼もまたレウスの配下であるからこその破天荒さかと思うと釣られて微笑んだ。

 

「それと、これでよかったかな、女王殿下よ」

「デザインも提案した通りのものになったのですね、ガーネフ老」

「元より無理のない提案でありましたからのう……

 ミネルバ王女のお気に召しませばなによりではあるが、如何か」

「素晴らしい逸品だ、これが現代の人の手によって作られたなどと考えられない……」

 

 オートクレールを始めとした、過去の伝説ではない武器でこれほどの力を持つものを彼女は見たことがなかった。

 おそらくにしてその破壊力もあるだろうが、目を引くのは美しさだ。

 碧潭(へきたん)の宝石のようでもありながら、しかしその石のような無骨さや勇ましさがこれを武器と宝物(ほうもつ)の間に立たせている。

 

「さ、武器をおろしてちょうだいね

 シーダ、お願いできる?」

「はい、お義母さま」

 

 シーダはミネルバを座らせると

御髪(おぐし)に触れさせていただいてもよろしいですか?」と同意を求める。

 ミネルバも「ええ、構いません」と答えると、シーダは彼女の髪の毛を編み始める。

 

 編み込みを作り、それを側頭部の辺りで結び、後ろへと流れた髪の毛を纏めて一つ括りにしてテールを作った。

 

「いかがでしょうか?」

 

 メイドはすぐさま鏡をミネルバの前へと提示する。

 

「大変器用であらせられます」

「ありがとうございます、ミネルバ様も大変可憐です」

「それは……ええ、感謝します」

 

 どこかバツが悪そうにミネルバが目を伏せる。

 

「その……お二人は、私を憎まないのですか?」

「なぜ、ですか?」

 

 シーダは本当に理解できていないようだったが、彼女の表情を見て何を言いたいかを察した。

 

「ミネルバ様、レウス様の事はお嫌いですか?」

「まさか

 私の命を助けてくれた方で、強く勇ましい

 それに……私と違って、自由な方だ」

 

 憧れる者を語るような口振りだ。

 シーダは微笑んで、

 

「私もです」

 

 だから、とシーダはそっとミネルバの手を取り

 

「もしも、ミネルバ様がレウス様と一緒になられるなら、私もとっても嬉しいのです

 愛の数は多ければ、それだけ幸せも増えますから」

 

 ミネルバはシーダの言葉に極めて困惑し、そして、偽らざる言葉を口にする。

 

「……レウスが羨ましい」

「自由だから、ですか?」

「いいえ、あなたやリーザ様のような方を妻を迎えられていることがです」

 

 ミネルバ王女、とリーザが横から声をかける。

 

「戦いが終わったら、聖王国に、いえ、私達のもとに戻って来ると誓ってくださいますか?」

「それは──」

 

 レウスの端女になるというのであれば、必然的にそうなる。

 

「……」

「帰って来たなら、またお話をしましょうね」

 

 彼女は鈍感でも愚鈍でもない。

 むしろ状況を聡く理解してしまうからこそ、貴族から嫌われた少女であった。

 だからこそ、戻ってきた時に話すことがネガティブなことではなく、きっと自分にとって都合がいいような事を与えられてしまうのだと直感してしまっていた。

 

(私はレウスを自分の目的のために利用したというのに……

 お二人はそれを知っておられるはずなのに……)

 

 ミネルバは妹マリアに無制限で無償の愛を向けている。

 だが、ミネルバ自身が誰かからそれを向けられたことは一度たりともなかった。

 だからこそ、彼女は気がつくことができなかった。

 

 しかし、無意識ではそれを受け取っている。

 故に、彼女は戦いに勝ち、マリアと共に聖王国へと帰還することを意識外で望んでいた。

 故に、彼女はまっすぐにリーザとシーダを見て、(かしず)く。

 

「必ず、お二人の元に戻ることをお誓いします」

 

 凛とした勇ましさと、目的達成を目前としたみなぎる気力からか、

 彼女の美しさは一段と輝いている。

 ミネルバが聖王国の戦姫として大陸中で謡われるようになる日はそう遠くなかった。



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五大侯の黎明

「よもやオレルアンが敗走するとは……」

「このままで良いのか」

「現在連合軍は広大で肥沃なオレルアンの地の内政に舵を切ったそうだ」

「アカネイア王国の首都をではなく、オレルアンをアカネイアの首都にするつもりというわけだ」

「何と恐れを知らぬものどもめ」

「田舎武者め」

「ゆるせぬ」

「ああ、ゆるせぬ」

 

「そう激するでない、諸卿ら」

 

 五大侯、そしてそれに連なる家でも有力者たちが集まっている。

 

 五大侯で最も強い力を持ち、オレルアンとアカネイアの両国に対してそれぞれに露見せぬように協力して戦争を長期化させている原因の一つでもあり、

 アカネイア王国が持つ歴史と言う名の腐敗を煮固めたような。

 

 ここは五大侯が実質的頂点、アドリア侯ラングの邸である。

 

「アカネイアを落とされるのは仕方もないが、このまま易易と落とされてもつまらぬ」

 

 ラングがヒゲを撫でながら地図を睥睨(へいげい)する。

 

 五大侯と言っても元は一枚岩ではなかった。

 ラング、つまりアドリア侯爵家はアカネイア貴族を代表するかのような振る舞いをしており、

 自らが損をするようなことと、己の名誉のみを重んじる。

 強い力を持つが故に、そのような思想であっても他の五大侯であるレフカンディ侯爵家とサムスーフ侯爵家はラング率いるアドリア侯爵家に付いて回った。

 

 レフカンディ、サムスーフ共に主家を失っているが、この両家は『主家を失っただけ』であり、

 末端までその腐り果てた性質を残したままであったため、ラングとの結びつきはむしろ強くなった。

 名目上、ラングと五分だった主家がいなくなったからこそ、ラングも支配し制御しやすい駒を得たわけである。

 

 ディール侯爵家は中立を保っていたが、その分家である多くの家、特に出世頭だったオーエン伯爵はアカネイア王国軍のトップであり、ラングたちとは袂を分けていた。

 多くの分家もまたオーエンに従っていたが、アカネイア王国軍が敗北し、散り散りになったディール侯爵家筋の人間をシャロンが纏めた。

 そのシャロンが討たれた後にラングは介入し、現在のディール家は全てラングの狗で構成されている。

 とはいえ、本家とそこに強い繋がりがあったものはグラを枕に全員が討ち死にしているのでディールの名前とその影響力を手に入れているに過ぎない。

 

 メニディ侯爵家は例外的で、オレルアンと完全に同盟を結んでおり、

 アリティア聖王国とオレルアンの壁をなしている。

 家を代表するジョルジュもまた、オレルアン連合軍の騎士として戦働きで武功を上げていた。

 

「何か策がお有りなのですか、ラング殿」

「あるとも、とびきりのものが幾つかな」

 

 手元の鈴を鳴らす。

 扉が開かれると薄布を纏った女が現れる。

 

「ほう……艶姿ですなあ」

「素晴らしいのは外見だけではない、ノルダの連中によって徹底的に躾をした上で、

 有り余る魔力を自在に操れるように魔道士どもに鍛えさせたのだよ」

「おお、それはまさか」

「うむ……カダインの閉派が作っていた『守り人』の技術よ

 ミロアが秘匿していたが、その解読には時間がかかったが……司祭のウェンデルが『喜んで』協力してくれたお陰でな、完成したというわけだ」

 

 無論、ウェンデルは秘匿していた情報の読み方だけを教えたのみ。

 対価を得るためにやむなくの判断であった。

 ラングはにたにたと笑いながら、

 

「ウェンデルにはミロアの忘れ形見は渡すことにはなったが、

 二つの『守り人』を一つ失うだけで済んだわけだしな、安い買い物だわい」

 

 手枷と足枷が付けられた女は光を返さないほど淀んだ瞳で地面を見ている。

 

「意識はあるのですかな」

「さてな、何をしても反応はない」

「高貴な身分の彼女がこれほどまでに形を残したままに堕とされるとは、ノルダの技術も素晴らしいものなのですなあ」

「アカネイアにはこれを貸し与えてやるのさ、一騎で一軍以上の働きをするこの堕ちたる姫君をな」

 

 他の貴族が口を開く。

 

「オレルアンに対してはいかがします」

「暫くは動きはあるまい、こちらも可能な範囲でオレルアンの土地をせしめて一枚噛ませてもらえばよい

 アカネイア大貴族の時代を田舎武者どもが終わらせられるはずもないことを教えてやるのだよ」

「流石はラング殿」

 

 その言葉に気を大きくしたラングは、わははと笑い、

 

「何がアリティア聖王国だ、我らを爪弾きになどできんことをしっかりと教え込んでやるわい

 自由都市(ワーレン)をまるまる抱き込んだお陰で手に入った兵士と、この守り人でな」

 

 ラングは『堕ちたる姫君』の尻肉を揉みしだきながら、哄笑を誰にはばかることなく上げた。



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三人のおじさん

「こちらは立て直しが完全ではないのに……聖王国が攻めてくると?

 弱り目に祟り目とはこれか」

「聖王国は既に陣地の構築を先遣隊にやらせているとのこと」

 

 地図に丸を付けるヒムラー。

 それを見て唸るボーゼン。

 

「実に嫌な場所に陣を作るのだな……優秀な戦略眼を持っている人間がいるということか」

 

 先日のオレルアン連合の攻略軍との戦いでアカネイア防衛軍は相当の痛手を受けていた。

 そのため、聖王国が配置した場所はそれほど遠く離れていないものの、

 陣地作成の防衛に兵を回すだけの余力がないのだ。

 

「ボーゼン様、よろしいでしょうか」

 

 会議室には慌ただしく人の出入りがある。

 ボーゼンが呼ばれることは珍しくない。

 

「南ワーレンから兵士が到着したとのことです」

 

 兵士は到着したものから渡された手紙をボーゼンに繋ぐ。

 

「南ワーレン?……そんな連絡は受けていないが」

 

 手紙を開くとボーゼンはやや難しい顔をする。

 

 偽名を使っているが、この偽名はアドリア侯爵家のラングが好んで使う名前だ。

 書状によればワーレンと南ワーレン、そしてディール要塞からも人を派遣すると。

 それぞれが命令系統が異なるため順次到着となることを許して欲しい、とのことだった。

 

 南ワーレンはワーレンほど栄えている訳では無いが、奴隷売買が盛んなノルダとワーレンの中間にあることから表沙汰にならない交易が盛んであり、後ろ暗い傭兵たちもまた多く稼ぎを求めて向かう場所である。

 

 兵士を送られるのはありがたいが、ラングの指導の元であるのならば素直に喜ぶことはできない。

 あの男はアカネイア崩壊の直因と言ってもいい、腐敗した貴族だ。

 だが、この状況で振り解けるものでもない。

 

「トムス、ミシェラン、トーマスには真相を知られるわけにはいくまいな」

「であれば、先んじて彼らを出撃させましょうか」

 

 ヒムラーの提案に頷く。

 

「彼らを簡単に使い潰すような真似をするわけにもいかん

 あくまで補助的な役回りに徹させろ、衝突し、擦り減らす役割はラングの送ってきた兵士からだ」

「そういえば、彼らも既に独自の策を考えていると言っておりましたが……」

「であれば自主性は重んじるべきだろう、しかし死ぬのは外様の我らからであるべきだとは思うがな」

 

 先日の防衛戦でよくわかった。

 今後のアカネイアに必要なのは名誉ではなく祖国の地を守る事を望むもの。

 彼らのようなものが根こそぎいなくなってしまえば次にアカネイアの支配者である五大侯を止めるものは誰もいなくなるだろう。

 だからこそ、生き残って欲しいが、自主性を損なわれるのも困るのだ。

 

 戦場ですり潰す順番を何者かが決定するのは、

 戦場を選べない兵士にとっては残酷な判断だが、この判断をできなければ軍を率いることもできない。

 ボーゼンがここに送られたのはグルニアが指揮官として彼を認めている証拠でもあった。

 

「マケドニア兵はどうなっている?」

「ミネルバ王女がいなくなったからといって特に騒ぐようなことはありません

 戦闘にも参加できます」

「そうか、それであれば一安心ではあるが」

「不満そうではありますな、閣下」

「……ミネルバ王女が不遇であると思っただけよ、あの方は誰よりも国を案じておられるというのにな」

 

 報告と雑談の混じった話をしていると、参謀補佐が数値を纏めたものを提出してきた。

 

「我らアカネイア防衛軍が持ち得ている兵力は──」

 

 トムス、ミシェランのアカネイア装甲騎士団。

 

 トーマスのアカネイア聖騎士団、その弓兵隊。

 

 主を失ってはいるが、士気は低下していないマケドニア兵種混成部隊。

 

 ワーレン自由都市連盟から、

 北の戦列歩兵部隊、南の混成騎兵部隊、ディール要塞から弓騎兵部隊。

 

「……指揮者の少なさが目立つな、やはり」

「マケドニアの部隊はこのヒムラーが受け持ちます」

 

「辛気臭い顔をしておるなあ、ボーゼンよ!」

 

 場にふさわしくない明るい男の声。

 その主は、

 

「ジューコフ!何故ここに来た!?ディール要塞付近の防衛がお役目であろうに!」

「わはは!戦友が苦境であるのに見捨てておける男だとでも思っておったのか!!」

「将軍の座を退くよう言われる可能性もある行いだぞ」

「ハッハッハ!

 それでおめおめとボーゼンとヒムラーが死ぬのを見ていることなどわしにはできんよ!

 それにな、五大侯どもに命じられていた監視任務も解かれ、既に辞する職もない!」

 

 或いはそれは悔いでもあった。

 自分が側にあればこそ、ミネルバの妹であるマリアを害そうとするものから離すこともできる。

 或いはミネルバ自身がヤケになって暴走するのを抑えることもできていた。

 

 パレスが陥落してしまえば、五大侯からしたならアカネイア地方には他の国の軍人がいることは自らの統治に影響を与えかねないと考えたのだろう。

 だからこそディール侯爵家の名の下にパレス防衛へと転任させられた。

 

 ジューコフは大きく笑ってから、声を落とし

 

「ボーゼン、ヒムラー

 貴様たちはこの城を枕に討ち死にする気であろう」

「……」

「グルニアはもうおしまいだぞ、アカネイアもな

 そこまで忠義立てするほどの国だったか、我らのグルニアは」

「……どうであろうな、最早それもわからなくなってしまった

 本国では王室派と貴族派が骨肉の争いをしておる、こちらからの連絡には一切の返答もない

 忠義を示すも、国から試されることもないのであれば忠義立てする価値も調べが付かんよ」

「わしも同じだ、貴様たちが討ち死にを選ぶのであれば付き合おうと思っただけよ

 ヒムラー、貴様はどうだ?」

「気持ちは同じですが……ただ死ぬよりは試したいこともあります」

「ほう、なんだ」

「アリティア聖王国の聖王です、先日もこちらへ攻めて来ました

 結果として攻略軍に甚大な被害を与えて去っていきましたが……

 遠巻きに見た彼の姿は吟遊詩人が唄う者と同じ、まさしく英雄

 どうせ討たれるならば、この大陸を変える男かを知ってからでも遅くないと考えております」

「聖王レウス閣下にはわしも興味はある、腕っぷしは英雄のそれだが女好きで粗暴だとか」

 

 ヒムラーとジューコフの話を聞いてボーゼンは笑う。

 

「まさしく絵に描いたような英雄というわけだ」

「色を好む、か」

「アリティア王国がコーネリアスの后とタリス王国の王女を手籠にしたそうですよ、彼は」

「ああ、わしもシャロンの部下だった男から聞いたぞ、

 シャロン侯爵の許嫁のグラ王女シーマを寝取り、挙げ句シャロン侯爵とまで同衾したと」

 

 ジューコフの言葉にボーゼンとヒムラーは「ええ……?」と困惑の声をあげる。

 

「シャロン侯爵は男性でありますな?」

「うむ、よほどの性豪なのだろうな」

「性豪ではなく雑食なのだと思いますが……」

「だが、貴人ばかりを好むのだな」

 

 ジューコフが言う。

 

「どうだろうか、一つ賭けをせんか」

「賭け?」

「ああ、聖王が貴人や姫君を好むのであれば、死んだはずのミネルバ王女を拐っている可能性はどうだ?」

 

 その言葉に二人は黙る。

 

「ないとは言えませんが、接点もまたありません」

「接点など関係ないのかもしれんぞ、女の好みなど得てしてそういうものであろうよ」

 

 特にグルニアでは女の話というのは事欠かない。

 腐敗した軍部のお陰で生半可なゴシップなど噂話にすらならないのだ。

 

「賭けはどうする?」

「わしの予想がまるっと外れてミネルバ王女が現れなかったり、死んでいるのが確定したならばわしら三人仲良く城を枕にしてしまおうぞ」

「当たっていたらどうするね」

 

 その言葉にジューコフが少し思案してから、

 

「ミネルバ王女が生きて、なおかつこの戦場に現れたのならば、それでもギリギリまでは戦う

 本国を大きく裏切るわけにもいかぬからな

 だが、我らがそこまで戦って尚且つ我らが生きていれば、我らの処遇を聖王閣下に委ねるのはどうか」

「それまでに我ら自身が聖王と戦うのだろう、委ねた先は死しかありえんと思うが」

「どうでしょうね、吟遊詩人の唄を信じるのであれば実力さえ見せて、低俗でもない限りは降伏を受け入れるような人物かもしれません」

「では、賭けをしようじゃないか」

「いいだろう」「私も乗りましょう」

 

 掛け金は自らの命。

 賭けの参加料として多くの財産を持ち出した。どちらに転がるにしても死ぬ算段の方が高いのだ。

 あの世に金は持っていけない。

 

 彼らはその財産を使い、アカネイア・パレスの城下町にいるものたちを脱出させる。

 持ち出した財産は脱出に掛かる費用と、道中の護衛を傭兵に頼んだ代金として支払うことになった。

 

 ボーゼンは笑う。

「これでわしの自慢の超破壊魔法ボルガノンが好きに打てるというものよ」などと。

 

「トロンはどうしたんです?」

「唱えるべき状態にならない限りは降伏の時の材料の一つにでもしようかと思ってな」

 

 主たる指揮官である三人はパレス全てを見ても、最も力を抜いて過ごしていた。

 こんな時から肩に力を入れていたら戦いになったときに疲弊して動けないことを、ベテランである彼らは十分に理解しているのだ。

 

「さて、グルニアの兵法というものを見せてやらねばな」

 

 賭けの結果を知るという目的を得たボーゼンはその高くなった士気のままに、戦術を練り込みなおすのであった。

 



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アカネイアパレス前哨戦

 事前の調査の通り、好立地に陣地を作成することができた。

 アカネイア・パレスを中央として考えれば南西から西に掛けて配置された。

 

 続々と到着する兵士や荷駄、拠点防衛の構築も特に邪魔されることはなかった。

 

「いっそ不気味な静けさではあるな」

「相手方も後方から兵士を集めているようですから、横槍をいれてほしくないんでしょう」

 

 その状況にオレが漏らした一言をエルレーンが返した。

 

「戦力的にはどうだ?」

「数の上では相手が後方から引き出してくる数にもよるでしょうが、現状では数は同等程度です

 ただ、今回我々は新しい戦術を試しに来ている側面もあるので実際的な戦力差自体は説明できません

 とは言っても不利になることだけはありませんよ」

 

「レウス」

 

 エルレーンとの相談中にひょことナギが顔を出す。

 

「どうした?」

「飛竜たちとの偵察が終わった、推定を含むけど報告してもいいか」

「ああ、頼む」

 

 飛竜に転じたナギとそれに従う竜を使って、南側から東側へと大きく迂回する形で偵察をしてもらっていた。

 相手の状況を見ることも目的ではあるが、

 飛竜に警戒してこちらと相手が睨むあう場所から兵を後方に警戒のために割く可能性を見たのだ。

 

 ナギの報告では予想よりも数は多いが、行軍速度もかなり低いようだった。

 砦跡を利用した野戦築城も完了していたが、広さ的には二、三部隊程度が収まるかどうかといったもの。

 装甲兵を中心とした歩兵部隊と弓兵たちを目視、飛兵や騎兵は上から相手拠点を見た感じではいなかったようだ。

 

「しかしパレスを見に行かなくても良かったのか」

「流石に危険度が高そうだからなあ、万が一にもグルニアの長距離砲台(シューター)なんざ配備されてたら目も当てられん」

「しゅーたー」

「めっちゃ遠くまで届く弓矢みたいなもんだよ」

「それは怖いな」

「ああ、めっちゃ怖い」

 

 ナギが「この後はどうすればいいか」と聞いてきたが、彼女の次の出番はもう少し先。

 それまでは本陣の守りを頼むことにした。

 

「情報を引けたし、こちらから動くとするか」

「承知しました」

 

 最初の衝突はアランの隊に任せることにした。

 装甲兵がどう動くを見ておきたい。

 オレはその助攻を担うことになる。

 

 ────────────────────────

 

「一番槍だとしても、変わらずに進めるぞ

 ──前進、開始」

 

 アランの言葉から騎兵たちが動き始める。

 馬蹄が寄せる波の音のように戦場に広がっていった。

 

 聖騎士(パラディン)であるアランと、彼と長くに渡って転戦した麾下たち。

 彼の麾下もまたいずれもが優れた聖騎士(パラディン)である。

 それらの両翼に拡がるアリティア騎兵。

 騎士たちのすぐ後ろに医療騎兵たちが追従する。

 

 装甲兵たちが陣取るのはアカネイアパレス外に作られた野戦陣地だ。

 連合軍の時と異なって、市街戦の防衛に当たっていないのはパレス側に新たな防衛力が持ち込まれていることを示していた。

 総大将はグルニアの武将であるから、おそらく新たな防衛力もまたグルニアに関係するものだろう。

 少なくともドルーア同盟からしてみればアカネイアの降将の運用はリスクばかりがある。

 野戦で使い潰すくらいが丁度いいと考えて然るべきだろう。

 

 雄叫びもなく迫るアランの軍は傍から見ていて不気味である。

 そして、それは騎士団の練度の高さを示しているものでもあった。

 戦場で叫ぶことはそれだけで恐怖を殺すことができる。

 誰だって死ぬのは怖い。

 それを雄叫びは紛らわせることができる。

 

 だからこそ、叫ばない騎士団というのはそれだけ戦場では異質で、不気味であった。

 

「さて、オレはどこを攻めたもんかな……」

 

 一人寂しく喋りながら見渡す、野戦築城された一角は高台にあり、弓兵を配置するのであれば絶好の地点だ。

 ここで試したいことに飛竜の運用がある以上、弓兵が厄介な相手だ。

 それにそうでなくとも優れた弓兵であればアランたちを横合いから正確に射抜きかねない。

 世の中には走る騎兵を正確に射殺すような奴が少なからずいるのをオレは知っている。

 

 目的を定めた以上は(ケン)に周り続ける必要もない。

 トレントを走らせ、孤軍で弓兵が待ち構えていそうな高台へと進んだ。

 

 ────────────────────────

 

「トムス、あれを見よ」

「ミシェラン、あれは」

 

 迫る騎兵隊を見る。

 彼らが恩義を持つ相手だ。

 だが、アカネイアを守ることを決めた彼らが取れる行動は降伏や撤退ではない。

 

「……悔しいが、グルニアどもにパレスを任せるしかあるまい」

「玉砕せぬなどアカネイアの武人にあるまじき不名誉だとミディアは笑うやもしれんな」

「だとしても、我らはニーナ王女を信じることもできぬ以上は」

「ああ、そう思った我らは既にアカネイアの武人ではないのだろうな」

 

 お互いの盾を当てて鳴らす。

 彼らにとっての生存へのジンクス。

 

「新たな時代を作るアリティア聖王国に滅びゆくものの手並みを見せつけてやろうぞ、トムス」

「ああ、鈍い光であろうとも我らにも輝くものがあることを教えてやろうぞ、ミシェラン」

 

 トムスとミシェランが野戦の拠点を兵団を連れて後にする。

 

「グウオオオオオッッッ!!!」

「グゴオオオオオッッッ!!!」

 

 装甲兵の兄弟が雄叫びをあげる。

 頭も喉も割れんばかりの大喝を。

 

 アランたちとは対象的な、燃えるような叫び。

 誰しもがそれこそが風前の灯が見せた光であることを理解している。

 

「突!!」「撃!!」

 

 装甲兵が言葉を発し繋げながら突撃を敢行する。

 

 アリティア聖王国によるアカネイアパレス攻略戦の幕が開けた。



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戦況、二転三転

 アランが槍を空を指すように立てる。

 

 それを見た医療騎士(ロッドナイト)が前を走る騎兵に二種の杖を振るう。

 

 カダイン魔道学院が作り出した能力を引き上げる効果のある杖。

 その恩恵は極めて小さいものだが、筋力と速度を引き上げる。

 個人の筋力がが一つ二つ大きくなるだけで戦闘に大きな有利がつくわけではないが、

 それが部隊として束ねられたときに持つ破壊力は比類ないものになる。

 もう一つの強みは速度の変化だ。

 

 目視で相手の動きを確認している間で不意に速度がいきなり変化するのは相手を揺さぶるにも効果的で、

 急な加速は弓兵の狙いも外すことができる。

 

 その変化に装甲兵の兄弟は「警戒ィィ!!」と叫ぶのが精一杯で、すぐさま迎撃姿勢を取る。

 

 次の瞬間には馬蹄の波が彼らの部隊を一直線に切り裂いた。

 

「なんという貫き力か……」

「反転が来るぞ!」

 

 その言葉に相手の力の感想を述べたトムスがすぐさま

 

「突撃させるなァ!!

 手槍用意ィ!!」

 

 と鉄の槍から手槍に構えなおし、それに習うようにして周りも手槍を構え

 

「引きつけろ、引きつけろ……」

「放てッ!!」

 

 手槍を雨のように降らせ、反転してきた騎兵たちはそれを武器や盾で防ぐも、無傷ではいられない。

 このまま手槍で戦ってもいいが、手槍で勢いは殺せている。

 であれば鉄の槍に持ち替えての乱戦の準備をするべきか……二人がその判断を下す前に状況が変わった。

 

 騎兵がそこかしこでほわほわと光り始めたのだ。

 

「追走させている医療騎兵で走らせながら回復しているのか!?」

「回復させる隙を与えるな、手槍を放ちながら交代しろ!!」

 

 もはや殴り合いで勝てる目はなくなった。

 すぐさま撤退を指示するが──

 

 ────────────────────────

 

 みんな大好きトレントアスレチックタイムだ。

 装甲兵と迎撃部隊の留守を狙って侵入させていただくぜ。

 

 高台に昇るために岩やら太い枝やらを飛び跳ねて、ようやく侵入に成功する。

 野戦築城されたそこは元々が何かの──恐らくは出城かなにかの廃墟だったらしく、一部一部に物見や城壁めいたものが残っていた。

 トレントから飛び降りるようにして入り込むが、妙な状況にすぐに気がつく。

 

 弓兵がいない。

 それどころか兵士の一人もいない。

 全軍で騎兵の迎撃に出た?

 ……いや、それは考えられない。

 この臨時の砦は明らかに弓兵を運用することを考えている。

 

 高台から周りを見渡し、状況を確認する。

『何かないか』という目で見渡すことで初めて気が付くものもある。

 

 先程までは誰もいなかった場所に、アランの部隊を射程範囲に収めている弓兵部隊が現れていた。

 どのようにして現れたかのトリックを明かすのはさほど重要ではない。

 問題なのは方角的にはパレス側であり、弓兵を狙ったとしても、更にその後ろで待機するグルニアの騎兵部隊が攻勢に打って出るだろう。

 相手とアランに距離はあれど、それはオレからも距離があることを示していた。

 

 ここで手をこまねいているわけにもいかない。

 オレはトレントを呼び出して装甲兵をアランの攻めと挟撃するために行動を始めた。

 

 ────────────────────────

 

 装甲兵兄弟が撤退を指示する。

 戻るは野戦の拠点ではない、パレスへの逃走だ。

 

 馬がなければ長すぎる距離の移動となる。

 背にアランの追撃がある以上はそれは自殺と同じだ。

 

 しかし、聖王国側が予想していない増援が登場した。

 弓兵部隊が何もない野から臨戦状態で、だ。

 

 レウスやアランが知る由もないが、この辺りの廃城はそれらが同士を繋ぐ地下通路が残されており、大部隊でもなければそれを使っての奇襲や強襲、脱出が可能なのだ。

 

 レウスが考える通り、グルニアの将からすればアカネイアの降将と降兵は運用するリスクがある。

 使い潰す方が健全ですらある。だからそうする。

 

 だが、レウスの考えることと防衛側が考えることには差異があった。

 リスクがある戦術を許容し、万が一があっても戦術上の後悔がないような使い潰しをする。

 果たしてその策は的中し、現れたアカネイアのトーマスが率いる弓兵隊が騎兵に矢を浴びせかけたのであった。

 

 ────────────────────────

 

 本陣の近くで量産が完了したウインドを装備した魔道兵団が列をなして魔力を練り上げる。

 

「一列目、放て」

 

 エルレーンが号令を発する。

 放たれた対象は地面。土煙が舞い上がっていく。

 

「二列目、放て」

 

 その土煙を押し出すように次の魔道士たちがウインドを放つ。

 淡々とした声でエルレーンは「三列目、放て」と発した。

 

 再び「一列目、放て」と戻り、それを繰り返す。

 土煙は広がり、しかしウインドによって制御され煙の壁のようになって前進していった。

 

「全員準備はいいな」

 

 ミネルバはフード付きの外套を目深に被り、魔道兵団の横から戦列混成部隊(ナイト・ソルジャー混成部隊)を連れて現れる。

 その部隊のいずれもが同じフード付きの外套を纏っている。

 ミネルバに取っては自らの姿を明かさないための隠蔽であるが、同時に『この戦術』で目などの粘膜を守るためのものでもあった。

 

「全速前進!」

「オォ!!」

 

 隊長たるミネルバが鋭く踏み込み、大地を蹴るようにして走る。

 それに続く戦列混成部隊。

 煙はミネルバ隊の姿を隠し、風が彼女たちを押し上げるようにして突き進ませる。

 

 アカネイア・パレスの戦いは二転三転の激戦へと足を踏み入れた。



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入り乱れ

 退却する迎撃部隊(装甲兵たち)を支援するようにトーマス率いる弓兵隊が矢をこれでもかと打ち込む。

 それは予想以上の効果を上げ、アリティア聖王国の騎兵に打撃を与えていた。

 

 しかし、それでも四侠と呼ばれた猛者たるアランも手をこまねくことは一切ない。

 すぐさま状況立て直しのために、部隊を幾つかに分ける。

 

 敵の迎撃部隊を追いかけるアランたち、

 負傷兵をカバーするために手槍を移動しながら撃つ陽動役、

 そして負傷兵を抱えて撤退する部隊だ。

 

 一方で城門で待機していたグルニア騎兵は撤退してきた装甲兵たちを迎えるために出撃する。

 

 位置関係を説明すると、以下の通りとなる。

 

 南から攻め寄せているアランたち、

 その北に装甲兵、

 さらに北に弓兵、

 そのさらに北に城門を守っていたグルニア騎兵。

 

 装甲兵たちが詰めていた野戦拠点は装甲兵の東側に存在しており、

 レウスは弓兵を狙うが、しかし直線的な動きでは最大戦果を狙えないと考えて戦っている者たちの目に映らないよう砦の東出口から出て、主戦場となっている西に迂回する形で向っていった。

 

 砂嵐と共に向かうミネルバはレウスとは逆に、西から東へと向かう形で前進していた。

 

 ────────────────────────

 

「なんだこの砂嵐……は……?」

 

 ウインドの効果範囲が尽きた後、どれだけ近づけるかは運任せであった。

 晴れてみれば弓兵までの距離は多くて一射分だけ。

 とびきり運がいいわけでもないが、悪くないならば十分だと渦中のミネルバは考える。

 

「敵兵!敵兵出現!!」

 

 弓兵の一人が叫び、それがその人物の最後の言葉となった。

 轟音が鳴った。

 空気が破裂するような音を立てて部隊の先陣を切っていたミネルバが武器を振るったのだ。

 風の大斧と呼ばれたそれが叩きつけられると原型も残さずに敵兵を撃破する。

 怒涛の叫びを上げて戦列歩兵と戦列騎士が弓兵部隊へとなだれ込み、切り伏せる。

 

「ミシェラン、トーマスの救出を!!」

「トムス、お前はどうするつもりだ!!」

「ヒムラー殿を援護し、あの斧騎士を打倒するッ!!」

 

 ────────────────────────

 

 砂嵐から見える人影がある。

 城門を守るヒムラーは、兵こそ動かすつもりはあったが、自身が動く気はなかった。

 それは保身ではなく自分が動くことで城門を抜かれる可能性を捨てられなかったからだ。

 自分の仕事は城門に近づくものの撃退。

 騎兵は城市に入ってしまうとその力を発揮できなくなるのだから、野戦での働きをしないのならば城門付近での戦いに終始することになる。

 

 その判断自体が間違いであることはない。

 だが、もっと前へと配置していれば弓兵たちをカバーできる距離にいたかもしれない。

 勿論、もっと前へと配置していれば砂嵐の人影に気が付かなかった可能性もあるが。

 

 どうあれ、人影が見えた時点でヒムラーは戦闘への積極的な介入を決定した。

 

「トーマス殿を守れ!我らグルニア騎兵が万全に戦えるときこそ今ぞ!!」

 

 猛然と走り出したヒムラーの背を追うグルニア騎兵。

 

 砂煙から現れた斧騎士。

 フードを目深に被ってはいるが、ヒムラーを見やるその瞳は燃えるような赤色。

 他の誰であろうか、その人物はミネルバに他ならない。

 将軍三人の間で行った賭けがある。

 この後の戦いに影響することが間違いないそれだ。

 

(これは報告の必要がある、先程の言を翻してもだ)

 

 ヒムラーは今後の戦術に影響するであろうこの報告を優先するべく、

 馬を反転させようとした時、横撃せんと鉄塊が振り下ろされようとしていた。

 

 ────────────────────────

 

 ウインドを利用した煙幕襲撃が成功したのを確認できた。

 弓兵部隊が雪崩れ込む歩兵たちに立ち所に処理されていく。

 

 装甲兵の部隊とグルニア騎馬兵隊が挟もうと動く。倒すべきは先行する騎馬兵一騎。

 その身なりから隊長、或いはそれに類する立場の人間と見た。

 

 グレートソードを引き出し、ミネルバへとまっしぐらに突き進んでいた騎士に対して、

 横合いから鉄塊をくれてやろうと吶喊(とっかん)する。

 

「ヒムラー様!!」

 

 部下の騎兵が鉄塊の下へと滑り込むようにして庇い、身を挺した盾のせいで敵将諸共とはいかなかった。

 

「巨大な剣に毛皮の外套……謡われるものと同じ姿にその膂力、

 そして本当に単騎で駆け回っているとは……

 この地においての王の器、か……」

 

 睨み合いの状態だが、いつまでも続けることもできない。

 騎兵……ヒムラーの背後からは部下の騎士が迫り、

 弓兵は散り散りになって逃げ出している。

 装甲兵たちはミネルバが連れた兵士たちと衝突を始め、

 さらに装甲兵たちの後ろからはアランの騎兵が武器を向け走ってきた。

 

「陛下、装甲兵の片方は私が!」

「もう片方は私が相手をしよう」

 

 アランとミネルバがそれぞれの装甲兵を相手取る。

 価値の有りそうな首はヒムラーと弓兵隊を率いている緑髪の男。

 ただ、ヒムラーは既に騎兵が壁となり、一目散に後退している。

 追いかけてもいいが、後ろから弓兵に射たれるのも面白くない。

 

 誰がどう戦うとは宣言したが、武将も兵士も入り乱れての状況。

 そう上手く戦えるものだろうか。

 

 駄目なら駄目で、経験になるか。

 乱戦の心得なんて実戦でしか培えまいしな。

 

 オレは下馬するとグレートソードを構えなおし、自らを鼓舞するように小さく笑みを作った。



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トーマス

 途中までは疑いようもなく良い展開だった。

 だが、砂嵐とともに現れた斧騎士と、横撃を狙ってきた聖王によって私たちの目論見は脆くも崩れた。

 

 ジョルジュ様にこそ認められた腕前だと自負したいところだが、このトーマスには足りていないものがある。

 それは彼のような戦術の適正、理解度だ。

 彼が優れているのは大陸一に恥じぬ弓術だけではない。

 用兵をさせたなら軍を勝利に導くための手腕を発揮する。

 

 彼の才能を知っているものは私だけではない。

 むしろ、アカネイア王国においては彼の才能を知らぬ者のほうが少ないだろう。

 

 だからこそ、彼は兵を与えられず、不遇な戦いを続けさせられた。

 彼が手柄を上げれば上げるほどにメニディ侯爵家の名声が補強される。

 五大侯の次期当主でもある彼は他の五大侯だけでなく、多くのアカネイア貴族に警戒されていた。

 

 自分が彼の如き活躍をなどとは望みが高すぎる。

 だからこそ、この戦いでその一歩を始めることができたならと思っていた。

 

 グルニア諸将との軍議で提案された『地下道を使っての奇襲』は勉強になった。

 私からすれば砦の高所を取っての射撃のほうが相手を倒せるだろうと考えていたからだが、

 新たに来たグルニアのジューコフ殿は

 

「そのやり方で倒せるのは兵士だけ、

 お主ほどの腕があるのならば将を討ってようやく仕事をなしたと言われるのだ」

 

 と尻を叩かれるような言葉を戴いた。

 ただ敵を多く倒せばいいというものではない。

 歴戦のグルニア軍人が言うことの正当性はそのまま、まだアカネイア王国が国として存在していた頃の防衛でジョルジュが数の戦果ではなく質の戦果にこだわっていたことの意味を理解できた。

 

 ……途中までは上手く行っていた。

 まるで見たことのない騎兵戦術だったが、それでも無敵でも最強でもない。

 横合いからの射撃で確実に損耗を与えることができていた。

 このまま押し込めば勝てる。

 

 それが慢心だったと言われたなら、そうかもしれない。

 次の瞬間に私達の部隊は砂塵から現れた騎士や歩兵に一気に押し込まれることになった。

 

 更にそこに現れた聖王や、援軍に現れつつも状況の悪化を理解して交代したヒムラー殿の姿があったりして、

 結局のところはその全てに対して答えを用意していなかった自分の至らなさ、

 或いは瞬発的に解決手段を閃くことができない自分の経験不足による帰結、つまりは私の弱さが原因だ。

 

「聖王レウス陛下、ですね」

「ああ、そうだ

 お前は?」

「アカネイア聖騎士団所属、トーマスと申します」

「こんな状態で名乗り上げとは、一騎打ちをしたいのか──よッ!!」

 

 言葉を言い終える前に襲いかかる兵士たちが現れるも、鉄塊めいた剣を振り回して叩き潰してしまう。

 

「なんだ、今のに乗じると思ったのに律儀な男だな

 アカネイア武人の誉れとかそういう奴か?」

「まさか、誉れなどもはや我らには、……少なくとも私にはありませんよ

 ただ、ここで隙を狙って射った所であなたを殺せるとは思えない」

 

 せめて、と私は続きを言葉にした。

 

「……私は自分の弓を信じて戦いたいだけです」

「濁すなよ、トーマス

 雑兵の如くに殺されるではなく、

 敢闘して名を覚えてもらいたいと思うのは戦場に立つ者なら誰しもが願う事だとオレは思うがね」

「アカネイア武人など貴族の狗に過ぎぬのに一丁前に、と笑われるものかと」

「笑わねえよ、そんな辛そうに語る奴を」

 

 私の浅ましい考えなど、この方にはお見通しなのか。

 

「オレも同じさ

 理想はあっても追いつかない、取るに足らないまま死にたくない

 でもそれを口に出して言えるってのはオレにはできないことだ

 そういう奴を笑う趣味はねえ」

「ははは……、相談してみるものですね

 言葉にしただけでこんなに心が軽くなるなんて」

「抱え過ぎは胃を悪くするからな……さて、準備はいいか」

「ええ、いつでも」

 

 弦の跳ねる音、矢が風を裂く音、それらが戦いの合図となった。

 

 ────────────────────────

 

 などと格好つけて見たものの、弓使いとの戦いの経験は殆どない。

 名あり腕ありの弓使いを相手にしたのはシャロンくらいだが、あいつのはもう弓とかそういう次元じゃなかったろう。

 

 いや、ラダーンは弓使いにカウントはできないからな。

 アレはもう、そういうのじゃない。

 人間サイズの奴の話ね。

 狭間の地で街道沿いにいるドデカ弓兵とかもカウントしない。

 ……あー、ローレッタ辺りは該当するか?……アレもまあ、規格外か。

 

 ともかく、トーマスとの戦いはどうなるかわからない。

 魔法みたいな手管で矢を放たれると対処しようがない。

 

 後手に回れば命を射られる。

 戦いのゴング代わりの矢をグレートソードで弾く。

 走り──もう矢をつがえてんのかよ!──射たれると同時にローリング、グレートソードを構えて一気に薙ぎ払う。

 流石にシャロンのように弓で弾いたりなんて無茶はしない。

 その代わり、薙ぎ払いをバックフリップで回避し、空中で弓を二射放つ。

 どんな技術だよ!?

 

 だが、空中に飛んだってのはミスだ。

 或いはオレの装備を見て油断したか。

 

 己の獣性に触れ、着地を刈るようにして散弾銃の如き祈祷(魔法)、『獣の石』を放つ。

 予想もしていない一撃なのだろう、

 それでも着地即回避を行おうとしたが幾つかの尖った石がトーマスを穿つ。

 

 致命傷ではないが、跳ね回れないならこれでゲームセットだ。

 オレはグレートソードを横たわるトーマスへと向けた。



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袋小路の向こう側

「歩兵隊の隊長だな!その首を頂戴するぞ!」

 

 装甲兵の部下がミネルバに突き進む。

 一人二人ではない。

 

「この首刎ねられると思うならやってみよ!」

 

 風の大斧が振るわれると斧に当たらずともその衝撃波に吹き飛ばされる。

 とはいえ、兵士は数名だけなどではない、次々に襲い来る兵士たちに対して斧を振り、蹴り、殴り、四肢のいずれをも使って撃退していく。

 

「喰らえィ!!」

 

 吹き飛ばされる兵士を掻き分けるようにして装甲兵トムスがミネルバへと切り込んでいく。

 槍の一撃は鋭いが、ミネルバの動きは更に鋭さを持っていた。

 振るわれた槍の逆輪を蹴り上げると同時に自らも飛び、その槍を踏み台にして更に飛び跳ねてはトムスの背後へと一瞬で回る。

 両断の意思を込めた風の大斧が振られんとした時、ミネルバはその場から一歩後ろへと下がる。

 次の瞬間にそこには槍が突き立っていた。

 

 ────────────────────────

 

 アランとミシェランの戦いは白熱していた。

 ただ、掛ける言葉は二人ともに持ってはおらず、恩義に報いる祈りもなく何度となく武器がぶつかっている。

 

 目の端に映ったのは仰天の光景であった。

 斧使いが機敏な動きで一瞬にしてトムスの背後に回ったのだ。

 武器の力か、斧使いの筋力かは定かならないが、振りかぶった斧が胴に当たれば簡単に両断するだろう。

 

 剣戟の応酬が息継ぎするように一拍分の間隙を持つ。

 天秤を揺らす必要すらない。

 ミシェランは即断して手に持っていた槍をミネルバへと投げつけた。

 手槍ではないから命中などするはずもないが、それでもトムスとの距離を作ることができた。

 

 アランの槍が迫る。

 それは喉を突き刺すではなく、その手前でぴたりと止まった。

 

「……あの男の為に命を投げ出すか」

「たった一人の肉親じゃ、当然のことをしたまでよ」

「ここで私に討たれるならば結果として、お前の家族にとっても同じことなのではないのか」

「だが、だからといって見逃すこともできぬ」

 

 孤独の身であっても、家族の情がわからぬアランではない。

 

「一つ問う」

「なんだ」

「家族を思うのならば戦いに何故参加した」

「知れたことを

 このアカネイアもまた我が家族なのだ、捨て置けぬ

 オレルアンに身を売った者たちにも、まして五大侯どもにも尻尾は触れぬ

 アカネイアの民の苦しみは彼奴らでは癒せぬどころか、より大きな苦しみを生むだけだ」

 

 ミシェランは視線を外さずに答えた。

 アランは度々、サムソンに言われていることがあった。

「お前は甘い、戦場において命取りになるほどに」……彼なりの心配なのはわかっている。

 だが、殺すには惜しい男たちを見てなお冷酷になれないのがアランという男である。

 

「……捕縛されよ、アカネイアの装甲兵よ

 不名誉の中で死を望むのであっても、

 家族と別れの言葉を言えるのならばそちらのほうがよいのではないか」

 

 アランは家族を思う彼らに手を下すのを躊躇した。

 一度助けた命だというのもあるだろう。

 しかし、それ以上に彼にとってはアカネイアにあって王室でも貴族でもない道を模索したものを始めて見たことが衝撃であった。

 十人十色が人々の常であったとしても、無意識的に『アカネイア王国領であれば別だ』と思いこんでいたのかもしれない。

 

「……わかった、投降しよう

 ただ、トムスにもその情をかけてはもらえまいか」

「無論だ」

 

 ────────────────────────

 

 その会話が聞こえないほどの距離ではない。

 

「どうする、装甲兵

 ……私も貴卿を殺したくはない」

「頭巾の奥で見える瞳の色からもしやと思っていたが、

 その声はやはり……」

「皆まで言わないでくれると助かる」

「承知した

 ミシェランが捕縛されるのだ、わしの命も預かってもらおう」

 

 武器を投げ捨てるトムス。

 それを見て、彼らに従っていた兵士たちは次々と投降していく。

 

 ミネルバはアランを見ると彼もまた感謝するように小さく頷いた。

 

 ────────────────────────

 

 オレはグレートソードをトーマスに向けつつも、周りで起こり始めている投降ムードに気がついた。

 

「ふー、どうやらアカネイア兵の戦いはここまでのようだが……

 トーマス、お前はどうするね」

「どう、とは?」

「お前が辛そうに語る表情の理由はオレにはわからん

 だが生きて、戦って、苦しみ抜いた果てに解決の糸口があるのなら、

 ここで死なないのも一つの道だと思ってな」

「殺さずに、その道を与えてくださるというのですか」

「捕虜からのリスタートで良けりゃあな」

 

 弓を手放す。

 トーマスは小さく、確かな声で「その温情に甘えさせていただきます」と告げた。



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ファンクラブ

 前哨戦の結果は勝利。

 大きな被害もない。

 

 元アカネイアの将たちは自分たちの兵に寛大な対応を与えてくれるよう願う。

 オレからしても別に片っ端から首を刎ねて街道に並べるだとかするほどに恨んでいる相手でもない。

 残りたいものは残り、去りたいものは去るように告げたが、その全員が自分たちが従うに値する将の行く先がわかるまで動きたくないと言う。

 

 見上げた忠誠心ではあるのだが……。

 

「最前線の食糧事情的には微妙ですね……

 労働力として使うわけにもいきませんし、タダメシ喰らいを置くには」

 

 エルレーンも困っているようだ。

 捕らえた者を戦力に加えることはできない。

 とはいえ、遊ばせておくわけにもいかない。

 戦場で捕虜を取るということは軍全体にとって高いリスクを抱えるのである。

 

「将と兵をそのまま後方に送るしかないかと思いますが」

 

 エルレーンの言葉にオレ、アラン、ミネルバは「それでいい」という反応をする。

 彼らは全員纏めてホルスタット経由で収容地に送られることになる。

 アカネイア攻めが終わる頃に再会することになるだろう。

 

 捕らえた後、オレは興味本位で軽く面談したがトムスにミシェランの装甲兵兄弟とトーマスは反抗する気もなく、部下の安否のことを聞いてくる程度で恨み節なども吐いたりはしなかった。

 敗北したことを納得しているのと、戦いから離れた事をどこか安堵しているようにも見えた。

 人間、気を吐き続ける事はできない。

 忠君愛国……とは違うか、この場合は。

 ともかくこの地を愛するが故に仲間とも袂を分かって戦い続けるのはどれほどストレスであることかはオレには察しようがない。

 ただ、その表情から文字通り死ぬほど辛いことであったのだけは理解できた。

 

 彼らとは別に、戦況の変化の中で大きなところはパレスの外部からの兵が入ったこと。

 練度はさておいても個々の武勇に優れていそうだという情報もある。

 協力者は誰だろうか。

 オレルアンということはないと思うが、自由都市連盟辺りがテコ入れに入ったのかもしれない。

 もしくは五大侯の手勢か。

 聖王のオレが戦場に出ている間に討ち取りたいと思う相手は少なくないだろう。

 今更増援の一つ二つで首を取れると思われているのは心外なので、このパレスでももう少し華々しい活躍をしておきたいものだ。

 

「ナギ、働いてもらうぞ」

「ばっちりと働こう」

 

 オレの周りにいるのが悪いせいか、ナギの口調はどんどん人間的になっている。

 最初にあったときの神秘性は愛嬌の方へと寄っている。

 プラスに働くこともあって、彼女のそのある種の気安さが彼女に寂しい思いをさせていないようだ。

 このまま行き過ぎたら神竜信仰(ナギファンクラブ)が始まりそうなので警戒は必要だが。

 

 ミネルバがナギに対して「その方は?」と問う。

 

「ナギだ、神竜族をしている」

「ミネルバと申します、神竜族のナギど……今なんと?」

「ナギだ、神竜族をしている」

「……」

 

 ミネルバが固まる。

 この反応しない奴の方が珍しいんだよな。

 

「ただの竜族ではないとは思っていたが──」

「おお、ミネルバは偉いな、ちゃんと竜族呼びなんだな」

「マケドニアはドルーアの隣だ、蔑称で呼ぶような真似はしない

 いや、そういう話ではない」

「神竜様を戦争の道具にするなって話ならもう終わってるんだが」

 

 と、まあこの辺りのお約束は流すとしよう。

 それらが終わった後にミネルバに個人的に聞いてみた。

 

「蔑称で呼ばないのは偉いが、何の悪感情も見えなかったのは不思議だな

 お前の故国は実質的にドルーアの属国にされているんだろう?」

「私はものを知っているわけではないが、竜族が虐げられていたのは理解している

 それに憎むべきは個人ではないし、まして彼らが嫌うような名で呼ぶのは大きな過ちだ」

 

 ミネルバの怒りは義憤だ。

 ただ、それは正しき事のための怒りというよりは自らの道理に重ねて罷り通らない事に怒っている。

 彼女自身が自らと重ねているのか、そこまではわからない。

 

「……ナギ様は自らの意思で戦場に出られるのだな」

「ああ」

「馬廻りという言葉が正しいのかはわからないが、側で戦わせてほしい」

 

 確かにナギにとって明確に対人をするのは初めてのことになる。

 ファーストブラッドで彼女がどうなるかも考えるべきか。

 

「わかったが、」

「が、なんだ?」

「踏み潰されるなよ」

「そこまで間抜けに見えるのか、私は」

「いや、竜の姿が美しい……とかってなって見とれてたら、みたいな」

「ドラゴンライダーだからといって、誰しもが竜に憧憬を覚えると思わないでくれ

 ……まあ、でも、うむ」

 

 一拍おいてから、彼女は小さい声で「気をつける」とだけいった。

 前もって警告してよかった。

 当日はミネルバはオレの側にいてもらおう。



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剣士と司祭

「ハッハッハ!やはりか!!」

 

 ジューコフは大笑いしている。

 ヒムラーの報告、つまりはミネルバ王女の生存を知ったからだ。

 

「ボーゼンよ、これは死ぬわけにはいかなくなったわけだ!」

「聖王の軍に殺されなければの話ではあるがな」

「なあに、アカネイアの者も捕らえてくれたのだろう

 であれば我らもその目があるというものだ」

「捕らえられたと言えば、

 五大侯から送られた兵たちの扱いは考えなおす必要も出てきましたな」

 

 言い方は悪いがアリティアの降将を生かすために捨て駒にするつもりであった者たちだ。

 こうなれば別の策に用いるべきだろうが、

 

 しかし自分たちが降るための材料に消費するわけにはいかない、というのが彼らの総意ではあった。

 

「将軍、代表者がお会いしたいとのことですが」

 

 使用人だ。

 アカネイアの多くの人間が去ったあとでも、他国人であっても、アカネイアパレスに座するのであれば使えるべき相手だとして残り続けている気骨ある者である。

 

「ふむ、ここに通してくれ」

 

 ボーゼンの言葉に了解の意を以て去っていく。

 ややあって、代表者が彼らの前に現れた。

 

 青年と女性。

 家族や兄弟といった感じではないが、恋人といった風でもない。

 まさしく同僚の距離ということなのだろう。

 

「ラングの旦那に雇われたサムトー、将軍の皆さんどうぞよろしく」

 

 サムトー。

 ノルダ奴隷市場一番の剣士であり、美少年と美青年の過渡期に立つ怜悧な美しさが目を引く男だった。

 腰には二つの剣を下げている。

 片方は薄刃の剣(キラーソード)であることが見て取れたが、もう一振りの肉厚そうな剣に関してボーゼンたちもそれが何か判断できなかった。

 

「ハハハ、いい感じに気の抜けた男だな」

「旦那にはこの態度が原因でここに送られたんすけどね」

 

 ヘラヘラとした態度は気分を害すものには苛立ちを覚えるものかもしれない。

 最も、ここにいる──ヒムラーを除いて──男たちは若い頃の態度は同じようなもので両親に叱られ、泣かれていたような過去がある。

 

 女性の方も(うやうや)しく礼をする。

 

「エレミヤと申します、元は……ノルダの闘技場で治療を担当しておりました」

 

 元は、と言いかけたのはノルダ以前にやっていたことに関わることなのだろう。

 彼女はアカネイアのある場所で孤児院を運営していた。

 平和だった日もある日、絶望へと変わった。

 軍を示すものを持っていたわけではないが、どこかの軍が近くの村や孤児院を襲い、物資と命を奪っていった。

 彼女もそこで捕らえられ、流れ流れてノルダの闘技場で杖を振ることになったのだ。

 

「サムトー様と共にアカネイア防衛の補充兵として罷り越しました」

 

 静かで穏やかな雰囲気。

 ただ、纏う空気は重く、まるで喪中が終わらない女のような──。

 

「サムトー殿」

「えーと、アンタは……ヒムラー将軍だったよな、よろしくよろしく」

「ええ、どうぞよろしく

 踏み入ったことをお聞きしますが」

「何でも話すぜ、隠すようなこたあ俺にはないからなあ」

「そうですか、では失礼ながら

 あなたが斬りたい相手はどなたですかな」

「──……剣呑だねえ、一体そりゃあ」

「我々もそれなりに死線はくぐっております」

 

 ヒムラーに続けるようにボーゼンが、

 

「戦意というのは自分が思うよりもむしろ、

 他人にとってわかりやすいものなのだよ、サムトー殿」

 

 サムトーがどういうのか、それを不安そうにエレミヤは見ていた。

 

「はは、そうですかそうですか

 ……ええ、俺の目的は斬ることですよ、聖王レウス閣下をね」

「名声のためかね?」

「まさか、あのラングの下に甘んじている奴にゃ一番遠いことでしょうや」

「では?」

「恩人がレウス閣下に殺されましてね、オグマって名前を出せば聞き覚えもあるかもしれません」

 

 オグマの名を知らぬものは少ない。

 特に三人のように戦線に居続けたものからすれば、伝説的な男でもある。

 どのように殺されたかは伝わってはいないが、シーダをタリスから奪ったレウスを恨んでいたとか、

 或いはそのシーダを預けるに相応しい男かを試したとか、そういう噂は漏れ聞こえてはいる。

 

「殺されたとは噂になっているな、オグマを殺せるものなどそう多くあるまいから驚いたものよ」

「ええ、普通にやりゃあの人を倒せる人は紅の剣士くらいのもんでしょう」

「恨みかね」

「オグマさんには命を助けられたんですよ、

 だから恨みがあるかって言われりゃあ……そりゃあね」

「それだけではない、と?」

「妙な噂も聞いているんですよ、オグマさんは最後、何か乗っ取られたみたいになっていたって

 生き残ったサムスーフのぼんくら貴族の話ですから眉唾ですがね

 それでも、オグマさんの事を聞きたいじゃあないですか」

「だが、冷静な意識ではそうだが感情面ではそうではない、ということか

 その戦意を無駄にはできまいなあ、ボーゼン、ヒムラー」

 

 ジューコフの言葉に二人も頷く。

 

「聖王レウスの元には我々の用兵で道を作ろう」

「そんな手を煩わせるような」

「目的の合致があるのです、サムトー殿

 ですから重く受け止めないでくだされば幸いです」

「そりゃあ、ありがたいんですがね……」

 

 なら、情報でお返しできるかもしれませんが、と彼は続ける。

 

「俺とは別のルートで送られてくる部隊があるってのは聞いてますかい」

「いや、言われていた増援はお前たちで全てのはずだが」

「ああ、やっぱりか……あのラングが相当な私財を投げ売って調整したお人形さんが来るって話ですよ」

「人形?」

 

 ボーゼンの疑問に答えるのはエレミヤであった。

 

「さる高貴な方を、随分ひどいやりかたで……都合のいい人形に仕立てたのだと伺っております

 私も魔道の心得はありますが、聞いた話を統合すれば……」

 

 その言葉を引き取るようにサムトーが続けた。

 

「魔力の扱いに関しちゃカダインのいや、アカネイアのおえらいさんを凌ぐかもだとか」

 

 カダインからアカネイアにという道を辿った『おえらいさん』で連想するのは誰しも一人だ。

 大司祭ミロア。

 光魔法オーラを操り、ドルーアとの戦いの折には多くの戦果を上げた人物だ。

 彼を凌ぐ者となれば大陸一と謡われてもおかしくない力だろう。

 

「与えられた命令を実行する以外に自我が無いようにも思えると聞いております

 それと、非常に危険な魔法を使うとも……、巻き添えにだけはならないでくださいよ」

 

 エレミヤが告げる。

 彼女の立ち振舞から経歴、そして増援部隊の責任を任せられるということは魔道士としての実力があることを端的に示している。

 そうでなければゴロツキの群れであろうそれらを纏めることなど不可能だ。

 その彼女が警告するのだから、ニ倍三倍の注意を持つべき情報である。

 

 サムトーとエレミヤには別命あるまで待機を命令した。

 その人形、ラング曰くに『堕ちたる姫君』と呼んでいたと二人の言う、

『それ』がいつ到着するかもわからない。

 報告されていないということはサムトーたちの言う通り、自分たちごと吹き飛ばし、パレスを接収する目的であろうことが三人には理解できた。

 

「厄介事が増えましたな」

「だが、あのサムトーという青年とエレミヤという女性は使えそうだ

 少しばかり計画を引いてみるとしようか」

 

 三人の壮年が計画を編み始める。

 悪ガキだった男というのは何歳になっても悪巧みが好きなものなのだ。



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無刀赴会

 視界一杯に兵士たち。

 どれもこれもが敵兵だ。

 それらの前に三人のおっさんが現れる。

 

「アカネイアパレスの守護を仰せつかっているボーゼンと申す!」

「同じく、ヒムラーと申します」

「仰せつかってはいないが勝手に守っているジューコフだ!」

 

 三人ともによく通る声で叫ぶ。

 続けてジューコフが

 

「少し話でもしないか、聖王よ!」

 

 そう言って武器を地面に突き刺すとこちらへと歩いてくる。

 どんだけ豪胆なんだよ。

 それともやけっぱちか?

 

「レウス、どうする」

「ジューコフって奴を知っているか?」

「ああ……知っている

 私が前のめりになりそうな時にいつも止めてくれた、よくできた御仁だ」

「不意打ちとかはするタイプだと思うか?」

「そういう手管は好みではないとは思うが、勝つための算段となるなら別だろう」

「なるほどね」

 

 オレも歩き出す。

 ミネルバが引き留めようとするが「ナギとそこで待っていてくれ」とだけ伝える。

 

 結構な距離を歩かされ、ようやく普通に喋れば届く程度の距離まで来る。

 

「ハハハ!

 聖王レウス!国の主とあろう方がなんとも剛毅なことよ!」

「元々単騎駆ばっかやってるんでね、敵兵に囲まれているよりも安全なくらいだ」

「英雄譚を地で行っているという噂はまことなのだなあ

 どうだ、他の二人も呼んでも構わんかね」

「二人でも四人でも呼べばいいさ、何ならお茶会でも開くか?」

「それも面白い、だがそれならば酒宴の方が嬉しいのだが、パレスの方は住人を疎開させてしまっているからな、どの店も休業ゆえ、叶えられん願いだ」

 

 ジューコフは後ろを向き、残り二人との距離を見やり、

 

「わしらもいい年だからなあ、ここまで来るのに随分と時間が掛かりそうだ

 雑談に付き合ってはくれんかね」

「しりとりするよかマシな提案だな」

 

 それにジューコフはまたハハハ!と笑い、言葉を続けた。

 

「ミネルバ王女だろう、あそこにおられるのは」

「隠し立てしきれんよな」

「大変目立つ外見でもあるし、わしはあの方を諫める立場にあったからなあ

 そういうものであれば遠目からでもわかるものよ

 ミネルバ王女は妹君を助けるために聖王閣下に付いたのかね」

「あいつが戦ってるのはあいつの意思であるところが大きいな

 妹のマリアはオレが助けるって約束をした」

「そうか……あの王女が頼れる男を見つけたということか、うむ……」

「おいおい、娘を嫁に出すお父さんでもあるまいし」

「わしにとって王女は娘のような存在でもあるのでな

 まあ、本当の娘は淑やかに育ってくれたのでタイプは違うが」

「余計なこと言ってるって、おっさん」

「おっと……ハハハ!まあ、だが娘のように思っているのは本当だ

 だからこそ頼れた相手が聖王であるのは、誰より安心できる」

「できるのか?」

「相応の責任は取る、という立場ではあろうよ」

 

 手を出すことを確定している風に言われる。

 オレはおっさんにどう思われているんだ、という顔が出ていたのか、

 

「不思議そうだから言っておくが、

 アリティア女王リーザ様とタリス王女シーダ様を手籠にした話は大陸で知らぬものはおらんと思うぞ

 吟遊詩人が入れ替わり立ち代わりでその唄を謡っておるからな」

「あー……」

 

 情報拡散のためにアリティアでは吟遊詩人に手当を出して各地で謡わせている。

 その影響力は凄まじいが、それはそのままオレがどんな奴かってのが伝わっているってことか。

 手籠……いやまあ、そうだな。孕ませておいて否定もない。あるはずもない。

 

「そうだ、それで聞きたかったんだが」

「なんだよ」

「ディール侯爵のシャロン殿からシーマ王女を寝取った上に侯爵殿と同衾したというのは──」

「お待たせした、ボーゼンだ」

「ヒムラー、罷り越しました」

 

 え、何?え?

 シーマとは寝てない。可愛い義妹だからな。ノータッチだ。いや、ノータッチではなかったか。

 それよりなんだ、え?シャロンと寝たことになってるのオレ。噂は邸だけに留まらなかった。

 死して尚伝説の中に生きるバケモノとなったのかシャロン。勘弁してくれ。

 

「戦いの前にこうして話せる機会を与えてくださったこと、感謝が尽きぬ」

 

 ボーゼンはそう言うと

 

「我らは皆、グルニアの将であるが、アカネイア地方を気に入っておる

 無論、根付いた文化で許容しかねるものは少なからずあるがね」

「五大侯とかか」

「ハハハ!」

 

 ジューコフが横から笑う。

 まあ、そういうことだよな。

 

「その為に我らは今もアカネイアの盾として戦おうと思っている

 聖王閣下、あなたはアカネイアを手にしたあとに、この歴史ある地をどうするのかを伺いたい」

「オレが作る国にはアカネイア王国も、その歴史も、それをありがたがる連中も要らん」

 

 アカネイアは要らん。オレルアンと繋がる王族の生き残りどもなどオレの怒りを増進増大させども、鎮めることはありえない。

 連中が何を考えているかなど興味もない。

 ただ、オレの側にいてくれたであろう者を奪ったのはオレにとっての事実だ。

 

「手始めに貴族どもと、そこに連なるノルダ、風見鶏のワーレンは全て潰す」

 

 誰が彼女(フィーナ)を殺したかなんて、もう興味はない。

 彼女が死んだ背景を作り出した連中は全て纏めて一括りだ。

 

「媚びへつらって貢いできたものを殺す、

 歴史を盾に助命を願ったものを殺す、

 五大侯の腐敗に関わったものは残らず殺す」

 

 完璧な世界などありえない事くらいは知っている。そもそもオレが王の時点で歪になるのは決まっている。

 であれば、オレにとっての完璧を目指せばいい。

 歪んだ形であろうとも、誰がオレを攻めようとも、知ったことじゃない。

 

「アカネイア王国とその息がかかったこの辺りは更地にして、そいつらの死体を堆肥にする

 それを使って、かつての栄華が忘却されるような一大穀倉地帯に作り変える」

 

(アカネイアの……この大陸の破壊者となろうというのか)

 

「得たかった答えは得られたか?」

「……ああ、十二分に

 その意気はまさしく覇王の器なのだろう」

「王族が武器を手に戦うのがアカネイア大陸の流儀だろう」

 

 オレのその言葉に「それには同意しましょう」とヒムラーが横から同意した。

 

「我らの望みは一つ叶えられました」

「まだあるのか」

「我らはグルニア軍人

 粗暴と言われようとも今を生きる神話の力を、我らの力がどれほどまで及ぶか試したくなる生き物なのです」

「及ばなかった時、どうする」

「さて……それこそ敗者には選ぶ権利などありますまい

 殺され晒されようと、堆肥にされようと」

「それは、お前らを負かすのが楽しみになった

 ……話は終わりか?」

 

 纏めるようにジューコフが「ああ」と応じる。

 

「後は戦いで決着を望まん

 会談に応じてくださった聖王レウス陛下の御慈悲に一同より心からの感謝を

 この恩義には聖王レウス陛下との戦いでお返し致す」

 

 三人のおっさんたちが去っていく。

 オレも背を見やるようなことはせず、ナギやミネルバの下へと戻ることにした。

 

 考え続け、肚に溜めていたアカネイアの処遇を吐き出した今、オレがやることは明確になった。

 やがて、戦いは始まるだろう。



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身勝手な安堵だとしても

 (ミネルバ)は、いつも間違った道を歩いていた。

 そういう自覚のある人生を渡っている。

 

 兄が父を殺すのを止められなかったことから、

 いや、兄の献策を共に奏上しなかったことからか、

 それとも、もっと前からか。

 

 間違うという事の最も恐ろしいことは、間違っている時にそれが間違いであると理解できないことだ。

 私がレウスの端女になると言った約束も、後になれば間違いだったと思うのだろうか。

 

 心の何処かでそれを思う事もあった。

 

 グルニアの三将との会談が始まった。

 元々、レウスの声はよく通る。距離があろうと戦場であればこそなのか、その言葉が聞こえてくる。

 

「アカネイア王国を滅ぼし尽くす」

 

 端的に言えばそれだ。

 その言葉は多くの敵を作る発言であろうし、王たるものが軽々と口にするべきことではないとも思った。

 

 だが、私はそれを聞いてあろうことか安堵のような気持ちを得ていた。

 マリアを救うために全てを敵に回してもいいとすら思っていた私は、

 それ以上に敵を作るであろうレウスの言葉に惹かれてすらいた。

 

 彼ならばマリアを救い出してくれるだろう。

 そして、アカネイアを滅ぼし、或いはこの大陸の全てを蹂躙するのかもしれない。

 私の歩んだ間違いだらけの道も、きっと跡形もなく消してくれるのだろう。

 

 奇妙な安堵を覚えながらも、こちらへと歩んでくるレウスの孤影は実に寂しそうなものに映る。

 誰もを敵にする覚悟は、彼が自身を孤独へと追い立てている、そんな風に思えた。

 

『もしも、ミネルバ様がレウス様と一緒になられるなら、私もとっても嬉しいのです

 愛の数は多ければ、それだけ幸せも増えますから』

 

 シーダ様の言葉を思い出していた。

 あの方もまた、レウスの孤独に気がついておられるのだろう。

 彼女はそれを埋める方法が愛であると確信しているようだった。

 

 私にはまだ遠い感情だが、それでも個の英雄たらんとするレウスをこの戦場で支える事ができるのが、

 もしも私だけなのだとしたら、どうあっても果たさねばならないだろう。

 

「いい宣言だったな、レウス」

 

 レウスが私を見やる。

 

「喧嘩売るような発言しかしなかった気がするがな」

「だから、いい宣言だ

 お前はここに喧嘩を売りに来たのだろう

 (わたし)一人の頼みを聞くために乗り込んできたんだ、喧嘩以外の何者でもなかろう」

 

 それだけじゃないことくらいは私もわかっている。

 だが、レウスにはそういった方がいい気がした。

 レウスも小さく笑うと、「言ったことに自信が持てたよ」と返した。

 

 彼なりのおためごかしかも知れない。

 それでも、誰にもそれを言えないよりはマシであることを身を以て知っている。

 

「さあ、戦いを始めよう」

 

 レウスの言葉に、私は強く頷いた。

 

 ────────────────────────

 

 グルニアの大将たちは城市へと戻った。

 ラングの増援は城門前に展開、少し離れた所にグルニア騎兵による遊撃部隊。

 俺と、俺が選抜した腕のいい連中は聖王への突撃部隊として編成されて、グルニア騎兵の近くで待機となった。

 更に後ろにはエレミヤと護衛の装甲兵が数人、それに伝令のための騎兵も数騎。

 

 衝突と遊撃に成功した時点で、守りの薄いところを切り抜けろ。

 グルニア側がオレに向けて取った作戦だ。

 

 気になるのは相手の構え。

 いっそ不気味と言えるものだった。

 聖王と斧騎士、長身の女の三人が戦闘に立つ。

 その後ろには魔道兵、その魔道兵を囲むように戦列歩兵たち。

 騎兵たちはグルニア騎兵と同じく少し離れたところで遊撃をするための待機をしている。

 

 これじゃあ話が違う。

 普通大将首が前線で姿を晒すなんてありえざることだ。

 このアカネイア大陸じゃ大将こそ戦いに参加しろという風潮というか、歴史があるのはそうだ。

 しかし、一番槍を取るために配置される王なんざ聞いたこともない。

 

 俺の立ち位置からすると戦いが始まって切り込みにもいけない。

 かといって、無理に割り込もうとしたら死にかねない。

 自分の腕にそこまでの自信は持てないし、多分死因は乱戦のもみくちゃで踏み殺されるって辺りだ。

 

 結局は行き当たりばったりで隙を伺うしかない。

 いつも通りの俺だ。人生そう変わりはしない。

 

 土煙を上げながらアカネイア側の歩兵部隊が進み始める。

 アイツらは地獄のような馬鹿だから愚直な前進にも何も思わないんだろうな。

 そういう馬鹿を集めるのが上手いのがあのラングって人なんだろうけど。

 

 馬鹿の地獄行き全速前進が戦いを知らせる角笛代わりになったわけだ

 

 聖王様はどう戦うのやら。

 ……おいおい、なんだ、火竜?

 マムクートがいやがるのか?

 

 いいや、ありゃただの火竜じゃねえ。

 オレが知っている竜の二回りかそれ以上にでけえ!

 しかも、火のブレスの火力もおかしくないか?攻撃範囲に入る前に片っ端から焼かれてるぞ。

 

「お、おいサムトー」

「なんだよ、まだ待機しとけ」

「そうじゃねえよ!アレを見ろって!」

 

 突撃隊の一人が剣で方向を指し示す。

 飛竜だ。

 

 俺は仕事柄、マムクートを見ることが多い。

 ノルダの闘技場じゃあマムクートも少なからず在籍している。

 いや、マムクートだった奴、というべきやつばかりだが。

 人間に戻ることはもうなくなって、知性のない怪物になっている。

 それでも捕らえられてきたばかりのときには理性も知性もある。

 

 闘技場でそいつらの戦いを見てると、理性がないやつとあるやつでの戦い方の違いが顕著だ。

 前線でとんでもない火力で兵士を炭化させているのは理性があるやつだ。

 敵味方を判別し、どこを攻撃すればいいかを理解している。

 ブレスを抜けた相手には前脚を振るって叩き潰すなど、常に自分に有利になるように立ち回っていた。

 

 一方であの飛竜は違う。

 目についた餌と思ったものにかじりついて、首や四肢を引きちぎっては食らっている。

 玩具にでもしているかのように死体を壊し、次の獲物を探す。誰でもいい、近くにいる奴。

 そんな感じだ。

 あれは理性をなくしたマムクートの動きに違いない。

 しかし、解せないこともある。

 理性などないはずの飛竜は決して聖王国に手を出さない。それだけ見ればまるで飼いならされた猟犬のようですらある。

 

「まさか、飛竜を飼いならしたってのか?いや、そんなことは不可能だ」

 

 俺の言葉に周りの者も

 

「いかにノルダの調教技術はアカネイア随一だっつっても、理性のない竜族だけは無理だったからな

 ノルダが誇る伝説的調教師サマでもお手上げだったんだ」

「じゃあなんだってんだ、聖王国側には竜の王でもいるってのか?

 それこそバカバカしい話だろ」

 

 冷静に考えれば何かしらのトリックがあるに決まっている。

 だが、その考えも言葉も届かなかったようで、

 

「じゃあお前はそうじゃないって言って戦うのかよ、戦えるのかってんだ!」

「オレにゃあ無理だ!!」

 

 突撃兵が次々と武器を捨てて逃げ出し始める。

 追いかけたりはしない。

 連れ戻したって戦うことなんてしない、最悪俺との斬り合いだ。

 

 さーて、いよいよ戦う前だってのに突撃部隊も瓦解して一人になった。

 打てる手が少なくなってきた。

 どうするサムトーくん。よーくよーく考えろよ……。

 オレはどうあったって聖王に会わないとならないんだからな。



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戦いを支配するものたち

「兵を前に押し上げるか?」

 

 怒号を上げて敵兵がこちらへと進むのを見ながら、ミネルバが問う。

 オレは「いや」と断り、

 

「ナギ、頼めるか」

「ああ、私のかっこういいところをよく見ているといい

 ミネルバ、お前もだ」

 

 ナギとて自分がどのように見られているか理解しないでもない。

 ミネルバの自分に向けるものが他の人間たちと同じく、崇敬にも似たものであるのはわかっているようだ。

 

「二人とも大きく離れていてくれ」

 

 火竜石を取り出すと、それが朱く朱く輝く。

 

 熱波と蒸気を以て、ナギは火竜へと転じていく。

 だが、それは──

 

「な、わ、……私の知る火竜よりも二回りは大きい!」

 

「██████████████ーーーーーーーッッッ!!!!」

 

 巨大な咆哮を上げる。

 先陣を切っていた兵士たちはその雄たけびに短い悲鳴を上げ、それは伝播していく。

 空気が破裂するような音と共に、前列の兵士たちが耳や目から出血して倒れていった。

 

 似たものを知っている。

 竜餐の祈祷(狭間の地の魔法)が一つ、グレイオールの咆哮だ。

 

 狭間の地でも最も巨大な存在と言っていいだろうそれと比べればサイズは遥かに劣る。

 だが、その叫びは彼の地の竜の多くを凌ぐような恐るべき力を発している。

 特に発生した力の操作は見たこともない技術だった。

 

 叫びは聞こえるが、耳が潰れるほどではない。

 破壊力そのもの一つ一つに指向性を操り、見えざる槍の如くにして敵兵を殺した。

 

 ファーストブラッドの時にナギがどうなるか、なんて言っていたが、笑ってしまう。

 そんなものは杞憂だ。

 

 ナギは人間の尺度が通じない所に存在している。

 神竜、神なる竜。

 向けるべき相手への慈悲を思考し、向けるべき相手への無慈悲を指向する。

 

 それでも恐れを知らぬ兵士たちが邁進する。

 呼吸を一つ飲むようにしてから、ナギはその口から赤い霧のようなものを吐く。

 それが兵士に触れた瞬間に爆発するような炎へと変わった。

 

 咆哮が鳴ると眼の前の仲間が血を吹いて死ぬ。

 赤い霧が吹き、触れると爆発して死ぬ。

 

 兵士たちも逃げたいと思いはしているのか、後ろに向くものもいるが、殺到する友軍を逆流して進むなど不可能であり、前に進むしかないと走る。

 そうして待っているのはナギの前脚による横に振るわれた(かいな)の一掃だ。

 

「これがナギ様、これが……神竜族」

 

 圧倒的な力にミネルバは惚けるような声を上げた。

 オレは彼女の腰をパンと叩く。

 

「オレたちも仕事をするぞ」

「あ、ああ……そうだな」

 

 意識を戻したようにミネルバは呼吸を整えてから、

 風の大斧を構え、掲げる。

 

「たった一度きりの戦列を共にした同胞よ!

 次なる戦いを望むのならば、我が斧に従え!!」

 

 ミネルバの力の込められた声が響く。

 同時にフードを目深に被った戦列混成部隊が雄叫びと武器を上げる。

 

 赤毛の王女が号令を発する。

 

「神竜の加護ぞあるッ!!

 ──突撃ッッ!!」

 

 圧倒的な力に震えたのはオレやミネルバだけではない。

 むしろ、兵士たちにこそその姿の威力は指先に至るまで届いていた。

 

 ミネルバが戦姫と謡われるのは立場によるものではない。

 必要な時に、必要な状況を見て、必要な言葉を見つけ、それを使って味方を鼓舞する。

 その一声で戦いを決着するだけの力を兵士から引きずり出す、風靡の才が彼女にはあった。

 

 ミネルバの突撃に負けていられないと、後方に居たはずの兵士たちは既にミネルバの横に付いて、或いは追い抜いた。

 

「赤毛殿、お先に!」

「聖王国の武威とその栄光を見よ!」

「聖王よ!神竜よ!赤き戦乙女よ!我らが死闘をご照覧あれ!!」

 

 兵士たちが口々に叫び、突撃する。

 異常なほどに高い戦意が攻めているはずの敵を押し戻し始める。

 

「オレも負けてられんか」

 

 獣人の曲刀を抜くと、ナギに近付いたものから切り裂いていく。

 

「死にたい奴から掛かってこい!

 死にたくない奴はうずくまれ!後でオレが一人ひとり首を落としてやる!!」

 

 オレの叫びがダメ押しになったのか、前列の敵兵が一歩引き下がるが、哀れにもそれが自らの死、

 つまりは彼らの仲間の突撃に巻き込まれ、踏み潰されて轢き殺されたのだった。

 

 戦いは激化していく。

 もはや止めようもない。勿論、止める気もない。



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聖娼エレミヤ

「人心を燃え上がらせるものが一つの軍に集まると、これほど恐ろしいことになるわけか

 まったく、城勤めを辞して戦場に留まるべきものだと言う他無いな」

 

 ハッハッハ!と笑い、城門の上から戦況を見るジューコフ。

 

 火竜が咆哮する度に防衛軍は恐れ、聖王国軍は猛る。

 ミネルバが号令を発する度に部下は猛り、その士気が全体へと伝わり高まる。

 聖王が孤軍で暴れ、防衛軍の死体が増えるたび、聖王国軍の恐怖は鎮まっていく。

 

「だが、風靡の才というのであれば、侮れないものもいる」

「エレミヤ殿か」

「ああ、独断で付いてきたアカネイア王国の残党たちの参戦か」

「勝手に現れて勝手に戦線に入ったときは何事かと思ったが……」

 

 ジューコフはボーゼンの言葉を引き継ぐように、

 

「聖王閣下の望みが一気に近づくわけだ」

 

 ボーゼンが言いたいことは、即ち虐殺から戦果への変化であり、

 レウスが纏うはずだった悪名の幾ばくかの軽減でもあった。

 

「エレミヤ殿が仕向けたのだろうかな」

「わからぬ、が、何もせんで人は付いてこないだろう」

「ボーゼン、お前はエレミヤ殿が聖王閣下の手のものだと思うか?」

「……いや、戦いの前に見た彼女はむしろ──」

 

 言葉を飲むようにしてから、

 

「ここで語るよりも、後に答えは明らかとなるのだ」

「明言は控えるか」

「ああ、そろそろ『悪巧み』の時間だろう」

 

 もう一度ジューコフは笑う。

 

「確かに立ち話よりも戦いとその成果で見るほうが我ららしいというものか」

 

 ボーゼンはそうだ、と言いたげに頷く。

 そうして二人は城門から去り、準備を進めるのであった。

 

 ────────────────────────

 

「サムトー様」

「エレミヤさんか、ここまで来たのか」

「他の方々には好きにしてよいと言ったので」

 

 逃げたか、それとも戦いに向かったか。

 サムトーは少し考えるが、おそらくは戦いの方だろうと考える。

 エレミヤに付けられた兵はグルニアの人間であり、あの戦いを見て将軍の危機を察して然るべきであるからだ。

 

「俺が付け入る隙、あるかなあ」

「大丈夫ですよ

 アカネイア兵の方の中には近衛を任されていた方や暗部での仕事をしていた方がおられますから

 その方々がきっと隙を作っていただけるでしょう」

「エレミヤさんの影響力には頭が下がるぜ」

「影響力なんて、そんな」

 

 エレミヤは口ではそう言うが、彼女の本当の姿はミロアによってその才を見出された聖娼(せいしょう)である。

 ミロアがガトーからオーラを授けられたのは何も才能が秀でていたからではない。

 魔道の才という点で言えばガーネフの方が数段は上であった。

 それでもミロアがガトーに目をかけられていたのは彼が神竜ナーガを崇める『ナーガ教団』の信徒であったからだ。

 

 ミロアはエレミヤの魔道や杖の才能だけでなく、権威ある人物の子を孕み、育む才能をも見出していた。

 その瞳は心を蕩けさせ、肌に触れれば情欲を喚起し、立ち上る香気は匂いのない媚薬の霧であった。

 

 聖娼の才覚をミロアがどのように見出したかまではエレミヤのみが知ることではあるが、

 少なくとも、エレミヤはアカネイア王国においても上から数えたほうが早いほどの権力者であるミロアから目をかけられ、彼女が必要だと言えばその満額以上の資金を融通した。

 

 聖娼としての仕事は実際に身を(ひさ)ぐことだけではなく、自分と同じ才を持つ人間の捜索も含まれていた。

 彼女が孤児院を開いたのはそうした才能を多く見つけやすいから、という建前があった。

 勿論、引き受けた子を商売の道具のように扱うことは一度もなかった。彼女は孤児を守るためならば何でもした。

 

 ミロアが死んだ後は今後の経営に陰りもあるかと思っていたが、五大侯をはじめとした貴族たちは彼女の、正確にはミロアのコネクションを引き継いだと見ていたようで、

 積極的に接触し、やはり必要なだけの資金を融通した。

 

 一人、また一人と子供は巣立ち、しかしそれ以上の戦災孤児たちが訪れた。

 忙しくも充実していたある日に訪れた何者かによる虐殺と強奪。

 ミロアの命日であったため、孤児院を離れていた彼女だけが助かり、彼女が見たものは愛している孤児たちの亡骸だけだった。

 

 絶望によって心が壊れた彼女に価値はないと考えた五大侯は出資金を少しでも回収するためにノルダの奴隷市に売り払い、時間が彼女の正気を取り戻し始め、やがてかつての彼女に戻った頃には戦乱は大きく形を変えており、

 魔道と杖の力を再び見込まれた彼女はアカネイアの防衛に駆り出された。

 

 過去など、人に伝えてしまえば大体の事は取るに足らないものと思われる。

 彼女もまた、この戦乱の時代にあって自分の立場が特別だとも思わなかった。

 自分も、自分の師でもあるミロアでさえ、特別とは思わなかった。

 

「エレミヤさんは何で俺に協力してくれるんだい、まさか惚れちゃったとか~?

 いやあ、参るなあ~」

「ふふ……」

「ちょっと調子に乗っちまいました、すんませんすんません」

「貴方の事も好いてはいますけれど、私も貴方と同じで……レウス閣下にお会いしたいのです」

「何故って聞いても?」

「彼が特別かどうか、それを知りたいのです」

 

 エレミヤという女は狂っている。

 それがいつから狂っているかは誰にもわからない。

 ミロアは彼女の狂気に気がついてはいなかった。

 彼からすれば、アカネイア王国とナーガ教団の力を強めることができる運命の女(ファムファタル)だと考えているのだとしたら、大きな誤算であったと言う他無い。

 

 運命の女(ファムファタル)とはファムファタル(破滅と魔性の象徴)の表裏でしかないのだから。

 



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おじさんアサルト

 敵の質が変わった。兵士そのものではなく、動きの質が。

 今までは力攻めだった連中が、何者かの統率を受けたような動きをし始めている。

 軍師が介入するには最早状況は煮詰まりすぎている。

 となれば、小戦の指揮に秀でたものが敵陣に入ったのか。

 

「ナギ!背中を借りるぞ!」

「███ーッッ!!」

 

 その咆哮を同意と受け取り、ナギの背に登り、見渡す。

 

 いる。

 

 それも一人二人ではない。

 装備に年季は入っている、それなり以上の身分であろう騎士が立て直しを図り、

 或いは攻めや守りの指揮を飛ばしている。

 

「ギィィィーーーッ!!」

 

 空で叫び声。

 見上げれば飛竜が矢を浴びせられてふらついていた。

 

「飛竜を下げさせろ、できるか?」

 

 それに応じるようにナギが咆哮をもう一度上げると、飛竜たちは去り際に手近な人間を脚で掴んで飛んで逃げていった。

 ……餌か。餌なんだろうなあ。

 

「ミネルバ!指揮できる奴らが現れている!」

「優先的に倒すか?」

 

 少し考えるが、答えを出した。

 それは要らない、撃破されないように立ち回りを変えてくれとだけ通達した。

 

 そろそろ手札の切り時って奴だ。

 オレは獣性に触れ、獣の祈祷を起動する。

 

『グラングの岩』、これは『獣の石』とは違い大きな岩を投げつける極めて暴力的なものだ。

 ただ、これは人に当てるために使うわけじゃない。

 空中に向けて可能な限り高く、放射線を描くように投げつける。

 

 孤軍で動くオレが用意できる精一杯の連絡手段だ。

 

 ────────────────────────

 

 岩が打ち上がる。

 僕も確認できたが、見逃しを警戒するために置いた複数の監視員も反応してくれた。

 

「魔道兵団、戦闘に参列する」

 

 魔道兵団は他国が持たない新たな兵科であり、カダイン魔道学院の影響強く、試作品からギリギリ制式装備に認定されているものを持たされている。

 新しいということは未だ定石がないことを示している。

 

 聖王国がこの兵科を重要視するのは戦後に必要である点と、

 女王リーザが魔道士であることも理由となる。

 

 リーザは柔軟な思考によってときにカダイン魔道学院の研究者たちを唸らせるような魔法の開発を行っており、今回エルレーン率いる兵団が主武装として抱えているものも『それ』である。

 

 それは威力や精度は一切変わらない『サンダー』である。

 ただ一点異なる点がある。

 

 射程距離である。

 女王がグラを攻めた際に使った試作の魔道書『ミョルニル』は威力や命中精度に優れたものだったが、

 それ以上に有用だったのが本来のサンダーよりも遥かに長い射程を持っていた事だった。

 ミョルニルをサンダーに先祖返りさせる途上で残したものこそが射程距離である。

 問題として魔道書に大きな負担が掛かるため、本来の使用回数の限度の半分程度しか持たないが、

 長大化した射程距離を持った、量産可能なこれは大きな戦果を期待されている。

 

 そして事実、そのサンダーは多いなる戦果を叩き出していた。

 ミネルバの隊とナギの巨体がそもそもとして魔道兵へと近づけさせる事を困難にしている状態で、本来からは考えられない遠間からの落雷が降る。

 何より戦果に繋がったのは魔道兵という兵科そのものの効力である。

 

 今までの戦場であれば魔道士は一人二人、多くともそれより数名くらい、その程度だ。

 だが、兵科となった集団は今まで戦場に流れていた理を破壊するものだった。

 

 強力な騎士を四発、五発とサンダーが襲いかかり、或いは前に出てきた指揮官級を同じように狙い撃つ。

 応戦しようと弓を打てば発射された予想地点にサンダーを何本も振らせればそのうち射撃も止まる。

 落雷に怯みでもするとナギのブレスの餌食となり、魔道士との乱戦を目指してもミネルバたちを越えられるわけもない。

 

 戦場の趨勢は一気に聖王国側の勝利へと傾いていった。

 

 ────────────────────────

 

「そろそろ仕事だな

 グルニア騎兵隊、行くぞ」

 

 グルニアの象徴たる黒い甲冑が鳴る。

 黒い槍が鳴る。

 ヒムラーは槍を掲げ、普段からは考えられない声量で号令を発した。

 

()(かん)ッッ!!」

 

 まずはヒムラーが突撃し、その後を追うように旗持ちの騎兵が続く。

 そして次々と騎兵たちが城門前から乱戦している場所へと突き進んでいった。

 

 騎兵たちは手槍を持ち、隊列を伸ばして蛇の如き陣形を取る。

 一列縦隊から手槍がリズムよく放たれていく。

 

「手槍警戒!」

 

 ミネルバが風切り音を認知した瞬間に警告を発する。

 ほぼ全ての兵士がそれに対応するために盾や敵兵を壁にしたりしてそれを防ぐ。

 

(見事です、ミネルバ王女

 ですが、これはそう単純でもありません)

 

 反転し撤退するかのような動きを見せるが、一定距離の後に再び蛇が襲いかかる。

 やがてミネルバ達の動きは固められ、攻めには転じられず、進撃することもできない。

 下手に動けば兵士を倒されるどころか、魔道兵団への攻撃を許しかねないのだ。

 

「反転した瞬間に他の兵士がこちらを襲う

 拙い連携だが手槍の練度がそれを補っているわけか……」

 

 一方のナギもその戦術を打ち破ろうと火のブレスを吐き出すも、

 

「超破壊魔法ッ!ボルッガノンッッ!!」

 

 その叫びと共にブレスを相殺する爆炎が巻き起こる。

 

「██!?」

 

 ボーゼンが魔道書を携えて現れていた。

 

「火竜のブレスは拮抗する必要なし、爆炎で逸らせばよし」

 

 ナギは驚きの咆哮を上げ、それに乗るようにボーゼンは返答した。

 

「ブレスはもう通じぬぞ、自慢の前脚でどれだけ兵を止め置けるかな?」

「ナギッ!」

 

 ボーゼンを倒さなければナギは数に押されかねない。

 それで死ぬことなどはないだろう、それだけナギの持つ力は大きなものだが、重要なのは敗北感を受ける事だ。

 戦いへの苦手意識は後々に影響する。

 レウスはそれを考えるとボーゼンか、或いはナギの周りの兵士を倒すかの二択を迫られ、その行動を始める瞬間に動線を塞ぐように槍が振るわれた。

 

「聖王閣下、わしと遊んでいかんかね」

 

 先程まで影も形もなかったボーゼン、そしてジューコフ率いるグルニアの装甲兵部隊が現れていた。

 



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動機と動線

 悪巧みは大成功だった。

 バレていたところで防ぐのが難しい手、

 それはアカネイアの降将たちが使った『地下通路を利用した不意打ち』である。

 これをやるために、乱戦になるであろう位置を後方指揮によって調整し、

 出現を気取られないようにヒムラーとその騎兵隊によって死線を正面や足元ではなく、手槍が降る上へと意識を集中させた。

 

(さあて、わしの仕事はここからが本領だ)

 

 ジューコフの仕事はサムトーがいる場所への誘導である。

 こちらの動きが察せるような場所に彼を配置している。

 レウスに向けてどう切り抜けようかと考えているならばジューコフの出現に気が付き、

 それがレウスへと向かうための道に繋がることも理解できるだろう、と。

 事前の話し合いはなくとも、ラングが送り出しているのであればどうあれ一廉(ひとかど)の人物であるのは疑いようがない。

 ラングからすれば人材を消費してでもこの戦いを泥沼にしたいのだ。

 泥沼になればなるほど五大侯がパレスを占拠する大義名分が立ち、その際に戦闘になったとしても一蹴できるほどに弱体化しているであろうからだ。

 

 ラングの目論見に気がついている以上、おめおめと従う気もない。

 ジューコフはそれとなく道を作るように兵とともに抜け道のある、穴の空いた包囲を作っていった。

 

 ────────────────────────

 

 あの火竜はレウスにとってよほど大切なのだろう、とボーゼンは理解した。

 

 おそらく、聖王国の、或いはレウスの攻めの起点になるもの。

 であればここであまり戦いへの苦手意識を植え付けるのは『美味しくない』なと考えた。

 主を担ぐのであれば優れた人物が良い。

 ボーゼンの考えは一貫しており、そのためにはまずは容赦される必要がある。

 

 やりすぎてはいけない。

 火竜はおそらくまだ火のブレスを試してくるだろう。

 次はボルガノンの威力を弱め、押し込めそうだと考えさせるべきだ。

 この成功体験を引きずって他の魔道士にやり込められないようにするなどは、もしも自分が彼らに従うことができるのならばその時に教えればよいだけだ。

 

(予定通りにお前たちには犠牲になってもらおう、増援兵の諸君)

 

 どうせこの地は穀倉地帯にされるのだ。

 その堆肥にされるのであれば、ここで死ぬのも後で死ぬのも変わらない。

 それに自分が含まれている可能性も大いにある。

 

 この覇王がどこまで行くのかを見たいと思うのは自分だけではない。

 ジューコフもヒムラーも同じ考えだ。

 その為に誰かを犠牲にせねばならないのならば、喜んでしよう。

 戦乱の軍人とは冷徹で冷酷にあらねばならない。

 そうでなければ本当に大切な者を守れない、そして、得られもしない事をベテランたる彼らは知っている。

 

 ────────────────────────

 

 聞きしに勝る戦術手腕、小戦での立ち回りの優秀さ。

 

 ヒムラーはジューコフから聞いていたミネルバの評をむしろ否定したいと考えた。

 彼の評よりも遥かに優れている。

 単騎の強さだけで言えば及ぶべくもないが、小戦に対するセンスはカミュと並びかねない。

 もしも自分がこれからもグルニア軍人でいるつもりであるなら、ここで確実に摘み取らねばならない芽である。

 

 だが、彼の目的はボーゼンとジューコフと同じ。

 新たな主を戴くことである。

 それが駄目であればそれもよい。

 命をチップにした賭けなのだから。

 

 であっても、やるべき事はある。

 この戦いで、この敵味方で分かれているこの状況でしか本当の意味での経験値を与えることはできない。

 縦横無尽に動き、距離を取りながら戦う厄介な騎兵。

 後ろには守らねばならない兵団。

 解決策が提示されない詰将棋を解かせることがヒムラーがこの場で成さねばならぬ事だった。

 

 ────────────────────────

 

「エレミヤさん、チャンスかも」

「ああ、グルニアの将軍様たちが道を作ってくださっているのですね」

「俺は行きます」

「エスコートしていただけますか?」

「へへ、美人のエスコートならお金を払いたいくらい」

「ふふふ……」

 

 機を見るに敏、とサムトーが動く。

 エレミヤもその背を追いながら、腰に吊っていた魔道書を準備する。

 

「戦うつもりなんすか?」

「どうでしょう

 貴方とレウス閣下次第ではありますね」

 

 彼女が取り出した魔道書をサムトーは見覚えがなかった。

 

(闘技場じゃ色々見たが、あれは何だろうな……随分と禍々しいというか、おぞましいというか)

 

 サムトーは剣士としても傭兵としても一流とは言えない。

 だがそれでもラングがこの任務に抜擢するのには理由があった。

 それは彼の生存能力と、それによって培われた戦闘に関わる多くの知識だ。

 魔道士ではないというのに、アカネイア大陸にある多くの──勿論一点ものや闘技場では使われないようなものは除くが──魔道書の存在を、戦闘での体感という形で理解している。

 

(俺が知らないものっていうと戦争に時々持ち込まれる超長距離系の魔道書……ではないよな、だったら接近して撃つ意味がない

 ……じゃあ、なんだ?)

 

 サムトーが知るはずもない魔道書である。

 いや、大賢者ガトーも、カダイン魔道学院の長ガーネフですら知り得ない魔道書なのだ。

 

 この世界に一冊しか存在しないそれは、ミロアが作り方を考案しながらも現実化することのない切り札だった。

 いつか来るかもしれないガトーとの決別の時に用意し、

 存在が露見することを恐れて聖娼エレミヤに預けたペーパープランの『それ』には名は無い。

 

 ただ、出自を元にしてあえて名を付けるとするならば、

 オーラから作り出されながらその逆位相に存在する故に、

 

反転(ネガ)オーラ』

 

 その呼称こそが相応しいだろう。



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待ち伏せ

 あンの爺ども!

 性格が悪い!どうあってもオレを引き離したいってのが見えてるんだよ!

 悔しい、悔しいがあのおっさんたちはオレの戦術レベルを大きく超えている。

 無駄に足掻けば被害が大きくなりかねない。

 

 この状況を切り抜けて、お互いに兵を引かせる状況も作れるはずだってのにそれをしないってのは、

 どうにもオレの目的に……つまりはアカネイアを『どうするか』に対して有利に運ばせているような気もする。

 

 突然変わった敵の気配やら動きやら、そもそもの兵士の数。

 おそらくはアカネイアを防衛する上でこの地方のそこかしこから徴兵を行うなり、傭兵を集めるなりしたのだろう。

 グルニアにその権限が無いことを思えば、それを実行したのは五大侯かワーレン辺りか。

 どちらにせよここで相手の兵がズタボロになればそれだけやりやすくなる。

 兵士が畑で栽培できるわけでもないのだから、敵兵は減らせれるなら減らせるだけよい。

 

 その意図がどこに繋がっているかまでは考えられない。

 意図を理解するにはおっさんたちが向かわせようとしている場所へと案内されてやる必要がある。

 

 オレは大きく迂回し、そちらへと向かった。

 

 ────────────────────────

 

「はいはい、そこで止まってくださいよっと」

 

 オレの目の前に跳ねるようにして現れ、立ち塞がったのは見た目はそれなりに整った青年だった。

 見覚えはない。

 

「邪魔すんな、急いでんだ」

「まあ、そう言わずに」

 

 獣人の曲刀を構える。

 このやり取りの時間が勿体な──

 

「オグマさんの話、聞かせてくれよ王様」

 

 切り抜け走らんとしたオレは影が縫われたかのように止まった。

 

「オグマの親類縁者、には見えな」

「あの人は、まあ俺もだけど、天涯孤独の身って奴だからね、親類縁者ではないよ

 オグマさんに命を助けられた事があるのさ、ノルダでね」

「……そうかい、アイツの敵討ちってなら確かに無視するわけにゃいかんか」

「へえ、ちょっと意外だな

 問答無用で斬り伏せてくるかと思ったよ」

「オグマを追い詰めたって自覚はあるからな

 ああ、だが謝罪しろってならする気はねえよ

 結局のところアイツとオレは同じ女を取り合って、オレが娶った

 それだけの話だからな」

 

 まあ、とオレは少しだけ付け加える。

 

「ガトーがオグマに手を貸した(ちょっかいかけた)ってのがそもそもの問題だって気もするがな」

「やっぱりあのジイさんですか」

「知ってんのか」

「それはおいおいにでも」

 

 おいおいね、とそれには返し、

 

「こっちからも良いか?」

「そりゃあ、ええ、こっちばっかズルすからね」

「名前は?」

「サムトーっつうケチな剣士ですよ」

 

 サムトー。

 ナバールのパチモンだったっけ?

 なんか外見が……ああ、本当だったらコイツもこの時間軸じゃ登場しないから若いのか。

 

「オグマさんの最後はどうでした」

「美談にしてほしいか?」

「意地悪ですねえ、聖王さんは

 ありのままでおねがいしますよ」

 

 オレはそうかい、とだけ返す。

 それを望むならそうするだけだ。

 

「シーダが拐われて、それからも色々あって、タリスで助けることができた

 遅れて登場したオグマだったが、どうも様子がおかしい

 曰く、ガトーってのが力をくれた

 オレを倒さないと世界がやべえ!だから殺す!

 シーダを奪ったのも許さん!ってな感じでな」

「オグマさんが……すか」

「あー、オレだってオグマを下げたいわけじゃねえよ

 最初にガルダであったときは売り言葉と買い言葉になったが、

 それでもアイツは本当にシーダを案じていたし、タリスの冒涜者であるオレにまっすぐに怒りを向けていたしな

 ただ、ガトーから力を受け取ったアイツはもう、オレが会った事のあるオグマじゃなくなってた

 オレを倒す動機を何かしらの力で強化されたオグマだったもの(なにか)に成り果てていた」

 

 言葉を区切ってから、

 

「シーダをオレの物にした時点で、アイツとはどこかで殺し合いはしてただろうさ

 で、他に聞きたいことはあんのか?」

「恋路を譲る気とかは」

「あるわけねえだろ

 それにお前の知るオグマはそれやられて喜ぶのか?」

「ハハッ、キレるでしょうね」

「そら見ろ、結局殺し合う以外はねえんだよ」

 

 サムトーは腰のキルソードをゆっくりと抜き払う。

 オレは既に抜刀している以上は準備はない。

 

「じゃ、行きます」

「おう」

 

 殺し合いはあっさりと始まった。

 鋭い踏み込み、だがナバールやオグマには劣る。

 総合力って意味でもアストリアには遠く及ばない。

 小盾でキルソードを(パリィ)し、獣人の曲刀をお見舞して終わりだ。

 

 が、攻撃が命中するギリギリで転がって難を逃れる。

 別に不思議な動作じゃあないんだが、他人にローリングされるってこんな気持かと少し驚く。

 狭間の地なら別段驚くほどのことでもないが、こっちじゃ初めてだったんでな。

 別に人間的動作ではあるから不思議じゃないはずなんだがね。

 

 だとしても、アカネイアの地じゃ戦ったことがないタイプの相手だ。

 

「かなり、やる……」

 

 だが、それでもオレはお前じゃ勝てる相手ではないと警告をしておいた。

 

「仰るとおりですが、折角なんだ

 もう少し遊んでください、っよ!!」

 

 振るわれた斬撃を盾や剣で防ぎ、攻撃を返す。

『連撃』や『突撃』を発動はするが、オレの攻撃を受ける度に回避の精度が上がっていっている。

 手傷は多く与えたが、いずれも致命傷ではないし、失血死も遠いだろう。

 

「闘技場での手並みって奴か」

「ええ、そうです

 なかなかのものじゃあないすか?」

「正直、習いたいくらいだ」

 

 持ち上げているわけじゃない。

 対人が苦手なオレからすると、サムトーの回避や防御に対する技術は学ぶに値するものだ。それも大いに。

 読み合いの結果に上回った方が攻撃を当てられるという土俵からベタ降りしているのだ。

 徹底的に回避をして、相手の攻撃が手なりになったところを衝く。

 おそらくサムトーは「食らっても死なない攻撃」や「食らったら死ぬ攻撃」みたいな感じで幾つかの箱にこちらの攻撃を分け続けているんだろう。

 それをどう分類しているのかが──

 

 いかんいかん、今はサムトーの相手をしなければそれこそ隙あり一本即絶命なんて事になりかねん。

 

「オグマさんもこれに似た戦い方をすると思うんすけど」

「オレが戦ったのは変わった後だからな、よく知らん

 その時のアイツは武器や鎧でのゴリ押しだったが」

「そりゃ、らしくねえ」

「だとしたら装備が悪さでもしたのかね、

 でも力をくれたとか言って身体的なスペックも底上げされてそうだったな……」

「ガトーがすか?」

「ああ、そうだ」

 

 喋りながらも戦闘は続ける。

 器用な奴だ。こっちは会話に集中できんってのに。

 

「鎧もなのかなあ」

「鎧は途中でぶっ壊れたけど変化はなかったな、そういや

 ってことは武器か、能力底上げパワーか」

「ふーん……オレは武器だと思うすよ」

「どうしてそう思う?」

 

 その言葉にサムトーは何歩か下がり、

 

「その前に聞きたいすけど」

「なんだよ」

「ガトーとか、ナーガとか、どうするんすか?

 レウスさんは覇王になるんじゃないかって酒場とかじゃあその話で持ち切りですけどね、

 アンタみたいな人が大陸の支配者になっちゃいけねえ、ってガトーとかその手下とかモリモリ来るんじゃねえかなって」

「ナーガは知らんが、ガトーは殺す

 ナーガが目覚めてオレの大切な物に触れるならナーガも殺す

 別に他の何かと変わりゃしねえよ

 ……ガトーだけは確実に殺すがな、アイツは生かしておいたらオグマみたいなのが増える

 そしてオレも王を目指すって道を歩く以上はオグマみてえな復讐鬼ってのを作り続けるだろうしな

 だったらガトーを殺すしかねえだろ」

 

 当然のことだ、とオレは思っている。

 しかし、サムトーは少し驚いた顔をしてからくっくと声を殺すようにして笑う。

 

「ガトーってのはもう殆ど神様みたいなもんすよ、それを殺すんすか

 正気(マジ)なんすか?」

「神なんざもう何回も殺してんだよ、今更不信心を恐れても何にもならん」

 

 ああ、そうさ。

 今更神様なんてありがたがるかよ。



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パチシオン

「あー、ホントイカレてんすねえ

 いや、それくらいじゃないとアカネイア大陸を変えるなんて思わねえのかな」

「褒めてんのか貶してんのかわかんないのはやめろ」

「褒めてんすよ、だからこそ……コイツを使おうかなって覚悟も決まったすわ」

 

 キルソードを鞘に納め、もう片方の剣に手をかける。

 

 抜き放たれたそれはオレも見覚えのあるものだった。

 

擬剣ファルシオン(パチシオン)!」

「そうす、ファ……え?なんて?」

「ガトーがオグマに渡したファルシオンのパチモン、だからパチシオンだ」

「あっはっは!いい名前すね、そりゃあいい

 俺が持っていい武器じゃあないよなあって思ってたすけど、パチシオンなら気兼ねってもんがねえや!」

 

 即座に踏み込み、攻撃に転じる。

 この一撃……──!!

 

「あれ?」

「なんすか」

「こういうのもなんだけど、全然変わってなくね?

 今のはパワーアップしてオレが絶体絶命になる流れだろう」

「流れかどうかはしらないすけど」

「ああ、まあ、そうなんだが……お前、ガトーと会ったのか」

「会ったすよ

 で、オグマさんを殺したのは聖王さんで、仇を取りたいなら力をやるってんで、もらったす」

「パワーアップは?」

「あー、武器しか貰わなかったんすよ

 正確にはもう片方もらおうとしたら何か入ってきそうな感覚が無いんで捨てたすね」

 

 捨てるとかできんのか、と思う。

 その時のガトーの顔も見てみたいところだが、ガトーと面向かって会うことになったら話なんざ無しで斬りかかりかねない。

 

「な~んか胡散臭くて、ただ、確かに剣を受け取ったときに妙な感覚はあったんすよね

 オグマさんの仇をとらないとって必死になっていくような、そんな感じで」

 

 そこで、と後ろの女が口を挟む。

 

「その頃に私と彼が出会って、その剣の事を調べたのです」

「アンタは?」

「エレミヤと申します、レウス閣下

 貴方にお会いするために必死に準備いたしましたの」

 

 うーん、なんだかオレがこの地で会った事のないタイプ(色んな意味で怖い女)の予感がするぞ。

 

「ですが、情報をただで受け取ろうとするなんて真似はいたしませんよね?」

「望むものがありゃ善処するが」

「嬉しいことを仰るのね、では……」

 

 彼女は手をこちらに向ける。

 極めて嫌な予感がしたオレは左前に跳ねるように回避行動(ローリング)をした。

 

 刹那、オレの居た場所は『黒い光』としか形容できないものが瞬き、破裂する。

 地面がえぐれていた。

 魔法を使ったのだろう、ということだけはわかるが、それがどのようなものかまではわからない。

 

「私に勝ってくださいまし、それで全てをお話しましょう」

「そんで俺はレウスさんの邪魔をするってワケす」

「死んでも知らんぞ」

「確認取るなんて、風評と違って優しいすね」

 

 情報は欲しいが、そんな余裕がない。

 相手が生きていたらめっけもん。それでいくしかない。

 

 ────────────────────────

 

 サムトーが踏み込み、逃げようとする地点への予測でネガオーラを放つ。

 ローリングできない以上はサムトーに対して斬り合いに応じるしかない。

 

 パチシオンは見た目からするとかなりの重量があるようにも見えるが、まるでサムトーは小枝を振るうかのだ。

 獣人の曲刀で太刀を合わせ、弾く。

 

(ただ斬撃するじゃあ、回避される)

 

 弾かれるのに合わせて、追撃が来るかの判断をし、来ないようであれば再び打ち込む。

 ネガオーラは連発ができないのか、剣を振るうほどに早くは発動できないようだとレウスは判断する。

 魔法は発動の時に魔力を練る必要があり、どうあっても発動に関わる『起こり』を読むことができた。

 距離を取れて、威力が高い魔法だが、現状況のような決闘じみた状況には不向きなものとも言える。

 

(エレミヤの魔力は相当高いが……あの魔道書は妙だ)

 

 前述の通り、魔法は発動の際に手順が必要となる。

 その手順自体は全ての魔道書において同一であり、同一の中に魔力の容量や精度を計るチェックポイントになる動作が含まれている。

 ただ、エレミヤの使う魔道書には一定の動作以外の『何か』が含まれていた。

 それは本来、魔道士が扱う魔法の発動に存在する『起こり』の、その直前に魔力の引っかかりのような、

 吐き出す前の躓きのようなものを感じた。

 

(本来の性能を引き出していないのか、それとも引き出せていないのか……

 あの不自然さは攻撃に使用する上でのフェイントではないのは間違いない)

 

 レウスは対人が苦手であると意識している。

 それは単純に読み合いの問題なだけであり、持ち得る能力そのものに不足はない。

 (ケン)の技術に関しては彼が自負している以上のものであり、

 明確にネガオーラの発動と発動の時間への読みや、発動の瞬間の起こりを得ていた。

 

 エレミヤとて読まれるように発動させるつもりはなく、発生可能になって即打ちはしない。

 それでも読まれていることをエレミヤは理解できなかったが、

 レウスは隙を見せる事で攻撃を誘引させ、数度の試行回数から正確に読み取っただけである。

 

 サムトーの戦術は見事なものだった。

 彼に習いたいほどだとしたのに偽りはない。

 その技術あれば対人能力として一つ上に行けるからだ。

 しかし、その一歩へ行かなくともこの戦いに負けるわけでもない。

 

(あの魔法が来る、着弾まで3、2、1……)

 

 サムトーへ踏み込もうとし、それをによって誘引された魔法。

 踏み込んだ位置をずらすようにして斜め前へのローリング、着地を刈ろうとするサムトーの剣に盾を合わせる。

 

(サムトーは弾かれたら、次の手は見切って回避を選ぶ)

 

 レウスは横薙ぎに剣を振るう。予測のとおりに攻撃方向の逆後ろへと跳ぶのを選ぶ。

 

(魔法なし、跳ね飛ぼうとするのを確認。なら、ここで──)

 

 跳ぶのに合わせてレウスは前蹴りをサムトーへと叩き込む。ダメージはない。

 重要なのは精妙であるサムトーの回避技術を崩すため。

 蹴りが当たった瞬間にレウスはローリングで彼の背後へ回り、立て直そうとする背に獣人の曲刀を突きつけた。

 

「どうするね、サムトーにエレミヤ

 物騒な魔法はオレだけを狙い撃ちできんと見ているが」

 

 何度か見たネガオーラは範囲を絞ることができない。

 それもまた『できるならやっている』タイミングを作って拾った情報だ。

 

「負けですね、サムトーさん」

「ふー……オグマさんの仇ってのをここで終わりにはできなかったかあ」

 

 レウスはこの勝利に思う所もあった。

 サムトーもエレミヤも勝つ気はあったが、刺し違えてもとは考えていないし、何があっても殺しに来るという気配もなかった事だ。

 そして今の発言もそうだ。

 

(仇がオレじゃなくたっていい、そんな言い方だな)

 

「オレの勝ちでいいんだな?」

「へいへい、勿論すよ」

「はい、レウス閣下」

 

 サムトーは擬剣ファルシオン(パチシオン)を地面に突き刺して手を離し、そのまま座り込んだ。

 

「あー、疲れたー

 レウスさん水とかねっすか」

「恐るべき厚かましさだな、先まで殺し合いしといて」

 

 そうは言いながらも腰に吊ってある水筒を外して投げ渡す。

 

「いやいや、戦いが終わったんだからもう友達すよ」

 

 価値観が不良漫画の登場人物めいているなとレウスは思いつつも、

 サムトーの横に座って水筒を回し飲みしているエレミヤを見て、決闘は終わったのだとレウスはようやく理解した。



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パレス陥落

「話を聞きたいところだが、オレはあっちを何とかしないとならん」

「その必要はあるのでしょうか」

 

 エレミヤの言葉に戦場を見やるレウス。

 

「ああ、……確かに無さそうだな」

 

 あちこちにサンダーが降り注いで、臨時の指揮系統は完全に沈黙。

 アランの率いる騎兵部隊が突撃して歩兵を(さら)うようにして進んでいる。

 残ったのは早い段階で兵を引いたグルニア勢力だけであった。

 

「それじゃ、付いていきますよ」

「パレス制圧すんのに時間掛かりそうだけど大人しく待っとけよ」

「お手伝いできることがあればなんなりとお申し付けくださいね」

 

 不安の残る二人を連れて戻る。

 そういう事になった。

 

 ────────────────────────

 

 多くを語るにはあったことは大したものでもない。

 グルニアの駐屯兵はまるっと降伏。

 処遇に関しては落ち着くまでそのままに、相変わらず捕虜を養う兵站を維持するのが厳しいのでグルニア兵と騎馬は後方へと送ることになった。

 

 敗戦処理の仕事を受け持つとしてあの厄介な三人のおっさんたちが残ることに。

 実際、彼ら以上の立場は既にアカネイアにはおらず、

 アカネイア奪還となればしゃしゃり出てくるような連中は大体がオレルアンか五大侯の所に身を寄せたらしい。

 

「パレスか」

 

 オレはその城の前にいる。

 俺が行った城の問題もあるだろうが、やはりタリス、グラ、アリティアと比べるべくもないほどに大きく、豪奢だ。

 とはいえ、アカネイア王国の歴史を考えればいい所、百年かそこら。

 こうした建物で考えれば新築だといっても過言ではない。……流石に過言か?

 ともかく、寂れたりくたびれた様子のない城は壊すには勿体ない気持ちになる。

 

「聖王レウス閣下、美しい城ではないか」

 

 ボーゼンが言い、続ける。

 

「閣下の考えに揺るぎはないのかね」

「確かに綺麗だし、かっけえ城だと思う

 だが、それがなんだってんだ

 バラして牛舎にでもしてやるよ、パレスなんざ」

 

 揺るぎなどあるはずもない。

 ただ、五大侯やワーレンと戦うことを考えれば暫くは使わねばならないのは業腹だ。

 

 アカネイアの占領を明確化するために敗北しましたよ、といった書類にボーゼンはサインをする。

 部屋にはグルニアの三将、そしてオレとエルレーン、ミネルバ。

 ミネルバに関してはバレていることがわかった以上は彼らの前で顔を隠す意味もないとして姿を晒している。

 

「グルニアへの帰還を求めるなら、一度捕虜として身を預かり、グルニアへの身代金との交換になるかと思います」

「ハッハッハ!そんなものグルニアが払う余裕なぞないない!わしらに連絡の一つも返さんのだからな!」

「そうですか、ええと……」

 

 エルレーンが苦手なものが一つ判明した。

 彼はこういう『豪快なタイプ』に弱いのだ。そりゃあお坊ちゃんで、しかも体育会系で声のでかい奴なんていないような場所で育ったろうからなあ。

 

「レウス、頼みがある」

「なんだ」

「彼らの命を取らないで欲しい」

「んー、でもさあ、お前の頼みを聞くにしたってお前は差し出せるものもないだろ?」

「それは……そうだが……」

 

 大変性格が悪い行いだと思うが、ミネルバを困らせるのは大変楽しい。

 シーダだったら泣かれるだろう。

 だが、ミネルバはその性格の悪い行いに対して真摯に解決策を悩んでくれる。

 

「貴方は偉大な王なのだろう、アリティアをはじめ、グラやタリス、そしてついにはパレスを手に入れた」

「そうだな」

「そのレウスが、……その、端女の、願いの一つも聞けぬほど狭量ではないだろう?」

 

 ミネルバの戦闘以外で恐ろしいところがある。

 一つは有効な手だとするなら誇りより目的優先で手札を切れる所だ。

 王女であるプライドを捨てて自らを端女と言うことでオレを揺さぶれると思っている。

 そして当然、ビビビとオレにはばつぐんの効果を発揮する。

 

 もう一つは顔の良さだ。ミネルバはとにかく顔がいい。

 シーダも顔が良いし、リーザも顔が良いが、二人とはまた別種の美しさだ。

 気位の高さと武人としての厳しさ、厳しい環境に置かれた故の怜悧な顔立ち。

 その上で、その顔を利用して上目遣いなどしてくる。

 当人にはその気は無くとも、本能的に『有効な表情だ』として使っているのだろうのもわかる。

 

 その表情に免じて許そう。

 まあ、そもそもこのおっさんたちを殺すつもりもなかったんだが。

 そしておっさんたちはわかっていながら状況を楽しむために黙ってやがるのもわかっていますからね、オレは。

 

「ミネルバ、まだ端女じゃないんだからそう言うな

 その日が来たらメイド服を着てもらうから」

「ああ……だが、……ん、うむ……メイド服か……

 ……いや、ではなく」

「おっさんたちを殺すつもりはねえよ」

「そ、そうか」

 

 胸をなでおろすような表情。

 にこにこ顔のおっさんたち。

 

「さて、そこは話しておかないとだよな」

「実はな、わしらは賭けをしておったのだよ」

「賭け?」

「ああ、聖王レウスがミネルバを殺したのであれば城を枕に戦って死のう」

「生きていたなら?」

「生きていて、助けたのが聖王レウスだと言うなら、我らの価値を示すような戦いをしよう、とな」

「で、オレはまんまと価値を示されたってわけだ」

 

 このおっさんたちの恐ろしいところは増援は使い潰したがアカネイア降将に従っていた連中は使い潰さなかった事と、

 あの戦いで自分たちの部隊が殆ど損耗しなかったことだ。

 正直、このおっさんたちの用兵術はアリティアには存在しないものだ。

 ホルスタットと違って軍全体へのエキスパートではなく、作戦単位で区切られた軍隊運用のエキスパート。

 それを口や過去の戦歴ではなく、目に見える形でプレゼンしてきた。

 過去に対しての信頼性はミネルバの助命嘆願によってクリアもしている。

 

「はー……」

 

 オレは思わず吐息を漏らす。

 

「オレはオレが好きだ、オレが好きな奴が好きだ

 だから裏切り者が嫌いだ」

「忠義ならば我が身、我が命を以て捧げましょうぞ」

 

 ヒムラーが言う。

 ああ、そうだろうさ。城を枕にして討ち死にするってのだって本気だったろうしな。

 

「だが、オレが進む道は伝えたとおりだ

 オレに従うってことは向こう百年二百年、もしかしたらそれ以上の時間だけ悪名を纏う事になる」

「ハッハッハ!後世の悪名などわしらの知ったことではない!

 聖王とあろう方が自分で覚悟を決めているだろうに、配下となるものの心痛を慮るのか!」

「我らは既にそのような覚悟は既に決めておる、故国を捨てる事が証明にはならぬだろうか」

「ああ言えばこういうおっさんどもだ……

 わかったよ、正式に聖王国の将になってもらうのは戻ってからだが、今この時からオレの配下としてバリバリ働いてもらうからな!」

「寛大な御心に感謝します」

「一度裏切った過去を打ち消す忠義を示しましょう」

「ああ、我ら今より聖王レウス陛下の槍として忠義を尽くそうぞ」

 

 司祭のボーゼン、聖騎士のヒムラー、装甲騎士のジューコフ。

 得れると思っていなかった即戦力が加わったのは望外の喜びだ。

 同時に見限られないようにツッパり続ける必要が出てきたが、まあ、コストとしちゃお安いだろう。



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陥落の後

 お次はサムトーとエレミヤだ。

 決闘は終わりはしたが、あいつらの事は何もわかっちゃいない。

 パチシオンやあの鎧が狂わせるもんだと思っていたが、サムトーは……まあ、以前のアイツを知っているわけじゃないから正確には狂ってんのかもだが、

 少なくともオグマのような視野狭窄な感じじゃあなかった。

 

 エレミヤのあの魔道書も気になる。

 彼女が納得してくれるならガーネフあたりと引き合わせたいところだが。

 

 どこで話をするかと聞いたら

「メシ食べながらでどっすか

 聖王国やグルニアの皆さんも呼んで、パっとね」

 というサムトーの提案があったのでパレスの一室を借りて食事をすることにした。

 ガトーの事などは共有しておいた方がよかろうという考えもある。

 

「我らの身の上も伝えておきたのだが、よいかな」

 

 ボーゼンの言葉にオレは頷く。

 

「このボーゼンは所領は既にお返ししている

 父が作った負債が大きくてな」

「負債って何したんだ」

 

 ギャンブルとか……ではないよな、多分。

 

「カダインのような魔道学院を作ろうとしたのだがそのコストを賄いきれず」

「魔道ではないが立派な学院になったではないか、ユベロ王子もあの学校があったからこそ才を花開かせたと言って過言ではなかろう」

「そうだな、無駄ではなかったのは亡き父も喜ばれるだろうが」

「でも負債は負債、と」

「妻と息子は、妻の実家へと戻ってもらった

 グルニアの北の方で、随分と田舎だが、その分平和だ

 この戦乱でも影響は少なかろうと思っている」

 

 つまりは他のことは気にせずに付ける事を言いたいのだろう。

 おそらくヒムラーやジューコフも同様か。

 そう思っていたところにヒムラーも声を出した。

 

「私の家族は以前の戦いで命を落としております」

「ドルーアか?」

「正確にはドルーア軍ではなく、地方の」

 

 マムクートと言いそうになったのか、一拍おいてから

 

「はぐれ竜族にです」

「そうか、無念だったな」

「ええ……ですが、妻と子は街を守るために立ち向かったと聞いております

 無念ではありますが、誇らしくもありますから」

 

 寂しくはない、そういうことなのだろうか。

 達観とも言える。

 オレにはまだ遠い感情だ。

 

「わしは嫁と娘がおる、所領は先程言っていたボーゼンの嫁さんの領の近くではあるな

 ど田舎貴族なんでな、今頃作物の収穫で忙しくしているだろうなあ、ハッハッハ!

 おっと、わしの娘はとても美人だが聖王殿の嫁にはやれんぞ、許嫁がおるんでな、ハッハッハ!」

「許嫁というのはボーゼン様のご子息です」

 

 ヒムラーが横から追加の情報を出す。

 そういう状況が重なっただけで人のお嫁さんじゃないと興奮しないとかはないのでジューコフもボーゼンも安心して欲しい。

 

「誰彼構わず手を出すと思ってんのか」

「あら……私が聞いていたレウス閣下は誰かのものでないと悦ばないなんて話を伺っておりますわ」

「誤解だ、誤解」

 

 アリティア聖王国は吟遊詩人を多く集め、唄を広めるのに手を尽くしている。

 ぽっとでの現人神など説得力の欠片もないからだ。

 各地での転戦や嫁取りなどを唄にしてもらっているわけだが、制限を付けることなどできないため尾ひれ背びれはどれほど付いているのか確認できようもない。

 そのおかげでオレはシャロンとそういう関係であることも広まっている。

 シャロンが女の子だったら喜んで……いや、やっぱりちょっと尖りすぎているから厳しいかな……。

 

「あー、興味本位で聞くが他にどんな噂を拾ったんだ?」

「そっすねー、俺が聞いたのはあれっす、モスティン王とスモー?だかで一昼夜戦ったとか

 吟遊詩人が『あたかもアンリと氷竜の戦いの如く』なんて謡ってましたよ」

「ほ、他は?」

「紅の剣士ナバールとの一騎打ちはかっこよかったすよ、片手に赤毛のシスターを抱いて舞うように戦うレウスさん、容赦なき剣を振るうナバールのシーンなんて特に!えーと、ンン……『ナバールの必殺の剣が、くらえと口上の後に閃いた~♪』って奴す」

 

 覚えるくらい聞いているのか、それともそこかしこで謡われているのか。

 ただ、ナバールはヒットソングに連ねるほどのネームバリューなんだろう。

 山賊の下で働いてたけど。

 

「ナバールか、恐ろしい男よな」

「ああ……あの腕前も恐ろしいが、あいつの直感が特に恐ろしかった」

 

 ジューコフとボーゼンが話し始める。

 

「どうやって知り得ているのか知らんが、自分が戦うべき強敵が現れるのを察知するとかなんとか」

「そのためならどんな勢力にも手を貸す、まさしく狂犬のような剣士だった」

 

 グルニア軍人もご存知なほどの存在なわけか。

 サムスーフで雇われていたのは誰と会うためだったんだろうか。

 現れるはずの強敵、やはりオグマやマルスなのか、その真相を知る機会はもうないのだろう。

 

「戦いは終わったが、それはパレスでの戦いが終わっただけだ

 この地方でやらねばならないことがまだ沢山ある」

 

 ミネルバを見やると、彼女の小さく頷く。

 

「おっさん達からも得られる情報もあるだろうし、

 城にも情報は転がっているだろう」

「ああ」

 

 次の目標はミネルバの妹であるマリア。

 目指すは彼女が囚われているディール要塞。

 本当ならミネルバもすぐにでも行きたいだろうが、無理に進めて人質にでもとられると厄介だ。

 囚われていると言っても捕らえているのはマケドニアを含む軍によってだし、

 自国の王女、或いは同盟国の王女に無体な真似はしない、ある意味での担保がある。

 であれば、準備をして、しすぎるということはないはずだ。

 

 ────────────────────────

 

 食事がある程度終わり、さてそろそろ情報を引き出すための会話に移るかといったところで状況が動いた。

 

 爆発。

 王城たるパレスの壁はそこらの城とは比べ物にならないほどに分厚い。

 それを吹き飛ばした。

 

 爆発の瞬間にオレとジューコフは大きな机を盾にして、ヒムラーとサムトーは盾の前面に置かれるものを内側へと引っ張り込む。

 ミネルバは預けていた武器を出入り口にいた執事が投げ渡したものを受け取るとそれぞれに渡していく。

 エルレーン、ボーゼン、エレミヤは魔道書を開き、次の攻撃が発生すると同時に魔法を発動できる準備を整えていた。

 

 外を警戒していたアラン、既に部屋でぐっすりと寝ているナギに関しては被害が無いことを祈るしかない。

 

 それぞれが武器を持つ。

 

「馬鹿げた破壊力、こんなんパンチやキックで出せるようなもんじゃないよな

 ってことは……」

「ラングめの増援でしょうな」

 

 事前にその話は聞いていた。

 ただ、アラン、ヒムラー、飛竜石を使ったナギが探索を行ったが、姿かたちが見えなかったのだ。

 油断していたと言えばそうだ。

 

 だが、予想よりも早くパレスが落ちたからこそ戻ったのだろうと考えていた。

 

 煙が晴れていく。

 足音が一歩、また一歩と聞こえる。

 その度にちゃら、ちゃらと金属がこすれる音がした。

 

 やがて姿を表したのは、青色の髪を長く伸ばした美しい女だった。

 薄布だけを纏い、手枷と足枷が嵌められている。

 その瞳には意思力と呼べるものは残っているとは思えなかった。

 彼女に従うように数冊の魔道書が周囲に漂っている。

 

 緩慢な動作で歩き、同じ程にゆっくりと瞳をオレたちに向けた。



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サファイザー

 宙に浮かぶ魔道書がそれぞれ起動する。

 ファイアー、ブリザー、サンダー。

 いずれも階位の低い魔道書であり、何か特別な力が加えられているわけではない。

 だが、それを同時に操ることができれば或いは上級の魔道書に匹敵する力となる。

 

 問題はそれだけではない。

 魔力の高さだ。

 

 オレが知る中で最も魔力が高いのはガーネフだろう。

 これは疑いようもない。

 魔道の腕前として考えればガーネフには及ばなくとも、純粋な魔力の高さで言えば比肩するレベルだ。

 

 いつまでもそこらのものを盾にし続けることはできない。

 

 おそらく城の壁を崩した魔法は別に持っているのだろう。

 即座に連発してこない事からそれなり以上にクールタイムが存在しているものなのだろうが、

 それがいつ完了するかの推理する要素もない。

 

「遠距離攻撃ができる奴はそれを頼む

 隙をついて接近戦を挑む

 エルレーン、お前には別に頼みたいことがある」

「はい」

「いざって時のために学院が渡してきた杖あったろ、秘蔵品だって言ってた」

「リカバーですか?」

「あの様子じゃすぐに倒れるとは思えないが、万が一防御がペラペラだったら死なないようにして欲しい」

「蘇生なんてできませんよ、この杖は」

「だから見極めて、やばくなる直前に使ってくれ」

「無茶を仰る

 問題ないダメージだったら攻撃に回りますよ、僕も」

「ああ、頼む」

 

 エルレーンの話が終わった後にサムトーが言う。

 

「レウスさん、俺も行くすよ」

「無茶はするなよ」

「俺の逃げの技術体感してるじゃないすか」

 

 一方でヒムラーは持っていた手槍をジューコフにも分けて寄越す。

 エルレーンは杖を、

 ボーゼン、そしてエレミヤは魔道書を用意し、魔力を練り始める。

 

「行くぞッ!」

 

 オレの声が引き金となって、突発的に始まった死闘の幕が開けた。

 

 ────────────────────────

 

「ボルッ!ガノンッ!」

 

 ボーゼンの掛け声と同時に発動するエレミヤの黒い光。

 二重の爆発は普通の人間なら、いや、熟達の戦士ですら消し飛びかねない破壊力がある。

 

「そぉらよ!」

「ハッ!」

 

 ジューコフとヒムラーの手槍が飛来するが、命中の前にブリザーが発動し、地面に縫い付けてしまう。

 

 だが、十分に近づける時間を稼ぐことができた。

 オレとサムトーが踏み込む。

 今のやりとりでわかった。この相手はそう簡単には死ぬまい。

 

 獣人の曲刀を振るう。『追撃』、『突撃』がほぼ同時に発動する。

 しかし、その一撃はまるで魔道書が身代わりになるかのようにして盾となる。

 魔力そのものが魔道書の物理的な耐久値を高めているようで、紙で作られているはずのそれは鉄鎧すら切り裂く威力がある獣人の曲刀の連撃を食い止めた。

 

 彼女を挟み込むような形で立っているサムトーもそれは見ていたが、或いは見ていたからこそ全力でパチシオンを薙ぎ払った。

 同じように魔道書が盾にならんとするが、衝突の際に凄まじい光が発したと思うと、魔道書はコントロールを失ったように地面に落下していった。

 

 オレの一撃を防いだのを見ていたサムトーも、それには少し表情を変えた。

 

 乱入者はその状況が──オレにはわからない──何かを察知して後ろへと一歩引く。

 

「よくわかんねえけどパチシオンなら当たるんすかね!」

「かもしれん」

 

 周りを浮く魔道書が彼女の腰や背に張り付くように動くと、彼女を輸送するように動き始めた。

 

「あ、逃げるすよ!!」

「『道に留まれ』、『木々を進む』!!」

「へ?」

 

 追いかけつつオレはトレントを呼び出すと飛び乗った。

 彼女の移動速度はと言えば、トレントでも追いかけるのが精一杯で距離を縮めることができないほどだった。

 

 ────────────────────────

 

「レウスさん、何が言いたかったんだろう」

 

 サムトーがレウスの背にそう呟く。

 

「道に留まれ、はここで待て

 木々を進むは最長で十日ほど単独行動する、ですね」

「符牒って奴すか」

 

 エルレーンは「そうです、あまり使う予定はないもののはずなのですが」と言う。

 自らの王が単独行動する自体は可能な限り避けてほしいからこそ、あまり使う予定がない、と濁したのだろう。

 

「エレミヤさん、アレってやっぱ」

「守り人ですね」

 

 二人の会話に入るようにエルレーンは言う。

「何かご存知なら教えていただけませんか」と。

 

「情報をいただければ対策を立てることができます

 レウス様が単独行動するのは今更なので止めようもありませんし、止める気もありませんが……

 お戻りになるなり、予定よりもお戻りが遅いときなり、行動するためには情報は多ければ多いほど助かります」

「レウス閣下にこそお伝えしようと思っていたことなのです、皆様には刺激が強いかと」

 

 刺激が強い、と濁しているがグルニア三将はそれを国家のトップ層でのみ共有するべき情報なのだと受け取る。

 

「ふむ……

 であれば、我々は聞かないほうがよろしいでしょうな」

「我々に口外する気がなくとも、

 知っている人間が多いというのはそれだけで隠蔽強度が下がりますからね」

 

 グルニア三将は城が破壊された状況やいざという時にレウスを追いかけるためにも相応の準備を進める。

 

「レウス様の名代として伺います」

「わかりました、ですがそれを聞いた上で私との敵対をする事はしないと約束していただけますか?」

「それは勿論、レウス様の判断もなく賓客に失礼な真似はしません」

 

「なら安心ですわね」とエレミヤは微笑み、そうして説明を始める。



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黄金律

「馬鹿な……アカネイアの、……アカネイア王国の成り立ちが、そんな筈があるものか」

 

 彼──若き日のミロアは持っていた手記を落とし、頭を抱えた。

 これはエレミヤがミロアより語られた過去、彼女とミロアだけが知る過去だ。

 

 ミロアがガトーよりオーラを与えられる以前。

 一介の学生ではあるが、その才を認められたガーネフとミロアはカダインにて多くの資料を読む権限を与えられていた。

 

 ミロアが立つ場所はまるで数百年は人が立ち入った形跡のない禁書庫のような場所であった。

 ここを見つけたのは本当に偶然であり、或いはガトーすらこの場所のことは知らない可能性もあった。

 書庫への立ち入りを有されている以上はここもその一部なのであろう。それが例え責任者もいない場所であろうとも。

 この部屋を見つけたミロアは改めてガトーに許可を取ることも、ガーネフに相談することもなかった。

 それだけ、この場所……禁書庫と仮称するここは文字通りに禁断の知識に溢れていて、学者としてのミロアの独占欲を多いに刺激した。

 

 それを見つけなければ、彼の人生は狂わなかったかもしれない。

 他の本を最初に開いていれば、例えばそれが魔道書であれば強力な力を得て満足したかもしれない。

 

 彼が最初に開いたのはアカネイアの成り立ちを記したもの。

 より正確に言うのであれば、アカネイア王国建国の父、アドラ一世の手記であった。

 

 異大陸より流れ着いたアドラ一世の冒険譚であった。

 アカネイアという土地を歩き、或いは戦いの中で出会いや別れに満ちた物語。

 それだけであればミロアの気は引かれなかった。冒険譚などで喜ぶ年ではない、と思っただろう。

 彼が読み進めたのには理由があった、この禁書庫のように隠された都市や地図から消えてしまった国の情報、或いは語られぬ秘宝についての事柄が残っているかもしれないからだ。

 冒険者であるアドラ一世であればそうしたものを見聞きし、記録に残しているかもと考えたが故に、読み進めた。

 

 やがて、書かれていた内容はミロアが求めていた通りの、竜族が多くを犠牲にしながらも封印した地竜族の『蓋』をする封印の盾と、それに力を与えていたオーブと、有事の際に戦いに持ち出されるはずの神器と呼ばれる秘宝の数々を盗み出したことが書かれていた。

 オーブは売払い、それを元手に軍を編成し、神器を扱って作り上げたのがアカネイア王国、当時で言うならばアカネイア聖王国であると。

 

 かつて人々を守るために犠牲を出しながらも地竜族を封印した者たちをすら迫害をし、

『竜をも支配した』という権威を国に与えた。

 マムクートと言う蔑称を生み出し、アカネイアが持つ身分社会を明らかとした。

 

 求めていた宝の情報とともに、ミロアは知ることになる。

 

「このような者たちの血が、私にも……?」

 

 ミロアはアカネイア人として誇りを持っていた。

 自分にも偉大な建国王アドラ一世の血が流れているのだと思うと何度も勇気をもらった。

 その全ては誤りであり、自らに流れるのは薄汚い盗人で、迫害主義者の血統だった。

 

 手記には最初は細やかな野心だったのが、盗んでしまった者の力によって多くの人間に夢を託され、

 止まれず、国を建て、エスカレートする人心を慰撫するために竜族を迫害する『権利』を与えてしまったのだと書かれてた。

 それは苦痛と後悔に溢れた文章だった。

 

「何を、身勝手な……止まらなかったのは貴方の意思ではないのか、父祖よ」

 

 全てに裏切られた気分だった。

 絶望し、何から手につけていいかもわからなかった。

 

 たった一冊の手記を読み終わるだけで十日以上を有し、一頁めくる度に全身が苦痛を走る。

 読み終わった後に最初に探したのは尖ったものだった。

 

 何でも良かった。

 

 本棚から剥がれたのか、木片を見つけるとそれを掴み、自らの胸や腹を刺した。

 苦痛が溢れ出た。

 けれど、心に受けた苦痛に比べれば痛みとすら呼べなかった。

 何度も自殺を行おうとしても、死ねなかった。

 

 ミロアは悟った。

 死ねないのではない。

 死なせてもらえないのだと思った。それは彼の思い込みに過ぎず、肉体が単純にストッパーを設けてただけだとしても、かのように思い込むには十分なほどに追い詰められていた。

 真実を知ったお前が死ねば再び歴史は閉ざされるのだと、そう言われている気がした。

 

 禁書庫にある本を手が届くところから読み始めた。

 多くは取るに足らないものだと読むのを止めてもよいものだった。

 神竜ナーガをも食い殺しかねないロプトウスという、暗黒神とまで呼ばれた強力な地竜族が居たとか、

 魔法都市テーベにはフォルネウスという偉大な錬金術師が神をも超える存在を作ろうとしていたとか、

 この禁書庫にある以上は何かしらの真実なのかもしれないが、それが彼を慰撫してくれるものではなかった。

 

 そんな中で一つ、その心を癒やすものをミロアは遂に見つけることができた。

 

「神竜ナーガは死んでいない」

 

 そう書かれていた。

 伝説によれば神竜ナーガは五千年の永きを生き、人に世界を託して眠りについたとされていた。

 

 だが、その書物によればそもそも『神竜族には生き死にの概念がない』とされている。

 ナーガが死ねば、やがて次のナーガ族が自然発生的に生まれ、次の神竜ナーガとなる。

 生殖など必要なく、死という結果が生を孕むのだという、完全な循環のルールの中に存在する伝説。

 

 ナーガだけが持つ滅びと再生を成立させるルールを、

 それを生命の全てを表す系統樹にも引っ掛けてか、『黄金樹の律』或いはより呼びやすく『黄金律』と呼ぶのだという。

 

「この、この著者は何者なのだ?

 まさかガトー様自身が?」

 

 サインらしいサインはない。筆跡も彼のものではない。

 著者が透けるような事が見えるのはこの本は代筆によって書かれたことと、

 代筆者の横にこれらを書かせた張本人を意味すると思われるマークが刻まれていた。

 それは金の仮面のような印であったが、ミロアにはそれが何かを理解することはできなかった。

 

「黄金律──それが本当ならばなぜ竜族たちが争うような世界になった?

 なぜ人々は争う?

 なぜナーガ様は自身が持つ永遠を人に授けてはくれないのだ……?」

 

 書物を読み進めると、次の絶望が待っていた。

 黄金律は不完全なものであり、それを完全なものにするための実験として『この世界ではないどこか』で行われた成果から逃れた獣こそがナーガだったのだと。

 

 この書はそこで終わっている。

『この世界ではないどこか』で『誰か』が書いたものが漂流物として流れてきたものなのだろうか。

 黄金律すら超えたもの、完全なる黄金律……完全律を持つ存在はその世界には現れたのだろうか。

 

 ミロアはそれを知るためにも書物を漁り、読むが得られる知識は『この世界ではないどこか』に関わるものは一切なく、この世界に来た後のナーガの事ばかりである。

 

 ナーガもまた黄金律のルールに疑問を持ち、より正しく、より完璧なものを求めた。

 

 しかしそれは例え神竜であっても手に入らないものであった。

 黄金律を備え、永遠の循環を備えたるナーガであっても。

 やがて、ナーガは『永遠の無意味さ』を理解した。

 

 ナーガはそれ故に、この世界の神として君臨こそしたが、完全な世界にする気も、同じ点と点に向かうだけの循環構造の世界にするつもりはなかった。

 

 だが、他の存在からしてみれば、それは不死不滅の法則であり、定命の存在たちの多くが永遠たる神ナーガへと挑んだ。

 それがロプトウスであり、ナーガのかつての仲間でもあったメディウスでもあった。

 しかしその全てをナーガは、或いはナーガが見定めた勇者の力によって退ける。

 

 永遠の存在であるが故に、永遠を持続させるための方法を常に未来の情報を垣間見て必要となる様々な要素をそれとなく集めることができた。

 神の視座。

 ナーガは見ている。

 ミロアの今の行いを、未来の行いまで。狂気的な発想が脳の中央から瞳を覗かせるようにした。

 彼は全ての知識を睥睨できたかのような全能感を、或いは解放感を得ていた。

 

「我らアカネイア人は不完全な罪人だ、我らを救える者など人間の中から現れるはずもない

 ……我らをお救いくださるものがあるとするなら、我らのような小さきものを遥かに超越した、

 刹那の存在から脱却しているものだけ……黄金律の化身、ナーガ様以外には無いはずだ

 ナーガ様は、死んでいないのだ……ナーガ様にお目覚めになっていただけば、全ては上手く進むのだ……

 崇めるのだ、ナーガ様を、偉大なる黄金律を……」

 

 真実は人を狂わせるに足る毒を持つことがある。

 その毒は信心深く、或いは篤実な者であればあるほどに早く、深く効く。



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回帰性原理

 数多の知識を蓄えたミロアは学院から故郷へと戻った。

 ガトーやガーネフには将来家を継ぐ上で宗教の催事に出ないわけにはいかないからと説明して。

 

 ミロアの実家がナーガ教団の有力者であることをガトーは知っており、それであれば帰郷を許すと言って、

 そしていち早く帰りナーガ教団との繋がりを深くさせるために配慮したのか、ワープまで使って送り出した。

 

 余人が知り得ない多くの知識を備えた、真実を知ることで生まれ変わったミロアは帰郷後に頭角を表し、教団を支配していった。

 ミロアはより熱狂的な信者を選別して集め、死すら厭わない狂信者からなるグループを作り、自らがナーガ教団の有力者になるために行動を始めた。

 教団トップである大司祭の椅子は遠いが、それを狙えるポストに座るために自分の親すら手にかけさせた。

 

 ナーガ教団の教えはアカネイアでは最もポピュラーのものではあるが、

 明確に信者となるとその数は決して多くはない。

 そもそもアカネイアの大陸に住むものは教えには篤くとも、宗教組織というものとは縁が薄いのだ。

 それをミロアはあの手この手を使って急速にナーガ教団をアカネイア王国に浸透させていった。

 時の王ですら信徒となるほどに。

 

 十分な功績を得た彼は再び学院に戻る。

 元より魔道に精通しているのはガーネフであり、ガトーの後を継ぐ証ともいえるオーラの継承レースで彼に勝てるはずもなかった。

 

 だからこそミロアはガトーに直談判をした。

 

「ガトー様、私にオーラをお与えください

 オーラとガトー様の跡目という立場さえあれば私はアカネイア王国で大司祭の座に付くことができます

 そこで多くの信心を集め、信仰による祈りを束ねれば偉大なる眠りからナーガ様を起こすこともできましょう」

「ミロア、お主は……ナーガ様の眠りについて何故知っている?」

「今も生きて人々を見守っているという嘘に騙されていない理由は、黄金律の真実に触れたからと言えばご理解いただけますか?」

「──馬鹿な、それを……どこで知った?」

 

 ミロアは可能な限り禁書庫の事を人に、神にすら話すつもりはなかった。

 

「実家に戻った時に啓示をいただきました」

「……啓示を、だと」

 

 ナーガが啓示を人に与えることは少なくない。それは言葉であったり、物を渡すであったり。

 それを禁書庫でミロアは理解していた。

 啓示そのものがどのように、そして誰に与えているかはナーガしか知り得ない以上、ガトーは信じる以外に選択肢がないことも理解していたのだ。

 

「……よかろう、お主がそういうのであれば、その計画に乗ろうではないか

 この世界には神が必要だ」

 

 その神というのにはガトーも含まれているのだろう事もミロアは理解していた。

 ガトーは決して自分を神として扱うことはないが、

 その視座は人間からしてみれば神と同義である。

 

 かのようにして、ミロアはオーラを得て、そしてカダインの財産を私的に流用した。

 彼はアカネイア権力機構でも有数のもの、大司祭という特別な椅子に座ることになった

 

 ────────────────────────

 

 ミロアの目的はナーガである。

 ただ、それはナーガが世界を救済してくれると思っているからではない。

 

 ナーガが持つ黄金律を取り出し、その永遠を成立させる力でアカネイアを盗人が作った国ではなく、

 黄金律の祝福によって永遠に栄える力を持った神の国にできる。

 そうなればアカネイア人の自分もまた盗人の血ではなく、黄金律を備えたる完全な存在になれるのだと信じてやまなかった。

 

 その行いこそがナーガから黄金律を掠め取る、盗人の行いであることなど狂気の道をひた走る自己弁護に覚知しきったミロアが顧みれるはずもなかった。

 

 表向きは温厚で高い教養と学識を備えた大司祭であるミロアだが、

 大司祭となった彼は毎夜の如く女を連れ込んでいた。

 

 そもそも彼はその権力から取り入ろうとするものは国内貴族から無数に手を伸ばされていた。

 彼はそうした貴族たちの娘を調べていき、魔力や魔道の才を持つ女を片端から抱き、孕ませた。

 父親がミロアであると知らされているものはほぼいない。

 社会的に子供として認められ、ミロアの家の人間だとされたのはある貴族の娘との間で作ったリンダという娘だけである。

 それ以外で肉体関係を結んだ娘の家にはナーガ教団において然るべきポストを与え、相応の権力を楽しませた。

 

 貴族という限定された領域では才覚を集めるに足りないと考えたミロアが同時に行っていたことこそが聖娼という立場を作ることであった。

 エレミヤはその聖娼として選ばれた一人だが、多くの聖娼は虐げられていた立場からミロアに救われた者たちであり、ミロアに絶対の忠誠や絶対的な恩義を抱えている女たちだった。

 

 エレミヤはそうした人物の中で最も優れていたが故に、目をかけられていた。

 ミロアは魔道の深淵をエレミヤに教え、自らが知ってしまった世界の真実をすら彼女に教え、

 或いは禁書庫から持ち出した書物すら読ませた。

 

 エレミヤという女は狂っている。

 それがいつから狂っているかは誰にもわからない。

 ミロアは彼女の狂気に気がついてはいなかった。

 彼からすれば、アカネイアとナーガ教団の力を強めることができる運命の女(ファムファタル)だと信じて疑わなかったからだ。

 

 だが、彼女は狂っていたからこそミロアの知識の全てを受け継ぎ、ミロアの心の全てを理解していた。

 彼女は彼女なりにミロアを愛し、彼が殺された後も復讐心ではなく、生前の望みを達成するために行動した。

 

 ミロアの目的、それはナーガ及びその神話を守るものの殺害である。

 神をその座から引きずり下ろすことまでが、彼女にとってミロアの目的に寄り添う行動である。

 アカネイアの地がどうこうは、彼女が愛したものではないから気にも留めていなかった。

 

 ミロアが居ないからこそできないこと、深く知ることができないものもある。

 その一つが守り人であった。

 それを作り出すための方法もミロアの遺品である多くの書物から知ることが出来たのかもしれないが、

 その内容はあまりにも難しく、必要となるものもよほど身分が高くなければ集められないものばかりであった。

 

 だが、その守り人が現れた。

 それこそが先程の女である。

 一体、誰が、どのようにして守り人を作り出したというのか。

 

 ────────────────────────

 

「あなたは……」

 

 エルレーンはその話を聞いた上で、どう答えるかを悩んでいた。

 しかしやはり、話す以前の取り決めを上回る良策は出てこなかった。

 

「……全てはレウス様が帰還されてから、ですね」

「守り人を何とかできれば……ですけれども」

「しますよ、レウス様なら」

 

 少年の自信満々な言葉に、守り人の力を知っているはずのエレミヤももしかするのかもしれない、と思う、或いは願いにも似た感情を向けるのだった。



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系譜

 トレントが森を駆け抜ける。

 どれほどの距離を走ったか、警戒こそ崩さないが後ろにあるアカネイアの灯火は随分と小さくなっていた。

 

 山の中腹辺り、木々のない、ぽっかりとした空間に出た。

 緩やかに彼女はそこにふわりと降り立つのを見てオレも下馬する。

 

「──エリス」

 

 名を呼ぶ。その外見からの予想でしか無いが、リーザの血を強く感じるのだこれで他人の空似であるはずもなかろう。

 

 自我を感じさせない振る舞いの彼女だが、その言葉に緩慢に反応を見せた。

 瞳がこちらを向いている。

 ひとまずは攻撃をしてこないのなら、何かしらやりようはあるだろうか。

 

 近づく。攻撃はない。

 より近づく。攻撃はない。

「エリス」……名を呼ぶ。攻撃はない。

 そっと触れる。

 

 刹那、宙を舞う魔道書が頁を開いた。

 

 ちょっと不用心すぎたか。

 ファイアーとブリザーの書に魔力が込められ始める。

 

 オレも獣人の曲刀を抜きはするが……、あの魔道書は盾にもなる。

 そもそも下手に攻撃を当てて無傷で済ませられる保障がない。

 

 ジ、ジジジ、と頭にノイズのような頭痛が走る。

 すわ精神攻撃かと慄くが、違う。

 発生源もすぐに特定できた。

 オレだ。

 正確には、オレの所持物だ。

 

 懐から『それ』を取り出す。

 

『それ』は手に入れた時と違い、明確に不気味な力を放っていた。

 黒と紫の、粘度のある霧のようなものを立ち上らせている。

 

 その煙はオレを狂わせようと、不定形の触手のようにうねり、触れようとする。

 だが、それに反応したのはオレ自身ではなかった。

 不気味なと形容できる鈍い金色がオレの背に瞬く。

 ルーン(エムブレム)が開き、その威圧的な鈍い光が闇のオーブの触手を立ち消えにさせていく。

 

『聞こえている?』

「メリナか、こりゃ何事だ」

『何事はこっちの言葉なんだけどね

 おそらくその宝玉……闇のオーブはルーンと同じ性質がある』

「ルーンと?」

『性質があるだけで同じではないけれどね、律を作り出したりする力はない

 けれどそれ一つの力は大ルーンに匹敵するか、もしかしたら部分部分の効力においては上回るかもしれない』

「で、これがなんでオレに訴えかけてきたんだ?」

『使えってことでしょう』

「闇のオーブを、か?」

『ええ、或いは他の何かかもしれないけれど、思いつけるのはそれくらいじゃない?』

「どうやって」

『知らないわよ、私だって

 今の私みたいに対話を試みたらどう?』

「闇のオーブと?こいつ精神を乗っ取ってくるんだろ?」

『そうなったら内側からナイフ(使命の刃)で引っ掻いて正気に戻してあげるから安心して』

「そんな暴力的な……」

『でも、彼女を正気に戻す手段なんて思いつかないのでしょう?

 だったら藁でも闇のオーブでも掴んでみなさい

 死のルーンに触れたのに今更何を恐れるっていうの』

「そりゃあ、ハハ……違いない」

 

 普段表に出てくる事のないメリナが話しかけてくる。

 そもそも話しかけれたのかよとも思うが、出会いがどこからか湧いて現れる女だったしな。

 今更不思議の一つもない。

 

 闇のオーブに力を入れる。

 ルーンが同調するように鈍く輝き、その悪しき力からオレを守る。

 或いは、自らの宿主を生かすための生存本能なのかもしれない。

 

 鈍く鈍く輝く。

 刹那、闇がオレを中心として放射状に広がる。

 それが世界を包み、オレは宇宙で放り出されたかのようになった。

 

 ────────────────────────

 

「よもや、人間風情が……運命というのはわからんものよな

 或いはそれを宿命と呼ぶのかも知れんが」

 

 声が響く。

 

「なんじゃ、ずっと側におったワシを知らぬと言うか」

「知らん」

 

 幼気(おさなげ)な声だが、その物言いは随分と年季のいった老人のようでもある。

 

「ワシじゃよ、ほれ、いつものように懐か外套を漁ってみい」

 

 こんな状況だ、従う以外になにがあるというのか。

 オレは外套に手を突っ込むとなにかに触れる。

 普段は『何を取り出す』と考えてはじめて触れることができるが、今回はその物が自らの意思で現れたようでもあった。

 

「……本?」

「そうよ、忘れたか」

「ああー!ホルスタットが餞別にってくれた奴か!」

「そうだとも

 人の手に渡るは珍しくもないことだが、ワシの意識を浮上させることができたのは千年近くぶりになるかのう」

「千年だあ?」

「ああ、前回の失敗から目覚める可能性の方が少ないとも思っておったが、いやはや、わからんものよな」

 

 けたけたと笑う。

 闇がゆるゆると集まっていき、人の姿を取っていく。

 

「見ていたのか、オレを」

「見ていたとも、そなたを」

「じゃあ自己紹介は要らないって事だ」

「無論じゃ、レウス

 狭間の地に玉座を置いてきた無責任なる王よ」

「言うじゃないか、だが王が放埒で何が悪い」

「悪いとは言うておらぬ、だがワシがいる世界の王には見たことのない類ではあるがな」

「そこまでいうお前は誰なんだ」

 

 再び、楽しげに笑う。

 人の形はやがて可視化できるほどになる。

 淡い藤色の髪の毛、病的なまでの白い肌、そして人ではないことを如実に表すルビーの瞳。

 童女そのものだが、その顔立ちか表情からは深い見識を備えた学者のようにも見える。

 

「我が名はロプトウス、暗黒神とも呼ばれたる一柱である」

 

 童女がにたり、と笑った。



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暗黒の褥にて

「ふはは、恐ろしくて声も出ぬか」

「……」

「なんじゃ、黙っておるな、なにか言え」

 

 外見をあけすけに言うのも何だが、可愛らしい童女の姿で凄まれたところで可愛いだけなのだ。

 例えばこれが神喰らいの大蛇(ライカード)のようにおぞましくも強大なる姿であれば慄いたかもしれないが。

 

「今すごい失礼な事を考えていたじゃろ」

「いやいや、なんもなんも」

「……仕方あるまい、この姿であるのは力を失ったからよ

 力さえ取り戻せば威容を見せつけることもできるがな」

「で、ロプトウス様はオレを取り込んで、力を取り戻そうと?」

「ふん、それができたら苦労せぬ

 ワシがこんなちんまい姿になったのはそなたのせいでもある」

「何もした覚えねえよ」

「そなたを乗っ取ろうとしたらその背中の、死に触れたせいでワシの体は消し飛んだのよ!

 大人しく乗っ取られればよいものを!」

 

 大ルーン及び死のルーンという名のアンチウィルスソフトに除去されたってわけだ。

 

「乗っ取ろうとしたのか」

「ああ、したとも」

「悪気は?」

「ない!」

「流石は暗黒神……清々しいまでにクズだ……」

「クズっぷりはそなたも負けておらぬだろうに」

「それはまあ、否定はしないけどよ」

「だからこそ、ワシは貴様と話をするつもりになったのじゃ

 レウスよ、ワシと契約せぬか」

「おいおい、お前と契約した奴がどうなったか知ってんぞ」

「だが力は与えてやったろう、それに心の優しい者であったからこそ『そう』なったのよ」

「オレなら大丈夫ってか」

「そなたにはそれ(ルーン)がある、それがある以上ワシは手を出せぬ

 そして折角目を覚ましたというのに何もできぬは何よりつまらぬ」

 

 ふわふわぷかぷかと浮かぶ『それ』は美しく、そして可憐である。

 だが、コイツは多くの人間の運命を狂わせ、

 人間に煮えたぎるような悪感情で構成された羨望の感情を向ける怪物。

 

「質問する権利はあると思っても?」

「構わぬ、この空間の時間は傾いでおるからな、止まっているのと同義じゃ」

「嘘偽り、誤解を招く表現があったら死のルーンに叩き込む」

「……そ、そんなことするはずないじゃろ、ワシは誇り高き竜族じゃぞ」

 

 笑いながらも青ざめるロプトウス。

 死のルーンに焼かれたのはよほど堪えたと見える。

 

「お前の目的はなんだ?」

顕界(げんかい)することよ」

「世界に現れてどうする」

「……人間を支配する……と言いたいが、」

 

 ロプトウスはオレを見やる。

 

「そなたを篭絡し、利用することかのう」

「なんでそんな事を」

「わからぬか?」

「わからんね、オレがいい男だからか?」

「そなたがいい男?ハッ」

 

 超絶馬鹿にした笑いだ。

 

「傷つくんだが」

「はいはい、続けてよいか」

 

 オレは舌打ちを抑えきれず、そうして続きを促す。

 

「本当に気がついていないならば教えねばならんが、

 そなたこそが今、この大陸の覇権を握るに最も近い場所に立っておる

 その上で清濁を合わせのみ、竜族やワシに対しての悪感情もない」

「竜の国を作る、メディウスが考えていることを実現するならオレの作る国に相乗りするのが早い

 そう言いたいわけか」

「メディウスの考えている国とワシが考える国は違うであろうがな、いや、帰結するは同じか」

 

 結局の所、竜族は人間よりも優れた存在であるというのは竜族も人間も共通で思っている事であるのは否定しようがない。

 竜とはそもそもとして一つの生命としてあまりにも完成された存在なのだ。

 

「だけど子供も作れんのだろう、竜族は

 国を作ったところで長くはもたないんじゃないのか?」

「ああ、だからこそそなたが必要なのだよ

 例えば、今を見よ

 ワシは肉体も無く、しかしそなたと話している」

「ああ、そうだな」

「竜族はかつての力を石に封じて人に化身した」

「ああ」

「だが竜族とはな、確たる肉の器を持たぬものなのだよ

 それが竜族の真なる性質じゃ、封じたものなど竜になるという外見上の特性に過ぎぬ」

「でも死ぬだろう」

「肉体が破壊されれば、そうじゃな

 だが、それは真の死ではない

 やがては甦る」

「黄金律みたいに、か」

「黄金律を知っておるのか」

「お前の言っているものとは違うかもだがな」

「ワシが知るのはナーガこそが黄金律であるという事よ

 死を超克した存在、それこそがナーガであり、黄金律じゃ」

「……知っているのと概ね同じだが、」

 

 聞きたいことが増えたが、今は置いておく。

 

「ナーガが不滅の存在なのはわかったが、それが他の竜族にもあるのは何故だ」

「ナーガという存在そのものが(ルール)なのじゃよ、竜族とは不滅であるというルールがある

 だが、我らは元はそなたたちと同じ命あるもの、肉の器あるもの

 もっとも、それを知っておるのはワシとナーガだけだとは思うがな」

「永遠の存在である事と老いてゆく肉の器が矛盾しているってことか?」

「その矛盾が我らを狂わせていった、生物として子を成す必要がなくなり、律の強制が病のように思考や精神を冒していく」

「それが竜族の破滅に繋がったってことか」

「然り、竜族たちは狂ったのじゃろう

 ワシが寝ている間にも多くの竜族がな

 だが、そうした者たちの魂は未だにこの世界に漂っている

 レウスよ、そなたが偉大な王になるのであればその魂を救う手段を得られるのじゃ」

 

 その瞳は憐憫を湛えている。

 同族の狂気を哀れみ、それ以上に生命としては優れていながらも、それでも完全な存在ではない事を知っているからか。

 

「どうやって」

「竜の魂を昇華させるのよ」

「昇華?」

「ああ、信仰や祈祷によって魂に方向性を与え、黄金律に組込み、正しき循環へと戻し、竜族の仔が生まれるように黄金律に変じさせる」

「散らばっている魂を輪廻転生に含ませる、ってことか」

「そうじゃ」

「そして宗教を起こすには権力の後ろ盾があればよく、それは大きければ大きいほどよい」

「ああ、そうじゃ」

「それを目的として手を貸す

 だが顕界する意味は?」

「ナギと同じよ、姿を晒すことで人々の信心を集めることができるからのう」

 

 理に適っている。

 事実、先だっての戦場でナギの破壊力に神の威を見たと考えるものも少なくないだろう。

 とはいえ、相手はいかに外見が可憐でもロプトウス(暗黒神)、頭から信じるのは危険かもしれないが。

 

「だからオレを篭絡して、利用したいってわけか」

「理解できたか」

「オレがいい男ではないってことを理解させられたのは不服だがな」

 

 オレは不満の声をあげる。

 ロプトウスはその様子を楽しげに、けたけたと笑うのであった。



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顕界する闇

 気を取り直して「次にだが」と続ける。

 

「見返りはなんだ?」

「知と力をやろう、その使い方をのう」

「例えば、なんだ」

「一つはオーブよ、その力の使い方を教えてやろう

 そなたにはオーブは扱えまい、多くの人間もその力に支配されるだけじゃ

 だがそなたであれば背にあるそれ(ルーン)の力で支配もされまい

 道具として扱えるようになる

 オーブの使い方を知っておるのはワシを含めた竜族でもごく一部じゃ

 一部を切り出して力に転用するものはおっても、真の意味で扱えるのは多くはおるまい」

「闇のオーブを使えたらいいことがあるか?」

「眼の前のあの娘子(おなご)を取り戻すことができる、容易にな」

 

 魅力的な提案だ。

 流石は人を狂わせて来た暗黒神なだけある。

 

「他は」

「ナギと同じよ、ワシも戦場で力を奮ってやる

 あやつと違って竜石は手元にないので扱えぬが、そこらの魔道士など比較にもならぬ魔力を振るってやろうぞ」

「まだなにかあるか?」

「可憐な姿があるじゃろう」

「……」

 

 その言葉に一応、上から下、下から上へと舐めるように観察する。

 年齢的にはシーダと同じくらいか。中身はさておき。

 

「ああ、いや、言い方が悪かった。悪かったからその気味の悪い目でこの体を見るでないわ

 戦場においての信仰心を高めるは戦場の士気に関わる、そう言いたいのじゃよ

 リーザやミネルバを見たであろう、そなたが孤軍で暴れまわるように士気を高めた光景を」

「その二人は単純に盛り上げるのが上手いからもあるだろう」

「それに関してはワシを使ってみてから判断してもらうしかない」

 

 ロプトウス、正確にはロプト教団の皆さんの果断なる努力のお陰ってのはあるにしても、

 その原動力を生み出しているのはこいつなんだよな。

 確かに、大いなるカリスマはあるのかもしれない。

 

「知と力、ねえ」

「不満げじゃのう」

「もう一声欲しい」

「欲深いのはワシとしては扱いやすくてよいが、過ぎたる欲は人を破滅もさせるぞ」

「はいはい」

「その上、敬意もない」

「で、他にあるのか?」

「知という分野では、そうじゃな、永く生きた分だけ知識がある

 それらをそなたの国に伝えてやることはできる

 神ではないから何でも知っているわけではないが、ワシが活動できていた頃の世界もまた戦乱であったからのう

 有効な戦術や魔道書の開発には携われるやもしれん」

「可憐なお姿の件に比べれば遥かに魅力的だな」

「黙っておれ

 言われてみると確かにまあ、今一な提案であったかもしれんが」

 

 姿をどう作ろうと、こいつは人を破滅させる悪竜の類であろうし、

 そもそもが闇のオーブそのものでもある。

 

 だからといってコイツを否定することをオレはできなかった。

 何故なら、コイツはオレよりもよっぽどマシな存在だからだ。

 

 オレは話も聞かずに狭間の地を暴れまわった。

 根気よく全員と会話を続ければ違う道はあったのかもしれない。

 だが、オレはしなかった。

 

 ロプトウスはきっと、その持ち主や、手を貸した者たちと話すような夜があったのだろう。

 だから、きっとオレよりはマシだ。

 

「契約してもいい、顕界するのに手を貸してもいい

 絶対の約束を守れるならに限る」

「約束か、なんじゃ?」

「オレを裏切るな」

「……ふん、そんなことか」

 

 童女の姿で笑う。

 だが、その顔には邪悪さはない。

 過去の何かを思い出し、諦観混じりの随分と疲れた笑みのようでもあった。

 

「ワシも裏切りは好かぬ

 そなたがワシと在る限り、ワシもまたそなたと共に在ろう

 このロプトウスの、神ではない身にあって暗黒神とまで言われた我が名誉に掛けて誓おうぞ」

 

 オレの体が暗闇の空間から浮いていく。

 ロプトウスが手を伸ばす。

 自分を引き上げろと言うように。

 

 オレはその手を引き、掴む。

 

 闇が晴れる。

 そこには先程と変わらぬ光景、つまりはエリスが立っている。

 先程とは違うものもある。

 それはオレの傍らにはロプトウスが立っていることだった。

 

 ────────────────────────

 

 エリスは即座にファイアーとブリザーを放つ。

 オレを庇うようにロプトウスが前に立ち、魔法が暗黒竜の前で進行を歪ませるようにして弾く。

 

「ワシの竜鱗も無限の盾とはならぬ、今から闇のオーブの使い方を教えるからその通りにせよ!」

「先の空間で教えればよかったろ!」

「ええい、対象にする者がおらねば使えぬのじゃ!」

 

 無闇な口論をしながらも、ロプトウスは「闇のオーブを掴み、一つになるように集中せよ」そう言う。

「背にあるそれを得た時と同じようにして触れるような感覚を作るのだ」と。

 

 意識を集中する。

 それによって流れる無意識の情景は狭間の地だった。

 広大な風景に、侘び寂びのような滅びと停滞。

 変えうる可能性はルーンの光のみ。

 

 闇のオーブに輝きを見た。

 

 刹那、闇は宝玉から割れ飛び出し、オレに、或いはオレが抱えているルーンへと飲み込まれていく。

 

「闇のオーブそのものを十全には使えまいが、

 それでも自我無きものには手を伸ばせるはずじゃ!」

 

 闇を意識する。

 オレが見たのはあの触手のように伸びた粘度のある闇。

 それをエリスへと伸ばしていく。

 やがて、それは彼女の魔道書に触れ、触れたそれはサムトーのパチシオンに斬られたものと同様に力を失ったように地に落ちた。

 

 オレの意識が闇の手を伝うようにして、エリスの心の深奥へと進む。



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故知らぬ空間

 闇に落ち、空間が広がり、視界が開けていく。

 

「──祭祀殿、いかがいたした?」

 

 祭祀とオレを呼ぶ男。

 同時に浮上するのはこの人物の情報だが、その情報が誰によってもたらされているのかはわからない。

 少なくとも、複数名の主観からなりたったものであるのは確かであり、

 客観視が人格を作り上げるというのであれば、オレが理解した情報はそれそのもの、彼を表したものなのだろう。

 

 名前はアーグスト。

 ミロアが生前に残した魔道研究のための機関である『アカネイア魔道研究所』、その主任を仰せつかっていた。

 とはいえ、ミロア亡き現在では殆ど機能していなかった。

 しかし、五大侯やアカネイアの有力者のテコ入れによって施設は再始動。

 ただ、研究所設立から一切成果を出していなかった施設の研究にではなく、ミロアが残した遺産を結実させるための非合法な実験施設として、だ。

 

 守り人計画と呼ばれるそれは本来は持ち得ない能力を後天的に植え付けることで、

 超人的な戦闘能力を与えるものであった。

『守り人』と名付けられた理由はアカネイア王国とナーガ教団が恒久的にその支配権を得るために、

 その体制そのものを守る存在だから、とアーグストはかつてミロアに教えられていたらしい。

 

「レウス祭祀殿、あなたはこの研究所に残った唯一の祭祀なのですからぼんやりとしていては困りますぞ」

「……ああ、すまん

 最近疲れが取れなくてな」

「務めは確かに多くありましょうからな

 ですが我らはミロア大司祭の遺言を果たさねばなりません

 守り人を使い、このアカネイアを完全な形に。ナーガの降誕と転換によって黄金律の祝福を得る」

 

 闇のオーブの効力が何かはわからない。

 ただ、おそらくタイムリープしたとかそういうものではないだろう。

 オレは何者かの……おそらくはエリスの記憶をベースにした擬似的な世界の内側にいるのではないかと予想をつけておく。

 オレはこの場では祭祀と呼ばれる存在なのだろう、それが何かはまだ判然としないが。

 

 アーグストに関する情報が複数から成り立っている事に関しては棚上げだ。

 

 だが、仮にここがシミュレーション的な空間だとしても、突飛のない事をした場合、空間ごと消えたり、オレだけ弾き出されて攻略不能なんてルートは見える。

 

 演技を踏まえての情報収集が肝要だと目星を付けておく。

 

「ミロア大司祭の言葉はいつも難しいものだったな

 黄金律についてアーグスト殿は理解しているのか?」

 

 いきなり出てきた黄金律。

 狭間の地の根幹的な言葉がなぜ、アカネイアで?

 ロプトウスとナーガだけしか知らないってわけじゃないのか?

 まあ、ロプトウスが寝ていた間に調べられていた事と言われれば、そうか。

 

「ミロア様曰く、ナーガとは黄金律であり、黄金律とはナーガなのだと仰っていた」

「……循環こそがナーガってことか?」

「何か仰っしゃりましたかな」

「いえ、ミロア様の言葉を思い出し、噛み締めておりました」

「素晴らしい

 さて、今日も務めを果たしていただきましょう

 我々は持ち場に戻ります、一時間ほどで良いですかな?」

「ああ」

「では、これを」

 

 アーグストは食事や水などを渡す。

 看守すら去っていった。

 

 進行方向にある扉へと歩むしか選択肢はない。

 

 扉を開く。

 

 鎖に繋がれた青髪の美少女、年齢的には美女と言うべきなのか、少女時代の過渡期に立つ者

 エリス。

 オレがリーザを彼女だと思っていたが。

 こうして実際に目にすると、リーザに本当に似ている。

 勿論、コーネリアスの持つ雰囲気をリーザとの差異から読むこともできる。

 絵に描いたような武人などと聞いていたが、存外コーネリアスの顔立ちは優しいものだったのかもしれない。

 

「……懲りもせず……私を……辱めに、参ったの、ですか……?」

 

 体力の消耗が激しいらしい。

 部屋にはそこかしこに道具が落ちている。

 拷問のためではない。

 

 現代人だったオレが、まあ、そういうサイトとかマンガとかで見たことがあるようなものだ。

 人体の一部を模したものだったり、そういう。

 

 ただ、彼女自身はそれこそ男に乱暴されたような痕跡はない。

 傷があるわけでもない。

 ……まあ、脱がせてみたらびっくりの結果、となるかもしれないが。

 

 オレは彼女に近づく。

 そっと顔に手を触れる。

 

「ひっ……!」

 

 彼女は恐怖に身を固くした。

 どのような辱めを受けていたのかはわからないが、それによってどれほど彼女の心が摩耗されたかはわかる。

 

「……かわいそうにな」

 

 オレはリーザを愛している。

 行きがかり上、告白をして、それがリーザだったという取り違いはあったものの、

 その後の彼女の献身、そしてオレが歩むべき道を助けるための努力や、その為に行う国家運営。

 世界を丸々見たところでこれほど人に愛と労苦を背負える人間はそういないだろう。

 

 だからこそ、彼女の子であるエリスが苦しげなのは悲しくなった。

 勿論、正直な事を言えばリーザに似た彼女が好みな相手かどうかで言えば、そりゃあ好みだ。

 スタイルもいい、背も高い。顔立ちなんて最高に美人だ。

 だが、獣欲が首をもたげるかで言えばそうはならなかった。

 

「短い時間だが、許してくれ」

「なに……を……」

 

 オレは枷を外す。

 枷と言っても鍵で縛られているわけではない、他人の手さえあれば簡単に外せるものだ。

 手枷は天井から吊るされた鎖と繋がっており、枷を外せば多少は楽になるかと思ったが、そのままオレへと倒れ込む。

 立つ力も無いのだろう。

 

「どうして……」

「王族のエリスとしては憐れまれるのは嫌いか」

 

 ここで助けに来たというのは早いだろう。

 だが、それでは解決にはならない。

 

 この世界が彼女が主体となって作られた隔離空間であるなら、その空間で彼女の心を蝕むものを排除しなければならない。

 直感的な考えだが、間違ってはいまい。

 或いはその直感はロプトウスが闇のオーブ越しにオレに伝えようとしているフィーリングであるのか。

 

「……いいえ、王族などではありません

 父も母も失い、弟もきっと……」

「一人になったから王族ではないとでも?」

「帰る国も、迎える民もいないものが王族でしょうか」

 

 オレは抱きかかえた状態で足枷を外す。

 

「王とは民あってのもの、か」

「当然です……それを失ったのは我ら王族の不明です……」

「だから辱めも甘んじて受けるか」

「……」

 

 言葉は返らない。

 オレは彼女を抱えたまま、その口に水を含ませる。

 彼女も介助がなければ食事ままならない事を理解しているのか、それを受け入れた。

 

 食事は流石に水同然の塩スープに石みたいに堅いパンってわけではなかったのが救いではある。

 

「自分で食事は摂れるか?」

「……多分、食べられると思います」

「食べられる奴は多分なんて言わんよ」

 

 オレはそのままではなく、スープに浸し柔らかくしたものを口に運ぶ。

 最初こそ男の手で介添えされたことに思う所もあったようだが、それでも食事を続けた。

 

「私を、……いえ……」

 

 瞑目する。

 

「辱めるならば、どうぞ……貴方に抵抗できる力など私にはありません

 どんな考えかはわかりませんが、気まぐれには感謝しております……」

 

 扉がノックされる。

 もうそんなに時間が経ったのか。

 

「そろそろお時間ですが」

「最後の仕上げをしている、外で待っていろ」

「失礼しました」

 

 気配が遠ざかる。

 

 オレは懐を漁る。

 アイテムは持ち込めているようだ。

 

 きずぐすりを取り出し、枷が嵌められていたところにそれを塗布する。

 自己満足でしかない。

 だが、それでもエリスは瞳をこちらに向け、再び視線は外された。

 

「手枷をつけねばならん、少し鎖は長めにはするが、今はそれが限界だ」

「……」

 

 彼女は目を伏せて、それを受け入れている、或いは反応する体力がないといった感じではある。

 今日はこれ以上聞けそうにはない。

 この空間がどれほど続くかはわからないが、可能な限り彼女とは優先的に接触するようにはしよう。



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祭祀の個室

 この空間に、おそらくは研究所とやらの中にある祭祀を執り行う身分の者に与えられるであろう個室に戻ってきた。

 

 汚くはないが、簡素な個室だ。

 ベッドと机、壁にはちょっとした本棚と予定を書き込めるボード。

 

 ボードにはオレがこの体に入り込む以前の記録であろうことが書かれていた。

 何をした、どうやった、その結果エリスはどのような振る舞いを見せたか。

 

 祭祀と呼ばれていた男の欲求は捻れていたらしい。

 ただただ、辱めに苦しむ彼女を見ていた。

 どうすれば嫌がるか、どうすれば落ちるかを徹底的に実行していたらしい。

 

 本棚に並ぶ本を手に取り、内容を確認する。

 マメな男だったのだろう。

 今までにやったことが事細かに書かれている。

 この記録はどのようにすれば人間が奴婢へと落ちるかを研究した極めて貴重で、極めて醜悪な研究レポートだった。

 それらを読み進めてわかることは、祭祀と呼ばれる男はノルダでも指折りの調教師であったことと、

 そして、カダインではなく、アカネイアでミロアの私塾にて闇魔法と光魔法の両方を修めた稀有な人物だったらしい。

 

 守り人を作るためには不可欠な才能だったからこそ重用された。

 だが、ミロアが死んだことで守り人が作れなくなり、いつか再開されることを祈ってノルダにて人体と精神の研究を独自に続けていた。

 やがて彼はノルダで『伝説的調教師』とまで呼ばれるように成ったらしい。

 

 ミロアのレポートが発見され、解読された幾つかの情報によって計画は動き出した。

 エリスの心を完全に屈服させたとき、心が入っていた器に才能を注ぎ込むことで自我はなく、

 しかし恐るべき戦闘才能を持つ装置を作り出すことができる。

 それが守り人なのだと。

 

 ……何とも要領を得ない。

 なんで守り人が必要なんだ?

 少しばかり状況を纏める必要があるか。

 

 施設は五大侯などの資金で再稼働した。

 エリスはパレスを襲った、つまりはオレを襲ったと考えられる。

 五大侯はどうあれアカネイア王国領を牛耳ろうとしている。

 

 ディール家をはじめ、レフカンディ家とサムスーフ家を潰したのはオレだってのはわかっているだろう。

 目撃者が居ずとも死体の損壊具合を見れば誰が何をやったかはわかるというものだ。

 アカネイア王国の支配権を得るためにはオレを倒す必要があり、オレを倒すためには生半可な戦力では無理だ。

 だからこそ単体運用ができて、極めて攻撃力が高い守り人が必要だったのか?

 

 ……そんな単純な話だろうか?

 

 アカネイアの貴族、そして五大侯を褒めてやるのは癪だが、歴史を紐解き、或いは過去の事件を調べていけば五大侯やアカネイア貴族がいかに政争や権力闘争に秀でているかがわかる。

 単純な足の引っ張り合いから呉越同舟も繰り返し、自身の家や個人的な欲求を貫くために、同じく海千山千の謀略家や調略使いを出し抜く。

 

 暴力以外での戦いの経験を大きく備えた連中が、オレを倒せるからエリスを選んだ。

 そんなわけがない。

 

 ではどう考えればいい。

 こういうときは決まっている。見る角度を変えろと或るエッセイストも言っていた。

 例えば、守り人がオマケだったらどうだ。

 守り人の優秀さはわからない。ある程度の力を持っているのはわかるが、それが高次元での戦力になるかどうかを試すことができる。

 しかし高いコストを支払っているであろう見返りにはなり得ない。

 研究者でもない貴族が払う金としては大きすぎる。連中は自らの欲望()には金を出すが、人々のためになるような未来()には決して出すとは思えない。

 

 連中が邪魔なのはオレだ。

 だが、オレを暴力で倒せるかはわからない、守り人のスペックがわからない以上は仕方がないことだ。

 しかし倒し方がないわけじゃない。

 大義名分を失わせ、その外道さを天下万民に知らしめれば国家としての求心力は減退し、

 そうなればアカネイアを支配し直して国家対国家の構図を引けるようになる。

 必要があればオレルアンにアカネイアの御旗の元に帰参せよと命じるだろう。

 ニーナを女王として据える可能性もある。

 ……思考の余録になるが、これがそうだとしたらボアも一枚噛んでいる可能性もあるな。

 

 さておき。

 大義名分を奪うにはわかりやすい結果が必要だ。

 そこでエリスに白羽の矢が立ったのだろう。

 アリティア聖王国を名乗る以上、いや、アリティアの名を掲げる以上正当なる血筋はリーザではなくコーネリアスの血を引いているエリスにこそある。

 戦いに出たエリスをオレが殺せばアリティアの王権剥奪をオレとリーザがやったと糾弾できる。

 

 エリスがオレを殺せても、オレがエリスを殺しても、どちらでもいい。

 究極の一手だ。

 

 ではそれを防ぐためには何を成すべきか。

 一つはエリスを救い出すこと。

 これで殺しも殺されもしなければ連中に大義を渡すこともない。

 しかしそれだけでは足りない。

 二つ目は守り人に関しての知識を可能な限り集めることだ。

 オレ側に再現性が無くとも、他の連中にとっても再現性がなくなる方法を知識の上で得る。

 

 今回はエリスが守り人の対象になったが、それこそこの後に白騎士団を守り人にしてミネルバを襲わせるだとか、マリアを利用するだとか、守り人にしてオレと戦わせる価値のある連中なんてごまんといる。

 つまりは、守り人というシステムそのものを破壊する必要があるのだ。

 

 目的は定まった。

 

 この空間でエリスの心を救う。

 この空間で守り人の情報を集める。

 

 勝利条件さえ与えられれば、どんな手段を講じても達してやる。

 オレは誰でもない狭間の地の褪せ人だ。

 『勝つ』ということにおいてアカネイアでオレを上回るものなどいるはずがない。



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ミロアの残滓たち

 祭祀の手記にめぼしいものはなかった。

 彼が魔法を深く修めたものであることはわかったが、

 どうやらミロアの目的には一切興味がなかったらしい。

 調教こそが生きがいのストイックな変態だったってわけだ。

 自分の事を一切書いていないせいで、オレは彼のことがわからない。

 以降は彼のことを『変態』と呼ぶことにする。

 

 ただ、優秀な生徒であった彼にはミロアは様々な相談を度々持ちかけていたようで、曰く黄金律なるものに執着しており、それを持っているのはナーガだとも言っていたらしい。

 アカネイアの生物がなんで狭間の地の律を?

 大いに気にはなるがミロアは死んでいるし、ナーガは寝ているっぽいし、知りようもない。

 

 変態はノルダの調教師だ。

 ここに来る前はノルダでたっぷりと楽しんでいたらしい。

 守り人計画が再開したあとは暫く現地スタッフが頑張っていたが、変態の前任者が使い物にならなくなった為に、ミロアの弟子でも優秀な成績を持っていた者に声をかけ、変態に行き着いた……ってのがこれまでの経緯のようだ。

 

 当初は断ったが、エリスの事とエリスを壊した後に守り人にしてオレと戦わせるというシチュエーションに大興奮して依頼を受けた。

 

 コイツ(変態)が生きていたら殺そう。

 

 前任者の死については調べれば何か出てきそうではある。

 エリスの世話をしたらそちらに向かおう。

 

 ────────────────────────

 

 枷から解放し、抱きかかえた彼女を介添えしながら食事を取らせる。

 

「あの……貴方は……誰、なのですか?」

「レウスだ、って名前を聞いているわけじゃあないよな」

「いいえ……名前も伺いたかったですから……

 先日までの方と姿も違いました、姿は私を辱めることに終始していた男性だったのに……

 不思議なことなのに、……安堵しています」

 

 アーグストはオレと変態の区別は付いてなかった。

 彼女が気がついている理由はやはりこの世界の中心だからだろうか。

 それとも守り人になるだけの才能が直感させているのか。

 

 エリスは弱った体を少しだけ身動ぎさせて、オレを見やり、聞いてきた。

 

「もう少しだけ……体重を預けても、よいでしょうか……?」

「ああ、少しだけじゃなくたっていい」

 

 辱めるためにと時間は伸ばしてもらった。

 それでも彼女と入れる時間はせいぜいが二時間程度。

 短い中で、少しでも彼女が、救われずとも絶望に食い殺されぬようできることをするしかない。

 

 ────────────────────────

 

「アーグスト主任」

「おお、祭祀殿」

「より高次元の段階に至っている、だがあと一歩押しが足りない」

「押しが、ですか」

「前任者がいたと聞いている、彼の遺したものを見てインスピレーションを得たいのだ

 守り人計画によって呑まれた狂気こそがあの王女を完成させるための道筋となり、やがてそれは──」

「わ、わかった、祭祀殿、わかりましたから落ち着いてくだされ」

「うむ」

「部屋に全て届けさせる、それでよいですな?」

「然り」

 

 アーグストは彼が去ったあと、不気味なものを見るようにして彼の部屋の方角を見やる。

 

「調教などではなく魔道を夢としていたなら、ミロア様のよき理解者になったのだろうな……

 私はミロア様の跡など継げない

 早くこの仕事が終わって故郷に帰りたい……毎日を謝罪に費やし、何もない生活が空虚でも構わないから

 神よ」

 

 そして、そこで彼は気がつく。

 

「ミロア様の手を取った時点で私は祈る神を……失ったのだったな……」

 

 アーグストは元々、ナーガ教団の上級幹部であった。

 コネではなく実力で這い上がった叩き上げである。

 強い信仰心と行動力が武器だった。

 ミロアが成すことは神のためだと聞いていた。

 

 ある日、研究所の主任としての立場でスカウトされた。

 大司祭に頼まれて断れる教団員などいるはずもない。

 何よりミロアに頼られることは夢でもあった。

 

 しかし、そこで日々知ることは彼の信仰を壊すことばかりだった。

 ナーガを零落させる計画こそがミロアの本懐だった。

 研究所に入り、それを進めていく内に信仰心を試されるようなことばかりがあり、

 やがて彼は信仰心を手放してしまった。

 

「ラング侯爵は守り人を何に使われるのか

 ……ふふ、きっとそれはミロア様と違い、実に俗的な事なのだろう

 ミロア様ももっと俗に染まれば、染まってくだされば、少なくとも信仰心を持つ教団員は救われたかもしれませぬな」

 

 アーグストの知らぬことではあるが、ミロアの目的は神の零落。

 堕ちたるナーガから黄金律を取り出すこと。

 自らを人と神の両立者となり、アカネイアに新たな光を灯すことであった。

 

 悲しいかな、それは半神半人(デミゴッド)たちと変わらぬこと。

 そして、彼の地(狭間の地)において、デミゴッドは何かを成し遂げることはなく、やはりそれを目指したミロアの道もその途上においてピリオドを打たれた。

 

 彼の背に付いていった受動的自殺志願者(レミングス)たちも信仰心や平常心、正気を失って自ら、或いは外部的な事情によってそのピリオドを付けていく。

 

 アーグストもまた、ピリオドが近づく音を背に感じていた。

 そこから自らを助けてくれる闇を照らす光(信仰心)はもう、どこにもなかった。

 

 ────────────────────────

 

「祭祀殿、こちらが前任者の遺品です」

「アーグスト殿、感謝する」

「その、聞きたいことがあるのだがいいだろうか?」

「何かね」

「こんな事を続けて、何になるだろうか」

 

 ブラック企業に務めすぎて心をやられた人みたいな事を言い出した。

 だが、これはチャンスかもしれない

 

「むしろアーグスト殿はどうしたいのだ」

「かつてはミロア様のお手伝いをしたいと考えていた、師の死後は遺志を継ごうと思っていた

 だが、戦乱が激化し、聖王国などという国が作られ……仮に守り人を作ったとして、世の乱れに拍車をかけるだけではないか」

「そうかもしれぬ、だが、あの女を守り人にせねば立場が危ういのは私よりもむしろあなただろう」

「そうだが……あの女も、いや、あの方はやんごとなき身分の方である

 恐れ多いことをしている……」

 

 かなりやられてるな。

 付け入らせてもらおう。

 

「この計画を動かしているのは誰なんだね、主任であるアーグスト殿と私の二人で説得すれば止まってくれるのでは?」

「止まるものか、相手は五大侯が一人ラング殿なのだぞ、あのお方を汚させぬためにするのが精一杯よ

 守り人は強い自我や、優れた才能があるもの、或いは神秘性のあるもの以外にはなれぬ

 処女性という神秘を扱うために祭祀殿が呼ばれたのはご自分でも理解されているだろう」

「ああ、それは勿論」

 

 原作でメディウス復活のためにシスターが集められて行おうとした技術と同じ系統のものってことか。

 

「であれば、……そうだな

 代わりを用意するというのはいかがか」

「代わり?」

「優れた才能ならここに二人もいるではないか、我らが贖罪するべき時が来たのかもしれぬ

 我らの魂であの女性を救えるなら安いものではないか?」

「あ、……ああ……そうだな、そうかもしれぬな

 私は確かに、この計画のために、この研究所のために多くのものを犠牲にしてしまった」

 

 思った以上に思い詰めていた。

「そんなことできるか!」「では何か他の手段はあるかな」

 みたいな話に繋がると思ったけど……。

 彼がそれでいいと言うなら利用させてもらおう。

 

「次にラング殿と話せるのはいつだろうか」

「ああ、それならあれを」

 

 彼がボードを指で示すと『予定日』と書かれている日があった。

 

「約ひと月後か」

「うむ、……ではその時にはラング殿に改めて守り人の件、お願いしよう

 少し気が楽になった、祭祀殿に感謝申し上げる

 明日からは守り人の研究、私にも手伝わせていただきたい」

 

 そういって前任者の遺品をオレに渡すと去っていった。

 

 オレは遺品を前にして考える。

 この空間はオレが使っている変態のボディと、アーグスト、エリス、それにここに勤めている人間の記憶を複合したものなのだろう。

 記憶を読み取り、それを呼び水として何かしらから芋づる式に別の記憶を呼び出して補完している、と考えるべきだろう。

 ただ、記憶の再演ではないのは確かだ。

 オレが行っている行動によっても特筆すべきエラーは起こっていない。

 

 この場でエリスを救った後に、現実でエリスを救うための方法を見つけることができるかもしれない。

 例えば、守り人の計画を多いに早めたりするなどすればどうだろうか。

 何かないかと懐を探す。

 

 ああ、一つあるな。

 使い方を誤ればえらいことになりそうだが……。



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ユリアの面影

 ロプトウスは暗黒神と恐れられた竜である。

 人の身に零落することをよしとせず、ナーガと戦い、封印された竜であった。

 

 ロプトウスは他の竜族より異質な側面を持っていた。

 それは人間を誰より理解していた竜族であるという点である。

 皮肉なことに、ロプトウスはナーガやメディウス、或いはガトーたちよりも遥かに人間を理解していた。

 それ故に、竜族同士の戦いの中で(たお)される事がわかっていたロプトウスはその強力な自我を物質的に地上に残し、肉体や力は封じられた。

 遠くない未来で人間が自分の力を必要として、復活の手助けをすることがわかっていたからだ。

 

 やがて、人間たちがロプトウスを崇め、国家としての形態を組み上げ、

 ロプトウスを崇めるロプト教団が作られた。

 またそれも紆余曲折があり、滅びる。

 暗黒神が明確に復活するのは、滅ぼされてなお現れるロプト教団の生き残りの手によって作られた『ロプトウスと力を受け入れるための神子(みこ)』の登場によって。

 

 意思を宿主と融合させたロプトウスはナーガの力を扱うことができる少女との戦いの果てに滅ぼされた。

 消えゆく中でロプトウスが願ったのは自己の存続であった。

 暗黒神は人間を誰よりも理解していた竜族だった。

 それは自らが限りなく人族に近い考え方を持つが故であり、人間への零落を徹底的に拒否したのは自分が人族や、それに近い何かであって竜族ではないのでないかと、

 その答えを知ることを恐れたからだった。

 

 いやだ、消えたくない。

 死にたくない。

 何も知らないままに、何も成せないままに死ぬなんて嫌だ。

 断末魔を聞いたのはナーガの力を代理した少女、ユリアだけであった。

 

 それは憐憫であったのか、それともナーガの力を扱えるが故にナーガの同族を想う意思を受け取ったのか。

 ユリアはロプトウスの宿主であり、自身の兄でもある青年の死を悼み、人として葬った。

 そして、ロプトウスはただ消えるではなく、その魂を自らの内に宿させた。

 

 暗黒神はすんでのところで助かり、やがてはその内側から宿主を支配してやろうと思っていた。

 だが、人間により近い竜族は人間同様に暇を嫌い、ユリアとの対話を何度もするようになっていた。

 はじめこそ支配するために語りかけようとしたことだったが、数年としない内にユリアにとって誰より相談できる親友のようにすらなってしまっていたし、ロプトウス自身も支配してやろうなどという気持ちは無くなってしまっていた。

 

「なぜじゃ、それほど好いているならつがいになればよかろう」

「私とあの方は血縁ですから、そんな事はできません

 道理に反します」

「馬鹿げた話よ、感情こそが人間の喜びであろうに

 そうして鬱屈した結果がユリウスであった事を忘れたか?」

「彼にもこんな風に相談してあげたのですか?」

「それは……しておらんが

 奴も求めなかったしな」

「きっと貴方と話していたなら、あの結末を回避できたのかも……知れませんね」

「後悔や反省を促しておるのか」

「促してはいません、けど、私は後悔をしているのです」

「後悔を知りながら、それでも自儘に生きられぬか

 哀れな女よ」

「ええ……きっと不自由なのでしょうね、それが不幸せではないとも考えている事も含めて」

「……ふん

 こうしてそなたと話しておると嫌な気持ちになる、まるでそなたはワシと同じじゃ」

「そうですね……ロプトも、もっと自由になれたなら良かったのに」

 

 結局のところ、ロプトウスがナーガと争ったのは自分に同意し、零落を拒んだ者たちがいたからだ。

 自分だけが反対したのならば、ロプトウスだけが去ればよかったのだ。

 結局、その声に圧されて自由を失ったのがこのロプトウスでしかない。

 

 それから長い時間が流れた。

 彼女や彼女の国は繁栄し、平和な時代が続いた。

 人間の寿命は竜族のそれに比べてひどく短い。ひとときの夢のようなものに過ぎない。

 

「そろそろお別れですね、ロプト」

「見たことか、結局あの国を栄えさせたのはそなたの功績ではないか

 やはりそなたはくだらぬ戒律など捨ててあの男と一緒になればよかったのだ

 あの男とて」

「そうですね……けれど、私も彼もこの結末で良かったのです

 私達は不自由でしたけど、その不自由な中でも愛を貫けましたから

 例え、それが世間で言う夫婦や家庭といったものと違う形でも」

 

 理解できんな、と言いたげな吐息を漏らす。

 それに対してユリアは小さく、優しげに微笑む。

 

「……ワシは、不自由なそなたを見ているのが辛かったのだ」

「ロプトは優しいのですね」

「そなたに(ほだ)されたのだろうさ」

「あなたはまだまだ生き続けるのでしょう」

「ユリア、そなたのお陰でな

 宿主こそ失えど、この魂が収まる場所へと導かれ、そこで眠りにつく事にはなるだろう」

「いつか目を覚ますのかしら」

「そうさな、人間の尺度では捕らえられぬ、時間の大河の向こう側で目を覚ます事になろうな」

「そうなれば貴方は自由を得られる?」

 

 そればかりはロプトウスにも計りかねる事だった。

 目覚める前に世界が滅びている可能性だってある、この世界はいつだって不安定であることを暗黒神は自らの、これまでの行いを含めて理解していた。

 

「得られるとよいな」

「ねえ、ロプト」

「なんじゃ」

「あなたが自由になったなら、私も貴方とその自由を共に生きてみたかった」

 

 ロプトウスは「そうか」とだけ返した。

 ワシもだと言いたかったが、それはやはり暗黒神と呼ばれている手前、素直になるわけにもいかない気がした。

 

「ずっと一緒にいて、ずっと助けてくれたのは貴方なのですよ

 共に生きたかったと思う事は不思議ではないでしょう?」

「そなたの人生を壊したのもワシであることを忘れるなよ」

「それよりも長い時間を貴方と過ごしたのに?」

 

 ユリアにとって、もはや戦後過ごした時間の方が遥かに長い。

 あの戦いの日々はとても大変ではあったが、それでも今では遠い遠い思い出だ。

 彼女にとって、それは良き思い出として今まで心の支えになっていた。

 だが、そうなるほどに、戦後は長かった。

 

「私の人生はもう少しで終わる

 その後に、もしも私から引き出せるものがあるのなら、それを貴方の側において欲しいのです

 遠い未来で貴方が目を覚まして、自由を得た時に、……私も自由を感じられる気がするから」

「よかろう

 ワシが次に目覚めたなら、そなたと自由というものを共に体験しようではないか」

 

 そんな事が可能なのかどうかは今考える必要はない。

 考える時間があればロプトウスはユリアと話をしていたかった。

 だが、ロプトウスの言葉にユリアの返答はなかった。

 

「──……ユリア、そなたはよく生きた

 人を惑わし、世を乱す暗黒神ではあるが、それでも神と呼ばれたワシがそなたの人生の素晴らしさをせめて覚えておこう

 ゆっくり眠るがいい

 そして次の世では本当に愛した男と結ばれることを祈っている」

 

 宿主の死と共にその世界は閉じられていく。

 ロプトウスは彼女から受け継いだものを抱えて、精神の世界を去る。

 その後、闇のオーブで眠りに付いていたかは誰も知らない。

 それはロプトウス自身ですら知らないことだが、それでも闇のオーブを人間たちは都合よく扱い、

 その度にロプトウスは意図せずに人間を狂わせていった。勝手に狂ったとも言うべきかもしれないが。

 

 時間の流れは進み、やがてロプトウスは狂わぬ人間を見つけることができた。

 死のルーンに触れたなどと言ったが嘘だ。

 あんなもの触れずとも危険なのはわかる、だが、行動するには理由が必要だ。

 それが例え嘘だとしても。

 

 目を覚ました自分の体は零落するとして拒否した人間の体であった。

 だが、ロプトウスはその体が人間のものだからと嘆くことも怒ることもなかった。

 

(ユリア、そなたの器を奪うようになったが対価としてワシは自由が何かを知ろうぞ

 ワシの自由はきっとそなたの自由でもあるのだから)

 

 物理的に干渉こそできないが、エリスの精神世界で動くレウスを俯瞰する。

 暗黒神ロプトウスは人間の如き精神を持っていた。

 だからこそ、人間を理解してしまっていた。

 

(少し位は甘やかしてやってもよかろうさな、それも自由というもの

 それにユリアがおれば手伝ってやったらどうかと言ってこようしな)

 

 闇のオーブは精神に作用する。

 それを扱い、エリスの精神世界で見つけるべきものを、彼女に精神的に干渉することで得るべきものを見つけやすく調整する。

 何かないかと(持ち物)を探そうとするなら『偶然』なにかに指先がぶつかるなどを作為してやるのだ。

 

 人の心を理解するが故に、レウスがエリスに向ける救済の一念を受け取っていた。

 それを手伝ってやりたいと思うのはロプトウスではなく器たるユリアの心に違いない。

 

 今様(いまよう)の暗黒神は自分への言い訳だってお手の物だ。



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魔道研究所の黎明

「おはよう、祭祀殿!

 さあ!研究を始めよう!!」

 

 朝っぱらから声をかけてくるアーグスト。

 憑き物が落ちたようにはつらつとしている。

 

 この世界では、この世界でも、かも知れないがオレは睡眠が必要ないらしい。

 お陰で変態の手記や前任者が遺した記録には全て目を通すことができた。

 

「元気だな、アーグスト殿」

「ああ、犠牲にしてきた者の分まで仕事をし!

 私は犠牲になり!ナーガ様の身元に召されるのだ!

 だが今の汚れた私では会えない!

 せめて!!断罪されるためにも身軽にならなければ!

 罪を濯がねばならない!!

 そうは思わないか、祭祀殿!!!」

「う、うむ……では頑張ろうではないか、アーグスト殿」

 

 こいつ大丈夫か?

 仮想空間的な場所だとしても気にはしてしまう。

 

 ともかく、彼に付いていき、研究している場所へと案内される。

 全員がアーグストと同じようにキラキラした表情だ。

 おそらくアーグストが何かしらか言ったのだろう。

 元々が信心の強い者の集まりで、曇った信仰が晴れたからこそなのだろう。

 

 徹夜で記録を漁ってわかったことがある。

 守り人を作った後の脆弱性についてだ。

 

 守り人を作るには自我の無い人間と、植え付けるための才能が必要になる。

 植え付ける才能を与えるにしてもどのようにして、或いは何によってかと言うと、その原材料として使うものは『魂』らしい。

 魂をどうやって用意するのか、という疑問についてはかなり大雑把なもので、才能があった人間の遺品に残っている念やら思いやらの事を指すらしい。

 そこらはルーンだとか戦灰だとか追憶だとか、狭間の地のそれらに近い概念なのだろうか。

 

 それらの道具はつまりは、

 剣士の才能が必要であれば、その愛用の武器などを指し、

 或いは魔道士の才能であれば、その愛用の魔道書などを指すのだという。

 

 脆弱性についてというのは、それである。

 どうにも引き継がせる元の影響を、特に精神的な繋がりに強く影響されるらしい。

 原作の人物を引き合いにだして例示すると、

 

 リンダに剣の才を与えたいので死んでいるナバールが最後に握っていた武器を触媒とした。

 結果としてソードマスターと同等能力を持つ魔道士リンダ(守り人)が誕生する。

 ただし、このナバールは生前にシーダに説得されており、

 リンダ(守り人)には自我はないが、ナバールの精神的な要素が影響し、シーダの言葉を聞いてしまう。

 それによって引き起こされるのが命令の上書きであったり、命令系統の重複による意味消失であったりするらしい。

 負担が大きくなると守り人そのものが壊れる。

 ミロアは脆弱性が衝かれることの方が少なかろうとこれを無視したらしいが。

 

「アーグスト殿、研究に対する提案がある」

「何かな」

「能力の継承についてだが、その儀式自体はどの段階から行えるのだろうか」

「段階?」

「例えば、自我を失っていない状態でやった場合はどうなる?」

「ああ、なるほど

 その場合は我々は予約状態と呼んでいるケースになる、自我が失われた時点で器にするりと才能が入り込む」

「それまで才能はどうなっている?」

「元々その才能を持っているなら、限定的にだがその才能に経験を増加させる形として付与される」

 

 なるほど、ドーピングアイテム(マニュアル)みたいな扱いになるのか。

 

「その状態でもミロア師が問題ないとしていた脆弱性に関しては影響するのだろうか」

「残念ながらする、だからこそ自我があるものには使うのは危険だとされている」

「自我がある状態だとおかしくなるのか?」

「いや、自我がある状態であれば脆弱性は機能しないのだが、自我を失うかどうかのタイミングでその脆弱性そのものが精神的支柱になったり、守り人になった後に自動的に元の記憶が浮上したりするらしい」

「……なるほど」

 

 脆弱性に感謝しないとならなさそうだ。

 

「そろそろ彼女の所へと行ってくる」

「む、彼女はもう必要ないのではないのか、我々が」

「ああ、だからこそ、守り人計画から離れた後の事を彼女にも話しておかねばならない」

「そうか……私は彼女に会う権利などない

 祭祀殿にお任せしていいだろうか」

「承知した、その代わりなのだが」

「何か」

「先程の儀式の準備を進めておいてほしいのだ、近日中に彼女に行おうと思う」

「それは何故だ?」

「……我々が守り人として使われた後に彼女も使われるのは回避したい、そのためだ」

 

 アーグストは「そこまで考えてくれていたのか、感謝する……」と頭を垂れる。

 コイツも道を踏み外さなけれりゃいいヤツだったんだろうなあ。

 騙されやすいからこそ、こんな時代じゃいつかどこかで同じ目にあっていたのかもしれないな。

 

 ────────────────────────

 

「エリス」

「……レウスさん」

 

 鎖と枷を外す。

 もうこの部屋に留めおく必要がない。

 オレはエリスを抱えて、自室へと運ぶことにした。

 

 ベッドに寝かせてからようやく言葉をかけた。

 

「ひと月後に計画を進めているものが来る

 その時にお前を解放してもらうように頼むつもりだ

 それまではここで休んでいてくれ」

「そんなこと……許されるのでしょうか」

「何とかするさ」

 

 オレは食事を運び込み、以前のとおりに介添えをしようとするが、

 

「……流石に自分で食べるか?」

 

 あまり過保護にしすぎて嫌われるのも嫌なので意思確認だけはしておこう。

 

「レウスさんに食べさせていただくと、とても安心します」

 

 力なく、淡い微笑みを浮かべてエリスは言う。

 オレはリーザの血を強く感じていた。



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価値を示せ

「こ、これで完璧だ

 私は新たな守り人計画の被検体となった……」

 

 アーグストは儀式を終え、そう言った。

 時間にして半月と少し、高い、高すぎる熱量を以て彼らは研究を続けた。

 守り人計画を前に進めるのではなく、より汎用的な技術への転用という形である。

 

 ……という触れ込みだ。

 流石にそんな半月で成果を出せるはずもない。

 なにせミロアがナーガ教団から湯水の如くに金を使っても明確な成果を出せないままに終わったプロジェクトなのだから。

 だがミロアの死後に守り人が作られている以上、彼が遺した何かは有効なものだったのだろう。

 

 そこでアーグストが考えたのは才能を開花させるような道具を使い、能力を伸ばすこと。

 つまりはオレが前回言っていた自我が消える前に使ったらどうなるのか、の部分を発展させたものである。

 

 ちなみにそれなりのデメリットは存在する。

 資格がまるでない者が使うと、高額な触媒が何の意味もなく消えるというもの。

 受け付けるにも器が必要であることに理由があり、被検体となったアーグストは彼自身がそれなりに秀でたる人物であるからこその成功例となっている。

 この実験によってアーグストは力や魔力、それに身のこなしなども上がっている。

 恒常的な強化であり、この成果を『新たな守り人の形』としてラングに突きつけようとするつもりだ。

 

「我々の成果を見せたあとに、エリスを本来の守り人にするための実験に使われるとなると努力が水の泡になる

 彼女にもこの技術の被検体になってもらい、逃げる力を与えて、いざという時には彼女だけでも逃げてもらうというのはどうか」

「そうだな、そもそもがこれ以上同意無き被験者を作りたくないというのが主題だった

 この新たな守り人の力であれば負担にはならないだろう……祭祀殿の言う通り、彼女にも試させてもらおうじゃないか

 実験体にさせるようで気は進みませんがね……」

 

 彼女が牢獄ではなくオレの私室に寝泊まりしていることはアーグストにも伝えており、

 アーグストは彼なりに辱めを受けさせる中で情に目覚めたのだろうと思っていてくれているようだ。

 

 この半月で彼女も身動きは取れるようになり、いざという時のための筋トレなども行ってもらっている。

 これが隔離空間だとしても『悪夢から逃げ切る』ことが彼女の心を生かす手段になるかもしれないからだ。

 

 被検体の話をすると彼女もまた、感謝を述べて実験に参加した。

 

「さて、用意したどれを使っても問題ないが」

 

 アーグストが並べたものはかなりの業物や高い階位の魔道書であった。

 普通には購入できないようなもの。

 おそらくはナーガ教団の宝であろう。

 

「いや、使うものはこちらで用意した」

 

 オレが取り出したのはマフーだった。

 以前に考えた使い方とは違う形となったが、それでもオレが今考えられる手の中で最も強い役になりそうであるからこそ、これを頼ることにした。

 

「これは?」

「我が一族に伝わる秘宝だ、彼女の力となるだろう」

「うむ、であれば……」

 

 儀式の場にエリス、そしてマフーの魔道書が置かれる。

 オレにはよくわからないが、儀式は始まったようだ。

 

 複雑な魔法陣の中央に座らされたエリス。

 その背には成人男性ほどの高さの台にマフーが置かれる。

 魔法陣の外側には研究者たちが魔力を練り、魔法陣に注いでいる。

 やがて光が包み、儀式の始まりを知らせた。

 

 ────────────────────────

 

 エリスが私室で眠りについたあと、オレは使われてない部屋へと入り込んでいた。

 

 この隔離空間でロプトウスと対話などはできないことがわかっている。

 そのため、次に行うとする行動は命取りになりかねないということは重々に承知していた。

 オレの命がどうこうというよりは、この空間に作用した結果弾き出されるかもしれないという点だ。

 

 それでも、今後を考えれば使わざるを得なかった。

 

 それがマフーだ。

 闇のオーブとマフーはガーネフより譲られたものであり、オーブはロプトウスの書と兼ね合いもあって、その当人が現れた。

 マフーは手に入れたときにまるで自分に利用価値が残っているかのように振る舞った。

 

 闇のオーブの使い方を思い出し、マフーに対して同様の行いをする。

 接続先はエリスではなくマフーの書に対してだ。

 伝わってくるのはやはり意思のようなものだ。

 自らの価値を示そうとするもの。

 

 マフー、お前が闇のオーブから生まれたものなのなら、闇のオーブの持ち主のオレに従え。

 そう念じるとマフーの書から闇にも似た、或いは亡者たちの嘆きのようなものが腕や触手の如くに現れていく。

 

「本に語りかけるなんて端から見りゃやべえやつだろうな……

 マフー、そういうリスクを抱えてお前に話しかけてることを忘れるなよな」

 

 オレは冗談めかして笑ってから

 

「オレには今、お前の力が必要だ

 お前はエリスの中で眠り、オレが求めたときに目を覚まして力を貸してくれ

 オレが念じる通りに動けばいい」

 

 伝わっているかはわからない。

 だが、まだ役に立てるのだと伝えてきた以上、そして闇のオーブから生まれた存在である以上、

 このマフーがただの魔道書であるはずもない。

 

「オレの作戦はお前に掛かってるんだ、価値を示してくれ

 お前の元となった闇のオーブや、お前を作り出したガーネフに、お前は闇のオーブの付属品じゃねえってところを見せてやろうぜ」

 

 それが果たして同意であったのかはわからない。

 ただ、マフーは怪しくその力たる魔力を一瞬だけ強く発したように見えた。



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凋落の王国

「あれから調子はどうだ?」

 

 マフーの書と一つになったエリスだが、それ以前と変わった様子はない。

 彼女の「特に変わりありません」という自己申告に嘘はあるまい。

 

 それからも研究自体は続いたが、アーグストを含む研究者たちは守り人には否定的になっていた。

 果たして、この研究がアカネイア王国やナーガ教団のためになるのか。

 いたずらに戦役を長引かせる理由を作るだけなのではないか。

 

 残りの数日はエリスを含めて、彼らと穏やかに過ごした。

 

「ナーガ教団を全員信じてるのか」

「今のアカネイア王国では実質国教のような扱いでしたからね

 それに王国民には信じれるものがナーガ様くらいしかないのも実情ですから」

 

 研究員がそう言うとアーグストが続けた。

 

「出資してもらっているし、こうなる前には非道な実験をしていた我らが言うのも、という話だが

 現在のアカネイア王国の支配者は五大侯……

 彼らや我らの行いを鑑みれば神に縋りたくもなるものです」

「五大侯……ニーナ王女はどうなのだ?」

「ああ……王女は、王国からの脱出するまでしか存じ上げませんが、死兵を配置しながらオレルアンまで逃げたという噂が広まっていましてね

 正直、王国内での彼女の風評はかなり」

「悪いか」

「ええ……、あくまで風評ではありますが、アカネイア王国を取り戻すために陣頭に立つなりもしておられないようですし

 そのせいもあってやむない形で声望が五大侯に寄っているというのがあるのですよ」

 

 オレは「話は戻るが」と転換する。

 

「ナーガは救ってくださるとか何とかは、そういう教義が?」

「いいえ、ナーガ様が人を救うのは『人同士の諍いではない』もの、

『人ではどうしようもない相手』が現れたときであると説法されていた」

「であれば」

「だが、ナーガ様は人同士の戦いで滅びゆく道を歩もうとしたときには救い主を遣わせる、とも語っておられる……多くの者は、我らも含めて、その救い主を待っています」

 

 それを聞いていたエリスはそっと口を挟んだ。

 

「皆様が進めていた守り人計画はもしかして」

「……ええ、そうです

 我らの手で救い主を作れないかと、その教えに縋っていたのです」

 

 ────────────────────────

 

「レウスさん、よろしいですか?」

 

『予定日』の前日にエリスは改めてオレに話しかけてきた。

 

「ああ、なんだ」

 

 明日のためのプレゼン資料の確認をしていただけだし、そもそもとして何度も見返すようなほど内容があるわけでもない。

 時間潰しというか、気を紛らわせているだけだ。

 

「……レウスさんはどうしてここにおられるのですか?」

「お前を助けに来たからだ」

「……助けられなかったら?」

「何をしてでも助けるから無意味な過程だな」

「どうしてそこまでなさるのです?」

「そりゃあ……」

 

 リーザの娘だから、ってのは理由ではある。

 その血がコーネリアスのものが入っているから、ってのも理由ではある。

 美人だからってのも、まあ理由ではある。

 

「人形にされていたエリスを見た、助けたいと思った、じゃあダメか?」

「……もっと早く、来てくださったらよかったのに」

 

 彼女もまた、この空間が現実ではないことを理解している。

 彼女が自ら動かないのは本当にあったことを知っているからだろう。

 諦観という鎖が彼女に組み付いて離れない。

 

「まだ遅くない、だからお前もそう思っていてほしい」

「……はい」

「必ず家に帰してやる」

「……っ」

 

 言葉もなく頷く。

 遥か遠くのものとなった家。

 彼女からしてみれば、もはや空虚な場所なのだとしても、閉ざされた場所(守り人である)よりはずっとずっとマシなはずだと、そう思ったのだろう。

 

 ────────────────────────

 

 その日が来た。

 外からは歓待を受けている声やら音やらが聞こえた。

 エリスには私室で待たせておき、オレは一足先に研究室へと向かった。

 

 やがてアーグストたちが賓客を連れてきた。

 

 禿げ上がった頭の男が鷹揚な態度で部屋へと入る。

 

「ラング様、こちらが祭祀殿です」

「どうぞよろしく」

「ああ、よろしく頼む

 で、愛らしい姫君はどこかね?」

「その前に話を聞いていただきたいのです、閣下」

 

 アーグストは早速話を切り込んだ。

 

「守り人計画には問題が幾つもあります」

「ふむ?」

「後ほど資料もお渡ししますが、まずは脆弱性の問題です

 たとえ自我を消したとしても操りきれない状態になる可能性があります

 次に、コストの問題です

 守り人になれるものは数限りがあります、それもそう多くもない数が」

「それで?」

「我々は新たな研究を行い、その問題点の解決を行いました

 それが」

「いやいい、もうよい

 あの姫君に(ほだ)された、そうなのだろう

 馬鹿め、あの姫君はわしのものよ

 純潔を守らねば守り人としての機能を失うとしても、『可愛がりよう』などいくらでもあるわい!」

 

 ラングはやおら剣を抜き払うと手近にいた研究員を前触れもなく斬り殺した。

 

「調教は終わっているのだろうな!どうなのだッ!!」

 

 胴間声が部屋に響く。

 

「貴様も殺されたいか!さっさとエリスを出せぇい!!」

「どうか、どうか話しを聞いてください、ラング閣下!」

「くどいぞ、アーグスト!!

 露頭に迷っていた貴様を、ミロアの研究を拾ってやったのはわしだろうが!!」

「ですが、気がついたのです!

 それを続けていれば平和は手に入らぬと、アカネイア王国が壊れてしまうと!

 我らの故国を守るためにも、手を取り合うときこそ来て、守り人などという力はその逆の道を進む行為です!!」

「うるさいうるさいうるさい!!貴様のような低能と話したくもないわ!!」

 

 剣が振るわれたが、その一撃はアーグストによって回避された。

 あの儀式によって強化された力によるものだ。

 大きな強化でなくとも、ときにそれが命を拾うこともある。

 それを彼は実践してみせた。

 

「祭祀殿!エリス様を!!」

「……わかった!」

 

 オレは部屋を出ようとする、邪魔をするラングの兵士だったが爆炎が彼らを包んだ。

 

「超破壊魔法とはいかずとも、このエルファイアーの火力を思いしるがいい!!」

「アーグスト、お前も逃げろ!!合流するぞ!」

「了解した、祭祀殿!!」

 

 ラングを引き付けるアーグストに声をかける。

 そうなれるかはわからないが、合流の約束を取り付け、オレは私室へと向かった。

 

 彼女を救えないことが運命だとでも言うかのように、私室の方から悲鳴が聞こえた。



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勝利条件

「エリス!」

 

 私室に飛び入ると、そこには剣を持っている兵士たちがいた。

 

「なんだ、……研究者か?

 この女は抵抗した、だから少しばかり傷つけてやっただけだ」

 

 へらへらと笑う兵士たちの側で下腹部から血を流すエリスが倒れていた。

 

「どうやら」

「あ?なんだ?」

「お前らの親でも見分けがつかないくらいの無惨さで死を晒したいようだなァッ!!」

 

 オレは獣人の曲刀を抜き打ち、

『追撃』、『突撃』の斬撃が死を纏って兵士たちをなますに切り刻む。

 数秒とも掛からない。

 

 エリスを抱える、彼女は弱々しく瞳をオレに向ける。

 懐からきずぐすりを取り出そうとするが、彼女はオレの手を掴んだ。

 

「少しでも早く、少しでも遠くに……私を連れ出してくださいませんか?」

 

 彼女もここが現実ではないことをわかっている。

 だからこそ、傷を癒やすよりも優先してほしいことがある。

 この場所から少しでも遠くに逃げることを。

 

 オレは彼女を抱きかかえて外へと走った。

 

「祭祀殿!」

 

 肩口が切られているが、それでも走るだけの体力を残しているアーグストが現れた。

 

「ラングを殺ったのか」

「はい、確実に……ですが敷地内には彼の兵士がごまんとおります

 急ぎこの辺りから逃げま──」

 

「どこに行くというんだ、こォの……薄汚れた下層市民のカスどもがあぁ!」

 

 まったく無傷のままのラングが兵士を引き連れて歩いてくる。

 

「ば、馬鹿な……確実に殺したはず

 ……祭祀殿、私がここで少しでも時間を稼ぎます

 どうか、どうかお先に」

 

 魔道書を開いたアーグストが続けた。

 

「贖罪の機会をお恵みくだされ、祭祀殿」

「わかった……良き贖罪のあらんことを祈る、アーグスト」

「──感謝ッ!」

 

 アーグストがラングたちに向けて爆炎を呼び出し、叩きつける。

 オレはエルファイアーによって発生した熱波を背に感じながら、エリスを抱えたまま走った。

 

 暫く走ると爆炎の音が止む。

 それはアーグストの死を意味していた。

 例え現実ではなくとも、知人の死は軽くはない。

 エリスもまた、顔を埋めるようにして感情を押し殺していた。

 

「どこに行くのだ?」

 

 先回りするようにラングが現れる。

 

「ワープの杖か!」

「なんのことだ?」

 

 ラングの声が後ろからする。

 振り向くと半身が焼けただれたラングが立っていた。

 

「逃げられるはずがない」

「ここから逃げられるはずがない」

 

 右からラングが現れ、

 そして左からラングが現れた。

 

「エリス、麗しき姫君。さあ、わしの前で鳴いておくれ」

「姫君を渡せ、下郎」「ドブ臭い下層市民めが」

「アカネイアの大貴族たるアドリアのラングが命じているのだぞ」

 

 そこかしこに現れたラングが、口々に言葉を発する。

 エリスの顔色は真っ青だ。

 恐怖に歪んだ表情で、声を押し殺している。

 

 そうだ、この空間は彼女の心象風景でもあるのだ。

 このラングは彼女にとっての恐怖の象徴なのかもしれない。

 

 だとしたら、やることは一つだ。

 

「……全員殺してやるよ

 そんで、ここで片っ端からエリスに根付いた恐怖ってやつを拭ってやる」

 

 片手でエリスを抱いたまま、オレは獣人の曲刀を構え、臨戦態勢を取った。

 

 ────────────────────────

 

 足の踏み場がなくなって久しい。

 どれほど戦っただろうか。

 

 もはや周りは見渡すかぎりラングの死体が折り重なっていた。

 オレも無事では済まない。

 背や腕には剣が突き立ったままだし、額から切られたせいで片目が見えない。

 それでもオレは立っていた。

 

「もう、もうやめてください、レウスさん」

「よく見てみろ、まだラングはいやがるんだ

 まだまだ殺してやる、お前がもう怖くないって言えるまで」

「でも、これ以上戦ったらあなたが……ここが現実でなくとも、痛みや死の恐怖は本当のあなたに寄せてくるのですよ」

「わかってる

 で、それがどうした

 そんなこと程度の事、オレが剣を引く理由にはならねえよ」

 

 勝利条件は刻々と変わる。

 今の条件はラングを全て殺すことだ。

 

 オレは重症だが、狭間の地の褪せ人がこの程度でくたばると思われちゃ癪だ。

 人にバカにされていた王様だって、戦いで重症を負っているってのに片腕を切り落とすような気合を見せた。

 負けても負けても現れた忌むべき王を知っている。

 壊れゆく精神を繋ぎ止めて主の居る塔を守り続けた獣頭の戦士を知っている。

 

 オレは話を聞かなかったが、その場所で何があったか、そいつらが矜持のために戦ってたことくらいは理解している。

 ここでオレが芋を引けば、そいつらに笑われる。

 

 腕力で勝って矜持で負けるのは狭間の地で続けたことだ。

 だが、アカネイアの地に来てようやくオレも矜持の意味をかすかに知れた。

 ここで武器を落とすのはオレの体が動かなくなるとき以外にはない。

 オレは腕力でも勝って、矜持でも勝つ。そいつがオレの自由というものへの担保だ。

 

「ラァァァァングゥゥッッ!!

 次はどのラングだ、出てきやがれェッッ!!」

「ひ、ひい……化け物め!し、死ねい!」

 

 槍を持っているラングがオレを穿つ。エリスを庇うために受ける場所は考えねばならない。

 横腹で一撃を受けながらもオレの曲刀がラングの頭蓋を叩き潰した。

 

「次は、どこだ」

「レウスさん、もう……もう終わりました」

「終わった?本当か?」

 

 周りを見渡す。

 ラングの死体がそこかしこに転がっている。

 

「まだどっかに隠れてるだろ

 なあ、おいッ!

 出てきやがれッ!!」

「もう、本当に……」

 

 エリスがオレを掴んだ手に少しだけ力を込める。

 

「いないのです……恐ろしいものは去りました……」

 

 エリスがオレをじっと見つめる。

 その表情には確かに恐怖というものが浮かんでいる様子はなかった。

 

「レウスさん……あなたにこんなに傷を負わせてまで、私が救われる理由があるのでしょうか?」

「現実でエリスの安心した表情だとか笑っている顔が見たいってのは理由にならないか?」

 

 泣き笑いのような表情を浮かべ、やがて涙が一筋流れるが、彼女は満面の笑みを浮かべた。

 

「──私も、お見せしたいです」



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マフー

 刹那、闇が晴れた。

 

 気が付いたときには目の前にロプトウスが立っていた。

 そうだ、エリスの攻撃を防ぎながら闇のオーブの使い方をレクチャーしてもらい、そして……。

 

「無事とは言い難いが戻ってきたようじゃな」

「あ?……痛っ!?」

 

 体中から傷口が現れ、出血し始める。

 致命傷ではない。傷の位置もそこかしこが先程とは別の場所だ。

 おそらく情報のフィードバック自体はそれほど正確ではないのだろうか。

 

 オレは懐からきずぐすりを取り出し、振りかけ、応急処置とした。

 

「エリスはどうなった」

「動いちゃおらんのう、あっちではどうだった?」

「できることは全てした」

「天運に全て任せるしかない、ということか」

 

 ロプトウスの言葉が終わると同時にエリスが機械的に動き、こちらを見やる。

 

 浮かせていた魔道書が地面に落ちると、どこからか別の魔道書が現れた。

 見たことのないデザインだが、あれが城の壁を破壊した強力な魔道書であることだけはひと目で見てわかった。

 それだけ、高出力の魔力をエリスから引き出しているのも感じた。

 

「さて、どうする?」

「決まってるさ」

 

 オレは一歩前に出る。

 闇のオーブにしたように、或いはロプトウスにしたように手を伸ばす。

 

「約束を果たしてもらうぞ、マフー!」

 

 眼の前で強大な魔力が編み上げられる。

 発動条件が満たされ、それが発動すればただでは済まないだろう。

 だが、それでもオレは続けた。

 

「お前が人を、心を縛る力があるというのなら千々に乱れたエリスの心を繋ぎ止めろ!

 結んで併せて、彼女に心を取り戻させろ!

 お前が有用であることを証明しろ!

 ガーネフが作り上げたアカネイア最新最高の魔道書がお前であることをオレに見せてくれッ!!」

 

 懐から闇のオーブを取り出し、念じる。

 オレの精神力でも生命力でもくれてやる。マフーに力を与え、オレの願いを完遂しろ。

 強く願えば願うほどにオレは全身にひどい倦怠感が襲いかかる。

 膝から崩れ落ちそうになっても、オレは闇のオーブに力を注ぐ。

 闇のオーブは注がれた力をそのままエリスへと放出し続ける。

 

「う、う、あ……ぁ……」

 

 エリスが呻く。

 同時に彼女の影から闇色の触手とのみ形容できる『なにか』が現れると、強大な魔力を必要としていた魔道書に絡みつき、溶かし消す。

 さらに触手は彼女の体に這いまわり、なにかの痕跡を消さんとして蠢いた。

 

「マフーをあのように変質させるとはのう」

「誰より早く自分は戦えるって手を上げた奴だぜ、人の手で作られたまんまでいられるほどヤワな魔道書じゃねえよ、あいつは」

 

 やがて触手が、いや、マフーは与えられた命令を実行したからか、エリスの影へと戻っていった。

 オレは疲労感を押し殺して彼女へと歩む。

 

 魔法が飛んでくる様子はない。

 そっと彼女の肩に触れる。

 

「エリス、こっちでもあの時の表情を見せてくれる約束は果たしてくれるか?」

 

 その言葉に小さく、ゆっくりと微笑み、オレへと倒れ込んだ。

 

 ────────────────────────

 

 感想としては、またか、である。

 もう慣れたつもりだったが、僕の主君というのは度し難い人物だ。

 諸々を任せたと言って飛び出していった後に、また連れ込んだのだ。

 

 片方はわかる。

 追いかけた女性だということがわかる。

 だが、なぜもう一人少女が付いてきている?

 ……どなた?

 

 僕は慣れたつもりだったが、主君の手の早さと広さにはまだまだ理解が追いついていないようだった。

 

 ひとまずレウス様が抱えている女性の手当をし、レウス様の手当も……。

 しかし抱えていた女性を駆け寄ってきたミネルバが受け取ると、レウス様はそのまま倒れてしまった。

 

 レウス様も女性も致命傷ではないにしろひどい消耗状態だということでベッドで寝かせることになった。

 少女の方はレウス様から片時も離れる気はないようで、話しかけても

「レウスが起きたら教えてやるわい、今はワシのこともレウスのことも放っておいてやってくれんか」

 と言った。

 どんな関係にしろ、レウス様と女性という関係性である以上は賓客であるとして扱うのがベターだろう。

 

 レウス様が目覚めたのはそれから二日後のことだった。



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熟睡、起床、頭痛

 目が開く。視界が通る。

 寝すぎたせいでひどい頭痛だ。

 体を起こすとベッドの側にはロプトウスが暇そうに本を読んでいた。

 

「おお、ようやく起きたか

 まったく寝坊助じゃのう、二日は寝ておったぞ

 あんな目にあったというのにエリスは──」

 

 扉がノックされ、ロプトウスは「ああ、入ってよい」と会話を中断して応じる。

 

「失礼いたします、お召し物を替えに」

「ほれ、お前と違って働きものであろうが」

 

 入ってきたのはエリスだった。

 手には寝巻きやらタオルやらが抱えられている。

 

「レウスさん!お目覚めになったのですね!」

 

 流石は王女というべきか、驚きつつも彼女は走ったりはせずにオレへと近づく。

 タオルなどはエンドテーブルへと置いて、オレの手を取った。

 

「私、その……」

 

 逡巡するような表情を見せてから、目を合わせると、にっこりと微笑んだ。

 

「こうして、レウスさんに顔をお見せできるようになりました」

「びっくりするくらいに美人だな」

 

 親がリーザであるからこそ、顔立ちは似ているが、コーネリアスの血であろうか、優しげなだけでなく確固たる意思力のようなものも顔立ちから感じる。

 マルス王子があんだけ優しい顔立ちのイケメンなんだからエリスもイケメン女子要素は備えてるってことか。

 

 素直な感想にエリスは表情に朱を含ませた。

 

「いちゃつくのは後にせよ、そなたを待つ者たちもおろうや」

「あー、そりゃあそうか」

 

 エリスを見て、

「お前が必要だ、付いてきてくれるか?」と言うと朱はより深くなり、俯いて「は、はい……」と頷いた。

 

「そなたさあ」

「なんだよ」

「いつか刺されてもワシは知らんからのう」

 

 ────────────────────────

 

 諸将が集まる。

 

 オレが不在の間にいざという時に軍を動かす準備、そして早馬の配備を行う。

 

 間隙を縫って敵が現れないとも言えず、ミネルバは都市内を、アランは都市外の警備を続けていた。

 エルレーンはアリティア聖王国こそがアカネイアの新たな主であるということを喧伝するための準備を続けていたらしい。

 

 ナギは市井に出て、人々の心を癒やしていたようだ。

 彼女が神竜であることはアカネイアに残った数少ない市民と戦闘に参加した多くの兵士たちが知っていることであり、聖王国の守護竜として既に信仰の対象めいたことになっているらしい。

 

「主を得て、早速路頭に迷うことになるかと思ったわ!ハッハッハ!」

「縁起でもないぞジューコフ、まあ……陛下がそう簡単に負けるお人ではないからこその軽口よな」

「不在の間、そしてお戻りになってからの二日で問題は生じておりません」

 

 ジューコフ、ボーゼン、ヒムラーがそれぞれに口に出した。

 

「都市内にも問題はなかった」

「外にも、ただ成り行きを見るために派遣されていた偵察兵を見かけたという報告が上がっておきております」

 

 ミネルバ、アランが言う。

 

「無事のご帰還、お慶び申し上げます」

 

 エルレーンが礼を執る。

 一同もそれに倣った。

 

「心配を懸けたが、全てが上手くいった」

 

 立っていたオレは側に座るエリスに手を伸ばし、立つように促す。

 彼女もオレの手を取り、そのようにした。

 

「彼女はアリティア聖王国が女王リーザが娘、エリス

 この娘の救出こそ、オレがあの場で優先したことに他ならない

 皆の心配に見合う以上の結果だ」

「え、あ……れ、レウスさん、今なんて?」

「エリス、お前の母親であるリーザは生きている

 今もお前の生まれた国を守っているんだ」

 

 目を白黒とさせている。

 

「まだ帰国まで少し時間はかかるが、必ずお前を母親に会わせてやる

 待っていてくれるか?」

「は、はい」

 

「エリス殿!リーザ女王をお助けした者こそがレウス陛下だ!

 その事は吟遊詩人が諳んじている、今宵にでも謡わせようか!

 わしもあの唄が好きでなあ、特に」

「ああ、ジューコフやめろやめろ!あんな脚色されたもの、聞いていて恥ずかしい!」

「脚色されたのは麗しき口上だけなのだろう、多くの死闘は事実だと聞いているぞ?」

 

 ジューコフはあえて話しているのだろう。

 それとなく、エリスの緊張を解くために、或いはオレへの信頼を強めるためかもしれない。

 主を立てるのが上手いのは流石所領を運営する爵位持ちと言えるだろう。

 エリスの好感度を稼げるなら、そりゃあありがたい。

 なにせ……まあ、暫く後には確実なる修羅場が待っているだろうからな……。

 

「レウスさん……ああ、いえ、陛下とお呼びするべきですよね」

「さんでも呼び捨てでも好きにしろ」

「……レウスさん」

 

 潤んだ瞳は母親そっくりだ。

 ……オレはなんとも邪な気持ちになりそうなのを抑えるのに必死だったが。

 

「レウス、私からもいいか」

「ああ、なんだナギ」

「そこの少女は何者だ?とても強い竜族の気配を感じるのだが」

 

 そう言われて改めてロプトウスが立ち上がる。

 

「ワシの名はロプトウス、故あってレウスの手伝いをしてやっておる」

「……ろ、ロプトウス?」

「……聞き間違いか?」

 

 エルレーンとボーゼン、そしてミネルバが顔を見合わせる。

 

「ほう、少しは物を知っておる人間もいるようじゃな、関心関心

 だが、今は過去のことは忘れておけ

 そなたらの王たるレウスの側で守護する竜が一つとして覚えるだけでよい」

「どうあれ、信頼できる奴だ

 エリスを救う手立てをくれたのもロプトウスだからな」

 

 顔を見合わせたものたちが再度見合わせる。

 その後に彼らはロプトウスの外見を見るようにして、オレを見て、諦めたように吐息を漏らした。

 

「な、なんじゃその目は」

「いや……なんというか……」

 

 ミネルバが言い淀む。

 

「我らの口からは言い出しかねますな」

「ある意味での信頼はできますが……」

 

 ボーゼンの言葉にエルレーンが続き、先程まで少しばかりの疑いというべきか、

 ロプトウスの伝承を知っていたものからする警戒の色はどこかへと消え失せている。

 

「……もしかして……

 いや、ワシはだな」

 

 つまりはロプトウスもまた手籠にされてしまったのだなあという表情だ。

 暗黒神と名乗ってはいるが、その外見は麗しい美少女。

 オレの今までの行動がロプトウスとの関係を考察させたのだろう。

 

「ロプトウス、とりあえずこの場はそういうことにしておいてくれ」

「不承不承であることは忘れるなよ、そなた」

 

 ジト目でオレを見やるロプトウス。

 まったく、暗黒神とは思えない。

 

 ────────────────────────

 

 アカネイアパレスを占領した聖王国軍は本格的に軍を導入させはじめる。

 四侠配下の武将たちも入り、その一方でグルニア三将などは一度聖王国へ移動するなどの計画も予定された。

 三将に関しては降将ではなく、新たにレウスから取り立てられた者としての立ち位置のために受勲などを行う予定である。

 

 アカネイアに聖王国の軍が駐留し、付近の防備を固める予定が明確化したあたりでレウスはエルレーンを呼び出した。

 

「お呼びですか、陛下」

「聖王国に戻る前にやることがある」

「やること、ですか」

「ディール要塞があるだろう」

「ええ、調べろとのことでしたのである程度は」

「今日の夜にでも落としてくる」

「軍を動かすには準備が必要ですが、まさか」

「オレともう一人くらいで十分だ」

 

 やっぱり、とエルレーンは吐息を漏らす。

 

「……今日まで陛下は寝込んでおられたのを忘れたのですか?」

「お陰で元気満々だ」

「そういうことではなくですね」

「ミネルバの妹が囚われている、ただ軍を寄せると面倒なことになりかねない

 本格的な戦争ともなれば次は五大侯が相手になるが、連中とはまだ正面切ってやり合いたくない」

 

 それはエルレーンも考えていたことである。

 アカネイアの占領と治安の安定を行わなければ戦争をして内側から食いつぶされる可能性があるからだ。

 

「要塞が少人数で落とされたとなっては喧伝もできまい」

「軍を動かしたと言われるだけでは?」

「現状ならそこに割ける兵力がないのは明らかだし、軍を動かせば五大侯以外の目もある

 五大侯とドルーア同盟が共同の見解を出すことはなかろうさ

 仮に出したとしたら五大侯はオレルアンと袂を分かつことになる」

 

 オレルアンは最大の敵としてドルーア打倒を名乗っている以上、ドルーアと協調姿勢を五大侯が見せればそれは彼らとの連携を見せるということであり、敵対関係であることを提示することになる。

 そうなれば後背をオレルアンに狙われ、前面では聖王国が睨んでくることに。

 いかな五大侯でもそうなればおしまいだ。

 オレルアンからすれば大義名分さえあれば五大侯を始末したいとすら思っているだろうのは彼らとて理解している。

 

「例えディール要塞を落としたところで言えることは何もない、ということですか」

「理解が早くて助かるよ」

「……お一人で行かれるのですか?」

「ミネルバだけは連れて行く、アイツにとってもけじめになるからな」

「お止めしても無駄でしょう」

「悪いな」

「お戻りは明日でしょうか」

「ああ」

「では、明後日には聖王国に戻る、そういう旅程でよろしいですか?」

「いつも悪いな、エルレーン」

 

 エルレーンの溜息。

 

「こうして相談してくださるのですから、嬉しく思ってもしまいますからね

 人使いが上手い方です、陛下は」

 

 気を取り直すようにして彼は続けた。

 

「では、明日にお会いしましょう

 陛下、どうかご武運を」

「ああ、明日にな」

 

 エルレーンが去った後、側にいたエリスが微笑みながら言う。

 

「人誑しなのですね、レウスさんは」

「やっぱりレウスめはいつか刺されると思わんか、エリス」

 

 エリスはふふ、と上品に笑う。

 おそらくロプトウスは冗談で言ってるわけじゃないと思うぞ。

 ……でも……まあ……暗黒神がそこまで言うんだから、気をつけよう。



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ディール要塞

「よかったのか」

 

 ミネルバがオレに問いかける。

 何に対してのよかったのかは多義的だが、言いたいことはわからないでもないが、質問で返すことにする。

 

「何がだ」

「エリス殿を置いてきて」

「ここに連れてこいってことか?」

「まさか」

「悪い悪い、わかってるよ

 だが、ここに来るのはオレが来たかったからだし、助ける約束もしたからだ」

「……だが」

 

 ミネルバはオレが複数の相手を持つことには何かを言うつもりはないらしい。

 彼女が言いたいのは助けたばかりで心が弱っているかもしれない彼女を一人にしてよいのか、

 ということを言いたいのだろう。

 エリスからはミネルバがオレが寝ていた随分と二日間良くしてくれていたと聞いてもいる。

 

 だからこそ、

 

「だが、は無しだ、ミネルバ

 オレはオレの為にマリアを助ける」

「……感謝する」

「それと、今回はこいつを使ってくれ」

「オートクレールを?」

「マリアを助けた時に偽物なの?なんて言われたら傷つくだろう」

「姉をそのように言うとは……」

 

 少し悩むようにしてから

 

「聡い子だからな、確かに……言いかねんか」

「地図自体は手に入っちゃいるし、鍵もジューコフからもらっている

 実際それほどの手間は掛からんだろうが……」

「だろうが、どうした?」

「ジューコフを排除したということはアイツに代わる強敵がいる可能性は否定できん、油断せずに行こう」

「承知した」

 

 ────────────────────────

 

 ディール要塞、

 ディール侯爵家によって管理されている巨大要塞であるが、要所に置かれたようなものでもない。

 現在の要塞はその名前とは別に、堅牢性を外ではなく内側へと向けたものになっている。

 

 別名、五大侯の牢獄。

 五大侯に歯向かったもの、知りすぎたものなどを収監するための巨大な檻であり、

 中からではなく外から救援が来てもそれを物ともしない堅牢さを発揮する、ある意味で最強の秘密保管庫であった。

 

 元はアカネイアの方面軍を率いていた男、ゼプテンバはアカネイア軍敗北直前にラングへと取り入り、その立場の確保を行った。

 シャロン亡き後にディール要塞の守護をラングによって命じられている。

 

 ゼプテンバ自身は能力が高いわけでもなく、機知に富むわけでもない。

 生まれの良さだけが取り柄の、平凡な貴族であった。

 彼がラングに気に入られているのは良心のなさ故であった。

 

 自分さえよければどれだけ横暴に振る舞ってもいいと思っているし、

 自分の仕事を他人にやらせ、失敗したら平気で首を斬るような男である。

 それ故に、彼はラングに好まれていた。

 

 ただ、それだけでディール要塞を任せられるわけもない。

 彼にはもう一つ、神がかり的な才能があった。

 

「……おい」

「は、総督!」

「シーザを呼べ」

「承知しました」

 

 それは危機察知能力である。

 何かの理由や集積した知識が内発的に生じた出力ではない。

 本当に、神がかり的にそれを察知していた。

 

 アカネイア軍が滅びることを察知したのもこの才能あってのものである。

 

「おれに用事か、総督」

「シーザよ、おそらく今夜に要塞に問題が出る」

「例の予感というやつか」

「そうだ、その予感よ……だが夜となればディール家に馬を飛ばせん以上は増援も呼べぬ」

「ここには十分な大部隊がいるだろう、それにおれもいる

 それでも不十分か」

「……ああ、そんな予感がするのだ」

 

 ゼプテンバは腰に吊っていた剣を鞘ごと取り外すと、シーザへと渡した。

 

「総督、どうした?」

「我が家の家宝、マスターソードだ

 これ一振りで傭兵の一団以上の価値にもなろう」

「……おれに使えと?」

「シーザ、お前であれば十全に使えるであろう

 この戦いが終わって私が死んでいればその剣を売り払うなりして退職金代わりにするがいい」

「死ぬことを願いたくなるな」

「なに、生き残ったのならばお前の妹が完治するまでの金を支払ってやるわ」

 

 総督は姑息で、小物で、凡庸であったが、他人を使うことに関してはアカネイア王国でも屈指と言えた。

 必要な人材に家宝を渡して目的を達成できるなら渡してしまうような、名誉よりも実を取る貴族らしからぬ男でもある。

 

「わかった、予感にある戦い……勝ってみせよう」

「うむ、頼んだ」

 

 二人ともに部屋を出る。

 寝ずの番となるだろう。

 

 狙われるとしたなら最奥の牢獄。

 手前の広間にゼプテンバと子飼いの兵士、更にその手前の部屋にはシーザが待機することになった。

 

 ────────────────────────

 

 部屋でシーザは渡された剣を鞘から抜いた。

 おそろしく美しい刀身だった。

 自分がこれほどの武器を握ることになるとは思っても居なかった。

 

 だが、同時にそうしなければならない事態であることも理解していた。

 

 彼がゼプテンバに登用されたのは暫く前の事だ。

 

 彼には妹がいた。

 愛くるしく、器量もいい、目端も利く。

 自分の妹ながら素晴らしい娘だ。

 

 自身の魔力によって身が焼かれるという奇病であり、薬によって魔力を抑えなければ長くは生きられない、そういう病だ。

 異大陸から来る者もワーレンにはいるが、その誰もが妹を助けることはできなかった。

 

 ある日のことだった。

 ワーレン近くを根城としていた海賊が街へと大挙した。

 防衛はままならず、多くの海賊に侵入され、街からは女たちが拐われた。

 妹もまたその被害者になった。

 

 シーザは親友であるラディの静止も聞かずに一人で飛び出していった。

 

 海賊を斬り殺しながら進むも、遂には妹を助ける前に海賊に囲まれた。

 そこに現れたのは五大侯の旗を掲げたゼプテンバの一団だった。

 ゼプテンバもまた海賊に妾を拐われていたらしく、それを救出するためであった。

 

 ゼプテンバはその戦いでシーザの果敢な戦いぶりに感心し、雇い入れることはできないかとスカウトした。

 シーザはラディと離れることは惜しむも、妹を助けるためには多額の治療費が必要であり、

 彼が提示した金額は少なからず現状維持が可能な程度の金子(きんす)にはなる。

 

 妾を助けたときもその神がかり的な予感があり、他にも何度かその予感をシーザは見ていた。

 予感の度にハードな仕事となったが、その分ボーナスも弾んでくれたおかげで、

 彼には文句もなかった。

 

 だが、その予感を持つ彼が家宝を渡すまでの事態にシーザははじめて仕事を投げ出したいと思いかけた。

 戦いで自分が死ねば妹を誰が助けるというのか。

 

 この戦いで勝てば、妹はもう病から逃れることができる。

 見えない恐怖との戦いに勝利したのはやはり、それであった。

 

 シーザは抜き打ち、斬り、払い、突き、鞘へと納める。

 剣士たるラディのような流麗な技ではないが、徹底的に突き詰めた戦法は誰に負けるとも思わぬほどに鍛えたつもりだ。

 この剣と戦法にかけて、負けるつもりはない。

 シーザは睨むように扉を見つめていた。

 



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ハイド&手斧

「まあ、見張りはいるよな、そりゃあ」

「どうせ押し入るのなら、進めばよかろう」

「……ミネルバってさあ」

「なんだ」

 

 怜悧な美貌をこちらに向ける。眩しい。

 しかし美貌と同じほどに眩しいほどに脳筋だ。

 

「忍び込むのに音を立てるのも、と言いたいのか」

「そういうこと」

「……わかった、これで行こう」

 

 取り出したのは手斧であった。

 地図はある、鍵もある。

 確かに最短ルートで敵を暗殺して進めばよいのだが、ううむ。

 

「上手くやってくれ」

「任せておけ

 斧の扱いはマケドニアで私に並び立つものは兄のミシェイルくらいのものだ」

「……怖い国だなあ」

 

 ミネルバは手斧を構え、小さく呼吸をして空に楕円を描くように投げた。

 落下による加速を得ながらの手斧は入り口を守る兵士の頭蓋をかち割る。

 

 ごが、と音を立てるが、周りが気がつく様子もない。

 

「お見事」

「この程度はな」

 

 オレたちはお互いを見やり、それから入り口へと進んだ。

 

 ────────────────────────

 

 室内に入り込んだミネルバの手並みは見事なものだった。

 彼女は両手に手斧を構えると、入った瞬間にそこに何人がいて、誰が最初に気がついたか、

 誰が笛などの警戒装置に手をかけるかを一瞬で見抜いた。

 両手で持った手斧をそれぞれ別の対象に投げ、それが着弾する前に手近な人間を素手で声を出させる間もなく縊り殺していた。

 ほぼ一瞬で三人を仕留めたわけだ。

 マケドニア王族は自分のところの王女様に何を教えてるんだ……?

 

 勿論、オレも突っ立ってた訳では無い。

 入る直前にダガーから輝剣の円陣を生み出し、入った途端に速射して一人、別の手近な人間は獣人の曲刀で切り裂き、ローリングを駆使してミネルバの攻撃対象ではないものから致命を取る。

 

 広間にいた人間は一瞬で片付けることができた。

 気が付かれた様子もない。

 

「両手で手斧投げれるんだ……」

「貴方とて練習すれば可能であろう、器用なのは知っている」

「……いやあ……無理かな」

 

 ミネルバの戦灰があればできるかもね、などと思ったが、冗談抜きでミネルバが戦灰にでもなったら怒りでどうにかなると思うので口には出さない。言霊というものもあるだろう。

 

「次はこっちに……どうした?」

「いや、ちょっと……」

「……?」

 

 オレはせっせと戦利品を拾っていた。

 壁にかけられた装備にまで手を伸ばす。

 

「……王たる者が嘆かわしい」

「役に立つから、絶対役に立つから」

「はあ……」

 

 オレはミネルバをメイドにしたら高圧的な教育をなされるのではないかというヴィジョンを垣間見てしまった。

 ……まあでもメガネかけてくれるなら、それはそれもいいかもしれない。

 

 などと馬鹿げた事を思いながらも手に入れた弓矢を構える。

 魔法などと違って音がない。

 ノルンやトーマスのような弓の腕はないが直線上にいる敵を射殺すことくらいならできるだろう。

 

 ────────────────────────

 

 進んだ先にも警備がいる。

 距離も遠い。

 

 手斧を構えようとする彼女を制して、オレは弓矢を使う。

 弦の跳ねた音や風切り音こそ鳴るも距離が距離だ、兵士には気が付かれない。

 

 進路上にいる兵士は二人だが、片方が射抜かれて倒れたのに一瞬気がつくのが遅れた残り一人をオレは二射目で的確に射ち殺した。

 

「……役に立ったろ?」

「先程の言葉は取り下げさせてもらう、見事だ」

 

 素直なのはミネルバの美徳だ。

 オレだったらムキになって反抗していると思う。

 

「マリアが囚われている部屋はこの先の、最奥エリアだ

 ……一本道か、どうする?」

「どちらかが見張りになって、どちらかが進もうかどうかってなら二人で行ってさっさと戻ってこようぜ

 なに、増援でも呼ばれたとしてもオレたちだったら切り抜けられる」

「まったく、吟遊詩人たちの謡う軍神たる貴方そのものの発言だな」

「そういうのは嫌いか?」

「嫌いなものか、武門の国の王女たる私にとってはむしろ──……ああ、いや、なんでもない」

 

 彼女から好意を感じなくもない。

 この気持に背かずに育てていきたいものです。

 

 ────────────────────────

 

「……む」

 

 ゼプテンバは新たな予感を受け取っていた。

 

「おい、ここは死守しろ」

「はっ!」

 

 近衛たちを最奥の牢獄に置いていくと、隠し通路を使い別室へと移動する。

 予感を頼りにして施設の入り口へと歩いていく。

 

 そこには頭をかち割られた兵士の姿がある。

 やはり予感は当たるもの、疑ったことなどないがゼプテンバはそれでもその予感がより悪化した未来を知らせぬためにも行動する。

 

 ゼプテンバは凡才の貴族ではあるが、愚かではない。

 むしろ凡才だからこそ、基本とホウレンソウ(報告連絡相談)を重要視する。

 

 別室の兵士を呼び、大きな音を立てないよう命じながら、戦力を掻き集め始めるのであった。



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シーザ

「こういう展開になるか」

 

 オレたちは部屋をくぐると腕っこきといった雰囲気を醸し出す男と対峙していた。

 つらりと腰から剣を抜く。

 見たことのないものだが、その価値や強さは見ただけで相当なものであろうことがわかる。

 

「お前たちに恨みがあるわけじゃない、だがこっちにも妹を助けるという理由があるんでな」

「お互い様、ということか」

「……」

 

 後ろの扉をちらりと見る護衛。

 

「最奥に囚われている少女はお前の妹か」

 

 本人にその意思はないだろうが、情報を吐いてくれたことは助かる。

 

「妹を逃してやれないことは申し訳なく思う、だがどうしてもこの仕事は譲れない……こればかりは」

「譲れとは言わんさ、だから押し通らせてもらう」

「ミネルバ」

 

 オレは彼女の横を堂々と通り過ぎ、ながら鈴を鳴らす。

 そうしてから護衛の近くまで歩み寄る。

 

「さっさとマリアを助けてこい」

 

 オレの周りに現れたのはガザックと愉快な海賊たちだ。

 彼らに自我はない。

 オレの目的意識を感じ取り、そのとおりに動く傀儡だ。

 ミネルバに付いていき、目の前に現れた敵を倒せ。マリアには指一本触れさせるな。

 

 その意を受け取った傀儡たちが歩き出す。

 護衛は止めようともするが──

 

「おいおい、まさか背を向けるつもりか?」

 

 移動しようとした相手に容赦なくオレは獣人の曲刀を振るい上げた。

 

「チッ!」

 

 護衛は流石に一人で此処を守っているだけあって、回避しつつ武器をこちらへと構えた。

 

「全員相手にするのは分が悪いんじゃねーかって思うけどな」

「ではお前から始末して、挟撃にするだけだ!」

「ミネルバ、行け!」

 

 金の幕こそないが、オレにとってのボス戦が始まったわけだ。

 

 ────────────────────────

 

 おれはそれなりの相手と戦ってきたし、それなり以上の経験をしてきたつもりがある。

 それこそ異大陸の見たこともない技を扱う戦士とも渡り合ったことだってあった。

 

 だが、目の前にいる剣士の強さは異常だった。

 剣の一振りだけで数度の斬撃を呼び込む。

 魔法なのかもしれないが、だとしたなら予備動作なしにそれが行えるのは凶悪すぎる。

 

 受けに回れば死ぬ。

 回避に失敗すれば死ぬ。

 たったの一撃を受けることを許容すれば、即ち数撃の、確実な致命傷を与えられることがわかる。

 

 距離を取る。

 息を整える。

 

「名を聞いてもいいか」

「レウスだ、お前は?」

「……ワーレンの傭兵、シーザだ」

 

 レウス……吟遊詩人が謡っていたアリティアの現人神と同じ名。

 いや、そのものなのだろう。

 であればこの強さにも納得がいく。

 

 どうやらおれはとんだ仕事を受けてしまったわけだ。

 

「軍神レウスか」

「そんな名前で呼ばれてんのか、オレ」

「ああ、吟遊詩人が言うにはだがな……まさか本当に軍神たる力を備えているとは思わなかったが」

「降参するか?」

「……妹の命が掛かっているんでな」

 

 武器を構える。

 一撃必殺をお見舞いできないなら、オレの負けだ。

 呼吸を整える。

 勝負は一瞬で付くだろう。

 

 おれは今までで一番鋭く踏み込み、刃を払った。

 

 ────────────────────────

 

 惜しいな、と思った。

 それがオレがこの男……シーザとの戦いでの感想だった。

 敵であれ、味方であれ、戦う相手としては過不足なく、しかし強すぎない相手というのは経験値稼ぎにはもってこいだ、という意味を含めての感想だ。

 

 シーザといえば原作じゃあワーレンでラディという青年と仲間になる傭兵で、

 妹の薬代のために戦っていたと記憶している。

 

 ミディアでもそうだったが、こいつがそんなに強くなるのか、みたいな状況がまま出てくる。

 この傭兵もその類かもしれない。

 

 総合力ではアストリアには叶うべくもないし、殺すための戦闘の組み立てはナバールには及ばない。

 だが、彼らにはないものがシーザの強さを下支えしている。

 

 それは生きようとする執着だ。

 根性論のように聞こえるが、そうではない。

 こいつは死なないことを目的としている戦い方をするせいでこちらの攻撃に対しての回避能力が極めて高い。

 正確には攻撃動作に入らせないようにする立ち回りに優れていた。

 

 ヘタに踏み込めばシーザが持っている物騒な剣でなますにされるのはわかる。

 かといって膠着を続けていればこの要塞の軍全体を相手にしなきゃならなくなりかねない。

 

 攻めあぐねているのは相手も同じらしい。

 だが、オレを殺さねば未来がないと舵を切ったのか、踏み込みも鋭くオレへと打ち掛けてきた。

 

 狡い手だとは思うが、オレはそれを待っていた。

 踏み込みに合わせて後ろへと引きながらダガーを収納する。

 

 シーザが刃を払うのと同時にオレは獣性に触れ、『獣の石』を放つ。

 尖った石片は散弾銃の如くに射出され、剣にそれらは当たり、衝撃力によって剣速が死ぬ。

 幾つかはそのようにして弾丸は留められるも、殆どの石片がシーザの体を抉った。

 

 オレとて少しずつ立ち回りを学んでいくわけだ。

 派手な技や武器は持ち込めなかったが、こういう戦い方のほうがよほどオレには合っている。

 王たる戦いではないとミネルバにはジト目で見られそうではあるが、

 それでも勝つことが全てだろう。

 少なくともオレはアカネイア大陸では名誉よりも命を重んじる。

 ……まあ、狭間の地で名誉ある戦いをしたかと言われると……まあ、あんまり変わりはない。

 

「オレの勝ちだな」

「ぐ、う……やはり、こうなるか……」

「お前の妹は器量が良いんだろうかなあ、ワーレンでも探して聖王国に連れ帰っちまおうかなあ」

「き、貴様!」

「馬鹿な兄貴が金稼ぎに失敗して、哀れなこったな

 まあ安心しろよ、もう妹のことを心配しなくてもいいんだ

 ……なんてな

 オレを後ろから斬る気がないってなら、見逃したっていい」

 

 オレの言葉が理解が及ばない感じで見返し、

 そして「何を言っている……?」と聞き返してきた。

 

「ミネルバの妹を助けに来たんだ、そんでお前も妹を助けたい

 これでマリアを助けられてお前が死んじまったら、なんとなく後味に悪いものが残るって思わねえか」

「……」

「傭兵の矜持だ!殺せ!ってならそうするが……どうするよ」

「……殺せなどと言えるわけがない、妹を遺して死ぬなど、絶対にごめんだ」

 

 オレは懐からきずぐすりを取り出すと、瓶ごとシーザに投げ渡す。

 

「約束は守れよ、シーザ」

 

 死ぬと思っていた命が拾えたシーザは状況が飲み込めていない様子だが、

 それでも後味を悪くしたくないというのは理解ができたらしい。

 

「それとな」

 

 オレは扉の方へと歩きながら思い出したことを教えてやることにした。

 

「ワーレンを含むこの辺りの地方は気に食わんから全て破壊する

 破壊しきった後は穀倉地帯として作り変える予定だ

 誰も彼も区別なく根ざしているものは肥やしに変える」

 

 ぎちりとオレの歯が鳴る。

 沸き立つ感情を抑えるために息を吐く。

 

そいつ(きずぐすり)を使ったらさっさとワーレンに戻って妹と一緒に逃げるんだな

 おすすめはグラだ、若い責任者が熱烈に土地を育んでいる素晴らしい場所だ、これから発展するぞ

 一番おすすめしないのはオレルアンだ、焼け野原にしてやる予定だからな」

 

 オレは言いたいことを言うと去ることにした。

 シーザはその言葉に意味を掴みあぐね、しかしワーレンから妹を連れ出さねばならないことだけはわかったらしく、きずぐすりで応急手当をすると急ぎディール要塞を逃げ出すようであった。

 

 甘い采配だろうか。

 ……たまにはいいだろ。



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ホウレンソウ

 ミネルバが部屋へと押し入ると、そこには装備の整った兵士……恐らくはこの施設の近衛や腕利きたちが待ち受けていた。

 彼女の後ろからぞろぞろとガザック(海賊)たちが現れると即座に敵と判断したのか、躊躇なく攻撃を始めた。

 

「主に似て好戦的な使い魔だな」

 

 事前にミネルバは『霊呼びの鈴』の事を教えられている。

 パレスでも鈴を使ってはいたが、それを彼女自身は目撃していない。

 実際に戦場で目にしていたら頭を抱えただろう。

 仲間になった現在でもそれを見ると頭を抱えたくもなる性能だ、死んでも構わない兵士を生み出す力など反則級の強さだ。

 それも、それぞれが弱いわけでもない。

 特に体格に優れた斧使い風の使い魔の強さはそこらの騎士を遥かに凌駕している。

 近衛を何人も纏めて相手にして尚押し返せているのだ。

 

 ミネルバは見ている場合でもないと踏み込み、オートクレールを振り回し、一瞬で二人を切り倒す。

 神器とまで謡われた戦斧は、強力ではあるが使い手を選ぶ。

 だが、その扱いの難しさを感じさせないほど流麗に斧を振るうミネルバはまさしく戦場で戦乙女、戦姫とあだ名されるに相応しい武芸の才と共に自在に扱ってみせた。

 

「戦姫ミネルバだと!?」

「い、妹を救いに来たか」

 

「喋っている余裕が貴卿らにあるのか?」

 

 彼女の言葉に近衛たちは警戒しようとするも、遅かった。

 命なき傀儡たちはまるで他者の命を食い荒らさんとして近衛たちに特攻していった。

 生まれた隙や恐慌を利用してミネルバは次々と近衛を撃破していく。

 マケドニア武門の誉れとは即ち勝利である。

 

 ────────────────────────

 

 近衛の亡骸から鍵を取り、扉一つ一つを開けていく。

 最後の扉を開くと「ひっ」と息を呑む声。

 しかしすぐに「姉様……?」とその姿を確認する。

 

「姉様!」

 

 マリアは駆け出しミネルバの胸へと飛び込む。

 

「ああ、マリア

 辛い思いをさせてごめんなさい……」

 

 優しく抱きしめる。

 今までできなかった分だけ、ミネルバは慈しみの心を大いに込めた。

 

「でもどうして?どうやってここに?」

「それは」

「こっちも終わった、そっちは……首尾よく運べたようだな」

 

 合流を果たしたレウスにミネルバはマリアを見せるようにする。

 

「アリティア聖王国の主、レウスだ

 彼が私達を助けてくださった」

「あなたが……」

 

(へえー……なんだか怖そうな人だけど、私達を助けてくれたってことはきっとステキな人なんだ)

 

 幼い彼女からすれば白馬の王子様同然の存在だ。

 それも姉共々救ってくれたというなら、ファーストインプレッションとしては比類なき好印象と言えるだろう。

 

「助けてくださってありがとうございます、私はマケドニア王国第二王女、マリアと申します

 いただいたご慈悲はこの身を以てでも報いたいと思います」

 

 ミネルバに抱えられたままではあるが、それでも深く頭を下げる。

 

「いいさ、ミネルバとの約束だからな」

「約束?」

「それは──」

「そ、それはまあ、後にしておこう

 脱出を急ぐのだろう」

 

 流石にレウスの端女になる約束などここで言えるはずもない。

 レウスの言葉に被せるようにして内容を後回しにさせる。

 マリアに走れるかと姉が問うと彼女は頷く。

 警戒しながら外に出る、脱出経路を急ぐが、どんな物事も一筋縄にはいかないのが世の常である。

 

 ────────────────────────

 

 火が一斉に焚かれ、一面が照らされる。

 

「まさか王女みずからがお越しになられるとは

 歓待の準備もせずに申し訳ない」

「何者か!」

「ご挨拶が遅れました、私はこのディール要塞をラング様より預かるゼプテンバと申します

 恐縮ですが皆様には牢獄に入っていただきます」

 

 こういう局面になった。

 が、それなり以上の数の兵士が無音でいられるはずもない。

 それができるのはよほど練度の高い兵団だけであり、ここにそうした者だけで固められているわけもなし。

 (しわぶ)き一つ上げない部隊など、それこそアランの騎兵たちしか知らない。

 

 外に出る前にオレたちは部隊の展開に気が付き、逃げ道を相談する。

 オレの提案にミネルバは反対のようだったが他に策もないと納得させた。

 

 状況から考えて、外にいる連中の包囲は分厚くない。

 逃げた先に散兵を置いておく余裕もないだろう。

 そこまで周到にするならシーザはそちら側に回すはずだからだ。

 

 包囲を抜けて、移動に使った馬を留めているところまでいければ勝利。

 突破には生き残っているガザック達をぶち当てて包囲に穴を空ける。

 開けた先をミネルバとマリアには走って逃げてもらい、オレは殿になってじわじわと後退。

 わかりやすい作戦だろう。

 

「この包囲をその少人数で何とかなるなどという夢物語は──」

 

 降伏勧告を発しているゼプテンバを無視するようにして、

 

「ミネルバ」

「……わかってる」

「それじゃあ……行くぞッ!!」

 

 ガザックを馬を隠している方向へと突き進ませる。

 

「は、話の途中だというのに!」

 

 ゼプテンバの声も虚しく、海賊の突撃に包囲している兵士が焦りを見せる

 案の定、練度が低い。

 そもそも練度が高い兵士だったら前線に送るなり、別の使い方をしているだろう。

 ミネルバもいない今、マリアにはそれほどの価値もない。

 

 蝙蝠のようにアカネイア王国やドルーア同盟に協力していた五大侯が支配するディール要塞は、

 一種の人材びっくり箱のようになっていて、中に誰がいるか誰も把握していない。

 アカネイア王国の重要人物がいるかもしれないし、ドルーア同盟に関わる人物、例えばマリアのような立場の者がいるかもしれない。

 ただ、それを把握できていたであろうシャロンは既にこの世におらず、明確な管理機能を失ったディール要塞に優秀な兵士を置いておく理由がないはずだ。

 

 実際にガザックの突撃により包囲は乱れ、その乱れたところを食い破るようにして、ミネルバはオートクレールで道を切り開いていった。

 

 兵士たちが大挙するのを殿のオレが『獣の石』や『グラングの岩』を使って引き撃ちにする。

 

 裏門から出る、門があるお陰で出入りする人数に制限ができる。

 ここであれば殿をするのにも適していると言えるだろう。

 ガザックたちも残りの体力は少なかろうので、ミネルバたちについていかせて、必要に応じてデコイになるよう念じた。

 

「ミネルバ!逃げ切れよ!」

「レウス、貴方も必ず!」

「仕事が終わったらな!」

 

 ミネルバはマリアを抱えて走り出す。

 

 オレは獣人の曲刀をしまい込む。

 試したいことがあったが、味方がいると怖くてできない。

 このシチュエーションはオレにとって望んでいたものでもある。

 

 ディール要塞の防衛隊諸君、オレの実験に付き合ってもらうぜ。



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妹王女

 私はマリア。

 マケドニアの王女。

 政治的な利用価値が薄い私にはミネルバ姉様と同じく、後ろ盾になってくれる貴族たちは殆どいなかった。

 協力者はそりゃゼロじゃないけど、武人として育てられた姉様に集まるのは前線で武功を立てた人たちで、

 どうしたって政治的に弱かったり叩き上げだから爵位も低かったりしたんだ。

 

 私は道具として使われた。

 文字通りの意味じゃないけど、現在のマケドニアを安定させるために、国元から姉様を引き離すための道具って意味ならおかしくないでしょ?

 

 正直、すこしホッとしたんだ。

 国にいたらいつか姉様は謀殺されていたと思うから。

 私がもう少し大きくなれば、政略結婚でもして姉様の後ろ盾になれるかもしれないけれど、今の私をもらってくれる人なんていないから。

 

 本当は姉様には武器も何も渡されず、私も五大侯の家に住まわされる予定だったって聞いた。

 けれど五大侯が何をするかを知っていたし、武器がなければ姉様も戦えすらしない。

 助け舟を出してくれたのはレナ姉様だった。

 

 レナ姉様は昔から私や姉様を守ってくれた。

 ミシェイル兄様と関係がこじれて国から離れてしまったけど、それでもレナ姉様は後事を家の人に託してくれたからか、国で酷い扱いもされなかった。

 

 せめてオートクレールを送ってあげてください。

 部下をつけることすら許されぬならパレスの守護のみを命じてください。

 五大侯の家ではなくディール要塞の貴族のための牢獄にしてください。

 

 そんな風にミシェイル兄様に直談判したらしい。

 

 レナ姉様は国を離れてからたくさん冒険したらしい。

 箱入り娘だったあの人は何かあって戻ってきてからは昔のままの優しさと淑やかさを持っていながら、

 強い使命感のようなものも備えていた。

 

 兄様もそれらを納得して、実行させたらしい。

 本当は兄様だってミネルバ姉様も私も守りたいって思っているのは知っているんだ。

 姉様だって、それは知っている。

 

 でも、お父さまを弑逆した兄様は戻る道を捨ててしまったみたいだった。

 それをレナ姉様は修羅道に落ちないように繋ぎ留めてくれているようでもあった。

 

 ともかく、私はそんな風にしてディール要塞に送られた。

 ひどいことはされなかったけれど、とっても暇だった。

 時々来る人といえば五大侯ディール家の長であるシャロンさん。

 

 見た目はかっこいいけど、なんだか不気味な人でもあった。何を考えているかわからない、野心家ってこんな人を言うのかなって思っていた。

 

 でも来る度に彼は勉強のための道具を持ってきてくれた。

 いつかマケドニアには私が必要になるから、それまで多くを学ぶんだって。

 どうしてそうしてくれるのかって聞いたけど、シャロンさんは期待しているだけだって。

 何に、って聞いたら、

 

 こんな乱れた世界なのだからきっとナーガ様が救い主をよこしてくれる。

 そうなれば五大侯やこの大地の穢れを消し去ってくれるはずだ。

 穢れが(そそ)がれた後は私や君のような若い世代の仕事になる。

 

 そんな人現れるのかなって思ったけど、でも従うことにした。

 シャロンさんがおそらく私がひどいことをされないようにしてくれているのだって事は予想することができるし。

 

 シャロンさんが最後に来た時には、ちょっと怖かった。

 目が据わっていた。

 でも、言ってたんだ。

 

 救い主が現れた。

 あんな変わり者、救い主以外にはありえない。落ちた葉が伝えているように閉じられた灰が教えてくれているって。

 だからマリア様もお嘆きなく、お待ちあれば必ずあなたの元にも救い主が現れる。

 

 って……。

 怖いのは事実だけど、シャロンさんはどこか救われていそうでもあった。

 救い主かあ、来るかなあ。

 私はそう思いながらも勉強を続けていた。

 

 ある日の夜、現れたのは救い主じゃあなかったけど、姉様が私を助け出してくれた。

 姉様はここまで来れたのは彼のお陰だと言って男の人を指した。

 

 正直、第一印象は救い主のイメージ、白馬の王子様って感じではなかった。

 けど……。

 

 今、私は姉様に抱えられて逃げている。

 視線の先にはあの人が、レウス様がいる。

 

 彼が片手を空に掲げた。

 何も握られていない手に、黒と赤で作られた炎が剣の形を作っていった。

 剣が振られると兵士たちが燃えて、灰も残さずに消えてしまった。

 

 シャロンさんが言っていた救い主。

 それはレウス様の事なんだろう。

 黒と赤の炎は彼が言う通り、消し去っていった。

 それでも殺到する兵士たちと渡り合っている、全ては姉様と私を逃がすために。

 

 最初は怖い人かも、と思ったけれど。

 白馬の王子様ではなかったけれど。

 

 あの人こそ私や姉様にとっての救い主なんだって、確信できたんだ。



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黒き大剣

 オレがあの街を灰に還したとき、流れ込んできたものがあった。

 それはオレが狭間の地で最も苦戦した相手の追憶だった。

 

『黒き剣のマリケス』

 

 彼を倒すことで死のルーンを得ることになった。

 それが身に宿るべきものだったのかどうかはオレにはわからない。

 

 フィーナの死によってそれは喚起された。

 辺り一帯の全てを焼き尽くし、灰に還した。

 

 あの時、オレはマリケスの如き姿へと変じていた。

 オレにとって強さの象徴があの獣剣士であったからだとは思う。

 

 灰を生み出し、それがガーネフによって再利用されたということからあの力を軽々に使うものではないと思っていたが、見て見ぬふりをしたまま、いつか暴発してしまったときの対処法を知らない事の方がオレには怖かった。

 

 だからといって誰もいない野原とかで振るったところで意味があるとは思えない。

 戦いの中であってこその力だろうからだ。

 

 故に、オレはこの殿をいい機会だと捉えていた。

 どちらにせよ戦えないマリアを逃がすためには誰かが連れていかなければならない。

 その役目はオレではないだろう。

 ミネルバが死ねば結局この作戦は意味がないものになる。

 

 空に手を掲げ、集中する。

 獣性に触れることを知っている今、己の中に溶け込んだ追憶を正気のままに引き出すことが不可能とは思えない。

 闇のオーブ、そしてマフーとの触れ合いで目の前にある物質的に存在する以外のものへの接触は行えた。

 これは不可能なことではない。

 

 想起する。

 

 炎を。

 

 赤を。

 

 黒を。

 

 あのマリケスとの死闘と、絶技の数々を、絶対死守のために全てを掛けた獣剣士の意地の全てを。

 想起する。

 

 何かが指先に触れる。

 ロプトウスの手を引いたときを思い出し、掴み、手繰る。

 

 周辺が一層に明るく光った。

 オレの手には黒と赤に燃えるように揺らめいた大剣が握られていた。

 掴む、戦灰の如くにその振るい方が知識として与えられる。

 

 オレは振るう。

 それは炎を吐くようにして迫る兵士たちを焼き、声を上げる間もなく灰へと還った。

 

 問題はここからだ。

 

 ────────────────────────

 

「灰をどのように回収したのか、と?」

 

 ガーネフがオレの言葉に対して、研究の手を止めて応じた。

 

「普通に拾ったのか?」

「最初に持ち込まれたものは手で回収したのだろうが、学院の者での仕事ではなかった

 その後は少しばかり工夫を加えて一粒残す事もなくこちらで回収するようにしたわい」

「どんな風に?」

「空のオーブを用意して、そこに灰を少し入れておいてな、灰にある種の力を込めると灰を引き寄せるような力が働く

 それを利用したわけよ

 ただ、細工をしておかねば灰と灰は擦り合うと霧となって儚く消えてしまうのでな……」

「そりゃ好都合ではあるな」

「確かに、誰があの灰を再利用しようとするかはわからん以上は後片付けが楽である以上のことはないが……

 よもや灰を作り出す力を使うつもりかね」

 

 ガーネフの言葉はどこか咎めるというか、警告を含んだ色のものであった。

 

「あの灰を生み出す力はオレに制御できるかわからんものだ、偶然的にでも能動的でも灰を作り出した時の処理だけは考えておきたい」

「道理ではある。

 ……簡単なことであるからな、陛下でもかの力の行使は可能であろう

 どれ、このガーネフ、少しばかり陛下に指南させていただくとしよう」

 

 ────────────────────────

 

 撃破したものは灰に転じる。

 その灰に『ある種の力』を与えると、まるで自我があるかのように動き、近くにある灰へとぶつかって霧になって消えていく。

 たった一振りで二、三十の兵士が燃えて消えただろう。

 

 これは単純な火力ではない。

 死のルーンによって与えられた『死そのもの』を付与した結果だ。

 

 だが、中には死にきれないものだったり、防具の破損で済む者も確認できた。

 距離の減衰、本人が持つ魔力に対する耐性(魔防)、或いは回避力(速さ)運の良さ(幸運)の値によるところもあるのだろう。

 死を刻印されなお死に損なっているものも、一定時間でその刻印は消える。

 このあたりも出力の問題だろうか、周りを焼き焦がさないのも?……まだまだ調べたいところではあるが、なにせ『死』そのものを与える必要があるから敵がいないと調べようもないのが調査不足を呼び込みそうではある。

 

 マリケスの『黒き剣』を呼び出すこと、それを振るって武器にすること。

 そして、それによって発生した灰を消し去ること。

 実験はどちらも成功だ。

 

 これで高威力の技を……──。

 

 がくん、力が抜けて『黒き剣』も霧散する。

 なるほど、なるほど……正気で使うには負担がバカにならないってわけか……。

 

 まだ限界には遠いが試したいことが幾つもある。

 限界ギリギリ攻めて倒れでもしたら終わりだし、試せるとして、もう一つくらいだろうか。

 

 どれにするか、と考えていると効果範囲が切れたガザックの傀儡が結晶へと戻ってくるのを理解した。

 であれば丁度いい。

 

 懐から取り出したのは傀儡の結晶。

 サムスーフ侯ベントのものだ。

 あの場を去る時に一応拾っておいたものだが、能力の低さから使う宛もなかった。

 これを取り出したのは再び呼び出すためじゃない。

 

 オグマとの戦いでナバールが現れた状況が気になっていた。

 傀儡の結晶が砕けたから現れたのか、それともオグマとナバールの関係性に因るものなのか。

 どうあれ確認をする必要があった。

 

 慄いている敵兵の前でオレは結晶を砕き割る。

 そこから現れたのは敵ではなく……金色の霧だった。

 それはやがてルーンの如くしてオレの体へと吸われて消えた。

 実際にルーンになったのかどうかを確認する術はないが、少なくとも割ったからと言って霊呼びの鈴無しで呼べるとかってわけではないらしい。

 

 実験はここで打ち止めだ。

 まだ相手の前衛を潰しただけ。

『黒き剣』は奥の手としちゃアリだが、戦争必勝法みたいな使い方はできないってことがわかった。

 オレはグレートソードを引き抜くと殿の仕事を続けることにする。

 

「さあ、遊ぼうぜ」

 

 グレートソードを片腕で構え、もう片手で手招く。

 しかし、応じるものはおらず、ざわざわと声が出始める。

 

「毛皮の外套に、尋常じゃないデカさの大剣……」

「もしかして聖王国の……」

「じょ、冗談じゃ……」

 

「どうしたッ!!かかってこないならこっちから暴れに行くぞォッ!!」

 

 咆哮を上げるように叫び、オレはグレートソードを乱暴に振るい始める。

 全滅か潰走か、その条件が満たされるまでオレは止まらない。

 

 ────────────────────────

 

 ゼプテンバは兵士が前方から離脱していくのを見ていた。

 それでも彼は特に咎めもしなかった。

 兵士たちが口々に言う聖王が敵であるなら逃げるのも仕方ないこと。

 止めたとして、そしてそれらが武器を持って戦ったとして、士気も練度も低い兵だ。

 現状で動かしている兵は三百かそこら。

 勿論、単騎に向ける兵数であれば誰しも十二分だとは思うだろう、常人の範囲の敵ならば、だが。

 

「退却の笛を鳴らせ」

「は、はい」

「鳴らしたらお前もどこなりと逃げるのだ」

 

 笛持ちはこくこくと頷くと笛を吹き鳴らす。

 それを聞いた兵士たちは武器を捨て、防具を捨てて一目散に逃げ出し始める。

 

 逆流するようにゼプテンバが歩いていく。

 やがてレウスの前に立つ。

 レウスからすればこの軍を指揮しているものが何故か逃げずにこちらにきた不可解な状態ではあるが、

 それでもグルニア三将であったりと、事情があるものであれば発生する事はある。

 

 だが、ゼプテンバは彼らに比べても力に劣り、風采もパッとしたものでもない。

 

「まさかこのディール要塞に軍神様が降り立つとは思ってもおりませんで……。

 マリア様を救出したということはシーザもやられましたか」

「ああ、腕は悪くなかったが……オレの命には届かなかったな」

 

「で、大将首自らオレの前に来た理由は?」と当然の疑問をぶつけるレウス。

 

「それは勿論、命乞いです」

 

 ゼプテンバは凡才で、自分の生存第一で考える男だ。

 乱世においては大成の目無き男。

 だが、その凡才は生き残るためという一点に置いては凡才ならではの『短絡的に思いつく価値』を用意することと『それが相手の激情を逆撫でしない』ことを合わせて発揮する才能は戦乱ではあまり見受けられない特性とも言えた。

 

「こちらはまずは手始めの一品(ひとしな)にございます」

 

 ゼプテンバは恭しくレウスへの献上品を懐より取り出した。



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献上品

「それは?」

 

 懐から取り出されたものは手記のようなものだった。

 オレの疑問に対してゼプテンバは返す。

 

「この地方で五大侯に対して反発している貴族の名簿でございます

 その中で聖王国への帰順を求めている者を探す事も可能ですが、暗号で書かれております」

「お前が生きていなければ無用の長物になるってことか」

「その通りで」

「残念だが価値はあまり高くないな、誰が居ようとこの辺りは文化が生まれる前にでも戻ってもらおうかと考えている

 オレが行動を始めたら寝返りたいやつは勝手にこっちに来るだろうし、逆に寝返るつもりだったがそれを見て敵対的な意思を持つならどのみち長くはオレの許にはいられまいよ」

「歴史を埋葬されるおつもりですか」

「そうだ」

 

 ゼプテンバはややもって悩むようにする。

 

「では、オレルアンがアカネイアを攻めていた本当の理由は知りたくはありませんかな」

「パレス奪還ではなく、か?」

「ええ、ではなく、です」

「興味ございませんか、聖王国の覇道にも関わるものかと考えますが」

 

 オレはむしろ、別のことに興味があった。

 それはコイツの準備の良さだ。

 命乞いにしては準備が整いすぎている。

 だが、ここに来ることは誰にも知らせていない。

 ずっと前から予期していたということなのか?

 

「準備がいいじゃないか」

「ええ、この日が来るやもという予感を受けておりました」

「予感?」

「物心付いた頃から重大な局面では必ず予感を得ていたのです、神からの授かり物のように」

「で、オレが来ることを察していたって事か」

「陛下が来るとまではわかりませんが、私の命に関わる者が来るという予感がありました

 となれば、五大侯か、その敵対者か……

 ディール要塞を打倒できる者だとするなら国を広げたいと思っている、

 そしてそれを狙うとするならオレルアン連合軍か」

「アリティア聖王国しかない、か」

「ええ、五大侯が私を殺そうとするならば呼びつけるでしょうからね」

「下手に戦の準備をされずにも済むしな」

 

 オレの言葉に「ええ」と頷く。

 そうしてから、いかがでしょうか、その情報で私の命は買えますかな?と。

 

「その前に聞きたいことがある」

「何なりと」

「生きて戻ったらどうする」

「聖王国に就職できないか行ってみようかと思っていますよ、なにせ生きているならば聖王陛下から生きる事を許されたとなるわけですからな

 就職には有利では?」

「したたかな奴」

「貴族とはいえ所領もありませぬ故、どうあれ生きるためには稼ぎが必要ですから

 事務関連では要塞を切り盛りした実績もあるので他の騎士と売り込み先が違いますから生き残った以外にも武器はあるつもりですよ

 私は数字の計算には自信がございます、金勘定にも」

 

 この男の如才のなさは役に立ちそうではある。

 忠誠心は若干以上に怪しいが、反乱を起こすようなリスクを抱えたがるタイプではない。

 

「わかった、命は助けてやる

 が、オレと共連れての就職はなしだ、こう見えて聖王ってのは仕事が多い」

「それは残念ですな」

「一筆書いてやるからそれを持ってアリティアの騎士団に顔を出せ

 騎士上がりの事務屋はうちの国じゃ足りない部門だ」

「それはありがたい」

 

 この乱世だ。

 誰しもに忠誠心は求めることはできない。

 であれば扱いやすい奴を誘っておくのはリクルートするに重要な指針だろう。

 

 オレは懐から紙とペンを取り出し自分で言った通り、一筆書く。

 そうしてそれを渡そうとし、戻す。

 

「で、話は戻すが」

「ええ、理由についてですな

 陛下は『星のオーブ』をご存じですかな?」

 

 闇のオーブを含めた、炎の紋章を形作る重要な一品。

 ただの宝ではなく強力な力が宿っているのは闇のオーブ同様だ。

 星はどうだったかな、原作じゃ武器が壊れないってシステム的にとんでもない効果だったが、今のオレからするとちょっとイマイチだな。

 

「ああ、知っている」

「それを探しに来たかったそうですよ

 何でもオレルアン連合が次代のアカネイア王国になると息巻いておりまして、継ぐ為にも炎の紋章は絶対条件とも言えます

 炎の紋章にはオーブが必要不可欠でもあるそうですから」

「で、星のオーブは見つけられたのか?」

「彼らは見つけられておりません

 なにせあのラーマン神殿から盗んできた盗賊の手にありますからな、よその軍人が探して見つかるものでもない」

 

 だが、アカネイア軍人で裏にも通じているなら別である、と言いたいのだろう。

 一本調子の軍人では生き残れない国がこれまでのアカネイアの姿であるのか。

 

「そいつはどこにいる?」

「ワーレンにおりましょう

 あそこの市長はコレクターですから、彼と交渉しているでしょうが……難航しているでしょうな

 何せ誰も金で買おうとしたことのないはずの物ですから」

 

 オレはそれを聞いて紙をゼプテンバに渡す。

 

「もう行っていい」

 

 アカネイアが探しているもの全て横取りすれば更に上手く立ち回れるかもしれない。

 或いはオーブの力をどう利用されるかを防ぐのは戦略上意味が出てくるかも。

 有用な情報であったと十分に言えるだろう。

 その上で、ゼブテンバがアリティアで働くのであれば、付加価値としては十二分だろう。

 

「感謝します、……一応ですが」

「なんだ」

「いざという時のために他の貢物もあるのですが、勘気に触れるかもとも思いまして最後の手段に取っておこうかと思っておりましたが」

 

 少し気になる。

 

「怒らんからくれ」

「こちらの鍵を、施設の中に──」

 

 場所の案内を口頭で受け、彼は去っていった。

 

 ミネルバにはいち早く追いつきたいが、この状況であれば大事どころか小事もなかろう。

 役に立つものがあるかも知れないので見に行くことにする。

 ただ、勘気に触れるとまで言ったから大したものではないのだろうが。

 

 言われた場所はおそらくはゼプテンバの仕事部屋であったろう所だ。

 その床の一部を剥がすことができ、箱が幾つか納められていた。

 

 鍵を使い、それを開く。

 中から出てきたのは……──

 

「……ううむ、怒りはしないが……どうなんだろうな……」

 

 一点物のエロ本だった。

 それも複数冊。

 

 箱にはメモがあり、どうやらそれによるとこれらの本はディール要塞にいる人間たちが暇を明かして作ったものらしい。

 

 年に二回、夏と冬に作った本を販売するイベントを裏で行っていたのだという。

 元々ここには貴族たちが名目上で実地での経験を得るための場所でもあり、

 貴族家系ならではの学問のレベルの高さや芸術に関わる教養などからそうしたイベントを催されているのだという。

 

 ここに収められているエロ本もそもそもがゼプテンバに取り入ろうとした者からの贈り物らしく、名作と名高い物たちだそうだ。

 

 ゼプテンバ自身はそうしたものに興味はないが、金になるかもと取っておいたのだろう。

 が、あいつの口ぶりからすると好色な王だからこういうのが好きなのでは?と思っていたフシがある。

 まったく、心外なことだ。これでも現状二児の父になる予定だというのに。

 

 ……まあ、でも、このままなのはもったいないし、本は貰っておこう。

 

 ────────────────────────

 

「あの本のうちの一冊、そういえば暗号書になっていた可能性があったか

 ……アリティアで仕事を見つけることができたら報告書でそれも上げておこうか

 シャロン殿が綴った聖王陛下への愛の詩集全12巻の合本版……暗号を隠すにしてもそこまで目立たせる意味があったのかどうか」

 

 ゼプテンバはシャロンもレウスも高く買っていた。

 両者とも傑物には違いあるまい。

 だからこそシャロンの熱は冷めやらず夏冬のイベントに合わせてシャロンが拵えた詩集が本当にただの愛のポエムであると信じるのは難しい。

 

「シャロン殿はいつから陛下に通じておったのか……

 やはり五大侯は泥舟よな」

 

 例え真実に辿り着かずとも、別種の正解を掴むことはゼロではない。

 少なくとも、ゼプテンバの幸運はその正解を掴み取れた。



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パレス凱旋

 パレスへの帰還。

 軽めの歓待は受けるが、やることも多いしそれでよい。

 というか歓待そのものも要らないんだが、

 エルレーン曰く、「歓待をされるのは王としての義務」だそうなので従う。

 

 歓待の場で起こったことと言えば、

 

「レウス様ー!」

 

 黄色い声と一緒に体当たりしてきた少女。

 マリアだ。

 

「助けてくれてありがとうございます!」

 

 キラキラとした目を向けてオレにがしりと抱きついている。

 年齢は10かそこら。

 イエスなにがしノータッチだ。相手からタックルしに来る分には回避できないが。

 そこは姉であるミネルバがマリアを引き剥がし、事なきを得る。

 流石に聖王国のトップが幼女趣味まっさかりなどと言われるとヤバい。国益を損なうレベルでヤバい。

 シーダやロプトウスはこの世界じゃ成人ではないにしても、妻に迎えて怒られない程度の年齢のようなのでそこは安心。

 

「あのね、レウス様!私レウス様のお嫁さんになりたいのです!」

「うんうん、え?」

 

 急展開のハードブロウが来る。

 命を助けてくれた人への子供なりのお礼だと捉えるのはオレには無理があった。

 何故ならマリアという少女がかなり計算高い娘であることを原作知識から知っているからだ。

 

「オレに売り込まんでもミネルバもお前も守ってやるから安心しろ

 そのうち好きな男ができる、その時に後悔するぞ」

「しません!レウス様以上の人なんて見つかりっこありません!」

「ま、マリア

 レウスが困っているから」

 

 にやにやと笑いながらロプトウスが近寄ってくる。

 

「マリアの言う通りじゃ、レウスはこの大陸の覇王になるに相応しい男

 今のうちに唾をつけておくのは大切じゃがなあ〜……

 エリス〜、そなたはどう思う?」

「どど、どうとは……?」

「そなたも唾をつけておきたいのではないか?

 淑やかにいようとすれば出し抜かれるぞ?」

 

 暗黒神が暗黒神らしいことをしている。

 こいつはリーザやシーダとの関係性を知った上で、尚且つエリスがその辺りのことを知らないことを知った上でそう言っているのだ。

 しかも何かしらの打算があるわけでなく、状況がおかしなことになって楽しいだろうというだけで。

 

「レウスさんは、その、私の命の恩人であって、それ以上の感情なんて持ってはいけないと……その……」

 

 もじもじとしているエリスだが、彼女の影からは彼女の手にも似た細い闇が伸び、オレの服の裾を掴んでいる。

 マフーも居ます。

 

 いや、居ますじゃないんだよ。

 流石は暗黒神が宿るオーブから誕生しただけある。同じような性癖だ。

 でないのならばエリスの感情を映しているのだろうか。

 

 混沌とした場から逃げるためにエルレーンを見やるも、ぷいと顔を背けられる。

 アイツは女関係には徹底して無視を決め込むつもりだ。

 ちくしょう。少年の内から立ち回りが成熟してやがる。

 

 オレは暫くぶりに青色と赤色の美少女に挟まれた。

 ただ、それはシーダとレナのようではなく、より苛烈で或いは心胆寒からしめんとする気配をひしひしと感じるものだった。

 

 ────────────────────────

 

 その夜、私室にミネルバが訪ねてきた。

 

「どうした」

「その、先ほどはマリアが失礼をした

 助けられたことが嬉しくてあのような失礼な態度を」

「いや、構わない

 それにオレが言ったことに偽りがあるわけでなし」

「言ったこと……」

「お前もマリアも守ってやるって話だよ」

「何故そこまで目をかけてくれるのだ?

 ……よもや本当に以前言っていたことは真実だとでも」

「嘘をついてどうなる」

 

 マリアはさておき、ミネルバの外見はストレートに好みだ。

 しかし、それ以上に彼女の生い立ちや足跡には好み云々をおいて、敬意を表する。

 これまで死ぬか生きるかの瀬戸際で妹のために、或いは兄や国のために戦った一人の人間に渡せるものがあるなら渡してやりたいと思うのは人情というものだろう。

 

「一人で戦う必要はないんだよ、ミネルバ

 マリアを守りたいって気持ちはオレもわかる、だから守るのはオレも手伝う

 だからその身を盾にしてでもなんてのはもうやめてくれ」

「だが、私は……」

「アリティア聖王国は、いや、オレが進む道にはお前が必要なんだ

 これからもオレを支えてくれ

 そうしてくれる限りオレはお前もマリアも守り続けてやる」

「ああ、私は約束通りレウスの端女として──」

「いいや」

 

 そりゃあ、こんな美人がお側に仕えてくださるのは嬉しいが、それよりも──

 

「これからは、マケドニアの戦姫ではなく、アリティアの戦姫として戦場の象徴でいてほしい」

「……ああ、わかった

 この身が切り裂かれようと貴方への忠義が折れぬことを誓う」

「ただ」

「ただ?」

「……メイド服姿は見たいなあと……」

「貴方は……はあ、そういうのは、その……不貞であろう」

 

 ゆくゆくはミネルバと言えばバニーという風評も転生前では聞いたこともあるのでそれも狙っていきたかったが怒られそうなのでやめておいた。

 

 ともかく、これでアリティア聖王国の戦陣は強固となったのは間違いない。



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マフー様がみてる

 アカネイア領統治の為の部隊が到着したのと入れ替わるようにオレは聖王国首都へと戻ることになる。

 ナギ、エリス、ロプトウス、ミネルバ、マリア、グルニア三将はオレとともに。

 エルレーン、アランは統治の為にも残ることとなった。

 

 久方ぶりのアリティアは以前よりも発展を見せている。

 正直、かつてのような牧歌的な風景はなくなり、大都市化のための工事がそこかしこで行われている。

 最近は港湾地区も開発されており、(アカネイアにとってのだが)近代化を推し進める形になっている。

 

 で、だ。

 ここからだ。

 ここからが本当の山場なのだ。

 

「リーザ、シーダ、戻ったぞ」

「おかえりなさい、あなた」

「おかえりなさいませ、レウス様」

 

 お腹も随分と膨らんでいる。

 すくすくと育っていると御典医も言っている。

 流石に現代と違って男の子か女の子かはわからないらしい。

 

「リーザ、落ち着いて聞いて欲しい」

「なあに?」

「エリスが生きている」

「え……?ほ、本当に?」

「ああ」

 

 オレはメイドに合図をし、エリスに入室してもらう。

 ……ここまでは予定の通り。

 さて、少しだけ時間を巻き戻そう。

 

 ────────────────────────

 

 オレは戻る前に魔道学院に立ち寄った。

 主城に戻ってしまえばまずはリーザたちに会う必要があり、そうなればエリスとの相談時間を取ることができないからだ。

 

 一室を借りて、オレはようやくにして話し始める。

 

「エリス、落ち着いて聞いて欲しい」

「なんでしょう?」

「リーザは生きている……のは言ったとおりだ」

「はい」

「彼女は身籠っている

 腹にいるのはオレの子だ」

 

 目を何度かぱちぱちと閉じては開き、

 

「……ええと、その」

「オレが何を言ったところで伝わるものもないとは思う、だが、リーザに会った時に落ち着いて話して欲しいから先に打ち明けさせてもらった」

「……その、実は、……し、……」

「し?」

「知っていました」

「え?……えーと、いつから?」

 

 彼女は守り人の影響もあって自我喪失の状態とも言えたはずだ。

 となれば、助け出したあと、オレが眠っていた間だろうか。

 

「その……この子が」

 

 そう言って彼女の影からざわめく木立か笹のような影が現れている。

 マフーの書だ。

 ……闇のオーブと書にロプトウスがいたように、マフーにも何かが存在しており、オレとともにあったことは知っているってことなのか。

 そして、それが彼女の元に入ったということは……。

 

「……ええと」

 

 オレは頭を抱えた。

 マフーはどこまで知っているのだろうか。

 オレが手に入れてからのことだけを知っているのか、それともそれ以前のことも知っていたり学習していたりするんだろうか。

 或いは闇のオーブ越しにロプトウスと情報共有している可能性もある。

 ヘタに便利だった現代社会を知っているせいで共有という概念を理解している。

 だからこそ、ややこしくも恐ろしい考えが次々に降って湧いて止まらない。

 

「レウスさん、貴方の行いと私の感情はまるで別物なのです

 私が貴方へ向ける感情はいずれも損なわれてはいません、安心してください」

 

 そっと彼女が手を握る。

 エリスにはオレに何を言えば安心するかが手にとるようにわかっているようだ。

 それが彼女の優しさから来るものなのか、マフーによって強化された人心への理解から来るものなのかといったことは考えるだけでも失礼ではあろうが、

 だとしても彼女の超然とした優しさにオレはある種の恐怖も覚えていた。

 

 ……だって、自分の母親と、弟の許嫁を孕ませているわけだしな……。

 普通は取り乱したり、オレに何かしらの悪感情を向けてくるとは思うと思っていた、しかも『少なくとも』だ。

 

「でも、今まで黙っていたことは『貸し』ですからね」

 

 にこりと微笑む。

 勿論、彼女も本心でそう言っているわけではあるまい。

 ただ、そう言えばオレの中に横たわる重い感情がいくらか軽減されることを彼女は理解しているのだ。

 

「ああ、そうしてくれ

 可能な限り返すよ」

 

 オレも小さく笑って応じる。

 

 ……まさかこの『貸し』を返すことが来るとは、今のオレは思っても見ていなかったのだが。

 

 ────────────────────────

 

「お母様、本当に……本当によかった……」

「エリス、私もよ……」

 

 二人はしばらく抱き合ったあと、どうやって助かったのかやこれまで何をしていたのかを話し始める。

 特にリーザの武勇伝は誇張抜きで聴き応えのある物語なのは間違いない。

 

 オレは二人の時間を邪魔しないために出ていくことにした。

 

 その後、リーザはシーダも呼んで三人で長く長く話していた。



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聞き取り

 サムトー、エレミヤにはアリティア帰還に付き合ってもらった。

 彼らも聖王国に興味があるということで無理なく共に戻り、

 二人はカダイン魔道学院が有する宿泊施設での寝泊まりを希望した。

 

 ガーネフの頼みもあり、サムトーの持つパチシオンとエレミヤの反転オーラについての研究などの手伝いを了承したためである。

 勿論、見返りを提示する。

 二人の提案はそれぞれが別のものだった。

 

 サムトーは以後も旅を続けるため、金を要求した。

 エレミヤはガーネフと共にある魔道の研究をすること。

 彼女の研究が区切りがつき次第サムトーとともに再び旅に出ることが決まっていた。

 

 エレミヤから聞いたミロアの話はなんとも判断の難しい話だった。

 ガーネフにも関わり合いがあるとエレミヤの言葉から彼にも同席してもらっている。

 

「つまりはアレか

 ガトー、ガーネフ、ミロアはそれぞれが違う方向を見ていたってことか」

「……わしは開派の発展が目的だったが、ミロアはアカネイアそのものではなくアカネイア人のため、ガトーは神のため、そんなところか」

 

 ガーネフは冷静に受け止めていた。

 

「……ミロアめ、最後の瞬間に微笑んだのはそういうことか……

 馬鹿な男よ……」

 

 冷静ではあるが、悔しさも滲んでいた。

 それは切磋琢磨をともにした学友としての感情だろうか。

 

「黄金律か……」

 

 オレは不意に出てきたその単語を繰り返すように呟いて、瞑目した。

 

 ────────────────────────

 

 次に目を開いた時には見知った空間にいる。

 

「なんか広くなってない?っていうか家みたくなってない?」

 

 メリナとの対話のために心をそちらへ集中させたのだ。

 今までは沈思したときのような闇だったのが、見覚えのある空間が広がっていた。

 

「円卓だよな、ここ」

「住人はいないけれど、ここのほうがまだしも楽しげな場所でしょ」

「楽しげかはさておき、今までの闇よりかは良いか」

 

 椅子の一つに座ると、メリナもまた別の椅子へと腰掛ける。

 

「黄金律だってよ」

「ええ……、もしかしたならナーガはエルデの獣のようなものなのかしらね」

 

 狭間の地で最後に戦った存在。

 何者かはよくわからない、ただ、その名前から律と王(エルデンリング)に関わるものなのだろう。

 

「っていうと?」

「私も詳しくはないけれど、律にはその力の意思のようなものが宿るらしいのよ」

「それがエルデの獣だってことか?

 ……なんで生物が宿るんだ?」

「律によって変わるのかもしれない、黄金律は命や存在を担保するものだからこそ、命ある存在が自我を持った」

「無機質な律であれば宿るのは歯車やらカラクリやらの可能性があるのか」

 

 メリナは顎に手を当てて考えるような姿勢を取る。

 

「かもしれない、推察に推察を重ねたことに意味の是非は問わないとしてね

 でも、この世界の神が狭間の地から現れたのか、それとも律というルールがこちらの世界から現れたのかまでは答えがでないけれど」

「だが、少なくともこの世界の神は律そのものだってことだ」

「ええ」

「ナーガを殺さないと王にはなれんのかね」

「律が敷かれているという確証はない、というのも、明らかにこの世界には律の力は働いていないから」

「あくまでナーガ自身に黄金律が発揮しているだけってことか?」

「ナーガがその力を擬似的に分け与えることができるのかもしれないけれど、それは律に由来するものではなく個体に由来したなにかでしょうね」

「言い切れるのか?」

「律は世界の法則、分け与えるとか与えないとかっていうものではないのよ」

 

 世界に大気をもたらすのと、酸素ボンベを作って渡すのは違う、ってことだろう。

 

「王になるためにナーガの死は条件ではないけれど、もしもガトーが律の解析ができて、先に律を擬似的にでも作れるようになったら厄介ね」

「そんな簡単に行くか?」

「行かない

 そんなことできるなら狭間の地はああはなってないでしょう」

「それはそうか」

 

 あの世界はあの世界で傑物も神様も存在した。

 しかし律を代替できる手段があるというなら、話は別の方向へと変わっていただろう。

 

「でも、その時間が数百年で、研究者が天才だとするならわからない

 狭間の地でも『源流の魔術』を使って本来の存在以上に成ったものもいる以上は、魔道の天才がどう至れるかは想像もつかないから」

「オレが生きているうちに、オレの影響力が強いうちにガトーはなんとかしないとってことだな」

「あなたが律を作ったあとで何をされるかもわからないしね」

「目的はできたってことか」

「それだけには限らないけど、今は頷いておく

 あとはあの魔道士の目的次第

 話に戻りなさい、レウス」

「はいよ」

 

 ────────────────────────

 

「エレミヤは何をしたいんだ?

 ガトーを殺したいのか?

 ミロアを殺したガーネフは?」

「いいえ、私は誰かを殺したいわけではありませんわ」

「じゃあ?」

「私はアカネイア王国の当然としていたものを破壊し尽くしたいのです

 私が助けたかった子供たちの命を否定したアカネイア王国の全てを、否定された私が否定したいのですよ」

 

 わからない。

 オレは彼女が理解できていない。

 これがただの復讐心であれば、その感情のさざめきを感知することもできるだろう。

 だが、彼女の言葉からは怒りや憎しみのような色がまったく浮かんでいない。

『ルールとして存在しているからこそ、それを実行するための装置』のような。

 ……まるで、狭間の地の人間のような精神構造を感じる。

 こういう人間はメリナを含めて、恐ろしく感じる。

 達成のためには手段を選ばない、必要なら命や主義だって捨てかねない、曲げかねない。

 

「アカネイア王国は滅ぼし、オレはあの土地を」

「ええ、伺っております

 とても素晴らしいです……ぜひ私もそのお手伝いをしたいです

 ですが、それだけでアカネイア王国の全てを消し去るには足りないのです」

「足りないのか?」

「倒すべきは王国と貴族でしょう、けれど本当に倒すべき相手はミロア様が指し示してくださいました

 この魔道書と共に」

 

 反転(ネガ)オーラ。

 これが何を示したのだろうか。

 

「アカネイア王国を作り上げたのは、魔道や杖、そして信仰を軸におくことになった存在」

「神か」

「はい」

 

 つまりはナーガやガトーという、信仰のシステムそのものを担うことになっている存在こそが彼女にとってのアカネイア王国の文化の根底だと言いたいようだ。

 

「誰も殺したいわけじゃないとはいったが、それでも殺さねばならない相手はいる」

 

 エレミヤは「それ自体不本意ですけれど」とは言うものの、否定はしなかった。

 

「ガトーを殺したあとはナーガか?」

「わかりません、聞いている話からするとナーガ様は意思を持たないのかもしれません

 であれば、意思を以て何かをしたのはナーガ様ではないのでしょう、それを手に掛けるのは間違いではないかとも思うのです」

 

 変に理性的なのが怖いよな、こういうタイプは。

 

「この後はどうする?」

「反転オーラと通常のオーラを量産できないかをガーネフ様と話し合っています」

「難航しそうなのでな、他にエレミヤ殿から受けた研究も並行して行うことになるが」

「やるべきことはたくさんありますから、研究はガーネフ様におまかせして私たちは出発しようかと思っています」

 

 サムトーと、ということだろう。

 彼は

 

「オレも目的はガトーすからね

 オグマさんの仇なんていうつもりはないすけど、オレが思うオグマさんの名誉って奴のためにもツケを払ってもらうすよ」

 

 サムトーの感情の方はわかりやすい。

 ざらついた心、これは復讐心だ。飄々としていてもやはり剣に生きる者。

 剣や武芸の名誉を取り戻すためにはそれを損なわせたものの首以外にはありえないのだという明確な敵意だ。

 その敵意がオレにも向けられていたと思うと恐ろしい。

 

 ともかく、研究は続けられる。

 エレミヤはさておいて、サムトーに関しては文官たちに乞われて闘技場の運営へのアドバイスをしているらしい。

 奴隷を使ったものではなく、己の意思で戦う場所としての闘技場。

 彼もその話には前向きであるらしく、近々にはそうした施設が作られることになるのかもしれない。

 

 ナーガと律のことは一度脇に除けて、今は眼の前のことに集中するべきだろうとオレは思考と目的をシャープにすることにした。



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次代の信仰

「わしや文官だけでなくナギ様とロプトウス様まで集めるのには理由があるのだろう」

 

 ガーネフは全員の疑問を代弁するように話す。

 リーザを呼びたかったところだが、身重ということもあり彼女付きのメイドが来ている。

 歩く議事録役とでも言うべきだろうか。

 オレは一同を見やってから、かねてより考えていたことを相談し始める。

 

「聖王国にあってオレの立場は現人神であるとリーザが椅子を作ってくれた

 が、その立場は完全じゃない

 必要なものがある」

「必要なもの?」

 

 ナギの声にオレは頷き、

 

「信仰心だ、人間が人間を信じるのは限界がある

 だが、神であれば別だ」

「現人神という立場を下に宗教を作る、ということか」

「ああ、だがオレの宗教じゃないってのは顔ぶれで解ってくれると思う」

「竜族を崇めるもの、と?」

 

 ガーネフはすぐに気がつく。

 アカネイア大陸においての最大の宗教はナーガ教団である。

 それ以外には細々としたアニミズムや原始宗教が存在する程度なのは、それだけナーガ教団が強い影響力を持っていた故に他の信仰が育たなかった背景がある。

 

 だが、アカネイア王国が敗走したとき、いや、ミロア大司祭が死んだときからその凋落は急速に始まった。

 教団が原初に掲げていた教えにアカネイア貴族や王族が権威付けのためにあと付けした『教え』が理由である。

 ナーガ教団において高位の立場にあるものは命を永らえて、大司祭に大貴族、王族は生まれながらにしてナーガの加護がある。

 ……だが、大司祭はガーネフによって殺され、大貴族は戦争で、或いはオレによって殺された。

 そもそもとして王族はドルーア同盟によって打倒されている。

 権威付けにしたそれは根底に、改めて敷いた教えは崩れ、現在においてナーガ教団を熱狂的に信仰するものは大いに減っている。

 それでも信じているものは後付の教えではなく、神竜そのものを信じている者たちだ。

 

 かつてナーガ教団を信仰していた人々は新たな救い主を求めている。

 だが、それは人の姿を持つオレではダメだ。

 

「そこでワシやナギの出番ということか

 そこにお前がどう入るかが問題になるが……」

「ふむ……信仰させるだけであればシンボルそのものになるという手はある

 やはり戦場で振るった大剣あたりだろうか、或いは馬や、鈴か……」

「使い魔を呼ぶ鈴か、アレは確かに象徴としては良さそうだが、ううむ」

 

 ロプトウスは悩む素振りをする。

 

「死者を操るものと考えられたら、どうであろうかのう」

「神の使いとでも言えばよかろう」

 

 文官たちも少しずつ口を開く。

 その中でメイドがそっと手を挙げる。

 

「よろしいでしょうか」

「ああ、えーと……」

「我々メイドは主の影を歩くもの、個別の認識は不要です」

 

 プロフェッショナルだ……。

 

「陛下は紋章を背に浮かべることができるという吟遊詩人の一節は事実でしょうか」

「ああ、できるが」

「それを象徴とするのはいかがでしょうか、それこそが現人神の証であると」

 

 なるほど。

 彼らが知る由もないが、確かに大ルーンには竜が持っていたものも含まれているからまるっきり出任せというものでもない。

 

 大ルーンの顕現そのものは危険性もないとは思うが……。

 

『問題なくできるから安心しなさいな』

 

 と、メリナも仰っている。

 オレの意思で背から投影されるように、ゆっくりと紋章が浮かぶと、文官たちが拍手で迎えた。

 ちょっとした宴会芸みたいだが、文官たちは飲み会のおっさんみたいな反応でもないのが救いではある。

 

「ナギとワシがこの証こそが神竜に並び立つことが許された人の証とでも喧伝すれば権威にもなるか」

「権威付けのための信仰ってのは怖いが」

「なに、紋章を浮かべさせることができるものが他にいないなら問題にもなるまい

 それにそなたが死ねばそもそもこの国もご破産であろう」

 

 文官たちは青ざめるが、事実ではあると受け取っているのか何も言えない。

 

「であれば、教団の名前はどうする

 わかりやすいものがよいとは思うが……竜教団では竜の色が強すぎるか」

 

 ガーネフが悩むように言ったのに返すように、

 

「紋章教団、これでどうだ?」

 

 オレの言葉に一同は頷く。

 アカネイアの人間にとって紋章で浮かぶものは炎の紋章の伝説だ。

 馴染みも深い。

 

「私はなにをすればいい」

 

 ナギが言う。

 オレは「ナギは普段どおり過ごしてくれればそれでいい」と答えた。

 

 なにせ、超然的な容姿と性格の彼女は普段どおりにしている今ですら一定以上の支持を得ているほどのカリスマだ。

 余計なことをさせる必要もないだろう。

 

「では、教団の設立、布告などの打ち合わせをし、施行可能な段階が見えた時点でご報告させていただきます!」

 

 文官たちの言葉にガーネフが「わしもそれには参加しよう、なにせ陛下は何事も速度を尊ばれるからな」と彼らに付いていく。

 この国においてガーネフの立場は魔道学院の学長であり、研究者であり、王室付きの相談役であることを広めている。

 事実、彼の協力あって多くの政治的難題を解決しているようで、文官たちにとっても重要なポストだという認識のようだ。

 

 彼らと、ナギとメイドが去った後、意味ありげに残ったロプトウスがいる以上オレも退室を遅らせることにした。

 

「今一度問うが、正気なのだな

 ワシは暗黒神ロプトウス、ここではないにしろ大陸一つを大いに乱した存在ぞ」

「知っているさ、だからこそロプトウスが必要なんだ

 人が求める神の姿を誰よりも知っているのはお前だからな」

「……そなたとは約束をしている以上は、求めには応じよう」

「ロプトウス、お前もしかして不安なのか?」

「ふん、笑いたくば笑うがよい

 不安であって当然であろう、乱したことはあっても、平穏を与えたことなど……ワシにはない」

「オレもだよ

 だから素人同士手を取り合って頑張ろうぜ、裏切らない約束をした同士なら余計な心配もしなくていいから全力を出せる」

「暗黒神をそこまで頼りにするとは、そなたは本当に──」

 

 ため息を吐くと、

 

「らしくはなかったな

 そうだとも。 ワシは暗黒神ロプトウス、人心の支配など容易きことであるのを盟友たるレウスに見せてやろうではないか!」

 

 傲岸不遜な笑みを作り、笑う。

 やっぱり暗黒神たるもの、こうじゃなくっちゃな。



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叙勲と追憶

 ボーゼン、ヒムラー、ジューコフに対する叙勲を行う。

 女王リーザは身重であるため、女王の代理はエリスだ。

 

 それぞれに立場と部隊を与えることになる。

 男爵の位を与えた。

 どこに配備するかは面談次第になるだろう。

 

 トムス、ミシェラン、トーマスには騎士の位を与えた。

 彼らに関しては強い希望もありアカネイアパレスへ出向かせることは決まっているが……。

 

 受勲式にいる人間全員にオレは告げる。

 アカネイアを穀倉地帯に変えるということを、歴史を埋葬するという意味を含めて。

 

 グルニア三将は事前に聞いていたことだから特に反応はない。

 意外だったのはアカネイアの三人がそれぞれに言ったことだった。

 

「新たなアカネイア地方の歴史を歩むご助力を、」

「旧来の権威に対する報復を、」

「平和をもたらした後に人々に笑顔を届けられるのなら、」

 

 彼らはそう言ってから、声を揃えて、

「そのためならば、陛下と共に一時の悪名を纏うことをお許しいただきたい」

 

 こうして、六人の頼もしい仲間が増えた。

 

 ────────────────────────

 

 ガーネフはレポートを書く手を止める。

 ここ最近、随分とこうすることが増えている。

 

 エリスの体調の経過観察や、その身に宿らされた守り人の力についてを調べてからだ。

 

 旧アカネイア王国領は聖王国の地になった。

 それは喜ばしいことだ、我が主の快進撃を喜ばぬ家臣がいるものか、と思う。

 

 だが、アカネイア王国が壊れた理由の発端を作ったのはガーネフであった。

 ナーガ教団の大司祭、ミロアを殺した。

 ワープの杖を使い、マフーの書による暗殺だ。

 

 今でも思い出す。

 あの時のことを。

 

 ────────────────────────

 

「ガーネフか、久しいな」

「ああ、久しいともミロア」

「私を殺しに来たのだろう、ガーネフ……だが、それは君の意思かね、それともオーブの力か?」

「……ほう、闇のオーブのことを知っているか」

「あのガトーを出し抜こうとしているのは君だけではないということさ」

 

 ミロアもまた魔道書を取り出す。

 

「君のその書は最高傑作だろう、私の書では勝てまいな

 名は?」

「マフー、闇のオーブより作り出したものだ」

「素晴らしい、オーブから力を抽出するのはガトーにのみできたこと

 それを成し遂げたか」

「お主のそれは」

反転(ネガ)オーラ、ガトーの守りを破るために作った特別性のオーラだが……まだ未完成でな

 ここで打ち合えば負けるのは私だ」

 

 ガーネフはガトーの『守り』というのは気にはなるが、どうあれマフーの前では無力だろうと断じる。

 

「ガトーの狗だと思っておったが」

「アカネイアにもはや神の中身は不要だ、その外殻さえあれば人々を纏め上げられる

 だが、ガトーはそれを許すまい

 このままガトーが世俗に興味を失ってくれればいいが、そうならなければ……神のための国を作ろうとするだろう」

「それを止めるためにお主は裏切るというのか……いや、お主はいつから裏切っていたのだ?」

「それを話せば殺し合いにはなるまい

 お前の意思で殺されるならばまだしも、オーブの意思なぞに殺されるのはごめんだ」

「……お主はそういう男であったな」

 

 同時に魔道書に魔力が吸い上げ、魔法が発動する。

 人を縛る力を持つマフーだったが、まるで同質の力をぶつけられたかのようにそれは無効化された。

 だが、それだけだった。

 攻撃に回すだけの魔力を確保できなかったのか、マフーそのものが持つ攻撃がミロアの魂を噛みついた。

 命が削られる感覚がミロアを包み、それが肉の器にも影響を与えて体中から血を吹き出させた。

 それでも尚、ミロアは笑う。

 

「やはり、君は魔道の天才だ……

 いつか、私と語った夢を実現するためにも、アカネイアを変える必要がある

 どんな手段であろうと……

 この大陸を人の手で、魔道の力で幸せを運ぶ……未来を……作ってくれ……」

 

「……ミロアよ、わしはメディウスを呼び起こしてしまった

 もはやお前の最後の願いは叶わぬ

 ……わしに足りなかったのはお主との対話だったのかもしれぬな……」

 

 ────────────────────────

 

「ミロアよ、お主はガトーの何を知ってしまったのだ?」

 

 守り人を作り出すための手段をミロアが完成させた。

 それが普通の戦争に使うにはオーバースペックなのは明らかであり、それこそがミロアの言っていた『ガトーが作ろうとしている神のための国』への対策ではないかと考え始め、そうしてレポートを進める手が何度も止まるようになった。

 

 ただ、闇のオーブの支配下にあった頃の記憶は曖昧な部分もあるせいで、ミロアと対峙した記憶が明瞭に戻ったのはつい最近の話だった。

 おそらくそれもまた、呼び水になったのが守り人の技術、つまりはエリスの経過観察の影響だろう。

 

 手を止めたガーネフは遂にその事を調べなければ前に進めないと断じ、行動することにしたのであった。



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グルニア王ルイの黎明

 グルニアは国土が二分する状態となっていた。

 北を軍閥が、南を王室が支配し、睨み合いが長く続いていた。

 

「紋章教団?」

 

 ミシェイルが部下が本国との連絡会議で得たものを報告されている。

 

「聖王国が大々的に国教として設立したそうです、巨大なマムクート二つと聖王当人を信仰対象としていて、いずれもが生き神であり、多くの民から早くも信仰を集めていると」

困人(こんみん)救済を謳っているのが強いようです、それが教義ではないようですが、人為的にそうした噂を流し、そして実際に救うことができているとのこと」

「戦い以外のところで戦いができる状態になった、ということか」

 

 その内容にミシェイルは少し悩むような素振りをするが

 

「我らの仕事は変わらぬな、むしろ急がなければならない理由を得た

 時間を掛け過ぎれば聖王国に介入の隙を見せることになりかねん

 ドラゴンナイツはカミュの黒騎士と連携し北方の軍閥を叩く」

 

 グルニアの空にドラゴンナイツが舞い上がる。

 

「竜騎士よ!我が掲げたグランサクスの槍に続けッ!」

 

 ミシェイルはカミュから送られた漂流物、グランサクスの槍を天を衝くようにして構え、号令する。

 ドラゴンナイツの全員が呼応するように叫び、進軍を始めた。

 

 ────────────────────────

 

「王子、王女……行ってまいります」

「黒騎士としての務め、どうか果たしてください」

 

 ガーネフに連れ去られることなく、グルニアにて育っていた王女ユミナは年齢には合わない、王族として明瞭な発言をする。

 ユベロが学問や魔道を修め、ユミナは王族としての振る舞いや政治手腕の才覚を目覚めさせていた。

 

「……父を、いえ、前王ルイを討ち果たしてください」

「このグラディウスに誓って、必ずや」

 

 カミュが(うやうや)しく礼を取る。

 

「カミュ、これは僕が作ったものなんだけど、持っていってくれるかな」

 

 ユベロが渡したのは外套である。

 黒く染められた国の紋章が刻印されたものだが、強力な力が宿っていることは魔道の才がないカミュからしても明らかであった。

 

「王子、これは?」

「作るのに半年かかってしまったけど、カミュを守るようにと祈りを込められたものだ

 命を守ってくれることがあるかもしれない」

「……頂戴いたします」

 

 外套を纏い、「それでは、行ってまいります」とカミュは黒馬に跨る。

 王女と王子を守るように静かに立つロレンスと目を合わせ、二人は言葉はなく、小さく頷いた。

 カミュは槍として国難を打ち破る。

 ロレンスは盾として王室を徹底的に守る。

 彼らに言葉は要らなかった。

 

 この戦いは単純な軍閥の反乱という形ではなくなっていた。

 それも全て、乱心したルイに端を発している。

 

 ────────────────────────

 

 ルイは自身が暗愚であるという自覚を持っていた。

 国は二つに割れ、王室もまたカミュとロレンスによって牛耳られていた。

 

 自分がもう少し強ければこうならなかったかもしれない。

 だが、どうあってもドルーアと敵対する勇気も、偉大なるアカネイアに刃を向ける勇気も、

 そして新興国である聖王国と対峙する勇気も出すことはできなかった。

 

 勇気なき王族にアカネイアの大陸は冷淡である。

 臆病者には何も与えないのがこの大地の倣いである。

 

 ユミナは強く育ってくれた。

 あの子の政治的な才能も豪胆さも、父祖の血が目覚めたのだろう。

 ユベロは賢く育ってくれた。

 あの子の魔道と学識への探究心は、グルニアを豊かにしてくれるだろう。

 

 ルイはそう思いながら、懐刀を自らの心臓へと近付ける。

 あとは自分がここで死ねば、我が子がこの国を良くしてくれるだろうと考えていた。

 

 だが、ルイにとっての救い主が現れるとは、当人自身が考えてもいないことだった。

 

「そのまま死んで良いのか、オードウィンの血を引くものよ」

「な、何者だ!?」

 

 不意に現れた老人に思わず心臓に向けていた懐刀の(きっさき)を向ける。

 

「我が名はガトー、人はわしを白き賢者と呼ぶこともある」

「……が、ガトー様?あのカダインのか」

「うむ、いかにも

 ルイよ、貴様は自らを暗愚だと考えているのだろう

 そのお前を私は立ち上がらせるために来た」

「なぜ、私を……力添えしてくださるというなら我が子に」

「いいや、お前でなければならぬのだ

 お前が力を得て、力を得たお前の判断こそがこのグルニアの未来に必要なこと」

 

 ガトーはルイの前に二つの光を生み出す。

 

「これは我らが神たるナーガの加護である、お前が望めばその心に隠れた勇将の血を目覚めさせることができる」

「私に、勇将の……」

 

 光に手を伸ばす。

 しかしそれは止まり

 

「返せるようなものは何もありませぬ、ガトー様」

「よいのだ、私はお前に力を与え、その成り行きこそを求める

 お前の行動はどうあれ、国を一つに纏める

 それこそがわしの望みよ」

「……承知しました、ガトー様の目的がどうあれ強さを頂戴するに否やなどあるはずもありません」

 

 光へと手を伸ばす。

 現れたるは穢れなき銀の剣。

 

 今ここに新たな守護騎士(ガーディアン)が誕生したのだった。



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名誉の引き継ぎ

 その夜からルイは姿を消した。

 次に現れた時には軍閥の主となっていた。

 どのような手段でなったかはわからないが、ルイは膠着していた戦線に単独で現れ、酒場で謡われるグルニアの祖たる勇将オードウィンもかくやという働きを見せた。

 

 前線で勝利したルイは大々的に宣言をした。

 

「これは軍閥と王室の戦いではない、

 グルニアの正当なる王を定める戦いである

 我が子らが私を打ち倒せばグルニアの王たる資格あり、私が子を殺せば再び私は王となって、新たな世継ぎを作らん、……全てはグルニアの為にッ!

 後世に無意味と評されることを恐れず、断固として戦うことこそがオードウィンの血のさだめなりッ!!」

 

 その宣言から、軍閥は今までの及び腰の戦線構築を止め、被害や損失を恐れない攻撃的な進軍を始める。

 その戦闘には常にルイがいた。

 

 最前線に現れたのはルイだけではなかった。

 ロレンスに守られながら、鎧に身を包んだユミナが立つ。

 

「父上!なぜ斯様(かよう)な真似をするのか、私には理解できません

 ですがグルニアの王族として、オードウィンの血を叫ぶのであれば、私も応じましょう

 ……将兵よ!グルニアの子らよ!

 幼きこの身はか弱くも見えるだろう、だが、私の中に燃える理想は我が父ルイの見せる武勇には決して劣るものではない!

 叫べ!武器を持て!我らにこそオードウィンの加護ぞある!

 戦い、勝利し、新たなるグルニアの夜明けを作り出さんッ!!」

 

 ユミナは返事の代わりに号令を発する。

 前線で響いた彼女の声がグルニア王室派の兵に力を与え、その日の戦いはルイこそ大いに健闘したものの、守護騎士となってはじめて、進軍を阻まれた日となった。

 

 ────────────────────────

 

 元盟主ダクティルは常であれば横から現れ、立場を奪った王を何とか殺そうともしただろう。

 だが、彼もまたルイが振るう穢れなき銀の剣に魅せられていた。

 それはグルニアに育った者の宿命か、オードウィンの名のもとにした号令に逆らえるものではない。

 野心や私欲で戦っていたダクティルにはじめて国の土になるための、騎士としての矜持が生まれていた。

 

「陛下、物見よりミシェイルのドラゴンナイツが迂回してこちらへ向かっているという情報が、

 そして前線からはカミュ及びブラックナイツが姿を見せたとのこと」

「そう、か」

「このダクティルにお命じください、ミシェイルとの戦いを」

「あのミシェイル相手に命じればそれは」

「喜んで命を捧げましょう

 カミュと戦うべきは他でもない陛下でなければなりませぬ」

 

 救国には英雄が必要だ。

 ユミナの側に神器グラディウスを持った騎士が立てばそれだけで将兵は一枚岩になる。

 そのためにも逆賊となった自分たちを討つものは選ばなければならない

 彼らの考えは自殺志願的とも言えるような愛国心に支配されていた。

 

 ────────────────────────

 

 ミシェイルたちが空を駆ける。

 軍閥の本拠となっているグルニア北の砦には多くのシューターが配備されていた。

 強力である反面、その機動力は低く、攻城兵器としての側面が強い。

 ただ、その射程距離を活かして今までは王室派の協力者であるミシェイルとドラゴンナイツの進行を阻む攻勢の防壁として屹然と戦場に並んでいた。

 

「ドラゴンナイツよ、我が威の後に進めッ!」

 

 ミシェイルがまっしぐらにシューターの攻撃圏内に突撃していく。

 まるで霧が迫るように、シューターから放たれた大型弩(クレインクイン)の矢が迫る。

 

 アイオテの再来ミシェイルの手並みはただのドラゴンナイトとは比べ物にならないものである。

 迫りくる矢の大嵐を、まるでサーカスの曲芸の如くに回避していく。

 それは敵陣の只中にまで入り込んで、その照準を全て一身に背負いながら、しかし一矢足りとて彼の体に掠ることもない。

 

「偉大なりて異邦より伝わりし神よ!グランサクスよ!

 我に電雷の加護を、敵に稲妻の鉄槌を与え給えッ!!」

 

 槍が振るわれると、ミシェイルの意思のもとに天より落雷が降り注ぐ。

 それは自然現象などではない。

 一筋一筋の落雷が意思を持つようにしてシューターたちに襲いかかり、次々と破壊していく。

 

「父祖アイオテよ!ご照覧あれ!!」

 

 ドラゴンナイツの一人が声を上げると、次々に同じ言葉を繰り返しながらドラゴンナイトたちが敵陣に突き進んでいく。

 再装填に手間取る後方のシューターたちに容赦なく手槍が雨霰と降り注ぎ、打倒していった。

 

「アイオテの再来、マケドニアの主、電雷纏う竜騎士ミシェイルよ!

 我はこの軍を預かるダクティルと申す!

 これ以上の兵士の損耗は不要、ここで我との一騎打ちにて決着を求めるものなり!!」

 

 ダクティルは鎧を纏わず、グルニアの軍服と槍のみを手に持って叫ぶ。

 性状はさておいても、装甲騎士(ジェネラル)としての実力はマケドニアにも届いている。

 そのダクティルが鎧を捨てている意味は一つだ。

 

「マケドニアの王として一騎打ちを否定するのはアイオテの血に背くものだろう」

 

 ミシェイルもまた、騎乗竜から降りる。

 お互いに戦場での職能を捨てての一騎打ち。

 伝説に語られるような名誉を重んじた戦い。

 

 ミシェイルにとって必要な名声と名誉がそこにある。

 そして、彼はそれこそがダクティルの望みでもあることを理解していた。

 

「いざッ!」

 

 ダクティルが踏み込む。

 銀の槍の突きは鋭く、払いには勢いがある。

 だが、ミシェイルの武芸はその上を行く。

 マケドニアにおいて打ち合いに応じれるほどの実力があるのはミネルバくらいのものだ。

 それでも数合の打ち合いで決着してしまう。

 ダクティルの決死の覚悟か、ミシェイルとの戦いは六合、七合と続く。

 

 だが、ダクティルの突きがミシェイルの槍に絡み取られ、蛇の如くに槍の刃がダクティルを貫いた。

 

 槍が引き抜かれると、ダクティルが膝をつく。

 負けを認めることを示すようにして銀の槍は手から離された。

 

「お見事……」

「ダクティル、お前の意思はしかと槍から伝わった

 グルニアのことはカミュやロレンスだけではない、俺もまた力を貸し続けよう

 お前があえて身を晒し、俺に与えたこの名誉に誓ってな」

「ふ、ふふ……全て察しておられたか……感謝する……

 ミシェイル殿、ただ、気をつけられよ……我らは神の指図に従わされた心も備えさせられてもいる

 これ以上ない終わりだが、ミシェイル殿は神の意思などお望みになるまい……

 気をつけられよ、白い……賢者に……」

 

 ダクティルはそれきり動かなくなる。

 彼の亡骸を抱えるようにしてミシェイルは槍を掲げる。

 

「この戦い!マケドニアのミシェイルが勝利した!

 ダクティル殿の遺志を無駄にするな、投降せよ!!」

 

 その言葉に従わぬものはこの戦場には誰一人とて存在しなかった。

 ダクティルの目的の一つである、軍の損耗を抑え、未来への軍備は果たされたのだ。

 

「……白い賢者……ガトー殿のことか?

 だが、彼がなぜ……」

 

 ミシェイルはダクティルの最期の言葉に警戒を強めるのであった。



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月光

 グラディウスが振るわれる度に命は消し飛んでいく。

 神器と呼ばれるそれの力は圧倒的であった。

 かつての時代、神器を以てアカネイア王国の基盤は築かれたと言うが、この力を目の当たりにした者は誰もがそれを夢物語ではなかったことを思うことだろう。

 

「流石は黒騎士カミュ、我がグルニア最強の騎士よ」

 

 その声に前線で戦っていた騎士や兵士が一斉に後ろに下がり、道を開く。

 グルニア王ルイ。

 黄金の鎧に銀の剣を携えた男の声は落ち着き、威厳を伴う。

 このような男であったか、とカミュは思い、このような男であったならグルニアは別の道もあっただろう、とも思った。

 

「オードウィンが(すえ)、ルイである」

「グルニアの黒騎士、カミュ」

 

 名乗りに応じねば礼を失する。

 それが王相手であれば尚更だ。

 

 ゆるりと剣を構えるルイ。

 カミュはその立ち姿に今までにない強敵を見る。

 あの優しく、戦いを好まないグルニアの王、ルイの姿ではない。

 それはグルニア国民であれば誰もが知る建国王オードウィンを感じさせる。

 

 ルイの構えは剣を立てるようにして構える。

 防御を捨てた一撃必倒の様相を見せていた。

 

(斬馬の構えか……)

 

 ここで戦いは終わりではない。

 カミュが愛馬を失うことは国益を損なうことに直結し、そもそもとしてこの名馬を求めたとしてもそこらの伯楽では彼の眼鏡に叶う馬はそう生まれないだろう。

 

 カミュは下馬を選ぶ。

 ルイがそれを狙うことはない。

 互いに名誉を重んじねば意味のない戦いだからだ。

 

「お聞かせいただきたいことが一つ」

「質問を許す」

「あなたを変えたのはいかなる術理に依るものなのですか」

「白き賢者ガトー様の導きだ」

「……なるほど」

 

 大陸に名を響かせた傭兵オグマの最期は聞き及んでいる。

 アリティアより流れてきた吟遊詩人が謡うそれはプロパガンダも含めているだろうが、

 オグマの剣の精妙さを失ったのは人智の外からなる力だと。

 直接的にガトーの名を出さぬのは彼もまた各国各地で信仰の対象となっている側面があるからである。

 無用な敵を作りたくなかったから歌詞に制限をつけたのだろう。

 

 だが、ルイの言葉にカミュは詩に隠された人物を知る。

 神竜を守る者。神の視座。白き賢者、或いはただ大賢者とも呼ばれる男。

 カダインを作り、魔道を資格ある人間に伝えた偉人。

 

(神とも呼ばれる男が、人の世に介入する理由は何だ?

 ……自らの主でもあるナーガを信仰するアカネイア王国を救うこともなかった男が今更なんのために?)

 

 考えて答えが出ることでもない。

 だが、ルイの目的はわかる。

 彼はここで打倒され、グルニアの王位継承権を明確にユミナに渡そうとしているのだ。

 乱心し、しかしカミュに比肩する力を見せたルイの名は兵士から人々に伝わり、

 グルニアがオードウィンの国であることを示し、弱腰な姿勢から一変した国家体制を作ることができる。

 

 だが、それも……。

 

「カミュよ、手は抜かぬ

 グルニア最強の武、余すことなく披露するのだ」

「承知しました、陛下」

 

 グラディウスを握る力が強くなる。

 それと同時に黄金の鎧を纏ったルイが尋常ではない速度でカミュへと肉薄した。

 

 ────────────────────────

 

 アカネイア大陸で強い人間を挙げろと言われて出てくる名がある。

 紅の剣士、ナバール。

 偉大なる剣闘士、オグマ。

 アイオテの再来、ミシェイル。

 黒騎士、カミュ。

 千里確中、ノア。

 アリティアの軍神、コーネリアス。

 

 そうした噂話に必ず名を連ねるカミュは、それでも全力を出したことは二度しかなかった。

 一度目は武芸の師と仰いだコーネリアスとの模擬戦の折に、

 それこそが若き日に武者修行に明け暮れていたカミュが当人と知らずミシェイルと立ち会ったときのみであった。

 

 槍と槍の応酬、槍尽きれば腰に帯びた剣や片手斧を取り出してのせめぎ合い。

 当時のカミュも今とは違い、苛烈な性格を隠していなかったが、ミシェイルもまた燃え上がる炎のような激情を隠すこともなく武芸に乗せていた。

 

 お互いの武器が尽きれば次は素手で……そう覚悟していたはずが、剣に斧まで尽きたときにどちらともなく笑った。

 もはや戦えるような状態ではない。

 戦いを通じてお互いを知ってしまった二人。

 二人が個人の武勇を誇っていたのはその日が最後であった。

 まるで脱皮したかのように二人は進むべき道を歩んだ。

 カミュは大陸一の騎士を目指し、ミシェイルはマケドニア最高の王を目指す。

 

 それ以後、カミュは全力を出したことはなかった。

 騎士として、将として、時には帥として。

 個人の武勇は匹夫の勇、そんな風に取ることも少なくない。

 

 だが、受け太刀すれば武器もろともに頭蓋を割られるような大上段を避け、その考えは一瞬で吹き飛び、

 空いた感情を占めたのは若き日の武芸者の心だった。

 その顔は怜悧して冷静なカミュのものではなく、獣じみた笑顔であった。

 

 大上段の一撃が振るわれ、それに即時にカミュは槍を合わせる。

 常の相手であればこれで終わりだ。

 振るいきった剣を戻すよりも早く槍が届く。

 だが、ルイの技は埒外の術理で以てカミュに応じた。

 落ちた刃が急加速するように跳ね上がる。

 レウスがそう名乗るよりも遥か昔にある故郷の人間であれば、或いはその技をこう呼んだだろう。

『燕返し』と。

 

 カミュは跳ね上がる刃をグラディウスの柄で弾くではなく滑らせ、軌道を逸らす。

 受けた衝撃を槍の回転を持ってして受け流すではなく先端にその全てを乗せて突きへと転じる。

 カミュが最強の武芸者と言われる所以はコーネリアスから受け継いだ技あってのものであった。

『一度武器を振るうのなら、走り止むこと無かれ』

 ファルシオンを持ち、たった一人で戦いを切り抜けた英雄アンリが残した心構えと戦技の数々。

 それがカミュの武芸の基礎となっていた。

 

 ルイもまた、ガーディアンとなって強引に引き出された才能はコーネリアスの技に対応していた。

 突きを剣でいなし、或いは鎧の分厚いところで逸し弾く。

 身を翻し、半身を隠すように構え、剣に力を込め──

 

「ライトニングッ!」

 

 王の叫びに応じるように剣からは幾条もの光の帯がカミュへと襲いかかる。

 いかなカミュであっても不意に打たれた魔法の全てを避けて防ぐことはできない。

 

(利き腕と脚さえ無事であれば問題ない)

 

 カミュは覚悟を決めて回避しきれない一撃を受ける。

 だが、その攻撃は外套によって完全に防がれた。

 王子と王女が作らせた外套はカミュの四肢を守りきり、それだけでなく大技を凌いだことで反撃の機会を得た。

 外套を翻し、全身を連動させる。

 

 完全な体勢で放たれた突きに当たらば死ぬ。例え黄金の鎧があろうと、砕いて終わり。

 神器とカミュの武芸あらばこそ可能な絶死の一撃。

 ルイはその突きを回避するしかないと立ち回るも、槍が貫き終わるではなく払いに転じ、先程受けた力の残滓を四肢に流して跳ねるようにして立ち位置を変え、空中で二連、着地と同時に二連の恐るべき速度の突きを見せる。

 空中の一撃で押し込まれたルイが、着地と同時に放たれた二連を防ぎきったとした瞬間、引かれた槍は手首の回転を伴って、カミュ最大の技が放たれた。

 グラディウスでなければどのような業物であっても武器を砕いてしまうほどの力。

 例えばメディウスであろうと殺し切るという自負がある最大にして最強の技。

 

 空に浮かんだ満月の、差し込む光こそを名に冠せし絶技の名を『月光』。

 その体に流れる血の才能を全て解放したルイであっても、カミュの天賦と経験と努力全てに裏打ちされた絶技(月光)を防ぐことができるはずもない。

 

 カミュは最後に見た。

 過日の彼のように戦いを望まぬものだけが浮かべることができる、優しい笑顔を浮かべていたルイを。

 



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反ドルーア同盟

 グルニアに新たな王が戴冠した。

 幼さの残る女王ユミナは王弟となったユベロを王室相談役として任命。

 軍部の総帥と、伯爵位をロレンスに。

 グルニア騎兵、通称『黒騎士団』の長を引き続き任命し、ロレンス同様に伯爵位をカミュに。

 

 軍閥から投降した元将軍たちに関しては所領や爵位の没収の上で、それでもグルニアに残ることを決めたものはロレンスの下につくこととなった。

 

「ミシェイル陛下、あなたの尽力あってこそグルニアは新たな時代を迎えることができました

 グルニアの全てを以て御礼申し上げます」

「女王ユミナ、俺はあくまで自分の国のためにやったことに過ぎない

 だからこそ改めて問う、俺が提示した条件を違えるつもりは無いな」

「無論、ございません」

 

 ユミナが率いるグルニアと、ミシェイルが率いるマケドニアはこの日に同盟を改めて締結。

 目的はたった一つ。

 

 ドルーアの打倒である。

 

 ────────────────────────

 

 明確な宣言を出したわけではない。

 だが、ドルーアの長メディウスがそれをわからぬはずもない。

 長く生きた竜族には相応の神威が宿る。

 例えそれが神竜族でなくとも、メディウスほど長く生きれば遠視の一つや二つ持つことは容易である。

 

「ミシェイルめ、ようやく覚悟を決めおったか……随分と待たせてくれる……」

 

 メディウスは竜のための国を作ろうとしていた。

 だが、それは『最悪の場合』に過ぎない。

 

 メディウスは過日の約束を破らぬよう、それを求めて生きていた。

 盟友たるナーガの頼みのためにも。

 人間がその力も、或いは反骨心も無いというのなら支配して『やらねば』ならない。

 

「紋章教団、か……褪せ人よ……何を思う、何を求める

 その道は容易いものではない」

 

 ミシェイルとカミュがいれば、或いはメディウスに一矢報いれる可能性はある。

 だが、確実な勝利ではない。

 マケドニアとグルニアの荒廃を気にしないと言うなら、もう少しマシな確率も得られる。

 だが、それが限界だ。

 

「人間よ

 ナーガに与えられた猶予が尽きる前に、何を選ぶ、何を求める」

 

 盟約が尽きたとき、地竜たちも目覚め、理性なき竜が地上を闊歩することになるだろう。

 滅びが支配する竜の国が到来するまで、それでも人間たちは手を取り合わず争い続けるのだろうとメディウスは悲観していた。

 

 ────────────────────────

 

「量産は難しいか」

「はい、やはり素体の制限が厳しいですな

 アーグストめが在籍していれば別だったのでしょうが、突然宗旨変えしたせいで……」

「去ったものをあれこれ考えてもしかたあるまい」

 

 ラングはミロア魔道研究所の研究員との会話を冷静に聞いている。

 普段の性状怪しき中年ではない。

 理路整然、効率重視の侯爵の姿がそこにあった。

 

 このラング、人間として最低のクズであるがこの乱世で生き延びているには相応の政治的、または軍事的才覚がなければ好き勝手絶頂には至れない。

 

 現在執心しているのは聖王国に奪われたエリスに変わる守り人である。

 が、素体の制限、つまりは高貴な血統に潜在的に高い魔力などを持つ個人の確保ができない点である。

 彼が自由にできるせめてもの高貴な人間である子爵や男爵の娘はもう使い潰してしまった。

 その上で役に立つ存在は作りあげられなかった。

 

 アーグストはせめての代替技術となるものを考えていたものの、ある日突然にラングの元を去ってしまった。

 他国への技術流入を嫌い、追手を差し向けたが、研究者とは思えない身のこなしで消えてしまった。

 彼の部下たちも同様だ。

 

 ラングは研究所には守り人の計画を中止し、前々から進めていた魔道武器の生産体制に戻すように伝えると研究所を去る。

 

(ワーレンから使えそうな傭兵団は引き抜き終わったし、アカネイアの兵団も使えそうなのは手入れも終わった……だが、聖王国を抑えるのは難しかろうな……

 五大侯に対しての感情を考えれば聖王はわしを迎え入れることはすまい

 やはりオレルアンの連中に気張ってもらわねばならぬ)

 

 私室へと向かっているラングに「侯爵様」と家老が声を掛けてきた。

 

「マケドニアからの密使がお越しになられております」

「……わかった、向かおう」

 

 私室で待っていたのは老騎士といった風情の男であり、パッとそれが誰かまではラングが思い出せる顔ではなかった。

 元々男の顔を覚えるのは苦手だというのもあるが。

 

「初めてお目にかかる、私はマケドニアのノフェンバ

 先代マケドニア王より仕えております」

「ラングだ、ノフェンバ殿のご用件を伺いたい」

「単刀直入に、我らは現在マケドニアとグルニアによる同盟を結んでおります

 目的はドルーアの打倒

 アドリア侯爵家にはドルーア打倒がなされるまでの間、対聖王国の共同戦線を結びたく、ミシェイル陛下に代わり参上した次第でございます」

「……ほう」

 

 ドルーアなどもはやどうでもいい、というのがラングの考えではあるが、共同戦線に関しては強いメリットを感じた。

 マケドニアとグルニアがドルーアを打倒したあとも同盟が維持できるのであれば聖王国を三方から挟み込むことができる。

 

(上手く誘導すれば旧アカネイア領と聖王国を分断し、手中に収めることも難しくないかもしれん)

 

 しばしの思考のあと、ラングは

 

「色よい返事ができるとは思うが、共同戦線を行う上で問題もある」

「それは?」

「兵力だ、五大侯と言えど大きな軍権は与えられておらんのでな」

 

 勿論嘘である。

 軍事力で言えば開戦当初から今までの間、アドリア侯爵家がアカネイア王国を下回ったことはない。

 

「聖王国の注意を引き付けるのであればマケドニアの飛兵を融通していただきたい」

「……なるほど」

 

 ノフェンバは少し考えるようにしてから

 

「運用にリスクがある部隊ならすぐにでも融通はできるのですが」

「リスクか

 多少であれば問題もない、だがリスクがある以上はリターンがなければな」

「それに関しては、ええ、問題ございません

 祖国を裏切った王女ミネルバの麾下、白騎士団を統合した飛兵団

 実力だけで言えばマケドニアでも指折りのものでしょう」

 

 リスクに関しては実は何も思っていないラングである。

 危険ならばその場で殺してしまえばいいのだ、他人から借り受けはするが、それを返す約束はしていない。

 そしてマケドニア側もそれをわかっているからこそそうした飛兵団を渡す話をしたのだろう。

 現場の人間からすれば溜まったものではないが、机上での戦とは往々にして体温を忘れ去られるものである。

 

「では、マケドニア王にお伝え下さい

 締結のための署名は後日、ですが約束は必ず果たすと」

 

 ラングは守り人に変わる手札を得て、満足気に笑顔を浮かべていた。



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運命の子

「ご、護衛は!」

「全滅です!」

「ラングに売り払ったのは殆どが二流以下の連中だろう!

 一軍は一隊だけ、残りは全てここに残していたはずだろうに!」

 

 ワーレンは火の海に包まれていた。

 

 火竜たちが闊歩し、思う様に人間を蹂躙する。

 

「バヌトゥよ、気配は感じるか」

「いいえ、王よ

 ここにはおられないようです」

「では滅ぼすとしよう」

 

 一際強力な気配を帯びる火竜が二つ、前進する。

 ワーレンを守る傭兵部隊はあっさりと全滅した、いや、例えそれが国家の精鋭だとしても夜中に、不意に現れた竜の群れをなんとかできる方が稀であろう。

 

 ペラティには流刑地から国となった人間の国と、竜族の土地があるとされている。

 だが、その均衡が崩れたのはつい最近である。

 人間の国が竜の地から宝を盗み出して逃げ出したのだ。

 結果として竜族は人間の国を滅ぼし、ペラティこそ竜の国であると宣誓したのは聖王国の成り立ちに時期的にも被っていたせいでそれほど知られてはいない。

 

 ペラティの竜国は竜族の終焉の地でもあり、最後の領地でもあった。

 彼らが怒り、猛っているのは己が地と宝を人間に荒らされたからではない。

 今このときこそと彼らは明確な意思を持って侵略を選んだ。

 

 ワーレンを守る市長はやり手であった。

 わかりやすい思考をするタイプの男でもあり、それの全てはワーレンの発展に向けられていた。

 彼がいたからこそ乱世でもワーレンは自由都市の形と維持し続けることができ、

 彼がいたからこそこの街は侵略されることがなかった。

 

 竜国ペラティの話は十分に知っていたし、警戒もしていた。

 そして十分な備えをしていたが、そのいずれもが無意味であった。

 自由都市の市長に残された選択肢は降伏しかない。

 だが、それでも譲歩を引き出せれば活路もあった。

 

 市長は竜が暴れている場所へ、覚悟を決めて進むのであった。

 

 ────────────────────────

 

 アリティア聖王国は沸いていた。

 女王リーザと聖王后シーダの出産、それもまるで双子のように生まれた子であった。

 

 勿論、紆余曲折がないわけではなかった。

 レウスはグルニアの敗残兵が逃げてきたのを相手するべく西の国境線へと出張っていたが、

 急使によって産気づいたことを知るとトレントを走らせて戻る。

 

 そこに神の采配があったのか、母の祈りが届いたのかはわからないが、リーザとシーダは同じ日に産気づき、城内は大わらわとなっていた。

 レウスが到着したとき、二人の側に付きはしたが、なにせ出産に立ち会うのは初めてである。

 

「私は慣れているから、シーダに付いていてあげて」

 

 二人も子を産んでいるだけあってリーザはシーダを気遣う余裕があった。

 それでも当然、出産は生半なものではないが、リーザにとってもシーダは大切な友人のようでもあった。

 

 出産を手伝うのはメイドたちや産婆、それにエリスであった。

 エリスはこの日のために徹底的に産婆から勉強を受けており、現場にも何度となく関わっているらしい。

 正直、エリスとリーザとシーダの関係は複雑なものになるかと思っていたが、むしろエリスは安心したようでもあった。

 夫を亡くした母と、許嫁を亡くした妹分。

 状況ややり方はさておいても、彼女たちが安定しているのはレウスのお陰だと礼を言うほどであり、

 自分ができることはなにか、ということで産婆としての経験を積んだらしい。

 

「シーダ、リーザ、がんばれ!何も手伝えないでごめん!!」

 

 レウスが妙な応援をしていると、リーザの子が、そしてシーダの子も取り出され、産声を上げた。

 

「元気なお子さまです、レウスさん」

 

 エリスが嬰児を母に抱かせる。

 母二人は子を慈しむようにして、それからお互いを見合わせ微笑む。

 レウスもまた、そっとそれぞれの子を抱きかかえる。

 壊してしまいそうだとおっかなびっくりに抱き上げたが、そこでようやく、レウスははじめて自分が『この世界に生きているのだ』ということを自覚した。

 

 ────────────────────────

 

 オレは何でも名前を付けるときに時間をかけるタイプだ。

 なんだったら会員登録が必要なIDにすら何時間もかかることすらある。

 それが自分の子に名をつけるとなったら、それはもはや十年ほどは時間がほしいと思うくらいだ。

 

 リーザが産んだのは女の子、シーダは男の子を産んだ。

 我が子ではあるが、故郷を思って花子に太郎にと名を付ける気にはなれない。

 オレの名もマルスから由来されているとも言えるのであれば、やはりこの世界に繋がりのある名前がよかろう、とも思う。

 

 記憶が正しければ、アカネイアの地から永く時間が経った世界こそ後継作の舞台になったのだと記憶している。

 だが、オレがこの世界に介入したとなれば、そうならない可能性も大きいだろう。

 であれば、後継作から頂戴したところで誰が困るわけでもない。

 

「二人の名前が決まった、聞いてくれるか」

 

 広い部屋にリーザとシーダ、そして赤子が二人。

 世話役にメイド、御典医、そしてそわそわとリカバーとレストの杖を抱えて落ち着かない様子のガーネフと、

 落ち着いた様子のエリスがいる。

 

「はい、お名付けください、レウス様」

「いい名前を期待しているからね」

 

「リーザの子をルキナ、シーダの子をクロムと名付けようと思うが、異論はあるか?」

「ルキナ!いい名前!」

「今日からあなたのお名前はクロムなのね」

 

 母親二人は納得し、気に入ってくれた。

 赤子は流石にわかっていないのでふわふわとしている。

 本来は父子の名であるが、直接の兄弟姉妹ではないからそこは目を瞑ってくれ。

 

 エリスに杖を渡して、ガーネフは紙に達筆でそれぞれの子の名を書く。

 メイドがそれを受け取るとクロムとルキナの近くに貼り出した。

 こんなところで日本みたいな感じのことをやるとは思っても見なかった。

 

 オレに子供ができて、家族もとりあえずのところは円満。

 

 しばしのあと、子供の健康状態も安定していることを確認してから国中に大々的に公表された。

 別の母胎から同じ日に産まれたのもまさしく、紋章教団が天然自然の理にも愛されているとも謡われることになった。

 ともかく、こうして国中はその報告に沸き、国家国民の結束を強めることとなった。

 

 一方で、西ではグルニア敗残兵の部隊をロプトウス率いる教団軍が、

 東ではアカネイアからも五大侯からも弾かれたならずものの集団をナギ率いる、同じく教団軍が撃破し、

 大陸では『聖王国は神なる竜と共に在る』と話されるようになり、新たなる結束、新たなる仲間の呼び込みと、

 反ドルーア勢力に対しての修復し難い溝の誕生を明確化することになった。

 



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竜族帰順

 出産による祝福ムードも冷めやらぬ間に、アカネイア地方から上がってきた報告は驚くべきものだった。

 

『ペラティ王マヌー、ワーレン侵略さる』

 

 数日の間に自由都市は完全に消え去り、ほんの少しの瓦礫と大量の炭と灰が残る地になったという。

 ワーレンやノルダを焼き払い闘技場に囚われていた竜族を解放しながら殲滅戦を繰り返す。

 

 だが、その報告には疑問点もあったが──

 

「へっ、陛下!」

「なにごとでちゅか……なにごとだ」

 

 子供をかわいがっているところに来られると困る。

 

「お客様が、陛下へのお目通りを希望しておりまして」

 

 他のものではなく、オレに言うということはよほどのこと、というわけだ。

 

「わかった、で、どなたがお越しになられたってんだ」

「そ、それが……ペラティ王、マヌー閣下でございます」

 

 ペラティ島の国を滅ぼし、竜の国を作ったという話を聞いたのはつい先日だった。

 それこそ、ワーレン侵攻の際に聞いたもの。

 メディウスの目的をある意味で先に実行していた形だが、ペラティという限られた領域での話。

 元々が『ペラティの支配者マヌー』と呼ばれていたので名称が変わった程度の扱いであろう。

 ……が、渦中のビッグネームの到来したのは予想外のことである。

 

 ────────────────────────

 

「お目通り願えて光栄だ、アリティア聖王国が聖王レウス」

「こちらこそ竜の国の王であるマヌー殿にお越しいただけるとは思っていなかった

 それも……」

 

 オレはバルコニーに立っていた。

 マヌーはいた。

 バルコニーの外を大きな翼を使って滞空している、ペラティ王が。

 

「野卑粗暴なる手土産であるが、これを受け取られよ」

 

 足に掴んでいたものをぽいとオレの足元に投げ置く。

 なにかに濡れた包装を剥がすと、男数人の首が入っている。

 そのうち幾つかは人相書きでも見たことがあった。

 ワーレンの市長やノルダの有力者たちのそれだ。

 

 報告にあった疑問、それはペラティの竜軍団はアリティアに一切手を出さず、交戦しかけた場合は急ぎ撤退したというものだった。

 

「マヌー殿、苦労をお掛けしたようだ

 近々にやろうと思っていた仕事を全てやっていただけたのは大変ありがたいこと

 だが、ドルーアの侵攻にすら沈黙を守っていた竜族が何故今頃になって侵略を始めたか、それを伺いたい」

「無論、説明を申し上げる」

 

 マヌーは大きな瞳をオレに向ける。

 それは敵意ではないのが解る。

 好奇心と敬意のカクテルのような。

 

「ペラティは最後の竜の国を謳っていた、我らは平穏にこの生を終わらせるための死の手前の楽園として存在していた

 だが、聖王殿は竜族に新たな道を示された

 偉大なる神竜族ナギ、暗黒なれど神となった竜ロプトウス、相容れぬはずの両者を聖王という器のもとに納め、紋章教団という新たな未来を作らんとしている」

 

 一際強く羽を動かす。

 

「聖王殿、どうか我らをその未来に進む背を追わせていただきたい!

 我ら竜族が持ち得る全てを捧げる覚悟を以て、その礎にさせていただけないかと嘆願しに参った!」

 

 マヌーが咆哮を上げると、そこかしこで竜族が姿を変えていく。

 何十もの竜族、いや、何百と数えられるかもしれない。ただ、種としてみれば心もとない、偉大なる存在たちが現れる。

 それらは一様に平伏するような姿勢を取っていく。

 

 このマヌーという男、ペラティという辺境の島にいたというのに売り込み方が上手い。

 これほどの数の竜族を主城近くまで隠密させ、一斉に竜に還ることで戦術的な運用方法といつでもこれがアリティアに対して行えるという恫喝の両方を行ってみせたのだ。

 飛竜となって現れたのもその一環であろう。

 

 私室を狙われるような行いに、或いは子を守るために怒るべきなのかもしれない。

 だが、オレは怒りを持てなかった。

 竜族は追い詰められている。

 狂うか死ぬかの瀬戸際だけではなく、種族の総数を緩やかに失っていく恐怖の中、全てを背負って立ち上がったマヌーの覚悟を見たからだ。

 

 更に巨大な咆哮が上がる。

 

 上空から滑空するように現れたのはナギと、ナギに徹底した忠義を持つようになった理性なき飛竜たち。

 そして、別の場所からは竜と毒蛇の特徴を兼ね備えた魔竜、或いは邪竜とでも呼ぶべき外観のもの。

 気配でわかる、どこぞで魔竜石を手に入れたロプトウスだろう。

 

 マヌーが連れてきた竜族もまた咆哮で返す。

 それらは祈りのような声にも聞こえた。

 

 オレの背では子どもたちの笑い声が聞こえる。

 あの竜の咆哮をまるで子守唄を聞くように喜んでいるようでもあった。

 

「ペラティ王マヌー!王位を退き、アリティアに帰順を誓うか!」

「王位を退く、だが竜族を監督することができる相応の椅子を用意願いたい!」

「約束する!」

 

 マヌーが咆哮を上げる。

 帰順の誓いであろうことは言語の壁を超えて理解することができた。

 



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すれちがい

「パオラ姉さま、本当に……やるの?」

「仕方ないわ……マリア様が囚われているからこそミネルバ様もこちらに逃げてこれない

 私達が何とかしてマリア様をお助けしないと」

「私達三人がいれば大丈夫だよ!」

 

 次女カチュアの心配。

 長女パオラの目標。

 末娘エストの激励。

 

 彼女たちは白騎士団としてラングの隠し持つ拠点に待機する彼女たちは覚悟を深めていた。

 

 自らの主であるミネルバは聖王レウスに狙われ、そのためにマリアを拐った。

 ミネルバが今も聖王国にいる理由はマリアを盾にされているから。

 

 大雑把に言えばそうした説明がマケドニアで伝えられていた。

 不幸なのは彼女たちはミネルバと、マケドニアを信じていたこと。

 それ故に三姉妹に命令を出した古参の武将ノフェンバは父王の代より仕えている。

 彼女たちにとっては大先輩であり、人の裏を疑うようなことができるほど汚れてもいなかった。

 

 彼女たちとアリティアとのすれ違いはこれだけでは終わっていなかった。

 

 ────────────────────────

 

「本当に申し訳ない……」

 

 ミネルバの妊娠が発覚したのはマヌーの一件から少し経った後だった。

 

「まあ、そうなるでしょうね」

「ええ……予測できてたことですから、今はお体を大切なさってください」

 

 ミネルバはその対応にぽかんとする。

 自分か、或いはレウスが不利な立場に置かれると思っていたのだ。

 だからこそ彼女はせめて父親となるレウスの弁護だけでもと考えていた。

 

 しかし、あっさりとした彼女を許容してしまった。

 

「いや、しかし、その……」

「好みの人だっていう目をしてたもの」

「ですね……」

 

 ミネルバは心を決めたように母となった二人を見る。

 

「ご指導ご鞭撻、よろしくお願いする」

 

 白騎士団はミネルバがレウスの子を身籠ったことを知る由もない。

 それが強引に関係を迫ったのであればまだしも、お互いの合意あってのこと。

 三姉妹がそれを知っていれば事態はややこしくならずに済んだかもしれないが、そうはならないのがレウスの不徳か、間の悪さか。

 

 ────────────────────────

 

 五大侯の勢力は現在においては、本来の意味からは離れている。

 実質的にはラングと旧勢力と呼ぶべきものであり、

 サムスーフに関しては既に主家を失った上に、領地の多くをオレルアンに抑えられている。

 レフカンディもサムスーフ同様に主家を失ってはいるが、アドリアとの合流を果たした。

 ディールはもはや殆ど全ての力を失しており、ごく一部の貴族がアドリアの傘下に納まる。

 メニディについてはジョルジュがオレルアンに合流した時点で枠組みからはある意味で外れている。

 

 ジョルジュの叔父に当たるノアとの会議は踊っていた。

 ノアはメニディの当主に与えられる名前であり、当代ノアは自身の兄が死んだことで代理として選ばれたに過ぎない。

 次のノアはジョルジュであり、彼の子には引き継がれるものではないが、

 ノアは兄を尊敬しており、また彼が育てたジョルジュに大いに期待を寄せていたからこそ、代理で構わないと考えていた。

 何度かラングの甘言……つまりはメニディ家を自分のものにしてはどうかという話を全て蹴っている硬骨の士でもあった。

 

「正気か、アドリア侯」

「正気だとも、メニディ候よ」

「偽計を用いて戦いを誘発するなど、我らメニディの誉れに反する行いだ」

「侯の主君がそれを承認していると言ってもかね」

 

 ラングとノアの踊る会議。

 それはラングの持ち込んだ作戦に対しての拒否反応から始まっていた。

 

 現在の大陸の勢力図は一変している。

 紋章教団が従えるマムクートの兵団によってアカネイア地方は再起不能と言えるレベルに破壊された。

 しかしそれは、奴隷や自由都市の名のもとに行われた悪事の全てを破壊するものであり、穀倉地帯として作り変え、清廉潔白な歴史を作り始めるというアリティアの宣言によって、

 多くの住民たちはアリティアに従う。

 これによって大陸の半分を手中に治めた聖王国に対してオレルアンと五大侯は大いに焦りを見せる。

 

 アカネイア地方の破壊と再生はアカネイアの奪還と再統治を掲げていたオレルアン連合にとって、

 あまりにも大きな痛手である。

 当初の大義名分を失った以上、現在はアカネイアの破壊を悪とした旗を振るうことになっているが、正直なところ芳しい成果は出せていない。

 

 なにせ一度はアカネイア防衛軍に敗走しているのだ。

 世論というのはどうしたって事実に対してシビアである、例えそれが情報拡散能力に乏しいアカネイア大陸だったとしても。

 

「主君……まさかニーナ様がお認めになったというのか?」

「そうだとも、こうでもせねば我らがアカネイア地方は滅ぼされてしまうのだぞ

 ニーナ様はそれを憂いて、名を汚そうとも構わぬと策を我らにお預けになったのだ」

「お預けに……いや、まさか」

 

 ラングの言葉からすれば、その策を作ったのがニーナであるかのような発言だ。

 お飾りの王族だとラングが侮ったとしても、そこまでの増上慢を許されるものかとノアは思うも、しかし「まさか」とも疑った。

 

「パレス陥落から向こう、ニーナ様もお育ちになられたということだ」

 

 にたにたと笑うラングの顔などもはや見えなかった。

 ノアは世間こそ知らないが、王族としての振る舞いと高貴なる者に備わる品格を備えたニーナを知っている。

 戦いさえなければ格に見合った王配を得ることになるだろう人であった。

 

「……その策がニーナ様のものであれば、従おう

 だがこの場においてラング殿が『間違えて』私に伝えてしまったかもしれぬ

 確認の後に返事をさせていただく」

「好きになされるがよい」

 

 ラングは鷹揚に頷いた。

 会議が行われたアドリアとメニディの間にある砦からノアはメニディへと帰らず、一部の近衛を伴ってオレルアンへと向かう。

 

「戦場に立ち続けたメニディ家は哀れよな、アカネイア王族の変質にこれほどまでに気が付かぬとはなあ」

 

 クク、とラングが笑う。

 ニーナは変わった。オレルアン連合も変わる。

 その結果と影響は善から離れ、そしてそれこそがラングにとって実に過ごしやすい淀んだ水となっていた。



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教団と宝玉

 紋章教団の教えは概ねナーガ教団を引き継いでいる。

 新たに追加したものは、竜族をマムクートと呼ぶことを禁止することと、

 竜族と人間は同じ位にあり、種族による身分の違いがないということが大きな部分と言えるだろう。

 

 種族には違いが無くとも個それぞれには違いがあるということでもある。

 例えば、紋章教団における最高位は現人神であるオレであり、それに次ぐ形でナギとロプトウスが立つ。

 

 元は同列にする予定だったが、人間の現存数の大きさから暗黙的に人から神に成ったオレが上に立つことが混乱を呼び込まないだろうとして定められた。

 ナギ、ロプトウスは意見がないが、マヌーはどうだろうかと考えるも、そこに関しては同意した。

 人間というものがよくわかっているらしい。

 

 ついで現人神と婚姻したものと、血を継ぐものが次の階梯に収まり、以後に教団に認められた位が並ぶ。

 その辺りはアリティア貴族社会と大体=である。

 武功を立てた人間、つまりは四侠やホルスタットや、

 王宮への貢献度の高いエルレーンやガーネフが例外的に貴族社会より大きな地位を持っている。

 この辺りは爵位を与えることで分けねばならない土地の問題に対する軽減策でもあった。

 地位は与えたいが、土地は与えたくない。

 安定もしてない戦乱で所領を与えて引きこもられては困るのだ。

 

「細かいことはロプトウスがやってくれる、と相変わらず人材の引きの良さは驚かされるわ」

 

 メリナとの打ち合わせの回想は概ね教団に関してのことである。

 

「それにしても竜を宗教に大いに組み込むのも狭間の地にも類似するっていうのはなんていうか、

 人間は竜を崇めたくなるものなのかしらね」

「でっかくてかっこいいからな」

「わかりやすくて結構、ただ……」

「なんだ、反対か?」

「いいえ、リスクはあるけどメリットもあるなと思った

 先に言った狭間の地ではって話を、ここでも再現すれば信仰の見返りに竜の力を扱えるようになるかもしれない」

「それって?」

「アカネイアの地でも信仰への理解や貢献で使える杖の強さが変わるのでしょう?」

「らしいな、オレは関係なく使えるが」

「あなたはね」

 

「ともかく、狭間の地もアカネイアの地も信仰そのものを源泉として、力を発揮できる法則があるということ

 紋章教団にもそうした枠組みを作れば信仰心へのメリットを生み出すことも、

 目に見えた神の奇跡という形で宣伝にもなると思うけど」

「言ってることはわかるが、じゃあ実際どうやってっつーのは……」

「あなたじゃ厳しいと思うから、私が言うことをガーネフやロプトウスにお伝えなさい」

 

 というわけで二人に伝えた。

 二人は昔取った杵柄といった感じで、その準備を急ぎ進めるといった感じで話し合いは終わった。

 

 ────────────────────────

 

「マヌー殿」

「もはやわしは陛下とは主従、呼び捨てにされるがよい」

「では、マヌー

 聞きたいことあるんだが」

「何か」

「ワーレンを滅ぼしたときに得た宝とかってどうしたんだ?」

「我ら竜族は宝を溜め込む習性があってな、全て臨時の巣穴に隠しておる」

「そもそもワーレンを滅ぼす理由の一つがそこにあった宝なんだ、全てとは言わないからもしもオレが言うものを手に入れているなら譲って欲しい

 無論、対価は支払う」

「何を探しているか伺っても?」

「星のオーブだ、ワーレンのお偉いさんが購入するかしないかで揉めているって話を聞いている」

「オーブか

 それで見かけた覚えがある、すぐに持ち込もうではないか」

 

 マヌーには求められたものを与えている。

 国としては伯爵位を、紋章教団としては教導司祭という立場を、だ。

 

 既に領地もパレスに隣接する領地を与えており、戦いを好まない竜族はそちらへ移住している。

 紋章教団の教えもあり、現状は融和は進んでいるようだ。

 

 マヌーから聞いている『巣穴』はノルダの奴隷市跡地だそうだ。

 巣穴にもまた竜族がいるらしいが、それらは積極的に人と関わることを望まないものたちの集落になっているらしい。

 竜の王マヌーやナギ、ロプトウスに対しては忠誠を誓うが、人間であるオレに命を捧げるにはまだ距離が遠いようだ。

 それもわかる。

 むしろ、それが普通だと思うしな。

 聖王国で武力担当になってくれている竜族たちはよほどマヌーに心酔しているか、変わり者ってことだろうな。

 

 数日後にマヌーは箱に納められたオーブをオレに献上してくれた。

 これほど楽してオーブが手に入るとは……あとが怖い。

 

 ────────────────────────

 

「メニディのノアだ、事前の約束もなく参ったのは聞かねばならぬことがあるゆえ」

「ですが……」

 

 平時であればノアの名を出せば大抵のことは通る。

 だが、それでも目的に辿り付けないのはそれ以上の位にある人間に会おうとしているから。

 つまりは、アカネイアの王女であった女、ニーナへのお目通りを願っているためである。

 

 例え国を失い、領地を燃やされ、歴史を埋葬されようとニーナはアカネイア王国の王女であり、アカネイア王国の最後の後継者であることには変わりない。

 

 例え世間の評で五大侯が王室を上回ると言われようと、大手を振ってそれを通されることはすくない。

 なにより、現在のニーナには王室の純血主義とも言えるボアが付いているのだ。

 

「叔父上」

 

 通してくれ、通せないのやりとりの報告が上がってきたのか、血縁者であるジョルジュがノアの元へと現れた。

 

「いかがしたのです」

「ニーナ様にお会いせねばならん、どうあってもだ」

「……それは難しいのです、叔父上」

「何故だ」

「ニーナ様はオレルアンにおられないからです」

「ではどこに?

 今やアカネイア王族が身を寄せられる場所はここ以外にはあるまい

 戦いを避けて隠れ住む場所など他に」

「戦いを避けて隠れ住む場所は、そうですね、ありません」

「何が言いたいのだ、ジョルジュ」

 

 ジョルジュは言葉に詰まり、何とか紡いだ文言を吐き出す。

 

「ニーナ様は戦いに向かったのです」

 

 それは苦痛を文字にしたような苦々しい発話であった。

 



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ニーナの想起

 ニーナは想起する。

 

 アカネイア・パレス失陥。

 パレスを落としたグルニアのカミュ将軍は生存した者たちを殺さず、秘密裏に匿った。

 彼が何故そんなことをしたのかは教えてくれなかったが、守ろうとしてくれる姿勢を彼女は強く印象に持つことになった。

 

 カミュが故国に戻ることになり、引き継ぎの隙を衝くようにしてパレスから抜け出した。

 脱出できたのは幸運が味方しただけであった。判断も実力もあったものではない。

 それでも追手は少なからず現れては散発的な戦いになった。

 

 今の自分はとてもではないが、王族の一人には見えまい。

 血や垢で汚れたドレスはかつての美しさを失っている。

 彼女を守っていた騎士たちもその数を大きく減らしていた。

 戦いだけではない、彼女に付いても旨味がないと判断して逃げた騎士たちは少なくなかった。

 

 彼女も……アカネイア王国王女ニーナ自身ですら、そう思っていた。

 落ち延びる先はオレルアンのみだった。

 

 グルニアの黒騎士カミュ。

 本当ならば彼のもとで生きたかったが、それを許されるような状況ではない。

 なにせグルニアはアカネイアを攻めた国のひとつなのだ、そこに向かうのは王室の敗北を認めるようなもの。

 

 貴族たちの傀儡同然であるニーナは命じられるままにオレルアンに進むしかなかった。

 

 オレルアンに到着したあとはそれなりの待遇を受けることができた。

 少なくとも身ぎれいにはさせてもらえたし、人形同然の扱いではあるが、それでも王族としての振る舞いができる程度には動くことを許された。

 

 退屈などとは口が裂けても言えないが、それでもニーナは生まれてから今まで充実したと思える時間は極めて少なかった。

 それこそカミュと話した時くらいのものかもしれない。

 それ以外にあるとするなら、眠りに付くときくらいのものだ。

 

 アカネイア大陸の王族全てではないが、王族でも一部の女性に引き継がれるものがあった。

 それは予知である。

 予知そのものは大陸で見てもそう珍しくない感覚である。

 

 例えばナバールであれば直感的に相手の攻撃を事前に予知することが可能であり、

 ゼプテンバであれば自らの命に関わるような状況を垣間見て、そこから将来を類推することができる。

 それらの前例がある上で、遥かに優れた予知を持つことができるからこそ、それが王族の特権でもあった。

 

 シーダはマルスと共にアカネイアを覆う闇を払う未来を予知し、その為に必要となる仲間を集めるための説得を、確実に落とすための言葉選びを予知していた。

 言葉選びと使い方そのものは、或いはシーダの才能であったかもしれないが、

 マルスとともに歩む未来のために説得のための言葉や論法を事前に学ぼうと努力したのはまさしく予知あってのもの。

 

 ニーナの場合は予知夢である。

 ただ、その予知夢は自分以外の未来や現在の行動を見ることに特化しており、

 しかもその夢のどれもが国家とは関係ないものであるからこそ、彼女は自らの予知能力を他人に明かしたことはなかった。

 これは自由になれない彼女の、唯一の娯楽でもあったからだ。

 

 彼女が見た予知夢は少し先の、或いは次の瞬間に起こっているようなものが多かった。

 そこで彼女が見たのは一人の青年の冒険だった。

 タリスの王女を拐うようにして連れ出した青年。

 サムスーフの悪魔たちとの戦い、切り抜けた先での出会い……。

 多くの物語があった。

 一度だけ、青年が怒りに身を任せ、炎で周りを焼き払った時には自分も焼かれるかと思って飛び起き、それからは暫く夢を見れなくなった。

 次に見れた時には街で目覚め、そしてアリティアへと向かう青年。

 

 夢の中で追体験した物語はアリティア聖王国が聖王レウスのものだった。

 

 ────────────────────────

 

 オレルアンの王弟ハーディンは見事な軍才の持ち主だったが、

 ニーナは彼のことが好きにはなれなかった。

 夢で見ていたレウス一行の、少女の命を奪ったのは間違いなく彼の近習だったからだ。

 それでもあの場や他の村から徴発したものを使っての一大反攻作戦によってオレルアン主城を取り戻し、オレルアン領より他の勢力を打倒しきった。

 

 ハーディンがニーナに恋心を寄せているのは周りの人間も、そして何より当人であるニーナも理解していた。

 でも、受け付けなかった。部下を統率もできず、可憐な少女(フィーナ)を殺したのも、

 近習が独断で行った徴発についても不問としたからだ。

 

 勝利が甘い言葉で成し遂げられるものではないことはわかっている。

 王族だからというだけではなく、彼女が落ち延びるに至った理由もやはり戦でしかなかったからだ。

 

 彼女にとっての状況が悪化したのはパレスに囚われていた貴族たちがオレルアンに戻ったことに起因した。

 貴族たちは問題でもなかった。

 そもそも権力を失った以上は兵士として参加する程度のことしか道は残されていなかったからだ。

 

 何が問題かといえば、純血主義とも言われるアカネイア王室の信者、ボアが合流したことである。

 彼は苛烈な論調と、ニーナの血統を武器にして次々とオレルアンの内部に味方を作った。

 

 いくら受け付けないとはいっても、ハーディンの胃痛の種を増やしたいわけではない。

 恋愛感情はないが、恩義もあるし、彼が成し遂げたいと願う大陸平和の理想も素晴らしいものだと思っているのは間違いないのだ。

 だからこそ、そのハーディンと周りを離間させ、ニーナの下に付かせようとするボアのやり方には吐き気がした。

 その上で、神輿としての仕事を次々と振ってくるのだから始末に負えない。

 

 地力をつけたオレルアン軍は南下を始める。

 目指すはアカネイア・パレス。

 国を取り戻すための戦いはその道中からして暗雲が立ち込めていた。

 

 オレルアン軍は精強であるが、遠征を知らなかった。

 騎兵が多く存在する軍はそれだけ維持コストが高くなる。維持コストが高いというのは道中での食事や水の消費が大きいということである。

 それを甘く見ていたオレルアン軍のガス欠はすぐに引き起こった。

 

 ハーディンの近習が再び戦時徴発を行う。

 飼い主は見て見ぬふりをする。

 こういう日こそ眠りの世界に逃げ込みたかった。



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夢拐われ

 夢の世界に逃げ込むニーナ。

 だが、その光景は平時とは違うものだった。

 

「アカネイアの王女ニーナよ、我が名はガトー

 白い賢者と人は呼ぶ」

「存じております、ガトー様

 お久しぶりでございます」

 

 どんな状況でも丁寧に挨拶ができるのは王族として叩き込まれた能力と言える。

 

「殊勝なことよ」

「記憶力に恵まれていますから」

 

 ニーナは周りを見渡す。

 夢の、いや、聖王の世界ではないようだ。

 

「ここは?」

「わしの居住地の一つだ」

 

 ニーナを教育した人間にはミロアも含まれていた。

 彼の話ではガトーは希少な杖であるワープを、その杖なしに行使することができる。

 人間には使えない魔法や杖の奇跡を、それらの触媒なしで扱える。

 であるからこそ、ナーガ教団においては表沙汰ではないにしろ神と同列に扱われているのだ。

 

「ワープですか」

「知っておるとは、ふむ、ミロアか」

「ええ、生前に」

「彼奴を失ったのは本当に残念だ」

 

 その顔から表情は読めないが、悲しみの色のようなものをニーナは感じた。

 だが……そんな顔をするなら戦乱で彼や王国に手を貸さなかったのは何故かと問いただしたくもあったが、人から離れた存在であるのならばその問いも虚しいものだろうと飲み下した。

 

「ご招待いただいた理由をお伺いしても?」

「ニーナよ、王族とはなんであろうな」

「血筋と歴史……というお答えを求めているのではないのでしょう」

「無論だ」

 

 かつてであれば、それ以上のものなどあるのかと思ったが、今は違う。

 この大陸の王たる証は明らかだ。

 

「力を以て乱世を鎮めることができること、戦場の(さきがけ)となれるだけの武威を備えたること」

 

 私は聖王レウスを見て、知り、体験に等しいものを得た。

 だからこそわかる。

 アカネイアの王は彼のようでなければならない。

 

「お前も予知していたのだろう」

「……何をです?」

「コーネリアスの息子がこの戦いを鎮めてくれる未来を」

 

 アリティアの王子、マルス。

 戦乱の中で落ち延び、そこから多くの戦いを経て偉大なる英雄王となるであろうことを。

 ニーナやシーダの予知で見れる範囲は多くの戦いを経験し、メディウスを倒すというヴィジョンだけだ。

 

「ですが、そうはなりませんでした」

「ああ……マルス王子は取るに足らぬ相手に殺された」

「その代わりとなる救世主が現れた」

 

 ガトーの目が変わる。

 それは怒りだ。

 

「救世主だと!?あの男を言っているのか!レウスなどという馬の骨をッ!!

 アカネイアを、この世界を冒さんとする生ける病に!!」

「賢者様であっても怒りがあるのですね」

 

 その言葉にすっと怒りが収まっていく。

 アカネイアの王族たちは吝気の強いものたちだった、だからこそニーナはそういった者たちをなだめるやり方を熟知していた。

 ニーナはガトーの様子を見て、彼を神でも竜でもないと断じた。

 彼もまた人間でしかないのだと。

 

「……アカネイアの問題はアカネイア人が解決するべき

 わしはそう考えておる

 ニーナ、お前こそがアカネイアの救世主に相応しいはずだ」

「私には力はありません、その才能も」

「それはわしが与えることができる、開花させると言うべきかも知れぬがな」

 

 ガトーは片手を上げるとニーナの前に光の球体が一つ現れる。

 

 オグマたちのような歴戦の猛者であれば守護騎士(ガーディアン)の証でもある鎧を渡すこともできる。

 ニーナには荷が勝つものになりかねない。

 渡すとしたならば魔道書、いや、杖が相応しいかもしれない。

 白き賢者はそう考えていた。

 

 ニーナは球体へ手を伸ばす。

 その指先に何かが触れた、ゆっくりと引き抜く。

 

「杖……?」

「うむ、ただの杖ではない」

 

 数多の力を秘めた杖、この大陸には、いや、この世界には過ぎたる力を秘めたもの。

 命こそ蘇らせることはできないが、致命傷すら癒やしきることができるだろう。

 使用できる回数も無制限ではないにしろ、大きな戦いを一度二度は超えられるだけの耐久を持つ。

 

 使い切る頃になれば彼女は司祭に相当するだけの力を持つ。

 その時にはオーラを与えるのもよかろう。

 

「私に何を求めるのです、ガトー様」

「この大陸の平和をもたらすのはよそ者ではなく、お前のようなアカネイア人であるべきなのだ

 わしの目的はそれだけに尽きる」

「そうして何人の人間を道具になさるおつもりですか」

「……何が言いたい」

「私が最初だとは思えないのです、ガトー様

 より強いものを選ぶはず、ですが聖王レウスは討ち取られていない」

「ああ、お前は数名の候補者の後に選ばれた」

「私が倒せるとは思っておられないのではないですか?」

「祈ってはいる」

 

(冗談を……

 祈ってなどおられないでしょう、なによりあなたのような神は何に祈るというのです)

 

 彼女は内心で悪態にも似た言葉を思う。

 その後で、夢で聖王に感情を寄せすぎて口が悪くなっているなと反省した。

 

 おそらく、杖を渡したのも何かしらの意図のもと。

 討ち取られていないという言葉に否定がないということは、他のものには渡していると考えられる。

 戦う力以外を渡して変化を見たいのか、それとも何かしらの実証実験のためか。

 それを考えて答えは出るまい。

 ならば、他のことを聞いたほうが建設的というもの。

 

「他の手段を講じられないのですか?」

「……」

 

 一拍の沈黙あってから、お前が知る必要のないことだと言う。

 ニーナは確かに彼には策があるのだろうことも察することができた。

 

(ガトー様にとって聖王は異物……

 散発的に英雄の作成を行って、しかし解決にも至っていない──違う、私を含めて解決策になると考えていないのだ

 やはり私や、それまでに声をかけられたものは実験のため……ということでしょうね)

 

 ニーナは、それでもいいと思っていた。

 少なくとも握られた杖は有効な手札になるかもしれない。

 やがて、戦場で聖王と相見えることができたなら、胸を張って王族だと言えるようになる未来への鍵に。



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ララベル・カンパニー

 オレルアン連合は他勢力と異なる点がある。

 それは領内外に存在する後援者の多さである。

 

 五大侯、特にメニディ家との繋がりの強さをはじめ、既存の貴族階級が失われつつある現状でアカネイア王国が再建したときにより高い爵位を得るために出資をするものも多い。

 それ以外にも商人たちもまた、取り入る相手として連合を見ていた。

 

 特に大陸全体にネットワークを持つ大商会ララベル・カンパニーは連合の中でも立場を得るほどのバックアップを担っている。

 

「商品を納めに参りました」

 

 ララベルが大量の梱包物を運び込む。

 

「毎度助かるよ、ララベル殿」

「いいんですのよ、それにビラク殿こそ我ら商会をよく扱ってくださって助かっています」

 

 戦乱が始まってからララベル・カンパニーは拡大路線を続け、戦場にララベルありとまで言われるほどの大店となった。

 しかし、その陰りが見えたのはアリティア聖王国の樹立から。

 聖王国には専属同然の商団であるアンナの一団があり、同業他社を出し抜くには相手が強すぎる。

 

 ララベルたちは拡大路線からアンナ同様に『勝ち馬』への狙い撃ちに切り替える。

 とは言え、聖王国以外となるとグルニア、マケドニア、ドルーア、そして連合であるが、

 グルニアとマケドニアはララベルたちをアカネイア王国や五大侯の影響が強いと見ており、関係性を最低限に抑えている。

 ドルーアは選択肢としてはありえない、なにせ世界の廃滅を狙っているという噂もある。

 そうなればあとはオレルアン連合しか選択肢がない。

 

 深い繋がりを得るためには内部の協力者が必要だ。

 影響力があればあるほどに良い。

 ビラクはオレルアン連合の実質的なトップであるハーディンの近習である。

 彼の口添えさえあれば連合内での商売を広げる手がかりにもなる。

 

「あら、ニーナ様!お久しぶりです!」

 

 ララベルが通りがかったニーナに声をかける。

 ニーナもまた会釈をしてそちらへと歩み寄った。

 

 梱包物が大量に並べられているのを見るとニーナも丁寧な礼を見せた。

 

「いつもご支援ありがとうございます」

「いいえ、連合の皆様には大切に装備を扱っていただいて、商人冥利に尽きるというものです」

 

 ニーナの目線が梱包の一つに向くのをララベルは目ざとく気がついた。

 

「もうそれらは連合の皆様のもの、どうぞお手を取ってみてください」

 

 ────────────────────────

 

 それは私が目を向けたのではない。

 私の目を向けさせられた、そんな風にしか思えなかった。

 

 商人が見てもよいと言った梱包を開く。

 それは歪んだような形の、黒い刀身を持つ剣だった。

 金属というよりも岩のような質感を持っている。

 ただ、魔力は何も感じない、目を向けさせたような魔性を感じることもない。

 

「ああ、それは漂流物の一つですね

 お役に立てるものがあるかはわかりませんが……」

 

 彼女は苦笑を浮かべる。

 

「ハーディン様のご命令で役に立たなさそうでもいいから漂流物を多めに、と言われまして」

「ああ……軍の多さよりも個の強さで対抗するのが今我々が目指している形ですからね

 漂流物は使えるかどうかはギャンブルになりますが……ははは、しかしこれは骨董品以上の価値は怪しいかも知れませんな」

 

 確かに、何も感じない。

 けれど……やはり呼ばれている気がする。

 

「この剣の名前は?」

「ええと……」

 

 手元の資料を見やり、ララベルの目が視線が動き、止まる。

 

「ええと、ガングレリ……だそうです

 随分古い資料に形状と名前だけが残っていたそうで、それ以上のことは」

「そうですか

 ……ビラク、これは私の手元に置きたいのですが、誰の許可が必要でしょう」

「ニーナ様が?」

 

 ビラクは少し驚いた表情を浮かべ、すぐに戻す。

 きっと私に対して無礼な態度になるかと思ったのかもしれない。

 ただ、驚く理由もわかる。

 私はずっと武器の類を自分の周りに置きたがらなかった。

 それが急にこれ(ガングレリ)を欲しがれば驚くのも頷ける、

 

「今更と笑われるかもしれませんが、オレルアン連合の為にできることをしたいのです」

「なんと……ニーナ様のご慈悲に感謝します」

「とは言っても、剣を掲げるくらいしか私にはできそうにもありませんが」

 

 困ったような表情を浮かべる。

 私のこの表情は見慣れたものだろう。

 もう暫く、このままの私でいるべきだろう。



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ガングレリ

 ボアは焦っていた。

 いつも通りにニーナの様子を見に行き、その状況を理解したからだ。

 

 そこにいたのはニーナであるが、しかし、ニーナではない。

 彼女はニーナの影武者だ。

 

「あ、あの……」

「ニーナ様はどこに」

「わかりません……ただ、旅装をなさっていました」

「馬鹿な……あのお年で今更家出したとでもいうのか?

 だとしたら、どこへ」

 

 暫くはこの影武者がニーナの代わりができるだろう。

 だが、後々に予定されたドルーア同盟が支配するパレスの解放を目指した作戦ではニーナも出陣せねばならない。

 そうなれば、王族として育ったわけではない影武者ではその品格の有無で露見することになるだろう。

 

(ええい、ただでさえ前線に出ない王族というだけで士気も支持も下がっているというのに……

 影武者を立てたと知られればアカネイア王族不要論を推し進めさせてしまうではないか)

 

 現在、オレルアンでは密やかにアカネイアよりもオレルアンが上位であるべきだという論調が出始めている。

 これ以上オレルアンの連中がアカネイア王族の名誉を冒すのだけは我慢ならない。

 

 ボアはアカネイア王室純血主義であり、アカネイア王室の最後の一人であるニーナこそがこのアカネイア大陸最高位の存在であり、

 それ以外の王侯貴族はニーナの下にいるべきである。

 

 特にボアはアリティアを憎んでいた。聖王国を名乗ってよいのはアカネイアだけ。

 多くの人間が自分と同じように鼻で笑うかと思っていたが、その考えは間違っていた。

 アリティア聖王国こそがアカネイア大陸の新たな統治者などと……。

 

(……ニーナ様、どこへ行かれたのだ

 パレス攻略が上手く行けば、あなたの時代を作れるのですぞ)

 

 勿論、ボアの目論見は上手くはいかない。

 攻略作戦は途中、レフカンディ領での戦いや、防衛軍との野戦で撤退することになる。

 それでも脱出したアカネイア貴族であるミディアたちの軍が反転攻勢し気概を見せることになるが、別の話だ。

 

 ────────────────────────

 

 ニーナは蝶よ花よと育てられ、戦いの『た』の字も知らない。

 軍略も知らない。政治も知らない。

 外見の美しさの維持や所作ばかりを教えられていた。

 

 だが、ガトーから杖を渡されてからはボアやミディアから隠れるようにトレーニングをしていた。

 勿論、基礎的なものばかりではあったが。

 それでも旅装と荷物を持って長距離を歩くことができる程度には鍛えられていた。

 或いはガトーから与えられた開花の影響かもしれないが。

 

 王女の行き方では見れない風景が続いていた。

 牧歌的な村。

 青々とした森。

 元々がそうであったかのように彼女は野宿や狩りにも手慣れていった。

 王宮から持ち出したサバイバルの手引が記された本はそれなり以上に彼女の教師となってくれていた。

 

 アカネイアの祖は盗賊であるとも言われ、ある意味でその血統は野伏(レンジャー)としての才能が眠っていたのかもしれない。

 

 ある村で取引のために立ち寄ったニーナはその慌ただしさを感じていた。

 

「何かあったのですか?」

「ああ、旅の人……盗賊が郊外の牧場を襲ったのです

 その盗賊が次はこの村を襲うって……」

 

 周りを見渡すとバリケードの準備や農具を手にしていた。

 

 ニーナは腰に吊ったガングレリを見やる。

 獣を狩るときにしか使ったことがない剣。

 だが、今こそ戦の表道具として振るうときがが来たのかもしれない。

 

「村を守るお手伝い、私もできませんか」

 

 村人は腰に吊った剣を見やる。

 見たこともない作りのそれがニーナの実力の担保になると考えたのか、

 

「旅の人、お手伝いいただけるなら大変助かりますだ……」

 

 そうして、ニーナは初めての戦いに身を投じることになる。

 

 ────────────────────────

 

「奪え奪え奪えーーー!!」

 

 盗賊たちがなだれ込んでくる。

 ニーナは一人二人ではないとは思っていたが、軍の一部隊程度は突っ込んできていた。

 普通の軍と違って戦術も何もない。

 ただ、死にものぐるいの突撃。

 狂奔に駆られた彼らであれば田舎軍隊であれば撃破してしまいそうな勢いがあった。

 

 ニーナはガングレリを抜くと、一番槍となった盗賊と対峙する。

 

「げへへっ、女あ!オレのものになれやあ!」

「下衆め」

 

 我流の剣法らしい、荒々しい一撃を振ってくる。

 一度、ニ度防ぎ、しかし基礎的な筋力の違いで徐々に圧されていく。

 

「めんこい顔には傷つけねえでやるから安心すれ!!」

 

 攻撃がニーナの体に浅い傷を作っていく。

 

(小手先の攻撃じゃ防がれる……なら!)

 

 力を込め、覚悟を決める。

 多少の攻撃は受ける。死ななければ安いもの。

 

 振り下ろされた攻撃を肩口で受けながらもガングレリが紫色の煙を吐き出し、それを推進力にするようにしてニーナの横薙ぎの一撃が盗賊を真っ二つに両断した。

 上半身は空中を舞う。

 表情は驚愕のままに死を迎える。

 

 戦いが終わるとすぐに全身から力が抜ける。

 まるで命がガングレリに食われたかのようだった。

 それだけではない、細かい傷ではあったが出血が明確に彼女の命を縮めようとしていた。

 

(私の役に立ってみせて)

 

 杖に念じると治癒(ライブ)の力がニーナの傷を癒やしていく。

 血を補填し、ガングレリに食われた活力までもが回復していった。

 

(……まだ戦える

 それなら次の相手を探さないと)

 

 彼女は周りを見渡し、村に入ろうとする盗賊に斬りかかる。

 それからは一方的だった。

 ガングレリの命を食らいながらも威力を加速させる攻撃は彼女の腕力を補う。

 一人を殺す度に彼女は戦い方を学ぶ。

 他者の命を咀嚼し、才能が開花していく。

 

 それはまさしく、アカネイアの王たる道を歩み始めたかのように。



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 人の命を奪った夜は寝れないものかと思っていたが、そんなことはなかった。

 村を立て直すのに忙しかったのもあるが、殺しをしたからといって何か心が崩れるようなことはない。

 それがガングレリの力なのか、ガトーが渡した杖の効力なのか、彼女の備えていた資質なのかはわからない。

 

 眠れば聖王の戦いを追い、起きれば他の村での用心棒をしながら北へ北へと向かった。

 

「奪え、奪え奪……あ、あいつ、北方の撹拌者!」

「か、撹拌?」

「撹拌だ!回転するみてえに剣を振るって人間を真っ二つにするんだ!」

 

 慄く賊徒たちへと駆け出し、ガングレリに力を込め、紫色の煙を吐き出させて推進力に変える。

 彼らの言う通り、撹拌している。

 彼女の体躯から繰り出す最も効率的な破壊力の発揮手段だ。

 

 駒のように周り、一人の上下を吹き飛ばす。

 着地し、剣に振られるではなく、それを利用して踏み込み、飛ぶようにして更に一人を倒す。

 

強化治癒(リライブ)

 

 杖を起動し、自らの状態を万全に戻す。

 

「俺様が倒してやる!この超破壊魔法ボルガノンでなあ!」

 

 魔力の高まりを感じた彼女だったが、判断は冷静であった。

 ワープやドローの効果などがあれば便利だったのだろうが、転移に関わる力は杖には含まれていない。

 ガトーが特権とするためであったかどうかまではニーナが知ることもないが、彼女にとっては現状の杖の力で十二分の価値を持っていた。

 

魔法障壁(M・シールド)

 

 杖によって彼女の正面に半透明の青い盾が作られ、直後に放たれた爆炎が阻まれる。

 彼女は煙に乗じておそらく群れのリーダーであろう魔道士へと斬りかかり、真っ二つにすると、周りを見る。

 戦いの中でボロボロになった旅装をツギハギするようにして纏う布と、狩って作った毛皮の外套。

 それを翻し、王女とは思えないような瞳で周りを睨めつけるようにして、叫ぶ。

 

「もはや誰も生きて帰れぬ、せめて私と打ち合ってみせよ」

 

 ガングレリで空を切り、口上を続ける。

 

「それが打ち合えぬ(できぬ)ならば木端(こっぱ)の如くに千切れて葬ってくれよう!」

「か、撹拌者!お前は何者なんだよ!?バケモンか、悪魔か、オレたちを裁きにきた神さまだってのかあ!?」

故知らぬ騎士(ナイトエラント)、私は私すら知らない

 ただ今ここで剣を振るい、命を奪うための現象だ」

「く、くそおお!!」

 

 残ったものたちは逃げられないと踏んで、斬りかかる。

 ニーナは笑う。

 その気概が実に嬉しい。

 ガングレリに体力や精神力を燃料に火を入れる。煙を吐いては推進力を得る。

 戦いは始まったばかりだ。

 

 その一方、オレルアンでは未だ彼女は帰らず、影武者がオレルアンで粛々と自分の仕事……つまりは神輿として微笑み続けていた。

 

 ────────────────────────

 

「最後に目撃情報があったのはフレイムバレル麓の村でした、そこで盗賊や蛮族を狩っていると」

「……待て、待て待て

 誰が、どこで?」

「ニーナ王女が、各村々を巡って、盗賊を相手取っている」

 

 ノアは思わずそこらにあった椅子に座り込む。

 

「な、何を言っているのだ、王女は戦いなど経験したこともないだろう」

「ええ、ですが彼女は漂流物らしき剣と杖を使って着々と力を得ていっております

 こちらに戻る気配もありません

 今では北方では生ける伝説、いや、悪夢です

 撹拌者(アリティアサイクル)故知らぬ騎士(ナイトエラント)回転する死(エッケザックス)金色の黎明(ゴールデンドーン)……二つ名の多さが直接的にどれだけの敵を殺してきたかがわかるものでしょう、叔父上」

 

 その言葉に頭を抱える。

 メレディのノアとて武門の家柄、意味はわかる。

 二つ名を与えられるというのは名誉だ、それが敵からであればより意味がある。

 あのニーナ姫が?優しく、しかし力のない彼女がどうして?

 疑問は山と現れるが、答えることができるものはいない。

 

「では、ラングたちの策に了解を取ったのは誰によってだ

 ニーナ様からも確認を取ったと言っていたぞ」

「……ボア殿だろうな、王室の権威付けになるためであれば何でもしようとしている

 彼もニーナ様が戻らないことを焦っているのだ」

「本当に焦っているのだろうか」

「叔父上、それはどういう」

「……『今のニーナ様』が彼にとって望ましいのではないのか?」

「それはあまりにも不敬というものです、叔父上……!」

「不敬であるならば影武者をニーナ様として扱うボア殿こそであろうが

 それともジョルジュ、まさかお前も」

「冗談でもそんなこと言わないでください、オレとて……」

 

 ノアは不機嫌そうにジョルジュに背を向け、オレルアンを後にする。

 

「叔父上、どうするおつもりです!」

「知れたこと、影武者であることを告発する

 馬鹿げた政争で我が領地を踏み荒らさせてたまるか!」

「そんなことをすればオレルアン連合は割れて、聖王国に各個撃破されて負けてしまう」

「……では、領民の不幸を見過ごせと言いたいのか」

「違う戦略を立てましょう、ですがオレだけでは頭も手も足りない

 叔父上の協力が必要です」

 

 溜息を一つ吐く。

 駄々をこねたのは自分だったと反省する。

 そうしてから苦笑いをして、せめての言葉を形にする。

 

「お前も人を使えるようになったか、ジョルジュ」

 

 皮肉ではない。

 それが嬉しかった。

 

 ────────────────────────

 

 盗賊や蛮族を狩っていたのはニーナにとって過去の話であった。

 

 巨大な咆哮が上がった。

 断末魔だ。

 彼女にとって日常とも言える音でしかない。

 

 彼女は杖を無造作に振るうと治癒と賦活を同時に行う。

 体力と気力が戻ると次の獲物を探すために火竜の亡骸に上り、見渡す。

 熱のある風が毛皮の外套を揺らす。

 流石にその下は殆ど素肌を晒すような、水着のような格好になっている。

 それでも外套を捨てないのは一種の美学だ。憧れという名の美学。

 

 ニーナは強くなった。

 段々と眠る頻度は少なくなっていき、目的を果たすために進み続けた。

 

「日が落ちるまでにはあと三つくらいは倒したいのですが」

 

 彼女の強さは常軌を逸していた。

 それは彼女の才能を開花させただけでは理由にならない。

 夢で見続けた聖王の背を追うことこそが目標となっていった一人の少女の道のりだった。

 

「██████ッッ!」

「自分から来るとは殊勝な心がけです」

 

 火のブレスをふわりと跳ねて避ける。

 このあたりは崩れかけた遺跡がそこら中にあり、今戦っているのもかつては大橋であった場所の跡地である。

 足場悪く、飛び移るのに失敗すれば死ぬだろう。

 問題はない。空中で自らの体を制御し、跳ぶではなく翔ぶようにガングレリの推進力で動き回る。

 

 ここはフレイムバレル。竜の墓とまで呼ばれた場所であり、かつての栄華と溶岩が支配する場所。

 理性を失った竜族の最後の住処であった。

 

 理性を失い、戦闘の権化と化していた竜族と戯れる日々を過ごしている。

 何度ともなく死にかけた。

 だが、それでも彼女は死ななかった。

 死にかける度に強くなり、竜を屠る度に強くなり、夢を見る度に強くなった。

 

 ガングレリが紫色の蒸気を吐き出しながらの推進力を使って、竜の足を切り飛ばし、体勢を崩すと飛び上がるような切り上げでその首を落とす。

 再び杖で治癒と賦活を行う。もはやルーチンワークである。

 ただ、ここ数十戦で彼女は敵から傷を与えられることはなくなっていた。

 魔剣が自らの肉を食らうこと以外に傷を受けることがなかった。

 

「もうここでは自分を鍛え上げるには不足かもしれませんね」

 

 蛮族が命乞いで言っていた言葉を思い出す。

 この地の北に進めば氷竜たちの住処がある。

 気温差は気になるが、衣服は蛮族たちから奪えばいいだろう。

 次なる敵を求めてニーナは歩き出す。

 

 もはや今の彼女にはアカネイア大陸の覇権だとか、王国の存続だとかは遠い話になっていた。

 

「ああ、楽しい」

 

 空虚な玉座などくだらない。

 国家のためなどくだらない。

 未来のためなどくだらない。

 

 ただ、目の前の戦いこそが全てであった。

 取り巻く全ての風景を褪せて見えていた。

 

 憧憬を断ち切るようにガングレリを地面に突き立てると、両手を組む。

 

「聖王レウス、いつかあなたに挑む日まで、どうかご無事で」

 

 ニーナは真摯な祈りを捧げた。

 それは誰より純粋な、私欲の祈りであった。

 

金色の黎ォォォ明(ゴールデンドォォォン)!氏族兄弟の仇を討たせてもらうぜえ!」

「何ィ!回転する死(エッケザックス)をぶっ殺すのはオレたち火の牙族だ!」

「っるせえ!先に付いたのは飛竜の爪族じゃあ!!」

 

「敵意をどこに向けているのです、誰が殺すかなど問題ではない

 誰が最初に殺せるかでしょう

 さあ、憎むべき敵は目の前に

 武器を構え、向かってきなさい!私はここにいる!」

 

 熱の風が外套を揺らす。

 竜の躯がまるで玉座のようですらあった。

 

 蛮族たちは歯を鳴らして笑い、眼前の敵を称賛するように叫び始める。

 

蛮王(ザ・バーバリアン)!!」「蛮王(ザ・バーバリアン)!!」

蛮王(ザ・バーバリアン)!!」「蛮王(ザ・バーバリアン)!!」

 

 彼女こそが伝説。蛮族たちが寝物語に聞かされたお話。

 古の昔、力こそがすべてであり、竜の教えと闇を司る魔が支配する時代を切り裂いた偉大な王(アンリ)の物語。

 その体現者が現れたのだ。

 

 であれば、その剣にかかることこそ蛮族の本懐。

 

「ウオオオオオオオ!!!!!!」

 

 蛮族たちが命の限り叫び、ニーナへと殺到する。

 

「ここでの最後のお祭り騒ぎになりそうですね」

 

 偉大なるアカネイア王女(ニーナ・ザ・グレート)もまた、獰猛に笑う。

 その表情はまるでレウスのそれであった。



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学院の日常

 聖王国付属のカダイン魔道学院はアリティアへの帰順を求める貴族や豪族、或いは逸れ者たちが持ち込んだ物で溢れかえっていた。

 

 何も全てが運ばれるわけではないのだが、長い歴史を持つアカネイア大陸のそうした有力者が持ってくるものの多くは使用方法すらわからなくなったオーパーツが多い。

 

 その上、魔道学院は名前こそ学び舎のように謳っているが、実際には巨大な研究施設と言うべきものであり、

 聖王レウスの肝いりということもあり、毎日のように拡張工事が続いている。

 今やその施設面積は主城どころか城下町全体をも超える大きさとなっていて、それでも居住空間が足りないせいで臨時の学寮として船を改造した海上宿泊施設などまで登場している。

 

 学院には明確なルールがあり、その中の一つに宗派や学派での争いは禁止であることと、

 魔道には聖はあっても邪など存在しないという意識で取り組むことを約束させられている。

 その誓いは聖王自身が作ったものであり、学院の所属者にとっては紋章教団の信徒同様に神として扱われている存在から降った詔そのもの。

 誓いを破ろうとするものなどいなかった。

 それがまた、文化交流を生み、開派としての魔道研究が一層に盛んになっていた。

 

 遺失文化学、異文学科、不特定文字塊解読研究室。

 長ったらしい名前のそこは遺失した文化や独自の文字を使う個人の蔵などから出た読めない文字の、

 更に暗号だったり隠喩の塊だと考えられるものを解析、解読するための研究室である。

 

 アカネイア随一の言語学を含んだ学問のエキスパートたちは頭を抱えていた。

 

 それはただの愛のポエムだと思われていた全12巻からなる合本化した詩集が、ただの詩集ではないという疑惑から出たものだった。

 聖王宛に作られたものだからと目を通させられたレウスは頭を抱えたが、一文に注目し、このように言った。

 

「……ディール本家の地下にある牢獄で、入って右手の手前の牢獄を調べてみてくれ

 床だ、おそらく掘り出すための道具が必要な程度にはがっちりと隠されているかもしれない」

 

 その言葉に従うと、現れたのは古いが未だに価値のある貨幣がびっしりと入った箱だった。

 

 研究者の一人がレウスに対して「そこから読み取れるものがあったのですか?」と問うと、

 

「隠された我が心の部屋、進む前にいつも逆の手を見る

 本来の価値を失ったものこそを見返し、それを愛だと思う

 今更その心を深く掘り返しても満たされるのは心ではない

 これだけを持って共に地の果てまで二人で走り抜けたなら云々……」

 

 彼はポエムを読み、

 

「オレが知るシャロンは妙な男だが、意味のないポエムを書き記すほど暇でもないと思う

 隠された我が心の部屋ってのはあの邸の隠し部屋のかって思えば、あとはそうやって文字を疑えば何となしの予測が付く

 問題なのはどこからがシャロンにとっての隠し事で、どれからがただの詩文なのかってのはオレにもわからん」

 

 などと。

 

 これが浪費家の遺したものであれば捨て置けたが、ディール家というのはとにかく商売が上手く、立ち回りも上手い。

 ノルダやワーレンと密接につながっていたが故に、大いにその財産と蔵を肥えさせていたと言う。

 だが、ディールの邸やその関連貴族の家からはそれほどの価値あるものを見つけられなかった。

 そして今回のポエム騒ぎ。

 つまりはシャロンはそうしたものを徹底的に隠していたのだ。

 

 それは間違いなく愛のポエム。

 ただ、シャロンがレウスに捧げたのは詩文だけではなかったのだ。

 

 詩から愛を読み解いてくれるならば、その対価を支払う。

 それがシャロンの考えだった……かは誰にもわからない。

 そもそもレウスに向けたものかすらも

 

 だとしても、研究者たちにはそれは関係ない。

 あるのは全12巻、合本の分厚いポエムにどれほどの情報が秘められているのかわからないという、

 挑戦に値するべき謎と、あまりにもこってりとした感情図で作られ、食あたりを起こしそうな詩文に対する恐怖心のせめぎ合いだけだ。

 

「オレ、なんだか最近……ディール侯爵閣下の文章読んでるとときめきみたいなものを感じるんだよな」

「……実は私も、この人の詩はとても拙いのに……心を打つことがあるのよね」

「ガーネフ様に提案してみようかな……ディール要塞みたいに夏冬で創作物の即売会できないかって」

「そんなことしてどうするんだよ」

「そりゃあ……オレもディール侯爵閣下のポエムに続くんだよ、この純粋な愛に……オレも続きたいんだ」

 

 学院では詩文科が創設されることになり、シャロンという愛称で呼ばれるのはそう遠くない未来の話であった。

 

 噂を聞いたシーマは自らの意思で協力することを申し出て、シャロンの詩集を目に通す。

 

「兄上は愛されていたのだな」とぽつりと呟いたシーマの頭にサムソンの無骨な手が置かれ、そっと撫でる。

 

「今のお前にはレウスも、それにおれもいる

 そう寂しがるものではない」

「……ええ……ありがとう、サムソン」

 

 或いは、シャロンの詩集は愛や恋を確認させる魔的な力でも宿っていたのかもしれない。

 



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連合の矛先

 五大侯とオレルアン連合の同盟化。

 オレルアンが外に向けた発表は驚き半分納得半分であった。

 あの五大侯がオレルアン連合に入る、それも実質的な傘下としてだという。

 ラングを中心とした五大侯がそんなことを許すと思っていなかったが、それでも納得もあった。

 そもそも五大侯はアカネイア王侯貴族。

 現状では手を取り合わずに大勢力化しはじめているアリティア聖王国を相手取り、対抗するためにもアカネイア王族であるニーナの下につくという名目を持つのはわかりやすい構図である。

 

 同盟提携直後にアカネイア地方に向けて兵を動かすという宣戦布告をラングの名前で提示したことは軍権そのものの移譲や変更などは行われていないのだろうことは察することができる。

 

「現状ではアカネイア地方に向かう予定であった聖騎士団が横腹を突くという姿勢を見せることで平原でのにらみ合いとなっています。」

 

 聖騎士団はトムス、ミシェラン、トーマスを中心としたアカネイア人による騎士団である。

 バランサーとして軍事顧問でアリティアの軍師が数名付いてはいるものの、アカネイア地方の未来を守るための軍であるのはレウスによって明らかにされている。

 

「エレミヤの置き土産はどうだ?」

亜種(デミ)オーラ配備の魔道士部隊ですね」

 

 亜種オーラは反転オーラの量産品である。

 名目上、紋章教団に所属する魔道士たちの基本武装として配備されている。

 高い威力とそれなりの扱いやすさから華々しい戦果を得て、教団に誉れをもたらすための部隊だが、

 単純な火砲役として十分な仕事を果たすだろうと軍部からも期待されている。

 なにせ、この部隊は信仰心という強い力で恐怖心を殺すことに成功した部隊に仕上がっているのだから。

 

「エレミヤ様のご助言の通り、部隊は配備され、すぐにでも戦闘に参加できるかと」

 

 エレミヤがレウスに残したのは守り人を作る上での、教化の手管であった。

 守り人手引書(ローロー・ドクトリン)と呼ばれたそれは正直、人道という側面からは外れたやりかたばかりであったが、ギリギリ人道から足を離していないやり方も多少なりとも存在したので、それを役立てた。

 仕事を果たしたエレミヤとサムトーはガトーを探す旅へと戻った。

 協力関係は引き続き持ってくれるようで、情報交換は常に行われている。

 

「レフカンディ近くの平原に相手は陣取っているんだったな」

「ええ、マケドニアから流れてきたのか、飛兵の姿もあります」

「それ以外は?」

「多くは五大侯の軍と傭兵、それに一部狼騎士団の姿もあるようです」

 

 レウスはふむ、と悩むような声を出す。

 

「なにか?」

 

 文官がその声に対して反応する。

 

「いや、こいつら本気でアカネイア地方に行く気がないような気がしてな」

「何故そうお思いに?」

「前々から繋がりの強い勢力同士だとしても、大事な大事な狼騎士団をぽんと貸し与えるかってのが一個」

 

 本当に徹底抗戦、侵略戦をするのならば子飼いの狼騎士団を他者に預けたりはしないだろう。

 それならオレルアン連合主導で声明も出すはずだ。

 つまりはこちらとラングを様子見させるために派遣したのではないかと予想する。

 

「ラングみたいなクソ野郎がわざわざ宣戦布告してきたってのが二個目

 明らかにこっちに兵を出してほしいですってポーズを取っている」

 

「まあ、何故戦端を開いたかまでは予測もつかないが」とレウスは続けた。

 

「どうあれ、倒すべき敵には違いない諸々の実証実験もしたいところだし殴り合わせてもらおう

 オレも出陣する」

「待て待て、ここはワシらに任せておけ」

 

 ロプトウスがオレを制するように。

 

「ミネルバの側にいてやるがよい、気丈に振る舞ってはおるがリーザやシーダへの申し訳無さで参りかけておる

 そんな風にしたのはどこの誰じゃったかのう」

「う……」

「しかもメイド服とバニーだけに飽き足らずメガネやら鎧姿の──」

「わかった!わかったわかった!

 ミネルバに付いている!前線は任せるからな!」

「任せておけ、このナギがいるかぎり負けることはない」

 

 ロプトウスの悪辣な説得と胸を張って任せろというナギ。

 実際、紋章教団設立以後の戦いは信仰の獲得のための戦いでもある。

 彼女たちが自主的に暴れてくれるというのであればこれ以上ありがたいことはない。

 

「吉報を待っておればよい」

 

 ロプトウスの言葉を今は信じるべきだろう。

 

 ────────────────────────

 

 御存知の通り、オレは褪せ人の肉体のお陰か起きている時間が普通の人間よりも遥かに長い。

 かといって眠ることができないわけではないのである程度任意のタイミングで寝起きをしている。

 次の戦いに挑む前にじっくりと休むことに決めた。

 一人で寝るのも久しぶりで、その日は深く深く眠っていた。

 

 それは夢であったように思う。

 

 どこかで少女の泣き声が聞こえていた。

 音の出どころを探るように歩く。

 

 大きな扉が見えてきた。

 開こうとすると随分と固く、重い。

 とてもじゃないが開くことは難しそうだった。

 

「誰かいんのかー?」

 

 泣き声は止まず、返る言葉もない。

 周りを見渡す。

 寒々しい色合いとデザインだ。

 

「……お願い……もっと、竜族を……」

 

 扉の奥から声がする。

 

「竜族のみんなを……もっとたすけてあげて」

「助けって、お前はいったい」

 

 がばっと起き上がる。

 夢なのはわかっている。

 幼い声だった。

 夢で見たあの場所の色合いとデザインに覚えもある。

 オレは空の具合を見て、まだ夜明け前であったのも理解したがカダイン魔道学院へと足を向けた。

 

「ガーネフはいるか?

 というか起きているか?」

「様子を見てまいります」

「寝てるなら起こさないでいい、オレも勢いで来すぎた」

「こんな時間からお忙しい方ですな、陛下」

 

 夜勤担当らしい男と話していると後ろからガーネフが声をかけてきた。

 人相が悪いのか顔色が悪いのかイマイチわからない男だが、こいつもこいつであまり寝ていないのは明らかだった。

 

「不健康そうなツラだな」

「陛下に言われてはおしまいというもの、しかし今日あたりはしっかり休むことにしようかの」

「そうしてくれ、お前に倒れられちゃおしまいだ」

「お優しい言葉をどうも、で、急いだ理由をお伺いしても?」

「チキはどうなった?」

 

 オレは何でもすっぱり切り出したほうが好みだ。

 真正面から行くことにした。



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質問攻め

「チキ……?」

「神竜族の娘だよ」

 

 心当たりがあったのか、ガーネフは「ああ」と返事のような声を出して続ける。

 

「そうしたものがいるらしいとは聞いておるが、居場所までは存じ上げぬ」

 

 そうだ。

 前々から相違点があるとは思っていたんだ。

 リーザは殺されていない、エリスは守り人にされていた、つまり本来軸よりもオレが前倒しで行動したからガーネフの行動にも影響が出ているのだろう。

 てっきりチキの封印はガトーやミロアとの決別前だと思っていたが……。

 

「あと、ファルシオンはガーネフが持っていたって噂を聞いたんだが」

「いいや、コーネリアスが討ち取られたあとにジオルが持ち帰ったと聞いているが、その後は知らぬな

 ただ、リーザ女王はもとよりシーマも行方が知れぬとなると……」

「ジオルが持つコネクションで考えれば五大侯辺りに引き取らせたか」

「恐らくは」

 

 ここも相違点だ。

 オレがこの世界に来て狂う以前より、ナーガの黄金律のことやら、少しずつ世界の作りが違ったのか、

 それを考えたところで答えも出まい。捨て置こう。

 チキだ。それよりもチキがどこにいるかが気になる。

 

「ラーマン神殿とかにあったりしないか?」

「カシミヤのラーマン神殿か

 盗賊が入って荒らされたという話を聞いたきりだの、わしも行ったことはないのでな、真実かはわからぬ」

 

 チキは本来はガーネフによってラーマン神殿に封じられていたはずだ。

 ガーネフの関与がないとなると……どこにいるんだ?

 

「マヌーらに聞いてみるのは?」

「ああ、そうしてみよう」

 

 ────────────────────────

 

 マヌーは現在、アカネイア・パレスに向かった。

 防衛の意味もあるが、教団関係者と共に教会の建立に向かっていってもらっている。

 聞きに行くにしても、呼びつけるにしても五大侯と連合が野戦に展開している状況は邪魔でしかない。

 まずは連中を叩かねばならないだろう。

 

 とはいえ、オレは後詰めと共に出陣するロプトウスやナギを見送るしかできない。

 

「身重でなければ私も」

「身重だから休んでいてくれってのがナギとロプトウスの願いなんだ

 さあ、ベッドに戻るぞ」

「ううむ……あまり動かなさすぎるのも良くないのだそうだ」

「なら気をつけながら中庭でも散歩するか」

 

 ミネルバはまさか自分が母になるとは思ってもみなかったのか、未だにその自覚がないようなことをリーザやシーダに漏らしているらしい。

 それでも、膨らみはじめた腹を優しく撫でる彼女を見ると母性のようなものを感じる。

 中庭の椅子で休むミネルバを見つめていると、

 

「あ~、姉様を良くない目で見ている陛下がいるぞ~」

「マリア、人聞きの悪いこと言わんでくれ」

 

「えへへ」と笑いながらマリアが現れて、オレの腕に腕やら体を絡めてきた。

 

「私も早く大きくなりたいなあ」

「……理由は聞かないでおく」

「え~、陛下のいじわる~」

「最近はお前との関係性でシーダに詰められたばっかりなんだよ」

「なんて?」

「せめて私にはじめて手を出した年齢までは待つようにって」

「それってシーダ様がおいくつのときなの?」

 

 ああ、やぶ蛇だ。

 そんなわけで、次の戦いでもお休みをいただくことになってしまった。

 休めば休むほど城でのロリコン疑惑との戦いが続くので、オレにとっては激闘は続いていくわけだが。

 

 ────────────────────────

 

「本当にこれでよいのですか、ガトー様」

 

 疲れた声の主はオレルアン連合の盟主、ハーディン。

 戦いに疲れたわけではない。

 あの日見たニーナの美しさに惚れ込んだ彼は戦いを辛いと思ったことはない。

 彼女が玉座に座るためであれば手を汚すことも厭わなかった。

 

 だが、それでも疲れた声なのは目的の見えない行動に駆り出されていることにあった。

 

「いいのだとも、ハーディンよ

 お前の願いは結実に向かっている」

 

(ドルーア同盟は割れた

 グルニアとマケドニアがメディウスを倒せるかはわからないが、

 それでも膠着させることは可能なはずだ

 五大侯はいや、ラングめは使い潰してやればよい、彼らはそれだけの罪を背負っている

 アリティアは……)

 

 ハーディンの望みはニーナがアカネイアの女王となることである。

 彼女の王配に収まりたいわけではない。

 ニーナにはカミュという想い人がいる。自分がそこに割り込む気はない。

 彼女が幸せな道を進めれば、と願うだけで幸せだった。

 

 だが、そのための障害は大きかった。

 それを一つずつ潰す策を練ったのは他の誰でもない、彼自身だった。

 

 ハーディンの手には汚れなき銀の剣が握られている。

 彼こそ、ガトーが最初に選んだ男であった。

 力に飲み込まれることなく、誠実に仕事をこなした。

 

 だが、優しげな彼の性格の内側には謀略家としての側面が横たわっていた。

 ガトーが開花させたのは単純な力だけではなかったというわけだ。

 

 オグマを狂わせることでタリスとアリティアに高名な傭兵を仲間にさせず、結果としてノルダなどに分布した傭兵たちは五大侯へと従い、アリティアへの憎しみを今も向けている。

 

 ルイを操ることでグルニアの国力を大幅に減退させた。

 確かに次代の王であるユミナは優秀な王になることだろう、だが、現時点ではまだまだ経験の足りない少女に過ぎない。

 この戦いで経験豊富な将軍たちも相当に失った。

 

 予想外だったのはガトーはハーディンが指名したもの以外にも武器を与えようとしたり、与えたりしていたことだ。

 ガトーは気がついていないと思っているかもしれないが、ハーディンの下にいるものは彼が思うよりも優秀であり、情報獲得能力は賢者の予想を上回っていた。

 

「十二聖戦士の如くに数は揃えられぬにしても、進んではいるのだ」

「十二聖戦士?」

「かつて、神によって選ばれ、暗黒神を打倒した戦士をそう呼んだ歴史があるのだ」

 

 ハーディンは自陣にガトーの息がかかったものがいることは理解していた。

 だが、国力に差が付き始めている今、戦力で上回るには息がかかっているものであっても使わねばならない。

 ララベル・カンパニーには漂流物なども集めてもらってはいるが扱えるものはそう多くないのだ。

 

「ハーディンよ、わしは暫く留守にする」

「どちらへ?」

「聖戦士なりうる器はまだ幾らか存在するのでな」

 

 ガトーが神の視座と自らを表することがあるのをハーディンは知っている。

 単純な未来を見通す目だけではない、その視座によって巻き起こる悲劇など棚上げにできる冷酷さを示している。

 作為的な悲劇の上で、ガトーはなにかを行おうとしているのだろう。

 ガトー自身には何の呵責もなく。

 

「ガトー様」

「なんだ」

「不躾な質問をよろしいですか」

「よかろう」

「かつてガトー様は竜石を用いて竜に戻る権利を捨てたと仰っておりました」

「然り」

「今のガトー様は竜族なのですか、それとも神なのですか?」

 

 ハーディンが本当に聞きたいのは「人なのかどうか」だが、それを言えばガトーの逆鱗に触れることを理解している。

 

「今のわしは何でもない」

「いずれは人々の神となることをお望みなのですか」

 

 その質問には答えず、ガトーはワープで消えた。

 恐らく、彼にとって人になるというのは語弊のある言い方であろう。

 彼が神の視座から降りるはずがない。人間を語る神にしかなりようがない。

 

 ハーディンはガトーを軽蔑している。

 それは自分自身を軽蔑するのと同じような感情でもあった。

 

「……この戦いで、誰が幸せを掴むのだろうな」

 

 疲れた声で、ハーディンは独り言をこぼした。



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レフカンディ平野の戦い

 ワシの名前はロプトウス。

 最強に強まった暗黒神である。

 

 後詰としてレフカンディ領の野戦に繰り出した。

 周りの人間どもがワシをチラチラと見よる。

 

「なんじゃ」

「いえ、今回はお姿は変わられるのですか?」

「竜石か?いや、ワシに持たせると無駄遣いしかねないからと回収された」

 

 ほっとした顔をする人間。

 

「なんじゃ」

 

 再び同じように問う。

 

「いえ、竜のお姿も勇壮にして偉大ではございますが、見目麗しいロプトウス様も大変人気がございますので」

 

 そういえば、シーダが言っておった。

 ファンクラブができているけど、竜の姿ファンといつもの姿のファンがいるとか。

 

 ────────────────────────

 

「シーダよ、ではどうすればよいのだ

 どちらの姿でもカドが立つではないか」

「普段のお姿を常として、有事のときだけ竜になるというのがよいのではないでしょうか

 希少なお姿であるというのも付加価値になるかと思いますし」

「そういうものか」

「ええ、それにロプト様もそのお姿に愛着がおありなのでしょう?」

「それは、うむ、大切な人間の似姿であるからな……うん」

 

 ……という話をしたのを思い出す。

 

「ふん、ワシの竜の姿を見れる戦場は少ない

 それを目当てにしている者には悪いが、見たければワシと共に戦場を駆け巡るしかないのう」

「おお、それは我らが付き従ってもよいということですか!」

「なんと広い御心……」

「ロプトウス様……可憐だ……」

 

 なにやら想定と違う感じの喜ばれ方だが、まあ、士気が上がったならよいとしよう。

 

 しかし妙であるな。

 ワシの周りの人間も妙だが、それ以上に敵の陣容が妙である。

 

「桃色、緑色、ちょっとよいか」

 

 トムスとミシェランというらしいが、どっちがどっちかわからん。

 というか桃色の鎧のハゲって威圧感すごいんじゃが……。

 

「敵の陣容、おかしくはないか?

 こちらを倒そうという気概を感じぬが、しかし犠牲を出さぬようにと立ち回っている」

 

 二人は見渡し、頷く。

 どうやら先んじていた聖騎士団も同様の雑感であるらしい、しかも攻めれば逆に兵を失うとなると手も出しにくいという。

 

「ふむ、少しちょっかいを掛けてみるか

 ナギを呼んできてはくれぬか、奴と少しばかり揺さぶりを掛けてみようと思う」

 

 ────────────────────────

 

「鉄壁の陣ですね、叔父上」

「お前の父のような『千里確中』と謡われる弓の腕はないが、その分を軍略でカバーしようとした結果だよ」

 

 先代ノアはアカネイア王国の誇りであった。

 気骨があり、忠義に篤い。

 領地運営も得意で、民草を誰より愛していた。

 

「ジョルジュ、お前の父親は」

「……わかっております」

 

 その偉大なるノアの死は悲惨なものだった。

 祖国防衛の為に必死に戦い、しかし最後には何者かに刺された。

 味方の裏切りであることは伏せられているが、状況からそれは明らかだった。

 

「ですが、オレはこの戦乱では己を殺すと決めています

 父がアカネイア王国の為に戦ったのならば、子であるオレも従うものです」

 

 悲壮な覚悟だ。

 当代ノアは彼の姿を見て、改めて目的を定めた。

 こんなくだらない戦乱で彼を死なせる訳にはいかない。

 己の軍略で守れるというのならば、徹底的に守りきろう。心にそう誓う。

 

 ────────────────────────

 

「では、我らはそろそろ策に移らせていただく」

 

 ラングが組織した歩兵部隊の長が報告をする。

 今回の戦いの総大将はノアだが、組織構造としては複雑である。

 連合からは狼騎士団とジョルジュが率いるアカネイア弓騎士団。

 この時点でそもそもの命令系統がわかれており、

 更に今回の戦いを発起したラングは自身の歩兵軍を出している以外に、マケドニアの飛兵部隊の一部も借り出している。

 

 ノアと連合に出された目的はこの場所の徹底的な防戦と敵軍の引き寄せ。

 しかしラングの手のものは派手に移動をして注意を向けるというものである。

 

 注意を向けた先で何をするのかはノアたちには聞かされていない。

 ただ、敵が注意に引きつけられたときに隙あらば攻撃をしろとも言われている。

 

「相手が動けば反転し、そちらも攻勢に移るのだな」

 

 ノアの言葉に頷き、

 

「引きつけられなければそのままディール領の解放に向かわせていただく」

 

 確かに歩兵軍の数で考えればディール領の一部は取り戻すことはできるだろう。

 その価値がどれほどのものかまではわからないが。

 

「ご武運を」

「ノア侯爵閣下も、ご武運を」

 

 歩兵団の人間は『あの』ラングの部下とは思えないほど誠実である。

 彼らのようなまともな人間が下にいるからこそアドリア侯爵領はまだ形を取っていられるのかもしれないが。

 

 しかし、

 戦局を動かしたのは彼らではなかった。

 

 ────────────────────────

 

「わーっはっは!流石はナギじゃ!

 いけいけどんどんじゃ!!」

 

 大声で命じるとナギは火のブレスを辺り構わずに撒き散らす。

 魔力を大いに伴ったそれは地面やバリケード、兵士に当たると爆発を引き起こした。

 ただの竜族ではない。

 神竜族が竜石を解放するということはそれだけで特別な威力が発揮される。

 

「███!████████!」

「あー、わかっておるわかっておる

 その為に準備を続けてきたのだからな!」

 

 ナギに悪態でも吐かれたようで、応じるように書を一つ取り出す。

 

「闇のオーブは未だワシの手のうちにあり、依代としていた魔道書もあらば写しを作ることも可能

 つまりは、こういうことができる」

 

 ロプトウスはにたりと笑い、魔道書を起動するために名を呼ぶ。

 

「『偽書(イミテイト)ロプトウス』!」

 

 魔道書から魔力が引き起こされ、目視で指定した場所に禍々しい竜の幻影が立ち上ると、そこに居た兵士たちは力なく倒れていく。

 

「ユリウスめの魔力があれば偽書も真打ち同然の力を引き出せようが、それには及ばぬ

 だとしてもこの戦場であれば十分であろうさ」

 

 わーっはっはと哄笑を上げる。

 

「ロプトウス様に続け!我らの力を見せるときだ!」

 

 紋章教団で構成された兵士たちが一斉に魔道書を開く。

 

亜種(デミ)オーラ!」「亜種(デミ)オーラ!」「亜種(デミ)オーラ!」

亜種(デミ)オーラ!」「亜種(デミ)オーラ!」「亜種(デミ)オーラ!」

亜種(デミ)オーラ!」「亜種(デミ)オーラ!」「亜種(デミ)オーラ!」

 

 口々に魔力を注ぎ、亜種オーラが放たれる。

 威力こそ高いが、命中に不安を残す魔道書だが、これの使い方は戦争でこそ輝くもの。

 太い光の帯が放たれると、着弾地点に光の爆発が引き起こされる。

 煙などは起こらず、破壊力だけを残すそれは視界の妨げにならない。

 やや命中不安(アンコントローラブル)ではあるが、対象となる敵兵が多いのであれば問題はない。

 

「よーし戦果十分!旗を掲げよ!」

 

 ロプトウスの号令に従うように屈強な兵士たちが牙門旗(がもんき)を掲げる。

 それは将軍の身を伝えるものではなく紋章教団の存在を示すものであった。

 

「我らはアリティア聖王国が国教、紋章教団である!

 我らの目的は人と竜を一つとし、平和な時代を作り出すことである!

 人同士が支配し、奪い、争うお前たちの主は有徳の君子かどうか振り返るがよい!」

 

 ロプトウスの声は極めてよく通る。

 体のもとの持ち主であるユリアの血脈を考えても、やはり王族のそれであり、当人の性格上大きな声こそ出さなかったが、彼女の声もよく通るものだったのだろう。

 

 王の声というのはそれだけで人々の心に訴えかける力がある。

 マルスやシーダの説得が強い力を持っていたのは勿論、彼らが『人誑し』であることが最大の理由であろう。

 しかし、その次に来るのは声の質である。

 王とはその全身を以てどれだけの価値があるかを定められ、声もまた計られる要素なのだ。

 

 彼女の声に前線の兵士たちに動揺が走る。

 その刹那に、風切り音が鳴る。

 

「ロプトウス様!」

 

 信徒が彼女の前に立つと矢が突き立ち、斃れる。

 倒れた人物を見やり、ぽつりと「ばかものめ、ワシは竜だぞ。矢ごときで傷を受けるものかよ」と呟く。

 だが、明らかにその声音は捨て置くべき存在に対してのものではない、仲間を殺された怒りが滲むものであった。

 彼女はゆるりと射ってきた方を見る。

 

「呆けている場合か!マムクート如きの言葉に乱されるな!

 我らが主はハーディン様とニーナ様である!

 誰よりも気高き主を戴く我らに不安などどこにあるというのだ、武器を構えろ、突き進め!!」

 

 矢を放ったのは狼の旗のたもとに居る馬上の射手。

 狼騎士団の中心的人物でもあるウルフであった。

 

「そ、そうだ。ウルフ様の言葉とともに続くぞ!」

「我らにアカネイアとオレルアンの加護あらんことを!」

「進めぇ!」「聖王国を僭称するものどもに死を!」

 

 ウルフの一喝で立ち直った兵士たちが土煙を上げて殺到する。

 

「──勧告はしたぞ」

 

 ロプトウスはそう言いながら、自らの壁となって死んだものから亜種オーラを手に取る。

 

「こうなればもはや慈悲もなく、容赦もない」

 

 亜種オーラが燃え上がり始めるほどに魔力が込められる。

 

亜種(デミ)!オーラ!!」

 

 ロプトウスの怒号と魔力に耐えかねた魔道書が燃え上がって塵に還るとともに、莫大な力を秘めた光の帯が幾つも放たれて、攻め寄せる兵士たちを次々と爆殺していく。

 

 彼女たちの後ろからはトーマス率いる弓兵隊の支援射撃を背にしたトムス、ミシェランの歩兵隊が突き進む。

 

「「我ら竜とともにあり!進めぇ!」」

 

 トムスとミシェランがそう叫び、前線で敵とぶつかる。

 混沌とした戦いの幕はいま、完全に切って落とされた。



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マケドニア飛兵原理主義

「煙が立った!

 出撃(ゴー)出撃(ゴー)出撃(ゴー)!」

 

 森に隠された飛兵の出撃地点から次々も飛び立つ。

 飛兵の高度は低空を維持している。

 平野から少し離れた場所にある、なだらかな丘が続くエリア。

 その先にある森からの出撃は普段であっても目視は難しい。

 戦いによって平野では派手な土埃が舞っており、飛兵の出撃は完全に隠蔽されていると言っていいだろう。

 

 野戦の目的の全てはこれであった。

 

 ラングがマケドニアから引き受けた札付きの飛兵部隊たち。

 それは白騎士団だけではない。

 先代のマケドニア王に未だ忠義立てするものや、竜族との戦いにネガティブな反応を示したもの、

 単純に犯罪者などの前歴があるものなどが集められ、送られている。

 

「パオラ!お前たちはオクトウバ隊と共にアリティア主城を目指せ!

 ミネルバ王女をお救いしろ!」

「承知しました、ノフェンバ様!

 ですがオクトウバ隊は?」

「彼らは可能な限りアリティア主城で攻撃を続けて、お前たちの行動支援をする予定だ!」

 

 オクトウバは飛兵を使った犯罪を繰り返した空賊だ。

 性格も罪状も最悪だが、腕だけは誰もが認めるものである。

 

「……わかりました」

 

 オクトウバはマケドニア飛兵原理主義的な側面も持ち、タリスのシーダ王女を昔から殺してやると放言している。

 主城を狙う人材としてはうってつけなのだろう。

 

「ノフェンバ様は?」

「平野で戦う連合軍に応じて支援攻撃を行う、こちらのことは気にするな

 自らの仕事を成せ」

「はい!」

 

 ノフェンバの仕事は地上への支援もあるが、それ以上に札付きどもの督戦である。

 逃げ出すものや裏切ろうとするものを処罰するための部隊であるが、督戦するべきオクトウバから目を離すのはつまり、パオラたちに警戒を強めろというサインでもあった。

 

 しかし、パオラ、カチュア、エストの三姉妹は気がついていないが、彼女たちもまたオクトウバから督戦を受けている。

 ミネルバにほだされるだろうとノフェンバは見ていた。

 だからこそ彼女たち三人を利用し、ミネルバの意思に関係なく連れ出す算段を付けていた。

 オクトウバが彼女たちを人質にすれば引きずり出せるだろう、そういうことだ。

 

 ドルーアやグルニアからのルートは監視の目が厳しいが、グラを横切るルートは奇襲するにうってつけだ。

 次からは警戒されるだろうが、一回限りであれば確実に成功する。

 勿論、野戦で戦力や監視の目がそちらに行っていなければ上手くもいかないだろうが。

 

「パオラ姉さん、どうしても嫌な予感がするの」

 

 エストが言う。

 彼女は予知めいたことを言うが、彼女のそれは予知ではなく女の勘というものだ。

 

「オクトウバさんのこと?」

「なんかさ、ずっとこっちを見ている気がするんだよね……監視されてるみたいな」

「仕方ないわ、私達は今もミネルバ様に忠誠を誓っているのは事実だもの

 でも今回はマリア様をお救いすることが全て

 ミネルバ様とは交戦もしない、お会いもしない」

「マリア様が囚われているというのも本当なのかな」

「マケドニアの諜報部隊が調べたことだから、信じるに値するとは思うわ」

 

 エストの疑問に返すようにカチュアもまた会話に参加する。

 

「……そう、ね」

「どうしたの、パオラ姉さん」

「歯切れが悪い言い方だよ」

「……ねえ、二人とも

 お願いがあるのだけれど」

 

 パオラは諜報部隊や情報解析班を信じている。

 マケドニアが今日まで存続したのはそうした技術に秀でているからだ。

 だからこそ、思うこともある。

 

(正確な情報を得ているのは間違いない……けれど、それを私達に正確に伝える必要もない

 ……彼らからしてみれば私達は扱いやすい捨て駒なら……)

 

 パオラは最悪の想像を考える。

 だが、想像の中での最悪は、彼女が備えるべき最悪のレベルには辿り着かなかった。

 もっともっと最悪なことがあるはずだと思いながらも、心根の優しいからこそパオラの『最悪』の想像には限界があるのだった。

 

 だが、それでもというべきか、だからこそ、というべきか、

 彼女は策を打つ。

 

 ────────────────────────

 

「正気ですかい」

 

 禿頭の大男が訝しむ。

 

「正気だとも、オクトウバ君」

「まあ、それで無罪放免にしてくださるってなら安いもんですがね、ノフェンバ殿

 だが、後ろから三姉妹の誰かを殺し、ミネルバを釣りだせってところまでは、ええ、ようがす

 ミネルバを殺すために残りの姉妹を盾にしろってのも、手段はようがす

 しかし王女を殺すってのは、大丈夫なんですかい」

 

 オクトウバは愚かな行いを繰り返しはするが、馬鹿というわけではない。

 悪事を働く上で、その境界線をしっかりと調べてから悪事を実行する。

 だが、今回の仕事はどうにも境界線を大きく外れている気がしていた。

 境界線から外れるほどに命の危険は増えていくことを今までの経験から理解していた。

 

「飛兵が流れ弾で殺されることなど珍しくもあるまい

 それは王族でもお前のような罪人でも容赦されるものではないだろう」

「そうじゃあねえですよ、ミシェイル様がなんと仰るか、ってことを言いたいんで

 王の怒りに触れて縛り首なんてのはごめんですぜ」

「ミシェイル様のご命令なのだよ」

 

 その言葉に表情を歪ませる。

 理解しかねる、といった顔だ。

 

「自分の妹をですかい」

「お前の手にかかるような妹であれば要らぬ、とな」

「その言葉はオレのやる気に火をつけるにゃ十分なものですなあ、へへ……」

 

 飛兵が高速で移動する中、オクトウバはやりとりを思い出していた。

 おびき出すためにもまずはアリティアの弱卒どもをいたぶらねばならない。

 空戦ができるのはそう多くあるまい。

 であれば、シーダが前に出てくる可能性は高いだろう、本当の飛兵戦というものを痛みとともに教えてやろう。

 きっと楽しい時間になる、オクトウバは嗜虐の喜びを抑えきれずに不気味に微笑んでいた。



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アリティアの空

 オクトウバが手信号で三姉妹に合図を送る。

 内容は『先に前に出て攻撃を実行する』であり、作戦内容と照らし合わせれば防空部隊との交戦後にマリアが捕らえられているブロックに三姉妹とオクトウバの部下が入り込む。

 マリア確保後に脱出またはミネルバの説得という流れだ。

 

 防空を担っていた兵士たちを戦斧で次々と斬り伏せていく。

 いかに飛兵が弓に弱かろうと、距離を詰めて斬りかかられてはおしまいである。

 それも奇襲ならばなおさらだ、防ぎようもない。

 

「ふっはははは!ザコどもが!オレに勝ちたいなら飛兵を連れてこい、飛兵を!!」

 

 オクトウバの目的はシーダを戦場に引きずり出すことだ。

 趣味が高じての作戦ではあるが、聖王后を倒せば戦果は計り知れない。

 そのためであれば、残虐な手段など幾らでも取ろう。

 

 彼は殺した兵士の亡骸を掴むと叫ぶ。

 

「次こうなるのはお前の産んだ子供だ!

 いつまでも隠れていても何にもならんぞ!耳をすませばガキの鳴き声くらいは聞き取れるんだ!!」

 

 掴んでいた死体を投げ捨て、大いに嘲る。

 

 羽ばたきの音が強く響く。

 オクトウバはにたにたと笑いながらそちらを注視する。

 その表情はすぐに引っ込んだ。

 

(黒い天馬……?

 それに武器も帯びてねえだと?)

 

「戦いの中で誰かが散ってしまうのは、悲しいことですが戦場に立つものの常とも言えるでしょう

 けれど、産まれたばかりの子を指して殺す殺さぬは道理は通しません、私の道義も許しません!」

 

 シーダは明らかな敵意を纏いながら現れる。

 普段であればこうした敵愾心を表沙汰にするような女ではないが、我が子が狙われるとなれば別。

 彼女は王女でも、聖王后でも、飛兵でも、それらいずれの前に母親である。

 我が子を守るためであれば鬼にもなろう、鬼とも渡り合おう。

 

 抜き打つように魔道書を開き、魔力を走らせる。

 

「シェイバー!」

 

 その声と同時に放たれたのは空気を切り裂く不可視の刃。

 オクトウバがそれを回避できたのは今までの戦いを経た経験と、運の導きに過ぎなかった。

 

(今の魔法はやべえ、当たりどころが悪けりゃ一発で終わりだ

 しかし、なんだ?

 飛兵で魔道士なんざ聞いたことがねえ……!)

 

 脂汗を滲ませながら、戦斧を構えなおす。

 

(だが、当たりどころが悪ければおしまいは相手も同じだ

 見たことのねえ兵種でもあの軽装備で無敵の装甲だってのはありえねえ)

 

 ────────────────────────

 

「カチュア、エスト、計画の通りに!」

 

 着陸できそうな場所を見つけ、そこへと降り立つパオラ。

 カチュアとエストはまるで降り立ったように見せかけて、天馬に埋もれるような体勢をとって戦線を離脱する。

 この作戦にはミネルバ救出以外の目的を感じている。

 そうした作為に対抗するために、姉妹は別行動を取ることにした。

 何が正しいかを見極めるのが目的であり、この乱戦であれば誰がいなくなってもおかしくない。

 督戦をするためのオクトウバ隊は次々と撃墜されているのがその証左だ。

 結局天馬から降り立てたのはパオラだけであることが防空体制の厚さを如実に表している。

 

 中へと入ろうとしたときに現れた人影に彼女は立ち止まる。

 

「止まってくれ、パオラ」

「え……あ……み、ミネルバ様!?」

 

 自ら忠誠を向けた主、ミネルバが現れた。

 その姿は彼女たちがよく知る鎧姿でも、王侯貴族の平服でもない。

 マタニティドレスだった。

 服装の意味は理解できる、だからこそパオラは困惑した。

 

「そ、そのお召し物は?」

「いいや、その前に聞かねばならないことがある

 お前は何故ここに来た?」

「勿論、ミネルバ様をお救いするためです

 ですが、マリア様が囚われているからここから逃げられないのだとも聞いておりました」

「マリアの救出、後に私の離脱を計画にしていたか……」

 

 ミネルバはすまない、と言って言葉を続けた。

 

「ここには私の意思でいるんだ、愛する男も……いる」

「な、なにを言っておられるのですか?

 マケドニアの戦姫が──」

「パオラ、すまない

 私はもうマケドニアの戦姫ではないんだ、今の私はこのアリティアに身も心を捧げている」

「じゃ、じゃあ……私は一体、何のためにここに?」

 

 ────────────────────────

 

 シーダの攻撃は確実にオクトウバを追い詰めていた。

 近づこうと思うと距離を離し、逃げようと思えば容赦なく背に向けてシェイバーを放ってくる。

 

 魔道士相手は慣れている。

 オクトウバはそう言えるだけの戦歴があった。

 

 だが、この相手だけは今までの経験が役に立たなかった。

 魔道士は強力な魔道書を使い渋る。

 だからこそ一撃でこちらを殺せる可能性があるものではなく、数発食らっても問題ない魔道書を使ったりする。

 そういう相手には突撃して無理やり殺せばよい。

 

 そうではなく、死ぬ可能性のあるものを扱うもの……例えば貴族血筋の魔道士などもいるが、そうした相手は魔道書が使い潰されるまで遊んでやればいい。

 そうすれば前者の通りの魔道書だけになって、同じように殺せばいい。

 

 だが、シーダは違った。

 シェイバーを乱発し、それが使い切れば即座に違う、しかしより一撃死の可能性の高いそうな魔道書に切り替えてきた。

 王族の魔道士との戦いなど経験したことがない。

 無尽蔵にコストがある魔道士がこれほど厄介だとは思わなかった。

 

 どうすればいい、と考えあぐね、遂に答えを掴む。

 少し離れた所にパオラとミネルバが対峙しているのが見えた。

 

 ミネルバを盾に取るのは危険だ。馬鹿げた腕力で首をもがれかねない。

 であればパオラだ、よく見れば彼女は呆然自失としている。

 この機会を逃さぬ手はない。

 オクトウバは持っていた戦斧をシーダに当たらぬとしても牽制にはなるだろうと投げつけると同時にパオラへと殺到した。

 

 ────────────────────────

 

「白騎士団!」

 

 空から不意に声が掛かる。

 パオラはその状況の理解に集中するあまり、反応が遅れた。

 

 オクトウバはパオラの髪を掴むと短剣を抜いて突きつける。

 

「おっとお!悪いなあ白騎士団!ちょっとだけ命を借りるぜえ」

「な、私を盾にするというのですか」

「盾じゃあない、大事な交渉材料ってとこよ」

 

 にたりと笑う禿頭。

 

「さあ、アリティアの戦姫さんよ……こっちに来てもらおうか」

「み、ミネルバ様はご妊娠なされているのです、無体な真似をしないでください」

 

 パオラが懇願するも、

 

「だってよ!泣かせるねえ!故国を裏切って子供をこさえたお前さんに未だに忠義を示してくださる!」

「貴卿はオクトウバだな

 そのような真似をするものがマケドニアの飛兵であることが恥ずかしい」

「どっちが恥ずかしいのかねえ」

「恥ずかしいのは人質を取るオクトウバさんでしょう!」

「うるせえ!」

 

 パオラの非難にオクトウバが胴間声で叫んで返す。

 

「ミネルバ!どうする!ここで忠義の女を殺してでも自分の身が大切か!」

 

 ぐいと髪を掴んだ状態で短剣を首筋に強く当てると、血液が一筋流れ出す。

 

「止めろ!貴方に付いていく、だからパオラを離してやってくれ!」

「ああ、だめです、ミネルバ様……誰か!誰か私ごとオクトウバを倒しなさい!」

 

 ミネルバが叫び、パオラへと歩き出そうとする。

 

「ここには甘ちゃんしかいねえのはわかってんだ!オレを殺せるような奴はいねえ!

 時間取らせんな!早く来やがれ!!」

 

「どうだろうな」

 

オクトウバのものではない、男の声が通って響いた。



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シルエット

 トレントアスレチックタイムを駆使してオレは外郭からここまで飛んできた。

 が、トレントがアスレチックできることを知るものは少ない。

 相手からすればどんな手品だって話だろうな。

 

「どこから現れ──」

「オレの女に手を出そうとした報いを受けるんだな」

 

 獣人の曲刀を振るう。

 だが、流石にここまで来ただけあって、相手も戦い方はわかっている。

 長い髪の女(聞こえてきた情報を頼りにするならパオラだろう)を捨てて、腰から斧を取り出すとオレの攻撃を弾いた。

 パオラを盾にするには不安要素が多い。暴れられでもしたら間に合わず、オレがキレ散らかした結果としてもろとも殺すかもしれないわけだから頼るべきは自身の武芸となるわけだ。

 

「久しぶりに体を動かすんだ、少しは持ってくれよ」

「まさかレウス王か?

 おいおい、剣だけしか持たないで不用心すぎだろ?」

「こっちはお楽しみに入ろうかってタイミングだったんだ、鎧なんて着ている暇はねえよ」

「モテる男は羨ましいぜえ」

「ああ、そりゃもう最高だ」

 

 くだらない会話をしつつもお互いに距離を押し引きする。

 

「レウス!その男はマケドニアでも上から数えた方が早いくらいには実力がある!」

「対峙してるだけで伝わってきてるよ、ミネルバ」

「お褒め預かり光栄ってもんだ」

 

 鎧はないが、どちらにせよ鎧に頼った戦いにはならない。

 ローリングか、パリィか。

 どうあれ回避即反撃だ。

 

 禿頭が斧を持ち変えた。

 片手に斧、もう片手をフリーに。

 じりじりと距離を詰めてくる。

 

 こういう場合、相手のペースになるのが一番ヤバいんだよな。

 それくらいは経験でわかってんだ。

 

 オレは獣人の曲刀を振るう。

 相手も同時に斧を振るうが、相手の狙いは曲刀を合わせること。

 つまり、フリーになっていた手はオレの盾を掴もうとするわけだ。

 体格的にも禿頭がはるかに勝っている。ウェイトで言うと数階級は上だ。

 が、オレのパリィってのは狭間の地から来た技だ、返し方だけは無数に、無制限にと言えるほどにある。

 

 掴もうとした手より奥、つまり手首あたりを盾で外へと弾くと同時に、

 蹴りで相手の脚の側面を打ち当てる。

 ダメージ狙いではなくパリィを完全にするための体勢崩しだ。

 相手もよたつくがすぐさま体勢を戻そうとするが、既にオレは基礎戦術(ローリングからの背後取り)を実行している。

 

 獣人の曲刀を滑らせるように相手の体に走らせる。

『追撃』『突撃』が起動し、同時多発的に斬撃が禿頭を切り刻む。

 

「腕は良いんだろうが、お前以上の相手とは何度もやってんだ、こっちは」

「げへっ、付く相手を、間違った、か……」

 

 武器をしまうと走ってミネルバへと寄る。

 

「無理してないか?とりあえず中に入るぞ、気温は寒かないがそれでも万が一って場合もあるからな」

 

 オレは指笛を高らかにならす。

 とはいってもトレントを呼ぶものじゃない。

 メイドたちに来るようにと命じていた合図だ。

 その合図に従って彼女たちが現れる。

 

「ミネルバを頼む」

「承知しております」

「レウス、貴方は」

「やることがたくさんだ、先に寝てていいぜ」

 

 オレは走り、次はパオラに。

 

「お前も一緒に居てやってくれ」

「で、ですが私は」

「いいんだよ、わかってる」

 

 何かを言おうとし、顔をふるふると振るってから

 

「まだ戦いは終わっていません!」

「つっても今戦わせるわけにも……わかった、オレをあそこの高台まで運んでくれ

 奮戦を続けている嫁の手伝いをしたい」

「はい、承知しました!」

 

 パオラに運んでもらい、いつぞや拾った弓を使って防空の手伝いをする。

 オレの攻撃に気が付いたシーダは微笑みを見せた。

 戦場で舞う彼女を見たのは久々だが、やはり良い。空を舞うタリスの王女の美しさは不変だ。

 

 相手の空戦の主力は彼女によって次々倒されたのだろう、十分と判断したオレは手を振り、合図する。

 それに応じたシーダとオレは現場から撤収した。

 

 戦後処理は少しばかり長くなりそうだ。

 

 ────────────────────────

 

 迎撃できたのは運であった。

 夜這いに出向こうとしていたが、その受入準備をしていたシーダが外の異変に気が付き、先んじて出撃。

 オレはメイドたちを呼び、この後のことを軽く打ち合わせていると、ミネルバが現れてかつての部下がいると話した。

 で、禿頭のことをミネルバから聞いたオレは別のルートを使って屋上へと向かうことにした。

 どうせそういう奴は誰かしら人質にするってのはお約束だったからな。

 

 もしも、そうならなくとも屋上から弓で迎撃の手伝いをするなり、パオラが説得を通じないようなら不意打ちしてでも捕らえる必要もあった。

 

 結果としては全体通していい方向に転がったわけだ。

 

 パオラはめそめそとミネルバの前で泣いている。

 

「私はなんと愚かなことをしてしまったのでしょう

 ミネルバ様が幸せに過ごしているというのに、そこにこのような……」

 

 彼女は腰から短刀を抜くと何の躊躇もなく喉に突き立てようとする。

 

「どぅわあ!待った!待て!なんで!?」

 

 上げたことのない変な声を上げてしまう。

 焦って手首を掴んでそれを止める。

 

「こうなっては自刃する以外に謝罪のしようもありません!」

「薩摩の人なのか?それ全然名案じゃないからな!」

「サツマが何かはわかりませんが、どうか御慈悲を!お離しください!」

「お前が死んだらミネルバが悲しむぞ!あの顔を見ろ!」

 

 流石はパオラ、流石は白騎士団。

 細っこい腕にどんだけのパワーがあるのかってレベルだ、あぶなく筋力負けしそうになる。

 

 パオラがミネルバの顔を見ると悲しそうな表情を浮かべている。

 だが、止めることもない。

 それがマケドニアの流儀だとでもいうことか。

 

「ここはマケドニアじゃない。聖王国で、ミネルバは腹に子を抱えているんだ

 お前が呼び込んだ悲しみは胎教に良くない

 主の子はいい子で産まれて欲しいだろう?」

「……はい……」

 

 流石にその言葉に折れてくれたようで、短刀が離される。

 

「パオラ、何があったか聞かせてくれないだろうか?」

「はい、ミネルバ様……」

 

 オレは二人の姿を見ながら、温かい飲み物と話すに適した場のセッティングをメイドたちに伝えた。



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空挺

 レウスとオクトウバの戦いの一方、レフカンディの平野。

 そこは明確に連合側が劣勢へと向かっていた。

 

「敵の攻勢激しく、対処しきれません!」

「……切り札を使う!空挺竜を出せ!」

「空挺竜!空挺竜!」

 

 ノフェンバの命令にすぐさま遊撃を行っていた飛兵部隊が動きを見せる。

 伝令飛兵が忙しく駆け回る。

 何騎も亜種オーラやサンダーなどで叩き落されるが、なんとかノアのもとへ辿り着いたものが報告を上げる。

 

『空挺竜出陣、撤退の準備求む』

 

「……噂にあった守り人か」

「守り人……?」

「御上の方々が協力者から借り受けた兵らしい、ただ、命令不能で戦術兵器としてのみの運用ができるものだとか」

「コントロールできないものが兵器などと、ナンセンスな……理性のない竜を放つと同義ではないですか」

 

 ジョルジュの反論はもっともであるし、ノアもまた同様のことを持ち出すことを提案したノフェンバに伝えたものの、どうにもマケドニア本国でも使いあぐねたもののようで、消費したがっているようでもあった。

 

「どちらにせよ、防戦も限界だ

 全軍に撤退指示を出す」

 

 ノアの撤退を見たアリティア軍、特に前線で戦うトムスとミシェランは戦いは始まったばかりだという認識であったため判断に疑問を感じるも、

 その理由はすぐに判明した。

 

 ───────────────────────

 

「懸架縄切る!懸架縄切る!」

 

 空挺竜の乗り手が周囲に報告するように声を上げ、竜から吊るされたものを切って落とす。

 自由落下するそれはすぐに空中で体勢を取り直すと、土煙を上げて着地した。

 

「着陸確認!着陸確認!離脱する!」

 

 乗り手はまるで山津波が迫っているかのような形相でそこから逃げ出し、空挺竜を護衛していた竜騎士たちも同様に急ぎ離脱する。

 

 トムスとミシェランの軍は突然落下してきた何かを睨む。

 

 土煙が晴れたそこに立っていたのは隻眼の女だった。戦士といった風情の装備を纏っている。

 その片手には戦斧、いや、大戦斧と呼ぶべきものが握られている。

 

 爛々と輝いた瞳をアリティア軍に向けると『それ』が踏み込む。

 たった一足の踏み込みであったはずが、十歩二十歩は先へと突き進み、一瞬で距離が詰められる。

 

「……!」

 

 言葉もなく、気迫だけが伝わる。

 振られた斧によって数名が一撃で粉砕された。

 トムスとミシェランはすぐさま撤退を命令、自分たちが盾にならんと前に出た。

 

 大戦斧の一撃は軽々とトムスの盾と鎧を砕くが、そこはアカネイアの猛者で知られた男。

 インパクトの瞬間に盾を離し、後ろへとエスケープする。

 盾と鎧こそ破壊されたが傷は受けていない。

 二人はこれは死地になると理解し、互いに頷く。

 

 その瞬間に矢が一つ飛来し、女戦士の注意を引く。

 

「二人とも撤退を!」

 

 トーマスであった。

 後方からの援護を仕事とする彼は同時にトムスとミシェランの部隊への指示を伝える役目も追う。

 仲間思いから来るものではあるまい、彼とて戦場の冷酷さを理解している。

 これは戦術的な行動としての『指令』である。

 

 その声を聞いた二人の行動は早かった。

 すぐさま離脱体勢を取る。

 女戦士は追う構えを見せるも、遠距離から矢継ぎ早に射られる矢を防ぐのに手一杯になっていた。

 

 だが、それもそこまで。

 体を低くし、肉食獣のような姿勢からの踏み込みで一気にトーマスへと突き進む。

 矢が幾つも彼女の体を抉るが、どれも致命傷には程遠い。

 空中で大戦斧を構え、振り下ろそうとしたそのとき、激しい一撃が女戦士の横腹に叩き込まれた。

 

「硬い」

 

 ナギである。

 竜ではなく、人の姿を取っていた。

 

「できるものだな」

 

 竜族の課題は幾つもある。

 種族としての課題は子孫を作れないことではあるが、兵科として言うのであれば竜石が有限であること。

 そして竜石を使わなければ人間と同じ程度の力しかない上に、武器の扱いが苦手であることが挙げられた。

 今までは竜族は竜石がなければ無力であったが、同じ竜族であるロプトウスは魔道を操り、必要あらば武器を持って戦うこともできた。

 彼らからすれば武器を扱うということそのものが思考からなかっただけであることがわかる。

 戦うことそのものも忌避しがちな思考の上で、戦うならば竜になるのが最も早い手段であればそうもなろう。

 

 勿論、竜族が竜石を使わなければ常人程度しか力はないし、寿命が長いせいなのか、筋力を含めた肉体的な変化や成長が著しく遅い。

 マムクートの一般的な戦闘能力を解決する手段はないようにも思えた。

 

 しかし、神竜族は違う。

 肉体の基礎的なスペックは人よりもむしろ神に近く、細い手足に見えても常に竜化しているかのような力を発揮できる。

 本来のナギであればそのような粗暴なことを望まないものかもしれないが、ここに立つナギは自我を得て、自らの足で歩き出した一人格である。

 必要があれば神秘性や達観といったものを捨ててでも事を成すための行動を取る。

 

 彼女が選んだのは素手であった。

 勿論、手引書ありきではある。

 どこからかの漂流物にあった『体術』の心得が書かれた巻物を読み込んで、体得したもの。

 今も彼女の腰には大きな巻物が帯びられている。

 

「守り人というやつか」

「……」

「トーマス、帰っていろ

 巻き込んだら困る」

「は、はい……神竜様、ご武運を」

「うん」

 

 素朴な返事に毒気を抜かれながら急ぎ逃げ出したトーマス。

 それに獣じみて反応した女戦士の肩口に鋭い蹴りが叩き込まれる。

 

「お前の相手は私だ、それとも怖いのか、私と闘うのが」

 

 神を冠するものにしては安い挑発だが、女戦士は逃げるのかという言葉は痛烈に響いたらしい。

 睨むようにして大戦斧を構える。

 

「意識がないものとエリスから聞いていたが、泥人形というわけではないのだな

 ……哀しいことだ」

 

 ナギも大戦斧に応じるように緩やかで広い構えを取る。

 それは或いは抱擁のような姿勢にも見ることができた。



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隻眼の守り人

「げほっ……お、親父……」

 

 隻眼の戦士、マリスは凄惨な戦場に死兵として敢闘した。

 這いずるようにして倒れている父、ダイスへと近づく。

 その体には幾つも矢が放たれたあとであり、死んでいるのは一目瞭然であった。

 

「俺たちみたいな傭兵にはお定まりの終わり、って……わけか……」

 

 父を先に逝かせたのは悔しいが、娘である自分が眼の前で死ぬよりはまだしも良かったかなと考える。

 彼女の体にも矢やら槍やらが突き刺さっている。

 生きているのが不思議なほどだ。

 

 装備でごまかしてはいたが、あの戦い方は間違いなくオレルアンの狼騎士団たちのものだ。

 傭兵としての経験からアカネイア大陸にいる猛者たちの戦い方は理解している。

 

 彼女はサムスーフ侯を引き継いだ男に雇われていた。

 死兵として扱われる予定はなかったが、何分急な戦闘であった。

 戦時徴発ではなく、他領での掠奪(りょうだつ)を目的としたものだった。

 彼女たちの後ろには村があり、彼らが進めば村は納めるべき税を奪われ、サムスーフ家の怒りを買うことになる。

 村といっても、かなり大きな穀倉であり、サムスーフにとっての生命線の一つでもあった。

 

 狙われる理由もわかる。

 雇われ者の気概としてというよりも人道的な判断として自ら死兵としたのだった。

 

 百名に満たない傭兵であったが、戦った相手は三倍、それも正規兵のに対してよく戦ったといえるだろう。

 村は守られた。

 しかし、自分たちもまた命を落とすことになったわけである。

 

 命の灯火が弱くなっていくのをマリスは感じていた。

 その時、一つの明かりが見えた。

 

 狼騎士団が逃げたのとは別の方向。

 それは矢であった。

 ただの矢ではなく、火矢であり、それはマリスではなくマリスたちが命を使って守った村へと放たれたものだと気がついたのは村に火が次々と上がったことからようやくわかった。

 

「な……なぜ」

 

 狼騎士団の由来はその名の通り、狼の如き戦術(ウルフパック)を得意とするからである。

 彼女たちと死闘を演じたのはあくまで彼女たちを引き付けるためのもの。

 乱戦で気が付かなかったかもしれないが、彼女たちを明確に殺したのは前線にいたものではなく、後方で矢を射かけていた別働隊であった。

 

 撤退に見せかけたのは傭兵たちを沈黙させたからに過ぎない。

 

「そんな……どうして、火を、やめ、」

 

 村に手を伸ばす。

 だが、もう力が入らない。

 

 狼騎士団の目的は掠奪ではない。

 サムスーフへの恫喝である。いつでもお前を殺せるのだから、戦備を整える手伝いをせよというものであった。

 ただの傭兵であるマリスにはそんなことはわからない。

 わかることは、守ろうとしたものがあっさりと奪われ、破壊されていくということだけ。

 

「いやだ、やめてくれ」

 

「お前に止める力を渡してもよい」

「誰、だ……」

「わしの名はガトー、白き賢者と人は呼ぶ」

 

 声が響いた。

 マリスにはそれが人ならざるもの、悪魔の声のように聞こえた。

 

 ───────────────────────

 

 眼の前の女はとてつもなく強い。

 人間ではあるまい、と機械的に判断する。

 

 かつてマリスと呼ばれていた守り人は人格の全てを捨てることで父が持っていた戦士としての経験の全てを受け取り、竜の力を秘めた斧を与えられていた。

 

 限界まで肉体の能力を引き上げられた彼女は素手ですら容易に人体を引き裂けるほどの腕力や膂力を備えた。

 しかし、守り人と成って尚、彼女に刻まれた何かを守るという強い執念はあらゆるものに作用してしまい、自らに触れるものにすら容赦なく攻撃を行う狂戦士と化してしまっていた。

 

 それ故に、彼女は常に拘束され、必要あらば懸架縄によって竜に吊り下げられて投下して暴れさせるという使い方のみを考案された。

 実際に使われたのは数度、それも賊の討伐にのみだった。

 

 強力すぎたそれを(マケドニア)は持て余した。

 それに、暴走しない保証もない。

 守るべきものがある場所ではとてもではないが使えない。

 ガトーによってマケドニアに渡された守り人はミシェイルも扱いに困ってノフェンバへと渡されていた。

 

「どうした、先程までの苛烈な攻めは」

 

 相手が話そうが話すまいがナギには関係ない。

 ずっと眠っていたのだ、人との会話に飢えている。

 特に敵との会話は彼女の歴史にはないものだったからこそ、より多くを求めた。

 相手が返答せずとも、態度や振る舞いで彼女は会話を成り立つとしていた。

 

「守り人とてものを考え、明日を思うものか」

 

 絶大な筋力から発揮されるフェイント込みの踏み込み。

 残像が守り人マリスの判断を狂わせる。

 ならば同時にと横薙ぎに振るった大戦斧はその両方が残像だったことを知らせた。

 

「外れだ」

 

 強烈な正拳突きが背面から叩き込まれ、マリスが纏う黄金の鎧が(ひしゃ)げた。

 

「硬い」

 

 自分の手を撫でながら再び距離を図る。

 

「どうにも調子がおかしいように感じるが、ふむ?

 お前、その武器が本当の得手というわけではないのか?

 何度か人間と戦いはしたが、その間合いや息の使い方は斧ではなく剣のものに思える」

 

 マリスはその言葉に反応する。

 空っぽのはずの守り人。

 ものを思うのは脳だけではない。

 修練を繰り返した肉や皮。

 痛烈な痛みにひっくり返りそうになる臓物。

 何より空っぽにされたといえども、その心に染み付いたものは消しようがない。

 

「私はお前の全力と戦いたい、だが、今のお前はそれは許される立場にないのだろう

 お前の望みも私と同じくするのなら、全力で戦いたいのなら、一度引いてみるのはどうだろう

 このまま殴り合いをすれば私が勝つぞ

 負けて逃げたとなればお前を操るものも考えを改めてくれるのではないだろうか」

 

 ナギはその人生経験の浅さからデリカシーが欠けていた。

 ただ、この発言は天然のものではない。

 神竜は高い知性を持ち、人々を導く存在でもあり、その才覚を扱って欠けているその感性を利用してみせたのだ。

 

「……」

 

 マリスは構えを緩く解く。

 隻眼は意思を感じないものだが、ナギは訴えかけているものを察していた。

 

「すまない、私ではお前を救えない

 だから、次にあったときはきっと解放する

 それで許してくれるか」

 

 幽かな自我の浮上か再生か。

 隻眼の守り人は小さく頷くと、その場をゆっくりと去るために歩きだした。

 

 ナギはその背が見えなくなるまでじっと見つめていた。

 警戒のためではない。

 戦場で竜ではなく人の姿で戦った初めての相手を、愛おしく、しかし救いきれぬことを慚愧するかのような思いで見送っていた。

 

 マリスが去った頃、両軍もまた撤退を完了させていた。

 連合側は明確にアリティアとアカネイア地方の動線を譲り渡すような逃げ方をし、どちらの勝利かをはっきりとさせる形となった。



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ドルーアへの旅路

 状況は考えているよりも悪かった。

 オレルアン連合は五大侯とグルニア、マケドニアとの共同戦線を決定した。

 とはいっても、明確な対アリティア包囲網というわけではなく、ドルーアと戦うグルニア、マケドニアをアリティアに邪魔させないための一時的な措置らしい。

 

 パオラは妹たちをオレルアンとアカネイアパレスへと進ませたらしい。

 緊急措置は前から考えていたらしく、カチュアはオレルアンに、エストはパレスに。

 オレルアンに対してマケドニアの情報を売る代わりにミネルバを助けるための協力を求め、

 エストはミネルバが持っていた隠れ家を確認し、無事なようであればそこで隠遁の準備を整える手筈のようだ。

 エストはさておき、カチュアはどうだろうか。

 すぐさま助けてやる、とは言えない。

 パオラもそれは納得しているのか、彼女から助けてほしいという言葉が出ることはなかった。

 

 まあ、しかし、ミネルバの手前だ。

 その話題を出さないわけにもいかない。

 

「時間は掛かるかもしれないが、三姉妹は揃うようにしてやりたいと思っている」

「ご慈悲に感謝します、閣下」

「お前にはこの後どうする、とは聞かん」

「はい、いかような処罰も──」

「ミネルバの侍女として仕えろ」

 

 有無を言わさぬ。

 ミネルバもパオラに「貴方が側にいてくれたなら安心できる」と告げて、彼女個人としても罪に問わない姿勢だ。

 或いは、不明という不忠を晒したことを挽回することが贖罪であることを理解し、頷く。

 

 ────────────────────────

 

 ドルーア領は混沌としていた。

 王たるメディウスは外に興味を向けず、同時に彼に従う竜族の多くも静観していた。

 

 グルニアは着々とホルム海岸に戦陣を構築する。

 マケドニアもまた、この時のために準備を進めたドラゴンナイツの大部隊を動かすための準備を進める。

 

 マケドニア首都ではそれとは別の動きがあった。

 

「このままこの街で平穏に暮らす、という選択肢は……ないんじゃろうなあ」

「はい、なすべきことをなさねばなりません」

「ここまで来たのだから、わしも手伝わせてはもらうが……無茶をすればするほど心を痛めるものがいることを忘れてはなりませんぞ、レナ殿」

「はい、それでもここで動かなければ私は自分に嘘を付くことになる

 嘘を付いてしまえば、私はレウスの前に立つ資格もなくなるような、そんな気がしているのです」

 

 マケドニア首都から隠れて逃げるのは二度目。

 レナにとってはもはや慣れたものだが、慣れているのは相手も同じ。

 国境近くで兵士たちが彼女たちを止めた。

 

「レナ様ですね、お戻り下さい」

「この先はドルーア領、なにを考えておられるのです」

「ミシェイル陛下のご慈悲に甘えるのも程々になされよ」

 

 騎士たちのレナを見る目は冷たい。

 レナもまた、ミシェイルを誑かす毒婦扱いをされているのを理解はしている。

 

「このまま戦いになれば戦いを覚悟していないものたちが犠牲になるのですよ、あなたたちもそれで良いというのですか?」

「ドルーアの民なぞ、敵だろう」

「レナ様、やはり敵に通じておられるか」

 

 聞く耳持たずどころか、曲解とも言える取り方をしてくる。

 

 刹那、光が瞬き、兵士たちは飲まれるようにして消し飛ばされ、命を落とす。

 

「レナよ、我が名はガトー

 人はわしを白き賢者とも呼ぶ」

 

 光を扉のようにして現れたのは白髪白髭の巨漢。

 その気配は人から逸脱した、圧のようなものを纏っていた。

 

 ───────────────────────

 

 ガトーとのやり取りが終わったが、それを知るのはここにはレナとリフだけだ。

 白き賢者は彼女に魔道書を渡して消えた。

 それだけが明確な結果であった。

 

「やれやれ、無茶をなさるわい」

 

 リフが冷や汗を袖口で拭く。

 無駄だとわかってはいたが、彼もまたレナの前に盾となるように立っていた。

 

「流石にわしは何も言い返せんかったが、レナ殿はよかったのかね」

「これでよかったのです、確証は何もないのですが、悪い方向には転がらないはずです

 さあ、参りましょう」

 

 そうして歩を進める二人。

 女と老人の歩速だ、旅路は長いものとなるだろう。

 

 ───────────────────────

 

「やれやれ、なんとか間に合ったか……追いつく前に見えたあの爺さんは何だったんだ?

 ……ま、いいかあ」

 

 ガトーのことは知っているが、他人に興味のない男はそれが誰かを判別しなかった。

 

「さて、と

 先回りして、やることやらなくっちゃあな」

 

 顔をまるまる隠せる兜を被り、槍を構える。

 

『彼』は一足先に道中を進み、賊も、同国人の騎士をも追い払った。

 必要があれば手を汚した。

 全て、彼にとってどうでもいい相手だ。自分も含めて、彼女を上回る価値などない。

 手が血に汚れようと、名誉が穢れようと、関係ない。

 

 数週間の時間の後にドルーア領に入った二人を見る。

 この先であれば竜族に襲われることもないだろう、対人関係であれば彼女の説得に耳を貸さぬものは少ないはずだ。

 彼女には元より備わった人を従わせるような魅力がある。

 

「兄ちゃんが手伝えるのはここまでだ

 レナ、幸せになるんだぞ」

 

 兜を取り払い、目線の先に居る妹を心の中から送り出す。

 彼女の兄である放蕩者、マチス。

 周囲からその妹への偏愛っぷりからバカ兄貴と呼ばれることもある。

 家督を捨てるような真似をしたのは家格が下がればミシェイルもレナを諦めざるをえないだろうという判断だったりもした。

 結局、逆にそれがミシェイルの家臣の怒りに触れて前線送りになってしまったりもしたが。

 

 様々な勢力を渡り歩きなんとかレナの側まで帰ると、それからは顔を隠し、身分を隠して彼女を守り続けていた。

 

 レナはふと足を止める。

 そしてマチスの方へと向き直ると、口を何度か開く。声こそ発していないが、何かを伝えている。

 そうして、頭を下げると、再び彼女は歩き出す。

 もう振り返ることはない。

 

「ったく、オレはどこまでもバカ兄貴だぜ……なんもかんもバレバレだったかよ」

 

 苦笑いを浮かべながらも、彼は救われた気持ちで胸がいっぱいだった。

 兄妹だからこそわかる。

 最後に彼女が伝えたのは

「兄さん、ずっと守ってくれてありがとう」

 その感謝の言葉であった。

 

「……さて、と……

 オレはレナが想い人を連れてくるまで家を守っていかねえとな」

 

 マチスは馬を走らせる。

 バカ兄貴とまで言われた男のそれが妹と過ごすために身の振り方を考えただけの昼行灯であったことが判明するのはそう遠くない話だ。

 マケドニアでバラバラであったミネルバ派の貴族たちを取りまとめ、政治的手腕を発揮するのもまた、そう遠くない話である。

 



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レナとメディウス

 グルニアの侵攻部隊はグルニア王国の対岸に位置するホルム海岸に陣を敷き、ドルーア帝国とを隔てる山脈で進軍できるルートを次々と見つけていった。

 元々、マケドニアに雇われた山岳兵たちによって地図は多く作られていたので見つけたというよりも確認したという方が多くの場合は正しかったが。

 

 本来であれば飛竜たちの格好の的となるが、その飛竜たちはミシェイル率いるドラゴンナイツと、ホルム海岸から進んだグルニアのシューター隊が次々と撃破していく。

 飛竜の亡骸を絨毯にするようにして、飛竜の谷は次々と攻略されていく。

 

 その一方で、レナがドルーア首都へと辿り着き、主城へと歩を進める。

 ドルーアの主城に他国の人間が足を踏み入れたのは久しくないことだった。

 それこそ、明確な協力者であったガーネフを除けば、数十年か、数百年ぶりかもしれない。

 

 守護するものもいない城の中を進む。

 構造を完全に理解しているわけではなかったが、巨大な気配を感じて進めば自ずと目的の人物に会えるだろうことをレナは察していた。

 そうして辿り着いたのは恐らくは謁見の間というべき空間であった。

 離れた場所には絢爛というよりも落ち着いた暗色と、鈍い色を返す金で装飾された大きな玉座に座る巨漢が見受けられた。

 彼は睥睨すると、口を開く。

 

「マケドニア貴族、レナ

 いや、漂泊の司祭と呼ぶべきかね」

「お初にお目にかかります、マケドニアの……とは言えませんので、ただ、レナと名乗らせていただきます

 私をご存知なのですね、メディウス閣下」

「お前をというわけではなく、レウスを追っていたらお前を知ったと言うべきであろうな」

 

 レナはマケドニアを抜け出してから旅をし、そうして故国へと戻ってきた。

 その遍歴を名誉とするために国が与えられた名こそが『漂泊の司祭』であったが、名誉ならざるような響きなのはマケドニアの、というべきか、ミシェイルの家臣たちによる嫌味であるところが大きい。

 二つ名とは騎士でなくとも名誉と身分の証明になることが多い。

 

「わしはお前たちの存在を感知することができるが、その心や考えを知るわけではない

 ここに来た理由を教えてもらおうか」

「メディウス閣下、不遜な言葉ではありますが……」

「どのような言葉でも構わぬ、そうしたものに心をざわつかせるほど若くはないわ」

 

「では」と、レナが態度を正すようにしてから、

 

「閣下は民草を逃したい、そうお考えなのではないかと思っています」

「何故そう思う?」

「ドルーア帝国が竜族の勢力となって早い時期に都市開発を行われたのを国元で聞いております

 平定後を見越して港あたりを整備し、多くの民をそちらへと住まわせたと」

「そうだ」

「ですが、実際に民を動かし始めたのは聖王国の樹立頃

 つまり距離こそあれど対岸には敵国の領地が存在するのに動かした

 ……閣下は聖王国こそ、民たちが逃げる先にちょうどよいのだとお考えなのではないですか?」

「同盟であるマケドニアやグルニアを差し置いてか?」

「事実、その両国はドルーアへと進軍しています

 この計画がここ最近に作られた計画ではないのは足並みの揃い方や進軍速度からも明らかです」

 

 レナこそシスターの道を歩んではいるものの、その家は武門の一族であり、赤い髪が証明しているように血脈を遡ればマケドニア王家にも祖を見ることができる。

 マチスもその才覚を眠らせていたが、レナの才能はそれを遥かに凌駕している。

 仮に彼女の心根が戦いへと向いていたのなら、ミネルバと共に転戦し、彼女のための派閥を強くし、そしてマケドニアの現在は大きく変わっていたことだろう。

 

 シスターの道を歩んでいようと、戦略眼の才が潰れるわけではない。

 マケドニアとグルニアのここ最近の動きは彼女からしてみれば明らかに不審であった。

 両軍ともにあえて戦力を減らすような戦いをしている。

 まるで何かの(ふるい)にかけるように。

 

 マケドニアが軍を進める上で飛竜の谷と呼ばれる死地は避けて通れない。

 そこに進めと言われて進めるのは命をも惜しまない忠義の士だけであろう。

 逃げるものがいれば全体の秩序と士気にも関わるとなれば、兵数よりも求められるものがある。

 例え現在進行形で飛竜の谷にミシェイルたちが死体を積み重ねていようと、相当の被害を出しながらの進軍であるのは間違いがない。

 

 グルニアで言えば、聖王国との境界線がそれに当たる。

 不意にアリティアが動けばグルニアを守れるのは命を捨てて戦い続けられるような軍だけだ。

 かつての軍部の腐敗は著しく、そのままにしておけば笑って国を売るようなものたちばかりであったろう。

 いつかは切り捨てねばならない腫瘍であったのは間違いない。

 

 レナが以前より計画されていたと考えるのは、グルニアの紛争がきっかけであり、その後にマケドニアが飛竜の谷を越えるという軍事作戦を別の貴族からリークされたことが決定的であった。

 

「その考え、戦線に出たわけでもないのに理解しているとはまずは見事だと褒めておくべきであろうな」

 

 人の身ではない伝説にも謡われるような存在であるメディウスがそれらを知らぬわけもない。

 漂泊の司祭であれば、そうした情勢を理解した上で民草を逃がすことを提案してくるだろうと、そう考えていた。

 

 メディウスは小さく笑い、そして普段どおりの顔に戻った。

 

「であればわしが次にお前に言うこともわかっておろう」

「民草をアリティアへと逃がせ、ですね」

「そうだ、もうじきドルーアは戦火に包まれよう

 漫然とこの国に根付いていたものたちだ、それで死ぬも本望かもしれぬが、別の道を指し示せるものがいるならば頼るほうが面白そうだと考えてしまうものよ」

「メディウス様はいかがなさるのですか?」

「わしはここから離れられぬ、事ここに至らば封印などあってなきようなものだが……わしが離れれば地竜たちが一つまた一つと目を覚ましかねぬ

 ナーガとの約束が終わるまでは地竜どもをあやしてやらねばならん」

 

 ナーガとの約束というものに興味がない訳では無いが、それは立ち入りすぎというものだろう。

 レナはそう考え、返答した。

 

「……承知しました、ではドルーアの民は必ず私が──」

「レナよ、これらを持っていくがよい

 漂流物にわしが少しばかり手を加えたものだ、それがあればメディウスの認めたものだとして皆従うであろう

 その後にそれをどう使うかもお前が定めて構わぬ」

 

 レナが渡されたそれは狭間の地では『宿将の軍旗』と呼ばれたものであるが、旗の紋章はドルーア帝国とメディウスを示すものに変えられている。

 それらから強い魔力を感じるということは、顔料として竜の、もしかしたならメディウスの血が使われているのだろうかとレナは思う。

 

「お目通りの許可をいただき、感謝いたします」

「定命の時間を自らの幸福にも活かすがよい」

 

 頭を下げ、レナはその場を後にした。

 

 外で待っていたリフは彼女に大丈夫であったかを問うと、

「はやくレウスとメディウス閣下を引き合わせないといけないかもしれません」とぽつりと口に出した。



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難民船団

「陛下、南の港からの報告です」

 

 リーザ、シーダが昼寝をしている間にクロムとルキナのお守りをしている。

 ……我が子ながらなんという可愛さだろう。

 正直オレがこういう父性愛を赤子に向けることになるとは思いもしなかった。

 そんな幸せ時間を引き裂いたのは一つの伝令であった。

 

「なんだ」

 

 不機嫌にならないように自分の感情を制御する。

 この二人にはオレのようになってほしくない、怒りの感情なんかは二人の前では禁止だ。

 

「難民を乗せた船団がこちらに向かってきているとのことです

 パオラ様とシーダ様麾下の飛兵が確認しております

「難民?どこからの?」

「ドルーアからとのこと、代表者が陛下との会合を望んでおられます

 名を出せば信用してくれるからと」

「信用?ドルーアに知り合いなんぞ──」

「レナ様と仰っておりました」

「すぐに会いに行く、オレを乗せれる飛兵の手配を頼む」

 

 その食いつきに家臣は焦りつつも言われるとおりに準備を進める。

 港まで到着すると確かにはるか先の沖合に船が幾つもあるように見えた。

 

 先着していたパオラがオレに向かってくる。

 

「陛下がよろしければ私の天馬に乗っていただくのは可能でしょうか

 早さと練度で言えばそれが最上なのです」

「ああ、頼む」

 

 即答するとパオラは

 

「あの、その……信頼してくださるのですか?

 先日私は」

「結局何も害を及ぼしちゃないだろ、パオラ

 大切な主のために来て、そしてうちで働くことになった以上のことなんてない

 今もこうしてオレの為に動いてくれている」

 

 パオラは小さく頷き、「その信に報いるよう努力いたします……」と強い意思を感じさせる声で言う。

 ううん、一事が万事こんな感じだ。ミネルバもそうだが感情一つ一つが超絶重いのってマケドニアの気風なんだろうか。

 マリアは……いや、マリアも明るく言っちゃいるが、あの年で覚悟の決まりっぷりは通ずるものがあるか。

 

 などと思いながら天馬に乗せてもらう。

 流石に自分の女でもないので密着するのは少々抵抗があるものの、パオラから「危ないのでしっかりと捕まっていてください」と言われたのでありがたくそうさせていただく。

 う~ん、でかい。

 

 ───────────────────────

 

「パオラ、あれ……なんだ?」

 

 オレは西の方を指差す。

 風の方向的に帆にそれを受けるわけでなし、動力もなしに高速で難民船団に向かう小型艇が数隻。

 エルレーンが船の種類と動かし方について言っていた。

 魔道士を利用しての強引に進ませる方法がある、って奴だ。

 緊急手段ではなく、魔道士そのものを外燃機関代わりにして高速艇を用意することができるってことか。

 魔道士の出力的に小型艇が精一杯ってことなんだろう。

 

「ええと」

 

 飛兵はおしなべて皆視力に優れている。

 パオラはオレの知る飛兵の中では特に目が良い。

 

「中央の少し大きめの船に張られた帆の紋章で確認できるのはグルニアのものです、ただ国軍のではなく、上から別のものが書き加えられています

 おそらくグルニア人によって組織された賊だと思われます」

「あのデカいのにオレを落としてくれ」

「そんな」

「頼む、難民の船団に手を出されたくない」

「では、残りは私とシーダ様から借り受けた兵で何とかしてもよいでしょうか」

「死なないと約束できるなら」

「必ず、生きて戻ります」

 

 オレは頷くと、小型艇の中でそれでも一番大きそうなものを指して、空中から自由落下する。

 スーパーヒーロー着地は体に悪いそうなのでクッション代わりに敵兵の上に着地した。

 ひどい音共に挫滅した兵士からゆっくりと立ち上がる。

 

「ここらはオレのシマだってことは知っていて来てるんだよな?」

「まさか聖王か?」

「まさかの聖王だ」

「馬鹿が!テメエから餌になりにきてくれるとはな!テメエら!船の上はオレたちのホームだ!

 (おか)の軟弱者に目にもの見せてやれえ!」

 

 おお!と声を上げる敵兵、というか賊徒たち。

 グレートソードでひき肉にしてやりたい気持ちもあるが、万が一船が壊れて沈んだら救助しに来るであろうパオラに迷惑が掛かる。

 神肌縫いならばヘマをしても船底に穴を空けるなんてことにもならないだろう。

 たまには血を啜らせてやらんとな。

 

「レイピアか!王族気取りの簒奪者めが!」

「そういや、レイピアは王侯貴族の手習いだったっけか」

 

 と返事をしたあたりで、フィーナの姿を思い出す。

 

「……悲しいことを思い出させてくれるじゃねえか」

「何を言ってやがる」

「体を動かして気分を払拭しないとなあ!」

 

 そう言って、オレは手近な一人に突きかかる。

 防がんとした相手だが、腕を引くのと回り込むような足さばきを使い、再度狙いを定め直し、次は踏み込みとともに貫き倒す。

 賊が血を吹き出させながら倒れたその音が戦いのゴングとなった。



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波の上の戦い

 一振りするごとに一人倒れ、一突きするごとにまた一人倒れる。

 獣人の曲刀の強さに頼っていたが、久々に使うと神肌縫いのリーチの頼もしさに惚れ直す。

 

「レウス王、アンタに聞きたいことがある」

 

 そういって現れたのは大柄な男で、この船の、或いはこの船団の主と言われても納得できる風格の男だった。

 

「なんだ」

「アンタは神を信じているのか?」

「いいや、信じてはいない」

「なのに宗教の長になるのか」

「ああ、神の万能を信じちゃいない

 実在を知っているからな」

「自分のことか?」

「オレ以外にも神様の知り合いが多くてね」

 

 大男は斧をオレに向ける。

 

「オレも神様にあったことがあるんだ、ガトーってやつだ

 アンタの知り合いか?」

「知り合いってわけじゃないが、まあ、敵だな」

「神同士でも争いがあるのか」

「そりゃあ勿論、神も人間もさしたる違いなんてねえよ

 人より強けりゃ神と呼ばれることもあるだろう、こんな世の中だからな」

「安心したよ、ガトーって奴に声をかけられたお人を助けるために武器を向けたのも、アンタにこれから武器を向けるのも地獄行きかどうかの査定には引っかからなさそうだ」

「そりゃそうだ、オレもガトーも信仰対象じゃないならそれ以外の、お前が崇める神が判断してくださるだろうよ」

「なるほど、そりゃあもっとも……だッ!」

 

 踏み込みと同時に背に隠していた手斧を投げ、オレの反撃の手と有効な距離を潰してくる。

 かなり戦い慣れている相手だ。

 やっかいなのは船の揺れ。

 相手は揺れを利用して、飛んで跳ねてと、オレで言うところの回避技巧(ローリング)じみた動きをしている。

 視線は決してオレからは離さない。

 

 神肌縫いを構えなおすが、連続突きを放つ隙を伺うことは難しい。

 相手が大きな波と同時にこちらへと踏み込む、いや、飛び込んできたと言うべきだろう。

 斧の一撃を神肌縫いで防ぐが、それだけだ。

 これ以上は防ぎきれない。

 次の攻撃が来る前に小盾に持ち替えてパリィを──

 

「ブリザー!」

 

 声が響く。

 オレは勿論、相手も予測していない場所からの攻撃だったらしく、武器を持った腕ごと氷漬けにされている。

 

 魔道の使い手は軽やかな身のこなしでオレの横に降り立った。

 

「お久しぶりですね、レウス……その御心、少し落ち着かれましたか」

「レナ……!」

 

 相変わらず美人で、落ち着く声の持ち主だ。

 

「この船団の主とお見受けします、一騎打ちを邪魔する形になって誠に申し訳ありませんが後背を衝いたのはそちらが先、お許しくださいとはいえませんが」

「へへっ、いいさ

 アンタがマケドニアで噂の司祭さんだな、王様の求婚を断り続けてる女傑だって聞いているが……故国を裏切ったのかい」

「裏切ったのではありません、私の居場所ははじめからここにあっただけですから」

「レウス王の側、か

 噂に違わぬ色男ってわけだ」

「それも否定はしませんよ、私もあなたと同じように噂でレウスの話は聞いていますから

 レウス、ご結婚おめでとうございます、それにお子様のことも」

「……それは、ああ、えーと、ありがとう」

「ともかく、それは後にさせてくださいね、レウス」

 

 な、なんか怖い。

 

「これ以上の戦いは無益です、まだ船が動くうちにお仲間を連れて撤退してくださいませんか?」

「襲撃したオレたちを逃がすってのかい、王様が許しゃあしねえだろうよ」

「ん、……あー、レナがそれを望むならオレは別にいい」

「……マジかよ」

「オレの目的はレナの救出だからな、その対象が望むことを叶えなかったらより厄介なことになる可能性もあるだろう」

「甲斐性の見せ所、ってか?」

「まさしくな」

 

 男はブリザーによって作り出された魔力の氷を砕くと、持っていた斧を海に投げ捨てる。

 

「降参する、オレたちの負けだ」

 

 こうして戦いは終わった。

 彼の器量が大きくて良かった、と思う一戦だった。

 殺し合いにでもなったら厄介なことになっていたかもしれない

 

 ───────────────────────

 

 海賊と言うべきかわからないが、襲撃者は命乞い代わりに情報を幾つか置いていった。

 

 先程ガトーと会ったことがあるというのは、カミュの麾下である黒騎士の一人が良からぬ道に誘われていたのを止めたらしい。

 ただ、それ以外にもグルニアで数名の人間に声を掛けており、ルイ王の乱心とも呼ばれる内乱では軍閥にルイ前王が寝返ったのはガトーの手引でもある、グルニアの事情通たちの中ではそんな風に噂されている。

 

 グルニアがオレルアン連合と手を組んでおり、グルニアはこれを見越して作っていた海上輸送の手段を実用段階に移しているという。

 マケドニアの飛兵たちの護衛あってのものらしく、今までは実行ができなかったがグルニアとマケドニアの繋がりが強くなったことで既に数十の輸送計画が完了しているのだとか。

 彼らが襲ってくるのに使った船や技術もそこで培われたものなのだろう。

 

 大きな船には襲撃者の生き残りを全員押し込めて移動させる。

 高速艇は全て接収し、可能な範囲で構造を調べてもらおう。

 正直、今からこちらも海上輸送をやるのはノウハウ的にも難しそうだが、この戦いの向こう側で役に立つ日も来るだろう。

 

 さて、そうしたオレにとっての細々としたことを終わらせ、ようやくレナと向かい合えるタイミングが来た。

 嫋やかさやボディラインの美しさはそのままに、以前は少し世慣れしていない感じがあった彼女だが、今は少し違う。

 どこか意思力の強さというか、地に足がついているというか、未来を見ているような、そんな雰囲気だ。

 

「久しぶりだな、レナ

 それにしてもあの船にはどうやって来たんだ?」

「ええ、お久しぶりです……もっと早くに迎えに来てくださるかなと思っていたのですが……

 中々来ないのでこちらから来てしまいました

 移動手段は」

 

 海に手をかざし、ブリザーを唱えると氷の道を作り出していた。

 オレは魔道には明るくないが、それでも簡単にできることじゃないのはわかっている。

 つまりはよほど高い魔力がなければできないってことで、実行できているのはつまり……。

 

「司祭の位に着いたのか?」

「位と信仰はまた別のものですが、誰も使わない権力でしたので実家のそれを活用させていただいたのです」

 

 そうは言うものの、金で買える階級の強さではないだろう。

 殺さずに器用なやり方で船団の主を無力化したことからも彼女の才覚が伺い知れる。

 或いは、彼女が故国に戻るまでの過酷さを、というべきかもしれないが。

 

「レウス、単刀直入に申し入れさせていただきたいのです」

「なんだ」

「私との結婚を認めてください」

 

 恐ろしいほどに単刀直入な話であった。



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チェスト

「そりゃあ喜んで、レナのことは大好きだからな……って受け入れるような話じゃないよな」

「人に向けて偽り無く大好きと真正面から言えるようになったのは喜ばしいことです

 以前の貴方からは出なかった言葉でしょうから」

「そうか?」

「ええ

 私が知る貴方はこの世界で存在してはいけない者だと自らを規定していたように感じます」

 

 ……まあ、そのとおりだ。

 結局レナにはバレバレだったわけか。

 

「私との結婚は政治的な話が多くを含んでいます、それに」

「それに?」

「白き賢者ガトー様の話にも関わるものです」

 

 オレの目つきが変わったのだろう。

 レナがほんの少しだけ体を強張らせた。

 すぐに視線を外して、瞑目して、普段どおりでいようと心がける。

 

「……何かされたのか?」

「はい、ですがそれはまた後ほどに」

「だな」

 

 周りには難民たちが大勢いる。

 まずは彼らを陸に揚げなければ。

 

「レナとの結婚がどうあれ、難民をなんとかしなくっちゃな」

「そんなあっさりと……受け入れてくださるのですか?」

「ここで難民なんて受け入れられないなんて言ったら嫌われる、ってのは冗談でもないんだが、

 聖王国はまつろわぬ者たちの国さ、格好つけて言えばだがな

 だからこそ竜も魔王も暗黒神も受け入れている、今更一国分の難民で嫌な顔するものかよ」

 

 それを聞いたレナはひとまずは安心したようだ。

 

「パオラ、難民の受け入れの話をリーザに伝えてくれ」

「承知いたしました」

 

 彼女は少しだけオレの側から離れるのを逡巡するも、自らに与えられた仕事を優先するべく天馬に飛び乗って空へと舞い上がった。

 オレの護衛をミネルバにも頼まれていたのだろうから、少し申し訳ない気持ちもあるが、これも信頼の一つと容赦してもらおう。

 

 オレは船の上で難民たちを取りまとめている幾人かのリーダー格と話し合い、接岸後はそれを纏めて待っていた政務官に伝え、後事を任せた。

 

 リフとの挨拶をそこそこに(あの気骨ある老人がレナとの結婚云々を聞いていたので)、

 レナの名代として難民の代表として話を取りまとめてくれることになり、

 城に戻るではなく、宿などでゆっくりと話してはどうかと提案してくれた。

 

 まったくリフの気の回しっぷりには頭が下がると思いつつ、港町の宿を一つ借りてそこで話すことにした。

 こっちのほうが邪魔も入らないだろうしな。

 ……変な気があるわけでなく。本当に。マジのマジで。

 

 ───────────────────────

 

「で、アカネイア西側からマケドニアに戻ったのか」

「ええ、そこでも一つ事件がありまして」

 

 到着して一休みのあとに彼女が求めたのでオレのこれまでのことを話す。

 彼女も噂話では聞いていたと言っていたが、誇張されたことなんかも多いだろうので偽りなく話した。

 食事を終えて、立場を変えて彼女の冒険譚を聞く。

 

 彼女も大変な冒険をしたらしい。

 いっときはシスターではなく身分を隠すためにレディソードを片手に大立ち回りをしたなんて話も出てきた。

 剣士姿のレナなのか、シスター服で武器を振るったのか、どっちにせよこの目で見たかった。

 

 マケドニアに到着した後はミシェイルと会い、彼の王としての働きに対して難しい立場に置かれたミネルバたちをなんとかその不利な立場を軽減するために活動していたそうだ。

 ミネルバにとっても恩人だってことか。

 

 グルニアとマケドニアのタッグがドルーアに攻め寄せ、そして現状に至る間に一つの出会いがあった。

 それが白き賢者を自称する老人、ガトーだ。

 

 ───────────────────────

 

 時間は過去へ。

 レナの前にガトーが現れた頃に遡る。

 

「白き賢者ガトー様、私のような者にどのようなご用件でしょう」

「立場を有利にするならば、力は有利な道具となる、そうは思わぬか」

「それは、……ええ

 ガトー様はそれを私にお与えくださるのですか?」

「そうだ」

「何のためにとお伺いしてもよろしいでしょうか」

「このアカネイア大陸をあるべき姿に戻すために」

「……」

 

 あるべき姿が何を指すか、その結実したものまではわからないが、今まで歩いてきた道で異物だと捉えるものもいた。

 当人すらそう感じていたようだから、間違いないだろう。

 レウスだ。

 ガトーにとって、レウスの出現によって『あるべきではない姿』こそが今のアカネイア大陸ということなのだろう。

 だが、ガトーほどの存在であれば自分の心も、以前彼と行動したことだって知っているはず。

 

「何故、私なのですか?」

「お前に言葉遊びなどしても無意味であろうな

 転び方次第でわしの有利となるから、それを答えとさせてもらおう」

「転び方次第、ですか」

 

 つまりはそうならない可能性もあり、でなくばガトーにとって不利にもなり得るということだ。

 

「言葉と心を御すようにしてご自身の有利になるよう立ち回らないのですか?」

「どう転ぼうとわしには十分な価値が得られる」

「……では、ありがたく拝領いたしますが、もう一つだけ質問してもよろしいでしょうか?」

「構わぬ」

 

 レナという女はしたたかな側面がある。

 それは貴族として生まれ、社交界という政治の縮図を戦場とするべく育てられた側面でもあった。

 彼女は相手の考えをそれとなく理解し、質問の仕方を選ぶ術に長けていた。

 貴族相手とやることは同じ、直接的な聞き方がよいか、多義的な方が多くの情報を得られるか。

 

 彼女が選んだのは

 

「ガトー様、あなたの目的はナーガ様の復活なのですか?

 それともガトー様が神になることですか?

 あなたが王になり、人々を統べることですか?

 それとも、それ以外の目的がおありですか?」

 

 直接的であることを選んだ

 各国が抱えている情報収集の人材は国の中以外のことも集めてくる。

 ガトーに関わることは多くはないが、その出現についてを情報として持ち帰るものも少なくなかった。

 貴族の中でも発言権が強い家にある彼女のもとには多くの情報がもたらされる。

 そこで得られた情報から見れば、ガトーの目的は単純にレウスを殺すことではない。

 彼は彼なりに何かしらの目的があるのがわかる。

 今自分にしているように、力を与えて各地を巡っているのも何かしらの目的のためであろう。

 

「答えてくださるのなら、お力を拝領したく思います」

「……わしはナーガ様と約束をした、この大陸の平和と安寧を維持する約束を」

「これ以前も平和ではなかったと思いますが」

「人間同士の諍いは平和の範疇よ、或いはガーネフがメディウスを蘇らせなければ彼奴が何をしようとも興味も湧かなかったろう」

 

 極めて大きな意味での平和。つまりは変化の少ないことを平和と安寧だと表現しているのだろう。

 魔道学院を開いたガトーが閉派であることからもそれは伺い知れる。

 

「ナーガ様との約束を果たすためには、わしもまた人と同じ場所に降りねばならぬ

 それが答えよ」

「ありがとうございます」

 

 つまりは、彼の目的は王になることだ。

 ただ、その意味するところは民がいて、国が富み、

 豊かな場所になるという意味合いではなかろう。

 神の視座からすれば、人間の民など路傍の石も同然のはずだと彼女は考える。

 

 レナの目の前には光の球体が一つ取り出された。

 ガトーが思うに、ニーナ同様に鎧まで渡すのは負担になりうると考えたようだ。

 指先が何かに触れ、それを引き抜くようにして取り出す。

 それは魔道書であった。

 

「お前の心の欲するところに従うがよい」

 

 ガトーはそう言うと、魔法陣を展開し、消えた。

 

 手元に残った魔道書は使うことができる自覚がある。

 司祭になったのは無駄ではなかったということだろうが、或いはこの道すらガトーが予想していたことだったのだろうか。

 彼の力を手にしたのは悪手であったかどうかはこの後にわかることだ、と自らの心を戒めながら彼女は本来の目的に向き直ることにした。

 

 ───────────────────────

 

「はしたないと罵らないでくださいね、レウス」

 

 そう言って彼女はオレに背を向けて服を脱ぐ。

 オレは「むほほ」と興奮したいところであったが、それはできなかった。

 

 彼女の白い肌に不釣り合いなものが浮かんでいた。

 それは入れ墨のようななにか、そしてオレはそれをどこかで見ていた。

 ……そうだ、エリスの心の中だ。

 アーグストの研究成果にこれに似たものがあったはずだ。

 つまり彼女は守り人としての影響を大きく受けており、この後にもなにかが起こりかねない時限爆弾にされている可能性があるってことだ。

 レナはガトーから力を得た証明程度に思っているようだが。

 

 ……その事を言うべきか、言わないほうがいいのか。

 オレは悩んでいた。

 

「とりあえず、服を着てくれ

 流石に目の毒だ

 まさか据え膳だってわけでもないだろうしな」

「どうでしょう?」

 

 その質問の返しは流石にズルいだろう。



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アンナとララベル

 やあ、私の名前はアンナ。

 呼ぶときはアンナさんと呼んでくれたまえ。

 職業は商人。

 各地に支店を持つそれなりの規模を誇る商人だ。

 それなりの繁盛で良かったのだけど、ある王女様の知己となってからはトントン拍子……ではなかったものの、色々あって一国のお抱え商人になってしまった。

 

 お抱え商人というのは儲かるし忙しいが、しのぎを削るライバルとの戦いがない分、緊張感が薄いとも言える。

 その『ライバル』と言えるララベル・カンパニーとは業績で火花を散らす関係だったのだけど、最近は相手と会う機会もない。

 明確にアリティアを避けているのは今仲良くしているのが聖王国をよく思わない国だからなのは明らか。

 こちらからもコンタクトを取ったりもしないし、お互いに動きは見えない。

 

 こう見えて私は忙しい身分だ。

 各地に配置した『家族』たちからの連絡を集積、処理してそこから現在のアリティアが必要としているものを掻き集める。

 とにかく一番大変なのは竜石だ。

 レウスが「そっちが最初に提示したニ倍の金額で買う、ただし数はこのくらい集めてきてくれ」というオーダーだ。

 おそらく大陸を探せば相当数、それこそ四桁じゃ収まらないくらいの数が眠っているのかもしれないが、手に入る範疇だと百個程度が限界。

 遺跡とか墓とかを荒らせばもっと手に入るのかもしれないが、アリティア聖王国は竜が関わる遺跡を荒らすのは極刑だとしているのでそれも難しい。

 

「そんなに竜石を集めてどうするの?竜の軍団でも作るってわけ?」

「有事の際は軍として使わせてもらうが、それまではあくまでこの竜石そのものも竜の民として扱っておきたいんだよ」

 

 などと感傷的なことを言う。

 タリス王モスティン様も平定後、老け込む前はこんな感じで感傷的なことを言っていたっけ。

 二児、いや三児の父となるからか老成でもしたのか?似合わないなあ。

 

 彼……聖王レウスはアカネイア地方を穀倉地帯にするっていうのは本気らしく、農具やら種やらを掻き集めるようにも言われている。

 農業に詳しい人材も必要だと。

 これが案外難しい。

 手に入りはするが、必要とする数があまりにも多いのだ。

 困っていたところに声を掛けてきたものがいる。

 

 ララベルだった。

 

 ────────────────────────

 

 彼女との話し合いの場が設けられたのは聖王陛下の子が産まれてすぐだった。

 祝いの品やら何やらの発注もあったので目が回るほど忙しいが、ララベル・カンパニーが危険を冒して接触を求めてきたのには大きな商機を感じた。

 商売人が行動するのには十分な動機だろう。

 

「やっほー、久しぶりだねララベル」

「ええ、アンナ、あなたもね」

「お姉さまに似てきたねえ」

「あなたはまったく変わらないわ」

 

 ララベルの家系は女権一家だ。

 少し前まではララベルの姉が取り仕切っていたが、事故死してしまった。姉とは長い間様々な商売をしていたから少し残念でもある。

 事故といっても戦乱絡みのあれこれなので……まあ、事故としておくのが丸いというわけだろう。

 

 その後を引き継いだ彼女が次のララベルとなったわけだが、

 どうやら先代よりも優秀、辣腕の持ち主で、現在の顧客を捕まえたのも彼女のようだった。

 

「てっきり私のところと話すのは顧客の機嫌を損ねるから無いかなって思ってたけど」

「そうしたいのは山々なんだけどね、どうしてもアンナじゃないと難しいことがあって」

「私が……ってことは、漂流物関係かしら」

「あんまり察しが良すぎるのも怖いわよ、本当に」

「年の功かな」

 

 彼女は現在、漂流物をかき集めろと命じられているらしい。

 が、漂流物はたくさんある、だからこそ手に入りやすいように思えてそれは難しい。殆どが独占されている。

 地方の貴族や豪族だったり、村の土着の御神体になったり。

 

「でもララベルのところにも漂流物の備蓄ならそれなり以上にあったでしょう?」

「もう既に顧客相手(オレルアン)に放出済みよ……それでも足りないって」

 

 漂流物は文字通り他大陸から海を渡ってくるもの以外に、

 誰も感知し得ない他の世界や、過去から渡ってくるものがある。

 それらを知るのは世界ひろしと言えどアンナ・ファミリー、或いはナーガか、ガトーくらいのものであろう。

 

 他大陸から渡ってくるものであれば手に入れるのはそう難しくはない。

 だが、求められているのは後者のものたちだろう。

 おそらく、連合は一騎当千の猛者を得るために漂流物を求めているのだ。

 アンナからすると今の顧客であるアリティア聖王国に不利なことはできない。

 

「勿論、アンナが納得するだけの見返りを用意しているわ」

 

 ララベルが提示したのは──どこで耳にしたのか──目的の数に余りある農具と苗に種子、そして竜石であった。

 

「いかがかしら」

「……抗いがたい魅力的がある取引ね」

 

 結局、アンナは漂流物との交換という形でサインした。

 百個ほどの漂流物をかき集めたが、彼女の目からして実際に強い力を発揮するのは二、三あれば良い程度。

 残りもガラクタというわけでもないが、アカネイア大陸で普及している装備に比べて一段か二段良い品だというものでしかない。

 あとは本当にただの骨董品、美術品か、判断できないものだけだ。

 

 ララベルもあくまで漂流物が多く手に入ればいいと考えているらしく、中身について文句を言うことはなかった。

 

 それらの交換を見ながらララベルがふとアンナに言葉を漏らす。

 

「そういえば、ファルシオンがどこにいったか興味ない?」

「アンリ王の遺産の?」

「ええ」

「そりゃあ興味がないと言えば嘘になるけど……」

「戦後、私にとって望ましくない結果になったときの助け舟を出してくれるっていうのはどう?」

 

 ララベルとて冷静である。

 この戦いが現状で誰が有利であるかは理解できる。

 それでも戦争というものはどう転ぶかわからないものだが、それでも保険は欲しい。

 

「いいよ」

 

 アンナは承知する。

 戦争が終わればアリティアもアンナ以外にも大きな商会を抱えることになるだろう。

 口添えの一つや二つ、損になるものでもない。

 

「守り人と交換したらしいのよ、ラング様がガトー様と」

 

 ララベルからアンナにもたらされた情報は大急ぎでアリティア主城へともたらされた。

 なにせ、レフカンディ平原で現れた守り人のことで軍部が大騒ぎになっていることは彼女も聞いていることだからだ。

 それが五大侯側にも用意されているとなれば、使われ方次第では顧客を失いかねないものになる。



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検査結果

「調べては見たのだが、似たようなものはあれど真実に辿り着けるような要素を発見するには至らなかった」

 

 ガーネフが観念したように言う。

 その言葉には悔しさが滲んでいた。

 当代随一の魔道学者という自負があるからこそだろう。

 

「マフーで触れてみましたが、レナ様に不都合を与えるようなものではなさそうだと言うのが所感です」

 

 エリスもまた、守り人の被験者としての知見を持つものとして参加する他、

 落ち着いた性格同士で響くものがあったのかレナと引き合わせてからは仲睦まじくしていることが多い。

 オレからすると、見ているだけで幸福度が上がる光景だ。

 お淑やかなレディが二人……マフーでの触診……。

 

「レウス様?」

 

 エリスに心を見透かされたようで思わず「ごめん!」と謝った。

 普通であれば疑問の一つでも浮かべていただろうが、列席するご一同はオレへの理解度が高い。

 その顔に(どうせスケベな妄想をしていたのだろう)という考えが浮かんでいた。

 

 だが、そういう妄想をしたって仕方なくない?なくなくなくない?と思うわけだ。

 レナもエリスもとてつもない美人さんだが、二人が並ぶと相乗効果で美人度合いが加速する。

 なんていうんだろうか、一種の結界じみて近づくに近づけなくなるような。

 俗な言い方をすれば学校のマドンナと同じクラスで、隣の席でもないかぎり接触する方法が全く思いつかないとかそういう……いや、流石に例えが小規模すぎるか。

 

 などと現実逃避のくだらない思考をしている場合でもない。

 

「アーグストという学者がどこかで隠者を気取って埋もれているか、逃げているか、もしかしたらどこかに既に士官しているかもしれない

 見つけ出したら協力を求めてみてほしい」

「それは誰だ?」

 

 ガーネフの問いにエリスが

 

「私にもよくしてくださった方です」

「おそらく、守り人に対しての知識で言えば大陸随一だろう

 元はラングに抱えられていたが、今はわからん

 殺されているかもしれないし、そうでなければラングのもとからは離れていると思いたいね」

 

 その言葉に、ガーネフが以前受けたエリスの心の中に入ったときの報告を思い出したようで、

 ガーネフはすぐに部下数名に捜索の命令を発する。

 やがて秘密裏に情報を集めるためのチームが動かされることになるだろう。

 

「現時点では打てる手はないが、外部からレナを操るとかそういう類のものではなかろう

 心配しすぎても損というものだ」

 

 ガーネフも安心させるためか、エリスと同じくする結論を出した。

 

「それよりも、その魔道書のほうが問題かも知れぬな」

「そう、お思いになりますか」

「うむ、危険というわけではないが、秘めたる可能性を思えばな……」

 

 レナが出した魔道書は無地のものだった。

 無記のもの、メモ帳だとかノートだとかというものではない。

 それは特別な代物だった。

 

 なにせ、願った魔道書の形を取ることができるのだから、間違いなく特別な代物だろう。

 ただ、呼び出せるのは彼女の知るもので、なおかつ使える範囲のものだけに限られるらしい。

 試してもらったが偽書ロプトウスや亜種オーラなんかは使えない。

 本物のそれらを渡して、読んだ後でも同様だった。

 習熟度不足もあるかもしれないが、この魔道書そのものが種類によるリミッターを掛けているのかもしれない。

 

 問題としているのはこれが量産化できるようなことにでもなれば魔道士界隈の事情が一変することだろう。

 高額だった魔道書は一本化することで大きく金額を抑えることができるし、

 魔道士の有効な武器として広く伝わればアリティアの魔道兵団に比する組織が生まれる可能性もゼロではない。

 

「マケドニアで聞いた話ですが、ガトー様は閉派に属するのでしょう」

 

 レナが言う。

 マケドニアにおいてガトーは信心ではないにしろ、その知識などを求めて立場と報酬などを渡していた間柄であるらしい。

 ガトーが閉派であり、与える知識には魔道のものが含まれてもいなかったことをレナは告げた。

 

「であれば、この本を量産化することはできないか、よほど難しくしているかだと思います

 仮に情報が他国に渡ったとしても魔道士事情は変化しないかと思います」

 

 一同も閉派であるという一点で十分に納得できるのか、問題については一旦捨て置くこととなる。

 だが、問題がゼロになったわけでもない。

 

「ガトーがドヤ顔で渡してきたんだから、そこらの魔道書をコピーできるなんてショボいものじゃないとは思うんだけどな」

「ほう、レウス殿はガトーを高く買うのか」

 

 意外そうにガーネフ。

 

「そりゃあ買うさ、今までの状況やらオグマを始めとしたパチシオン騒ぎから守り人のこともそうだが、

 それ以上にこのガーネフを見出した魔道士だろ?

 しかもガーネフも師として仰いでたってなったら、敵対感情とか抜きにして正しくそいつの凄さってのを理解するべきだ」

 

 ガーネフは遠回しに自分が褒められたことを、一拍置いてから理解すると照れたように「まったく、扱いに困る御仁だ」と言った。

 

「魔道書は手放したら影響は出るか?」

「先日から一週間ほどでしょうか、特に問題もありません」

 

 レナが戻ってからすぐ魔道学院でほぼ缶詰となる。

 彼女も協力してくれたお陰としかいいようがない。

 その代わりに数度のデートを取り付けられたので、それには従う。

 美人を侍らせて歩くのはそれだけで楽しいから取引にすらなってないわけだが。

 

「もう少し預けていてもいいか?」

「ええ、ただ……レウスがどこかへと行くときには回収させてほしいのです」

 

 彼女はじっとオレを見てから

 

「もう離れ離れになるのはいやですから」

「それはまあ……うん、わかっている」

 

 レナの指にはリングが嵌っている。

 メリナのお手製のもの。デザインは少しだけ異なるのは職人さんの拘りだろうか。

 ちなみにミネルバにも渡すべきだと考えており、それも作ってくれるよう頼み込んだ。

 

 なんやかんや言いつつも(主に色情魔などの暴言であったが)、作ってくれるメリナには感謝しかない。



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オレルアンの黎明

「ハーディン」

「これはニーナ様、ご機嫌いかがですか」

「最近はとても心が穏やかで、それもハーディンのお陰です」

 

 こうして話すのは影武者のニーナである。

 自分のポカミス一つでアカネイア王族が終わるという凄まじいプレッシャーを跳ね除けて、彼女はなんとかニーナを演じきっていた。

 元々はある貴族の──もう消えてしまった一族だが、その一粒種であった。

 それ故に教養は深く、最低限の政治や軍事にも触れている。

 

 だからこそ、ハーディンの苦労を彼女は理解していた。

 オレルアン王城の中庭で休んでいれば彼と会えることもまた、理解しているからこそ滞在時間を長くしている。

 

 一方のハーディンは影武者であることを知らない。

 しかし、『このニーナ』が最近積極的に連合のために動いていることは理解しており、深く感謝すると同時に、彼女に働かせなければならない不明を恥じていた。

 

「ニーナ様、あなたのお陰で五大侯から離反した貴族たちが連合に参加したいと言うものが増えています

 私の不徳であなたの傘下とさせることができなかった彼らを説得してくださったこと、感謝します

「いいえ、彼らはハーディンの活躍を知り、我らの御旗に従うことを決めたのです

 全ては貴方の功績と苦労があってのこと」

 

 彼女が自分に距離を近付けてきた理由はわかっている。

 我が国とアリティアとの関係性は敵対であり、しかし勝てる目測は殆ど立たない。

 自分が動かねばならないと考えて、自分との距離を近付けて一枚岩であることを内外にアピールしているのだろう。

 ハーディンはそう理解していた。

 だが、同時に、彼の心には一つの感情が強くなっていった。

 

 愛である。

 

 普段の彼であれば抑えることもできる。

 感情を殺すのは得意だったはずだ。

 だが、日に日に強くなる思慕の情は彼の理性を緩やかに破壊していった。

 

 彼は気がついていない。

 いや、それに気がついた人間はもしかしたなら誰もいないのかもしれない。

 

 擬剣ファルシオンは光のオーブから生み出されたものである。

 光のオーブと闇のオーブは対になるものであり、一般的には邪心を強める闇のオーブの対極でもあるとされるが、本質としてはそういうわけではない。

 

 オーブとは特定の方向性を示した物品ではない。

 持ち主の感情や思念を強化するツールである。

 闇のオーブは内側に向かう感情と個別に対しての心を強化する。

 ガーネフであれば憎悪を強化したが、ロプトウスには神ではなく個であること、ユリアの代わりに十分に世界を見るという目的を強化することで知性体として自我を再構築した。

 決して闇のオーブは悪を司るものではない。

 

 そして光のオーブもまた善を司るものでもない。

 外側へと向かう感情を強化し、他と多に向けた心を強化するツールである。

 ハーディンの思慕の情が強まるのは擬剣ファルシオン、つまりは光のオーブから生み出された力によって『開かれた』ものであった。

 もはや押し込めることなどできない。

 

 だが、それでもハーディンは自らの情を断ち切るべく、奥の手とも言える質問を投げかけた。

 それを聞けばおしまいだという質問。

 

「ニーナ様、現在の連合はグルニアとも協定を結ぶ立場にあります

 ……今であれば、カミュ殿へ貴方を送り出すことも可能です」

 

 一方で偽ニーナはカミュのことは知っていても、ニーナがカミュに懸想していることなど知る由もない。

 

「何を仰るのです?

 私の居場所はここです、それともハーディン

 私が貴方の側にいることは、貴方にとっての不幸になるのですか?」

 

 その言葉はハーディンが持つ心の壁を壊すのに十分な力を秘めていた。

 

「ニーナ様……私の心を存じた上での発言と取って、よいのでしょうか……?」

 

 小さく震えているハーディンの手が偽ニーナへと差し出される。

 偽ニーナもまた理解している、彼は拒絶されることを恐れている。

 なにせ今まで本当のニーナは彼を遠ざけるような振る舞いを何度も見せていたからだ。

 

 ───────────────────────

 

「……ニーナ様、よくお聞きください」

 

 ボアとは二人きりになったときに今後のための行動を話し合う。

 秘密の会議である。誰かに知られてはおしまい。

 ニーナが偽物などと知られれば……。

 

「ハーディンはニーナ様を愛しておられる、しかし拒絶されることも恐れている

 当然だ、アカネイア王族とオレルアンの人間が同格なわけもない

 ……だが、現在のアカネイア大陸でその身分に釣り会えるだけのものもいない」

 

 仕方なく、だ。そうボアが続けていって、

 

「ハーディンしか選択肢がないのであれば、彼と繋がるのです

 そうすれば我らはまだ暫く息をし続けることができる

 あなたもまだ、死にたくはありますまい……ニーナ様」

 

 ボアは死を恐れてはいなかったが、偽ニーナは家族が凄惨な最期を迎えたのをその眼で見ており、それ故になにより死ぬことを恐れていた。

 だからこそ、ボアは彼女に対して死を武器として説得を使った。

 

 つまりは、ハーディンを篭絡せよ。

 

 ボアはそう言っているのだ。

 

 ───────────────────────

 

「ハーディン、本当にごめんなさい

 今までかけた苦労と私の態度は、私にとって他のものへの証明であったのです

 あなたは苦労を跳ね除け、冷たい態度を取る私によくしてくださいました

 ……これからは素直な気持ちであなたに寄り添える

 ハーディン、私と共に歩んでくださいますか?」

 

 震えるハーディンの手を包み込む偽ニーナの柔らかな手。

 

「……どうか、どうか共に歩ませてください、ニーナ様……!」

 

 陽光が彼が腰に帯びている汚れなき銀の剣に光を与えていた。

 

 中庭が見える部屋でそっと観察していたボアは窓から離れ、小さく頷いた。

 

「お前には覇道を歩んでもらうぞ、ハーディン」

 

 ボアはそう呟き、己が描いた戦略が前進していることに手応えを感じていた。



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筋肉は百薬の長

「ごほっ、げほっ、お、おええ……」

 

 オレは盛大に吐いていた。

 といっても、出るのは水らしき液体ばかりだった。

 

 ここはどこだろうか。

 もっと言えば、オレは誰だろうか。

 

 記憶が曖昧だ。

 だが、空っぽってわけじゃない。

 ひどく疲れたときのように、頭が回っていないだけのような、深く寝すぎたあとのような。

 

「マクリル・メソッドその一!

 頭が回らないなら筋トレせよ!」

 

 オレは喉を動かすために声を出し、スクワットを開始する。

 

「答えろ筋肉!満ち溢れろ!筋肉はオレに答えをくれる……!

 そうだ……思い出してきた!」

 

 オレは声を出し続ける。

 頭がおかしくなったわけじゃないぞ。

 声帯も体の一部だから、声を出して鍛えているのだ。

 

 マクリル・メソッドは爺ちゃんが作った鍛錬方法だ。

 やがてマルス様にお仕えするために超一流の兵士になるためのもの。

 

 思い出してきた。

 コーネリアス様が戦いに出られると聞いて、爺ちゃんも参戦した。

 爺ちゃんは帰ってこなかった。

 オレは残された村で暫く過ごしたが、マルス様がタリスに逃げ延びたことを知って追いかけた。

 

 ……そうだ。

 マルス様は死んだ、オグマって傭兵が教えてくれた。

 仕えるべき人を失ったオレは暫くオグマが側においてくれた。

 世間慣れてしていないのを心配したのだろう。

 おかげで戦いの経験と共に、常識も得ることができた。

 

 オグマは世界情勢を話してくれるときはいつも無念そうな表情を浮かべていた。

 ある日、その理由を聞くと、守るべき人の側にいないことを選んだことを悔やんでいるんだと言った。

 オレは掛ける言葉が見つからず、それからは暫くまた仕事をし、旅に出ることにした。

 

 アリティアで動乱が起こっているらしい、ってのに興味もあったが、それ以上に修行をしたかった。

 オレには世界をなんとかする力なんてない。

 だが、オレでも助けられる人はこの戦乱の世には多くいる。

 

「旅に出るのか」

「オグマ、世話になった」

「まったく……最後まで生意気な口ぶりは直らなかったな」

「マルス様に仕えるつもりならオレも騎士っぽくなろうとは思うけどさ、……それはもう叶わないから」

「じゃあなんだ、誰かの影響とでも言いたいわけか」

「へへ、……ま、そんなとこだよ」

 

 オレの口調の粗さはオグマ譲りだ。

 マクリル爺ちゃんがオレの育ての親なら、オグマはオレの兄貴みたいなものだ。

 尊敬する男の真似をするってあるあるじゃないか?

 

「使い古しだが、こいつを持っていけ」

「オグマのお気に入りだろう、これ

 いいのか?」

「ここいらじゃあ、そいつを振るうような戦場にはならなさそうだからな

 ……もしも、どこかでシーダ様にお会いしたら少しでいい、力になってやってくれ」

「ああ、そのときはオグマの依頼だって伝えるよ」

「余計なお世話だ、そういうのは」

 

 そういってオグマは笑った。

 

 思い出してきた。

 オレは旅装とオグマからもらった大剣を担いで各地を巡った。

 この世界はクソだ。

 戦乱が人々の命を容易く奪っている。クソみたいな世界を正す力のないオレもクソだ。

 

 助けても助けても、終わりはない。

 けど、終わりがないことには慣れている。筋トレと同じだからだ。

 いつかそれが実を結ぶこともある、オレはそれを信じている。

 

 不思議な少女を助けることもできた。

 今にして思えば竜族の子供だったのだろう、竜族自体見たことがなかったが、碌でもなさそうな連中……恐らく五大侯か、戦時徴発を謳って掠奪をしているような連中だろうが少女を追っていた。

 

 オレの判断は明瞭だ。

 剣を構え、少女を庇うように立つ。

 誰かを守りたいと思ったなら、それを実行しろってのがオグマの教えで、オレは少女が何者であれ守りたいと思った。

 だからそいつを実行する。

 

 勿論、戦いにはなる。

 が……オグマ仕込みの戦い方ができるオレを止められるものなんてそういない。

 

「お前も中々にいい男だな」

「アンタらはそうでもなさそうだ」

「言ってくれる、が、反論の余地もないか……その少女は君に預けるぜ」

「……何があっても奪うって感じだったのに、どういうつもりだ?」

「予感さ、その子はお前に預けたほうがいいって……なに、このビラクの予感はよく当たるんだ」

 

 そう言ってその男は兵士を引き連れて去っていった。

 

「大丈夫かい」

「うん……ありがとう、でもね……会わないとならないひとがいるの」

「誰だ?」

「アリティアの王さま、とってもえらいの、この先々で竜族に優しくしてくれるから」

「アリティアかあ」

 

 正直、気乗りはしない。

 どうしてだろうか、マルス様のいないアリティアはどうにもオレが行くべき場所じゃないような気がしていた。

 だが、あのビラクってのがオレに預けたとも言った。

 相手取った奴の名誉のためにも、それに裏切るわけにはいかないだろう。

 

「わかった、一緒に行こう」

「ついてきてくれるの?」

「ああ、先の兄ちゃんもお嬢ちゃんの助けをしろって言ってたからな」

「とってもうれしい!あのね、わたしの名前はチキっていうの、お兄ちゃんは?」

 

 思い出してきた。

 

「オレの名前はクリスだ

 よろしくな、チキちゃん」

 

 クリス。

 そうだ、それがオレの名前だ。

 過去を歩き直すようにしてオレは記憶を辿り続けていた。



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転がる骰子

 それからの旅だが、楽しいものだった。

 なにせチキはいい子だ。

 旅では実に多種多様な問題が起こる。

 困っている人間がいればチキはオレを見て「たすけたい」と言ってくる。

 ちゃんと相談できるのはいい子の条件だ。

 

 チキにそう言われれば動かないわけにもいかない。

 ある時は商隊を、ある時は元貴族の逃亡者なんかも助けたりした。

 アリティアに向かいながらも人助けの珍道中を繰り広げていたわけだ。

 

「お兄ちゃんにだけおしえるね」

「なんだ?」

「チキはね、竜族なの

それもね、神竜族っていうのよ」

 

 話には聞いているが、途方もないお方だった。かわいい幼女程度に思っていたオレが間違いだった。

 

「オレ以外に言っちゃダメだぞ、悪いやつがチキちゃんを拐っちまうかもしれない」

「うん、じゃあ皆にはひみつにするね」

 

 ……だが、チキとアリティアを目指しているときにオレは誰かに意識を奪われた。

 今にして思えば魔法の類だったのだろう。

 五大侯の領地の近く。チキの秘密……つまりは神竜族であることを知ったものがその価値に魅せられたか、それとも、単純にその幼くも神秘的で美しいその外見に目をつけただけか。

 

 ともかく、オレが目を覚ましたときにはチキの姿はなく、必死に探した。

 見つからず、さまよい続けた。

 飲まず食わずが悪かったのか、オレはぶっ倒れた。

 

 目を覚ましたとき、鼻をくすぐるようないい匂いがした。

 シチューの匂いだった。

 

「起きたか」

 

 隻眼の女がシチューと水を持って近づく。

 

「ほら、食えるか?」

「ああ……ありがとう」

 

 ダイス傭兵団と名乗る連中が倒れていたオレを助けてくれたらしい。

 

 そこでようやく思い出した。

 困ったときは傭兵だ、とオグマが言っていた。

 人を探すにしろ物を探すにしろ、傭兵団に入団して探せと。

 

 何故かと聞いたら、傭兵は固定ではなく傭兵団を幾つか渡り歩く者や、傭兵団を専門にする情報屋などが存在しており、戦闘に関わる能力以外にも傭兵団が持つ情報収拾能力は意外なほど高いらしい。

 だからこそ、そこから知れることもあるだろうし、

 各地を点々とするから移動で苦労することもないのだという。

 それに、傭兵が定住するなら別の傭兵団を紹介してもらって渡っていけばいいとも。

 

 オレはその教えに従うのと、命の恩人に恩返しをするべきでもあるので暫くダイス傭兵団で働かせてもらった。

 一人でチキを探すのは難しいだろう。

 もしも五大侯が絡んでいるなら難しいどころか、不可能だ。

 アカネイア亡き後でもその権力は健在なのだ。

 

 ───────────────────────

 

 チキの情報はさっぱり見つからなかった。

 そもそもそんな娘は元々この世界にいないとでも言うように。

 

「ってことはだ、クリス」

 

 ダイスがオレに語りかけてくる。

 

「そういうのは大概な、国が関わってんだ

 普通にしてりゃ傭兵なり、村人たちなりの噂話で捕まるってもんだがそれもないなら、

 様々なことをもみ消せるだけの権力があるってことだ」

「国って、例えば?」

「そういうことをやりそうなのはオレルアン連合か、グルニアだろうな

 アリティア聖王国も王様が随分と好色だと聞いているが、周りの女は年令問わず自分のものだと言わんばかりに喧伝しているって噂だ

 ってことは」

「噂にもなるはず、か」

「おう」

 

 マクリル爺ちゃんが意図してオレに世界情勢は隠していた。

 兵士に世界情勢など必要ない、必要なのは筋肉と忠節だと口酸っぱくいっていた。

 だから、国のことを言われても未だにピンとは来ない。

 

「なんだ、クリスは国のこともわからんねーのか?」

 

 へっへっへと笑いながらマリスが肩を掴んできた。

 

「マリスはわかるのか?」

「そりゃー、わかるぜ

 まずオレルアンは狼騎士団ってべらぼうに強い騎士団がいんだよ

 そんでグルニアには黒騎士団って大陸随一の騎士団がいる

 黒騎士団にはカミュって呼ばれてるとんでもない実力者がいるんだぜ」

「なんか戦いに関わることしかなくないか?」

「傭兵なんてそれで十分だろ!」

 

 マリスがわははと笑う。

 彼女の笑い声はいつもオレの不安を消し飛ばしてくれた。

 傭兵団の要であり、計画を作るのも彼女は手伝っていたのだからきっと国の情勢なんかについても知っていて、それでもあえてそんな話をしてくれたのだろう。

 今は心を休めるときだ、と。

 

 ───────────────────────

 

 ……だが、結局オレはまた取りこぼすことになる。

 

 以前にマリスが言っていた『狼騎士団』とかいう連中がダイスたちが守る村を掠奪に現れ、それを守るために出撃した。

 

「クリスは西の別働隊をやってこい

 こっちは俺たちで抑える」

「わかった!」

 

 マリスが冷静に状況を分析にしてから言う。

 オレは単身、相手の別働隊を叩くために離れようとする。

 彼女もオレの実力と筋肉を知っているからこそ、そう命じたのだろう。

 

「おい、クリス」

「なんだとっつぁん」

 

 ダイスは気のいいおっさんだ。

 皆からも親父と呼ばれて慕われている。

 オレもついついとっつぁんなんてあだ名で呼んでいた。

 

「一人で行かせてすまねえ、こいつを持ってけ」

 

 小袋を投げ渡される。

 中にはきずぐすりと、さいころ。

 

「そのさいころは幸運のお守りだ!

 オレはそいつを持ってたから今日まで無傷でいれたし、娘だってこんなに美人に育ったからな!」

「そりゃご加護もあるな、でもマリスがキレイに育ったのは当人の努力だと思うぜ」

「褒めても何もでねえぞ!」

 

 照れを隠すようにマリスが言うと、他の団員も笑う。

 

「クリス

 必ず戻ってこいよ、ようやく同年代のダチができたんだ」

「当たり前だ、マリス

 それにシチューのレシピだってまだ聞き出せてない」

「お前が作ったらレシピ通りでも鋼味になるだろ!」

 

 マリスが笑いながら言う。

 オレもつられて笑ってから、「行ってきます」と返した。

 

「ああ、またな」

 

 彼女もそう返した。

 だが、その約束は果たされることはなかった。

 

 ───────────────────────

 

 言うが早いが、オレは死にかけていた。

 正直、よく生きていたものだと思う。

 あの狼騎士団ってのは半端じゃない強さだった。

 十騎くらいは倒せたと思うが、それに気がついたあいつらは遠距離主体での戦いを徹底し、結局オレは追従しきれずに矢衾(やぶすま)にされた。

 それでも生きていたのはきっとダイスのお守りのお陰なんだろう。

 

「……く、そ……マリスたちのところに、戻らねえと……」

 

 別働隊を取り切れなかった、ダイス傭兵団の本隊が心配だ。

 だが、動こうにも力が入らない。

 血が抜けすぎたのか。

 

「……思いがけぬものは、思いがけぬ場所に、か」

 

 声が聞こえた。

 

「だ、誰だ……?」

「わしはガトー、人は白き賢者と呼ぶ

 ……まだ生きようとするならば、機会を与えることができる」

「まだ、死ぬわけにはいかない……頼む、なんとかしてくれ……!」

 

 オレは一も二もなく飛びついた。

 覚えているのは「よかろう」と頷くガトーの声と姿、その後のことは記憶にモヤが掛かるようで、思い出せやしない。

 



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欠落と穴埋め

「……そうだ、オレは」

 

 モヤを晴らすようにして沈思し、そうして思い出した。

 ガトーって爺さんにここに連れてこられたんだ。

 『ここ』がどこなのかまではわからないが。

 

 殆ど記憶はない。

 両親がいたはずだが、その顔を思い出すこともできない。

 故郷の村があったはずだが、それも思い出せない。

 心から多くの情報が消え失せたようだった。

 

 それでもオグマの兄貴、マリスやダイスのとっつぁんのことは思い出せる。

 マクリル爺ちゃんのことも。

 チキのこともだ。

 

 自分が何者かを構成していた古い記憶がなにかに蓋をされたか、食われたみたいだ。

 だが、構うものか。

 オレは生きている。

 以前よりもなにか、力が溢れている気すらした。

 

 ここはなにかの施設であることは明白だ、床も壁も石材でキレイに整えられている。

 かつては城かなにかだったのだろうか。

 探索を続けると武器や防具が置かれている場所に当たった。

 

「武器庫、って感じでもないな

 戦利品を突っ込んでおくような蔵みたいな……」

 

 相変わらずの独り言。

 いやいや、これも声帯のためさ。寂しいわけじゃないよ。

 

 部屋を漁ると不気味なものと目があった。

 オレの目を無理矢理にも引こうとする剣の魔力。いやさ、魔性と言うべきか。

 それは神々しい武器で、存在しない記憶のどこかが、この剣を振るうヴィジョンをオレに見せていた。

 

 やがてそのヴィジョンを足がかりに擬剣、守り人、ナーガとの約束……キーワードだけが浮かび、しかし中身を思い出すことはなかった。

 奪われた視線を強引に外す。

 そこにはオレが使っていた装備も無造作に転がっていた。

 

「わけわかんねえ武器より、オレにはこいつだ」

 

 オグマから受け継いだ大剣を掴む。

 掴めば途端に安心感が得られた気がした。

 

「久しぶり、なのかね

 また頼りにさせてもらうぜ、相棒」

 

 大剣が語ることなどないが、それでもオレは挨拶をする。

 これもマクリル・メソッドだ。

 万物に感謝すべし、全てによって活かされていることを忘れるべからず、だ。

 

「ってことは、」

 

 怪しい剣を見やる。

 

「お前にも活かされていたのかも、か

 ありがとな……だが、オレは浮気が嫌いなんだ

 お前はお前でいい主を見つけてくれ」

 

 食われてしまった記憶に、あの剣との思い出もあったのだろうか。

 

『彼ら』に挨拶を済ませ、オレは部屋を後にする。

 ここはどこかを知らねばならない。

 マリスやとっつぁんのことも気になる。

 殺しても死にやしない連中だと思うが、それでも状況が状況だ。

 

 外への道を探していると、オレは人影に遭遇した。

 

 ───────────────────────

 

「……」

 

 勿論、見たことのない人物だ。

 しかし、握られた武器は見覚えがあった。

 あの怪しい剣だ。

 やっぱりヤクい代物だったってことか?

 

 無言で武器をこちらに向ける。

 まるで立会を所望すると言いたげだ。

 こいつをなんとかしないと外に出れそうもないし、背を向けるのはもっと危険かもしれない。

 

 オグマの大剣を構えると、相手も武器を構え直した。

 

 寝起きですぐに戦闘なんて、まったく……オレの大得意な状況だぜ。

 マクリル・メソッドにもある。

 寝覚めのよさは筋肉次第。

 これまでのオレからしても、寝覚めがいい自信がある。

 つまり、記憶の幾つもがモヤがかっていても、筋肉は衰えてない証拠だ。

 

 ───────────────────────

 

 クリスは様子見のつもりが、防戦を強いられていた。

 対手の太刀筋の鋭さは一線を画していたからだ。

 光を放つそれは一閃するたびに残光を残す。美しくも恐ろしい斬撃。

 

 相対しているものにはマリスのような流麗さはないし、オグマのような一撃必殺の狙いすましたものでもない。

 だが、肉体のスペックそのものが凄まじく、普通の人間が一振りするタイミングで二振り、三振りと攻撃を行ってみせた。

 それは明らかに『何らかの外的手段』で能力が強化されていることがよく理解できた。

 これほどの力量を持つ相手に防ぐのが精一杯。

 

 ──かつての彼であればそうだっただろう。

 

 対手の放った攻撃が迫る。命の危機が明瞭に心音として伝わった。

 その瞬間、火が入ったかのようにクリスの動きが加速する。

 クリスからすれば、世界がまるで止まったかのように感じるものだった。

 

 体から紫色の炎のようなものが舞い散る。

 

「っんだ、これ!?」

 

 炎は舞い上がり、その瞳も赤く光る。

 それらの怪しき力は強引に自らのうちにある才覚を引き出すかわり、己の命を食い散らかす炎だと錯覚させてくる、魔性だとも感じ取れた。

 

 だが、

 

「勝つためには滅私!悩むのは休憩中!!」

 

 加速した彼の動きが対手を超え、互いの位置が入れ替わるようにして切り結ぶ。

 

「これが、マクリル・メソッドだ」

 

 クリスの言葉が終わる頃に、立ち位置を入れ替えるようにした対手がどさりと倒れた。

 

 使えるものは使えばいい。

 今は眼の前の敵を倒すことに集中する。

 判断はマルス様のような方がなさる、だからこそ滅私すべしがマクリルの教えだった。

 今回は無念無想とも言えるそれが彼の命を永らえさせた。

 

「こいつはなんだ……、いや、オレはいったい?」

 

 紫色の炎が散って消える。

 肉体の負荷で動けないってことはない、と彼は確認する。

 

 ───────────────────────

 

 力の充足が体中で感じ取れるようになると心や記憶にも影響を与えたのか、

 脳を揺らがせるようにして、ゆっくりと記憶が戻ってくる。

 

 そうだ、死にかけていたオレの目の前に現れた爺さんがいた。

 ガトー。

 白き賢者だとか名乗っていた。

 

 胡散臭いかどうかって言えば、むしろ神秘性みたいなものを感じていた。

 今際の際みたいなもんだったし、錯覚かも知れないが、それでもオレの命を繋げてくれるなら爺さんでも神様に見えるかもしれない。

 

 だが、実際にその手腕はすごかった……気がする。

 思い出せることは多くはないから曖昧な言い方になるが。

 

 傷を癒やしてくれた、それこそ幼い頃の怪我で小指の握る力が弱くなっていた古傷すら治してみせたんだ。

 それ以上の力を与えるためにって、オレは先程まで入っていた、あの透明な水瓶みたいなものに収められた。

 入る度に記憶が消えていったんだったっけな。

 その代わりに力を増していったのも覚えているが、その頃には当初の目的なんかすっかり忘れていた。

 

 それでも或る日、オレはガトーと話す機会を得たはずだ。



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知る由もなき狂乱

「ガトー様」

「なんだ」

 

 クリスは自我が薄くなって尚、人に語りかける精神力を持っていた。

 ガトーはこれまでにも十二聖戦士とするべくして力を与えた戦士、つまりはオグマたちのようなもの以外にも、

 ミロアが考案した守り人と同様の、或いは『本家』守り人とも呼べる者たちを多く作っていた。

 本来の歴史であればナギが眠る異界の塔を守っていた自我なき兵士たちである。

 

 守り人とならば自我は失せるはずだが、クリスだけは違った。

 或いは、マリスもまた自我のような振る舞いを見せたこともあったが、それはガトーの預かり知らぬことでもある。

 

「ガトー様はなぜ、我らを作り出されるのです」

「正しき歴史のため、だが、それも虚しきものであるがな……」

「虚しい?」

「一度割れた壺を接いだて、傷は消えぬ」

 

 ガトーはクリスの自我の強さに興味を覚えていた。

 守り人になって自我が残るものは特別な才能があるのだろう。

 であれば、自分と同じ境遇に置かれた時に何を選ぶのか。

 それとも、いつかの自分の如く現実との乖離に苦しみもがき、動けなくなるのか。

 

 魔力を練り、小さな光の玉を作ると、それをクリスの頭に向けて送る。

 クリスの空になりつつある心に彼の知らない知識、風景、戦い、仲間、会話、思い出が雪崩のように入り込む。

 

「ご、ああ!?あああ!!……ぎ、ぎ」

 

 頭を抑え、クリスは苦しみもがく。

 

「その記憶はお前が本来、この大地で体験するべきであったことよ

 それを奪い去ったのはレウスだ

 彼奴はそのまま何も考えずにおればいいものを、『己』というものを求め、通ることもできないはずの道を見つけ出した

 ナーガ様が太古に作り出した道を辿ったのだ」

「レウス……マルス様を……」

「そうだ、狭間の地にての振る舞いではなく、彼奴そのものが狭間の地に現れたことで全ては狂い始めた

 彼奴がそれでも『ここ』を選ばなければ、多くの死者を出したかも知れぬが、マルスは生きていたやもしれぬ

 或いはマルスに代わりお前がその名代となって世界を救う旅に出たのかも知れぬ」

 

 ガトーの言葉に応じるではなく、クリスは言葉を発していた。

 

「ナーガ様の秘密に触れ得るからこそ、世界そのものが、ナーガ様こそが」

 

 クリスはガトーとはまた別の意識に触れようとしていた。

 それは黄金律ナーガの秘密か、或いはそれ以外にして今のこの世界にある秘密なのか。

 ガトーすらそれに気がつくことはできないが、だが自分が関知しえないものを知られるのは危険だと判断する。

 

 手を握るこむようにすると、頭の中に入り込んだ光の玉は消える。

 守り人相手にしか使えない記憶や思考の送信・伝達能力だが、必要があればこれを応用して守り人の行動制御も可能な技術であればこそ、その操作には熟練するまでの練習を行っていた。

 

「理解に必要な分は見えたであろう」

「ガトー様は……マルス様亡き世界を、元の形に」

「そうだ」

「ですが……戻りません」

「……そうだ、だからこそわしもまたこの世界を統治するために動こうとしておる

 十二聖戦士と守り人を使ってな」

「……」

 

 クリスは苦しみながらの会話を突然止める。

 そして、その目もまた虚ろではなく、強い意思力を備えたものになっている。

 

「ガトー様、その方法では何も変えられません」

「……お前は、よもや」

「お久しぶりです、というべきなのかはわかりません

 私はこの世界にとっての存在しないはず、亡霊ですらないもの

 数多重なる世界の中の一つの場所である、ここにはいない私のもの」

「あ、ありえぬ……ナーガ様以外に、そのようなことが……」

 

 可能性の数だけ世界がある。

 だが一つの世界に立つ命が他の世界を感知することはよほどの神格を持つでもない限りありえない。

 それこそ、ナーガのような存在でもなければ。

 

 本来の世界だけではない、その分岐した世界も、マルスが指輪によって呼び出される世界も、多くの世界が重なった灯火が燃ゆる世界も、数多を繋げる召喚士が立つ世界も、数多在る世界の一つがここであることは、

 それはガトーは知り得ない。

 

 今ここに立つクリスだけがそれを理解した。

 或いはそれが偶然ではない別の世界の彼の意思だったとしても、それはいっときの全能にすぎず、やがて消えるもの。

 

「私は貴方を止められません

 ですが、かつてマルス様にご助力くださった貴方への恩義を返す意味でも忠告をすることだけはできましょう」

「クリス、いや、そんなはずは……」

 

 ナーガの如く、現れることのない人格の現出にガトーは取り乱す。

 それでも『クリス』は言葉を続けた。

 

「為すべきを為さんとするならば先ずは目的を作るべきです

 今の貴方がやろうとしていることは目的ではない」

「国を作ることは目的にはなりえないと言いたいのか?」

 

 いいや、それこそが目的そのものではないかとガトーが憤るように。

 クリスは氷のように冷たくそれに反論した。

 

「それは成果物に過ぎません

 予知は外れ、ナーガ様との約束を守ろうと必死になった結果に作った言い訳でしかない」

「──若造が、知った口を!」

 

 怒りが千千に乱れかけた心を一つに纏め、ガトーが激昂する。

 

「その点で言えば貴方は、貴方の仇敵たるレウスに負けているのです」

「クリス!黙れい!」

「明確な目的を作り、人の定めた善悪を知るべきです

 神でいたいのか、人にならんとするのか、修復者たるのか、魔王たるのか」

 

 ガトーはクリスの頭を掴むと、ありったけの魔力を注ぎ、その自我を破壊する。

 クリスは膝から崩れ落ちて、動かなくなった。まるで人形の糸が切れたかのように。

 

 肩で息をするガトーは動かなくなったクリスを睨み、

 

「善、悪だと……言うに事欠いて、わしを魔王などと……わしの行いは……」

 

 ぎりりと歯を軋ませる。

 ガトーは神竜族であり、人の世など知らない。

 人間など竜族の生活基盤を安定させるための装置に過ぎない。そうした時代があり、彼にとってその意識は変わっていない。

 

「人間など……」

 

 ガトーは自らの言葉に目を見開く。

 

 誤りを見つけてしまった。

 人にならんとする、人の国の王となる、人の世界を変える。

 だが、ガトーはそもそも人間というものをまるで知らないという過ちに対面してしまっていた。



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滅私と名誉

 思い出せたことが多いかと言われれば、判然としない。

 クリスは混濁した記憶からなんとか情報を引き出していた。

 自分は英雄ではない。

 マルス様もいない。

 だが、為すべきことは見え始めていた。

 

 この世界はマルス様亡き世界であり、未だ戦争が続く時代でも在る。

 垣間見た世界であればマルス様が平和を作っていたかもしれない。

 その結果、死ななくてもよい人が多くいたかもしれない。

 自分が何者かなどより、重大なことがある。

 

「……主君こそを思え、それを実行すべし」

 

 マクリル・メソッドを口に出す。

 

「マルス様なら、何をオレに言い遺してくれただろうか」

 

 目を瞑る。

 声が聞こえるはずもない。あったこともない主君なのだから。

 それでも、クリスが決断するには十分なだけ、マルスについてをガトーから渡されていた。

 

「誰もが目を向けないものを助けてあげてほしい」

 

 彼の中のマルスであればきっとそう言うだろう。

 クリス。影の英雄。

 光の中に立つ英雄はきっとこの大陸に多くいるだろう。

 だからこそ、影の中でもがき苦しむ人々を救うために動くべきだ。

 彼は自らを再定義する。

 

「マルス様、あの世でお会いしたときに答え合わせさせてください」

 

 自らの器はマルスの為の武威以外の何者でもなく、人々を率いるに能わぬ。

 それでも、まつろわぬ人々という影の中で闘うことはできるだろう。

 

 クリスは立ち上がり、どこともわからないが、どこかへと歩くことにした。

 その先でまず誰かを助け、次の道を定めよう。

 

 ───────────────────────

 

 クリスは結構な時間をこの施設で過ごしていた。

 というのも、ここはとてつもなく広く、守り人もまた次々と現れるからだ。

 苦戦こそしたものの、戦う度に自分の力についての理解度は深まり、或いは倒す度に彼らを解放できているという感情を得ることができていた。

 

 未探索エリアも殆どなった頃、

 

「だ、誰かあ!助けて~!」

 

 守り人を解放するのも悪くはないが、クリスがふと誰かを助けたいと思ったとき、助けを求める声が響いた。

 口さがない人であればそれを主人公体質などと呼ぶこともある。

 クリスもまた、そうした体質の人間であることは自認するところでもあった。

 

 施設の中から聞こえた声に従って走ると、赤い髪をした……少年とも少女ともつかない人物が守り人であろうものと鍔迫り合いをしていた。

 鍔迫り合いと言ってもあと数秒もあれば真っ二つにされそうであるが。

 

 呼吸を整える間もなく、その数秒を延長するために覚えたての力を発揮する。

 紫色の炎が体から漏れ現れ、身体能力を引き上げる。

 発揮された歩速、加速能力は自らが考えるものよりも大きいが故に刃を引き受けようと思ったのが守り人へとタックルする形になってしまうが、それでも押されていた人物を助けることはできた。

 

「大丈夫か?」

「いやいや、大丈夫じゃなさそうなのはお前の方だろって!ヤバそうな炎出てるって!」

「オレもヤバそうだとは思うが、それどころでもなかっただろう」

「そーだけどよ、どうあれタックルじゃ仕留めきれねえよ!どうすんだ!?」

 

 壁に叩きつけられた守り人らしきものはやはり自我もなく立ち上がる。

 らしきではなく、守り人そのもの。

 擬剣ファルシオンを向ける。

 

「あの剣を持ってるからって十二聖戦士とやらじゃあないのか」

「ガトーの事知ってんのか」

「ああ、だが、その話は後にしよう

 名前は?」

「チェイニー、お前は?」

「クリスだ

 チェイニーはオレの後ろにいてくれ」

 

 その言葉にチェイニーは従い、大剣の範囲であろう距離から離れる。

 

「来な、同僚」

 

 片腕で手招きするようにして挑発する。

 それに乗ったではなく、不可解な隙を見て守り人は機械的に攻め寄せる。

 

 クリスもまた、応じるように剣を両手で構え直す。

 

 戦いの結果は言うまでもない。

 もはや守り人程度に後れを取るようなクリスではない。

 

 ───────────────────────

 

「ひー、助かったよ」

「なんでこんなところに?」

「そりゃこっちも言いたいセリフだけど、オレはガトーに会いに来たんだよ

 なんか調子おかしいみたいだからな」

 

 あの老人に心配してくれるような知己があるのかと思うクリス。

 その表情を見たチェイニーは

 

「昔なじみさ、オレもこんなナリだけど随分永く生きてるんだぜ」

「へえ」

 

 クリスの記憶はあくまで現世で生きた分だけしかない、断片化してしまった記憶は能動的に参照できるようなものではなかった。

 マルスと共に戦ったクリスであればチェイニーとの再会も喜んだのだろうが、このクリスにとっても、勿論チェイニーにとっても初めましての関係でしかない。

 

「お前こそなんでここに?」

「チェイニーを襲ってた奴、守り人って言うらしいんだが、オレもそれと同類だ

 お前のお友達に怪我の治療ついでに改造されちまったんだ

 他の連中と違ってオレの自我はしつこさが売りみたいで、あんな風にはならなかったが」

「……ガトーが守り人を」

 

 チェイニーはぼそぼそと何かを独り()ちてから、

 

「オレの知り合いが取り返しのつかないことをしたんだな……ごめん」

「チェイニーが謝ることじゃないだろ」

 

 飄々としていた風を取りやめて、頭を深く下げて詫びる。

 クリスが苦手なのはこれだ。

 彼自身に否もないのに謝られるようなことが苦手だった。

 

「ほら、顔をあげてくれよ」

「……わかった」

「ここにガトーはいないが……様子伺いに来ただけなのか?」

「そりゃそれだけじゃあないが……クリス、これからどうするんだ?」

「人助けしろって言われてるから適当にぶらついて、困ってる人でも助けるよ」

「謝ってすぐにこんなこと頼むのも……とは思うんだけどさ、オレの手伝いする気ないか?

 オレはすっごい困ってるわけなんだけど」

 

 わざとらしく困っているような表情に素振りを見せるチェイニー。

 オレが湿っぽいのが嫌いだってのも理解してくれたようで、あえて陽気な口振りで。

 

「いいよ、別に」

「軽いなあ」

「どうせ今のオレは空っぽでね、目的が外部から貰えるならそれでいいと思ってる

 で、実際どう困ってるんだ?」

 

 チェイニーの頼みはガトーの目的と現時点で行っていることについて。

 施設内でなにか見つかるかとも思ったが、守り人が時折うろついている程度で、それ以外に目立ったのが見つかったりはしなかった。

 

「ここじゃないなら他の巣穴かな」

「なあ、チェイニー」

「なんだー?」

「チェイニーって竜族なんだよな」

「……まあな、そうだけど」

「やっぱりか」

 

 チェイニーは少しだけ驚いた顔をしてから

「なんで?」と聞いて来た。

 彼からすれば竜族ではないというポーズを取って旅をしていた自負があったらしいことは理解できた。

 

「外見以上の長生きって言えば竜族かなってくらいのことだよ

 でも……なんでかな、お前のことを知っていて、そう思ったのかもしれない」

 

 チェイニーは少しだけ複雑な表情を浮かべた。

 疑念といったものではなく、どこか哀しげなものを。

 

「こんなこと言うと引かれるかもしれないけど、こう、纏っている気配と言うか匂いが知り合いに似てるんだ

 つってもお前と違って小さい女の子だしな」

「小さい竜族の……まさかチキを知ってるのか!?」

「あ、ああ……なんだ、お前も知り合いなのか

 オレも探してるんだ、と言っても寄り道も多くしちまったし、本気で探してるかっていわれると返す言葉もない次第だが」

 

 出会ったときのことや、オレが何者かに眠らされて、その隙に消えたこと何かを話す。

 チェイニーは難しい顔をして聞いていた。

 

「……あの子がチキって知っている人間はそう多くないはずだし、神竜石を持っているわけじゃないから兵器として扱うようなマネもさせられないだろう……」

「考えたくもないが、なにかの実験とかに使われるって可能性は?」

「だったら奴隷にでもされる方がありうるとは思うが……まあ、どっちにしろそれは無視していい」

 

 まるで何かの確信があるかのような、無事であると思う言葉にクリスは「どうしてそう言い切れる?」と疑問を投げかけた。

 

「チキには加護があるんだ、とてつもない加護がな

 そいつがある限り、何となく運が味方してなんとかなる、って力が働くのさ

 クリスと会ったのもそのお陰かもな」

「運が良いで済ませられることなのか?」

「大体は、だけどね

 回避できないような本当にヤバい状況にあれば、オレやガトーが察知できるだろうし……まあ、あとはアリティアの連中にも知れるだろうからな」

「アリティアの連中?」

「あそこにもチキとの繋がりが深いお方がいるのさ」

 

 クリスは「へえ」としか返しようもない。

 傭兵の癖のようなもので、秘密にしていることに土足で踏み入ろうとしないのだ。

 好奇心は猫と傭兵を殺すなんて警句は耳にタコができるほどに叩き込まれている。

「チキを探すのが現状の最優先か?」と聞くと、

 

「探したい、が……ガトーのことも気になる

 十二聖戦士を標榜した計画っぽいのが透けて見えるんだよな」

「それと遭遇したとか?」

「まあ、そうだな……それの候補者に出会ったんだ

 ただ……アイツがやってることは十二聖戦士なんかじゃあない」

 

 チェイニーは「おっと、それよりも手伝ってほしいことなんだが」と話題を変える。

 

 彼の目的はずばり、チキや守り人の情報を集めることだった。

 だが、自分ではなにもしない。

 陰ながら動き、陰ながらもっともそれらに対して動いてくれる勢力へ情報を流す。

 

「それで解決するのか?」

「それで解決できないなら、ハナから誰にも解決できないことだったって思うさ

 その途上できっと多くの戦いがある、オレはまあ、戦いは先の見ててわかったと思うけどそこらの敗残兵にも勝てないレベルでね」

「チェイニーの護衛が仕事内容か」

「オレと、道中で出くわしたオレみたいに弱いやつをね

 頼めるか?」

「人助けは元々やろうとしていたことだ」

 

 こうして、奇妙なコンビが大陸を渡り歩くことになる。

 奇妙ではあるが、誰も彼らを笑ったりなどしない。

 彼らの功績を知る、歴史に名を残さない人々は口を揃えて彼を称えるだろう。

 弱きを助け続けた、名誉求めぬ影の英雄、と。



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旅路

 旅の道中、クリスはチェイニーと今までのことや他愛も無い話を続けていた。

 クリスは聞き上手であったし、チェイニーは話したがりだったのもあって相性のいいコンビと言えるだろう。

 

「オレを雇う前に誰か雇えばよかったんじゃないか?」

「本当は護衛を一人雇うつもりだったんだけどさ、そいつが倒されちまって、やむなく一人旅だよ

 急ぐ旅じゃなければ代理を探したんだけど」

「前もって誰を雇うか決めてたって口振りだが」

「オレが知る限り大陸随一の傭兵だよ、オグマって知ってるか?」

「……え?」

「どうした?」

「倒されたって、オグマがか?」

「ああ、元は別の用件で急ぎだったんだけどさ、オグマが十二聖戦士の器とされちまったのを聞いてさ」

「十二聖戦士ってこの前も言ってたよな

 あの守り人たちのように自我を失うようなことをされたのか?」

「いや、十二聖戦士には自我を残しているはずだよ、守り人と違って強引に器を空にする必要がない、才能ある人間たちに向けての技術だろうから」

 

 自我は奪われなかった。

 けれど、あのオグマが負けた?

 

 クリスは信じがたいと思うも、相手がナバールだとも聞くと納得できるところもあった。

 オグマからもナバールの話は聞いていたからだ。

 

 チェイニーは永く生きているからなのか、それとも彼が竜族のなにかの秘密を知っているのか。

 守り人に関しての知識はそれなりに持っているようだった。

 

「十二聖戦士と守り人の違いってのはその、才能の差なのか?」

「そこはガトーのさじ加減ってやつだろうなあ

 十二聖戦士は……まあ、経緯は省くけどそう呼ばれてた連中がいてさ、象徴となる武器を持ってたんだよ

 それが剣が三振り、槍が二本、弓、斧、杖が一つずつ、魔道書が四冊……それで十二

 これに対応する才能の持ち主が都合よくいればいいけど、対応する才能の持ち主がいなけりゃ守り人を聖戦士扱いしたりするかも」

「適当な扱いだな」

「十二人が集まることに意味があるわけじゃないからね」

 

 クリスはふいにガトーが国を作ろうとしていることを思い出す。

 十二聖戦士は国の象徴として作られているのだろうか。

 いや、であれば聖戦士に変じたオグマをむざむざ殺させるだろうか。

 

 それとも才能ある人間をあえて使い潰したりすることが目的なのだろうか。

 

「ガトーが作ろうとしているのは十二聖戦士なんかじゃないって言ってたよな」

「やり方からすると、十二魔将って呼ばれてる存在に近いんだよな、自我をなくしたり、特定の方向性に制限したり……現時点での違いがあるとするなら魔将は死者を再利用してい──」

「じゃあオグマが死んだのは」

 

 チェイニーは難しい顔を浮かべて、

「計画のうちだってことかもしれないな」と呟いた。

 

 ───────────────────────

 

 荒い息を吐く。

 大陸で最も高い位置であると言えるだろう、そこは氷の大地と呼ばれた場所である。

 普通の人間、いや、例え英雄と呼ばれる類の存在であっても、人間である以上はその制限を無視することなどできようものか。

 

(身体能力が明らかに下がっている……

 そういえば、アンリの道を進んだ冒険者が引き返したというのを何かの手記で見た……極めて高い場所では人間は身動きが取りにくくなっていくって

 大英雄アンリが七日七晩も戦い続けたのもこれが理由なのかしら)

 

 蛮王ニーナは雪と氷の大地にあって、汗を流していた。

 彼女の周りには氷竜の亡骸が大量に転がっている。

 もはや理性なき竜族如きは物の数ではなかった。

 

(遠くにあるのは神殿だろうか……こんなところに)

 

 重い体を引きずるように歩くと、幻覚かと思いかけるものが現れる。

 騎士たちだった。

 こんな場所で、完全防備の騎士たちが現れるとはどういうことか。

 

 何者かと声をあげようとしたが、そうしなかった。

 彼らは同じ装備を纏っていたので、どこかしらの正規軍のようでもあるが、目を引いたのは腰に帯びる剣であった。

 

(ハーディンが持っていた剣……

 嫌な感じがする、心をざわつかせてくるような)

 

 騎士たちは整列し、身動きしない。

 

「その先の神殿には何があるのです」

 

 騎士たちは整列し、返答しない。

 

「その腰に帯びた剣は何だというのです」

 

 騎士たちは整列し、説明しない。

 

「今更、静謐も貞淑も私には存在しない

 他人の血と命で道を舗装することを決めた以上、外道と呼ばれようと押し通らせてもらいましょう」

 

 ガングレリを抜き、構える。

 

 騎士たちは遂に動き出した。

 剣を抜き、構える。

 ニーナがそれを知るものではないが、彼らこそが氷の大地にある神殿を守護する守り人たちであり、

 或いはガトーからしてみればミロアの作ったものではなく、『本家』守り人である。

 

 彼女は受けや守り、待ちや(ケン)に回ることは殆どない。

 突き進み、攻撃し、やり取りの中で相手の観察をする。

 

(敵の数は十二人、戦闘力は未知……)

 

 ニィ、と笑う。

 獣のような笑みであった。

 

 踏み込み、切り払う。

 騎士は盾でそれを防ぐと銀の剣で返す。

 ガングレリでそれを受け立ちするが、その一撃はまるで竜の前足みたいな破壊力であり、剣を落としはしないが腕に違和感を覚えた。

 

 ニーナは即座に杖で治癒を行い、次には杖にさらなる力を込める。

 

「数が数です、卑怯な手も使わせていただきます」

 

 杖の石突を地面に叩く。

 

強制停止(フリーズ)

 

 ニーナは数多の戦いの中で杖の可能性を次から次へと引き出していた。

 フリーズもまたその一つである。

 相手の歩みを止め、回避すら行えなくする強力な妨害能力である。

 それが彼女の魔力や習熟の影響かはわからないが、強い自我を持つものには通用しないことと、例え自我の弱いものであったとしてもやはり絶対に成功するという保証もない。

 だが、騎士たちの半数には効果を与えたようだ。

 彼女は更に目の前にいる騎士へと杖を振るい、叫ぶ。

 

弱体劣化(ウィークネス)

 

 これもまた対象への妨害であり、敵が持つ様々な力を低下させるものだ。

 フリーズ同様に影響を与えられるのは確実ではなく可能性となるが、体感ではフリーズよりは通りがいい。

 戦う場所が場所なのでこれが成功したとして自分と同じ程度の条件になるくらいかもしれないが。

 効果は発揮されたようで、騎士の動きが鈍くなる。

 

 ガングレリが紫色の煙を吐き出し、動きが鈍った騎士に叩きつけ、その胴体を粉砕するようにして打倒した。

 切れ味が悪くなってきている。

 仕方もないことだろう、ここに来るまでに相当に無茶をさせた。

 

「まずは、首一つ」

 

 ゆらりと振り返り、騎士たちにガングレリを向ける。

 騎士たちは戦鬼同然のニーナに恐れもなく、踏み込んできた。

 氷の大地の死闘はここからが本番だと言うように。



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白夜を塞ぐ光

 ガングレリがみしりと音を立てて、ヒビを作る。

 残った騎士は八。

 四人の守り人を殺せただけでも十分な働きであるのは間違いなくとも、ニーナは満足していなかった。

 

(ガングレリ、あなたはこれが限界なのかしら

 ……いいえ、あなたならまだ戦えるはずでしょう

 もう少しだけ私に付き合って、せめて彼らを倒し切るまで)

 

 無茶を言う持ち主に、しかし反論をするでもなくニーナから命を吸い上げ続ける。

 吐き出す煙はより深くなり、より早く、より重い一撃に変わっていく。

 

 杖もまたフル稼働している。

 治癒に伴って体力を補い、弱体と停止を間断なく使う。

 

 五人目は加速度がより強くなったガングレリによって両足を落とされ、跳ね上げた一撃が斜めに走ると分断した。

 

 ぱきき、ぱききとガングレリの損傷が激しくなっていく。

 だが、損傷が大きくなればなるほどに吸い上げる勢いは強くなり、力をも増していく。

 

 六人目の守り人は単純な斬撃で倒されてはいない。

 振り抜いて発生した紫色の暴風としか呼べぬものを打ち出し、叩きつけられて拉げさせた。

 

 ガングレリの光がより強くなる。

 風と熱が剣から溢れていく。

 杖はもはや弱体と停止を使う暇もなくなり、治癒にのみ全力が注がれている。

 

「ガングレリ、よく付き合ってくれました

 次で終わりにしましょう」

 

 ニーナがその力を知っているわけではない。

 だが、戦いの中で魔剣ガングレリとは奇妙な縁を結んでいたのは確かである。

 命を大量に吸い上げた魔剣はもはや彼女の手足のごとくであり、彼女もまたガングレリへの理解は自らの理解の如くに至っていた。

 ガングレリ最期のときが近づいて理解する。

 

 この魔剣の本質はその構造にある。

 命を吸い上げ、推進力の煙を吐き出したそれであったが、副次的な作用に過ぎなかったのだ。

 これは命を糧に刀身の中で爆発力を溜め込む、紫色の煙はその爆風であった。

 外殻が砕かれれば砕かれるほどにその爆風が強くなる。

 であれば、全ての外殻が消えたとき、それはどうなるのか。

 

 命が煌めき、破壊的な力が無慈悲に吹き荒れることになる。

 

「私の命を吸い上げなさい!ガングレリ!

 望むだけ差し出しましょう!!」

 

 ニーナが叫ぶと、ガングレリは呼応するように命を食らう。

 守り人たちが殺到する。

 しかし、その刃が届くよりも早く、ガングレリは臨界点を突破し、外殻の全てが砕け飛び、むき出しとなった魔剣の中枢は今まで食らってきたニーナと敵の命によって朱く紅く燃えて熱を発している。

 それは断末魔を上げるように膨張し、爆風の後に強烈な熱を発した。

 熱波と爆炎が氷の大地を舐めるようにして走っていき、永久に溶けることのないであろう氷雪が水蒸気と水へと変わっていった。

 

 全てが命の炎に破壊され、しかしその爆心地では光が発せられていた。

 杖だ。

 ガトーがニーナに渡した杖は彼女の手にあって輝きを発し続けている。

 

 ニーナが蛮王となり、戦いの中で得た技術がある。

 それは『動作の自動化』だ。

 

 戦いとは決断の連続であり、戦いの経験がないニーナは即断即決を得るまでに時間がかかっていた。

 その結果として最初の頃の相手である盗賊たちからも手傷を負わされ、苦戦することは少なくなかった。

 だからこそ、彼女が編み出したことこそが動作の自動化である。

 考えずとも、或いは眠りについていようとも特定の動作を続けられるように訓練した。

 

 大陸の文明の頂点とも言えるアカネイアの、その王女たればこそ理性と知性は極めて高くなるよう教育を受けていた。

 彼女はそれら捨てるではなく、戦いに特化させることで適応した。

 

 貴人は例え眠っていてもはしたない眠りを見せることがない。そのように訓練されるからである。

 その訓練と同じように、例え意識があろうとなかろうと自動的に行えるようになるまでに意識に動作を刷り込んでいく。

 剣を振るう、攻撃を避けるなどの行動は状況に依存したものであるため、彼女の経験では自動化することは難しい。

 だが、杖を使うという動作であれば能動的な判断で行えることだ。

 であれば、それこそを彼女は自動化した。

 傷ついても、心が痩せかけても癒そうと考えるではなく、そうなった端から杖を使用するように彼女は訓練をし、ついには体得した。

 

 全身を強打し、裂傷が数多走り、骨は砕け、皮膚も肉も火に炙られた。

 意識はとうにあるまい。

 だが、彼女は無意識で杖を使い続け、やがて強打した後は消え、裂傷は塞がり、骨は接がれ、まるで火などに炙られたことがないかのような元の美しい白肌に戻る。

 そうして、意識もまた明瞭なものに戻ったと同時に、杖もまた音を立てて砕け散った。

 幾つもの軍勢に使うようにと想定された杖の力すら使い切るほどに彼女は戦い続けた、その証拠である。

 

「どうやら私の勝ちのようですね」

 

 氷の大地で彼女に異議を唱えられるものはもはや誰一人としていなかった。

 

 ───────────────────────

 

 神殿に立ち入るが、そこは使われなくなって久しいのか、人の気配というものが一切無かった。

 

 彼女は奥へ奥へと進む。

 守り人たちがまだ居るかもしれないが、彼女は気にもしなかった。

 いや、狭い通路であれば一対一だ。

 素手で倒せるか試してみたいとすら思っていたのだ。

 

 辿り着いた小部屋はまるで貴族のコレクションルームのようでもあった。

 ショーケースのようなものこそないが、綺麗に陳列された品々の中には見たこともない──恐らくは漂流物であろう武器が幾つも並んでいた。

 

 目を引いたのは、先端が尖るではなく半円を描いたような形状の剣だ。

 彼女の身の丈ほどもある剣だ。

 それに目を引かれたのは、夢にまで見た憧れの戦士でもあるレウスの持っていた剣のように、大きなものだったからでしかない。

 

 それはある城の主が処刑場で奪い、自らの獲物とした武器。

 処刑人でもあった主の家の名を組み合わせて与えられた武器の銘は『マレー家の執行剣』。

 剣は処刑人が仕事を為すために握られ続けたが故に、為そうするものの手に握られることこそが自らの存在意義であると伝えるように、その剣はニーナにはよく馴染んだ。

 

 他に目を引くものが一つあった。

 本来であれば剣よりも先に部屋の中心にある台座に目が行くものだろうが、

 そこは蛮王ニーナ(ニーナ・ザ・バーバリアン)

 相手を倒す手段の方に強く惹かれていたからこそ視界に『それ』を映しもしなかったが、それが落ち着いたからか、ようやく台座に目をやった。

 鎮座する宝玉を見て、彼女はそれが何かすぐに理解できた。

 それは彼女の血筋に所以するものであるから、正しくその名を認識できたのかもしれない。

 

「命のオーブ……」

 

 それは紋章に配されるべき品。

 その行いは歴史と同じように繰り返されることが必然だとでも言うように。

 

 彼女は自らの父祖と同じく、オーブを奪うと、剣とともに神殿の外へと持ち出した。

 

 だが、アドラ一世と決定的に違うことがある。

 彼女は国を作る気もなければ、これを売り払うつもりもなかった。

 しかし、そう簡単に手放す気もなかった。

 戦い続けるためにも、これは必要なものだと彼女は直感していた。

 



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移住計画

 乾いたタオルで汗を拭うレナの背に語りかける。

 指輪が灯りに照らされて反射している。

 

「レナに従う貴族ってのはやっぱマケドニアの郷土愛ありきなのか?」

「家名には愛着はありましょうが、いずれも所領を持たない身分ですから、大きな問題にはなりえないかと思いますよ」

 

 仮にだけど、と前置きをしてオレは続けた。

 

「ドルーアに移ってもらうってのは難しいかな」

「ドルーア……ですか」

 

 レナに従う貴族や武家の人間はいずれもマケドニア人。

 そしてマケドニアにとっては不倶戴天の敵、その地。

 流石に厳しいだろうかと思うが、どれほどの感情なのかを知るためにも質問している。

 

「下準備に手を抜かなければ問題は出ないと思います」

 

 意外な答えだった。

 

「下準備、っていうと?」

「ドルーアの土地の素晴らしさをレウスがアピールしてくだされば、覇王が認めた場所となるでしょう

 その場所の監督を私が担うとなれば」

「漂泊の司祭様が漂泊をお止めになった聖地にすらなりうる、か」

 

 彼女の言う政治的な話、とはマケドニアを取り巻く状況についてだった。

 現在のマケドニアはとてもではないが上手くいっているとは言えない状況だった。

 戦局やその戦争・軍備周りに関しては完璧だ。

 不満を並べるものなど一兵たりとて存在しない。

 

 だが、それは文句を付けることができる人間が地下に潜むように口を結んでいるからだ。

 ミシェイルは飴と鞭の使い方が上手い男だった。

 例えミシェイルに臣従できずとも、国土防衛に付く限り爵位を取り上げることはしないと約束し、

 発言権の弱い家柄には例え意見が反発している相手であっても従軍するのならば発言権や位の引き上げを検討すると約束している。

 

 飛竜の谷の激戦に入ればミシェイルの後背を衝く気持ちなどなくなるだろう。

 それだけハードな戦場になっているというのは漏れ聞こえる話から十分察することができる。

 

 んで、そういう戦場を共に駆け抜けて約束通り発言権を強くするために戦果への恩賞として何かしらの意義あるものを渡す。

 地獄みたいな戦場を共に戦い抜いた相手には信頼があり、もはや歯向かう気などなくなるってわけだ。

『不平や悪態を口にするものはミシェイルと激戦を共にしていない腰抜け』そんな風潮も出始めているらしい。

 命より誇りが重いと考えるものが多いマケドニア人であれば、お口チャックさせるのは簡単なことなのだ。ミシェイルにとっては、だが。

 

 レナとの婚約とその発表タイミングはこちらにとって重要な切り札だ。

 すぐに使うわけには行かない。

 アリティアでやっておきたいことはもう少しで一段落。

 そうすれば次に向かうべきはドルーアだろう。

 

 ───────────────────────

 

 ドルーアからの難民がアリティアに流れたという話を聞いたクリスとチェイニーはある種の興味本位で、

 つまりはそれに乗じてチキや、彼女に関わったことのある存在がいたりしないかの為に聖王国へと向かっていた。

 

「おい、クリス」

 

 チェイニーが指で示した方向には魔道士の男性とどうみても盗賊といった連中が言い争っている。

 盗賊は武器を構え、魔道士はどうやら応戦するにも魔道書が手元にないのか、それとも魔道学者かなにかで戦う力がないのか。

 

「ああ、助けるぞ!」

 

 クリスは一気に距離を詰めると大剣で斬り殺すではなく、鉄板で弾き飛ばすようにする。

 

「何争ってんだ、こんな道のど真ん中で」

「なんだあテメ!っろすぞ!!」

「オレたちゃ通行料もらってるだけなんだよ!てめえもよこせ!」

「ああなりてえのか!」

 

 口々に盗賊が話し、指した方向には商人の躯が転がっていた。

 

「はあ……

 嫌な渡世だ」

 

 ここで放免すればこの街道での被害は止まらないだろう。

 チェイニーは溜息を吐くとほぼ同時にクリスが剣を振るうと、ほんの一瞬で敵を大剣で三人の盗賊を斬り殺した。

 

「魔道士さん、大丈夫かい」

「ああ……恥ずかしながら魔道書を忘れてしまっていてね、助けてもらわないと危なかったよ

 ありがとう」

 

 片眼鏡(モノクル)の位置を直すようにしながら男性はクリスたちに感謝を述べる。

 

「いいって、それにこの状況に気がついたのは」

「オレオレ!褒めてもいいぜ!」

「ははは、ありがとう……ええと」

「チェイニーだ、んでお前を助けたのはクリス」

「俺はエッツェルだ、この先の街に用事があるならやめたほうがいい」

 

 赤い髪は猛々しさの象徴にも見えるが、むしろ彼の雰囲気は陽光のようにも感じる穏やかさがあった。

 

「なんでだ?」

「盗賊の親玉が占拠してるんだ、まるで地獄だよ

 特にこのあたり、北グルニアは最悪さ

 グルニア貴族の敗残兵と盗賊どもが結託して好き勝手に支配ごっこをしているんだ」

 

 忌々しげにエッツェルが言う。

 

「そんなところに魔道士のお前が何しに来たんだい」

「人からの頼みでね、あそこにある書物を回収してきてくれって言われてたんだが……失敗して逃げ帰ったところであんたたちに助けられたってわけさ」

 

 その忌々しげな、というのは実感や実情が込められたものであった。

 言葉で語るよりもよりひどい状況だったことをクリスたちは思う。

 

「ああ、魔道書を置いてきたって城の中にか?」

「そうだ、まったく焦り性は何歳になっても変わらない、昔は側で咎めてくれる人がいたのだがね」

「奥さんか?」

 

 チェイニーが踏み込んだ質問をするが、クリスも止めない。

 ある意味彼らが取る対人のコミュニケーションは遠慮がない(ノンデリ)なチェイニーと常識人のクリスという立ち位置を意図的に作っている。

 彼らなりの会話メソッドだ。

 

「ああ、この戦乱で命を落とした

 もう二年以上も前のことだが、悲しみというのは晴れないものだよ」

「危なっかしい仕事は死ぬためだったりとかしないよね?」

「そこまで死に急いでいるわけじゃあないさ、……一応はだがね」

 

 どうだかな、とクリスは思う。

 少なくとも生きたいと思っている人間の眼じゃあない……と思う。

 愛した女を持ったことのない自分(クリス)からすれば彼の感情を理解することなどできないだろうとしてわかったふりなんて余計なことは行うつもりはない。

 

 だが、それでも放っておけば死にそうな人間をそのままにしておけるほど淡白でもいられないのがクリスという男でもあった。

 

「エッツェルさん、オレと一緒に戦う気はないか?

 オレはその街を解放したい、アンタは書物の回収をしたい、目的は似ているところにあると思うんだが」

「それはありがたいが……」

「魔道書なら拾ったのでよけりゃ、使うかい」

 

 なんやかんやとろくでなし共と戦う機会の多い彼らは、そこで得た戦利品を一応持ち運んでいる。

 こうして役に立つこともあるからだ。

 

「準備もあるというなら、断る理由もないか

 感謝するよ、クリス、チェイニー」

 

 こうして、北グルニアの街の戦いに三人は向かうことになった。

 



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統治計画

「受け取れるはずないだろう!貴方は何を考えているのだ!」

「孕ませておいて何もしないってわけにもいかないのはわかるだろ?」

「リーザ様とシーダ様には確かにそうするべきと言葉を預かっている、だが、わかっているのか?

 私は」

「オレの好みど真ん中の女」

「~~~」

 

 顔を赤くする。

 ミネルバのこういうおぼこいところはずっとかわいいな。

 

「ではなくてだ!

 私はマケドニアの王女なのだ

 例えアリティアに帰順したとして、その私がなんと言おうと世間の認識が変わることはない!」

「だからだ

 マケドニアの王女であるお前を妻に迎えれば行き場がなくなったマケドニアの非主流派の連中に助け舟を出せる」

「それは……だが……」

「未来の話をしてもいいか?」

「?……ああ、構わないが」

「オレは大陸全土を支配する、そうした後に首都はアリティアのままだとする」

 

 話し始めたオレにミネルバは何度か頷く。

 

「だが、大陸の大きさが変わるわけでもないから各地を監督する立場のものが必要になる

 ミネルバとその子にはマケドニアの監督を担ってもらいたい

 マケドニアを支配下としても、武家や貴族たちがパッと非主流派と同じ考えになるわけでなし」

「爵位か何かによって代官になるというわけか」

 

 ああ、とオレは頷く。

 その頃もオレの立場は現人神であることは変わらないだろうから、王という位は最上位のものではない。

 が、アリティア聖王国が覇権国家である以上は別の王を作るわけにもいかない。

 そうなれば公爵位を渡すことになるのだろう。

 

「その職務に就くとして、民を納得させられるのは王族であり、同時に覇王たるオレの妻であるという看板を持つミネルバ以外にそれをできるのはいない、そうだろう」

 

「ああ」と頷く。

 マリアのことは話がややこしくなるので一旦置いておこう、というのはミネルバとも暗黙の同意がここに存在していると考えていいだろう。

 

「何せ前線で軍働きを見せたのは今じゃ吟遊詩人の持ちネタの一つになっている

 マケドニアの民も、ミシェイルが率いた兵士であっても英雄を迎え入れてくれるさ」

「そうであればいいのだが……

 いや、しかしレナ殿との結婚もなさるのだろう

 彼女はマケドニアを真っ二つにとまでは言わぬまでも、かなり大きな勢力を有する大貴族の人間だ

 それはどうするのだ?」

「それについちゃあ──」

 

 結婚と政治の話、というのをレナと何度か交わしている。

 その中でレナに提案したドルーアへの移住案をミネルバに伝えた。

 非主流派で、ミシェイルの配下だったものと諍いが起きそうなものはミネルバの統治の時にドルーアへと移ってもらう。

 聞き入れられないような状況にはなっていないだろう。

 彼女に逆らうということは大陸全てに逆らうと同義である。

 マケドニアが爵位はあれどほとんどの貴族に所領を与えていないことはここでかなり有利に働いている。

 領地を持っていれば離れられないだろうが、名誉と歴史だけだというなら言いくるめ方は幾らでもある。

 

 ミネルバもオレのプレゼンに納得したようで、

 

「わかった……その、私といずれ生まれる稚児(ややこ)にそこまで考えてくれたことに感謝を」

「だからさ、受け取ってくれるよな」

 

 ミネルバの手を取る。

 

「……私自身よりも私のことを愛してくれている男を袖にするほど馬鹿ではないつもりだ」

 

 指を開いて、指輪を受け入れるようにする。

 

「これからもよろしくな、ミネルバ」

「こうなったからには私も遠慮しない」

「かかってこいだ」

 

 ───────────────────────

 

 かなり戦い慣れているな、というのがエッツェルを見たクリスの感想だった。

 多かれ少なかれクリスは傭兵として魔道士との戦いは経験している。

 その中でも彼の戦い方というのは合理的で、安全圏から攻撃することが可能な魔道士の特徴を十全に活用したものであった。

 舌を巻いたのは接近されたときに見せた身のこなしだった。

 速度というわけではなく、その身の守りの仕方だった。

 

「エッツェル、何かしら武芸を嗜んだりしてたのか?」

「恥ずかしながら魔道士だけで食べていけない頃に警備兵の真似事をしていた時代があってね

 そこで身についた防御の技術が生きているんだと思うよ」

 

 泰然自若とした戦いぶりもまたそこで身についたものだろうか?

 ともかく、盗賊や敗残兵を倒していくと、街の広間では頭目らしき男が彼らを待ち受けていた。

 

「よく来たなあ!ここはオレさまの縄張りだってのは知っているんだよな?

 手下をかわいがってくれた分はお礼をしなきゃあならねえよなあ!」

 

 広間に入った三人を見て頭目が指笛を鳴らす。

 彼らを囲むように敗残兵たちが鎧や武器の音を立てながらのっそりと現れた。

 

「こいつらも元は正規兵!ひと味もふた味も違う戦力だ!命乞いするなら助けてやってもいいんだが?

 どうす──」

「ファイアー」

 

 不意にエッツェルが放ったファイアーが頭目の顔面が爆ぜさせるようにして燃え上がった。

 

「聞くに堪えん」

 

 エッツェルが怒りを隠すこともなく、魔法を放った。

 それと同時にクリスが止めを刺さんと頭目へと殺到する。

 

「おいおい、息ぴったりかよお前ら!」

 

 チェイニーがやれやれといった感じでエッツェルの背を守るように構え、そのエッツェルは敗残兵たちに対して距離を利用して魔法で立ち回る。

 それぞれの奮闘、もっともチェイニーは防戦一方であったが、結果として無傷の勝利を得ることができた。

 

「町民はクリスに任せていいいか?」

「ああ、エッツェルは目的の書物だな」

「そうさせてもらえると助かるね」

「オレも興味あるから付いていってもいいかい?」

「構わないよ」

 

 と言った感じで、街の解放についてはクリスが、書物探しはエッツェルとチェイニーが行うこととなった。

 



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共犯者たち

「なあ、エッツェル」

 

 書物を探しに書庫へと入った二人。

 エッツェルの背にチェイニーは声をかけた。

 

「ガトーの関係者なんだろ」

「……流石は神出鬼没の神竜族、チェイニー様といったところか

 俺を見ただけで、どうしてガトー様の関係者だと?」

「ガトーが予知を持っているように、オレにもそういう特別な力があるのさ」

 

 チェイニーは自らを神の視座などと呼ぶ気はさらさらなかったが、それでもその瞳が見やるものは神のそれである。

 過去と現在を繋ぎ合わせるための情報を垣間見る視線こそが、チェイニーの持つ力の一つである。

 他者の姿を借り受ける力はそこから発展させた技術でもあるが、マルスの行軍に付き合うわけでもない彼からすれば変身能力を披露するつもりは一切ない。

 誰だって姿を模倣されれば面白くもないし、過去をあけすけに知られるのはもっと面白くもないことだろう。

 

 それでも書物を漁るのは止めない。或いは、気を紛らわすためだけにやっているのかもしれないが。

 

「ガトーは守り人を作ったり、光のオーブの精神影響効果を使ったりしてある種の派閥を作っているのは知っている

 だからこそエッツェルみたいな影響を受けてないのに協力している人間が居るのが不思議なんだよ」

「俺も精神影響という意味では同じだよ」

「そうは見えないけど」

「妻が死んだって話をしただろう」

「ああ」

「ガトー様は妻の復活を約束してくれた」

「言いたくはないが、死者の復活は神の奇跡以外の何者でもないんだ

 ガトーができるとは思えないし、できる手段があったとして、それはもうお前の妻ではないはずだ」

「そうだろうな」

「そうだろうなって」

「魔将といったか

 蘇らせるではなく、死者を道具とする力のことは」

 

 その限りではないが、概ね間違っているわけでもない。

 古の時代に他大陸ではそうした存在が使われた歴史がある。

 

「守り人も魔将に通ずるものがある、守り人には才能や力を後天的に付与するように、魔将には死者を動作させる力を付与する

 そのために自我は失われるのだから、確かに蘇りとは言えないな」

「ならどうして」

「……妻はガトー様の弟子のようなものでな、守り人関連の技術の編纂をしていたんだ

 彼女自身も守り人に関してはいい印象こそないが、それでも閉派の魔道士として技術を次代に繋げるために力を注いでいた

 ガトー様も妻をよく見てくれていた、彼から見ても妻には魔道の才能があったのだろうな」

 

 書の一冊を取り出し、その内容を確かめながらエッツェルは続ける。

 

「妻が帰ってきてくれるなら、それは喜ばしい

 だが、彼女はそれを望まないだろうし、俺もガトー様の手伝いはするが、褒美としてそれを実行されるときには断るつもりだ」

「じゃあなんで手伝ってるんだ」

「一人くらい人間の味方がいても罰は当たるまい、彼が行っていることは我ら人間の尺度で言えば悪そのものだが……神竜族からすればどうかな」

「そりゃあ、悪だろ」

「ナーガ様の願いが平穏を願っていたとしても」

「なにを」

 

 チェイニーは神竜族である、しかし、全ての神竜族がナーガと同様の意識や視座を持っているかは別だ。

 ナーガは神竜族においてすら神として崇められる存在である。

 だからこそ、チェイニーはエッツェルが言う言葉をに興味を向けた。

 

「人間の言う平穏と神の言う平穏はまるで違うものだ、彼らの求める平穏は揺り籠そのものさ

 神が思う人間が持ってもよい力の逸脱を認めない

 認めるのは揺り籠の中で収まるものだけ」

「……それは」

 

 チェイニーは否定できなかった。

 アカネイアや他大陸で行われた戦いの歴史の裏で行われていたのは神の言う平穏を実行するため、いうなれば可能性を間引くための大戦が開かれていたことは事実。

 勿論、神が管理するためにやっていた意識はなかろう、人間にとって不都合となる事象を人間に討伐させるために手を貸しただけだ。

 しかし、事実としてそうなってしまっている。

 チェイニーが神竜族から抜けて、人でも神でもない中途半端な存在に身をやつしているのもそうした神の無意識が作り出す平穏的管理が嫌になったからだ。

 

 魔法がある限り、レウスが元いた世界のような電気的文明、科学的な文明へと向かうことは殆どありえない。

 魔法という万能にも似た力は文明を停滞させる力がある。

 それでも、魔道学問が進めばやがては馬もなしに地を走る馬車や、大勢を乗せて移動する空を駆る船は作られるかもしれない。

 神はそれを許すことはない。それは神の子供である人間には過ぎたる玩具であるからだ。

 

 それらが生み出されたなら、神は再びそれらを人間にとって不都合な事象と判断し、討伐させることになるのだろう。

 

「……平穏が良いことばかりでもないのはわかるさ、人間に取っちゃ息苦しいものかもしれない」

「ああ

 だが、それによって人間は滅びずに済んでいる

 どんなに強大な魔力と魔法であっても一つの魔法で国が滅びるような力はない

 平穏こそが人間を守っているという側面はあるのは間違いない」

「その大局的視点で言えば、ガトーが正しいって言いたいのか」

「正しいから善いというわけでもないが、その大局的な正しさというものが結果的にこの世界に何を作るのかは興味がある

 彼の滅びなのか、それとも」

 

 幾つかの書物を背嚢に押し込むエッツェル。

 

「この世界には神が必要だ

 ガトーたちであろうと、或いは聖王国の現人神であろうと、何者の勝利であっても神は存在し続けることになる

 聖王国の神には既に多くのものが側にいるし、これからも増えるだろう

 彼らが勝てば未来を知れるものは多くいる」

「そうか、エッツェル

 お前はガトーが勝った時の、それまでの人間が持つ歴史とそれからについての記し手になろうとしているのか」

「この世界が平穏の繭で包まれたとしても、それまでの人間の物語を残しておきたいと思うのが人間の本能だ」

「善悪の彼岸に立つつもりなのか、エッツェル」

 

 ガトーが全てを支配したとき、それまでの歴史は全て埋葬される可能性がある。

 瑕疵を嫌う男だ、そうなるだろうと予想できてしまう。

 だからこそ、エッツェルはガトーに協力を続け、歴史の埋葬に抵抗しようとしているのだろう。

 

 滅ぼす可能性のある存在に手を貸す人間としての悪。

 滅ぼされた後の可能性を見て存続のために準備する歴史書としての善。

 エッツェルは確かに善悪どちらでもない彼岸へと立っていた。

 

「格好つけていえば、そうかもしれないな」

「……本当ならガトーの側に居るべきはオレかもしれないのに」

「聖王国も勢力は加速度的に拡大している、そうなれば身動きが取りやすいとは言えないだろう

 クリスと共に取りこぼした情報を集めて彼らに渡してやってくれ」

「本来であれば現人神の側に居るべきはお前のような人だろうに」

「ああ、あべこべさ

 俺もチェイニーも……だからこその共犯だと思わせてくれ」

 

 ここでの会話は胸にしまう。

 必要があれば情報のやり取りをする。

 自分もチェイニーも歴史の暗躍者たらんとエッツェルは言っているのだ。

 神竜族でありながらも、平穏という繭で世界を包むことを拒否して逃げ出したチェイニーはその提案は、

 

「人間の癖にオレまで救おうとするのかよ」

 

 チェイニーの旅は贖罪の旅だった。

 せめて乱世で不幸になる人々が少なくなるようにと、人々の命を拾い上げようとする途方もない旅。

 その旅路には救いはないはずだった。

 彼を蝕む罪悪感への寛解のないささやかな抵抗でしかないはずだった。

 

 だが、エッツェルは乱世の渦中に入り、手を取り合って進もうと言っているのだ。

 現人神が勝っても、ガトーが勝っても、今の世界にある神という概念は置き換わるだろう。

 そうなれば今の神に連なるものとも言えるチェイニーにとって、

 それは贖罪の旅のみならず、贖罪そのものが果たされるに等しいことだった。

 

「神あっての人間だと考えてはいるのさ、俺も信心深い方なのでね

 かつて崇めていた神竜たちが苦しむなら対症療法くらいは提案したい」

「……わかったよ、協力しよう

 この話はクリスにしても?」

「構わない」

「それじゃ、」

 

 チェイニーは手を差し出す。

 エッツェルは少しそれを見てから、手を握った。

 

「共犯だな」

 

 ああ、とエッツェルは言う。

 

「人間世界の裏切りものと、

 神竜族の逃亡者と、この乱世の被害者による共犯関係の成立だ」



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宿将の軍旗

 紋章教団に亜種オーラを持つ魔道兵団以外の兵科が加わることになった。

 元々それなりの兵種を用意するつもりであったが、できないままにズルズルと今日まで伸びてしまっていた。

 国内での紋章教団の兵団準備の優先度が上がったのはレナとの結婚が決まってからである。

 

 レナの兄、マチスからの書状が届いたのだ。

 それはある意味でマケドニアの主流派以外の窮状を訴えるようなものであった。

『弱っています』なんて内容ではないが、ドルーアに兵を向けている現在であればマケドニアの地を得られるかもしれない。

 ドルーアとの戦いは恐らく長期化し、その隙を狙ってマケドニアの征服を行えないかというものであった。

 

 向けたいのは山々であったが、兵の振り分けが問題だった。

 アカネイアに駐屯させている兵士を動かすわけにはいかない。

 それだけ五大侯の軍から受けるプレッシャーが大きかったし、実際にこちらの支配地域を緩やかに五大侯が切り取り始めている状況でもある。

 都市が置かれているような場所には殆ど攻めないが、今もアリティア聖王国に敵対心を持っている自由都市の残党などが結集している地方は別だ。

 そこでアカネイアの兵士を動かせば状況が一気に悪化しかねない。

 

 本来であればドルーアを何とかしてから考えたいところであったが、レナが持ち込んだ一つの旗が状況を変えた。

 

『宿将の軍旗』

 

 振れば随伴者に大きな力を授ける、狭間の地の武器。

 だが、これを持っている宿将オニールや宿将ニアールはこれを使い、霊体を召喚していた。

 レナはドルーアの難民を送り届けるまでの道中でこれを使い、その力を示していた。

 

 彼女はオレと同じように霊体を呼び出すことができた。

 それはかつてレナの両親に従っていた武人や軍人たちであり、この戦乱で散っていった者たちであった。

 オレが扱う傀儡同様に、彼らも意思を持たず、召喚者に従うように戦っていたが、明確な行動原理を持っていたらしい。

 それは攻撃ではなく、防衛に徹底したもの。

 レナを守るために行動し、そして必要がある時に迎撃や要撃を行うものであったという。

 

 マケドニアを手中に収めるにはミネルバ、マリアの王族姉妹と、非主流派を味方に引き入れるためのレナの協力が必要だったが、ミネルバは出産が控えており、マリアは年齢的にも戦場には出せるはずもない。

 そしてレナも過酷な道を辿ったと言ってもよほどの布陣でも用意できない限り前に出したくもない。

 

 だが、軍旗で彼女を守ってくれるものが現れるというならば、それは別だ。

 

「使ってみてくれ」

「はい」

 

 レナが軍旗を地に差して、祈るようにすると鈴とは比較にならないほどの量の霧が現れ、それらが騎士たちの姿になっていく。

 この数を宿将二アールが出してきてたら絶対詰んでたな。

 

 呼び出した数はちょっとした一兵団並。

 よほどレナの一族は愛されていたのだということがわかる。

 

「……むう、あそこにおられるのは」

「知っているのか、ホルスタット」

「ええ、マケドニアでも知られた武人であられるアインス殿です、倭刀と呼ばれる片手剣を自在に扱って見せたとか……それに、ツヴァイ殿にドライ殿……いずれもが誉れある方々に間違いありませぬ」

 

 実力も十分、ということだ。

 こうなればレナを守る布陣は得られた、となればマケドニア奪還に必要な軍の編成だが、

 そこで前々から設立が考えられていた紋章教団の陸戦部隊に話が戻る。

 

 レナは大々的に教団の重要人物であり、ドルーアから逃げてきた難民の中に混じっていた竜族たちからの篤い応援もあった。

 紋章教団において王族と竜族からの支持は極めて重要な要素であり、王族であるレウスの妻であるという要素と、竜族たちの応援によって信徒たちからも信頼を一気に得られることになった。

 旗から呼び出されたものたちに高名な武人の姿があることも重要だが、それ以上に死した英雄たちが英霊としていっときの中でも力を貸す、というのは神話の中で語られるような伝説的な現象でもあり、

 それが今生きる時代で行われているとなれば、紋章教団の持つ奇跡としてより強い信仰をもたらすことになる。

 

 そのレナが率いることになる教団の陸戦部隊は殉教も辞さないような信仰心を持った元軍人や傭兵、兵科訓練をくぐり抜けたものたちで構成される。

 一部にはミネルバの麾下として働いていたものたちも小隊長などの立場で組み込まれており、将来的にはミネルバが率いる軍との連携も考えている。

 この辺りの関係性は戦後にも影響することになる。

 彼女たち二人が手を取り合っている姿が多く見られれば見られるほど、王室と貴族にある溝の修復は早くなるだろう。

 

 マチスへの書状は書としては返さず、エストに言葉を伝え、彼女に向かってもらった。

 ミネルバとの結婚と懐妊は広く知られていることであり、その近衛でもある白騎士団はミネルバの寵愛を強く受けている。

 それを向かわせることは書状よりも遥かに信頼のあるものとなるだろう。

 

 対マケドニアの作戦準備は構築されつつあった。

 あとの大きな問題はドルーア帝国そのもの、いや、メディウスとの話し合いそのもので全て決定する。

 



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エリス

 リーザは子を産んでそう日が立たないうちに女王として人前に出るようになった。

 三人目ともなれば慣れたものと言えるのか、体力の戻し方から体型の維持管理まで完璧であった。

 その影響もあってか、シーダもまた復帰が早かったのもある。

 

 リーザが戻って最初にしたことは五大侯に対する牽制であった。

『シャロンの詩集』から発見される隠し財産の中には五大侯の罪などを告発するための証拠などもあり、

 ラングではなく、サムスーフ、レフカンディに対しての証拠と引き換えに情報や家宝などを要求する。

 勿論、簡単には通らないだろう。

 しかし、リーザが欲しいのはそうした金銭などではない。

 サムスーフ、レフカンディは実態的に当主を今も喪失した状態で運営されており、そうした脅しの材料が届けばまずは領内で運営している貴族たちが相談をする。

 結局そこでは纏まらず渋々ラングへと相談する、というステップを蒙昧な連中であれば行うと踏んでいた。

 そうすれば五大侯の動きをほんの一瞬でも遅らせることができる。

 上手くいけば一瞬とは言わずに数日の遅れを与えることすらできる。

 

 今アリティアが必要なのは時間である。

 兵科の創出や練兵完了、新たな武器の生産、シーダやミネルバの前線復帰、ドルーアへの外交など、時間が味方するほどにアリティアは安定する。

 であれば、リーザは後世にどのように書かれようとも手段を問わずに時間を稼ごうとしている。

 

 家臣団もまた、それを理解しているからこそ汚名を彼女だけに着せぬようにと奔走する。

 狙いは的中した。

 五大侯の動きは鈍り、オレルアン連合の動きもまた五大侯が動かねば地理的にも挙動しにくいために先づまりを起こす。

 

「母上、そろそろおやすみになられてください」

「エリス……ええ、これが終わったら」

 

 執務を続けているリーザの手を上から触れるようにするエリス。

 

「あとは私がやっておきますから、どうか」

 

 エリスは真摯に母の体調を気遣うように言う。

 リーザも娘にそう心配されてしまえば引き下がらざるを得ない。

 外見こそリーザは今もエリスの姉と言っても十人いれば十人がそうだろうと頷くほどの美貌を持つが、

 出産直後で、尚且つ三児の母である事実は変わらない。

 

「エリス、大きくなったのね」

 

 娘の手を撫でるようにリーザは言う。

 肉体的にも少しは成長したが、そういうことではなく、一人の人間として、王族としての成長を母は感じ取っているのだ。

 その声音はどこまでも優しい。

 

「はい、お陰様で健やかに育つことができました」

「……ごめんなさい、本当なら母である私が真っ先に助けに探し出るべきだったのに」

「国をないがしろにしてしまえば帰る家も、お父様とマルスたちの思い出がなくなってしまう、この判断をしてくださったことを感謝こそしても、不満に思うことなどありません」

「それにとっても優しく育ってくれた、母は嬉しいわ」

 

 ああ、そういえば、とリーザは立ち上がると書類が大量に置かれている部屋の片隅にある箱を持ち上げ、机の上にどかりと置いた。

 

「それは?」

「各国貴族から結婚希望者が殺到しているのよ」

 

 アカネイア大陸で最も覇権に近い国はどこかと言われれば、誰もがアリティアと答えるだろう。

 それでも各国各地の貴族がアリティアに付けないのは事情がある。

 国、忠誠、所領、家名、歴史、他諸々の。

 だが、王族と結婚さえできればその全てを塗り替えて逃げることができる。

 なにより、エリスと結婚できたなら国家でも有数の権力者ともなれるのだから。

 

「五大侯の中でも立場ある方までいらっしゃるのですね」

「皆必死ということでしょう、で、どう?」

「どう、とは?」

「好みの男性はいるかしら」

「ええと……」

 

 エリスは一応目を通すも、どれもパッとした印象は持てなかった。

 理由はわかっている。

 

「ねえ、エリス」

「なんですか?」

 

 それらに目を通すエリスにリーザは言う。

 

「レウスと結婚する気はないの?」

「はっ、母上!?」

 

 何を言っているのだ、この母親はと言わんばかりにエリスは声を上げる。

 

「彼と結婚すれば聖王国の玉座は改めて貴方に返すことができるの

 コーネリアスの血を引いているのはもうエリスだけなのだから」

 

 戦時の女王としてリーザは極めて優れた人物である。

 だが、戦いが終われば鼎の軽重を問われることになる。

 つまりは、簒奪者と言われる恐れがあるのだ。

 

 戦いが終わる前で、終わった後でも女王の座にエリスを置く必要がある。

 エリスとてそれはわかっている。

 

 だが、覇王たるレウスに関係するものでなければアリティアの玉座に座る権利がないのも、実態としてはそのとおりである。

 仮に他の男を王配としたエリスがアリティアの女王となればどうなるかは火を見るより明らかなことになる。

 

 それに、リーザはエリスの心を知ってもいた。

 命の恩人たるレウスに絆されないわけもない。

 なにより、自分の子というのはどうあっても男の趣味が似通ってしまうものでもある。

 

「……ですが、その、母上」

「勿論、あなたがそんな気持ちがないならもう言わないわ」

「……」

「どう?」

「……私は、レウスさんに命を拾われました

 そうした殿方に心惹かれるのは、ええ……当然あります

 けれど、あの人は母上とシーダ后と結ばれた身で、その……」

 

 エリスは独占できないのがいやだと言いたいわけではない。

 自分が割り込めば彼らとの時間を奪うのではないかと思っていた。

 王族として最も良い選択肢であり、一人の女としての気持ちとしてもまた望むべくことだが、

 家族を愛する一人の人間としてその選択肢を簡単に手にすることはできないのも事実だった。

 

 そんな所で部屋にノックが響く。

 

「今良いか」

「ひゃっ」

「いいわよ、レウス」

 

 思わず声を上げるエリスをよそにリーザは了承する。

 

「ドルーアに向かう件なんだが、っとエリスもいたか

 体調はどうだ?

 ガーネフからは問題ないとは聞いているが、何せマフーと適合できたなんて人間はいないしな

 あんまり無理はしてくれるなよ」

「は、は、はい……」

「……どうした?」

 

 いつも沈着冷静、おっとりとしながらもその判断に迷いのない彼女とは思えないほどに狼狽している。

 どうしたと声をかけられたリーザは小さく笑うと、

 

「ドルーア行きのことはもう既に纏めておいたから、エリスから聞いて頂戴

 私は休ませてもらうわね」

「ああ、いつもこんな時間までありがとうな」

「他のことはエリスがわかっているから、聞いてあげて

 調子がおかしくても優しくしてあげてちょうだいね」

 

 疑問符を浮かべつつも彼女を見送るレウス。

 

「エリス?」

「あ、あの……」

 

 その様子を見てレウスはエリスの腰を抱き、エスコートする。

 勿論やましい真似ではなく、こうでもしないと動かなさそうだったからだ。

 彼女をソファへと座らせる。

 レウスからするとリーザ、エリス親子には政務でただ事ではないほどに労苦を被ってもらっている。

 どれだけ紳士的に対応したって利子にも足らない。

 

「何かあったのか?」

「……その、レウスさんは」

「ああ」

 

 これほど言い出しにくそうにするエリスは初めて見る。

 レウスも平時の適当な態度を改めてまっすぐに対応した。

 

「わ」

「わ?」

 

 再びの沈黙。

 そうしてようやく、エリスは口火を切るように。

 

「わ、私のことを、どうお思いなのでしょうか?」

「そりゃあ、優秀な──」

「そうではなく!そうではなくて……」

 

 ああ、とレウスは状況を少しだけ理解する。

 リーザになにか言われたのかと。

 しかし、彼からすればどうあれ、いつかは自分から言うべきことだとも。

 

「オレがどんな人間かはここにいりゃよくわかっただろう

 向こう見ずで傲慢で、ろくでもない男だ」

「そんな」

 

 エリスの反論を指を立てて制して、レウスは続ける。

 

「そんなオレが甲斐甲斐しく世話を焼いた相手なんてそう多くないぞ

 弱っているお前にリーザを見たわけじゃない

 はじめて見たその時からオレはお前が好きになった」

「はじめて見たって」

「最初は魔道書浮かせてるお前だったな、無感情なエリスも美人だったよなあ

 今の優しいお前とはまた違う美しさだよ

 その後はあの空間で見た囚われていたエリスだが、あれはあれで艶やかでなあ」

「ああ!いいです!おやめください!」

 

 顔を真っ赤にして言葉を止めようとするエリス。

 

「オレだって可能だったらお前に手を出したかったよ」

 

 でも、とレウスは言う。

 

「──怖かったんだ」

「……あなたが、何を恐れるというのです?」

「マルスを守れず、コーネリアスからリーザを奪ったという事実は変わらないだろう

 オレはお前に拒絶されるのが怖かったんだ」

「そんな、それはレウスさんがどうあれ……弟の死は避けられなかったことはシーダ后から聞いています

 それに、あなたが助けてくださらねば母上も」

 

 だが、それは事実でしかない。

 レウスにとってこの状況で必要なのはたったひとつのことであり、

 エリスとてそれを理解していた。

 

「……」

 

 燭台に揺らされたエリスの影からマフーが伸びる。

 その影の手が彼の体を彼女のもとに引き寄せた。

 

「いずれ覇王となるお方が、そんな少年のような顔をするものではありません」

 

 胸に抱くようにして、レウスの頭をそっと撫でる。

 

「……私の気持ちは伝わりますか?」

 

 マフーの力ではない。

 彼女の心音が十分に返答の代わりになっていた。

 

「……ああ」

 

 時に言葉よりも雄弁なものがある。

 レウスとてエリスを介抱していた頃から彼女の心は知っていたことだ。

 

「レウスさん

 私はあなたを、助けられたあの日から想い途切れることなく、

 ずっとお慕い申しています」

 

 抱きしめられたレウスがそっと、彼女の体に回した腕に力を込める。

 それは離すまいという独占欲を感じさせるものであり、そうした感情はマフーを通じてより強く感じることができ、彼女はそれをも愛おしいと思えた。

 

 エリスもまた、自らの腕を彼の頭から腰に回すようにして、自らの感情を伝えるのであった。

 



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海峡を渡る

「これ以上は流石に時間は使えない」

 

 オレはそう発言する。

 五大侯と連合を相手にしたナギやロプトウスをはじめとして、

 四侠やガーネフ、そしてリーザをはじめとした母になった皆さんと母になる予定の皆さん。

 他にもエリスやパオラなども列席している。

 

 今後の戦略についての話し合いをオレたちは行っていた。

 

 アカネイア穀倉地帯化計画はエルレーンとマヌーが上手くやってくれているらしい。

 アカネイアに続く街道や奇襲に使えそうな山岳などはアカネイア聖騎士団に任せている。

 こちらがそれを使うにしろ、相手がそれを使うにしろ把握しきらねばならない。

 

 パレスの守護には三将、つまりはおっさんたちがしっかりと担ってくれている。

 ある程度状況が落ち着けば兵士を北へと向け直して、先日の野戦騒ぎのようなことを抑止する予定でもある。

 

 時間を掛けられない、といったのはドルーアのことだ。

 オレが気にしていたことは大体一段落つけることができた。

 勿論、課題は山積みだし、一段落の向こう側にだってやりたいことは沢山ある。

 

 チキのことをまだマヌーたちに聞けてもいない。

 書簡などでのやり取りという手もあるが、オレがチキを必死になって探していることが万が一でも漏れるのは危険であろうと考えている。

 目に見えたウィークポイントを抱えたくない。……冷たいかもしれないが、犠牲にしてもいいものは今のオレの手の中には何もない。

 

「ドルーアはそう離れてはいないといっても、海向こうですよ

 どのようにそこまでの移動を?」

 

 ノルンは近いと言っても他国であるし、

 海の渡り方次第では王の命が危険に晒されるのだということを危惧しての発言をしてくれる。

 

「飛兵であれば私かパオラさんが運ぶ手もありますが……」

 

 シーダはそう言うも乗り気ではなさそうだ。

 万が一戦闘にでもなれば二人乗り状態では手も足も出ない。

 或いは弓使いなどと遭遇すれば回避行動すら取れないからだ。

 

「それに関してはワシに考えがある

 先日アンナたちが竜石をたんましと用意してくれてな、その中に」

 

 ロプトウスが懐から竜石を取り出す。

 

「氷竜石じゃ

 外洋を走ることはできぬが、海峡を渡るくらいはなんなくこなせるぞ」

「それには私も同行する

 ロプトウスと私であればどちらかにレウスを乗せていても迎撃役がなんとかできるはずだし、

 ドルーアの土地で未だ理性なき竜たちがいても私ならなんとかできるかもしれない」

 

 現実的な手段と既に存在する実績の提示。

 どうするべきかと悩む一同は納得を見せる。

 

「政務にも口を出させてもらっている立場から、よいかね」

 

 ガーネフが言う。

 オレは「聞かせてくれ」とそれを促した。

 

「現状我が国はドルーアの民を難民として受け入れている、彼らも大人しくしてくれておる

 一部のものはアリティア国民になりたいと願い出て、その受入も進んではいる」

「喜ばしいな」

「そこまでは、ではあるがな

 問題はメディウスよ、あの国の民は、実質的にはドルーアの民ではない

 ドルーアという土地で生活をするだけの人々でしかないのだ」

「国という形態に帰属していない、ということですかな」

 

 ホルスタットが相槌代わりに。

 

「うむ、どちらかといえば王たるメディウスが政治らしい政治を行っていない、というべきかもしれぬがな

 ともかく、メディウスをどうするおつもりかね」

 

 ドルーアとはメディウスであり、メディウスとはドルーアである。

 幾ら民を受け入れようと、ドルーアという国が変わる訳では無い、そう言いたいのだ。

 他国であれば民草の殆どが難民として逃れてしまえば国家として立ち行かなくなるものだが、ドルーアは違うのだ、と。

 

「勧誘する」

「……ほう、勧誘とな」

「アイツが竜の国を作りてえってなら、オレと通じるところもある

 まあ、オレは竜族至上主義国家にするつもりはないが、竜族と手を取り合う国は作りたい

 メディウスも口でどう言っているかまではしらないが、案外オレと同じことを考えているんじゃないかって

 思っているんだ」

「何故そうお思いに?」

「そうじゃなきゃ、他国から来た(レナ)にドルーアの人間を任せたりしないだろう

 政治はしちゃいないかもしれないが、それでも自分の袂にいた人間を想う心がある、そんな気がしてるのさ」

 

 ───────────────────────

 

「ワシの背中が大きくてよかったのう」

 

 ロプトウスの背にはオレとレナが乗っている。

 氷竜の乗り心地は案外悪くない。

 

「その、ロプトウス様……無理を言って申し訳ありません」

「気に病むでない、レナよ

 ワシはそなたのような心根の強い女子(おなご)が好きじゃ、かつての友を思い出すが故にな

 いや、自分を通して他者を映されては面白くもあるまいな、すまぬ」

 

 姿からは想像はできないが、その声からは本当に反省しているのが伺える。

 誰がこの声からかつて暗黒神などと呼ばれていたと思えるだろうか。

 

「いいえ

 ロプトウス様、道中の時間はまだ少しあります

 よろしければそのお友達のことをお聞かせくださいませんか?」

「ワシの悪行も知られることになるからのう……嫌わんなら話してやってもいいが」

 

 話したくないというわけではないのは伝わってくる。

 自分のことを知ってほしいというよりも、その友のことを人に話したいって感じなのだろう。

 

「私やレウスが知るのは今のロプトウス様だけ

 過去に大罪を持っていたとしても、過去については私達には判断もできないことですから」

「竜を乗せるのが上手いのう、レナ」

「今は竜に乗せられている立場だけどな」

「お前の言葉遊びはイマイチじゃのう、レウス」

「悪かったよ」

 

 ドルーア地方に到着するまでの間、ロプトウスの話は尽きることはなかったし、

 聞いているオレたちも時間の流れを早く感じるほどに楽しく過ごせた。

 



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ドルーアの暗黒竜

 ミシェイル、カミュが率いる反ドルーア同盟は攻めあぐねていた。

 

 ドルーアでも名を知られた竜族であるショーゼン・ゼムセルの連携による防衛力は例えシューターの援護があっても簡単に抜けるものではなかった。

 勿論、ミシェイルやカミュが前に出て戦えば倒せる相手ではあるが、前に出られない理由もあった。

 

 ドルーアに棲まう蛮族たちの存在である。

 かの帝国領には悪魔の力が宿るとも言われるデビルアクスを愛用するドルーア蛮族たちがいた。

 彼らはまるで斧に眠る悪魔に愛されているかのように、その呪いを受けることもなく戦う。

 命知らずにして圧倒的な斧の力の前では黒騎士団であっても苦戦する可能性があるとすら言われるほどに。

 その彼らの姿が現在はない。

 

 勿論、逃げたのであればよいのだが、彼らの手によって補給路が潰されたという情報が上がってきているのだ。

 万が一、本陣や付近の補給基地が破壊されてしまえばショーゼンとゼムセルを討ったところで無補給でメディウスを撃破するのは不可能だろう。

 

 時間さえ掛ければいずれショーゼン、ゼムセルを倒せるという目算はある。

 とは言え、敵はドルーアだけではない。

 アリティアもオレルアンも戦の準備は万端整えているであろう、その状態で国元を留守にするのは気がかりと言うにはあまりにも重い状況である。

 電撃戦でメディウスを倒してしまいたいという考えをなんとか押し殺してミシェイルとカミュは戦いの指揮を取っていた。

 

 ───────────────────────

 

 反ドルーア同盟の膠着、その情報を道中で得たレウスたちは一切敵に遭遇することなくドルーアの主城へと辿り着くことができた。

 一度来たことのあるレナが道中を案内し、やがてメディウスが待つ部屋へと到着する。

 

「待っていたぞ、聖王よ

 中に入るがよい」

 

 地の底から響くような声。

 そして魔力によってか、扉は開かれた。

 

「邪魔するぜ、メディウス王」

「わしを呼ぶに王は要らぬ

 王らしいことはしておらぬし、国を作る予定も今はない」

「そうかい」

 

 レウスの前に現れたのは威圧感のある男だった。

 巨大な玉座においてその姿は小さく見えるでもなく、むしろ威容を強く表現していた。

 だが、レウスはその姿や顔を見て恐ろしいとは思わなかった。

 冷静であって、しかし慈悲のようなものすら湛えられているようですらある。

 

「喉を温めるために世間話でもするか」

「聖王流の冗句だとしたら、いまいちだな」

 

 だが、とメディウスは言う。

 

「世間話をするかなど聞くものが現れたのは初めてである

 興味がないわけでもない、してみようではないか」

「そんな世間話の切り出し方があるものかよ、……あー、メシ何食った?」

「今のわしは食事を必要とせぬ」

「なんだよ、糧食続きで味気のない日々から脱却のためにも、メディウス行きつけの飯屋の一つでも教えてもらおうと思ったんだけどな」

「ふむ……では聖王には」

「レウスでいい」

「では、レウスよ

 お前こそ、治める国にはそうした店があるのか」

「あー、色々あるぜ

 最近のアリティアじゃあ外食産業ってのに力をいれててな、アリティア料理だけじゃなく大陸中の美食を味わえるようになってきた

 お気に入りで言うならアカネイアのシチューを出す店がうまいんだよ、そこで作ってるパンの柔らかさたるや……シチューがよく染みてうめえんだ」

「ほう」

「それとな、オレ肝いりで作ってもらってるもんがある

 聞いて驚け、なんとラーメンだ」

「……ラーメン?」

「汁の中に麺がある食い物だよ、こいつばっかりは食ってもらわないと説明が難しい」

 

 そう言いつつ、レウスはラーメンがいかに美味かを語る。

 メディウスは時折「ふむ」とか「ほう」程度の相槌を打つに留めていたが、レウスのラーメントークに区切りがついたと見ると、言葉を紡ぐ。

 

「興味深いな、だが何故そこまで食事に拘る?」

「うちは多民族国家だからな、食事が合わなかったら居心地が悪くなるだろ

 そんで、故郷のメシを他国生まれの奴がうまいうまいと言って食ってくれりゃ結束力だって上がるってもんさ」

「食、か」

「それに竜族だって色々と食事の文化はあるんだろう、バヌトゥが教えてくれたレシピはどれも美味かったし、ドルーアの難民も口を揃えて絶賛していた」

 

 暗黒竜と呼ばれた男は愚鈍なモグラなわけではない。

 神竜族に比するとも言われる地竜族、その長である。

 だからこそ、レウスの行動には興味があった。

 

「……レウスよ、お前は何をしようとしているのだ?」

「何って、多義的だな」

「食の伝道師たらんとしているわけではあるまい」

「ああ、そういうことか

 まあ、食の伝道師たらんとしているところはあるかもしれんが、

 オレの目的はどこまでいったって大陸統一だ

 王になるのがオレの目的だからな」

「王にはもうなっている、というわけでないのだろう」

「オレの王の定義は、オレが一番偉い場所でふんぞり返ることができる世界にするって意味だ」

「……なるほど、わかりやすい」

 

 ちらりと三人の同行者を見て、

 

「王という言葉に繋がる話をしたいが、それらと一緒でお前に問題は出ぬか」

「ああ、続けてくれ」

 

 ロプトウス、ナギ、レナだけを連れてきたのは信頼に足るからだけではあるまい。

 メディウスはそう判断し、言葉を続けた。

 

「お前の言うところによる王となれば、律を敷くものである……

 それはかつてナーガが話していたことにも通ずる」

「黄金律の持ち主であるナーガだからこそ王と律のことを知る、か」

 

 エレミヤが話してくれたこともある。

 ナーガとは黄金律であり、黄金律とはナーガである。そう言っても差し支えない。

 メディウスはナーガの側にいたからこそ、それを打ち明けられていたのだろう。

 

「その存在を知るものは数少ないとは言え、ナーガは隠すわけでもなかったからな

 とはいえ、ナーガの黄金律は竜族の持続にのみ力を発揮した、それも不完全な形でな」

「……エルデンリングを持たない存在だったからか」

「さて、それを判断することはわしにはできぬ、そのエルデンリングというものを知らぬ故な

 だが、不完全ながらもそれが成立したのはこの世界にもまた、力ある象徴物が存在するからである」

 

 大きな力を持つ竜族にあって、世界を破壊することができるほどの力を持つとまで言われる地竜たち。

 それを封印するほどのより大きな力、その象徴物といえば──

 

炎の紋章(ファイアーエムブレム)か」

「そうだ、あれは竜族を封印するためにと用意されたものと言われているが、実際は違う

 ナーガの黄金律の力を制御し、不完全な形によって竜族が受けた律の諸問題を解決するためのものであった

 だが、アカネイアのアドラ一世はその装置を破壊し、制御の中枢たるオーブを売り払ってしまった」

「マムクートなんて名で貶めたのは」

「竜族を廃滅してしまえば証拠が残らぬことと考えたのであろうな」

「だが、実際にはそうならなかった」

 

 不完全な黄金律の制御装置である炎の紋章を失う。

 そうなれば竜族の生命維持装置ならぬ存在維持装置の動作もまた不良を引き起こす。

 その竜族さえ消えてしまえば証拠も残らないとアドラ一世は考えたのだろう。

 

「もっとも、我ら竜族と人間の争いに発展したとき、ナーガは人間の味方をし、我らは敗北した」

「なんで人間を助けたんだ、ナーガは」

「アカネイア大陸の人間もまた、黄金律の制御に使われる道具であったからよ」

「道具?」

「ナーガは黄金律を使って行ったことがある、それは竜族と人間の融和だ

 本来交配できぬ種族を繋ぎ合わせるために用意した、その基盤を与えられたのがアカネイア大陸の人間よ」

 

 どうあれ不完全な力によって生かされていた竜族は滅びゆく種族であるのは間違いなかった。

 だからこそ、世界最大の種である人間との融和を実行しようとしたのだ。

 

「だからナーガは人間の味方をしたってのか

 でもそれじゃあ」

「ナーガからすれば未来に可能性が繋がる方を選んだのであろうな

 理性なき地竜が暴れまわれば融和する前に人が死滅する」

「ナーガに恨みは?」

「わしがか?

 あるものか、ナーガが行ったことはつまりは竜族を思ってのことなのは理解しておる」

 

 メディウスが行った理由は竜族に向けられた行いに対する義憤でしかない、そういうことだろう。

 だからこそナーガが取った行動に対して思うところはない。

 お互いの正義がそこにあっただけなのだから。

 

「それに奴とはそれ以前にした約束もある」

「約束?」

「理性を失った竜族の封印を『律の終わり』まで守り続けること、

 それさえこなしているのならばわしが何をしてもナーガとしては構わなかったのだろう

 わしもまたファルシオンによって倒されたとして、それは生物として死ぬわけではなく、一時的に眠りにつくだけだ

 わしが存在する限り封印が解けることもない」

「律の終わりまでって、永遠ってことか?」

「いいや、有限である

 そう、お前が現れたからこそ、終わりが近づいてきた」

「……そうか、オレが律を敷けば古い律は上書きされる」

「だからこそ、聞きたい

 アリティア聖王国、現人神にして聖王、或いはナーガの故郷たる地より現れた褪せ人、レウスよ

 お前はこの世界にどのような律を作るつもりなのだ」

「……オレは……──」



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メディウスとの約束

「オレは、オレが考えている律は──」

 

 レウスの言葉を聞いた暗黒竜の反応は、

 

「……くくく、はっはっは!」

 

 呵々大笑であった。

 ロプトウスは笑うではなく、驚いた顔のまま固まっている。

 ナギはほう、と感心したような声を、レナはロプトウスと同じようなリアクションを少しだけし、それからは微笑んでいた。

 

「よもや、そのようなことを願うつもりだとは

 永遠の王になることもできるというのに、そうではないとは……本気なのか?」

「本気さ、だから少しでもその先にあるオレが幸せでいられるために必死になってるわけだ」

「確かにそれで言えばお前は上手く立ち回っていると言えような、今ですら多くを側に侍らせているのだから、何よりの証左と言えような」

 

 皮肉まじりでなく、メディウスの言葉は高圧的ではあるものの、それは称賛であった。

 

「メディウス、オレが求めている律の先こそがお前が求めていることじゃないのか?」

「考えていたこととはかけ離れたことを言われたが……本質的にはそうであるかもしれん」

「だからこそ、メディウス

 お前もオレの夢のためにも一緒に歩まないか

 戦えとは言わない、聞いた話じゃこの城から出られないらしいしな」

 

 メディウスは尚も続くレウスのその言葉に強欲な奴よと笑いながらも、返した。

 

「わしに何を求める?」

「竜族の新たなる神としてオレを推してくれ、ロプトウスとナギがいる上で、この大陸で比類なき伝説であるメディウスがオレを認めれば、風聞の上でナーガと同じ位に立つことができる

 それはオレの目的にとって」

「絶対に外すことのできない条件、か」

 

 それにだ、とレウスが続ける。

 

「メディウスもそろそろその立場で居るのも飽きたんじゃないかって思ってな

 そのうちラーメンの一杯でも食べようと思ってふらりと外出してみたり、なんてできたら楽しそうだろう」

「ふ、ははは、この暗黒神を食事で釣ろうなどという者が現れようとはな!」

 

 再び大声で笑う。

 勿論、その言葉の真意がそれではないことをわかっている。

 レウスはメディウスを解放してやりたいのだ。

 古くに交わした竜族たちのために生きる重責から。

 

「封印の代替はこっちで考える

 それさえ何とかなりゃメディウスも晴れて自由の身だろう?」

「自由かどうかはさておいても、この城から出るに十分な体力を得ることはできような」

 

 ナーガとの約束がある以上、本当の意味での自由は彼にはない。

 

「……千載一遇、万載一遇の機会か

 レウスよ、もう一つ問う」

「なんだ」

「お前が掛けるその(願い)(たが)えたとき、どうする」

 

 人間の言葉なんて軽いものだ、特にレウスのような異邦人ともなれば尚更。

 それはレウス自身もよく理解している。

 だからこそ、自分の言葉にメディウスが価値を示してくれるかは不安だが、それでも口にせねばならない。

 

「そんときゃ地竜の解放を開くでも、ナーガやガトーと一緒にオレを殴るでも、好きにすりゃいい

 まあ、そんなことをお前やナーガにさせるくらいなら、ガトーからパチシオン奪って自分(てめえ)の頭に叩き込んで、喜んで死んでやるさ」

 

 言葉だけではない、本当にレウスはそれを考えている。

 それだけ彼が考える律は自らを救うものだと信じて疑っていない。

 

「その瞳に嘘はないのはわしにもわかる

 であれば、わしもお前の目的に乗せてもらうことにしよう

 お前の望みであるナーガに並ぶ位についてはいずれ世に響く声で宣言する、それでよいか」

「ああ、ただそれを行う時期についちゃあ、メディウスに問題がないならこっちで決めさせてくれ」

 

 暗黒竜は「よかろう」と承諾し、続けた。

 

「お前からは多くを聞き、

 多くを定めさせた

 であれば、こちらも約定の代わりとなるものを一つは渡しておくべきであろうな」

 

 メディウスは何かを引き寄せるような手振りをすると、どこからか現れた宝玉が彼の手に収まる。

 それをレウスへと投げ渡した。

 

「大地のオーブである

 それらのオーブを集めきれば、わしを含めて全ての地竜を、

 いや、お前が使うのであれば地竜ならず殆ど全ての竜族を封印することすらできる代物になるかもしれぬ」

 

 それは律の力を汲んで言ったのか、それとも別の理由があるのか。

 ただ、どうあれそんな使い方をするつもりはないレウスは深く聞かなかった。

 

「配下が偶然に手に入れたものであったが、己が存在の維持を担保できるものを渡すであれば証明にもなろう」

「ああ、こいつ(大地のオーブ)が重く感じて持てないってくらいの言葉をありがとうよ」

「この後はどうする」

「それについては考えがあるんだが、」

 

 レウスは連れてきている三人に視線を向けた。

 



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密談

「ドルーア帝国のアリティア統合か」

「加えて、ここを紋章教団の中心地にしようと考えている」

 

 メディウスはドルーアを支配するが、自らが王であると自覚したことはない。

 治世を行うわけでもないし、人々を治めているわけでもない。

 彼がそれを行うとするなら、いつかに考えた竜のための国を作るそのときだけだと考えていた。

 

「わしに望むことはあるか」

 

 それ故にメディウスは禅譲に関しても領地の放棄に関しても一切思うところはなかった。

 

「紋章教団の大司祭の座に、竜族の代表として就いてもらいたい

 帝国領はレナに引き継がせたいと思っている」

 

 彼自身が信仰対象ではなく、信徒たちの代表者となることを願われる。

 メディウス自身も信仰されたいなどと思ったこともなく、むしろそうした地に足がついた立場の方が好ましかった。

 

「なるほど

 わしが教団の一員であれば竜族を集めやすく、そしてレナが帝国領を継げばわしと人間たちとの関係性も作りやすいわけか」

 

 レナの才覚や旅路はおそらく彼の知るところなのだろう。

 その上でそうした評価が得られているならば話も早く、メディウスもまた賛同する。

 だが、ここを多くの人々が住むには問題がある。

 

「飛竜の谷をはじめとして、このあたりには理性を失った竜族がいるだろう」

 

 理性なき竜族たちである。

 メディウスに従ってきた竜族で、理性の寿命が尽きたものたちがドルーアにはそこかしこで未だ闊歩している。

 

「マケドニアがそれなりに倒したようだが、山や谷の奥にはまだまだ存在しておるな」

「それらはナギに従わせようと思っている」

「理性を失っている竜を従わせた話は聞いていたが、」

 

 会話に入るために、ナギが一歩前に出ると、胸を張って言う。

 

「メディウス

 私に任せておけ、驚かせてやる」

「ナギ……ふふ、ははは、そうか

 うむ、やはり、そうか」

 

 メディウスはナギの様子に、或いはその力に理解するところがあるようにして笑う。

 それは嘲笑ではなく、どこか安心を得たような、そこから溢れた笑みのようでもあった。

 

「なんだ、メディウス

 私のことを知っているのか」

「知っているが、今のお前が知らぬでもよいことだとは思わんか

 今のお前はお前でしかない」

「確かに過去は過去か」

 

 レウスは「オレは気になるんだけど」と言いたげだが、口を挟むのは難しそうだったので、

 メディウスが自由に歩ける頃になったら聞こう……と思うのであった。

 

「挨拶が遅れたが、久しかったなメディウス」

「ロプトウス、その姿は」

「ああ、ワシには人間の友ができた、その器を借り受けている」

「……お前が気がついておるのかどうかはわからんが」

「なんじゃ」

「ナーガの考えにもしかしたなら、一番近くに存在するのはお前なのかもしれぬな」

 

 ナーガの?と怪訝な顔をするロプトウス。

 

「それはどういう……あ、いや!ワシはレウスに抱かれる気なぞないぞ!」

「ぶほっ」

「汚いぞ、レウス」

 

 ハンカチを渡してくれるナギに感謝をする。

 

「いや、レウスよ、違うのじゃ

 お前が嫌いとかってわけではなくてな、むしろ人間として好ましくは思っている」

「お、おう」

「だが、そのな、この器は……友のものであって、その」

「わかってるって、オレだって見境なく手を出してるわけじゃない」

 

 メディウス含めて、オレ以外の全員がオレに目を向けていた。

 

「……まあ、その、ともかく今は手は出さんから安心してくれ

 下手に手を出してお前に逃げられるのが一番困る

 オレにとって客観視を持って、それを伝えてくれる存在だからな」

「む……うむ、なら、うむ、よいのだ」

 

 メディウスがレナに向けて小さく首を傾け、レナは小さく笑っていた。

 

(まるで想い合う少年少女のようだな)

(愛くるしいですね)

 

 暗黒竜様も人間らしい情動というか、ジェスチャをするものだ。

 

「問題は現状だよな」

「反ドルーア同盟、今はショーゼンとゼムセルが上手くやってくれているがな」

「大手を振って協力をすれば今度は連合と同盟が明確に手を取り合ってこっちを潰してきかねない」

「その辺りは一度持ち帰って考えればよい、ショーゼンもゼムセルもそう簡単に負けることもない」

「とはいってもな、相手が腹を括ったらどうなるか……」

 

 会話を切るようにしてナギが口を開いた。

 

「急いでレウスとレナを送ろう」

 

 そのまま彼女は言葉を続ける。

 

「その後に私はドルーアに戻って飛竜たちを手なづけたあと、彼らに戦ってもらう

 時間はそれなり以上に稼げるはずだ

 前線に出なければ私のことが露見することもない」

「うむむ……」

「ナギにはワシが付いている、安心せよ」

「……わかった」

 

 ───────────────────────

 

 レウスたちがドルーアでメディウスとの会談をしている一方で、

 

「あの若造、何をしたかをわかっているのか!!」

 

 ラングは激怒し、ものに当たり散らしていた。

 

 今や五大侯はメニディを除いて全てラングの所持物同然となっている。

 ガトーとの取引によりもたらされた守り人たちの力を始め、それを流用して作った隷属者(れいぞくしゃ)と彼が呼ぶ、守り人の劣化品たちの戦線投入の準備は進んでいた。

 

「な~に怒ってるんですかあ、ラングう」

 

 薄い青の髪を揺らし、少女がラングの前に立つ。

 

「マリーシア!聞いてくれるか!!」

「聞いてあげますよお」

 

 マリーシアはガトーから五大侯へと出向させられた少女である。

 守り人の管理や使用のコツを教導する立場であり、そして何より彼女自身が高い戦闘能力を持つ特別な個体、聖戦士でもあった。

 

 ラングが偶然も手伝って手にすることができた神の牙ファルシオン。

 そのファルシオンの話を聞きつけたガトーはラングとの商談を行い、結果としてラングは守り人の部隊とマリーシアを借り受けた。

 

 元々ラングが求めたのは守り人だけであったが、その条件は『オレルアンを打倒できるほどの力』という内容であった。

 ガトーはこの点においては素直と言うべきか、常と変わらずレウス以外の人間の勢力争いに興味がないのか素直に「守り人だけでは無理だ」としてマリーシアを貸し出すことにした。

 

 そうして貸し出されたマリーシアはラングのもとでよく働いた。

 それこそ『働きすぎる』ほどであった。

 隷属者の制作も彼女の協力無くしては作れなかったし、その制作の上で出さずともいい犠牲を山ほど出した。

 

 無垢な邪悪さとも言える彼女の稚気はラングの醜悪さと相性がよく、二人は年齢こそ親子ほどに離れていてなお、兄妹のような親密さを築いていた。

 

「ハーディンだ!奴め!奴め奴めえ!!」

 

 ハーディンなどという若造の下につくのは業腹であったが、

 それでも戦いが始まって、きりのいいところまでことが進めば後ろから攻めるなりして全てを奪ってしまえばいい。

 ニーナさえ戴けばアカネイアとしての名誉は維持でき、大義名分も立つ。

 ラングの考えは常に一貫している。

 それは隙あらば奪えばいい、という主義であった。

 

 彼が激怒している理由はまさしくそれに直結していた。

 その主義を本歌取りするようにして、彼はハーディンにサムスーフ侯爵領の大部分を切り取られたのだ。

 先に言った通り、五大侯とは名ばかりで、現在の大貴族はラングの手中に収められているようなものだが、

 五大侯の名が示す通りの特筆すべき大貴族五家で、

 本家が生き残っている一族はラングのアドリアとノアのメニディのみであり、

 残りの三家に関しては木っ端とも言える貴族たちがそう名乗っている、或いはラングの都合に合わせて名乗らされているにすぎない。

 

 サムスーフは特にその影響は強く、

 殆ど貴族とは呼べない連中が従っているような状態であるため、ハーディンとオレルアンの代紋が急にかざされてしまえば勢いで従うような者たちで構成されていた。

 

「あはは、ひど~い」

「そうだろう!」

「でも、逆に考えて見ようよ

 これってすっごく風向きが良くない?」

「……なに?」

「ハーディンはさあ、自分から正義の味方づらをするのを辞めてくれそうなんじゃないのお?」

 

 戦時徴発こそ度々行うオレルアンではあったが、その行為自体は軍として一般的な行いである。

 この大陸においては声望を下げるようなことはない。

 勿論、それをされた側からすればたまったものではないだろうが。

 

 だが、今回のサムスーフの一件は他者の領土を掠め取るような行いである。

 声望を下げ、自らの裡に敵を作るような真似でもあった。

 そしてその裡にある敵とはまさしくラングのことを指している。

 

「次のアリティア攻めのときにい、オレルアンの背中をね」

 

 マリーシアはひそひそとラングに伝える。

 勿論、普通に喋った所で二人だけの空間なのだから聞くものはいないのだが、マリーシアはあえてそうした行動をする。

 彼女にとっての悪巧みをしているポーズであり、そしてラングの悪心に火をつける行いでもあった。

 

「流石はマリーシアよ……確かにサムスーフなどくれてやって惜しくはない」

 

 ボアはサムスーフの領地をニーナとアカネイアへ返還し、これまでの労苦の代わりと称してサムスーフで権勢を振るっていたものたちに金銭を渡して解散させていた。

 今やサムスーフの領地の殆どの権利は明確にニーナ……つまりはオレルアン連合へと移譲されている。

 

「覚えておれ、覚えておれよハーディン!

 わしをコケにしたことを後悔させてやる!!」

 

 意気揚々にして怒りを表してもいるラングを楽しげに見守るマリーシア。

 その瞳はまるで螺旋のように渦が巻いているようでもあり、それが彼女の狂気を如実に表している。

 聖戦士にされた日からではなく、自らに手を差し伸べてくれるはずの『王子様(マルス)』が死んだそのときから、彼女は狂い続けていた。

 



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オーブはどこへ消えた?

「命のオーブが消えている?

 ここに誰が来たというのだ、誰が来れるというのだ」

 

 ガトーはその状況を理解しようと務めるが、不可解な状況を飲み込みきれないでいた。

 アンリの道と呼ばれる氷の大地までの旅程は踏破不可能と言っていいものである。

 例えマルスが生きていたとして、本来の歴史の上だとして、必要があったから軍を向けたもののマルス自身すら命の危機を覚えるような道のりだった。

 

 だが、今の歴史でここに立ち寄る理由は一切ない。

 誰にもないし、興味本位で来れるような場所でもない。

 護衛につかせていた守り人も極めて完成度の高い守り人達であり、例え氷竜を数体相手取ったところで簡単に負けないようなもの。

 それが十二人だ。

 しかし、彼らが氷竜に負けたような様子もない。

 

 到着が早ければ溶けた雪原に砕け散っている杖を見ることもできただろうが、大地は再び白色を一面に根付かせていた。

 

「それに、漂流物も一つ消えている……

 誰かがオーブとそれを狙っている……とするならば、レウスの指図であろうや」

 

 苦々しく言う。

 光、闇、命、星、大地のオーブは本来、炎の紋章に配置された宝玉であり、

 それを集めることができれば伝説の上でも、事実的にもアカネイア大陸の英雄としての名誉を得られる。

 完成した炎の紋章とは、それそのものが物質化した大義名分、最高の代紋なのだ。

 

 本来であればガトーは人間にわかりやすい大義名分を与えぬためにもこれを回収したいと考えていたが、

 ガーネフの離反の際に奪われた闇のオーブ、

 ラーマン神殿で保管されていた星、大地のオーブは賊に盗まれた。

 

 光と命は何とかガトーが保持していたものの、命のオーブはガトーが行おうとしている十二聖戦士の研究に悪影響を及ぼすものとして離されていた。

 

 十二聖戦士や守り人を作る上で自我や精神の影響を命のオーブは癒やしてしまいかねないためだ。

 一度、守り人にさえしてしまえば癒されることはないとガトーは考えていたため、守り人に任せていたのだが、それは盗まれてしまう。

 

 レウスに違いない、と考えるも、しかしクリスに言われた言葉がその単純思考に歯止めをかけた。

 

 レウスがそこまでしてオーブを求めるか。

 彼にとっての大義名分はもはやアカネイアの代紋など必要としていないはず。

 それにレウスであればここまで到達することも可能だろうが、それ以外にここまでこれるような人材はいるか?

 

「忌々しい男だが、……これには関わっていないと考えるべきか」

 

 人間のことはわからない。

 だが、冷静に俯瞰すれば読めるものはあるはずだとガトーは考える。

 

「であれば、守り人の何者かが命のオーブの影響を受けて離反したか……?」

 

 守り人の研究は完璧なはずだ。

 そんなこと起こるはずもない。

 しかし、疑念は晴れない。

 

「クリスのような、自我を保つことができる守り人が出現したのか……?」

 

 研究はまだ完全ではないのか。

 ガトーは自らの魔道の未完成を知らされるようで歯がゆいが、しかし魔道学者としてのガトーはその穴を少し喜ばしくも思っていた。

 

 盗まれたものに関しては捨て置く。

 そう長くは時間はとれないが、実験と研究を再度進める必要がある。

 

 北グルニアの更に北。

 テーベ地方にワープを指定する。

 エッツェルと合流し、今後のことも話し合わねばなるまいとガトーは考えていた。

 

 ───────────────────────

 

 マーモトード砂漠より先、テーベ遺跡郡とも呼ばれる場所に隠されるようにして存在する都市。

 そこが現在のアカネイア大陸におけるガトーの拠点であった。

 数多の守り人たちを作り、送り出す場所であり、守り人や聖戦士の研究を行う。

 

 とはいえ、かつては閉派の魔道士たちも少数はいたが今、この地に戻ることのある魔道士はエッツェルくらいのものである。

 

「戻っていたか、エッツェル」

「ええ、ガトー様

 これがお望みのものです、案外近くにあって無駄な旅程を踏んでしまいましたよ」

「本来であればこの都市にあるべき、お前の妻が編纂した本の一冊

 よもやお前の故郷が焼かれ、これが持ち出されているとは思わなかったが……それでも書ごと焼かれずに済んだのは天の配剤というよりは、お前の妻の加護であるのかもしれぬな」

「ガトー様らしくもない、天の配剤などと」

「そう思いたくもなる」

 

 ガトーは氷の大地であったことを話す。

 守り人も聖戦士も不完全である可能性がある、と。

 エッツェルの妻が研究していたものを見直せば設計の穴を見つけることができるかもしれない、ガトーはそう考えていた。

 

 閉派は広く魔道を教えないだけで、研究しないわけではない。

 むしろ拡大化しないからこそ、既存技術の完成をより先鋭化していくきらいがあった。

 

「俺の研究分野じゃあないので手伝いはできませんが」

「知っておる、だからこそお前には別の頼みがある

 オレルアンに行き、あそこに預けている聖戦士の様子を見てくるのだ」

「問題がなければどうします」

「そのまま使わせておけ」

「あった場合は」

「もしも聖王国に与しようとするなら、破棄せよ」

「……承知しました」

 

 エッツェルがその時に不快感を顔に浮かべたことをガトーは知るまい。

 いや、見ていたとして理解できたかどうか。

 

 それでもエッツェルは頭を下げるとその場を後にし、オレルアンへと足を向けた。

 

 誰もいなくなったテーベの邸内で研究を進めるガトーの孤独な姿だけがあった。

 

「……やはり、聖戦士の完成を目指すにはこれを使う他ないのか」

 

 目を向けた先には古めかしい書籍が一つ。

『魔将礼賛典書』と題されているもので、それを記述したものはマンフロイと書かれていた。

 それこそがこの大陸ではない場所でロプト教団が作り出し、研究し続けた魔将の膨大な研究の成果物であった。

 教団の長であるマンフロイがそれらを纏め上げたもので、

 信仰対象でもあるロプトウスすらその存在を知らない暗黒の書であった。



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アカネイアの泥

「首尾よくサムスーフは手に入ったようだな」

 

 ボアは参列したアカネイア王国──元アカネイア王国というべきか──の家臣団と会議をしていた。

 大貴族とは違い、騎士団ゆかりのものやナーガ教団の聖職者などで構成されたものたちで、

 彼らこそがアカネイア王国のまことなる愛国者たちであるとそれぞれが自負していた。

 

「ニーナ様のご助力無くしては難しかったのですが」

「ええ、上手くやってくれましたね

 まったく『目を覚ましていただいてから』というもの、王国再建の足音が聴こえてくるようです」

 

 ニーナが影武者と入れ替わってから、その状況を示す言葉として『目を覚ます』と言われるようになった。

 もはや、彼らにとっては影武者こそがニーナであり、本来のニーナのことは誰も気にしなくなっていた。

 

 ボアの側にはニーナが立ち、その側には護衛として立たされている女がいた。

 彼らからすれば守り人との違いがまったくわからないが、ガトーは彼女を聖戦士であり、守り人よりも高い位置に存在するものだから大切に扱うようにと言われていた。

 

「ハーディンとの状況はいかがですかな、ニーナ様」

 

 ボアは様こそ付けているが、その目は端女を見るそれである。

 偽ニーナ、いや、今やここでは本当のニーナは

 

「覚悟を決めるにはまだ……のようです」

「ふむ……であれば、踏み越えさせるしかあるまいか」

 

 ボアはそれだけを言う。

 ニーナは彼の言葉がそれで終わることが恐ろしかったが、彼そのものを恐れている彼女は聞き出すことはできなかった。

 

 地図に目をやるボアは騎士の一人に視線をやる。

 

「ガルダの様子は」

「平時と変わりません

 むしろサムスーフの圧がなくなったからか、防備に関してはないに等しい状況と言えましょうな」

 

 この部屋にいるべき人間たちが数名ほどいない。

 偽ニーナ騒動から、ボアははっきりと謀略をするときと、そうではないときで人員を分けていた。

 

 ミディア、ジョルジュ、アストリアの三人はアカネイア軍にとって代えがたい戦力ではあるが、

 彼らは真っ直ぐな人物であり、ニーナが偽物となれば騒ぎ立てる可能性があったし、

 ボアがやろうとしていることにも口を出してくるであろうと見ていた。

 

「五大侯からの抗議はいかがしましょうか」

 

 ナーガ教団の司祭代理が言う。

 

「形だけのものよ、無視してよい」

 

 ボアはラングを毛嫌いしていた。

 可能であればさっさと排除したい汚らしい虫けらであるが、その戦力を切り捨てることができないのがジレンマであった。

 だが、それも後少しだ。

 

「では、今日はここまでとしよう」

 

 毎日のように行われる会議だ、それほど時間を取ることもない。

 

「明日には状況が動くかも知れぬ、諸君も集まれるようにな」

 

 一同は声を揃えて了解の意を伝える。

 愛国者たちのその息の合った同意にボアは満足気に笑みを作った。

 

 ───────────────────────

 

「よろしいかな」

 

 会議が終わって一同が解散した部屋に入ってきた男がいる。

 愛国者たちのみしか立ち入りが許されないはずのここに入れるのは、それ以外の特権を持つもののみ。

 つまりはガトーか、その関係者だけである。

 

 部屋に残されていたニーナと聖戦士がそちらに目を向ける。

 

「エッツェル様」

 

 ニーナの声にエッツェルは「お元気そう、という感じではなさそうですね」と返した。

 

「まずはこれをお受け取りください」

「これは?」

「俺の手製で恐縮ですが、

 胃を痛めておられるようでしたから、それに効くハーブの調合品です

 多少なりと心を穏やかにする効能も持ち合わせていますよ」

「ご配慮、ありがとうございます……」

 

 エッツェルはこのニーナ、影武者に同情していた。

 自らの意思など関係なく、自分の身の丈に合わない荒波に飲み込まれてしまったのだから。

 ただ、彼女自身もまた貴族の娘にとって最高の上がりとも言える王族……その影武者であるが、ある程度の采配を許されている立場に登れているわけでもあるから操り人形のなかではマシだろう。

 少なくとも守り人たちよりはずっとずっとマシな立場だとエッツェルは彼女の横に立つ聖戦士を見て思う。

 

「今日は薬を私に渡すために来たわけではないのでしょう」

「ええ、ガトー様からのご命令でそこの聖戦士に話がありましてね」

「では、私は外したほうがよいでしょう」

「感謝します、王女殿」

 

 ニーナはその場を辞する。

 最初に見た時は王女としての品格や格式が足りるのだろうかと思っていたが、状況が彼女を育てたのか、かつてのニーナよりもよほど王女らしく見えるものである。

 

「さて、と……カチュア、調子はどうだい」

「……」

 

 白騎士団の三姉妹が次女、カチュア。

 ガトーが生み出した聖戦士の中で、現状において最も完成された一人である。

 



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青色の慈愛

 カチュアはパオラの命令に従う形でオレルアンへと戻っていた。

 エストは奇襲作戦の一件の後で聖王国へと合流できたが、

 カチュアはその立場からアリティアから送られたスパイではないかとして連合に捕らえられてしまう。

 

 運がよかったことはその体に傷が付けられたりする前に解放されたことであるが、

 運が悪かったのは、囚われていた彼女がガトーの目に止まり、その才能を見抜かれて聖戦士として成り立つように手を加えられたことであった。

 

 ガトーは聖戦士を十二人集めたいと考えていた。

 どうしても以前アストリアに行ったような当人の自由意思に任せると、拒否されるといつまでも集めることができない。

 だからこそ、守り人の技術を応用して聖戦士を作り出す研究を続けており、カチュアこそがその正式な運用モデルとして実装された人間であった。

 

 だが、守り人を超えた力を持ちはするものの、彼女には聖戦士が持つべき自我が発露していなかった。

 守り人のように消去されているわけではないのは間違いないが、

 どうしてこうなっているかは不明なままだった。

 

「そう怖い顔をするなよ」

 

 聖戦士として扱われているのは、守り人以上のスペックを備えているからに過ぎない。

 

「むしろ、少しくらい常とは違う状態になってくれていたほうが話は早いんだがね」

 

 ガトーが危惧しているのは聖戦士や守り人が彼に敵対することだろう。

 だが、カチュアにはその兆候が見られない。

 

「ミネルバ様のご出産が近いらしい

 お前も本当はミネルバ様の側にいたいだろうに……すまん」

 

 エッツェルは必要なだけのデータを取り終わると、謝罪した。

 

「……」

 

 カチュアは反応しないものと思っていたが、本当に少しだけだが、顔を横に振った。

 だが、それきりまた動かなくなる。

 

「お前は優しい娘なんだな……」

 

 悲痛に軋むエッツェルの心をせめて癒そうとしたカチュアの心は確かに伝わった。

 

「もう少しだけ待っていてくれ、必ずお前の望むようになる」

 

 エッツェルもまたカチュアを何とか解放できないかを考えていた。

 

 ───────────────────────

 

「ハーディン、よいか」

 

 ボアがハーディンに声をかけている。

 例え王弟であり、連合の盟主であっても立場はボアの方が上である。

 なにせアカネイア王国の実質的なトップであるのだから当然だ、とアカネイア人たちは思っている。

 無論、ボアもそうであるべきだと思っているからこその言葉遣いであった。

 

「なんでしょうか、ボア殿」

 

 また、ハーディンもそれを理解しているからこその態度である。

 アカネイア王室のためにという連合の結束理由がある以上は立場の変動はありえないのだ。

 

「……ふむ、ここで話すような内容でもないが」

 

 彼らが立つのは中庭。

 ハーディンはニーナに会いに来たのが明白である。

 

 ボアの様子にハーディンは近くにいた近衛を見やると、彼らが人払いをし、その近衛もまた去っていった。

 

「これでいかがですかな」

「うむ」

 

 鷹揚に頷くボア。

 一歩、二歩と中庭を歩く。

 

「ハーディンよ、ニーナ様を愛していおるか」

「無論、敬愛すべきアカネイア王国の」

「そうではない」

 

 ニーナとの逢瀬は一度二度ではない。

 ハーディンは上手く隠しているが、そもそもがニーナとボアは繋がっている以上は隠蔽のしようもない。

 

「男女の仲として聞いているのだ」

「それは……」

 

 彼がこう聞いている以上は確信だけでなく何らかの証拠があるのだろうとハーディンは考える。

 だからこそ、

 

「はい、ボア殿の考える通りに」

「それを咎めにきたのではない、むしろ祝福をしにきたのだ」

「……なんと?」

 

「オレルアンごときがアカネイアの王族に懸想をするだけでなく、関係を深めるとは!」

 ボアであればそのように叱責するはずであろうと思っていたハーディンだったが、

 祝福するという意外な言葉に怪訝そうな瞳を向ける。

 

「サムスーフの一件は耳にしておるな」

「……ええ、五大侯からも抗議が」

「あれはわしの独断でやったことだ、しかし全てはニーナ様のためでもある」

 

 ボアの行いはオレルアンでも問題になっていた。

 いかにアカネイアが宗主国だとしても、そのような行いはオレルアンの(ひじり)を汚すものだと。

 

「ニーナ様の?」

 

 ハーディンが聞き返したのは何も聞こえなかったからではない。

『まさかニーナを盾に使った自己弁護ではあるまいな』という意図のものである。

 

「……ニーナ様はもう永くはないかもしれぬ」

「今、……今なんと……?」

 

 ハーディンは詰め寄るようにして、ボアの前に立つ。

 

「元々体が強いお方ではない、この戦いの中で隠し通すのが無理なほどに弱っておられる

 それでも健気に立っているのは何故か

 最近のニーナ様が積極的に連合のために動いているのは何故か」

 

 自分の前に立つハーディンを睨むようにして、

 

「お前のためだ、ハーディン

 ニーナ様は命を削ってお前と連合のために動いている

 だが、それが祟ってか最近は体調を崩されることが少なくない」

「それは、私が不甲斐ないから……ですか」

「そうだ

 だがそれでもニーナ様は健気にもお前のために、お前の心の中に残りたいがために必死になっている」

 

 ハーディンとニーナは男女として関係を持っている。

 であるのにハーディンは彼女の不調に気がつくこともできなかった。

 

「だからこそ、ニーナ様がご存命のうちにアカネイア王国を取り戻したいのだ

 そのためにもサムスーフが必要であった」

「それは、何故です」

「ガルダを封鎖し、タリスとアリティアに挟まれた状況を解決するためよ

 下手にモスティンを刺激するのは我ら連合にとっての危機

 だが、ガルダを人質にすることができれば挟み撃ちするなという言い分は通るであろう」

 

 モスティンがかつての蛮地の王たるものに回帰していたとしても、

 己の独断でガルダの人間全員を犠牲にすることはない、とボアは踏んでいるのだ。

 

「それであれば、そちらに向けるべき兵力は南へ向けることができる」

「ああ、最速で行けば、ニーナ様はご自身の足でパレスを歩くことも叶うかも知れぬ」

 

 ボアは続ける。

 

「ハーディンよ

 パレスを取り返したときにはそなたとニーナ様の婚姻をわしの名のもとに認めよう」

「本当でございますか」

「嘘はつかぬ、既に十分な働きを見せているが他の貴族を黙らせるためにはパレスが必要だというのは」

「理解しております」

「では、まずはガルダ攻略、その後にアリティアとの戦いを行わねばならぬが」

「全てニーナ様のため、そのためならばこのハーディンは鬼神ともなりましょう」

「求めていた返事に感謝するぞ、ハーディン」

 

 無論、ニーナの寿命など真っ赤な嘘である。

 むしろかつての王女よりも影武者はよほどタフな女である。

 このままずるずると戦いが続いても終戦まで生き延び、或いはハーディンとの間の子が更に子を儲ける頃まで健勝であろう。

 だが、それでは困る。

 

 彼女には犠牲になってもらわねば。

 ボアはその心の中で昏い笑みを浮かべていた。



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血が血を呼ぶ

 苛烈であった。

 ガルダは凄まじい攻めの前に一日も持たずに陥落する。

 即日にタリス王モスティンには戦争終結までアリティアへの助力を禁止することを伝え、それが守られなかった時はガルダの住人全員に凄惨な死を与えるとまで伝えた。

 

 モスティンは激怒し、勇者の剣を持って単身乗り込みそうになるが、ガルダから送られてきた小舟に乗せられたものを見て、進むのを取りやめた。

 

 小舟にはガルダの町長やその家族の首が置かれていた。

 それは下手なことをすれば町民全員がこうなると言っているのだ。

 

 タリスがそのような状況であるとアリティアに伝えることができたのはすぐにとはいかなかった。

 

 ───────────────────────

 

「……こんなことは、間違っている

 本当にハーディン様が考えたこととは僕には思えない」

「甘いぞ、ロシェよ

 ハーディン様はどんなことをしてでもパレスを取り戻すという決意を固められたのだ

 あの首はその覚悟の現れよ」

 

 ロシェの弱気な発言にウルフは叱責するように言う。

 

「言いたいことは解るが、だが……」

 

 ザガロは決断の前にハーディンの表情を見ていた。

 苦痛に満ちた表情だった。

 首を撥ねて送るべしと命じたのは彼だったが、それを本当にハーディン自身の意思であったかはザガロからしても疑問であった。

 

「おっと、ザガロ

 余計なことを言うなよ

 オレも思っていることだけどな……オレたちの発言がハーディン様のお立場を悪くする可能性だってあるんだ」

 

 ビラクはザガロの言葉を先回りして止めた。

 彼もザガロもサムスーフの乗っ取りから今回の件の全てがハーディンではなく、ボアの手引だと思っているのだ。

 そして、それは正しかった。

 ハーディンは婚約するための後ろ盾であるボアの不況を買うわけにはいかなかった。

 だからこそ、ボアの提案が彼の主義に反する作戦であっても許可を出していた。

 

「守り人も増えたよね」

 

 ロシェは狼騎士団以外の陸戦部隊に守り人が配備されているのを確認していた。

 それらはガトーが自らの目的のため、有力者とのやり取りを行う上での報酬代わりとした守り人であり、

 巡り巡ってオレルアン連合へと送られていた。

 

 狼騎士団はハーディンの麾下であるが、その関わりの強さ故に最近はハーディンと共に出陣する機会が減っている。

 それもまた、ボアの差し金である。

 ボアは自身が提案する強引なやり方を止めることができるかもしれない、身近な人間たちにいてもらっては困るのだ。

 

「これくらいやって丁度いいと言うものだ、俺たちは戦争をしているんだぞ」

 

 ウルフは過激なことを言う。

 だが、それは何度となく命じられ、行った戦時徴発で弱りつつあるウルフの心を自らで叱咤するためのものであるのは他の三人も気が付いている。

 誰よりもハーディンを愛し、それ故にハーディンの蛮行とも言える判断に心を痛めているのが彼だからだ。

 

「狼騎士団の貴卿らも会議に参加してくれ!」

 

 騎士の一人が彼らを呼びに来る。

 彼は確かアカネイア軍の一人だったはずだが、彼らとの合同会議など随分と珍しいことだ。

 何か大事な軍事作戦でも発表されるのだろうか。

 

 少なくともロシェだけは、耳を塞ぎたい気持ちになっていた。

 

 ───────────────────────

 

「正気か!?」

「正気かとは言葉だな、狼騎士団ウルフ」

 

 正気かという売り言葉でしかない言葉に反応したのはアカネイア軍のミディアだった。

 

「いつかは征伐せねばならぬ相手だ」

「だが、五大侯なくしてどうやってアリティアに勝つつもりだ!

 戦力差を考えたことはあるのか!?」

「ああ、その上でだ」

 

 発表された作戦はまたも人道から外れたものであった。

 

 サムスーフ領を手に入れたのはガルダ制圧のためだけではない。

 五大侯の領地への接触或いは侵攻のしやすさを見てのもの。

 そしてそれはまさしく、彼らを脅すための道具として作用するのだ。

 

 五大侯にはこちらの武器を見せつけながら、アリティアへの進軍を命じる。

 断れば約定に反したとして潰してしまえばいい。

 了承したならアリティアとの戦いがこちらに有利になった時点でどさくさまぎれで始末してしまえばいい。

 

 もはや草原の狼の誇りなど一つも存在しないような作戦の提示だった。

 だからこそウルフは正気なのかと噛み付いたのだ。

 

「そのようなことをして、大義のない勝利を得てどうするというのだ!」

「大義などパレスを得れたなら全て付いてくるだろう」

「戦はそんな簡単なものではなかろう!」

 

 ウルフとミディアが平行線の言い合いをしている。

 ロシェは頭を抑えていた。

 ひどい状況だ。

 どうしてこんなことになってしまったんだ、と。

 彼は助けを求めるような目で上座にいるハーディンを見やるも、彼らの主君は目を閉ざし、状況を耳で聞いているだけだった。

 ロシェの脳裏にどうしてそのような態度で……と、不信にも似た感情が作り出されそうになるのを必死に打ち消す。

 だが、心の整理に必死でウルフとミディアを止めることはできなかった。

 

 元々、草原の民はアカネイアに隷属を求められた立場であり、都合のいい戦争の道具、いや戦奴というべき扱いを受けていた。

 それに近衛の兵団である狼騎士団の立場を与えることで救済したのが騎士団の成り立ちであり、

 彼らがハーディンに忠誠を誓う背景でもある。

 

 高潔なハーディンの慈悲と慈愛によって作り出された騎士団は今や、血と憎悪によって名誉を汚し続けていた。

 ウルフとミディアの言い争いはオレルアンとアカネイアのかつての縮図だ。

 

「まあまあ、お二人ともその辺にしておこうじゃあないの

 両軍の主君もいる手前でなんだ」

 

 ニーナは困ったような表情を浮かべ、ハーディンはゆっくりと目を開く。

 ビラクの執り成しでようやくハーディンがこちらを見ているのに気がついて、二人は渋々言葉を引っ込めた。

 その後にビラクはロシェに「外にいてもいいんだぞ」とこっそりと告げる。

 

「ありがとう、でも、ここにいることもまた狼騎士団の仕事なはずだから」

「そうか……強いな、ロシェは」

 

 強いものか、とロシェは心で毒づいた。

 本当に強いならば、もっと前にハーディン様を止めることができていたはずなのだから……と。



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道具扱い

 エッツェルが次に向かったのはオレルアンに作られた別荘地である。

 

「お邪魔しますよ」

 

 別荘の前では彼が来るのを待っていた少女がいた。

 

「エッツェルさん!」

「お久しぶりだな、リンダ」

 

 別荘を見るようにしてから、

 

「彼の様子は」

「……」

 

 茶髪の少女、リンダは小さく顔を横に振る。

 

「悪化はしてないのですが」

 

 エッツェルを案内するようにして別荘の扉を開く。

 中に入ると茶の準備をしていたウェンデルと、大きな揺り椅子に座るマリクの姿がある。

 

「おお、エッツェル……よく来てくれたな」

「ウェンデル先生もお変わりないようで」

 

 エッツェルはウェンデルとは旧知の仲である。

 ただ、彼と直接の知り合いではなく、妻とウェンデルがガトーを通じての知り合いだったところから関係していた。

 

「久しぶりだが、どうしていたのだ?」

「ガトー様の申し付けでアーシェラの残した書を探し回っていました、何とか集まりましたよ

 どこかの馬鹿が盗み出したせいで苦労しました」

 

 やれやれ、とエッツェルはポーズを取る。

 アーシェラとは彼の妻であり、ガトーにも目をかけられていた魔道学者である。

 カダインから離れ、グラへと渡った後も研究は続けていたものの、そこで残した手記などはグラの動乱の時にジオルが売り払ってしまったのだという。

 巡り巡って北グルニアへと販売されてしまったのを先日回収できた、というのが今までの彼の旅路となる。

 

「よお、マリク」

「……」

 

 意思のこもらない瞳がエッツェルを見るが、すぐに視線はどこか遠くを見るのに戻る。

 

「道具として扱われた結果、か」

「元より廃人のようであったのがここまで持ち直したと言うべきかもしれんがな……」

 

 これまでのマリクの歩みはエッツェルの比ではないほど過酷であった。

 

 南オレルアンの街でウルフを追いかけるようにした彼はオレルアン城付近で同軍に捕縛。

 狼騎士団に対する危害を加えたとして戦奴として使われることになる。

 何度かの反抗で大いに責め苦を負わされながら、戦時では魔法を射つ道具のようにして扱われた。

 その扱いの酷さにロシェが嘆願を出し、戦場での功績もあって解放される。

 しかし、その後もマリクは戦いを続けた。

 それは彼が持っていたがオレルアンによって回収されたエクスカリバーの書を餌に戦うことを半ば強制されたからである。

 

 マリクが駆り出されるのはいつも凄惨な戦いばかりであった。

 戦時徴発に抵抗する村や街など。

 そうした場所での戦いで心はすり減り、最後の一線を超えさせられたのはボアたちがオレルアンに合流した後に行われた軍の南下での何度となく行われた遭遇戦である。

 

 レフカンディが周辺の村々から強引に連れ出した人間たちを盾や壁のように扱う戦法。

 それの切り崩し役に抜擢された。

 流石にこれは戦えないとボアに直訴すると、ボアはリンダの名を出した。

 この戦いに勝てればノルダで発見できたリンダを助ける道が開かれる、と。

 

 リンダとマリクは同じ魔道学院の学生であり、男女の仲ではないにしろ親密な繋がりがあった。

 リンダは彼を好いていたものの、マリクがアリティア王女エリスに恋をしていることを知っていたからこそ、彼女は恋を胸に秘め続けていた。

 マリクはそれを知らずとも、大切な友人が奴隷売買で知られるノルダにいると聞いて、その戦いに赴いた。

 しかし、そこは地獄であった。

 無辜の民の悲鳴、そして役割が終わったのならば自らの盾であったそれらをレフカンディの騎兵は踏み越えてすり潰した。

 

 親友である少女のためにと戦い、しかし、その心は戦いの終わりまでは持たなかった。

 心は砕けた。

 戦いの終わり頃にリンダは彼に駆け寄る。

 

 彼女は自らの力でノルダを逃げ出し、連合に合流していたが、彼らはそれを隠していた。

 全てはマリクを自在に扱うため。

 実際にマリクの奮闘によってレフカンディでの戦いは勝利に終わった上にその後の五大侯との関係作りにも、その上下関係を構築するに重大な価値をオレルアンにもたらした。

 天才一人を使い潰したが十分な価値があったとボアは考えたのだろう、とウェンデルは言う。

 

 ウェンデルもまた、マリクから離される形で仕事に就けられていたためにそんなことになっていることに気が付ける余裕もなかった。

 

 マリク、リンダ、ウェンデルの三人がようやく合流し、その功を湛えて別荘地に大きな邸を与えられたが、なんの慰みになるというのか。

 それでも、戦乱の中で平穏に過ごせるのは他のものからしてみればまだしも幸福なことなのかもしれないが、壊れた心が戻ることもない。

 

 そんな時に三人の前に現れたのがガトーであった。

 

 ───────────────────────

 

 グルニア王国とテーベの中間にある、いわゆる北グルニアと呼ばれる場所は混沌としていた。

 

 人間というものは善悪の二種類しかいないわけではない。

 だが、善悪の比重が偏るものが生まれるのが人間でもあった。

 

 悪へと偏ったものたちはかつてノルダを自らの巣窟として、その心のままに生きていたが、

 マヌー率いるペラティの竜に滅ぼされ、その後は『穀倉化計画』を推し進める役割を担った彼らによってさらに蹂躙され、隠れる場所もなくなる。

 逃げ出した先にあったのが北グルニアであった。

 

 ここはかつてグルニアの前王ルイが盟主となった軍閥派で、正しき道に戻ることを望まなかったものたちが逃げ込んだことが治安悪化の始まりとなっていた。

 それまでも軍閥によって荒らされてはいたものの、重税を課される、娘や妻が拐われるなど、悲劇ではあるが戦時のアカネイア大陸においては珍しくもない事件だけが起こる場所だった。

 

 しかし、ノルダから来た悪人たちと手を取り合ったことで北グルニアは悪の殿堂となった。

 アリティアはその付近の治安紊乱を危惧してさっさと潰したいと考えていたが、

 グルニア王国が一枚岩になった時点で北グルニアはグルニアの正当な領地であるとの宣誓がなされ、手を出せば明確な戦争行為となってしまってからは国境線の警備を強化するくらいしか手がなくなっていた。

 

 その一方で、グルニア王国も北グルニアの惨状を何とかしたいと考えてはいるものの、根城としているのは悪党だけではなく軍閥の敗残兵が徒党を組んだものであったり、傭兵であったりと簡単に解散させられないだけの戦力がそこにあった。

 

 ───────────────────────

 

「殺せーッ!!」

「血を見せてくれぇぇーッ!」

 

 今日も北グルニアのある街では絶叫が響いていた。

 ノルダの闘技場はより残虐性を増し帰ってきた。

 

「挑戦者の入場です!

 グルニアの拷問官、ヤヌアー!

 チャンピオンとの戦いまでに三十六人の首を撥ね、十七人を再起不能にした偉大なる挑戦者だ!!」

 

 現れた大男は片手に斧を持ち、もう片手を挙げて声援を求める。

 

「ヤヌアー!今日もえっぐい戦いを見せてくれえ!」

「チャンピオンの細い腕をちぎってちょうだぁぁい!」

 

「王者の入場です!

 もはや彼を流浪のとは呼ばないでしょう!ノルダの惨殺者!我らが永遠のチャンピオン!」

 

 その声と共に入ってきたのは黒い仮面で顔を隠した細身の少年。

 だが、彼こそが前述された通りの王者であり、

 

「命を奪うもの!リカァァーーーッド!」

 

 ヤヌアーと同じようにして、声援を求めるようにして彼は汚れなき銀の剣を腰から抜くと掲げる。

 

「今日も最高よおお!」

「全財産掛けたんだ!五分は持たせてくれええ!!」

 

 リカードはこの闘技場を気に入っていた。

 ただ生きる死ぬ、殺す殺さないではなく、相手がどれほどの血を流すか、どれほどひどい死に様を晒すかまでを事細かに賭けることができる。

 それらの情報は決闘者たちにも伝えられ、どのオッズの達成を目指すかを決めることができる。

 難しければそれだけ価値ある勝利となるし、それを目指すことで泥仕合になることもある。

 泥仕合となればそれはそれで凄惨な状況になり、客は喜ぶ。

 

 悪辣なルールは、ノルダだけではなく、アカネイア大陸中の悪意が北グルニアに結集したからこそ作り上げられたもの。

 まさしく、こここそが悪の殿堂といって間違いのない場所であった。

 

「あーあ、早く仕事のお呼び出しにならないかなあ……

 おいら、闘技場で遊ぶのも飽きてきたよ」

 

 声援にかき消されたリカードの声。

 

「この人を最後にして、闘技場は引退かな」

 

 そう思えばリカードは少しばかりやる気を出せる気がした。

 

 さあて、この挑戦者にはどんな死がお似合いだろう。

 

「ジュリアンの兄貴が死んじまったんだ、他の悪党が生きているなんてまったくおかしなことだよなあ」

 

 リカードは狂っていた。

 だが、その小器用さが災いして、その狂気すらも彼は飼いならし、ガトーの協力者として大陸の闇の中で生き続けていた。

 



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それぞれの価値

「わしはガトー、人はわしを白き賢者と呼ぶ

 魔道に専心せしものよ、研学に免じ、その心を繋ぐ可能性があるものを渡してもよい」

 

 だが、その条件として出されたのはマリク、リンダ両名がガトーの力を借り受けることだった。

 ウェンデルはガトーを信頼していたので二人にもまたそれを進めた。

 

 結果として、二人はその力をしっかりと受け止めた。

 リンダはエッツェルが認識している聖戦士の中でも、完成形の一人と言っても差し支えないほどバランスがよかった。

 心を奪われることもなく、与えられた魔道書の力を過不足なく使いこなせた。

 身体能力もそこらの騎士では相手にならぬほどに高くなり、必要があれば武器を取って戦えるほどである。

 

 しかし、マリクはそうはいかなかった。

 平時においては壊れたままで、戦いに借り出したときだけ、以前の彼が還ってくる。

 だが、戦いは彼のトラウマを刺激し、正気になれば苦痛と狂気に苛まれ、戦いが終われば廃人となる。

 皮肉にも聖戦士たちの中では最も強力な力を引き出すことができているのも彼であり、研究対象としては極めて重要な立ち位置になっていた。

 

 ガトーとのやりとりは同じように彼から力を与えられたハーディンの知るところにもなり、

 ハーディンはそれからは別荘に顔をだすことも何度もあった。

 彼は可能な限り戦いにマリクを出さないよう努力したが、戦局が許さないことも少なくないため、その約束が果たされ続けることはなかった。

 リンダもまた、それは理解しているからこそハーディンに恨みの一つも言えなかった。

 オレルアンが負ければ、マリクはどこにも行けなくなるのだから。

 

「エッツェルよ、検診が終わったら話がある」

「わかりました」

 

 ───────────────────────

 

「マリクはどうだ?」

「良くはありませんね、魔力自体は増加傾向にありますが、生命力は日に日に弱っている

 次に大きな戦いに駆り出されたら命の保証はできかねますな」

「……そうか」

 

 ウェンデルとエッツェルは二階の私室で話している。

 メイド達などを人払いしており、ここでの会話は誰に聞かれるものでもない。

 それはリンダにも適用される。

 

「話とは?」

「おそらく、近々にわしは殺されるだろう」

「……誰にです」

「ボア殿か、或いはハーディン殿か」

 

 最近のオレルアンの様子はおかしい、とウェンデルは言う。

 ニーナがハーディンに距離を許し、ハーディンは今まで消極的であった戦線拡大の方策に積極的になった。

 

「オレルアン連合の目的は今も変わらず、パレスの奪還であろう

 だが、その為にはアリティア聖王国を倒さねばならぬ

 レフカンディ、グラ大橋、アカネイア北が重なる平原での戦い」

「一度負けたと聞いていますが」

「五大侯が、な

 しかしあれもまた誰も彼もが本気で戦っているわけでもない、アリティアの目をこちらに向けるためだけの作戦だったと聞いている」

「今度は目を向けるではなく、本当の勝敗を決めるものが始まる、と」

「それも、極めて大きなものがな」

 

 そうなればマリクとリンダも駆り出されるだろう。

 待ち受けているのはマリクの心の死だ。

 

「わしは立場上、それに異議を申し立てることもできるし、マリクを守るために彼を戦いに出さぬことを発言する力もある」

「だが、マリクの力を使えなければ勝率が目に見えて下がる」

「そうだ、聖王国の魔法兵団の練度はもはや大陸最高峰の兵団と言えるほど

 対抗できるのは個人で最強の魔力を持つと言ってもいい、マリクだけだ」

 

 それもまた事実。

 オレルアンの戦力は守り人、聖戦士、そして漂流物を扱うエリート騎士たちによる少人数の突破力。

 兵団の規模こそ一面的にアリティアを上回るものもあるが、兵団そのものの質は劣っていると言わざるを得ない。

 勿論、騎兵を除けば、だが。

 

「これを」

 

 ウェンデルが渡したのは手記である。

 渡されたのを開こうという姿勢を取るエッツェルをウェンデルは止めなかった。

 

「……これは」

「それがあればマリクとリンダの二人は、とは言えぬが……どちらかだけでも救う材料になるのではないか」

「どうでしょう、ね」

「わしはガトー様の遣いではなく、エッツェルに頼んでいる

 それをどう扱うかも、エッツェルに任せる」

 

 これを武器にしてガトーへの庇護を求めることもできよう、そうエッツェルは考える。

 ウェンデルもそれを理解したのか、

 

「わしは、疲れてしまったよ」

 

 心から、老人はそう言った。

 エッツェルは彼を救う方法を思いつくことはできなかった。

 

 ───────────────────────

 

 それから数日ほどカチュアの事やマリクの検診内容を纏めた研究レポートを纏めるために別荘に滞在する。

 

 リンダはミロアの行ったことを何も知らないようだった。

 彼女にとっては尊敬できる父親だったのだろう。

 聖娼の件なども上手くごまかしていたのだろうか。

 エッツェルは諸々思うところがないわけではないが、それを彼女に言ってどうなるものでもない。

 

「エッツェルさん、魔道を教えてください!」

「リンダ、オレより君のほうが強いんだから教えることなんてないぞ」

「私は魔力が高いだけですから……戦場でマリクを守るために、戦い方を教えてほしいんです、魔道の戦い方を!」

 

 ウェンデルは魔道を戦いに使うことを極めて嫌悪している。

 マリクとリンダがいなければ彼はとっくの昔にアリティアのカダイン魔道学院に走っているだろう。

 平和のための技術研究であればあそこほど適した場所もない。

 とはいえ、ウェンデルもまたリンダの言葉を否定する気もなかった。

 むしろ、

 

「エッツェル、わしからも頼みたい

 リンダに教えてやれることがあるなら、手ほどきしてやってはくれまいかな」

「……わかりました」

 

 ウェンデルに言われれば、断ることもできない。

 

 エッツェルの魔道は他者が扱う魔道と大きな違いがある。

 それは彼の技術は漂流物によって異形の進化を遂げていることにあった。

 

「俺たち魔道士の弱点はなんだと思う」

「え?えーと……ひ弱なこととか?」

「ははは、まあ、それも正解ではある」

「違うんですね」

「ああ、正解は単純な戦術しか取れなくなることが多いことだ」

「単純な?」

「剣や槍のような武芸と違って、魔法は予め決められた挙動しかできない

 戦争で兵士を打ち倒すには火力があればいいが、リンダやマリクほどの力を持っているものには一騎当千の武将が突っかかってくることがあるだろう

 武芸者に隙を見せれば斬られるだろう、逆に魔法はそうした相手に見切られでもしたら」

「次の発動前にやっぱり斬られる、んですよね」

 

 だからこそ、とエッツェルは続ける。

 

「これだ」

 

 取り出したのは杖だった。

 

「それは?」

「漂流物の杖だ

 アイスロックと呼ばれるもので、」

 

 彼が杖を振るうと氷で作られた壁が瞬時に現れる。

 

「このように障害物を作ることができ、」

 

 もう片手に持つ魔道書を扱うと障害物越しに雷が落ちる。

 

「目隠しされた相手を一方的に魔法で打ち据えることができる」

「すごい!」

「だろう」

 

 彼は警備兵時代の経験から防御を優先する戦い方を重要視していた。

 ただ、それでも魔道士の身では守り続けるのには限界がある。

 そんなときに偶然手に入れた漂流物、アイスロックは彼にとっての福音そのものであった。

 回避できないなら壁を作ればよい。

 一人の攻撃だけなら防げるのならば一対一の状況を強制的に作り出せばよい。

 氷の壁を作り出すアイスロックこそ、彼の最大の鎧となったのだ。

 

「リンダほどの身のこなしなら、これで逃げながら射つ(カイティング)も可能だろうな」

 

 そう言って彼女にあれこれと技術を教え、或いは戦術の提案を行った。

 

 レポート作りとリンダの修行に付き合ううちに数日が過ぎ、エッツェルが去る日になる。

 

「リンダ、これはお前にやろう」

 

 練習の際にもアイスロックを渡していたが、別にまたもう一つ同じような杖を彼女に手渡す。

 

「アイスロックには違いないが、こいつは使用回数を強引に増加させている

 そのせいで使う度に疲労はするだろうが、使い切りのそれよりは安心感もあるだろう」

「あ、ありがとうございます、師匠!」

「師匠は止めろ、そんな大したことできてない」

「でも」

「……わかったわかった、好きに呼べばいい

 じゃあ師匠として一つ言わせてくれ」

「はい」

「お前の命はウェンデル殿やガトー様、そしてマリクのためにあるものじゃない

 その命はどこまでいってもお前だけのものだ

 誰かのために使ったりしてくれるなよ」

「それは」

「……誰かが、誰かの為に死ぬってのはな、その誰かの心を巻き添えにする行いでしかないんだ」

 

 それは彼自身が一番よく知っている。

 エッツェルの妻は彼の為に死んだのだから。

 彼はそんなことを望んでいなかった、彼女が死ぬなら共に死にたかった。

 だが、彼女に拾われた命を捨てる権利はもはや当人には残っていなかったのだ。

 

「……わかりました」

「ああ、わかるだけでいい

 それでもお前の命はお前のものだからな

 それじゃあ、元気でな」

「はい」

 

 視線をウェンデルへと向ける。

 老人も小さく頷く。

 彼とは今生の別れとなるだろう。

 

 エッツェルもまた、彼と同じように頷き返し、背を向けて歩き出す。

 乱世でなければ、彼らは幸せな魔道士生活を送れていたのだろうか。

 それとも、戦いの中でやはり命を落とすことになる世界に立っていたのだろうか。

 考えても仕方のないことをエッツェルは頭から振り払うことはできなかった。



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暗殺の夜

「あははははははははははははは」

 

 マリーシアは哄笑をあげていた。

 オレルアン首都から少し離れた場所に作られた、別荘地。

 そこは鉄の匂いが充満していた。

 

「……」

「……」

 

 声を発さず、彼女を取り囲むのは傭兵たち。

 ボアが大金を使い、北グルニアから呼び寄せた名うてである。

 傭兵と一口に言っても戦場にて武勇を振るうものばかりではない。

 彼らは元はノルダを根城としていた殺し屋たちであり、音もなく人を始末することにかけては大陸随一の腕前であり、

 その剣技においても並の使い手では相手にもならない、優れた技巧を持っていた。

 戦争に参加すれば武勇を評価もされようが、それを求めない強者というのはこの世界には少なからず存在する。

 戦争の英雄として与えられる誉れなど、栄誉としては一面的なものに過ぎないのだ。

 

「ねえねえねええぇ、どうしたのお?

 そんなんじゃあ、王子様は笑ってくれないんだから……もっともっと悪いことしてみせてえ?」

 

 マリーシアは聖戦士として、一種の完成形である。

 それは彼女が狂気に染まりながらも、一面的な理性を備えていることであり、その理性によってあるはずのないものを制作する力を持っていることにある。

 

 全ての狂気がそうであるとは言えないが、少なくとも彼女の狂気は鍵のようなものであり、この世界から流れ着いてくる漂流物を受け取る才能があった。

 それは流れ着く物品としてではなく、記憶のようなものとして受け取っている。

 その記憶とは戦いのものであり、戦いにおいて存在した魔法を逆算するように発明することができた。

 

 彼女の手によって五大侯にもたらされた隷属者を構築した技術の根底には『モルフ』と呼ばれた生命体を参考にしており、

 ここではないどこかで作られていた本来のモルフとは掛け離れた劣悪な代物であるが、

 ある種の生命エネルギーを人体に封じ込めることで動き出す歩く死人として成立はしていた。

 それはガトーが手にしていた書にある『魔将』にも似た存在である。

 

 前述した通り、本来のモルフとは似ても似つかないほどに劣化した代物であるが、それを作り出せることそのものがあり得ざる天才の所業であった。

 そして、それをガトーの目から逸らし続けるのもまた、ある意味で才能を発揮できているとも言えるか。

 

 彼女が手に持つ魔道書もまた、そうして作られたものである。

 サージと呼ばれる魔道書はこの世界にも数冊は渡っているが、いずれもがその射程の短さから評価されることなく埋もれている。

 しかし、

 

「ほらほら、逃げてみてえ?

 隠れるのが得意なんでしょう?ねえ?」

 

 暗殺者たちは矢を見て避けることができるほどに熟達した回避技術を持っていたが、この魔法は妙な力があった。

 どう逃げようと、確実に命中するのだ。

 

 一人が突き進み、サージの的となり、しかしその後ろから隠れていた暗殺者が彼女の肩口に刃を突き立てた。

 

「……!」

 

 彼女は驚いた表情を浮かべてから、しかしまるで痛みすら喜びであると言わんばかりににたりと笑う。

 

「こんなんじゃあ、王子様来てくれないよ

 もっともっと」

 

 刃を突き立てた暗殺者の顔を掴むと、その手の中でサージが炸裂し、熟れた果実が破裂したかのようになって散る。

 

「もっともっともっともっともっともっともっと」

 

 ぐるぐると渦を巻くような瞳が暗殺者たちを見る。

 

「もっともっともっともっともっともっともっと

 もっともっともっともっともっともっともっと

 もっともっともっともっともっともっともっと」

 

 刃を肩口から引き抜いて捨てると、痛みもないかのように再び魔法発動の構えを取る。

 

「もっと、私を追い詰めてよお……ねえ、お願い」

 

 サージが発動すると、まるで光の粒子が弾けたように夜を彩る。

 その度に、血の赤色が伴うようにして爆ぜる。

 

「化け物め」

 

 次々と殺していくマリーシアはその言葉に手を止めた。

 

「私のこと言ったの?

 化け物だって」

「そうだ、お前は化け物だ

 お前のような化け物を誰が救いに来るものか」

 

 刹那、彼女は魔道書を捨てて暗殺者に掴みかかり、その拳を叩きつける。

 聖戦士は人間の領域から外れた身体能力を持つものである。

 それは少女の形を持つマリーシアも例外ではない。

 拳を何度も何度も暗殺者に叩きつける。

 

「来るもん!来る!絶対に来るもん!!

 王子様は絶対に私を!こんなになっちゃった私のことを!見捨てたりしないもん!!」

 

 殴打音は水音に変わり、やがて地面を叩く音になる。

 その暗殺者が最後であったのか、もはやその言葉に返答するものはいない。

 肩で息をしながらも、彼女は立ち上がり、近くの樹木を背にして座り込む老人……ウェンデルへと近づいた。

 

 ───────────────────────

 

 ウェンデルは近々に殺されるであろうと考えていた。

 そして、その準備を整えていた。

 

 ある夜に死を予感した彼はマリクとリンダが寝る別荘から離れる。

 

「カダインのウェンデルだな」

 

 闇からの声。

 

「カダイン、か

 もはやわしにそう名乗る意義は持たぬ

 ただのウェンデルよ、暗殺者」

「お命を頂戴しに参った」

「……ああ、だが、」

「わかっている、別荘に居るものには手を出すなとも言われているから安心するがいい」

「そうか、よかった」

 

 暗殺者の刃がウェンデルの腹を突き刺す。

 そうして止めを刺そうとしたときに、その暗殺者は爆ぜて死んだ。

 

「えへへ、本当にいたあ

 やっぱり王子様がいったとおり、守ってあげてって言われたから褒めてくれるよね」

 

 稚気を纏う少女が闇から現れる。

 

「おじいちゃんは邪魔だから端っこにいてねえ」

 

 ウェンデルを掴むと木の方へと放り投げる。

 

「えーと、ボアとかいう人に頼まれて来たんでしょう?

 えへへ、きっと邪魔されたら計画が狂って怒るだろうなあ」

 

 少女の言葉を聞きながらも暗殺者は彼女へと包囲を作り出す。

 

「楽しいよねえ」

「何が楽しい」

 

 時間稼ぎか、それとも単純に疑問に思ったのか、暗殺者が問う。

 

「これで自分の考えた通りになるかな、描いていた状況になるかなって、

 そう思ってたのが誰かに邪魔されてさあ

 それでも無理矢理に動いた状況を外から見ているのって」

 

 マリーシアはなにもラングに依頼されてここに来たわけではなかった。

 勿論、ウェンデルを守るためでもなければ、同輩でもあるマリクやリンダのためでもない。

 彼女は手近なところで動く計画を察知し、ただ遊びに来ただけである。

 

「とっても混沌としてて、とっても楽しいと思わない?」

 

 ボアの暗殺計画が失敗すると、ウェンデルの抗議によってオレルアンの攻める日取りは変わるだろう。

 それだけマリクとリンダの突破力は期待されている。

 それは同時に五大侯とオレルアン連合の戦いの日もまた遠のくことを意味している。

 

「もっともっとこの時間を楽しまないと、勿体ないよお」

 

 彼女は笑いながら、誰も理解できないことを口にしながらサージの書を取り出す。

 

「物狂いの魔道士は室内以外にも存在したか

 こいつは殺すなとは言われていない」

 

 暗殺者は刃を彼女に向けると、冷えた声音で殺せと命じた。

 しかし、結果は前述の通り、暗殺者の全滅となる。

 

 ───────────────────────

 

「おじいちゃん、生きてる?ねえねえ、生きてる~?」

「ああ、なんとかね」

 

 背に帯びていた杖を取り出したマリーシアはそのままウェンデルへと振るう。

 強力な治癒効果が、放っておけば致命傷となったそれを急激に癒やしていく。

 

「……なぜ、わしを助けたのかね」

「王子様がね、マリクを助けてほしいって言ってるの

 だからね、私は王子様のためにやったんだよお」

「王子様?」

 

 狂気に染まる瞳をウェンデルは見る。

 普通の人間であれば意味のない言葉の羅列だと捉え、会話を打ち切るかもしれない。

 しかし、ウェンデルは長い魔道学者人生から狂気というものが魔道の側に転がるものであり、それは理性や正気と同居することがあるものだと理解している。

 だからこそ、彼は会話を続けた。

 

「君の王子様とは誰なのかな」

「マルス様だよお、王子様って言ったらマルス様以外似合わない言葉でしょう?」

 

 この時代にはユベロ王子なども存在するし、赤子であるがアリティアにはクロム王子もいる。

 だが、彼女はそんなもの眼中にないかのように死者の名を呼んだ。

 

「マルス王子……アリティアのかね」

「うん、皆を守るために戦った英雄のマルス王子!」

 

 ウェンデルが知る限り、マルスは辺境の島タリスで命を落としたと聞く。

 彼が英雄?と疑問を持つも、続けた。

 

「そうか、君にとっての英雄なのだね」

「おじいちゃんにとってもだよ!だっておじいちゃんの大切な人はみんなマルス王子が助けちゃったんだから!

 だからね、皆を守ってあげてって言ってるんだ!」

 

 支離滅裂な言葉だが、ウェンデルはそう受け取らなかった。

 

「……そうか、わかったよ

 わしもマルス王子には感謝を述べねばな……彼が救い給いしアカネイア大陸の祝福に感謝を」

 

 静謐な祈りをウェンデルは捧げる。

 それを見たマリーシアは、狂気的な笑みではなく、静かな微笑みを浮かべる。

 

「王子様、喜んでくれるかな?」

「ああ……、君だけがマルス様のために動いたのだから、喜ばないはずもなかろう」

「そっか!……そうだよね!

 それじゃあおじいちゃん、私はラングが待ってるから帰るね

 マリクとリンダを守ってね!ぜったいだよ!」

 

 彼女は貫かれた腕からの出血や痛みなど気にもしない様子でその場から軽やかな足取りで去っていく。

 ウェンデルは傷を癒やしてやりたいとも思うが、状況に飲まれてそれを提案することもできなかった。

 それに、あれはマリクやリンダと同じく、ガトーが生み出した超人の類。

 あの程度の傷で倒れるような存在ではないことも理解していた。

 

「マルス王子、か

 私の知る彼ではなかろう、しかしこのウェンデルができうる限りのことはしよう

 ……例え、その結末が変わらぬものだとしても」

 

 マリクが助かる道があるとも思えない。

 しかし、あと一度でもいいから正気の状態でリンダと言葉を交わしてほしい。

 それが愛弟子であるマリクにとっての救いになるかもしれないなら、恍惚の中で生き続けるよりも意義ある行いとなるかもしれないなら、

 ウェンデルは自らの命を諦めている時間も、

 ボアに殺されている暇もない、そう思い至った。

 



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ありえざる追想

 予知。

 それはナーガを根源とした能力であり、多かれ少なかれアカネイアの人間であるならば備えて生まれたり、後天的に獲得する可能性のある力である。

 その血のどこかでナーガとの関係があれば、その予知を備える可能性や予知の力の強さが大きくなることがある。

 例えばシーダであれば、タリスの血を辿れば神竜ナーガに従っていた血統へと行き着くことになり、その予知の強さの出どころも血に由来するものである。

 中にはゼプテンバのようにナーガに由来することのないものがそれなり以上の質の予知を得ることもあったが、それこそがアカネイア人としての素質の発露であるとも言えた。

 

 ガトーはナーガとの関係性の深さから、彼が持つ予知の力は極めて強力なものとなっている。

 

 マルスという王子が立ち上がり、大陸を平和にするまでを予知しきることができた。

 それも一つの道筋だけではない。

 王子が大切な人を失うこともあれば、メディウスを倒しきれない世界を予知することもでき、

 或いは完全無欠のハッピーエンドを迎えたことも見えた。

 

 だが、その全てはマルス王子がいるという前提である。

 ガトーが生きる世界にはまるで無用なもの。

 言ってしまえばこの予知は彼の壮大な妄想であるとすら言えてしまうものだった。

 

 それ故にこの予知……ないものに対して、予め知るも何もないと思っていたそれにガトーは向き合っていた。

 

 ───────────────────────

 

 本来の道筋を辿る以外に、ガトーは多くを予知の世界で見定めていた。

 数十では聞かない予知の糸と網を辿っている。

 

「マルス」

「ガトー様!」

「このタリスを救うところから始めるのだ、お前であれば容易であろう」

 

 タリスから付いていく道すら予知で見た世界では存在した。

 

「シーダを喪ったのは残念だ、しかし添い遂げる相手は彼女だけではない

 お前の心が浮かばれぬことはわかる

 しかし、アカネイアのためを思えば愛を向けるものはもう一人いるのではないか」

「……そう、ですね

 覚悟は決まりました……カチュア!話があるんだ!」

 

 そっちではない、と言いたくなる道もあったし、

 

「ニーナ様、お話があります」

 

 彼女の心を溶かし、アカネイアを平穏に治めようとして、しかし戦後にラングがその背を刺す歴史もあった。

 

 いずれの道を辿ろうと、マルスはガーネフを倒し、メディウスを討った。

 それがアンリの血を引くものの宿命であるかのように。

 ガトーにとっても、それこそが正しき道であると考えていた。

 

 だが、それでも引っかかり続けるものがあった。

 守り人になったはずのクリスが告げた言葉である。

 

 人間の定めた善悪を理解していない。

 それは人間に対する理解度を持たないと指摘されているに等しいことだった。

 

 ───────────────────────

 

 ある予知の中でマルスは今までにない道を辿っていた。

 ニーナを正室として、シーダを側室に迎えるという、彼にとって忌々しきレウスのような真似をしていたのだ。

 

 この世界は過酷な道を辿っていた。

 マルスは本来通りには動かず、細々とした戦いを続けて大局へと向かおうとしていなかった。

 それは彼の意気地が足りていないのではなく、常よりも遥かに優しかったからである。

 故に困っている人間を見捨てておけずに、結果としてひどい牛歩での進軍となった。

 

 結果として同行するべきものや、助けることができたものは殆どおらず、マルスの軍は本来の全盛期と比べると四分の一にも満たない規模のものであった。

 

 ハーディンたちも倒されており、ミネルバもまた謀殺されている。

 当然レナやジュリアンたちもサムスーフの手にかかっており、一方で敵は力を大きく増すばかり。

 ガトーも早い時期から戦いに手を貸すことになったが、その彼ですら手を焼いた。

 

 アカネイア王女の庇護者でもあるハーディンはマルスとの合流前に倒されたものの、

 ニーナが手酷い扱いを受けなかったのは後の世を考えればまだしもよかったと言えることかもしれない。

 ……などと、いいこと探しをあら捜しするようにでもしなければ見つからないような状況であった。

 

 最悪なのは地竜たちの目覚めだった。

 時間をかけすぎたせいか、メディウスは地竜たちを抑えきれず、逆にメディウス自身も地竜に食われ、消える羽目になったのだ。

 決着点の失った世界は悲惨だった。

 溢れ出した地竜の、最後の一人を殺したときにはマルスの軍には片手で数える程度のものしか残っていなかったし、アカネイア大陸の人口もまたひどく数を減らしていた。

 

 ニーナとシーダを妻に迎えたのは何もこのマルスが好色だったからではない。

 次世代を残すためにも子を為せるのであればそうするしかなかったのだ。

 

「マルスよ、これより何を目指す」

「アカネイア大陸に再び、人の世界を作ります」

「諦めぬのか」

「はい、命尽きるまで人々のための世界を作り守り抜きます」

 

 これほど過酷な戦いを続け、勝利したはずの彼はその後も戦い続けると言った。

 武器を振るう戦いから、人々の平和と生活を作るという為政者としての戦いに踏み出す。

 マルスは死ぬそのときまで戦いから逃げないことを選ぶ。

 人が人のために生きる、それこそが人間の定めたる善の象徴だとガトーは理解できた。

 

 その予知の認識を切断し、沈思する。

 ガトーは予知を通じて、人間とその世界を学習していた。

 

 国が先にあるのではない。

 国が目的の終着点にあるのでもない。

 

 国とは始まりの先にあり、目的の道中で辿るものでしかなかった。

 クリスが言うことは正しく、人間への理解も足りていなかった。

 



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人間なんて

 人間を知る。

 ガトーの長い瞑想は知識の一つとして結実した。

 

「であれば、やはり必要なことは途中までは同じ」

 

 だが、と

 

「人のみではならぬ、そして魔将のみではならぬか……」

 

 必要なものは明確化していった。

 神竜石、オームの杖。

 最低でもその二つは必要だとガトーは断ずる。

 

「ガトー様、戻りました」

 

 思考を巡らすガトーのもとにエッツェルの声。

 

「エッツェルか、状況はどうだ?」

「リンダとカチュアに関してはガトー様の見立て通り、聖戦士として十分な働きをするでしょう

 ただ、マリクは」

「廃人であったのをあそこまで戻ることができたことだけでも十分な奇跡であろう」

「ええ、しかしいいんですか、マリクほどのものをむざむざ遣い潰すような」

「死することも計画の内よ」

「……そうですか」

「他の連中もそろそろ戻ってくるであろう、広間にて待つとするか」

 

 ガトーはゆっくりと立ち上がり、歩き出す。

 老人とは思えないほどがっしりした体格のガトーの背にエッツェルは声をかける。

 

「ガトー様、何か見えましたか」

「ああ、人間の強さを見た

 そして、それ故に今のアカネイアは人間が増えすぎたこともまた知れた」

 

 エッツェルはクリスやチェイニーから、ガトーとクリスのやり取りを聞いている。

 そこで何かいい方向に転がればいいかと思っていたが、

 

(──増えすぎた、か

 人を虫と同じと考えているような目をしているのは隠したほうがいいと思いますよ、ガトー様)

 

 理解したからと言って、彼自身がそっくりそのまま性根が入れ替わるわけでもない。

 神の視座から降りることもない。

 ガトーはガトーのままに、新たな道を見つけてしまっていた。

 

 ───────────────────────

 

「ああ、ここにいたんだね

 誰もいないかと思って、おいら昼寝するところだったよ」

「リカード、元気だったか」

「元気ではあるけど、疲労がすっごいよ

 はー、ベッドでゆっくり寝たいよ、おいら」

 

 俺はガトー様に従っている人間だ。

 そして、唯一、守り人でもなければ聖戦士でもない人間としてガトー様に味方している存在であろう。

 

 多くのものは光のオーブやら武器やら防具やらで心を染められていたり、半ば強引に目的に向けて歩かされていたりする。

 リカードは自分からガトー様に協力をしているという意味では珍しいタイプだと言える。

 ガトー様が望みを叶えることを条件に力を渡そうとするのをどこかで聞いた彼は、自分を売り込んだ。

 盗賊としての高い能力を持ち、スパイとしてもアサシンとしても活躍できる、と。

 求めた見返りは自分の大切な人、兄と慕う人物を蘇らせることだった。

 

 ガトーはそれを承諾し、リカードを守り人にしようとしたが、その施術の最中で彼に眠っていた才能に気が付き、守り人ではなく聖戦士にすることにしたらしい。

 実際、リカードの実力は恐ろしいものだ。

 俺が知る最強の戦士は警備兵時代に出くわした紅の剣士ナバール。

 尋常じゃない実力だった、剣が振るわれる度に警備兵の首が飛んでいった。

 俺が生き残ったのはあくまで運が良かったに過ぎず、幸運が続くとも思えなかった俺は戦いの後に警備兵の仕事を辞めた。

 

 聖戦士として覚醒させられたリカードの力は当時のナバールを凌いでいる。

 

「あ、王子様は見つかった?」

 

 リカードはもう一人現れたご同輩に声をかける。

 

「そう簡単には見つからないわよう

 マリーシアの王子様はとってもとっても素敵な人なんだから」

 

 自ら名乗っているようなものだが、彼女……マリーシアもまた聖戦士だ。

 ただ、ガトーが『悪辣な手段』で引き入れたようで、その人格は歪んでいる。

 残虐とか、悪逆といった風ではないが……ある種の妄想癖が過ぎる少女というのが周囲の認識である。

 

「マリーシアの王子様はマルス様だも~ん

 待っててね、王子様……絶対にマリーシアが目を覚ませてあげるんだから」

 

 ガトー様のように神に等しい力と知識があるわけでもない彼女はなぜか、

 自分がマルスを蘇らせることができると信じている。

 理由は「私の王子様だから」である。

 その狂気の根源こそが彼女を聖戦士にするために行った手段から来るものなのか、それとも狂気を備えていたからこそ聖戦士となることができたのか。

 

 だが、どうあれ一人の少女が持つ狂気を利用していることに他ならない。

 俺がガトー様を一人の人間として嫌悪する理由の一つでもある。

 

(であっても、協力している俺も嫌悪されるべき人間ではあるがね)

 

 などと自嘲する。

 

「他の聖戦士は集まらないの?」

 

 マリーシアが周りを見渡し、疑問を浮かべる。

 つまりは現状でわかっている聖戦士……

 サムトー、カチュア、リンダ、マリク、ハーディン、ニーナを指しているのだろう。

 その候補で言えばマリスとクリスもいるが、彼らはあくまで守り人であり、聖戦士が揃わなかったときの代替品に過ぎない。

 グルニアの王であるルイや、ごく初期に倒されたと言われているオグマもガトー様が考えている聖戦士のリストからは一旦抹消されているようだ。

 

「っていっても十二人って集まってないんだよね?

 そもそもおいらは今、聖戦士だって言われている人全員と会ったこともないけど」

「そも、十二人が集まったわけでもない

 数が揃わねばならぬという条件もないのだから気にするものでもないぞ」

 

 ガトー様の言葉にリカードは「そういうもんか」とだけ言った。

 彼自身もさして興味のある事柄でもなかったらしい。

 

「次は何をなさいますか、ガトー様」

「そろそろ大陸の状況も動くであろう

 リカードはグルニアに、マリーシアは五大侯のもとに行け」

「はいよ、ガトー様」

「戦いが深まればきっときっと王子様も駆けつけてくれるもんね」

 

 ガトー様は俺を見て言う。

 

「エッツェルはわしと共に、捜し物の手伝いをしてもらおう」

 

 きっとろくでもないことに使われる哀れな代物なのだろう。

 いや、この場に哀れじゃないものなど誰もいないか。

 勿論、ガトー様も含めて。



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マケドニアの未来

 オレがアリティアに帰ると、行き着く間もなくメイドたちに連れられた。

 途中でエリスによって衣服を着替えさせられ、通された部屋ではほぎゃほぎゃと泣く赤子と、

 それを抱くミネルバの姿があった。

 

「ミネルバ!」

「女の子だ」

「近くにいてやれないですまない、よく頑張ったな」

「こうして来てくれたじゃないか」

 

 エリスからは出産は楽に終わったと教えてくれた。

 ミネルバに似て素直に産まれてくれたのだとか。

 

「名を与えてやってほしい、この子に似合いのものを」

 

 今回はそう言われると思って、事前に考えていた。

 

「マケドニアの英雄アイオテから拝借して、アイってのはどうだ」

「ふふ、厳しい英雄から頂戴したというのに、随分と可愛らしい響きだな」

 

 ミネルバは気に入ってくれたらしい。

 アイと名付けられた赤子は元気に泣いていた、マケドニアの未来を作る元気な子になってくれるだろう。

 

 ───────────────────────

 

 ドルーア統合に向けた準備は忙しかった。

 現地では活発化した野生の飛竜たちの到来もあって、反ドルーア同盟の膠着状態は続いているが、だからといってゆっくりとできるような状態でもない。

 

 レナと宿将の軍旗を頂点とした紋章教団の陸戦兵団はその出撃準備を完了し、

 グラ、アカネイアパレスを経て、マケドニア東部の隠れ港へと向かう手筈となっている。

 

「マリア、ミネルバを頼む」

「……う、うん」

「どうした?」

「ええーと、レウス様耳貸して」

 

 マリアの前でしゃがみ、言われたとおりに耳を貸す。

 

「姉さま、もう少ししたらレウス様の手伝いに向かうって」

「子供はどうするんだ」

「リーザ様とシーダ様が二人で面倒見てくれるからって」

 

 母親の責務などを問うことはできまい。

 ミネルバにとって今回のマケドニア攻めは故国のことでもある。

 しかし、それ以上に彼女にとってマケドニアでの戦いで存在感を表せるかどうかは将来のアイに向けた資産になる。

 マケドニア女王となったアイの母が救国の英雄であるかどうかは、武家社会であるマケドニアでは何よりも重要視されるだろう。

 一般論で言う母の役割を王族に当てはめることなどできようもない

 

「マリア、ガーネフに相談しろ、オレがミネルバのことを頼んだと伝えてくれ」

「うん、わかった」

 

 ガーネフも状況は理解しているだろう。

 無理を押して進むではなく、無事戻ってから母としての責務に向き直れるよう準備をしてくれるはず。

 オレはガーネフに無制限に期待をしているが、恐らくガーネフ自身もこの状況は読んでいただろう。

 そこにオレが求めていることも加われば、やりようというものを示してくれる。

 

 こうしてレナと共にオレはアリティアを後にする。

 大急ぎの行軍。

 これはアリティア軍として考えても最速の軍事行動であり、ここでの成果は今後の戦略にも大いに影響することになるだろう。

 

 ───────────────────────

 

 マケドニアの対岸であるアカネイア西武の港に到着する頃には当初考えていたよりも戦力は膨らんでいた。

 

 マヌーを始めとした竜族たちがメディウスとの再会のために協力したいと申し出たこと、

 ロプトウスを信奉する教団の魔道兵団と、ナギを信奉する馬廻りならぬ竜廻りの兵士たちが後追いで付いてきたのだ。

 軍人としてではなく教徒としての行動ではあるが、規律を乱すのはよろしくはない。

 だが、信仰対象としてロプトウス、ナギを見て、信仰のためにと動いたのは予想よりも教えが深く彼らに収まっている証拠でもある。

 

「次はないぞ」

 

 彼らに告げる。

 教徒たちも、それが殺すではなく破門するという意味であるのは理解している。

 今回は信仰心がどれほどのものかを知れたからよいものの、毎度されれば規律の価値は大いに下がる。

 それはよろしくない。

 

 とはいえ、当初よりも大きくなった戦力を抱えて、オレたちはマケドニア東部の地に立つことになった。



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予想外の暴挙

「聖王陛下、よくぞお越しくださいました」

 

 大丈夫(だいじょうふ)という言葉が似合う態度を見せ、挨拶したのは

 

「レナの兄、そして現在のマケドニア非主流派の盟主の座を預かるマチスと申します」

 

 原作ファンがイラナイツ筆頭に挙げるほどのバカ兄貴、ポンコツ騎兵のマチス。

 だが、オレの目の前に立つ彼は貴族としての王に向けるべき礼儀を弁え、

 マケドニア武門の一人としての威厳を若くしながらも身に帯びた、赤毛の立派な騎士の姿であった。

 

 別人である。

 

 今までも能力的な意味で別人だろうというものはいたが、ここまで別人になっているのはこいつがナンバーワンかもしれない。

 

「アリティア聖王国が聖王、レウスだ

 マケドニア武人の筆頭にしてレナの兄直々の出迎えに感謝する」

「いえ、……妹が陛下の妻になったと聞いております

 唯一の肉親である自分が誰より早くご挨拶にアリティア聖王国へ向かうべきだったのですが、故国を離れられなかったことお許しいただきたい」

 

 騎士としても貴族としても一切の欠点が見当たらない対応だ。

 

「いいや、本来であれば兄であるお前に最初に知らせるべきことだろうが、

 それをできなかったことを許してくれ」

「陛下のその言葉だけで救われる気持ちです」

「オレにとってレナはいなくてはならない大切な妻だ、その扱いは兄であるお前が安心できるようなものだと約束する」

 

 マチスが妹思いであることは理解している。

 こいつがここまで変わったのもまた、妹のためなのだろう。

 飄々として捉えどころのない男というオレが知る彼の情報は、その全てがマケドニアの権力闘争からレナを遠ざけるために一族まるごとが無能であるとするための昼行灯だったのだと理解できた。

 

「このままじっとしていればすぐにミシェイルに情報が行くだろう

 勢いのままにマケドニア主城を落とす」

「承知しました、こちらはいつでも」

 

 電撃作戦。

 

 ここまでの道のりで時間を掛けてしまっている以上、

 旅の垢を落としてから……などと悠長なことを言う暇は残されていない。

 

 マケドニア主城と首都を制圧し、ミシェイルの帰る場所を失わせる。

 そのままオレたちは北進し、帰る場所がなくなってドルーアに雪崩込むことも抑止する。

 

 時間との勝負だ。

 

 ───────────────────────

 

 ミシェイルは軍事の才覚においてマケドニア人たちの王らしく、その多くを備えている。

 首都の防備は二重三重に兵を置いている。

 聞くところによれば王への忠義に厚いものを中心とした信頼性を重要視しているらしい。

 帰る場所がなくなればドルーアを打倒しても意味がなく、その可能性があることを理解しているからこその防備でもある。

 

 勿論、ミシェイルの飴と鞭の扱いにあるとおり、信頼を勝ち取れてない部下たちを根こそぎ連れて行かねばならないからこそ、

 信頼を既に勝ち取った兵の多くは余剰となりかねないから置いていったという面もあるかもしれない。

 

 意気軒昂なる首都防衛軍はこちらが攻め寄せれば、その不穏な影に早い段階で気がつくはずだ。

 

 だが、王に伝令を送ろうと兵を出すも、既に首都の周辺には、薄くではあるものの広く警備の網を張っている。

 それによってミシェイルと首都との連携を切断する準備はできている。

 

 マケドニアの非主流派と言えど、ミネルバを女王にと祭り上げようとする武門のエリートたちだ。

 オレが提案した連携切断の策は確実にこなすだろう。

 

「ですが、この作戦で最も危険な仕事をするのが戦端を切る聖王陛下ですぞ」

 

 マチスを担ぐ武人の一人が言う。

 脳筋の強面で「ガハハ、突撃最高!」なんて言いそうなツラなのに驚くほど常識的な意見だ。

 

「ああ、それでいい

 ここでお前たちが首都での戦いをしてしまえば、戦後に待つのは同じ国民同士のいがみ合いだ

 他国が攻めてきたってなら諦めも付くもんさ

 ミシェイルも防衛の準備をしている以上は民衆にとっちゃ諦めの言い訳を得れるってわけだ」

 

 実際、彼らがオレに従っている以上は事実としては誰がやろうと同じでも、

 心情というのは事実がどうであれ、それとは別になることが多い。

 であれば言い訳として逃げることができるものを用意しておけるなら、そうするべきだろう。

 

「その御心に感謝」

 

 むくつけき武人が礼を取る。

 長年軍に所属していたことがわかる、見事な礼だ。

 

「ああ、でも」とオレは続けた。

 

「城市に至るための正門を閉じられるのは面倒だ

 撹乱陽動と不意打ちに忌避感のない奴らを埋伏させておいてくれるか?」

「向かわせましょう」

 

 マチス麾下の武人たちは獰猛に笑う。

 戦の名誉とは誇りある正面衝突だけではない、最大の名誉は勝利そのものである。

 ここに立つものたちでその頼みに忌避感を受けるものなど誰一人いない。

 

 ───────────────────────

 

 兄と妹は久しぶりに言葉を交わしていた。

 

「兄さん、どうかご無事で」

「それは俺のセリフだよ、レナ

 ……まったく、大変な人を夫にしたもんだぜ、流石俺の妹って言えばいいのかどうか……

 止めても陛下と一緒に首都に行くんだろう

 今はマケドニアの人間ってだけじゃなくて、アリティア聖王の妻でもあるんだもんな」

「はい、兄さんの言う通り私は進まねばなりません」

「わかった、でも絶対に戻ってくるんだぞ」

 

 レナは頷く。

 そして、

 

「レウスが私を傷つけようとする人を許すはずもありませんから」

「ふ、ははは……まったく、いい相手を見つけたもんだ

 レナの全力の愛を受け止めれるのは確かに聖王陛下くらいじゃあない難しいのかもしれんな」

 

 マチスは笑った。

 

 ───────────────────────

 

「宿将たちよ、未来を得るためにも共に力を尽くしましょう」

 

 旗を振るうと大量の霧が勇将達を現世へと呼び寄せた。

 レウスもまた鈴を鳴らすとガザックと海賊たちを現出させる。

 

「装備の更新ってのは大事だってのはわかってるんだがなあ」

 

 忙しさにかまけて、傀儡を手に入れるような機会を探すこともできなかった。

 ぼやきながらトレントを呼び出し、跨るレウスにレナが慰めるように、

 

「その分は私と彼らで補いますから」

「期待する、が……」

「無茶はしません」

 

 無茶をして何かがあってしまえば、南オレルアン再びとなりかねない。

 いや、首都である以上はそれ以上の地獄が作り出されるのは目に見えている。

 だからこそレナは彼を安心させるように無茶はしないと約束し、そっと手を取る。

 数秒だけの、手先だけの包容ではあったが、レウスの心を慰撫するには十分な力があった。

 

「もう大丈夫だ」

 

 レウスはもはや一種の象徴ともなったグレートソードを天に掲げる。

 

「我らに竜の加護ぞある!」

 

 空気を割るような大声で叫ぶと、応じるようにレナが率いる陸戦兵団もまた、

 

「我らに聖王レウスの加護ぞある!」

 

 そう続ける。

 

「オレに続けぇッ!!」

「オオォォッ!!」

 

 兵士たちの怒号を背にしてレウスがトレントを走らせる。

 正門は有事にあっては閉められるものであるはずだが、事前に入らせていたマケドニア武人たちが撹乱し、開閉の制御を鈍らせていた。

 

「門はもういい!!

 あの現人神の単騎駆だ!こちらも戦いを以て応じねばマケドニア武人でなくなるというものよ!」

 

 正門を守る騎士が槍を構えると猿叫を上げながら突き進む。

 それに従うようにして周りにいた兵士たちもまた猿叫を上げレウスへと殺到する。

 

 裏切る心配のないミシェイルの家臣たち。

 彼らを残せば防備は十分と考えて間違いない、戦力で言えば、討ち損ねた野生化竜族を追い返せるだけのものは揃えており、

 貴族派の反乱があったところで、それも十分に鎮圧できるだけの兵数を揃えていた。

 

 王の予想が外れたものがあるとするなら、それはマケドニア人を熱くさせるようなシチュエーション……つまりは単騎駆を引っ提げて突っ込んでくる王族が、よもや首都に攻めてくるなどという暴挙であった。

 

 マケドニア首都の攻略戦が、けたたましい雄叫びとともにその幕を切って落とした。



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救済の学問

 紋章教団はアリティア聖王国、カダイン魔道学院と不可分の関係である。

 前者は政治的な団結のための材料として、後者は竜族が持つ多くの謎を解明するために。

 

 ロプトウス、ナギが中心となって行っている研究がある。

 それは理性を失った竜族の救済について。

 長い時間、それは誰にも解決できない問題であり、神竜ナーガですらそれを癒やすことができなかった。

 

 しかし、ナギは理性のない飛竜たちを従えて見せた。

 長らく不可能とされていた意思疎通があったようにも見えたが、研究の結果でわかったことがある。

 同じことだと考えられていた『野生化』と『理性消失』。

 それが別物であるということだった。

 

 竜族は長く生きることでその自我を失うとされている。

 そうして理性を失った竜族となると考えられていたものの、それは段階を指すものであることがわかったのだ。

 

 緩やかに自我を失い、それに伴い理性を失う。

 結果として自らの力を抑えきれずに竜として暴れ続ける個体が生まれる。

 そのまま時間が経過すると、自我を持っていたということすら失い、野生化する。

 

 ナギが従えることができるのはこの野生化まで行き着いた竜族である。

 こうなれば──哀しい話であるが──かつて人と交わって生きることもできた竜族は動物となにも変わらなくなる。

 

 だからこそ、より強力な力を持つナギに従わされる。

 ただ、どうやら力のみではそうはならず、竜族には神竜族に対して潜在的に畏敬を感じるような器官があるの

 か、力を持ってして従わせられるのはナギだけであった。

 

 一方で、理性消失状態の竜族に対してはロプトウスが一つの成果を出していた。

 理性を失ったのであれば、違うもので理性を補填できないかということだった。

 これはレナの入れ墨めいた紋様のためにと探され、招聘されたアーグストの協力によってできたことで、

 つまりは守り人計画のように、空っぽになった自我を別のもので補填する技術の応用である。

 

 ただ、守り人計画そのものも極めて不透明な技術であるためアーグストとロプトウスと言えども簡単にはそれを丸々実現することはできなかった。

 ロプトウスは「マンフロイめがおれば解決策も見つけてきそうではあるのだが」などとぼやいていたらしいが、それは叶わない。

 理性の代わりに別の理性を注ぐことで解決することができればよかったのだが、

 現状では理性の代わりに眠りを注ぐことで一種の封印状態を作り出すのが精一杯であったが、

 それでも竜族にとっては一つの救いでもあった。

 

 竜族たちは聖王国が自分たちをいつか救ってくれると信じていて、

 そしてそのために永い眠りに付くことは未来に希望を懐いて、安寧の眠りを得られると同義でもある。

 

 野生化した飛竜はそもそも、自我や理性という機能を喪失しているが故に彼らのような眠りを与えることはできないが、ナギの協力の下、一人の飛竜は一つの答えを備えようとしていた。

 

「ミネルバ殿、よろしいかな」

 

 ガーネフがミネルバを呼ぶ。

 授乳も終わり、健やかに眠るアイを見つめていたミネルバは「ええ、何でしょうか」と呼ばれた方へと向かう。

 

「こちらへ来ていただけますかな」と案内されれば、それに従う。

 ガーネフは本来であれば魔王とも呼ばれる男だが、

 この聖王国の人々からは聖王の義祖父(おじいさま)と呼ばれて国民にすら信頼される老紳士なのだ。

 

「ミネルバ殿は、やはり向かわれるのですかな」

「……一体何を、ととぼけるのは難しいのでしょうね」

「陛下がわしにミネルバの力になれ、と言った時点で理解できたこと」

 

 バツが悪そうにするミネルバにガーネフは「愛されておられるな」と言う。

 魔王であった彼からはそんな茶化したようなことを言うことはなかっただろう。

 

 魔道学院の南側、海に面したエリアは拡張工事によって大きく開けた広場が広がっており、海上公園のような様相を呈していた。

 

 ただ、公園と言っても家族連れや子供がいるわけではない。

 そこには研究者や魔道士、それにパオラが立っていた。

 何よりミネルバの目を引いたのは

 

「これは、飛竜……?」

「ああ、ナギ様が従わせることができたものを、我々が研究を続けて調整した特別な個体でな」

 

 ガーネフが口笛を吹いて注意を向けさせると、ゆっくりとした動作で飛竜は二人を見る。

 その目は理性があるようには思えないが、しかし暴力的衝動に染まっているようにも見えなかった。

 

「███……」

 

 喉を鳴らしている。

 敵対的とは思えない声。

 

「一体、何を?」

「人造の竜石を作り、埋め込んでおる」

「人造の?」

「とはいっても、元となる竜石に加えて、ナギ様の血とロプトウス様の祈り、

 それに陛下が譲ってくださった黄金のルーンが必要である以上は量産はできないのだが」

 

 竜の力を封じた竜石、竜族たちはそれによって竜へと姿を戻す。

 野生化した竜族はそもそももとに戻るということすらできない。

 しかし、戻れないからと言って、更に竜化できないとは誰も確定させていない。

 普通の竜石では野生化した竜の力を上書きするような力は発揮できなかったが、

 それ以上の竜石であればどうか、と考えた結果ナギとロプトウスが作った人造竜石が答えをもたらした。

 ガーネフが言うように、人造といってもベースとなるのは普通の竜石であり、それを錬成(強化)するというほうが正しいのだろう。

 

「今のこの飛竜にはナギ様とロプトウス様の願いである、聖王国と共にあれという願いが込められている

 それがある以上は」

「戦列で共に戦う仲間と同じ、ということですか」

「もっとも、このやり方が闇や光のオーブのように心を変質させているものと同じだという考えもある

 アーグストめはそれを辛く思っていてな

 可能であればこのやり方ではない形で野生化したものたちを何とかしたいとは考えているが」

 

「███……」

 

 飛竜は小さく鳴いて、ミネルバを誘う。

 

「だが、この飛竜は他者に心を奪われたとは思っていない、

 操られているとも考えていないと言っている気がする」

 

 飛竜に括り付けられた鐙に誘われるように跨ると、飛竜は再び小さく鳴く。

 

「かつてはおとなしい子だったのだろうな、貴方は

 平穏を愛していたのならば心苦しいが、私とともに戦場の空を駆けてはくれないだろうか

 私には守るべき夫と、子と、故国があるのだ

 貴方の力を借り受けられるなら、これ以上頼もしいことなどない」

 

「███っ!」

 

 飛竜は高い声で鳴く。

 それはミネルバの言葉に同意するかのようであり、彼女を乗せた飛竜はゆっくりと、しかし確かな力で空へと登る。

 人と竜がそれぞれの調子を合わせるように何度か飛行する。

 

「学長、まるであの飛竜は心を取り戻したかのようにも見えます

 これは私の罪の意識がそう見せているだけなのでしょうか」

 

 アーグストは、自らの行いがあの飛竜の心を犯したのではないかと罪の意識に苛まれていた。

 

「そうかもしれぬ

 だが、あれほどまでに自由に、楽しげに空を舞う二人には友情が芽生え始めているようにもわしは見える

 今は完全に救えぬとしても、二人が共に空を駆け続ければ、

 その果てに我らが本当に求める竜族への救いの道が見えるかもしれぬな」

 

 ガーネフはアーグストの名を呼んで続ける。

 

「我らは学者よ、今日のこの事象を見て、明日へ活かすのが生きる意味の全て

 罪悪と後悔は、この身に死が訪れ、思考が止めらた後に向き合おうぞ」

 

 大学者ガーネフと彼の弟子たちは空を駆ける竜騎士を見て、その思いを強くするのであった。

 



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制御魔道

「ははは!こうなるとはなあ!」

 

 レウスは馬上で笑い、戦い続ける。

 誰もが防衛など忘れたかのように殺到してくる。

 正門の防衛隊だけではない、恐らくは状況を聞いた主城の外を守るものたちすら流れ込んできているようだった。

 

「久々に大暴れできるんだ、楽しませてくれ!」

 

 グレートソードが振るわれる度に血風を吹かせているレウスに対してマケドニア兵たちは

 

「なんと剛毅な!」

「マケドニア流のもてなしをしてやれ!」

 

 などと答えた。

 

 彼らの判断は浅はかにも見えるが、マケドニアの武人は騎士も兵士も愚かではない。

 むしろ、戦というものに極めて合理的に考えるよう教育されている。

 彼らはひと目でこの戦いの要が防衛戦ではなく、いかに早く、いかに明確な形でレウスを撃退するかであることを見抜いていた。

 城市に入られれば数で囲むのに不利になる。

 であれば正門を閉じず、そこから流れ出て野戦で決着するのが最適なのだ。

 

 ミシェイルが防衛にと定めた者たちは確かに優秀である。

 しかし、優秀過ぎたきらいがあった。

 的確に勝利条件を理解しすぎたのだ。

 

 レウスの単騎駆の後ろから迫るのはレナと宿将たち、そして陸戦部隊である。

 

「な、あ、あなたはアインス将軍!?」

 

 レナと共に殺到した宿将の一人が流麗な剣技を以て兵士の一人を切り裂く。

 

「死んだはずの将軍たちがあの赤毛を守るように……いや!あれはレナ様!?」

「宿将が彼女を守るために現れたというのか……!?」

 

 兵士たちがその様子に足を止める。

 レナはそれを見逃さない。

 

「マケドニアの兵士たちよ!私の名はレナ!

 国の未来を思うならば武器を捨て従いなさい、などという気はありません!

 アイオテの血に従って、戦いによって雌雄を決し、生き延びたならば勝者にこそ従いなさい!」

 

 彼女はマケドニア貴族であり、マケドニアをどう運営するべきかを叩き込まれた女である。

 それ故に戦いの決着をどこに置くべきかの判断は早く、いかにして戦後にわだかまりを残さないようにするかを決定した。

 

 彼女は宿将の軍旗を片手に、そしてもう片手にはガトーから与えられた魔道書がある。

 ガーネフたちから返却してもらっているだけでなく、研究の中で得た書の使い方もまた練習済みである。

 

「サンダー、ファイアー、ブリザー」

 

 レナは魔道書を呼ぶようにする。

 

「ウィンド、サージ」

 

 彼女が次々と呼んだ魔法の名は全てが喚起され、しかし、常のように即座の発動をしない。

 それはまるで意思を持つようにして彼女の周りを漂う。

 この魔道書は──

 

 ───────────────────────

 

「端的に言えば、これは魔法のための魔道書ではない」

 

 ガーネフは結論付けていた。

 

「魔法のためではない……?」

「魔道書そのものを制御するのに特化した書

 つまりはこれを扱えれば、他の魔道書の効力を制御できるであろう」

 

 本来、魔法には決められた挙動がある。

 ファイアーであれば炎を特定地点に打ち出す、ブリザーであれば指定したものを凍らせる、などである。

 だが、この魔道書であれば、ファイアを『どのような形で炎を生み出し、どう動くか』までを決めることができるということらしい。

 

「魔法の指揮者になる、ということでしょうか?」

「言い得て妙だな、そうだとも」

「でも、魔道書として魔法を発動していたのは?」

「魔道書そのものを制御するといったとおりだ

 レナ殿が知っている魔道書の働きになるようにこれ自身が、その自らを制御したのだよ

 高度なものやレナ殿が知らぬものが出ないのは前者であれば求められる制御が多いゆえに失敗し、

 後者は単純に知らないものを制御して生み出すことができないからであろうのう」

 

 魔道書は魔力を素にして魔法を自動的に構築するものである。

 本来であればファイアーと記述されたものはファイアーとしてのみ効果を発揮するが、

 この魔道書はそもそもが記述されておらず、根本から魔力をどのような形に制御するかを決定する機能があるのだとガーネフは言う。

 

「わしが戦争のための魔道書を開発していればよりよい力をレナ殿に渡せたかも知れぬ、すまない」

「いいえ、そんなものよりも人々の為になる研究を進めるガーネフ様こそ、アリティアの宝のはずです」

 

 この戦乱に存在してもおかしくないものがある。

 それは長射程の魔道書の存在、つまりはサンダーストームやメティオといったものだ。

 しかし、戦いの中でサンダーストームに類似したものはリーザの手で作られ、近いものが実用化されたものの、射程としてはサンダーストームの半分かそれ以下。

 

 戦争の道具として有用なそれが戦いに存在しないのは単純で、それをこの時代のために再発明できるものがいないからだ。

 本来の歴史であればそれらはガーネフの手によって古の時代にある知識から再現する形で生み出されるはずであった。

 戦争の、その早期にそれらがマルスたちを襲わなかったのは単純に開発が間に合わなかったからに過ぎない。

 

 だが、この歴史ではガーネフはそれらの再発明を行わなかった。

 それ故に、それらはこの世界には存在しない。

 仮に開発されていたとしたなら戦争にはより早く勝利できていたかもしれないが、あまりにも強大な力の前に人心はアリティアから離れていただろう。

 それを考えれば、この歴史においてはそれらの存在がないことは幸運だったと言える。

 

 それでも、ガーネフはレナの持つ制御魔道と呼ぶべき書に与える力を殆ど渡せなかったことを悔いてはいた。

 だが、それは杞憂というものであった。

 

 ───────────────────────

 

 レナは五種の魔法を呼び出すと手足のようにそれらを振るう。

 ただ待機させて、よきタイミングで射つ、などという単純な使い方はしない。

 

 ファイアーであればダメージにならないような広く浅い炎を撒き散らす。

 視界を奪ったところを陸戦兵団に攻めさせる。

 強力なマケドニア武人の足をブリザーで凍らせると、ナギの竜廻り兵たちが一対多で確実に始末する。

 接近する捨て身の突撃には近距離で破裂するサージを盾のようにして扱ってみせると、宿将達が迂闊にも接近したものたちを斬って捨てる。

 サンダーを使って着弾地点を誘導するようにしてロプトウスの信奉者たる魔道兵団たちに魔法を打ち込ませる。

 

『制御魔道』を以て、レナは戦場のマエストロとしてその才覚を花開かせた。

 



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乱入ミルフィーユ

「オーダイン隊が接近してきました!」

 

 マチスが使う斥候が情報を伝える。

 予期していた最悪の一つはドルーア、マケドニアの国境線を守護している騎士オーダインとそれが率いる騎兵隊の出現であった。

 

 先に調べを進めていたマチスの部隊が国境線で彼らの姿を見ていないかった。

 良い方向で考えれば彼らは一度解散し帰路についた。

 騎兵の維持は何せ金が掛かる、一度任務を解いている可能性はゼロではなかった。

 そうであれば、ミシェイルへの情報分断がより高精度に行えるのに変わりがない。

 

 悪い方向で考えればドルーア攻めで国境を守る必要がなくなったため、首都近くの砦で待機していることである。

 砦に居る場合は彼らはミシェイルとの情報連携にこそ手を回せないものの、そっくりそのまま兵力を首都攻略部隊に叩きつけることができるということでもある。

 レウス一人なら切り抜けるのも難しくはないが、マケドニア人の部隊に被害が出ると首都を支配する際に支障が出かねない。

 同国人を盾にして攻略したのかなどと言われても、事実はどうあれ結果としては被害を出してしまっていれば否定できなくなる。

 

 そして予想はやはりというべきか、悪い方向が的中し、オーダイン隊が砦から一目散に突き進んできていた。

 

「我が名はオーダイン!

 マケドニアを冒すというのであれば、同国人であろうと容赦はせぬ!

 オズモンド様より賜った勇者の槍の餌食になりたくなくば逃散せい!

 誇りあるマケドニア武人として後背を抉るような真似はせぬ!!」

 

「厄介なタイミングで来やがって……狙っていやがったな」

 

 レウスは馬首を返し、オーダインへと向かおうとする。

 

「オーダインッ!」

 

 騎士オーダインの猛進を止めたのは戦場でよく響く、鮮烈な女の声であった。

 

 ───────────────────────

 

「我が名はミネルバ!

 父王を弑逆せしミシェイルから祖国を解放するために帰ってきた!

 我がオートクレールはマケドニアそのものであり、我が斧、我が王家の血を恐れぬと言うならば掛かってくるがいい!」

 

 鎧は赤ではなく、金や橙を多くあしらった見事なもので、ミネルバをただの戦士ではなく、戦場にて輝く芸術そのものに押し上げていた。

 跨る竜は故国に残したままの竜を引き取る暇がなかったせいではあるが、ある意味でそれ以上のものに跨っていた。

 それはナギが屈服させた飛竜である。

 ドラゴンナイトが騎乗する竜よりも大きく、力も強い。

 乱暴に飛び回る飛竜のはずだが、ミネルバに従うようにして理性などないはずのそれは人竜一体で戦場を飛ぶ。

 

「おお!姫!

 なんと……なんとお美しい!

 ……ですがこのオーダイン、今の主はミシェイル様と定めております

 私を打倒し、マケドニアの礎としてくだされ!」

「貴卿の忠義、しかと聞いた!

 マケドニアが王女にして聖王国が聖后、ミネルバ──参る!!」

 

 オーダインの実力は随一。

 ドラゴンナイツや飛兵ばかりが象徴されるマケドニアであるが、その中にあって一軍としての名誉を維持し続けるオーダインの実力はマケドニア主流派からも非主流派からも大いに尊敬を集める武人であった。

 

 飛竜を低空で飛ばすミネルバ。

 飛兵であれば高低差の有利を取るべきなのはそうだが、そうしないのはこれが名誉の戦いであるからだ。

 ミネルバとオーダインが交差する。

 

「……ミネルバ様、どうかマケドニアを……」

 

 オーダインはぐらりとして脱力すると落馬する。

 子を産んだばかりだというのに、ミネルバの実力は衰えるどころかより磨かれていた。

 技術の向上ではなく、子のために思う心が彼女を強くしているのだろう。

 レウスはオーダインの亡骸から勇者の槍を掴み、ミネルバへと投げ渡す。

 

「似合ってるぜ」

「閨に着てこいと言われても断るぞ」

 

 二人の周りには誰もいないからこそ、そんな言葉をお互いに投げかける。

 それは夫婦というよりも深い友情で結ばれたようにも映り、言葉こそ聞こえないが、その様子を見た兵士たちが鬨の声を上げる。

 オーダインの敗北は首都攻略の第一段階を達成したことを示していた。

 彼と共に来た騎兵たちはいずれもオーダインの死を見て投降を選んだ。

 事前にそのようにせよと取り決めていたのかもしれない。

 

 次は主城の内部を守る防衛隊だ。

 こうなれば徹底的な籠城を選ぶだろう。

 だが、そうなれば城攻めではなく少人数による切り崩しになる。

 そういうやり方で城を落とすのはレウスにとって初めてではない。

 狭間の地での経験が生きることだろう。

 



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お嫁さん

 まっしぐらにトレントを走らせる。

 目指すはマケドニア主城。

 

 もはや主城付近の防衛隊の姿はない、それが残ったものが城に入ったのか、野戦に出ていたのかは判断できない。

 籠城の準備が完全なものになる前に中に入り込みたいレウスは可能な限り最短の道のりで主城正門へと到達する。

 

 未だ扉は開かれていた。

 

 野戦のために出陣した後なのか、それとも逃げ出したことを示しているのか、レウスにはそれは判断しかねるところではあるが足を止める理由にはならない。

 

 トレントから降りると中へと進む。

 室内ならばグレートソードは邪魔だろうと曲刀へと持ち替えた。

 

 静かであった。

 鎧が擦れ響く音も、兵士たちがこちらを狙うような気配もない。

 城内の大きな通りを歩いていけばやがて謁見の間であろう場所へと辿り着く。

 

(人の気配ってものが全くねえのはどういうことだ?

 撤退したならこっちに連絡が来るなり、逃げた方角から音がするなりがあるはず

 ってことは、逃げたわけじゃない

 なら、空城にしてまで攻めたのか?)

 

 扉は半ば閉じた状態になっており、その隙間からはひどい血の匂いが漂い、鼻腔に流れ込んでくる。

 一人二人の血の量ではない。

 

(逃げたわけでも攻めたわけでもなさそうだな……)

 

 扉を開き、立ち入る。

 

「待っていましたよ、聖王レウス」

 

 女の声。

 レウスはそちらへと……玉座へと視線を向ける。

 

 玉座に座っていたのは金髪の美女であった。

 美しいのは顔立ちばかりではない。

 皮の下にはうっすらとした筋肉の存在が確かにあり、無駄な肉の一つとない人体の完成形の一つだと思わせる美しさがあった。

 その瞳には人間が持つ意思そのものを何倍にも濃くしたような色が見える。

 

「誰だ?」

「知っているのはこちらばかり、ですものね」

「なんだ、オレのファンか?」

「ええ、いつも夢に見るほどに」

 

 野性味ある美女は周りにはいない。

 そう言われて嬉しくないはずがないが、状況がその心を殺していた。

 周りにはマケドニア将兵たちの死体、それも巨大な力で叩き殺されているような。

 

「あらためて名乗らせていただきます」

 

 気品、というものは自然に身につくようなものではない。

 それが生きる中で培った全てであり、特にアカネイアにおいての気品は尊き身であればあるほどに洗練され、佇まいだけですら人の心を奪わねばならないともされる。

 リーザやシーダだけではない、レウスの周りにいる女は皆その気品を備えている。

 王族や大貴族の娘ともなれば当然とも言えることだが。

 

 だが、この女の持つ気品は彼女たちすら凌ぐ、帝王のそれであった。

 

「見るものがいれば私をこう呼ぶでしょう、

 アカネイア王国王女ニーナと」

 

 ですが、と彼女は続ける。

 

「今、私を知るものは口を揃えてこう呼びます

 蛮王ニーナ(ニーナ・ザ・グレート)と」

「に、ニーナ……だと?

 随分とこう、」

「私を知っているのはとても嬉しいですが、今の私は驚かれるほどの変化がお有りですか?」

「そりゃあ顔立ちも体型もそこまでは……けど、」

 

 胸や局部を隠すように布や毛皮が巻かれており、肌は殆ど露出している。

 毛皮の大きな外套は細い体では着させられてしまいそうだが、そうならないのは細くとも確かな筋肉が彼女の体にあるからに他ならない。

 

「……いや、それよりもだ

 ニーナ、なんでここにいるんだ?

 オレルアン連合はどうした?」

「随分と前に去りました、あそこには私のやるべきことはありません

 私は自らに従って生きることにしたのです」

「自らに従い、何をする」

「強くなります」

 

 玉座の横に突き立てられた大剣にニーナは触れる。

 

「あなたのように」

「オレ?」

「言ったでしょう、夢で見ていたと」

 

 夢見がちな女の言葉というわけではなかろう。

 予見する力がこの世界にあるのならば、彼女にもまたそれが備わっており、トリガーが睡眠であるならば理解できる。

 だが、

 

「お姫様がオレのようになりたいって?」

「ええ、あなたはアカネイア大陸で誰よりも自由ですから」

「……そりゃあまあ、自覚はある

 ニーナは自由になりたかったのなら、今ここにある自由が求めるものはなんだ?」

「決まっています」

 

 ダンスに誘うように手を伸ばす。

 勿論距離があるからこそ、ただのジェスチャーであることもわかる。

 

「あなたと戦うため

 自由を得るために戦い、力を得て、私には意思という自由が備わった

 私は自由を教えてくれたあなたと戦い、感謝を伝えたいのです」

「いやあ、言葉で伝えてくれてもいいんだぜ?

 ……ま、無理だよな」

 

 彼とて理解している。

 狭間の地の王たちがそうであったように、シャロンを始めとしたこの地の好敵手たちがそうであったように、

 言葉で語り尽くせぬものがあり、伝える術は戦いでしかない世界があることを。

 

「オレに勝ったらその後は?

 アカネイア王国の再建か?」

「いいえ、国には興味などありません」

「自由ってのは常に夢と隣合わせだ、お前の夢が知りたいね」

 

 蛮王などと名乗るからにはどれほどの目的か。

 この世界の文明や秩序を破壊し、完全なる蛮地を作り出すことだろうか。

 その立ち姿だけで、それが可能か不可能かがわかる。

 破壊であれば、彼女はそれを実現できるだけのポテンシャルがあることをレウスは察していた。

 

「お嫁さんです」

 

 だが、答えは違った。

 お嫁さん。

 恐らくにして今までこの大陸で相手にした誰より強そうな相手の目的はお嫁さんになることだった。

 

「……お嫁さんかあ」

 

 気の抜けた声を出してしまう。

 レウスが知る限り、ニーナはカミュへ恋心を抱いていたが、それは成就しなかった。

 彼女はハーディンと結婚するも愛も何も、私情を一度も彼に向けることがなかった彼がやがて闇のオーブに魅入られ……というのは本来の歴史である。

 だが、このニーナは操り人形ではないのは明らか。

 

「オレを倒すなり、どうなりしたあとに行くのはカミュのところか」

「はい、カミュ様を掴み、誰も知らないような島へ逃避行して結ばれます」

 

 簀巻きにされて拐われるカミュの姿を想像する。

 大陸最強の騎士と言えど、果たしてそれを回避できるのかというのは疑問である。

 いや、彼女の目を見ればきっとニーナの望む形になるだろうと思えてしまう。

 

「ですが、今はあなたに思いの全てを、感謝のその全てを伝えます」

 

 大剣を引き抜くニーナ。

 

「もしも願うことができるなら、あなたもどうか象徴たる大剣にて」

「いい女の願いは聞くことにしているんでな」

 

 レウスもまた、曲刀の装備を納めてグレートソードを引き抜いて構える。

 夢で見ていたというのは嘘ではなかろう。

 その構え方もまた、レウスの鏡写しのようであった。

 

「参ります」

 

 ニーナは短く、戦いの始まりを告げた。



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ザ・グレイトバトル

「うおぉお!?」

 

 ニーナとの戦いはお綺麗な決闘ではなかった。

 

 恐るべき勢いで振られる大剣は腕ではなく、全身を使った独楽のような動きで、加速の付いた武器の勢いで器用に制動を利かせていた。

 小手先の技術ではなく、真っ向唐竹割りの一撃は小細工なしの一撃ではあるが、打ち出すそのタイミングは反撃を受けない絶好のタイミングでしか放たないなど、戦いの中で多くの経験を感じさせた。

 

 どれもこれもが荒ぶった肉体言語というべきに相応しい大雑把な戦い方。

 オレも端から見ればこういうスタイルなのかとも思うが、いや、当人からすれば輪をかけてあちらのほうが蛮族的だと言える。

 

「お見事です」

 

 踏み込み、振り下ろした大剣をかち上げたオレの大剣が応じる。

 火花が散り、刃はお互いの持ち主を目指した綱引き状態の鍔迫り合いになる。

 

「おいおい……腕力には自信があるんだがな」

「私もです……!」

 

 どちらが音を上げるかの勝負には持ち込みたくない。

 オレは容赦なくニーナを蹴りつけて距離を取る。

 彼女はオレのそのやり方に口角を上げる。

 

「ありがとうございます」

「そういう趣味か?」

「ふふ……いいえ、そうではなく……

 あなたが私を戦士として扱ってくれていることを感じましたから」

 

 ああ、女だから、王女だからと扱われなかったことにか。

 冗談じゃない。

 

「オレが知る限りこの大陸の最強の戦士はお前かモスティンだよ、間違いなく

 そんな相手にお優しくできるはずもねえ」

「改めて、感謝します

 では……次に参りましょう」

 

 ニーナが大剣を矢のように、弓を引くような構えを取った瞬間、大剣は射出される。

 赤い霧のようなものを纏ったそれをオレは思わず剣を盾のように扱って防ぐも、

 阻まれたと見るやいなや大剣は高速で回転した。

 

鈴玉狩り(エレメール)かよ!?」

 

 オレは飛び跳ねるようにしてその剣から逃げ、構えなおす。

 彼女もまた手を伸ばすと意思を組むようにして大剣が戻り、構えた。

 

「まだまだ、始まったばかり……続けてもよろしいですね?」

「蛮王様の仰る通りに」

 

 だが、オレもまた心が踊っていた。

 どうしてか、ニーナはオレの心から戦士を喚起させているとでもと言うのだろうか。

 であれば、それは一種のカリスマなのかもしれない。

 

 ───────────────────────

 

 鈴玉狩りと何度も戦っていなければ、オレは今頃死んでいたかもしれない。

 もっとも、オレは狭間の地で鈴玉狩りを倒すにあたって卑怯な手を使って倒していたりする。

 なので全ての鈴玉狩りを叩き伏せたとは言えないものの、攻撃パターン自体を記憶はできていた。

 卑怯な手で勝つのは楽だからに過ぎないのだ。

 

 この戦いでニーナは、鈴玉狩りの如き技を幾つも繰り出してきた。

 念動力よろしく剣を手から離して暴れ回らせてみたり、防ごうとすればドリルみたいな一撃でこじ開けられたり。

 オレの体は見事にぼろぼろにされていた。

 これほどまで追い詰められてるのは恐らくナバールとの戦い以来だろう。

 

 だが、脅威なのはそれではなかった。

 

「参ります」

 

 彼女が踏み込み、オレも剣を振るう。

 何度かの打ち合いのあとに大剣を遠隔操作に切り替え、オレはそれに応じた。

 が、彼女が鈴玉狩りと違うことを忘れてはいけなかった。

 剣を遠隔操作しながら、彼女はその拳でオレをぶん殴ってきた。

 女の子の細腕からのパンチ、なんてものじゃない。

 ぶん殴られて壁に叩きつけられるほどだ。

 クマか?クマなのか?

 

「いやあ、そりゃあそうだよな」

 

 剣を操って立ち止まってしまうのはその能力の有効性を引き出せていない、と言えばそうだ。

 もしかしたなら鈴玉狩りには操作には神経を研ぎ澄まさなければならない事情がある技だったりするのかもしれないが、蛮族の王なんて名乗りをする女がそれをよしとするはずもなく。

 振るった拳はクマのよう。

 ふんぞり返る態度はルーンベアの如く。

 

「さあ、まだ立てましょう」

「おっそろしい女だなあ、オイ」

 

 ただ、ここで足踏みもしていられない。

 些細な事故でオレが死ぬ可能性だってある。

 ニーナの変化は想像以上に面白いことになっていそうではあるが、面白さで命を落としては元も子もない。

 

「そろそろ、お喋りも終わりにしないと後がないかもだな

 ……次はこっちから行くぜ」

 

 お喋りは口で言うそれではない。

 太刀を合わせての、そのやりとりを指す。

 彼女も頷き、

 

「いつでも、どこからでも」

 

 オレも彼女も構えを取り直す。

 

 ───────────────────────

 

 レウスは踏み込み、横薙ぎの一撃を振るう。

 同時に出したニーナの攻撃は同じように横薙ぎの一撃。

 それは互いの視線の前で激しく火花を散らして衝突する。

 

 ニーナは即座に大剣から手を離し、片腕で遠隔操作を行う。

 その一瞬の隙を突くようにしてレウスはその距離を詰めてその剣の範囲から自分の距離へと詰めた。

 

 赤色の霧を手に纏わせた彼女の腕がレウスを掴もうと走る。

 大剣そのものが彼女にそうした力を与えているのか、それとも彼女が偶然に獲得した力がその体に鈴玉狩りの如くの技巧を与えたもうたのか、レウスに判断できるものではない。

 

 彼にわかるのはその手が勝負を分ける一撃であることだけ。

 それは狭間の地で幾度となく命を奪われた思い出深い技でもあり、だからこそ対処方法も理解していた。

 

 前方から横に掛けて大きく回避行動(ローリング)を行い、彼女の背後を取る。

 ニーナもまた、それを予想した一手だったか、それとも本能的に選択した手であったのか、

 遠隔操作の剣を大ぶりに振ってレウスを引き剥がそうと動かした。

 

 しかし、狭間の地よりも向こう、このアカネイア大陸で行った戦いは彼を成長させていたのだろう。

 踏み込みの鋭さはナバールから、攻撃の見切りの良さはオグマから、精神力を身体能力に上乗せするのはシャロンから、他にも多くの経験がレウスを並ならぬ英雄的な戦士へと育てていた。

 

 レウスのグレートソードはそれらよりも早く、ニーナの胴体を割るように叩きつけられ、大量の出血を伴って彼女は玉座近くにまで叩き飛ばされた。

 

「ごほっ、……お、お見事です」

「……手加減できる相手じゃなかった、悪いな」

 

 致命傷だろう。

 武器を振るったレウスはそれを理解していた。

 

「もっと、あなたと戦いたかったところですが、……そうも行きませんね」

「ああ、もう終わりだ」

 

 だが、その言葉は彼女の考えるものと、彼が考えたものとは違った。

 ニーナは懐から宝玉を取り出すと、倒れた状態のままそれを掲げる。

 

「命のオーブよ、その力を示しなさい」

 

 強烈な光が放たれて、莫大な力の奔流が彼女へと注がれていく。

 

「なっ」

 

 それは命のオーブが持つ力のみではない。

 膨大な戦いの中で杖で治癒を繰り返した彼女が体得したものの一つである。

 ガングレリの爆発からすら生を繋いだ彼女は、他の道具から引き出した治癒の力を何倍にも何十倍にも増加させる力を得ていた。

 勿論、引き出すにもそのものが持っている限界以上はできない。ライブの杖をそう扱おうと今の彼女が受けているような死と同居しているような致命傷は癒せない。

 

 だが、彼女の手にあるのは命のオーブ。

 この大陸全てを見てもこのオーブ以上の力を秘めたもののほうが少なかろう。

 彼女はその奇跡の体現たる宝玉から無制限に癒やしの力を引き出していた。

 

 やがて彼女の傷は塞がり、気力の全てを取り戻させる。

 ニーナはゆっくりと立ち上がる。

 レウスは第二ラウンドかと武器を構えようとするが、彼女の対応はやはり予測外のものであった。

 

 ニーナはそこに座り直すと、深々と頭を下げた。

 

「感謝します、聖王

 夢が叶いました」

 

 ある意味で、ニーナこそがこの大陸における最大のレウスのファンでもあった。

 勿論、レウスに対して好意を向けているものは少なくない。

 妻たちは勿論、マリアやシーダのような妹分のような娘たちも、ガーネフに四侠やホルスタットやグルニア三将、他の武将たちも信頼や好意を持っている。

 

 だが、ファン、というのは好意とはまた違うものだ。

 信仰にも近く、しかしまたそれとも違う感情こそがファンの心というものである。

 死した人間を比べるならば彼女に比肩できるかもしれないファンはシャロンだけであろうし、しかしシャロンよりもファン歴で言えば軍配が上がるのはニーナにあがろう。

 シャロンとニーナはそれこそ、ファンの語源(FANATIC)としての意味合いでは共通しているのだろうが。

 

 彼女の腹には大きな傷跡が残っている、或いはあえて残るようにしたのか。

 アイドルからサインを貰って喜ぶように、彼女は全力でレウスとぶつかり、そうして得た傷を喜んでいるようだった。

 

「……ええと」

「殺し合いでなければ、こうはならなかったはずです

 ですが我々の目的はここでお互いが、或いはそのどちらかが死ぬことでもないでしょう」

 

 ニーナの表情は蛮族のそれから、理性的な賢王のように澄んだものに変わっていた。

 



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蛮中の蛮

「お付き合いいただき、ありがとうございました」

「そりゃあ、まあ……満足したならよかったが」

 

 ニーナは手に持っていた命のオーブをオレに手渡す。

 

「これをお持ちください

 あなたの考えた律が成就することを祈っています」

「律のことを知っているのか」

「ええ、私はきっと、あなたのことを誰より知っていますよ

 あなたの夢が成就することを祈っております」

 

 命綱であろうものを渡す彼女の行いはまるで生前贈与のようにも感じて、

「いいのか?」と思わず聞いてしまう。

 やっぱり返して、なんて言われて困るのはオレなんだが。

 しかし、彼女は「ええ、お受け取りください」と明確に手放す意思を見せた。

 

「お前はこれからどうする?」

「次の目標へ」

「カミュか」

 

 命のオーブを渡した以上、彼女が強引な手段で勝利をもぎ取るのは難しくなろう。

 オレは受け取ったオーブを懐に入れると、指先に別のものが触れた。

 

 それを引きずり出す。

 

 かつてオグマから回収したパチシオンだったもの。

 ガーネフに研究してもらっていたが成果も出なかったので一応回収していたのだが、それが何故と思いつつ取り出す。

 

「──それは?」

「わからん、が、オーブか何かに呼ばれるように出てきた」

 

 ニーナはそれを見てから「触らせていただいても?」と言う。

 正直、オレからしてみれば無用の長物であるのでそのまま彼女に手渡すと、それはニーナの手に渡った瞬間に形を変え、杖の形状へと成った。

 

「杖、か?」

「以前、ガトー様から頂戴した杖と同じもの……のようですね」

 

 彼女もまた聖戦士とやらであり、オグマと同じであり……。

 

「そのオーブは持ち主の意に沿って形を変えるってわけか」

「なのかもしれませんね」

「であれば、オレが持っていても仕方ないってわけだ

 オーブのお礼には足らんだろうが持っていってくれ」

「ありがとうございます」

「ああ、それと」

「はい」

「カミュとの間に子供ができたら手紙の一枚でも送ってくれ」

「ええ、きっと」

 

 ニーナは出入り口ではなく、そこらの壁に武器を叩きつけて大穴を開ける。

 躊躇なくそこから飛び出していった。

 

 驚くべきは、その後にそこかしこから斧を持った蛮族風の連中が部屋へとなだれ込んできたことだ。

 オレは思わず武器を構えるも、そいつらはオレには一瞥もせずにニーナの背を追っていく。

 

 蛮王、と彼女は名乗ったが、それはあのような蛮族たちを率いた存在だからだろうか。

 蛮族が蛮王の背を追って消えた。

 

 オレにできるのはニーナの前途と勝利と、

 そしてカミュがあんまりひどいことにならないようにと祈ることしかできなかった。

 

 ───────────────────────

 

 マケドニアの主城と首都がミネルバの手に収まったことはすぐさま発表された。

 大々的な情報は戦線へともたらされ、反ドルーア同盟は選択を迫られていた。

 それはメディウスを倒すために全戦力をそちらに向けるか、それともマケドニアを取り戻すために兵を向けるか、ミシェイルがグルニアに亡命するか。

 

 しかし、その三択は別の形で封じられることになる。

 

 ドルーア戦線に聖王と紋章教団が現れ、ショーゼン、ゼムセル、そしてマヌー率いる竜兵団が均衡を破った。

 それだけであればまだミシェイルとカミュであれば状況を覆せるとして戦闘を選んだかもしれない。

 だが、それはミシェイルとカミュの二枚看板あってこそのもの。

 

 反ドルーア同盟の拠点ではカミュがミシェイルの到着を待っていた。

 この状況ともなれば飛竜の谷付近に陣取っていたマケドニア軍を率いてこちらへと移動するものと考えていたからだ。

 どうあれ、伝令ではなく大将同士での意思のすり合わせは必要不可欠な状態になっているのは間違いない。

 カミュはそれ故に現状で軍を動かせない状態であり、待つことが最重要任務となってしまっていた。

 

 一種の平穏ともいえるそれを破ったのは雄叫びだった。

 個人があげる雄叫びではない。

 

 それは山で木霊するように、幾つもの雄叫びが次々と跳ねるように上がっていった。

 

 カミュが急ぎ拠点から姿を表すと、緊急にして異常な事態が発生していた。

 

 ───────────────────────

 

 雲霞の如く攻め寄せた軍、というのはこの時代の軍人であれば珍しい表現でもない。

 それを見たもの、体験したものは少なくないだろう。

 カミュもまたアカネイア攻略戦においてそうした情景を見たことがある。

 

 だが、それは雲霞の如くという表現に正しく、しかしその言葉では足りないほどの迫力を伴っていた。

 

 それは蛮族の津波だった。

 手に持った斧はどれもこれも違うものであり、服装や顔立ちや叫ぶ言葉の何もかもが異なっていた。

 彼らは間違いなく蛮族であるが、それが単一の部族からなるものではないのがわかった。

 

 攻め寄せる蛮族たちを先導するような孤影が一つ、カミュへと突き進んでいた。

 土煙で正確な姿こそ認識できないものの、その足の早さも、手に持っている武器の大きさからも常人ではないことだけは認識できた。

 

「カミュ様!」

 

 部下が二人がかりで彼の愛槍であるグラディウスを運んでくる。

 

「動くことができる兵士は全員出せ」

「は!」

 

 カミュはグラディウスを構える。

 厩から愛馬を連れてくる時間まではあるまい、と。

 

 そこかしこで散発的な戦闘音が響き始める。

 蛮族の怒号と、兵士たちが応戦する声。

 この地に連れてきた兵士はグルニアでも特に優れたものが多い。

 蛮族ごときに遅れは取るまい。

 そこらの蛮族であれば、だが。

 

 カミュは知る由もないが、ここに現れた蛮族は氷の大地からマケドニアに進む中で蛮王に原始的な忠義、つまりは絶対的な力関係によって従っている蛮族であり、

 氷の部族を始め、フレイムバレルの炎の部族、サムシアンの生き残りたち、海賊、そしてドルーア近郊を根城としていたデビルアクスに魅入られた竜の部族たち。

 彼らは全て、絶対の王である蛮王ニーナ(ニーナ・ザ・グレート)と共に戦場を駆け抜け、戦いの中で死ぬことを喜びとするアカネイアの戦乱が生み出した狂奔する暴徒であった。

 

「私はグルニアが黒騎士、カミュ

 貴君が大将とお見受けする

 名と目的をお聞かせ願おう」

 

 土埃を吸わぬために外套で顔を隠していた蛮王が外套を翻すようにして、名乗る。

 

「我が名はニーナ!

 黒騎士カミュ、あなたを貰い受けに参りました!!」

 

 戦場全てに響く大音声。

 ここにいるのは淑やかにして力を持たない深窓から逃げるしかなかった王女ニーナではない。

 アカネイア最強の蛮族、そしてアカネイア大陸全ての蛮族たちの長。

 もっとも原始的にして、もっとも賢明なる王。

 

 蛮中の蛮ニーナ(ニーナ・ザ・デストロイヤー)、その人である。

 



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ちから

「な……、ニーナ王女……なのか?」

 

 カミュは困惑した。

 姿形には変化があるが、その顔立ちも声も確かにニーナ王女のものであったからだ。

 だが、彼女がこんな風になっている話は聞いたことがない。

 最近はニーナ王女はハーディンと遂に手を携える形でオレルアン連合をもり立て始めたという話を本国から知ったのだ。

 

「カミュ様、私はお言いつけを守りました

 強くおなりなさいとあなたはパレスを去る時におっしゃいましたね

 私が考える大陸最強の英雄たるレウス陛下を目指し、背を追うではなく並び立てるよう努力をし、戦いを繰り返し、そうして今日、ここにあなたの前に立つことができました」

 

 生命力溢れる声。

 精力に漲った瞳。

 

 かつてカミュが見たニーナはまるで朧月のような女性だという印象があった。

 この時代でなければよかったのにと、彼女の美しさと佇まいが時代に合わないことを心のなかで嘆いた。

 

 カミュがパレスを守ったのはニーナのためであった。

 哀れに思ったのではない。

 女として惚れたわけでもない。

 勿論、一人のアカネイア大陸に住む人間として、その頂点たるアカネイア王族に敬意を払いたくなったわけでもない。

 

 あの日、カミュが見たのは彼女の可能性であった。

 家臣たちが討ち死にしていき、親や近衛兵たち、重臣たちも殺され、弱い少女であれば心が砕けるような報告の毎日であったはずの彼女。

 だが、カミュがニーナの前に立ったときに感じたのは、彼女はまるで静謐そのものであった。

 あらゆる状況において、まるで月が大地を俯瞰するかのように、全てを理解しているかのようでもあったし、

 事実彼女は正確に自分とアカネイアの状況を理解していた。

 

 彼女が無力なわけではない。

 アカネイア王国が彼女を無力であるようにと縛っていたのだ。

 もしも彼女が自由であれば、全ての行動を自らの意思で定めて動けたのならば、

 彼女はアカネイアを救っていたかもしれない。

 

 カミュは非現実だと思いつつも、ニーナの中にある王としての才覚を見抜き、その才が目覚めたならと考えてしまう。

 この先の人生で、彼女が人形であることを止めて、自らを縛ろうとする家臣たちを黙らせることができて、

 その手や言葉で仲間を集めることができたならアカネイア王国ならず、この大陸は新たな夜明けを迎えるかもしれない。

 

 それはカミュが仕える王、ルイの弱腰に嫌気が差していたからこそあてつけのようにそう望んだだけなのかもしれないし、

 戦いの連続で弱った心が見せた幻であったのかもしれない。

 

 だが、それでも一度見た理想の欠片を捨てることはできず、パレスを守り、彼女の安全が確保されるまで時間を稼ぎ、去った。

 

「ニーナ王女、強くなられよ」とカミュは祈りのようにニーナへと告げた。

 

 果たしてその祈りは届き、ニーナは強くなって戻ってきた。

 

 ───────────────────────

 

「カミュ様、私は強くなりました

 得た力の全てを使ってでも、私はあなたを貰い受けます」

「ニーナ王女」

「いいえ、王女ではありません」

「失礼した……ではなんと呼べばよいか」

「ただ、ニーナと」

「承知した、ではニーナ……貰い受けるとは、望むのは私の首か」

「いいえ」

「では、何を」

「あなたと添い遂げます」

 

 真っ直ぐな言葉に息を呑むも、カミュは言葉を返した。

 

「すまない、私には仕える主と守るべき国がある」

「ですから、奪います」

「……本気なのか?」

「ええ、本気です」

 

 ニーナが武器を構える。

 刹那、爆発的な武威の気配が、まるで熱風となったかのようにして拡がりを感じる。

 

 カミュはそれに熱を、暑さすら感じていた。

 数多、戦いを経験したカミュであるが、これほど純粋な武を受け取ったのは初めてであった。

 

 黒騎士はグルニアの誉れ、グルニア騎士はグルニアそのもの。

 であれば、そこには人としての感情や思考を上回るべき理想と理念がある。

 

 だが、それでも、切り離したはずの武人としての力比べに惹かれるのは何故か。

 カミュはニーナとのこの短いやり取りで、或いはあの蛮族たちの怒号と攻めを見て、理解していた。

 

 彼女はカミュの見立ての通りだったのだ。

 素晴らしい王になった。

 言葉一つどころか、その立ち姿だけで人のあり方を変えてしまうような圧倒的なカリスマをその体の中に備えるようになっていた。

 

 そう、彼女を作り出した根底はカミュ自身なのだ

 

(どうあれ、彼女を何とかせねばこの状況はどうにもならない

 ……戦うしかない)

 

 グラディウスを構える。

 戦うしかないと、自分に言い訳をしていることをカミュは気がついていなかった。

 

 槍を取れば大陸最強、握られるはアカネイア三神器が一つ、グラディウス。

 鬼に金棒どころの話ではない。

 カミュを打ち倒せるものなどアカネイア大陸ひろしと言えど何人が可能性を持つというのだろうか。

 彼自身、自らの強さを正確に理解している。

 だからこそ、驚愕に値していた。

 あのときの王女が、今や自分を打倒しかねないほどの武威を誇っているという事実に。

 

「ニーナ、我が槍を受けられよ」

「カミュ様、我が剣を感じてください」

 

 お互いの言葉が終わると、ほぼ同じタイミングで踏み込み、互いの武器が振るわれた。

 



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野蛮な咆哮

 マケドニア失陥の報を受けたそのすぐに、

 ミシェイルの軍は見知ったドルーアの竜族とは別の、新たな敵と対峙していた。

 

 アリティア聖王国軍、そして紋章教団。

 それら二つの勢力の主である聖王レウス。

 

「お初にお目にかかる、マケドニア王ミシェイル」

「ああ、聖王レウス

 お前と会うのはもう少し後だと思っていたが、時間を早く進めることこそがお前の恐ろしさなのかもしれんな」

「褒めてるのか、ミシェイル」

「危惧しているのだ、レウス」

 

 ミシェイルは愛槍ともなった漂流物、グランサクスの雷を構える。

 

「聖王が名を彩るのは時の歩みを早める王の才覚だけではない

 武威で走る常勝の道、このミシェイルが止めてやろう」

「ここで止められるわけにはいかねえなあ」

 

 レウスはミシェイルの武器を見やる。

 

(漂流物、グランサクスの雷……ってことは投げつけてくる可能性もあるよな……

 たあ、それ以上の力がある可能性も──)

 

 何をされるかの予想だけはせねばなるまい、とレウスは分析をするとき、レウスとミシェイルの間に割り込むように影が飛び込む。

 

「兄上!」

 

 この場所ではない、よりマケドニア側で飛兵によって足止めを受けていたミネルバが飛竜に滞空させる。

 

「ミネルバか、久しいな

 レウスの妻となったのは事実か」

「ええ、そうです」

 

 真っ直ぐな彼女の視線にミシェイルも同じ程に強く視線を返す。

 

「子を授かったのもか」

「ええ、元気な子です

 今は信頼できる人に預けています」

「俺にされても嬉しくははなかろうが、祝福をしておく

 名は?」

「私は、兄からの祝福を嫌がる妹であったことがありましょうか

 娘の名はアイ、我らの父祖アイオテから字を頂戴しました」

 

 感情というものを表に出すことの少ないミシェイルは、故に鋼の男のようにも思われているが、

 彼を知る人間からすれば、その目は実に感情に素直であり、

 今も、ミネルバの子の名を聞いて喜びの感情を少し浮かべていた。

 

「いい名前だが、お前の感覚ではなさそうだが夫の案か」

「む……兄上、私の名付けに何の問題が」

「お前が私の竜に名をつけようとした時のことを忘れてはおらん、が、今は談笑をしている暇もあるまい

 ……お前とこうして話すのも久々で、口も滑らかになってしまったのは、」

「兄上、それは私もです

 望めるならば幼き日のように和やかに話を続けたかった、けれど今の我らはそれを許されてはいない

 そうでしょう?」

 

 その言葉にミシェイルもそうだ、と言うように頷く。

 

「マケドニアは我らが支配下に置かれました

 どうか武器を引き、国主同士の話し合いに応じてはくださいませんか」

 

 ミネルバに遅れ、パオラとエストが彼女の両翼へと付く。

 カチュアの姿がないことにミシェイルも気が付いたであろうが、ミネルバが大切な部下を伏兵に使うとは考えられないのか、その姿を探すようなことはしない。

 もっとも、カチュアは今頃オレルアン連合で聖戦士として動かされている以上、この場にいるはずもないが、ミシェイルがそれを知ることはない。

 

「ミネルバ

 俺は戦いを諦めるわけにはいかん、例え進んだ先に勝利がなくともな」

 

 睥睨するような瞳はミシェイルの常であり、意図があるわけではない。

 その態度が人を強張らせるのを王として育てられたミシェイルは改めるという考えもない。

 

「レウスよ、マケドニアの地と民に慈悲を

 そしてミネルバと共によく導いてやってほしい」

「約束はするが、ミシェイル

 王の位を捨てて、お前はどこへ行く」

「挑むべきはこの大陸を包む作為で彩られた運命に挑む」

「それは……」

「らしくもない言葉遊びだったか

 では、失礼する」

 

 そう云うと、ミシェイルは見事としか言いようがない操縦で竜を操り、体格と速度で勝るはずの飛竜乗りのミネルバが追う気も起きないほどの早さで戦場を後にする。

 

 ミネルバと久々にあのように話せた。

 大陸が平和になれば、いがみ合っていた頃の自分たちではなく、兄と妹として話すことができていた頃に戻れるかもしれない。

 少なくとも、鎧を纏って血に汚れることを厭わないと言いながら、心を軋ませているミネルバを戦わせずに済む世界になるはずだ、と彼は願う。

 

 だからこそ、国主同士の話し合いには応じることはできない。

 ことは国家同士の戦いでは終わらない。

 この大陸を覆う、人ならざるものが描き作った思惑の霧を晴らさなければ彼が望む未来を得ることは不可能なのだから。

 

 ───────────────────────

 

 カミュが目を覚ますと、そこが寝台であることにまず気がついた。

 鎧の感触がなく、武器も持っていない。

 

「目を覚ましたか」

 

 それは盟友たるミシェイルの声だった。

 

「ここ、は……」

「南グルニアだ」

「どうして、ここに」

「負けたのだ、カミュ

 お前はあの女に」

 

 カミュはその言葉にゆっくりと記憶を辿っていた。

 

 彼女の力は圧倒的だった。

 それでも圧されているばかりではない。

 技量では確実にカミュが上回っていた、その身に備えた潜在的な才能に関しても同様だ。

 

 だが、ニーナは体力と、気合と、腕力でカミュを超えていた。

 そして、何よりも総戦闘時間において彼女と比肩する経験を持つものなどモスティンだけであろうほどの、膨大な実戦経験がそこにあった。

 

 命を捨てるかのような戦いにカミュは怯んだわけではない。

 王として完成した彼女を失うのを恐れたわけではない。

 

 しかし、命を捨ててでもと攻め寄せた彼女のその勢いに負けたという事実だけが転がっていた。

 気がついたときには鎧は大きく砕かれていた。

 鎧がなければ死んでいたかもしれない。

 だが、ニーナもまたグラディウスの一撃を受け、膝をついている。

 

「私を貰い受けてどうする、ニーナ」

「子を儲けます、あなたとの」

「……」

 

 真っ直ぐな言葉だった。

 それは何よりの愛の告白であった。

 

 カミュは武人として生きていた。

 軍人としてその全てを国に捧げた。

 人に愛を向けられるのは初めてではない。

 親からも、友からも、愛を向けられることはある。

 

 だが、女性からここまで真っ直ぐな、ここまで熱のある愛を向けられたのは初めてだった。

 

「それは……魅力的な提案と思えてしまうな」

 

 カミュは小さく笑う。

 強くなれといった自分の言葉を彼女は達成してくれたのだ。

 それだけでも心が熱くなるような喜びがあるのは背けようのない事実だ。

 

 だが、聞けるはずもない。

 この身の全てはグルニアのためにあるのだから。

 

 何とか立とうとするが、膝を付いてしまう。

 その一方で、自分よりも傷が深そうなニーナは軽々と立ち上がった。

 

「国のことを心配なさっているのですね

 だとしても、このままあなたをいただいて行きます

 嫌だと言うならば立ち上がって槍を向けなさい、黒騎士カミュ」

「ふ、武人の扱いをも心得ているか」

 

 気合をいれてカミュは再び立ち、槍を構える。

 再び、互いに踏み込み、しかしカミュができたのはそこまでだった。

 拉げた鎧に潰された臓器の悲鳴か、意識が途切れて、倒れる。

 

 ニーナは勝利した。

 しかし、彼女の戦利品は横からかっさらわれてしまった。

 

 高速で戦場を横断したのはミシェイルとその騎乗竜。

 ミシェイルはカミュを抱えると何か言葉を紡ぐことすらせずに戦場を離脱する。

 やがて、そこかしこで撤退を知らせる叫び声が響く。

 

 その全てを上書きするような、地を割るほど強いニーナの叫びが轟くのだった。

 

 ───────────────────────

 

「……そうか、感謝する」

「ああ、あの戦いは我らの負けであるが、この戦乱で負けたわけでもない」

「諦めていないというのか」

「ドルーアは、いや、あの地方の全てはアリティア聖王国のもとのなった

 だが、それは逆を返せばアリティアさえ落とせば全ての状況をひっくり返せる状態だとも言えるだろう」

「それが勝利ではなくとも、再び戦いを一から始めることができる、か」

 

 アリティア聖王国が滅びれば、とは言うまい。

 しかし、その首都と主城が落ちたなら今までトントン拍子に進んだアリティア聖王国の快進撃を止めることができ、そうすれば各地の非聖王国派をいずれかの国に参加させることができるかもしれない。

 勢いづくのがオレルアン連合かもしれないし、五大侯かもしれない。

 無法者どもかもしれない。

 或いは望みの通りにグルニアかもしれない。

 

「それとも、ニーナのもとに行きたくなったか」

「……悪くない、と思ってしまった」

「ほう」

 

 ミシェイルは「いいや、そんなわけがあるまい」と返ってくるかと思っていたからこそ、意外そうな声を上げた。

 

「だからこそ、まだ彼女とは戦いたい

 あの程度で終わるのは……惜しいのだ」

「お前がそうした表情がまだできるとは、……ふ、面白い状況だ、本当に」

 

 ミシェイルが笑う。

 

「であれば、戦いを続けよう

 次は国のためだけでなく、己のためにも」

 

 盟友の言葉にカミュは「ああ、戦いを続けよう」と返すのであった。

 



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正当なる徴

 反ドルーア同盟はホルム海岸より急ぎ撤退していく。

 それはカミュが率いたグルニア軍だけでなく、ミシェイルに従う者たちも含まれており、

 マケドニアの王位が変わることを良しとしないマケドニア軍や民もまたそこに従った。

 

 ミネルバが「マケドニアは夫であるアリティア聖王国が聖王に委ねる」と宣言したことが大きい。

 統治後の不穏分子を少しでも排除できるならば売国奴のそしりを受けようとも、という判断である。

 

 レウスは反ドルーア同盟の残存勢力の排除を行いながら北上し、ドルーアへと辿り着く。

 以前と同様にしてメディウスと会うために主城を進む。

 

 そこにはメディウス以外の竜族たち、ロプトウス、ナギ、マヌー、

 そしてショーゼン、ゼムセルがレウスとレナを待っていた。

 

「この地方の全てはアリティア聖王国が統治できる状態となった」

「そのようだな

 以前に言っていた『問題となる現状』というものは解決されたわけだ」

 

 メディウスはちらりとショーゼン、ゼムセルを見やるとその意に従うように二人は部屋の奥へと引く。

 

「ドルーア帝国の主たるものたちは全員、わしの考えに従うと言っている

 そして、わしもまた聖王の目的に乗る気持ちはかわらぬ」

 

 奥から二人の竜族が布に包まれたものを運び込んでくる。

 その扱いから彼らにとって重大な代物であろうことがわかる。

 

「これは?」

「ドルーア帝国の、今日という最後の日に、

 明日からの我らが故国ともなる聖王国へと献上する」

 

 竜族二人がその布を開き、その中身を広げる。

 それは実に美しく彩られた旗である。

 恐らくその大きさから軍旗か何かであることを察することができる。

 

「かつて神竜王ナーガがこの地を乱した竜族、ドーマたちとの戦いにて掲げられたもの

 全ての竜族にとってナーガの威光そのものであると認識する御旗

 紋章教団が竜と共に歩むというのであれば、これ以上の(しるし)もあるまい」

 

 メディウスたち竜族は現在のドルーア城を改築し、紋章教団の神殿であり、活動拠点となることを認めた。

 ドルーアは大々的にアリティア聖王国への統合を宣言した。

 これによりマケドニアを含んだドルーア地方はその島全体がアリティア聖王国領となり、東西の国が完全に分断されたこととなる。

 

 オレルアン連合は

「これは忌むべきマムクートを打ち倒す人間の戦いであり、神を僭称する巨悪レウスによる人間文明への戦争行為である

 心ある人間は全てオレルアン連合とグルニア王国へと集まり、武器を持ち、悪を打倒せよ」

 と息も荒く声明を出した。

 

 グルニアはこれに対して連合に協調する声明を出すでもなく、沈黙を続けている。

 

 ───────────────────────

 

「ボア様が出した声明は効果が大きかったようですな」

 

 ボアの取り巻きが一人が言う。

 オレルアン連合の名で発布した『悪を打倒せよ』で言葉を締められたそれはオレルアン連合が中核であるハーディンの名を冠し、『ハーディン檄文』と呼ばれている。

 

 ハーディン檄文は日和見をしていた貴族や武門を立ち上がらせるに十分な力を持っていた。

 アカネイア地方で穀倉地帯化計画は進められる中で見える竜族の力は日和見主義者を立たせる理由になった。

 もっとも、そうした者たちは連合側に立たずとも遅かれ早かれレウスの手で肥料にされていたことだろう。

 

 しかし、現在は

 

「そのままではレウスに殺されていたのは間違いない

 だからこそ、その生命はアカネイア王国の為に有効活用させてもらうとしよう」

 

 ボアは現状で彼らに協力を求めたものたちの資料に目を通しながら、その扱いを思案した。

 

 一方で、ハーディンは執務室で近習の申し出に聞いていた。

 ロシェである。

 彼はどうしても、今のハーディンが尊敬していた彼が行うこととは思えなかったのだ。

 

「ハーディン様、ボア殿に何か掴まされておられるのですよね?」

「ボア殿はニーナ様の名代でもある、そのような言い方をするものではない」

「……ですが、タリスの一件は古くから従う家臣たちの多くが不信を受けたのです

 このままではハーディン様の声望もボア殿に消費されてしまいます、どうか」

「ロシェ、お前の忠義には感謝する

 だが、警告をした以上はお前には罰を与えねばならぬ

 暫くは自宅にて頭を冷やすがよい」

「ニーナ様のためだと仰るなら、一層ボア殿との関係をお考えください……」

 

 最後にそう言って、ロシェは退室した。

 

「……すまぬ、ロシェ

 だが、私はニーナ様と添い遂げるためであれば全てを投げ出すと決めたのだ

 それが例え、オレルアンの全てだとしても」

 

 ───────────────────────

 

 ロシェは俯いて部屋を後にし、廊下を歩いていると会いたくない人間の一人とすれ違う。

 だが、礼節を欠かしてよい相手ではない。

 騎士としての礼を取る。

 

「ニーナ様に敬礼」

「ごきげんよう、ロシェ様

 ……浮かないお顔ですね」

「……いえ、ご心配なく

 失礼します」

 

 その背を心配そうな瞳で見送るニーナ。

 影武者として、ニーナの模倣をするために多くを学んでいる彼女ではあるが、神の視座を持つわけでもなく、家臣団一人ひとりの心を知るほどの力はない。

 だとしても、彼は自分に怒りを覚えており、それがハーディンの行動に起因したものであることを予測すること程度はできる。

 

 彼女はハーディンの執務室の扉を叩いた。

 通された彼女は暫くは黙っていたものの、ハーディンが

「何かお話されたいことがあるのでは?」と聞いてくれたため、口を開いた。

 

「ロシェ様と何かあったのですか?」

「……ええ、お恥ずかしい話ですが、部下との軋轢に苦しんでおります」

 

 最近のハーディンはニーナに対して隠し事をしない。

 悩みも、苦しみも彼女が求めてくれるのならば話すようにしていた。

 ロシェの忠告を聞いた彼女だが、それは自分には解決策がないのは理解していた。

 なにせ彼女の実質的な主はボアであり、彼を罷免、糾弾するようなことはできない。

 

 しかし、このままでいいとも思えないニーナは、ハーディンに提案をした。

 

 無知というのはときとして、なにより恐ろしい毒となる。

 

「ハーディン様

 お腰の剣があなたに力を与えたのならば、ロシェ様にお貸しするというのはいかがでしょうか?」

 

 以前、彼女が(しとね)でハーディンから聞いたこと。

 それはガトーから賜った汚れなき銀の剣によって、ニーナの為に全力で戦い続ける気力が湧いているという話であった。

 精神を安定させ、目的のために進めさせる力があると語ったハーディンのように、その剣がロシェを救うのではないか、と。

 

「確かに、今この剣が必要なのは彼なのかも知れぬ……」

「その剣がなくとも私がハーディン様をお支えいたしますから、どうかご安心を」

「ニーナ様」

 

 もっとも危うい毒は善意によって調合されるのであった。

 



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宣誓の被害者

「勝手な宣誓を、連合どもめ!」

 

 グルニア主城で、ロレンスは怒りを露わにしていた。

 

 現在のグルニアは安定と国力回復が急務となっている。

 ユミナ執政下のグルニアはその国史を見ても、そのどの時期よりも発展と成長を見せてはいるものの、

 国を得るために契ったミシェイルとの共闘、つまりは反ドルーア同盟で消費した多くのものは確実にグルニアを圧迫していた。

 

 軍事費は確実に現在のグルニアの問題となっているが、それだけであればまだ処し方もあるが、

 問題はもう一つあった。

 マケドニア難民である。

 

 ミシェイルとの間で交わされた契約にはどちらかの国が土地を失った場合の受け入れも含まれており、

 契約としても、人道的見地からも難民を迎えるしかない。

 

 グルニアは『兵士は畑から採れる』などと言われるほどに兵役に対する理解度も、そして出産率の高さも優れていた。

 それでも、無尽蔵に兵士を使えるわけでもなく、そもそもユミナは兵士が多く集められるのがグルニアの優秀な点だと言われていようと、兵士を使い潰すなどという考えは持ちたくなかった。

 

 しかし、連合はそんなユミナたちの意図を無視する形で、戦争の参加者であると大々的に宣言してしまった。

 アリティア聖王国は同盟国を作ることはせず、支配と統治のみを国是としている以上は不可侵を互いに暗黙の了解とする以上のことはしたくなかった。

 北グルニアの問題を片付ければアリティアへの刺激も少なくなるはずであり、その解決が最優先だとしていたところだったというのに、

 

「アリティアの侵略に大義名分を与えるようなものを!」

 

 ロレンスがこうして怒るのは当然であり、連合の宣誓を否定するようなことを言えば将来的にアリティアと戦う上での正義を失いかねない状況が生まれ、

 しかし肯定すればアリティアは北グルニアを攻める理由を、やがてはグルニアに寄せる名目を与えることになるのだ。

 

 旧カダインから西、カシミア大橋から北の辺りがアリティアとの睨み合いが起こっている地点である。

 北グルニアはそこから更に北の一帯を指しており、幾つもの街が次々と作り上げられている。

 そのいずれもが悪の殿堂と呼ぶに相応しいものであり、独自の軍権を持ち始めているとすら言われていた。

 

 現在のグルニア王国はカシミヤ大橋から北までを政治と支配が及んでいる領地としており、

 北グルニアは地図の上ではグルニア王国のものでもある。

 領土の広さからしてみればアカネイアに残る国家では最小ではあるものの、

 北グルニアさえなんとかしてしまえば、地理的にはアリティアの攻めを凌ぐことができる場所を擁することができる。

 

「難民の中で、軍に参加することを希望しているものは纏まりましたか」

「……ええ、業腹ですがオレルアンの言葉に同意する形で、難民の殆どが兵士となることを希望しております」

 

 マケドニアから離れたものの殆どが武家の人間や軍人たちであり、グルニアの兵になることすら納得できるというのは頼もしくもあり、しかしユミナは悲しくもあった。

 それはグルニアとマケドニアという枠組みがあるかぎり、アリティアと平和な世界を作ることは不可能であることを示しているからだ。

 

「ミシェイル閣下は」

「カミュと共にカシミア大橋近くの要塞に待機しているとのこと」

 

 四方が塞がれたような気持ちで次の手を考えるユミナは頭を抑えて、

 

「政務はこれまでです、少しだけ休ませていただきます」

 

 実際、彼女の仕事は既に終わっており、状況の解決を相談するためにロレンスたちを呼んだが、

 しかし予想通りに状況の解決は見込めない。

 ユミナは少しでも体力を戻すためにも解散を選んだ。

 

 ロレンスは感情を発露できないユミナの代わりに怒りを発してくれている。

 それは彼女にとってありがたいことだった。

 そうした感情を表に出すのが苦手であり、冷静な顔をしていれば国主として冷血であると見られ、

 やがて血の通わぬ政治などと言われかねないからだ。

 

 側仕えを伴って私室に戻ると、彼女はベッドに倒れ込む。

 せめて良質な睡眠を取ってもらうためにも、側仕えは彼女を一人にした。

 



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恋文ではなく

 マケドニア主城。

 ミネルバと共にマケドニアの安定をするための諸々の制作を進める予定でレウスは滞在していたものの、

 ハーディン檄文の影響もあり、マケドニアではミネルバ及びレウスの統治に否定的なものが大体去っていった影響で、極めて迅速に、容易く聖王国領としての準備が進んでいった。

 

 とはいえ、当初の計画にある通り、非主流派で王室とは反りの合わないものはマチスと共にドルーアへと行くことにはなる。

 思っていたよりもミネルバに対しての悪感情もなく、

 ドルーアに行くのは従えないからではなく、新天地で生きてみたいからというポジティブな動機となったのはアリティアからすると嬉しい誤算であった。

 

 マケドニアの主城前に、一人の男がふらりと現れた。

 背には大剣があり、ひと目で正規兵ではなく傭兵だとわかる。

 歌舞くために持っているではなく、それが彼にとっての愛用の武器であろうことがわかるほど堂に入ったものだ。

 

「ここにレウス様がいるって聞いたんだが」

「ああ、ご滞在なされているが……いいガタイしてるな、仕官希望かい」

「あー、いや、気ままな傭兵家業さ

 人に頼まれていてね、これをレウス様に渡してほしいんだ、勿論中身を見ても構わないって言われてるが、

 手紙みたいだからその、取り扱いには気をつけてやってくれ」

「あー、恋文だったら確かに気まずいもんな

 ご苦労さん」

 

 受け取った門番はありのままを城内伝令に伝えると、再び門の守りに戻る。

 恋文が届くこと自体、ここでは珍しくない。

 

 何せここはマケドニア、苛烈な武人が多くいる地。

 それが愛や恋からではない、肉体言語的な恋文(果たし状)が届くことはこの地にとっての日常なのだ。

 

 ───────────────────────

 

 パオラ、エストがマリアとアイを護衛しながらマケドニアに到着。

 ドルーア領は教団都市ドルーアと名を加えて再出発となるが、開発の完了まではかなりの時間がかかるため、人材の多くがマケドニアに滞在することになる。

 結果としてマケドニアはドルーア地方の政治拠点ともなり、より緻密で安定した統治が行われることになる。

 

 レウスはミネルバとアイの合流を見届けてから、以前に受け取っていた手紙の内容を調べるためにもある場所へと向かうことになる。

 

 かつてデビルアクスをかつぐ蛮族たちが闊歩したドルーアの

 ある土地に巨大な祭壇が存在する。

 いつ頃に作られたかもわからないそこは、

 本来は死者蘇生の儀式のための場所とも言われているが、彼の目的は蘇生ではない。

 

「本当にここにそんなもんが」

 

 半信半疑といった独り言呟きながら、祭壇をいじくり回すとまるでパズルがひとりでにとけるようにして、地下への階段が現れる。

 

「……あるんだな」

 

 地下へと続く階段を進む道のりは不思議な空間であった。

 壁には一面びっしりと紋様が刻まれており、ところどころ脈動するように光が走る。

 

 ここにレウスが来たのは、或いはここの場所を知ることができたのは手紙のお陰であった。

 門番が預かったという手紙は危険物ではないかの魔力測定だけをして、封を切らずに渡された。

 

 その内容物は二枚の紙で、一枚目は手書きの地図。

 もう一枚は手紙であった。

 

『名を明かせぬ無礼をお許しください

 聖王陛下が竜族救済のために尽力してくださることを陰ながら応援しております

 

 竜族の主たる神竜族にはナーガ様とナギ様以外に、もうお一方重要な方がおられます

 チキ様という少女で、彼女こそがナーガ様のお世継ぎであると竜族には知られております

 

 重要なお立場である彼女をガーネフ、メディウスはもとより、各国の代表やガトーに利用される可能性があるとして心ある方がある場所にてチキ様を眠りによって封じました

 

 時間は流れ、竜族にとっての転機を陛下が生み出してくださいました

 陛下がチキ様と共に竜族をお救いくださることを願ってやみません』

 

 ガーネフがその所在を知らず、ラーマン神殿にもいない。

 マヌーやバヌトゥからの聞き取りでも居場所がわからなかったチキ。

 この手紙の主が嘘をつく理由があるとするならばオレを狙っての暗殺かとも思ったが、

 こんな手の込んだやり方をする意味もわからなかった。

 

 普通ならば仲間や護衛を連れて行くのだろうが、レウスは単騎で向かうことにした。

 今更危ないとかなんとか考えるのであれば彼は単騎駆などしない。

 それに、もしこの手紙が真実で、がちゃがちゃと武器や防具を鳴らしてチキに会いに行けば彼女は怖がるだろうという配慮もあった。

 

 地下への階段を進む彼は、手紙は嘘偽りなくチキの居場所を知らせており、そして自分に彼女を託したのだということを確信していた。

 



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竜族の姫君

 かなりの距離を降りた。

 一時間か、二時間はかかった気もするが、同じ方向への下降で感覚がおかしくなっているだけかもしれない。

 終点に到着すると、そこはドーム状に開けた広間になっており、奥の方に祭壇というべきなのか、寝台というべきなのかわからないものがある。

 この空間には見覚えがある。

 

 そうだ、シャロンの家の地下にあったあの施設だ。

 ここも、あそこも竜に関わる文明が残した遺跡であるのだろうか。

 今も息づいていることを感じさせるここはそもそも遺跡と言うべきではないのかもしれないが。

 

 祭壇には緑色の髪をした、可愛らしい少女が小さな寝息を立てて眠っている。

 耳が少し長く尖っているのが彼女こそが竜族であることを伝えている。

 

 神竜族、ナーガの娘、チキ。

 その姿かたちに顔立ちから判断できる。

 肉眼で見ると愛くるしさよりもひれ伏したくなるような神聖さを感じさせるのは、彼女がこの世界の神たるナーガの娘だからだろうか。

 

 オレの気配を感じたからではなかろう。

 それ以外の、何かしらのフラグやらスイッチでもあったのか、チキは「んん……」と声を小さくあげる。

 そうしてからゆっくりと目を開く。

 

「お兄ちゃん……夢で見た、お兄ちゃんだ」

「はじめまして、オレはレウス」

「レウスお兄ちゃん、はじめまして!

 わたしはチキ!」

 

 ぱあ、と表情を明るくすると彼女はオレの胸めがけて飛び込んできた。

 

「夢の中でね、チェイニーが言ってたんだ

 レウスお兄ちゃんがわたしを助けてくれるから、チキもレウスお兄ちゃんを助けてあげなさいって!」

「助けてくれるのか」

「うん!」

「チキはいい子なんだな」

 

 抱きついた彼女の頭を撫でると、えへへと笑う。

 

「ここにいてもつまらないだろうから、オレの家の一つにでも帰ろうか」

「家の一つ?家がたくさんあるの?」

「ああ、アカネイア中にあるし、まだまだ増やす予定だ」

「へええ、すごい!」

 

 などと話しながら、来た道を戻る。

 途中で疲れた様子を見せた彼女を背負って、外に出るまでの間に再び彼女が眠りに付いたのは言うまでもない。

 起きたばかりなのだから二度寝もやむなしだろう。

 

 ───────────────────────

 

 オレルアン東、かつては賊が多く根城としていた場所だが、以前何者かがこのあたりを掃除してからは集落や街、畑なども作られてそれなりの賑わいを見せている。

 その中で最も発展している街、その宿に入る一団があった。

 正規兵の装備ではなく、遍歴の騎士といった装備をしたものたちを連れた人物はフードを目深に被り、それが誰かはこの街の人間には判断できなかった。

 しかし、どこかの貴人であろうというのは周りの騎士やその人物の衣服の仕立ての良さから判断できた。

 

 フードの人物は相当の金額を支払うと宿を貸し切りにし、一週間ほどの滞在するという許可を求める。

 支払われた額はその土地ごと売り払ってもお釣りが来るほどであったので、主人は喜んで頷いた。

 

 数日の間、フードの人物は出てこなかったが、或る日にその人物は主人に礼を言うと宿を出ていく。

 金払いのいい人間のことをあえて詮索する必要もない、いや、そんな危険性を冒す必要もないとして、宿の主人は客のことを口外することもなかった。

 

 ───────────────────────

 

 部屋に入るとフード付きの外套を脱ぐ。

 騎士の一人はそれらを受け取り、別の騎士は茶の準備などを始めていた。

 

「いつお越しになるかはわからぬ、気を抜かずにな」

「承知しました、ボア様」

 

 アカネイア勢力の最重要人物であるボアは、最低限の護衛だけを連れて、彼がボアであると察しが付くようなものがいない田舎まで足を運んでいた。

 勿論、田舎の発展具合や人々の営みを見るためではない。

 

 ある人物とのコンタクトを取ったのだ。

 しかし、オレルアン首都や別荘地などで会うわけにはいかなかった。

 その人物への要求が要求であるためだ。

 

 待つこと数日、その時は来た。

 部屋に光が溢れ、幾つかの魔法陣が刻まれ、それがとけて現れたのは──

 

「ガトー様、よくぞ来てくださいました」

「アカネイアのボアよ、久しいな

 わしを呼ぶからには重要な話があるのであろうな」

 

 ガトー、そして側にはいつぞや検診に来ていた魔道士であるエッツェルがいた。

 とはいえ、エッツェルの方はガトーのお付きであるという姿勢を見せた通り、挨拶や会話には入らなかった。

 その辺りはボアが連れている騎士たちと同じようなものだ。

 

「ガトー様、杖を一つ探しておられませんかな」

「……ほう、何故そう思う?」

「オレルアンに身は寄せておりますが、このボアにはボアなりの情報源が幾つかありましてな

 五大侯の辺りから情報を拾い上げてくれている者が、さる貴人が杖を求めていると知りましてな

 それもただの杖ではなく、一つの奇跡を秘めたものを、と」

 

 ボアは騎士の一人を手招いて、大きな箱を運ばせる。

 

「これは私が大司祭ミロア殿から保護を頼まれていたものでして、

 彼が亡き後は私の管理下に置いておりました」

 

 箱が騎士によって開かれる。

 そこには緩衝材代わりの布に包まれていた杖こそ、死者蘇生の力を持つ奇跡の一品たる『オームの杖』の姿があった。

 

 元はガトーの持つ宝でありカダインに置いていたものだが、ある日を境に学院から姿を消した。

 長らくその盗人が誰かわからないままであったが、

 ようやく、それを行ったのがミロアであることが接続された。

 

 ガトーも流石にこの杖を神たるものにただ献上しにきた心得たる者……ではないことは理解していた。

 だからこそ、彼は問うのだ。

 

「ボアよ、何を望む」

 

 ボアはその言葉に、小さく微笑むのであった。

 



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学院を想う

「急なご来訪に驚きました」

 

 エルレーンは人払いを済ませたために、茶は自分で淹れた。

 とはいえ、夜を徹した作業も少なくないので茶を淹れるのは人に任せるよりも自分の手で、ということの方が圧倒的に多い。

 茶の淹れ方自体は作法に則ったものであり、そこらの使用人では出せない深い味わいと香りを引き出すことができた。

 

「どうぞ、ウェンデル先生」

「すまぬな、エルレーン

 それに……敵国の人間であるわしをよく疑いもせずに」

「今は敵味方ではなく、先生と生徒……そうでしょう」

 

 ウェンデルがエルレーンを最後に見たときはまだ子供だった。

 彼の成長を、というよりも、彼をここまで育てた環境を用意した人間に敬意を払う。

 勿論、成長したエルレーン自身にも。

 

「早速だが、ここに来た理由なのだがな……マリクが今どうなっているかは知っておるか?」

「いえ、多少は調べてはみましたが」

「そうであろうな、オレルアンの切り札の一つでもある

 ……今のマリクは──」

 

 ウェンデルが話し始める。

 それは彼の置かれている立場や、歩んできた道、そして廃人となった現在のこと。

 エルレーンはその話に表情を厳しくする。

 生来感情を隠すタイプではない彼であるが、主であるレウスの気性を受け継いでいるところもある。

 つまりは、自分が大切だと思っていたものが無体な扱いをされれば、それだけ激しやすい。

 

 例え敵味方の陣営に分かれていたとしても、道具のように扱われていると言われて穏やかではいられない。

 これがせめて、力によって立場を強くしたとか、エルレーンなにするものぞなんて喧伝をしてくれているならばいっそ、穏やかな気持ちでいられるほどに。

 

「しかし、聞いたところではマリクはそんな状態であってもオレルアンは頼る札としているのでしょう」

「だが、次はもう持つまい」

「僕に何を求めるのです」

「……マリクを」

 

 ウェンデルは覚悟するようにして、言う。

 

「マリクの未来を作ってやってほしい」

 

 ───────────────────────

 

 マリクは常に恍惚としているわけではない。

 戦場以外にも目を覚ますことは以前はあった。

 その頻度はどんどんと遠く、長く、薄くなり、今では目を覚ますことは殆どなくなってしまったが。

 

「未来を、とは具体的には」

「リンダと言葉を交わさせてやってほしいのだ」

「別れも済まさずに恍惚としているのは」

 

 確かにあまりにも救いがない、とエルレーンは言う。

 

 リンダがマリクを好いていたのは学生時代の情景から明らかだ。

 マリクは心に決めた人がいるからと、恋人になるなどはなかったようだが。

 だが、戦いの中で二人がどうなったかは察することくらいはできる。

 或いは、リンダが押し切ったのかもしれないが。

 

「その為に必要なのが目を覚まさせる手段、ですか」

「ああ、いっときでよいのだ」

 

 エルレーンは深く悩む。

 心が壊れたものを一時的にでも治療する手段。

 ……紋章教団が作っている理性を失った竜族への対症療法、その実験のことをエルレーンは思い出した。

 結果として人造竜石という着地点に落ち着いたが、それまでにペラティの野生化竜族を相手に色々と試したのだったか。

 

 エルレーンはウェンデルにすぐに戻ることを告げて部屋を出る。

 

 戻ってきた彼が持っていたのは杖であった。

 ガーネフがガトーの下にいた頃に作ったというレストの杖の発展系の一つだとして、

 野生化を癒せないかとして実地試験用に送ってきたものだった。

 

 結果として野生化を癒やすことはできなかったものの、別の効力があることが認められた。

 対象者の魔力に作用し、様々な不調を治癒する効果であった。

 それは戦闘で負った精神的な傷に対しても明確な答えとまではいかないまでも、希死念慮に対しての好影響を見せたりもしていた。

 

 問題は効力は対象者の魔力次第であり、それなりに優秀な魔道士相手ですら、多少のトラウマ改善になる程度であり、

 希死念慮に対して効力を発揮できたのは、軍でも功績を残した者の一人二人程度であった。

 マリクほどの強い魔力を持つ人物であれば、

 もしかしたなら希死念慮より、ある面において重篤な状態の彼にも効果があるかもしれない。

 

「お持ちください」

「よいのか、これはアリティア聖王国のものであろうに」

「人助けだと言えばレウス様もガーネフ様も非難はしません、そういう人たちですから」

「あのガーネフ殿が、か……」

「人は変わるものです、僕も驚きはしましたが……今のガーネフ様は真にアカネイアに住まう人々の未来のために尽力しております」

「わしとは違うな」

「ウェンデル先生は変わらないからこそ、マリクを助けようとする優しさを発揮できたのでしょう」

 

 変わることだけが正しさではない、エルレーンはそう言いたいのだ。

 ウェンデルは苦笑し、

 

「まったく、いつのまにか立派な大人になったのだな」

「大人にならないと共に歩めない方を主としてしまったので」

 

 エルレーンもまた苦笑するようにしてみせるが、ウェンデルにはその顔から誇りをも感じていた。

「今の自分は主と共に歩いている」という自負を感じさせるものだった。

 



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竜家族会議

「ナーガの娘よ、ほれ、ポン菓子を食べるがよいぞ」

「ずるいぞロプトウス、私も食べたい」

「ナギの分もあるから安心せよ」

「それなら安心だ」

「ありがとう、ロプトお姉ちゃん!」

 

 眼の前で楽園が広がっていた。

 美女、美少女、美幼女が幸せ空間を展開している。

 オレはにこにことそれを眺めている。

 

 メディウス、マヌーはオレを見て、問う。

 

「どこで見つけたのだ?」

「ああー、誰かは知らんが居場所を教えてくれたんだ

 それで、竜族のためにも保護してくれってさ」

「……ふむ」

 

 メディウスはそれに少し思い当たるような顔をするも、

 

「誰が、よりも今話すべきはこれからどうするか、であろうな」

「そりゃあ、そうだな」

 

 チキを保護できたのは紋章教団が必要とする最後のピースを得たことに等しかった。

 火竜の王、暗黒神、暗黒竜、神竜族、そしてナーガの娘。

 メディウスは理性ある飛竜たちを従えもしており、氷竜に関してはナーガの威光の前に従うと考えられていた。

 全ての竜族に対しての大義名分が揃った。

 だからこそ、紋章教団の発展の仕方には慎重になる必要もあった。

 

 かつての竜族は人間を下にすることで安定を得て、しかし人間によって破滅を迎えた。

 結局のところ、何かを下にするというやりかたは安易で、安易なやり方は破滅までのカウントダウンをも安易に呼び込むわけである。

 

「竜と人の間に子を作り、それらが最初の世代であるとして発表できるのが一番早かろうがな」

 

 マヌーはそう言う。

 紋章教団が最初に掲げていたやり方でもあり、今もその目的は変化していない。

 ただ、未だに竜族が子を作ることができたという結果はもたらされてはいない。

 

「竜族と人間の夫婦は幾つか生まれたのだがな」

 

 それはマヌーや他のものの手引ではなく、難民であるドルーア竜族と、炊き出しを手伝っていた支援者の話である。

 誰ともなく、彼らは恋愛をはじめ、今では結婚までしているのだとか。

 国としてもそれは祝福するべきことであり、同時に、子供を作れたときは報告してくれるよう頼んでもいるが……。

 

「竜族の呪いを破る手段、未だなし、か

 今の世界を見ればナーガ様は何か別の策を打ち出すことができるのであろうかな」

「どっかでナーガに会えりゃ早いんだろうけどなあ」

 

 オレの言葉に対してチキが口を開いた。

 

「無理だよ、お母様はもう死んじゃったから」

「え?」

 

 一同がチキを驚きの表情で見た。

 

「知らなかったの?」

 

 自分の母親であろうが、しかし、表情が曇る様子もない。

 むしろそれを知らないことが不思議なようですらある。

 

「ナーガが死んだ、と?」

 

 メディウスですら信じられないようで、チキに問う。

 

「うん、メディウスおじさんには死んじゃうことを教えたかったって言ってた

 ごめんねって謝ってたよ」

「……そうか」

 

 メディウスはチキに近づくと、そっと頭を撫でた。

 

「知らせてくれたことに感謝せねばな」

「チキ、えらい?」

「ああ、とてもえらい娘だ」

 

 おじいちゃんと孫だ……。

 いやいや、和んでいる場合でもない。

 

 声を潜め、チキには聞こえないようにロプトウスと会話を始めた。

 

「しかし、ナーガが死んでるってなると……」

「考えようによっては状況は悪くないのう、

 ナーガの跡を継いだチキがいる紋章教団こそが正当であると人間たちにも知らしめることができようが……」

「チキを政治の道具にしたくないんだ、あんな年頃なら何も背負わないで毎日笑って過ごしてほしい

 神竜族が見た目通りの年齢じゃなかったとしてもだ」

 

 悪くない、というのは他にもそこに掛かるものは多い。

 例えば、ナーガが死んでいるのであれば、ガトーの後ろ盾はナーガでないことが確定している。

 つまりナーガの号令によって竜族の支持が割れるってことがないのだ。

 

 ナーガを探さなければならない可能性もタスクリストから消せたのも大きい。

 ナギのように本来はどこともわからない異界にいられると転移手段のないオレたちにはお手上げだ。

 ワープの杖をはじめとした転移系の杖の術理はいまだ不明であり、解析するにも数が少なすぎる。

 そうなれば現実問題としてナーガを探すのは不可能だということでもあるが、それがなくなったのは心理的負担としてはかなり軽くなった。

 

「お兄ちゃん」

 

 小声で話しているとチキが来て、微笑みながらオレを呼んだ。

 

「なんだ?」

「チキが大きくなったらお嫁さんにしてね」

 

 ふいにチキがオレを見て言う。

 

 メディウスの顔が超怖い。

 白目が黒くなって黒目が赤くなって紫色のオーラが出ている。

 もう完全に我が子じゃん。孫を守りし暗黒竜じゃん。

 

「え、えーと……オレもチキが大好きだけど、お嫁さんに来たいのはなんでだ?」

「きっとお母様も喜ぶから!」

「喜ぶのか?」

「竜族に子供ができれば、お母様がずっと悩んで苦しんでたことが解決するから

 だからチキも頑張りたいの」

 

 ロプトウスの目が冷たい。

 メディウスの目が怖い。

 マヌーは我関せず、ナギは何やなにやらわかっていない。

 

 たった二人で針のむしろ。

 流石は最強と名高い地竜族であると言わざるをえない。

 



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ロプト

 針のむしろから脱したその夜。

 ロプトウスはオレの部屋を訪れていた。

 酒とグラスを持って現れたあたり、長く居座る気満々らしい。

 

 取るに足らない話から始めて暫く後に少しずつ会話の重さを増していく。

 彼女には彼女なりにオレに言うことがあったのだろうが、オレも彼女に聞いておきたいことがあった。

 

「ナーガが死んだって言ってたが、神竜王の死なんてのはいっときの眠りみたいなもの……だと思ってたんだが」

 

 伝わるかわからないので言わなかったものの、神竜王にとっての死というのは不死鳥とか火の鳥みたいなもので、その内に復活するための前フリなのかと思っていたのだ。

 

「そうじゃな、実際、死そのものは次の始まりのための動作に過ぎぬ

 神竜にとってそれは眠りとも呼ぶ

 だが、チキは明確にナーガを死んだと形容した

 それは人間や多くの竜族にとっての死と同義なのであろうな」

「だとしたらガトーは眠っているナーガを後ろ盾にしていたんじゃなくて」

「ああ、死者の威を借りていたのか、と?

 いや、あやつはナーガの死を知らぬのだろう、今も眠っているだけだと思っていて、そしてやがて目覚めるときのために働いていたのではなかろうか」

 

 ロプトウスは「なにせ、ナーガが死んだことはワシも、メディウスすら知らなかったことなのだから」と続けた。

 

「ナーガの死に気がつくと思うか?」

「チキがこちらに来た以上は竜族の状況を調べるであろうし、ガトーであればそれを知る術も持っていような」

「……どう動くだろうな」

「そればかりはわからぬ、ガトーの心の働きはもはやワシには及びも付かぬところへ飛んでいってしまっている」

 

 彼女はそう言うと酒を一息に呷った。

 

「のう、レウス」

「なんだ」

「その……な、チキの名が出たからそれに続けるが」

「チキに手は出さないから安心しろよ、今はだけど」

「はー……」

「なんだよ、大きくなってまだ言い寄ってくれるなら良いだろ、別に」

「一夫一妻をなどと今更求める気にもならんよ、法という意味で言えばそれは常にレウスの味方であろうしな」

 

 もう一杯、ぐいと酒を飲むロプトウス。

 竜族が酔うのかと言われれば、この程度ではまるで効かなかろうが、それでも気分のうちというものだろう。

 

「子を作れないというのはな、まったくない、という話でもないのだ

 チキが良い例でな、子を作る可能性が極端に減っているというのが事実ではある……というのは」

「一応、可能性は低いけど生まれるってのは教団の報告書で見たな」

「人間との間で生まれる可能性が低いのは種族の違いではなく、種の強さの問題だと言われておる」

「ってことは、チキの親父は相当すごかったんだな」

「それはそうだろうのう、何せ大英雄アンリなのだから」

 

 しれっとロプトウスが言う。

 

「……え?」

「知らなかったのか」

「知らなかったのだが、っていうかアンリってアレだろ、アルテミスとの結婚がダメでそのまま独身だったんだろう?」

 

 エリスの家系はアンリの弟から続くものであり、アンリの血は途絶えていると言われている。

 

「それに竜族ってのは何百年も立たないと育たないって」

「竜族同士であればな

 人間の血が混ざれば、成体まではそう長くは掛からん、寿命もその分短くはなるかもしれぬがわしの目で透かして見てもチキの寿命はナーガと遜色はなさそうじゃ」

 

 ってことは、本来チキがマルスのことをお兄ちゃんって呼ぶのって凄まじく複雑なアレなのでは。

 チキがお姉ちゃんなのでは、いや姉ではないか……。

 しかし、チキお姉ちゃん……魔的な響きだ。何か良くない目覚めを感じる。

 

「何を考えておる、痴れ者」

「ごめん」

 

 読まれたらしい。

 

「アンリの種は強かったってことか、流石は大英雄」

「で、だ

 それは、その、レウスにも言えることではないかとな」

「まあ、今のところ順調に子作りには成功しているしな」

 

 でも母胎のお陰な気がしないでもない。

 が、それより

 

「ロプトウス、先に言っておくが」

「う、うむ」

「お前を抱いて良いってなら、オレはそうする

 王としてのオレとしても教団の神であるロプトウスを妻にできる意味は限りなく大きい

 男としてのオレも、悪友みたいな女と一緒になれるのは美味しい

 それに外見も好みだしな

 でも、」

 

 オレはロプトウスをじっと見る。

 

「使命感で抱かれに来たなら、止めてくれ

 オレとお前の関係はそんなつまらないことで汚されたくない」

「それは……」

 

 視線を落とすようにするロプトウス。

 自らを抱くようにして、彼女は言葉を選びながら続けた。

 

「……レウスよ、果てにある望みをメディウスに語ったであろう」

「ああ」

「そうなれば、永い永い孤独を生きることになる」

「かもな」

「……ワシはお前と同じことを思っているのだ、友として生きるレウスを一人にはしたくない

 だが、どうやって側に居続けられるかの方法を知らない

 ワシの心にある疼くような気持ちを、ワシはなにかもしらない」

 

 本来の体の持ち主であるユリアの、その心の作用だろうか。

 それが愛や恋であれば、そりゃあオレだって嬉しい。

 

「その気持はお前のものなのか、それともユリアのものか?」

「……きっと、その両方のものであろう

 暗黒神と恐怖と誉れに彩られたロプトウス様とあろうものが、恐れておるのよ」

「何を」

「お前を失うことを、だ

 この後には大きな戦いがあろう、グルニア王国とオレルアン連合は必ず連携して我らに襲いかかる

 王であり戦士であるからこそ、戦いに出るだろうに、帰ってこなかったらと思うことが、

 戦いのなかで散られることを想像することだけでも恐ろしい」

 

 しかし、子がいれば(つがい)を喪っても耐えることができる。

 この戦乱の世であれば理解できる心理だ。

 

 彼女は俯いて、ついには涙を流してしまう。

 

「愚かと笑わば笑うがよい

 かつてユリアも愛した男が戦場に立たねばならぬ度に泣いていた

 それを敵地にいながら見たわしは笑ったこともあった、人とはなんとか弱い心を持つのかと

 ……だが、今のワシは、」

 

 ぐい、とオレはロプトウスを抱き寄せる。

 別に女の涙にぐっと来たわけじゃない。

 オレにとっての大切な友人が泣いていりゃ、なんとか慰めてやりたいと思う心くらいはある。

 

「お前はもう悪逆無道の暗黒神じゃいられないんだよ

 紋章教団の最高双神であって、人のために知恵を巡らせる優しい竜の女神なんだ

 人のために泣くことができるのが何よりの証拠だろう」

「そうやって、」

 

 ぐす、と泣き声を堪えながら、

 

「そうやって、欲しい言葉を使って女を落としてきたのだな」

 

 相変わらず軽口だけは辞めるつもりはないのか、せめてもの強がりに、

 

「お前のことも女だって思ってる証拠だろう」

 

 オレも同じように軽い態度で返す。

 

「……後戻りはできんぞ、レウス

 お前がどう言おうと、ワシは暗黒神ロプトウス

 悪神なんてのは嫉妬深くて当然なのだからな、……本当に、本当に覚悟はいいのだな」

「オレの律の、その果てまでお前がいてくれるならどんな覚悟だって決められるよ

 ロプト」

 

 オレは彼女を初めて愛称で呼んだ。

 



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聡明なる者、我執する者

 一人眠るユミナは、魔力の波長を感じて身を起こした。

 

「何者です」

 

 魔法陣が煌めき、それが収まると長駆の老人が立っていた。

 

「わしの名はガトー、人はわしを白き賢者とも呼ぶ」

「……あなたがガトー、様……」

 

 その瞳は隠そうとし、しかし隠しきれない敵意を持っていた。

 無理もない。

 父であるルイをそそのかした張本人であることは確定しているようなもの。

 敵意を向けるなという方が難しい。

 

 それでも様を付けるのは一国の王女として、神竜ナーガの側に立っていた賢者であることに違いはないからだ。

 

「わしはお前に力を与えに来た、その力があれば」

「そのようにして父を操ったのですか」

「操った?

 わしはただ求めに応じただけよ、そうして与えたものによって心の欲するところに従ったのはルイであろう」

 

 ガトーは何の気もなく言う。

 悪意などないのだろう、この老人は本当にそう思っているのだ。

 そして、人間は欲するところ、つまりは低きに流れるだろうと考えているのもユミナは見抜いていた。

 

「あなたと話すことはございません、お引取──」

「このままでは、アリティア聖王国に食われるのはグルニア王国であろう

 それとも解決策を持っているのか?」

 

 解決策。

 ゼロではない。

 聖王レウスは好色な男であるのは彼女も知っていることだ。

 それに、王女であればより強く求めるものだとも。

 

 ユミナは自分の容姿が特別優れたものではないとは思っているが、それでも手入れには気をつけているし、

 人並み程度には見れるものだとは思っている。

 態度次第では取り入れるかもしれない、と思ったことがないとは言えない。

 だが、そうなればグルニア王国はアリティア聖王国の支配する一地方となるだろう。

 最近で言えばマケドニア王国がドルーア地方の行政区の一つとしての扱いになるという話も出ていると聞いた。

 彼女の個人的な考えで言えば、それでも滅ぼされるよりも国の名は残り、乞い願えば歴史を埋葬するような行いもしないのではないかと思っている。

 現在のマケドニアがそうであるからだ。

 

 しかし、グルニアもマケドニアのようにその状況に迎合するか言えば、国内の反発は必至だろう。

 そうなれば再びの内乱となり、今度こそアリティアがそれらを鎮圧し、実質的な支配権を得ることになる。

 結末が見えてしまっている以上は国民のためにも、レウスへの身売りはできない。

 

 だが、戦力の上で勝てるかと言われれば……それも無理だろう。

 グルニアのシューター部隊は再び数を増やしてきたし、黒騎士の教練によって騎馬兵団は拡充傾向にある。

 兵役に対しても民衆は喜んで参加してくれており、民間人の中からも優秀な兵士が生まれている。

 

 だが、足りない。

 アリティア聖王国の兵力はとてもじゃないが、グルニア王国が逆立ちしても勝てない。

 攻めるとなればオレルアン連合との合従軍となろうが、アリティアの戦力を二つに割っても、まるで勝てる要素がない。

 

「勝てるだけの戦力をグルニアに渡すこともできる

 それでも話を聞く気はないか」

「……それは」

 

 ユミナは女王として突然の決断を迫られている。

 

「ガトー様、お伺いします」

「なにか」

「何故、戦うことしか選択肢にないのですか?

 話し合いで解決できることもあるのでは?」

 

 ユミナはガトーがどこか焦っているようにも見えた。

 或いは、何か強い理由に背を押されているような、そんな風に。

 

 彼女の予想は的中している。

 ガトーはここに現れる数日前にナーガが眠りではなく、生物のように死を迎えていることを知った。

 そのせいでオームと神竜石で神竜王の目を覚まさせる予定であったのが不可能になった。

 それは彼の目的と計画は大きく変更しなければならないことを意味していた。

 

 ナーガの為にと行動していたものは全て、虚しい独り相撲であったなどとするわけにはいかない。

 神竜王を顕現させ、自らの行いの正しさを『改めて』証明してもらわねばならない。

 

「誰と話し合うというのだ」

「レウス陛下とです」

「馬鹿なことを申すでないぞ

 あの男は簒奪者、この大陸を我が手にしようとしている悪魔であるぞ」

「あなたと何が違うのです、ガトー様」

「……なに?」

 

 細い目が開き、ぎろりとユミナを睨む。

 

「知恵者からも聞いております、守り人を作り、聖戦士なるものも生み出していると

 それも、それらの戦力を各国に渡している

 その行いは戦いをいたずらに長引かせるだけ

 強力な兵士を他者に渡し、意図的に聖王国以外を勝たせようとすることが、悪魔の行いと何が違うのです」

 

 瞬間に怒りの形相が浮かぶ。

 

「同じだというか、アカネイア大陸を思うこのガトーの行いが!」

「違うというのなら、レウス陛下にはお話をしたのですか?

 あなたが望む形と陛下が考える形ですり合わせられるところはないのかと

 お二人の力があれば互いに妥協できる形で大陸を安定させることができたのではないのですか?」

 

 ユミナはガトーを恐ろしいとも思っている。

 人外の力と知恵を持つ存在だ。

 恐ろしくないはずがない。

 

 転移の力がその最たる証明だ。

 ワープの杖と呼ばれる超が付くほどの希少品の力を触媒無しで発動しているようにも見えるし、恐らくはその通りなのだろう。

 だが、この力をアリティアの重要人物の暗殺に使えば早かろうに、とも思う。

 それをしない理由は、聖王国の力が大きくなりすぎたからではなかろうか、と彼女は思っていた。

 

 仮に聖王ではなくその身内を手に掛ければ激情家のレウスは大陸そのものを滅ぼさんとする勢いで戦いを始めるだろう。

 数多の竜族を使うだろうし、或いは誰も知らないような危険な手を残しており、それを使うかもしれない。

 

 ガトーは人間などどうとも思っていないかもしれないが、

 大陸や人間の全てが消えることは望んでいないのだろうし、

 そして聖王はそれを実行できる何かしらの手札を持っているのではないか、ともユミナは推察した。

 

 彼女の才覚は保護者であるルイが死んだ日から大きく飛翔するように目覚めた。

 経験こそ足りていないものの、王としての資質はリーザと並ぶか、それを凌ぐ可能性すらあるものだ。

 その才を以て、ガトーが転移を攻撃的な手段に使わない理由に当たりを付けていた。

 

 ガトーの取る手段の限界を推察したからこそ、誰かが言わねばならないと思っているからこそ、彼女は言葉を続けた。

 それによってガトーが止まるのならば、大陸の平和が、そしてそれはグルニア王国の平和にも繋がる可能性がある。

 強く言わねば気がつかないならば、人間の立場としてそれを叫ばなければならない。

 

「あなたこそが、この大陸をいたずらに乱している元凶でしょう」

「言うに事欠いてわしが元凶だと!?」

「ええ、父をあなたに奪われた私はあなたにそう言う権利がありましょう

 それとも、他に理由がお有りなのですか?」

「これも全ては今も深く眠るナーガの意思なのだぞ!

 平穏のままに、安寧のままにこの大陸の時間を流れ続けさせることが!」

 

 その言葉を手を払うようにし、ユミナは言葉を返した。

 

「人の意思を無視して押し付けるものが安寧なのですか!

 その考えに反する開派を恐れて平穏という免罪符を武器に戦いを長引かせ、

 武器を配ることを本当にナーガ様が望んでいるのですか!?」

 

 ガトーはついに反論もなくなり、しかしユミナは続けた。

 

「その行いをするものを人がなんと呼ぶか存じておりますか、ガトー様」

 

 それは、とユミナは息を吸ってから、言葉にした。

 

「魔王と呼ぶのです

 あなたを白き賢者などと呼ぶものはこの大陸にどこにもいないッ!」

「貴様ァァァァ!!!」

 

 ガトーが吠え、手の側にあった光の球から擬剣ファルシオンを引き抜くと、

 一切の躊躇なくそれをユミナへと振り下ろした。

 



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女王の消えた国

「ユミナ様が……?」

 

 カミュはその報告を受けて表情を変えた。

 

「本当なのですか、ロレンス将軍」

 

 早馬が彼のもとに飛び、一度主城へと戻れという命令にカミュは疑問符を浮かべつつも砦をミシェイルに任せて帰参した。

 そこで聞いたのは驚くべきことであった。

 

 ユミナはガトーと共に大陸の平和を作るための計画に手を貸すため去った。

 王位はユベロに託した。

 そして、グルニア王国には守り人と呼ばれる人智から外れた力を持つ戦士が一兵団としてガトーより送られていた。

 それらのことは全て書状にて残されたものである。

 

「ああ、事実よ

 この通り、ユミナ様直筆の書状もある

 ……確かに、これだけの守り人がおればアリティア聖王国に一泡吹かせることもできるやもしれぬが」

「戦いが国家の勝利条件ではありますまい」

「だからこそよ、それがわからぬユミナ様ではない」

 

 ロレンスはユミナの判断に疑問があり、そのためにカミュを呼んだ。

 本来であればユベロも交えるべきであるが、急な王位交代にユベロは必死になって職務を全うしている。

 とてもではないが話し合いに参加する時間はなく、彼自身もそれらのことはロレンスとカミュに任せることにしていた。

 

 ユミナの執り行っていた作業は膨大にして緻密であった。

 ユベロはその作業を任せていたのかと思うと申し訳無さがより大きくなるも、やはりロレンスたちと同じ考えに行き着いていた。

 それはつまり、

 

「一度アリティアへ使者を出そうかと思う

 正直に話す価値のある状況だろう」

 

 ロレンスの言葉にカミュもまた頷くのだった。

 

 ───────────────────────

 

 首尾よくオームの杖を手に入れ、そこでエッツェルとは解散となっていた。

 エッツェルの目的は神竜石の獲得だったが、それ自体は苦労なく手に入れることができた。

 五大侯の宝物庫にあるという話をマリーシアから聞いていたので、交渉に入るだけだった。

 マリーシアには同席してもらい、よきようにトスをしてもらえば難航もしないだろう。

 

 実際に、とんとん拍子で話は進み、神竜石はもらえることになった。

 対価はと聞くと、以後の五大侯の動きをオレルアン連合に漏らさないことであると言ってくる。

 この期に及んで足の引っ張り合いかとも思うが、彼らがどうなろうとエッツェルからすればどうでもいいことで、マリーシアにとっても同様である。

 

(マリーシアからすれば、そこで生まれる混沌とした状況は望んでいるそのものかもだが)

 

 エッツェルはそんな風に思いながら神竜石を手に入れたのだった。

 下手に細工をしてバレても面白くない。

 こればかりは普通に納品するしかなかろうなと思っていると、

 

「よっ、エッツェル」

 

 久方ぶりの声。

 チェイニーだった。

 クリスも「元気だったか」と声を掛けてくる。

 

「二人こそ、どうだった?」

「とりあえず目下、何とかしたいと思ってたチキはアリティアに預けることができたよ」

「ほう……だが、クリスもチキ様のことは」

「保護してくれるってならオレの側より絶対にアリティア聖王国のほうがいい

 情操教育上よろしくないからな、オレたちの旅は」

 

 クリスの言葉にチェイニーが「悪くしてるのは大剣抜きがちなクリスのせいだろ!」などと言っていた。

 彼らのそんなやり取りが楽しくて笑ってしまうエッツェル。

 そうなるとチェイニーとクリスも態度を改めるようにしてつられて笑った。

 

「しかし、状況はいよいよ最終局面へ、って感じだな」

「最終局面なのか?」

 

 チェイニーの言葉にクリスは聞いた。

 

「連合とグルニアがアリティアを攻めて、両国が敗北したら大陸制覇だろ?

 アリティアが負けたとしたら……ガトーが東西の両国に向けて出張ってくるだろうし、結局は終わりに向かうんだろうさ

 『なにかしら』は、終わりにね」

「であれば、引き続きオレは聖王国の味方を陰ながら続けるべきか

 その『なにかしら』なんて、もたらされたくないしな」

「こちらは引き続きガトー様の手伝いをするさ

 とはいっても手に入れたものを渡したらオレもいよいよお役御免だろうけどな」

「その後の予定がなにもないなら合流するか?」

「それも面白そうだが、どうあれ、その結末を看取る人間は必要だろうからな

 ガトー様以外のことは頼む」

「わかったよ」「承知だ」

 

 立ち話を終わらせると、まるで他人かのように二手に分かれて去っていく。

 クリスとチェイニーは二人で、エッツェルは一人で。

 彼らの近況報告はこんな具合に手早く、疑われないようにがモットーになっていた。

 実際、彼らの暗躍はガトーの知るところではなかったのだ

 



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信義の狼

 狼騎士団の中核たる一人。

 オレルアン王弟ハーディンの近習。

 信義の狼と草原の戦士たちからはあだ名された騎士。

 

 ロシェは苦しんでいた。

 その原因は明らかである。

 汚れなき銀の剣が、彼の心を蝕んでいた。

 

 ロシェは狼騎士団において、やや特殊な立ち位置にいる。

 ウルフやザガロのようなハーディンを全肯定する立場ではなく、

 ビラクのように一歩引いた立場からハーディンを支えようとする立場でもない。

 彼はオレルアンの無辜の民たちのために戦うことを第一義としており、オレルアンを徹底的に守り、救おうとするハーディンにこそ、その信義を向けていた。

 

 だが、南オレルアンの戦時徴発から少しずつ歯車は狂い始めていた。

 民のために戦うオレルアンの誉れある狼騎士団が民から奪う立場にあることはどうしたことか、

 勿論、そうしなければそもそもオレルアンが滅びるから、というのも理解はできる。

 それでも、心情というのは現実とはまた別のところを走るもの。

 

 オレルアンが連合を名乗り、ボアが台頭して来る頃からそのズレは致命的になっていった。

 パレス奪還を命題とし、南下政策を推し進めるにはオレルアンはその補給に問題があったが、移動途中の徴発を繰り返し続け、敵対的な勢力と道中で戦うと大いに掠奪行為を推奨するような──勿論、名目上はそんな言い方はしないが、取り繕おうと掠奪は掠奪だとロシェは考える──振る舞いを常態としていた。

 

 それでもロシェが今日までハーディンに従ったのは、今も彼に高潔な魂を見せることもあったからだ。

 ニーナとの歩み寄りも狼騎士団としては望ましいものだった。

 オレルアンという国が歴史の中核であるアカネイア王国と一つになる、それもハーディンのもとにとなれば、我が故国こそが大陸の中心であると言って差し支えないからであった。

 

 ハーディンはロシェを呼ぶと、非公式ではあるが腰に帯びた剣を彼に授ける。

 

「ハーディン様、これは一体?」

「お前は他の者と違い、意識の違いから大きく苦しみながらも、それでも私に付いてきてくれた

 これからの戦いもそうした立場の違いから諫言をしてくれることを期待している

 お前に渡すこれは長く私の身を守った剣、擬剣ファルシオンと名を与えられたもの

 これからはお前の身と心を守ってくれることを祈って、お前へと授ける」

「……ハーディン様」

 

 ロシェは受け取るべきかを悩んでいた。

 その職を辞して、戦いのない生活を求めて旅に出ようかと考えていたからだ。

 ハーディンへの忠義を失ったわけではない。

 ただ、ウルフたちのような絶対の忠義を示せない以上、これからの戦いで心の揺らぎがあるものは軍を脅かしかねないと考えていたのだ。

 

 だが、騎士は主へ恥を欠かせるような真似はできない。

 ロシェは剣を拝領すると、

「一層の忠義を示します」と頭を下げた。

 

 ……その後だ。

 その剣は寝ても覚めても、彼の心を苛む。

 何故、ハーディンを疑うのか。

 その疑う心を持つ自分を嫌うのはどうしてか。

 本当はオレルアンの戦いが間違っていると思っているのではないか、であれば、

 

 正すべきはロシェ自身の仕事ではないのか。

 

 正義を為せ。

 秩序を為せ。

 信義を為せ。

 

 為せ。

 為せ。為せ為せ。

 

 剣はロシェ自身の声で心の中へと叫び続けた。

 

 ───────────────────────

 

 擬剣ファルシオンは光のオーブより生み出されたものである。

 それは聖戦士たちに渡されるものより、技術的には一つ前の世代のものであり、

 ガトーが研究のためにと多くの要素を詰め込んだものである。

 

 簡単に生み出しているようではあるが、擬剣ファルシオンは前もってガトーが調整を重ねたものであり、

 与えられたもの以外が持っても強い力を発揮しないことが多い。

 

 持ち主の心を強化する、光のオーブ由来のその指向性を絞った機能がある意味で特筆するべきものであり、

 これによって持ち主は大陸の平和を求め、異物を排除するというガトーの思想に影響されることとなる。

 影響が少ないものと大きく影響されるものの違いは根底的な考え方の違い。

 サムトーのように状況の変化に対して特に何も思うことがない人間には何の効力もない。

 しかし、オグマのように異物に対して強い拒否反応を持った人間には極めて大きな影響を与え、人格やその性質までを歪めてしまう。

 

 ロシェはどうか。

 異物に対しての拒否反応は強い。

 ただ、それはガトーが考えた異物、つまりはレウスに対する意識ではない。

 そう、本来の持ち主ではないものが持った結果に変質をもたらした。

 他のものでは影響などなかったかもしれないが、ロシェは狼騎士団の誰よりも深い懊悩の中にいたからこそ、光のオーブの力を発露させてしまったのかもしれない。

 

 暫くの間、ロシェは自室から出てくることがなかった。

 ビラクやザガロが彼を心配して部屋に訪ねても「風邪をこじらせただけだから」とだけ返ってくる。

 数日後に皆の前に姿を表したロシェは以前と変わらずではなく、むしろ狼騎士団が全員一眼となってハーディンを支えようと奮闘していた頃の彼を思わせるようであった。

 

「ロシェ、大丈夫か?」

 

 ビラクはそう問う。

 

「勿論

 それに、何もかもが上手くいくよ」

 

 ロシェは明るく笑って見せる。

 その腰には汚れなき銀の剣が柔らかい光を湛えていた。

 



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もう一人の影

 ボアはガトーに要求し、それによって得た戦力を満足気に見ていた。

 それは研究の果てにひとまずの完成を見た守り人たちである。

 完全に自我から切り離されただけではない。

 この守り人は自らの主の意思を受け取り、それを人間のように効率的に思考し、実行する機能を持っていた。

 言うなれば絶対的な忠誠を誓う、大陸随一の騎士団を手に入れたに等しい。

 そのいずれもが守護騎士(ガーディアン)であり、擬剣ファルシオンによって武装している。

 

 ガトーとて使い潰すつもりの守り人を渡しているわけではない。

 送ったそれらはクリスという『失敗作』を打破するために一から研究し直されたものであり、

 この守り人一騎で旧来の守り人十人分の仕事をこなすものである。

 

 ボア、ひいてはオレルアン連合の敗北はガトーにとっての敗北にも繋がりかねないことである。

 白き賢者からしてみれば唯一にして絶対の勝利条件とはレウスを打倒することである。

 そのためであれば、かつてのガトーであれば人間には過ぎたる力として協力するなどありえないような、強力な守り人という兵器すら投入させた。

 

 これだけではない。

 

「先代ノア……いやさ、漂流物を纏った今のお前には、

 ララベルが鎧から判別したという名で呼ぶべきかもしれんな」

 

 ボアはその全身甲冑の騎士に呼びかける。

 守り人は返す言葉も持たず、礼を取った姿勢のまま立っていた。

 

「赤獅子騎士オウガ、以後はお前はそう呼ぼうぞ」

 

 騎士は先代のノアであり、その弓の実力はジョルジュに引けを取らぬものである。

 守り人として『調整』された彼はこの大陸最高峰のものとなっている。

 それだけではない、その鎧も弓も狭間の地からもたらされた最高峰のもの。

 ララベルが運んできた漂流物を先んじて検閲し、没収したものである。

 

「全ては覇王のために」

 

 謀略家ボアは自らの仕事の成就を心待ちにしていた。

 あと一歩、あと一歩で成就する。

 

 パレスを手に入れ、アカネイア王国を再び作り出す。

 正当なる継承者ニーナは離れた。

 オレルアンのハーディン如きにアカネイアは勿体ない。

 であれば、アカネイア王国を真に思うべき人間がそれを達成してやるべきであろう。

 

 そう、このボアこそがアカネイア王国の……いや、アカネイア大帝国の建国王に相応しいのだ!

 

 ───────────────────────

 

「あのっ、その……」

「どうしたの?」

「……本当にこのまま普通の村娘に戻ってもいいんでしょうか?」

「そりゃいいでしょ、だって求む住民

 魔法や杖が使えるものには優遇措置あり……って書いてあるし」

 

 青色の髪をした少女は心配そうな紫色の髪の少女に答える。

 

「そ、そうではなくって!

 私たちは戦う力があるのに、その」

「戦わなくてもいいのか、って?

 そんなの戦わせたい人たちにやらせればいいのよ

 それに、やるべきことはみんなしちゃったんだから、十分平和のために貢献はしたって」

「でも、クリス……」

「心配性だねえ、カタリナは」

 

 神の視座と呼ばれるものがある。

 ガトーが語るそれは彼の居丈高な文句のためだけにあるものではない。

 予知以外にも世界を広く見渡す、大いなる俯瞰能力である。

 人間には過ぎたる力ではあるが、それでもそうした奇跡を持ってしまうものは少なくない。

 

 クリスと呼ばれた少女は、戦乱の中で名を隠して人助けを行い続けていた。

 彼女もまた、マルスとの未来が消えたことを知った一人であり、

 しかし、「死んだものは仕方ない」とあっさりと方針を転換する。

 彼女はチェイニーと共にいるクリスと異なり、自分がどこから来たか知っているからこそ、それを重く受け止めなかったのかもしれない。

 人助けの行脚の中で紫色の髪の少女カタリナを助け出した彼女は二人で人助けの旅を続けた。

 

 彼女たちの活躍は影の英雄とも呼ばれるに相応しいものであり、様々な事件に首を突っ込んではいるものの、やがてはチェイニーと旅をするクリスの物語として集約されるのだろう。

 彼女はそれでいいと思っていた。

 

 少し前の出来事を思い出す。

 あれに深く踏み込んでいればまた違う歴史の物語に立たねばならなくなっていただろう。

 

 ───────────────────────

 

 夜、闇に紛れた森。

 倒れている少女の側に立つクリスの姿がある。

 

 ここに立つことは定められたこと、ナーガとの約束であった。

 カタリナには心配させたくないからこそ、こっそりと宿を抜け出してここまで来た。

 

「流石にやりすぎでしょ

 そんな小さな子を拐うなんて盗賊か海賊のお仕事だよ、まったく」

 

 血糊で切れなくなった鉄の剣を投げ捨てながら、クリスは言う。

 

「何者だ、貴様」

 

 その装備から盗賊か海賊かなどと言われたものの、そうではないことは明らかだ。

 魔道士の集団で、それも装備も整っている。

 だが、彼女はその振る舞いを賊だと切って捨てたのである。

 

「名乗りは自分からって教えてもらわなかったわけ?」

「たわけたことを」

「ま、こっちはマクリル爺ちゃんに仕込まれてますからぁ?ちゃーんと名乗りますけどね

 私の名はクリス、『あっち』じゃあ撹拌者(アリティアサイクル)って呼ばれてた……って、こっちじゃあ知名度もなにもないか

 とにかく、王子様の名代としてここにいるってわけ」

「王子?

 どこのだれのことを言っている」

「アンタたちが知る必要のないお方だよ」

「ならば、その口を割らせてくれる」

 

 木々に隠れた魔道士たちが杖を向けるのがわかる。

 魔道の、戦争の道具として発展が一面的には遅れているがゆえに量産されなかった遺物、スリープの杖。

 数を揃えてそれを放つ。

 

 クリスはゆらりと動くと、まるで杖の魔力の行く先を目で見ているかのようにそれらを避ける。

 

「ガーネフの手下に比べりゃ、こんなもんだよね」

 

 一瞬で距離を詰めると、いつのまに拾ったのか、捨てたのとは別の鉄の剣が振るわれる。

 次々と切り裂かれる魔道士たち。

 やがて数は最後の一人まで減らされた。

 

「わ、我らは五大侯がラング様に雇われた魔道士ぞ」

「で?」

「邪魔立てした結果どうなるかわかって」

「別に今からおたくの雇い主のトコにいって大暴れしたっていいんだよ、こっちは

 でもそんなことは信条の問題でしたくないからね

 余計なこと言わないでよね、信条破りたくなっちゃうから

 ……で、ラング様に雇われたって言ってるけど、ラング様だって幼女が欲しいからって狙ったわけじゃないんでしょ?」

「……」

「誰に頼まれたのさ」

「い、言えるわけが」

「ガトー?それともボア?」

「……」

「あ、そう」

 先程捨てた鉄の剣を拾う。

 

「こういう切れなくなった剣で斬られるのって地獄の苦しみなんだよね、死ぬに死ねないから

『あっち』じゃあ王子様の目につかないように情報を拾うために事故に見せかけて使ったっけな」

 

 魔道士に一歩近づく。

 脅して言っているのではない。

 その瞳はまるで日常的に恐怖を感じさせる行いを続けていた、戦乱の落とし子と言うべきもの。

 逃げようにも、足がもつれた。

 

「安心してよ、拾ったきずぐすりなら沢山あるから」

「ひ、……よ、寄るな!」

「寄るに決まってるでしょ、話を聞かなくちゃいけないんだから」

「ぼ、ボア様だ!ボア様がラング様に依頼した!

 我らは元々ミロア様から贔屓にされていたのだ!今の主はボア様で、彼は恐らく誰かに取り入るためにあの少女を捕らえよと……!」

「それがなんでラングが出てくるのよ」

「ボア様がラング様に価値のある人間で、持っていれば迎えが来て、守り人なりなんなりを渡してくれるだろうと持ちかけたのだ!

 ラング様が強くなれば五大侯はアリティアと戦う力を増す、そうなれば連合の強化に繋がるからだ!

 ボア様には表向き軍権があるわけではないから、あまり多くの兵士が抱えられないのもあるだろう!

 既にあの方は守り人を集める計画も進めていると聞いている!」

 

 知っていることを全て、何もかも話し始める。

 筋道立てられてない話もあったせいで、すぐに理解ができないこともあったが。

 

「持ってる杖も、魔道書も置いていきなよ

 勿論、あの娘もね

 そんで故郷にでも帰って土いじりでもして過ごしな

 次戦場でその顔を見たら」

「わか、わかった!故郷はもう無いが、兄弟はグラに移住して林業をしているという!

 わ、私も林業の手伝いをして過ごす!もう戦いはごめんだ!頼む!命は!」

 

 一度折れた矜持を立て直すことは難しい。

 その約束をさせたクリスは満足げに頷く。

 

「なら、行っていいよ」

「か、感謝、感謝する!」

 

 何度も転びながら魔道士は逃げていく。

 それだけ、クリスの姿が恐ろしかったのだろう。

 

「傷つくなあ、とは言えないか

 随分汚れちゃったもんね、この手も」

 

 壊れた剣を再び捨てると、樹木を背にして寝かされているチキを見つける。

 彼女に向かいがてらにスリープの杖を片っ端から破壊する。

 せっかく、こっちじゃあこの手の品が出回らないような状況になっているのに、この場所からまた拡散したら面倒なことになりそうだ、と彼女は判断した。

 

 チキを背負うと、歩き出す。

 朝になる前に戻ればカタリナから叱られずに済むだろう。

 優しい彼女にこんなことをしたなんてのは知られたくない。

 

「流れつけたのはナーガ様が遺されたご加護だろうから、そのときの頼みは聞きますけど、これっきりですからね」

 

 誰に言うわけでもなく、クリスは呟いた。

 



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サムスーフの乱

 頼まれた仕事であるチキを助け出し、別の場所で眠らせることを果たした彼女たちは英雄から二人の少女である立場に戻った。

 

 ドルーア教区とも呼ばれ、帝国の今後の発展の中核ともなる場所に家を貰い受けて平和に過ごすことを決めていた。

 

「ナーガ様の頼みは聞いたし、あとはこの世界の人達のお話だから」

 

 クリスは遥か遠くとなった故郷を思う。

 ちょっとした事故に遭ったことで漂流物扱いになったのは驚いたものの、それでいいかとも思っていた。

 なにせ元の世界では助けられなかったカタリナをここでは助けることができたわけだし、

 

(まあ、本当はそういう介入(カタリナの救出)もするべきじゃあないんだろうけど……)

 

 カタリナは見られていることに気がついて、照れくさそうに笑う。

 

(……ま、いいよね

 私なんか目じゃないくらい暴れてる聖王様もいるわけだし)

 

「どうしたんですか、クリス」

「なーんでもないよ

 さあ、申込み事務所に急ごう!」

 

 クリスはカタリナの手を引いて走る。

 

「わわっ、危ないですよ!」

「あはは!」

 

 聖王レウスは確かに大陸を混沌の坩堝に変えた。

 だが、それによって全てが悪い方向に狂ったわけではない。

 クリスはもしもレウスに味方がいなくなってしまうようなら手を貸しに行こうとも思っていたが、

 それが杞憂だとわかった頃にようやく荷を降ろせた気持ちになった。

 

(影の英雄は十分に働いたんだから、もう休んでもいいよね、マルス様)

 

 ───────────────────────

 

「急報!急報!」

 

 伝令が軍議の中に飛び込んでくる。

 ミディアはぎらりと睨むようにして「何事か!」と怒鳴るようにして問うた。

 

「サムスーフ地方で大規模な反乱です!

 五大侯から離反した貴族たちが中核ですが、

 ガルダから逃げていた傭兵やレフカンディからも五大侯ではなく連合とことを構えたい貴族たちが集まっているとのこと!」

「ええい!あの無能め!無能なアドリアめ!手綱も引いてられんのか!」

 

 ミディアが怒りを露わにする横でアストリアが、

 

「首魁は誰だ?」

「ベント侯を名乗る若者だそうです」

 

 それを聞いたジョルジュは

「ベント侯には何人か公にされていない落胤がいるとは噂されていた

 そのうちの一人かもしれんな」とアストリアに告げる。

 

「ええい!今サムスーフに動かれるのは困る!

 ガルダを守るという名目でモスティンに出張られれば全てがご破産だ!」

 

 ミディアの叫びに、

 

「ああ、そうだとも

 だからこそすぐさまその火は消さねばならぬ」

 

 ハーディンが応じた。

 

「動けるものですぐに向かう、だがこの状況で万が一他の貴族に動かれても困る

 ウルフ、ザガロは国境の防衛を

 ミディア殿とアストリア殿は首都の鎮護をお願いしたい」

 

 ミディアは戦いに赴きたいという顔をするも、流石に盟主の前で抗言などできるわけもない。

 

「ハーディン様、私も付いて行きたく思います」

「な、何を仰るのです、ニーナ様」

「今、離反したとは言え五大侯の人間と正面から戦うのには問題が多すぎます

 私ならばベント侯爵を説得できるかもしれません

 どうかお連れくださいまし……」

 

 ミディアはその姿に、なんと健気なと涙を流している。

 

「……わかりました、あなたのことは必ず私がお守りします

 共に参りましょう」

 

 ハーディンはニーナの手を掴み、真摯な態度で約束を誓う。

 

 事実、ここで五大侯から戦力が流出するのは拙い。

 しかし、ベント侯が説得に応じてくれるというのであれば五大侯から離反した戦力がそのままオレルアン連合へと流入する、

 つまりは味方が増える可能性が大いにある。

 今のニーナの手腕であれば十分に威光と話術で実現できる、ハーディンはそう信じていた。

 

 ───────────────────────

 

 ベントと名乗る若者は存在しないかのように彼は黙して語らず、側にいるものが代わって命令を飛ばしていた。

 

 黙して、というものを信じるのはなぜかと言われれば理由は一つだった。

 

 彼──ベントは強かった。

 圧倒的に強かったのだ。

 サムスーフ家が立つまでに彼は幾つもの戦いを越えていて、その実力はサムスーフや他の五大侯の知るところとなっていた。

 

 言葉を用いないのは圧倒的な力を持つ武人は言葉でなく武力で語るからであり、

 目的はサムスーフが五大侯の一派と思われることを苦々しく思っているからであり、

 つまりは武力に依る独立こそがサムスーフ家の正しき行いであると側に使えた男が告げた。

 

 それに乗っかるものが多かったのには他にも理由がある。

 

 ラングたちのやり方である。

 

 サムスーフ家がタリスにて敗北したあとに五大侯はかなり強引な手でサムスーフを接収した。

 生き延びた有力な氏族たちは暗殺され、残ったものは武力を背景に従わされたのだ。

 

 例え、ベントと名乗った若者が偽物だとしてもその力は本物であり、それによって五大侯に一泡吹かせて、

 上から目線の連合がへりくだって取り入ろうというのが見れるならば離反するに十分な理由となった。

 

「オレルアン連合が動いた!

 ベント様が前線に出る!諸君らは打ち合わせの通り右翼と左翼に分かれて迎え撃つのだ!」

 

 側仕えの男が声を張る。

 

 ベントが大きな槍を空に向ける。

 それは無言であるが、何より雄弁な開戦の合図だった。

 



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赤獅子騎士

 のしのしと歩いてくるベント侯。

 前線の兵士たちは止めるためにも彼に殺到するも、その槍が振るわれる度に兵士たちは枯れ木が薙ぎ払われる倒されていった。

 

 側仕えもまた、ただの腰巾着ではない。

 扱う魔道書は大したものではないが、主君であるベントを上手く盾にするようにして立ち回った。

 ベントが討ち漏らしたものを的確にとどめを刺していく。

 えげつないが、効果的な戦術だ。

 

「待ちなよ!

 ここから先はオレルアンが狼騎士団、ビラクが通しゃさせねえぜ」

 

 騎兵が現れるも、意に返さずに槍を向ける。

 

 その一方、離れている本陣ではニーナは戦いの様子を見ていた。

 

「ハーディン様、やはり説得に向かわねば」

「このまま向かうのは危険です、敵兵の動き次第では囲まれてしまいますから

 ビラクが上手く誘導できれば説得の機会も得られるはずです

 もう暫しお待ちを」

「……わかりました」

 

 ニーナのその勇気はハーディンにとって心強いものだった。

 戦乱に立ち向かうのが自分だけではないと思うだけでいくらでも戦える気がした。

 

 その側で二人を守るロシェもまた、二人の姿が眩しかった。

 汚れなき銀の剣の光と同じか、いや、それ以上にと思えるほどに。

 

(それでも、過ちを正すことを為さねばならない)

 

 群れから離れた孤狼の心を解するものは、ここには誰もいない。

 

 ───────────────────────

 

 ビラクがじりじりと後退する。

 勿論、そうした作戦であるからというのはあるが、それ以上にこのベントを名乗る戦士の槍は想像以上の鋭さであるのが理由でもある。

 狼騎士団随一の攻めを持つビラクだが、決して守りが苦手なわけではない。

 普段はフォローに回ったり、必要とされる配置に意識的に向かうように動いている。

 スーパーサブ的な立ち回りが多いからこそ功績に隠れて実力が表にはならない。

 しかし、本気で戦えば狼騎士団の誰よりも高い実力があると、彼を除いた近習たちは評価していた。

 

 そのビラクが圧されていた。

 

「やるねえ、正直五大侯の力なんていかほどかなんて思っていたが、考え直すべきだな」

「……」

 

 槍が目まぐるしく攻めと守りを交換する。

 それでも一歩、また一歩と後ろへと下がらせられていった。

 オレルアンの武人としてそれが悔しくもあるが、作戦通りであることだけは慰みにもなる。

 

「アリティア聖王国との戦いが控えているのに、どうして今反乱なんて起こしたんだい

 連合と五大侯が倒れちまえば何もかも終わりなんだぜ

 反乱で力を削いだってのは聖王さんは評価しないと思うがね」

「……」

「まったく、無口な大将だぜ」

 

 確実に説得するために有効な距離まで近づきつつある。

 ハーディンもニーナも、それをじつと見守り、機会を伺う。

 

 ロシェはその姿に少しだけ身を動かす。

 誰もその動きが意味するところを気付けるわけもない。

 

 刹那。

 

 風切り音も置き去りにした矢がニーナを貫いていた。

 

 ───────────────────────

 

「……殺した、確実に」

 

 ノア──いや、オウガと名付けられた聖戦士が呟く。

 ボアの使いはまるで見えなかったし、遠すぎた目標を見ることもできないが、この鎧騎士が言うのであれば間違いないのだろうとした。

 何せボア様のお抱えであるのだから、と。

 

 事実、オウガの矢は確実にニーナを捉えた。

 

「……」

 

 オウガは残心するように着弾地点を見ている。

 使いは「何かありましたか」と疑問を口にした。

 

「いや……矢から対象を守ることができる位置にいたと思っていたが……気の所為だったのかも知れぬ

 どちらにせよ仕事は果たした

 この場所の露見も絶対にないとは言えない、撤退するぞ」

「は、はい!」

 

 オウガはかつて、アカネイア王国を守るために死ぬまでその陣地を退かずに矢を打ち続けた護国の鬼であった。

 ジョルジュの父であり、彼を大陸一の弓騎士というあだ名を世に広めた人物であるが、それは何も己の名誉のためにやったことではない。

 自分の子が追い詰められるほどに力を発揮することを理解していたからであり、そのあだ名が広まれば世間を騙すために本当に大陸一になる可能性があったからだった。

 己を踏み越えて弓使いとしてアカネイア王国を守る鬼を作るためにジョルジュを鍛え上げる、その一環であった。

 

 事実、彼の死後にジョルジュは紛れもなく大陸一の弓騎士に相応しい実力に開花し、今もその名は不動のものである。

 だが、オウガは聖戦士として……いや、魔将として二度目の生が始まった時点から、その実力がどれほど育ったかを疑問視していた。

 彼は追い詰められていない。

 もっと追い詰められれば、もっともっと強くなるはずだ。

 

 彼を追い詰めるためには何をするべきか。

 それは簡単だ。

 オレルアン連合を混沌とさせ、敵意と戦場を日常に持ち込ませればよい。

 そのために何をするべきかはオウガが考えるよりも、より効率的な地獄を作り出すことを現在の主君であるボアが考えていた。

 

 ノアはボアとは犬猿の仲とまでは言わないものの、徹底抗戦をするべき、打って出るべきだという主張のノアとは反りが合わず、ドルーアとの戦いが始まってから舌戦を交えたのは一度二度ではなかった。

 結果としてボアの判断もあり、ノアは前線で命を落とすことになった。

 それが今では死んだ後に魔将として蘇らされ、主君として戴くことになるとは数奇な運命だとオウガは思う。

 だが、それを不快感に思うような気はしなかった。

 

 何せボアはジョルジュを、或いはこの大陸の戦士を鍛え上げるために理想的な環境を作る庭師として見れば、これほどの逸材はいないからだ。

 

 先代ノア、いや、赤獅子騎士オウガはこの大陸の趨勢などもはやどうでもよかった。

 それはアカネイア王国のために死に、聖戦士(魔将)として蘇らされてから情勢を知ってからだ。

 もはや愛すべき、忠を向けるべき国はない。

 であれば、背負うものもなくたった一匹の武人として乱世の天下にて遊ぶだけである。

 



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偽ニーナ

「ニーナ様?」

 

 ハーディンが駆け寄る。

 

「は、ハーディン、様……

 お怪我はありませんか?」

 

 怪我などあるはずもない、狙われたのはニーナのみ。射たれたのは一矢のみ。

 

「誰か!誰かある!」

 

 ハーディンが叫ぶ。

 陣内にいる杖持ちが数名駆け寄ってきた。

 

「いいのです、この傷は、助かりません……それよりも、ハーディン様」

「そんな、助からないなどと」

 

 致命傷を受けた彼女は指折りで数えるだけの残り時間を使い、言葉を伝えようとする。

 

「どうか、この大陸に平和を……ただ一人の王を戴く、永遠の国を……」

「そこにあなたがおられなければ何の意味もないのです、ニーナ!」

「……人に踊らされ、そして、次は神に踊らされた人生でした……ハーディン、あなたもでしょう

 でも、あなただけは、そんな軛からどうか、抜け出してください……」

「置いていかないでくれ、ニーナ!」

「……ハーディン、愛して、います……」

「ニーナ!!

 そんな……ああ、あああ……どうか、目を開けてくれ、ニーナ、頼む……」

 

 ハーディンが慟哭を空に叫ぶ。

 彼の側に槍が一つ、音を立てて足元に突き立った。

 それは誰かが彼に向けて投げたものではなく、何らかの──恐らくにしてワープの力によって──置かれたものだろうことがわかる。

 ハーディンに向けて送られたものなのか、ワープがあればニーナが救えたのだろう、他にも様々な考えがよぎってもおかしくない状況で彼はそれらを思うことはなかった。

 

 その槍を掴むと、確かな足取りでベントへと向かう。

 瞳からは滂沱の涙を流し、やがてそれが血涙へと変わり、ビラクの横を通り過ぎる頃にはそれらは止まっていた。

 血によってなのか、赤に染まった瞳をビラクに向ける。

 

「下がっておれ、ビラク」

「……は、ハーディン様?」

 

 ビラクには後方の様子が正確にはわかっていない。

 だが、ハーディンの慟哭と今の彼を見ていれば察することはできる。

 

「仕組んだのはお前たちか」

「何の話か検討がつきませんな」

 

 ベントの側仕えが答えると、ハーディンは「わかった」とだけ言って踏み込んだ。

 本当に一瞬の、それも全員の意識の間隙を縫うような、ほんの一息でハーディンの槍は振るわれ、次の瞬間にはベントも側仕えも血を吹き出してその場に倒れた。

 正確に喉笛と動脈を断たれたからであろうか、何度か二人はもがくも、やがて動かなくなる。

 

「……首を晒せ

 そして生き残ったものも、従わぬものは同様にして街道に並べておけ」

「は、ハーディン様」

「二度は言わぬ」

「ご命令の、通りに……」

 

 ビラクはよほどのことがなければ動じたりはしない。

 しかし、ハーディンのその豹変ぶりには流石のビラクも従う以外の言葉も出せなかった。

 

 ハーディンはゆっくりとニーナの元へと歩く。

 その道程で彼はもはやいなくなったニーナに向けて呟く。

 

「見ていてください、ニーナ

 あなたの望む通り、人も神も何もかも滅ぼしてみせましょう

 それが例え、神気取りの男の力を使うことになったとしても……」

 

神気取り(ガトー)』から与えられたであろう、その槍を忌々しげにも握り、そう誓う。

 

 ───────────────────────

 

 ハーディンがベントへと向かったあとのこと。

 ニーナが死んだことを確認した杖持ちたちはハーディンに何かあったときのためにとロシェとニーナのもとから離れた。

 

「為すべきことを為していきましょう」

 

 ロシェはニーナの亡骸がせめてこれ以上汚れぬようにと自らの外套を外し、彼女に掛ける。

 

「あなたが死んで、一つの混沌が終わり、秩序への道のりが開かれました」

 

 彼は視線を亡骸からベントへと向かったハーディンに移す。

 

「あなたの恋人が死ねば、秩序の礎が確かとなる」

 

 立ち上がると、ロシェは矢が放たれた方を見る。

 

「これを手引したものが死ねば、正義が果たされる」

 

 腰に帯びた汚れなき銀の剣を撫でる。

 

「黄金律は破られ、次なる律が作られる

 王のもとに、ただひたすらに、王のもとに」

 

 光のオーブは人の心を活性化させる。

 それが制御化にあって為されるならば問題はない。

 しかし、制御もなく果たされる活性は人の精神を変質させる。

 

 急進的な意識の変革と、目的のみを見据えた意識へと矯正と強制を受けたものを余人は正気とは呼ばない。

 

 ロシェの瞳の色は鈍い金色よりも鮮やかな黄色(おうしょく)とも言えるものへと変じていた。

 

 人は、そうした人間の状態を発狂と呼び、ロシェはまさしく光の色に染まって狂っていた。

 

 ───────────────────────

 

「そうか、よくやった」

 

 報告を受けたボアはオウガに付いていた側近を下がらせる。

 守り人を使い、サムスーフを蜂起させ、ニーナを暗殺した。

 ハーディンはもはやこちらが何もせずとも覇王の道を進むだろうが、上手く誘導してやればより早く願いは果たされるだろう。

 

 ベントとして扱った守り人が殺されたのは出費としては痛いが、それでも支払うに値する活躍だ。

 アカネイア大帝国に必要なものはパレス。

 そしてパレスを獲得したあとにするべきはハーディンの対処である。

 

 それも準備さえ怠らなければ難しくはないだろう。

 徹底的に覇道を突き進ませて、大量の流血に染まったあとに狼騎士団を少し揺さぶってやれば……。

 

 自らの(たなごころ)で連合と五大侯が弄ばれている。

 それを見るのは痛快だった。

 本物のニーナがどうしているかは興味がない。

 幽かな噂ではカミュを打ち破ったなどという話もあるが、ありえないことだ。

 

 影武者が死んでしまった以上、新たにニーナを用意するのは難しい。

 いや、ガトーがノアに、いや、オウガにやったように死者を蘇らせる力を使わせれば……、

 いやいや、ガトーが持つ力をこの手に収めることができれば……。

 であればどのタイミングでガトーから技術や力を盗み奪うか……。

 

 考えれば考えるほど、無限に謀略が頭の中で引かれて止まらない。

 圧倒的な万能感に酔いしれながら、ボアは次の策略を練るのであった。

 



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ギムレーには早すぎる

 その拠点はガトーにとっての最後の聖域である。

 魔将を生み出し、聖戦士を調整し、守り人たちの量産も行うための拠点であるテーベの一帯は、

 太古の時代にガトーがナーガによって与えられた聖域の一つであった。

 

 エッツェルが神竜石を回収し、それを受け取ったガトーはすぐにこの聖域へと閉じこもった。

 功労者たるエッツェルには「別命があるまで好きにしておれ」と告げた。

 今彼がどこにいるかもしらないが、ガトーにとってはエッツェルの動きなど知る必要もない些事である。

 

 魔将はとどのつまり、死人を操るための技術を発展させたものにすぎない。

 オームのように時間も状況もそっくりそのまま巻き戻すかのようにして蘇らせる奇跡とは違う。

 それでも、魔将を作り出すには膨大な魔力や儀式が必要であり、誰もが簡単に行えるようなものでもない。

 

 ガトーは魔将を作り出すことに成功していた。

 全てはかつての時代にロプトウスの名のもとに暗黒神の復活を夢見たものたちの凄惨な研究と実験の成果だった。

 それでも彼らは魔将を生み出すのには苦労していたようだが、人の身から離れた強大な力と知識を持つガトーからしてみれば、やり方さえわかれば容易いことであった。

 

 死体と生前の象徴物さえあれば、比較的高い確率で魔将として構築することができる。

 ノア──オウガとも呼ばれているそれ──はその立場から多くの象徴物を残しており、失敗する確率がないほどに高精度に魔将として作り出すことができた。

 

 オウガでは取れなかった情報ではあったが、死から時間が経っていなければいないほど、魔将は生者と変わらない作りで構築できることも実証された。

 ユミナの死を扱うことで。

 

「ユミナよ、この杖を持て」

「……はい、ガトー様」

 

 今のユミナは傀儡も同然である。

 ガトーの命令には全て従うように作られた魔将。

 手紙を書けと言えば、彼の目的を自分の言葉として考え、記述できるほどに人間的な振る舞いを行える。

 

 渡したのはオーム。

 王女でなければ使えないという厄介な制限(ロック)を持った杖であり、ナーガ手ずから構築した制限はガトーですら解除できないもの。

 その杖が持つ力はまさしく奇跡そのものがゆえに。

 

 前述の通り、あらゆる状況を無視して死者を蘇らせる力があった。

 オームの杖は特別な祭壇がなければ使えないものだが、この聖域は全体が祭壇と同様の力が働いている。

 ただ、その力をより高めるために祭壇そのものは別途用意していた。

 そこに対峙するようにユミナは杖を構えている。

 

 ガトーは祭壇に神竜石を置く。

 

「神竜の魂をここに」

 

 続けて、彼は短刀で自らの腕に傷を付けると赤い血がぼたぼたと祭壇に垂れ流される。

 

「神竜の血をここに」

 

 そして、掌を上へ向けると一振りの剣がそこへ転移して握られた。

 剣の名はファルシオン。

 擬剣ではない。ナーガが人間に与えた、正真正銘の神器である。

 祭壇へ捧ぐようにして剣を置く。

 

「神竜の骨をここに」

 

 ガトーは小さな祝詞を幾つか唱えると、聖域に蓄積されている魔力が祭壇へと注がれていく。

 

「神竜の肉は魔力にて、全ての要素はここにある」

 

 ユミナもまた、杖を行使するための祈りを終える。

 

悪魔(フォルネウス)(しるし)より源流(エーギル)の流れを正しきものへと変え、

 ここに今一度蘇らん!偉大なる神よ!我ら全ての神!ナーガよ!!」

 

 オームの杖が起動する。

 凄まじい魔力と、そして光が辺りを包み、やがてそれらは緩やかに収まっていく。

 光の中心には小さな人影が一つ。

 

 目を閉じていたそれが、ゆっくりと開く。

 

「……」

 

 だが、喋るという機能を持たないのか、それとも喋る気がないのか。

 

 その姿はかつてのものとは違う。

 銀色の髪に真っ赤な瞳、整った顔立ちは人形のようであった。

 

「ナーガ、目を覚ましてくださったことをまずは喜ばしく思います」

 

 諦めたように小さく吐息を漏らすナーガ。

 

「我が奇跡たるオームと、人に授けし救済たるファルシオンを消費し、よもやギムレーの御霊まで使い潰して、私を蘇らせたのか」

「どちらも人間のために与えたもうたもの、しかし人間にもはやその価値はありませぬ」

「このような儀式を使わずとも、いずれ黄金律が私を眠りから覚ましただろうに」

「それでは遅いのです

 ご不快であっても、どうかお目覚めになられたナーガの力を大陸のためにお使いください」

 

 ナーガは理解している。

 これまであった全てを。

 神の視座とは、まさしくそれであった。

 だからこそ、哀れに思えた。

 

「ガトーよ」

「はい」

「では、何を為そうとする」

「……救済を」

「いいや、違うであろう

 お前が本当のことを言わぬならば私は何もしない

 正直に自らの立ち位置と目的を私に伝えなさい」

 

 有無を言わさぬ迫力があった。

 それが少女の姿のようであっても、纏うのは偉大なる神竜のそれである。

 

「……わしは、レウスを、いやレウスによって穢されたこの大陸をあるべき形に戻すために尽力する

 あらゆるを滅ぼし、それでも生き延びる数少ないものたちを使い、もう一度やり直す

 必要あらばアドラ一世のようなものであっても喜んで呼び込もう

 歴史を繰り返すためならば、そのためにわしは……」

 

 一度、ユミナを見る。

 彼女はその視線には何の反応も見せない。

 

 意を決するようにしてガトーは言う。

 それを口にしなかったのも、他人(ユミナ)に言われて激昂したのも、それを認めてしまえば自分もまた、レウスが作り出した変質の渦中にいることを頷くに等しいことだからだ。

 それでも、ナーガの言葉には従わねばならない。

 だからこそ、続けた。

 

「わしは……魔王となりてこの大陸の破滅のために動く

 ナーガよ、あなたはわしの道具として大陸の平穏(破滅)のために使わせてもらう」

 

 ガトーの言葉と同時に、ナーガが苦しむ声をあげる。

 彼女の体には紋様が淡く光を発して浮かび上がっていた。

 レナにも刻印したものだが、あれは失敗作であった。

 可能であればレナを外的に操り、レウスへの切り札にしようとも思ったが、精神力のたまものか、制御する力はむしろ自らの魔力のそれに使われることになり、外的な制御を受け付けなくなってしまった。

 だが、その失敗から学び、発展させたものがナーガに刻印したそれである。

 

「神竜王ナーガの力は今や、わしのものだ」

 

 ぎちりとガトーが笑う。

 

「レウスよ、見ておれ

 貴様もまた、平穏(滅び)へとナーガとわしの手で送ってくれよう」

 

 ナーガはガトーに憐れみだけを向ける。

 

(彼奴をこうしてしまったのは自分のせいであろう、

 私が黄金律を持って、エルデの獣の座から離れ、この世界へと渡って紋章の獣となった私の責任だ

 だからこそ、ガトー

 お前にも必ず滅びが訪れよう、その時は私も共に──)

 



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孤独な道

 ミシェイルは幼少の砌から天才として扱われていた。

 高い知性と精神は年齢に比さない優れたものであり、大人顔負けの弁舌や政治手腕、そして武芸すら達者にこなした。

 国は、そして父もまた彼を天才として扱う。

 しかし、

 

(天才なものか

 ただ、他のものより目を覚ましたのが早かっただけ……

 見た風景をなぞっているだけに過ぎない)

 

 ──当時の彼はいつも心でそう返していた。

 

 ミシェイルはその血に由来せず、強力な予知を持って生まれた。

 それはニーナが持つレウスの戦いの追体験の如く、極めて正確な形で本来あるべき歴史をなぞるものではない。

 しかし、ニーナに匹敵するほどに正確なその力で、今存在する歴史でもないものを辿っていた。

 

 その歴史が終わるまでを見続け、そして再び違う歴史を俯瞰する。

 繰り返される予知は幼い彼を強引に成長させただけであった。

 

 それ故にミシェイルは早期からドルーア帝国への備えを求めていたが、しかし他の歴史同様にそれは受け入れられなかった。

 だからこそ、本来の歴史よりも早い段階で彼は父を手にかけていた。

 それでも遅かったというべきか、世界の流れもまた早く、そして彼の知らない形で動いていた。

 

(俺が持つこの違う歴史を辿る力は他のものも備えているのか

 だとしたなら、他のものも自らが求める形で世界を触ろうとしている)

 

 ──当時の彼はそのように推察する。

 

 ミシェイルの目的はあくまで故国のためであったが、やがてその意識は変質していった。

 それは予知そのものの危険性、いや、予知そのものを排するべきであるというもの。

 予知によって本来の歴史は変わり、世界はより過激な戦乱へと向かっていった。

 未来を知るからこそ回避しようとする歪みが、世界を醜く変えていくようなおぞましさがあった。

 

 予知はどこから来ているのかと古い文献を調べ続けた結果、

 それはナーガからもたらされているのではないかという話に行き着いた。

 ミシェイルは神が与えた力であれば、神にはどう触りようもないかと諦めかけた頃に転換点が訪れた。

 

 それはアリティア王子マルスの死であり、いずれの予知にも存在しなかったレウスという男の登場だった。

 それでも最初は彼が気にするほどのものでもなかったが、やがて歴史を動かす存在へと育つ。

 最初にミシェイルがレウスに期待をかけて目的を修正したのはオレルアンに放っていた密偵から得た全てを灰にしたという噂、そして次にはアリティアを解放した頃には明確に評価を構築する。

 遂には紋章教団、そして高位の竜族すらその手に収めていくのを見るとミシェイルは目的すら修正した。

 

 レウスであれば予知の出現を終わらせることができる。

 つまりはナーガを殺すか、或いはこの世界にある神が敷いたと考えられるルールを破壊することができるのではないかと。

 

(だが、どうやってそれを頼みとする

 ……いや、俺らしくもない

 父を殺したときに決めたとおりに動くのみだ)

 

 ──当時の彼は頼るではなく、流れを作ることにこそ手段を見つける。

 

 彼は嫌悪されるような存在を演じてみせた。

 妹をアカネイアパレスに送り、マリアを要塞に閉じ込め、白騎士団の自由を封じる。

 しかし、マケドニアの主力はレウスにはかち合わないように策を練った。

 ときには飛竜の谷から来る野生化竜族の迎撃を理由に、ときには各地の遠征軍の組織のためなどと。

 

 ミシェイルがそこまで手を入れずともレウスは上手くやってみせたろうと思いはするも、

 それでも一分一秒でも聖王国が成熟するならば国を操って、自らの目的をレウスに託していた。

 

(ナーガ……ナーガが死んだのか?)

 

 ──当時の彼はそれを予知して目眩がした。

 

 彼の予知はこの歴史のものではない情報ばかりが来るが、強い思念を感じた場合はその限りではなかった。

 それは早馬の告知のように幾つかの予知能力者に与えられているのかもしれないが、確かめようもなかった。

 今わかることは倒すべきナーガが死んでいたことと、

 そして、ガトーがナーガを蘇らせたことであった。

 

(……いや、この情報は予知能力を通じてナーガ自身が我々に与えたのか?

 であれば、彼の神竜王の目的は俺とも一致しているのかもしれん)

 

 ガトーが狙うは、間違いなく聖王国とレウスだろう。

 であれば、ミシェイルが行うべきは……。

 

(マケドニアは任せることもできた、討つべき神(ガトー)を倒すべくするには……準備が必要か)

 

 大陸の地図を見る。

 中央とアカネイア地方は聖王国の色に染まっている。

 東西に連合、グルニアが存在している。

 この両勢力を聖王国に食わせれば、ガトーも出てくる他あるまい。

 

(いや、孤軍になる前に手を打つはずと考えれば、聖戦士だとかいうのを東西の戦いに投入してくるだろう

 ……俺の最後の仕事は)

 

 レウスたちをより強い状態で保ち、ガトーに当てる。

 それこそがミシェイルが自身の仕事と定めたことだった。

 

(予知の形を変えたのは新たなナーガか?

 かつての俺であれば怒りに狂ったかもしれないが、今は違う

 お前の悲鳴が聞こえるようだ

 ……わかっている、レウスたちが持つ全ての可能性を注がねば勝てぬのだろう)

 

 ミシェイルは自らの命を惜しまない。

 予知が消えれば、自分のように苦しむものはいなくなるだろう。

 ミネルバの子やマリアの子が自分のようになってほしくないからこそ、彼は命を使う。

 

(俺を慕って付いてきたものよ、すまぬ

 その生命、マケドニアの未来のために、アカネイア大陸のこれからのために……俺にくれ)

 

 人の心のないような男と振る舞うミシェイルではあるが、彼は誰よりも人の心を備えている。

 だからこそ、揺れる心を抑えるのに、感情こそを何より縛り上げていた。

 そして、これよりは更に強く私心の作用を管理する必要がある。

 

(ナーガよ、お前の依頼は確かに受け取った)

 

 ──現在の彼はそう覚悟を改め、その為に己の心を制御すると決めた。

 

 幼き日より、この身もこの心も全て捧げている。

 

 全ては大陸に住む予知持たぬものたちの未来のために。

 いつか自分も予知持たぬものへと辿りつくために。



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我が意を誰が知るや

 テーベにはもはや得られるものはない。

 ナーガはガトーにそう宣言し、大陸の北西にある、テーベから見れば北の地方への移動を勧めた。

 そこは隔絶された地方であり、仮にそこ以外の全てが聖王国のものとなっても軍を保持し、戦争を始められるだけの防備を固められる場所であった。

 

 ガトーもその進言に従う。

 元より彼もそのための準備は以前より進めており、魔将や守り人、聖戦士と彼らが使う装備などを作る施設は作り終わっているのだ。

 

 その地を誰が呼ぶものでもないが、ガトーはナーガ教国区と名付けていた。

 

 ───────────────────────

 

 ナーガ教国区、遥か遠方まで見通せる塔にナーガは立っていた。

 忙しく動き回るガトーと違い、ナーガの立場は暇とすら言えた。

 

「……ガトーよ、魔王と呼ばれるような立ち振舞、私には愚かとは断ずることはできない

 力を使い果たし、眠りに付いていたままに死んだ私の咎であろうな

 明確な目的を言わず、主観に満ちた平穏などという言葉を使ったのも……」

 

 銀色の髪が風に揺らされている。

 彼女はただ独り思う、そしてその心を言葉にして吐露していた。

 

「だが、我ら神竜族が人間を導けたことなどあっただろうか

 悪魔とまで呼ばれてしまったフォルネウスとて、もとはそうではなかった

 元は命の秘密を解き、我ら竜族を救おうとしていたものだと忘れてしまったのか」

 

 自らの手を見やる。

 

「いや、誰より竜族であったお前が、人と交じわるなど不可能であったのだな

 私のために竜であることを捨ててくれたお前に……私は何もしてやれない」

 

 この手でガトーを導いてやれたのではないかとも思う。

 だが、既に巻き戻してやり直すことなどできるわけもなく。

 

 ゆらり、と彼女の影が揺れ動き、そこから姿形こそ似ているが、少年的な容貌をした似姿が現れた。

 

「愚かな『私』よ、であればなぜ早々に黄金律を捨てなかった」

「ふふ、ギムレーか

 喋れるということは私の意識を取り込んだのかな」

「神竜王が嫌味か

 黄金律あるかぎり、いや、お前()がナーガであるかぎり、取り込まれているのは私の方だろうに

 元より私はお前が無限に生み出す源流(エーギル)を模して作られたものであり、いつかお前がその役目を終えて、休ませるために生み出された代替装置に過ぎない

 忌々しいが、今の私にできるのは」

「私の話し相手くらいなものか」

「そうだ、やがては世界を絶望の暗闇をもたらすこの邪竜が、だ

 ……いや、この予知すら無意味なものか」

「ああ、我らは既に新たなる道を辿っているのだ、その通りに歩めるかはわからない」

 

 振り返り、ギムレーを見やり、ナーガは言う。

 

「哀しいか」

「……そうだな、そうなるはずの世界から捨てられたような気分になる」

「私を超えうる神の座に手をかけるはずだったからか」

「神の座など、お前を見ていてなりたいとも思わぬ」

「だから世界を壊そうとした、黄金律ある限り私を止められないからこそ

 お前もガトーも、まったく……その慈悲を他のことに使えたなら」

「その言葉は自らに刺さるぞ、導くを誤ったのだと自分で思って傷を抉るだけだ

 止めておけ

 自分の姿が悲しみにくれているのを見るのは、なんとも心に悪い」

「ギムレーが心か、ふふ

 そんな言葉をお前から聞けるとは、この世界も悪くないのかもしれないな」

 

 バツが悪そうにしてから、ギムレーは改めて問う。

 

「どうする、ガトーの準備が終わり東西を利用し、聖王国がガトーたちとぶつかっても」

「良くて五分五分」

「そこにガトーの側にナーガの力が加われば」

「一割に満たない勝率となる」

「このままでよいのか、ナーガ」

「ガトーが刻んだ紋章があるかぎり、私に動けることはない」

 

 ギムレーはその表情に曇りがないことに気が付く。

 そうして、彼は笑う。

 

「まったく、どちらが邪竜かわからぬと思ってしまう」

「長く生きていれば悪あがきの一つ二つはできるようになる

 ……ガトーと共に滅びてやるためにも、やってやらねばならぬことがあるのだ」

 

 自分の写身のような姿を持つナーガが悪い顔をすれば、まったく、ここではない未来で人々が自分を邪竜だと言うわけだと客観的に思うギムレーだった。

 



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破暁

「フレイ将軍!国境の関が破られました!

 防衛隊は全滅、敵軍は尚もこちらに進軍!!」

 

 アリティアの暁を破ったのは敵襲の報告であった。

 

「勢力はどこか!」

「北グルニアです!」

「悪党どもめ、だが……グルニアに使者を送り続け、いずれもそれらが生きて戻らぬ時点でグルニアは北グルニアをこうして使うつもりだったということか」

 

 準備を整え、戦列を従えて国境線を睨む。

 そこからは雲霞の如く敵兵が迫っていた。

 しかし正規兵とは異なり、いずれもが好き好きな装備に身を包んだものたちによる、まるで統率もない突撃だった。

 

 フレイはそれを見やり、毒吐きたい気持ちを抑える。

 

「本国に伝えよ」

 

 伝令にフレイが言葉を渡す。

 

「北グルニアの戦力、統率なし

 しかし、ここの戦力はいずれもが強者に猛者と見受けられる、国家との戦いに比するものと心得られたし」

「しかとお伝えします」

「それと、陛下と女王殿下にも頼みたい」

「は!」

「我が忠義、これにて幕と相成ります

 どうか大陸に永き平穏をお与えくださいますよう、祈っております」

「……承知、しました」

 

 伝令は馬を走らせる。

 フレイは迫る敵軍の強さを理解していた。

 そして、彼らをここから先に通すということは、恐るべき略奪が始まることを示している。

 一兵でも多くを倒し、足止めし、再侵攻までの時間を稼ぐ。

 

 そのためには命を使い果たさねばならないことを歴戦の勘が告げていた。

 

「思えば、不思議な御仁であった

 レウス陛下、あなたは何者なのでしょうな

 ……いや、何者でもないからこそ、これほどの偉業を達成できたのか……

 願わくば偉業の完成をこの目で見届けたくありました」

 

 馬首を敵へと向ける。

 

「アリティアの精兵よ!

 国境を守りし偉大なる壁たちよ!

 我らが背にはこの国の未来がある!アリティアの、この大陸の数千年に渡る平穏がある!

 今日ここで我らは命を以て、その未来を守るのだ!

 命を惜しむな!我らが命は今日このときのために与えられたのだ!」

 

 フレイは槍を振るう。

 応じるように兵士たちが声を上げた。

 

「フレイ将軍が率いる西方防衛軍、一兵の脱走兵もなし!

 命を惜しむもの、一兵もなし!」

「征くぞ!アリティアのために!」

「アリティアのためにッ!」

 

 フレイが突撃していく。

 その背を追って全軍が突き進む。

 その言葉に一切の偽りなく、一兵の脱走者もなく、そして、一人の生存者もまた残ることはなかった。

 

 ───────────────────────

 

「フレイ将軍が討ち死になされました」

 

 ドルーア地方から一度、アリティアへと戻ったオレへの最初の報告は予想もしないことだった。

 この世界には即時通信という概念がない。

 そして、情報を取りまとめておくウェブストレージなんかあるはずもない。

 だからこそ、不意にもたらされる情報が考えもしないものであることは起こり得る。

 

「……もう一度、頼む」

「ふ、フレイ将軍、討ち死にとの報告です

 西方より北グルニア軍が攻め、それを国境へと押し込むために……」

「グルニアに使者は送っていたはずだろう、誰も戻らなかったのか」

「はい……誰も」

 

 ぎちち、と拳が強く握る。

 そこらのものに当たり散らしたくなるが、そんなことをすれば「王としての格に障りがある」とフレイにたしなめられるだろう。

 

「北グルニアに兵を出せ、陣容はリーザにやらせろ」

 

 女王リーザは政治だけの女ではない。

 その優れた能力は拡大し、分厚くなったアリティア聖王国の人材を見て、未だにその軍略家としての才能を超えるものは現れていない。

 それは人材が揃っていないからではない。

 リーザの才能がそれだけ傑出しているからだ。

 マルスが歩む歴史でガーネフやモーゼスが彼女を殺したのは、その才能を恐れたからであったのかもしれないなどと思ってしまうほど。

 

「オレは」

 

 単身で殴り込みに行く、と言おうとしたときにもう一つの報告が上がってきた。

 

 五大侯軍、南下し、アカネイア地方の一部を制圧。

 ラングの名で書状とそして箱が一つ届けられていた。

 

「……」

 

 箱は一度、危険がないかの確認で開けられている。

 危険物ではないのだろう。

 今更ラングが、それも攻めた後に何を送ってくる?

 

「……へ、陛下……それは」

 

 書状と箱を持ってきた兵士は極度に何かを恐れている。

 オレは箱を開けた。

 

「バヌトゥ……」

 

 そこにあったのはマヌーと共に聖王国に加わった竜族、バヌトゥだった。

 バヌトゥの首がそこに収まっていた。

 そこら中に傷があり、ひどく拷問されたのがよくわかった。

 

 バヌトゥはアカネイア地方各地を回って、助けきれていない人々を連れてパレスや、或いは他の街で保護してもらうための活動に従事していた。

 そうした人道的行いが竜族と人族の軋轢を少しでもなくすことになるだろうから、と。

 

 だが、その行いは隣人によって無惨にも破壊された。

 

 書状には簡単な宣戦布告が書かれていた。

「今回は五大侯がラングの監督していない隙を衝いて行われたこと

 しかし、こうしたことになったのはそもそもアリティアが五大侯やその友好国の土地を奪ったからであり、

 正しいことを行ったのだから非難される理由はない

 これらの土地は父祖より我らのものであり、以後の侵略は人道的見地から許されるものではない」

 

 オレはそれをくしゃりと潰すことすらせずに、近くにいた文官へと渡す。

 

「……リーザに西方は任せたと、しかと伝えておけ」

「は、はい……」

「バヌトゥを運んでくれたことに感謝する、よく休むといい」

「……は」

 

 文官と兵士がそれぞれに緊張した面持ちでオレの言葉を受け取る。

 ああ、きっと今のオレはひどい顔をしているのだろう。

 

 ぐい、と不意にオレを抱き寄せるものがあった。

 

「怖い顔、しないでください」

「……シーダ」

「全てを燃やして何もかも消してしまおうとしているみたいに」

 

 ああ、そんな顔をしていたのか。

 

「戦いに行くあなたを止めることなんてできません

 それに、お義母さまの代わりにクロムとルキナを守らねばならないから、あなたと一緒にもいけない……

 だから、せめてそんな顔のまま出立しないでください

 私は不安で、……胸が潰れてしまいます」

 

 オレがそこかしこを走っている間、帰る場所を守り続けていたのはシーダだった。

 待っている間もずっとオレが帰るかを不安に思っていたのだろうことがようやくわかった。

 

「……ああ、すまない」

 

 オレは自分の頬をぱしんと叩いた。

 

「さくっと思い知らせて、さっさと帰ってバヌトゥのやり残した仕事もやってくる!

 クロムとルキナを頼んだぞ、きっとそっちのほうが激戦だ」

 

 無理をして明るくしてるなんてバレバレだろう。

 それでもシーダも微笑み、頷いてくれた。

 

「お戻りをお待ちしております、あなた」

 

 そうだ。

 オレが好き勝手に暴れて喜ぶやつのほうが少ないんだ。

 あのバヌトゥがそんなことをしてほしいはずもない、無事に戻りチキや竜族たちのことを見てやってくれと頼むことだろう。

 だが、それでも、竜族と人間の作りかけの架け橋を壊した連中には報復があるということを教えてやらねばならない。

 



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古道具整理

 エルレーンの渡してくれた杖は目に見えて効果を発揮した。

 無論、廃人からもとに戻るほどの力はなかったものの、日に二時間ほど正気を取り戻した。

 やがて正気を保った時間も三時間、四時間と長くなる。

 使用回数もそれなりにあったお陰で、マリクとリンダは幸せな時間を過ごせているようだ。

 

 だが、正気の時間は長くなっても、この時間そのものが長く続くわけではない。

 正気を取り戻す時間があることを嗅ぎつけたアカネイア騎士団がマリクを前線へと向かわせるために現れた。

 

「リンダ、逃げて」

「でも……マリクは」

「僕が時間を稼ぐから」

「そんな」

「……リンダ、お腹に子供もいるんだろう

 その子を幸せにしてあげて」

 

 わしはその別れに水を差す気にはなれない。

 先に外に出て、先に時間を稼ぐことにした。

 

 現れたのは天馬騎士であった。

 万が一我々が抵抗でもしたときに被害が出ることを恐れ、別の人間を使ったのだろう。

 

 その瞳には意思の色はない。

 ガトー様が作られた、守り人と呼ばれるものだろうか。

 それとも聖戦士なのか。

 わしにはその違いはわからない。作ることが同じほどに罪を生んでいるということしか。

 

「頼む、もう少しだけ時間をくれまいか」

「……」

 

 天馬から降り、わしの横を通り過ぎる。

 止められまい。

 であれば、やれることは

 

 わしは杖を構え、その力を発揮した。

 廃人を癒やすほどの力。

 しかし、彼女のように自我を奪われていそうなものに影響はあるのだろうか。

 

「う、ああ……」

「目を覚ますのだ、天馬騎士」

「わたし……は、……み、ミネルバさま……」

 

 杖を見やる。

 

「あなたが、私の意思、……を?」

「もう少しだけなら正気を与えられるかもしれぬ

 それを行う代わりにあの娘を逃してやってはくれまいか」

「……わ、か、……しまし、た」

 

 杖にもう一度魔力を通し、彼女の自我が戻ることを祈る。

 遂に杖はその力を失い、ぱきんと音を立てて壊れてしまった。

 

「誰を、連れて……いけば?」

「リンダ!早く来るのだ!

 今なら逃げることができる」

 

 室内には分かれ難くしている二人。

 しかし、マリクは手を掴んだまま、リンダを出入り口へと連れてきた。

 

「彼女をお願いします」

 

 マリクの声に天馬騎士は頷く。

 

「マリク、いやよ!

 せっかく……せっかくこうしてまた話せているのに」

「リンダ……愛しているよ」

「私もよ、マリク

 私もあなたを愛している」

「こんな僕を愛してくれてありがとう、どうか幸せに」

 

 天馬騎士の戻りが遅いことに気が付かれたか、アカネイア騎士団が迫ってきてきる。

 

「行きま、……しょう」

 

 彼女と共に天馬に乗ろうとした時に幾つもの手槍が二人めがけて飛ぶ。

 リンダはそれとほぼ同時に杖を振るうと氷の壁がその攻撃を防いだ。

 浮上までの時間を稼げた天馬はそのままぐんぐんと高度を増していく。

 

 リンダとマリクは最後まで見つめ合っていた。

 

「すまぬな、マリク……わしが不甲斐ないばかりに」

「いいえ、先生

 あなたのお陰で僕は大切な人を見つけることができました

 先生もどうかお逃げください

 僕さえいれば」

 

 ───────────────────────

 

 どすん、と重い音を立ててウェンデルがマリクの前から消える。

 彼は槍に貫かれ、軽々とその後方へと投げ出されていた。

 

 槍の出どころは騎士団の中央。

 ミディアが手槍を再び構える。

 

「せ、先生?」

「マリク……すまなか……った……

 もっと早くに……お前を……他の国に……連れて、いれ……ば……」

 

 その言葉を最後に、ウェンデルは動かなくなる。

 

「あああ、先生、先生をよくも!」

 

 魔力が一気に吹き上がる。

 魔道書を掴む。

 しかし、それと同時に

 

「すまんな、マリク」

 

 声がマリクの後ろから聞こえたと思うと、当て身を受けてふらりと彼は倒れた。

 立っていたのはアストリアだった。

 

「お前と戦えば被害も出る

 そして、まだお前を、兵器としてのお前を失うわけにはいかないというのがアカネイア王国側の見解だ」

 

 アストリアはお行儀のいい騎士ではない。

 ミディアと共に添い遂げられるならば、どのようなものでも犠牲にできる男であった。

 それが例え人道や人品であったとしても。

 

「確保は完了した、戻るぞ」

 

 アストリアの声に、ミディアは

 

「カチュアが逃げたようだが、よかったのか?」

「そう簡単にはガトーが渡した力の影響からは逃げられないだろう

 戻ってくるか、そうでなければもしかしたならレウスに特攻を掛けるのかもしれん

 どうあれ、こちらに損は出まい」

「そういうものか」

「ああ、それにアカネイアに忠誠を持つでもないものを戦力の中核に置き続けることなどできまい

 誇りある騎士団としては、だ」

「当然だ、ボア様がどう考えようと不純なる存在は誉れある我らアカネイア騎士団にはまったくもって不要

 我らの力だけで十分だ、アリティアを滅ぼすことなど」

 

 凛々しくもそう宣言するミディア。

 アカネイア騎士団の一同は拍手でそれを迎えた。

 表情こそ変えなかったが、アストリアだけは別のことを思っていた。

 

(我らの戦いは大いに不利、だが……死するその時まで共に在るぞ、ミディアよ)

 

 アカネイア騎士団に逃げる心などなく、そして逃げる場所もない。

 彼らの終着点は勝利か、死しか存在しないのだ。

 



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悪党ども

 東西の諸問題は即座にアリティア聖王国がその矛先を向けることとなる。

 

 西には聖王国女王リーザが指揮するアリティア軍。

 ホルスタットを中核として、フレイの仇を討つべくして集まったノルン、アラン、サムソンの四侠。

 カダイン魔道学院から組織された魔道兵団、元ドルーア難民で結成されたドルーア友の会と呼ばれる義勇兵たち、サムソンと共に来たグラ領兵、そしてアリティアの正規軍がその内実となっている。

 

 東には現人神たるレウス、そして紋章教団の双神であるロプトウスとナギを中心として、

 マヌー率いるドルーア、ペラティの竜族。

 マケドニア飛兵の取りまとめ役を任されている白騎士団パオラとエスト。

 アカネイア地方軍の指揮をエリスが担っている。

 

 西には北グルニアの悪漢たち。

 歴史に名を残さぬようなものたちではあるが、闘技場でも知られた人間であったり、理性を残していながらむしろ凶暴なままの竜族たちは軍として機能せずとも恐るべき戦力となっている。

 

 東には五大侯の一部貴族たちと、そして物言わぬ兵団が大量に配備されている。

 報告によればまるで守り人のようであったともレウスは聞かされている。

 それらこそが五大侯が作り上げた、彼らの都合に合わせた守り人もどき、通称『隷属者』たちである。

 

 ───────────────────────

 

 リーザはフレイたちが使っていた要塞から敵陣を眺めている。

 いや、陣とは呼べない、群れである。

 

「全部隊、配置が完了したとの報告が上がってきました」

 

 ノルンはリーザと側で護衛と、そして得意の超長距離狙撃で要塞から攻撃を行う手筈となっている。

 そしてリーザもまた、

 

「全ての将兵よ!」

 

 その声は凛として響く。

 拡声器も無いというのにその声は敵陣にまで届いていた。

 魔道兵団がウィンドを利用した魔法によって音を大きく響かせているのだ。

 

「我らアリティア聖王国を作るに尽力したフレイ将軍はかの悪逆どもによって命を奪われた!

 ここで正義を示さねば、我らの国は再び悪逆によって奪われることになる

 次は我が子か、愛する人かもしれない

 だからこそ、我らは今ここで戦いを行う必要がある

 我らが土地に手を出し、血を流させた悪に鉄槌を下し、聖王国の名に負いし(ひじり)を轟かせるのだ!」

 

 各地から同意を示す雄叫びが上がる。

 それを聞きながら、リーザは片手を挙げて、雷撃の魔法を空へと射つ。

 それに合わせるようにして城壁や城の前に構えていた魔道兵たちも同じように魔法を打ち込む。

 これこそがリーザが開発した空から降る王位の怒り。

 

「ミョルニルッ!」

 

 リーザが空に掲げたままの手を振り下ろすようにすると、敵の群れに巨大な稲妻の柱が落ちてくる。

 爆音と光が戦場に響き渡ると、それが戦いの火蓋を切る合図となった。

 

 ───────────────────────

 

 北グルニアで旗振り役をしているのはゾンタークという男である。

 

 ノルダの闘技場ではその強さからカードが組めないほどになっていた斧使いの勇者であり、

 アカネイア地方がアリティアの支配下になった頃に混乱する街から逃げ出し、闘奴の身分から抜け出した。

 しかし、結局流れ着いたのは北グルニアであり、他にあてもないので闘技場の戦士に収まっていた。

 

 彼の新たな縄張りとなっていた北グルニアの闘技場で一際鮮烈な勝利を続けていたリカードとの戦い、引き分けた。

 

 この北グルニアの蜂起は元々、彼が考えたことではない。

 

 それから遠くない日に再会したリカードが言うのだ。

 北グルニアを扇動してアリティアを攻めたらどうか、と。

 何を言っているんだ、こいつは?と思ったが、リカードの話は実に興味深いものだった。

 このあたり一帯で戦えるものは既に扇動できる状態にあって、あとはこの街が立ち上がればその背には強力な悪党どもが付いてくる。

 アリティアに痛い目を見せれば、グルニアはより北グルニアに及び腰になる。

 その後はアリティアではなくグルニアを攻めて、悪の国を作ればいい……。

 

 リカードは手始めにアリティアの国境近くにある集落を示し、そこへ仲間を連れて好き勝手してみろと言う。

 確かにそこなら手勢だけでも十分にやれる。

 暇も持て余していたし、ゾンタークはそれに従った。

 だが、彼と共に来たのは手勢だけではなかった。

 その街の大体の悪党たちが「ついに外で遊ぶのか」「ゾンタークはいつかやってくれると思っていた」などと口々に言っては、彼の命令に従って集落を攻め、散々に蹂躙した。

 

 ゾンタークは酔いしれた。

 大群で敵を蹂躙する楽しみを。

 そして、それに従ったものたちもまた、闘技場なんて小さな枠組みでは楽しめない娯楽を知ってしまった。

 

 リカードが次に示した関所攻めに従えば、今度は北グルニアの各地から悪党たちが現れて、やはりゾンタークに従った。

 次はアリティアの将軍を倒し……いよいよその戦力は北グルニア全体が、アリティアと正面から戦うことになった。

 ゾンタークたちは周りで味方が死んでいくのも構わずに突撃を行う。

 ここを蹂躙したあとはグルニアだ。

 大量に味方は死ぬだろうが、最後に勝つのは自分たちだ。

 今までの突撃し、仲間の死を踏み越えて勝利してきた。

 今回もそうなるだろう、ゾンタークは確信していた。

 



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愛だろ、愛

「馬鹿は扱い易くていいなあ」

 

 リカードは戦場を俯瞰しながら独り言ちた。

 政府なき無法地帯である北グルニアでは、発言権の強い人間を数名手の内抱えれば簡単に操縦ができる。

 その有力者を数名魔将に仕立て上げて、ゾンタークの援軍をしてやれば雪だるま式に悪党たちは戦場へと向かった。

 

 ──時間は少し戻る。

 リカードやマリーシアが幾人かの魔将を含めて会議を行っている。

 ガトーはこうした会議を好まず、また彼自身も暗躍に忙しいため参加していない。

 

「でも北グルニアを西側の戦争の発火点にって、どうするのさ

 おいらそういうの考えるの苦手なんだけど」

「そんなのお互いに攻める理由を作ればいいだけじゃない」

「例えば?」

「グルニアは王族でも拐って、助けて欲しかったら攻めろとか言えばいいんじゃないのお?

 あー、グルニアの旗を振ってたくさんちょっかい掛けるのもいいかもしれないわよね」

 

 リカードとマリーシアの会話に割り込むように

 

「退けぬ理由を作ればよい、特に大国側のものを」

 

 オウガが言う。

 

「リカード、貴殿の任務は今も?」

「続行中だよ、流石にもう送って来ないとは思うけどね」

「であれば──」

 

 彼の話を聞くと、マリーシアはけたけたと笑う。

 

「悪辣ねえ、アカネイア貴族ってほ~んと怖ぁい」

「ふ」

 

 マリーシアの煽りもオウガの前では子供の愛嬌としか捉えられない。

 彼女はその態度につまらなさそうにする。

 

「では、ご助力をいただいてもよろしいですな、ユミナ殿」

 

 ───────────────────────

 

 用意されたのはユミナ直筆の手紙。偽りの日付が書かれている。

 内容は北グルニアとの秘密裏の同盟であり、彼らがアリティアを規定回数攻め、戦力を喪失させたなら北グルニアの領地をゾンタークと、そして魔将と化したものたちに与えるという内容である。

 それらを携えたものたちが殺されればアリティア側にそれは露見する。

 

 勿論、『今まで通り』アリティアもグルニアも話し合うことなどできない。

 そう日も経たないうちにこの戦乱の最後を彩る戦いが始まるだろう。

 

「……おっと、この状況を止めるためにも流石に動くかあ

 おいらの仕事は暇にならないなあ」

 

 リカードは目の端に人間の命を捉えた。

 グルニアからの使者だろう。

 

 彼は忍び寄り、いつものごとくにして、仕事をこなすのだった。

 

 ───────────────────────

 

「介入できないのが歯痒いか」

「介入などしないほうがいいのはわかっている」

 

 ギムレーの声にナーガはそう返した。

 

「我らのことを受け取ったミシェイルはどう動くかな」

「動くまい」

「何故そう思う」

「ミシェイルの狙いはこの大陸の平和ではなく、予知という呪いの解放だからさ」

「今度こそ完全な形で殺されることを望むか」

「黄金律を殺しきれるものを彼ならば連れてくることもできるはずだ

 今のこの東西の戦いは──」

「悲しいことだが、所詮は人間や竜族たちの諍いか」

 

 ふと、ギムレーがなにかに気が付いた素振りを見せ、ナーガの影へと戻る。

 次の瞬間には魔法陣が現れ、その煌めきが褪せたときにはガトーが立っていた。

 ギムレーはワープの予兆を察知したのだろうとナーガは思う。

 

「望みの兵隊は揃ったのですか、ガトー」

「殆どは、しかし必要なものが足りないのだ

 ナーガよ、その力を借り受けるぞ」

 

 杖を取り出したガトーはナーガに向けて構える。

 その瞬間に彼女の周りには魔法陣が現れ、拘束するようにして彼女を苦しめる。

 

「紋章よ、我が命令のもとにその動作に意思を与えよ」

 

 ナーガに刻まれた紋章が彼女の自我を無視して、肉体と魔力の動作を行い始める。

 

「やめなさいガトー、この力をみだりに使うことは許されないことをわかっているでしょう」

「ええ、ですが最上級の魔将を作らねば勝利はなく、必要だからこそその力を頂戴するのです」

 

 杖に込められるのはオームの力。

 神竜王ナーガはその黄金律の力を杖に封じることでオームの杖を作り出した。

 しかし、何度でも使えるというわけではなく、この大陸での無念の死を蓄積してようやく行うことができる条件付きのもの。

 最初のオームはアンリの時代の無念を注いで作られたもの。

 そして、今のオームはその時代とは比べ物にならないほどの無念が存在するこの時代らしく、数度の使用に堪えれるほどの魔力が込められた。

 

「使用者の制限のないオームの杖、あなたが最も危険視していたものだったが、安心されよ

 このガトーが責任をもって有効活用するが故に」

「ガトーよ……それほどまでに、この世界が憎いのか」

 

 苦しげにナーガは言う。

 ガトーはそのナーガに対して少し悩んでから、そうして思っていたことを言語化したからか、まっすぐに言い放った。

 

「これは……わしの──愛だ」

 



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逃走と闘争

 ふらふらとした軌道で天馬がタリスに近付いてきた。

 ガルダの港を封鎖されていることもあり、厳戒態勢だったタリスはすぐさまそれに気がつくが、射落とすことはしない。

 天馬に乗っていたのが二人の女性であり、明らかにどこかから逃げてきたのだろう様子が見て取れたからだ。

 

 その対処に現れた人物に天馬騎士はもう片方の女性を預けようとする。

 

「……この、方を……どうか」

 

 天馬騎士……カチュアは息も絶え絶えというべきか、意識も絶え絶えにリンダを引き渡したい旨を告げていた。

 

「おぬしはどうするのだ、そのような様子で」

 

 相手はタリス王モスティン。

 精強という言葉が大陸で一番似合う男だ。

 その筋肉はもはや山の如くであり、

 高齢であろうというのに老いというものに完全に打ち勝っているようですらあった。

 

「わたし、は、……いかねば、なりません……この、自我が、消える、前に……」

 

 彼女は天馬に飛び乗ると、空へと駆け上がる。

 

「……オグマと同じく、その心を染められたのか」

 

 モスティンは怒りに震えそうになる。

 しかし、すぐにそれを収めた。

 

「この女性を休ませてやらねばな」

 

 抱きかかえると彼女を宮廷へと運ぶ。

 現状は全ての国交を断絶させられているタリスではあるが、それまではアリティアから多くの技術供与を受けており、杖による医療技術の進歩の恩恵に預かっている。

 このタリスであれば十分に彼女を守ることもできるだろう。

 

「あの鞍の紋はマケドニアの白騎士団、となれば……」

 

 飛兵が進んだ方向はアカネイア。

 得られる情報の強度こそ下がったものの時事はしっかりと拾えている。

 アリティアはアカネイアで起こった竜族の殺人事件と領地侵犯を解決するために兵を興した。

 

 となれば、あの飛兵はレウスの元へと言ったのだろうか。

 

「……婿殿よ、オグマのようにはしてくれるなよ」

 

 老王は手出しできないことに歯がゆく思いつつも、カチュアの道行きを祈るのであった。

 

 ───────────────────────

 

「五大侯に従うカスどもッッ!

 逃げろとは言わん!抗ってみろとも言わん!

 主の罪、その利子代わりにお前たちを殺して支払ってもらうッ!」

 

 聖王レウスの激昂が戦場に轟いた。

 

 脅しではない。

 既に彼の周りには大量の死体が転がっている。

 愛馬に跨ってない理由も、敵兵たちは今完全に理解している。

 下馬している方が剣を振るって一兵でも多く殺すのに易いからだと。

 

 一歩踏み込むと、五大侯の兵士たちは五歩引いた。

 しかし、こことは違う場所では怒りのままに暴れる竜族や、奪われた土地の怒りを顕すかのようにして戦う紋章教団の双神、ロプトウスとナギの姿もある。

 

 五大侯の兵たちの一部が武器を突然投げ捨て、或いは泣き始める。

 レウスの恫喝が心を砕いたわけではない。

 

「心を素直になさい……」

 

 エリスの優しい声が響く。

 弱っていた兵士たちはまるで赤子に戻ってしまったようになった。

 

(おいおい、マフーか

 そりゃあ普通の兵士じゃ触れただけでどうにかなっちまうってのに、そのどうにかなる具合も制御しているのか、エリスは……)

 

 レウスはその様子に激怒を敵には見せながらも、内心ではぞっとしていた。

 恐らくにして、もはや魔王となっていた歴史のガーネフよりもマフーの扱いに関してはエリスのほうが上であろう。

 手足どころか、自らの心と一体になっているのだから習熟度に差が出るとは言え、その扱いの上手さは才能の一言で片付けるにはあまりにも見事なものだった。

 名のあるものや指揮官の心は崩せなくとも、こうして広い範囲の兵士たちに影響を与えられるとなると戦場での駒の一つとして見れば、その性能はレウスを遥かに凌いでいる。

 規模で言えばロプトウスやナギに匹敵するものだ。

 

「さあ……もう、怖がらなくていいのです」

「ああ……あああ……」

 

 兵士たちはひれ伏すようにしてエリスに叩頭する。

 文字通り、額から血を流すような勢いで、だ。

 

「自らを苛んではなりません、ですが、罪は精算しなければならない

 違いますか」

「あああ……ああああ……」

 

 兵士たちは滂沱の涙を流し、どうすればいいかを求めるかのように手を空に掲げる。

 

「同じように苦しむ仲間を、説得しにいきなさい

 戦いを終わらせるのです」

 

 それを聞いた兵士たちは

「そうだ、戦いなんてあるから」「罪を精算し、貴族なんて辞めるんだ」などと口々に何か言いながら、正気の兵士たちへと向かって、戦いを止めろと言い始めた。

 もはや戦局は変えられないだろう。

 雪崩れるようにして勝機はアリティア聖王国側へと傾いていく。

 

 それでもまだ、この戦いが終わったわけではない。

 油断はできないのは変わらない。

 

 怒り狂って暴れて、何もかもを殺し尽くしてやるとレウスは息巻いていたが、マフーとエリスによってもたらされた無垢な毒気に満ちた状況にレウスの毒気が抜かれた。

 

「……レウスさん」

「エリス」

「あなただけではありませんよ、心からバヌトゥ様たちの死を悼み、怒り、嘆いているのは」

 

 だから、とエリスは続ける。

 

「一人で背負いすぎないでください、その罪も、後の世代が感じる私達への畏怖も」

「はー……

 わかったよ、エリス

 そうだな、確かに気負いすぎていたかもしれん、ありがとな」

 

 まったく、王様になれる奴らはすごいな──レウスは改めて思う。

 マルスにしろ、誰にしろ、人の上に立つってことはそれだけで才能が必要だ、と。

 

「オレは大勢に支えられないと上手いこともやれないし、悪人にもなりきれない」

「支えてくれる者を集めるのも王としての人徳と才能、ですよ」

「格好もつかないが、それがオレの王としての姿か」

 

 ええ、とエリスは頷く。

 レウスもまた、自己認識を見つめ直すのであった。

 



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実験動物

 時間はカチュアが姉妹たちと別れた頃にまで遡る。

 

 急ぎ飛ぶ彼女は突然、空気の壁のようなものに叩きつけられて落下した。

 とはいえ、飛兵でもエリート中のエリートであるカチュアは空中でもなんとか制動を効かせ、落下死は免れた。

 天馬もまた、大きな怪我もなかったようだ。

 

「あれれ~、生きてたかあ~

 うんうん、怒られずに済むかな」

「あ、あなたは……?」

 

 天馬を守るように武器を構える。

 

「マリーシアちゃんだよお、っていってもわからないよね

 王族様でもないしぃ、仕方ないよね

 あーあ、本当なら王子様が迎えに来て今頃お妃様なのになあ」

「あなたは、一体何を……──」

 

 そう言葉を投げかけようとして、転がるようにしてその場から回避姿勢を取る。

『何か』の気配を感じた。

 カチュアは見目麗しい美少女であるが、それ以上にマケドニアの武人である。

 見た目に騙され易いが、海千山千の猛者なのだ。

 

 魔法陣が煌めき、それらが収まったときに立っていたのは長駆の老人であった。

 そして、カチュアは彼を知っていた。

 噂話にもなっていた、守り人を各国に渡しているという、

 

「死の商人……」

「わしにそのような名を付けて呼ぶとは、恐れを知らぬ女よ

 我が名はガトー、お前のような不心得者以外は白き賢者と呼ぶ」

 

 ガトーの気配は只者ではない。

 武人ではないし、戦場を渡り歩いた魔道士といった風情も感じない。

 しかし、まるで強力な竜族を前にしたような、恐ろしい気配だけが圧を与えていた。

 

「……そのガトー様が私に何用です」

「お主には少しばかり実験台になってもらう、彼奴が心に痛手を負うのかどうかのな

 直接的でなくとも、妻の配下であれば実験の初手としては悪しくあるまい」

「恨むならあ、私を恨んでいいからね~

 立案したのは私だからさあ」

 

 カチュアは武器を構え、戦意を示す。

 しかし、ガトーと聖戦士の二人を相手に勝てるはずもない。

 数分と掛からず、カチュアの意識は命もろとも刈り取られていた。

 

「あれ、やりすぎちゃった?」

「問題ない、どちらにせよ死んでもらう予定ではあった」

 

 ガトーは魔竜石を取り出すとそれを触媒に儀式を展開する。

 カチュアの肉体が浮き上がり、止まったはずの心臓は動き出し、無理矢理に全身が操り人形のように動かされる。

 彼女の意識は浮上したのか、しかし強烈な苦痛が全身を苛んでいるようで、言葉にならない声でもがいていた。

 

「あっはは!無様~」

 

 どうやらカチュアはその声が聞こえてはいるようだが、しかし、リアクションを返すことはできなかった。

 それだけ強い苦しみだったのだろう。

 やがて、それも限界に来たのか、がくんと手足が垂れ下がり、全身の力が失われたのがわかる。

 

「やはり死んで時間が経過してなければ、十分に効力もあるようだ

 魂も封じ込め、自我を残しながらもそれを浮上させぬ手段にも成功した

 あとは仮初めの意識を与え、元の仕事をさせるとしよう」

「ひどぉい」

「これをせねば、研究は次に進めぬ

 全ては大陸の平穏のため、かの悪逆なるレウスを屠るためには人間たちの力をこうして使ってやらねば為し切ることも不可能であるゆえな」

「人間のためだから、ってことお?」

「然り」

「ふぅん」

 

 聖戦士の心を読めるわけではないし、いや、仮に読む機能があったとてガトーはそれを見る気にもならないだろう。

 だからこそ、マリーシアは自由に心で思うのであった。

 

(ほんと、この爺さんは最低最悪ね

 人間を道具に仕立てて、人間のためって言い張るんだものね

 でも別にそれはいいけど、私も人間を道具にはしてるしぃ)

 

 けど、とマリーシアは思う。

 

(私は王子様がいつか来てくれると思ってるからしているけどお

 爺さんは何のためにそんな『終わってる』ことしてるのかな

 本当に、ホントのホントに大陸の平穏のためとか……)

 

 見られているのに気が付いたガトーが「どうした」と見てくる。

 その表情は一切の悪意を感じさせない、賢者のような佇まいである。

 

「なんでもなーい」

 

 そう彼女は言うも、

(思ってるんだな、この爺さん……こわー……)

 表情を引きつりそうになるのをこらえるのに必死であった。

 



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ボアからの援軍

 五大侯の勢力は基本的にはその血統や歴史を重んじて職や立場を用意している。

 しかしそれだけではこの戦乱では勢力としては成り立たない。

 

 大貴族の血縁ではないが、武将として重用されているアカネイア王国の人間は少なくない。

 国を失って職にあぶれた軍人をラングはそれなりの立場と報酬を用意して囲い込みを行っていた。

 結果として、優秀な軍人を相当の数を抑えており、

 この侵攻軍の大将であるツベルフもまた、出自はアカネイア王国の遊撃軍を率いていた勇将であった。

 

 その経歴に裏打ちされた経験を以て今回の侵攻に抜擢されたツベルフは最初こそ消極的だったが、

 ラングはディール家の傍流の貴族の娘との婚姻を持ち出すと積極姿勢に鞍替えした。

 ラングの後押しによってではあるが、大貴族のディール家に入るというのは上がりとしては最高の一つと言えるからだ。

 

 そのツベルフはアリティアから奪い取った拠点の中で焦っていた。

 攻めていた部隊が次々と潰されているのだ。

 伝令から伝え聞くのは竜族、バヌトゥの仇などと言っていたらしい。

 誰のことを言っているのかわからなかったが、侵攻前夜に来ていたラングが憂さ晴らしに拷問で殺し、首を刎ねた竜族のことを言っていることに思い至る。

 

(ええい、あんな枯れ木みたいな男にそれほどの価値があったのか?

 ……このままでは……投降するか?

 いや、しかし、目の前に栄光が掴める距離に来ているというのにか)

 

 ツベルフは軍の立て直しと広がりすぎた陣を纏めて大きな拠点を一つに絞って防衛に回るべきだと判断する。

 奪った拠点から出て、より大きく、価値の高い拠点への移動を指揮しようとしたとき、影が陽を一瞬遮る。

 

 汚れなき銀の槍を持った飛兵が一騎、激戦区へと飛んでいったのだ。

 

「あれは確か、ボア殿の麾下の……」

 

 カチュアは表向きはボアの麾下、そしてニーナの護衛を任される立場とされている。

 ツベルフはその立場から何度もボアとは接触しているため、カチュアを知っていたのだ。

 その飛兵の姿を見て、天啓を受けたかのようにツベルフは表情を明るくした。

 

「ボア殿が我らの攻めに協力してくれているということか!

 であれば、戦略的撤退は不要!

 前線に伝えよ、このツベルフも前に出る

 部隊の損耗が激しいものはこのツベルフの部隊へと合流し、軽微であればその場での奮戦を続けろと!」

 

 意気揚々とツベルフはカチュアの後を追うように戦場へと飛び出していった。

 

 ───────────────────────

 

「攻めの厚さが変わったか?」

 

 レウスの言葉に空で睨みを聞かせていたエストが戻り、返答をする。

 

「陛下、敵軍の中枢と思われる部隊が旗を掲げて攻め始めました」

 

 それに続くようにパオラも戻り、続ける。

 

「全軍突撃の号令を発したようです」

「おいおい、全軍突撃なんてこの状況でするかよ

 ロプトとナギは?」

「お二人共こちらに向かいながら防戦を」

 

 わかった、と頷くと

 

「本陣はエリスに任せていいか」

「レウスさんは?」

「あと一歩で投了するだろって状況を覆した理由を見に行く

 パオラ、エストはオレの護衛を頼む

 ただ、巻き込まれない位置でな」

 

 飛兵二人は敬礼をして、その任務を受領した。

 エリスは祈るような姿勢で陣幕を出るレウスの武運を祈るであった。

 

 ───────────────────────

 

 ツベルフの勢いは相当のものであり、前線を一気に押し返すだけの力があった。

 カチュアが単騎であり、後ろからボアの援軍などないことも知らぬ彼らはこのまま押し切れると思いこんでいるのだ。

 

 だが、前方で爆発が起きて、その勢いは止まった。

 

「指揮者としちゃイマイチだが、突撃部隊を率いる才能は認めるぜ

 五大侯の侵略者、名前を聞いてやる!」

 

 レウスの怒号が響く。

 

「我が名はツベルフ!

 元アカネイア王国の武将にして、今は五大侯に任じられこの戦いに赴いた!

 聖王自らが首を晒しに来るとは僥倖である!」

「本気でオレに勝って首を獲るつもりか、ツベルフ」

「当然である!」

「援軍もなしに」

 

 ツベルフの軍の背後に爆発めいた炎が見える。

 ブレスだ。

 猛り狂う竜が後方で暴れていた。

 

 闇色の光が竜の姿を取るようにして兵士の心を切り裂いていく。

 偽書ロプトウス。

 暗黒神の力が軍の側面を舐めるように崩していく。

 

「援軍は……ボア殿の援軍が……」

「来ないみたいだな、何に騙されたかは知らんが」

「……とっ、突撃ィ!

 どうあれ、どうあれレウスを殺せば我らの勝ちぞおぉ!!」

「いいねえ!

 それじゃあこっちも何も考えずにバヌトゥの命の、その代価を支払ってもらうとしようかッ!」

 

 レウスの叫びに応じるようにツベルフは武器を掲げて突撃を敢行した。

 復讐は何も生まないが、少なくともすっきりはする。

 バヌトゥのあの顔の傷を見て、腹に抱えたもやもやを晴らす機会を狭間の地から来た男が逃すはずもない。

 



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二人の魔将

 何度となくぶつかり合う刃。

 ツベルフの実力は確かに十分に鍛え上げられている。

 一介の武将としてならば確かに重用されるレベルだ。

 

「せ、聖王!ツベルフの武芸の冴えはこんなものではないぞ!」

 

 より気迫を強めて攻めを厚くする。

 

 だが、ここまで戦い抜いているレウスにとって、この程度では苦戦するに値しない相手であった。

 

 ツベルフは手に持った槍が限界に来たのを見るやそれを投げ捨てると腰から剣を抜かんとし、叫ぶ。

 

「剣の戦いこそアカネイア武人が見せ所であ──」

 

 しかし、鞘から抜かれるより早く獣人の曲刀は『突撃』と『連撃』が唸りをあげる。

 抜こうとした腕を起点にして連撃が足を切り裂き、突撃がもう片足を引き裂く。

 そのまま連撃が継続し、

 

「せめてナバールかオグマくらいの強さになってからオレと戦うべきだったな」

「う、ぐ……聖王め!簒奪者め!」

「自覚がないとでも思ってるのか」

 

 レウスがそう宣言すると曲刀がツベルフの首を刎ねた。

 そうすることではじめて自らの心にあるバヌトゥへの哀悼に区切りが付けられたように。

 

(こっちじゃ接触も薄かったが、歴史が違えばチキを大切に思う祖父みてえな立場なんだ

 ここのお前と混同するのは失礼かもしれねけどな、オレの心のためにもこいつの首で供養とさせてくれ

 じゃあな、バヌトゥ……チキはオレが守る、安心して逝ってくれ)

 

 刎ねた首にひどい傷でも負わせればバヌトゥと同じにできたかもしれないが、そこまでは望むまい。

 ツベルフの首が地面に落ちると同時に、曲刀が鞘に収まった。

 

「つ、ツベルフ様がやられた……」

「にげ、にげ……」

 

 兵士たちが振り返るとそこには竜族たちが暴れている地獄めいた光景が目に映る。

 だが、その兵士たちに

 

「気をたしかに保て!

 ここにはすぐに各地で戦う部隊が結集する!今暫くこの状況を維持しろ!」

 

 ツベルフの副官が号令を発する。

 

「皆!我らは生きて五大侯の兵として、アカネイア軍人とし でッ」

 

 だが、その言葉が完遂されることはなかった。

 風切り音ともに、何かが降ってきた。

 それは槍であり、別の質量でもあった。

 

 人間が空中から落下し、副官に明確な害意を以てして武器を立てた。

 ミンチになった副官の上にあるそれはゆっくりと立ち上がった。

 

「そんな……」

 

 ツベルフとの一騎打ちに邪魔が入らないようと警戒していたパオラとエスト。

 彼女は呟くように言う。

 

「どうしたというの、その姿は……」

 

 二人が名を呼んだ。

 カチュア、と。

 

 ───────────────────────

 

 激化から転じた状況へと移り変わる東の戦場。

 一方で西側はもまた、状況は混沌としていた。

 

 北グルニアの悪党たちは軍ではない。

 だが、その実力は想定以上であった。

 

 それでもアリティアという国の正規兵はそんなものに負けはしない。

 混沌とした理由は敵兵の動きの質が変わったことによる膠着。

 まるで熱に浮かされたような、狂信的な動きになっていた。

 

「まさかアンタが生きてたとはなあ

 さあ、好きにこの軍は動かしてくれ

 いやさ、号令を掛けるだけで相手を踏みつぶせるくらいの勢いが出るってもんだぜ」

 

 そう言うゾンタークに、相手は「ああ、そうだな」と返す。

 

「北グルニアの兵よ、俺こそが自由の象徴

 自由とはなにか

 それは束縛されぬことである

 束縛とはなにか

 それは法を強いてくるものたちの都合である

 我らは自由を求め、全ての束縛を破るものだ

 自由の価値は誰より俺が知っている

 自由の勝ち取り方も誰より俺が知っている

 そうだろう」

 

 その言葉に悪党たちが熱狂する。

 

「ならば、やることは一つ」

 

 擬剣ファルシオンを掲げ、そして切り捨てるように振るう。

 

「奪え!自由を奪い取れ!

 我が名、ノルダの永世王者オグマの名においてここに号令する!

 突撃しろッ!!」

 

 怒号が響く。

 今までは後衛に徹していた狩人や魔道士すら突撃していった。

 

 オグマの帰還。

 そして、その声は彼の伝説を知るものであれば誰もが滾り、熱狂し、その号令に従う。

 

 アリティアの精兵は悪党どもに負けはしない。

 熱に浮かされて散るために突撃するような行為を止められないはずがない。

 

「そうだ、負けるわけがない

 こんな戦いに決着を付け、次に進め」

 

 オグマは蘇らされた。

 

「シーダ王女、この恥知らずができることは多くはない

 だからこそ、今度こそ全てを終わらせる手伝いをしよう」

 

 オームの杖とガトーは、自らの考えた最強の軍勢を作り、布陣を始めていた。

 魔王となったガトーは人の心など見ることもない、顧みることもない。

 心というものは見ようとして見えないものならば、もはや興味も向けない。

 

「ああ、それが正解というものです、ガトー様

 であるならば……蘇らせた我が心を残したのは大きな失敗でしょう」

 

 自らの意思に反するように剣を抜こうとする腕。

 それをオグマは頑強な精神で止める。

 今、オグマの心には二つの心があった。

 魔将オグマとして、ガトーの意思のもとに動く心と、

 心細っていた彼が犯した過ちの選択肢を恥じて償おうとする心が。

 

 しかし、復活したオグマの心の強さは最も全盛期の、ノルダにてシーダに助けられたその日の頃にまで立ち返っていた。

 

(もはや間違うものか)

 

 オグマは侵さんとする精神の振る舞いを、大陸随一の傭兵の矜持と多くのものを救おうとした高潔さによって魔将の有り様を押し返そうとしていた。

 



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ああ、獣性よ

 そのカチュアの周りに従うかのように揃いの仮面を付けた兵士たちが次々と現れる。

 いずれもが正気とは思えない目をしており、息も荒く、武器を構えた。

 

「包囲を破って強引にここまで来たのか、こいつら」

「ううう、ううううう」

 

 仮面の男がレウスへと斬りかかる。

 緩慢な動きから一転、相応以上の実力を備えた戦士としての踏み込みと一撃。

 まるで、

 

「守り人か?いや……それも違うのか」

「レウスよ!そやつらは守り人の粗悪品じゃ!どこのだれが作ったかは知らぬが、そこらの兵士どもよりもよほど強いし、なにかに隷属しているように話も聞かぬ!

 気をつけい!」

 

 ロプトの声に歯噛みする。

 ついにそんなことまでするようになった勢力がある。

 五大侯の軍ならば、エリスの中で見たラングの手引だというのはすぐにわかる。

 隷属した者たちは確かに劣化した模造品だろう。

 だが、それでも命を捨てて突撃することができる兵士が作り出されてしまったことは驚異以外の何者でもない。

 

 その攻撃に応じながらも、

 

(力押しに力押しで対抗するのは悪手か)

 

 レウスはそう考えると己の裡にある獣性に触れ、散弾銃めいた石を放ち、距離とダメージを稼ぐ。

 怯む様子はないが、逆に言えば恐れがないからこそ足を潰すことは容易だった。

 相手の斧よりも距離を保てる空間を裂くような獣の爪の一撃も有効だ。

 己の中の獣性は家族を持てば消えるものかと思っていたが、むしろそれは強くなる一方だった。

 普段は王の責務やら、子を守りたいと思う心やらが枷を嵌めさせているようで、獣性の解放はどこか自分の大切なものに触れているようで頼りがいと同時に奇妙な高揚感を与えていた。

 

 隷属者が一掃されるまでカチュアは動かなかった。

 

「レウス様」「陛下」

 パオラとエストが不安げにレウスを見ていた。

 

「何とかできねえかは試してみる、お前らは下がっていてくれ」

 

 二人は頷き、後ろへ。

 

(さて、どうしたもんかな……)

 

 そうは言ったが、策など手にはなかった。

 

「……聖王、陛下……」

 

 カチュアが苦しげな声で語りかけてくる。

 

「意識があるのか、お前」

「杖、の力で……正気は……ですが、私はもう、魔将と呼ばれる生物のよう、です……」

 

 どうか、とカチュアは続けた。

 

「ガトーが、私に、そそいだ……呪いを、この身ごと、断ち切って……姉妹に、害を及ぼす、前に」

 

 彼女の顔は無表情だった。

 しかし、片方の瞳からは最後の人間性が溢れるようにして、涙が頬を伝っていた。

 

「ガトー……こんなことまでして、そうまでして、何を望む」

 

「知れたこと」

 

 カチュアが言葉を発する。

 それはしかし、彼女の意識のものではないことがわかる。

 

「てめえ」

「我が名はガトー、人はわしを白き賢者と呼ぶ」

「この期に及んですかした自己紹介してくれるじゃねえか、守り人を散々にばらまいて、人間を聖戦士だの魔将だのと人形に変えて、何がしてえんだよ、てめえはッ!!」

 

 激昂に怯むこともなくカチュアの口を使ってガトーは返す。

 

「貴様が原因よ、レウス

 貴様さえいなければ、この世界の、……否

 ここ以外でもあらゆる空間と時間の全てで貴様が存在していなければ問題がなかったのだ

 死ね、朽ちよ、消えろ、それだけがわしの望みだ

 だが、死ぬまい、朽ちまい、消えまい!

 だからこそ、この大陸の全てを使ってでも貴様を消しさり、世界の秩序と平穏を取り戻すのだ!!」

「正気とは思えねえ」

 

 カチュアの表情が動くが、それは彼女のものではないのはわかる。

 ガトーがそうした表情で叫んでいるのであろうことが。

 

「貴様より正気であるぞ、レウスよ

 貴様がいたせいで正しき流れ(マルス)は死んだのだ

 貴様がどこかに存在しているからこそだ

 この大陸の異物ですらない、貴様の存在はどこであろうとなんであろうと、異物なのだ

 だからこそ、このガトーこそが今こそ全ての世界のためにお前を殺し、朽ち果てさせ、完全に消し去ろうとしているッ!」

「そんなにマルスが好きか!」

好悪(こうお)の問題ではない!

 マルスの存在こそが全ての世界の安定の証!貴様こそが全ての世界の歪曲の証!

 どちらがどうと選ぶ問題ですらなかろうがッ!」

「そうかい、そのためならこの世界がどうぶっ壊れようと」

「いいや!違う!

 貴様が壊しているのだ!

 その自らの顔を見たことはあるか、レウスよ!

 貴様の中にある獣性が全てを狂わせるのだ、そうしてフィーナという踊り子の娘も犠牲にした!

 貴様がこの世界を犯す獣でなければ、せめてあの娘は貴様の犠牲にならずに済んだ

 しかし貴様は望んだのだ!あの娘の死を望み、より好き勝手に生きる理由を得るために望んだのだ!!」

 

 ガトーの言葉に獣性が熱を帯びていく。

 熱いなどというものではない。

 灼熱だ。

 身を焦がすような激情が体中を支配する。

 それに応じるように周囲に霧が立ち込め、それらが鎧へと飲まれていく。

 霧を食らった鎧はバキバキと音を立てて、形状を変質させていく。

 それは獣騎士となったときと同じ姿を取っていった。

 

「オレが、フィーナの死を望んだ、だァ?」

 

 鎧が完全に獣の姿となる。

 

「その獣性こそが全てを示しておるのだ!

 死を望む相手はフィーナでなく、シーダやレナでも構わなかったのかも知れぬな!

 誰でもよかったのだ、犠牲になれと願う相手は!それを望んだのだろうが!!

 その(エムブレム)の力で望み叶えたのであろうがッ!!」

 

 そんな便利な機能が律にあると思っているのか、そうレウスは思う。

 そんな便利な機能があるならフィーナの生を望むに決まっているだろう、そうレウスは思う。

 

 だが、逆鱗に触れられたレウスは冷静に思うと同時に、肉体は獣性に従うようにして走り出す。

 

「言いたいことはそれだけかッ

 ガトォォォォッ!!!」

 

 レウスが踏み込み、カチュアへと殺到した。

 



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黒き剣士

 殺到したオレに対して、カチュアが取った行動は目を瞑ることだった。

「動かぬ、この試作魔法は……失敗──」

 ガトーの声が聞こえた気がする。

 カチュアは死を受け入れるようにしていた。

 オレは怒りに染まり、彼女を殺そうと動いていた。

 

 これでいいのか。

 これが正解なのだろうか。

 

 ───────────────────────

 

 獣人が見下ろすようにオレを睨む。

 

「何故、死のルーンを望む」

「知らねえ」

 

 何十回どころではない回数を挑んだ。

 それでも勝てなかった。

 黒き剣のマリケスは狭間の地で、オレにとって最大の好敵手であった。

 

「数えるのも馬鹿らしいだけ挑み、それでも挑むのだ

 大層な理由があるのかと思っていたが」

 

 緩やかに霧へと変わるレウスを見下ろし、言う。

 

「知らねえって、オレはこの世界の筋書きなんて読んでないんだ

 さっさと終わらせて次に行きたいって思って、進めて、いつのまにか何もわからないうちにここまで来ちまった

 だから、もう遅いんだよ」

 

 蔑みたいなら蔑めよ、と言いたげなレウスに、

 

「哀れだな、褪せ人よ」

 

 マリケスはそのように態度を示した。

 

「ああ、そう思うよ」

「だが、まだ間に合う」

「お前に挑むのを辞めれば、か?」

 

 ふ、と小さく笑ったようにもレウスは見えた気がした。

 

「いいや、それは止めることができまいよ

 だからこちらもお前を殺し尽くすだけだ

 間に合うかどうかというのは、その手に選択肢があることを自覚するのが間に合うかどうか」

「よくわかんねえよ」

「このマリケスを殺せたとして、死のルーンを手に入れたとして、それを使うとして、

 しかしそのそれぞれの機会の全てでお前は選択肢があることに気が付くことができる」

「気がついてどうする」

「なんでもできる」

「なんでも?」

「制限を付けるなよ、褪せ人

 忌むべきものと蔑まれている褪せ人であればこそ、制限などという法則に縛られる必要はない

 手の内にある全てを見つめ、選択肢を探すのだな」

「どうしてそれをオレに言う」

「このマリケスもまた、それに気がつけぬままに大切な者から離れてしまったからだ

 それが自然だったと、そういう流れに乗ってしまった

 選択肢などいくらでもあったはずだというのに」

 

 体の全てが霧に変わる。

 声だけが聞こえた。

 

「雑談は終わりのようだ、次はもう話すこともないほどに損壊させてやろう」

 

 事実、それからもレウスは殺され続けた。

 倒したそのときまで、彼が雑談をするようなことはなかった。

 

 ───────────────────────

 

 思えば、マリケスはオレの中に獣性に気がついていたのだろう。

 もしかしたなら哀れな同輩だと思っていたのかもしれない。

 

 オレの手がカチュアの細首を掴む。

 籠手の隙間から黒と赤の炎が揺らめく。

 獣騎士となったオレは死のルーンそのものと言えるのだろう。

 マリケスがそうであったように、その力は幾ら支配下におこうとしても漏れ出るほどに強大な効力を備えていた。

 

 死のルーンは全てのものに死を与える。

 死とは、生物だけのものではない。

 死とは、概念全てに与えられる権利である。

 

 その理解はオレのものではないのかもしれない。

 マリケスの、或いは後悔の果てに生きた獣の司祭のものかもしれない。

 誰の理解であれ、オレは死のルーンの本質の一端に触れていた。

 

「聖王、陛下……どうか、……殺して、ください……」

「ああ、殺してやる」

 

 死をもたらす炎に意識を集中する。

 この大陸で多くのものに触れ、多くの経験を得た。

 炎に全てを委ねるな。

 似たものを想起し、感覚を上書きしろ。

 友好的なものを思い出せ。

 オレにとって、人を助けることができた象徴物を重ねろ。

 

 炎をマフーに重ね、オレは死のルーンをカチュアへと滑り込ませていく。

 触れた先から死がカチュアを汚染する。

 しかし、それを補填する手段はある。

 

 命のオーブはオレがもたらす死のルーンを超克しようと力を発揮し始める。

 オレもまた、命のオーブに力を向ける。

 星のオーブに感覚を連結させるようにして、命のオーブを補填し補強する。

 物品の破壊を防ぐ星のオーブの力、それは永劫を象徴とする力と捉える。

 律に意味を与えるように、オーブそのものにも意味を付与する。

 思いつきでやったことだが、まるでそれが自然なことかのようにオーブは受け入れた。

 闇のオーブがロプトを受け入れていたように、オーブの懐の深さは無限の広がりを感じる。

 

 命のオーブを星のオーブで補助しながら、死のルーンはカチュアの深奥へと進みながら、

 エリスの中に入ったときの感覚を思い出して、死に続くようにオレも意識をカチュアの裡へと向けた。

 



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死のルーン

 エリスの裡は一つの世界であったが、カチュアのそこは一つの空間であった。

 それは霊廟を思わせる巨大な石室であった。

 

 本来、人間の心はエリスのように一つの世界であるのかもしれない。

 しかし、魔将として扱われるにあたって、心を封じるか殺す必要があるからこそ、こうした閉じた世界になってしまっているのだろうかとレウスは考える。

 

 その空間には幾つものヴィジョンが浮かんでいる。

 幼少の頃のカチュアの記憶から、最後に姉妹と行動し、離れた記憶。

 そして、見覚えのない少女に撃ち落とされ、ガトーに『手を加えられ』た記憶。

 

「カチュア、いないのか」

 

 レウスは名を呼ぶ。

 だが、返るものはない。

 一か八かではあるが、命のオーブをより強く発揮させる。

 ひどい疲労感がレウスを包む。

 

 命のオーブの扱い方の問題なのか機能の問題なのか、

 他者の命や存在を補填しようとする度に自身の生命力ががりがりと削られている感覚があった。

 レウスはカチュアを活かすために──或いは生かすためかもしれないが──自分の身を削っているのだろうことが理解できた。

 命のオーブと星のオーブを併用してなお、力が足りない。

 だからこそ、持ち主の命を燃料にしているのだろうと推察する。

 

 その推察が正しいならば、大いに注げばカチュアの精神をここに蘇らせることができるだろう。

 

 

「もう……、もうお止めください陛下

 私のような一介の騎士にそのようなことを」

 

 その読みは正しかった。

 息を切らせながら、彼女は言う。

 

「よう、カチュア

 一応はじめまして……だよな?」

「……こんな状態で、……ええ、こうしてお話するのははじめてです」

「やっぱ、こうして見ると美少女だなあ」

「なっ……」

 

 カチュアは状況が状況だというのに思わず絶句の表情を浮かべた。

 

「こんなときに何を仰っているのですか、陛下

 私など早く」

「諦めてください、か?」

 

 苦しげな顔をしてから、こくりと彼女は頷く。

 

「私が陛下について知っていることは多くはありません

 けれど、陛下の肩には我らが主、ミネルバ様とそのお子様の命が乗っているのです

 私のような身分の人間にかかずらって命数を縮めるようなまねを」

「約束してんだ」

「約束、ですか?」

「ミネルバとも、パオラやエストとも

 カチュアを連れて帰るってな

 口じゃ何も言わない奴も多いが、オレはそれを期待されてんだよ」

 

 それにな、と続ける。

 

「むざむざ美少女を殺すような真似をしないでここまで来たんだ

 ここで簡単な道を歩くためにカチュアを殺すなんてことをしたら一貫性がねえだろ

 そんで、このアカネイア大陸で一貫性の一つねえ王様がやっていけるわけもねえんだ」

 

 だからさ、とレウスは続ける。

 

「オレに助けられろよ、カチュア

 それともオレじゃ嫌か?」

 

 この世界の歴史ではないにしろ、彼女はマルスに恋心を抱いていた。

 それがどの段階からかなどレウスには知る由もない。

 

 もしかしたなら幼少の頃に彼女とマルスは出会って、そこで恋に落ちた可能性もあるよなとも思う。

 事実を知るタイミングはここにはない。

 突然、この部屋に漂っている記憶をつぶさに見えればわかることかもしれないが、そんな暇もなければ、流石にレウスもそこまでデリカシーがないわけでもない。

 

 それでもレウスは彼女の心を動かすためであれば、

 彼女の心に誰かが秘めているかどうかを無視する必要があった。

 いや、その心を奪うという方が正しいかもしれないが。

 

「そのようなことを言って、後で後悔しないのでしたら」

 

 カチュアは泣き笑うような表情で言う。

 

(ああ、きっとこの人は何を言っても私を助けるのだろう

 それが私のためではなく、ミネルバ様や姉妹のためだとしても

 ……それなら、私もこの方には後悔しないでほしい)

 

 だから、彼女はあえて言う。

 

「私たち三姉妹は白騎士団の人間にすら『重い』なんて言われているんですからね」

「激重感情なら向けられ慣れてるんだ、そんなオレをビビらせてくれよ

 勿論、ここじゃなくて……皆がいる世界でな」

 

 彼女は一つ息を飲んでから、「はい」と頷いた。

 

 レウスはその言葉を聞くと、死のルーンが滾るように揺らめく。

 彼だけでなく、彼女もまた選択肢を選んだ。

 黒と赤の炎はその選択を祝福するかのように、カチュアにそそがれた呪いの全てを焼き尽くそうと広がっていった。

 

 ───────────────────────

 

「はあ、本当にこんなやり方で助けるなんて……無茶をする」

 

 メリナが円卓でため息を一つ。

 

「これでよかったわけ?」

「ここにいる自分は死のルーンが必要とした代理の存在としての我でしかない」

「死のルーンを起動しようとしたレウスの行動に焦って現れて、狭間の地での記憶を想起させられないかって言ってきたのが代理?

 だとしたら随分と人間臭いのね」

 

 椅子に座る黒衣の獣人はその言葉には返さなかった。

 自分自身という存在をできるだけ無いものとして扱ってもらいたいようでもある。

 しかし、メリナの視線に諦めたようにため息を吐くとマリケスは会話に応じた。

 

「百度以上も戦い、殺し殺された相手に情がわかぬといえば……嘘になる」

 

 代理の存在などと言ってごまかしたのは誰でもないマリケス当人である。

 この円卓はレウスとメリナが律の力を流用して作り上げた小さな世界であり、この空間には生や死といった概念は極めて抽象的となる。

 狭間の地で倒され、なお望むのであればマリケスのように円卓の椅子に座るものもいる。

 

「だが、細かいことはもう何も言う気にもならぬ

 あの男は選択肢を探し、見つけ、それを掴んだ

 それが今はなんとも、不思議な感情が胸にある」

「誇らしくて、満足している……とか?」

 

 メリナの言葉にマリケスはそれを反芻するようにしてから、

 

「そうだな、そのとおりだ」

 

 黒き剣士は赤髪の乙女に頷いて返すのであった。

 



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嵐の後の、嵐の前

 ゾンタークを含む全ての北グルニアの悪党が駆逐された。

 正確には悪党は旗色が悪いと見るや次々と離脱し始める。

 しかし離脱地点に待ち受けていたオグマによってその多くは切り捨てられ、そしてそのオグマもまた戦いが終わる頃に姿を消した。

 戦場で現れたオグマ自身はアリティアの人間には見られてはおらず、捕虜たちが「オグマのそっくりさんが指揮をしていた」などと口々に言う程度である。

 それ自体は北グルニアが用意した偽物であり、士気向上のための偶像であると考えることとなった。

 

 ロプトウスによってもたらされた魔将の情報は死者を蘇らせるようなものとされていることもあり、

 アリティアの中核はオグマがガトーの手によって作り出された『魔将』であることは推察されていた。

 報告受けたシーダの表情は一度は曇るが、すぐに表情を戻し、聞いた。

 

「オグマらしき影は撤退した北グルニア軍との散発的な戦闘を行った、でしたね」

「は、そのように報告を受けています」

「そう、ですか」

 

 シーダはオグマが、知っている彼であることを直感的に理解していた。

 

 オグマは魔将となっているのは疑うべくもないことだ。

 だが、その心は侵されていないはず。

 あのときのようにオグマの姿をしていながら、操り人形のようになっていた彼ではないことをシーダは報告から理解していた。

 

 今のシーダにできることは信じ、願うことだけだった。

 どうかその心と進む道がオグマ自身が彼の感情と思考を裏切らないことを。

 

 ───────────────────────

 

 ツベルフの死亡は戦場にすぐさま広まり、五大侯の軍は急ぎ撤退した。

 侵略によって得た領地は全て放棄。

 遺憾の意を示す書状は送ってきたが、それを真に受けるものはアリティアのどこにもいない。

 

「隷属者の性能は悪くないけど、兵士の代わりになるくらいかぁ」

 

 戦場を俯瞰していたマリーシアがその感想を述べた。

 

「ガトー様が手に入れたっていうオームの杖、使用回数に余裕あるならちょっと分けてくれないかなぁ……

 流石に無理だよなぁ

 だとすると五大侯の戦力のままじゃあ……」

 

 アリティアには勝てまい、と判断する。

 

「ラングくんには悪いけどぉ、王子様に迎えに来てもらうためには犠牲になってもらうしかないよねえ」

 

 彼女は笑う。

 彼女にとってこの大陸の全ては生贄にすぎない。

 全ては王子様……アリティア王子マルスをこの地に還すための生贄なのだ。

 何もかもを犠牲にしてやろうという考えの一点で、マリーシアとガトーは実によく似ていた。

 

 ともかくとして、東西の戦いは一旦は区切りがついた。

 あくまで一旦は、だが。

 

 ───────────────────────

 

 それは泳いでいた。

 海峡を服を着たまま、武器や道具を持ったまま泳いでいた。

 ホルム海峡は外洋の影響を受けて激しい静寂と暴怒を繰り返す。

 船ですらそれを渡るのは困難であり、この海峡のために作られたグルニア船だけが渡れるような場所。

 

 それを泳いでいた。

 海峡を渡ろうとするのは一人ではなかった。

 幾つもの影がそれに挑み、次々と波に飲まれて消えていった。

 

 やがて、どしゃりと音を立てて一人目が陸地へと立った。

 曇ることを知らぬ黄金の毛髪と、誰よりも強い意思力を秘めた瞳。

 

 偉大なる蛮王(ニーナ・ザ・グレート)がそこに立っていた。

 そして、海岸には次々と蛮族たちが辿り着いていた。

 その数は十分の一にまで減らしていたが、生き残った蛮族たちは炎や氷、砂、或いは各地の盗賊や海賊たちが含まれているが、もはや彼らはその出自を更新していた。

 

「ニーナ!」「ニーナ!」「ニーナ!」

「ニーナ!」「ニーナ!」「ニーナ!」

 

 彼らの出自はアカネイアの大地そのもの。

 

 ニーナは自らの祖を理解している。

 それ故にニーナもまた、野蛮にして卑俗なる自らの家臣と彼らを認め、名乗る。

 

(ニーナ)の部族よ!我が婿取りのために従えッ!!」

 

 執行剣を掲げると、次々と上陸していくものたちが口々に野蛮なる咆哮を上げていた。

 



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月下への誘い

 レウスの凱旋。

 それは大規模な祭りのようになった。

 湿っぽいのよりも、華々しく英雄たちを迎え、賑々しく犠牲となった竜族や無辜の民に恵まれた『次』があるようにと祈るために。

 

 凱旋する一団の上を走るように飛兵たちが駆けていく。

 先頭にある三つの影は見事なアクロバット飛行を見せて迎えに出た市民たちの目を喜ばせる。

 レウスの両脇を固めたロプトウスとナギは手を振り、その美しさや神秘性を人々に印象付けていく。

 

 トレントの上でレウスはこの凱旋が続く大戦の始まりでしかないことを確認していた。

 そして、その戦いこそ自らの最後に、いや、最期になりうるものだとも。

 

 ───────────────────────

 

「カチュア、カチュアー!」

 

 パオラが走って彼女に抱きついた。

 生き別れた後にどうなったかは二人は知らない。

 オレはカチュアからはあらましは聞いていたし、そして彼女からはそれを口止めされていた。

 

「カチュア姉さん、大丈夫?

 怪我はない?連合にいたの?ひどいことされてない?」

 

 エストが矢継ぎ早に質問を投げかけるのに苦笑しながらカチュアは「大丈夫よ、けれど、聖王陛下が助けてくださらねばわからなかったわ」と言っていた。

 パオラとエストはそれを聞くとオレへと感謝を告げる。

 だが、オレはそれを真正面から受け取れなかった。

 

 死のルーンは確かにカチュアに掛けられた儀式と呪いは焼き消した。

 命のオーブは確かにカチュアが失う命の代替機能を補完する力を与えた。

 

 しかし、そのどちらも源泉はオレから与えられたものであり、

 カチュアはアカネイア大陸の人間から、オレと繋がった新種の生物と変質した。

 アカネイアの人間と、狭間の地の生物の混交した存在の彼女の生物的な特徴がどのようなものになるのかは現時点では判然としない。

 

 オレはカチュアは人間ではないものに変えてしまった。

 だからこそ、パオラの感謝を真正面からは受け止められなかった。

 

 ───────────────────────

 

 戦後処理を終えて、兵を引き上げる。

 白騎士団の三姉妹はミネルバの『レウスの守護』という命令を果たすためにアリティアまでは一緒に、

 それからミネルバのもとに帰還する手筈になっている。

 ロプトとナギはオレと共に戻ってそのまま、今回の戦いに参加するために遠征した諸部隊も元の居場所に戻ることになる。

 

 出発前夜。

 夜は暇なのはいつものとおりだがその日は輪をかけて暇だった。

 そこに、何かに呼ばれるような気がしたオレはトレントで夜駆けをする。

 向かう場所は決めていない。

 トレントが走ろうとする先に任せた。

 

 中天から降りつつある満月に照らされた孤影が見えた。

 ああ、これがオレを呼んだのだと理解した。

 

「お初にお目にかかる」

 

 その声はよく通った。

 オレもその声の質を知っている。

 これは王者の声だ。

 リーザと同じ、人々の心に直接訴えかけるような芯に響くもの。

 男女の差はあれど、その強さには差を感じはしなかった。

 

「ああ、そうだな

 オレを呼んだのか」

「然り

 心に思えば貴君が来るかと、そう思ったのだ」

「どうしてそう思った」

「この時代の、いやさ、この世界の中心に立たんとしている男だからよ

 その男の道を邪魔するものの気配であれば鋭敏に察知してくれるであろう、そう思い、念じたまで」

夢がある話(ロマンチシズム)だな」

「せめて夢を見たくもある立場であり、そして貴君もまた夢のある立場だろう

 夢なくして王になろうなどと思うまい、代々の王族でもない限りは」

「そりゃあ、そうかもな」

 

 追われるようにして王という道を歩き始めた頃は、それは手段の一つだった。

 だが、仲間が増え、戦いを経て、家族を得て、やがてオレは夢を見るようになった。

 この大陸を手中に収め、オレの大切なものの全てのために、『それなりの平和』というものを手に入れる、そんな夢だ。

 千年、万年の平和は望まない。永遠の支配も望まない。

 それなりでいい。

 せめてオレの息子娘が大きくなるまでで構わない。

 自分の判断でなんでもできるようになるまで、せめてそれまで平和でいてくれればと。

 

「礼儀は礼儀、欠かせば怒る奴もいるんでな

 一応、名乗っておく

 アリティア聖王国が聖王、レウス」

「神に等しい立場であってなおも叱りつけてくれるものが側にいるのはまさしく人徳か

 本来であれば私から名乗る立場であろうに、許して欲しい

 我はオレルアン王国が王弟、オレルアン連合が盟主、ハーディン」

 

 オレはこいつを、こいつの国も何もかもを滅ぼそうとした。

 フィーナを手にかけた狼騎士団の主。

 草原の狼。

 そして最大の敵国オレルアン及びアカネイアの実質的な王。

 

 ここで武器を抜いて、挑むこともできる。

 だが……オレはそれを選ばなかった。

 そして、その様子を見たハーディンもまた同様であった。

 

 言葉で語らずともわかる。

 オレたちの関係性は戦い以外に終着点はない。

 しかし、オレたちだけで戦いを終わらせることができないほどに戦いは大きくなっていた。

 

「冷静な割には、随分と様子がおかしいとも思うけどな」

「愛したものを失い、止まらぬ涙がこの目の色を変えたのだろう」

「そして流血を顧みない戦いを始めたのか」

「元々我らには自らの土地から求め奪い、支配することを続けねば貴君の国に勝てはしない

 ここまでしてようやく少しばかりの勝機を得られるというもの」

 

 オレルアン連合の動きは大体は仕入れることができている。

 その動きは掠奪と徴発の歩みだ。

 民の忠誠はもはや地の底を叩いている。

 それでも反乱が起きないのは、ハーディンの変貌ぶりに民たちもその目で見て、噂となり、そして掠奪などによる恐怖が嵐のように吹き荒れるからだ。

 

「遠くないときに、我らは雌雄を決することになる」

「ああ、そうだな」

「我らのみならず、西のグルニアともだ」

「そりゃあそうだろうな、攻めるなら東西同時だろうよ」

 

 それ以外に彼らに勝ちの目はないことはオレも理解している。

 だからといって諦めろ、という気はさらさらない。

 フィーナの仇を取るために戦い続けていたのもまたオレという歴史の一面であるから。

 

「魔王と成り果てたガトーの力を借りてまで戦うのも我慢のうちかい、ハーディン」

「元より、自称賢者殿を好いたことも、感謝したこともない

 あの男は初めからこの大陸の全てを使って気に食わない男を殺そうとしているただの凡人に過ぎぬ

 それはこのハーディンと何も変わらぬ、凡俗である」

 

 だが、とハーディンは続けた。

 

「あの男の力は神のもの

 あの男の凡俗的で野卑で原始的とも言える欲求もまた突き詰めれば神の癇癪のようなもの

 いやさ、神とは我らより遥かに高次の力を持っていて、その上でそうしたある意味で人間らしいことを求める存在なのかもしれぬ」

 

 ハーディンは馬の鞍に取り付けた槍を収める鞘のようなものから『それ』を取り出す。

 

「ガトーもこのハーディンも、違いなどなかろうな

 愛したもののためにただ盲目になるだけの、愚かな男なだけだ」

「そう言われちゃ、言葉もない」

「だからこそ、比べ続けようぞ、聖王

 我がニーナに捧ぐ愛と、ガトーが思う何かへの愛と、貴君の多くいる家族に向けた愛の、どれが生き残るかを」

「愛は他人と比べるものじゃねえってのが持論だが、それでもオレの愛が他人の下に置かれるなんてのは我慢できないからな」

「ああ、だからこそ競おうぞ

 戦場にて、命の火花を散らして、好きなだけ競わせようぞ」

「いいだろう、ハーディン

 証明はいずれの戦場にて」

 

 振り返り、進もうとするオレの背にハーディンは最後にと言わんばかりに声をかける。

 

「聖王、こうして話に応じてくれたことに感謝を捧げる

 過ぎたることを思っても仕方もあるまいが、

 貴君のような主を持てたならと思った敵はこのハーディンがはじめてでもあるまいな」

「ああ、前にも言われたよ」

「やはりか

 だが、言葉だけで感情を表す手段を自分は持たぬゆえに」

 

 ハーディンは何かを投げて渡す。

 

「ウェンデルという男を知っているか」

「ああ、マリクたちの先生だったか」

「そうだ、ガトーとも関わり合いを持つ清廉な老魔道士だった

 その男の手記と、大事に隠していた別の男の手記だ

 どちらにもガトーが抱えて、なお他人に渡すことのなかった強力な儀式や魔道のことを書き記しているようだ

 専門的なことも多く、それを判読できるものはもはや、この大陸においては一人やもしれぬ

 だからこそ、それほどの難易度だからこそ、礼の品になることを祈っている」

 

 ハーディンは馬首をこちらとは逆に向ける。

 

「では、戦場でお会いしよう」

「ああ、いずれ戦場で」

 

 刃を交えるのは今日でなくてもいい。

 



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翼を引き裂くもの

 魔道学院の奥で研究は続けられていた。

 わし……このガーネフと、ごく一部のものだけで進められている研究。

 陛下によってもたらされた書によってはじめられた。

 

 ミロアとウェンデルの手記はわしの知らぬ技術や知識が多く書かれていた。

 わしが開派であり、彼らが閉派であったからか、様々な情報が伏せられていたことを知った。

 今更それに何かを思うことはない。

 手記やメモに遺された情報からわかることは、その方向は違えどミロアもウェンデルもガトーを危険視していたことであった。

 ガトーはワープをはじめとしたこの世界に存在しながらも、新たに作り出すことができない特別な魔法の力を秘めた杖の製法や、そもそもそうした魔法の秘密を誰にも明かすことはしなかった。

 

 二人ともガトーの存在を危惧していたことがよくわかる。

 ミロアは護国を果たすために都市そのものに作用する結界のアイデアを、

 ウェンデルはワープの発動を抑止する魔法のアイデアを残していた。

 

 手記を眺めて思うこともある。

 閉派や開派といがみあわず、もしも手を取り合っていればあの学院で今も違う研究を、違う道を歩めていたのではないかと。

 

 わしはそんな思いが胸にあることに気がつくと、ため息を一つ吐いた。

 

「このガーネフが感傷とはな」

 

 思い悩む暇はない。

 感傷的になるのは全ての戦いが終わるまで残しておこう、きっとそれは実に贅沢なことだろうから。

 

 ───────────────────────

 

「学長、結界用の魔道器械の準備ができました」

「回数が限られている以上、実験は一度一度を大事にせねばな」

「ええ……ワープの杖の残り本数は一つ使って三つですからね

 商会にも頑張ってもらいましたが……」

「やむをえまい、合計四本も集めた手腕に感謝こそあれ不足を嘆くことはすまいよ

 では、実験を始めようぞ」

 

 大司祭ミロアは閉派であるが、ガトーの閉派とはやや趣が違う。

『魔道を扱うに選ばれしもの』はミロアにとってはアカネイアの貴族や血統に由来するものが多く、

 ガトーにとってはナーガの信徒にして才覚豊かなものであるという違い。

 それ故にガトーにとってはワープの魔法は『選ばれしものが移動するのに扱いやすくあるべき』であり、

 ミロアにとっては『貴族たちが移動するのに便利なものであるべき』であった。

 

 勿論、後者ともなれば使用にあたって明確なルール付をする必要があったため、

 魔道器械を用いて、使用できる場所を限定しようとしていたのだ。

 とはいえ、これらの技術はミロアが自らの力でガトーを討伐したあとの話で考えていたことであって、

 それは現実化しなかったことだが。

 

 政治的な方向へ進んだとは言え、ミロアもまたガーネフに追従するだけの才能を持っているのは確かであり、

 魔道器械のアイデアや手段の出し方は実に正確であり、予算さえあればすぐさま実働可能なものであるほどだった。

 

 そして、今のガーネフには湯水の如く使える予算が許されている。

 

(ガトーを討つべくするためには、どれほどの予算がかかってもよい……

 既に費用は魔道兵団設立のそれを超えておる

 それでもまるで問題が出ないのは、決着を付けるときが近づいている証拠なのだろうな)

 

 ガーネフは魔将の研究もその傍らで行っている。

 魔将を作るという方向ではなく、魔将を救出する、解除するといったもの。

 レナの入れ墨のような紋章も含めて、ガトーの影響下にある可能性のあるものの対症療法の研究でもあった。

 

 ───────────────────────

 

「陛下、お時間いただけたことに感謝を」

 

 或る日、ガーネフが自身の弟子たちを引き連れて現れる。

 

「ご用命の品、完成いたしました」

「ワープ対策か」

「はい、ワープの杖は全て使い切りましたが、十分な成果をお持ちできたものと考えますぞ」

 

 レウスと聖王国は来るべき決戦に向けて準備を整えていた。

 今やガトーは魔王と呼ぶべき恐るべき存在と化している。

 人々を魔将へと変え、転移の力で神出鬼没に現れるガトーはその名で呼ばれる資格あるものとなった。

 

「その翼をもいではじめて、オレたちはガトーと対等に戦える」

 

 アリティア聖王国は各地にワープ阻害装置を配備することを決定。

 東西との戦いの匂いが強まる中で、聖王国はその先の戦いこそを見つめていた。

 



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体を巡る毒々

 グルニアの状況は進退を極まる状況となっていた。

 ユミナは見つからず、アリティアからの状況は完全に封鎖されていた。

 

 カミュとロレンス、そして女王代理のユベロのもとに一人の男が現れた。

 北グルニアの代表が一人だという男、モンタークと名乗る人物が彼らの前でかしずいていた。

 

「して、モンタークよ

 貴卿は何を求め我らのもとに現れた」

 

 ロレンスの問いに顔をあげるモンターク。

 

「こちらをご覧ください」

 

 渡された書状。

 その内容はグルニアの人間の表情を変えるものだった。

 

 内容を補足するようにモンタークは言葉を紡ぐ。

 ユミナはアリティアの地下に囚われており、北グルニアはユミナの救援をするために聖王国に戦いを挑んだのだという。

 

「なぜ、グルニアに連絡を取らなかった」

「とりましたとも

 しかし、その全てはアリティアが配していた暗殺者たちに殺されてしまいました

 ロレンス将軍も使者をお出ししたのではないですかな、アリティアに」

「ああ……そうだ」

「だが、」

「連絡は帰ってこなかった、使者もな」

「我々と同様の状況だ、つまりこの状況は」

「アリティアが仕組んでいる、と……だが、何故ユミナ様をさらい、この状況を作り上げた」

「グルニアの土地を奪うためでしょう、ユミナ様の身柄を持っていればどのようにも『状況は作り上げられる』のですから」

 

 カミュの言葉尻をなぞるようにモンターク。

 ユミナを盾にして降伏を選ぶではなく、いることを知らせて戦いを挑ませることもできる。

 状況はいかように作ることができるのは彼の言うとおりであった。

 

『オレルアン連合と共に力を合わせ、アリティアから救い出して欲しい』

 大雑把に言えば書状の内容はこれである。

 ユミナの直筆であり、グルニア王家にのみ伝わるような文字も書かれている。

 紛れもなく当人の手ずから書かれたものである。

 

「このモンタークは既に連合とコンタクトを取る準備は整えております、そのため北グルニアとアリティアの戦いには参加できませんでしたが……

 全てはユミナ女王陛下をお助けするため」

 

 ユベロはそれを否定こそしないが、そのまま丸々乗るわけでもなく。

 

「姉様……ユミナ女王を助けるのが我らの急務

 それでも、もう一度使者を送りましょう

 可能ならばやはり、アリティアとは事を構えたくはありませんから」

 

 冷静にそう判断を下すことにした。

 

 ───────────────────────

 

 オレルアン連合と五大侯はアカネイア・パレスへの進行を止める決定を下す。

 アカネイアに続く場所に巨大な城壁と関を作り、アリティアとアカネイアの往来を遮断する。

 無論、これに対してアリティアも封鎖を破るために兵を送るが無制限かの如くに現れる隷属者の群れを簡単には破れそうにもない。

 

 完全に孤立したわけではなく、ドルーア地方を船や飛兵を使っての移動は可能であること、

 そして先日の五大侯が行った侵攻戦への対策もあってアカネイア地方には十分な防備が敷かれている。

 聖王国はアカネイアとの封鎖の解除ではなく、それを行った以上かれらが取るのがアリティア攻略戦であることは明確であるとして準備を進めることになる。

 

 連合はその決定以後、次々と戦闘の準備を整えていた。

 戦費だけでなく、集められた軍勢は連合の、いや、アカネイア王国健在の頃よりも遥かに多くが集められた。

 

「これが正当なアカネイアの行いだと言えるわけがない……」

 

 ハーディンが執った計画は人の道から外れたものだった。

 全ての支配地から徴発を行い、反抗できるような人間の全てを根こそぎ兵士にしてしまうもの。

 全員の腕には村の番号が刻まれ、何かしでかせば故郷は焼かれると説明された。

 

「奴隷兵団と彼らは呼んでいる」

 

 ノアがジョルジュの横に立ち、兵士たちを見下ろす。

 彼ら……つまりはアカネイア人たちのことをノアは言っている。

 ジョルジュもまたボアと旧来のアカネイア家臣たちがそう呼んでいるのを聞いてしまっているからこそ、その行いが間違っていることと判断していた

 

「ハーディン閣下のご指示ではなかろう、これは」

「ボア殿だろうな

 だが、判断を下したのはあくまでハーディン閣下と言いたいのだろう」

「そんな言い分が通るものか……!」

「……しかし、我らにやれることは戦うこと

 彼らを無事に故郷に帰してやるためにも、勝利すること以外に道はない」

 

 ノアもジョルジュもわかっている。

 例え、アリティアに投降を求めたとして、奴隷兵団の全てを引き連れて逃げ込めないことを。

 自分たちが投降すれば連合の勝率は下がり、そうなれば奴隷兵団の多くが犠牲になることを。

 

 ───────────────────────

 

 草原の狼、その乱心とも言うべき行いに狼騎士団は揺れていた。

 

「ウルフ様、もう我々は付いていけません」

 

 このようにして狼騎士団から離れる騎士たちはかなりの人数となっていた。

 

「き、貴様ら!ハーディン様への忠義はどうしたというのだ!」

「……我らは奴隷相当の身分からハーディン様に引き上げ、騎士の位まで拝命しました」

「そうだろう、その信に報おうと思わないのか!」

「ですが!あの兵団はかつての我らそのものではないですか!

 全てを奪い、従わせ、命をすり潰す使い方をされている彼らと……かつての我々と!

 どこに違いがあるのです!」

「……っ」

 

 その言葉にウルフは言葉を詰まらせた。

 彼らの言うことは正しい。

 正しすぎる。

 ウルフとてこの兵士の集め方が正しいなど当然思ってはいない。

 だが、こうでもしなければアリティアには絶対に勝てない。

 兵の質が違いすぎるからだ。

 であればこちらは質が劣悪だろうと数倍の戦力を備えて戦うこと以外に選択肢などない。

 

「行かせてやろう、ウルフ」

 

 ビラクの言葉に全員が彼を見る。

 

「……ああ、そうだな

 今までの働きに感謝する、とはいえ──」

「いえ、我々の意思で離れるのですから何もいただくことはできません」

 

 そういって狼騎士団からまた離反者が出た。

 全盛期と比べれば十分の一ほどになってしまったのはウルフは自らの徳の無さを呪うことしかできなかった。

 

「ザガロ、ビラク、ロシェ

 お前たちとて去っても恨むことはないぞ、好きにしていい」

「ウルフ、そんなことを言わないでくれ」

 

 ザガロはその言葉にすぐに反応した。

 

「お前一人に責任と苦痛を与えるわけがないじゃないか

 一緒にいるよ」

「ああ、そうだぜ

 いい男ってのはいつだって友の側にいるもんだ」

 

 一拍置いて、ロシェが口を開いた。

 

「けど、僕は許せないな」

「ロシェ?」

「あの兵団を作るための方策を考えたのはハーディン様ではない、皆だってそう思っているだろう?」

 

 口々に「それは……」と表情を固くする。

 彼の策の裏にあるのはボアであろうからだが、ハーディンの号令があって実行されたのは事実でもある。

 だが、ロシェは続けた。

 

「あんなことを裏で操っているボア殿は、絶対に正義なんかじゃない

 そのもたらしたものは秩序でもない

 僕ら狼騎士団とハーディン様の間の信義を傷つけた」

 

 腰の剣を撫でるようにしてから、言う。

 

「こんなこと、許されていいはずないよね?」

 



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能わぬ玉座に小さな体

「やはり、連絡は返って来ぬ、か」

 

 ロレンスの言葉に暗い表情をするユベロ。

 

(可能なら、ガーネフさんにお会いしてみたかった

 高名な魔道学者との話はきっと楽しいものになっただろうけど……戦争、か)

 

「オレルアン連合からの使者がお越しです、ユベロ様」

「お会いしよう」

 

 ユベロは居住まいを正す。

 王としての威厳を取り戻すように。

 

「お初にお目にかかるグルニア王国が王、ユベロ殿

 我が名はボア

 オレルアン連合が一員であり、作戦の説明のために参上した」

 

 ボアの名は例え東西逆の位置にあるグルニアであってもよく聞こえたものだ。

 王室派にして徹底的なタカ派の危険人物だと。

 

「現在の大陸地図はアリティアに大きく汚染された状態となっている

 そこにきて、更にユミナ様を拐い、この大陸の多くを更に侵そうとしている

 我らはそれを止めなければならない

 グルニア王国とオレルアン連合の連携さえあればそれを止めることができる」

 

 逆を返せば、大陸で残った二つの国が総力戦を仕掛けない限りは敗北以外にないということである。

 

「あの貪狼のようなレウスは降伏を許すまい

 完全に自らのものになるまで、戦いを続けるだろう

 それは今までのアリティアの戦いぶりからも理解しておられるだろう」

 

 他国からすれば、そうとしか取れない戦いばかりである。

 ボアはそれよりも少しばかり情報は多く持っており、敵国の全滅を求めるような戦いが多かったわけではないことを知っている。

 だとしても、それを言う必要はない。

 どうあれ、レウスとアリティアには消えてもらわねばならないのだから。

 全ては、アカネイア大帝国建国のためにも。

 

「ユベロ殿、いかがですかな」

 

 一方のユベロは、その心情ではオレルアン連合とは手を組みたくはなかった。

 そもそもとしてその中心にあるアカネイアとはドルーアを交えていつか打倒するべき対象としていたほどの相手。

 手を組むことがいずれ国政への悪影響が出かねないことでもあるとは思う。

 

 だが、そのいずれが来ない可能性の方が大きいのもまた理解できた。

 

 なにより、姉であり国主であるユミナを救出しない限りはグルニアに未来はない。

 ユベロではグルニアを牽引し続けることは不可能であると当人が思っていた。

 

 カミュ、ロレンスもまた殆ど同様の考えであった。

 ただ、二人共書状の是非に関してはどこか引っかかる部分もあったが、偽装不可能な情報が含まれていたことがその考えを曇らせてしまっていた。

 

「……わかりました、ボア殿

 我らグルニア王国は戦いに参加するとお約束しましょう」

 

 ユベロは決定を下す。

 ここに大陸の覇権を決する、東西の戦いが起こることが確定したのだった。

 

 ───────────────────────

 

「……カミュ、ロレンス

 この決定は正しかったのだろうか」

 

 ボアが飛兵と共に去った後、ユベロは弱音を吐くように言う。

 

「正しいかどうかを判断するのは後世の人間の仕事でしょう」

 

 それにカミュはこともなげに言う。

 

「ユベロ様には姉上でもあるユミナをお助けしたい気持ちがある

 我々は現在の王位とその職務を慣れない作業だというのに必死に解決しようとするユベロ様のお力になりたい

 今、この時代に生きる我らに必要なことはその気持だけかと思います」

「カミュ……お主もそういうことが言えるのだな」

「ロレンス殿は私を何だとお思いだったのです」

 

 そんなやり取りを見たユベロはふふ、と笑みをこぼした。

 

「二人がいれば、なんでもできそうな気持ちになるよ」

「成し遂げましょう、我らのできることを」

「このロレンス、どこまでもお供いたしますぞ」

 

 必ず勝てる戦い、とは決して言えないことを三人は理解している。

 むしろ、勝ち筋は極めて細い。

 それでも挑まねばならない。

 

 グルニア王国は覚悟を決めた。しかしそれは悲壮なものでもなかった。

 それはユベロが王としての資質、その片鱗を輝かせ始めたからにほかならない。

 

 ───────────────────────

 

 カミュとロレンスが去ったあと、ユベロは一人玉座にいた。

 

(あの手紙に昔使った暗号ごっこが使われていた……)

 

 長文向きではない暗号だったから、切り詰められた文字ではあったが、内容は簡単なことだった。

 拐われた。レウスではない。父の仇と共にいる。

 仇を討つためならば軍を動かせ。

 一時の平和のためを思うなら軍を動かすな。

 

(……仇、か)

 

 ユミナもユベロもそれが誰の仕業かを理解している。

 ガトーのところに姉がいると考え、あの手紙で指示されているのは嘘である。

 だが、確かにこの戦いに参加しなければ平和のまま。

 しかし、アリティアはいずれ大陸制覇のために動くことになる。

 

(よりよい譲歩を引き出すためにも東西の戦いに乗る必要がある

 民草にも将兵にも少なからぬ犠牲は出る)

 

 命を使い捨てるような判断は常人には重すぎる。

 ユベロはそれでも、判断した。

 今だけでなく、限りない将来のために。

 

(それに、戦況が多く増えて混沌とすれば……)

 

 ユミナを助ける機会があるかもしれない。

 いや、必ずその機会を作り出す。

 

 限りない将来のためにも、自分の才では成り立たせることはできない。

 グルニアの未来のため、傲慢と言われようと姉のために犠牲を伴う判断をユベロは下した。

 その小さな少年の体には重すぎる負担を、しかし大切な姉と国のためにと引きずるようにして一歩また一歩と仮初の王の道を歩く。

 

 ───────────────────────

 

「カミュよ」

「はい」

「ユベロ様にはああは言ったものの、やはり」

 

 ロレンスの表情は暗い。

 

「モンタークの話ですか」

 

 カミュが先日の北グルニアの人間のことだろうと判断して口に出したのは、

 他ならぬカミュ自身がモンタークを疑っているからでもある。

 

「うむ、にわかには信じられぬ……だが、使者が還って来ないのも不可思議ではある

 取れる手は一つだと考えているが、どうか」

 

 自分が使者となる、ロレンスは言外にそう言いたいのだろうことは察しのいい人間でなくともわかることで、

 特にロレンスの気性がわかっていれば尚更。

 結局のところ彼は現場体質、自分の足で稼ぎ、自分の目で確認しなければ納得しない。

 

「……おすすめはいたしかねます、万が一があれば指揮を執る人間が減ることを意味しているのですから」

「だが、自分が行けば使者がどうなっているかはわかる

 それに槍捌きにおいては未だそこらのものに劣るものでもなかろう」

「止めても無駄だということは理解しました」

 

 黒騎士カミュは元々感情が動くタイプではないのだが、それでも最近はため息の回数が増えた。

 良い悪いはさておいても、人間らしさがなければこの時代は生きるのには過酷が過ぎる。

 

「自分が戻らなかったときは全軍の指揮は」

「才腕で言えばミシェイル殿に頼むべきでしょうが、国軍を他国人に預けたなどというのは軍部が納得しますまい

 城の守りを私が降りるわけにもいかないことを考えれば、黒騎士団の三騎将に任せることになりましょう」

「ライデンたちか」

「身内自慢のようにはなりますが、優秀に育ってくれました

 指揮能力も三人が寄ればロレンス殿にも近いものが発揮できるはずです」

「……すまぬな、カミュ

 わがままに付き合わせた」

 

 カミュは小首を振るう。

 

「全てはグルニアのために、そうでしょう」

「ああ、それだけは違いないことだ」

 

 ロレンスもまた、まっすぐにカミュを見つめて頷いた。

 

 戦いは間近に迫っている。

 



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書と少女は闇を抱えて

 オレルアン連合は続々と部隊を決戦の大地となる場所へ向かう準備を整えていた。

 それと同時に五大侯もまた同じくして向かう。

 

 戦場となるであろう場所の、五大侯の拠点。

 そこに戦列を率いて進むラングは苛立ちと、不安感をないまぜにした表情をしていた。

 

 五大侯は連合の下に付いた。

 ボアの讒言もあり、ハーディンによって東西の戦いの先鋒をするよう申し付けられている。

 かつてアカネイア王国が打倒されたときのように我関せずといった態度を示したいのは山々だったが、

 それができないことを理解している。

 

 上手く奇襲が成功していれば狭い五大侯の領地から広いアカネイア地方に場所替えもできたのだが、

 残念ながら上手くはいかなかった。

 いや、あそこまで怒りを露わに進軍してくるとも思っていなかったのだ。

 

 こんなことならばあのマムクートの老人にはもっともっとひどい拷問をしてやればよかった、

 そうすれば今頃多少は気分も晴れていたかもしれないのにとラングは思う。

 或いは生かしておけば今頃盾にでもできたか、と。

 

 だが、拷問し、殺した事実は消えない。

 

「ラングぅ、暗い顔してるねえ」

 

 馬を並べるようにして、マリーシアが声をかけてきた。

 

「暗い顔にもなる!

 あのボアめ、あのハーディンめが!このラングをコケにしおって」

「あはは、でもさあ、先鋒として仕事をすれば退いてもいいわけじゃん?

 だったら最初は隷属者と守り人がんがん投入して、連合が今だー!ってなったタイミングで後退しようよ

 そしたらラングだって怪我しなくて済むじゃーん」

 

 甘い囁きである。

 ただ、その言葉はただ耳障りがいいだけではなく、ある面においてはその筋は通っており、納得させる力が備わっていることがこのマリーシアの恐ろしいところでもある。

 

「むう、だが……──

 いや、確かに先鋒としての役割は果たした以上はこんな戦いに付き合う必要もないか?」

 

 それ故にラングもこのようにして一考を(さしはさ)んでしまう。

 

「むしろさあ……もっと手酷いことしちゃおうよ

 ラングが好きそうな武将いたじゃあん、ボアのところにさあ、青髪のぉ」

「ディール家の小娘か?

 確かに気が強く、五大侯の血筋の癖にわしに従おうともしなかった女よな」

「どんな騎士だって、兵士だって、戦場で負けたらどうなったって仕方ないのが通例だよねえ?」

 

 にたにたと笑うマリーシア。

 戦場での負けは、本来であれば相手方からの影響だけを指す。

 だが、今回の言葉には味方に後背を衝かれたらというニュアンスが含まれている。

 いや、ラングにしろマリーシアにしろ彼らからすれば『味方』ではなく、『美味しそうな獲物』に過ぎない。

 

「……流石だぞ、ククク……それはいい、それはいいなあ」

「それにさあ……好き勝手遊ばせてもらった後に隷属者にしてあげれば……」

 

 その提案についにラングは堪えきれなくなって高笑いをあげた。

 ラングの恐ろしいところはこれで何かしらのオーブの影響を受けているわけではないことである。

 本当に、心のそこから、端から端までこの男の性根とはこうした下劣な形をしているに過ぎないのだ。

 

 だからこそマリーシアはラングのことを気に入っていた。

 扱いやすく、どれほどまででも外道に落ちていける、最高の道具であるからだ。

 

 五大侯の戦力は先鋒として十分な数を備えていた。

 守り人の数こそ多くはないが、村落からも集めてきた隷属者は死を恐れない狂戦士の群れとなっている。

 

(ラングとか他の五大侯の貴族たちは能力据え置きだけど、

 まあ……強化したら軍権を扱いにくくなるし、仕方ないか

 強化してもしなくてもどうせこの戦場で死んでもらうつもりだしぃ……)

 

 マリーシアの目的は死そのものである。

 彼女は後天的ではあるが十二聖戦士としてガトーに数えられた一人であり、

 それ故に強力な道具を一つ与えられている。

 

 だが、それをはいありがとうございますと受け取って使うような殊勝な女でもない。

 与えられた魔道書は既に分解しており、それは彼女の望む力を発揮できるように再構築されている。

 

 オブスキュリテ()と名付けられた魔道書の力は単純な破壊力を備えたものではない。

 勿論、闇の力を備え、それを破壊力として生み出す攻撃はできる。

 その本質は攻撃ではなく、周囲で発生した死を食らって我が力とするもの。

 

 ガトーの研究所で盗み見た文献で見つけたマフーの設計思想を基にした。

 とはいえ、マフーのようなある種の無敵ともなる力はない。精神汚染もない。

 しかし、魂や亡霊といったものを操作する力だけは完全な、いや、それ以上の形でオブスキュリテは備えていた。

 

(オブスキュリテでたっくさん魔力を食べて……王子様を呼び込むんだ……

 オームの杖がないなら……私自身がオームの魔法を発動できるくらいに力を溜め込めばいいんだから……)

 

 彼女の瞳は渦を巻くようにきらめいている

 彼女は狂っていた。

 ただ、一心に王子様(マルス)を思うことで完全に破綻はせず、しかしその人間性は完全に崩壊していた。

 

 戦いは間近に迫っている。

 



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盟主の王冠

 

 オレルアン連合の本陣は戦場を見下ろせるような場所に拠点を構えていた。

 ウルフたちを筆頭とした狼騎士団と、ミディアを筆頭としたアカネイア軍。

 そしてオレルアン連合軍と、相当な数の奴隷兵団が配備されている。

 

「書状は届いたか」

 

 ハーディンが拠点に備え付けられた玉座に腰を降ろしながら、ザガロへと問う。

 

「はい、返答も頂戴しています」

 

 運んだのは当然ザガロではないし、中身も確認はしていない。

 例えどのような非礼の文面があったとしても最初に目を通すのはハーディンであると当人がそう規定しているからだ。

 

「……戦いに是非を問わぬ、か」

 

 ハーディンが送った書状には東西の戦いを始めるという宣戦布告を書いていたが、

 アリティアから、いや、レウスからの返答は実に簡素なものだった。

 

『その準備、その戦いに是非は問わぬ

 しかし、その血濡れた王冠はさぞかし重かろう

 オレがこの手で借り物の王冠を落としに行こう』

 

 ハーディンは小さく笑う。

 やはり、最後に立つのがこの男でよかった、と。

 

 重ね続けた罪は覇道を歩み、覇王となることで消すことができる。

 都合の悪い歴史は全て埋葬してしまえばいいからだ。

 

 しかし、戦いに負けてもレウスはハーディンの名誉を守ってやると書いたのだ。

 王冠は落とされる、それも借り物というのはボアのことを指してもいるのだろう。

 確かに、ここまでの道のりは背を押されるように歩いてきただけとも言える。

 

 勿論、彼が自分で何も考えなかったわけではない。

 ここまで来れたのはハーディンが苦しみ抜いた答えを何度も出したから、アリティアと雌雄を決するまでの立場になれているとも言えた。

 借り物の王冠であることを理解しているからこそ、悪王としてのみ書く気はない、本当の悪は別にあった。

 そう記述するつもりなのだろう。

 

「その優しさは自らを苛むからも知れぬというのに……

 だからこそこのハーディンも、全力を尽くし、レウスを苛むことがないように決着させてくれよう」

 

 ハーディンは赤い瞳を書状に向けて呟いた。

 

「ウルフ、ザガロ、ビラク、ロシェ」

 

 名を呼ばれたものたちはそれぞれに頷くように声をあげた。

 

「よくぞ我が圧政に背を向けずに付いてきた

 この東西の戦いでは私自らが戦線で指揮を執る、お前たちは遊撃部隊として好きに行動せよ

 ……好きに、な」

 

 それは言外に、もう付き合わなくてもよいという言葉であった。

 

「ここまで来たんです

 男と男の約束、いやさ、忠義を示したんだ

 最後の最後で尻まくって逃げるのはいい男のやることじゃあない、そうでしょう」

 

 ビラクがにやりと笑う。

 不敵だが、器用で、人の心をよく理解する男だった。

 ハーディンもここまでの旅路に何度も彼のひょうきんさに救われたものだった。

 

「最後までお供させてください」

 

 ザガロも言う。

 多くの任務で駆り出された彼は誰より多くの悲痛な現場を見てきたし、作らされてきた。

 それでも逃げなかったのはハーディンも含めて、皆が家族だと思っていたから。

 今にしても思えば、家族ならばどこかで止められたのだろうかとも思っていた。

 ハーディンの諦観を含む笑みが、どこであっても止められなかったのだろうなとザガロを納得させた。

 

「僕も勿論、皆と同じに

 ですが、ハーディン様とニーナ様から賜ったご厚意もあります、当日は遊撃部隊として戦働きを見せたいと思っています」

 

 ロシェの誠実さは苦境にあってなお輝いていた。

 騎士とは、領主とはを見失う日々を過ごすハーディンにとってロシェの行き方はどれほどに勇気を与えられたことだろうかわからない。

 

「このウルフという名を与えられたときから、この身の全てはハーディン様のために」

 

 誰よりも忠義を持つ男。

 決して裏切られないだろうという確証はハーディンが自らを孤独だと考えてしまうような日々を癒やし続けた。

 

 ハーディンは彼らを見て、そして、申し訳なくも思う。

 よりよい主がいたはずだろう。

 よりよい主に自分がなれたはずだろう。

 

 だが、そうはなれなかった。

 いや、ならなかった。

 

「大陸のためにも、ニーナのためにも……アリティア聖王国を倒し、平穏をもたらさん」

 

 戦いは間近に迫っている。

 



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偽りの帝王の下に、偽りの騎士が侍る

「やはり、貴様のようなものがいたか」

 

 盾は落とされ、鎧の隙間を通すような斬撃に血は多く流され、膝をつく老兵の姿があった。

 

「悪いねえ、じいちゃん

 おいらも仕事なんだよ、誰も通すなって」

 

 努めて明るい声で喋る少年を、怪物を見るようにして老兵──ロレンスが睨む。

 

「実際そのせいでじいちゃんが来ちゃったんだもんな

 それじゃ、作戦は成功ってわけだ、アリティア・グルニア分断作戦大成功~っと

 それを教えに来てくれてありがとうね」

「……全てはやはり策謀にあって、踊らされたか……

 カミュよ、グルニアを頼む!」

「はいはい

 それじゃ、さよーなら」

 

 リカードの剣が走ると、ロレンスは息絶えた。

 

「さあて、これでもう戦いは避けられないでしょ」

 

 それは実際に、リカードの考えるように東西の戦いは回避できないものとなっていた。

 これまで何人の使者を手にかけたかは覚えてもいない。

 そして、これまでと同じようにリカードは穴を掘るとロレンスを埋葬した。

 

「とはいえ、そろそろおいらも次の仕事に取り掛からないとかなあ」

 

 ───────────────────────

 

 オグマは可能な限り、ガトーとの接触を避けていた。

 復活した直後こそ騙せていたが、次はどうかはわからない。

 

 北グルニアの廃墟に潜み、機を伺う。

 アリティアとグルニアの戦いに介入する上で、最も両者が利益となるものはなにか。

 彼は深く悩んでいた。

 

 魔将と聖戦士は『そうされる』ときに意思疎通を簡易にするために強制的に知識を植え込んでいる。

 オグマにもまた、そうしたことはされている。

 彼の脳には体験していない知識が多く含まれており、その中にユミナの身に起こった悲劇が存在していた。

 

「……レウスよ、お前の性癖を信じれば良き方向に転がる

 そう信じていいな」

 

 好敵手とも言えまい、レウスとオグマの関係は。

 だが、それでもレウスという男によってシーダは幸せを掴んでいた。

 であれば信じたシーダという人物が信じるレウスを信じることもまた、不自然ではない。

 

「テーベより北、か

 ……戦いに間に合うかどうかは……」

 

 自らの手を見やる。

 最早人ではない。

 であれば、どれほどの無茶とて利くだろう。

 

「いや、間に合わせて見せるさ」

 

 オグマは目的を定める。

 進むべきはユミナのもとに、そして、彼女を救えるものの元へ。

 

 ───────────────────────

 

「おかえりなさいませ、ボア様」

 

 家臣の一人が帰還したボアへと進み、側仕えたちに世話をさせる。

 

「うむ、状況は?」

 

 ボアは鷹揚に頷きながら自分がいない間になにか問題はなかったを問うが、

 

「連合、五大侯ともに決戦の地へと赴きました

 ボア様の妙案についても実運用され、兵団化されました」

「奴隷兵団か

 そもそもオレルアンなど奴隷の養殖場のようなものなのだから初めからこうすればよかったのだ

 オレルアン王に一服盛るのが遅すぎたわ」

 

 暗君ではないにしろ、奴隷兵団の案をオレルアン王が了承したのはハーディンがそうせよと言ったからではない。

 そもそもとして、オレルアン王の了解があったればこそ実現できたことだ。

 今のオレルアン王は近くに置いたボアの腹心の命令に頷くだけの人形同然。

 ラングの下についている聖戦士の調合した薬が実によく効いた。

 

「オウガはどうしておる」

 

 その声に部屋の奥から甲冑の音が響く。

 

「ここに」

「わしらも前に出ねば怪しまれるというもの、出れるか」

「無論、ガトー様より依頼の品も届いている」

 

 オウガの声に別の甲冑の音が鳴って、近付いてくる。

 

「この身と同じく、漂流物によって身を守らせる……それでよかったな」

 

 重厚な全身甲冑に、戦斧が握られている。

 狭間の地から流れ着いた鎧は名騎士のものであることが誰の目にも明らかだった。

 オウガと同じような鎧をというオーダーにララベルは必死になって解決した。

 何せ今のボアの頼みを無視すれば商売上がったり、なんてことでは済まないことが彼女たちにはよくわかっているからである。

 

 もはや男女の性差も感じさせない、まさしく騎士──聖戦士と呼ぶに相応しい勇壮なる姿があった。

 

「うむ、素晴らしい性能を期待する

 貴様にはオウガと同じく、鎧に刻まれし名を与えようぞ

 今日よりマリスという名を捨て、イングヴァルと名乗るがよい」

 

 オウガと異なり、言葉も無い。

 

「所詮は守り人ということか」

「十二聖戦士ではあるが、守り人からの繰り上げ

 その点はお目こぼし願おう、実力は我らと変わらぬもの」

 

 ボアはオウガの太鼓判に満足したのか、

「では我らも決戦の地へと進むとしようぞ」と歩き出す。

 

 戦いは間近に迫っている。

 



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決戦前夜

 アリティア主城。

 その謁見の間には今までにないほどに多くの人間が集まっていた。

 

 宣戦布告。

 それはオレルアン連合と、グルニア王国から別々ではあるが、恐らくは示し合わせて送ってきたのだろうことはわかった。

 

 オレルアン連合からは

「アカネイアパレスとアカネイア地方の不当な占拠、アカネイア王族の許可なき未承認の統治、

 ドルーア地方、カダイン地方に対する侵攻、それらの罪を購うつもりのないアリティアに対して大義を以て進軍を行う」

 という内容であり、一方のグルニア王国からは

「グルニア女王ユミナの誘拐と拉致、それに対しての使者に対しての拉致或いは殺害によって進軍を行う」

 などと、使者に関してはむしろアリティア側がより大きな被害を受けているのだが、

 

「……どうあれ、両国は我が国に対しての侵略を宣言した

 オレたちは自分の国を守るために防衛し、そして二度とくだらない侵略など起こさぬためにもそれら全ての国を進撃し返し、その全てを奪う

 文句のあるものはいるか」

 

 諸王族、諸将、大勢の文官が集まる前で、オレは玉座から立つと宣言した。

 

 反論の一つもない。

 

 ガーネフが代表するように一歩前に出る。

 

「全ては現人神たる聖王陛下のご意思のままに」

 

 レウスはガーネフの言葉、いや、この場に集まった全員の意思に報いるように言葉を選び、発する。

 

「この戦いが終わったあと、アカネイア大陸は一つとなる

 大陸が今まで得たことのない、本当の平穏というものは我らアリティア聖王国の手で作られる

 皆、そのためにも力を貸してくれッ!」

 

 鎧や衣服が擦れる音が一斉に響き、

 その言葉に応じるように集まった全員がそれぞれの礼法に則った形で同意を示した。

 

 今ここに、東西決戦と銘打たれた戦いが始まろうとしていた。

 

 ───────────────────────

 

 決戦とは言え全ての戦力を、とはいかない。

 それでもドルーア地方にある戦力の多くはアリティアへと入り、海岸線や飛兵対策は城から出れぬメディウスが竜族たちへの指揮を執ってくれることで守りを万全とした。

 

 西の軍には聖王国の主力であるリーザ、シーダ、レナを主軸とし、その直下にノルンと、アリティア軍の名こそ大きくは残さないが優秀な諸将が従う。

 ガーネフと魔道兵団が、

 マチス率いるマケドニア地方軍も続く。

 

 この戦いに応じる形で集まった義勇兵たち、それを指揮するのは肉親の治療を無償で行ってくれた恩義を返すとして剣を掴むシーザ、そしてその親友であるラディという二人の青年だった。

 義勇兵の多くはそうしたアリティア聖王国の身分を問わない救済政策であり、土地を追われながらも新たな生活を得た難民たちも相当な数が含まれている。

 

 謂れなき罪とはいえ、火の粉は払わねばならず、いずれはグルニアともことを構えるなり、

 帰順を求めるなりをせねばならない聖王国は必要分よりも多くの兵士を備えていた。

 一方で東への構えが不十分かと言われればそうではない。

 

 東の軍にはレウスを始めとして近衛としてエリスとホルスタットが付く。

 紋章教団の双神ロプトとナギに、教団兵の全戦力、そしてドルーア地方軍以外の竜族。

 ミネルバがその構造を一新したドルーア地方からアリティア地方の全体を警備することを目的とした高機動を重要とし、飛兵と陸戦兵で構成された白騎士団。

 

 グルニア三将はこの戦いに参加を希望したものの、五大侯が作った長城、アドラの壁と五大侯の伏兵が再びアカネイア地方を荒らさないかの巡察を強化してほしいというエルレーンの願いから、参戦は見送られた。

 しかし、グルニア三将がこの日のためにと鍛え上げた精兵たちが送られ、その指揮はホルスタットに任せられた

 

 更にグラ地方からシーマとサムソンも参戦し、グラ地方からアリティア地方への侵入をさせまいと死守の構えを取る。

 

 ───────────────────────

 

 東からはオレルアン連合はハーディンを筆頭に、狼騎士団、

 オレルアン軍と奴隷兵団。

 ミディア率いるアカネイア騎兵隊、アストリア率いるアカネイア陸戦隊、ジョルジュとノアが率いるアカネイア弓騎士団。

 ボアが秘密裏に結成した守り人部隊。

 

 五大侯はラングと貴族の兵団。

 マリーシアが率いる守り人部隊、隷属者兵団。

 そしてボアから秘密裏に譲渡されたマリク。

 

 西からはミシェイル率いるアカネイア飛兵部隊、ロレンスの忘れ形見とも言えるグルニア陸戦軍。

 ライデン、ベルフ、ロベルトの黒騎士団の三騎将と黒騎士団のほぼ全て。

 また、シューター部隊も後方からの支援射撃を行うために配備が進んでいる。

 海峡には船団を用意する予定ではあったものの、アリティア飛兵の組織力から出撃は断念し、物流の面での運用に留まる。

 モンタークと北グルニアの残党もまた、遊撃軍として参加している。

 

 カミュはガトーの到来に備えてグルニア主城にて守りを固めていた。

 

 ───────────────────────

 

「アカネイア大陸が未だに体験していない大戦が巻き起こる、か

 レウスめ、戦を呼び込む死神め」

 

 ガトーは塔から大陸を見下ろすようにして言う。

 

「作り出したものどもを使うときであろうな」

 

 東西で兵力を割かれたアリティアはそれだけで勝敗を読みきれない立場にある。

 それはガトーも理解している。

 だからこそ、天秤を揺らそうとしていた。

 

 戦いは間近に迫っている。



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死の集積者

 東西決戦は大きな兆しがあるわけでもなく、夜明けに合わせてぬるりと始まった。

 

 まるで意思を感じない兵団がグラ大橋より東、決戦の地ともなるレフカンディ平原に作られた聖王国の拠点へと前進を続けていた。

 夜明けを狙うであろうことは誰しもがわかっていたことだし、夜明けを狙おうとするのもまた両勢力どちらの狙いでもあった。

 先に動いたのは五大侯、つまりは連合軍ではあったが、それが可能であるのは先鋒となった彼らの兵団は自我も意思もなく命じられたままに動く人形同然であるから。

 夜の闇を恐れず、命じられた前進を実行する人形たちであれば暗闇でも関係ないからであった。

 

 隷属者兵団の後方にはラングとマリーシアが貴族を中心とした重装兵団に守られる形で戦いを監督している。

 

 その様子を少し遠巻きから見やるのはレウスとホルスタットである。

 

「あれが情報にあった隷属者か」

「ええ、過日の五大侯がアカネイアに侵攻したときに運用した兵士ですな

 相当の数ですが……あの戦いでどういった兵団かの情報を知れたのは大きいものでした」

「知らずに戦ってたら死をも恐れぬ最強の兵団だと勘違いして士気低下の原因にもなっていたかも知れないが」

「ええ、彼らは残念ながら死を恐れるのではなく、何も考えずに前進してくるだけ」

 

 レウスは手を挙げて、事前に準備していた軍を動かす。

 最初に現れたのは火竜となったナギ。

 そして後ろに続くのもまたペラティからマヌーと共に臣従した火竜族であった。

 

 衝突前に火竜たちはブレスをそこかしこに吐き出して炎の壁を形成する。

 普通の兵士であれば止まるなりなんなりの対処をするが、隷属者たちはそれができず炎へと突き進んでいく。

 やがて炎に巻かれた兵団は次々と倒れていくが、それでも前進し、死体を踏み越え、或いはその肉が炎を鎮火させようとしていく。

 だが、ホルスタットが傍観をするはずもなく。

 

「グルニア友の会!弓構え!」

 

 グルニア三将から渡された兵団にはオレルアンを参考にして作られた弓騎馬軍が結成されている。

 迂回や引き撃ちが可能なそれらはホルスタットの号令に従って弓を構え、矢を放っていく。

 射って立ち止まるままではなく、引き撃ち(カイティング)しながら次々と撃破していく。

 それと同時に火竜軍団も炎を撒き散らしていった。

 

 ほんの一瞬の時間で五大侯の前線がぐずぐずに崩壊していく。

 恐らく隷属者たちに何らかの手段で命令があったのかもしれない、だがそれが実行されるよりも早く、鮮やかな手並みで初戦はまず、アリティアの軍配が上がった。

 

 ───────────────────────

 

 飛兵からもたらされた情報からオレルアン側の援軍は遠いようだった。

 であれば、取るべき手は一つ。

 

「五大侯のクソどもの首をもぎにいくぞッ!」

 

 オレの号令に応じるように前線部隊が怒号を上げ、先陣を切ったオレの後ろから猛然とホルスタットの配下が続いた。

 

 隷属者は殆どが戦闘不能になり、それでも戦闘を続けようとするものもいたが津波のように襲いかかる騎兵部隊の前に歩兵である隷属者は踏み潰され、戦場の露と消えていく。

 

「右手側にアドリアの旗を目視しました!」

 

 空から降ってきたエストが告げる。

 

「よし!他の連中には手旗で合図を送ってやれ!」

「はい!」

 

 流石に馬の上からではその旗は見えないものの、白騎士団が見間違えるわけがない。

 その信頼を置いてよいほど、ミネルバの麾下だった彼女たちの練度は高い。

 大陸全てを見ても、これほど熟達した飛兵部隊はミシェイルの麾下以外には存在しないだろう。

 

「ラング、その汚え首を大事に抱えていろよ

 オレが切り落とすまでな」

 

 ───────────────────────

 

「あっちゃあ、隷属者があんなにもあっさりと……一応火矢くらいだったら大丈夫なようにはしていたんだけど、流石にあんなに火竜並べられてブレスぼうぼう吐かれちゃあなあ……」

 

 マリーシアはそうは言うも焦った様子はない。

 一方で側にいたラングは顔を真っ青にして次にどうすればよいかを考えていた。

 

「ラングぅ、部下から馬をもらって後方に下がりなよお

 ここは私が食い止めるからさぁ」

「む、ぐぐぐ……」

 

 普段のラングであれば喜んでそうするところだが、流石にこの状況ではすぐに判断は下せなかった。

 何せ五大侯最大の戦力であり、この戦いが膠着でもすれば隷属者(兵力)の増産にはマリーシアは不可欠だったからだ。

 

 だが、それでもやはり根底は変わらない。

 

「わ、わかった!」

 

 ここでマリーシアに生きて帰れ、とかそういう言葉の一つもないところはある意味でラングの一貫性を示しているとも言えた。

 ラングは部下の一人を騎馬から下ろし、それに騎乗するとまっしぐらに逃げ出した。

 

「さあて、っと……

 ここまで頑張ったんだから、きっと王子様は来てくれるよねえ」

 

 狂気的な思考を持ちながらも、常に冷静でいる彼女であるからこそ、マリーシアはそれが淡い願いであることが理解できてしまっていた。

 

「どうあれ、やれるところまではやらないとねぇ」

 

 オブスキュリテを持ち直し、猛然と突き進んでくるレウスをぐるぐると渦巻く瞳で見つめていた。

 



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狂える純愛

 紫色の炎のような魔力がレウスにめがけて襲いかかってくる。

 冷静にそれをトレントから飛び降りる形で回避する。

 トレントもまた直撃することなく霧に還った。

 

「王様こんにちはぁ」

 

 とろんとした瞳を向ける少女。

 顔立ちは整っているが美人というよりも可愛らしい。

 だが、そうした魅力はどこか匂い立つ『不気味としか表現できない何か』によって素直に褒められるようなものには見えなかった。

 

「普通じゃないですって立ち姿だなあ」

 

 レウスの感想は、恐らく口に出した人間ははじめてだろうが、同じ感想を抱えた人間ならばごまんといるだろう。

 その少女も蕩けるように笑って、

「褒めてますぅ?」と帰した。

 

「少なくともけなしちゃいないな

 で、ラングはどうした?

 軍旗付きのお神輿も投げっぱなしってことはよほど急いで逃げたんだろ?」

「そうですよぉ、逃げました

 うーん、正確には逃しました、かなあ」

 

 少女の言葉に対しては特に反応を見せない。

「そうだろうな」くらいのものだ。

 

「で、お前は?

 その馬鹿げた出力の魔道書からして、白きナントカのお手製聖戦士軍団様か?」

「当たりぃ

 っていっても、自由意思を確保はしてますけどねえ」

 

 喋りながらも彼女は隷属者を周囲に呼び込んでいる。

 黒い魔力がそれらに接続する。

 レウスは何が起こるかを冷静に観察しながらも会話を続けることを選んだ。

 

「自由意思があるのにどうしてガトーなんぞに従っている?」

 

 素直な疑問だ。

 今のところ聖戦士というものを国が集めた情報以外で、いうなれば肉眼で確認できたのはオグマくらいのものだ。

 少女を含めれば二人か、その程度だ。

 彼女は──狂気は強く感じるが──実に冷静であるように見える。

 

 問題のないように見える人間があのガトーに従っている理由をレウスは知りたかった。

 説得したいというわけではなく、完全に興味本位だ。

 想定よりも愚かな人間であれば理解もできるが、少なくとも相対しているこの少女からはかなり高度な知性と、常人からは比べることもできないほど強い精神力を感じたからだ。

 

「利害の一致かなあ

 おじーさんは戦力が欲しい、王様を殺せるだけの戦力がね

 それで私は王子様に戻ってきてほしい、それで私を助けて欲しいんだあ」

「……王子?」

「マルス王子だよお、知ってるでしょ?」

 

 流石にその名を出されれば、表情がこわばる。

 

「なるほど、報告にあった『予知』ってやつか……マルス王子のことを知ってるってことは」

「この歴史の中じゃないマルス王子のこと、だよ

 知ってるでしょ」

「ああ、知ってるよ、十分に

 清廉にして人徳を備えた完璧な英雄だ

 だが」

「死んじゃってるのにどうやって?

 そもそもこの歴史にはいないのにどうやって?」

「質問の先回りは人によっては嫌われるぜ、えーと」

「マリーシア、だよ」

 

 その名を聞くと少しだけ表情を動かしてしまう。

 

「やっぱり、私のことも知ってるんだあ

 ちょっとうれしいなあ」

「ああ、知ってるよ

 ……まあ、何もかもってわけじゃないがね

 で、どうやって望みを叶えるんだ」

「来てくれるんだよ」

「来る?」

「私がたくさんがんばって、そしてそれなのに危地に追い立てられて、見返りをくれるようにきっと王子様が助けに来てくれる」

 

 様子のおかしな瞳にレウスは遅まきながらに気が付く。

 

(予知も強すぎりゃあ心を蝕む病にもなるか……)

 

 彼女が持つ魔道書は隷属者を作るか、強化するか、或いはその両方の力も備わっているのだろうと当たりをつける。

 

「で、どうする」

「まずは戦うよお

 それで勝てるならいいし、勝てないなら」

「王子様が来るか」

 

 生憎だが、とレウスは懐から取り出した鈴と追憶の結晶を構える。

 

「王子様が来るかどうかを確認する以外には道はねえよ、マリーシア」

 

 鈴が瀟洒な音を立て、そして霧が人の形を作っていった。

 



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偶像

 時間は東西決戦の開戦前に視点を戻すことになる。

 

 マケドニア王国第二王女、マリア。

 現在は戦後を見据えて、紋章教団の重職につくためにドルーアで日々を過ごしている。

 ドルーアとマケドニアの関係正常化のためにも王族であるマリアがドルーアを本拠地とする紋章教団で活躍することは極めて重要なことであった。

 

 が、しかし、元々利発な少女であるマリアはドルーアで必要とされる学習の多くを済ませてしまっており、所作なども王族である彼女は完璧であるせいで、日の多くの時間は彼女にとって遊び費やされることになる。

 

 彼女は東西決戦の参戦を当然希望したが、若いというよりも幼いというべき年齢のマリアの希望はレウス自身の説得により止められてしまう。

 さすがのマリアもわざわざ来て説得されてしまうと頷くしかない。

 勿論、自分のために来てくれたという喜びもあって、参加の不許可を頷いてしまったのもある。

 

「あーあ、私だってレウス様のお役に立ちたいのに」

「チキも~」

 

 ぶうぶうと文句を垂れる二人。

 

「何を騒いでおるか」

 

 のっそりと現れたのはメディウス。

 暗黒竜と恐れられた地竜の王も、今やチキやマリアのおじいちゃん代わりである。

 

「レウス様のお役に立ちたくて、でも戦場には行っちゃダメだって」

「チキは戦えるのに~」

「わ、私だって戦えるもん」

 

「何も戦働きだけが聖王の手伝いではあるまい」

 

 二人はきょとんとした顔をしながらメディウスを見やる。

 

「あの男の、今欲しがっているものを作る手伝いをしてやろうではないか」

 

 こうして三人から始まった共同作業はやがてドルーアに詰めている紋章教団の教徒たちを巻き込んだプロジェクトになっていくのであった。

 

 ───────────────────────

 

「レウス様ー!」

 

 出立前にマリアが現れた。

 全力で抱きしめられに来たりするのが自分の幼年を理解しながらも感情を掴み取ろうとする手にも見えて末恐ろしく感じる。

 が、彼女の登場自体は事前にミネルバと共に来るとは聞いていたので驚きはしない。

 ミネルバとオレの子を見守ってくれるという約束をしてくれていたからだ。

 

「マリア、アイのことを頼むな」

「任せてください、マリアがしーっかり守りますから」

 

 しかし、まだそれ以外にもあるようでマリアはおずおずと小箱をオレに渡してくる。

 

「これは?」

「その、戦場には一緒にいけないけど、私とチキちゃんだと思って持っていってほしいんです」

 

 ぬいぐるみとかだろうか。

 少女らしい可愛らしいプレゼントには違いあるまい。

 開けてもいいかと聞くとこくこくと彼女は頷く。

 

 箱を開くとそこに入っていたのはぬいぐるみではなかった。

 

「……これは……傀儡の結晶?」

「メディウス様と、紋章教団の皆が手伝ってくれたんです」

「作ったってのか、これを」

「はい!メディウス様の宝物を使わせてもらいました!」

「宝物?」

「生贄の杖っていう名前だそうで、大昔に竜の国で作られたものだって言っていました

 オームの杖のような力はあったらしいんですけど、それとは別に人の命を奪うものだから封印していたって」

 

 なるほど。

 そりゃあ、確かにお宝だ。

 カダイン魔道学院に渡さなかったのは人の身に余る杖の力だからだってのもわかるし、

 命に関わる法則に触れられるのはオレがメディウスに語った夢の邪魔にもなりうる。

 消費できるならしてしまおうの精神だろうか。

 

「レウス様が鈴を使って思い出にある人の、その霊体みたいなのを呼び出せるって聞いて」

 

 合っているが、合ってない。

 それだとオレとガザックがズッ友みたいじゃん。

 が、説明しにくいことではあるので「そうだな」と曖昧な返事をしておいた。

 

「これはその……使ってみてください!

 鈴がないから実際に使えるかまでは試せてないけど、きっと大丈夫だと思うので!」

 

 流石に鈴の代替品までは作れなかったようで安心した。

 制作の技法についても下手にこの鈴やら傀儡やらの技術のツリーが伸びて普及できることになるのだけは避けたい。

 物としちゃあガトーがやっていることと同じようなものだからだ。

 その辺りはメディウスも理解しているから世間的には重要なことは伏せているだろう。

 

「それじゃあ、試してみるとするか」

 

 霊呼びの鈴と渡された結晶を掴み、鳴らす。

 霧が集まり、やがてそれが人の姿を取っていく。

 マジで傀儡を作ったのか!

 

 現れたのはマリアとチキだった。

 

「え?……マリアが二人?」

「うん!」

 

 遺灰でもなければ傀儡でもない。

 とはいえ、呼び出したマリアとチキは明確な自我はなく、遺灰で呼び出した戦士たちと同様に恐らく込められた意思や目的のために動くのだろう。

 他の傀儡同様にオレの思念を受けると大雑把ではあるがその通りには行動する。

 

「これで戦場でも一緒にいられますね」

 

 にっこりと微笑むマリア。

 こういう重さの種類ははじめてだなあ……。

 

「呼び出された私……の偶像というのでしょうか

 この子が傷ついたりしても私には影響はないです」

「何かの手段で実証できているのか?」

「実証ってほどじゃあないんですけど、触れてみてください」

 

 むしろ鈴もなくここまで作れる辺り、メディウスの持つ知と力の強大さをひしひしと感じる。

 冷静に考えれば同じ時代か、それよりも永く生きているかも知れないメディウスなのだからありえる話ではあったのかもしれない。

 一生掛かってもメディウスのそうした知識の深淵には触れることはないだろうし、触れたいとも思わない。

 過ぎたる力は身を滅ぼすだけだ……が、今回は別だ。

 メディウスの肝いりなわけだしな。

 

 オレは彼女に言われたとおりに何かしらのアクションをすることにした。

 例えば撫でてみたり軽くデコピンしてみたりではあるが、マリア自身には影響はない様子だ。

 流石にそれ以上何かをする気にはなれなかった。

 偶像と言われてもマリアそっくりの少女に実験だからと手酷いことをやれるはずもない。

 

「悔しいですけど、偶像は私よりも魔道も使えるので戦場ではレウス様のお役にしっかり立てます

 チキちゃんは竜にはなれませんけど、かわりに棍棒が使えます」

「物騒なリフみてえな言い回しだ」

 

 オレの思わず出た発言に頭の上にハテナを浮かべるマリア。

 

「リフおじいちゃんが?」

「いや、なんでもない」

 

 そのチキを見ると確かにクラブを持っている。

 ……漂流物なのかもしれないが、あまりに普通の棍棒すぎて見分けはつかない。

 

 オレはマリアと、そして傀儡……とは呼びたくないのでマリアの発言を借りて偶像と呼ぶが、二人と偶像を連れて場所を変える。

 兵士の詰め所の近くで不要になった鎧や盾をもらってきて、ダミーに着せた。

 

 試しにチキの偶像にそれを殴るように思念を飛ばすとダミーは遥か遠くに飛んでいき、ばしゃん、と城の堀に落ちた音だけが聞こえた。

 

「……すごいな」

「流石チキちゃん」

 

 ナギも体術を使ってとんでもない威力の格闘術を披露しているのを見たが、やはり神竜族というのは身体スペックがそもそも普通の生物と比べちゃいけないレベルなんだろう。

 例え偶像になってもそれは変わらないらしい。

 

 マリアの偶像は背丈よりも大きな、禍々しいデザインの杖を持っている。

 無事なダミーを目指して、偶像のマリアに攻撃をするように念じる。

 ゆっくりとした動きで杖を構えると、刹那、紫の光がダミーを粉々に粉砕し、そのまま後ろにあった壁を半ばまで砕いてしまう。

 

「……すごいな」

 

 思わず同じことを呟く。

 

「マリアも育ったらこれくらいか、これ以上に強くなるのか……」

「早く大きくなりたいです」

「その才能はお嫁さんスキルに回してくれ」

 

 その言葉にマリアはきらきらとした表情で「はい!」と頷く。

 言葉のチョイスが拙かったかもしれないが、だとしても、彼女には偶像のマリアのような力を持って欲しいとは思えなかった。

 彼女が戦わなくてもいい時代を作るのが、今のオレの目標だ。

 

「マリア、ありがとうな

 これできっと戦場から無事で戻ってこれる

 チキにもお礼を……と、暫くはドルーアには戻らないんだったな」

「はい」

「それじゃ、チキには落ち着いたらオレから言わないとだ」

「そのためにも、きっと、ではなくて必ず戦場から無事に帰ってきてくださいね」

 

 じっと見つめる彼女の瞳は、やはりマケドニア王族を感じさせる強い意思力のそれだ。

 

「約束するよ」

 

 無事に戻る理由は多ければ多いほどいい。



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諦めが肝心でしょ?

 霧は人の姿を取り、それらはマリアとチキの写身となった。

 

「マリーシアも隷属者使うんだ、こっちも手を増やしたって構わないだろう」

「そりゃあ勿論」

 

 マリーシアは実に冷静であった。

 

「でもぉ、暫くは邪魔が入らないようにさせてもらうねえ、せっかく王様とお話できるんだからさあ」

 

 そう彼女が言うと、今だ燃えている隷属者や、無事であった隷属者が緩慢な動きでオレと後続の兵士たちとの間に壁を作る。

 

「徹底的に付き合ってやるよ、王子様が来るってならオレも挨拶したいからな」

 

 レウスもまた、獣人の曲刀と小盾を構え直す。

 

「オブスキュリテ!」

 

 構えを取ったのを開戦の鐘を鳴らしたと受け取ったのか、抜き打つように魔道書から『闇』そのものが破壊力を備えて襲いかかる。

 

「……」

 

 魔道書の発動と同時にマリアが杖を向けると同じくして『闇』を打ち出す。

 中空で衝突し、爆発を起こす。

 それは大気を揺らしてレウスやマリーシアたちの髪を揺らすに留まるが、直撃していればどちらであっても致命傷か、それに近い痛手を支払うことになるだろう。

 

「私のオブスキュリテを相殺するなんて、とってもすごぉい!」

 

 マリーシアの言葉とは裏腹に隙なき攻勢を隷属者たちを使って仕掛けてくる。

 フロントに立つチキは片手に持った棍棒を振り回すと、まるで小さな甲虫を叩き潰したかのような惨状が一瞬で広がった。

 

「わあお」

 

 端的な感想はまさしくマリーシアの本心だろう。

 

「こりゃー、うん、だめっぽいなあ」

 

 ───────────────────────

 

 いやー、マジかー。

 このオブスキュリテ、出力だけでガトーのじいさまを消し飛ばせるようにって鍛えてたけど、

 そっかー、最大出力じゃないにしても相殺されちゃうのかあ。

 

 王子様に来てもらって、ガトーのじいさまもナーガさまもふっとばしてマルスキングダムを作ろうって思ってたのに、手段が間違ったかあ。

 さて、どうしようかな。

 ここまでの悪行を考えれば今更聖王国に投降してもダメだろうしぃ。

 そもそも、そんなことしたら王子様は遠くになってしまうしぃ。

 

 仕方ない。

 

「死ぬかあ」

 

 早い話がオブスキュリテに魔力を最大まで込める。

 オブスキュリテには私の命をそのまま魔力に転換する効果を付与している。

 ガトーのじいさまが私に付与した才能は恐らく、火力に転換すればこのあたりを不毛の大地に変えるくらいの威力にはなるはず。

 死ねば王子様が助けに来てくれる!なんて甘い考えはない。

 

 でも、このままだらだらと研究を続けることはできないだろう。

 このまま戦っても聖王国の勝利に時代は流れていく可能性が高い。

 仮に連合が勝利した所で聖戦士との戦いに流れていくだろうし、どちらが勝っても悪行を重ねるのには無理のある環境になる

 そうなれば、結局王子様をこの地に来てもらえるようにする準備はできなくなる。

 

「黒をもたらせ、オブスキュリテ」

 

 定めた言葉と魔力を流し込む。

 その瞬間から急激に体力を吸われていく感覚が始まる。

 呼び出されたあの二人の少女と聖王がこちらに走ってくる、直線なら止められるかもしれないが、こちらにはまだまだ隷属者がいるのだ。

 間に合うかはギリギリだろう。

 

 はあ、次は王子様のいる世界に行きたいなあ。

 

 ───────────────────────

 

「黒をもたらせ、オブスキュリテ」

 

 その言葉とほぼ同時にマリーシアが持っていた魔道書が爆発的な魔力を放出し始める。

 これはあれだろ、どう考えても自爆的なやつだろう。

 闇色の光が魔道書から漏れ始めている。

 背を向けて逃げるより、あの魔道書を何とかするほうがまだ分のある賭けだ。

 

 オレは偶像たちと同時に走る。

 その刹那、空間が割れた。

 文字通り、オレとマリーシアの間にヒビが入り、ガラスが割れるように空間が割れたのだ。

 



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簡単には頷かない

 空間が破砕し、暗黒を映し出した空間からゆっくりと一つの影が降りてくる。

 

「そのような真似はいけませんよ、人の子」

 

 現れたる存在は指を向けると高まっていた魔力が一瞬で霧散させられる。

 無論、誰にでもできる芸当ではない。

 あくまでこの存在──ナーガが聖戦士に使われた力の源流に位置した存在であるからこそ、上位の権限を用いた絶対的な命令によるものである。

 

「なっ……なにしたの!?ていうか、誰!?」

「私の名はナーガ、あなたたちが神と呼ぶ存在です」

「神、かあ……ガトーのじいさまが作ろうと必死だったものだよねえ、遂にできたってわけぇ?」

「作った、というのは少々言葉足らずではありますが、それは今の状況の本旨ではありませんね」

 

 レウスもその二人の会話に踏み入るように声をかけた。

 

「ナーガさんよ、その本旨ってのは?」

「彼女を逃がすことです」

「マリーシア

 だそうだが、どうする?」

 

 暗に投降するなら悪いようにはしないと言いたいようだ、それを伝えないのは五大侯でも相当に人道から外れたことをした彼女の保護を衆目の場では約束ができかねるためであり、

 聡いマリーシアはそれを理解していた。

 

「……ま、神様がそう言ってくださるっていうならあ従わないとかなあ

 王様はどう思いますぅ?」

「『そうするつもりがない』なら」

 

 つまり、投降するつもりが無いなら、と。

 

「マリーシアに自爆されるくらいなら逃げて欲しいね」

「どうしてぇ?」

「美少女に自爆されて死んでほしくねえってのが理由の全てだ」

「害は為してるけどぉ」

「逃がそうとする神様も美少女だからな

 込み込みで逃げるなら邪魔しないって判断さ」

「それじゃあ、逃げさせてもらおうかなあ

 でも神様ぁ、ガトーのじいさまなんてさっさと見切りつけたほうがいいんじゃない?

 王様だったら良くしてくれると思うけどぉ?」

「それができれば苦労はないのですけれどね」

「色々複雑なわけだ

 それじゃあ王様もまた会おうねえ」

 

 同意を受けてか、ナーガは彼女の立つ場所を空間を割るようにしてどこかへと飛ばしたようだ。

 周囲の空間は次々とナーガの力によってか空間が割れ、隔絶された空間を作り出していった。

 

 ───────────────────────

 

「……ナギかチキにそっくりな姿かと思ったが」

「どちらかといえばナギが近いと言えば近かったのですが……今の私の体はギムレーという存在の肉体を借りています」

「やっぱ、その姿からしてと思ったけど、ギムレーかあ……」

 

 記憶にある姿は、確かにこうした少女と、もう一つ少年の姿があった記憶もある。

 

私の故郷(狭間の地)から来たもの、いえ、更に違う場所から流れて来たあなたはギムレーも存じているのですね」

「一応な

 で、ナーガ様がなんでそんなことに?

 いや、死んでいたって話をチキから聞いたが」

「ええ、ですから今の私は不完全な形で蘇らされた、といえば理解していただけますか?」

「オームの杖か?

 あれって神様も蘇らせることが可能なのか?……まあ、チキを蘇らせたりできるなら、そういうもんか……?」

「オーム以外にもファルシオンなども使った結果ですね」

「ああ……なるほど

 それでも不完全だからギムレーの肉体を借りているってわけか?」

 

 「ええ」と頷く。

 見た目はびっくりするくらい美少女なんだけど、纏う気配が邪神のそれすぎる。

 正直近くに立っているだけで狭間の地で落としてきたと思っていた恐怖心を煽られる気分だ。

 

「マリーシアを助けに来ただけ……ってわけじゃないよな」

「察しが良くて助かります」

「美少女限定で察しが良くなる体質なのさ」

 

 困ったような笑みを浮かべられる。

 うーん、気配はさておき、美少女だ。お菓子とかあげたくなるね。

 

「私には刻印がされています、ガトーの命令には逆らえないようにするためのものを」

「自分のところの神様になんつうことしてんだ、あのジジイは」

「彼にとってはもう私は神ではない、そういう通告なのでしょう」

「……流石は魔王ってところか」

 

 ああ、なるほど。

 つまり──

 

「マリーシアを助けるという名目の上でここまで来て、

 オレと会話をするのが目的ってわけだ」

 

 その言葉に彼女は頷く。

 

「何があるかもわからんし、オレが聞いておくべきことだけ聞かせてくれ

 好みの異性の話とかはそのあとに取っておくからさ」

 

 あるかもわからないが、こういえば敵意も少しは紛れるだろう。

 勿論、オレからの敵意だ。

 彼女が発する気配は人間の、二面にだけ分けた時に悪と断じられるであろう感情を励起させるようなシロモノだ。

 それの影響を受けてないですよっていうポーズがあったほうがナーガからしたって気が紛れるだろう。

 

 彼女もそれは理解してくれているようで、頷くと言葉を紡ぐ。

 

「現在の黄金律は私のものではなく、私の死を以てこの世界に付与されたもの

 私を殺しても誰にもその黄金律の力を得ることは叶わないでしょう

 ……今のところは、ですが」

「だが、この世界にゃ死は死のままだぜ

 言いたくはないがアンタも狭間の地(あっち)を知っているんだろう」

「ええ……ですから、この世界に付与したのです

 ただ、私の持つ黄金律は不完全で、十分なものではない

 精々が四季の巡りがより鮮やかになる程度のもの」

 

 なるほど。

 彼女は利用されるくらいなら黄金律を捨てる選択肢を選んだのか。

 ただ投げ捨てれば再利用されかねないから、何らかの方向性に流用する形で。

 

「どうして捨てた?」

「いずれ、あなたがこの世界に来ることを知っていたから」

「何故って質問は意味がなさそうだな

 そこは神様だからって納得しておくさ」

 

 狭間の地でも神様の血が入っている奴らはオレの思考の埒外にいた。

 会話はできるが話は通じない、そんな感じだ。

 何が見えているのか、どこまで見えていたのかなんて凡人にして一般人たる素寒貧スタート(何も知らんオレ)からすれば、ナーガは神の視座ってのを持っているのだろう。

 その視点や視座を持たない限り説明されたところで理解が及ぶとも思えなかった。

 

「今の私は個体としては強力ですが、神としてのその権能は何も持ち合わせていない

 やがてこの世界はガトーが神となり、それに見合う権能を得ることになる」

「それを止めてくれって話か?」

「……ええ、あなたになら止められるはずですから」

 

 真摯にオレを見つめる彼女。

 きっとマルスなら「ナーガ様、わかりました!」なんて言うんだろうが

 

「どーしよっかなあーっ」

「えっ」

 

 オレは王子様ではないので簡単には頷かない。

 これでも元現代人、知らない()に言われてもほいほいと同意したりしないのは教育の賜物だろう。

 

「ナーガさんよ、それでアンタは救われるのか?」

 

 ナーガはオレの問いに、理解が追いついていないようで困ったような表情を浮かべたままだ。

 



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予知にない言葉

「救われるか、どうか……?」

「狭間の地から向こう、何千年この世界を見守ってきたのかはわかんねえ

 けど、とんでもないくらいの時間をかけて守り続けてきたんだろう

 人間を救ってやるためにさ」

「ええ、永らくそうしてきました」

「で、アンタを利用して世界を破壊しようとしているガトーを倒せって話だろう

 そりゃあいいさ、ガトーはどうせぶっ倒すつもりだった

 けどさ、ナーガ……アンタはそれで救われるのか?

 オレがしたいのはナーガを救うことだ」

「私の外見が少女だからですか?」

 

 苦笑しながらナーガが聞いてきた。

 

「流石に脂ぎったおっさんだったらこういうことは言わんから、一因にはなっているが……

 でも根っこにあるのは同郷人だからさ

 厳密にゃ同郷とも言えないが、それでもあの狭間の地なんて終わっていながらも終わりのない場所でもがいていたもの同士、

 そしてこの世界に飛んできちまったもの同士だからなにかしてやりたいって思うのは不自然なことかい」

「……それは」

「オレはしたいことが山ほどあった、だからここ逃げてこれたのかもしれない

 それで言えば、そもそも狭間の地に来たのだって一種の逃避とも言えるかもしれないが……

 でも、逃げて逃げて、逃げ続けてついにオレはここで幸せってのを手に入れることができた

 幸せを与えてくれた場所を守っていたナーガが、人に幸せってのをくれるのにそいつ自身が不幸に見えたら」

 

 言葉を少し悩む。

 正しい言葉かどうかはわからないが、取止めもない言葉を当てられるのは慣れているだろうと甘えることにした。

 

「──そんなのは悲しいだろう」

 

 オレの感情を理解したのか、やはり困ったように笑い、

「せっかくの幸せにしこりが残ってしまいますね」

 と、返答した。

 

「そういうことさ

 だからさ、ガトーは倒すよ、元々の目的だからな

 倒すってのは約束に含まれない、だからナーガとの約束は別のことにしたい

 決まってもいない約束を守るためにも、まずはどうやったならアンタを救えるかを教えて欲しい」

「それは……」

 

 困ったような顔を解かず、むしろそれを深くした。

 助け続ける側の存在がいざ助けられる立場になったとき、何を望めばいいのかがわかっていないようだった。

 少し悩み、やがて

 

「きっと、その望みはあなたの望みが叶うことで成就されるものです

 メディウスに語った律の使い方が本当に為されたなら、きっと私もそこで救われるはず」

「わかった

 それじゃあ救うためにもガトーを止めないとな」

 

 ええ、と頷いて。

 どうかお願いしますとナーガは言いかけて、その体の周りに魔法陣が浮かび始める。

 

「送還ってやつか」

「そのようですね」

「それじゃあ、またそのうちな」

「ええ、いずれ」

 

 彼女はふっと消えた。

 戦場でのひとときながら隷属者も引き上げていったようで、五大侯の軍が敗走したのがよく理解できる状況となる。

 

「しかし、見直したぜガトー」

 

 オレは思わず空を見上げる。

 神気取りのジジイはなんとなく空にいると思ったからだ。

 

「自分のところの御本尊を手駒にするなんて、聞きしに勝る魔王ぶりじゃないか」

 

 ───────────────────────

 

「先鋒さえ勤めればいい、だと!あの生臭坊主め!王国の亡霊め!」

 

 馬を走らせ、ボアに対する悪態を心に留めることなく吐き出し続ける。

 五大侯が首魁、ラングは逃げていた。

 

「アリティアのあの戦力はなんだ!?東西で分ければ勝機があるだと!?

 微塵もないわ!馬鹿者どもめ!

 どど、どうすればよいのだ、どうすればわしのバラ色の人生が取り戻せるのだ!」

 

 向かうべきは五大侯の拠点、まだまだ先だが敵兵の姿もない。

 正直ここまで逃げれば安全なのはラングもわかっているが速度を落とす気にはなれなかった。

 軍馬がいかに高価であろうと関係ない。

 命の危機という恐怖を振り払えるなら、速度を保って走れる軍馬を使い潰しても構わなかった。

 

 ラングは多くの人間から忌み嫌われる性質、つまりは強いものを利用し、弱い敵を作り出し、密告を繰り返し、そうして生き延びてきた男である。

 普通であれば排斥され、或いは戦乱の中であればあっさりと殺されてしかるべき人間ではあるが運と、小悪党ぶりが彼を生き延びさせた。

 取るに足らず、害虫のような才覚は発展し、結果としてそれはラング自身を戦いから逃し続ける最強の盾ともなっていた。

 それ故に察知能力は途方もなく有効であったが、それは決して万能ではなく──

 

「アドリア侯、前線から離れていかがいたしたのかな?」

「ぼ、ボア殿……こんな戦場近くにまで、ははは……どういたしたのかな?」

「どうもこうも、苦戦を見て駆けつけたのだが……指揮官である貴卿がこの状態では敗走したということかな」

「ま、まさか……戦いはこれからですとも」

「守り人はまだ残っているのかね」

「無論、拠点にて待機させております

 まだやられたのは総数の四分の一程度、先駆けの戦いはこれからというものです、は、ははは」

「そうか、拠点にか」

 

 ボアは手をあげると彼の後方から弓兵が数名現れると、ラングに射掛け始める。

「ひい!」と声を上げ、

「何をなさるのです!!」とラングは声を上げた。

 

「もはや貴卿や五大侯の仕事は終わったと言っているつもりだったが

 よく守り人などの雛を守ってくれた、我が手元に置いておくと連合にこのボアまでもが戦力として数えられてしまうのでな、よき状況で五大侯の守り人は回収させて武器にさせてもらうつもりであった

 そうなれば邪魔になるのは」

「わ、わしか!

 ボアめ!簒奪者め!ゆ、許さんぞ!」

「ほう、このアカネイア大帝国の建国王となるわしに大きな口を叩くではないか」

「な……アカネイア大帝国?何を言っている……?」

 

 大帝国?建国王?

 突然の途方もない話題にラングは困惑した。

 

「お前のような俗物には理解しがたかろうし、理解してもらう気もない

 ここで消えてもらおうか」

 

 弓の弦がぎりりと鳴る。

 放たれるよりも早く、ラングは馬首を切り替えして、来た方向へとがむしゃらに逃げ始める。

 この先には大敵でもあるレウスがいる、だが、まだ少しでも手勢が生き残っているかもしれない。

 それらを回収し、隠れ家にでも身を寄せれば延命はできるとラングは瞬発で結果を出した。

 

「お、お、覚えておれよ!!」

「所詮は腐れ貴族、捨て台詞まで便所の臭いがする

 あんな小物は放っておけ、五大侯の拠点に進み、兵力を回収するぞ!」

 

 ボアは走り去るラングに目もくれずに五大侯の拠点へと進むのだった。

 



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最強不敗伝説ラング

 軍馬を走らせながら、腰に帯びている剣を抜くか悩む。

 以前持っていた下品なまでに華美な剣ではなく、ラングが出立前にマリーシアから渡されていた剣である。

 

 彼女は渡す時に

 

「ラングくん、いい?

 ちょっとくらいのピンチじゃあ抜くのはおすすめしないからねえ?

 す~っごい進退窮まったとき用の、本当の本当にこのときしかないってときのための奥の手だからねえ?

 わかったぁ?」

 

 ……と言っていた。

 もしかしたならマリーシアはこの状況を見越していたのかもしれない。

 

 それがボアの裏切りであれ、別のことであれ、敵を作りすぎていることをラングは理解はしている。

 理解しているが、ラングにはそれしかなかった。

 彼の父も、祖父も優れた領主であり、軍人でもあった。

 父は五大侯にあってなお、そのいずれの家よりも優れた武芸を持つ英雄とまで謡われたほどであったし、

 祖父は若い頃にアイオテと戦って生き延びた数少ない人物だとも聞いている。

 

 アカネイア失陥の際にいたのが彼らであれば、もしかしたら失陥もなかったかもしれない。

 身内の贔屓目ではなく、多くの利用価値のある人間を見てきた観察眼からの判断だ。

 

 だが、ラングには勇気も実力もなかった。

 あるものといえば、卑屈な自分の人格を守るための技術ばかり。

 それが大成してしまった。

 それに頼って小さく生きようとすらできない。アドリアの看板は小さくはないからだ。

 

 何が悪かったのか、と思い返せば色々と岐路はあるが、反省するべき点はない。

 後ろ向きには決してならないのは彼の美点であるかもしれないが、他人の犠牲の上にしか立てられぬものを美点と呼んでいいものかは別だ。

 堕ちたる姫君をもっと上手く使っていたら、だとか

 五大侯がしっかり揃っている状態で横の連携を強めていたら、だとか

 灰のオーブを隠し持てていたら、だとか

 色々な取りこぼしを思い返していた。

 

 大きくなりすぎた五大侯の勢力は、結局のところ薄っぺらな虚飾に過ぎず、今回のようにボアにいいようにやられた。

 父であれば、祖父であればこの状況をどうしただろうか。

 この身に彼らの血が流れているのであれば、ここからだって取り戻せるものはあるのではないか。

 

 我が身に流れる武人の血。

 そして数多の相手と武器ではなかったが交渉という場面では一切引くことのなかった我が身の胆力。

「伝説の武人、不敗伝説ラングが開花するのは今ではないのか」

 マリーシアが渡した剣がそれを伝えているような気がしていた。

 

 ───────────────────────

 

「陛下!単騎駆です!」

「骨のあるやつが五大侯にもいたのか」

 

 報告に対して警戒心のない発言で返したレウス。

 

「で、陣は抜かれたのか?」

「いえ、こちらの兵を見て迂回しました

 抜けられる道を探しているようです、下手に大回りをすれば弓矢が降り注ぐと考えているようで敵陣の脆いところを縫って大将首を狙っているようにも感じたと前線からの報告もあります」

「それじゃあ道を作ってやれ、オレに続くようにな」

「は、はい!」

 

 兵が去るのと入れ替わりで現れたエリス。

「出遅れてしまいました」と申し訳無さそうにしていうが、

 レウスからすればマリーシアやナーガとの会話は他のものがいないほうが都合がよかったので、

「この次の戦いは一緒に出るか」とフォローに回る程度にしておいた。

 

「是非、ご一緒させてください」

「そのためにも単騎駆はさぱっと止めてこっちも次に進まないとな」

「ええ、今の時の流れはなかなかに急のようですから」

 

 マフーと一つになっているエリスの戦力は並外れている。

 しかし、本当の意味で彼女の武器と言えるのは戦略眼の鋭さでもある。

 冷静な分析で現状はアリティアがやや有利と言えるのだろうが、実際にアリティアの悪手でも、連合の妙手でもその現状の優勢は簡単にひっくり返ることを理解していた。

 

 単騎駆してくる相手が五大侯が秘匿していた隠し玉であれば、例えレウスや自分に勝てずとも自分たちのような東側の軍の屋台骨が落とせなかった敵が存在するというだけで敵の士気は大い揚げられるだろう。

 

「……っと、馬蹄が聞こえてきた

 誘導は上手くいったようだな」

 

 レウスとエリスはそれぞれに臨戦態勢を取る。

 彼女が考えた『あまり望まれないケース』、つまりは隠し玉であった場合に備えてマフーの展開はいつでも行えるよう構え、レウスも同様に獣人の曲刀と小盾を構える。

 グレートソードは味方との連携をする上ではやや難儀するが故の判断だろう。

 

 現れるのはどんな剛の者かと身構えていた二人の前に現れたのはアドリア侯、そして五大侯の頂点に座している男、ラングだった。

 

 誘導され、その背は次々と兵士に追い詰められて逃げ場を失っていく。

 

「な、あ……れ、レウスだと!?

 誘導されていたというのか、このわしが……」

「おいおい、愉快な仲間はどうした

 バカ貴族どもと一緒じゃねえのか、ラングくんよお」

「……ぐ、ぐぬ……!」

 

 ラングは大貴族であり、武芸も当然ながら最低限は嗜んでいる。

 ただ、馬上での戦いにはその才を持つことはない。

 ここで生き延びる道は複数ある、幸運なことに複数もある。

 

 一つはレウスを打倒する。

 二つにエリスを人質にする。

 三つに囲いを破る。

 四つは敢闘ぶりを見せつけてレウスに買われる。

 

 問題があるとするなら、どれもこれも不可能であろうということだ。

 しかし、このままでは埒が明かない。

 

 観念したように下馬する。

 

 そう、問題は不可能であろうこと。

 しかしラングは諦めていなかった。

 あのマリーシアがわざわざ持たせた剣。これがただの市販品であるはずもない。

 強力な力が秘められているのならば、ここで決着させることすら可能なのではないか。

 

「くく……くくく……レウスよ、英雄などと祭り上げられてさぞかし気持ちよかろうな

 だが、本当に英雄になるのはこの」

 

 腰から剣を引き抜く。

 その途端に刀身からは莫大な魔力が吐き出され始めた。

 

「ラング様よッ!!」

 



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絶対無敵のアドリア侯

 万能感が精神を包み、追い風に吹かれているように体が軽い。

 ラングはマリーシアに渡された剣こそが自らを助く手段だと理解した彼の動きは機敏にして鋭敏であった。

 中年であるラングとは思えない、いや、実際に──エリスの世界ではあるが──戦ったレウスからしても予想できない動きにその一撃を盾で弾き、エリスの前に立ち直すまでしかできなかった。

 

「おおおお!素晴らしい!

 この力こそが不敗伝説の力!ラングの力よ!

 マリーシアが言っているのだ!わしにこの大陸の覇者になれと!」

 

 一人盛り上がるラングに対して、レウスとエリスは一歩引いている。

 

「レウスさん、あの剣……持ち主の命を吸っています……!」

「その代価で、あの強さってことか」

 

 速度、腕力ともに以前に戦ったラングと比べることもできないほどのものだが──

 

「流石に練度不足だな、ラングさんよ!」

 

 絶頂中のラングへと踏み込む、ラングも興奮しながら反撃を行うが、それをレウスはパリィで体を崩した。

 一気に止めを刺そうとレウスは剣を振るおうとするが、命を代価としているだけあってか、ラングが取った動きは常人とはまったく異なる動作を発生させた。

 

 崩れた体勢のまま強引に後ろへと下がり、構えを取り直した。

 まるで四肢全てが最適に動くように独自の働きをしているかのようでもある。

 

「きっ、キモチワル……」

 

 レウスの言葉に、流石に王女たるエリスはそのような言葉を他人には投げかけないものの、思わず頷いてしまっている。

 

 ───────────────────────

 

「ナーガ様が焦って送ったのかなあ……それともガトーのじいさまのところに送らなかったのは、そうするのが私に不都合でも起こりそうだったとか?

 だとしたらじいさまとナーガ様はやっぱりべったり仲間同士ってわけでもないのかな」

 

 口に出して頭の中を整理する。

 飛ばされたのは戦場からも拠点からも離れた野原。

 さすがに戦場でもなんでもない場所なので人っ子一人いない。

 とりあえず私は五大侯の拠点へと向かうことにした。

 戦力を確保するにしたって、ラングくんの生死確認にしたって戻る必要があるだろうから。

 

 マリーシア()のというべきか、聖戦士の肉体というのは本当に恐ろしいものだ。

 私が普通の人間だった頃なんかとは比べ物にならないほどに高い身体能力を持っている。

 それこそ今も全力疾走で逃げていたけれど、軍馬や競走馬なんかよりもよっぽど速いと思う。

 体感だけど。

 

 拠点近くまで一日近く走り通しで、流石に疲労感が出てきた気がする。

 で、そこで問題なのが拠点が何故かアカネイアの連中が占拠していて旗までアカネイア王国のものに変えられている。

 こんな状況で裏切りとか正気?

 全員一丸となってようやく勝機が見えるくらいじゃないの?

 

 ……いや、まあ、こっちも逃げようとしていたわけだし判断としては妥当か。

 戦力を接収してしまえば五大侯軍が完全敗北するよりはマシ。

 それに逃げよう、裏切ろうとしていたのはこっちも考えていたことだし、そう思えばこちらをよく理解していたってこと。

 

 問題は帰る場所がなくなったってことだけど……。

 

 次の動きを考えていると魔道書に反応があった。

 オブスキュリテから株分けした魔剣からだ。

 つまり、ラングくんが魔剣を抜いて、使用に同意したってことだろう。

 代価として支払ってもらう命は多くの人間の恨み、呪われた汚泥そのもの。

 支払われる先はオブスキュリテ。つまりは労せず力を回収できるってわけ。

 これでラングくんともさようならってことでもある。

 

 澄み渡った秋の空のような気持ちで私は元五大侯の拠点ではなく、別の勢力へと向かうのだった。

 

 ───────────────────────

 

 様子見を兼ねて防戦に回るレウスにエリスは「私に任せてもらえませんか」と交戦の意思を伝えた。

 エリスはラングに借りがある。

 道具として扱われたこと、実験動物そのものの扱いを受けたこと、そのどちらも王族としてではなく、一人の人間として復讐するに十分な理由である。

 

「わかった、けど適宜横から手を出すからな」

「ありがとうございます」

 

 王女エリスは心優しく、戦いを望まない女性である。

 それがレウスの認識であり、そしてその認識自体は間違ってはいない。

 だがコーネリアス(獅子)の子は獅子なのだ。

 自らの誇りと尊厳のための復仇で尻込みするような女ではない。

 

「……マフー」

 

 彼女が言葉を告げると、影から無数の帯が現れる。

 かつては精神と亡者を操る闇の極北たる魔道であるそれはエリスの中にあって大きな変質を遂げている。

 闇のオーブや光のオーブは精神そのものに影響を与えるものであり、闇のオーブから生み出されたマフーもまた精神の影響を与え、そして受けるものだった。

 

 彼女の制御下に置かれたマフーはエリス自身の精神を武器として扱う魔法となっており、

 影から現れた帯はまるで彼女の新たな手足の如く柔軟に、従順に動く。

 

「堕ちたる姫君!おお!貴様もわしのものよ!

 さあ、戻ってこい!わしが愛でてやろう!ふ、ふひっ、ひひひ!」

 

 ラングはエリスに狙いを絞り、再び手足が独立したような動きをしながら殺到した。

 



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三つ子の魂百まで

 それは踊るようですらあった。

 尋常ならざる速度で振るわれるラングの剣を、マフーの帯がそれを弾き、或いは精神に作用させてか太刀筋を狂わせていく。

 しかし、いかなマフーであっても不格好な操り人形の如くに動くラングを完全に止めることはできない。

 

「剣よお!わしに、わしにもっと力をおぉお!!」

 

 剣に力が集まっていく。

 

「それ以上は──」

「やらせませんッ!」

 

 レウスの曲刀がラングの剣とその構えを崩す。

 自らの力に飲み込まれかけていたのか、ラングは体勢を崩しかけ、しかし自動的に四肢がそれを制御しようとする。

 その隙を突くようにしてエリスが操る影の帯が槍のように鋭くラングへと襲いかかった。

 

「ま、待て……待ってくれぇい!

 このラングの伝説を見届けたくはないか!

 どうだ?ここから始まるのだぞ?」

 

 その言葉に帯の槍はぴたりと彼の手前で止まる。

 

「こんな負け確定の状況からか?」

「……そ、そうだ」

「どうやって」

「よく考えたら、もう手はないのか……

 諦めて投降すれば多少はマシな目に見せてもらえるかね?」

 

 ラングは命乞いをしながら、剣を落とす。

 降伏を認めてもらうためであろう。

 

「そりゃあ……ふむ、五大侯の長だしな、お前も

 利用価値はゼロじゃあないか」

「そうだとも!

 ……と、ゆだんさせといて……ばかめ、死ね!」

 

 マリーシアが掛けた呪いじみたもの剣を手放し、懐から短刀を取り出して突き掛かろうとできたのは結局最後に信じたのは己自身というわけである。

 その行動にレウスは少しだけラングを見直した。

 呪いというものに侵されているであろうのが見て取れたのに、自らの意思でそれを跳ね除けたことに。

 

「って来るよな?」

 

 が、ラングはラングであるが故にその奇襲を読まれていた。

 

「なにっ」

 

 満を持してマフーの帯の槍がラングへと殺到する。

 

「これで、もう二度と貴方の顔を思い出すことはないでしょう

 さようなら、アドリア侯ラング」

 

 ラングは短刀を投げ捨て、剣を掴むもエリスの言葉と同時に襲いかかってきた槍は剣では防ぎきれない数の暴力。

 貫かれながらも襲いかかろうとするのは装備し直した魔剣じみたものの力か。

 レウスも構えを取り直し、『連撃』と『突撃』が操り人形の如き肉体を切り刻む。

 

「ぐ、お、お、おち、堕ちたる姫君、お前は、わしの欲望のはけぐ」

「エリスはもう、オレのものだ」

 

 レウスの言葉が発されると同時に獣人の曲刀が首を、

 エリスの影の槍が心臓を貫く。

 

 アドリア侯ラングの最期は壮絶であり、そして今までの性状を顧みることもない、ある意味で自らを全うして逝った。

 

 これにより、五大侯と呼ばれた勢力は完全に大陸の勢力図から消えることを意味していた。

 周りで壁を作るようにしていた兵士たちが誰ともなく勝鬨をあげる。

 完全なる勝利などまだまだ先だが、それでも初戦で勝ち星を得たのは何にも代えがたい喜びであった。

 

 伝搬していった勝鬨を聞いて先鋒として遣わされていた五大侯の、守り人でも隷属者でもない貴族たちは各々が武器を捨て散り散りに逃げていった。

 投降を選ばないというのはある意味で、五大侯らしい選択肢でもあった。

 

「レウスさん」

「どうした」

「ようやく、夜が明けましたね」

「……ああ、この夜は長かったな」

 

 あの日、エリスが分厚いパレスの城壁を破壊した日から続いたエリスの心に広がった夜は、こうして晴らされたのであった。

 

 ───────────────────────

 

「オウガ、よ……私は、行かねばならぬ」

「……イングヴァル、何に呼ばれたのだ」

「神竜に、呼ばれた

 約束を果たすときが、来たのだ」

 

 オウガはイングヴァルを見て、それから

 

「私も向かおう、ボア殿からすれば私もお前も大勢の駒の一つに過ぎぬ

 抜け出して戦場に向かったところで気にも留めまい」

「……感謝、する」

 

 イングヴァルは元々、喋る機能を失ったと考えられる、量産的な守り人の一人である。

 だが、聖戦士イングヴァルとして再調整された彼女は片言ながら会話を行うことができ、

 オウガとはそれなりのコミュニケーションを取っている。

 だからこそ、オウガは呼ばれた先こそが彼女の、或いは彼女が求める死に場所であることを武人として察していた。

 

 だからこそ、止めることはしなかった。

 むしろそこにこそ自分にとっても重要な時間が流れるような、そんな予感を得ていた。

 

 二人の聖戦士はボアがあれこれと差配する元五大侯の拠点から去り、戦場へと向かおうとする。

 ボアの直接の手駒ではないが、同じアカネイアの軍勢は五大侯との戦いの横腹を衝く形を取るための軍事行動を開始しているのを作戦会議で知っていた。

 

「オウガ」

「なんだ、イングヴァル」

 

 全身甲冑の騎士ではあるが、その走りは軽快そのものである。

 移動しながら話す余裕すらあった。

 

「お前は、何を、望む」

「メニディのノアこそが大陸最強の弓騎士であるという誉れを維持すること

 我らノアはそれだけを望む

 国家のために戦い、散ったこの身であるが、そもそもが間違いだったのだ」

「間違い?」

存在理由ではないこと(国家のためなど)のために武器を取るべきではなかった

 それを遅まきながらに正しに行く

 最強と為った後であれば、この大陸の勢力図がどう変わろうと興味はない

 あのときも、それに気がついていれば……いや、詮無きことよな」

 

 五大侯とは誰もが、自らの目的を持っていた。

 だが、それを曲げたものから命を落としていった。

 

「死ぬために、生きるか」

「ああ、イングヴァルはどうだ、違うのか?」

「……そうかも、知れない

 だが、」

「だが?」

「違う出会いがあれば、私も、お前と共に戦いたかったと思っている

 聖戦士などというものではなく、一人の武人として、横に並びたかったと、思うのは、幽かに残った心が思う、未練か?」

「未練だな……だが、聖戦士になったからこそ、お前と共にこうして死地へと赴かんとしている

 まるで……そうだな、笑ってくれるなよ、イングヴァル」

「笑う、ものか

 なんだ?」

「まるで、青春だよ」

 

 その言葉に多くの感情がすり潰されたはずのイングヴァルが兜の下でくぐもった笑いを漏らす。

 

「血なまぐさい、青春だが

 私も、そう思う」

 

 聖戦士に為ったからこそ手に入れることができるものもある。

 他の多くの聖戦士は失うばかりであったが、この二人だけは少しだけ異なった趣を持っているようであった。

 



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威風、魔将

「陛下!

 北からオレルアン連合が、いえ、アカネイア王国の部隊がこちらに向かっています!

 飛兵部隊が監視を続けていますが弓兵の多さから長くは目を向けられないとのことです!」

「仕事はした、さっさと退いて次の段階に備えるぞ!」

「はっ!」

 

 号令一下、迅速に前線部隊が引き上げていく。

 

 レウスが考える現状の最悪はアカネイアの鬼神、ミディアの騎馬突撃をもろに食らうことだ。

 竜族の壁があればある程度は防げるにしてもあの強さは尋常ではない。

 もしかしたなら竜族の壁すらあっさりと突破してくる可能性すらある。

 となれば他の歩兵では手も足も出ないだろう。

 

『専用の対策』を準備しなければ戦いたくない相手だ。

 それを念頭に置いていたからこそ、拠点までの撤退準備は滞りなく進んだ。

 

 しかし、戦場ではイレギュラーこそがレギュラーな状況でもある。

 

 何かが撤退している軍に降ってきた。

 それはまるで間欠泉でも湧いたかのように柱が立つ。

 もっとも、間欠泉のような水ではなく、大きな破壊力をもった何かの落下による土の柱ではあったが。

 

 土埃が晴れるとそこには一人の鎧騎士が立っていた。

 

「……」

 

 それは周りを見渡すようにしているばかりで、攻撃をする様子を露わにしなかった。

 

「レウス、いいか」

「ナギ、どうした?」

「アレは私と約束した存在だ

 あいつを解放してやると、約束したんだ

 だから、戦う許可が欲しい」

「レウスさん、あれは聖戦士です

 いくらナギさんでも一人で戦わせるのは……」

「ナギ、勝てるか?」

「勝つ負けるではない、あれは解放してあげないとだめだ」

 

 真っ直ぐな瞳を向けられる。

 ナギにしろ、チキにしろ、そして恐らくはナーガも、目的のためであればまっしぐらなのは変わらないのだろう。

 止めたところで無駄なのはレウスもエリスもわかっていた。

 

「わかった、行って来い」

「感謝する!」

 

 ナギは龍の姿ではなく、人の身のままに鎧騎士に走っていった。

 

「レウスよ、わしが見ておるから安心せい」

「骨折り頼む、ロプトもナギもどちらも失っちまったらオレの計画は詰みなんだからな」

「わかっておる

 逃げ道の確保は任せてよいな」

「ああ、何があっても」

 

 ───────────────────────

 

「撤退させるな!

 ここで可能な限り刈り取ればそれだけ勝利に近づく!

 レウスの首を無理に取ろうとはするな!奴の殺し方はやつの周りさえ殺していればわかりやすく露呈するだろう!

 とにかく被害を出せ!いいな!」

「はい、ミディア将軍!」

「突撃ィ!!」

 

 その激を聞いているのは離れた位置に陣取ったオウガである。

 

「悪いが、それはさせられぬ

 朋友の晴れ舞台故に、な」

 

 大弓をぎりりと音を立ててしならせ、それが放たれる。

 大きな矢が魔力を伴ってミディアの騎兵隊に着弾すると一騎どころか三、四騎を巻き込んで吹き飛ばした。

 

「なっ、なに!?」

 

 現在のアカネイアの、いや、オレルアン連合を見渡してなおエースと呼んで差し支えないミディアも突如発生した部下のむごたらしい死を見て驚きの声を上げ、しかしすぐに陣を立て直す。

「突撃を止めて、各自回避行動を取れ」と号を飛ばす。

 流石に動き回る騎兵を相当の遠間から狙撃するのは難しい。

 だが、その騎兵の中にレウスたちを討とうと突撃の構えを取るものには容赦なく矢を打ち込む。

 突撃姿勢を取った瞬間こそ狙い目なのだ。

 ミディアもそれをわかっているからこそ、敵陣突撃ができずにいた。

 

「ミディア、弓兵は俺がなんとかする

 お前は一度戻れ、お前と騎兵隊がやられればその瞬間に我々の戦いが終わることを忘れるな」

「……くっ……わかった

 ジョルジュ、任せたぞ

 だが、貴様が死ぬことも戦いの終わりであることは忘れるな!」

「そうであれば嬉しいが、まあ、その言葉はありがたく受け取っておく」

 

 ジョルジュは皮肉めいた態度を取る。

 それに何か対応しようとも思ったのか、しかしミディアはすぐに兵士に撤退を指示する。

 矢が穿たれた方向を睨み、そして彼女も走り去っていく。

 

(超長距離からの狙撃を行える弓使いがアリティアにいるとは聞いていたが

 それができる人材は一人いると聞いているが、あれほどの威力を出せるものでもあるまい

 この戦いのために秘されていた戦力だとすると……きびしいな……)

 

 ジョルジュは最悪を想定しながら、この場を弓を使いあっさりと退けられる手並みがないことを理解しているからこそ心のなかで毒吐く。

 

「だが、この弓使いを倒せば大陸一の弓騎士に近づけるかもしれんな」

 

 宝弓パルティアを構えるジョルジュ。

 その一方でオウガもまた、それを見て兜の下で満足げに微笑む。

 

「我が息子よ、羽ばたきのときだ」

 



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赤獅子騎士の黎明

 宝弓パルティアと漂流物の大弓から放たれた矢は強力な力、或いは魔力を帯びた矢はすれ違いざまに互いの力に引かれるようにして砕ける。

 

「さて、何度それができるかな、我が息子よ」

 

 大弓を引き、矢を穿つ。

 一方でパルティアを使うジョルジュは余裕もなく矢を狙っていた。

 

(あれほどの弓使いがまだ大陸に隠れていたというのか……!?

 生きていたならば父と並ぶほどの腕前だっただろう……だが、今の俺はそれを超えていると示さねばならない

 示せなければここで奴に……殺される……!)

 

 再び矢が放たれる。

 同様に矢は空中で砕ける。

 それが何度も続く。

 正確に同じ状況が発生し続けているのを見て、ジョルジュの周りにいた弓兵は弓こそ構えようとするも、行動を起こせない。

 仮に邪魔立てすればジョルジュの叱責があるかもしれないが、それ以上にあの矢に狙われたなら確実に死ぬであろうし、彼らの腕前では発射地点まで矢を届けることすら不可能であるからだ。

 

 そして、何度となく続くそれが同じ状況であり続けるわけでもない。

 徐々に、徐々に矢同士の衝突がジョルジュ側へと寄っている。

 矢をつがえ、狙い、最大効力を持って打ち出すその速度がジョルジュを上回っている証拠である。

 ここで集中力を乱せば正確に矢がジョルジュを貫くと考えると時間を省略するために雑に動作するわけにもいかない。

 

「聖戦士というもの自体は邪法、我が身もまた借り物の外法で貴様を射殺すのは惜しくはある

 だが、我らメニディが目指した大陸一の弓騎士とはそのようなインチキを実力で押しのけるものを指すのだ

 しかし、それができぬのならば、ジョルジュよさらば

 大陸一の夢は未来へと繋げよう、聖戦士の力をも利用してでもな」

 

 大弓から矢が放たれる。

 ジョルジュの矢よりも先に、それが彼に届かんとしたときに派手な破砕音が戦場に響いた。

 

「……我が弟よ、命を使って次へと繋げるか」

 

 先代ノアは──否、オウガは『それ』を見届けると移動を始めた。

 

 ───────────────────────

 

「お、叔父上!?」

 

 飛来する矢の壁となったのは現メニディ侯ノア。

 豪奢なだけでなく、実用性も高い甲冑鎧はひしゃげるではなく、砕かれ、大穴を開けていた。

 

「ごほっ、ごほっ

 じょ、ジョルジュよ、無事か」

「は、はい……しかし叔父上!」

「よいのだ、お前の父と約束していたからな

 お前を大陸一の弓騎士にするためならば我らは全てを消費しよう、と……この命であってもな」

「そんな……」

「ジョルジュよ、この戦いは我らになんの意味もない

 もはやアカネイア王国にはなにもない……戦いから引くのだ、或いはアリティアであればお前を受け入れるだろう

 リーザ女王殿下には、既に話は通している……」

「何を」

「だが、この、相手は、今のお前をも凌ぐか……だが、ジョルジュはそれすらも超える才能だと、信じて……いるぞ……」

 

 全身甲冑であったはずのそれはほとんどが砕けており、会話をしたのも奇跡か、或いはノアの気概か。

 

「叔父上……」

 

 ジョルジュは亡骸を抱きかかえた状態で呆然としていた。

 弓で負けた自分こそが死ぬはずだったのに、どうして生きているのだろうか、と。

 大陸一の弓騎士になるべくして育てられたからこそ、弓の戦いで負けた彼はもはやその自我そのものの動作に異常を来しかけていた。

 

「メニディ侯爵として仕事を果たし、死んだか」

 

 どれほどの時間が経ったか。

 声がした。

 周りの兵士たちはその威容に押されるようにして道を開けたのか、それとも気がつかない間にちょっとした戦いがあったのかをジョルジュは理解するだけの余裕はなかった。

 

「何者だ」

「貴公と撃ち合いをしたものよ」

 

 ジョルジュが睨むように見やる。

 見たこともない鎧、その造形から考えて漂流物であることが伺える。

 

「……名は」

「赤獅子騎士オウガと呼ばれている

 貴公が大陸一の弓騎士と呼ばれていたから楽しみに来たが、負けた程度で心が折れるとは

 貴公を育てた親はよほど甘やかしたのだろうな」

 

 ハッハッハッ、と馬鹿にした笑いをあげる。

 鎧兜に仕込まれた魔力のせいか、声はくぐもって響き、ジョルジュはそれが自らの父のものだとは気が付かない。

 いや、死者である以上、仮にもう少し明瞭であったとしてもそこに気がつけるかどうか。

 人は声から忘れるとも言う。

 

「父を、母を……叔父上を馬鹿にしているのか」

「そう捉えられなかったのなら、弓の腕前だけでなく頭の巡りもイマイチということになるぞ」

「貴様……」

「ここは命を拾わせておいてやろう、いずれまた貴公のもとに現れる

 それまでにあらゆる手段を以て、本当の大陸一の弓騎士となるがいい

 貴公にはもう、それしかないのだ

 メニディ侯爵ジョルジュ」

 

 背を向けて去っていくオウガ。

 そこに弓を構えることもできるだろう。

 もしかしたならあっさりと殺せるかもしれない。

 

 だが、ジョルジュはそれができなかった。

 そんなことをしてしまえば、自分は生涯を通したとしても大陸一の弓騎士になることも、その誉れも失うことを理解しているからだ。

 

「……オウガ!

 待っていろ、どんな手段を使ってでも……俺は、俺はお前を倒して大陸一の弓騎士になってみせよう!!」

 

 オウガはゆっくりと振り返って言う。

「心から楽しみにしている」その言葉には奇妙な温かみがあるも、感情が揺さぶられ続けたジョルジュには気が付く余裕がなかった。

 それは、或いは幸福なことだったのかもしれない。

 



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失地騎士の黎明

「やれやれ、忙しい戦場じゃのう……」

 

 撤収を進めたレウスたちから離れ、歩速の遅い部隊を誘導するロプトウス。

 逆行するように進むナギを目の端で捉え続けている。

 

 ナギは足を止めた。

 追いついたロプトウスがその様子に声を掛ける。

 

「来たか、待ち人が」

「ああ……そのようだ」

「ナギ、お前の相手に手を出す気はないが、せめて邪魔を入らないように立ち回るのは構わぬか」

「とても助かる」

 

 ナギとて、我儘を言いたいわけではない。

 だが、神に連なるものとして戦い、勝利し、解放してやらねばならぬというある種の衝動に駆られることには抗えない。

 ロプトウスもまたその感覚を理解できるからこそ、手伝おうとしている。

 

(神だから、なのだろうな

 しかし、これを衝動と呼ぶのであれば我らもまた人間とそう違いのない生物なのだろうのう

 であればナギの行動をこそ、ワシは優しさであると断じて齟齬はあるまい)

 

 そう考えれば、せめてナギの優しさが成就するようにしてやりたいというのが同じ竜族としてのではなく、レウスを中心として作られた家族の情というものである。

 

 ───────────────────────

 

 地面に響くような甲冑騎士の歩行音。

 

「……随分変わったようだ、過日の戦士」

「ナギ、教団の、双神

 ……戦いの、その決着を今こそ」

 

 武器を構えるイングヴァル。

 あのときの戦士であることに間違いようもない。

 

「紋章教団が双神の一つ、ナギ」

 

 竜になるではなく、体術で応じることを告げるように構えを取る。

 

「……故も知らぬ騎士(ナイト・エラント)、イングヴァル」

 

 イングヴァルもまた、以前とまるで変わらぬ斧の構え。

 

 合図などない。

 どちらともなく踏み込む。

 

 ナギは踏み込んだその瞬間に姿が掻き消える。

 音すらも置き去りにするような速度でイングヴァルの背後に回ると高速にして重圧なる蹴りを放つ。

 

(より切れが増している……

 身体能力の高さに任せただけではない、凄まじい武芸の才

 まったく見事だ)

 

 守り人以前の戦い、守り人になってからの戦い、そして聖戦士となった後も。

 彼女は戦いを続けていた。

 その中でこれほどまで才覚を感じた相手はいない。

 誰もが彼女の強さを選ばれし竜族、或いは神であるからこそと言うだろう。

 

(それは間違いだ

 彼女は人の何十倍も人間を理解しようとしている、そうした才能があるのだ)

 

 放たれた蹴りを回避しきれない、鎧の一部で受け、衝撃を殺すようにして後方へと飛ぶ。

 漂流物の、不壊とも思えた鎧が軋んでいる。

 

 並の騎士ならば、いや、名ありの騎士だとしてもまともに当たれば鎧ごと肉体が粉砕される一撃だ。

 なにせ竜の姿とまるで変わらない膂力と出力で蹴りを放っているのだ

 竜の踏みつけに耐えられる人間が殆どいないように、ナギの蹴りはそれだけの威力を持っていた。

 本質はそれだけではなく、イングヴァルが考えるように多大な努力と才覚によって大いに高められた武芸の出力物だ。

 だからこそ、その一撃は回避も許されない。

 何の考えのない膂力任せの一撃を許すほど聖戦士の実力は甘くないからこそ、ナギの体術の恐ろしさは浮き彫りとなる。

 

 休まず攻め立てるようにナギの蹴りが更に放たれる。

 

 だが、イングヴァルもまたその鎧による恩恵か、聖戦士として覚醒した力による効力か、

 その蹴りに反応すると半身で避けて、返す刃で斧を振り下ろす。

 

 ナギはその斧を真正面から真剣白刃取り(両手で引っ掴み)を敢行し、まるで鍔迫り合いの状態を作り出す。

 

「イングヴァル、でいいのだな」

「ああ、人の身は、もはやここには、ない

 あるのは、目的を求める、魂だけ」

 

 その声音には何の感情も乗っていない。

 神竜族の娘はそれが例えようもなく悲しく感じた。

 

「何を望む」

「貴方との、戦いを」

「わかった」

 

 人間的な情緒があるのならば、戦いは避けられないのかなどと問うたかもしれない。

 だが、ナギは人間ではなく、神竜族である。

 それが望みだと言われれば叶えてやりたくもなる。

 

 ただ生き永らえることが幸せなことばかりでもない。

 特に、戦士という生物は老いさらばえるよりも、命の全てを燃やし尽くすような戦いこそに人生を見つける生物であることを知っている。

 それが誰の記憶なのか、予知なのか、それとも眠りの中で消えてしまった思い出なのかはナギにはわからない。

 だが、イングヴァルを不幸にしないためにも、自分ができることは戦うことだけであることを彼女は決定し、確定した。

 

「私は本気を出したことはない

 だから、止め方もわからない」

「光栄だ、ナギ

 全てを以て、このイングヴァルを破壊して欲しい

 私も、我が父ダイスの持つ斧の戦技と、我が魂マリスの戦の才覚を燃やし尽くし、神の領域に、指を掛けよう」

 

 イングヴァルのその言葉こそが、次のラウンドのゴングとなった。

 



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至聖ナギ

 ナギは戦闘経験が豊富であるとか、類まれな戦闘感覚を持つであるとか、そうしたものは全く持たない。

 むしろ日々の移ろいを楽しむ、平和的な才能に秀でた竜族である。

 それが戦闘に関わる才能を後天的に付与された聖戦士と渡り合えている理由は単純に生物としてのスペックがアカネイア大陸、いや、この世界を広く見ても最上位層に座する存在だからである。

 たとえ、その姿を竜にせずとも、むしろ人間のままであるほうが今の彼女にとっては『向き』な戦闘スタイルであると言える。

 それは彼女が人間を理解するために人の姿であることを望み、生きていった結果、人間の肉体をどのように動かせば効率的か、人間の動きの限界はどこかを察知するに至っているからである。

 彼女には戦闘経験も、戦闘感覚にも秀でてはいない。

 だが、彼女はどこの誰より、人間のことを理解しようとするその才能に溢れていた。

 

 ───────────────────────

 

 ここまで強化され、ここまで自らの力を絞り出して、それでもなお勝てない生物が存在するのか。

 イングヴァルは驚愕し、しかし充実していた。

 

 ダイスの娘、マリスとして生きた経験。

 マリスとして死に、守り人として蘇らせた後の転戦。

 守り人では足らぬとして聖戦士として再度調整された結果。

 その全てを振り絞って、それでも傷の一つもつけられないことに……奇妙な話だが、今までの全ての人生を振り返って最も充実していた。

 心は湧き上がり、自らという器の拡がりを感じることができた。

 

 こんなに強い存在がいるのか。

 ただ強いだけではない。

 自分の才能を引き上げてくれる、そして立ち止まろうとすればそんなものじゃないだろうと叱咤を感じる蹴りや拳が飛んでくるのがどうしてか嬉しかった。

 

 鎧は砕け、イングヴァルとしての自分の外殻が壊れ始めていた。

 生身で彼女の、ナギの一撃を受ければ聖戦士としての頑強な肉体があったとしてもとても形を残してはいられないだろう。

 

 一歩引き、邪魔な鎧を剥ぎ取っていく。

 兜を脱ぎ、髪の毛をまとめる。

 そう長くはない髪なので視界の邪魔にならないように軽く結う程度だが。

 

 親父、オレの中で見ておけ。

 神に挑む娘の姿を。

 

 勝機がゼロなわけじゃない。

 今までの動きから、最もいい機に、最も鋭い一撃を当てれば致命傷ならずとも痛手にはなるはず。

 それを繰り返せばこっちの勝ちだ。

 針の穴を通すようだって?

 戦いなんていつだってそんなもんだろう。

 

 彼女に喋りかけたいが、聖戦士の調整の影響か、発話が上手くいかない。

 だから、言葉にするのは辞めた。

 傭兵らしく、戦いでそれを表現しよう。

 

 腰を落とし、斧を背に回すように構える。

 最速、最鋭の一撃だ。それのみに意識を割け。

 

 ───────────────────────

 

 鎧を剥がし捨て、構えを取るまでを見るナギ。

 殺し合いではなく、彼女を解放するための戦いである。

 だからこそ、満足行くまで彼女に付き合うことにしていた。

 

「準備はいいか」

「待た、せ、たか」

「それほどじゃない」

 

 戦いの才能がなくとも、得られる技というものはある。

 ナギの持つ体術は、ナギにのみ特化した形に突き詰められている。

 

 イングヴァル──否、マリスが構えを取るのと殆ど同時にナギも構えを取った。

 それを構えと呼ぶのであれば、だが。

 手を下げ、ただ立つ。

 歩き馴れた道を進むように、目の前に猛者がいるというのに気にもせずに歩いた。

 

 マリスは向かってきたナギに対して最速の一撃を振るう。

 振るうというよりも、振るったというべきだろう。

 それほどに速い一撃だった。

 しかし、それはあっさりと止められていた。

 先ほどとは違い、斧ではなく腕を抑えられる形で。

 次の動作に入る前にナギはマリスに肉薄する。

 距離を取ろうとする彼女がそれをできないことに気がつく。

 

 それは抱擁だった。

 まるで敵意の一欠片もない、慈愛に満ちたものだった。

 しかし、マリスは『それ』がなされるのを認識すらできなかった。

 

「この形でしか、お前を送ってやることができない

 戦士ではない私を許してくれとは言えない」

 

 ナギもその術理については詳しくわかっているわけではない。

 「できそうだからやってみた」というだけの、彼女らしいやり方だった。

 かつてロプトウスを破るためにナーガと呼ばれる力が人に与えられたように、

 彼女のその抱擁はまさしく、人を戒める呪いを破壊する絶対の手段と為る。

 

「……いいや、アンタこそオレが知る最高の戦士だ」

 

 魔将から解放されていっているからか、発話の不自由さが薄れていく。

 解き放たれた声が、感情のままに喉から躍り出る。

 

「そうか、そのことはきっと、ずっと忘れない」

 

 ぐ、と力を込める。

 まるで砂袋に穴が空いたようにさらさらと音を立てて、マリスの体は消えていく。

 守り人や聖戦士の誕生の根源にナーガの影響があるのであれば、触れ合える距離まで近づけばその力を強制的に停止できるかもしれない。

 それを思いついたのは最初にマリスと戦ったときだった。

 

 説明ができないせいでレウスやガーネフには伝えていないが、検証は完了した。

 ナギからしてみれば検証ではなく必死の願いでしかなかったのだが。

 

「……偉大なる神、ナギ

 あんたと戦えて幸せだった

 願わくばその優しさがこの大陸を包んでくれることを祈らせてくれ」

「ありがとう、でも……」

 

 助けられなかった。

 ナギはもっとうまくやれば、彼女を元の人間に戻せるのではないかと淡い期待を持っていた。

 しかし、それは叶わなかった。

 その優しさをマリスは理解している。

 

 マリスは消えゆく体をなんとか使って、ナギを抱き返す。

 

「ナギ、オレは幸せだよ

 最後の最後で血反吐の中で死ぬと思ってたオレが、こんなに優しく送ってもらえているんだから

 だから、悔いなんて思わないでくれよ」

「……わかった」

 

 マリスはそれでも悲しそうな表情をしているナギを、まるで年下の女友達、或いは妹のようにも思えて、そっと頭を撫でようとしてそのまま消えた。

 彼女の最後の優しさは確かにナギにも伝わっていた。

 

「ガトー……人が死ぬことは悲しい

 こんな悲しいことばかりを産んで、本当に何を望むのだ?

 私には……私にはわからない」

 



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ボアの偉大な一歩

 五大侯の拠点を支配するボアは忙しくしていた。

 そもそも他人を信用しないことにおいて他の追随を許さない男であるが、暗躍を重ねることで比類なき多忙に囲まれていた。

 当人は疲労を見せず、むしろ忙しくなればなるほどに興奮していた。

 何故かといえば、この多忙こそが大帝国の主に到達する道だと確信しているからだ。

 

「ボア様、そろそろお戻りになられた方が」

「オレルアン連合の拠点には戻らぬと伝えろ」

「それは一体……?」

 

 腹心は言葉を言い淀む。

 東西決戦の後にこの拠点から弱った勢力を食らってのし上がることを隠そうとしない。

 この行動はある意味でそれを察知される可能性が大きいというのに。

 だが、それを実行するということはボアなりの勝算があるということの証左だと納得する。

 

「番犬どもが厄介ではあったが、もはや狼騎士団は瓦解

 鼻を利かせられるものはいないのだ」

 

 にたりと笑い、ボアは書類へと向き直る。

 

「回収した守り人と隷属者は温存しておけ、次の戦いにこそ必要なものなのだからな」

「はい

 予定の通り、連合に預けた兵だけを運用させましょう」

 

 どん、と扉が開かれる。

 

「なんだ、君たちは……どこの、いや、貴方たちは……」

 

 ───────────────────────

 

 五大侯にボアが軍を寄せた頃に状況は遡る。

 本営から一人の男が抜け出していた。

 狼騎士団が一人、ロシェ。

 鈍く輝く黄色は空に浮かぶ月のようでもあり、しかし美しさではなく不気味さを湛えていた。

 

「ロシェ、こんな時間にどこへ」

「ああ、ザガロ……気が付かれちゃったか」

 

 ザガロはロシェの出で立ちを見て、何をしでかそうとしているのかをすぐに察した。

 

「こんな状況で、……」

「みなまで言わないで、ザガロ

 誰かがやらなければならないことだから」

「だが、ここでお前が手を汚せば連合は勝てなくなるぞ」

「主戦力はミディア殿たちだ、ボアの軍はどちらにせよあそこからは動かない

 彼らが動かす気があるのは既に戦線に配備されているものたちだけさ」

 

 ロシェの分析は鋭かった。

 事実、この戦いにおいて、全てはミディアに一任されているであろう背景をザガロも察していた。

 

「だからといって」

「じゃあ、許せるのかい

 ハーディン様を虚仮にしたアイツを、ザガロは許すっていうのかい?

 僕たちは毛並みの良い犬じゃない

 誇り高き、牙を研ぎ澄ました狼、そうだろ?」

 

 その瞳の色は元々そうであったのか、それともいつからか変質したのか、

 ごく身近に居たザガロたちですらわからない。

 それが擬剣ファルシオンによる影響による変質であることなどわかるはずもない。

 

(ロシェを放っておけば、きっとボアを殺すだろう

 そして、連合にとって不都合なものを殺し続ける暗殺装置になっていくはずだ

 彼が望んだわけではない

 きっと今のオレルアンに必要だからこそ、己を殺そうとしているんだ……

 彼をこのまま行かせたなら……

 何が家族だ、何が狼騎士団だ)

 

 ザガロは呼吸を整え、

 

「俺も行くよ、ロシェ

 君を一人にしてはいけない、だって俺たちは家族だろう」

「そうだね……ありがとう、ザガロ」

 

 ───────────────────────

 

「なんだ、君たちは……どこの、いや、貴方たちは……」

 

 現れたのは狼騎士団の中核を為す四人の近習、その中の二人であった。

 ロシェ、ザガロは入室すると後ろ手に扉を締める。

 

「む、ご両人が揃って何かの連合に問題でもあったかな」

「問題はずっと起こっていたんです

 僕たちがそれを見過ごしていてしまった」

 

 どこか険呑な気配を感じたボアは書類から二人へと視線を移す。

 刹那、ロシェは剣を抜き打つとボアの腹心を逆袈裟に刃を走らせ一瞬で命を奪った。

 

「なっ」

 

 流石のボアも予想もしていない殺し屋の登場に息を呑む。

 

「ボア、ハーディン様への無礼の数々……命で償ってもらいます」

「馬鹿な、わしを殺せばアカネイア勢力がどうなるかわかっておるのか!

 痴れ者が!少しはその足りない頭で考えよ!」

 

 ロシェとも話したことを、ここで確認を取るように、横からザガロが

「どうせここにいる兵力は出さないんでしょう」

 そう問いただす。

 

「……!」

 

 隠してはいるが、表情筋が動いた。

 気が付かれたかと言いたげに。

 

「連合に対して出して構わないと考えた兵は全てミディアたちに渡している

 違いますか」

「こっ……こんなことをして、大義を失うと思わぬのか」

「あなたが誰に殺されたかなんて、誰にもわかりませんからね

 大義を失うのは僕だけ、ハーディン様には何の影響もありません

 さあ、正しいことを為す時間です」

「──このボアに正しさを説くつもりか、小僧ッ!」

 

 その言葉と同時にロシェが踏み込む。

 しかし、その刃はボアとロシェの間に出現した魔法陣によって阻まれた。

 



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ああ、晴れざる悪夢よ

 魔法陣が消えるとそこには人間が一つ立っていた。

 

「……ガトー様から迎撃を仰せつかった」

 

 ローブを目深に被った小柄な姿はその声音から少女であることが察せられる。

 二頭の狼はそのただならぬ気配に武器を構える。

 

「問答無用ッ!」

 

 ロシェは鋭く踏み込み再び逆袈裟を振るうも、見切ったかのように半歩引いてそれを躱す。

 しかし剣風が彼女のローブをはだけさせた。

 目深に被られたそれが下りるとザガロは息を呑んだ。

 

「き、君は……あ、あのときの」

「……?」

 

 ザガロはその姿を覚えていた。

 今もなお悪夢にうなされている。

 その夢に出てくる姿。

 

 あの日、オレルアンの歯車が狂った南オレルアンの街。

 あの場で死を顕現させたマーナガルムを、そしてマーナガルムに抱きかかえられていた少女を。

 

(事故だ、事故とはいえ少女の命を落としたのは事実だ……しかし、死んでいたはずだ

 ここにどうして居る?どうして生きている?どうして立っている?)

 

 ザガロもまた武器を構えようとするも、心がそれを許さなかった。

 

「お、俺を……俺を罰してくれ

 その代わり、祟るのも俺だけで終わりにしてほしい、どうか頼む」

 

 同伴した戦友が突然、そんなことを言う。

 ロシェはその様子に「ザガロ?」と声を掛けるも、当人は謝罪を口にするばかりだ。

 

「罰する?

 ごめんね、私はなにもわからない

 なにもおぼえてない

 ただ、命令を実行することしかできない」

 

 腰からレイピアを抜きながら、淡々と彼女は語る。

 

「邪魔だから、ここから消えてね」

 

 少女はボアの服を掴むとまるで枕でも投げるかのように窓へと投げつけて落下させた。

 暫くの後に堀に落ちた水音が聞こえてくる。

 ボアが何かを言っているが、この場の誰もがそれに耳を向けることはしなかった。

 

 少女はその言葉に興味などなく、ザガロは半狂乱であり、ロシェは少女にのみ意識を向けていた。

 

「そうか、南オレルアンの」

「……」

 

 その言葉に反応したのか、少しだけ眉根を潜め、苦しげな表情を伺わせる。

 

「知ら、ない……」

「そうか」

 

 ロシェは構えている武器を見る。

 守り人や聖戦士たちがそうだったが、こうして与えられた武器には精神に異常を来すことがあるというのを見ていた。

 

(僕はこの剣と相性がよかったみたいで、むしろ本当の狼になれたような晴れ晴れしさすらあったけど)

 

 このように、持ち主ですらそれを認識できない、強力な力を秘めている。

 無論、ロシェの場合はその変質具合は作り出したガトーですら予期していないものであったのだろうが。

 

「けれど、ここまで来て帰るわけにもいかない

 君を倒してボアを殺しにいかないと」

「……そう、じゃあ殺し合おう」

 

 ゆるりと少女が構えを取る。

 悠然とし、しかし打ち込む隙の見当たらない。

 口さがない武人などはレイピアの剣法をお貴族様の手遊び(てすさび)などと揶揄するものもいるが、

 その完成度の高さにザガロも半狂乱から少しだけ立ち直る。

 戦場を渡り歩いた二人ですら、彼女の立ち姿は達人の域に立っていることを理解してしまえた。

 

「それじゃあ、踊るね」

 

 ゆらりと動く。

 速度は大したものではない。

 奇妙とも言えるステップは速度ではなく、人間の知覚や視界を幻惑した。

 踏み込みではなく、距離を図るような、間合いを見るかと思えば起こりの見えない斬撃を放つ。

 細剣(レイピア)と言っても針のようなものではなく、片面の薄刃を持つものであり、時折漂流物として販売されている倭刀と呼ばれるものにも似ていた。

 

 ロシェもまた疑剣によって強化を得ているが故にその斬撃を防ぐことはできる。

 だが、攻めに転じることができない。

 攻めに回れば、隙を見つけて返し手が飛んでくるという圧を感じていたからだ。

 

 ザガロもまた銀の剣を構える。

 

「ロシェ、二人で掛かるぞ!」

「だめだ、ザガロ!」

 

 ザガロが踏み込む。

 ロシェはそれを止めたかったが、それができる状況でもない。

 

 少女はそれに怖気づく様子など一切見せず、再び舞うような動きを見せた。

 ザガロの剣を避け、連携したロシェの剣を受けた。

 だが、そのタイミングであれば、とザガロは再び剣を上段に構えてを振り下ろす。

 

 瞬間。

 ザガロとロシェは見た。

 剣を受け太刀したのは隙であると見せるためのものでしかなかったのだ、と。

 舞のような動きで受けるではなく避けることを得手とする剣士であると印象付け、それが受けに回ったから隙を得たと思わせられたのだ、と。

 

 それでもザガロの太刀筋は鋭い。

 頭蓋を砕かんとする一撃は奇妙な感触で止められた。

 

 濃密な霧が鳥の羽のように舞い散る。

 ザガロは斬ったはずの相手が消えたことに驚くが、横から「ザガロ!上!」とロシェの声にすぐに冷静にならんとしたが、その全てにおいて時間が足りることはなかった。

 



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理原性帰回

 少女の剣から突きが繰り出され、ザガロの命を奪おうと迫った。

 しかしその刃がザガロを殺すことはなかった。

 

「ロシェ!」

 

 信義の狼はその身を以て、仲間の命を守ったのだった。

 

「ざ、ザガロ……付き合わせたのにごめんね

 ……計画はこれ以上は無理だ、どうか……君だけでも逃げてくれ」

「そんなことできるわけが──」

 

 ロシェはレイピアを掴み、少女がザガロへと向かわないように足掻く。

 

「早く!」

 

 ザガロは始めてロシェのそうした声を聞いた。

 

「……ハーディン様を支えて差し上げて」

 

 黄色が光の加減で鈍い金色のように光る。

 その瞳が告げている。

 それが彼の最後の言葉である、と。

 

「ロシェ……その信義、しかと胸に刻んだぞ!」

 

 その言葉に小さな微笑みを見せ、自らが使っていた疑剣(狂気)を投げ渡した。

 形見分けとしてザガロもそれを受け取ると部屋から走り去る。

 

「……あの後、君のことを調べたよ」

「あの、後?」

 

 二人の姿は殺し、殺される姿ではあるが、その声音はお茶会の一幕のように落ち着いたものであった。

 

「敵同士だと睨み合う国と国の王族同士の間で儲けられてしまった非嫡出子

 その出自は確かにアカネイアとマケドニアの両国に影響を与えてしまうものだ」

 

 ロシェが調べた限りでは彼女の親が誰かまではわからなかった。

 桃色の髪の毛はアカネイアとマケドニアの混血としての特徴にも合致する。

 そこまではわかっても、それ以上のことはわからない。

 連合の持つ情報筋を相当に使い込んでも徹底的にひた隠しにしていることそのものが王族の子であることを如実に表していた。

 

「そうして放逐された君が、自らの人生を生きようとして歩き出した矢先に命を落としたのは不運ばかりの人生だと呪詛を吐いても仕方ないこと」

「なにを、言っているの?

 私は……誰も、呪ってなんて……」

 

 少女の問いに答える気はないというよりも、まるで彼女を追い詰めるために言葉を続けているようですらあった。

 

「けれど、蘇ったのは君の意思ではないのだろう

 死を買い取り、武を売り払う、まさしく死の商人ガトーの手によって生み出された魔将……」

 

 全てを彼のせいにすることもロシェにはできる。

 そうすればきっと責任転嫁できて楽だったろうということを知っている。

 だが、苦しみの果てに狂気に染まることができた彼であるからこそ、責任転嫁などというまるで快楽を感じない選択肢を取ることはない。

 

「意思も記憶も奪われたのは我ら狼騎士団の責

 思えば、僕がこの力を得たのもこの日のためだったのかもしれないな」

 

 レイピアを引き抜こうとするも、ロシェも全力でそれを掴み、動かさせない。

 

「さあ、受け取るといい

 これこそ僕が、そしてオレルアンが君に捧ぐことができる賠償の全て」

 

 ロシェの瞳が鈍い色から恐ろしい黄金へと染まっていく。

 その瞳から匂い立つような忌むべき炎がまるで触手の如くに現れ、暴れ狂うようにして鞭のようにしなり、震える。

 

「『発狂伝染』ッ!」

 

 その声と共に炎が少女の瞳に暴力的に注がれていく。

 

「い、ぎっ!?あっ!!」

 

 苦しむ声、そして悲鳴であるのに耳障りではない歪みのない綺麗な高音が彼女の喉から響き渡った。

 ずるりとレイピアを離すと、ロシェはたたらを踏んでからその場にへたり込む。

 

「な、為せた……責任を為せた

 秩序を為せた、正義を為せた、信義を為せた

 これでいいんだ……」

 

 のたうって苦しむ少女を見ながら、ロシェは言う。

 

「僕の練り上げた発狂は世界を犯すような伝染しない、もとはハーディン様や皆に伝染してほしくなかったからだけど……

 その代わり、どんなものもこの『与えられた狂気(本来あるべき正気)』を犯しむることはできない」

 

 狭間の地にあり、メリナが何より忌み嫌った狂い火。

 それがアカネイアの地に渡ったことで変質したのか、それとも狂気の中でその名を知っただけでロシェが受領したそれは狂い火ではなかったのか、それを知る術などどこにもない。

 

 ロシェにとってそれは些細なことだから、知る気すら起きなかった。

 本当に重要なのは、

 

「君の心に巣食う呪いすら狂い火に焼かれて灰も残さず消えるだろう」

 

 この少女をあるべき場所に返すために、彼女に掛けられた呪いを焼き切るだけの出力を持ったもの。

 人の心を犯すならば、犯そうとするその力を焼き尽くす心に灯された炎を作り出せることこそが全てである。

 

「僕を狂おしい正しさへと導いてくれたように、

 君の行く先にも……輝ける金仮面の導きが、あります、ように……」

 

 狂いながらも、その言葉は絶対に彼女に届いているとロシェは確信していた。

 それもまた狂人の発想であろうが、それでも彼は満足気に微笑み、そうして事切れた。

 

 悲鳴はそれからも続き、やがてボアを救出したアカネイア兵たちがおっとり刀で部屋に踏み込んだときには何もかもが灰に還されていた。

 かつての狂気の主であるロシェの亡骸すら完全に燃やし尽くした後であり、ボアは怒りの矛先をどこに向けることもできずに歯を軋ませた。

 



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鬼神縦横

 ラングが率いた五大侯軍を退けると、戦局はアリティア優勢へと傾く。

 全体で見れば、だ。

 

 局所においてアリティアは甚大な被害を被っている。

 時系列は五大侯撃破前にはなるが、例えばこのような状況である──

 

「た、隊長!

 前線が崩壊!敵将がこっちに突っ込んできます!」

「聖王陛下から賜った兵をいたずらに消耗するわけにもいかん、無理をせず退かせろ!」

 

 オレルアン側へと向けられたアリティア軍は散々に打ち破られていた。

 突破こそされていないものの、被害は甚大である。

 大軍が来ないのは事前の予測に間違いはなかった。

 問題は単純なことで、大軍ではないが、前線で暴れる孤軍が大軍並の戦力を有していることだ。

 

 その『孤軍』に、歴史に名を刻まぬ将兵たちは大いに押されていた。

 前線では人間が枯木か藁のように吹き飛ばされている。

 

 血風と死肉の雨の渦中に居るのは鬼神ミディア。

 装甲兵たちが彼女の行く手を塞ごうとするも鋼の槍が唸りを上げる度に一兵ずつ倒されていく。

 

「弱卒どもが!

 逃げろとは言わぬ、赤い花となって散るがいいッ!」

 

 鋼の槍が振り回され、屈強にして頑強なアリティア装甲兵が次々と押され、或いは倒されていく。

 

「なんて膂力だ……怪物め!」

「止めろ、止めろ!盾を前に出せえ!」

 

 甲冑を鳴らしながら必死に盾を構え、進行を防ごうとする。

 

「僭称王に群がる蠅どもが……消し飛んで死ねえッ!!」

 

 激情を露わにしながらミディアが吠え、武器が振り回された。

 盾に槍が当たると装甲兵が諸共吹き飛ぶ。

 鬼神の名に偽りも不足もない。

 

 だが、彼女の扱う武器はそうではない。

 鋼の槍もまたその耐久値を超えて砕けてしまった。

 

「ちぃ……数打ちがッ」

 

 予備の鉄の槍を抜くも、流石に装甲兵相手に分が悪いと見たのか馬首を返すと後退を始める。

 ただ、その道中でもまたアリティア兵を鉄の槍が潰れるまで殺し尽くすことを忘れない。

 鬼神はただ一騎で戦場を混沌に変えていた。

 

 拠点に戻ると不機嫌そうに鎧を脱ぎ捨て、文官を呼びつける。

 

「鋼の槍の在庫は!」

「ミディア様がお使いになると仰った分は既に全て……」

「だから言ったのだ、ボアめ!

 百本程度直ぐに潰れると!

 ……ええい、五大侯どもが父上から奪った大斧はどうした!

 まだ見つからないのか!!」

「は、はい……」

 

 苛立ちながら椅子に座り、息を整える。

 

「いや、お前が悪いわけでもなない

 すまない、戦いの後で昂ぶっていた……」

 

 ミディアは典型的アカネイア将校、アカネイア貴族であるが故にその不遜さを隠すことは一切ない。

 それでも頭を下げるくらいの柔軟さがあるだけマシだということで、存外文官たちの受けは悪くない。

 

「次のぶつかりあいで幾つかの部隊が抜けてくる可能性がある、お前は他の文官を連れて一つ後ろの拠点まで下がるのだ」

 

 卓上に広げられた地図で現在の拠点からなぞるように後方を指し示す。

 

「ミディア様はどうなさります」

「弱卒如きに遅れは取らぬ」

 

 つまり、退かないと言っているのだ。

 文官が去ったとしてもこの拠点自体の機能を維持するだけの人材は残すと考えれば、

 彼女からしてみれば問題はない。

 勿論、文官たちが去ったあととなると後方支援に関わる細々としたことが滞る可能性はあるが、戦いに巻き込まれて貴重な文官たちが失われることのほうが重大な問題に転がっていくことは明白だった。

 

「承知しました

 ですが、移動する先は場所はこちらで選んでもよろしいでしょうか?」

「それは構わんが……他に安全な拠点があるか?」

 

 指示した場所はオレルアン王の縁者たちも手伝いをしている拠点であり、王族を守るために分厚い防衛網が敷かれている。

 文官たちの無事を考えるのであればここが一番ではないのか、とミディア。

 

「五大侯の拠点が幾つか東側にございます、そちらに向かおうかと

 運が向けばオーエン様が所蔵していた黄金のハルバードか、その情報が手に入るものと考えております」

「……すまぬ、そのように動いてくれたら助かる」

「承知しました」

 

 ミディアだけではなく、文官や軍師たちも鬼神の武器問題を重く見ていた。

 彼女の膂力、腕力、扱いで壊れない武器があればこの戦域は既に突破していただろうし、状況次第ではグラ大橋に向けた準備ができていたかもしれないのだ。

 

 ミディアは水を浴び、返り血を落とすと睡眠を取る。

 ここ最近は戦場と睡眠の繰り返しだ。

 生前に血縁者でもあるシャロンから「睡眠だけは八時間以上取れ、そうしなければ死ぬと占いに出ている」と言われて、妙に信心深いミディアはそれを信じ、どんな状況でも八時間寝ることを自らに課していた。

 実際、そのお陰で鬼神ミディアのポテンシャルは落ちることなく、アリティアを苦しめているのだからどこまでいっても聖王の勢力はシャロンのある種の影響を受け続ける定めにあるのかもしれない。

 



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流血望むアカネイア

 五大侯との戦いに決着が付いた頃、戦況は大きく変化していた。

 鬼神ミディアの破竹の快進撃がグラ大橋付近まで影響し、大橋の防衛隊としてシーマとサムソンがグラ地方軍を率いて防衛に当たっていた。

 

 ミディアの軍はオレルアンの騎兵を率いて突き進み、馬廻りにはアストリアとアカネイアの陸戦部隊が従っている。

 アカネイア軍の騎兵をミディアが率いないのはボアによって差し止められているからである。

 その戦場ではなく今後の政治ばかりを考えるボアの態度にここ最近のミディアはボアに対して不平不満と不信を隠すことがなくなっており、

 それが逆にオレルアンの騎兵に「素直な武人」という妙な評価を得て、信任を得ていた。

 

 大橋の前に陣取ったグラ地方軍の、その本営では人払いをした陣幕でシーマとサムソンが言葉をかわしていた。

 

「シーマ、お前に何かあれば俺はレウスに殺されてしまう

 前線にはオレが向かう

 お前は大橋の防衛を頼む、抜かれれば俺たちのグラは滅ぼされてしまうのだからな」

「わかっています、サムソン

 ですが」

「オレもわかっているさ、シーマ

 必ず生きて戻る」

 

 複雑な言葉など二人の間にはもう必要ない。

 

 二人の愛はゆっくりとしかし、しっかりと育まれている。

 だからこそ、サムソンもこんなところで死ぬつもりはなかった。

 たとえ相手がアカネイア最強の剣士、アストリアであろうとも。

 

 約束を示すようにサムソンはシーマの手の甲に口づけをする。

 古臭い騎士の倣いのようでもあるが、彼ができる精一杯の約束の仕方でもあった。

 

 ───────────────────────

 

 教団の魔道兵団はグラ地方軍を遠距離から援護をする。

 装甲兵を中心にして組み上げられたグラの兵団は極めて強固な陣を敷き、そう簡単には突破は許さない。

 

「オレルアン騎兵隊諸君、私は突貫する!

 お前たちは借りものの兵、ここで失えば我が身の不名誉となる故に退いてもらえれば嬉しく思う!」

「では、我らは今よりオレルアンを辞しましょう!

 ミディア殿が進む先が死への近道でも構いませぬ!どうか我らの(さきがけ)におなりくだされ!」

「その覚悟、見事!

 だが、そう言ってくれるからこそお前たちの命は惜しい!

 死ぬ場所はここではない!お前たちの魁には必ずなろう!」

 

 その言葉を信じます、と騎兵団は周囲の支援を行いながら撤退をしていく。

 実際にここまでの道で出た落伍した兵士を助けるのは重要な仕事でもある。

 なにせアリティア軍は容赦というものがない。兵数を削れると見れば落伍兵すら狩るだろうとオレルアン兵は考えていたからだ。

 

 ミディアは黄金に輝くハルバードを掲げ、自らの居場所を誇りとともに示す。

 

「遊んでもらうぞ!グラの兵士共ッ!」

 

 恐るべき鬼神の突撃は、壊れることを知らぬ漂流物(黄金のハルバード)を手にしたことで、二段も三段も凶悪な力を得るに至った。

 

 ───────────────────────

 

「アストリア様!

 ミディア様はオレルアンの兵士を帰しているようです!」

「ああ、ここで命を散らせる機ではないからな

 しかし、彼女は武勇を見せ騎兵からの忠と信を得たようだ」

「あのオレルアン騎兵がアカネイアの将の命令を聞いているのが何よりの証でございますな

 ですが」

 

 ぐんぐんと敵陣に切り込んでいくミディアを見ながら

 

「このままでは引き離されてしまいますが」

「知れたこと、我ら陸戦部隊もミディアの退路を確保するためにも突き進むぞ

 ミディアのようにお前達を帰さぬことを恨むか?」

「まさか!我らアカネイア兵は常にメリクルソードとアストリア様と共にあります!」

「よく言ってくれた、では我らも突撃を敢行するぞッ!」

「オオッ!!」

 

 力強い前進はただアカネイア兵の練度が高いのではない。

 むしろアカネイアの宝剣たるメリクルを構えるアストリアの背を追うだけで士気を高めることができているお陰だろう。

 それほどにメリクルはアカネイア人にとって特別な武器であった。

 建国王アドラ一世は竜族を排斥し、偉大なるアカネイア王国を作り、絶対的な国家を作り上げていた。

 それを一度は破壊されたが、それでもアカネイア王国が最高の国であることはメリクルが遺失せず、今も転戦を続け、勝利をもぎ取っているアストリアが証明している。

 兵士たちはそれを思うだけで無限の士気を得られるのであった。

 

 だが、それを止めるものも居る。

 

 連合にアストリア在らば、

 聖王国にもまた、その名を轟かす別の勇者の名と姿が在るのだ。

 



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勇者、二人

「これ以上先には行かせぬ、グラのサムソンと剣を交わらせぬ限りはな」

「伝説の傭兵が今やアリティアの狗か」

「好きに言うがいい、アカネイアの狗よ」

 

 メリクルを構え、

「アカネイアのアストリアがその勝負に応じよう」

 そのように返礼する。

 

 サムソンもまた剣を構える。

 マスターソード。

 グラに流れてきた傭兵が口利きのために有力者であるシーマへと捧げたものであった。

 それをシーマがサムソンに帯びさせた。

 

 戦場には一騎打ちを始める合図などない。

 まず踏み込んだのはアストリアでもサムソンでもなかった。

 両者ともに戦意十分であるからこそ、その両者が同時に突き進んだ。

 

(マスターソード、どこかの貴族が持っていたなどという噂もあったがアリティアに流れたか)

 

 目の端で剣の良し悪しを見やるアストリア。

 最前線で戦う戦士の癖のようなものだ。

 メリクルに敵う剣はこのアカネイア大陸に存在などするはずもないが、それでもどのような力があるかの事前想定は重要である。

 

 ただの剣であればメリクルの力に任せて叩き折ってしまったっていい。

 しかし、それができない武器であると察して、力みすぎない打ち合いに応じる。

 

(流石はアカネイア最強の勇者、俺であってもなお深く打ち込む隙がない……!)

(見事なまでの技巧、アリティア最強の勇者とはこれほどのものか……!)

 

 その心中で互いを称賛する。

 心のことだから伝わらないのかと言われれば、そんなことはない。

 剣士とは、戦士とは、武芸者とは武器や技術を競わせて言葉よりも雄弁に感情を伝えることができる生物なのだ。

 

 打ち合うたびに刃の芯の部分が軋むような感覚を受けるサムソン。

 これ以上やりあうのは危険である。

 

「やはり、アカネイアの至宝よな」

「メリクルソードか

 そうだとも、この剣は──」

「いいや、その武器の持つ力を引き出せるお前自身こそが至宝よ

 メリクルを超えるアカネイアの宝」

 

 だからこそ、とサムソンは言葉を区切る。

 

「このやり方でなければメリクルを持ったお前を上回れないことを俺は恥じ、しかし誉れとも思おう」

 

 懐から指輪を取り出し、それを4つ嵌めていく。

 

「このサムソンが自らの技術以外を頼みにしなければならない相手と戦えたことを、何よりの誉れと思う」

 

 アストリアにもわかる。

 あの指輪が主の体に触れたことで力を与え始めていることが。

 

「遠き大陸の、古の戦いのなかで存在したものだとロプトウス大神は言っていた

 これを持ち、多くの英雄が自らのもとに武と兵を寄せてなお苦戦させた原因の一つとな」

 

 剛力将来させしパワーリング。

 神風一陣身に与えしスピードリング。

 技巧の精彩を輝かせるスキルリング。

 大鎧より分厚き壁為すシールドリング。

 

「壊れた漂流物をガーネフ殿と魔道学院が復元した品、一点ものの神秘

 アカネイアの古き伝説を、アリティアが産み直した伝承が上回るかどうか、試させてもらう」

「勝負ッ」

 

 メリクルが閃き、しかしシールドリングによって強固になったのは彼だけではない。

 剣もまたその強度を増し、不壊ではなくとも打ち合いによって砕かれる心配はなくなった。

 返し手として放たれたサムソンの技がアストリアの守りを避けてその身を切り裂く。

 回避が間に合わないほどの鋭い斬撃。

 

(持ち得る能力の全てを上回られている、そう判断するべきか)

 

 アストリアは浅くない傷にサムソンこそが人生最強の敵である認識を強くする。

 

(このまま続けたなら、敗着必至

 メリクルの鋭さを以ての一撃に掛ける以外に手は残されていまい)

 

 少し距離を取り、構えを取り直す。

 それを見たサムソンも次の一手こそが決着となることを察して構える。

 

(ミディアよ、どうか君に幸運を)

 

 互いに武器を構え、機を伺う。

 踏み込んだのは全くの同時。

 剣が閃き、サムソンとアストリアは位置を交換したようにして立つ。

 

 膝をついたのはアストリアであった。

 サムソンも無傷ではない。

 それでも深手を負わなかったのは指輪の力だけではない、とサムソンは思う。

 安息な生活を続けることができたサムソンと、劣悪な状況で戦いを続けさせられていたアストリアの立場の差であったかもしれない、と。

 

「……この勝負、アリティアの勝利だ」

 

 アストリアもまた、その言葉からサムソンが個人だけの戦いではなく国が自分たちに用意してきたものの差であると言っていることを理解する。

 

「ああ、だが、個同士での戦いでも俺は破れた

 次の戦いがないことを残念に思う」

「俺もだ、勇者アストリア」

 

 ───────────────────────

 

 敵陣を徹底的に荒らし尽くす鬼神は遠目にサムソンとアストリアの決闘を見つける。

 騎士としての名誉、一騎打ちの(ひじり)を汚すことはできない。

 ミディアもまた誇り高き騎士を自認するだけあり、横合いから割って入るようなことはできなかった。

 

 互いの最後の一合が踏み込まれ、アストリアが斃れるのを見るとミディアは馬を走らせ想い人へと猛進する。

 

「アストリアーッ!!」

「ミディア、戻れ!

 アカネイアの未来は君に託した!!」

「そんなっ……そんなの」

「我らアカネイア騎士の生きた証、それを刻み続けてくれ……!」

 

 彼女はそれでも助けようとするが、乙女としてのミディアと騎士としてのミディアが二つ、それぞれが真逆のことを叫ぶ。

 乙女は何をこのまま死なせるのか、誇りよりも愛した人の命だろうと。

 しかし、騎士は彼の言う通り、誉れこそが何よりも重大であり、重要であると言う。

 

 彼女はアカネイアの大貴族の娘にして、国家防衛の大将であるオーエンの娘にして、

 連合にあってアカネイアの騎士の象徴たる存在でもある。

 彼女に施された騎士として、貴族としての『教育(洗脳)』は愛ではなく──

 

「アストリア!

 あなたの名は我が魂、我が名誉に刻む!」

「さらばだ、愛しきミディアよ」

 

 ミディアは退路を黄金のハルバードで強引に作り出しながらも、撤退する。

 目からは涙が、血の涙が溢れていた。

 それは乙女のミディアが死んだ証であった。

 

 ───────────────────────

 

「サムソンよ、頼みがある」

「勇者の頼みとあらば承ろう

 何を望む、アストリアよ」

「ガトーを知っているか、死の商人の

 自らを白き賢者などと嘯くあの老人を」

「ああ、知っている」

「きっと彼奴はこのアストリアの体と技を再利用しようとするだろう

 だが、アリティアの持つ最新鋭の魔道技術で施すことができればそれを防ぐことができるやもしれぬ」

「……承知した、俺も勇者の死を弄ばれるのは我慢ならん

 その亡骸を再利用などされぬよう、アリティア聖王国が四侠サムソンの名において約束する」

「感謝するぞ、サムソン……」

 

 ついていた膝すら、それを維持できなくなったように倒れ込む。

 もはや血も流れなくなった。

 死を自覚し、アストリアはぽつりと呟く。

 

「アカネイアよ……どうか、ミディアを解放してやってくれ……」

 

 それがアカネイア最強の戦士、勇者アストリアの最期の言葉であった。

 



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武人たらし

 数日ぶりに戦場に現れたミディアはその出で立ちを一新していた。

 アストリアのパーソナルカラーとも言える緑と金を基調とした鎧を纏い、

 連合より新たな称号として黄金騎士(ゴールドナイト)の名を送られる。

 与えられた名を力とするのはアカネイア大陸で戦う全ての人間の、ある種の特色でもある。

 それが気概によるものか、潜在的な力が目覚めた証拠なのかまではわからないが、鬼神ミディアは黄金騎士の称号を得て、より圧倒的な力を振るうようになって戦場へと現れた。

 

 一時は士気の低下もあったが、ミディアとオレルアン騎兵隊はそれに負けずに、むしろアストリアの死を乗り越えんばかりに気炎万丈とグラ地方軍と衝突し、大いに押し込む。

 

「アストリア将軍の弔いだ!

 アリティアよ、その将兵よ!死の時間が来た!!」

 

 武器を落とし、腰を抜かしたアリティア兵に無慈悲に黄金のハルバードが振り下ろされる。

 

 激しい金属の衝突音。

 そこにあったのは無惨な死ではなく、ハルバードを食い止める戦斧。

 鮮烈なる赤。

 

「マケドニアの戦姫!」

「ふっ……一児の母になって姫と呼ばれるのはこそばゆくあるが、ああ、そうとも

 私は聖王国が戦姫、ミネルバ

 オートクレールと共に戦線に到達した

 鬼神殿、一局お付き合い頂こう」

「望むところだッ!」

 

 ハルバードを跳ね上げながら、馬を跳躍させて間合いを取り直す。

 馬が嘶き、狂奔するようにしてミネルバへと突撃する。

 しかし、それを疾風が阻む。

 

 飛竜が横合いから現れ、吠え猛る。

 

 不思議なもので、武を深く修めたものはときに言葉よりも如実にその意味を取ることがある。

 それが例え、種族の壁があったとしても。

 

「飛竜よ!

 ミネルバと共に戦うならば下馬せよと言いたいのか!

 ……ははは!

 このミディア、確かに戦場に酔いすぎて騎士としての誉れも忘れるところだったな」

 

 飛竜を見上げながらミディアは言い、馬から降りる。

 

「ミネルバ、昂りを抑えられずに失礼をした」

「いいや

 しかし、飛竜には私も感謝をするべきだな」

 

 その言葉の意図を知りたがるように小首を傾げるミディアに

 

「より近くで顔を突き合わせて武を競うはマケドニア武人の無上の喜びであるが故に」

「武人たらしめ」

 

 ミディアが笑い、釣られるようにしてミネルバも笑う。

 

 乙女としてのミディアはアストリアと共に死んだ。

 だからこそ、ここに立つのは貴族にして騎士であるだけの装置同然であった。

 その装置はミネルバとの一騎打ちで、人の心をまた別の形で与えられ、微笑んだのだ。

 ミネルバもまた、それを理解したからこそ笑い返した。

 

 場所が違えば、出会いが違えば、時代が違えば……友人になれたかもしれない。

 だが、この場でそんなことを考える『すくたれもの(誉れなきもの)』は存在しない。

 二人の戦いが合図もなく始まった。

 

 ───────────────────────

 

「やってくれちゃったなあ、アストリアくんの死体を回収できればよかったんだけど」

 

 マリーシアは連合軍が本拠地でもあるオレルアン城で呟く。

 

 王子に迎えに来てもらうためにも戦場に戻るためには手勢が必要になるが、狙っていたアストリアの死体は見つからず、

 ミディアが死ぬ様子もない。

 

「そろそろ魔将をと思ってたんだけどなあ」

 

 マリーシアの狙いはガトーのお株を奪うことであった。

 自分であればより完全な魔将を作り出すこともできるという確信もあった。

 確証はないが、その狂気的な自信こそが彼女の武器の一つでもある。

 

「マリーシア殿、少しよろしいかな」

「ああ、ブレナスクのおじいちゃん」

 

 一国の王、つまりはオレルアン王に軽い口を聞くがブレナスクはそうしたことを気にする人間でもない。

 よく言えば気さくであり、悪く言えば王としての自覚の薄い男だった。

 それらは王としての才能豊富なハーディンへのコンプレックスの結果でもあるし、ハーディンが彼の代わりに王としての職務を次から次へと片付けてしまうからこそ得てしまった性質でもあるが、少なくともオレルアン国民からはあまり悪い評判は聞かない人物である。

 

「前線が押されておるのですが、何かこちらからも協力をしたいと思っておりましてな」

「うん、っていっても手元には隷属者もなんも持ってないよ、私」

「まさかマリーシア殿に兵を出せと言いに来たわけではありませぬよ

 ただ、その魔道士としてのお知恵、お力を借りたいと思っておりまして……」

「それって?」

「ええ、実はオレルアン城の地下に──」

 

 死を喰らい、命を喰らい、魔力を育てるつもりだったものの五大侯は敗走し、失敗した。

 しかし、これはまだまだ挽回ができそうだとブレナスクの話に思わず笑ってしまうのだった。

 

 ───────────────────────

 

 しかし、その一方で五大侯の敗北からレフカンディ平原での戦術的な行動の自由な範囲を得たレウスと双神率いる軍勢はミディアではなくその後方の基地を狙うことで鬼神の突撃を抑止。

 ミディアと対等に戦えるほどの力を持っていたミネルバと白騎士団の登場もあり、いかに鬼神と言えどもグラ地方軍を叩き潰すには至らなかった。

 

 鬼神ミディアの大暴れによってアリティアは相当の痛手を受けたものの、ミネルバが戦線に到着してからは膠着を作り出すことに成功した。

 今も日を何度も変えて、決着をつけられずに休息のために引いて、再び現れ、戦場での攻守を入れ替えながらミネルバとミディアの戦いが続いている。

 

 五大侯敗走という状況もあり、大局で見れば状況は五分五分である。

 

 一方、東西決戦、その西では──

 



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デジャヴュ

「オグマよ、調子はどうだ?」

「報告すべきことは特に」

「そうか」

 

 ガトーが現れたときは万事休すかと思った。

 ユミナの救出のために北に向かっていたオグマの眼の前にワープでガトーが現れ、その場から連れ出された。

 

 飛んだ先はまさかの目的地であり、しかしそれはオグマの目論見が読まれたのではなかった。

 

「何の御用でしょうか、ガトー様」

 

 未だ内心で『泳がされているのでは?』ということが拭いきれないが、それを悟られないように必死に対応する。

 

「東西決戦と彼奴らが呼ぶ戦いで貴様を消費したくないのでな、ここで待機してもらおうと考えている」

 

 ガトーはそれに気がつく様子はない。

 或いは彼が世俗に染まっていれば気がついたかもしれないが、そうであれば現在の彼もあるまい。

 

「何故です?」

「東西決戦が終わったあとにこそ聖戦士による平定を始めるからよ

 幾人かの枠は空いたが、まあ、それはまた埋めればよい」

「使い潰し、復活させたほうが早いのでは?」

「魔将、聖戦士にしろ一度力を付与したものを再度復活させるのは非常に難しいのだ

 オグマ、貴様は偶然蘇らせることができたに過ぎぬ……というわけではないがな」

 

 ガトーは手に持つ杖を見せる。

 

「それは?」

「オームの杖、とは言え本来のそれとは異なり魔将を生み出すことに特化させている

 本来の制限を守れば本来の機能としても使えるが、どうあれ無制限に使えるものでもないのだ」

 

 聖戦士を魔将にすることは可能である。

 ただし、その聖戦士がオグマのような極めて強い精神力や極めて特殊な血統や才能であった場合だけだ。

 魔将を再び魔将にすることはより難しい。

 現状では成功例がないため、ガトーは難しいというよりも不可能であると考えていた。

 そのため、魔将となったオグマを使い潰せないのは『再利用できる可能性が殆ど存在しないから』であり、だからこそ乱雑な使い方ができないのだ。

 

「何を行えばよいでしょうか、ご命令を」

 

 命令に忠実なオグマだが、これは自らの中にある魔将として付与された人格であればこうするというのを客観視し、その後に模倣しているに過ぎない。

 

「やるべきことはそうあるものではないのだが……」

 

 指で示したのは扉の一つだった。

 

「その部屋にいる娘を守っておれ

 聖戦士ではあるが、未だ自我と自覚を得られておらぬものゆえにな」

「承知しました、ガトー様は」

「わしは暫くはボアめに少しばかり協力をしてやるが、その後にはグルニアへ向かう」

「グルニアに?」

「うむ、神の視座にて見えたものもあってな

 それが確定するのを待ってから動く」

 

 要領の得ない発言だとオグマは思うも、どうあれここからいなくなるならば気は楽だ。

 神や魔王を僭称するだけあってこの男の気配はいかに歴戦の傭兵であるオグマであっても、

 その魔力に当てられ続けられたなら魔将としての自我に負けかねないからだ。

 

「では、その娘の護衛に」

「うむ」

 

 オグマが歩き出すとその背後でガトーはワープによってその場から消える。

 

 部屋の扉を叩く。

 聞いている話であれば返事などあるまいが、しかし予想は外れて「どうぞ」と声がした。

 

 扉を開くとそこには金色の毛髪と整った顔立ちの少女がそこにいた。

 

 目的の少女との出会い。

 ガトーのお陰でそれは大幅に予定を早めることができた。

 

(もしかしたなら、本当に安全に彼女を解放することができるかもしれん)

 

 ───────────────────────

 

 ユミナの姿は予想よりも酷いものだった。

 衣服こそ着せてはいるが、恐らくは生前につけられた傷は強引な治癒によって大きな傷跡として残っており、衣服もまた適当に間に合わせたものだ。

 それ故に傷跡もしっかりと見えてしまっている。

 

 その姿に対して頓着はしていないようで、返事をし、入室したオグマを見やるが何かしらの興味のようなものを向ける様子はなかった。

 

「護衛をしろと仰せつかった

 名はオグマ」

「ノルダの不敗伝説、ですね」

「……ご存知なのですか、俺のことを」

 

 彼女は小さく頷き、

「世俗のことを知るのはいずれ父上が勇退されるときに役に立つと思い、調べるのを趣味としていましたから」

 

「では、自分がタリス島で──」

「あなたの意思とは思えませんでした

 何か理由があるのだと、そう今でも思っています

 伝え聞く貴方の話と、大きな齟齬がありましたから」

 

 精神こそかつてのオグマではあるが、タリスでの一件もまた実体験として記憶にある。

 眼の前でそれを伝えられるとなんとも心が縮まるような恥ずかしさが溢れてくる。

 

「今の貴方は──」

 

 ユミナは心の底で不服従を貫かんとする意思力が瞳に現れていた。

 

「誰ですか?」

 

 オグマはそうするべきという予定だったものが、そうするべき天命であったのだと確信した。

 彼女こそが、グルニア王ユミナこそが何をしてでも助けるべきものだと。

 



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趣味と実益

「ユミナ陛下」

 

 オグマが一歩前に出ると、自らの外套をユミナへと掛ける。

 傷跡を覆い隠すように。

 その人間的な感覚に気がついたユミナは少しだけ驚きを表情に滲ませた。

 

「逃げましょう

 道中は可能な限りお助けいたします」

「ですが、貴方は魔将として──」

「人の心はそう簡単に他人が触れ続けられるものでもない、ということです

 俺も、そして陛下も

 違いますか?」

 

 ここで逃げて、捕まったなら魔将となった自分たちはどうなるだろうか。

 不穏分子、いや、危険な不確定要素として消されるだろう。

 

 だが、

 

「私は父や弟、それにロレンスやカミュのように忍耐強く堅実な人間ではないのです

 博打を打って、大きく勝てる目がそこにあるなら一点賭けをしたい

 賭すのは私の命を、求めるものは逃げ切ること

 胴元はあなたです、オグマ」

「王女であった方がまったく、世俗を調べるにしてももう少しよいものがあったのでは?」

 

 オグマの言葉に苦笑するユミナ。

 

「では、骰子(さいころ)を振りましょう」

 

 こうしてオグマとユミナの脱走劇が幕を開けた。

 

 ───────────────────────

 

 逃げ出す前にユミナは倉庫を漁らせてくれと頼んできたのをオグマは了解する。

 もちろん、そう時間の猶予がないことを告げてはいるが。

 

「何を探しているのです?」

「ガトーが私に扱わせるために杖を幾つか振らせたのですが、そのときに使った一振りを……」

 

 がさがさと探し、一つの杖を手に取る。

 

「ありました、これです」

「これは?」

「暗闇の杖、とガトーは呼んでいました

 実際に効果も名前の通りで、暗闇を呼び込むものなので」

「煙幕にする、とかでしょうか」

「もちろん、それが本来の使用意図なのでしょうが、漂流物としては不良品らしく力が常に漏れ出ているのだと」

「つまり?」

「これを持っている限り、私たちを追跡するためには多少なりとも苦労してもらえるわけです」

 

 オグマからするとあのガトーが漂流物を試していたのは少し驚いた。

 アカネイア大陸原産以外は許さない立ち位置なのかとばかり思っていたのだ。

 それほどまでに魔将になったときに与えられた知識の上で、ガトーは漂流物同様のレウスを憎んでいたからだ。

 

(いや、自分で使いたくはないからこそユミナ陛下に使わせたのだろうか)

 

 オグマはなんとなしにそう合点した。

 

「お待たせしました」

「いえ、重要な物品の回収に感謝します」

 

 元々は荒っぽい口調の男であるオグマであるが、流石に一国の王にそんな態度を取れるわけもない。

 もちろん、彼がそうした態度を取るのは彼女が一国の王という立場であるからではなく、一国の王に相応しい人物であるからこそ敬意を態度で示しているのだ。

 

 外に出て、徒歩でひたすらに歩くことになる。

 最初こそ王族であるユミナが徒歩での脱走には体力不安を考えていたオグマであったが、そこは自分と同じ魔将という生物らしく、オグマ並の体力があるようだった。

 もちろん、山歩き旅歩きに不慣れだからこそ速度自体はオグマ一人に比べれば大いに歩速は落ちるのは仕方のないことだろう。

 

「オグマ」

「なんでしょうか」

「どうしてでしょうね、貴方との旅は何か懐かしいような、不思議な感覚を受けます」

「ははは、俺もですよ

 まるでいつか、どこかで貴方や誰かと共に旅をしていたような気がします」

 

 デジャヴュというものがある。

 この世界に予知というシステムが存在している以上、このデジャヴュはレウスが元いた世界よりも起こりやすいものであり、それは明確に『不完全な形の予知』が人間に与え続ける影響の一つでもある。

 

「逃避行の先はどこに?」

「グルニアまでお連れしたいところではありますが、あそこに戻ってもまた振り出しに戻されるだけでしょう」

「そうですね……調べる時間さえ取れればユベロが解決策を見つけてくれるかもしれませんが」

「ですから、聖王の元までお連れしようかと考えています

 ユミナ陛下がよろしければ、ですが」

「聖王陛下のところに?」

「何をしでかすかわからん奴です

 だからこそ、こういうときは頼りになる……のですが」

 

 何かを言い淀む。

 

「剣闘王がはっきりしないなんて」

「申し訳ない、年頃の女性に言うべきかを悩むことでして」

「紳士ですね、オグマ

 けれど、後々の問題になるくらいなら今話しておいたほうがお互いの得になるでしょう」

 

 そう言われては流石にオグマも言い淀んだ内容を話すしかなくなる。

 流石はガトーを言い負かして斬られただけはある、言葉で勝てる相手じゃない。

 であればこそ、話す気にもなった。

 

「レウスは王女という存在に強く惹かれるようでして……

 ユミナ陛下はもう国王であらせられますが、であっても前身としては王女でしたから」

 

 ユミナは世俗を調べた、というものには当然ながらトピックになるような人物のことも調べ上げている。

 彼の言う通り、レウスは王女を侍らせている。

 侍らせるに飽き足らず孕ませてもいる。

 だが、それは単純に大陸統一のための手段としての行いだとばかり思っていた彼女だが……、

 

「……もしかして、なのですが」

「はい」

「趣味が高じて大陸統一を目指すことになった、なんてことは」

「否定は、その……できませんな」

 

 立ち止まりはしないが、その会話で思わずユミナも乾いた笑いが出る。

 

「もしも趣味が高じてだったら、どうしましょうね……」

「そのためにもレウスめに会ってみなければ、というところで」

 

 この会話の落とし所としては妥協点だろう、と二人はそれから暫くは歩くのに集中することになる。

 清い身であるからこそ警戒するユミナと、守るためとは言え虎穴に走ることになっているオグマの二人の奇妙な逃避行は始まったばかりだった。

 



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恋敵への信頼

 王女としての振る舞いを学び、王族としての仕事を学ぶ。

 私は常々、人間とは産まれた時点で為すべきことが決まっているものだと思っていた。

 軍人の子ならば軍人に、文官の子ならば文官に、そして私のように王族の子ならば王族に。

 定められた歩く道をこそ運命であると思っていたからこそ、聖王の登場は定められたものの破壊者となり、自らを見つめ直す機会ともなった。

 きっと、この大陸の多くのものが同じだったと思う。

 私を一度は殺したガトーでさえ、そうであった。

 ガトーは定められたものを破壊した聖王を許せず、狂的なまでの意思でこの大陸を呪うかの如くにして行動を実行した。

 守り人、聖戦士、魔将。

 自らの主君であったナーガの復活。

 平時の彼であれば絶対にしないようなそれらの手段を取らせるほどに、聖王の存在は鮮烈だったのだ。

 

 けれど、やはり私からしてみれば『遠い人』という感想で収まるものでもあった。

 それが急に『眼の前の状況』に変化した。

 

 私は変化に強いタイプだと思っているし、事実、急に座らされることになった王位に関してだって上手くやっていた自信がある。

 殺されて、魔将にされながらもガトーの研究に付き合わされるのにも対応した。

 

 しかし、現実的な問題となると案外、起こり得る変化への対応というのは苦手なのかもしれない。

 殺されたなんて事実は極めて重大な結果ではあるが、何せ急に起こったことだったから準備も何もなかった。

 だから耐えることができたのかもしれない。

 

 つまり、国のためや自らの安全のためとはいえ、誰かの許に嫁ぐ可能性が浮上したことは対応しきれない急な状況であった。

 

 この場所からの逃避行で、どれほどの時間が掛かるのか、いや、どれほどの猶予があるのかはわからないが──

 

「その、オグマの所感で構わないのですが……私の年齢に興味を向けるものだと考えますか」

 

 答えにくかろうなあと思いながらも、心の平穏のためにそうした質問を投げかけてしまう。

 こんなところでなのか、それともこんなところだからこそなのか、人間は自分の弱いところというのを急に自覚させられるものなのかもしれない。

 

 ───────────────────────

 

 言うべきではなかった、と言われれば言うべきだっただろうと思っている。

 シーダ王女の件だけではない、魔将として蘇らされるに当たって、多くの知識を植え付けられた。

 これはユミナ陛下も同様だろう。

 

 だが、情報というのは特定の物事と連結して始めて現実感というものを得るものであり、

 俺はレウスが好色な男であり、自らの性質を上手く扱って見せて大陸の覇権に王手を掛けるまでに至ったのだと思っている。

 一方でユミナ陛下はまさかレウスの行動の根源にあるのがそうした情欲でああったかもしれないなど想像すらしなかったからこそ、この状況にある。

 

「その、オグマの所感で構わないのですが……私の年齢に興味を向けるものだと考えますか」

 

 極めて答えにくい質問だが、これからのことを考えれば聞いておきたい気持ちはわかる。

 

 現在の、俺が知る限りのレウスが手を出した相手は、

 アリティア女王リーザ。

 アリティア王女エリス。

 タリス王女シーダ

 マケドニア王女ミネルバ

 

 グラ王女シーマは……手を出していないと聞いている。

 

 教団の双神には手を出したのだろうか、その辺りの情報はガトーが調べきれていないようで入ってきていない。

 竜族の情報はメディウス辺りが何かしらの力でガトーの行動を阻害しているのかもしれない。

 

 ミネルバの妹である第二王女マリアは年齢的に流石に手を出していまい。

 手を出していたら流石に養護できん。

 

 ユミナ陛下もシーダ王女よりも年下で、マリアに近い年齢ではあることを考えればおそらく手を出されないかとは思うが……ということを告げ、しかし加えて、

 

「すぐには、手を出そうとかはないかと思います……ええ、多分」

「多分……」

 

 ともかく、レウスが手を出しているのはものの見事に王族ばかり。

 マケドニアの大貴族の娘やら、ミネルバの部下やらの例外もあるようだが、それはさておこう。

 

 品格にでも惹かれているのだろうか。

 であればニーナ王女も狙って然るべきではとも思うが、そこにいっていないということは何かしらの判断基準があるのかもしれない。

 神輿のような女は嫌いなのだろうか。

 

 目に見える情報で考えれば手を出している王族は見事にみな、自立心と王族としての仕事をこなせる実力者ばかり。

 

 であれば、先程のユミナ陛下の返答は決まっている。

 

「失礼な物言いをしても?」

「構いません、お聞かせください」

 

 では、言おう。

 

「好みに対してドンピシャリかと存じます」

「どんぴしゃりなんだあ……」

 

 気の抜けた声というか、いっそ嫌いなタイプとでも言われれば趣味ではなく国家運営者の視点からの交渉に持ちかけることができたとか、そういう考えがあったのだろうか。

 

「参考までに、どんぴしゃりの理由はなんでしょう」

「おそらく、レウス陛下は外見の美しさだけでなく王族の持つ品格と、知性の高さや目を引く才覚を有しているかがその好みの判断基準になっているものかと考えております」

 

 人の心を解くことにかければ大陸随一のシーダ王女に、

 王としての才覚に溢れる偉大なる女王リーザも、

 知性と気品に溢れる王女エリスも、

 武威だけでなく士気の高め方も大いに評価されている王女ミネルバも、

 いずれもが外見だけでなくその才能がアリティアの今日を支えているのだろう。

 

「急な即位になったというのに、むしろ以前よりも発展する速度を早めたユミナ陛下の辣腕はまぎれもなく努力と才能の証

 そして、器量の良さもまた人の目を大いに惹きましょう」

「それは……」

 

 体にある傷を思うのか、だが──

 

「傷があろうと、彼にとって評価に負をつけるような男ではありません」

「どうしてそう言えるのです?」

「体に付いた傷一つにも浪漫を想起するような夢想家めいた一面があるのですよ、レウス陛下には」

 

 それは或いは、俺の願いから出た押し付けの評価だったかもしれない。

 好色な覇王の快進撃めいた英雄譚。

 そんな男が女の体の傷の一つや二つで喚くような男であってほしくないからだ。

 

「随分買っているのですね、レウス陛下のことを」

「ええ、恋敵だったものでしてね」

「まあ」

 

 おっと、少しばかり口を滑らせたか。

 やぶ蛇を突かれる前に先へと進まねばな。

 



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行き止まりの逃避行

「大丈夫ですか?」

「……ええ、まだ大丈夫です」

 

 あれから数日、多少の休息こそ取っているが殆ど歩きづめである。

 ただ、オグマの不調はそれが原因ではない。

 

 ユミナは明らかに体調の悪そうなオグマを心配するも、しかし、どうすることもできないことを理解していた。

 これは魔将の影響を受けていることがわかる。

 彼女もまたその不調を感じてはいるが、影響の差は魔力に対しての抵抗の強弱によるものだろう。

 

「ですが、限界が近いかも知れません

 後少し進めばアリティア領に入ることができますので……そこまでは、なんとか」

「ごめんなさい、何か手があればいいのですが……」

 

 実際に打つ手はない。

 こうなることをお互いにわかっていたからこそ、冷静でいられた。

 

(魔将の影響は二種類ある

 一つは元の人格を矯正しようとする魔将由来の人格

 もう一つは……ガトーが私たちを探すために何らかの力を振りまいて影響を与えていること)

 

 ガトーは聖戦士や魔将には元の人格をある程度維持し、判断能力を担保させている。

 しかし、それは同時に自分に対する裏切りを発生させることであることも理解しており、そのためにある種のキルスイッチ、外部的にその自由意志を殺すための機能を備えさせていた。

 魔力を拡散させ、それによって人格上書きを促進させるものであるが、それに堪えているのは二人の居場所をひた隠しにする力と、オグマ自身の精神力の賜だろう。

 

 森を抜け、砂漠に面した乾燥地帯を抜けるころにようやく地図上でのアリティア領近くまで来たが、オグマはついにそこで膝を付いた。

 

「ユミナ陛下、どうやら自分はここまでのようです……」

「オグマ……」

 

 オグマは剣を取り出すと、自分の首にそれを押し当てる。

 

「お進みください、このような姿を見るべきでは──」

 

「そうだな、そのようなことさせるものではない」

 

 魔法陣と共に声が響く。

 

「よくここまで逃げ出したものよ、だがわしからは逃げられぬ

 この白き賢者の目から逃げられるものか」

 

 オグマが剣で自らの首を刎ねようとするも腕が動かない。

 

「もはやお前の制御はお前のものではない

 そして、その人格も」

 

 手に持った杖を向けると、稲妻にような魔力をオグマに打ち出した。

 

「もはや不要だ」

「うう、ぐが、がああああああ!!!」

 

 苦しみもがくオグマ。

 それを冷たい目で見るガトーだったが、ユミナが走って逃げているのに気がつくと杖を向け、稲妻を吐き出す。

 

 しかし、その稲妻は彼女の目前で弾かれることになる。

 

「見つけたすよお」

 

 擬剣ファルシオンを構え、盾となったのはサムトーであった。

 

「お嬢さん、さっさと去るといいすよ」

「あ、ありがとうございます」

「いやあ、こっちこそ……オグマさんをここまで連れてきてくれたこと、感謝してるすよ

 あとは気力次第す、もう少し進めばあのじいさんも追ってこれないはず」

 

 それを聞いてユミナが走りだす。

 ガトーとの追いかけっこで勝てるはずもないが、青年の言葉を信じるしかない。

 きっと逃げた先でなんとかなる『何か』があるのだろう。

 

 ユミナは走り、そしてガトーは忌々しげにサムトーを睨むと言葉を残さずにワープを使い、消えた。

 

「オグマさん、お加減どうすか」

「……サムトーか、少し、背が伸びたか」

「あのあとノルダも食事事情が改善されて、お陰様で元気に育ったすよ」

「そう、か……よかった……

 なあ、サムトー、よ」

「なんすか、オグマさん」

「俺を、殺せ、もうこの体は、俺の自由ではいられない」

「……」

 

 サムトーは俯く。

 

「オグマさん、受けた恩義を返しにきたんすよ

 だから……オグマさんを……」

 

 止める、助ける。

 本当はそう言いたかった。

 だが、一介の剣士にできることなど──

 

「オグマさんを殺します」

「ああ、そうして、くれ……」

 

 オグマが武器を構え、サムトーもまた構えを取り直した。

 

 ───────────────────────

 

 全力で走る。

 ガトーはワープを使い先回りを敢行するも、何度かそれを潜り抜けられる。

 盗んできた杖の力であることにガトー自身はまだ気がつけていないが、それもやがては看破されるだろう。

 そうなればガトーもユミナの持つ杖の阻害を実行してくるのは間違いない。

 

 忌々しげにユミナを睨むと、ガトーはユミナの多少の損壊を考えることにした。

 死体から作り上げた魔将であるから、大破さえしなければなんとでもなる。

 逃げられるよりはよほどましだ。

 ガトーがワープを使い、再びユミナの進行を塞ごうとすると同時に杖を構える。

 しかし、ユミナの目の前にいたのは彼女ではなく、見知った顔だった。

 

「逃してやったらどうだ、賢者様よ」

 

 言葉と同時に現れた見知った男、クリスが大剣を振り下ろす。

 ガトーは杖を剣のようにして扱い、それを受け立ちする。

 元々長躯のガトーはガタイの良いクリスとの肉弾戦を可能にするまでの力を外部的に、つまりは魔力を由来として補うことで獲得していた。

 

「この力をレウスめと戦う前に使うことになるとは、忌々しい!」

「忌々しいってのはオレたち人間側のセリフなんだがな!」

 

 ユミナはそれに立ち止まらず走って逃げようとし、その先で手招く少年に気が付く。

 

「こっちだ!」

「あなたは──」

「チェイニーだ、あそこにいるのはクリス

 サムトーの旅の道連れさ

 っと、長話はしてられない

 クリスが抑えていてくれる間に聖王の作った結界まで突っ走るよ!」

「は、はい!」

 

 ユミナの逃避行は終わりを迎えようとしていた。

 



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剣が落ちるとき

 オグマとサムトーの戦いはまるで鏡写しのようだった。

 それも当然で、サムトーはオグマに憧れ、オグマの試合の後は練習時間が過ぎてもその戦いで彼が披露した技や動きを何度も何度も繰り返し真似していたからだ。

 

(聖王様は見る影もない、みたいなことを言ってたけど……皮肉なことだけど、魔将として蘇らされてからは本来のオグマさんに戻ったんすね)

 

 サムトーの旅はあちこちを巡るものだった。

 エレミヤとの旅の中で幾つか手に入れた守り人や聖戦士、魔将の情報からオグマの復活を予見した彼女の勧めもあり、西側へと道を変えた。

 彼女は東でやることがあるから、とそこで道を分かれることになった。

 最初から最後まで彼女のことはわからなかったが、言うことだけはいつも正しかった。

 そのお陰で今サムトーはオグマと対峙することができているのだから。

 

(エレミヤさん、確かに不思議な人だったなあ

 美人だし性格いいし頭もいい、それに……こうして俺がやりてえって思ってたことを叶えてくれた

 本当に感謝してるすよ

 ……会って伝えられねえのが本当に申し訳ないけど)

 

 もはやオグマは言葉を交わさない。

 その瞳は暗く、意思を感じない。

 あの男に、ガトーに奪われ切ったのだろう。

 それでも人形ではなく、ノルダの不敗王者時代と変わらない戦力でサムトーの剣を受け、そして鋭く危険な返し手を放ってくる。

 もはや今のオグマは純粋な戦闘兵器と化していた。

 

「オグマさん!ここまでは真似っ子すけど、ここからはサムトー流ってのを見せてやるすよ」

 

 一歩下がり、パチシオンをもう一振り引き抜く。

 

「拾いものすけど、俺の手にはばっちり馴染むんすよね」

 

 二刀流。

 急ごしらえでその場しのぎのものではない。

 雰囲気も、立ち姿も、そしてそれを振るう術理も今のサムトーには備わっていた。

 

 オグマの攻めを逸らし、もう一方のパチシオンがオグマを切り裂いていく。

 

 サムトー。

 ノルダの剣奴。

 その後に漂泊の剣士となった。

 見目が大陸の伝説的な剣士ナバールにも似ていると言われ、しばしば間違われることもあった。

 彼はその容姿を活かして自らをナバールの弟だと言って、それ知るものから様々な角度から情報を得ていた。

 ガトーを探す旅は同時に、ナバールの足跡や活躍を知るための旅でもあった。

 

 ナバールはオグマと戦い、生き延びた数少ない戦士であり、好敵手とも謡われる相手であった。

 だからこそ、サムトーは心の中のオグマを超えるためにその好敵手の存在を加えることとした。

 

 ナバールの二刀流にオグマ流の戦法。

 不思議なことにそれはもとから一つであったかのようにサムトーには馴染んだ。

 

 誰が知ろう。

 今この場で戦うサムトーこそ、現在のアカネイア大陸において最高峰の剣士に王手を欠ける存在であることを。

 

 魔将オグマは機械的にサムトーと剣を合わせ、しかしだんだん増える傷に危険を感じていた。

 このままでは『ガトー様』のもとに帰還できない。

 このままの自分では勝てない。

 そう判断すると一歩引き、半ば強制的に自らを動かしている魔将の根源にあたる動力を活性化させていく。

 それは竜石にも似たものであり、自らに後天的に付与された力を増幅させるものではあるが、そのリスクは甚大。

 本来の才能を消し潰してしまうようなものであった。

 つまりは、

 

(消えた!?)

 

 サムトーは気配を頼りに先回りするように受け太刀をすると、それと同時に激しい音共に魔将の一撃が放たれていた。

 

「聖王様の言ってた不格好さってのはこういうことすか

 確かに、こりゃあオグマさんの戦法じゃあねえや」

 

 もはやこうなれば、オグマを器として使った人形に過ぎない。

 ガトーとしてはこうなってしまうと拮抗した実力の相手には隙を作ることになるというのがタリスの戦いで知り得ていることなので可能であれば使用しないようにと設定していた。

 それでも最後の手段として残しておいたわけだが、

 今回においてはそれは有効であった。

 超速度で動くオグマの剣が次々とサムトーの体を引き裂いていく。

 

「へへ、不格好だけどこいつは強いすね」

 

 サムトーはそれでも気丈に剣を握った。

 

 その構えはまるで無防備なものだった。

 両手を下ろし、弛緩したようにも見えるもの。

 だが、諦めたわけではない。

 これこそが、

 

「くらってもらうすよ、オグマさん……必殺の剣をッ!」

 

 その言葉と同時に走り出すサムトー。

 魔将オグマもまた姿が消えるほどの速度で彼へと突き進む。

 そこからは一瞬の勝負だった。

 オグマの剣が振り下ろされると同時に、サムトーの剣の一つも動く。

 振り下ろされた剣はサムトーの肩口を深々と切り裂くが、その直前で彼の剣はオグマの脚を貫いていた。

 

 もはや距離を取って超速度での攻撃は行えない。

 しまし、魔将にとってはそんなことをする必要もない。

 肩口を切り裂かれた彼と戦うならばゼロ距離での剣戟で負ける要素がないからだ。

 

 だが、その思考は狂わされることになる。

 脚を切り裂いた剣を放すと不自由な動きをしながらも、その刃をしっかりと掴み、引き抜くに一瞬の隙を生み出してしまう。

 

「こいつが、俺の必殺の剣です」

 

 温存していた利き腕の剣が横薙ぎに振るわれる。

 それは力みのない、サムトーが今まで振るった中でもっとも出来のいい一撃だった。

 自らの恩人に、兄と慕い、英雄と尊敬したオグマに捧ぐための一撃。

 それは魔将の胴を半ばまで切り裂く。

 

「……サムトー」

「オグマさん?」

「強く、なったな」

「へへ……でしょ?」

 

『強くなったな』

 それはいつかノルダの闘技場で交わした言葉でもある。

 剣才に秀でながらもさぼり癖のあったサムトーがオグマと出会って、その強さに惚れ込んでから毎日のように成長するサムトーに送った言葉。

 強くなったと言われたいから彼はひたむきに練習を繰り返すように為った理由。

 はにかむサムトーを出来のいい弟の活躍に喜ぶオグマ。

 あの日の絆は互いの命を奪い合うではなく、義兄の名誉を義弟は命を使って守り切ることに成功した。

 

 オグマは霧のように消えていく。

 魔将の死とは人間の死とは異なるもの。この世界には許されない存在であるからこそ、死体も残さず消えた。

 

 支えを失ったサムトーもまた、膝を付き、そのまま斃れる。

 その表情に痛みや苦しみはない。

 晴れやかな表情のまま、サムトーもまたその終わりを享受した。

 



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ガン待ちメソッド

「相変わらず無法満点で活躍してるみたいだよな、魔王様」

「小賢しい、影の英雄の影など笑い話にもならん存在たるお前が、このわしにそのような言葉を吐く資格などない」

 

 受け太刀を払い、距離を取る。

 ガトーが即座にワープで離脱しないのには理由があった。

 それはクリスがどこまで知識を持つかが読めないことであった。

 このクリスが影の英雄と呼ばれたものの知識を全て持っているとしたなら、ワープを使う隙やその対応策を持っている可能性がある。

 

 ここではない歴史においても、ガトーはクリスを好意的には見れなかった。

 レウスに対しての憎悪の根源はもしかしたなら、クリスから始まっていたのかもしれない。

 勿論、それはガトーには観測しえない感情ではあるが。

 

 ともかく、本来いないはずの男が影の英雄などと持ち上げられていたのが気に食わないのもあったが、クリス自身が持つその異常なまでの軍才をガトーが危険視していたからだ。

 

 英雄戦争と呼ばれる戦いは暗黒戦争と呼ばれる頃よりもマルスにとっては不利な戦いであった。

 英雄王マルスは倒すべき相手が国の仇、そして暗黒竜やガーネフにとまっすぐに剣を向けられる相手がいたからこそ暗黒戦争では戦い抜けた。

 しかし、英雄戦争ではかつての仲間たちとの戦いや、主義や立場の異なる状況からまっすぐに正義を示すのが難しい状況が多かったからこそ、その刃が鈍る可能性は大いにあった。

 

 それを助け、道を作ったものこそがクリスであった。

 まるで先回りして物事を進める彼/彼女はどこまでを知っているのか、どこまでを解決することができるのかガトーからは判断できないほど。

 マルスの治世の妨げになるのであればガトーを殺すことも視野に入れていたのではないかとも思え、そしてそれをするのであればワープへの対策がなければ自分を殺せないであろうことも理解している。

 結局、そこではそのようなことにはならなかったが、それでもクリスがワープ破りを何か考案していたのかどうかの判断はできなかった。

 

 そして、あの日、守り人でしかなかったこのクリスが、影の英雄としてガトーに話しかけてきた以上はもはや油断ならない、彼からしてみれば最大限の警戒をするべき対象となっていたのだった。

 

 だからこそ、うかうかとワープを使ってユミナへと向かえない状況となっている。

 

 ───────────────────────

 

 クリスは焦っていた。

 いくらガタイのいいとはいえ相手は老人で魔道士。

 オグマから受け継いだ大剣でばっさりと……とはいかずともそれなりに苦戦させる手筈だったのだ。

 しかし、まさか手に持っていた杖で受け太刀をされて、しかも押し込めないとは思わなかった。

 

(いやあ、そうかあ……元ではあるらしいが竜族だもんな

 しかも永く永く生き続けているんだったら見た目通りのお年寄りじゃないよな

 どうしたもんかな……チェイニーにデカい口叩いちまったからなあ

 ガトーを抑えておく!なんて言わないで、時間稼ぎをするから早めに頼むぜ!にしておくべきだった……)

 

 彼は影の英雄クリスではない。

 そうなる未来もあったかもしれないが、ここにいるのは歴戦の老兵マクリルに鍛え上げられた一人の若者に過ぎない。

 

 しかし、だからこそ影の英雄ではない手段を取ることもできると言える。

 

(マクリルメソッド、待ちのときは手を出すな……だな

 それに、相手が来るように誘い出せ、でもある)

 

 思考と覚悟を纏め上げ、クリスは行動に移す。

 

「ここで貴様如きに足止めされている場合でもない、使いたくはなかったが仕方ない

 これを受けてみるが良い……ってのは止めといた方がいいよ」

 

 ガトーの声音を真似るクリス。

 

「何?」

「魔王様が思っているより、こっちは色々知っているのさ」

 

 不敵な笑みを作り、続ける。

 

「魔将……いや、十二聖戦士だっけ?

 あいつらもあんたに絶対服従のお人形だってわけじゃないのは知ってるよな、自分でやったことだろうからさ

 それならその自由意思からして魔王様を売り払おうとする奴がいないなんて言い切れるのか?」

「……わしの情報を流したものがいる、と?」

「事実、オグマもユミナも爺さんのところから逃げ出してるじゃないか

 目的が合致しているか、似ているところにあるから協力しているだけ

 ってなればさ、利があれば俺ともやりとりするってのは不思議なことでもないだろ?」

 

 勿論、全て出任せだ。

 出任せではあるが、クリスの言葉はガトーに影響を与えた。

 

 事実として十二聖戦士を模して作ろうとしたものたちの多くに自由意志は与えたが、それ故に簡単に従うものはいなかった。

 

 中には裏切るものすら出てきたからこそ、生みの親ともいえる自分の不利益を与えようとするものが現れてもおかしくなく、特に魔将の技術を作って聖戦士に取り立てたものは知識を補完するための施術も別途行っていたからだ。

 

「クリス、貴様の目的はなんだ」

「身に覚えがないってのか」

「守り人にしたことへの復讐か?」

 

 どちらかといえば、クリスとしては自らの身の作りなど興味はない。

 しかし、会話を引き伸ばせば引き伸ばすだけクリスにとっての勝利は近くなる。

 

「ああそうだ!……なんてね、そうじゃないさ

 体をいじくり回されたのは面白くないと言えばそうだが、だとしてもそれは動機であって目的じゃないだろ?」

 

 理のある言葉にガトーは返事をしない。

 むしろ理があるからこそ考えに没頭する。

 今切りかかったところであっさり防がれてしまいそうな予感もあるので手は出さない。

 

「レウスの狗となって甘い汁でも吸おうというのか」

「今回の件で金一封でももらえたら嬉しいけど甘い汁を吸うためには定住しないとならなさそうだし、向きじゃないね」

「人間の世界のため」

「竜族がいる以上、アカネイアは人間だけの世界じゃあないだろう?

 俺は竜族に偏見もないしね」

 

 むしろ、とクリスが言葉を続ける。

 

「これだけの状況を作り出せる賢者様は何を望むんだ?

 世界を変えて、自分の理想に染め替えるってのはわかるよ

 けど、その後は?

 ナーガの代わりに世界を見守るのか?

 何千年も?……本気とも正気とも思えないけど」

 

 そういった瞬間に、クリスの姿が掻き消えた。

 

「!?」

 

 流石にその状況にガトーも驚きの表情を浮かべるしかなかった。

 言葉を弄して時間を稼がれたことなど、気がつくわけもなく──。



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西の戦局

「うおっ!……っとっとっと」

 

 浮遊感を覚えたのは一瞬。

 その後にたたらを踏むようにして体勢を立て直すクリス。

 目の前にはチェイニーと、今まで持っていたものとは別の杖を持ったユミナが立っている。

 

「成功だな、相棒」

 

 にっと笑いながらチェイニーが言う。

 

「時間稼ぎに苦労して、答えようのないことばっかり話しちまったよ

 ガトーが人間の会話に慣れていたら目論見はバレて殺されてたかもって考えると今更怖さが来るね」

 

 クリスを転移させたのはユミナであった。

 レスキューの杖を使い、クリスを転移。

 そして使用直後にアリティア領のある場所へ一歩進んで入った。

 

 こここそが、ワープ対策で作られた結界の内部。

 レスキューも当然使用できなくなるものの、そうであれば結界から一歩出てから使えばいい。

 

「ユミナ様、助かった

 杖が振れなかったら合図を出して全力疾走でガトーから逃げないとならなかったからさ」

 

 そう言って笑い、

 

「それじゃあ、アリティアへ急ぐとするか」

「あ……その……」

 

 ユミナは結界に入ってから、足を止めて

 

「……」

 

 彼女はオグマは、と言おうとした。

 彼らがオグマのことを気にかけていないはずがない、それほど冷血な人間でもないのはわかる。

 努めて明るく振舞うことが返ってオグマがどうなったのかを端的に伝えている。

 

 ユミナは息を整えると、

 

「どうか、エスコートをお願い致します」

 

 二人にそう告げるのであった。

 

「任せてくれよ」

「ああ、しっかりと送り届けるぜ」

 

 気遣いがバレたかと気恥ずかしそうな表情を少し浮かべてから、チェイニーとクリスは合点するのであった。

 

 ───────────────────────

 

 北グルニア付近では黒旗がそこかしこで風に踊るように翻っていた。

 

 グルニア最強の軍。

 黒騎士団。

 騎士団の名を負いし黒騎士カミュが率いる、騎兵を中心とした編成であることはオレルアン騎兵隊にも似ているが、黒騎士団はオレルアンの馬廻りを持たない編成やアカネイア騎兵隊のような一般的なものとも違う特色がある。

 それは黒騎士団は重装騎兵であり、他国の高位騎士(パラディン)よりもその防御を固め、機動力の損失をギリギリに抑える術を持っていることである。

 ホルスタットのような機動力を犠牲にした重装の勇壮騎兵(グレートナイト)と、一般的な高位騎士(パラディン)のいいとこ取りに成功しているのは騎兵を育て続けたグルニアだけが持つ技術開発の賜であろう。

 

 そして、突撃するだけが騎兵の能ではない。

 特に黒騎士団は弓や魔法に対しての対策を練り上げ、全員が強化手槍(スレンドスピア)による中距離攻撃に熟達しているため、アリティアが得意とする距離を取り続けての戦いに対して騎兵の足と強化手槍の射程による対策を前に苦戦を強いられている。

 

「流石に本営は遥か先、有利に進められているとはいえ調子に乗るわけにもいくまいな」

 

 黒騎士団を預かるライデンは銀の槍に付いた血を振り払って落とし、戦場を見やる。

 

「一度退く」

 

 団長代理の一声に笛が鳴らされた。

 城へと戻るライデンの背に全ての騎士が従う。

 

 その一方、アリティアの前線ではシーダがその様子を見ていた。

 聖王国の重要人物である彼女がここに出ているのは危険そのものではあるが、同時に彼女ほどの人物が前線に出ることで士気の高揚を更に引き上げていた。

 

「聖王后様、黒騎士団は戻りましたがその援護に他の部隊が殿を持っています」

「義勇兵団に戦わせてください!」

 

 義勇兵たちのリーダーであるシーザとラディが仕事を求める。

 現状で背を衝くのを抑止しようとしていう敵兵団の動きは順当だとは思うが、あれほど優位に立ち回っていた黒騎士団があっさりと退くのがシーダは気になっていた。

 

(……こちらの守りを抜こうとすれば義勇兵たちに足を止められ、強力な魔法の的になる

 彼らは黒騎士団だけは失うことができない戦況で地道な進軍と撤退を繰り返すのはわかる

 けど……いつか東側からレウス様たちが来るまでにこの戦局を奪うことができるかは怪しいやり方だ

 勝利を投げ捨てているようなもの)

 

 シーダは飛兵としての経験を積んでおり、タリスを制圧し、国を作ったモスティンから戦の才覚を引き継ぐ一面もある。

 リーザほどの戦略眼は備えないものの、一局面を見切る能力で言えばリーザを凌ぐものだと言って差し支えない。

 彼女の才能を下支えしているのは飛兵としての経験、つまりは戦場を俯瞰して考えることができる頭脳であった。

 

(後ろから襲えば突出した部隊を黒騎士が反転して噛みつく

 それが相手の足を止めるための義勇兵団であれば突撃に躊躇する必要がなくなり、

 魔法兵団ならば力押しで解決できる局面を作りやすくなる……って考えているのね)

 

 きっ、と強い意思力が秘められた瞳が前を向く。

 

「シーザさん、ラディさん

 ごめんなさい、せっかくの申し出なのですがそれは許可できません

 あなたたちを前に出せば恐らく黒騎士団が反撃に出てくると考えられるからです」

 

 その言葉を聞くと二人は遅まきながらにそれが黒騎士たちの狙いであることに理解が及ぶ。

 

「下手に突っ込めば俺たちは黒騎士から逃げられない、か」

「殿の部隊くらいなら勝てると思ってたけど、むしろ勝てそうな相手を餌にしてたってことかあ……危ない危ない」

 

 二人はシーダの戦術感覚に従うように

「では相手の殿に対しての警戒をいたします」

 敬意を込めるようにして宣言した。

 



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攻勢前夜

 ロレンス不在はグルニアにとって、特に戦場を預かるカミュにとって極めて大きな痛手だった。

 勿論、それ以前に起こったグルニアの内乱でも同様である。

 グルニアの強みは将兵の多さ。

 つまりは指揮する側の人間もそれなり以上に多かったことに起因している。

 ルイの弱腰と軍部の専横によって崩壊しはじめ、やがて内乱により決定的な国家の危機を迎えていながらも崩壊を免れたのはひとえにユミナ女王の辣腕あってのもの。

 

 しかし、ユミナが消えて東西決戦へと進まねばならなくなった今、いよいよ限界が見え始めていた。

 城を守らねばならないカミュは伝令からの報告だけが戦局を知る術であったが、その状態は手に取るようにわかっていた。

 ライデン、ベルフ、ロベルトは間違いなく上手くやってくれている。

 そうでなければ今頃前線は崩壊しているだろう。

 

 例え、黒騎士団をカミュが率いていたとしても現状での結果は変わるものではない。

 だが、より多くの将軍がいれば細かな部隊配備と指揮でアリティアを倒すまではいかずとも国境線まで押し返すことはできるはずだった。

 

 帰ってこなかったロレンスが遺した策は今も生きている。

 

 勝たず、負けず、時間を稼ぐ。

 ロレンスの狙いはこの決戦の状況を問わずしてのものではあったが、どうあれ同じことでもある。

 つまりはレウスを引きずり出し、講和を求めるもの。

『勝たず、負けず』はそれさえ続けることができれば先に潰れるのは連合であるという読みでもある。

 

 老将がそのために用意した防衛力の高い兵団は今もライデンたちの力となっているだろう。

 

 カミュは戦場の方角を見やり、愛弟子であり信頼する部下たちの無事を祈る。

 それしか今の自分にできないことを歯がゆく思いながら。

 

 ───────────────────────

 

「それではいよいよ我々北グルニア遊撃軍の出番、ということですな」

 

 モンタークが微笑んで言う。

 腰には汚れなき銀の剣が下げられており、傍目からすればそれは名誉の品であり、身分を示すものであろうことは察することができる程度である。

 だが、同席していたミシェイルはそれがガトーによってもたらされる忌むべき呪物であることを見抜いてはいたが、彼らの戦力を失うわけにもいかず、指摘には至らない。

 

「ええ、前線での相手の強さも理解できました

 一度ここで相手を押し返そうと考えています」

 

 ロベルトが地図の上の駒を動かしながら説明する。

 

「我ら飛兵隊に望むことは?」

「遊撃軍と黒騎士団で相手の弓の目を集めます、その間に敵中枢を攻撃して戴けますか?」

「了解した」

 

 問題となるのはアリティア弓兵隊だが、流石に前線の押され方を見ればいつ来るとも思えない飛兵の警戒を取りやめる他ないだろう。

 何せ前衛がやられれば弓兵はそのまま飲み込まれてしまうのだから、自らの壁を守ることは自らの命を守ることに繋がるのだ。

 

「魔道兵団はどうするのです?」

 

 モンタークの質問は最もである。

 開戦当初、ガーネフが率いて来た魔道兵団はとんでもない戦果をグルニア兵団に対して上げたのだ。

 元々士気の低い北グルニアの混在兵だったものの、決着は一瞬だった。

 

「風の魔法での撹乱から、見えない距離で撃たれる雷の魔法、無理に近付けば破壊魔法ボルガノン……あれはなんとも強力でした」

 

 ベルフは相手を褒めることを躊躇するタイプではない。

 誉れある相手との戦いは自らの誉れ、騎士にして武人という古き良きグルニア軍人らしさを残す青年である。

 

「とはいえ、風の魔法をああして扱って効果的なのは陸戦のみ

 その役割から前衛に置くしかない魔道兵団が火力を扱うことはないでしょう」

「あるとしたなら、飛兵防衛に対してですが」

 

 ライデンのその言葉に対してミシェイルは

「攻撃の密度を集めきれまい、であれば避ければいいだけだ」

 こともなげに返した。

 

 ミシェイルが率いるのはマケドニアの最精鋭部隊。

 兵士一人一人がマケドニア以外の飛兵の、将軍格に匹敵する技量を持つ。

 戦場での曲乗りなどお手の物、弓兵全てが集中して行う射撃であったり、対空に特化した魔道兵団でもない限りは避けきって見せるのだろう。

 

「ライデン、次はどこまで進めるつもりだ?

 押し返す、とは言うが」

 

 やろうと思えばアリティアには散々と打撃を与えることができると言いたげなミシェイルであるが、同時に「それは望んでいないのだろう」と言外に置いて言う。

 彼はカミュ、そしてロレンスが遺している策を理解していた。

 下手な打撃は報復を生み、関係の修復は不可能になる。

 

「まずは義勇兵団と前線指揮官のシーダ様を守る兵団に痛手を

 危機感を感じてもらいましょう」

 

 ライデンも侮っているわけではない。

 ただ、それでもここにロレンスがいたならば怒号の説教が飛んだだろう。

 女だてらの指揮官などと考えているのではないか、

 レウスに守られて経験の少ない指揮官なのではないか、

 ……あの娘はモスティンの娘、獅子の娘は獅子なのだと。

 

 ここにモスティンの恐ろしさを知るものがいないことは大きな穴でもあった。

 

「ミシェイル様のお邪魔にはならないよういたしますので、我ら北グルニアの飛兵も加えていただいてもよろしいですかな

 行路は被らぬよう、逆側……我らが慣れ親しんだ北側を進みますので」

「構わん、だが敵陣の中で邪魔な行動をするのならば──」

「勿論、その時はご随意に処理なさってください」

 

 モンタークの不気味な笑顔と発言で、この会議は終わりを告げる。

 明日からはまた、戦いを別の形に持っていく必要がある。

 アリティア戦への緊張とモンタークへの不信は不気味な色合いの空気感を伴っていた。

 



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大漁旗

 開戦を知らせるように両軍の旗が前線で掲げられた。

 どちらともなく行うようになった。

 グルニアの騎士道と、アリティアの戦場道義。

 奇妙な話だが、この戦いには友情のようなものがないわけでもなかった。

 

 しかし、それも今日で終わりを告げるのだ……モンタークはそれを考えて笑う。

 

「さて、北グルニア飛兵の皆さん

 お仕事ですよ」

 

 モンタークは意思なき兵士たちに告げる。

 守り人。

 彼はガトーから拠出された兵士たちを扱って飛兵団を作り上げた。

 ただの飛兵ではない。

 加速も落下も恐れない、完全無欠の飛兵軍団だ。

 

 一騎、また一騎と空に上がっていく。

 

「ガトー様、このモンタークこそがあなたの作る十二聖戦士に相応しいところをお見せしますよ」

 

 にたり、そう表現するのに相応しい笑みをモンタークは浮かべていた。

 

 ───────────────────────

 

 以前と変わらず、黒騎士団が前進を始める。

 カミュを始めとしてライデン、ベルフ、ロベルト、そして全ての黒騎士団は奇策を扱うことは殆どない。

 それが黒騎士団の強さを示すものであると同時に、正面衝突や手槍などの距離攻撃に攻撃を絞ることで部隊全体の戦力を維持することに寄与しているからである。

 黒騎士たちはその予備役を含めて、強力でありながらも兵士一人ひとりで言えば取り返しがいくらでも利くことも強みであった。

 

 だからこそ、愚直にも見える前進を行う。

 その背に、その命に全てが懸かっているわけではないからこそ、戦いに集中できる。

 

 一方のアリティアは正規兵たちからなる陸戦兵を指揮するノルンの姿がある。

 ノルンを前に出したのは四侠たる彼女が指揮を取ることでこれ以上押し込まれないようにするためでもあったが、もう一つの狙いもある。

 それは狙撃である。

 黒騎士の将軍格を遠間から射抜けるのは超長射程の矢を放つことができる彼女において他にはいない。

 本来ノルンの側にある弓兵たちは後方に置いたままにしている。

 これは来るかも知れない飛兵への備えであり、前線に連れてこないのはスレンドスピアの一斉投擲には耐えられない装備であるからでもある。

 ノルンほどの目の良さがあればそれらを避けることもできるが、それが誰もができる芸当というわけでもないのだ。

 

「さあて、バリバリ働きますよー!」

 

 ノルンが大弓を構え、矢を放つ。

 黒騎士はそれを回避しようとするも、矢が引き起こした風に馬ごと揺らされてあわや落馬しそうになり、それを立て直すために陣形が崩れる。

 

「盾!」

 

 指揮官たるノルンの言葉に陸戦部隊が盾を構える。

 

「歩兵、槍出せ!」

 

 更にその後ろから手槍が構えられ。放たれる。

 手槍は当たらずとも構わない。

 前衛の盾が黒騎士に踏み潰されないくらいまで勢いを減じれればそれでいい。

 

 ノルンは更に矢を番え、最も勢いのある騎兵から優先的に撃ち落としていく。

 

(にしたって、限界があるよ

 なんで彼らはこんなに精強に戦えるんだろう

 自分たちは親衛隊だ、特別なんだって思えばここまで遮二無二な突撃できないはずなんだけどなあ)

 

 危機感を覚えながらも射撃を繰り返すノルンは知らないのだ。

 黒騎士たちはむしろ、兵士という自分の一単位には予備があるからこそ命を捨ててでも戦えることに。

 

 ───────────────────────

 

「征くぞ」

 

 ミシェイルが騎乗竜を飛ばすと、それに続くように幾つもの飛兵たちが空に上がる。

 彼らの拠点はグルニアが準備していたが、戦線投入ができないと判断した船団である。

 船であるからこそ、必要な場所に移動して補給を行うことができ、その移動距離をこそ武器とする飛兵にとって最高の相性を持つ拠点となっていた。

 

「ミシェイル殿ォ、大漁をー!」

 

 以前、レウスと戦い、そして生き延びた海賊風体の男は結局グルニア海軍として今も活動している。

 流石に腕っぷしで負けてからは前線に出たいとは言わなくなったものの、世話になったグルニアの地に何かしたいという気持ちで船団を率いていた。

 

「さあて、こっちも忙しくなるぞ

 次は負傷兵を運び込んで城に戻らにゃならん!」

 

 船長の号令に再び船が動き出す。

 

 ミシェイルは上空から船団の様子を伺ってから、増速した。

 グルニアの船団を上手く活用する戦略を見つけられなかったのは不明であるなと心で恥じる。

 あれらを生み出したユベロの才覚を考えていれば、グルニアはもっと有利な状態であれたかもしれない。

 マケドニアはいずれはこうなる運命であることを理解していたし、今の形であることが目的には近いからこそ後悔はない。

 だからこそ、グルニアには手が及ばなかったことを考えてしまう。

 

(……倒さずにして倒す、難しいものだ)

 

 目標は前線中枢部、そしてシーダ聖王后。

 殺してしまえば計画は、いや、この世界が終わりかねない。

 ミシェイルは予知のみならずその優れた知性からも極めて正確に自らの目的の渦中にあるレウスという男を予測していた。

 



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迎撃戦

「て、敵飛兵!飛兵確認!南から寄せてきます!」

「魔道兵団に迎撃を!」

 

 シーダの声に号令は発せられ、近づいてくるミシェイルの飛兵軍団にサンダーを放つ。

 しかし見事な機動を見せて回避される。

 その攻撃に返答するように手槍が魔道兵団に降り注ぐ。

 数名が打たれるも、本陣護衛の装甲兵たちの盾によって多くは難を逃れた。

 

「迎撃は……」

 

 シーダは彼らの回避行動の巧みさに手を悩む。

 

「私の護衛に付いている弓兵と魔道兵団を加えて迎撃を、点でなく面を意識してください」

「承知しました!」

 

 空中で反転し、次の攻撃姿勢を整える飛兵を見やりながらシーダは思う。

(そうは命じたけれど、簡単には崩れないでしょうから

 ……危険だけど、守りを薄くして近接攻撃を誘発させたところを反撃するほうが答えには近いでしょうか……)

 短い時間でありながらも答えを模索する。

 恐れを知らぬ獅子モスティン、その子であるシーダもまた獅子。

 考える策もまた苛烈であった。

 

 しかし苛烈なのは何も彼女だけではない。

 続く状況もまた苛烈なものとなる。

 

「司令!北からも飛兵が吶喊(とっかん)してきます!

 迎撃には多少は成功していますが、速度が間に合いません!

 このままでは乱戦になります!」

 

 ただの奇襲ではない。

 迎撃対応不可能なほどの速度のそれはシーダも予想できないものであった。

 

 ───────────────────────

 

 物言わぬ守り人の飛兵たちはモンタークの命令を忠実に実行しようとしていた。

 目指すはシーダの首一つ。

 

 前線の中枢へと辿り着くまで指折りの秒数となったとき、先頭にいた飛兵たちが次々に撃ち抜かれて落下していく。

 

 旗が風に(なび)いて、(ひるがえ)る。

 白を貴重とした紋章教団の制服が戦場の混沌にあってなお清廉な印象を放つ。

 

 マケドニア大貴族、現紋章教団の重要人物であるレナがシーダの前に立つ。

 その周りには幾つもの英霊たちが現れていた。

 戦場の露と消えたマケドニア武人たち、呼応して現れたのは弓使いたち。

 歴史には刻まれぬ、しかしその武名と武威は守り人たちによって作られた急造の飛兵たちなど物の数ではないと言わんばかりに次々と叩き落していく。

 

「まるでトンボとりをしているようですね」

 

 レナは冷たい声でそう告げる。

 敵には容赦しない、それは彼女が守るべき家族に牙を剥くからであり、その家族とはシーダたちも含まれていた。

 レウスにとって大切な全ての人間は彼女にとって大切な家族であった。

 勿論、その冷徹さにはもう一つの理由がある。

 

 飛兵を見て、それが心を持たぬ兵士だと見抜いていたのだ。

 守り人や魔将のことは既にガーネフやロプトウスたちから聞いていた。

 自我なきものに空を汚されているような気がして、怒りに頭が冷えるのは彼女もまた空を支配したアイオテの血を継ぐマケドニアの国民であるの証左であろう。

 

 ───────────────────────

 

 守り人が討たれている北側にミシェイルも寄せると、彼らを盾にするようにマケドニア飛兵が到来した。

 距離は白兵戦に到れるほどに近い。

 にらみ合うようにシーダとレナ。

 

「待たれよ、ミシェイル殿下!」

 

 そして割り込むようにマケドニア地方軍を率いるマチスも現れる。

 

「久しいな、マチス、レナ」

「お久しぶりです、殿下」

「こうなるとは思ってもいなかったぞ」

 

 ミシェイルの言葉に小さくレナは笑みで返して、

 

「どうでしょうか、殿下はわかっていらしたのではないですか?

 ……私に結婚を申し込んでくださったときも、殿下は私ではなく遠い未来を見ていらしたようでしたから」

 

 予知についてのことはレナも理解している。

 ミシェイルがそれを持っているかまでは聞いていないが、彼ほどの聡明さを持つ人間ならば何を持っていても不思議ではないし、それに踊らされないだけの器量があることもわかっていた。

 

 レナはミシェイルを尊敬していた。

 だが、だからこそ彼女はミシェイルとは一緒になれなかった。

 

「お前は言っていたな、自分との結婚はこのミシェイルのためにならないと

 どこまで見えているのだ、お前は」

「貴方と違い、私は見えているわけではありません」

「では何故、未来を知るようなことを?」

「女には神がかり的な勘というものがあるのです」

「勘が俺をこの状況にまで導いたというのか?

 ……ふ、敵わんな……」

 

 ミシェイルはレナを妻にできていればまた違う未来があったのかもしれない、などと考え、柄にもないことをと自嘲する。

 

「北グルニアの連中は何と繋がっているかは理解できただろう

 この戦いである種の決着を付けるには北グルニアの処理こそが重要だ

 撃破にしろ逃散にしろな」

 

 ミシェイルが再び飛兵を空へと舞い上がり始める。

 

「殿下!」

 

 レナが空にいるミシェイルに声をかける。

 視線を送り、言葉ではないにしろ「なんだ?」と返答するミシェイル。

 

「どうかご無事で!」

「……まったく、慈悲深き女だ」

 



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鳴弦響いて

 ミシェイルがレナたちとの会話をする一方。

 最前線ではまた違う戦いが始まっていた。

 

「このままじゃ突破されちゃうかも……」

 

 ラディの気弱な発言にシーザはやや沈黙する。

 そうして後方を見るようにしてから再び前を向く。

 

「ラディ、俺はここで戦い抜く

 妹はアリティアのお陰で今じゃ学校にだって通わせてもらっているんだ

 ガーネフ様の覚えもよく、来季からは研究所の候補生にもなるって話なのは知っているだろう」

「あ、ああ」

「だから、妹の命を繋いだアリティアに、俺は命を使って奉仕しないと割に合わない

 ラディは下がっていてくれ、

 そして妹を」

「ばっかやろ!それで頷く男だと思われてるわけ!?」

「ラディ……」

「違うだろ!?ここは『勝ち抜いて、妹のところに戻るぞ』って言うところだろう!

 そりゃこっちも気弱な発言しちゃったけどさあ!」

 

 その言葉に苦笑を浮かべ、

「そうだ、そうだな……俺も気弱になっていたようだな」

 シーザは言う。

 

「それじゃあ行くか」と続けて言おうとすると、

「待てよ!」

 彼らの後ろから義勇兵たちが声を上げた。

 

「俺だって妻の病を治してもらった!」「オラは畑をもらったべ!」

「もう動かないと思ってたのに私は脚を治してもらったからここにいる」

「僕は弟の学費を全て持ってもらった!」「俺も」「私は」「自分なんて」

 

 口々に言う。

 それは一つの聖句のようにもなっていた。

 まつろわぬ人々の手に入れた安寧を謡う聖句。

 

 だからこそ、彼らは武器を掲げた。

 

「ここで命が尽きようとも、救ってくれたものに恩義を返せるのならば!」

「いいや!生きて帰ることこそがアリティアへの報恩ならば!」

「シーザ隊長、生き残りましょうぜ!」

「ラディ副隊長、オレたちにも格好つけさせてくれ!」

 

 その聖句は一つの流れを作る。

 

「そうだな……アリティアの平穏と安寧を守ることが俺たちにできる恩返しだ

 ここでシーダ様やレナ様にお怪我などあれば、恩義どころではない!

 あんな黒光りしている連中に傷つけさせたりなどさせるものか!」

 

 珍しくシーザが声を張り上げて続ける。

 

「生きてアリティアに戻るために!」

「アリティアの平穏のために!」

 

 ラディがそう叫び、続ける。

 

「アリティア義勇兵団!突撃ッ!」

 

 武器も戦術もバラバラの兵団が大陸最強の騎士団に突き進む。

 

「義勇兵が!ノルン様!」

 

 それを見ていた装甲兵がノルンを見やる。

 

「あー、もう、防戦一方で時間稼ぎたいのに……仕方ない!

 装甲兵!義勇兵の援護を!

 フレイの忘れ形見の皆は私と一緒に切り込むよ!」

 

 その言葉に「オオーッ!」と怒号と歓声が混じったものが吹き上がる。

 ノルンは側仕えに大弓を渡し、代わりに短弓を持ち出す。

 

「まったく、義勇兵くんたちは無茶するなあ……

 こっちも血が熱くなっちゃうじゃん」

 

 短弓を一撫でし、

 

「弓兵が接近戦できないなんてのが間違った常識だってのを教えてあげないとねえ」

 

 四侠ノルンは獰猛に笑う。

 

 ───────────────────────

 

「ライデン様!義勇兵との衝突です!」

「義勇兵如きに押されはしまい」

「問題は彼らを支援するアリティアの正規兵たちです、特に最前線で暴れる桃色の」

「四侠のノルンが?

 しかし彼の人は超長距離のエキスパートと聞いてるが……」

 

 ライデンは直ぐにその『決めつけ』を否定する。

 

「状況は?」

「短弓を自在に扱い、相当の被害が出ています

 義勇兵たちも一塊になることで戦場での厄介な空白を生んでいる状況です」

 

(事前情報ではワーレンの傭兵が隊長と副隊長だと聞いていたが……落ち延びた傭兵風情と心の何処かで侮ってしまっていたのか?)

 

 ライデンは反省は後にとっておこう、と考えを保留する。

 

「ノルンはどうだ」

「弦が鳴る度に黒騎士一人が死ぬと、前線で恐怖が伝染しつつあります」

「我ら黒騎士を恐れさせる、か……

 ロベルトに対応させろ、それにベルフには例の策を実行すると伝えてくれ」

 

 兵士は敬礼し、急ぎ伝令を纏めて伝えていく。

 

「勝つも負けるも選べぬ戦いとは、これほどまでに難しいか……

 カミュ様が仰っていた意味が実感として重く肩に乗っている気分だな」

 

 ロベルトは苦笑いを浮かべ、しかし、

 

「我らの勝敗は未だ着かず、アリティアの勇士たちよ

 今暫く付き合ってもらおうか」

 

───────────────────────

 

 その命令が届くと速やかにロベルトの部隊が乱戦に切り込む形でノルンの近くに現れる。

 

「おっと、ちょっと暴れすぎたかな」

「四侠がノルン殿とお見受けする」

「その通り、そちらは?」

「黒騎士団が三騎将、ロベルトと申す

 騎士の一人として一騎打ちを所望する!」

 

 勢いを殺せる手段は一騎打ちしかない。

 ロベルトは近づくための労力からそう判断した。そう判断するしかなかった。

 このノルンという女性はグルニアの軍部では要注意人物に挙げられている。

 四侠全員がそれぞれに優秀であるから危険と判断されているが、彼女はその中でも戦場では特に危険だとされていた。

 理由は明瞭で、『士気を高める天才の一人』であるからだ。

 より広く、国民の高揚までを行えるミネルバやロプトウスの名に隠れているが、彼女こそこうした乱戦においての最強格、最重要の将兵だ。

 

 単身の能力はおそらく、ライデン、ベルフに並ぶほどだとロベルトは認識した。

 しかし放っておけば彼女は前線の兵士の強さを二倍にも三倍にもできる。

 

 そうした才能だからこそ、乗ってくれるとは思えなかったが、一騎打ちを辞退すれば黒騎士団側の士気高揚に繋げることもできる。

 

「いいよ、やろっか」

 

 意外にもあっさりとした返事にロベルトは驚く。

 当のノルンは『にっ』と快活な笑みを見せたのであった。

 



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四侠と黒騎士

「そういうわけだからぁ!みーんな、距離作ってえ!」

 

 ノルンの号令に円形に空間が作られる。

 壁代わりは黒騎士と正規兵、そして義勇兵が立つ。

 

「もーっと広く!騎馬が好き勝手駆けられないでしょ!」

 

 その言葉に困惑しながらも全員が更に大きく距離を取る。

 なぜそこまで相手に有利にするのだ、と表情に出す多くは黒騎士と義勇兵たちである。

 逆に正規兵は以前より彼女を知るものたちで構成されており、

 ノルンのある種の奔放さを知っているからこそ、この命令には彼女という人物像に一貫性を感じていた。

 

「うんうん、これくらいでいいね

 ロベルト君って言ったっけ、問題はありそう?」

「いえ、むしろ有利すぎるほどかと思います」

「そうかな?

 ま、不利よりはいいでしょう」

 

 引き続き短弓を構えるノルンに対して、銀の弓を握るロベルト。

 彼の腰には銀の剣が吊っているところから最初のやり取りはロベルトの弓が、接近されてからは剣と短弓の応酬となるだろうことは壁を作るものたちも察することができた。

 

「合図はどうしようか」

「では、空に打ち上げた矢が落ちると同時にではいかがでしょうか?」

「了解」

 

 ノルンが弓を空に構えないところを見てから、ロベルトは矢を番えて空へと放つ。

 力加減次第で始まりがいつかわかる以上、射つ側が有利となる。

 弓兵の誇りや誉れというよりも、ノルンにはそれだけ自らの弓を頼みにできているのだろう。

 

 少しの間の後に矢が地面に叩きつけられると同時に銀の弓から矢を見事な速度で連続して射出する。

 それと同時に馬を走らせ、決闘場を円を描くように走らせた。

 一方の彼女は高速で飛来する矢を見てから回避し、近付くではなくロベルトの距離で攻撃に応じていた。

 

「ノルンさんは一体何を……」

「舐めてんのか、黒騎士を……」

 

 義勇兵たちがざわつく。

 しかし、それに答えたのは味方ではなく敵、つまりは黒騎士であった。

 

「いや、冷静だ……彼女の目であれば矢を避けられるのだろう

 当たったとしてもかすり傷

 であれば追い掛けっこなどして下手に自らの動きを制限するよりも回避に専念しているのだろう」

「だが、ロベルト様の弓術はそんな生半可なものではないぞ?」

「であれば、四侠ノルン殿の眼は我ら黒騎士が見たことがないような、戦女神の加護を持って産まれたものなのかもしれん」

 

 黒騎士たちの言葉に義勇兵たちが息を呑む。

 

「いや、ロベルト殿もそれを理解したようだ

 弓を収納したぞ」

 

 そんな中で正規兵が言葉を発し、そして他の正規兵たちも続いた。

 

「弓が本分であろうに……剣を抜いた!」

「侮るなよ、あの黒騎士殿は本分が騎士なのだろう……俺は対峙したことがあるからわかる

 技術を誇るではなく、黒騎士こそが名誉であり……」

「そうか、勝利することこそが本分ということか」

 

 その言葉に黒騎士たちは自らの主人を評価する敵兵に頷くものもいれば、どこか誇らしげにするものもいた。

 

 抜き放った剣が振られる度にギリギリで回避し、返しの矢を放つノルン。

 ロベルトもカミュに認められた武人。

 貫き力を獲得しきっていない矢を鎧で受けることで防ぐ。

 白兵距離でのやり取りの中、二人はお互いにしか聞こえない距離で言葉を交わしていた。

 

 ───────────────────────

 

「で、何が狙い?」

「何、とは?」

「アリティアを倒す気ないでしょう、君たち」

「倒す気はありますよ、ロレンス殿の仇ではあるのですから」

「……ロレンス?あのおじいちゃん?」

「何をごまかすことが」

「……こっちこそ使者が斬られまくったからやむなく開戦しているくらいなんだけど」

「……!」

 

 その言葉を交わしながらも、しかし攻撃の手は緩めない。

 武威と武力、殺意と戦意が一手ごとに交錯する。

 

「ま、それはいいよ

 何か裏があるにしたって、考えても仕方ない……違う?」

「……冷静な判断です」

「だからさ、それとは別にあるでしょ──狙い」

 

 ロベルトを含めて黒騎士団の団長代理とその補佐をする三騎将にはかなり大きな権限をユベロから与えられている。

 具体的に言えば、軍団そのものの進軍撤退の判断だけではなく、一時休戦の判断に至るほどのものを。

 

「……(かな)いませんね、ノルン殿には

 我々の狙いは兵を隠れ進ませてリーザ女王殿下のもとに急襲を掛けることです」

「ああ、確かにガーネフ学長も殿下の前にはいないけれど……それでも相当の戦力があるよ

 流石に黒騎士でも厳しいでしょう」

「存在感は示せる、違いますか?」

 

 指先で矢の残り本数を確認する。まだ余裕はある。多少は、だが。

 これが尽きれば距離を取って外から矢筒を投げてもらわないとならない。

 それなりの隙になるだろうが、馴染みのない剣や槍で挑むよりはマシ程度の危険な時間だ。

 仮にそれらで挑んだとして、ロベルトの剣の冴えからして、二手目で首が飛ぶことになるだろう。

 

「勝つ気ないってことだよね、どうして?」

「ここでの勝利は敗北だからですよ、グルニアの本当のリーダーが不在である以上は……勝利はどこにもない」

「ちょっとその話持ち帰らせてよ、そんで奇襲しようとしている人も後退させてくれない?」

「随分と無茶を仰る」

「もちろんタダとは言わない

 前提として、今のあたしたちの戦いは、騎士の誇りのための一騎打ちってわけじゃないよね?

 それならこの戦いを天秤に乗せる余地はあるわけじゃん」

「それはつまり」

「この一騎打ちの勝ちは譲る」

 

 一騎打ちの勝利はそのまま、大いなる価値が付いて回る。

 まずはこのまま後退しても背を負われない担保だ。

 グルニアの士気は上がり、アリティアが下がる。

 そうなれば下手に追撃はできなくなる。

 騎士としての誉れも客観的に言えば守られもする。

 尤も騎士として云々に関してはそれほどロベルトも重要視してはいないが、それでも敵国の将軍がそれらを慮ってくれることは素直に嬉しいものでもあった。

 

「承りました、四侠殿のご厚意に感謝を」

「それじゃあ挑むけど、殺さないでよね」

「はは、目先の利益ばかりを追う男が黒騎士にはなれませんよ」

 

 そうしてノルンは残りの矢を放ち、護身用でしかない剣を抜いて接近戦を挑む。

 ロベルトは少しでも花を持たせるために何度か切り結び、それから落馬しても受け身を取りやすい状態を見抜いて決着の一撃を放った。

 



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惚れた腫れた

「報告は以上です、女王殿下」

 

 一騎打ちのあと、両軍が兵を引く。

 その間に

 

「四侠ノルンの機転に感謝を

 しかし……使者が殺されただけではなく、ロレンス殿まで手にかけられていたとは」

 

 老将とは言え、その実力は未だ衰えを知らぬと言われていた。

 数を頼みにした戦いで勝てるとも思えず、そして殺す理由があるとするならばこの戦いを利用しそうな北グルニアか──

 

「魔王ガトーとその魔将たち……」

 

 リーザは表情を固くする。

 それを知ったとして、証明する方法がない。

 和平を結ぶという選択肢もアリティアの現在の国策上難しくもあった。

 大陸統一こそがレウスの目標であり、国家という形そのものを残す状態にもなる和平は結ぶに結べない。

 かといって、この状況で降伏勧告などグルニア全体の感情を逆撫でするような行いだ。

 

 だが、戦いをこのまま続けることもできない。

 それこそ裏で糸を引いているものの思うつぼだろう。

 

 すぐさま答えは出さず、大きな衝突もなく時間を稼ぐ。

 今出せるこの後の戦略に関してはここまで、ということになった。

 

「表向きは休戦はしませんが、こちらからは攻めの姿勢を見せないよう徹底するように

 ロベルト将軍はこちらの考えに気が付いては……」

「間違いなく気が付かれるかと思います、でも良い方向に動かしてくれるとも思います

 あれは気の回る人ですよ、実際戦ってよーく理解できました」

「あら……それって」

「いえ、そういうのではないですってば、殿下」

 

 ───────────────────────

 

 つい先日まで起こっていた戦いが急に戦いの気配を失せさせた。

 これに焦ったのは理由はわからないモンタークであった。

 

 戦いさえあれば名を挙げ、十二聖戦士の道も開けると思っていたが、どうにもグルニアは裏で何かしらの捜査を初めているようだった。

 いや、何かしらというのはわかっている。

 リカードがやっていた和平交渉の阻害行動の証拠集めだろう、と。

 モンタークはそれを知っていたし、幾つかの手伝いもしていたからこそ捜査されると埃が出る身でもあった。

 

 彼は埃が出る前に、

 グルニアは気弱になった、弱腰国家についていては命が幾つあっても足りないなどと捨て台詞を吐いて、モンタークは逃げる選択肢を取ったからだ。

 

 東西決戦、西の戦局は事実上の休戦へと進もうとしていたが、

 西で起こる事件はこれだけでは収まらなかった。

 

 モンタークが去るや去らんやの頃のことであった。

 

 ───────────────────────

 

「何か御用ですか、ここから先はグルニア主城となり……──」

 

 グルニア主城の外郭を守護する兵士が不審な影に声をかけ、しかし表情をすぐに変えた。

 

 その姿は女性のもので、見目は麗しく生命力に溢れている。

 それだけであれば何も思うところはあるまい。

 だが、女性の後ろには何人もの蛮族たちが追うように歩いてきており、監視塔から避けるようにここまで来たということは相当目が利くということでもある。

 

 兵士は笛を掴む。

 その眼は不審者たちを睨みながら。

 攻撃でもされたなら笛を吹ききれない……そう考えていたが、

 

「我らが蛮王はこざかしいことなど考えぬ」

「我らニーナの部族」

「我ら小細工することなし」

「さあ、兵士よ

 その笛を吹け、蛮王様の婿取りの始まりを知らせる笛を」

 

 何を言っているのか、しかし吹かせてくれるならば構わない、兵士は笛を高らかに鳴らすとそれに反応した兵士や鎮護の騎士団が次々と向かってくる音が聞こえる。

 そこかしこで火が焚かれて夜の闇を晴らしていく。

 光によって顕になったのは恐るべき絶望の光景であった。

 

 どこから現れたのか、雲霞の如くに歩んでくる蛮族たち。

 そしてその先頭に大剣を地に刺して悠然と立つ彼らの王、蛮王ニーナの姿。

 

 王は空気を割るような大音声を城に向ける。

 

「ニーナの婿取りをぉぉ……──」

 

 その声の力強さと美しさに誰もが声を潜める。

 

「ご照覧あれぇいッッ!!」

 



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婿さ来い

 それは悠然と歩いていた。

 

 黒騎士団の殆どを戦場に送り出したと言っても、主城と王の護衛を任せる近衛を任ぜられる一握りの黒騎士に、

 鎮護の騎士団や兵士たちのいずれもが相応以上の実力者で固めている。

 こうした戦力はドルーア地方からのアリティアの奇襲を予測していたものであり、そのお陰もあって現在の状況に対応できている。

 

 しかし、対応できているのは名も無き蛮族たちだけだ。

 彼らの中心にある存在、蛮族が蛮王と呼ぶ女性だけは止められなかった。

 

 悠然と歩く。

 

 正確に言えば、彼女の歩みを阻もうとするものは多くいる。

 何せ主城に向かって最短距離を前進しているのだから。

 だが、止められない。

 恐るべき膂力から繰り出される大剣の一振りに耐えられるものがいない。

 

 それ故に蛮王ニーナ(ニーナ・ザ・グレート)は悠然と歩みを進めていた。

 

 ───────────────────────

 

 蛮族の戦力は千差万別、個々別々。

 

 そこらのチンピラ程度のものから、一軍の長になれるほどのものもいた。

 

 武器も薪割りに使っていそうな鉄の斧から、悪魔の力を宿したデビルアクスまで。

 

 言語を喋るものから、呻き叫ぶだけのものもいる。

 

 誰もがその背、ニーナの背を追う。

 グルニアの防衛隊を押し込み、割り込むように突き進む。

 数を減らし、減らされながら蛮族たちが突き進む。

 口々に彼らの聖句、「蛮王」を叫びながら。

 

「何者か」

 

 主城から現れたのはカミュ、黒騎士たちの長。

 その手には神器グラディウスが握られている。

 

 ユベロが座する主城からは多少なりと距離はあるにしても、敵軍が闊歩してそちらに向かっているのを許すわけにはいかない。

 軍馬に跨がらずに現れたのは最後の関ともなる場所で死守するには馬が余計であったから以外の理由はない。

 

「攻め寄せるのはアリティアかと思っていたが、何も、の……──」

 

 金の毛髪が風に揺られている。

 その立ち姿は忘れるものでもない。

 

「ニーナ……!」

「先日ぶりです、カミュ」

 

 前回の戦いで見たのはやはり幻影でも幻覚でもなかった。

 その姿は過日の嫋やかで、しかし力なき少女ではない。

 やや筋肉は付いただろうか。

 背丈も少し伸びたかもしれない。

 衣服はぼろぼろではあるが、それが返って野性的な美しさを引き出している。

 目を引くのは毛皮の外套で、吟遊詩人が謡う聖王レウスの戦装束を踏襲しているのが一目でわかった。

 

 元々すらりとして背も低くないニーナであったが、それでも手に持っている大剣は不釣り合いな大きさであるが、それを軽々と肩に担いで見せた。

 

 あの戦いから、理由はどうあれカミュは自身が逃げたものと考えている。

 だからこそ、いつかまた彼女が来るとは思っていた。

 だが、まさか海峡を越えてくるものとは考えもしなかった。

 

「……どのような道を辿ったのです

 海岸からここまでの道のりではなく、あなたが変わるほどの道のりを伺いたい」

 

 あの時は驚くばかりで過去のことも、そして今の彼女のことも聞き出すには驚き過ぎていた。

 

「人々が向かわぬような地へと向かい、武器を振るい続けました

 やがて私に従うものも現れました

 死をも恐れず、戦いの中で散ることこそが全てと考えるものたちが今の私の臣民となりました」

「蛮王、貴方は国を作ったのですか」

「土地に根を降ろさない国を、アカネイアのように淀んで腐る水にはならない国を

 ですが、この国と定義されるようなこれは手段のための道に過ぎません」

 

 カミュは視線をニーナの背後に広がっている状況を見る。

 戦いだ。

 

 戦いとはその主君に似るもの。

 黒騎士の理路整然とした戦い方はカミュに似るように。

 そして、蛮王の部族たち、ニーナの臣民の戦いはレウスの戦い方を写すようなものであった。

 

「アカネイアの王女であった貴方がここに来たのはどうしてです

 連合を救い行かないのですか」

「王女などクソ喰らえ、です」

「なんという」

 

 頭を抑えるカミュ。

 なんという言葉遣いか、それが王族の言葉かと。

 

「私は私です、姿も言葉も、歩く道も

 もう誰かに縛られるなんてごめんなのです」

「何故です」

「見たのです、夢の中で……聖王レウス陛下の歩んだ道を」

 

 それを語る表情が恋に恋した乙女のものであればカミュも安心したかもしれない。

 だが、その顔に浮かぶのはどこか戦友を誇り、語るようなものであり、男女の間柄にあるようなものではなかった。

 

「何を見たのです、その夢とは」

「思う様に女性を手籠めにしておりました」

「ああ……王族を狙っているという噂話は事実だったということなのか、てっきり国を手に入れ続けている彼に掛けられた醜聞だと思っていたが」

「いえ、事実です

 とても自由で、我ら王族のものとは考えられない価値観で……」

「それに影響されたのですね、しかしその結果に目指すのは土地を得ること……ではないのでしょう、根を張ることを良しとしないと仰っていましたからね」

「夢に見たものをこそ、夢としたのです」

「その夢……とは?」

「好いた人を自分の側に置くことです、それがたとえ」

 

 ニーナは大剣を横薙ぎに振るい、まっすぐにカミュを見つめる。

 

「力によって成し遂げられる強引な手段になったとしても」

 

 そして、呼吸を一つ。吸って、吐いて。

 

「お慕いしております、カミュ

 今度こそ、私の婿に来ていただきます」

 



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蛮族式求婚術

 カミュとて人の心がわからぬわけではない。

 愛や恋に興味がなくともそうしたものに理解はある。

 人の上に立つということは自身にそうした体験が多くなくとも理解する才能を必要とされるからだ。

 だからこそ、目の前にいる乙女が自分に熱烈な恋慕を向けていることは今も、そして過日にも理解はしていた。

 

「どうあっても、戦うしかありませんか」

「あなたが婿に来るのなら戦いを止めても構いません」

「婿に行けばどうなります」

「アカネイア大陸などという我らを縛る場所からは去ります

 隣の大陸(バレンシア)で平和に過ごしましょう」

「バレンシアもその情勢に変化があるとも噂されていますが」

「アカネイアよりはマシでしょう」

 

 戦いを止めるために婿に入るのは、必要あらばそれでもいい。

 だが、彼女はこの大陸を捨てると言っている。

 そして、レウスの影響が強いのであれば自分が決めた判断を簡単には覆さないだろうことも風聞からいくらでも察することができる。

 

「カミュ

 武器を構え、戦意を吐き出しなさい」

 

 その声はあのか弱い王女のものではない。

 王に相応しい、人の心を叩いて響かせて、縛り導く力を確かに感じさせるもの。

 

「それとも私が戦って貴方をこの国から……この大陸から奪おうとするのを信じられぬなら」

 

 彼女の背後に鎮護の騎士たちが斬りかかる。

 傍目から見れば侵入者だ、容赦など必要もない。

 ニーナの姿を知るものもいないだろうし、仮にかつての彼女を知っていればより同一人物などと重ねることは難しい。

 

「不心得ものめが!」

「グルニア主城より命を捨てて離れるがいい!」

 

 二人の騎士が襲い掛からんとするのにあえて一拍分、余裕を見せる。

 それは笑みだった。

 笑みを浮かべるのに一拍を使ったのだ。

 

 それは殺戮者の愉悦ではない。

 死罪を望む咎人のものでもない。

 あえて表現するのならば肉食獣のそれであった。

 

 振り向きながらの剣を引いて薙ぎ払う一撃は騎士たちの想像を遥かに超えた速度であり、攻撃姿勢に入っていた彼らは回避も防御もできるわけもない。

 それでも強固な甲冑あればこそ生半可な攻撃で致命傷を受けることはあるまいという自信から来るものであったか、だとしても

 

「──はァッ!!」

 

 裂帛の一声と共に騎士たちは派手に吹き飛ばされる。

 彼女がその気なら両断されていたであろう彼らは刃ではなく面の部分で叩きつけられて飛ばされたのだ。

 死にはしないが暫くは目を覚ますことはないだろう。

 あえて殺さぬことが返って自分の実力を表すであろうことを理解させることになるのをわかっているのだ。

 

 そのまま一回転して、再びカミュへと向き直ると、笑みもそのままに言う。

 

「これで信じられるに至ったでしょう

 カミュ、あなたの全力があって尚、打ち勝てる相手だと確信があるのならばそのままで結構」

 

 その余裕があるのなら、そう彼女は続けた。

 

「戦いの中で後悔を残すことになりますよ」

 

 カミュは手の中でグラディウスの上下方向を変えるように回転させ、持ち手を滑らせるようにして短い距離での撃ち合いに対応する姿勢を取る。

 なぜそうしたかは本能によるものだろう。

 刻み込まれた幾百の戦いの経験が直感的にカミュに戦闘姿勢を取らせていた。

 

 同時にカミュへと突き進むニーナ。

 一国の姫が愛する騎士の胸に飛び込むのとはわけが違う。

 早馬のような速度で走り寄るが、勢いを表現するならば輓馬のそれである。

 構えるではなく引きずる大剣は敷き詰められた石畳に擦れて派手な火花を散らしているのは彼女の速度が早すぎるせいなのだろう。

 有効射程に捉えたと言わんばかりにニーナは大剣をカミュへと横薙ぎに叩きつけようとする。

 カミュも短く持ったグラディウスで攻撃をいなす。

 

(まずは武器を落とし、それでも駄目ならば手足を狙うしかあるまい……!)

 

 狙いはまずは武器を持つ手。

 グラディウスを短く持った状態から、逆の手は長く持つために大きく腕を開くような構えから槍の距離を活かすような一撃で遠間にある彼女の腕を狙い打たんとする。

 

 一撃の鋭さで言えば、十分なはずだったが、ニーナもまた逆の手で自らの毛皮の外套を翻すようにして槍へとぶつける。

 精妙な一撃は軌道をそらされるとニーナの体を掠めることすらできなかった。

 

(御前試合でもなければ、王族への指南でもない

 野良試合でも賞金があるような市井の闘技場でもない

 この戦い方は……)

 

 認めざるを得なかった。

 彼女が言う遍歴による戦いの数々を。

 

(間違いない、彼女は……ニーナは……強い

 それも、私が知る限り誰よりも強いやも知れぬ)

 

 グラディウスによる刺突を連続し、距離を取る。

 そうしてようやく一息吐いてから構えを取り直した。

 

 今、カミュは若い頃にロレンスに付けてもらった稽古のことを思い出していた。

 剣や斧と違い、槍の戦い方は盤上の遊戯にも似ているのだと、ロレンスは言っていた。

 

 ───────────────────────

 

「盤上の遊戯、ですか?」

「距離を取れるからこそ、次にどう手を打つか、何を指すか、冷静に考えることができる

 敵が寄せるならば脚の動きは一定の動きを保つ

 であれば脚を貫く

 敵が武器を構えるとも槍の距離であれば先の先を奪って起点となる肩を穿つ」

 

 壮年のロレンスが槍を振るう度に風が裂かれた音が響く。

 彼の槍さばきを見ていると、そこに存在しない敵の姿が浮かぶようだった。

 それが見える理由は単純で、ロレンスの槍の動きが何もない空間に相手の実在性を作り出しているのだ。

 

「勝てる勝てないではない

 まずは読み切ることだ、それでも勝てない相手なら」

「相手なら?」

「そのときは──」

 

 ロレンスは相好を崩すようにして、

 

「カミュほどの才覚をしてそう思わせる相手が現れたならば、ただその戦いを楽しむのだ」

 



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年貢の納め時

(雰囲気ががらりと変わった……

 こちらの動きを見切ろうとしている……?)

 

 ニーナの読みはカミュの構えに匹敵するほどに鋭かった。

 

(このまま速度に任せて突き進めば踏み込もうとしている場所に槍を置かれ、引いて、躊躇する脚が貫かれる

 脚に注意を向け過ぎれば腕、肩のどちらかに穴が開く)

 

 大剣を両手で、正眼に構える。

 じりじりと距離を詰めていく。

 カミュは動かず、しかし矛先が獲物を睨む蛇のように動く度に少しずつ角度を変えていた。

 

(どう攻めるでしょう……)

(どう迎え撃つべきか……)

 

 二人は同時に思う。

 

(らしくもない、得るべきは勝利

 御前試合でもないのですから、こんな風に睨み合いをして何になるというのです)

(このまま武器の圏を奪い合い、少しずつ削るしかない)

 

 そして、結論は異なるものとなった。

 ニーナを知っていればこそ、姿が変わろうとその性質や判断がそれほどに変わるとは思えなかったのだ。

 

 彼女はカミュが予想もしない行動に打って出た。

 

「はぁ!」

 

 気合の入った声と共に大剣を投げつけたのだ。

 予想外ではあったが、槍で身を守るようにしながら弾く。

 

「なっ」

 

 しかし、カミュの驚きはそれには留まらない。

 ニーナの得意なものは今や暴力である。

 そして暴力とは武器がなくとも行えるのだ。

 一気に距離を詰めるニーナに一手遅れながらも槍を使って脚を止めようとする。

 切り裂かれながらも、ゼロ距離にまで近づかれるカミュ。

 移動に支障が出るほど抉ることができなかったのは優しさではなく、紛れもなくニーナの歴戦の経験が発露した結果である。

 

 彼女の拳は姫君の白魚のようなものではない。

 古傷は多く、鍛え上げられた拳闘家のようにすらなっていた。

 それもこれも何度も怪我をしては治療をし続けた結果だろう。

 美しい顔立ちに似合わぬ重い拳や蹴りの数々にカミュも痛手を負っていった。

 

 しかし、それで終わるほど黒騎士団の団長という看板は安くはない。

 

「御免!」

 

 拳を槍で弾くと、そのまま槍を回転させるようにして柄と石突きでニーナの腕や腹を強打する。

 ごほ、と息を吐き出させられた音を出すニーナだが、それに応じて反撃をしようとするも一瞬の隙を衝いて後ろへと大きく退く。

 

 それこそがニーナが狙っていた動きであるなどと予想できるわけもなく。

 

 ───────────────────────

 

 カミュが後ろへと飛んだ瞬間、その体が自身の予測とはまるで違う方向へと叩き飛ばされる。

 不意の一撃に何が起こったかが理解できていない。

 それでもカミュは飛ばされつつ槍を構えて確実にこの機会を狙うであろうニーナへと継戦の意思を見せる。

 

 剣だ。

 剣が自律して動いていた。それも、浮遊している。

 こんな奇怪な状況はいかに戦歴の多いカミュであっても初めて見るものだった。

 

「……これほどの力を、どうやって?」

 

 カミュの質問は至極当然である。

 かつて見た王女には戦う力どころか、自主的な判断能力すら持っていなかったというのに。

 

「貴方が与えてくださったのです、カミュ

 自らの意思で故国に戻ることを遅らせてまで私を守ろうと動いてくれたその背を見て、私も自分の感情や意思で立ちたいと、立つことの格好良さを知ったのです」

「それをするためだけに、これほどの力を得るまで戦ったというのですか、ニーナは……」

「はい、ですが『それをするためだけ』と貴方が思うことよりも、私にとってそれは何より大きな生きる理由になったのです」

「蛮族たちがあなたを王と崇めるほどの大冒険をするほどに?」

「それほどまでに、お慕いしているのです、カミュ」

 

 真っ直ぐな愛。

 そこかしこで戦いの音が響く中で戦い以外の感情を向けるなど間違っていることだろう。

 それでも、一人の男としてこれほどまでに真っ直ぐな好意を向けられて響かない男はそういないだろう。

 特にカミュにとって、ニーナの中にある可能性を願って投げかけた言葉を、彼女は信じ、育み、今こうして、これほどまでの人物になって自分の前に立っている。

 その全てが自分に向けた愛のためと言われているのだ。

 

「ふふ……ははは……こうも真っ直ぐに愛の言葉をぶつけられるのは貴方以外からはないことでしてね

 侮蔑などの意味などないのです、ただ、おかしくて……」

「おかしい、ですか?」

「自分のことを騎士と家臣であるという道を一辺倒にして生きてきた詰まらん男だと見ていましたから、ここまで情熱的にお誘いいただけることなどなかったのですよ」

 

 カミュにとって(つが)いの相手になろうとするものは王侯貴族の子女たちばかりであり、

 黒騎士団の団長という立場に釣られてくるようなものたちばかり。

 自らを騎士としての性能以外に空っぽだと定義しているカミュは、やはり周りに集まるものも空っぽなものばかりであった。

 だからこそ、その体の隅々まで迸るような愛に満たされているニーナの言葉はカミュの今までの人生観を砕くほどに強烈なものだった。

 

 グラディウスを地に刺すと、諦めたように笑う。

 

「私の負けです、よろしければあなたの婿として迎えていただけますか、ニーナ」

 

 そして彼はニーナへ手を伸ばす。

 

「貴方を、いただきます」

 

 ニーナはカミュのその手を握り、離すまいと指を絡めた。

 



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仄暗き星光

「仲睦まじいことよ」

 

 魔法陣が展開し、それが消えると大柄な老人が立っていた。

 

「貴方は」

「我が名はガトー。

 人はわしを白き賢者とも呼ぶ」

 

 ニーナとカミュは即座に臨戦態勢を取る。

 

「そう睨むな、わしは貴様たちに力を与えてやろうとしているだけだ」

「力?」

 

 黒騎士は訝しんで聞き返す。

 

「このままではグルニアは滅びるであろう

 わしの力があれば、その滅びを避けられるやもしれぬのだ」

 

 この状況、つまりは婿取りの状況を見て何を言うのか、とカミュは思うがそれでも彼は一軍を預かる将軍。

 ピントの外れた勧誘ではあるが、そこに突っかかっても仕方ないことも理解している。

 だが──

 

「そう言って何人を騙してきたのだ、ご老人」

 

 この質問だけはせねばなるまい。

 それはグルニアの王室に関わるものであれば誰しもが思うことだろう。

 彼らは王を奪われた身なのだから。

 

「騙すとは人聞きの悪いことを言うではないわ、黒騎士めが」

 

 ガトーの目は開き、鋭くカミュを睨むがその程度のことで動じる黒騎士ではない。

 

「では大陸中に蔓延る魔将などというおぞましい存在は、魔王に騙されたものたちでも、自由な意思を奪われたものたちでもなく、魔王が語るおぞましき平和の為に使われているのではないとでもいうのか」

 

 その言葉に一度は怒気を強めるような表情をするも、息を吐いて落ち着きを取り戻す。

 

「そうだとも、彼らは全てこの大陸を平和にするために働いておる、

 選ばれしものたるカミュよ、お前もそうなるべきだとは思わぬか

 そうすればグルニアは平穏無事となるのだぞ」

 

 カミュとて怒らせたくて対話しているわけではない。

 だが、世俗を知らず、独りよがりな理想に他人を振り回すその行いに同意することなど一つもないだけだ。

 

「くだらぬ言葉だ、そのグルニアを混乱させたのは誰でもない、貴殿であろう」

 

 その言葉には先王ルイにしたことは決して忘れていない、その意思を大いに籠めていた。

 だが、ガトーはその意識に気が付かないようで、

 

「これほどまでに言葉を尽くしてやっても、槍を向けるとは本当に愚かで礼儀知らずよ

 わしが作る新たなアカネイア大陸では貴様のような武人はまっさきに排除せねば平穏は保たれまいな」

 

 やはりカミュが思う独りよがりのそれに甘んじるように言葉を続けた。

 

「お久しぶりです、ガトー様」

 

 愛する人の心を慰撫するためにか、声を発するニーナ。

 

「ニーナか、随分と姿が変わったが」

「ええ、愛をこの手に掴むために放浪し続けた結果というものです」

 

 愛、か。

 ガトーはそれを口中で繰り返した。

 

「長話は好みではない故に単刀直入に言うぞ

 聖戦士として我もとに参画せよ」

「お断りします」

 

 ニーナは即答した。

 微塵の悩みもない言葉に、聖戦士にしてやったという自負があるガトーは困惑した。

 

「なに……?

 わしの言葉が聞けぬと?

 貴様も元は我が力を得た聖戦士であろう」

「聞く理由もありません

 もはや与えられたものなど砕けて消えました

 なにより私とカミュはこれから新たな旅路に出るのですから」

 

 理解できぬ。

 老賢者はありありと表情にそれを浮かべた。

 

「この大陸の危機であるというのにか」

 

 彼にとっての当然の質問を投げかけるも、

 

「そう思っていらっしゃるのは貴方だけですよ、ガトー様

 貴方がその危機を作っているのです」

 

 ニーナの返答は明瞭そのものであった。

 

「馬鹿なことをッ!

 貴様もユミナや他の愚昧と同じで、わしの平和への思いを理解できぬか!」

 

 良いように言い負かされたことを思い出させられてか、それとも単純な怒りを発しただけなのか、どうあれガトーは激昂する。

 この言葉だけではない。

 ニーナもカミュもこの大地の、アカネイアの人間である。

 その人間の全てはナーガを掌中に収めたガトーに従う義務がある。

 彼は自覚こそなくとも、魔王と揶揄されるだけあって強大な傲慢さ、或いは絶大なエゴによってその心を満たしているからこそ、激昂するのだ。

 

「お帰りください、ガトー様」

「出来損ないが!ただで済むと思えば大間違いよ!」

 

 魔力の凝縮。

 ガトーの手には光そのものが握られていた。

 

「スターライト!エクスプロージョンッ!」

 

 怒号と共に光が放たれる。それは周囲に明滅し、一瞬で、そして逃げ場もなく爆発した。

 しかし、ニーナもカミュもただの武人ではない。

 大陸随一の武を誇る戦士なのだ。

 いかに二人が一騎打ちにて手傷を得ていようと、次々に爆発する光であろうと、回避に徹しようと思えば避けきれぬものでもない。

 

「だから、おいらがいるってわけ」

 



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愛の黎明

 爆発の光の中に現れた黒衣と仮面の痩躯。

 その言葉と同時に放たれた刃は鋭く、回避するは難しい。

 カミュはその刃を一瞬立ち止まり、グラディウスを使い防ぐ。

 

 それこそが仮面の黒衣、リカードの目的だった。

 スターライト・エクスプロージョンが一瞬立ち止まったカミュに殺到する。

 

 ニーナはそれを見ると、カミュの腕を引き、抱きかかえるようにした。

 

 次の瞬間に多重に爆発する光が二人を包む。

 

 それらが終わるころには全身から酷い出血をしているニーナと、同じく庇われきれなかったカミュがその場で二人でお互いを支えるように立っている。

 ニーナは半ば全自動的に治療を杖によって行うも、それは弱々しく、なんとかカミュの延命をしようとするに留まっている。

 それほどまでにスターライト・エクスプロージョンの力は激しかった。

 

「わし以外の神をも滅するために練り上げたスターライト・エクスプロージョンを受けて立っているとは……

 見事だ、よくぞ鍛え上げた」

「そんじゃ、このまま魔将行きってことかなあ

 二人共かわいそうだけど、仕方もないよね」

 

 リカードが笑う。

 

「魔将、ですか……カミュ、どういたしましょう?」

「この身は既に貴方に負けたもの、ですがお返事もしてはいなかった

 ……ニーナ、私も今の貴方であればこのカミュの全てを捧げたく思う

 それが王と騎士ではなく、ただの夫婦としてを望まれれば善き夫になれるよう努力しよう」

「本当ですか?」

「この期に及んで言葉を偽りはしない

 望むことはすぐに出てくるだろうか?」

 

 望むこと、というのはこの状況においてのことだろう。

 しかし、ニーナは本当の望みを口に出すことにした。

 

「私は家庭が寂しくならないよう、子供は多く儲けたいのです」

「同意見だ、男児二人、女児は……きっとニーナ王女のように……いや、ニーナのように」

 

 妻と迎えるつもりだからこそ、彼女をそう呼びなおす。

 

「愛らしく聡明な女の子になるなら二人は欲しい」

「いいですね……きっと、そうしましょう」

 

 でも、とニーナは言う。

 

「私は貴方を奪われたくもない、魔将などというものに、聖戦士などと嘯く悪魔の技法に渡したくないのです

 たとえ、貴方を私の手で殺めてでも」

「ここで次の生まで待てるか、ニーナ

 それが幾世掛かるか分からぬ時間の果てでも」

「そこで貴方と結ばれるなら、どれほどまででも待てます」

 

 カミュの言葉にニーナは淡く微笑む。

 

「杖よ、私の意思に繋がるものよ

 その形を変えたあのときのように、今の私の望みを知りなさい」

 

 その言葉に杖が反応し、その形状を球体に戻し、やがて糸のようにほぐれ、ほつれていく。

 ニーナの意思に従うようにそれは別の形を作っていった。

 

「──いかん!リカード!あれを止めよ!」

 

 ガトーも魔道を使おうと考えるが、手元にあるスターライト・エクスプロージョンには発動が瞬時にできるというものでもない。

 速度で言えばリカードを頼みにするほかなかった。

 

「はぁー、魔王様ってのは人使いが荒いなあ」

 

 リカードは文句を言いながらも距離を縮めるも、しかし刃を届かせることができなかった。

 抱き合った状態でいながらもグラディウスを構えるカミュの立ち姿にどこをとっても隙の一つもなかったからだ。

 

(あんな体勢だってのに、今打ち込んだからおいらの体はどことなりでも穿たれる……)

 

 北グルニアで負けなしの闘技王となったリカードでも、カミュを超えるような実力者とは戦っていない。

 あれほどの怪我を負っているのに尚も勝てる想像が一つも浮かばなかった。

 踏み込めず立ち止まったリカード、睨みを利かせるカミュ。

 一方で、ニーナの手には何かが作り上げられていた。

 

「私と貴方の戦歴を絆と呼ぶならば、私の声に応じなさい」

 

 祈るように、信じるように、彼女と旅をした友の姿を思い描き、

 その名を呼んだ。

 

「ガングレリ!我が半身であった剣よ!」

 

 応!

 そんな風に叫びをあげるように風を伴って、糸のようになっていたそれらが急速に形状を作り上げていく。

 それは過日に彼女の意思のもとに散った魔剣そのものの姿であった。

 似姿などではない、彼女にはわかった。

 あの日の魔剣が戻ってきたのだということを。

 

「あ、アレはヤバい!なんかヤバい!」

 

 リカードはそう叫ぶとガトーの命令を完全に無視する形でその場から全力で逃げ始める。

 常人にはわかるまいが、北グルニアの闘技場は何でもありで戦うこともあり、どう考えても厄ネタとしか言いようのない呪物を持った相手も多く見てきた。

 それ故に彼にはわかるのだ。

 あの(ガングレリ)はヤバい、近くにいるだけで、絶対にヤバい、そう彼に思わせた。

 

「貴様、どこへ!」

 

 ガトーは逃げ出したリカードに視線を奪われる。

 それもまた悪手。

 

「ニーナ、貴方を愛している」

「ああ、カミュ……私も心のそこからあなたをお慕い申し上げています」

「幾世の先で、必ず結ばれよう」

「幾世の果てでも、必ず貴方を見つけます」

 

 魔剣は主を思ったか、その言葉が終わるまでを待ち、

 刹那──

 

 極めて巨大な光が周辺に柱のようにして吹き上がった。

 それは紛れもなく、アカネイア近現代の──否、大陸の歴史にて最強最大の愛の形であった。

 



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光去りゆく黄昏

 魔剣ガングレリ。

 この世界にあったものなのか、それとも遥か古の時代から流れてきたのか、それともまた別の理由があったのか。

 それを知るものはいない。

 

 ただ、剣として歩んだ道は祝福からは離れたものだった。

 魔剣に相応しく、持ち主の生き血を啜るようなものであり、或いはニーナがやってみせたような爆発を引き起こす。

 かつての持ち主は外部からの命令によって、その人物の大切な人を殺し、大切なものを破壊してしまった。

 それ以後に魔剣が語られるようなことはなく、また同じ世界の違う歴史であれば何処からか再びもたらされたとも言われる。

 しかし、使われた歴史は極めて少なく、いかに魔剣と呼ばれてもその不遇さの慰みにはならなかった。

 

 ガングレリには思う心があった。

 語る口は持たず、世界を見やる目はなくとも、持ち主の心を聞き、思う心があった。

 魔剣はかつて自らがさせられた爆発と破壊を呪い続けていた。

 新たに自分を拾った主の手にあって、きっといつかは捨てられる運命にあると思っていた。

 だが、主は、ニーナは違った。

 命数を縮めようと、生き血を啜られようと、ガングレリを愛剣として頼り、長く戦った。

 果てに爆発を願われたときはもっと共に戦いたいという気持ちも強かったが、彼女のために爆ぜたなら過去の過ちからも解放される気がしていた。

 だからこそ、願いに応じるようにしてあの雪山で爆裂した。

 

 それで終わりだと思っていた。

 

「終わりではないさ」

「そうね、三人目が人じゃなくて物だとは思わなかったけど」

 

 ガングレリが気がついて現れた場所はどことも知れぬ場所だった。

 あえて言えば城のようなもので、獣人はそこを円卓と呼んでいた。

 

「流石に武器だから喋れないなら、我らと共にあの大陸の趨勢でも眺めていようではないか」

「どうせ暇でしょ?」

 

 武器として思う心を、何故か彼らは理解していた。

 不思議に思うが、彼らは不思議がることもなかった。

 幾つもの戦いの中で、ガングレリが猛るのはやはりニーナが見えたときだった。

 

「なに?もっと音を大きくできないのか?」

「注文の多い剣ね、まったく」

 

 円卓の中心では世界で起こっている出来事を見ることができた。

 勿論、全てではなく、円卓に存在するものに所以する多少だけのようだが、視点は二つ……つまりはレウスとニーナのものだけでも十分に楽しめた。

 

 それなりにこの円卓で長く過ごしていた気がする。

 そんな頃に、ニーナに願われた。

 

「ここから行けないのか、って?」

「難しいこと言うわね、……貴方なら行けないことはないけど、次に消えれば今度こそ終わりよ

 この世界ではないどこかで目を覚ましても、自らの記憶も何もなくなる」

 

 構わない、どうか頼む。

 ニーナが呼んでいるんだ。

 

 その必死の訴えに住人二人は根負けしたように、

「よかろう、では」

「送ってあげる、私たちじゃあ通れないものでも魔剣としてあの世界に永く名を残した貴方なら大丈夫だろうから」

「そう長くはなかったが、楽しかったぞ、ガングレリよ」

「最後のご奉公、頑張りなさいよね」

 

 魔剣ガングレリは礼を述べると、送還された。

 その後のことは、世界を見ることができたものならば知っているとおり、巨大な光の柱となり、主と主の愛した男の尊厳を守るために力を発揮した。

 

 魔剣は、ガングレリは思う心があった。

 

 ───────────────────────

 

 リカードの全速力は馬をも超える。

 凄まじい速度でとにかく危険を察知したものから走って逃げる。

 その背では凄まじい圧を感じる、何かが起こったのだ。

 振り返ることもできない。

 暫く走って、遂に限界を感じてリカードは転ぶようにして身を伏せた。

 

 光の爆発の影響か、そこかしこに光に巻き込まれ空に打ち上げられた瓦礫やらなにやらが散発的に降り注いでいる。

 そんな中で恐る恐る振り返るとそこには主城こそ無事ではあるが、それ以外は丸々何もかもが根こそぎ消えていた。

 何があったのかはわからない。

 ただ、渦中にいたニーナとカミュは完全に消えただろうことはわかった。

 

 ガトーはあの踊り子の少女を復活させて見せたが、よほどの労力と対価を支払ったのか死体もないものを復活させることは二度とできぬとぼやいていた。

「こんなことならコーネリアスでも復活させて、アリティアの正当性を揺らがせる方がよかったんじゃないの」と言ったら睨まれた。

 正論は時に凶器となる。

 

 ともかく、ああなってしまえばいかに強力な手駒になる予定のものでも復活はできない。

 恐らくナーガの力を流用した所で不可能だ。

 上手いこと逃げたなという気持ちがないわけでもなかったが、今はそれよりもこの後に何があっても分からない以上は遠くに逃げるべきだと本能が警鐘を鳴らしていた。

 

 ───────────────────────

 

 ナーガは律を世界に放った。

 当人曰く、それは四季を鮮やかにする程度のものだと言っていたし、当人の考えも同じである。

 

 だが、律が或る種の、願いを叶える概念であるのならばそれが奇跡を呼ぶこともあった。

 

 ガングレリはものを思う心がある。

 数千年もの間に空虚で孤独に曝されていた思う心は、本来絶対にありえないその機能を喚起するだけの重さがあった。

 或いは、白夜と暗夜が巡る世界において、そこに加わる透き通るような第三の夜が重なった世界を歩むたびに巻き起こる悲劇の回数そのものを力としていたのか、

 どうあれ、ガングレリの思う心はある種、この世界のいかなる武器よりも深い思いが刻まれていた。

 だからこそ、漂う幽かな律の力たちを繋ぎ合わせ、それにガングレリとそれが過ごした三つの夜の力が注がれてたった一度の奇跡を呼び込んでいた。

 

「どうやら、死してなお滾る無念はこの身を朽ちさせぬようだな」

 

 リカードはその声を、年季を感じさせながらもよく通る男の声をはっきりと聞いた。



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老當益壮

「な、だ、誰さ!?」

「殺した相手を忘れるほどに、殺しを続けているのか、小僧よ」

 

 鎧の殆どは逸失し、その衣服もまたぼろぼろではあるせいで、まさしく立ち姿は幽鬼じみていた。

 その瞳は赤く、淡く光り、その肌は血の巡りを殆ど感じさせるものではなかった。

 

「あんた、まさか」

「グルニア王国が将、ロレンス

 魔剣の願いによって再びこの地に足を付ける」

 

 老将ロレンスは殺された。

 無念であった。

 だが、その無念は殺されたからの無念ではない。

 この世界がなどと大きなことは言わない。

 せめてユミナとユベロが幸せに生きる道があるかどうかを知りたく、その術が失われることが無念であった。

 そして、何よりの無念はその幸せを破壊したものが闊歩しているということに対する無念である。

 自らの命など、それを奪われることなど無念の内に数えるまでもないことだった。

 

 ロレンスの周りには砕けた石が幾つも浮いている。

 それはかつてガングレリと呼ばれた剣の欠片たち。

 祈りを果たし、それは一つ、また一つと落ちていく。

 それらの最後の一欠片が落ち、ロレンスは手で掴む。

 

「多くのことはガングレリから記憶を引き継いだ

 お前たち魔将のことも、ガトーのことも、……カミュたちのこともな

 だからこそ、哀れには思おう

 踊らされただけの哀れな小僧よ」

 

 今もそこかしこに降り注ぐ瓦礫やら。

 しかし、もうひとつそこに意思が働くように。

 

 それは思う心があるかのように。

 だが、ガングレリのように祈りを持って空より落ちてきた。

 

 神器グラディウス。

 

 カミュと共に歩んだ、アカネイア最強の槍。

 

「……カミュよ、これは預かる

 付き合う必要などない、お前はニーナ様と共に新たな道を歩むがよい」

 

 グラディウスを振り、感触を確かめる。

 

「今より振るう武器の音は……カミュよ、お前に送る葬送曲

 さあ……魔将リカードよ、主を失った槍の調べに付き合ってもらおうか」

 

 立て続けに発生した奇跡に目を回すリカードだが、それでも彼は立ち上がる。

 目を回せど、その冷静さも、義兄を思う狂気も曇ることはない。

 

「あんたが、あんたみたいなのが復活して兄貴が蘇らないのはおかしいよなあ

 あんたを殺して、あんたから兄貴を取り戻せばさあ」

 

 リカードはそれでも冷静さを失いかけていたが、それを繋ぎ止めたのは狂気であり、

 狂気が既に彼を侵しきると、体の制御は彼にとっての最大の目的のために自動化されたように動く。

 すらり、と剣を抜くとかがむような姿勢を取り、一撃必殺たる暗殺の構えに移行した。

 

 一方のロレンスは槍と言えばこう、と教えられる基本の構えを取る。

 グルニア軍人に奇策となる構えは不要。

 

 思えば、戦技をカミュに叩き込んだときに最初に教えたのもこの構えであった。

 

「わしは名乗ったぞ

 魔将よ、名乗りは要らぬのか」

「……十二聖戦士が一つ、リカード

 何より愛する兄、ジュリアン復活のために……死んでもらう」

 

 ───────────────────────

 

 リカードは聖戦士の中にあって、試験的な立ち位置にあった。

 他の聖戦士はもとからある才能を転用した存在であり、ガトーなりのスパイスを利かせたエリート戦士として作り出されたもの。

 しかし、リカードはもとからある性能を強引に伸ばした上で聖戦士にさせられた個体であり、元より持っていた才能以上の能力を与えられた存在である。

 彼に与えられた能力と目的は速度、隠密性、的確な殺人能力の判断。

 

 ガトーの歩む道の、影となる存在としてデザインされていた。

 それ故に、単純な速度勝負だけでなく、殺人を確実に、完全に行うための能力を備えている。

 例えばそれはロレンスの攻撃を反射神経と動体視力で見切り、彼の反応を上回る形で体中を切り裂くような一撃を見舞うような力である。

 

「速い……が、」

 

 だが、その連撃は簡単に凌がれてしまう。

 リカードは一度殺した相手が簡単に殺せなかったことに疑問符を浮かべるも、まぐれだとして再び同様に攻撃を行う。

 例え自分の戦法を理解されていようとも、何もできない速度での攻撃を何度も防げるはずがない。

 そう判断して再度攻撃に移ろうとしたときに、移動先に置かれた矛先に簡単に切り裂かれる。

 驚きつつも回避しようとするが、その回避先には逆側から迫る槍を反転させるようにして振り回された石突きに叩き伏せられた。

 

「な……なにを!?」

「小僧にはわからぬか、槍というものをどのようにして戦うものかを、どのようにして戦わせるものかを

 盤上の遊戯と同じ、読み切ったものだけが勝つ」

 

 槍を構えなおす。

 何の色気もない基本的な構えを。

 

「国家の大事に焦っていた、不意を打たれ年甲斐もなく混乱した、背負うものが多ければ多いほど武芸者としては鈍っていくものよな

 小僧に殺されてよく理解した

 だからこそ、今のわしは何も背負うまい、何をも気負わぬ

 今ここで小僧を殺す以外に何をかあろうや」

 

 来るがいい、聖戦士とやら。

 その言葉は音ではなく槍の構えそのものから発せられたようであった。

 ロレンスの重圧がリカードに冷や汗を流させる。

 



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脆くもそこにある願い

 踏み込み、切り裂かんとし、返し手によって傷を受ける。

 このままでは勝てない。

 だが、逃げようと背を向けた時点で槍の冴えっぷりを見れば逃げる姿勢を取る時点で命はないくらいはわかる。

 あれだけ闘技場で命を叩き潰してきたのだ、盗賊時代のリカードではない。

 

(もう、十分だろう)

 

 リカードは確かにその声を聞いた。

 

(兄貴……?)

 

 その声は確かにリカードが敬愛する兄貴分、ジュリアンのもの。

 

(お前をそこまで追い詰めるとはな……兄貴風なんて吹かしたくはなかったが、今しか吹かせられなさそうだからやっておくよ

 リカード、俺はいいんだ

 生きること死ぬことに悔いはない、俺はやることをやれたから

 でも、お前を残したことは悔いだ

 こうして、お前を悪の道から救い出せなかったのは、無念だよ)

 

 優しく、しかししっかりとたしなめるような言い方は確かにリカードのよく知るジュリアンである。

 これは何者かの魔道かとも思うも、リカードは疑う気にもならなかった。

 兄貴がこうして声をかけてくれるなら、と。

 

(でも、おいらは兄貴と一緒にいたくて)

(そうして蘇らせてくれたとして、それは本当に俺なのか?

 お前も見てきたろう、あのじいさんに作られた連中の哀れな姿を

 リカード、お前は俺にああなってほしいのか?)

 

 魔将を見てきた。

 そのやり方も、その扱われ方も。

 ジュリアンが蘇らされたとして、生前のように吹く風のように気ままな生活をさせてやることはできないのだろうことも、リカードは察していた。

 彼は兄貴分のいない世界に耐えられず狂ったが、同時に兄貴分のことに関してだけ言えば、どんな状況であっても冷静でいられた。

 いられてしまった。

 だからこそ、今話しかけてくれているジュリアンが幻覚幻聴の類だとしても、それはそれとして冷静にその後を考えてしまった。彼が蘇ったその後を。

 考えないようにしていた。

 しかし、考え始めてしまえば、ある種の行動理念や信念と呼べるものは随分と脆いものだった。

 

(それは、でも……)

(でも、お前に散れとも言えない俺を許してくれ

 あの爺さんに挑んで、勝ったら俺も覚悟を決めるよ

 蘇らされた後の覚悟をさ

 お前が負けたら……潔く俺と消えよう、どうだ?約束はできるか?)

(兄貴……わかったよ、おいらもそれならどっちでもいい

 ううん、どっちもいい、かな)

 

「対話は終わったかね、小僧」

「見えてた?」

 

 やや驚いた表情をしながらロレンスを見るリカード。

 

「いいや

 だが、己の心か、余人のわからぬ何かと語っているような雰囲気を察しはした」

「年の功ってやつかあ」

 

 見えていないことには特にがっかりはしない。

 むしろ見えていないというのに見えているかのように待っていた彼が何故そうできたのかを驚いて、そう聞いてしまう。

 

「やもしれぬな」

「じゃあ、この後のことは?」

「顔を見ればわかる

 闘るのだろう?」

「さっすが、年の功」

 

 ロレンスは小さく笑む。

 リカードも同じように笑う。

 

 動いたのはリカードだった。

 その動きは先程と同じものだが、鋭さも躊躇の無さも、憑き物が落ちたような軽やかなものだった。

 

 応じるロレンスの槍は、しかしそれをも上回る。

 リカードの刃がロレンスの首元近くまで寄せられるも、その体は神速の打突によって急所を的確に穿たれていた。

 

「へへっ……、今度は、おいらの負け……か」

「危ういところではあったがな」

「……良いことを教えてあげるよ

 アンタたちグルニアのお宝は今頃アリティアの領内にいる、捕まったわけじゃない

 お宝が逃げ込んだ……そう言えば伝わるかな?」

「お宝?……それは、」

「記憶の引き継ぎがないと、こういうときが不便だよね……でも、わかるだろ?おいらが言わんとしてることがさ

 アンタの立場も加えればお宝も助かるんじゃない?」

「何もなければ主城へと戻るつもりだったが……小僧、感謝するぞ」

「いいっていいって、これで一回殺した分はチャラにしてよね……」

「ああ、釣り銭をやりたい気分だが」

「いや、いいんだ

 そういうものとも無縁な場所に、きっと……行けるから」

 

 ざらざらと崩れて消えていくリカード。

 その姿はどこか哀れにも思えたが、ロレンスはその感想を改めた。

 

「兄貴、出来の悪い弟分で、ごめんね……」

 

 そう言いながらも、満足げな微笑みを浮かべて消えていく少年の顔を見て、哀れに思うなどできようものか。

 

 彼が消えたあと、亡骸とも言えぬ残骸をロレンスは丁重に葬るとアリティアを目指し、歩き始めるのであった。

 

 ───────────────────────

 

「酷なことをあの少年にはしてしまったのだろうか」

「そう思うのか、姿こそこのギムレーであっても、心は優しきナーガよな」

「優しい?……優しいとは思えない」

「聖戦士を操る術はなくとも、神の如くに啓示を与え、自らと向き合わせる

 あの少年にはてきめんだったわけだ」

「本当ならばあの子を救ってやりたかった

 いや、救いたいなどと傲慢か

 今の私は神ではないのだから」

「願うだけは構わないだろう、神ではないのだから」

 

 ギムレーの言葉に疑問を含んだ表情で視線を投げかける。

 

「神ではないのならば、人だろう

 人であればこそなにかに願いを掛けるもの、違うか?」

「……であれば、願おう

 あの少年の魂の行く先が安寧があるように、と」



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暗躍者

「あっははははは!すっごぉい!」

 

 マリーシアはご機嫌であった。

 理由は明快である。

 新たな戦力(玩具)が手に入ったからだ。

 

 オレルアンの地下に眠っていたのは複数体の古代の魔道器械であった。

 ゴーレムと呼ばれたもので人間の体のようなものに円形の頭部めいたパーツがついた巨像。

 その全ては石や土、粘土のような何かで作られており、生々しさというものがない。

 

 オレルアン王ブレナスクの提案は明朗なものだった。

 地下に存在する古代兵器を起動させ、連合の力として欲しい。

 

 いかなマリーシアといえども起動するまでには苦労した。

 膨大な魔力も必要ではあるが、それよりもそもそもの技術体系の違いからどのようにして動かせばいいのかという初歩的なところから躓いていた。

 しかし、聖戦士として与えれた知識か、マリーシアが秘めていた才能か、ゴーレムたちは目を覚まし、今やその命令を下すだけとなった。

 

「よくやってくださった」

「これであとは進軍を──」

 

 いや、とブレナスクが静止する。

 やるべきことは進軍の前にある、と。

 

「もはや貴様は用済みよ、狂える魔道士」

「……へえ、面白いことを言っちゃうんだあ」

「貴様のようなものをハーディンの背後に置き続けることなどできようものか

 ここまでよくやってくれたとは褒めてつかわそう

 だが、これ以上は不要だ

 貴様も、貴様の飼い主である白き愚者も」

 

 ブレナスクは暗愚ではない。

 しかし、聡明にして偉丈夫、才気煥発なハーディンと比べられればそういう評価も下される。

 彼は別にそれで構わなかった。

 後世で暗愚と書かれようと、気にもしなかった。

 

 彼はハーディンを信じていた。

 彼はハーディンを愛していた。

 あれほど優れた王が他にいるものか、と。

 長子ではないという理由だけで王になれなかった彼に負い目を持ち続けた。

 

 だからこそブレナスクはハーディンのために才能を伸ばした。

 暗躍という才能を。

 

「聖戦士に勝てると思ってるのお?」

「このブレナスク一人では勝てまいな、一人であればだが」

 

 ゆらりと現れたのはここにいるとは思わなかった人物だった。

 

「マリク、心が壊れた人形がどうしてここに」

「ボアとは暗躍するもの同士でそれなりに仲は良好でな、五大侯を潰す策を提示すればうまうまと乗ってくれたのだよ

 五大侯の領地には手を出さぬ代わりにマリクを貸せという約束も二つ返事であった

 元々は貴様に使う予定ではなかったが、元の予定よりもより良い使い道と言えるであろう」

 

 マリーシアは表情にこそ表さなかったが、内心では相当に焦っていた。

 仮にあの壊れた人形が戦闘能力を以前のように、いや、ガトーに聖戦士としての扱いをするために渡された魔道書を扱えるのであれば、その力はマリーシアを凌ぐ。

 オブスキュリテは強力だが、あれは純粋に魔力の多寡を比べるところもあり、膨大なマリクのそれと張り合おうとすると確実に不利だ。

 ただのマリクであれば恐れるに足らぬと強がることもできたが、聖戦士にさせられるということがどういうことか、それが魔道士であれば魔力にどれほどの恩恵があるか、誰よりもマリーシアは理解しているつもりだった。

 

「ブレナスク様あ、少しでいいからマリーシアのお話聞いてくれなあい?」

「問答無用よ、女狐

 マリク、この娘を殺せ!」

 

 ブレナスクの号令と同時にマリクは手をマリーシアにかざす。

 

「エクス……」

「そう来るよねえ」

 

 選択肢は幾つかある。

 オブスキュリテをぶつけてみるのも一興ではあった。

 魔力の張り合いになれば不利だが、エクスカリバーの魔力を食えれば状況は一気に変わる。

 一時的にでもオブスキュリテにはマリクの魔力を保持した状態になりそうなればマリクの魔法の出力を上回る力を発動できる……可能性もある。

 だからこそ、ここはより安全と思える方法を選択することにした。

 

(王子様に会うまで、死んでなんていられない)

 

 マリーシアは後ろに跳ねるように飛ぶと、魔法を発動せんとしていたマリクとの間にゴーレムの巨大な腕が差し込まれる。

 それはもはや動く城壁のようでもあった。

 ゴーレム全ての制御を持っているわけではないが、危地に際して腕の一つだけでもと制御を得ることに集中した結果として、その腕を盾とすることができた。

 

「カリバァァァァアァッ!!」

 

 その言葉と共に魔法が放たれる。

 ゴーレムの壁がある以上、マリーシアは安全に逃げ切れると思っていたが、マリクの魔力の底を見切れてはいなかったのだ。

 ゴーレムの半身をばらばらに引き裂き、それでも威力を殺し切られなかったエクスカリバーの刃がマリーシアを襲う。

 

「そんな、嘘でしょお!?」

 

 その言葉に包まれるようにしてマリーシアは全身が切り裂かれながらも、それでも道を模索することを諦めていなかった。

 

 こんなところでは死なない。目的を果たすまでは消えてたまるか。

 その一念のみでマリーシアは今まで生き続けてきた。

 マリクとの戦いでこれまでとは比肩にならない危地に追い込まれたが、それでもマリーシアは生き残ろうと足掻いていた。



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置き土産

「ぎ、ぐご、があああ、あああああ!」

 

 身が焼ける。

 感じたことのない痛みが半身を焼いている。

 ガトーは狂い悶えていた。

 ニーナが発動したあの光に飲み込まれかけたとき、緊急措置としてワープを発動させた。

 判断は早くもなかったが、遅すぎるということもなかった。

 

 だが、それでもその光がガトーを焼くのには十分な時間であり、当のガトーは座標指定もせずに飛んだ先で半身を焦がされた状態で悶えている。

 皮膚や肉をただ焼くようなものではない。

 体の奥底を、魔力を、存在そのものすら焼き尽くさんとする恐るべき呪いの光であった。

 

 ガングレリが数千年を溜め込んだ未知の魔力だけではない、

 ニーナの愛、カミュが心で描いた平和な家庭。

 光の発動に彼らの主の死を直感し、悲しみと敬意を籠めて祈る蛮族たちの心。

 多くの要素が全てガトーへと注ぎ込まれていた。

 

「ニーナめ!カミュめ!ぐううおおお!よくも、うぐぐ、ぐあああ……

 燃えて、消える……否、このガトーがその程度で、その程度で焼けて死ぬものか……」

 

 なんとか立ち上がり、治癒の杖を何度となく振るう。

 極めて貴重な完全治癒(リカバー)の杖をきずぐすり程度の感覚で乱発して、ようやく痛みだけは収まり始めた。

 とはいっても、行動ができる程度のものであり、この状態でレウスにでも会えば確実に敗北することになるだろうほどの痛みはまだ残っている。

 

「試運転もせずに儀式を実行するのは愚かなことだが……忌々しい!

 そうするしかない……!」

 

 歯噛みし、空を睨むようにする。

 

「レウス、レウス、レウスゥゥ……貴様が全てを狂わせたのだ……!

 正してやる、どうあってもこのわしが、このガトーこそが正してやる」

 

 魔力というピンポイントな能力で言えば、ガトーのそれはアカネイア最大のものと言える。

 それが痛みによって新たな段階に至ったように、傷から禍々しい紫の炎が立ち上り始めていた。

 

 ───────────────────────

 

「陛下、伝令に参りました」

「誰からだ?」

「マルスの影、と伝えればおわかりになると……」

 

 レウスは兵の言葉に訝しむ。

 しかし、当の兵士も言われたことを伝えただけで意味はわかっていないようで、その相手に問いただしても意味のないことはわかる

 

(マルスの影?

 この状況でマルスの名を使うものがどこにいるんだ

 そもそも、影ってなんだ?……影、影……影の英雄クリス?

 ずっと表舞台に立たなかった奴が突然どうしたってんだ)

 

 思考を纏めようとしているところに手紙が置かれる。

 

「こちらを渡すように、と」

「わかった、お前らは下がっていい」

「は!」

 

 多くの兵士は東側の拠点での防備を固めている。

 レウスはごく一部の近衛、そして戦傷者たちを連れてアリティア方面へと進んでいた。

 どうにも連合の動きが妙に鈍いので、今のうちにグルニア側に姿を見せて士気を揚げ、可能ならその勢いで西側を平定したい考えがあった。

 

 手紙を開くと結構な達筆で綴られていた内容は実に簡素だった。

 

「グルニア平定の秘策あり

 レウス王直々のお目通りを願いたし

 正体不明の変なヤツより」

 

 文章以外にあるのは簡単な地図。

 卓上に地図を広げて、書かれた簡単な地図と照らし合わせれば場所はすぐにわかった。

 

「……正体不明の変なヤツ……まさか」

 

 レウスにはこの手紙を無視することができない理由が生まれた。

 影の英雄にしろ変なヤツにしろ、信頼しない選択肢をここで出すことができないからだ。

 

「ゼプテンバ!」

「はい、陛下」

 

 一度は事務方に就いたゼプテンバであったが、小回りの聞く器用さからいつからか陣に置かれるようになった。

 命を拾っただけではなく、エルレーンの代理という大抜擢ではあるものの当人はいち早く後方任務に戻りたいといつも顔に書いているような表情をしている。

 それでも仕事は完璧なのだからレウスからの信任は篤い。

 

「オレは行くところができた」

「また単騎で、というわけですな

 わかっております、エルレーン様からもそういうときは後を上手くやれと言われるのだと」

「エルレーンの女房役ぶりは離れていても変わらんな

 まあ、ヤツの言うとおりだ

 後は頼むぞ」

「はい、委細承知しております

 しかし、一つだけよろしいですかな」

「なんだ?」

「東の沈黙は妙ではあります、西を片付けるにしてもできるだけお早く

 勿論、陛下であればそんなことこのゼプテンバに言われずともとは思いますが」

「わかってるさ

 だが、人に言われりゃ重大さも変わってくる

 心にしかと留めておくよ」

「感謝します

 それでは、行ってらっしゃいませ」

 

 レウスが急ぎ走り去ったあと、ゼプテンバは腰を伸ばすようにしてから、

 

「さて……何はともあれ戦傷者を無事に届けねば

 途中グラに寄って東の兵站状況の上書きをして運用を効率化するべきでもあるか……

 いや、であれば……」

 

 なんだかんだと、ゼプテンバはこの仕事も気に入っているのであった。

 



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正体不明の変なヤツと身分の明らかなお方

「このあたりのはずだが……」

 

「おぉ~い!」

 

 声が聞こえる。

 視線を巡らせると赤髪の、中性的とも言える容貌の人物が手を振っている。

 レウスはトレントを還し彼の元へと歩いた。

 戦場でもないのに馬上から見下ろすというのは何となく気が咎めたからだ。

 

「やっぱりチェイニーか」

「おお、こっちのことは知ってるんだな

 いやー、自分で変なヤツなんて書くのは嫌だったんだけどね

 でも伝わるかもって考えれば仕方なくさあ」

「手紙を渡すときのマルスの影ってのは」

「興味を引くためだよ」

 

 チェイニーはレウスとクリスは会わせないつもりだった。

 レウスの人となりや目的を知ればクリスは手伝いたくなるかもしれない、いや、恐らく家臣として付き従うことになるかもしれない。

 彼はそういう性質の男なのだろうから。

 

 だが、この世界の安定を早めるためにもクリスとチェイニーの旅はここで終わらせるわけには行かなかった。

(独善的で独りよがりな判断だな……)

 チェイニーはそう自覚はしているが、それでもどうしてもこの選択肢を選んでしまう。

 

(俺もガトーと同じなのかもな

 長く生きると柔軟性がどうしたって失っちまうもんか)

 

 そう思いながらも、心が二つあるかのようにレウスにはしっかりと対応はしている。

 

「家族を救ってくれてありがとうな、レウス陛下様」

「呼び捨てでいい

 そっちも恐れ多くも偉大なる神竜族、なんて呼ばれたくもねえだろ」

「そりゃ、仰るとおり」

「で、グルニア平定の秘策ってのはなんだ」

「見りゃあ早い

 こっちに来てくれ」

 

 チェイニーが先導するように歩く。

 警戒心もないかのようにレウスもその背を追った。

 

「あっさり付いてきてくれるんだな」

「オレを害そうとする奴がチキやナギのことでお礼は言わないだろう」

「……ま、そうだね」

「それに人を疑うってのは疲れるからな

 欺かれたってわかってから手を下せばいい」

「王様として?」

「まさか

 そういうときに頼みにするのは褪せ人流の……って伝わらねえよな

 オレ流、つまりは匹夫の勇、個人の暴力さ

 騙してるのがオレ一人だってなら、解決するべきもオレ一人なほうが公正ってやつだろ」

「変なヤツ~」

「チェイニーに言われちゃおしまいだな」

 

 ははは、とどちらともなく笑う。

 お互いに嫌いになる要素がない相手であるな、となんとなしに伝え合うことができた気がした。

 

 ───────────────────────

 

 ノックをして、入りますよと声を掛ける。

 少女の声がどうぞ、と応じた。

 

 石造りの小綺麗な家はおそらくこの辺りの村のものであろう。

 清掃が行き届いているあたり、役人や軍属が利用する宿代わりのようなものなのかもしれない。

 

「ご紹介するよ、レウス」

 

 チェイニーは部屋に入ると、窓辺で立っていた少女に近づく。

 

「こちら、グルニア王国が現女王様のユミナ様であらせられます

 はい、歓迎の拍手を!」

 

 チェイニーに言われると釣られるようにレウスはぱちぱちと拍手をする。

 予想していた行動と違ったのか、ユミナはやや困惑していた。

 

「ああっと、乗せられた

 改めてオレはレウス、聖王国が現人神として座している」

「ご、ごめんなさい」

 

 はっとするようにして、王族らしい完璧な所作で礼を取るユミナ。

 品性、品格というのは生きていて身につくものではなく、努力と日々によって作られるものであり、その点で言えばユミナのそれはレウスが知る誰よりも完璧な所作と言えた。

 

「グルニア王族、先王ルイが娘

 グルニア王国女王、ユミナ

 陛下の御前にこうして立たせていただいていることに感謝いたします」

 

 年齢はシーダよりは下、マリアよりは上だろうか。

 しかしその立ち振舞からシーダと同じほどにも見えるのは、そうしたものだけでなく、女王としての責務が彼女を無理にでも大人にさせようとしている玉座の力であるのかもしれない。

 

(だとするなら、ちょっと辛いな

 王族なら自由はそう多くなくとも、責務に胃が荒れるのなんてのはもう数年は先よかっただろうに)

 

 レウスの性癖からすれば、オグマの言葉通りドンピシャリなのだが、『そうした』感情よりも先に来るものがあった。

 それが庇護したいという気持ちなのか、その重責に耐えて仕事をこなすことに対する尊敬の念なのかまでは今は判断できない。

 

「ユミナ女王、ここまで来たんだ

 長い旅の話を聞かせてはくれるか

 アンタが望むならアリティア王城でもいいが……」

 

 少し考えるようにしてから

 

「アンタが望むなら、グルニアまで送り届けてもいい」

「風聞と違って、甘やかしてくださる方なのですね」

「どんな風聞があったんだか」

「ふふ、それは秘密にさせてください

 ですが……王としてその甘さは危ないのではないですか?

 私は」

「価値のある人質にもなる、か?

 やめとこうぜ、そういうのはさ

 アリティアに入っちまったら忙しくて話す暇もなくなるかもしれねえし、グルニアに戻るでも同じだ

 だから、ユミナ女王がよければここで話を聞きたい」

「ええ、私もそれを望みます」

 



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ご歓談

「ぶふっ」

 

 レウスは吹き出した。

 

「それマジかよ!?」

「ええ、マジです

 煽ったら斬られました」

 

 ユミナは王族としての礼節と所作を完璧に備えている。

 しかし、元々はお転婆でグルニアを恐れさせたという一面もあり、ユベロが内向的な理由が彼女の外向きの、いうなればあっけらかんとした明るさがそうさせたとも言われている。

 

 勿論、話し始めからこの軽いトーンで話していたわけではない。

 場を温めるためにとレウスが「まず、先にオレのことを知ってもらおうかな」と始めたことに起因している。

 多少盛りはしたものの、基本的にはその足跡を纏めたもので、聞き上手でもあったユミナが話を繋げたりもする。

 そうして(こな)れたところでユミナにバトンを渡すと、なんとも軽妙な、王室のお目付け役が彼女の言葉遣いを聞いたら卒倒するくらいの軽さで会話をしている。

 

「そんで、その後は?」

「魔将という力を使い復活させられました、ナーガ様から奪った力で作り上げたオームの杖によって、だとは思います

 無制限には使えないようではありましたけど、それでも厄介なものです」

 

 それからの行動は彼女はそれほど面白い話ではないのですが、と要約する。

 フォルネウスという古い時代の魔道学者の研究を進めたり、今の時代にはないものや、漂流物の杖の試運転をしたりなどわざわざ王族を魔将にしたのにやらせることか、という日々を過ごしていたのだという。

 

「すごいな、魔道の才能があるわけだ」

「いえ、誰でも良かったのだと思いますよ」

 

 照れながら否定をする。

 ただ、誰でもできるようなことならば閉派の魔道士でも連れてくればできるであろうに、それをわざわざユミナにさせている時点で彼女の才能をガトーが認めているに等しいことだった。

 ガトーに関してはレウスも嫌悪するべき相手であるし、認めてやるようなことを一つも持ちたくはないが、それでもあのガーネフを学生たちから見出したものでもあり、人を見る目という意味ではかなり優れたものがあるだろう。

 

(人を見る目があっても求心力ってのはマイナス値にがっつり振りまくっちまってて組織運営のソの字もなってないんだろうけどよ)

 

「ガトーがやれっつうことがそこらの人間にできることとも思えないけどな

 そういやユベロも相当な魔道学者なんだよな

 うちのガーネフが一度は会いたい!と常々言ってたぞ」

「まあ、ガーネフ様が」

「オレも実際に見てびっくりした、船をあんな風に扱えるようにするなんてな」

「ユベロは私の大切で、自慢の弟なのでそう言われると面映ゆいです」

 

 話はそのままあちらこちらと脇道にそれつつも、魔将……十二聖戦士の話にもなる。

 情報は金、重要な取引要素になるのはわかっていてもユミナはそれを隠さなかった。

 外交巧者としての感覚もあるかもしれないが、それ以上にユミナはレウスにはそうした手管の必要のない相手だと確信できたからだ。

 もしもここで最良の結果を得られずとも、情報の代価は別の形できっちりと払うのだろうという、出会って間もないのに妙な信頼を向けることができていた。

 

(この人の周りに人がいるのは、王族にはない……失礼な言葉だと思うけど、野卑な魅力なのかもしれない

 ……こういう方向の方はいままでいなかったから、処し方が難しい……

 でも、)

 

 ユミナは興味本位という感情ではあったが、レウスに対して嫌な感情は生まれなかった。

 

 彼女の語る上での十二聖戦士は実際的には大分虫食いになっているのだという。

 軍事的な側面を見て危険だと言えるのはマリーシア、リカードの二人であり、ほかは魔将という立場であったり、聖戦士ではあるが自我が弱かったりして単騎性能こそ恐ろしいものだが戦争とはそればかりでもないから、怖い相手でもないだろうと。

 個人として危険なのはナーガ様くらいだというと、レウスは「そこはオレがなんとかする」と返した。

 

「歯抜けなら増やせばいいってならんのか?」

「魔将を作ることはできても、まずはその素体が新鮮でなければなりませんし、魔将になれるほどの存在はそう多くありません

 聖戦士に関しても才能ありきですから、やはり量産できるわけではないはずです」

「それならガトーを倒す日もそう遠くはないか?」

「いえ、ただ、……ガトーには奥の手のようにしていたものがあります」

「奥の手?」

「死体も必要とせずに、聖戦士を作り出す力です

 ただ、物としても術としても実行まで高い難易度があるので簡単には行えないようですが……」

「それでも、どこかでそれを実行できる、か」

「或いは、一度二度は実行しているか、ですね

 正確に言えば、二度三度、でしょうか」

 

 面倒くせえジジイだぜ、とレウスが言うと、

「本当に偏屈で自己中心的で面倒な老人です、言う言葉も自分に向けてるみたいなことばかりですし」と早口めで悪罵を付け足した。

 レウスはその王族らしからぬ語彙と早口さに思わず笑ってしまった。

 何とか笑いのツボを立て直して、

「実験の後、それからは?」

 と続きを求めた。

 

「先程一度二度を訂正したのはそこも関係しているのです」

「ってことは、そこに関係してくるってことか」

「私を脱出させてくれたのは、タリスで命を落としたという傭兵オグマだったからです」

 



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ドンピシャリについてのアレコレ

「オグマが?」

 

 レウスは思わず聞き返した。

 死体も残らないはずだが、そこは先程言った高コスト高難易度の儀式の賜物なのだろう。

 それよりも彼が気になったのは、レウスが知る最後のオグマの様子を考えればそんなことをするような、

 少なくともユミナをアリティアにまで進ませるようなものだとは考えられなかったからだ。

 

「いや、すまん

 つい驚いて話の腰を折るところだった

 脱出の話をしてもらってもいいか?」

「はい、勿論です」

 

 そうして聞かされる内容はなんとも面白いものだった。

 オグマはレウスが知る彼ではなく、サジマジバーツに兄貴として頼られ、タリス王モスティンに信頼され、サムトーが人生を掛けて復讐を誓うことになるほどの好漢であった。

 

 その運命を狂わせた自覚はあるからこそ、心に棘が刺さったような心地だったが、

 

「彼が恋敵だって言っていたのですが」

 

 身を乗り出さんばかりの勢いでユミナはそう聞いてくる。

 それを聞いたレウスは

「それ、オグマが言ったのか」

 思わず聞き返す。

 ユミナは「はい、間違いなく」と。

 

 レウスは先程まで刺さっていた棘があっさりと抜けたような心地になって、思わず笑った。

 

「そうだ、当のオグマはどうした?」

 

 そう聞くと、ユミナはやや表情を曇らせる。

 それだけでどうなったかはわかった。

 だから、話さなくてもいいとレウスは言うも、彼女は「全て、話させてください」と言って、続けた。

 

 ───────────────────────

 

 途中途中でユミナが見ていない状況はチェイニーが補足をしつつも、ユミナの逃避行の全貌を知ることができた。

 

 その上で、という話になる。

 

「ユミナ女王」

「はい」

「オレに何を望む」

 

 賑々しい会話から一転。

 緊迫が部屋の中を包む。

 

「オグマは」

 

 ユミナがまだ話していないことを語り始める。

 

「私がレウス陛下の趣味に合う、と」

「趣味に合う?」

「その、女性の趣味としてはドンピシャリだと」

「……ドンピシャリ」

 

 張り詰めた空間に素っ頓狂な言葉が現れて、真面目な顔を作っていたレウスは我慢しきれずに吹き出してしまう。

 

「オグマがそんなこと言ってたのか」

「言っていました、その……王族の女性が好きになりやすい、と」

「ははは!あいつめ、余計なことを言いやがって」

 

 シーダを奪った腹いせ、というには恨みの足りない言葉だ。

 それはむしろ、ある種の信頼をレウスに託していることがわかる。

 ユミナを守ってやってほしい、と。

 

「はー……ったく、余計なことを年頃の娘に言いやがって」

「ドンピシャリ、でしょうか?」

「そうだなあ……ユミナ女王は聡明で、空気が読めて、陽キャで」

「陽キャ?」

「明るくていい子って意味だと思ってくれ」

 

 少し気恥ずかしそうな表情を浮かべると、やや異なった意味で伝えてしまったレウスの内心としてはちゃんと説明するべきだったかと細やかな後悔が生まれるが、明るくていい子、という評価は彼としては間違ったものでもないので気にしないことにした。

 

「外見だって可愛らしいからな、オレじゃなくたって好くとは思うがね

 ただ……」

「ただ?」

「あー、でも『そういう意味で』側に置くかって言われりゃあと数年くらいは待ちたいね

 妙な属性を付与されかけているしな……」

 

 手を出しているわけでもないのにマリアやチキとの関係性からあらぬ疑いを掛けられている。

 そもそも、シーダと出会った頃の彼女の年齢などを考えればまったくのデマではないのもややこしい。

 

(シーダに関しちゃ、年齢とかじゃあないんだけどな)

 

 泣いている姿すら美しかった。

 恐らくはそれこそが品性を備えたる王族の血の為すところなのだろうし、レウスの性癖が明確に確定した瞬間でもあった。

 

 ユミナは年齢がストライクゾーンから外れている、と明言されて複雑な表情をする。

 勿論、単純に振られたと思ったからではない。

 彼女からすれば身を彼にひさげば大きな国益を生むことになると考えていたからである。

 それはレウスも理解しているところでもあり、だからこそ彼は続ける。

 

「でもな、それとは別にしてユミナ女王とは一緒にいたいとも思ってる

 何せあのガトーにそこまで言えるなんて、アカネイア大陸随一のおもしれー女だろうからよ」

「おもしれー、ですか?」

「褒め言葉だ、先から分かりにくくてすまん

 オレの故郷じゃ驚嘆に値する人を見ると好意に転化されるって文化があんだ」

 

 事実、これほどの胆力がある女傑が自らの価値を示して、言外に側に置けといっていることは望外の喜びではある。

 

「だから、世間の言葉でオレがやることって言えば手を出す出さねえってことでいえば、今は出せない

 だけど、オレにも目的はあって、そのためにユミナ女王を妻に迎え入れることができるならとても助かる」

「目的ですか?

 それは……」

 

 言葉を選ぶようにしてから、ユミナは続けた。

 

「大陸制覇、ですよね?

 そのためには既に存在する多くの国家が不要であるとお考えなのでしょう

 私の提案を聞いていただいた後に、もう一度お返事を待たせていただいてもよろしいですか?」

 



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グルニアの嫁

「私を嫁にもらってはくださいませんか」

 

 放たれた矢のように真っ直ぐな発言であった。

 

「理由はわからないではないが、それは」

「マケドニアのような形でグルニアを残していただきたいのです」

 

 現在のマケドニアはミシェイル王不在であるところにアリティア聖王国が占領し、放逐されていたミネルバに王位を遷し、聖王国の庇護下に入った。

 

「国としての自治権限の殆どは失うことになるぞ」

 

 最低限の軍権はあるにしても、法や運営に関しては聖王国の影響と判断を大きく受けることになる。

 王はあっても、国は王のものではなくなるのだ。

 

「このまま戦ったとして、レウス陛下はやるところまでやる

 そうお考えでしょう」

「……そうだな

 国があるってことはそれそのものがオレの目的がある以上相容れない」

 

 マケドニアのような形で国を迎えられるならばいい。

 だが、グルニアにはミネルバのようにアリティア聖王国の一員でもある王族がいるわけでもない。

 だからこそ、嫁にと彼女は発言した。

 

「ですが、私も育った国が消えるのは辛いのです

 せめて形は残って欲しい」

「そのために嫁に来る、ってのか」

「王族の自由恋愛などありえませんから」

 

 当然といえば当然なのだが、若いというよりも幼いという方がまだ近いユミナからその発言がでるのに、レウスは少しばかり苦い顔をしてしまう。

 

「そいつは……ユミナ女王の年齢で聞きたくない冷えた言葉だな」

「だとしても、事実でしょう

 けれど、私はレウス陛下のことに惹かれているのは事実です

 故も知らぬ騎士(ナイト・エラント)から始まり、今では大陸最大の国家の主となっている最新の英雄譚を作ったお方です

 形はどうあれ親から与えられた私の王位とはまるで違うものですから」

 

 レウスは単純に頷いていいものかを悩む。

 マケドニアとは順序が逆だからだ。

 まずミネルバを妻とするように決めて、それからマケドニアを形が残るようにして支配した。

 だが、今回はグルニアが形を残すために彼女が身売り同然のことをしようとしている。

 何が嫌というわけではない。

 ユミナの外見や品性だけでなく、優れた統治者としての才腕は尊敬に値する。

 

「ああ、そうか」

 

 レウスはそれを考え、ようやく答えを得たように呟いた。

 

「オレは嫌なんだな」

「嫌、ですか」

「ああ、勿論ユミナ女王との婚約やらなにやらがってわけじゃない

 オレはそういう形でユミナ女王を妻に迎えちまったら、どうにも尊敬する人間を汚しているような気持ちになっちまいそうなのが嫌なんだ」

 

 ユミナはその言葉を聞くと少し驚いたようにして、

 

「その、ごめんなさい

 言うべきではないかもしれないのですが……」

 

 小さく微笑んでからユミナは言う。

 

「思っている以上に純真な心をお持ちなのですね、陛下は」

「からかうなよ」

「いいえ、あなたの功績以外でまた魅力だと思えるところを見つけられたことを嬉しく思います」

 

 そうして一拍置いてから彼女は続ける。

 

「尊敬の念を汚すかも、というならば妻という立場以外の身の置き場所をいただけませんか?

 年齢もあって触れ難いと言うなら、別の所で陛下のお役に立ってみせます

 この身の切り売りでグルニアの救済を求めるのではなく、仕事によってその報酬に救済を求めるのは許されませんか?」

「オレも惚れ込んじまいそうだよ

 まったく、口が上手いし胆力もある、機転も利く

 もっと早くに王位がユミナ女王のところにあったらオレは路頭に迷ってたかもな」

 

 吐息を一つもらしてから、レウスは続ける。

 

「ユミナ女王、それなら政務を手伝ってくれ

 グルニアだけじゃない

 アリティア聖王国でオレがやらにゃならない部分の多くに携わってほしい

 正直、今の状態じゃあリーザに迷惑かけっぱなしでな

 オレの政務の手伝いってのをしてくれるなら、グルニアはまずはオレの直轄地として扱い、聖王国側の感情が落ち着いた頃にユミナ女王に返す」

 

 政務の手伝い、その言葉には『表向きはグルニアの支配はするが、政務はこれまで通りユミナがやってもらって、時期がきたらレウスから土地を引き継ぎ直した』となり、

 ユミナからすれば下手な代官なども送られることがないことを理解することができた。

 

「それは、その……願ってもないことです」

「ただ、信頼の証としても妻にはなってもらう

 大陸全土を血縁で固めちまえばとりあえず多少の未来は安定しつづけるだろうからさ」

「ドンピシャリだと陛下の口からいただける日まで努力しますよ」

「──怖い人だよ、本当に」

 



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光の柱を見過ごして

 前線に為された通達は現状維持、防戦に徹せよというものだった。

 黒騎士団と防衛軍は巨大な光の柱が気になって仕方もなかったが、それでも独断で母国に戻るものはいなかった。

 グルニアの軍は内戦のあと、より強固で厳格たる法を持った誇りある騎士団となっていた。

 主の命令には絶対、忠義を尊しとすることを再び刻み込んだ。

 

「シューターが見えている以上は易易とは攻め込んでは来ないだろう」

 

 ライデンのその発言にベルフも頷き、

 

「ミシェイル様が今も目立つ形で巡回をしているお陰でアリティアも簡単には前に出れないだろうからな」

 

 狙えた首を落とさなかったことも含めて、過日約束したカミュは了承していた。

 だが、その上でミシェイルは防衛に今も参加している。

 グルニアが影響された大きな戦いには手を貸す約束を果たさぬわけにはいかなかった。

 カミュとミシェイルは表向きは怜悧冷徹な心と言葉の上で成り立つ軍事的な部分で響き合う関係でしかないようにも見えるが、

 二人とも感情が見えにくいだけで朋友と言って差し支えない間柄である。

 

 だからこそ、ミシェイルは気がついていた。

 その朋友が命を落としたことを。

 きっとあの柱はその証だったのだろう。

 

「ミシェイル様がお戻りだ」

 

 ロベルトの言葉に一同が居住まいを正す。

 

「なにかの約束を守るかのようにアリティアはこちらに攻める気をなくしているようだな

 いま暫くは時間は稼げるだろうが」

「数日内に動きはあるものかと思います」

「ええ、相手からも内密にではありますが使者がお越しになられて、

 こちらも使者を出しております」

 

 その言葉にミシェイルは表情を特に変えずに頷く。

 

「何か、思うところでも?」

「……少し、な」

 

 ライデンたちは言葉が多い方ではないカミュとの付き合いで寡黙な人間との会話には慣れていた。

 

「我らの好奇心のためにというのは気が引けますが、お伺いしてもよろしいですか」

「ああ」

 

 ミシェイルもまた、聞き出されることに対して不満を持つわけではない。

 元より言葉が足りないからこそこうして引き出してくれることを感謝しているほどでもある。

 

「モンタークが消えたことが気がかりでな

 アレは恐らくグルニアの本当の敵と繋がっている」

「本当の敵……」

「アリティアとの睨み合いで余計な策を投げ込んでこないかが心配でな

 だが、名目上アリティアとは敵同士、何かしてやれることなどない」

「それが思うところ、ですか」

「……他にもないわけではないが、」

 

 やはり、思うことはグルニア主城についてだろう。

 この場所からは遠目からであっても城の姿は見えない。

 だが、何かはあった。

 

 手紙が届き、それが王の直筆と判の捺されたものであっても不安が消えるものでもない。

 

「カミュがいる以上、不安は無用だな」

 

 死を直感していながらも、それでもライデンたちの心を慰撫するためにミシェイルは言う。

 三騎将は「ええ、将軍の信頼を損なうわけにはいきませんから」とこの地の防衛に改めて気を吐く姿勢を取った。

 

(それに、ガトーが次に狙うとするならライデンたちである可能性もある

 賢者を騙るものに朋友の跡を継ぐグルニアの未来を奪わせはせん

 カミュよ、俺の予想が合ってしまっているならば、草葉の陰で見守っていろ

 俺もまた、お前の期待に背くことはせぬ)

 

 ───────────────────────

 

 チェイニーはクリスと共に再び旅に出ていた。

 

「ユミナ女王様は大丈夫だろうかね」

「大丈夫さあ」

「言い切るってことは何かあるのか?」

「陛下はユミナ様をしっかりとお気に召しているよ、ユミナ様もな」

 

 クリスはその言葉に少しばかりの安堵を見せる。

 

「で、次はどこに向かう?」

「どうしようかねー」

 

 そこかしこで戦いと混乱は続いている。

 やるべきことは尽きないだろう。

 だが、

 

「せっかくここまで来たんだ

 確か、クリスを育ててくれた人ってのはアリティアに墓があるんだよな

 本格的に忙しくなる前に墓参りでもしていこうぜ」

 

 それはチェイニーの心ばかりの気遣いであることをクリスはわかっていた。

 確かに戦い続きの日々だった、どこかで少し休むのもいいだろう……クリスもまたその考えには同意を示す。

 

「たまに家に戻って掃除でもしないといけないしな

 到着したらオレの手料理を振る舞ってやるから楽しみにしておけよ」

「いいねえ」

 

 マクリルと共に住んだ邸はそう遠い場所でもない。

 村はまだ活気があるだろうか。

 クリスは久方ぶりの帰省に心が華やいでいることに気がついて、それを与えてくれたチェイニーに感謝の念を抱くのであった。

 



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 うららかな日。

 心地よい風を感じながらクリスとチェイニーは道を進んでいた。

 

「ここの辺りからセラの村、オレの故郷だ」

「へえ~……なんていうか、」

 

 チェイニーは周りを見渡し、

 少し複雑な表情をする。

 

「……なんか、随分閑静っつーか……」

「静かすぎるな……、騒がしいってほどの村じゃあなかったが」

「活気ってものがないよな?」

 

 二人は顔を見合わせて、警戒心を強める。

 

 音が聞こえてくる。

 畑を耕す音。

 荷運びをする音。

 それに安堵した表情をするクリスとチェイニー。

 

 しかし、その安堵はすぐに崩されることとなった。

 

 村人はいなかった。

 村人の『代わり』がそこにあった。

 

 緑色の仮面をつけた不気味な人間たちが、村人の代わりをしていた。

 代わりというのもおぞましい。

 それは、かつて村人が行っていたことを模倣しているだけである。

 畑を耕しているが、ただそれを繰り返すだけ。

 荷運びをするが、置いた荷物を再び元の場所に運ぶだけ。

 井戸の近くで談笑する代わりにそこに立っているだけ。

 既に死んで干からびた犬を撫で続けるだけ。

 

「なっ……あ……?」

 

 クリスはその風景に目眩を覚えながら、チェイニーを見る。

 それは錯乱する思考から逃げるための本能的なものだったのだろう。

 チェイニーもそれを理解し、

 

「まずはお前の家に行こう、ばれないように……できるか?」

「……あ、ああ……」

 

 ───────────────────────

 

 クリスの故郷であるセラの村。

 少しだけ見晴らしがよさそうな、小さな丘になった場所の上に立てられた一軒家。

 そこがクリスが育った家、祖父であり師でもある偉大なアリティアの騎士マクリルの邸である。

 

 既にマクリルは死に、それを見届けてからクリスは旅に出ていた。

 出る前に村人たちはマクリルへの感謝を込めて家の維持はすると提案してくれていた。

 そのおかげもあってか、思い出の邸は綺麗なままそこにあった。

 

 二人は裏口から入り、リビングへと向かう。

 中も掃除がされているようで、綺麗なものだった。

 

 リビングへと到着すると、そこには一つの影があった。

 クリスはその体格を見て声を絞り出すようにして出した。

 

「爺……ちゃん?」

 

 それを止めようとしたチェイニーだったが、遅かった。

 クリスの声にゆっくりと振り返ったそれは外の人間と同じく、緑色の不気味な仮面を付けている。

 

「クリス、おかえり」

「爺ちゃん、その格好は……村はどうなってんだ?」

「村は元気だ、見ての通りだろう

 ずっとずっと、やっているさ

 ずっとずっとずっと、やっているんだよ」

「何を……いや、お前は、誰だ?」

「育ての親を忘れたのか、クリス

 私だよ、マクリルだ」

 

「かつては、マクリルだったものだ」

「クリス!」

 

 チェイニーがクリスに体当たりをして引き下がらせる。

 

 クリスが立っていた場所に何かが振られた。

 それは巨大な質量をもつもので、チェイニーの献身によってぎりぎりでそれを避けることができたクリスは振られたものに目をやる。

 

 祖父の手には左右で一つずつ、不気味な大剣が握られている。

 大剣と言うには無骨であり、どこか有機的でもあり、異質な作りであった。

 

「今の私の名は忌み潰しのローロー

 ローローは私であり、ローローは多であり、ローローはローローである

 ローローは忌み潰しであり、ローローは忌々しきものを潰すものである」

「何を……」

「クリス、逃げるぞ!早くしろって!!」

 

 チェイニーに手を引かれ、なすがままにクリスは引き下がる。

 外に出ると丘の邸へと向かう、緑色の仮面を付けた人影がどんどんと集まっている。

 それらはマクリル(ローロー)と差別化できる部分は殆どなかったが、仮面のデザインが少しだけ違った。

 彼ら(ローロー)の仮面には角が空に突き立つように備えられているが、

 マクリル(ローロー)の仮面の角はねじ曲がり、歪んだようなデザインになっている。

 だが、それだけだ。

 体格も何もかも、気がつけば彼らの全てがまるで人為的にそうさせられたかのように同じ風貌をしていた。

 

「ローローは仕事をこなす」「ローローは村を守る」

「ローローは主人の言うことを守る」「ローローは秩序を作る礎」

「ローローは犠牲ではない」「ローローは我ら」

「ローローは平和のためにある」「ローローは安寧が好き」

「ローローは幸福を祈る」「ローローはアリティア王国を守る」

「ローローは聖王国を認めない」「ローローはコーネリアス様の武器だった」

「ローローは」

「ローローは」

「ローローは」

 

 まるで聖句のように彼らが言葉を発する。

 それは空気をうねらせるような、不気味な音声(おんじょう)であった。

 

「ローローは守り人だった」

「ローローは神の使命を果たす」

「ローローはガトー様の刃」

 

 それらの言葉を聞いたクリスの頭は沸騰しかける。

 しかし、チェイニーが持っていた荷物をクリスの頭に叩きつけると叫ぶ。

 

「お前お得意のマクリルメソッドはどうしたっ!

 頭空っぽで突撃するのがお前のやり方なのかよっ!!」

 

 彼とてわかっている。

 クリスの大切なものが汚され、尊厳を傷つけられていることが。

 それでも、チェイニーはクリスがここで突撃して殺戮をすることも、或いはその果てに命を落とすことも許容できなかった。

 この大陸や、或いはナーガの平穏のためではない。

 

 チェイニーにとって、クリスは誰よりも大切な友達であったから、『こんなこと』で彼を失いたくなかったのだ。

 『こんなこと』をしたガトーのことで死なせるなんてまっぴらごめんだったからだ。

 



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断金の交わり

 アリティア領にあるといっても、そこは北東の突端に位置しており、北グルニアを目視できるような辺境であった。

 聖王国樹立後も戦乱の影響の少ないセラの村が何かしらの影響を受けることはなかった。

 

 セラの村の住人はそう多くはない。

 

 村とは言っても、コーネリアスやその父が作った村であり、元々は戦傷や他の要因で兵士を続けられなくなったものや、その家族を住まわせるための場所であった。

 あまり表沙汰になっていない場所であるからこそコーネリアスやその腹心の死によってそもそも辺境にある村のことを意識できるものは皆無であったとも言える。

 地図で見ればどこにでもある村にしか見えなかったし、リーザ女王もまたアリティアの外から来た嫁であったせいでセラの村のことを知ることがなかった。

 

 戦いが深まる頃にはなんとか戦えるであろうものもコーネリアスの助力に向かったが、

 それでもやはり多くの村人が残った。

 

 コーネリアスと共に命を散らしたかったものは少なくない。

 

 クリスの祖父であり、師でもあるマクリルもその一人ではあったが彼がそれを選ばなかったのはコーネリアスより直々にセラの村の管理を任されていたからであり、

 彼まで進めば戦えるとも思えない古傷を持つものたちまで戦場に向かってしまうからであった。

 

 元々持病を重くしていたマクリルは自らの身も考えて、クリスの育成に集中した。

 やがて王子であるマルスやアリティアに由来する家臣たちと共に祖国を解放するためでも、

 或いは解放したあとの時代を作るために一流の騎士にするために彼は残った。

 

 マクリルの命が尽きる頃、クリスは立派な男になっていた。

 

 まだ若いが、それでもアリティアの未来を託せると期待できるほどに。

 偉大な騎士マクリルは死に、その死を享受し、後悔のない人生だと胸を張れた。

 

 その後、セラの村は新たな村長を迎えて、平和な日々を過ごしていた。

 それが変わったのは、アリティア聖王国が隆盛した頃、或いは北グルニアの影響が強くなった頃であった。

 

 北グルニアの悪党と、白い魔王の到来が平和だったセラの村を変えてしまった。

 

 ───────────────────────

 

 クリスとチェイニーは走っていた。

 相当の距離を走っただろう。

 ローローたちが追いかけてくる気配はない。

 村の出入り口辺りで追いかけてくる気配がなくなってはいたが、それでも全力で逃げた。

 

 大きな街道までなんとか出る。

 どれほど走り逃げたかもわからない、何せクリスは元より、チェイニーとて神竜族の端くれ。

 ただ走るだけならば全身を筋肉で包んだクリスと同じ程度には走り込める。

 

 定期便が通りがかったのに対して料金を割増で払うことで便乗する。

 やがてそれなりに大きな街に到着して、宿を取り、部屋に入った辺りでようやく二人は会話をする気になった。

 

「……ごめん、戦いたかったよな」

「いや、チェイニー

 すまなかった、お前を危険に晒した」

「いいって、それは

 大切な人があんなことになってたら我慢できないだろ」

「だが、友を巻き添えにするなんてマクリルメソッドを引くまでもなくやっちゃいけない行為だろう」

 

 苦笑いを浮かべるチェイニー。

 

「オレも、友達を失いたくなかったからお前を殴っちまった

 それで止まってくれって思って……痛かったよな、ごめんよ」

「だが、それで冷静にもなれた」

 

 クリスは息を吐いてから、

 

「言ってたよな、ガトーって」

「ああ……言ってた」

 

 ローローが口々に言った多くの不気味な聖句。

 最後にはガトーの刃だと告げていた。

 

「オレとチェイニーが出会ったあの施設にいたのはオレや連中だけじゃない

 ガトーがいた

 ガトーにオレはいじくり回された」

「そして、その成果物があのバケモン──ローローって言ったか

 アレだってことか?」

 

 だとすれば、あの施設にいた手練の戦士と言える者たちが村にごろごろ転がっていたことになる。

 それが何かの戦線にでも出れば、恐ろしいことになるだろう。

 

「きっとそうなんだろう、だが……」

「マクリルさんは死んだんだよな」

 

 だが、を引き継ぐチェイニー。

 そして、そのチェイニーの言葉を更に引き継ぐようにしてクリスが続ける。

 

「この大陸がこうなる前にな、肉体も残ってないはずだし、仮にそれを何とかできるとしたってマクリルじいちゃんよりも先に人形にする相手なんているだろうから」

「何か理由があるってことだよな」

 

 頷くクリス。

 そして、拳と掌を合わせて苛立ちをなんとか抑えようとする。

 

「クソッ……わからないことばっかりだ」

 

 その様子を見たチェイニーは、

 

「クリス、わからないことがあるならわかりゃいいんだよ

 要するにさ、知っている人を探そうぜってこと」

 

 実に短絡的な言い方で提案をした。

 

「知っている人?」

「サムトーと話したときに、自分を導いてくれた人がいるって言ってただろ」

「エレミヤ、だったか?」

「ああ、わからない人がいるなら知ってそうな人に聞けばいい

 少なくともサムトーもガトーから剣を与えられるような人間で、その人間に導きを与えることができるならガトーのやっている何かしらの知識を持っているかもしれない」

 

 当たり前のことを、触れやすくするようにして膨らませる。

 クリスがチェイニーを尊敬しているのはこの他人が求めていることの実現化、共感能力だった。

 そればかりはクリスが及ぶところは一切なく、だからこそ彼はチェイニーを尊敬していた。

 

「……ふー」

 

 クリスは吐息を漏らす。

 

「チェイニー、ありがとな」

「え?な、なにがだよ?」

「オレと違って冷静でいてくれて、混乱しっぱなしで何も考えられないオレに次の目的も与えてくれた

 お前と会えて、オレは本当に運が良かった」

 

 不意に好意を伝えられて呆気にとられる。

 

「んだよ、照れちまってなんて答えればいいかわかんねえって」

「ははは、マクリルメソッドさ

 言いたいお礼は生きているうちに、ってな」

「──いいね、確かにそのとおりだ

 ありがとな、クリス

 俺も感謝してるよ、お前と一緒にいりゃ心強いから」

 

 そういいながらもチェイニーは苦い気持ちもあった。

 

(俺がお前に頼りっきりなのはさ、この世界じゃない別の歴史でお前と共に戦って、救われたからなんだ

 あのクリスじゃないクリスなのはわかってる、そんな理由でお前を頼り切ってごめんな)

 

 でも、とチェイニーは思う。

 

(お前はあのクリスじゃない

 けど、お前は俺にとっての最高の友達だ)

 

 この友情のために、できることはなんでもしよう。

 チェイニーはその思いを新たにするのだった。

 



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パレスの地下にて眠る

「ご希望のものは見つかりましたか、エレミヤ殿」

「エルレーン様、おかげさまで必要なものはある程度は」

 

 エレミヤはアカネイア首都パレスが一等地にある旧ナーガ教団本部、その地下にいた。

 広大な敷地に様々な書籍、魔道器具、杖、魔力の籠められた武器などアカネイア大陸の知恵と秘宝が備えられていた。

 

 エルレーンはパレスに赴任し、執政を始めてからそれなりの期間を過ごしたがそこにこんなものがあるとは知る余地もなかった。

 彼に従ったアカネイア王国の旧貴族──若輩のエルレーンに従ってアリティアの統治を手伝う良識派であり旧来の発言力を持っていた貴族に追い立てられていた──すらも知らない場所であった。

 

 エレミヤがふらりとエルレーンのもとに現れ、この場所の調査と一部の道具の持ち出しを希望した。

 中身を見てから……というエルレーンの言葉に従い、開かれたそこの重要さ、いや、重大さに流石にレウスやガーネフに相談する旨の手紙を送ったが、折しもの東西決戦により連絡が付かなかったが、返信の手紙が来た。

 両名から「エレミヤであれば信頼できるので好きにさせるように」との内容であり、

 それを以て、本部地下の──エレミヤ曰く『ミロアの方舟』と呼ばれる場所は彼女に開かれた。

 

「何をお探しだったかは伺っても?」

「ガトー様の計画を予測するための幾つかの資料と、聖戦士たちの力に対抗するための術を」

「見つかりましたか?」

「後者については残念ながら……

 ですが、前者に関しては多少有用かと思われる資料を見つけることができましたのよ」

 

 エレミヤが机の上に広げたものはおぞましい計画書であった。

 

 人間が持つ魂や精神とも呼べるもの、或いは生きる上で必要となる存在を担保する力……『運命そのものの力』でもあるエーギルと呼ばれる力を引き出す手段と、

 そのエーギルからある種の情報……例えば思い出であったり何者かの客観的知識であったりを取り出し、結合する技術についての研究である。

 フォルネウスという人物が作ったそれを、元々はガトーは対策と封印をするために作り出したものである。

 狂気に染まったとしか言いようがない今のガトーからは考えられない理屈的で、だからこそ秩序的でもある内容はエーギルに対する知識がなくとも価値のある内容と言えた。

 

「エーギルを取り出し、それらが持つ客観的情報を大量に集めることで人形に対象物の模倣生命を作り出す方法

 極めておぞましく危険な手段であり、これを効果的に停止させる手段を模索しているが、簡単にはいかず……」

 

 エルレーンは内容を読む。

 ガトーもこの技術に対しての対策を色々と考えてはいたようだが、効果的なものはなく、対症療法とも言えないものとしてその模倣した存在に対して強い効力を持つ武器の制作が精一杯だったという。

 

「あのガトーですら」

「この頃は妄執に囚われていない頃でしょうから、全力の研究成果なのでしょう」

 

 そして「こちらはミロア様の遺したものです」とエレミヤは続けて資料を提示する。

 

 ミロアはむしろこのエーギルから人形を作り出すことを目的としていたようだが、作り出すのも作り出すで問題があったらしい。

 例えば、アドラ一世を作り出そうとしてもこの時代にアドラ一世を知るものは殆どおらず、竜族で彼を知っているものを集めてエーギルを引きずり出して、客観的情報を取り出したものの、その量が足りずに復活にはまるで至らなかったという。

 また、現代に生きるものであっても名声が知られていなければならない、とも伝えられている。

 

『その人物をよく知るものたちであっても数十名のエーギルが必要であり、名声がなければ復活もできない

 例えば(ミロア)であればナーガ教団の人間を捧げれば復活も可能だが、儀式を行えるのは現状では私かガトー様だけであり、現実的ではない』

 

 エルレーンはそれを読みながら、

「難易度の問題もあるのか、儀式と材料……僕でも実行は無理そうだな……エレミヤ殿はどうですか?」

「仮に行えたとして、殺すと脅されても執り行うことは御免被りますわ

 私の主義に反しますので……」

 

 実行できるかどうかの否定はない。

 或いは、可能ではあることの暗黙の肯定でもあった。

 ガーネフが認めた才女なだけあり、経験も才能も今の自分では叶わぬのだろうなとエルレーンは思う。

 

「名声が問題、というのは客観情報の量に関してでしょうか」

「ミロア様の研究によればニーナ様でも復活は難しい、とのことですね

 あの王女は宮廷では名を知られていてもその実態や性格を知るものがいないからでしょう」

 

 だが、逆に言えば知られていれば可能であるとも言える。

 

(陛下が死んでも、あの知名度であれば復活も……いや、あの方はそんなことは望まないだろうな

 こんな考えを持つのも不敬な気がする

 何より、陛下が負ける姿なんて思いつきもしないし)

 

 彼は暫くレウスに会えていないが、それでも共に旅した中で見た彼の戦いぶりは正しく英雄的であり、常勝を地で行くのだろうと思っていた。

 或いはそれは彼にとっての一つの信仰でもあった。

 

「可能であれば、この研究は封印しておきたいですね」

「この戦いが終わってから、となりましょう

 今はこれをガトー様が利用しているのであれば、止めるための手立てにもなり得ますから」

 

 そのような話をしているところでエルレーンは外から呼ばれる。

 何人も立ち入ることを許していないからこそ、そう呼ぶしかなかったのだ。

 

「何事か」

「エレミヤ様にお会いしたいという方が」

 

 ──その手立てを活用するのはまさしくすぐに到来したのだった。

 



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褪せ人転生

 クリスとチェイニーがエルレーン、エレミヤと接触し、状況を説明してから『それ』はすぐにアカネイア地方の運営予算から費用を算出して計画が立てられた。

 

 ローローと呼ばれる人形同然の兵士たち、クリスたちはそれを守り人だと認識し、しかしそれがただの守り人ではなくエーギルの何かしらの力を利用した人形であると断定、

 そしてマクリルであっただろうローローは危惧していた存在そのものであろうと判断された。

 

「実用段階になっていたのか」

「それもその存在を危惧していたガトー様の手によって……皮肉ですわね」

 

 正しく悪夢のような状況であった。

 研究は急ぎ行われ、クリスやチェイニーもその手伝いに明け暮れることになる。

 

 一方でその頃、アリティアでは──

 

 ───────────────────────

 

 二人を乗せたトレントが走る。

 ワープの脅威はないものの、それでもことは急ぐに越したことはない。

 

 道中の橋に差し掛かったところで

 

「待てぇぇええぇぇいッッッ!!!」

 

 怒号が空気を震わせた。

 トレントがその叫びに慄くわけではないにしろ、強く警戒し、歩を止める。

 勿論、トレントの意思というよりもレウスの意思を拾い取ってそう判断したのだが。

 

「ユミナ、馬上にいてくれ」

「はい」

 

 怖気づくこともなく、気丈に頷く。

 

 降り立って橋へと向かうレウス。

 その橋を通らせぬと中央に立つのは襤褸切れを纏い、目深にフードを被った人物。

 背丈はそれほど大きくはないが、かなり鍛えられていることがわかるのは衣服が筋肉で盛り上がっていることから見て取れる。

 手に持った槍も襤褸布が巻かれており、全容は伺い知れなかった。

 

「通り魔か」

「否!」

「殺し屋か」

「否!」

「復讐者か」

「否、否、否ァ!

 我が名はロレンス!我らが宝を奪い去らんとする悪漢に」

 

 槍と彼を覆う布を脱ぎ去る。

 

「神器グラディウスによる裁きを下しにきたッ!」

「ろ、ロレンス!?」

 

 その言葉に思わず馬上から声を上げたのはユミナ。

 

「姫は、いえ、陛下は何も言わんでくだされ!

 今すぐこのロレンスが救い出します故!」

 

「おいおい、やるならオレだって本気にならざるを得んぞ、本当にロレンスだってならだが」

「騙りだと言うか」

「ユミナからそう聞いているがね」

 

 オグマから聞いた話であれば、ロレンスはリカードに殺されたことは事実である。

 それは先日の話し合いの中でユミナからレウスはしっかりと聞いていたし、彼女を助けたオグマが憶測混じりの情報を渡すとも思えない以上はロレンスの死は絶対であろう。

 だが、

 

「ってことは、魔将か」

「ガトーの小間使だといいたいのか?

 それも否!

 我は幾多の奇跡のよってここに立っているに過ぎぬ」

「……それは、」

 

 ロレンスの纏う気配に覚えがないわけではなかった。

 ただ、それがあまりにも久方ぶりのものすぎて、すぐに気がつけなかったのだ。

 

「黄金律による蘇生……かよ」

「であるかもしれぬ、詳しくはわからぬがな

 だが、わしがここに立っており、貴様に槍を向ける

 それだけがこの場の全てであろう!」

「おいおい、話し合いは」

「問答は無用ッ!」

 

 ロレンスが踏み込む。

 舌打ちをしてレウスもまたそれに応じる。

 

 取り出したのは漂流物ではなかった。

 

「グラディウス相手なら、これだろう」

 

 レウスが構えたるはメリクル・ソード。

 サムソンから勝利の証として渡されたものだった。

 耐久という弱点を抱えるアカネイア大陸の武器ではあるが、それでもメリクルソードの力は魅力的であった。

 一騎打ちであれば獣人の曲刀でも十分であるとも言えるが、

 

「神器同士で惹かれるようにここにあるってのも絵になるだろう」

「余裕があるではないか」

「演出は過剰なくらいが丁度いいんだよ、オレにとっちゃあな

 そうじゃなきゃ飽きちまうよ」

「飽きる、何に飽きるというのだ」

「戦いにさ」

「抜かせ、戦いの化身そのものといえる貴様の言葉かよ!」

 

 ロレンスが言葉の終わりとともにグラディウスから鋭い突きを放つ。

 完全に見切ることは不可能。

 だが、避けきれないほどでもない。

 狭間の地の悪質な攻撃の数々に比べれば優しくて涙が出る。

 勿論、油断していれば予測もしない達人技みたいなのが繰り出される可能性は幾らでもある。

 

 警戒はする。

 だが、やりすぎることもしない。

 

 演出過剰がいいと言ったレウスではあるが、それだけが理由でもない。

 獣人の曲刀にしろ、グレートソードにしろ、神肌縫いにしろ、火力として過剰なのだ。

 レウスは思う。

 

(このロレンスの怒りは偽物だ

 こいつはオレを試している

 恐らく、ユミナとオレの間に交わされた約束を察している、まあ……内容も察しは付くだろうさ

 こいつを納得させるためには殺さず、大怪我もさせずに負けを認めさせないとならねえ

 そもそもユミナの前でロレンスを殺すなんてのは……『ここのアカネイア』じゃあ絶対にしてやるものかよ)

 

 一方でロレンスも思う。

 

(さて、ユミナ様に相応しい男かどうかは試させてもらう

 この死人の体がいつまで自由なのかもわからぬ、死人かすらも自分ではわからぬ以上は急ぐことしかできぬ

 聖王陛下も理解されていて乗っているのだろう、が、それでも手は抜けぬ

 槍を以て、いざ……意を交わさん)

 

 ロレンスが立ちはだかる理由は幾つかある。

 レウスそのものを理解するため。

 レウスから幾つかの言葉を引き出すため。

 レウスに負けてロレンスが従うという構図を作るため。

 

 だが、弱いものがユミナを守りきれるとも思えない。

 自分たちと同じ程度の存在であれば、全ては無意味になるだろう。

 自分たちと違い、忌むべき策略を跳ね除けられる人物であるかどうかをロレンスは知りたかった。

 だからこそ、ロレンスはグラディウスを向け、技を冴えさせる。

 



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ご挨拶

 二手、三手と重ねる度によくわかる。

 こいつは強い。

 すんごい強い。

 武器なんて選ばずに獣人の曲刀を持ってくるべきだったか?

 ……いや、どっちにしろ攻めに回ろうとしたときにエグい手が飛んでくるだろうし、メリクルでも同じだったな。

 それよりも、こいつが殺されたってことは、ガトー側にゃこいつより強いヤツいるってこと?

 勘弁してくれ。そいつとは絶対に一騎打ちはしねえ。

 

 オレは内心で毒吐きながらロレンスの攻撃に応じていた。

 こういう気持ちは狭間の地で毎回のように浮かんだものだった。

 最初からフルスロットルの相手、例えばシャロンだったりはこうは思わなかった。

 ロレンスに何故こんな風に思うかと言えば、どの攻撃にもどこか『余裕』のようなものがあったのだ。

 それはつまり、こっちが下手な攻撃をしたときに幾つもある手から悠々と技を選んでこちらを刺し殺せるぞという表明でもある。

 

 そんで、こいつを殺した奴がいるんだろ?

 冗談じゃない。

 どうやって殺したんだよ。

 まさかナバールでも魔将にしたか?

 あの状態でギリギリ勝てた相手が魔将になって再登場なんて冗談じゃないぞ。

 

「どうした、キレが悪いぞ」

「うっせえ、こっちは武芸の才能なんてないんだ

 必死なんだよ、どうやって勝てばいいか考えるのが」

 

 そう。

 オレは武芸の才はない。

 対人恐怖症こそ抜けたが、そもそもそれを抜けたら武芸の才が花開いて最強の武人として誕生!とはいかない。

 正直、可能であれば今すぐマリアとチキの偶像を使ってゴリ押し戦術(パワープレイ)したい。

 

 が、この爺さんが戦いを挑んでいる理由もわかる。

 オレ自身を理解するため。

 オレから何かしらの情報を引き出すため。

 そしてオレに負けて従うという構図を作るため。

 

 しかし、ロレンス爺さんもプライドってのがある。

 簡単に負けちゃくれない。

 覚悟を決めるしかないんだよな、結局。

 

 小盾を用意する。

 格好つけたがメリクルだけじゃだめだ。

 パリィは……簡単にはさせてくれんだろう。それでも狙う姿勢だけは見せないとな。

 それだけで相手の打つ手を幾つか縛れるだろうし。

 

「行くぜ、ロレンス将軍よ」

「わざわざ合図をするか、レウス聖王陛下」

 

 その言葉を合図にオレは飛び込む。

 無用心な接近にロレンスは手を一瞬悩む。

 今この瞬間だけ有効な手。つまりはロレンスがオレの武才を過剰評価しているときにだけ使える。

 オレのこの接近には何かえげつない返し手があるものだと考えさせたのだ。

 

 それでもすぐさまロレンスは突きを打つ。

 盾でそれを逸らすが、槍を引きながら盾の縁に刃を引っ掛けるとオレを転がそうとしていく。

 そんな長物で柔術めいたことできんのかよ!?

 感心と焦燥で頭がおかしくなりそうだが、なんとかそれを堪える。

 引っかかった盾は即座に捨て、転がされる方向とは逆側にローリングする。

 褪せ人(オレ)のローリングは一味違う。

 ただ転がるだけではない、どちらかといえば最早魔法の類である。

 何せ動作の範囲であれば慣性を完全に無視してそこへと転がりに行けるのだから。

 

「むっ!」

「悪いね!」

 

 メリクルを閃かせる。

 しかしロレンスもまたグラディウスを短く持ち直してそれを防ぎ、鍔迫り合いのような状態で拮抗する。

 

「聖王殿、ユミナ様をいかがする」

「お嫁さんにしてくれって言われたんでな、そうするさ」

「ほう、お嫁さんと……」

 

 むちゃくちゃ怖い顔でそう返してきた。

 今までこういうシチュエーションがなかったが、面向かった状態での睨み合いこそがきっとテンプレ的な「お父さん、娘さんを僕にください」のアレなんだろうな。

 いや、経験がないわけじゃないか。モスティンとか。

 しかし、モスティンは規格外過ぎて話が違う。

 やはりこういう生の感情めいたものが案外一番心に来るかもしれない。

 

「オレは大切にする方だと思うけどな、手を出すのはまだまだ先だけど」

「清い付き合いは当然であろう」

 

 鍔迫り合いを剥がされるが、距離を取るわけにはいかない。

 槍の得意距離に持っていかれたら次に接近するのがどれほど苦労するかは考えるまでもない。

 弾かれはするが、踏みとどまり、殴り合いの距離で武器を振るう。

 ロレンスも槍の有効距離ではないというのに払い、弾き、或いは攻撃に転じてこちらの技の出を潰してくる。

 

「手を出す出さんはさておいても、オレからすると尊敬すべき女だ

 どうあれ手荒には扱わんし、願いだって叶えてやりたい」

「ユミナ様の願い?」

「グルニアの存続だってよ、聖王国の所領になったとしても歴史と文化を維持したいのだとさ」

 

 オレの中じゃそれをするのはもう決めたことだ。

 正式にそれをしてやるとは言えてないが、あの時の会話で言外に置いた言葉をユミナはしっかりと拾っている。

 

「どうあったってユミナを手放すのは惜しい」

「何が惜しい」

「聡明さや政治的な能力は大きいんだろうが、それよりなにより胆力だよ

 ガトーを一喝してバチギレさせた女なんてそうそういねえだろ

 籠の中の姫様だったら興味はないが、あの子は違う」

 

 ロレンスは返答しない。

 怒っているわけでもなさそうだが。

 

 どんと重い衝撃が来る。

 蹴りだ。蹴りをプレゼントされていた。

 思わず仰け反るも、すぐにローリングで後方へと回避した。

 オレがいた場所には槍が振るわれている。

 勘を頼りにローリングしてなかったらヤバかった。

 

「ユミナ様を幸せにできるかッ!」

 

 再び怒号。

 お前が引き出したい言葉は、なるほど、それか。

 

 息を吸う。

 

「幸せにできねえなら嫁にしねえッ!

 安心しやがれ親父代わりッ!」

 

 オグマが託したユミナを。

 国にある文化と歴史を守るために滅私を選ぶユミナを。

 ガトーに一喝できる烈女のユミナを。

 まだ幼いと表現できるというのに、そう育つしかなかったユミナを。

 

 せめて幸せにしてやりたいと思うのは人情だろう。

 



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ゆるし

 オレの言葉に構えていた槍を収めると、膝を地につけるロレンス。

 

「無礼の数々、どうかご容赦願いたい」

「止めてくれよ、こっちだってわかってる

 オレだけじゃなくて」

 

 ちらりと馬上を見る。

 ユミナの顔が赤い。真正面から男にそんな風に先程のようなこと、つまりは嫁云々に関することは言われたこともなさそうだしな。

 年齢相応で可愛らしい。

 さておき、

 

「ユミナも見てるんだ、顔を上げてくれ

 それにアンタの仕事はまだまだ残ってる」

「……そう、ですな」

「ああ、グルニア攻めはこっからさ

 誰も死なないグルニア攻めにゃあユミナは勿論、アンタの力も不可欠だ」

 

 こうして、西の戦いは新たな局面を迎えることになるわけさ。

 

 ───────────────────────

 

 アリティア主城に一度立ち寄る。

 オレはメイドたちを呼びつけるとユミナに王族らしい格好を、

 ロレンスにはアリティアの将軍位が纏う鎧をさせるように命じた。

 

「お時間が許されるならお二人共に湯浴みをしていただくべきかと」

 

 メイドの一人が提案する。

 二人を見て、それもそうかと考えて諸々のことを彼女に頼むことにした。

 ユミナとロレンスはとりあえずはなすがままのようである。

 オレはその間に可愛い我が子たちの様子を見にいくとマリアがあやしている最中であった。

 思った以上にマリアは子供をあやす才能に溢れているようで、少し泣いていたルキナを抱きかかえて話しかけたり小さな声で歌を謡うとすぐさま泣き止ませたりする。

 普段はお転婆でおしゃまな王女様な印象ばかりが目立つが、苛烈な武人の国であるマケドニアにおいてシスターのクラスに入るだけあって慈愛と懇篤の心を強く備えているのがわかる。

 

 オレの姿を見ると表情を明るくするも、声は出さなかった。

 暫くルキナをあやして、ベッドに戻す。

 その次にクロムのベッドに行くとどうやら静かに眠っているらしい。

 そしてアイのベッドに行くときゃっきゃとマリアの姿を見て喜んでいる声が聞こえた。

 

 少ししてからマリアがオレのところへと来ると、今までの様子とは逆に幼さを盾にしたタックルじみた抱きつきを敢行してきた。

 

「レウス様―!」

「ぐふっ」

「あ、ご、ごめんなさい」

 

 油断していたオレにタックルが効果的なダメージを与える。

 やりすぎちゃったと苦笑いするマリア。

 

「油断してたよ、あの姿見たらお淑やかさの方向に舵切りしたのかとな」

「これくらいしないとレウス様はわかってくださらないでしょう?」

「わかっちゃいるんだがな……

 っと、そうだ

 マリアとチキが作ってくれたアレ、衝撃を受けるレベルで役に立ったぞ」

「本当!?やった!」

「戦いが終わったらしっかり礼はするから、欲しいもの考えておけよ」

「それじゃあ──」

 

 ……彼女が欲しいものがなにかはここでは伏せておこう。

 

 ───────────────────────

 

 身綺麗になったユミナとロレンス。

 そして彼女たちの世話をするためのメイドが一人付いた。

 先んじて早馬を飛ばして西側を睨む拠点でリーザたちとの会議をするための状況は作り出している。

 ユミナたちにもそれを伝え、改めてそこへと向かった。

 

 そう遠くはないものの、流石に徒歩でというわけにも行かなかったので馬車を使っての移動である。

 

「ロレンス、幾つか聞きたい」

「何でしょうかな、聖王殿」

「……いつまで持つと考えている?」

「この体、ですな」

 

 アリティアまでの道のりで聞いたのはニーナとカミュの死。

 そして彼女たちの起こした奇跡の一端がロレンスの帰還であったらしい。

 湯浴みをしたときに彼も確認したようだが、死人とは思えないと自身を騙る。

 ただ心臓が動いていない、或いはそうしたものがないのかもしれないが──ともかく、命の鼓動がないだけで生者と変わらないのだという。

 腐り落ちる様子もなく、しかし育つようなこともない。

 

「恐らくは、この戦いが終わるまでは持つかと」

「グルニアのか」

「聖王殿の戦いが、或いはユミナ様が貴方の仰るとおりに幸せにしていただけるまでは」

「もう一度死に手招かれている実感はない、と」

「はい」

 

 よくわかった。

 レウスの顔にはそう書いている。

 

「陛下?」

 

 表情を見たユミナは少しだけ不安を滲ませて問う。

 馬車の中にいるのはユミナ、ロレンス、レウスのみ。

 世話役に抜擢されたメイドは御者の仕事をこなしていた。

 レウスは余人に聞かれることはないと判断してユミナの言葉に返事をする。

 

「ロレンス、よく聞け

 お前はオレと同じだ

 黄金律と呼ばれる力によって生物としての有り様が変わった存在だ」

「陛下と同じ?」

「ああ、そうだ

 オレやお前は褪せ人と呼ばれる存在となった

 だが、黄金律は既にこの世界からは拡散され、オレと同じ種族ではあるが成り立ちは違う

 だからお前がどれほどまで生きるかはオレにも答えられない」

 

 この世界の褪せ人であるならば、黄金律のある限りは蘇りもするかもしれない。

 しかし、今やその黄金律の力は解放され、本来の力を持たないはずである。

 それ故に、恐らくはロレンスも完全なる不死ではないだろう。

 だが、命を何者かに弄ばれる歩く死者ではなく、そうした生物になったと伝えれば少しは気の持ちようも変わるだろうとレウスは判断し、そう伝えた。

 

「では、ロレンスとまだ一緒にいられるのですね」

 

 ユミナは表情を明るくする。

 きっと本来の彼女はこういう顔をする少女なのだろう。

 

「ああ、だから早いところそいつをユベロ王子にも教えてやらねえとな」

 

 はい、とユミナは頷く。

 烈女と評したのはレウスだが、彼女が烈女でなくてもいい時代を早く作ってやりたいとも思っていた。

 この大陸は幼いものが背負うにはあまりに重いものが多すぎる。

 

「だからロレンス、お前には色々と仕事をしてもらうぞ

 手始めにグルニアを、そして」

「ええ、この体が動く限り、ユミナ様への忠節を示しましょう」

「それでいい」

 

 この二人はユミナを案じるものという一点においては確実に、完全に折り合えていた。

 



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触れる温もり

 西側の拠点に到着し、会議室へと入るなりレウスへとリーザが駆け寄ってきた。

 

「相変わらずの軍才を発揮してるみたいだな、リーザ」

「私なりの必死を見てくれた?」

「見てはいないが聞いちゃいるよ」

「ふふ、たくさん褒めていいのよ、ね?ね?」

 

 撫でろと言わんばかりに甘えてくるリーザ。

 最早、主城で働く人間からすれば偉大な女王リーザが聖王の前では若い学徒の如くに甘えているということは日常的なもので、誰もそれをみて驚いたりはしない。

 

 レウスもまた、わかったわかった、などという投げやりな態度は取らず、

「リーザみたいな出来た妻をもらえて幸せもんだよ、オレは」と感謝をしつつ抱擁したりなどしている。

 実際、こうした甘やかしでもしないと精神的に参るだろうほどの重責が彼女の肩にはのしかかっている。

 

「あっと、そうだったわ……ンン、こほん」

 

 リーザは姿勢を正し、

 

「はじめまして、私はアリティア聖王国が女王、リーザ」

「……!」

 

 彼女が知るリーザは完全無欠の女王、軍神が一人とまで謡われる才女でしかなく、これほどまでに甘々な空間を作り出す人物だとも思っていなかったため、呆気にとられていたユミナだったが、彼女のその態度にすぐさま対応する。

 

「お初にお目にかかります、グルニア女王ユミナ

 こうしてリーザ女王殿下の前に立たせていただいていることに感謝を」

「いいえ、……大変な旅路でしたね、ユミナ女王」

 

 リーザはそっと彼女の手を取ると、それをまるで温めるようにして手で包む。

 演技ではない。

 そもそもが母性愛の強い女であり、自分もまた弱き立場にいたからこそ追い込まれたであろう彼女の心を案じていた。

 

「それは……」

 

 ユミナは心に来るものを堪えていた。

 父と、グルニアがよく育ててくれたが、それでも母性というものに憧れがないといえば嘘になる。

 それが彼女の前にあらわれ、心を慰撫すれば飲み下していた苦しみが表に出てきてしまいそうになる。

 

 ロレンスはそれを察し、メイドは更に察して彼にハンカチを渡している。

 

「失礼します、ユミナ女王」

 

 そう言うとリーザはユミナを抱きしめる。

 ついに我慢しきれなくなった彼女は声を殺して泣き始めた。

 

 父がガトーに奪われ、国を継ぎ、必死に支え、しかし殺されて蘇らされ、

 オグマに助けられて逃避行をし、クリスとチェイニーに引き継がれて、ようやくレウスへと辿り着いた今。

 ただ一人、苦しみを吐露することもなく背を曲げることもなく向かい合っていた彼女の心はとっくに限界を超えていた。

 それが彼女を壊してしまう前に、リーザはそれを吐き出させた。

 

 やがて殺しきれなくなった泣き声が陣幕に響く。

 ユミナが落ち着くまで暫くの時間を要したがそれを不満に思う冷たい人間はここには誰一人いなかった。

 

 ───────────────────────

 

「ってことだ」

「ユミナ女王はアリティアの妻となり、そしてロレンス将軍もまたアリティアの将となった

 前線はそれによって撤廃させて、玉座へと戻って改めて宣誓する……」

 

 リーザは自分の認識のためにも内容を纏めて口に出す。

 

「問題はないと思うけれど、今玉座にあるのはユベロ代理王よね」

「ユベロは私が説得します」

「書面を見ても戦いたがらなさそうな気配は感じていたし、大丈夫だと思う」

 

 アリティアを支えた女傑は相手から来た文章からもその心を見る。

 それは恐らく、玉座に座ったもの同士であればわかる一種のシンパシーのようなものなのかもしれない。

 

「けれど、多くの人間の思いが錯綜している前線はどうするの?」

「そこはこのロレンスが取りまとめまする」

「リーザ様、私もきっとお手伝いできますよ!」

「ああ、ノルンが好きになっちゃった人があっちにいるのよね?」

「だっ、だから違いますって!」

 

 陣幕にいる高級将校たちがざわつく。

 一部はノルンファンクラブであり、彼らはどこか危ういノルンの平穏な未来を願う熱狂的な軍団であり、その言葉を聞くと目つきが変わり、ひそひそと話をしている。

「ノルン様が惚れた?」「どこの恐れしらずなんだ」

「オレたちと同じ飛兵かな」「だとしたら落とされてるだろ」「ああ、心がとかそういう?」

「一騎打ちの相手じゃないか」「ロベルトだっけ」「金髪美形の……」

「でもアイツ手袋右左で違ったぞ」「ドジっ子か……」「可愛げがあるぞ……」

「しかし不安だ」「ノルン様の婿に相応しいか見定めねば」「ああ」「見定めねば」

 

 会議中でもこうした行いが許されるのはリーザの許可あってのもの。

 元々はリーザが会議中でも(ストレスの閾値が超えると)レウスに甘えていて、それを容赦させるための施策であったが、現在では違う方面で機能している。

 

「きっ、君たちもさあ!……もういいよ!

 はいはい!とにかく前線でのツテはありますから!」

 

 ロレンスは少し考えるような表情をして。

 

「ロベルトですか……いい男ですぞ、四侠殿」

 

 したり顔でおすすめした。

 



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解放と円卓

 方針は定まった。

 が、しかし、それで終わりというわけではない。

 会議の後にレウスは幾名かを指定して部屋に残した。

 

 リーザ、ノルン。

 リーザが選別したメイドたちと、ノルンが特に側に付けることが多い近衛兵を部屋の外に警戒のために配置した。

 そして、ユミナとロレンスも当然ではあるものの、残されている。

 何せ、これからレウスがやることはユミナに関わることであるからだ。

 

「言わんでも察していると思うが、このままじゃあユミナ女王は自由とは言えない

 それどころ当人そのものが危険度が高い存在になっちまっている」

「魔将、ですね」

 

 ユミナの言葉にレウスが頷く。

 

「それを焼き消して、まずはこの体をユミナ女王のものに戻す

 ガトーから取り返すんだ」

「そんなこと、いえ、どのように?」

「説明は難しいが、オレには何でも灰に返すことができる力がある

 ただ、便利なものじゃない

 下手するとなんもかんもを灰に還しかねない

 だから、ユミナ女王には選択肢がある」

 

 一つは、危険を承知でその力を行使される。

 もう一つは、アリティア領内でことの成り行きを後方で待つ。

 

「そんなこと、選ぶまでもありません

 私はグルニアに戻らなければならないのですから

 ……陛下にはご苦労をかけるものだと思います、ですが恐れるものはありません

 どうか、その力で私を解放してください」

「わかった」

 

 ためらわず、一言の了承だけをレウスは伝える。

 

 横槍が入るのが一番怖いからこそ、周りの防備は固めている──続けてそう言って、

「室内も固めたかったが、魔将からの解放ができることは可能な限り他に広めたくなかった

 悪いがリーザ、ノルン、ロレンスは持ち回りでオレを護衛し続けてくれ」

「任せなさい」

 

 リーザの言葉にノルンとロレンスも頷く。

 

「ユミナ女王、覚悟は」

「貴方を信じます、レウス陛下」

 

 その言葉を聞いて、レウスはルーンの力を解放し始める。

 細緻に、慎重に。

 死のルーンの感触に触れるために、自らの心を半ば獣へと転じさせながら。

 

 ───────────────────────

 

 ここに至る以前。

 短い仮眠を取った中でレウスは円卓へと招かれていた。

 

「久しいな、褪せ人よ」

 

 椅子の一つから立ち上がった姿。

 それは大きく、雄々しく、どこか愛嬌もある姿。

 

「マリケス!?」

 

 百度以上を戦った、文字通りの好敵手の登場にレウスは流石に驚いた。

 あのときに彼との戦いを思い出したのも、もしかしたならば彼の差配であったのかもしれない。

 

 だが、あえて礼を言うのは照れくさかったし、その様子に対してマリケスも理解はしているようだった。

 

「居心地がよいのでここで過ごさせてもらっている」

「そりゃあなによりだが……呼んだのはアンタか?」

「私よ、レウス」

 

 相変わらずの勝ち気な声と態度、メリナが奥の部屋から現れた。

 

「円卓の女主人ってわけだ」

「女主人って言うほどここに住人いないでしょうに……ともかく、あなた、また死のルーンを使おうとしているでしょう」

 

 懲りないわね、と言いたげに。

 

「まー……ユミナを解放してやりたいって思うのは不思議なことでもないだろ?」

「そうね、でも先日はかなりギリギリの賭けだったのは理解していて?」

「そりゃあなあ……」

 

 立ち眩みなんてものじゃない。

 あれが死にかけるというものなのだろうことを理解できてしまった。

 可能ならもう二度とやりたくない。

 

「と、いうところで私達も考えたのよ」

「何とかならぬか、とな」

 

 円卓の二人が言葉を続けて言う。

 

「死のルーンを守護し、それを使わせまいとしていたのにいいのかよ」

「もはや彼のルーンはお前の手にある、どう使おうと私の知るところではない

 だが、それを使い好敵手が不幸になるのは悲しいもの

 であれば私にもできることがあるのならばなにか手を出したい」

 

 自由すぎるだろうとも思うも、あえてそういう態度を取っていることはレウスにもわかる。

 

(マリケスがこういう奴だからこそ、グラングとなって尚苦しみ続けたんだろうな……)

 

 レウスは黒き剣士の優しさに触れ、大部分の嬉しさと、少しだけ心が苦しくなる心地がした。

 

「手を出すって、例えば?」

「私たちができることといえば、貴方がしまい込んだものをあれやこれやと弄ること」

「しまい込んだ?」

「便利に使ってるでしょ、懐にあれやこれやとしまいこんで」

「ここに繋がってたのか」

 

 つまり、アカネイアの旅で便利に使っていたインベントリはここに繋がっていたのだとレウスは思う。

 

「繋げた、というべきかもしれないけどね

 ま、それは今はいいでしょ」

 

 ……単純に繋がっていたのではないようだが、確かにどこに繋がっていようとレウスからしてみればあまり拘りのないことでもある。

 ただ、現在は円卓のどこぞに繋がっていることがわかれば、どことも知れぬ場所よりかは安心もできる気がした。

 

「オーブのことはちゃんと覚えている?」

「手元にあるのが命、星、大地……闇はロプトのところだな

 で、光はおそらくガトーのところだろう」

「カチュアを助けたときに命と星のオーブを使って治癒したけれど」

「危なく燃え尽きかけたんだよな」

「そう、そうポンポン使うものじゃあないの、本当はね」

「しかし、それを使わねばならぬときもある」

 

 前もって用意していたかのようにマリケスが相槌を打つ。

 

「で、危険性をなんとかするための方法を色々と考えたの

 結果はまあ、結局は連続して使えない方法でしかなかったけど」

 

 彼女が机の上にごとりと音を立てて置いたのは『ぬくもり石』であった。

 持続的に傷を癒やすアイテムだと聞いて大量に作ったはいいが、レウスの戦い方は無理攻めばかりで回復が追いつかずにほっぽっていたもの。

 

「燃やす命が足りなくて危ないなら、端から燃料を注げばいいのよ」

 

 狭間の地の住人らしい強引(脳筋)な解決策であった。

 



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黒剣瞬殺

 魔将の戒め、呪いとも言うべきものを打ち破るやり方は前回のとおり。

 対象の体の中にあるそれを死のルーンで焼き払う。

 対象に命のオーブを通じて延命を施し、命のオーブそのものの強度を星のオーブで補填する。

 代価となるのは使用者の命。

 前回はそれで死にかけたのであれば、補填すればよいというのがメリナの考えであった。

 

「聖杯瓶があれば話は早いかったのだけれどね」

 とメリナは言う。

 聖杯瓶も霊薬もアカネイアに来る前の戦い、つまりはラダゴンやエルデの獣との戦いですっかり使い切ってしまっていた。

 アカネイアの地では充填する手段もない。

 

 魔将からの解放を行う際に円卓でメリナは黄金樹の祈祷を、

 マリケスは大量にある『ぬくもり石(リジェネする石)』を使用する。

 外側からの治癒に関しては傷であるわけでもなく、命そのものを代価にするために意味がないらしい。

 

「円卓に治癒ができるものがおれば可能であったかもしれぬが」

 マリケスはそう言いながら杖を振ってみたものの意味はない。

 どうにもこの二人には杖を使う資格がないのか、鈍器としてしか使用できないようだった。

 

「二人ともありがとうな」

 

 その言葉に、

「当然でしょう、自分のところの王様に死んでもらっちゃ困るのだから」

「外に出て大暴れでもできれば仕事をしている実感もあるが、それも難しいのでな

 今回は石を使う係に回らせてもらおう」

 

 二人とも気分のいい返事を返した。

 

「それじゃあ、そのときが来たら景気よくやりなさい

 こっちはそれにちゃんと同調するから」

 

 そうして、時は巡り、ユミナを魔将から解き放つ場面に戻る。

 

 ───────────────────────

 

 祈るような姿勢で膝をついてレウスへと向くユミナ。

 その細い首に手をかける。

 そうして、一同の前でゆっくり姿が変わっていった。

 

 それは鎧を纏った二足の獣、獣騎士と呼ぶに相応しい姿。

 

 伝承に謡われるマーナガルムの如き威容──いや、それすらも可愛げのあるようにも思える、恐怖を纏う獣人。

 それでもこの場においてそれに恐怖するものは一人としていなかった。

 そこにあるのは信頼と祈りだけ。

 自らの夫、主君を信じる心と、忌むべきものにかけられた呪いを砕いてくれと祈る心だけだ。

 

 獣騎士の体の端々から緩やかに黒と赤の炎が灯り始めると、その炎たちは意思を持つようにユミナの中へと浸透していく。

 

 レウスの視界が炎を伝うように流れ、やがてユミナの中へと入っていく。

 それは肉や骨ではなく、心の中へと沈むように。

 カチュアのそれとは違い、自由意思を持つからか、闇の中にたゆたうような感覚ではない。

 

 視界が開けてくる。

 遠くに山、そして海なども見える。

 穏やかな気候ではあるが、広がる風景の色合いはどこか寂びていた。

 それは実際の風景ではなく、ユミナの心を映した場所であるからだろうか。

 それとも、実際にいってみればやはりこうした風景が広がっているのか。

 

 そこは──見たことはないが、心象風景だというのなら──恐らくグルニアの領地のどこかなのだろう。

 大きく、厳しい城だけが鎮座している。

 グルニア主城だろうかとレウスは思う。

 

「レウス、城の前にユミナがいる

 この地の拷問器具か何かに縛られているけど、あれを壊せば魔将からは解放されるはずよ」

「随分と簡単だな」

 

 いいや、と声をかけてきたのはマリケス。

 

「到来を知って何かが現れたぞ、恐らく守護者であろうな」

銀幕(ボス前の合図)もねえのに卑怯なボスもいたもんだ」

 

 その姿は封牢の中に囚われたもののように、もやのように包まれ、その細部を知ることができない人影であった。

 手には杖らしきものを持ち、もう片手には本らしきものを持っている。

 司祭に相当するものであろうことはわかる。

 

 掌に力を想起する。

 祈祷、黒き剣。

 この空間では獣性に近いものであればあるほど、扱いやすいような感覚を受けていた。

 であれば、それに従おう──彼は口には出さぬものの、そう考えを結んだ。

 

「回復には限りがある、制限時間の内に倒して」

「秒殺で終わらせてやるさ」

 

 杖を構えた魔将の影。

 十二聖戦士が伝承を伝えるようにして作られているのであれば、何かしらの曰くがある存在なのだろう。

 しかし、ガトーの趣味など極めてどうでもいいことだった。

 眼の前にはユミナが囚われていて、それを邪魔するものがいる。

 やるべきことはシンプルだ。

 

「行くぞッ!」

 

 戦闘は始まり、しかし詳細は語るまでもない。

 現実ではない空間であれば好き勝手できる。

 端的に起こったことを記せば短くもなる。

 

 その動きはまさしくマリケスそのもの。

 三次元的な攻撃の前に本当に一瞬で勝負はついた。

 黒き剣の斬撃光波が魔将を切り裂き、空中で制動を利かせながら着地したレウスにこの戦い方の元祖(マリケス)

 

「お見事」

 

 そう一言呟いた。

 



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御されたる焔

 燃えて朽ちる司祭に手にある黒き大剣を投げつけるようにして止めを刺し、急ぎ拷問器具のようなものからユミナを解放する。

 

 彼女を縛っていた戒めは霧のようにして消えていき、彼女はゆっくりと目を開く。

 

「陛下……私は」

 

 その瞳は気丈な女王ユミナとは違い、年頃の少女と変わらぬ、状況に不安を覚えているそれであった。

 

「これで自由だ」

「本当に……?」

 

 泣き出しそうな声で、確認する。

 

「間違いねえよ、何せオレ専属の秘書」

(誰が秘書ですって?)

「いや、有能な相談役が二人もついてんだが、そいつらもこれで解放されると太鼓判を押している」

(うむ、やがて二人とも目を覚ますであろう……と、我らの声は彼女には届いておらぬか)

 

 聞こえていれば少しはユミナも不安から解消できる騒がしさだろうにとレウスは思うも、伝わらないものは仕方がない。

 

「その、陛下」

「なんだ、ユミナ女王」

 

 居住まいを正すと、

 

「ありがとう、ございました……!」

 

 深く頭を下げようとする。

 しかしそれはレウスの手によって止められた。

 勿論、強引にではなく、そっと指を顎に触れるようにして、下を向かせないように。

 

「魔将のまんまじゃ困るのはオレだからさ、オレのためにやったことにお礼なんて言わないでくれ

 それでもお礼をしたいってなら、これからは陛下じゃなくて名前で呼んでもらおうかな

 実際はどうあれ、一応は夫婦になるんだ」

「ですが、年上の殿方をそのようにお呼びしてよいものか……」

「レウスでいいって、いや、旦那様とかもいいか……もしくは……」

(気持ち悪い)

(流石にな)

 

 総スカンを食らう。

 ちょっとした冗談だろう、と二人に伝えても返事は返ってこなかった。

 ここまで本気で捉えられるとは……やはり言葉選びはというのは慎重にせねばならないものだとレウスは内省する。

 

「……ともかく、レウスでいい」

「では、私も女王と付けないで呼んでくださいますか」

「わかったよ、ユミナ」

「はい、レウス」

 

 どこか気恥ずかしいのか、力のない笑みを二人とも浮かべる。

 

「おっと、そろそろ引き戻されるみたいだな

 それじゃあ、現実(あっち)で会おう」

「はい!」

 

 ふわりとレウスの姿が消える。

 ユミナは心象風景を見渡してから、そして服の上から傷痕をなぞる。

 

 言い出せなかった。

 オグマは傷痕など気にしない人だと言っていたけれど、実際に夫婦になるなどと言われたあとに「傷のある女はいやだ」などと言われたら立ち直れない。

 自らの心の弱いところを見つけて苦笑する。

 

「次に機会があったときには、必ず言おう」

 

 これからもグルニアの王族として立たねばならない日々はあるだろう。

 為政者であれば隠しごとも多くなる。

 であっても、せめてレウスには何一つ隠すことのない自分でいよう、彼女は救われた自らの心の中でそう誓うのであった。

 

 ───────────────────────

 

 レウスが目を覚ますと、そこが儀式を執り行った場所ではなくどこかしらの寝台であることを理解した。

 メリナとマリケスの協力があり、その上で安全な場所で執り行ったものだったがやはり反動は大きいようだった。

 カチュアのときよりも状況が悪化しているのもレウスにとっては気になることではあったが、その辺りはまた円卓で彼らと相談すればわかることだろう。

 今はなによりユミナの様態が気になるばかりで、寝台から立ち上がり、外へと向かおうとしたところで入ってきたメイドに見られた。

 

 このメイドはアリティア解放から向こう、リーザに付き従ったものの一人であり、妙な迫力と意思力があるのでレウスの記憶にもある人物であった。

 

「ユミナ女王がご心配かと思いますが、寝台でお待ち下さいますよう」

「……わかった」

 

 メイドがそう言うのであれば、ユミナに関する何かしらがあるのであろう。

 暫くすると控えめなノック、ユミナですとの声に入室を促す。

 

 盆に食器を載せて運ぶメイドを伴って現れたユミナ。

 パンに茶にと賑やかに置かれている。

 

「本当は私が運びたかったのですが……」

「女王様にお運びいただくわけにはいきませんので」

 

 申し訳無さそうにメイド──アリティアからユミナの世話を行っているものだ──が言う。

 ユミナもそれに反抗するわけでもなく、レウスの側に来ると

「お加減はいかがですか?

 私を助けてくださったあとにそのまま倒れてしまって」

 不安そうにしている。

 自らを助けたことで恩人が危地に落ちたとなればこうなるのも無理はない。

 こうした状況、つまりは心配そうにされるのは慣れたものであるレウスは

「気にするな、いつものことだ」と笑った。

 

 レウスに食事は済んだのかと聞かれたユミナは喉も通らず、と返す。

 このあたりの素直さはまだ少女を感じせる。

 メイドもそれを予測していたのか、多めに盛った料理を持ち込んでくれたので二人でいただくこととなる。

 

「一休みしたら、いよいよグルニアに行く」

「はい、レウス

 問題はないとは思いますが」

「だといいがな……」

 

 グルニアはレウスを女王であるユミナを救った人物と見るか、

 ユミナを体よく扱おうとする簒奪者と見るか、

 判断が付かなかった。

 だが、様子見をする時間も与えられていない。

 刻一刻と東側の戦いの再開は迫ってきているのだから。

 



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アリティアの使者

 西方の最前線、そこは静かな状態が維持されていた。

 決戦とは言われていても、グルニア側は厳格な規律の元にその休息を受け入れている。

 アリティアの使者が現れたのはそんな折であり、軍を預かるライデンはその内容に目を剥いた。

 

「グルニアの宝を取り戻した

 アリティアの協力の下になされたことであり、その点についての話し合いがしたい」

 

 ロレンスのサインが添えられたそれを疑いもするが、

 ライデンの側でロベルトが口を出す。

 

「使者が我らの知るものでなければ疑うべきであったと思う

 しかし、信じるに値する人が届けたのであればこちらも信で返したい」

 

 使者として遣わされたのは名も知れぬものではなく、四侠が一人、ノルン。

 手紙の信頼性の担保のためというだけではなく、彼女とロベルトの一騎打ちとそこで芽生えた幽かな信頼、

 それに何より、休戦状態とはいえ先日まで派手に殴り合っていた勢力同士、戦う力がないものを使者にしたところで道中で命を落とす可能性が大きかったのもあろう。

 

「信を返したい」と言うロベルトの、その心中をライデンは理解している。

 彼を窓口にして頼ってきたのはアリティア最高位の将校である四侠、その一員であるノルンであったからだ。

 

「彼女が我らを倒すためだけなどという小賢しい策のために動くはずがない」

 ロベルトのその言葉は少し強くもあり、ライデンやベルフは少し驚いた。

 

 感情を込めることが珍しい男だからだ。

 それが何となくおかしく、そしてそのおかしさが朋友の無自覚な信頼、或いは思慕なのではないかと理解したからだ。

 

 とはいえ、それを口に出すわけにもいかない。

 もしも戦いが平和裏に終わるならば二人の道を陰ながら見守りたい。

 あれやこれやと口に出すのは紳士道がすたるというもの。

 

「わかった、では手紙をしたためよう

 今度はロベルトがそれを運んでもらえるかな」

 

 ノルンが待っている以上、彼女にそのまま持たせてもよかったのだが、それでは釣り合いが取れない。

 こちらもあの手紙を信じると言うのであれば相応の人物を使者として立てる必要があるだろう。

 それがライデンの考えでもあったし、同様のことをベルフもロベルトも考えていた。

 

 ───────────────────────

 

 そうして手紙を持たされたロベルトがノルンと共にアリティアの拠点まで進む。

 

「あ、あのさ、ロベルト将軍」

「将軍は要りませんよ、ノルン殿」

「ん~……わかったよ、ロベルト……くん」

「く、くんですか」

「いやだった?」

「まさか。心地よい響きです」

 

 ローティーンの会話のようでもあるが、それを揶揄するものはいない。

 何せ護衛もない単騎行、いや、今は二人だからこそ双騎行ではあるが。

 

「ロベルトくんはご結婚とかは?許嫁とか」

「いえ、何分忙しくしていたものでそうした浮いた話は……許嫁に関しても

 見合い話は何件か来てはいたのですがカミュ様がご結婚なされるまでは控えたいと思っていまして」

「そっか」

 

「ノルン殿はどうなのです?」

「私?私は全然、騎士の家とかお貴族様じゃないからそんなのないよ」

「そうですか……」

 

 ノルンがロベルトの顔色を見ると会話を続けたくないというわけではなく、どこか安堵したようなほんの少し赤みのある色をしているような気もする。

 彼女自身、ロベルトに惹かれるところはあった。

 戦場で見た弓の扱い、指揮の巧さ、なにより揺れる金髪に甘い顔立ちは彼女ならずとも黄色い声を出したくもなるだろう。

 そこに来て、一騎打ちをする豪胆さや判断力、そして話し合いに応じてくれる理性的な側面を含めて、彼女は惹かれていた。

 それを明確に自覚したのはつい先日の会議の場ではあったのだが。

 

 こうしたことは一度自覚すると中々抜け出せないもので、男性とそうした話をする経験もないノルンはぎくしゃくとした会話を続けるしかできなかった。

 

 一方のロベルトもまた、ライデンやベルフ、そして近くに侍る騎士たちからノルンとの関係や感情を聞かれていた。

 彼もまたノルンの武勇伝の幾つもを聞いており、弓を取るものとして尊敬していた。

 

 単騎で岬に立って飛兵たちを次から次へと落としていく吟遊詩人の唄は勇壮にして美しく、金を渡してリクエストを何度もするほどのお気に入りであった。

 

 恋愛的というよりも、憧れであった。

 寝物語の英雄たちのような、きらびやかな伝説を纏う存在。ただの騎士には到達できない存在である。

 

 彼女と一騎打ちをしたのは勿論、冷静な考えとグルニアと戦線を第一にした戦略のため。

 だが、それでも夢見るほどに憧れる英雄との戦いに心が躍らないわけもない。

 そこで話した彼女の言葉、声、仕草、なにより腕前に……国家同士の状況をも考えた判断力に心を射抜かれた。

 

 抱えた感情が思慕であることに気が付くのは部下たちにそれとなく指摘されてから。

 貴族であれば貴族同士での結婚が当然ではあるが、戦乱の世にあってそのような慣例など無意味だろうと言ったのはベルフであった。

 その言葉がロベルトの心を幾分か軽くもした。

 

 こうしたことは一度自覚すると中々どころか、意識を離そうとすればするほどに近寄ってくるようで、初めての感覚にロベルトのほうはぎくしゃくどころではなかった。

 手袋は二つとも揃いのものを嵌めたし、衣服が裏表にして着てしまうこともないほどに、普段とは掛け離れたことをして、妙なだらしなさがなくなったことに部下たちを驚かせてしまっていた。

 

 二人はなんとも平和な会話をしながら、拠点へと向かっていった。

 これが戦争の中の一幕で、敵味方に分かれたものでなければ──見るものはきっとみな、そう思うだろう。

 そして、これが平和の中の一幕であればと、きっと誰しもが祈るだろう。

 



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この戦いが終わったら

 ロベルトは平伏していた。

 死んだと伝えられていたグルニアの名誉──誉れある老将ロレンスが生きていたのだから。

 

「顔を上げろ、ロベルト」

「将軍、生きておられたのですか」

「……いや、殺された

 ガトーの配下にな」

 

 ロレンスはそれなりの部分を省略はしたものの、自身が死んだこと、そして奇跡が味方して蘇ったことを説明する。

 彼自身が理解していない奇跡であるがゆえに語れることは少ないものの、そうしたことがあったのだと言われればロベルトは頷くしかない。

 どんな奇跡であれ、ロレンスがそこにいるのは事実なのだ。

 

 しかし、ロレンス自身が許したのでロベルトやロレンスなどの高級将校でも更に一部しか知らないようなことを話題に出して眼の前にいる者が影武者であるかどうか程度の判定はする。

 もっとも、ガトーや魔将がいる限りはそれほど有用な判定でもないことを理解している以上はお守り程度のやりとりでしかない

 

「この手紙に書かれていた宝とは」

「久しぶりですね、ロベルト将軍」

 

 部屋に新たに入室した人物の声に再び顔を下げる。

 

 偉大なる幼年の女王、年齢には見合わぬほどの統治能力を持つ才女、

 何よりも父の跡をついでグルニアを維持し発展の兆しまで見せたグルニアの至宝。

 

「女王陛下!」

 

 使者として現れたロベルトは彼らと幾つかの話をしたものの、すぐに帰還の許しを求める。

 戦っている場合ではない。

 この戦いに意味などないことを早く伝えねばならない。

 

「まあ、そう急ぐなよ」

 

 それを止めたのは鷹揚な言葉遣いの男であった。

 黒い毛皮の外套に、黒と褐色の鎧、どこかアカネイア人とは違う顔立ち。

 男が聖王レウスと呼ばれたアリティアの主であることを直感する。

 

「ロレンスがやられたのも重要な使者の役目の中で、だそうだ

 で、今回も同じ状況になっているわけで……狙われないとも言えないだろう」

「は、はい」

「だからユミナもロレンスも、オレも一緒に行く」

「なっ……聖王陛下も、ですか?」

「ああ、そっちのほうが話が早いだろう」

「ですが、いえ……それは、そうですが」

 

 流石にその判断をいいとも悪いとも言えない。

 

「あなた、将軍が困っているわ」

「ん?んー、困らせたくて言ってるわけじゃないんだが」

 

 レウスを『あなた』と呼ぶことと、青い髪色と、何よりその身なりからロベルトは彼女がアリティアの女王であるリーザであると特定する。

 シーダのような少女にも見えないことが観察結果の決め手ではあるが、わかったがゆえにより困ったことになる。

 これほど王族や重要人物がわらわらと集まられて、軍を預かる将軍の一人とは言え、一介の騎士には重すぎる状況だったからだ。

 

「陛下も、女王殿下も、ロベルトくんが困っているから!

 話は私が纏めます、いいですね!」

 

 ノルンの言葉をもって、一度この状況は閉ざされることとなった。

 

 客室を与えられたロベルトはノルンが淹れたハーブティーに口をつけている。

 なんとか落ち着きを取り戻した彼はノルンに「助かりました」と感謝を述べる。

 

「私は陛下たちと一緒に戦いもしたし、慣れてるけど……普通は困る状況だってのは何故か今も気が付かれていないんだよねえ……

 どうにもユミナ様もロレンス様もそのきらいがあるんだけど」

 

 レウスに対してはどこか自分のようなもの、つまり市井や村人のような近しいものを感じていた。

 彼女はレウスを時代を変えうる大英雄とも評価はしているのに、不思議なものだとも思っていた。

 実際にノルンの読みは正しく、レウスは元々が日本人であり、尊い生まれでもなんでもない。

 貴族や王族が持つ風格というものを備えないのは当然でもある。

 だからこそ、ある意味での野卑さがリーザたちを惹き付ける要因の一つでもあるのかもしれないが。

 

「ははは……そういう意味では一番冷静だったのは、グルニアではカミュ様だったかもしれませんね」

「流石は黒騎士様、唄で聞くような冷静なお人なんだね」

 

 吟遊詩人が謡うのは英雄たちの物語。

 彼らの唄は制限されているような場所でなければその地の敵対国家の唄であっても謡うことは珍しくない。

 アカネイアやオレルアンでレウスの唄を聞けることは数少ないが、アリティアやグルニア、マケドニアであはそうした制限があまりない。

 アリティアの城下町ではカミュの武勇伝や逸話が謡われることは頻繁にあるし、下町に飲みに出かけることも多いノルンは歴史上の英雄よりも黒騎士カミュはよほど身近な存在であった。

 

「ええ……いつも冷静で、騎士らしくあり、そして何よりグルニアを自らの命よりも重く考えるお方です」

「よく知っているんだね」

「私やライデンやベルフ、黒騎士の三騎将はカミュ様に育てられたも同然ですから」

 

 黒騎士見習いの頃から目をかけられていた。

 ライデン、ベルフ、ロベルトはそれぞれが秀でる能力が違ったからこそ、三人を一つの輪としたのもカミュであり、人を見る目に置いてはグルニア一の男でもあった。

 

「じゃあ、カミュ様だったら今の状況をどう捉えるかな、どうやって動かすと思う?」

「それは──」

 

 ノルンの言葉は正しく、ロベルトが今最も必要としていた言葉であった。

 彼自身が気が付かず、しかし今まで会ったこともなかったノルンがそれを引き出したことに驚きを覚え、そして、自覚した。

 

 この人こそが、自分の人生に必要な人である、と。

 恋も愛も重要なのは時間ではない。

 少なくともロベルトは今、まさしくそれを自覚した。

 

「ノルン殿、次に行うべきことが見えました」

「そっか、よかった!」

「ですが、それとは別の話なのですが……聞いてくださいますか?」

「うん、なに?」

「グルニアとアリティアが平和になったら……私の妻になってくださいませんか」

 

「へ?」

 

 理解が追いつくまでに暫く時間があり、そして追いつくとノルンの顔はりんごのように紅くなった。

 



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グルニアの夜

 ロベルトとノルンが先導する形でレウス、ロレンス、ユミナが同道する。

 彼らだけではなく、普段はリーザの下に付いている高等文官なども存在し、書面などを纏めるための政治的に必要な立場のものも共にあった。

 

 同道する彼らを見て、よもやあの一騎打ちからこれほど状況が動くとは思ってもなかったロベルトは緊張で胃がひっくり返りそうでもあった。

 

 その手をそっと握ったのはノルン。

「大丈夫、きっと何もかもいい感じになるって

 安心してよ、ロベルトくん」

 そう、小さな声で応援する。

 

 それを少しの遠間から見ているのは

 

「ンマー、見まして?見まして?」

 

 何故か妙な口調になっているレウス。

 

「見ました、いえ、聞きました……!

 まるで恋愛小説のような一幕を!」

「ユミナもそういうものを読むのね!」

「し、仕方ないじゃないですか、一日の少し位は心を休める時間がないと潰れてしまいますから」

「責めてるんじゃないの、嬉しいのよお」

「さ、先からなんですかその妙な口調は……?」

 

 ユミナもその妙な口調が自分やロレンスとの距離を縮めるための道化芝居のようなものであることは理解しており、だからこそ自分のこともあけすけに話していた。

 ちなみにレウスは道化芝居をしているわけではなく、本来の、或いは平時では割とこうした気ぶりの仕方というか、おどけかたをする青年ではあった。

 それがまるでできなかったのは、それだけ狭間の地から向こう、アカネイアという大地での旅と戦いが過酷であり、平和な話をする暇がなかった証拠でもある。

 

 やがて、彼らがグルニアの戦線に到着し、ライデンたちとの会合ともなると、ロベルトと同じような状況、つまりは混乱が引き起こされるのであった。

 

 ───────────────────────

 

 グルニア戦線全ての指揮権の移譲。

 それが最初に決まったことだった。

 全てはユミナのもとに。

 

 戦線にいるものは誰もグルニア首都に戻っていないことと、その光があったことの実際のことは把握しておらず、将兵たちにも不安が広がっていたともいう。

 だが、ユミナが戻ったことでそれは収まる。

 

 彼女もそうした不安を払拭するために兵士たちを集めての演説を行ったのもある。

 現在はアリティアの庇護下にあり、この戦いは東と、そしてガトーという男が引き起こした陰謀であったと。

 そうした演説の効果もあり、すんなりと軍権は移譲され、アリティアに対しての敵対感情も大勢的には落ち着いた。

 その辺りに関してはノルンとロベルトの一騎打ちがあり、グルニアの軍人たちがノルンに畏敬の念を抱いていたからというのが大きい。

 

 軍はそのまま引き、グルニア首都へと戻ることが決定。

 

 常に東側の情報次第でレウス単騎でトレントを全力疾走させて最前線に戻る覚悟をしていたが、

 驚くほどに東では膠着ではなく停滞が続いている。

 

 お陰でここでの数日がグルニア最前線に関わるあれこれの問題を解決するために嵐のように過ぎた頃、レウスは何かに呼ばれるように陣幕から出て、グルニア本陣の外れまで足を運んでいた。

 

「ふ……、おとぎ話から出てきたような男だな」

 

 月光に照らされたのは赤毛の美丈夫。

 騎乗竜に背を預けたマケドニアのかつての主。

 

「ミシェイル」

「意外にも早い再会、という顔をしているな」

「ああ、ガトーの野郎をぶちのめすあたりで会うのかなと何となく思っていたからな」

「それが理想ではあるが、何事にも準備がある」

 

 現実は物語のようにはいかない。

 あれやこれやと準備は必要だし、現在のようにグルニアの戦線を維持するために長く手を貸す必要もあった、ミシェイルはそう言いたいのだろうとレウスは理解している。

 

「それよりなんだよ

 おとぎ話から、って」

「この月下で貴殿と語り合えたなら、と思ったのさ」

「そう思っていたらオレが来たからおとぎ話のような、って?

 ……何かはわからんが、呼ばれたような気がしてさ

 来てみればお前がいた、となればどちらかというと超常的な状況を作ったのはお前の心じゃないのか?」

 

 これでミシェイルが美女であれば、もう少し柔らかく訂正をするなり、それをネタに口説くなりするだろうが、残念ながらミシェイルは男性で、美丈夫であるが、偉丈夫でもある。

 

「そうとも捉えれるが、その場合は」

「おとぎ話の登場人物が似合うのはお前ってことだな

 オレよりもよほど主人公って面構えだろう」

 

 その言葉に、つまりは主人公ヅラしやがってという言葉に対してミシェイルは怒るではなく単純な疑問として、

「この凶相が、か?」

 と聞いた。

 

「凶相?」

「妹たちに避けられているほどの顔だろう、それを凶相と言わずになんと呼ぶ」

「あー……」

 

 返答に窮する。

 この男はそんな風に思っていたのか、と。

 

「いや、そいつは違うぞ」

「違う?」

「確かにお前の顔は怖いかもしれんが、その怖さは元じゃなくって、心労重なって怖い顔をしているだけだ、自覚なくな

 そんで、避けているのはお前の負担になりたくないからだろう」

 

 もっとも、レウスからしてみればこのミシェイルという男の外見は主人公気質に溢れているものだと思っていた。

 赤い髪も、意思の強そうな瞳も、スタイルの良さも、レウスは明確に何の作品からすればとは表現できないが、彼が想像する主人公という造形に合致していた。

 或いは、それは憧れであったのかもしれない。

 凶相の要素がないかと言われればあるが、その要素もまた意思の強さから来るものだと説明できる程度のものでしかない。

 

 しかし、何より

 

「言い切れるか」

 

 それを言い切れる理由がある。

 彼の顔立ちがそもそもレウスが思う主人公像以外の理由が。

 

「お前の妹の夫だぞ、オレは

 わからいでか

 妹のミネルバと似た者同士だ」

 

 その言葉に一瞬毒気を抜かれたように黙るも、

 

「そうだったな」

 

 小さく笑うミシェイル。

 

「そうだった、貴殿は私の義弟にもなるのだったな」

「そうだぜ、お義兄さま

 こうしていりゃ、お前の顔は別に怖くもなんもねえよ

 妹を思ったときの表情は優しい長兄のそれだ」

「貴殿のような男を人たらし、というのだろうな」

「思ったことを口にしているだけだ、それでたらせてるなら苦労はしねえよ

 ……で、ミシェイル

 せっかくこうして会えたんだ、話したいことの一つや二つあるんだろう

 聞いているのはお月さんくらいだ、腹を割って話そうぜ」



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腹を割って話そう

「予知、か」

 

 レウスもそれなりの時間を大陸で過ごしている。

 それも立場も立場であり、周りにはガーネフを初めとした学術的なプロや、ロプトウスなどのような神秘学のプロがいることもあって、それとなくは知っている。

 周りの誰がそれを持っているかまでは知ろうとしたこともなかったが、ミシェイルの言葉からすると、彼の予知は他の人間よりも大きなものであるらしい。

 

「予知をこの世界から消したい、ってのが目的なんだよな」

 

 話の上で出てきたのはミシェイルの目的であった。

 腹を割って話そう、と始まった月下の夜会で先に話し始めたのは意外にもミシェイルであった。

 いや、意外とは言うべきではないのかも知れないとレウスは思いもする。

 

 何せミシェイルは王族、状況だけ見れば戦いに明け暮れていただけのようにも思えるが、知識の上ではミシェイルはアカネイアやドルーアに対する方策を考え、打ち出す聡明で先見性のある思考をする男であり、

 父王を殺し玉座に付く簒奪者という側面がありながらも国が崩れることもなく彼に従ったほどのカリスマ性もある。

 つまり、彼は王としての資質に溢れており、その資質の一端とはイニシアチブの取り方の巧さでもある。

 それが会話の中でも発揮されているということだろう。

 

「レウスよ、貴殿は予知がどこから来ていると考える」

「うーん……そりゃあやっぱ神様、となればナーガとか?」

「ああ、そうだ

 神が与えたものではある

 ナーガが、というのもそうだ

 しかし、そのナーガはもしかしたなら我らが知るナーガではないのかもしれない」

「……ん?

 ナーガが偽物だってことか?」

「一面的に言えばそうだな」

「だが、オレはナーガにあったぞ

 見た目こそチキの親御さんって感じじゃあなかったが」

「ああ、そうだ」

「オレが見たのが偽物だってことか?」

 

 レウスは「いや」と自分の発言を一度取り下げるような短い否定の言葉を吐く。

 ミシェイルという男はとにかく鋭く、高い知性も備えている。

 ただの蛮族がやっていけるほどアカネイア大陸の王族は簡単ではない。

 勿論、レウスが出会ったようなただの蛮族じゃない蛮族(ニーナ・ザ・グレート)という例外もいるが、それについてはここでは置いておくしかない。

 ともかく、レウスはそんな短絡的な答えをミシェイルが求めて会話をしているとも思えなかった。

 

「……オレが会ったナーガが偽物か、ナーガそのものが偽物か……

 ナーガという存在と話そのものが偽物ってのもありうるのか」

 

 少し考えるようにしてから、

 

「ナーガを神の代名詞のように使っちゃいるが、神とナーガは切り分けるべきなのか?」

「やはり、野卑にして粗野という世間の評などあてにならんな」

 

 ふ、とミシェイルが笑みを作る。

 厳しく、笑う表情など想像もできなかったレウスだがその顔は実に優しげで、ミネルバやマリアが今も兄上と慕う男であるのはこういう顔をしていたからかと思わせる魅力があった。

 

「神竜ナーガ、神たるナーガ、神……全ての最上位に位置する神格であるかのように謡われるナーガだが、

 我らが知り、アカネイアが信奉するナーガと、我らに予知を与えているナーガは別物だ」

「確証があるのか?」

 

 何かを言おうとしてから、

「ここで話す上でナーガと神を同じように語ることは混乱のもとだ

 貴殿があったことのあるものをナーガ、予知を与えたものを神と称するが」とミシェイル。

 

「オレに予知を作為的に与えてきたものがいる

 それがナーガだった、

 であるが、彼女はその場で『神が作ってしまった予知』という事象はそもそもが意図していないものだったと言っていた

 だからこそ自分はその仕組を変えたいのだとな」

「確かにその口ぶりじゃあナーガと神は別物って感じだな

 ……まあ、確かにオレが会ったナーガは随分人間そのものって感じだったものなあ」

「人間そのもの?」

「オレやミシェイルと同じさ

 できることと、したいことが乖離している

 だから苦しむ」

「なるほどな、それは確かに実に人間らしい悩みだ」

「で、その予知ってのを止めるために神を何とかするってのが」

「オレの目的だ……が、そのためには問題となるのがガトーだ

 奴は今、魔王とも呼ばれ、自らを神と僭称している……が、もしもあの男が名実ともに神となってしまったなら」

 

 神の座についたあのガトーが平和な統治などするとは思えない。

 だからこそレウスは表情を歪め、想像をしてより強く歪めた。

 予知の機能とも言える「強引に人間へと情報を付与するもの」という結果の、その先を想像してしまったからだ。

 

「……ナーガのように予知を自由に扱える立場になるなら……おいおい、毒電波でも発信する気なのかよ」

「毒電波?」

「悪い、故郷の言葉が出ちまった

 とにかく見えないやり方で人の頭をおかしくしちまうってことだ」

 

 なるほど、とミシェイルは頷いてから、

「それを行うことがガトーの最終的な目的なのではないかと考えている」と続ける。

 

「だからこそ、神を倒すことが何より必要なことだってことか」

「そうだ、その……毒電波、か?

 それによってアカネイアの人々が狂わされる前に打倒さねばならない」



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夜咄

「オレの目的は、……笑うなよ?」

「人の理想や夢を笑うなど」

「オレはさ……──」

 

 レウスが語ることは実に夢想めいたことだった。

 だが、それができると考える理由や理屈を話すと、ミシェイルも冗談であると一笑に付すことはしなかった。

 

「……本気か?」

 

 だからこそ、本気なのか、或いは正気なのかと問うた。

 

「本気さ、ミシェイルだって『そこ』は見たことがないだろう?」

「この世界に生きとし生けるものであれば見たことはないだろうな」

「だからこそ作ろうと考えている

 そこでなら竜族だろうがなんだろうが幸せになれるはずだ」

「一種の逃避だとも考えるものが出てきかねないが」

「そこは上手く作るさ」

 

 上手くアリティアを作った人間だとミシェイルはレウスを見ているため、

 そう言われれば頷くほかない。

 勿論、リーザやシーダを筆頭に多くの人間の尽力の上で成り立っているのは知っているが、それでもレウスがいなければ成り立たなかった国家であるのは間違いがない。

 

「で、ここまで話してよくわかったよ

 オレとお前は手を取り合えるだろ」

 

 目指すべきは神と呼ばれるものを打ち破ること、そして僭称ではなく本当の神になろうとしているであろうガトーの討伐こそが手を取り合って向かうべき目標である、レウスはそう言いたいのだ。

 

「ああ、だが」

「軍門にはくだらない、か?」

 

 小さくかぶりを振ってからミシェイルは、

 

「今更そこは気にもしないが、立場も所属も違う遊撃手が一人いたほうが楽ではないか?

 俺としても権力を任意のタイミングで使える男が盟友となってくれるならば実に捗るのだが」

 

 この男から盟友、という言葉が出るのか。

 レウスは素直に驚いていた。

 盟友と言った言葉に人としてのぬくもりがあることを理解できたからだ。

 

「盟友、か

 お前ほどの人にそう扱われるのは悪い気はしないし、言ってることもそのとおりだとは思う」

 

 嬉しそうに笑って返したレウスに、ミシェイルも少しだけ表情を柔らかくした。

 

「だから」とレウスは区切るようにして、

 

「約束を一つだけしてほしい

 それさえしてくれりゃオレたちは盟友、目的のために持ちうる全ての力を発揮する間柄だ」

「約束か、いいだろう」

 

 今更このお互いにできる約束も、するべき約束も不可能なことは言うまいというのは端的にも理解できる。

 だが、提示されたことはミシェイルにとって、予測しなかった難題だった。

 

「戦いが終わって、アイの頭を撫でてやるまで死ぬな

 ミネルバと一緒にアイに絵本を読んでやってくれ、

 マリアがきっと抱きつきたがるだろうから優しく抱きしめ返してやってくれ」

「それは──」

 

 ミシェイルは内心思う。その頼みは残酷なものだと。

 父王を手に掛けたときから、いつか死ぬべき人間であり、その死は自分を生み出した世界に還元されるべき形で、恩義めいた何かを返して死ぬべきだ、と。

 だからこそ、ミネルバやマリア以外から生きろと言われるのは予想もしない難題だった。

 

「ミシェイル、オレはミネルバやマリアと家族なんだ

 そしてお前はオレの義兄でもある

 オレは家族には生きていてほしいよ」

 

 その顔は自分よりも幼い人間のものに見えた。

 乱世を暴力にて切り抜け、思う様に女を侍らせる万夫不当の英傑とはとても思えないものだった。

 

「父王を殺した俺に、酷な言い方をするものだ」

「ああ、それだよ、それ

 そうやって自分を追い詰めて孤独になろうとするな」

 

 その男がこんな表情をしてまで死ぬなと言ってくれる。

 ミシェイルはこの出会いとその難題に、口にこそ出さないものの、感謝をした。

 

「まったく……厳しい男だな」

「盟友なんだろう、本心に戸を立てて優しい言葉を紡ぐだけが友情でもないさ」

「ふ……、わかった

 約束しよう

 グランサクスの雷と、我が身に流れるアイオテの血と、このミシェイルの人生に掛けて、

 必ず義弟との約束を果たすと」

 

 差し出されたミシェイルの右手を握り返すレウス。

 お互いの手は幾度とも重ねられた戦いで分厚く、古傷も多い、王族とは思えない手だった。

 

 こうして、月下の夜会は終わりを迎える。

 ミシェイルは次の目的のためにとその夜のうちに麾下の部隊を引き連れてグルニアの最前線を離れた。

 レウスたちもまた、翌日には陣を離れてグルニア主城へと向かうのであった。

 



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アカネイア帝国計画

 東側の動きが沈静化しているのには大きな理由がある。

 それは葬儀であった。

 ザガロが持ち帰ったロシェの死に関わる情報を聞いたハーディンは強く、深く悲しみ、全軍の戦いを停止。

 一週間の喪を設ける。

 当然、これにアカネイア側は反発。

 決戦のさなかに何を言っているのだ、と当然の抗議を出すもハーディンは完全に無視をする。

 ここにボアがハーディンとオレルアンに対して連合関係の解消をちらつかせて戦闘の続行を促す。

 しかし、ハーディンの悲しみは彼らが考えるよりも深く、その申し出すら無視するほどだった。

 

 激怒したアカネイアの将兵たちは一度、ボアの設けた会議の場へと集まることとなった。

 これもまた、戦いの沈静化の原因でもある。

 

 元五大侯領、サムスーフ侯爵領、ベント邸宅。

 もはや持ち主のいない館ではあるが、現在はボアやアカネイア軍の主たる施設の一つとなっている。

 

「諸君に集まってもらったのは他でもない、ハーディンめの動きについてだ」

 

 ボアの言葉に諸将は不満げな顔を隠しもせずに頷く。

 

「近習一人の死如きで嘆き悲しむのは大将としての自覚が欠けている!」

「東からレウスの姿がない今こそ攻勢のときだろうが!」

「所詮田舎武者の血筋よな」

 

 ボアの周りには最早佞臣だけが集っていた。

 個々人の官僚としての能力はそれなりにあるものの、それが役に立てられている場面を見たものはそう多くない。

 彼らの仕事と言えばこうしてご機嫌取りのための悪罵を吐くことが主な業務とも言えるためだ。

 

 そうした文句の声を手で制するようにしてボア。

「諸君、今からわしがする話は胸のうちに留めてほしい、これを伝えるのは信頼を向ける故だ」

 言葉をあえて選ぶかのようにして。

 そして、ボアは続ける。

 

「かの近習は暗殺をしにきたのだ、このわしの所にな

 しかし、返り討ちにした

 諸君の主であるこのボアが簡単に死ぬものではないのは理解しているであろう、天運とはそういうものだからな」

 

 ボアの言葉に「流石ボア様だ」、「英雄とはまさしくボア様を言うのだ」などとおべっかが飛び交う。

 目をつむり、それを耐えるようにしているのはミディア。

 

(くだらん……だが、)

 

 それでも何も言わないのは彼女の目的はアカネイア王国による平定ではあるのは同じだが、政治的才覚の欠如を自覚しているからでもある。

 

(……アカネイアに誰が王となろうと最早、このミディアには関係ない)

 

 鬼神ミディアは戦いの中で一種の変貌を遂げていた。

 それは持ち得ていた貴族選民思想とアカネイア至上主義がいつからか消え去り、アカネイアという歴史の大樹を汚そうとする全てのものを殺すことなっていた。

 かつてはアストリアへの恋慕もあり、年頃の女性のような心も欠片ほどはあったとはいえ、今は違う。

『騎士として持つべきではないと多くのこと』を封じた彼女の心は錠が下りている。

 その扉の前には武威の烈風を吹かせることのみをする鬼神が心の中に隻影を立たせている。

 

「つまり、ハーディンが動かぬのは我らアカネイアを前に進ませて今度こそこのボアを殺すためでもある」

「で、ではどうするのです?」「このまま我らは死ぬのですか!」

「犬のように追い立てられるのか!?」「ハーディンめえ!」

 

 小さく微笑むと、ボアは「安心せよ」と言う。

 

「我らは連合から抜けるのだ、もはやあの国と共にある必要はない

 盟主たるニーナ王女も死に、ハーディンはアカネイアの名誉を奪うための行動を隠しもしなくなった

 我らアカネイア王国は今こそ、新たな道を進むのだ!」

「おお」「すばらしい」「ボア様ばんざい!」

 

 そこに座っていた椅子から立ち上がったのは一人の美丈夫である。

「お待ちください、ボア殿」

 青い髪を持つ青年は女性的ではない、また別種の美しさを持っている。

 おそらくそれを将兵としてのカリスマであると言うべきものであり、その瞳は落ち着きを備えており、知性の高さが伺えた。

 

「ホルス将軍か、何を待てというのかね」

「ボア殿もご理解しておられると思うが、アカネイア兵の総数はオレルアンと比べても三分の一程度に過ぎない

 その上で我らは完全に聖王たちと敵対することで行動理由を担保している」

 

 ボアが不快感を交えた顔をすると腰巾着たちが代わりに発言をする。

 

「何が言いたいのかね、ホルス殿」

「つまり、我らがオレルアンから離れても味方はいない、と言いたいのです

 戦力でオレルアンに勝っていると言うならばまだしも、そのオレルアンにも勝てるほどの戦力はありません」

「何を、我らには鬼神ミディアがいるのだぞ

 オレルアンの弱卒など」

「ええ、ミディア殿がいればその局面は勝てましょう

 しかし、その間にこの邸はオレルアンに囲まれ、諸侯の首を刎ねる方が早いのは間違いない」

「……!」

 

 腰巾着たちはその発言に思わず黙り、ボアの方へと視線を向ける。

 

「安心せよ、我らには強大な味方が付いてくれることになっているのだ」

「強大な味方?」

 

 疑問符を浮かべる、というよりも疑念の高まりに睨むようにしてボアを見る。

 その刹那に扉は開かれた。

 

「伝説の白き賢者ガトー様に従う最大の魔道士、エッツェル殿が味方してくださる」

 



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ガトーはかく語りき

 エッツェルがアカネイアの重臣たちの前に現れた時間より遡る。

 

 光に焼かれたガトーは苦しみながら、研究施設の一つへと向かっていた。

 ワープの精度がかなり低下している。

 

 痛みから来る魔力の乱れのせいだろう。

 

 何度かのワープを経て辿り着いたそこは研究所でもあり、

 学院から向こうガトーを信じて付き従った魔道士たちの墓でもあった。

 

 勿論、墓と言っても彼らを埋葬し安寧を祈る場所ではない。

 その亡骸を遺し、実験材料にするための場所である。

 元々はそうではなかった。

 閉派の優秀な魔道士として、来るべきときに蘇らせて魔道の守護者として、守り人として永遠の正義のために闘うことを臨んだものたちの眠る寝台であったはずだった。

 

 しかし、今のガトーはそんなかつての約束よりもこの痛みから逃げることだけで頭がいっぱいであった。

 

「ここにお越しになると思っていましたよ、ガトー様」

「エッツェル、お前は」

「ワープを発動する度にどこに向かうかの予想を立てる術を得ていましてね、

 もしもここに来るのであればいよいよ万策が尽きたのか、

 それとも逃げる場所を求めてかのどちらかだと思いまして」

「わしのワープを?」

 

 睨みつけるが、かぶりを振って

 

「いや、それよりも……最早この肉体を捨てねばならぬ」

「捨てて、どうするのです」

 

 バカバカしい質問だと言いたげに鼻を鳴らす。

 

「この肉体には劣ろうが、人間の中で優れた魔力の素質あるものの体に遷る」

「……その肉体とは?」

「決まっておろうが!貴様の妻であったアーシェラの肉体にだ!」

 

 冷たい瞳を向けてエッツェルがガトーを見やる。

 

「それだけはしないという約束でしたでしょう

 アーシェラの肉体を保存するまでが私の我慢の限界だと

 それ以上は止めてくださるように約束した」

「だまれッ!

 わしが死んでは全て元も子もない、この大地を守る神を失う前に」

「どうしてです、どうしてそうなってしまったのです」

 

 ぎろりと睨むガトーを無視するようにしてエッツェルは続ける。

 

「確かにあなたは偏屈な老人でした、ですが、ここまで妄執には囚われていなかった

 一体、あのアリティアの王子があなたにとってどれほどの価値ある存在だったのです?

 海賊に殺されるような非力な王子のせいでどうして狂うことになったのです」

「貴様にはわからぬことだ!!」

「わからないから!聞いているのでしょうッ!」

 

 激怒するガトーに怒号で返す。

 ここまで感情を露わにした彼を見るのは初めてで、ガトーも少し驚いた表情をしてから

 

「……マルスはこの世界の中心なのだ

 確かに非力で無為な死を与えられたが、それはなんとでもなるはずだったのだ」

「なんとでもなるはず?……オームの杖ですか」

 

 問われれば答えるのはガトーが丁寧に対応しているからではない。

 この会話の中でもエッツェルを出し抜いてアーシェラの肉体を奪うため、

 或いは不意を衝いてエッツェルを殺すために言葉を尽くして隙を狙っているのだ。

 

「いいや、違う

 マルス王子が死ねば、この世界は閉じられて、やり直させられるはずだったのだ」

 

 エッツェルは突拍子もない言葉に「やり直し……?」とオウム返しのように聞く。

 

「この世界を作り出したのは誰だと思う」

「存じ上げませんが、神とやらでは?」

「そうだ、神だ

 その神の名はナーガ」

「ナーガ……あなたが手をかけた?」

 

 手をかけた、と言われても表情を動かさない。

 ガトーの仲に神竜ナーガを思う心がない証拠であった。

 

「いいや、あのナーガは神たるナーガの子に過ぎぬ」

 

 何を考えているかもわからない、虚空のような瞳。

 エッツェルはその瞳を見て、

 ようやくにしてガトーという人の姿がそこにあるだけで、とっくに彼が怪物以上のなにかになっていたことに気がついた。

 

「本当のナーガは世界を、

 つまりこの大地、朝、夜、月星、そして我らの命を作った

 それらを作った証明として遺されたのがオーブでもある」

 

 しかし、作っただけではそれらは動かない。

 エッツェルはガトーが同じようにして人形同然の肉の塊から生物を作ろうとして失敗しているのを実際に見ているからこそ、疑問符を浮かべる。

 

「自らの肉体や魂の全てをエーギルというものに替え、

 それらに分け与えて動かしたのがこの世の始まりなのだ」

 

 痛みに気でも狂ったのかとも思うも、ガトーの言葉に揺らぎはない。

 作ろうとして失敗したときに彼が「やはりエーギルなくしては動かぬか」と呟いていたことを遅まきながらにエッツェルは思い出す。

 

「神たるナーガは世界を安定させるために運営者を生み出した

 自らの姿に似たそれはりゅうと呼ばれた

 つまり、我らの父祖とも呼べるものだ」

 

 眼の前にいる竜族ですらどれほどの永い時間を生きているのかもわからないというのに、

 その父祖とまで言われると、想像もできない時間の話であろう。

 

「しかし、その運営者が暴走することも神は危惧された

 故に管理される側、つまり貴様たち人間から必ず一人、救済装置を作ったのだ」

「救済装置?」

「その者が命を落としたとき、この世界の時は逆巻いて神たるナーガがエーギルをお与えになった直後へと戻る

 それが救済装置によって引き起こされる事象よ」

 

 ようやくそこでエッツェルは

 「まさか、マルス王子は」と独りごちるように言う。

 ガトーの妄執じみた行動の根本にある、マルス王子の死。

 そこに拘泥する理由はつまり、

 

「そうよ、この時代の救済装置こそがマルス王子であったのだ

 全ては我らが知るナーガ、いや、贋作の……狭間から来たるナーガを名乗った竜の到来から狂い始めたのだ

 神の子を僭称し、神の座に立ち、我ら竜族を操ったものこそが……」

 

 忌々しいとすら言葉にしない。

 それが逆にガトーの恨みの深さを端的に表しているようだった。

 

「あの(ナーガ)の到来の直前から、神たるナーガがこの世界に遺した力は弱まり始め、

 救済装置の登場が不安定になり始めていた時期があった

 それを黄金律によって制御し直したことで平穏は再構築されたこと、それは認めよう

 だが、彼の贋作の登場は彼の地よりあの怪物を呼び込んだのだ」

「……聖王レウスですか」

「そうだ、本来の救済装置としての力を上回る、『律』という力の存在が本来戻って消えるはずのこの世界を維持してしまった

 つまりッ!!」

 

 言葉か思考か、抑えていた怒りが噴出して体中を駆け巡ったかのように、ガトーが突如として語気を強めた。

 

「彼奴のせいでこの世界は狂ったまま進んでいる!わかるか!

 貴様のような人間如きに、運営者にして守護者たる我ら竜族の悲しみがわかるまいッ!」

 

 逆鱗という言葉があるが、それが体のどこかにあるとも限らない。

 少なくともガトーにとっての逆鱗は今存在するナーガとレウスの話題であることだけは確かだ。

 

「メディウスもロプトウスも、彼奴らは知らぬ!

 彼奴らにとってのナーガはあの贋作よ!」

 

 切り捨てるように言葉を吐き、「だが」と続ける。

 

「わしだけは覚えている!本当の神をッ!!

 魔道の力によって知識と歴史を振り返る力を得たからこそ、

 わしは真実を覚え直したのだ!!」

 

 つとめて冷静にいるべきと判断しているエッツェルは

「それが妄執ではないと言えますか」と返す。

 

「……わしの考えが正しかろうと妄執であろう貴様には関係のないことだ

 だが、あえて教えたのだ

 貴様の妻の肉体を使う代価として、そして妻の肉体を使うに足る理由としてな」

 

 溜息を吐く。

 確かにガトーにはガトーの理由があるのだろう。

 だが、それがエッツェルを納得させ、

 愛した妻の肉体を道具にさせる言い訳にはならなかった。

 

「代価にも理由にもなりませんな

 貴方に愛した人間を触られるなどまっぴらごめんです

 そのような不快なことをされるくらいならこの世界などどうなっても結構

 世界の法則など狂ってしまって結構」

 

 腰にある魔道書に手を触れるエッツェル。

 

「この場で消えてもらいましょう、ガトー様

 せめてあなたを殺すまではお付き合いしますよ」

 

 その手が触れた魔道書はガトーを殺すために作り上げられた魔法、反転(ネガ)オーラであった。

 



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道化殺し

反転(ネガ)!オーラ!」

 

 開即術(クイックドロウ)で放たれるは、闇の光。

 凝縮した魔力の爆発がガトーを包む。

 

「ぐ、っがあ!!」

 

 ガトーの長躯が爆ぜながらも、

 

「スターライト!エクスプロージョンッ!」

 

 魔法の起動錠としての名を呼ぶことで反転オーラを消し飛ばす。

 ガングレリから受けた呪いじみた光によって与えられた傷と、

 今しがたエッツェルから受けた反転オーラの傷は間違いなく致命傷に近いところまで来ていた。

 

 大魔道士にして伝説的竜族たるガトーであっても、不死でも無敵でもない。

 それを示すように赤い血がぼたぼたと地面に滴り落ちている。

 

「き、さま、あ!」

 

 反転オーラは名前こそオーラの力の法則、

 つまりは光を闇に変えただけのようにも捉えられるかもしれないが、実態はそうではない。

 

 エレミヤが自ら愛したものたちを殺したガトーへの復讐心だけで作り上げた刃であり、

 

 吸い込めば体の内側を焼き払う炎の呪い、

 触れれば指先から自由を奪う氷の呪い、

 近くで爆ぜれば身動きを縛る風の呪いなど、魔道の力を結集し作り上げた恐るべき魔道書であった。

 

 エッツェルがエレミヤからそれを渡されたのはこの日のためであったし、

 エレミヤがガトーを探すのではなく、

 より多くの解決策を模索する道を選ぶためにパレスへと足を向けたのも、反転オーラの使い手として彼を認めたからこそ。

 

 彼であればガトーを殺しうると考えたからであり、それをする理由があることを納得したからでもある。

 だからこそエレミヤはそれが失敗したときのために他の方策を得るためにパレスへと向かったのだ。

 

 憎悪の塊であるこの反転オーラは現在アリティアに伝わるものよりも遥かに凶悪で、そしてそれ故に使い手を選んでいる。

 

 喉が焼かれたようで、ガトーは掠れた声となってもその怒りに満ちた大きな音声は変わらない。

 

「これで終わりにしましょう」

 

 再び反転オーラの発動を始めたと同時にガトーも動く。

 魔道士と魔道士が戦うとき、重要となるのは確実さよりも先手であるかどうかと言われる。

 

 より早く攻撃したものが勝つ。

 

 それ故にエッツェルは開即術(クイックドロウ)という技術を極め、

 はるか格上の魔道士であるガトーに勝利するための切り札としていた。

 その上で旅の途中で手に入れたガトー殺しが可能となりそうな反転オーラもあって、これ以上の布陣は用意できないと考えられるところまで来た。

 魔道士と魔道士の戦いであれば、これで決着である。

 

 だが、ガトーはただの魔道士ではない。

 その姿が急に加速し、魔道書や魔道の起動よりも早く打ち出したものがあった。

 

 それは拳。

 

 ガトーは竜族であるが、竜族を止めたことは一度もない。

 チェイニーと異なり、竜を捨てたわけではなかった。

 

 そのように振る舞い、必要があればそのようなことをいうこともあったかもしれない。

 だが、竜族でいるということは彼にとって最大のアイデンティティとも言えた。

 

 竜族こそがこの世界の運営者だからだ。

 

 竜族が竜の姿を扱わず、竜としてのスペックをそのままに徒手空拳に転向させることの驚異的な効果は既にナギが証明している。

 ガトーもまた、それを実行したに過ぎない。

 

 結果は明確であった。

 エッツェルの心臓はガトーの抜き手によってえぐり取られ、血泡を吐き出している。

 

「が、ガトー様……」

「蒙昧なるエッツェルよ、もはや貴様は用済みだ」

「その、とおり……」

 

 にたりとエッツェルは笑う。

 

「私も……あなた、も、この世界では用済みなのです、よ」

 

 ガトーが気がついたが、何をするにも遅かった。

 反転オーラをその魔道書ごと至近距離で破裂させ……──。

 

 ───────────────────────

 

 肉体の損壊激しく、もはやガトーは元の体には戻れないだろう。

 ギリギリ死ななかった程度でしかなく、命が尽きるに数えるほどの時間しかない。

 

 あの優秀なアーシェラ……つまりエッツェルの妻の体に入ることもできない。

 

 ガトーができたのは自らの核でもある竜の魂を竜石とし、エッツェルの心臓の代わりに収め、その肉体を奪うことだけだった。

 

 贋作のナーガが打ち出した竜族全体の延命策であった竜石に対しての計画に表向きこそ賛同したものの、

 実際には耳を貸さずにそれを隠して竜のままに生きていたガトーにとって、

 今更になって竜石に関わることは恥ずべきことだといういう感情が心に滲み出るも、自らの存在の担保には代えられない。

 

「ええい……、人間の肉体はなんと弱いのだ

 我が肉体があれほどの損壊を受けなければ修復することも可能であったかもしれぬが」

 

 至近距離で反転オーラを受けたエッツェルの肉体もまた、酷い有様であった。

 

「この程度の魔力では魔将の儀も我が身を転生させる儀も行えぬ……

 よりよい代替品を探さねば……」

 

 ガトー、いや、エッツェルとなったそれは治癒の杖を扱い、できうる限りの治療をしてから、ワープを発動しようとして取りやめる。

 人間として擬態するなら、ワープを使わぬことに慣れねばならない。

 忌々しいと言わんばかりに表情を歪める。

 この身が人間ならば、人間らしく暗躍するしかない。

 

 エッツェル『だったもの』はそう考え、東側をより『使い易くする』ために動き出すのであった。

 



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ガトー、人の顔色を伺う

「エッツェルだ、よろしく頼む」

「エッツェル殿、協力とは仰るが実際に何ができるというのです

 ガトー様は我らに守り人をお与えくださったそうだが」

 

 侮るわけでもないが、それでもガトーではなくエッツェル相手となれば生来の高圧さが出てくるのがボアの手下らしい。

 ガトーはそれを思いながらも続ける。

 

「此度のアリティアとの戦いでこちらもそれなり以上に財貨と戦力をなげうったせいで、

 そう多くのことはできないが、

 しかしその『多くのことができない』に関しては諸君らには小さくも少なくも感じまい」

「ほう、期待させるようなものいいですなあ」

 

 ───────────────────────

 

「ガトー、肉体を乗り換えるなど我が力を理解していると見える」

「ギムレー?」

「どうやらガトーはフォルネウスの残した研究を完成させたらしい

 とはいえ完全ではないし、完全に至ることもできまいが」

 

 ナーガの不安そうな目を見て、

 

「魂を他者に乗り換える秘術、或いは魔将や聖戦士化などと呼ぶそれのことだが」

 

 ギムレーはその目を見てか、言葉を続けた。

 

「魂の変質は狂えるガトーがもっぱら研究していたことだった

 いや、正気を持っていたであろう頃から守り人を作り、

 こことは違う場所でナギを守らせていたことから正気も狂気も研究には関係はないのかもしれんが」

 

 評価は今することでもないか、とギムレーは思い直すようにして

 

「ともかく、魂を他に移し替える技術は完成した

 完成した上でそれは不完全なものなのだ

 そもそも魂……エーギルを操作するのは神であっても不可能なこと

 フォルネウスが苦心の末、エーギルを完全に理解するための存在として生み出したのがこのギムレーであるのは理解していよう」

 

 あのとき、フォルネウスはナーガに喜びながら報告した。

 それをナーガは今でも覚えている。

 だが、ギムレーが作られた後でエーギルを操る術が殆ど不可能であることに直面したフォルネウスのことも忘れなかった。

 

「幾らガトーが努力を重ねたとしてもエーギルを自在に操ることは不可能

 例外があるとするならガトー自身が他人の肉体に乗り移ることだが、それも無限に行えるものでもない

 使うためにはナーガから引き出したオームの杖を消費することになる」

「魂や命……エーギルを操作するための杖も無限には使えないから、と?」

 

 操作はできたとして、理解はできない。

 理解ができないからこそ縦横自在にエーギルを扱うようなことはできない。

 だからこそオームもまた使用の方向性を生命の復活にだけ焦点を絞っている魔道具である。

 フォルネウスの知識を得ているガトーはそのエーギルの操作をするという特異性を利用したのだろう。

 

 ギムレーはナーガの問いに頷くも、

 

「だが、ガトーの目的は体を移り変わることでもエーギルを理解することでもない」

 

 ナーガは反論するでもないが、

「混沌をばらまいていることが目的でもないはずだが」と言う。

 ギムレーもそれには頷き、

 

「恐らく、今回の乗り移りでまた知見を得ただろうから、

 このギムレーですら顔をしかめるようなものを作っているかも知れない」

 

 後の世においては邪竜と恐れられたギムレーだが、今の彼はナーガの影響を強く受けている。

 邪竜ではあっても、世を儚む心も人を憐れむ心も持ち合わせていた。

 

 ───────────────────────

 

「これは?」

 

 ガトーによって運び込まれたのは擬剣ファルシオン。

 とはいえ、聖戦士たちに渡していたそれではなく、形状こそそのものではあるものの、その性質はエッツェルに乗り移ることで得たエーギルに対する知見をふんだんに盛り込んだものである。

 

「兵士に持たせればたちまち守り人となる剣、不可逆であるので諸君らは触れぬよう」

「しかし、守り人がいかに強くとも今のアリティアを止められるものだろうか」

「ただの守り人であれば難しかろうが、この剣は守り人にするだけに非ず」

「というと?」

「死してなお、エーギルが肉体に残留する限り戦い続ける戦人形」

「マリーシアが研究していた隷属者もそれを目指していたというが」

 

 実際、その研究結果も参照にしている。

 マリーシアの渡した研究成果が完璧なものではなく、意図的に多くの部分を歯抜けにさせられていたため今までは使えなかったが、乗り移ることでエーギルそのものに触れたガトーはマリーシアとは違うアプローチでこの成果を生み出していた。

 

「ただ、再利用はできぬ

 死して動くものはその場で勝利しても、エーギルそのものを修復できぬ以上いずれは止まる

 だからこそ少しでも長く動き働かせるためにも体格のよいものや、才覚に優れたものを集めるがよい」

 

 運び込まれてきたのは少なくとも三百本はあるだろう。

 ガトーが持つ全ての研究施設から運び出してきた擬剣であり、それを手ずから調整したものでもある。

 再生産するにも拠点の幾つかはチェイニーたちに壊されているため、ここにある擬剣が全てだ。

 それを惜しむことなくアカネイア軍に注ぐのには理由もある。

 

「ボア殿、約束は果たしていただく」

 

 エッツェルの声音でボアへと問う。

 

「オレルアンとの敵対に関しては問題ない、時期もそう遠くはない頃にな」

 

 にたりとボアが笑う。

 これだけの力があればまずはよい、と。

 しかし、これだけでは足りない。

 

「エッツェル殿にはまだまだ協力いただける、そう考えても?」

「無論、アカネイア王国こそが」

 

 そう言いかけて、ボアの顔を見る。

 ガトーからしてみれば、その生ではじめて『人の顔色を伺う』ということをした。

 

「否、アカネイア帝国こそがこの大陸の正当な所有者であろう」

 

 言い換えるとボアの表情が明るくなったようで、ガトーはボア相手にはじめて人間というものを知れたような気がしていた。

 

 それを遠巻きに見ていたホルスは立ち上がると、

「次の仕事がありますゆえ、失礼する」と、去っていく。

 

 実際、この擬剣を渡されるのは彼や彼の部隊ではなく文官たちが侍らせている奴隷や分家筋の人間となるだろう。

 守り人になったあとも裏切らないと考える相手に、

 つまりは可能な限り戦力を小さな人の輪のなかで使おうとするのが目に見えている。

 

 ホルスもこうした技術には目を背けたくもあった。

 だからこそ、言い訳をでっちあげて退室したのだった。

 

 彼が議場より去るとその背にミディアが声を掛けてきた。

 



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獅子身中の虫

「ホルス将軍!」

「ミディア将軍、いかがした」

「貴卿はどう思う」

「エッツェル殿の持ち込んだものか?

 ……少なくとも戦局は変えうるだろう、そこに剛勇無双のミディア殿もいれば突破も可能かもしれぬ」

 

 とは言っても、どこか冴えない表情をしている。

 

「問題があると言いたげだな、ホルス将軍」

「将軍も気がついておられるでしょう

 何せあなたこそが最もアリティアと戦っているのだから」

 

 青色の髪も相まって、ホルスは人に冷たい印象を与える。

 彼自身が特に誰かに好まれたいと思っていないというのも拍車を掛けている。

 平時であればそんな彼にミディアは話しかけてもこないだろう。

 しかし、それでも声を掛けてきたからには理由があるのだとホルスも理解している。

 

「貴卿に読みどおりガトーから借り受けたものを投入した局面、その次までは我らは勝つだろうが長くは続かない

 この戦の問題は兵の質ではない、戦術の質の問題なのだ

 あのエッツェルという魔道士もボア殿も所詮、机上で戦を語るものでしかない」

 

 アリティアの最大の強さは無理をせずとも攻めることができる体制にある。

 魔道兵団にいち早く着目し、育成し、兵科にした彼らの軍はアカネイア大陸でも有数の小回りと射程を持つ兵団を備えている。

 

 シューターに距離こそ劣るが、シューターの弱点でもある移動のしにくさと維持の難易度において完全に上回っていた。

 

 魔道兵団は確かにその守りは騎士のようではないから接近すれば打ち破れもする。

 言うが易しで、それができないのは紋章教団の存在があるからだ。

 彼らがお題目として掲げる『守ること』を実践した部隊と兵科を持っているせいで、アカネイアどころかオレルアンの騎兵でもその防衛網を貫けたことがそう多くない。

 

 ミディアはそれらを明確に理解しているようだった。

 

「接近戦で強いというだけであれば今更守り人などあっても意味はないのだ

 衝突力であればアカネイアは十分に持っている」

 

 ホルスもまた同意見であるようで、言葉を返すこともなかった。

 

「……どうすればよいと思う

 智将として前線で誉れを得ているホルス将軍であれば名案を持たぬか、それを聞くために来たのだ

 私は考えることが苦手だ、考えたところでよい答えには辿り着けない」

 

 顎に手を当てて考えるようなそぶりをしながらホルスは

「ないわけではありません」と言う。

 

 釣られるようにしてミディアは

「あるのか!?」

 そう声を荒げるが、それに対してホルスが「ですが」と区切るように言った。

 

「その前にミディア将軍にとっての勝利をお伺いしたい

 アカネイア騎士としてなのか、アストリア将軍の敵討ちなのか、それとも戦いたいという理由一点なのか」

 

 言葉を飾らず、真っ直ぐにホルスは問う。

 

 こうした直言をするからホルスは長い間、僻地での責任者をやらされていた。

 だが、それ故にこの戦いを途中から参戦することになり、無駄に命を散らさなかったために現在においてはミディアに並ぶ将軍の位を得ている。

 

 ホルスからしてみればそれほどに戦ができる将校が討たれていることを示していることでもあり、

 自分の出世を喜べる要素など何一つもない立ち位置でもある。

 

「無論、アカネイア騎士として」

 

 その言葉にホルスは表情にこそ出さなかったが、彼は心底がっかりした。

 

 もしも彼が考える最良の答えを出していたなら少なくともアカネイアかオレルアンは勝利こそなくともマケドニアのように歴史や文化を残す形まで譲歩を引きずり出せたかも知れない。

 

「そうですか

 では、策はあります」

 

 あっさりとホルスはそれを口に出す。

 

「それはなんだ!」

 

 あまりにもあっさりとした口調で言われたため、

 聞き間違いではなかろうなと思わずミディアは大きな声で聞いた。

 

「待つことです」

「……待つ、だと?」

 

 それはまるで意味のわからない答えだった。

 待つことがどうして勝利に繋がるのだ、と。

 レウスがいない今こそアリティアの将校や重要人物を打ち破るべきではないのか、そう聞きたいと顔に書かれていた。

 

「ええ、聖王が再び東に現れるまでいたずらに戦わず、それまでを待つ

 そして他のアカネイア軍にも徹底して行動しないことを命じるのです

 ボア殿もミディア殿の軍事的判断であれば頷くしかないでしょうから」

「だが、そんなことをしてどうするのだ」

「アカネイア騎士としての勝利はなんだと思います」

「それは無論、アカネイア人として誉れを示すことだろう」

 

 愚直な答え。

 ミディアが特別、無思考の騎士であるというわけではない。

 アカネイア人、とりわけ貴族であればこうした思考こそが普通なのだ。

 ホルスもそれを理解しているからこそ、ミディアに受け取りやすい形で言葉を選ぶ。

 

「そうでしょう

 ですが、誉れを示すためには相手を選ぶ必要があります

 その敢闘を知らしめさせる相手が……つまり、アカネイア騎士として立派に役目を果たすためには聖王がこの地に現れ、彼との戦いを始めない限りは勝利は絶対にないのです

 例えそれが紋章教団の重要人物を倒せるだとか、グラ領主のシーマ殿を倒せるだとかでは勝利にはならない」

 

 ホルスの言葉は実にミディアにしっくり来たようで、わかったと頷くと踵を返して議場へと戻っていった。

 

(……まったく、付く相手を間違ったな、自分は

 しかし私もアカネイア軍人として最後まで逃げるわけにもいかぬ

 こんな無意味な戦争を終えるためにできることはそう多くはないが……やれることはやるしかあるまい)

 

 遠くを見るようにする。

 こんなにも不自由であるのに、不思議と将軍になってからは心だけは自由な気がしている。

 

(お会いしたこともないが、聖王レウス陛下

 どうにか作り出せた最大の時間稼ぎ、有用に消費なされよ)

 

 ホルスはただ、大陸のいち早い平和だけを祈っていた。

 



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魔道への問いかけ

 魔道とは、何か。

 

 全てのとは言わないが、一廉(ひとかど)の魔道士であれば考えること。

 根源たる問い。

 

 魔道とは、何か。

 

 その答えを出せたものはいない。

 ガトーも。

 ガーネフも。

 ミロアも。

 古の時代に存在した暗夜の魔道王子も、暗黒の教団を支配した教主も、竜族すら超えた錬金術師ですら、その答えは出せていない。

 

 魔道。

 万物そのものに理と律を以て、その法則を操る術。

 本来は戦争の道具などではない。

 だが、深淵の更に向こうにあろう答えを知れぬ人間が魔道を扱うのはもっぱら戦争にばかりでもあった。

 

 魔道を得て、魔道を操り、魔道を極めても、それがそのまま魔道そのものに対する答えにはならない。

 

 グルニア代理王ユベロは魔道の素質も魔道への学習も人一倍どころではないほどに修めていた。

 時間と師に恵まれたならガーネフすら超えうる逸材。

 それこそがユベロであった。

 

 しかし、そんな彼ですら魔道とは何かという疑問に答えられはしない。

 指一つすらその答えに触れることができていない。

 

 破壊以外の力で魔道を役立てたいと思っても、状況はそれを許さない。

 よもや主城を襲うのがアリティアではなく、どことも知れぬ蛮族とは……ユベロは悲観こそしないまでも、運勢の巡りというものを呪いたい気持ちであった。

 

「か、カミュ将軍が会敵いたしました!

 敵は……いえ、お相手は」

 

 言い直した将校は世間をよく知る人物であった。

 だからこそ、敵という発言を撤回して別の言葉で言い直した。

 理由は、

 

「カミュ様のお相手はニーナ王女を名乗っております!」

 

 ───────────────────────

 

 ユベロはニーナのことをよく知らない。

 

 いや、この大陸の状況をそもそもとしてよく知らない。

 興味がなかったからだ。

 

 それでも少しずつ学ぶ気になったのは姉であるユミナが玉座に付かざるを得なくなったからであり、

 姉を支えたいと思う心でそうした学びを持っていった。

 だからこそ、ニーナの顔などはまるで知らない。

 

 調べた限りではお飾りの神輿でしかなかったはずだが、

 ユベロはその姿に、戦い方に、いや、見ただけで伝わるその生き方と有り様に衝撃を受けた。

 カミュとのやり取りを聞いて、知り、深く深く衝撃を受けた。

 

「あれは」

 

 カミュが戦う姿をより見える場所に移動したユベロ。

 彼の周りには誰もいない。

 それでもというべきなのか、だからこそなのか。

 

「あれこそが」

 

 ユベロは一人で、己のために言葉を紡ぐ。

 

「魔道だ」

 

 アカネイア大陸の若き魔道学者は、その指が答えという頂に向けて、指をかけんと近付けていた。

 

 ───────────────────────

 

 光が包んだ。

 空に上がった光はまるで徴であり、証でもあった。

 

 ニーナとカミュは死んだのだろう。

 

 その光は周囲を焼き尽くし、城の一部も崩壊させ、ユベロが立つバルコニーすら消し飛ばそうとしている。

 光は自らの意思を持つかのように彼らと戦っていた男二人に狙いを定めるようにして襲いかかり、焼き尽くそうとした。

 

 ユベロもまたバルコニーとともにそうなるはずだったが、そうはならなかった。

 彼が無意識的に魔力を制御する。

 

 ガーネフがそれを見ればその行いがレナが持つ魔道書と同じく、制御魔道だと判断しただろう。

 ただ、制御魔道というものの存在を知るものはアリティアでもごく一部の人間にしか知られていないものであり、これを行ったユベロもまた無意識であるからこそ特別ななにかだとは判断できなかった。

 

 だが、制御魔道を行って、魔道への手応えと理解が深まった。

 バルコニーが崩れ、落下するユベロだったがやはり無自覚に制御魔道を扱って風の力でふわりと柔らかく着地する。

 

 そこに残されているのは遺品だった。

 あの光は主とその側にいたものを焼こうとはしなかったのだろう。

 それでも肉体は残ることなく、ただ彼らが纏っていたものだけがあった。

 神器グラディウスの姿はなかったが、ユベロはそれに何かを思うこともなかった。

 目当てにしたものは別だったからだ。

 

 少年が手を伸ばしたのは毛皮の外套であった。

 それを纏うと、不思議と力が強くなった心地があった。

 

「これだ……これなんだ」

 

 制御魔道の扱いを学術的ではなく、肌感覚で理解し、扱う。

 体の中にある魔力を肉体の動きに転換する。

 地に転がっている大剣に手を触れ、握る。

 平時の彼であれば振るうどころか引きずることすらできないだろうそれを、掲げた。

 

 剣は……ニーナの佩刀たる執行剣もまた天に登った光のように主を失った慟哭かのように赤い光を漏らしている。

 立ち上がる淡く赤い光。

 

 それに誘われるようにして次々と現れたのはニーナが連れてきた蛮族たちであった。

 彼らは赤い光と、外套を纏う少年を見るなり思い思いの形で恭順と服従の意を示した。

 

 そのうちの一人がユベロの近くで(かしず)いて、流暢な言葉遣いを操り彼らを代表するように告げる。

 

「王よ、貴方の名を教えてください

 我らは主を失い、歩く力もまた失ったこの身をここまで向かわせた貴方の名を」

「僕は……ユベロ、グルニアの代理王」

「ユベロ閣下、我らが偉大なる王、蛮王ニーナ(ニーナ・ザ・グレート)は愛のために進みました

 我らは蛮たる愛を見るために従い、そして天をも貫く愛の光を作って消えた

 我らはそれを見届けた

 我らも共に消えたかった」

 

 蛮族たちはそれぞれがまるで別の所属、いや人種すらも異なるようですらあり、言葉もまた通じてすらいないものたちもいるようだった。

 

 しかし、目の前の男の言葉は言葉ではない部分で深く理解できているのか、彼の言葉を聞いて泣き出すものたちがいた。

 

 そうして、聖句のように言葉が上がっていく。

蛮王ニーナ(ニーナ・ザ・バーバリアン)万歳」「我らが誉れ、我らが誇り」

蛮王ニーナ(ニーナ・ザ・グレート)よ永遠に」「我らが夢、我らが希望」

 その聖句はユベロとの対話が邪魔されない程度の声音であるが、言葉に込められた感情は目眩がするほどに強い熱量を感じるようであった。

 

「しかし、我らは生きている

 生きて、しまっている」

 

 対話した男もまた、慟哭の感情が涙となって雫をグルニアの大地に落とした。

 



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蛮=愛

「しかし、」

 

 落涙の男が言葉を続けた。

 

「希望は死んでいなかった

 貴方がおられた

 蛮王は貴方を我らにお与えくださった

 次なる灯火、ユベロ閣下こそが我らを導いてくださるもの」

 

 急なことだった。

 何を言っているのだ、と普通であればそう返すだろう。

 

 しかしユベロもまた彼らの熱に浮かされるようにして──しかしそれだけでなく、確かに重要な要素を体の内側から感じていた。

 制御魔道の獲得だけではない。

 いや、制御魔道はその余禄でしかない。

 

 ユベロは外套を纏い、剣を手にして理解した。

 

 魔道とは、何か。

 

 それは根源の問い。

 魔道を扱うものが人間であれば、魔道こそは手足と同じくしてあるべきもの。

 

 魔道とは、何か。

 

 その答えは一つ。

 魔道とは肉体である。

 

「僕は彼女のように完成された肉体美を持たない」

「存じております」

「僕は彼女のように力ある王にはなれない」

「存じております」

「僕は君たちを導いて楽園へと歩くことはできない」

「存じております」

「そこまでわかっているなら、僕のやろうとしていることもわかるだろう」

「存じております」

 

 彼らは繋がっていた。

 それがこのひとときの、ニーナが残した最後の奇跡であろうこともわかる。

 

 だからこそ続けた。

 

「このグルニアを再興する

 僕は彼女のように、偉大なる蛮王(ニーナ・ザ・グレート)にはなれない

 だが、この時代の先々に生まれるであろう蛮たちの救いとなる物語と、その実存を伝えることはできる

 魔道とは肉体であり、肉体とは根源であり、根源とは本能であり、本能とは愛であり、」

 

 ユベロは剣を地に刺し、宣誓するように続ける。

 

「愛とは、魔道」

 

 一つ繋ぎとなった答え。

 誰もが答えを得られず、アカネイアの文明から背を向けたものたち蛮族、自らに従うものたち。

 彼らはニーナの濁流のような愛の感情に求めていた答えを見つけ、従った。

 やがて彼らはニーナへの愛を持ち、従った。

 しかし、彼らは愛を完全に理解することはできず、また、そもそもとして持っていた愛も、それが愛という感情であるとも気がつけなかった。

 盲目的に付き従い、戦い続けただけだった。

 

 しかし、ユベロがそれを言葉にして実存させた。

 今こそ彼らの哲学は確立された。

 蛮族とユベロが得た哲学こそが蛮にして愛(パワー・オブ・ラブ)であった。

 共に果てることを頷いたカミュが、

 その生き様を形にしたガングレリの光が、

 ニーナがその人生と存在の全てを使って示した生き様が、グルニアにて結実した。

 

 ───────────────────────

 

「なんだこりゃあ……」

 

 最初に声を発したのはレウスだった。

 それに釣られるようにしてライデンも

 

「わ、わかりません……、一体何が」

 

 そこに広がっていた光景は誰もが見たことのないものだった。

 グルニアの市民、鎮護の騎士、城内の非戦闘員、文官、種々別々の蛮族。

 全員がグルニアを復興させるために手を取り合って作業をしていた。

 怒号のような大きな声もそこかしこで上がるが、その声は怒りではない。

 

「頑張るぞォォ!」

「イッパァァァツ!!」

 

 瓦礫を除けるための掛け声。

 蛮族と市民が手を取り合っている。

 

「だっしゃあぁぁ!」

「よっしゃあぁぁ!」

 

 鎮魂の騎士と蛮族が手を取り合って切り倒した木を運んでいる。

 

「ここの瓦礫は像を立てるのに使いたい!

 纏めておいて欲しい!」

「合点でさあ、蛮理様ァ!」

 

 ユベロは蛮族たちから蛮の理、つまり愛を拓いたものとして蛮理(ユベロ・ザ・バーバリアン)と呼ばれるようになっていた。

 最初こそ王と呼ぶものもいたが、ユベロが「蛮王はニーナだけであろう」と説いたことが始まりであった。

 

「そろそろ食事にしよう!貯蔵庫から引き出してくれ!

 後のことは大丈夫だ、僕に考えがある」

「はい!」

 

 普段の文官であれば咎めもするだろう。

 だが、眼前に迫った蛮族たちを手懐けたユベロを見て、文官たちは幼年の王であると思っていた考えを改めた。

 底知れぬ人だと。

 考えてみれば魔道の天才として多くのものを作り出し、国に貢献したお方なのは間違いないのだと。

 王としての才を補うためにカミュとロレンスが多くを手伝っていたからこそユベロの功績は目立ちにくく、そのせいで侮られていたが、それが間違いだと気が付かされたのだ。

 そのユベロが考えがあるから備蓄を吐き出せというのであれば、きっとそれが最善であるのだとしたのだ。

 

「この中で料理ができるものはいるか!」

 

 ユベロの言葉に次々と手が上がる。

 

「あっしはグルニアの城下町で料理屋をやっておりやす!」

「軍に入る前まで家での炊事を担当していました!」

「オレ!ニク!スパイス味付ケ!天才!」

 

 これ以外にも多くの声が上がっていた。

 

「よし、諸君らの力でここにいる全員の腹を愛で満たしてやってくれ!」

 

 ユベロの言葉に彼らは口々に同意をしたのだった。

 そうしてからユベロは何より大事な姉、姉が連れてきた隣国の王、そして最前線で国土を守っていた将校たちの方へと向き直ると、大きな声で言う。

 

「おかえりなさい!

 そして、ようこそグルニアへ!」

 



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卓見と推察

「王子、一体、これは……?」

 

 状況は賑々しくも、しかし不可思議な風景が広がっていた。

 そこにいたのはニーナが率いていた蛮族たちの姿があり、流暢に喋るものからカタコトなコミュニケーションを取るものまで様々であった。

 

「まず、話さなければならないことがあります──」

 

 カミュとニーナ、そしてそこで起こったガトーとリカードの一件。

 光は確かに城の一部は壊したが、自分は無事であり、光は敵対者たちにのみ痛手を与えたのだと。

 

 ユミナもロレンスもそのユベロの姿がまるで自分たちが知る彼と印象が違い、

 まるで数段飛ばしに大人になったかのようにも思えていた。

 もっとも、それはユベロからすればユミナにも同じことを王になり執政をし始めた頃に同じことを受けていたことでもある。

 

 光を見て魔道の本質を知り、それによって人との関わり方もわかったのだという。

 

「で、それが」

「愛です、聖王陛下」

「愛か」

 

 宗教的な熱狂や精神的な狂気を感じない。

 むしろそれは大悟した僧侶のようでもあり、熟練した老学者のようでもある。

 

「聖王陛下、僕はグルニア王国代理王ユベロ

 ご挨拶が遅れましたこと、どうかご容赦ください」

「聖王国が聖王、レウス

 聞いていたユベロって少年はどこか内気な子だと聞いていたから驚いたよ

 男児、三日会わざれば刮目してみよって奴かね」

「どこかの格言ですか?」

「まあ、そんなところだ

 しかし、お姉ちゃんからすりゃ正しくその通りって感じなんだろう?」

 

 ユミナはええ、と頷く。

 しかし、そこに不信の色はない。

 彼女からしてみればガトーに拐われたあとのいくつもの重責が彼を成長させた、とも見えるからであり、それは自分が辿った道であるからこそ理解もしやすかった。

 

「聖王陛下、姉上

 ご結婚の意思は固まりましたか」

 

 不意に、一段飛ばしどころではない会話のギアをあげる。

 流石にロレンスを含めた三人が驚きもするが、何のことはないといった具合に、

 

「聖王陛下までお越しでおられるならそういうことなのでは?

 今までを見てみればマケドニアも同様の状況だったと思いますので……違いましたか?」

「ああ、いや……そうだ」

「不思議そうな顔をなさらないでください

 ニーナ様が教えてくださったのです」

「……ニーナが?」

「愛のためであれば、と

 行動の根底に愛があると考えれば推察もできます」

 

 ユベロはいわゆる天才である。

 本来であれば気弱で、姉に引っ張られるばかりの少年でもあったがその道は賢者になる未来だけでなく、剣を振るう勇者となる未来をも掴めるような存在でもある。

 

 魔道士の魔力を外燃機関のようにして動かす装置を作り上げ、戦場でこそ大きな寄与はしないものの民草を豊かにするための魔道器械の発案と発明をしていく。

 

 彼の天才性は推察力と理解力であった。

 

 それは幼い頃から本だけでなくグルニアの文人などを交えることで獲得した智識と知性からなる卓見力とも言えるものでもあったが、それを明確にしたものこそがニーナとカミュ、そしてガングレリが作り出した光であった。

 

 推察の根底に大きな要素を得たからこそ、世界の働きに関する推察する力を大いに発展させることができた。

 

 つまり、全ての物事に愛ありき。

 その愛が何の愛なのかを状況証拠から推察し、そしてその愛によってどのような行動をするのかを見やる力、つまりは卓見力。

 彼はそれによってレウスがわざわざ来た理由も、ユミナが何を申し出たのかも読み切っていた。

 

「ニーナはどデカいものをカミュとの結婚費用に置いていったわけだ」

 

 レウスも多くの才人を見てきた。

 それこそ、狭間の地から。

 戦いの天才は多く見た。

 治世の天才もまたリーザを始めとして、それもまた見た。

 

 だからこそ、才人が持つ能力そのものに驚くことはあまりなくなっている。

 褒めこそすれど、目を剥くことは多くない。

 シャーロック・ホームズもかくやという推察能力だとレウスは思うも、それを言ったところでここで伝わるわけもないのでそれは飲み込む。

 

「ユベロ、愛と言ったけれど」

「姉上の愛はグルニアのためという愛だと考えます

 そのために最も価値のある選択肢を取るためにレウス聖王陛下へと輿入れを申し出たのではないですか?」

 

 それでも姉であるユミナはその推察の内容を問う。

 問うことが今ここでするべきことだと理解しているようであった。

 

「アリティアの仇敵と言えるグラですら文化や歴史を破壊しなかった聖王陛下であれば、

 グルニアを悪いようにはしない……

 しかし、大陸統一を目指す以上は同盟にしろ属国にしろ受け入れられない、と」

「魔法みたいな滑らか思考だなあ」

 

 レウスの妙な言葉が褒め言葉であることを理解しているユベロは小さく微笑む。

 その表情はまだ性差も薄い美しい少年のそれであるが、それだけでなく、どこか頼りがいのある父性的な包容力をも感じる。

 

「聖王陛下、この国と姉上をお願いします……そう言いたいのですが」

「なんだ?」

「不遜をお許しいただけますか」

「ああ、構わない」

 

 すう、と息を一つ飲んでから、ユベロは言う。

 

「僕と一騎打ちをしていただきたい、姉上とグルニアを賭けて」

「こっちが負けたなら?」

「聖王国の首都をアリティアからグルニアに移管していただきたい」

 

 それは戦後のアリティア領とグルニア領の禍根になりうるもの。

 しかし、グルニアという地の発展を考えればその提案も理解できるが、

 ユミナはだからこそ「そんな条件は」と言うも、レウスは手で制する。

 

「そいつは大きく出たな」

「貪欲に行こうかと」

「だったらそっちの掛け金が足りんね」

「こちらで支払えるものがありますか?」

「オレが勝ったらユベロ、お前は死ぬまでオレの側でその知を巡らせて大陸統一後の治世と安定に全力を振るってもらう」

 

 その言葉も予想していたのか、しかし、求められたことを嬉しく思ったようで小さく微笑む。

 

「受け入れましょう、陛下」

 



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雷と雪

「一騎打ちと言ったが、そんなのはつまらん

 どうせオレが勝つ」

 

 自信満々にレウスが言う。

 

「吟遊詩人の唄と同じですね、陛下」

「どんな風に謡われてるやら……ま、ともかく実戦経験の有無は大きいだろう

 お前の才能を軽んじるわけじゃないがね」

 

 それにはこくりと頷くユベロを見て、レウスが続ける。

 

「ユベロ、あの蛮族どもから20人ほど選んで隊にして使え

 勿論、お前自身も戦っていい」

「良いのですか?」

「納得して従ってもらいたいからな、お前には特に」

 

 どうせ自分が勝つと大言を吐いたのはあくまでユベロが使える手勢を増やすため。

 こうした態度であれば周りも納得するだろうという考えだった。

 ユベロやユミナだけでなく、ロレンスたちもその思惑には気がついてはいるが、あえてそれに言葉を出すような野暮はいなかった。

 

「公正な方だ、陛下は

 ……では、お言葉に甘えさせていただきます

 ああ、それともう一つ、甘えてもよろしいですか?」

「なんだ?」

「ニーナ様から受け継いだ外套と大剣の許可をいただきたいのです

 きっとあの方も陛下を夢見て纏ったでしょうから」

「そうしてやれ

 きっとニーナも喜ぶさ」

「感謝します、陛下」

 

 そこらの鉄やら鋼やら、或いは銀であっても力不足である。

 ニーナが振るっていた武器であればその不足も解消されるだろう。

 勿論、あんな武器を持てれば……と思うも、あの聡明なユベロのことだから何かしらの手段を講じるのだろうとレウスは思っていた。

 

 そうして、主城の前に広がる場所にユベロと彼が率いる蛮族部隊と、レウスの隻影が対面することとなる。

 

(おっと、ここはあのとき見た風景と同じだな)

 

 レウスは呑気にそんな感想を心に浮かべた。

 ユミナを解放したときの心象風景の世界。

 やはり、あの心象風景はグルニアだったのだ。

 

 心に浮かべた景色をよりよいものにするため、

 そしてその場所にユミナを据えるためにも負けるわけにはいかない。

 ──それを心の重しにではなく、むしろやる気へと転がした。

 

(さあて、よそ見はこの辺にしておかねえとな

 あんだけデカいこと言ったんだ、カッコ悪い姿は見せられねえよなあ)

 

 ───────────────────────

 

 グレートソードを引き出すと、肩に担ぐようにして構えるレウス。

 一方で蛮族たちを配し終わったユベロもまた大剣を地に刺して待つ。

 

 ノルンは戦いの合図を発するために弓を構え、離れた場所にある瓶へと矢を放ち、割る。

 砕けた音がゴング代わりとなる。

 

 それと共に駆け出したのは蛮族、そしてレウスであった。

 

「本当にまっしぐらに」

 

 ユミナもレウスの活躍は耳にしていたし、

 それらが英雄譚のそれであったからこそ脚色もあるだろうとも思っていた。

 だが、レウスは謡われるとおりに誰より早く接敵するために奔った。

 

「ニーナ様が憧れた蛮人!試させていただく!」

「オレ!オマエ ト タタカウ タノシミダッタ!」

「ひゃっはあ!新鮮な聖王陛下だあ!」

「もう我慢できねえ!」

 

 蛮族が口々に叫びながら武器を振るう。

 グレートソードが大気を切り裂きながら武器を合わせる。

 

「なんて馬鹿力なんだ、まさしく蛮人……!」

「チカラヅヨイ オウサマ イイネ!」

「ひゃっはあ!四人掛かりで鍔迫り合わされるってなんだこりゃあ!!」

「もう我慢できねえ!」

 

 レウスが「オオッ!」と気合を含んだ息を吐いてグレートソードを振り抜く。

 戦場であれば真っ二つにしているところだが、そこから先はしない。

 彼らもユベロに言い含められているのか、負けたと認識すると武器を捨ててそこから離れる。

 

 左右から不意に現れた蛮族たち。

 短い時間で伏兵まで仕込んでいたのかとレウスは思わず笑う。

 

(だが、これで終わるわけもねえよなあ)

 

 伏兵もまた力量に優れた蛮族たちであり、鎧袖一触とは言えない。

 そこに稲光と共に落雷が降って落ちる。

 

「がぁ!?」

 

 直撃し、思わず声をあげる。

 

「ってえーなぁ!!」

「頑丈ですね」

古竜(ランサクス)に比べたら撫でられたようなもんだ!」

 

 強がりはいったものの、その威力はランサクスの剛腕と共に放たれる稲妻に匹敵するものだった。

 

「ですが、一発ではありません」

「だろうなッ!」

 

 レウスと最初に当てたのは時間稼ぎである。

 制御魔道によって複数の魔道を同時に並列的にユベロは操っている。

 発動自体は同時には行えないようだが──

 

(打った端から次の魔道書に切り替えているのか?

 三段撃ちかよ!)

 

 発動可能状態で留め置いた魔道書を次々に打ち出せる体勢を取っている。

 つまり、今のユベロにはその周りに複数人の魔道士がいる状態に等しい。

 

(ゴリ押しで通じる相手じゃねえ

 実戦経験がどうのなんて言ったが、そんなもの余裕で埋められるだけのアタマがありやがる……!)

 

 次々降り注ぐ落雷だが、二発目以降は避けられはじめ、四、五発あたりになるともはや一切当たらないようになっている。

 レウスもまた全力でユベロを読み、攻撃を予測している。

 回避できているということはレウスが優勢のようにも見えるが、地を抉るような落雷を見れば二度、三度と当たればレウスが倒れかねない接戦であるのは戦いをみている全員が理解できたことだった。

 

 しかし、それでも状況を動かしたのはレウスであり、伏兵だった蛮族たちを倒し、ユベロへと狙いを定める。

 それでもユベロの表情に焦りは見られなかった。

 

 ───────────────────────

 

「ふうん、あの子すごいわね

 確かにレウスがランサクスを思い出すのも納得できるかも」

「そうだ!そこでローリングをするのだ!」

 

 白熱する円卓。

 

「狭間の地でも思ったけど、思い出したように脳筋戦法やめるのよね」

「私の王となるべき男だからな、冷静と情熱の狭間で踊っているのだ」

「私の王って何よ、私の王って……うわっ」

 

 どこから現れたのか、白いぬいぐるみめいたものが円卓の椅子に座っている。

 

「ら、ラニ……?」

 

 魔女の特徴を捉えているぬいぐるみらしきものを見て、メリナは思わず名を挙げる。

 

「こうして会うのは随分と久しいな」

「なんでそんな姿に」

「話せば長くなる」

 

 小さなラニは見かけとは裏腹の怜悧な声でそう発言した。

 



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有効活用

「……と、いうわけで約束したというのに一緒に来る気もなさそうなのでな」

「それはなんというか」

 

 いわゆる『ラニイベント』をこなしたレウスではあったものの、基本的に道中で話を聞き流していたのもあり、その答え(エンディング)には向かわなかったという。

 

「けれど、これはこれで良かったのかも知れないとも思える」

「へえ、なぜ?」

「この地もまた、私にとっての月だからさ

 共に手を取らなかったことは恨めしいがな」

 

 とはいえ、人の話を聞かない悪癖を見抜いていたラニは暗月の大剣を渡す際に小さなラニと呼ばれる人形──とはいえ、これもまた彼女自身ではあるが──を潜ませていたのだという。

 

「円卓の倉庫を繋げたからあなたもここに来たのね」

「そうだ、これからは頼むぞ」

「好きになさいな、私もあなたも……もう指が示した秩序に則る必要はなくなったのだから」

「そうして自由になった、か」

 

 それにしても、とラニが映像に視線を戻す。

 

「ふふふ、ブライヴのような格好をして……私の王は健気だな」

 

 満足げな声にメリナは「あんたのためじゃないと思うけど」と言いたかったが、それを飲み下す。

 乙女な顔をしているラニに水を差すほどメリナは不調法な女ではなかった。

 

 ───────────────────────

 

 レウスを鍛え上げたものは二人いる。

 一人はマリケス。

 そしてもう一人はマルギットだ。

 

 特にマルギットはレウスが狭間の地で最初に会話を試みて、概ね黙殺にして惨殺された結果、レウスが狭間の地を駆け抜ける理由になった男ではあるが、駆け抜ける前に何十、下手せずとも三桁は殺されている。

 レウスは彼から見切ることの大事さと、回避のノウハウを蓄積したと言える。

 

 ただ、同時に『死んでも突破できるからゴリ押ししよう』という意識を芽生えさせた相手でもある。

 ある意味でゴリ押し思想のようなものがアカネイア大陸の英雄譚を生んだ一因でもある以上は悪いことばかりでもないし、戦場にあたっての度胸を持っているのもまた彼との戦いあってのものだろう。

 

 その度胸は落雷の間隙を縫うようにして走り出すレウスの中で今も動作し続けている。

 

(隙を見せたつもりはないのに、走り出した!)

 

 ユベロは躊躇なく懐へと走り込もうとするレウスの姿に驚きつつも、

 

(これが英雄というものなのかもしれない)と、考えをすぐに切り替える。

 驚きではなく対策を。

 ユベロの意識は常に人間的な、年頃の少年的な感情と、魔道の深奥に触れたからこそ得た賢人の冷えた思考が同居する。

 

 制御魔道の切り替えには多少の時間を要するし、単発であれば問題ないが先程のような隙を生じさせないようにするための断続的な発動にもやはり時間が掛かる。

 そのために再びの伏兵がレウスへと襲いかかる。

 

 だが、今回はそれぞれが近づかず、手斧を使ってでの中距離戦。

 手を変え品を変える戦術は勝つためではなく、対抗策を考えるための寸毫の時間を稼ぐためだけに取られている。

 

(必要なのは……ウィンドだ、威力はそこまで必要ない

 重要なのは接続時間、連続発動回数……それに同時発動が可能であること)

 

 代理王ユベロはニーナから受け継いだ大剣の柄を握り込む。

 伏兵たちがやられると直前に行動を開始することを決めた。

 

 ───────────────────────

 

 次々と伏兵を破っていくレウスの周りに風が吹き始める。

 それは砂埃を舞い上げて、視界を奪っていく。

 

(こっちがやったことなんだ、そりゃあこの辺りも学習されるよな)

 

 それでも完全に視界が奪われる前に伏兵は全て倒し切る。

 しかし、風と砂埃が視界を完全に奪われた頃に気が付く。

 

(直線的な風じゃない、オレを中心にして発動しているのか

 ってことは時間経過じゃ消えない……なら)

 

 風の音に紛れて異質な音が幽かに聞こえた。

 一か八かのローリングで飛び跳ねるとそこにあったのは大剣。

 振るわれたあとの、地に突き立ったそれである。

 

「外しました……いえ、避けられたのですね」

 

 剣が再び砂埃の中に消える。

 

「この短い時間で随分と用意したなあ」

「再利用の作戦ばかりですが、効果的ではありましょう」

「ああ、驚くほどにな」

 

 大きな衝撃とともに大剣の一撃がレウスの体を走る。

 直撃こそしなかったが、痛烈なダメージがあった。

 もしもユベロが坩堝の騎士並に剣術の腕に覚えがあったら今の一撃で終わっていただろう。

 

「おいおい、脚がはええなあ」

「少しばかりズルをしていまして」

「そうかい」

 

 ユベロのズルとはウィンドである。

 視界を隠すと同時に、彼はウィンドを羽のようにして使って移動速度と大剣を振るうことのできない体躯を彼自身が浮くことで剣に必要な体高を稼いでいた。

 

 いつまでもそれに気が付かないはずがないとユベロも考えており、

 そしてその考えのとおりにレウスもまたそのトリックを理解しつつあった。

 

「やられっぱなしじゃねえってのは見せてやらないとな」

 

 グレートソードを肩に担ぐように構え直す。

 レウスの顔に獰猛な笑みが浮かんだ。

 



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円満への方策

 あらん限りの力でグレートソードを振るう。

 それは線でなく面を使ってだ。

 金属製のうちわのように使われたそれによってウィンドで発生した砂埃が一気に晴れる。

 

「わっ」

 

 思わずユベロは声を上げる。

 

「よう、ユベロ王」

 

 視界を遮るそれらを払い、しかし攻撃を仕掛けて来ない。

 自信満々に立っているレウスを見て、ユベロは小さく笑う。

 

「どうにも僕ではあなたの自信を砕くことはできなさそうです

 他のものはどうですか!

 この剛腕の王を認めぬものは!偉大なる蛮人だと認めぬものはいますか!」

 

 もしかしたならば策は他にもあったのかもしれない。

 或いは、自身の負けを効果的に引き出すことこそが策であったのか。

 遅まきながらレウスはそれに気が付く。

 

 伏されていた蛮族たちはその声に姿を現すと、武器を置いて膝を付いたり思い思いの姿勢を取り、そのいずれもが恭順の意を示しているのがわかる。

 

 ユベロもまた、膝を付いて従うように。

 それを遠間に見ていた黒騎士やグルニアの将校たちは歓声をあげた。

 レウスが勝ったからではない。

 あのひ弱で、人の前に出なかったユベロが見ないうちにこれほど立派な男児に育ち、よもや生ける伝説たるレウス相手に果敢に挑んだことに喜んだのだ。

 

 彼らからしてみればユミナもユベロも自分たちグルニアの宝、そして、グルニアの未来そのもの、つまりはグルニアの子なのだ。

 帰属意識の高いグルニア人からすれば、子の成長を喜ばないものはいないのも当然である。

 

「……これを狙ってたな」

 

 前線に居た騎士たちも、鎮護の騎士も、市民もが一丸となった。

 そして、それはレウスやアリティアに対する歓迎ムードを作り上げている。

 

「何のことでしょう」

 

 レウスは上手く担ぎやがったな、そういう意味を込めてじろりと見る。

 ユベロはあはは、と小さく笑って受け流した。

 

 ───────────────────────

 

「しかし、説得のためにと思い急ぎここまで来たのですが……」

 

 ロレンスは流石に呆気にとられてしまっていた。

 神かなにかの奇跡によって拾った命だったが、そのための使命だと思っていたグルニアの帰還と守護は意外な形で決着してしまったからだ。

 

 しかし、それでも体が透けてみたり、空にふわりと浮かんでみたりはしない。

 今だその体には使命があり、命を消したりはしないようだった。

 

「ロレンス、おかえりなさい」

「ユベロ様……ただいまもどりました」

 

 改めてロレンスは槍を掲げ礼を取る。

 室内でもそれができるあたり、軍事を優先し、そのための式典も行えるような作りになっているグルニア主城は国家としての特色をしっかりとしめしていた。

 

「ユミナ姉様、王の位を返上いたします」

「ええ、けれどそれもすぐに渡すことになる」

「わかっています」

 

 色々とここに至るに策や言葉を考えてきていたレウスもまた、ロレンス同様にやや呆気にとられつつもあった。

 それでもそうはならなかったのは先程の戦いあってのもの。

 いや、ユベロの才覚を認めたからこそ。

 

「ユミナとは結婚する、グルニアはオレの庇護下に入り、多少の時間は必要だろうが戦後にユミナの統治下に戻す

 勿論、グラと同じく国ではなく地方という形にはなるがな」

「はい、……感謝します」

 

 ユミナは深々と頭を下げ、顔を上げて言葉を続けた。

 

「ですが、現在は東西決戦の只中です

 西はこうして片付いたとしても」

「ああ、オレも可能な限り早く東に戻らないとならんが……」

 

 悩ましいのはそれであった。

 ユミナとユベロを残して行けば結局、グルニア王国という形は変わらず、統治の機会を逸してしまいかねない。

 かといって、突然二人がいなくなっても問題でもある。

 

「やり方はあると思いますよ」

 

 ユベロは助け船を出すように言う。

 

 ───────────────────────

 

 統治は引き続きユベロが代理王として行う。

 代理王という肩書は実に便利であった。

 いつか玉座から退く約束が既に為されている以上、王の上に聖王がある立場になっても不都合がない。

 

 ユミナはレウスが東に向かう道中のアリティアで結婚式を執り行う。

 ただし、これは略式のものとして一日で終わらせる。

 本格的なものはグルニアとアリティアで、決戦の後にということになった。

 

 グルニアの黒騎士については引き連れて東へ戻る。

 代わりに国土の守りを西側で展開していたマチスのマケドニア地方軍と、ノルンのアリティア正規兵にしてもらうことを提案した。

 他国の兵士には最初こそ風当たりは強いだろうが、その辺りはユベロが上手く政策上でコントロールするつもりだという。

 

「というのはいかがでしょうか」

 

 彼が提案したものはそれ以外にも食糧事情が困窮しかねない状況であるからドルーア地方との貿易を行いたいというもので、

 その逼迫の事情が蛮族を養い、戦争によって出た被害者たちの炊き出しなどのためである。

 あのとき倉庫から貯蔵分の食料を使ったのはレウスが来ることを予測していた上でのパフォーマンスという側面も少なからずある。

 実際にそれは成功している。

 

 レウスの到来を予測できた理由は戦線の膠着や休戦、前線から見た光についての興味や不安などを使ってアリティア側が前線を説き伏せ、首都に寄せるだろうことを考えてのことでもあったが、

 最大の理由は姉の気配を感じたからであった。

 

 それは説明不能の超常的な感覚ではあるが、それを説明することはできない。

 兄弟姉妹とはそういうものなのだろう、としか言えない感覚だった。

 

「全体的にまとまっているとは思うが、提案もある」

「なんでしょうか」

「うちのノルンとそっちのロベルトな、好き合っているんだが」

 

 不意の発言に会議に同席していた二人が声を出した。

 

「ちょ、ちょっと陛下!?」

「レウス聖王陛下、この場で何を……!」

 

 レウスは「まあまあ」とジェスチャーをしながら続ける。

 

「この二人の結婚式を大々的にやるんだ

 アリティア聖王国との未来が幸せなものになると感じさせるような、良い感じの式をだ」

 

 ああ、だが……と、言葉を続ける。

 

「勿論、そんな風に自分たちの関係を使われてほしくないって気持ちがあっても不思議じゃない

 二人がイヤだったら撤回するぞ」

「そ、それはあ……」

 

 その言葉にノルンはまんざらでもない、といった顔。

 ロベルトはまだ状況に付いていけていないようだが、それでもノルンを見てから、

 

「お願いが一つ」

「なんだ?」

「時間の許す限りで構いません、花嫁のドレスを、彼女に似合うドレスを用意していただきたいのです

 それさえ許されるのでしたら、自分からはなにもありません」

「勿論だ、というか……」

「というか?」

「多分、もう準備は進んでると思うぞ

 リーザのあのはしゃぎっぷりからしたらな」

 

 実際、その通りであった。

 



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アリティアのドレス

 怒涛のような動きであった。

 時は金なりというのであれば、リーザ率いる聖王国の結婚に向けての準備は造幣局の勢いで時を有効利用した。

 

 王族が纏うような結婚衣装はノルンのものだけでなく、ロベルトの分まで用意された。

 そのためにリーザが最も信頼するメイドがグルニアに派遣され、お直しまでさせている。

 それも一着ではなくお色直し用に数着を持ち込ませていた。

 

 ノルンの配下たちも参列させるように手配し、アリティア側には黒馬を、グルニア側には白馬を用意して二人の参列を守らせる計画も実行している。

 これは黒騎士団とアリティア側が手を取り合う未来を暗示する施策であり、幸福ムードを利用して刷り込んでいこうという考えでもあった。

 

 結婚式の進行役にはマケドニアの大貴族であり、紋章教団の最高幹部でもあるレナが立ち会う。

 先んじてアリティア聖王国の枠組みに入ったマケドニアが、こちらは無事だ、安全だと示すためでもある。

 

 こうした様々な、小さいものから大きいものまでのことの大部分にユベロは絡んでおり、

 遠方ではなく足を運んで指揮をすると息巻いていたリーザもユベロの優秀さにアリティア主城に戻るよう言われたことに頷くほどである。

 

 ともかくとして、レウスは参列できなかったもののグルニアで行われた結婚式は大成功であったと報告を受ける。

 それよりも早く、道中で流れていたグルニアとアリティアの美しき夫婦の唄が酒場から流れるのを聞いていた。

 

 ───────────────────────

 

 アリティアに戻ったレウスはそのままユミナとの結婚の準備を急がされた。

 略式のもので、民を集めての演説をレウスとユミナが行う程度のことではあったが……

 

「だめよ、ユミナ」

「で、ですが」

 

 リーザは明確な意思を表明する。

 彼女がユミナに着せようとしたドレスこそが問題の起点であった。

 

 その演説のときに着てもらうドレスは、リーザがコーネリアスとの婚礼で着たものだったからだ。

 よく手入れをされ、年に一度はメンテナンスと称して手入れに手直しにとされていたもの。

 言ってしまえば殆ど新品になっている。

 彼女がコーネリアスに輿入れしたのもユミナと同じ頃の年齢であったのもあり、

 見ただけでもユミナのサイズに適合しそうであった。

 

 ユミナが頷けないのは中古だからというわけではない。

 それがリーザが大切にしていたのもひと目でわかることであるが、それ以上にそれを纏うことがリーザにとっても、アリティアにとってもユミナが『特別である』という贔屓目めいたものが生まれかねないからと断っていたのだ。

 

 しかし、そこに赤子をあやしているマリアが、

 

「ユミナお姉ちゃんは姉上やシーダ様との関係に影響するんじゃないかって思ってるんだよね」

 

 と、口を挟んだ。

 

「そうだったのですか?」

 

 自らの子を撫でるシーダが驚いたように言う。

 その様子にユミナは「え?」という表情をした。

 

「あー、そっか」

 

 レウスが不意に、

 

「ユミナ、お前もしかして寝しなに読んでる物語の中に宮廷物あったんだろう」

「あっ、えっと……」

 

 顔をやや紅くしてから、

「そうです」と観念するように言う。

 

「その、やはりレウスと結婚となれば序列というものを気にするべきです

 その中でリーザ様の寵愛を受けるとなればシーダ様やミネルバ様、レナ様はよく思わないだろうと……」

 

 聖王国の女王、つまりレウスの妻たちにとって唯一、聖后ではない人物からの受けたそれによって、他の聖后との関係性がこじれることを恐れているのだ。

 その言葉を聞くとシーダはそっと我が子をベッドに戻し、ユミナの元に向かう。

 

「ユミナ様、私達のことは宮廷の中の妻同士と思わないで、こう思っていただけませんか」

 

 彼女はユミナの手を優しく握る。

 

「私達は姉妹だと、血の絆のように強い、何者にも破れぬ繋がりがあるのだと思っていただけませんか?

 ……ユミナ様が思っていただけなくとも、私は思ってしまいますからね?」

「シーダ様……」

「それとも、ユミナ様の姉として私はやはり不安があるでしょうか」

「そんな、そんなことはありません

 シーダ様のことは吟遊詩人の唄でもよく聞いておりました、レウスとの旅の物語を」

 

 グルニアは情報収集の一環で宮廷に吟遊詩人を呼び寄せることが多い。

 元は先王ルイが子供たちが寂しい思いをせぬようにと始めたことだが、

 それが女王となったユミナの頃にも続けられており、重要な情報獲得の機会ともなっていた。

 

 そこで語られるシーダはときに優しく、ときに勇ましいものであり、

 グルニアのロレンスとは縁深いモスティンの、その娘ということもあって妙に脚色はされているものだった。

 しかし、この時代の少女たちはシーダを憧れのヒロインとして考えるものも多く、

 今を生きる英雄であるのがレウス以外にも存在する確たる証明でもあった。

 

 実は自分が謡われている内容を何も知らないシーダは、

 うきうきと話すユミナのそれにびっくりしたり、笑ったり、ときには語られている以上のことがあったりなどを話しては場を和ませた。

 先程まで存在していた空気は吹き飛び、いつのまにか会話はシーダのペースとなっており、

 そのうちに会話はいつのまにやら元の部分にまで戻り、

 

「お義母さまだけではなく、私もこのドレスを着たユミナ様が見たいです」

「私も見たいです、ユミナ姉様!」

 

 いつのまにかマリアまで姉妹の輪に加わっている。

 うっすらとした既成事実の作成、その能力を感じてレウスは表情を固くしかける。

 

「ね、貴方の思う不安はないでしょう、ユミナ」

「……はい、先程はせっかくの申し出に失礼なことを

 どうか、私にこのドレスを纏わせていただけませんか、リーザ様」

 

 その言葉にリーザは表情を明るくしてユミナを撫でていたりする。

 

(にしても、シーダの説得能力は結婚しても子供ができても衰えないな……)

 

 レウスは目の前でほだされた状況を見て恐ろしくも、頼もしく感じるのであった。

 これから先、自分と縁を結んだものたちもシーダがいれば平穏無事で、幸せな日々を歩めるのだろうと確信できたからだ。

 



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前夜、再び

 結婚演説。

 それは熱狂の渦であった。

 

 アリティア国民はグルニアを恐れていた。

 黒騎士団という最強の騎馬兵団に、倒しても減らないとまで言われた軍事力があるからだ。

 彼らの恐怖は今や、自分たちと共に歩くものとなり、頼もしい家族となった。

 

 グルニア国民はアリティアを恐れていた。

 急速に拡大し、しかし綻びのない奇跡が目の当たりに広がったからだ。

 彼らの恐怖は今や、自分たちにも与えられた恩寵であり、素晴らしい加護となった。

 

 演説を聞くアリティアの老人たちがユミナの服装を見て、

 まだ遠くを見れる老人は、ユミナが纏ったドレスがリーザの纏ったものと同じだと気がつくと、それを口にし、やがてその言葉はどんどんと広がっていった。

 

 それこそがアリティアにとってグルニアが家族と思えた始まりであった。

 黒騎士団の恐怖が消えたことの安堵を上回る歓喜が広がり、国民からもまた新たな聖后の誕生を喜ぶ声で満たされる。

 

 今のアリティアの繁栄がリーザの手腕によるものであるからこそ、

 彼女がリーザのドレスを纏うことはわかりやすくアリティアとグルニアの繁栄を思わせる兆しだと民草は受け取った。

 

 東がアカネイア連合、西はグルニア王国の両面を相手にした東西決戦。

 ここに一旦の幕が閉じる。

 だが、グルニアをその手に収めたアリティアを西とし、

 オレルアンとアカネイアを東とした本当の『東西決戦』が始まろうとしていることは、考えるまでもなく明らかであった。

 

 ───────────────────────

 

「メリナ、聞きたいのだが」

「私も貴方から聞きたいことがあるけれど、そちらからどうぞ」

「この大陸の状況が知りたい」

 

 こうして後方で腕組して見ているにしても状況を知っていたほうが身が入るというものだろう、と。

 

「状況……って、一から十までだったら日が暮れるけれど」

「ここは上がる陽や下がる陽はなさそうだが」

「そういうことを言いたいんじゃ……はあ……わかった、説明する

 私も整理したかったし」

 

 グルニアとの戦いが落ち着いたことで、敵はオレルアン、アカネイア、そしてガトーに絞られた

 

 円卓で見れる風景は何もかもが見れるわけではない。

 主に見れるのはレウスが見聞きするものであるが、時々まるで違う土地や違う人物の姿が見えたりもする。

 条件は不明だが、メリナは「ニーナ辺りなんかは存在感あるから」程度に思っていた。

 

「──つまり、オレルアンとアカネイアが次に決着をつけるべき相手、か」

「ただ、嫌な予感を感じてもいてね」

 

 メリナの顔付きは真面目、というよりも冷たい、氷のような表情だった。

 それはラニのような冷たさの中にある美しさを呈しているというよりも、殺意が大いに高まった結果、それ以外の感情が失せたかのようなものである。

 ラニもマリケスも狭間の地の住人であるからこそその表情も感情も推察はできる。

 

「狂い火の気配を感じた、この大陸のどこかで」

「ふむ……だが、指はこの世界にはいない

 それは間違いはない」

 

 メリナもラニがそこまで断言するのであれば、そうなのであろうと思う。

 何せ彼女は指を殺した女なのだから。

 レウスがそれを理解していなくとも、メリナはそれを知っていた。

 

「つまり、狂い火を渡すものはいない」

「この世界に彼の男(金仮面卿)のように自らの狂気からそこに至った可能性は?」

「狂うことはできても、世界を犯す炎までは作れない

 ……人が人を焼くような狂気の炎は別かもしれないが」

 

 どうあれ、世界の有り様を大きく変質させる狂い火は存在しない。

 ラニはメリナを安心させるため、というだけでなく、学術的な理解の上でそれを断言した。

 

「でも、狂い火のようなものが現れたとして、それは何を焼いたのか

 それは興味があるな」

「死のルーンの如く、何かを変質させるように狂気を使い焼き切った……なんてのは考え過ぎかしら」

 

 二人の言葉にマリケスは「ふむ」と吐息を漏らして、

 

「……まったくない、とは言えまいな

 あのガトーという男が魔将だの聖戦士だのという褪せ人もどきを作っている以上、この世界の法則もまた狭間の地の理念に近いところに進ませているような気もする

 となれば、」

 

 死のルーンを知るマリケスの言葉にメリナが

 

「火を継ぐようにして、呪いを焼き切ろうとするものもいる……か

 確かに前例はレウスが見せているのなら、突拍子がないわけでもないと言えるものね」

「とはいえ、ここで答えが出るものでもない

 ラニ殿に説明の続きをするべきであろうな」

 

 いつのまにやら卓上に用意されたのは手作りの地図、いや、ジオラマといっていいものだった。

 

 円卓を拡張していく中でDIYの楽しさに目覚めたメリナ、

 実直な性格でコツコツとしたことを続けることができるマリケス、

 手先が器用で多くのものを作り上げてしまうラニ、

 

 三人は有り余る円卓の中の時間を使ってノンスケールのアカネイア大陸のジオラマを完成させていた。

 彼らとてこの大陸の全てを知るわけではない。

 しかし、レウスを通して得ている知識を、レウスよりも優れた知性と人生経験を持つ三人が絞り出した戦局図。

 これはアリティア、アカネイア、オレルアンの三国が持つ情報よりも高い精度を有するものすら存在していた。

 

 ───────────────────────

 

 アリティアが新たに東に向ける戦力は黒騎士、レナ、そしてレウスである。

 リーザを始めとした妻たちはアリティアでの治世と子育てを託す。

 そもそも、急速に拡大しているドルーア地方、グルニア地方の両方を安定させるのにかなりの人数を割かねばならない状況であるのは変わらず、。

 

 一方で、オレルアンはハーディンとロシェを除く狼騎士団たち。

 オレルアン王ブレナスクがマリーシアを使って動かすことに成功した複数のゴーレムがあり、

 ボアのもとに戻っていないのならばマリクもまたブレナスクのもとに、

 マリーシアは生きていれば東のどこかで傷を癒やしているか、復讐の火を燃やしているか、或いは本来の目的……つまり『王子様』のために何かを企てているはずである。

 

 アカネイアはボアとエッツェルが差配する疑剣ファルシオンを握らせた部隊。

 そして鬼神ミディアとホルス。

 明確に従っているかはさておいて、赤獅子騎士オウガも存在する。

 

 ───────────────────────

 

「チェイニー殿」

「やあ、エルレーン殿

 どうしたんだい」

「報告にあったセラの村だが、人っ子一人いなかったそうだ

 しかし生活の後はあった

 可能な限り足跡を探り、わかったことは東の方向へ向かったことくらいだった」

「そっか……手数掛けちゃったね」

 

 東西決戦。

 再始動の鼓動が鳴り始めていた。

 



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売国奴

 私──ホルスは売国奴として、裏切り者として歴史には刻まれるのだろう。

 だが、それを恐れているならばこんなことはしていない。

 勿論、私を産み、育てた両親や荘園のものたちには申し訳ないとは思っている。

 

 それでも戦いそのものに意味があるとも思えず、意味のないことを粛々とこなし続けることを我慢できるほど人間ができていない。

 

 我らが戴くアカネイアの王、或いは連合の主が手放しで崇められるものであればこうはならなかったのだろう。

 

 連合の主であるハーディンは今を以て何を考えているかはわからなかった。

 家族同然の近習を失って悲しいのはわかるが、それで戦いの手を止める理由がわからない。

 

 特に今ならば聖王もおらず、ハーディンと狼騎士団が前に出ればグラ大橋まで敵を退かせられるかもしれない。

 そうなれば、アカネイア地方への道も開ける可能性もあった。

 勿論、そうなれば狼騎士団にも大きな犠牲が出るだろうが……それを嫌がるのならば何故この戦いに参加したのだ?

 

 アカネイアの盟主であるボアは権力という酒精に酔いしれて、段々とアカネイア帝国などという妄言を隠さずに発するようにすらなっている。

 あの日、エッツェルが持ってきた武器だけではない、ボアには色々と融通しているようだ。

 

 エッツェルが何者なのかはわからない。

 だが、あの男は何かを隠している。

 それを暴くのは私の領分ではないし、明かしたところで暗躍を得意としている連中に寝首をかかれるだけだ。

 であれば、自分の領分でやるべきことを行うだけだ。

 

 戦場は未だ静かだ。

 西ではグルニアがアリティアに従ったという噂が流れてきている。

 東西は分断されており、情報も入ってきにくい状態で、その噂もどれだけ熟成されたものなのかもわからない。

 ただ、聖王が戦場に戻っていない以上はそう日数は掛かっていない、多少は瑞々しさが残っている情報と考えてもいいのだろう。

 

 実際に戦争が再開したとして、どうなるだろうか。

 アカネイアは明確にオレルアンとの決別を決めており、発表こそしていないがオレルアン側にもその意思は十分に伝わっているはずだ。

 

 今までのように尖兵としてアカネイア軍が使われることはないだろう。

 だが、そうなればどちらの軍が先に動くのか。

 後手に回れば逃げ場がない両勢力ともに命取りになる。

 しかし、それでも積極的に兵を出す勇気はボアにはない。

 喪がいつ明けるのか次第ではあるが、オレルアンはそもそもが読めない。

 

 地図を広げる。

 アカネイアは旧サムスーフ領から東、タリスを対岸に見ることができる半島部分の全てを支配下に治めている。

 開戦からこそこそと進めていたボアの侵略計画が結実した形であり、領地の規模で考えれば国家としても十分な面積を持つと言えるだろうし、この土地は要害に囲まれており、高い防衛力を持っている。

 

 オレルアンはオレルアン全域の支配を保っている。

 平地が多く、自然の守りは少ないが、だからこそ野を縦横に駆け回れる狼騎士団を中心に、騎兵部隊の攻撃力は防衛時にこそ有効であろう。

 また、北東のフレイムバレルと呼ばれる場所の近くまで支配圏を持っているようで、オレルアンの歴史上で見ても最大の領土面積となっているらしい。

 その辺りに巣食っていた大量の蛮族たちが突如として消えたのがその要因らしい。

 

 一方でアリティアの戦力だが、いくつもの国を糾合している現在の軍事力は侮れないもの。

 ──と、言いたいが東側に向けられる戦力は以前とそう変わらないだろう。

 今だ支配から日が経っていない各国各地で戦争に参加せよなどと言えるわけがない。

 特に戦後のことを明確に見据えている聖王国であれば今、民からの恨みを買うわけにはいかないからだ。

 

 時間稼ぎは確かにした。

 いや、今もミディアが時間を稼ぎ続けている。

 だが、それも限界があるだろう。

 

 もしもそれまでに大きな動きを得られなかったら、私は私で別のやり方を探さねばならない。

 

 ───────────────────────

 

「ホルス将軍、お目通り願いたいというものが来ております」

 

 現在、ホルスが配置されているのは旧アドリア侯爵領、つまりは最前線に位置する場所であり、好き好んでここに客として現れるものはいない。

 つまり、ここに来るようなものは重大な何かを抱えたものだけ、ということになる。

 

「客室へお通ししてくれ、すぐに伺う」

 

 ホルスはそれが誰かを問いはしなかった。

 彼自身が客が自ら名乗らない限りは来ないようにと徹底しているからである。

 

「お待たせしました」

「いえいえ、全然待ってませんよ!」

 

 椅子に座って出された茶菓子を楽しんでいる客。

 橙と茶の狭間の色をした髪の、年若いというよりは幼い少女。

 

「お会いできる日を楽しみにしておりました、アンナ様」

 

 現代には怪物が数体いるとホルスは考えていた。

 噂にしか聞かない、エッツェルの主でもある魔王ガトー、

 アリティアを大国に押し上げた現人神、聖王レウス。

 そして、商会の主アンナ。

 

 目の前にいるのはその一人であり、同じ顔をした一族が支配するとも言われている商会の女主人であった。

 

「さて、ホルスくんは何をお求めなのかな?」

 

 ふふ、と笑うその表情は年齢からは考えられない、不敵で、或いはいっそ妖艶とも評することができるもの。

 人を魅力するもの、つまりは財貨の化身とも言えるようなものであった。

 



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秘密の店(出張版)

 ホルスが仕掛けたことは天才的な解決策ではなかった。

 むしろその逆の、地道で非才であると自己を定義しているからこそのもの。

 

「あんな風に餌をそこら中にぶら下げられたらねえ」

「一番早く行動したのは貴方でした」

「そりゃあ、機を見るに敏がウチのモットーですから!」

 

 餌とは彼が各地で流した噂、ホルスの軍備拡張のものであった。

 彼の家には神竜から授かった神竜石があり、それを売り払ってまでアカネイアの軍備にしようと考えているという、国のために尽くそうとする噂である。

 

 これに早期に引っかかるとしたなら、アリティアの関係者か、竜石を集め続けているアンナの商会であると予測したのだ。

 ララベル・カンパニーは動くとしても一歩遅れてとなるだろうという予想を立てており、その予測の根底はオレルアンとアカネイアの注文でパンク寸前になっていると聞いていたからである。

 

 この噂が仮にアカネイアの誰かの耳に入ったところでただの忠義者として捉えられるだけであり、噂のパンチ力としては弱いからこそ、地道な流布活動が必要でもあった。

 

「単刀直入に言うとさ」

 

 アンナが口を開く。

 

「ないでしょ、神竜石」

「お見通しですか」

「長年商人やってるとね、それが本当に存在する商談なのかどうかってのがわかるってわけ

 加えて言うなら、その人が本当は何をしたいかっていうのもね」

「恐ろしい方だ」

「どっかの聖王様に比べれば商売を楽しんでいるだけなんだから、怖さなんてないない」

 

 ホルスはどうだか、と思いつつ茶を一口飲み、

「では、本当の商談をはじめましょう」

 そう切り出した。

 

 ───────────────────────

 

 ホルスが求めたものは戦力であった。

 しかし、それは

 

「本気かい、ホルス将軍

 そんな戦力をどうするつもりなの?」

「アリティア以外にぶつけるのですよ」

「以外って、オレルアン?」

「アカネイアにもです」

「ううん、でも……いや、集められはするさ

 でも、ノルダや北グルニアにいたようなならずものを……」

 

 アンナからしてみれば、何故そんなことを、といった具合ではあるのだが、

 アリティアの御用聞き同然である身からすれば国のためになることであればやりたい気持ちはあった。

 だが、それがホルスにどんなメリットがあるのかがわからない。

 

「出遅れましたのでね」

「出遅れた?」

「英雄譚に、ですよ」

 

 ホルスとて男児。

 現在進行系で作られ続けている英雄譚の登場人物たらん、そう望む心がないわけではない。

 無論、その語られたいと願う物語は忠義と忠節のものであることを彼自身は望むが、

 アカネイアに尽くすのは意味がない。意味がないことは性質的に行えない。

 

 乗れなかったのなら、別の角度から英雄譚に混ざればいい。

 

「ふうん

 でも長生きしないよ、そういうのはさ」

「どちらにせよ、長生きは望めない時代でしょう」

「切ないなあ」

 

 で、とアンナは言う。

 何を対価にできるんだ、彼女にとって最大の関心事を切り出した。

 

「アカネイアの宝をお渡ししましょう」

「……メリクル、グラディウス、パルティアはどれもここにはないでしょ?」

「勿論、それらも国宝ではありましたが……もっと有用なものですよ」

 

 彼が机の上に置いたのは勲章である。

 

 勲章とはアカネイアの人間にとって、その力を最大化するための鍵である。

 名誉を与えられればそれに応じた力を後天的に得るのがアカネイア大陸の法則であった。

 それはアカネイア人のその才能を引き出す魔道具であり、量産の効かない代物である。

 

 こうした勲章は貴重であり、たった一つであっても極めて高額である。

 それを手始めにと言わんばかりに三つ、机に置いた。

 

「先祖代々から受け継いだものに、五大侯の邸から回収したもの、

 他にもいくつかの手段によって手に入れたものがあります

 数で言えば三百ほど」

 

 それは途方もない数字だった。

 そして同時に、各国が探しても見つからない理由もわかった。

 この男がいち早く回収し、保存していたからだ。

 

 三百もあればアリティアの軍が相当に戦力を上げることができる。

 金額で言っても凄まじい売上になるだろう。

 そして、これだけのものであれば自分でなくとも、ララベルに頼めば同様のもの、つまりはならずものの招集と手配は請け負うに違いない。

 彼が自分に頼んでいるのはアリティアの御用聞きだと知っているからだとも察している。

 

 いざというときなのか、それとも機が熟したあとになのかまではわからないが、自分に窓口の役をやらせるつもりなのだろう。

 

「……わかった、商談は成立だよ」

「助かります」

「人数を集めたらどこに向かわせればいい?」

「それについても相談がありまして──」

 

 暗躍はボアやブレナスクだけが行う特権ではない。



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虚飾の名誉よりも

 何度も何度も出陣のパレードを行う気はレウスにはなかったが、結婚演説があった手前、何も言わずに出発することもできない。

 文官たちの頼み、つまりはパレードはどうしてもやってほしい。

 士気高揚だけでなく商人たちを潤わせることもできるから、とのことである。

 

 彼らが言うことはもっともであり、やむなくレウスは他の部隊と足並みを揃えて出発することになっている。

 単騎でトレント走らせれば一日もしないで到着できるのだから、少し遅れた程度で致命的なことにはならない。

 ならないであってくれ、と祈ってもいる。

 

 戦局としてもオレルアンもアカネイアも不気味なほどに沈黙を守っているらしく、

 何かある可能性が低いからこそ、それを飲んだのも理由としては存在している。

 

「陛下」

「なんだ?」

 

 ミネルバとレウスの間に儲けられた子、アイに『高い高い』をしているレウスにメイドが言う。

 

「女王殿下がお引き合わせしたいものがいると」

「それはオレがアイの高い高いを中断してまでの人物なのだろうな」

 

 メイドに当たるわけでは無いが、子供と接する貴重な時間を他のことで割かれるのは気分のいいことでもない。

 

「私の口から何者かと言うことはできませんが、価値ある方ではあるかと」

「……はあー……

 すまなかった、嫌な言い方をしちまったよ

 また暫くこいつらと離れるって思うとな」

「承知しております」

 

 この程度で感情を揺らしたりするアリティアのメイドではない。

 間違ったことは謝罪するこの男はメイドたちからしても支え甲斐と可愛げのある人物と映っていた。

 

 子どもたちのことを周りの乳母や世話係に任せるとレウスは謁見の間へと歩く。

 それに同伴するようにメイドたちが付き従い、それとなく手を出して服装や髪型を整えていく。

 このあたりの体制が整っているのはそのまま国が潤いを取り戻している証拠だとも言えて、元々が庶民のレウスからすると居心地と言うか、やられ心地はそれほど気持ちがよいものでもなかったが、受け入れていた。

 

 謁見の間を門を守る騎士たちが開く。

 

「呼んだか、リーザ」

「ええ、あなた

 こちらの方を紹介したくて」

 

 レウスがそのままその人物に目を向けないようにしながら玉座に向かい、どかりと座る。

 このあたりの所作もまた教えられたものを実行している。

 座り方にはやや品がないのは中々直らないようではあるが。

 

「顔を上げてくれ、ええと」

 

 すいと顔を上げる。

 整った造作をしているが、どこか神経質そうで、プライドが高そうな顔立ち。

 恐らくこれが一般的に言う『貴族らしい顔立ち』なのだろう。

 そして、レウスは彼を見たこともあった。

 

 顔立ちこそ整った美丈夫の貴族的な男だが、服越しにもわかる肩や腕の筋肉。

 皮の厚そうな指。

 それらが一流の武芸者であることを如実に伝えている。

 

「お前」

「アカネイア王国、弓騎士ジョルジュと申します

 この度はリーザ女王殿下のご配慮によりレウス聖王陛下へのお目通りの機会をいただけたこと、まことに感謝いたします」

「……ああ、確かにこりゃあ……価値のある客人だな」

 

 メイドが主たちに嘘をついたことは一度もない。

 その的確な表現に相当しすぎる相手の到来にはやや圧されもするが。

 

 ───────────────────────

 

「大陸一の弓騎士が怨敵でもあるアリティアに来た理由はなんだ?」

「自分は一度負けました」

「負けた?誰に」

「赤獅子騎士オウガと名乗るものに」

 

 聖王の表情が少し動くのを同席した二人は見逃さなかった。

 

「漂流物を身に纏ったとはいえ……報告じゃあイングヴァルを名乗った奴もいたが、中身はアカネイア人だった

 ってことはそいつも中身は」

 

 その言葉の前半は聞き取れはするが意味までは判然としない。

 少なくともレウスにとって重要なのはその中身のことでしかない。

 

「何者かまではわかりませんが、自分に匹敵し、それ以上の実力を持つのは確かです

 それにより現メレディ家当主のノアは討ち取られました」

「オウガってのがアリティアの人間だとは判断できなかったか?」

「弓の握りや構えからアリティア流ではあるかとは思います

 他にも幾つかは調べましたが──」

 

 ジョルジュが聞いたのはボアと共にいたオウガやイングヴァルの話であり、

 その情報を探れば探るほどにオウガとボアの繋がりが確定的なものになったのだという。

 

 イングヴァルが魔将であった以上はボアとガトーはかなり強い協力関係にあると考えるべきだろう。

 少なくとも名持ちの手駒をボアに与えているようではあるのだから。

 

「そして、アカネイアを出奔したのか」

「生前に先代ノアが私に『アリティアに迎え』、『リーザ女王殿下には話を通してある』

 ……そう告げられましたので」

 

 レウスがリーザを見ると頷く。

 嘘はない、というよりもリーザの態度からしてみれば既にジョルジュは彼女にとっては敵ではないということなのだろう。

 

「思惑や感情を排して言えば、ジョルジュはアリティアに降りに来た

 ってことでいいんだな?」

「一点の間違いもなく」

 

 大陸一の弓騎士の誉れは安くない。

 そして、メニディ家においても同様であり、大貴族である五大侯の一家の名もまた安くはない。

 ここでアカネイアからアリティアに降ることはそれまで築き上げてきた名誉を泥を塗るに等しい行為である。

 

 何せ、それはあのラングですら取らなかったことなのだから。

 

「ジョルジュ、アカネイアの大貴族たるメニディの……ノアが死んだ今、お前がノアとなるであろう

 それがアリティアに降る理由はなんだ?」

「名誉も、家格もくだらぬものだからです」

「……ほう、くだらないと来たか」

 

 貴族とは名誉や家格を重んじるもの。

 そうした前提があるからこそ他者と自分とを区別し、その果てにあるのがラングの行うような専横でもある。

 特権階級の証明でもあるそれらを、しかしジョルジュはくだらないものだと断じた。

 

「我が血に存在するのは弓を能く扱い、当代随一であるということだけ

 少なくとも自分はそう育てられました

 しかし……自分はオウガに負け、その存在意義を失ってしまいました

 それを取り返すための居場所はアリティアにあると考えたのです」

 

 矢こそ謁見に至る前に回収されてはいるが、神器パルティアについてはその手に持っていることを許されたのだろう。

 今は彼の傍らに置かれたそれを掴む。

 手が振るえているのがわかる、それが悲しみではないこともレウスにはわかった。

 

「悔しいんだな」

「ええ、自分の……俺の全てが、否定されたから」

 

 感情の高ぶりを隠し通すことができず、本来の一人称が出るも気にせず続ける。

 

「かつての仲間に弓を引くことになるのも厭わぬほどに、か」

「オウガと戦う機会を与えてくださるのならば、誰であろうと射抜いてみせます」

「わかった

 条件を呑むのならば帰順を認め、オレの軍に加える」

 

 どのような条件でも飲む、という表情を浮かべているジョルジュ。

 

「戦後まで生き延びて、メニディ家を繁栄させろ

 優秀な武官は平和な時代になれば治安を守るための組織としての仕事が待っている

 お前ほどひたむきな男であれば、戦後の大陸を守る重要な仕事を任せられるからな」

 

 それは降兵に対しての条件には甘く、弓騎士が覚悟していた様々な想像とは掛け離れたものであった。

 

「……必ず、その約束を果たします」

「ああ、頼むぞ」

 

 ジョルジュはパルティアを掲げ、告げる。

 

「我が弓、我が武芸の全てをレウス聖王陛下とアリティア聖王国に捧げます」

 



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ノルダの残火

「よくもまあ、ここまで集めてくれたものだ」

 

 ホルスはアンナによって集められたものたちを前に端的な感想を漏らした。

 殆ど全員がろくでもない連中に見えるが、ただ、実力だけは確かでありそうだった。

 それも当然で、ノルダを追われ、北グルニアの殲滅戦めいた戦いを生き延びて、それでもなお『ならずもの』をやっている連中なのだから。

 

 彼らが集められたのはサムスーフ領はサムシアンの根城だった場所。

 レウスがここで暴れてから何度となく再利用された土地であり、

 その度に簡単な修復が行われているせいで、巻き込まれる回数が多くともその外観も機能も十分なものを残していた。

 

 ホルスもまた、身分を隠すために多少は見てくれに注意を払っている。

 その上で兜と一体になった仮面を身に着け、フードを目深に被り彼らの前に出た。

 

「私が何者かなど君たちは興味もないだろう

 だが、諸君の仮初めの主として名は名乗っておく

 我が名はホラティウス」

 

 安直な偽名ではあるが、まるで違う名前を名乗ればボロが出るかも知れない。

 ホルスはそもそもが生真面目で実直な男であり、人を騙すことそのものをあまり快くは思わない。

 

 それでもミディアを使っての時間稼ぎや、現在行っているようなならずものを集めて駒にしようとしていることなど、

 必要となればアカネイア貴族らしからぬこと(暗躍や策略など)を実行できる男でもあった。

 だが、得意かどうかは別であるからこそ、言うなれば嘘の強度が低くてもよいものはそうした。

 それがこの偽名にも現れていた、というわけである。

 

「私が君たちに与えられるものは略奪ありきの戦いだ

 敵はオレルアン

 彼らから奪うことは許可するが、奪う相手は軍を相手に限定すること

 この条件を飲めないものはいるか」

 

 ならずものたちはもはや自分たちの居場所がここにしかないことを理解しているらしく、それぞれが思い思いの同意の姿勢をとった。

 その中でひとり手を挙げたものがいた。

 

「アテナは聞きたいことがある

 軍人じゃないものを手に掛けたり奪ったりしたらどうする」

 

 喋り始めた剣士の少女はカタコトの言葉遣いと服装から彼女が異国から来たことを示していた。

 

「ここに合流させているのは私の旧来の仲間もいる

 そのものたちが後ろから切り捨てることになるだろう

 勿論、違反者を見たなら君たちもそれらを仲間と思わず殺して構わない」

 

 また別のものが手を挙げる。

 

「略奪するのはわかったが、最終的な目的はなんだい」

 

 青い髪の、体格のいい青年が質問をした。

 

「よい質問だな

 私の目的はオレルアンとアカネイアの中間地点に新たなノルダを作ることだ

 そこでは見世物の戦いと、人間の売買を可能とした市場を開き、この戦乱に相応しい都市を作り出すこと

 そうしてオレルアン・アカネイアの両勢力から必要とされる場所にすることで繁栄を得ることが目的だ」

 

 ノルダの復活。

 その言葉に高揚しないならずものはいないだろう。

 

 ざわつくならずものたちを無視するようにまた別の人物が手を挙げた。

 

「いつから行動を開始するんです?」

「諸君らは既に旅装ができている、であれば行動は速いほうがよかろう

 すぐに北へと向かい、廃砦を根城にする

 その後の予定はまた根城につき次第で構わないだろう」

 

 といった具合に、話は進み、彼らは移動を始める。

 この行軍にホラティウスは同道しない。

 彼のアカネイアでの腹心たちにそれらを任せている。

 

 彼が戻ったのは過日にアンナと会った場所であり、そこにはその彼女が待っていた。

 

「アンナさんは約束を守ったんだからね」

「ええ、感謝しております

 アカネイアのものではない鎧や外套も感謝します、それにあの仮面も」

「北グルニアの職人が作ったものらしいよ、それなら疑われずにも済むかなって

 勿論、それはサービスに含まれてるから安心してね」

 

 普段、ホルスが纏っている鎧は白を基調とした美しい鎧であり、

 それは実に貴族的でもあり、権威的でもあった。

 

 ホラティウスとして纏う鎧はそれらが逆であり、黒を基調として、厳しさを全面に押し出している。

 それだけでなく、実用性に特化した作りになっており、普段の鎧よりむしろ性能そのものは欺瞞用の鎧のほうが高いとまで思えた。

 

「それと、もう一個送りたいものがあるんだ

 こっちこっち」

 

 アンナが席を立つとホルスを手招く。

 

 裏庭まで案内されると、そこには一頭の騎乗竜が静かに待っていた。

 

「アンナさんに依頼したってことは、他の人に伝わってもいいってことだよね」

「それは、ええ、人の口に戸は立てられませんからね」

「というよりも、伝わって欲しい人がいるから……でしょ?」

「それについては私の口からは」

「だよね、ごめんごめん

 アンナさんの悪い癖でついつい聞き出したくなっちゃう」

 

 あははと笑い、それから謝罪をする。

 幼い容姿であればこうした所作が似合うものだし、だからこそこのような所作をしているとすら思える。

 

(やはり、私が考える怪物の一人だな……この方は)

 

 内心で気を引き締める。

 油断すれば頭からぱくりと食われると思うべきだろう、と。

 

 ……いや、既に彼女に食われている可能性すらあった。

 怪物との取引とはそういうものかも知れない。

 

「この騎乗竜は?」

「誰かは知らないけど、飛兵に対する知識が深い国……

 いや、国だった場所を差配できる立場にいた、『遠方にいる友人を慮った』ある方からのプレゼントだよ」

 

 ホルスが近づくと、随分と人に慣れているようで嫌がりもせずに顔をそちらへと向ける。

 

「人には慣れているし、飛兵訓練がなくても移動くらいならできるくらいに騎乗させることができる子だってさ

 この大陸でもそこまでしてくれる子は探すのが大変だから、大切に扱ってね」

 

 騎乗竜を一撫でし、彼はアンナに感謝を述べる。

 

「どうかその『友人』にもお伝え下さい

 平和の礎が作られることを祈っていてほしい、と」

 

 アンナの行動は望外の喜びを運んだ。

 これは自らを売国奴として貶める策略である。

 これは己の名誉を余さず汚す行いである。

 

 これは求めて已まぬ偉大な平和を、同じくして求める友人との出会いがあった。

 顔も声も知らぬ、まして誰かもわからぬその『友人』のために、

 ホルスはホラティウスという仮面を被り、戦いの日々に身を落とす覚悟を得た。

 

 ホルスとホラティウスの二重生活が露見し、破綻するまで、彼は止まらない。

 彼はそれを騎乗竜に誓うのだった。

 



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黄金の瞳

 有用な道具があれこれと揃っているわけではないが、それでも命は繋げることができた。

 ラングに用意させた、各地に存在する隠れ家。

 そうしたものを作らせた理由は今回のためではなかったが、結果としては同じようなことにはなっている。

 つまり、彼女はガトーに牙を剥いたときに反撃にあって負ける想定をしていた。

 それでも逃げ出し、隠れ家などで反撃の機会を狙うことになる可能性を見ていた。

 

 しかし、実際にはガトーでなくブレナスクにしてやられるというのは彼女にも想定にないことだった。

 

(いやあ……やっぱ聖戦士になると慢心しちゃうものなのかなあ

 ヤダヤダ、これじゃあ他の連中と変わらないもの

 次はどうやって動くべきかなあ……オレルアンは無理、アカネイアは……まだ可能性はあるかな

 アリティアは絶対ないけど

 うかうかと行ったらその場で戦闘だろうし、兵士はまだしも将軍級と殴り合えばただじゃ済まない)

 

 制御魔道を含めた様々な力を獲得したマリーシアではあるが、それでも自身の戦力そのものの評価はシビアである。

 それ故に、勝てる戦いを作り出すことを肝要と心がけねばと自制していた。

 

(王子様を蘇らせるために必要な要素を洗い出しなおそうか

 まずは莫大な魔力……これは物品でもいい

 私が蓄えている分を全部使えば概ね賄えなくはないけど、完全とも言えなさそう

 可能であれば神器級か神竜石、魔力を持つ漂流物とかが欲しい)

 

 マリーシアはその身に一つの魔道を開発し、潜ませていた。

 オームの杖と似た作用を持つそれは、神の奇跡そのものであるからこそ人間が扱うには過ぎたるものであり、

 聖戦士となり、膨大な知識を焼き込まれるようにしてガトーから与えられたマリーシアであるからこそ作り出せたもの。

 ガトーもこれを開発していることなど知らないだろうとマリーシアは考える。

 

(……なんだろ?

 すごい魔力が近づいてきている……?)

 

 山賊が群れで来ようと問題はないが、マリーシアが魔力の高さを感じるほどの相手となれば別。

 

(ああ、マリクくんか

 参ったな、あんな病人くんを追手にするなんてブレナスクくんったら案外鬼畜だなあ)

 

 隠形や軽業のような技術は持ち合わせていない。

 早駆けができるわけでもなければ、変装技術があるわけでもない。

 彼女にできるのは堂々と家を出て待ち構えることくらいのものだ。

 

 外に出ると目に刺さるくらいの陽光と、青々とした空が彼女を出迎えた。

 新緑の匂いをどこかから感じる。

 そんな情緒があったことを久方ぶりに思い出した。

 世界は美しい。

 こんなにも美しいのに、あの人がいない。

 

 マルス。

 世界の救済装置として選ばれていたはずの、物語の主人公。

 アカネイア大陸を救い、マリーシアに王子との旅をさせてくれた人。

 婚約相手がいるのにも関わらず、彼女の対応に怒ることもなかった優しい人。

 

(そりゃあ、もしも、正妻じゃなくたってお嫁さんになれたら……って気持ちがないわけじゃあなかったけど、

 本当はただただあの時間が楽しかっただけだったんだ)

 

 与えられた予知。

 本来あるべき世界の記憶、持っているはずの体験。

 

(別にレウスくんを恨んでるわけじゃあないんだ、ガトーのじいさまみたいにね)

 

 マリクと正面から戦って、勝てるかどうかはわからない。

 ただ、勝機が薄いわけでは無い。

 オブスキュリテであればマリクを倒しうる力がある。

 少なからず闇魔法には精神に影響させる力が存在し、心が壊れているマリクにはその影響は常の人間ならば些細なものでも、彼にとっては大きな毒となる。

 

(オブスキュリテで鈍らせて、サージで命を取らせてもらおうかな

 ……それが駄目なら、この後だってきっと駄目だからねえ……諦めればいっか)

 

 魔道書を取り出す。

 マリクが来るなら正面切っての打ち合いになるだろう。

 相手も隠れたりするような技術はないし、そもそも精神が壊れている彼がそうした小細工を弄するほどの思考力があるともマリーシアには思えなかった。

 

 ぼろぼろの外套を頭まで被ったものが歩いてくる。

 オブスキュリテに力を込める。

 風が一陣、マリーシアの衣服を揺らすのと同じように相手の外套も揺れて、それが拐われていく。

 

 外套のしたから出てきたのはマリーシアに大きな傷を追わせた魔道士マリクではなく──

 

「君は……どうしてここに」

 

 黄金の瞳を燃えるように輝かせながらも、その表情は心の動きがあまり見えない。

 まだ発育途上であろうも、細くしなやかに伸びた手足がその美しさを完成させている少女。

 マリーシアは彼女のことを知っていた。

 それはその目で見たわけから知っているのではない。

 聖戦士や魔将がある種の魔力的な接続(パス)によってお互いの位置や、ガトーからの司令などを受ける機能から他の聖戦士のことも理解できていることであり、

 故に、マリーシアは彼女を知っていた。

 

「フィーナちゃん」

 

 それはある日を境にパスの切れた、行方知れずの魔将の姿だった。

 



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いひひ

「私のことを知っているの?」

「そりゃあ、……私のことはしらない?」

 

 (かぶり)を振るフィーナちゃん。

 桃色の髪の毛が揺れて可愛らしい。

 金色の目はなに?なんでぼんやり光ってるの?

 とか、そのあたりもわかってなさそう。

 

 聖戦士なら私の存在は知っているはずでもあるけど、それもないのね。

 さあて、どうしようかな。

 

「君はどうして、ここにいるの?」

 

 フィーナの問いかけ。

 なんだか気配が怖い。

 理由はわからない、ただ漠然と恐怖がある。

 魔将ってのはこんなものだったっけ、そういうものなのかな。

 死者であるならまあ、生理的嫌悪というか、不気味さみたいなのを感じるかもしれないけど、彼女からは感じないんだよなあ。

 むしろ、もっと別種の──

 

「君も、レウスの敵?」

「え?」

「君からも、嫌な匂いがする」

「それって」

 

 刹那、としか言いようがない。

 彼女が踏み込んだ動作を取った、瞬間に私も反射的にオブスキュリテを起動しようとしたけど、それよりも早く首に剣が当たっていた。

 つまり、動作をした次の瞬間には剣が抜かれていたってわけ。

 手品?魔道?

 

「……ちょーっと待ってねえ?

 私ぃ敵じゃないよお?」

「本当に?」

 

 いやー、敵です。

 全然敵。

 多分アリティア的にも許せない相手上位ランキング入りじゃないかなあ。

 それだけのことをしている自覚もあるし、これからも辞めるつもりもないしねえ。

 さあて、どうごまかそうかな。

 

 記憶の中にある情報だと、フィーナちゃんはこのあたりで狼騎士団に殺されて……、

 確か一帯を灰に変えたんだったっけ。

 それをガーネフたちが回収して、一部はガトーのじいさまも回収したけど、それは魔将制作の実験に全部消費しているのを知っている。

 

 つまり、ここが彼女の終焉の地ってわけだよねえ。

 

「ここさ、知っている場所でしょ?」

「うん、私はここで」

 

 言葉を選ぶ。

 あなたはここで死んだんだよ、は何か違う。

 もっといい言葉があるはず。

 ……そうだ、ある。

 

 これが響かなかったらおしまいだろうけど。

 

「ここで、フィーナちゃんはレウスと離れ離れになったんだもんね」

「……うん、そう……そうだった」

 

 剣に籠められた力が少しばかり弱まったような気がする。

 もう一押しだ。

 

「ここでフィーナちゃんがいるってわかったら、レウスが迎えに来てくれるんじゃないかな」

「本当?」

「ほんとほんとお」

 

 ごめーん、確証は全然ないです。

 でも、これは好機だ。

 

「私はここの辺りをおじさまから譲ってもらって、家を立てたんだけど住人がいなさすぎてえ

 フィーナちゃんが一緒にいてくれれば他の住民も戻ってくるかもだしい

 ここで一緒に暮らさない?」

「いいの?」

「いいっていいってえ、さあさ、中へどうぞ」

 

 そうやって中へ案内するためにと手を家の方に向けると、漸く剣が鞘に納まる。

 ただ、ゆっくりとではなく光が奔ったかのように一瞬で。

 

 ……彼女がそこまで強いとは思えない。

 そもそも、復活させるまでの時間も長過ぎるし、肉体は残っていたのだろうか。

 肉体もなく蘇らせる技術がありそうだなとオウガのことを知って思ったけど、それは確定みたいだ。

 

 つまり、何かしらの形でエーギルを操作する力の研究が成果を上げているってことだろうか。

 だとしたら一歩先んじられたなあ。

 

 私のやろうとしていることも、とどのつまりはエーギルを物質化させて蘇りを実行させることで、

 体の中に隠しているオーム的な魔道も根源的にはそれだ。

 ガトーのじいさまが私を蘇らせたときに外部的に焼き込む形で与えた知識がある。

 その中にはエーギルに関する研究の残滓があって、それを拾い上げたのだ。

 

 結果として理解したのは馬鹿げたコスト……それこそ神竜レベルの存在を捧げてようやく実行できるレベルのものでしかないし、

 エーギルという力はとにかく他のもので代替ができない。

 レウスが持っている律とやらであれば別なのだろうけど、つまりはそういうことだ。

 このアカネイア大陸において、或いはこの世界においてエーギルは代替不能の奇跡の存在。

 まさしく神の奇跡なのだろう。

 

 待てよ。神の奇跡?

 ……レウスの律って奴なら代替できるんじゃ?

 街を消し去ったのが律の力なら、だけど。

 

 であれば、単純にエーギルを一から弄って作ったんじゃない。

 彼女由来だったものが解けて消えた灰を利用したんだ。

 

 律にしろレウスにしろ、そういうものを嫌ってそうなガトーのじいさまがなんでそんなものを?とも思うけど。

 この力を使って危険さを実感したから余計にレウス憎しになったのかな。

 流石に深読みが過ぎる?

 

 ううん、考えても仕方ないことか。

 ともかく今は彼女と仲良くなるのが先決だ。

 味方に引き入れることができれば……いひひ、楽しいことになりそうねえ。

 



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マリーシアの黎明

 私がマルス様のことが大好きなのは言うまでもないよねえ。

 

 理由はたくさんある。

 

 まず王子様。いいよね。

 顔がいい。優しそうで、でも意思力があって。いいよね。

 声がいい。落ち着く素敵な声。いいよね。

 体格がいい。大きすぎなくて威圧感がない。いいよね。

 性格がいい。みんなに優しくて、でも悪を許さない。いいよね。

 目標がいい。どんな苦境にあっても目標を見失わない力。いいよね。

 それと──

 

 と、まあ、『良さ』について322項目ほど挙げたけど、とにかく大好き。

 

 なんで私が王子様が大好きかっていうと、予知ってのが影響している。

 

 私の場合はマルス様がタリスから旅に出て、アリティアを取り戻した辺りからの記憶。

 その頃はマケドニアの実家にいたんだ。

 一応これでも貴族の出身だし、レナお姉様からは小さい頃に教えを受けていたんだよお。

 

 そのときに語られた物語はとっても鮮烈で。

 でも私との出会いっていうのは、私とっては劇的でも、世間には残らないものだった。

 

 マケドニア近くで賊に襲われかけていた私や両親の馬車を助けてくれた。

 ありきたりなことだったんだろうなあと思う。

 物語になるようなことではない、彼にとっての日常。

 

 それでも、「大丈夫だったかい」と掛けてくれた声は今でも覚えているんだよお。

 

 しばらくして大陸が平和になったと思ったらハーディンくんが暴れはじめて……、

 チャンスだと思ったんだ。

 

 王子様のお手伝いができると思った。

 

 その辺りは細かいことだから省略するけどさあ、とにかく、マルス様の一行に加わって……で、色々あって平和になった。

 シーダ様とご結婚されるのは知っていたし、祝福もした。

 戦いのあとについては、まあ、そんな取るに足るような人生でもなかったよお。

 数年もせずに死んじゃったしねえ。

 

 でも、死ぬ間際でも考えていたのは消えないくらいのマルス王子への思慕だった。

 次に目を覚ましたときにはまた、私だったんだあ。

 繰り返されるような人生になるのかと思ったら、そこではまだメディウスだのガーネフだの、ハーディンくんがおかしくなる前の戦争だった。

 

 私はそれに気がついたから実家を飛び出してマルス様の一行に加えてもらった。

 幼すぎるって言われたけど、あいにくと人生二回目だった私は魔道書も杖も自在に使えたから、実力で椅子を勝ち取ったんだ。

 

 その時のマルス様はやっぱり優しかった。

 優しすぎたんだよね。

 そのせいで戦いはどんどん遅れて到着することになって、どんどん不利になっていったんだ。

 

 前の人生では仲間になるはずの人たちは死んでいたり、仲間になってくれなかったり。

 挙げ句の果てにシーダ様まで死んでしまっていたりした。

 それでもマルス様は健気に戦って、世界を平和にしたんだよ、すごいよねえ。

 

 でも、その後にハーディンくんが相変わらず壊れちゃって、結局マルス様は殺されてしまった。

 最期までご一緒できて嬉しくなかったと言われれば、そりゃ嬉しい。

 ここでしおらしいことでも思えれば、私はまだマトモな感性があったと自負できるかもしれないけどね。

 ないんだよねえ。

 

 狼騎士団の団長のウルフくんだっけ。

 彼に殺されたのは覚えているんだ。

 で、そのあとに目を覚ましたら……また幼い頃の私だった。

 

 人によっては悪夢とかって思えるかもしれないけど、私にとっては最高だったんだ。

 だって、素敵な人と毎回新鮮な思いで出会えるんだよお?

 最高でしょ?

 こうして322項目も好きなところを言えるようになったってことなんだけどお……。

 

 何度も何度も繰り返して王子様と旅をして、

 そうして今の私に辿り着いたんだあ。

 

 でも、この世界の王子様は死んじゃってた。

 今までの経験から、王子様は死ぬと世界が終わることがわかってたんだよねえ。

 まるで世界に存在する光がふっと消えて、気がついたらはじめから。

 

 そういう体験を繰り返しても世界の仕組みの答えは手に入らない。

 この世界は不思議だったんだ。

 

 その答えを教えてくれたのはガトーのじいさまだった。

 彼は私の才能を見抜いて聖戦士の道を提案した。

 

 あの人も私と同じように何度も世界を見てきたのかもしれないなあ。

 だから、私を誘ったのかもしれない。

 じゃなかったら他の人を誘ったほうが絶対にいいだろうしねえ。

 

 ともかく、そうして聖戦士になったんだけど、目的は変わらない。

 私はマルス様とこの世界でも会うために動くことにしたんだあ。

 だって、私はマルス様とずっと一緒にいたのに、それが自然なことなのに、おかしいでしょう?

 私が死んだあとの世界でも、マルス様が生きていたんだろうなあってときはたくさんあった。

 でも、それが悔しいとか、悲しいとかはなかった。

 

 この世界にはマルス様が必要だし、いるべきだ。

 そうじゃない世界は不自然だし、何より私は自分の愛の殉じたいからねえ。

 きっと王子様は嫌な顔をするだろうけど、そんなことはどうでもいいんだ。

 

 だって、私はいつだって人の気持ちだとかは「わかんなーい」って言ってきたんだから。

 これからもそうやって生きていくよ。

 

 ……っと、長くなっちゃったなあ。

 時々こうやって自分に語りかけて思い出さないと、

 自分が何者なのかわからなくなってしまいそうで……怖いんだよねえ。

 



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二刀持ち

 フィーナちゃんはすごかった。

 強い。

 とにかく強い。

 

 この辺り、つまり南オレルアンは灰になった後、それが噂の元で誰も寄り付かず、

 それでも来るようなのは大体脛に傷のある奴か現行で悪党をやっているかのどちらかだ。

 

 脛に傷があるくらいなら気にしないけど、悪党は『ここの運営上』問題があるので死んでもらっていた。

 とはいっても、大体の場合は相手から喧嘩を売ってきて、次の瞬間にはフィーナちゃんに斬られている。

 元はどこかの将校だったかもと思えるほどに腕のあるものもいたが、まったく問題にならないくらいにフィーナちゃんは強かった。

 

 正直、聖戦士や魔将はそうなった時点で持ち得る力は強化されるものだが、その度合を超えているようだった。

 まるで、彼女は……大陸に名を馳せるような剣士のような。

 

「ねえ、マリーシアちゃん」

「なあに」

 

 出会ったときはどこか機械的とも思えるような感じだったが、よく寝てよく食べてという生活を少しすると、

 おそらくは本来の彼女らしい、明るさのようなものが表に出てきた。

 今では私にちゃんをつけて呼んでくれてるんだよお。

 かわいい。

 私の次にだけど。

 

「やっぱりこの武器じゃ限界があるよ」

「そりゃあ拾った剣だからねえ……とはいっても」

 

 部屋の片隅に置かれているのは彼女が元々持っていた剣だが、どう考えてもガトーのじいさまの息がかかっている。

 私だったら持っていれば頭がおかしくなるデビルソード的な効果か、それこそ命令一つで爆発する機能とかあるのにする。

 軽く調べたけど爆発はしなさそう。頭がどうにかなるかまではわからない。

 

 フィーナちゃんも本能的にそれを感じているらしく、あの剣を使おうとはしなかった。

 剣についてうんうんと二人で悩んでいると、

 

「誰かいませんかー」

 

 外から声がした。

 珍しいことではない。

 

 寄り付かないが、私が傷を癒やしている間も現れる賊をしばき倒していると交易路としての価値が取り戻さはじめたのか、

 現在はフィーナちゃんの活躍もあり、こうして外から呼びかける人も少なくない。

 

「はい、どなたかしらあ」

「旅の商人なのですが、このあたりは」

「私の領地でーす」

 

 そうして見せつけるのが代紋。

 こんな時代に意味があるかどうかはさておき、このあたりは『一応』正式にラングがオレルアンと話をつけて獲得した土地らしい。

 その証明の書類とオレルアンとアドリア侯のエムブレムを見せつけているってわけである。

 

「おお、噂は本当だったのですね

 ここに新たな領主様がおられると……近隣にも新たな街ができて、活気が戻ってきているのですなあ」

「へえ、近隣に」

「ホラティウス様という方が、ノルダを復活させるために作った街だと」

 

 フィーナちゃんのせいにするわけでもないが、彼女の世話を焼くのと自分の怪我を何とかするのに手一杯で、正直情報収集が疎かになっている。

 近くに街ができたことすら知らなかったくらいに。

 

「で、私は行商ではありますが……そろそろ腰を落ち着けたいと思っておりまして」

「ああ、この土地に住みたいってこと?」

「そのとおりです」

「いいよ、その代わり」

 

 と、土地に関するあれやらこれやらのルールを提示する。

 基本的に土地というのは一時的に住む権利(一時的にといっても数世代とかの話だとしているみたいだけど)を渡すだけで土地そのものを貸したり売ったりするということは市民と貴族の間では殆どない。

 

 私はそうした慣習を無視して、貸し与えることにしている。

 貸した土地は更に貸そうと、自分で使おうと自由だともしている。

 

 条件は金。広い土地を渡す相手には定期的に住民を誘致することも条件付けた。

 商人は破格の条件だとそれを頷く。

 住む権利を与えられるだけで、大きくなり肥えたところでその土地や財産を没収するなんてことは五大侯は平然としていて、それが普通でもあったんだ。

 実際私も権力を振りかざして奪わせまくったからなあ。

 

 貸されたものの権利の侵害は問題がない限りはしない約束もしていたからこそ、商人は驚いたわけだねえ。

 

 ともかく、こうして新たな住人が決まった。

 ここからは加速度的に市民は増えた。

 なにせ護衛は超絶凄腕の美少女剣士がいるのだから、治安はいい。

 目の保養にもなる。

 それに執政も美少女である私がいるしねえ。

 

 ───────────────────────

 

「こちらでいかがでしょうか」

 

 街とは呼べないけど村としてはやや大きすぎるくらいの規模になるころに、

 最初の住人である商人が剣を持ってきた。

 

 いかにフィーナちゃんが凄腕剣士でも鉄の剣やら鋼の剣では限界がある。

 何があったかはわからないが、最近ここに来るたちの悪い連中の武装がいいせいで、時々村にも被害が出ていた。

 

 余談になるけど、被害を出したものも、出された被害者も両方とも私しかしらない研究所にご案内しているよお。

 

 で、商人が持ち込んだのは

 

「倭刀と呼ばれるものだそうで、漂流物の一つと聞いております」

 

 二振りの倭刀だった。

 フィーナはそれに触れ、腰に帯びて幾度か抜き払い、剣を振るい、納刀してみせてくれた。

 かわいいというよりはうつくしい。

 完成された一つの芸術品みたいな。

 

「私の相棒が気に入っちゃったみたいだ……言い値で買うよ」

「まさか、これは献上させていただくために持ち込みました」

「え、いいのお?」

「もちろんです、その代わりにお願いが……」

 

 耳打ちするように商人が言う。

 フィーナにはこの村が後ろ暗いところがないように隠している。

 彼女はいざとなったら悪事と切り離せるようにしておかないといけないのがなかなか面倒だけど、その面倒さがあとあときっと価値になるはず。なってほしい。

 



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物理的おひねり

 記憶がない、といえば嘘ではある。

 でも、思い出すべきだと心が叫ぶ記憶にはまるで鍵が掛けられているかのように封じられて、

 赤子の頃の記憶めいてぼやけていた。

 

 私は──フィーナという人間が一度死んでいることは理解している。

 そして、あの老人が私を蘇らせた。

 

 アリティア聖王国が現人神、レウス聖王を殺すための鬼札として。

 

 それのみを生命の理由として与えられた私だからなのか、自分という自覚以外の部分に不確かな存在を感じていた。

『自分ではない自分』は愛したものを探していた、という感情だけが残っていた。

 だが、それが誰なのか。

 

 漠然と命令に従い、殺しの仕事を行っていたある日、私は一人の人間と戦った。

 その人物は私になにかの力を注いだ。

 何が注がれたかまではわからないが、それは私の中でうねるようにして、思考の呪縛めいたものを焼き潰した。

 記憶そのものは相変わらず判然とすることは少なかったが、少なくとも自由になれた思考を頼りに逃げるように彷徨い、そうしてここに辿り着いていた。

 まるでここに呼ばれたみたいに。

 

 ───────────────────────

 

 マリーシアちゃんと出会ったあの日から向こう、家は増えていって、村のようにもなって、それから襲撃しに来る悪い奴らも増えていった。

 

 元々、ある王家の落胤であった私は王族としての剣技を学んでいたし、腕には最低限の覚えはあった。

 けれど、今の自分に宿った剣才と呼ぶべきものは私の自覚から大きく離れていたものだった。

 

 相手を前にすれば、どう戦えばいいのか、何を出せば相手はどう打ってくるのか、それをどう返せば勝てるのか。

 

 その全てを理解していた。

 

 体の動かし方は自分ではない何かのものだけでなく、踊りをしていた経験がより伸びやかに戦いで活かされることになった。

 

 こんな時代だから、私は人を殺したことはないわけではなかった。

 山賊や、盗賊、今回みたいに街を襲う連中とも戦ったことがあるんだ……った。

 ……?

 

 だめだ、何か、とても大事なことがあるはずなのに、思い出せない。

 元々持っていたであろう記憶のようなものは記憶も意識もぼやけている夢心地の頃のほうが持っていた気がする。

 レウス聖王がなにか、大切な人だった気がしていたことなんかを覚えていたような、だめだ、その意識を明瞭にはどうしてもできない。

 

「ねえ、フィーナちゃん」

「なに?」

「酒場に吟遊詩人が来るらしいよ、聞きに行こうよ」

「いつのまに酒場なんて」

「酒場って言っても青空が屋根だけどねえ」

 

 街は急速に発展したその裏にはマリーシアが考案した魔導による建設技術が手伝っているらしい。

 私は残念ながら魔導の才も学もないのでそれがどれほどの技術かはわからないけれど、

 それでも、住む家を与えられた人たちが嬉しそうにしているのは、私も嬉しくなった。

 

 家屋は増え、その需要に答える形で部材を取り扱う商人が来たり、きこりなんかが住み始めたりもしているらしい。

 私は剣を振るうばかりでわからないけど、きっとマリーシアちゃんは良い村長さんなのだろう。

 市長さんなのかな、この場合。

 

 さておき、

 酒場へと到着すると既に酒やら料理やらの匂いが漂っている。

 奥の方では椅子に座っている吟遊詩人が楽器を取り出していた。

 何度か声と楽器の調子を確かめるための調整を行い、やがてひとつ、ふたつと声と音を作り出していく。

 

「戦いの始まりはアリティアのコーネリアスが討たれたときからか、

 麗しき后リーザが魔竜の手に落ちたときからか、

 アリティアの美姫エリスが人買いに拐われたときからか、

 凛々しき王子マルスがタリスにて命を落としたときからか、」

 

 弦楽器が音色を奏でている。

 

「おお、物語はこの大地に恐るべき獣人、最強の戦士レウスが立った日から始まるのだ」

 

 物語が聖王のものだと知るとそこかしこで拍手や指笛が鳴る。

 私もとりあえず拍手はしておいた。

 

 殺すべき相手としていた聖王の物語。

 

 私は彼について、誰かも、何かすら知らない(大好きなはずなのに)

 

 それでも、吟遊詩人の唄に聞き入る(どうか思い出して)

 

 ───────────────────────

 

 食い入るようにフィーナちゃんは吟遊詩人を見て、その唄に聞き入っている。

 吟遊詩人を呼び込んだのは誰でもない、私である。

 

 というのも、どう頑張っても記憶が戻らない。

 よほど強固な封印をしたのか、それとも何かの偶然なのかな。

 前者だったらガトーのじいさまの性格の悪さは私と肩を並べるものだと思っちゃうよねえ。

 一応、今みたいに自我がある状態でなければ、ぼんやりと『生前のこと』は思い出していられるようではあるんだけど……。

 

 無意識的にレウスのことを求めるような言葉を発する彼女だが、それは寝言のようなものらしく、当人の記憶には残らない。

 

 私がレウスくんの話をするとフィーナちゃんは食い入るように聞いていた。

 彼女の自我はそれと知らずとも、本能か、それとも記憶そのものが思い出したいと願っているような、そんな気がした。

 

 私としても早いところレウスくんのことを思い出してもらいたいのだ。

 地理的にもここはそれなりに早い段階で聖王国が踏み込んでくるだろう。

 それまでに彼女には記憶を取り戻して、状況を作ってもらう必要がある。

 

 フィーナちゃんには頑張ってもらって、彼女を解放するために律の力とやらを使って貰わなければならない。

 その力を知ることができれば、ようやく私の目的も最終段階に入れるというもの。

 

 しかし、生来の運の無さがここにきて再び悪さをしてきた。

 

「しゅ、襲撃だーッ!!」

 

 どこからか飛んできた手槍が吟遊詩人の頭を吹き飛ばした。

 



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南オレルアンの賊まつり

「ホラティウスだかなんだか知らねえが、この辺りはサムシアンの縄張りじゃあ!」

「ひゃっはあ!奪え!」

「ひゃっはあ!殺せ!」

「ひゃっはあ~~~ッ!!」

 

 怒涛の勢いで賊たちが市内に入り込んでくる。

 一応、商隊の護衛をしていたというものたちをそのまま街で雇い直す形にして番兵をさせていたが、それは無駄に終わったようだ。

 

 眼の前で吟遊詩人が殺され、誰より早く動いたのはフィーナである。

 倭刀を腰に差し直して声の方へと突き進む。

 その反応に一瞬、マリーシアが止まるとフィーナは

 

「マリーちゃん、街のみんなをおねがい!」

「わかったよお」

 

 そう返事はするものの、

 

(ここが君の終焉の地だったわけでしょ~?

 ……流石に下手なことにはならないと思うけど、

 良くないことはいつまでも足に絡みついてくるものだからなあ)

 

 マリーシアは嫌な予感を払拭するべく、手早く住人の避難を始める。

 このあたりで一番頑丈なのは最近作ったばかりのシティホールだ。

 

 元々、受付などは彼女のセーフハウスで行っていたが、入職希望者が増えてきて流石に外で行列を作られても困るということで住人の協力のもとで作ったのである。

 いざというときの避難場所にも指定してあり、今回はそれが役に立つであろうことになった。

 

 シティホールに護衛兼案内を務めるマリーシア。

 その一方でフィーナは、

 

「なんだこいつ!?」

「つええ!」

「囲め囲め!」

「剣士なんざ囲んじまえばタコにできる!」

 

 その声で円形に包囲されるフィーナ。

 二振り目の倭刀を抜くと腕を交差するように構え、睨めつけるように周りを見やる。

 

「必殺の剣の餌食になりたいのは誰から?」

「死ねえ!」

 

 同時に襲いかかる賊たちであるが、その攻撃は二振りの倭刀が受け太刀するでもなく、

 攻撃の軌跡が見えているかのように避け、最小限の動きで喉笛を切り裂いた。

 

「さて、次」

「な、なめやがって……!」

「ぶっころ──」

 

 賊の一人がそう言いかけが、それが言い切ることはなかった。

 その頭に手斧が叩き込まれ、絶命したからだ。

 

「そこまでにしやがれ、サムスーフの山ダニども!」

「オレたちの目が黒いうちは好き勝手させねえ!」

「ようやく再会して、木こりとして平和に過ごそうってときに舐めやがって!」

 

 最近越してきた木こりの三人。

 彼らこそかつてオグマの下で武を振るっていた知る人ぞ知る力自慢たち。

 サジ、マジ、バーツは三人とも違う道を歩んでいたが、誰が言うでもなく合流し、戦いから脚を洗った。

 洗ったつもりであった。

 しかし、この窮地に黙っていられるはずもない。

 

「サジ、マジ、トライアングルアタックを仕掛けるぞ!」

「おう!」「まかせやがれ!」

 

 その掛け声とともに三人が手斧を構える。

 

「トライ!」「アングル!」

「アターーーック!!」

 

 三本がそれぞれ異なる軌道で放たれた手斧は避けること能わず、賊の中でもっとも腕が立ちそうな男を手斧置き場へと変えた。

 

 どうやら彼らの見立ては正しかったらしく、その男がやられると賊の動きが一瞬鈍る。

 それを見逃すはずもなく、フィーナの剣が閃き、包囲網を突き破るようにして斬り殺していった。

 

「ありがとう!

 このまま支援よろしくね!」

「いいや!ここまでにしてもらうぜえ!」

 

 剣を構え現れたのは襲撃者たちの親玉であろう。

 その強面も相まってサムシアンがサムスーフ山の悪魔と呼ばれている逸話を思い出させるには十分であった。

 

「相手が誰であろうと、オレたちは──」

「ま、待って」

 

 フィーナが行動しそうになった三人を止める。

 

 ───────────────────────

 

 眼の前に現れた人は強そうだった。

 いや、『強そう』ではない。

『強い』と内なる自分が言っている。

 

 だからこそ、言っている。

『戦え』と。

 

「ま、待って」

「なんだ、嬢ちゃん」「どうした」

「代わりに戦おうか」

 

 彼らは優しいのだろう。

 大人なのだろう。

 だからこそ、私の行動をそうやって止めてくれている。

 それは理解している。

 

「ううん、その逆

 この人とは、私にやらせて」

 

 そう言って、私は剣を構える。

 どうやって構えればいいかは理解している。

 記憶にはない。

 けれど、戦い方は理解している。

 どう戦えばいいかも、どう捌けばいいかも、その理由は長年学習してきたかのように心のなかにある。

 

「オレ様と一騎打ちだあ?

 おもしれえ、やってやるよ

 ……てめえらッ!手を出すんじゃねえぞ!出しやがったオレ様が殺してやる!」

 

 彼に付いてきた賊たちに一喝する。

 

『周りを止めたのは自信があるからこその行動だ』

(そうだろうね)

『そして、そうした行動は自身の精神安定にもなる』

(私も何かしたほうがいい?)

『俺たちの精神に律するものは必要か?』

(ううん、すっごく落ち着いてる)

『ならば不要だ』

 

 そうして、私は強敵との一騎打ちをするに至ったわけだ。

 



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力量差

 その構えの堂の入り具合にサジ、マジ、バーツは手を出すのを忘れてしまう。

 半可通で半端者な腕前なら一喝してやるところだったが、どうやらその様子でもない。

 

 フィーナに相対する男は手槍を構え直す。

 

「行くぜ」

「いいよ」

 

 淡々としたやり取りの後に男が踏み込む。

 鋭さの中に余裕を含ませたもの。

 攻撃の手としては浅いが、それは同時にその次の行動に遷しやすくするための工夫だろうことは外野の三人にはわかる。

 

 彼らの兄貴分でもあり、隊長でもあったオグマもこうした戦術を取ることが少なくなかったからだ。

 力任せに見えて、その姿こそもオグマにとっては見せ札の一つに過ぎない。

 オグマの強さというものはむしろ柔軟で変幻自在の剣であった。

 

(隊長並、とはいかねえだろうけど)

(あのサムシアン、半端じゃない使い手だ)

(おいおい、あの娘大丈夫かよ)

 

 彼らの懸念は即座に払拭されることになる。

 フィーナは二刀を構え、それを能く扱って踏み込みの自由度を殺した。

 引かば距離を殺し、進まば一刀で制限をし、使わない一刀は常にあらゆる攻撃を防がんとする堅牢な盾となっていた。

 

(嘘だろう?)

(……おれらが見てるのは、違うよな?)

(ああ、そんなわけがない)

 

 サジ、マジ、バーツはその戦い方に見覚えがあった。

 

 紅の剣士ナバール。

 

 オグマの好敵手とも謳われる男であり、彼らが知る上で最強の剣士である。

 彼らの隊長は剣士というわけではなく、使えるものは何でも使っていた。

 だからこそ、剣だけで限定するならばオグマをも凌ぎかねない。少なくとも五分ではある。

 ──彼らはもとより、オグマ当人からも認めるところであった。

 

 二刀が閃く度に相手を押し込んでいく。

 剣が首元に突きつけられるまで、そう時間は掛からなかった。

 

「ま、待ってくれ

 命ばかりは」

「いいけど、吟遊詩人は死んじゃったよ」

「し、知り合いか?」

「ううん、知らない

 でも唄は楽しみにしていたんだ」

 

 言葉だけであれば、本当に年頃の少女でしかない。

 だが、状況は刀を突きつけられている大柄の賊であり、突きつけている娘こそがそんな呑気なことを言っているのである。

 

「お、俺のアジトに吟遊詩人が捉えてある

 そいつを渡すから命は助けてくれねえか」

「……二度とここの街に手を出さないって約束できる?」

「ああ、そりゃあ約束するさ

 約束しなくたってあんたみてえなのがいるなら出しようもねえよ

 あんた、紅の剣士の弟子かなにかか?」

 

 彼女はその問いに、

「当人だって言ったら?」と冗談めかして言った。

 

 ───────────────────────

 

 あとの処理に関してはサジ、マジ、バーツが慣れているということでマリーシアもフィーナも彼らに任せることにした。

 襲撃の被害者は少なからず出たものの、死亡者は流しの吟遊詩人だけ。

 怪我人もサムシアンが連れてきた僧侶の手によって回復した。

 

 サムシアンたちはそれらを渡すと逃げるようにサムスーフへと戻った。

 少なくとも以後、この街に手を出そうなどと考えることはないのは明らかであった。

 

「この街には命を助けられました、私でよければ飽きるまでこの地で唄を奏でていたいと思います

 ……では、吟じさせていただきます」

 

 改めてというべきかは奏者が変わっている以上は正しいかはわからない。

 だが、少なくともフィーナが求めていた楽曲は揃えているようだった。

 

 歌われ始めたのはアリティア王国を支配する魔竜モーゼスとの戦い。

 リーザを助け出すと森を駆け抜けて旧臣のもとへ。

 そして国を救うために立ち上がった勇者と聖騎士。

 ホルスタットを倒した後に城を壊しながら現れた巨躯の魔竜モーゼスとの戦いなどは完全な脚色だが、客が求めている以上は仕方ない。

 事実はどうあれ、人々が聞いて覚えた歴史ではそれが正しいものなのだ。

 

(きらきらした目で聞いちゃってえ

 ……うーん、こうして見ると恋に恋してる年齢の乙女なんだけどなあ)

 

 マリーシアは彼女の様子をどこか自分にも重ねる。

 もちろん、あくまで恋という概念に対しての表情だけを切り取ってのことではあるが。

 

「おお、アリティアよ

 美しき女王リーザの宣言によって獣人は今、神となった!

 救国の英雄こそが生ける神としてこの地に立たん!

 ……本日は、ここまで

 次回がお許しいただければ皆様も大好きなディール侯爵との逢瀬を奏でたく存じます」

 

 拍手が響く。

 正しく万雷の如し。

 

「次回も楽しみにしてるぜ!」「もっと聞きたーい!」

「吟遊詩人!オグマ隊長の唄はないのかあ!」

「明日の夜までお預けかあ」

 

 聴衆が好き好きに言葉を吐く。

 

「フィーナちゃん、気に入った?」

「うん、とっても!」

 

 レウスの物語を聞いたフィーナの表情を見たマリーシアは

(魔将がこんなあどけない表情ができるのかなあ……

 まったく、ひどいことをするよねえ、ガトーのじいさまはさあ

 私も負けてられないなあ)

 などと、正道ならぬ情緒を心理の上層に浮かばせていた。

 



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紅の剣士の追憶

 紅の剣士ナバール。

 相対したなら確実に紅を、つまりは斬殺をもたらすとして雷名を轟かせた。

 だが、なりたくてそうなったわけでもない。

 その道しか俺には存在しなかっただけだ。

 

 俺は一人の女を探していた。

 女、といっても恋人や妻ではない。

 

 母親だ。

 

 俺に剣を教え、生きる道を授けた人物でもある。

 母親である前に放埒な人であり、ある日を堺に姿を消した。

 きっと男でも引っ掛けたのだろう。

 突然の別れ自体はそれほど驚くに値しないことではあった。

 

 教えてくれた剣術が愛情だったのか暇つぶしだったのかはわからない。

 口癖のように「ナバールは強くなるよ」と言っていた。

 俺は実際に強くなった。

 子供だと侮った大人を片っ端から斬り殺していき、これ以上ないほどに剣の腕は高まった。

 

 旅の途上、一つの噂を聞いた。

 ある女剣士が王族に見初められて子を儲けたが、しかし捨てられたという話。

 別に取るにたらないものではあるが、捨てられた女の特徴は確かに母、あるいは師とも呼べるあの女の姿だった。

 

 戦うばかりの人生に疲れた俺の女探しの旅はそこから始まった。

 

 見つけたのは片田舎に立てられた墓だった。

 

「旅のお方、ここに眠るお人のお知り合いかね」

「……ああ、そうだ」

 

 普段であれば言葉を返すこともないが、場所が場所だからか、短くも返事はした。

 

「そうか……この方は我らにとてもよくしてくれたのだ

 だが、わしらはその恩義に報いることはできなんだ」

 

 暗い表情の老人に俺は目を向け、

「なにがあった?」

 そう問い直す。

 

「お子を連れてこの村に来ていての

 その子を村で平和に過ごさせてやってくれという遺言も残されたのだが、

 天真爛漫な子でな、旅に出てしまったのだ」

「……それで?」

「こんな時代じゃ、その子が無事でいればいいのだがのう……」

 

 旅の何処かで見つけたら教えてくれと言いたいのか、

 それとも直接的に探してくれとでもいいたいのか。

 

「その娘の特徴は?」

「母親にで綺麗なお方だった、特徴的なのは桃色の髪の色であったのう

 そこは母親の赤い髪とはまた違ったが、

 父親はグルニア人かアカネイア人なのかもしれぬなあ、そのハーフであればそうした髪の毛の子が生まれるとも聞いたことが」

 

 くだらない雑談には興味はない。

 だが、娘の特徴はわかった。

 

「その子は母親から教えられた剣と踊りに通じておる、目立つ子じゃ

 見つけることができたら、いつでも戻っておいでと伝えておくれ」

 

 去っていく俺の背にそう声がかかる。

 

 ───────────────────────

 

 桃色の髪に踊りが達者、それだけで大陸から対象を発見できたときは自分にはこんな才能があったとは、などと驚きもした。

 しかし、彼女と接触する前に拐われてしまう。

 主犯はサムシアンか、サムスーフ貴族。

 取り入りやすいサムシアンの傭兵となり、俺は情報を集めようとし、そこで俺の人生は終わることになる。

 

 俺を殺したのも妙な男だった。

 技術は俺よりも未熟。

 しかし、戦闘経験は俺と同等。

 だが、命の使い方は俺よりも上手い。

 どんな戦場を渡り歩いたらあのような男に仕上がるのだろうか。

 

 その後にあったことは不思議なことばかりであったが、唯一認めた好敵手であるオグマと──不本意な状態ではあったが──決着を付けることができた。

 消えるはずの俺の命は再度、何かによって拾われた。

 

「レウスの力を介したエーギルであれば利用しやすい形になる

 それを使うのは業腹ではあるが、今は実を取らねばならぬ

 だが……適合する肉体を見つけられんでは、エーギルを定着させるためには……」

 

 肉体はなく、そして視界もない。

 声を聞いていると言うよりも魔力を持った音を拾っているのだろうとぼんやりと予測した。

 

「肉体があるものと組み合わせれば、どうであろうな

 ……そうか、レウスめのものであれば、同じ方向性にあるものをつなぎ合わせれば……

 この肉体は魂を覚醒させられなかったが、こちらの魂が定着するなら……」

 

 かくして俺は肉体を得た。

 その肉体こそが俺が探していた女の娘のもの、そして、年の離れた妹のものであった。

 

 命令を実行する装置にするため、自我は縛られ、暗殺者同然として使われていた。

 だが、ある日の戦いで狂気の力と呼べるものに俺は焼かれた。

 その衝撃は凄まじく、微弱にしか存在せず、他人との応対のときにのみ発露していた人格が目を覚ますことになった。

 

 ───────────────────────

 

「それがナバールさんなの?」

「こんな状態でお前と話すことになるとは思っていなかったがな」

 

 無の空間。

 夢の中といえばそうであるし、心の中といえばそうでもある。

 

 吟遊詩人の唄を聞いた夜、深く眠ることができた中でフィーナが見たのは彼の姿であった。

 

「えーと、統合するとナバールさんは私のお兄ちゃん、ってこと?」

「血縁上ではそうなるだろう」

「確かにママと髪質一緒だもんね」

「そういうところで判断するものか?」

 

 冷静なナバールの言葉がなんだか面白かったのか、フィーナは笑う。

 

「あなたにはお兄ちゃんがいるのよ、きっとどこかで剣士をやってるわって言ってたから

 いつか会いたいなあとは思ってたんだ」

「あいつが?」

「うん、それに急に消えたことも申し訳なかったって

 あの場で一緒にいたら殺されてたかもしれないから」

 

 フィーナの母親は腕の立つ剣士であり、踊り子でもあり、放埒な女でもあった。

 それ故に複雑な人間関係を抱えていた。

 

 ナバールのもとから消えたときには人間関係で一番ややっこしくも腕の立つ男に見つかったときであり、いかにナバールと言えども当時の彼では勝てる相手ではなかった。

 

 だからこそナバールを置いて男と去ったのだという。

 

 その後に彼女は虐待を受けていたところをアカネイア王の周遊中に発見され、救出されたことが切っ掛けで側室として迎えられた。

 

 子を儲けることができたものの、既にニーナという後継ぎがいる以上はどことも知れぬ人間との間にできた子を宮廷に置くのは実に問題があった。

 

 その上、フィーナの母親は人を惹き付ける魅力を備えていたせいで、後宮の争いに大いに影響を与えること必至でもあった。

 だからこそ彼女は首都を離れ、片田舎での生活を送ったのである。

 

 一から十まで語るフィーナに、ナバールは言葉を発さず聞いていた。

 



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兄と妹

「ともあれ、俺の目的は果たしたわけだ」

「目的って私に会うこと?」

「……ああ、それも目的ではあった」

 

 ここで普段のように接したところでいいこともない。

 終わりがみえている以上はさらけ出せるものはさらけ出したって悪くはない。

 一度くらいなら、そういう自分になるのも、悪い気はしない。

 ナバールはそう思うからこそ、答えた。

 

「あの黄金の力(ロシェの狂気)を受けてから、お前は目覚めた

 だがそれでもお前がお前でいるためにはその火は小さかった

 俺を焚べることでお前の火を強めることができるとわかり、それを続けた」

「それって……ナバールさんはどうなっちゃうの?」

 

 その言葉にあえて面倒そうに吐息を漏らし、

「消えるだけだ」

 当たり前のように告げた。

 

「そんな」

「お前が幸せになるなら俺はそれでいい、だからこそお前が求める幸せはなにかを聞きたい」

「私の幸せは……あの人に、レウスにもう一度会いたい」

「会ってどうする」

「それは、わからないけど……」

 

 ナバールは無意識的ながら、兄のように振る舞ってしまっていた。

 母親は王と結ばれるも、離れることになる。

 その子供であるフィーナもまた王族となったレウスと会いたいという。

 だが、その果てにあるのは母と同じ末路なのではないか。

 柄にもないと思いながらも、心配がないわけではない。

 

「ナバールさん、そんな不安ならもう少し私と一緒にいてよ

 それで困ったことになったら助けて欲しいんだ」

「俺ができるのは人を斬ることだけだ」

「それでもいい!」

 

 よくはあるまい、結果としてレウスと切り合うことになるかもしれないのに。

 ナバールはそう思うも、だがフィーナの孤独が彼女を毒するのだろうとも察していた。

 だからこそ、

 

「……わかった、もう暫くお前の心の中に邪魔することにする

 だが、長くはいられぬ

 早くレウスを見つけねばなるまい」

 

 ナバールの言葉に、フィーナは頷く。

 折角会えた肉親に彼女は少しでも長く一緒にいたいと願っていた。

 そしてそれは、ナバールも心の底でその気持を捨てられずにいた。

 

(オグマに知られれば笑われるだろうな、今の俺の『人間らしさ』というものを)

 

 いや、とナバールは自らの考えを否定した。

 あの男であれば厳しい顔に似合わない、お人好しな表情で『よかったな』と言うに決まっているか、と想起し直した。

 

 ───────────────────────

 

 大昔、それも歴史書にも残らないほどの過去のこと。

 その頃の王族は大地の力を駆使して大地のあり方を変えていた。

 川を干上がらせ、暴風を止ませたという。

 

 マリーシアは聖戦士になるに辺り他の聖戦士よりも多くの魔道の知識や技術をガトーから渡されていた。

 それはガトーがマリーシアに期待してという側面もあったが、聖戦士になる契約をする上での彼女の要求でもあったからだ。

 

 建築に関わる魔術は、その王族たちが持っていた力……龍脈とも呼ばれる大地の魔力を駆使する力を魔道で擬似的に流用したものであった。

 とはいえ、その力はそれほど大きいものではなく、戦争での城壁作りだの、移動経路の封鎖などのような使い方はできない。

 

 しかし、人が雨風を凌ぐ程度のものは作ることができ、平時であればこのあたりの魔道技術は大いに役に立つものだろう。

 いや、戦争であればこそ、焼きだされた人間たちの命を繋ぐ技術にもなり得た。

 ただ、土壁では長いこと保持もできないのでそれを中核として木材などを使って家を補強していくのがラングランドでの建設技法となっている。

 

 何もかもを犠牲にするつもりのマリーシアではあるが、そうした魔道技術は自分の頭の中に留めておかなかった。

 使える人間は選ばれている制御魔道が必要な以上、誰もが建築の魔道を扱うことはできないものの、書にしたためておけば後の世で役に立つこともあるかもしれないからだ。

 

 これは彼女が善徳を積みたいからやっていることではない。

 マルス王子であれば、後世のために何かを残すことをやるのだろうと思い、

 彼の側にいられないならばせめて、彼のような行いでもするかという気まぐれに過ぎない。

 

 何より、外法と外道に身を染めきった自分自身の行いが今更功徳を積んだところで晴れるものでもないのを自ら定めていた。

 

「レウスくん辺りが私を殺した後に見つけたら役に立てるでしょー

 ああ……でも、そういえばだけどお……

 私は次死んだらどうなるんだろう……王子様がいないなら、流石に終わりかなあ」

 

 ガトーが作り上げた守り人の生産装置のようなものはラングランド地下にも備えられている。

 勿論、ガトーの研究所にあるものに比べ、その精度は天と地との差もある。

 それでもマリーシアにとっては十分な設備であった。

 

 容器の中には先日、ラングランドに襲いかかってきたサムシアンたちが収められている。

 一度逃げた連中をここに呼び込むのには苦労したが、素体としては悪くない。

 

「ガトーのじいさまみたいに記憶の焼き込みってのができれば早いんだけどなあ……」

 

 現状の彼女の技術で行えるのは命令に従い動く人形のような兵士、つまりは隷属者が精一杯であった。

 

「焼き込めないなら、既にある意識に指向性を曲げてやればいいのかな……

 でもそういう意識を触るのって結局は失敗しかないし……

 失敗したら人としては壊れちゃうしだけど……でもまあ」

 

 サムシアンたちを見て、マリーシアは続ける。

 

私の街(ラングランド)に襲いかかって来たんだ、

 そっちも壊される覚悟がないと公正じゃないよね」

 



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誘引

「……南オレルアンに新興の街?」

「はい、以前より報告はしていたのですが」

「重要ではないとして部下の所で留めていてしまったようだな、すまぬ」

 

 ハーディンは部下の報告を受ける。

 内容は南オレルアンにできた街についてではあるが、同時にそれが契約の上で厄介なものであるということでもあった。

 

 かつて、五大侯から兵、物資などを供給されるのに加えてレフカンディを含めた五大侯の領地の通行料代わりとして南オレルアンの自治権を渡していたのである。

 

 領地としては名目的にはオレルアンではあるが、実質的には領土割譲であり、当時はそれほどまでに状況が逼迫していた。

 

「しかし五大侯は消えております、踏み潰してしまいますか」

「……ふむ」

 

 物騒なことを言う部下に対して近習のザガロはあまりいい顔をしなかった。

 

「いや、おそらくは相手から何かしらの警告文は届いているだろう

 どこかに紛れているかも知れないから探しておいてくれ」

 

 ハーディンは理性的な返答をする。

 ただ、これは「彼らの言葉を握りつぶすなよ」という警告である。

 部下も承りました、と頭を下げて退室する。

 

「ご苦労さまです、ハーディン様」

「あまり怖い顔をするものではないぞ、ザガロ」

 

 見てすらいないというのに、表情を当てられたザガロは申し訳無さそうに頭を垂れる。

 

「以後、気をつけます」

「しかし、よりにもよって南オレルアン、か……」

 

 狼騎士団にとっても因縁の地である。

 あの場所からレウスと聖王国を相手にする運命が決まっており、族滅するまで戦うという意思を明確にオレルアン王家は受け取っている。

 

「ラング殿も亡き今、誰が差配しているのだろうか」

「彼が生きていたという可能性はないのでしょうか?」

「であれば、あの大声がここまで聞こえてくるとは思わぬか」

 

 含むような笑い声でハーディンが言うと、ザガロも釣られて笑う。

 

「であれば、やはりラング殿の側に居た何者かが」

「王国を腐らせた貴族が街を興したとは思えぬ

 となれば、腹心であった……マリーシア殿と言ったか、彼女の采配かもしれぬな」

 

 アカネイアの没落には理由がある。

 女色に狂った王、政治をほしいままにする文官たち。

 その文官を裏で操る五大侯。

 国家の腐敗を一掃するために立ち上がったのがミロアであった。

 彼はナーガ神教を使い、文官たちの力を削ぎ、政治を行うものを自らの息が掛かったものに置き換えていった。

 やがてアカネイアの政治を執り行う立場が神官たちとなり、ミロアがその頂点に、文官たちを取りまとめるのはボアの仕事となった。

 

 政治の場からはじき出された五大侯たちはいい顔をせず、アカネイアが攻められたときには一部の侯爵以外が助力に参じなかったことでパレスが失陥した。

 ただ、ミロアたちナーガ神教が政治を執り行わなければ戦争に勝っていたかと言われればそうではない。

 そうなっていれば五大侯は笑って国をドルーアやマケドニアに譲り渡していただろう。

 

「あの少女は政治を理解しているとお考えで?」

「少なくとも五大侯が最近までその勢力を維持できたのは彼女の力があったからと

 五大侯側の降将からの言葉もあったと聞いている」

 

 いつのまにか逐電していた彼女が街の長になっているとなっても不思議ではない。

 不思議な人間が何をしても不思議ではない、というべきかもしれないが。

 

 二人が話しているところで扉がノックされる。

 ザガロが扉を開くとすぐに傅いた。

 その応対で誰が来たかはひと目でわかる。

 

 オレルアン王ブレナスクである。

 白い髪に白い髭。

 王弟たるハーディンの父だと言っても通じそうなほどな外見である。

 彼は傅いているザガロに片手で楽にせよとジェスチャーで示しながらハーディンの前へと向かう。

 

「兄上、わざわざ執務室までお越しにならずともメイドなりに呼んでくだされば」

「ははは、出来た弟の仕事ぶりを見たくてな」

 

 ブレナスクがこうした弟馬鹿であるのは隠していない。

 この態度がまた弟の株をあげる要因でもあり、ハーディンも何度かは忠告したものの、

 それで政権がお前にいくというなら本望だと冗談には聞こえない──彼としては本心だろう──ことを言うばかりであった。

 

「しかし、今回は別の用件があってな」

「人払いは」

「……いや、構わぬ」

 

 ザガロを一瞥してから、ハーディンが信を置いているものだけであることを確認する。

 

「ザガロ、ウルフとビラクも呼んで参れ」

「は、ただちに!」

 

 ───────────────────────

 

「兄上、それは本当ですか」

「ああ、お前に嘘など吐かぬよ」

 

 ブレナスクが語ったのは古代の都市防衛システムであるゴーレムの起動に成功したことだった。

 ただ、起動させたのはそれが全てではなかったが、彼が暗躍する上ではそれ以上を語る気もなかった。

 

 この状況であっても、ハーディンは潔癖でいたいと願うかもしれないからだ。

 たとえ瞳が赤くなろうと、神気取りから与えられた槍……疑槍グラディウスを握ろうとも、

 平時であれば彼は以前のままである。

 

「状況は現在、ボアに良いようにやられておるだろう」

 

 実際、ボアが連合の破棄を提示する頃にサムスーフ以東の全てをアカネイアの戦力によって再占領されてしまっている。

 そこに手を回せなかったのは単純な戦力不足、というよりは戦力の摩耗を恐れてのことである。

 今戦うべきはボアではなくレウス率いる聖王国だからだ。

 

「ゴーレムを使い、南オレルアンを奪還するのですか」

 

 狼騎士団が集められた時点でブレナスクは会話中にどのような形であれ割り込んでもよい、と言われており、

 故にウルフがそのように発言した。

 ブレナスクもハーディン同様、媚びへつらって意見を出さぬことを嫌い、会話がぶつかろうとも思ったことを口に出してほしいという姿勢はかねてより一貫している。

 

「ウルフ、それだけじゃないと思うぜ」

「ビラク?」

「南オレルアンから東に暫く行ったところにも新興勢力が勝手に街を作ってやがる

 曰く新ワーレン自治区だとか……まったく、悪党どもがくだらねえことを言ってやがるのさ」

 

 その場所は以前、レウスが賊討伐のために足を伸ばした場所であり、その後も戦乱のどさくさで空白地帯になっていた。

 何者かがそこに新ワーレン自治区を作ったのだ。

 

「ビラクが正解である

 計画は単純なものよ、あくまで試運転も兼ねたものでな」

 

 ブレナスクが提案したのはゴーレム部隊を使い、南オレルアンを襲う。

 少しの時間差で新ワーレン自治区も襲う。

 その間に狼騎士団の一部を使いガルダを奪還し、アカネイアが領地とした場所を奪い返す。

 

「再び連合として戦わせるためにはよい策だろう、ハーディン」

「連合の、というよりも裏切りの代価を兵力で支払わせるわけですか」

 

 ゴーレムは強力ではあるが、戦争での戦力としては絶対の切り札にはなりえない。

 むしろアカネイアが抱えている勇将たちに死ぬまで戦ってもらうほうが価値としては高い。

 南オレルアンなどをゴーレムで襲わせるのはあくまでガルダに向かせぬためのカモフラージュであった。

 

「問題はレウスの最前線到着がいつになるか、ですな」

「グルニアへと向かっているのだとか」

「であれば、今暫くの猶予はあるか……兄上、その策……実行いたしましょう」

 

 ハーディンの赤い瞳が鈍く輝く。

 

「ですが、ガルダ攻めは私が行わせていただく」

 

 それは疑槍グラディウスによって駆り立てられているのか。

 連合の主であり、最前線に出るわけにはいかない立場であるはずのハーディンはこうして血を求めることは少なくなかった。

 

 ───────────────────────

 

「では、頼むぞ」

 

 ハーディンの配下は近習や狼騎士団以外にも国家の重要な耳や目でもある密偵たちがいる。

 その存在は古くから仕えているものではなく、ニーナに仕えていたものである。

 

 正確に言えば、影武者であったニーナの家中の人間であり、彼女の死後はハーディンを主として働いていた。

 彼は密偵たちをニーナの忘れ形見として重用している。

 

 ゴーレムの件などが話された後、人払いをした彼は密偵を呼び、書きたての封書を渡す。

 

「承知いたしました、これらを新ワーレン自治区、タリス王国……それに聖王殿に」

「ああ、だが決して余人に知られてはならん

 たとえそれが私の兄や近習であってもな」

 

 封書の中身はそれほどのことであり、そして送る先がいずれも味方でもなければ味方だったこともないものたちへ向けたもの。

 今後の国家運営に大きな影響のある内容であるのは開けずとも明らかであり、

 連合の盟主としての判断であればこそ身内には知られてほしくないことだったのだろうと密偵は納得する。

 

「ニーナは……私の判断に苦く思うだろうか」

 

 ぽつり、と彼は呟く。

 

「恐れながら」と密偵の言葉に「構わぬ」と発言を許す。

 

「ハーディン様の判断は未来を見据え、ニーナ様との幸せを第一に考えるものでありましょう

 そのご判断をどうしてあのお方が苦く思いましょうか」

 

 密偵は元々、影武者として仕立てられたニーナを幼い頃から世話をしていた人間であり、

 その後のハーディンとの接触でも常に近くにいて支えていたものである。

 だからこそ、その人物の言葉はハーディンの慰みにもなった。

 

「そうか……」

 

 小さく頷いてから、ハーディンは自ら身につけていた貴金属の一つを外すとその人物に持たせる。

 それ一つで一般人が何十年遊んで暮らせるであろうという代物である。

 

「書状を届けたならここに戻らず、ニーナの墓を守ってくれるか」

「……承知しました」

 

 密偵は頷くと、窓へと近づく。

 扉から出るような仕事でもない。

 

「おさらばです、旦那様」

 

 密偵はハーディンこそがニーナの夫であり、自らの主でもあるのだと告げるために、

 あえてハーディン様とは呼ばず、旦那様と呼ぶ。

 その意図を受けた彼もまた、

 「今までの忠節に感謝を」部下に見せることのない淡い笑顔と、王族としての礼を取る。

 

 次の瞬間には密偵は消えていた。

 彼に任せておけば書状は確実に届けられるだろう。

 やり残した仕事を片付け、タリスへ向かわねばならない。

 

 立てかけてある槍を赤い瞳が捉えている。

 

「ニーナよ、見ていてくれ」

 

 ハーディンは誰に聞かれることもなくとも、そう呟いた。

 



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新ワーレン自治区

 短期間ではあったが、街の発展には成功している。

 ホルス──ホラティウスは市長の仕事を行う上で求めていた成果を出していた。

 ただの住民ではなく、ろくでもない連中が多いのは発展には都合がよかった。

 彼らは娯楽を優先し、家屋などはテントだろうが廃墟の再利用だろうが構わない連中ばかりだったからだ。

 

 拠点とした廃砦は半ば集合住宅化しており、中では勝手に商売するものも少なくない。

 自室の真下に床屋が開業したのには流石のホルスも、住人の遠慮のなさと商売っ気に、一応は注意してくるかと進言した部下に気にするなと許可をだした。

 それくらい生き意地があったほうがこの土地らしかろう、と。

 

 今やホルスとして抱えている兵団よりも規模も質も上となった新ワーレン自治区の兵力には苦笑いを浮かべることしかできないが、予断は許さない状況でもあった。

 

 南オレルアンに作られた街、通称ラングランド。

 ラングの肖像画を象徴とするような極めてバカバカしい勢力ではあるが、ラングによって飼いならされた元五大侯勢力が協力体制を取っている。

 

(相手はかなり政治巧者なのかもしれんな……

 噂ではラング殿の側にいたマリーシアという少女が市長をしているらしいが

 ……ガトー殿の関係者であるとは聞いている以上、その才覚と能力に疑いも油断もできまい)

 

 或いは、とホルスは思う。

 彼が見聞きした聖戦士は武力にのみ影響をしているようだった。

 であれば、彼女の政治巧者ぶりはもとよりの才能であるのか。

 ガトーが彼女でなくボアを頼ってエッツェルを派遣してきたのはもしかして、マリーシアはガトーの制御下にはないのではないか。

 

 ホルスは予想を立てて、であれば厄介だな、と小さく呟いた。

 

 人形であれば出し抜くこともできそうだが、素の人格でそれができるというのならば知謀の戦いになりかねない。

 

(あまり知略も謀略も得意ではないのだがな)

 

 ホルスはその自己評価の低さを自然と発揮しつつ、

 

(まず手を打ってくるのはオレルアンであろう

 こちらが先であれば彼女に助けを求めてみるも一興、あちらが先であれば……)

 

 そこまで考えを纏めると、

 

「おい!誰かいないか!」

 

 貴族として厳格ではあるが、であっても厳しい口調過ぎない普段のホルスでは使わない口調。

 彼は新ワーレン自治区の主としての人格を演じているからである。

 とはいえ、ボロが出ないように流石に一人称までは変えることはできなかったのだが。

 

「へい、酋長」

「酋長というのはやめろって言ったな」

「ですが、俺らを纏めるのは大酋長ホラティウス様以外にはありえないですぜ

 それが嫌だっていうから酋長でまとめてるんでさあ、それくらいは勘弁してくだせえよ」

 

 はあ、とため息をつく。

 一応は、などと言えないほどに彼の家格は高い。

 それがまさか賊たちに酋長と崇められることになるとは、ため息の一つも漏らしたくなる。

 

「……わかった

 私が編成した部隊、すぐに動かせるか?」

「飲んだくれに下半身がサルみてえなやつ、賭け事中毒に無駄飯ぐらい

 ろくなやつぁいませんが全員酋長の命令とあらば一刻で殴り込みにいけますぜ」

 

 本当にろくでなしばかりだが、その実力はかなりのものである。

 

「では、一番から三番に遠征の準備を、四番以降は防衛の準備をさせておけ

 九番には遊撃の仕事を出すから別途待機と伝えろ」

 

 そうしたものをより高度に軍団化させたものをホルスは作っていた。

 短期間でそれが行えたのは才能の一言でしか片付けられない。

 ホルスには領地運営や大義や、そして義心が連合の中ですり減らした中で極めて高度な人材整理と軍団制御の術を身につけていた。

 

 必要なのは報酬と演説。

 部下と自身の一枚岩。

 毎夜の宴会に、必要があれば酒場で大演説をかましたこともある。

 自分を偽るのが得意だと定義していたホルスではあったが、流石に一瞬程度は躊躇した。

 まさか貴族が机に立って喚くような演説をするはめになるとは、と。

 

 ともかく、街作りと軍団編成の中で随分と胃腸に悪い生活をしたものの、その成果は大いに出ていた。

 

 もしもこの戦力を持った状態で東西決戦の始まりに戻れたなら別の道を作れていたかもしれないと思えるほどに満足の行く状態になっている。

 

「へい!ただちに!」

 

 部下の男が走って退室する。

 野卑な態度ではあるが、礼を尽くされて行動が遅いよりも遥かにホルスの好みではある。

 

(オレルアンの謀士はどう動く?

 私の予想ではラングランド、次いで新ワーレン自治区の順だと読むが……

 連合の勢力圏との地理関係もあるが、大義名分としてラングランドを抑えて自領に差し戻させたいはずだ

 何より領土にラングの名前が付くことなど王族が許すとも思えぬ)

 

 彼の読みは鋭い。

 勉学に励み、実戦で経験を積み、その遍歴にあぐらをかかずに思考を続けたものが得た才覚そのものであった。

 

 彼のみならず、オレルアンにもアカネイアにもこうした士がいるからこそ今日まで聖王国と戦っても潰れないでいる。

 新興の国家と、旧来の国家の差はこうした部分にも出ている。

 

 しかし、ホルスにも読めないものはあった。

 それは謀士がラングランド攻略に用意した駒は連合兵ではなく、

 虎の子の狼騎士団でもなく、多くのものはその存在すら知らない兵器──ゴーレムであるということだった。

 



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支払いはゴーレムで

 ラングによって作られた研究所は堅牢なだけでなく、隠蔽能力も高い。

 非道な実験をいくらやろうとも外に漏れることはない。

 

 マリーシアは日々増える住人の一部も使って、実験を繰り返していた。

 

 守り人以上、聖戦士以下の存在を作ることには成功した。

 隷属者のアップデート版も作ることができている。

 研究所には数十名の隷属者が存在し、感情もないままに研究を手伝わされていた。

 

 だが、それらでは駄目だとマリーシアは考えている。

 いかに隷属者を強くしたところで、もとから有り余るような才能を持っている人間に更に色々と手を加えている聖戦士や魔将にはどうあがいても勝ち目がない。

 たとえ隷属者全てをけしかけてもマリクには一方的に蹂躙されるだろう。

 

 だからこそ、彼女の今の目的は性能を超えることではなかった。

 

 研究所でもっとも堅牢な部屋に敷かれた魔法陣。

 その中心には眠っている一人の少女──フィーナの姿があった。

 

「毎夜毎夜連れ出しちゃって悪いね、フィーナちゃん

 何もかも研究のため

 そのうちにきっと望みも叶うからさあ、手伝ってよねえ」

 

 マリクに勝てるものが作れないなら、マリクが勝てない相手を使えばいい。

 絶好の研究対象は眼の前にいて、自分を信頼しきっている。

 

 全ては王子様のため。

 道徳心も友情も何もかもを焚べて、王子様の隣へと辿り着くために。

 

 ───────────────────────

 

「……ッ!」

 

 研究を続けている最中に強力な魔力をマリーシアは感知した。

 その発信源の魔力が自分のものだからこそ気がつけたのだろう。

 

「この気配、ゴーレムか!!

 あんのまっしろじじい~!恩をゴーレムで返す気かあー!」

 

 まっしろじじい、つまりはオレルアン王ブレナスクに対しての悪罵を吐く。

 

 隷属者たちに命じてフィーナを抱えさせて彼女のベッドまで運ぶように指示。

 運ばれるフィーナとは別の道を使ってマリーシアは地上へと急ぐ。

 

「いつも盛ってる薬は強いからなあ、朝までゴーレム相手に私一人で粘らないとだめってことかあ」

 

 物見台に登り目を細める。

 かなりの距離はあるが、円形の顔面めいたパーツに屈強な肉体を持つ歩く彫像、ゴーレム。

 

「うへえ、私が目を覚ました奴だけじゃないな

 まっしろじじいもやるじゃん……って褒めてる場合じゃないよね」

 

 さて、どうしたものかと考えるマリーシア。

 地上から大急ぎで物見台に登っていった彼女を心配した市民が声をかけてくる。

 

「市長!なにかあったんですか!?」

「あー……」

 

 逡巡するマリーシアに市民は続ける。

 

「俺たちでできることがあったらなんでも言ってください!」

「なんでも?」

「はい、なんでもです!」

 

 その言葉にマリーシアは手を決める。

 自分からなんでも、なんていうのだからどうしたって良いんだね、と内心で。

 

「君と同じ、この街のために『なんでも』してくれる人を集めてくれる?」

「わかりました!」

 

 口は災いのもと。

 いや、この場合はマリーシアこそがその災いの擬人化のようなものだ。

 であれば、口で言わずとも災いは必ず降り掛かっていたのだろう。

 

 ───────────────────────

 

 ラングランドにゴーレムが到達する数日前。

 

 ガトーは目を回していた。

 非効率的な会議に非効率的なやりとり、世俗というものを知らない彼は俗中の俗でもあるボアの一派に揉まれていた。

 

「であるから、南オレルアンには我らの権威を示してだな」

「いや、それよりも新ワーレン自治区に金を出して影響力を」

「それよりもオレルアンと一時的に手を組んで両取りするのは」

 

 佞臣たちの妄言めいた会議は実現性の薄いものばかりであり、この会議に参列させられているガトーは頭を抑える。

 人間は愚かだと思っていたが、直接的に愚かさをぶつけられる機会がなかったからだ。

 

 味方であれ、敵であれ、彼が接してきた人間は傑物ばかりである。

 だからこそ本当の愚者というのを、自分が下に置かれた立場で目の当たりにさせられる経験に痛みを覚える心地であった。

 

「エッツェル殿はどう思う?」

「どう、とは」

 

 何を指してどう思うかとすらない質問に真正面から疑問を返す。

 

「聞いていなかったのか?

 まったく、これだからアカネイア貴族でもない男は……」

「まあ、そう言ってやるな

 哀れな生まれに慈悲をやって然るべきだろう」

 

 そうすると当然、ねちねちと言われる。

 ガトーは未だにこのロジックを理解できていなかった。

 理解したくもないが、しかし、それが自らもやっていたことであるのに気が付きもしないのもまた彼らしくもある。

 

「我らが話していたのはこの地より北にある勢力をどうするか、であるのだよ

 私は南オレルアンよりも奴隷商売をはじめられそうな新ワーレン自治区に兵を出して支配するべきだと思うのだが、

 ん?どうかね」

「……この状況でアカネイア軍を使うのは難しいだろう

 最前線にいつレウスめが戻ってくるかもしれぬ」

 

 エッツェルらしさを出す必要がないことはここでの生活で理解した。

 なにせ彼らは自分という存在を見ていない。

 幼児退行でもしない限りちょっとした口調の変化などに気が付くこともないとガトーは判断していた。

 何より、彼ら相手にエッツェルらしい、『ある程度丁寧な物腰』をするのは苦痛以上のなにかであった。

 

 真正面からの意見はまたネチネチと言葉を返されるかと思っていたが、

 

「流石はエッツェル殿、よくわかっている

 だが、アカネイア軍でなければ動かせるということでもあるね」

 

 それは意外な言葉だった。

 

「それはそうだが」

「では、君が行ってくれたまえよ

 エッツェルくん、君は我らが主であるボア様の協力者なのだろう

 では我らの求める仕事を達成するべきでもあるはずだ」

 

 むちゃくちゃな論法を叩きつけられる。

 この愚者たちから解放されるならば、とガトーは頷くしかなかった。

 



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歩むものたち

「どこに行くんだい、大将」

 

 青髪の偉丈夫、クリスが声を掛けてくる。

 彼は新ワーレン自治区で一番の腕前だと評することができる。

 腕前は信頼できるが、それ以上に彼を信頼しているのは秩序的なところだ。

 

 ワーレンの名を使ってろくでもない連中を集めてはいるが、私は本当にワーレンを、或いはノルダのような商売をするつもりはない。

 それでもワーレンだからと好き勝手しようとするものをクリスは積極的に取り締まってくれている。

 

 そのうちワーレンの名を関しておきながら悪徳が少ない、と文句を垂れるワーレン通も出てくるかもしれないが、『そのうち』は来ない。

 

 なぜならこの計画自体、長くは続かないからだ。

 この一件が終わって私も彼も生きていたら本当のことを告げて、仲間となってくれるかを聞いてみたいとも思うが、その考えは止めた。

 自分が生き残れるとは思っていないからだ。

 せめて、クリスがアリティアに付いてくれれば心強いのだが。

 

「西にある街に襲撃がある……気がしてな、部隊を動かすつもりだ」

「ありゃ、オレたち九番には待機しか来てないが」

「最高戦力をほいほいと出すわけにはいかないさ」

 

 九番にはアンナに集めさせた人間たちのなかでも裏切らないであろう性質の人間たちを選別し、

 更にその実力が全体の上澄み中の上澄みばかりを集めた部隊だ。

 ミディアの麾下と正面から戦わせても勝てる実力者ばかりであり、下手をすればそこらの名持ちの将軍格をも超えかねないものたち。

 その上で、この街に似つかわしくない善人ばかりでもある。

 

「でも大将は出るんだろう?」

「西の、というよりは戦争全体の様子を見るためだがね」

「オレたちにも付いて行かせてくれよ」

「オレ『たち』?」

「アテナは暇をしているぞ、戦いならば連れて行け」

 

 ひょこ、と物陰から現れたのはアテナ。

 彼女も九番に所属してもらっている剣士で、生まれ育ちは他大陸のようである。

 その技の冴えは独特して鋭利。

 身のこなしだけではなく、こうした気配の操作もできるあたり只者ではない。

 

「わかった、ただ……」

「ただ、なんだい」

「俺が敵になると考えているのはアカネイアだ」

「へえ」

「西が何かに襲われるなら漁夫の利を狙うのは明白

 少なくともガルダを含めたレフカンディ以東は保持しておきたいだろうからな」

 

 アテナは少し唸り声をあげると、

「難しいことはわからない、もっと簡単に言え、ばか」

 と文句を言う。

 いや、文句というよりも正当な意見だろう。

 物事を話すに寄り道をしながら語るのは悪癖だ。

 

「アカネイアは新ワーレンの利権目当て、だから襲ってくる

 ここは俺たちのもの、だから倒す」

「わかりやすい」

 

 アテナは満足げに頷く。

 言ってしまえば単純なことであり、そもそもがこの大陸を取り巻く様々なことも彼女に説明しようと思えばわかりやすいことばかりなのかもしれない。

 

「とはいえ、九番全員を連れていくわけにもいかないからな

 クリスとアテナだけに付いてきてもらう」

「任せておけ」

「ああ、いつでもいけるぜ大将」

 

 ───────────────────────

 

 どうしてこうなったのやら。

 その言葉を自問したが、答えはわかりきっている。

 あの馬鹿げた空気から逃げるためであった。

 

 現在、ガトーは手勢を率いて新ワーレン自治区へと威力偵察をするために移動している。

 いつもならばワープで飛ぶところだが、戦力を付けられた以上はそうはいかない。

 そもそも、この体でワープをしようものなら魔力切れで攻撃すらおぼつかなくなる可能性がある。

 

 心臓の代わりになっている竜石がエッツェルの体に馴染めば一日に一度程度ならワープも行使するくらいなら耐えられるかもしれない。

 そうすればより優れた体を探しに行けばよいと考えていた。

 

 エッツェルの肉体も才能はあるが、マリクやリンダと比べればやはり格が落ちる。

 本当ならばガーネフ辺りの肉体を奪いたいところであったが、アリティアの守りをなんとかできる考えは思い浮かばなかった。

 

 ガトーについてくるのは擬剣ファルシオンを与えた甲冑騎士、言ってしまえば即席の守り人たち。

 そして、それだけではなくボアの佞臣の中でも武門に属する人間たちであった。

 実力に関してガトーは武芸をあれこれと語れるような知識を持たないせいで正確なところはわからないにしても、

 エーギルの色を見通してみればかなりの実力者が揃えられているのがわかる。

 

(ボアめ、こんな状況でワーレンを確実に落とすつもりなのか

 どうしてそれに固執する?

 ……わからぬ、女であれば困らぬ立場であろう

 であれば金銭やら何やらの物欲なのか……?)

 

 ガトーにはわからない。

 ボアがワーレンを欲しがる理由が。

 

「どうしたのですかな、エッツェル殿」

 

 表情を見てか、声をかけてきたのはこの部隊の実質的な隊長でもあるトラース将軍であった。

 シューターを扱う専門知識がありつつも、現在のアカネイアにシューターを維持する能力はなく、現在は弓を武器にして戦っている。

 

「ボア殿はなぜトラース殿まで動員してあの街を狙っているのか、それがわからぬ」

「簡単なことですよ」

「簡単なこと?」

 

 彼が語るのはワーレンの歴史。

 そして、ワーレンがあの悪名高き魔都、ノルダを作り上げた下地にもなっている自治都市であること。

 ワーレンはペラティに滅ぼされるその日まで表向きは港町として、裏ではノルダとの連携を持ち続けた、

 全身全霊で悪を体現したノルダよりも、厄介な悪の巣でもあったのだ、と。

 

「ワーレンは元々がアカネイアのものだったのが、紆余曲折を経て独立に誓い権力を持っていました

 ノルダの剣闘や奴隷たちで自治を行うだけの軍備を生み出し、やがて近隣にいたディール家すら手を出せなくなったそうです」

「五大侯の一角ですらか」

「言うなれば、ノルダ、ワーレン、ペラティはアカネイア王国にとっての恥部なのですよ

 ……ボア様にとって、今回の新ワーレン占領はかねてからの悲願だったのでしょう」

 

 だが、今のボアはアカネイア王国そのものではない。

 自らが国を号する立場に近づいた今、アカネイア王国よりも完全なものを目指す以上は恥はそそぎたい。

 かのような考えをしているのではなかろうかと声を潜めてトラース。

 

「それに、ワーレンの評価は悪の方向以外に見えてもきらびやかなもの

 新ワーレンなどと名乗れば、その評価もそのまま引き継ぐことでしょう」

「だから欲しがっている、と?

 その評価自体も評価したものも他人のものでしかないというのにか」

「それが人の心というものです

 他人のものであればあるほど美しく見えてしまう場合もあるように」

 

 他人のことであるからこそ理解できないのか、自分の状況に重ねて考えることにした。

 

(なるほど、確かにナギを取られたことを思い返せば苛立たしい

 この感情こそがボアがワーレンに向ける感情に近いのであろうか

 それとも別の思惟があるのだろうか……

 わからぬが、新ワーレン自治区とやらに行けばまた別の何かを知れるのやもな)

 

 愚か者の相手をしなくてよくなったかわりに行軍という重労働が与えられたものの、

 ガトーは状況を案外受け入れ、そこからは学び、楽しんでいるかのような心情でもあった。

 実力としてはエーギルの色からして大したことはないが、トラースという男は我慢強く、説明もうまい。

 人間世界の教師役としてはうってつけであったのも心情の変化、その理由になるだろう。



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西帰りの男

「オレが西にいる間に色々あったんだな」

「戦いこそなかったものの、平和とは言い難いものです」

 

 レウスに状況を説明しているのはホルスタットである。

 聖王不在の名代として全軍を預かる彼ではあるが、戦いが起こらない現状においては情報の収集と精査に力を注いでいた。

 

「お久しぶりです、陛下」

 

 一礼をして、カチュアが前に出る。

 パオラやエストも彼女の後ろに控えているが、長女が挨拶しないのはレウスとカチュアの関係性によるものである。

 

 戦いがない現状では白騎士団もホルスタットの目となり耳となる形で情報を集めている。

 また、後方支援に徹しているアカネイア・パレスとの連絡役も彼女たちの仕事であり、

 戦闘状態ではない今のほうがむしろ忙しいほどであった。

 

 南オレルアン(ラングランド)の隆盛、新ワーレン自治区。

 エルレーンとエレミヤの研究や協力者の存在。

 

 西でも多くのことはあったが、東でも同じ程に様々な状況が入り乱れていた。

 

「ふーむ……なんか大変だな」

「陛下……そんな他人事みたいに」

 

 その言葉にカチュアが脱力した風で言葉を返した。

 しかし当のレウスはそこそこに真面目な表情でカチュアに目を向ける。

 

「他人事なんだよな

 いや、国のこととかで考えりゃそんなこと言ってる場合じゃないんだが、

 それでもこの目で見てない以上、他人事感が出ちまってんだ」

 

 その言葉の先をホルスタットは読んだのか苦笑いを浮かべているのにカチュアが気が付く。

 

「陛下、まさかとは思いますが」

 

 自称『重い女』のカチュアだが、彼女がレウスに助けられてからというもの、可能な範囲でレウスのことを調べ尽くしていた。

 人によってはそういうところを『重い』というのかもしれないが、心情というものはそうした言葉で留められるほど穏やかなものでもない。

 

 カチュアが知るレウスであれば、と考えるとすぐに答えがわかる。

 

「赴くおつもりですか」

「うん」

「うん、って……そんな軽々しく」

 

 大陸の半分を支配している大国家アリティア聖王国、その最上位に存在する絶対の権力者。

 本来であれば御簾の向こう側に立って姿すら現さないであっても不思議ではないその立場からすれば正しく『軽々しい』言葉と行いである。

 

 しかし、名代であるホルスタットは止める様子もない。

 カチュアに見られていることに気がついた彼は

 

「止めても無駄ならば有意義な結果を期待するべきだろう

 閣下であれば状況を良き方向に動かすのは間違いないからな」

「流石はホルスタット、持ち上げ方をわかってるね」

「お陰様で、と申しておきましょう」

 

 主従関係ではあろうが、この二人はどこか従兄弟同士というか、友人よりも肉親にも近い感情があるようにパオラは思っていた。

 彼女が長女だからか、ホルスタットから出る『兄』的な気配を感じている。

 遠慮のない関係というものなのだろうとエストは二人の関係を好ましく見ている。

 

「それじゃあ善は急げってことで」

 

 退屈を飼いならせない聖王は決めたが最後、突風のようにその場を後にする。

 

 ───────────────────────

 

「はあ……閣下は変わらぬな

 まったく」

 

 悪態のような言葉だが、その表情は喜びのようなものがあった。

 ホルスタットはレウスを主としてから向こう、まるで変わらない彼であるからこそ、ホルスタットも持ちうる力も時間も捧げていた。

 王となり、版図を広げ、権力も家庭も手に入れた。

 

 受け身に回るにしろ保守的になるにしろ、守りに入ってもおかしくない立場なのに彼は変わらない。

 嵐のように現れ、突風のように去っていく。

 英雄とはまさにこのことを指すのだとホルスタットは思う。

 

 だからこそ、

 

「カチュア、頼みがある」

 

 主に全幅の信頼は置いているが、それとは別に不安に思うこともある。

 英雄の最期はいつだって無惨なものだ。

 寝物語ならいざしらず、兵士や酒場で謳われる英雄譚の中で柔らかな寝具に包まれて安息に終わったものをホルスタットは聞いたことがない。

 

「なんでしょうか、将軍」

「閣下に付いていき、全力でお守りせよ

 ただ、命がけはするな

 むしろそれは閣下の窮地を呼びかねん」

「はい!」

 

 カチュアがレウスに惚れ込んでいることは軍中で知らないものはいない。

 白騎士の三姉妹は最前線で戦う兵士たちのマドンナであり、三人共にひっきりなしに告白を受けている。

 パオラは妹たちが結婚するまではと断り、

 エストはまだ独身を楽しみたいと断り、

 そしてカチュアは身も心も全て陛下に捧げているからと断っているためだ。

 

 明らかに喜びに跳ねた言葉にパオラは思わず、

「あんまり浮かれては駄目よ」

 と釘を差し、

 しかしエストは、

「カチュア姉さま、頑張ってね!」

 と関係の発展を応援をする。

 

 そうした声に背を押されながら、レウスと同道しようとしたカチュアだったが、もはや彼の姿はない。

 

「生き急ぎ過ぎです、陛下」

 

 困ったような表情を浮かべながら、カチュアもまた天馬に跨ると聖王の背を探すように追いかけていった。

 



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迫るゴーレム、唸る傾国の美

 ゴーレムに対して遠間から弓を打ち込み、石を投げるのは南オレルアンの住人たち。

 いささかの痛痒も与えることができていないのか、ゴーレムの足が止まることはない。

 しかし、攻撃を受ける度にゴーレムは敵対的な反応かどうかを確認しているためか、足を止めたりしていた。

 ダメージにでもなれば敵だと認識するのであろうが、そうではないからこそいちいち確認をしようとしているようで、ゴーレム相手の遅滞戦術としては完璧なものであった。

 

 しかし、運悪く動線に重なってしまった住民がゴーレムに踏み潰されて死ぬこともある。

 それでも果敢に立ち向かうのは街を愛しているからではない。

 

 その瞳には正気というものが存在しない。

 

「よしよし、隷属者としては動いているみたいだねえ

 とはいえ、どう考えても勝てそうにもないよねえ……どうしたものかなあ」

 

 マリーシアは象と蟻の戦いめいたものを見ながらそう呟く。

 やらねばならないことは眠っているフィーナを連れて脱出するか、この戦いを乗り切るか。

 どうあれフィーナの生存が今後の鍵である。

 

 彼女自身が戦えばゴーレム程度であれば撃破も可能だ。

 しかし、それは解決にならない。

 そうなれば次の敵が送り込まれるだけであり、敵が断続的にくればいつか街は崩壊する。

 それまでここで戦い続けるのは望ましいことではない。

 

 ゴーレムがゆっくりと歩き、市民を見て、それからまた動こうとしたときである。

 音を立てて斧がゴーレムへと叩きつけられる。

 それは市民の弓と違い、明確なダメージとなったようで攻撃目標として投げてきたものに体を向ける。

 

 身につけたものもばらばらで、統率もない賊の群れ。

 それらは手斧が当たったことを喜び、誰があいつを倒すかなどを話し合っている。

 

 一団から少しばかり身なりのいい騎士崩れが現れるとマリーシアの前へと出る。

 

「あんたがこの街の偉い人なんだってな」

「よくわかったね」

「他の連中はなんだかぼんやりしてたのに、あんただけがそうじゃなかったからよ」

 

 なるほど、道理だ、とマリーシアは思う。

 隷属者を街単位で扱おうとすれば命令するべき人間が側にいる必要がある。

 ある程度の意思を魔力的な接続(パス)を使い、教えてやらねばならないからだが、

 そのせいで指揮者がバレバレであるということには気が付かなかった。

 ラングのところにいたときには指揮するものが明確であっても、軍という形を取る以上は自然なことであったが、

 市民たちを扱うとなれば指揮者の存在は目立ちすぎる。

 

(とはいえ、接続できる範囲は私の魔力に依存するしなあ……どうしたものかなあ)

 

 解決策があるとは思えない彼女は少し悩みはするものの、

 

「で、君たちはだあれ?」

「新ワーレン自治区の人間さ、市長であるホラティウスの旦那に代わって街を守りに来た」

「なんで?」

「俺は知らねえけどよ

 多分、おたくと同じでオレルアンとアカネイアを相手にしているようなもんだし、

 南北に敵がいるからこそせめて隣人とは仲良くしておきたいんじゃねえのか?」

 

 仲良くしたい、というのはわかるが、街が相手にするにはオレルアンもアカネイアも敵としては大きすぎる。

 自領の戦力を使ってまで助けに来るとは思わなかったからこそ、なんで、と聞いたのだ。

 

 だが、それを知るものはここにはいない。

 とはいえ会いに行く暇が作れるとも思えず今はその優しくしてくれる何者かに甘えるくらいにしておこうと考えを取りまとめた。

 

「勝てそう?」

「あの一体はなんとかな

 こっちの偵察によりゃ、あと二体は向かってきているようでな

 そこまでは倒せるかは怪しいってのが正直な感想だ

 俺たちも命は惜しいからな」

 

 見た目の通り、彼らは賊でしかない。

 それでもゴーレムと戦えといって逃げないのだからここいらの賊からしてみれば実力も思考も感情も上澄みの連中なのだろうということはわかる。

 しかし、だからこといって軍人のように命を賭してまで戦うなんてことはしない。

 

 彼らのような者たちはあくまで『無法に従う』、しかしそれ以上に『自分の命が一番大事』で動いていることをラングの下でマリーシアは学んでいた。

 思えばラングもまた賊らしい賊であったと言えるだろう。

 血統や毛並みと賊であることは両立するということだ。

 

「もう少しで準備が終わる、そうすれば勝機が見いだせるよ

 あれを倒した後ももう少し頑張ってくれないかなあ」

 

 上目遣いで頼み事をすれば大体聞いてくれる。

 マリーシアの行動は単純であるが効果はてきめんである。

 

「仕方ねえなあ、この俺が指揮を執ってやる!

 そうすりゃ少しは持つだろう!」

「わあ~ありがとう~」

 

 彼女は中身はさておいても、外見は紛れもなく美少女である。

 或いは、外と中の差が大きい彼女こそを傾国の美の持ち主というのかもしれない。

 



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遭遇戦

「ん?」

「む?」

 

 遭遇戦、というのはときに文字通りの状況を言う。

 

 ホラティウスが率いている九番と、トラース率いる新ワーレン自治区攻略部隊。

 

 襲撃が来るであろうと予想して迎撃しやすい位置を探していたホラティウスと、

 奇襲の機会を得たならすぐに動き出せるようにと動いていたトラース。

 それが遭遇してしまうのは奇跡的な確率と言うべきか、互いに同じ位置を探していた必然と言うべきかはわからない。

 しかし、そのあとに行われるのは決まっている。

 

「アカネイア軍!」

「ならずものども!」

 

 互いにそう叫ぶと武器を抜き、構える。

 

「って、エッツェル……どうしてここに」

 

 クリスが敵兵に見知った顔を見つけ、声を掛ける。

 彼からしてみれば結構な期間会っていない同志とも言える関係だ。

 ガトーの側で彼の動向を見て、可能な範囲でチェイニーや自分と協力すると言っていたが、と彼の考えを思い出している。

 

「クリス……か」

 

 エッツェルは手を前に出す。

 そのジェスチャーにクリスは黙っていろなのか、そこで止まれなのかの判断が付かない。

 答えはどちらでもなかった。

 

「トロンッ!」

 

 掌から発せられた凄まじい電光がクリスを焼く。

 普段の彼であればこのような攻撃は通用しないが、友人だと思っていた男からの予想外の不意打ちには対応しきれるものでもなかった。

 

 その行動に即座にトラースは意図を拾い、

「殲滅しろ!一人も残すな!」

 ここで新ワーレンの部隊を残さず掃除すれば奇襲までの猶予は稼げる、そう踏んだのだ。

 

「クリスのばかを頼む、大将

 ここはアテナが何とかする」

 

 それをホルスが止める間もなく疾風のようにアテナが敵陣に突き進む。

 大声を出せばアカネイア軍に正体が露見しかねない。

 一応はフードと兜によって顔は隠しているものの、声ばかりはどうにもならない。

 

「クリスの治療を優先しつつ、僧侶と一緒に下がれ」

「大将はどうするんで?」

「ここで仲間を失うわけにはいかん」

 

 ならずものであるのは間違いはない。

 それでも九番は信の置けそうな人間で固めている。

 だからこそ、ホルスの言葉に全員が頷く。

 

「わかりやしたぜ、大将」

 

 ならずものの一人が総意として頷き、

 クリスと僧侶を守るために何名かは退いていくが、相当数が武器を構えてホルスへと並ぶ。

 

「仲間を失うわけにはいかない、そうでしょう?」

「……まったく、そういう言葉尻を掴むような行為は嫌われるぞ」

「育ちが悪いもんでしてね」

 

 ホルスの目の形が笑ったのを相手も気がついたのか、笑う。

 信頼というのはこうして育まれるものである。

 

 ───────────────────────

 

 突き進む霊馬。

 レウスは森を駆け抜ける。

 正面切って移動さえしなければ危険度は下がる、つまりホルスタットの胃痛の軽減にもなるだろう。

 そしてトレントであればどんな悪路であろうと関係なく走破できる。

 トップスピードを維持しながら跳ね回るように森を駆ける馬と、黒い毛皮の外套を纏う男だ。

 これをもしも見るものがいたなら死神が実存したのだと噂をすることだろう。

 

 久方ぶりの好き勝手の単騎駆にレウスは笑顔を浮かべていた。

 政治的な駆け引きやら、軍全体を見ての戦争やら、そもそも向きではないのだ。

 ありがたいことにその辺りを得意とするリーザやホルスタット、ミネルバのお陰でお鉢が回ってくることは少ないものの、

 それでも最前線にいる以上は好き勝手に突撃して疲れたから帰還するなんてことは許されない。

 

 だからこそ、この単騎駆は貴重な時間だ。

 

 駆け抜ける一人と一頭は視線の先で巨大な雷光が地上で放たれたのを見た。

 距離はかなりあるが、それでも眩しいほどのそれは明らかに自然現象ではない。

 魔道だとしたなら、相当に強力なものであり、つまりは相応以上の実力者がこのあたりで戦いを始めているというサインでもあった。

 

「幸先がいいねえ!」

 

 思わず口をついて出る。

 それに相棒であるトレントは一つ嘶くとそこへと向けてまっしぐらに突き進む。

 

 戦闘状態と思われるものを発見する。

 片方は魔道士と弓兵、それに揃いの甲冑を纏った顔の見えない騎士たち。

 もう一方はその甲冑騎士に踊りかかっている少女剣士。

 その後ろには不揃いな格好の寄せ集め兵団。

 

 正規兵とならずもの戦いのようではあった。

 

 ───────────────────────

 

「我が王は人の話を聞かぬ、いや、聞いたふりをする」

「ええ、そうね」

「うむ」

 

 魔女の言葉にメリナもマリケスも頷いた。

 二人とも、正確には三人ともではあるが、狭間の地ではまだしも会話をした方ではあるのだが。

 

「でも、何もかもを無視して、興味もないわけでもないのよね」

 

 狭間の地では『会話した方ではある』からこそメリナはそうした認識を持っていた。

 

「この状況で言うならば、目に見える情報だけですぐに攻めるではなく」

「戦いの現場全体を急ぎ巡り、自らの認識の下とする」

 

 メリナの言葉にラニとマリケスも続ける。

 彼らのレウスに関する認識は驚くほど同じ形をしていた。

 

 マリケスは死のルーンの争奪が掛かった戦闘だと言うのに、

 戦いが始まると同時にレウスは結界で閉ざされている内部をつぶさに見回り始めた。

 

 なにかの小細工かと思って最初は斬り殺したものの、それでも何度も何度も見回り、

 彼なりに満足がいってからようやく戦いを始めた。

 

 当時は褪せ人らしいおかしな行動か、理解不能のジンクスのたぐいかと思っていたが、レウスを知っていき、その認識を改めた。

 あれは狂気に駆られた行動ではないのだと。

 

「狭間の地を駆け抜けはしたけれど、レウスなりに世界を知ろうとしたんでしょうね」

「もっとも、あの地でそれによって新たな可能性が得られることは少なかったようだがな」

 

 レウスは確かに狭間の地を駆け抜けた。

 多くのイベントも「はいはい」と適当に頷いて報酬を貰うまでを作業にしている。

 必要があれば容赦なく武器も振るう。

 

 しかし、それを行うのはレウスが散々に見渡したあとに容赦する理由がなかったときだけだ。

 多くの場合は報酬を貰えば去っていった。

 

「理由を探しているのだろうな」

 

 ラニが言う。

 

「理由?」

 

 マリケスの問い。

 視線を向けるでもなく、ラニは続ける。

 

「誰と戦うべきかの理由を

 我が王が狭間の地を駆け抜けたのは、狭間の地そのものと戦う理由を見つけたからであるのかもしれぬな」

「であれば、今の彼がすぐにどちらかに襲いかからないのは」

「戦うべき理由を探している、か」

 

 メリナがそういうと、一同は円卓の中央に映し出されるレウスへと視線を向け直した。

 



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イザークの息吹

 トレントを駆け抜けさせる。

 敵兵を縫うように、或いはその頭上を飛び跳ねて。

 

 赤毛の魔道士がオレを、どろりとした瞳で見てきたのが印象的だ。

 だが、即座に魔法を向けてきたりはしない。

 様子見なのか、それとも一種のヘイトコントロールか。

 確かに今ここでぶっ放されたなら即座に首を取りに行くつもりではあったので、ヘイト管理には成功しているわけだ。

 

 周りを見渡すと『ならずもの軍』の少女剣士が誰かの判別が付いた。

 あれはアテナだ。

 仲間になる条件が戦死者が出ていることだった気がする。

 ナギとかと同じだよな。

 

 と、そこまで思い出して赤毛の魔道士も誰かがわかる。

 アレはエッツェルだ。

 嫁さんを失った悲劇の魔道士……のはずだが、あんなどろりとした目で見られるようなことをしただろうか。

 

 いや、オレではなく、アリティア聖王国のなにかの戦いで巻き込んでしまったのか?

 ……だとすればああいう目で見られる理由もわかる。

 

『正規軍』の大将は弓兵か。

 誰かは知らんが、実戦経験は豊富そうだ。

 甲冑騎士だけではどこの軍かもわからなかったが、あの弓兵のお陰でわかった。

 弓兵の外套にデカデカとアカネイア貴族を示す紋章が刻まれていたからだ。

 

『ならずもの軍』の大将はフードに兜と『正体を隠したいです』と言わんばかりにしている人物だろう。

 彼を中心にならずものたちが武器を構えていて、その何人かがフードマンを守るような素振りを見せていたからだ。

 何者かまでは流石にわからない。

 

 ならずもの軍が展開する後方では僧侶たちが誰かに治療を施していた。

 かなり酷い怪我をしているらしい。

 ……が、その顔は見覚えがあった。

 

 クリスだ。

 

 時間の流れを考えれば彼が現れていてもおかしくはない。

 そもそもマリーシアがいる時点で彼もいるであろうことは考えておくべきではあった。

 

 なにせ主人公……というか、プレイヤーの分身であるマイユニットと呼ばれる存在である。

 褪せ人として狭間の地に現れ、アカネイア大陸に来て、その時点で主人公とも言えるマルスの不在である以上、はじめて『ゲームでプレイヤーが主観を置きそうな人物』に出会ったわけだ。

 

 が、どうにも具合がよろしくなさそうである。

 近距離で良いのをもらったらしい。

 

 どちらが味方かの判断はできないが、

 どちらを味方にした方が楽しそうか、であれば決定した。

 

 オレはトレントを走らせてクリスの元に立つ。

 

「おい、僧侶ども」

 

 懐から取り出したるは特効薬。

 いざとなったら、とエルレーンが送り付けてから懐には用意し続けていた。

 

「特効薬だ、そいつに使ってやれ」

「感謝します!」

 

 僧侶が礼を言うと、治療を受けているクリスはオレへと手を伸ばし、

 

「あ、あんた」

 

 何かを言おうとしているが、

「今は治療に専念しとけ」

 オレはつっけんどんに返し、両軍がばちばちにやり合っている方へと向かった。

 

 ───────────────────────

 

 アテナの剣技の冴えは恐ろしいものだった。

 しかし、甲冑騎士たちは彼女の考え以上に精鋭であり、いかに剣が閃こうと絶命に持ち込めない。

 

「名も無い兵士かと思ったけど……かなり、やる」

「当然だ、こやつらはガトー様手ずから用意してくださった最強の騎士よ

 貴様程度の田舎剣士が勝てる相手ではないわ」

 

 トラースは嘲るではなく、明確な戦力差があることを誇るように。

 

「お前はなにもわかってない、ばか」

 

 アテナの言葉は苦し紛れの悪罵にしか聞こえない。

 それにトラースは再び笑う。

 今度こそ、それは嘲りであった。

 

「確かに強い、けど信念を感じない

 そんなものにアテナは負けない」

 

 彼女の言葉に相対する甲冑騎士が少しだけ警戒するように構える。

 

「それでいいか、守りの構えは」

 

 返答こそないが、しっかりと構え、踏ん張るように重心を落とす。

 

 すう、とアテナが呼吸を一つ深くする。

 敵前でありながら目を瞑り、ゆっくりと開く。

 極地でこそ行うこのルーティンこそ彼女の故国、ユグドラル大陸がイザークの奥義が一つである。

 

 彼女の言葉を聞いたのは目の前の甲冑騎士だけであったろう。

 

「流星」

 

 短い言葉を吐くと、姿が掻き消える。

 

 刹那。

 少女剣士の姿──残像が四つ現れ、甲冑騎士を切り抜ける。

 一瞬の後、彼女の姿が現れると剣がぱちりと鞘に納められた音が響き、甲冑騎士が血を吹き出して倒れた。

 

 トラースはそれを目の当たりにすると弓を構えようとする。

 

「お前らが欲しがっている聖王の首がここにあるぞッ!!」

 

 馬鹿げた怒号と共に甲冑騎士の一人の前にレウスが着地し、アテナを狙う矢の向かう先がぶれて明後日の方向へと飛んでいった。

 



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退却判断

「なっ……」

「聖王……!?」

 

 トラースとホルスはほぼ同時に絶句寸前の言葉を吐き出す。

 甲冑騎士たちも同様で、明確な反応を示さなかったのはガトーと、聖王がいまいち何かわかっていないアテナだけであった。

 

「こ、殺せ!」

 

 焦りつつも指を向けて攻撃を指示する。

 聖王レウスが纏う英雄的……或いは蛮族的な行い、つまりは戦場での勲功の数々はアカネイアにいればいくらでも入ってくる。

 ここで彼と戦うことを選べば再び彼の戦歴に勝利を与えるだけではないか、

 トラースはそれを考えるも、戦う以外の選択肢を残されていないと考える。

 

「待たれい、トラース殿」

 

 ガトーの一声に何故止める、という表情を向けるトラース。

 助け舟であるとは思うが、理由一つなく命令を止めることができる状況と相手でもない。

 

「我らの目的はあくまで二つの勢力に対する威力偵察、聖王の首が目的ではありますまい

 それに──」

 

 ずし、ずしと足音に怒りを滲ませながら青髪の男──クリスが近づいてくる。

 トロンの一撃を不意に受け、致命傷かその手前まで電光に焼かれたはずの男がその傷をすっかりと治癒した状態で再登場した。

 

「エッツェル……なんのつもりだ」

 

 クリスが感情の制御の問題か、紫色の焔を体の周りに浮かべながらゆっくりと歩み寄ってくる。

 

「私のトロンを受けて立ち上がってくるようなものと戦うのは損というものであろう」

「うむ、そ、そうだな

 聞いたな!全軍退け!」

 

 相手の実力を図るのも将軍の仕事のうち、つまりはクリスの戦力を思えば思考時間は一瞬で済む。

 肉体の作りも、背負った大剣も、何よりどのような理由で現れたかはわからない体から迸る紫色の炎も、

 そのどれもがクリスを恐るべき敵であると認識できる、それ以外に認識などできようはずもない。

 

 トラースはすぐさまその命令を下し、しかし自分は弓を構えて殿を務める姿勢を取る。

 

「将軍!?」

 

 だが、そう分析した相手にトラースは戦闘の意思を見せた。

 

「は、早くお逃げください!」

 

 逃げ始めた甲冑騎士がその様子に思わず殿を努めようとする上司に声を掛ける。

 

「よいのだ、あとのことはエッツェル殿がやってくださる」

「我らの上司はトラース殿だけです!」

 

 トラースという男は典型的なアカネイア貴族ではある。

 爵位から見てもそれほど大きな顔ができるものでもなく、現状のような威力偵察の部隊の指揮者にあてがわれたりする程度の命の軽さである。

 『典型的なアカネイア貴族』であるがゆえに身内贔屓の具合もまた同様であり、彼にとっての身内贔屓の判定は自身の配下を範囲にいれている。

 

 それ故に現場担当の騎士たちからも評判は悪くない。

 だからこそ彼が殿になって止めるものがいるのだ。

 

 ホルスはその様子を見聞きし、自分や自分に共鳴した貴族たちの顔を思い出す。

 誰しもが明確な悪というわけでもない。

 彼もまた自分と同じで血統と爵位と、祖国に踊らされている被害者であり、それを傘に来ている加害者でしかない。

 

「トラース将軍、そちらが手を出さぬなら我らも手を出さぬ

 だが、新ワーレン自治区には手を出さないでいただこう」

 

 敵将の言葉にトラースは

「ぐっ、ぐぬ……」

 と呻く。

 それを頷くということはボアの命令が達成できないことを示す。

 

「もう一つの狙いへと進み、そこが首尾よく行けばここでの後退は帳消しにできましょう!」

 

 騎士の言葉にトラースも折れる。

 

「わかった、我らはこの進軍で新ワーレン自治区には手を出さぬ」

 

 次の戦いではわからぬ、と条件を加える。

 ホルスからしてみれば二度目の侵攻の前に新ワーレン自治区などなくなっているだろうと思っているからこそ、

「それで構わない」

 と返答する。

 

 納得した彼らはぞろぞろと後ろ向きに去っていく。

 背を向けるほどこちらを信用していないのだろうし、それは当然のことだろうと思うのはレウスだけではない。

 

「どういうことか説明しろ!」

 

 去っていくエッツェルの背に吠えるクリス。

 エッツェル──ガトーは足を止め、たった一言。

 

「……最早、私は貴様の知るところではない」

 

 そのように告げた。

 

「知るところって……おい、待て!待ちやがれ!」

 

 言葉を多くは語らずに去っていく。

 ガトーからしてみれば、エッツェルであってエッツェルではないこの正体を明かされるわけにはいかなかった。

 

 今の自分の状態がクリスに明かされてしまえば戦いになり、そうなれば次の体を得る前に殺されかねないからだ。

 クリスが戦う意思を見せればそれに同調するものも少なからずいるだろう。

 だからこそ、今はそれらしいことを言って足を止めて堂々と去っていくことを選んだ

 

 ワープさえ自在に使えたなら、こんな小芝居を打たなくてもよいというものを……。

 ガトーはそれを心のなかで毒吐きながら、撤退する。

 クリスもそれを追いかければ折角去った甲冑騎士たちが再び武器を構えての殲滅戦に遷移することは確実であり、

 それこそが部隊全体の迷惑になると考えてその背を追うことはできなかった。

 

「どうしちまったってんだよ、エッツェル……」

 

 その背に、クリスは小さく弱々しい声を漏らしていた。

 



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唄でしか知らない

「ふん、逃げやがった」

「聖王陛下と名乗りあげましたが、その豪胆さからして本物なのでしょうな」

 

 仮面の男、ホラティウスが恭しく礼を取りながら言う。

 

「好き好んで名乗るにしちゃ敵が多い名だからな

 で、アンタは?」

 

 レウスからすれば仮面の男だからといっても何か思うところはない。

 彼の本来の居場所にある娯楽からすると仮面を隠す意味は本性を隠すよりも、

 仮面の下は美形、程度の認識だからだ。

 

 故に、

(立場的にモテすぎると困る人なんだろうか)

 としか思っていない。

 

 素顔がとんでもない出自であろうと特に興味を向けないのは狭間の地で散々王族やら半神やらと殴り合ってきたからこそかもしれない。

 

「名乗り遅れました

 新ワーレン自治区を治めるホラティウスと申します。」

 

 ホラティウスからすると、そんなことは知る由もない。

 自分がアカネイア貴族、さる地方の領主も務めた人間であると察知されていないか不安で仕方がなかった。

 ホルスの予定で言えば、レウスと遭遇するのはもっと後、おそらくは戦場であり、そこで彼に討たれるなりをして戦況をアリティア有利にして死ぬのだろうとばかり考えていたからだ。

 

 故に、

(お立場というものがあろうというのに、語られる英雄譚に偽りなく、

 本当に神出鬼没な方なのだな……

 であれば、物語の主役のように私の正体にも気がついている可能性が低いとは言えないか……)

 

 しかし、レウスは情報は多くは手に入れていない。

 だからこそ、彼は予測を重ねたとしても、

 『正体を隠すような格好をしている以上はそれなりの貴人ということなのだろう』と合点する程度で収まってしまうので、

 ホルスの危惧は結構な勢いで的を外している。

 

「ワーレンね」

「剣呑な気配をお出しになられますな

 そうは名乗っておりますが私はワーレンとは関係のない身

 その辺りの事情を話したくはあるのですが」

 

 ホラティウスの様子から、

「他の人間には知られたくない、って感じか」

 そう察して、レウスが言う。

 彼もそれに頷くとあっさりと「わかった」とだけ返す。

 

「どこかで話せと言われるかと思いましたが」

「気になるっちゃなるが、それよりもこのあたりの状況を教えて欲しい

 それとあの青髪のことも」

「承知しました、まずはクリスをご紹介しましょう」

 

 ───────────────────────

 

 正直、さっさと逃げるべきだっていうのはわかっていた。

 チェイニーが何度となく、表舞台には立たないために

「俺たちは可能な限り聖王と距離を取る

 もちろん、平和を作ってもらうために裏から手伝いはするけどな

 接触は避けたい」

 という旨のことを言っていた。

 

「なんでだ?」と聞けば、

「きっと聖王殿と話したら手伝いたくなるからさ」などと。

 

 正直、そんなあっさりとなびくものかね、と思っていた。

 確かに英雄的な男ではあったし、そういう面での魅力は感じる。

 特効薬をあっさりと投げ渡したり、敵味方関係なく襲いかかりもしない。

 話を聞いていりゃもっと蛮族蛮族している話の通じない好色王だって印象しかなかったが。

 

 そんな男に裏から協力をしていたのはこの大陸で誰より平和に近い男だったからでしかない。

 が、会えばわかる。

 この男は運だけでその距離を縮めたわけじゃない。

 むしろ、強引とも言える手段を取って、単騎で戦って、常に自分の命を掛け金にして戦場という賭場で勝ち抜いてきた男だ。

 

「あー、どうも

 はじめまして、騎士マクリルが孫、セラの村出身のクリスだ」

「おー……」

 

 じろじろと見てくる。

 アレだけ妻を抱えておいて衆道を好んでいるとも思えない。だとしたらもっと怖気の感じる目だろう。

 どちらかというと、聖王の目は有名人を見るそれだった。

 何故その目を向けられるかは理解できていない。

 

「あのー……えーと、俺に何か」

「ん、あー

 すまんすまん……いや、もっと想像では……いやいや、言っても仕方ねえな」

 

 などと切れ味の無い言葉を繰り返してから、

 

「冒険してきたんだろう、それも驚くようなことばかりの」

 

 再び、返し方の難しいことを言ってくるが、こちらの言葉を待つこともなく、

 

「見りゃわかる

 影の英雄って感じだ、それはうん、正しくな評価だな」

「俺を知ってるのか?」

「ああ、知ってる」

 

 吟遊詩人で影の英雄などと謳われる、俺の風聞を練り上げた英雄が唄の中だけで存在しているのは知っている。

 概ね各地でチェイニーが酒場で酔っ払って話していた事実が取り上げられた形なのを知っている。

 

「驚くような冒険を続けてきたのはアンタだろう、聖王」

「そりゃあ、そうかもな」

 

 やっぱり、この男は俺を知っている。

 俺はこの男を知らないが、何故か爺ちゃんが言っていたマルス様を主君にせよ、という言葉を思い出していた。

 似ても似つかぬこの男を前にして、何故それを思い出したのかまではわからない。

 

 影の英雄と言われれば自分と同じ髪の色を持った人物が世直しをしているなんて吟遊詩人が唄っていたのを思い出した。

 もしかして、その人物と自分を勘違いしているのではないだろうか?

 



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スローライフ

「ふぇぇっ……くしょ!……うーい……」

 

 青い空の下、女性のくしゃみが高らかに響く。

 

「もう、クリス

 おじさんみたいなくしゃみしないでください」

「ごめんごめん、なんか噂話かな?

 妙な感覚がね」

「吟遊詩人さんがまたクリスのことを唄っているのかもしれませんね」

「そりゃ私じゃなくって、もうひとりの影の英雄クンのでしょ

 最近の私たちは派手なことしてないしさ」

 

 二人は与えられた家の掃除をしつつ、ある人の帰りを待っていた。

 

 クリスは自警団の指南役を、

 カタリナは街で子どもたちに勉強を教えている。

 正直、蓄え自体はそれなり以上にあるので働かなくともよかったのだが、

 二人とも何もしないでいるということができない性分であった。

 

「それよりも、良いんですか?」

「良いって、──ああ、戦争のこと?」

「はい、随分と混沌としているみたいですよ」

「うーん、混沌としているのはアカネイア大陸じゃいつもどおりくらいの意味じゃあない?」

「それは……そうかもですけど」

 

 二人の会話を断ち切るように扉がノックされる。

 

「おっと、帰ってきたかな」

「はい、いま出ます!」

 

 カタリナが小走りに扉まで歩き、開く。

 そこには金色の髪を伸ばした、人によっては怖そうとも取られる鋭い目付きをした少女が立っていた。

 手には鳥が数羽。

 もう片手には弓。

 街でも腕っこきの猟師として知られている彼女は──

 

「おかえりなさい、クライネ」

「ただいま、アイネ、クリス姉」

「おっかえり!成果は……ばっちりみたいだね」

 

 クライネはアイネの義妹である。

 聖娼エレミヤの元で生活していた孤児であり、焼き討ちにあったときに命からがら逃げ出すことができた数少ない生き残りであった。

 カタリナという名前は旅の途上で付けた偽名であったが、

 今ではアイネと呼ぶものは少なく、それ故に彼女にとってはカタリナという名前もまた本当の名前と同じ程に愛おしいものだった。

 

 彼女と再開できたのは運がよかった、というわけではない。

 クリスがカタリナにも内緒で探し回っていたのだ。

 ときにはアンナの商会に手伝いを求め、ときにはこの土地の代官の頼みを聞いた恩を使って。

 

 神の視座によってか、クライネがこの世界でも生きていたことを知っていたクリスは、元いた世界で彼女を救えなかったことを心残りに思っていた。

 クライネが戦場で窮地に陥っていたのを救ったことからクライネはクリスを信頼するに値する人間だと考え、

 やがて義姉であるアイネ──つまりカタリナと再会してもう一人の姉としてクリスを心から慕うようになっていた。

 

 クライネは街で害獣の駆除や狩猟、ときには敗残兵の処理まで手広くしている。

 今日は三人が揃って生活をはじめてから半年経った記念日であり、

 各々がその準備に走っていた。

 

 カタリナは元々、正義感が強く、街の平和を完全なものにするには大陸の平和が必要だと強く考えていた。

 クリスとの旅でそれを痛感し、しかし、戦いの日々にも疲れてしまったからこそ街に定住を決めたのだが、

 やはり東西決戦などという大きな名を出されてしまえば浮足立ってしまうもの。

 

 クライネは孤児院がなくなってからは長らく傭兵として過ごしており、

 何度か傭兵組織を渡り歩き、最後には良い居場所だと思っていたダイス傭兵団の壊滅以後は独り身の傭兵であることを貫いていた。

 

 傭兵をする上で、他の一流の傭兵と同様に彼女も流儀を定めている。

 それは人のためになると自分が判断できたら、というものであった。

 心のそこから正しいことを為せと言われているようで、それに彼女は従っていた。

 

 クリスからすれば二人とも十分に戦ったのだから平和に過ごして欲しいとは思っていた。

 だが、それを押し付けるわけにもいかない。

 だからこそ、彼女は記念日のプレゼント代わりに提案をするつもりだった。

 

 ───────────────────────

 

 記念日にクライネは油の乗った鳥を、

 カタリナは丹精込めた手料理を、

 そうして記念日は過ぎていき、食後のデザートに手を付け始めた頃にクリスが言葉を紡ぐ。

 

「ねえ、二人ともさ」

「なんですか、クリス」

「なに、クリス姉」

「エレミヤさんが生きてたら、会いたい?」

 

 がた、と二人同時に椅子から尻を浮かせて半ば立ち上がる。

 

「生きているのですか!?」

「院長が!?」

「予想以上の反応ありがと

 ただ、会えば東西の戦いに巻き込まれて、その後もっともっとヤバい案件に首を突っ込むことになる」

 

 そう言われると、二人は黙る。

 クリスは戦いをしたくない。

 そして、何より自分たちを戦いから可能な限り遠ざけたい。

 彼女なりの優しさをよく理解していたからだ。

 

 だが、それでも二人にとってはエレミヤは大切な親のような人。

 クリスもそれを理解しているからこそ、

 

「だから、私からの記念日に出すものはエレミヤさんと会うことと、どんなことがあっても二人を守り抜くこと

 ……ってのは、どうかな?」

 

 こうして、平和に過ごすはずのもう一人の影の英雄もまた、影から影を渡るようにして火中へと進むことになるのであった。

 



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笑わないからさ

「新ワーレンを使ってドンパチするってのか」

「ええ、一身上の都合でアカネイアに勢いづいてもらっては困るのです

 無論、オレルアンにも」

 

 ホラティウスの言葉に対しては肯定も否定もない。

 二人の会話から離れた場所でクリスとアテナが次の行動のための準備を他のものとしている。

 もちろん、レウスとの会話を聞かれたくないからであり、クリスたちもそれを承知していた。

 

「お前の目的は?」

「何もない、と言えば逆鱗に触れますかな」

「いいや

 だが、そこまでの大事業をして欲の一つもないとは思えないだけだ」

 

 下手に隠すような言い方をすれば信を得られないのは当然。

 だが、ホルスは困っていた。

 彼からすれば個人の大望などはない。

 

「正直に話してみろよ、笑わないからさ」

 

 まるで十年来の親友が恋話を聞き出すくらいの軽さでレウスは言う。

 貴族社会ではあるまじき態度の軽さに、ホルスは仮面の下で小さく微笑む。

 

「笑っても構いませんよ

 ──私はもともとアカネイア貴族の出なのですが、

 その出自のせいでくだらない権力闘争や一丸となれない私欲まみれの関係、有用な戦力の無駄遣いを目の当たりにする機会が多くありまして」

 

 やれやれと言った風な口調。

 四角四面の貴族ではあるが、状況に合わせて喋る程度のコミュニケーション能力は持ち合わせている。

 その辺りの感覚は新ワーレンでの日々でより深く培われているのもある。

 

「陛下、アカネイアが一丸となっていればアリティアはどうだったでしょうか」

「もちろんオレが勝つ

 ……が、そんなことじゃないだろうな、聞きたいのは」

 

 少し状況を整理するように黙るレウス。

 サムソンに討ち取られたアストリア、アリティアに降ったジョルジュだけではない。

 その方針についていけなくなったトムス、ミシェラン、トーマス。

 

 それらのみならず、五大侯たちが歩み寄っていれば蓄えていた資産に領地運営の力で強力な兵站を作り上げていたとしたら。

 

 大義を語り、モスティンを味方に引き入れていたなら。

 連合としてハーディンの下で統率されていたなら、今頃はパレスを含むアカネイア地方は彼らの手にあった。

 

「……まあ、ここまでアリティアは巨大な力を手に入れてはいなかったかもしれんな」

「ええ、ただ……──」

「そうはならなかった」

 

 言葉もなく、ただ首肯するホルス。

 

「私に流れる血が、私が教育されていた絶対なる国家アカネイアが、そんなものだったと思うと……

 憎くて仕方がないのですよ、この無念さを晴らすためには……」

 

 手を一度強く握り、続ける。

 

「アカネイアには滅びてもらわねばなりません

 こんなくだらない戦いが長引けば、私が見ていた民たちだけでなく、アカネイアとオレルアンの人々の全てが不幸になる

 世界を呪いたくなる前に自分の手で瓦解を早めようとしているのです」

 

 それを聞くとレウスは「ふん」と吐息を漏らす。

 

「そりゃあないわけだな、『その後のこと』なんざ」

「ええ、申し訳ありません」

「申し訳ないことねえよ、おもしれー話だった

 愛の深い奴ってのはおっかねえってのも再確認できたよ」

 

 身の回りには愛の重い者ばかりだ。

 ──もちろん、自分も然り。

 

「気に入ったよ、ホラティウス

 気に入ったついでだから、何か望みを叶えてやる

 オレ個人で叶えられるものならな」

 

 王としての権力を使わない、レウスの腕力だけを限定している言い方である。

 ホルスはそれを理解していた。

 

「では、ここから北西に進んだ辺りに南オレルアンの街があるのですが、

 そこに新ワーレンから向かわせた部隊が防衛に入っています

 おそらくオレルアンの部隊と交戦しているはずです」

「そいつらを助けるのか?」

「似ておりますが、望むことはそちらではなく、街を守ってほしいのです」

「なんでかってのも興味があるが、守るって言葉が出てきちゃあ時間がないようにも思っちまうな」

 

 わかった、とレウスは続ける。

 

「それじゃあ、オレはそっちに行く

 ホラティウスはがっちりと城を守っとけよ

 あの甲冑騎士が持ってたのは『神様気取り』が作ったパチモノ神器だ

 パチモノだが強さだけはいっちょ前だから、その辺り意識しといてくれ」

「ご忠告に感謝を」

 

「それじゃあ、行ってくる

 簡単に死ぬなよ、ホラティウス

 折角気に入った人間に出会えたんだ、今度は座れる場所で話を聞かせてくれ」

「ええ、喜んで」

 

 レウスは霊馬を呼び、跨る。

 走り出す前にクリスの元に寄った。

 

「よう、影の英雄」

「それさ、やっぱ俺じゃねえと思うぜ」

 

 吟遊詩人が唄っていたことは自分に覚えのないものが多い。

 中には自分であるというものもあったが、青い髪の毛が取り立てて珍しいものでもなく、

 戦乱には小さな英雄譚とは多く転がっているものでもあるからだ。

 だからこそ、クリスは否定をする。

 

「いいや、お前だよ、間違いない」

 

 レウスからすれば影の英雄と呼ぶのはそこではない。

 しかし、それを説明することは難しいからこそ、それ以上は言えないし、特に言うつもりもなかった。

 

「王様がそれでいいってなら、別にいいけどよ

 で、大将との話は終わったのか?」

「ああ、頼まれ事をしたからな

 で、今度はオレがお前に頼み事をしたい」

「げえ、なんで被雇用者が雇用主の恩を返さなきゃいけねえんだよ

 ……聞くけどさ、一応」

 

 頼み事に弱い男、クリス。

 彼の頼み事を聞いておいて損のない相手であるという打算も大いにある。

 

「城の守りを万全に頼みたい

 オレルアンが東西決戦だって掲げられている戦争だってのに、アリティアとコトを構えようとしないってことは、

 足元を固める方向に舵を切ったってのがわかった

 そんで、ハーディンも状況的にヌルい判断はしないだろう」

 

 攻めるのであればレウスが西に行っている状況で、

 レウスが東の戦場から離れたことを知らずともアリティア側が徹底的な防戦の姿勢を取り始めた頃にしているべきだからだ。

 

「狼騎士団が来るか?」

 

 オレルアン最強の戦力、狼騎士団。

 まさしく虎の子である兵団を使う可能性はまったくの無ではない。

 が、レウスは狼騎士団よりも来る可能性が大きいものを知っていた。

 

「……オレだったら、自分で行くがね」

「ハーディンもそうすると?」

「一度話したことがあってな、そっからの所感だと、アイツも同じ判断をする奴だ

 昔は知らんが、今のやつなら自分でケリを付けに来る」

 

 あの月下で見た赤い瞳のハーディン。

 見てくれこそ知りうる暗黒皇帝そのもののではあったが、やけっぱちの正面暴力&蹂躙装甲歩兵ではない。

 

 元々備えていた理性と理知はそのままに、自らの武力こそが精髄であると理解した立ち姿だった。

 

「肝に銘じておく

 ……が、俺も傭兵の端くれだ

 タダで受けるわけにゃいかない」

「金はあんまり手持ちがないぞ、お小遣い制なんだ」

「マジかよ……誰に財布握られてんだ……ってのは置いといて」

 

 お財布を握っているのはシーダである。

 大きい買い物の場合はエルレーンかガーネフの判子が必要でもある。

 欲しいものは買っておけ、後悔するのはその後だ、でも借金はするな。

 ……というのが家族の信条であり、王となったレウスに買えないものなどなく、

 そうなれば止めどなく買い物をしかねない。

 だからこそレウス自身がシーダやエルレーン、ガーネフにお小遣い制のことを切り出していた。

 

 が、それは今の状況とはまるで関係がない。

 

「どうしても止めたい敵が居る」

「誰だ?」

「俺の……爺ちゃんだ

 バケモンに変えられちまったけどな」

「わかった

 新ワーレンが落ち着いたらアリティアに来るか、このあたりの一件が片付いたらオレが顔を出すからそのときに詳しいことを詰めようぜ」

 

 約束を取りまとめた二人はそれぞれ違う方向へと進み始める。

 



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ラングランド・ラン

 面倒な状況になった。

 

 エッツェルことガトーは内心で愚痴を吐いていた。

 クリスだけでも面倒だというのに、レウスまでが現れた。

 確かにエッツェルの肉体は高度な魔道書を扱えるだけの能力を有しており、

 魔力も人間にしては高水準である。

 

 だが、守り人としての極地に至り、更には不可解な強さまで持っているクリス。

 不倶戴天の敵であるからこそ、その力を侮ることもなく見ているレウス。

 この二人と比べればエッツェルの能力はまるで物足りなかった。

 

 新ワーレン落としのためにとボアからトロンを下賜されはした。

 そしてそのトロンがクリスに大きな痛手も与えた。

 だが、その程度だ。

 

 現にクリスは死なず、それどころか復活した。

 特効薬の下りを目視できなかったから、クリスの怪我はライブの杖程度の力で復帰したようにしか見えなかったのだ。

 

 擬剣ファルシオンを持たせた甲冑騎士を膾切(なますぎ)りにした少女剣士も聞き捨てならないことを言っていた。

 ガトーは予知のなかでアテナに会うことがなかったからこそ、彼女が元から配役されていたものとは知らず、

 ユグドラル大陸から流れてきた漂流物である彼女の到来もレウスが呼び込んだ不和の一つであろうとして苛立ちもしている。

 

 しかし、今はそれが主題ではない。

 

 あの場で戦わせれば相手にも多少なりとも損害は出せただろう。

 だが、クリスやレウスは倒しきれない。

 その上で擬剣の数が損なわれるのは避けたかった。

 斬り殺されたものの擬剣ファルシオンは回収できたものの、あれを十全に扱える性能を持つ騎士は無限にいるわけでもない。

 

 だからこそ、理由をつけて軍を転身させた。

 道中でトラースにはやはり一度帰還するべきではないかと進言もしたが、聞き入れられることもなく。

 

 状況は面倒な方向に進んでいた。

 事前の情報によれば南オレルアンの首魁はマリーシアだと言う。

 エッツェルの肉体が持つ魔力では彼女に勝てる要素がない。

 

 しかしこの状況で逃げるわけにもいかない。

 ここで逃げれば取り巻く状況はより悪い方向へと向かうことがわかっているからだ。

 

 南オレルアンで軽く戦わせ、すぐさま撤退を進言しよう。

 それで聞き入れられない場合はトラースには『不慮の事故』で死んでもらうしかない。

 これ以上アカネイア側の戦力を削りたくはないからこそ、それは本当に最後の手段になる。

 

 厄介だ厄介だと思いながらも、ゆっくりとした行軍を続け、ようやく南オレルアンの街が見えてきた。

 

 ───────────────────────

 

「同じような風景が続きすぎて迷っちまった……が、」

 

 ホラティウスと話し合い、クリスとも会話を交えたというのに、

 到着に大いなる時間差が生じなかったのはトレントの速度はやはり尋常ならず、

 一方のエッツェルたちはそもそもが甲冑騎士という行軍速度が亀のように遅いことに起因していた。

 

 エッツェル=ガトーが擬剣ファルシオンを使うものを損耗させたくないという理由から甲冑を纏わせたものの、

 ボアから与えられた依頼は奇襲であり、そもそもがその時点でミスマッチな組み合わせであった。

 

 不幸なことに、その不適格さをボアとガトーに進言し、止められるものは宮中には一人としていなかった。

 

 戦術的に考えればミディアがこれを「不適格な編成」だと言える立場にはあるものの、

 彼女もまた騎士として甲冑をまとって戦うことに対して特に深く考えることもなかったため、指摘することすらなかった。

 そもそも、ミディアであればまるで平服を来ているかのように甲冑を纏って走り回れるからこそ意識が向かなかった説もある。

 

 或いは、ホルスであればそれを言えたであろうが、彼は自身のアカネイアの椅子と新ワーレン自治区とを飛竜を使って行き来するハードな日々であり、

 ボアの信任をそれほど得ておらず、不在がちだからこそ、作戦立案の席に呼ばれることもなかった。

 

 さておき、レウスは街を見渡すようにして呟く。

 

「あー……変わってねえなあ、とは言えないよな」

 

 円卓で見せられた滅び。

 そこには殆どが死に飲み込まれたはずであったが、街が存在しており、

 ケイリッドよろしく廃墟になっているわけでもない。

 街の幾つかの区画は戦いの影響を感じさせる崩落の仕方をしているが、それを差し引いても『無事』と言える程度の平穏ではありそうだった。

 

 が、それは油断というものであり、ゴタゴタというものは常にレウスにつきまとうものである。

 



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アドラの王冠

 ホルスに見限られ、ミディアには期待されなくなった男。

 ボアはその部分だけを切り取れば無能のレッテルを貼られるにふさわしい男ではあるが、

 仮にそれを知るところになったとしても彼は気に留めることはないだろう。

 

 力こそが全てであるアカネイア大陸において、戦う力を大きく持たないボアは正しく文弱の徒とそしられるような人間。

 

 しかし、彼は元より、戦う力以外を期待され、その立場をミロアから与えられていた。

 ナーガ教団とアカネイアの政治を司る立場であり、その強権はアカネイア王国健在の頃から傾く以降まで五大侯に乗っ取られることを回避し続けたことから手腕は疑うべくもない。

 

 オレルアンとの決別を言い放ったのは、目的としていた状況が揃ったからでもある。

 それはレフカンディ、アドリア、サムスーフという領土を得て、

 民を持ち、数を増やし、土地を豊かにする計画の成果が見え始めたからだ。

 

「五大侯と手を組むと仰ったときには何事かと思いました」

 

 副官の一人が言うとボアは小馬鹿にするように笑い、

 

「連中を使ってやったのだ、わからなかったのか?

 このボアがあのような汚れた連中と本当に手を組むはずもない」

 

 五大侯から民たちを差配する権利を借り受けて、農業や商業の発展に力をいれる。

 決戦の後にラングを裏切ったのはそうして肥え太らせた土地を奪うためでもあった。

 そしてその計画は成功し、五大侯が抱えていた広大な土地と繁栄を根こそぎ奪うことができた。

 ガルダの港を手中に治めることで海産物を主軸とした食料の調達力も大いに上向いた。

 

 水と飯を与えることで喜んで軍門に降るものは戦乱の時代であれば特に珍しいことでもない。

 特に旗印を失っている五大侯の下部組織や構成員たちはかつての主を裏切ったボアを憎々しく思いつつも、生きるためにも配下となることを選んだものは多い。

 

 表向きはアカネイア王国時代からの兵士たちで最前線の防衛や牽制などを行っているものの、

 アカネイア大帝国としての軍備は着々と発展し、整っている。

 

「兵士の種、その数は十分に……しかし、問題はやはり将校ですな」

「ホルス殿とミディア殿だけではなあ」

 

 副官や他の文官たちが苦い顔をする。

 アカネイア側が連合の頃から常に抱えている問題、それが将校の問題であった。

 

 オレルアンは輝かしい名前を持つような武人は少ないものの、軍全体の水準の高さからその問題は解決している。

 

 一方のアカネイアは統率こそ取れた兵士の育成は得意ではあるが、将校はいずれも血統によって選ばれた者たちであり、戦争以前では優れた教育によって軍が維持できる程度の将校を生み出すことができたが、

 王国崩壊以降はそうもいかず、段々と将校の数は減り、しかし補充はできず。

 

「問題はない」

 

 ボアは一言。

 彼は軍師の天才でもなく、武芸の天才でもない。

 若くはなく、肉体も自在に動かせるほどに鍛えたこともない。

 だが、長年をかけて磨いてきたものがある。

 それは他人を動かす力だ。

 

 自分ができないのなら、できるものを用意すればよい。

 

「わしは少し席を外す

 動員準備の整ったものはもうこちらに回してしまってもよい

 手配しておけ」

 

 ボアの言葉はつまりは、帝国内に存在する人間の強制的な召集令を発動せよということである。

 準備が整ったものというのは招集される側のものなどではない。

 帝国側にとっての準備にすぎないのだ。

 

 ───────────────────────

 

 勲章。

 アカネイア大陸の人間であれば持ち得る潜在能力を解放する、魔力ある品。

 選ばれしものを覚醒させる魔道具がいつしか勲章という形に置き換わったものであり、

 文明が発展していく中で魔道具であるから高価であることから、勲章であるからこそ高価であり、評価されたからこそ目立った活躍も人に伝わりやすくなったという情報の錯綜と逆転が起こった品である。

 

 一度受勲させてしまうと力は失われ、長い時間を掛けてか、或いは与えられたものが死ぬことで力は戻る。

 後者の場合でも数年は掛かるとも噂されており、実際に死んだ人間から勲章を剥いでも意味がないからこそアカネイアでの戦死者の死体は荒らされず、

 貴族に返したほうが褒美を与えられるからこそ『得である』からこそ勲章は常に国家や貴族たちの手元に戻ってきていた。

 

 三百余の勲章は五大侯とアカネイアが保持していた殆ど全ての遺品であり、それは既にホルスの手によってアリティアへと売り渡されてしまっている。

 

 遺品ではなく、だからこそホルスの手に渡っていない、正当な形で残っているものも幾つかは存在している。

 自分が死んでしまったなら、アカネイアを任せると言って渡されたもの。

 

「そうだとも、わしはミロアより頼まれたからこそアカネイアを守らねばならぬのだ

 アカネイア王国という古き形を捨て、完全な形の国にして、次こそは不敗にして不壊の伝説を作り出すために」

 

 誰もいない自室でボアはひとりごちて、

 ミロアより言葉と共に渡されていた勲章──この場合は王冠であるが──を撫でた。

 一代でアカネイア王国を作り上げたアドラ一世は盗賊であったという。

 

 その真実を知るものは国内で知るものはボアだけであり、彼自身は国内ではなく大陸全てを見て知るものは自分かガトーくらいのものだとも思っているのだが。

 ともかく、盗賊如きが王になれたのは彼がその才能に満ちあふれていたからではない。

 

 この王冠こそが、その力の根源である。

 

「おい、誰かおるか」

「扉の外にて控えております」

「各地の動員が終わり、エッツェル殿が戻ってきてから例の式典を行うと各所に伝えておけ」

 

 ミロアが伝えたかったのはこの王冠に相応しい人間を育てるか、探すかということであった。

 ニーナがあれほどの変貌を遂げるとは思っておらず、当時のニーナは王の才を欠片ほども持たない子女でしかなかった。

 だからこそ、ミロアは『勲章たる王冠を受けるに相応しいものを別に探すのだ』と命じたはずであった。

 

 流石のミロアとて、自らが王になるのは最終手段でしかないと思っていたし、アカネイア王国では自分以外にそれを行える才能を持つものがいるとも思ってはいなかった。

 

 だが、ボアはそうは取らなかった。



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サジマジバーツ

 ラングランドをしげしげと見ているレウスに唐突に、雪崩のような大音声が叩きつけられた。

 

「な、なあ!?」

「なんであんたがここに!?」

「レウス聖王!!」

 

 木こり三人衆──つまりはサジ、マジ、バーツは耳が張り裂けん勢いの大声で捲し立ててくる。

 

 オグマの一件はあるが、それでも恨み節もないのは彼らなりに乗り越えたものがあったのだろう。

 それはレウスが流した吟遊詩人たちの、彼らが奏でる唄によってなのかもしれない。

 

「うおあー、うるせえうるせえ

 声を絞ってくれ」

 

 後頭部を殴られたような衝撃だった。

 オグマは彼らの声でよく耳が無事だったものだ、とレウスは思う。

 

「……お前らこそなんでここにいるんだよ」

 

 レウスの一言に、

 

「オレたちゃラングランドの住人だからさ」

「来たのは久しぶりだがな、なにせ木こり仕事が忙しすぎてよ」

「で、なんだか街が荒れてそうなんだが、聖王の仕業……じゃあないんだよな?」

 

 音量こそマシになったものの、まくし立てるように三人が口にする。

 勿論、一気に喋ったり、がなり立てたりするわけではないのだが、体格のいい男性三名がそれぞれの言葉尻に繋げるように喋るのは迫力がありすぎた。

 

「要約すると何も知らん、ってことだな

 オレも知らんぞ

 人に頼まれてここに来ただけだ」

「人に?」

「新ワーレン自治区のホラティウスってやつにさ」

 

 三人の木こりは顔を見合わせて、

 

「今この街は襲撃が繰り返されてんだ、それになんだか様子もおかしくてよ」

「様子?街のか?」

「住民のさ」

 

 ほら、と木こりの一人が示した方向には村人らしき姿がある。

 しかし、その様子は機械的に周りを見渡しては引き返すものであり、自我らしき自我が見当たるようなものではなかった。

 

 レウスはその姿に見覚えがある。

 隷属者だ。

 ただ、精度が低いのか、それとも何か理由があるのか、随分と単調な動きのように見える。

 あんな様子では戦場で出ていたものたちのような戦いぶりは期待できないだろう。

 

 こちらを見たはずだが攻撃の意思を向けなかったあたりも不思議ではある。

 

「お前ら、最近は戻ってなかったって言ったが街の住人ではあるのか?」

「ああ、一応」

「家も用意したしな」

「税金代わりに丸太やら薪を作ってるのさ」

 

(隷属者の話を出すと話がややこしくなりそうだが……

 とはいえ、ここで手をこまねいていてもな)

 

「なあ、この街の責任者ってのは──」

 

 レウスが質問をしようとしたその時に巨石が四人の近くに落下してきた。

 思わずローリングによる回避を試みるレウス、

 斧を構え、それぞれが違う方向を見て死角を潰す木こりたち。

 四人がその巨石の出処に気が付くのは同時であり、同時になるほどの理由がそこにあった。

 

 ───────────────────────

 

 大きさは10m近くはあるだろう。

 三階建ての建物くらいの背丈はある。

 つまりは、この時代の城壁くらいの高さの建造物が、やや緩慢な動きであるものの、歩き回って巨石──いや、家屋を拳で壊し、それを掴んで投げてきたのだ。

 

「おいおい、顔面が真実の口ってなんだよ!?

 ……ゴーレムか!」

「何言ってんだ兄ちゃんよ!?

「ぼやいてっと死ぬぞ!」

「とりあえず離れるぜ!」

 

 レウスの腕を掴み、走り去ろうとする木こりたち。

 もみくちゃにされるというわけではないものの、

 むくつけき男性陣に腕を引かれるレウスという今までなかった状況の、

 その風景には手足の生えた真実の口が暴れているという光熱にうなされたときの悪夢じみた光景となっている。

 

 だが、混沌はこれに留まらない。

 

「この先にゴーレムがあるぞ!突撃せよ突撃せよ!」

「我らアカネイアが騎士なり!ファルシオンの力をとくと見よ!」

「正義よ!我らの敢闘ぶりをご照覧あれ!」

 

 遠くからそんな声が聞こえてくる。

 レウスと木こりを見ていたゴーレムは何かに気が付くと方向を変え、巨石投擲による遠距離戦ではなく、地面に対して攻撃を行う地上戦を開始した。

 

「に、逃げなくても良さそうだぜ!」

「いやいや、今だけだろう!逃げたほうがいいんじゃねえか!?」

「ひとまず森にでも隠れるか!」

 

 このまま腕ずくで引っ張られるのも移動ルートが勝手に決まって悪くはないかもしれない、とレウスは思う。

 しかし、それでは何も解決もしない。

 情報も得られない。

 サジか、マジか、バーツのいずれかが、或いは全員が美少女であればそのまま引っ張られていったかもしれないが、残念ながらそのようなことはない。

 

(無理に引っ張られるのを止めても感じが悪い

 下手に敵愾心みたいなものは産みたくないんだが)

 

 少しばかりの思考のあとに辿り着いたレウスの答えは──

 

「お前ら、そんなことでいいのか!?」

「ど、どうしたんだよ突然」

「オグマが目の前にいたら何を言われている!

 いや、いたとしたらお前たちは何をする!?」

「お、オグマ隊長がいたら……」

「そりゃあ……」

「……くそっ、そうだな」

 

 その言葉は効果てきめんであったようで、腕を離す。

 しかし、レウスの出したオグマの名は彼らにとって特効薬というよりも劇薬のたぐいだったりしたようで、

 

「……ありがとな、兄ちゃん」

「ああ……だな!」

「オレたちがやるべきことは一つ!」

 

 彼らは手斧をそれぞれが構えると、街へと突撃していった。

 

「俺たちは!」

「平和を!」

「守る!」

 

 行動の方向転換の激しさに置いてきぼりを食らうレウス。

 思わず、

「あれを纏めてたオグマってすごかったんだな……」

 そう呟いてしまうのであった。

 



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采配ミス

 ゴーレムが戦う相手は甲冑騎士たち。

 つまりはエッツェルが連れていた戦力であった。

 

(ゴーレムだと?

 しかも、相当な年代物を……魔力の質からマリーシアの残滓を感じるが……)

 

「エッツェル殿!

 ゴーレムと戦うので本当によろしかったのですかな!?」

 

 トラースの率直な質問。

 ガトーからすればゴーレムを打倒しなければラングランド壊滅は遠いことだろう。

 ただ、ゴーレム自身は街を破壊しており、目的は同一であるようにも見える。

 

 しかし、あれがマリーシアの手のものであるなら後々のことを考えれば破壊しておきたい。

 ガトーの誤算はあのゴーレムはマリーシアが起動はさせたものの、その所有権はオレルアンに移っている。

 

「……あのゴーレムを倒し、回収できるのであればボア殿の役に立つかもしれぬ」

 

 苦し紛れの言葉ではある。

 

「ほほう……なるほど、それは実に重要なことを聞けましたな」

 

 トラースもまたやる気を出したようで弓を構えゴーレムへと向かっていく。

 しかし、そこで思い出してしまう。

 元は撤退を進言しようとしていたことを。

 ゴーレムを前にすれば逃げる理由などいくらでもあるというのに、マリーシアの魔力に判断を鈍らせてしまったことをガトーは遅まきながらに気がついた。

 

 ───────────────────────

 

「ぐわ!」「誰だ!」

 

 甲冑騎士はゴーレム相手に首尾よく立ち回っている。

 それなり以上の腕前はある彼らであるからこそ、巨躯のゴーレム相手にも退かずに戦えていた。

 しかし、それを邪魔するように横合いから矢が降り注ぐ。

 

 建屋の上には狩猟用の弓矢やら、当たれば鎧越しであってもそれなりの痛手になりそうな石を掴む住人たちが見下ろしている。

 

「ラングランドの住人どもか!」

「殺せ!」

「殺せといっても、ゴーレムは──うわあ!」

 

 意識がよそを向いたのを見逃さず、ゴーレムが拳を振り回して甲冑騎士をなぎ倒す。

 

(マリーシアの傀儡か、このゴーレムどもは)

 

 ガトーが睨むが、ゴーレムは甲冑騎士を無力化できたと判断したのか、街へと向き直ると破壊を始める。

 

「我が部下をよくも!喰らえい!!」

 

 背を向けたゴーレムに矢を放つのはトラース。

 折角その対象が自分たちから別のものに向いたというのに愚かなことをとガトーは歯噛みするが、

 

「誰であろうと民草は我ら貴族が守るものぞ!

 貴様ら!立ち上がれえい!」

「おおー!」

 

 トラースの一喝に甲冑騎士たちが意気を見せる。

 

「市民がこちらに攻撃したのはいかがします」

「恐れておるのだろう、敵だと思ってな

 だが、我らが戦う姿を見せればすぐに理解するであろうさ!」

 

 甲冑騎士たちもまた貴族たちであり、トラースの市民を守ろうとする姿勢に同意する。

 

「我らアカネイアの貴族なり!市民を守る盾なり!市民を守る刃なり!」

 

 聖句を唱えるようにして貴族の矜持を一人が叫ぶと、同じ言葉を次々と発してゴーレムへと攻撃を始める。

 

(お、愚か者どもが!

 わしの采配は確かに失敗であるが、戦って勝てる相手かどうかなど見ればわかろうが!)

 

 ガトーはその様子に怒りと混乱を覚える。

 

(貴様ら貴族からしてみれば連中など虫けら同然であろうが、なぜそんなことを)

 

 今までガトーが見てきた貴族や特権階級の多くはボアやラングといったものたち。

 つまり、ガトーの知る貴族から市民への価値観というものは虫そのもの、生きて自分たちに奉仕するだけの存在であり、

 ましてそんなものに命をかけることなど考えもしないはずのこと。

 

(マルスのまねごとのつもりか?

 ──今更になってか)

 

 尊き意識を持つ貴族を持つものなどいない。

 いるとしたならマルス王子だけ。

 多くの時間を見下ろしてきた、或いは予知によって体験してきたガトーは闇のオーブに落ちるハーディンを含めて多くの特権階級を見下げていた。

 

 だからこそ、急にそのような正しき行い(ノブリスオブリージュ)を見せつけられ、混乱をする。

 平時のガトーであれば混乱こそはしなかったか。

 しかし、今のガトーは肉体をエッツェルとしているからこそ、それ故に人間的な情緒の影響を受けやすいのだろうか。

 ガトーには何が原因かはわからない。

 

(……ええい、やむをえぬ)

 

 トロンを取り出す。

 

(こうなればトラースたちを失うことはできぬ

 アリティアを滅ぼすためにもアカネイアには簡単に滅んでもらっては困るのだ)

 

 貴族騎士たちの必死の抵抗に感化されたわけではない。

 ガトーはそう心を再確認して、叫ぶ。

 

「雷鳴を響かせる、道を開けよ!

 ──トロンッッ!」

 



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貴族の戦い

 轟音が響き、ゴーレムの腹に大穴が開く。

 生物であれば即死であろうが、無生物たるゴーレムはそうではない。

 しかし、体のバランスを崩したせいか、大きくよろめき、倒れる。

 その衝撃で上半身と下半身が泣き別れになった。

 下半身はそれきり動かなくなったが、上半身はむくりと起き上がり、動けないながらも周りにいるものを攻撃し、自分だったパーツを掴むと投げつけてきた。

 

「止めを刺せ!」

 

 トラースの言葉に甲冑騎士が一斉に武器を叩きつける。

 顔面部分が完全に砕けた辺りで動きを止め、ただの石塊となった。

 しかし、未だに弓矢などは降り注いでくる。

 

「ぐおっ」

 

 矢の一つがトラースの肩口に吸い込まれるようにして当たる。

 

「将軍!」「よくも……!」

「我らが助けてやったというのに、恩知らずどもめ!」

 

 怒りを露わにした甲冑騎士たち。

 トラースは「よ、よいのだ!」と止めようとするも

 

(無駄だ、持たせている擬剣ファルシオンには潜在能力を引き出すために、人間が持ち得る多くのものを増幅させるようにしている

 光のオーブによる増幅効果は常人の理性で歯止めが利くものではない)

 

 ガトーは状況が悪しくなるとは思うも、止める手段がないことを理解しているため手を出さない。

 

 甲冑騎士たちが市民たちについに武器を振るい、しかし市民たちも悲鳴をあげるどころか言葉ではない怒声を上げて反抗する。

 

「こっちは片付い……な、なにやってんだてめえら!!」

 

 別方向から現れたのはならずものたち。

 マリーシアの『説得』によって滞在し、防衛に当たっていたものたちである。

 言葉少なではあるものの市民とは意思疎通ができるのと、ならずものたちは市民とバッティングしにくい場所での防衛を命じられていたために衝突や疑問は発生しなかった。

 この辺りもマリーシアの采配であり、それは成功しており、甲冑騎士たちが市民との衝突を発生させたことでより彼女にとって望ましい効果を生み出した。

 

 ここで多くの人材が倒れれば、それだけ手駒にできるものが増える可能性がある。

 

 ───────────────────────

 

「魔将の秘密はそこまで解析は進まなかったけど、別の視点は得れたのは良かったなあ

 いやあ、フィーナちゃん様々だねえ」

 

 死人復活の問題はエーギルの秘密に触れていない限りは不可能であり、

 マリーシアといえどもそれには答えを見出すことはできなかった。

 しかし、フィーナを見てアプローチを変えることに気が付くことができた。

 肉体に別の魂を入れればよい。

 但し、魂=エーギルを封じて動かすことはできない、

 しかし命令を実行する人形=隷属者を作るでは事足りない。

 

 そこで彼女が考えたのは既にある程度以上戦える人間の魂を模倣したものを入れ込むことであった。

 

 彼女はそれと知ることはないが、竜族が竜石に魂を封じたアプローチを人間の魂で行ったのである。

 

「吟遊詩人の命の代価は高く付いたねえ」

 

 あの日襲ってきたサムシアンの長。

 魂を分割させられ、補う形でマリーシアは自らの魔力を籠めて一つの、擬似的な魂を作り出していた。

 エーギルを介さない隷属者同等のものだが、マリーシアの意識が色濃く繁栄された『彼女の意思と同調する人形』となっている。

 戦闘技術に関してはサムシアンの長の武芸をトレースする形で半ば自動的に戦闘を行わせる。

 

「これを完全に同調して手足のように動かせれば最高だけど、多分私の思考が焼き切れちゃうだろうしなあ

 それだけが残念」

 

 量産するためにも必要なのは自身の魔力の回復と、戦闘経験豊富な人間の魂。

 

 マリーシアはエーギルの深奥を知らないが故に、自らが行っている他者の魂の分割そのものがエーギルそのものに触れているということを気がついていない。

 

 彼女がこのまま突き進めば、誰も為し得なかったエーギル活用技術が体系化される可能性もある。

 だが、それはきっとなり得ないだろう。

 彼女の目的はエーギルではなく、マルスとの再会である以上はその技術に彼女自身が価値を置いていないからだ。

 

「もしかして、以前の世界で見たメディウスにやってた復活の儀式みたいなのもこれだったのかな?

 ……他者への供給、それを別の機会で回収すれば魔力の貯蔵を外部的に……」

 

 ぶつぶつと次の研究へと進もうとするが、ふと気が付く。

 

「おっと、だめだめ

 いまはフィーナちゃんに毎日薬を盛って寝てもらってるから効きが悪くなってるとなると、そろそろ起きる時間だ

 彼女の側にいてあげないとね」

 



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風を追う

「あー……っと、どういう状況だよ、これ」

 

 レウスが木こりとともに到着したときには状況は魔女の鍋をひっくり返したよりも混沌とした状況となっていた。

 

 以前に見た甲冑騎士たちと、どことも知れぬ──つまりは彼らこそがホラティウスの言っていた連中であろう──ものたちがぶつかり合っていた。

 瓦礫の上に陣取った市民らしき人間たちはどろりとした目で弓を甲冑騎士に打ちかけている。

 

「ここはラングランド、お前たちのようなものが来る場所じゃあない」

 市民が同じような言葉を騎士たちに向けている。

 

「ラングランド、ってなんだそりゃ」

「この辺りの土地の名前だよ、五大侯のラングの土地だったからそう名付けられたらしいぜ」

「ってことは、ここの偉い人ってのは五大侯の息が掛かったやつってことか」

「そうなのか?

 ここの市長は普通に女の子だったぜ」

 

───────────────────────

 

 レウスたちを目の端で捉えたガトーは状況を急がせるよりも撤退に改めて舵を切る必要があると見切る。

 都合のいいことにトラースは手傷を負った。

 ここで回復することなどガトーには容易いことではあるが、撤退の理由を潰す選択は取らなかった。

 

「撤退の準備をせよ、トラース殿の命が優先だ

 このままでは逃げる道もなくなるぞ」

「しょ、承知」

 

 トラースが倒れている今、指揮権はガトーが代行をする。

 崩れた家からドアを拾ってきた騎士がトラースを乗せている一方で、

 一歩前に出て魔道書を構えるガトー。

 

「雑兵ども、ここで死にたくなくば追わぬことだ」

 

 トロンに魔力を回しながら、冷えた声で言う。

 市民たちはその気配とも気迫とも感じ取れるものでガトーへと向かうのをためらう。

 強者を恐れるのは彼らの力の源泉ともなっているサムシアンの長の影響だろうか。

 

 その停滞を破ったのは──

 

「侵略者を無傷で返すわけにも」「いかねえだろ!」

「行くぞッ!」

 

 横合いから飛んでくるのは三つの手斧。

 それはエッツェル=ガトーを徹底的に守れとボアから直接言われていた近衛役の甲冑騎士が剣と盾を使い、弾き返す。

 

「貴様たちから死にたいようだなッ!!」

 

 ガトーが睨むと魔力は一瞬で練り上げられ、巨大な雷撃がレウスの前に出て手斧を投げつけた三人の木こりへと襲いかかる。

 

「や、」「やべえ!」「来るぞ!」

 

 空と地を裂くような稲妻はしかし、木こりに到達する前に寸断された。

 

「間に合った」

 

 まるでヒーローのように着地したのは、剣で飛来するトロンを霧散させた剣士。

 

 桃色の髪が風に揺れている。

 

「みんな、無事?」

 

 その姿、その声、その瞳。

 レウスは目を見開き、声を絞るように出す。

 

「フィ……フィーナ……?」

 

 ───────────────────────

 

「パスが切れたと思っていたが、何故貴様がここに……」

「パス?」

 

 元はここから撤退しようと考えていたガトーではあったが、聖戦士としても特注品であるフィーナが目の前に現れてしまえば、話が変わる。

 どうにも掛けていた意識の変質は解けてしまっているようだが、それは再度掛けてしまえばよいだけのこと。

 

 ナバールの技術を継承させた冷酷な暗殺装置であったフィーナ。

 実地試験を幾つかこなしたあとにレウスに当てるつもりだったが、その実地でなにかがあって消えてしまった彼女を何としてでも回収したい。

 

「フィーナよ、自由意思を持っている理由はわからんが回収させてもらうぞ」

「いやだ、君が何者かはしらないけど……すごく嫌な感じがする!」

 

 フィーナは後ろを振り向くことはなく、

「サジさん、マジさん、バーツさん!

 もう一人の人と一緒にマリーシアちゃんを脱出させてあげて!」

「おう!」「わかったぜ!」「任された!」

 

 三人組は走ってそちらへと走るが、レウスは立ち尽くしている。

 一歩、一歩とフィーナへと歩み寄る。

 

「フィーナ」

「うん、って……だからマリーシアちゃんを……」

 

 ガトーから視線は外さず、しかし視界にレウスをいれる。

 

 しかし、フィーナがレウスを見てしまえば、封じていた、しかしその封も解けかかっていた記憶と自我の箱から助けられた記憶も、思慕も、無念も何もかもが溢れ出す。

 

「よそ見とは、余裕のあることだ」

 

 ガトーが呟くようにしてトロンを最大出力で放とうとする。

 

「レウス様!ここは戦場です!!

 お気を確かに!」

 

 その声が空から響くと同時にスレンドスピアがガトーへと投げつけられた。

 ガトーはその気配を察知し、トロンを投射するではなく周囲の放電することで盾代わりに機能させる。

 

「カチュア!」

「協力して当たりましょう!」

 

 トレントの速さに追いかけることができず、必死になって空から探し続けた彼女はここに至ってようやくにしてレウスとの合流を果たした。

 彼女が横から手を出さなければどうなっていたか、とレウスは思い直し、呆けた心に活をいれる。

 

「カチュア、ありがとな!

 このまま戦えるか?」

「無論です、お供させていただきます!」

 

 凛とした声がレウスの心にまた一つ気付けをした。

 

「フィーナ!

 オレのことが誰かわからないならそれでもいい!

 まずは目の前の男を倒すのを手伝ってくれ!!」

「う、うん!」

 

 彼女はレウスのことを思い出していた。

 その全てを。

 これまでの彼女の旅路や、ナバールとの話なども全て統合し、混乱する頭を一旦脇にどける。

 

「切り抜けたらお話しようね、レウス!」

 



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急転直下

「ここで決着を付けることになるとは思わなかったが、

 だが兵団を率いていないのであればむしろ都合がいい!」

 

 ガトーもまた吠える。

 

「神なる牙となれ、剣手(つるぎて)たちよ!」

 

 魔道の起動錠を叫ぶと甲冑騎士たちが苦しみだす。

 やがて、それらは元の意識を失うかのように動く。

 トラースを運んでいる騎士たちはどうやらその声の範囲外にいたからか影響は受けなかったが、それでも同僚たちの動きが豹変したのに驚く。

 

「ひ、退け……エッツェル殿はガトー殿から何を授けられているのかもしれぬ

 邪魔にならぬように我らはこのまま撤退だ」

 

 トラースの言葉に、彼を運ぶ少数の騎士たちは撤退を続行した。

 

 一方で擬剣ファルシオンの力によって操り人形同然となった甲冑騎士たちが武器を構え、

 レウスに向き直る。

 

「隷属者か」

「それ以上よ、こやつらは」

「その言葉遣い、どういうことかは知らねえがその中にガトーがいやがるんだな!」

「知ってどうするッ!」

 

 騎士たちの合間を縫うようにトロンがレウスに走る。

 フィーナが再び剣でそれを弾く。

 

(フィーナ、まさか魔法をパリィしてやがんのか!?)

 

 どのように?という疑問もだが、フィーナがそれほどの技術を持っていることに驚き、

 同時に悲嘆にも似た感情が胸を締め付ける。

 

(魔将、……か)

 

 だからといって、彼女を見る目が変わるわけではない。

 しかし、彼女の安息は破られたのは変わらない。

 

「覚悟ッ!」

「カチュアか、貴様も体の良い人形でおれば都合がよかったものを

 いや、今からでも遅くはない

 手が足りぬのは事実、貴様も再び聖戦士としてやろう」

「外道の人形に落ちたままであるならば死を選ぶが、私はレウス様に助けられた

 二度目はない!」

 

 トロンを連発され、騎士を動かされてしまえばレウスと言えども攻めに転じるまでに苦労するだろう。

 カチュアはそれを理解し、ガトーの注意を引いてレウスに有利な状況を構築する。

 

 それを鋭敏に察知したのはレウスだけではない。

 フィーナもまた裡にあるナバールの経験がそれを教え、同時に動き出す。

 甲冑騎士が次々と数を減らしていく。

 

 狙うはガトーの首一つ。

 

「させないよお」

 

 この街が魔女の鍋をひっくり返した混沌ならば、鍋の主もまた魔女である。

 

 ───────────────────────

 

「攻勢に出たか」

 

 ホルスタットが忌々しげに声を出す。

 

 動いたのはアカネイア軍であったが、それは前回までの攻めとは異なる大きなうねりであった。

 緩衝地帯付近に置いていた巡回部隊は半ば潰走し、何とか生き残ったものが持ち帰った情報はアカネイア軍最大の大進軍であった。

 

「どうするのだ、ホルスタット」

 

 ロプトウスを始め、その状況に緊急の会議が開かれ、議場には一同が揃っている。

 

「予定は代わりませぬ、全軍を以てこれを受け、

 守勢を攻勢に転じさせ、そのままオレルアン連合の息の根を止めるだけです」

 

 ───────────────────────

 

「進めぇーッ!!

 我らが背にはアカネイアの未来が掛かっているぞ!」

 

 ミディアがアカネイアの騎士団の全てを率いて突き進む。

 

(……全ての兵団を私に委ねるのはよいが、ボア殿は何を考えている?

 軍権がそのもの権威であることは理解しているだろうに……)

 

 もしも自分がボアの言う妄言、アカネイア大帝国に対して反旗を翻せば全ての軍を委ねた時点でその夢も委ねたに等しい。

 ボアとてミディアが自分に対しての都合よく頷くだけの女だと思ってはいないだろう。

 だからこそ、ミディアはこの采配に疑問を持った。

 

 しかし、全ての戦力を預けられればやれることは格段に増えるのも事実であり、否定することはできなかった。

 

 全軍を使った突撃。

 無策無謀にも見えるが、ミディアほどの突撃力があれば戦局をひっくり返す可能性は大いにある一手である。

 そして、それはアカネイアにのみ意義と意味のある行為ではない。

 

 ───────────────────────

 

 意義と意味。

 それはオレルアンにとっても戦略的な判断を求めるものとなる。

 

「動くとは急だな」

「だが、我らも進むしかあるまい

 ハーディン様からそのために最前線の部隊と狼騎士団の全ては我らに権限を委任されている」

 

 ビラクに対してウルフが言う。

 アカネイアの全軍突撃という暴挙はオレルアンにとっても大いに都合のいい一手であった。

 突撃を止めるために正面に力を割けば自ずとその脇は甘くなるもの。

 

 それこそがオレルアンの、狼騎士団の得意とする電撃戦の出番である。

 

「我ら狼の牙を以て、アリティアの肥えた腹肉を食い破る!

 全軍、狼騎士団に続けッ!!」

 

 快速を旨とするオレルアンの正規軍もまた、戦場へとまっしぐらに突き進む。

 

 ───────────────────────

 

「応じていただき、感謝する」

 

 ハーディンは疑槍グラディウスを構え、言う。

 不気味なほどにガルダの港は静けさを保っていた。

 

 それは事前にハーディンが街へと達した逃亡せよという書状によるもの。

 ガルダにいたものは新ワーレン自治区やタリス王国へと退避していた。

 

 書状を出したのはガルダのみではない。

 受け入れを求めるものを新ワーレン自治区と、そしてタリスにも送っていた。

 そして、タリスには別の用件も届けていた。

 

「儂は構わぬ、だが……この選択でよかったのか?」

 

 月下に照らされたのは、蛮力の主──タリス王モスティンの雄々しき肉体であった。

 



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YOU DIED

「させないよお」

 

 その声が響くと同時に、レウスの横を進んでいたフィーナの足が止まり、ふらりと上体を崩すように倒れる。

 

「フィーナ!?」

「いただきまーす」

 

 マリーシアが杖を構え、発動する。

 フィーナの姿が掻き消え、彼女の懐に納まるように転移した。

 

「悪いねえ、レウスくん

 フィーナちゃんはこっちにとっても奥の手なんだよねえ」

 

 魔女の手には二つの杖が握られていた。

 片方は意識を失わせる魔法が封じられているスリープの杖。

 もう片方は仲間を手元に引き寄せるレスキューの杖。

 そのどちらもが極めて希少で高価な代物、つまりは彼女にとっての切り札であるのは間違いない。

 それを切るほどに、フィーナは彼女にとっての重要で重大なものであることは理解できる。

 

「てめえ、マリーシア……ッ」

 

 ぎちりと歯を鳴らして睨む。

 『またオレからフィーナを奪うというのか』

 それはマリーシアだけではない、世界そのものに感情が溢れ、向けられているのは誰の目から見ても明らかだった。

 

「いいのかなあ」

 

 のらくらとした口調と態度でその怒りを躱すように、言葉を吐く。

 

「あァ!?」

「こっちばっかり見ていてさあ」

 

 その言葉の意味を探るよりも前に剣がするりとレウスの体を幾つも刺し穿っていた。

 

 倒れていた市民や甲冑騎士たちが這うようにしてか、レウスの意識、その間隙を縫っての行動。

 市民も騎士も、マリーシアやガトーの人形でしかない。

 彼らは死に瀕していようとうめき一つ上げずに近づき、詰みの一手を作り上げていたのだ。

 

「レウス様!」

 

 カチュアが即座に動く。

 

「油断はダメだよお、レウスくんはそれは知ってるはずでしょお~

 あはははは!」

 

 けらけらと笑うマリーシア。

 

「よくぞやった、マリーシアよ

 さあ、フィーナをこちらに持ってくるのだ」

「はあ?

 ガトーのじいさまさあ、外見は若くなったけどどうにもボケてるみたいだねえ

 言ったでしょ、フィーナちゃんは『私の』奥の手だって

 そっちはそっちで頑張ってよねえ

 それじゃあねえ~」

 

 マリーシアはその場をいっそ優雅にと思えるステップで去る。

 甲冑騎士の意識を使い、ガトーは追いかけさせようと思うも彼女の意思を汲んでいる市民たちが壁のように立ちふさがった。

 

 その混乱に乗じて止めを刺されんとするレウスを滑空しながらカチュアが抱きかかえると逃げ出す。

 遅れ馳せながらに気がついたガトーがトロンをカチュアに向けるが、射程距離から離れたことを理解し、発動はしなかった。

 

「この街の人間を殺せ、一人も残らずな」

 

 苛立ちを街に向けたガトーの冷たい声に甲冑騎士たちが頷いた。

 

 ───────────────────────

 

「ぐ……か、カチュア」

「喋らないでください、レウス様」

「ヘマぁ、踏んだな」

 

 ごほ、と血を吐く。

 こうした感覚──死に瀕する状態になるのは、思えばアカネイア大陸に来てからは始めてだったなとレウスは冷静に考えていた。

 

 カチュアは彼が目を開ける前に『きずぐすり』を使って試したものの、深手のせいか効果を見ることができなかった。

『とっこうやく』を持っているはずだとレウスの体をまさぐるも見当たらない。

 どこかで使ってしまったのか、それともこの脱出のどさくさで自分が落としてしまったのだろうか。

 

「もう少しで、もう少しでパレスが見えてきますから、お待ちを」

「そんな早くに付くものかよ

 ……なんだ、オレが死にそうに見えるか」

「……っ」

 

 もう一度、吐血をする。

 息を整えてからカチュアに「下ろしてくれ」と言う。

 有無を言わさぬ気配に天馬の高度を下げ、着陸する。

 

 のどかな平原であり、空が青く、緑が映えている。

 

 カチュアに伴われてなんとか地面へと降り、近くの木陰へとよたよたと進むと腰を下ろす。

 

「あー……こうりゃあ、ひでえな」

 

『獣の生命』が無意識的に発動している。

 だが、それは命がいきなり消えない状態を保っているに過ぎない。

 やがてそれも限界が来るだろう。

 

「カチュア、悪かったな」

「何が悪かったというのですか、レウス様」

「いやあ、お前に大見得切ったってのに、お前を満足させるくらいに一緒にいれてやれなかったってさ」

「レウス様は奥様たちとお子様のおられる身ではないですか、私に構っている暇なんて」

「そんな寂しいことを言うなよ」

 

 その言葉はカチュアをなにかの代わりだと思っているものではなかった。

 助けたときの彼女の言葉を受け止め、彼なりにそれを返してやりたいと思って出た言葉だった。

 

「あー……なあ、カチュア」

「はい、……なんでしょうか」

「太もも貸してくれ、座ってるのもしんどい」

 

 こくりと頷く彼女を見て、膝枕を堪能するように転がる。

 

「ここまでやったんだ……アリティアは勝つさ

 そんな悲しそうにするな」

「アリティアは勝ちます、ええ、そうでしょう

 ですがそこにレウス様がいなければ何の意味があるというのです……!」

「……ははは、そうだな

 オレもそう思うが、」

 

 この感覚は狭間の地での死とは違う。

 人間としての死だ。

 肉体の性能が褪せ人だとしても、その生命は人間のもの以外に違いはない。

 或いはこのオレルアンの大地で生きる中でそうなっていったのか。

 

「……カチュア、いい天気だなあ」

「そんな、……」

 

 命が弱まっている。

 カチュアはそっと撫でるようにしてその瞳にかかる髪の毛を分けるようにする。

 彼の目はゆっくりと閉じられようとしている。

 

「っ……そう、ですね

 こんな日がきっとこの後は続きます」

「カチュア……」

「はい」

「……じゃあな」

 

 アカネイア大陸とその国々、そして歴史を蹂躙した聖王の命はこうして終わりを迎えた。



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戴冠式

 ラングランドでの戦いの後、ガトーは単身で帰還を果たした。

 軍を率いないのならば魔力を強引に吐き出して休みなく移動すればよく、馬を走らせるより効率的に移動することができる。

 閉派に伝わる移動手段であり、開派を含めてこの技術──縮地を知るものは彼以外にいない。

 本来であればこんなものを使う必要もなかったが、急ぎボアのもとに戻ってマリーシアとフィーナを回収する策を練り、ボアを動かす必要があった。

 

「戻ってこられたか」

「うむ……だが、」

 

 ボアの元へと参じたガトーであったが、その妙な……感じたことのない魔力の空気を認識していた。

 魔力であろうことは理解できても、それ以上のことをガトーは察することはできない。

 

「どうなされた?」

「この濃い魔力……何をしたのだ、ボア殿」

 

 くぐもった笑いを漏らすボア。

 

「よもや、貴方がガトー殿だったとは思いませなんだ」

「何を突然」

「情報を渡してくれたものがおりましてな

 いや、貴方に騙されるところでした」

「情報を……」

 

「私だよお、やっほ~」

 

 のんきな声。

 マリーシアが片手を上げて部屋へと入ってくる。

 

 縮地を使い、移動距離と速度を稼ぎ、途中でトラースに追いつくと彼らが使っていた馬車へと相乗りさせてもらうことになったガトー。

 縮地とて魔道、魔力を消費するのであれば乱発はしたくない。

 しかし今は乱世。

 この時代はなにがあってもおかしくはない、だからこそ起こりうる不測の事態を回避するためにも速度を頼みとした。

 だが、その努力は実らず、今まさに眼の前で不測の事態は起きていた。

 

 確かにここまで来るのに様態が急変したトラースに治療の杖を使うなどして余計な時間はかかったのは事実。

 それでも遅いとは思えない速度でここまで戻ってきたつもりだった。

 

 だが、彼女の方が動きが早いかった。

 それはマリーシアは元からボアのもとに入り込むつもりだったのか、

 もとより彼らは仲間だったのか、それともマリーシアの人の輪に入り込む力がガトーが予想できないレベルであったのか。

 いずれにしろ、この段階になってしまえば推察など無意味だとガトーは断じた。

 

「ボア、貴様が持っていなかった魔力

 それはどこで手に入れたのだ」

 

 もはや隠し立てする気もなくなったガトーが口調を改める。

 

「ガトー殿は我ら人間が何の進歩もない家畜だと思っておられるのか

 我らアカネイアは常にガトー殿、あなたを出し抜き、超えて、名実ともに最高の国家になることを目指していたのだ

 そう、これはミロアがわしに授けた未来そのものなのだよ」

 

 聖戦士、魔将、守り人、隷属者、擬剣ファルシオンや勲章代わりの黄金の鎧。

 永きを生きたガトーは閉派としてそうした知識を専有していた。

 それが人の手に渡ることが危険であると考えていたからだ。

 

 だが、大事を為すために一人では手が足りず、それ故に高弟であったミロアやガーネフには知識を授けた。

 マリーシアにも魔道の知恵を分け与えた。

 全てを分け与えればガトーの、神に等しき絶対者の立ち位置が、神の視座の価値が揺らぐであろうが、

 ガトーが与えたのは一部。たったの一部だ。

 それで彼の、神にも似た権威を揺らがせることなどできようもない。

 ……彼の考えは長きに渡って破られることはなかった。今日までは。

 

 その座を揺らがせたのは輝かしき才能を持つわけでもない野心に取り憑かれた老人、ボアであった。

 老人だからと、非才の男だからとガトーは無意識に見下していた。

 

「わしを下に見ていたのだろう、神竜族ガトー、いやさそんな名前で呼ぶのもおぞましい

 マムクート!貴様こそ穢らしきマムクートと呼ぶに相応しい!

 アドラ一世の名において、その穢らわしき貴様を葬るときが来たのだ!!」

 

 歓声が聞こえてくる。

 邸の外から。

 それに気がついたガトーに対して、ボアはマリーシアに首で指図するようにしてバルコニーに至る扉を開かせた。

 

 そこには地の果てにまでもろ手を上げて喜びを示し、声を上げている民衆がいた。

 

「貴様、それは」

「わしの本文は内政でな

 手の内にある荘園はパレス失陥前より準備だけはしておったのだよ」

 

 ボアやミロアが準備したのはただ、営々と存在する民草たち。

 彼の息のかかった荘園では産めよ増やせよを地で行くような政策が取られ、膨大な民を裏で抱えていた。

 そこにさらに五大侯の領地を獲得してからはそれをさらに拡大させ、大人が抱えていた作業は子供の仕事とし、大人たちの大半はこうして集められるような準備をしていた。

 

「これこそがミロアが作り出した、貴様たち神気取りのマムクートを打倒するための秘儀!

 教育と薬物、魔道を合わせて作り出したアカネイアにかしずく民草が(こいねが)う信仰心によって些細な魔力を発生させ、教主へと集める

 そうして得られるはッ!神殺しの力よッッ!」

 

 ボアは勲章たる王冠を掴み、被る。

 

「さあ!今こそ戴冠のとき!!

 民よ、我らが国の名を呼べッ!!」

 

 民草はその呼びかけに魔力的な接続に由来してか、一斉に叫び始める。

 

「大帝国!大帝国!」「アカネイア大帝国万歳!!」

「アカネイア大帝国!」「大皇帝ボア陛下万歳!!」

 

「ふ、ふはっ、ふほはははっ!!

 跪けえぇい!マムクート!!」

 

 魔導書もなく、手を掲げ、魔力を集約させていく。

 

「ドゥラァーーーッッッム!!」

 

 ボアの、アカネイア大帝国のために集められ、操られた人々の魔力が結集し、虚空に不気味な瞳が浮かび上がらせる。

 それはゆっくりと開き、瞳孔から光が発せられる。

 

「ッ!!」

 

 言葉を発し、怒りを露わにしたいがそれよりも早く術式を完成させるガトー。

 その肉体にどれほどの過負荷が掛かろうと、命には変えられぬとしてワープを敢行する。

 

 光はガトーがいた場所へと発されるも、爆発などは起きず、ただそこにいた人間が消えた。

 

「逃げおったか

 ふん、トカゲには相応しい行動よ」

 

 ボアは振り返り、多くの民草が熱狂するそこへと歩く。

 

「ふふ、ふほ、ふはは……これぞ、これぞこのボアが求めていたものよ!

 さあ!崇めよ!寿げ!アカネイア大陸にこの大皇帝が平和を与えてやろうぞ!!」

 

 操り人形たちの大歓声を感じて、ボアは身も心もいきり立っていた。

 



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月下問答

「立ち会いとなれば容赦はせぬ

 だが、その前の会話で帰路に付くならば後ろから襲う真似もせぬ」

 

 その上で、問う。

 モスティンの声は重く太い。

 

「お前の行いは国を、民を、臣下を捨てる行いぞ

 わかっておるのだな」

 

 オレルアンは小国ではない。

 そもそも、大陸で国家の形を持っているのはアリティア、オレルアン、アカネイア、そしてタリスだけだ。

 そのタリスもゆくゆくはアリティアの他の地と同じく『地方』という形で糾合に応じることだろう。

 王位を継ぐのはシーダであり、王となる彼女の望みであればモスティンが言うことなど何もない。

 

「無論、承知しております

 ですが、これこそが最良にして唯一の機なのです」

 

 虐殺をすることをほのめかし、旅立ったオレルアン連合の盟主。

 それが返り討ちにあったとなれば、仇討ちの意気はだだ下がりするだろう。

 そして、今を逃せばここからは東西決戦が本格化し、盟主が人目を避けての行動をする暇はなくなる。

 

「戯言を聞いて戴けますか、モスティン殿」

「空の月はまだ中天に上がったばかりだ」

 

 話せという言葉一つも人によってはこうした表現になるのだなと自らの無骨者ぶりを見せつけられたようで苦笑するハーディン。

 蛮力などと評されたモスティンだが、その詩的表現はむしろ武人とは対極にありながらも随分と様になっていた。

 

 もしも彼が自分の側にいたのなら、大いに真似をしていただろう。

 師として彼を仰ぐ人生があればそれはそれで楽しいものだったのだろうなと想像の羽を広げてしまうが、だが、想像に揺蕩っている暇はそう残されてはいない。

 だからこそ、雑念を払うように真っ直ぐにモスティンを見て、言った。

 

「私は一人の女を愛しました

 ニーナと名乗るものでしたが、彼女は人が知るニーナではありません」

「影武者の類か」

「ええ、そうだったのでしょう

 どうやら本物のニーナ王女は何かがあったようで、影武者こそが本物のような振る舞いをされていた

 しかし、私は地に足の付いた彼女をこそ愛してしまいました」

 

 王族の器と言われれば違うだろう。

 だが、人の上に立てる人間ではあった。

 彼女と小さな荘園を運営し、民を家族としてほそぼそとした平和を得られれば。

 心のなかで願うことを、見透かしたように同じことを閨で彼女は言う。

 

「お互いに気がついていたのです

 私は彼女が影武者であることを、彼女は私が盟主の器ではないことを」

「だが、お前たちはお互いがその与えられた地位に見合うように努力をした

 そうであろう」

「ええ……身の丈に合わぬ重責でありましたが、我らは互いがいたからこそ耐えることができた」

 

 馬鹿な話もあったものだと二人で笑ったこともあった。

 我らは大国二つを差配するような器ではないのに、

 それを騙しているのに誰も気が付きもしない。

 

「我らの運命を弄んだものが神ならば憎く思う心がないわけではありません

 ですが、ニーナも私も望んでいたのは平和です

 支配ではなかった

 支配を望まぬからこそマケドニアやグルニアとも戦った

 ……しかし、今の戦いは支配を目的としている

 兄上も、我が愛すべき近習たちも大陸統一の王になられよという

 それまでに一体、どれほどの血が流れるのか」

 

 槍を握り込む。

 

「ニーナがそうなった私を見たなら、どれほど悲痛な表情を浮かべるのか」

 

 瞑目する。

 

「私はそれが耐えられない」

 

 ハーディンは優秀な男であった

 指揮官としても、為政者としても、その才に恵まれた男だった。

 高潔であり、聡明であった。

 

 だが、その全ての才は梟雄には向かぬものであった。

 優しすぎた男は、だからこそ自らを取り巻く状況に耐えられなかった。

 

 ニーナが生きていれば、支え合って戦いに挑めただろう。

 責任を背負い、全力で戦い、雌雄を決し、勝つも負けるも受け入れただろう。

 

 だが、もう愛した女はいない。

 支えてくれるものはおらず、彼女に捧げるべき平穏も売り切れていた。

 

「哀れだな、ハーディンよ」

「私もそう思います」

「だが、その肉体は心とは裏腹なのであろう」

 

 ゆっくりと目を開く。

 赤い瞳が月の光を吸って、返すように輝いていた。

 

「ええ、ですからどうか」

 

 槍をゆるりと構える。

 

「我が武運、蛮力にて砕き給う」

 

 自分よりもどれほど若いのか。

 どれほどの苦悩を抱えたのか。

 モスティンは伺い知れない。

 だからこそ、

 

「鍛え上げしこの肉体、この精神、この武芸、全てを以てお前が愛した女のもとへと送ってやろう」

 

 老王にして蛮力を極めし男モスティンができることは、絶大なる武力を以て葬ることだけであった。

 

「オレルアン狼騎士団が団長、草原の狼ハーディン……参るッ!!」

「タリス王国が王、蛮力のモスティン……受けて立とうッ!!」

 

 国家の運命を決める戦いは、月だけがそれを見下ろしていた。

 



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玉座を去るとき

 槍の穂先を低く構えるハーディン。

 剣を握りはするが構えないモスティン。

 

 警戒と自由。

 両者の構えは見事に対極的であった。

 

「ハーディンよ、儂でよかったのか」

 

 踏み込み、振り下ろす一撃。

 低く構えた穂先が蛇が狩りをするように跳ね上がり、握る手を狙うが、それを察していたモスティンは精妙な動きで柄の尻で刃を弾く。

 

「モスティン殿以外に誰がおられるのです」

「レウスと雌雄を決したいと思っていたのではないかと考えていたのだ」

「それは、理想で言えばそうかもしれませぬ

 約束もしましたから」

 

 斬りかかる姿勢のモスティンの足を払うように石突きを振り回す。

 回避したのを見て回転の勢いを維持したまま突きへと転じた。

 

「ですが、状況は変わりました

 聖王もまた私の約束以上のことを見つけているはず」

「約束以上?」

「この戦いでの私の最大の失敗です

 南オレルアンの一件を見逃し、そこから全ては始まったと言っていい」

 

 勇者の剣が二度閃く。

 一つは五分で見切り、もう一つは槍を振るって弾き返し、そのまま突き返す。

 突き返された槍を丸太のような蹴りで槍の柄を叩いた。

 

「だからこそ、始まりの場所で彼が失ったものを取り戻せる戦いがあるならば私の出番はない

 復讐するよりも、拾い直すほうが優先するべきことでしょう

 そうでないのならば、新ワーレン自治区に攻め、彼を誘引する戦いをするのも考えたのですが」

 

 新ワーレンを使った戦略上での聖王封じ込め策もあったが、フィーナが現れた時点で主たるハーディンは連合にとっての勝利を考える必要はなくなった。

 

「今までの戦いは贖罪のためだったのか」

「部下の命と人生を消費させたくなどなかったのですが、結果としてはそうなってしまいました」

「それもまた王、自らの理想と目標のためであれば何をも使い果たすべきだ

 理想を成就できぬ王を戴くことほど臣下の不幸はあるまい」

 

 一度距離を話すハーディン。

 構えを崩し、無形の位へと至り直すモスティン。

 

「力量は測り終わったか、ハーディンよ」

「ええ、十分に──こちらからも聞きたいことがあります」

「構わぬ」

 

 じり、じり、とハーディンはモスティンの周りを回るようにすり足をする。

 

「端から見ればレウスは簒奪者、それでもお認めになるのですか?」

「この大陸で簒奪者ではないものなど、その血を引いている時点でおらぬさ

 それに儂がタリスを支配したのもまた簒奪に他ならぬ」

 

 モスティンは「お主はどう思う」と続ける。

 

「お主なきあと、オレルアンが簒奪されるだろうが、それはよいのか?」

「先程と同じ答えです

 我々は彼から奪った、大切であったろう人間の命を

 であれば、我らもまた大切なものを奪われても仕方ありますまい

 その結果、オレルアンは戦争状態の今よりはよい方向へ進むかもしれない」

 

 ハーディンが勢いを付けても無駄であると察し、構えを解くとゆっくりと歩み寄る。

 

「度し難いものです

 我ら連合は最善の道を知りながら、その道を進まなかった」

 

 槍と剣の両方の間合いに踏み込むハーディン。

 

「だが、間違った道であっても声に推されて進まねばならないときもある」

「それが王というものですか」

「然り」

 

 一呼吸のあとにハーディンとモスティンの武器が振られ始める。

 お互いにそれを目視し、しかし端から見れば銀閃が彼らの周りを動き回っているようにしか見えない。

 モスティンはハーディンの槍を完全に見切り、

 ハーディンもモスティンの剣を完全に見切っていた。

 この先は完全な持久力、いや、意地の勝負だ。

 

 擬槍グラディウスは擬剣ファルシオン同様に持ち主の意識に作用する力を持っている。

 ハーディンは瞳を紅くするほどに肉体への影響を与えられながらも、

 しかし、力のみを自らのものとし、意思も自我も渡すことはなかった。

 

 彼は草原の狼。

 その武芸は紛れもなく天下にも響くものであり、そこにグラディウスの力が備われば正しく、戦乱にあって王としての資格を自ら掴み取れるだけの力量となろう。

 そんな彼を殺せる可能性を持つものは聖王を除けば、若き日より『力こそが力』と標榜した無頼の蛮力王モスティンをおいて他にはない。

 

(やはりこのお方もまた英傑……力のみではない、精妙な技量と圧倒的な経験が生ける伝説が真実のものであることを証明し続けている!

 だが、それは永遠ではない

 必ず、必ず息継ぎをするように手を止め、戦術を切り替えようとする一瞬が訪れるはず──)

 

 首を狙う槍の穂先を剣の腹で返され、剣が手首を狙えば槍と腕は引かれてそれを防ぎ、

 返しの突きから派生した払いを剣を柄に絡めるようにして刃を逸らす。

 

 逸らされた槍が戻るよりも早く勇者の剣が突き掛かる。

 懐に引き戻した柄を盾のようにして精妙に剣から身を守る。

 

 かのような争いを何度となく、息をつく間もなく繰り返す。

 一瞬、剣の動きから精妙さが消える。

 それをハーディンは見逃さない。

 槍が振り絞られるように突きが放たれる。

 

「──ッ!」

 

 しまった、とハーディンは心に思う。

 精妙さを失ったのは作られた隙。

 ハーディンはそれは理解していた、しかしそれを上回る槍の一撃を放ったと考えた。

 

 穂先がモスティンの腹へと吸い込まれ、圧倒的な筋力がぬめるようにして脇腹に逸らされる。

 それとほぼ同時にモスティンが武器を捨てていた。

 世界に流れる時間が遅くなったようにハーディンは感じる。

 

 突進。

 槍の引き戻しは間に合わない。腰に帯びた剣に手を添えようとする。

 それも、間に合わない。

 

 モスティンの両腕がハーディンを空へと叩き上げる。

 空には脚の力を込める場所がない。踏み込みもなにもできない。

 叩き上げられた衝撃で体が軋む。

 

 空にあげたと同時にモスティンもまた地面を蹴って上がってきては、ハーディンの体を掴む。

 

「空は、いや……世界はなんと広く、美しいのか」

「ああ、我らのアカネイアはどんなときでも美しい」

 

 二人は確かに言葉を交わした。

 しかし、モスティンは言葉を終えるかどうかでハーディンを掴むと急速に落下をし、彼の体を地面に全ての力を込めて愛すべき大地へと叩きつけた。

 

 その衝撃が港の一角を放射状にひび割れさせ、海に衝撃は伝わり、幾つもの水柱が立つ。

 

「……お見事、です」

「この時代で我が最大の技を放つ日が来るとは思わなんだ、ハーディンよ

 王であり、一人の男としての意地……確かに受け取った」

「ニーナに……良い土産ができました……」

 

 ハーディンの横に座り込む。

 

「最後に聞こう、偉大なる敵であった男よ

 儂に叶えてやれる望みはあるか」

「アリティアと協力し、いち早くアカネイア大陸に平和を……お与えください」

「王として、そしてそれ以上に一人の雄としてその願い、必ず答えようぞ」

「感謝、します」

 

 草原の狼は散る。

 それを確かにモスティンは見届けた。

 

「……優しすぎたのだな、ハーディンよ

 王としても、武人としても……儂が抱えたこの無念、その願いとともに果たさせてもらおうぞ」

 

 しかし、まずやるべきはこの優しき狼を葬ってやらねばなるまい。

 タリスの王、蛮力のモスティンはハーディンの亡骸を抱きかかえると立ち上がった。

 



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聖王不在の戦い

「騎兵の突撃を弱めぬ限りは反転も叶うまい

 どれ、わしが」

 

 陣幕でロプトウスが動こうとするのに対して、

 

「降将に発言を許されれば、どうか機会をいただけますか」

 

 ジョルジュが手を挙げ、意見具申の姿勢を見せる。

 ロプトウスは言ってみよと返す。

 

「ミディア殿が動かす部隊の幾つかには特徴があります、そこを抑えてしまえば勢いの幾つかは殺せるはず

 出撃の許可をいただければ成果を挙げてみせます」

「……ふむ」

 

 ロプトウスは紋章教団の軍事関連の意思決定を行う立場にある。

 全体を指揮するホルスタットの意思が否定的でないならば、ジョルジュの動きに関しての裁可は最前線に出る予定となるロプトウスに委ねられていた。

 

「レウスが最前線で働きを見せるよう連れてきた人材であれば、それに期待する他ない

 だが、一人では荷が重かろう」

「では、ノルン殿から預かっている長弓兵団をジョルジュ殿に預けよう」

 

 助け舟というわけではなく、適材適所だと言うようにホルスタットが言う。

 降将に兵を預けるのかという表情を当人はするも、

 

「閣下が信じた人材であれば、我らが疑う余地などどこにもあるまい」

 

 ホルスタットがそうであったように、彼が信じたと言うなら間違いはない。

 それは彼らにとっての不文律のようなものであり、むしろここで彼一人に仕事をさせて何かあってみれば問題となるのは信じることのできなかった自分たちに責がある。

 その言葉を聞いたジョルジュは一礼をしてから、

「期待に必ずお答えしよう、大陸一の弓騎士として、このパルティアに掛けて」

 ジョルジュは清廉な貴族らしく、真摯に答えた。

 

 ───────────────────────

 

 全軍を預けられたミディアではあるが、扱いやすいように部隊を単純化する形で振り分けた。

 自分の軍の中核としていた騎兵隊と、それ以外でだ。

 それ以外は全て騎兵隊の火力や治癒などの後方支援を担当し、あくまで最前線の突破力と指揮に手間を取られないことを最重要していた。

 

 それは彼女の手足の如くに機能し、最前線としていた場所は次々馬防柵も防塁も踏み砕かれ、突き進むことをアリティアは許していた。

 

「連中の喉元にかぶりつくには防御が厚い

 まずは両端の出城を落とす」

 

 黄金のハルバードを馬上で振るい、指揮を執る。

 動き出した両翼の部隊を見てから彼女は

「これより孤軍で敵陣をかき乱す、他のものは敵の混乱に乗じて射程を使い攻撃せよ」

 

 そう言い残して、ミディアが敵陣に突き進んでいく。

 

 一方で命じられた両翼の部隊の、その片翼では問題が起こっていた。

 

「どこから射たれている!?」

「た、盾兵を前に出せ!ぐわっ」

 

 アカネイア軍は他国よりも指揮者がわかりやすい。

 血統で選ばれることが多いが故に、鎧の出来や旗を掲げたもの、そこまで派手でなくとも外套の紋章などで判断ができる。

 勿論、戦場でそれを即座に判断できるものがアリティアには少なかろうから問題とならなかった。

 

 だが、遠い場所から射撃を敢行するジョルジュには敵も、誰がどこの所属なのか、その立場はどういったものかがわかっている。

 五大侯が一家、多くの貴族と家紋と、そして戦場を見続けていたからこそ、そこに誰が居るのか、役割は何なのかを見抜いていた。

 

 それ故に、的確にその矢は命令権限を持っているものたちから順に狙撃されていった。

 やがて命令権限がどこにもなくなり、混乱状態になると兵士たちは動きを酷く鈍くする。

 

「あとは長弓部隊にお任せする」

「弓騎士殿はいかがするのです」

 

 長弓部隊を指揮するノルンの腹心が問うと、

「急ぎ逆翼へと向かおうと考えている

 ロプトウス様が防衛に当たられているが、だからといって急がぬ理由にはなるまい」

「承知した、ご武運を」

「そちらにも、オリオンの矢の導きがあらんことを」

 

 ───────────────────────

 

 ミディアは相当に暴れたが、敵がまるで動じない。

 

(両翼に何かあったか?

 こちらの勢いを止め得る部隊が簡単に出てくるとは思えないが……確認するのが必要か)

 

 馬首を返して、後退していく。

 アリティア軍はその様子に安堵する。

 ミディアはその気配を感じると、最前線にレウスがいないことを察した。

 

(あの男がいればむしろ攻撃的な意識を備えるだろう……

 であれば、誰がここにいる?)

 

 敵の陣容を予測する。

 まさしく威力偵察であり、それによって得た情報だけをミディアは信じていた。

 

(この防御の堅さはグルニア流ではない、アリティアのやりかたでもない

 反撃を準備しながらも守り方の癖としてはマケドニアの色を感じる

 ……となれば、ミネルバ王女──いや、ミネルバ殿か)

 

 もはや王女ではなく、聖后の一人であり、そして彼女からしてみれば戦場に立つ猛将以外のなにものでもないからこそ、

 敬意を込めて心のなかで扱いを正したのだった。

 

(ここでミネルバ殿が出てくるまで粘ってもよかったが、今の私は全軍を預けられている

 軽々に判断をするわけにもいくまい、か)

 

 軍を預かった際にホルスの協力を求めたものの、輜重を管理するものがいなくなるからと断られている。

 彼がいれば指揮がここまで重いものにはならなかっただろう。

 とはいえ、輜重の管理を怠るわけにもいかない。

 

(将校不足よな、我らアカネイアは)

 

 ミディアは恋人のアストリアや戦友のジョルジュを想起しかけるも、それを振り払う。

 突撃による最前線の突破、そして敵将を倒すだけであるならばむしろ今のほうが身軽なのは間違いないのだ。

 

(己を殺せ、今の私はアカネイア王国最後の大槍だと自認しなおすのだ……)

 

 息を吐き、心を纏める。

 

(兵を纏め直し、次は中央突破を狙う)

 

 冷徹な戦術装置として、再び自我を沈めたミディアは指揮を執る。

 



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運び屋エスト

 ジョルジュの移動は徒歩や馬ではなく、白騎士団の一人であるエストの天馬によって高速移動を実現化していた。

 

「ジョルジュさん、すっごい強いね!」

「いや……この程度ではまだ」

 

 その表情は暗い。

 エストは苦労症の姉が二人いるせいか、顔色から事情を窺い知る力を持っていた。

 勿論、それは超常的な力の働きではない。

 

「誰かに負けたんですか?」

 

 時には最短距離で聞くべきことを聞く重要性があることを彼女は知っていた。

 ジョルジュは少し沈黙を守るも、やがて

 

「ええ、オウガと呼ばれる弓騎士に

 彼は強かった

 ……俺とは違った……」

「違う?」

「信念がありました、何かを貫こうとする意思が矢に籠められていた」

「ジョルジュさんにはないんですか?」

「所詮、与えられた役目をこなしていたに過ぎない俺の手には存在しないもの

 大陸一の弓騎士などという称号も、虚しいものです」

 

 所属の違う騎士というのもあるし、女性というのもあり、

 いつものように堅苦しく厳しい口調をなんとか崩そうと努力をしている。

 

 アストリアにはよく「厳しい言い方ばかりするから女に逃げられるのだ」と言われていた。

 女関係に手を伸ばすほど時間はないからこそ、無視したものの、

 今になってその助言を思い出していた。

 

 少なくとも職場環境が少しでも明るくなるならば口調くらいは努力でなんとかしてみせようと思っていた。

 それが成功しているかどうかはわからないが、その努力を向ける先としてエストはほどよい人材であったと言える。

 何せ彼女は百戦錬磨のコミュ強(陽キャ)なのだから。

 

「そのオウガっていう人がどんな人かは知らないけど、

 ジョルジュさんだって負けてないと思いますよ」

「負けていない?」

「天馬の背に乗せてくれ、自分の脚やただの馬では聖王陛下の期待に答えられないから……なんて頭を下げるなんて

 自分でこんなこと言うのもですけど、小娘の騎士で、アカネイア貴族でもない私に」

 

 背に乗せているジョルジュにちらりと顔を向けて、

 

「ひたむきでまっすぐで、がんばりやさんなジョルジュさんの、そんな前向きな心はなかなか持てないと思いますよ

 それにオウガさんと戦ったときは焦ってたんじゃないですか?」

 

 振り返って思えば、あのとき心を占めていたのは負けるわけにはいかない感情であり、

 そしてこれほどの弓使いが存在したのかという驚愕でもあり、

 それは一言で言えば確かに焦りではあった。

 

「だって、大陸を見渡したってジョルジュさんほどの腕前の方はいらっしゃらなかったでしょうし、

 そんなときに同等の腕前の人間が現れて、驚いちゃったんじゃないかなって」

「焦りが敗北を呼んだと?」

 

 攻めているような口調になって、すまない、とジョルジュは言う。

 エストは「わかっています」か「大丈夫」と言いたげに頭を振るった。

 

「呼んだかまでは……でも、負けたくないって気持ちではあったんじゃないですか?」

「それは、当然そうだが」

「でも、今のジョルジュさんは負けたくないって気持ちじゃあなくて勝ちたい……

 そう思ってるはず

 それは似てるようで全然違うことですよ」

 

 マケドニアの民族性でもあるかもしれない、とエストは思う。

 彼らは「チェスト・アカネイア(死んでも勝て)」、「チェスト・オレルアン(殺せば勝ち)」など、物騒な言葉を定型句にするようなものたちである。

 彼らにとって、戦いに挑むことは『勝つ』ことに全ての重点を置く。

 

 保守的な考えを持ちがちなアカネイア貴族との相違点だろう。

 だが、それを簡単に伝えられるかは別問題だ。

 ──そう、エスト以外には。

 

「危険な最前線の仕事を自分で作り、私に頭を下げて、それは負けたい人のやることじゃなくて、勝ちたい人がやることだと思います

 だから、きっと次は違う結果になりますよ」

「……勝ちたい、か

 そうだな、これは『勝ちたい』と思う心だったのか」

「そうです!」

 

 その断言的な口調にジョルジュが「ふふ、ははは」と破顔する。

 

「まったく、恐ろしいな」

「何がですか?」

「聖王陛下も貴女も、人をやる気にさせる才能に溢れているな

 ……この充実感があれば、オウガも倒すことができる気がするよ」

「あはは、元気になったならよかっ──」

 

「ジョルジュさん、私にがっしり捕まって!!」

「!?」

 

 その言葉に従う。

 天馬はその体を回転させるような勢いで激しい回避行動を取る。

 地上から矢が正確無比にエストと天馬を狙い撃ちにしていた。

 

 エストは地上から来る矢を予測する。

 それはジョルジュを狙ったものだった。

 

(回避がマズかった?いや……ちがう、この回避を誘われたんだ!!)

 

 エストは内心で数手先まで自身の動きを読まれているような恐ろしさに包まれつつあり、

 その考えを証明するように、回避直後にできたのはジョルジュを狙える絶好の隙だった。

 

「ジョルジュさん、掴まっていてくださいね」

 

 彼女がもう一度そう言うと、反転するような動きをする。

 それと同時に爆ぜるような音とともにエストの鎧が砕かれ、矢が突き立っていた。

 天馬は乗り手の負傷で混乱したが、エストは何とか操り、地上へと降りる。

 不完全な操作のせいで半ば落下するような勢いであったが、天馬は自ら姿勢制御を行って着地した。

 エストは落下の途中でジョルジュに抱き抱えられる形で地上へと飛び降り、事なきを得ている。

 

「大丈夫ではなさそうだな……」

 

 きずぐすりを使い、傷の手当をするジョルジュであったが、近くの気が突如として破砕した。

 

「じょ、ジョルジュさん……私のことば大丈夫です

 ……矢を射ってきているの、噂のオウガさんですよね」

「ああ、間違いない」

「決着をつけてください、私のことは大丈夫ですから」

「……」

 

 だが、と言いそうになった。

 しかし彼はこのままでは彼女を逃がすこともできないことに気が付く。

 

 自分に協力するために手を貸してくれた騎士一人を助けられず何が大陸一の弓騎士だ。

 あれほど励ましてくれた少女を助けられず何がメニディ侯爵だ。

 

 ここでやるべきことはたった一つしか無い。

 パルティアを握る。

 

「エストさん、ここで横になっていてくれ

 木に背を預けるよりは安全だから

 ……すぐに決着をつけるから、もう少しだけ待っていてくれ」

 

 天馬騎士の少女は頷く。

 そして離れていこうとする弓騎士に、

 

「ジョルジュさん、勝ってくださいね」

「──承った」

 

 あのときとは違う。

 今は、今回こそは勝つ。

 

 ジョルジュは弓騎士となって始めて、勝利への意思を固め、オウガへと立ち向かう。

 



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二人の弓騎士

「我が声が聞こえるだろう、ジョルジュよ!」

 

 オウガの声が響く。

 

「こちらは貴公を捉えている、だからこそこの声でこちらも居場所を教えよう!」

「舐めた真似を……」

「だが、我ら弓兵の戦いは最初の一矢のあとは動き回り、隙を伺うものとなろう

 それとも以後も居場所を叫んでほしいかね」

 

 兜の中でくぐもった笑い声が不快に響く。

 

「この言葉のやり取りすら不要だ!

 俺を舐めるなよ、赤獅子騎士!」

 

 ジョルジュが狙いを定める。

 それと同時にオウガもまた狙いを定め、弓を引く。

 

 一矢目はお互いの矢がぶつかる形で引き分けとなる。

 すぐさま二人は位置を変えるべくして移動を始める。

 

(あの甲冑を来ていながら音もなく動いている……どれほどの技術を持っているのだ)

 

 叫んだものの、ジョルジュは焦る。

 しかし、そのままでいるわけもない。

 鋭い瞳が鎧の光沢を捉え、先んじて弓を構え、矢を放つ。

 飛来した矢は甲冑であっても十分に通しきれる威力がある。

 

 何せアリティア聖王国が彼に持たせた特注品である。

 矢で威力などそれほどまでに変わるものかと胡乱であったが、用意されたそれが重装兵が愛用するような盾と鎧を同時に抜くのを見て考えを改めた。

 

 元は『ラダーンの槍』と呼ばれる漂流物であったらしいが、それを魔道学院が独自に研究し、アカネイア大陸の魔道に特化したものとして作り上げたらしい。

 その名も『グラウアーの矢』。

 ラダーンの槍はシューター用としか思えない大きなものであったが、それをそのまま小型化し、ラダーンの槍に籠められていた魔法の力を模倣する形でグラウアーの魔道書の力を籠めた一品である。

 

 相手に当たればまるでシューターが放った大矢のような破砕力を持ち、それ故に重装兵の守りをも砕くものであるらしい。

 実際にオウガにそれが命中すると鎧は砕くことができた。

 しかし、相手もただの武芸者ではない。

 砕かれた勢いを殺すように受け身を取り、その威力を返すかのように矢を射掛けてきた。

 

 返し矢を転がるように避けるが、頬にぱっくりと傷が開く。

 あの瞬間で致命狙い(ヘッドショット)を行ってきたのだ。

 

 間違いなく、赤獅子騎士オウガはジョルジュが戦った中でも最高の弓騎士である。

 再び位置を変えるために動く二人。

 

 次に狙いを定めたときには互いに、同時に弓を構えていたのを見る。

 

(お前を倒し、今度こそ勝利する

 技術勝負では引き分け続きか、或いは負けるならば)

 

 同時に放たれるかと思われた矢だったが、ジョルジュは一息分だけ放つのを遅らせる。

 オウガの矢が脇腹を削ぐように飛ぶが、遅れて射たれた矢がオウガの鎧を砕く。

 相手は返しの矢を射とうとするも、一拍遅らせたその理由を見て、驚愕に一瞬手を止めた。

 

「なんと、騎士らしくもない曲芸を」

 

 オウガが思わず声を上げた。

 それは新鮮な驚きとお作法よりも技術と勝利に追求した芸術的な武芸に対しての賛美の音が混じるものだった。

 

 ジョルジュが一息分放つのを送らせたのは矢が相打ちで砕かれるのを嫌がったからもある。

 だが、それだけが理由ではない。

 

 過日、オウガと戦った彼は弓の射ち合い速度で敗北している。

 普段の彼であれば『負けぬためには』、『武芸で劣らぬためには』と考え、

 そして名誉を守るための保身に走って同じような戦術を取っていたかもしれない。

 

 だが、今の彼は違った。

 エストと交わした勝利の約束。

 それが奇妙な曲芸めいた技を考える前にジョルジュは実行していた。

 

 矢を複数掴むと、一つを残してそれを空に投げ捨てるようにして矢を放つ。

 間髪入れずに落ちてくる矢を掴み、放ち、それを繰り返した。

 

 ジョルジュの動体視力は落ちてくる矢が空中に収納されているように見せていた。

 ジョルジュの反射神経は落ちてくる矢を弓に番えるに最高のタイミングで掴んでいた。

 ジョルジュの射撃技術は最低限の弦の引きで相手へと射掛ける力を理解していた。

 

 その全てが一体となり、雨あられと矢がオウガへと飛来する。

 

 グラウアーの力が発揮されるように黒と紫の爆風めいたものがオウガがいた場所を包む。

 

 勝利を感じさせはするものの、それでもジョルジュは油断を見せずに立ち位置を変える。

 煙が晴れるとそこに立っていた人物の、その姿にジョルジュは移動の足を止めた。

 それは誰であろう、

 

「父上……?」

 

 未だその称号に遠いと戦いを経て尚考えるジョルジュ。

 より未熟な頃から「我が息子こそが大陸一の弓騎士」と噂を流した張本人がそこに立っていたからであった。

 

 ───────────────────────

 

「久しいな、息子よ」

「なぜ、貴方が……」

「神気取りのマムクートに蘇らされた、それだけよ

 だが……或いは私が抱えていた無念こそが私をここに立たせている根源的な力であるかもしれぬ」

 

 砕けた鎧を剥ぐようにして、かつてはノアと呼ばれた男──オウガはジョルジュを見る。

 

「もはや我らメニディにアカネイア王国の趨勢など何の意味もあるまい

 アリティアへと降ったお前も、私と同じ……

 そう、弓を半身とし、戦いを望むが故にそこに立つのだろう」

「お、俺は……俺は貴方が、オウガが叔父上を殺したからこそ──」

「愚弄するなよ、ジョルジュ!」

 

 父の一喝があたりに響いた。

 



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メニディ家の黎明

「我ら兄弟がお前に掛けた願いが、お前を形作ったものを結実させるために命を使うのだ!

 私がオウガであろうと、我が弟が命をそれで散らそうと、お前を追い詰めたのは何者でもない!

 ただそこにある弓を持った強敵であり、弓の道を極めるために手を貸した通りすがりに過ぎぬ!!」

 

 その声は更に続く。

 

「我らメニディが何故弓に固執するかわかるか!」

「それは……パルティアをアカネイアより拝領したからです」

「そうだ、だが、宝弓を扱うためだけに最高の弓騎士たらんとしているのか?」

 

 今までであれば、そうだと答えただろう。

 しかし、今のジョルジュにはレウスから与えられた未来の大役や、エストと約束した勝利への誓いが心の中で熾火のように燃えている。

 

 だからこそ、パルティアに相応しい人間を作ろうとするメニディ家の存在理由を理解できた。

 

「……我らメニディ家はこの大陸に存在する問題を処理するためにある

 手が届かない場所の悪事を許さぬために、弓矢を用いて遠くへと自らの目的を達そうとする

 パルティアは宝ではなく、最良の弓であるからこそ何より早く鋭く諸問題を貫くため

 そのために我らは平和を掴むための長き腕として弓に固執する」

 

 そのことを父は教えたことがなかった。

 しかし父もまた、それを彼の父から教えられていなかった。

 彼らがそれを知るのはいつか家の存在理由を自覚するからである。

 

「ジョルジュよ!お前は今こそメニディ家侯爵ノアに相応しき男となった!」

 

 父が弓を構える。

 

「最後の試練だ!

 神気取りによって作られた暴力装置たるオウガをその手で止めよ!!

 お前が私を打倒さねば、驚くべき遠間より我が矢がお前の仲間、お前の国の民草を射抜き続けることになる!

 それはお前が容認できる存在か!」

 

 ジョルジュはその言葉に弓を構える。

 

「否!それは我が弓が容認できぬ悪である!」

 

 弦が絞られ、矢が放たれる。

 それは父と同じ速度、同じ精度であった。

 しかし、ジョルジュは父よりも早く二の矢を番え、彼の心臓へ向けて矢を放っていた。

 

 ここに大陸一の弓騎士は完成した。

 その事実に父は満足気に微笑んだ。

 

 ───────────────────────

 

「父上!」

 

 ジョルジュが彼の側に行く頃に、エストが先に到着しており、一応の応急処置をしていた。

 しかし、元より人間ではなくなったその身にきずぐすりの効果もないようで、エストは申し訳ない顔を二人に向けている。

 

「マケドニアの天馬騎士殿、不倶戴天と思っていた相手がかような少女だったとは……

 それも慈悲深く、ふふ……よみがえり(このようなこと)がなければ知る由もなかったことだ

 それだけは感謝せねばな」

 

 名前は、と聞かれ「エストです、ノア様」そう答える。

 

「エスト殿、ジョルジュを──いや、ノアをよろしく頼めるか

 見ての通り心が細い男でな

 腕前こそ大陸一の弓騎士だが、その点はどうにも不安が残る」

「父上、何を」

「不倶戴天の、と言ったろう

 ……それがどうだ、次世代では手を取り合っているのが今見えている

 我が弟の命、私に与えられた新たな余命、それらを使い果たした意義はあったというものだ」

 

 アカネイアを守りきれなかったのは己の責任であり、彼の弟もまた同じことを思っていた。

 だからこそ彼らは命を捨てるとも、次世代に託す覚悟をしていた。

 

 強い力を持つものがある。

 五大侯の、とりわけ鷹の目のように世界を見渡していたメニディ家はガトーの行動にいち早く気がついていた。

 

 元々、戦場でノアが討たれたというのは虚偽の報告であった。

 とはいえ、死に瀕するほどの大怪我をして、二度と歩けないほどのものと宣言されたことで騎士としての彼は死んだのも事実であった。

 

 その状況にガトーは目をつけるだろうと考えたノアたちが一芝居打ち、誘引し……そして彼はオウガとして、騎士として復活するに至る。

 

「……我が息子よ、これは聖戦士として働く上で体験したことの覚書だ

 アリティアのガーネフ殿ほどの駿才であれば何かに使えると判断する情報があるかもしれぬ」

「父上、」

 

 ジョルジュはどうしてそこまで、と言うべきなのか悩み、しかし答えは既に得ていたからこそ、

 

「メニディ家の当主として、天晴な情報収集です

 我らの目はたとえ矢を射れぬ場所であっても見通しているということを彼の竜族にも知らしめてやりましょう」

「うむ、……これで弟がリーザ殿との交渉に成功したのと並べる程度の功績は作れたろう

 ようやく安心して眠ることができそうだ

 ジョルジュ……いや、ノアよ

 大陸一の弓騎士よ、この時代の秩序はお前の弓を握る手に託されたことを忘れるでないぞ」

「……はい、父上

 必ずや、人の苦しみと悲しみを軽減できるよう努めます」

 

 重責を与え、しかしそれに負けず、まっすぐに育った。

 よい息子を儲け、育てることができた。。

 彼はそれを思い、微笑みながらその肉体を残さずに消えた。

 



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狭間の夢

 霧がかった風景が広がっていた。

 見覚えのある場所だった。

 

 エルデの獣を倒したあとに立っていた、あの場所。

 あのときのように壊れかけのマリカがいるわけでもなかった。

 

「……ああ、そうだった

 死んだんだったな、オレは」

 

 荒涼とした風景。

 死の世界を想像しろと言われればこうしたものかも知れない。

 

 天国や楽園は想像しにくいのは特に信仰を持たない身だからだろうか。

 そうしたものを想像しろと言われてもスーパー銭湯かマンガ喫茶くらいしか楽園なんて考えられない。

 それももう、随分と遠くになったものだと『彼』は思う。

 

 閻魔様が行き先を決めたり、鬼が悪人をいじめたり……。

 子供の頃に読み聞かせられたり、児童向けのアニメで見たりしたからだろうか。

 しかし、閻魔様や鬼たちのことを考えると現実とどこか地続きな世界、例えば彼らが死者を裁くその行いは日常となっており、それがどうにも無限とも思える労働に駆り出されている社員のようでもあり、

 どちらが地獄に縛られているのかなどと思ってしまう。

 余計なことを考えるせいか、真っ当な思考で地獄を想像することもできない。

 

 であればこそ、『彼』がこの大地を死の世界を考えるのであれば天国や地獄が伝聞で持つ景色ではなく、

 荒れ果てた大地を想像するのは自然なことかもしれない。

 やることがないのはどうにも、忙しく生きていた頃の逆にあるものと考えれば、やることもない停滞した世界は死であると考えるのはわかりやすい。

 

『彼』はそこらにある瓦礫を掴むと組み合わせていき、簡単な椅子を作った。

 多少苦労はしたが、瓦礫のようなものはいくらでもあるし、時間に関して言えば瓦礫以上に余っていた。

 

「はあ……座り心地はあんまりだな」

 

 瓦礫造りのデッキチェアに座って脚を伸ばす。

 疲労感があるわけでは無いが、暇すぎるせいなのか、眠気がうっすらと迫ってきていた。

 

「世の中に寝るほど楽はなかなけり……だな」

 

 くわぁ、と大あくびをすると目を瞑り、眠りへと落ちた。

 

 ───────────────────────

 

「タリスを脅かす海賊どもめ!」

「前に出すぎてはならんぞ!」

「承知しております!」

 

 遠くからしおさいの音。

 温暖な気候。

 豊かだが鬱蒼としすぎない程度に揃えられた緑と空の青のコントラストが美しい。

 ここは知っている。

 久しぶりに見た風景(タリス)だ。

 

 オレは状況を確認する。

 肉体的に変わった様子はない。

 纏っているものは『放浪騎士』と呼ばれる装備一式。

 ロングソードにヒーターシールド。

 飛ばされてきたときのものとは違ったが、見ているものが夢ならば、まあ気にすることでもないだろう。

 

「どこからこれほどの数が……!」

「カイン、アベル!気を引き締め直せ!」

「ジェイガン様はマルス様の守りを!」

「ドーガに任せておる、後手に回りすぎれば取り返しがつかないことになるとマルス様のご采配だ!」

 

 なるほど、どうにもオレが生きたアカネイアとは違うらしい。

 夢であれば何をすれば面白くなるかを考えてもいいかもしれない。

 

 ふむ……。

 折角だからマルス王子の顔でも見てみるか?

 それとも、どうせ夢ならばこのまま趨勢を見守ってから別のところに行ってみるのも面白いだろうか。

 

 どうあれ、夢で見るのはアカネイアだというのは……普通は現代日本に戻る夢とかそういうものだろうかとも思っていたが、オレは随分とあの世界が好きになっていたらしい。

 未練がこの夢を見せているのだろうなあと思わず苦笑いが浮かぶ。

 

「マルス様ぁ!後ろにお下がりください!」

「ありがとう、ドーガ

 でも僕も戦う!シーダの仇はここでつけないと!」

 

 どうにもオレは遅すぎたのか。

 それとも、オレが来たアカネイアのようにここも本来とは異なる進み方をそもそもしているのかもしれない。

 

 視界に入ってくるのは確かにマルスのような人影だが、大乱闘の世界やら、神竜と紋章士の世界のイメージが強いせいか、オレがイメージする彼とは少し異なるもので、

 まだ性徴を迎えていないような、中性的な少年が剣を構えていた。

 

 一方で襲いかかっているのは海賊ではあるが、どう考えてもレベル1のやられ役といった顔付きではない。

 ここがハード5(イカれた難易度)の世界だと言われれば納得できるくらいには殺意あふれるマッシブな体型をしている連中だった。

 

「げへへっ、ほそっこいなあ!

 生まれたてみてえだぜえ!」

「殺すなんてもったいねえ!

 ノルダまで連れて行って売り払ったら良い稼ぎになるぜえ!」

 

 舌なめずりするようにして海賊たちが斧を構える。

 一方でマルスは一歩前に出るとレイピアを突きつけるようにして、

「君たちには負けない!絶対に!」

 などと今から負けるヤツのセリフを吐いている。

 

 物陰で観察しているが、やはり旗色は悪い。

 あれよあれよという間に追い詰められていった。

 守りに付いているドーガとゴードンは死んでこそいないが、かなりの深手を負ったせいで膝をついている。

 

 下卑た海賊も流石に数名は倒れているが、次から次へとおかわりが陸地に上がってきていた。

 マルスはそれでもかなりの奮戦を見せるが、それも限界が見えつつある。

 

 このままマルスが死ぬにしろ捕まるにしろ、じっと見つめているのはどうしてもできなかった。

 これが夢であろうと眼の前で倒されそうになっているのはリーザの子であるという情報が心のなかでどんどんと大きくなっていったからだ。

 

「賊どもッ」

 

 その感情に背を向けることはできない。

 オレは逡巡も躊躇もなく叫んで海賊たちの注意をこちらに向けさせていた。

 



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狭間の夢>

「賊どもッ」

 

 その声に振り返る海賊たち。

 

「なんだテメエ?」

「騎士か?」

 

 鉄の斧を威嚇するように振るう海賊の一人。

 もう一人は肩をバキバキと鳴らしている。

 昭和のヤンキーみたいだ。

 いや、昭和のヤンキーも流石に鉄の斧は振るわないか。

 

故も知らぬ騎士(ナイト・エラント)だ、名前はお前らに名乗るには勿体ねえ」

「言いやがったな!」

「囲んで殺せ!」

「ぶっころせえ!!」

 

 怒号が響き、マルスなど最初から眼中になかったほどの勢いで周りの海賊がオレに詰め寄ってくる。

 

 体のキレにしろ、戦いの感覚にしろ、研ぎ澄まされていた。

 苦手な対人戦の意識もない。

 攻撃もパリィでしっかりと弾き、一手ずつ冷静に、確実に処理する。

 

 こんな連中、獣人の曲刀があれば鎧袖一触なんだが、どうにも呼び出せない。

 諦めて持っているものだけで戦えというルールなのかもしれない。

 夢のくせに融通も自由も利かない。こういうのって疲労から来る夢なんだっけ?

 死んでるのに疲れているとはこれいかに、って感じだ。

 

 盤面を通して戦うようなら手強い戦術シミュレーションとなったかもしれないが、

 狭間の地式なら苦戦するほどでもない。

 手足が1セットずつ、理不尽な動きもなく、ハメ殺しもない。

 こんなのに苦戦する褪せ人なんていないぜ。

 

 ───────────────────────

 

遍歴の騎士(ナイト・エラント)……」

 

 それは母上が寝物語に呼んでくれた物語。

 どこの誰ともわからない騎士が、困っている人の前に現れて報酬も求めずに武器を振るう英雄譚。

 

 アカネイア大陸が貴族の支配で安定を得て、そしてドルーア帝国が台頭してから始まった戦乱になって、目まぐるしく変わる歴史になっても遍歴の騎士は現れることはなかった。

 

 この大陸で名乗り上げて戦うものがいるとしたならドルーアかアカネイアのどちらかに属する騎士や戦士、或いは傭兵だけだ。

 

 旅の中で戦い、自らの正義を立てるものがいたなら、僕はタリスに流れることはなかったかもしれない。

 そんな人がいれば、アリティアもあんなことにはならなかったんじゃないだろうか。

 或いは、僕でなければ親友(シーダ)を失わずに済んだかも知れない。

 ……都合のいい考えだ。そうなったのは僕が弱かったから以外に理由なんてない。

 

 僕がそんな考えに取り憑かれそうになっていると、

 騎士はアリティアの近衛兵ですら苦戦した海賊たちを瞬く間に倒すと僕の前へと歩いてきた。

 

「よう、怪我はないか」

「は、はい……ありがとうございます!」

 

 彼は長剣を一振りして血と油を振り払った後に自分の外套を無造作に掴むと拭き取っていた。

 騎士であれば大切なものをそのようにして扱う姿は名誉よりも実戦に慣れた姿だった。

 傭兵ならばやるかもしれないけれど、どうしてか彼からは騎士や貴族、或いはもっと高い位の気配を備えていた。

 だからこそ、その所作がより不思議なものに見えた。

 

「名乗り遅れたな、オレは──」

 

 一拍遅れる挨拶は偽名を考えようとしたのだろう。

 僕がそれを直感したのに気がついたからか、苦笑を浮かべると

「レウス、故も知らぬ騎士(ナイト・エラント)だ」

 

 ───────────────────────

 

 オグマやナバールみたいなネームドクラスには当然及ばない。

 だが、単純な肉体的なスペックは正直、アカネイアの小隊長クラス(強めの名無し)くらいのものは持っていた。

 これがこっちの敵の最低水準だとしたらなるほど、これは手強いシミュレーションになる。

 

 さておき、オレはマルスへと向かう。

 道具なんかはなにもないので何があったとしてもどうもしてやれないんだが、

「よう、怪我はないか」

 一応は聞くことにした。

 

「は、はい、……ありがとうございます!」

 

 そいつはよかった、が、あれで戦闘終了ではないだろう。

 マルスの所に来る前には最前線で戦っていた騎兵たちを見ていたし、彼らがこのレベルの敵を撃滅できるとも思えない。

 ジェイガンだけになって銀の槍で大暴れでもすれば片付くかもしれないが、あの様子だと防戦に徹してそうではあるしな。

 

 つまり、戦いはまだ続く。

 

 オレは乱雑に剣を払って血と油を飛ばした。

 その程度じゃ頑固な汚れは取れないので手頃な布を探すが、あったのは自分が纏う外套くらいだった。

 まあ、布は布か。腐って臭う前にどこかで洗わないとなあ。

 

「名乗り遅れたな、オレは──」

 

 名乗り、か。

 いつのまにか元名乗っていた名前なんかよりも随分とこっちのほうがしっくり来るようになっていたわけだ。

 

 不思議そうに見ているマルスに気がつく。

 おっと、名乗るのに止まっていたら変なやつだよな。

 苦笑を浮かべてからオレは

「レウス、故も知らぬ騎士(ナイト・エラント)だ」

 いつもどおりに名乗ることにした。

 

「命を助けていただき感謝します、騎士レウス殿

 僕の名前はマルス

 アリティアの王女、マルスです」

 

 ──……なんて?

 



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狭間の夢>>

「あの……なにか?」

 

 思わず上から下までじっくりと見てしまった。

 少年体型。

 いや、年端も行かない少女ならばそういう見栄えにもなるのか?

 などと考えるは止める。

 どちらにせよそれどころではない。

 

「西の方で騎兵が戦っていたが、マルスの部下か?」

 

 しまった。

 こっちじゃ聖王じゃないのに王族を呼び捨てにしてしまった。

 マルスは不快な顔を一つ見せず、

「はい、僕の近衛たちです」

 そう答え、何かを言いたそうにしている。

 

 何か、はわかる。

 助力を願い出たいのだろう。

 

「言いたいことはわかってる」

「え、あの……」

 

 ここで問答してジェイガンたちが死ぬのは避けたい。

 

「距離を離して付いて来てくれ」

「……っ!はい!」

 

 聞き分けのいい子で助かる。

 膝をついていた二人もきずぐすりのお陰か、立ち上がってマルスの護衛を継続するようだった。

 

 道具がなにもないのでトレントを呼び出せず、追憶からマリアやチキの偶像も呼べない。

 なくしてわかるありがたさ。

 いや、なくす前からありがたさは実感していたとも。

 

 ───────────────────────

 

「アベル!退くのだ!」

「ジェイガン様!マルス様のもとへ!」

「カイン!待て!」

 

 二人の若武者が最早これまでと武器を構え、最期の突撃を敢行しようとする。

 

(死ぬのは年寄りからであろうが!)

 

 そう叫びたい、だが、銀の槍を振るえるのは自分だけであり、この状況だけで言えば老兵ながらも武器の扱いは衰えを知らぬジェイガンこそが生き延びるのがマルス生存への鍵でもある。

 冷静な考えだ。

 猛牛と黒豹とあだ名される二人は獣に例えられながらも、人間らしい冷静な損得勘定で自分の命を消費することを決めたのである。

 

 だが、その決死の覚悟は実にあっさりと破られるものである。

 

 海賊の一人の頭に矢が突き立つと同時に爆ぜた。

 それほどの剛弓の引き手である。

 だが、誰が?

 

 アベルやカイン、ジェイガンも答えの宛がない。

 

「どうした、海賊ども!

 そんな手負いでイキっていて楽しいか!

 腕に自慢があるってならオレの首を取ってから吹き上げてみやがれ!!」

 

 胴間声が響く。

 海賊だけではなく、騎士たちも視線を誘引された声。

 

 寝物語に語られる英雄のような遍歴の騎士めいた格好に、礼節知らずの荒れた口ぶり。

 その男の故を誰も知らない。

 知られるはずもない。

 この世界においても異物たる故も知らぬ騎士(レウスという名の男)を。

 

 ───────────────────────

 

「げへへっ!おもしれえ!

 どっちが吹き上げてるかってのは(こいつ)で教えてやるぜえ!」

「ひゃっはあ!!」「殺せえ!」

「その首跳ねておもちゃにしてやるよお!」

 

 騎士たちを通り過ぎて突き進む海賊ども。

 片手には鉄の弓。

 ゴードンから借りたものだが、力任せに引いたせいで耐久が大いに減っている。

 流石に壊して返すのは申し訳ないので、そこらに置いた。

 

 ヒーターシールドで半身を隠すような構えを取る。

 

「亀さんよお!盾ごと割ってやるぜえ!!」

 

 斧が振られる、が、遅い。

 この程度ならパリィを取るのは余裕だ。

 弾いて体勢を崩し、相手の膝を蹴り転ばせる。

 胴体めがけて剣を叩きつけるように突き刺し、抉るように力任せに引き抜いたときには絶命している。

 この一連の動作が致命パリィってやつだ。

 

 二人目はローリングで背後に回って一太刀、体が揺れたのを見て確実な死を与えるために首筋を断つような一撃。

 背後致命って奴だ。

 

 三人目もそんな様子に恐れる様子もない。

 海賊の癖に気合の入った野郎だ。

 

「死ねやあ!」

「テメエがな」

 

 攻撃を受けるではなく横に避けるようにしてステップを利かせ、胴体にヒーターシールドの下部、鋭くなった部分を叩きつける。

 それだけで十分な致命傷だろうが苦しませるのも本意ではない。

 ぐらりと倒れそうになる海賊の首を撥ねた。

 

「……な、ま、マジかよ」

「で、お前はどうする?」

 

 残った一人が一歩、後ろへと下がる。

 

「あ、兄貴に報告を──」

「それには及ばねえよ」

 

 見ようによってはワイルドな顔つきが男前にも見える。

 その姿は我が友ガザックではないか!って感じには応対できない。

 そもそも友達じゃなくて捨て駒(デコイ)として扱うばかりだったしな。

 

「他の連中は船でガルダに戻ってゴメスに合流しろ」

「兄貴はどうするんです!?」

「……こいつとやり合う、どうせ逃げたって無駄だろうしな

 そうだろ?」

 

 気合の入った野郎だ。

 海賊にしておくには勿体ないが、今のオレは国を持つわけでもないし、軍を率いているわけでもない。

 

「そこまで色気を出されちまったら、ここでオレと戦う以外に道はねえ……って言いたくなるだろ」

 

 オレはヒーターシールドを背負い、ロングソードを諸手で持つ。

 

「ガルダ海賊、波濤砕きのガザック」

故も知らぬ騎士(ナイト・エラント)、レウス」

 

 鋼の斧を大きく構えるガザック。

 オレもロングソードで構えを取る。

 

「行くぞッ!!」

「応ッ!!」

 

 タリスでの決戦が火蓋を切った。

 



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狭間の夢>>>

 こいつは強い。

 オレの知るガザックも海賊にしちゃ相当な腕前だったが、このガザックはそんなレベルじゃあない。

 それこそベンソンやハイマンのタッグと戦わせたってこいつは勝ち切るだろう。

 

 斧が嵐のように振り回される。

 確かに強い。

 だがオレにはガザックの動きの一つ一つからどこに打ち込めばよいか、どこが致命傷となるかが見て取れた。

 聖王として生きた経験がオレを一人の武人としても十分に成長させていたらしい。

 

 まったく、これだけできるならフィーナに気を取られて名無しどもに刺されるなんてヘマを踏むなよな。

 オレは自分にそう思うも、仕方ないだろと自己弁護もする。

 フィーナが再び手の届かない場所に連れて行かれると思ったら全身の血が頭に全部行っちまったんだから。

 

 だが、今のオレは冷静だ。

 振り下ろされんと力を籠めたその一瞬にオレも構えを完了する。

 後は互いの武器を振るう速度だけ。

 

 ガザックは力を頼みにした。

 オレは経験と技術を扱って見せることにした。

 

 結果?

 どうにも夢はまだ終わっちゃいない、これが答えの全てになるだろう。

 

 ───────────────────────

 

 その後はタリスをマルスが解放するのを見届けた。

 モスティンがしょぼいジジイだった、元々こうなんだけどさ。

 だが、シーダが死んだことは相当に堪えているのだろう、解放に関しては王族として感謝を述べたものの、すぐに引っ込んでしまう。

 

 側近たちは生き残ったマルス一行を労うための宴をと言うものの、それを辞退し、

 彼らに与えられているらしい屋敷での休息を優先することを求めた。

 アベルやカインだけではない、部下の全員が満身創痍だったのだ。

 

 それでも食事や酒、それにきずぐすりが運び込まれ、治療としても休息としても晩餐としても十分な規模となった。

 

 オレはオレでご相伴に預かれることになったのでありがたく舌鼓を打たせてもらう。

 魚介が美味い。

 エキゾチックな味付けが尾を引く。米が欲しくなるが米はないのは聖王時代で体験している。

 

「マルス、これからどうすんだ?」

 

 呼び捨てにしたオレにジェイガンが苦言を呈そうとするも、マルスに手で制されると不満げに口をつぐむ。

 命を拾ってくれた相手であろうとも、そりゃあ主君がそんな扱いをされればなあ。

 

「わかりません……」

「シーダが死んじまったんだもんな」

「……シーダのことをご存知なのですか?」

 

 思わず、ああ、と答えた。

 そりゃあ自分の嫁だからな──……こっちじゃあ、そうじゃなくたってだ。

 

「まあ、シーダは覚えておるまいさ

 旅の中で会った間に過ぎんからな」

 

 オグマとの出会いの話もある、旅でこうした人間に出会っていても不思議ではないだろう。

 マルスも納得したようである。

 

「僕は、どうすればいいのでしょうか」

 

 それは投了宣言にも似た言葉にも聞こえるが、どちらかと言えば教えを乞うような音の響きだった。

 

「まずは飯を食え

 どんなときも腹に飯を突っ込めない奴ぁ戦場で最初にやられていくもんだ」

 

 よそった食事をプレートごと渡す。

 受け取る気力が湧かないようだ。

 親友が死んでるからな、そりゃあそうだろうさ。

 

「……」

 

 オレはマルスの側にまで近付いて、スプーンに食事を乗せると差し出す。

 いわゆる『あーん』である。

 ミネルバにもやって嫌がられたな、そう言えば。

 こちらの王女様は嫌がりはしないものの、焦ってスプーンを受け取って自分で口に運んだ。

 

「えらいぞ」

 

 つい褒めてしまう。

 なんだろう、リーザの子供って思うとつい褒めてやりたくなるのだろうか。

 我が子じゃあないが、まあ、オレの立場からしてみれば似たようなものだからか。

 

 ───────────────────────

 

 マルスが食事を少しずつ取っている横で、オレはジェイガンたちから現在の世界情勢を聞いていた。

 

 このアカネイア大陸も、オレが生きた世界とも、元々の世界とも違う歩み方をしているようだった。

 そりゃあ、マルスが王女の時点で違うだろうけど。

 

 ただ、状況は予想以上に違った。

 

 ドルーア帝国が現れたが、早期にミシェイルが父王を

『武人の国であるマケドニアの王族にありえざる弱腰である、チェスト・ドルーア(玉砕覚悟こそ本懐なり)』と、誅殺。

 グルニアの双子将軍、黒騎士カミュと黒の戦乙女カミユがマケドニアと同盟を現王ルイに迫り、同意を得た。

 

 一方のドルーアは初期から相当数の竜族と、長い時間を共に過ごした蛮族たちを使い、アカネイア王国を蹂躙。

 その際には二面作戦を取ってアリティアも滅ぼしている。

 グラはここでもドルーアの圧に負けてコーネリアスを殺している。

 どうあってもジオルはコーネリアスを殺さないと気が済まないのか?

 

 それはともかく、アカネイアは滅ぼされ、ドルーアに恭順したのが五大侯勢力。

 現在のパレスは完全に五大侯のものとなっているらしい。

 

 なんとか逃げたニーナを含むアカネイア残党はオレルアンへと道を進むも、賊に命を奪われたという。

 ボアやミディアたちも犠牲になったらしい。

 ……まあ、五大侯かジオルの差金ではなかろうかとは思うが。

 

「オレルアンはどうなってんだ?」

 

 神輿のない状況だが、その一方でマケドニア・グルニアが同盟になっているのであれば包囲網が完全というわけでもないだろう。

 

「オレルアンはラング率いる新生アカネイア軍に攻め込まれている状況だそうです」

 

 ゴードンが横から言い、カインが

「オレルアンは国を守るって大義名分はあろうけど、そのあとはどうするんだ?」

 その言葉にアベルは

「マケドニア・グルニア同盟に加わりドルーア・アカネイアの包囲に参加する以外にはないだろう」

 冷静に返すが、カインは納得行っていない顔だ。

 

 まあ、そうだろう。

 ニーナを庇護していなけりゃオレルアンは草原にある一国家に過ぎない。

 一方で完全に王族の命脈が絶たれた以上はアカネイア王国の臣民は大貴族であるラングたちに従うだろう。

 

 では仮に新生アカネイアが打倒されたとして、オレルアンはどうするのか。

 アベルが言うように同盟に加わるのか?

 だがそれもカインの言うように大義名分もない戦いであるのも事実。

 新生アカネイアはドルーアの下に付いているようなものではあるが、明確に主従の関係を取っているわけでもないらしい。

 つまり、新生アカネイアの侵攻を理由にドルーアと敵対するには理由が弱い、ということだ。

 

 うーむ……、介入余地……なくない?

 



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狭間の夢>>>>

 僕はアリティアの第二王女として不自由なく過ごしてきた。

 その日常が崩れたのは有名無実であったドルーア帝国に、皇帝たる存在、暗黒竜メディウスが君臨したことに始まった。

 

 アカネイア大陸は戦乱に包まれ、今やドルーア帝国とそれに従う新生アカネイアか、

 マケドニア・グルニア同盟の二つの国の戦いとなっていた。

 僕は家族に逃され、タリスへと落ち延びた。

 

 タリスは地政学的に見て価値のない土地であったからこそ平和だった。

 家族は殺されて、僕はタリスの庇護下で平和を享受していた。

 

 しかし、その平和な島に海賊たちが現れた。

 親友であるシーダが海賊に殺され、瞬く間に島は海賊の支配下に置かれることになった。

 

 僕は王の頼みで島の南東地区に向かい、シーダの亡骸を弔っていたから、

 王城の占領とそれに伴う激しい戦闘には巻き込まれなかった。

 とはいっても逃げ場もない島ではいずれは海賊は僕たちの元に来るだろうのはわかっていた。

 シーダの仇ということもあり、僕は座して待つのではなく、迎え撃つことを決めた。

 外から聞こえてくる村人たちの悲鳴に耳を塞ぎ続けることもできなかったから。

 

 けれど、結果は散々だった。

 僕は弱かった。

 偉大な武人である父上に手ほどきを受けていたけれど、所詮は実戦経験もない子供。

 暴れ、殺しを続けているような海賊に勝てるわけもなかったのだ。

 

 そこに彼が現れた。

 遍歴の騎士(ナイト・エラント)、レウスと名乗った人。

 この人は僕が知らないような、多くの経験を持っているのは物を知らなくとも理解できた。

 

 差し出された食事を終える。

 僕は食器を机に置くと、レウスさんへと声を掛けた。

 

 ───────────────────────

 

「ガーネフはどうしている?」

「ガーネフ?」

「メディウスに従ってる魔道士のはずだが……知らんか?」

 

 近衛一同が顔を見合わせて、誰だろうという表情を浮かべる。

 やがてドーガが、

「そういやあ、マケドニア・グルニア同盟との戦いで命を落としたドルーア側の将軍でそんな名前の男がいたような……」

 半ば不確かな情報だから明言しにくそうに言う。

「ああ、そうでした

 すごい腕前の魔道士で、メディウス復活にも貢献していたとか」

 

 死んだとなれば、本当に人間対暗黒竜でしかないのか。

 この世界のガーネフがどんな大望を抱いていたかは定かではないが、

 その代わりとしてメディウスに侍るラングどもではガーネフの代わりに野心を抱いても、ドルーアの中でその野心を完遂するのは難しいだろう。

 

 ファルシオンがどうなっているかはわからんが、

 カミュやミシェイルが生きているならグラディウスやオートクレールでメディウスには打撃を与えられるかもしれない。

 『暗黒竜はファルシオンがなければ勝てない』なんて条件のない相手、強けりゃ勝てる。

 

 ますますこの世界じゃマルスは主役じゃないかのような雰囲気が出てきているな。

 主役はミシェイルか、会話の端っこに出ていた黒騎士の双子とやらか。

 

 或いは、仮に彼らが負けてファルシオンがナーガのご配慮でマルスの手に渡ったとしても、

 個の英雄アンリと違って、つわ者の多くが倒れたあとだったなら群の英雄マルスは暗黒竜を打倒できるだろうか?

 正直なところ、怪しいはずだ。

 何せ体躯が伸び切っているわけでもない少女がこの世界のマルスだ。

 人々にしろ神にしろ、彼女にそれを願うのは酷だろう。

 

「あの、レウスさん」

 

 夢の世界とはいえ、何か目的というものがなければつまらない。

 このままマルスには平和にタリスで過ごしてもらって、オレはどちらかの勢力に付くか。

 今度はラングにでも味方してみるのも面白いかもしれないが──

 

「あの!」

「っと、すまん

 深く考えすぎてた……で、なんだ?」

「その……」

 

 言い出しにくそうな顔をしている。

 このまま聞き出してもいいが、直球というのも面白くはない。

 少女になってはいるものの、マルスはマルス。

 折角なのだから会話を楽しませてもらおう。

 

「聞き出す前に、いいか?」

「ええ、勿論です」

「戦乱は深まり、世は乱れているも状況はそれなりに固まっている

 オレたちが何かを為すには遅すぎたかもしれない」

 

 その言葉は彼女も理解しているところなのか、こくりと頷く。

 

「だが、それでも叶えたいと思うことはあるか?」

「……つまらない答えでがっかりされるかもしれませんが」

「しないさ」

 

 息を少し飲み、意を決してから彼女は言う。

 

「僕の祖国を滅ぼしたグラに、相応の報いを受けさせたい」

 

 憎悪に曇った瞳ではない。

 だが、王族としての欠かさざるべき心の持ちようというものもあるのだろう。

 

「だから、僕の」

 

 じっと彼女はオレを見つめ、心で言うことを決していた言葉を吐き出した。

 

「僕の先生になってください!」

 

 そう来たかあ。

 助っ人にでもなってくれと言われれば、オレも頷いていたんだが、そうかあ。

 

 ───────────────────────

 

「先生!これでどうですか?」

 

 あれから島外には出ず、少しの間タリスで修行を付けることになった。

 とはいっても、オレも人に教えることなんて機会は殆どなかったし、それでマルスが強くなっているのかはわからない。

 それでもひと月もする頃には見違えるような強さを持つようになっていた。

 

 一方で大陸全土の状況は殆ど変わらず。

 こっちに火種が飛んでこないならそれが一番だ。

 

 あれから夢の中で寝るという妙なことを続けることになったが、ふと、これがミシェイルの言っていた予知とやらなのだろうかと思うようにもなった。

 予知というものを知るものは少なくともタリスにはいなかったので、確定のしようもないが。

 

 ともかくとして、マルスは育っていった。

 まっすぐな感情と表情を向けて「先生!」なんて呼ばれるとこっちまでやる気も教える気も溢れてくるというものだ。

 人のやる気を引き出す才能もまた、群の英雄たる資質なのかもしれない。

 



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狭間の夢>>>>>

 全力ではないにしろ、遂にオレはマルスから一本取られた。

 ここまで戦えるなら仮にここがハード5(イカれた難易度)相当にヤバい世界だとしても雑兵には遅れは取らないだろう。

 

「マルス」

「なんですか、先生」

 

 彼女は汗を布で拭ってオレの前へと歩み寄ってくる。

 

 手入れの終わったロングソードを鞘に戻し、柄を向けてマルスへと差し出た。

 

「卒業祝だ

 もっと良いものをくれてやりたかったが生憎これ以上のものはなかったんでな」

「でも、これは先生の」

「グラでの戦いには邪魔にならんはずだ、その道中でも乱戦はあるだろう

 戦い続けても壊れない武器ってのはそれだけで大きな戦術的優位を持てる」

 

 逡巡はあったものの、最終的には剣を恭しく受け取り、それから吐息を漏らすようにして見つめ、剣を抱きしめている。

 喜んでもらえているようで何より。

 

「明日にはグラに向かおうと思っている

 モスティンには話は通しているが」

 

 異論はあるか、と周りを見渡す。

 近衛たちはマルス様のご意思一つ、と言った感じのようだった。

 

 剣を抱きかかえているマルスはそれを受けて、こくりと頷く。

 

「父上、母上、姉上、そして民草の仇です」

 

 退く理由はない。

 そう言いたげだ。

 彼女はオレに視線をやり、

 

「ですが──」

「オレには戦う理由がないんじゃないか、ってか?」

 

 こくりと頷くマルス。

 

「先生、なんて呼んでくれるかわいい生徒を見送って、

 オレはこのままタリスで余生を過ごすつもりだ……なんて言うと思っていたか?」

 

 群れを為すには時間は流れすぎた。

 オレが知っている知識など役に立たないほどに世界は変わっている。

 

 だとしても、──或いは、だからこそマルスに付いていくのは決めていた。

 それがジオルのところだろうと、パレスだろうと、ドルーアであろうと。

 

 ───────────────────────

 

 部隊は三つに分けられた。

 ジェイガン、アベル、カインの騎兵は撹乱に。

 

 ガルダの港を解放した際に同行を申し出たオグマたち。

 彼はシーダが殺されたことは何よりこの乱世こそが生んだ悲劇だと捉えており、その一端を作ったグラを憎んでいた。

 彼の配下たるサジ、マジ、バーツも戦意は十分。

 

 四人はドーガ、ゴードンと共に騎兵の動きで乱れた敵兵を打ち倒す役割を頼んだ。

 

 そのどちらもが命を落とす可能性の多い任務。

 マルスはオレが立てた戦術に頷くまで少しばかりの時間を要したものの、最終的には頷いた。

 それ以外に手を思い浮かばなかった、無茶をし、命をかけなければならないだけグラには戦力が残っている。

 

 そしてオレとマルスがジオルの元へと切り込むことに。

 速戦即決でジオルの首を取らねばならない。

 時間をかければかけるだけ揺動と乱戦を行うものたちの命は危険に曝され、致死率も時間経過ごとに飛躍的に高くなる。

 

 戦いの幕は斬って落とされる。

 不意打ちであったからこそ、最初は敵の出は悪かったが、敵兵に偽装したオレとマルスの声掛けによってグラ主城からはどんどんと兵士が現れる。

 練度で言えば最低水準も良いところで、士気に関しては最低水準を割っているレベルだった。

 その辺りは前もって調べたとおりであり、だからこそこの策を採ったというのもある。

 

 オレたちは敵兵を斬り殺し突き進む。

 そうして、オレがシャロンと決闘を行った広間にたどり着いた。

 

 玉座には甲冑姿のジオルがこちらを睥睨する。

 

「このグラを攻めるとは恐れ知らずどもめ!」

 

 弱腰のジオルしか知らないからちょっと新鮮だ。

 

「恥知らず?

 恥知らずはどちらです、ジオル王!

 貴方は我らアリティアとは兄弟も同然、それを後ろから刺すのは恥知らずではないと?」

 

 マルスがロングソードを構え、ジオルへと問答を仕掛ける。

 

「その兄弟ヅラが鬱陶しかったのだ!

 我らグラはいつも日陰、貴様たちが陽光をもたらすのだと言われていた惨めさがわかるか!

 わかるまいな、マルス王女!」

 

 甲冑を鳴らして立ち上がり、立てかけてあった銀の槍を掴む。

 

「貴様の父はわしに!母はドルーアの魔竜に!姉はお前を逃がすために捉えられ、メディウスに捧げられた!

 残ったアリティアの血は貴様だけ!

 ここでそれも終わりに、根絶やしにしてくれるわ!」

「ジオルッ!」

 

 マルスがジオルへと踏み込む。

 やはりオレが知るジオルよりも腕前はかなり上だ。

 正直、イメージからすると腰の退けた弱王であったが、マルスと対峙しているのは野心と憎悪を牙にした猛獣のようでもあった。

 

 だが、その程度でオレが鍛えたマルスが負けるわけがない。

 

 槍を捌き、背に周り、体勢を崩し、斬る。

 それでも足りないのならば槍の動きを利用し、外し、転ばせ、斬る。

 徹底的な致命狙い。

 即死しないのはまさしくボスの風格があるが、戦いの内容はガン処理といった感じだった。

 

 遂に立ち上がれなくなったジオル。

 心優しい王女マルスではあるが、それでもここに来るまでに何人もの敵を屠っている。

 今更手を止めることはない。

 

「ジオル、アリティアと家族の仇を取らせてもらうッ!」

 

 ひゅん、と剣が走るとジオルの首が飛ぶ。

 

 グラの戦いはこれで決着した。

 マルスを玉座で休ませるとオレはジオルの死体を持って外へと向かう。

 やがてグラの兵士たちも、戦いに参加させられていた民草もが敗北を認め、むしろ歓呼の声を上げてマルス王女を迎え入れた。

 

 結果としては、こちらの被害はなし。

 アベルとカインは多少手傷を負ったもののきずぐすりで回復できる範疇。ゴードンは才能が開花したかのようで、必殺必中の矢を連発したらしい。

 そしてなによりもオグマだ。

 想像以上に彼が大暴れしたらしく、聞いた話とグラの損耗を見てみればその勢いがあったなら正面突破ができるかもしれないほどである。

 オグマの怒りを侮っていたわけじゃあないが……この戦乱は怒らせてはいけない人間を大いに怒らせてしまったわけだ。

 

 ───────────────────────

 

 グラは圧政に喘ぎ、その病巣とも言えるジオルが排されたことで多くの臣民がマルスを主と認めた。

 地下に捕らえられていた真っ当な思考回路を持っている文官たちは解放された後はグラの復興のためにマルスの部下になりたいと申し出た。

 

 困った表情をするマルスが

「先生……どうすればいいでしょうか?」

 と聞いてくる。

 

 本来のマルス王子は祖国解放を目指して進み、やがて成し遂げて、ドルーアへと挑むことになる。

 しかし、この王女はあくまで復讐が目的であり、王族としての復権も、祖国を取り戻すことも目指してはいなかった。

 大陸の状況がそれを望ませることすらできないほどに煮詰まっていたから仕方のないことではあるが。

 

「暫くマルスと二人で話したい、下がってもらえるか?」

 

 オレの言葉に一同が去る。

 少し前まではジェイガンからは、マルス王女へと取り入ろうとするタチの悪い男だという扱いで、

 彼女と二人きりにさせることは殆ど許さなかった。

 ガルダの港を救う頃には、マルスを鍛え上げた実績に、戦局の判断能力などを信頼の下地としたのか、こうして人払いしても従うようになった。

 もしかしたらマルスがその頃にジェイガンに何か伝えたのかもしれないが。

 

「マルス、道は三つある」

 

 こくりと頷く。

 

「一つはこのままグラを自分の国として発展させる

 次がグラはあの文官やらに任せてタリスに戻る

 そして最後はアリティアも解放する、だ」

 

 マルスは少し考えるようにしてから、

 

「どれも魅力的には感じます、でも

 ……一つ目は結局、三つ目を目指してしまいそうですが、その頃には何もかも遅くなっていそうですよね

 二つ目を選ぶくらいなら、平穏に生きるだけを望むなら……復讐もするべきじゃなかった」

 

 それに二つ目を選んでいたら先生は僕がタリスに戻るのを見届けたらお別れになってしまうでしょう?

 などと言う。

 言外にまだ一緒にいてほしいという思いをぶつけてくる辺り、マルスはマルス。

 人たらしの才能はその細い体にも十分に備わっているのだろう。

 

 さておき、彼女は困ったような表情を浮かべて、

 「意地悪な人ですね、先生」

 そう囁くように言った。

 

 選択肢があるようで、実際にはない。

 勿論、マルスが選択肢にないものを選ぶならそれでもよかったが、オレは考えつかなかったし、マルスも同様だった。

 

「僕は、アリティアを解放します

 先生と共に戦えるのなら、きっとできます」

 



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狭間の夢>>>>>>

 マルスがアリティアを攻め、そして解放したのは実にすんなりと行った。

 ……わけではない。

 アリティア地方のゲリラは完全に駆逐されており、アランとサムソンのいた村は跡形もない。

 ただ、ホルサードやホルスタットはグルニア王国の所属故か、姿はない。

 ドルーア軍と新生アカネイア軍が代わりをするようにアリティア領内を闊歩していた。

 

 計画(やること)は変わらない。

 オレは腰に二振りの鉄の剣、盾にも一振り、片手に一振りと鉄の剣の倉庫みたいな状態になって戦場に立った。

 基本的な戦術はグラ攻めの際と大きくは変わらない。

 あるとするなら野戦には途中までオレとマルスも参加するくらいのものだ。

 

 野戦でめぼしい敵を倒した後は城を目指す。

 ハナっから主城を奇襲して制圧するのも考えたが、ここで勝利することが=マルスの今後の勝利に繋がるわけではない。

 彼女を勝利させるためにはその後、アリティア平定のことも考えねばならず、そうなればこちらの兵力は損耗しなければしないほどよい。

 

 鉄の剣を二つ使い潰した辺りで明らかにオレに対しての警戒度が上がった。

 戦闘慣れしている竜族が立ちふさがり始めた。

 流石のドラゴンを鉄の剣で戦うのは骨が折れる作業だった。

 

「優れた武器がないのは辛そうね、騎士殿」

 

 黒衣を纏った仮面の騎士が目線よりも高いところ、側にある丘陵から声を掛けてきた。

 交戦していた竜族が睨み「キサマ、ナニモノ、ダ!」と吠える。

 

「ふっ、知らぬならば教えてあげましょう

 私の名前はシリウス。

 人は私を仮面の戦乙女と呼ぶ……たぁっ!」

 

 馬鹿げた口上を放ち、竜族へと飛び込むようにするとたったの一撃で竜族を『開き』にした。

 

「この仮面とメリクルがある限り……ドルーアの好きにはさせない!」

 

 びしっ、と音が聞こえるような決めポーズを取る。

 

 ははーん。

 

 アホなんだな。

 

「君が遍歴の騎士(ナイト・エラント)、レウス殿だね」

「あー、そうだが、アンタは?」

「名乗りが聞こえなかったのかな?

 ではもう一度──」

「いや、大丈夫、聞こえてた

 その……グルニア王国の黒の戦乙女殿で間違いないか?」

「え!」

 

 なにを持ってしての「え!」なのかわからない。

 確かにグルニアの黒騎士の出で立ちではない、オレの知るあちらのグルニアのものではない、というだけなので信ぴょう性はさておくが。

 

 ただ、シリウスと名乗って好き勝手する奴といえばもはやカミュ以外に存在しない。

 相手からすれば始めて見る騎士の真名を当てて来たわけだから驚くのも無理はない、のかもしれないが。

 

「し、シリウスだ

 断じてカミユという黒の戦乙女ではない」

「……まあ、じゃあ、シリウス殿

 なぜここに?」

「貴殿のことが気になっていたところに、グラを攻略したマルス王女がアリティア進軍を決断!……という情報を得てこうして参ったわけだ

 同じ遍歴の騎士として何か助力ができぬか、とな!はっはっは!」

 

 豪放磊落に笑う。

 知っているカミュとの落差が凄まじいが、そもそもカミュとカミユがいる時点で考えるのも無駄なのかもしれない。

 

「しかし、返せるものはないぞ

 仮にアンタがどこかの国の騎士だとして今回の助力で取り戻した領土の割譲も、同盟締結も持ち出してやることはできん」

「ふむ、武辺者なだけであるかと思ったが冷静でもあるのだな

 なに……そのような無粋な真似を持ち出すことはない

 ただ近くで貴殿の武芸をこの目で見たいだけなのだ」

「がっかりすると思うがね」

 

 竜族との戦いですっかりなまくらになってしまった鉄の剣を捨てて、残り一つの鉄の剣に手を付けようとしたところでシリウスが言う。

 

「そのような剣でここまで切り抜けたのか、それだけでも恐ろしいが……

 まさかそれでマムクートどもと戦おうと?」

「竜族、な」

「む?」

「マムクート、なんて呼ばないでやってくれ」

 

 小首を傾げるが、すぐに合点したように

「ああ……蔑称であったな

 貴殿を不快にさせるつもりはなかったのだ、申し訳ない」

 

 頭を深く下げる。

 素直な娘なのはありがたい。

 この世界の竜族にゃ故もないが、それでも竜族は竜族。

 愛した連中と同じ種族のものに蔑称を使われたくはない。

 ……勿論、彼女からしてみれば憎むべき敵であるからこそ蔑称を使う気持ちも理解はできないわけじゃない。

 

「とはいえ、そのまま鉄の剣で戦っていれば」

 

 ちらりと奥に目線を動かすようにする。

 そこではマルスが奮戦していた。

 小柄で細い体のどこにそんなスタミナがあるのかと思うほどに、乱戦を勝利しては切り抜けている。

 だが、先陣を進むオレが苦戦すれば彼女の継戦時間も伸びる。

 目指すは魔竜モーゼス、大将首さえ落とせばそれで勝ちだ。

 それまでにスタミナを使い切らせるわけにはいかないのは確かだ。

 

「故にこれを納められよ、先程の無礼のお詫びだと思ってくださればこちらも救われる」

 

 見事な拵えの武器が二つ。

 片方は銀の剣であろうのは見てわかる。

 もう片方は

 

「ドラゴンキラー、我がく……或る国が開発に成功した竜族を倒すための武器だ」

 

 我が国って言おうとしたな、このポンコツ戦乙女。

 

「ありがたく使わせてもらう」

「その代わり!……私も側で戦わせていただきたい!」

 

 何故そこまでそれに執着するのかを問えば、やはり遍歴の騎士の物語を出してきた。

 彼女も、マルスもその物語が大好きらしい。

 オレはどうにもそれに重ねられる、やり口が似ているのか、それとも別に理由があるのかはさておいても、これほど腕の立つ騎士が味方であるのはありがたい。

 

 そうしてマルスを合流させ、彼女を紹介し、オレたちはアリティアへと突き進む。

 

 魔竜モーゼスを倒す頃には虐げられていたアリティア市民たちも戦闘に参加し、アリティアの国旗が掲げられる頃にはすっかりドルーアの影も形もアリティアからは消えていた。

 



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狭間の夢>>>>>>>

「先生、この方は結局誰なのですか?」

「えーと、故も知らぬ仮面の戦乙女、シリウス殿だ」

 

 オレの腕を引くようにしてマルスが言う。

 自分のものだと言われているようで悪い気はしないが、一国の王となったからにはあまり派手にそういうことをするのもよくないとは思うが

 

「先生!いい響きじゃないか!

 私もそう呼ぼうかな、どうだろうか、先生」

「シリウスにはオレは何も教えてな──」

「先生は僕の先生ですから、ダメです」

 

 マルスが被せるように代弁するように拒否の姿勢を取る。

 シリウスも半ばそれを楽しんでいるようでもある。

 それに対して仮面の騎士は「はっはっは!」と呵々大笑する。

 

「マルス殿は可愛らしくあらせられるなあ」

 

 どうにもからかっただけのようである。

 年の近い妹か、同性の友達との会話を楽しむようでもあった。

 

「さて、このまま居着きたい気持ちもあるが、これ以上問答をして嫌われるのもよろしくない

 私はそろそろお暇しようと思う」

 

 複雑な表情から一転、マルスは背を向けたシリウスに声をかける。

 

「まだお礼は何も」

「私も君の先生と同じさ、故あったればこそ助力したに過ぎない」

 

 その言葉は彼女もまた、全力で自らが目標とした姿……おそらくは遍歴の騎士たらんとしているのが伺えた。

 

「先生も、戦場で相まみえたときにはどうかお手柔らかに」

 

 去り際に再び先生呼びをする。

「また先生って」とマルスは口に出すも、複雑な表情をしてそれ以上は言わず、息を整える。

 そして、

 

「シリウス殿、ご助力……本当にありがとうございました!」

 

 マルスは礼を取る。

 ゆっくりと振り返り、シリウスも返礼を取ってから去っていった。

 

「忙しくなるのはここからだぞ、マルス」

「……はい、先生」

 

 ことさら「先生」という言葉を強調された気もする。

 

 ───────────────────────

 

 グラを統合し、新たな王としてマルスを戴くアリティアに届いたのはオレルアンの使者であった。

 オレルアンは新生アカネイアの前に滅びる寸前まで攻められているも、総司令官のラングも本陣に座している。

 もしも『腕の立つ誰か』が本陣を落とせばオレルアンは助かり、新生アカネイアにも大打撃を与えられるのだという。

 

 返答は半日で出すと使者を待たせる。

 マルスはオレにあてがった部屋へと顔を出す。

 

「本当に忙しくなるのはここから、なのかもしれません」

「ああ」

 

 何せ、オレルアンが味方と見れるのは新たに勃興したアリティアだけだ。

 マケドニア・グルニア同盟にはアプローチし続けただろうが、オレルアンが助かっていない状況となれば無視され続けたのは明白である。

 仮に彼らが助けたいと考えたところで同盟がオレルアンまで挙兵するのも距離、地理の両面で現実的ではない。

 

「なあ、マルス

 お前はどうしたい?」

「どう、ですか……」

「祖国を取り戻しただけじゃないかつて一つだったアリティアとグラを一つの領地として取り戻した

 領地の大きさを見ても、このまま大陸の趨勢を静観したっていい」

 

 このまま国力の回復と軍備を整えれば十分に可能だ。

 そして、その時間を稼ぐこともできる。

 勿論、最終的にはメディウスを倒せないなら世界崩壊で終わりだろう。

 

 だが、望まないものを駆り立ててまで世界を救う必要があるとも思えない。

 滅びるなら滅んじまえばいい。

 

「僕は」

 

 少し言葉を悩むように俯いてから、

 

「僕は偉大なる英雄王アンリの血を引いています

 力も経験も、知恵も勇気も足りていないけれど、それでもアンリの血を引いているんです

 暗黒竜がこの乱世の根源にあるなら、僕が倒さないと駄目だって、わかってるんです」

 

 彼女は手をぎゅうと握り込む。

 それは確かに震えていた。

 

「でも、怖いんです……僕は、戦うことが、怖い……」

 

 マルスの年齢は聞いていた。

 今年で14、元のマルスの年齢とを比べればより若い。幼いというべきかもしれないが。

 

 復讐心あればこそ、グラを打倒し、モーゼスを討伐した。

 だが、平和を作るために戦うというのであれば、大義の旗を掲げて個人感情ではないところで武器を振るい、人の命を奪わねばならない。

 

「マルス」

「はい……」

 

 震える手にオレの手を重ね、包む。

 

「心が自分がどうありたいかと叫ぶ方向へ進め

 どんな悪路だろうとオレが支えてやる」

「僕は……」

 

 震えから逃げるように細い指がオレの指に絡む。

 

「メディウスを倒したい、この大陸を平和にしたいです」

「それじゃあ、そいつを叶えに行こう」

 

 かくして、マルスは英雄王を目指すことになったわけだ。

 これが夢であれなんであれ、オレが手を抜く理由にもならない。

 既に何をするにも遅すぎたかもしれないこの世界だとしても、それでも足掻くとしよう。本気で、全力で。

 



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狭間の星

 オレルアンとの戦いに赴くに辺り、マルスのもとにアリティアの軍人や武人たちが義勇兵として参列した。

 その全てを連れ立っては国防が成り立たなくなるため、選別し出陣した。

 

 道中ではグラの、王女シーマに仕えていた兵士たちが同道を求めた。

 彼ら曰くシーマは暗黒竜メディウスの供物としてジオルがドルーアへと差し出したという。

 今こそ主たるシーマの仇を取る機会だとしたのだ。

 彼らは同道だけでなく、新たな主としてマルスの下へと付くことを望み、マルスはオレとの相談の上でそれを許可した。

 

 更には五大侯が一つメニディ家のノアに仕えていた郎党たちも同じようにマルスの下に付いた。

 彼らはグラのジオルが行っていた専横を止めたマルスを英雄視しており、英雄譚の端に加えて頂きたいと従った。

 

 オレルアンとことを構えている新生アカネイア軍の本営を衝ける辺りまで行軍をする。

 マルスとオレが本営へなだれ込み、ラングの首級を揚げる。

 そのための道を義勇兵など、道中で仲間となったものたちが作る。

 

 策とも呼べないやり方ではあるが、道中で何度か遭遇した敗残兵崩れの賊との戦いで確認したが、マルスの今の強さであれば問題ないと判断する。

 単騎駆の力で言えば、オレと同程度はあるのではないだろうか。

 聖王国を広く見ても単騎の強さだけで言えば横に並べるものを探すのは片手で数えられるほどだろう。

 

「先生が取ってくださった手を、僕の振る舞いで離してほしくないから」

 

 行軍の夜に彼女がぽつりと呟いていた。

 それを理由にするのはどこか悲壮でもあったが、それでも覚悟の量も枚数も戦乱の世であれば多ければ多いほどいい。

 心を強く保つ理由がないものから命を落としていくことをオレはよく理解している。

 心折れて、狂ってなお戦えるものなど狭間の地ですら多くはいなかったのだ、あの場所ですら。

 

 ───────────────────────

 

「き、貴様ら、どこから!?」

 

 ラングの最期の言葉はあっけないものだった。

 奇襲には成功し、彼の周りにいた五大侯や重臣らしきものたちはオレによって撫で斬りに。

 そして首魁であるラングはマルスのロングソードのもとに斬り伏せられた。

 

 本営を落とされたことを知った新生アカネイア軍はあっけないほどに潰走した。

 ほどなくしてオレルアンから現れた使者は狼騎士団のロシェであった。

 他の狼騎士団はハーディンと共に先日、突撃を敢行して命を落としたという。

 オレルアンの王族は既に死んでおり、実質オレルアンは崩壊寸前。

 残っていた正規軍が数を減らしながらも首都決戦とならないよう気を吐いていたらしい。

 

「オレルアンは以後、マルス様に臣従いたします」

 

 王族の血をわずかに引いているものを代表として、オレルアンはアリティアに組み込まれることを求め、そのようになる。

 

 このままさっさとパレスに進軍し、落としてしまいたかったが、戦後処理というものもある。

 マルスやオレがその辺りの分野が得意ではないために苦戦はするも、アリティア、グラ、オレルアンから官僚をかき集め、何とか解消を図る。

 結果として、アリティアは新女王マルスの元に一つとなるパレードを行い、彗星のごとく現れた救国の英雄として『スターロード』の名と称号を与えられる。

 

 ───────────────────────

 

 パレスの攻略についてあれこれと相談をし、結果として答えを出せないままに休憩時間となった。

 へとへとになったのはオレだけではない。

 慣れない王としての立場と攻略部隊の指揮官の二足のわらじを履くことになったマルスの疲労っぷりは凄まじい。

 

「ね、眠いです……ここで寝ていいですか……」

「自分の部屋で寝ろ、会議室の椅子で寝るんじゃない」

「じゃあ……運んでください……」

 

 どれほどの疲労っぷりかをわかっているので「甘えるんじゃありません!」というわけにもいかない。

 何せ聖王国ではリーザが腹心たちと全身全霊をかけてこなした業務を彼女は経験もないところからさせられているのだ。

 勿論、リーザとて后であって女王ではないところからのスタートだが、彼女には政治的手腕の才能もあったし、その時点で子供を二人生んでいる。母は強いのだ。

 

 マルスを抱きかかえて部屋に戻る。

 楽な格好に着替えさせてやりたいが、流石にそこまではしてやれない。

 メイドを呼ぼうとしたそのとき、声が部屋に響く。

 

「我が名はガトー、人には語られぬ隠者ではあるがお主に話したいことがあって罷り越した」

 

 白き賢者様のご到来だった。

 



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狭間の星>

 おーっと?

 ……えー……と、どうすりゃいい?

 剣を抜いてここで斬り伏せるのが早いか?

 待て待て、短絡的な真似はここでなくてもできる。

 

 馬鹿みたいに驚くか?

 それとも余裕をぶちかますか?

 

 いや、ここは

 

「神竜族ガトー殿、お初にお目にかかる

 オレはレウス

 マルスの師で、そして彼女を守る騎士でもある」

「……ほう、わしを知っておるのか」

 

 驚いた、という言い方だが表情はぴくりとも動いていない。

 

「どこでわしのことを?」

 

 敵意は感じない。

 そして、腹芸をしている風でもない。

 

「旅をしていた頃にある竜族と一緒にいた事があってな、

 そいつが世界が乱れたときに世界を救い得る才能を持つものの前に現れる、って言ってたのさ」

 

 想定はチェイニーだ。

 あいつならそういうことを言いそうだし、ガトーとチェイニーも親しい関係性があるなら勝手に納得してくれるだろう。

 

「そいつはオレがそうかもって思って伝えていたのかも知れないが、生憎だが一介の放浪騎士の仕事じゃあない、そうだろう」

 

 マルスをちらりと見る。

 救い給うものがあるとするなら、この少女だ、と。

 

「ふむ……これもまた、ナーガの導きかも知れぬ」

 

 沈思するようにして独り言ちる。

 

「ガトーさんよ、よければ場所を変えないか?」

「ふむ?」

「オレのかわいい生徒にゃ休息が必要だ

 男が二人ここでああだこうだと話していたら休めるものも休めなくなる」

「それは、うむ、いかにも」

 

 手を振るうと景色が変わる。

 ワープって奴だろう。

 場所は現在の拠点としているオレルアン、その城の屋上だ。

 

「この世界は今、危機に瀕しておる

 それはメディウスの復活であり、今はまだ全てを取り戻しておらぬが、それも時間の問題

 人間同士が争っている場合ではない」

「だが、マケドニアもグルニアも納得はしないだろう」

「であろうな」

 

 人間の戦いには興味はないが、人間が何に納得するかは理解しているようだ。

 オレの知るガトーとも、本来のガトーとも異なる感じがした。

 どこか世俗の垢にまみれているような、そんな雰囲気すらある。

 

「彼らはパレスの攻略に動いている、包囲網を自らの勢力で作り上げ、ドルーアから誰一人逃さない状況を作らんとしているのだ」

「つまりはアリティアも狙われるって言いたいのか?」

「やもしれぬ、が、まずはパレスだ」

 

 ことさらにパレスを強調する。

 なるほど、こっちも動いて遭遇しろって言いたいのか。

 確かにガトーごしで同盟の人間とあれこれと会話するのも可能だろうが、それよりも早いし、意思疎通も明確になる。

 

「で、賢者様は高みの見物か?」

「戦いたいところではあるのだが、な」

 

 そういってガトーはローブの一部をめくると、そこには肉も骨もない、空間だけがぽっかりと空いていた。

 

「おいおい、そりゃあ」

「メディウスの復活を遅らせるため、ある魔道士と戦ったのだ」

 

 戦いで討たれたって話のあるガーネフか。

 

「あの戦いで身分を隠し、その魔道士との決闘の機会を得た

 彼奴の作り上げた魔法は恐るべき力を持っていたが、それを突破する力を使い、撃破した

 ……が、戦いに慣れぬ我が身ではこの通り、相打ちが精一杯だったのだ」

「そりゃあ、悪いことを言ったな」

「構わぬ

 本来であれば人間に頼むではなく、竜族たる我らが解決するべきことだったのだ

 だが、お前たちにそれを託さねばならぬ

 この不明は何を以てもそそげるものでもない」

 

 だが、とガトーは言う。

 

「それを押して、頼む

 メディウスを倒してくれまいか

 ナーガが愛したこの大陸が存続する、そのためにも」

 

 そういうと膝を付く。

 

「おい、大丈夫かよ」

「大丈夫、とは言い難いな」

 

 だが、と腰に帯びている剣を取り出す。

 

「メディウスを倒せるとするならばお主たち以外において他にはいない

 ミシェイルや黒騎士たちでも倒すだけならばできよう

 だが、真の意味でメディウスを倒すためにはそれだけでは不足なのだ」

 

 メディウスが問題なのではない。

 彼が監督していた地竜たちが地上に溢れ出ることこそが世界廃滅の理由でもある。

 それを封じるためにはオーブの台座と考えられていたもの、封印の蓋とも言えるもの、

 ファイアーエムブレム(封印の盾)が必要であった。

 

「この剣はファルシオン、使えるものは限られておるがマルスであれば振るえよう

 或いは、マルスが認めたものであれば」

 

 剣をオレに手渡し、

 

「メディウスを打倒した後に、封印を施さねばならぬ

 そのためにも封印の盾は必要不可欠」

「それはどこにある?」

「アカネイアの王族が宝として祀っていたが、持ち出す暇もなかったはず

 今もパレスに飾られている、封印を破れるものもおるまいしな」

「封印?」

「我が弟子、ミロアが何があろうと盗み出されぬようにと持ち出しには条件を付けたのだ

 一つはアカネイア王族の許可、

 或いは三つの神器を集めること、

 そして、ファルシオンを使用することができるもの、ファルシオンを持っていること

 そのいずれかを満たしていない限りは盾は取り出せぬ」

 

 だからファルシオンを渡したのか。

 

「このファルシオンを取り戻すことこそがドルーアの魔道士と戦った理由でもあるし、

 彼奴もそれを理解していたからこそ肌身離さずに持っていた」

「で、やむなく決闘、ってわけか」

 

 ガトーは「うむ」と頷く。

 

「受け取ったからにはやるしかねえさ

 だが、アンタはどうする?

 こっちとしちゃ手伝ってくれたら嬉しいんだが」

「手伝ってやりたいのは山々なのだがな」

 

 びしり、びしりとその体にヒビが走り始める。

 

「だましだまし動いていたこの体ではあるが、限界のようだ

 ファルシオンの持つ治癒の力もなくば、こうなるは自明」

「おいおい、そんな大事なものを」

「これからの時代、神竜は、神は不要な時代となる

 人が人らしく生きる時代こそがナーガの、我らの望み……」

 

 すまぬ、とガトーは謝る。

 

「メディウスもこの時代より去らせるつもりが、結局は」

 

 人の手に委ねねばならぬ、そう言いたいのだろう。

 

「言うなよ、ガトー

 人の世となった未来が平和で素晴らしいものになるとは約束はできないが、

 それでもこの世界をここで終わらせないことだけは誓ってやるさ」

「感謝、する……」

 

 苦悶の表情の中に一筋の安寧を見たように微笑み、ガトーは砂のようになって消えた。

 その後には五つのオーブが転がるのみであった。

 



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狭間の星>>

 マルスには時間を取ってもらってガトーの話しをする。

 包み隠さず。

 ……といっても、この世界での出来事だけだが。

 

「メディウスを本当の意味で倒すためにはパレス攻略が不可欠、ということですか?」

「盗み出しに忍びこむってのもありだが……

 平和を目指すってならマケドニア・グルニアのお偉方とは顔を合わせておきたいところなんだよな」

 

 彼女もメディウスを倒して全員が仲好し小好しになるとは思っていない。

 外交で平和を作るにしても、お互いを知らないよりは知っているほうがやりやすい。

 

 勿論、マルスからしてみればドルーアを倒してしまえばこれ以上人を殺めずに済むのだから、その道を選びたかろう。

 

「先生、僕は大丈夫です」

 

 などと考えているのがバレたらしい。

 

「すまん、勝手にお前の心を思っちまった」

「それは……ふふ、嬉しいです

 でも、僕は先生が思うよりも頑丈です、安心してください」

 

 将来の英雄王だ。

 心が細くてはやっていけまい、が、今はまだ英雄王ではない。

 重責に耐えているだけの少女なのだ。

 

 その上でまだ背負わせねばならない。

 だから、

 

「さっさとケリを付けて、平和な世界を作らないとな」

 

 結局、結論はそれだ。

 

 ───────────────────────

 

 パレスは五大侯の生き残りとドルーアの竜族が防衛網を敷いていた。

 メディウスも封印の盾の存在には気がついているようで、しかしそれを回収できないと理解しているのか、であれば誰にも触らせぬと考えたらしい。

 名だたる竜族の将たちも顔を出していた。

 

 一方でマケドニア・グルニア同盟は先んじて行ったパレス攻略戦で甚大な被害を出していたらしい。

 両国とも全滅に近い状態になるほどだという。

 理由はわかっている。

 

 竜族だ。

 おそらくは戦いに際して敵軍の中に潜んだ竜族が内部から攻撃を与えたのだろう。

 人の姿から竜に転じることができるからこその戦術で、

 オレも聖王国で軍を動かす上で考えはしたがそれをやれば未帰還者は大いに増えることがわかっていたから取らなかった策だ。

 

 だが、メディウスには関係ない。

 どれだけ自軍に、数を減らしている竜族に被害が出ようとも。

 何故ならば世界は滅ぶから。

 地竜たちが地上を蹂躙し、二度と平穏のない世界となることを目指しているからだ。

 

 長くドルーアと戦っている彼らが油断していたわけでもないし、

 言うなれば竜族埋伏の策とでも言うものをまるで予測していないわけでもないはずだが、

 それでもやられたのはメディウスにうまくやられたか、生き残っている五大侯が策に長けていたものがいたか。

 その両方だろう。

 

 パレス攻略軍が陣を構築しているのを監督しているとマルスに呼ばれた。

 

「先生、その」

 

 彼女の腰には二振りの剣がある。

 一つはロングソード、そしてもう一つはファルシオン。

 ガトーの言う通り、オレは剣を抜くことすらできなかった。

 抜けたところでオレにはカミユ……じゃなくて、シリウスから貰った剣が二振りある以上は持つ気にもならなかったが。

 

「これを持って行ってほしいんです」

 

 だが、彼女はファルシオンを腰から外し、オレへと渡そうとする。

 

「先生に使えるように、と祈っておきました

 それで大丈夫なのかはわかりませんが……」

 

 受け取り、鞘から抜こうとするとそれはあっさりと引き抜くことができた

 

「大丈夫そうですね」

「ああ、だが」

「祈りは二つ掛けました

 一つは先生が剣を使えますように」

「もう一つは?」

「先生がこの戦いに勝利しますように」

 

 オレはファルシオンを鞘に納め、それを佩くことにした。

 

「そう祈られたなら、使わないわけにはいかないな」

 

 ただ、ファルシオンがこの世界由来の武器である以上、使用回数に限度がある可能性が高い。

 銀の剣とドラゴンキラーには引き続き頑張ってもらうとしよう。

 

「それじゃあ、これを代わりに渡しておく

 ……お下がりばかりで悪いな」

 

 ヒーターシールド。

 夢の始まりからオレを守り続けてきた不壊の盾。

 マルスも盾の扱いには十分に習熟している。

 オレ以外にもオグマやドーガの手ほどきもある。

 

「でも」

「お前の祈りがある限り、オレを傷つけられるものなんていねえさ」

 

 どちらにせよ、マルスも盾は必要だった。

 それが不壊のものであれば尚良い。

 彼女も自分自身がアリティアでどれほど重要な立ち位置にいるかは理解しているからこそ、盾を受け取ってくれた。

 

「さあ、行こうぜ

 驚くほど大敗しやがったマケドニア・グルニア同盟を助けてやらないとならない」

「はい、先生!」

 

 ───────────────────────

 

 流石にマルスを最前線に出すわけにはいかなかった。

 とはいえ、彼女の戦力はアリティア最強と言っても過言じゃない。

 マルスと近衛、そしてオグマ部隊は五大侯との決着を付けるためにパレスではなく、

 五大侯の屋敷や拠点を目指してもらう。

 

 この辺りは相手側の内通者がいてくれたお陰だ。

 どうやら五大侯側もマルスこそが正当なアカネイアを引き継ぐものだとしている派閥と、

 自分たちこそがアカネイアを統治するのだという派閥にわかれているらしい。

 

 そりゃあマルスはアンリの血を引いているし、まだ少女であるのに戦場であれほどに活躍していれば戦女神の如くに讃えられ、統治者としての未来を期待するのも当然だろう。

 ラングが早期にいなくなってくれたのも五大侯がラングの色に染まり切っていなかったのが功を奏したのかもしれない。

 勿論、屋敷にしろ拠点にしろ下調べはさせているし、それが嘘でないこともわかっている。

 

「あの、先生……これは?」

 

 マルスに光と闇以外のオーブを渡すと、彼女は不思議そうに問う。

 ある程度の説明はする。

 後に封印の盾について深く説明するときの下準備でもある。

 

 ただ、光と闇に関してはあちらの世界で知った『人間の感情を増幅する機能』がどうマルスに影響を与えるのかがわからない以上、

 渡すわけにはいかなかった。

 命のオーブさえ彼女の手にあれば怪我など恐れるに足りんだろう。

 オレの代わりに彼女を守ってくれるものは多ければ多いほどいい。

 万が一、どちらかに何かがあったとしてもオーブを分割で持っているというやり方も間違ってはいないはずだ。

 ……マルスに何かあっちまったらどうあれおしまいだが。

 

「先生が持っていてください」

 絶対にそう来るだろうとは思っていたが、ファルシオンの持つ治癒の力を説明すると渋々命のオーブを引っ込めた。

 何よりお前の身を案じているんだ、と説明をしたのも良かったらしい。

 これで無茶はしまい。

 いや、本当はずっと側で守ってやりたいくらいだが……流石にメディウス打倒を考えると手も時間も足りない。

 

 マルスと分かれ、パレスへと向かう。

 ドルーアでも最大の将であるゼムセルが守護を担うパレスへと。

 

 ドルーア側は五大侯の勢力をパレスへと入れなかったそうだ。

 これを意味するところはドルーアも『もはや五大侯、新生アカネイア軍は利用価値なし』として味方扱いをしなくなったことになる。

 勝手に分裂してくれてありがとう。

 

 正直、速度を求めて解決だけを求めるならパレスへと単身乗り込み、ゼムセルを倒すこともやり方の一つではあったが、やはり初志貫徹。

 まずはマケドニア・グルニア同盟の重要人物の救出を目的とすることにした。

 



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狭間の星>>>

「どけどけぇッ!」

 

 ファルシオンの力はとんでもなかった。

 

 不壊の耐久を持ち、いくら振るっても壊れない。

 

 傷を癒やす力を備えている、が、旧作にあった『敵の攻撃を無効化する』ような力は存在しなかった。

 また、治癒の力もきずぐすり相当の回復効果だ。

 

 何か力を引き出すのに『引っかかり』のようなものを感じる。

 完全な力を引き出すには別途条件が必要か、或いはマルスでなければダメなのかもしれない。

 

 だとしても、オレの怒号と進撃を止めきれるものはどこにもいない。

 竜族と蛮族が何かを囲んでいるが、声に反応するように囲いからこちらへと目を向け、構えを取った。

 

「くそ、後少しで黒騎士どもを殺し切れたものを!」

「生憎だったな!」

「命知らずの馬鹿者が!生憎なのは貴様の方だ!」

 

 竜族が化身して竜となって牙を、爪を、尾を、吐息を向ける。

 だが、そのいずれもが無意味。

 ファルシオンが一度振るわれれば竜族の力も技も何もかもを切り裂いた。

 

「剣の輝きを見ろ、これこそがファルシオン!

 貴様たちにとっての死神の鎌、恐れぬならば掛かってこい!」

 

 それを聞くと竜族たちが一歩引く。

 蛮族がスイッチするようにこちらへと襲いかかるが、それらは銀の剣との二刀流で対応する。

 

「ひ、引け、引けえ!」

 

 竜族が声を上げて撤退をする。

 それを見逃すほどお人好しでもない。

 戦意を失った連中を片っ端から切り倒し、そうして漸くオレは包囲されていた者たちへと目を向ける。

 いやあ、恐れぬならば掛かってこい、とは言ったけど逃げたら追いかけないとは言ってないんだよ。

 

 殺戮の現場と化したのはパレス入場前を大きく飾る正門付近。

 蜘蛛の子を散らした後に残っているのは黒騎士の死体。

 生き残りが何かを守ろうと円陣を組んでいた。

 

「何者か!」

「おっと、待て待て

 アリティアの人間だ、アンタらと共同戦線を張りに来たんだが」

「遍歴の騎士殿か」

 

 円陣が解かれるとグラディウスを携えた騎士が現れる。

 いたるところに傷を受けており、それでも致命傷だけは避けたことがわかる。

 その時点で彼の実力が相応以上のものであるのが伺い知れる。

 

「黒騎士カミュ、妹が世話になったそうだな」

「さて、何のことかな

 シリウス殿には良くしてもらったが」

「……」

 

 ため息を吐く。

 

「茶番に付き合ってくれたこと、感謝せねばな」

 

 カミュの顔立ちはやや幼気だ。

 この世界の時系列の認識に齟齬があるのかもしれない。

 遅すぎたのではなく、世界の流れが早すぎたのか?

 ……それを考えている場合ではないか。

 

「いいさ、ここに来るまでに役に立ってくれた武器もある」

 

 折れかけた銀の剣を見せると、

「渡した剣で命を拾ってもらえるとは、まったく」

 と、マッチポンプになってしまったことを恥じるように苦笑する。

 

「名乗り忘れてたから一応な」

 

 レウスだ、と名乗り礼を取る。

 

「で、妹はどうした?」

「カミユは先んじて城下へと入っているが……」

 

 ───────────────────────

 

 ミシェイルと双子の黒騎士はそれぞれに策を打った。

 ドルーアと新生アカネイアの分断策である。

 

 オレルアンを解放し、重要人物をアリティアが討ち果たしたと見るやミシェイルは全軍を率いてアカネイア・ドルーアを隔てる海峡を封鎖するために移動。

 新生アカネイアを援護するための部隊と衝突。

 

 グルニアは双子を筆頭として騎兵を中心として二つの海峡を渡り、パレスへの奇襲を慣行。

 次々と防衛拠点を落とし、首都決戦へともつれ込ませた。

 

 ただ、パレスに座した将は勝利への策を秘めていた。

 それこそが竜族埋伏の計。

 首都を敵国に包囲させておいて、それを軍に紛れ込んだ竜族によって一網打尽としたのだ。

 

 グルニアと、彼らと共に参上したマケドニア軍はこれにより全滅手前まで追い詰められる。

 

 このままでは完全な敗北、といった辺りで敵兵を挑発し、多くを引き寄せながら城下まで走ったのがカミユであった。

 

 レウスはそれを聞くと、

「ここから北へ行け」

 それを生き残った黒騎士たちに伝える。

 

「カミュ殿の怪我をこのままにしておくわけにもいかんだろう」

「何を」

 

 カミュが言葉を紡ごうとした辺りで

 

「ここでお前たちの総大将が失われていいのか!早く行けッ!!」

 

 胴間声に歴戦の黒騎士たちも一歩引くようにして、そしてカミュを見る。

 致命傷ではない。

 だが、このまま放っておけば戦場の病によって命を落とすかも知れない。

 老兵と呼ぶに無礼のない男がカミュへ「ごめん」と言って押して歩かせようとする。

 

「待て!」

 

 カミュはそう云うも、黒騎士はカミュを生き残らせる方へと舵を切る。

 老兵は目付役として国元からカミュたちへと付けられているのだろう。

 それ故に、こうした極まった局面での判断はカミュのそれより上位に置かれているのがわかる。

 

「カミュ!妹はオレが何があっても救ってきてやる!

 心配するな!」

「命がけになるのだぞ!?」

「遍歴の騎士がお前ら騎士と違いがあるのはわかるか?」

 

 騎士たちが止まる。

 しかし、誰も答えが出せないようで、カミュがレウスを見て答えを求める。

 

「騎士が名誉のために命を掛けるように、遍歴の騎士はいつだって美女を守るために命を張るもんだ!

 知らないなら下品な酒場の吟遊詩人の唄を聞きな!」

 



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狭間の星>>>>

「人間の癖に随分と派手に暴れてくれた」

「竜族を侮っていたわけではないが、やはり強いな」

 

 城下の一角。

 武器を失い、傷を負ったカミユ。

 相対するのは竜族、蛮族。

 数はちょっとした、とは言い難い数である。

 

 この数を挑発し、引き連れたカミユはまさしく仕事を果たしていた。

 だが、その代価としてまさに今、命で支払わされようとしていた。

 

「ほう、我らをマムクートと呼ばぬのか、人間め」

「友人がその蔑称を使ってくれるなと言ったのでな」

「殊勝なものもいる

 そいつを殺すのは最後にしてやろう、が、まずはお前だ……グルニアの戦乙女!」

 

 火竜が腕を大きく振るうように掲げ、しかし背後から「ぎゃっ」と声が上がる。

 黒騎士の側の壁に血が降り注いだ。

 

 竜族の側にいた蛮族に壊れかけた銀の剣が叩きつけられている。

 どこからか投げつけられたのだろうというのはわかるが、

 この状況で、誰が?

 その疑問は竜族のみならず、追い詰められたカミユも同様のものだった。

 しかし、カミユはその剣をよく覚えていたからこそ、疑問は払拭された。

 

「殺される順番は最後にゃならねえし、そこの戦乙女も死なねえ

 火竜くんがここでくたばるとなりゃあオレに手を下すやつもいなくなるからなあ!」

「なぁにぃ?」

 

 振り返る竜族が最後に見たのは、ここにあるはずがない彼らにとっての大敵の姿──ファルシオンと、それを振るう騎士の姿であった。

 

「よう、シリウス……じゃないよな」

 

 壁に背を預けていた黒騎士に手を差し伸べる。

 

「……本当に、君は遍歴の騎士(ナイト・エラント)なのだな」

「美人を助けるのが遍歴の騎士、って酒場じゃ唄われていたからな

 伝わってる話を裏切るわけにはいかないだろう、カミユ」

 

 淡く微笑み返し、カミユはレウスの手を取り立ち上がった。

 

 ───────────────────────

 

 カミュを助け、アリティア側の陣地へと誘導した話を伝え、カミユにもそちらへ行ってくれというも、

「遍歴の騎士と肩を並べて戦える機会を奪うのかい」

 気丈にもそんなことを言ってくる。

 確かに傷も殆ど負っていない。

 メリクルは離れたところで転がっていたのを拾い直して言う。

「神器メリクルとてまだ戦いたがっているぞ」

 

「好きにしろよ」

 

 とはいいつつも、オレはドラゴンキラーを腰から抜いて彼女へと柄を向けた。

 

「オレは場内まで行ってゼムセルの首を取る

 中にゃあ竜族がまだまだ潜んでいるだろうから、こっちを使え

 メリクルが壊れるにゃまだ早いだろう」

 

 パレスの攻略はメディウス包囲の一歩に過ぎない。

 彼女もそれを理解しているからこそ、

「一度渡したものをこうして返されるのはなんとも」

「ドラゴンキラーの代わりなら、平和になったらお茶でも奢ってくれ」

「では、グルニアの市で一番の店を紹介しよう」

 

 こうしてたった二人のパレス攻略部隊が編成された。

 

 ───────────────────────

 

「なんという、強さ……」

「かわいい生徒がオレのために捧げた祈りを背負ってるんだ、暗黒竜だろうと叩き切ってやる」

「ふ、不敬な、やつめ……」

 

 息も絶え絶えに魔竜と化したゼムセルが恨み節の代わりに睨みあげる。

 だが、それすらも限界なのか、巨体を謁見の間に横たえた。

 

「め、メディウス様……どうか、世界に竜の咆哮を──」

「じゃあな、ゼムセル」

 

 ファルシオンが閃き、ゼムセルの首を跳ね飛ばす。

 断末魔代わりの最後の言葉が最後まで紡がれることはなかった。

 

「お見事」

 

 カミユがドラゴンソードを鞘に納めながら言う。

 

「強いっちゃあ強いが、ファルシオンの前にゃあ及ばずだ」

 

 そう言いながらパレスまで来たもう一つの目的の物を探す。

 きょろきょろと見渡し、玉座の背後にある壁にそれは掲げられていた。

 

「あった……が、」

 

 高いところにあって取れん。

 ゼムセルを殺さないでいるべきだったか。

 生きてりゃあファルシオンで脅してハシゴ代わりにできたんだが。

 

 だが、どうやら盾はその思いに反応してくれたのか、自ずから壁より離れ、ゆっくりとした動きでオレの手元へと向かってくる。

 

 カミユはその光景に驚いている。

 どうやらこれが封印の盾であることは知らないようだ。

 

 オレはそれを掴む。

 盾としてはかなり質がいい。

 軽く、それでいて明らかに頑丈なんてレベルじゃない堅さを備えている。

 

「それは……炎の紋章?」

「あー……そうだな、そうだ

 ただ、王権と支配の象徴じゃあない

 こいつはオレたち人間が滅ぼされないために何より大事な役目がある

 ミシェイルからは聞いちゃいないのか?」

 

 カミユは古い記憶を引きずり出そうと考え込み、

「いや、なにも聞いていないが……そういえば」

 なにかに思い当たったようだ。

 

「何か知っているか?」

「幼少の砌、彼がアカネイアが象徴にしている盾は顕示欲(そんなもの)のためにあるのではない、なんてことを言っていたな」

 

 つまり、ミシェイルは封印の盾のことを知っているわけだ。

 しかし何をしてでも盾を回収してこい、なんてことはグルニアには伝えていない。

 盾を回収できないからか?

 確か、これを得るための条件は幾つかあるが、ニーナやマルスを条件としたもの、それにファルシオンを除けばアカネイアが保持していた神器を持つことがあったが。

 

「なあ、カミユ」

「なんだい」

 

 しげしげと盾を見つつ、呼ばれると上目遣いがちになるように見上げてくる。

 天然のたらしか。こいつ。

 いや、黒騎士カミュも天然たらしでニーナを落としていたのかもしれねえあざとさは血統によるものか?

 

「グラディウスはカミュ、メリクルはお前、どちらもアカネイアの神器だよな?」

「元はそうだね

 とはいってもグラディウスはアカネイアを攻めた五大侯から回収したもの、

 メリクルは亡命してきた大司祭殿の娘が保護のために渡したものを陛下より下賜されたんだ」

 

 こちらも失礼のないよう、それとない日常会話程度として聞いており、

 カミユもそれに応じてくれている。

 他国の至宝なんで持っているんだ?なんてことを全うに切り込んで聞くなんてのは恐ろしくてできやしない。

 立ち話のような軽い感じで聞ければ一番であるし、彼女も理解している。

 

 仮面さえ付けていなければ美人で聡明な女騎士なんだよなあ。

 

「パルティアはどうした?」

「パルティアはその持ち主が大司祭殿の娘をグルニアに逃がす道のりで、

 迫る竜族の殿となって戦場の露と消えたと聞いている

 弓もそのときに共に」

 

 ジョルジュらしい、といえばらしい最期だったのかもしれない。

 そこのブレがないのはなんだか誇らしくすらあった。

 

 それはさておいて、ミシェイルには盾を何とかする力がない。

 であればメディウス討伐後、その未来で地竜が溢れることを防ぐための策を取れないということになる。

 だからこそミシェイルは封印の盾が地竜を封じる力があることを説明していないのだ。

 

 そう、そもそもとして彼らマケドニア・グルニア同盟は求めるところの、人間の世界を竜族を打倒することで手に入れるというお題目を絶対に果たせない。

 しかし、それを説明することはもっとできないことである。

 

 これはマルスを売り込むいい手札を手に入れたんじゃあなかろうか。

 



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狭間の星>>>>>

「先生―!」

 

 カミユとの情報交換の最中にマルスの声。

 近衛を引き連れて現れた彼女の顔は晴れ晴れとしており、それが勝利したことを如実に伝えていた。

 

「マルス、首尾は……うまくいったようだな」

「はい、先生!」

 

 と頷いてから、

 「む……」とカミユを見て小さく声をあげる。

 一方のカミユは手をひらひらとさせて挨拶をする。

 騎士としての礼を取らないのはひと目で自分が何者かをマルスにわからせるためでもあったのだろう。

 

「シリウス殿……」

「そう怖い顔をしてくださるなよ、マルス様

 私はレウス様に助けられたか弱き乙女でしかないのだから、貴女になにかできるようなものではありませぬ」

 

 あえて引っかかるような言い方をする。

 ただそこでムキになるではないのは成長の証か。

 

「僕は先生の頼みもあって五大侯を打倒しました!

 無傷で!」

 

 ふふんと言いたげな表情で。

 それに対してカミユは拍手をし、流石はマルス様と褒める。

 そう言われてしまうと、彼女が予想していた返答と違ったからか窮する。

 

「本当に、素晴らしいことなのですよ、マルス様」

 

 その表情はポンコツ仮面騎士シリウスのものではない。

 思慮深く、遠謀を見抜く賢人のようであり、海千山千を越えた歴戦の猛者のようでもある。

 

「年若くして数多くの伝説を乗り越えた貴女が市井ではなんと呼ばれておられるか存じておられますか?」

「い、いえ……なんと?

 猪王女とかでしょうか……?」

 

 そんな名前で呼ばれていたらどうしようと思っていたのか、思わずオレは吹き出す。

「先生?」とじろりと見られ、オレは咳払いでその場を回避する。

 回避できたかはわからない。

 

「英雄王マルス、そう呼ばれているのですよ」

「過分な……」

「過分なものですか、マルス様

 あなたは逃げ落ちたタリスからガルダに渡り、

 各国が手を付けるのを苦慮した海賊を倒し、

 そのまま故国を滅ぼした仇敵グラがジオル王を誅伐しました

 止まることなくアリティアを解放し、人心を集め、纏めながらオレルアンを解放した」

 

 カミユが見る瞳はまさしく、ときの英雄を見るもの。

 尊敬と畏怖、崇敬と崇拝のそれぞれが全てカクテルされたものだった。

 

「貴女をおいて誰を英雄王と呼ぶのです」

「僕は先生がいたから戦えたに過ぎません、英雄と呼ばれるのであれば先生が」

「この世界にもう一人の、影の英雄は要らない」

 

 本心だ。

 これが夢だからなどと思っているから、ってわけじゃない。

 

 恐れるべき一つの国に英雄が二人いることだ。

 オレやマルスがどう思おうと分断した派閥は必ず不幸な結末をもたらす。

 特にそれが戦後の動乱期であればなおさらに、間違いなく。

 

「さて、パレスは解放したんだ

 大々的に祝おうぜ」

「うむ、我らが英雄王ここにありということを知らしめねばな!」

 

 カミユはまるでアリティアの人間であるかのようなことを言う。

 

「なんだ、おかしいかい?」

「そりゃあ、まあ……グルニアの人間であれば戦果を話し合い、国の利益を追求するべきだろう」

 

 ハッハッハ!

 まさしく呵々大笑と言った笑い声をあげる。

 

「まったく、遍歴の騎士殿は遍歴などと言うには国家国益の機微を理解しておられる。

 いやさ、細かすぎるというべきかもしれぬ」

 

 彼女はバカにしてオレに言っているわけじゃない。

 一人の騎士として国のことを尊重する姿勢を評価してくれているのだろう。

 

「これはカミュと合流し、彼の口から聞かせるべきだと思っていたが物事は早いほうがよかろうからな

 私から言ったところで変わりなどあるまいから伝えさせていただこう」

 

 すっと真面目な表情を作ってから、マルスの足元に跪く。

 その態度ですら流麗で、卑屈さがない。

 騎士としての礼節と作法が完璧であればこそ、その美しさがどの姿勢であろうと担保されていた。

 

「我らが主君ルイはパレスを奪還したマルス王をアカネイア王マルスとして認め、

 グルニアという国家ごと帰順したいと考えておいでなのです」

 

 急な話の展開にオレもマルスも揃って「え?」と声を出してしまった。

 

「グルニアは王位をアカネイア王へと返上し、

 願わくばマルス王から公爵位を賜り、アカネイア王の庇護下に収まりたく考えています」

 

 急な展開にマルスは目を白黒とさせたままだ。

 勿論、オレも。

 

 ───────────────────────

 

 カミユから聞かされたときは困っていたものの、

 数日の間にルイからの書状もあって、マルスも同意した旨を書状でしたため、送っている。

 

 グルニアのルイはやはりオレが知っているルイ王とは違った。

 

 伝説の勇将オードウィンもかくやという働きをドルーアとの戦いで見せ、

 更にはカダイン方面から来るドルーアの魔道士、ガーネフが配下たちを倒すために転戦した。

 

 しかし、そこで怪我を受け、歩くことすらままならぬほどになってしまった。

 公務自体はなんとかこなせるものの、武人の国の王がそんなものでは成り立たない。

 

 勇将の血を真っ直ぐに引いていたルイは自らよりも大きな武勲を立てた王こそが従うべき主だと考え、

 マルスの成果を待っていたのだった。

 

 結果としてマルスは五大侯を打倒し、パレスを自らの城とすることになる。

 その功績は誰の目から見ても『これ以上無い』といえる戦果であった。

 

 こうしてルイは王から公爵へと位を変え、

 メディウス打倒の後にもグルニアを存続させる道を獲得したわけである。

 

 一方のマルスもグルニアという軍事国家を配下とすることができた時点で各地の豪族や小さくとも領地や荘園を持つ貴族たちを一気に黙らせ、或いはその配下にと申し出させることにも成功することになる。

 おそらくはここまでがルイの目論見だろう。

 

「武器を振るうだけじゃあないんだな」

「我らを教育してくださったのも陛下であるからな」

 

 政治や情勢を見る目を養っている双子の黒騎士を育てたもの、と言われたなら納得できる。

 ルイは王としてだけでなく、知恵者としても優れた才腕があることを示していた。

 

「どこまでだ?」

「どこまで、とは?」

「ルイ殿はどこまで読んでいた?

 正直、アカネイア地方の豪族やら貴族やら、それにワーレンまで恭順の意を示したのは間違いなくマルスの下にグルニアが付いたからだろう

 ルイ殿は自らの国の影響力を理解しているからこそ、早期にアカネイア地方に安定をもたらすために考えた結果が公爵云々を申し出たんじゃあないのか?」

 

 オレの言葉を聞くと、カミユは再び「ハッハッハ!」と笑う。

 気持ちいいくらいに通る声で、聞いているだけで胸がすくような笑い声だ。

 

「まったく、レウス殿も恐ろしい方だ

 いや、正しく陛下はそこまで読んでこの提案をしている

 が、これを我らに伝えたときに仰ったのだ」

 

 んん、と喉の調子を確かめるようにしてから、喋り始める。

 抑揚などからおそらくルイのマネをしているのだなあ、というのはわかった。

 

「我が目と思考が見通すところをアリティア軍で予測するものがいるならば、我らグルニアは二心は持つまい

 この目が黒い間は他の物に二心を働かせぬよう監督することを喜びともできよう

 それを誓い、永代の忠義を尽くせる方が現れたと幸福に思える──ってね」

 

 そうしてマルスとオレを見やってから

 

「英雄王とマルス殿を呼ぶのは吟遊詩人だけではない、我が主君ルイもまたマルス殿をそう呼んでおられる

 そして、レウス殿はその飛翔の理由となったもう一人の英雄だと」

「勘弁してくれ」

 

 目立つのは勘弁してほしいし、何よりそんな深慮遠謀を地で行くような人間に評価されるなんて絶対に後々無理難題を放り込まれる、今の過分な評価はその前振りでしかない。

 

「黒騎士カミュ様がお越しです!」

 

 兵士の声が応接間に響いた。

 



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狭間の星>>>>>>

 これまでの出来事から、ルイ王……いや、ルイ公爵からの書状の話などを伝える。

 カミュは

「私の仕事を奪ってくれたな」

 妹に苦笑いを浮かべて言う。

「遍歴の騎士殿との会話を続けるためさ」

「ならば仕方あるまいな」

 などと、カミユが遍歴の騎士のファンであることを理解して納得したようでもある。

 兄妹仲は相当に良好だ。

 

 海峡からの増援を食い止めたミシェイルからの情報もカミュは持っており、

 その戦いが終わった後、ミシェイルはマケドニアへと帰国し、次の戦いに備えていると伝えた。

 

「次の戦い?」

 

 オレの質問にカミュは、

 

「マケドニアでミシェイル殿がお待ちしておられる」

 

 そう告げた。

 行く以外に道もなかろう。

 マルスもそれらには同意し、パレスの秩序を取り戻すことに関してはカミュが請け負ってくれた。

 ジェイガンはこの地に残り、人事を担当するという。

 それもありがたい。

 

 オグマ部隊は一度アリティアに戻り、マルス勝利の報告を喧伝し、その後にグルニアの部隊との共同戦線を作ることを頼む。

 来るドルーア戦に向けての包囲網を作るためでもある。

 

 アベル、カイン、ドーガ、ゴードンは引き続き近衛を。

 ただ、今回までの功労を以てそれぞれに勲章を与え、パラディンが二騎、ジェネラル、スナイパーの位を与えている。

 オグマにはアリティアからの出発時には既に勇者の位を与えていた。

 この辺りは傭兵という立場ではなく、アリティアの勇者という看板を背負ってほしかったからであり、

 彼もまたタリス王からの許可もあって了承してくれている。

 

 同行者は近衛に加えて謎の仮面騎士シリウスが同道する。

 

「カミユじゃだめなのか?」

「黒の戦乙女の姿が無い、という噂があるほうが各地での反乱を抑制できるのさ」

 

 確かに脚の速く、腕っぷしも大陸屈指の部隊がどこにいるかわからない状態と言われれば生半可な気持ちで反乱を考えている連中の頭はその噂だけで抑えることができる。

 本当なら聖王国のように各地を安定させてから進みたいところなのだが、人材リソース的に一つ一つ物事を終わらせていく形にしなければとてもではないが手が回らない。

 人事担当のジェイガンが頑張ってくれることを祈るばかりだ。

 

 ───────────────────────

 

「お初にお目にかかる」

「マケドニア王ミシェイル殿、お初にお目にかかります

 僕はマルス──」

 

 ミシェイルとの邂逅は概ね形式的なものだった。

 その日はゆっくりと休めと言われたのでありがたくそうすることに。

 オレもようやくベッドで熟睡できる。

 ……わけもない。

 

「レウス様、我が主君がお話したいことがあると……お時間許されましょうか」

 

 騎士の一人が伝言を受けて部屋の入り口でそう告げる。

 

「ミシェイルがか?」

「はい」

「すぐに出る」

 

 といったやり取りをして、一応恥ずかしくない格好になり、腰には剣、それに封印の盾を背に担ぐ。

 封印の盾はマルスに持たせようとしたものの、ファルシオンを既に持っているのだからそれも持っていてくれという強引な話で持たされたままになった。

 確かに盾があるのはありがたいが、権威の象徴は王に持ってもらうべきではとは思う。

 

 ……まあ、ファルシオンも返すのかと言われるとマルスの祈りがしっかり籠められていると思うと手放す気にはなれなかった。

 なので、封印の盾もその流れで持ったままになったというわけだ。

 

 ミシェイルが待っていたのは謁見の間ではなく、王族の子のために作られた遊戯室(プレイルーム)である。

 

「お初にお目にかかる、マケドニア王」

「ああ、よく来てくれた

 アリティアの英雄、レウス殿」

 

 少しばかり期待していた。

 ミシェイルは予知で数多の世界を渡るような経験をしていると。

 この世界のミシェイルももしかしたなら、と思ったがどうにもそうではないらしい。

 

「ここは?」

「かつて妹たちと遊んでいた部屋でな、こうして思いや考えを纏めるときにはここを使っている」

 

 峻厳孤高な王の持つ、唯一の安らぐ空間か。

 

「ミネルバ、マリア両王女は?

 ……っと、言葉遣いが荒いのは」

「気にせんよ、遍歴の騎士であれば態度を崩すのもよくなかろうからな」

 

 人払いはしているが、誰の耳に入るかはわからない以上、広告塔である遍歴の騎士は態度を崩さぬことが望ましい。

 ミシェイルの言いたいことはそういうことだろう。

 あんまりそこまでを考えているつもりはなかったが、そういうことにしておく。

 

「ミネルバとマリアは共にメディウスの生贄となった」

「ミネルバ王女もか?

 てっきり僧侶か魔道の才あるものだけかと思っていたが」

「メディウスにとって重要なのは貴種の血であるかどうかでしかない

 僧侶の血などを求めるのは反抗されたときに自分にしろ部下にしろに被害を出さないため、程度の意味なのかもしれん」

 

 正面からミネルバたちが死んだと聞かされると、流石に来るものがある。

 シーダの死よりも重く感じるのはそれだけオレがこの世界が夢ではなく現実である、と無意識的にでも考えている影響の、結果であるのかもしれない。

 

「ここに呼んだ理由を聞かせてもらってもいいか?」

「メディウスのことだ、もっと正確に言うならば、封印の盾についてと言うべきであろうな」

 



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狭間の星>>>>>>>

 ミシェイルが語ったことは大雑把に以下のようなことだった。

 

 メディウスを倒すことはマルスやオレの手がなくてもできる。

 ただ、それは勝利ではない。

 倒すとメディウスは死ぬが地竜の封印が完全に解けて、地竜が際限なく湧き出しかねない。

 それを封じるためには封印の盾が必要。

 封印の盾に完全な力を取り戻させるには命、星、大地、光、闇の五種のオーブが必要である。

 

 概ねオレが予想していた話と知っていた話であったが、

 彼はそれに加えて、倒せることは他のものにも伝えているが、

 それが勝利ではなく敗北であることは伝えていないと告げた。

 

 話を変えるが、ミシェイルが言う。

 

「ルイ王の話は通っているな」

「公爵になるって話だったら、通っている」

 

 では、とミシェイルは

「同条件を俺にも出すことはできるか?」

 あっさりと重要なことを切り出してきた。

 

「王から公爵に、って話か?」

「ああ、そうだ」

「そりゃあできるが」

 

 何故、シンプルな質問を投げかけるかを悩む。

 

「戦いが終わった後に、俺は誰とも知らぬ土地へと旅に出たいのだ

 ……終ぞ自由を知らぬままに命を落としてしまったミネルバとマリアの代わりに」

 

 玉座と王族の血に縛られ続けた兄妹たち。

 

 戦いの果てにある次の段階は権力闘争になるのが目に見えている。

 グルニアは強固な軍事国家であり、軍人の規律によって厳しく統制されている。

 

 だが、マケドニアはそうではない。

 ミシェイルは王ではあるが、その立場はどちらかといえば武門をはじめとした多くの家柄の名代に過ぎない。

 

 戦後の足の引っ張りあいで一番影響を受けるのが彼であるのは間違いなかった。

 それでミシェイルが内政や外交に高い才能を発揮できるならさておき、

 戦闘であれば横に並ぶものを探す方が難しいミシェイルではあるが、国家運営や貴族のしがらみなどを考えると適材適所の才覚の持ち主かと言われれば同意はできない。

 

 公爵位を得て、国の運営はマルスと言わずともオレや他の人間に任せようという腹なわけである。

 

「わかった、こちらとしても戦後の運営が楽になるのには諸手を挙げて賛成する……が、」

「なんだ?」

「マルスを交えても問題ない話だったとは思うが」

 

 メディウスと封印の話、

 ミシェイルと王位返上の話、

 トピックとしては二つ。

 どちらもマルスがいても、というよりはいたほうが話が早いものだった。

 つまりは、

 

「オレにだけ話したいことがある、か?」

 

 ああ、と頷き、

「これに見覚えはあるか?」

 ミシェイルが懐から取り出したのは短剣である。

 ただ、それは武器としての性質を備えたものではない。

 オレは短剣が何かを知っていた。

 

 鍵だ。

《魔剣石の鍵》と呼ばれる、特別な転送門を開くための鍵。

 

 狭間の地じゃあ徒歩や馬以外にも変わった移動手段があった。

 それが《転送門》と呼ばれる、文字通り空間と空間を捻じ曲げて距離を無視して移動する手段だ。

 

 この世界ではオレとオレが身につけているもの以外に漂流物はなく、また漂流物という言葉すらなかった。

 

 つまり、ミシェイルが見せたこれがオレにとって、この世界で始めて遭遇する新たな漂流物である。

 

「それは?」

「メディウスが目覚めるより前に夢を見た」

 

 オレが知るミシェイルも夢、或いは予知としてそれを見ていたと言ったが、

 彼の言うそれは予知とはまた違うものであるのはわかる。

 単純な夢……というよりは

 

「それが何者かはわからぬが、お前に渡せと伝えていた

 見返りとして俺はメディウスの復活を知り、事前に準備を行うことができた

 報酬を貰っている以上はお前を探し、渡さねばならぬと思っていたが」

 

 予言、だろうか。

 恐らくはナーガからの。

 

「案外あっさりとお前の元にオレが来た、か」

「超常的な何かが名指しでお前への贈り物を渡すように仕向けた

 だが、ただ渡すだけならばマルスに頼めばよかろうとも思うが」

 

 この代物が何かはわからないが、

 一番の近道であるマルスに対して鍵を渡さなかったのは親しい人間に持たせると『どこかへ行ってしまう』と危惧して渡されない可能性や、

 或いはガトーのようなワープを駆使できるものであればすぐさま届けてくれそうなものだが、

 知恵者であれば鍵の正体に気が付かれる可能性があり、活用方法が別にあればやはり届けられない可能性があると考えたのだろう。

 

 ミシェイルがガトーのことをどれほど知っているかまではわからないが、

 少なくともオレの近くにいる人間に渡さなかったというところから、

 確実に渡す人選が自分だったと納得はしているらしい。

 

「では、確かに渡した

 戦略に関しては明朝、マルス王と共にで構わぬな」

 

 あとは、ミシェイルは「これはなんだ?」と聞いてこない、線引ができる人間だからというのも大きな理由かもしれない。

 

 正直、オレも自身が漂流物であるなんて話をしたくはないし、ありがたいことではある。

「実はここからよく似た世界から来たんですよ」なんて言ってみろ。

 頭がおかしいやつ扱いならまだしも、狂気に染まった男がアリティアを牛耳っているなんて噂が流れたら後の治世にどれだけ影を落とすことになるやら。

 

「ああ、勿論」

 

 などと考えているのを察せられないよう、オレは簡潔に返事をした。

 

 さて、魔剣石の鍵。

 どこで使えるやら。

 



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狭間の星>>>>>>>>

 ドルーア攻略戦に対しての手はゴリ押しである。

 

 マケドニア、グルニア、オレルアンの精兵と歴戦の将軍が全面に、

 小規模の人員で暴れるのになれているマルスの近衛とオグマたち。

 それらが一斉に多方面から攻めてしっちゃかめっちゃかにする。

 

 隙を伺ったところでミシェイル、双子の黒騎士、マルスとオレがそれぞれ別の方向からドルーア主城を目指して突撃。

 そうしてメディウスの首を狙う。

 

 あまりにも強引な策にも思えるが、メディウスは数を頼みにして勝てる相手でもない。

 実際、メディウスと殴り合いになって勝つことができる可能性があるのは確かに上記に挙げた五人だけ。

 ドルーア領内で一斉に戦いを始めて、防備の薄いところをそれぞれが狙ってマラソンをするというのはゴリ押しではあるが、有効策ではあった。

 

 軍の配備や攻め方の細かなところを決めているときにオレはふとミシェイルに質問をした。

 

「白騎士団はどうなっている?

 カチュアたちは──」

「彼女らも戦いの中で命を落とした、白騎士団が存続していればこの戦いも楽になったのだが」

 

 つまりは全滅か。

 どうにもオレと知り合った奴らは、特に親しい人間は殆ど命を落としているらしい。

 こっちでも会えりゃあと思っていたので少し残念ではある。

 が、それにかまけてばかりもいられない。

 

 戦いの準備は続く。

 

 ───────────────────────

 

 決戦を明日に控えた夜。

 オレの部屋にはマルスが来ていた。

 状況が状況であり、ジェイガンが知ったなら七孔噴血して怒り出しかねない。

 

「どうした、マルス」

「先生、……戦いが終わったらどうなさるのですか?」

「そりゃあ、また旅に出るさ

 遍歴の騎士ってのはそういう──」

 

 どん、とマルスが懐に入ってくる。

 

「生徒を置いてどこかへと行ってしまうのですか」

「ずっとお前の先生ではいるつもりだが、お前はもう卒業してるんだ

 オレがいなくたって」

「では、どうしたならずっと側にいてくださいますか?」

 

 それは、……それは無理な話だ。

 オレにとって、この世界は過ぎ去っていく風景に過ぎないだろうから。

 マルスたちにとっての現実でも、オレはそうじゃない。

 残念して化けて出た幽霊みたいなものだ。

 だが、それを言うこともできない。

 

「将軍に任官、公爵位を与える、そんなことをしても残ってくださらないでしょう」

「ああ、そうだな」

「……僕だったらダメですか」

 

 涙で目を赤くしながら、それだけでなく自らの発言を絞り出し、顔も紅くしている。

 身を捧げてでも、と言いたいのだろう。

 ここまである意味で追い詰めたのはオレなのだ。

 

「マルス、」

 

 オレが言葉を紡ごうとするのを上から覆いかぶせるように、

 

「先生が僕をここまで連れてきたのです

 僕は先生がいなければどこに向かえばいいかわからなくなってしまいます」

「この地を平和にするために戦っているのだろう」

「そうです、メディウスを討ち破り、平和を取り戻します

 でもそれは僕の血が求めていることです

 僕の心はそれに追いつけてはいない、それを支えてくれているのは先生なのです」

 

 こうして密着距離にいると、マルスの細さも小ささも如実になる。

 まだまだ成長余地のある未成熟さはある種の、命の美しさとも儚さとも言えるものを備えている。

 

 しかし、それ以上にこの体で彼女が乱世を駆け抜けてきたことの悲壮さと、

 その戦いへと赴かせたオレ自身の業を強く感じる。

 ここで彼女を抱き返して、そして王配として側に長くいてやればきっと幸せなことだろう。

 

 だが、オレはいつ醒めるともわからない旅人に、この地に訪れた故を知らぬ騎士でしかない。

 不意に消えるかも知れないオレが彼女を抱きしめてやる権利などない、そう定めてしまっている。

 ならば、せめて説明はせねばならないだろう。

 オレが誰なのかを。

 

 ───────────────────────

 

 先生は僕の肩に手を置くと、そっと離すようにして目を合わせる。

 

「オレのことを聞いてくれるか」

 

 そう言った。

 何度か過去のことを聞いてもはぐらかしてきた先生の半生。

 僕を抱きしめ返してくれない理由。

 どんなことがあっても、僕は先生を掴む気でいた。

 例え犯罪者であっても、極悪人であっても、僕にとっては大切な先生だから。

 

 けれど、先生が語ったことは僕の想像を遥かに超えていた。

 これが知らない相手だったら馬鹿げている妄想だと一蹴してしまったかもしれない。

 言っている相手が先生でなければ、だ。

 

 狭間の地と呼ばれる半神たちが支配する壊れつつある世界から、

 ここではないアカネイア大陸へと渡り、アリティア王国を救い、母上を助け、結ばれた。

 姉上や、他の王女や、騎士とすら関係を持ったと言うではないか。

 もしかしたらその辺りの話は僕が……その、こういう言い方はしたくないが、関係を迫るような行動を取ったことに対する牽制かもしれないけれど。

 

 先生はある戦いで命を落としたはずだったらしい。

 けれど、狭間の地からアカネイア大陸に渡ったときのような空間で、再び世界を股にかけるようにして僕が生きているこの大陸へと登場したのだ、と。

 

「だから、オレはいつまでマルスの隣にいられるかわからないんだ」

 

 だとしても、僕の行動は変わらない。

 

「いつか消えてしまうかもしれないのですね」

「ああ、次に行くべき場所もきっとある」

 

 先生がいつかいなくなってしまうとしたなら、だからこそ、もう一度先生へと飛び込むように。

 

「であればこそ、せめて今だけは先生を専有させてください

 明日、暗黒竜との戦いで命を落とすとなっても後悔しないように」

 

 僕は未熟で狡くて自分のことばかりを思う、だから英雄王の器ではないんだと思う。

 

「明日からはきっと、英雄王に相応しい僕になりますから」

 

 そうして先生は僕の背と腰を支えるように腕を回してくれた。

 今日は、今夜だけはそうじゃない(英雄王じゃない)ことを許してもらえたんだと思えた。

 



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狭間の剣

「げほっ、ごほっ」

 

 息を整えろ。

 喉の血を吐き出してから立ち上がれ。

 くそ、壁に叩きつけられたから背中が痛え。

 

 誰だよ、メディウスを力押しで倒せるとか思ってた奴は。

 ……オレだよなあ。

 いや、漠然と全員が思っていた。

 

 だが、メディウスの強さは埒外のものだった。

 

 周りを見ればミシェイル、カミュ、カミユが倒れていた。

 マルスだけが気を吐いている。

 

 あの子だけにしていられない。

 オレは笑っている膝に活を入れるようにして立ち上がる。

 

 ───────────────────────

 

 主城に踏み込んだ時点で妙な気配ではあった。

 暗黒竜の手勢もなく、侵入者を喰らい殺そうとする竜もいない。

 そのまま奥へと行くと、玉座に座する老人ではなく、黒い竜鱗をぬらつかせた巨大な竜が陣取っていた。

 

 だが、その瞳に自我のようなものはない。

 話しかけることもなく、また、かけられることもなくメディウスは闇のブレスを吐き散らかしてきたのが戦いのゴングとなった。

 

 ファルシオンやドラゴンキラー、メリクルにグラディウス、狭間の地のロングソード。

 いずれの武器も技もメディウスへの致命傷には至らない。

 それだけなら問題はない。

 致命傷にならずとも傷は与えられる、繰り返し続ければいつかは倒せるはずだからだ。

 

 だが、メディウスはその巨体からは考えられないほどに俊敏に、いや、神速とも表現できる速度で動き、鐘楼のような太さの腕や尻尾を叩きつけてきた。

 剛力に速度が加われば悠長な戦いなどしてられない。これこそが問題だった。

 

 最初に吹き飛ばされたのはカミュだった。

 妹を庇うようにして、それには成功したものの巨大な前足の前に沈没した。

 手足のいずれも残っているし、気絶しているだけなのは不幸中の幸いと言えるかもしれない。

 

 ミシェイルはその隙を狙うようにして片方の目玉をグラディウスによって叩き潰すも、闇のブレスの直撃を受ける。

 炎のように燃えたりはしないようだが、単純な衝突力とも言える力で天井へと叩きつけられ、どさりと地面に落ちる。

 

 カミユはメリクルとドラゴンキラーの二刀流を駆使し、指や腹を切り裂く。

 普通で考えれば相当の痛手を負わせているはずも、傷をものともせずに殴りかかられ、倒された。

 

 オレとマルスは二人で連携を取りながら尻尾、腹、腕、顔と切っていく。

 手応えはたしかにあったが、それでもまるでダメージがないかのようにメディウスは鋭く判断し、俊敏に攻撃を加えてきた。

 数度のやり取りの中で遂にオレの動きがメディウスに見切られ、太い尻尾が再生したと思った瞬間に吹き飛ばされ、壁に叩きつけられた。

 

 こうして立っているのはマルスだけになった、というわけである。

 

 ───────────────────────

 

 次々と猛者たちがやられていく。

 彼らが弱いわけがない。

 彼らの実力は突入前の戦闘で見ていた。

 皆、僕よりも遥かに強い。

 

 先生はオレと同じくらいに強いぞと言ってくれたけれど、戦場での判断能力や瞬発力では全然負けている。

 

 ミシェイル公は人竜一体の見事な手綱さばきからのオートクレールの恐るべき破壊の一撃が防衛網に穴を開けていく。

 

 黒騎士カミュ殿は騎馬が走ると一直線に道ができた。

 それを塞いでいた敵兵はものの見事に道にされてしまった、というべきかもしれない。

 

 シリウス殿こと黒の戦乙女カミユ殿はメリクルとドラゴンキラーを二刀流にし、状況判断で器用に左右の武器を振るい変えていく。

 

 場内に突撃し、たった少しの時間で僕以外は倒されている。

 僕だけが守られ、運がよく残った──わけではない。

 

 まるで今日このときに、ここに立っていることが自然であるかのように。

 暗黒竜メディウスを打ち倒すためにここにいるのが当然であるかのように。

 

 盾を置き、剣を両手で構える。

 ここまで僕の体を守ってくれた先生のヒーターシールド。

 流石にメディウスの一撃相手からは守りきれなかろう、今までありがとうと心で礼を言う。

 

 一撃でも当たったら、僕の体じゃあ耐えきれないだろう。

 けれど、ここで勝てなければどちらにせよ世界は終わってしまう。

 

 戦略会議をしているときにミシェイル公からも聞いていた。

 メディウスが地竜の封印を担っており、それを逆手に取り、封印を破ろうとしているらしいということを。

 彼も勿論、裏付けを持つ識者から聞いたわけではないから正しいものかはわからないとは言っていたけれど、

 どちらにせよ、彼は竜族の世界を作ろうとしているのは間違いない。

 そうなれば、人間にとっての暗黒時代が始まってしまう。

 

 例え、この戦いで負けて、しかし僕たちが生き延びたとしても指導者は何をしてでも殺そうとするだろう。

 だから、結局はここで勝たない限り命なんてないも同然なのだ。

 

 メディウスが屈むようにして構える。

 ブレスではなく肉弾戦をする気だ。

 ロングソードで致命傷を与えるのは難しい、が、どうしてだろう。

 それでもメディウスを倒し切る動きが誰かが囁くようにして教えてくれている気がする。

 それはナーガのお導きか、それとも世界が僕を後押ししているのだろうか。

 

 ───────────────────────

 

 一手、二手と緩やかに始まるではなく、最初からトップスピードを維持して続くメディウスとマルスの攻防。

 マルスはまるで未来を知っているかのように攻撃を避け、攻撃を返す。

 メディウスに表情はない。

 理性のない獣に落ちたかのように。

 だが、ときとして獣は理性を持つよりも戦いに特化した知性になることもある。

 

 爪、爪、牙、尻尾。

 連撃が繰り出され、しかしその全てをマルスは反撃を加えた回避を以て捌く。

 

 しかし、その全てがメディウスによる、ただ一匹の暗黒竜の持つ狩猟本能から生み出された伏線。

 竜尾を切り落とし、反転攻勢に出ようとしたマルスの眼の前にあったのは、溜めに溜めたブレスを吐き出さんとするメディウスの口腔であった。

 



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狭間の剣>

 しまった。

 失敗を悔いるような気持ちと、

 ああ、終わるのか。

 諦めるような気持ちと、

 先生を最期に見たかった。

 心に締める未練が混ざる。

 

 しかし、そのブレスが吐き出される前に僕の前に一人が立ちふさがった。

 それは封印の盾を構えている先生だった。

 確かにその盾は多少は大きい。

 何せアカネイア王国が権威にするほどなのだから、大きさはある。

 

 けれど、背にある僕を守ろうとするなら、盾を持っている先生の被覆面積を下げるような構えを取らなければならない。

 

 僕が止めようとする前にブレスが吐き出され、凄まじい勢いと地を割るような衝撃が走る。

 先生はうめき声一つ上げず、僕を守る。

 

「マルス!」

 

 膝を付きながら、傷だらけになった先生はファルシオンを僕に投げ渡す。

 

「行けッ!」

 

 ブレスの切れ間を狙うようにして盾を頭上に構えるようにする。

 練習もしていないが、先生の意図が驚くほど明瞭に伝わる。

 

 僕は盾を足場にするように飛び乗り、先生は思い切り立ち上がり、盾を持つ手を伸ばす。

 彼の腕が伸び切ると同時に盾を蹴り、大きく、速く舞い上がる。

 

 勢いはこの空間の天井に到達するほどで、更に天井を蹴るようにして加速度を増してファルシオンを切り下ろす。

 剣から光が溢れ、金属の刀身が光そのものが刀身となり、巨大な剣となってメディウスの首を切り落とした。

 

 暗黒竜メディウスは断末魔の咆哮を上げ切ることもできない。

 その巨体が崩れるのと僕が着地するのは殆ど同時だった。

 

「流石はマルス、オレのかわいい生徒なだけある

 鼻が高いよ」

 

 強がるように笑う先生。

 しかし、その直後にぐらりと体を揺らし、地面に倒れ込む。

 

「先生!」

 

 僕は滑り込むように地面と先生の間に入り、受け止める。

 息が浅い。

 戦いは終わった。

 けれど──

 

 ───────────────────────

 

 夢の中で寝ている、と思うと変な話だが、それももう慣れた。

 そりゃあこの世界に来てそれなりに日数は経過しているわけだし、慣れないわけがない。

 忙しすぎて寝ている暇じゃないって行動して、疲労が限界に来て倒れ込むように寝るような日々も多かったから疑問に思っている暇がなかったとも言えるが。

 

 オレの意識が浮上したのがどれほどの時間の経過があったかはわからない。

 少なくともあの『死の世界』ではなかったし、ドルーア城の石畳というわけでもない。

 

 ベッドだ。

 起き上がろうとすると背中や腰の痛みを覚える。

 どうにも長く寝ていたらしい。

 世話係のメイドらしき人物が動くオレを見ると退室の礼を取ってから、マルスたちを呼びに行ったらしい。

 

 元気な様子を見せてやろうと服を着ようかと思ったが、再び眠りに落ちた。

 

 次に目を覚ましたのは夜、真夜中だろう。

 物音が少ない。

 その少なさの中である音といえば寝息だった。

 ベッドで顔をうずめるように眠っているマルス。

 

 オレが起きたことを知らされて来てみたらまた寝ていたから、ここで待っていたのだろう。

 彼女の頭を一撫で二撫でしてから立ち上がる。

 

 周りを見やればわかる。ここはマケドニア城だ。

 運び込まれたのがここだったようだ。

 となれば、ミシェイル主導で戦後処理(リザルト)となったのだろう。

 

 体の痛みもマシになっている。

 城付きの僧侶が治癒の杖でも使ってくれたのだろうか。

 

「せんせい……?」

 

 寝ぼけ眼で気配を見て、一気に覚醒したのか

「先生、痛いところや変調したところは?」

 詰め寄る勢いで側に来る。

 

「ああ、大丈夫だ

 マルス、あのとどめの差し方は格好良かったぞ」

 

 戦うものとして、かくありたい。

 まさしく英雄、いやさ、まさしく英雄王だ。

 

「先生が機転を利かせてくれたお陰です」

 

 マルスはメイドを呼び、負担の少ないメニューを頼み、真夜中ではあろうが朝食を作ってもらうこととなった。

 彼女もまた待っている間、喉に食事が通らなかったようで二人分の料理が部屋の机に並ぶ。

 

 メイドはなにかありましたらお呼びくださいと言って去っていく。

 

 食事を取った後、マルスからオレが倒れたあとの話を聞いた。

 

 ───────────────────────

 

 まずは何はともあれ、メディウス。

 

 首を落とされた暗黒竜は首も体も石に変えていき、それきり動かなくなったそうだ。

 

 メディウスが座していた石畳──暗黒竜の首が転がる場所を基点として大きなヒビが入っていった。

 地竜の解放を予感させたが、オレとマルスが持っていたオーブが共鳴して輝き、封印の盾に自らの意思があるように収まっていく。

 それらは竜の額に元からそうであったかのように張り付き、一体となった。

 ヒビも収まり、城全体を包んでいた不気味な気配もすっかり消えていた。

 

 場外で戦っていた蛮族や竜族はメディウスの死と封印の盾が仕事をしたことをまるで理解したかのように自らの命を次々に断っていった。

 

 それが元からの取り決めであったのか、それとも彼らはメディウスの意識のもとにあったのか、別の理由があったのかはわからないが、ともかくドルーア地方には平和ではなく静寂が訪れることになる。

 

 オレは近いという理由と僧侶や司祭など治癒ができる体制は整っているということでマケドニアに緊急搬送された。

 戦いの後にとっこうやくなどでなんとか回復したミシェイルが連れてきてくれたらしい。

 ぶっきらぼうだが、なんだかんだお兄ちゃんなのだ、あの男は。

 困っている男を見捨てておけず、泣きそうな年下の少女を救ってやりたい気持ちが沸き上がって竜を飛ばしてくれたらしい。

 

 黒騎士の双子はドルーア打倒を伝えるために兄はグルニアに、妹はパレスへと向かった。

 マルスの近衛たちはオグマたちを含めてアリティアとオレルアン、タリスへとその報告を持っていく。

 

 やがてアカネイア大陸は竜族の脅威から解放されたことを知り、湧いた。

 マケドニア、グルニアでは王が公爵となり、国一丸となって英雄王マルスを支えると宣言。

 マルスも一度パレスへと足を運び、パレードを行ったという。

 



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狭間の剣>>

 オレが寝ている間に色々あったのは間違いない。

 寝呆けてて申し訳ないと思うくらいに。

 

 各国各地から有能ではあるが当時の国家には疎まれていたものたちがマルスを主として仕えたいと望む。

 武官たちは既にドルーア包囲網の時点で多くを採用しており、

 ここに集まったのは戦後の仕事を任せられるような文官たちが中心であった。

 とはいえ、マルスはまだ王には若く、心無いものに利用される可能性もある。

 それを支えたのはルイ公爵とミシェイル公爵であったそうだ。

 

 ミシェイルは一人で旅をする、などと言っていたがやはりマルスを放っておくことはできなかったらしい。

 

 文官としての能力は高いわけではないが、人を見る目と明確な規律を作り、守護する組織の立ち上げを行って不逞の輩を近づけさせないように整備する。

 

 ルイ公爵はオレの知るユミナの父親らしさがあり、政治的手腕と経験を発揮してジェイガンと共に人事を担当してくれた。

 マルスができないような高度な政治的な判断も彼女にわかりやすく伝え、判断させたりもしている。

 ありがたいことだ。

 

 だが、それでも人の熱量で圧されて決定したこともあるらしい。

 タリスも他の国と同様に王から公爵になることを望み、完全な統一国家となったアリティアは国号を変えることを望まれた。

 それがアカネイア大陸にあるからこそ、とアカネイア神聖帝国の国号はどうかと上がったのだ。

 

 オレからすると闇落ちハーディンくんを思い出してしまって複雑ではある。

 そして、ガトーの言葉もあり、人の世となっていくのならば神聖という響きは少し引っかかるものもあったが、

 どうやら英雄王マルスは人の器に収まらず、人のための神としてこの地に降り立ったもの。

 まさしく女神であるとして扱っているらしい。

 

 そして、信心深いアカネイアの人々は神の言うことであれば喜んで実行する。

 神としての側面を強め、戦後の立て直しをスムーズにするというメリットもあったからこそ、国号を改める動きを了承したらしい。

 つまり、英雄王は晴れて『こうてい』のクラスになったわけだ。

 うーん、不安。

 まあ、闇のオーブが手元にあるわけでなし、妻との間が冷え込んでいるわけでもなし、大丈夫だろうと信じたい。

 

 で、その皇帝がマケドニアで看病しているのはいいのかとは思うが、三日に一度は足を運んでいたらしい。

 オレはタイミングよく起きたわけだ。

 

 ───────────────────────

 

 英雄王マルスを支えた影の英雄、遍歴の騎士(ナイト・エラント)は既に旅立った。

 戦後の動乱を止めるため、今もどこかで戦っている。

 全ては英雄王のため、背を預けて戦ったマルスのため。

 

 大陸中で唄われるマルスとレウスの詩。

 つまり、レウスという男は既に役目を終えて、既に伝説の存在となっている。

 いや、伝説の存在でしかなくなったのだ。

 

 それは実存しない影であり、戦乱の尾ひれ背びれである。

 

 その噂を流したのは他でもない、マルスであった。

 

「先生、どこかへ行かれるのでしょう

 ここではないところへ」

「……ああ、行かにゃならん」

 

 懐から魔剣石の鍵を取り出す。

 狭間の地でこれを使う場所はわかっていたが、この世界じゃあそれはわからない。

 だが、宛がないわけでもない。

 レウスはだからこそ、試すためにも旅にでなければならず、旅に出た先でこの世界から──夢から醒める可能性があった。

 そうなれば、マルスとはもう二度と会うことは叶わないだろう。

 

「……先生、お手を」

 

 彼女に言われるままに利き手である右を出そうとするが、彼女にそちらではなく、と言われ左を向ける。

 

 マルスは懐から取り出した布を開くと瀟洒なデザインの指輪が現れた。

 それを自らの恩師であるレウスの薬指へと嵌める。

 

「せめて、指一つだけでも僕と共に在ってください

 いやとは言わせませんからね」

「言うものかよ」

 

 レウスはじっとマルスを見てから、思いを込めるようにして言う。

 

「マルス、お前のお陰でオレはここまで来れた

 もしかしたなら道の途中で何もかもに飽きて廃人同然に生きていたかも知れない

 憎悪の塊となってこの大陸を練り歩いていたかも知れない

 真っ直ぐに育ったお前がいたからこそ、オレはここにいられる」

 

 指輪をそっと撫でるようにしてから、

 

「ありがとう、マルス」

 

 ぐ、とマルスが表情を歪めかけ、それを隠すためにレウスの胸に飛び込む。

 

 ああ、これが今生の別れなのだ。

 

 彼女はそう思うと、どうしても涙を流さずにはいられなかった。

 彼こそが、自分と共に歩いてくれたのだ。配下たちとは違って、ただ一人の人間として扱ってくれた。

 これからはもう、親の庇のように自分を守ってくれる人はいないのだとわかっていた。

 彼の胸で流す涙が、今生最後の、少女としての涙。

 ここから先はアカネイア神聖帝国の皇帝として、現人神として生きていく。

 

 レウスはマルスの顔を上げさせ、目尻の涙を指輪のある薬指でそっと拭う。

 涙は指輪へと流れ、消える。

 それが彼女の最後の少女性であったような、象徴的な一筋の雫だった。

 



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狭間の剣>>>

 散々に泣いたマルスは疲れ、眠りに落ちた。

 それを見届けるまで彼女の側にいて、深い眠りになったのを確認するとレウスは立ち上がる。

 ベッドの横に立てかけられたロングソードとファルシオンに心の中で今までの戦いに付いてきてくれたことを労い、これからもマルスを守り続けてくれることを願う。

 

 外は淡くも鮮やかな黎明。

 

 向かう先はドルーア。

 徒歩で向かえばどれほど掛かるだろうかなどと思っていると、声が掛かる。

 

「おはよう、遍歴の騎士殿

 やはり往かれるのだな」

 

 仮面を付けた女騎士、シリウスだった。

 カミユの姿でよかろうとも思うが、彼女なりのお忍び衣装なのだろう。

 勇ましい鎧姿ではなく、礼服のようなコートを纏っている。

 

「ああ、もう戻ることはない……そんな直感がある」

「そうか、ではせめてそこまでは送ろうじゃないか」

 

 一頭の黒馬が低く嘶く。

 なるほど、礼服なのは自分を送るつもりだったからかとレウスは思うも、

 

「送ろうって、まさか二人乗りか?」

「そりゃあドルーアに馬だけ残させるわけにも行くまいよ」

 

 それはそうだが、とレウスは言う。

 ここまでの戦い、シリウスの細やかな助力があればこそうまくいった側面は少なくない。

 

 先んじてルイの公爵の話をしたりなど情報の命とも言えること、つまりは情報の速さを理解した立ち回りなど、レウスの好みの情勢を作ってくれているのが彼女だ。

 

 カミユが遍歴の騎士のファンであることも理解していればこそ、二人乗りが彼女へのファンサービスにでもなるなら、受けないわけにもいかない。

 

 そうして二人は馬で走り出し、ドルーアまでには幾つかの言葉を交えた。

 多くのことはこの大陸についてだ。

 アカネイアは統一国家を作り出せたものの、問題がないわけではない。

 ペラティ島は竜族が消えた後にならず者が勢いを増して悪徳の島となった。

 ノルダは五大侯の庇護はなくなったが、逆に好き勝手に生きれると考えて敗残兵を迎えての戦力を獲得した。

 

 それなりに障害はあるもマルスであれば乗り越えられないものではないと思えた。

 

 ルイ公、ミシェイル公、そしてモスティン公という海千山千の猛者たちも協力してくれている。

 のみならずロシェ率いる狼騎士団は大陸の巡回騎士団として新たな群れの主であるマルスの為に休むことなく各地を巡ってならず者たちとの激闘を繰り広げていた。

 

 そして、それ以上に、年の近いカミユも「マルス殿と末永くともに在りたいとと思う」と言ってくれたのがレウスの心にある後ろ髪を惹かれる気持ちへの慰みになった。

 

 ───────────────────────

 

 マケドニアから続く鮮やかな美しい世界は緩やかに色を失い、やがて暗黒竜が支配していたと言えば実に納得できる、寂びた雰囲気が広がり始める。

 これこそがドルーア、これこそが暗黒竜の住まう地であった場所。

 とレウスは「ここまでで十分だ」と告げる。

 カミユも頷く。

 

 降り立ったレウスに対して、

「剣も帯びずに進むのかい」

 そう問いかける。

 

「敵になるものもいないだろうさ、全員自害したんだろ?」

「そのはずではあるが……だが、騎士たればこそ剣は備えるべきだろう」

 

 彼女は儀礼用の剣をレウスへと渡す。

 

「無いよりはマシ程度だが、持って行ってくれれば私が安心できる」

「最後の最後まで武器を貰いっぱなしだな」

「自分が選んだ武器を遍歴の騎士殿に身につけてもらえるのは嬉しいものさ」

 

 カミユはそう言って笑う。

 釣られるようにレウスも笑い、それから「じゃあな」とごく短い別れの挨拶を言って背を向ける。

 

「レウス殿」

 

 その背にカミユが声を掛ける。

 

「蛮人の如くに進むことこそが答えになるときもある

 故を知らずとも、故を求める方が貴殿には似合っていると私は思う」

 

 振り返り、レウスが何かを言おうとして、しかしカミユは馬首を返して続けて言った。

 

「マルス陛下と共に貴殿の前途を祈る!

 我らの祈りはガングレリ(旅路に疲れたもの)を導く杖とならん!」

 

 レウスが言葉を紡ぐことも許されぬ勢いでカミユは去っていった。

 だが、マルスと共に祈られるというのならば進む先にきっと求めているものがある。

 

 レウスはそれを確信し、ひと気がまるでない郊外を進み、城市を抜けて、生けるものの気配の一切を感じないドルーア主城へと進んだ。

 



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独り思う

 メディウスの首が石となって転がっている。

 転がる、というには巨大すぎてもとからこうした置物かのようですらあるが。

 

 ここに足を向けたのは明確に理由があるわけではない。

 ただ、この世界で別の場所と繋がっていそうだと直感できたのはここくらいのものだった。

 地竜が封印されている、となれば物理的空間で押し込められているわけではないだろう。

 ガトーがナギの眠る場所を用意していたりと、高位の竜族ともなれば空間を接続したり、或いは作り出すことも可能なのかもしれない。

 或いは、彼らのではなく、その上位に存在するナーガの権能を借り受けているに過ぎないのかもしれないが、そこの考察は今はいいだろう。

 

 ここに扉がなくとも、どちらにせよメディウスの死後にここがどうなっているかも見たかった。

 確かに死んでいる。

 死んでいる、とは言うものの石化しているだけなのでもしかしたら生きているのかもしれないし、そもそも生物としての死や生という概念を超えていると言われればそれはそれで納得できるほどに暗黒竜の姿は恐ろしくも、神々しかった。

 

 メディウスの額には封印の盾とオーブが埋め込まれるような形で置かれている。

 五つのオーブは盾の表に放射状になるよう配置されており、盾の中心にはオレが持っていた頃にはない、スリットのようなものが存在していた。

 

「これか」とオレは一人呟く。

 狭間の地でこうしたものなど(魔剣石の鍵や石剣の鍵)は小悪魔の石像の頭部に刺すようデザインされており、

 小悪魔と暗黒竜ではサイズ感は違えど同一のやり方を求められているようであった。

 

 懐から取り出した魔剣石の鍵。

 ゆっくりと差し込むとどこかしらで転送門が開くものかと思っていたが、

 開いたのは足元──つまりは盾がスライドするようにして開き、強制的にオレは落とされたわけである。

 

 落下の浮遊感はすぐさま消え、水の中に落ちるような感覚に変わる。

 短くは感じない、しかし聖王国の頃のようなほどの長さとも思わないこの世界の時間から切り離されていくような。

 

 落ちていく方向を見る。

 淡い光が見える。海の中で見た太陽のような光が。

 あの光は次に何を、或いはどこへと誘うのだろう。

 

 ───────────────────────

 

 膝の上で眠るようにする一人の男性。

 お立場のある方だからこそ私が思慕を向けている意中の人、などとは言えない。

 私の心と命をお救いくださった、大切な方。

 

 麗らかな天気、広がる草原。

 微かに吹く風が私とこの方の髪を揺らしている。

 けれど、もうこの方が立ち上がることはない。

 

 ──守れなかった。

 私が守るべき人を、私は守れなかったのだ。

 この身を盾にするべきときにお近くに在ることができなかった。

 

 この方の死を伝えねばならない。

 私の無力さを罰してもらわねばならない。

 そうせねばならないはずなのに、私はそれすらできなかった。

 

 ただただ、この世界に対して、存続していくであろうこの先に対して何も思うことができなかった。

 

 アリティアは確かにこの後も繁栄するだろう。

 今のこの東西決戦を破り、平定し、永き平穏を作り出すことだろう。

 

 でも、それに意味などない。

 レウス様亡きいま、私にとってそれは遠すぎる現実であり、

 それ故にそのために何かをしなければならないという気持ちを奮い立たせることができなかった。

 

 懐刀を取り出す。

 よく磨かれ、研がれたこれはパオラ姉様とエストも持っている姉妹の絆である。

 自らの誇りが汚されるときに使えとまだ見習いだった頃に当時の白騎士団の長に渡された逸品だ。

 或いは、主や国を失ったとき、殉ずることを望むのであれば使えとも教えられていた。

 

「ごめんなさい、パオラ姉様、エスト」

 

 喉元に添える。

 

「ごめんなさい、レウス様

 私の我儘で貴方の亡骸をこのままにすることをお許しください」

 

 少しの力で押し込んでみれば、私の喉首はすんなりとその刃を受け入れた。

 



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風の留まる場所

 周りを見渡す。

 見覚えのある風景ではあるが、ここはどこだったか。

 少なくともアカネイア大陸のどこかではない。

 彩度の低い、寂びた景色。

 

 手入れがあまり行き届いていない城。

 風が強く吹いている。

 ぼんやりと観光気分でぶらつき、やがて通路の先に見えた中庭で腰を下ろす。

 

 さて、やることがない。

 落ちていった後、意識を失って、ここはどこかもわからない。

 あのとき見た光が何かはわかった。

 遠くにある大樹が燃えていた。

 黄金樹。

 

 狭間の地に戻ってきたというわけだ。

 ふわふわとした意識が緩やかに、この場所がどこかを思い出させた。

 

 ストームヴィルと呼ばれた城である。

 

 オレが狭間の地に行って、ごく序盤に訪れ、あの世界を駆け抜ける原因になった場所。

 あまりにもトラウマすぎて記憶の奥底に封じていた。

 

「巡り巡って、ここか」

 

 それでも『こんなことになるのなら、マルスと一緒に過ごすべきだったか』とは思えなかった。

 戻る道がそこにあるかもしれないなら、オレはそれに賭けたかった。

 

 が、どうやら無謀な賭けは失敗に終わったようだ。

 徒労感にも似た感情がオレの心を支配し、再び曖昧模糊とした思考に支配されゆく。

 

「無様な姿だ

 野心の火に焼かれた略奪者に相応しい」

 

 オレの背に声が掛かる。

 聞き覚えがあった。

 狭間の地で記憶している『声』というものはそう多くない。

 よほどの美声か、何百回と殺された相手かくらいのものだ。

 

「野心の火

 ……そうだな、あっちに行ってからのオレはそいつに炙られ続けたのかもしれねえ」

「そうしてこの世界を壊したように、お前はその世界も壊したのだろう

 祝福なき褪せ人らしくな」

 

 巨躯を揺らすようにではなく確かな知性を持つ所作でゆっくりとこちらへと近付いているのがわかる。

 所作に関しては、おそらくそうだろう程度のものだ。

 戦っていたときに感じた印象が強いのかも知れない。

 

 叩き潰されるかと思っていたが、その声の主はオレの横へと立つ。

 

「マルギット、いや、モーゴットって呼んだほうがいいのかね」

「好きに呼ぶがよい

 名前などこの世界において何ほどの価値があろうか」

 

 襤褸布を纏い、その下から見える手足、それに尻尾は太く、身体の強靭を体現していた。

 顔面の半分には角がうねるように伸びており、悪魔や魔獣と形容するに相応しい姿をしている。

 だが、それでもこの男には不思議な魅力があった。

 おそらくはその顔立ち、瞳だろうか。

 知性、自制心、思惟、経験がおもてに出ている。

 

「旅をしてきたのだな、褪せ人よ」

「ああ、長い旅をしたよ

 アンタに無視されて傷ついてから、随分と長い旅をしてきた」

「言葉を交わすに意味などあるまい、あの場所の私とお前は敵でしかなかったのだ

 しかし、その旅路の果てにお前は手に入れたのだろう

 求めていたもの、或いは求めることすら考えなかった至宝を」

 

 版図や国力ではない。

 手に入れた至宝……家族や愛と呼べるようなものたち。

 

「けど、そいつは遠くになっちまったよ」

「祝福なき褪せ人に相応しい末路よ

 破壊をするものはやがて破壊される運命にある

 世界というものはいつだって我らを拒むものだ」

「悲惨な考え方だな」

 

 マルギットは鼻で笑い、

「見捨てられたのだ、卑屈な言葉の一つも出る

 それともお前は違うのか?」

 言葉を返してきた。

 

「オレは見捨てた側な気がするよ」

 

 それに対してはマルギットは何も言わない。

 しかし、続けろという沈黙であることはわかる。

 

「他の褪せ人も何かを見捨てて狭間の地に訪れることになったんだろうかね」

 

 葦の国やらロスリックやら、狭間の地には発祥が異なりそうな文化圏の情報がある。

 

 それらに関わる作品(ダクソやらSEKIROやら)のことを考えると狭間の地は名前の通りに幾つもの世界に挟まれるようにして存在してたんじゃないかと思っている。

 が、思っているだけでそれを探求しようという気にはならないが。

 オレが調べたところで答えが出るわけもなかろうからだ。

 マルギットに話そうとしている本旨とは関係ないし、無用な思考は捨て去ることにした。

 

「オレもその一人でさ、平和な世界から飛ばされてきたんだ

 何もかも倒して、律を得て、世界をどうするかを選ばされたそこでオレは別の道を選んだ

 見捨てたんだよ」

「狭間の地をか」

「それもある

 そして、元の世界に戻ることを、かつては自分が住んでいた世界と環境も」

 

 元の世界ではオレは恵まれた立場だった。

 親はいたが、それぞれが自分の道を求めて家から離れていた。

 十年は会ってなかったし、それ以後も会うことはないのだろうと考えていた。

 

 別に恨み言を言うつもりはない。

 

 オレも親に何かを求めるつもりはなかったし、何かしてやれるとも思ってなかったからだ。

 

 あの世界には確かに友人もいた。

 恩師もいるにはいた。

 

 風の噂じゃあ両親は別の人間とも子供を作っていたらしいって話も聞いたから、まだ見ぬ兄弟姉妹と会う可能性もあった。

 けど、オレはそれらの全てを見捨てた。

 

「何故捨てた?」

「お前のせい」

 

 その理由をオレは、人のせいにした。



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勝つのが好きなんだよ

 そいつのせいだった。

 そいつの強さが圧倒的だったからだった。

 オレは死に、死に死に死んで死の終わりに攻略手段に落とし込む、といった具合だ。

 

 はじめは会話を試みた。

 次も会話を試みた。

 その次も、次の次も。

 

 もはや言葉を発しても無視されるのであればと戦い、そして死んだ。

 今度は倒す気で戦った。そして死んだ。

 

 杖に叩き潰されて死んだ。

 光の短剣が群舞するように飛来して避けられずに死んだ。

 光の鎚に叩き潰されて死んだ。

 光の剣で切り分けられて死んだ。

 光の長剣で消し飛ばされて死んだ。

 

 あと立ち位置に失敗して落下して死んだりもした。

 

 とにかく、ひたすらに死んだ。

 

 何回死んだかをカウントするのも馬鹿らしくなった頃ですらなく、もはや自分が何をやっているのかわからなくなった向こう側になった頃、遂にその巨躯が倒れ、消えた。

 

『覚えたぞ、褪せ人よ

 野心の火に焼かれる者よ

 怯えるがよい

 夜の闇に

 忌み鬼の手が、お前を逃しはしない』

 

 負け惜しみとも恨み言とも取れる言葉を残しながら。

 

 オレがそいつ──マルギットで覚えていることはその程度だった。

 わかったことは会話をしても通じない。

 言葉は通じるのと話が通じるのは別だってことである。

 

『この世界じゃ会話で道を開くことは不可能』

 マルギットから得た最大の戦利品がその教訓である。

 

 ───────────────────────

 

 こんな世界さっさと抜けてやる、そう思ってオレは駆け抜けた。

 大体の言葉を話半分に聞いて受け流し、良心が咎めない奴は殺した。

 咎めるけど敵になったものも殺した。

 殺して、殺されて、戦って、挑まれて、それを繰り返してラダゴンに至り、エルデの獣を屠った。

 

 勿論、その道中で戦える相手は何だって戦いを挑んで、倒した。

 いつからか、駆け抜けるのはこの世界から逃げるためではなくなっていた。

 

『貴公も、知るがよい

 ミケラの刃、マレニアを

 敗れを知らぬ戦いを』

『ニーヒル!ニーヒル!ニーヒル!』

『共に神をも喰らおうぞ!』

 

 この中庭で目を閉じて、思い出そうとすれば戦いの記憶は昨日のように思い出せた。

 オレは弱かったからこそ、好敵手などとは口が裂けても呼べない、圧倒的に格上の猛者たちに試行回数という名の数を頼みにして勝利していった。

 

 狭間の地を駆け抜けた。

 それはあの世界がつまらないものだったからではない。

 

 あの世界の日々が、負けて死ぬことと勝ってその場を去ることの全てが心を満たしてくれた。

 

「狭間の地から元の世界に戻って、それでどうなる?」

 

 戻った先にデミゴッドたちはいない。

 

「……見捨てたんだよ、オレは

 今更机に向かって勉強したりなんて日常に戻れやしない」

 

 元の世界で命の手触りを感じようとしてみるなら、サイコキラーにでもなるしかない。

 でも、そんなものはオレが狭間の地で得た悦びではない。決して。

 

「平和な世界で生きてきたオレという存在は、死んで消えたルーンと一緒にどこかに落としちまったんだ」

 

 マルギットの瞳は哀れな生物を見るようであった。

 ああ、オレもオレ自身をそうやって見ていたよ。

 狭間の地から去るまでは、さ。

 

 ───────────────────────

 

 とどのつまり、オレが駆け抜けたのはマルギットのせいである。

 そして、戦いを楽しむようになったのもマルギットのせいである。

 

 オレはあの徹底的な敗北の中で一種のマゾヒズム的な喜びを持っていたのかもしれない。

 つまりは、負けはする、しかし相手への攻略が進む。

 しかし、負ける。つまりは死ぬ。

 普通に考えれば死ぬなら逃げたい。殺されるのはお断りであるはずだった。

 

 だが、オレは挑み続ける内に死の恐怖よりも戦い、勝利することを望むようになった。

 それはマルギットに勝った後も、その衝動は続いた。

 

「しかし、お前は負けたのだ」

「ああ、そうだな」

 

 そのとおりだ。

 果ての果て、アカネイアの戦場で負けた。

 

 視線をマルギットから遠くに見える黄金樹に移す。

 

「誰かが勝つなら、誰かは負けている

 わかりやすいこったな」

「お前は誰に負けた?」

「自尊心を守る風に言うならフィーナへと目を向けた自分自身に、

 実態的に言えばガトーとマリーシアに負けた」

 

「確かにお前の命は負けた、だがお前の心と歩みは負けておらぬ」

「なにを」

 

 手に持っていた呪杖の石づきが中庭の石畳を叩く。

 映し出されたのは見慣れたアカネイアの景色であり、

 それを見せているのは光で構成されたパネルのようなもの。

 これは円卓でメリナがオレに見せたものと同じだ。

 

「ここから何が見える」

「何がって、アカネイアの……そこかしこ、か?」

 

 作り出されたパネルは一つではない。

 それらは全て、違うものをオレに見せていた。

 



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狂風

 聖王とカチュアが陣地を飛び出してから、それを知っているかのように戦況は動き出していた。

 

 ミディアの突撃に呼応したのはオレルアンの兵士たち。

 大軍ではないが、その突破力も破壊力も今までのオレルアン軍の比ではないものだった。

 

 理由はわかりやすく、単純だった。

 一番槍を務めている魔道士が規格外の強さだったのだ。

 

 少年魔道士マリク。

 赤い瞳が鈍く輝く度に突風が吹き荒ぶ。

 その勢いに負けなかったものがいたとしても風の中には死神が踊り狂っているかのように、見えざる刃が乱舞している。

 アリティアの騎士たちもその魔力の前にいいように吹き飛ばされ、切り刻まれ、戦線が押し戻されていた。

 

 魔道士でありながら最前線を進み、まるで疲労を知らないかのように昼夜関係なしに突き進む。

 それを止めたのは聖王国の精兵でも、竜族でもなかった。

 

「マリク、久しぶりですね」

 

 アリティア聖王国王女エリス。

 彼女は上がってきた報告を聞いて相手の先鋒を務めている少年魔道士の外見から、

 すぐさまそれが彼であることを理解し、最前線へと自らの意思で進んだ。

 

 勿論、ホルスタットをはじめとした司令部とは話し合っている。

 はじめこそ戦略レベルで対処する相手であり、レウスの大切な人間であるエリスを暴風の前に立たせるなど……と言われていたものの、

 エリスの意思は固く、曲げることができなかった。

 

「……エリス様……」

 

 赤い瞳を向ける。

 思い出の中と何も変わらぬ美しいエリス。いや、より美しさに磨きがかかっている。

 だが、どうしてここに?

 マリクはこの戦いの全てを何も知らなかった。

 誰と戦っているのかすら。

 けれど、マリクはそれが不思議なこととすら思えない。

 

 ガトーがほどこした徹底的な聖戦士としての改造。

 マリクはある意味でガトーの作り出した聖戦士としては、彼が求めている形に最も近く、成功例であると言える存在だった。

 

 自我を持ち、判断基準を失わず、しかし余計なことを考えられず、主の都合の良い形として行動を決定する。

 だからこそ、

 

「エリス様、どうしてそちらにおられるのですか?」

「私はアリティアの王女だからよ、マリク」

「ああ……そうだ、そうですよね」

 

 当然のことだ。

 それでもマリクにとって、『敵』の側にいる理由を処理できないようではあった。

 

「あなたこそ、どうしてアリティアへ攻撃を?」

「それは」

 

 何故だろう。

 少し考えようとするが、それは強制的に思考を染められる。

 

「世界を壊そうとするものが神を気取って、僕たちの全てを奪おうとしているからじゃないですか

 エリス様こそ、どうしてそんな存在をアリティアに置いておくのです」

「それはレウスさんがあなたの言う破壊者ではないからですよ」

「そんな、」

 

 そんなわけはない。

 あの男こそが全てを壊したのだ。

 マルスの死は、レウスの存在があったからこそ。

 つまりは、マルスを殺したのはレウスだ。

 

 ガトーの思い(憎悪)が心を占める。

 

「そんな、わけ、ない!

 あいつは世界を壊そうとしているんです!

 どうしてそんな風に言えるのですか!」

「それは……私はあの方のものだからです

 身も、心も」

「え……?」

 

 身も心も。

 その意味するところがわからぬほどマリクも初心(うぶ)ではない。

 

「何を……言って……」

「言葉のとおりです、マリク

 私はアリティアの王女という立場でなく、一人の人間としてあの方を好いています

 これ以上、レウスさんがあなたの言うような存在ではないことの説明がありますか?」

「そんな、そんな……う、うそだ

 僕が、僕があなたの側にあるべきなのに、どうして」

 

 ───────────────────────

 

「そうだ

 それは嘘だ、その眼の前にいるものはエリスですらない

 お前を騙そうとしている

 気をつけろ

 レウスはお前や世界を壊すためであればどんな手段も使う」

 

 混乱するマリクの側に現れたのはガトーであった。

 ただ、それは本当のガトーではない。

 

 聖戦士として作り変える上で、思考のエラーが発生したときに矯正を行うために存在する代理人格にすぎない。

 幻影のガトーとでも言うべきものは存在させるだけで魔力を消費する。

 

 そのために、そもそも魔力がなければ受け付けることはできず、

 マリーシアのように高い魔力がある人間は自分でそれを解除してしまっていた。

 

 マリクはそれすらも行えないほどに自我が破壊されていたからこそ、幻影のガトーの支配下にあるままなのだと言えた。

 

「ガトー様……」

「よく見てみよ、よく聞いてみよ

 お前をたぶらかすためにレウスが用意した娼婦だからよ

 お前の知るエリスの清らかさを侮辱したのだ」

「ゆる、せ……ない」

「そうだ、許すわけにはいかぬ

 偽物の娼婦を殺し、エリスを取り戻せ」

 

 マリクの自我は既に崩壊している。

 それを支えていたのはウェンデルであり、リンダであった。

 しかしそれらが彼の前から去り、道具として使われ続けた結果、代理人格のガトーが都合よく動かすための『マリクだった人格』によって体を動かしているに過ぎない。

 

「さあ、戦うのだ

 世界を救うための戦いをここから始めるのだ、マリクよ」

「ああ、そ、うだ……倒さないと……

 エリス様を、穢した、連中を、殺さないと……」

「そうだ!殺せ!マリクよ!

 レウスと、それに連なるものどもを根絶やしにせよ!!」

 



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縒りて繋げる

「エリス様じゃない、お前は、お前は誰だ!

 殺してやる!

 レウスがいなければ、世界は平和だった!ああ!ああああ!」

 

 マリクが苦しみ、使われることのない魔力が迸って電流のようにそこかしこで放電し始める。

 

 エリスは最前線に行く前にロプトに声をかけられていたのを思い返していた。

 

 ───────────────────────

 

「エリス、伝えねばならぬことがある」

「ロプト様、なんでしょうか?」

「相手の魔道士のことよ」

 

 エリスはマリクとは非常に距離が近かった。

 当時はまだ恋愛などというものの存在を知らない年齢だったからこそ強く意識することはなかったが、

 ラングに囚われたあとにマリクが助けに来てくれることを祈る日がなかったわけではない。

 

 彼女にとってマリクはマルスの親友というだけではなく、

 年の近い男性であったのは間違いなく、それ故にいつか頼りがいのある男性になるのだろうなと思ってもいた。

 

「彼奴は最早、お主の説得は通じまい」

「何故ですか?」

「人には心がある、……というのもエリスは誰よりも詳しかろうよな

 マフーとも心を通わせたお主なのだから」

 

 闇のオーブ、つまりは人間の感情を増幅させる装置から切り出されるように作られたマフーはまるで人間のように心を備えていた。

 廃棄されそうになれば命乞いをするような魔道書などこの世にマフーだけであろう。

 今はエリスと共にあって、マフーはエリスが思うことを受け入れ、

 エリスが望むようにマフーはその力を彼女の手足同然にして使われることを喜んでいた。

 

「……人の心というのは壊れてしまえば二度と戻ることはない

 だが、ワシのような高位の竜族が知識を以て行えば『代理の心』を作り出すことはできる

 それは壊れた心を接ぐようにして作ったものであるから元の人格によく似ている

 しかし、似ているのとそのものであることは大きな隔たりがある」

 

 エリスは王女としての気品だけでなく、人格にもしっかりとした教育がされている。

 それ故に他人に悪感情を向けるということは殆どない。

 

 だが、弟の親友たるマリクがそのようなことをされていると考えて、心が波立たぬわけもない。

 穏やかな心に揺蕩うマフーも、その意識の変化に焦るほどだった。

 

「マリクはきっとお前の知る少年のように言葉を紡ぐであろう

 しかし、攻撃を伴うような意識を向けるのならば最早それはマリクではないと思え

 マリクの姿を借りたガトーでしかないのだ」

「……わかりました」

 

 彼を助け出せなかったのは、結局は自分の弱さのせいだ。

 エリスはそう認識していた。

 だが、それは自己弁護や逃げ口上で弱さのせいにしているわけではない。

 

 弱さで助けられなかった。

 けれど、今は多くのことを経験し、マフーと一つになった彼女は自らが求めるものに手を伸ばせるだけの強さを得ている。

 だからこそ、弱さのせいで助けられなかった。

 しかし、とそれは続く。

 

 ───────────────────────

 

「マリク、私はあなたを助けられませんでした」

 

 叫ぶマリクに構わず彼女は続ける。

 

「だからこそ、これ以上貴方を弄ばせはしません」

 

 弱さのせいで助けられなかった。

 しかし、今ならばマリクを止めることができる。

 少なくとも、これ以上ただの戦争の道具として扱われることを止めてやることができる。

 

 自分もそうなっていたかもしれない、その姿であるマリク。

 

 暴風を前にしてエリスは目を瞑る。

 

「終わりにしましょう」

 

 彼女の影が広がる。

 それはざわめき、踊るように。

 

「マフー!!」

 

 我が身の中に宿る魔道の名を呼び、力の錠を解く。

 刹那、彼女の背からまるで翼のように闇色の帯が広がる。

 

「お前も世界を壊す存在なんだ!偽物めえッ!」

 

 マリクもまた、敵を認識する。

 

「エクス……カリバーッ!!」

 

 少年魔道士もまた、肉体の中に刻み込まれた魔道書の力を解放し、見えざる風の刃を形成した。

 

 ───────────────────────

 

 マリクの周囲に荒れ狂う暴風が生む風がエクスカリバーとなって解き放たれる。

 暴風はマリクと接続されており、その勢いは霧散することもなく彼の周囲に盾や鎧のように存在する。

 その上で周囲に風を更に呼び込み、呼ばれた風に魔力を流すことで極めて少ない消耗でエクスカリバーを放つことができる。

 

 マリクはもはや、人の形をした魔道書と化していた。

 それも、耐久値はこの世界に風が存在する限りは無制限となった魔道書である。

 

 突風の剣が戦場を切り裂いて、野戦を行うに適しているような平地は次々と悲惨な形状へと作り変えられていく。

 何発ものエクスカリバーがエリスに牙を剥くも、だがそのいずれもが彼女の背に現れた影の帯(マフー)が盾となって防いでいた。

 

「どうして、どうして届かないんだ!

 どうして僕のエクスカリバーが!」

「そのエクスカリバーはあなたのものではないからです、ガトー」

「なにを──」

 

 彼女を中心に広がっていた影が一斉に立ち上がる。

 それは帯を()ったような形状をしており、それらは恐るべき回転を伴ってマリクへと猛進する。

 ただの帯であれば風の盾に防がれよう、マリクもだからこそマフーを相手にエクスカリバーを仕掛けることができていた。

 だが、これは違う。

 (ドリル)の如くに風を引き裂いていき、

 

「おやすみなさい、マリク」

 

 その言葉とともに聖戦士マリクの肉体はもはや跡形も残らないほどに貫かれて消えた。

 残虐さ故にではない。

 例え一片でも残していればガトーに流用される可能性があると考えたからだ。

 もしもそんなことになれば、エリスは王女としての品位の全てを捨てて完全な暴力装置になってしまう、そんな自覚を見つけてしまったからだった。

 

「あなたも、マルスも……年上の私が守るべきだったのに……ごめんなさい」

 

 風は散り、そこに残ったのはエリスだけであった。

 影の帯は次々に霧散していき、

 彼女の背に映えていた影の帯の一つがまるで彼女の心を慰めるように頬に触れ、そうして消える。

 

「ありがとう、マフー」

 

 エリスは思いを新たにする。

 戦いが長引けば長引くだけ、こうした悲劇は産まれ続ける。

 それを止めるのはレウスだけに頼るのでは駄目なのだ。

 

「他者の心を(つくろう)うではなく、我欲に従い(あざな)ったのだけはどうしても許せません

 私情で戦いに臨むことを許してください、レウスさん」



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戦場の群体

「魔術師……いや、あの場所では魔道士というのであったか

 その姿を持ち、心を再利用した人形は討ち取られるべくして討ち取られた

 だが、それをもたらしたのはお前の歩みあってのもの」

「慰めてんのか」

「お前の命は負けたが、と言ったろう」

「オレの心と歩みは負けてないってのがこれか?」

「無論これに限らぬが」

 

 そう言って指し示すのは別のパネル。

 

「状況は動き続けるのだ、お前の命が負けようとも」

 

 ───────────────────────

 

 今やミディアは誰も想像できないほどの猛将と成っていた。

 

 戦場をまるで俯瞰しているかのように推察し、

 配下の部隊の状況を常に考えて手足の如くに軍団を操る。

 

 勿論、それができるのもミディアとアカネイアに従い続けた、中核的な騎士たちが伝令や指示を細やかに送っているからというのもあるし、

 引き連れている部隊の大部分が高い練度を持った兵士たちで構成されているのもある。

 その全てを以てこの戦場では群体をミディアと称するべき動きをしていた。

 

「ロプトウス様の指揮する紋章教団とナギ様の指揮する竜族部隊、どちらもミディア将軍の部隊を止めることができないとの伝令が来ました」

 

 報告を受けるのは本陣に呼ばれた諸将である。

 誰も彼が小綺麗な格好をしていないのが、ミディアとの戦いがいかに過酷かを物語っていた。

 

「私を出させてくれ、次こそ止めてみせる」

 

 それに口火を切るようにして立ち上がるのはミネルバ。

 それにレナも頷いて、その輪が広がるも総司令を任せられているホルスタットは悩むようなそぶりのまま、黙っていた。

 

「どうしたのだ、ホルスタット殿」

「……皆様が出るのはまだ後にございます」

 

 ミネルバは元来、激しやすいところもある。

 最近は鳴りを潜めているも、それはあくまで周囲が彼女の感情を煽ったり逆撫でるものがいないからに過ぎない。

 ホルスタットの態度はミネルバの怒りを刺激することはないが、もしも自分やレナがレウスの女だから出せないとでも言うのであれば別だ、と怒りが噴出することになる。

 当人もその気配を自身で察知しているからこそ努めて冷静に、

 

「我らがここに集められている状況がいかに最前線に負担をかけているか、

 それがわからぬホルスタット殿ではないでしょう」

「それは無論」

 

 だが、諸将を集めねばならない理由がある。

 ホルスタットの表情がそれを伝えていたからこそミネルバは追求できなかった。

 

「会議中に失礼します!

 ホルスタット将軍!

 カダイン魔道学院から物資が届きました!」

「説明の準備が整ったようです」

 

 ───────────────────────

 

 兵科の変更には二種類が存在する。

 

 例えばミネルバ。

 騎士や兵士を周りに配置することで柔軟で即時的に命令を飛ばし、相手との戦いで柔軟な対応をするのに向いているからこそ陸戦に殆ど完全に転向したのだ。

 

 それはひとえに彼女の指揮能力の高さがものを言った結果であり、

 飛兵であれば即座に命令を飛ばせるのが同一兵科の飛兵にのみであったからこそ、

 陸戦が主戦場となったケースである。

 

 別のケースはその兵科を維持することができなくなったもの。

 それがパオラである。

 

 ───────────────────────

 

 パオラは白騎士団の飛兵たちを取りまとめる立場として、ミネルバの命令をいの一番に受ける立場にあった。

 防衛の崩れかけた戦線に行っての援護や、戦闘能力がなければ進むことができない場所への伝令など、命がけの状況で投入されるのが白騎士たちであり、

 マケドニアの武門を代表する立場の人間たちであるからこそ恐怖に打ち勝ち続けた。

 

 だが、日に日に強まるミディアの軍才はやがて白騎士パオラの閾値(いきち)を超えることとなる。

 

 それはホルスタットが諸将を集めるよりも、エリスがマリクを倒す前のこと。

 

 押し込めど、見事な手腕で防衛を割ることができないミディア率いるアカネイア軍だったが、ミディアは綻びが見当たらないのならば作ればいい、と言い出すことから始まった。

 

「あの白騎士さえ落とせば防衛力を大いに低下させられる」

「白騎士だけで、ですか?」

「我々が作り出している戦局であそこまで空を自由に動ける伝令はあの白騎士だけだ

 潰してしまえば耳を失うのと同じことになる」

 

 ミディアは幾つかの策を講じ、パオラを『射程圏』に収めると騎馬が大いに飛び跳ねる。

 矢の雨を避けるために回避行動に意識を割いている余り、高度を取ることができなかった。

 それでも歩兵などに掴まれるような距離ではなかったのだが、ミディアの気迫は馬をも跳ねさせた。

 

 黄金のハルバードが唸りを上げて天馬の頭を割る。

 返す刃でさらにパオラを断ち割ろうとするが、天馬が最期の力を振り絞ってミディアの騎馬へと体当たりをした。

 その衝撃でパオラは滑落するも、それはハルバードの一撃を受けるよりは軽傷で済んだ。

 

 だが、落とされた先は敵兵の只中。

 落下の衝撃で目眩を受けながらもパオラはその窮地を脱するために武器を構えた。

 



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チェスト・アカネイア

 腰から引き抜いたのは白騎士団の中核を為す人物にのみ与えられるレディソード(備えしものの剣)

 切れ味は抜群であるが、女性的なデザインのせいか、貴婦人の剣とも呼ばれて男性騎士が持つのに不適とされており、流通量も少ない。

 それ故に白騎士団では貴重なそれを勲章代わりにしていたのだ。

 

 パオラに迫るアカネイア軍は必ずしも統制の取れた騎士や兵士だけで構成されているわけではない。

 五大侯から降ったならずもの同然の騎士から、サムシアンやガルダ海賊のようなものたちまでを使って兵力の穴埋めをしている。

 そんな連中の只中に見目も麗しいペガサス三姉妹の長女が落ちてきたならばどうなるかは火を見るよりも明らかだった。

 

「近寄らないでください……!」

 

 風切り音が鳴る。

 振られた剣は警告。

 だが、そんなことで怖気づくこの時代のろくでなしどもでもない。

 

「ひゃはは!美人な姉ちゃんがいきがってやがる!」

「たまんねえなあ!」

「げへへっ、さっさとひん剥いちまおうぜえ!」

 

 パオラは覚悟を決める。

 目眩はだいぶ収まった。

 骨も折れていないようで、ステップも踏める。

 

 であれば、やることは一つ。

 チェスト・アカネイア(死んでも勝て)

 

 ここでの勝利は尊厳を奪われぬこと。

 

 ───────────────────────

 

 天馬騎士は空を舞うからこそ。

 その認識はまさしく『他国的』な考えである。

 だが、マケドニアでは違う。

 

 地上での戦いでやることがなくなってはじめて空を舞うことを許される。

 つまりは地上での武芸百般を修めて漸くにしてはじめて天馬騎士を名乗ることが許されるのだ。

 それはただの飛兵とはわけが違う。

 マケドニア人は天馬騎士と飛兵を一緒くたにしない。

 

 それは正しく、囲まれた戦場で発揮されていた。

 レディソードが閃けば賊が一人死ぬ。

 力任せに掴みかかろうとしたものを理合いを以て気を制し、手足を使わずに投げ飛ばす。

 

「天馬騎士の誇りを汚したくば命を賭けなさい!」

 

 その一喝にたじろぐ男たち。

 

「つ、強え」

「げへへっ、オレは死ぬのはごめんだぜ」

 

 じりじりと互いに距離を離していく。

 パオラも賊たちもが後退をする。

 このまま行けば逃げ切れるかもしれないという甘えを運命が咎めるように、

 

「いい女じゃねえか!」

「逃がすなんてもったいねえ!」

「おれたちグレイトラング友の会がいただくぜえ!

 ラング様に捧げるべき供物はおれたちが代わりにいただくことでラング様がいただいたも同然になるからよお!」

 

 無茶苦茶な論法を振りかざすのはラングの供回りをしていた兵士たち。

 勿論、正当な爵位も何もないものたちではあるが、ラングの名を傘に着て悪さをしている連中である。

 ただ、アドリア侯爵の供回りをできる程度の実力があるのは間違いのないことである。

 アカネイア軍の鼻つまみものたちは上玉の女騎士を見るや軍規など知ったことかと舌なめずりして近寄る。

 

 ───────────────────────

 

 逃げ道もなく、戦い続けている。

 パオラの体はそこかしこに傷を与えられ、それでもなんとか立っているのは彼女の、マケドニア武人としての意地だった。

 汗と血で片目が開けない。

 だが、そもそも疲労で距離感も掴みきれないのなら問題もない。

 掴めないなら関係ないところまで踏み込んで斬るだけだ。

 

 パオラがそれを覚悟し、踏み込み、レディソードを大上段から振り下ろす。

 しかし、剣はその耐久を全て使い切っていたためにその勢いについていけずに途中でばきんと音を立てて割れる。

 包囲していたグレイトラング友の会が

「ひいいはあ!ふんじばれえ!」

 そう掛け声を上げて殺到した。

 

 刹那。

 

 落雷が降り注ぐ。

 それはパオラを避けるようにして、グレイトラング友の会のメンバーを狙い撃つようにして降り注いだ。

 その稲妻が何者の手によるものなのか誰が知るや。

 狭間の地に住むものであればひれ伏すものもいよう、竜の威光。

 

「なんだあ!?」

 

 グレイトラング友の会が誰ともなく叫ぶ。

 

「我が同胞をこれ以上辱めるは、このグランサクスとミシェイルが許さぬ」

 

 雷雲を纏って現れたのはアカネイア最強の竜騎士、ミシェイルであった。

 その後のことは語るまでもない。

 グランサクスの雷は地上を蹂躙し、それでもと挑むものたちはミシェイルの槍さばきの前に一人残らず地に転がることになった。

 

「み、ミシェイル王……」

「もう自分は王ではないぞ、白騎士パオラ」

「どうして、ミシェイル……様が、ここに?」

「……手を貸すつもりはなかったのだがな

 お前のような器量良しの危地であればレウスが来るものと思っていたが」

 

 だから、とミシェイルは

「レウスの代理で来たに過ぎぬ

 陣地までは送ってやるが、助けたのは俺だと伝えてくれるなよ」

「どうしてです」

「英雄的な行いをするものは少ないほうが後の世のためだからだ」

 

 パオラは少し悩むような素振りを見せてから、

「では、私だけは覚えておきます

 ミシェイル様に助けられたことを、そのご勇姿を、その寛大さを」

「よせ、褒め言葉を受けてどう返せばいいかわからぬ男なのは

 マケドニアの臣民であるお前であれば知っているだろう」

 

 朴訥な反応にパオラは小さく笑み、安心から気を失ってしまう。

 

「……レウス、お前はどこで戦っている」

 

 パオラを担ぎ上げ、竜を空に舞い上げてからミシェイルはそう呟いた。

 



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神の心に人の身に

 ワープ。

 アカネイア大陸に存在する中で最上位の魔法である。

 ここから派生した魔法であるレスキューやリブローなど、

 距離を無視して効果を発揮したり、転移で引き寄せるものなどもあるが、

 それらはむしろワープという強大な魔法をコントロールしやすくしたものにすぎない。

 

 特にガトーが扱うそれは神代の奇跡とも言うべきもので、

 一軍をまるごと転移させることすら可能であった。

 

 しかし、それはかつての話。

 今のガトーはどことも知れぬ場所で血を吐きながらもがいていた。

 

 ボアが発動したドゥラームを回避し、その場から逃げ出すためのワープであったが、

 未だエッツェルの体が慣れていないことに加えて、

 あの魔法から逃げ出しきることができなかったのだ。

 

 外傷こそないものの、肉体的には瀕死と言えるほどにズタズタな状態になっていた。

 

「……お、おのれ……」

 

 よたよたと立ち上がる。

 周りを見渡す。

 ワープに明確な指向性を与えず、逃げることに精一杯であったからこそ、ここがどこかわからない。

 

 どこかの庭のようだ。

 邸がある。

 何者かの、そしてそれはおそらく貴族階級の人間のものであろう。

 

 痛む体に鞭を打ち、トロンを取り出す。

 貴族であれば敵であることが予測される。

 その上で、転移のあとにどれほど情報が回っているかもわからない。

 

 扉が開く。

 逃げる間もなかった。

 トロンを構える。

 

「エッツェル殿!」

 

 そこから出てきたのは見知った顔……トラースのものだった。

 

「酷い顔色だ……さあ、中へ」

 

 ガトーは警戒の色を見せるが、しかし体は言うことを聞かない。

 攻撃はいつでもできるのだと自分に言い聞かせ、トラースに案内されるままに室内に入った。

 

 中には彼の部下たちが数名滞在しているようで、そのうちの一人がリライブの杖を扱って治療をしてくれている。

 

「ひどい目にあったようですな」

「……ああ」

「ボア殿の滞在している邸では熱狂の渦が今も褪めやらぬままだとか」

 

 やはり、何かしらのことをトラースは受けているのか。

 例えばそれがエッツェルの殺害など、有り得る話だ。

 

「どうあれ、それに巻き込まれたのでしょう

 私はアカネイア王国から禄を頂いている身ではあるが、ボア殿の部下ではない

 参集し、協力せよと言われてもなかなか判断もできない」

 

 自嘲気味に笑うトラース。

 日和見主義の貴族らしい言葉だが、エッツェルは

 「私がいればお主も襲われることになるぞ、この身はボア殿に恨まれている」

 詳細……つまり、自分がガトーであることは明かさないにしても、エッツェルという男を助けるのは身を危険にする行いだとは説明する。

 

「ええ、そうでしょうな

 まだ回状だけではありますが、貴方を探すように命令も来ています

 ですが、窮鳥懐に入るとも言います

 勿論、エッツェル殿は非才の自分とは違い、鳥は鳥でも天に舞う神鳥でございましょうがね」

 

 自虐に対して「はっはっは」と笑う。

 

「私も貴族なのですよ」

 

 笑い顔を止めて、しかし厳しいものではない。

 

「その意味はアカネイアでは失せてしまいましたが、我らは本来力を持つが故にそれを正しく使わねばなりませぬ

 今は少なくとも、才能ある若き魔道士殿の怪我を見ることこそが為すべき正しきこと

 そう思っております」

 

 暫くはお休みください、とトラースは部下に部屋へと案内させる。

 案内した騎士は

「ここから脱出するためには」と幾つかの逃走経路を説明した。

 何故そこまでやるのだと問えば、

「それがトラース家のやり方なのです」と言い、

「だからこそ、零細貴族のままなのですがね」笑いながら答えた。

 

 ───────────────────────

 

 それから数日。

 エッツェルも肉体、精神、魔力いずれもが回復した頃。

 トラース邸の門が叩かれる。

 

「我らはアカネイア大帝国が聖騎士団である!

 トラース殿!

 開けられよ!」

 

「おや……何事だろうかな

 エッツェル殿、暫しお待ちくだされ」

 

 トラースは知る限りのアカネイアの歴史ガトーへと伝えていた。

 これはガトー自身が希望したことである。

 ガトーが俯瞰した歴史と、人間が見ていた歴史にどのような差があるのか、それを知りたかったからだ。

 

 座学を止め、門へと進む。

 

「当邸の主、トラースだ

 貴殿は?」

「アカネイア大帝国、聖騎士団が団長に任命された

 ネーリングと申す

 貴殿の邸にエッツェルという魔道士がいると情報を受けた」

 

 身内が売ったわけではない。

 おそらくは出入りしている商人の誰か、或いはどこかから密偵でも入り込んだのか。

 どうあれ、彼の答えは決まっていた。

 

「ここは我が所領であれば、貴殿に何かと言われる筋合いはありませぬな」

「いいや、この一帯はもはやアカネイア大帝国のものである

 貴殿もまたその領地に組み込まれた一介の爵位持ちであるからこそ、

 従う義務があるというものだ」

「……ふむ」

 

 事実、土地そのものが滅ぼれずとも主家たるアカネイアが名を変えただけであり、

 その土地に組み込まれた爵位持ちたるトラースはネーリングの言う通り、

 アカネイアに属するものとして命令に従う義務はある。

 少なくともそれに抗えるような大貴族ではないのだ、彼の家は。

 

「下手な真似は考えなさるな、トラース殿」

 

 ネーリングは申し訳無さそうな、或いは憐れむような顔をする。

 

「我が家も同じことになり、やむなく編入された

 ここで断れば勢いづいた市民軍が荘園ごとを襲いかねぬ」

 

 彼は自ら抱える民のために大帝国に膝を折った。

 そういうことなのだろう。

 彼は言葉を続ける。

 

「私とてアカネイア大帝国が正しいとは思えぬ

 だが今は鼎の軽重をボア殿に問いただすことはできぬ……彼の群れは強くなりすぎた」

 



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トラース

「大帝国、ですか」

「馬鹿げた妄執ですが、彼はどのような方法かはわからぬが民を味方につけた

 それも異常な熱狂のもとに

 ……おそらくはラング殿の側にいたというあの魔女(マリーシア)の助力によるものでしょう」

 

 ネーリングもまた爵位はあり、軍籍としても高位のものを持つ。

 それでもアカネイアのあり方に口を出せる立場ではない。

 むしろ、今のアカネイアには軍人には立場はないのだ。

 発言権を有しているような軍人は全てミディアとともに最前線へと送られている。

 残されたのは無能や無力な貴族と、それを取りまとめる能力を見込まれたネーリングだけである。

 

「その助力は細やかなものであろうな、ネーリング殿

 あの御方は随分と前からそれをやるための準備を整えていたようだ

 手段はわからぬが、」

「あの擬剣ファルシオンとやらが関わっているのか」

 

 疑うべきはガトーが持ち込んだあの剣だ、ネーリングはそう見ているらしい。

 しかし、

「いつそれをボア殿が手に入れたかは判然とはしないものの、

 先日大量にガトー殿から送られたものよりも前から研究はされていたようではある」

 トラースは時系列や研究時間というものがあろうとして推察を口に出す。

 

「それが民を狂わせた、と」

「十中八九は」

 

 断言的なトラースに対して「ですが」とネーリングは断りを入れるように。

 それを理解しているからか、

「……ええ、手を変えるわけにはいかないのでしょうな」

 トラースは無念であると表情に現す。

 

「エッツェル殿はまだお若い

 我らのように年のいった貴族よりも未来がある、どうあれ……アカネイア貴族には未来などあるわけもないでしょうがね」

「それには同意する

 だが、譜代の貴族として、アカネイアの数少ない将として責任は果たさねばならぬ

 トラース殿……残念だ」

「私もだ、ネーリング殿

 アカネイアはよろしくお頼み申す」

「しかと」

 

 トラースはそのやりとりの後に息を一つ吸う。

 

「エッツェル殿!

 お逃げなされ!!できるだけ遠くへ!!

 もはやこの土地に、アカネイア大帝国の領にあなたが落ち延びれる場所はない!

 どうか、どうか生きてくだされ!!」

 

 それを言い終わるのを待ってから、ネーリングは小姓から槍を受け取る。

 

「トラース殿は大帝国を裏切った!

 今より反逆者の掃討と、一級犯罪者とボア殿が定めたものの追討を行う!!

 突き進めッ!!」

 

 トラースの横を抜けるように騎士や兵士が雪崩込む。

 その中州のようになった彼は腰から剣を抜き、構える。

 

「参りますぞ」

「ああ、参られよ」

 

 トラースはネーリングの武名を知っていた。

 その実力故に最前線に出されることなく、日陰のようにして存在する、アリティア最後の壁であると話されていた男。

 弓を得手とするわけでもない、しかし、剣はもはや練習で振るったことしかない。

 そんな状態でもトラースは挑んだ。

 

 一合を持たせることもなく、たった一手で刺し穿たれ、命を砕かれる。

 わかっていた結末だ。

 

「……アカネイアも、五大侯も、ナーガ神教も、それらの全てが悪とは……思えませぬ

 では一体、我らはどこで、道を……間違えたのでしょうな」

「……それは私には答えられぬ、トラース殿

 だが……今も間違えた道を歩み続けさせられているのは間違いありますまいな」

 

 ───────────────────────

 

「エッツェル殿!

 お逃げなされ!!できるだけ遠くへ!!

 もはやこの土地に、アカネイア大帝国の領にあなたが落ち延びれる場所はない!

 どうか、どうか生きてくだされ!!」

 

 その声に邸内にいたトラースの部下があちらへ、と案内をする。

 倉に隠されていた地下通路に半ば無理矢理に押し込まれる。

 

「お主らはどうするのだ」

「我らはトラース様と運命を共にします」

「……愚かな判断だぞ」

「ええ、そうでしょうな」

 

 思わず口をついて出た言葉であったが、それでも不快な顔ひとつせずに騎士が答えた。

 

「……」

 

 言葉を悩む。

 始めての言葉を。

 

「トラース殿にも伝えてくれ、そしてお主たちにも伝えたい

 匿い、傷を癒やしてくれたこと、アカネイア王国の歴史を教えてくれたことを深甚に思う」

「ええ、お伝えしましょうぞ

 エッツェル殿もどうかご健勝に……さらばです」

 

 地下通路の出入り口が閉められる。

 

 やがて外からは戦いの音が響いてきた。

 ガトーはトロンを握るが、しかし、ここで討たれてなんとなるのだと自らに始めて芽生えた人間への慈悲めいたものを振り払うようにして地下通路を走っていった。

 



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綱渡りの手紙

レウスが俯瞰している大陸の情勢の中、彼の視点以外のところでも状況は動いていた。

 

「聖王様の予想は外れたってわけだ」

 

 クリスが気楽な声で城壁の上から人影を見やって言う。

 敵襲は来ず、何者かの孤影だけがこちらに向かっていた。

 

「そうなのか?

 アテナにはわからない」

「あいつは確か狼騎士団の一人だ……あー……ビラクって名前だったはずだ」

「名前を言われても知らない

 強いのか?」

「強いだろうな、オレルアンが戦い始めて今日まで生き延びてきたんだ」

 

 彼らの前に現れたのは騎馬が一騎。

 

「そう敵意をむき出しにするなって!

 こっちは見ているだろ!武器はない!!」

 

 よく通る声だった。

 太く、張りのあるいい声だった。

 

「俺はビラク!オレルアン一のいい男だ!

 話をしに来た!!」

「……強いかはわからないが、肝は太そうだな」

 

 アテナが端的な感想を述べた。

 

 ───────────────────────

 

「このような外見で失礼」

 

 責任者ということで現れたホラティウスは仮面をかぶることを詫びる。

 

「いいさ、悪徳の街を作ろうとしているってなら顔を隠すのも理解できるからな」

 

 クリスとアテナの立ち会いのもと、ビラクはホラティウスの前に立っていた。

 

「用件を伺おう」

「亡命さ」

「……亡命?

 ここは勝手に名乗っている国ですらない場所だが」

 

 小さく笑い、ビラクは快活な表情のままに返答する。

 

「ホラティウスさん、アンタは今でなくともそのうちアリティアに身売りするつもりだろう

 この街ごとかまではわからないが、違うか?」

「その予想の根拠を伺おう」

「俺は元は奴隷の身分でね、その頃に知り合った連中とは今も仲良くしている

 そこの一人が今はアカネイアで下働きをしている……いや、していたんだ」

 

 ───────────────────────

 

「よ、よお……ビラク」

「おいおい、一体どうしたんだよ」

「悪いなあ、おしかけちまって」

 

 奴隷身分の頃の友人であったその男は今にも死にそうであった。

 彼はその立場から解放されたあとにアカネイアで主を見つけ、安定した生活を送っていたと聞いていたが。

 

 その背には拷問のあとがあり、手足の状態から見ても強引に逃げ出したことが伺い知れる。

 

「逃げる場所がお前のところくらいしか思いつかなくてよ」

「アカネイアで何があった?」

「わ、わからねえ……ただ、多くの人間がまるで操られてるみてえになって、そうじゃない奴らを捕らえ始めたんだ

 そいつらは口々にボア様万歳、皇帝万歳とか抜かしてて……」

 

 彼は恐ろしくなり逃げ出そうとしたが、捕らえられた。

 そこから逃げ出せたのは彼の必死さもあるが、協力者もいたからである。

 

「逃げたのは俺だけじゃないんだ

 だが、皆殺されちまったよ……アカネイア大帝国なんて名乗る頭のおかしい連中に……」

 

 彼は懐から手紙を取り出す。

 幾人もの血に汚れてはいるが、それでも内容を読むには問題がない。

 大事に扱ってきたことが察することができた。

 

「び、ビラク……この戦争はなんか変だぜ……一体、誰がどうしてここまで酷くしちまったんだ

 まるでここは暗黒に住む化け物が笑う(ちまた)だ……ただの戦争じゃあねえんだ

 なあ、お前の主君は、ハーディン様は魅入られちゃいないよな?」

「あの方は心も体も強い、大丈夫さ」

「そうか……王弟様に何かあったらお前までイカれちまいそうでよ、何せお前は俺たちと違って騎士にまでなれたんだ

 そんなお前が俺たちの誇りだった」

「大丈夫さ、俺はオレルアン一のいい男だぜ

 簡単に潰れたりはしない

 そら、肩を貸すから医局に行くぜ」

 

 ぐい、と彼を担ぐ。

 

「……なあ、ビラク……このまま戦争が続いたら、俺たちのことを知るものはいなくなっちまうんだろうな

 俺たちは、何のために産まれてきたんだろうなあ……」

「おいおい、そんなこと心配するなって

 俺も覚えているし、それに──」

「……」

「おい、……くそっ……」

 

 安堵したからか、意地だけでここまで命をつないでいたのだろう。

 仕事を果たしたからか、彼は安らかに眠った。

 

 ───────────────────────

 

 手紙を記したのはホラティウス……ホルスの部下のものであった。

 内容はアカネイア王国、いや、大帝国の状況を事細かに記し、

 国家に正義がないことを示す多くの証拠物品を隠したことを伝えるものだった。

 

 ホルスの暗躍に協力していた数少ない人間はアカネイア王国で起こった変事に巻き込まれ、

 そのことを伝えるための手紙を急ぎ記して運んできた。

 筆者はその道半ばで命を落としたが、それはリレーされるようにして信頼できるもののもとへと運ばれた。

 

 内容は新ワーレン自治区の主がホルスであること、

 彼はアカネイアを崩そうとしていること、

 それが大陸平和の近道だからやっていることなどを読みとける内容であった。

 

 それは暗躍しているホルスにとって文章で刻まれることは致命的な情報であるはずであったが、

 協力者がそれを残したのには理由があり、それはホルスも理解している。

 

 この手紙が彼の敵になるものの手に渡ればホルスの領には影響が出て、或いはそれを糾弾するような内容が新ワーレン自治区に響いてくるだろう。

 そうなれば、ホルスだけは生き延びることができる。

 危機的状況になっても冷静に行動し、それをこなせることを筆者は理解していたのだろう。

 

 今のホルスには『友人』から与えられた騎乗竜もある。

 逃げるだけであれば難しいことではない。

 

 ホルスにわからないことがあるとするなら、目の前のこの男──ビラクの判断であった。

 

「オレルアンであればこの情報、他に使い道もあるとは思うが」

「言ったろ、亡命希望だって」

 



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いい男

「どーこ行くんです、ハーディン様」

 

 手紙を受け取る数日前。

 単騎でガルダへと向かうと宣言し、そのように行動するために出発したハーディンに声を掛けたのはビラクであった。

 

「どことは異なことを」

「ガルダ……ですよね

 だが、陛下にお話した内容の通りじゃあない……違いますか?」

「ビラク、お前は本当に……何か特別な力でもあるのか?」

 

 ハーディンは理解のありすぎる忠臣の推察能力に思わず苦笑する。

 

「道の途中まで共をしてくれるか、ビラク」

「ええ、喜んで」

 

 ───────────────────────

 

 二つの騎士が草原を駆ける。

 軽やかに、まるでなんのしがらみもないような風のように。

 

「先程の話だが、何故わかったのだ?」

「陛下ぁ、そいつは酷いですよ

 俺やロシェ、ウルフにザガロがどんだけ長い時間陛下と一緒にいると思ってんです」

「……思えば、随分長く仕えてくれたな」

 

 赤い瞳を空に向ける。

 

(この人は俺たちを助けてくれたあの日のまんまだ

 優しくて、気骨があって、風のようでいて、剛毅な武人

 それがハーディン様だ)

 

「お前も察しているのだろう」

「終わりにする気、なんでしょう」

「……ああ、そうだ」

 

 馬蹄が地を叩く音だけが響いている。

 黙ってしまっていたビラクだったが、言葉を絞り出した。

 

「どうしてです」

「ニーナの本当の望みを叶えるならば、それが近道だからだ

 彼女は大陸の平和をこそ願っていた

 それに……私にはこの大陸を統べる力はない」

「そいつは……ひでえ話だ、残された俺たちはどうすればいいんです」

「好きに生きよ、とは思えまいよな」

「ええ……そりゃあ、そうです

 ハーディン様がいなくなりゃ、俺たちはアカネイアの鬼神と同じになるしかない」

 

 なんと言おうと、ハーディンの意思が変わらないことは理解している。

 一度決めたことは動かさないのがこの男だからだ。

 だから、その発言はただの八つ当たりだ。

 

「はあ……だが、そういう主に仕えちまったからなあ

 ハーディン様、何かしてほしいことはありませんか」

「生き延びて欲しい、というのは酷か」

「何もなく生き延びろというのは酷、ですな」

 

 もしかしたなら、ハーディンはこのやり取りを考えていたのかもしれない。

 それくらいに彼の返答は用意されていたかのようにスマートだった。

 

「我らオレルアンは滅びる

 聖王レウスは容赦するまい、歴史に一変も記録が残らぬほどに壊滅させるだろう」

 

 それだけのことをしたのだから、と。

 ビラクもそれは理解している。

 だからこそ、それをどうしろというのだと言いたげにハーディンを見やる。

 

「だから、お前は生き延びて……我らの生きた記録を残すよう努力してくれないか

 草原に狼たちが走っていた記録を」

「そいつは……ひでえな、ハーディン様」

「だが、こう頼めばお前は生きてくれるだろう?」

「本当に……本当にひでえお人だよ」

 

 ビラクは表情を曇らせる。

 

「付く主を間違えたか、ビラクよ」

「ったく、ハーディン様ほどの主が他にいますかね

 ……わかりました、わかりましたよ

 ええ、拝命いたします……オレルアン一のいい男が約束します

 世界で一番いい男の記録は何があっても消させませんよ」

 

 あの日、奴隷の身分から解放したハーディンを思い出す。

 体中に傷を負ってもなお、奴隷商人と市場を壊滅させた若き日の主。

 傷が痛むであろうのに鎖を外すのを優先し、笑いかけて安心させてくれた。

 

 人の痛みがわかる男だった。

 だからこそ、きっとこの男はずっと痛みを抱えていたのだ。

 今こそその痛みから解放されるときが近づいたというのならばどうしてそれを止められるだろうか。

 

 一頭はゆっくりと脚を緩める。

 もう一頭は脚を早める。

 

「ハーディン様!!

 あなたは俺たちの親父であり、兄でもあり、そして主だった!

 狼たちの誇りある長だった!!

 俺は、俺はそれを消させない!!だから安心して進んでくれ!!」

 

「我が同胞よ!我が愛すべき群れよ!

 ──さらばだ!!」

 

 ハーディンの背が離れていく。

 ビラクはそれが見えなくなるまでそこで佇み、一筋涙を流すと馬首を返し、帰路へと付く。

 それからどのようにすれば記録と歴史を残せるかを考え続け、

 その内にかつての友人と手紙が彼の元に舞い込んできたのであった。

 

 ───────────────────────

 

「だから、俺は死ぬわけにはいかないし、勝ち馬に乗るしかないのさ」

 

 ビラクの言葉を受けて、沈思したホルスはフードと仮面を外す。

 青色の美丈夫のかんばせがあらわになるとクリスとビラクはその整った顔立ちにほとんど同時に口笛を吹いた。

 

 胸襟を開いた言葉に応じる行動が仮面を外すこと以外になかった。

 ホルスは貴族らしい不器用さで応じたのだ。

 

「気が合うじゃないの」

「みたいだな」

 

 ビラクが語る言葉によって重くなった空気をクリスなりに茶化して軽くしようとしたが、

 その考えは話した当人も考えていたことらしい。

 

「で、どうなんだい」

「亡命は……できない」

「どうしてそう思う?」

「この街に集まったろくでなしを戦争の道具として使い、平和な時代の後顧の憂いを断つためだ

 大陸を制したあとも暫くは世は乱れたままだろう

 であれば、その乱れを少しでも事前に抑えておきたい」

 

 その言葉にビラクは少し表情を曇らせる。

 

「ったく、どいつもこいつも……自分が死ぬ価値を重く見やがってよ

 ああ、そうだろうさ」

 

 クリスはその表情を代弁するように言った。

 

「その生命をそう使えば、きっと望む形になるだろう

 だが残された人間はどうなるってんだ

 なあ、そこに幸せな余生があるのかよ」

 

 貴族としての定めだ、そう言い放てればどれだけ楽だろうか。

 ホルスが今の暗躍を始めているのも切っ掛けは結局のところ、平和を願う優しさからである。

 無論、英雄譚に名を連ねたいという男児の心もある。

 だが、それを実行するにも優しすぎたからこそ、この道を選んでいた。

 

 だからこそ、その心があるからこそクリスの問いには答えられなかった。

 

「……俺は確かに傭兵としてここにいるだけさ、忠誠は誓っちゃいない

 だけどな、ホラティウス

 俺はあんたと友達になりたいとは思ってるんだ」

「友達?」

「ああ、そうさ

 アンタに面接された頃から

『こいつはバカみたく生真面目な奴なんだろう、

 何か考えがあって新ワーレンなんて悪の巣になるところを作ったんだな』ってのは察してた」

 

 アテナもどうやらそれには同じ考えらしく、うんうんと頷いている。

 

「だからな、そういう思っ苦しいやつを支えてやりたいって思っちまったんだよ

 君臣じゃあアンタを支えられないって考えて、だから友達ならって思ってたのさ

 今は友達じゃあないかもしれないが、これからなるかもしれねえ」

 

 じっとクリスがホルスの瞳を掴むように見る。

 

「そんな未来の友達には軽々に死んでほしくはねえし、

 アンタほどの男なら死んだ後に花を咲かせるよりも生きていたほうが治世のためにもなるだろうよ、違うか」

 

 その瞳の圧力に屈しはしないものの、ホルスはため息を漏らした。

 

「そう言われてもな、私は友達というものを持ったことがない

 どうしてやればいいかがわからない

 ……だからこれが正しいかはわからないが、私が友のためにできることは……」

 

 ホルスはビラクを見てから、

 

「彼と共にアリティアに降ることなのだろうな」

 

 諦めたように笑うホルス。

 だが、同時に友を得れたという喜びも隠そうとしているが、隠しきれずに表情に出ていたのをビラクとアテナは見逃さなかった。

 



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ロプト教団の遺産

 パオラの生還はアカネイア軍の勢いから生き延びたものとして喜ばれたものの、

 その喜びはつかの間のもので、ミディアが軍の突撃力にものを言わせて再び攻め上がってきたことが伝えられる。

 これを二柱の神、ロプトウスとナギが止めるために再び出陣し、その一方で以後の策を練るためという名目から集められた諸将と会議を持ちかけたホルスタット。

 

 話し合いの中でカダイン魔道学院から物資が届いたことを知らされたことに時間と視点は戻る。

 

「説明の準備が整ったようです」

 

「ホルスタット殿、これは?」

 

 ミネルバは訝しむものと本能的な忌避を含んだ声音で問う。

 実に美しい装飾がされているものの、その刀身からはそれらでは抑えきれないほどに禍々しい気配を発しているからだ。

 

「漂流物の一つ、暗黒の剣と呼ばれていたものだそうです

 ロプトウス様からも確認いただいたあと、魔道学院に鍛え直しを頼んでおりました」

 

 それは剣の柄を延長したもの、つまりは薙刀になっている

 総重量を考えればよほどの剛の者でしか扱えないだろうが、巨漢と表現できるホルスタットであればこそ十分に扱えるものなのだろう。

 

「これは持ち主の持つ力を最大以上に引き出す代わりに心を悪しきものに染め上げるものだそうです

 ガーネフ学長殿からもそれは確認をいただきました」

「そんな危険なものを──

 ……?ええと、これは?」

 

 レナは中に収められている角飾りを指して問う。

 

「それこそがこの薙刀を扱うための重要な一品です」

 

 その名は《正気の角飾り》、狭間の地にて正気を担保するために存在する不可思議なアクセサリーである。

 ただ、その効力は確かなものであり、学院はこの角飾りを徹底的に強化した。

 漂流物(狭間の地)地産品(アカネイア大陸)が組み合わさった一点物。

 

「ミディア将軍を止めるためには軍では打ち勝てますまい

 皆様にお集まりいただいたのは二つ仕事をお願いしたいからです」

 

 ───────────────────────

 

 ミディアを受け止めるための陣を敷いたホルスタット。

 それを見下ろせる位置に付いたのは諸将たちの軍であった。

 ミネルバは陣形の最前列に立つホルスタットを見やって、呟く。

 

「あなたが死ねばこの軍を纏め上げることができる人間はいないのだぞ、ホルスタット殿」

 

 彼女はホルスタットより総司令の任務を既に引き継がれていた。

 死後よりも諸将がいる中での宣言の方が説得力もあったからだろう。

 ミネルバの軍才あればこそ総司令として立派に果たせるだろうという目論見、実際に可能であろうが、ことはこの戦いだけではない。

 聖王国が今後も軍を持つ以上、細やかな采配と機転を効かせることができるホルスタットでなければ上手く回し切ることは極めて難しい。

 

「飛兵より情報、ミディア将軍が紋章教団の防衛戦を突破

 麾下の兵団と共に進軍中とのこと」

「パオラは」

「兵団の分断作戦を始めているようです」

 

 ───────────────────────

 

 パオラは未だにそこかしこに包帯を巻いている状態であった。

 傷は癒えている。

 心に何かを遺したわけでもない。

 あくまでそれは脱出の際に獅子奮迅の活躍を見せたことのパフォーマンスの一つでしか無い。

 それでも、傷だらけの女騎士が戦場に立つ姿は共に参戦するものたちの士気を大いに上げた。

 

 彼女はそれが騙していることだとわかっていながらも、戦場で綺麗事だけで進めることができないのは理解しているし、

 今より行う作戦が無茶も無理も通さねばならないことであるからこそ、使えるものはなんでも使うつもりであった。

 パフォーマンス的な姿もまたその一環に過ぎない。

 

 ミディアと麾下の兵団でも速力がある騎馬部隊が進んだのを見て、遅れてくる徒の兵士たちを分断するように戦いを挑む。

 それはまさしく命がけの戦いとなる。

 いや、命を捨てるような、というべきものかもしれない。

 

(ミシェイル様が拾ってくださった命、このように使うことをお許しください)

 

 だが、パオラもまたマケドニア武人。

 辱められかけたことを許しておくことなどできない。

 それを捨て置くならば自害を選ぶべきであると考えるのがマケドニア人であり、

 だが、幾分理性的な白騎士の一員だからこそ自害ではなく命を道具として使うことにした。

 

「合図が来ました、ミディア将軍が通り抜けます」

「露見するかどうかは神頼み、ですね」

 

 周りの人間は頷くと息すら止めるほどにして気配を殺す。

 やがて馬蹄と、馬廻りが必死に行軍に付き従うのが見えてきて、通過する。

 騎士も兵士もミディアについて回るのに必死で周りを伺う様子などないようだった。

 最後の一兵が通り過ぎた時点で隠蔽を解き、武器を構えるエストとその一軍。

 

「分断せよ!分断せよ!」

 

 パオラの号令に命知らずの歩兵隊が状況を開始した。

 



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無謀と隣り合わせの勝機

 飛兵というのは目が良くなくてはやっていけない。

 空は広く、飛兵同士の交戦距離は遠間から行われることが多い。

 加えてどこに弓兵が隠れているかも分からない以上、ある程度の高度を飛ばねばならず、

 そうなれば地上は模型の駒より小さなものにしか見えない。

 

 逆に言えば、目がいい飛兵はそれだけで優秀である。

 ともなれば大陸最強の竜騎士であるミシェイルの眼力はイコール大陸で最も優れた眼を持つといって差し支えない。

 

 戦いに巻き込まれない位置で飛竜を休ませているミシェイルは遥か遠くで行われていたパオラの決死の行動を見つめていた。

 

「……拾った命をそのように使うとは……」

 

 ため息を吐く。

 

「まったく」

 

 ミシェイルの声音には怒りはない。

 勿論、蔑みも。

 何故ならば。

 

「見上げたマケドニア根性だ」

 

 噛み殺すように笑う。

 ミシェイル。

 マケドニア王国の最後の王。

 

「一度助けたのはミネルバが大切に思う家臣であったから」

 

 視線の先では敵兵に囲まれながら果敢に戦う女騎士の姿。

 

「次の助力はお前の心意気に、幼き日に夢見たアイオテの姿を見たからだ」

 

 主の心の猛りを知るように休んでいた飛竜が小さく唸るようにしながら顔を寄せる。

 

「往くか」

「グゥルゥゥ」

 

 飛竜もまた笑う。

 主の思いを知り、その猛りを知り、

 その感情と起こそうとする行動は幼き日より彼が願っていた自由そのものであると誰より長く側にいた飛竜であるからこそ。

 

 神の頼みによって動き続けた男が求めるのは自由。

 それは不完全な形でも、その先の戦いに慰みがあると一騎が思う。

 

 ミシェイルはその背に飛び乗ると、飛竜は咆哮を上げて空へと駆け上がった。

 

 ───────────────────────

 

「将軍!分断されました!」

「問題ない、このまま突き進むッ」

「はっ!」

 

 普通の兵団であれば慄く状況でも、ミディアの麾下ともなれば分断程度に焦るものはいない。

 ミディアが恐れぬ限り、彼らもまた恐れを知らぬ存在でい続ける。

 狂気的な戦術と戦場を繰り返し進んだ結果、誰も彼もが狂っていた。

 もはや自分たちはミディアという一つの単位なのだと思うことで人間性を保っていた。

 それが可能なほどにミディアという騎士は強かった。

 

 アカネイア軍最強の兵団となった。

 いや、ミディア率いる軍はアカネイア大陸最強の兵団とすら言えるかもしれない。

 ここまで強くなってしまえばもはや正面から向かい合うようなものもいない。

 精々が部隊の分断を狙うだとか、小手先で戦うことしかできなくなっている。

 

 だからこそそれはミディアの目にも、そしてその兵団全ての目にも鮮烈に映った。

 

 たったの一騎が走ってくる。

 薙刀を持った騎士が孤影で、最強の軍へと突き進んで来る。

 

「聖王か!?」

 

 騎士の一人が警戒心を露わに叫ぶ。

 しかしミディアは冷静に「違うな」と返した。

 

「我が名はホルスタット!

 アリティア聖王国軍の総司令を任ぜられているものである!

 アカネイア軍が鬼神ミディア殿に一騎打ちを所望する!」

 

 ミディアはその宣言をバカバカしいと思った。

 最早、彼女は騎士ではなく、国に仕える一つの単位でしかない。

 自分の意思などどこかへと──おそらくはアストリアの命と共に──なくしてしまった。

 

 愚かな。

 そんな提案は一蹴して、このまま本陣へと流れ込めばいいだけだ。

 

 しかし、

 

「なんと見上げた騎士であり、そして愚か者よ

 鬼神と謳われたミディア様に一騎打ちなど」

「ミディア将軍、一騎打ちを求められるなどいつぶりでしょうな!」

「一人の騎士として、アカネイアの誇りを見せてやってください!」

 

 彼女の周りにいるものは殆どがパレス失陥より付き従ってきたものたちであり、

 血の繋がりよりも濃い、絆を結んだものたちだ。

 だからこそ彼らは知っていた。

 

 緩やかにミディアは死んでいることに。

 騎士として、誇りあるアカネイア人としての彼女が死につつあることを。

 戦闘単位となっていき、アリティアをも圧倒する存在となった。

 

 しかし、彼女の配下たちはそれは逆にアカネイアが死んでいくように見えていた。

 理由はわかっていた。

 彼女こそが自分たちに残されたアカネイアの誇りであり、アカネイアそのものでもあったからだ。

 絶対的な貴族主義の中で作り上げられた純粋なアカネイア騎士。

 騎士としての彼女が死ぬことは、つまりは故国アカネイア最後の領地が失われることでもあった。

 

 だからこそ、この一騎打ちは彼女の心を救う妙薬となり得るものだと配下たち全員が直感した。

 

「将軍!見せてください!鬼神としての力を!」

「アカネイアの栄光を!」

「貴族騎士の力を!」

 

 背を押すようなその言葉にミディアはハルバードを挙げて、全軍の停止を命じる。

 彼女は数拍遅れて馬の歩みを止めた。

 

 兵士たちを引き離し、一騎打ちのお膳立てはここに作り上げられた。

 



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女神の加護

「アカネイア防衛総司令オーエン伯爵が娘、ミディア

 貴殿の名を聞かせていただこう」

「無論、名乗らせていただく鬼神殿

 アリティア聖王国、ホルスタット」

 

 重装を纏い、騎馬に乗りこなすこともできるホルスタットだが、今はそれほど厚みのない甲冑だけであり、騎馬を共連れていない。

 一騎打ちのための装備。

 ミディアはそれを認識する。

 

「応じなければ騎士の名誉を損なうというもの」

 

 ミディアもまた下馬をする。

 

「感謝する」

「アカネイア騎士として当然の行いだ」

 

 暗黒の剣を拵え直した薙刀を大きく横合いに構えるホルスタット。

 一方のミディアもそれに応じるように黄金のハルバードを横合いに構える。

 

 ───────────────────────

 

「学長、完成はしましたが」

「うむ……ホルスタットめの依頼の通りにはしたが……扱い切れるとは思えぬ」

 

 暗黒の剣は持ち主の潜在能力を引き出す代わりに狂気を与える。

 しかし、それは漂流物によって抑制できる。

 

 扱い切れるかと二人が言ったのはもう一つの機能である。

 

「デビルソードやデビルアクスから抽出した魔力を付与しろとは……

 確かに切れ味も破壊力も格段に上がりました

 おそらくは神器に匹敵する力を備えておりましょう

 ですが……」

「かの装備は持ち主にその破壊力を以て牙を剥くこともある、か」

 

 一撃必殺の勝負であれば、運の強さ次第では勝ち得る。

 だが、それが総司令が取る戦い方かという疑問もあり、

 たった一撃で倒せる相手なのかという疑問もある。

 だが、それをせねば倒せない相手となっていることも魔道学院には伝わっていた。

 

「怖い顔してますけど、どうしたんですか?」

 

 ひょこと顔をだしたのはマリアだった。

 リーザの言いつけで魔道学院で学識を積んでいる彼女だったが、天真爛漫な態度とは裏腹に高い学習能力を持っており、

 普通の学者では彼女を教えきれないとして魔道学院に通わせるに至っている。

 

 シャロンも認めた彼女の才は、おそらく彼を含めてほぼ全ての人間の予想を上回っているほどに高い知性を開花させていた。

 

 ここではない世界であれば、暗黒竜を蘇らせるための杖を振るい、蘇らせるではなく敵をなぎ倒していくようなこともある。

 マルス王子健在の世界であれば開かぬ花もあるのか、少なくともこの世界においての彼女はその才覚を魔道学問へと向けて翼を開いていた。

 

 その才はガーネフも高く買っており、

 若き駿才であるからこそ自分たちとは違う視点があるかも知れぬと相談の輪に入ってもらうことにした。

 

「──というわけなのだ」

「運が悪いと自分に当たっちゃうんですね」

 

 一同が彼女の確認に頷く。

 

「じゃあ、運が良くなればいいんじゃないですか?」

「そう簡単に仰られますが」

「ちょっと待ってくださいね」

 

 学長の研究グループの一人の言葉を止めて、マリアは考えを纏めずに脳にある情報をそのままボードへと書き記す。

 

 このボードはホワイトボードのようなものであり、レウスが「こういうのあったら便利なんじゃないの」と提案したもの。

 レウスとて、たまには異世界転移者のようなこともするのだ。

 たまにしかしないのは、どうにも文化をあれもこれもと持ち込むと見知った風景になりすぎてしまいそうだから。

 

 そうなるのを嫌がっているのだがそれを人に話したことはないし、他人に察せられることもない。

 彼自身も察せられないのがよい思っている。

 彼が口を出すのはちょっとした便利なるホワイトボード的なものやら、トイレ事情くらいなものだった。

 

 ともかく、書き出されたそれに学徒たちは表情を変えていく。

 学長はそれが書き終わると呵々大笑した。

 

「わっはっは!これよ、これ

 まったく、閉派どもめ!閉じていてはこの才には辿り着くまい!

 見ておられるかガトーよ!これこそが魔道の未来よ!」

 

 魔道の未来。

 グルニアのユベロやマケドニアのマリアたちによってそれは担保された。

 苦労して閉じた知識に未来はない。

 開いて、前途を征くものたちに授けてこその知識なのだ。

 

 ガーネフは己が信じた道が正しかったことを確信し、声を上げて笑ったのだった。

 

 ───────────────────────

 

 暗黒の薙刀は華美な装飾が施されている。

 刀身部分はそれを支えるように女人象めいたものが飾り付けられ、

 鍔の部分にもまた像を。

 持ち手の近くにも備えられ、石突の部分にも同様に。

 合計で七つの像が存在している。

 

 その全てが女神像であり、本来はこれに祈れば幸運を大いに引き上げるという極めて高額で希少な魔道具であった。

 デビルを関する装備が持つ持ち主へと襲いかからんとする意思をこの女神像が肩代わりをするように設計されている。

 最悪でも七度までは不幸の身代わりをしてくれるように作られていた。

 

 これこそがマリアを筆頭にしたカダイン魔道学院が作り出した最強の武器。

 暗黒の薙刀はその像と、原案を出したものを称えるようにして「女神の薙刀」と名付けられた。

 

 ガーネフ自らが徹底的強化した『正気の角飾り』は兜飾りの一部として備えられており、それによって薙刀を振るう準備は整うに至る。

 

(最悪で七度、それまでに鬼神を討ち取れねばこのホルスタットの負けだと考えるべきであろう

 我が幸運は陛下の家臣となれたことで使い切っているのだから)

 

 ホルスタットは今、グルニアの武人として鍛え上げた全てを賭けて鬼神へと挑む。

 



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ああ、魔槍よ

パオラはレディソードを片手に奮戦している。

だが、相手もまたアカネイア軍の精兵。

全てのものが一騎打ちをよしとするわけでもない、この先のミディアに従った古参たちは納得していようが、

分断されたものたちがそうであるとは限らない。

可能な限り分断状態の時間を稼ぐことこそがパオラたちの役目であった。

 

「パオラ様、これ以上は危険です」

 

彼女に従うものもまたアリティアの精兵。

ミネルバに徹底的に鍛え上げられた腕前と精神は並の武将を凌駕するほどである。

その上で冷静な判断力を損なうこともなく撤退を提言される。

パオラもその意味がわからないではない。

しかし、

 

「我が命数は未だ尽きてはおりません、今少し追い詰められてからその判断を下します」

 

自分たちの隊長たるミネルバも相当の無茶を通す人間だったが、

このパオラもまた同程度には頑固で無茶だ。

しかし、彼らもまたそれには慣れている。

 

確かにまだ命数は尽きていない。

ここで背を向けるはマケドニア武人の不名誉というものだと奮起する。

 

怒涛の如くに分断を破ろうとするアリティアの兵士たちに構えを取り直す。

刹那、落雷が幾つも敵に降り注ぎ、上空からは竜のいななきが聞こえた。

 

「マケドニア最強の竜騎士が見ている!

我らの戦いに恥があってはならない!今少しでいい!

時間を稼ぎなさい!!」

 

パオラの気迫が伝搬したように、分断する兵士たちの戦いは一層に苛烈さを増した。

 

───────────────────────

 

ミディアは走る。

その踏み込みは埒外の勢い。

ギリギリで目視したホルスタットが受け太刀をするが、その巨体が空中へと押し出されるほどの一撃である。

しかし、ホルスタットもまたデスクワークを続けていたわけではない。

日々アリティアへと流入してくる腕自慢たちと日夜武芸の研鑽に励んでおり、

年齢からは考えられないほどに機敏な動きを見せる。

空中で体を捻って制動を利かせると見事な着地を見せる。

見事、とミディアは呟いてから再び踏み込む。

その一撃を女神の薙刀で払い除け、渾身の突きを振るう。

しかし、それは半身を反らせ、ミディアは回避に成功する。

女神像が黒い炎に包まれて、その色を変えた。

(早速一つ目、残りは六つ……)

ホルスタットは早速自らの命の代わりになった女神像に感謝の念を浮かべる。

一方でミディアはぶわ、と汗をかいた。

本能的にその薙刀の一撃こそが自らの命を奪うことができる力を秘めていることに気がついたのだ。

無論、誰が使ってもそうなるとは思わない。

研鑽を積み続けたホルスタットという武人が持ったからこそ、ミディアの命に届きうる刃となっているのだ。

ミディアは一度、一気に後ろへと退く。

馬鹿げた筋力を発揮すると黄金の鎧をむしり取り、投げ捨てる。

力を与えてくれる加護があろうと、今は邪魔だけだ。

あの武人を倒すには武芸以外に頼みにはできない。

「お待たせした」

「なんの」

チュニックにはアカネイア王国の紋章が大きく刺繍されているのが印象的であった。

身軽になった彼女の動きはより鋭く。

ホルスタットの命を狙ってハルバードが閃く。

───────────────────────

(漸く、あなたの技をものにすることができた、アストリア)

斬撃はアカネイアの勇者アストリアのそれとまるで同じである。

流麗にして豪胆、荒々しくもその隙を見せないのは細かな技術の賜物。

思えば自分はいつも彼に守られていた、そう思う。

騎士であるからと貴族に詰められ、死地に送られかけたときに弁護し、

それが元で共にそこへと送られたこともある。

或いは、その弁護はあの場で守るためではなく共に死地へと向かってから彼女を守るためのものだったか。

パレス失陥、そして父の死を受けて無防備になった彼女を盾で守り、脱出させてくれた。

あのときには退路などなく、二人の逃避行となった。

それが恋慕の結実した日でもあった。

何度も何度も助けられた。

多くの場合で彼は剣を振るい、彼女を助けた。

その技は未熟な騎士でしかなかった彼女の憧れであった。

やがてアストリアが死に、人としての道をも捨てたミディアは微かな人間性の拠り所として彼の技を真似て、一つずつ我がものとしていった。

特に難度のある技は鬼神となってからも身につけることができなかった。

しかし、その理由がわかった。

彼女は強くなりすぎた。

技が要らないほどに。

だからこそ、ホルスタットという猛者を相手についにその技の極意を得ることに成功したのだ。

アストリアの技が振られるのと同時にホルスタットの薙刀が間隙を縫うようにして二段突きとして打ち込まれる。

だが、勇者の技は攻防一体。

二段突きを防ぐと、その薙刀に付けられた装飾が再び黒く燃える。

どうやらこちらに害があるものではないようだ。

策が近づいた男の顔ではない、黒く燃える度に焦燥感を強くしている、ミディアは長年の貴族社会での経験から、悲しいかな他人の顔色を伺うのは得意であった。

(ホルスタット殿、まだだ

貴殿とであればアストリアの技で得られていないものを我が物にできる

だから、まだだ

まだ倒れてくれるな)

鬼神はまさしく極地に至る武人として、凄絶な笑みを浮かべていた。

───────────────────────

(見事な技だ

鬼神と謳われた膂力だけを頼みにしているものではない

まるで踊るように技を振るってくれる……恐ろしい将だ、ミディア殿は……)

だが、とホルスタットは意識を強く保つ。

(負ける気はない

全ては聖王国のために、我が命、果てるとも──!)

攻撃に合わせたカウンターは軽く肩口を切り裂く程度で済まされる。

最低限の痛手で済む目の良さもまた恐ろしいものだ。

大したダメージではないが、無常にも四つめの女神像が黒く燃えた。

(残り三……か)

距離を取り直し、ホルスタットが構えを変える。

「気配の種類が変わったな、貴殿の出し惜しみはここまでというわけだ」

「出し惜しんだわけではないのだがね」

その言葉と同時に踏み込み、払う一撃。

呪いの力を全力で籠め、巨漢の持ち得る筋肉の全てを受け太刀をするミディアにぶつける。

まるで意趣返しのようにミディアの体が中空に押し飛ばされる。

空中の制動を取ろうとするミディアに、黒く燃えている薙刀を構わず振るう。

その薙刀はまるで命を持った生物のように蛇行するような軌道でミディアへと襲いかかる。

『魔槍、鎌首』

人生でこれが破られたのは一度、レウス相手にのみ。

黒く燃える薙刀はその軌道をさらにひた隠しにした。

空中では逃げ場はない。

取った。

それを確信するホルスタットが次に見たものは、やはり埒外を突き進む鬼神らしい回避手段であった。

 



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ご照覧あれ

 ハルバードを持つのと逆の手を差し出すようにして刀身を掴む。

 通常の薙刀ならそれで砕かれていたかもしれない。

 だが、女神の薙刀は特別な逸品。

 その腕を砕き、消し潰すようにしてミディアを不具とした。

 だが、それと同時に攻撃の起点を作った鬼神の一撃もまたホルスタットの逆の腕を切り飛ばした。

 

 薙刀が黒い炎を拭き上げるのと同時に、対峙する両者もまた腕があった場所から出血をする。

 

「これを使われよ」

 

 ホルスタットは薙刀を地に刺すと、腰に吊るしていた薬瓶を彼女へと向けて投げ渡す。

 とっこうやく。

 出血と痛みを止める。

 消えた腕は生えてきたりはしないが、それでも決闘は続けられる。

 

「何故これを?」

 

 受け取った彼女は疑うこともなく傷口にとっこうやくを振りかける。

 一方のホルスタットも同様にしていた。

 

「このまま防戦に徹してミディア将軍の失血死を待って勝ったとしましょう

 だが、それは我らが聖王国がアカネイアを恐れたものとして歴史書に残ることになると思ったのですよ」

「勝った後のことを心配するか」

「ただ勝利を得るための戦いでは済まないのです

 ここにいずともレウス聖王陛下は我らを見ておられるかもしれない

 ならば怒られるよりも褒められる戦いをしたいものでしょう

 幼稚と言われようと主従の根底にあるべきはその程度でよいものだと、今はそのように思っております」

 

 ぽつりとミディアは「うらやましい」と呟く。

 

「お互いに万全ではない、おそらく次の一手で全てが決する

 ホルスタット殿、他に言い遺したことは」

「ありませぬ

 ミディア将軍はいかがですかな」

「なくは、ない」

「それは?」

 

 苦く笑うと、

「未練だよ」と言う。

 

 それはレウスとホルスタットのような主従を戴くことのできなかった一人の騎士の、

 強く重い悲哀のこもる一言だった。

 

「言い残した愚痴はこれで十分だ

 では、参ろう」

「ええ、参りましょうぞ」

 

 残った女神像は一つ。

 他に回数があったとしても最早体が持つまいとホルスタットは認識している。

 ミディアほど若くはないのだ。

 

 次の一手の後に自分は死ぬかも知れない。

 ホルスタットの心にそんな弱気が湧いて出そうになる。

 

 ドン、ドン、と槍の石突や盾の底面、軍靴、あらゆるものが地面に叩きつけられる音が響いた。

 

「万歳!勇壮騎士(グレートナイト)万歳!」

 

 声が響く。

 

 丘の上に兵士たちがずらりと並んでいる。

 そのいずれもがアリティア解放戦から向こうホルスタットに従ってきた兵士たち。

 そして、それ以後にホルスタットの下についたものたちの姿もある。

 

「ホルスタット!」「ホルスタット!」「ホルスタット!」

 

 かつて、レウスと戦ったときに発されたものと同じ叫び(チャント)が響く。

 

「……愛されているな、貴殿は」

 

 ミディアの言葉に、ホルスタットは観念したように笑みをこぼす。

 ああ、このホルスタットが弱気を思うなど。

 命などとうにあのアリティアの大地に捨ててここまで来たのではないか。

 

 片腕で女神の薙刀を掲げる。

 

 息を吸う。

 言葉とともに息を吐く。

 

「ここにいる誰がわしの敗北を見ようか!

 この地にあって誰が最強であろうか!」

 

「ホルスタット!」「ホルスタット!」「ホルスタット!」

 

「そうだ!最強とは並び立つものがないものの称号!

 それを今、決戦の地にて証明するッ!

 我が主よ、聖王レウスよ!ご照覧あれぇぇいッ!!」

 

 ホルスタットが突き進む。

 ミディアもまた突き進む。

 

 片腕の分だけ軽く、流しただけ軽く、

 一騎打ちの名誉の分だけミディアは強く、

 声援に押される分ホルスタットは速く、

 互いの武器の(きっさき)が触れ合う。

 

 黄金のハルバードは、壊れることを知らぬはずの漂流物は、狭間の地とアカネイア大陸の二つの力を兼ね備えた逸品の前に砕かれた。

 

 ホルスタットは突きを繰り出し、しかし薙刀を掴む力を失って遂に膝を付く。

 役目を終えたかのように正気の角飾りが砕けた。

 正気の担保をこれまでよくぞ、とホルスタットは心の中で労る。

 

 傍目から見れば立っているミディアの勝利にしか見えない。

 しかし、女神の薙刀は黒い炎を上げながら、ミディアの心臓を割り、体を貫き、大いに後退させていた。

 

 砕けた黄金のハルバードを地に落とし、深く突き刺さった女神の薙刀を引き抜く。

 大量の吐血をしながらも倒れることもなく、ミディアはホルスタットを見下ろしていた。

 

「……貴殿の、勝利だ」

 

 その気になれば勝者を薙刀で斬り殺すこともできる。

 見ていた一同が、敵も味方もがそれを理解していた。

 

「だからこそ、勝者に慈悲を乞う」

「伺いましょう、鬼神殿」

「どうか、アカネイア軍に、今この戦場でこのミディアを慕って戦っていたものたちに寛容なる処遇を頼みたい

 支払えるものがあらば支払いたいが、この身で払えるものはもはや命すらない」

「鬼神ミディア、あなたはその名誉で今まさにそれを支払われた」

 

 殺すこともできた。

 ホルスタットはそれを理解している。

 だが、それをせずに彼女は(ともがら)たちの助命を願う。

 天晴な騎士道であり、天晴な貴族流であった。

 

「感謝する」彼女はそう言うと背を向けて自らの部下たちへと向かう。

 

「諸君、聞いてのとおりだ

 戦いは我らの負け

 だが、我が名誉はいま、ホルスタット殿へと確かに引き継がれた

 以後は彼を私だと思って忠義を果たせ

 それを破るものはおるまい

 諸君らは立派なアカネイアの士なのだから、そう思えばこそ私はアストリアのもとに向かうことができる」

 

 真っ直ぐな視線。

 アカネイア軍はしんと静まり返り、言葉も返さない。

 ただ、騎兵は下馬をし、兵士たちは武器を持ち、全員が一斉に礼を取る。

 

 彼らは理解していた。

 ミディアはとうに死んでいて、その言葉を言うためだけに超常的な力を発揮して動いていただけなのだと。

 鬼神の鬼神たる意思の強さだけで、輩を最後に導いたことを。

 

「我らアカネイア、ミディア軍は鬼神ミディア閣下の永き眠りを以て敗北宣言をここにあげる!

 全員!武器を捨て、降伏せよ!

 これは我らが主上、ミディア閣下の命令である!彼女の名誉に誓い、降伏せよ!」

 

 次々に武器が置かれる音が響く。

 一部の騎兵は武器を捨てた後に他の陣へと進み、同じ言葉を繰り返して降伏を促した。

 

 東西の決戦に現れた最強の将軍と兵団はこうして終わりを迎えた。

 



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生と死の狭間にて

 オレのいない世界で、物事は動いていた。

 

 だが、その状況を呼び込んだのがオレだとマルギットは言いたいのだろう。

 

「これを見せてどうする」

「何も思わぬか」

「……そりゃあ、戻りたいとは思う」

 

 だが、死んだ。

 褪せ人を許容する狭間の地、黄金樹の加護あればこそ不死の存在で足り得た。

 だが、アカネイアには黄金樹はない。

 

「黄金樹があれば、そう考えているか」

「褪せ人の由縁の一つだろう

 不死であるからこそ無謀な野心に焼かれるのが褪せ人ってもんだろうさ

 だが、この世界には」

 

 黄金樹も、黄金律の加護もない。

 

「黄金樹あらば、お前は戻りたいか」

 

 再確認するように。

 

「ああ、戻りたい

 大切なものがあっちにあるから」

「……それは野心とは、また異なるものか」

 

 理性の瞳がオレを見やる。

 

「なればこそ、見せねばなるまいな」

 

 歩き始める。

 一度、首をこちらに向ける。付いてこいということだろう。

 

「ここはストームヴィルなのか?」

「円卓の一部だ、今のお前の知る円卓のな」

 

 世界を法則する律の膨大な力が構築した世界、ということだろうか。

 なんにせよ、途方もない話ではあるし、理解の範囲を超えている。

 だが、マルギットやメリナのような知識階級の存在であれば理解の範疇なのだろうか。

 少なくともオレには素養も素地もなさすぎて、例え教えられたとしても、成り立ちのなんたるかも理解できそうにはないが。

 

 うねるような回廊を進み、出た先には巨大な黄金樹を見上げられる場所に出た。

 空間の接続性もない、夢の中を歩くようなものだ。

 

モーゴット(アンタ)と戦った場所か」

 

 マルギットではなくモーゴットと戦った場所。

 同じ存在でも、それを区別することに意味はある。

 

 椅子が幾つも並べられている。

 

 黄金の王(ゴドリック)天賦の双子(ミケラ、マレニア)

 将軍(ラダーン)法務官(ライカード)

 そして月の摩女(ラニ)が座っていたという場所。

 かつてはここでどのような話し合いがあったのだろうか。

 それを知る由もない。

 少なくともマルギットは己が座っていたであろう椅子を一つ撫でると更に奥へと進む。

 そこはラダゴンの待つ間へと至るための道。

 

 アカネイア大陸へと滑り落ちる前に立ち寄った場所、

 そして死んだ後に立っていた場所でもある。

 

「ここが?」

「見上げてみよ」

 

 言われたとおりにすると、中空にはエルデの獣にも似た何かがうずくまるような体勢で寝ている。

 

「……あれは?」

「黄金樹の核たるもの、狭間の地においてはお前そのものでもあり、アカネイアにおいてこれをナーガと呼ぶもの」

「それは──」

 

「黄金樹とは律を形としたもの

 我らが在った狭間の地の律は今もお前とともにある

 しかし、お前の知る狭間の地ではない場所と歴史を持つ狭間の地にて存在した律がある

 それこそがナーガであり、それこそがエルデの獣であった

 その世界においてのエルデの獣は褪せ人に倒されず、しかしその自我と存在をラダゴンによって鍛えなおされて消される前に逃げ出した」

 

 マルスが死んだアカネイアがあるように、

 オレじゃない褪せ人がいて、エルデの獣を倒せず諦めた世界があるってことだろう。

 

「黄金樹はある、しかしアカネイアを有する世界そのものは狭間の地のように出入り口のない世界

 いや、ナーガが完全に閉じて、開くこともないはずの世界だった

 しかし、偶然にも律を持ち逃げしたものがいたせいでその前提は覆された」

 

「まさか」

「そのまさかよ

 アカネイアには黄金樹は未だ存在し、祝福ともマリカの楔とも呼ばれるものもまた存在する」

 

 マルギットに思わず近づいて、それはどういうことかと問おうとするが、彼の大きな手が動きを制するように前に開かれる。

 呪術的なものではなく、落ち着けというジェスチャーであるからこそオレも息を整える。

 

「言っただろう、戻りたいのかと」

「ああ、戻りたい」

「野心に焼かれぬと約束ができるか」

「愚かな野心にとりつかれるのをよしとしないなら、オレを見張っていてくれよ

 アンタなら止められるだろう」

 

 狭間の地ではマルギットは彼自身の意思によって現れ、オレを倒した。

 だが、この場所ではオレがそれを求めた。

 

「今やったってアンタに簡単に勝てるなんて言えやしない

 狭間の地の歩き方を決めさせたのもアンタだ

 オレを戻す方法を教えて、見張りもする……それくらいのことはしてもいいんじゃないか?

 だってお前が話を聞いてくれさえしてりゃあ律は今も狭間の地に──」

「なんと傲慢で、なんと愚かな男か

 ……褪せ人よ、私はお前ほど愚かな存在を見たことがない

 だからこそ、見張ってやらねばならぬかもしれぬ

 それが律に携わる半神たるものの責務、狭間の地の王の職責というものだろうか」

 

 呪杖の石突をがつん、と叩く。

 

「よかろう、褪せ人よ

 そのやり方を、必要たるものを聞いて尚戻りたいと言うのであれば私も手伝おう」

「ああ、聞かせてくれ

 やり方がわからないんじゃあ引っ込みようもないだろう」

 



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知らない風景

「起きなさい、哀れな娘」

 

 誰かが私を呼ぶ。

 従うように目を開く。

 そこはあの草原ではなかったが、かといって見知った場所でもなかった。

 宮殿の中のようでもあるが、暖色が多く、落ち着く雰囲気。

 

 眼の前には青い肌に、二対の腕、顔の横に陽炎のようなもう一つの顔を持つ魔道士風の女性がいる。

 魔道士、と呼ぶには失礼かもしれない。

 どこかの神か、超常の存在であろうか。

 

「貴方は……?」

「私はラニ

 定命なるお前たちを憐れむ魔女、と言っておこうか」

「アリティア白騎士団、カチュアと申します」

 

 名乗ってみれば、まるで私のことを知っているようで、

「うむ」と挨拶を受け取るための頷きに留まる。

 

「ラニ様、ここはどこなのでしょうか?

 私は……」

「我が王を思い、殉死を選んだことまずは褒めてやろう

 それほどの覚悟があるものを私は嫌うことはできぬ」

 

 ああ、やはり私は死んだのだ。

 であれば、ここはどこなのだろうか。

 

「ここは円卓、我が王──レウスのために存在するもう一つの国」

「国?」

「とは言うても、お前たちアカネイアの民が存在する場所とはまた違うところにある

 言うなれば……」

 

 ふむ、と悩むような表情。

 美しい顔立ちをしていながら、どこか愛嬌というか、可愛らしさがある。

 少しリーザ女王殿下にも似ている雰囲気だ。

 レウス様の好みの女性はこういう方なのであろう。

 そう思うと自分の顔立ちは(自己評価として使うべき言葉ではないかもしれないが)凛々しすぎる。

 自分が嫌いなわけでは無いが、好いた人の好みから外れていると思ってしまうと少し悲しくもあった。

 

「随分と余裕そうな表情だ」

「あ、ご……ごめんなさい

 ラニ様がお美しくて」

「──そう言われて悪い気はせぬ

 だが、お前の顔立ちも我が王が好むところであろう

 凛々しきおなごを愛するのは誰の影響か」

 

 誰のことを言っているかはわからないが、私のための慰みだったのかもしれないと少し遅れて気がついた。

 だが、お礼を言う前にラニ様は言葉を続けた。

 

「我が王の死に殉じたほどであれば、彼のために命を落とすことは苦痛ではないようだな」

「それは勿論です

 けれど、私の命は役に立ちませんでした」

 

 レウス様の盾になることもできない命など、そう考えてしまう。

 

「そうではある

 だが、ここは死後の世界というものでもない」

 

 では、ここは?

 言葉よりもその疑問が表情になって先に出たのだろう。

 ラニ様は私の反応を待っていたと言わんばかりに微笑み、頷いてから続ける。

 

「カチュア、お前はお前が考えている以上に我が王に近い存在なのだ

 何せ自らの命を切り分けてお前という存在を担保したのだから」

 

 ガトーによって仕組まれた操り人形同然にされた私を助けたときのことだろう。

 どのような術理かは理解できなかったが、命を切り分けるとまで彼女に言われてはその生命を自分で捨ててしまったことを今更にして後悔しそうになる。

 

「そう表情を暗くするな、カチュア

 我が王は死んだ、それは覆らないことだ」

 

 しかし、と区切るようにしてから

 

「可能性はある

 あの世界に戻る可能性が」

「本当ですか!?」

 

 思わず大きな声を出してしまい、ラニ様は驚かれなかったが、陽炎のような顔は少し驚いていた。

 

「も、申し訳ございません」

「驚くのも無理はない

 が、そのためにはカチュアには本当に死んでもらわねばならな──」

「やります」

 

 食い気味に言ってしまった。

 貴人であろう方の言葉を遮るなど騎士としてあってはならぬこと。

 けれど、それほどに重大で重要なことをラニ様が仰ったのだから、仕方もない。

 

「判断が早いのはよいことだ

 本当はだが安心せよ、死ぬと言っても消えるわけではないと言って驚かせたかったのだがな」

「それは、その、ごめんなさい」

「よいのだ」

 

 ラニ様は円卓に備えられた椅子を一つ指す。

 

「ここに座る権利があるものは限られている

 ここにいることができるのは我が王の心に強く残り、共に在りたいと願われたものだけがいられる場所

 レウスという一人の男が狭間の地とアカネイア大陸で生き急ぐようにして歩き、

 形作られた場所、

 何者にも寄らぬ、新たな律」

 

 そこまでラニ様は語ってから

 「と言ったところで、何のことやらであろうな」

 彼女は苦笑して、どこから説明するべきかと考えるようだった。

 

「回りくどいから困るのよ、貴方は」

 

 部屋の奥からゆっくりと現れたのは気の強そうな美人であった。

 細身で、背丈は私と同じくらいだろうか。

 ラニ様にどこか似てはいるけれど、姉妹という感じでもなさそうだ。

 

「はじめまして、カチュア

 私はメリナ

 この中だとレウスとは一番長い付き合いになる」

「む、意識のあるうちで言えば私のほうが早いぞ」

「そういう話をしているんじゃないの、ラニ」

 

 けれど、どこか姉妹のようでもある。

 不思議な関係だが、パオラ姉様とエストを思い出して少し胸が暖かくなる。

 

「とにかく、簡単にではあるけどレウスのことを知ってもらう

 彼の歩いた世界とその歴史、そしてこれから貴女が選ぶことができる道のことも」

 

 メリナ様は指をぱちんと鳴らすとどこからか漏れていた暖色の光は少し勢いを弱くする。

 円卓の中央にはぼう、とここではないどこかを映し出した風景が切り取られていた。

 

「座りなさい、本当に長くなるから」

「レウス様のことなのですよね」

「ええ」

「でしたら、どれほどまでも見たいです……ただ」

「なに?」

「筆記用具をいただけるでしょうか」

 

 私はカチュア。

 好きな人のことはなんでも書いて覚えたい女。

 



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贖罪の機会

 レウス様が歩んだ道を見て、聞いた。

 狭間の地におけるその全てを。

 過酷な道のりだった、それをお一人で成し遂げた。

 

「何度も死に、蘇った」

「ええ、それがレウス……褪せ人としての力

 正確に言えば黄金樹の加護を受けたるものの力でもあるけれど」

「ですが、アカネイアでは甦れない……

 それは黄金樹がないからですか?」

「いえ、黄金樹はある

 形は違えどね」

「ではなぜ?」

 

「祝福がないから」

 

 横からラニ様が口を挟む。

 

「祝福?」

「瞳に光を失ったものが、再びそれを宿すために指し示された使命の道標、その光」

 

 メリナ様は「狭間の地においてなら巫女なくとも正気を代価に褪せ人は起き上がれるのだけど」と差し挟むように言う。

 それに頷いてから、ラニ様は続けた。

 

「祝福を授けることができるのは巫女だけができる

 けれど我が王の巫女はアカネイアには存在しない

 黄金樹あれど、甦れないのはそれが理由だ

 褪せ人と黄金樹があったとしても復活するための『火付け』が存在しない」

 

 聞いていた話ではレウス様が狭間の地で目を覚ます前に巫女が一人付いていたのだと言う。

 その巫女もまた生き残り、王となることを望まれていた。

 あの世界で巫女がいないときに命を落としたとしても狂わなかったのは巫女の祈り、その残滓の影響だろうか?

 

「ここに私が呼ばれ、皆様にご教授いただいているのは……

 私に巫女の仕事ができるとお考えであるからでしょうか?」

「うむ

 だがアカネイアの地において巫女となることがどのような影響をお前に与えるのか、我らは測りかねている」

「けれど、私が巫女になればレウス様は蘇ることができる」

「ええ、そうよ」

 

 一も二もなく私は「やります、やらせてください」そう口に出していた。

 

 ───────────────────────

 

「ああ、くそ……」

 

 オレはカチュアが自ら命を断つのを見ていた。

 過去の映像だとマルギットは言う。

 

 これはオレの罪だ。

 だが、それを口には出せなかった。

 出してしまえば自分に酔っているようで、気分が悪くなりそうだからだ。

 

 マルギットが必要となるものと提示したものはカチュアだった。

 カチュアがオレの巫女となることである。

 

「カチュアを巫女とすれば蘇ることができる、つってたよな」

「然り」

「巫女になったらどうなるんだ」

「人の身を捨てることになろうな、円卓にあるメリナのようになると考えれば理解できようか」

 

 つまりは、円卓って世界に縛られるってことだろう。

 

「あとは?」

「死ぬこともなくなる、円卓が滅びぬ限りな」

 

 人とは異なる手段で立ち上がらせてしまったカチュアに、更にそうしたことを強いらねばならない。

 なるほど、戻りたいと言えるのであればとマルギットが言うだけはある。

 

「カチュアに会うことはできないか?」

 

 ───────────────────────

 

「カチュア、レウスがあなたに会いたがっているそうだけど」

「アカネイアにお戻りになっていただくことは」

「可能だけれど──」

 

 メリナは会わずに戻すのも道ではある。

 しかし、そうなればレウスと次に会えるのはいつかもわからない。

 

 自分に会ってしまえば罪の意識に苛まれるのだとカチュアは予想しているのだろう。

 

「巫女殿、よいかな」

 

 マリケスがカチュアへと向いて言う。

 

「はい、ええと」

「マリケス、あの男の……好敵手とでも言っておこうか」

「マリケス様」

 

 覚えるようにではなく、膨大に記述したレウスの狭間の地での記録を思い返すようにしているのが見て取れる。

 

「褪せ人に会ってやってほしい

 それとも、あの男に罪を背負わせてやることはできぬ相談だろうか」

「ですが」

「彼が貴女を思う気持ちは巫女殿が思うよりも強い

 そうでなければ危険を冒してでも死のルーンを行使はしなかったろう

 だが、その力を使って助け出した貴女は人の身から外れることとなった」

 

 カチュアはそれを理解している。

 助け出されることで、しかし結果としては常ならぬ存在と成り果てた。

 エリスとも似ているようでまた違う存在に。

 

「その上で更に巫女とさせてしまうとなれば……

 褪せ人は大いなる罪であると背負うことになるだろう」

 

 カチュアは何も返さないがその表情は

 『背負ってほしくないからこそ会わないほうがいい』と考えているのをありありと浮かべていた。

 

「だが、罪であると自覚できることと、罪かもわからずに贖罪と解放の手段を探さねばならないことは大きな隔たりがある

 その未解決はやがて狂気を呼び込むことにもなる」

 

 マリケスの言葉からは自戒とも思えるような重い感情が込められていた。

 レウスが得た獣の祈祷をもたらしたのがグラングであり、グラングとはマリケスである。

 彼女はその接続に気が付き、そして贖罪の手段のないままに長年囚われ続けた彼の言葉の重さを改めて理解する。

 

 カチュアからしてみればここにいる自分以外は人の身を超えた存在たちである。

 しかし、マリケスは自らの誇りや立場を捨ててでもカチュアとの再会を願い出ているようでもあった。

 その情の深さを知ればカチュアとて無下にできない。

 

「わかりました

 レウス様とお会いしたく思います」

 



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カチュア

円卓の作りは概ね、狭間の地にあるそれと同じ作りである。

とはいえ、メリナたちは長い暮らしの中でそれぞれの部屋の趣を変えていた。

例えばギデオンの書斎だった部屋はアカネイアの巨大ジオラマと、見聞きした中で纏められたアカネイアの情報が収められている。

円卓一階の広間、アルベリッヒが赤霊となって登場した場所は幾つかの植物が植えられた室内庭園の様相を呈していた。

石造りばかりの空間では息が詰まるといえばその通りで、庭園は一種の癒やしの空間として作用している。

 

カチュアはそこで指巫女の服を着用し、自らの王を待っていた。

いざ会うとなると、それも自分のために思慕を向けている相手が会いに来るとなると妙な緊張感があった。

今までは主従、王と騎士の間柄でしかなく、それ故に職務としての関係以上ではなかった。

しかし、今からレウスが来るのはそうした関係性ではない。

 

助けられた命を自ら絶ってしまった自分が何を申し開きできるというのか。

マリケスはレウスに罪を持たせてやれとは言っていたものの、実際に罪があるのは自分に他ならないと思っている。

 

「カチュア」

 

心の準備など、どれほど時間をかけてもできるとは思えなかった。

だからこそカチュアは普段通りに、普段通りにと意識をして声の方へと振り返る。

 

「レウス、さま」

 

そこには傷もなく、後遺症もなく、欠損もなく、普段通りの彼が立っていた。

それを見た瞬間にカチュアの瞳からは涙が溢れ出る。

 

「ごめ、ごめんなさい……」

 

あのとき少しでも早く駆けつけられていたなら、庇うことができた。

あのとき少しでも強ければ、敵を蹴散らすことができた。

あのとき少しでも容赦がなければ、敵の首魁らしき少女を斬り殺すことができた。

あのとき少しでも、

 

止めどなく溢れ出る自らの無力さに涙が溢れ、そして涙が出る度に自分の無力さを自らで突きつけてくる。

 

───────────────────────

 

レウスがカチュアを慰めるためにか、それとも別の理由かは彼にはわからないが、

少なくとも険悪な空気にはなっていないのだけは円卓の住人一同が確認できたことだった。

 

「あなたが来るとは思っていなかったわ、マルギット」

「事情は概ね理解している

その魔女を除いて我々は狭間の地から向こう、褪せ人の心に強く残ったからこそルーンから再生された存在なのだろう」

 

そもそも半神という定命の存在とは一線を画すものたちであるからこそ、再生した存在であったとしても取り立てて何かを言うようなことはない。

マルギットは実に冷静であった。

 

「それに来ると思ってなかったっていうのは」

「あの褪せ人を地上に戻すための算段に手を貸したことか」

「ええ、確かにあなたやマリケスは律とルーンによって再生されたもの

けれど元の意思や自我といったものには手を加えられているわけじゃない」

「野心に焼かれた愚かな褪せ人、その評価は今も変わらぬ

だが──ここは狭間の地ではなく、そして最早我らを縛る黄金樹から続いた歴史もない」

 

意外そうな顔をしてから、メリナは

「これからどうするつもり?」

会話を展開させるために言葉を選ぶ。

 

「褪せ人が自身を監視せよというから、そうしてやるつもりだ」

「そう」

 

メリナはそっけなく返す。

 

お互いに言いたいことはある。

それも少なくはない量のことを。

しかしここはもう狭間の地ではなく、過去に縛られるのも面白くない話だ。

 

その意識が共通しているのは言葉なくともお互いに伝わっていた。

 

「進展しそうだな」

 

マルギットは再び視線をメリナからレウスたちへと戻す。

 

「情緒のない言い方ね」

 

飾り気のないマルギットの言葉にメリナは手厳しい採点を付けた。

 

───────────────────────

 

「ごめんなさい、もう大丈夫です」

 

胸の中でぐずるように泣いていたカチュアだったが、ようやく落ち着いてレウスから離れた。

殉死を選んだことの謝罪と、よそ見が原因で殺されたことの謝罪は包容の時間に済ませている。

互いにその行いに咎めるところはないからこそ、ある意味で後腐れはなかった。

 

「レウス様、アカネイアにお戻りください」

「それは」

「どうか私をレウス様の巫女として仕えさせてください」

 

それがなにを意味しているか、説明をしないメリナではあるまい。

レウスはメリナの残酷なまでの現実主義的な対応を想像した。

全ては伝えられている。

自分の言葉を遮ったことが何よりの証拠でもあった。

尤も、突きつけるばかりではなくラニとマリケスの立合いもあったからこその現状であることはレウスは知らない。

特にラニに関しては。

 

「私は円卓でレウス様の覇業を見届けさせていただきます」

 

曇る表情に対してカチュアはつとめて明るく笑うと、

 

「狭間の地のように戦いの中で斃れてしまうのなら、

以前よりもお会いする頻度が多くなるのでしょうから今から楽しみです」

 

勿論本気で言っているわけではない。

心の負担を軽くするための冗句だろう。

だからこそレウスも重く受け止めていないように見せるために、

 

「ああ、巫女として忙しくさせるからな

覚悟しておけよ」

「はい!」

 

───────────────────────

 

死ぬ度に会えるから寂しくない、とも取れる言葉。

冗談のようにも聞こえるが、

 

「……褪せ人の新たな巫女は恐ろしい女なのかもしれぬな」

 

マルギットは冗談とは捕らえていないようだった。

 

(ああ、いや、褪せ人の巫女ともあれば恐ろしくて当然か)

 

自分の背にいる、レウスの巫女代わりの少女が黄金樹を燃やした放火犯であったことを思い出すとそれ以上の意見は口に出さず、

マルギットは仇敵が持つ女運の尖り具合に対して言葉もなく瞑目するに留めた。

 



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アカネイアの風と大地

 円卓での時間を少し過ごしたあと。

 

 カチュアの祈りはレウスと、そしてアカネイアへと届く。

 

 緩やかな風が吹いている。

 見渡せるほどに広い草原にレウスは寝転んでいた。

 最期のときに、カチュアの膝枕を堪能したのを思い出す。

 主観時間において、あれから相当の時間が経過していた、だからこそ思い出さねばならないほど過去のこととなっていた。

 だが、そこに飛び散った血はカチュアのものであり、それはまだ熱を感じるほどでもあった。

 

「……カチュア」

 

 その血に触れながら、名を呟く。

 

『ああ』『ばんざい』

『ばんざい、ばんざい』『しゅくふくせよ』

 

 遠くから声が聞こえる。

 声というよりはうめき声ではあるものの、そのうめきには確かな言葉としての意味が含まれていた。

 

 レウスは久方ぶりにインベントリから装備を取り出す。

 やはり極めて便利な機能である。

 これなしでマルスと共にメディウスを打倒したのは偉業と言っていいだろう、少なくとも彼にとっては。

 

 獣人の曲刀を握る。

 強力な、いや、凶悪な性能を感じる。

 何故だろうか、それでも握り心地の良さ、安心感とも言えるものはファルシオンには劣るように感じた。

 乙女の祈りなき武器であろうからだ、それをレウスは理解する。

 

 ともかく、武器を構えて声の方へと進む。

 

 やがて見えてきたのは兵士ではなかった。

 どこかの臣民たち。

 段平も具足も帯びていない、平服の人々。

 手には家庭にありそうなものを掴み、それをまるで武器かのようにして歩いている。

 

 口々に言う。

 それは聖句のようであった。

『ばんざい』

『しゅくふくあれ』

『しはいあれ』

『われらは あかねいあだいていこく の しみん』

『ぼあ こうてい ばんざい』

『ばんざい』

 

 その一団と表するにはどこに区切りを置くべきかわからない群れ、

 その一部がレウスに気がつくと次々と応援が集まり、数十名が向かってくる。

 正気を失った瞳。

 狭間の血でも似たような存在はいたが、彼らは正気の果てに狂気に進んだものたちでしかない。

 ここにいるものは日常を送っていたはずが、何者かに突如として正気を奪われたような。

 それが正しい推察かはわからないし、誰かが正解を与えてくれるでもない。

 

 だが、その狂気はまさしく今、レウスを獲物として認識していた。

 

『あなたも』『しんじましょう』

『こうていへいか』『ぼあさま』

『ばんざい』『ばんざい』

 

 一定の距離まではのろのろと歩いていたが、その『一定』を超えると武器代わりの日常道具を構え、まっしぐらに走ってくる。

 レウスもまた武器を構える。

 無辜の民であろうとなかろうと、もはやこれ以上無様を晒す気はない。

 

()()らばしてやるわ!」

 

 獣人の曲刀が唸りを上げて、猛然と攻め寄せる集団を切り裂く。

 

 ───────────────────────

 

「はーッ、はーッ……な、なんだってんだ」

 

 レウスの周りには尋常ならざる死体の数が転がっている。

 数十では利かない。

 百、下手をすれば二百か三白はいたのかもしれない。

 そのことごとくを斬り殺した。

 復帰戦としては重すぎる帰還直後の戦闘であった。

 

「なんだってんだ、こりゃあ……ボアの名前を出してたってことは、あの野郎が何かしらの無茶をしでかしたってことか?」

 

 トレントを呼ぶと、走りながらまたがって突き進む。

 状況の整理をせねばならない。

 そのためには本陣に戻る必要があり、ここからであればそう時間も必要ない。

 愛馬トレントの足の速さは馬どころかレウスの故郷で走っていた二輪車などをも凌ぐ速度を持つのだ。

 走破性に置いては馬をも凌ぐ。

 久々のトレントと共に走る風は心地よくも感じたが、それを楽しむ余裕はレウスの心にはなく、

 トレントもまたその心を理解してか速度を緩めることはなかった。

 

 ───────────────────────

 

 疾走する中で見たものは不気味な光景であった。

 整然と動く臣民の群れ。

 レウスが先程手をかけたものたちと同じ様子のものが雲霞のごとく練り歩く。

 

 しかし亡者とは異なり、生きている人間と同じなようで食事や休息も摂っているようではある。

 それらは機械的な動作で行われ、すし詰めになった休憩スペースらしき場所で効率的な配置で睡眠を取り、

 食事もまた最低限の栄養と熱量を取れれば問題ないとでも言いたげなものであった。

 

 それらを理解したのはレウスが道中に配置された彼らの拠点とも呼べぬ休憩エリアが帰還の動線にあったからであり、

 動線の邪魔になったからこそ蹴散らし、折角だからと見分をしたからでもある。

 

 生き残ったものも対話は不能。

 怪我を負っても、致命傷を受けても痛みを感じる様子もなく、持ち得るものの全てを使って攻撃をしてこようとする。

 それはまさしく、パニックホラーに出てくるゾンビそのものであった。

 



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人垣

 ミディアが率いた軍の敗走と投降。

 これによりアカネイア王国と名乗っていた時代の戦力の全ては遂に完全に消失。

 オレルアンもまた王弟ハーディンが未帰還のままに時間が流れ、軍は混乱を再統制するために時間を稼ごうとする。

 結果として聖戦士マリクを最前線に投入し、オレルアン軍の時間を稼ぐも狼騎士団を除いた最大の戦力である少年魔道士も戦場の露となって消えた。

 

 結果としてかつて盟約を結んでいた両国は明確な戦力を喪失し、戦いは決着するとアリティアの首脳部は考えていた。

 

 だが、そうはならなかった。

 

 アカネイアは国号を大帝国に改め、不倶戴天の敵としてアリティアに即日宣戦布告。

 しかし、戦場に軍隊ではなく群体。現れたのは臣民の群れ。

 致命傷を負っても攻撃をしようとする意思を見せるそれらにアリティア軍は一度兵を本陣まで退き、防備を固めた。

 

 アカネイア大帝国は次々に『群体』を所領より呼び集めており、

 その数だけであればアリティア、アカネイア、オレルアンの三国の総兵力を軽く上回るほどのものとなっていた

 

 例え歩兵を蹂躙することにかけて右に出るもののない騎兵だとしても一人が馬の足を抑え、もう一人が騎手の武器を受け止め、残る一人が肉弾でそれを殺す。

 恐怖を持たない彼らを相手をすることはまっとうな生者には難しい相手であった。

 

 アリティアの状況を見て動いたのはオレルアンである。

 彼ら国家の戦い、その象徴たる存在であるところのハーディンを喪失してから低下し続ける士気と統制を得るために行ったのは親征であった。

 ブレナスク王自らが率いるのは狼騎士団と巨大な人型の兵器、ゴーレム。

 大帝国とは異なり、オレルアンの臣民を巻き添えにするような戦いはできない。

 だからこそ相手を選ぶ必要がある。

 それは大魚である必要はない。

 

 新ワーレン自治区、国家ではない場所であれば国家決戦のような巨大な戦力でなくとも相手にできる。

 ここでの勝利こそが軍の息を吹き返せるカンフル剤となるだろうとして奥の手とも言えるゴーレムを投入したのだった。

 

 ───────────────────────

 

「陛下がお戻りになっていただいたので、これからのことを」

 

 ホルスタットの言葉を制して、

 

「その前にパオラとエストを呼んでくれ

 大事な話がある」

 

 そうして呼ばれた二人と入れ替わるようにホルスタットは退室する。

 促されたわけでは無いが、自分がいないほうがよいことであろうという考えだ。

 

「陛下……?」

 

 パオラとエストは暫くの沈黙を貫いているレウスに不安げに声を掛ける。

 

「すまない、カチュアは……」

「それ以上は仰らないでください、陛下」

「私達、知っていましたから……」

 

 血の繋がり、姉妹の絆とは常のものとは逸する力がある。

 カチュアが自決したとき、二人はカチュアの死を直感し、そして理解していた。

 それが確たるものとなったのはレウスが単騎で帰還したことであった。

 

「あの子の最期は幸せなものでしたか?」

 

 その返答は難しかった。

 死んだ、しかし生きてもいる。

 だが、それを言ったところで彼女たちが会える場所にいるわけでもない。

 無用な期待をさせるだけだった。

 

「ああ、カチュアはオレの命を救うために散った

 オレを容赦してくれた彼女のことは一生忘れない

 姉妹のパオラとエストへの償いはオレには思い浮かばない、何かをして償えるとも思っていないが──」

「陛下、私もエストも、そしてカチュアも乱世に生きている騎士なのです

 その生命を主君に捧げられたのならば、それだけで十分

 それに、カチュアのことを忘れずにいてくれるとまで仰っていただけたのですから、これ以上に償われるものなどありません」

「でもカチュア姉様の分まで、どうか永らえてください」

 

 大切な姉妹の死、今にも泣き出したいであろうのに二人はレウスの心を案じた。

 

「ああ、オレに何があろうとカチュアはオレを永らえさせてくれるだろうからな」

 

 それこそは紛れもない真実であった。

 

 ───────────────────────

 

「救ってやりたいところだが、それは難しいだろう」

 

 レウスが『群体』と戦った所感を共有する。

 諸将はその言葉にやりきれないという表情をしていた。

 

「しかし、では戦うとなったとして勝てるのだろうか」

 

 いつになくミネルバは弱気な発言をする。

 ただ、それは単純な士気の問題からくるものではなく、現実的に考えてのものだった。

 自我があり、恐怖心があり、そして民との戦いという条件。

 今までの聖王国の兵士たちには大義があった。

 力なき国や悪しきものたちとの戦いだという気概があった。

 

 今もアカネイア大帝国という相手に絞れば変わってはいない。

 しかし、戦場に出てくるのはアカネイアの古狸ではなく無辜の民たちである。

 例え国が悪だとしても戦場で武器を振るうものにとって相手がそうではないのならば士気は下がることになり、

 士気の低下はそのまま国家の声望を下げる理由にもなる。

 

 勝てるのだろうか。

 

 ミネルバはこの戦いのことだけを言っているわけではなかった。

 



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足休めの拠点から

「参ったねえ、我が故国がここまでの軍を起こすたあ思わなかったぜ」

 

 いっそ呑気とも取れる口調でビラクは言う。

 

 物見から見えるのはゴーレム、そして狼騎士団の軍旗。

 そして更に奥にはオレルアン王旗の姿もある。

 

 ブレナスク王の親征は長い在位の間でも数えるほどしかない。

 そもそも、戦いともなればハーディンが矢面に立つからこそ、ブレナスクが戦うことなど殆どなかった。

 ただ、それは表向きの話である。

 

 ビラクは狼騎士団でもそれなりに暗部に足を突っ込んでいる立場である。

 ウルフやザガロのような真っ直ぐな人間ではできない仕事を飄々とした彼であればと頼まれることが多かったからだ。

 

 国王であり、無力な王とも言われるブレナスクではあるがそれが仮面であるということを知っているものは多くない。

 狼騎士団であってもビラクだけだ。

 

 彼は『群狼』と呼ばれる子飼いの暗殺者、密偵の組織を持っており、

 それによって各地で発生しかける反乱や国家への裏切りの情報を集め、徹底的に国家安定のための『下拵え』をしていた。

 彼らへの命令では状況が追いつかず、小規模でも軍を扱わねばならないときは群狼と傭兵団を組み合わせて戦わせることもあった。

 ビラクも従軍していたが、その際のブレナスクの指揮官としての能力は堂に入ったものだった。

 

 ブレナスクが無能なように見せていたのはどこまでいってもハーディンを立てるための芝居であり、それを知るものは群狼以外ではやはり、ビラクだけだ。

 

 あの采配ができる人間であれば一軍を率いても十分な働きをさせられるのだろう。

 少なくとも無様なことにはなるまい。

 

「ここを潰すだけなのに、王さまも出てきたのか?

 なんでそんなことをするのだ?」

 

 アテナは素直な疑問を口にする。

 それに対してクリスは

 

「勝利が欲しいんだろうな、国の統制と士気回復のために

 ただ勝つといってもアリティアには無理だし、

 かといって大帝国だとか名乗ったアカネイアが率いるあの妙な軍隊もどきを倒せるわけもない」

「だから私達を狙うのか」

「そういうこったな」

 

 ビラクはまったく、困ったもんだぜと続けて、

 

「しかし、驚くのは大将の手並みだよなあ

 平穏なうちに軍も民も解散しちまうなんて」

 

 自治区の支配者であるホルスはビラクとの会話のあとすぐにワーレンの人間を集める。

 元々のごろつき同然のものたちは全てラングランドへ向かわせており、治安を乱す輩の『始末』は終わっている。

 残っているのは向かうべきところのない土地を失った民、まだ取り返しが付く細やかな悪事だけを働いていた悪党たちだ。

 

 ただ、残ったその悪党未満たちの数は数十。

 領地を守るにはあまりにも細い防衛力は別の任務へと回された。

 

 ガルダの港を経由し、ワーレンへと移動。

 アカネイア地方の執政をしているエルレーンとは既に連絡は付いており、民たちを庇護してもらう約束を取り付けていた。

 これがビラクの言う解散である。

 

「しかし、ワーレンまでの船をよく用意できたよな、大将」

 

 クリスは不思議そうに言うが、ホルスは

「ここまで来たから言うべきだろうが、船に関しての後ろ盾はハーディン殿だ」

 

 ホルスが取り出したのは封書であり、ビラクはそれがハーディンが出したものであることは人目でわかった。

 クリスもまた封蝋印からそれがオレルアン王族のものであることを理解する。

 

「なぜハーディンが味方をするのだ?」

 

 不思議そうにアテナが言う。

 

「ハーディン殿はそもそも、この舞台から降りるつもりだったそうだ

 退場の仕方までは書かれていないが、去るものが持っていても仕方ない資産は使えるものに渡したいと」

「だから船をくれたのか?」

「ああ、商船として使っていたものを数隻

 ここの住人を運ぶには十分な数だ」

 

 順序としてはワーレンへの進み方を得たからこそ、脱出計画をそれなり以上に前から組み上げることができていた。

 エルレーンとの折衝に関しては、『友人』から渡された飛竜のお陰である。

 人に懐いているのもあるが、その速度も頼もしい。

 何よりかなり高度な軍事的調練をされているのか、高度の調整を自らの意思で行うことすらする。

 弓があれば高度をあげ、飛兵の目がありそうな状況では低空を進む、などだ。

 結果として実に安全に、高速にワーレンからパレスへの住民移動の協力を得ることができた。

 

 エルレーンも情報では知っていた新ワーレン自治区の代表者が自ら現れたことに驚いたが、

 それ以上に彼がアカネイアでも有力な貴族であるホルスであると明かした上で庇護を求めたことはそれ以上の驚きであった。

 

 ただ、その正体に関してはあくまで内密のものとして扱ってもらった。

 信頼を現すために姿は晒したが、それでもやはり大衆に担がれるような真似はされたくないためだ。

 どうあれ、自分は策を練って故国を裏切り、多くの人間の命を奪ったのには変わりない。

 それが彼の考えであった。

 

「諸君、そろそろ我々も脱出するとしよう」

 

 物見に集まっていたクリス、アテナ、ビラクを呼ぶホルス。

 

「そんで、オレらはどうするんだい」

「民と軍の保護はワーレンで行ってもらう約束をしている

 我々は一足先にパレスへと向かう」

 

 ホルスの言葉にクリスは

「戦争状態の場所を突っ切るのか?」

 と質問を投げかける。

 

「問題ない、……これでも一応はアカネイアに属していた身だ

 地理にも人の繋がりもある程度は準備がある」

「ホルスは貴族様なのか?」

 

 忌憚も悪気もない発言はアテナだ。

 こういうときにそれが許される彼女は貴族社会が中心となっているアカネイアでは貴重な人間だ。

 

「アカネイア王国のな、つまりはもはや貴族ではない

 大帝国とやらになってしまったからにはもはや仕えるべき主と国はなくなった」

「バカだな、ボアってやつも

 お前のように優秀な男のことを逃がすなんて」

 

 言葉を弄さない少女の言葉は宮廷で言われたどんなおべっかよりも嬉しいもの、

 今のこの仲間たちとの友情、その関係性の居心地の良さに酔いそうにもなる。

 しかし、時間は待ってくれない。

 

「出発しよう、準備は?」

「いい男ってのは常在戦場さ」

「アテナもできている、常在戦場だ」

「物騒だなあ……っと、オレも準備はいいぜ」

 

 では、出立しよう。

 

 ホルスがそう言うと、一同は十分もしないうちに砦を脱する。

 オレルアン軍が空城であることに気がつくのにはいま暫くの時間がかかるだろう。

 

 こうしてラングランドと同時期に産まれた新ワーレン自治区の姿もまた歴史の中へと消える。

 その役目は十分に果たしたと言えるだろう。

 



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もう一つの親征

「兵士は出さんでいい」

「それはどういう意味だ?」

 

 レウスの発言にミネルバは問い返す。

 

「言葉通りだよ、兵士は出さない

 使うのは亡者(あいつら)相手でも日和らん連中だけでいく

 具体的にはオレと、ロプトと、それにナギが飼い慣らした理性のない竜族で、だ」

「自分がどんな提案をしているのかわかっているのか?」

「わかっているさ、なにせ見てきたからな」

 

 情報収集の結果、大帝国の一団の数はアリティアが前線に出している数の3倍以上となっている。

 例え一人ひとりが弱くとも勝てる相手ではない。

 

「勝機はある」

「……駄目だ、軍権の一部を持つものとしてその意見を飲むことはできない

 お前がいなくなったらアリティアがどうなるかわかっていないのか?」

「わかっているさ、十分に」

 

 カチュアの顔が脳裏によぎる。

 わかっているとも、レウスは何よりも強くその意味に頷く。

 

「ミネルバだってわかっているんだろう

 ここで兵を出せば勝てるかも知れない、だが、その後の国営という観点でみれば敗色が濃厚だと」

 

 新たな時代を作り出すという声望でアリティアは大いにその支持を、或いは信仰とすら呼べるものを作り上げている。

 だからこそ、瑕疵が生まれればアリティアはその土台から崩れてしまう。

 

 ミネルバの勝てるかどうかの話とはつまりそれ(未来)についてである。

 

「勝てる」

 

 レウスは強く断言する。

 

「オレが言い切ってそれを外したことがあるか?」

 

 諸将はそれぞれにレウスとの思い出や経験、或いはその伝承を含めてよく知っている。

 運命の分かれ道で常に最も利のある方を選び続けて来た聖王の言葉に、信じろと言われれば信じないわけにはいかない説得力があった。

 実績とはそれだけ強い後ろ盾になる。

 

「……ならばせめて私を」

「駄目だ、アイに顔向けしにくくなるお前を見たくない」

 

 ならばお前だって同じだろう、そう言いたいミネルバではあるが、言ったところで泥沼になるだけだ。

 どちらにせよ手がないのならば自分の夫を信じる以外に道などあろうか。

 他の一同も同様にレウスの動きに対して沈黙によって肯定する。

 

「我らにできることは防衛線を割らせないこと

 陛下が攻めるのであれば、我らは確実に守り切る」

 

 ホルスタットは落とし所としての戦い方を口に出す。

 本営ではなく防衛線、つまりは戦場の只中ほどではない場所で兵士を展開すると言っているのだ。

 戦いは避けられずとも、積極的な攻めでないのならばやりようはある。

 殺さない手段も幾つも編み出すこともできるだろう。

 

 レウスは片腕のないホルスタットを見て、

 しかし尚も意気を挫けさせずに提案する硬骨の男に対して信頼を込めて頷く。

 

「ああ、頼んだ

 皆もホルスタットと共に良きようにしてくれ」

 

 大雑把な命令を出してその場の話し合いは終わった。

 

 ミネルバの元にパオラが近づき、幾つかの言葉をやり取りしている。

 その後、ミネルバが彼女の肩を叩き何かを頼むような仕草をして退室した。

 

「聖王陛下、よろしいでしょうか」

「ああ、どうしたパオラ」

「私を同行させてください、カチュアがいない今、聖王様の御身を代わりにお守りしたいのです」

 

 カチュアの名を出されると弱い。

 それをパオラも理解しているからこそ出したのだろう。

 彼女はレウスを守ることがカチュアの弔いになると考えていた。

 

「それに、頼まれているのです」

「カチュアにか」

「いえ、……」

 

 少し迷うような素振りを見せてから、主君に黙っているわけにもいかないと表情を改めて、

 

「ミシェイル様にです

 聖王陛下はここからの戦いで幾つも無茶をするから、可能な範囲でお支えしろと」

 

 パオラを助けた頃にミシェイルがそれを頼んでいた。

 ミシェイルは決して未来予知ができるわけではない。

 だが、何度も繰り返して人生を歩むうちに高度な対人の予測能力を得るに至っている。

 特にレウスのようにわかりやすい人間ともなれば容易くその行動を読むことができるのだろう。

 

「平穏までの戦いは片手で数えられる程度の回数にはなっている、

 だがそのいずれもが激戦、死闘とも呼べるものだと

 私が介入できるものは少ないでしょうが、それでも今回の戦いであれば」

 

 これは絶対に退かない構えだ。

 レウスはそれを理解した。

 カチュアでも経験があるし、ミネルバでも経験がある。

 なんだったらマリアもお嫁さんになるといって聞かないのもまた同じこと。

 つまり、マケドニアの女は一度これと決めたことは絶対に翻さない。

 それが魅力でもあるし、それが悩まされるところでもあった。

 

「ああ、わかった

 わかったが、お前に怪我をされたら本当にカチュアに申し訳が立たなくなる

 支えてくれるのはありがたい、だが危険度の少ない範疇でと条件を付けさせてくれ」

「はい、勿論です」

 

 望みを通し、にこりと笑うパオラ。

 その表情はやはりカチュアに重ねることができる。

 

(絶対にヘマは踏まない

 カチュア、安心して見ててくれ)

 

 円卓でもこの光景が見られているのであろう。

 思っていることまで聞こえているかはわからないが。

 

 ───────────────────────

 

 その一方で、

 

「うう、パオラ姉様……ずるいです

 私も望むべくはそこにいたいのに

 それに、どうして私は駄目なのですか?」

 

 円卓ではカチュアが一同を困らせていた。

 



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勝利への確信

「うわっはっはっは!

 たまらぬ、これこそが皇帝の威光!」

 

 王冠の力は一度目覚めさせてしまえば、止めどなく効力を発揮した。

 他国民にこそ通用しないものの、五大侯の領地の全ての民にボアが養育していた民、

 それにパレス失陥から抜けることなくボアについて回っていたものたち。

 全てが王冠の威光にひれ伏していた。

 人形とならなかったのはネーリングとその麾下のような心身ともに強い存在くらいのものである。

 

 ボアはいっそばかばかしいと表現できる華美な玉座の肘置きを撫でながら家臣に各地の状況を問う。

 

 オレルアンは交戦を避けて失地回復に務めている。

 アリティアは何度か戦闘を行ったが士気の低下を懸念してか防衛線内に引きこもった。

 各地の山賊は皇帝ボアの前に膝を折り、臣従した。

 

「総力を二つに分ける!

 一方はアリティアへ、もう一方はパレスに!

 パレスこそこのボアの玉座に、帝都に相応しき地であるッ!」

 

 ボアは玉座から立ち上がる。

 

「これは勅である!」

 

 専横を極める態度を取るボアにネーリングはそれでも従う。

 ボアにではなくアカネイア王国への忠義は主がどうあれ関係はない。

 二君に仕えず、国家のために鬼と化す。

 妻娘がそれを望みながら戦火に消えた日から、彼には正義も大義も関係はなかった。

 

 アカネイアを守る。

 ネーリングはその勅を受け取ると、パレス攻略へ向けて軍を起こした。

 

 一方のアリティアにはボア自身が指揮を取る。

 

「ふむ、その前にわしは少し寄り道をするか」

 

 顔を向けたのは北、オレルアンの方角であった。

 

 ───────────────────────

 

 王冠。

 それはアドラ一世も使ったアカネイア大陸最高峰の神器である。

 元は文化文明を持たない時代の人間たちを差配するために神たるナーガが作り出したものであり、それによって人間を扱い、やがて現代に繋がる様々なものを得るに至る。

 

 一方で王冠は人間が独自で動き出した頃に神たるナーガの手によって封印された。

 それこそグラディウスやメリクル、パルティアよりも更に深く、厳しく封印を施していた。

 

 だが、アドラ一世はそれを解いた。

 幸か不幸か、アドラ一世──かつてリフィスとも呼ばれていた盗賊は戦乱の中で磨きに磨いた盗賊としての技術があった。

 長い時間をかけて緩んだ封印と、当代きっての盗賊技術が絶妙にぶつかりあい、王冠は渡るべきではない人の手に渡った。

 

 リフィスは悪党ではあったが、悪人ではなかった。

 アドラ一世となり竜族をマムクートと呼び、虐げ、絶対の人の世をアカネイア王国という名において作り上げたのは悪業に他ならない。

 

 ではリフィスはやはり悪人だったのか。

 いいや、そうではない。

 全ては王冠である。

 

 絶対な力とは人の手には余る。

 その圧倒的な力はリフィスをリフィスではなくアドラ一世に変えてしまった。

 

 ではボアはどうか。

 

 彼は神も予測していない才能を持っていた。

 それは凡人という才能であった。

 凡人故に彼は王や玉座を夢見た。

 凡人故に人の目を恐れ、宮廷での戦い方を学んでいった。

 そうして凡人という才覚を磨き上げていった結果、彼は王冠に支配されるではなく、

 王冠と共に踊ることを覚えた。

 

『王冠は権威であり、権威とは玉座である』

 

 ボアは王冠に自らの意識を乗せて一つの力を条件づけて発揮することができるようになっていた。

 それは臣民を増やす方法である。

 

 国を滅ぼし、或いは吸収した後にその国の権威の象徴たる玉座やそれに類似したものに腰を下ろすことでアカネイアの臣民のようにすることができる力だった。

 オレルアンを見やり、歩を進めたのは気まぐれではない。

 

 アリティアを潰すのであれば戦力はあればあるほどよい。

 

 しかしそれ以上に理由があった。

 

「わかっておる、王冠よ

 わしとお前以外に王など不要

 そうであろう

 であればまずは力なき国に終止符を打ってやり、この帝国の一部にしてやるのが慈悲だ

 言いたいことはそうなのであろう、わかっておる……」

 

 狂気に染まる瞳。

 洗脳的な力を言うなれば『臣民化』と呼ぶのであれば、その臣民化する力は人権の停止であり、簒奪である。

 常人であればその行いは大きな心の負担になる。

 ボアのような凡人であればその負担は本来耐えきれないほどのものである。

 

 今までであれば誰かのために、という名目で罪をなすりつけて耐えることができた。

 しかし、今は耐えるものはないのに耐えて、或いは歯牙にもかけないでいる。

 

 理由は単純だ。

 

 王冠と喋るボアは傍目から見れば狂っている。

 

 その後ろで、淡く、しかしより狂気的な笑みを浮かべた少女がいる。

 

 マリーシアはアカネイアの覇権を賭けた戦いに対して、勝利を確信して微笑んでいた。

 



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もぬけのから

「もぬけの殻、だと……?」

 

 ブレナスクは群狼からの報告を受けて言葉を失いかける。

 これほどの軍を率いておいて、相手は逃げていたでは済まない。

 

 軍権と魔剣は似たところがある。

 一度抜いた魔剣が血を受けるまで鞘に戻らないように、

 率いられた軍もまた戦いを終えるまでその矛先を求めて彷徨わねばならない。

 

「陛下!アカネイアの亡者どもを確認したとのことです!」

 

 伝令が息を切らせながら報告を上げる。

 それはブレナスクにはむしろ都合のいい展開であった。

 

「もぬけになった砦を再利用する、水に毒がないかを含めて調べておけ」

 

 群狼に命令を下し、アカネイア大帝国の方角を見やると馬鹿にしたように笑みをこぼす。

 

「ボアめ、愚かな男だ

 支配者とはなろうと思ってなれるものではない

 気高き血筋あってこそその権利があるのだ、お前のような簒奪者は何者にもなれぬ

 本当の王の力を見せつけてやらねばなるまいな」

 

 ───────────────────────

 

「ウルフ様、布陣完了しました」

 

 狼騎士団の兵士が告げる。

 騎士団の長たるウルフは気になったことはあるかと聞くと、言い出しそうにする兵士。

 

「言ってみろ」

「は……、その、ビラク様のことです」

 

 ビラクは騎士団の中でも人望が特に篤く、突如失踪した後は彼を探すために騎士団を抜けようとするものまで現れかけた。

 ザガロがそれを何とか引き止め、今回の親征にも連れずに国の防衛隊に編入させている。

 もしもそのまま連れていけば現場が混乱する動きを見せかねないからだ。

 それは正しくビラクの人徳と人望によるものであり、

 防衛隊に回されないにしても彼の所在を気にするものは少なくない。

 

「実は砦の周りをパトロールしているときに──」

 

 彼の上げた報告はおよそ信じたくないものであった。

 

『新ワーレン自治区の支配者らしき人物と共に行動を共にしていた』

 

 狼騎士団の中でも特に忠誠心を強く持つウルフ、ザガロ、ロシェ、ビラク。

 その忠誠を疑うべくもない。

 だからこそ、信じることができなかった。

 

(ハーディン様がいなくなったから消えたのは間違いない

 いなくなったからこそ、探しにいったのだとばかり思っていたが……

 なぜ、他国の、それも敵対するはずの相手と共に行動を?)

 

 考えたくもないことが次々と浮かんでくる。

 

(ハーディン様はビラクだけを連れて出奔された?

 オレルアンをお見捨てになられた?)

 

 いや、或いは

 

(他国と密通し、ハーディン様を(しい)したのか?)

 

 など。

 ビラクを仲間だと思っていないわけではない。

 ウルフは模範的、典型的な狼騎士団の人間であり、仲間の絆よりもハーディンへの忠誠と執着が勝る。

 その結果、思考と視野が曇ることは珍しいことではない。

 思考の果てに輩をそのような下衆の勘ぐりで汚すことになろうとも、である。

 だが、そこまで考えるからこそ、数多の可能性を想像するからこそ、

 

(いや、ビラクがそれらをするには理由がない

 どんなことがあろうと我らはハーディン様のためにある

 であれば、ハーディン様が自ずからビラクになにかを申し付けたのか……?)

 

 勘ぐりの果てに冷静にはなる。

 だが、人の心とは上手く回らないもの。合理的ではなく、冷静でないのが人の心というものだ。

 

(ハーディン様は自分には何も言ってくださらなかった……何故です

 我らに言葉もなく、どうして去られたのです……)

 

 暗い表情をして沈黙を貫いているウルフに報告を上げた兵士が何かを言おうとしたところで、

 

「下がっていい」

 

 ザガロが現れ、退室を促す。

 兵士はとりあえず沈黙地獄から解放されるということで安堵した表情で去っていった。

 ウルフは教官役も多くこなすことから沈黙と険しい表情の二枚看板を並べると、彼の生徒でもある騎士団の多くの人間は蛇に睨まれた蛙のように身動きが取れなくなる。

 

「どうしたんだ、ウルフ」

「報告が上がってきてな」

「ビラクのことかい」

「知っていたのか」

 

 報告を持ってきた兵士も一人で動いているわけではない。

 他の団員がザガロにもそのことを漏らしていたのだろう。

 

「どうする、ウルフ」

 

 道は二つ。

 ザガロの言葉はそれを暗に示していた。

 一つはこのまま狼騎士団の団長としてアカネイアの亡者と戦う道。

 もう一つはビラクを追ってハーディンのことを問いに行く道。

 

 人生は物語のようであり、物語であれば主役が存在する。

 多くの場合、人生の主役はその持ち主のものである。

 彼がそうであったなら、亡者との戦いではなく自らの心に殉じてビラクを追うことになるのだろう。

 

 しかし、ウルフの人生の主役は自分自身ではなかった。

 彼にとっての主役はハーディンであり、彼が知る由もないことだが既にハーディンはこの世にはいない。

 そうなれば、彼という物語には主役という原動力になりうるものは存在しない。

 つまり、狼騎士団(居場所)を捨てて、ビラクを探すような行動を起こすことなどできない。

 

 ウルフもザガロも知るまい。

 だからこそハーディンは自らの物語の主役が自身で在り続けるビラクには言葉を遺したことを。

 



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壊滅

「お久しぶりでーす、王さま~!」

 

『臣民』が波濤(はとう)の如くに押し寄せる。

 狼騎士団が果敢な突撃を繰り返し、群狼たちは持ち得る手段を全て使ってそれらに対抗する。

 ゴーレムは亡者と化したに等しい臣民を巨大な腕を振り回して散らしていく。

 しかし、そのどれもがまさしく寄せては引く波を殴りつけるのと同じように無意味であった。

 

「た、隊長!たすけ……隊長ぉぉぉ!!」

 

 狼騎士団でも古参の騎兵が亡者に取り囲まれ、消えていく。

 やがて叫びは断末魔となり、それも止む。

 

「ブレナスク様に近寄らせるな、群狼の意地を見せるときぞ」

 

 意気込んで身のこなしを活かして次々と首を撥ね、胴を割っていく。

 しかし、臣民たちは手に持っているものは種々別々、本来付いていた職業に由来するものを手に持っている。

 厄介なのはそれぞれがその職能を扱おうとする点である。

 漁師をやっていたであろう男が戦場を縦横に駆け巡る群狼に不意に網を投げかける。

 どれもが同じ顔、同じ行動に見えるところに突如そうした奇策が放たれると、いかな群狼と言えども回避できず、絡め取られる。

 そのあとは他のものと同じ末路を辿ることになってしまう。

 

「ゴーレムの出力を高めろ、自壊しても構わぬ」

「は、はい!」

 

 ブレナスクの側に侍る魔道士たちはゴーレムの制御に特化して育成されたものたちであり、

 マリーシアを追いやるに貢献したことからも王の信頼を勝ち得ているエキスパートである。

 

「……だ、だめです、出力が上がりません!」

「何故だ!」

 

「おーいおーい!無視しないでよお~!

 ゴーレムの出力が上がらないのはこっちでいじってるからで~す!あっはは!

 あのときは遅れを取ったけどさあ、それを起動させたのは私なんだからさあ、疑わなかったのお?」

 

 遠間から言葉を発していたマリーシア。

 馬術で身を立てていたであろう臣民の操る騎馬に乗せてもらっているようで、戦場を器用に動き回っている。

 そのせいで本陣近くまで現れては何がしかを喋っては挑発を繰り返していた。

 

「こんなところで私達と遊んでていいのかなあ?

 勝ち星を一つでも取らないと戻れないとか思ってるなら才能ないよお、王さまあ」

 

 ぎぬろと殺意のこもった視線をマリーシアに向けるブレナスク。

 しかしそれをされてもどこ吹く風で彼女は続ける。

 

「元々ここを攻めるのはボア様がやるっていってたんだけどお

 玉座に早く座りたいんじゃないって言ってみたらすっごい頷いてえ

 今頃オレルアンのお城に攻め寄せてるんじゃあないかなあ~」

 

 ブレナスクには軍才はある。

 伝説になるほど大いなるものではないにしても、ボアに劣るようなものではない。

 

 オレルアンには狼騎士団だけではなく、本来はアリティア攻めに使うための膨大な戦力に守りを命じている。

 アカネイアが軍を分けて攻めることくらいは予想していたのだ。

 

 性悪女が何を口で言おうとも、むしろ言うからこそこの戦線を離れて欲しいのだと彼は思えた。

 

「あ~、この戦場から離れてくれないかな~って私が思ってる?

 あっはは!ばかだな~ブレナスク君は

 本当のことを教えてあげてるのになあ

 別に離れてくれなくたって問題ないんだよ、ゴーレムもない君たちじゃあ臣民は止められないんだからさあ」

 

 ゴーレムであれば臣民を蹴散らすことができる。

 アカネイア大帝国にとって唯一の懸念は心もなく蹂躙ができるその兵器こそが目下の悩みであった。

 しかし、それもマリーシアの手で無効化させることができる。

 少なくともこの戦場ではもはや、ゴーレムは置物となった。

 

 技術者の数もここにいるので全員だろう、専門的な技術と知識を持つものをオレルアンが数を揃えられるはずもない。

 ブレナスクか技術者か、どちらかがオレルアンに戻ればゴーレムを使って防衛はできるかもしれない。

 だが、どちらかは犠牲になる。

 全軍撤退を選べばその背中を亡者に襲われ、貴重なエリート部隊が犠牲になる。

 

 どうあれ、この戦場にブレナスクが軍を率いた時点で詰んでいたのだ。

 

 その上でマリーシアは心を誑かし、凌辱する。

 尊厳を汚すことが狂える心を慰撫する数少ない娯楽となっていた。

 

 ───────────────────────

 

「ウルフ!」

「どうした、ザガロ!」

 

 狼騎士団は殆どが壊滅した。

 生き残っているのは彼ら二人と、運良くか実力かのどちらかによって生き延びたごく少数の団員たちだけであり、それも両手で数えて指が余る程度の人数である。

 数えるのも馬鹿らしい数の臣民を相手に、

 突撃を繰り返し彼らを含めて揉み潰されていないことをむしろ称えるべきであろう。

 

 だが、それも、

 

「あれを見るんだ」

 

 動かなくなったゴーレムのうち、一つだけが動いていた。

 

「あれだけいたゴーレムが一つしか動いていない

 兵士たちは殆ど殺されてしまった

 あれだけ恐ろしい強さを持っていた群狼ですら、もうどこにもいない」

 

 ザガロは言いにくそうに、或いは言いたくなさそうにもしながらも、それでも言う。

 

「自分たちの負けだ、オレルアンは滅びることになる」

 

 ウルフは睨む。

 しかし、何も言えない。

 彼もわかっていた。

 国は滅びることになるだろうと。

 だが、聖王の手によってだと思っていた。

 まさかこのような、武人として面目もないところで哀れにも潰されて負けるなどと思っても見なかった。

 

「……負けた、のか?」

「だが、まだやるべきことはある」

「それはなんだ……やれることはまだあるのか、ザガロ」

 

「アカネイアに降ろう、戦って武士としての面目を持って死ぬために」

 



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凌辱

「何をなさるのです、陛下!」

 

 技術者たちはブレナスクの突飛な行動に驚愕する。

 それはゴーレムの機能の中枢に自らが入り込むものであった。

 

「ここから直接魔力を使い、命令を出せば動かすことができるだろう!」

「で、ですが必要となる魔力は命を脅かすものですぞ!

 あのマリクを使っても一日と持たなかったではないですか!」

「このブレナスクの魔力では不足だとしても、短時間で決着をつければよいのだろう

 問題ない!」

 

 それだけが問題ではない、と技術者が言う。

 巨体が歩く衝撃も、敵が放ってくる攻撃も、何もかもが中にいる人間を守るようにはできていない。

 だが、そんなことは共同で研究をしていたブレナスクがわからないはずもない。

 今こそが国家存亡が掛かった一線なのだということが彼の必死さから理解できてしまう。

 

「……わ、我らもお供します!」

「どうせゴーレムを残して行くわけにはいきませんからね」

「利用されるくらいならしてやりますよ!」

 

 技術者たちも次々に違うゴーレムへと入り込む。

 

「……感謝するぞ、オレルアンの勇士たちよ」

 

 ブレナスクはゴーレムを動かす。

 強い衝撃が響く。

 それでも構わない。

 

「ゴーレム部隊、出るぞ!!」

 

 オレルアン最後の戦力が敵陣へと切り込んでいく。

 

 ───────────────────────

 

「あれ、ゴーレムが動いてる……ははーん、中に乗り込んだわけだ

 無茶するねえ~」

 

 マリーシアは予測していた一手ではあったが、それが命がけのものになることを理解し、

 王族がそれをやるだろうかとは思っていたもの。

 だが、実際にやられると中々に厄介なことである。

 

 臣民たちの弱点は圧倒的なものの差だ。

 それが戦力であったり、質量であったり、臣民たちが命を使っても無意味な相手には酷く弱い。

 

 アリティア相手もゴーレムと同様、

 ミネルバのような猛者が相手であれば臣民は手も足も出ない。

 だが、戦は個人でするものではない。

 アリティアが攻めに転じることができないのは臣民を倒しても脇を避けていくそれらを止められず、各拠点への損害や士気の低下を免れることができないためだ。

 

 だが、マリーシアが弱点を衝かれたから負けました、と諦めるほど往生際がいい女でもない。

 

「ゴーレムを中から操るってのはさあ、無茶なんだよねえ

 考えるのがブレナスクが始めってわけでもないんだし、そしてゴーレムが結局廃れたってのは理由もあるわけでさあ」

 

 マリーシアの特徴はその狂気にある。

 狂気は熱狂でもあり、熱狂とは集中である。

 それは彼女の集中力を大いに高めるものであり、その向ける先は学習に対してであることがもっぱらであった。

 

 彼女が裏切りを重ねた道を歩むにもそこには幾つかの法則がある。

 それはいずれもが知識階級を擁することができる勢力だということだ。

 そしてそれらがいるということは、相応の学問や学識のための下地や書物があるということでもある。

 

 彼女はアカネイア中に散らばった知識を吸収し、『王子様』を復活させるための手がかりを集め続けていた。

 その中で得た知識にはかつて存在したゴーレムへの技術に関わるものも多くあり、

 いかにして作られ、そして何故現代では使われていないのかを記したものもあった。

 

「衝撃を守りきれる構造でもない、中にいる人間の状態を守るものでもない

 つまりはさあ、」

 

 ウィンドを構築しはじめる。

 レナ同様にマリーシアもまた制御魔道を駆使し、魔道書なくして魔道を扱うことができた。

 

「例えばさあ、こういうことされたら人間ってひとたまりもないんだよねえ」

 

 ゴーレムの歩みを狂わせるように突風が吹き、更には胴体を激しく揺らすようにして様々な方向から風が巨体を震わせる。

 

「狭い空間でガッタガタに揺らされたらさあ、どうなるかくらい予測できたんじゃない?

 箱の中に虫をいれてたくさん振り回したらどうなるかってのと同じだよねえ?」

 

 研究者が乗るゴーレムの一つが膝から崩折れるようにして動かなくなる。

 臣民たちはそれによじ登り、入り込める場所を探し、やがて中へと次々と潜り込んでいく。

 

「さあて、ゴーレムは数える程度

 簡単な仕事になりそうだねえ」

 

 ───────────────────────

 

 ブレナスクの駆るゴーレムは大破寸前まで追い詰められていた。

 他のもののように風を使って中身を殺すではなく、

 彼だけはマリーシアとの純粋な力比べをし、そして追い詰められた。

 

 オブスキュリテの破壊力はより鋭く、大きくなっている。

 彼女自身の成長もあるだろうが、それ以上に魔道を発展させる才能が自らの力を補助し、増進させていた。

 

「腕も足もあの魔道にもぎ取られたか……

 なぜ、それほどの力があって他のものも力任せに倒さなかったのだ」

 

 ゴーレムから這いずりでたブレナスクが対面するマリーシアへと問いかける。

 

「そりゃあ、雑魚相手にいちいち使うものでもないからだよ、勿体ない

 王様も同じように殺されたかった?だったらごめんねえ

 あなたには惨たらしく死んでもらわないとつり合いが取れないと思ってたからさあ」

 

 マリーシアを利用し、捨てたのは確かにブレナスクである。

 であるからこそ彼もこの結末になったことは理解した。

 

 理解したからといってそれを受け入れるかはまた別の問題である。

 

「父祖の代には国土を守りし守護神であったゴーレムよ

 王族たるブレナスクの血も魔力も全てくれてやろうぞ」

 

 ゴーレムに大量の魔力が注がれはじめる。

 壊れたはずの手足から縄のような器官が伸びて、落とした四肢に結びついていく。

 

「あの敵を殺すのだ、ゴーレムよ!

 オレルアンの安寧のために──」

 

「そうさせるわけないよねえ?」

 

 オブスキュリテの破壊力を隠れ蓑にして一つの影がゴーレムに近づいていたことをブレナスクは知らない。

 

「さあ、やっちゃってえ~」

 

 瞳の黄金は鈍い黄色となった少女。

 フィーナは感情を面に出さず、ゴーレムの中にいたブレナスクに剣を振るい、命を奪った。

 オレルアン王国最後の王族は一矢報いることも、最期の言葉を残すこともなくこの世から去る。

 

 同日にオレルアンもまたボアの手で陥落。

 『臣民化』の力がオレルアンを包み、大帝国の勢力はより大きいものとなる。

 



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でまかせ半分、本音半分

 雲霞の如くに、という言葉は今更のものではある。

 ただ、これまでレウスが経験した『それ』とはわけが違った。

 

 文字通り、地平線の果てを埋め尽くすほどの人間が整然と歩いていた。

 それぞれが口々に

『ぼあさま ばんざい』『だいていこく ばんざい』

 と聖句を唱えている。

 

 りぃりぃん。

 

 鈴の音が響く。

 

 霧が二つの影を作り出す。

 杖を携えた少女、マリアの偶像。

 棍棒を掴む少女、チキの偶像。

 

『霊呼びの鈴』を懐にしまい、別のものを取り出す。

 それもまた『霊呼びの鈴』に酷似したものではあったが、色合いなどに差があった。

 

「さて、あそこまで大見得切ったんだ

 ラニ様よ、頼むぜ」

 

 レウスはその鈴を揺らし、涼やかな音を響かせた。

 

 ───────────────────────

 

 時と視点をカチュアがレウスの巫女となった頃に戻す。

 

 彼女の宣誓を受け取り、レウスの帰還が祈られる前。

 

「戻る算段が付いて安心、といったところかしら

 その娘に感謝しなさいよ」

 

 円卓へと立ち寄ったレウスにメリナが言う。

 

「わかってる」

 

 メリナも彼がカチュアの命を使って戻ることを当然ながら重く受け止めているのを理解している。

 だからこそ第三者として詰め、禊の一端を買って出ていた。

 そうした人情がわからないレウスでもない。

 

「ありがとうな……

 あー……ところで、そこにいるのは」

 

 通路の角を壁にするようにしてちらちらと見ている青肌の令嬢……をデフォルメしたものに目が行かぬわけもない。

 月の摩女ラニ。

 聡明にして尊大、偉大にして懸命なるもの。

 

「我が王……」

「……えーと、」

 

 狭間の地を駆け抜けたレウスではあるが、何もかもを覚えてないわけではない。

 ラニはその中でも数少ない記憶にある人物である。

 彼女との物語は駆け抜けていない。

 しかし、駆け抜けていないのと理解していないのは殆ど同じである。

 

 世界の背景を理解していない彼からするとラニの行動はよくわかっていなかった。

 それでも彼女の手伝いをしたのは彼女が美人だからでしかない。

 静謐をこれ以上無いほどに体現する雰囲気、しかし、その心は焔の如くに苛烈であり、

 だからといって野卑粗暴ではない。

 彼女という存在そのものもレウスにとって好ましい存在であった。

 

 が、

 

 理解していない。

 彼女の戦いも、目的も、何もかも。

 

 ラニからしてみれば共に歩むことを約束したはずなのに果たさなかった男であり、

 言うなれば結婚式の準備をしておいて当日に来なかったようなものである。

 

「ラニ」

「我が王……」

 

 恨みのこもった、とはまた別種の瞳をレウスへと向けている。

 

「どうして我が誘いを蹴ったのだ」

「それは」

 

 返答に窮することである。

 よもや忘れていただとか、話を理解してなかっただとか、そんなことを言えるわけもない。

 

「まだ釣り合いが取れてないと思ったんだ」

「釣り合い?」

 

 レウスからすると何が何やらではあるが、狭間の地において『指様』とやらが偉いのはわかっていた。

 言うなれば神様同然のそれを殺したということは知っている。

 

「オレは狭間の地で勝った、勝ち続けた

 まあ、その万倍負け続けて死に続けたけど……さておき、最後には勝った

 けど、何かを得れたわけじゃない

 何かを為そうとしてできたわけでもない

 そんなオレがラニの誘いに乗るのは釣り合いが取れてない、そう思ったんだ」

 

 口から完全なでまかせ、というわけでもない。

 物語を推察した上での予測でしかない言葉だが、その上でも彼はそう思っていた。

 暗月の大剣を渡され、それを振るわなかったのもまたその資格なしと考えたからでもある。

 

「ただ、今はアカネイアに居場所を見つけた

 その後のことも決めている

 だからラニが言う道筋を進むことはできない」

「そうか……」

 

 ふられたのだな、とラニが言いかけるも、

 

「ラニ、進む道はオレが歩く道ではだめか?」

「我が王……」

 

 新たな形のプロポーズに等しい言葉。

 律を持ち逃げした以上、狭間の地に『その先』はない。

 そしてラニにとっても狭間の地は既に過去の居場所でしかない。

 

 我が王と呼ぶ相手に誘われるのであれば、月の魔女はその手を取らない理由がなかった。

 人の話を聞かないレウスと、人のことを拡大解釈と過大評価するラニ、

 二人は妙な噛み合いを見せてしまっていた。

 

「我が目的は果たされぬが、新たな形で目的を見せるとは……」

 

 てちてちと音を鳴らしながら小さなラニが歩いてくる。

 

「次は逃げぬと誓うことができるか、我が王よ」

「ああ、もう逃げねえよ

 ……あのときはすまなかった」

「ゆるそう」

 

 小さなラニが手を伸ばす。

 人形の小さな手をレウスも掴む。

 

「では、この繋がりを持って誓約とする」

 

 ラニの言葉と共に莫大なルーンがレウスからラニへと飲み込まれていく。

 円卓は眩い黄金の光に満たされた。

 



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誓約

「うむ、やはりこの方がしっくり来る」

 

 月の魔女その姿を小さいものから本来の姿へと戻していた。

 

「ラニ、あなた一体何を」

「我が王と誓約を交わし、その体にあったルーンを回収しただけだが?」

「誓約?」

 

 誓約とは狭間の地ならざる場所で行われる一種の秘儀。

 信仰と奉納の見返りに上位種が力を下賜する仕組みだ。

 

 ラニはそれを端的に説明をする。

 

「しただけって……レウス、体に変化は?」

 

 メリナがレウスへと向き直り、問うと

「いや、特段変わったところは」

 彼もまた自分の体の変化を考えているようだが、特になにかがあるわけでもない。

 

「当然だ

 我が王が持つルーンはアカネイアの住人となった時点で持っている自覚すらない状態になったのだから

 おおよそ130万ほどか、溜め込んでいたな」

「身体能力などに影響はないのか?」

 

 マリケスも流石に突然のその蛮行とも言えるやり方に質問したが、

「溜め込んでいた分であって、肉体を構成するものではない

 先程説明した信仰と奉納のどちらにもルーンの回収は属しているわけでもない」

 そう返した。

 

「で、姿を変えるためだけにルーンを回収したのか、月の魔女ラニ

 では誓約の中身はなんだ」

 

 厳しい視線を向けるマルギット。

 ラニが乱心したわけではないことは理解しているも、なぜそれをしたかの理由が知りたいようでもある。

 

「この誓約に名を付けるのであれば『円卓の誓約』とでもしておくか」

 

 四つある腕を組み、

『さて、この凡俗共にどのようにわかりやすく解説してやろうか』

 そんな声が聞こえてきそうなほどに尊大な態度であった。

 勿論、ラニ当人にはそんな考えがあるわけではないのだが、兎にも角にも他人に勘違いされやすいのはラニの数少ない短所とも言える。

 

「我が王よ、我ら円卓は狭間の地から離れ、律の持ち主の元へと集った

 理由はわかるか?」

「うーむ……」

 

 律が大事だから!などと馬鹿な顔をして言うわけにもいかない。

 レウスはそれを思うと深く考える。

 しかし、思いつくことはない。

 もしかしてオレのことが好きなのか?とかも思ったが、周りから殴られそうなので言えなかった。

 

 尤も、それが正解ではあったのだが。

 

「律が開くところを見たいから、とか」

「……まあ、及第点としておこう

 我らはレウスという褪せ人が、律をどのようにして形作るかに興味を引かれ集まった

 中央値的表現をすれば、そうなる」

 

 レウスがそういうもんかという感想を述べるが、メリナは、

「答えになってないわよ、ラニ」

 厳しい声で言うも、ラニもまた「わかっている」と返す。

 

「我らは全員、狭間の地から持ち出された律がどうなるかを知りたい

 何に使うのかを

 ただ、そのためにはアカネイア大陸全土を治める必要もある」

 

 レウスからすれば正確には『ガトーを倒せば一旦の決着にはなる』くらいの考えであったのだが、

 マルギットに見せられた光景もあり、それだけでは済まないことも理解している。

 

 大陸制覇がそのまま律を使うゴールでは理由はレウスの中では明確である。

 律を開くためにはどんな邪魔をしてくるかわからないガトーを倒す必要があり、

 アカネイアを統一したいのは律とは関わりなく、レウス個人の望みであるためだ。

 

(まあ、律によって作り出すものはオレの国にとっての未来が安泰になってねえと、オレが願いにくいのはあるな

 最後まで反目した奴まで恩恵を預かられるのはなんとなく気分が悪いし、と考えるのはケツの穴の小さいヤツの考えだなあとはわかっちゃいるんだが)

 

 であれば、ラニの言葉はそのまま答えであるとも言える。

 

「んで、それが何だよ」

「このまま戦って、勝てるか、我が王よ」

 

 そりゃあ勝つさ、とは言えない。

 それは具体的な方法ではないからだ。

 ラニは現実問題、どうやって勝利に持っていくのか、それを聞きたがっている。

 

 武力に任せて戦い続ける。

 それは一つの答えではあるが、ガトーがどのように手を出してくるかも予測できないが、

 アカネイアとオレルアンがどんな手段を講じてくるかもまた予測できない。

 しかし、それに時間を賭け過ぎれば国家としての求心力は落ちる。

 

「具体的に……か」

 

 沈思するレウス。

 

「そこで円卓の誓約が生きてくるのだ」

 

 自信満々にラニはそう言うと、胸に手を当てて言葉を続ける。

 

「円卓の誓約に必要なものは我が王の野心とその結果

 野心は大陸の制覇、それは誓約という瓶に十分に満たされている

 結果はアリティアを始めとしてグラ、カダイン、パレス、マケドニア、ドルーア、グルニア、

それと細かな支配地域もあり、それもまた十分」

 

 であれば、ラニが言葉を区切るようにしてから改めて言う。

 

「信仰を野心として、奉納を結果として円卓の誓約は確かにそれを受け取った

 我らはその見返りを誓約を交わした我が王に渡す義務がある」

 

 言葉は音は強く、しかし表情は慈母のように柔らかく。

 ラニは四つの手で球を作るようにして、その中心、何もない空間にルーンの光によって神秘が結実していく。

 

「さあ、これを持って行くのだ、我が王

 円卓の誓約は王の覇道と共に在る」

 



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銀幕より

「さて、あそこまで大見得切ったんだ

 ラニ様よ、頼むぜ」

 

 りぃりぃん──。

 

 それは霊呼びの鈴よりも幾分か高い音で、またそれよりも遠くまで響く。

 鬼が出るか蛇が出るか。

 

 音が空間に染みて消える。

 その後にこの世界の音がすぐに戻ってくることはない。

 すわ何事かとレウスも周りを見渡す。

 

 周囲に『霊呼びの鈴』を使ったときのように霧が寄り集まる。

 それは人の姿になるではなく、矩形の霧となっていく。

 

 レウスにはそれは見覚えがあった。

 それも、どこかで見た程度のものではない。

 よく知っている、それも何度もくぐったもの。

 

 銀幕(ボス前の兆し)

 

 世界の音は硬質とも言える響きと共に戻ってくる。

 

 出てきたのは蛇ではなかった。一面的には鬼であるものもいたが、そういう意味でもない。

 

 それは黒い獣騎士であった。

 白く長い髪を後ろへと流した、黒い甲冑を纏う獣の騎士。

 手には赤く、そして黒く燃える『死』を司る大剣を持っている。

 ──黒き剣のマリケス。

 

 顔には捻じくれた角が幾つも伸び、しかしその瞳はあくまで理性によって輝いていた。

 手には大曲剣を持ち、薄く淡く赤く輝いていた。

 雲霞の如くに寄せる臣民たちを見ると憐れむように見下した。

 ──忌み鬼、マルギット。

 

 青い肌に白いドレス、白い帽子を被った姿は美しいが愛嬌もある。

 しかし、それ以上に感じるものは定命のものとは隔絶された大いなる存在感であった。

 大きな帽子から覗く瞳とその視線は世界ではなく、彼女だけが思う王へと向けられていた。

 ──月の魔女、ラニ。

 

 端正な顔立ちはどこか気の強さを感じさせる。或いは意思の強さか。

 町娘のような出で立ちではあるが、片手には短剣を持ち、それは黄金の光を零し続ける。

 大地の感触を確かめるように踵を叩いてから、相棒(レウス)に目をやる。

 ──円卓の主、メリナ。

 

「ははは……、こりゃあ偉いことになっちまったんじゃないのか?」

 

 レウスは思わず苦笑する。

 

 右を向いても半神。

 左を向いても半神。

 

 鬼が出るか蛇が出るか、その言葉の中には半身が出るかは含まれていないはずであった。

 

「誓約の成果は見せることができたようだ、満足度が高かろう」

 

 自信有りげにラニが言う。どこか「ふふん」と鼻を鳴らしているような様であった。

 

「では、我が王よ

 誓約の効力を確かめるために次の段階へと進もうか」

 

 ───────────────────────

 

「哀れなものたちだ

 糸のようなものが彼奴らを縛っている、魂の根深い所に刺さるそれを抜いてやることはできぬ

 やれることは」

 

 マルギットが持つ大曲剣の刀身が呼ばれるように炎が溢れてくる。

 

「野心の火に踊らされたものを焼くための、薪にしてやることのみ」

 

 彼は杖のようにしていた剣を構え直す。

 

「この状態では死そのものを扱えるわけでない、か

 であればむしろこの身の武芸を十全に振るうことを楽しませてもらうとしよう」

 

 マリケスもまた獰猛に笑う。

 いつもなにかに縛られていた獣騎士に巡ってきた自由な戦いに心を躍らせていた。

 

「血の気が多いお友達がいっぱいね、レウス

 彼らと一緒にされちゃたまらないけど、手伝うわ」

「モーゴットのときの暴れっぷりを忘れちゃいないぞ、オレは」

「忘れてくれていいわよ、そんなこと

 久しぶりの戦いなんだから期待されても困るから」

 

 努めて普段通りに対応するメリナ。

 突然の状況で混乱しかけたレウスには普段通りに接してくれることが一番の気付けになる。

 メリナはそういう意味でも長く旅をした、確かな相棒であった。

 

「我が王よ、号令を発するのだ

 我ら半神はその覇道と共にあろう」

 

 ラニの言葉にレウスも頷く。

 

「マリケス!

 おそろしい武芸の冴えってのを聖王国の吟遊詩人に伝わるように見せつけてくれ!」

「承知した!」

 

「マルギット!

 慧眼から繰り出される数多の戦術の妙味、味方にしたらどれほど心強いかを教えてくれ!」

「よかろう、褪せ人よ」

 

「ラニ!

 こんだけすんげえことをしでかしたんだ、ここから先も期待していいんだな!」

「我が王の期待に応えよう」

 

「メリナ!

 ここまで来たんだ、最後まで付き合ってもらうぞ!」

「仕方ない人ね、本当に」

 

 半神の気配に寄せられるかのように、ナギに従う竜が集まり始めている。

 この世ならざる存在に聖句を唱えるように咆哮を上げながら。

 

 レウスの傍らにロプト、パオラも並ぶ。

 その背にはマリアとチキの偶像も立っている。

 

 半神たちと共に、一同は臣民へと向く。

 

「行くぞッ!」

 

 レウスの号令を以て、戦端は開かれた。

 

 ───────────────────────

 

「鈴を鳴らすとここからあちらへと飛ぶのですか……

 やはりずるいです、私もレウス様のお力になりたいのに」

 

 ふるふると顔を横に振って我欲を払うようにしてカチュアは続ける。

 

「ここで皆様の勝利を祈ることが今の私の仕事

 何に祈るべきか、私にはわかりません……ですから皆様に伏して願います

 どうか、レウス様とアリティア聖王国に勝利をお導きください」

 

 見習い巫女の彼女にできることはそう多くはない。

 だが、願う力と思う力は人の何倍もあると自負している。

 彼女の重さは思いの重さ、であれば王冠が信仰を吸い上げて力にするように、

 彼女の願いもきっと、半神たちの力となるだろう。



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エルデン無双

 一番槍となって駆け抜けたのはマリケスであった。

 黒い疾風の如く戦場を突き進む。

 剣が振るわれる度に数人が吹き飛び、炎が地を走ると死のルーンの力ならずとも臣民たちを討ち滅ぼしていく。

 

「派手にやるものだな」

 

 その背を見るのはマルギットであった。

 臣民たちは脅威度が高すぎるマリケスとの戦いを回避し、同じく巨体を持つものではあるが、マルギットへとターゲットを変える。

 

「私を倒すにはお前たちでは意志が足りぬ

 せめて褪せ人ほどには自我と望みを抱えてくるべきであったな」

 

 ぶんと音を立てて太い尻尾が振り回される。

 周囲をなぎ倒し、間隙を潰すようにいつのまにか作り出した光の短剣が周囲へと舞い踊るように飛び跳ねた。

 臣民たちが己の前にいるものたちが斃れ、しかしそれでも前に前に進もうとするも彼の姿がない。

 気がついたときには遅い。

 マルギットは中空で光の鎚を作り上げ、それを地面に叩きつけると大地がめくり上がるように爆発する。

 

「派手にやるのはどちらなのかと問いたいものだ」

 

 ラニはレウスに「我が王よ」と声をかける。

 

「これに見覚えは」

 

 どこからか取り出した大剣を見せる。

 片手に、表現すればよいのか、四つあるうちの右二つ支えたその一振りの名は『暗月の大剣』。

 

「あ~……それは」

 

 ステータスの問題からではなく、当人の資質的な問題で使いこなせずにインベントリに入れっぱなしになっていた武器の一つである。

 近接武器でありながら『光波』を飛ばすことで擬似的な遠距離攻撃を行えるものであるが、

 その軌道がやや特殊で真っ直ぐではなく若干下に向かって飛んでいくため、求めている効果よりも手前で攻撃範囲が終わってしまう。

 

「せっかく頂いた記念のものなので大切に取っておこうかなと」

「本音は?」

「ちょーっと使いにくくって……」

 

 はあ、とため息をつくラニ。

 

「我が王よ、使い方というものを教えなかったのが悪いとして今から手本を見せてやろう」

 

 ドレスの裾を翻すようにしながら、まるで踊るようにステップを踏んで剣を振るう。

 刀身が光を纏ってまっすぐに飛ぶと切れ味云々などというよりはまるで敵を透過するように青い残光が飛んでいく。

 そのまま飛んだ光はふわりと淡く消え、それと同時に進行上にいた臣民たちが血を吹くことすらなくばたばたと斃れていく。

 

「こうして使うものなのだ、わかったか?」

「今回はそのままラニが使ってくれ、絶対にそっちのほうがいい」

「ふむ……私の戦いぶりを見たい、そう言いたいわけか」

「うんうん、そうそう」

「まったく、我が王は甘え上手だな……

 仕方もない、この魔女ラニの姿を目に焼き付けておくがよい!」

 

 できる女というのは駄目な男が好きなもの、という風潮はある。

 全員がそうではないにしろ、しかしラニはその文言が該当するようであった。

 暴れ始めたラニを尻目にメリナは

 

「人を乗せるのがお上手なことね」

「どうだろうな」

「悪いけど、私は彼らみたいに暴れん坊なことはできないわよ」

「けど、ここに来たってことは」

「そりゃあ戦働きは見せる、けど、私が武器を振るう必要以外にもやり方ってのがあるでしょう」

 

 メリナがそう言うと、彼女たちを借りるわね、と二つの偶像とパオラを指す。

 

「え、あ……あの、レウス陛下」

「あー、メリナは頼りになる、大丈夫だ」

 

 レディソードを抜くと構えを取りながらメリナの側で、彼女を守るような仕草を見せるパオラ。

 

「よろしく、パオラ」

「はい……メリナ様」

「呼び捨てにしてくれて構わないけれど」

 

 パオラは、というべきか、この大陸で生きる多くの人間は主従関係やカースト或いはヒエラルキー文化が息づいている。

 それ故に『相手が目上・格上の存在かどうか』ということを判断する能力はある種のコモンセンスとなっている。

 

「いえ、メリナ様と呼ばせてください

 レウス陛下の──」

 

 と、言いかけてなんとするべきかとパオラの脳が高速で回転する。

 

(お友達、ではなさそうですよね

 お仲間?同志?お目付け役?

 どこかしらメリナ様は私と同じ(姉属性)を感じてしまう辺り保護者?

 かといってそんなことを出すのも失礼に当たるかも知れないし)

 

 それを見てメリナは小さく笑う。

 

「よく考える娘なのね、どうでもいいのよ

 私とレウスの関係なんて

 言うなれば腐れ縁、どんな奴かも知っている

 だから私からお願いするべきね」

 

 メリナはパオラの心中を読むかのようにして、そのまま続ける。

 

「レウスが進む覇道を支えるパオラたちの、その手伝いをさせて頂戴

 腐れ縁の私ができるのはそれくらい」

 

 片手に持つ短剣を構え直して、

 

「さあ、敵が近づいてきた

 パオラ、行きましょう」

「は──はい!」

 

 うむを言わさぬ言葉の圧はやはり王族のそれのようにも感じる。

 或いはもっと上の存在か。

 

 偶像二人も神の意思に従うように攻撃を行いはじめる。

 

「レウス、もう馬鹿な失敗しないように

 カチュアが見ているのだから」

 

 その場を離れる時に耳打ちするようにメリナは言う。

 

「ああ、わかってる」

 

 レウスもグレートソードを抜き払い、天に掲げる。

 

 カチュアよ、ご照覧あれ、聖王の敢闘を。

 

 円卓で彼らの活躍を見るカチュアにそれは確かに伝わった。

 



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涜聖

 蹂躙。

 

 蹂躙であった。

 思う様に剣を振るうことをマリケスは楽しんでいた。

 ただ、この程度の相手では物足りない。

 意思なきものの戦いなどつまらない。

 

 剣士としてもっと楽しみたい。

 生前には終ぞ得ることのなかった戦いの充足を得ることができるのなら、ぜひ知りたい。

 狩人の如くに獲物を見定める。

 見定める間にも臣民は恐ろしい勢いでその数を減らしている。

 

 ───────────────────────

 

 オレルアン占領から勢いのままに東西決戦の主戦場となった平野へと繰り出していたボアはその状況に歯噛みをしていた。

 

「う、ぬ……!

 な、なんだというのだあやつらは!

 ええい、馬鹿にするなよ、アカネイア大帝国を!

 レウスめを打ち取るために用意していたが、温存する気は失せた!

 『あれ』を出せッ!」

 

 ボアが叫ぶ。

 彼の周りに侍っていた臣民化されていない元の文官たちは皇帝の号令に手旗を振るう。

 それは次々に伝わっていき、臣民たちが整然と動いて道を作っていく。

 

「不甲斐なく無能なガトーに変わって我らが完成させた究極の兵士の力を見せてやろう!

 これこそが擬剣ファルシオンの本当の使い方よ!

 進め!我が大帝国が最大の戦力、アンリよ!アンリたちよ!

 悪逆の聖王国を滅ぼしてしまえい!」

 

 ───────────────────────

 

 大帝国は臣民化の技術を王冠によって成立させたが、それを成し得たのはミロアの残した技術と、閉派たちの協力あってのもの。

 この閉派の人間はミロアと共にアリティアに逃げ、その後はパレスではなくボアとミロアの息のかかったある貴族の荘園に隠れ潜んでいた。

 

 隠れながらも進められた計画は幾つもあり、その中の一つが王冠についてであり、

 そして最強の兵士の作成であった。

 

 かつての英雄アンリはその生涯を終えたあと、大々的な葬儀を行われ送られた。

 その亡骸はパレードの最中にアカネイア王国の人間によって置き換えられた。

 

 当時のアカネイアはその支配を盤石なものとするためにアンリの持つ武力を必要としていた。

 彼をなんとかして蘇らせて、暴力装置としての役割に付いてもらうべく努力していたがその結果は伴わなかった。

 アンリの亡骸は当時の最先端の魔道器械を使って保存されることになり、それは忘れ去られた。

 再びアンリに目を向けるものが現れるのは暫く先のこと、ミロアが権力を持ち、アカネイア王国の裏側の全てを閲覧できるようになってからだ。

 

 ミロアもまた同様に、むしろより強固に力を求めていた。

 アカネイア王国の繁栄のためだけではない。

 

 メディウスやガトー、他の大陸に送られたとも言われるドーマやミラといった神格たち。

 そうしたものたちと戦うことを見越していたからこそ。

 

 ガーネフに並ぶ天才であるミロアでもアンリを戦力にすることはできなかった。

 その後にボアが権力を持ち、大帝国の建国を成し遂げるより少し前から状況は変わる。

 

 擬剣ファルシオンである。

 ボアは凡人であるが故に、大英雄アンリを復活させ、手元に置くことまでは夢見なかった。

 むしろそんな英雄が側にいれば自分の威光が陰ってしまうとも思っていたからでもある。

 

 だからこそ、彼はアンリを蘇らせるのではなく、アンリと同等の力を持つ臣民を作ることを目指した。

 いや、同等ではなくてもいい。

 彼の経験や力量を反映した兵士を作れればそれでいい、と。

 

 擬剣ファルシオンが遅々として進まなかった計画のターニングポイントになった。

 かの剣は光のオーブから作られ、持ち主の潜在能力を引き出すものである。

 

 アンリの経験や力量はアンリだけのものである。

 だが、アンリの弟であるマルセレスの血を引いたコーネリアスは大陸に名を響かせる勇士であり、その血統そのものがアンリという英雄を作り出している要因であった。

 

 ボアは大陸中から特定の特徴を持つ人間を探した。

 多くの場合は誘拐、人買いのたぐいであった。

 

 持ち込まれた人間にはアンリの体を少しずつ刻み、埋め込み、擬剣ファルシオンを使い血統とアンリの肉片の両方を用いて擬似的な増産を企てた。

 

 アンリの肉体の全てが研究所から消える前にそれは完成した。

 成果を得るまでにアンリの肉体の殆どは使い果たしたものの擬剣を携えた贋作のアンリは完成した。

 

 そのアンリが、いや、アンリたちが戦場へと向かう。

 ボアが持つ最強の部隊、アンリ兵団が決戦に向けて投入された。

 



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黒い剣士と青い迅雷

 青い迅雷がマリケスへと迫る。

 黒い剣士は剣を盾にしてそれを防ぐ。

 

 擬剣ファルシオンを携えた長い青髪の剣士。

 いや、大英雄アンリの似姿。

 

 その血を微かに引いた存在にアンリの肉片を植え付けて培養した作られた英雄。

 

「見事な身のこなし、技の冴え、首を一息に切り落とせると踏んでの突撃か」

 

 だが、とマリケスは剣を振るうと構え直す。

 

「このマリケス、そう簡単に首をくれてやるわけにはいかぬ

 例え仮初めの肉体であっても我が敗北はマリカの名誉に瑕疵を残す故に」

 

「……まり、けす」

 

 アンリもまた武器を構え直す。

 

「ぅ、……あ」

 

 声を取り戻すように呻き、やがて

 

「俺、は……アンリ

 その、腕前……見事なものだ」

 

 言葉は絶え絶えに千切れかけたようなものだが、その構えは堂に入っている。

 定命のものとは比べられないほどの戦歴を持つマリケスですらその立ち姿に警戒を最大限にまで高めてしまうほど。

 

 アンリ。

 個の英雄。

 アリティア建国の祖。

 幾多の竜を屠り、神に等しい暗黒竜メディウスを倒したアカネイア最強の人間。

 

「俺は、何も、覚えておらぬ

 我が身にあるは戦いのことのみ、神を殺さねばならぬという、使命感のみ

 マリケスよ、貴様は神であろう

 神でなくとも、我ら人間にはそれと同義の存在、だ」

 

 贋作のアンリはその生前の要素に影響される。

 マリケスの相手に現れた彼は元は闘技場の剣士であり、奴隷であり、サムトーとは同期でもあった。

 

 武芸百般に通じていたが、素行の悪さから劣悪な環境での戦い……竜族やら獣やらとのマッチアップが多かった。

 しかし彼はそれにも勝ち続け、やがてはその居場所が聖王国によって解体されることになり、放浪の身になった。

 ようやく闘奴の身分から解放されたが、ボアの配下によって薬を用いて囚われ、現在に至る。

 

 とはいえ、彼自身はもう過去のことを何一つ覚えていない。

 

「俺の人生には戦うことしかない

 それしかなかった

 せめて、俺はそれで生きていたい、それで死にたいのだ

 剣士マリケス、お前ならば俺にそれをあたえてくれるのか」

 

 哀れな、とマリケスは思うことはなかった。

 

「剣に生きれたならばそれは一つの生き方だろう

 命を奪い続けた自分がいったところで慰みにもなるまいが」

「ならば死を求める、闘いの中の、死を」

「言葉で渡す誉など我らには無意味なことか」

「そうさ」

「そうだな」

 

 マリケスは構えを変える。

 それは低く、低く、獣が走り出す直前のように。

 

 アンリもまた構えを変える。

 それは高く、高く、天を貫く光のように擬剣を立てる。

 

 空気が張り詰め、意思なき臣民たちすらその空間を避ける。

 太陽が一瞬、雲に姿を隠した。

 先に動いたのはマリケスであった。

 一足飛びにとんでもない距離を走ったと思えば、人間には不可能なレベルの急加速と急停止と、飛び跳ねる動きに黒き剣のマリケスが複数に分かれたかのように錯覚させる。

 何もない空間にアンリが剣を振り下ろす。

 

 何もないはずの場所にマリケスの剣が現れ、鍔迫り合いとなる。

 アンリは数秒先の未来を予測し、見てから動くでは足りぬとして一手打った。

 そして速度を上げて挑んだマリケスもまたトップスピードから行動を変えるではなくそれに応じた。

 本来は鍔迫り合いなど不可能なほどのウェイト差がある両者だが、アンリはもはや常人が備える身体能力とはまるで異なる。

 ボアたちによって徹底的に強化された怪物である。

 

「見事」

「まだ、上があるのだろう、剣士」

 

 互いに剣を押しのけ払って、次はアンリが切り込んでいく。

 速度で劣るアンリだが、的確にマリケスに攻撃を加える。

 アンリの経験や力量を幾分かは培養することができている成果ではなく、

 体の才能を擬剣ファルシオンが引きずり出し、才能の限界をアンリの肉片が超越させていた。

 

「致命傷を狙ってその全てを躱されるか」

「それでもこのまま受け続けるのは得策でもない」

「であれば、どうする」

 

 マリケスが再び構えを取る。

 同じく、獣が疾駆するようにもしているものを。

 だが、以前のそれとは違うことをアンリは直感した。

 

 黒く、赤い光が漏れている。

 それはかつては死と呼ばれるそのものであったが、鈴によって呼び出された彼が死のルーンを扱うことはできない。

 これはあくまでそれを再現した魔力の漏出に過ぎない。

 それに過ぎずとも、武器として、武芸として、武技として機能するであればマリケスにとってはそれで構わなかった。

 むしろ、死を開放せずに技を振るうことができることを喜ばしくすら思っていた。

 

「どうするかの答えをお見せしよう」

 

 アンリが構える。

 再び同じ構えをではなく、何かを察知したように剣を盾にするようにした構えを。

 

 すう、とマリケスが息を吸う。

 そして次に行ったのは咆哮であった。

 赤と黒の波動が地を割ってアンリへと迫る。

 予測通りだとしてアンリはそれを剣で防ぐが、予想外のことがあるとするならその叫びは精神的にではなく物理的に身をすくませ、身動きを一瞬止めさせられる。

 

 アンリが見たのはマリケスが宙に舞う姿だった。

 

 空で剣を振るうと赤い剣閃がアンリに向かい飛来する。

 竦む身を無理矢理に動かし、それを跳ねるようにして避ける。

 

 マリケスはそのまま身をよじるようにして剣を振るい、次なる剣閃を放つ。

 着地点に打ち込まれたそれに対して擬剣で応じる。

 凄まじい威力と圧力がアンリをその場に縫い留める。

 

「終わりだ、勇者よ」

 

 その声は遅れて聞こえたか。

 

 マリケスはその巨体を剣を先端としてアンリへと叩き込む。

 

「いいや、まだ終わりではない、剣士よ」

 

 片腕を犠牲にするようにしてマリケスの剣を逸らせ、残った片腕をその巨体に叩き込まんとする。

 

「人よ、我を恐れよ

 マリカ……そしてレウスの黒き剣、マリケスを」

「なに──」

 

 無数の赤い剣の軌跡が数拍遅れて空間を満たすように走り回る。

 

「いつのまに……」

 

 褪せ人とは違う。

 アンリはその全身を切り刻まれ、出血と共に斃れた。

 

「……み、見事だ

 黒き剣、マリケス

 願わくば」

「ああ、願わくば、汚される前のお主と闘いたかったものだ」

「……慰みには十分すぎる言葉だ

 死を想起させる姿には似つかわしくないほどに、優しい男よ、な……」

 

 そのアンリは最期の言葉を吐き切るとそれきり動かなくなった。

 ここが戦場でなくばその亡骸を葬ろうとするだろう。

 今はそれが許されぬ状況だというのはマリケスも理解している。

 だからこそ、彼方を睨む。

 

 アカネイア大帝国。

 

 墓碑を作るならば大きく、派手なほうが望ましい。

 マリケスは獣のごとくに咆哮を空に上げると、敵の群れにまっしぐらに突き進んだ。

 



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王足るもの

「野心の火の匂いがする」

 

 マルギットは空を見上げて言う。

 この世界の空は果てしなく遠く青い。

 故郷の空とは違う。

 

「美しい世界だ

 そこをなぜ汚す、自らの手で、どうして汚すことができるのだ?」

 

 問うように目の前の男……アンリの複製へと問いかける。

 マリケスと戦ったものとは違う。

 年の頃は40にも差し掛かろうか、武官としてならここからであろうが、戦線に立つとなればややとうの経ったと言えるだろう。

 

「お前こそ、なぜこの地を汚す

 異邦人よ、我らは知っているぞ

 我らをこのようにしたボアとガトーが与えた記憶から、理解しているぞ

 レウスと同じ、悪しき存在、外つ国(とつくに)の侵略者め」

「そのような言葉しか出て来ぬか

 侵略者と言われればなるほど、そうであろう

 悪しき存在と言われれば然り、そうであろう

 だが、そのどちらもがお前の善性や大義を証明するものではない」

 

 アンリは睨む。

 彼はアリティア王国のコーネリアスが父、マリウスが外に作った子供の息子。

 つまりはコーネリアスの兄弟にもあたる人物である。

 ただ、当人はマリウスとは会ったこともなく、各地で傭兵を続けて生計を立てていた。

 その血に由来するのか、その武才は高く、傭兵として雇われては一軍を指揮する立場を与えられることが多かった。

 とはいえ、やはり彼もボアたちの手によって捕らえられ、結果としてアンリに作り変えられてしまった。

 

 血筋も何もかもが最もアンリに近いとされながら、生前の性質は残暴であり、狡知に長けていた。

 それ故か、擬剣やアンリの因子との繋がりは弱く、元の人格が大いに影響していた。

 

 だからこそ、

 

「言葉でどう隠そうと、卑しき獣の匂いとは漂うもの

 お前からは野心の火が烟ったそれが鼻につく

 そこかしこで戦う他のアンリどもとは違う、お前はなにかの目的があってここにいるのだろう」

「……そこまで見抜くとは、恐ろしい奴だ

 外見だけではなく、内面までもが怪物なのだな」

「なんとでも言うがいい

 どうあれ、その野心はここで私に消し潰されることになるのだから」

 

 その言葉が終わるかどうかのタイミングでアンリは懐に隠していた短剣を投げつける。

 見抜いていたマルギットもまた光で構築された短剣を投げつけて空中で迎撃した。

 

 アンリは短剣を投げるとほぼ同時にマルギットへと突き進む。

 マルギットもまた相手の擬剣に応じるために光の長剣を作り出し、お互いの攻撃圏へと踏み込んだ。

 

「しィッ!」

 

 攻撃を行うために気合とともに息を吐いたアンリだが、それと同時に空いていた片手からマルギットに向けて粉が投げつけられる。

 目眩ましのもの、空中に広がれば一気に霧散しアンリの姿を隠す。

 それが目にでも入れば暫くは涙が出て目も開けられない。

 アンリがアンリである以前に使っていた必殺の武器である。

 

「愚か者め」

 

 その声と共に煙がより広範囲に広がる。

 それでも密度が消えることはない一方でアンリは煙の性質を熟知しているからこそ無害でいられるギリギリの立ち位置で状況を見ようとする。

 このような広がり方を見るのははじめてであった。

 

 そして、煙の密度が少し晴れるとそこにマルギットの姿がないことを漸く理解する。

 

「どこへ──」

 

 影が差す。

 

 あの巨体が空を跳んだのか!?

 

 アンリがそれを言葉にするよりも先に擬剣ファルシオンを構え、防御姿勢を取る。

 

 マルギットの手には光で作り上げられた巨大な鉄槌が握られている。

 踏み込みと落下の威力を以て、アンリに破壊力を存分に叩きつけようと。

 

 擬剣ファルシオンがそれに接触し、その次の瞬間には『ばぢり』とおおよそ人体からは聞こえないはずの、武器によって挫滅する不気味な音が響いた。

 

「愚かな野心は忘れることだな」

 

 光の鎚を消して、もはや原型を留めていない贋作を見下ろす。

 

「次の生があれば、お前の身に流れていたはずの高潔な血を思ってひたむきに歩むがいい」

 

 ゆっくりと、しかし確かな足取りで敵陣へと進みはじめるマルギット。

 そのアンリは間違いなくボアが使う特別な兵隊の中では上澄みの中の上澄みであっただろう。

 しかしマルギットにとっては取るに足らない相手でしかなく、記憶に残らないものであった。

 

 忌み鬼マルギットが睨むのは贋作ではない。

 それを生み出し、野心の火に焼かれ、国と民全てを犠牲にして玉座で笑うただ一人に。

 



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影法師

「愚かなことを」

 

 アンリの複製品たちはどれもが完全な猛者というわけではない。

 素体の問題や資質の問題から一介の騎士に毛の生えた程度の強さのものもいる。

 

 ただ、特徴で言うのあれば擬剣ファルシオンを持つことであり、

 擬剣とはいえファルシオン。

 その切れ味も破壊力も他の武器とは一線を画している。

 素体となるものが例え因子に適合しただけの一般人で、戦闘経験も能力も肉体の作りも適していなくとも一流の使い手に変質させることはできた。

 

 月の魔女ラニに向かうのはアンリであり、アンリたちであった。

 マリケスやマルギットと戦ったものたちと比べれば質に劣るものたち。

 だが、それでも数がまとまれば脅威である。

 

 魔女のその手には暗月の大剣が握られていた。

 過日にレウスに渡したものとはまた違う、この日のために拵え直したもの。

 

 向かってくる贋作に対して、ラニはまるで踊るように剣を振るう。

 一太刀、二太刀と振るわれるたびにアンリたちが切り払われていく。

 

 麗しき白い魔女の姿をこそしているが、その正体はラダゴンの娘であり、

 狭間の地が『そのようになった』のも彼女に由来しているとも言われている。

 つまりは見た目とは裏腹にその正体はミネルバにも劣らぬ気性を持つ烈女であり、

 果断な部分をしてみれば彼女に並ぶものはどこにもいないだろう。

 

 そして、戦いとは常に果断さを求められる。

 一瞬の隙が命を奪うこともある、レウスが命を落としたように。

 それ故に、ラニの果断さは彼女を敵の刃から遠ざけることにもなっており、

 同時にラニの刃が敵を切り裂く結果となっている。

 

 だが、それでもアンリはアンリ。

 英雄の血はその恐るべき魔女の力を一つの才で抗い切れないのならば数で上回ろうと集まってくる。

 群の英雄ではない、アンリは個の英雄ではある。

 寄り集まったとしても彼らはその集まり一つで一人のアンリであると言うかのような連携のような不気味な動きを見せていく。

 

 彼らが手に持った擬剣ファルシオンはアカネイア大陸において最高峰の存在であるガトーが手ずから作り上げた恐るべき呪物であることには変わりない。

 

 偽物の一人がラニの側面に回り込むと擬剣を叩き込まんと剣を振り回す。

 しかしそれは彼女には当たらず、その手前で凝結した霧が阻んでいた。

 

「未練がましくあると笑われるか」

 

 ラニは自嘲するように言う。

 

 霧はやがて人の姿を二つ作り出す。

 物言わぬ傀儡、いや、この場合はこう呼ぶべきであろう。

 

 ──彼女は四つある手の一つに鈴を持ち、鳴らしていた。

 

 自分たちをアカネイアに呼び込ませるためにレウスへと手渡したそれを作る上での、試作品の一つ。

 レウスが愛用する鈴とは違い、呼び出せるものに制限もある。

 あくまで試作品は試作品。

 

 だが、それでも霊体を呼び出すことはできるのであれば十分な仕事を果たす。

 

 霊体。

 霊呼びの鈴によってこの世に力を顕現させられたそのものならざる影法師。

 

 一つは精強な獣人であり、レウスが愛用する大剣にも似たものを肩に担ぐ。

 この大剣が擬剣を阻んだのが見て取れた。

 

 もう一つは巨躯の、マルギットと同じほどか、それ以上の体躯。

 片手には本を持ち、それを読むようなジェスチャーを取っていた。

 

「ブライヴ、イジー

 お前たちの姿を暫く借りる」

 

 かつてラニに仕えた者たち。

 狭間の地にて命を使い果たしたものたち。

 その忠義に彼女は目的達成という形で果たそうとした。

『指』を殺し、それは果たされたが、『新たな世紀』を作り出すには至らなかった。

 求めた結果は今は遠い。

 だが、新たにたどり着いた世界で、新たな律を作り出そうとしているレウスと、レウスが作り出そうとするものは彼女が作ろうとしたものにも似ていた。

 だからこそ、力を貸そうとも考えた。

 

「私が見るものがお前たちの見るものでもあろう

 であれば、見たいと願う景色の果てに行き着くために共に歩むもまた互いの望みの内」

 

 再び集まるアンリの贋作たち。

 

「我が王の望み、月の魔女ラニの望み

 それを果たすためにはまずこの場を切り抜ける必要がある」

 

 ラニが暗月の大剣を横薙ぎに振るい、構えを取り直す。

 

「まずは切り抜ける、

 影たちよ、準備はよいか」

 

 ブライヴの影が大剣を肩に担いで走り出そうとする姿勢に映る。

 イジーの影が本を閉じ、影の中から鍛冶に使うであろう鎚を取り出し、握り込む。

 

 ラニがとん、と跳ねるように敵陣へと踏み込むと、それを切っ掛けにブライヴとイジーの影もまた敵へとまっしぐらに突き進んでいった。

 



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暴れん坊の血統

「パオラ、傷は?」

「包帯はその、あくまで」

「パフォーマンス?」

「はい」

 

 メリナはそれを聞いて表情こそ動かさなかったものの、パオラには彼女が安堵しているようにも見えた。

 

「カチュアが貴女のことを心配していたから」

「カチュアとお会いになられたのですか?」

 

 そこまで言ってからパオラは彼女が超常の存在、定命のものではないことを思い出す。

 

 アカネイアの人間にとって神とはレウスの産まれた場所よりも身近な存在であり、

 『万能の存在』ではなく、『強大な力を持った種』という印象が強い。

 その上で精神や何らかの要素が人間と比べ超越的であり、無限にも思える長命を持つ、

 彼女にとっての神とはそうしたものだった。

 

 だが、超越的であるからこそ死した人間と会う機会があったとて不思議ではないと考えた。

 

「彼女はレウスに覇道を歩ませるために、私たちと同じ存在になるためにこの世界から旅立った、とだけは言っておくわ

 けれど人間にとってはそれは死と殆ど同義」

 

 まるきり真実でもないが、まるきり嘘というわけでもない。

 

「彼女も口には出さなかったけれど姉妹たちのことを心配しているようだったから」

「ありがとうございます、メリナ様

 ……この戦いをカチュアも見ていると思えました」

 

 握るレディ・ソードは強く固い握りから、少し柔らかいものへと変わる。

 こわばりが解けたように。

 

「さあ、私達も戦いをはじめましょう」

 

 迫る臣民たちだったが、強力な魔道がマリアの偶像から放たれると綺麗に道が作られる。

 悠然と歩くメリナに寄ってくるものはチキの偶像が振るう棍棒によって『お星さま』になる。

 

「ここから先は通さぬ」

「我らがいる限り、決して通さぬ」

 

 同じような顔立ちをした二人組。

 顔立ちはやはりアンリの影響を受けているのか、それとも単純に生まれつきアリティア王族に似た顔立ちをしているのか。

 

「周りの操り人形よりは強いみたいだけど」

「私たちよりは強いとは思えません」

 

 パオラは構えを取り、メリナの言葉に続けた。

 二人組のアンリは顔を見合わせ「おもしろい冗談だったな」と言い合う。

 そして次の瞬間にその姿が掻き消えると二人組はメリナとパオラの側に現れ、剣を振るう。狙うはその細首。

 

 硬質な音が響く。

 二人組の擬剣はメリナの短剣(使命の刃)パオラの剣(レディ・ソード)に阻まれる。

 

「アンリは大陸史に残る最高の英雄と聞いていたけれど、どうやらその高潔さは持ち合わせていないようね

 姿ばかり真似たところで本質は手に入れられないのは努力不足?それとも才能不足?」

「黙れ!」

 

 メリナの挑発に応じるように一人が動く。

 それをパオラは片割れから離れて剣を合わせ、守る。

 

「背中ががら空きだぞ!」

 

 先程までパオラが相手をしていたものが斬りかかり直す。

 

「私に注意を向けながら斬りかかるのは偉いけれど」

 

 マリアの偶像から放たれた魔法が片割れを掠め、それに気を取られた相手にはチキの偶像が躍りかかる。

 神竜をベースとした膂力は流石のアンリの力を獲得しているといっても当人ではないからか、

 それとも当人であってもそうなるのか、圧倒的な剛力によって鍔迫り合いではなく、緩やかに押し込まれていく。

 

「いま助け──」

「そうはさせません」

 

 パオラがその行動を阻害しようと剣を振るい、

「邪魔だ!どけえ!」

 強引に突破しようとした瞬間、彼らがしようとしたことを意趣返しするようにメリナの短剣が黄金の軌跡を描きながら首を飛ばした。

 

「き、貴様ァーッ!」

 

 片割れの首が飛ぶのを見て偶像二人の攻撃を掻い潜って擬剣をメリナに向けるも、その懐にパオラは瞬時に入り込み、心臓を一突きにした。

 

「ご、ごふ……

 そんな、我らはアンリ、アンリなのだぞ……!

 昔のサムシアンのように、好き勝手にできると、思っていたの……に……」

 

 ぐらりと倒れ込む。

 パオラは剣を抜くのと同時にその体を脇に落とす。

 

「お見事

 流石、白騎士といったところかしら」

「よくご存知なのですね」

「ま……ずっと見ていたから」

 

 メリナにはその気がなくとも、パオラからは神だと思われており、

 それが神仏の如くではなくとも超越者が自分たちを見つめていてくれたと思って嫌な気持ちになるものはいない。

 

 特にマケドニア人は戦いには実力と心意気が何より大事だと伝えられるが、

 運否天賦の要素もまた存在していると考えており、

 その運というのは神が賽子を振るが如しとも言われる。

 

「あ、ありがとうございます!」

「……ええと、いえ、まあ、……喜んでいるならいいけど」

 

 お礼を言われるようなことでもないのだが、心から喜んでいるようなので何も言えないメリナ。

 自らの武運を差配するに等しい神が存在するならば、それはメリナであり、

 メリナがそうであればこそ今まで経験した際どい戦いの勝利も彼女に与えられたものと思えてしまう。

 そうなれば、頭の一つ、祈りの一つでもメリナに捧げたくなる。

 勿論、勘違いではあるのだが。

 

「さあ、急ぎましょう

 他の『神』がボアを追い詰めるのに遅れたら格好がつかないから」

「はい、メリナ様!」

 



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カルタスの血

「やれやれ、オレの活躍の場は与えられなかったか」

 

 レウスが臣民たちをグレートソードで蹴散らしながら半神たちの背を置いながら愚痴る。

 

「ボアの首を狙うならさっさと本陣に……──」

「聖王レウスだな」

 

 不意に声が掛かる。

 青色の髪の毛に少し強気そうな瞳。

 どこかマルスに似ているが、気品や上品さといったものは感じられない。

 だが、粗野さがむしろ美しさを引き立てているようですらある。

 

「会ったことはないよな」

「ボアが作り出したアンリのパチモンだ」

 

 擬剣を見せるようにして言う。

 

「名は?」

「言ったろう、アンリだって」

「それはボアの付けた値札みたいなもんだろう」

 

 苦笑か微笑みか曖昧なところの表情を見せるアンリ。

 

「カルタスの庶子さ、名は聖王に聞かせるようなもんでもないよ」

「で、オレの前に現れた理由は?

 戦う気はなさそうだが」

「戦う気というか、その体力がないからな」

 

 顎で自分の後ろを指すようにする。

 レウスがそちらへと目を向けると同じように青い髪の、擬剣を握ったものたちが複数名斃れている。

 

「殺したのか」

「人形でいるなんて我慢ならなかったんでね

 ただ、他の連中はそれでいいって考えてたから悲しい決別になっちまったよ」

「しかし逃げるわけでもなくオレに声をかけたってことは、理由はあるよな」

「そりゃ、勿論」

 

 ふう、と呼吸を整えるようにしてから手近な岩へと腰を掛ける。

 じわりとその服の至る所から血が滲んでいた。

 

(致命傷か)

 

 それが見て取れる。

 アンリが口にも態度にも出さないのはその自尊心からであろう。

 

「なにをしてやれる?」

「この戦いの裏にいる女は知ってるか、冒涜の魔女なんて巷じゃあ呼ばれている」

「冒涜の魔女……」

 

 その響きで思いつくのは一人だ。

 

「マリーシア」

「そうだ

 その巷も今じゃあ臣民に変えられちまって舐めたことも言えなくなっちまったけどな

 ……そいつは今オレルアンの玉座に座っている

 ボアの命令で戦力なりそうなものを探せって命令でな」

 

「殺すさ、間違いなくな」

「流石は世に広く謳われる聖王様だ、話が早いね」

「どんな歌を謳われてるやら」

「聖王様もお気に召すようなものだと思うぜ、俺の行きつけの酒場に案内してやりたいが」

 

 つまらなさそうな表情をしてから指を頭の横で跳ねるようなジェスチャーをする。

 臣民化してその場もなくなった、と言いたいのだろう。

 

「俺はパレス失陥から傭兵としてアカネイアの手伝いをしていた、一応の故郷だしな

 親父……カルタス殿はくそったれだったが、それでもレフカンディもアカネイアも俺の故郷には違いない

 それに執着して従っていた結果がボアの暴政(これ)だ」

 

 王冠、臣民化のそれ以前から行っていたこともある。

 ボアは国を維持させ、国庫と人民の繁茂の手段には長けていたが人心を掴む力に関してはむしろマイナスであった。

 暴政と言うのはこのアンリに限ったことでもない。

 

「俺たちは間違っちまった

 アカネイアがかつて名乗っていた聖王国の御旗がアリティアに立った時点でそちらに進んでいれば俺や民草は今も生きていたのかもしれねえ

 だが、間違ったからこうなった

 間違いは自分で正さないといけねえとは思うが」

 

 臣民たちが再び集まりはじめる。

 

「俺の器じゃあ、そこまではできないだろう

 だからさ、聖王様

 俺たちの故国を、俺たちの家族をこんな風にした悪夢の主(ボア)も、冒涜の魔女(マリーシア)を……殺してくれ

 こんなことを頼めるのは聖王様だけだ」

 

 空に雄叫びが響いている。

 マリケスの怒りが聞こえてくる。

 

「ああ、必ずそれは果たしてやる

 アンタはもう休んでいていい」

「言ったろ、俺は傭兵だって

 傭兵のくせに人を使うのに無報酬ってわけにはいかねえだろう」

 

 椅子から立ち上がるように、その傷を感じさせずに立ち、歩き出す。

 

「臣民の中には馬に乗る連中もいる、網を使うような連中もな

 ボアの意識が働けばいかに戦場を嵐のように駆け巡るその名馬であっても横槍を入れに来やがるかもしれない」

 

 だから、俺が払える報酬は──

 

 アンリは近づいてきた臣民たちは、刀身の残像を残した高速の剣技が振るわれ、一瞬で切り裂かれ、物言わぬ躯へと変わる。

 

「戦うことだけだ、聖王様を追う連中の足止めくらいのもんでさ

 これじゃあ足りないとは思うが……そこはまあ、負けてくれよ」

「……ああ、十分な支払いさ」

「それじゃあ、頼んだ

 聖王の戦いは俺や、アカネイア王国の人間の最後の希望だ」

 

 馬蹄が聞こえはじめる。

 アンリが言うようにレウスを止めるための兵が集まりだしたのだろう。

 

「じゃあな、カルタスの庶子

 こんな風じゃなけりゃきっと酒場で笑いあっていたかもしれない」

「ああ、そうだな

 軽口の一つでも叩きあえる中であったかもしれない人よ、どうかこの大陸を安んじさせてくれ」

 

 剣が振るわれる音とトレントが走り出す音は殆ど同時であった。

 

 ボアを誅するは半神たちに任せよう。

 レウスが目指すはその向こう側。

 オレルアン主城、冒涜の魔女の座する地。

 



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臣民たちの帰省

「報告します!

 三将は『援軍不要、手持ちで守り切る

 だがこちらからの援軍も期待できぬと心得て欲しい』……とのことです!」

「もう引退していてもいいくらい働いてらっしゃるのに、無茶をさせてしまっているな」

 

 エルレーンはパレスで各地から来る情報に目を回さずに冷静に当たっていた。

 カダイン魔道学院の駿才は今やアリティア聖王国の宰相という形で才能を最大限に発展させていた。

 

「宰相閣下!

 最前線の防衛が破られました!」

「敵はこちらへ向かっているか?」

「いえ、エレミヤ様がいらっしゃる研究施設です」

 

 ミロアが用意した施設は一つ二つではない。

 現在エレミヤが研究をしている場所はナーガ神教が祭祀を行うための神殿であり、

 パレスからも一日ほどの距離にある場所。

 元は辺鄙な場所としか言いようのないもので、そんな場所に神殿を作ったのは当然、ミロアが行う実験が外に漏れないようにするためである。

 

 そのため、神殿とは名ばかりの強固な軍事拠点であり、戦乱に揉まれても蟻の一穴もできなかった場所である。

 ただ、他国との戦いには立地上どうあっても使いようのない場所であったために歴史には浮上してこなかった。

 それが今、この状況で目をつけられていた。

 

(連中は操られているが、その人形使いはミロア殿の研究を理解している人物なのか

 研究成果を奪うか、破壊するかが目的か……

 ……考えていても仕方もないか)

 

 エルレーンは魔道の駿才である。

 その実力はそこらの臣民相手に負けるものではない。

 

「エルレーンが出ると兵に伝えてくれ」

「閣下!御身に何かあればパレスは終わりなのですよ!?」

「エレミヤ殿の研究が潰えればパレスだけでは済まないだろう」

 

 対ガトーに向けた研究は聖王国の希望である。

 パレスやアカネイア地方が失陥したとしてもそこさえ残るならば未来は繋がる可能性がある。

 臣民たちがパレスに直接向かわず、大きく道を外れるようにして研究所に向かっていることが相手にとってもその研究が重要であることが示されていた。

 

「随分困ってそうだね、宰相さん?」

 

 兵士たちの引き止める声を無視して入ってきたのは三人の女性。

 話しかけたのは青髪の人物である。

 

 エルレーンは引き止める兵士たちに手を広げて大丈夫だと合図を送る。

 

「ご連絡はいただいていましたが」

「借りを返してもらおうと思ってね」

 

 青髪の女性──クリスはかつてカタリナと共に各地を巡っては人助けをしていた。

 エルレーンも彼女の助力を受けた一人であり、いつか借りを返してもらうとは言われていたのだが。

 

「この状況でお返しできるものがあるとは思えませんが」

「研究所の防衛、その仕事を私たちに頂戴な」

「それは」

 

 願ってもないことだ。

 クリスとカタリナの実力は十分に理解しているし、おそらくともにいる金髪の女性も相当以上の実力があることを雰囲気だけで理解することができる。

 

 しかし──

 

「借りを返すどころの話ではないのでは?」

 

 あなたへの負債が増える一方では、と。

 

「利害の一致だよ、研究所にどうしたって行かなきゃいけないんだ

 エルレーンの名前を出せればすんなり入れるだろ?」

「……感謝します、が、借りを返せずじまいだと思っておきますよ」

 

 クリスたち一行はエルレーンの書状、そしてパレスから向かわせることができる範囲の援軍を連れて研究所へと急ぐ。

 一方でエルレーンもまた、グルニアから送られた技師たちと共にシューターの準備を進めることにした。

 相手が臣民であり、大軍なれど力がないのであればどんな兵器であっても対抗策になりうる。

 

「可能な限り長射程のものを準備するんだ

 研究所を援護できるように」

 

 クリスたちと共に行きたい。

 いや、レウスと会ったばかりの自分であればそれを選んだだろう。

 しかし、今のエルレーンは国家の大事を担う身であり、レウスの信頼の上で与えられた地位である。

 自分しか研究所にいって戦えないのであれば別だが、今は頼りがいのある傭兵が向かった以上はその言い訳も利かない。

 

 エルレーンは自分の理性的な部分に恨み言の一つでも言いたくなるが、

 それを飲み下して戦いの準備と、パレスに住む人々を守るための方策だけに全能力を尽くすこととした。

 



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亡者の如し

 現在のアカネイア大帝国は国と言いながらも極めてシンプルな構造になっている。

 

 頂点に座したる悪夢の主、ボア皇帝。

 実態的にはそれよりも上の立場とも言える黒幕、冒涜の魔女マリーシア。

 アカネイア王国から大帝国へとそのままスライドした軍人たち、その取りまとめ役でもあるネーリング。

 ボアに従っていた文官たち。

 

 それ以外は全て意識を王冠に奪われた臣民たちである。

 

 国というよりも群れでしかない。

 

 ネーリングは大帝国で数少ない(唯一のと言うべきか)戦略的な行動を行える人間であり、

 それ故に王冠による臣民の進行、その計画にある程度リアルタイムで変更を加えて動きを変えることができる。

 猜疑心の強いボアは全権を委ねるようなことはしないため、軍の動きは鈍い。

 しかしその圧倒的すぎる数の前では細かな戦略も、戦術も、まるで不要であった。

 

研究所(神殿)を狙うなど、何の意味があるというのか」

 

 ネーリングは多弁というわけではないが、寡黙というわけでもない。

 とりわけ幕下の騎士たちにはそれなりに軽口を叩きあうこともあった。

 今更文句の一つも口に出して止めるようなものはいない。

 

「アカネイア地方を守る防衛線は分厚かったですが、それでも数には勝てませんでしたからね

 確かにこのままパレスへ一直線でもいいとは思うんですがねえ」

 

 部下の一人が同意するように頷く。

 

「ネーリング様は何か予測は立ったりしないんですか?」

 

 別の部下が問うと、ネーリングは少し考えるようにしてから、

 

「あるとすれば、あの神殿は皇帝陛下の師でもあるミロア殿の肝いり

 もしかしたなら何か重要なものが隠されているのやもしれぬ

 皇帝陛下のあの王冠もまたミロア殿が研究していたとも文弱(文官)どもが話をしていていたからな」

「つまり、王冠だけじゃあ飽き足らないと」

「擬剣ファルシオンを持ち込んだあの魔道士どもともいずれは決着を付けねばならん

 であれば戦力は多ければ多いほど、ということなのか」

 

 そう口に出してから、

 

(今までは自らの守りのために動かさなかった我らをガトー討伐のために動かし、

 数少ない意思を持ったトラース殿をも殺させて追い詰めようとした

 ガトー、あの魔道士に対してのある種の執着は聖王相手よりも強いように見える)

 

 誰よりも危険な敵だと考えているのがガトーであり、

 ボアにとっては天下そのものでもあるパレスの征服より優先して神殿を狙わせることが、

 そこに解決や打倒のいとぐちがあることを如実に伝えている。

 

(正義感や反骨心があればその秘密を漁るためにも神殿を手中に収めて、

 ボア打倒の計画など考えたのかもしれぬが)

 

 もう遅かった。

 ネーリングには何もなかった。

 アカネイアという国に存在する古びた思い出にすがる以外には何もなく、

 そこには野心すらもなく、ボアの命令に従うだけの軍人があるだけであった。

 

(今の自分は臣民どもと変わらぬな

 ……だが、どうせこの世界の人間の全てはああなるのだろう

 であれば、今そうなっているも、この後そうなるも同じことか)

 

 ネーリングは心のなかで吐息を漏らし、

 

「臣民どもの動きはどうなっている?」

 

 そう部下たちに問う。

 

「相変わらずの牛歩ですね、これだけがあの軍勢の弱点と言えますな」

「まあ、一般人の足なのだから仕方もあるまいよ

 閣下、我らが軍を動かすのは半日は先になるかと」

 

 それを聞くとネーリングは「わかった」と頷き、私室代わりの陣幕へと戻ると告げた。

 

「……閣下も変わっちまったよな」

「トラース殿を手にかけたのが、自分に対してのトドメだったわけか」

 

 昔から付き従う騎士たちは去っていた方を見ながら感想を漏らす。

 

「俺たち、どうなっちまうんだろうな」

「罰が降るだろうさ

 こんな状況になってもまだボアに従ってんだから」

 

 彼らもまた、状況が正しいものなどと思ってはいない。

 しかし、彼らにはもう帰る場所はない。

 

 自暴自棄に全てを終わらせて、罰が降り注ぐのを待っている。

 彼らもまたネーリングと同じである。

 

 彼らは臣民と変わらない、世を歩く亡者である。

 そこに救いはなく、慈悲もない。

 



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泥臭い

 ミロアの残した研究所、表向きの使用法から『神殿』と通称される施設。

 荘厳さと静謐さのためと理由をつけて作られた巨大な城壁は円形に作られており、

 都市一つを囲むほどの大きさである。

 

 都市、といってもこの辺りは開発もろくにされていない土地であり、

 神殿が作られる前から少しずつ入植させていき、

 現在は農村と言うにはやや規模の大きい田園都市となっている。

 

 ここに配されていたのはアカネイア王国時代にはみ出しものとして地方送りとなった軍人たちが置かれており、

 パレスが聖王国のものとなった時点でいち早く投降したものたちである。

 

 不忠を疑われるような転身の早さではあったものの、

 レウスが掲げたアカネイア穀倉化計画に共鳴し、

 この地方に相応しい農作の手引を纏めた手腕を認められている。

 

 そのため、不忠云々の噂は煙が上がるように立ち消え、

 現在も農作技術と研究を都市で続けていた。

 

 エレミヤが現れてからはミロアが残した研究を転用し、

 より高度な農業が可能となっていた。

 神殿を預かる軍人たちもエレミヤの知性や立ち振舞に信頼を寄せている。

 

 この場所が侵されんとしたのはつい先日、

 あの臣民たちの攻めが防衛線を破ったという話が伝令で知れたからである。

 神殿の責任者であるエイベル将軍は忌々しげに彼方の土煙を見ていた。

 

「これだけ打った策も無意味か……忌々しい!」

 

 エイベルが左遷された理由は理想主義的なアカネイアの戦術とは合わない、

 泥臭いものばかりを提案・実行していたからである。

 全てはアカネイアのためと考えていたものだが、その気持は国には伝わらなかった。

 

 アリティアへと身売りしたのは自分と似た『匂い』を国から感じたからであり、

 そして彼の予想通りアリティアは泥臭く、現実的な側面を持った国であった。

 だが、それらは夢見がちな理想を目指すための原動力として必要だったからなのは働き始めてから気がついたこと。

 

 だが、エイベルはそれも受け入れた。

 貴族だけが幸せになる仕組みで動いていたアカネイアの理想よりも、多くの人間が幸せになる理想を追求するアリティアの考え。

 エイベルの持つ泥臭さは農民が作物を育て続けて染み付いた匂いのそれに似ている。

 

 今日が終わり、明日に続く現実を守るためにエイベルは泥臭さを厭わずに尽くしたいと考えている変わり者の貴族だった。

 

「いえ、ですが結構な効果があったようですよ

 特にエイベル様が掘った落とし穴は大きかったためか結構な人数が落ちたとか」

 

 打った策の一つは落とし穴であった。

 バカバカしくも思えるが、戦場ではこうした罠が有効なことが少なからずある。

 今回に関して言えば操り人形のように動くものたちであれば罠への警戒を行えないだろうと考えてのものだった。

 

「効果はあったが、敵の数が多すぎて意味もない……と感じるか

 忌々しさは変わらぬわ!」

 

 パレス失陥の前、マケドニアとアカネイアの不仲は最近に始まったことではない。

 公表もされず、歴史書に書かれることもないが軍を使っての小競り合いは日常茶飯事であった。

 大体の場合はアカネイアの敗北で終わるが、幾度かは勝ちもある。

 その勝ちを拾っていたのがエイベルである。

 彼は最初こそ連戦連敗であったが、マケドニアや他の小競り合いの中で戦術を学習し、それを実行し、改良もした。

 

「次の策を作るために出てくる」

 

 小競り合いばかりの戦い。

 成長はすれど、エイベルは大軍を率いる将の器ではない。

 

 しかし、少ない手勢を率いる小戦においてその手並みはアカネイア随一。

 

(だが……どれほど時間を稼げば神殿は助けられる?

 エルレーン(坊や)はこちらに飛び込んできそうなものだが、それで救われるわけもない)

 

 まったく、と自分を見下ろすように思考を纏めるエイベル。

 

(今、自分がやっていることは欺瞞に過ぎんな

 そうして破局を迎えた時に自分は精一杯やったんです、と思いながら死にたいだけだ

 ……そんなことに兵を割くわけにはいかん)

 

 ───────────────────────

 

 エイベルが遅滞戦術の下準備から戻ったあとに神殿内の治安維持を任せていたエレミヤとチェイニーを議場へと呼んだ。

 時間は夜も夜、深夜ではあるが二人とも寝ている様子もなかった。

 当然だ、この状況で睡眠が十分にとれるほどの猶予はない。

 それをアリティアから禄を貰っているわけでもない人間に強要同然でさせていることを軍人として恥じてもいた。

 

 だが、本当に恥じるべきはここからだ。

 



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語られぬ抗戦

「亡者どもめ」

 

 エイベルは鋼の槍を握る手に力を籠める。

 

 家を継いだときに与えられたスレンド・スピアと銀の槍は遥か昔に売り払ってしまった。

 マケドニアとの小競り合いでは十分な報酬は出ず、

 しかし死者だけは一丁前の戦場のように出てしまう。

 アカネイアは見舞金を出すこともない。

 エイベルが私物や装備などを売り払って手当とした。

 

 握った鋼の槍とて長年戦場を渡り歩いて来た名物でもなければ、愛用の品ですらない。

 伝令に来た兵士が持っていた私物を買い取らせてもらったものだ。

 

 神殿に続く道は山程の罠がある。

 だが、それだけでは足りない。

 より遅滞戦術を完璧にするためにはもうしばしの時間的猶予が必要だった。

 

 神殿に続く幾つかの道、森を抜けた先にある、このあたりではそれなりに大掛かりな事業であったろう橋。

 そしてその先にある神殿を守るように置かれたちっぽけな関所。

 橋を落として、関所には簡易の防衛網を作り上げるためには時間が必要だった。

 

(どこの馬鹿貴族が作ったのかは知らんが、まったく強固な作りの橋にしてくれたものだ)

 

 最低でも一日稼がねばならない。

 

(悪路で半日、罠で半日……

 どちらも計算が狂えば我が身を盾に……どれほど稼げるものやらな)

 

 ───────────────────────

 

「正気かよ、おっさん」

「おっさんではないぞ、チェイニー」

「仕方あるまい、誰かがやらねばならぬことだ」

 

 机の上に置かれたのは徽章。

 この神殿を守るにあたってアリティアから渡された軍権のありかを示すもの。

 

「エレミヤ殿、ミロア殿とご一緒におられた頃から知っております

 あなたの知恵者ぶりも

 このちっぽけな、チェイニーの言葉を受ければどこにでもいるおっさんよりも、よほど神殿を守れるだけの力がお有りのはずだ」

「……ここで仮に私が受ける条件としてあなたが死なないことを命じても、そうはしないのでしょうね」

「我ら軍人はときに、死ぬことが仕事となることもあります」

 

 はらはらとエレミヤは涙を流す。

 別段エイベルと男女の仲であったというわけでもない。

 エレミヤは人の死に敏感なのだ。

 特に、決まった死へと歩こうとするものを止められない自らの無力を感じるときは余計に。

 

「……どうか、お願いいたす」

 

 息を整え、エレミヤは徽章を手に取る。

 

「乗りかかった船ですもの、……約束します

 ここは奪われないと」

 

 ───────────────────────

 

 臣民たちが近付く煙が見えてくる。

 音、いや、叫び(チャント)が聞こえてきた。

 

『こうていへいか ばんざい』

『あかねいあ だいていこく ばんざい』

 

(来おったか)

 

 エイベルは鋼の槍を構える。

 

(騎士が領や主、禄のためでもなく命を捨てる……恥ずべき姿よな)

 

 背から甲冑がこすれる音や馬蹄が地を叩く音が聞こえる。

 

「こんな辺境まで一緒に流されたんです、最後まで責任取ってくださいよ将軍」

「一人で格好つけるなんてナシですよ

 自分たちの国のことは自分たちでなんとかしないと」

 

 長年付き従った兵士たち。

 歴戦とはいえ、一騎当千の猛者ではない。

 

「何故来たのだ……」

「ボアの専横を止められなかったのは俺たちも同じですよ」

「ここで止めりゃあ吠え面かかせられるってなら、命をなげうつ価値があるってものでしょう」

 

 一人ではどれほどの時間を稼げるだろう。

 だが、軍となれば別だ。

 

 エイベルは小戦においては無類の強さを持つ。

 

「見せてやりましょう、アカネイア王国の強さを

 大帝国なんてふざけた名前を名乗ってる連中に」

 

 大馬鹿者どもめ、エイベルは小さく言葉を漏らしてから微笑む。

 

「元アカネイア地方防衛隊!

 抗戦を開始するッ!!」

 

 エイベルが踏み込む。

 その背を追うように歴戦の、しかし名を残さぬ兵士たちが突き進む。

 

 ───────────────────────

 

「進みが遅い、何かあったか」

 

 ネーリングが戦況を確認する。

 

「最前線で何かがあったようなのですが」

「何故それを……ああ、そうだったな」

 

 ぎろりと睨みそうになり、瞑目してそれを抑える。

 

「この群れは行軍の邪魔と見れば我らすら攻撃する馬鹿げた狂犬だったな」

 

 ボアはネーリングは裏切るものだと思っていた。

 だからこそ臣民たちにはネーリングの軍が邪魔をするような動きをすれば攻撃せよと含めている。

 だが、邪魔の定義は広く、『何をしているのか』を見に来ただけで敵からの偵察行為だと考えて攻撃を仕掛けてくることもあった。

 移動の順路を塞ぐように前を歩いて殺された兵士もいる。

 

「……最後尾を付いていくように我らも進む

 アリティアの兵どもが邪魔をするようであれば臣民たちの後ろから援護をするぞ」

 



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不完全燃焼

 臣民たちの力は大したことはない。

 例え猛将と呼ばれずとも、軍を率いるほどに強くなくとも、彼らを倒すことはできた。

 しかし、一人、また一人とエイベルの部下たちが人垣に飲み込まれていく。

 

「え、エイベル様ァ!ご武運をォ!」

 

 鋼の槍を振るい、仲間を助けようと進もうとしても次から次へと現れる臣民に阻まれた。

 日の登り方を見れば、時間が十分に稼げていることは理解できた。

 このまま退いてもいいだろう。

 だが、自らの部下が全員消えた今、どこへ帰るというのだろうか。

 

「エイベル、お主であったか」

 

 判断の前に声。

 

「ネーリング、国家への忠節もここまでとは頭が下がるぞ」

 

 助からぬとしてもそこへと向かいたいのは人情というものだろう。

 しかし、それを指揮しているかもしれない男に止められればいい思いはしない。

 強い負の感情を込めてエイベルは睨みあげた。

 

「そうだな……愚かな判断を続けていると言えような」

 

 互いにアカネイアに禄を与えられ、忠誠を誓ったはずのもの。

 だが、それは決してボアにではない。

 歴史あるアカネイア王国にだ。

 

 エイベルは憎々しげにそれを思うも、彼にしろ自分にしろ帰る場所も、土地も、国もない今、

 何を憎めばいいのかもわからなくもなった。

 

「お前も被害者なのかもしれんな」

 

 睨むのをふと取りやめ、そんな事を言う。

 

 エイベルの意外な言葉にネーリングはしばし言葉を忘れるも、

「被害者なものか

 自分はどこまでいっても加害者よ、自分の身可愛さにかつての騎士仲間、貴族仲間すら討つ愚かな男でしかない」

「その言葉、娘が聞けば悲しもう」

「……かもしれぬな」

 

 亡者たちは何度か進行の邪魔をするネーリング隊を攻撃するも、やがて命令が上書きされたのか動きを止めて待機に入る。

 

(ここまで見えているのか、ボア殿は

 ……まあ、ここで不忠を見られたところで何かできるわけでもあるまいか

 その不忠すら何を指すのか今の自分にはわからぬがな)

 

「そこをどいてもらおうか、ネーリング」

「臣民たちと戦って命を散らすか」

「ああ、そうだとも……このまま話を続けてもいいがな、時間稼ぎには持って来いだ

 しかし、そんなことをすれば大人物であり不朽の騎士道とも謳われたネーリングの名誉に関わるというものだ

 ……私の眼の前におる男は同じ名前の別人のようではあるがな」

 

 ネーリングはある世代においての憧れだった。

 エイベルやトラースはまさしく、ネーリングは憧れであり、その才覚に妬むことすらあった。

 その男が今や亡者同然だ。

 

「……ふ、最早過去のことよな」

「……ッ」

 

 その言葉は、その言葉だけはエイベルには許せなかった。

 

「我らの過去を、アカネイアの追憶を汚すつもりかッ!」

 

 鋼の槍が風を裂いてネーリングに襲いかかる。

 しかし、彼はそれを悠然と回避し、それと同時にスレンドスピアから突きを繰り出す。

 それは鍛え上げた武芸が自動的に行った反射行動に過ぎない。

 だが、その反射行動すらエイベルには防ぐほどのできない鋭さがあった。

 

(ネーリングよ、お前ほどの男がどうして大帝国なぞに……)

 

 口惜しい。

 彼がいれば、彼が立ち上がり、声を上げればアカネイアはこうなっていなかったのではないか。

 自分やトラースではできなかった。

 やったところで誰が付いてくるのか。

 お前であれば私たちは喜んで力を貸したのに。

 

(などと……他人に期待ばかりするから、我らの国は滅びたのかもしれぬ

 なあ……ネーリングよ)

 

 スレンドスピアがその体をえぐらん迫り、しかしそれは金属同士がぶつかり、上がった火花によって継戦の火蓋が切って落とされることになる。

 

 ───────────────────────

 

「守っていい相手だよな、アンタ」

 

 分厚い大剣を盾として、ネーリングの槍を阻む。

 その男はよく鍛えられた体付きに、生命力に満ち溢れた瞳を持っていた。

 

「エイベル殿はアリティアに降った話は聞いている

 一方でその槍使いはアカネイア大帝国側の人物──そうでしょう、ネーリング閣下」

「ホルス将軍、お主どこへ行っていた?

 ミディアを始めアカネイア王国は既に」

「ええ、それを仕向けた一端は我が策の一つでした

 ここまで性急にことを進めるとまでは思っていませんでしたがね」

 

 ホルスは勿論、自身の槍を阻んだ大剣使いに、そしてホルスの側に侍る少女剣士とオレルアン様式の甲冑を纏う騎士。

 そのいずれもが相当に腕が立つのがわかる。

 

「ここで戦っても不利か」

「打ち勝つ自信はありますが、いかがします」

「一度退かせてもらおうか」

 

 おいおい、逃がすとでも──

 

 クリスが言おうとするもホルスはそれを制する。

 

「あの亡者どもも一緒に、ですか」

「ここにいるのは、だがな」

 

 その言葉にホルスはなにかに気がついたように、そして彼の言葉よりも早く

 

「ホルス、あっちにすごい数の亡者が来ているぞ」

「やっべえ数だ、どうするんだい」

「……我らも先を急ぎます、ネーリング閣下に置かれましてもご健勝で」

 

 ホルスが言外に手打ちを申し込む。

 ネーリングもまた頷き、

 

「では、次の戦いで相見えよう」

 

 そう言うと、撤退の意思を見せる。

 臣民たちは先に進むではなく、その場で立ち止まった。

 ボアの命令が上書きされたせいか、それともネーリングが何かしらの手を打ったのか、

 どうあれクリスやホルスたちには都合がよかった。

 

「エイベル閣下、ここは」

「……ああ、従わせてもらおう」

 



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もう一つの抗戦

 久方ぶりだった。

 槍を防がれたのは。

 

 馬鹿げた話かもしれないが、目が褪めた心地だった。

 

 亡者の如くに生きていた。

 だが、ついに見つけたのだ。

 死ぬために戦える相手を。

 

 死ねる。

 戦って死ねる。

 それもアカネイアを知るものたちの軍と戦って、死ねるのだ。

 

 そう考えるだけでネーリングの心は熱く滾った。

 意思が全身に回ると臣民たちにも自分の思考が広がるように行動を命じることができた。

 勿論、ひとときのものに過ぎないだろう。

 それでもいい。

 あの場でホルスたちが神殿に進み、自分も槍の感触を試して、少しでも全盛期に戻せる時間が得られるならば。

 

「自分の意思が届かぬ方角にはどうしようもない、が……どうとでもなろうさ

 ホルス、アカネイア最後の駿才が付いているのであれば切り抜けることなど容易かろうよ」

 

 それに加えてあの大剣使いや剣士、オレルアン人……そしてエイベルも。

 彼らがいれば有力な戦士たるネーリングやその麾下でもいない限りは神殿を落とすことなどできまい。

 

「ネーリング様、この後はどうするのです?」

「少しだけ槍の振るい方を思い出し、神殿が臣民を一度退けたあとに我らが進軍する

 消耗させるのはつまらぬが、放っておけばパレス攻略の本隊でもあるここの軍が動き出してしまうだろうからな

 ……彼らと戦うのはこのネーリングよ、臣民如きに手は出させてたまるものか」

 

 アカネイア王国最後の大騎士は死中に臨む死を見つけ、その喜悦に笑っていた。

 

 ───────────────────────

 

 ネーリング撤退から少し経った頃、意思のないものに痺れを切らすという表現が正しいかはさておき、

 主たるボアの意思でも受け取ったのか、臣民たちが神殿へと攻め寄せていた。

 

「だああ!駄目だ駄目だ!ぜんっぜん駄目!

 エレミヤさん!目論見外れてるって!」

「あら、そうでしょうか」

 

 エレミヤはファイアの書を釣瓶撃ちにしていた。

 魔道書が尽きるとチェイニーから自分へと投げ渡させて、再び連射、或いは乱射。

 

 反転オーラは強力だが、一発一発の発動に時間が必要になる。

 一方でそこらのファイアであれば連射が可能だ。

 勿論、ちょっとしたコツは必要だし、そのコツは戦争の道具にしかならないので広める気もないが、ここで使う分には良いだろう。

 

(おいおい、このお姉さん半端じゃないぞ

 ミロアよ、何したらこんな風に育つんだ?

 ガトーよ、何したらこんな人に恨まれるんだ?)

 

 ファイア一冊がものの五秒程度で使い切られる。

 

「ファイアはそろそろ売り切れだ!

 残りはブリザーかサンダーだが、どうする?」

「ではブリザーを……いえ、チェイニー様はお逃げください」

 

 群れの質が変わったのをエレミヤは感知していた。

 

「神殿の中であればもう暫くは持ちましょう」

「エレミヤさんはどうすんだ!?」

「可能な範囲で敵を引き付けます」

「馬鹿言うな、死んじまうよ!」

「構いません、こんな命など」

 

 エレミヤは自らの命を安く見積もっている。

 我が子同然を守れなかった自分に、どれほどの意味があるのか。

 だからこそ、その安い命で誰かを守れるなら上等な終わりだと思っていた。

 

「その命、要らないなら拾わせてもらうから」

 

 声が響く。

 そして、その声と同時に風切り音が殺到する臣民を次々に貫いていった。

 

「……そんな、どうして貴女が……」

 

 矢を放った方へと目を向けるエレミヤは瞳をまんまるにしてそれを見ていた。

 

「アイネ、クライネ……!」

 

 会えるはずもない。

 死んだと思っていた大切な義娘たちがそこに立っていた。

 遂に狂ったかと自分の頬に触れ、意思を無視して滂沱の涙を流すのを止められずに、立ち尽くす。

 

 夢なのか。

 それとも、今頃現実では臣民たちに嬲られているのを忘れるためにこれを見たのか。

 

「院長!」

 

 金髪の少女が胸に飛び込んで来た。

 紫の髪の少女は飛び込んできた彼女とエレミヤとを一緒に抱きしめる。

 

「まだ死んでもらうわけにはいかないんだよねえ、エレミヤさん」

「貴女は……?」

「クリス、ま……よくある名前でしょ

 ほら、二人とも!

 戦いは終わってないんだからしゃきっとして!」

 

 カタリナとクライネが頷く。

 

「院長、私たちがあいつらを倒すからそこで見ていて」

「あれから強くなりました、きっと院長を守れるくらいに」

 

「貴女たち……」

「感動的な再会のところ水差してごめん!!

 あの群れがガンガンに来る!戦えるなら、よろしく頼む!」

 

 チェイニーが悲鳴にも似た声をあげる。

 

「任せておいて」

 

 クリスが剣を引き抜く。

 

「こんな程度の敵、苦境の『く』の字にも入らないから」

 

 続くようにエレミヤから離れたカタリナとクライネがクリスへと並んだ。

 



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最後のアカネイア軍

 矢が奔る。

 ただの一矢で三人、四人が貫かれて斃れる。

 

 炎が奔る。

 一息の唱えで騎士崩れの臣民たちが燃えて斃れる。

 

 刃が奔る。

 まるで舞い踊るように藍色が剣を降れば臣民の首が跳んで斃れる。

 

「つ、強い」

 

 チェイニーはその人生で、そして最近の経験から『強さ』というものを十分に見ていた。

 特に彼の相棒の方のクリスの強さは規格外であった。

 

 しかし、この女は、女たちの強さはそれすらも凌駕していた。

 藍色の髪の女性に関して言えば、どこかクリスにも似た足運び、体捌きをしており、

 彼の完成形を見ているかのようですらあった。

 

「ですが、このままではやはり……」

 

 エレミヤが歯噛みするように言う。

 いくら彼女たちが強かろうと脇を抜け、道を外れて臣民たちは扉へと迫っていた。

 

「█████――――ッ!!」

 

 竜の咆哮が響き渡る。

 臣民は恐怖心などはないが、音が何かを確かめようする本能でそちらを見た。

 

 飛竜が空を舞う。

 その背に乗っていた人間がひらりと落ちると落下地点で赤い花が咲いた。

 少女剣士が一切の容赦もない剣撃を放ち、披露する。

 

「孤狼ビラク参上!

 俺の槍を恐れない奴がいるなら前に立て!

 武名響かせることも考えられぬなら馬に蹴られて死ぬがよいッ!」

 

 オレルアン騎兵が単騎で敵の只中で暴れはじめた。

 人馬一体の武芸は臣民たちを寄せ付けない。

 

 ───────────────────────

 

「よう、そこの姉さん

 あんた強いな、横で戦わせてくれよ」

 

 大剣が振るわれ、一薙ぎに数名が斃れた。

 自分を狙っていた敵が消えたのに対して口笛を吹いて称賛する彼女(クリス)

 

「いいよ、君の名前は?」

「クリスってんだ」

「奇遇ね、私もクリス」

 

 二人のクリスが戦場で出会う。

 マルス不在であるからこそ彼の影の英雄ではなかった男。

 マルスと共に戦場を駆け、故に表舞台から去った影の英雄であった女。

 

 自らを影の英雄だと定義できるのは女だけ。

 

(ここで出会っちゃうか)

 

 出会いたくないわけではなかった。

 しかし、もうひとりの自分と出会ってしまったらどうすればいいのかわからない。

 だからこそ気持ち的には避けていた。

 彼らが出会う運命は避けようがないとでも言うように、二人は背を預ける。

 

「ねえ、マクリル爺ちゃんは元気?」

「……いんや、ガトーか誰かの手で敵になっちまった

 あいつらみたいに」

「──そっか」

 

 女の剣に、心に火が付いたように流麗な攻めが苛烈な攻めへと変わる。

 

「知り合いだったのか」

「遠縁、ってところだよ

 昔良くしてくれたんだ」

 

 世界が違えど縁は縁だろう。

 であれば、この応答も間違いではあるまい。

 

「だったら、一緒に戦おうぜ

 爺ちゃんを解放するために」

「良いね、やっちゃおう」

「話が早えや」

 

 男の体に、心に火が付いたようにその身から紫色の焔がちりちりと燃え上がる。

 それは身を焼くではなく、敵を焼くでもない。

 だが、尋常ではない馬力を彼に与え、まるで巨人が暴れるかの如くに戦場を蹂躙する。

 

 ───────────────────────

 

「し、神殿の守りは……十分に果たされているようだな」

 

 エイベルがチェイニーやエレミヤの元によたよたとした足取りで戻ってくる。

 

「ご無事でしたか」

「あの飛竜に揺られて足元はがっくがくのよったよたではあるがね、それ以外は問題はない」

「彼らは?」

「飛竜に乗るのは元アカネイアの人間で、

 現在はエルレーン殿の庇護下に入る為に移動していた道中であったそうだ

 あの女性らは?」

 

 エレミヤは彼女は私の子と、その友です。

 しっかりとした口調で断言する。

 

「なるほど、エレミヤ殿の……」

 

 チェイニーは

「敵は追い返せそうだが」と言うも、

「いや……ネーリングがすぐに来るだろう、万が一もある

 お二人は神殿の守りを」

 エイベルは彼らの身を案じるというよりも最後の砦としてそれを頼みたいと言う。

 

 エレミヤはアイネとクライネを少し心配そうに見るが、

 

「院長!

 私と姉さん、それにクリス姉の三人がいればどんな敵にも負けない!

 だから神殿とやらで待っていて!」

 

 はつらつとした声と表情でクライネが言う。

 その言葉を信じずして誰が彼女たちの親を自称できるというのか。

 

「ええ、ではしっかりね」

「うん!」

 

 一方でチェイニーはエイベルを見て、あんたは?と問う。

 

「ネーリングと一騎打ちを所望したいが、無意味であろうな

 本気になった彼であれば私など一突きであろう

 戦えぬであっても、せめてこの戦いを見届けたい

 あの男が最後のアカネイア軍人なのだから……終わりを見届けたいのだ」

 

 その言葉を聞いてしまえばチェイニーも神殿へ来いとは言えない。

 彼は頷くと「無茶だけはするなよ」と行って屋内へと入っていった。

 

 ───────────────────────

 

「ははっ、ははは!

 なんという武威、あれが単騎ごとの力だというのか!

 はははははっ!」

 

 呵々大笑するのはネーリングである。

 戻り、息と武を整えた後に急ぎ神殿へと軍を進めた。

 そこに現れた英傑たちの煌めきに彼は瞳を輝かせた。

 

「お前たち、好きにせよ

 自分はアカネイア軍人最期の場所としてここを選ぶことにする

 死の行路に付き合う必要はない」

 

 スレンドスピアを握り込み、一歩前へ出る。

 

「ご冗談を、ネーリング閣下」

「我らもアカネイア軍人、誉あるネーリング隊が騎士ですぞ」

「置いて行かないでくだされ、もはや我らの戦場はあそこにしかないというのに」

「参りましょうぞ」

「参りましょうぞ」

「我らの、アカネイア軍人最期の戦場へ

 閣下、我らを率いてくだされ」

 

 亡者の如くとなっていた麾下の騎士、兵士の瞳に生気が戻っていた。

 

「では、往くか」

 

 ネーリングが槍を掲げる。

 

「アカネイア軍、ネーリング隊!

 ──吶喊ッ!」

 

 アカネイア、最後の軍の、最後の号令がいまここに下された。

 



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アンリの血統

 敵の流れが変わった。

 

 それに最初に気がついたのは少女剣士アテナであった。

 獣じみたその感覚器は強敵の予感と、そして狂奔の予見を彼女に与えた。

 

「剣士殿ぉ!いざ勝負ゥ!」

 

 ボロボロのアカネイア軍の外套を纏った騎士が剣を振り下ろしてきた。

 故国のそれとは違い、大ぶりだが、しかし隙もない。

 戦場で鍛え上げられた技であることがよくわかる。

 大ぶりだからと小技で返せば蹴りだの投げだのに繋げてくる。

 泥臭くて結構、殺せればそれで結構という戦術だ。

 

「イザークのアテナ、お前は」

「アカネイア軍がネーリング麾下、騎士ザムスタク」

 

 ザムスタクの戦意は臣民を従えているかのように、彼らは円形に広がる。

 それはちょっとした闘技場めいていた。

 

「従えているのか」

「我らが戦意が伝えられておるのだろうな

 この扱いができることを僭称皇帝に知られるわけにもいくまいよな

 であれば」

「殺すしかないといいたいのか」

「そうだ」

 

 アテナはそれを聞いて鼻で笑うようにしてから、

 

「そんなことを言わずとも、殺す

 アテナがお前たち死兵にしてやれるのはそれだけだ」

「……感謝ッ!」

 

 ───────────────────────

 

 そこかしこでアカネイア軍との戦いが始まる。

 誰も彼もが古強者の相手をし、苦戦を強いられている。

 

 二人のクリスもまたその状況を察知して行動しようとしたときに、戦場でより強く大きな気配を感じて向き直った。

 

「おっと、敵の大将のおでましか」

「ネーリング……」

 

 男のクリスは見知った顔、女のクリスは過去の世界ぶりとなる。

 その実力に関しては彼女のほうがよく知っていた。

 アカネイア随一の軍人だと評価できる男だった。

 

「お相手願おうか」

 

 ネーリングがスレンドスピアを構え、しかし声がそれを引き止めるようにして投げかけられた。

 その声は空からであり、飛竜に跨った男のものだった。

 

「貴方のお相手は同じアカネイア軍人で付けさせてもらいましょう」

 

 ホルスが竜から降りると戦意を迸らせる。

 どこか優男的で、戦いから遠そうだとも言える雰囲気のホルスがこうした戦意を発せられるとは。

 男のクリスも、ネーリングも、遠巻きから近づきながら目を向けていたエイベルも感じていた。

 

「謹んでお受けする」

 

 ネーリングがホルスに向け、槍を構え直す。

 ホルスもまた、ネーリングへ槍を構える。

 

「元アカネイア軍が将、ホルス」

「アカネイア軍が将、ネーリング」

 

「参る!」

 二人の言葉が同時に発せられ、一騎打ちの幕が開けた。

 

 ───────────────────────

 

 アカネイア軍は敗北者である。

 戦いに負け、オレルアンへと向かった。

 そして緩やかにその数を減らし、国すら名を変えた。

 

 では、アカネイア軍は弱卒の集まりだったのか。

 その通りである。

 腐敗貴族と食い詰めもので組織された軍が強いわけがない。

 

 だが、それが全てではない。

 そんな軍しかいなければアカネイアは早晩滅びていた。

 そうならなかったのはごく一部の優秀なものたちが気を吐き続けたからである。

 

 ネーリングはその代表者とも言える。

 代々武官、将軍としてアカネイアに仕えた。

 その血を辿ればアイオテと一騎打ちして生き残った稀有な人間が祖とも言われており、

 アカネイア最高峰の武家でもあった。

 

 護国の鬼と化してアカネイアを守り、死んだオーエン伯爵と肩を並べて戦い続けた将であり、オーエンによって生かされた人物でもある。

 彼に、そして他の多くの戦場で散った彼らたちにアカネイアを頼むと言われ続け、

 生き恥をさらしながら生き残った。

 

 長い戦場生活で彼の武芸は持ち得る先天的な才能の全てを引き出していた。

 彼の扱いが違えば、アリティアは危地に至っていただろう。

 そうならなかったのはボアの采配もあるが、

 アカネイアが様変わりして忠の向け先を失ったからでもあった。

 

 だが、死を前にして、彼は遂に理解した。

 国も、主も、忠も、それはどこかにあるものではない。

 自らの胸の裡にずっと存在していたものなのだと。

 

「受けてみよ!」

 

 これほどまでに槍が軽かったことがあるだろうか。

 これほどまでに体が軽かったことがあるだろうか。

 

 これほどまでに心が軽かったことは、未だかつてない。

 

 ───────────────────────

 

 恐るべき手並みだ。

 ホルスは防戦一方でそう考える。

 

 彼は戦いをくだらないものだと断じている。

 今も、くだらないと思って、思い続けている。

 

 臨むべくは戦いではなく、その後の治世。

 命を捨てようかとすら思っていたところにクリスやアテナ、ビラクという友を得て、生きよと言われた。

 であれば、やはり戦いなどくだらないものに付き合いたくはなかった。

 

(一度だけ)

 

 槍を避ける。

 見切り、避け、弾く。

 

(今日が我が身に流れるアカネイアの血、その祖たる国の終わりの日だ)

 

 アカネイアは武門の国。

 真実を知るものであればそうではないと言おうが、ホルスたちにとっては少なくとも、

 アンリの力によって守れた祖国は武門こそが尊きものとされる国であって然るべきだった。

 

 であれば、生白いボアなどという男に差配されていいものでもない。

 武ではなく、知でもなく、政すらもない。

 魔的な凌辱によって生み出された巷の地獄はもはや彼らのアカネイアではない。

 

 アカネイアとは今、ここに、自分とネーリング、それを見届けるエイベルにのみあったと定義していた。

 

(一度だけ)

 

 ホルスは攻撃を見切る。

 

(一度だけ、我が身に宿る才覚と全力を出そう

 ……父祖アンリよ、武を遠ざけていた不甲斐なき身に慈悲と許容あれかし)

 

 ネーリングが槍を引くのと同時に、ホルスの槍が穿たれる。

 それは古伝に存在し、現在では習得したものもいないとも言われる──カミュの奥の手ではあるが、奥の手であればこそ知るものもない──神技。

 

『月光』

 

 ホルスの手にある武器は放たれた技に壊れながらも、その破壊力をネーリングへと全て叩き込む。

 



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一軍の終わりに

 その血を辿ればアリティア、そして父祖アンリを見ることのできる。

 ホルスやその家系はそれを知りながらもアカネイアの上を目指すことはしなかった。

 全てはアルテミスを、そしてアルテミスの血筋を守るために。

 

 しかし、時間が経てばアンリもアルテミスも遠いものとなる。

 彼らの家系はアカネイアを内部で見守らんとすることに終始し、やがてホルスはその血にしたがって見守る価値を逸したが故に国を裏切った。

 

 必要とあらば自らの力で国を打ち倒すことも、と高めた武芸は才能という形でホルスに引き継がれていたものの、

 彼自身は戦争という大きな流れのなかで自分だけが戦えたところで、と個人の武芸を自己評価に含めることはなかったし、今もまた含めてはいない。

 

 それでも、その武芸がアカネイア最後の猛将を見事に討ち取った。

 

「……見事」

「そちらも、見事な手並みでした

 願わくば全盛期の貴方ならば」

「であっても、やはり敵わぬのだろう」

 

 ネーリングは諦めたように笑う。

 

「ネーリング殿」

「エイベル殿か……この通り、負けたよ

 我らの負けだ」

 

 我ら、つまりはアカネイアの負けだと彼は言う。

 それは言外にエイベルもまたアカネイアに囚われることなく進めと言っていた。

 

「……ホルス殿、どうか、アカネイアの歴史を」

「オレルアンの勇士も同じことを願っている

 史書を紡ぐにあたって一国だけというわけにもいかない

 アカネイア王国の歴史は残す努力をすること、約束しましょう」

「感謝、する……」

 

 ネーリングはそれを最後に動かなくなる。

 エイベルは亡骸に自らの外套──アカネイアの紋章が刻まれたそれを掛ける。

 

「彼の弔いをさせてもらえるか、ホルス殿」

「お任せします、我らはまだ」

 

 相当に数を減らしたものの、臣民は以前存在する。

 

 しかし、ネーリングの死を感知でもしたのか、彼らはぞろぞろと来た道を戻っていった。

 

「……もはや落とせぬと考え、本隊への合流を求めたのか?」

 

 ホルスは考え、しかし情報も少ない。

 纏めきれぬことを考えるよりも本来の目的である新ワーレンの民の保護や、エルレーンとの接触へと目的を切り替えなおすことにした。

 

 ───────────────────────

 

 おっとり刀というよりも、クリスやカタリナ、クライネが早すぎただけではあるが、

 パレスからの援軍も神殿へと到着した。

 シューターもその射程に神殿の周りを取ることもできたようだが、結局のところはクリスたちの飛び抜けた武芸がそれを必要とはしなかった。

 

「なあ、クリス」

「なに、クリス」

 

 そう言い合って、わははと二人は笑う。

 

「困ったねえ、私達揃うとしっちゃかめっちゃかになっちゃう」

「じゃあ筋肉だるまのクリスも姉さんって呼べばいいじゃない」

 

 クライネの提案に

 

「良いのかい、年はあんま変わらなさそうだが」

「じゃ、私は弟って呼ぼうかな」

「名前かよ、それ……ま、でも弟なんて呼び名で呼ばれる奴のほうが少ないか

 それでいいぜ、姉さん」

「よろしくねえ、我が弟よ~」

 

 再びわははと笑う。

 今度はクライネも交えて。

 

 それを少し離れたところから見ているのはカタリナとエレミヤだった。

 

「素敵な仲間ね、アイネ」

「はい、院長……彼女にはとっても助けられました

 私の大切な、とってもとっても大切な、頼りになる人なんです」

「親代わりとして、ちょっと妬けてしまうわね」

 

 もう、とカタリナは困ったように笑う。

 冗談よと笑い返すエレミヤ。

 

「この後はどうするのですか、院長」

「必要なものは概ね揃ったから、あとは研究とその成果を急ぐだけ

 ガーネフ様にお願いして設備はパレスに揃えていただいたから、そちらに向かう予定なのだけど」

「お手伝いできることはありませんか?」

 

 それはまだ離れたくない、一緒にいたいと言いたい彼女の言葉そのものだった。

 エレミヤは嬉しそうに微笑むと、

「ええ、一緒に手伝って頂戴

 貴方や、クライネや、クリス様も一緒に」

 

 ───────────────────────

 

「負けたわけではない

 こちらを攻めると見せて……背後を狙うことができるようになったのだ

 馬鹿なアリティアに目にものを見せてくれる」

 

 ボアは睨むようにして戦場へと目を向ける。

 馬鹿げた戦果を上げられているものの、それでも以前有利だと彼は考えている。

 アンリ兵団にはまだ余裕がある。

 負けない。

 負けるわけがない。

 

 理由は勿論、単純だ。

 

「このボアは大帝国が初代皇帝なのだぞ

 負ける理由はどこにもないわ」

 

 彼は妄執の中にて、最強であるからだ。

 



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ボアの黎明

「へ、陛下あ!皇帝陛下あ!

 この周辺を守っていたアンリ兵団が破られました!!」

「本陣横手の退路も潰されました!!」

 

 次々と入ってくる情報を持って現れる家臣団。

 彼らこそがアカネイア最後の自我ある民草である。

 

「そうか、問題はない」

「問題は、いえ、ですが……あのアリティアの連中、尋常ではありませぬ!」

「まるで神、神ですよ!」

「ふ、ははは!

 安心せよ!神ならばお前たちの前におるではないか!

 このボアこそが皇帝、ボアこそがアカネイアの神ぞ!」

 

 家臣団は極めて遅まきに自らの主が野心を抱えた成り上がりものではなく、

 ただの妄執に侵された老人であることに気がつく、そんな顔をした。

 

「なんだ、その目は」

「……陛下、いや、ボア

 我々は間違っていたんだな」

「なにを──」

 

 家臣の一人が短刀を取り出す。

 それに続くようにして全ての家臣団が護身に身に着けていた武器や、本陣を飾り立てていた武器を手に取る。

 

「もう終わりだ、我らも、お前も……終わりにしてやる」

「せめてお前の首を持っていけば減刑になるかもしれない」

「死んでくれ、我らのために」

「死ね」「死ね」

「お前はまがい物だった、やはり王族はニーナ様しかいなかったのだ」

「死ね」

「死んで我らに詫びろ」

 

「きッ、貴様ら……!」

 

 じりじりと寄る家臣団に、ようやく豪奢な椅子から立ち上がり、後退りをしようとするも逃げ道はない。

 

 一斉に襲いかかり、その刃が次々と老体へと突き立つ。

 胴体だけではない、手足も、顔も、そこら中に武器が突き立っていた。

 

 大した量の血も流れず、転がる哀れな死体。

 家臣団の一人はどこからか斧を見つけた。

 

「首を落として持っていこう、王冠はそのままであれば説得力もあるだろう」

「偉大な聖王陛下への貢物にもなる」

 

 主が主であれば、配下もまた同じような配下で固まるものなのだろうか。

 極めて劣悪な人間性を隠すこともなく死体の前で相談する。

 

 ───────────────────────

 

「どこで間違ったのだ、我らは」

「やはりオレルアンに売ればよかったか、この無能を」

「いや、そもそもミロア一派など信じたのが我ら官僚の敗北だったのか」

「ここから巻き直せば良い」

「そうだな、なにせ我らはアカネイア貴族の血を持つ官僚

 アリティアの馬鹿どもでも我らの価値くらいはわかろう」

 

 口々に語る彼らは気がついていなかった。

 殺したはずのボアの腕が動いていることに。

 

 ゆら、と手は天を掴むように伸びる。

 次にもう片手が地に触れる。

 足腰に力を入れず、むしろ空に伸ばした手に糸が絡み、持ち上げたようにボアが浮かぶ。

 

 音も立てることなくボアが立ち上がった。

 

「な……」

「馬鹿な」

 

 家臣団が絶句しながらそれを見る。

 視線に誘導された他のものたちも次々と同じような反応をする。

 

 刹那。

 

 ボアの体に突き立っていた武器が体から抜けて、刃の先をボアから家臣たちへと向き直った。

 宙に浮いた武器は一斉に弦で引かれたように射出され、家臣団めがけて突き進む。

 たった一瞬で家臣団は先程のボアのような前衛的なオブジェへと変わった。

 

 ───────────────────────

 

 王冠。

 神たるナーガが作り出した至宝。

 

 人間という矮小なる存在が扱うには尊き力を持ちすぎたそれは、人間が自らの意思で使うことを想定しなかった。

 それでも身を滅ぼすような使い方だけはされずに、それ故に王冠は人間の世界を壊すことはなかった。

 

 だが、支配欲求に支配されたボアによってそれまでの安寧は崩され、王冠は強大で凶悪な魔物として人間社会を狂わせた。

 だが、狂わせたのは社会だけではない。

 

 ボアは家臣団の裏切りで思うことがあった。

 常のものであれば「悪事の報いが来た」とか「王冠を使ってまでして力が及ばなかった」などと思うかもしれない。

 だが、ボアはそうはならなかった。

 

「何故だ」

 そう思った。

 

「何故我が斃れなければならぬ」

 そう思った。

 

 それはボアの言葉だったのか。

 或いは王冠の言葉であるのか。

 判然としない。

 もはやボアと王冠の間に一切の境はなかった。

 

「足りない」

 

 ボアだったものは傷が癒えたわけではない。

 臓物がこぼれ落ち、骨が露出している。

 痛みを思うことすらなく、むしろそれらを手足のように操りはじめる。

 腸が触手のように蠢き、

 骨が形を変えて延長して蔦のように伸び、

 腕は皮膚を裂いて筋繊維をむき出しにして進み、

 それらがアンリの兵団が格納されていた檻を開き、側に備えられていた擬剣ファルシオンを掴む。

 

 アンリたちはその怪物を見て逃げようとするものや戦おうとするものもいたが、

 ボアの全身から伸びた肉の枝が掴む無数の擬剣が唸りを上げてアンリたちを切り裂く。

 

 全てのアンリは斃れ、肉の枝はそれらを捕食しはじめる。

 喰らえば喰らうほどにそれは太さも、硬さも、不気味さも増していった。

 

 それは菌糸を伸ばした茸のようでもあり、もはや人間とは思えないなにかであった。

 かろうじて人間らしい部位があるとすれば首から上だ。

 ボアはそれらの状態を見渡し、不思議にも思わずに笑う。

 

「支配だ、この体こそが支配に適している」

 

 ボアは理解していた。

 王冠は理解していた。

 

 自分の存在意義は全てを自らの肉の枝と化して、『アカネイア大陸』となることである。

 

 王冠の怪物ボアはゆっくりと戦場へと動きはじめる。

 

 支配(捕食)しなければ。

 このアカネイアを支配(捕食)しなければ。

 



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肉の樹

「我は」「アカネイアの」「大帝国の」

「偉大なる」「皇帝なるぞ」

「ひれ伏せ」

「ひれ伏せ」

 

 肉の枝は他人の喉や口をそこに貼り付けているのか、音を漏らしながら進む。

 

「ああなってしまうとはな」

 

 マルギットは哀れみ、或いは侮蔑を込めてのそのそと動くボアを見る。

 

「だが、臣民たちは未だ動いている

 むしろ活発になったとすら言えるだろう

 まごついているわけにもいかぬと考えるが」

 

 マリケスは冷静に考えを述べる。

 ボアの不気味な変移には特に気に留めている様子はない。

 

「こうなれば人ですらない

 我が王が相手をするまでもない存在だ、こちらで手早く片付けるぞ」

 

 ラニはそもそもがボア如きに興味など向けていない。

 レウスの覇道の障害とならないのならば名前すら覚えていなかっただろう。

 

「王冠だけはどうあっても破壊しなければ

 あれは過ぎたるもの

 アカネイア大陸は勿論、狭間の地であっても存在すら許してはいけない」

 

 王冠はどこか律にも通ずる力がある。

 だが、律と違うのところはある。一つ二つどころではない。

 それでもあえて一つに絞るというのであれば、王冠には意思めいたものをメリナは感じていた。

 それが律との大きな差であると考え、王冠がある限り物品に眠る願望のような、欲求のようなものが世界を危機に晒し続けるだろうと予測する。

 

「破壊することに否定する余地は一切ない」

 

 マリケスは同意し、剣を担ぐ。

 

「あれこそが野心の火そのものよ」

 

 マルギットは光の鎚を作り出す。

 

「どこか律にも似た作用がある、破壊するには惜しい気もするが……蛇足であろうな」

 

 ラニは少しだけ勿体ないという言葉を吐くも、決めた以上は破壊することに異議はないようだ。

 暗月の大剣が握られる。

 

「パオラ、あなたは?」

「え、わ、私ですか……?」

 

 流石に神々の言葉に何か差し挟むようなことができようはずもない。

 

 それでも、一言だけよろしいですかと絞り出した。

 

「言ってみなさい」

「ボアがやったことはアリティアの一員として許せません

 ですが、あんな姿になってまで動くことを哀れに思います

 王冠がそれをさせているなら……同じアカネイア大陸に生を受けたものとして介錯したく思います」

 

 その言葉はマルギットやマリケス、ラニにとって微笑ましいものだった。

 彼らはなんだかんだと言っても、人間が持つ善性と勇気を好ましく思ってしまうところがあったからだ。

 

 メリナはそれを理解しているからこそ、

「円卓として、満場一致でパオラの思いに続くことを決定する」

 

 それでいいでしょう、と言いたげにメリナは一同を見る。

 マリケスとラニは「うむ」と頷く。

 マルギットはリアクションを返さないが光の鎚を肩で担いだ辺り同意と戦意を表していた。

 

「それじゃあ、解放してあげましょう

 この戦いと、その支配から」

 

 メリナの言葉に一同はそれぞれの言葉で同意し、ボアへと踏み込んだ。

 

 ───────────────────────

 

 擬剣は肉の枝と一体になり、鋭利な触手として機能する。

 

「ちぃ……面倒な」

 

 唸りを上げて迫るそれらを鎚で叩き潰し、呪杖で弾く。

 

「大した戦技ではないにしても、数が実に厄介」

 

『擬剣の枝』は目に見えるだけで数十本、今も肉の枝がどこかを探って新たな擬剣を調達しているようであった。

 

「それなら、数には数で対抗すればよい」

 

 ラニが鈴を鳴らすと再びブライヴとイジーが構えを取り直すようにして主の元に参じる。

 更に開いている左の、別の手が鈴を一つ掴む。

 

「不安定故に使う気もなかったが、已むを得まい」

 

 りぃりぃん。

 

 鈴が鳴ると大量の霧が地から空から溢れ、形作っていく。

 

「アデューラよ、ダリウィルよ

 お前たちの姿と力、ひととき借り受けるぞ」

 

 竜の咆哮が上がる。

 それと共に竜の咆哮は光を伴い、伴った光は石となり、やがてそれが雨あられの如くにボアへと降り注ぐ。

 長い手足を持つ騎士が短剣を抜くとぬらりぬらりと地を這うように奔ると、擬剣の枝を切り落としていく。

 擬剣そのものではなく、接続された肉を器用に寸断していったのだ。

 それにブライヴやイジーの影も続いた。

 

 そして、ラニの騎士たちに続くようにマリアとチキの偶像が走り、同じように応戦を始める。

 

「パオラ、彼らが隙と時間を作ってくれている」

「メリナ様、行きましょう」

 

 二人は短刀と剣をそれぞれに構え、肉の怪物と化したボアを睨み、突き進む。

 



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アリティアの武

「大帝国に栄光を」「大帝国に繁栄を」

 

 ありったけの擬剣だけではない。

 家臣団が持っていた武器まで奪い取り、自衛の手段と貸している。

 

「枝が増え、体の大きさも変わった気がするが」

「実際に変わっているようだ、そこらの臣民共を食らっている」

 

 その言葉にマリケスは周囲を見る。

 ボアの首から下に飛び出た肉の枝の幾つかは途中で太さを変え、更に枝分かれし、臣民立ちに巻き付いて、口から臓物へと至り、引き裂き、露出したそれらを融合するようにして部位を増やす。

 それらが再び武器を掴み、ラニが率いる霊体と偶像へと次々に向かう。

 

「臣民どもを相手にするのはお前たちに任せてよいな」

 

 ラニがマリケスとマルギットへ向けて言う。

 頼みとも言えるものであるが、態度が態度であるためそうは聞こえない。

 が、獣騎士と忌み鬼は言いたいことも理解していたし、その態度が別段煽っているわけでもないことを理解している。

『兄ぢから』というべきか『受け皿ぢから』のような、面倒見のよさを発揮するための資質を持っているからこそなのかもしれない。

 

 ラニは空を駆けるアデューラと視界を共有しており、それによって臣民たちの全てがここへと向かってきているのを理解していた。

 それだけではない。

 各地に散っていた臣民たちの全てが全速力で向かってきている。

 

 その数は数えることすらバカバカしくなるほど。

 そんなものを相手にラニはあっさりと「臣民どもの相手をしろ」と言った。

 普通であれば馬鹿を言うなと怒りの一つでもぶつけるかも知れないが、

 彼らは普通ではない。

 常ならざる存在。

 神の如きものたちである。

 

「メリナ、パオラ

 決着はお前たちに任せたぞ」

 

 マルギットの言葉が聞こえたかどうか、それは定かではない。

 だが二人の女はボアへと突き進んでいた。

 

 ───────────────────────

 

「二手に別れるべきであろうな」

「二手で足りましょうや」

「足らせねばならぬだけだ、他に手などない」

 

 マルギットの言葉にマリケスが半ば頷いた頃に鬨の声が響き渡る。

 

「竜教団が一柱、ロプトウスの防衛線に瑕疵をつけたものどもに報いあれッ!」

 

 旗が上がる。

 ロプトウスの姿が簡略化された紋章が縫い、刻まれていた。

 

 ロプトウスを信仰するものは竜教団の中でも『尖った』信仰を持つものが多い。

 御本尊はあまり大きな軋轢を生まぬようにと言っているため、

 過激なことこそしないものの、イコン(ブロマイド)告解権(握手券)神像(フィギュア)ブローチ(推しマーク)などの販売によって蓄財と信仰の輪を広げていた。

 

 彼らはロプトウスの防衛線を守っている一軍ではなかったものの、今回の戦いに参加したいと遅まきに現れた軍団である。

 なるほど、彼らであれば操られた民との戦いも神のための聖戦として未来への負債なしに戦うことができるわけかとマルギットとマリケスは思う。

 

「ええい!その変な服装は辞めよというただろうが!」

「ロプトウス様!何をおっしゃいますか、この衣服こそ我らロプトウス派の正しき衣装!

 忠義と信仰の証ですぞ!

 聖王陛下とのご相談の上で完成した『ハッピ』でございます!」

「レウスーッ!余計なことしおってぇえ!!

 この気恥ずかしさも何もかも、連中にぶつけて、アカネイア大帝国の店じまいの費用に当ててくれようぞ!!」

 

 ロプトウスの意思に応じるように飛竜たちが現れ、臣民たちを襲い始める。

 そのうちの何匹かは自分たちよりも遥かに大きな竜、アデューラに敬意を払うかのように周囲を舞う。

 その竜はアデューラであってアデューラに非ず。ただの影である。

 しかし、それでも竜としての気概が、或いはラニがそのように振る舞わせているのかまではわからないが、アデューラもまた雄叫びを上げ応じる。

 

「いい面構えの竜がいる」

「ロプトウス様、それは聖王陛下が嫉妬なさる類の発言かと!」

「そういう意味ではない!

 閑話はこの辺りで打ち止めとせよ、ここからは」

 

 ゆらりとロプトウスが魔力を練る。

 それに気がついた教団員たちは一斉に祈るような姿勢を取る。

 持ち得る魔力を信仰というパスで接続し、倒れる寸前まで送り込む。

 膨大な魔力を活かす先はたった一つだ。

 

「ロプトウス!

 我が名を冠せし魔道よ、魔法よ、地より響いて敵の命を喰らいて暴れよ!」

 

 彼女の叫びとともに、戦場のそこかしこから黒い光が現れると竜の首が現出して暴れまわる。

 臣民たちを喰らう度に魔力を補充し、幻影たるロプトウスの首は消えず、暴れ続けた。

 

「レウスたちの邪魔をさせはせぬ!」

 

 ロプトが叫び、竜の首を次々と生み出していった。

 

 ───────────────────────

 

「どこへ向かわれるのですか」

 

 エストが人影を呼び止める。

 人影──ミネルバはそちらを振り返った。

 その衣装は陸戦のそれではない。

 過日、竜騎士として纏っていたものであり、暫くの間袖を通してもいなかったもの。

 

「軍ではなく、個人でしかない

 レウスは私にアイに顔を向けできないようなことをと言ったが、

 ここで戦わなければそちらのほうがアイに顔を向けできない

 だから」

「止めるなと言いたいのですか、ミネルバ様」

「……ああ」

「違います」

 

 軍靴の音が一斉に鳴る。

 

「我ら白騎士、翼を失ったものもいますがそれでもこの日のために準備はして参りました」

「白騎士は空に在ってこそ」

「マケドニア軍人は血に汚れてこそ」

「汚名を恐れ戦わぬは父祖アイオテと、その血裔たる我が身の不名誉」

 

 その言葉にエストは一歩前に出る。

 

「ご命令ください、ミネルバ様

 我と共に出撃し、敵の群れを尽くに打ち破れと」

 

 ミネルバは瞑目し、そして目を開くと同時にオートクレールの石突で地を叩く。

 

「言葉で着飾ることを私は好まぬ!

 白騎士団、我が翼の後に続け!」

 

 ミネルバが自らの竜に跨る。

 それに習い、エスト、そして騎士団員たちも同様に。

 

 赤い竜騎士が空を舞うと、白騎士団たちも空へと駆け上っていった。

 

「貴方の意思であれば止めようもありますまい、ミネルバ様

 国家と後の世に必要な清廉さのために、戦いを命じれなかったことご容赦ください」

 

 それを見上げ、見送るホルスタットは独り(ごち)る。

 

「どうか、ご武運を」

 

 それを送るものはもはや小指ほどの影となって空へと突き進んでいた。

 



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報いあれ

 ロプトウスの魔道が臣民を蹂躙する。

 負けてられぬとマルケスの剣技が命を刈り取る。

 早く戻れば支援が間に合うかも知れぬとマルギットはメリナとパオラを気にかけつつ、光の武器を敵に叩きつける。

 

 その一方でボアは自らを讃えながら攻撃を繰り返すも、そのいずれもがラニの指揮下にあるものたちによって阻まれる。

 

「道は、強引に開くしかあるまいか」

 

 暗月の大剣を構え直す。

 遠目にそれを見たメリナはすぐさま攻め手を変えることにした。

 

「パオラ、ラニが道を開く

 それでも道を得られなければ私がラニに続く

 ボアの首は貴女が、いいわね」

「……はい!」

 

 大任に震えが来そうになるが、それを耐える。

 

 自分の行動のサポートに入ろうとするメリナを確認したラニは多大な魔力を込めて刀身から光波を吐き出させる。

 莫大な魔力は《彗星アズール》の如き瀑布めいた奔流をボアに叩きつける。

 しかし、大帝国が皇帝ボアもただの哀れな老人ではない。

 人の身を捨て去り、王冠そのものとなった支配装置ボアは大量に食らった臣民たちの肉を枝とし、それを取りまとめて盾とする。

 文字通りの肉の盾だ。

 

「あまり我々を舐めないことね、僭称者」

 

 魔力の濁流と共に突き進むようにメリナ。

 使命の短剣を腰にしまう。

 外套に隠し持っていた武器を掴むと、それを勢いよく引き抜き、振り回す。

 

「余計なものは燃やすに限る、これが私が狭間の地で学んだ一つよ!」

 

 自らの意思を伝わせるように焔が奔る。

 否、それは鞭。

 火の巨人の追憶より作り出された逸品、《巨人の赤髪》。

 それらが肉の盾に絡みつくとラニの光波と合わさるようにしてその壁を砕き、こじ開ける。

 

「はああぁぁーッ!!」

 

 パオラは盾が崩れたのを見て、光と炎を突破し、肉の枝を足場にしてボアと呼べる部分──つまり頭部へと肉薄する。

 

「やら せ ぬ」

 

 ボアが口を動かし、近づこうとする彼女に向かい枝を叩きつける。

 レディソードでそれを防ごうとするも勢い強く、弾かれる。

 無手。

 だとしても彼女が止まる理由にはならない。

 武器がなくとも腕がある。

 腕がなくなれば足、口だってある。

 パオラはここで全てを使い果たしてでも狂気に染まった僭称皇帝を破壊しようと覚悟と共に決めていた。

 

 枝の一つがアンリの、或いはその贋作の姿を取る。

 おそらくは擬剣ファルシオンを自在に扱うために。

 例えそれが本物でなくとも、武器を持たない今の彼女が真正面から戦える相手である可能性は低い。

 メリナやラニもそれに気がつくも、攻撃の手を止めれば盾が動き出し、そうなれば他の枝も自由となり、より大きな危機がパオラを襲うことになる。

 

 アンリの影はファルシオンを構え、しかし──

 

「これ以上、我が愛、我がアルテミスの誉れを汚させるわけにはいかぬ」

 

 それをパオラへと投げ渡す。

 

「征け、我ら古きものが望んだ未来に生きる子らよ」

 

 そのアンリが何者かはパオラにはわからない。

 よりアンリに親しいものだったのか、他者よりも多くのアンリの要素を埋め込まれたのか、

 或いはアンリだったものたちの集合体が真なるアンリを生み出したのか。

 パオラにとってそれはどれでも構わなかった。

 彼がどうあれ、望みを叶えようとは思っていた。

 それこそが自分たちの望みでもあったから。

 

 彼女は飛来する擬剣ファルシオンを掴む。

 拒否される様子はない。

 むしろ、かつての持ち主の心を新たな持ち主に繋ぐようにしてより強く輝きを放った。

 

 パオラは大上段に構えてボアの体を、枝を足場に飛び──

 

 「お覚悟をーッ!!」

 

 王冠を真正面に、パオラは輝ける疑剣を振り下ろした。

 

 その一撃は莫大な光を生み、擬剣は本物のファルシオンの如くに輝いて巨大な刀身を形成し、肥大化したボアを一刀両断、真っ二つに切り裂いた。

 

「我が、我が消える

 馬鹿な、我は、ボア!

 アカネイア大帝国、偉大なる初代皇帝、ボア、ボアであるのだぞーーーーッッ!!」

 

 肉の枝をばたつかせ、しかし王冠という力の発生源を破壊されたボアにできることなど何一つ無い。

 

「支配、支配し、支配ししし、し、死にたくない!我はボア!不死身でいたいぃぃぃーーーーッッ!!」

 

 哀れな叫びがボアの最後の言葉であった。

 

 地に着地したパオラの手にある擬剣は役目を終えたと言わんばかりに手の中から崩れて消えてゆく。

 それを投げ渡してくれたものを見ようとするも既に姿はない。

 

「聖王レウス、父祖アンリ、そして我が愛する妹カチュア……

 この戦い、ご照覧いただけましたか」

 

 擬剣は全て消え失せ、彼女の手のひらに残った微かな光を抱きしめるようにして、

 パオラは祈るように呟いた。

 

 ───────────────────────

 

「はい、見ています……パオラ姉様

 あなたは私の、尊敬する家族であり、騎士です」

 

 カチュアは一人、円卓にて姉の功しを讃えていた。

 



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喧騒と静寂

 息巻いで突き進んだものの、どう考えても防衛網が分厚い。

 臣民どもを差配する権利はどうにもボアだけではないってことか。

 マリーシアであれば当然、自分にも操る権利を持たせるよな。

 

 トレントでこのまま強引に突き進むか、迂回するのもありか。

 ただ、あまり時間を掛けたくないのが本音だ。

 マリーシアは、あいつだけは誰にも邪魔されずに戦いたい。

 

 が、このままじゃあ時間が掛かりすぎる。

 ボアが策を張り巡らせていたとしてもチーム・デミゴッズを何とかできるわけがない。

 ラニ辺りはオレを心配して突っ込んできかねない。

 

「悪ぃな、トレント……相変わらず無茶をさせる」

 

 小さく嘶くトレント。

「いつも通りだろう、相棒」

 そんな風に言っているようですらあった。

 

「それじゃあ、行くとするか」

 

 グレートソードを握り込む。

 こんな武器を馬上で振るって無事でいる軍馬は二頭といるまい。

 だからこそ、無茶ができる。

 真正面から突っ込んで、オレルアン主城へまっしぐらに進むことができる。

 

 覚悟を決めたとき。

 風を切り裂く音、飛竜の咆哮と、女騎士たちの鬨の声。

 

 オレの頭上を通り過ぎ、進行を考えていた道に対して空対地攻撃を始める。

 多くはスレンドスピア、素養があるものが含まれているのか試験運転だけはしていると噂にあったフレイムランスから吐き出される炎をも見えた。

 

 先頭にある姿はオレのよく知る姿だった。

 自分の嫁を見間違えるはずもない。

 

 ミネルバがオートクレールを振るい、地上の臣民を次々と叩き潰していった。

 

「レウスーッ!!進めぇ!!道のことは考えるなあッ!」

 

 戦場でよく響く声。

 将として生まれるべくして生まれ、育つべくして育った烈女。

 その声はオレとトレントを沸き立たせる。

 

「ありがとうよ、ミネルバぁッ!!」

 

 猛然とトレントが走り出す。

 空と地の差はあれど、すれ違う。

 

「愛しているぜ、ミネルバ!」

「ぶ、部下の前でなにを……!」

 

 その言葉に顔を紅くし、敵を倒すべく飛竜を反転させ

 

「──私もだ!私も愛しているぞ!

 だからこの戦いも勝ちきれ!お前に惚れ直させてみせろ!」

「はははッ!言われるまでもない!!」

 

 ───────────────────────

 

 トレントがオレルアン主城へと乗り込む。

 屈強な前足が城の扉を叩き開ける。

 

 だが、中には入ろうとしない。

 

「ここからはお前の仕事だろう」

 

 そう言っているようだった。

 

「また後でな、トレント」

 

 愛馬を霧へと返し、グレートソードをしまい込む。

 

 恐ろしく静かだった。

 オレルアンの歴史を感じさせるのは厳かな壁や柱の作りだけではない。

 古めかしいという印象だけでもない。

 支配と解放の歴史を感じさせるような、軍の大きさや家臣の多さが時代ごとに違ったのかと感じさせる城の広さ。

 それが、オレルアンの時代の歩みを伝えているようであった。

 

「よ~うこそ、レウスくーん」

 

 反響したその声は、発したものがどこにいるかを教えない。

 おそらく自分自身は見られているのであろうという感覚だけがレウスにはあった。

 

「よーう、マリーシア

 元気だったかー?」

「あっはは!元気だよ、元気」

 

 闇の中でぐるぐると渦を巻くような瞳が鈍く輝いている。

 玉座に座るというか、座らされているような小柄な影。

 

「私もついに王さま気分だよお、聖王陛下様をくんづけで呼べるくらいにはさあ、

 偉くなった心地ってものがあるんだよねえ」

「そいつはおめでとう、と言いたいところだが……それがお前の目的でもないだろ?」

「そりゃあ、そうだけどさあ

 でも貴族が支配するアカネイア大陸で上り詰めるってのは一つの夢でしょお」

「王なんてなりたくてなるもんでもねえ気がするけどな」

 

 自分の立場はリーザが用意してくれたもの。

 狭間の地であれば、ラニが用意してくれるものだったろう。

 

 自分で王になりたいと願ったことはない。

 王であるからこそ楽な道だったことがないわけではないし、その立場の旨味というものは理解している。

 

 それでも、望んで王になりたいとは思えなかった。

 それはマルギットの、いや、モーゴットの苦悩に満ちた顔から受け取った感覚でしかないのかもしれないが。

 

 ただ、レウスの心中を語ったところで、何かが進展するわけでもない。

 

「どうする、マリーシア」

「どうって、何が?」

「このあとだよ」

「降伏したら見逃してくれる、わけないよねえ」

「そりゃあそうだ」

 

 だったら。

 そう区切るように言葉を吐き、ぐるぐるの瞳を笑みに歪ませた。

 

「結局殺し合いしかなくな~い?」

 

 ゆらりと立ち上がる彼女に、しかしレウスは武器を抜かない。

 

「自決させるくらいの優しさは出してやったっていいぜ」

「ええ~、そういうことする人間じゃないってわかってるでしょ」

「わかってるさ、お前がそういう人間だってことを……

 いや、お前がどこまで行ったって人間であるってことはさ」

 

 その言葉にマリーシアは苦く笑う。

 

 この期に及んで、これほどまでの悪行を重ねて──

 

(目眩がするほど甘い人、……これを優しさというのかもしれないけどさ)

 

 吐息を漏らして、

「残酷だねえ、レウスく~ん」

 おどけるようにそう返した。

 



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牙を隠して爪は立てず

「どうしたのかなあ、動きがニッブいけどお!?」

 

 マリーシアは怒涛の攻めを見せる。

 オブスキュリテの出力は常のそれを超えている。

 

 それは彼女が完全に聖戦士としての自身を制御し、自らに与えられた機能を解析し終えたことをし終えている。

 

 身のこなしはオグマ級、判断能力はオウガ級、肉体の強さはイングヴァル級。

 その上で魔力はマリク並にまで高められている。

 

 まさしく、彼女こそガトーが作り出した聖戦士でも最強であった。

 或いは、彼女であればガトーを殺しうるだけの力を持った魔道士でもある。

 

「うるせえなあ!

 白兵戦しかできねえ奴に距離で戦うのは狡いと思うんですけどねえ!」

「本気で言うならまだ可愛げがあるよお、お・う・さ・ま♥」

 

 勿論、レウスとて本気で卑怯などと思ってはいない。

 むしろ卑怯上等で狭間の地から向こう、勝利を手にしてきたのだ。

 

(とはいえ、一発でも食らったらやべえのは間違いない)

 

 円卓から戻る前に霊薬の類が補充できないかは聞いた。

 巫女がいて、円卓が祝福であれば使えるのではないかと。

 結果としては巫女を持つレウス専用の回復アイテムとしての効果はある。

 

 だが、

 

「今から相手をする連中がうまうまと聖杯や霊薬を使わせてくれるだろうかな」

 

 マリケスの言葉だ。

 実際、飲む上で片手は塞がるし、規定量飲まなければ効果が発揮されない以上、零してしまうリスクは大きく、走り回って飲むようなことはできない。

 

(自我がなくなっちまった竜族やら相手ならまだしも、

 マリーシアがそんな隙見逃すはずねえよな)

 

 相手がマリーシアだけであれば問題はない、自身の耐久に物を言わせて獣人の曲刀を叩き込めばいい。

 いかに聖戦士として完成していようとも疾風怒濤の連続攻撃を受けて立っていられるとは思えない。

 だが、それができない理由がある。

 

(フィーナ、お前はどこにいる?)

 

 彼女は必ずいる。

 マリーシアがレウスへの最強の対策を捨てるはずがない。

 攻めを行って横から攻撃されても拙く、盾にされても拙い。

 フィーナが盤面に登場しないかぎり、膠着が続きかねない。

 

「フィーナちゃんを探してるんだねえ、無駄無駄!

 ここにはいるけど見つからないよおー!

 王さまだってわかってるでしょ、これがお互いの明暗を分かつ切り札だってことをさあ!」

「あー!悔しいがそのとおりだよ!

 じゃあ、ここからはてめえの魔力が尽きてフィーナ呼ぶか、オレがてめえご自慢の魔法で倒されるかの持久走になるってわけでいいか!」

 

 一方。

 マリーシアが完全に有利かと言われれば、そうではなかった。

 

(持久走!?勘弁してよお!

 フィーナちゃんの支配にどれだけ魔力回さないといけないと思ってるのさ!

 それにオブスキュリテを扱うのにだって魔力が必要だし、

 とはいっても消耗の少ない魔道じゃ弾幕になりゃしないしさあ……)

 

 軽い魔法ではレウスは懐に簡単に飛び込んでくる。

 オブスキュリテという一撃必倒の爆発力を持つ魔法だからこそ、レウスも迂闊に踏み込めない。

 

 これがファイアーだのブリザーだの、或いはエルファイアーなどであったとして、やはりレウスが簡単に耐えてしまえる火力でしかない。

 

 制御魔道で連続的に魔法を発射するのも考えないでもないが、魔力消費で考えればオブスキュリテと同じ程度。

 であれば単純火力として大きいオブスキュリテが最善手となる。

 

(ああー、もう……!

 ガトーの爺さま相手に使おうと思っていたものを結局引き出さなきゃだめか

 用意する端から使うことになって……後手後手だよ、まったく)

 

 ───────────────────────

 

 漂流物。

 

 他大陸から流れ着いた代物だけではなく、異世界──狭間の地より流れてくるものもある。

 中には大いなる過去の時代からまるで『跳んできた』ように現れたるものもあり、

 漂流と行っても海を流れてくるものに限った話ではない。

 

 ガトーは偽神のナーガ、つまりエルデの獣がその座に座る頃から漂流物についての研究どころか

 その知識を集めることも知ることを禁じるようにそれらの情報を秘匿した。

 それ故に漂流物は『流れ着いたもの』でしかなく、

『どこから来たのか』の答えは他大陸だというもので認知されていた。

 

 ガトーの誤算があったとするなら、彼がレウスの登場と活躍によって大きく変わっていくアカネイア大陸のあるべき歩みが狂い、

 そしてガトーもそれを止めるために自らに狂って作り出した聖戦士たちにあった。

 

 オグマやマリスであれば問題はなかった。

 彼らの運用こそが本来意図された動きであり、唯々諾々と命令に従えばいい人形でしかなかった。

 

 彼が予想しなかったのは性格のひねくれた、否、原型すらわからないほどに歪んでいるものたちの存在だった。

 マリーシアは当然として、リカードのような人間として破綻しているものから、

 ユミナのようにガトーが臨む自身への忠誠というものへの破綻も存在するが、

 つまりはガトーが望む真っ直ぐさを持たないものたちの存在である。

 

 彼らは表向きガトーに従い、或いはその目的に理解を示したものの、その動作はおおよそガトーが求めたものとは違うことを行っていた。

 



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ビュッフェ形式にしよう

「ねえねえ、マリーシア

 やっぱさ……これ、絶対使えるって」

「漂流物よねえ、これ

 そりゃあ使えるでしょうけど」

 

 リカードはそうじゃなくってさ、と一旦言葉を区切り、

 会話を仕切り直すように

 

「この漂流物も使えるだろうけど……

 そうじゃなくってさ、これって『どこから』のものなんだろうってさ」

 

 ガトーの宝物庫から盗んできた短剣を弄びながら言うリカードにマリーシアは、

「そりゃあ……どこからなのかしらねえ」

 興味がないわけでもないが、それを探求しようと思うほど興味も惹かれない。

 

「爺さんがあんなにレウスに対して焦るってことは、もっと焦らせれるもの……

 漂流物として持ってこれないかなって思ってんだけど、どう思う?」

 

 その言葉にマリーシアはにたりと笑って指を鳴らす。

 

「それ……最高じゃーん」

 

 ───────────────────────

 

 祭壇で生贄を捧げてみたり、封印されていた儀式を行ってみたり、

 諸々やってみたものの望むような成果は得られなかった。

 

(あー、もう、神頼みしかないってのがそもそもなのよねえ

 自分で持ってこれれば早いっていうのに

 自分で……、自分で?)

 

 その気付きからは早かった。

 彼女はガトーが所蔵、封印していた移動系の杖を盗み出し、繰り返し実験を行う。

 最終的に彼女の目的に合致した杖は一種類であり、それも最後の一振りとなってしまっていた。

 

(あっちから来ないなら、自分の手で引っ張ってくればいい

 転がってくるものを偶然待つんじゃない

 必要なものを選べるなら、それが一番いいじゃん!)

 

 ───────────────────────

 

 ガトーが何を為そうとしているか。

 それに興味を向けるものは聖戦士でも少なかった。

 彼らもまた自らの望みを叶えることに必死だったからだ。

 そして、それは大概の場合は個人的な欲求に根ざしたことでしかない。

 

 イレギュラーたるマリーシアはそう考えなかった。

 世界は滅べばいい。

 滅んでやり直して、王子様がいる世界になればいい。

 或いは本当に神が──ナーガなどではなく、

 全知全能にして世界の全権を握るものがいるならば王子様を自分を討伐するために遣わせてくれるかもしれない。

 

 そのためにも、どうあっても世界には滅んでもらわねばならない。

 しかし、その考えはガトーの目的としているところとは衝突することになる。

 となれば、待ち受けている運命はガトーとの決別と決戦。

 

 マリーシアは不本意ながらも世界で一番にガトーを理解していた。

 それ故に、彼女はガトーが目指すところの最終到達点が彼が言うところの『神たるナーガ』

 の立ち位置のそれであり、

 彼こそがマリーシアの考えるところの『全知全能の神』になろうとしているのだと。

 それは困る、神の庇護のもとアカネイア大陸に恒久的平和が訪れてもらっては困るのだ。

 

 では何をやるべきか。

 簡単だ。

 ガトーを殺す。

 否、

 神を殺す、その手段を手に入れることだった。

 

 ───────────────────────

 

「王さまあ、本当はガトーに使うつもりだったけれど……出し惜しみしていられないからあ~……

 自分のしぶとさを恨んでよねえ」

 

 その片手に呼び出されたのは剣であった。

 まるで二つの柱が絡み合うようにして伸びる、剣というよりも前衛的な芸術のような代物であった。

 

「神狩りの剣……!」

「あれ、知ってるんだあ

 やっぱり漂流物は王さまのいた世界から流れてるんだねえ」

 

 狭間の地で使おうと思って使いこなせなかった武器が幾つかある。

 神狩りの剣もまた、その一つであった。

 デザインこそ美しいが、レウスの戦闘スタイルに合わなかったが故に早々に使うのを諦めたものだ。

 

「おいおい、そんなバカでかい武器扱えるのか

 細っこい腕じゃあ厳しいだろ、そこに置いとかないか?

 オレがあとで回収しといてやるからさ」

「わ~、王さま優しい~

 お礼に王さまの首をくれるなら喜んでそうするけど?」

 

 片手で悠々楽々と掴み、構えるマリーシア。

 レウスにもわかる。

 彼女の肉体が、その性能が全ての聖戦士の頂点にあるものであることを。

 片手にはオブスキュリテ、片手には神狩りの剣。

 どんな戦術で戦ってくるか、予想もできない。

 

 わかることは、今まで以上に苛烈な攻めになるということだけだった。

 

(持ち得る武器としちゃおそらくアレが最後の手段

 抱える札はフィーナだけのはず

 ……あの状態のマリーシアを押し込めればフィーナを使うだろう)

 

 まるで木の枝を掴んでいるかのように剣を何度か振り、感触を確かめているマリーシア。

 

(ま、死んでもカチュアに会えるし、損はねえさ)

 

 レウスは懐にある霊薬に指を触れる。

 

(こっちも札を切らせてもらうぜ、マリーシアさんよ)

 



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瞬戦の覇者

「何に使うのですか?」

 

 レウスが何かを混ぜ込んでいるのを不思議そうに見つめながらカチュアが言う。

 

「ま、一応の準備さ

 相手が魔道士なら役に立ちそうな薬を、ちょいっとね」

 

 祝福にして巫女となったカチュアのもとであれば霊薬の調合ができる。

 霊薬の元となるものは不思議なもので、彼女の側であれば切れることはなく、

 逆に素材となるものがあって彼女なくしては調合できない、というか、雫にが納められたものから出てこない。

 

 狭間の地と異なり、祝福は円卓であり、円卓に戻るためには死ななければならず、

 つまりは補給するという行為そのものが極めて難しい。

 だからこそ、霊薬は奥の手中の奥の手だ。

 使う相手はシビアに、狙いすます必要がある。

 

「狭間の地じゃあ体力回復する奴くらいしか使わんかったが、まさかここに来て色々と工夫が必要になるとはなあ」

 

 アカネイアの大地のほうが強敵が多い、というわけではない。

 敵の凶悪さで言えば狭間の地は相手が神だのなんだのであり、強さの尺度が文字通り違う。

 だが、アカネイア大陸の敵はみな、生きた人間だ。

 生きていればこそ、相手も必死になる。全力で勝利を狙ってくる。

 時には裏のかきあいになることもあろう。

 

 これからの戦いはより激しさを増すことになる。

 先に相手の予測を超える準備をしておくことこそが最低限の下準備であるとすら言えた。

 

 ───────────────────────

 

 懐に指を触れる。

 霊薬の瓶。

 そして、それをくぐり抜けた先にあたる感触は《骨の投げ矢》。

 ダガーですらない。

 だが、この程度で十分。

 

 必要なのは一瞬の隙、懐に入れた手が霊薬であることがバレなけりゃそれでいい。

 

 オレは抜き打つように投げ矢を放つ。

 

「窮するにしたってもう少しあるでしょお、王さまあ!」

 

 神狩りの剣で投げ矢をはたき落とす。

 なるほど、魔道士だって思わない方がいい。手足のように剣を使ってやがる。

 

 飛ぶ投げ矢と同時に再び懐から霊薬の瓶を取り出し、それを飲み干す。

 マリーシアは霊薬を消費したのを止められなかったことに憎々しげに見やる。

 

 ───────────────────────

 

「窮するにしたってもう少しあるでしょお、王さまあ!」

 

 明らかに私を試そうとしている。

 そりゃあ私のかわいい細腕でこんな大きな剣を振れるとは思ってない……とは思わないけど、

 剣を振るうその練度を見たかったのだろう。

 

 振るう上での筋力がどうのとか、細腕がどうのとかは聖戦士である以上、考えもしないだろう。

 見た目と中身は別物なのは今まで聖戦士を相手にした経験のある王さまなら理解していて当然だ。

 

 彼がいつ取り出したのか、薬の瓶を掴んでいる。

 本命はそっちか!

 武器を振るったせいでオブスキュリテの発動も一拍分間に合っていない。

 

 彼はそれを投げるではなく飲み干す。

 聖水?……だとしたら振りかけるよね?

 ガーネフがそれらしいアイテムを作り出した?……だとしても、やることに一切変更なし。

 

 王さまがこちらへと突っ込んでくる。

 私も体勢は立て直せた、が、接近戦に挑まれるのは美味しくない。

 どうあったって相手の方が一日の長以上の差がある。

 なら、

 

「舐めないでよねえ、王さまあ!」

 

 剣から黒い炎が渦を巻くようにして燃え上がる。

 構えを取り、炎を払うように剣を振るう。

 

 この炎は当たればとんでもない火力で相手を一瞬で炭に変える。

 王さまがいかに頑丈でもただじゃあすまない。

 ひるみでもすればオブスキュリテで押しつぶしておしまい。

 

 攻めた時点で負けてるんだよねえ、王さまあ。

 

 ───────────────────────

 

「舐めないでよねえ、王さまあ!」

 

 舐めてるわけねえだろ!

 世界で一番油断ならねえ女相手に!

 

 あっちのアドバンテージは圧倒的な身体スペックによく回る頭、容赦なしの精神構造。

 

 こっちのアドバンテージは相手の持っている武器を理解できていること。

 

 単純なアド差じゃあ数の上で負けているが、命の奪い合いはそんな簡単なところで決着は付かない。

 

 神狩りの剣に秘められた戦技、女王の黒炎が巻き起こる。

 射程は刀剣とは思えない射程を持つ。

 が、むしろオレはそれを待っていた。

 

 振り下ろされる剣。

 距離は確実に捕らえている。

 黒い炎がオレを包み、焼き尽くそうとする。

 

 ──これでいい。

 

 ───────────────────────

 

 ──勝った!

 

 なあんて、そんなに油断はしない。

 私はどうあったって目的を達さなければない。

 王さま、王子様が来るための礎になってほしいの。

 

「オブスキュリテ!」

 

 ダメ押しの、というよりも本命。

 剣は強力ではあるし、黒炎も圧倒的。

 でも、そのどちらもこのアカネイア大陸で走ってきた時間では短い付き合いだ。

 信頼するべきはやっぱり、オブスキュリテになる。

 発動する時間も、消耗も、威力も、何もかも理解している私の半身のようなもの。

 

 闇が集約し、爆発が起こる。

 炎のなかで揺らめいていた彼は闇の中に消えた。

 

「さようなら、王さま」

 



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超克

「え?」

 

 黒炎と闇の爆発が引き裂かれるようにして、そこから現れたのは無傷のレウスであった。

 

 霊薬に封じた二つの力。

 あらゆる損害を一度だけなかったことにする《真珠色の泡雫》、

 物理以外の損害を回復へと転化する《緋色渦の泡雫》。

 

 前者についてはあまり意味をなさなかったが、今回は後者が大いに役に立った。

 炎も、闇も、レウスにとってライブの杖の効果と同様の影響を与えるに留まったのだ。

 

 その状況に思わず間の抜けた声をマリーシアは上げる。

 だが、それもすぐにレウスの攻撃的回避行動(ローリング)による胴まわし回転蹴りめいた一撃を受けて呻き、

 体勢を立て直した頃には剣を振りかざそうとしているレウスが立っていた。

 

 だが、蹴りがぶち当てられる直前にマリーシアは思念を持って切り札を切る。

 振り下ろされそうになった剣は剣と噛み合うようにして鍔迫り合いになるも、レウスが後ろへと何歩か飛び退く。

 

「……フィーナ」

「……」

 

 マリーシア最後の切り札は開示された。

 金色の瞳を向けるフィーナ。

 その表情は何かを訴えかけるものはない。死人か、或いは眠れる少女のような。

 ある種の安息を湛えたものだった。

 

「はあ、遂に切らされたか」

 

 よたよたと立ち上がるマリーシア。

 

「さあ、ここからが本番ってわけだけど……勝てるのかなあ、王さまあ」

 

 ───────────────────────

 

 フィーナは無感情に踏み込み、その剣の冴え鋭く振り上げるような一撃を放つ。

 大胆な踏み込みからのそれは明らかにレウスを一刀両断しようと唸りを上げている。

 マリーシアはレウスの逃げ場を失わせるように神狩りの剣で炎を呼び出し、退路を燃やす。

 

(前門のフィーナ、後門のマリーシアってか)

 

 心から声をかければ説得できるかもしれない──というのは期待できまい。

 レウスもマリーシアの全てを知っているわけではないが、

 今までの立ち回りに本来アカネイアに存在しないオブスキュリテの所持や、

 ガトーの思惑を明らかに無視した行動などから逸脱した存在であるのは理解している。その才能も含めて。

 

(王さまも流石にフィーナちゃんと言葉を交わせば説得できるとは思ってないみたいだねえ

 それ、正解~

 フィーナちゃんにかけた術式はガトーの爺さまが擬剣だの鎧だのに仕込んでた洗脳魔道……

 私みたいに魔道を理解していないと解除なんて無理無理)

 

 けど、とマリーシアはそこまで思考しながらも自らの言葉に反論するように。

 

(それを超えてくるのがこの人なんだろうねえ

 時間を与えちゃあ拙い

 少なくとも、愉快な神様風軍団が来る前になんとかしないと駄目)

 

 黒炎に紛れるようにしてレウスとの距離を縮める。

 

(ラングランドでは殺ったと思ったのに、生きて現れたのは驚いたけどさあ

 今度こそここで、確実に殺す

 ──殺し切る)

 

 炎は(レウス)には脅威となるがマリーシアにとっては何の害も及ぼさない。

 アカネイアの魔道とは理そのものが違うとしか言いようがない。

 

(フィーナの剣技も半端じゃないが、問題なのはマリーシアだ

 ホントに元々僧侶だった女の剣技かよ、これが!)

 

 未だ武器は体幹を揺らすように、重心を揺るがすようにされる。

 だが、マリーシアはそれすらも自らの技に乗せる。

 自らの体が本体ではなく、振るわれる剣そのものが肉体の本懐の如くに。

 

 ───────────────────────

 

 神たるナーガの後に現れた、黄金律なるナーガ。

 今は零落しギムレーとも呼ばれる『それ』は限定的ながらも狭間の地の法則を抱えたままそこに存在していた。

 

 それは限定的な死の超克。

 死とは命の終わりであり、命の終わりとは自我の消失である。

 褪せ人は死してなお立ち上がり、自らの自我を保ち再度歩き始める。

 

 だが、肉体はどうか。

 ただ滑落死によっての原型ある死もあれば、巨獣の類に挫滅させられることもある。

 

 竜による絶大な破壊力を持つ吐息によって消し炭になることもあれば、『死』の概念によって破壊されることもあった。

 死因は様々だが、それでも褪せ人は復活する。

 それこそが死の超克である。

 

 アカネイアの戦乱の裏で、ガトーは黄金律なるナーガの影響を扱い、未完成だった技術は完成させた。

 聖戦士の作成である。

 擬剣の影響によって意識は塗り替えられ、ガトーの都合のいい人形とする。

 その都合のいい塗り替えはどこから来ているものかと言われれば、ガトーが作り出したある種の、人造の人格である。

 

 持ち主の全てをその作り出した人格に塗り替えることはできずとも、重要な部分を塗り替えることで洗脳し、ガトーの都合のいい人形に仕立てる。

 勿論、時にはその洗脳が打ち消されたり、巻き戻されたりすることもあるが、

 殆どの場合はガトー好みの人形となる。

 

 マリーシアはそれを利用したのだ。

 

 アカネイア大帝国は臣民化によって常軌を逸した。

 それでもネーリングをはじめとした一部の人間は最低限の国家運営のために残されていた。

 ミディアの軍にいたが家臣団の計らいから残ったものもいる。

 彼らの中から有用な、しかし国家運営という大きな基盤に影響がないものを集めて、

 それらを被験体とした。

 ラングランドでも続けていたその実験は実を結び、技術の外付けを可能にした。

 

 狭間の地における戦灰を独力で作り出したのだ。

 それだけにとどまらず、彼女は戦灰のようなものを自らの意識に与え、無制限にそれらを取り込んだ。

 ガトーが聖戦士や守り人に意識を植え付けるように、彼女は技術を自らに植え付けた。

 

 一芸ではミディアをはじめとした猛将には届かない。

 そうした武人たちを一つに撚って合わせて、自らの武器とする。

 今の彼女の武芸はオグマ、ナバールに並び、或いはそれすら超える。

 人間では扱いきれぬそれらを狂気という糸で強引に纏めていた。

 

 死の超克。

 知識であれ、技術であれ、人間が生きた証が損耗なしに引き継がれると言うならば最早、それは死を超克したにふさわしい状況であり、

 マリーシアは他者の知識や技術を得る形で、失われるはずの命を引き継いでいた。

 

 黄金律とは異なる形で、アカネイアの大地に『死の超克』は為された。



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未使用、美品です

 自己研鑽、自己改造を続けたマリーシアの武威は圧倒的であった。

 それでもレウスがフィーナを含めて二対一で戦いを続けられているのは運の要素が強い。

 マリーシアは武器を一度振るうごとに技の鋭さが増している以上、猶予はないのは間違いない。

 

 打開方法が明確になっているわけではない。

 だが、解決策がないわけでもない。

 

 一つはエリスやカチュアにしたように、強引に心に巣食うものを焼き払うこと。

 ただ、相当の隙が生まれる以上現実的ではない。

 やりきれるかどうかで言えば、レウスは死んだとしてもカチュアの所に出戻るだけで済む以上、失うもの自体はないとも言える。

 

 もう一つ。

 これは確証もないことだが、一つ目よりは分の悪い賭けではない。

 それは──

 

 ───────────────────────

 

 狭間の地。

 冒険のさなかのこと。

 

 彼女はよほどオレが頼りなさそうだったのか、ことあるごとに祝福で現れてはあれやこれやと助言をしてくれた。

 大体の場合は聞き流したり、或いはそもそもオレが理解できていなかったり(固有名詞が多くて理解しきれなかった)、

 まあ、多くの場合の問題はオレにあったわけだ。

 

 それでも、無視したくてしているわけではない。

 どうしても気になることはしつこく聞いて嫌がられても、それでも聞いたりもした。

 

「──とにかく、狂い火

 それだけは絶対に受領しないで」

「受領って、どっかに窓口でもあんのかよ」

「窓口があるわけじゃないけど、入り口ならある

 あなたはどこでも入りたがるから、うかうかと入らないように忠告しているの」

 

 オレが「狂い火ってなんだよ」と聞くと渋い顔をしながら説明してくれた。

 その後に

「理解してないでしょう」と。

「ごめん、全然理解できなかった……

 が、メリナがそれだけはしてほしくないってことはわかった」

 

 オレにとってそれさえわかれば十分であった。

 

 当たりはキツい、言葉も棘が時々ある、独善的な部分も。

 それでもまず、その全てを打ち消すくらいに美人である。

 スタイルもいい。

 当時はラニとも邂逅していたが、また別種の『美人(べっぴん)さん』である。

 

 メリナ当人には言っていないが、狭間の地で自我だの理性だのを保てているのはメリナとの会話があったからだった。

 そして、それ以上にオレにとってメリナは大切な家族のような、相棒のような、不思議な相手だった。

 

 メリナは求めれば物事の説明をしてくれるし、彼女なりのアドバイスもくれる。

 別に元の世界で友達がいなかったわけではないが、

 血縁者を除けば彼女ほど親しい存在は得ることはなかった。

 

 言うなれば親友。

 その親友を裏切る真似だけはすまいと誓っていた。

 

 狭間の地を旅し、戦い、知った後で狂い火がどんなものか自体は理解はした。

 幾つかの激しい戦いのあとで手に入れることになった一つの品。

 狂い火を鎮める唯一の手段だと知ったもの。

 

 手元にあってなお、その効力は発揮させていない。

 する機会もないと思っていたもの。

 

 メリナすら嫌悪し、忌避し、拒絶する。

 世界の生の仕組みを破綻させるもの。

 そうした絶大な法則を生み出しかねない狂い火のシステムを停止できる唯一の手段。

 

 それほどの狂気を止めるものであれば、可能性はある。

 

 ───────────────────────

 

 もう一つの手段。

 狂い火すら鎮める最後の手段ともされる逸品、《ミケラの針》がオレの懐には納められている。

 

 一瞬。

 一瞬でいい。

 彼女に肉薄できれば針を突き刺せる。

 

 だが、フィーナは今や恐るべき剣士としての才能を開花させていた。

 例えば、全力のナバール相手に針を突き立てることができるか。

 答えはNO。

 誰だってそんなことできるわけがない。

 

 そしてフィーナの実力はナバールに匹敵するだろう。

 であれば突き刺せるかどうかの答えもまたNOである。

 

 だが、それでも命がけでいけばやれるかもしれない。

 それをしたときに失敗して死ぬ間際で針を落としたらどうする。

 そもそも針を刺そうとしていることをマリーシアに露見したらどうする。

 不安要素だけは無限大。諸々加味すりゃチャンスは一度きりだと考えるべきだろう。

 つまり、命とトレードで針を突き刺す案は支えないというわけだ。

 

 刺せるのは一度きりと考えれば考えるほどに隙は見当たらない。

 マリーシアの剣の鋭さは増している。

 

 半端が駄目なら、一気呵成にマリーシアを攻撃するか。

 よもや『神肌の二人』よろしく片方が斃れても復活します、なんて仕組みはあるまい。

 簡単には殺せなくても数瞬足止めできればそれでいい。

 

 覚悟を決めろ。

 不意を打て。

 オレはまだまだフィーナを助けるためにあがいている。

 その調子を崩さず、マリーシアの隙を伺い探れ。

 



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Replicate

 獣人の曲刀が閃く。

 秘められた魔力、『連撃』と『追撃』がマリーシアを一気に追い詰めた。

 フィーナが横合いからカットに入るも、その前にレウスは軽やかに回避行動(ローリング)を扱って、マリーシアの横や背に回り込んで常にマリーシアとの一対一の状況を続ける。

 

「ちょこまかちょこまかと、猿かなにかのつもりですかあ!?」

「結局これが一番なんだよ、人のナリした相手にはな!」

 

 狭間の地では苦戦続きのレウスではあったが、一発で突破したことも少なくはない。

 そうした相手は大抵自分と同じような容姿、つまりは人間であり、ローリングを駆使していればなんとかなる相手であった。

 何せ他のものたちは埒外の巨体で歩くだけで地を揺らしたりだのする手合だ。

 比べてしまえばあっさり勝ててしまうのも道理と言えば道理。

 

 戦ってわかる。

 マリーシアは確かに強敵であり、恐るべき武技を備えたるもの。

 一つの技に頼らず、複数の手を放ち、時にはそれらを組み合わせて攻撃をする。

 だがそのいずれもが歪。

 付け入る隙を見つけやすい攻撃が多いのはやはり彼女の精神はどこまで言っても僧侶や魔道士であるということなのだろう。

 

 マリーシアは大いに焦っていた。

 無尽蔵とも言えるだけの戦技を得て、肉体の強さも俊敏さも目の前の男を超えている。

 それは間違いない。

 だが、何故押し切れない?

 それどころか、先程から何度か命の危機を感じるほどの攻めを受けている?

 

(本当に忌々しい人

 この人さえいなければ、ガトーの爺さま相手にあれもこれもと手を残せていたのに)

 

 余人には狂気そのものとも言われるマリーシアであるが、彼女の狂気は理路整然たる考えと、答えに直結させた理屈の上で人間性や躊躇の全てを捨てたが故に現れたものである。

 

(王さま相手の切り札を切らされるのは仕方ない、でも事前に準備した最後の一手まで吐き出させられるとは)

 

 レウスがローリングを扱い、その首めがけて獣人の曲刀を掌で滑らせるようにして振るう。

『獲った』

 今までの戦歴の全てがそれを伝えている。

 フィーナはまだ移動しきれていない。

 マリーシアは体勢を整いきれていない。

 彼女の細首を落とすには絶好機である。

 

 ぎぎぃ

 

 鈍い音が刃を首へと届かせなかった。

 

「正真正銘、これが私の奥の手ですよお

 こればっかりは本当に出したくはなかったんですけどねえ」

 

 マリーシアの首を守ったのは神狩りの剣。

 その剣の持ち主はマリーシアである。

 

 そこには二人目のマリーシアが立っていた。

 

 ───────────────────────

 

 マリーシアは聖戦士として目覚めさせられた後、或いは前から、

 数多の記憶の旅、数多の結末を予知を通して見る。

 或いは、生まれたときからそれらを見続けた。

 

 必ずしもマルス王子と共に過ごし平和に、或いは死して終わるだけのものでもなかった。

 それらの記憶は彼女への充足感を与えるだけに留まらず、生きる上で、そして戦う上での智慧を与えた。

 

『世界に致命的な破局を与えようとする上で、

 最後に立ちふさがるのは神竜の僕たるガトーか、或いは稀人(まれびと)たるレウス』

 

『稀人は恐れるに足らず、人の身であれば付け入る隙もある

 フィーナを扱う、複数いる妻を扱う、婚姻関係になくとも側にあるものを使う

 どのような手でも殺しきれる』

 

『ガトーは厄介だ

 頼るものは己のみ、他者を顧みない、智慧も知識も技術も器から溢れるほどに持っている

 (マリーシア)の上位そのもの

 数多の策を用意し、彼のものすら忘却の果ての果てに送られた術理を駆使せねば万一の勝ちすら有り得ない』

 

 予知から得た機知を達するためにマリーシアは日々研究と実践を繰り返した。

 オレルアンの親征によって聖戦士量産の夢は破れたものの、

 技術の外付け、つまりは戦灰同様の技術の完成や、制御魔道の普及方法などすら作り上げていた。

 時間さえあれば制御魔道を扱う魔道兵団がガトーを追い詰めることができたかもしれない。

 時間さえあれば無限の戦技を操る聖戦士軍団がガトーの首を撥ねたかもしれない。

 

 だが、そのいずれもが時間や状況によって閉ざされた。

 

 それでも勝ちを捨てるわけではなく、どんな状況においても技術だけは集積し、体得し続けた。

 

 彼女一人ではガトーに勝てない。

 だが、彼女一人でガトーに勝てないのであれば、単純な話だ。

 

「おいおい、どうなってんだそれ」

「王さまあ、これ知らないのお?

 だとしたら嬉しいなあ、押し切って殺せちゃいそうだからさあ」

 

 遥か過去に生み出され、そして消えていった究極の技術の一つ。

 

 我が身を分けて増やす無双を列べる奥義。

 

 『写し身』である。

 



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ジンクス

『神肌の二人でもあるまいし』

 

 思ったことは現実になる。

 いや、こうなることは追い詰めれば結果として『そうなった』のだから無意味な考えかもしれないが、

 そうしたジンクスを呪いたくもある。

 

 二人に増えたマリーシアを見て体が固まりそうになるも、次に来る手は予想が付いた。

 だからこそ、状況に気を取られて動きを止めることだけは避けることができた。

 

 付いていた予想、つまりはフィーナの攻撃だ。

 彼女が斬りかかってくる。

 それは予測の範囲内であったからこそローリングによる回避が間に合う。

 

 だが、マリーシアもまたその回避手段(ローリング)を何度も見たからこそ、

 回転の終わり際を見定めての斬撃を放っていた。

 

 片方が守り、片方が攻めに転じる。

 或いはそれに留まらず二つ目のマリーシアが攻撃に向かい、攻め手を増やしたマリーシアによって進退窮まることとなる。

 

「王さまあ、もう諦めなよお!」

 

 踏み込み、斬りかかり、それを防ぐ。

 

 一撃を防げても、追加で襲いかかるもう一人分のマリーシアの一撃は無理だ。

 ローリングで回避をするか、それとも弾き(パリィ)にかけるか。

 

 状況改善に意識を割くも答えは出ない。

 マリーシアの厄介なところは剣技だけではない。

 本命たる魔道こそが最大の武器である。

 

 レウスが回避か防御か、或いは一か八かの攻撃かの判断を一瞬迷った結果、

 二つのオブスキュリテがマリーシアたちによって構えられていた。

 

「痛いなんて思う暇もない火力で送って上げるよお

 王子様の次にお気に入りになったあなたへのせめてもの手向けだからねえ」

 

 ──闇が広がる。

 

 ───────────────────────

 

 闇。

 闇が広がる。

 これがオブスキュリテを受けたあとなのか、その猛威が今まさに牙を剥こうとしているのか。

 それを積極的に知ろうとは思えなかった。

 

 あー……。

 死んだな、コレ。

 

 それが感想だ。

 つまり、どうせ死ぬならば死ぬ瞬間なのか、その一秒前なのかなど興味を向けるものですらない。

 

 死ぬのはいい。慣れてる。

 ただ、ここでオレが死ぬとマリーシアを逃すことになり、つまりはフィーナも見失ってしまう。

 

 そうならなくとも、もしかしたらメリナたちがオレルアン主城まで一気に突っ込んできて、

 ここで大暴れする可能性もある……が、メリナやマリケスがフィーナのことを知っているからなんとかなる……か?

 

 いやいや、やっぱり不安だ。

 良い奴らなのは間違いないんだけど、火力がさあ。尋常じゃないじゃん。

 フィーナまで何かあったら目も当てられない。

 だが、死んだオレが悪い。

 マリーシアに勝てていれば助けることがきっとできたのに。

 

「気弱ですね、らしくないのでは?」

 

 ……そうは言ってもさあ。

 なんだよ、マリーシアって女はさあ。

 相当の努力とか時間とか苦労とかしたんだろうよ、わかるよ。

 オレだって聖王だのなんだの言われているけど苦労がないわけじゃない。

 けど、オレには助けてくれる奴らがたっくさんいる。

 

 でもアイツはおそらく長い間一人だ。

 他人を利用することはあっても助けてもらうことなんてなかっただろう。

 孤軍奮闘であんだけのことを習得できるのはすげえさ。それは認めてる。

 

 でもやりすぎだろ。

 限度ってのがあるだろ。

 

 自分で戦灰みてえなことはできるし、写し身ってIFのアレだろ?雑魚が使うならまだしもあのレベルの奴が使うのは厳しいって。

 

「だから、死を受け入れて諦めるのですか?」

 

 そんなこと言ってもなあ。

 元々オレのスタンスってトライ&エラーっつうか、クラッシュ&ビルドっつうか、

 男は度胸っつうか、死なばもろともっつうか。

 

 とにかく、そういう戦法頼みだったからなあ。

『死んでもいい』なんて思ったから負け犬根性がぶり返したのかね。

 

「犬はかわいいけれど、あなたにはかっこよくいてほしいです」

 

 そんな無茶な。

 大体オレがかっこよくしていなきゃならねえ相手はこっちの大陸にゃあいないからさ。

 

「では別の場所にいるのですか?」

 

 ああ、ここの大陸じゃないアカネイアにな。

 今のアンタみたいに話しかけてくる……──。

 

 ……。

 いや、オレは誰と喋って……。

 

 周りを改めて見渡す。

 円卓ではない。

 ストームヴィル城でもない。

 オレルアン城のどこぞにマリカ像が転がっていたからそこで復活した、というわけでもない。

 

 見覚えのある景色。

 匂いはない。夢ってことなのだろうか。

 

 音は聞こえる。遠くから潮騒の音が。

 

 タリス。

 見覚えがあろうはずの場所だ。

 オレはここで二度、運命の女と会っている。

 一人はシーダ、もう一人は──

 



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祝福

「お久しぶりです、先生」

 

 マルスがそこにいた。

 先程まで戦っていたマリーシアが追い求めていた王子様ではなく、

 オレを先生と呼んで慕ってくれたアリティアの王女、マルスだ。

 

「どうして、ってのもおかしな話か

 走馬灯で見るのはお前ってのは、

 ……やっぱなんだかんだ言っても離れ難かったんだな、オレは」

「ふふ、状況が状況だから素直なんですね」

「そりゃあ走馬灯の、脳内で作った都合のいいマルス相手なら構わんだろう」

 

 何も言わずに微笑むマルス。

 

「さて、だがどうしたもんかね」

「この後のことですか?」

「ああ……最悪、マリーシアは逃しちまってもいい

 どうせその内に見つかるような悪事をしでかす

 けど、フィーナまでいなくなられたら……マリーシアがしでかす悪事に加担されるのも、

 悪事のために道具として使われるのもかなわん」

 

 少し考えるような素振りを見せてから、

「では、ここで決着をつければよいではないですか」

「三対一だぜ、神肌も坩堝も流石に二体までだったろう

 あのレベルので三人相手は流石に」

「では、頭数が減るか、先生側のお味方が増えればなんとかなると?」

「そりゃあ、……まあ、そうだな

 それこそお前や、とんちきな仮面の騎士様でもいりゃあなんとでもしてやれるさ」

 

 そこで出てくる名前が自分を含んだものだったのは嬉しかったのか、それとも意外だったのか。

 オレの知るマルスは案外自信家だったりするし、ここで名前が出て当然だと思ってくれるのかね。

 

「では、一緒に戦いましょう」

「おいおい、精神論じゃあなんともならんぞ」

「本当に困った人ですね、先生」

 

 何が言いたいのかわからない、そんな表情をしてから──

 

 オレはなぜ脳内の住人に惑わされているのかということに気がつく。

 

「マルス」

「はい、先生」

「脳内マルスちゃん.exeとかじゃないのか?」

「どっとえぐぜ?」

 

 耐えかねてくすくすと笑いだして、

「先生、僕は僕ですよ

 あなたは世間知らずの少女の心を奪った悪い人です、

 でも共に在って、救ってくれた僕の大切な人

 こうして語りかけている僕はあなたの心が生んだものじゃあないのです」

 

 指に嵌められた装飾具を見やる。

 淡い光が溢れていた。

 

「マルス」

「はい、先生」

 

 返された言葉。

 優しく微笑む過日の王女。

 

「先生、あなたの大切な人を助けるためにも諦めないでください

 あの子を救いましょう

 僕と共に」

 

 手を伸ばすマルス。

 

「あなたは僕に嘘を付いたことはない

 だからこれからも、言ったことを真実にしていってください」

「頭数が増えりゃ、マリーシアに勝てる……か

 そうだな、頭数が増えるではなく、お前が一緒であればこそ、できる」

 

 オレは彼女の手を取る。

 

「僕を呼んでください、先生

 指輪に言葉と祈りを、そうしていただければあなたの生徒が必ず馳せ参じます」

 

 意識が浮上する。

 タリスの風景と、潮騒の音は消えていく。

 マルスの手の感触もやがて。

 

 ───────────────────────

 

 迫る闇の中で指輪だけが輝いていた。

 

 言葉を唱えよ。

 

 オレの頭の中に響いてくる。

 指輪がオレにそう囁いている。

 

 手を前に。

 

祝福(いわ)え、狭間の紋章士(エムブレム)

 

 言葉は鍵を回すように、扉を開くようにして光が指輪から溢れ、瞬く。

 

 かつて王女マルスが旅をした世界はまさしく狭間の世界であった。

 マルスは在れど王子ではなく、

 レウスは在れどアリティアの子は死なず、

 二つの世界の境に、狭間に存在した世界であった。

 

 暗黒竜を討ち倒し、大陸全てを纏め上げ、世界に祝福を授けた偉大なる英雄王がいた。

 

 女王マルスは、正しく祝福の英雄王。

 王子が旅したアカネイアでもない、レウスが旅をしたアカネイアでもない、

 しかしそのどちらの要素を含んだ狭間の世界における英雄王であった。

 

「また会えましたね、先生」

 

 その姿は別れたあの日から欠片も変わっていない。

 手に持っている剣はファルシオンではなく、取るに足らないロングソード。

 この世界ではないどこかで、神竜と呼ばれたものが共に戦ったものたちとはまるで絢爛さが違う少女。

 しかし、その輝きは彼らに劣るものではない。

 まして、レウスからしてみればその輝きに勝るものなどどこにもない心地だった。

 

「ああ、久しぶりだな……マルス」

 

 夢と死の狭間ではない、地に足が付いた場所での再会だ。

 二度と会えぬと思っていた大切な弟子がそこにいる。

 三対二となり、だが数の不利は背負ったまま。

 

 しかし、レウスもマルスも同じことを思っていた。

 

 例え、或いは仮に、

 ここに敵が百人いようと、相対する三人がメディウス並であろうと、

 自分たち二人が揃ったのなら、もう誰にも負けてやるものか。

 



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旅立ち

「へ……?え……?え……あ……?」

 

 マリーシアはその困惑を写し身ともどもで表現している。

 

「おうじ……さ、ま?」

 

 マリーシアは狂っている。

 その狂気によって担保された精神力と能力の全ては人間の極北と言えるほどに鍛え上げられており、故に彼女の狂気もまた誰よりも深い場所へと伸びていた。

 それによって得られた知識と知見は常に最善或いは最良或いは最大の答えを獲得することができた。

 だからこそ、

 眼の前に現れた細身の少女がアリティアが第一王子マルスであると同定することができていた。

 

 ───────────────────────

 

 アカネイア神聖帝国皇帝マルス。

 彼の地において永遠不朽の伝説、英雄王マルス。

 夫を作ることはなかったが、即位してすぐに子を儲けていた(或いはそれ以前から)彼女は処女懐胎しただのと伝説に尾ひれを残したりもした。

 彼女は後の世を子に託し、去ったと言われている。

 まるでそれは猫が死期を悟ったようでもあり、

 人々は彼女が神より遣わされたが故に天に還ったのだと謳った。

 

「ふう、流石に先生と旅した頃のようにはいきませんね

 体力が落ちています……」

 

 かつてアンリが辿ったという伝説の道がある。

 その先に神の座する場所があるのだと。

 雪と氷に閉ざされた秘境の向こうに今も眠っているのだという。

 

 火竜を退け、氷竜を下し、英雄王はかつてのアンリの如くに道を進む。

 

「ここが神殿ですか

 ……人の手が入っていないというのに朽ちていないのは不思議です」

 

 中へと入る。

 圧倒的な静寂。

 ガトーがここを拠点としたこともあったが、その主を失って久しい。

 それでも残された魔力は未だに眠ったままだった。

 

「この台座が……」

 

 石造りのそれは、かつてアンリがここに一組の指輪を残したと言われていた。

 偉大な冒険のあとに指輪はアルテミスに送られるはずであったが、

 それは敵わなかった。

 一つはアリティアの国宝として残され、マルスが引き継ぎ、やがて彼女はそれを恩師であるレウスへと継がせた。

 もう一組の在り処は依然として伝説の中に消えたまま。

 

 だが、アンリはその残された指輪を持って旅をしたという。

 アカネイアをではなく、遥かな異世界を。

 

 ソンブルという少年と共に歩んだ道、そして伝説。

 それは断片的なもので、誰が残した歌かもわからない。

 

「ありもしないことから作られた歌であったとしても、頼ってみたくなるのが人情

 老後の自由を求めても構わないでしょう、我が子はよく育ってくれましたから」

 

 石台には確かに指輪が収まっていたであろうくぼみが二つ。

 どちらも空っぽではあったが。

 

「……果たして、これが役に立つかどうか」

 

 取り出したのはレウスに渡したもののレプリカ。

 ただ、レプリカと言っても神聖帝国の粋を尽くして作り上げた魔道具であり、

 秘められた魔力は神器と遜色がない。

 

 こつ、と指輪が台座に嵌る。

 

「……流石にこれだけでは動きませ──」

 

 刹那。

 光が台座に奔る。

 光は神殿ごと包むように眩く煌めいていく。

 

『そんな、──道を塞がれてしまいました』

『このままでは……──』

 

 声が聞こえる。

 聞き覚えのない少女の声。

 

『マルス、あなたの力がなければ私は──』

 

「僕を呼んでいる?」

 

 光の中枢へと手を伸ばす。

 せつな、光が彼女を掴むように伸び、

 

「きゃっ」

 

 輝きに彼女は飲まれた。

 

 ───────────────────────

 

「な、なんですか……どういうことです!?

 誰なのです、それは!」

 

 怒りを露わにして叫ぶ少女。

 

「あなたは?」

 

 自分を挟むようにして、背にある少女が誰何の声を上げる。

 

「僕の名前はマルス

 僕を呼んだのはあなたですか?」

 

「マルス……!?」

「それはともかくこの状況は──」

 

「四狗!構いません、ここで決着をつけてしまいなさい!

 紋章士もないのなら赤子の手をひねるようなものでしょう!」

 

 白い髪の少女が叫ぶように言うと、四狗と呼ばれたものたちがぞる、ぞると歩みを進める。

 

「状況を詳しく聞いている暇はありませんね、……あなたの名前は?」

「リュール──神竜王ルミエルの子、リュールです!」

 

 少女の声は澄んでいて、気に満ちていた。

 心地よい声の通りだった。

 

「では、リュール」

 

 すらり、とマルスは腰から剣を抜く。

 どこにでもある、つまらない剣にしか見えないロングソードを。

 

「アカネイア神聖帝国が英雄王の手並み、ご照覧あれ」

 

 戦いの結果は言うまでもない。

 彼女は散々に敵を討ち破り、退かせた。

 それでも増援は次々と湧いてきたのをリュールのためにと現れた増援によって逃げおおせることにも成功したのだった。

 

 マルスが呼び込まれたエレオス大陸。

 邪竜ソンブルや、彼と共に在ることを選んだ始祖たる英雄王アンリとの戦いは激戦を極めた。

 

 それでも最後に立っていたのは神竜王女リュールと、共に在った二人のマルス。

 そして多くの仲間たちであった。

 



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着地

「皆去ったし、僕も還らねばならないかな」

 

 とは言ってもなあ、マルスは困ったように笑う。

 リュールやヴェイルも彼女が本当に来たかった場所がここではないことを理解していた。

 

「あの、マルス……確実な手段でなくともよいのなら、一つだけやり方があります」

「やり方?」

「ええ、あなたが本当に行きたかった場所へ辿り着けるかもしれま──」

「本当!?」

 

 ぐいと迫るように彼女がヴェイルに詰め寄るように。

 

「わわっ、近いですよマルス」

「ごめんごめん、……でも本当かい」

「ええ、パパ──ソンブルが扱った世界を渡る力

 その殆どは逸失してしまいましたが、全てが消えたわけではありません

 他の紋章士が還るに道を辿ったのなら、マルスが望む道を探すことができないわけでもないはず」

 

 そっか、とリュールも頷いて、

 

「二つあった指輪の一つはソンブルが持っていて、もう一つはマルスが探している人が持っているんだっけ」

 

 ソンブルがアンリを呼び込むために平行世界、或いは『狭間のアカネイア』から持ち出したとされる指輪。

 

「ええ、そうです

 あの人ならまだ指に嵌めたままでいてくれるはずです」

「なら」

 

 リュールが期待するようにヴェイルを見る。

 

「その(えにし)を手繰るようにして、そこに辿り着けるかもしれません」

 

 ここでの日々は果てしない大冒険だった。

 先生──レウスと共に戦った日々も長く、濃密な日々だったが、エレオスでの日々もまた同じ程に濃密なもので、

 身も心も若返っていたマルスにとって彼らとの日々もまた忘れられないものとなった。

 先生や神聖帝国の重臣、諸侯と同じ程に信頼できるものたちが人生で再び得られるとは思っていなかった。

 

 その筆頭たる二人が辿り着けるかもしれないと可能性を示唆するならば、そこに乗る以外の選択肢があろうか。

 

 準備に数日を掛け、やがて道を拓く。

 

「マルス!」

 

 リュールがまっすぐに見つめ、

「どうか、幸せな日々を!」

 神竜族の新たな女王の寿ぎ。

 この世界に、いや、神竜座する全ての世界を見渡してもこれほどに強い加護の言葉があろうか。

 

「ええ、リュール!ヴェイル!

 あなた達も幸せにね!」

 

 マルスの言葉に二人も微笑む。

 

 光が包む。

 随分と遠くなったあの日のように、眩い輝きがマルスを掴むようにして、

 しかしあの日とは違って引きずり込むようではなく、優しくエスコートするように。

 

 ───────────────────────

 

「アカネイア神聖帝国が英雄王マルス、長い旅路の果てに罷り越しました」

 

 ロングソードを腰から抜き払う。

 

「ここからは三対一ではありませんよ、魔女殿」

 

 ───────────────────────

 

 レウスはマルスの姿を見て、内心で驚いていた。

 武器の構え方も、立ち姿も、共に戦ったときよりも遥かな高みに在る。

 平和になったアカネイアで何かがあったのか、それとも灯火にでも誘われ、激戦を繰り広げでもしたのだろうか。

 どうあれ、見ただけでわかる。

 今の彼女は一人の武芸者として完成している。

 

(こりゃあ、足手まといにならないように気をつけないとな)

 

 マリーシアは相手が観察するほどの時間を得られる、そんな状態であったというのに動かなかった。

 

「どう、して」

 

 絶望を音にすればこうであろう、というほどの音色が彼女の口から出る。

 

「どうして今なのですか、どうしてそのお姿なのですか

 王子様、私は頑張ったのに」

「あなたはマリーシアですね」

「は、はい!」

「マリーシア

 僕はあなたのことを実際には知りません

 ただ、あなたが行った多くのことが世を乱す行いであったことは理解しています

 それは、先生を通じて少しは理解できています」

 

 剣を向け、彼女は言う。

 

「僕ができることは、マリーシア

 あなたの罪を切り払って、命とともに濯ぐことだけ」

「い、いいえ……王子様

 できることはまだあるよお……あなたがッ!

 王子様にッ!なることだよお!!」

 

 自らの狂気に身を委ね、写し身と共に攻めに転じるマリーシア。

 

「先生!あなたは彼女を!

 この子は僕が!」

 

 強敵なんていうレベルではない。

 レウスが切り札を切りあってなんとか生き延びることができた相手だ。

 だが、それでもレウスは彼女を信じた。

 それは彼女の身に積まれた武勲、武芸、武技の高さのみではない。

 彼女がマルスであるからこそ信じたのだ。

 

 挟み込むために回り込んだフィーナに対して突き進むレウス。

 それと同時にマルスもまたマリーシアへと踏み込む。

 

 互いの間にある強い信頼、絆のようなものを見たマリーシアは正気と狂気が大いに混ざり、

 今までにない種類の熱が全身に駆け巡った。

 



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愛についての戦い

「王子様あ、よく理解できたよお

 全てを理解できたんだあ

 ここであなたの手足を切り落として大切に大切にしてあげればいいんだあ!」

 

 ゆらりとマリーシアが動く。

 その歩法はエレオスでの戦いでも見たことがある。

 カゲツの扱う技術、つまりは深い剣境に至ったものが扱うもの。

 距離感を見失わせ、攻撃の起りを睨ませない。

 もしもこの技術を知らなければマルスは押し込まれたかもしれない。

 或いはレウスと離れ離れになった時点での彼女であれば。

 

「物騒な人ですね……」

 

 剣が合う。

 互いの斬撃はよほどの目の良さを持っていても、或いは持っていたとしても追いつけるかどうか。

 

『まるで飛ぶ燕、或いはそれすら切り落とすほどの疾き剣』

 そのように評したのはベレトだったか、

『太刀捌きの鋭さは剣聖(カレル)並だ』

 そのように誉れを送ったのはロイだったか、

 

 マルスの剣技は持ち得る才の、その究竟へと至っていた。

 それでなければエレオス大陸の戦いでは勝てなかったからでもあるが──。

 

 その一方で、マリーシアも笑う。

 いや、嗤うというべき表情だった。

 自らに武芸の才はない。

 しかし、それでも借り物の武芸で食らい付けているのは王子への愛が本物だと理解できているからだ。

 

「わかったんだあ、王子様あ

 あなたはいつも誰かを助けようとする、だからいつも死んでしまうんだ

 今回も」

 

 だが、英雄王となるまで戦い抜き、帝位を退いて火竜や氷竜を討ち倒し、

 エレオスへと招かれて、若い頃──或いは幼いとも言えるほどの肉体で顕現し戦い抜いた今のマルスには通用しない。

 

「こうしてあなたに押し込まれる……そう言いたかったのですか」

「そこまでわかってるなら会話にさせてよねえ」

「それをさせてしまったら戦いが終わってしまうでしょう

 僕はまだ先生のために戦わねばなりません」

 

 ぎり、と歯噛みをする。

 その表情をマルスは見ていた。

 

「どうして、そこまで辛そうな表情を浮かべるのですか」

「そういう顔に見えるのお、優しいなあ王子様は」

「形はどうあれ、僕に好意を向けてくださっているみたいですから推察も観察も考察もします」

 

 自分が知るアカネイアにはいなかった少女。

 しかし、この地ではこれほど苦しそうに、狂気に落ちてまで自分を求める少女。

 

 彼女が経験した多くのことから、マリーシアに対しての理解を深め、

『どうすればよいか』の答えを手繰り寄せていた。

 

「よく聞いてください」

「……なあに、王子様」

「僕の大切な人はどこまでいっても先生です

 それは手足を断たれても、命を奪われても変わることはありません

 だから、身も心もあなたの側にいることはできないのです

 どれほどに時間が経過しようと、あなたがどれほどに僕のために道を外そうと」

 

 苦しい言葉だった。

 この瞬間だけの邂逅、その相手だとしても……、

 

(彼女はどれほどに僕を思い続けていたのだろう

 ……ごめんなさい、それでも僕はあなたと一緒にはなれない

 だから)

 

 数多の感情がまぜこぜになって生まれたマリーシアの、一瞬の隙。

 マルスはそれを見て剣を構え、突き進む。

 

 ───────────────────────

 

 フィーナが剣を構え、即座にレウスへと攻撃を仕掛ける。

 

 流麗ではあるが、どこか機械的であり、効率的ではあるが最善の武芸からは遠かった。

 それはレウスにとっていっそ御しやすい相手である。

 

 ローリング(回避行動)を駆使し、相手の攻撃を誘引し、空振りさせて隙を作る。

 マリーシアがいなければ容易いことだった。

 

 それは逆に言えばマリーシアは実に厄介な武芸者であり、強力な魔道士でもあることの証左であった。

 いくらあのマルスが強く育っていたとしてもいつまでも担当させておける相手ではないとレウスは考えていた。

 

(問題はミケラの針が通用するか、だが……)

 

 他の選択肢はない。

 

 レウスもまた針を構え、突き進む。

 

 ───────────────────────

 

 剣を振り下ろす。

 受けずにローリングによって回避、そのまま懐へ。

 

 フィーナは剣の引き戻しが間に合わないと判断し、払い、或いは回すような蹴りを放つ。

 刃と異なり、それであれば受けても致命的にはならない。

 

 むしろそれは機会だった。

 

 ガードを上げて防ぎ、足をそのまま掴み、もう片方の軸足を払う。

 フィーナは転がされかけるも剣を持たない手で地を叩くようにして体勢を立て直そうとする。

 しかし、それよりも先にレウスはタックルを敢行し、馬乗りになることに成功した。

 

(褪せ人ボディの性能にものを言わせるのは成功したな

 格闘技習っている奴が見たらブサイクな寝技だって怒られるだろうな)

 

 だが、とレウスは捕らえた少女を見下ろす。

 フィーナは冷たい瞳でレウスを見つめている。

 

 針を取り出す。

 それは光を漏らしている。

 一息に振り下ろすとフィーナの体に突き立つでなく、その手前で大量の赤い光が溢れ漏れる。

 彼女に纏い付く『何か』を破ったかのように。

 

 ───────────────────────

 

「儀式が壊れたッ!?」

 

 マルスの剣を受け止め、写し身もまたマルスへと向かおうとしたときに二人のマリーシアは赤い光が漏れ輝くのを見ていた。

 

「……くッ」

 

 もはやレウスへの切り札は破られた。

 だが、望み続けた『王子様』との邂逅は果たされた。

 であればもはやここで戦う理由はない。

 次にやるべきはレウスなぞに心を奪われている王子様を取り返すための方策を考え、作り出すこと。

 

 行動を決定したならば、あとは動くだけ。

 マリーシアは一目散に逃走することを選んだ。

 



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星の炎

 赤い炎の如き光が吹き上がる。

 抵抗するかのようにフィーナの手がレウスの、針を持つ手に掛かる。

 

「フィーナッ!」

「……」

 

「オレを呼べ、オレが誰かを呼んでくれ、フィーナッ!」

 

 ───────────────────────

 

 南オレルアンでわたしは死んだ。

 その後に、何度か意識は浮上した。

 死んだのに妙なことだけど、死と生を行き来した。

 

 その度に後悔ばかりが思考を支配した。

 

 別れを伝えられないままに死んでしまった。

 わたしを助けてくれたあの人──レウスに何も伝えられないままに。

 

 一言別れを告げられたならそれで満足だったはずだった。

 けれど、死と生を行き来する度に別れを告げるではなく、レウスと会いたいという気持ちへと変わっていく。

 それが最大限に高まったのは黄金を瞳に宿してから。

 

 別れを言うだけで満足するのか。

 その先を望まないのか。

 

 自分の中から声が聞こえた。

 叫ぶ声に私が頷いた頃、ラングランドと呼ばれた街での生活が始まった。

 あれはあれで楽しかったけれど、その生活が長く続かない予感だけはあった。

 或いは、黄金の瞳がわたしに警告をしていたのかもしれない。

 

 次に意識が浮上したのは今だった。

 

 黄金が叫んでいる。

 力が消えていく。

 依代から引き剥がされていく。

 

 自分の周りに揺蕩っていた『何か』──それはわたしの心や思考を縛っていた何かだったのか、大量に出血するように赤い炎のような光をしとどに流して、

 そうする度にわたしの意識は強くなっていった。

 

「オレを呼べ!オレが誰かを呼んでくれ!」

 

 泣きそうな顔でずっと触れたかった人が叫んでいる。

 

「フィーナ!」

 

 浮上し、目覚めていくわたしの意識は、彼が名を呼んでくれたことで完全に覚醒めた。

 

 彼の手を掴んでいた自分の手を動かそうとする。

 ──動く。自由に、誰にも邪魔されずに動かすことができる。

 

 そっとその手をレウスの頬へと添わせる。

 最初にぎょっとした表情を浮かべ、それもすぐに潜め、驚いた風にわたしの目を向けている。

 

 わたしは早速、望みを叶えてあげたくなった。

 

「おはよ、レウス」

 

 ───────────────────────

 

 エレオス大陸での戦いでは現地の勇士たちに加えて、紋章士と呼ばれる異世界の勇士たちも揃って現れていた。

 かくいうマルス──ここでは彼女を狭間のマルスと呼ぶが──は特異な存在であった。

 

 邪竜の軍に追われ、追い詰められた神竜の王女リュールは助けを求めた。

 誰より信頼する紋章士、マルスを。

 呼びかけに答えたのはマルスはマルスでも狭間のマルスであり、彼女は他の紋章士と同じように戦い、しかし他の紋章士とは異なる力を備えていた。

 

 彼女はリュールや他の勇士と同じように紋章士の力を喚起し、ともに戦うことができた。

 その世界で生きているものでなければ扱えないそれを、狭間のマルスは行ってみせた。

 

「不思議なこともあるものですね」

 

 王女リュールは事もなげに言う。

 他のものは狭間のマルスの特異性が気になりはしているようだが、軍の長たる彼女が『個人の個性』程度にしか考えていない以上は追求しようもなかった。

 

 狭間のマルスもまた紋章士たちと戦うことに違和はなく、むしろ楽しいとすら思えた。

 同じ名を持ち、同じ大陸で戦っていた英雄王マルスとは特に気が合った。

 彼女がマルスを高潔で偉大な英雄だと思うように、英雄王マルスも狭間のマルスを同様に誇りに思っている。

 二人を見てリュールも、私にもそれくらいに仲のいい弟か妹が欲しかった、などという。

 それは結果的にヴェイルの存在によって果たされることになるのだが、それはそれ。

 

 アンリもまた英雄王マルスの世界に存在したアンリかは定かならず、

 しかしその実力は正しく伝説に謳われるそれであった。

 

 戦いの果てに紋章士たちが世界から──エレオスから離れていく。

 

「マルス」

 

 英雄王が己の名と同じ少女を呼ぶ。

 

「なんでしょうか、マルス」

 

 狭間のマルスも慣れた反応をする。

 

「この先のどこかでマルスを求める声があるかもしれない

 それが君であることもあれば、このマルスであることも

 もしも君ではなく、このマルスを呼ぶ声であれば、君が自分を呼んで欲しい

 きっと力になる

 それがどこの世界でも、どんな場所でも」

「……ありがとう、マルス

 なにより心強いです」

 

 同じ名を持ち、同じ血を引き、しかしまるで異なる道を歩んだ二人だが、

 その絆は正しく断金のもの。

 

 ───────────────────────

 

 脱兎の如くに逃げ出した。

 普通なら捕まえるのは不可能。

 速度も、逃走経路も。

 

 しかし、

 

「やっぱり回り込まれちゃうかあ、理解してくれて嬉しいよお王子様あ

 でも、どうして?

 王子様のためにたくさん働いたんだよ、私」

 

 理解したからこそ、マルスは彼女の経路に立ち塞がった。

 

「そうですね、きっとそうなのでしょう」

 

 けれど、そう区切るようにして剣を向ける。

 

「彼は本当に、どこまでを見ていたのでしょうね」

 

 彼の英雄王はこの状況を見越したのか、いや、まさかとも思う。

 しかし、そうであってもなくても、何かを察していたのか、悟っていたのか。

 考えても仕方あるまい、わかることは英雄王は頼りがいのある仲間であるという事実だけだ。

 

 ロングソードを空に向ける。

 息を整え、狭間のマルスは『それ』を叫ぶ。

 

星炎(かがや)け!始まりの紋章士(エムブレム)!」

 



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冒涜の魔女の黎明

 光が満ちる。

 巡る星々が瞬くように、狭間のマルスの隣に『それ』が集う。

 やがて『それ』は人の姿として凝結し、緩やかに重量と重力を質感とともに露わにする。

 

 青色の髪に、整った顔立ち、無駄な肉はないが貧弱とも見えない完璧なボディバランス。

 おおよそ絵画や彫像にすべき人体とはこれと解答を出すことのできる、究極の英雄の肉体。

 

 それが今、アカネイア大陸に顕現した。

 在り得ざる存在が。

 この歴史において消えた可能性が。

 

 英雄王マルス。

 タリスの地で無念にも命を落としたその王子とは違う、或いは生きていればこうなったかもしれない姿が。

 

「どれほどの別れだったかな、僕と君は」

「マルスと言葉を交わしたのはつい最近……だと思います

 僕にとってもあなたにとっても多くの意味は持たないでしょう」

「そうだね、大事なのは」

「ええ、呼ばれ、現れた場所でやること

 今回は僕が頼っている側なのでそんな大きなこと言えないのですけれど」

 

 英雄王が小さく笑うとファルシオンを構える。

 狭間のマルスもまたロングソードを構えた。

 

「お、あ、え……あ」

 

 声にならない声を上げるのはマリーシアだ。

 

 そして

 

「王子様ぁああああぁぁあ」

 

 汚泥の滝のような叫び声を吐き出した。

 

 ───────────────────────

「王子様!王子様!王子様王子様王子様王子様王子様!!」

 

 膝から崩れ落ちるようにしてへたりこみ、『王子様』以外の言葉を発することがなくなる。

 マリーシアの脳は壊れた。

 

 今までの努力が実ったとも感じ、しかし望んだ形であった再会ではないことにストレスを生み、更にどのように会いたかったの想像の妄想が再帰され、自分の知る王子マルスよりも精悍で美しく在る姿に興奮し、今の自分(マリーシア)を知らぬという視線に狂い悶え、少女のマルスと並ぶ姿は想像したこともない光景であるからこそ不意打ちの喜びに心は焼かれ、やはりこの世界はマルスを殺したので滅んだほうがいいと考え、この世界にマルスが現れたので繁栄するべきだと考え、アリティア聖王国をただの王国に戻しリーザを弑逆してマルスを据え直すべきと思い、世界情勢的にそれが難しいとも思い、現実的に可能な範囲のマルス戴冠を考え、王冠を想起し再現のことを考え、ガトーを殺し力を奪うことに至り、敵対的な行動を取るマルスたちをなだめる方法を思い、状況がここまで至った時点でそれが難しいことを認識し、何かしらの魔道が通用するかを考え、彼らの精神を犯すことは自らの規範に反すると却下し、そもそもマルス王子が死んだ理由を思い、何百回何千回何万回と結論づけた戦乱の世が悪であることに行き着き、それを鎮めようとしているレウスは味方かどうかを判断し、しかしあの少女のマルスとの間に繋がった魔道的接続(パス)は無視できるものではなく、その関係性から生理的にレウスの存在は耐えられないため殺すしかないと考え、仮に眼の前の二人と戦うことになった場合はどうするべきかを思考し、最低でも数の不利を消すために写し身は必要だとして瞬発で出せるようにはしておき、肉体の造作から白兵戦の力を推し量り、戦技のみで勝てる相手ではない故に魔道を選択肢にいれ、オブスキュリテでは相手の攻撃速度から不利を背負わされるとし、制御魔道の使用を考え採択し、考えるべきは少女マルスが現れた理由であると思考を分岐させ、魔力の発生源ではなく中継機を施策し、レウスの指に嵌められたそれを思い出し、何らかの形で門が形成されていることを考え、門は出入り口たればそれはガトーの秘匿した転移の魔道にも相当する何かであると予測し、空間同士の接続ではなく空間そのものの概念に関してを演繹し、時空間に付いての真理に近い扉を見つけ、眼の前のマルスこそを重要視せよという自らの根源からの要求に従い、英雄王たるマルスについて思考し、なぜ自分の側にいてくれないのかを考え、これほどまでの努力と労力を掛けたことを理解して欲しいと思ってしまい、そのエゴを否定し、しかし肯定もし、壊れた脳は再びマルスのことだけに注力し、聖戦士の知識に自動的に接続され、マルスを聖戦士にしてしまえばいいと考え、しかしそれは果たしてマルスと呼べるのかを思い、否定し、しかしそれ以外にこうなってしまった自分がマルスの側にいられる方法が無いことを理解し、否定要素を探し、存在を見つけられず、壊れたままの脳と思考回路が復旧することなく、暴走したままの思考は魔力と()()ぜになって辺り構わず放出され、

 

 マリーシアと写し身は涙を流しながらも、喚くこともなくゆっくりと立ち上がり、姿勢を正した。

 



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因果

 マルスとマルスは理解した。

 それはふうわりとした認識ではなく、マリーシアの暴走した魔力とともに叩き込まれた、

 純粋な記憶そのものによって理解『させられた』というべきであろうか。

 

 彼女の今までの苦労も、予知を通して渡った数多の人生も、

 マリーシアという一個人の持つ魂の全てはマルスに捧げられていた。

 

 それを哀れな女と呼ぶものもいれば、

 愛に殉じた女と呼ぶものもいるだろう。

 

「マリーシア」

 

 マルスが剣を構える。

 

「僕は──僕たちは」

 

 マルスが剣を構える。

 

「君と共に在れたなら嬉しかった」

「けれど」

 

 二人のマルスはじつとマリーシアを見る。

 

「ごめんよ」

「あなたと一緒に歩むことはできない」

 

 拒絶の言葉。

 平時のマリーシアであればうずくまり、或いは自死を選ぶほどのことになるかもしれない。

 だが、既に狂い、壊れている少女はこともなげに

「わかってますよお」と返した。

 

 ぐるぐると渦を巻く瞳に光が宿る。

 

「今までも、これからもマリーシアは好き勝手にあなた、あなたたちを、

 全てのマルス王子を愛します

 それが私だから、私の心だから」

 

 マリーシアは剣を捨てる。

 自らの神に等しいマルスに対して、神狩りなど名の付いたものを向けることなどできようか。

 

 改めて写し身を呼び出したマリーシアは、その二つともに同じ魔道書を構えた。

 

 オブスキュリテ()

 ただ単純に名付けられた魔道書は神話にも、何にも根ざさないもの。

 それはマルス王子を想うこと以外に何も持たない彼女が、自身の自己表現として作り上げた一つの魔法である。

 

 闇。

 何も映さず、何も照らさず。

 しかしマルス王子()あるならば闇は必要である。

 だが、ガーネフにもメディウスにもその役割は与えない。

 必要な闇の役割は自分のものだ。

 

 脳は壊れ、心は狂気に染まり、それでもなお強い衝動が体を駆け巡る。

 眼の前の(マルス)に抱かれるために、闇はいまこそ拡がるのだ。

 そのために自分は存在したのだ。

 マルス王子の胸に飛び込むために。

 

 ───────────────────────

 

 英雄王マルスの伴侶はシーダ王女──だけではなかった。

 一つの生で複数の妻を持つようなことはしなかったが、マリーシアが見せたその可能性の世界において、

 シーダの死などの要因から別の妻を持つことはあった。

 

 ここに在る英雄王は確かにシーダと結ばれているが、数多の可能性をマリーシアに与えられた今、彼には多くの運命と道があったことを知る。

 この世界で、今ここからでも彼女と結ばれて救う道があるのかもしれない。

 だが、救えたと想うのは主観に過ぎない。

 

 本当に彼女を救うべき方法は、永遠にマルスという存在に囚われる彼女の魂をここで解放することだ。

 

 握り込むファルシオンから光が溢れる。

 それはマルスの思いに答えるように姿を変えていく。

 

 ここではない場所で共に戦った相棒、リュールが使っていた剣へと。

 その銘はリベラシオン(解放)

 半ば霊的存在とも言える英雄王であるからこそ自ら持つ物質に意思を持って影響を与えただけなのかもしれない。

 だが、神竜女王となったリュールが世界を超えて加護を与えてくれたような心地もある。

 

 少なくとも、剣は伝えている。

 

 彼女を解放(救済)せよ、と。

 

 ───────────────────────

 

 狭間のマルスはエレオス大陸からここまで、本物のマルスであるのが英雄王であり、

 自分はなにかの間違えで現れてしまった偽物なのではないかという、

 自身を信じられない心地になることがまったくないわけではなかった。

 

 心を強く持てているときであれば、偽物だからなんだと思えた。

 しかし、夜の闇に包まれ、静寂が包むときにその思いを跳ね除けられなくなりそうなときもあった。

 

 だからこそ、今の彼女はマリーシアには感謝していた。

 

 予知によって与えられたマルスは、マルスたちであった。

 数多のマルスの姿は可能性そのものであり、

 隣に立つマルスが全ての根源でも、本当の存在でもなく、可能性の一つであるように、

 自分というマルスもまた可能性の一つでしかないことを知ることができた。

 

 自分がマルスだから、その運命に縛られる必要はない。

 

 ただ一人の人間(マルス)として好きに生きればいい。

 

 誰よりも好きに生きた人間(マリーシア)がそう言っているようでもあった。

 

 それを教えてくれたマリーシアにマルスにできることは一つ。

 彼女が自分を、いや、自分も光であると定義してくれるというのならば、彼女の放つ闇を切り裂くことこそが唯一の返礼である。

 



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応報

オブスキュリテッ!!(オブスキュリテッ!!)

 

 写し身と共に魔法を発動する。

 全ての闇魔法がそうであるとは言わないが、魔道とは学術的側面以外にも儀式的、神秘的、あるいは精神的な波長の同調が重要であることもあり、

 闇魔法たればこそ、心の闇を動力源とする部分もあった。

 

 少なくともオブスキュリテ、闇を冠したるこの魔道はその重さによって威力を変えた。

 狂気に染まり切っている彼女であるからこそオブスキュリテは莫大な力を彼女によって与えられ続けたが、

 事ここに至ってその心も脳も完全に壊れたことでオブスキュリテは本来持ち得る何倍もの力を発揮していた。

 

 狭間のマルスはこの魔道を知っていた。その力が──オブスキュリテがどういったものかを。

 彼女が知るそれを扱っていたのは人間ではなく邪竜であり、それ故に心のありようとはまるで関係ない形でその力を行使できていた。

 

 逆を言えば、彼女(ヴェイル)以外にオブスキュリテを扱える存在はあの大地にはおらず、

 よもやこの場所で、人間がこれを扱っているとは思わなかった。

 

 それ以上に狭間のマルスを驚かせたのはその威力である。

 ヴェイルが扱うそれも相当の威力があり、まさしく一軍を破壊し尽くすような力を持っていたが、マリーシアが扱うものはそれを優に超えている。

 

 だが、それは同時に人間が扱えるような代物ではないことを示してもいた。

 ヴェイルですら『危険な力であるから』と制御を厳にしていたものの制限、それを取り払って扱うのならば、待ち受けるのは精神と肉体の崩壊だ。

 

「マルスッ!」

「ああ、行こうッ!」

 

 マルスとマルスの意思はまったく同じであった。

 このままオブスキュリテを吐き出し続けさせれば勝利することができる。

 彼女はその魔力によって自壊し、この世界から消滅するだろう。

 

 だが、それは救いではない。

 状況的勝利ではあるかもしれない。

 しかし、マルスたちの旅路は常に誰かを救うための物語と謳われるもの。

 この大地に来る前の冒険で共に戦った少女、リュールであれば何を選ぶだろうか。

 

 少なくとも状況的勝利など選ぶまい。

 

 二人の英雄王が一歩前に、剣を振るって闇を切り裂き、更に前へ、

 

「王子様あ!!王子様王子様!!

 大好き大好き大好き!!大好きだから!

 私の闇の中で永久に抱かれ続けてほしいんだあ!!

 だから受け取ってよお、私の闇を!集め続けた()の全てを!」

 

 闇の重圧が強くなる。

 彼女の踵が、背が、肘が、首筋が闇へと解けていく。

 莫大な力は魔力だけでは足らぬとその肉体を魔力に、オブスキュリテの威力へと変換しているのだ。

 

 ただ切り裂いて進むでは間に合わない。

 マリーシアが自分自身を使い果たしてしまう。

 

「彼女に魔道に対抗するためにはアレを使うしかない」

 

 英雄王が言う。

 狭間のマルスは頷き、

「合わせます!」そう叫ぶ。

 

 こくりと英雄王が頷く。

 

「マリーシア!僕が君に渡せるものはこれだけだッ!」

 

 英雄王がその声を強くする。

 狭間のマルスと同時に踏み込み、五月雨の如き突きが光となり、

 闇を切り裂き、押し返し、やがてその光がマリーシアの眼前へと伸びる。

 

「これが僕たちからの手向けだ、マリーシア」

 

 光の刃(スターラッシュ)が放たれて、魔女へと向かう。

 マリーシアはそれを見ていた。

 迫る刃をじつと見つめていた。

 

 ───────────────────────

 

 どれほど長い間、あがいていただろう。

 元からわかっていた。

 自分のそれは愛ではなく我欲と執着(エゴ)に過ぎないことを。

 人の心は移ろいやすい。

 いつか変わるものであって、いつか癒やされるものであって、いつか思い出になっていくものである王子への感情そのものに執着していたことを。

 

 光の刃が迫る。

 最大出力のオブスキュリテをぶつければ生き残れるかもしれない。

 ここまでやったのだ。

 ここまでやってきたのだ。

 罪を重ね続けたのならば、どこまでを往くべきか。

 

 だが、この状況を超えることがあろうか。

 愛した王子が二人となって、そのどちらもが殺意ではなく救済のために武器を振るう状況など二度とあるものだろうか。

 マルス王子を愛し、愛されたものを見てきた。

 それでも、一人のマルス王子にでしかあるまい。

 

 二人のマルス王子から愛を向けられる終着は考えたこともなかった。

 

 マリーシアはオブスキュリテを再度発動させることはしなかった。

 その光の前に、彼女の心の(オブスキュリテ)は尽き果てていた。

 



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死衾

「レウス、もう大丈夫?」

 

 年下の、まだ幼いと表現できるフィーナはレウスを抱きしめて、その頭を撫でていた。

 それは母親が我が子をあやすようでもあり、

 慈悲深く慰撫する女神のようでもあった。

 

 レウス自身、何故そこまで落涙したのかわかっていなかった。

 フィーナの手が暖かったことを確認できたその瞬間に、器が壊れたように涙が流れた。

 

 彼の現在の立場や軌跡は偉大な道であったと評されるかもしれないが、

 しかし彼は生まれついての不世出の英雄ではなく、元はただの人間であった。

 狭間の地において駆け抜けて、それを果たせたのはある種の壊乱の結果だった。

 

 新たなる火を灯す道へ。

 そこへ歩んだのは一種の逃走であった。

 救いなき今の立場からの逃走。

 

 その先で小悪党、賊徒を気取って歩む。

 シーダ、リフ、レナ、フィーナによって少しずつ取り戻した人間性はフィーナの死によって砕かれ、それでも前に進んだ。

 前に進むしか道がないことを狭間の地で知っていたからこそ、歩んだ。

 

 歩む果てに何があるのかわからないままに。

 歩む理由もまた、彼にとって明確ではなかった。

 マルス王子のように王族としての宿命など存在しない。

 

 ただ、彼は一つだけは明確に理解していた。

 フィーナのような死をもう二度と見たくなかった。

 少しでも大切に思った人間を守りたかった。

 それでも、どれほど何かを大切にし、誰かを守り、救おうとフィーナが還ってこないと思い、

 そしてそれを思う心に罪悪感を覚えた。

 まるで他の多くの大切なものが自分にとって歩く理由にしているようだったからだ。

 

 レウスの涙が意味するものは、自らを戒めるような呪いからの解放であった。

 

 それだけではない。

 おはようと挨拶をしたフィーナは続けて言う。

 

「今まで頑張ったんだね」

 

 言ってしまえば、取るに足らない普通の労い。

 けれどレウスにとって、フィーナのその言葉がどれほどの価値があったか。

 

 感情を制御することをできず、静かに、しとどに泣くレウスだったが、ようやくその涙も尽きたように顔を上げるでなく、フィーナから少しだけ離れる。

 

 フィーナもまだ幼い。

 しかし、その人生経験から人の感情を察することには長けていた。

 レウスはついこのようにしてしまったことを恥じているのだ。

 彼にとって自分は守るべき対象だから、その対象に弱みを見せたから。

 

 このまま甘やかしてやりたい気持ちが胸から溢れんばかりであったが、

 フィーナが見たいレウスの姿を取り戻したかった。

 だからこそ、

 

「さ、レウス……マルスさんって言ったよね

 彼女を手伝いに行こう

 わたしも……マリーシアちゃんの最期を見届けてあげないといけないから」

 

 ───────────────────────

 

 レウスたちが彼女たちの居場所に辿り着けたのは眩い光を目印にできたからだった。

 明らかな致命傷を受けたマリーシアは地に斃れるではなく、

 狭間のマルスの膝枕にされている。

 

「どうよ王さまあ、膝枕だよお膝枕、羨ましいでしょ──ごふ、ごほ……」

「ああ、羨ましいね」

「あーあ、でも、それもここまでかあ

 ねえ、私は結構いい線いけてたんじゃないかな

 王さまを追い詰めること、できてたかな?」

「ずっと厳しい戦いばっかりだったよ、もうお前は敵にしたくない」

「へへへ……先に逝った連中に自慢できるね」

 

 青褪めた顔をレウスに向けながら、マリーシアは懐から本を取り出す。

 

「王さまに勝った次の相手は、ガトーの爺さまになるわけだ

 もしも私が勝っていたらって、そのために色々考えたり、調べたりしたんだあ

 ま……私の遺すものなんて信頼できないと思うけどさあ……」

「いいや、信じるさ

 じゃないとマルスの膝枕にいることが耐えられないだろ、お前

 マルスの前でお前が悪あがきもなにもするはずがない」

「ふ、ふ、あはは……ホント、甘い人だなあ王さま

 でも理解されて嬉しくなっている私もまだまだ甘いかあ」

 

 気力もまた尽きかけたのかゆっくりとまぶたが閉じられる。

 

「王さまあ、ガトーの爺さまはこの世界を終わらせるつもりだよ

 それでナーガ様に成り代わって世界を作りなおそうとしているんだ

 今のあの人は力はないけど、本拠地にいけば力不足を補うものなんて幾らでもある」

 

 狭間のマルスが自分の頬を撫でてくれている。

 その手に重ねるようにしてから、

 

「私が探していた王子様はこの世界じゃあ、ずっと昔に去ってしまっていたけど

 それでもこの世界は王子様がいた世界なんだ

 だから私にとっても大切な世界……絶対に守ってよね、王さまあ」

「ああ、約束する

 オレにとっても大切な世界だからな」

「約束を破る人じゃあないのは、知っている、から……」

 

 英雄王マルスがちらと狭間のを見やり、頷く。

 それは言葉もなく、別れを告げている。

 お互いにしかわかるまいことだったが。

 

 彼はマリーシアを抱擁するよう、抱きかかえて立ち上がる。

 

「僕は君の王子様ではないけれど、

 それでも君が進もうとしている死出の旅路に付き合うことを許してくれるかい」

「……こんな悪人にそんなことしたら、お名前に傷が付いちゃうよお?」

「そんなことを気にする人間かな、君の知るマルスは」

 

 小さく微笑み、かぶりを振る。

 

「あーあ……こんなに恵まれた終わりがあるなら……

 悪いことなんて、するもんじゃ……ないな……

 王子様を真っ直ぐに見れや……しないんだからさあ……」

 

 英雄王はその言葉を聞き、目を伏せる。

 そうしてからゆっくりと彼の背に光が溢れていった。

 別れのときであることは誰の目にも明らかだった。

 

「狭間のマルス、どうかこの地で今までの激戦が報われる日々がありますように」

「うん、ありがとう、英雄王マルス」

「レウスさん、ここで何があったかはマリーシアから知識として受け取りました

 母上と姉上をよろしくお願いします」

「歴史に語られるくらいに幸せにしてやるさ、兄弟」

 

 光がマルスと少女の亡骸を包む。

 やがてその光は一層強くなると、そこに彼らの姿はなくなっていた。

 

「……オレたちも帰るか」

 

 レウスは光が消えたあとを見やってから、マルスとフィーナにそう言葉を投げかけた。

 



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遠き決戦のあと

「……と、なったわけだ」

「かような形で東西決戦は終わった、と」

 

 ガーネフも最前線に出ていたわけではないが、戦況について逐一報告を受けており、

 必要に応じて魔道兵団の出撃準備や、いざとなれば自身が魔道書を持って戦う準備をも進めていたほどである。

 勿論、がっちりと戦装束を用意するガーネフを見た徒弟や研究者たちは出撃の意思を下ろしてもらうために必死の説得をした。

 彼も彼なりに自分よりも若いものたちが命をかけて戦場で戦っていることを辛く思う気持ちがある。

 人にはそのことを言わず、顔も恐ろしげなものだが、心根の優しさはガトーの弟子の頃から変わってはいない。

 

「すまぬな、ヨーデル

 お前にも準備を進めていてもらったが」

 

 オールドカダインの発展状態を報告するため随分と久方ぶりにアリティアへと出向していたヨーデルは、

 ある種の本題として、戦争に関わる開発などの報告をガーネフに上げていた。

 

「なんの、学長

 この魔道シューターは試作品なれど、戦後を見通して作っているところもあるのです

 なんと魔道の力で飛ばすことで極めて遠くへ石やら何やらの武器ですが、これで人を飛ばすことで」

 

 特にヨーデルが自信を持って伝えていたのが魔道シューターなる開発であり、

 グルニアの技術者と共に作り上げた魔道を動力源として可能な限り遠くにものを飛ばす攻城兵器である。

 飛距離こそ既存のシューターと比べても30%ほども伸びたものの、その長大な射程のために観測手には熟練の飛兵が必要であったりと問題も多い。

 

 ただ、ヨーデルはこれを戦後に役立つものにしたいと考え、あれこれと施策を練っていた。

 この辺りは開発費を主であるアリティア聖王国から無心するためのものではあったが。

 

 残念ながら、ヨーデルは天才ながらも抜けているところもある。

 それも大いに。

 

「誰なら耐えられるのだ、それは」

「実験結果では耐えることができるはずと思ったのですが……聖王陛下とか」

「人類でも頑丈さが取り柄だと自称する中でも上位のお方を出さねばならん時点でまだまだ現実味の薄い開発状況であるのはわかった」

 

 ヨーデルは笑ってごまかしつつ、

「ですが、我が魔道シューターが平和に使える日はまだ遠いのでしょうな

 何せ──」

「うむ、ガトーはまだ生きている

 その報告は各所からも上がっているが」

「どこにいるかはわからない、と」

「マリーシアめが残した書の結果次第ではあるが」

 

 部屋にノックが響く。

 ガーネフは「入ってよい」と伝える。

 

「ガーネフ様、ヨーデル様

 ご歓談中失礼します、かの手記、全て確認とこちらでの補足が終わりました」

「随分早かったな」

 

 ヨーデルがそう言うと、報告者は

「レナ様が増員を掛け合ってくださったお陰です」

 そう返した。

 

「レナ殿……おお、竜教団の司祭殿か

 清廉な方で政治方面にも明るいと聞くが」

「はい、元はマケドニア貴族で非常に深い学識と長い旅路で培った民衆の生活への理解を備えた方でございます」

 

 竜教団は聖王国の国教として、地方化した国々にも広がっている。

 困民の救済にも力をいれており、ただの宗教というよりも聖王国という国の体現者として信頼を集めてもいた。

 

「実際、メディウス殿との橋渡しをしてくれているのもレナ殿ではあるから頭が上がらぬ

 が、彼女の功績を褒め称えるのはいずれ当人の前で

 今はマリーシアの手記の確認へと急がねばな」

 

 ガーネフの言葉にヨーデルも頷き、立ち上がる。

 戦いは未だ続いている。

 地上に戦火が上がっていないだけで。

 

 ───────────────────────

 

 東西決戦の結果はグルニアは現女王ユミナが現人神の聖后の一人となり、国から地方となる。

 現在は輿入れの準備のために忙しくしているユミナに代わりユベロとロレンスが地方政治を支えている。

 旧グルニア国民の多くは武人、軍人やそれらに関わる家系であり、

 ノルンとロベルトの結婚やレウスの武名のおかげもあってアリティア聖王国編入に関してネガティブな感情を発するものは殆どいなかった。

 

 一方で、オレルアン、アカネイアは国家として消滅。

 オレルアンに関しては王弟ハーディンが事前にレウスへと送っていた書状から空位となった王権の移譲に関してが書かれており、

 生き残ったオレルアンの政務官たちがその手紙の真贋を確認、

 オレルアンという国は完全に解体され、オレルアン地方として再編されることになる。

 

 アカネイアに関してはオレルアンよりも悲惨な状態であり、

 国民の殆どはボアの命が失われた時点でまるで強制的に殉死させられたかのように命を落とした。

 

 奇跡的に生き残ったものはただの一人もいない。

 人がいるからこそ成り立っていた旧五大侯の土地やアカネイア大帝国はまさしく『跡地』であり、

 その場所をどのように復興するかにアリティア側は頭を悩ませている。

 

 国家、土地に関わる問題はそれでもアリティアには各国各地から名乗り出た、

 或いは探し当てた有能な文官たちによって解決や解消のいとぐちを見つけていく。

 

 であれば、決戦の後に問題となることと言えば──

 



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勲功の報い

「……」

「……」

 

 アリティア主城、謁見の間は珍しく沈黙が支配していた。

 

 東西決戦、特においての大いなる功績を持ったものたちを一人ずつ表彰していた。

 ホルスタットやパオラ、ミネルバなどはスムーズに讃えられたものの、

 

 最後の一人は別であった。

 

「レウス陛下が認めし偉大なる英傑、狭間のマルス殿、前へ」

 

 そう呼ばれて立ち上がった人物を見て、前述の如くにリーザは固まった。

 

 この状況になるまで無論、時間がないわけでもない。

 だが、決戦終結から向こうその時間の全てを様々な問題解決に消費しなければならず、

 表彰する人間一人ひとりに面談する時間などとてもではないが割ける余裕はなかった。

 

 ただ、その時間的猶予とて二日もない。

 なにせ決戦は終わったがガトーとの戦いが控えていることを全員が理解している。

 悠長に戦勝パーティをぐだぐだとやる余裕はアリティアにはない。

 

 リーザも当然マルスの名を見て何も思わぬではなかったが、

 それでもアカネイア大陸は広い。

 マルスという名の人物が他に誰もいないなどと言えるわけもない。

 だからこそ努めて気にかけないようにしていたのだ。

 

 結果として、リーザ女王の現状へと至る。

 謁見の前にはアリティアを代表する多くの人間が列席している。

 こうした場でリーザが失敗することなど一度もなく、だからこそ息を呑む音一つすらないほどに状況の不可思議さに緊張をもたらしていた。

 

「……あー、んん、ごほん」

 

 レウスがその状況に立ち上がると、リーザの横へと立つ。

 

「偉大なる女王リーザの、その偉大さは諸君はどこから来るものだと思うか」

 

 周りを見るようにして、

 最初に手を挙げたのは隻腕のホルスタットであった。

 

(こういうときにいの一番に動いてくれるのは本当に助かるぞ)

 そんな視線を感じたのか、一瞬だけホルスタットも小さく笑みを作り、すぐに平時の厳しい顔に戻す。

 

「即断即決の気概ありながらもその判断の裏には事前の大きな思考があることかと」

 

 打ち合わせをしていたわけではないが、

 出された言葉に対して的確な言葉を選べるのは聖王の強みと言えるだろう。

 

「その通りだ、では何故その女王がこのようにして固まっているか

 オレだ

 オレが原因である」

 

 マルスを手で示すようにしてから、

「彼女、マルス殿はかの大悪、冒涜の魔女の名をほしいままにしていたマリーシアとの戦いで命を落としかけたオレに助太刀をし、命を拾わせてくれた

 自分の夫であり、国家の柱たるオレを助けてくれたものがよもや自らの息子と同じ名を持つ英雄だと思えば──」

 

 おお、と一同が声をあげる。

 

 感極まり、自らの息子と重ね合わせ、感動に身を震わせておいでであったのだ、と。

 レウスはリーザに

「すまねえ、王子の名前を出して」

 そう囁いた。

 

 ───────────────────────

 

「ごめんなさい、レウス、それにマルス殿も」

 

 その後の儀礼は滞りなく進み、終わり、そして人払いを済ませた謁見の間。

 残されたのはレウス、リーザ、そしてマルスである。

 

「……あー……ええと」

 

 とはいえ、マルスもまた同じような反応である。

 

「とりあえずリーザ、長い話があるんだが聞いてくれるか?」

「ええ、勿論」

 

 リーザの同意から、レウスはマルスとの出会いの物語を話し始める。

 この場所ではないアカネイア大陸の話。

 

 そこで起こった戦いと、平定した王の存在。

 よもや大陸随一の英雄が彼女であったとは。

 

 つまり、リーザの立場からすればレウスと同じく救国──否、救世の英雄である。

 普通であれば空想か眉唾か、狂気の産物としか思えないことと捉えられなかねないが、

 リーザはレウスを全面的に信じ続けている以上はその点を疑うことなど微塵もない。

 

「リーザ殿下、……私がマルスであるのは……その」

 

 マルスは一つ呼吸を整えてから、

「この世界ではない場所ではありますが、あなたが僕の母上であるからです

 性別も、きっと性格も違い、

 そんなものがあなたの子などと言えば気持ち悪いでしょうが──」

 

 そこまでマルスが言うと、リーザは立ち上がり、猛然と歩き、

 もはや体当りするかの勢いで

 

「リーザ殿下?」

 

 彼女はマルスを抱きしめていた。

 

「……ごめんなさい、こんなこと私は言ってはならないかもしれないけど……

 どうか言わせて」

「は、はい……殿下のご随意に」

 

 女王の声ではなく、リーザは言葉を紡ぐ。

 

「おかえりなさい、マルス……私の愛し子」

 

 その言葉を聞いたとき、今まで耐えに耐えてきたマルスの心はあっさりと屈服してしまう。

 まだ迷い多き年齢から走り続け、皇帝に上り詰め、リュールたちとの旅をし、

 弱音を殆ど吐かなかった彼女の強固な精神は負けを認めた。

 仕方もないことだ。

 

「母上……はは、うえぇ……」

 

 広い謁見の間に二人の嗚咽が響く。

 母としてのリーザも、子としてのマルスも、お互いにお互いの親と子ではないと己で定義したとしても。

 それでも、二人にとって次元も空間も、あらゆる概念を越えて、どうあっても二人は親子だった。

 



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破砕から守るために

「忌々しい、肉体よ」

 

 ワープを多用したわけではない、それでもただ数度のそれでもはや治癒しきれぬほどの痛手をエッツェルの肉体は受けていた。

 

 そもそもとして、魔道とは人間が扱えるものではない。

 竜族の如き優れた生物種でなければ扱いきれないものだ。

 それを魔道書という概念に零落させ、扱わせてやっているに過ぎない。

 ごく一部のものや、聖戦士のように肉体を強化したものであれば別だが、多くの人間にとって魔道書なしでの魔道の喚起は命数を大いに縮めるものである。

 

 ほうほうの体で辿り着いたのは大陸北、ガトー最後の領地とも言える場所である。

 ギムレーたち以外に最早ガトーを待つものはいないが、

 それでもここが最後の聖域である以上、ここがガトーの家でもあった。

 

「ひどい怪我だな、ガトーよ」

 

 冷たい眼差しでギムレーが出迎える。

 肉体が変わろうと神竜の魂に等しいものを持つギムレーがそれを看破できないはずもない。

 

「そう思うのであれば、治癒の一つでもせよ

 ……などといって従うわけも」

 

 ガトーの言葉は半ば苛立ちと言うよりも自己憐憫に近いものであった。

 

 しかし、その返答は代わりに活力や精力を分け与える術である。

 あのギムレーが、邪竜が、フォルネウスの落とし子が。

 訝しげな目を向けるガトーにギムレーはほとほと見下げたように、

 

「今のギムレーはナーガと一つ

 どれほどにこのギムレーが忌まわしいとお前を睨もうと、それで救ってやりたくなるものよ」

「慈悲のつもりか、ナーガめ

 呪い子、贋作のナーガ如きが!」

 

 最早吐き出す言葉に何の余裕もない。

 それでも傷は癒やされ、礼を言うこともなく去っていく。

 進むは大陸最後の、そして最高の設備が整った研究所である。

 

「これよりどうするつもりだ」

「知れたこと、目的は達せねばならぬ」

 

 石階段を叩く音が響く。

 そこから現れたるもの──ナーガが嘆きと憂いを込めた声でガトーへと問う。

「人の身を得て、人の世を見てきたのではないのですか、ガトー」

 弱々しい声だった。

 人を思う優しい竜だからこそのものであった。

 

 ナーガは「それでもやるのか」と言いたげに言葉をしぼませた。

 

「黙れい、ナーガの似姿め!

 ……わしには最早この道しかない!

 このままでは美しきアカネイアは侵食されるのだぞ!

 お前も感じたであろうが!忌まわしき世界の神々の気配を!

 このままではやはり、我が予知の通りにアカネイア大陸は──否!

 この世界は破砕されるのだぞッ!」

 

 その瞳は理性と憎しみがある。

 私情と苦しみだけが他者に放たれている。

 

「……ボアめの臣民の力で多くの人間が死んだ

 その影響で弱っているわけか、やはりその程度で苦しむとは貴様はナーガではないわ!

 偉大なるナーガはそのようなことを──」

 

 ガトーは理解している。

 体の不調などはなかろうと、それでも神なるナーガであれば心を痛め、嘆き、それが身を苛む病となるであろうことは、誰よりナーガと共にあったと自負するガトーが知らぬわけがない。

 

「──そのような弱きものではないわッ」

 

 それでも、否定するしかない。

 眼の前のナーガもまた、ボアたちの戦場に現れた異邦の神々と同じ存在であるのだから。

 神なるナーガと同じだと考えてなるものか、と。

 

「……ギムレーよ、この聖域に近付くものあらば殺せ」

 

 ガトーの言葉に対してギムレーとナーガは否やという権利がない。

 ある種の呪いとも、機能とも言うべきものかが付与されている。

 ガトーは徹底して己以外を信用することはない。信頼することも。

 心を許す可能性のあった(トラース)はもはや人の手に掛かり死んだ。

 

 ───────────────────────

 

「この肉体でも、いや、人間の肉体である以上は限界はある……

 だが、この体(エッツェル)よりはマシであろう」

 

 調整槽(カプセル)に浮かぶ人影。

 眠るようにではなく、死したものの肉体ではあるが、ガトーはそれを修繕した。

 所々に欠損したものを補うために他者の肉体を利用した不細工なツギハギ人形と、口さがないものは言うであろうもの。

 

「貴様の子が健在であれば世界は壊れなかった、

 貴様があの場で打ち勝てば世界は壊れなかった、

 貴様の妻が魔竜に引き裂かれ食らわれていれば世界は壊れなかった、

 貴様が……貴様が弱くなれば、わしの代わりにレウスめを討ち取れたであろうに」

 

 返す言葉はない。

 もはやそこに御霊も血潮もないのだから。

 

「血を辿ればアンリと血を分けたものの血統、

 この世界を救い守る義務を代わりにこのガトーが果たしてくれようぞ」

 

 秘術が編み進められる。

 肉体を移り変えるための秘術が。

 

 ややあって、エッツェルの肉体がその場に崩折れる。

 そして、調整層の中にある『それ』がゆっくりと目を開いた。

 



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胎動

「やっかいだよねえ、ガトーの爺さまの計画ってさあ」

 

 マリーシアは聖戦士だからというだけではなく、

 数多の情報をラングやボアの権力を動員して引きずり出していた。

 それは例えばミロアの遺した記録であったり、

 辺境で研究をしていた錬金術師フォルネウスのものであったりと

 余人では理解の及ばないものであったり、断片的すぎて価値を見いだせないものばかりではあった。

 

「でも、確かにこれなら戦力に劣るガトーの爺さまでもひっくり返せ得る……か

 死者の復活は人間の夢じゃああるけど、結局完全な形でそれを行えるのはナーガ様が遺したオームの杖だけ

 例え爺さまでも完全な復活は望めず、やがて魔力も尽きて消えてしまうか」

 

 しかし、魔力が尽きないのならば復活は擬似的にでも行えるのか?

 結局のところ、それは違った。

 彼女の見た研究の果てにあったのは蘇生ではなく複製にすぎなかったからだ。

 

 だからこそ、その力はマリーシアにとって奥の手になり得た。

 

「自分であれば魔力の心配をする必要はない

 つまり……自分と完全に接続されたものなら……」

 

 数多の知識をこねくり回し、戦灰じみた技術を扱ってたった一人で集合知を為し、

 完成したものこそが写し身であった。

 

「爺さまの使おうとしている規模に比べれば、随分ささやかではあるけどね」

 

 ───────────────────────

 

 彼女が遺した手記にあった記録、その一部は以上のようなものである。

 

「で、ガトーがやろうとしている計画ってのは」

 

 レウスを含めた諸将は手記を解析し終わった学院一同とガーネフの話を聞いている。

 

 未だ戦いは終わらず。

 ガトー討伐までアカネイアに平和なし。

 

 遠かった終戦もあと一歩。

 ガトーを追い詰める日は近づいている。

 東西決戦が終わったからと言って気を抜くようなアリティア軍人はただ一人もいなかった。

 

「死者を自らに連結し、自らの手足として動かすこと」

「おいおい……そんなことできるのかよ」

「余人であれば無理であろうな、わしであっても、或いはミロアであってもな」

 

 ガーネフはガトーの計画を透かして見たスケールの大きさから、もはや悔しさすら浮かんでいなかった。

 

「不可能ではないのう」

 

 ロプトウスがそれに口を挟む。

 

「かつて、わしが差配していた戦争で、わしと共に戦った魔道士がおった

 類まれなる魔力を持ち、人間の限界を遥か遠くに置き去りにした男子(おのこ)がな」

 

 名をユリウス。

 ロプトウスを身に宿しながらも、その自我の殆どを有していた。

 ひとえにそれは魔道の才能によるものであり、それ故に十二魔将とも呼ばれる死者たちの軍勢を率いていた。

 

 彼を支えたロプト教団の首魁マンフロイはユリウスを利用し、

 暗黒神ロプトウスの顕現を狙い、しかしそれが成就されなかったのはひとえにユリウスの才能によるものであった。

 彼が少し愚かであるか、少し魔力魔道の才能に劣っていれば、その肉体はロプトウスのものとなっていただろう。

 だが、そうであれば魔将を操ることはできず、

 当時の聖戦士たちにあっさりと制圧されていたのだろうから、

 マンフロイからしてみれば上手くいかない未来ばかりが残っていたとも言えるが。

 

「人間の身であっても可能、それが遥か古より生き続けている竜族であればできぬほうがおかしいであろうな

 それを行えば最後、蓄え続けた魔力を喪失し、

 勢いの付いた蝋燭のように消える運命であろうが……

 それすら厭わぬのであれば聖王国をも圧倒するだけの軍を死者によって編成し、攻め寄せることは不可能ではない」

「消えても構わないからオレたちを滅ぼしてやるってか

 ボアよりも性質(たち)が悪いな」

「随分と好かれたものだな」

 

 ミネルバの軽口に議場には笑いが起こる。

 やれやれとレウスは吐息を漏らしてから、

 

「ガトーがいるであろう場所はどうだ?」

「割れた

 ナギ殿の協力を得て理性なき飛竜を扱い、確認済みでもある」

 

 ガーネフは側に仕える学院生徒に支持し、議場中央にある巨大な円卓に用意された大陸地図に駒を乗せる。

 

「大陸北西部、通称『聖域』」

「そこが最後の決戦の舞台ってわけだ」

 

 レウスの言葉に一同が頷いた。

 

 ───────────────────────

 

 軍の準備もあり、出立には数日掛かるとされた。

 死者の軍勢が動くにしてもまだ先だとガーネフは言う。

 

 ロプトウスも

「それほどの巨大な魔道ともなれば予兆がある

 予兆があってすぐに発動できるものでもない」

 ガーネフもそれには同意見のようで頷いている。

 

「予兆の後、発動まで数日は必要であろう」

「だが予兆が今にも始まるかもしれない、って言いたいわけだ

 ……そんなら、準備はさっさとしないとだな」

 

 東西決戦で大きく被害を受けた軍。

 グルニアやマケドニアなどの地方となった場所から編入されて軍として再編し直すにしても時間はいくらあってもよい。

 アカネイア軍やオレルアン軍、それに臣民との戦いで防備を損なった土地や城塞も少なくない。

 

 そして、戦いに赴く個人たちにとっても戦う理由を明らかにするためにの時間は必要だった。

 



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うららか

「妙なことを言うが」

 

 ラニが口を開く。

「どうぞ」とカチュアに出された茶に口をつけながらしみじみと、

 

「家に帰ってきた心地だな」

 

 そんな風に呟いた。

 

 ───────────────────────

 

 戦いのあと、さて我らはどうするべきかと考え、一同はオレルアン主城へと歩みを進める。

 が、彼らがオレルアンに到着することはなかった。

 戦いが終わったのか、その肉体は光として解けていき、気がつけば円卓へと戻っていた。

 

 顛末については円卓中央に浮かぶ、アカネイア大陸の様々な場所を中継する景色によって知ることになる。

 

「こうして終わってみると──む、感謝する──少し寂しくもあるか」

 

 やはりカチュアから茶を受け取り礼を述べながら、マルギットも言う。

 そうした感情がこいつにもあるのか、と言いたげにメリナは見ていた。

 

「あとは最後の一人、そして最大の敵が残るばかりと……」

 

 マリケスは円卓から見える各地の風景に怪しい影がないことに安堵をするような、

 或いは不気味さを感じるように言う。

 

「私達が行ければ力にもなれるだろうけれど」

「多くの介入はレウスも望まぬところだろう」

 

 メリナの言葉を引き継いでラニが言う。

 竜教団という新たな宗教によって人心を纏めているところに別の神が現れ、信仰が複雑に別れることを喜ぶとは思えない。

 だからこそ、可能な限りそれを避けようと考えるのがラニでもある。

 

「ここまで開発した諸々の道具はもったいなくはあるがな」

 

 鈴を始めとして、あの戦いでも披露しきれなかった『秘密兵器』のことを惜しむように言う。

 

 ───────────────────────

 

「あ、あの、女王陛下」

「母上と呼んでくれないのかしら、寂しいわ」

「……は、……母上」

 

 マルスはリーザに甘やかされていた。

 女王の職務は忙しくはあるものの、皇帝としての経験もあり、

 レウスからの信頼が何より強い彼女は既にリーザの影の片腕として働きを見せていた。

 

 リーザがもう一人増えたような処理能力であるからこそ、時間を作ることができた。

 クロムやルキナをあやしたりする時間も得られたし、

 母親に甘えるように、共にお茶をしたりする時間も。

 

 そして、現在のように、

 

「はあ……とってもかわいいわよ、マルス」

「母上、その、それなりに筋張った体をしている僕にはこうした可愛らしいドレスは似合わないかと……」

「似合います!」

 

 ぴしゃりと言い切るリーザに抗言できようもない。

 

「それに、今日はあなたに会いたいと願う人もいるのですから精一杯おめかしをしてもらわないとね」

 

 その予定自体は事前に聞いていたものの、誰と会うのかまでは聞けていない。

 聞いたところではぐらかされるのが目に見えていたからだ。

 少しいたずらっぽいところも含めて、彼女が自分の母親そのものであることを重ねていた。

 それは悪いことではなく、嬉しいことだと当人に言われているからこそ、

 ネガティブに捉えることはないものの──

 などと考えていると、

 

「はい、これで完璧ね

 どう?」

「その、気恥ずかしくはありますが……可愛らしい、と、思います」

「じゃあそろそろ本題へ行きましょう」

 

 メイドの一人に視線を向けると、彼女は小さく頷いて部屋を出る。

 ややあってノックが叩かれた。

 リーザが入室を許すと、そこに入ってきたのは

 

「シーダ!……っと、申し訳ありません、

 タリス王女シーダ様、僕は──」

「なんて可愛らしいんでしょう!

 ええと、ごめんなさい

 ご挨拶が遅れてしまいました、マルス様

 私はシーダで……その、はじめまして」

 

 切れ味の鈍い挨拶をするシーダは珍しいが、それも昨日のリーザと同様である。

 彼女が功労の場で止まったのも性別の違いなどを超えて、

 マルスのありようが生前の王子にうり二つであったからだった。

 

 それを理解しているからこそ、どう反応するべきかを考えるマルスだったが、

「シーダ様のことを、僕がいた世界で呼んでいたようにしてもよろしいでしょうか?」

「ええ、それは勿論」

「その……、こほん、し、シーちゃん……」

 

 シーダに電撃が走る……ような衝撃が響いた。

 

「よければシーちゃんも、マルスと呼んでくれないかな

 様はどこか他人行儀に感じて」

「はい……マルス」

 

 その光景をドアの隙間から見ているレウスに対して、

 リーザの腹心たるメイドは特に感情を映さず、

「陛下も中に入ればよろしいのでは?」

 率直な意見を飛ばしていた。

 

「……あの場に、あの三人しかいないからいいんだよ……」

 

 口をついて「少々気持ちが悪いかと」などと出そうにもなるが、

 不忠不敬なことを言わないのが努め。

 メイドの業務は過酷である。

 

 ───────────────────────

 

 フィーナはマルスと共にアリティアの土を踏むことになったのだが、

 立場としては微妙であった。

 

 微妙というのは勿論、フィーナ自身の感想であり、

 既知の間柄であるシーダやレナ、リフはよくしてくれた。

 

 ただ、自分が離れている家にシーダは子を儲けており、

 レナは政治的にも重要な立場に(噂では聖王のお手つきだという話まであった)、

 リフに関してはきずぐすりを主に商う大店を立ち上げていた。

 

 なにより驚いたことがあるとするなら、レウスが大陸最大の国の王(のようなもの)になっていたことである。

 知識として知ることと実感として得ることには大きな隔たりがあり、

 実際に『王様らしい振る舞い』をしているのを見るとびっくりしてしまう。

 

 そのような色々な事情からも、フィーナは手持ち無沙汰であった。

 

「暇そうじゃのう、フィーナ」

 

 声を掛けてきたのはロプトウス。

 竜教団の信仰対象そのものである。

 

「ロプトウス様」

「我らアリティアはこのまま平和というわけにはいかぬ

 東西決戦とガトーとの決戦、その台風の目にいるようなもの」

 

 フィーナもそれらのことは伝え聞いている。

 

「だが、限られた安寧の日々だからこそやるべきこともある」

「それは?」

「祭りよ、死者たちを弔う祭り」

 

 あの戦いでは敵も味方も多くのものが死んだ。

 罪のない民たちも。

 

「フィーナ、おぬしの舞は人の心を癒やし、或いは鼓舞するものと聞いている

 ひとさし、わしの前で舞ってみてはくれぬか」

 

 かのような願いに答えないほど忙しくはない。

 人目のあるところで踊れば暇も去り、気も紛れる。

 無心で踊ったあとに来るのはロプトウスの拍手であった。

 

「見事見事、うむ、レウスの言う通りであった」

「喜んでいただけたなら嬉しいです」

「無論、大いに喜んだ

 ……どうじゃ、フィーナ

 より多くのものを喜ばせてはみないか、おぬしの舞で救われる我が信徒たちがおるのだが」

 

 自らの持つ技術を求められれば頷きたくなるのがフィーナという踊り子である。

 特にやることもない状態であれば、だ。

 

「ぜひ!」

 

 その後にロプトウス派以外の『ハッピ』が信徒たちの中で増えることになるのだが、それはまた別の話である。

 



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晴天、遠く

 カダイン魔道学院やオールドカダインは『それ』に対しての備えをしていた。

 だが、『それ』に気がついたのは彼らだけではなかった。

 

「シーダ、起きていたか」

「はい、ミネルバも」

 

 いつからか二人は同じ夫を持つものとして、そのように呼び合っている。

 信頼関係は強く、何があっても彼の子たちを守ろうと誓っていた。

 それが例え我が子でなくとも。

 

「子供たちは無事だ」

「よかったです……

 でも」

「事前に聞いていなければ混乱していたかもしれぬ」

 

 ミネルバとシーダは空を睨む。

 

 扉を開いて入ってきたのはマリアとチキであった。

 メディウスのもとで守ってもらうかという話も出ていたが、

 メディウス自身がガトーが死にものぐるいで、或いは死んででも自分を倒せば封印は破られ、そうなれば守るものも守れないからとアリティアへと送った二人。

 

 彼女たちもまた世界に拡がる異変に気が付き、我が身よりも幼子たちをと現れたのだった。

 

「姉様!これは」

「軍議で聞いてはいたが……」

 

 チキが眉根を潜め、

「力を……覚醒めさせたんだ」

 吐き気を我慢するようにしながら言う。

 

 ───────────────────────

 

「来てしまったか」

 

 ナギは理性を失った竜族を纏め上げている。

 理性なくとも、彼女の側にいることで自我は繋がり、かつての叡智こそ持たないものの、

 ナギに従い、アリティアを守る意味と心を持っていた。

 竜教団の発展があれば自分たちのように損なう竜族が少しでも減ると信じているのだった。

 

 その竜族もナギの声に反応するように空を睨む。

 

「ガトーよ、大義名分として振るっていたものも捨て去り、どこへ行くのだ」

 

 雲が渦を巻くように空であがいていた。

 

 ───────────────────────

 

「皆、集まりなさい

 ……世界が終わるか、それとも続くことができるかの戦いが始まってしまうわ

 力を持つ私達が傍観者にはなれない

 戦いに行かねばなりません

 でも、せめてもう一度あなたたちを抱きしめさせて」

 

 エレミヤの言葉にカタリナとクライネが頷き、エレミヤに抱きしめられる。

 

「ほら、あなたも」

「勘弁してよ、ママって呼んじゃいかねないんだから」

「ママと呼んで構わないですから、ね?」

 

 根負けしたように長女(クリス)も側へと。

 

「……大丈夫だよ

 なにがあったって皆は私が守るから」

 

 エレミヤに抱かれるではなく、エレミヤを抱き締めるようにしてクリスは続ける。

 

「世界を守る戦いはこれがはじめてじゃないんだ」

 

 ───────────────────────

 

「……始まったんだね、ユミナ」

「ええ、でも恐れることなんてないわ、ユベロ」

 

 グルニア主城で二人が空を見上げる。

 

「ガーネフ様と一緒に作り上げた魔道具も準備はできた

 ユミナも」

「ええ、攻めるための力は他の聖后様たちが持っておられるもの

 私はあなたの作ってくれたもので守るための戦いに回るわ」

 

「僭越ながら、皆を守るユミナ様を我らでお守りさせていただきたく」

 

 ロレンスと、黒騎士の三人が戦装束を纏って傅いた。

 

「では、グルニアは守りのための戦いに入ります

 地方として歴史と文化を尊重してくださるアリティアへの恩返しでもあります

 黒の誇りをかの大悪、ガトーに見せつけましょう」

 

 カミュの纏っていた鎧の、その意匠を引き継いだ装束を纏ったユミナとユベロがまっすぐに立つ。

 

 ───────────────────────

 

「ったぁ~~~

 運がねえよなあ、オレたちはよ」

 

 ようやく取り付けたレウスとの約束。

 それが明日に迫っていたところで世界の明日を占う戦いの、その予兆が始まった。

 

「どうかな」

「おいおい、ホルスよお

 本気で困ってるんだぜえ」

「わかっているさ、だが……むしろ好機ではないか?

 戦いともなれば戦功を稼ぐことができる

 特に未だ復興が完了しておらず、防備も薄いオレルアンであれば目立ちやすかろう」

「素直に言えばいいのに、ばか

 故郷が心配なビラクのために一緒に行ってやるの一言で済むのに」

 

 ホルスとアテナを見て、ぽかんとするビラク。

 それから、微苦笑を浮かべて

 

「った~~~~っく

 お前らはどこまでいい男にいい女なんだよ!

 こっちの売り文句がぶれちまうっつーの」

 

 三人はそれぞれに笑い、誰ともなくオレルアンへの道を歩み始めた。

 飛竜にホルスとアテナ、オレルアンの名馬であればオレルアンを守る戦いに間に合わないはずもない。

 

 ───────────────────────

 

「坊っちゃん、準備はできたぜ!」

「この戦いで引退させてもらいたいもんですな」

「勇退なさるとしてその後に何をやるのです

 畑いじりという柄でもありますまい」

 

 どやどやと入ってきたかつてグルニアから降った三人のおっさん──今やアリティア聖王国東部領アカネイア地方になくてはならない重鎮たちが

 急変した空の様子などどこ吹く風といった感じで入ってきた。

 

 歴戦だから落ち着いているのではない。

 自分が……つまりはエルレーンが年若いからこそ安心させるために努めて冷静でいようとしているのだ。

 それがわからぬエルレーンでもないし、それが伝わらないと思わない三人でもない。

 

「とはいえ、狙われるとしたなら」

「エレミヤ殿たちが詰めている神殿に、か」

「ええ」

 

 グルニア式で鍛え上げた兵団と、遠距離から支援するためのシューターの準備はできており、既にエイベルの指揮下に入っている報告は受けている。

 それでも他に何かできることはないかと探してしまうのは聖王国の、というよりはレウスの幕下に入って長い彼らの癖のようなものだった。

 

 ───────────────────────

 

「騒がしくなってきたな」

「はあ……正直、ガトーがここまでやるとは思いたくなかったんだけどな」

 

 神殿を擁する街は兵士たちによって活気づいて、行商人やら食い詰めものたちが商売をはじめたことでちょっとした城市の様相を呈していた。

 

 空の『うずまき』は凶兆そのものにしか見えず、しかしエレミヤが人を集めて行った演説によって平静は保たれている。

 

「いや、クリス

 お前やお前の周りの人間にしたことを考えりゃあ、ここまでやるってのはわかりきってたよな」

「どうだろうな……

 今になってみればそれほど個人の恨みがあるわけでもない

 かつての知己としてそう思う分にはいいんじゃないのかと思うけどな

 一人くらいはあいつの善性に期待する奴がいたってさ」

 

 チェイニーがガトーを思うほどの感情を、クリス自身は持っていない。

 クリスが向ける感情の先は神殿とその周りをどのように守るべきか。

 そして、マクリルをいかにして解放してやるか。

 それだけだった。

 

「巨大な悪を討つのは聖王陛下に任せるさ

 チェイニー、ガトーに会いたいってなら」

「いいや、おんなじだよ

 行ったところで言うこともない、止めれることもない、止まったところで罪も消えない

 ……ここまできたら行くところまで行くしかないなら、風来坊を気取って神竜から離れた以上は直接的に関わる権利はないんだ」

 

 だから、とチェイニーはクリスを向く。

 

「お前の側では、最後まで戦わせて欲しいんだ、クリス」

 

 いつもはのらくらとした男の、まっすぐな言葉。

 クリスは小さく笑うと彼の背を叩き、

 

「ああ、やれるところまでやってやろうぜ相棒」

 

 快活に言い切るのだった。

 

 ───────────────────────

 

「……一体、アレは何だ?」

「わからない、だが自我を失ったものどもが現れたのと同じでなにかの凶兆だろう」

 

 ウルフとザガロは状況を飲み込めずにいた。

 彼らはアカネイアに下る最中で臣民たちに襲われていた村を助け、

 彼らの頼みによって駐留していた。

 

 元々が五大侯が支配していた地域であり、山賊もそのままに放置され、

 村は常に危険と不幸が折り重なっていた。

 彼ら二人が来てからは少なくとも危険は排除されたものの、臣民との戦いには苦慮した。

 防衛戦を続ける中で戦いは突如として終わり、臣民たちも死んだ。

 

 アカネイアが滅びたのを聞いたのと殆ど同時に空の様子は一変する。

 

「また……何かが始まるのか」

「いいや、まだ、何かが始まってしまうというべきなのかもしれない」

 

 不安そうに空を仰ぎ見る人々。

 騎士であればこの不穏な空気にアリティアに行くなりして戦いに同行する道もあるかもしれない。

 だが、

 

「ザガロ、俺たちはもう騎士じゃあない……群れを失った狼だ

 だがこの村のものたちはそんな俺たちにも優しくし、そして頼ってくれた

 戦いが終わった後も家を融通してくれて、好きなだけ住んでくれとまで言ってくれた」

「わかっているよ、ウルフ

 騎士じゃない

 この村の住人で、ちょっと武器の扱いが上手いだけの村人さ」

「……世界の変事に関わることなんて、俺たちにはできない

 だが、変事によって村に再び危険と不幸が降り注ぐなら」

「盾になることくらいはできる」

「ああ」

 

 かつての栄光もない。

 かつての名誉もない。

 しかし罪は清算の機会もなく、呪いのようにのしかかる。

 それでも、オレルアンの、ハーディンの選んだ勇士であるのは変わらない。

 

 彼らは身分ではなく、寝物語の騎士のように英雄となろうとしていた。

 小さな村の、語られぬ英雄の道を確かに歩み始めたのだった。

 

 ───────────────────────

 

「始まったな」

「うむ、そうだのう」

 

 メディウスが空を見上げる。

 

「……いざとなったときは」

「封印を崩し、地竜を放つつもりか」

「ナギさえ存命であれば従えることもできよう、文明も文化も大いに後退するであろうがな」

「その判断を止めれはすまいよ、メディウス

 だが、きっとそうはならぬ」

「信頼しているのだな」

「ああ、わしが出会ってきた人間たちのなかでも、特に頼りがいのあるものたちよ

 あやつらにどうにもできんならば、誰にも解決はできまい」

 

 かつてのロプトウスからは考えられない言葉だった。

 竜としてのというべきか、神としての格でいえばナーガに比肩するほどとまで言われたロプトウス。

 全てを包む終焉の暗黒、それを体現する存在が。

 

「甘くなったものよな」

「お互い様であろうさ」

「であろうか……であろうな」

 

 メディウスもまた笑う。

 彼も今ではチキにメディウスおじいちゃんとなど呼ばれ、

 マリアからもお祖父様と慕われている。

 そんなことに感情を動かさぬメディウスであったが、それはそれとして頼ってくるものを追い返すようなこともしない。

 いや、感情を動かさぬと自らを定義したのはメディウスでしかなく、

 ここでようやく自身にも他者への甘さのようなものがあることを自覚したのだった。

 

「新たな発見もある、か

 ……まだまだ続いてもらわねばな、この世界には」

「そうだとも、メディウス」

 

 ───────────────────────

 

「こっちに来たのですね、フィーナ」

「レナ!会いたかったよ~」

 

 ひとしきりの再会を喜び、

「彼の側にいなくてもよかったのですか?」

 とレナは単純な疑問を述べる。

 彼女の目からしてもレウスはフィーナを求めているようでもあったからだ。

 

「わたしも側にいたいけど……なんだか依存しちゃいそうで

 ロプトが誘ってくれたお陰でここで自分を見つめ直して、自信満々になってから側にいたいって願い出るつもり」

 

 まだ幼いとも見える彼女であるが、その思慮は大人の自分でも難しいと思っていたこと。

 その優れた精神性にレナは他人の振る舞いながらも嬉しく思ってしまう。

 

「では、共にそうなれるように頑張りましょう

 ……というのは、依存になってしまうでしょうか」

「そういうのは友情ってことにしたいかな」

 

 フィーナが笑うと、釣られてレナも笑う。

 

 やがて空に奇妙な兆しが現れる前の、ドルーアでの一幕であった。

 

 ───────────────────────

 

「あなたも起きていたのね、エリス」

 

 リーザがバルコニーへと現れた。

 

「ええ、母上……なにか、胸騒ぎがして」

「私もよ、良くないことが起こりそうな、そんな」

 

 思えば、前夫コーネリアスが討ち死にした日もこうした予感が胸を締め付けていた。

 

「母上、姉上」

 

 暗い表情の二人の背に、マルスの声が掛かる。

 

「僕も交ぜていただけませんか?」

 

 柔らかく微笑む。

 手に持っていた甘い紅茶が入ったカップを二人に手渡し、

 

「大丈夫です」

 

 二人の心を包みゆく思い暗闇のようなものを、マルスはその一言で切って晴らした。

 

「僕がいます、先生もいます

 そして僕と先生には母上と姉上がいます

 この絆の灯火を拭き消せるものなどどこにもいませんよ」

 

 エリスは受け取ったコップをバルコニーと外を区切る塀へと起き、

 そっと抱き寄せる。

 

「ありがとう……心強い妹がいて私は本当に安心できていますよ」

「ああ!エリス!狡いわよ、私も」

 

 そういってエリスを巻き込む形で抱き締める。

 いつのまにか二人の不安は消えていた。

 

 この後に空に凶兆が浮かぶが、リーザもエリスもその禍々しさに膝を折ることはなかった。

 

 ───────────────────────

 

 レウスは一人、トレントを駆って遠乗りをしていた。

 散歩ではない。

 夜に誰かに呼ばれたから。

 それが誰かかはわからない。

 国家の最大権力者の行うべきことではない。

 死して戻れるという慢心があったからでもない。

 

「まさか来てくれるとは思っていなかった」

「アンタに呼ばれたら来る他ないだろ、ナーガ」

 

 黄金律のナーガ。

 神たるナーガが去ったあとに現れたもの。

 

 現在のアカネイア大陸においてのナーガと言えばこの存在であり、

 ガトーの言う神たるナーガを知るもののほうが最早少数派である。

 

 ルフレと呼ばれる未来があったであろう姿。

 その姿を借りているナーガの表情は申し訳なさげで、年相応の少女にしか見えない。

 

 或いは、精神年齢として本来はその程度でしかないのかもしれない。

 レウスはぼんやりと思う。

 どうあれ、

「で、用件はなんだ?

 人目を忍んで逢い引きするような関係でもないだろう」

 その言葉にナーガはそれはそうだが、と困ったような表情をする。

 

「悪かったよ、言い方も性根もな」

「意地もだろう」

「よく言われる」

 

 だが、その会話で緊張がほぐれたようでもあった。

 

「この場にいる私は本当のそれではなく幻影であることを許して欲しい」

「ガトーの目があるからか」

「ええ……それにいくら神竜族と言えども一足でここまで来ることはできなくて」

 

 レウスは彼女に聞きたいことが山程あった。

 それは彼女も同様のようで、

 

「狭間の地から来たのでしょう

 あの戦いを見た

 懐かしい顔が幾つもあった、私のことを憎く思っているだろうけれど」

「どうだろうなあ

 円卓ってところに住んでいるあいつらはもうそういう恨みとかはなさそうなもんだが

 ……アンタは」

「エルデの獣、そう呼ばれていたものだ」

「オレの会ったそいつは対話なんて無理そうだったが」

「私もここに来るまではそうしたものを持てていなかった

 貴方と同じで、偶然この世界へと流れ着いたから変質したのでしょうね」

 

「この世界をどうしたいんだ」

「このまま人の手によって維持され、或いは変わっていけばよいと思ってはいます

 ですが」

「ガトーはそうじゃないだろうな」

「彼の望みは世界の破壊と再生、そして作り直された世界でナーガとして世界の管理をし続けること」

「可能なのか?」

「可能とはとても思えません、ただ」

 

 忌々しげにと言える表情で、

「破壊するまでは可能でしょう」

 それに対してレウスも返答はしないが、同じように渋面を作る。

 

「私がお呼びしたのはあなたに頼みたいことがあるから」

「亡命でもするのか?」

「素敵ですが、そうではありません」

 

「私を殺しに来てください、エルデの獣を殺した貴方ならばできるはずです」

 

「今すぐに、ではなく……儀式が始まり、ガトーの野望が動き出してから

 私がいる場所は強力な結界があり、誰であっても入ることはできないでしょう

 儀式が始まり、その維持のために結界も解除します」

「助けるじゃあだめなのか?」

「ええ、ガトーが行おうとしている儀式の中心が私であり、私を殺さない限り儀式が止まることはないのです

 こればかりは例え魔道の天才が何人いようとも解除は叶いません」

「……悔しいが、わかった

 ときが来たらアンタを殺しにいってやる

 それまで大人しく待っていてくれ」

 

「ありがとうございます、偉大な褪せ人よ」

 

 幻影が少しずつ消えていく。

 

「どうやら時間のようです」

「なあ、ナーガ

 アカネイア大陸は、この世界は好きか?」

「……ええ、愛しています

 褪せ人、貴方は?」

「そりゃあ、勿論愛しているさ」

 

 その言葉にお互いに微笑む。

 やがて空に不気味な風に誘われて渦が巻き始める。

 

「じゃあな、ナーガ」

「ご武運を、褪せ人」

 

 魔王ガトーによる世界破砕の計画が動き出す。

 失いながらも一つとなったアカネイア大陸は生き残りを賭けた決戦の幕は切って落とされようとしている。

 



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開かれた大釜

「何が起こっているか!」

 

 ミネルバの声が響く。

 

「各砦から飛兵が到着!

 闇から現れた兵団に攻撃されているとのこと!」

「兵団?

 旗はどうだった」

「本来何かが書かれていたものの上から、ナーガ神教のシンボルが刻まれていると」

「ナーガ神教……」

 

 ミネルバはやはり来たかという感情と、こうした形で来るにしても規模が違ったという見込みを外した焦りの二つが浮かぶ。

 この軍の主は間違いなくガトーであろう。

 アカネイアの大地にて最早かの教えを前に前にと出すものは殆どいない。

 まして、軍を動かせるようなものは存在しないのだから。

 

「ミネルバ様」

「ユミナ様」

 

 陣幕に入ってきたのは黒騎士の意匠を元とした軍服を纏ったユミナ。

 まだ幼いとも言える体躯でありながら、それを着こなしているのは当人の美しさと、

 それ以上に王族としての自覚と資質に溢れているからだろう。

 

「グルニアはよろしいのですか」

「あちらにはユベロとロレンス、それに黒騎士団がおります

 ここへは私だけで参りました

 細やかな腕ではありますが、どうか共に戦わせていただきたいのです」

「細やかなどと」

 

 ミネルバが座しているのは東西決戦において東側の司令部に使われていた場所である。

 オレルアン、五大侯領、アカネイアその全てを見通せる地形であり、

 自然の要害とも言える守りを持った拠点。

 ホルスタットが片腕を失い、療養の件もあり後方へと下がり、この拠点はミネルバが引き継いだ形である。

 

「手記では現れるのは」

「死者だという話でしたが……この数は」

「東西決戦で倒されたものたちと、それ以前での死者たち

 全てではないですが、その装備などから時系列は様々なようです」

 

 第一報で知らされたもの軍勢の登場についてのみ。

 情報獲得のために白騎士団だけでなく、グルニアで調練された飛兵や各国で引退していた天馬、騎乗竜乗りまでを動員している。

 

 勿論、強制ではない。

 

 しかし引退者の多くは半身たる騎乗動物を失ったことや、今は亡き国家への不信からなるものが多く、

 大陸の平和を賭けたものだと知ったものたちは去った理由を捨ててアリティアへと集っていた。

 

 決戦直後の六倍にまで増えた空を舞うものたち。

 彼らはこの戦場で次々現れる兵団の観察と偵察に全力を振っていた。

 急拵えの軍とは思えぬほどに見事に統制の取れたものであった。

 

 パオラの号令のもと、空からの目を持てるものは生き残ることそのものが仕事だと発した。

 生き残ることは、命を散らすことよりも難しい。

 戦いを生き延びて、包帯を巻いたまま戦う姿は吟遊詩人の唄や人々の語り草になっている。

 生存し、国に尽くした彼女の言葉はなによりも重い。

 

 報告が集まっていくと、敵軍の姿は徐々に明らかになっていく。

 

 秀でたる武将の姿こそないが、兵団はエリートと言える部隊も多く混じっている。

 それは例えばアカネイア軍総司令でもあったオーエン伯爵の麾下であったり、

 アリティア王国軍のコーネリアス王の麾下であったり、

 グルニアでルイが軍を纏める以前に暴れ回っていた軍属の鼻つまみものたちであったり、

 バリエーションだけでいえば、めまいがするほどに豊かだった。

 

「ですが、死者には代わりありません」

 

 ユミナの言葉にミネルバはどういうことかという表情を向ける。

 

「このときのためにアンナ、ララベルをはじめとした商人たちに協力を求めました」

 

 アンナやララベルのことを呼び捨てにしているわけではなく、

 それが彼女たちの屋号であるためだ。

 

「ディルと呼ばれる魔法です

 歩く死者を魔物と捉えるなら覿面に力を発揮するものだと聞いています」

 

 ガーネフはその魔法の存在こそは知っていたものの、よもや魔物が投入されるとは考えていなかったためか、

 ユミナが学院に持ち込むまでその存在を忘れていた。

 現在のアカネイア大陸においてはそれくらいに魔物は遠い存在であった。

 

 ユミナはユベロのように開発者的な先見性はない。

 しかし、その代わりに彼女には未来そのものを見通す力が強かった。

 何が敵となるか、そしてどの敵であれば脅威となりうるか、

 国家を運営するための技術や知性の、その延長線上で物事を考えることに長けているのだ。

 

 果たしてディルはカダイン魔道学院によって解析、再開発され、

 ユミナをはじめ、各部隊に配られる予定となった。

 しかし、ガトーの動きは開発速度よりも早く、ユミナはやむなく元となった漂流物のそれを持ち込んだ。

 

「オールドカダインやアカネイア地方の神殿でもこの状況に対応するための武器や策は講じられています

 ガトーはおそらくそれを考えて死者たちを動かしているのでしょう

 彼らの動きが情報網を分断するようにも見えるのはそのためかと思います」

 

 ミネルバも頷き、

 

「けれど、その点においてはこちらが上回りました

 こちらの飛兵は数も質も予想を許さぬものになっている

 各地で行われた対策は必ず空を経由して纏め上げます

 そのためにも」

 

 ミネルバは武器を掴む。

 

 口惜しい。

 前線指揮官を任じられていなければすぐにでも飛び出すのに。

 彼女の顔はそれは浮かべ、しかし抑え込む。

 

「まずは最初の陸戦に勝利を飾りましょう」

「はい!」

 

 ───────────────────────

 

 動きが早い。

 予想よりもずっと早い。

 

 まるでこちらの行動を読み切っていたかのように。

 

 ……誰の入れ知恵であろうか。

 マリーシアは死んだ、それは確認している。

 あの女ぐらいしかこちらの行動を読めるものはいないと思うが。

 ガーネフか?

 ……いや、あの男にはこのガトーの影すら踏めていない。

 この大魔道の理屈の、一欠片すら理解できまい。

 

 贋作のナーガの黄金律を使い、今なお残り語られるアンリ伝説を唄う吟遊詩人たちを媒介にして、大陸に巨大な網を作る。

 幾何学模様的に広がった網、その戦場で散った記録のある兵士たちの命に黄金律の力を注ぎ、蘇らせる。

 正確に言えば、死者の記録をもとに土塊人形として構成し直しているだけであるが。

 

 中には優秀なものは土塊ではなく人体をベースとして再構成(擬似的蘇生)を施したものもいる。

 

 記録を読み込んでしまえば、その記録は二度と読めない。

 二度と読めないということは、不死身で大量生産、やり直しまで聞く兵団の作成……それが叶わぬということ。

 それでも安価で使い捨てしても問題ないほどの死者が眠るのがアカネイア大陸とその歴史。

 

 アリティア聖王国如きが粘ったところで、数には限界がある。

 

 網に引っかかった死者どもで戦場を荒らすことができているうちに、自分もやることはやらねば。

 まずは最大の絶望を一手目にしてやろう。

 心を折ってしまえばあとは一局面ずつ大量の兵団で潰してしまえば終いである。

 

 東西で出現させた我が死者の兵団、つまりは尊厳の全てをこのガトーに手渡した

『捧げしもの』どもを使い、注意を引く。

 その間にアリティアへと赴く。

 邪魔するものが現れたとしても、むしろ準備運動にちょうどよいと言えるだろうものだ。

 

 擬剣ファルシオンの柄を握り込む。

 やはり擬剣といえどファルシオン、……この体によく馴染む。

 

 ───────────────────────

 

「敵の数はどうか」

 

 女王リーザは城内と近郊に配置された諸将を集め、軍議を開いていた。

 

 報告から出た敵の数。

 アカネイア王国とオレルアンの二面作戦の敵の数を5としたなら、

 臣民の群れ、つまりはアカネイア大帝国の兵数を10。

 今回の死者たちの軍勢は7程度。

 

 ただし、その装備はどうにも死亡時に由来しているらしく、

 間に合せの装備のものは余りおらず、がっちりと着込んでいるようだ。

 小競り合いも発生しており、そこでの話では意思疎通は不可能だが、生者……それも生きていた頃の武芸や所作などを完全に持ち得た状態であるという。

 戦術に関しても高度とまではいかないが、基礎部分はしっかりと得ている軍人の動きで統率されているのだとも報告がある。

 

 脅威度で言えば、アリティア聖王国軍が相手をした敵で最も高い……つまりは最大の強敵であると言える。

 

「ユミナ様よりご報告もあります

 漂流物の魔道書ディルは極めて有用、他の魔道書の数倍以上の効力を発揮……とのことです」

「問題は使用者と量産についてになりましょう、ガーネフ学長」

 

 リーザに呼ばれるとガーネフは立ち上がり、

 

「初戦には間に合わぬ

 ただ、順次ディルを持った魔道兵の配属を進める予定だ」

 

 首都防衛と近郊の巡回には持たせて実地データを集めている段階でもある。

 殆ど漂流物と同じ性能である故に危険はないが、それでもデータは多ければ多いほどよい。

 この戦いの後に実地データが役に立つこともないとは断言できない。

 戦闘以外に役立たないなら不要と断じないからこそ、ガーネフはアリティアに骨を埋める覚悟をしていた。

 

「あの死者の兵団ですが、」

 

 オールドカダインの責任者でもあるヨーデルが続けるように、

 

「無限に復活できるものでもないそうです

 また、どうやら復活できるかどうかは我らアリティアが開発した対ワープの装置にも影響があるようで」

 

 アリティアの大部分ではワープを封じるための装置がそこかしこに配置されている。

 普通の魔道であれば何の影響もないが、ワープやレスキューといった転移に属する魔道は使用できないようになっている。

 どうやら、蘇りの魔道もまたその影響を受けるらしい。

 ワープを阻害する影響というよりも遠距離からの魔道の効果を打ち消している作用があるのではないかとヨーデルは見ていると報告する。

 

「これを受けて、対ワープの装置の量産を強めております

 既に各地方の重要地点である主城や都市には配置済みですが、以後は野戦の拠点などにも配備できるようになります」

 

 後方に座する者たちの戦いは続いている。

 そして激化していくだろう。

 血を流し、躯を晒すばかりが戦争ではない。

 こうして敵の手を削り、対策を作り出し、前線に送り出すために夜を徹し、眠りを忘れ、命を削る戦い方がある。

 

「女王殿下、よろしいでしょうか」

 

 身なりはあまり良くはない。少なくとも貴族ではなかろう。

 恐らく傭兵のたぐい。

 ここに参集されているということは何処かからの招待状を持っているということではある。

 

「自分はシーザと申します、傭兵で、以前聖王陛下に命を拾っていただきました

 以後は各地から集まる傭兵を差配する仕事に付いています

 ここに参上できたのはグラのシーマ様のご厚意でございます」

 

 シーザの腕前は天才的、一騎当千というわけではない。

 しかし、長い時間傭兵を親友と共に続け、立場を得ていき、自身が剣での戦いよりも傭兵たちを指揮することに向いているのに気がついたのだ。

 かつてはワーレンで長い間防衛任務についていた経験もあり、そこから来る防戦の采配はアリティア軍部でも名が挙がるほどである。

 

「このような申し出をするのは大変心苦しいのですが、

 今回は資金の融通のお願いができないかと相談に参りました」

 

 傭兵とは金で戦うもの。

 自分の命に値札を付けて戦うのは傭兵の生き様だ。

 

 国家の主に金の無心をするのは一般的に見れば命を捨てるに等しい無礼な振る舞いとも取られなかねない。

 だが、アリティアの女王がそこまで愚昧ではない。

 わざわざそれを言いに来たということは重要なことであるのは間違いなく、

 聖王の妹として認知されているシーマの推薦状があるならば信用に能う男であることもわかる。

 

「必要な分だけ」

 

 メイドに目配せすると、彼女はすぐさま書類とペンをシーザの前へと置く。

 

「そこにお書きなさい、傭兵シーザ

 あなたの名声は私にも届いています

 最低限必要ではなく、これだけあれば間違いないという金額を書きなさい」

 

 シーザは最低限の金額でやりくりしようとしていた。

 それでも途方もない金額のはずだったからだ。

 しかし、彼女はそれを止めるように先んじて言う。

 

『死んじゃったらお金なんて意味ないんだから、

 せめて自分の命に値段を付ける風にお金を払って欲しいもんだよね』

 

 いつか親友であるラディが言ったことを思い出す。

 ああ、そうか、とシーザは思う。

 

(この方はいくらあれば自分(聖王国)の命を永らえさせられるかを問うているのだ

 そのためであれば金などいくらでも払うと)

 

 完全な理解をしたシーザは遠慮なしの金額を書き、メイドに渡す。

 このメイド、シーザは彼女を知らないが、長年リーザに仕えてきた敏腕、否、辣腕メイドである。

 表情筋を母の胎内に忘れてきたとまで言われる鉄面皮だが、ほんの一瞬眉が動いたのを彼女を知るものたちは見た。

 

 その金額はマケドニアが地方ではなく軍国であった頃の年間の軍事費に相当するほどに金額であった。

 

「費用をいただければアカネイア大陸全ての傭兵、元傭兵に国を失った軍人、戦いを諦めた軍人に闘奴、国に仕えていないありとあらゆる戦力をかき集めて見せます」

 

 シーザの瞳に嘘はない。

 そこにあるのは絶対の自信だけ。

 

「信じましょう」

 

 手渡された書類の金額を見てもリーザは感情一つ動かさず。

 アリティアの、今やアカネイアを統一した国の女主人は流麗なサインを書類に走らせる。

 

「魔道学者は昼夜を貫いて続ける研究を戦いとし、傭兵頭は縁故を束ねるを戦いとすることを私は知った

 アリティアの政務官よ、国庫を開きなさい

 政治を司る我らの戦いを、──卓上と算術による戦いを見せるときです」

 



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溢れたる過去々々

 魔王ガトーは魔道学者として、超がつくほどの一流である。

 竜族が作り、遺した技術を人間が扱えるようにと魔道書の形としてナーガと共に普及させた第一人者でもあり、

 草花樹木、果ては石や砂といったものからすら有益な効能を見出して書へとしたためた。

 

 ただ、彼は閉派であり、その多くの知識は書物などの形で集積された後に彼が選んだものたちにのみ細々と継承されるに留まる。

 彼は人間を信用していなかった。

 膨大な知識と巨大な力は人間には持て余すと決めつけて発揮された原始的なパターナリズムによるものだ。

 

 しかし、それは逆に人間たちが作り上げた鴻大(こうだい)な戦術や戦略、

 命の数だけ繰り返されて蓄積された結果そのものを得ることを拒否することになった。

 

 捧げられしものたちは自我を持つものと人形同然であるものがわかれている。

 そして自我を持つからといって軍を指揮できるわけでもない。

 あくまで軍権とも言うべき操作権限はガトーにのみあり、

 しかしガトーには戦術や戦略を理解してはいないため、圧倒的な戦力で相手を叩き伏せること以外をすることはない。

 

 逆に、その『圧倒的』こそが力ある竜族としての当たり前の振る舞いであり、

 歩むべき王道であった。

 

「どこへ……往くのです」

 

 脂汗を流し、呻くように言葉を紡ぐのはナーガ。

 魔法陣の中央に据えられた彼女は、彼女が持つ黄金律の力を強引に引き出されていた。

 血液を抜かれ続けるような感覚と、時折ある鞭で叩かれるような痛み。

 それらに耐えながら、彼女はガトーの進む先を問うた。

 

「本来であれば人間どもがわしに挨拶をしにくるべきであろうが、

 矮小なるものたちがこの聖域に辿り着けるわけもない

 であれば、慈悲心を出してこのガトー自らが行ってやるべきであろう」

 

 ガトーの姿は長身の老人のものではない。

 青々とした髪の毛に過剰ではないが逞しいと言える戦士の手足を持つ。

 ただ、体の一部一部には本来のものではない部位が備え付けられていた。

 

 その片腕は英雄アイオテのものであり、

 その片足は英雄オードウィンのものであり、

 その臓器の一部はエッツェルの妻アーシェラのものであり、

 その片目はかつてのガトーのものであった。

 

 臓器もアーシェラのものだけではなく、幾つもが他者の、或いは人のものではないものに置き換えられており、

 それら全てを見れば、今のガトーの肉体は幼稚な縫い物よりもひどい有様でもあった。

 

 しかし、魔王はその肉体を気に入っていた。

 ナーガから引き出すことで得られる魔力を好き勝手に込めても壊れない英雄の肉体。

 以前の肉体、つまりエッツェルの……ただの人間如きのものとは比べ物にならない性能を誇っていた。

 或いはガトー本来の肉体をも超えたその肉体はまさしく神になるべくしている存在に相応しいものだと彼自身の大いなる納得があった。

 

「その肉体を見せて、相手がどうなるかを理解して、なお行くというのですね……貴方は」

「それで折れて屈服するならば早いであろう

 言った通り、これは慈悲心よ」

「いいえ、それは慈悲心などではありません、ガトー

 浅ましい、人間が持つ心のなかでも劣悪と呼ぶべきものです」

 

 その言葉の返答代わりにガトーの蹴りがナーガへと叩きつけられる。

 

「贋作如きが神たるナーガのような口を利くでないわッ!!」

 

 怒りを発するとガトーのものであった瞳が爬虫類が持つ瞳孔のように変質する。

 その姿がガトーが人でも竜でもない、怪物であることを喧伝しているようでもあった。

 

「そういじめてやるな、ガトー

 十分に弱っているのだからな」

 

 ギムレーが転がるナーガを解放するように、

 しかしそれも気に食わないようで、

 

「貴様もまたフォルネウスの作り出したガラクタでしかないことを覚えておけ

 ナーガの魂と器を補填するために呼び出された程度の役割であることを自覚せよ」

「ああ、わかっているさ

 フォルネウスとてこのギムレーが目的に沿わぬからこそ封じていたのは理解している」

 

 素直に従われる以上、ガトーから言うことはない。

 それを示すように背を向け直して聖域から離れていく。

 ここからアリティアまでの距離は相当ある。

 ワープが使えないことはガトーだけでなくナーガやギムレーも理解していた。

 しかし、今のガトーは竜族から移植した翼を自由に出し入れすることすらできる。

 竜石を体に埋め込むことでそうした芸当を可能としているのだ。

 

 ナーガは竜石の存在すら快く思ってなかったガトーが、

 自らの肉体に埋め込む選択肢を取った時点で彼が、既になりふり構わない存在であり、

 竜石から目を背けた多くの竜族のように正気を失ったのを理解していた。

 だが、止められるはずもない。

 

「私が神たるナーガであったなら、ガトーを止めてやることはできたんだろうか」

 

 贋作となじられようと、ガトーと過ごした時間は短くはない。

 かつての彼も偏屈なところはあったがこれほど壊乱した精神を持ったものではなかった。

 

「或いは、私が命を断てば正気に戻ってくれるのだろうか」

 

 黄金律を持ち込んだエルデの獣。

 アカネイアの新たなるナーガ。

 結局、律という存在である時点で関わるもの全てを狂わせてしまう存在が自分なのだろうか。

 嘆きに叫びを上げたくなる。

 だが、この地に逃げてきて、この地を狂わせた自分にそんな権利はない。

 

 ギムレーはそれを考えるナーガを理解するも、

 傷口の痛みが和らぐよう撫でてやること以外にできることはなかった。何一つとして。

 

 ───────────────────────

 

 準備期間は十分なものだった。

 シーザは流石に率いたこともないほどの兵団を連れてアリティアとグラの境におかれた臨時の野営地にあった。

 

「こんなに集まるとは思ってもみなかったな」

 

 彼の問いに対して軽い口調で答えるのは親友のラディ。

 

「あれだけ払いがよかったらねえ

 それに、ここでの戦いを経験すればアリティア市民としても認められるって一筆ももらったんでしょ?」

「もらったというか、エリス聖后様が気を回してくれたんだよ」

「気配りができる人が上にいるってのはいいよねえ」

「……ラディ、お前は来なくてもよかったんだぞ」

「妹の側にいてやれって?

 冗談でしょ、そんなことしたら恨まれちゃうって」

 

 ラディはシーザの妹と結ばれ、戦いを辞めていた。

 アリティア領内の安宿の主をしている。

 中々に商才があったらしく、正直今更傭兵に戻る必要はない。

 何より、病から解き放たれた妹と一緒になった今は戦場に向かってほしくないのが本音だった。

 

「一人にしたら死相が出そうだって、俺もアイツも気にしてるんだって

 おにいさま」

「やめろ、気色悪い」

「あはは!」

 

 どんな状況でもラディは変わらない、それにシーザは安堵する。

 こんなときでも心を解きほぐしてくれる。

 きっと一人では重責に耐えることができなかっただろう。

 

「シーザ将軍!

 ミネルバ様が守護する陣へと移動する準備、万端整いました!」

 

 これだけの数を集めたことをまず評され、シーザはアリティアの将軍となっていた。

 立場がなければこれだけの兵団を扱わせるのも国家の個券に関わる、というのもあろうが、

 ここで集められた傭兵は後々に市民となるものたちであり、

 市民を率いるのがアリティアの将軍のほうが色々と都合がよいのだ。

 名誉にしろ何にしろ、後々将軍に取り立てるよりもよほど報奨を与えやすいのだという。

 

 ワーレンで食うのが精一杯だった傭兵だった自分が、アリティアという大陸統一国家の将軍。

 夢のような話だが、それでもシーザは浮かれていない。

 

 与えられた軍資金、集めきってしまった大軍、そしてこれから始まる未曾有の戦い。

 その全てが彼のこれからを定めることになる。

 

「ラディ、行こうか」

「ああ、見せてやろうぜ、シーザ」

 

 二人はワーレンの頃から一切変わらない出発の声をあげた。

 

 ───────────────────────

 

「レナ様」

 

 マケドニア地方軍の一人が声をかける。

 その背には何千という兵士たちが付いていた。

 

 マケドニアはドルーア、つまりはメディウスの加護によってガトーの手に掛かることがなかった。

 地竜の封印が破られれば地上は滅びるだろう。

 しかし、その結果は再支配を考えているガトーにとっては望ましいものではなかった。

 ガトーの目指すところはあくまで人間を零落させきり、支配することであり、

 地上の完全な壊滅ではないからだ。

 

 だからこそ、マケドニアの兵士たちはこの地での防衛から免除される立場にあった。

 

「どうかお導きください」

「我らをお導きください」

 

 レナはアリティア聖王国において尚特別な立場……特殊な立場というべきかもしれないが、そうした位置にあった。

 

 マケドニアの大貴族の娘であり、現在は非王室派を取りまとめているマチスの妹であり、

 しかし永くレウスのもとにいたという話が伝わっている彼女はマチス以上の求心力を持つ。

 また、マチス自身もレナという旗頭に集うように誘導しているきらいもあった。

 権力が分化することが恐ろしいのを理解しているのだ。

 なにせ、マケドニアが倒れた理由はそこにあったといっても過言ではないからである。

 

 そして前述の通り、聖王レウス──この地上の現人神たる存在から絶大な信頼を、

 家族のように、姉のように、ときには妻のように扱われていることもまた広く伝わっている。

 

 これは大体が吟遊詩人が作り上げたサーガによる影響ではあるが、

 レウス自身が否定しないどころか、サーガのとおりになりたいなどとレナを口説く理由に使っているなどという噂もある。

 

 そして、竜教団においての上役であり、表向きは司祭とも言われる立場であるが、教団内の人間が管轄している政治部門のトップを担っている。

 その一声で信徒たちは武器を持って喜んで戦場に突き進むとまで言われるほどの信頼を……いや、最早信心とも言えるものを獲得していた。

 

 人は彼女を聖女レナと呼び、持て囃している。

 重大なことがあるとするならば、

 その二つ名も、

 役割も、

 仕事の責務も、

 全て彼女は軽々とこなせるだけの才能があったということであった。

 

 そうなれば、彼女を頼るものがいて当然であり、

 マケドニア人たる彼女を頼りにするものもまたマケドニア人であった。

 

「どうか、我らを戦場へお導きください」

「どうか、我らの武名と武運を使い潰しください」

 

 死地へと赴かせてくれ。

 彼らは口々にそう云うのだ。

 

 この後の世は平和である。

 軍人はまだしも、武人の価値なき世となるだろう。

 

 チェストと唱えて生きてきたマケドニア人には耐えられない。

 

 だからこそ彼らは祈る。

 聖女へと祈りを捧げる。

 

 どうか我らに戦場を、どうか我らに地獄の巷を。

 

「では、参りましょう

 死出の道のりはこのレナが導きます」

 

 聖女レナは強い。

 力ではなく、心が強かった。

 大勢の人間の、自死を望むが如き声に心を壊さず、救いをもたらす今様の救世主であった。

 

 ───────────────────────

 

 自分が誰かであるかはわからない。

 おそらく、そのことは主としたものにとってどうでもいいことなのだろう。

 自分もまた、それでいいと思っている。

 或いは、思わされているのか。

 

 周りを見る。

 彼らも同様に、『そう』なのだろう。

 

 思い出そうとしても、判然としない記憶──というよりも、複数人の記憶が入り混じっているような感覚がある。

 

 あまりものの魂でも混ぜ込んだのか。

 

 どうあれ、心にあるのは負け続けた半生のことだった。

 それも幾人もの最期の瞬間、つまりは敗北が折り重なっただけかもしれないが。

 

 一歩前に出る。

 周りは止めない。

 思考を巡らせる。

 強く巡らせれば、周りの意識を糸として、縄として掴めるような感覚がある。

 それを手繰るようにすると、周りの人間が不器用な形で歩いたり、止まったりしていた。

 

 上手く扱えば、連中を操れるのだろうか。

 もっと上手く扱えば、連中全員を操れるのだろうか。

 

『我が戒めをそのような形で使うとは』

 

 そう考えていると声が聞こえた。

 

「誰だ」

『貴様を蘇らせたものよ』

「ふうん」

 

 何をしたかなど興味はない。

 蘇らせたと言われれば「そうか」と返答はするが、

 自分が何者かもわからない、誰かを理解できないのならばそれは蘇りと言えるのだろうか。

 

 悲しいかな、それすらどうでもいいと思ってしまえる。

 今必要なことはそれではない。

 

『わしの名はガトー、人はわしを白き賢者と呼ぶ』

「そうかい」

 

 名前など興味がなかった。

 特に役職でもなんでもない二つ名を名乗る奴にろくな奴はいない、と生前の記憶の欠片が言っているようだった。

 

『死者の兵団の一人ひとりに名など不要と思うていたが、自我を持ち直すならば必要であろうな

 慣例に従い、アインスとでも名乗るがよい』

「雑な名付けだ

 で、白ナンタラ様がわざわざ頭の中で話しかけに来たってことは何が理由があるのか」

『我が兵団に戦術など不要と思っていたが、貴様のような個体がいるならば面白いかもしれぬ』

「兵団を操ってみせろ、ってか?」

 

 アインスの口ぶりは「頼み事があるならそれ相応の態度があるだろう」と言いたげなもの。

 

『周りと同じく人形同然にしてもよいのだが?』

「脅しかよ、つまんねえこと言いやがって

 兵団をああいう風に操るのは時間がかかる、さっさと軍権をよこせ

 ナンタラさんよ、てめえの望みは俺が叶えてやる

 滅亡でも破壊でも、なんでもな」

『勝利とは言わぬのか』

「勝利?」

 

 明らかに馬鹿にした口調で返し、そして続ける。

 

「笑わせるなよ、俺たちは全員死者なんだろ?

 それも戦いで命を落とした負け犬どもだ

 人を殺すことはあっても勝者になんてなりえねえんだ」

 

 その声音は自分の卑下とガトーへの罵倒を込めている。

 

「負け犬の大将さんよ、肝に銘じておくんだな

 俺たちに勝利なんてねえってことを」

『ふん、好きに戦い、再び死ぬがよい

 負け犬の牙や爪で幾人引き裂けるかだけを期待する』

 

 言葉は消える。

 ガトーとやらが何を考えているかなどアインスには興味がない。

 周りに意識を巡らせると、手足の如くに彼らは動く。

 

 心のなかにあるのは人間たちの今の営みの破壊。

 それに抗うことはできない。

 根源的欲求として置かれたものだった。

 だが、この呪いに文句はなかった。

 

 もう一度戦えるなら。

 もう一度戦って、そして死ねるなら。

 

 今必要なのはそれだけだ。

 戦いと死。それだけが自分が求めているものだと決定づけることができた。

 

 その意思に呼応するように死者の兵団は動き出す。

 満足して死ねる今日を求めて。

 

 彼らが歩く先にミネルバたちが座する拠点があった。

 アインスはそこから漂う戦の匂い、強者の気配とも感じれるものを察知していた。

 あそこなら、戦える。

 あそこなら、死ぬことができる。

 

 背負った大剣を抜くと、自らの肉体を試すように何度か振るう。

 よく馴染む。

 これならば人を切り殺せる。

 

 戦場で、村で、街で、港で、森で、闘技場で、

 数多の場所で戦った、記憶の断片が叫んでいた。

 

「アインス兵団、前進するぞ

 戦死を目指してまっしぐらだッ!」



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blighter

「弟」

「なんだい、姉さん」

 

 二人のクリスは城壁から外を眺めている。

 

「ローローってのになっちゃったんだよね、爺ちゃんはさ」

「ああ、間違いなく」

「ガトーがやったわけか」

「それも、間違いなく」

「そっか」

 

 神殿の守りを固める中で、二人のクリスは共に行動することが多かった。

 気が合うのもあるが、二人共にまるで姉弟のように振る舞えるほどにウマが合った。

 面倒見のいい二人だからこそ、お互いの家族とも言えるチェイニーやカタリナとクライネとも親交を深めることもできていた。

 

 けれど、二人のクリスの結びつきの根底にあるのは、

 

「ぶっ潰したいなあ、ガトー」

「ああ、ぶっ潰したい」

 

 祖父の尊厳を弄んだガトーへの怒りであった。

 それと同居する根底にあるものは

 

「けど、それは聖王様の仕事」

「それもわかってる」

「だから、やるべきはパレスと神殿の絶対死守」

 

 未来への道を守ること。

 マルスを守れなかったこの世界のクリスと、

 行き着く果てにこの世界に辿り着いたクリス。

 二人共にある意味でこの世界を守りきれなかったものである。

 一方の聖王は破壊的な行いではあったが、この世界に新たな秩序を構築しはじめており、

 多くの人々に未来を約束できる立場だった。

 

 だからこそ、

 

「エイベルのおっちゃんも言ってたんだ

 このあたりをでっかい穀倉地帯にするのが聖王の目的だって」

「そんだけでっかい畑がありゃ、腹減って死ぬ奴はいなくなるかもだな」

「ええ

 誰も彼もがお腹いっぱいになれる、貴族どもには描けない未来だ

 ……私はその未来への道を守りたい

 復讐心を捨ててでもやろうとしているのは間違っているかな」

「姉さん、そいつはな……オレもだよ

 そんなオレを間違っているって叱るかい」

「まさか」

 

 肩をパンと叩く姉。

 本当に長年を過ごしてきた姉弟のように。

 

「最高の弟だって自慢できるってもんだよ」

「オレも、最高の姉がいて嬉しいぜ」

「言うじゃん」

 

 わははと二人して笑う。

 血の繋がりを感じる。

 当然だ。

 彼らは元は同じ存在。

 生まれた世界と辿った道のりが違えば変質はする。

 それでも根底にある平和を願う強い気持ちだけは変わらず、今も気を溜めていた。

 

「守ろうぜ、姉さん」

「ああ、守ろう、我が弟」

 

 拳を合わせる。

 

 翌日には死者の兵団たちが神殿へと寄せてくる。

 彼らはまるでそれを知っていたかのように、強く約束を交わした。

 

 ───────────────────────

 

「我らは、ローロー」

「ローローは、我ら」

「我らは、我ら」

 

 忌み潰しのローロー。

 彼らはガトーが蘇り、死者の兵団を作り出す上での試作品であった。

 魂弱きものを動かすには強き存在に引っ張り上げさせることで連結させて、動かすことを考え、実行させた。

 マクリルという猛者の魂を中心として村人の(とはいっても、彼らも傷痍軍人であるからただの弱者ではないが)肉体と思考を束ねさせて動かした。

 

 実験は成功した。

 ただ、その結果として個が持っていた自我のようなものは完全に消え、

 時折個人であった残滓こそ浮かべど、もはや人とは呼べず、ガトーが憎ましいと思うもの、

 つまりは忌むべき存在と認定されたものを叩き潰すための装置となった。

 

「ローローは、ローロー」

「我はなく、我らはあり」

 

 ローローの群体は死者の兵団へと合流していた。

 兵団もまた彼らと変わらぬか、それ以下であった。

 

「哀れなものよな、マクリル」

 

 アインスと呼ばれた存在があるように、

 パレスを狙う兵団たちにも自我を持つものが存在していた。

 ガトーはやはり名を付けることを面倒がって彼にはツヴァイとした。

 

「ローローは、マクリルに非ず」

「マクリルは既に、ローローであるがゆえ」

 

「それが哀れだと言うのだ、たわけめ」

 

 ツヴァイは白髪に白い髭を蓄えた壮年であった。

 彼はアインスよりも鮮明に自身が何者かを理解している。

 

「ツヴァイ、味気のない名付けよな

 ……自分は……いや、護国の鬼になりきれずに敗死した自分には相応しいか

 番号の如き名であれば、気負わずともよい」

 

 ナーガ神教の旗に書き換えられたものが多く打ち立てられるそこに、

 ツヴァイは手に持った旗にはアカネイア王国軍の王旗が風になびいていた。

 王旗を掲げることを許されるのは王族が率いる軍か、王族によって旗を下賜されたものだけである。

 

「自分は守りきれなんだパレスを、我が手によって滅ぼさんとする

 皮肉なことよ

 このまま軍を使ってすりつぶすのもいいが……」

 

「ローローは進む先を望む」

「望む先は神殿を望む」

「神たるガトーの意思なり」

「我らの敗着に至らぬために手を打つなり」

 

 ローローはガトーの内心を伝える装置に過ぎないが、

 その望みに従ってやっているうちにはツヴァイは自我を奪われないことを暗黙の了解と認識していた。

 であれば、目指すべきは一気呵成にパレスを落とすではなく、神殿とやら。

 

「我らの旗も、我らの立てる行進の砂埃も見えていよう

 準備は十分か、神殿の守り手たちよ」

 

 ツヴァイが旗を掲げる。

 

「先手、攻めよ

 次鋒、先手の死体を踏み越えて進め」

 

 兵団には仲介をする指揮系統が存在せず、そのせいで高度な戦術を動かすことはできない。

 いかにツヴァイがこの群れの中心だとしても手足の如くに動かすには数が膨大である。

 命令は可能な限り単純なものに置き換え、命令発動のタイミングを能くすることで戦術の大体とする。

 

 護国の鬼は祖国を滅ぼす悪鬼となって故郷の土を踏んでいた。

 

 ───────────────────────

 

 レウス不在でも戦いへの状況は巡る。

 現人神たるレウスはそもそも当人の希望で政治的権力や軍権などを持たないようにしていた。

 勿論、当人の希望があれば代わりに女王や聖后たちが『よきように』するため形骸化しているとも言えるが、

 ナーガに呼ばれ遠乗りに出ている状態となっても国家としての流動性を失うことはない。

 

「各地への戦闘状況への返答は終えました、発生する避難民なども対応できるよう言付けています

 勝手ではありますが母上が信頼を向けている政務官を数名お借りしました」

 

 マルスはリーザとエリスに伝えたことがあった。

 自分は見た目どおりの年齢ではなく、遠き場所でレウスのお陰で戴冠したことを、

 そして数十年勤め上げて自らの子に跡を任せて去ったことを。

 

 結果としてマルスは不気味がられるどころかその経験と手腕をリーザたちに求められ、

 国家運営に注力してもらっている。

 

 そんなことをしては国への不信が内部で貯まるのではないかとマルスは言うも、

 嫁を次々増やして回るレウスが最高位にあり、彼が嫁にと選んだ全ての人間が優秀であるため、

 むしろ聖王の嫁取りは高度な人材調達であるとまで考えられているらしい。

 つまり、嫁が権力を与えられることは普通。

 ただし、その権力を扱える人材であることが嫁の条件でもある。

 そういうことらしい。

 

 マルスとレウスの関係性に関してはリーザの中では保留しているようだが(流石に我が子同然のマルスが聖后と呼ばれるのは複雑のようである、そうであると確定するのも含めて)。

 

「グルニアは敵兵は殆ど現れなかったとのことです

 ユベロ閣下は船団を東部へと回すが、黒騎士たちはどうすればよいかと」

「ユベロ殿はこちらに兵を渡したいのでしょうね」

「ええ、アリティアこそが大陸の要であることを理解なさっておられます

 ですが……」

「何があるかわからない以上、鎮護の兵まで割いてもらうわけにはいきませんね」

 

 不気味な空模様から一週間弱、そこからであれば準備の時間としては短いが、

 統一してすぐに戦いが終わるとも思っていなかったからこそより前から準備を続けていた甲斐はあった。

 どれほどの戦いとなろうとも、全力を出せるだけの準備はできた。

 アリティアだけではない、グルニア、マケドニア、他の地方も全て。

 

「母上、マルス

 ドルーア地方はやはり一切敵が現れなかったようです、メディウス様からもご連絡いただきました

 飛兵からの速達便で、地竜に対する封印が影響しているとのことです」

「ガーネフ学長が提示したワープ封じと同じく、魔道や儀式に対する抑圧効果に弱いのは確定ですね」

 

「アリティア、グルニア、アカネイアに囲まれているドルーア地方はひとまずは安全

 何かあったとしても竜族の守りもあります

 ナギ様、ロプトウス様と共に私も最前線に出ようかと考えています」

「姉上、それは」

 

 戦うなら自分にその役目を、そう言いたげではあるが、エリスはそっとマルスの頭を撫でる。

 

「姉として、格好いいところを見せたいと思ってはいけませんか?」

 

 例え内面の年齢がどうあれ、エリスはどこまでいってもマルスの姉である。

 マルスもまた、姉にそう言われれは反論の余地がない。

 

「敵兵団の最大戦力は」

「やはりミネルバ様が陣を敷いている場所かと思います」

 

 リーザは思案する。

 傾向的には死者、とりわけ戦死者が多く出た場所こそが敵の数が多い。

 であれば現状の敵の出現は理解できる。

 

(結界から少し外れたところもまた北グルニアの賊軍は相当の数がいたはず

 なのに一切の姿が見えない……

 伏兵にしては見えすぎて、疑念を無視するには重すぎる……)

 

「失礼します」

「シーちゃん」

 

 マルスがその声に反応するが、彼女の服装から平和な話をしにきたのではないのがわかる。

 可憐ではあるが、実用に即した鎧を纏っているからだ。

 

「女王殿下、ご心配には及びません

 エリス様にはミネルバ様への後詰めに

 この地は私とマルス様がおります、それに」

 

 外から歓声が聞こえてくる。

 アリティア聖王国を讚える歓声が。

 

「ガーネフ様と魔道学徒の兵団は一騎当千の強さを持ちます

 オールドカダインには魔道シューターと呼ばれる超長距離支援の準備が、

 そして」

 

 リーザはシーダの言葉を聞きながら、彼女たち全員を伴い外へ。

 

 そこには大歓声が広がっている。

 

「女王殿下―ッ!

 もう誰にもアリティアは奪わせません!」

「わしら民もこの日のために稽古をつけてまいりましたあ!」

「おいらたちにも祖国を守らせてくださぁぁい!」

 

「女王殿下

 彼らがいます

 アリティアの、本当の守護者たちが」

 

 それが決定だとなった。

 即日、竜教団の戦闘可能な兵団はエリスを司令官として最前線へと向かうことが決定。

 民草は普段の生活にすぐに戻るも、その傍らには常に武器が置かれており、

 睡眠、食事などをしながらも心は常在戦場だとした。

 祖国を奪われたものたちの血潮は熱く滾っている。

 

 ───────────────────────

 

 オレが戻ってきたときにはあらかたの状況に手は打たれていた。

 戦略や戦術に関してオレがやれることは一切ない。

 であれば遠乗りでもなんでもして情報を集めてくるほうが有意義というものである、と内心で自己弁護を計っていた。

 

「最前線にはエリスたちが行ってくれるのか」

「はい、お任せください」

 

 出発の前に会うことができたのはよかった。

 知らない間に激戦区に出発されるのは胃に来るのだ。

 ミネルバを始めとしてオレが好きになる女はどうにもオレを後ろに置いて戦いに出ていく烈女が多い。

 

「あなたはどうするの?」

 

 リーザの当然の疑問。

 彼女もまたおそらくオレには後方にいてほしいのだろうが、それには頷けない。

 頷けないので先に自分の行動を提示することにした。

 

「元から勝利条件を達成するための目標物は聖域にある

 それなら──」

「進むの?」

「少なくともナーガさえ何とかすりゃあ兵団に影響も与えられそうだからな」

 

 解決策は単純。

 問題はそこに至るまでに多くの場所で引き起こされる大規模な戦闘であったが、

 オレが考える以上にこのアリティアには優秀な軍人が多い。

 それこそ、名前も知らない下士官や兵士ですらこの状況に対応して戦えているという。

 彼らにしてやれることはオレが武器を振るって現れることじゃない。

 

「だから」

 

 言いかけた瞬間、ぞく、と体中から冷や汗が吹き出た。

 狭間の地で感じたことのある気配だった。

 それはDEATH BLIGHTED()だ。

 地下で出会った不気味な化け物が与えてきた、発芽する死の気配だった。

 

 オレの態度に周りも注意を払う。

 その気配の方向は外、そう遠くない場所だ。

 

 突き動かされるようにそちらへと向かう。

 

 アリティア主城に作られた大きな庭には常に警備兵が歩いているが、その姿がない。

 だったものが倒れているのは確認できた。

 死。

 DEATH BLIGHTED。

 それがそこに横たわっていた。

 

 その死の中央に一つの影が立っていた。

 会議室から庭へと繋がっている階段を走って降りながら武器を抜く。

 オレの後ろにはマルスやリーザが付いてくる。

 流石に女王の身を案じて近衛兵たちが、そして何より個において最強と言ってもいい力を持つエリスもいる。

 例え死の力を持つ何かだとしてもマフーと同一の存在となったエリスを害することはできないだろうし、彼女がいるかぎり他のものの守りも気にする必要はない。

 

 一番の不安があるなら、その影の前に一番槍として走るオレだろう。

 オレが思うでもなく、周りがそれを不安に思うのは理解している。

 

 それでも、捨て置けなかった。

 たった一人でここに入ってくる濃密な死の気配の持ち主を捨て置けるはずもなかった。

 

「誰だ、てめえ」

 

 オレはその気配へと問うた。

 



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ごあいさつ

「むせ返るような敵意だな」

 

 その影が笑うように言う。

 

「世間がこんな状況のときに人の庭先に入って、

 その相手に『今日は少し蒸し暑いから中で冷えたお茶でもいかが』なんて誘われると思ってたのか?」

「誰であれ、わしを歓待せぬ無礼そのものが罪であるぞ」

「その口ぶり──」

 

 風が一陣。

 顔を、全身を覆っていた外套がめくられる。

 

「ッ!」

「え、……」

「そんな……」

 

 マルス、エリス、リーザがそれぞれに言葉を漏らす。

 彼らだけではない。

 メイドたちもまた、同じような反応を浮かべた。

 

 その姿は、ああ、確かに見覚えがあると言えばある。

 青い髪。

 意思力の強そうな顔立ち。

 過剰ではないがたくましく鍛え上げた体。

 腰に帯びたものが偽物でなければ、彼こそが本当の──

 

 本当のアリティアの主だと言うものが現れたかもしれない。

 

「わしの名はガトー

 人はわしを白き賢者と呼ぶ」

 

 或いは、とそこに付け加えるように、

 

「我が身はコーネリアス

 かつてアリティアを差配せし英雄である」

 

 ───────────────────────

 

 誰より早く頭に血が登った。

 誰より早く導火線に火が付いた。

 

 誰より速く攻撃を仕掛けた。

 

 聖王レウスはかつてこの城の主であった男、コーネリアスへと獣人の曲刀を振るうために踏み込んだ。

 その踏み込みから突き進む速度で突風が吹き荒れる。

 歴戦の戦士であるマルスですらその速度に目を剥いた。

 

「血気盛んというよりも後先考えなし

 貴様にこの国の王たる権利なし」

 

 いつの間にか抜刀した擬剣が曲刀を防ぎ、

 それでも続くはずの剣の効果が発生する前に鋭い蹴りがレウスの腹に叩き込まれ、相当距離を飛ばされる。

 派手な音と共に庭仕事を納めていた小屋にぶち当たっていた。

 

 驚くべきはその光景だけではない。

 その男には口が二つあった。

 自らを「賢者」と名乗ったときの、常人と同じ位置にある口。

 そして、もう一つは喉に備えられた口であった。

 

 喉の口はまるで別の意思を持つようにしてレウスを評価した。

 

「そこにあるは、リーザにエリスか

 久しいな

 どうだ、この、……ぎ、ぎぎ」

 

 何かを語ろうとする口が苦しむようにつぐんだ。

 

「今は貴様が喋る番ではない、つぎはぎよ」

 

「あなたは何者です」

 

 ロングソードを抜き、リーザとエリスを庇うように立つマルス。

 

「ふん、レウスと同じく在るべきではないものが大きな口を叩く

 先程の名乗りを忘れたか、それともその耳は飾りか」

「それを聞いているわけではない程度を理解できる頭があると思い聞いたのですが」

 

 皇帝という立場にあれば人と言葉による干戈を交えることもある。

 しかしマルスは家臣たちの口の旨さの影響もあって、それに負けたことがない。

 

「誰があなたをそう呼んだかは知りませんが、自らを『(さか)しき者』などと名乗ったのです

 その肉体をどうしたのか、そしてあなたの目的は何か

 述べる自由は与えます

 その自由を捨てても構いません

 何の策かはわかりませんが名乗りの延長線で聞こうとしている慈悲を捨てるほど愚かならばこれ以上言葉を交わす意味もない」

 

 エレオスでの戦いでも四狗のセピアやグリ、そしてもう一つの人格のヴェイルと言った舌戦達者が多くいた。

 そこでもまた鍛え上げられた挑発。

 武器を振るって終わらせる前に情報を引き出すのは戦者の嗜み。

 

 一方のガトーは目を細め、怒りを鎮めたのか、

 

「この肉体は、いや、我らはコーネリアスでもある

 或いはアイオテであり、オードウィンであり、アーシェラであり、

 しかし我こそがガトーである」

「冒涜者め」

 

 それに反応したのは喉。

 頭で考えるよりも早くに心が喉を動かした。

 

「完成者というべきであろう

 我はグルニアの主であり、マケドニアの主であり、アリティアの主でもある」

「あなたは!」

 

 リーザがたまらず声を掛ける。

 

「あなたは……コーネリアス様……なのですか?」

 

 まるで何も知らない貴族の子女のような、細く、哀れな声。

 リーザは死んだはずの前夫の姿に心を刻まれる思いだった。

 

 レウスとの繋がりは彼にとって裏切りだったろう。

 それを始めとして子を儲けたことも、何もかもを責められているような心地となる。

 

「売女め、そこでうずくまっているがいい

 すぐに世界を終わらせてやろうぞ」

 

 常の口が言葉で打ち据えた。

 ぼろ、とリーザの瞳から涙が溢れる。

 どうあれ、彼女と彼は夫婦であった。

 裏切り者だと言われれば、そうである自覚も認識もある。

 レウスに惚れたのは嘘ではない、王族としてではなく一人の女として恋をした。

 けれど、アリティアの為に働き続けたのは亡きコーネリアスを忘れぬためでもあったのも事実。

 

 それを真正面から否定された。

 心に痛みを与えるに十分な言葉で。

 

 その瞬間にぞわりと影が蠢き、帯がガトーを切り刻もうと放たれる。

 それを擬剣を以て切り払い、距離を取り直す。

 

「贋作未満め、恥知らずの白痴め

 父上がそのようなことを母上に告げるものか」

 

 エリスの言葉はぞっとするほどに冷えている。

 見た目こそ物静かな深窓の令嬢を地で行く彼女ではあるが、その苛烈さはレウスですら、或いはマフーですら手がつけられない気性の持ち主でもある。

 

「私が知る父上ならばアリティアを永らえさせたことを褒め、

 自らの死と利用されたことに悔いてその首を刎ねよう

 そういうお方だ、アリティア王国最終国王コーネリアスという人は!」

 

 帯が幾つも現れ、それが間断なく責め立てる。

 人の目にはそれを見切ることはできない。

 刹那。

 彼の瞳孔が複数に増える。

 全てを見切り、疾風の如き太刀捌きで帯を全て払い除けた。

 

「蒙昧な理想と共に消し飛ばされるがいい」

 

 自分がマリクを殺した事を忘れていない。

 だが、殺すに至った理由を持つものを忘れることなどそれに輪をかけてありえない。

 その瞳の作用だけで人間離れの怪物であるのがわかったところで殺すと決めたことを取りやめる理由になりよりようもない。

 そして、彼女は冷静であった。怒りは既に臨界点を超えて、いかに効率的に命を掻き取るかに移行している。

 数多作られた帯。

 

 その帯を目眩ましとして迫る影が二つ。

 

 レウスとマルスが剣を構えて突撃してきていた。

 ガトーの顔が獰猛に笑みを作る。

 それはガトーのものではなく、雷名を今を以て響かせる豪傑アイオテのものか。

 だが、その顔はすぐにつまらなさそうに曇る。

 

 剣二つが阻まれる音が響いた。

 一つはガトーの持つ擬剣によって。

 もう一つは、まるでそこに元からいたかのように現れた人影によるもの。

 

 心得のないものは本当に転移したかのように見えたかもしれない。

 だが、この場に射る誰もが一定以上の武芸を修めたものたち。

 剣であれ、魔道であれ、戦いを理解するものであれば人影が獣じみた歩みと、あらゆる獣を凌駕する速度で森から走ってきたのを目視していた。

 

 その姿に驚愕のままに凝視するのは剣を阻まれたレウス。

 だが、阻まれたから驚愕したのではない。

 

 その人物の出現に身を固くしたのだ。

 

 ───────────────────────

 

「押し込め!ここから先、グラ大橋には一人として死者を近づけさせるな!!」

 

 シーザの激が飛ぶ。

 

「隊長ぉ!ここは俺らに任せてくださいよお!」

「へへへ、この日のためにぶっ壊れた漂流物を直したんだ、出番がないなんて嘘だぜえ!」

 

 人を集めれば素性さだからならぬものも多く寄る。

 口調こそ荒れた賊のそれではあるが、心意気は自分たちと同じ。

 

「ここで出るという意味はわかっているんだろうな」

「そりゃあ、勿論

 別働隊として『押し込み』の支援でしょう、敵の真横からの」

「命の分の代金はもらってまさあ、やらせてくだせえよ」

 

 それがなければ押し込まれるのはむしろシーザたちである。

 一度瞑目をしてから、頭を下げる。

 

「頼む、その命を俺たちにくれ」

 

「へへへ」

「ひひひ」

「くくく」

 

 男たちが笑う。

 下衆なものではない。

 それは正しく武者震いを耐える男のそれ。

 

「喜んで差し出しやすぜえ」

「っしゃあ、行こうぜえ兄弟!」

「おう!漂流物から組み上げたアリティア式手持ちバリスタの威力を見せてやるってんだよお!」

「俺だってこのハープボウの力を見せてやるってんだ!」

「似合ってねえよ、それ」「やっぱりか、へへへ」

 

 男たちは笑いながら死地へと向かう。

 生き残るかもしれない、死ぬかもしれない。

 

 そんなこと、別に今に始まったことではない。

 この時代に生まれて、武器を取ったならば、そんなことは日常茶飯事。

 

 日常とは違うことがあるなら、自分たちの肩にこの大陸の平穏がかかっているということだけだった。

 

「見せてやろうぜえ」

「ああ、そうだなあ」

「吹いて飛ぶような命の力ってのを、見せてやろうぜえ」

 

 命の賭けどきはまさしく、いまこのときだった。

 

 ───────────────────────

 

「敵軍の動きが変わった?」

「明らかに変わりました」

 

 ミネルバはパオラとエストからの報告を受けていた。

 彼女たちは斥候と遊撃、情報収集を兼ねた戦力として聖王国軍が死者の兵団を散々に蹴散らすのを見ていた。

 だが、不意にその動きが変わった。

 無闇に動く集団はある程度の塊となり、押しては引く波のような戦いに。

 

「敵軍の最前線にいた一人を除いて、です」

 

 エストの報告はそうして数名を一組とした戦術の例外を見ていた。

 最前線に一人。

 大剣を携えた男を見た。

 

 ───────────────────────

 

「俺はジョルジュ、聖王国の弓騎士だ

 貴卿に周りのものと異なる気配を見た、名を伺いたい」

「名はない、ツギハギの死体にツギハギの魂を注がれた存在でしかないからな

 造物主はアインスという名をこれに与えた、お前もそう呼びたければ呼ぶといい」

 

 弓を構えるのを見るとアインスもまた大剣を構える。

 

「おいおい弓兵がこの距離で戦いを挑むのかよ」

「離れて撃ち合うだけが能ではない」

「吹くねえ」

 

 大剣を持たない片手で『掛かってこい』とジェスチャーを取る。

 にい、とジョルジュは口角を上げた。

 

 弦は絞られ、矢は放たれた。

 

(アレがパルティア、アレが大陸一の弓騎士

 どんなものを打つかと思えば)

 

 矢の速度は見切れるようなものではなかった。

 直感だよりにそれを避ける。

 背後では土の柱が起こっていた。

 当たれば例え効率的に作られたこの体でも粉砕するだろう。

 

(なんという剛弓

 なんという速度)

 

 嗚呼。

 

 アインスは感嘆を漏らす。

 

「お前のような騎士と戦いたかったのだ」

 

 その踏み込みは緩くも見えた。

 だが、土を蹴った瞬間にその姿が掻き消える。

 相手がジョルジュでなければ。

 弓を扱うという職能から来る目の良さがなければ。

 この速度を捉えることなどできなかっただろう。

 

 ジョルジュは地を飛び、空中で矢を番え、神速の三連射を放つ。

 大陸一は伊達ではない。

 それぞれがまるで意思を持つかのように軌道を変えて襲いかかる。

 極まった技術は魔道にしか見えぬとはよくも語られた言葉である。

 

 空中という逃げ場のない場所へと逃げながらもアインスはそれを狙うことができない。

 むしろ逃げ場を自ら捨て、踏ん張るという地に住まうものの利すら捨てた埒外の技の前に防ぐのが手一杯であった。

 

(我が弓を防ぐ!?)

 

 どれほどの重騎士であっても矢に耐えうるものなど見たことがない。

 オウガを倒した後に更に積んだ修練と、倒したという経験から新たな地平に到達した技術と、決戦後に渡された勲章によってさらなる高み(クラスチェンジ)まで果たした弓騎士の矢を、大剣が防いで見せた。

 

 ジョルジュが着地をし、アインスが構えを取り直す。

 彼らはまるで以心伝心、まるで同じことを考えていた。

 

『生きてくれていて、ありがとう』

 

 武芸者はいつか死ぬ。

 戦いの中でこそ、喜んで死ぬ。

 だからこそ生きてくれたことに感謝をした。

 この戦いの後にどちらかが死ぬことになろうとも。

 

 ───────────────────────

 

「なんという戦術眼か」

 

 エイベルは舌を巻いていた。

 神殿防衛のための戦力が、方策が、ありとあらゆることが看破された。

 これがエイベルだけのものであれば彼も特に何も思わなかっただろう。

 出るにしても浅学非才の身であるから、程度の感想くらいのもののはずだ。

 

 だが、二人のクリスや彼らの仲間や、ここにこそいないものの防衛の手伝いにあれこれと骨を折った歴戦のグルニア三将に宰相エルレーン、

 他にも多くの人間がこの日のためにと用意したものの尽くが破られた。

 

「だが、なぜ攻めないのだ

 兵糧攻めでも狙っているのか……」

 

 いや、あれほどの戦術眼を持つなら戦略眼があって然るべき。

 つまり兵糧攻めではなく他に何かあるのだろうとエイベルは考えるが、答えは得られない。

 

「誘っているんだと思う」

 

 エイベルの独り言に返したのはクライネだった。

 

「誘う?」

「お前たちの軍略では自分には勝てない

 勝ちを拾いたいのならば単騎での性能を見せてみろ……そういう風に取れる」

 

 疑う訳では無いが、それを察した理由を知りたかった。

 が、それも見抜かれてかクライネは一拍の後に続ける。

 

 彼女は地面に木の枝であれこれと陣や兵団の動きを解説する。

 かなり高度なものが含まれているせいでエイベルはベテランとはいえ、理解が及ばなかった。

 それを恥ずかしいと思うではなく、むしろそれほどの人物が味方で頼もしいと思う。

 反面、ネーリングであれば理解したのであろうなと思うと心に少し影を落とす。

 

「行くしかないって結論に姉さんや兄さんたちも決めていると思う

 エイベルおじさんはここで神殿を守って」

「それは無論、だが」

「おじさんさあ、自分がネーリングだったらとかって考えているわけ?」

 

 図星だ。

 

「おじさんの武器はそれじゃないでしょ

 この戦いのあと、大地いっぱいに作物を広げるのがおじさんのやるべき戦いじゃないの?

 血を流し流させるのはさ、今回で終わり」

 

 だから今のうちに休んでおいて、クライネはそう告げた。

 

 彼女は戦うことしか自らを表現できない。

 その背が語っていた。

 

 エイベルは小戦を続け、その中で軍事的ではなく小領主的に人々を差配することができた。

 エルレーンからも戦後は小作人たちを取りまとめてほしいという打診も受けている。

 確かに、彼の戦いはここではない。

 言ってしまえば、戦いはまだ始まってすらいない。

 

「それじゃ、行ってきます」

「……クライネ殿、その武運に果てなきことを祈る」

 

 戦うことしかできないと自己を規定した少女が戦場へと進む。

 絶対にそんなことはない。

 そんな風に否定するためにも、生きて戻って貰わねばならない。

 平和な世でもお互いにやるべきことは山ほどあるのだと伝えねばならない。

 

 ───────────────────────

 

 ツヴァイは小さく笑った。

 

 囲いを作って挑発をすれば必ず受けると予測していたことがその通りになったからだ。

 

「アカネイアは負けた

 理由は単純だ

 我らの国にレウスはおらず、オグマやナバールもいなかった

 コーネリアスは死に、我が娘は未熟で、傭兵アストリアは信用しきることができなかった

 五大侯は頼ることができず、ミロアの遺したものを直視できなかった

 だから負けた」

 

 しかし、なぜそうしなかったのか。

 ツヴァイは続けた。

 

「我らは大軍だった

 我らは最大規模の軍だった

 一騎当千の兵など絵空事、子供の寝物語にあるものでしかない

 完全な軍隊と規律があればそれに勝るものなどないと考えていた

 愚かだった

 自分は実に愚かだった

 もっと早くにレウスがこの地に現れれば違ったというのに

 その力を示してくれればよかったというのに、あの男が遅いのが問題だったのだ」

 

 ああ、それは醜い言い訳だ。

 聞くに堪えない責任転嫁だ。

 

 それでもツヴァイは続ける。

 

「だから我らは今証明しなければならない

 アカネイア軍こそが最強であり、一騎当千は夢でしかなく、

 あのときの戦いは人知を尽くした後の天命に負けたのだと」

 

 擬剣ファルシオンを抜くとそれを起点として兵士を動かし始める。

 

「さあ、我らアカネイアの兵法を見せるぞ

 折角蘇ったのならば、それを証明してやろうぞ」

 

 ツヴァイは、

 

 否、

 

「さあ、我が名のもとに再戦を行おうぞ

 アカネイアの兵士よ、最後の正統を聖王国と競おうぞッ!」

 

 アカネイア軍最高司令官オーエン伯爵はツヴァイという皮を被り、ガトーに従うよう見せ、

 しかし我欲を果たすために亡者となってまで戦いを求めていた。

 

「魔王ガトーよ!!

 オーエンの敢闘を知ることなかれ、気がつくことなかれ!!

 汝と我らに呪いあれ、裁きあれ!!

 その裁きこそがこの戦場にこそあれ!」

 

 納得する死を求めるからこそ、亡者は(ちまた)を練り歩くものだ。

 



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乱戦模様

「……!」

「た、たすけてえ!」

 

 剣を向けた亡者は意思を感じさせない瞳のまま、オレルアンの市民へと刃を向けていた。

 戦いを生き延び、荒れた田畑をなんとか立て直そうとする気概を見せたものたちに現れた新たな試練こそ、死者の兵団であった。

 オレルアンの王族を失い、軍隊を失い、或いは家族や友を戦争で失っていながらも立ち上がる根気。

 それを今度こそをと刈り取ろうとするのはガトーの悪意か、死者が己と同じ場所へと連れ出すためか。

 

 しかし、剣は阻まれる。

 

「よ~~~っし、間に合ったな」

「……び、ビラク様!」

「ああ、オレルアン一のいい男ここに参上だ」

 

 槍を振るい、死者を斬り伏せる。

 それに気がついた兵団員たちがぞるぞるとビラクへと寄せる。

 

「俺の後ろで隠れてな、この広い背中によ」

「は、はい!」

 

 ビラクが防戦に徹していると兵団と言える数は次々と数を減らしていった。

 それは彼が蹴散らした結果だけではない。

 女剣士が、騎士が兵団を圧倒した。

 

「戦士でもないものをこんな風に襲うなんて、ばか

 許せない」

 

 アテナが鋭い瞳を軍勢に向ける。

 

「他の状況と比べれば兵は少ない、我らだけでここは抑えられそうだな」

 

 飛竜との見事な連携を見せ、蹂躙するのはホルス。

 

「悪いね、俺の故郷を守る戦いに付き合わしちまってよ!」

「ビラク様、彼らは……?」

「英雄さ

 このオレルアンを思ってくれる、ハーディン様の次にいい男といい女だ」

 

 ───────────────────────

 

「久しぶりだね」

 

 ぎりぎりと剣を噛み合わせ、濃密な距離で言葉を投げかけた乱入者。

 レウスはその相手に突き放すこともできず、しかし避けることもできなかった。

 それだけ相手の技は完成されている証拠でもある。

 

「お前……マジかよ」

「当然さ、この状況で最初に思い浮かぶ顔であってくれると信じていたのだがね……

 我が愛、レウス」

 

 五大侯、ディール侯爵シャロン。

 若き侯爵であり、かつてレウスと戦い、灰を食らって獣性を獲得した存在。

 生命としての異端へと辿り着いた男の姿はそれ以前の、端正な顔立ちの青年である。

 ただ、瞳は獣のそれであり、筋力や俊敏さもまた獣となったときのそれであった。

 

「名実ともにアリティアの正しさは、アカネイアの正しさはこのコーネリアス(ガトー)にある

 お前たち愚昧には姿を見せ、声を聞かせねばわからぬであろう

 だが、決着には早かろう」

 

 鍔迫り合いをしているレウスを見やり、

 

「存分に死者たちの力を理解させ、滅びゆく世界をその主城で見ておるがよい」

 

 ゆるりとした歩調で歩き出すガトー。

 

「待ちやがれ、ガトーッ!」

 

「シャロンよ、存分に戦うがよい」

「無論だ、魔王殿」

「……魔王などと、……ふん、まあよい」

 

 そう言い遺し、ガトーが姿を消す。

 リーザとエリスはその場に立ち尽くしている。

 考えが纏まらないように。

 マルスはレウスの戦いに二人が巻き込まれないよう警戒をしつつも思考を回している。

 消えたのはどういうことか、と。

 

 聞いていた話ではこの一帯はワープが使えないはずである。

 転移系統の力がいずれも使えないならば、ワープ以外の手段、例えばレスキューであったとしても使用は不可能。

 しかし、現実問題として眼の前にいたガトーは消えた。

 あの消え方は間違いなく転移によるものであった。

 

(技術は新たな技術で打ち破られるもの、とはいえ……ううん……)

 

 ああした性質の人物であればレウスに一泡吹かせるために自信満々に言いそうなものである。

 だが、彼の動きはまるで手足を動かすのと同じ程度に自然な、

 自慢するべきものでもないかのようであった。

 

(だったら、ワープ破りをしたわけじゃあない……のかな)

 

 マルスは考えつつも、目の前の戦いの趨勢からは決して視線を外さなかった。

 

 ───────────────────────

 

「ようやく二人きりだね、我が愛」

「周りを見ろよ、周りを」

 

 ふう、と吐息を漏らすシャロン。

 

「二人きりさ」

 

 剣を構え直し、過日の獣性と変わらぬ速度──つまりは目視不可能な移動を行う。

 違う点があるとするなら、今のシャロンにはその動きを制御するだけの技術が与えられている点であった。

 

「ッ!」

 

 一撃一撃を防ぎながらも、打つべき手を模索するレウス。

 だが、圧倒的な速度差の前に為すすべを掴むことができない。

 

「では、本当に二人きりになるために邪魔者には消えてもらったほうがいいかな」

 

 刹那、シャロンの速度を捉えるように剣が奔る。

 首を撥ねんと襲う刃に対し、余裕をもってとはいかずともシャロンの擬剣が太刀の行く先を防ぐ。

 

「打っ散らばすぞ、シャロン」

 

 ぎちり、と獣性に半ば支配されかけた瞳を覗かせるレウス。

 それをみてシャロンはぞくぞくとした快感を覚えていた。

 

「それだ、それこそだよ我が愛!」

 

 ───────────────────────

 

 獣性。

 

 このアカネイアにおいて獣性は極めて重要で、重大な要素であった。

 

 永きに渡ってアカネイアでは竜とは信仰の対象であり、同時に数々の奇跡によって人々を救った実績を持つ今をもって生きる神話であった。

 或いは、このアカネイアの歴史は未だ神話の中にある。

 

 アリティア聖王国がそのようにして人々の中に根付いた信仰心を利用するためにナーガ神教の換骨奪胎するが如くに作り上げたのが竜教団であった。

 竜教団は今や片田舎でもナーガ神教の代わりに崇められるものである。

 しかし、根底としてはナーガへの信仰心を漠然と持ったままにあるのは事実。

 

 贋作のナーガとガトーに言われる彼女はその本質としては竜ではなく獣である。

 或いは、竜であり、獣である。

 それ故に贋作と言えど、信仰の対象となるナーガには一定の力が信仰によって与えられており、

 ガトーが儀式の道具として使うのもまた、そうした信仰心の受け皿としてのナーガ、

 そしてそれを溜め込んだ彼女こそを利用している。

 

 竜であればこそ、ではない。

 今のナーガは獣でもある。

 

 その影響は死者の兵団の発生源であるものたちにも大いに影響を与えていた。

 獣から遠ければ遠いほど、ガトーの思惑から外れるものもあり、

 獣ではなく人であればあるほどに、ガトーの思惑に沿うものであり、

 獣そのものであれば、むしろナーガの意図に能うものとなる。

 

 レウスが常ならざる力を発揮したのはマリケスを原点とした獣性がナーガ……つまりはエルデの獣が持ち得て今も発揮し続けている儀式の力が流入したからであった。

 

「やってみろよシャロン、折角復活したってのにこの場で斬り殺されたいってなら、

 手を出すともう一度ほざいてみせろッ!」

「ふふ、感情を向けられて悪い気はしない……いま、我が愛の心はこのシャロンに釘付けというわけだからね」

 

 獣人の曲刀が加速する。

 その刃もまた、獣。

 レウスの気迫に追従するようにその切れ味も、鋭さも、速度も際限なしに高まっていた。

 

 一方の擬剣もまた、加速をする。

 

 ファルシオン。

 擬剣であれど、救国の、いや、アカネイア大陸の危機を救った救世の剣を正確に模したそれもまた、ナーガの影響を大いに受けていた。

 儀式が発動していればその剣が受ける力もまた比類なきものとなってただの武器とは異なる、高次なる刃と化した。

 重さもなく、鋭さだけを残し、いのままに振るうだけでなく太刀を合わせようと刃こぼれの一つもない。

 

 剣風嵐の如くとなり、もはやその領域に立ち入ることは誰にも不可能と相成る。

 

 

「見事だ、我が愛」

「てめえこそ、尋常じゃねえよ」

 

 レウスには気迫が、

 シャロンには喜悦がその顔に浮かぶ。

 

 鏡写しにしたような大振りな一撃がぶつかり、互いに距離を取るように後ろへと跳ねる。

 レウスは再びぐいと踏み込みの姿勢を見せるが、

 

「さて、ここまでにしようじゃないか我が愛」

 

 武器を持たない手を前に突き出し、静止するような姿勢をシャロンは取った。

 

 ───────────────────────

 

「ミネルバ将軍、その……賊を標榜するものたちが」

「こんなときに略奪行為でも始めたか!」

「いえ、ニーナ様の名を挙げて防衛の薄いところで助攻をしております」

 

 その報告から少し時間を遡る。

 そこには歪な武器を掲げた賊たちが筆頭として口々にニーナの、蛮王の名を叫び戦っていた。

 

「蛮王よお!偉大なるニーナよお!我らに力をぉお!」

 

 蛮族たちは思い思いに武器を作る。

 特に火の部族と呼ばれるものたちは鍛冶に精通し、どのようなインスピレーションからかもわからない、

 奇矯としか言いようがない武器を揃えていた。

 それは戦斧のようではあるが先端は円形の鋸となっており、相手に叩きつけることで回転し、

 刃の鈍りを抑制する作りとなっていた。

 

「捧げものは幾らでもいるぞお!」

「うおおお!ニーナ様ばんざぁぁぁい!!」「叩き潰せえええ!」

 

 怒号が戦場に響く。

 彼らの目的はたった一つ。

 生き残ることではない。

 ニーナの名を轟かせること、蛮王がいたことを知らしめること。

 そのためであれば命など惜しくはない、英雄の信奉者であった。

 

 ───────────────────────

 

 矢を放ち、放ち、放つ。

 距離を詰めようとするアインスに対して矢だけでなく蹴りや弓による打撃などで勢いを殺す。

 

「はははっ!見事だ!弓騎士だ!お前こそ!

 弓使いなどではない!弓手でもないッ!!」

 

 アインスは戦場に在る騎士としてジョルジュの手並みを褒め称える。

 自らの技量は疑う余地はない。

 詰めきれず、殺しきれないジョルジュの腕をこそ見事という他なかった。

 

「だからこそ……」

 

 距離を取られたその瞬間にアインスは屈むようにして構えを取る。

 

「お前が弓でなく剣を扱う騎士であったなら、これを防ぐことができたろう」

 

 姿が消える。

 流れる星の如くに連続の瞬撃を加えるのが一つの奥義であるとするならば、

 風雷をも従える一拍、無影なる技。

 剣を数多打つではなく、その身を打つ──(なげう)つ秘技。

 

 疾風迅雷。

 

 ジョルジュはその一撃を確かに捌いたはずであった。

 踏み込み、振り抜く一撃を身をよじることで。

 

 だが、剣を振った男が目の前にはいない。

 一瞬すら掛けることなくアインスはジョルジュの背後を取っていた。

 

 剣使いであれば、迫る刃を防げたろう。

 だが、弓を剣のように使うことはできない。

 仮にパルティアを犠牲にするように盾とすればパルティアを失い、武器を持たないジョルジュは勝機を完全に逸する。

 騎士であればこそ、そのような一瞬の命を掴む真似はしないとアインスは読む。

 ここでジョルジュが生きる目があるとするなら──

 

 もう一つの疾風が迅雷の如き槍を振るい、ジョルジュへ迫る刃を弾いてみせた。

 

「アリティア聖王国、白騎士団副長エストッ!

 騎士の作法ではなく乱戦の作法を優先させていただきます!!」

「立ちふさがる勇士の言葉に違和不平なしッ!」

 

 桃色の髪の少女が立ちふさがった。

 ジョルジュを殺す機運は逸したが、アインスはそれを不快とは思わなかった。

 

 強者だ。

 強者との戦いがここにある。

 

 命を奪うことを目的とはしていない。

 アインスはアカネイアにて生まれた全ての戦士たちの、行き場のない戦いへの欲求の器であった。

 

 ───────────────────────

 

 駆ける。

 駆けてくる。

 

 勇士たちが駆けてくる。

 

 十重二十重と用意した策略も戦術も、彼らの前にはまるで意に返すものではないと言わんばかりに。

 

「見事だ」

 

 ツヴァイ──否、オーエンはかつての技とは異なる武器を手に取る。

 この身がオーエンではないことを告げる、当人の認識の外にある技を振るうために。

 

「剣など儀礼のためにしかないと思っていたが」

 

 鞘から抜き切ると、横薙ぎに振るう。

 指揮棒に従うかのように兵士たちが左右に分かれ道を作る。

 幾人もの猛者がこちらへと突き進む。

 

「オーエン伯!お久しぶりだなッ!」

「クリス坊!大きくなったではないか!」

 

 オグマの大剣が大上段から振り下ろされる。

 それを擬剣が阻んだ。

 

 クリスが歯噛みするようにして気合を入れると体のそこかしこから紫色の焔が立ち上り、

 オーエンの足が地面にいくらか鎮められる。

 

「マクリルに似た膂力よな」

「鍛え方は爺ちゃん仕込みだからなあ!」

「だが、力だけでは!」

 

 ゆらりと一瞬の脱力から大剣に掛かった力を流し、弾く。

 最小限の動きでクリスの命を奪わんと突きが穿たれんとするも、

 

「しぃッ!」

 

 もう一手、剣が振り下ろされた。

 クリス、姉とも呼ばれた彼女がクリスの巨体に隠れるようにして戦いの最中に入り込み、横合いから攻撃を振るう。

 

「娘!お主もマクリルの家族か!

 彼奴は常道王道に詭道を混ぜ込むのがうまかった!これもまたマクリルの技か!」

「防がれるかあー……聞きたいんだけどさ、伝説に利くオーエン伯爵は今の方が強い?

 それとも元のほうが強かった?」

「ははッ!心を揺さぶる言葉を選ぶのが上手いな」

 

 やや埋まった足を利用して砂を使っての目眩ましを蹴りとともに放つオーエン。

 

「答えはどちらでもない!

 今も昔も、肉体の作用がいくら変わろうと自分はオーエン、それ以上でもそれ以下でもない!」

「参ったなあ、いい返辞だね」

 

 苦笑いで姉が返す。

 こういうタイプの男は嫌いではない。

 敵でなければ、酒を酌み交わせていただろうか。

 

「かもしれぬな」

「心を読まないでよね」

「同じことを思ったと感じて、口にしたまでだ

 当たっていたかね」

「悔しいけどね」

 

 二人のクリスが同時に後ろへと下がると稲妻と矢がオーエンへと襲いかかる。

 

「完全に不意打ちできたと思ったのに!」

「トロンを……剣で弾く!?」

 

 カタリナが神殿から持ち出したトロンは剣で弾かれ、一拍置いて放った矢は肩部装甲の丸みを活かして受け流す。

 舌を巻くような神業というべきであろうが、淀みのない動きはむしろ常在戦場を旨とした傭兵の日常動作とも見えた。

 

「これで終わりではあるまいが、こちらの手並みも自慢させてもらわねばな」

 

 オーエンの言葉に、周囲の兵団の動きがまた一つ変化する。

 



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頼るは我が身のみ

 後事をシャロンに任せて去ったガトーだが、それは自身がレウスに勝てぬと思ったからではない。

 

 彼は彼なりに多忙であった。

 

 なにせ自らの行いが大本になったこととはいえ、

 多くの判断や行動の発起は任せられるものが軍中に存在しない。

 アインスやツヴァイのようなものがいればよかったが、

 兵団そのものを任せられるほど信頼する将は一人しかおらず、その人物は聖域を守らせるに必要な人材であった。

 

 だからこそ魔王は急ぎ居城へと戻り、祭儀を行う。

 

 アリティアを潰すためにはただ数を揃えればよいというわけではない。

 そこに質を加えなければ本土決戦にもつれ込めたとして、重要人物の首を取ることは叶わないだろう。

 

 血の気の失せた顔色のナーガの力を強引に励起させ、準備状態にあった兵団を動かす。

 聖域から歩き出したものたちは一路、アリティアへと向かう。

 移動には自分が行ったのと同じものを使えばよい。

 

 ワープを封じられたときはどうするべきかと頭を抱えたが、

 竜族が作り出した過去の技術はアリティアの守りすらも突破することに成功したのだ。

 

「すぐさま喉元にとはいかぬまでも、外郭から崩してくれる

 グルニアもマケドニアもいない聖王国が守りきれる数ではないわ」

 

 だが、と苦しむナーガとそれを支えようとするギムレーを見やる。

 

 まだ足りぬ。

 策を完全にするためには。

 

「仮に各地の軍が退けられたとして、第二第三の手は打っておくに限るか」

 

 魔王は、そう呼ばれるに相応しい笑みを浮かべ視線の先へと歩き出す。

 

 ───────────────────────

 

「強いのは武芸だけにしてほしいもんだな!」

「ほんとにね!」

 

 弟はクライネを引き寄せ、姉はカタリナを引き寄せる。

 一瞬の目配せだった。

 

 その後に来るは矢の大雨。

 見事な指揮などと言えまい。

 それは人外無法の戦術。すべての兵士が一つの脳で動くが故に、一矢たりとオーエンには触れず、放たれた全てがクリスたちへと注がれる。

 

 だが、二人とて常道に断たぬ英傑。

 矢を早業の剣技で全てを叩き落とす。

 

 通り雨が過ぎ去ったあとに、そこにはオーエンは悠然と去ろうとする背があった。

 

「このまま兵士にすり潰させようってか!」

「やらせないわよ!」

 

 弟とクライネは息を完璧に合わせ言葉だけでなく、攻撃をも合わせた。矢を放ち、剣を持って突撃をしようとする。

 

 しかし兵士の人垣から飛ぶように現れたものたちがそれらを防ぐ。

 

「お前たちの相手、我らがする」

「追いかけさせない、お前たちここで死ぬ」

「ローローに殺される、ウキキ」

 

 耳障りな笑い声が響く。

 

「外道が」

「ローローは外道じゃあない、ローローはローローでしかない」

 

 一団の中心にいるローローが言う。

 角の生えた不気味な仮面は揃いのものだが、白い髪の持ち主を忘れようもない。

 

「爺ちゃん……」

「マクリルはいない、ローローしかいない」

「ウキキ」「ウキキ」

 

 苦々しい表情を浮かべる弟を叱咤するかの如くに激が飛ぶ。

 

「マクリルはいるッ!!

 そこに、爺ちゃんはいる!!

 だから見せてあげなさい、我が弟

 アンタの成長した姿ってやつを!」

 

 まるで平手打ちをされたかのような錯覚。

 

『いつか親を離れ、国に捧げることになる

 いつかわしを超えて、歴史となる

 それがお前なのだ、クリス』

 

 いつも言っていたマクリルの言葉。

 

「ああ、そうだよな

 爺ちゃん……今日がその日なんだな」

 

 引き継いだものはたくさんあった。

 オグマの大剣だけではない。

 旅の中で多くを得て、取りこぼして、そして得た。

 その全ては

 

「ここに会ったんだな

 この日に、爺ちゃんに認めてもらうために」

 

 大剣を構える。

 大仰に、誠心に。

 

 姉はそれを見て小さく頷く。

 

(それでいいんだ

 私は爺ちゃんとは満足にお別れできなかったから、その分まで頼んだよ)

 

 剣を構え直し、ローローや死者の兵団へと向き直る。

 

「ちょーっと厳しい戦いかもしれないけど」

「クリスと一緒なら誰にだって勝てますから、安心してください」

「私たち姉妹の絆と力、院長に見てもらおうよ!」

 

 クリスが頷くと、カタリナとクライネもまた頷く。

 

 去らんとするオーエンもまた、小さく笑った。

 

(ああ、それでいい

 我ら亡国の痕跡の全て、その息吹で吹きとばせ

 ──ガトーよ、魔王よ

 我らが敢闘を知るなかれ、気が付くなかれ)

 

 ───────────────────────

 

(オレルアンから軍を吹き下ろさせるつもりだったが……邪魔が入ったか?

 事前の情報じゃあ動く奴はいないと見ていたようだが、アリティア以外の連中が動いているってことか

 或いはツヴァイが意図的に読みを言わなかったか、まあ、些細なことよ)

 

 エストの槍捌きは見事と言えるだろう。

 一廉のものだ。国家単位で見ても高い位を預かれるほどのものだろう。

 だが、

 

「見事だが、技ってのはこういう──ものを言うんだよッ!」

 

 まるで二人に増えたかのような動きを見せる。

 写し身ではない。

 片方には実体を、もう片方に高速で放った一撃を乗せた一人時間差ならぬ一人連携。

 

 エストは悲鳴を上げず、それを耐える。

 

「ぱ、パオラ姉様!大丈夫です!……まだ、戦えます!」

 

 自分と同じようにどこからか現れると予測した彼女が叫ぶ。

 その予想は正確なもので、空から襲わんとしていた彼女の動きが止まる。

 

「私も、白騎士です!

 白騎士団の副長を拝命したのです!」

「健気だな」

 

 アインスが笑い、剣を構える。

 体勢を立て直したジョルジュもまた武器を構えた。

 

「数の利を取らせてもらう、騎士の誉れを失おうと」

「冗談はよせよ、大陸一

 この戦いに騎士の誉れだとか言っている場合か?

 お前らの背には以後も永く続く平和なアカネイアになるかどうかが掛かっているんだぜ

 卑怯でも悪辣でもなんで束ねて掛かってこい」

 

 それに、と続ける。

 

「俺の身も一人のものではないのでな」

「……それはどういう」

「つまらん話さ

 俺はオグマであり、ナバールであり、アストリアであり、サムトーであり、或いは他の多くの武芸者であり、名を挙げなかった軍略家でもある

 そしてその誰の魂でもないものを束ねたのが俺だ

 一人にて大業ならぬが故、数多の欠片、亡者の掃き溜め

 お前たちが徒党を組もうと決して均衡にはならない歩く武の災、それがこのアインスだ」

 

 剣を振るう。

 

「だから、一人二人と言わず……パオラとやら!

 お前も来るがいい!

 この場の猛者全員で俺に挑み、徹底的に押し込んで討ち果たしてみせろッ!!」

 

 ───────────────────────

 

「……何?」

「聞こえなかったのかな、我が愛……

 このあたりで十分だ、そう言ったのだよ」

「お前の顔も見飽きたぜ、とかそういう」

「はっはっは!そう見えるかい」

 

 呵々大笑というには気品を漂わせた、それがまた一種のナルシズムを感じさせる。

 この男の厄介さがあるとするならばそれが嫌味や不快さのない部分とも言える。

 それはそれとして人を指して我が愛と呼ぶのは気持ちが悪い、というのはレウスの内心である。

 

「私は君に会いに来たのだよ

 この身はシャロンという個人だけのものではなく、数多の魂が()り合わせられて作られたものではあるが」

「多重人格とは違うってことだよな

 お前はどう見たってオレの知るシャロンそのものだが」

「彼、或いは私の意識が最も強固ではあったからだろうね」

 

 剣を地に突き立てるとやや大仰とも言えるような姿勢を取る。

 まるで舞台に立った役者のように。

 

「君は私の裏切りにどれほどの値を付けてくれるかな、我が愛

 こちらが提示できるのはガトーの移動手段、そして彼の生命線とも言えるものへの案内」

 

 細面に柔和な笑みを浮かべる。

 レウスはこういう手合が一番恐ろしいのを知っていた。

 狭間の地において同じ経験があった。

 

 白面のヴァレー。

 人を貶めたりする意図もなく、しかし己の信じたもののためであれば一切揺らがず、

 或いは自ら信じた道こそが最善最良として疑わない強固な精神。

 そこにどのような艱難辛苦があろうとも構わず突き進む信念。

 

 結果として大いなる痛みを彼から与えられたのを忘れていない。

 その上でレウスの悲鳴を上げて煽っていた──いや、子供をあやしているような言葉であろう、彼にとってはだが──あのときの声を忘れていない。

 あればかりは神を相手にしているときよりも精神的には追い詰められていた。

 

 シャロンを見ているとそれを思い出していたが、今目の前にいる彼はよりその実態に近いものであった。

 だからこそ警戒をする。

 何か理由があってというわけではない。

 本能的に彼を恐れていると表現するべきなのかもしれない。

 

「お前が求めるのはなんだ?

 命を賭けた戦いってわけじゃあないんだろう

 それならこのまま戦えば良かったって話だものな」

「その通り」

「……」

 

 じっとシャロンを見やる。

 淡く微笑まれる。

 レウスが年頃の女であれば心も溶かされるようなものではあるが、

 

「面倒くさい女と同じ表情しやがって」

 

 レウスの経験から、返答と態度からシャロンが言いたいことがわかっていた。

『何を考えているか当ててみて』

 というやつである。

 

 ある意味で妻たちの中でこうした面倒な性質のものがいないからこそ忘れていたが、

 少なからず好意というものの中にはこうした行動を選ぶものがいる。

 

 皮肉なことがあるとするなら、それに気がついたレウスにも、

 それに真面目に対応しようとするレウスも、

 シャロンからすれば我が愛が自分に答えてくれると心を高鳴らせる要因として機能しているものでしかない。

 

「ディール侯爵領の返還とアリティア聖王国としての爵位」

「悪くはないが、違うね」

「シーマの身柄」

「遠いな、実に遠い

 彼女の幸せを祈っているし、彼女の幸せはサムソン殿の側にこそあろう

 違うかな?」

「……ああ、そりゃあ間違いねえな」

 

 我が愛、我が愛と言うも、お嫁さんにしてくれというタイプではあるまい。

 であればいよいよ答えはわからない。

 レウスは思考のデッドロックに行き着いていた。

 

デッドロック(手詰まり)だな……

 あー……何が望みだ、望み……

 こいつは死者で、……デッドロック……デッド……まさか)

 

「シャロン、お前……オレの考えをどこまで知っている?」

「常人の理解の及ばぬところまで

 しかし、円卓のものが知り及ぶところまで」

「何故知っている」

「円卓に行く権利を私が持っていたからさ

 正確に言えば暫くの間はこっそりと住まわせてもらっていた、見つからないように生活するのも楽しかったものだがね

 魔王に呼ばれ、離れることになるまでは有意義に過ごしていたとも」

 

 シャロンのこの口ぶりからすればガトーになにかを漏らしていることはなかろう。

 或いはこの状態すらガトーの掌の上であれば脅威ではあるが、

 そもそも、そうした小細工を弄することができるのであれば決着は既に付いているはずだ。

 

「お前の望みは──」

 

 ───────────────────────

 

 フィーナはマリーシアによって大いに手を加えられていた。

 とはいえ、それは人間から怪物にするようなものではない。

 

「私が殺されちゃったとしてえ、そうなったら王さまはガトーの爺さまとの決着に向かうだろうからねえ

 負けたあとのことを考えるなんて後ろ向きだって?

 あはは!違う違う、これはねえ、私が負けるなら道連れがほしいからしている準備ってだけだよお」

 

 マリーシアは己と対話をする。

 それを口に出す。

 普段であればこのような奇妙な行いは自戒しているが、一人であれば別だ。

 特にテンションが高いときであれば、なおさら。

 

 彼女はフィーナの体をいじくり回して、その肉体に眠る多くの可能性を見ていた。

 しなやかさから剣の腕を限界まで強化こそしたが、そんなものは余録に過ぎなかった。

 

 簒奪者たるアドラ一世は王冠の力によって大陸を支配した。

 だが、彼はただの簒奪者ではなかった。

 別の大陸での戦いから、より先進的な技術や思考を備えていた彼は当時研究されていた幾つかの技術を記憶したままに渡ってきていた。

 それもこれも、アドラ一世──以前はリフィスと呼ばれた頃はチンケな盗賊であったが、目端は利いた。

 首尾よく生き残った彼は自らの功績を並べて国家の要職の一つを要求し、そこで得た技術こそがアカネイア支配に役に立つこととなった。

 

 それは封印の力。

 ロプト教団が作り出す魔将や、ロプトウスの傀儡が生まれたときの対策手段は国家として準備し続けねばならない必要経費であった。

 勿論、リフィス自身には知識があってもそれを実行する力はなかったが、大陸を渡り、王冠を手にしたのであれば別だった。

 

 封印は特定のものにのみ作用するものではなく、上手く扱えばどんなものでも人外からの作用であれば抑え込める可能性があった。

 が、どうあれそれを実行するには神に等しいだけの信心を必要とするものであり、

 かつての大陸であれば時代を平和に導いた少年少女が信心の対象として有用であった。

 

 アカネイアにおいてはそれを王冠の力で人々の心を強引に纏め上げ、

 王冠の使用や聖地を荒らした盗賊への報復を前もって、ナーガやガトーの行動を制限した。

 

 それは建国王アドラのみの奇跡として細々と伝えられ、やがて忘れられる。

 しかし、アドラ一世が王冠で得たそうした力は使えずとも子には引き継がれていき、

 やがて王族の血を引くフィーナも持つに至る。

 

 彼女の舞は人々の力を活性化させる不可思議な魅力があったが、

 それは労苦や疲労というものを『封印』するという作用が引き起こしている結果である。

 

「神を封印するまでの力はない

 ……けど、ガトーの爺さまの影響下にあるものだけに限定すれば不可能じゃあないかも」

 

 マリーシアの目的は神そのものの封印ではなく、

 ガトーの力を削ぐことに注力した。

 

「信仰心が必要にはなるけど、フィーナちゃんが王さまのところに戻れば聖王へ向けられる信仰の影響を受ける

 それは魔道的伝搬力に置き換わって──」

 

 ぶつぶつと言いながらも作業を続ける。

 

「……ふふ、舞い踊ってね、フィーナちゃん

 あなたが踊れば計画は狂って爺さまの計画はご破産になる

 悪党なんてのはひどい目にあって当然なんだから」

 

 その言葉は自らに向けたものでもある。

 彼女とて自らの悪行を理解していないわけもない

 悪事の報いはいつか受ける。

 

 だが、それは完全に敗北したそのときだけ。

 マリーシアは最強ではなくとも、無敵の心持ちで準備を続けた。

 

 それもこれも、過去の話。

 



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愛にすべてを

 二連の矢、トロンの組み合わせで次々とローローを倒す。

 しかし、カタリナとクライネは勝てるヴィジョンがまるで浮かばなかった。

 ローローは倒しても、むくりと起き上がる。

 まるで不死の怪物。

 それだけならば徹底的な火力で消し炭にしてやればいい、

 肉体を細切れにするだけの勢いで矢を穿てばいい。

 それができないのは兵団そのものが集中を許さないからだった。

 

「このままじゃあすり潰されかねない……こうなったら」

 

 クライネは悲壮な覚悟を決めようとする。

 誰かが犠牲になって道を作れば他の三人は生き延びさせられるかもしれない。

 

 死ぬなら、最初だ。

 残されるのはもうごめんだから。

 

 彼女はそれをずっと思い生きてきた。

 まるで、今生きていることが奇跡のような、今クリスやカタリナと一緒にいるのが夢のような。

 

 ……夢ならばいつかは晴れる。

 晴れるなら、意味のある覚醒めでありたい。

 

 自分の命を使うことがそれに能うなら。

 

(アイネ、クリス姉、二人のためなら命なんて惜しくない)

 

 弓を握り込む。

 

 ──それとほぼ同時に、外郭と化していた兵団に大きな衝突音が、戦場全体に轟音が響く。

 

 それは馬蹄の波濤であった。

 それが軍靴の地響きであった。

 それが戦士たちの雄叫びであった。

 

「チェスト!チェスト・アカネイア!!」

 

「チェスト・アカネイア!」

「チェスト!」

 

「チェスト・ガトー!!」

 

 何者かがそれを叫んだ瞬間に、爆発的にその言葉が伝搬した。

 

「チェスト・ガトー!」「チェスト・ガトー!」

 

 それは山津波のような怒号であった。

 

 騎馬兵が、歩兵が、重装騎士が、一矢となって死者の兵団を破壊する。

 

「アリティア聖王国軍、前へ!」

 

 澄んだ女性の声。

 

「祖よ!我らが新たな時代を祝福せよ!

 我ら旧来の武人は幼子の如き国の庇となり、盾となり、刃とならん!!」

 

 アリティアの聖女。

 マケドニア大貴族の子女でありながら救済の旅に出たことを謳われた聖女。

 竜教団の最重要人物の一人、

 レナが鼓舞する声を発した。

 

 ───────────────────────

 

 旗が翻る。

 声が響く。

 光が迸り、レナの周りにマケドニアの祖霊たちが戦装束を纏って現れた。

 

「ロプトウス様の威信を見せるときぞ!」

「ロプトウス派楽隊、神楽巫女フィーナ様に音を捧ぐ!」

 

 祖霊たちの出現と共に音楽が響く始める。

 楽隊と祖霊が広く円陣を組み、その中でフィーナが舞い始める。

 

 ───────────────────────

 

 天が狂うような空模様を前兆とした後にロプトウスはフィーナのもとを訪れていた。

 

「ワシの楽隊をお前に貸し与える

 彼奴らと共に戦場で舞を披露せよ」

「舞を……?」

「お主の舞には力がある、それは確約しよう

 その力はガトーめの計画を狂わせるだけの大いなる力があることを」

 

 マリーシアの手記に残されたものにはフィーナに行った施術の内容も含まれている。

 建国王アドラ一世が扱って見せた封印の技法の発揮方法をそのまま実行するのは難しくとも、竜教団の力と共に扱えば実現ができることを、

 その力が少なからずこの後に起こる決戦で大いなる力となることを。

 

「ただ、舞えばいいの?」

「ああ、一心不乱に舞えばよい

 遠くで戦うことになるであろうレウスにも届けと祈りながらな」

 

 レウスを思うことがなにより重要だ、と暗黒神ロプトウスはかく語る。

 

 ───────────────────────

 

 彼女は舞う。

 楽隊が弦を弾き、鼓を叩き、歌を奏でた。

 彼女は舞う。

 楽隊が鐘を鳴らし、金管を拭き、体鳴を打つ。

 

 舞ひとさしある度に、マケドニア軍人たちは一つまた一つと限界を突破し、あらん限り以上の力で死者の兵団を蹴散らしていく。

 

 指揮を再開したオーエンはその状況に少し驚きながらも思念によって兵団を操る。

 死者たちに恐怖が伝播することはない。

 マケドニアの士気が高かろうと、冷静に対処すればよい。

 

(滅びるための戦いであろうと、我が身の価値を示さねば亡者としての立場もない

 お前たちの命を我らの墓標とさせてもらおう)

 

 亡者は生者の足を掴むもの。

 オーエンは擦り付けられた亡者の行動欲求に抗うではなく、肯定する。

 

 まずはローローと戦うものをすり潰そう。

 勇士から消えれば士気を萎ませる手がかりになるだろうと。

 

 包囲を狭める。

 クライネたちに焦りの表情が浮かぶ。

 援軍は来たが、ここまで来るまでに自分たちが持つかどうか分の悪い状況に押し込められつつあるのに気がついたからだ。

 

 遠間からシューターからの長距離支援射撃が降り注ぐ。

 頭数を削られるのはおいしくないが、状況としては悪くない。

 地面に叩きつけられた投射物は土煙を上げる。

 勇士たちの視線が切れればそれだけ戦いの難易度は上がる。

 

 次々と投射物が降り注ぎ、兵団が潰され消えていく。

 それでも死者の兵団は揺るがない。

 

(まずは勇士の首三つ、我らが亡者への(はなむけ)とさせてもらうぞ)

 

 シューターの支援によって生まれた土埃を幕のようにして使い、死者の兵団を突き進ませる。

 視界が悪ければ有利なのは俯瞰できるオーエンである。

 

 その首を獲ったと確信した瞬間、不気味な光が眩く戦場に輝く。

 次の瞬間には光は巨大な刃となって陣を切り裂いた。

 

「私の子供たちは、私の家族は……私が守る!

 今度こそ……今回こそッ!!」

 

 離れた城郭から声が響いた。

 

 ───────────────────────

 

 ここではないアカネイア。

 アリティア軍のマルス王子の近衛兵見習い兼女軍師のクリスは快進撃を続けていた。

 

 近衛兵としてはやや粗野なところがあるものの、こざっぱりとした気持ちのいい性格で一種のカリスマによって軍の力を増していた。

 だが、その戦いでは軍を率いず単騎で挑んでいた。

 

 相手はガーネフの懐刀たるエレミヤ。

 

 選択肢がなかったわけではない。

 だが、クリスはカタリナを救うことを諦めた。

 必死の言葉は確かに彼女に届いていた、しかし、彼女はエレミヤを一人にできないと悲痛に満ちた顔で告げた。

 

「これで、もう……あなたを傷つけなくて済むのですね……」

「……殺せばよかったんだよ、私なんて

 カタリナになら、こんな命くれてやったのに」

「じゃあ、命をもらうかわりに、お願い……聞いてくださいますか?」

「言ってごらん、なんだって叶えてあげるから」

「エレミヤ様を……闇から救って差し上げてください、あなたの剣なら、きっと」

 

 なんだ、そんなこと。

 クリスは笑う。

「簡単すぎるよ

 私の命の代わりには足りないね、もっとないの?

 甘えてみなよ、もっとさ」

 

「やっぱり、クリスはすごいですね……

 じゃあ、きっとできないお願いも、いいですか?」

「いいよ、言ってご覧」

「この世界ではないどこかで、いつかあなたと一緒に過ごしたいです

 そこが戦いのない世界なら幸せな日々を、戦いがある世界ならその背中を守り合いたいです」

「……わかったよ、きっと叶えるから」

「はい、約束、ですからね」

 

「うん、約束だ

 だから、おやすみ……カタリナ」

 

 助けることはできなかった。

 きっと必死の説得を繰り返せばそうならなかったかもしれない。

 しかし、アリティア軍に自分の私情で不和を作り出す可能性を軍師として容認できなかった。

 そこからだった。

 アリティア軍が快進撃を始めたのは。

 カタリナを失うことで、クリスはアカネイア最強の軍師であり、戦士として完成した。

 一切の私情を持たない解決者となったのだ。

 

 そうして辿り着いたエレミヤが待ち受ける闇のただなか。

 孤軍にて挑むのはこの戦いはマルスの作る平和な世界には必要のない戦いだったからだ。

 もしもここで自分が倒れたとしても残してきた手紙通りに進めればアカネイア大陸の闇を一掃することができるだろう。

 

 戦いは一方的だった。

 クリスの強さはアリティアの、アカネイア全域を見ても飛び抜けたものだった。

 勝利すればよいという一点において名誉すらかなぐり捨てるような戦いを闇の中で繰り広げる彼女を止められるものなどどこにもいなかった。

 その気迫は或いは闇のオーブやマフーの呪いすら切り裂きかねない鋭利さがあった。

 

 ごく短い戦闘時間のあとにあるのは片膝をついて刃を向けられるエレミヤ。

 そして剣を向けるクリスの姿だった。

 

「……ふふ、これでいいわ

 どうせ、何もできっこないもの」

「いいや、できたはずだ

 あなたは逃げただけだ、エレミヤ

 愛を注ぎ、再び壊されることを……失う恐怖から逃げたんだ」

 

 殺意ではない。

 憐憫の色の強い瞳を向けられたエレミヤは自嘲するように笑う。

 

「……そう、ね

 私はアイネもクライネも自分の手で失うようにして、安心していたのね

 愚かな女なのはわかっていたけれど、ここまで愚かだったなんて」

 

 ぽたり、ぽたりとエレミヤの涙が石畳に落ちては吸われる。

 

「あなたの慈悲に縋るわ、アリティアのクリス……どうかこの首を斬って

 私一人では抱えられない後悔を首と一緒に切り落として……」

「……わかった

 その代わり、一つだけ聞かせて」

「ガーネフ様のことなら──」

 

 そんなことじゃないと言いたげにクリスは上から被せるように

「カタリナとクライネのこと、……もしもやり直せるなら、家族として愛することができる?」

「残酷ね、クリス」

 

 泣き腫らした瞳を向けてエレミヤは微笑む。

「次がもしもあるなら、命に代えても家族を守るわ」

 その言葉にクリスも「そうなれるように私も祈る」と返す。

 エレミヤは瞳を閉じ、

 クリスの剣が音すら立てずに彼女の首を落とした。

 

 ───────────────────────

 

「私の子供たちは、私の家族は……私が守る!

 今度こそ……今回こそッ!!」

 

 記憶が取り戻されたわけではない。

 だが、確かに喪失と悲嘆の記憶が見えた。

 誰の記憶なのか、それとも過酷な生を歩んだ彼女の狂気であったのか、

 それがどうあれ関係はない。

 自らの心が叫んでいる。

 

 家族を守れ。

 

 ガトーを討ち滅ぼすために作り上げた反転(ネガ)オーラは、本来はそのためのものではない。

 大いなる運命を、定められた道を切り拓けという、自我を得た少女時代のエレミヤが最初に自覚した意識から来るものだった。

 いつしかその定められた道を作るものがガトーだと認識し、打倒のために準備を進めた。

 

 しかし、それはガトーではなかった。

 大いなる運命と定められた道は自らの子を失うことであった。

 

 それはクリスの手によって一度は守られた。

 再び死神の鎌が我が子たちに迫っている。

 

 次はない。

 

 クリスが彼女たちを助けようとする。

 そうすればクリスが死ぬ。そうなればカタリナもクライネも心の平穏を二度と得られることはないことを直感していた。

 

「私の家族に、手を出すな!

 カタリナも、クライネも、クリスも……私の家族に傷ひとつ付けさせてやるものですかッ!」

 

 馬鹿げた出力の反転オーラが怒涛の勢いで放たれる。

 彼女の手には魔道書はない。

 

 ───────────────────────

 

 聖戦士となったものはその才覚を限界まで引き出される。

 草木、或いは花と同じである。

 種のないものは芽生えることはない。

 

 魔道書とは神々、或いは高位の竜族が持っていた力を操るための(しるべ)である。

 人間には高度すぎるがゆえに書という形にし、名を読むことで力を発揮する道具。

 だが、少なくとも魔道書を読み、唱え、発揮することができる時点で人間たちもまた魔法を扱うことができる。

『種』は持っているのだ。

 

 エレミヤは過去のより古を、自らの一つ前の生を思い出しているわけではない。

 だが、同じ悲劇を繰り返してきた自覚があった。

 自分は何度生まれても子どもたちを守りたいと願っているから。

 しかし、何度生まれても自らの至らなさから守りきれないことを理解しているから。

 今回の生もそうであったように。

 しかし、クリスが失ったはずの我が子たちを連れてきたこと、

 そしてクリス自身もまた我が子である思わせてくれる優しさがあること、

 それによって彼女は再び母である自覚と責任を得ることができた。

 

 かのようにして折り重なる不運を記憶ではなく直観によって経験を持つ母が、我が子の危機で指を加えて見ているだけであろうか。

 

 聖戦士が才能を限界まで引き出すことで数多の力が扱えるようになるというのならば、

 ただ人であっても機会に恵まれれば再現性を得ることができるはずである。

 

 彼女──エレミヤはまさしく、人間が持ち得る限界を踏み越えて母の愛を武器として力を発動させる。

 他人(ガトー)の手によってではなく、自らの意思で。

 

 光が放たれる。

 死者の軍勢が飲み込まれ、消失する。

 退魔(ディル)のように効率的に死者を還すではなく、圧倒的な母性の前に全てのものは抱かれる。

 敵であった子ならば、あやし、眠りにつかせ、消し去るように。

 味方である子ならば、光を満たして庇うように。

 

 エレミヤの魔力が我が子を救い出した。

 



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最終メソッド

「こちらでいるよりも、永く永く我が愛と共にいるためさ」

 

 シャロンはオレの推理が正鵠を得ているとして頷き、

「拒否も道だが、どうかな」

 

 そういう趣味はない、と前置きありきでとなるが、

 正直な話で言えばシャロンという男は嫌いではなかった。

 

 シーマの件があったからこそ戦いを挑み、その命を奪った。

 だがそうしたしがらみがないのならば、そこにシャロンという存在だけがあるのならば。

 

「だが、お前はガトーに呼び出されたなり復活させられたりなりしたんだろ」

 

 ガトーがそうして呼び出すものをあのジジイは聖戦士と呼び、或いはオレたちは魔将とも呼んでいたもの。

 精神を制御する何かしらの方針が取られていたはずだ。

 タリスで見たオグマがそうであったように。

 

「制御されているか、という問いであるならばその通り

 私を含めて数名の特別な個体は、素体や作り方も実に力を込めたようでね

 あくまで人格はシャロンだ

 外見もまあ、概ね私ではあるが……言ってしまえばより優秀な生物にするためにパッチワークされているんだよ

 本来は意識もそうしてツギハギにしてガトーが制御するつもりだったようだが」

「そうはならなかった、と」

「優れたもので構築しきれば、性能だけでなく人格も優れてしまうということさ」

 

 どうやら表情から「ナルシストめ」というものが溢れ出ていたようで、

 シャロンは吐息を漏らすと

 

「勿論、絶大なるディール侯爵家当主シャロンの精神が優れているのは間違いない

 私が認めよう

 が、そういうことではないのさ

 優れている精神の持ち主たちが私に全てを託したんだ、このまま人形になるくらいならば、

 アカネイアの未来を自らの手で壊そうとしてしまうならば……とね」

 

 その表情はシャロンが先程まで浮かべていた喜悦のようなものはない。

 彼、或いは彼らの中で相当の葛藤もあったのだろう。

 文字通り身を裂くような別れがあったのかもしれない。

 オレにはそれは理解できない。おそらく、オレ以外であっても殆どの人間が。

 

「勿論、私がガトーを討たんと立つのも道だったかも知れないが

 我が愛

 君にこそ英雄の位は相応しい

 それに君が英雄になるならば」

「オレの望みに相乗りできる、か」

「ああ、そうだとも

 そうすれば私とともにあるものたちも救われるのではないかと思っているんだが、どうかな」

「……確かに、可能性はある」

 

 先程のオレと長々と一緒にいるためってのも割とマジな目ではあった。

 が、結局こいつの根底にあるのは救済だ。

 それは理解できる。

 自らと共に零落させられ、隷属させられかけたものたちを救いたいのだ。

 

「わかったよ、シャロン

 力を貸してくれ

 オレもお前に可能な範囲で力を貸すから」

「おお!我が愛!それでこそだ!!」

 

 再びその表情が喜悦一色になる。

 うーん、選択肢を間違えたか?

 

 ───────────────────────

 

「おいおい、こんなもんか?」

 

 倒れ伏すパオラ、エスト、ジョルジュ。

 だが、いずれも致命傷を受けたわけではない。

 完全に体力が尽きたのだ。

 それほどまでに激闘を繰り返した。

 繰り返させられた、というべきかもしれないが。

 

 彼らは戦う度に強くなっていった。

 まるでアインスに稽古を付けられているかのように。

 いつか三人の力を束ねればアインスに勝てるかもしれない。

 ……しかし、その可能性を掴む前に彼らの体力が尽きた。

 

「惜しいな、お前らならいけると思ったが……」

 

 アインスの周りにぞろぞろと死者の兵士が現れる。

 最早これまでかと三人は覚悟をする。

 抗う体力すら残されていない。

 

「ふんじばって木の陰にでも置いとけ、殺すなんてもったいねえ」

 

 何をと言いたかったが、言葉にはできなかった。

 薄れゆく意識の中、アインスの表情は自己に対してか、自分たちに対してか判断のできない憐憫を浮かべていた。

 

「次はミネルバ王女か

 いや、聖后って呼ぶべきなんだったな」

 

 アインスが意識を向けると兵団が再び隊伍を組み直す。

 滅ぼすためのものではない。

 この男が作り出す軍勢と戦略は全て、アインスが強者との決闘を行うための下準備に使われている。

 ガトーがそれに気がつくまで、アインスはこのスタイルを維持するつもりだったし、

 意識に介入するすべが彼にあって、それを実行するなら徹底的に抗ってやろうと考えていた。

 

 ───────────────────────

 

 ぎりり、と歯噛みの音が自身の耳にも聞こえるほど、悔しそうな表情を浮かべるのはカチュアであった。

 

 姉妹たちの敗北、そしてミネルバへと向かう死者の兵団。

 自分があの場にいないことへの苦しみと怒り。

 巫女としての仕事を放棄する気はない。

 けれど、マケドニア人として、狂おしい熱情が迸っていた。

 

 円卓で映る映像に食い入るように見つめ、いや、睨むとすら言えそうなカチュアは気がついていなかった。

 あるタイミングから円卓の住人たちがこの場から消えていることに。

 

「カチュア」

 

 メリナに呼ばれ、はっとした。

 自分の益体のない考えが心を支配していたことに。

 それを恥じるようにしながら彼女は呼ばれた方へと向く。

 

「はい、なんでしょうか

 メリナさ……ま?」

 

 そこに立っているのはメリナだけではなかった。

 マリケス、ラニ、マルギット。

 彼らはカチュアをじつと見つめている。

 

「悔しいわね、ここで待つなんて」

「それは……」

 

 そんなことないです、と言おうとして口が動かない。

 心が叫ぶ。

 

 悔しい。

 戦いたい。

 私もマケドニアの女なのだと。

 

 彼女の心が叫んでいた。

 

「……悔しいです、私も、あの場で戦いたかった……」

 

 俯き、握った手を震わせる。

 

 そっと彼女の肩に手が添えられる。

 ラニの手は優しく、しかし強かった。

 

「立つのだ、カチュア」

 

 エスコートに手慣れているように、ラニはカチュアの腰に手を据える。

 不快感はない。

 貴族式王族式のそれだから不快感はないというのではなく、単純にこのラニという人物が『誑し』なのだというだけだが。

 

 ともかく、カチュアは立ち上がらされる。

 マリケスは「こちらへ」と案内するのは鍛冶道具やらなにやらが置いたままになっていた通路。

 彼らがジオラマやらフィギュアやら何やら色々を作るための工作室のような場所である。

 

 そこに置かれていたものは──

 

 ───────────────────────

 

 光が包むのを見ると同時に二人のクリスが忌み潰しローロー、或いはマクリルであった鬼へと突き進む。

 今であれば邪魔するものは一人としていない。

 

「オオオオッ!」

 

 (クリス)が気合を塊にして吐き出す。

 体中から紫色の焔が立ち上り、瞳が赤く光を放つ。

 

「はあああッ!」

 

 (クリス)が戦意を塊にして吐き出す。

 全身に力は漲り、その踏み込みは音すら置き去りにした。

 

「ぬるい」

 

 ローローは気迫ある二つの攻めを、一つは元々持っていた斧で、もう一つは転がっていたローローの遺品たる斧を蹴り上げる形で手に取ったもので防ぐ。

 

 マクリルメソッド。

 戦場で不具となるもの多し。

 その際に全ての四肢を利くように鍛えるべし。

 

 彼はその教えを授ける側として右も左もその手足は完全な自由を獲得していた。

 それだけではない。

 目も、耳も同様である。

 或いは、意識すら。

 

「攻め、往くぞ」

 

 その言葉。

 その声音。

 その発音。

 

 それはローローのものではない。

 

 エレミヤが放つ光と爆音のなか、ローローである必要性はないと悟ったようにマクリルとして二人のクリスへと詰め寄る。

 

 弟の身体能力は人の限界を超越していた。

 しかし、マクリルもまた特別性の戦士として、ガトーの傑作として同様の能力を持っていた。

 姉の技の冴えは武芸者として一つの限界へと達していた。

 しかし、マクリルもまた武芸者として完成された技でそれに応じていた。

 

 恐るべきことがあるとするなら、二つの究極をマクリルはたった一つの体で支えていた。

 むしろ、それらを押し返さんばかりの勢いで武器を振るい、技を見せた。

 

「どうした、わしの教えた技巧はその程度か」

「いいや」

「まだだよ!」

 

 二人のクリスは慣れ親しんだ言葉、限界なのかと煽ってその上を引き出そうとするマクリルの言葉に懐かしさを覚えると共に、

 求められる水準は今こそ見せることができるのだという気概に溢れていた。

 

 一人ずつで戦って勝てないならば、二人同時にして勝てないならば。

 クリスたちは視線を合わせる。

 

 弟は姉の動きを真似るように、姉は弟の速度に応じるように。

 変則的な動きに、しかしマクリルも対応する。

 だが、対応しようとしたその瞬間に弟は再び身体能力にまかせたものを、姉は技の鋭さを頼りにした動きに、

 或いは再びその逆を、変幻自在に二人の動きが変わる。

 

 やがて、その二つの動きが一つへと収束する。

 力と技が一つに絡まり、姉と弟の動きもまた一つの思考に束ねられるようにして、

 

「ッ!」

 

 マクリルもそれに追従する動きを見せるが、だが、限界はある。

 手足の数のような物理的なものではない。

 二人のクリスはマクリルが持つメソッドの全てを塗り替えるほどに眩しく、その才を輝かせたのだ。

 

 数多の技が応酬した。

 それは長い時間のようで、実に短いやりとりであった。

 

 右と左に袈裟斬りされる形となったマクリルが膝を付く。

 

「……流石は我が孫たちよな」

 

 かたん、と音を立てて仮面が落ちる。

 そこには厳しくも優しかった祖父の顔がクリスたちへと向けられる。

 

「爺ちゃん!」

 

 弟が走る。

 姉もそう呼びたかったが、しかしこの世界では──

 

「どうした、クリス

 孫娘の顔をよく見せてくれ」

 

 いかな奇跡であろうか。

 親の愛情と同じように祖父の愛情もまた世界の壁を超えるものがあったのか。

 

「爺ちゃん……!」

「よしよし、二人共背丈ばかり大きくなりおって

 子供の頃と変わらん甘えん坊だのう」

 

 優しく、あやすように抱き締める。

 はっはっはと鷹揚な笑いが耳に心地よい。

 

「長い旅をしてきたのだろう、二人とも」

 

 二人はこくりと頷く。

 子供のように。

 

「楽しかったかい」

「そりゃあ」

「勿論」

 

 弟のクリスも姉のクリスも、その旅路はまるで異なるもの。

 長さも含めて、まるで違う。

 しかし、楽しかったかと問われれば頷くしかない。

 つらいこともたくさんあった。

 それでも最後には笑い合える今に繋がっている。

 願わくば祖父にもその場にいてほしいと願うが、それは敵わないことも理解している。

 だから、せめてこの瞬間だけは。

 

 ───────────────────────

 

 兵団を引き裂く光。

 それは脅威であるが、一人の身で放つのであれば限界はある。

 オーエンはパレスへの奇襲や地方都市への強襲に動かそうとしていた兵団も全てここに投入することにした。

 あの光によって兵を削られすぎたのが理由だが、こここそが自分にとっての決戦の場に相応しいと見えたのだ。

 

(あれほどの出力、限界は来る

 ミロアですらそうであったのだから、ただ人であれば)

 

 その予想のとおりに光の頻度は減っていく。

 

 減っていくはずだった。

 

 ───────────────────────

 

 脂汗すらもう出ない。

 限界を超えて魔力を絞り出すエレミヤの肌の色は青く白く褪めていた。

 

 それでも、反転オーラを一つ打つごとに家族の命が繋がるなら、何を惜しむことがある。

 だが、

 

 ばじりと魔力切れを知らせるように、掌で光が散る。

 もう燃料がないのだと悟らされる。

 

 いいや、まだだ。

 命すら薪として使えば──

 

 彼女がそう考えたとき、ぽんと肩を叩かれた。

 

「ほら、これ飲んでよエレミヤさん」

 

 チェイニーが笑いかけて飲み物……恐らくはハーブティーだろうものを渡してくる。

 

「休んでいる間は俺がなんとかする

 ……その代わり、これは秘密にしておいてね、……本当は使う気はなかったからさ」

 

 何を、と言いたいが声が出ない。

 全身の力を使い切ったのだ。

 なんとかハーブティーに口を付ける。

 言葉を向けるために。

 

 しかし、言葉の前により驚くべき変化がそこにあった。

 眼の前に、

 

 眼の前に自分が立っていた。

 

「姿、借りるよ」

 

 チェイニーはエレミヤの姿を取ると手を前に突き出す。

 

(まさか人間が神竜族の領域にまで来れるなんて……)

 

 反転オーラという高度な魔道を編み出し、それだけでなく触媒もなくあれほどに連発できることは驚きであった。

 これができるとしたなら

 

(ナーガ、喜んでよ

 あなたがかつて望んだ人間が神竜が力の差もなくなって手を取り合える時代、

 その兆しはここにある)

 

 魔力の扱いは久しぶりだ。

 エレミヤの肉体に刻まれた魔道の操作方法を読み解く。

 

反転(ネガ)オーラッ!」

 

 チェイニーがエレミヤの声で叫ぶ。

 光が再び大出力で戦場へと放たれた。

 



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戦いの前に

 時間はマリーシアとの決着の前に遡る。

 

 ラニの行う行動に、彼女の背を追いながら疑問に思うマリケスはそれを口に出す。

 

「先程から……魔女殿が空中から投げ落としているものはなんなのでしょうな」

「マリカの楔と同じ性質の魔力を感じるが、そのものではないようだ」

「……楔?

 我らはこのように顕界できる以上、我らのためではありますまい」

「となれば、使うあては二つ

 一つはレウス、もう一つは」

 

 ───────────────────────

 

「これは?」

 

 そこに置かれていたものの大部分は理解が及ばないものだった。

 

「狭間の地でレウスめが拾ってきた品々をあれやこれやと我らが手を加えてな」

「あの男の収集癖には少々首を傾げたくなるものも多かったが」

「そのお陰で方向性は固まったと言えるのがなんともですが」

 

 ラニ、マルギット、マリケスが言葉を続けている。

 彼女、彼らの言葉を統合するに用意されたのは戦争の道具であるようだ。

 巫女たるカチュアには今や遠いもの。

 だが、甲冑具足に剣だけといわけではないようだった。

 

「これが今回の目玉」

 

 それは骨であった。

 骨でありながら、羽根を残したなにかであった。

 ごく一部だけ残されたそれは鎧と接続され、手足の部分は小手や佩楯(はいだて)、すね当てのようでもあり、或いは部位不揃いのきぐるみのようでもある。

 尤も、アカネイアにはきぐるみというものが存在しないので、彼女からすれば不可思議な代物が説明によっておぼろげに甲冑に見えてきた、程度のものでしかない。

 

「ええと」

「あなたの鎧よ、そして、翼でもある」

 

 ラニが男手二人に手伝うようにと合図を送る。

 カチュアはなすがままといった感じで着させられていく。

 その鎧は不思議なものだった。

 自らだけではない、何かの力を感じた。

 

「鎧の名は『死儀礼』、鎧そのものがあなたに力を貸させるように設計している」

「故にレウスが持つような大剣も片手で持てるほどの力を発揮することもできるが、

 今回は多少なりともマシなものを貸し与えよう」

 

 マルギットは手に持った杖に指を添え、先端に向けて走らせる。

 走った軌跡がそのまま杖を剣へと変えていった。

 

「我が名を冠したるもの、モーゴットの呪剣

 カチュアよ

 レウスの名代と見込んで貸し与えようぞ」

 

 圧倒されながら、彼女はそれに手を伸ばす。

 自分の背丈よりも大きなそれは普段であれば彼らの言う通りに持つことはできなかっただろう。

 だが、鎧の力か、その武器を軽々と……それこそ小枝を持つかのように扱うことができそうだった。

 

「状況を飲み込めていないでしょうから、こちらが説明しましょう」

 

 マリケスの語ったことはカチュアにとっては信じられないことであった。

 それは望外の喜びに他ならないものだったからだ。

 

 ───────────────────────

 

「道を作った?」

「ああ、ワープではここまで進めないと彼も知ったからね

 だが、距離がある以上は軍を進めることができない

 であれば……」

 

 レウスはシャロンから仕入れる情報に心当たりを覚えた。

 そして、マルスもまた同様に、

 

「あのとき、先生が使った」

「──転送門か」

 

「聖戦士を好きな場所に送り出すような、ワープじみた使い方はできないが

 彼や私のように少数が渡る分には問題がない」

 

 ガトーが作り出したわけではなく、フォルネウスという錬金術師が作り上げたものだと言う。

 それ故に生産どころか修理すら不可能であると。

 

「それは今も使える状態なのか?」

「鍵があれば、ね」

 

 そういってシャロンはレウスへと投げ渡す。

 空中で掴むそれはやはり、石剣に良く似たものだった。

 

「フォルネウスは随分前に死んだようだから」

 

 新たに作ることができるものがいるわけでもない、と言いたいのだろう。

 

(フォルネウス

 ただの天才なのか、それともオレと同じように渡ってきたのか

 ……今となっちゃそれを知るものも答えられるものもいないか)

 

 掌で石剣を弄ぶようにしてから、

 

「なら、やるべきことは決まったな」

 

 ガトーたちが現れた方角を見やる。

 

「殴り込みだ」

 

 レウスは獣じみた、獰猛な笑みを見せる。

 

「その表情、いいよお

 流石は我が愛だ……」

 

 はあ、と吐息を漏らしてから彼に、或いはリーザやエリス、マルスたちを見る。

 

「しっかり終わらせてきてやるから、待っていてくれ

 そいつ(シャロン)じゃあないが、お前らはオレの生きる意味、愛そのものだ」

 

 愛ある限り、負けないと誓う。

 愛ある限り、戻ってくると誓う。

 

 レウスの言葉はそれをしっかりと伝えていた。

 

 ───────────────────────

 

 なるほど、と頷いた。

 

 オーエンは光の嵐が過ぎ去らないことを理解する。

 それは明らかに人の身を超えたものたちが携わる証拠であった。

 それが神の如きなにかの差金であれ、人がその限界を超えたのであれ、

 この戦場にそうしたものが現れたことを示している。

 

 狡いとも、憎いともオーエンは思わなかった。

 むしろ、納得していた。

 

「我らが負けたわけだ」

 

 この戦いをではない。

 かつて、アカネイアを守らんとして指揮を続けたオーエン伯爵としての最後の戦いを言う。

 

「我らとて必死であった

 だが、その必死さは国や名誉、爵位や金銭の喪失を恐れていただけであったのだろう

 お前たちにはそれを超えるものを持つのだな」

 

 ふと、愛娘であるミディアを思う。

 優しいが、頑固者。

 賢いが、愚かであった。

 だが、愛情の深い娘であった。

 

 彼女がどのようにして戦い続け、そして死んだかを彼は知っている。

 

「我が娘のように、我らも戦えたなら……この状況はなかったのかもしれぬな」

 

 アカネイアは負けなかったかもしれない。

 だが、それはもはや思うだけ虚しいものだった。

 

「だからこそ、」

 

 瞑目し、感情を殺す──否、裏返すようにして戦場を睨むようにして開き見る。

 

「我ら亡者はそれを否定しよう

 我ら亡者が無惨なる無意味を押し付けよう」

 

 死者の兵団を動かす。

 脳にある盤面を、心にある指揮棒で操り動かす。

 光の出力と範囲は見切った。

 死角を狙い、不意を狙い、生命を狙う。

 

 戦術家オーエンは冴え渡っていた。

 

「その才腕、これ以上冴えて漲らせるわけにはいかぬな」

 

 オーエンの後ろから響いたのは重い、重い足音であった。

 

 ───────────────────────

 

 諦めた男だった。

 彼は諦めを知った男だった。

 

 その実力は当代随一。

 時世で、彼に勝てるものを探す方が難しかった。

 いや、そんな存在はいなかったと言うべき会った。

 

 戦うことでのみ自己表現を行えると信じていた。

 しかし、ある時からそれを恐れるようになった。

 

 全てに勝利してしまったとき、自分は何をすればよいのだろうか。

 或いは、誰かに負けたとき、自分はどうなってしまうのだろうか。

 自惚れでは済まされない力であるからこそ、勝利を明確に想像した。

 自身への理解度が高いからこそ、敗北を明瞭に思考した。

 

 彼は、それを恐れた。

 それの名は空虚。

 

 次がなくなったときこそを彼は恐れ、そうして全てを諦めた。

 

 ───────────────────────

 

 諦めた男だった。

 彼は諦めるばかりの人生を送る男だった。

 

 長子ではないからこそ王位を諦めた。

 兄が自分を愛するからこそ反逆を諦めた。

 仮初であっても平穏であったから覇道を諦めた。

 最強ではないからこそ復讐を諦めた。

 

 だが、その実力を正統に発揮していれば彼に勝てるものはそう多くはなかった。

 単騎ですら、だ。

 彼には軍を機略縦横に操る天賦を備えていた。

 彼には国を安定させる人の心の分かる為政者の天禀を備えていた。

 彼が諦めなければ、アカネイア大陸は一つになっていたかもしれない。

 

 だが、彼は恐れた。

 目指した先で、再び諦めなければならない何かに当たることを。

 

 兄や家族が人質に取られたなら。

 ──見殺しにはできない、要求に従って何かを諦めただろう。

 

 愛するものが敵となったなら討てるだろうか。

 ──討てないだろう。覇道を諦めるしかない。

 

 民を、仲間を、そうして色々なものがどうにかなってしまう予測が彼を諦めへと導いた。

 

 ───────────────────────

 

 重い、重い足音であった。

 それは国一つの重みであった。

 それは長い年季の重みであった。

 それはかつて孤軍において最強を自負する誇りの重みであった。

 

 それは諦めたものから託された思いを抱えた重みであった。

 

「久しいな、オーエン卿」

「お久しぶりです、──モスティン王」

 

 旧知の間柄であった。

 かつてロレンスと共に自らを鍛え、国を支えることや、国を取ることを夢見た向こう見ずな青い時代の、友と呼ぶに相応しい間柄であった。

 

「少し変わったか」

「モスティン王はお若い頃よりも大きくなられましたかな」

「よい食事に、よい睡眠

 それに最近は守ってやらねばならぬものも島に来てな、心もまた若くなった心地よ」

「羨ましゅうございます」

 

 バンテージを巻き直しているモスティン。

 人と話しながらそれをするのを何度も咎めたことを思い出す。

 彼にとって、その動作はリラックスできる相手との会話であるという証だった。

 そればかりは彼には伝えなかった。

 オーエンにとって、友にそう感じてもらえるのが嬉しくて、しかし、それを独占したいという気持ちもあったのだった。

 

「お前は……瞳に悲しみが増えたな」

「別れが多くありましたゆえ」

「国を取らなんだか、オーエン

 お前であればアカネイアの王となれただろうし、民もそれを望んでいたのをわかっていたろう」

「何を仰るか、この忠臣に」

「柱に王への稚拙な悪罵を書きなぐった男の言葉とは思えんな」

 

 それを言われると返す言葉もない。若い頃の過ちというものだ。

 お互いに過去を思って、笑った。

 

「……お前に似た男に頼まれてな、戦を止めに来た」

「ほう、私に似た」

「お前と同じく、自らの才を諦め……自らの未来すら閉ざしてしまったものの願いだ」

 

 自分が最期の戦いに出たとき、確かにこれで終わることができると考えた。

 無限に続く防戦に、後方で続く政争という名の足の引っ張りあいに、

 ミロア殿から伝えられた建国王の蛮行を秘して国に尽くさねばならぬという苦痛に、

 終止符を打てると思った。

 

 遠き遠方にいながら、モスティンはそれを見ていたかのように理解していたのだろうか。

 それとも、今こうして少し話だけで理解されてしまったのだろうか。

 

 思えば、モスティンという男はそういう不思議なところのある人間だった。

 優しいと思えば厳しく、何も見ていないのではないかと思えば核心を突くようなことを言ってのける。

 

 だが、その感想はモスティンにとっても同じ。

 

「ハーディン王弟殿下ですかな」

 

 月下の戦いを知るものはいない。

 ガトー配下たちが持つ神がかり的なものであっても、誰も見ていないものを知ることはないはずだった。

 オーエンがそれを見抜いたのは数多の状況を組み合わせたことと、

 この世界で自分に似た諦めを持つのは誰かと問われたときに浮かんだ幾つかの顔の中で合致するのがハーディンだったからに過ぎない。

 

 それでも、モスティンは過日のオーエンとまるで変わらない鋭さに再び笑みを深くした。

 

「ああ、そうだ

 良い若者だった

 先約があるからこそシーダを嫁にやるわけにはいかんが、次代のタリス王として玉座をくれてやりたくなるような男だったよ」

「その彼に、何を望まれたのです」

 

 バンテージを蒔き直し終わったモスティンがまっすぐにオーエンを見据える。

 

「アカネイア大陸の平和」

「……大きいものを託されましたな」

「なに、平和そのものは婿殿が作り出すだろう

 儂にできることなど、その平和を婿殿に近づけてやることだけだ

 それでも十分に託された願いは叶えることができよう」

「買っているのですな」

「自慢のとは言えぬ

 だが……我らの若い頃のような向こう見ずさのある男よ

 我らが行えなかったことを婿殿はあっさりとやってのけた」

 

 国を得て、名誉を得て、戦いを得て、勝利を得て、大陸を得た。

 そうしてこの戦いが終われば永き平穏をも得るだろう。

 その全てがモスティンやオーエン、ロレンスや、マクリル……、

 彼らの若い頃の輩たちの求めていたものの全てだった。

 

「かつて我らが求めた夢、その欠片を儂も抱いておる

 婿殿ならば託すことができると

 そして、その欠片をハーディンからも託された」

 

 ずいと出されたのはモスティンの大きな手であった。

 

「手を取り合って進むことはできぬか、オーエン」

 

 ああ、それができればなんと素敵だろうか。

 かつて抱えていた夢を若人に背負わせるのは気が引けるが、

 その分老骨の自分たちも働けば許してもらえるだろうか。

 結果作り上げられた平穏を見れば、きっと心が満たされるだろう。

 

 だからこそ、

 

 オーエンはモスティンの求めた握手を払い除けた。

 

「我らの答えは唯一つ」

 

 側に突き立った軍旗を掴み、抜く。

 槍と一体となったそれはオーエンの、何度となく名を変えたアカネイアという国の歴史の、

 最後の一つであった。

 

 モスティンもまた、拳を構える。

 それを見てオーエンも応じるように武器を構え、言葉を紡ぐ。

 

「他国の騎士と他国の王の関係ではなく、過日の好敵手として」

 

「武にて一つの答えに辿り着かん」

 

 モスティンはその言葉に言葉を以て返礼する。



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大英雄

 死儀礼の乙女が空を舞う。

 アカネイアの大空を。

 

「ああ、なんて……美しいのでしょうか」

 

 カチュアは故郷を見渡し、感嘆する。

 広がる大地と海、空、陽光。

 色彩のコントラストはそこにあるだけで至上の芸術と捉えることができた。

 円卓の寂びた美しさの対極とも言える、存在の美。

 

 黒い翼を緩やかにはばたかせながら、彼女は故郷への思いを強くする。

 だからこそ守らねばならない。

 この世界も、そこに住むものたちも。

 何より愛する主家や家族たちを。

 

 翼を広げ、強く羽根が宙を叩き、地上へと加速した。

 

 ───────────────────────

 

 風切り音。

 矢ではない。

 より大きな質量からのもの。

 

 その速度は矢より早く、相手が相手ならば気がつく前にその体を剣が貫いていたかもしれない。

 だが、アインスの実力はそれを許さない。

 視認するよりも早く武器を盾として防御姿勢を取る。

 

「ぬゥッ!」

 

 かなりの重さを伴った衝撃が大剣越しに伝わり、その場で留まれずにたたらを踏みながら地面を滑らされた。

 自分がいた場所には一人の女が立っていた。

 

「姉妹の不名誉を取り返しに来たか、白騎士」

 

 アインスが獰猛に笑みを浮かべた。

 焼き込みされた記憶か、アインスはカチュアをすぐさま認識した。

 

「か、カチュア……?」

「カチュア姉様……」

 

 死したはずの姉妹がそこにあった。

 纏った鎧は知らぬもの、その背にある黒い翼は人ならざる領域に在るを感じさせた。

 

 命を落としたことをレウスから教えられ、亡骸こそ見つからなかったものの、あのときの聖王の表情が嘘ではないことを理解していた。

 

 ───────────────────────

 

 ラニが作り出した鈴は一つではない。

 自分たちを使役霊の如くに呼び出させる鈴はレウスへと渡した。

 それを作り出す上で作ったものは持ち主の心に強く残る影を呼び出すための鈴として機能し、

 ブライヴたちの影を作り出すことに成功した。

 

 だが、それらは彼女の求める形としては未だ不十分だった。

 

 彼女が求めたのはより自由に円卓とアカネイアを行き来する手段。

 言うなれば『持ち運びが可能な転送門』をこそ彼女は作ろうとしていた。

 

 存在しない仮初の存在とも言える自分たちを円卓からアカネイアに呼び出すことはレウスに持たせた鈴によって成功した。

 どこにも存在しない影を心から世界へと投影することは試作品の鈴を自らで使うことで成功した。

 あとは狭間の地の存在ほど霊体の強度を高く保てていないカチュアのような人間(元人間というべきかもしれないが)を送るためのやり方だけであった。

 

 遺灰の根源を作り出す死儀礼、或いは祖霊の力に着目した。

『空舞う死儀礼の鎧』はあくまで空をではなくアカネイアと円卓を飛び越えるために作ったものであったが、それはできなかった。

 極めて高い飛行能力を付与することはできたものの、それだけだった。

 

 転機が訪れたのはガトーの行った大儀式であった。

 つまりは、死者の兵団を作り出したものこそが技術の特異点になりえた。

 生者の世界を死者の世界と重ねるガトーの儀式はそのまま幽世(かくりよ)同然たる円卓と、現世たるアカネイアを重ねるラニの目的にそのまま合致した。

 言ってしまえば、技術は不完全なままにカチュアを円卓から送り出したのだ。

 

 仮にこの実験が失敗したとして、結果残るのは現世で『蘇ってしまった』カチュアがいるだけ。

 それはそれで喜ばしいことだろう。

 天然自然の法則を曲げることなどレウスに関わるものたちが今更何を言えようかという話だ。

 

 元は実験の布石として投げ置いた『楔』もこれによい方向で機能した。

 カチュアがアカネイアへと飛ぶ際の道標としての力を発揮してくれたのだ。

 こうして機能するならばレウスの身に何かあったとしてもカチュアに手を引かれる形でいずれかの楔の前で蘇ることもできるはず。或いは、その逆も。

 それがわかったのも実験の副産物として得られたのは幸運だった。

 

 ───────────────────────

 

「あなたに負けたことがそのまま我が姉妹、そして弓騎士殿の不名誉とはならないでしょう、アインス殿」

「ほう、何を以てそれを言う」

 

 武器を構えることなく、問答を投げかけるアインス。

 余裕の現れというわけではなく、こうした語り合いを好むのもまた武芸者というものである。

 

「あの大軍を指揮できながらも、止めを差させず、そもそも数で蹂躙することも選ばなかった

 より有利な立場にあるはずの貴方は自らの単騎による戦いを許した

 それは軍で潰すのも、個で潰すのも同じことであると判断したからではないのですか?」

「考えなしの武芸者であるとは考えんのか」

「考えなしの武芸者をこの局面でガトーが蘇らせるとは考えられません」

「なるほど、道理だな」

 

 アカネイア人は騎士であれ軍人であれ、武人が何たるかを知るものだ。

 

「それに、貴方の逸話からも察するところがあります

 不利、或いは不利益を背負わされたものへの同情がそこにあった

 ……違いますか、オードウィン閣下」

 

 余裕の表情から、少しそれを崩す。

 相好をというわけではないが、それでも驚きを含んだ表情には少なからず笑みのようなものも含まれていた。

 

「オレがオードウィンだと何故わかる」

「私はマケドニア人です

 グルニアの強さや恐ろしさはもとより、グルニアの建国王の物語は寝物語によく聞かされていました」

 

 士官学校においても教えられる軍略の中にオードウィンが使ったとされるものが多く含まれている。

 この戦場で取る兵団の運用や配置などはどこか古式ゆかしいものを感じさせていた。

 しかし、淀みなく流麗に動かされるそれらはまさしく軍を扱うことに手慣れたもののそれであった。

 

 カチュアは円卓で状況を俯瞰していたからこそ、それらのことを手に取るように理解できた。

 

「ただの砕かれた魂と記憶の集積物でいようと思っていたが、中々どうして……

 亡者と化し、心すらそうであろうのに隠していたことを当てられるというのは胸を躍らせるものだな」

 

 アインス──否、オードウィンは大剣を構え直す。

 

「その名を自らで明かすことを許す、マケドニアの騎士よ」

 

 それは名乗りの容赦。

 騎士と騎士の戦いにおいての誉れの証。

 

「アリティア白騎士団が一人、そしてレウス聖王陛下の巫女、カチュア!」

「ではカチュアよ、問おう

 この場で一騎打ちによって雌雄を決する心意気はあるか」

「グルニアの大英雄と戦えること、マケドニア人であれば誰しもが一度は夢見ること

 お相手願いたい!」

「ならば、我が名によって返礼しよう

 グルニア建国王オードウィン、白騎士カチュアとの一騎打ちに挑ませてもらうッ!」

 

 その言葉が終わると同時にオードウィンとカチュアが同時に踏み込む。

 戦いの火蓋は切って落とされた。

 

 ───────────────────────

 

 そもそも復活させられたときから気に食わなかった。

 ある意味で、その気に食わなさのお陰で自身がオードウィンであるという自覚というか、

 自意識のようなものを保てていたのかもしれない。

 他のものたちがあくまで記憶や能力といった断片的なものだけを拾い上げられていたり、

 或いは意識そのものをガトーに引き渡すを良しとせずに溶けて消えたのもあろうが。

 

 正直な話、アカネイア王国は没落していると思っていた。

 貴族主義の塊のような下衆であるカルタスがアンリを蹴落とし、アルテミスを手中に収め、

 王国の支配者となった。

 貴族たちの後ろ盾ありきで炎の紋章をアルテミスから渡されたことも気に食わないが、

 兎角あの男は求心力というものがなかった。

 自分が死んだ後に国が崩壊するであろうと思っていたが、アカネイアの持つ官僚政治の能力はオードウィンが考えるよりも優秀であったのだ。

 

 この世界に舞い戻ることになったときに与えられた歴史や状況の知識は興味深かった。

 アカネイアは滅びてはいなかったが、

 グルニアやマケドニアの手によって滅ぼされかけており、

 あのカルタスの弟が建国したオレルアンへと逃げ込んだ。

 

 そうして細々と生き残ったものの、アカネイア最後の王族も死に、最終的にはアカネイアの官僚(ナーガ神教の関係者かもしれないが、オードウィンからすればどうでもいいことだった)だというのが、アカネイアが結局のところ王族の神秘性や血に由来した優秀さではなく、

 

 既得権益を保持し続けた貴族たちのものだったと証明されたような気がして、

 こんなことならば自分が生きた時代にアンリと共に反旗でも翻してやればよかったと思った。

 

 あの頃はまだアカネイア王国の王族には神秘があると思っていたのだ。

 尤も、その王族の神秘性というのも王冠と呼ばれる代物による虚飾でしかないこと知ってしまったのだが。

 

 意識が浮上した頃にはアカネイア最後の支配者であるボアが倒れる少し前であり、

 そうした形で祖国とも呼べるものが滅んだときには正直、スカッとした。

 

 善悪というべきか、好悪で言えば滅ぼしたものたち……アリティア聖王国に関しては特に何も思うところはなかった。

 

 強いてあげるのならば、最上位に座するレウスという男は後世では梟雄と呼ばれるような類の男であり、自分やアイオテ、アンリとはまるで違うタイプの英雄であろうということ。

 そして、自分が生きていた時代に彼がいれば友となっていたかもしれないなどと。

 

 いや、その感情自体はもしかしたならオードウィンを構成する残滓たちの感情であったのかもしれないし、

 アカネイアが滅ぶきっかけを作ったからこその贔屓目のような感情かもしれない。

 

 だが、そうした男が大陸を変えようとしているのは悪くない気持ちだった。

 きっと自分たちがいた頃とは違う時代になるだろうから。

 それがどのような道であれ、営々と続いた腐敗貴族の支配社会でなければ構わなかった。

 

 一人の軍人として、戦の時代に生きた男としてむざむざ負けるような戦いはできなかったが、

 軍略の全てを使って、手抜かりなく破壊し尽くせというガトーの命令は頷けなかった。

 ガトーは戦略やら軍略、戦術というものにまるで知識がないお陰でオードウィンがどれほど手を抜いたとしてもわかるものではなかった。

 

 可能であれば同じように蘇ったオーエンという男と戦いたかったが、流石にそれを実行することはできなかった。

 試そうとしたものの、死者の兵団に槍を向けさせることができなかった。

 あのオーエンという男は実に貴族的な匂いがした。

 アカネイア貴族らしい男だった。

 あの男を手に掛けることができれば、昔日の恨みを代替させて晴らせるような気がしていた。

 

 だが、死者の兵団の動きを──彼の動かしている兵団を俯瞰して見ていると、

 オーエンは終わりを求めているようにも見えた。

 非の打ち所がないように見えて、しかし冷血で冷徹な手は打たない。

 自分の敗北があっても傷を遺してやろうというものもない。

 アカネイア王国の将でも屈指であろう男でありながら、それを高らかに謳わなかった。

 

 結局のところ、どういう形であれ蘇らせるということはそういうことだった。

 無念を抱えて死んだものは確かに現世に戻しやすかろう。

 しかし、それはその無念を果たそうとするにしか作用しない。

 

 アカネイアが滅びた今、

 そして蘇らされたアカネイアの将もまた滅びようとしている今、

 オードウィンにあるのは根底にある戦いへの欲求だけだった。

 

 グルニア建国の後に矛をアカネイアに向けていたならどうだっただろうか。

 アンリと戦うことになっていたのか、アイオテとの一騎打ちなどもあったのだろうか。

 まだ見ぬ俊英が現れたのか。

 どうあれ、彼の望みは生前には果たされなかった。

 

 だが、この時代にはあの時よりも多くの英雄がいる。

 白騎士たちも、弓騎士も、実にオードウィンの燃えたぎる欲求を揺らしてくれた。

 しかし、それを果たすほどの力はなかった。

 

 今、目の前に黒い鎧を纏う女騎士がある。

 彼女であれば、オードウィンの欲求──全力で戦い、討ち取られるような相手になってくれるかもしれない。

 

 強く踏み込んだオードウィンは、それよりも更に疾く、鋭く、壮心を漲らせ、迸らせていた。

 



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決着と継続

 大剣と呪剣がぶつかり合う。

 少女の細腕では考えられないような力で、互いに一歩どころか半歩すら下がらなかった。

 

 生前にオードウィンの一撃をこのように耐えられたのはアンリとアイオテ以外にはいなかった。

 

「まずは見事だ、カチュア!」

「英雄オードウィン、貴方とこうして刃を交えられることを喜びに思っています!」

 

 我が身のことながら、カチュアはよく動く体も、自らのとは異なる大きな力にも驚いていた。

 だが、円卓で見た半神たちの戦いや、

 自分の主であるレウスの力を考えれば、彼らの世界に一歩踏み込むことができたという気持ちのほうが強い。

 彼女が扱うものは借り物の力ではあったが、カチュアにとっては、むしろそれこそがレウスの名代としての自意識のようなものを高めることになった。

 

 オードウィンの剣は剛力ではあるが、恐ろしく繊細で、狡知にも長けた技であった。

 力任せに使われるであろう大剣を、そのイメージを逆手に取ってまるで細柳のような剣を扱うような小技を放ったりもする。

 それに気を向けていれば体を半分に割られてもおかしくない大上段からの一撃を打ち込んできたりする。

 寝物語で聞いたオードウィンより、更に数段は上の力量であった。

 いや、物語で語ろうとしても、これほどの勇猛無双な実力は荒唐無稽に感じてしまうかもしれない。

 であれば、語るためにその力を矮小化するしかなかったのだろうと彼女は考えていた。

 

「カチュア、この世をどう思う」

「多義的な質問ですね、オードウィン様」

「では、この世が好きかと問い直そう」

 

 暴風にも似た攻撃の応酬の中で聞こえるのは二人のやり取りだった。

 まるで昼下がりの道端でするように言葉を交わらせる。

 

「この世そのものにはそれほど

 ですが陛下がいて、姉妹たちがいる世界は愛しています」

「なるほど……それならば納得できる」

「納得?」

 

 呪剣がオードウィンの首筋に一筋の赤色を遺す。

 一歩踏み込みが鋭ければ首は落とされていただろう。

 カチュアもまた振り抜くような一撃を受けそこねかけて危なく真っ二つにされかけた。

 死儀礼の翼での跳躍ができていなければ戦いは終わっていた。

 

「その強さだ、いや、武器を振るうそれはおそらく自身のみで成り立つものではないだろう

 それはこのオードウィンも同じ

 だからこそその力の一部一部が借り物であることは理解できる

 しかし、借り物だからといって十全に発揮できないわけではない」

「あなたが戦いを望むことで完全に操縦することができるように」

「カチュアもまた愛あればこそ、その力を支配しきれているのだろう」

 

 武芸者とは難儀な生き物である。

 いくら言葉を交わそうとも、それを信じ切ることはできない。

 しかし、武器を合わせ、命を削り合うことで言葉の純度を高めることができるを知る。

 それ故に、彼らは戦いを愛してしまう。

 マケドニア人であるカチュアはそれをよく理解していたし、

 オードウィンもまた戦乱を生きた人間であるからこそ、それこそが日常であった。

 

 もしも彼らが取るに足らない貴族や平民であったなら、言葉で決着はついたかもしれない。

 或いは手を取り合い、ガトーを倒そうと言い出すような未来もあったかもしれない。

 

 だが、それはない。

 オードウィンはカチュアを今生最高にして最後の相手と定めて命を削る。

 カチュアはこの戦いに勝つことが聖王国の平穏を得られる大いなる鍵であると知っているから命を削る。

 互いに譲歩するところは一つとしてない。

 

 道場剣法にあるような技のある一撃など一つもない。

 だが、応酬の一つ一つがそうした場所の奥義と呼ばれるに相応しい煌めきを放っていた。

 

「貴女のような戦士と生きていた頃に会いたかったものよ」

「今では不満ですか?」

「いいや、不満なものか

 だが、レウスという男には嫉妬もする」

 

 カチュアは微笑む。

 オードウィンという男の稚気がどこかレウスと重なるからだ。

 

「でも、この戦いの中では私と貴方しかおりません」

「至福の言葉と時間だ、しかし」

「ええ」

 

 彼女は言葉を先回りして頷く。

 

『決着は付けねばならない』

 

 二人の声が重なる。

 

 言葉と共に互いには少しずつ、少しずつ負傷が蓄積していた。

 体力は無尽蔵あれど、集中力ばかりはそうもいかない。

 意識を弱めた瞬間に命を落とすようなつまらない負け方は二人ともに望んでいなかった。

 

 だからこそ、二人は互いに構えを取り直した。

 より深く踏み込み、より鋭く攻撃を打ち込む。

 そうして放たれたより疾く正確な一撃を作ったものが勝利する。

 言葉でそれを約束しなくとも、互いにそれを認識していた。

 

「オードウィン様」

「カチュア」

 

 互いに名を呼び、一拍の後に「参ります」「参る」と踏み込みを合図するようにして突き進んだ。

 

 ───────────────────────

 

 円卓勢が仕込んだのは死儀礼の翼やマルギットの呪剣のみではない。

 メリナの持つ祈祷が体力と生命力を持続的に回復させ、

 マリケスの持つ死の力を制御する技量を死儀礼の翼や鎧がカチュアの動きをフォローするための技術に転用した。

 強化外骨格めいたものではあるが、円卓にはそうした知識があるわけではない。

 ノクステラの竜人兵にはそうした使い方があったなどいう与太はあったにせよ、その技術が残っているわけでなし。

 

 そしてラニは円卓とアカネイアを隔てる世界の壁を通り抜ける技術を手渡した。

 死儀礼の飛行能力などおまけに過ぎない。

 それはただの速度ではない。

 特定の事象と事象を接続するためのしろもの。

 

 元は長い旅に出るラニが可能ならば旅路を短くするためにと考えた渡航手段(Fasterthanlight)の如きものであったが。

 

 技においても力においてもオードウィンが上であった。

 だが、円卓のものたちが手ずから磨き上げた装備と、

 カチュアの誇りは見事、自らに与えられた装備と加護と機会の全てを完全に発揮して見せた。

 

「まるで、地を往く彗星よな」

 

 互いの位置が入れ替わるようになった二人。

 膝をついたのはオードウィンであった。

 

「くく、まったく、満足できた

 これが新時代の力、新時代の黎明か」

 

 武器を離さないのは武芸者の誇りか。

 

「カチュアよ、そしてお前を助けたであろうものたちよ

 これはオードウィンからの、いや……アインスとして構築された全ての魂からの感謝である」

 

 剣を大きく上に掲げる。

 

「我らの負けよ

 戻るべき虚空に還るときが来た」

 

 オードウィンの言葉が伝搬していったのか、死者の兵団は足を止め、

 やがてぐずぐずと崩れ、消えていく。

 その祝詞を唱え終わったオードウィンもまた、ゆっくりと消えていく。

 

「カチュアよ、お前の主にも会ってみたかった」

「きっといいご友人になれたと、そう思います」

「ははは、そうか……まったく、未練よな

 死というのはいつも未練ばかりが……募る……

 だが……今回の死は、悪い、ものではないと……感じている──」

 

 グルニアの大英雄オードウィンはかのようにして敗北した。

 

 ───────────────────────

 

 オードウィンとカチュアの決着の前。

 二人の男がにらみ合うように対峙する。

 片や旗を備えたる槍を、片や拳を向けている。

 

 言葉は交わし尽くした。

 徒手空拳に何をも加えることなく、モスティンが距離を詰め、拳を振るう。

 槍を回転させるようにし、旗を広げる。

 分厚い布は回転と精妙な技術によって作られた壁として機能し、勢いを殺す。

 その技自体は知らぬわけでもなかった。

 だが、精妙さも確実さも欠けた大道芸程度の認識であったのだが。

 

(若き日には旗など使っていなかったが、ここに来て使い始めたという(こな)れ方ではない

 ……家を継いで軍務に精を出すことを決めてから、一人で研究し続けた……

 そんな健気さを感じさせる技よな)

 

 モスティンは染み染みとした感想を思うも、その精度は確実に修練以外のものを感じもしていた。

 人の身を捨てさせられたことで、実力は大幅に引き上げられているのか。

 それとも、会うこともなくなったあとも鍛え続けたオーエンはこうした実力を持っていたのか。

 今となってはそれを知る術はない。

 そして、そんな暇も。

 

 旗を広るように柄をスナップさせ、盾となったと思った次の瞬間には槍として機能するように、めくるめく技の連結が行われる。攻めも守りも幻惑も、旗一つが数多の戦術を生んでいた。

 感嘆を漏らす間も許さず、目にも追えない速度で突きが放たれる。

 一つ二つではない。

 十、二十はあったかもしれない。

 

(だが、その技でやられてやるわけにもいかぬ

 ハーディンとの約束もあるが、何よりお前との語らいをこんな短い時間で済ませることなどできようものかよ)

 

 モスティンもまた、オーエンやロレンス、マクリルと技術を競っていた頃とは違う。

 あの頃よりもより強く、鋭く鍛え上げている。

 避けられるものは最小限のスウェーで、避けきれないものは手の甲で逸し或いは弾くパリングで。

 

(モスティン、人の身でこれほどまで鍛え上げるか)

 

 オーエンは驚きに目を剥く。

 だが、それだけでは終わらない。

 モスティンに主導権を握らせてしまったなら、二度と取り返せない。

 それだけは確実にわかっていることだった。

 

 槍を払い、旗を広げて目隠しに、或いは殴打のように、

 間隙を縫うように突きを放ち、相手の距離に応じてあらゆる攻撃手段を行う。

 

 だが、それでもモスティンの牙城を崩すには至らない。

 

「若き日であれば、儂も一本二本取られていたであろうな」

 

 目まぐるしい攻めの中で、しかしモスティンは過去を懐かしむように。

 

「あの頃は勝ち星は自分の方が多かったか

 尤も、自分はロレンスに勝ち越すことはできなかったが」

「今であればどうだ」

「どうだろうな、ロレンスとて」

「儂と同じく鍛え上げているか」

「そうであろうさ」

 

 モスティンやオーエン、ロレンスを始めとして当時の俊英と呼べるものたちは皆、一度は立ち会っていた。

 時期が時期であるからこそ、殺し合いをするようなわけではなく、

 道場稽古の延長線上でしかなかったが。

 

 オーエンはロレンスに勝ち越すことはなく、

 モスティンはオーエンに勝ち越すことはなく、

 しかしロレンスはモスティンに勝ち越すことはなかった。

 全員にきっかりと黒星と白星を平均して持っていたのがマクリルであり、

 彼ら全員がマクリルの予習復習を超えてやろうと切磋琢磨する理由の一つになってもいた。

 

 実力は伯仲し、その結果はお互いの相性ということでカタがついていた。

 だが、オーエンは死に、モスティンはより高みを目指すための理由を得て道を再び歩き始めた。

 

「所詮、借り物の命と技術

 その身一つで戦うお前には勝てぬか」

「などといって」

 

 手首の捻りを加えた回転突き、

 パリングで防ごうとすれば勢いを得た旗が腕を切り刻む。

 さりとてスウェーで避けることはできないタイミングを選んだから回避もできない。

 

「奥の手を出すのもお前らしいッ!」

 

 地面を思い切り踏みつけると、モスティンは地面を壁のように浮き上がらせた。

 オーエンの一撃がそれで止まるわけもないが、目隠しをすることはできる。

 

(感触がない

 絶好機を狙った一撃がよもや避けられるとは……ッ!)

 

 壁が旗に削られるようにして消し飛ばされる。

 そこにモスティンの姿はない。

 地面を蹴り上げた際に舞い上がった土煙を利用して潜んだのだ。

 土煙すら動かぬほどの、恐ろしく精妙な歩法を扱ったのか、それとも別の技術か、

 どうあれ達人の領域の向こう側に辿り着くほどに鍛え上げたモスティンの技はオーエンにすら理解も察知もできないほどのものであった。

 

(死ぬものではないな、やはり

 お前の技術を見ていると生きて鍛え続けていればどうなっていたかなど、青臭い望みが首をもたげてしまう)

 

 オーエンは槍を払うように振るう。

 体勢を立て直すと同時にがむしゃらな突きをそこらに繰り出す。

 どの一撃も必殺の威力を備えたもの。

 だが、それはモスティンを殺すためのものではなく、土煙を晴らすためだけの行為でしかない。

 

 煙が晴れても姿は見えない。

 

「こっちだ、オーエン」

 

 声が聞こえた。

 



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最後の一線

 インファイターであるモスティンがその距離を捨てていた。

 槍の間合いよりも遠くにあり、しかし不意を打つでもなく立っていた。

 

「全力を引き絞れ、互いにこれが今生で放つ最後の一撃とするために」

「おもしろい」

 

 オーエンはそれに応じるように構えを取り直す。

 槍使いが頼るべきは突き。

 精妙にして必殺の突きをこそ頼みとする。

 尤も、今持つのは旗であるが、その旗すら旋条の破壊兵器と化すのであれば馬上槍の如くとして考えることもできた。

 

 モスティンは腰を深く落とし、突撃(タックル)の構えを取った。

 

「戦いの後に何が在ろうか」

 

 ぽつりとオーエンが言う。

 

「何も変わらぬさ、人の営みがそこに続くのみ」

「……それもそうだな

 それこそを望み、父祖が行いしマムクート共との戦いの再燃を警戒したが、

 マムクート共が恐ろしいわけでも、憎いわけでもない

 ただ、営みを続けたいだけだったのだよな、我ら人間は」

 

 その行いが間違っていたことは理解している。

 だが、騎士として主の命令に従うことが彼らの大義でもあった。

 

「ああ、そうだとも

 だが、我らの時代はナーガという竜族と、他の竜族をマムクートと切り分けて考え、

 歪な差別と支配で平和を演出していた」

 

 モスティンは彼らをマムクートとは呼ばない。

 しかし、彼らの名誉を立て直すこともしなかったことを理解している。

 だからこそ、自らの行いを演出と言い切った。

 

「それももうじき過去の一幕となるか」

「なるとも、若き世代に負債を背負わせるようで申し訳なく思うところもあるが」

「だからこそ、古き時代に終わりを訪れさせるためにお前がここに立ち、」

「そしてお前は一騎打ちを受け入れた」

「馬鹿な話だ」

「ああ、だが」

「そうだな、我らは考えなしの武芸者であったからこそ」

 

 過去を懐かしみ、慈しむように言葉を交わし、

 

「一つの時代を終わらせようぞ」

「ああ、ここでどちらが勝とうとも」

 

 モスティンが勝てばオーエンとその軍は消えることになろう。

 オーエンが勝てば死者の兵団をそのまま他の死者たちへと向けて相打ちを求めよう。

 彼の妄執はアカネイア王国の終わり。

 それはどのような形であれ果たされるのだから。

 

「……参るぞ」

「……ああ、参ろうぞ」

 

 じり、とモスティンが踏み込みの体勢を取る。

 じり、とオーエンが槍を放つ一瞬を狙う。

 

 爆発音のような踏み込みが響いた。

 オーエンの視界は時が淀むようにゆっくりと見えた。

 過度の集中力が為し得る恐るべき異才。

 

 狙うは一点、心臓のみ。

 迫るはモスティンの巨体。

 

 引き付けて、引き付けて、引き付けて──遂にオーエンの槍が放たれる。

 アリティアの旗は旋条に周り、弾くを許さない。

 

 勝利。

 オーエンがそれを確信する。

 槍の(きっさき)がモスティンへと触れたと認識したその刹那、

 常の姿勢より更に一団低く体をを落とし込む。

 もはや地面を這うほどの超低空ではあるが、旋条に回転する旗がモスティンの体を抉る。

 血飛沫が舞い散り、しかしそれは絶命に至るようなものではない。

 

 モスティンの両腕がオーエンを捉えた。

 低い姿勢から押し上げるようにオーエンを突き上げ、まるで翼を得たかのように空へと放り出された。

 

 一拍遅れてモスティンが空中に飛ばされたオーエンに跳ねて追いつく。

 この技はオーエンも知らないもの。

 だが、それでも空中だからといって対抗策が尽きたわけではない。

 踏ん張りこそできないものの、槍を振るうには十分な──

 

 そこで気がついた。

 跳ね上げられたその瞬間に、両肩の骨が砕かれ、その可動能力を失っていることに。

 

「まさしく必殺の構えであったということか」

 

 青い空に抱かれるようにして、オーエンはぽつりと言った。

 その後に来るのはハーディンと同じく、地を割る止めの投げ。

 言うに及ばず、勝利したのは蛮力のモスティンその人であった。

 

 ───────────────────────

 

「必殺の中に隠し玉まで用意するとは、まったく……自分の知るモスティンではないようだ」

「これも成長というものであろうさ、長く生きても諦めねば己を伸ばすこともできる

 尤も、それに気がついた最初の出来事は我が身が憎悪に支配されたときであったがな」

「その感情を燃え上がらせることができるのは若い証拠だ

 いつまでも若く、青臭い奴め」

 

 ゆっくりとオーエンはその体を喪失していく。

 現世に留まれるだけの力をもう残してはいなかったがゆえに。

 

「旗を大きく振るい、退去せよと叫べば……その命令は実行される

 そのように自分がした」

 

「後始末のことまで考えるお前こそ、昔から几帳面すぎるところは変わっておらんな」

「そう簡単には変われぬさ

 ……後の世を頼むと、アリティアの王に伝えてくれるか

 我らのような過ちはしないであろうが、マムクートと……いや、竜族と手を取り合って、平穏を永くあるようにしてくれと」

「ああ、承知した」

「さらばだモスティン、我が青春の輩よ」

「ああ、さらばだ……我が友よ」

 

 完全に消えたオーエンを見てから、旗は振られた。

 アカネイア地方の戦いはこのようにして決着したのであった。

 

 ───────────────────────

 

 アカネイア大陸において錬金術師という職分は現在において廃れきっている。

 かつてテーベが繁栄し、世界最大の学術都市であった頃、その学問は最盛期を迎えていた。

 金とは単純な黄金を意味するものではなく、黄金律を研究するものを意味し、

 その探求に邁進していた。

 

 彼らは優秀であった。

 竜族と人間が手を取り合って進めた研究は、或いは狭間の地のそれすら凌駕する一面があった。

 それを疎んだガトーたちがテーベを滅ぼした。

 生き残ったものたちは自らの禁忌の重さを知り、その研究の最大の成果であったギムレーを封印し、自らの命を絶ったとされている。

 

 今では錬金術師は伝説上の存在でしかなく、ガーネフですらその実態を殆ど把握できていない。

 完膚なきまでにガトーがそれらの情報を、学問を、歴史を殺し尽くしたからだ。

 

 だが、そのガトーが殺さなかったものがギムレーである。

 理由はたった一つ。

 

 それはアカネイア大陸の黄金律そのものであったからだ。

 

 眼の前でギムレーを殺されたナーガはその悲しみと、ずっと続いた苦しみによって意識をついに手放す。

 ギムレーは別種の憐憫をガトーと、そしてナーガに向けて死んだ。

 

 人為によって作られたアカネイアの黄金律は当然、完全なものではないし、

 狭間の地における律とはまるで別物である。

 だが、便利さは存在しなくとも強力な魔力塊としての使い出は大きく広い。

 

 アインスとツヴァイの両名が倒される可能性は予想していたが、まさかこれほどまでに粘れないとは、やはり所詮人間から作ったできそこないだったということである。

 

 魔王は人間を信用してなどいない。

 あんなものは消費物に過ぎないのだ。

 かつてはアンリの血統であれば、マルスであればと思ってもいた。

 だが、そのマルスすら魔王の敵となった。

 

 信ずるは己のみ。

 信用に能わぬ人間たちの使い方など用いるではなく消費する以外になし。

 

 ガトーはギムレーの魂をルーンの塊(黄金のルーン)を割るようにして力を発露する。

 

「動き出すがいい、亡者たちよ

 人も、竜も、今こそもがき苦しみ怨嗟を撒き散らすときだ」

 

 ───────────────────────

 

「……ッ!!」

 

 胸を抑えるように苦しむメディウス。

 心配そうに教団から選ばれた側仕えたちが近寄る。

 杖による治療なども試すが、メディウスは「よい、構わずともよい」とやんわりとそれらを断る。

 

「だが、アリティアへ急使を送れ

 地竜の封印、いかような手段を使ったかはわからぬが、強引に破ろうとしているとな」

 

 自らの命を断って封印を解こうともした。

 しかし、それはある種の制御下にある状態での意図的な暴走である。

 あくまで、メディウスの意図によって制御された暴走。

 

 だが、

(わしが考えることは当然、ガトー……貴様も考えるか)

 ガトーの意図の上で暴走させられたなら、地竜たちの暴走の形はわからない。

 その暴走に指向性を与え、アリティアのみを攻撃することができるような、そんな手段を獲得しているのかもしれない。

 

 少なくとも、メディウスの考えにあるナギによる最終的な再封印をするというプランは恐らく行えなくなるだろう。

 メディウスというダムが下流に放水するのと、ガトーによってそもそもダムを破壊してしまうのではまるで結果は異なるものだ。

 

 メディウスの出した報は一日と経たず到着した。

 アインスやツヴァイとの激戦と終結の情報もまだ届かぬ頃である。

 

 ───────────────────────

 

「奴め、正気か?」

 

 アインスとの決着の報告が到着していないアリティアではロプトウスが向かおうとしているそのときに地竜復活の兆しありと報告が来る。

 

「とっくの昔に正気ではない」

 

 ナギの言葉に「わかっておるが、ここまでとは思わなんだ」とロプトウスは返す。

 

「どうする、このまま本来通りに東へ行くか?

 それとも封印から地竜どもが這い出る可能性を見るか」

 

 彼女たちとてまずはレウスに会って相談がしたかった。

 しかし、その寸刻すら惜しい。

 聖后と同等以上の権利が与えられている竜教団の本尊であるからこそ、

 国を正しく導く義務もある。

 

「……ナギ」

「わかった、──わかっている」

 

 二人の本尊は多くを語らずともお互いにやるべきことを理解していた。

 

 ロプトウスは兵を率いて東へ。

 ナギはチキと共にメディウスのもとへ。

 

 東へと向かうロプトウスは馬車の中で一人、嗚咽を漏らすように言う。

 

「すまぬ、……すまぬ……二人とも」

 

 封印が解けそうになったとき、お前たちが犠牲になれ。

 それが本尊たちの判断であった。

 神竜ナーガの直系たるナギとチキであれば、その命を捧げることで封印の強度を遥かに高めることができる。

 ロプトウスはナギとチキにアリティアで守られていろと言える立場であった。

 ナギはロプトウスがそういうのであればと素直に聞いていただろう。

 だが、彼女にそれはできなかった。

 

 地竜の封印がガトーの意図の上で解かれれば、世界が終わってしまうから。

 そして、ガトーがそれを行っているということは冷静ではないのかもしれない。

 口喧嘩に弱いあの男が舌戦で負けて顔を赤くして封印を遠隔から破壊しようとしていると言われても納得してしまえた。

 

 誰より優しいユリアの姿を借りて、こんな非情な判断しか思いつけなかった自分の至らなさに彼女は涙を流した。

 

 ───────────────────────

 

 各地の戦場で変化が起こっていた。

 重武装、経験もあったであろう兵士たちは確かに消えた。

 代わりにというようにそこらじゅうから這い出てきたのは有象無象の死者たちであった。

 

 明確な指揮系統を持つこともなく、ただ数に任せての襲撃を行うべくさまよい始める。

 恨み言をいう今もなく、戦いは次の幕へと引き継がされた。

 

 ガトーはそれを理解していた。

 ギムレーの魂であったものを砕き、膨大な命の操作権利を扱い、新たな死者たちをその過去から、その歴史から次々と呼び出していた。

 もはや制御者など要らぬ。

 はじめからこうしておればよかったのだ、とガトーは笑っていた。

 

 ───────────────────────

 

「殴り込みだ」

 

 レウスがそうやるべきこと定めたとき、空から声が響いた。

 

「レウス様!」

 

 飛兵に返り咲いたシーダが焦りながら声を張り上げる。

 

「情報が入りました!

 地竜の復活の兆しあり、と!」

 

 矢継ぎ早に入ってきた情報を告げる。

 地竜が蘇りそうになったならナギとチキが犠牲になること、

 ロプトウスは東を守るために元の予定通りに東へと兵を進めたこと、

 各地で死者の兵団が急増したこと、

 

 そして何より、このアリティアの目前にまで膨大な死者の兵団が現れ、向かっていると。

 

「先生!母上と姉上、そして故国はかならずこのマルスがお守りします!

 どうか……あの魔王を討ち滅ぼしください!」

「マルス……」

「僕も、二度も失いたくないのです

 大切な人たちを」

 

 マルスはレウスの手を掴む。

 その掌を開かせるようにし、彼女の指がそれをなぞる。

 

「なにを?」

「……おまじないです、きっとお役に立ちます」

 

 それを終えるとリーザとエリスが、そして空から降りたシーダもまた彼の前に並ぶ。

 

「弱い姿を見せました、ごめんなさい……」

「リーザ、誰が相手であろうとオレはお前を離すつもりはない

 それだけわかってくれりゃ誰が相手でも、どれほどの戦いでも乗り越えられる」

「……私が今愛しているのは貴方です、レウス

 あの場では当惑し、あのような態度を取ってしまったけれど、あの男は私の知る彼ではない

 かつて愛した人のことをこういうのは、その……」

「悪く取るような狭量ではない、と一応自負はしているぞ」

「彼を、解放してください

 かつての夫を、かつてのアリティアの守護者を」

「賜った」

 

「随分長く側にいてもらったな、シーダ

 だが、これでお前が解放されるなんて思わないこった

 お前は」

「ええ、私はあなたの戦利品ですから

 皆様と一緒にあなたのアリティアでお待ちしております」

 

「では、行きましょう」

 

 ざ、と強い一歩を踏み出すエリス。

 

「待て待て」

「……駄目ですか」

「流石に母親と義理の妹がああいう手前、お前も姉として~みたいなことを言うべきじゃないのか」

「ですが!……ですが私も、マフーも」

「ああ、戦えるだろうな

 それに戦うだけの理由があることだって知っているよ」

 

 マリクのことはよく理解している。

 彼女にとってこの大地にいるべき、マルスをよく知る数少ない由縁であった少年。

 それは無惨なという言葉ではとてもではないが足りないほどの結末を迎えたことを、よく理解している。

 

「或いは、お前ならあっさり勝っちまうかもしれねえ

 そういう女だよ、お前は」

 

 だからさ、とレウスは微笑んで続ける。

 

「今日のところはオレに格好つけさせてくれ」

「……狡い人」

「今更だろう」

 

 オレの言葉にリーザもシーダも、マルスまでもが、

「確かに」「今更、ですね」「先生だからなあ」

 一斉に声があがった。

 

「おいおい、お前らなあ……」

「ふふ……」

「ははは」

 

 つい笑いが漏れる。

 

「だからこそ、オレが苦手な守る戦いって奴もお前ならあっさりこなせる

 そうだろう」

「はあ……わかりました、惚れた弱みということでそのお願いは聞き入れます」

 

 あえて偉そうな、王女らしい気品を備えて。

 

「いってらっしゃいませ、我らの英雄」

 

 彼女はそう前途を祈る。



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聖戦

 平和な農村。

 元は打ち捨てられた廃墟であった。

 その男はそこにいた。

 

 名をゾンターク。

 悪党。

 いや、小悪党というべきか。

 

 実力はある。

 品性はないが、知性もある。

 世慣れもしていて、対話能力も悪くはない。

 ただ、どうあってもチンケな悪党以上にはなれない。

 

 知性があるとは言っても、それは『他の賊よりはある』程度である。

 だからこそ、かもしれない。

 

 ガトーを探し、立身出世を求め歩いた彼はガトーに目をかけられることはなかった。

 ガトーとて人を選ぶ。

 ゾンターク如きの才覚はお呼びではない。

 

 彼は農村にいた。

 かつて戦争で失われた廃墟だったそこを、彼は農村にした。

 改心したのか。

 

 答えは否。

 

 ゾンタークはここを育み、旅人を襲う拠点にしようとしていた。

 それなりの数が農民として生活しつつ、再起を狙っている。

 いつかはかつての北グルニアや、新ワーレンのような場所を作ってやるのだと息巻いていた。

 

 北グルニアの近くでもあるそこはある意味で最も不幸な場所になる。

 

「おおい、村長

 なんか土煙が見えるぜ」

「んん?

 何事です、あんな方角から……アリティアの国軍であればあんなところから」

 

 現れたるは死者の兵団。

 

「なんですかねえ、あれは」

 

 情報も入らない農村は旅人を襲うには素晴らしい拠点だが、

 情報が入らないからこそ、世間に起こる変事を知る機会を逸していた。

 

 ───────────────────────

 

 円卓では巨大なボードが作られていた。

 膨大化する各地の情報に遂にデミゴッドたちですら手が間に合わなくなっていた。

 

「これは百智卿がおれば助かったといえるかもしれませんな」

 

 マリケスがメリナがまとめたメモをボードへと張りつつ、代弁するように口を開く。

 

「性格はさておいても、こういうのは得意だったでしょうからね

 カチュアがいてくれれば手が足りたかもしれないのに

 ……まあ、あちらで幸せそうだからいいのだけど」

 

 メリナはちらりと見た円卓の映像からミネルバや姉妹たちと抱き合っているのを見て、

 小さく微笑んだ。

 いかに巫女と言えども、いかに自ら命を絶ったものだとしても、幸福になれる権利を失うなど馬鹿げている。

 

「ひとまずは形としては見れる程度にはなったようだな」

 

 ボードを眺めてマルギットが言う。

 

 俯瞰できるからこそ、出来事を纏める。

 戦いのためではない。

 いつかこの情報をアカネイアに届けてやろう。

 そうして、彼らが戦って得た平和への道のり、その戦いを営々と伝える手伝いをしたいとの思いから詳細に出来事を記している。

 

「マリーシアを撃破した後、

 やや時間は経過して死者の兵団が雨後の茸の如くに湧いて出てきた」

「東西決戦の東側にはアインスという武人が、アカネイア地方にはツヴァイという武将が現れたのだったな」

 

 アインスはその正体を、不足分を数多の魂の欠片を接ぐ形で顕現したオードウィンであった。

 ツヴァイはアカネイアの護国の修羅と化したオーエン伯爵であり、彼はオードウィンと違い、その意識は全てオーエンのものであったようだが。

 

「死者の兵団が動き始めた頃に遠乗りから戻ったレウスが侵入者に気がついたのよね」

「コーネリアスというべきか、ガトーと遭遇した……ですな」

 

 肉体の制御が上手く言っていないのか、他人の体をパッチワークすることはそもそもとして無理があるのか。

 難しい技術であるからこそ、ある意味でゴドリックは優秀であり、そして恐れられてもいたのだ。

 あれほど手慣れた『接ぎ木職人』でもなければ、無茶はでる。

 或いは、

 

「魂のツギハギのお陰でアインスやツヴァイは勝利に執着せず、むしろ敗北をこそ求めたのだから、

 アリティアにとっては追い風だったわけだ」

 

 冷静で、的確にラニが口にする。

 ゴドリックであれば、と思うものも少なくはないが、実際に口にするものはいなかった。

 扱いの難しいお坊ちゃんなのだ、彼、彼女らにとっても。

 

「アリティアで各地への派兵準備が行われている裏で、アインスとツヴァイは倒された」

「そこで死者の兵団のおかわり、ということか

 今度はそうした武将や軍人などを使うではなく」

「本当にただの死者たちを扱った死で地を満たすようなやり方を」

 

 その時系列に並ぶようにガトーによる地竜封印への遠隔攻撃と、ロプトウスの苦渋の判断もある。

 チキはあの年齢でありながら、自分の役割を理解してマリアを抱きしめてからナギと共にドルーアへと向かっているのを彼らは見た。

 

 誰より怒りを発していたのはマルギットであった。

 冷静で冷徹、いや、冷血にすら思える男だが、王であったからか、(実際の年齢はさておいても)幼い少女を犠牲にさせる選択肢を取らせるようなものを強く憎んだ。

 

 子は宝。

 

 永遠の停滞こそが世界を支配していた狭間の地であるからこそ、

 息吹く未来そのものである子供への愛情は強かった。

 呪われた王だと蔑まれようと、王は王なのだ。

 

 彼が少しでも冷静な人物でなければ、自分もカチュアと同じように世界を渡るなどと言い出しかねなかった。

 その選択を取らなかったのはアカネイアの戦いは、自分たちのものではないからである。

 

「……なに、我が思いと同じものをレウスは持っている

 代わりにではなく、それ以上にしてあの愚かな男へと叩きつけてくれるであろうさ」

「信頼しているじゃない」

 

 お前とて自分と同じだろう、とマルギットは言いたげに見る。

 それは伝わったようで、

「あいつならやるでしょ」

 とだけ口にした。

 

「ロプトウスは教団を率いてミネルバの元へ、

 とにかく過去の死傷者が膨大な東の決戦地に兵士を集めるみたいね」

「ボアの臣民も含めれば地に落ちる砂のような数の兵団となりましょう」

「神殿サイドは人を分ける形で各地の援軍に、

 アリティアは兵団を本土防衛以外にも回すようだが」

「地理的に危険なオールドカダインを守るためでしょうね、聖域とやらから狙われやすい場所にありすぎるもの」

 

 纏めた情報を見やる。

 少しずつ敵を撃退するにも、数が多すぎる。

 単純にこの数を相手に勝てるかは五分五分とは言えない。

 その上で、時間をかけて死者の兵団を倒しきり、聖域を軍で囲もうとするなら時間を消費しすぎた代償として地竜の封印が解かれる可能性が大きい。

 

「勝利条件は」

「レウスがガトーを倒すこと」

 

 一同は顔を見合わせる。

 

「これなら勝てるでしょうね」

「ああ、勝てないわけがないわ」

「ラダーンもマレニアも、ラダゴンすらも倒した、狭間の地最強」

「勝てばいいだけなど、我が王にとって手慣れたものだろうさ」

 

 円卓の住人が口々に言う。

 自信でもあり、事実でもあり、祈りでもあった。

 

 我らが友、律の保持者レウスに勝利あれかし、と。

 

 ───────────────────────

 

 シャロンの背を追うように進む。

 馬を使うかと聞くと、使うほどの距離ではないと言われるも、結局使うことになった。

 どうにもシャロンは歩速に関して他人とのそれがわかっていないのか、

 それとも単純にレウス自身を高く見すぎているのか。

 

 ともあれ、彼の歩く速度は走りに自身のある人間のそれより遥かに早く、

 まさしく獣の如きものであった。

 単純な競争で言えば、それこそ同じ獣という指向性の上に立つマリケスと行ってもいい勝負になるのではないだろうかと思うほどに。

 

 暫く進むとシャロンは止まり、これだよと指し示す。

 恐ろしいことに、それはただの石ころであった。

 魔道を嗜むものであればそこから魔力を感じたりできるのかもしれないが、

 少なくともレウスにはそれを感じることはできなかったし、

 その石が転送門であるとは信じられないくらいに、本当に普通の岩であった。

 

「……偽装効果は抜群だな、これ」

「ただの岩だからね、見た目は」

 

 シャロンが手を触れると、石の半ばが溶けるように消えて、まさしく門というのに相応しい形状を取る。

 レウスは受け取っていた石剣の鍵をそれに触れさせると門には幕のようなものが現れる。

 見覚えのある光景だ。

 これで門は起動し、遠方への移動経路を確保できたことになる。

 

「進む道は得たわけだが、とはいえ帰り道には使えないと思うよ」

「何?」

 

 レウスの疑問に対して、シャロンが擬剣をぬらと引き抜く。

 ここまで来てシャロンが裏切るとは思えない。

 であれば──

 

「こいつら」

 

 レウスもシャロンに続く形で周辺の気配に気がつく。

 

「死者の兵団、いや、元々が軍人でも騎士でもないものも混じるならもう兵団なんて呼ぶべきではないかな

 最早群れと呼ぶべきだろうね、ガトーの群れとでも」

 

 その声音は実にガトーを見下し、馬鹿にしたと言えるようなものだった。

 お前なぞこの死者と変わらぬものだ。

 そう言いたげな。

 

(……シャロンとて五大侯、マリアの件もある以上こいつはラングとは違うって考えるべきだろう

 つまり、こいつから滲む憎悪のような感情は)

 

 民草、いや、大陸に生きて、そして死んだ人間たちへの冒涜。

 それに対する一人の貴族としての怒りである。

 

「我が愛、ここまでだ

 これから先は君一人の旅になる

 本音で言えば君と肌を寄せ合って旅をしたいところだが」

「悪いが嫁がいるんでな」

「加えてくれてもいいのだが?」

「勘弁してくれ」

「ふ、冗談ではないが、断られてしまえば仕方ないか」

 

 戦いの前とは思えないほどの軽口。

 

「稀人レウス、君がいるからこの大陸の歴史が狂ったのか、

 歴史は既にはるか以前に狂ったからそれを君が正しに来たのか、

 それともあらゆることに必然性などそもそもないのか

 このシャロンにわかることではない」

 

 だが、とレウスの返答を待たずに彼は続ける。

 

「終わるかどうかの瀬戸際で、大陸を救えるのは君だけであることは間違いない

 アカネイアで産まれ、生きた人間として頼む

 平穏を……我らに平穏を与えてくれまいか」

 

 レウスは拳を彼の前に突き出す。

 シャロンはそれを見て、どうすればいいのかわからない様子であったので彼の手を取ると、握り込ませる。

 そうしてからレウスは握られた拳に己の拳を軽く当てた。

 

「オレの故郷じゃあそうしてた

 ダチとの約束にさ」

 

 我が愛などと珍妙な呼び方をする、実にプライベートスペースの薄い男であるから忘れそうになるが、

 絵になるような、いや、なりすぎる美形貴族の微笑み。

 粗野なレウスとは対極で、それがまた一枚の絵画にするにもふさわしいと言えるほどの。

 

「じゃあ、言ってくるぜ、シャロン」

「ああ、君に武運を──レウス」

 

 彼は我が愛、とは呼ばなかった。

 それは彼がレウスを想う多くのものたちの代弁をするからこそ、名で呼ぶべきだと考えたからだった。

 

 レウスは転送門を潜ったあとにシャロンが群れへと向き直る。

 

「さて、待たせてしまったかな」

 

 転送門とは双方向である。

 レウスの後を追うためならばこの岩を使うのが最も早い。

 だからこそシャロンは岩を背にするように、或いは庇うように立つ。

 

「この転送門、使いたくばこのシャロンを討ち倒してからにしてもらおう」

 

 ガトーの群れが襲いかかる。

 転送門には誰も通さぬと、動き回ることを良しとせずに迎撃を行うシャロン。

 

 その勇姿はまさしく誉れを体現するものであった。

 

 ───────────────────────

 

 四方に水やらアリティアやらがあるお陰でグラは堅牢この上ない防衛力を持っていた。

 その上で、転送門を置けるような場所も、或いは隠し置ける深い森もないこともあって、

 この地を侵しむるものは死者の一つすら存在しなかった。

 

「ロプトウス様、ここでお休みください」

 

 グラの女主人であるシーマは言葉とは裏腹な強い口調で言う。

 

「何を言うか、教団がある以上、彼らと共に戦場に進まねばならぬ」

「そのお顔、鏡で見ましたか」

 

 シーマが側仕えに命じて鏡を用意させ、それを向ける。

 ロプトウスは笑ってしまうくらいに酷い顔であるのにようやく気がついた。

 まだ年若いシーマに心配されるわけだ。

 泣くのは我慢していたはずだが、それでも堪えきれずに泣いてしまった。

 涙の痕跡がひどい。目も赤い。

 顔色など死者同然だとロプトウスは自嘲した。

 

「聖王陛下の妹として、いずれ妻となりましょうあなたのその姿をこのままにしておくことはできません

 兄がどれほど悲しい顔をするかわかったものではなのですから

 ロプトウス様のお顔を見ている聖王陛下の嬉しそうな顔を知らないではないでしょうに」

「……?」

「……あれ?」

 

 あの好色漢のことだからと思っていた。

 外見は美しいのは自分でも理解していたが、だからそう見ていたのだと。

 幾つか甘い言葉を投げかけられたのも理解しているし、彼女にとってそれとない約束を交わしたのも覚えてはいる。

 勿論、上辺の返辞でしかないと思っていたし、レウスも同様だろうと思っていたのに。

 

「あなたは兄にとってなくてはならない方

 そしてここにはあなたの代わりに戦場で戦うことができるものがいる

 答えは簡単なことなのです、ロプトウス様」

「何を……」

「城をお願いします

 ロプトウス様も身ぎれいになり、兄があなたを見て攫いたくなるようなほどに戻られましたら後詰めとしてお越しください」

 

 シーマは準備をしていたようで、てきぱきとグラの名代としてロプトウスにあれこれを任せたことを伝えて、

 止める間もなく、

「参りましょう、サムソン」

「ああ、参ろう、シーマ」

 勇者と将軍は仲睦まじく出陣してしまった。

 

 止めようとしても、シーマの言葉が体を動かさせることをよしとしなかった。

 

「……何を、馬鹿なことを……

 ワシはロプトウス、暗黒神ロプトウスなのだぞ

 それを……」

 

 涙が再び零れそうになる。

 人を不幸にしてきたことはあれど、人に不幸にされそうになっている経験など殆どないからか。

 それともこの身は少女のそれだからか。

 

 いいや、それはありえない。

 

「そうだとも、ユリア

 ユリアであれば……ここで泣いて、無力と無常に打ちひしがれるか?

 違うであろう、そんなのはユリアらしくもない

 あの娘であれば、」

 

 ロプトウスはぐいと服の袖で涙を拭う。

 

「誰かおらぬか!

 ワシを可愛くしようと想うてくれるものはないか!」

 

 その掛け声のあと、すぐに側仕えたちが疾風の如き勢いで集まっていた。

 各々がスキンケアやら化粧道具やら可愛らしい衣服やらを携えて。

 

(こやつら……どこかで見たと思ったらリーザのメイド見習いとして付き従っていたものたちではないか

 メイドとして一流になったからこうして送られたのか?

 ……末恐ろしくあるが、今はそれが頼もしい)

 

「さあ、ワシを可愛らしくせよ!

 全ての人間どもがもっと可愛らしくなるワシを見たいと命をやたら捨てさせぬほどに!」

 

 そうだ、ユリアであれば座っていない。泣いてもいない。

 自分の容姿が武器になるのなら、自分の声が武器になるのなら、自分の姿が武器になるのなら。

 ユリウスを討ち倒した後のユリアは最早か弱い姫君などではなかった。

 持ち得る全てを使ったからこそ、あの大陸の平和は数十年は早まったのだ。

 この身がユリアのそれであるなら、あの娘にできてワシにできぬ道理などない、と。

 

「待っておれシーマ、すぐさま追いついてみせるからな!」

 




何事も問題がなければこれまで通り毎日の更新をし、
【9月5日(火)】が最終話となる予定です。
お付き合いいただければ幸いです。


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大輪

「な、な、舐めるでないぞ……このゾンタークを」

 

 肩で息をしながら、壊れた武器を投げ捨ててゾンタークは言葉も吐き捨てる。

 彼は知性がある。悪徳もあるが。

 そしてそれらは歴史的なものではない。

 逆に、だからこそ理解することがあった。

 

 こいつらは死者だ。

 自分が殺した人間と同じ顔が襲ってきたのだ。

 

 凡人だからこそ、笑って殺した人間が夢に出て小便を漏らしかけたことだってある。

 だからこそ、強く印象に残った顔を記憶に置いていた。

 

 こんな異常な状況を、異常な連中を動かすものは世界ひろしと言えど一人しかいない。

 

「ガトーめええ……、忠臣たるゾンタークになんという所業をおぉ!」

 

 吠える。

 忠臣になどなっていない男が吠える。

 

「よもや、こうなれば復讐してやるぞ……」

 

 ───────────────────────

 

 アインスやツヴァイの死者の兵団との戦いを前期と呼称し、

 無闇矢鱈に復活させたガトーの群れとの戦いを後期と呼称するのならば、

 前期において比較的平和であったグルニアは、後期においては他の地域より危険度は高かった。

 

 黒騎士団の大部分と船団を各地に送り出したグルニアは不意打ち的に現れた群れと小勢で立ち向かわねばならない状況となっていた。

 ユベロ、ロレンス、それに黒騎士の三将がいるからこそ潰されはしないものの、

 致命的な状況になるかならないかの瀬戸際は近づきつつあった。

 

 彼らが防衛についての戦略を練っている。

 とはいえ、時間もそう許された状況ではないのでかなり簡略化されたものではあるが、

 その場に伝令が「報告!」と声を上げて推参する。

 軍国たるグルニアは軍議の際の急使や伝令などに礼節よりも速度を重んじるようにと教えている。

 故にこうした推参も許されていた。

 

「何事か」

 

 ユベロの代わりに問いただすのはロレンス。

 

「ノルン殿が前線に向かわれました

 自分はあくまでアリティアからの客分であり、此度の戦いにおいてはアリティアの将として戦いに赴かねばならない、と」

 

 その内容だけを聞けば、納得できるものではあるが、推察に状況を含めればそうはいかない。

 現在アリティアへの道は群れによって完全に潰されており、

 黒騎士たちであってもその物量の前に突破は困難である。

 

 彼女が行ったことはアリティアの一員として、アリティアのために戦うのではなく、

 アリティアの人間だから勝手にグルニアのために戦う、

 そう言っているのだ。

 

 四侠の一角たる彼女は戦術のみならず戦略にも明るく、

 自らがどのように動けばグルニアの益になるかを理解している。

 その上で、彼女の弓の腕前はジョルジュに次ぐものだと評価されており、

 特に長い距離を狙う『遠弓』の技術においてはジョルジュをも凌ぐという一面もある。

 

 夫たるロベルトは立ち上がるも、かぶりを振って着席し直した。

 

「……取り乱しました、申し訳ありません

 軍議を続けましょう」

 

 彼女の行動はたった一つ。

 グルニアを守るための軍議の、その時間を作り出すために戦いへと赴いたのだ。

 

 ───────────────────────

 

 弓はいい。

 握っていればそれだけで自分が何者かを表現できる気がする。

 

 ロベルトとの結婚は大きな変化となった。

 貴族ではない自分が有力貴族であるロベルトとの結婚をするとなれば軋轢が生まれそうなものであったが、

 四侠という立場だけでなく、暇があればビシバシと貴族式の礼儀をアリティアのメイドたちに仕込まれていたお陰で恥ずかしいまねをすることだけはなかった。

 

 だが、こうして弓を握り、戦場へと向かうこと以上に自己表現の術をまだ見つけられていない。

 

「この戦いが終わったら、お嫁さんであることが一番の幸せにと考えるんだ」

 

 だから、と弦を引く。

 

「弓手最後の戦いに付き合ってもらうよ、死人さんたち」

 

 山の斜面に潜む彼女が矢を放つ。

 それは遥か遠くに跳んでいき、着弾した地点では数体の死者が消し飛んでいた。

 精密性と速射によってジョルジュは大陸一の弓騎士となった。

 ノルンは竜騎士の竜、その硬い頭蓋すらも撃ち貫く剛弓ととんでもない射程距離によって大陸一の弓戦士(ウォーリア)と呼ぶにふさわしい存在となっていた。

 

 ───────────────────────

 

 ゾンタークは追撃の手が緩むのを感じていた。

 振り向けば地面が破裂し、それが矢によって引き起こされる脅威の現象であることがわかった。

 

 彼はその矢を知っていた。

 ガトーの背を追う中で、仲間の仇だとして何度となく追ってきた弓手。

 四侠のノルン、恐るべき剛弓の使い手であった。

 よもやその仇を助ける形になっているとは彼女も知るまいし、

 ゾンタークとてそれが自分を助けているものであるとは思っていない。

 恐らくは敵が密集しているところをと狙ったのだろう。

 

 ろくな装備をしていない今のゾンタークに矢を返せる手はない。

 必死に逃げて、射られないように祈るだけだ。

 

 ───────────────────────

 

 群れ自体は臣民や死者の兵団に比べれば、その戦力は大したものではない。

 それが脅威となる部分は数と不揃いな装備であることであった。

 数は言うに及ばずで、増え続ける蘇った死者は臣民たちの戦いと同じようにして戦う。

 もう一つの問題は不揃いな装備である。

 これが実に厄介であった。

 彼らは属していた集団も、技術も、文化も、歴史すら異なるものたち。

 自我の一切はなく、ガトーの意識に(或いは無意識に)従うように戦いを求めて動いていた。

 

 軍というのは同じく統率の取れた相手か、或いは数において自らが勝っているときに大いなる力を発揮する。

 少なくともグルニアはそのように機能していた。

 しかし、数で負け、そして意識や編成ではなくあらゆる統率を持たないものたち相手にどのように対処すればいいのかの答えがすぐには出なかった。

 だからこそ、ノルンはすぐに出ない答えから、正解を引当させるために単身で群れを釘付けにしていた。

 

 始めてから何十発を射ったであろうか。

 矢が尽きかければ臨時の集積地に戻り、回収し、

 そのときには動向を申し出る兵士はいたがそれを断ってもいた

 自分一人であるほうが身軽であるから、と。

 事実、彼女の戦い方を続けるのであれば共に進み、戦えるものは大陸を見てもジョルジュを含めて片手でも余る人数しないないだろうし、

 申し出た人間の技量は残念ながらそれに及ぶものではなかった。

 

 矢を放つ。

 段々と弦を引く力が萎えているのを感じていた。

 彼女とて生身、むしろここまでよく戦い続けたというべきだろう。

 

「……フレイ、力を貸して」

 

 彼女はそれでも、かつてこの地で命を落とした仲間の名を呼んで奮起する。

 

 ───────────────────────

 

 人間にはまるで羽化するように才能を得たり、伸ばしたりと開花するタイミングがある。

 負けられない相手に出会ったとき、親や師に褒められたとき、

 どん詰まりであがいたとき、頭を打つだのという外的要因であることもある。

 

 マルスがエリスへ、

「軍の配備を、このまま敵が黙っているとは思えません」

 そう告げて、エリスはリーザを伴って城へ。

 家臣団たちはマルスと共に何かあったときの防衛のために待機した。

 

 城に戻ったリーザは数秒ほど立ちすくんだように、ぼうと止まる。

 そして、吐息を一つ漏らしたあとに

 

「そんなに私のことを怒らせたかったのね」

 

 ぽつりと呟いた。

 

 この後のリーザの動きは俊敏で、一人で数役の仕事を一気にこなした。

 戦略を決定し、戦術を決定し、命令を下し、配備をさせ、状況を警戒し、

 その全てが一流かそれ以上の仕事ぶりであった。

 

 各地に現れた『群れ』に対して、試作品で構わないとガーネフからありったけのディルを魔道兵団へと配備。

 アリティア主城付近の死者をそれで浄化する一方で、エリスとマルスの二人に近衛兵団を指揮させてグルニアの援護を行い、そのまま聖域へと向かって北上するように。

 その際にも群れがガトーの意思を必要とするような戦術を大量に組み込み、実行するように伝える。

 

 勿論、リーザを含めてその場にいた人間はレウスが動いた以上はそれほどの時間はかからないだろうとは考えていた。

 だが、計画された戦略は地竜の封印より先に、遅くとも地竜が地上を滅ぼすために動くより早く聖域を攻め滅ぼそうとするに十分なものであった。

 

 エリスとマルスは即応できる小勢を率いてグルニアへと向かった。

 他の地域に兵力を割いているグルニアこそが現状で最も危険な状態にあることは明らかであったからだ。

 

 だが、そこで見たものは──

 

 ───────────────────────

 

 群れは弱い。

 弱いが、無限かと思わせられるほどの数であった。

 

 ゾンタークは体中に傷を置いながらも『そこ』に辿り着いていた。

 

 彼は弱くはない。

 むしろ一流どころに片足を突っ込んでいると言える程度には猛者でもあった。

 しかし、敵兵相手に無双できるほどの一流でもなければ豪胆でもなく、

 そして強靭な精神力があるわけでもなかった。

 

 ただ、ガトーのもとで一旗揚げたいと思う気持ちは本物であったし、

 絶対者に対する忠誠を捧げる心もまた本物であった。

 

 そうしたものの気持ちを理解していればガトーは群れを使わず、また別の、

 反聖王国の勢力を作り上げることができたかもしれない。

 

 現実としては、そうはならなかった。

 ガトーはそもそもこの男のことなど知らず、つまりは興味を向ける以前の話であり、

 悪徳を重ねることをガトーへの信仰手段とし、それも伝わることはない。

 

 狭量なものであればあるほど、自らの行いに対して見返りを求める心は大きくなる。

 ゾンタークはまさしく狭量であり、矮小であり、悪人であった。

 

 気持ちが伝わらぬなら、自分を見ぬなら、この努力と献身を無と考えるならば。

 

 見よ。

 見よ見よ見よ見よ。

 

 怨念の如き感情で痛みすら吐き捨てるようにして進む。

 その先にあったのは、かつて彼が隠れ潜んでいた農村が発展することができた理由そのもの。

 

 人造的に作られた水源。

 いわゆるダムであるが、これを作り上げたのは錬金術師フォルネウスだと言われている。

 この辺り一帯が渇水し、それが原因で多くの命が失われることを哀れんだからこそ超人じみた(或いは本当に超人だったのかもしれないが)能力で完成させた。

 全てが自動的に動くそれは長年をこの一帯を支えてきたものであったはずだが、

 それなりの時間が経過した今、ダムの恩恵を受けているのは既に滅びた農村だけであり、仮にこれが存在しなくなったとて、誰が困るわけでもない。

 つまり、ゾンタークの目的とは、困るわけではないものを使って困るものを作り出そうというものであった。

 

「前々から目をつけていたんですよお、ガトー様

 アリティアとグルニアが攻め寄せたときに扱うための、こいつを……」

 

 だが、とゾンタークはダム崩壊のプロセスを辿る。

 ダムが不要になる未来を望み、そのために破壊するための手順をフォルネウスは残していた。

 

 ───────────────────────

 

 ガトーは聖域の一室で状況を俯瞰し、戦略を動かしている。

 無限とも思える群れを操れることになったのは全てギムレーの犠牲のお陰である。

 ギムレーを殺すのはもったいなかったかもしれないが、

 数に劣る以上は仕方もないこと。

 メディウスにも牽制、いや、それ以上をできる特典もあるのであればギムレーを消費するのにいささかの迷いもなかった。

 

 各地で人間による抗戦は続く。

 ……そう、彼は敵を敵と思わず、敵を人間と捉えていた。

 人間と言えば敵であり、敵と言えば人間であった。

 

 この世界の、この時代の人間は失敗作だった。

 世界がマルスを奪ったことが最初のステップだったか、それとも贋作のナーガが我が物顔で世界を運営しようとした頃か、いずれにしてもこの世界の状況に理解を向けなかった人間こそがこの世界の問題点であったのは間違いない。

 

 地竜を使ってか、或いはガトー自らの魔力によってかはわからないが、少なくともこの大陸が滅んだ後には再び人間を作ってやろう。

 そのときこそ、完璧な形で作ってやらねばなるまい。

 

 地図の上で、国を崩す一手を見た。

 アリティアとグルニアの境。

 両国がまだ兵を動かせていない。

 ここに楔を打つように大量の群れを作り出せば一気に崩壊させることができるかもしれない。

 最低でもグルニアを滅ぼすことはできるだろうし、そうなればグルニアで作られた死人たちを利用できるようにもなる。

 どう転んでも失敗がない。

 

 死者を作り出すに必要な魔力はナーガを使わなければならない以上有限ではある。

 だが、それでもここに投資する価値はあるとガトーは見た。

 



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怒涛

 アリティア聖王国。

 つまりはアカネイア大陸最強の国において、特別な四人として評されたるもの。

 それを四侠という。

 アラン、サムソン、フレイ、そしてノルン。

 彼らの武芸はまさしくアリティアの四方とも言えるものであり、たった一騎で戦局を変えうるだけの力を有していた。

 

 しかし、それも永続するようなものでもなければ、無補給で戦争を終わらせると言った類のものではない。

 

「流石に腕が上がらなくなってきたなあ……」

 

 ノルンはやや疲労が見える顔をしながら、矢筒の中身も心もとない状態であることを指先で触れて確認をする。

 

 補給に戻るべきだが、いや、戻れるのだろうかと思う。

 明らかに死者の数が増えている。

 装備や能力といったようなものに変化はないが、数が多くなればそれだけこちらとの距離は近付く、というべきか、近くに出現してきてしまっている。

 

 数が増えればそれだけグルニア、アリティアへの侵略は早まると考えていい。

 

「旦那様と離れ離れになるのはいやだなあ」

 

 そうは口に出すも、彼女の手は矢に掛かる。

 

 気配に勘付いた死者たちがノルンへと歩み始める。

 

 矢を放ち、退け、しかし、倒した端から外的な要因によってかのように増えていく。

 気がつくのが少しばかり遅かった。

 ランダムに増えているわけではない。

 死者たちは明らかに彼女の退路を塞ぐように現れ始めていた。

 それはこの状況を見ることはできずとも、何者かが単身暴れていることだけは死者の減少から推察することはでき、だからこそこのように死者の出現をさせていたのだった。

 

「……矢は尽きて、けれど」

 

 腰に備えられた剣に手を伸ばす。

 まだ戦えるのだ、そう意思を見せる。

 

 そのときだった。

 一団の一つが大きく崩れた。

 死者たちの仲間割れである。

 

 とはいえ、死者を倒すのは単騎。

 周りのものたちとは明らかに戦闘力が違う。

 囲まれていたはずの姿はすぐに明らかとなった。

 単騎で戦うものの姿は青みがかかった灰褐色の鎧に、顎髭を蓄えた壮年の男だった。

 その名を誰が忘れようか。

 

「──フレイ!?」

 

 死者の一つが間近な敵であると認識した死者がフレイへと殺到する。

 彼は周りを一度蹴散らすと、持っていた武器で一方角を示す。

 

 ノルンがそちらへと向くより先に、声が響く。

 

「ノルンーッ!!」

 

 愛する人の声。

 

「ロベルト……様……!?」

 

 ロベルトを戦闘に彼の配下である騎士たちが矢じりのような陣形を保ちながら突撃する。

 フレイは二人の未来を祝福するように、生きていた頃と変わらぬ不器用な笑みを作る。

 そうして彼はより敵を引き付けるために大振りな攻撃をしながら敵中へと突き進んだ。

 

「フレイ……!!」

 

 どうするべきか、ノルンにはわかっている。

 迫るロベルトに手を伸ばすと、がしと捕まえれて抱えられた。

 

「あなたのお陰で戦略も戦術も、そしてアリティアとの連携も取れる状況が整いました」

「どうやら私だけじゃあなかったみたいだけど」

 

 たったいっときの共闘。

 死者が蘇ったときに、強引にその扉を潜ったのかもしれない。

 忠義者のフレイが、最後にアリティアへ行った報国なのだろうとノルンは考えた。

 騎馬はその場を後にしていく。

 やがて、後方で響いていた戦いの音も消える。

 フレイがその役目を終えたと言わんばかりに再び永い眠りへと戻ったのだろう。

 

 ───────────────────────

 

「数が多い……」

「いえ、増えているんですよコレ」

「聞きたくない新情報ですね」

 

 美丈夫の貴族と密接距離で馬の上にあるノルンはシチュエーションだけならば極めて甘いものであったが、状況はまるで甘くない。辛さすら感じる。

 

「……何の音だろう」

 

 ノルンがなにかの音に気がつく。

 ロベルトは彼女のその言葉に口をつぐみ、同じように音を探る。

 それは地鳴りのようなものだった。

 最初に考えつくのは死者たちが怒涛の勢いで進軍を始めたか。

 しかし、視界には変化はない。

 後ろを任せている部下も「走ってきました!」なんていう報告が上がってきているわけでもない。

 

「ろ、ろろ」

「どうしたのです」

「ロベルトさま、何も言わずに全速力で駆けてください!!」

 

 何事かと思うも、その声音は真に迫っていて断れるものでもない。

 何よりロベルトはノルンを信じると決めている。

 速度を増したのを見て回りの騎兵たちも追従する。

 

 音が大きくなる。

 強い湿気が混じった風が吹き下ろし始めた。

 

 ───────────────────────

 

「あーっははははは!あああーーははっははははは!!

 偉大なる(ガトー)よ!!

 これが私の価値というものですよおおお!!!

 あははははははは!!!」

 

 ノルンがロベルトの馬に乗った頃。

 離れた山の中腹で一人の男が狂ったように笑っていた。

 

 封印の全てを解き、最後の一つを物理的な手段で壊せばそれで終わる。

 これを破壊すれば水をせき止めて、溜めるために作られた結界は消え、そこに溜められた湖のような量の水が一気に吐き出される。

 

「ゾンタークを見られよ!

 我が価値を見よおおッ!!」

 

 剣が振るわれ、その封印が砕かれた。

 刹那、彼が立っていた場所は瞬きの暇もなく、水の壁が襲いかかる。

 ゾンタークの肉体は一瞬で砕け散り、しかし馬鹿げた量の水によって染みすら残ることはなかった。

 

 地を削るように水が突き進む。

 向かうはグルニアやドルーア、そしてアリティアの各地方が隣接するホルム内海。

 その進路上にあるものは全て破壊され、消し去っていく。

 木々からなる森、古びた交易路、打ち捨てられた農村、いつのかもわからない祠、

 植えられた街路樹、知るものもなくなった遺構、北グルニアで反映した悪徳の街の果て、

 そして……ガトーの群れを、一切の慈悲もなくすり潰しながら大水は突き進んでいった。

 

 ───────────────────────

 

「落伍したもの、一兵もおりません」

「黒騎士の名誉を汚さずに済んだようだね、我々は」

 

 彼らの背にあったところには何もかもがなくなっていた。

 死者の群れは最早どこにも姿はない。

 

「これは軍議のし直しかな」

 

 ロベルトが苦笑すると、釣られてノルンも笑った。

 彼らとてこれで戦いが終わったわけではないことを理解している。

 だが、少なくとも差し迫った脅威は消え去ったことに感謝していた。

 

「しかし、あのような現象は始めてみました」

「私の田舎だと、あんな規模のものじゃあないけど、似たのは見たことがあるよ

 でも」

「ええ、これまでなかった現象が引き起こされた」

「こりゃあガトーも神様ってのに嫌われたんじゃない?」

 

 ───────────────────────

 

 ガトーが取る全ての情報を盗み見れるわけではない。

 読み取ることができたなら、兵を借りるでも操るでも雇うでもして対抗策を編み出せたかもしれないが、

 匹夫の勇、個人の武に頼る真似をするしかなかったのだとシャロンは思う。

 

 その周りには斬り伏せられた死者が大量に転がっていた。

 死者たちは魔力によって復元されたに過ぎず、一定の時間が経てば霧散する。

 亡骸が転がっているのは単純にそれだけ多くの相手を倒したからという証明でしかない。

 

 シャロンが知り得てることは転送門の使い方以外には、

 今自分が倒したものたちは聖域から連れ出された群れであり、

 死が多く存在していない場所において死者の復活はできない

 ……つまり、現在シャロンが立っているような一度も拓かれたこともなければ、誰かが生活を営んだこともない場所では群れを作り出すことはできない。

 

 転送門を使って聖域から必死に送り込んでアリティアへと送り込んだのにはそういった事情があった。

 勿論、ワープ破りの結界の影響で呼び出せないのもあるが、僻地であれば呼び出せるのだ。

 今回で言えば、そもそも呼び出すものがそこにはないわけだが。

 

 足音が聞こえる。

 遠い場所の転送門を通って第二波がこちらへと向かっているのだ。

 

 さて、どこまで戦えるやら。

 シャロンは擬剣を構え直す。

 

 どれほどまで戦えば、我が愛のように美しき獣の如くになれるのだろうか。

 

 シャロンは殺されることを恐れていなかった。

 唯一恐れるべきは、我が愛の如くになれないこと、それのみだと規定している。

 

 聖域から送り出される群れには他とは違う個体が混ざっていることがある。

 いや、他の地域でもありうることだが例外的な個体、つまりは強い戦士などが偶然的に蘇らされていたり、

 聖域では聖戦士になりえなかったものなどが群れに混ざっているせいで『当たり』の確率が高いのだ。

 

 こうして相手にどれだけ戦えるかは疑問だが、それでも時間さえ稼げばアリティア側の防衛でいくらでもこれらを跳ね除けることができるだろう。

 何せ彼と彼の軍団を打ち破った国なのだからそれくらいしてもらわなければこちらの面目が立たぬというもの、とシャロンは思う。

 

 シャロンが打ち倒す中に、ついに強敵が現れる。

 必殺の一撃と目論んだ攻撃は剣を持って防がれる。

 どのような返し手が来るかもわからないが、鍔迫り合いの状態を維持されるのはおいしくない、とだけは判断できた。

 

 より強く攻めるか、

 鍔迫り合いを拒否して距離を空けて立て直すか。

 その判断をしようとした刹那、対手がぐらりと全身を力を失ったように倒れ込む。

 

「君は……」

「マルスと申します、立場は──」

 

 どう名乗ろうかを考えたが、リーザは自分を娘として扱ってくれた。

 ここで他人行儀に名乗るのは彼女の愛に悖るというものだろう。

 ……といった風に考え、マルスは続けた。

 

「アリティア聖王国が女王リーザの末子です」

 

 

 ───────────────────────

 

 故国を守るために、とレウスには言ったものの、平静を取り戻したリーザはマルスに告げた。

 彼らが進んだ先に敵は現れると考えた彼女はマルスとメイドたちを伴って帰路を確保せよと命ずる。

 メイドは何も世話をするだけの存在ではない。

 少なくともアリティアにおいてのメイドとは近衛兵の役割をもこなすのだ。

 

 マルスはメイドたちには後詰めを頼み、先行する。

 戦いの気配を強く感じたからだった。

 

 ───────────────────────

 

「この世界ではない場所から現れたもの、であっているかね」

 

 聖戦士と同じく、一定以上の知識をガトーより与えられている彼はマルスのことを理解していた。

 正確には、狭間のマルスと名乗ることも多い彼女のことを。

 

「どのような世界から来たか、など聞きたいことは多いがそれどころでもない」

 

 増えつつある群れを見やるシャロンに、

「では、片付けたあとにご質問を返しましょう

 今は」

「剣を以て押し返すべし、か」

「はい!」

 

 澄んだ声が強いイントネーションで同意を発する。

 五大侯という身分から多くの貴人と会ってきた経験はある。

 しかし、マルスという少女が持つその声の強さと透明度は誰よりも美しく聞こえた。

 

「なるほど……、我が愛にも似たところがある」

「そのう、我が愛ってなんですか?」

「マルス殿下も知るもの、いやさ、殿下にとっての愛でもあらせられるはずだ」

「ええと」

 

 レウスのことだろう。

 それはわかっている、それを聞きたいわけじゃあない。

 マルスの表情は小さな困惑を混ぜ込んだものとなっていた。

 

「詳しく聞くためにも、さっさと片付けねばならなくなりました」

 

 ロングソードを構えると、マルスは戦いへと集中した。

 

 ───────────────────────

 

「何があった……!?」

 

 ガトーはその状況に目を剥いた。

 膨大なコストを掛けて行った編成が一瞬でかき消えたのだ。

 

 彼の立てた基本的な戦略はアリティア聖王国の主城とその周囲の領を守る強力な武芸者の撃破である。

 あくまでアリティアに兵を寄せるというのは彼が考える作戦の『第一段階』でしかない。

 しかし、一歩が挫かれればあとが詰まる。

 であるからこそ必ず成功させねばならないものである。

 最低でも聖后の首一つが獲らねばならない、最高であることは言うまでもなく優秀な人間の全滅である。

 

 そのために兵を寄せた。

 幾つか用意した転送門から直接アリティアを叩くでは防衛網を割れない可能性がある。

 であれば二正面作戦を取らせればよい。

 聖域に用意した主力を北グルニア側から進行させ、アリティアの側面を突きつつ、兵力を減らしているグルニアにも槍を向けさせるようにしている。

 

 いや、そうしようとしていた。

 

 その全ての反応がかき消えた。

 何があったのか、ガトーには理解できなかった。

 エーギルの動きを俯瞰することはできても監視カメラのように彼らの動きを逐一確認することはできないからだ。

 

 ナーガの元へ進み、口を割らせようと現れるも、苦しみに耐えかねてか気絶している。

 この状態で画策できるとは思えない。

 であれば、誰が?

 

 ガトーがそう考えていると何者かが聖域へ侵入を知たことを知らせる警報を感知する。

 いや、何者かなど考える必要もない。

 来るとするならたった一人だ。

 無意味なことではある。ここまで辿り着くことはできないのだから。

 

 どうあれ今はそれに構っている暇はない。

 大いに減らされた数をなんとかしなければ、第一歩すら進めなければメディウスから地竜という駒を奪う以外に手がなくなる。

 ガトーは気がついていないが、それは復讐心にも似たものだった。

 今の人間たちを支配して、自らを知らしめさせたいという人間らしい感情がまるで病のように侵食していた。

 それが人間の社会で生きた影響であったのかどうか、ガトーはそれに気がつくことはなかった。

 



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殿堂

 聖域と呼ばれるそこは巨大な塔であった。

 円柱形状のそれは天に向かい伸びていて、外から見ても目立つはずのそれはここに至るまでに目に入ることはなかった。

 何かしらの力によって見えないようカモフラージュされているのだろう。

 転送門を使わねばそもそもここに来るまでに迷いの森よろしく到達までに時間を使わされていたかもしれない。

 

 入り口は幾つかあるかもしれない。

 目につくところには一つ。

 正面の入り口には一頭の竜と、一人の騎士が立っている。

 見覚えはない。

 ただ、まるでない、というわけではなかった。

 

 燃えるような赤い髪、強い意思力を湛えた瞳。

 生まれついて肉体的に恵まれたと言える筋肉と骨格。

 勝利と転戦を繰り返したことが伝わるのは鎧と体の古傷から。

 

「よくぞ参った」

 

 その声は存外に高い。

 いや、柔らかいというべきかもしれない。

 地獄の底で鳴り響く喇叭のような音色の声だと思っていたからこその感想かもしれないが。

 

「ああ、はるばるってわけじゃあないがね

 片道は随分と楽をさせてもらった」

「ふむ……であれば、あの貴族は上手くやったというわけか」

 

 貴族、そして彼らと話せるだけの知性があるものといえば思い当たるのは一人だ。

 

「シャロンを知ってるのか」

「知っている、とはいえ深い間柄ではないがな

 奴から聞いた『現在のアカネイア』と『未来のアカネイア』の話は楽しいものであった」

「未来の?」

「お前が作る未来のものさ、あいつは必ずそうなると信じていた

 事実、お前はガトーを討ち滅ぼすためにここに来た

 ここまでは奴があの男が予測した未来の通りになっている」

 

 過去は確定したもの、そしてシャロンが体験したものも含まれているのだろう。

 だが、未来に関してはどうやらシャロンが思い描く理想郷であったのではないか。

 どんなものを教えられたのかは少しばかり恐ろしさを感じるも、

 立ち姿だけで十分に優れた人物であることがわかる彼が色眼鏡でレウスを見ていないことからそれなりに真っ当な未来を語ってくれたようではある。

 

「アンタは──……いや、先に自己紹介をしておくよ

 オレはアリティア聖王国が現人神、聖王レウス」

「名乗られたからには名乗り返さねばならぬよな」

 

 竜に預けていた背を持ち直すようにし、外套を翻して声を上げる。

 

「マケドニア王国、建国王アイオテ」

 

 偉丈夫っぷりにレウスは納得をする。

 

 ああ、この男か。

 この男の血がミネルバやミシェイルの強さを作り上げる根源なのか。

 レウスは『言われてみればそれしかいない』と思えた。

 実に納得のできる立ち姿であったからだ。

 

「我が子孫が愛されていると聞いている

 それによってお前に手を抜いたり、この道を譲ってやることなどできぬが

 しかし、その思いの強さは知っている

 故にこれだけは伝えさせてもらおう」

 

 礼を取るアイオテ。

 

「感謝する、レウス

 そして、これから先のマケドニアと我が子孫らを頼んだ……無論、このアイオテを倒すことができたならば、だがな」

 

(通してくれ、なんて言えないよな

 ミシェイルやミネルバ、いや、マリアのことを考えれば譲らないところは絶対に譲らない

 それがマケドニア王族の血だ

 オレができることは)

 

 懐に収められている獣人の曲刀に手を伸ばす。

 

 刹那。

 

 巨大な音と共に落雷がレウスとアイオテの間に降り響く。

 

 レウスもアイオテも百戦錬磨の猛者。

 落雷一つで慄くような無様を見せることはない。

 

 大きな風が地上を舐めるように吹きすさぶ。

 

「待たれよ、大英雄アイオテ」

 

 そこに響く声はレウスにとって聞き覚えのあるものであった。

 

 ───────────────────────

 

 ゆっくりと高度を落とし、その男は現れた。

 大陸最強の竜騎士。

 旧マケドニア王国の王。

 膨大な予知を泳ぎきった不屈の存在。

 

 ミシェイルは竜から降りるとアイオテと対峙する。

 

「我が子孫ミシェイル、ここで来るか」

「ああ、偉大なる祖アイオテよ

 ここ以外にこの身が役立てられる場所はないと思ったのだ」

 

 グランサクスの雷を手に持った姿は狭間の地に立ったとして、他の英雄や半神に見劣りのしない姿である。

 

「アイオテ、貴方に一騎打ちを申し込む」

 

 小さく笑うアイオテ。

 

「それを待っていた」

 

 ───────────────────────

 

 アイオテはアインス、ツヴァイに並び、ドライと名付けられた存在である。

 だが、彼は他の二人とは異なり、目覚めて早々に植え付けられていた他の魂を屈服させ、

 ドライという複合的な存在からアイオテという一人の人格へと回帰した。

 

 体の一部はガトーに奪われているものの、代替する肉体の構成要素も質が悪いわけでもない。

 アイオテ自身に不足はなかったのもアイオテがアイオテであることができた理由だろう。

 健全な肉体に健全な魂は宿る、ということなのかもしれない。

 

 ガトーは驚きつつも、その精神力には見るべきところがあるとして聖域の守りを任せた。

 誤算があったとするなら彼の目覚めはアインスとツヴァイにも伝搬しており、

 彼ら二人が独自に動き出す原動力となったことだが。

 

 そもそもとしてマケドニアが竜騎士の国となったのは、

 アイオテと彼に従ったものたちはそもそも竜と精神的に繋がることができるためであり、

 言葉ではなく心で会話することができたからである。

 ミシェイルの時代ともなればそれを行えるものはいなくなってしまったが、

 それでも騎乗竜と心を通わせる精神性を持つのはどの国を見渡してもマケドニア人に勝るものはいない。

 

 そもそもとして、なぜ彼らが『そう』であるかと言えば、

 太古の時代に彼らは竜族と共にあり、その尖兵として武器を以て外敵との戦いに駆り出されていたからである。

 竜族を排斥したアカネイアとの確執も元を辿ればそれが原因であり、

 ミシェイルがナーガの神託とも言えるものを受け取っているのも血統と人種故でもある。

 

 とはいえ、人間など道具であると当時の高位の竜たちは考えていたのか、

 少なくともガトーはそのように扱っていたが故に、よもやマケドニアがそうした血を引いているとも思わず、つまりはナーガの声を聞けるとも思っていない。

 

 だが、アイオテは誰より近くでナーガやギムレーの声を聞いていた。

 その頼みを聞き入れていた。

 

 聖王が来たなら、彼を無事に聖域まで入れて欲しい。

 しかし、アイオテを認めつつも危険視したガトーは意識こそ奪わなかったものの、

 自らの意思とは関係なく聖域の守護を担うことを強制した。

 例えナーガの頼みであってもレウスを通すことができなかった。

 

 ナーガの頼みを聞いていたのはアイオテだけではなかった。

 その言葉をミシェイルも理解していたのだ。

 

 彼らは言葉を交わすことなく、状況を作り上げた。

 

 つまりは、一騎打ちを求めることで聖域の守りからアイオテを引き剥がそうとしたのだ。

 武器を構えないレウスと、恐るべき魔槍グランサクスの雷を振るうミシェイル。

 危険度はどちらが上か、語る必要もない。

 アイオテは聖域を守るために一騎打ちを受け入れる。

 

 二人は相棒へと跨ると、空へと駆けていく。

 

 怒涛の展開であるが、レウスもまたその事実は直感的に受け取っている。

 内容の細かいところまでは理解していなくとも、

 ミシェイルがアイオテを守りから引き剥がしたことを理解することは簡単だった。

 そして、子孫のことを語ったアイオテを見れば彼がその一騎打ちにあえて乗ったことも。

 

 レウスは聖域を睨むようにしてから、走る。

 もはや聖域の守り手は誰一人としていない。

 

 ───────────────────────

 

 空中では誰もが見たこともない、そしてこの後の歴史においても存在するかわからないほどの伯仲した戦いが行われている。

 

「見事な腕前だ、このアイオテが生きた時代でもお前ほどの腕前の竜騎士はいなかった」

「貴方を除いて、でしょう」

「当然」

 

 誰かがこの戦いを見ていれば、後世に永遠に継がれるほどの戦いであった。

 光が二つ、空に跳ねるようにして戦う。

 見るもの次第では二つの妖精が踊っているかのようでもあった。

 

 しかし、実際には誰もが理解できぬほどの高度な武芸の応酬がそこにある。

 

 ミシェイルは全てのしがらみを捨てて、今を望む。

 この戦いこそが使命の最後。

 そして、自らの全力を出すことができる相手との唯一の戦いであった。

 

 アイオテもまた、同じであった。

 全力と命を掛けた戦いははじめてではない。

 しかし、これほどの竜騎士と戦うのははじめてであったし、

 何も背負わずに戦うことの充足感で心が満たされたのもまたはじめてであった。

 

「楽しいな、我が子孫よ」

「ええ、これほどまでに楽しいことはありますまい」

「ずっと戦っていたい」

「同じ気持ちです」

 

 お互いの攻撃が竜の軌道と共に交差する。

 

「しかし」

「ですが」

 

 互いににらみ合う位置へ。

 

「終わらせねばならぬ」

「ええ、決着を付けねばなりません」

 

 互いに武器を構える。

 史上最高の竜騎士が時代を超えて衝突する。

 

 その決着は──

 

 ───────────────────────

 

 塔の内部は螺旋状に作られた階段を延々と登っていく構造である中央部分には部屋があり、そのどこもが研究用のものであったり、倉庫らしき用途であったりする。

 興味がないわけではないが、見ている暇もない。

 レウスは全速力で上へと登る。

 

 内心で何回登ればいいんだよ、だとか

 外から見た感じだと三、四十階近くあるんじゃないのか、だとか

 そのような愚痴ばかりが浮かんでくるも、口にしているのも惜しむ。

 理由は一つ。

 

 塔の内部に入ると明らかに上層部に力を感じるのだ。

 最も近いもので表現するのならば銀幕(ボス前)のようなものを。

 それがもたらすのは緊張感。

 何度も顔を合わせたものの、未知の敵であるには変わりないガトー。

 いや、あれほどに変貌したのであればはじめて会った相手というべきかもしれないが。

 

 だが、未知へと踏み出す緊張感はそう長くは持続しない。

 

 階層を数えるのも止めた頃、そこに行き着いた。

 この塔自体が空間として傾いでいるのか、外から見たよりも遥かに広い内部であったが、

 その階層はより大きく、広かった。

 

 そして、部屋の中央には男が立っていた。

 青い髪に、精悍な体つき、意思力の強い瞳。

 一言で言えば孤影の英傑。

 だが、それが英傑でないことをレウスは理解していた。

 外側をどう美しく取り繕おうと、その中身にあるのは魔王と呼ばれるにふさわしい存在であるのだから。

 

 ───────────────────────

 

「一人かよ、ガトー……いや、こういう相手にゃあこの呼び方がふさわしいか」

 

 レウスは対峙した相手へと指を向けて、名を告げる。

 

「魔王ガトー

 地上を犯し、滅ぼそうとするもの」

「地上を狂わせ、偽りの発展を与えた貴様とこのガトーがどちらが邪悪かを論ずるのか」

「そういうのを妄執っていうんじゃねえのか?」

「これが妄執かどうかは、貴様に定められるものではない」

「対話にならねえってのはよく理解できたぜ」

 

 巨大な剣……恐らくは擬剣ファルシオンであろうが、それはまるでガトーの持つその我執とも言うべきものに共鳴して育ったかのようでもあった。

 それを地面に突き立て、続ける。

 

「叩頭せよ、レウス」

「あ?」

「そうすれば慈悲を以て首を刎ねてやろう」

 

 片眉をあげて、言われたことを理解しようとし、

 

「魔王ガトーさんよ」

「なんだ」

「叩頭しろよ、そうしたら楽に殺してやる」

 

 そっくりそのまま返す。

 

「怒るなって、言ってきたのはそっちだし、

 なによりオレたちの戦いがそんな風に決着するわけもねえだろ?」

 

 嘲笑うではなく、真摯にガトーを見る。

 この男を好きになることはない。

 認めるところもありはしないし、容赦すべき点は一つもない。

 仮に自分自身がこの世界にやってきたから狂ったのだとしても、レウスにとって恥じ入るようなことはなにもなかった。

 

「ただ、一つだけ聞かせてくれよ」

「言ってみよ」

「どうしてマルスを自分で助けなかった」

「この世界に介入するのは誉れと神の視座を持つものとして──」

「誤魔化すなよ、ガトー」

 

 言葉を切られたことに睨みはすれど、それ以上はない。

 

「怖かったんだろ、世界に出るのが」

「ッ!」

 

 一瞬でガトーの激情が最大値まで沸騰する。

 一方のレウスは両手を広げるようにして続けた。

 

「ここにはオレとお前だけ、ここが……ここだけが世界だぜ!

 取り繕うなよ、ガトーッ!」

 

 ここだけが世界であれば恐れることもない。

 恥ずべきこともない。

 言葉も行動も全てを尽くして、その果てに決着を付けるべしとレウスは全身で表現をする。



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ガトーの黎明

「ようも吠えたなッ!レウスゥゥ!」

 

 怒りをむき出しにして剣を掴むと踏み込んでくる。

 その顔はコーネリアスのものではあるが、恐らくに生前に保っていた気品や気位のようなものは一切そこにはない。

 あるのはガトーの激情一つだけだ。

 

 相当の速さ、剣を操る筋力、いずれもが超が付く一流のもの。

 しかし、回避行動(ローリング)からの背後からの一撃の的だ。

 力も速さも超一流。

 それは間違いない。

 

 だが、狭間の地においてそれは『最低条件』でしかない。

 それを持っていて当然なのだ。

 

 最初の難敵であったツリーガードの力は超一流などと言えるレベルではない。

 破壊的、歩く攻城兵器、暴風煮こごり……とにかく表現はなんでもいい。

 ツリーガードと戦うのが一流であろうとそこに超がつこうと、そうした連中には勝つことなどできない。

 サイズ差、ウェイト差とはそういうものだ。

 正面から同じ力で立ち向かう相手ではない。

 

 であればツリーガードと比べれば概ね自分と同じサイズとウェイトであると言える坩堝の騎士であればどうか。

 先程述べた力と速さにおいてはガトーが上回るだろう。

 だが、坩堝の騎士には『受けて』、『返す』という鉄壁の戦術がある。

 しかも、尋常ならざる耐久から強引に泥沼の戦いに引き込んでくるだけではない。

 

 こちらの動きを見ての戦術潰し、距離を取ったなら遠距離から文字通り翔んできて攻撃、

 エグい形状の盾による持ち上げからの叩きつけ……必殺に至る技の豊富さが坩堝の騎士にはある。

 耐えて多彩な技を放つ騎士に比べてどうだ。

 ガトーは力と速さはあろう。しかし白兵戦に関して言えば狭間の騎士の一兵卒程度しか技術がない。何もかもが追いついていない。

 

 そうなれば、レウスにとって的もいいところである。

 ツリーガードのような物理的な大きさの差はない、坩堝の騎士のような多様さもない。

 

 背後に回り込み、斬りつける。

 回り込むと見せつけて近距離での殴る蹴る。

 回り込んだと思ったら一周してやっぱり斬りつける。

 

「コーネリアスってのは相当な武人だったって聞いているぜ

 それこそオレなんかと比べ物にならないほどなんじゃないのか?

 それにその力はどうしたよ

 見てわかるぜ、今のお前はツギハギなんだろ?

 強いやつをかき集めたアカネイア最強のグッドスタッフボディ(僕の考えた最強の肉体)ってわけだ

 でもオレに良いようにされてるのはどうしてだろうなあ」

 

 斬撃だけではない。

 矢継ぎ早に挑発を投げつける。

 

「黙れぇぇい!!」

「黙らせたいなら頑張って武器の一つでも叩き込んで見せろよ」

 

 怒りに任せた連続攻撃。

 いずれもが強力な一撃ではあっても、必殺ではない。

 必ず殺せないのであれば、もはやそれは必殺などではないのだ。

 

「貴様がぁぁぁ!」

 

 剣を振るう。

 まだまだ大振りだ。

 

「憎かった、憎ましかった!!」

 

 やや使い方に工夫が乗せられた。

 だが、未だ未熟。

 

「いいや!……妬ましかったのだ!!」

 

 踏み込みと切り払いに技。

 ローリングを必要とする程度には危険な一撃。

 

「貴様は全てを得ていった!

 その気になればマルスを助けることもできたはずだ!

 どのような方法かなど知らぬ!だが貴様であれば何かを思いつき、実行できるだけの何かがあった!!」

「知らねえよ!」

「知らぬだろうさ!」

 

 擬剣ファルシオンと獣人の曲刀が噛み合って鍔迫り合いの形となる。

 筋力においてガトーの肉体は大いに上回る。

 それでも技量や経験から来るものによって五分以上に渡るレウス。

 

「貴様も、贋作も、妬ましい!

 全てを持っていた、全てを!」

「全て全てうるせえ!

 全てってなんだ?

 何もかも持っているわけもねえだろうがッ!」

「いいや、持っている

 全てというものに名を与えるのであれば可能性、可能性こそが全てを生み出す種子」

「オレが持っていて、お前が持っていない?

 お前はそれを求めて実行しなかっただけだろうが」

「いいや、したさ!

 何度もあがいた!だが、……それは果たされることなどなかった!」

 

 ───────────────────────

 

 歴史にはかかれぬ場所、会話、そして時代。

 神竜王ナーガをはじめとして、メディウスやチェイニー、ガトーといった名も立場もあるものが並ぶ。

 

「竜族が滅びる……何を仰るのか、ナーガ」

「我らはこの世界そのものの安定をさせるためのもの、

 言うなれば世界が作り出した作用なのです」

「作用?

 何に対する作用だと仰る」

「人間たちを安定させるための、介添人」

「馬鹿な、人間など我らにとっての道具ではないか……

 そのように扱ってきたのではないか」

 

 竜族の滅びは度々ナーガが警告していたことであった。

 実際に理性を失う竜族は少なくない。

 その対症療法として竜の力を石に封じて、人間同然の姿で生きることを進めたのもまたナーガである。

 結果としてそれによって救われた竜族は少なくはないが、誇りを捨てろというのも同然の解決策に反発する竜族が多く、

 そしてそうした竜族の離反が彼らの種族をより減らしていく原因にもなっている。

 

「ガトー、それをやってたのはお前の派閥だけだよ

 俺たちまで含めるなよな」

「何を言うかチェイニー、貴様も含めて竜族の繁栄のために」

「それをしてくれと我らが望んだか」

 

 メディウスはつまらなさそうにガトーの言葉を返す。

 

「我らは我らの役目がある、それは人間にも同じことが言える

 それが補助であれ、そうでないのであれそこに優劣などない」

「……人間は危険だ、彼奴らの我欲は我らのみならず同種にすら向けられて、やがて滅びをもたらすのだぞ

 我らが保護してやらねば、いずれは自らを喰らう、いやさ、喰らい尽くすことになるのだ

 守ってやっているのだ、それの何が悪い!」

 

(ガトー、誰も悪いなんて言ってないよ

 悪いと言う言葉を出している時点でお前にも葛藤があるんだろう?)

 

 チェイニーは分析をするも、それを口に出せば火に油を濯ぐことになるだけなのを付き合いから理解しているからこそ、(つぐ)む。

 

「少なくとも、私はそう遠くないときのなかで滅びを迎えます

 その後のことはガトー、貴方に託しますよ

 どうか人間と手を取り合って、竜族として恥ずべきところのない行動を」

 

 ───────────────────────

 

 メディウスは地竜の封印を確かなものにするために去り、

 チェイニーもまた竜族であることを隠し、人間たちを見守るために旅をする。

 残された高位の竜族はガトーただ一人となった。

 

 ナーガが死んでどれほどの時間が流れたか。

 人間たちはガトーの予測通りの動きをした。

 同種を殺し、奪い、発展した文明は再び退化する。

 愚かな行いを続け、それがどれほど続いた後かは覚えてもいない。

 そんな時間のなかでガトーは一つの兆しを見た。

 

 一つの文明の終わり、

 それはこの世界ではない場所からの悲鳴であった。

 古き時代には『異界の門』と呼ばれるものがありそれによってこの世界ではない場所を行き来することができるものがいた。

 現在においてそれを行えるものはいないが、風化したそこから気配を感じた。

 

 その存在は死にかけていた。

 しかし、恐るべき再生能力……いや、もはや再生などという生易しいものではない。

 転生を自在に操るかのような力を持つ存在と知ったガトーは一つの計画を目論む。

 

 ナーガを蘇らせ、自分が予測した通り人間などこの程度であって、竜族こそが導いてやらねばならないのだと見せつけるのだ。

 やがて滅びる竜族の、その姿を石に封じて零落せよと言ったことも、

 人間たちに手伝わせれば解決策を得られるかもしれない。

 必要なのは共存ではなく使役。

 人間を上手く使うことで竜族は再び繁栄し、そして人間をより深く守ってやるのだ。

 

 ───────────────────────

 

 ガトーの目論見は失敗した。

 

 ガトーは不快であった。

 

 狭間の地から流れてきた竜、エルデの獣を利用してそれをナーガとする計画は外殻こそナーガのように作り直せたし、

 人格もまたナーガに似たものとすることもできた。

 しかし、それはナーガではない。

 作り出されたものもまたナーガではない認識を持つ。

 

 ガトーにとって最も不快なのは正しくそれであった。

 その偽物はナーガのように振る舞った。

 己をナーガと僭称し、あたかもナーガのような口ぶりでガトーを諭した。

 

 許せなかった。

 結局のところ、同じことを繰り返して言うだけのナーガも、贋作が上から目線で自分に言ってくることも、何もかもが。

 

「私は貴方の言う通り、贋作なのでしょう

 ナーガそのものではない

 けれど、ナーガが思うことが私が思うことでもある

 ガトー……どうか人間の可能性を信じてください、その寛容さはきっと貴方の可能性すらも開くはずですから」

 

 ナーガと何も変わらぬ、慈悲深い眼差し。声音。

 

「私を狭間の地より拾い上げてくれた貴方の慈悲心、寛容さによって私という可能性を手に入れた貴方だからこそ、

 自らの行いで可能性を費やさないで欲しいのです

 どうか、それを忘れないでください」

 

 ああ、自分はなんと愚かなことをしたのだ。

 ガトーはそれこそを、自らの行いこそを一番に呪っていた。

 

 何より敬愛したナーガを零落させたのは誰でもない自分なのだ。

 エルデの獣などという駄獣に意識を与えたのは誰でもない、このガトーなのだと。

 

 ───────────────────────

 

「可能性を持っていた貴様が妬ましい

 可能性を持たぬこの身が恨めしい

 だが、その解決策は見つけることができたのだ」

 

 一手、一手と重ねていくうちにガトーの技は鋭くなる。

 それがガトー本来の才能なのか、コーネリアスや他の肉体から引き出した知識や経験なのかまではレウスにはわからないことである。

 

「それがオレ、いや、オレが持つ……お前の言うところの全て

 つまりは律か!」

「そうだ!

 貴様は世界のありようすら変えうる、誰より強い可能性を持ってこの大陸に来た!

 人間たちの中では最も世界を変えうる力を持っていたマルスは死んだ

 それをこそ恨みはした

 しかし……それすらも変えうる力があったことを知った!」

 

 死したマルスを蘇らせる可能性。

 マルスそのものが持っていた可能性をも内包した可能性とも言える力。

 

 律。

 

 エルデの獣も持っていたそれはこの世界には存在しなかった現象であった。

 

 ナーガを生み直すことには失敗した。

 だが、贋作のナーガから知れたことは大きかった。

 知ったことこそが律。

 知ったことこそが可能性。

 

「それをよこせ、レウス

 貴様よりも遥かに有用に使ってみせようぞ」

「興味があるね、お前が何を律に願うのか」

 

 じりじりと互いに武器を構えた状態。

 剣を合わさずとも言葉の干戈はぶつけっている。

 

「この世界を循環させる」

「循環?」

「特定の時間と時間を繋ぎ合わせ、人間どもには永遠に同じ時間を彷徨ってもらうのだ」

 

 例えば、アンリが活躍した時代とマルスが活躍した時代を繰り返させるようなもの。

 時間が遡ったりするのではなく、特定のタイミングで強制的にリセットをかける。

 それが何らかの災害などを利用したものなのか、より理不尽にぱったりと人間たちだけもとに戻るのか。

 ガトーがどのようにそれを運用するのかはわからない。

 いや、それを聞いたところでレウスはそれに同意することはない以上は踏み入る気にもならなかった。

 

「そんなことをして何がしたいんだ?

 人間への罰のつもりか?」

「まさか」

 

 ガトーは小馬鹿にするようにしてから、続ける。

 

「循環させるのは人間どもだけよ

 その外側に我ら竜族は座して、我らは人間どもが作り上げる知識や技術を吸い上げ、

 我らの破滅を回避する術を探る

 律の力あらば我らが滅びる時間もまた引き伸ばせるであろうからな」

「面倒なことを

 始めから竜族の繁栄でも生存でも願えばいいじゃねえかよ」

 

 わからぬか、そう言いたげな表情を作るガトー。

 

「我ら竜族に次なる滅びが来たら?

 或いは、内側からではなく外側から何者かが楽園を侵すことをしてきたならどうだ?」

「そのために永遠に発展していくを望むってわけか

 ……うまくいくのかね」

「答えなどわからぬ

 誰もやったことのない試みであるからな

 それに必要があれば律を使い潰してやればよいだけだ

 贋作のナーガのようにな」

 

 自らの言葉を尽くしたと言いたげにガトーはレウスへと投げ返す。

 

「貴様こそ、何を望むのだ

 いや……むしろ、なぜ今すぐに……いや、この状況になる前に律を願わぬのだ」

「オレの願いはこの世界の有り様を変えるものじゃあないからさ」

「では、何を望む」

「オレの望みは──」

 



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救済

「それが望みなのか」

 

 ガトーはレウスのそれを聞くと少しの戸惑いのようなものを見せる。

 

「どう思う」

「……悔しいが……悔しいが竜族にとっては完璧な答えかもしれぬ

 だが」

「ああ、そうだな」

 

 お互いに武器を構え直す。

 

「それはそうとして、貴様は気に食わぬ!!」

「そいつに関しちゃ同意見だッ!」

 

 互いに踏み込み、剣が交差する。

 

 一対一の戦い。

 性能はガトーが上であったが、

 勝利を掴む能力においてはレウスが上回った。

 背と腹に致命的な一撃を受けたガトーは転がりながら階段近くへと向かう。

 

「まだだ、まだ終わらぬ……

 まだ、終われぬ!」

「往生際が悪ぃんだよッ!」

 

 レウスが止めを狙いに踏み込もうとしたときに、呼吸を見切ったガトーが手を向けて魔力を照射する。

 

「オーラッ!」

 

 光が爆発し、レウスだけでなくその周囲を破壊する。

 それらが晴れる頃には既にガトーは上階へと逃げていた。

 

 ───────────────────────

 

 スターライト・エクスプロージョンが使えなくなったのは痛手であった。

 コーネリアスをはじめとした肉体に使った部位が悪かったようで、

 ガトーの魂とアーシェラの臓器によって補填できるかと思っていたものの、

 彼が思っている以上にスターライト・エクスプロージョンは高度で、そして魔力を大いに必要とする魔法であり、

 つぎはぎの肉体では扱うことができなかったのだ。

 

 とはいえ、高い破壊力はあれどレウスとの戦いで役割があったかと言われれば、

 実際に剣を交えて理解できたが、恐らくはその隙を打たれるなり、あっさり回避されるなりの可能性は否定できない。

 

 だが、それでも今のようにオーラの代わりに発動できていれば床ごと落として階下へと叩き込めたりしたかもしれない。

 回避できないタイミングで発動できれば必殺の魔法として決まり手にできたかもしれない。

 だが、それを悔やんでも仕方がない。

 

 剣を扱った戦いでは勝てないことだけはわかった。

 

 ───────────────────────

 

「苦し紛れをモロに食らっちまったか……」

 

 欠損こそしなかったものの、受けた痛手はそれなり以上。

 持っていたきずぐすりを大量に消費し、ガトーの後を追う。

 上階へと進んでいったのは音でも判断できた。

 

 何段かを飛ばしながら上階へと突き進む。

 

「少しは時間稼ぎになったかと思ったが、

 ……いや、オーラで止められるのであればこれほどの状況にまで追い詰められてはおらぬか」

 

 ガトーらしくもない、弱音にも似た言葉。

 状況を見ればまさしく弱音も吐くようなこと、追い詰められているのはガトーであった。

 ナーガの後ろに立ち、盾にしているかのようでもある。

 実際に盾にしているわけではない、ただ、ナーガから魔力を奪い、その傷を癒やしているという意味では盾よりも扱いは酷いとも言えるが。

 

「おいおい、一応の主人じゃないのか」

「主人だと?

 ……ぬかせ!」

 

 ガトーは怒りや嫌悪感をありありと表情に浮かべる。

 

 ぐったりとしたナーガはレウスを見つめる。

 

「ガトーが回復し終わるまで睨み合いってわけか」

「私ごと斬っても構いませんよ」

「それこそ『ぬかせ』だ

 なんでアンタを斬らにゃならないんだよ、敵でもないただの被害者に向ける剣は持ち合わせちゃいない」

 

 レウスがガトーを見やる。

 何かしらの反応は返さない、回復に必死であるようにも見えるが、ナーガに対して実的なアクションを起こせば状況は変わるだろう。

 

(最悪な方向に変わる、と思ったほうがいいだろうな

 ……せめてこの状況から解放はしてやりたいんだが……)

 

「状況が動くまで時間はありそうだし、お話でもしようぜ」

「呑気ですね、聖王」

「休憩するんだから呑気くらいがちょうどいいだろう」

「とはいっても、何を話せばいいのでしょう」

「ナーガになければオレから話もいいか?」

 

 勿論、と頷く。

 たおやかな風ではあるが額には脂汗が浮かび、苦しんでいるのは傍目から見ても明らか。

 それでもやはり、してやれることはない。

 せめて気を紛らわせるくらいしかないのだ。

 

「ここから出たら何をしたい」

「ええと?」

「だから、こんなところから出たら、だよ

 オレはアンタを生かしてここから出すつもりだ」

「なぜ……?」

「まったく同じではないにしろ、同郷の存在なんだろ

 そのよしみさ

 まあ、勿論外見が好みの範疇だからってのも隠して置けない事情ではあるがね」

 

 わははと笑うレウスに引かれるようにナーガも小さく笑う。

 

「アリティアには足を運んでみたいとは思います

 かつての時代よりも遥かに発展しているのでしょう」

「ああ、ものすげえ発展してるぜ

 土地が足りねえ足りねえってリーザが毎日ぼやいてるくらいにな」

「それは是非……く……ぅ……」

 

 苦しそうな表情にガトーを責め立てたくもなるが、そうなればやはり台無しになる。

 彼女もそれを理解しているからか、会話を続けようとするも苦しみが勝り、進めることができない。

 

「お願いが、あるのです」

「なんでも言ってみな、神様じゃないから聞くだけになるかもしれねえけど」

 

 ありがとうございます、と絶え絶えの息の中で礼を述べ、続ける。

 

「彼を……ガトーの命を助けてはいただけませんか?」

「なにを」

 

 そう言ったのはレウスであったが、「何を言っているんだ」という表情はガトーも浮かべている。

 

「彼は人界にとって取り返しのつかないことを多くした、それは理解しています

 けれど……その多くは竜族のためであったはずです

 そして竜族を救えなかった咎があるのならば彼ではなく、このナーガにあって然るべき

 そうではありませんか?」

 

 違うだろう、レウスはそう否定しようとするも、それよりも早く、

「ふざけるなよ、贋作がッ!!」

 ガトーの怒号が飛ぶ。

 

 魔力を吸って傷を癒やすことも止めたのだろう。

 或いは激情によってそれどころではなくなったのか。

 

「貴様に慈悲を掛けられる故などあるものかッ!」

「……ええ、そうですね

 けれど私は貴方を思っているのです

 大切な同胞、家族として」

 

 ガトーはぴたりと動きを止めた。

 その言葉、その態度、それらだけではない。

 魂の奥深いところで贋作だと罵り続けた彼女から本当のナーガを見てしまった。

 

 蘇らせようとしていたものが、

 見返してやろうとしていたものが、

 

 心から尊敬し、愛し、守り続けたいと願っていた存在が、

 

 最初からそこに在ったことにガトーは漸くにして気がついた。

 

 気がついてしまった。

 

 ───────────────────────

 

 いいや。

 違う。

 

 この女は、この贋作は、ナーガではない。

 ナーガであるはずがない。

 

 最初からここに在ったのがナーガであるはずがない。

 

 チェイニーのように壁を作っているわけではない。

 メディウスのように見下しているわけではない。

 いつだって贋作のナーガと蔑んできたこの女は、この女だけは優しく諭していた。

 

 ……いいや、それだけは認めることなどできない。

 

「贋作のナーガよ、わしを助けたいなどと……どうして言えるのだ」

「家族だから

 けれど、それ以外に理由があるとするなら、ずっと貴方は一人で戦ってきた

 耐えて耐えて、得ることも認められることもなく戦い続けた

 多くを犠牲にして、自らの心を固く縛り付けて……そのように苦しむ貴方を解放したい

 その願いを持つことが不思議なことですか?」

 

 ふざけるな。

 それは貴様のためにやったわけではない。

 ……だが、であれば誰のために?

 ナーガのためにやってきたのは事実だというのに、本物のナーガが目の前にいたというのに、

 それ以外の誰のためにと言えるのだ。

 

 いいや。

 違う。

 

 この女は、この贋作は、ナーガではない。

 ナーガであるはずがない。

 

 問いかければわかることだ。

 

「解放してやろう」

 

 首を掴み、レウスの方へと転がす。

 レウスは彼女が床に叩きつけられぬように抱き収め、ナーガは小さく感謝を述べてから立ち上がる。

 

「ここから去るがいい」

 

 毒気を抜かれたような表情のレウス。

 ナーガはそうした表情をせず、じつとこちらを見ている。

 

 そして、一歩近づいた。

 何故だ。

 何故逃げぬのだ。

 

「貴方とともに在りたいのです、ガトー

 以前の私は消えてしまった

 けれど、こうして貴方の前へと戻ってこれた

 貴方が私を支えてくれたように、次は貴方を私が支えましょう」

 

 ああ。

 何の見返りも求めず、何の恐れもなく、ただ一つの善において、ただ一種の徳において、

 ナーガであることを全うしようとする純粋な存在。

 この女がナーガ以外の何者でもないことを。

 

 ああ。

 わかってしまった。

 否定のしようがなくなってしまった。

 数多の戦い、数多の実験、数多の流血、数多の罪過。

 人間を支配し直し、その後に循環するための律を整え、竜族の世界とする。

 その根底にあるのはどこまでいっても自分ではなく、ナーガのためであったことを。

 否定できなくなってしまった。

 

「ナーガ、わしは」

 

 手を取れば、きっとナーガはこの身も心も、或いは魂すら救い給うだろう。

 そっと手を伸ばす。

 ナーガも応じるようにこちらへと手を向ける。

 

 救いがそこにある。

 

 ガトーは剣を落とし、救いの手を取った。

 



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黄昏

 ガトーの手はナーガの手を取り、彼女を抱き寄せる。

 

 そして、もう片方の手でナーガの細い体を刺し貫いた。

 

「ごほっ……が、ガトー……?」

 

「認められるか

 認められるものかッ!!

 であればわしはなんの為に動いてきた!なんのために多くを犠牲にした!

 ナーガ!!貴様は贋作だ、贋作でなければならないのだ!!

 本物などもういなくていい、もうどこに在らずともよいッッ!!」

 

 腕を引き抜くと、心臓の代わりとして働いていた竜石が血に濡れながら淡く光っている。

 

「ガ、トー……」

 

 たたらを踏んで再びレウスへと倒れ込む。

 今度こそ、彼女はもう立ち上がれない。

 

 ガトーは哄笑を上げながらナーガの竜石を飲み込んだ。

 

「もはや、もはや救いなどない!

 そうなれば黄金律もいらぬ!

 何も、何も要らぬ!!

 わしが間違っていたことも、その何もかもを消し去って、終わりになればいいッ!!」

 

 ガトーの体がひび割れ、皮膚が断裂し、そこからまるでだまし絵のように入るはずもない巨大な腕が伸びる。

 白い鱗に覆われた腕は一つ、或いは一揃いではなかった。

 まるで天に救いを求める群衆の腕のように幾本も、不揃いな大きさと不均衡の数が伸びる。

 その巨体に耐えかねて塔が崩れる。

 

 レウスは呆気としていたが、状況の不味さに舌打ちをするも抱き抱えられたナーガがレウスを抱き返すようにして崩れる中へと落ちる。

 ナーガの背から白い翼が伸び、

 しかし飛ぶほどの力はないのか、落下速度を抑えるようにして地上へと降りていく。

 

「ごめんなさい、ご迷惑をおかけして」

「いいさ

 むしろアンタがナーガであるって確信できたことのほうが大きかった

 皆が崇める存在が、それに見合う尊さを持つってわかったからな」

「余裕のある人ですね、本当に」

 

 塔は完全に崩落しきり、不揃いの翼と腕と足を持ち、しかし不揃いでも不均一でもない唯一の頭が咆哮を上げる。

 そこにもはや理性の欠片も感じない。

 それは獣であった。

 それはアカネイア全ての罪を背負う怪物だった。

 

「アカネイアの獣ってか、ガトーさんよ」

「私と同じ場所から来た人、どうか」

「ああ、オレと同じ場所から来て、しかしこの土地の神と一つになったものよ

 アンタの願いはわかっている

 だからそう、悲しそうな表情をするなよ

 必ず望むように……必ずあの獣を討ち倒してやる」

「ありがとう、ございます」

 

 ───────────────────────

 

 アカネイアの獣が覚醒めたとき、各地では死者の復活が活発となった。

 人間だけではない。

 家畜や野生の動物までもが蘇り、一様にアリティアに与する全てに対して敵対的な意思を見せた。

 

 ナーガの持っていた黄金律の力のみではない。

 ガトーはその我執と、そして古き竜族の魂、数多の魔道の知識を捧げることで全く新しい律を作り出そうとしていた。

 ただ、最早獣と落ちたガトーには律を制御し、形作る力はない。

 垂れ流すレウスとアリティアへの憎悪がただ彼らを殺し尽くすために無造作に力をばらまいた結果、肉を持っていたものたちを使役しているのだ。

 

 しかし、それは万能ではない。

 むしろ無意識的に作り出した軍勢は脆弱性を多く持っていた。

 だからこそ、

 

「音を出せ!」

「声を出せ!」

「我らの舞姫に全てを捧げよ!」

 

 信徒たちが奏でる楽曲だけではない。

 戦う力すら持たないすら楽器を片手に、

 楽器すらないものはそこらの金属片などを持ち出して壮大に音を出す。

 声を張れるものは歌を唄う。

 

 その中心でフィーナが舞う。

 手を一つ伸ばすたび、その方向に存在する亡者たちが消え去る。

 足を一つ伸ばすたび、その方向であがく亡者たちが消え去る。

 

 アカネイアの獣によって律の力は生み出された。

 しかし、ガトーの意識が薄弱である以上、それは無意識的に力を発散し続けるものでしかない。

 その一方で、アカネイアの大地に根付く人々の願いをフィーナという一人の人間に注がれることで持ち主なき律へと触れている。

 願われることはたった一つ。

 

 平穏あれ。

 

 その願いは舞によって制御され、ひとさし舞う度に同じく律によって生み出されたものたちが消えていく。

 

 地上の優勢は確実にアリティア聖王国へと寄っていった。

 

 ───────────────────────

 

「ガトー、落ちた……いや、上り詰めたのか」

 

 目視できる距離ではない。

 しかしロプトウスは古き竜族としての繋がりによってか、肉眼で見ているかのように状況を理解していた。

 

 人の世に混じる生き方を選んだ竜教団が本尊であるロプトウスからすれば、それは落ちたるものとして扱うべき存在となった。

 

 しかし、暗黒神とまで呼ばれたロプトウスとして、今のガトーの有り様は自分よりもより『神』そのものに近い存在となっていた。

 それはバレンシアに送られたドーマやミラのように神と呼ばれたものよりも、

 神竜王として神そのものとして扱われるナーガよりも、より神と呼ぶにふさわしい存在となっていた。

 それを羨ましいとも思っていた。

 至ろうとして、至れなかった階梯にガトーは上り詰めたのだから。

 

「だが、お前は神としては崇められることはない」

 

 ───────────────────────

 

「まるで我らが故郷の」

「かつて信仰されていたものにも等しい存在か」

 

 マリケスとラニが映し出されたガトーのなれ果て、神とも呼ぶに相応しいそれを見て感想を呟く。

 

「神とは人の身よりも離れるほどに強くなるものなのかも知れぬ、だが」

 

 マルギットは唾棄するように、

「いささか醜悪がすぎる」

 そう切り捨てた。

 

「けれど、あの魔道士は愚かな選択肢をしたと言える」

 

 メリナに一同は同意する。

 

「愚かなことをしたわ、彼は

 憎悪した相手はこの世界の、──狭間の地においてすら誰よりも神を、それに連なるものたちを討ち倒してきた人間だというのに」

 

 ガトーはアカネイアの獣という名の神となった。

 それはむしろ、運命的な死を自ら受け入れるようなものではないかと円卓の一同は言う。

 

 ───────────────────────

 

 大木に背を預け、竜とともに痛みが引くのを待つミシェイル。

 勝利はした。

 しかし、あの巨大な怪物に挑む余力は残されていなかった。

 

「……父祖は討ち倒した、あとはそちらの仕事だ

 妹たちの未来のために得るべきことは一つ

 託したぞ、聖王」

 

 ミシェイルはレウスの勝利であれ、世界の崩壊であれ、それを受け入れるつもりであった。

 だからこそ遠い場所で行われる戦いであっても、鷹の目のような視力でそれを見る。

 自分にできるのは戦いを見届けることだけだ。

 

 ───────────────────────

 

「カチュア、何か知っているか」

 

 ミネルバは遠い戦場にありながらも、変異に気がついていた。

 その後に亡者たちが活発にもなるのだが、その前に直感したのは正しくレウスとの繋がりというほかない。

 

「いえ、ですが」

「なんだ?

 ……お前が私も理解できぬほどの旅をしたことは何となく察することはできる、だから何を言ってもおかしなことだとは思わないから、

 思ったことを口にして欲しい」

 

 一拍置いたのちに、では、と言葉を紡ぎ始めるカチュア。

 

「この気配は神と呼ばれるもののそれに近いのです」

「神?」

「私が一時期、共にあることを許されたそこでお会いした方々は半神と呼ばれておりました

 文字通り、神の如き力を持ちながら人の心を持ち合わせた優しい方々です」

 

 ボアとの戦いで見た、あの圧倒的な力の渦中にあったもの。

 間近で見れたわけでは無いが、戦果を考えればまさしく神の怒りに触れた結果と言えばそのとおりであった。

 

「心を持ち合わせているかはさておいて、あの場に渦巻くのはその神々と同質のものだと?」

「はい、きっとあそこでレウス様も戦っているのです」

「……ああ、それは私にもわかる

 そして──」

「はい、きっとあの方が勝つことも」

 

 二人は理解していると、同時に言って互いに微笑んだ。

 



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ファルシオン

 レウスは踏み込んだ。

 これほどの大きさを持つものは戦ったことがない。

 最も近い大きさで言えば、大老竜グレイオールだろうか。

 だが、それよりも更に大きい。

 それに、活発に動いている。

 

 まるで急速に菌糸を伸ばす菌類か、ナマコが吐き出すキュビエ器官のようにしてレウスへと躍りかかる。

 獣人の曲刀が閃きそれらを寸断して近付く。

 

 全力で技を振るうが、まるで手応えがない。

 切れてはいる。

 だが、あまりにも大きすぎて薄皮を破った程度か、もしかしたならそれ以下でしかない。

 

「███████████――――ッッ!!」

 

 空間を揺らすような咆哮を上げて身動ぎするアカネイアの獣。

 少し当たっただけだと言うのにまるで夜の騎兵に突撃されたかのような勢いで吹き飛ばされた。

 

「おいおい、流石に冗談が過ぎるぜ、ガトーさんよ……」

 

 諦めるわけではないが、大きさが違いすぎる。

 ただの武器では勝ち様がない。

 

「……やるべき選択肢は一つ、か?」

 

 自分の手のひらを見やる。

 集中するとちらちらと黒と赤の火の粉が舞う。

 

 死のルーン。

 全てに終わりをもたらす力。

 

 ただ、その制御を間違えれば南オレルアンでの出来事がアカネイア大陸全てに起り得る。

 自分一人で背負うには大きすぎる力であった。

 

「いいや、狭間の地じゃあ殆ど独りだったろうに

 今更弱気になってどうする、オレ」

 

 自らを鼓舞し、集中しようとする。

 そのときであった。

 手がから死のルーンとは別種の光が漏れ始める。

 それは柔らかく、美しい黄金の輝きであった。

 

 狭間のマルスが触れた掌。

 現れたのは狭間の地で見た仲間を呼ぶためのもの──サインであった。

 

 ───────────────────────

 

 マルスはサインをサインと認識して描いたわけではなかった。

 ただ、それは一種の祈りである。

 どうか無事に戻ってきてほしいという、愛する人を思う心である。

 

 ただ、常と異なることがあるとするならマルスは普通の人間ではなく、紋章士でもある。

 半人半霊とも言える彼女は指輪で他の紋章士を呼び出すように、レウスへと祝福が届くことを祈った。

 

 レウスはサインに触れる。

 それは掌から溢れ出る光から、指向性を伴う大きなものへと代わり、やがて一振りの剣となった。

 

「ファルシオン……!」

 

 それは神剣と呼ばれる一振り。

 かつてここではないアカネイアにおいてレウスの傍らにて力を振るった力。

 最後には主の手に戻り、悪逆を討ち倒したる救世主の証。

 

「ああ、そうだな

 ここでも一緒に戦おうぜ」

 

 それはマルスへの言葉でもあり、ファルシオンへの祈りでもあった。

 

 ファルシオンが備えるのは不壊だけではない。

 神が人間や世界を侵さんとするものを破る力と、癒やしの力を備えさせている。

 レウスは軽やかに敵へと踏み出す。

 襲いかかるアカネイアの獣の防衛本能とも言うべき攻撃。

 ファルシオンを一振りするとそれらは煙にでもなったかのように散る。

 

 振るわれた刃から燐光が漏れる。

 その燐光が刃を形成し、長大な、それこそ巨大な竜の腕や足すら寸断できるほどの長さとなって道を切り開いた。

 

「大蛇狩りみてえだなあ!頼りになるぜ、ファルシオンさんよぉ!」

 

 期待に弾む声にまるでファルシオンが気をよくしたかのように燐光を発する。

 

 一振りするごとに獣の手足は、菌肢がかき消える。

 叫びを上げるのは人とも獣とも取れない、不気味な顔を持つに至ったそれ。

 

「█████ッ!!!」

 

 次々と生み出される腕を足場として、懐へと踏み込んでいく。

 何かを守ろうと腕が壁となる。

 人間の頃は胸であった部位。

 守っているのは心臓か。

 であれば、ここを断ち割れば終わりになる、そう考えてレウスは更に加速し剣を構えた。

 

 光とともに振り下ろそうとした瞬間、胸が観音開きの扉のように開くとコーネリアスなどの肉体を素材としたガトーが現れ、剣を振るう。

 ただ、そこに自我のようなものは感じず、ただ肉体がそこに残っていただけなのか、

 それともトラップのためにここに備えていたのかまではわからない。

 

「性格が悪ィぞ、クソがッ!」

 

 少なくともレウスはそれをトラップと捉え、悪態を吐きつつ一撃を防ぐが、攻勢が止まったのを感知した獣の数多ある菌肢が躍りかかる。

 

 そのいずれもをギリギリのところで防ぎ、地上へと着地する。

 遥か上に存在する顔の部分がレウスを睥睨して、そして笑った。

 

 半端なものではなく、圧倒的な手数であればこの男を倒せうる。

 

 そう判断されたのをレウスは理解する。

 悪態を重ねたい気持ちはあったが、それよりも早く獣が行動を起こした。

 次々と体から腕を作り上げ、それをレウスへの攻撃として叩き込む。

 増えすぎて腕がまるで壁のようになって地を叩き、空で払い、防いだレウスに対してこれでもかと殴り掛かる。

 

 レウスとてそれらを防ぎ、或いは切り返すも手数が足りない。

 

「どうした レウス

 そんな ものか」

 

 空からの声。

 見上げれば竜が笑う。

 老人であったガトーにも似た顔つきのそれは明らかに嘲りと、満足感を以て言葉を投げかけた。

 

「わしは 得たぞ

 貴様と 同じ 律を

 我が 裡にて 確かな鼓動を 感じている

 これによって 増える わしは 幾つにも増やせる わしは無限

 もはや 誰も要らぬ わしだけが わしだけが わしだけが」

「哀れだぜ、ガトー」

「なにを なにを なにを言うか

 わしに勝てぬ 勝てぬ貴様が 何を言おうと 遠吠え 遠吠え 遠吠えに過ぎぬ」

「この世界をオレという侵略者から守るだのなんだのと言ったのは建前だったのか?

 オグマをはじめ、多くの連中を犠牲にしてまでやりたかったことが、ただ増えて自分だけの世界にしたいだと?」

 

 ふざけるなよ、と呟く。

 それは確かな怒りに満ちたもの。

 獣もそれに気がついたのか身を硬くする。

 恐怖ではなく、臨戦態勢を取ったのだ。

 

「せめて最後まで魔王らしくいてもらいたいもんだな」

「吠えろ 吠えろ 負け犬め

 貴様は 勝てぬ どうあっても 勝てぬ」

 

 腕が幾つも眼前に現れ、臨戦態勢を取る。

 レウスもまたファルシオンを構え、臨戦態勢を取る。

 

「そんなに負けるのが怖いのか?」

 

 相手の言葉を掴んで、そのまま返すようにして言う。

 それが再開の合図となった。

 

 ───────────────────────

 

 派手に吹き飛ばされて、木々を幾つもクッションにして、止まる。

 全身は痛むが、それもファルシオンを握り込めばすぐに消える。

 傷もたちどころに塞がる。

 

「悪いなあ、そっちは飽き飽きかもしれねえけど、こっちはまだまだ元気でよお」

 

 だが、埒が開くことはない。

 このまま戦っても解決策がない。

 

(使えるものはなんでも使うしかねえ)

 

 懐に手を入れる。

 トレントを呼んでアスレチックで駆け上って頭をかち割りに行く。

 速度があれば手数の代用にはなるかもしれない。

 偶像を呼んで火力支援させる。

 だが、あの腕をなんとかできるだけの火力が出るかどうか。

 仮に出たとしても数が違いすぎる。

 偶像とは言えマリアとチキの姿をしたものが嬲られるのはあまり見たくはない。

 

 再び選択肢に上がるのは死のルーン。

 ファルシオンがあるのならばそれほど大規模なものにしなくても済むかもしれない。

 だが、リスクが大きすぎるのには変わらない。

 

(どっちの精魂が先に尽き果てるかのレースが一番手堅いのかねえ)

 

 覚悟を決めてしまえば耐えることはできる。

 伊達にマルギットやマリケスに数えるのも馬鹿らしいほどに敗北しては立ち上がったこの身だ。

 

 円卓に頼るのは全ての根気が売り切れたときだ。

 簡単にあいつらに頼るわけにはいかない。

 もう十分に頼らせてもらったのだから、もう簡単には泣きつきたくない。

 

 ───────────────────────

 

「本当に強情な奴」

 

 メリナがため息混じりに言う。

 

「心配か」

「別に、心配じゃあないけれど

 強情っぱりのあいつにちょっと苛立っただけ」

 

 その言葉にマルギットとマリケスが見合わせて小さく笑う。

 今すぐにでも短刀を掴んでカチコミに行きたい。

 相棒が無闇やたらに傷つく姿は見たくない。

 それが伝わってくるからだ。

 

「よし」

 

 不意にラニの声。

 

「どうしました、魔女殿」

「うむ、我慢ならぬ

 我が王をいたぶる不敬な魔道士を叩き潰しに往く」

 

 いつのまに作ったのか、四本の暗月の大剣をそれぞれの手に持ったラニがあたかもちょっと散歩に行ってくるというノリで言う。

 大仰な言い方もしないところから相当の怒りを持っていることがわかる。

 

「そうね、強引にでも渡ってしまうのも手かしら」

 

 メリナも立ち上がる。

 マリケスが二人を止めようとしたとき、

 

「状況が動きそうだ、それを見てからでも遅くはあるまい」

 

 マルギットが言葉によって行動を制した。

 

 ───────────────────────

 

 懐の鈴が小さく震えている。

 鳴らせ、と言いたげに。

 それは円卓のものではなかった。では、誰の遺志がそこにあるのか。

 

 レウスはそっとそれを手に取り、振る。

 

 りぃりぃん。

 

 瀟洒な音が響く。

 

 周囲に霧が集まり、やがて一つの姿を作り出した。

 

 ナーガ。

 かき消えた彼女の残留思念か、それとも魔力の残り香か。

 彼女は一つの方角を指し示す。

 そこは彼女が消えた場所であった。

 レウスが何があるのだと聞こうとすると、ナーガは残った力をも使い果たし消える。

 

 木々がなぎ倒される音が響く。

 アカネイアのけものが再び攻勢に出たのだ。

 

 レウスは急ぎ指し示された方角へと走り出す。

 再び鈴が震える。

 ここに何があるのか、それを考えている場合ではない。

 促されたとおりに鈴を鳴らす。

 

 りぃりぃん、りぃりぃん。

 

 音が響く。

 何もないはずの場所に、一つの霊姿か、それとも遺志か。

 そこにはもう一振りの、このアカネイアのファルシオンが形作られた。

 

「頼むばかりじゃあ気が引ける、か?」

 

 空いている手にファルシオンを掴む。

 

「それじゃあ、お前も一緒に戦おう

 ナーガ」

 

 二振りのファルシオンを携えた聖王が、遠い距離になったアカネイアの獣へと向き直る。

 

「さあ、行こうぜ」

 



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褪人の紋章

 それが自然な姿であったかのように。

 オレは剣を振るっていた。

 

 マルスのファルシオンとナーガのファルシオン。

 その二つは莫大な力を以て、オレを支えた。

 

 数多だと感じていた獣の腕が作り出す壁のような攻勢も、

 二振りのファルシオンの前では銀幕の代わりにすらなり得なかった。

 

 その巨体のそこかしこを足場にしてオレは上へ上へと進む。

 先程、胸が開いて驚かされた『なれ果てのガトーの器』が襲いかかる。

 

「その肉体の使い方、惜しかったと思うぜ

 同じファルシオンの使い手(コーネリアス)ならいい勝負になったかもしれねえからよ」

 

 だが、その器には魂も、意思もない。

 そして、コーネリアスの遺志もまたそこには介在しない。

 菌肢と変わりはしない。

 

 容赦も、気を向けることもない。

 通りがかり様に剣を振るって両断する。

 

 更に駆け上り、ついには空を仰ぐ獣の顔へと辿り着いた。

 鎌首をもたげるようにして自らの上に立つオレを睨む獣。

 

 今更振り落とそうとはしないだろう。どうあれ、今のオレにそんなことが通用もしない。

 二振りのファルシオンは絶え間なくオレに力を与えている、それは身体能力や各種の感覚にも伝わっており、今のオレのバランス感覚は細い糸の上に立っても、それを揺らされても転がり落ちることはないだろう自信があった。

 

「言いたいことはあるか?

 オレはあるぜ」

 

 だから、あるならば先にお前が言えとオレは言外に含める。

 

「今更 貴様と わしの 間に語ることなど」

 

 人語を発する器官がない中で強引に喋っているのか、

 喉が唸るような、ごろろという音とともに言葉が発せられる。

 

「故に 貴様の 言いたいこととやら それを 聞こう」

 

 寛大さではない。

 オレにはわかる。

 

 こいつはこいつで新しい肉体の機能に慣れるために必死に時間稼ぎをしたいのだろう。

 だが、オレはオレで言わないとならないことがある。

 

 稀人。

 異世界から渡ってきたオレは曲がりなりにもこの世界の守護者たらんとしたこの男に言い放つべきことが。

 

「お前の守った世界はオレに譲ってもらう」

「わしの 代わりに 管理をする

 そういう ことか?」

「お前は管理をしてたのか?」

 

 嘲笑うではない。

 ただ、この男にとっての管理とはなにかの、素朴な疑問だ。

 

「していた とも

 だが 多くの場合は 手を出す必要はない

 人同士の争いなど 戦乱など 人間の 営みの 一部に過ぎぬ」

 

 ある種、神らしい目線ではあるわけだ。

 人様の生活にあれこれと口を出す神など、確かに煩わしいだけだ。

 そうしたいのであれば、人の世に混じり、王になるなり魔女になるなりするべきであって、

 大上段から言われたくはないのが人間というもの。

 

 もしかしたなら、そのことをガトーは理解していたのかもしれない。

 だからこそ営みに任せるを管理としたのか。

 ……いや、違うな。

 それはナーガの思考だ。ガトーはそれをなぞったに過ぎない。

 

「だが、異界から現れたオレは看過できなかった

 手を入れるではなく、しかしこの世界を管理していたお前が」

「その 影響こそを 看過 できなかったのだ

 それが例えば マルスの死であったり

 無論 お前が理由ではない 根源で言えば ナーガの死と贋作の登場が 始まりであった」

「なのに、なぜ今までお前はナーガを生かしていた?

 ……本当はお前も贋作などとは思っていなかったんじゃないのか?」

「……」

「ならば、何故そのナーガを」

 

 ファルシオンを少し力を込め、握り込む。

 

「彼女を殺した?」

「……貴様との 因縁も ここで 終わりだ」

 

 睥睨するようにガトーは首を動かし、しかし、その瞳は憐憫の色に染まっているようにもレウスには見えた。

 

「だからこそ それに答えよう」

 

 その憐憫がガトー自身に向いているものかまでは理解できない。

 

「わしは 妬んだのだ 貴様を

 あのナーガと共に 同じ場所に 律という共通点を持つ貴様を」

「……おいおい、それじゃあお前……」

「人間的な感情を 持ったことがない

 だからこそ それが 幼稚な感情であることに 気がつくのには時間がかかった」

 

 吐息を漏らすようにしてガトーは続ける。

 

「愚かなことだ

 だが それとは別に マルスという 一つ時代を作り出すための 要素を 破壊する直因となった 貴様を 殺さねば世界への影響はより大きくなるとして

 殺さんとしたのは それはそれとして わしの 行動の最大の理由だ」

 

 その感情ともっと早く折り合いをつけていれば。

 或いは、オレがそいつに気がついて折り合う姿勢を早期に見せていたら……、などというのは考えても仕方ないことだ。

 きっと、最終的にはオレたちは敵対している。

 

 それだけはどうしたって理解できる。

 オレもガトーも、オレやガトーが嫌いなのだ。

 

「そして、オレの影響を大いに受けたこの大地を掃除するために戦いを始めている」

「そうだ

 だからこそ ここで 我らで争い 決着するべし

 地竜と死者で溢れて滅ぶ世界など 貴様は 見たくもあるまい」

「お前は見たいのか?」

 

 沈黙が少しだけの時間を支配する。

 区切りをつけたかのようにガトーは言葉を紡いだ。

 

「わしが 見たいのは 貴様と 貴様に従ったものたちの骸のみよ」

「そうかい」

 

 聞きたいことは終わりだ。

 あとオレが言うべきことは一つ。

 

 こいつへの別れの言葉だけ。

 それを吐くのは今じゃなくたっていい。

 

 ───────────────────────

 

 レウスが二振りのファルシオンを構える。

 ガトーが牙を剥く。

 

 互いに語るべきことは多くはなかった。

 思いあった仲でもない。

 かつて友情を育んだわけでもない。

 遭難者(レウス)傍観者(ガトー)

 

 ただ、今は大陸の未来の決定権を奪い合う。

 

 先に動いたのはガトーだった。

 もはや人間の考える美的感覚からは離れ、動作と有利だけを考えた超越者の取った菌肢。

 牙を剥いて襲いかかるのと同時に、そしてそれよりも早くガトーの首から小さなガトーの首が生えてはレウスへと突き進む。

 まるでそれは寄生された生物が芽を出したかのように。

 

「マルスッ!」

 

 レウスが片腕でファルシオンを振るう。

 それは光を伴った長大な非実態の刀身によって、幾つものガトーの首が一太刀で幾つも吹き飛ぶ。

 だが、本体たるガトーの首が襲いかかる前に更に増えた首首が諦めることなく、そして間断なくレウスに突撃した。

 

「ナーガッ!」

 

 同じように光が刀身から溢れ、それらを再び一振りで消し去る。

 

 ファルシオンの持ち主の名と共に振られる攻撃によって小手先の飽和攻撃は無意味。

 目的のその場での捕捉や回避不能な状況を作る小さきガトーの攻撃は、

 どちらにせよレウスが回避をしないという姿勢である以上意味を持たないとガトーは見る。

 

 必殺の意思を込めて喰らいつかんと迫るが、

 

「ファルシオンッ、力を見せろォッ!!」

 

 光が伸び、恐るべき破壊力を伴ってガトーを粉砕する。

 それは首だけではなく、その胴体も、全てをもろともに破壊した。

 

 土埃と血煙と、ファルシオンから溢れ出た光の粒子が周囲を隠す。

 

 刹那。

 ぐわ、と煙が霧散する。

 

「レウスゥゥゥゥッ!!」

 

 雄叫びを上げながらガトーが現れる。

 それは本来の肉体のそれであった。

 

 神となったガトーであっても、その肉体を密かに作り直していたのは未練か。

 それとも、ガトーとしてレウスを討つための彼なりの意地であったのか。

 

(時間稼ぎしていたのはこの肉体を構築しなおすためか?)

 

 あり得る話だ、とレウスは内心で小さく笑った。

 

(最期の最後まで、お前はなにかに隠れて勝利を伺う

 ブレねえところが同族嫌悪の根源だったのかもな、ガトー)

 

「スタァァァァライトォォォ……」

 

 魔力が収束する。

 持ち得る魔力も膂力も先程の竜の姿を取っていたものと遜色ない。

 いや、今のガトーは魂すらも燃焼させ、レウスとの相打ちだけを狙ったもの。

 出力だけで人の姿を持った頃とも、そして神となったガトーすらも比にならない。

 

 剣でも、牙でも勝てないならば、自らが永き時間をかけて研鑽したもので勝負をする。

 最後の勝負を。

 

 一方でレウスもまた、最大の攻撃で応じるために構えを取る。

 二振りのファルシオンを交差するようにして力を籠める。

 

「エェクスゥッ!プロォォジョンッッ!!」

 

 ガトーが叫ぶ。

 

 竜と人。

 この地において調和と迫害の歴史。

 

 ナーガの庇護の時代(いにしえ)

 アドラ一世による迫害の時代(かこ)

 ガトーによる蹂躙の時代(げんざい)

 そして今、世界はレウスによる調和の時代(みらい)へと進もうとしていた。

 

 そのために持てる力の全てを発揮しようと言わんばかりにファルシオンがより一層に輝きを放つ。

 刀身だけではない。

 レウスの全身へと光は集まり、発し、やがて業火を纏う。

 その立ち姿、二つの剣、燃え上がる炎。

 

 ガトーはそれを見て慄く。

 

「貴様が、貴様こそが炎の紋章そのものだと……」

 

「じゃあな、ガトー」

 

 残された『言うべき言葉』をガトーへと手向けるレウス。

 

 同時に振られるファルシオンは光芒となって、光の波濤たるスターライト・エクスプロージョンを切り拓く。

 

 白い爆炎を押し返し、光がガトーへと押し寄せる。

 

「ぎぃぃぃあああアァァァァッッ!!!」

 

 まさしくそれは古竜の断末魔と言うべきものであった。

 空間を震わせるほどの大絶叫が止む頃に、煙も、そしてガトーも消えていた。

 

 レウスは空を見上げる。

 戦いがあったことなど嘘のような、雲ひとつない晴天が広がっていた。

 

 ───────────────────────

 

「シーマ!サムソン!一度引くのだ!

 ワシと教団兵で抑える、回復し、息を整えるまでは──」

 

 ロプトウスが指揮を取り、群れの攻勢を防いでいる最中。

 

 ぶわ、と莫大な魔力が波のように空間に伝わる。

 それは何かの物理的影響を及ぼすようなものではない。

 わかることは一つ。

 世界に伝搬するほどの魔力の波を発することができるものが死んだことを示すサインであった。

 

 刹那。

 

「ロプトウス様!前線から報告です!!」

 

 教団兵の伝令が最前線から逆流するようにロプトウスへと報告を持ち帰る。

 

 ───────────────────────

 

「まだまだ手持ちバリスタ用の弾はあるぜえ!」

「鋸引きにされたい亡者から懸かってこいやあ!」

 

 傭兵や蛮族たちは転戦を繰り返し、いつからか合流し背を預けて戦っている。

 

「シーザ!どうする!」

「ここを抜かれたらパレスまでの道のりが作られる、ここでなんとか引き止めるんだ、ラディ!」

 

 声を上げる隊長、シーザ。

 

「シーザ、ラディ、あんたらは後方で指揮に専念しな!」

「ここで蛮の力ってのを見せつけてやるからよお!」

 

 彼らは望んで死兵になるという宣言でもある。

 だが、傭兵と蛮族の数は多い。

 指揮ができる人間が死ぬのを最後にしなければ数でやり込められるのが目に見えていた。

 歯噛みをするシーザ。

 

 刹那

 

「し、シーザ!」

 

 ラディが叫ぶ。

 

 ───────────────────────

 

「一気に押し返すぞ!

 グラ地方軍と挟んですりつぶすのだ!」

 

 ミネルバが歩兵を率いて前線で檄を飛ばす。

 最早黙ってなどいられない。

 オートクレール片手に敵陣へと突き進む。

 戦女神同然の姿に兵士たちの心は燃え上がり、押し込まれるのが嘘のように押し返していく。

 

 刹那。

 

「ミネルバ様、敵兵が!」

 

 天馬を駆る二人と、死儀礼の鎧で空を舞う一人。

 つまりは白騎士を代表する三姉妹が報告に上がる。

 

 ───────────────────────

 

「アリティアの誇りを見せるのです!」

 

 リーザは立ち直った。

 敵兵を見たからか。

 否。

 彼女が見たのは敵を透かしてみた先にある未来である。

 

 ここでうなだれていて何かを得られるわけでなし。

 それどころか、あの亡者たちに全てを蹂躙されるのだ。

 自分のかつての夫のように、尊厳すら。

 

「我らがレウスが戻ってくるまで、土地の一つ、民の一人すら失わせるわけにはいきません!」

 

 その言葉に兵士たちが意気を上げる。

 

 一方で黒い帯が亡者たちの軍を蹂躙する。

 エリスの持つ圧倒的な力は兵士たちの戦意を強固にし、砕けることを忘れさせていた。

 

 刹那。

 

「殿下!」

 

 兵士たちの手前、彼女をそう呼ぶのはシーダ。

 

「敵兵が……!」

 

 シーダが持ち帰った報告は──。

 

 ───────────────────────

 

 各地で行われる戦い。

 

 しかし、それはある区切りを持って刹那を迎える。

 

 その刹那で亡者たちが崩折れるようにして倒れ、そして消えていく。

 

 やがてそれが敵の首魁であるガトーを討滅したことであるのが伝わり、歓声へと、大歓声へと人々をいざなった。

 

 ───────────────────────

 

 ガトーとその群れとの戦いから数日の後。

 アリティアには多くの国民が集まり、そのバルコニーからレウスとリーザ、そして聖后やそれに並ぶものたちが姿を見せていた。

 

 アカネイアの現人神、アリティア聖王国聖王レウスは宣言をした。

 

 今日、この日を以て大陸は統一され、平穏と繁栄の時代が始まる。

 

 人々の歓呼と祝福の拍手や楽器の音がいつまでもアカネイアの大地に響く。

 



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アカネイアの大地より

「もうだめだああ、疲れちまったよおお」

 

 レウスは悲鳴を上げる。

 リーザによるスパルタ教育と労働の結果である。

 

「そりゃあ()られるよりゃあマシだけどよお」

 

 読み書きと計算ができて、現地を巡り、推察能力も備えている人材はアリティアにおいて重要である。

 特にアリティア聖王国が統一国家となった時点で人材の薄さは致命的寸前までの状況であり、

 少しでも仕事ができる人間は必要だった。

 女王と同等かそれ以上の裁量権を持つレウスをリーザが遊ばせておくわけもない。

 

 ぐったりするレウスに甘くした紅茶を出して、

「がんばってください、レウス様!」

 ファイティングポーズを取って鼓舞するのはメイド姿のカチュアであった。

 

 結局、彼女は帰れなかった。

 正確には、帰ることはできたはずなのだが円卓側が『ついつい出入り口を閉じた』せいで、意図せず蘇ってしまったわけである。

 

 戦いの後に巫女としての職分の代わりとしてレウスの側仕えにあることを希望した。

 レウスは彼女を聖后にすると伝えるも彼女はそれを断って、あくまで巫女であり、

 懐刀としてのメイドでいたいと返す。

 

 カチュアからすれば、巫女であり懐刀であるメイドという立場は聖后よりも貴重な立場なのだ。

 というよりも、あのキャラの濃い聖后たちの一員に入ってやっていける自信も、目立てる自信もなかった。

 

「今日は夕方からガーネフ様との会合です」

「会合たって飲み会だろ、あんなん」

「そうですが」

「だから私服で行くから、手伝いは要らんよ」

「……そうですか」

 

 残念そうなカチュア。

 着付けを手伝うことはある種、彼女にとっての独占欲発散の場の一つでもあるからだ。

 レウスもその表情に気がついて、

 

「あー、ガーネフと会う程度じゃああるが、偶には洒落た服装で行くのもいいな

 うん、カチュア、手伝ってくれ」

「はい!」

 

 カチュアを後戻りできなくさせてしまったこと、

 つまりは人ではない別種の生命にしてしまったことは彼にとってはある種の傷だ。

 勿論、レウスもカチュアもお互いにそこに恥じ入るようなことはない。

 むしろ、それがあるからこそ親密ではあるが尊重できる間柄になれたことは彼女にとって明確に良いことだっただろう。

 

 ───────────────────────

 

「あ、兄上……」

「兄上……?

 すまぬが、俺の名はシリウス……通りがかりの騎士に過ぎぬ」

「いや、その、夫から話は伺っております」

 

 ミネルバは聖后としての努めと、貴族を中心とした王室護衛の近衛兵を束ねる長としての役割をこなしている。

 が、この近衛兵というのが実に厄介であり、今まで敵対していた貴族やら他国同士だったものたちやらでいざこざが絶えない。

 大事になるようなことこそしないものの、融和は簡単にはいかない。

 そうなれば士気もどうしたって低くなってしまうものであり、

 それをレウスに相談したところ、うってつけの人材がいると紹介された。

 

 兄である。

 

 兄であるが、変な被り物をしていた。

 仮面だ。

 白い仮面である。

 元々偉丈夫というよりは、美丈夫である方が側面的には強かったミシェイルだからこそ付けこなしていた。

 

 レウス曰く、やはり元は王族であり、表立っての行動はまだ反発や厄介な派閥闘争を生みかねない。

 しかし、ミシェイルが今まで兵士を取りまとめてきた軍人や騎士たちを操る手管は見事なものであり、捨て置くのは惜しい。

 それ故に、仮面を与えて偽名で働いてもらうというもの。

 

「ミネルバ殿」

「いえ、その、えー……ンン

 シリウス殿、軍人としての格は貴方が上だ、呼び捨てで構いません」

「では、こちらも呼び捨てにしていただきたい」

「承知した、シリウス」

「こちらもだ」

 

 少しの間の後に、「ミネルバ」と。

 その声にはどこか優しさ、暖かさがある。

 ようやく壁もなく、兄妹として彼女の名を呼びた喜びがあった。

 

 ミネルバとミシェイルの間には確執はあった。

 だが、それは既に過去のものだ。

 

 ミネルバには子が生まれ、角が取れた。

 ミシェイルは今まで呪いのように付き纏われていた予見はナーガの死とともに消えて、険が取れた。

 その上で国や争いと言った問題はもうなく、しかも両者ともにレウスから「ミネルバに優しく」、「ミシェイルに寛容を」と頼んでいた。

 

 兄妹仲を良い方向へと導きたいレウスの心に触れ、彼らは自主的に関係を修復する努力をしていた。

 

 ───────────────────────

 

 という感じで、平和そうになっているはずのマケドニア王室であるが、

 平穏ではいられない。

 マリアの懐妊が告げられたのだ。

 彼女が解放されてから時間は多少なりと経過した。

 

 ミシェイルがはじめて軍人として戦場に立った年齢と同じときの妊娠である。

 

 狙っていたのだ。

 

 ミネルバはレウスに詰め寄ろうとするも、ミシェイルが戦場に立った年齢と同じであり、つまり自分はマケドニア人として立派な大人なのだと。

 これにミネルバが強く出れないのはマリアが権力志向などによってレウスを狙っていたのではなく、本心からレウスを好いていることを知っていたのと、

 彼女もまたミシェイルが戦場に立った年齢を盾にして飛兵として戦いを始めたからである。

 

 同じ頃にレナも懐妊しており、色々と疑われはしたものの、レウスはその『色々』を否定。

 レナとマリアが生まれる子を兄弟(或いは姉妹などかもしれないが)同然に育てたいと願い出たため、

 二人は聖后としてアリティア主城で静養している。

 

 ───────────────────────

 

「まったく、陛下も忙しい中でよくやりおるわい」

 

 ガーネフがやれやれと言った感じで言う。

 並べられているのは豪華なメニューではなく、割と質素というか、粗野というか、

 つまりは大衆的なものであった。

 

 こうしてガーネフと食卓を囲むのは二月に一度ほどであり、

 ここでの会話は学院の発展以外に、レウスが必要とするあれこれの要求とガーネフが要求する予算についての話し合いの場となっている。

 というのも、二人ともに多忙であり、王族としての予定を立てて行動するのも学長としても同様のことができない。

 食事を利用して休憩がてら相談をしている。

 ただ、そのお題目として予算やら何やらの話をしているに過ぎない。

 

 大衆料理を食べるのも、彼らが普段口にするのが上品なものばかりだからである。

 濃い味付けのジャンクなものが食べたいのだ。

 提案者はガーネフであり、見てくれは老人だが胃袋の頑丈さは若者並らしい。

 

「ベッドに入ったらいるんだからしゃあねえだろ」

「しゃあないのかどうかは儂にはわからんわい」

「あー、オレの下半身事情よりもさ、ユベロを正式な弟子にしたってのは本当か?」

「うむ、そろそろ跡取りのことを考えねばならぬ

 エルレーンは陛下に取られてしまったし、ヨーデルはオールドカダインの市長になってしもうたからなあ」

 

 最近ではガーネフはすっかりと老人めいた口調と態度を取るようになった。

 実際の年齢も相当な高齢であろうから不思議ではないが、

 満足してぽっくりと逝かれないかが心配であった。

 国としての損失というのもあるが、それ以上にレウスにとってガーネフはどこか、祖父のような関係性を感じていた。

 おそらくはガーネフにとってもそうなのかもしれない。

 

「跡取りって、まだまだ生きるだろ」

「そりゃあまあ、この調子なら五十年はな

 だが、跡取りに学識を教え込むのもまた長く時間が掛かるのよ

 例えユベロが天才であってもな」

 

 五十年は生きる。

 ガーネフがレウスが感じたことを払拭するための言葉に過ぎないのだろう。

 どこにもそんな保証はないが、それでもこの大魔道士であれば五十年程度の延命など簡単なのかもしれなかった。

 

 カダイン魔道学院は発展を続けている。

 科学的な発展とは違う方向には進んでいるが、それ故の未知数な進歩をレウスは喜んでいた。

 

「エルレーンといや、ぼやいてたぜ」

「む、何をだ?」

「魔道農家のための学校が必要だから認可してほしいって、オレは認可も予算も出すが」

「ううむ、そこに教師を向けると研究速度がのう」

 

 歓談は夜更けまで続いた。

 

 ───────────────────────

 

 アカネイア地方、パレス。

 そこは一面、作物が広がっている。

 

 レウスが統一後最初にやったことは宣言の通り、アカネイア地方を穀倉地帯にすること。

 そのためにしていた準備の一つが魔道農家である。

 魔道の力を使って、凄まじい勢いで畑を作り出しているのだ。

 現在は魔道農業を簡便化して、一般の農家にも伝授している。

 

 エルレーンは農業による市民への有利な施策を打ったことで各地で土地を失った農民たちを集めることに成功。

 莫大な土地に莫大な農作を行い、それによって統一国家となったアリティアの食糧事情は一気に解決した。

 むしろ余るほどでもあり、衣食住を提示することで未だに戦争の傷が言えない場所へとアプローチを行い、徹底的にアカネイア大陸を平穏へと構築し直している。

 

 農業を手伝う中にクリスたちやエレミヤたちの姿があったとも言う。

 

 ───────────────────────

 

 聖后たちはグルニア、マケドニア、アカネイア、オレルアンにそれぞれ割り振られることになる。

 これは各地の治安安定のために、聖王という現人神と繋がった半神半人が側にいるぞという宗教的な影響力を持ったものであり、

 アリティアという一つの国に各地を纏めるためのパフォーマンスでもあった。

 

 グルニアにはユミナが、マケドニアにはレナが、オレルアン・タリスにはシーダが、

 アカネイアにはマリアが配されることになる。

 

 オレルアンの代官としてホルスたちが座しており、シーダとホルスの善政によってオレルアンは畜産の重要地点として発展していくことになる。

 数年後、安定したオレルアンの褒美としてホルスたちが要求したのは旧オレルアンの史書の作成と保全である。

 統一国家がそれを許してくれるか内心怯えるところもあったが、シーダは絶対に大丈夫だと太鼓判を押していた。

 実際、それを聞いたレウスはきょとんとしながら

「それはいいけど、で、褒美はなにがほしいんだ?」

 などと言った。

 勿論、レウスとて本当に理解していないわけではない。

 

 だが、存在していた歴史を潰して、覆い隠してしまうのはアカネイア大陸のあらゆるものへの侮辱な気がしていたから、全てを残すようにと考えていたし、

 実際に水面下で各国でもその動きになるように働きかけていた。

 

 ───────────────────────

 

 マルスとの相談の結果、ファルシオンはアリティア聖王国の国宝となった。

 一振りは国に、もう一振りは以後の当代の王に渡されることとなる。

 

「よかったのか?」

 

 レウスがマルスへと問いかけると、彼女は笑う。

 

「むしろ、お願いしたいくらいでしたから」

「お願い?」

「この地に、僕がいたって証が欲しかったんです」

 

 マルスは、この地に置いては本当の意味でマルスではない。

 狭間のマルス。

 レウスと同じ稀人なのだ。

 

「母上には娘として愛してくださっている上でこんなことを思うのは、俗すぎますよね」

「オレはむしろ安心したね」

「安心?」

「知らない間にマルスがベテランの王様をやったから、

 何事も達観してたりなんかしたら寂しいなあって思ってたからさ」

 

 マルスはふふ、と笑う。

 

「先生を求めて、ここまで来たんですよ?」

 

 その顔は、あの大地(アカネイア)にいた少女と何も変わらない。

 眩しいほどに一途で、輝かしい感情を隠すこともしないマルスのままだった。

 

 ───────────────────────

 

 レウスが統一国家の名乗り上げをしたあと、カチュアに頼み込んで天馬を飛ばさせた。

 ドルーア主城へと来たレウスは事前に呼んでいたロプトウス、ナギ、エリス、メディウスとの話し合いを始める。

 そこにフィーナとカチュアも列席させた。

 

 つまりは常ならぬ寿命を持つであろうものたち。

 ロレンスやシャロンを呼ばなかったのは断られたからである。

 ロレンスは「(半神と会うなど)恐れ多い」と一言。

 そう言われてしまえば無理矢理に連れてくる理由はない。

 ちなみにシャロンにも一応声を掛けたが「冬の原稿に取り掛かっている」と言われ、断られている。

 

 彼らだけではない。

 レウスは鈴を鳴らし、円卓の半神たちもまたこの地に呼び出した。

 

「まずはおめでとう、かしら」

 

 メリナはなんともあっさりとした祝福を送る。

 ただ、素直ではない彼女の素直ではない祝福は万雷の拍手をも凌ぐ価値がある。

 それをわからぬレウスではない。

 

「祝福の言葉に関してはまた後ほどのほうがよいだろうな、我が王

 この場に我らも呼んだということは」

「その前に自己紹介をするべきではないかね、魔女よ」

 

 ラニを制するようにマルギットが言う。

 彼女も「それもそうか」と言った顔をして周りへと向き直る。

 

「我が名はマルギット──」

 

 と、全員の自己紹介が終わり、改めて本題へと戻ることになった。

 

「呼び出したのはその通り、

 メディウスには伝えたことだが、地竜の封印についてだ

 円卓一同に言うならば、律について……というべきかもな」

 

 その言葉に半神たちも視線を向ける。

 熱と圧の強い視線にレウスは思わず側に立っていたカチュアに向けて頼み事をする。

 

「その前に紅茶を頼めるかな、甘い奴、牛乳マシマシの」

 

 ストレスに胃がやられる前に粘膜を張ることにするのであった。

 



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エルデンエムブレム

 律。

 

 それは半神たちにとっての最大の関心事である。

 どう扱うのか。

 大陸の統一者となったレウスが何を望むのか。

 彼らは視線を向ける。

 それは熱かったり、重かったり、圧迫感があったり、冷たかったり、諸々だ。

 

 レウスとて、目を向けられるのは理解していた。

 頼んだ紅茶を一口飲んでから(これを予測して茶葉やらなにやらを持ち込んでいる辺り、カチュアも一流のメイドと言えよう)、

 

「律ってのがある、願いを叶えることができる力みたいなもんだ」

 

 律についてのあれこれとした説明をするのも考えていたが、

 レウスとて律の何もかもを知るわけではない。

 彼がわかっているのは律の使い方と、その効力の範囲。

 それらは律から直接的に与えられた情報であり、説明ができる。

 が、律がどういった範囲でどんな効力がという話をする場ではない。

 

 彼も、そして拝聴している彼らも求めるところは『律で何をするか』でしかない。

 

「オレは律で世界を作る」

「世界、ですか?」

 

 エリスが先を求めるように問う。

 

「人間や竜族が死んだらどこに行く?

 色んな仮説はあるが、それを証明できたものはいない」

 

 オームの杖のように死者を蘇らせる力はこの世界に存在する。

 だが、それによって目を覚ましたものが死後の世界を語ることはない。

 

「だから、実際に死後の世界を作ろうと思っている

 正確には、生と死の狭間の地を」

 

 それこそがレウスが長年に考えていた律の使い方であった。

 

 そこに行き着くためのヒントになったのは円卓そのものであった。

 

 今、彼とともにある円卓はレウスの中に内包された小世界とも言うべきもの。

 そして、それを作り出しているのは律の力であるという。

 

 つまり、律は文字通りのルールを作り出す力というわけではない。

 莫大な力によって既存の世界におけるルールを作り変えられるだけの力を有しているに過ぎない。

 であれば、まっさらな世界を作り上げることはむしろ容易であるということだ。

 

 円卓のように、レウスがよく知る場所であれば創世もしやすいと彼は感じている。

 であれば、作り出すのは文字通り『狭間の地』。

 

「それに加えて、魂を循環させる方法も作り出す

 死んだ人間や竜族は一定のルールで再びこの世界に生まれ直すように」

 

 輪廻転生。

 レウスにとっての故郷に伝わる、わかりやすい循環システムといえる。

 

「生まれ直しまでの時間を過ごすための世界が、オレの考える死後の世界だ」

「だから生と死の、狭間の地なのですね」

 

 合点がいったように頷くエリス。

 

 ラニが作り上げた技術と、必要があれば聖域を総ざらいにしてワープに関わる技術を接収し、狭間の地とアカネイアを繋げる道を作る。

 ただし、これを通れるものは制限する。

 みだりに生と死の境界をぼやかさないために。

 

 道ができたなら、メディウスと地竜の封印ごとそちらへと向かわせて、

 地竜には順次転生してもらう。

 竜族が寿命によって狂気に陥るというのならば、狂気に至る前に寿命を与えればよい。

 人間とて年を取れば呆けもする。

 それと同じなら、やがて死ぬようにすればいい。

 

 この場にある竜族たちは異を唱えない。

 時代の勝者たるレウスが言うのであれば、唱えようもない。

 何より永きを生きすぎた竜族にとって、彼の提案は魅力的であったからだ。

 

「地竜に関してはこのメディウスが承ろう

 ラニと言ったか、道に関してはどうだ」

「ふむ……実際に狭間の地を作ってみてもらってからだな

 そうでなければ言えることがない

 不確定なことを言ってぬか喜びさせたくもない」

 

 よいか、とロプトウスが挙手をする。

 

「繋げる道、と言ったが何に使う?」

「死なない連中を運ぶための道だよ、メディウスたちを始めとして、

 オレやカチュア、エリスもそうだろう

 それにロプトやナギ、チキもな

 地上での生活に飽きたら移住できるようにするってわけだ」

 

 気軽な口調で言うが、レウスからしても長命種が地上に存在し続けることのデメリットを感じているらしい。

 ガトーが反面教師になっている。

 誰より長く生きれば、やがて自分の意思にそぐわない存在を排除し、独裁を行うことになる。

 そうなれば地上は暗黒時代へと突き進む。

 未来が閉ざされないための居場所を作ることはレウスにとって重要な目標であった。

 

「異議があるものは」

「異議ではないが」

 

 マルギットが顔を向ける。

 

「その生まれ直しとやら、我らのような半神もできるのか?」

「希望するなら対応する」

「……そうか」

 

 ただ聞いただけ、というわけではない。

 彼は人間であることをやってみたいと思っているようでもあった。

 忌み鬼などと扱われ、怪物同然、処刑人同然として扱われ続けた。

 だからこそ誰よりも『ただの人間』への憧憬がないわけがなかった。

 

「地上に現れて、また狭間の地に戻るようなことは可能?」

 

 メリナが問う。

 かつての自身のように道を指し示す存在になったりすることは可能なのか。

 そういうことだろう。

 

「可能ではあろうけど、許可制にするつもりだ」

「許可?誰の?」

「オレ」

 

 彼は説明を続ける。

 狭間の地においての王となり、運営者となる。

 彼だけで運営をすることはないが、それでも永き時間に耐えられる人間で構成することにもなるだろうと。

 その上で、特例を出すかどうかは合議で決定する。

 狭間の地から地上への影響は限りなく少なくするべきであるというのが今のレウスの答えだった。

 

「既に正気を失った竜族はどうするのだ」

 

 ナギの言葉だ。

 彼女は飛竜をはじめとして多くのそうした竜族を従えている。

 

「地竜と同じだ、あちらへ連れて行って然るべき処置をする

 そのやり方はメディウスに任せることになるが」

「……わかった、であれば聞きたいことはない

 狭間の地とやら、その計画に同意する」

 

 ナギは基本的に全幅の信頼をレウスへと置いている。

 今回もきっといい方向に転がしてくれるだろう、そういう期待だ。

 期待はレウスにとって常に重荷だが、それに答え続けることができるのもまたレウスという男であった。

 

「さみしくないなら、チキはそれでいいよ」

「寂しいことはないさ、ずっと皆と一緒だからな」

「ほんと!?わあ……」

 

 嬉しそうにはにかむ。

 この少女もいずれは神竜ナーガの跡取りとなるのだろう。

 それまで何千年掛かるかはわからない。

 彼女が成体になるころには狭間の地のルールもより明確になっているだろう。

 ナーガとなったチキが何を望むかはそのときに相談すればいいことだ。

 

「ねえねえ、レウスは生まれ直すの?」

「いやあ、流石に責任者なんだから無理だろ」

「ええ……それじゃあいつか疲れて何もかもいやになっちゃわない?

 そのための仕組みを作らないなら同意できないなあ」

 

 フィーナが言う。

 態度こそ『言っているだけ』な風だが、その言葉の重さや強さは本心のもの。

 恐らく明確な案をこの場で出さない限り本当に同意しないつもりだろう。

 

「周囲のもの数名に『休暇』を進められたら生まれ直すってのはどうだ

 それならオレの判断以外で休ませられるだろ」

「いいね!」

 

 そういうわけでフィーナも納得する。

 

「では、この場にあるものは全員同意のようですな」

 

 マリケスが見やってから言う。

 

「準備をしましょう、聖王殿」

 

 いつからか、マリケスはレウスを王として扱うようになっていた。

 自分を下に置くのではなく、レウスの行った行為を尊敬する形を示すために。

 

「ああ、皆にも手伝ってもらうことは多いと思うが、よろしく頼む」

 

 レウスが珍しくも頭を下げる。

 驚いたものも少なくないが、すぐにどやどやと行動を始めた。

 メディウスですら「役に立つ文献がないかを調べてみよう」などと言う。

 

 こうして『狭間の地創世計画』は始まった。

 

 ───────────────────────

 

「レウス」

 

 そんな中でメリナが声を掛けてくる。

 

「どうした?」

「やってくれたわね、狭間の地なんて……まったく」

「イヤだったか?」

「いいえ、……レウスが狭間の地に執着しているなんて思わなかったから驚きはあったけど」

「そりゃあ、あるさ

 オレにとっての故郷だぜ」

「私にとっての故郷でもあるから……大切にして」

「ああ、誓うよ」

 

 メリナは小さく微笑む。

 レウスは狭間の地からずっと見たかったものが見れたことで、つい破顔した。

 

 ───────────────────────

 

 狭間の地が完成してから、最初の何度かはレウスもそちらへと通うこともあったが、

 律と世界が安定したのを見てからは殆ど顔を出さなくなった。

 勿論、何かあれば頭の中に直接的に語りかけてくる手はずではあるが、問題が発生することもない。

 

 そうして次は統一国家の主として多忙を極め、子供たちも大きくなり、跡継ぎのことなどを考えたりなどをしていると時間というのはあっという間に過ぎる。

 

「まさか私が最後の一人なんてねえ」

 

 晴天に恵まれた日、ベッドで横たわりながらアリティア聖王国初代女王リーザにほのぼのと言う。

 カチュアたちのような人間の枠から外れているものを除いて、定命の聖后たちはリーザよりも早くに……というよりもリーザが規格外に長生きをした。

 

 枠の内側にいないものの多くは先に狭間の地へと戻っており、時折レウスの心配をしに戻ってくることも多くあった。

 彼女たちが狭間の地に送られる理由はただ一つ。

 そうした超常なる存在は神として崇められる可能性があり、一般的な寿命を迎える前に自主的にアカネイアから退去をしていたのだ。

 

 共に時間を過ごす人間というのはレウスにとっては貴重であり、だからこそ彼女はレウスを寂しがらせたくない一心で長生きをした。

 

「随分と長く生きたわねえ」

「来孫って言うんだっけか、まさかそれを見れるまで長生きするとはオレも思っちゃいなかったよ」

「寂しくなかったでしょう」

「リーザのお陰でな」

 

 我が子クロムの生を見送り、クロムの子が現在のアリティアを差配している。

 つまり孫であるが、孫もぼちぼち引退を考えていると相談に来た。

 

 リーザが早いうちに引退をしたことから、聖王国は崩御による戴冠をよしとしない風潮がある。

 その御蔭で国家は瑞々しさを失わない。

 

「そろそろお迎えが来るみたいね」

「わかるのか」

「この体とも長い付き合いだもの、わかるわよ」

 

 微笑みを向ける。

 

「あちらで待っている、でいいのよね?」

「ああ、オレも十分に現人神を全うしたからな」

 

 リーザはわかっていた。

 全ての妻を看取るまでは地上に残ろうと決めていたことを。

 

 ある意味でそれが彼なりの責任の付け方だったのだろう。

 現人神は長い寿命、いや、不老不変である。

 地上に居続ければ人は神を頼る。

 

 だからこそ、レウスは「現人神はどこかにいる、或いはどこにでもいる」と吟遊詩人に謳わせて、早い段階から隠遁し、外に出るときも変装を欠かさなかった。

 いつも大いに苦労をしていたのを知っている。

 特にカチュアがいなくなってからは大変だったとリーザは聞いている。

 何せ彼女は何をするにもレウスの手足のようにして働いてくれたからだ。

 

 妻を失う度にこの世の終わりかのように彼は慟哭した。

 あちらで会えるからなどとは思っていないのだ。

 この地での愛と思い出が彼の心をいつも乱した。

 

 これほど長く一緒にいれば流石の彼も壊乱したように涙を流すことはないだろう。

 リーザは満足気に笑う。

 

「あの頃はこんな風になるなんて思ってもみなかったわ」

「なんていったっけな……あの、魔竜の」

「モーゼスね」

「記憶力半端ないな」

「そりゃあ、殺されかけたもの」

 

 リーザは思い出話を語る。

 これまでの道のりを。

 平和になってからの思い出を。

 

 聖王国の女王になってからは早回しのような人生になった。

 それが愛おしかった。

 晴天はやがて黄昏へと変わる。

 

「レウス」

「なんだ?」

「愛しているわ、ずっと」

「オレだって愛してるぞ、リーザ」

 

 随分と細くなってしまった手を握る。

 

「ああ、幸せだわ……」

 

 噛みしめるようにリーザは言う。

 それがアリティア聖王国初代女王リーザの最期の言葉だった。

 

 リーザの埋葬を済ませると、彼は幾つも用意している隠れ家の一つへと戻る。

 俗世の関わりを断つための拠点だ。

 

 言うに及ばず、レウスは慟哭した。

 涙も喉も枯れ果てた頃、彼は隠れ家から現れる。

 

「まったく、きれいな空だな」

 

 アカネイアの空の美しさは不変だ。

 彼の妻たちも皆、アカネイアの空に心を奪われていた。

 

 否。

 

 円卓の半神たちも。

 これほど高く青い空を嫌うものはそういまい。

 

「酷い顔じゃのう、レウス」

 

 ロプトウスの声。

 

「久しぶりだな」

「そうじゃな、大体……十年、いや二十年ぶりか?」

 

 神としての責務を果たし続ける彼女もまた、この大地に残った数少ない存在だった。

 マムクートであるが故、他の妻たちとは異なり神として顕現し続けていた。

 

「こっちも仕事は全てこなした、予言書だの何だのも添えてな」

 

 そう言いながら彼女は両手を広げる。

 

「ほれ」

「ほれって、なんだよ」

「近う寄れ」

 

 言われる通りに近付くと、彼女はレウスを包容する。

 

「お前の妻たちに頼まれておってな……こうして労ってやれとな」

 

 彼女の声は時をどれほど経ても変わらない。

 美しいものだった。

 しかし、それに深い慈悲と慈愛が含まれたそれは正しく女神の声そのものである

 或いは、そこに母性という神性を見出すものもいるだろう。

 

「よう頑張ったな、レウス

 お前は多くのものを幸せに導いた

 ワシもその一人だ、……感謝しておるよ」

「ようやく泣き止んだってのに……まったく、どうして泣かせに掛かるかね、お前はさあ」

 

 再び涙を流す。

 暫く後にそっと彼女から離れる。

 

 声が響いた。

 

「迎えに来たわよ、レウス」

 

 空間が割れるようにして開くと、そこには見知った顔……メリナが立っていた。

 

「酷い顔ね」

「先も言われたよ」

「ほら」

 

 懐からハンカチを取り出す。

 顔を拭けと言いたいのだろう、素直に好意をありがたく頂戴する。

 

「……この刺繍」

 

 妙に出来の良いデフォルメキャラが刺繍されている。

 恐らくレウスだ。

 

「貴方が随分と待たせるものだから、刺繍なんて覚えてしまったわ」

「悪かったよ」

「別に、構わない

 けど、狭間の地に戻ったら少しは時間を割いてくれるんでしょうね」

 

 らしからぬ言葉。

 いや、彼女とて心を持つ命なのだ。

 苦楽を共にした相棒と離れ離れになるのが長くなれば、そうした言葉の一つだって出る。

 

「メリナがそれを許してくれるなら」

 

 彼の言葉に対してメリナは

「誓いを破ったら怖いことになる」

 と既に恐ろしげなことを言う。

 

「それじゃ……行きましょう」

 

 メリナは割れた空間、狭間の地へと続く道をレウスが潜れる大きさへと広げる。

 

 メリナとロプトウスに伴われて、レウスは作られた入り口へと進んだ。

 彼らが通った後には何も残らない。

 青い空だけがそこに広がっていた。

 

 ───────────────────────

 

 通り抜けた先は、青々とした空が同じように広がっている。

 本来の狭間の地とは違う。

 赤黒いものもなく、毒もなく、空はアカネイアのように青々としていた。

 

 狭間の地を楽園にしたかった。

 それは本来の狭間の地を愛するものがいたのならば、冒涜であったかもしれないが、

 少なくとも円卓の面々が咎めることはなかった。

 

「レウス様」

 

 どれほど久しぶりに聞いた声だろうか。

 思えば、彼女へ向けた感情こそがこの長い旅路の始まりだった。

 

「シーダ」

 

 出会った頃の姿で彼女は笑いかけた。

 

「なんだか、この姿でお会いするのはその、少し気恥ずかしいですね」

 

 照れる姿は少女のそれだ。

 いや、彼女が死ぬ頃とて年こそ取れど美しくあったのは間違いないのだが。

 

「お前が可憐だったから、自分のものにしてやろう(戦利品に加えよう)なんて考えたのが始まりだったんだぜ」

 

 シーダがいたからこそ、アカネイアは一つに纏まったのだ、と。

 

「では、父上と母上に感謝しなければなりませんね」

「あの頃よりは言葉を返すのがうまくなったわけだ」

「長い付き合いですから、レウス様とは」

 

 シーダが意を決したようにレウスの腕に捕まる。

 

「……どうした?」

「その、あちらではこういうことができなかったのが実は」

「悔いだった?」

 

 こくんと頷く。

 

「なら、暫くはひと目も憚らずいちゃつくとするか!数十年分くらい!」

「い、いえ!流石に人前では!」

 

 エスコートするように無理矢理ではなく、そっと力を込めて一歩。

 シーダはそれを拒まず、一歩。

 

 やがてレウスを待っていた多くのものたちが並んでいる。

 

 感情が溢れ出しそうになるのをぐっと我慢して、一言だけ声を絞り出した。

 

「ただいま」

 

 狭間の地の王は帰還した。

 

 長い旅路と多くの戦いの果てに、抱えきれぬほどの愛と祝福に迎えられて。

 



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後日談

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 ───────────────────────

 シーダ

 オレルアン・タリス地方の聖后として仕事を果たす。

 民衆を取りまとめ、オレルアン、タリスの両方を大いに発展させる。

 娘のルキナもまた彼女の跡をしっかりと継ぎ、やがて高名な騎士と軍馬を多く排出する土地になった。

 

 レナ

 マケドニア地方の聖后として仕事を果たす。

 また、竜教団の司祭という立場から多くの人間を教化。

 マケドニアを擁するドルーア地方が竜教団の聖地として後に多くの人を集める基を作った。

 娘と息子の二子を聖王との間に儲けた。

 

 リフ

 アカネイア全域に魔道の杖と同じ効力を持つ治癒や疾病を癒やす薬品を生産、販売する大店を作る。

 彼の後年に会社をアリティアへと売り、国有化され、遥かな未来まで『リフ・カンパニー』はその仕事を全うする。

 しかし、彼の死後に大陸外へと輸出した船が輸出先の国家によって撃破、接収されたことから大陸間の戦争に発展してしまったのは彼の生前のことでないのだけが救いであった。

 

 ウルフ、ザガロ

 小さな村落で獣やならずものを倒し、やがて武器と騎士であることを捨て農業へと志向した。

 今も村落では人が増えて村を分けた先には彼らの名前を付けられた場所があるという。

 

 ビラク

 オレルアンからアリティア主城へと配置を転換され、旧オレルアンの国史を編纂する。

 史家としての才能があり、後にオレルアンだけでなく各国の編纂も手伝うことになる。

 後に『歴史を証明するいい男』として多くの文献に彼の名前が残ることになり、子供の教科書などでも登場することになる。

 

 アテナ

 オレルアンが安定した後に戦いを求めて国外へと向かった。

 それが彼女にとってどころか、アリティア聖王国すら巻き込んだ大事件になるとは予想することはできなかった。

 

 ホルス

 オレルアン・タリス地方の代官として辣腕を振るう。

 また、後年はユグドラル大陸まで使者として向かい、イザーク王族と結婚した。

 その王族とはまるで旧知の仲のように睦まじいものだったという。

 三子に恵まれ、その内の二子はアカネイアの官僚一族として営々と国に尽くしたという。

 残った一人はイザークに残り、これもまた国を栄えさせた。

 

 アンナ

 レウスの御用商人として確固たる立場を得た。

 

 ホルスタット

 アリティア聖王国の軍部の頂点に座する。

 それだけではなく、戦災に遭った土地の多くに出資をし、国の手と目が届かない場所をも支えた。

 各地にはホルスタットの像が立てられるが、彼の希望でその像の多くはレウスと戦う一幕であることを要求した。

 これはレウスという主人を未来まで残し続けるための忠義であると後の世で大いに評価された。

 もう若くないということで断り続けていたがリーザの押しの強さに負けて貴族の娘と結婚。

 子宝にも恵まれる。

 彼の血族は軍人の名門として末永くアリティアを支えた。

 

 リーザ

 アリティア聖王国、初代女王。

 聖王レウスにとっての聖后ではない唯一の妻という立場を持つ女性。

 政治的手腕は伝説となるほどであり、聖王国が永き時代で存在する力を作り出した女傑。

 また、驚くべき長寿でもあった。

 彼女の残したアリティア王族の血は暗く愚かになることを知らず、一つの太陽の如き血筋と謡われた。

 

 ノルン

 グルニア地方とアリティア聖王国の関係と融和に大きく貢献した人物。

 騎士との階級を超えた結婚は後年においてもロマンスとして長く愛される文学の題材となった。

 

 アラン

 戦いの後にいっとき体調を崩す。

 聖王がつきっきりの看病を行い、現場に復帰。

 以後は健康をなにより大事に考え、彼が健康のためにやるべきことを記した手引に存在する『アラン健康体操』は市民たちの朝の日課として残り続けた。

 百を超えての大往生であった。

 

 サムソン

 グラ地方の代官であるシーマと結ばれる。

 

 シーマ

 グラ地方の代官としてグラの発展に尽力。

 サムソンとの間に一子を儲け、グラの血を絶やすことなく繁栄した。

 レウスから教えられた技はそのままグラ地方の祭儀の一部として残ったという。

 

 シャロン

 かつての自分の領土であった場所で年に二回、創作活動を発表する場を作り出し、

 芸術や文壇の発展に大いに貢献した。

 その場の運営を他人の手に任せられると判断すると、狭間の地へと渡った。

 ただ、年二回のその場にこっそりと忍び込みに行くことが少なくないらしい。

 

 モスティン

 統一後、リンダがマリクとの子を出産したが産後の肥立ち悪く還らぬ人となる。

 彼女に代わって子供を育て上げ、タリス主城の管理者として後を任せると眠るように死んだ。

 

 リンダ

 マリクとの間の子を生むと産後の肥立ちが悪かったのか、還らぬ人となる。

 彼女の子はモスティンの教育もあり、健やかに育ち、二人の知性を引き継いだのか、優れた才知を以てタリスの漁業を発展させた。

 

 ヨーデル

 オールドカダインを発展させた。

 緑化に関して大いに悩み、作り上げた技術は緑化のみならず農業にも大いに好影響を与えた。

 

 ガーネフ

 アリティア聖王国王立カダイン魔道学院の初代学長。

 数えきれないほどの魔道技術を生み出し、特権階級を作ることなく多くを広めた。

 その一方で戦争の火種になりかねない技術に関しては審査機関、管理組織などを作って秩序を保つなども行う。

 彼が最後に作り上げたのは竜族が正気を失うきっかけとなる病の根治に至る魔道の杖であった。

 彼はそれを狂気に陥ったかつての師から、ガトーの杖と名付けたという。

 

 エルレーン

 アカネイア地方の代官として一大穀倉地帯の発展に従事する。

 アリティアの宰相としての立場と職務は暫くの間は続けていたものの、穀倉地帯の発展によって手が足りなくなったために辞任。

 その後は農家の娘と結ばれ、平穏な家庭を持った。

 魔道農業に適し、病にも強い稲や小麦を開発し、未来にまで彼の名を残した種が残ることになった。

 

 ボーゼン

 グルニア三将と呼ばれたベテランは戦後、それぞれにアリティアから土地を封ぜられた。

 一族を土地に呼び、その土地は後に小グルニアと呼ばれるほどにまで発展した。

 

 ヒムラー

 グルニア三将と呼ばれたベテランは戦後、それぞれにアリティアから土地を封ぜられた。

 職にあぶれた騎士や兵士を纏めて、それ以外の生き方を教える第二の人生を歩むための教育組織を作った。

 後にヒムラー塾と呼ばれる文武両道のエリートを多く排出し続ける高等教育の現場ともなった。

 

 ジューコフ

 グルニア三将と呼ばれたベテランは戦後、それぞれにアリティアから土地を封ぜられた。

 しかし、彼はその土地を返上。

 気ままな一人旅を望み、それを果たした。

 後世にはジューコフが各地での困りごとを解決していく伝承が残っている。

 

 トムス、ミシェラン

 アリティア聖王国の軍へと入り、後進の育成に精を出した。

 多くの忠臣を生み出したという。

 

 トーマス

 ジョルジュにスカウトされ、アリティア弓騎士団の副長となる。

 勤勉な性格は多くの部下たちの尊敬を集めた。

 

 ミネルバ

 聖后としての役割以外に近衛兵の長という職務も果たす。

 アイの他にも二子を儲け、全員が王宮を守る仕事に就いた。

 生真面目な性格だが(或いはそれ故か)後年は詩などを学び、自らの半生やマケドニア王族に伝わる話などを詩として多く残した。

 無骨者故の不出来かと思いきや、繊細で儚げな作品が多い。

 彼女の愛用の武器であったオートクレールは王家へと預けられ、近衛の長となるものに貸与することを約束させる。

 後年のアリティアの武勲といえばオートクレールこそが代名詞となった。

 

 マリア

 聖后として、そしてアカネイアの監督者としての役割を果たす。

 天真爛漫な性格は民の多くを元気づけて、代わりゆくアカネイアの象徴とされた。

 聖后の中で最も年若かったこともあり、多くの子を儲けたという。

 マケドニア人は母性が強い、という風潮が強いのは聖后の中で子を多く儲けたミネルバ、マリア姉妹に由来しているとされる。

 子を思う気持ちが強く、後年ではエレミヤと共に孤児院などの設立に従事し、それより先の歴史ではマリア財団と呼ばれる子どもたちのための支援組織が結成されている。

 

 エリス

 聖后として一子を儲けた。

 子供が一人前になると早い段階で狭間の地へと向かう。

 それはマフーを備えた人間であることが他国へと伝わり、彼女の体を狙う輩が現れたからであった。

 マフーすら抑え込める技術が実在したかまでは不明だが、それによって少なからぬ戦いが起こったことだけは事実である。

 

 ジョルジュ

 アリティア弓騎士団の初代団長となる。

 弓騎士団は単純な弓を扱う組織というだけでなく、遠くに飛ぶ矢の意を持ち、他国との戦いになる際の迎撃の魁となる。

 老境に至り、弓すら必要とせずに相手を撃ち抜く技を獲得し、やがてそれは重力のような力場すら発生させ、文字通りの伝説となる。

 その技術は失伝しており、後年でそれを扱えたものはいない。

 

 パオラ

 戦後は白騎士団を辞し、ミシェイルの妻となる。

 各地を転戦する謎の騎士シリウスという職分をこなす彼を懸命にサポートした。

 ミシェイルとの間に生まれた子は大陸だけでなく世界に名を轟かせる竜騎士となったという。

 

 カチュア

 聖后として迎えられ、レウスのメイドとしても側に付いた。

 彼女との間の子は彼女自身が狭間の地へと向かったあともメイドとして、その子もまたメイドとしてレウスを支え続けた。

 狭間の地に達したレウスをその後、ようやくまたメイドとして側にいられると安堵したのをメリナは聞いている。

 

 エスト

 姉二人が白騎士団から去った後に白騎士団の隊長となる。

 ジョルジュと結ばれ、その間の子にパルティアは引き継がれた。

 天馬を駆りながらパルティアを放つ特殊な騎射技術はパルティアンショットと名付けられ、飛兵の射撃技術として広く普及した。

 彼女自身は体が衰えるその日まで白騎士団の長を勤め上げた。

 後年の白騎士団は実直さ、勤勉さ、ひたむきさを誇る。

 それはかつての長であるエストの姿と名誉を汚さぬために徹底されたものであるらしい。

 

 マチス

 マケドニアの代官として尽力し、アリティアの平和に貢献した。

 昼行灯とした性格から聖王国の戦いに合流する頃の性格の変わり方(昼行灯を辞めた姿)は後年の創作で大いに人気を博すことになる。

 

 メディウス

 地竜や正気を失った竜族、そしてナギ、チキと共に狭間の地へと入植した。

 竜族の扱いには苦慮したものの、ラニの協力もあって眠りに付かせることもできた。

 やがて一人、また一人と転生し、狭間の地へと戻り……というサイクルを見届ける存在となり、或いは彼をこそ竜族の神であると讚えるものも少なくない。

 寡黙なのは以前と変わらないが、その眼差しは誰より優しいものである。

 

 ロプトウス

 竜教団を長く支え続け、神であるからこそ不老不変であることもおかしく思われなかった。

 ただ、彼女の外見がユグドラル大陸の聖女と似ているということをきっかけに、彼女が拉致される事件が発生。

 少なからぬ戦いがそこにあった。

 また、レウスとの間には子を儲けたが、それは公表されず狭間の地で育てられることになったという。

 

 ナギ

 メディウスと共に早い段階で狭間の地へと向かった。

 その時に彼女はレウスとの間にできた子を抱いていたとされている。

 

 チキ

 世界がナーガという存在を嘱望したかのように、彼女は成長を強制されそうになる。

 早い段階で狭間の地に向かったのにはそうした理由もあった。

 無邪気で明るく、分け隔てない彼女はマルギットの心を軟化させたという。

 

 マヌー

 アリティアで人間の持つ学問に興味を向け、学ぶ。

 その後、ペラティを支配するではなく、経済的な発展を目的とし、アカネイア大陸最大の温泉地、保養地とした。

 経済・経営の神として今も各地にろくろを回す仕草をしているマヌーの像が幾つも立てられている。

 

 ロレンス

 ユミナとレウスの子を見るまでは意地でも居残ると宣言しており、

 実際にユミナの子を見ると大きくなるまで!と宣言し、それを果たす。

 今度はその子の子供がと言い出したため、マリケスの手によって狭間の地へと誘拐される。

 

 ユベロ

 ガーネフの跡取りとして教育される。

 そして彼はやがてアリティア聖王国史上最高の魔道学者と呼ばれるに至り、

 他大陸との問題が起こった際に使われた巨大な魔道船の制作を始めとして、多くの技術と成果物をアカネイア大陸に残した。

 後年もユベロという名前には聡明さ、明晰さを意味する子供の名前として人気を博している。

 

 ユミナ

 聖后として、そしてグルニア地方の監督者として尽力する。

 彼女は徹底的にアリティアとの融和を目的とし、それは早い段階で成功している。

 それはロベルトとノルンの影響などもあり、騎士の誉れをアリティアも理解しているからでもあった。

 レウスとの間に儲けた子はミシェイルの子と共に様々な場所で冒険を果たし、世界中にその名を残した。

 

 シーザ

 戦いの功績からグラからスカウトが掛かり、騎士となる。

 また、ラディもまた彼と共に騎士として取り立てられた。

 彼らとシーザの妹を含めた三人は末永くグラで幸せに過ごしたという。

 

 ライデン、ベルフ

 グルニアで騎士を取りまとめるため、アリティア聖王国より大騎士の称号を与えられた。

 以後もグルニアを支え続ける屋台骨として活躍した。

 

 ロベルト

 ノルンとの結婚は傍目から見ても甘いものであり、

 ロマンスの題材としても、夫婦の見本としても多く語られることになる。

 ライデンらと共に大騎士としてグルニア、アリティアを支えた。

 

 エイベル

 一線を退き、小さな農村の村長として過ごす。

 ただ、彼の持っていた技術や知識は周辺の村にも広く頼られており、

 エイベルに感謝を述べるための石碑が各地に遺されている。

 

 ミシェイル

 謎の仮面騎士にして遊歴騎士シリウスとして活動する。

 側には謎の仮面淑女が常に侍っていたという。

 後年はマケドニアの片田舎に仮面を脱いだミシェイルとパオラが仲睦まじく過ごしたという。

 グランサクスの雷、仮面、シリウスの名は生まれた子へと引き継がれた。

 

 クリス

『彼』はその功績からエルレーンの推挙によってアリティアへと召し上げられることになるが、それを断る。

 多大な貢献の恩賞をどうすればよいかと問われ、かつての故郷であるセラ村の村長の地位を要求した。

 以後はセラ村でチェイニーと共に過ごした。

 男女一子ずつを儲け、その二人はアリティアの騎士となった。

 クリスが伝えたマクリル・メソッドはその子らに引き継がれ、そのメソッドはやがてアリティアの士官学校での欠かさざるべき教育方針にまでなったという。

 

 チェイニー

 クリスと共にセラ村で過ごし、彼が老衰で眠るように逝くと狭間の地へと旅立った。

 しかし、その後も独自の技術か力によって狭間の地を抜け出し、旅に出ていたらしい。

 

 クリス

『彼女』は戦いの後に彼女やエレミヤの功績を並べ、恩賞を求める。

 というのも、他の三人がそうした要求に対して疎いような、尻込みするような風だったからである。

 それによってアリティアは莫大な恩賞を四人に与え、彼女たちが求めた孤児院を設立した。

 エレミヤ、カタリナ、クライネの人生を見送ったあと、役目を果たしたと言わんばかりに彼女も永い眠りについたという。

 

 エレミヤ

 クリスたちと孤児院を作った後に、マリアと協力してより広く孤児院や恵まれない境遇のものたちを救済する組織を作り上げた。

 通称マリア財団の初代会長となって、その辣腕を振るう。

 また、財団設立前のことではあるが、魔道学院の手伝いを求められたことがあり、そこで出会った青年と恋に落ちて、子を残している。

 後にその子が二代目会長となり、マリア財団を大いに発展させた。

 

 カタリナ

 クリスたちを支え続けた。

 何度か見合い話も来たのだが、大切な人がいるからと断っていたという。

 

 クライネ

 クリスたちを支え続けた。

 孤児院が落ち着いた頃に結婚し、一子を儲けた。

 

 メリナ

 狭間の地の管理者として君臨した。

 一向に来ないレウスにラニがやきもきしているのを宥めたりと忙しかったらしい。

 公明正大な性格の彼女に管理者の仕事は実に向いていたようだ。

 とは言え、リフレッシュ休暇ではないがいつまでも同じことをしていては魂が曇るという理由から彼女もすべての記憶を封じて転生することもあった。

 そこでレウスの子孫と結ばれたという噂がまことしやかに流れることも。

 

 ラニ

 狭間の地の存在を担保するための研究や技術を発展、保守し続けた。

 好奇心旺盛な彼女はそれに留まらず、大いに転生を利用して人生(神生)を楽しんだという。

 四振りの暗月の大剣は現在、地上に存在し、持つべき主を迎えているようだ。

 

 マルギット

 狭間の地が安定するのを見届けると、自らを封印し、永い眠りに就く。

 時折覚醒めては律にも似た力を作用させようとするものの前に現れ、野心の火を消すこともあったという。

 

 マリケス

 狭間の地が安定するのを見届けると、自らを封印し、永い眠りに就く。

 ただ、本体を眠らせたと言うだけでアカネイアや狭間の地などでは彼の眷属ともなっている犬を走らせ、問題がないかをつぶさに調べているらしい。

 

 フィーナ

 竜教団の舞姫として教団を導く。

 レウスとの間に三子を儲け、それぞれが教団で重要なポストを占めることになった。

 子が大きくなろうとレウスに甘えられるタイミングでは甘えるのを逃さず、

 またレウスにも甘えさせたという。

 彼女もレウスも定命から外れた存在であるからこそ、お互いの心を慰撫する重要性を理解していたのだろう。

 子供が大きくなった頃に狭間の地へと向かった。

 その後、レウスを誘い、転生させている間の彼の代理人をしたりと地上では気ままな生活をしていた彼女とは違う姿を見せた。

 

 マルス

 紋章士であった彼女は早い時期に狭間の地へと渡った。

 彼女は誰よりも数奇な運命に愛されていたのか、転生するではなく、何かに呼ばれるようにして異世界へ飛ぶことが多かった。

 その度に必ず帰ってきたという。

 レウスが狭間の地で腰を落ち着かせた後も、彼を伴って異世界に飛ぶことも少なくなかった。

 

 レウス

 アカネイアの統一王、現人神。

 英雄とも、梟雄とも後世には謳われた。

 彼は存命の頃から自らをどう謳うか、記すかなどを制限を付けず、好きにせよとお触れを出していたため、多くの創作物が生まれた。

 多くの妻や子に恵まれ、幸せな人生を過ごす。

 後に狭間の地に渡り、律を司る神格としての神性を得る。

 ……得たものの、異世界へ強制的に招待されたり、狭間の地からアカネイアに戻ってみたり、別の大陸に行ってみたり、転生してみたりとおおよそ落ち着きのある神ではないし、今もまたどこかを旅しているのだと思われる。

 

 

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 あとがき

 いつも感想、誤字報告、評価などありがとうございました。

 おかげさまで完結まで走り抜けることができました。

 

 本来であれば色々とあとがきに残したいところではありますが、

 言いたいことは大体本編で書かせていただいたのであまり語ることもなく……。

 

 レウスを巡る、レウスが巡る冒険はこれにておしまい。

 世界はきっとまだまだ続くでしょうが、それはそれ。

 皆様の夢の中で揺蕩うことがあるのを祈っております。

 

 次回作はオリジナルですが、お目にかけてくだされば嬉しいです。

次回作:百 万 回 は 死 ん だ ザ コ

 



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