トム・リドルをTSヒロインにする暴挙 (生しょうゆ)
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1話

 

 

 

 人の運命は予言者にしか分からない。それは決まり切ったことであり異論を挟む余地など無いが、後で振り返って、「ああ、ここが運命の分岐点だった」と、そう思うような瞬間は誰にもあるだろう。進路を選択した日、恋人に告白したその瞬間など、運命の日はそれぞれに異なっている。加えて当人がそう思っているだけで、実際にはまるで違うこともある筈だ。

 

 だが──僕は確信を持って言える。僕の運命の分岐点とは、新入生として乗車したホグワーツ特急の中、がらりと空いたコンパートメントに座る一人の少女に、話しかけるかどうかであったに違いなかった。

 

 

 

 

 

「まったく、魔法史はこの世で最も優れた教科だね!」

 

 コンパートメントに立ち入って、開口一番にそう言い放った僕のことを、彼女は胡乱げな目で見つめていた。その目を僕はよく覚えている。冷たく尖ったこの世全てを見下すような眼が、彼女の人格を何よりも象徴していた。

 

 黒髪に黒目の端正な顔をした少女は膝上に魔法史の教科書を捲っていた。闖入者である僕に神経質な厭う目を向けたが、それも一瞬のことで、すぐに柔和な人懐っこい笑顔を浮かべた。

 

「ええと、君も魔法使いかな。私は……」

「アルフレッド・バグショット! 君が今読んでいる教科書と同じ姓、同じ血族に属している。そして今世紀最高の魔法史家になる男さ。君も魔法史家にならないか?」

「バグショット? ふうん」

 

 少女はおばさんの名前を聞いて幾らか興味を持ったようだった。捲りかけていた教科書を一瞥してから閉じ、視線を合わせて僕に言った。

 

「君は、教科書を書くような人と親戚なんですね?」

「ああ。バチルダおばさん……正確には曾祖伯母なんだけど、その人は子供の時から僕によくしてくれた。即ち、今世紀最も魔法史に業績を残した魔女の薫陶を受けたということさ」

「魔法史、ね。教科の一つではあるが、しかし呪文学とか、防衛術とかじゃあないんですね」

「うん? なんだい。君も史学を軽んじる口かい!」

 

 微妙な反応を示す少女に対し、僕はぐいぐいと主張していった。

 

「君、君ね、純血か、半純血か、マグル生まれか? 純血、半純血なら、その考えは間違っていると言わざるを得ないし、マグル生まれなら史学と軽んずるなかれ! 魔法界の歴史はマグルのそれとはまるで異なっているぞ!」

「……純血? それは、なんだい。ひょっとして……重要な地位に関する、あれだ、貴族みたいなものなのか? 魔法界における貴族みたいな……」

 

 ぞっとする目をしたのに僕は驚いた。少女は先程までの柔和をかなぐり捨て、悍ましい目をしていた。黒い目が印象的に広げられ、その中に僅かに赤みが差しているように見えたのは錯覚だろうか。

 

 僕は魔法界における純血と半純血、そしてマグル生まれとスクイブに関して説明してやった。その話をぎらぎらとした目で、うんうんと頷きながら聞くところを見ると、この子はマグル生まれなのだろうか。

 

 しかし、マグル生まれ……つまり全く魔法界の常識を知らない状態で、おばさんの教科書を捲っているとは中々の有望株である。同じく魔法史を極めんとする同士かも知れない!

 

「魔法史とは、最も崇高な授業である! 賢人は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ! 歴史こそ学生及び人生の導き手なるぞ!」

 

 僕は熱心にそう語った。バチルダおばさんから色々教わって、興味が凄まじいのだ。昔から古書を紐解いて文献を知識として蓄えている。きっと僕は、レイブンクローに配属されるであろうという自信がある。

 

 が、少女は僕の熱意を袖にして冷たく言った。

 

「生憎、歴史の授業は間に合っているよ。歴史なんて……力にはならない。それで得られるのは知識だけだ。僕に必要なのは手なのさ。手か、或いは力か。全てに文句を言わせないような力……」

「知識とは即ち力であろうに」

「君の古風な言葉遣いは、そのバチルダって人の影響かい? だとしたら直した方が良いね。周囲と違う人間は、違うと言うだけで迫害されるからね」

「なるほど! ご忠告どうも!」

「……何故、真正面に座るんだ。あー……今までで、僕が君を、あれだ、疎んでいることは分かっただろう」

「君の名前を聞いていないからさ。それに、僕には友達が居なくてね。ここで一人作ろうと思ったんだ。君に話しかけたのは全くの偶然だった!」

 

 彼女は素っ頓狂な顔をした。それが僕にはおかしかった。ホグワーツに入学する新入生同士、挨拶をするものでは無いのか? 少なくともおばさんにはそう聞いていたし、練習だってしていたのだ。しかし少女は大変意外そうに言った。

 

「……リドルだ」

「リドル? 名前か? 姓か?」

「……トム・マールヴォロ・リドル。……それが私……僕の名前だ」

「へえ。よろしく、トム!」

「……トムは嫌だ。リドルも……いや、仕方ない。リドルと呼んでくれ」

 

 トムという名前を彼女は嫌がった。当然か。女子に付ける名前ではない。と言うわけで僕は彼女をリドルと呼んだ。

 

 リドルは挨拶もそこそこに教科書中の疑問について僕に尋ねてきた。

 

「何故、魔法使いは隠れているんだ? 教科書にそうあった。国際魔法使い機密保持法……理解しがたい。魔法族は非魔法族……マグルより優れている。何故わざわざ?」

「ふうん、君はグリンデルバルドみたいなことを言うんだね」

「グリンデルバルド?」

「君が今言ったように、国際魔法使い機密保持法に異議を唱えて、各地で事件を起こしている闇の魔法使いさ。君は知らないだろうが、今は死ぬほどきな臭い時期なんだぜ。後数年で戦争になってもおかしくはない。それこそ、かつてのマグル並のね」

「へえ……やっぱり、そうなんだ」

 

 リドルは満足げな笑みを見せた。

 

「なら、もう少しで魔法使いが世界を征服すると言うことか。なんだ。それなら話は簡単だ。君のおばさんが著したこの教科書も、すぐに内容を変えることになるんだね」

「いや、それはどうだろうね。何せダンブルドアが居るから」

「ダンブルドア? ダンブルドアだって? あの老人が?」

 

 リドルは困惑したような、苛立ったような表情を見せた。ダンブルドアと会ったことがあるのだろうか。人となりを知っているような口振りである。

 

「ああ。上級大魔法使いに選ばれながらもそれを固辞した、気品と人格を兼ね備えた偉大な魔法使いであり、ホグワーツの変身術教授! 彼がいるからこそグリンデルバルドの計略は未然に防がれ、ここイギリスにも手が及んでいない。グリンデルバルドに拮抗し、上回る事が出来る唯一の魔法使い!」

「……君がダンブルドアを尊敬していることはよく分かったよ。それで? どうしてその人がいると、機密保持法が守られるって?」

「スタンスの話だよ。グリンデルバルドが急進派、破壊派なら、ダンブルドアは穏健派、保守派だからね。彼が機密保持法の維持を掲げている以上、二人の対決は必至であり、果たしてどちらに軍配が上がるか、予言の出来ぬ僕らには分かったものでは無い」

「ダンブルドア……機密保持法……グリンデルバルド、ね」

 

 ぼそぼそとリドルは呟いた。非常に興味深そうに、目を鋭くして僕の話を聞いていた。

 

「上級大魔法使いだったか。分からないが、高い地位なんだろう? 選ばれて喧伝されるに足るだけの……。つまり世間的には、ダンブルドアが支持されている。機密保持法は維持されるべきだと考えられているわけだ」

「鋭いね。君は賢いな」

「……まあね」

 

 にやりとリドルは笑った。まるで少女らしくない笑みだった。僕は彼女へ向けて朗々と情勢を語った。

 

「確かに、1689年に初めて成立し1692年に正式に施行されて以降、国際魔法使い機密保持法は魔法族にとって絶対の法だった。しかし昨今では、純血を中心として廃止を叫ぶものも少なくない。グリンデルバルドは多くの信奉者……アコライトと呼ばれるグループを率いている。その数が多いか少ないかは……公表してないので分からないな」

「成る程、成る程ね。やはり同意する人は多いんだ」

「マグルの世界で大戦争があったからね。ヨーロッパを荒らし回ったあの戦争だよ。あれに危機感を覚えたのが大きかった。かつての魔女狩りのように、火に炙られるだけじゃ済まなくなると考えたのさ」

「……ん? 危機感? 危機感から、同意する奴が多いのか?」

 

 リドルはそこで声色に不快感を滲ませた。額には皺が寄って、鋭い目がよりキツくなった。僕は意外な表情の変化に驚きながらも話を続けた。

 

「彼らの主張としてだがね。いずれ必ず発生するという戦争を予見して、その残虐さと危険性を喧伝し、信奉者を集めていったという話だ。『戦争を起こさないために』『平和のために』魔法族がマグルを支配しようって」

 

 そう説明すると、リドルは何だか悔しそうに視線を落とした。夢敗れたような表情で、彼女は恨むように呟いた。

 

「……僕は、魔法使いというものは、マグルとは隔絶していると思っていた。隔絶して優位だと思っていたが、違うのか。たかがマグルを魔法族は恐れるのか」

「そこだ!」

「うえっ」

 

 いきなり声を上げられ、鼻先にびしりと指を突き付けられたことに、リドルは大変驚いたようだった。しかし僕は遠慮なんてしていられなかった。言いたくて堪らなかった。

 

「確かに! 生物として魔法族はマグルより優れていると言って良いだろう。それは思想の問題じゃない。生物学的分類だ。だが、現実としてマグルは魔法族を脅かすまでに至った。何故だと思う? ん? ん!?」

「えっ……何だよ、いきなり。……数だろう。魔法族は非魔法族より圧倒的に少ないと聞いた。数だけは多いから、物量の問題だ。個体の能力では勝負にもならないさ」

「惜しいな! だが、外れてはいない。いいかい、よく聞きたまえ」

「……君は教師か?」

 

 リドルの呟きを無視して、僕はこれから熱心に語る準備をした。これだ。こういう事を語る友達を僕は求めていたんだ。ゴドリックの谷の連中はうるさがって付き合ってくれなかったからな。

 

「君が言ったとおり、問題は数だ。しかし、それはマグルが多い事が問題なんじゃない。魔法族が少ないことに問題があるんだ」

「……同じじゃないか? 言い換えただけで」

「いいや全く違う! というのも、僕は現代の機密保持法を巡る問題に関して、原因はマグルではなく魔法族にあると考えているからだ。未だ表面をなぞっただけだが、魔法史に眼を焼かれたものとして、こう断言しよう。──魔法族の歴史は、マグルの歴史に比べて、圧倒的に薄いのだよ!」

 

 リドルはぽかんとした顔を浮かべた。僕はその呆けた顔にも染み入るように、一言一句力を込めて語っていった。

 

「問題は数だ。そして個体の優位性だ。魔法族は、マグルに比べて一人で何でも出来すぎるんだ。協力することをしない。国家なんて作らない。家族や親戚、大きくても村単位でしか集まらない。──だから歴史が残らない! そして……これが本当に致命的なんだが、あまりにも秘密主義かつ、個人の技量によるところが大きい! 腐ったハーポ! 無敵のアンドロス! ホグワーツ創設者の四人! 偉大な……本当に偉大な魔法使い達だが、今ではその業績だけが残って、研究内容がまるで受け継がれていないんだよ!」

 

「あ、ああ」

 

「創設者の四人は本当に偉大だ! 993年の開校は、イギリスに新たな風を呼び込んだ……。だが、あれから何年経ったと思っているんだ! もう50年で創立1000周年になるってのに、初等教育、基本的な内容からまるで進化していない! 研究機関が、魔法界には全く足りていないんだ。魔法省の神秘部は最悪の結果だ! 個人主義、秘密主義と、魔法界の悪い部分を凝縮したような存在だ! あんな所が最先端の研究機関だなんて、絶望ものだ!」

 

「お、おい、ちょっと……」

 

「マグルが危険だって? 魔法族を脅かすだって? それまでのんびりしていたツケだろうが! グリンデルバルドは滑稽だ! 何が死の秘宝だ。13世紀の品を20世紀になっても追い求めて! 700年経ってもそれ以上の品が開発できていないことを恥じるべきだ! 真に魔法界を憂うというなら、まずは足下を固めて、それで……!」

 

「シレンシオ黙れ」

「…………っ!」

 

 ああっ、リドルの奴、沈黙呪文を使いやがった。

 

 はあと溜息を吐いて、彼女は言った。呆れた顔をしていた。

 

「見られているよ。随分うるさかったからね。あー……君の熱意は理解したけどね、もう少し落ち着いて話してくれよ」

 

 僕は口がきけないまま、こくこくと頷いた。見ればコンパートメントの入口には、何だ何だと好奇の視線が集まっている。僕は取りあえず一礼謝って、それで生徒達も帰って行った。

 

「……フィニート・インカンターテム。呪文よ終われ」

「っぶはっ! ……やっぱり君は賢くて、優秀だ。シレンシオは上級生で習う呪文なのに、もう使いこなしている。一年生用の教科書には載っていなかったけれど?」

「中古で全学年の教科書を買って、あらかじめ読んでいたのさ」

「……君は優秀なんてものじゃないね。控えめに言って、天才だ」

「ふふっ、まあね」

 

 にやりとまたしても少女らしくない笑顔。30センチ超の長い杖を慣れたように振りながら彼女は言った。

 

「まあ、君の言うことも分かった。魔法界には継承という概念が希薄だと。それがマグルに追い付かれた原因だとね。……しかし、こうは考えられないかい? 君がさっき言った、腐ったハーポだったか、無敵のアンドロスだったか、そういう人達の名声が今になっても届いているということは、彼ら彼女らは、時代を超える天才だった……。即ち、才能さえあれば、継承なんて必要ないほどの力を得ることが出来て、マグルなんて問題にもしないんじゃないのかい?」

「そういう考えをした凡人が一体何人居ただろうね。そいつらのせいで今の魔法界がある。それに、歴史がきちんと整って残っていれば、才能ある魔法使いは、更に強力無比になるだろう。そう言った観点からしても、後世に残さないというのはあまりに不利益だ」

「……成る程。古今に学べば更に、ね。確かに、凡人が思い上がるのはよろしくない。……言ってみれば、そのグリンデルバルドというのも、凡人の範疇ということだ」

「はは! 全くその通りだ。隔絶した力があれば……それこそ、ダンブルドアさえ寄せ付けないような人間がいたとすれば、そいつは確かに、単独で魔法界とマグルを支配できるだろうね。更に古代魔法使いの遺産を探し出し、それを身につけたとすれば……神に等しい、或いは死の化身とさえなるだろう」

「……何処にあると思う? そういった、古代の遺産というものは」

 

 リドルはぎらぎらと瞳を輝かせた。しかし口元には妙に優しげな微笑みが浮かんでいて、蠱惑するような魅力があった。

 

 だがそんなのはどうでも良かった! 僕は、今度は沈黙呪文で黙らされないよう、注意しながら言った。

 

「そりゃあホグワーツだね! 1000年近くの歴史があるホグワーツには、数々の秘密、遺産が眠っている! その中には強力な呪いがかけられている品もあるだろうし、命の危険もあるかも知れない。だが! 歴史家を目指すものとして、挑まない選択肢はないね!」

「ふうん……ホグワーツか……!」

 

 リドルは夢を見るような目をした。未だ着かぬホグワーツ城を夢想するように、にやりと、今度は年頃の少女っぽい笑みを浮かべた。

 

「そして、まあ、これは普通秘密にするんだが、そして秘密にしなきゃいけないことを大っぴらに口にするから僕は嫌われるんだが、入学した一番初めに、きっと僕達はその遺産の一つを目にすることになるだろうね」

「それは一体?」

「これは本当に楽しみにしている人が居るから、ちょいと耳を拝借。……しかしバチルダおばさんには情緒ってものが無いのかね。手紙が届いたその日に組分けの話を詳細に語るなんてさ……」

「早く!」

「ああ、はいはい」

 

 リドルに急かされて、僕は周囲を憚りながら言った。

 

「……組分け帽子。ホグワーツ創設者が一人、ゴドリック・グリフィンドール由縁の品で、被った者の思考を読み取り、その生徒に最も合った寮を選ぶのさ。こんな魔法具は類を見ない。まさしく傑作中の傑作であり……だからこそ、その製法が後世に残っていないのが残念極まる」

 

 こそこそと周囲を気にしながら話すと、リドルは得心がいったような顔をした。

 

「ああ、駅で皆、寮がどうとか言っていたのはそれだったのか。確か、グリフィンドール、ハッフルパフ……」

「それに加えてレイブンクローにスリザリン。合わせて四つの寮。創設者達の名字から取っている。グリフィンドールは勇気、大胆さ、騎士道的精神。ハッフルパフは勤勉、忍耐、公平性。レイブンクローは知性、知識、智恵。スリザリンは野心、狡猾さ、機智。それぞれ重きを置いているとか」

「勇気、勤勉、知性、そして野心、ね……」

「僕としては、僕が入るであろうレイブンクローをおすすめするね! 君もそれが良いんじゃないかい? 知識を求めるには一番だ! 寮を象徴する鷲だって、蛇やらライオンやら穴熊より格好いいしね」

「蛇?」

 

 リドルは突然、そこに興味を抱いたようで、ぱっと耳を離した。瞳は爛々と関心に彩られている。

 

「蛇……その、動物っていうのも、魔法的な特別な意味合いがあるのかい? 例えば、スリザリンでは蛇が何か、特別な……」

「ああ、蛇に関しては有名だよ。スリザリンのサラザール・スリザリンは、バジリスクっていう魔法生物をペットにしていて、それと自在に話すことが出来たらしい。今では伝説のパーセルマウス、蛇語話者だったという話さ。だからスリザリンにとっては、蛇は一段と特別な存在だろうね」

 

 そう言うと、リドルは急に破顔した。それまでの落ち着き払った態度とは一変して、最高の玩具を目の前にした子供のように頬を赤く染めた。

 

「なら僕は、きっとスリザリンだ!」

 

 リドルは嬉しそうに、殆ど飛び上がるようにして言った。

 

「それはどうして?」

「パーセルマウス! 僕も蛇と話せる! やっぱり特別だ。ダンブルドアめ。何が『例がないわけでは無い』だ! 僕はやっぱり、特別な魔法使いの血を引いている!」

「驚いた! 君はパーセルマウスか!? そりゃあスリザリンに決まっている。ちくしょう、同じ寮に入れると思ったのに」

「ふふっ、ふふふっ!」

 

 リドルは暫く笑っていた。悦に浸るように視線を中空にぼんやりと浮かばせながら、興奮そのままに僕の手を取った。彼女は興奮を更に高めて早口に言った。

 

「なに、心配しないでくれ。これまでの会話で、君が優秀だということは分かったさ。他の一年生よりも、確実に! 僕に得がたい知識を授けてくれた……! だから、これからもよろしく頼むよ。僕達は友人だ」

 

 細い腕は真白く蛇のように滑らかだった。僕はその手を硬く握った。友人と呼ばれたのは嬉しかったのだ。彼女は幾分か、計算染みた笑みを口端に浮かべていたが……。そんな事にも気付かないくらい、友人が出来たことが嬉しかった。

 

「君はもしかしたら、スリザリンの血を引いているのかもね。君ならきっと、スリザリンの遺産に辿り着ける。その時は必ず僕も誘ってくれ。いいかい、必ずだよ! 僕がいた方が絶対に辿り着きやすくなるんだから!」

「ああ、分かった、分かったとも。ふふっ……創設者の血か……!」

 

 その時、がたんと列車が揺れて、段々と速度が落ちてきた。ざわざわと車内が騒がしくなって、窓が開けられる音が重なって響いた。

 

「ホグワーツ城だ!」

 

 誰かがそう言ったのを聞きつけて、僕達は急いで窓を開けて身を乗り出した。

 

 見れば、断崖の上には豪壮な城が佇んでいる。歴史深く、神秘に満ちた、我らの学舎が建っている!

 

「あれがホグワーツ……!」

「ああ、そうだ。魔法界の神秘と歴史その物だ!」

「神秘……神秘か!」

 

 僕達はわくわくと胸躍らせて、これから始まる日々を夢想した。素晴らしい冒険に、機知に富んだ授業の数々。そして古城に隠された秘密を巡る探求の日々を……。

 

 ──1938年、秋。僕の親戚であるゲラート・グリンデルバルドが、世界魔法大戦を引き起こす僅か一年前の事だった。

 

 

 



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2話

 

 

 

「アルフレッド・バグショット!」

「はい!」

 

 組分け帽子に名前が呼ばれた。僕は悠々と視線の中を歩く。周囲のざわめきは不穏な色を忍ばせている。

 

「バグショット……」

「……グリンデルバルド」

「闇の魔法使い……」

 

 ああうるさいうるさい。そんな名前はどうでも良いのだ。スリザリン寮の方から熱い視線が送られるが、生憎僕はレイブンクローに入るだろう。ちょっとばかし興味はあるけどね。リドルと同じ寮になるだろうから。

 

「だけど、僕が求めるのは知識だ。そうだね? 組分け帽子」

「ふうむ……」

 

 偉大な魔道具である組分け帽子は、その神秘的な構築とは裏腹に、随分と古ぼけた姿をしている。しわくちゃの帽子はしかめっ面を浮かべて、僕の頭の上で唸った。

 

「これは……難しいな。確かに知識を重んずる。しかしその最果てに目指すものは、知識ではなく野心とも言える……」

「えっ、スリザリン? あそこは保守的な傾向でしょう? 僕が目指すものとは少し違うんじゃないのかなあ」

「君は魔法使いに誇りを持っている。誇りを持っているが故の野心だ。誇りを持っているからこそ、改革をしたく思っている。……加えて必要とあれば規則を破る傾向。目的達成のための強い信念。極めつけに、君は孤高とは言い難い。君は孤高を求めてはいない。寧ろ同胞愛に満ちている。同胞愛に満ちているからこそ……ならば、君が行くべき場所は」

「えっ、ちょっと」

「──スリザリン!」

 

 わっと、スリザリン寮から歓声が上がった。周囲の目は疑念から確信に変わったように見えた。ふと組分けを待つリドルの方を見ると、彼女はにやにやとこちらを見て笑っていた。あれだけ自信満々に言っていたのに何だか恥ずかしい気分である。

 

 それから、当然のようにリドルはスリザリンに組み分けられた。僕の時よりも大きい歓声が響いて、他の寮からは残念そうな声が上がった。当然か。可愛らしい女の子に来て欲しいとは誰だって思うものである。

 

「貴方はレイブンクローに入るんじゃなかったのかしら?」

 

 リドルは先に座っていた僕の隣に腰掛けて、皮肉気にそう言った。その言葉遣いはコンパートメントとはまるで違う物である。リドルの奴、どうやら猫を被っているらしい。

 

「どうやらこっちが良いってさ。組分け帽子が耄碌したわけではない……と思いたい。まあ何にせよ、君と同じ寮に選ばれて良かった。僕がスリザリンで、君がレイブンクローだったらどうしようかと」

「君が言ったんじゃないか。僕……私は絶対にスリザリンだって。……それにしても」

 

 リドルはそこで、本当に嬉しそうな笑みを浮かべて言った。

 

「どうして言ってくれなかったの? 貴方はバチルダ・バグショットの親戚であるだけじゃなくて、グリンデルバルドの親戚でもあるって! 偉大じゃない。強力な魔法使いの血族なのよ、私達は! 同じような友人を得られて、私はとても嬉しいわ」

「尊敬はしていないと言っただろう。それに周囲の目を見ろよ。皆、偏見の目で見ているんだ。確かにバチルダおばさんはグリンデルバルドの大叔母で、親交も深くあったようだけれど、僕は会ったこともない。期待も侮蔑も、全くの見当違いだ」

「血統は誇るべきものよ。それは力なのだから!」

「僕本人のことじゃないだろう。君みたいに特別な力があるならともかく、こんな血縁は悪名を生むだけさ。それに、どうせならあのバチルダおばさんの親戚って所に目を向けて欲しいね。少なくとも、魔法史に関して言えば、僕はあの人から受け継いでいるところがある」

 

 そう言うと、リドルは奇妙なものを目にしたような顔をした。ぱちぱちと瞬いて、目を丸くして言う。

 

「貴方は血統を選ぶの? どちらも貴方の親戚だということは変わらないわ」

「そんな事を言ったら、純血と言われる魔法使いは全てブラック家の先祖を尊ぶことになるだろうね。……ああ、ブラック家ってのは、純血の中でも一番有名な、王様みたいな家だよ。まあつまり僕が言いたいのは、誰を誇るかなんて、血統に関係の無いものだってことさ。別に親戚じゃ無くてもいい。血が繋がってなくても、教師だったり師匠だったり」

「……血は大切よ。生まれというのは、個人の特別さを何よりも保証する物なのだから」

 

 底冷えするような声でリドルは言った。列車でも感じていたが、彼女は純血主義者の気があるらしい。

 

 周囲で耳を傾けている生徒達がにやりと笑ったのが見えた。同意するように頷いたのが見えた。彼女はスリザリンによく馴染めそうであった。対して僕には厳しい視線が向けられている。それは血統を重要じゃないと言ったことに加えて、可愛い女子生徒を独り占めしている嫉妬から来るものだろう。

 

 それはまだ良い。意気地無し共だとは思うが、しかしぼそぼそと「闇の魔法使いの癖に」と言われるのだけは気に食わない。それは確かに事実ではあるが、しかし事実だろうが僕は嫌だって言っているだろうに。別に血縁がある事実を否定したいわけではないが、少しは言われる側のことも考えて欲しいものだ。

 

 そこで僕は一つ皮肉を言ってやりたくなった。

 

「本当に純血が力になるというのなら、どうしてゴーント家は没落したのだろうね? 本当の純血と呼べるのは、あそこだけだろうに!」

 

 その呟きに、一瞬でざわめきが広がって沈黙に変わっていった。憎むような視線が僕に向けられる。それを僕はせせら笑った。対してリドルは困惑したような顔を見せていた。

 

「……なに? 随分と、周囲の様子がおかしいようだけれど」

「魔法界にもタブーはあるのさ。例えば、純血は必ずしも純血ではない、という事実だったりね。全く滑稽なことだ! 歴史は覆い隠せるものでは無い。最近発表されたカンタンケラス・ノットのたわごとを、まさか信じては居ないだろうね諸君! 聖28一族なんて、あんな偽書を、妄想を……」

「フリペンド回転せよ!」

 

 急に衝撃呪文が飛んできた。リドルは驚いた顔をしたが、この程度、難なく防げる。

 

「プロテゴ護れ! っひひ、怒ったのか? 君は、あれだ。見たことがある。ノット家の子! お爺様を馬鹿にされて怒ったのか? その隣に居るのはレストレンジか! 睨むなよ。事実だろう?」

「……私としては、貴方の物言いに問題があると思うけれど? 皆、困っているみたいよ。貴方の言葉で」

「そうかい? しかし事実ではあるよ。なあ、『聖28一族』の君たち!」

 

 そう言うと、同じ一年生である二人の少年は顔を真っ赤にして杖を向けた。共に純血の、如何にもスリザリンらしい二人である。

 

「貴様っ……純血を愚弄するのか! グリンデルバルドの血統の癖して……!」

「リドル! この様に、血統しか誇るものが無いと頭に血が上りやすくなってしまう。気を付けることだね。もっとも、君は優秀だから血だけを頼りにすることはないと思うけど!」

「黙れ! エクスペリアームス武器よ去れ!」

「血を侮辱するものめ! フリペンド回転せよ!」

「プロテゴ、プロテゴ! はは、防御だけは昔から得意なんだ」

 

 僕は飛来する呪文を打ち消しながら、椅子から立ち上がって諭すように言った。これまでの僕の言葉は意図した挑発だ。だが、こう言われたことで、彼らも僕の気持ちが分かったことだろう……。

 

「いいか! 僕は確かにグリンデルバルドの親戚だがね、それ以上にバチルダおばさんの弟子なんだ! 事実だからって言われて嫌なこともあると、こう語ったことで分かっただろう? 君たちにも誇る物はあるのだろうし、それは尊重したいけれど、僕にだって……」

 

 と、そこまで言って僕はふと気が付いた。そもそもこいつらが拠り所にしている純血という物は真っ赤な嘘じゃ無いか。偽の歴史だ。全く事実でも何でも無いじゃないか!

 

「僕の歴史は事実だが、君たちの歴史は馬鹿げた嘘だな……。……うん? 馬鹿げた歴史を否定するのは正しいな? なあんだやっぱり君たちが全面的に悪いんじゃないか! 何が純血だ! 僕とお前達を一緒にするんじゃない!」

「うわ……頭おかしい……一人で勝手に怒ってる……」

 

 リドルの呟きを他所に二人は完全に怒ってしまって、まだ歓迎会も始まってないのに、机の上は魔法合戦の場となってしまった。しかし武装解除呪文も衝撃呪文も、僕の防御を突破することはない。伊達に本を読み込んではいないのだ。杖遣いは、魔法史に比べてそこまで得意というわけではないが、それでも並の一年二年程度は難なく片付けられると自負している。

 

 リドルはずっと呆れた顔をしていた。その内に騒ぎが大きくなって、僕達は揃って寮監のスラグホーン先生に叱られてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

「君に友人がいない理由が分かったよ」

 

 入学式が終わって、たらふく食べた後、スリザリン寮の談話室で僕とリドルは話していた。

 

「君は敵を作り過ぎる。それは賢いやり方とは言えないな。折角の素晴らしい知識と血統。そして先程見たところからすれば、君もかなりの力量を持っている。素晴らしい人間なのに、どうしてそう……」

「歴史家にとって、真実とは何よりも優先すべき事だ。そしてそんな歴史家は、往々にして権力者には嫌われる。自分達にとって都合の悪いことを書くからね」

「分かっているなら……」

「直す気は無い! 君だって、勝手な都合で『魔法を学ぶのを止めろ』と言われたら、反発したくなるだろう。それと同じさ。どうやっても耐え難いことなんだ。だから僕はレイブンクローに入りたかったのさ」

 

 そう言うと、リドルは少し納得したような顔を見せたが、しかしまたしてもはあと一つ溜息を吐いた。

 

「君は、あれだ。少々苛烈が過ぎるな。君との友情を打ち切ってしまいたくなる……。だが、確かに純血の不甲斐なさには失望したね。確か、聖28一族だと言ったか。あれは?」

「偽書さ。1930年に入ってカンタンケラス・ノットという馬鹿が発表した、欧州魔法界において間違いなく純血とされた28の魔法界の名門のことだ。しかし調査不足が多くてね、マグルが混じっている家系も少なくない。それで純血と嘯いているのだから、歴史家として絶対に認めるわけにはいかないのさ!」

「ふうん……それはそれは、滑稽だね。純血もたかが知れると言うことか……。それに、二人がかりで君一人に全く敵わなかった。やはり力だね。力が重要だ。血統は……まあ血統も重要だがね」

 

 リドルは思案の表情を深めた。そしてふと、思いだしたように言った。

 

「それに君は、ゴーント家と言ったな? あれで周囲がざわめいた」

「ゴーント家も聖28家の一つさ。その中でも、僕が知る限り確実に純血と言える唯一の家だ。だが、今は没落してしまっていてね。彼ら純血主義者にしてみれば、純血なのに、という痛いところを突いた形になるわけだ。今の当主は……なんて名前だっけか? 事件を起こして逮捕されて、当主が替わったんだっけ? ゴシップには余り興味がないからなあ……」

「ふん……下らないね。純血というのもその様か。魔法界も大したことがないな。自分が優れているという思い込みを、弱者がしているのは滑稽だ。君という強者との力関係を測れないのもね。だが……君、カンタンケラス・ノットだかの名前は知っていたじゃないか。それに君、一体、ゴシップと歴史を分けるところはどこにあると言うんだい?」

「ううん……歴史というのは渦中にあって整理できる物では無いのだから、少なくとも十数年を経てから判別すべき事なんだが、しかしゴシップが歴史の重要な転換点になる事があるのも事実ではある……。今の情勢を鑑みれば、ちょっとした事件が大事の切っ掛けになる事もあるだろうし……僕も学生の身になったわけだ。これからは歴史書を読むだけでなく、情勢から現在の歴史を読み解いていく努力をしていこうか」

「歴史を学ぶ意義っていうのは、本来はそれじゃないのかい? 知識が力だというのなら、ね」

「知識って別に即物的な物だけでは無いと思うけれど……学ぶだけでも楽しいよ。楽しいから学んでいるのさ、僕は」

 

 そう言うと、リドルは「ふうん」とまるで興味がなさそうに相槌を打った。こいつ……魔法史を学ぶ気がこれっぽっちも無いな……。

 

「……それとその名前を覚えていたのは歴史に対する侮辱その物だからだ。思想で歴史を改竄するなんて最悪だ! それが支持されているのも虫唾が走る!」

「聖28家ね……その28家の事を、もう少し詳しく教えてくれないか?」

「ああ、良いとも」

 

 そうして僕は、度々内容について批判を加えながら、聖28家について説明していった。それをリドルは大変興味深く聞いていたが、終わり際にぼそりとこう呟いた。

 

「……リドル家は、ないのか」

 

 その呟きに、そう言えば、と僕は思い出した。ゴーント家と言えば魔法界きっての頭のおかしい一族で有名だが、もう一つ有名な話がある。それは彼らがサラザール・スリザリンの子孫であるという話だ。パーセルタングも使えるという話であるし、もしかしたらリドルの親戚かもしれない。

 

 それをリドルに話すと、彼女は本当に嫌そうな顔をした。僕に引くような目まで向けてきた。

 

「君、君ね……さっき盛大に没落していると言った家を、僕に関連付けようっていうのか? 最悪だな君……。さっきから思っていたが、中々性格が悪いというか、無頓着というか……」

「親切心から言ったのに……一応誇れると言えば誇れる家系だろう。純血の中の純血だよ、一応」

「……僕の父親の方が、きっと魔法族なんだ。リドル家が魔法族にあるんだよ。スリザリンの血統を受け継ぐリドル家が」

「ふうん、寡聞にして聞いたことが無い。調べたいの? 手伝おうか」

「君が聞いたことが無い、か……」

 

 リドルは少しだけ不安そうな顔をして、しかしそれを打ち消すように瞳を鋭くして言った。

 

「いいよ。これは僕の問題だ。君は関わるな」

「そう? だけど本当に聞いたことが無いな。母親の方が……」

 

 ゴーント家に関係してるんじゃないの? という言葉を僕は飲み込んだ。というのも、母親という単語を口にした途端、リドルの顔つきが変わって酷く憎み恨むようなものに変わったからだ。

 

 流石に、知り合ったばかりでそこまで踏み込むのは失礼すぎたか。歴史家にあるまじき事だが、僕は発言を取り繕った。

 

「母親の方が……マグルなのかなあ……うん。リドル家……あるんじゃない? 僕は知らないけど……」

「……そうだ。あるに決まっている。君は探すな。僕が探す。分かったな」

 

 脅しつけるような口調は、悲愴な色が混じっているようにも感じられた。

 

 

 

 

 



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3話

 

 

 

 ホグワーツに入学して一ヶ月が経った。この頃になると個々の能力や才能というものがはっきりと分かってくる。その中でもリドルは飛び抜けていた。飛び抜けて彼女は優秀だった。

 

 マグル生まれの彼女が、純血の貴族達を差し置いて一発で呪文を成功させる光景は、スリザリンの中では非常に浮いていた。普通ならば嫉妬に侮蔑に色々と混じって虐めでも起きそうな物であるが、リドルは巧みにそれを躱した。

 

「才能があるなんて、とんでもないわ。私はただ、努力をしただけよ。いい? こうやるの……」

 

 容姿端麗にして成績優秀。加えて性格も優れているとなれば、嫉妬が人気に変わるのは容易かった。純血の少年達、あのノットやレストレンジも、黒色の瞳に見つめられてどぎまぎしちゃって、お決まりの「穢れた血め!」も出てこなかった。

 

 対して僕は、最悪の学生生活を送ることになった。それまでは幸福に過ごしていたんだ。あの授業が始まるまでは……!

 

 

 

 

 

「今日の授業は何だと思う!?」

 

 朝起きて、談話室で僕は開口一番にリドルへと話しかけた。彼女は苦笑しながら言った。

 

「そりゃあ、君が大好きな……」

「そう魔法史だ! 魔法史の授業だ! ホグワーツで最も重要かつ優れた教科だ!」

「う、うるさいな……」

「これが騒がずにいられるか! 尊敬するバチルダおばさんの教科書で、ホグワーツという最高の学校で学べる! これ程の幸福があるものか!」

「はいはい」

 

 そんなわけで、僕は期待に胸を躍らせながら授業に向かった。リドルの隣に座って、さあ、さあ! と先生を待っていると、突然黒板からゴーストが出現して驚いた。

 

「ゴーストだ! ゴーストの先生……! これは期待できるぞ! 歴史的事件を実際に目にしている可能性がある!」

「ふうん? 君がそう言うのなら、期待しようじゃないか」

 

 ゴーストの先生はカスバート・ビンズと名乗った。年老いた先生は、どうやら自分が死んだことに気付いていないらしく、ゴーストである事をアピールしないまま授業が始まった。

 

 ──そして、それから悪夢が始まった。

 

「なあ、アルフレッド」

「……なんだよ」

「これの、どこが、ホグワーツで最も重要かつ優れた授業なんだい? 教科書を朗読しているだけで、おっそろしくつまらないじゃないか!」

「う……ぐうう……!」

 

 そう、そうなのだ。ビンズ先生の授業は、物凄くつまらなかった! 期待に胸躍らせる新入生の、緊張と期待に満ちた初回の授業で、大半が居眠りをしてしまう有様! こんな、こんな事って……。

 

「教科書を朗読するだけで、こんなにつまらなくなるはずがないのに……何故こんなにもつまらないんだ? 確かに他の授業に比べて、魔法らしくも、実践的でもないが、それにしたってこのつまらなさは異常だ。どうしてここまでつまらなく出来るんだ?」

「い、言うな! 魔法史はもっと面白い教科のはず……なんだ。教科書が悪いんじゃない……バチルダおばさんが悪いんじゃない……! 教え方が悪い……! 先生っ!」

「はい?」

 

 ビンズ先生は突然声をかけられたことに大変驚いているようだった。生徒に質問されて驚くって、それでも教師か!

 

「僕の名前はアルフレッド・バグショットです。この教科書を書いたバチルダ・バグショットに学んでいます! そこで質問、というか提案なんですが、もう少し歴史的な背景や事実を加えて、情景を描くように講義した方が良いのではないでしょうか! 普通一年生は、先史魔法族が住居に使った木材の説明に、まったく興味を抱きませんよ! モミの木でも松の木でもどうだって良いと思うのが実情ですって!」

「あー……ウィーター君? 生徒が講義の内容に口を出すものでは無いよ。では次に、魔法族はどのような木を好んだのか……」

「くそっ! 生徒の名前を覚える気さえ無い!」

「……ご愁傷様」

 

 そんな一幕にも注目されないほど教室には睡魔が降りていて、色々と面白くしようと僕は努力したのだが、何の成果も得られずに授業は終わった。生徒達は皆、授業から解放された後、「魔法史ってつまらねーな」と口々に言っていた……。

 

「あー……アルフレッド、そう気を落とさずに……。ほら、僕は最後まで寝ずに聞いていたからさ……」

「ぐごご……! ぐぎょぎょおっ……! げげげぇっ……!」

「こ、壊れている……」

 

 地獄だ。ホグワーツは地獄だ! ……だが、まだ救いのある地獄だと、僕は知っている。

 

 

 

 

 

 その日、僕は中庭で呪文の練習をしていた。談話室では手狭だし、周囲にも迷惑がかかるので、呪文の練習をするときは多くの生徒が外に出ている。僕もその例に漏れず、とある呪文の練習を熱心に行っていた。

 

 しかし、これが中々上手く行かない。一年生の範囲を大幅に超えているというのもあるが、それで諦める理由にはならない。何とかコツが掴めないものかと思案していたが、そこにリドルが話しかけてきた。

 

「やあ、アルフレッド。君は他の生徒みたいに、攻撃呪文を練習してはいないんだね」

 

 リドルは意外そうに言った。彼女は珍しく一人だった。いつも周囲に人を連れてお姫様扱いだってのに、僕と話すときには何故かいつも一人でいる。加えて何時もの猫を被った丁寧な言葉遣いも使わない。

 

「ああ、リドル。まあ一年生の範囲はもう覚えているからね。それよりも、もっと重要で役に立つ呪文を練習しているところさ」

「へえ、それは?」

「目くらまし術。透明になる呪文さ。透明マントは高いし、動くのには邪魔だからね」

「……どうして役に立つって? そんなものよりも学ぶべき呪文は沢山あるだろう。もっと強力な呪文とかさ」

 

 リドルは不思議そうに言った。まあ、一年生は普通知らないだろうから、教えてやろう。

 

「ちょっと、こっちに」

「ん? うん」

 

 リドルの手を引いて、人目に付かない木陰に移動して、僕は言った。

 

「──ホグワーツには、禁書の棚というものがある。そこは普段見張られていて、生徒は立ち入ってはいけないことになっている。危険な書物が沢山あるからね。だが、この呪文があれば、気付かれずに侵入することが出来るというわけだ」

「へえ……! 禁書の棚か。それもホグワーツの遺産ということか……」

「ああ。そこにはきっと、僕の知らない魔法史に関する本も置いてあるに違いない。そして、ホグワーツの秘密、遺産の手掛かりについても、きっと! ビンズ先生の授業が控えめに言ってナメクジのゲロだったから、自分で学んでやるんだ!」

 

 リドルは大変興味深そうな眼をした。そしてにやりと笑って言った。

 

「それを話したということは、勿論僕も連れて行ってくれるよね?」

「何を言っている。禁書の棚は危険なんだ。だから……」

「む……」

「だから連れて行くに決まっているだろう! 僕だけじゃ危険すぎる。君ならばどんな呪いにも対処できると信じているよ。嫌だと言っても連れて行くからな!」

「むっ、む、そう、か。ふふん。そうだろうね」

 

 リドルは長い黒髪をかき上げて、得意そうに笑った。にやにやと、常ならば取り巻きには見せないような表情を浮かべている。しかし、引き受けてくれるのならば話は早い。いや、話を早くしなければならない。

 

「そうと決まれば、練習をしなくちゃな。ホグワーツ指導要領以上の実力を身につけなくちゃならない。行くぞリドル!」

「え? ……行くって、どこに? それにホグワーツの指導以上の力を身につけるために指導以上を身につけるって、矛盾していないか?」

「それが矛盾していないんだ」

 

 僕はこそこそと、また声を潜めて言った。リドルは耳をそばだてて集中して聞いた。

 

「──君は、必要の部屋を知っているか?」

 

 必要の部屋──あったりなかったりの部屋とも呼ばれるこの部屋は、複雑な錬金術の成果として、秘密裏に広く知られている。一見矛盾しているようだが、知られているところには知られているということだ。教師側も黙認しているような節があり、公然の秘密のような状況となっている。

 

 ホグワーツ城八階のとある廊下の前で、必要とするものを強く念じながら三回行き来すると現れる。その中には望む物があり、或いは望みが叶う部屋が現れている。

 

「……ということを、ゴドリックの谷にあるパブで盗み聞きした。まったく、魔法使いの秘密主義には呆れる! こんな便利な部屋は一般公開して有用に使うべきだというのに!」

「いや……秘密にする気持ちは分かるよ。ここは素晴らしい部屋だ」

 

 僕達が望んだのは『呪文の練習をする部屋』だった。目的を大っぴらに出来ない以上、隠れて練習する場所が必要だったのだ。もっとも、場所が場所なので、ここに出入りしていることは教師側に露見するだろうが、何をしているかまでは知られないだろう。

 

「ターゲット用の人形に、ああ、成る程。指導要領を超える、か。呪文集の本まで揃ってある。これなら確かに存分に学ぶ事が出来る」

「程度はあるがね。魔法史を学べる部屋を望んでも、全部読んだ事のある本しか出なかった。折角なら古代の品でも出てくれば良いのに、真の秘奥までは見せてくれないらしい。ホグワーツの遺産の一つではあるが、あくまで表面をなぞった程度のものだ」

 

 僕達は広々とした室内を歩き回って、その構成の緻密さに感嘆した。先程はああ言ったが、やはりこの錬金術は呆れるほどに素晴らしい。どうして製法を残してくれなかったのかと、悔しくなる。

 

「ホグワーツ城の設計は、ロウェナ・レイブンクローの手によるものだ。そして、最も有名なホグワーツの遺産の一つ、失われたレイブンクローの髪飾りの持ち主でもある。……それはきっと、ここホグワーツに隠されているに違いない!」

「それを探すための禁書の棚。そして禁書の棚を探すための必要の部屋か。……ふふっ、道が出来たね。君のおかげで僕は神秘に近づける。長く見えるが、僕にとっては短い道さ」

「早速練習を始めよう。まずは目くらましの術。それが出来たら大小様々な呪い破りの方法だ!」

「ああ!」

 

 リドルの実力は流石であり、加えて彼女は教えるのも上手かった。伊達に普段から取り巻きを連れていない。彼女は一つ呪文を覚える度に楽しそうにして、自分の力を嬉しそうに見せ付けた。

 

 僕もまた、リドルの指導のおかげで、時間はかかったが無事に目くらましの術を覚えることが出来た。加えて明らかに学年以上の術についても習熟していった。僕達はとても楽しく、魔法について学んでいった。それは最悪な魔法史の授業を忘れさせてくれるほどだった。

 

 ……しかし、リドルは必要の部屋に出入りして、僕と練習を重ねるに従って、段々と浮かない顔をするようになった。

 

 彼女は僕に何かを尋ねたがっているようだった。杖を振りながら、視線をこちらに向けてきて、何も言わずにじっと見つめてくることがあった。

 

 だが、そんな事に気が付いても、尋ねたい、教わりたいのはこちら側で、教えるようなことは一つもありゃしないのである。僕は不思議に思いながらも、まあその内聞いてくるだろうと思って、それよりも大事な呪文の練習に心血を注いでいた。

 

 

 



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4話

 

 

 

 そんな風に数ヶ月が経って、雪積もる2月もそこそこ。そろそろ禁書の棚に挑むかという頃である。必要の部屋でリドルがサーペンソーティア……蛇出現呪文を改良してバジリスク級の蛇を出せるように練習しながら、ふと、さりげない風に言った。

 

「そう言えば君は、僕が彼らと仲良くしていることに、何も言わないんだね」

「ぐええ! ポリジュース薬の味改良は失敗だな。こんな物飲めるわけが無い」

「……おい、聞けよ」

「えっ? ああ……んで? 彼らって、誰だよ?」

「っ──! 君と敵対している純血主義者達さ!」

 

 サーペンソーティア蛇よ出でよ! と呼び出した蛇が、まだまだ一般的なアナコンダ程度の大きさだったので、リドルは舌打ちして呪文を消した。

 

「っふう……。彼らっていうのは……ノット、レストレンジ、ロジエールにマルシベール。皆、君のことが嫌いな奴らだ。皆、君のことを悪し様に言う。君だって知っているだろう。僕がそれを止めていないことも。……気にしないのか?」

 

 リドルの言葉にぼくは実験の手を一旦止めた。しかしそんな疑問は心底どうでも良いことだった。

 

「気にするって、どうしてさ。別に僕は、敵対しているつもりもないんだ。ただ、僕が歴史的に正しいことを言うと、あちらが怒るというだけで……。まっ、言わせておけば良いだけのことだ。あんな愚か者共の言葉は、わざわざ相手をするに値しないね」

「そうじゃなくて……! 君は、僕が君を見捨てていることに、何とも思わないのかと聞いているんだ!」

 

 リドルは珍しく声を荒げた。驚いて、僕は思わず試験管を落としてしまった。がしゃりと落下音が部屋の中に響き渡る。振り返ってみれば、リドルは誇りを傷付けられたような顔をして、僕のことを睨んでいた。

 

 珍しい顔だと思った。外面の良いリドルが感情を露わにすることもそうだが、何より怒るような苦しそうな耐え難い顔をしているのが珍しかった。彼女はカツカツと必要の部屋に靴音高く近寄ってきて、胡座をかいていた僕を見下ろして言った。

 

「君は、僕のこともどうでも良いと思っているのか? どうでも良いから放っているのか? 君は質問をしないね。僕に何も聞かないね! どうして君以外には態度を取り繕っているのか、とか。どうして君を仲間に加えないのか、とか」

「うん? それは違う。それは……」

「どうでも良いからか? 僕の事を、野望に近付くための道具とでも思っているのか? 見くびるな! 僕は君より圧倒的に優れている! 君は、縋り付くべきなんだ。君は僕に、『お願いします』と言うべきなんだ! あいつらみたいに、あの間抜け共みたいに……っ!」

 

 そこまで言って、リドルは何か後悔でもするかのように自分の口を押さえた。しかし再び憎々しげな瞳が復活して、30センチ超、骨のように白い杖をこちらに向けてきた。

 

「立場を分からせるには、力の差を見せ付けることが一番だ。君は、っ僕には勝てない」

「なあなあ落ち着けって! 何もそんな決闘なんて……」

 

 僕がそう言うと、リドルは口元に嘲笑を浮かべた。興奮し切った彼女の瞳には、赤色が仄かに滲んでいる。

 

「決闘? 決闘だって? 君と僕がそんな対等な立場であるものか。これは蹂躙だよ。君が自分の立場を理解するまでのね! サーペンソーティア蛇出でよ! コンフリンゴ爆発せよ!」

「げえっ! プロテゴ!」

 

 飛来する爆発呪文に飛びかかってくる蛇にと、まるで一年生の実力じゃない。何とかプロテゴで防いだが、リドルはギラついた真っ赤な目をして、口元には邪悪な笑みを浮かべている。戦う気満々だ。

 

「全く話を聞かないんだから! 思い込みが激しい奴! 少しは話を聞けよ! ステューピファイ麻痺せよ!」

「その程度っ! フィニート終われ! イモビラス動くな! レヴィオーソ浮け! ディセンド落ちろ!」

「プロテゴ・デュオっ護れ!」

 

 防御っ、防御だけは昔から得意なんだ。しかしまるで相手にならない。こっちが一つ呪文を唱える間に、リドルは三つも四つも撃ってきやがる。プロテゴの護りにも罅が入り、すぐに砕け散る。リドルはその隙を見逃さず、蛇のような笑みを浮かべて呪文を放った。

 

「ディフィンド裂けよ!」

「っ! っずうっ……!」

 

 咄嗟に避けたが、足に切り裂き呪文が入って激痛が走る。決闘なんてしたことがないのに、痛みになんて慣れていないのに、思いっきり足が傷付いて思わず僕は動けなくなった。

 

「インカーセラス縛れ! 『蛇、お前は絡みつけ』! ……ふふっ、ふふふっ! どうだ。どうだ! 思い知ったか! これが僕と君との実力差だ!」

 

 リドルは縄と蛇とに縛られた僕を高みから見下ろした。彼女はまるで暴君のようで、あるいは子供そのもののようだった。自分の気に入らない物に対し力で脅しつけるような、そんな未熟さがあった。

 

「どうだ? 何か言うことがあるんじゃないのか? ええ? どうなんだアルフレッド!」

「話を聞け馬鹿野郎!」

「っ……! ふ、ふふっ、ふふふっ! そこまで、見くびられているとはね。良いだろう。これを試してやる……! クルーシ……!」

「馬鹿っ! 友達にそんな呪文を撃つ奴があるか!」

 

 咄嗟にそう言うと、彼女はぽかんとした顔を浮かべた。杖先に集中していた闇の魔術は霧散して、どこかへと消えた。

 

「……友達? 面白いことを、言うね。君と僕が友達? へえ、まだそんな事を考えていたんだ」

「そりゃあそうだろう! 僕達は友達だろう。友達だから一緒に必要の部屋に居るんだし、これから禁書の棚に忍び込むんじゃないか」

「……傲慢だね。不遜だね。君は立場を弁えていない。いや、命乞いかな? 友情を嘯いて、君は僕から逃れようとしている」

 

 口振りは冷たいが、何故かリドルは呪文を唱えなかった。にやにやと邪悪そのものの笑みを浮かべて、杖先でぐりぐりと額を突いてきた。痛い。

 

「友達だというのなら、何故君は気にしないんだい? 僕は君を遠ざけていた。君を嫌う奴等を仲間にして、君を悪く言うに任せていた。普通、気にするだろう? 僕なら二度とそんな事は言わせない。力を見せ付けて屈服させてやる。何故しない?」

「だからそれは、どうでも良いと」

「僕のこともどうでも良いと思っているんだろう? 君の友情は嘘偽りだ。この僕を、利益を生むものとしか考えていない! 本当に友達だと思っているなら、君は僕に頼みに来るべきだった。泣いて懇願するべきだった! 『どうか仲良くしないで下さい』とね! それが……それが私の知る、友情だ」

「えぇ……?」

 

 困惑した。何を言っているんだこいつは。価値観が歪みまくっていやがる。どうして友情が、泣いて懇願することに繋がるんだ。こいつの価値観はサバンナの野生動物か?

 

「そう言われてもなあ……本当にどうでも良かっただけだし。君に友情を感じていることと、あいつらと仲良くしていることは繋がらないだろう。君は好きに仲良くすれば良いし、僕は君と好きに仲良くする。それで良くない?」

「良くないね。ああ、よろしくない。君の言葉を証明する術がない」

「いや、あるだろ。君ならあれ、開心術、レジリメンスが使えるんじゃないのか?」

 

 そう言うと、リドルは納得したように手を叩いて、しかし次には「は?」と困惑した顔を見せた。

 

「えっ、君、大丈夫か? 自分から心を開くのか? 頭がおかしいのか? いや、君、ひょっとして閉心術を……」

「そんな優秀じゃないって事はリドルが一番分かっているだろう。別に見られて恥ずかしいものなんて無い。寧ろ俺は俺を誇るね! さあ、見たまえよ。見られるものならな」

 

 そう言うと、リドルはむっとした顔をして、すぐさま「レジリメンス!」と唱えた。すぐに頭の中に何かが入ってくる感覚があった。やっぱこいつ天才だな。

 

 リドルは暫く、何かを見るように中空に視線を散らしていた。じっと黙ったまま、丹念に俺の記憶を調べていた。その間見られている側としては特にやるべき事もないので、顔近くをベロベロ舐めてくる蛇に対して、パーセルマウスの真似事をやってみたりした。

 

「シュー、シュシュッ」

「シュー? シューシュー」

「あっ、馬鹿! 服の下に潜るな!」

「……何をやっているんだ、君は」

 

 ヴィペラ・イヴァネスカ蛇消えよ。フィニート終われ。リドルがそう唱えて、ぱっと蛇と縄は消えていった。さよなら……と僕は名残惜しく蛇を見つめた。蛇も何だか名残惜しそうに消えていった。

 

「同じ蛇を出す呪文ってないかな?」

「馬鹿を言うなよ……」

 

 はあ、とリドルは溜息を吐いた。しかし何故だか、少し嬉しそうだった。彼女は口ごもりながらも言った。

 

「あー……君の記憶を見た。君がどう思っているのかとか、そういうのも。その結果……君が、とんでもない無頓着野郎だということが分かった。……君は本心で、どうでも良いと思っていたんだね……僕との友情を感じながら、君を嫌う奴等に関しては本気でどうでも良いと……。控えめに言って、理解しがたい。君は馬鹿なのか?」

「馬鹿とはなんだ。馬鹿とは!」

「いや、だって……分からない。どうして自分を悪く言う奴を放っておける。そして、どうしてそのまま、僕を友達だと思える? どうして本心から、レジリメンスをかけられても良いと思うほど、僕を信頼することが出来る? ……正直、君が異常者だと考えた方が、合点がいくんだけどね」

「なんて失礼な! 僕はただ、自分が嫌っているからといって、君にまで強制する権利なんてないと思っただけだ。相手の意思を尊重しないなんて、何が友情だよ」

「……らしいね。君は本心からそう思っている。奇妙な、理解しがたい考え方だが……そういう人間も居るのだと、頭の隅に留めておくことにするよ」

 

 エピスキー癒えよ。リドルがそう唱えて、僕の切り傷はたちまちの内に癒えていった。古傷も違和感も全くない。丁寧で完璧な治療だった。

 

「さて、誤解も解けたことだし……」

 

 ぱんぱんと戦闘によるローブの汚れを叩きながら僕は立ち上がった。「ん……」とリドルは曖昧に呟いた。視線は床上を見つめていて僕と視線を合わそうとはしなかった。何時もなら饒舌に語るはずなのに、何故か気まずそうに口を噤んでいた。

 

「なあ、リドル」

「ん、ん……うん……なんだい」

「今ので確信した! 僕達は既に禁書の棚に忍び込めるだけの力がある。早速行こうリドル!」

「……レジリメンス」

「えっ、なんで」

 

 リドルは苛立たしげに再び開心呪文を唱えた。そうして僕の内心を眺めて、苦々しげな顔に手を当てつつ、溜息を吐いて言った。

 

「君、ね。本当にね、どうかしているよ。君は、あれだ、馬鹿だな。僕に傷を付けられて、何とも思ってない。僕のことを友達だって、信じて疑わないでいる」

「それは誤解があったからだろう。君の価値観がおかしかったから、君が誤解しただけだ。それでしまいだ」

「……普通は、そうは思わない。痛みには恨みが残るものだ。恐怖が残るものだ。僕はそれを理解している。理解して、利用してきた。……僕が思うに、君は人間への興味が薄いんだな。だから、聞こうとしないんだ。聞いてくれないんだな。……僕がどうして、君に態度を繕わないのか、とか。どうして私が君に怒ったのか、とか!」

 

 唇を尖らせて、彼女は苛立ち紛れに言った。しかし、「何だそんな事か」と僕は言った。対してリドルは驚いたような顔をしたが、どうして分からないと思っていたんだ? それに対する回答などとっくに分かり切っている。

 

「だって君が、あんな奴等を友達に選ぶはずが無いもの。散々言っていただろう。『純血も大したことが無い』って。君はきっと、僕だけを友達だと思っている。それが何故かは知らないけれど」

「っ……聞けよ! 知らないなら聞けよ! 僕のことをもっと知ろうとしろよ! 僕にもっと興味を持てよ! そこまで分かっているのならぁ……!」

「えーじゃあ何で?」

 

 そう言うと、リドルは目を真っ赤にして僕を蹴った。脛だ。脛を正確に狙いやがった。

 

「あ痛ぁっ!?」

「言うか、馬鹿! くたばれ!」

 

 かんかんに怒ってリドルは必要の部屋から出て行った。何なんだ。誰が人間への興味が薄いというんだ。僕ほど人間社会に興味を持っている奴なんて、早々いないぞ!

 

 

 



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5話

 

 

 

 僕とリドルの、というよりかはリドルの一方的な怒りは中々収まらなかった。僕が話しかけようとすれば彼女の取り巻き達に阻まれ、必ず魔法合戦になる。それは別に良いんだけど、唯一の友人と会話できないのは辛かった。

 

 9月の入学式がもう懐かしくなる4月になった。春の風は重苦しい雪を柔らかく溶かし、花々を咲かせ命を育むが、僕とリドルの関係はまだ雪解けを迎えていなかった。

 

「こういう時って、どうすれば良いんでしょうかね、ビンズ先生」

「ん? 君は確か、ウィーニー君だったか。授業内容は全て教科書の中にあるよ」

「そりゃそうでしょうね。先生に聞いたのが間違いでした」

 

 というか、こういう時に頼るのは寮監であるスラグホーン先生だろう。ただあの人、何故か知らないが何とかクラブ? に誘ってきてうるさいんだよなあ。リドルとその友人達は足繁く通っているようだけど、僕としては余り興味が湧かないのだ。

 

 まあ仕方がない。こんな時にこそ頼るべき人だろう。ということで、その日も席を隔てて座るリドルを気にしつつ、魔法薬学の授業を受けた後、スラグホーン先生を訪ねてみた。

 

「スラグホーン先生、少し相談が……」

「おお、やっとかいアルフレッド! 私は君を待っていたよ!」

「うえっ!?」

 

 僕が尋ねた次の瞬間に、スラグホーン先生はがっしと僕の肩を掴んで破顔した。子供のように嬉しそうに笑った。

 

「君は私を避けているとばかり思っていたがね、いやあそれは勘違いだったか! 君からは少し話しかけづらかったかな? いやいや、確かに私は純血の生徒をよく招いているがね、しかし決して純血主義者ではないよ! 才能ある生徒は皆大好きだ。特に君のような、若くして知識と力のある生徒はね!」

「ちょ、ちょっと……!」

「ああ、すまないね。嬉しくてね! 今年の一年生の中でも、トムに次いで優秀である君のことはずっと惜しいと思っていたんだ! しかしこうして話しかけてきてくれたということは、いやいや、言うべきではないかな? 何も恥じることはない。寧ろ誇りに思うべきだよ! 君はスリザリンでありながら、グリフィンドール的勇気を発揮したということだ! 自分の態度を変えるという勇気をね!」

 

 思いっきり捲し立てられた。何なんだこの人は。ニコニコと笑みを浮かべてバシバシ背中を叩いてくる。気の良いおじさんか、うるさい親戚のような人だ。

 

「あの……相談! 相談をしに来ました!」

 

 やっとの事でそれだけ絞り出すと、スラグホーン先生は更に嬉しそうな顔をした。この人には何を言っても嬉しがる気がしてくる。そのままハグでもしてきそうな勢いだった。

 

「相談か! いやあ実に結構! 生徒を導くのが我々教師の役目、特に自寮の生徒はね! 何でも言ってくれたまえ。最大限に支援しよう。さあ、言ってみなさい。君のような生徒が気にすることと言えば、やはり授業に関する事かね? 勿論私としては、君のために私の友人達から書籍を取り寄せることもやぶさかではないが、しかし君くらいになると既に読んでいるかも知れないね!」

「あー……ご期待に添えませんが、友達に関する相談です。僕とリドルの事です。彼女と僕は友達なんですが、最近仲が悪くなってしまって……」

 

 スラグホーン先生は虚を突かれたようだった。大変驚いたと、オーバーに身体で表現して言った。

 

「君とトムが? 友人? 本当にかい? これは……驚いたね。てっきり君たちは対立していると思っていたが……それで君が私の誘いを断っていると思っていたが」

「事実です。2月までは一緒に呪文の練習なんかもしていたんですが、それから会話もしなくなってしまって……別に喧嘩をした覚えはないんですが」

 

 あの決闘は単に誤解から来るものでしか無かったし、何より戦いにすらなっていなかった。リドルが一方的に僕をぶちのめしただけだ。

 

「先生、友達と仲直りするにはどうしたら良いんでしょうか?」

「ああ……そうだね。確かに、君たちのような年頃には、重大な問題だ。……一応確認するが、思想の問題ではないのだろう? 単に仲がこじれただけ……ううん。しかしあのトムが……」

 

 確かにリドルは品行方正で通っている。先生からしてみれば、あのリドルが誰かと喧嘩をするなんて考えづらいのだろう。やるとすれば、一方的に言いくるめるか、一方的に障害を排除するかの二択だ。

 

「そうだね、アルフレッド。よければ仲がこじれる前の出来事を、私に教えてくれないかね?」

「そうですね……」

 

 というわけで、僕は必要の部屋を探し出し、リドルと呪文の練習をしていたことを話した。勿論、その目的が禁書の棚に侵入することだということは伏せたが、それ以外のことは包み隠さず話した。

 

 すると、話している最中は感嘆したように何度も頷いて、笑みを深くして聞いていたのが、段々と表情が強ばってきて、遂には呆れたような、頭がおかしい人間を見るような目に変わってきた。

 

「アルフレッド……本当なのかい? いや、別に罰則を下すとかじゃないんだ。確かに必要の部屋は、君が考察したように、賢い生徒によって運用されることを黙認している。君たちの決闘も、一年生にしては余りに高度だと賞賛はするが、咎めはしないよ。ホグワーツには公認非公認に関わらず、大小様々な決闘クラブがあるからね。……しかし、その、開心術を」

「開心術を使ったのが問題ですか?」

 

 スラグホーン先生は、本当に困ったように言った。

 

「使うのも問題ない。私だって使える。一年生で使えるとは、恐ろしいほどの才能だと思うがね。……しかし、アルフレッド。君はどうしてトムの開心術を受け入れたんだ? 閉心術も覚えていないんだろう? 心を覗き見られるということは、誰だって恐ろしいはずだ。だから魔法界には対になる魔法、閉心術が存在するんだ」

「どうしてって……別に恐ろしくはないからですけど。僕に見られて恥ずかしいことなどありませんね」

「ううん……」

 

 スラグホーン先生は頭を抱えた。本当に困っているようだった。何故かは知らないが。

 

「と、とにかく、だ。問題は、君とトムが仲直りできるかどうか、ということだね。君の問題はこれからゆっくりと考えていくとして、そうだな……」

 

 と、そこでスラグホーン先生はにやりと笑った。それは慈しむような、それこそ教師らしい笑みだった。まあ教師なんだけど。

 

「それなら話は簡単だよ。トムは君に、『もっと自分を気にしろ』と言ったんだろう? その要求は、こうして私に相談している時点で満たしている。後はそれを、態度で表わせば良い。アルフレッド、時には狡猾さのみならず、グリフィンドール的な積極さ、勇気も必要なのだよ」

「ええと、つまり?」

「積極的になりなさい」

 

 呆れるほど単純な解決法だった。

 

「ふふ……年頃のレディというものはね、男の子には情熱的に迫って欲しいものなのだよ。君はもっと、情熱的にトムに迫りなさい。『仲直りをしたい』と直接的に言うんだ」

「成る程、熱意、熱意ですか。確かに欠けていたような気がする……ありがとうございました、スラグホーン先生!」

「ふふ、気にしないでくれたまえ。生徒を導くのが寮監の役目……」

 

 と、そこで先生は何やらもったいぶったように「エヘン、エヘン」と咳をして、にんまりと笑って言った。

 

「しかし、君が感謝を感じているのならば、良ければ一度、私が主催するディナーに来てくれないかい? 今度のイースター休暇に、外部から卒業生も招いてパーティーを開くんだ。君とトムが仲直りすれば、とても賑やかな場になるだろうね」

「おお! それなら大丈夫ですよ。ええ、楽しみにしています。ではまた!」

「ああ……しかしあのトムがねえ……ふふ」

 

 やっぱり先生に相談して正解だった! 今度からはビンズ先生の元に赴くなんて愚行をしないように気を付けよう!

 

 相談が長引いてしまったので、次の授業である変身術が始まるギリギリに教室に着いた。変身術教授のダンブルドア先生は、僕が遅れてきたことに意外そうな目を向けたが、罰則を加えたりもせず、授業が始まった。

 

 教壇に立つのは白と黒が混じった髪の、老境に入ったばかりといった風の男性である。柔らかなブルーの瞳が教室中を愛おしむように眺め、「さて、前回は何処まで進んだか……」そう恍けるように言った。

 

 すうっと、リドルが手を挙げた。

 

「先生、前回はそれまでのマッチを針に変える授業を終え、新しくボールをサイコロに変える授業が始まりました。一発で成功したのは、私と他一名だけです」

「うむ。そうだったの。よく覚えておる。スリザリンに三点。……しかし、君と同じく優秀であったアルフレッドの名を忘れてはいかんぞ」

「ええ、そうですね。ごめんなさい、バグショット君」

 

 柄にもなく、と思っているのは僕だけなのだろうけど、リドルは丁寧な言葉遣いで僕に謝罪の言葉を述べた。しかし瞳は笑っていなかった。彼女の怒りは時間を経てより激しくなっているようである。

 

「さて、今回の授業では、前回出来なかったものは出来るように、前回できたものはより上手に出来るように、それぞれ目指すのだよ」

「先生、私は既に完璧に出来るので、友人を教えていても良いですか?」

「うむ。そうだな。ではアルフレッド、君も一緒に……」

「そうですね。ではバグショット君、私は私の友人達を指導するので、貴方はまだ上手く出来ない方々を教えてあげてね? 本当は私が教えたいけど、手一杯だから」

 

 にこにこと笑みを浮かべているが、リドルの笑顔はダンブルドア先生のそれとは違って、脅しつけるようなものを含んでいる。これまではそんな態度を表面に表わすことはなかったのだが、2月からどうにもこうなってしまった。彼女の周囲のご友人達が、にやにやと皮肉たっぷりにこちらを見て笑っている。

 

「トム、それは……」

「いけませんか? ダンブルドア先生。バグショット君の意見も聞くべきでは? ねえ、バグショット君、貴方もそうした方が良いでしょう?」

 

 それまでの僕なら、未だ仲直りできていないのもあって、渋々請け合っていただろう。だが、今は違う。スラグホーン先生の助言を得た今の僕には、やるべき事がある。

 

 僕は何も言わないまま、皆が座ったままでいる教室の中をずかずか進んでいった。ロジエールやらレストレンジやらが杖を構える。ダンブルドア先生の目が鋭くなる。リドルの眼は、困惑か、驚きか。

 

 僕は杖を抜いた。リドルは何故か裏切られたような顔をした。唇から血の気が引いて、一瞬で瞳が赤くなった。懐に手が突っ込まれる、と同時に僕は杖腕とは逆の腕で、リドルにびしりと指を突き付けた。

 

「決闘だ、リドル! 僕と戦って貰うぞ!」

「……は?」

 

 杖を抜き出した中途半端な姿勢で、リドルは固まった。

 

 

 



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6話

 

 

 

 22センチ。芯材はユニコーンの毛。杖材はブドウ。群を抜いて頑丈。

 

 これが僕の杖だ。リドルの杖と比較してみると分かりやすいが、どうにも平凡なところがある。

 

 だが負けはしない。短い杖は優雅で洗練された呪文のスタイルを好むと聞く。僕にぴったりであり、ぴったりであるからこそ十全に使いこなせる自負がある。

 

「さあリドル、決闘の準備をしろ! 僕は以前とは違って、積極的に君を狙うぞ! そして仲直りをするんだ。今度は負けやしない!」

「……君、ついに気が狂ったか?」

 

 思わずといった風にリドルは溢して、慌てて口を噤んだ。しかし周囲はそんな呟きよりも僕の方に興味が向いているようで、ダンブルドア先生も含めて呆れたような驚いたような目が向けられている。

 

 沈黙を壊したのは、我に返ったロジエールの動作だった。彼女は思い出したように杖を振ろうとして、ダンブルドア先生の無言呪文に杖を取り上げられた。多分エクスペリアームス。同じように僕の杖も取り上げられたので。

 

「ってダンブルドア先生!? 何故!?」

「アルフレッド。君の熱意……熱意? には感心するが、授業中だよ。どのような事情があろうとも、それを考えて欲しいのう。スリザリンは5点減点。それと、他者を害しようとした君も5点減点。合わせて10点減点だ」

「あっ、はい……」

「チッ……バグショットのせいで……! 貴方がトムに決闘を挑むなんて百年、いや千年早いわよ!」

 

 ロジエールを筆頭にリドルのお友達共が更に憎しみの目で見てくる。減点されたのは素直に謝るが、しかしそちらには用はないのだ。僕はただリドルだけを見つめる。リドルはダンブルドア先生の声に再び優等生の仮面を被って、落ち着き払って言った。

 

「決闘……身に覚えはないけれど、君がしたいというなら、良いわよ。授業の後で良いかしら?」

「構わない。場所は中庭だ」

「ええ、そうね」

「……やり過ぎないようにの。それと、誰か先生を立ち会いに付けるように。生徒同士の決闘では、決め時がつかぬ事もあるからの」

「分かりました、先生。……先生は、立会人にはなって下さらないのですか?」

 

 リドルがそう言うと、ダンブルドア先生は少々不安そうに言った。

 

「残念ながら、少々仕事やら何やらで忙しくてな。是非、君の技量を見ておきたかったのだが……」

「それはとても残念です。ええ、勿論立会人は付けますとも。だから先生、そう不安そうな顔をしないで下さい。私は何も、バグショット君を殺そうというのではないのですから」

「……そうかね」

 

 そうして授業は始まった。リドルが言ったように、僕は同級生達の面倒を見てやった。「杖は授業が終わるまで預かっとくよ。これも罰則だ」とのことで、杖無しでの指導は流石に難しかったが、それでも幾人かは変身術を成功させた。リドルの教え方を真似してみたのが良かったのかも知れない。

 

 レストレンジやノットにエイブリーらは、授業中も恨みがましい眼で僕のことを見ていたが、流石にダンブルドア先生の手前、杖無しの僕に呪文を掛けてくることはなかった。しかしこそこそとリドルに何かを話しかけて、にやにや皮肉たっぷりに笑っていたのは気がかりだが。

 

 授業が終わって、杖を返して貰う際。ダンブルドア先生は僕に言った。

 

「アルフレッド。何故トムに決闘を挑んだのかな? 名誉のためかね? 彼女に侮辱を受けたのかね? だとすれば、決闘は賢い選択肢とは言えないよ。……我々は、魔法という手段を持っているからこそ、安易な選択を選びがちだ。魔法史に知悉している君ならば、争うことの愚かさは分かっておるだろう?」

 

 その口振りは、まるで何か後悔を口にしているようだった。ダンブルドア先生は、僕を通して誰か別の人間を見ているようでさえあった。

 

 それが何だか嫌だった。

 

「バチルダから学んだのならば、魔法が万能ではないということも分かっているはずだ。一体、対話が馬鹿馬鹿しいことかね? 軽んずるべき事かね? 相手の言葉を受け止め、それを返すということは、難しい呪文を唱えることよりも余程困難な事だよ。……世の中には、それを理解できないものもいる」

「……先生、それはグリンデルバルドの事ですかね?」

 

 ダンブルドア先生は口を噤んだ。目を伏せた。言っているようなものだった。この人は、度々僕に不思議な目を向けることがある。友人であるバチルダおばさんの親戚というよりは、もっと別の人を遠目に見るような。

 

「──先生、僕はグリンデルバルドに似ていますか?」

 

 言った後で、僕は後悔した。馬鹿なことを言ったと思った。

 

 ダンブルドア先生は目を見開いて、腹の痛いところをまさぐられたように唇を噛んだ。そうして絞り出すように言った。

 

「……似ておるよ。顔つきもそうだが、何より眼が似ておる。単に青色というだけでなく、夢に向かって燃えるような、情熱的な野心の眼が。……不思議なことだ。血は遠いというのに、若い頃の奴に非常によく似ておる。もっとも奴が目指すところと、君が目指すところは随分異なっておるがね。似ているからといって君が危険人物であるというのは、間違ったことだ」

「……ええ。……ええ、そうでしょうとも! 僕はグリンデルバルドが嫌いです。馬鹿だと思っています。あいつと戦う先生のことを尊敬していますよ。……だって先生は、人間を愛していますからね」

「……そうかね」

「ええ。付け加えて言うならば、そして誤解を解きますが、別に僕は名誉のために戦うのではありません。友人のために戦うのです。友人であるリドルのためにね」

 

 ダンブルドア先生は、今度こそ本当に驚いた顔をした。先程までの顰め面がぽかんとして、しげしげと僕の顔を眺めた。

 

「君とトムが友人とな? それは……それは何と」

「意外でしょう。スラグホーン先生にも驚かれました。信じられないかも知れませんがね、事実ですよ。僕はリドルと仲直りするために戦うのです」

 

 ダンブルドア先生は僕の言葉に対して、額の皺をより深めた。ブルーの眼が、不安そうな、憂慮するような色を浮かべる。何故だろうか?

 

「君とトムが……。友情は素晴らしいものだがしかし……君の情熱的な野心と、トムが……」

「いけませんか?」

「いや……悪くはないよ、アルフレッド。誰にも友情を妨げる権利などない。だが、だがの、アルフレッド」

 

 ダンブルドア先生は、そこで僕の肩に手を置いて、難しい呪文を教えるように真剣に言った。

 

「……友情は、時に恐ろしい結果を生む事もある。特に、君たちのような優秀な若者においてはの。私の教訓が、君たちに活用されることを……切に望む」

「はあ……」

 

 何やらよく分からないが、取りあえず杖を返してくれたので、僕は意気揚々と中庭に向かった。

 

 決闘である。決着を付けるのである。この時のために色々と呪文を覚えてきた。あの時の一戦を度々思い出しながら練習したのだ。今回は一瞬で決着などさせない。思い切って前に進み、盛んに戦い、そうして彼女の本音を引き出してやるのだ。

 

「しかし、何故君はそいつらを引き連れているんだ?」

 

 僕が廊下の曲がり角へとそう言うと、「チッ」と舌打ちと共にぞろぞろお仲間達が現れた。その後ろにはリドルもいる。彼ら彼女らは杖を構えている。

 

「決闘場所は中庭だぜ。皆そっちに向かって、ここには観衆もいない。どうして杖を向ける?」

「スリザリン流はこうなのさ。お前のやり方はグリフィンドールだ。まるで狡猾じゃない。お前はスリザリンに相応しくない。だから俺達が退学させてやるよ」

「へえ……リドル、君も彼らと同じ意見か?」

 

 リドルは一番後ろに佇んでいて、僕と目を合わせはしなかった。ただ、杖を構えてはいなかった。黒色の瞳を酷く陰鬱な感じに伏せている。

 

「君が悪いんだよ」

 

 呟くようにリドルは言った。

 

「君が真正面から決闘を挑むなら、私はこうするしかない。だから……バグショット君。覚悟してね?」

「はあ……トムは優しい奴だ。お前のような奴にも慈悲をかけてくれるんだぞ? もっとも、俺達はそう優しくはない。聖マンゴ病院への入院手続きを今のうちにしておいたほうが良いんじゃないか?」

「ああ、そうしておくことにしよう。廊下で自分から喧嘩をしかけて、返り討ちに遭って重傷とね」

 

 その言葉に奴等は激昂して、杖を向けた。

 

「抜かせっ! フリペンド回転せよ!」

「エクスペリアームス武器よ去れ!」

「レヴィオーソ浮け!」

「プロテゴ・マキシマっ! 最大防御!」

 

 降りかかる全ての呪文が防御呪文に弾かれ散っていく。所詮は一年生にも唱えられる程度の呪文だ。リドルが杖を抜いていない以上、負ける心配などない。

 

 プロテゴの護りが抜かれる心配はない。加えて彼らには慢心がある。多対一で負けるわけがないという慢心が、呪文を一つ一つ丁寧に唱えさせている。

 

 悠長なことだ。何の意味もない光線の奔流に向け、僕は呪文を唱えた。

 

「フィニート、呪文よ終われ」

 

 それで彼らの呪文は煙も残さず立ち消えた。彼らは驚愕を顔面に貼り付けたがしかし、まだ僕へ向けて呪文を放つ。

 

「ぐっ……! エクスペリアームス!」

「フィニート」

「ステューピファイ麻痺せよ!」

「フィニート」

「コンフリンゴ爆破!」

「フィニート」

「ペトフィカス・トタルス石になれ!」

「フィニート」

「インセンディオ!」

「フィニート! ……いい加減、止めてくれないか?」

 

 僕は落ち着き払って言った。対して彼らはリドルを除き、額に汗を滲ませ肩で息をしている。幾ら簡単な呪文とは言え、唱えるのには神経を使うのだろう。加えて効果も発揮できず、中途で消えてしまうのだから、精神的な疲労もあるに違いない。

 

「別に僕は、君たちと決闘したいんじゃない。リドルに用があるんだ。こんな事には意味がない。さっさと中庭に行こう」

 

 僕は真っ直ぐにリドルだけを見つめて言った。こんなものは呪文の応酬と呼ぶには値しない。彼らの呪文を消すことは蝋燭の火を吹き消す事よりも簡単だ。一息ならず一目に消すことが出来る。

 

 

 それを彼女も承知しているのだろう。にやりと笑って、懐から杖を出そうとしたその時、またしても光線が飛来して僕はそれを打ち消した。

 

「ぐうっ……お、お前っ……! 馬鹿にしてっ、攻撃呪文を使ったらどうなんだ!」

「だって意味がないだろう。別に君たちと戦いたいわけじゃないし、それに勘違いしているようだが、僕は君たちを嫌っているわけじゃない。純血主義も立派な主義主張だ。ただ……うん、君たちの信じ方が余りに学術的に間違っているものだから、ついつい言ってしまうだけなんだな。それで君たちは怒ってしまう。だがね、歴史的には僕が言っていることが真実であって……」

「ステューピファイ!」

「フィニート。……少しは話を聞けって!」

「黙れ! 純血を侮辱するものめ! エクスペリアームス!」

「フィニート」

「くたばれスリザリンの恥! ペトフィカス・トタルス!」

「フィニートだって!」

「ぐううっ……トム!」

 

 ロジエールだったかが、武装解除呪文を消されたことに酷く悔しそうな顔をして振り返った。同じように周囲の奴等もリドルに目を向けた。

 

「屈辱だけど、お願い! 奴に地面を舐めさせて! 私達じゃ……悔しいけど、全然歯が立たない……」

「……君たち、私が手を出すまでもないって言ってなかった? 私は中庭に向かうって言ったのに、それを止めてまでやったくせに、私に頼るの?」

「うう……だ、だけどトム。あいつは君を侮辱したのよ! それにあいつは、私達も侮辱した! このままじゃ許すことは出来ない……! ねえ、そうでしょう!?」

 

 周囲の奴等が同意するように頷いた。彼らは一様に、リドルへ向けて期待の目を向けていた。

 

 リドルはその視線に心地よさそうな顔をした。満足するように頭を下げる友人達を見渡して、はあ、と溜息を一つ吐いた。

 

「そうだね。君たちは私の友人だもの。友人が困っているなら、助けなくちゃね」

「ああ、トム! ありがとう!」

「流石トムだよ。マグル生まれでも……いや、君はマグル生まれなんかじゃない! きっと君は、純血の子供だ。純血に嫉妬したマグル生まれかスクイブなんかが、君を攫って捨てたんだ!」

「そうだ、きっとそうに違いない! 君は絶対に純血の魔法使いだ。君の技量が何よりもそれを証明している!」

 

 口々に彼らはリドルを褒め称える。その度にリドルは気をよくして微笑む。リドルに向けられる陶酔の眼が深くなる。その様相は、最早友人と言うよりは信奉者と呼んだ方が相応しかった。

 

「さて……バグショット君? 君には悪いけれど、覚悟して貰うよ」

 

 すうとリドルが杖を向ける。長い杖だ。不死鳥の羽根を芯材としていると聞いたことがある。派手で強力な呪文を使うには打って付けの杖。それが彼女の信奉者達と並んで、こちらを狙っている。

 

 僕は身構えた。

 

 

 



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7話

 

 

 

 僕は身構え、身を覆うプロテゴの護りを意識して高めた。対してリドルは言葉を紡がず、好戦的な笑みだけを浮かべて杖を振った。

 

「っ……!」

 

 半透明の防御に罅が入る。切り裂き呪文、ディフィンドか。しかし無言か。無言か! リドルは一年生なのに無言呪文まで使えるのか。ノットやらエイブリーやらロジエールやらは彼女へ尊敬の眼を向けている。

 

「さ、流石だよ、トム……! 君はダンブルドアなんて目じゃない。最強の魔法使いになれる!」

「君こそ魔法使いの誇りだ!」

「ふふふ、ありがとう。……さて、バグショット君? 降参するなら今のうちよ」

 

 罅に向かって幾つもの攻撃呪文が飛んでくる。傷は深く、これまでのようにただ棒立ちでいるわけには行かない。僕は移動しながら呪文を放つ。今までのように余裕ぶってはいられない!

 

「コンフリンゴ爆発せよ! ステューピファイ麻痺せよ!」

 

 僕が続けて放った呪文は、数人を纏めて吹き飛ばしたがそれで攻撃の手が止むわけではない。

 

「エクスパルソ爆破!」

「エクスペリアームス!」

「ボンバーダ。ボンバーダ。ボンバーダ。……っふふ!」

「っちい!」

 

 リドルの三連続爆破呪文は消えかかっていた護りを跡形もなく吹き飛ばした。僕は辛うじて避けたが爆風は身体を吹き飛ばして廊下の隅にごろごろ転がった。その隙を彼らが見逃すはずもなく、様々な呪文が飛んでくる。

 

「ペトリフィカス・トタルス!」

「ウィンガーディアム・レヴィオーサ!」

 

 エイブリーとノットの呪文を僕は躱し、代わりに「エクスパルソ!」爆発呪文を放った。しかし相手に届く前にリドルが「フィニート」と周囲に見せ付けるように消滅させた。

 

「ははは、流石だね! やはり君は飛び抜けて優秀だ! だけどね、アルフレッド。分かっているはずだよ。君は僕には勝てない。その上数でも負けている。降参した方が良い」

「何を! 僕が望んでいたとおりの展開になったじゃないか。僕と君は決闘しているんだぞ今! どうして降参するって!」

「……そうかい、なら」

「「サーペンソーティア!」」

 

 僕達は同時に蛇出現呪文を放った。しかしその体躯は比べ物にならなかった。僕の出した蛇が精々一メートル程度なのに対し、リドルの出した蛇はパイプ管ほどもある太さで、背丈も十メートルを優に越していた。バジリスクほどではないが、それでも大きすぎる!

 

「やれ!」

「『食らいつけ!』」

 

 加えて指示にも明確な差がある。リドルがシューシューとパーセルタングを使うのに対し、僕は何となく命令することしか出来ない。敢えなく僕の蛇はリドルの蛇に飲み込まれ、黄色の双眸がぎらぎらと僕を睨み付けた。

 

「なに、バジリスクと違って死ぬわけじゃない。蛇なら冬眠しろ。グレイシアス氷河となれ! レダクト粉々!」

 

 体積が大きいのが幸いした。リドルが呪文を唱える前に蛇は凍り付いて粉々に砕け散った。パラパラと凍り付いた肉片が廊下中に飛び散らかる。

 

「コンフリンゴ! ボンバーダ!」

「はははっ! 楽しい、楽しいよアルフレッド! だがね……ヴィアンドトータム・ロコモーター! 全ての肉よ動け!」

「はあっ!?」

 

 散らばった大小の肉片が、リドルの呪文によって攻撃を防ぐ盾となり、こちらに降り注ぐ礫となる。その隙間から赤やら黄色やら攻撃呪文が降り注ぐ。流石に避けきれない。最早攻撃は点ではなく面である。

 

 僕は吹き飛ばされた。

 

 肉が裂かれる。骨が軋む。地べたに這いつくばって、一気に抜けた肺の空気を取り戻そうと、絶え絶えに呼吸をしようと試みる。そこへカツカツと嘲笑うような靴音が寄ってきた。

 

「ウィンガーディアム・レヴィオーサ!」

「ぐう……!」

 

 誰かの呪文で僕は中空に浮かされた。眼下にはにやにやと幾つもの薄ら笑いがある。

 

「こいつ、どうしてやろうか?」

「服を剥いでからこのまま中庭に行くのはどうだ? 皆に見せ付けてやるのさ!」

「いや、こんな奴こそ闇の魔術の練習台にしてみたらどうだ? リドルはもう使えるんだろう?」

 

 エイブリーがそう言ったが、リドルは曖昧に笑った。

 

「そんなものを使うまでもないわ。彼はもう負けているのよ。これ以上やっても、先生達に目を付けられるだけ。それに彼は優秀よ。その優秀さが、私達の勇名を盛んに喧伝してくれるでしょうね」

「放っておけって? いや、そうはいかないな。こいつは散々、俺のお爺様を馬鹿にしたんだぞ! こいつにも屈辱を味わわせてやる」

「それは……やり過ぎよ。私達はもっと賢くあるべきだと思うわ。何もわざわざ、罪を犯す必要なんてない」

「ううん……君がそう言うなら考えるが……」

 

 ノットの発言をリドルは収めようとした。その隙を突いて僕は呪文を放った。絶対に負けてやるものか!

 

「プロテゴ! からのコンフリンゴ!」

「っなあっ!?」

 

 爆発した。至近距離で爆発が発生したことにより辺りに人影がはじけ飛ぶ。僕にかかっていた浮遊呪文も解ける。周囲は爆発の煙りに濛々として見えないが、どうせ敵しかいない。僕は続けざまに呪文を放った。

 

「コンフリンゴ! コンフリンゴ! コンフリンゴ!」

「ぎゃあっ!」

「こ、こいつっ……!」

「邪魔だ! おい、リドル……僕はまだ負けては……」

 

 悲鳴が迸る。その響きにどれだけ倒せたか確認する間もなく、煙の中から光線が飛んでくる。僕は咄嗟にプロテゴで護ったが、呪文の威力に貫かれた。杖が手元から飛んでいく。すぐに煙が消し飛んで、見ればリドルの手元に僕の杖は収まっていた。

 

 リドルは困ったような、しかし嬉しそうな顔で言った。

 

「君、君ね、往生際が悪いよ。君は負けたんだ。大人しく……」

「フリペンド!」

「ぐあっ!」

「あっ、おい!」

 

 リドルの後ろから、ノットが呪文を放って僕は吹き飛ばされた。そこにかつかつと靴音が寄ってきて、僕の腹を蹴り飛ばす。頭上にはふうふうと興奮した息遣いが聞こえている。

 

「げ、えぇっ……!」

「止めろ! おい!」

「うるさいぞトム! こいつ、こいつは、最大の侮辱を味わわせるべきだ。トム、闇の魔術を、クルーシオを使え! 使えよ!」

 

 その言葉に、リドルは「……は?」と言った。

 

「君達、さあ。……君達には分からないだろうが、クルーシオ……許されざる呪文というのは、そんな苛立ったからといって放っていいものでは……」

「はあ? お父様はよく屋敷しもべ妖精に使っているぞ? 立場の差を分からせるには何よりだって……みんなも、使えはしないが使ってるところはよく見るだろ?」

「…………そんな馬鹿な」

「ああ。お父様とお母様の得意な呪文だ。それに、こういう時に使わないでいつ使うんだ? こいつは純血の敵だ。間違いなく……! だってこいつは、最後まで俺達を見ていなかった! 徹底して、純血を無価値だと思っていやがるんだ!」

「…………そんな、事は……」

 

 朦朧とした頭に声が聞こえている。朧な視界にリドルは僕を見下ろしている。周囲には立ち上がった仲間達が僕を囲んでいて、憎悪と怒りに満ちた視線で僕を見つめている。

 

「やれ、トム! こんな奴に手加減をする必要なんかない。俺のお父様はホグワーツの理事なんだ。生徒一人、聖マンゴ病院に送ったところで……」

「もしかしたら杖なし呪文だって使えるかも知れない。俺達が危険なんだ。こいつが復讐に来る前に、心を折っておくべきなんだ。それがスリザリン流って奴だ。君もスリザリンなら、そうすべきだと分かっているはずだ!」

「…………しかし。……君達は、やはり、簡単に考えすぎている……と思う……。クルーシオは、恐ろしい呪文であって、決して君達が考えるような、便利なものでは……ない……」

「いや、便利な呪文だろう? 心を折ることが出来るなんて実に便利だ。君だって、前にネズミで実践したときに、実に便利な呪文だって言っていたじゃないか!」

「…………ネズミと人間は違う」

「同じようなものだ! 純血を侮辱する者は!」

 

 ぼやけた頭で、僕は集団の熱が異様に高まっていることに気が付いた。ああ、だから正しく歴史を学ばなければならないというのに。許されざる呪文を手軽な呪いだと思い込んでしまう純血の環境は、最悪だと言って良い。

 

 彼らはクルーシオの恐ろしさを知らない。だから気軽にやれと言う。しかしリドルは知っている。だから躊躇してくれている。

 

 だが……普段ならば集団を統制する事など容易いだろうに、今のリドルは、何故かまごついている。集団の熱を抑制できていない。狼狽えて声は弱々しく、これでは熱に押されて……まさか……。

 

 僕はリドルの顔を見た。彼女は杖を持ったまま複雑な表情を浮かべていた。呪文を打ち合っている最中は汗の一つもかいていなかったというのに、今は真っ白な額に汗を滲ませていた。黒の瞳は戸惑うように震えていた。

 

「やれ、トム! 何を迷っているんだよ! そこの血を侮辱するものに味方するっていうのか!」

「君はやっぱりマグルの味方か? なあトム! 違うというならクルーシオを使え!」

「マグル……う……私は……僕は……。…………っ」

 

 リドルは唇を噛んだ。何時もは真っ赤な唇は、色を失って歪んでいた。彼女は腹の底から何とか絞り出すように言った。

 

 おい、嘘だろう。なあ。

 

「僕は……私は、トム・マールヴォロ・リドルはっ、偉大な魔法使いの末裔だ! こんな、奴はっ」

 

 リドルは杖を振った。

 

「クルーシオ! 苦しめ!」

「っ!? ……! …………か! は、あ……っ!」

 

 悲鳴を上げることさえ出来なかった。リドルが呪文を唱えた瞬間、僕の頭身体手足全て至る所全てに苦痛が広がって苦痛が苦痛がっ!

 

「が……あ、あ! は………!」

「はは、いいぞトム! こいつにありったけの苦痛を与えてやれ!」

「う、う゛……!」

 

 リドルは唇を深く噛み締めながら僕に向けて磔の呪文を放っている。何故だ。何故だ? 友達じゃなかったのか? 僕達の友情はその程度のものなのか?

 

「やめ、ろ……。そんな眼で、僕を見るな……」

 

 何故だ痛い痛い苦しい何故だ? 何故君は、こんなに酷いことをするというのに、何故、何故君まで、どうして苦しそうな顔をするんだ?

 

「っ…………」

 

 酷く細く薄い光線が、リドルの杖腕とは逆の腕から放たれたのを僕は見た。その瞬間に苦痛は止まって、「なんだ、もう気絶しやがった」という声を最後に、僕の意識は薄れていった。

 

 

 



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8話

 

 

 起きたとき、僕はベッドの上にいた。思考は曖昧で、どうにも要領を得なかった。起きているのか、起きているのか? よく分からなかったが、生きていることは分かった。

 

 ここはきっと医務室だ。鼻を突く魔法薬の匂いからそう判断する。その判断も随分時間がかかって、僕は本当に傷付いているのだと理解した。身体を動かそうと思っても動けない。瞼は半開きのままで、気を抜くと閉じてしまう。しかし頭は休まらなかった。

 

『何故リドルは、僕に磔の呪文を使ったのだろう?』

 

 そんな疑問が頭の中を占めていた。僕が彼女を恨むことは実に簡単だった。あのグリンデルバルドと同じ闇の魔法使いなのだと、そう判断して嫌うには、許されざる呪文の威力は十分すぎた。

 

 だが、僕の頭には、あの苦痛と同じように、彼女の苦しそうな顔が浮かんで離れなかった。彼女が本当に闇の魔法使いで純血主義で、僕を嫌っているというのなら、あんな顔を浮かべるだろうか? 僕達の友情が意味の無いものだったとしたら、あんなに躊躇する必要はあっただろうか?

 

 僕は知りたかった。歴史家を標榜するものとして、事件には原因と過程が存在し、結果だけでは読み取れないものもあると知っていた。彼女が何故僕に磔の呪文を使ったのか、その理由を知りたかった。

 

 ……或いは、単に信じたいだけなのかも知れない。

 

 彼女の行動には意味があって、僕達の友情は継続していて、彼女はきっと僕に謝りに来るのだと。そう信じたかった。

 

 だって、初めての友達なんだ。彼女は僕の夢を笑わなかった。個人主義が過ぎる魔法使い達は皆、僕の夢を馬鹿にする。『出来るわけがない』は良い方で、『不愉快だ』と言う奴さえ居る。生徒達も同じで、僕を遠巻きに見つめている。口さがない奴は、僕のことをこう言う。

 

『やはりお前はグリンデルバルドの血統だ。魔法族を支配して、マグルも支配するつもりなんだろう? お前のような奴に誰が協力するというんだ』

 

 ゴドリックの谷は魔法界にも珍しい、多くの魔法使いが暮らす村である。村、そう村なのだ。ホグズミードと同じく、魔法族の集住の限界とは村でしかない。

 

 だから僕は、生まれ育った村を世界の縮図だと思っていた。それはきっと真実だ。個人主義で、厭世の気があって、一般的な善良さを持つ。善悪の判断はいい加減な曖昧さを持つものの、マグルのそれと大枠は変わらない。

 

 その縮図の中で、グリンデルバルドは紛れもなく悪だった。彼を当地に呼び込んだバグショットの名もまた。

 

 だから僕は魔法史に没頭するようになったのかも知れない。昔のこと過ぎて覚えていないが、卵が先か、鶏が先か。人の眼が嫌で魔法史に逃れたのか、夢を蔑むから人の眼を嫌うようになったのか。

 

 どちらにせよ、僕の人生に衆目が付いて回るのは事実だった。それを利用することも出来たのだろうが、生憎僕にはリドルのような、或いはグリンデルバルドのようなカリスマはなかった。

 

 それでも努力はしたんだ。だけど僕はまだ子供で、未熟であって、沸き上がる熱量に社交性の皮を被ることが出来ない。バチルダおばさんに学んだことに後悔はない。ただ、どうすれば良いのかは何時まで経っても分からない。

 

 自らの領分を侵す者を魔法族は何よりも嫌う。だから純血はマグルを嫌って、グリンデルバルドはマグル世界まで領分を広げようとする。彼に同調しない者達も、結局はマグルのために戦っているのではない。ダンブルドアの内心は知れないが、多くの風見鶏は安定を望んでいる。変わることのない、個人主義的な平穏を。

 

 そして僕が嫌われる理由も同じだ。自分の領分を広げようと、他人の領分を侵している。それがどうして嫌われないと。偏見を自らの手で深めているというのに、どの口で差別と喚ける。どうして遠い血縁と一緒にするなとほざける。

 

 組分け帽子は僕をスリザリンに置いたが、どうなのだろうね? これは野心と呼べるのか。だって僕の夢には、現実が伴っていないじゃないか。人を集めて知識を集積させるのが目的なのに、僕の周りからは人が離れて行くばかりじゃないか。

 

 リドル。僕の夢を笑わなかった君を、僕は惜しむ。君が居るから、僕は僕達で居られた。君がいなくなってしまえば僕の夢は形無しだ。嫌われ者の妄想だ。それ以上に孤独は嫌だ。

 

 ──暗澹とした未来は、磔の呪文より寒々しい。

 

 かたりと、扉が開く音が聞こえた。そっとベッドの近くに腰掛ける音が聞こえた。誰だろうか。校医の先生だろうか。そう思って薄目を開けると、意外なものを見た。意外な、期待していた姿を見た。

 

 黒髪と黒目を重たく陰鬱にして、顔色がぞっとするほどに白かった。常の溌剌として美しい、皆の手本となるような優等生の姿は何処にもないが、リドルがそこに居た。彼女は杖を僕に向けて振った。

 

「リナベイト蘇生せよ」

 

 僕の身体に暖かな力が加わるが、意味はなかった。僕は既に失神から回復しているのだ。きっと僕は酷く疲れているだけで、傷は既に塞がっているし、後はほんの少し眠るだけで良かった。

 

 だがリドルは続けざまに呪文を唱えた。

 

「リナベイト。エピスキー。ヴァルネラ・サネントゥール。……うう゛」

 

 黒髪を掻き乱すのが見えた。彼女は錯乱しているようですらあった。落ち着きなく杖を震わせて、僕をじっと見つめていた。

 

「リナベイト。リナベイト! リナベイト……! う、う。くそっ。どうして……。正しいはずだ……失神呪文はこれで……やはり、ああ、くそっ、磔の呪文が。やはり力が……僕にもっと力があれば。力さえあれば……!」

 

 呪うように呟きながら、呟き続けながら、リドルはふと沈黙し、そうして「ふふっ」と笑った。冷たい笑い声だった。

 

「……君が起きていたら、『どうして』と言うだろうね。そうして君は、今度こそ僕を嫌うんだ。……ああそうだそれが正しいよ。磔の呪文を使ったんだ。優秀な君のことだ。今度は僕にそれを使うに違いない。……いや、違うな。君はきっと、僕をあいつらと同じようにするんだ。僕のことをどうでも良いと思って、話しかけることすらしなくなるんだ。僕を友達だとは思わなくなるんだ」

 

 ふふっ、ふふふっ! 自嘲するような笑い声が耳元に響く。彼女はずっと笑っていた。酷く刺々しい笑い声だった。

 

「友達? 友達だって? 正気かトム・リドル! お前は友達なんて持ったことがないだろう。お前の周りに居たのは被支配者だけだ。それが良いんだろう? それが一番満足できるんだろう? なら、寧ろ誇れよ。お前は自分に比肩する魔法使いを一人、叩きのめしてやったんだ。血統が確かな、偉大な魔法使いを親戚に持つ、純血の魔法使いを一人……」

 

 そこまで言ってまたリドルは笑った。げらげらと品のない笑い声が響いた。

 

「あはは、純血がなんだって? あいつらは馬鹿だ。弱者で、そのくせプライドだけは高い、愚劣その物だ。アルフレッド。君に勝っている点など一つたりともない。だが……僕はあいつらに味方した。あいつらのために、君に磔の呪文を使った。保身のために。自分が弱者だと思われたくなくて。……ふふっ、はははっ! 僕は、何なんだろうね? 何がしたいんだろうね? これじゃあまるで、僕が媚びへつらっているようじゃないか。あいつらに媚びて、純血様のご機嫌を伺っているようじゃないか。この僕が!」

 

 ぎりぎりと杖を握り締める音が聞こえる。歯噛みする音が聞こえる。

 

「君だからだ、アルフレッド。純血がどうかなんてどうでも良い。君、君ね、何故僕が君の友達面をしていたと思う? それは君が優秀だからさ。優秀で、敵を作りやすいからさ。君は僕の障害にはならない。君は勝手に敵を作って、勝手に僕に有益な知識を授けてくれて、勝手に仲良くしてくれて……」

 

 そこでリドルは声を深くした。

 

「……居心地が良かった。こいつとなら長く続く気がすると、そう思ったんだ。……っぅ……それでこの様だっ」

 

 くすくすと、リドルはよく笑う。僕の腕に手を伸ばし、服の上から肌を指先ですうと撫で、リドルは呟くように言った。

 

「友達……友達! まったく、馬鹿みたいな言葉だねえ! 愛と同じように、友情なんて塵みたいなものだよ。そんなものに縋り付くのは弱者だけだ。僕は違う。僕は……君を利用していただけで、だから居心地が良いというのも、杖の振り心地の良さのようなものだ。だから、だから、躊躇したのは、磔の呪文を止めて失神呪文を使ったのは、だから……」

 

 段々と、声のトーンが落ちて、沈黙に変わった。

 

 暫くあって、リドルはぼそりと呟いた。

 

「僕は……誠実になりたかったのかな」

 

 刺々しさのない、深く思い悩むような声色で、リドルは自らに問うかのように言った。

 

「僕が魔法使いで居られる世界で、僕が特別で居られる場所で、生まれ直そうとしたのかな? ……ダンブルドアは、僕を危険視している。奴は僕を信じようとしなかった。もっとも、それは当然だろうね。奴の懸念の通り、僕は闇の魔術を使う事に躊躇しない。人殺しだって……。だけど、その生き方は変えることだって出来たんだ。僕の特別さはとっくに保証されていたんだから。君がそうしてくれたんだ。君が僕を、特別だと言ってくれた。だから僕は、表向きは正しく生きている。優等生そのもの。それは、大変だよ。正しく生きることは大変だ。力で脅しつける方が楽なんだ」

 

 リドルは僕の腕を掴んだ。

 

「……だけど君が、僕を保証してくれたから。力を誇示する気も薄くなって……だから僕は……僕は、何なんだろうね? 僕は嬉しかったのか? 友人との日々が楽しかったのか? ……分からない。ただ、あの時……君に磔の呪文を使えと言われたとき……僕はあいつらを、殺してやりたいと思ったんだ。……それだけは事実だ。どんな理屈を並べようと、僕は純血の価値よりも、君を高く思っていた」

 

 リドルは僕の腕を硬く掴み、撫で、爪を立てた。何かを刻み付けようとするかのように彼女は僕の腕に語った。

 

「……怖かったんだよ、それが。僕が望んでいたのは地位や権力であって、力であって、友情なんかどうでも良い筈なのに、どうして僕は迷うんだろうって。悩むこと自体が苦しくて嫌だったんだ。僕はもっと単純で居たかったんだ。力だけを求めていたかった。それが僕が望んでいるものだって、今までずっと確信してきたんだよ。……だけど、君のせいで……僕は力と君を天秤に掛けられて、迷うようになってしまった。あの時僕は、それを否定したかったんだ。でも……否定した結果が、これなら、もう、ね。しなければ良かったのになんて……もう遅いね」

 

 そこでリドルは席を立った。黒の瞳が一瞬神経質にこちらを見て、痛々しいものを見てしまったようにすぐ逸らした。「……ちくしょう」そう呟いた。

 

「これで終わりだ。……君と共に居れば、僕はきっと、もっと力を手に入れる事が出来ただろうね。もっと早く、もっと強く、なれただろう。だが、無意味な仮定だ。僕は一人でも、ホグワーツの全てを手に入れてみせる。君が邪魔するのなら、その時は……殺してみせる」

 

 最後の言葉は弱々しかった。あれではとてもでは無いが、言葉通りの死の呪文など放てないだろう。

 

 かつかつと靴音が響く。リドルが部屋を出て行こうとしている。

 

 僕は腹を意識した。

 

 そこに力を込めろと全身に命令した。僕は予言者じゃない。グリンデルバルドみたいな予言の才能なんて無い。だがそれでも、ここが運命だと思った。ここだ。ここが全ての分岐点だ。

 

 リドルの独白は余りに個人の背景に依拠していて、あくまで一年の付き合いでしかない僕には完全な理解など出来なかった。何故彼女は磔の呪文を使ったのか。何故苦しそうな顔をして後悔を口にするのか。純血。能力。魔法界……単語だけでは全てを理解出来なくて、だからこそ、僕は知りたかった。

 

 不思議な衝動だった。初めての思いだった。それは歴史じゃないんだ。歴史ではない、長く連なる総体としての人間ではなくて、たった一人の個人を知りたい。そんなことを思ったのは初めてで、しかし悪いことだとは思えなかった。

 

 寧ろ、これが必要だったんだと思った。僕に欠けていたものはこれだ。だから僕の周りに人はいなくて、リドルは怒ったんだ。これだ。この思いだ。これを叫ぶんだ!

 

 僕は、リドルを知りたいんだ。初めての友人を、たった一人の友人の事を、僕はもっと知りたくて、これで終わりになんてしたくないんだ!

 

 だから身体、おい身体! 声を上げろ!

 

「お、い……! おい!」

 

 ごほごほと、水没死寸前から回復したように、僕は重く声を発した。靴音が止まった。リドルが顔に驚愕を浮かべて振り返っていた。

 

「君、起きたのか……」

 

 リドルは安心したような顔を浮かべたが、それも一瞬のことで、次には繕いの笑みに変わった。にこにこと、教師や生徒に向けるような顔で僕を見つめていた。

 

「災難だったわね。君は私との決闘に向かう最中、誰かに呪いをかけられたのよ。もう傷は塞がった? でもその様子じゃあ決闘なんて出来なさそうね。勿論、何時でも挑戦を待っているわ。じゃあ……」

「僕は君を今でも友達だと思っているぞ!」

「……っ。なんの、事かしら?」

 

 繕いに罅が入った。黒髪黒目の一見して清楚な姿。しかし僕は、彼女が僕にかけた言葉を知っている。知っているから、引き留めなければならないと強く思った。僕はベッドに寝転がったまま、首だけを彼女に向けて叫んだ。

 

「聞こえていたぞ全部! 長々とした告白だったな。生憎、君の予想は当てが外れた! 僕は歴史を知った。事件が起きる背景と動機を知った!」

「なっ、あっ……!」

 

 リドルは目を白黒させて、顔を真っ赤にして口をぱくぱく開閉させた。可愛らしい姿だった。僕は笑って言った。

 

「なんだい、随分恥ずかしい告白だったな。君はあんなに素直だったのか? いやいや、恥ずかしがるな。僕は嬉しい! 君が僕を友人だと思ってくれていて……。だが、まだ分からないんだ。君は歴史ではないんだ。だから……だから、これからもよろしく頼むよ」

「オブリビエイト忘れよ! オブリビエイト! オブリビエイト!」

 

 リドルの杖先が白く輝き、忘却呪文を放ったが、しかし僕のベッドがそれを弾いた。正確には、ベッドに仕掛けられている防御呪文が護った。

 

「プロテゴ・トタラム……範囲型防護呪文か。それも飛びっ切り強力な……流石はホグワーツの医務室だ」

「くそっ、くそっ! 君、君ねっ、どこから聞いていた!? 何時から、僕のっ……!」

「君が部屋に入ってきたときからかな」

「最初っから……全部……! ああ……!」

 

 リドルは顔を手で覆った。その指先の間からぎらぎらとこちらを睨む目が覗いてきて僕は笑った。何だよ、同い年らしいところもあるじゃないか。

 

「まあ、気にするなよ。僕はさっきので益々君を尊敬したんだ。やっぱり君は天才だよ。カリスマと言うのかなあ、集団を惹き付ける術を知っているね」

「はあ!? 誉められれば簡単に気を良くするとでも……!」

「いやいや、中々真似できないよ。……何せ君は、人付き合いのためなら、友人にクルーシオを掛ける事だって出来るんだからね!」

 

 その言葉に、リドルは凍り付いたように硬直した。目を見開いた。瞳がわなわなと震えていた。

 

「凄いねえ、リドルは」

 

 僕が笑って言うと、リドルは「ひゅっ」と息を飲んだ。顔がどんどん青ざめて、唇の赤が引いていった。

 

「ん? どうした?」

「君、は……! ……ぅう……ひ、皮肉を、言っているのか? そ、それとも、本心から……まさか本心から……クルーシオを掛けた僕を尊敬しているとでも言うのか……?」

 

 僕は暫く沈黙した。その間、リドルは床に目を落としながらも酷く落ち着かず、視線を右に左に揺らしていた。顔は殆んど真っ白になって荒く息を吐いていた。僕はそれを見て言った。

 

「皮肉に決まっているだろ! クルーシオを掛けられて尊敬できるわけがない! さっきは許すと言ったが、結構怒っているんだよ僕は!」

「うっ……あ、ああ、そうだよね」

 

 リドルは何故か知らないが安心したような顔を見せた。しかし尚も顔色は青白く、吐く息一つさえ震えていた。

 

「そこまで頭がおかしくなくて……良かったよ。はは、は……」

「皮肉で済ませてやったんだ。二度と僕に掛けるなよ」

「う、うん……ごめん、なさい」

 

 リドルは珍しく萎れた顔をして素直に謝った。しかし続けて、ぼそりと彼女は呟いた。

 

「……本心だったら、どうしようって思ったんだ。だって本心から、そんな尊敬なんて出てきたら、どうして良いか分からなかったから……」

「おいおい、流石にそこまで頭おかしくないぞ僕は」

「……知らないんだよ。君は僕を知らないと言ったけど、僕だって君を知らないんだから。だから、だから……言葉は信じられなくて……開心呪文を使えさえすれば……」

 

 リドルは本当に珍しく内心を吐露しているようだった。彼女は言葉の途中で頭を振った。

 

「いや、違う……違うんだよ。そうじゃないんだアルフレッド。君を力で脅しつける事は出来ない。君は僕には屈しない。だから何も信じる事が出来ないんだ。君は簡単じゃない。だから苦しくて、邪魔臭くて……楽しいんだ」

「相変わらず、野生動物みたいな価値観だね」

「っふ……そうだね。でも、どうすれば良いのかな。君はどうすれば……」

 

 そこでリドルは言葉を切って、一度唇を噛んでから、意を決したように言った。

 

「君はどうすれば、僕の物になってくれる?」

 

 僕は言った。

 

「僕は物じゃない」

「っ……うん……そうだね。そうだ。君は物じゃない。君は取り上げた玩具でも、衣装棚に詰め込んだトロフィーでもないんだ。だから分からないんだよ。僕には、こんなことは分からないんだ。……泣いて頼めば良いのかな? っふふ、嫌だ。絶対に嫌だ。……でも、どうしようもなく欲しいんだ」

「物じゃないが、もう持っているようなものじゃないか?」

 

 そう言うと、リドルは何も分からないと言うかのように眉根を寄せた。僕は言った。

 

「僕達は友達だろう。もう、互いに互いを持っているようなものじゃないか。友情は物じゃない。だが、物より素晴らしいものだろう」

「友情……だって? これが? 本当に?」

「リドルは僕と仲良くしたいんだろう? 僕だって君と仲良くしたいんだ。もっと君が知りたい。これからもずっと……。それって、友情以外の何だと言うんだ」

 

 リドルは複雑な顔をしていた。内心の煩悶と戦うように瞳を伏せながら、長い間唇を噛んでいた。

 

 やがて彼女は、諦めたように溜め息を吐いて、笑って言った。

 

「友情……ね。やっぱり、ああ、そうなんだね、これは。……そっか、僕はもう、とっくに変わっていたんだな。それから目を反らし続けていただけだった」

「本当に今更だな。僕はずっと、君を友達だと思っていたのに」

 

 僕がそう言うと、リドルは笑った。そうして顔を背けた。

 

「ああ、今更だ。……見ないでくれよ。何だかとても恥ずかしいんだ」

 

 

 



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或いは

 

 

 王冠がそこに在った。

 

 夜に星は瞬く。瞳のように蠢き夜を埋め尽くす。月もまた既に瞳と化し、眼下たる星の仔細を主へと届ける。僅かな人。僅かな獣。僅かな自然。

 

 瓦礫の玉座に、ヴォルデモートは笑った。

 

「俺様は遂に不死を成したが、まさか最後に立ち向かうのが君だとは」

 

 運命は決着した。偉大な魔法使いは死に朽ち果て、稲妻の傷の子は敗北し、選ばれなかった子もまた蛇に飲まれた。

 

 王冠は既に位置を崩さぬ。瓦礫の星に不死を叫ぶ怪物を前にして、ただ一人、老人は杖を握った。

 

「何年が経った?」

「百年には届かないだろう。君と俺様が決別して、惨めにもダンブルドア、ハリー・ポッター……ああこの名前さえ懐かしい! そいつらさえも利用して、俺様を殺す事が出来なかった無様! 一体、君の知識が何の役に立ったというのだ。ええ? 賢者と呼ばれ、魔法界の英雄と呼ばれ、俺様と唯一拮抗すると呼ばれた! その名声はこの瓦礫に届くか!」

 

 げらげらと、蛇のような顔をした女は笑った。相対する白髭を生やした老人は笑わなかった。握る杖は黒く短く、裾にさえ隠せるようだ。しかし彼は屹然と指先に杖を握り相手へと向けた。

 

「お前を若年に殺さなかったことこそ、全ての間違いだった」

「今更だ。それこそ。間違いだというのなら、俺様達が出会ったことこそが間違いだろう」

 

 ヴォルデモートは笑った。老人は笑わなかった。互いに杖を握り、既に終わった星の下、最後の決戦が始まった。

 

 互いに呪文の詠唱はなかった。炎が舞う。氷が弾ける。死の呪文への耐性は既に解明されている。ならば互いを殺すには原始の摂理、肉体の物理的破壊に外ならぬ。

 

 だが、ヴォルデモートは笑う。延々と、瓦礫の大地に勝利を叫ぶようにして笑う。

 

 感嘆も恐怖も憧憬も、全てを無くした大地に尚も氷の龍を生み、炎の獅子に群れを与える。それで笑っている。力を。圧倒的力を成す己に絶え間ない自賛を送りながら、老人に引導を渡すべく、最強の杖へと力を込める。

 

 声はない。衝突の、衝撃の音だけが聞こえている。閃光の、破裂の音だけが木霊する。

 

 絶技。そう声を送る者は既に無い。王冠は一人に占められ、余人が介在する余地は無い。元より賞賛など意味はない。血縁にさえ意味はない。

 

 ただ力を。己が納得するだけの力を。

 

「はっっはあはははは!」

 

 ヴォルデモートは笑う。楽しいのか、嬉しいのか。星さえも手の内に収め、空さえも己の瞳として、尚も無聊はない。

 楽しい。己が永遠に死なず、最強である事がただ楽しい。それを目の前の老人は分からぬだろうと思った。

 憎たらしい顔。かつて老人が嫌っていた青色の瞳によく似て、まるで似ていない悲愴な顔を浮かべながら老人は決死に戦っていた。

 

 だが、既に見えていた決着だった。

 

 水晶玉を見ずとも分かっていたことだった。彼女は死を超越した。万人の運命の決着として訪れる死の上を、彼女は軽やかに飛翔し、ただひたすらに嘲笑を浮かべている。死は彼女を避けていく。必殺の魔術も、悪魔的な防御さえも、彼女には届かず、ただ嘲笑の色を深めるばかり。

 

「馬鹿だなあ」

 

 何時のことか。どれくらい前だろうか。懐かしい口調に老人は瞳を細めた。

 既に感傷はない。哀惜も哀れみさえもない。あるのはただ後悔ばかり。

 

『どうして僕は、あの時彼女を殺さなかったのか!』

 

 詮無いことだ。意味のないことだ。杖を振るう腕に乱れはない。唇を噛む歯に力が入るだけだ。言葉など既に意味を成さない。そんな段階は既に終わっている。この星の、終わり尽くした有様を見て、そんな事を言える物か。

 

 彼らの戦いは美しかった。或いは芸術と称えようか。世界の終わりに相応しく、二人の出会いも交友も、まるでこの瞬間に伏線として誂えられていたようだった。

 

 ──やがて、老人が息を切らした。

 

 死は万人に訪れる。魔法族のそれはマグルの物より遅いとは言え、老人は分かっていたはずなのに。

 

 血を吐いて、最後の魔法さえも無意味に帰して、老人は倒れた。それでも瞳は死んでいなかった。彼は言った。

 

「……だが、お前は必ず負けるだろう。お前が認めなかった」

「なんだって?」

 

 老人の末期の息。瓦礫の丘に身体を伏せて、息も絶え絶えに繰り出す言葉を、ヴォルデモートは笑いながら聞いた。

 

「今更、俺様が何に負けるって? この俺様に。この、死さえも超越し、死の秘宝を過去にし、星の支配者となった俺様に!」

「愛と、絆と」

「今更だなあ! いや、いや! 今更ではないな。君、ダンブルドアに感化されてしまったな。すっかり正義に愛に絆に!」

「──歴史に」

「……ふうん」

 

 ヴォルデモートは笑みを潜めた。

 がちゃがちゃと、瓦礫が崩れ落ちる音が響く。ヴォルデモートは凱旋の歩みで老人に近付く。

 

「歴史。この世界に、最早それは存在しない。過去も未来も既に存在しない。あるのは今だけだ。予言者もタイムターナーも意味を成さない。過去も未来も全てを殺した。あるのは今この瞬間、俺様が勝利した今だけだ」

「歴史はある」

「君の頭の中にだけだがね」

「果たして、どうかな」

 

 老人はにやりと笑った。

 

「ヴォルデモート、お前は確かに王者だ。この世界の神だ。だがな、お前はただ一人、不死に浸るだけで終わるのか?」

 

 老人は、最早杖を振るう力も無く、呪文を使う力さえ無いというのに笑っていた。

 

「いいや、いいや! お前は、きっと作るさ。お前は何時だって、歴史を求めていた。グリフィンドール! レイブンクロー! ハッフルパフ! スリザリン! 歴史を蒐集して、それを手の内に収めて、それで悦に浸っていただろう!」

 

 ヴォルデモートは笑わない。杖を突き付けることさえしない。ただ無表情に老人の声を聞いていた。

 

「お前は確かに歴史を見ていた。それを何より己の価値としていた! だからこそ、お前は己の価値を後世に残すだろう。お前を崇める人間だけを残して、それで世界を支配した気になって! だが、それで歴史が終わると思うな。歴史は何時だってたった一人の人間の思うままになるものか! お前が支配者を続けるのなら、世界は何時だって……!」

 

 ヴォルデモートは杖を振った。

 

 老人は死んだ。絶対の死と、そう呼ばれた呪文はかつて二人の手によって解き明かされたというのに、老人は傷一つ無く死に落ちた。それを眼下にして彼女は笑っていなかった。

 

「何時のことだよ」

 

 ヴォルデモートは老人の死体を見つめつつ呟いた。

 

「君は、それまでしか知らなかったんだな。僕はもう、そんなものに価値を見出してはいないというのに。引きずっていたただ一つの歴史も、今、こうして終わったっていうのに」

 

 老人は光の失った瞳を空に向けていた。彼女はその向けられる瞳を月から見つめていた。青色の、くすんだ、老いた眼を見つめていた。

 

「王冠はここに在る」

 

 それの何が不満だと。死を超越し、死の遥か上を飛翔し、絶対の支配者として君臨したことの何が不満だと。

 

 帝王が完成した。

 

 永遠に死なず、星を支配し、ただ一人瓦礫に笑う──そんな帝王は、帝王になる前に、老人の墓を作った。そうして、そのすぐ傍に玉座を作った。

 

 過去もなく、未来もなく、まるで歴史を馬鹿にしたような顔で、彼女は永遠に君臨した。

 

 

 



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