TSっ娘ハーレムとか正気か?~世界救って女の子に囲まれるはずが、パーティーは全員元男だったんだがどうすればいいですか~ (恥谷きゆう)
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冒険のはじまりと騎士の都のお姫様
間違いだらけの異世界転生


TSっ娘がいっぱい出てきます! 
よろしくお願いします!


 男子高校生だった俺の人生は、あっけなく終わった。通学路に突っ込んできたトラック。それは俺と幼馴染の体を容易く跳ねた。

 

 

 

 

 

「おお、召喚に応えてくださりありがとうございます勇者キョウ様」

 

 

 

 どこかの豪華な大広間で、俺は再び目を覚ました。俺の周囲には、フードを被った魔術師のような奴が複数人跪いている。

 

 話しかけてきているのは、長い杖を持った、白ひげの爺さん。

 

 

 

 それだけで、ある程度オタクである俺は状況を理解してしまった。

 

 間違いない。これは勇者召喚の儀。そして俺は、異世界転生者として召喚されたのだ。

 

 

 

「フッ、いいってことですよ。世界を救うのは俺の役目。そうでしょ?」

 

「おお……すでに使命を理解しているとは、さすがキョウ様。かつてそんな転生者はおりませんでした」

 

 

 

 爺さんの言葉に機嫌を良くしていると、頼んでもいないのに世界観の説明が始まった。

 

 魔神がいてヤバいだとか、特殊なスキルを出現させる転生者を召喚して魔神や魔王の討伐を目指しているだとか、そういう話だ。

 

 

 

「キョウ様には大儀を果たすためにこの魔剣を持っていただきたく思います」

 

 

 

 なんかやたら禍々しい色をした剣を渡された。

 

 

 

「これは?」

 

「800年前から存在する伝説の魔剣でございます。傲慢の魔剣。かつてこれを抜いたものは、当時最強と謳われた魔王の討伐を成功させました」

 

 

 

 おお、いいねそういうの。テンションが上がる。

 

 剣柄に手を当てると、途端に脳内に声がした。

 

 

 

 『ふむ、お主であればよいだろう。試しにワシを抜いてみるが良い』

 

 

 

 言葉に従い、ゆっくりと鞘から剣を引き抜く。

 

 静かな金属音とともに、錆び一つない黒色の刀身が姿を現した。

 

 

 

「ぬ、抜けた!?」

 

 

 

 その途端、召喚士たちの間にどよめきが上がった。俺の目の前のじいさんも目を大きく開いていた。

 

 

 

「おい、どうした?」

 

「…………いえいえいえ、その魔剣は選ばれた者にしか抜けない気難しい武器なので、あっさりと使いこなしてしまったキョウ様に驚いていただけでございます」

 

 

 

 鞘から抜けない魔剣? おい、もしかして俺は無用の長物を押し付けられたのか?

 

 こいつら、あんまり信用できないかも。そう思った俺は、必要な情報だけ聞いてさっさとここを出ていくことにした。

 

 

 

「それで……俺のパーティーメンバーはどこに?」

 

 

 

 この世界の事情はわりとどうでもいい。問題なのは、俺のハーレムパーティーメンバーはいったいどこにいるのかということだ。

 

 異世界転生最大の魅力。それは、美少女たちとのラブコメディーであると俺は思う。冒険して、惚れられる。そのために俺は異世界に来たと言っても過言ではない。

 

 

 

「は? ……いえ、仲間は相性などありますので、勇者様自身で決めていただくのが慣例となっております。」

 

「ああ、なるほど。そういうやつね」

 

 

 

 その言葉で、俺は自分がするべきことを理解してしまった。

 

 俺が最初にするべきは、美少女奴隷の保護だ。

 

 意気揚々と、召喚士たちのもとを後にする。

 

 

 

 道を歩きながら、俺はもらった魔剣を鞘から抜こうとしていた。

 

 

 

「……あれ、この剣やっぱり抜けないんだけど」

 

 

 

 一度鞘に戻してから、魔剣はまったく抜けなくなってしまった。

 

 どうしよう、まだクーリングオフで取り換えとかできるかな。でもあの召喚士あんまり信用できなそうだし。

 

 まあ、普通の剣も一本もらったからいいか。

 

 

 

 

 

「勇者様、ようこそおいでくださいました」

 

 

 

 目的の店に入ると、へらへらと笑う小太りの男が、俺を迎え入れる。奴隷商の店は薄っすらと汚らしい。奴隷を閉じ込めてある檻のある奥の方は、陰気な雰囲気が漂っていた。

 

 

 

「奴隷を一人買いたい」

 

「はい。戦闘力に優れたものであれば、こちらの男などはいかがでしょうか?」

 

 

 

 男が示したのは、ケモ耳の生えた男だった。裸の上半身は筋骨隆々で、たしかに強そうだ。

 

 

 

「いらない。女がいいんだ」

 

 

 

 このオッサンは分かっていない。俺が欲しいのはハーレム要員。美少女だ。ロリでも可。責任を持って育てる。

 

 

 

「なるほど……かしこまりました」

 

 

 

 案内された先にいたのは、黒髪の美少女だった。

 

 美少女ソムリエたる俺にはわかる。

 

 痩せこけているが、その素材は一流だ。長い黒髪に隠れているが、顔立ちは整っている。綺麗系だろうか。細めの目つきに、しゅっとした鼻立ち。ボディラインは綺麗な凹凸を描いていて、胸はかなり大きい。

 

 

 

「こ、この子だ……!」

 

「お気に召したかな? 最近入荷したばかりで、手つかずなので夜の世話にも使えます。少しばかり魔法も使えるらしいです」

 

「買おう。いくらだ?」

 

 

 

 俺を召喚した人たちから資金は十分に渡されている。問題なく支払いを終えて、俺はその奴隷商人のところを後にした。

 

 

 

「……」

 

 

 

 奴隷だった少女――俺のハーレム要因第一号は、ずっとうつむいたまま俺についてきていた。纏っていたボロボロのローブを目深にかぶり、目元を見せない。

 

 あまりにも陰気な様子。親友に能天気と評される俺でも気になってしまって、俺は彼女に話しかけた。

 

 

 

「なあ、そんなに落ち込むなよ。俺そんなに虐待とかしないから。むしろ丁重に扱うから」

 

「……はい」

 

 

 

 精一杯熱意を籠めて伝えたつもりだったが、少女は俯いてぼそぼそと答えるだけだった。俺の顔を見ようともしない。

 

 

 

 結局のところ、俺たちはそれ以上言葉を交わさないままに宿に辿り着くのだった。

 

 

 

 宿の部屋に入って人目がなくなってからも、少女はフードを外そうとはしなかった。ベッドに座り込み、じっと彼女を見つめる。

 

 俺もまた、彼女をじっと観察した。顔はフードで良く見えない。けれども、その体が先ほど店で見た時以上に起伏に富んだ魅力的なものであることはよく分かった。

 

 大きな胸は、腰のあたりが細い分だけ一層強調されている。着ているのがぼろ布のためボディラインがもろに見える。

 

 ゴク、と息を呑む。

 

 

 

 とにかく、話をしないと彼女がどんな子なのか分からない。 

 

 けれども、少女の纏う雰囲気があまりにも辛気臭いので話のとっかかりをつかめない。

 

 

 

「だあー! しゃらくさい!」

 

 

 

 ガバッっと立ち上がった俺は、少女のフードを勢い良く取り払った。

 

 無理やりにでもコミュニケーションを取って交友を深める。それが俺の処世術だ。

 

 

 

 顔が露になり、たじろぐ少女と目が合う。淀んだ、けれど強い意志の籠った瞳。――あまりにも見覚えのあるそれに、俺は思わずつぶやいた。

 

 

 

「ヒビキ……?」

 

 

 

 そんなわけがない。ヒビキはいけ好かなくて、眼鏡で、皮肉屋で、俺の幼馴染の男子高校生だ。

 

 

 

「キョウ……?」

 

 

 

 しかし見知らぬはずの彼女は、震える唇で俺のあだ名を呼んだ。



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幼馴染

「キョウ……本当に、キョウなのか……?」

 

 

 

 見知らぬ顔をした少女は、ひどく懐かしい感じのする声で俺の名前を呼んだ。小学生の頃から聞いていた声。たとえ性別も見た目も声質も変わっても、分からないはずがない。

 

 

 

「……ああ。本当にヒビキでいいのか?」

 

 

 

 少女の外見の中でヒビキ、と呼べる要素は、せいぜいが瞳だけだった。柔らかい体も、整った顔も、彼のもとは全く違う。

 

 強い意志を灯して、けれども冷徹な光を灯す瞳だけが、彼女を彼であると確信させる要素だった。

 

 

 

「ああ……ボクは、ボクはたしかにお前の知るヒビキだ……! あ、うあ……」

 

 

 

 途端、ヒビキの強い意志を灯した瞳に雫が溢れ出した。頬を赤らめ、感極まったように涙が溢れ出す。

 

 長く一緒にいて初めて見るカレの泣き顔に、俺は動揺する。そもそも、女の子の泣き顔なんて慣れていないのだ。

 

 

 

「お、おい、ヒビキ……」

 

「ち、ちが……こんなの、ボクじゃない……これは、これはボクの女の体が勝手に……」

 

 

 

 ぽろぽろとこぼれ出る涙に、俺はどうすればいいのか分からずオロオロする。

 

 彼は強い人間だった。いつも冷静で、自分の意思はハッキリと伝える。そういう男だった。

 

 

 

 迷ったすえにせめて、とカレの肩に手をのせる。柔らかい感触が返ってくる。

 

 

 

「まあ、なんだ。こんな時くらい泣けよ。強がる必要なんてない」

 

 

 

 俺の言葉にゆっくりと頷いたヒビキ。カレは、俺の手をそれをどけるでもなく、掴むでもなく、ただ静かに泣き続けた。

 

 

 

「う、ああ、あああああああ!」

 

 

 

 宿屋にヒビキの泣き声が響く。カレが今まで味わった様々な苦労や苦痛を吐き出すような、長い長い泣き声だった。

 

 

 

 目元が真っ赤になった頃、ヒビキはようやく泣くのをやめた。

 

 

 

「ッ……あんま見るな……殴るぞ」

 

「お、おう」

 

 

 

 ぶっきらぼうに俺に言ったカレは、少し照れているようだった。泣き終わった後でもちょっと頬が赤いし、目が合わない。

 

 少しだけ、胸がドキドキする。

 

 カレの顔が直視できずに視線を下に向けると、今度は大きな胸に目が吸い付いてしまう。クッ、相手はヒビキだ……!

 

 

 

「……でも、ありがとな。キョウ」 

 

 

 

 ヒビキは懐に手をやると、見覚えのある眼鏡を取り出した。長年愛用していたそれには、小さなひびが入っている。

 

 

 

 それをつけると、カレの表情はだいぶ和らいだ。冷静で、色んな物事を見て考えている。いつものカレの顔だ。

 

 

 

「キョウ。お前は正当な手順でここに召喚され、勇者としての使命を言い伝えられた。間違いないか?」

 

「……ああ」

 

 

 

 先ほどの泣き顔から一転、冷静な顔になったヒビキの問いかけに俺は答える。

 

 やっぱり、こんな顔をしている方がヒビキらしいとも思えた。こっちの方が落ち着く。昔からずっと見ていた彼の顔だ。

 

 

 

「ボクも同じく、勇者として召喚された……はずだった」

 

「はずだった?」

 

 

 

 本当に勇者として召喚されたのなら、奴隷なんてやってないはずだが。俺みたいに召喚師たちに歓迎されているはずじゃないか?

 

 

 

「召喚になんらかの不備があったらしい。いや、あの男が妨害したっていう方が正しいのか? 神ってのも万能じゃないんだな。おかげでボクは犯罪者集団の元に召喚、さらには肉体の性別まで変わっている始末だ。まったく、勇者召喚が聞いてあきれる。これじゃあ異世界から奴隷を取り寄せているようなものだ」

 

 

 

 眼鏡をわずかに上げるヒビキ。レンズが反射して、カレの目が見えなくなる。

 

 

 

「それでキョウ。お前は奴隷の命令権、どうするつもりなんだ?」

 

 

 

 コツコツ、とヒビキが自らの首輪を指で叩く。奴隷商の説明によれば、それは奴隷に自分の言うことを聞かせる道具らしい。命令に従わない奴隷には、首輪を通じて痛みが与えられる。

 

 

 

「ああ、そういえばそんなのあったな。……いらねえよ」

 

 

 

 首輪に手をやる。俺の手が近づくと、ヒビキは少し体を強張らせた。

 

 首輪に手を添え念を籠めると、あっさりと首輪は壊れさった。

 

 ヒビキが目を見開く。

 

 

 

「ッ……よかったのか?」

 

「何馬鹿なこと言ってんだよ。幼馴染を奴隷にしたいやつなんていないだろ」

 

「でもお前は、異世界転生してハーレム作りたいってずっと言ってただろ? 今のボクは女なんだし、都合がいいんじゃないのか?」

 

 

 

 頭の回るヒビキらしからぬ馬鹿な物言いに少し腹が立つ。

 

 たしかに俺は奴隷を買おうとした。けれどそれは、首輪で無理やり言うことを聞かせるようなことを望んでいたわけじゃない。

 

 奴隷を買ったのは、自分に黙って従ってくれる都合の良い相手が欲しかったわけではないのだ。

 

 

 

 それに、相手はヒビキだ。

 

 

 

「いいか、俺が欲しいのは美少女ハーレムなんだよ! 中身男のTSっ娘なんてハーレムにいらん!」

 

 

 

 自惚れるな。どれだけお前の顔がよかろうとも対象外だ。

 

 誰が男友達をハーレムメンバーに加えようとするのか。

 

 

 

「ヒビキ! せっかくだからお前には、俺がハーレム作るのを手伝ってもらうぞ!」

 

 

 

 呆然としたような、どこか安心したような顔を見せるカレ。

 

 その顔はたしかに女の子のそれで、俺はようやく幼馴染が女になってしまったということを実感した。




TSっ娘には泣き顔と笑顔のどちらが似合うか、議論が分かれるところですね……


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ステータスオープン!

「それじゃ、とりあえず作戦会議といくか」

 

 

 

 眼鏡をスチャ、と人差し指で上げながら、彼女は不敵に笑った。

 

 

 

「ようやくいつものお前らしくなったな」

 

「いつものボク?」

 

「自分の頭の良さに自信満々で、鼻につくところ」

 

「ふん……少なくともキョウよりは頭が良いからな」

 

 

 

 偉そうに腕組みをするヒビキ。ちょうど胸を強調するような姿勢になってしまうので、俺はそれを凝視してしまった。

 

 コイツ、でかいぞ……! 服の上からでも分かるそれは、見るだけでも柔らかそうだ。

 

 可能ならいつまでも眺めていたいが、しかし中身がヒビキであることを考えると複雑である。

 

 

 

 そんな俺の邪念には全く気付いていないように、ヒビキは俺に聞いてきた。

 

 

 

「お前はハーレムパーティーを作りたいとか抜かしていたな。具体的にどうやって作る気だったんだ?」

 

「決まってる。強くなって、魔神? とかいうのを倒して世界救って、その過程で女の子助けて惚れられる」

 

「なめてんのか? 計画性ゼロかよ」

 

「なあ、その美少女フェイスでいつもみたいに罵倒するのやめてくんない? なんか変な気分なんだけど」

 

 

 

 彼女は俺から少し目を逸らした。思わぬ言葉に動揺したようなリアクションだ。

 

 

 

「……コホン。女の子を助けるってことはそれなりに強くなる必要があると思うが、お前は戦えるのか?」

 

「ああ。ここに来た時に頭の中に流れ込んできた情報によると、俺には転生特典みたいなやつがあるらしい」

 

 

 

 正式名称は『天からの贈り物(ギフテッドスキル)』。異世界からのこの世界に転生した者たち、別名勇者に与えられる強力なスキルのことだ。

 

 

 

「一つは『適応化』。言語能力の取得だけじゃなく、身体能力の向上、精神の強化までしてくれるらしい」

 

「うん、その辺はボクの認識と一緒だな。平和に過ごしていた現代人を戦いに駆り出すために必須のスキルだ。このスキルのおかげで、異世界人は大した努力をしなくても強い」

 

 

 

 異世界人を召喚するのは、これが目的だ。加えて、異世界人はこれとは別に強力なスキルに目覚めることが多いらしい。

 

 

 

「おお、じゃあやっぱり俺も……」

 

「あんま調子乗んな」

 

 

 

 ヒビキは、人差し指を立ててチッチッと振った。男だった時にはむかつくことしかなかった動作だが、眼鏡美少女がやるとドキドキする。くそっ、中身ヒビキのくせに……!

 

 

 

「奴隷してたボクでも聞いたぞ。この世界にはもう何人もの転生者が出現し、戦いに駆り出されている。それでも魔神と呼ばれる人類の最大の敵は倒されていない。この意味が分かるか?」

 

「俺の見せ場があるってことだな!」

 

「馬鹿! みんな失敗してるってことだよ!」

 

 

 

 ヒビキはやれやれ、というように額に手を当てた。相変わらず所作の一つ一つがムカつく奴だ。

 

 

 

「お前の能天気さは相変わらず羨ましいくらいだが、ゲームや小説感覚でいるとあっさり死ぬぞ」

 

「いいや、死なないね。少なくとも三人はハーレム要員を見つけるまではな」

 

 

 

 そうだなあ、お嬢様とケモ耳っ娘と、魔法使いの女の子。異世界ハーレムならこれくらいは欲しいかなあ。それで艱難辛苦を乗り越えて最終的には俺に惚れてくれる感じで。

 

 

 

「……ともかく、その辺のスキルはボクにもある。二人で協力すれば、順調に成長する分にはなんとかなるだろう」

 

 

 

 ついに俺の妄言は無視され始めた。

 

 

 

「そういえばヒビキは、俺よりも早くこっちに来たんだろ? どんな戦い方できるんだ?」

 

 

 

 どんなスキルがあるのだろう。とワクワクして聞く。しかし、ヒビキの表情は硬かった。

 

 

 

「……ボクはずっとこっちに来てから奴隷だ。そんなことしていない」

 

「そ、そうか……」

 

 

 

 ヒビキが眼鏡を上げると、レンズが光って目元が見えなくなる。けれども俺は、なんとなく彼女がどんな表情をしているのか分かった気がした。

 

 少しだけ声を大きくして、俺は言葉を紡いだ。

 

 

 

「まあ、俺が来たからには安心しろ。少なくともお前に退屈なんてさせない。最高に楽しい異世界生活ってやつを送らせてやるよ!」

 

「まったく、その自信はいったいどこから来るんだかな」

 

 

 

 呆れたように苦笑するヒビキの様子に一安心する。そうだ、お前はそういううんざりした顔の方が似合う。

 

 

 

「こういう時は定番のあれだよな。『ステータスオープン』!」

 

 

 

 その瞬間、俺の目の前には何やら文字がたくさん記載されている画面が表示された。

 

 

 

名前 キョウ

 

職業 勇者

 

【ユニークスキル】

 

適応化 A

 

驕傲(きょうごう)の主 A

 

 

 

【スキル】

 

剣術 B

 

炎魔法 B

 

楽天家 S

 

鑑定 C

 

 

 

「おお……なんか強そうだぞ」

 

「……え? そんな単純なことで所持しているスキルが見れたのか?」

 

 

 

 何か愕然とした様子のヒビキが「ステータスオープン」とつぶやくと、彼女は虚空を見つめだした。

 

 

 

「ふむふむ……水魔法がSだな。Sっていうのは強いって認識でいいのか?」

 

「S……!? おいおい、なんか俺より凄そうじゃねえか!」

 

 

 

 ふむふむ、とステータスを見続けるヒビキ。

 

 

 

「土魔法がA、雷魔法がAだな」

 

「どれどれ」

 

 

 

 本能的に使い方が分かったので、俺はスキルの鑑定を使用した。

 

 

 

名前 ヒビキ

 

職業 魔法使い

 

【ユニークスキル】

 

適応化 A

 

魔力透視 S

 

 

 

 

 

【スキル】

 

水魔法 S

 

土魔法 A

 

雷魔法 A 

 

 

 

「おい……おい、俺よりめちゃくちゃ主人公っぽいじゃないか! ずるいだろ! 俺にもそういう分かりやすく強そうなの欲しいぞ!」

 

 

 

 俺の様子を見たヒビキは、ニヤリと嫌な感じの笑みを浮かべた。

 

 

 

「フッ……お前にだって強そうなスキルはあるじゃないか。『楽天家 S』フッ……フフフフッ、ハハハッ! 楽天家! ただのお気楽馬鹿ってことじゃないか! お前らしいな!ハハハハ!」

 

 

 

 ヒビキは本当に楽しそうにカラカラ笑った。クールな印象を受ける顔が緩くなり、目元がふにゃ、と笑う。

 

 笑顔の方が可愛い、という一瞬湧いた邪念を振り払うように、俺は突っ込んだ。

 

 

 

「お前……笑いすぎだろ!」

 

「いや、悪い悪い。これでも褒めてるんだぞ? お前の気楽さに救われたことだってあるからな。さっきだってそうだ。いつもいつも、お前には助けられている」

 

「お、おう……」

 

 

 

 おい、急に素直にモノを言うなよ。どう答えればいいのか分からなくて困るだろ。



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傲慢の魔剣を鑑定しよう

「それで、お前はどうしたい? さっそく魔物でも倒しにいくか?」

 

「いやいや、それより先にやることあるだろ」

 

 

 

 俺は、彼女の体をズビシッと指さした。

 

 

 

「その恰好目に毒なんだよ! さっさと服買いに行くぞ」

 

「……お前、どこに目つけて言ってるんだ?」

 

 

 

 ヒビキの眼鏡の奥からジトっとした目線を感じる。どうやら、俺の視線がまた大きな胸の方に寄っていることがばれていたらしい。

 

 少し早口になりながら、俺はごまかした。

 

 

 

「いや、それもあるけどさ、魔法使いなら杖持てよ。なんか魔法の威力上がるんだろ?」

 

 

 

 しかし、俺の言葉にヒビキは気まずそうに顔を逸らした。

 

  

 

「いや、ボクは金がないが……」

 

「それくらい買うって。そもそもお前の場合始まりがイレギュラーだったわけだろ? 普段ならお前におごるなんて死んでも御免だけど、今回は特別だ」

 

「……本当にお前は」

 

 

 

 呆れたような声音だったが、口角がわずかに上がっている。相変わらず素直じゃない奴め。

 

 

 

「それにさ、連れている女の子が貧相な見た目だと俺が貧乏みたいだろ? ハーレムが遠のくじゃん!」

 

「――あぁ?」

 

 

 

 こわっ。急に無表情になったヒビキが俺を睨む。美人は怒ると怖いということを、俺は身をもって実感した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふう、買った買った! いやあ、結局ヒビキのスカートは買えなかったな。見たかったけどな、ヒビキがミニスカートでプルプルしてる姿!」

 

「だから、絶対に履かないって言ってるだろ!」

 

 

 

 ヒビキが顔を赤くしながら俺に言う。その頭にはとんがり帽子。彼女の今の姿は、眼鏡っ娘魔女といったところだろうか。黒いローブもよく似合っている。動きを邪魔しない落ち着いた色のロングスカートがその下でひらひらしている。

 

 豊満な胸が隠れてしまったのがやや残念だろうか。

 

 

 

「……ああ、これで中身がヒビキじゃなかったらなあ」

 

「おい、人の姿を見てため息を吐くのはやめてくれないか」

 

 

 

 ヒビキが嫌そうに言う。

 

 

 

「それで、キョウの方は武器を買う必要はなかったのか?」

 

 

 

 俺自身が買ったのは、動きを邪魔しない程度に体の一部を守る鎧だけ。武器の類は買ってない。

 

 

 

「いやあ、それが召喚された時に武器もらってさ。これ、傲慢の魔剣って言うらしいんだけど、かなりいい武器っぽいんだよな。まあ、鞘から抜けないんだけど」

 

 

 

 ググ、と力を籠めるが魔剣はやはり抜けない。

 

 

 

「それなら一層他の剣を買った方がよかったんじゃないか?」

 

「いや、こっちの予備の剣よりも良さそうなのがなかったからさ。当分はこれで」

 

 

 

 傲慢の魔剣と一緒に下げて居る長剣は、決して悪いものには見えない。傲慢の魔剣が使えるようになるまではこちらを使えばいいだろう。

 

 

 

「抜けない魔剣を抜く方法か……そうだキョウ、鑑定は剣には使えないのか?」

 

「おっと、その手があったか」

 

 

 

 ヒビキの言葉に従って、傲慢の魔剣に鑑定を使う。すると、すぐに結果が見えた。

 

 

 

 

 

名前 傲慢の魔剣 

 

ランク S

 

製作者 ムラマサ

 

 

 

800年前、狂気の刀鍛冶ムラマサが作った七罪の魔剣、その一振り。

 

自らが認めた主以外には剣を抜くことすら許さない。

 

ひとたび抜けばたとえどんな強敵であろうと跪かせることができるという伝説の魔剣。

 

しかし、使用者には著しい精神汚染が発生する。そのため、使用者はほとんど全員が発狂して無残な死を遂げている。

 

 

 

 

 

「なんてモノ押し付けてくれてるんだあの召喚士どもおおおおおおお!」

 

「おいキョウ、その剣一回抜いたんだろ? 大丈夫か!? なんか急に破壊衝動が襲ってきたりとか……」

 

「いや、全然そういう影響は感じないな」

 

 

 

 俺の言葉に、ヒビキはほっとしたように息をついた。

 

 

 

「なあキョウ。その危ない魔剣、いっそ売ったらどうだ?」

 

「――声がさ、したんだよね」

 

「は? 声?」

 

 

 

 急に芝居がかった声を出し始めた俺に、ヒビキはちょっと呆れたような目を向けた。

 

 

 

「傲慢の魔剣を抜けた時、幼い女の子の声がした。その声が、俺を主として認めてくれたっぽいんだよね」

 

「まず武器が喋るのが信じられないが……それが本当だとしたら、どうして今は剣を抜けないんだよ」

 

「多分、まだその時じゃないと思うんだよな。――俺が思うに、コイツは運命の刻を待っている」

 

「はあ」

 

 

 

 ヒビキが気の抜けたような声を出す。おい、俺のテンションに付き合ってくれよ。

 

 

 

「時が来たら、コイツは俺に力を貸してくれる。そんな予感がするんだ。俺とコイツは信頼し合える。だってコイツ、生きてるんだぜ?」

 

「あー、そうか。そんな時が来ればいいなー。いいからさっさと寝るぞ。明日から冒険者ギルドで働くんだろ」

 

 

 

 まるで興味ないような声を出したヒビキは、さっさと片づけをすますと反対側のベッドへと入っていった。

 

 

 

 ちなみに俺たちの宿の部屋は同じだ。見た目美少女のヒビキを一人で寝泊まりさせるとどんな目に遭うか分かったものではないからだ。

 

 

 

 

 

 その日、俺は傲慢の魔剣を抱いて寝た。まるで卵を温める親鳥のように、俺は魔剣を大事に大事に抱えて寝た。

 

 きっと、心を通わせれば力を貸してくれる。俺はそう信じていた。

 

 

 

 朝が来る。期待を込めて剣を握り力を籠めるが、傲慢の魔剣はうんともすんとも言わなかった。

 

 

 

「おいヒビキ、見てくれ! 一晩一緒に寝ても魔剣抜けないんだけど! 自慢の頭脳でなんとかしてくれ!」

 

「ふあ……? 知らんわ。だいた昨日お前『時が来たら……』とか言ってただろ。大人しく待てよ」

 

「いや、俺は今、カッコよく魔剣を振る自分を女の子に見せつけたいんだよ! ハーレム! 俺のハーレムはいったいいつ!?」

 

 

 

 信じられない! あんなに誠意を籠めて一緒に寝たのに! なんて傲慢な剣なんだ!

 

 

 

「うるさい。つべこべ言わずに出かけるぞ。今日からさっそく勇者として活動するんだろ。」

 

「おっと。そうだった」

 

 

 

 ひとまず傲慢の魔剣の剣は後回しにして、俺とヒビキは勇者としての第一歩を踏み出した。



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冒険のはじまり

 冒険者ギルドで依頼を受ける。まずは簡単な魔物の討伐からだ。

 

 都市部を出て森に入ると、俺たちは、すぐに魔物を見つけることができた。

 

 

 

「あれは……目標のスライムってやつじゃないか!?」

 

 

 

 見つけたのは、青色のスライムだった。ちょうど二体。初めて倒すにしては手ごろな数だ。

 

 

 

「ああ、そうだな。どうするんだ、キョウ」

 

 

 

 もちろん、斬る。鞘から剣を抜き出して、正眼に構える。本物の剣など初めて握ったが、不思議と手に馴染む。これがスキルとやらの恩恵だろうか。

 

 

 

「はああああ!」

 

 

 

 全力を籠めて、剣を振り下ろす。

 

 我ながらなかなかの威力だったと思う。しかし弾力のあるスライムはぼよん、と歪むと、また元の形に戻った。

 

 スライムは俺の攻撃など関係ないかのように、ぴょんぴょんと跳ね続けている。

 

 

 

 その様子に腹が立ったので、俺はむきになってで剣を振った。

 

 

 

「なっ……くそっ……このっ……」

 

「くっ……あっははは! キョウ、遊んでるのか?」

 

「う、うるせえ! そんなこと言うならお前がやってみろ! コイツ結構硬いぞ!」

 

「硬いというより弾力があるといった感じだな。ふん、いいだろう……たしかにボクも魔法というやつには興味がある」

 

 

 

 クイ、と眼鏡を上げたヒビキ。男だった時はうざったいだけだったそれが、可愛く見えるのがなんとなく悔しい。クソ、中身がヒビキじゃなければ……。

 

 

 

「『雷よ、ライトニング!』」

 

 

 

 杖を前に突き出したヒビキが詠唱すると、勢いよく稲妻が飛び出した。それがスライムに直撃すると、スライムはみるみるうちに萎んでいった。

 

 

 

「おお、倒した!? すげえ!」

 

「フフン」

 

 

 

 わりと豊かに育った胸を張るヒビキ。眼福だ。……眼福だがしかし中身があいつであることを考えると複雑だ……!

 

 

 

「なるほどそういうことか。物理無効ってやつだろ?」

 

 

 

 俺はヒビキと同じように手を前につき出すと、頭に浮かんできた呪文を唱えた。

 

 

 

「『炎よ、ファイヤー!』」

 

 

 

 ごう、と手のひらから飛び出した火の玉が別のスライムに命中する。途端、スライムは一瞬で溶けてなくなってしまった。

 

 

 

「フッ、俺も倒せたぞ、スライム」

 

「スライム一体倒したくらいでなに粋がってんだ、ハーレムを作る予定の勇者様?」

 

「うるさいわ。ちょっとは感傷に浸らせろ」

 

 

 

 ヒビキは相変わらず俺の気持ちを全然分かっていない。

 

 

 

「しかし、やっぱりお前強いな。今からでもいいから俺とスキル交換しない?」

 

「いやだ。『楽天家 S』なんていらない」

 

 

 

 それはそうだ。俺もいらない。

 

 

 

「しかし……この感じなら、二人いればなんとかなりそうだな」

 

「ああ。魔法使いのボクと剣士のお前。バランス的にはちょうどいいんじゃないか?」

 

「いやあ、でも女の子が足りないだろ。具体的にはあと三人くらい欲しい」

 

「お前本当にそればっかだな……」

 

 

 

 とりあえず目標は達したので、森を後にする。スライムの核は回収してある。これを冒険者ギルドに提供すれば、報酬金を受け取れるだろう。

 

 

 

「それにしてもキョウ……」

 

 

 

 珍しく上機嫌で、ヒビキが話しかけてくる。

 

 

 

「なに?」

 

「お前。やっぱりボクの胸見てるよな」

 

「ぶふっ……み、見てねえし!」

 

 

 

 ば、バレてたか……! ヒビキの胸はなかなか大きくで、動き回るたびに少し動くのだ。コイツは男、コイツは男と心の中で自分に言い聞かせているのだが、体は正直なのでついつい目で追ってしまう。

 

 

 

「いいんだぞー。見てても。ただ、ボクはお前を好きなだけからかってやるけどな。ほらー、お前の大好きおっぱいだぞー。ただし元男の、な」

 

 

 

 ぽよぽよ、とヒビキが自分の胸を上下させる。揶揄われていることなど分かりきっているのに、俺はそれを凝視してしまう。クソ……節操のない自分が憎い……!

 

 

 

「クク……お前のこんな面白い姿が見れるなら、少しは女になったかいがあったかもな」

 

 

 

 こちらを面白そうに観察する彼女は本当に楽しそうだ。

 

 

 

「くそっ、見てろよ! 今に本物の女の子をたくさん捕まえて、お前の揶揄いなんて比じゃないほどのイチャイチャライフを過ごしてやるからな!」

 

「そんなこと言い続けてもう10年近く経つじゃねえか。今までお前彼女いたことあるか?」

 

「グッ……ない……ないよ! でも夢くらい見てもいいだろ! だって異世界だぞ? 異世界と言えば、男の夢がすべて叶うところだろ!」

 

「うんうん、そうだな。ここなら彼女ゼロ歴10年のキョウにも振り向いてくれる女の子が一人くらいいるかもなー」

 

 

 

 心底馬鹿にしたような声だ。ヒビキの眼鏡の奥の目が笑っている。

 

 

 

「そういうヒビキこそ、彼女できたことないだろ」

 

 

 

 苦し紛れに反撃する。そう、こいつだって俺を馬鹿にできるほどの経験があるわけじゃないはずだ。

 

 

 

「そりゃあできたことないけど、ボクの場合は彼女欲しい欲しいって年中言っててできなかったわけじゃなく、むしろいらないかなーくらいの精神だったから、お前とは違うよ」

 

「くそっ、クールぶりやがって。本当は欲しかったんだろ? 彼女。イチャイチャして、そういう時になったら彼女に眼鏡外してほしかったんだろ?」

 

「人の性癖を決めつけるな。……まあ、そういうシチュエーションにあこがれがないわけじゃない」

 

 

 

 ヒビキは少し目を逸らして、頬を赤らめながら言った。……その顔でやられると可愛い、と思ったのはいったん置いておく。

 

 若干頬を赤らめながら、彼女は弁舌を始めた。

 

 

 

「いいか、眼鏡っていうのは最終防壁なわけだよ。普段から常につけていて、外すのは風呂の時と寝る時だけ。自分の素顔を隠す、最後の砦。それを他人に外されるっていうのが、いったいどういうことなのか分かるか?」

 

「……いや、知らん」

 

 

 

 正直怖い。急に早口にならないでほしい。

 

 

 

「それは愛情表現だよ! ともすれば接吻にも匹敵するような、相手にすべてを委ねる意志! それこそが眼鏡をはずさせるという行為なんだよ! だからボクは、眼鏡を外したいし外されたい! いや、外し合いたいと言えばいいのか――」

 

「ふーん、こんな感じ?」

 

 

 

 なんだか話を聞いているのがめんどくさくなった俺は、彼女に近寄ると眼鏡をそっと掴み、外した。

 

 その途端、彼女の顔は真っ赤になった。

 

 

 

「なっ……おまっ……ッ!」

 

「なーんて、野郎にやられても面白くもなんとも……ヒビキ?」

 

「……ッ、お、おま、お、おお、おまっ」

 

 

 

 言葉にならない言葉を吐きだすヒビキ。頭の良いヒビキらしからぬ語彙力のなさだ。

 

 眼鏡を外した目はやや細くて、今はわずかに潤んでいる。紅潮した顔は、中身が誰なのかも一瞬忘れてしまうほどに可愛らしい。

 

 

 

「な、なんだよ。悪かったって」

 

 

 

 おずおずと眼鏡を返す。ヒビキはそれをやや俯いて受け取ると、ゆっくりとつけた。

 

 

 

「……」

 

「……」

 

 

 

 気まずい。お互いに赤面して沈黙するなんて、男同士の時にはなかったことだ。

 

 ああ、ヒビキは本当に女の子になってしまったんだな。俺はそんな実感を得ながら、気まずい時間を過ごすのだった。




眼鏡キャラ……それは時に議論を呼ぶ存在

面白い、と思ってもらえたら、評価や感想などで伝えてもらえると作者が喜びます


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お色気イベントも台無しじゃねえか!

 俺とヒビキは、しばらく勇者として召喚され都市に滞在することにしていた。

 

 今は冒険者ギルドの依頼を達成して少しずつ金を稼ぎ、情報収集している最中だ。

 

 

 

「ふあ……ああ、もう朝か。目覚まし時計がなくても起きれるようになったのは幸いか?」

 

「んう……」

 

 

 

 同じ部屋からヒビキの寝ぼけた声が聞こえてくる。

 

 節約と、それから見目麗しい少女になってしまったヒビキの貞操を守るため、俺たちはずっと同じ宿の部屋で生活していた。

 

 

 

 正直なところ、同じ部屋で生活していると結構ヒビキの肌色が見えるので困る。胸は動くたびに動くし、足とかもチラチラ見えて困る。

 

 煩悩を払うためにも、俺は少し声を大きくしてヒビキに呼びかけた。

 

 

 

「ヒビキ起きろ。早く行かないと冒険者ギルドの良い依頼取られるぞ」

 

「おお……」

 

 

 

 なぜかもぞもぞ、と何かが動く気配が俺の腹のあたりでした。……まさか。

 

 

 

「おいヒビキ、なんでまた俺のベッドに入ってるんだよ……」

 

 

 

 俺が毛布の下を見ると、ヒビキが気持ちよさそうな寝顔で俺の腹に寄りかかっていた。眼鏡をかけていない彼女の顔は少し幼く見える。頬も緩んでいて、実に幸せそうな笑みだった。

 

 しかしその目が開くと、途端にうろたえだした。

 

 

 

「んあ……はっ! ばっ、やっ、これは、ちがっ」

 

「お前相変わらずテンパると語彙力なくなるな」

 

 

 

 どたどた、とベッドから這い出た彼女は真っ赤な顔で弁明しようとしているが、舌が回らずうまく言葉を出すことができていなかった。

 

 震える手で眼鏡をつける彼女は、羞恥にプルプルと震えていた。

 

 ヒビキが俺のベッドに入り込んできたのは、これで三度目だ。

 

 

 

「ちがうんだって……その、女の体はやけに冷えるから……温かい場所を探して、それで結局、お前のベッドの中に行き着くというか……クソ、なんだこれありえないくらい恥ずかしい。赤子じゃないんだから……とにかく、ボクが男だった頃だったら絶対こんなことしなかったからな!」

 

「はいはい。それはそうだろうなー」

 

 

 

 思うに、ヒビキは女になってから少し精神が不安定になったようだ。あるいは、奴隷としての生活を送ってから、と言うべきか。

 

 とはいえ、今の俺がするべきは彼女を気遣うことではない。……全力で揶揄うことだ。

 

 

 

「でも、ヒビキは今ではすっかり可愛い女の子だもんなー。このままじゃあいったいいつ間違いが起こるか分からないなー。ヒビキもまんざらでもなさそうだしなー」

 

 

 

 男のベッドに三回も潜りこんだのだ。こいつが本物の女なら、とっくのとうに辛抱できなくなっていただろう。

 

 

 

「ボっ……ボクの体は女のものだが、心まで女になったつもりはないぞ!」

 

 

 

 豊満な胸を抱くヒビキ。しかしその所作がいっそう胸の大きさを強調してしまっていて、むしろ色気を強調していた。

 

 

 

「冗談だよ。前も言ったけど俺は元男、TSっ娘なんてお断りだって」

 

 

 

 ほっとしたような、それから微妙に釈然としない表情を浮かべるヒビキ。

 

 おい、そこはただ安心しておけよ。なんでちょっと納得いってないんだよ。

 

 

 

「なんか自分が対象外って言われるのは複雑だな。いや、対象って言われても困るんだけど。……なんだろう、ボク可愛いよな。見た目に関してはトップクラスだよな」

 

 

 

 無駄にツヤツヤした髪をいじるヒビキ。

 

 あれか、意中にない相手だったとしても、自分が対象外だと言われるのは納得いかないみたいな心理か。

 

 

 

 ヒビキがあまりにも自信満々なので、俺は改めて彼女の容姿を観察した。

 

 

 

「まあ、そりゃあ可愛いけど……」

 

「ふん……」

 

 

 

 胸を張る彼女の顔は、どちらかと言えば可愛いより美しいと形容する方が似合うだろうか。整った顔立ち。ツンと上がった目尻は、先ほどまでの照れ顔とは違って威厳がある。

 

 

 

「分かったのならさっさと行くぞ。冒険者ギルドの依頼がなくなるんだろ」

 

 

 

 とりあえず俺がパパっと着替えて部屋を開け、後からヒビキの着替えの時間を作るために外へと出るのだった。

 

 

 

 

 

 都市の外へ抜け、魔物の出る森方面に出てくるのももう慣れてきた。

 

 二人肩を並べて歩きながら、俺たちは周囲の魔物の気配に注意を払っていた。

 

 

 

「ヒビキ、その三角帽子もなんか見慣れてきたな」

 

 

 

 とはいえ警戒だけでは暇なので、雑談をする。

 

 彼女が三角帽子をつけているのは、魔法使いの慣例だ。そうしているだけで魔法が使える人間として見られるため、舐められないらしい。

 

 

 

「そういうお前は、いつまで経っても勇者らしさが身につかないな。マントでも羽織ったらどうだ?」

 

「うるさいわ。そんなものあったら足絡まって転ぶだろ」

 

 

 

 というか、マントは別にカッコよくない。

 

 

 

「違いない。キョウは男のくせにドジっ子だからな」

 

「はあ? それはヒビキだろ。今朝だって寝ぼけて俺のベッドに……」

 

「わ、わああ! うるさいうるさい!」

 

 

 

 ヒビキが慌てて俺の口をふさごうとしたので、ひらひらと彼女の攻撃を避ける。

 

 そんな風にどうでもいいような会話を続けていると、ふと遠くから気配がしてきた。

 

 

 

「っと。ボチボチ遭遇できたみたいだぞ」

 

「なに? ……本当だ。さすがに大きいな」

 

 

 

 今回の敵は、冒険者ギルドによるランク付けだとCランクの敵だ。今までEランクやDランクの敵と戦ってきた俺たちにとっては、強敵だと言えよう。

 

 

 

「今回ばかりは気を引き締めていけよ、キョウ」

 

「分かったよ。……とは言っても、敵のランクって同じランクのスキルがあれば倒せるって話だろ? BとかSとかのスキルがある俺たちなら倒せるんじゃないのか?」

 

 

 

 俺の剣術は最初からBだったので、今のところ苦労した経験がない。

 

 

 

「ギルドでも言われたろ? スキルのランクはあくまで目安で、最後に生死を分けるのは経験だって。スキルのランクは高くても経験不足な俺たちはスキル二段階くらいは下に見たほうがいいって」

 

「ええー、せっかく異世界に来たのに学校の教師みたいな説教すんなよー」

 

 

 

 もっとこう、未知を楽しまないとな。

 

 

 

「オオオオオオ……」

 

 

 

 俺たちが相対するのは、トロールと呼ばれる魔物だった。

 

 ずんぐりとした体躯は、俺たちの倍ほどの身長だろうか。醜い顔に、でっぷりとした腹。腰布のみを巻いた肌は土のような色だ。

 

 見た目は強そうではないが、あの大きさは脅威だ。手に持つ棍棒を軽く振るだけで、人間の体を潰せそうだ。

 

 

 

「オオオオオオ!」

 

 

 

 俺たちの姿を確認したトロールが、こちらに駆けてきた。

 

速い。足の動きは決して速くないのに、俺たちの倍近くある足が一瞬で距離を詰めてくる。

 

 

 

「ヒビキ! 離れろ!」

 

「ああ! 『土壁よ、クレイウォール!』」

 

 

 

 走りながらヒビキが詠唱する。彼女の得意魔法の一つ、土魔法は地形を変えることを得意としている。盛り上がった土は俺たちの身長ほどまで盛り上がると、トロールの進路を塞いだ。

 

 

 

「オオオオオ!」

 

 

 

Dランク程度の相手には破られたことのない土壁だったが、Cランクのトロールは違った。ずんぐりとした体からは想像できないほど軽々とジャンプすると、土壁をハードルでも超えるみたいに飛び越えた。

 

 

 

「っ!」

 

 

 

 上から降ってくるトロールの棍棒の一撃。バックステップでそれを避けた俺にまで、地響きが伝わってきた。

 

「おっと……」

 

「『稲妻よ ライトニング!』」

 

 

 

 トロールが着地したところに、ヒビキの放った稲妻が直撃した。

 

 

 

「オオオ……」

 

 

 

 トロールがダメージを受けて怯んだので、俺は剣を手に近寄ると、スキルを使用した。

 

 

 

「フレーゲル剣術 中伝 ヘッドプレス」

 

 

 

 加速する剣先。大上段からの一撃は、トロールのでっぷりした腹を掻っ捌いた。

 

 

 

「オ、オオオオ……」

 

 

 

 うめいたトロールが倒れ込んだので、首のところまで回り込み首を断つ。トロールの目から光が抜けていく。

 

 ようやくトドメを刺せた。

 

 

 

 こいつの討伐証拠は耳だ。それを懐から取り出したナイフで切り取る。

 

 

 

「ふう……敵がデカイといろいろ大変だな。なあヒビキ」

 

「あ、きゃああああああ!」

 

 

 

 甲高い女の子の声に、いったい誰の声かと困惑してしまった。遅れて理解が及ぶ。

 

 

 

「ヒビキ!?」

 

「きょ、キョウ、すまないが助けてくれ!」

 

「――な、お前……!」

 

 

 

 後ろを向いた俺の視界に入ってきたのは――触手に絡まれてあられもない姿を晒しているヒビキだった。

 

 

 

「っ、このっ、こいつ変なところに触手が……あっ……」

 

 

 

 ヒビキの攻撃手段である魔法には集中力が必要だ。しかし彼女は、とても集中力を発揮できる状況には見えなかった。

 

 

 

「ヒビキの馬鹿! そういうのは可愛い女の子の仕事だろ!? なんでお前がまっさきにそういうイベントに遭うんだよ!」

 

「いいから助けてくれって! コイツ……ふわっ……捕まってるとなんか変な気分になってくるんだけど……!」

 

 

 

 彼女のローブの中まで侵食する触手は、特に彼女の豊かな胸を集中的に狙っているようだ。ぐねぐねと柔軟に姿を変える胸部は、艶めかしいの一言に尽きる。

 

 少し……刺激が強いな。

 

 

 

 他にも露出した足などにも絡みつき、彼女の体の肉感を強調している。

 

 

 

「んっ……」

 

「……」

 

「あっ……」 

 

 

 

 あああ、ヒビキのくせに色っぽい声出すな! 調子狂うだろ!

 

 

 

「はああああ!」

 

 

 

 湧き上がる煩悩を振り払うように叫びをあげて、俺は剣を構えた。そうしないと男友達であるはずのヒビキの認識が揺らいでしまいそうだ。

 

 

 

 狙うのは触手の元。

 

 複数の触手を持つ、植物のような魔物だ。

 

 

 

「ふっ!」

 

 

 

 本体はあっけない。花のような形をした本体は、俺の剣を受けると緑色の血飛沫を上げてその場に倒れ込んだ。

 

 

 

「ふあっ!」

 

 

 

 触手から解放されたヒビキが、ちょっと高い声を上げて地面に落ちる。

 

 俺は落ちてきたヒビキにジト目を向けた。

 

 

 

「随分気持ちよさそうだったな。触手」

 

「ち、ちがっ……あの触手、なんかぬるぬるしてて、体が熱くなるんだって!」

 

 

 

 それはあれか。媚薬的なものか。

 

 見ればヒビキの顔はやけに赤い。息を切らす彼女は涙目で俺を見上げてきていて――

 

 

 

「んんっ、とにかく、目標は達成したんだからさっさと帰るぞ」

 

 

 

 危ない。また変な気分になるところだった。さっきから心臓がうるさいので、今のドロドロヌルヌルのヒビキを直視するのは危険だ。

 

 

 

 「ああ……正直、早くシャワーを浴びたい」

 

 

 

 粘性の液体でドロドロになったヒビキは、切実そうに言った。

 

 

 

 ……しかし今の状況、単にヒビキが発情するだけで済んだからいいものの、危険な魔物が背後から迫ってきていたら危なかったな。

 

 楽天家の俺でも、少し考えてしまう。

 

 

 

 前衛の俺と後衛のヒビキ。バランスが良いと思っていたが、もう一人くらい欲しいかもしれない。

 

 

 

 ……そうと決まれば探すしかないな。俺のハーレムメンバー、第一号を!



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大人の階段上る!?

 パーティーメンバー探しと言えば酒屋と相場が決まっている。

 

 俺はヒビキと共に酒場に来ていた。

 

 

 

「誰かー! 誰か俺たちと一緒に世界を救いませんかー! 報酬はやりがいと経験! 毎日元気に活動中でーす!」

 

「ブラック企業か! 誰がそれで入ろうと思うんだよ!」

 

 

 

 元気に呼び込みをしたつもりだったが、ヒビキにツッコミを入れられた。

 

 冷静に考えれば、たしかにちょっと言いすぎだったかもしれない。

 

 

 

「誰かー! 勇者である俺のハーレムメンバーになりませんかー! 今なら第一号の席が空いてますよー」

 

「お前、それで人が来ると思ってるのさすがに自惚れすぎじゃないか……?」

 

 

 

 そうか? 勇者って言えばあっさり人が来るもんだと思っていたが。

 

 

 

「勇者なんてこの都市には溢れているんだよ。ここは勇者召喚の場所だぞ? 何人もの勇者が旅立っているそうだ」

 

「あー、なるほど、そういう系ね」

 

 

 

 俺は一つ咳払いをすると、また新しい言葉を口にした。

 

 

 

「誰かー、ハーレム勇者パーティーをざまぁして真の主人公パーティーとして世界を救いませんかー」

 

「そんな意味の分からない言葉を理解できる人がこの世界にいるわけないだろ!」

 

 

 

 ムム。俺のネットで鍛えた知識を総動員した推理は外れか。

 

 俺たちのやり取りを、酒場にいる人たちは遠目に眺めていた。別に咎めるでもなく、声をかけるわけでもなく、ただ眺めている。

 

 

 

「あれ……本当に誰もいないのか……? うーん、また日を改めるか?」

 

「いや、今の感じだと明日以降も誰も来ないと思うぞ……」

 

 

 

 ヒビキがやれやれ、と肩をすくめる。

 

 

 

「それなら、ヒビキは何か案があるのか?」

 

「ああ、少なくとも馬鹿なお前よりはな」

 

 

 

 一言多いやつめ。

 

 ヒビキはクイ、と眼鏡を上げると、得意げに自分の主張を話し始めた。

 

 

 

「いいか。冒険者ギルドは単に依頼の仲介をしているだけじゃない。パーティーメンバーのマッチングを――」

 

「お兄さんお兄さん、ちょっといい?」

 

 

 

 しかし、彼女が自分の言葉を言い切る前に、俺たちに話しかけてくる女性がいた。

 

 そちらを見た瞬間、俺は胸の高鳴りを抑えきれなかった。

 

 ヒビキがわずかに目を細めた。

 

 

 

「あなたたち不慣れそうだから、放っておけなくて」

 

 

 

 女性は、なかなかの色気を放っていた。清潔な身なり。前の開いた衣装からは、こぼれんばかりの巨乳が見える。唇の下には色気を感じさせるホクロ。

 

 大人のお姉さん、という印象だろうか。

 

 

 

「良かったら、お姉さんが色々教えてあげようかなって」

 

「は、はい! もちろん」

 

 

 

 願ってもない、と返事すると、お姉さんは妖艶な笑みを浮かべた。

 

 

 

「そう、夜まで、手取り足取り、ね」

 

「……!」

 

 

 

 う、うおおおおお! ついに、俺の春だああああ!

 

 

 

 盛り上がる俺の視界の端で、ヒビキが厳しい表情でこちらを見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お姉さんの部屋はここだよ」

 

 

 

 その言葉と共に渡された紙切れには、宿の場所と部屋番号が書かれていた。

 

 

 

 ヤバい。興奮を抑えきれない。これで俺も、晴れて立派な男の仲間入り……ってことか!?

 

 

 

 

 

 高鳴る胸を抑えながら、俺は扉をノックした。

 

 

 

「もしもーし。酒場で話しかけてもらったキョウでーす」

 

「キョウ君いらっしゃい。入って入って」

 

「し、失礼しまーす……」

 

 

 

 お姉さんの声が聞こえたので、扉を開ける。薄暗い部屋。お姉さんは、やけに薄着で俺のことを待ち受けていた。

 

 

 

「あれ、キョウ君緊張してるの?」

 

 

 

 くすくすと、お姉さんが笑う。

 

 

 

「はい。その……いったい何を教えてくれるんですか……?」

 

 

 

 言葉が震えないように気を付けながら言う。期待に胸を膨らませながら、俺はベッドに腰掛けるお姉さんの元に一歩二歩と近づいていく。心臓がバクバクとうるさい。

 

 ヒビキ、俺は一足早く大人になっちまうかもしれない。

 

 

 

「それはもちろん――世間の厳しさよ」

 

 

 

 瞬間、お姉さんのベッドの下から男が這い出てきた。

 

 ナイフを持った男は、一瞬で俺に肉薄するとナイフを突き出してきた。

 

 

 

「ああー。――やっぱりか」

 

 

 

 ひらりと身をかわして、腰に下げていた剣を一振り。

 

 ナイフを持った男が血飛沫を上げて倒れ込む。

 

 

 

「……は?」

 

 

 

 お姉さんが、呆然とした表情でこちらを見ている。

 

 

 

「な、なんで……『勇者狩り』は全部この方法で……」

 

「『勇者狩り』? ああ、なんかお姉さんは俺の知りたい情報を知っていそうですね」

 

 

 

 ぐい、とお姉さんに近づく。剣は手に持ったままだ。

 

 

 

「ヒッ……」

 

「『勇者狩り』ってことは、お姉さんは『宵闇の蝙蝠』の関係者ですよね。話してください。全部です」

 

 

 

 血のついた剣を近づけると、お姉さんはくぐもった悲鳴を漏らした。

 

 

 

「なっ……なんで『宵闇の蝙蝠』の名前を……」

 

「俺の幼馴染は頭が回って情報分析も得意なんですよ。そして、幼馴染をひどい目に合わせた仇がその組織だってこともわかってます」

 

「わ、私がその関係者だとは……」

 

「いやいや、ほとんど自白してるようなものですけどね。……まあ、一応ヒビキの説明を言いますか。勇者というのは、人類を脅かす魔王、および魔神に対抗する切り札です。そんな勇者を害そうなんて不届きもの、アウトローの中でも『宵闇の蝙蝠』くらいですよ」

 

「ッ……」

 

 

 

 『宵闇の蝙蝠』は王国において悪名高い犯罪組織だ。

 

 俺の言葉にお姉さんが押し黙る。どうやら図星のようだ。

 

 

 

「『宵闇の蝙蝠』が勇者を襲う理由は分かっている。リーダーの男、能力簒奪スキルスティーラーが、勇者の天からの贈り物ギフテッドスキルを奪うためだ。レアなスキルを持って召喚される勇者を襲っている。違いますか?」

 

 

 

 少し剣を近づけると、お姉さんが息を吞む。

 

 

 

「……ええ、あってる」

 

「じゃあ、本拠地の場所も教えてください」

 

「……まさか、乗り込む気なの?」

 

 

 

 信じられない、という顔でこちらを見るお姉さん。

 

 

 

「ええ。ちょっと、幼馴染の借りがあるので。それに、そんな奴らがいるなら、勇者の俺が安心して冒険できないじゃないですか」

 

 

 

 ヒビキが奴隷に落とされたのも、元を正せばそいつらが原因だ。ヒビキの言葉からもそれは分かっている。

 

 

 

「……そう。やっぱりあの綺麗な女の子と付き合ってたんだ。好きな女の子のために頑張るってことね」

 

「何を勘違いしてるか知りませんけど、別に異性として好きなわけじゃないですよ。あえて言えば、友情のためです」

 

 

 

 ヒビキは俺の幼馴染だ。男だろうと女だろうと関係ない。

 

 

 

「いやあでも、ヒビキに騙されてるって教えてもらってからも、もしかしたらお姉さんが俺のことを大人の世界に連れていってくれるんじゃないかって思ってたんですけどね」

 

 

 本当に、残念だ。

 

 



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奴隷のヒビキ

 異世界に来て、キョウに出会うまでのボクの暮らしは、最悪のものだった。

 

  

 

 トラックに跳ねられて、それから知らない場所で目覚めて、ボクは激しく混乱した。

 

 

 

 病院か、とも思ったが、明らかに様子が違う。薄暗い室内はわずかに異臭がする。

 

 どこかで寝かされたボクは、体をぴくりとも動かせなかった。

 

 

 

「え……ここは……?」

 

 

 

 掠れた声で言ってから、気づく。声が不自然に高い。思えば、体の感じにも違和感がある。単に事故の後遺症というだけでは片づけきれない事態に、ボクは混乱した。

 

 

 

「能力簒奪スキルスティーラー様。勇者召喚への割り込み、成功しました! へへっ、今度の奴はどんな当たりですかね?」

 

「よし。早速見てみよう」

 

 

 

 男がボクの体に手をかざす。どこか虚空を見た男は、やがて声を荒げた。

 

 

 

「……おいなんだ、外れじゃねえか! 見た目はいいがコイツはとんだ外れスキルだ! 平凡なスキルのランクがどれだけ高くても意味がない! ダメダメ、こんなやつさっさと奴隷にしちまえ!」

 

「ちえっ、また外れですか。おい、この女運ぶぞ! いつもの奴隷商人のところまで持っていけ!」

 

 

 

 ……女。女と言ったか。それに奴隷商人とはいったい……?

 

 あまりにも現実離れした現実を受け入れられなかったボクはそのまま牢屋に連れていかれた。

 

 首輪をつけられて、疲労のままに眠りにつき、そして牢屋の中でもう一度目を覚まして、ようやくボクはようやく自分の身の上を知ることができた。

 

 

 

「だ、出してください! こんなの……こんなのおかしいです! ボクはそもそも日本という国から来て……奴隷なんかじゃなかったんですよ!」

 

「うるせえぞ!」

 

「……ッ」

 

 

 

 どん、と鉄格子が蹴られた。大きな音に身が竦む。

 

 ああ、これが女の子の気持ちか、と分からされてしまう。大男が大声を出すだけで怖いし、一方的な暴力の香りに体が強張ってしまう。

 

 そもそも体が小さい。手は頼りないほど小さくて、体は折れそうなほど細い。

 

 

 

「おい、飯だ。出ろ」

 

 

 

 牢の扉が開き、外に出される。どこかのテーブルに座らされたボクの前に差し出されたのは、パンの端切れだった。

 

 

 

「なにボサッとしてんだ! さっさと食え!」

 

「あっ……!」

 

 

 

 後頭部に衝撃。顔面がテーブルに叩きつけられる。

 

 男に頭を強く殴られたボクの目の前が一瞬真っ白になる。

 

 

 

「あ……チッ、性奴隷にするんだから顔面傷つけちゃまずかった。おい、早く食え」

 

 

 

 机に頭を叩きつけられた衝撃で落ちたパンの端切れを男が指さす。ボクはのろのろと立ち上がるとそれを手に取り、硬い食感に顔をゆがめながら食べた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ボクはこれから、どうなるんだろう」

 

 

 

 牢屋の中でひとり呟く。他の奴隷たちの顔を見ると、誰もが暗い顔をしていた。ここにいたとしても、誰かに奴隷として買われたとしても、明るい未来が待っていないことだけは確かだった。

 

 

 

「……こんな時に、あいつがいればな」

 

 

 

 幼馴染のキョウ。明るくて、恐れ知らずの彼ならば、こんな状況をあっさりと壊してしまっただろう。そう言えば、あいつもトラックに跳ねられたんじゃないのか。無事だろうか。

 

 

 

「ああ、ひとりになるとすぐにネガティブになってしまうのは、ボクの悪い癖だな」

 

 

 

 独り言をつぶやいているのも、寂しいから。あのうざったいくらいに騒がしい友人がいないだけで、ボクはこんな弱い人間になってしまうのだ。

 

 

 

「……なんで、こんなことに」

 

 

 

 涙が静かに流れだす。たとえどれだけ辛くても泣かない。そう決めたはずなのに、今の体では、どれだけ歯を食いしばっても涙を我慢できないようだ。

 

 

 

 本当に、自分が嫌いになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こ、この子だ……!」

 

「お気に召したかな? 最近入荷したばかりで、手つかずですよ。夜の世話にも使えるでしょう。少しばかり魔法も使えるという自己申告もあります」

 

「買おう。いくらだ?」

 

 

 

 眠っているのか眠っていないのか。絶望に無気力になる生活を三日ほど過ごした頃、こんな声が耳に入ってきた。

 

 声の主がどんな人間なのか見るのが怖くて、ボクはうつむいた。この生活になってから、ボクは下を向いてばかりの気がする。

 

 

 

「おら、お前の買い手が決まったぞ! さっさと出ろ!」

 

「っ……」

 

 

 

 ついに、この日が来たか。奴隷商人の話では、ボクは性奴隷として売り出されるらしい。男とそういう行為をしている自分を想像すると、嫌悪感で吐きそうだった。

 

 

 

 しかし、どれだけ嫌がっても奴隷商人の言うことには逆らえない。ボクに着けられた首輪、隷属の首輪は主の言うことを聞かないと着用者に激しい痛みを与えるようになっている。あの痛みは、できれば二度と味わいたくはない。

 

 

 

 

 

 ボクを買った男の後ろについて、街を歩く。

 

 

 

「なあ、そんなに落ち込むなよ。俺そんなに虐待とかしないから。むしろ丁重に扱うから」

 

「……はい」

 

 

 

 男の声が聞こえても、今から訪れるだろう苦痛で頭がいっぱいなボクは、顔を上げることすらできなかった。男の宿に行って、ベッドに座らせるまで、それは一緒だった。

 

 怖くてフードから顔を上げられない。奴隷になる前のボクなら、こんなにおびえることはなかっただろう。けれどもたったの数日で、ボクは分からされてしまったのだ。

 

 

 

 このちっぽけな体は、男に抵抗できない。大きな手が体に触れればそれだけで震えてしまう。たとえ首輪がなかったとしても、もはやボクは男に抵抗できなかっただろう。

 

 

 

「だー! しゃらくさい!」

 

 

 

 けれども。

 

 フードをめくられたボクの目に映ったのは、あまりにも見覚えのある顔だった。彼が、驚愕の表情でつぶやく。

 

 

 

「……ヒビキ?」

 

 

 

 ――キョウは、こんなボクでもボクと分かってくれるのか。

 

 女になった自分の姿が、ボクは嫌いだった。小さな手。細い体。弱い心。

 

 けれどもキョウは、ボクをボクだと認識してくれた。

 

 衝撃に胸が熱くなる。涙が溢れそうになる。この世界に来て、初めて嬉しいという感情を覚える。

 

 

 

「キョウ……!」

 

 

 

 それから思わず泣きだしてしまったのは……まあ、この体のせいということにしておこう。元々ボクのメンタルはこんなに弱くなかった……はずだ。

 

 

 

 落ち着いたので、眼鏡を取り出してつける。地面に頭を打ち付けた際にひびが入ってしまったので、ずっとポケットにしまっておいたものだ。

 

 この世界に来ても唯一同じだったもの。これをつけているだけで、不思議と気分が落ち着いてくるのを感じた。

 

 

 

 信じがたいことにキョウは本当に異世界に来てしまってからもハーレムを作ると息巻いているらしい。呆れて、そしてどこまでも彼らしい様子に安堵する。

 

 ああ、やっぱりコイツはボクがいないとダメだ。危なっかしくて、とてもこの世界を生き抜けるようには見えない。

 

 

 

 そういう風に言い訳して、ボクは彼についていくことを決めた。

 

 

 

 ……本当は、ボクが彼と離れたくなかっただけかもしれない。

 

 何も分からない世界で、ただ一人のよく知った人。ボクを救ってくれた人。

 

 いつもはどうしようもない奴のくせに、こちらが本当に困っている時には手を差し伸べてくれるのはいっそズルいと言えるほどだ。

 

 

 

 だからせめて、少ないながらも恩を返そう。この世界でも、あの世界でもボクを救ってくれたお前が、自分勝手な夢をかなえる手助けくらいはしてやる。

 

 

 

 彼と再会した時の胸の高鳴りを、ボクは気づかないふりをした。それは、友達に向けるにはあまりに不自然な感情だったからだ。



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かちこみじゃあ!

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『宵闇の蝙蝠』の本拠地は、共和国のはずれ、スラム街にあるそうだ。俺とヒビキは、二人でそこに乗り込むことにした。

 

 

 

「キョウ、本当に二人で犯罪組織とやりあうんだな」

 

「ああ。ヒビキも見ただろ。冒険者ギルドの依頼では、『宵闇の蝙蝠』の討伐はランクBで報酬も多い。ここらで名声をあげて、ハーレムメンバーゲットといかないとな!」

 

「お前は本当に楽天家だな。まあいいさ。ボクだってあんな目に遭わせてくれたあの組織には腹が立っていたんだ」

 

 

 

 ヒビキも気合が入っている。眼鏡の奥の目は鋭い。

 

 

 

「あったな。あの家だ」

 

 

 

 その建物は、スラム街には不似合いなほどに豪華だった。二階建てで、外壁も窓もきれい。しかし玄関先には強面の男が立っていて、ただならぬ雰囲気を醸し出している。

 

 俺はそこに、自然な足取りで近づいていった。

 

 

 

「お兄さんこんにちはー」

 

「……なんだお前は。ここを誰の場所だと思っている?」

 

「――ここをぶっ潰しに来ました!」

 

 

 

 無防備な男の顔面に拳を叩き込む。壁に頭を打ち付けて気絶する男を横目に、俺たちは建物に侵入した。

 

 

 

「ヒビキ!」

 

「おう! 『稲妻よ ライトニング』」

 

 

 

 玄関の騒ぎを聞きつけてこちらに向かってきた男たちに向かって電撃が走ったかと思うと、一斉に敵がバタバタと倒れだした。

 

 ドジしていると忘れそうになるが、ヒビキの魔法のランクはA以上。普通の人間なら対処できないほどの高威力だ。

 

 さらに彼女の強みは、精密な魔法の操作だ。狙いが正確で、確実に敵を捉える。

 

 

 

「クソ……また侵入者だ!一階に二人!」

 

「はあ!? 敵の増援か? マズいぞ! 能力簒奪スキルスティーラー様はまだなのか!?」

 

 

 

 人間と戦うのは初めてだったが、案外魔物と戦うのと変わらないという印象だ。剣術のスキルのランクが高いからだろう。アウトローな見た目をした男たちはナイフや槍を振り回して襲い掛かってくるが、動きが簡単に見切れる。

 

 

 

「ハッ!」

 

 

 

 突きをお見舞いして男を吹き飛ばす。その隙にヒビキの放った電撃が他の女を気絶させた。

 

 優勢で戦いを繰り広げているが、入り口から存在感のある男が入ってきた。

 

 

 

「騒がしいな。何事だ」

 

「お、お前は……」

 

 

 

 ヒビキが驚いた顔で男のことを見ている。

 

 

 

「ヒビキ、見たことあるやつか」

 

「ああ。あれが能力簒奪スキルスティーラー。『宵闇の蝙蝠』のリーダーだ」

 

 

 

 不気味な雰囲気を纏った男だった。顔にびっしり刻まれた刺青。やや猫背の立ち姿。

 

 

 

「お前は……いつか奴隷商に売った女か」

 

「ッ……」

 

 

 

 ヒビキが動揺しているので、俺は前に出た。

 

 どんな相手なのか確認するために、俺は鑑定を使った。

 

 

 

名前 マイク

 

職業 盗賊

 

【ユニークスキル】

 

 能力簒奪 A

 

 

 

 

 

【スキル】

 

剣術 D

 

刀術 D

 

石化の魔眼 C

 

闇魔法 D

 

  

 

 スキルを見る感じ、たくさんスキルを持っているがランクが高くない。察するに、能力簒奪でたくさんスキルを奪ったのだろう。ただ、ランクはせいぜいCどまりになる。

 

 

 

 俺が鑑定をしていると、能力簒奪スキルスティーラーは、目を見開いた。

 

 

 

「お前……『驕傲きょうごうの主』? 面白そうなスキル持ってるな。――よこせ」

 

 

 

 コイツ、相手のスキルが見えるのか?

 

 能力簒奪スキルスティーラーが剣を持ちこちらに走ってくる。スキルを奪う相手。どんな強さなのかと疑っていたが――

 

 

 

「なんだ、意外と遅いな」

 

 

 

 大振りな一撃を剣で弾くと、あっさりとたたらを踏む。踏み込んだ剣を振ると、浅く腹を斬った。

 

 

 

「グッ……これだから勇者とかいう人種は嫌いだなんだ。大した経験もないくせに強いスキルばっかり持ちやがって……!」

 

 

 

 男がこちらを鋭い目で見る。

 

 

 

「ちょうどいい、この前奪ったスキルを試してやる……! 『石化の魔眼』!」

 

 

 

 能力簒奪スキルスティーラーが左目を見開くと、瞳が赤く光る。

 

 その瞬間、体に一瞬違和感を覚えた。動きがとれなくなるような、体が重くなるような感覚だ。しかしそれも一瞬のことで、すぐに調子が戻ってくる。

 

 

 

「……なんだ?」

 

「なっ!? なぜ『石化の魔眼』が効かない!?」

 

「……あー、あれか。なんかチート、みたいな?」

 

「ッ……ふざけやがって! おおおおお!」

 

 

 

 不格好に剣を構えてこちらに走ってくる能力簒奪スキルスティーラーに、俺は軽く身をかがめると一度剣を振るった。

 

 

 

「ぐ、あああああ!」

 

 

 

 血を流しながら倒れ込む能力簒奪スキルスティーラー。

 

 

 

「く、クソッ、クソッ、クソッ! こうなったら、スキルの複合発動を――」

 

「あれ、君がボス?」

 

 

 

 ふいに、上から聞き覚えのない声がした。

 

 破壊音。動揺する能力簒奪スキルスティーラーの頭上の天井に、突然穴が空いた。

 

 降ってきた少女が、重力の力を借りて膝蹴りを能力簒奪スキルスティーラーに食らわせた。視覚外からの一撃を食らった男は、ぴくりとも動かなくなってしまった。

 

 

 

「おいおい、これはどういうイベントだ?」

 

 

 

 降ってきたのは、可愛らしい見た目をした少女だった。活発な印象を受ける明るい顔。上半身にはサラシを巻いているだけ。健康的に引き締まった体が剝き出しだ。栗色の髪の上には、犬の耳がぴょこんと飛び出ている。

 

 

 

「あれ、こっちの方が強そう。君がボスだった?」

 

 

 

 違う、と答える前に、俺は激しい衝撃に吹き飛ばされた。

 

顔面に拳を一発。それだけで、俺は建物の壁を突き破って外の通りまで飛んでいったのだった。



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犬耳の少女

「いってえ……」

 

 

 

 10メートル以上吹き飛ばされたはずだが、俺の体はわずかに痛みがあるだけで万全に動くようだった。

 

 転生特典さまさま、と言ったところか。

 

 

 

 崩壊した『宵闇の蝙蝠』の拠点から、俺を吹き飛ばした女の子が出てくる。爛々と輝く彼女の瞳が俺をまっすぐに捉えている。

 

  

 

「アッハハ。思った通り。頑丈で強そう。ねえ、僕はシュカっていうんだ。君は?」

 

 

 

 僕、と自称した少女は俺に明るい口調で問いかけた。先ほど俺を殴り飛ばしたことなど忘れてしまったような様子だ。

 

 

 

「キョウって呼んでくれ。なあ君、俺のハーレムメンバーにならないか?」

 

「はー、れむ? 何それ、美味しいの?」

 

「ああ、極上だよ。食べたことはないけどな」

 

 

 

 何を言っているんだろう、とキョトンとした顔でこちらを見るシュカ。そんな顔も可愛らしい。

 

 

 

「時間をあげるから、その腰の強そうな剣を抜いてよ。それでようやく僕と対等だからさ」

 

 

 

 彼女の引き締まった体は、とても俺を殴り飛ばしたとは思えないほどに華奢だ。上半身には胸当てを巻いているだけ。大きめの胸が激しく自己主張している。

 

 しかし、彼女を倒せるビジョンだけは全く浮かばなかった。

 

 

 

「すまんが腰のコイツは抜けないんだ。伝家の宝刀ってやつでな。然るべき時にしか抜けなくなってる」

 

 

 

 傲慢の魔剣は相変わらず鞘から全く抜けない。

 

 

 

「へえ、本気を出させろってこと? ――面白いね」

 

 

 

 その瞬間、少女の姿が搔き消えた。

 

 次に俺が少女の姿を捉えられた時には、足元に身をかがめた影があった。

 

 

 

「『魔闘術――烈火 乱打』」

 

 

 

 はじめは、顎への掌底だった。衝撃に脳味噌が揺さぶられて視界がチカチカと光る。

 

 次に腹部へのキック。体がくの字に折れる。痛みに思考が停止する。

 

 隙だからけの俺の体に、少女は思いっきり振りかぶった拳を俺の顔面にぶつけた。

 

 

 

「ッ……このっ!」

 

 

 

 命の危機を感じた俺は、躊躇いを捨てて剣を振り反撃した。

 

 我ながらキレのある一撃だったと思う。しかし少女は、俺の剣筋に腕を合わせると、しなやかに受け流してしまった。

 

 

 

「刃物でも切れないとかお前の腕は鋼鉄か!?」

 

「魔力を纏ってるに決まってるでしょ。魔闘術を知らないの?」

 

 

 

 魔力を纏う……。

 

 そう言えば聞いたな。魔力は使い方次第で身体能力の向上などに利用できる。体の硬化も、その使い方の一種だろう。彼女の拳の尋常ではない硬さも頷ける。

 

 

 

「けど、さすがにリーチは俺の方が有利だろ!」

 

 

 

 今度はこちらから。目で追えない動きをされる前に攻撃を仕掛ける。スキル『剣術 B』は半ば自動的に攻撃を開始する。

 

 

 

「『フレーゲル剣術 初伝 ワイドカット』!」

 

「ハハッ。威力はあるけど、そんな技飽きるほど見たよ!」

 

 

 

 言葉の通り、少女は俺の技を完全に見切っているようだった。しなやかに体を後ろに倒して、横なぎの一撃を回避する。

 

 

 

「魔闘術――流水」

 

 

 

 滑らかに、まるで岩を避けて流れる川の水のように俺の攻撃を避けたシュカは、左足を俺の顔まで一気に蹴り上げた。

 

 

 

「グッ……」

 

 

 

 先ほども食らった顎への一撃。脳に衝撃が走り、意識が定まらなくなる。

 

 

 

「魔闘術――烈火、釘付けの刑」

 

 

 

 大きく拳を振りかぶったシュカが、俺の足を踏んづける。その勢いのままに、彼女は拳を俺の鳩尾に突き立てた。

 

 吹き飛んで衝撃を逃がすことさえ許されずに、俺はその場に勢いよく倒れ込んだ。

 

 後頭部に激しい痛みがある。体が動かない。

 

 

 

 今まで連撃を受けてもピンピンしていた俺の体だったが、今の一撃は堪えたようだった。

 

 

 

「……!」

 

「あれ? もうおしまい?」

 

 

 

 シュカが無垢な目を向けてくる。人を傷つけた直後とは思えないほどに澄んだ瞳だ。

 

 

 

「――キョウから離れろ!」

 

 

 

 俺が動けないでいると、遠くからヒビキの声がした。電撃が地を走り、シュカへと襲い掛かる。

 

 拳では弾けない電気による攻撃がシュカに直撃する。

 

 効いたか、と思ったが、しかしシュカはその攻撃を受けてもまったくダメージを受けた様子がなかった。

 

 

 

「へえ、結構な威力だね。――面白そう」

 

 

 

 シュカがヒビキへと駆け出す。ヒビキは彼女の接近を拒絶するために、水の魔法を飛ばしていた。

 

 身を低くして走るシュカは、ヒビキの放つ水刃を次々と避けていった。

 

 遠くから見ると改めて分かる。シュカは異常に体が柔らかい。その特徴こそが、彼女の防御能力を高めているのだ。

 

 

 

 地面スレスレまで上体を倒しての回避。バネでもついているかのように跳躍して足元に飛んできた水刃を回避。真っ正面に飛んできた水刃は、その場で回転した勢いを利用して腕で弾いた。

 

 やがて、二人の距離がゼロに近づく。

 

 

 

「ッ!『土壁……』」

 

「遅い!」

 

 

 

 最後にさらに加速したシュカが、一瞬でヒビキの懐に入り込む。

 

 

 

「ま、まて――」

 

 

 

 自分の喉から声が漏れる。

 

 シュカの体がブレると、ヒビキの体があっさりと吹き飛ばされた。

 

 

 

「ッ……」

 

 

 

 ヒビキの傷つく姿を見て、俺の胸のうちから新しい感情が浮かんできたのが分かった。



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傲慢なる征服

 前提として、俺はそんなに他人想いではない。

 

 自分が楽しければ、幸せならそれでいいと思っているタイプだ。ハーレムなんて目指す人間なんて自分勝手で当然だろう。

 

 

 

 そもそも大概の人間のことはどうでもいいと思っている。俺は俺を認めてくれる人間以外はどうでもいいのだ。

 

 俺に必要なのは、ちょっとの大切な友達と大勢のハーレムメンバーだけだ。

 

 

 

 その上で。俺は、身近な人が傷つけられるのが嫌いだ。

 

 自分が楽しくないからだ。

 

 イライラする。どうでもいい人間に、大切な人間が傷つけられるのはイライラする。

 

 

 

 だから俺は、幼馴染のヒビキが傷つけられたことに怒っていた。

 

 

 

 

 

「ッ! ……スゥ」

 

 

 

 痛みに悲鳴を上げる体に鞭を打ち、立ち上がる。

 

 

 

「力を出せ、傲慢の魔剣」

 

 

 

 今なら抜ける、という確信があった。それに応えるように、魔剣は鞘から抜け、刀身を露にした。

 

 そうだ。やはり俺に傲慢の魔剣はピッタリだ。欲しいもの、好きなものは全部自分のものにしたくて、自分のものを傷つけられたら怒る。

 

 

 

 ヒーローではなく、ましてや英雄ですらないこの俺には、この魔剣がピッタリだ。

 

 

 

「ッ! あっはははは! その闘気! 気迫! やっぱり僕の見立て通りだ!」

 

 

 

 俺が立ち上がったことに気づいたシュカが、満面の笑みを浮かべてこちらに走ってくる。先ほどヒビキに突進していった時以上の速度だ。先ほどまでの俺なら、抵抗することすらできなかっただろう。

 

 しかし。

 

 

 

「ひれ伏せ」

 

 

 

 俺の言葉が響いた途端、シュカの体は何かに押しつぶされたかのように地面に張り付いた。

 

 

 

「じゅ、重力魔法……?」

 

 

 

 傲慢の魔剣とはすなわちあらゆる人間を見下す存在。であれば、敵を跪かせるくらい容易いだろう。

 

 

 

「ふんっ!」

 

 

 

 這いつくばるシュカの体に、魔剣を振り下ろす。コイツの体は魔力で守られている。本気で叩かなければ止められない。

 

 しかし、わずかに体を動かすことに成功したシュカは俺の剣を転がって回避。そのまま全身の力を使って立ち上がった。

 

 

 

「ハッ……ハハッ! 体が動かない! なんという未知の力、なんという逆境! ありがとうキョウ君。僕は今、最高に楽しいよ!」

 

 

 

 重力は依然として彼女の体を押さえつけようと圧力をかけている。その証拠に、彼女はすぐにこちらに飛びかかってくることはなかった。

 

 

 

「『魔闘術――』」

 

 

 

 来る。大技だ。俺は魔剣を油断なく構えて、彼女の次の動きを待った。

 

 

 

「『――流水 滝流!』」

 

 

 

 シュカの体が大きく上空へ飛ぶ。重力の影響を受けながらも、彼女は全身の力を使ってジャンプしたようだ。

 

 すると、シュカの体は重力魔法の影響を受けて凄まじい勢いで落下してきた。

 

 

 

「なるほど、重力を利用されたってことか。……屈辱か、傲慢の魔剣」

 

『ふん、不遜な女よな』

 

 

 

傲慢の魔剣から幼い女の子の声が返ってくる。

 

 

 

『遠慮はいらんぞ小童。ワシの力を使い真っ二つに引き裂いてやれ』

 

「真っ二つに、ね……」

 

 

 

 正直、真っ二つにするのは困るな。

 

 ヒビキを傷つけたシュカには怒っているが、殺したいと思っているわけではない。

 

 しかし今の力を引き出した魔剣では、手加減も難しいだろう。

 

 

 

 悩んだ俺が出した結論は、一つだった。

 

 

 

『おい小童!?』

 

「うそ!?」

 

 

 

傲慢の魔剣を手放す。重力魔法の効果が切れる。

 

シュカの加速が遅れ、着地のタイミングがズレる。重力を利用した踵落としを決めようとしていたシュカの顔が驚愕に代わる。

 

 

 

 重力の増減により、シュカの技は精細を欠いたものになっていた。彼女の振り下ろした踵が空を切る。

 

 あっさりと攻撃を回避した俺は、着地の衝撃を殺しきれずに硬直したシュカへと突進、そのままタックルをかました。

 

 

 

「――捕まえた」

 

「うっ」

 

 

 

シュカの細い体をがっちりとホールドする。俺は体育の授業で習った柔道を思い出すと、彼女の上半身を抑えにかかった。

 

 

 

「ッ……離せ!」

 

 

 

 彼女が拳や蹴りだけでなく柔道まで修めていたらどうしようかと思ったが、地面に倒れ込んだ彼女からの反撃は弱弱しかった。

 

 上から押さえつけた体を持ち上げることもできず、時々弱弱しい拳や足が軽く叩いてくる。

 

 

 

「沈め」

 

 

 

 馬乗りの体勢に変え、シュカの細い首を締める。手加減はダメだ。彼女は簡単には戦闘不能にできない。

 

 

 

「ッ……ア……ァ……」

 

 

 

 シュカの整った顔が苦しみに歪んでいく。それを見た俺に浮かんだのは、罪悪感ではなく征服感だった。

 

 

 

 この女は今、俺の手中にある。暗い喜びが、胸中からじんわりと湧いてくる。精神を汚染するという傲慢の魔剣は今手元にもないのに、これはいったいどういうことだろうか。

 

 ぎりぎり、と細い首を絞めていると、何か自分のものではない感情が胸のうちに浮かんでくるようだった。

 

 

 

「……」

 

「……っと」

 

 

 

 思考が深みに嵌まる前に、俺はシュカの首から手を離した。

 

 彼女の意識はすでになかった。どうやら俺は、シュカを締め落とすことに成功したらしい。

 

 

 

 それを確認した俺は、ひとまずヒビキの様子を見るために立ち上がるのだった。



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誇り高き獣人、シュカ

 格闘犬耳少女のシュカは、同じ獣人たちの暮らす村で育った。

 

 そしてその時、彼女はまだ、男の子であった。

 

 

 

 

 犬と同じような耳を持つもの。猫に近いもの。より獣に近いもの。

 

 獣人、と一括りにされがちだが、その実態は多様で、各々に特徴があるものだ。

 

 そこでの生活は、シュカにとって窮屈なものだった。

 

 

 より強いものに従う。より強い種に従う。

 

 

 より自然界に近いそのルールは、先祖である獣の本性を色濃く受け継ぐ獣人の中にある、共通のルールだった。

 

 

 

 

 

「ゴードン様、ようこそいらっしゃました。さあ、私どもの上納品です」

 

 

 シュカの両親も犬耳を持っている。二人が上位種である狼の耳を持った獣人に跪いているのを、幼いシュカは物陰から見ていた。

 

 シュカたち犬耳の獣人は、彼らに逆らってはいけない。腕力から聴力まで、何もかも敵わないからだそうだ。

 

 

「フン、少ないな」

 

「なにぶん最近は気温が低く、獣たちもあまり行動を活発にしていないものですから」

 

 

 

 シュカの父親が卑屈に笑う。それに対して、狼の耳を持った獣人は顔をしかめて見せた。

 

 

「言い訳するな。次に怠けたら許さないからな」

 

 

 シュカの父親は、卑屈に笑ったままだった。

 

 

 

 狼の耳をした獣人が家に帰った後、シュカは両親に聞いた。

 

 

 

「お父さんたちは、どうしてあの人たちに従うの?」

 

「俺たちではあの方たちに勝てないからだよ、シュカ」

 

 

 

 父親の顔には、諦観が染み付いていた。

 

 

 

「……それは、やってみないと分からないんじゃない? 力で勝てなくても、頭なら勝てるかとか、そういうことは考えないの?」

 

「あっはは。シュカはやる気だね。でも、父さんたちはこれでいいんだよ。ごはんが食べられて、屋根の下で眠れて、家族がいる。それだけで、十分だ」

 

 

 

 ――納得できない、とシュカは思った。それではまるで奴隷だと思えたのだ。

 

 

 

 だからシュカは魔闘術を学んだ。魔力を用いて拳を振るい、スキルや身体能力に恵まれた相手を打ち倒す術を身に着けた。

 

 

 

 生まれたままの強さを何よりの誇りとする獣人の中で、技術を貪欲に学ぶシュカは異端だった。獣人には異端者だと言われ、人間には変わり者の獣人だと面白がられた。

 

 それでもシュカは努力を続け、強くなり、魔闘術師として師範代まで昇りつめた。師範代は術者の中で1%しかなれない熟練者の証。

 

 

 

 それを得たシュカは、後輩の指導などせずに冒険者として名前を上げた。各地を巡って名のある強者に立ち会いを申し込み、そのすべてに勝利してきた。

 

 いつしかシュカは、Sランク冒険者になっていた。

 

 

 

 その過程で女になったことなど、些細なことだ。

 

 

 

 

 

 ――キョウとの戦いで初めて地面に組み伏せられて無防備な体を晒すまで、シュカは自分が女であることなど強さの前ではどうでもいいことだと思っていたのだ。

 

 

 

「かっ……あ……」

 

 

 

 首が締まる。バタバタと手足を動かすが、馬乗りになるキョウの体はびくともしない。

 

 

 

 シュカの魔闘術は、敵を拳や蹴りで打ち倒すことを最終目標としたものだ。組み伏せ、制圧することなど想定されていない。

 

 完璧な防御と攻撃が一体になれば、敵と組み合うことすらないからだ。

 

 

 

「ッ……」

 

 

 

 魔闘術の訓練の中で、シュカは幾たびも倒されてきた。彼女は強いが、敗北の経験がないわけではない。

 

 けれども、こんな状況に陥ったことは一度だってなかった。自慢の拳も、蹴りも、何一つとして役に立たない状況。

 

 屈辱とはこのことを言うのだろう。彼女がまだ男だったなら、こんなことにはならなかったかもしれない。

 

 体格の差は技術の差を押し潰す。

 

 

 

 無力感に体を支配されそうになる。

 

 起死回生の一手はないか、と考える頭がだんだんと回らなくなっていく。

 

 白に染まりゆく意識。

 

 

 

 酸欠にぼんやりとしていく意識。その中でシュカが実感したのは()()()()()()だった。

 

 

 

 そのことに、彼女自身が何よりも失望していた。

 

 ……ああ、結局僕も、両親と同じ犬畜生だったってことか。

 

 シュカが何よりも嫌悪した、奴隷のような、畜生のような在り方。極限まで追い詰められた彼女は、己の獣の本能を実感した。

 

 

 

 強さを求めていたのも結局、より強いものを見つけて従属するためだったのではないか。より強い主人を探す野良犬のようなものだったのではないか。

 

 

 

 ねえ、教えてよキョウ。

 

 初めて会ったのに、他人を見ている気がしない不思議な人。ボクが見たことのない強さを持った人。

 

 

 

 ボクは結局、弱いままだったのかな。強者に媚びへつらう奴隷だったのかな。

 

 その問いかけを最後に、彼女の意識は途絶えた。

 

 

 

 胸には、ほのかな熱。それは獣の隷属本能だったのかもしれないし、見たことのない強さを持った男への憧れだったのかもしれない。



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女の子が二人。これはハーレム

「シュカ……おいシュカ、大丈夫か?」

 

 頬を叩く。我ながら、自分で締め落としておいて大丈夫かとは何事だと思ったが、ここで目を覚ましてくれないと困る。

 息はあるから死んでないはずなんだが……。

 

「う……」

 

 シュカがわずかに呻き声を上げながら目を開ける。

 それを見た俺とヒビキは、安堵のため息を漏らすのだった。

 

 意識がはっきりしたらしい彼女と話をする。もう殴りかかってくる元気はないらしい。

 

「とにかく、もう戦いは終わりだ。そもそもシュカは『宵闇の蝙蝠』を潰しに来たんだろ? それなら俺たちと立場は同じだ。敵対する理由はどこにもない」

「ちぇーつまんないのー」

 

 起き上がったシュカは、不満げに唇を尖らせた。

 コイツ、どんだけ戦うのが好きなんだ。

 

「ヒビキを殴った謝罪は?」

 

 少し力を籠めて睨むと、シュカは微妙に頬を赤らめながら目を逸らした。おい、なんだその謎の反応は。

 

「ごめん二人とも、勘違いで殴っちゃった!」

 

 軽い! 飲み物間違えて飲んじゃった、くらい謝罪が軽い!

 

「……まあ、いいさ。そもそも攻撃したのはボクだからな」

 

 ヒビキはそんなに気にしていないようだった。

 彼女が許すのなら、と俺はこれ以上言い募るのをやめる。

 

「それでその、殴った手前あれだけど、僕も君たちについていきたいんだけど、いいかな? 多分勇者の使命を果たすんでしょ? 僕は役に立てるよ」

 

 彼女がわずかに頬を赤らめながら聞いてくる。

 

「え、シュカが? ……まさか、俺のことが好きになってしまったりしたのか!?」

 

 これはまさか、美少女ハーレムメンバー第一号の誕生か!?

 俺の言葉に、シュカは激しく動揺し始めた。

 

「へっ、そ、そんなわけないじゃん! ていうか僕は男だし」

「…………は?」

 

 一瞬何を言ったのか理解できなかった。

 サラシを巻いた胸を惜しげもなく晒している彼女は、どう見ても可愛い女の子だ。

 

「いや、いやいやいや、どう見ても」

「いやあ、なんか禁断の秘境? とかいうところに強い奴がいるって聞いてさ。それで行ったら、不思議な霧に包まれて、気づいたら女の子になってたんだよねー」

「……」

 

 うそ、だろ?

 

「だよねーって軽いな。男に戻りたいとか思わないのか?」

 

 ヒビキがシュカに問いかける。

 

「うーん、でも女の子の体って柔らかくて、僕の戦い方に合ってるんだよね。ちょっとパワーには欠けるけど、技術でカバーすればいいし!」

 

 ぐっと拳を握る彼女。どうやら本当に自分がどちらの性別なのかどうでもいいと思っているようだった。

 

「ボクには到底至れない考え方だな。というかなんで基準が戦いだけなんだよ。もっと大事なこと色々あるだろ」

 

 同じTSっ娘であるヒビキとしては、シュカの考え方は理解できないようだった。

 傍目から見れば、美少女同士が会話しているようだ。しかし実際は……。

 

「お前ら……」

 

 フルフルと体を震わせながら、俺は彼女たちに向かって叫んだ。

 

「なんで俺が関わる可愛い女の子は全部TSっ娘なんだよ! おかしいだろ! 俺はTSっ娘は対象外って言ってるだろ!?」

 

 くそ、ハーレムパーティーが欲しい。

 

「あっはは。話してみるとキョウ君は結構面白いね。そんな強さを持っているのに、最終目標は女の子とイチャイチャすることなの?」

「いやいや、普通だろ。男なら夢見るだろハーレム。たくさんの女の子に囲まれて、いっぱいラブコメするんだよ」

 

 元男二人に言うが、両方ともきょとんとした顔を見せる。

 

「関係を持ってる女の子がいっぱいいたら面倒事も増えそうじゃない?」

 

 おいシュカ、俺の夢をぶち壊すようなことを言うのはやめろ!

 

 

 とりあえず、冒険者ギルドに「宵闇の蝙蝠」を壊滅させたことを伝えなければ。既にその場にいた構成員は全員気絶させてある。

 自警団への通報は周囲のスラム街住民がしたらしく、男たちが彼らを牢屋へと連行していった。

 

 シュカは俺たちより先に拠点に殴り込んでいたようだ。二階から騒音がしたのはそういうことらしい。

 多分、俺たちが来なくても「宵闇の蝙蝠」はシュカの手によって壊滅させられていただろう。

 

 冒険者ギルドに来ると、シュカがやけに張り切っていた。

  

「ギルドとの交渉は任せてよ! 僕はS級冒険者だから向こうも知ってるはず!」

 

 意気揚々と、胸を張って受付に行く彼女の後ろについていく。しかし、ギルドの受付嬢の反応は冷ややかだった。

 

「S級冒険者のシュカ様? あの、本人ではないですよね。申し訳ありませんが代理人の受付は……」

「いやいやいや! よく見てよ! 僕がシュカだから!」

「いえ、獣拳王のシュカ様と言えば、犬獣人の男性と聞いています。ギルドの証明書にもそう書いてあります」

「あー、だから、諸事情で女になっちゃっただけだから」

「いえあの……」

「ハッハッハ!」

 

 俺たちのやり取りを聞いていたらしく、後ろに控えていた冒険家が笑い声を上げた。

 

「お嬢ちゃん、いくら獣拳王に憧れてるからって本人を名乗るのはダメだろ!」

「いやいや、可愛いもんじゃねえか! 『僕がシュカだ!』……なんて、ダッハッハッハ!」

 

 ばか笑いをする男たちは本当に楽しそうだった。

 それを見たシュカが、怒りに犬耳をピクピクさせる。

 

「コイツら……本気でぶん殴ってやろうか……!」

「ま、待て待て待て! お前がここで暴れたら建物が崩壊するだろうが!」

 

 何より目の前の男たちが心配だ。半殺しで済むだろうか……。

 

「あー、受付さん。宵闇の蝙蝠の討伐任務を完了した。ボクたち三人でだ。倒した奴らに聞けば分かると思う」

「はい、報告は既に上がっております。勇者、キョウ様とその仲間の皆様、王国に蔓延る犯罪組織、宵闇の蝙蝠の首領を捕らえてくださり、本当にありがとうございました!」

 

 受付嬢の言葉を聞くと、冒険者ギルドにどよめきが上がった。『宵闇の蝙蝠』の悪名は、共和国の中でも広まっていたようだった。

 

「難易度Bの依頼を達成いただけましたので、キョウ様のパーティーはDランクからBランクに昇格です。おめでとうございます!」

「「おおー」」

 おお、と再び歓声。周囲の反応から察するに、Bランクというのは結構すごいことらしい。

 

「だから、僕はSランク冒険者だって! そんなちまちまランク上げる必要ないって!」

「うんうん、シュカが話すとややこしくなるから、黙ってようなー」

「もごもご」

 

 シュカのうるさい口を手でふさぐ。唇の柔らかい感覚に内心動揺する。クッ、コイツは中身男だってわかってるのに……!

 

「これからは、各地の冒険者ギルドで高位の依頼を受けることができます」

「へえ、例えば他の都市に行ってもってことですか?」

「ええ」

 

 それはちょうどいい。

 

「皆さんが冒険者として名前を上げたいのなら、まずは王都に行くことをお勧めします。この街は比較的平和なので、高位冒険者向けの依頼は少ないです」

「だってよ、どうする、キョウ」

 

 ヒビキは俺に聞いておきながらも答えが分かっているようだった。

 

「そりゃあもちろん、王都に行ってもっともっと名前を上げて、ハーレムパーティー作りに行くに決まってるだろ!」



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昨日の敵はキョウの友

ハーメルンでは「この一文好き!」という場所を「ここ好き」で伝えることができます
スマホは文章をなぞる、PCならダブルクリックすると「ここ好き」という文字が出るのでそれをタップしてみてください

少なくとも僕はそれを見るとモチベになります


「って! なんで世界を救ってハーレム作ろうとしている俺が、歩いて移動なんだよ!」

 

「仕方ないだろ。馬車がなかったんだから」

 

 

 

 あたり一面のどかな平原だ。トラブルの一つすら起こりそうにない。

 

 

 

「でも、歩くっていうのはもっとも基本的な鍛錬だよ? 下半身の安定性は、すべての武術に通じるからね!」

 

 

 

 無駄に元気な少女、シュカが明るく言う。その機嫌の良さを表すように犬耳がピクピク動いている。

 

 

 

「そういえば、シュカの使ってた『魔闘術』ってやつ? 強そうだったな。俺にも使えるのか?」

 

「うん、鍛錬を積めば誰でもできるのが、魔闘術の凄いところだからね!」

 

「へえ、それはすごいな!」

 

 

 

 拳一つで戦うっていうのもカッコよくていいな。俺にもできるかもしれないと聞いて魔闘術に興味が湧いてきた。

 

 

 

「どうすればできるんだ?」

 

「まず入門編として、師匠に気絶するまで体中を殴られるよ!」

 

「……は?」

 

 

 

 かっこよくて強そうな魔闘術に惹かれていた俺は、あっけにとられた。

 

 

 

「それはあれか。根性を鍛えるとかそういうことか?」

 

「それもあるけど、魔力で体を硬化する練習だよ。人間はみんな多かれ少なかれ魔力を持っている。そして、例えば転ぶ時とかは無意識に体に魔力を流して身を守る。熱い鍋に触る時は、自然に魔力が手に集まる。魔力による自己防衛は本能みたいなものだけど、それをより意識的に操るのが、魔闘術の基本だよ」

 

 

 

 俺が頭にはてなマークを浮かべていると、ヒビキが代わりに口を開いた。

 

 

 

「つまりあれか、殴る時は拳に魔力を集中させて、蹴る時は足に魔力を集中させてるってことか」

 

「その通り!」

 

「え、ヒビキなんでわかったの!?」

 

「ボクは魔法を使うからな。魔力の流れが見えるんだよ」

 

「他人の魔力の流れが見える? そんなの聞いたことないけど……まあいいや! とにかく、攻撃も防御も魔力を(まと)うことで成立する。魔闘(まとう)術っていうのはそういう技術だよ」

 

 

 

 どうやら、シュカの怪力は単に身体能力が高いってだけじゃないみたいだ。そう言えばヒビキの電撃を受けてもピンピンしてたな。

 

 

 

「剣とか武器持った方が効率的とは思わないのか?」

 

 

 

 ヒビキが興味津々とばかりに問う。彼女は、まったく知らない知識に出会うと貪欲にそれを吸収し始めるという特徴があった。

 

 

 

「魔力を練り上げるのに最も適しているのが自分の肉体なんだよ。高位の、S級とか呼ばれる剣士なら剣に魔力を籠めたりするけど、魔闘術師の魔力の密度には遠く及ばない」

 

「ふんふん、なるほど」

 

「それに、剣士とかはスキルに恵まれない凡人では限界があるからね。魔闘術は厳密にはスキルじゃない。だからこそ、凡人でも頂にたどり着ける可能性があるんだよ!」

 

 

 

 やや鼻息を荒くして、シュカは熱弁した。目をキラキラさせる女の子は可愛いと思うが、彼女はやや暑苦しかった。

 

 

 

「試しに僕のスキルを見てみなよ。勇者なら使えるんでしょ。鑑定」

 

「おう」

 

 

 

名前 シュカ

 

職業 平民

 

【ユニークスキル】

 

犬の嗅覚 B

 

獣の直感 D

 

 

 

 

 

【スキル】

 

魔闘術 EX

 

 

 

 

 

「EXってなんだ?」

 

「スキルのランク付けから外れてるってこと。魔闘術は厳密にはスキルじゃないからね。ランクは上がらない」

 

「なるほど」

 

 

 

 EXっていうのは単純にめちゃくちゃ強いってわけじゃないみたいだ。

 

 

 

「あー、俺もシュカみたいに拳で戦えればって思ったんだけど、キツそうだしやめとくか」

 

「剣術のスキルがあるならそれを磨いた方がいいと思うよ。それに、キョウにはその魔剣があるでしょ」

 

 

 

 シュカが俺の腰からぶら下げた傲慢の魔剣を指差す。

 

 

 

「まあな。まあそうなんだけど……」

 

 

 

 やっぱりこの魔剣、自分の気の向いた時しか力を貸してくれないらしい。身勝手な剣だ。

 

 

 

「それで、キョウがハーレムっていう夢を目指して旅をするっていうのは分かったけど、ヒビキの方はどうして彼についていくの?」

 

「……ボク?」

 

 

 

 そういえば、ヒビキからそういうことをハッキリ聞いたことなかったな。

 

 

 

「ああー、まず前提として、ボクはもともとキョウに買われた奴隷だ」

 

「え、そうだったの!?」

 

「だから、ボクがキョウについていくのは当然ともいえる。まだ首輪を外してもらった恩を返せてないしな」

 

「別にそんな義理はないけどな。ヒビキはヒビキの好きなように生きればいい」

 

 

 

 手伝って欲しいし一緒にいたいが、別に拘束したいわけじゃない。

 

 しかしヒビキは、俺に呆れたような顔を向けた。

 

 

 

「お前がハーレムパーティー作るの手伝うって言ったろ。ボクはその手助けをするって決めたんだ」

 

「……おう」

 

 

 

 なんだろう。そんな真っ直ぐ言われると逆に照れるな。

 

 

 

「ヒビキはキョウのことが好きなの?」

 

 

 

 俺たちのやり取りを見ていたヒビキが、とんでもない発言をし始めた。

 

 ヒビキはそれを聞いて、顔を真っ赤にした。

 

 

 

「なっ、そ、そんなわけないだろ! 誰が好きになるかこんなお気楽野郎! だいたい、ボクは体はともかく心まで女になったつもりはないぞ!」

 

「え、どういうこと?」

 

 

 

 ヒビキはシュカに向かって、彼女が男から女になった経緯を説明した。

 

 

 

「召喚の不備で女の子に? 聞いたことないけど、まあ世界を渡るんだからそれくらいあってもおかしくないか」

 

 

 

 さすが自分もTSっ娘なだけある。理解が早い。

 

 

 

「じゃあ、二人は恋仲でもなんでもないってことか。……ふーん」

 

 

 

 意味ありげに呟いて俺を見るシュカ。おい、なんだその間は。

 

 

 

「おっと、ちょうど良いところに魔物が来たね。せっかくだからここで魔闘術の凄さを見せてあげるよ」

 

「魔物ってどこにも見えないけど?」

 

 

 

 あたりはのどかな平原が広がるのみ。しかし、しばらくすると遠くに土埃が立っているのが見えてきた。

 

 

 

「あれは……イノシシ?」

 

「マッスルボア。Dランクに位置する魔物だね。衝突の威力はランクCの冒険者を一撃で殺すほどで、正面に立つのはタブーとされている」

 

 

 

 そう言いながら、シュカはマッスルボアの真っ正面に立ちふさがった。

 

 

 

「お、おい……」

 

 

 

 イノシシの姿はあっという間に近くまで迫ってきた。近くで見るとかなりデカイ。俺と同じくらい身長があるんじゃないだろうか。地球のイノシシとはとても比べようがない。

 

 

 

 土埃が天高く舞い、地面が揺れる。例えるならそれは、大きな戦車が走っているようなイメージだ。

 

 

 

「魔闘術――不動山」

 

 

 

 それに対してシュカは、小さな体を無防備に晒していた。けれど、彼女の纏う雰囲気が先ほどまでとは違う。気迫というべきか、独特の迫力があるのだ。

 

 

 

「ブモオオオオ!」

 

 

 

 巨大イノシシがついに突進してくる。俺は、ダンプカーにでも引かれたみたいに吹き飛ぶシュカを想像した。

 

 しかし。

 

 

 

「ブモオオオッ!?」

 

 

 

後ろにひっくり返ったのは、マッスルボアの方だった。

 

 

 

「「おおー」」

 

 

 

 ヒビキと一緒に歓声を上げると、シュカは絵に描いたようなドヤ顔とピースを見せた。

 

 活発な見た目に似合ってとても可愛い。胸がドキドキしてくる。もしかしたら好きかもしれない。

 

 ……ハッ! あいつは男、あいつは男……

 

 

 

「まあ見ての通り僕は強いからね。頼ってくれていいよ」

 

「ブモッ!?」

 

 

 

 笑って言いながら、シュカは倒れ込んだマッスルボアに貫き手を差した。あっさりと素手に貫かれた筋肉から血が噴き出る。

 

 まるで日常の一幕のように命を取られたイノシシは、憐れにも目を瞑るのだった。可哀想に……



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王都ブリティア

 到着した王都は活気に溢れていた。道いっぱいの人。休日らしい街は賑わっている。

 

 俺たちは、慣れない異世界の街をおっかなびっくり歩いていた。

 

 

 

「うーん、冒険者ギルドどっちだっけ? この辺見覚えある気がするんだけど……」

 

「おいシュカ。お前さっきまでガイド気取りだったじゃねえか! 覚えてねえなら覚えてないって言えよ!」

 

「キョウ、ここに来るまででもう分かっただろ。シュカの頭は戦い以外からっぽだ。しかも自信だけは無駄にある。確実にトラブルを引き起こすタイプの馬鹿だぞ」

 

 

 

 俺たちの言葉が聞こえているのか聞こえていないのか、シュカはどんどんと前に進んでしまう。

 

 

 

「おいシュカ、ちょっと待てって」

 

 

 

 これでは無駄に歩くだけだと思い、シュカの肩を強めに掴んで止める。俺に急に肩を握られた彼女は、びくりと震えるとこちらに振り返った。

 

 

 

「俺がその辺の人に聞くから、ちょっと止まってろ」

 

 

 

 ややしぶしぶとした様子で、シュカは頷いた。

 

 

 

 

 

 情報収集なら王都民に聞くのが一番早いだろう。

 

 大通りで店を出している店主に声をかける。

 

 

 

「おっさん、その旨そうな果物はなんて言うんだ?」

 

「なんだ兄ちゃん、田舎者か? これはピルト。北の方ではよく取れる果物だよ」

 

「へえ、都会のもんは一回食いたかったんだよ! くれくれ!」

 

「おう、銅貨2枚な」

 

 

 

 若干高いな、と感じつつも素直に金を出して果物を受け取る。黄色の表面はツヤツヤしていて美味しそうだ。

 

 

 

「それでおっさん、冒険者ギルドに行くにはどっちに行けばいいんだ?」

 

「ああ? 真逆じゃねえか! 冒険者ギルドはあっち、東だ!」

 

「はああ!? 俺たちなんのためにこの人混みを歩いてきたんだよ!」

 

 

 

 シュカの阿呆! 隙を見て犬耳いじり倒してやる。

 

 

 

「ハハッ、どうやら本当に田舎者らしいな。やたら可愛い女の子を連れてるもんだから、貴族のお忍びかと思ったぜ」

 

 

 

 やたら可愛い女の子と言われたのが一瞬誰なのか分からなかった。冷静に考えると、確かにヒビキとシュカは可愛い。見た目だけ見れば、だ。

 

 

 

「おいおいおっさん、見る目ねえな。中身をよく観察するんだ。片っ方は脳筋、もう片方は理屈馬鹿だ。どちらにせよ俺になびく様子もない。むしろ腕っぷしと頭の良さでマウント取ってくる始末。コイツらは俺に敬意なんて欠片もないのさ」

 

「誰が理屈馬鹿だと、お気楽馬鹿」

 

 

 

 ぱん、と後ろから頭をはたかれる。ヒビキが眼鏡の奥から俺を睨んでいた。

 

 

 

「店主、コイツの与太話はまともに聞かなくて結構です。何か話していないとイカれてしまう病気なんです」

 

 

 

 ひどい罵倒文句だ。コイツ、女になってから口に悪さに磨きがかかったんじゃないか?

 

 

 

「なんか哀れになってきたな。せっかくの縁だ。ぼったくっちまったお詫びに少しくらいここのことを教えてやろうか?」

 

「おい、やっぱりぼったのか!? ……まあいいや、それなら騙し取った金の分だけ話を聞かせてくれ」

 

 

 

 店主は気の良い笑みを浮かべると、王都について話し出した。

 

 

 

「王都ブリティアは、騎士の聖地だ。王国の護り手たる彼らは、全員がB級冒険者に相当すると言われている。それから、世界で最も広がっている剣術、フレーゲル剣術の総本山でもあるな」

 

 

 

 店主がチラと見たのは、王都の中心にそびえ立つ立派なお城だ。あれがこの国の王様が暮らす場所か。そして多分、騎士とやらもあそこにいるのだろう。

 

 

 

「フレーゲル剣術って俺も使ったぞ! こう、スキルを使うと自然と出るやつだよな!」

 

「ああ、その通り。王都はこの国において最も剣術に優れた人間が集まる場所だと言えるだろうよ。近接戦闘のプロフェッショナルが集っている。王国内のどこかに魔王からの襲撃があれば、ここから騎士たちが出撃してそれを撃退することになっている」

 

「っていやいや、そういう堅苦しいことはどうでもよくてさ、ここで一番可愛い女の子とか教えてくれよ」

 

「ガッハッハ! お前、二人も女の子侍らせておいてまだ欲しがるのか? いいねえ、若者の全能感ってやつは」

 

 

 

 違う、俺が一緒にいるのは美少女詐欺のTSっ娘たちだ。

 

 そう言いたかったがすんなり納得してくれるとも思えなかったので黙っておく。

 

 

 

「王都で一番人気の女性と言えば、姫様だろうな」

 

 

 

 それを語る店主は、どこか誇らしげだった。

 

 

 

「姫様?」

 

「ソフィア様だよ。通称姫聖女。お人形のように美しいお姫様。王族に生まれながら、歴史上他に例を見ないような聖魔法の才能に恵まれた方。この国の英雄で、アイドルさ」

 

 

 

 その名前は、不思議と自分の頭によく残った。

 

 



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モフモフ!

 おっさんの案内に従って冒険者ギルドにつくと、近くの宿を紹介してくれた。

 

 無駄に歩き回ってすっかり疲れた俺たちは、さっさと荷物を宿の部屋に置きに来た。

 

 三人で俺たちの部屋がどんなものか観察する。ここは男一人の俺用の部屋だ。

 

 

 

 清潔なベッドに、小さなテーブル。過度な装飾はないが、生活するのに十分だ。

 

 

 

「いやあ、やっと宿につけたなあ! 本当に苦労したなあ、シュカ!」

 

「え? うんうん、遠かったねえ!」

 

 

 

 シュカが笑顔で答える。その無邪気な様子に俺はたまっていた鬱憤をぶつけた。

 

 

 

「遠かったじゃねえよ! お前が冒険者ギルドまでの道を間違えまくったせいでめちゃくちゃ歩いたじゃねえか!」

 

「本当に災難だった……僕はちょっと自分の部屋に行ってくる」

 

 

 

 俺たちの中で一番体力のないヒビキが、ふらふらと俺の部屋を出ていく。

 

 ちなみに部屋は、俺の一人部屋とシュカ、ヒビキの二人部屋だ。今まではヒビキが変な奴に襲われないようにと二人で同じ部屋で寝ていたが、シュカがいれば俺なんかよりずっと頼りになるだろうと判断した。

 

 正直なところ、ヒビキと同じ部屋で寝ていると俺の理性が限界だったっていうのもある。寝巻だと、見えるのだ。ヒビキのこぼれそうな胸とか、生足とか、いろいろ。

 

 

 

「シュカ」

 

 

 

 せっかくの機会だから、俺は彼女と出会った時からずっとやりたかったことを実行することにした。

 

 

 

「なに? ……ってヒャア!」

 

 

 

 油断しきっているシュカの犬耳を、俺はむんずと掴んだ。

 

 

 

「ちょっ……キョウ、それは流石に……あっ」

 

「ほれほれ! よくも俺たちを迷子にしてくれたな!」

 

 

 

 ふわふわとした犬の耳が俺の手に心地よい感覚を伝えてくる。ちょうど、近所の大型犬を撫でているような気分だ。

 

 

 

「こっちはどうだ!?」

 

 

 

 ぴん、と上に立ったしっぽを掴む。すると、シュカが甲高い声を上げた。

 

 

 

「ひああ!? ちょっ、乱暴にしないで……!」

 

「おお、想像以上の感触だな」

 

 

 

 もふもふしていて、ほんのり温かい。左手に犬耳、右手にしっぽを掴んだ俺は大きな幸福感に包まれていた。

 

 

 

「ほらほらほら! どんな感触なんだ? 言ってみろ、シュカ!」

 

「ふわあ……キョウ、それはダメだって! じゅ、獣人の耳と尻尾は……ふわあ、敏感で、ちょっ、ちょっと待ってって!」

 

 

 

 彼女は、快楽に耐えかねたようにベッドに倒れ込んだ。彼女の晒しだけ巻かれた上半身が、艶めかしくクネクネと動く。

 

 しかし俺は、彼女の尻尾と耳を手放しはしなかった。

 

 あの強くてかっこいいシュカが、頬を赤らめて俺の下でフルフルと震えている。言い表しがたい優越感、言うなれば征服感のようなものが、俺の胸を満たしていく。

 

 ――ああ、もっと味わいたい。彼女の健康的な肉体を。明るく振る舞う彼女の、普段見せない顔を。

 

 

 

「あっ……だ、ダメ……ダメだよキョウ、それ、以上はっ」

 

「……っ!」

 

 

 

 手のひらに伝わってくるふわふわとした感触。

 

 自分の理性が溶けていくのが分かる。俺は、ゆっくりと手を伸ばし――

 

 

 

「……お前ら、何してんだ?」

 

 

 

 いつの間にか帰ってきたヒビキの声に、俺たちは正気に戻った。

 

 しゅん、とシュカと距離を離す。

 

 

 

「べべべ、別になんでもない! ちょっとじゃれ合ってただけだよ。な、シュカ」

 

「う、うん……」

 

 

 

 顔を真っ赤にしたシュカが相槌を打つ。

 

 

 

「そうか? まあいいや。ボクは寝るから、あんまりうるさくするなよ」

 

 

 

 疲労困憊と言った様子のヒビキは、眠そうに目を擦るとあまり深い追及をせずにそのまま去っていった。

 

 

 

「……」

 

「……」

 

 

 

 気まずい沈黙が、俺とシュカの間を流れた。

 

 

 

「な、なあシュカ、もしかして」

 

「――キョウ君」

 

 

 

 シュカの静かな、怒りの籠った声が俺の声を遮った。

 

 やがて彼女は、少し潤んだ目で俺を睨んだ。

 

 

 

「獣人の尻尾と耳は触っちゃダメってお母さんに教わらなかったの!?」

 

「いや、俺異世界人だし……」

 

「じゃあ、今覚えて! いい? 獣人の耳と尻尾を触るっていのは、その……大事なところを触るようなものだから、軽々しくやっちゃダメ!」

 

「でも、シュカ意外と嬉しそうに……」

 

「そそそ、そんなわけないでしょ! いいキョウ君? 獣人に今みたいなことしたら、一瞬で嫌われるからね! ハーレムなんてできなくなるからね!」

 

「そ、それは困るな」

 

 

 

 ここは、真っ赤な顔をしたシュカの言うことを大人しく聞いておくべきだろう。

 

 

 

「分かったら、もう二度と獣人の耳と尻尾を軽々しく触らないこと!」

 

「ええー、結構気持ちよかったけどな」

 

「――絶対、やらないこと!」

 

「アッ、ハイ」

 

 

 

 シュカの顔が怖い。殴りかかられた時以上だ。

 

 獣人の耳と尻尾はいじらない。よく覚えておこう。



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蛇の毒

 王都の冒険者ギルドで依頼を受ける。

 

 

 

 王都周辺の敵は強い。名前を上げたい冒険者がここに来るというのも納得だ。

 

 都市部の近隣にある森の中は、獰猛な魔物がたくさん生息していた。

 

 

 

「キョウ、上だ!」

 

「ッ!」

 

 

 

 後ろから聞こえたヒビキの声に従って、上を向く。生い茂る枝葉の中から飛び出してきたのは、木の幹ほどの太さのある巨大な蛇だった。

 

 

 

「キシャアアアアアアア!」

 

 

 

 迫りくる毒牙を避けて、剣を振る。

 

 刃に抵抗は感じず、蛇の体はあっさりと千切れた。

 

 

 

「へいへーい、今のは危なかったんじゃないのー?」

 

 

 

 頭の後ろに手を回したシュカがぞんざいな口調で煽ってくる。彼女は今回見学。経験不足な俺たちのコーチ役だ。

 

 

 

「クソッ、傲慢の魔剣が手を貸してくれればこんな苦労しねえのに……」

 

 

 

 傲慢の魔剣とは、シュカと戦った時に心を通わすことができたはずだった。

 

 しかし、どうやらこの魔剣は戦いの最後に剣を手放したことが気に食わなかったらしい。

 

 「ワシの力を使わん主などいらんわ。貴様などなまくらを使っておけ」と幼い女の子の声で言われた。さすが傲慢の魔剣。心が狭い。

 

 

 

「『稲妻よ、ライトニング』」

 

 

 

 ヒビキの詠唱が響くと、雷が森の中を走り、迫ってきていた蛇を焼いた。これで10匹目。

 

 王都の冒険者ギルドの最初の依頼は、この蛇、アサルトスネークの討伐だ。目標数は30。

 

 一体一体は強くないが、毒のある牙で噛まれると厄介だ。

 

 

 

「よし、だんだん魔法の狙いも安定してきたぞ」 

 

「うんうん、やっぱりヒビキは狙いが正確だね。魔法の威力も申し分ない」

 

「フッ、つまりボクはキョウより強いってことだな」

 

 

 

 ドヤ顔で俺を見てくるヒビキ。ムカつくし、何よりも顔が良いからそれなりに様になってるのが本当にムカつく。女じゃなかったらぶん殴ってた。

 

 

 

「でも、ヒビキは計算外には弱いイメージかな。事前に色んなことを想定できるのはいいことだけど、実戦では仇になるかもね。そういう意味では、土壇場に強いのはキョウ君だろうね」

 

「俺? ……あれか、魔剣が抜けるからか」

 

 

 

 それは、俺が強いというか傲慢の魔剣が強いだけではないか。

 

 

 

「それもあるけど、気持ちの持ちようだよ。強い敵に立ち向かう気概とか、最後に捻り出すことができる力とか、そういうやつ! 僕好みの闘士だね」

 

「おおー! なんか凄そうじゃん!」

 

 

 

 なんかそう言われるとやれる気がしてきた! 俺は気合を入れて周囲を探し始めた。

 

 

 

「あいつ、やっぱ単純だな」

 

「でも、ヒビキがキョウ君に褒められた時もあんな感じでしょ? わーい、ってぴょんぴょん跳ねちゃう感じ」

 

「そ、そんなわけないだろ!」

 

 

 

 

 

 意外と仲良く話している二人を置いて、俺は森のやや奥まで来ていた。

 

 

 

「……と言っても、剣術については二人とも素人だからなあ、習うって言っても限度が」

 

「シャアアアア!」

 

 

 

 独り言を言いながら進んでいると、背後から特徴的な鳴き声がした。飛んできた蛇を避けて、軽く剣を振る。

 

 また一匹倒せた、と安堵していると、今度は三体が別方向から襲い掛かってきた。

 

 

 

「うおっ! ちょっと話違くないか!?」

 

 

 

 迫りくる毒牙をなんとか躱すが、最後の一体が俺の左手に嚙みついた。

 

 

 

「……ッ」

 

 

 

 痛みはそこまでない。振りほどいた蛇を地面に叩きつけ、剣でトドメを刺す。

 

 

 

「キョウ、無事かー……ってお前、噛まれたのか!?」

 

 

 

 俺の左手の傷口を見たヒビキが驚きの声をあげる。

 

 

 

「ああ、でもシュカにぶん殴られた時の方が10倍痛かったな」

 

「いや、そこじゃなくて、毒があるだろ!」

 

「え? そんなにヤバいのか?」

 

 

 

 あ、言われてみればなんかちょっと腕が痺れてきたかも。俺もしかしたマズい?

 

 

 

「アサルトスネークの毒は普通の人間が食らえば三日以内に治療しないと死ぬって言われてるね。勇者だから痺れるだけで済んでのかな?」

 

「いや、それ呑気に言ってる場合じゃないだろ! 早く治療……ってこの世界、病院あるのか?」

 

「ビョーイン? よくわからなけど、王都の教会なら大抵の傷は治るよ。とりあえず、行こうか!」

 

 

 

 教会の場所なら王都を彷徨い歩いた時に把握している。俺たち三人は、アサルトスネークの討伐を一旦中断して王都へと戻った。



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清廉潔白なお姫様

 教会というのはこの世界では怪我人が集まるところらしい。血の匂いのする治癒院と、清潔な礼拝堂のような建物の二つが隣接して「教会」と呼ばれているらしい。奥には居住部分らしいものもちらりと見える。

 

「怪我の方はこちらにお並びください。順番に案内しております」

 

 建物の外まで結構な長さの列ができている。並んでいるのは歴戦の戦士たちなのか、と思えば、老人の姿が目立った。

 特に目立った外傷は見えないが、彼らはどんな怪我をしたのだろうか。

 

「おいキョウ。眩暈がしたりしないか」

「ああ、大丈夫。左腕がピリピリするくらいだな」 

 

 列に並んだ俺に、ヒビキがついてきてくれた。毒で急に倒れられたら困る、とは彼女の言葉だ。

 ちなみにシュカは「ここまで来れたら大丈夫でしょ!」とどこかに行ってしまった。薄情な奴め。

 

「……どう見てもキョウより重傷な奴はいなそうだが……救急外来とは違って融通利かないのか。キョウ、もうちょっと大袈裟に痛がってみたらどうだ? 地面に這いつくばって『左腕が……俺の封印された左腕があああああ!』って叫んだら優先的に通してくれるかもしれないぞ」

「ドン引きされるだけだわ!」

 

 この世界でそんなことしたら、本当に悪魔でも憑いたんじゃないかって大騒ぎになるかもしれない。

 中二病がネタにならない場所。それが異世界だ。

 

「すいません、出血している方がいらっしゃるようです。先に通して差し上げてください」

 

 奥から、可愛らしい、けれど澄み切った女の子の声がした。

 すると、並んでいた人たちが一斉に道を開けた。俺に先に行けということらしい。

 ありがたく列の前に行くと、俺は声の主である少女と相対することができた。

 

「ッ!」

 

 その美貌に、俺は目を奪われた。

 

「毒ですね。直ちに治療致します」

 

 高貴で、触れることすら憚れるような美しさを持った少女だった。

 艶々した金色の髪が背中まで伸びている。青色の目には、確たる意思が籠っている。十代半ばだろうか。可愛らしさを残した顔は、優しそうだ。

 

「あ、ああ。お願いします」

「こちらに座ってください」

 

 彼女の前に座る。ヒビキが俺の後ろに立った。

 目の前の少女が、目を閉じ手を合わせた。

 

「主よ、この者の穢れを祓いたまえ。クレンジング」

 

 淡い光が俺の傷ついた左手を包み込んだ。痛みがひいて、うっすら感じていた手の痺れもなくなっていく。

 

「お、おおー! すごい! ありがとうございます美人さん」

「いえいえ、主の恵みの一端を分け与えたにすぎません」

「お名前はなんて言うんですか?」

「へ? 私ですか? ……私はソフィアと申します」

「ソフィアさん、ありがとうございました!」

 

 改めて名前を呼んで感謝を伝えると、彼女は意外そうに目を開いた。

 

 

「いやあ、すごい可愛かったなあ、あの子」

「あれが多分姫聖女ってやつだぞ、キョウ」

「え? あれが? いやいや、確かに気品があって可愛かったけど、お姫様があんなところで俺と話してくれるわけないじゃん」

「お前、列に並んでる人の会話を聞いてなかったのか? みんなソフィアに会うために大した怪我もしてないのにあそこに来てるみたいだったぞ」

「へえ……」

 

 あれか。整骨院に老人がたむろして雑談してるみたいなもんか。

 

「しかし、あんな人数を1日で治療してやるなんて、まさしく聖女だよな。王族なんて悠々自適の生活を送っても文句は言われないだろうに、よくやるな」

「ああ、日本で言うボランティアってやつか?」

 

 あるいは滅私奉公と言うべきか。

 それは凄い。けれど、俺はその気持ちがあまり理解できなかった。

 別に、ボランティア、つまり人にタダで尽くすことを馬鹿にする気はない。

 でも、理解できない。俺は自分勝手な人間だから、対価なしに他人のために働くなんて御免だ。それなら、自分のために時間を使う。

 

「本当にやりたくてやってんのか? ……なんてのは、ちょっと穿った見方かもな」

「キョウ?」

「なんでもない。ああそうだヒビキ。先に戻ってくれ! このまま王都をぶらぶらしてくる!」

「おいキョウ、どこ行くんだよ! ……ちゃんと夜までには宿まで戻ってくるんだぞ! 変な奴についていくなよ!」

 

 お前は俺のオカンか。ヒビキの心配性は、こっちに来てから悪化したように思えた。



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姫と騎士の物語

 王都を冷やかしに歩くのは存外悪くない。

 もともと俺は、知らない場所をぶらぶらすることが好きだ。

 さらに、ここは異世界だ。目に映る一つ一つが新鮮に映る。当たり前のようにケモ耳の生えた人が歩いていたり、鎧を着た騎士らしい人が見回りをしていたりする。

 

 適当な露店にふらりと寄り、店主に話しかける。

 俺がこの店に来た理由は一つ。店主が綺麗なお姉さんだったからだ。

 

「どうもーっす。何売ってんですか?」

「あら、いらっしゃい。うちで売ってるのは観光客向けのお土産ね。お兄さんは都会慣れしてるように見えるけど、外から来た人なの?」

「いやあ、それが実は王都は初めてで。ちょっと勝手が分からないから、教えてほしいかなーって」

「それはお気の毒ね。でも私、お客さんでもない人と雑談する趣味はないの」

 

 にっこりと、大人の笑みでお姉さんは俺と目を合わせた。……つまり、何か買えと。

 

「あー、このアクセサリーは何ですか?」

「よく聞いてくれたわね。それは姫聖女様をイメージした杖のミニチュア。この店の一番人気よ」

 

 姫聖女は先ほど教会に行った時に会ったソフィアのことだよな。たしかに綺麗な人だったので、有名人になるのも分かる。

 

「へえ、姫聖女っていうのは本当にここでは人気なんですね」

「まあそりゃあね、なんてったって王都のヒロインだからね。もちろん私だって尊敬してるよ」

 

 それは凄い。男だけでなく女性にも好かれているのは、本当に人望がある姫みたいだ。

 

「なんてったって姫様のグッズが一番売れ行きがいいのよ。杖のレプリカに、彫刻、物語まで、幅広く金を生み出してくれる。あんな気前の良い王族は他にはいないわ!」

「ゲスいな商売人!」

 

 このお姉さん、王族に対して不敬ってレベルじゃねえぞ。しかし欲望に目をギラギラさせたお姉さんはそういうことをあまり気にしていなそうだった。

 

「そんなことして、怒られないんですか? 著作権とか肖像権とか、いろいろありますよね」

「ちょさ……?」

 

 あ、グッズ使用料とかいらない世界ね。なるほど。俺の言葉がスキルによってうまく翻訳されなかったことから、この世界では使われていない言葉なんだろうと認識する。

 

「まあ本当なら怒られるっていうのは、あんたの言う通りね。ちょっと前なら、こんな商売しようものなら不敬罪で首でも刎ねられていてただろうから」

「シャ、シャレじゃすまないっすね」

 

 怖い。中世ヨーロッパ風世界怖い。

 

「もちろんそうよ。でも姫様はとにかく優しいことで知られててね。かの魔王を倒したのに驕ったところが一つもなくて、平民にも優しくしてくれる。そんな姫様の優しさが人気を生んで、関係商品が売れるようになった。私たち商人はその恩恵をありがたく受け取ってるってわけ」

 

 口ぶりから察するに、姫聖女の人気にあやかった商品を売っているのは彼女だけじゃないらしい。

 

「こっちのアクセサリーは杖と剣が交錯してますね。これはどういう商品ですか?」

 

 先ほどの杖だけのものと違い、剣がかたどられたそれは、清廉潔白な姫聖女には不似合いに見えた。

 

「ああ、剣の方は天才騎士ゴルドーのイメージだね」

「え、お姫様じゃなくて?」

「ええ。その説明をするとちょっと長くなるけどねえ。一年くらい前まで、王都はとある魔王と戦っていたんだよ」

 

 魔王。人類の敵。魔物を統べるもの。魔神の配下である化け物のボス。俺たち勇者が倒すべき敵だ。

 

「その魔王の討伐に挑んだのが、歴代最強の治癒術師である姫様。それから姫様の騎士、わずか15歳にしてフレーゲル剣術を修めたゴルドー様だったってわけ」

「15歳の子どもに大儀を任せたんですか?」

「もっとも優れた騎士だったからね。それに、姫様からの信頼も厚かった。同い年で主従関係を築いた二人は仲が良いことで有名だった。恋仲なんじゃないかって噂も立ったわね」

 

 女店主の言葉に少し力が籠った。

 姫と騎士のラブロマンス。それは平民から見れば憧れの的なんだろう。

 

「でも、結局ゴルドー様は魔王討伐の際に死亡した。卑劣な自爆攻撃から姫様を守るためにね。ゴルドー様の人気は、その悲劇的な最期が物語的にも美しいことが関係しているかもね」

 

 ふーん。あれか源義経とかジャンヌダルクと同じで、悲劇の英雄ってやつか。人気になるわけだ。

 

「それでお兄さん、買うの、買わないの?」

 

 なんだ、もう話はおしまいか。俺はアクセサリーをそっと戻す。

 

「ごめんお姉さん。俺金なかったわ! また今度買いに来るね!」

 

 後ろに下がると、俺は露店に背中を向けて一目散に駆けだす。

 

「はあ!? あんた。ちょ、買う気がないなら来るなあああああ!」

 

 背後から罵声を浴びせられながら、俺はその場を去った。



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路地裏の密会

「さてと、今度はどの店を冷やかそうか」

 

 ぶらぶら歩きながらあたりを見渡す。王都は相変わらず人が多い。

 太陽もやや傾いてきた。そろそろ帰りのことも考えるべきだろうか。

 

 そんなことを思っていると、周囲への注意が疎かになっていたらしい。

 突然人混みの中から飛び出してきたフードの少女とぶつかってしまった。

 

「おっと、すいません」

「……いえ」

 

 謝ってその場を去ろうとして、俺は少女の顔を二度見してしまった。

 目深にかぶったフードの下。見事な金髪碧眼に、白い肌。

 それは教会で先ほど会った姫聖女だった。

 

「あ、あれひめ――」

「あ、あああの! 私はこれで!」

 

 急いで俺から遠ざかろうとする彼女だが、急に走り出すので前をよく見えていないようだった。往来を行く人に衝突しそうになっている。

 

「いやいや、前見て前」

 

 慌てて彼女の腕を掴んで、衝突するのを避ける。

 手に伝わってくるほっそりとした腕の感覚。腕を掴まれた彼女が身を強張らせる。

 

「あ、ごめん、急に腕なんて掴んで」

 

 ぱっと腕を離すが、彼女はその場を立ち去ろうとはしなかった。

 逃げるのは諦めたらしい。ゆっくりとこちらを振り返る。

 

「あなたは、たしか先ほど治療に来ていた方ですよね」

「え? よく覚えてたね」

 

 あの場には、俺以外に数十人が訪れていたはずだが。

 

「私を頼ってくださった方のことですからね。覚えていますよ」

「へえ……」

 

 どうやら、目の前の姫様は本当に噂通りに人格的にも優れた人らしい。心の底から自分のことを頼ってくれたことに感謝しているようだ。

 そういう姿を見せられると、俺みたいな人間はちょっとだけ意地悪なことを言いたくなるものだ。

 

「じゃあ、感謝ついでにちょっと付き合ってよ」

「……はい?」

 

 困ったような顔を浮かべる彼女に、俺はついてくるように言った。

 

 

「このような路地裏は危ないのではありませんか?」

「ああー、まあいざとなれば俺が戦えばいいから、大丈夫だよ」

 

 ここに来るまででなんとなく分かった。俺なら、人間相手にはそう遅れは取らない。それこそシュカのようなとんでもない猛者が出てこない限りは、スキルの強さで勝てるだろう。

 普通の人間が持っているスキルは良くてもC程度。普通に剣術Bの実力を出せれば勝てる。

 

 それに、姫との密会だなんて男のロマンじゃないか! どっちかっていうと、ここで悪者が襲ってきて姫を華麗に守るシチュエーションを体験してみたい。

 

「どうして、私などと話を?」

「などとって……いや本物のお姫様なんて初めて見たからさ。ちょっと話してみたなあとか思ったわけ」

「それだけではないですよね」

「……」

 

 意外な指摘を受けて、俺は固まった。

 

「あなたは――失礼、お名前はなんというのですか?」

「キョウと呼んでくれ」

「キョウさんは、王都に住む皆さんとは違います。私のことなど知らず、熱に浮かされた様子もない」

 

 ああ、やっぱりただのチヤホヤされて喜んでいるだけのお姫様じゃなかったみたいだ。

 

「いったい、何を考えているんですか?」

「男が可愛い女の子と話すのに理由がいるか?」

「フフ、キョウさんは冗談がうまいですね。それ以外に理由があるのでしょう?」

 

 いや、普通に本心だけどなあ。

 仕方なく、俺は自分の考えを口にした。

 

「気になったんだよ。姫様がどんな人なのか」

「私が?」

「ああ、慕われて頼られて、忙しそうな君が現状についてどう思っているのか」

「なぜ……」

「だって、不満が一つもないのならそんな顔してお忍びで街を歩いていたりしないだろ」

「……キョウさん」

 

 それに俺は、一目見て彼女を気に入ってしまったのだ。お姫様っていう肩書きだけじゃなく、立ち振舞いから感じられる誠実さとか、そういうものが気に入った。

 

「……そうですね。たしかに私は、今の状況に思うところがあったからこそ、監視を抜け出してここまで来ました」

「俺で良ければ話してみてよ」

 

 間髪開けずに言う。

 やや黙って思考を巡らしたソフィアは、やがて静かに語り出した。

 

「……はい。私を頼ってくださる方は以前よりも増えました。王都の皆さんは私を慕ってくださっています。――けれど、私がその信頼を受け取っていいのかずっと疑問に思っているのです」

「それはなぜ?」

「はい。私は、私を守ってくれた人を死なせました」

 

 うつむいた彼女は、死んだ誰かを悼んでいるようだった。

 

「彼女は私などよりずっと優しい人でした」

「今の姫様より優しい人か? あんまり想像できないけど」

「いいえ。本当に優しくて、そして勇敢な人でした」

「……それで、その人のことと姫様の賞賛に引け目を感じることに何か関係があるのか?」

「私が受ける賞賛は、本来彼女が受け取るべきものでした」

「なんだそれ。そんなの関係なくないか」

 

 死んだらそれまでだ。彼女はこそが私の分まで、なんて感傷には意味がない。

 

「他の方に言っても分かってもらえないと思います。でも、私は今の私に違和感――あるいは嫌悪感と言えばいいでしょうか。そういったものを感じています」

「へえ、確かに分からないな」

 

 分からない。でも、なにも言えないわけじゃない。

 

「でも、俺はそういうこと言うソフィアが嫌いじゃないな」

「……え?」

 

 意外そうに目を見開く彼女に、俺は告げる。

 

「恵まれた環境にいてなお自分の境遇に疑問を持ち続けることは難しい。それは多分、俺の故郷だろうとこの国だろうと変わらない。俺は、そういう人間の方が好きだ」

 

 俺の言葉に、彼女は綺麗な目を開いていた。

 

「……ありがとう、ございます。キョウさんは、色んなことを考えてるんですね」

「いや、全然。たいてい自分のことしか考えてない。ソフィアとは正反対だ」

 

 だからこそ、彼女みたいな人は素直に凄いと思える。

 

「自分のことですか。キョウさんは、いったいどんなことを考えて過ごしているんですか?」

「そりゃあもちろん、ハーレムかな!」

「はあ……はーれむ、ですか」

「そうそう、たくさんの女の子に囲まれて、チヤホヤされるの!」

「どうしてハーレムしたいんですか?」

「どうして? ……そりゃあ、ハーレムしたいからだよ!」

「……はあ」

 

 いまいち意味が分からない、と首をかしげるソフィア。

 

「それこそ王族でもない限り、男性は生涯一人の女性を愛するものではないのですか?」

「……あっはは! ソフィアはかたいなあ! 男なら、道ならぬ恋の一つや二つくらいするものだよ」

「では、キョウさんは今までどんな女性と関係を持ってきたのですか?」

 

 純粋な瞳が痛い。彼女いたことないとか言いづらいな。

 

「グッ……それは、異なる次元の女性と、かな?」

「へえ、なんだかカッコイイですね!」

 

 急に目をキラキラさせてソフィアが俺に顔を近づけてきた。造形の整った顔が急に近づいてきて、俺は赤面する。

 

「次元が違うとは具体的にどんな女性だったのでしょうか? 身体的に? あるいは精神的にでしょうか? そんな女性と付き合ってきたキョウさんは、きっと色んなことを吸収したのでしょうね!」

「あー、うんうん、マジ貴重な経験だった! 俺はワンランクもツーランクも成長できたね!」

 

 あの画面の向こうのヒロインたちは俺を育ててくれたも同然だ。嘘は言っていない。

 

「なるほど、キョウさんは私の知らない世界のことをいろいろ知っているのですね」

「ああ、まあ俺は勇者とか言われる人間で、文字通り別世界から来たからな」

「そうなのですね! ……もっと色々話を聞きたいのですが、あまり時間がありませんね」

 

 あたりを見渡すと、夕暮れを通り越してわずかに暗くなっていた。

 

「キョウさん、今度また、会ってくださいますか」

「いいけど……お姫様っていうのはそんな簡単に人と会えるものなのか?」

「普通はそうではありませんが、今日のように抜け出してきてしまえばいいのです。……私も、キョウさんを見習って少しだけ自分勝手になることにします」

「ソフィア……」

 

 茶目っ気のある笑顔の彼女は、今日見た中で一番かわいく見えた。



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お姫様がTSっ娘のわけがないだろ!

「それで、言ってやったわけ! 学校って場所がそもそも間違っているんだから、俺たちが間違っているなんて言われる筋合いなんてないって!」

「あっはは! キョウさんは本当に独特な考え方をするんですね。規律の中で生きてきた私にとっては新鮮なことばかりです」

 

 ソフィアとの密会もこれで三度目だろうか。

 俺の話を本当に楽しそうに聞いてくれる彼女は、魅力的な女の子だった。

 彼女に、俺のハーレムメンバーになってほしい。高望みなのは知っている。けれども、ほしいと思ってしまった。

 彼女の瞳を独占したい。彼女の興味を惹きたい。

 

「そうだ、一つ大事なことを聞かないと」

「はい?」

 

 俺の周囲に集まる女の子には、共通点がある。

 まさかとは思うが、一国の姫様で聖女様なら大丈夫だと思うが、念のために俺は聞いておかなかれば。

 覚悟を決めて問いかける。

 

「ソフィアはTSっ娘だったりしないよな。ちょっと前まで男だったとかないよな?」

 

 急に、ソフィアの表情がピシリと固まった。中途半端な笑顔のまま微動だにしないソフィアの顔。

 どうしたのだろう、と俺は彼女の顔を覗き込んだ。

 

 やや遅れて、彼女の口が高速で動き出した。

 

「…………そ、そんなわけないじゃないですか! 何をおっしゃっているのですか! この体は生まれてからずっと女ですし、将来的にも女のはずですよ! はい!」

 

 なぜか早口になるソフィア。

 しかし、嘘を言えないほど生真面目な彼女の言うことだ。素直に信じていいだろう。

 となると、ついに来たのだろうか。俺のモテ期が。我が世の春が。ハーレムの幕開けが。

 

 そう思うと、彼女に色々聞きたくなってきた。

 

「ソフィア……突然なんだが、俺っていう男についてどう思う?」

「そうですねえ、面白い人、でしょうか」

 

 来た! 面白い人! これは脈あり!

 

「他には?」

「うーん……私の常識を崩してくださった方?」

 

 おお、好感触! 今ま箱入りで育ってきたお姫様が今まで見たことのないタイプの男に惹かれるパターンだ!

 

「もう一声!」

「うーん……複数の女性と関係を築くことを志す不貞者?」

「いやマイナス評価! さっきまで好感触だったのにめちゃくちゃネガティブな評価!」

 

 俺の反応を見て、ソフィアはクスクスと笑った。

 

「でも、キョウさんのように魅力的な男子なら、女性だって惹かれると思うのですけどね。そんなに遠い夢でもないのでは?」

「いやあそれがさあ、ちょっと聞いてほしいんだよね」

「はい、なんでしょう」

 

 俺は最近あった出来事についてソフィアに語ってみせた。

 

 

 

 

「君たち、大丈夫かい?」

 

 路地裏でガタイの良い男たちに絡まれている女の子を見かけてた俺は、これはチャンスだとすぐにわかった。

 不良から颯爽と女の子を助けて惚れられる。これこそ王道。ハーレムへの第一歩だ。

 

「あ……あなたは」

 

 女の子が潤んだ目でこちらを見てくる。怖かったのだろう、その足は震えていた。

 

「安心して。俺がすぐに助けてあげる」

「てめえ、急に出てきて舐めてんじゃねえぞ!」

 

 青筋を立てた男が俺へと襲い掛かってくる。

 しかし、遅い。路上のチンピラなんてこんなものだろう。自分の勝利を確信した俺は、剣を振り上げ――。

 

「キョウ君ー! ずるいよ、ボクも混ぜて!」

 

 直後、突如背後から現れたシュカが男を蹴り飛ばした。

 

「ゴバッ!」

「アッハハ! キョウ、こいつらはあれだよね! ぶっ飛ばしても誰にも怒られない都合の良い人たちだよね! やったああ!」

 

 シュカは合法的に人を殴れる機会に大喜びしていた。

 ボコ、ボコ、と順に殴られていく男たち。

 自称Sランク冒険者のシュカの攻撃は、凡人には防御すら不可能だ。

 目にもとまらぬ速さで振るわれる拳が次々と男たちを捉える。

 

「か……かっこいい……!」

 

 気づけば、俺が助けたはずの女の子はすっかりシュカの戦いぶりに見惚れていた。

 やがて男たちがすべて倒れ込んだ後、女の子はシュカの元へと駆け寄っていった。

 

「あ、ありがとうございます! あの、失礼ですがお名前をお伺いしてもよろしいですか?」

「え? あっはは、僕はシュカ。助けたのは成り行きだから、気にしなくてもいいよ。楽しかったし」

「は、はい……!」

 

 女の子はキラキラした目でシュカを見上げていた。

 ……シュカあああああ! それ俺がやりたかったやつ! なんで女のお前が女の子に惚れられてんだよ! くそおおおおおお!

 

 

 ◇

 

 

「そんな感じで、俺っていう男よりもパーティーの元男の方が惚れられて、本当になんでだよって感じだったんだよ」

「ふふ。キョウさんの仲間も面白い人なんですね」

「面白いっていうか、シュカのは戦いに飢えてるって言った方がいいな。別に悪い奴じゃないけど、頭がおかしいと思うことが多々ある」

 

 そんな風に話していると、今日もまた日が暮れてきてしまった。ソフィアがあたりを見渡して時間の経過を確認している。

 

「それでは、今日はこのあたりで失礼しますね。あまり教会を空けていると、心配をかけてしまいます」

「ああ。……ソフィアは本当に忙しいんだな。休日とかないのか?」

「一日休みのことはないですね。本当なら、キョウさんともっと話していたかったのですが」

 

 それは残念。けれども、彼女にも彼女の務めがある。あまり邪魔しては悪いか。

 

「それじゃあ、また今度、ここで」

「はい、またお会いしましょう」

 

 彼女はまた会う約束をしてくれた。その事実に、俺は心が暖かくなった気がした。



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騎士の無念

 王都ブリティアは騎士の街だ。王国の守り手であり人民の憧れである彼らは、平民にも注目されている。

 

 騎士たちの鍛錬しているところは、なんと一般公開されている。

 王都の一角にある広場には、この街の誇りである騎士を見るために多くの人が押し寄せる。

 騎士を志す若者たちに憧れの姿を見せるためだそうだ。

 もっとも、騎士のほとんどは若くから英才教育を受けた貴族たちだ。平民はそうとう腕が立たないと騎士にはなれないそうだ。

 

 騎士同士の立ち合いが始まる頃には、観客は大勢になっていた。ちょっとした観光地のようなありさまだ。

 

「おおー、これが噂の騎士たちの演武か! うんうん、結構やるね」

 

 シュカは騎士たちの立ち合いを見て声が弾んでいた。その尻尾はぶんぶんと横に振られている。楽しそうだ。

 

 俺たちの目の前では、木剣を持った騎士が立ち会っていた。

 戦場に立っているような緊迫感で剣を交えている。

 動きが早い。騎士たちの体は軽やかに動くし、木剣は攻撃のたびにひゅんひゅんと風の音がする。

 

「シュカならあれ、倒せるのか?」

「うん、まあタイマンなら余裕だね。ここにいる騎士のスキルのランクは高くてもA。Sランク冒険者の僕の敵じゃない」

 

 相変わらず自信満々だ。とはいえ、一度戦ったシュカの動きは目の前の騎士より早かった気がする。

 

「でも騎士の本懐は二人から三人での集団戦だと思うよ。連携の取れた攻撃は、スキルのランク差を覆す。まあ、それをどうにかするのが優れた魔闘術師だね」

 

 シュカは好戦的に笑う。

 

「シュカ、ボクも聞きたい。騎士たちは戦いの間に薄っすら魔力を纏っているように見える。あれはお前の魔闘術と同じものなのか?」

「いや、似てるけど別物だね。魔闘術はもっと密度が高くて硬い。あれは剣気。優れた騎士たちが使いこなす術だね」

 

 ヒビキは魔力を纏っているのが見えるのか? 俺には全然見えないんだが……。

 

「体に纏う魔力は魔闘術師以下だけど、代わりに剣にも魔力が乗っている。あれなら剣による攻撃を強化できる」

 

 なるほど……騎士というのはただ速く剣を振っているだけじゃないらしい。

 

 そんな話をしていると、騎士同士の立ち合いは決着がついたらしい。木剣を寸止めされた騎士が負けを認めると、二人が礼をする。

 

 それを眺めていると、ふいに騎士たちの審判役をした老騎士がこちらに話しかけてきた。

 

「そこの獣人の方。そうとう腕が立つように見えますが、良ければ若い騎士と立ち会ってくださいませんか?」

「えっ? いいの!?」

 

 話しかけられたシュカが弾んだ声を上げる。

 

「ええ、いい経験になるでしょうから、是非に」

「やったあ! ボコボコにしても文句言わないでよ?」

 

 挑発的な言葉を吐きながら騎士の元へと小走りで向かうシュカ。老騎士に促された若い騎士が、木剣を持って前に出てきた。

 

「彼女に渡す木剣はどこに?」

「いいや、彼女は魔闘術師だろう。武器は不要、そうだろう?」

「よく分かってんじゃん!」

 

 騎士の前に立ったシュカが、準備運動でもするように軽く首を回す。

 

「魔闘術師……噂にしか聞いたことがありませんが、本当に素手で戦えるのですか?」

「戦えば分かるだろう。気を引き締めろよ」

 

 半信半疑、と言った様子で若い騎士が剣を構える。それに合わせてシュカが緩く拳を構えた。

 

「はじめっ!」

 

 開始の合図と同時に、シュカの姿が搔き消える。再び現れた彼女は、既に騎士の背後に回っていた。

 

「ッ」

「隙だらけっ!」

 

 若い騎士が気づいたのは、シュカが拳を振り出しているところだった。

 しかし、一瞬で身を翻した騎士は拳に合わせて剣を突き出し、辛うじて防御をした。

 シュカの拳と剣がぶつかり合い、まるで金属を打ち合わせたような重たい音が鳴った。

 

「いてて……やっぱり真正面からぶつかると痛いなあ……!」

「これが……魔闘術師……!」

 

 若い騎士の顔が引き締まる。今の攻防で、相手がただならぬ相手であることが分かったようだ。

 次に仕掛けたのは若い騎士だった。防御から素早く体勢を整えた彼は、剣を構えてスキルを発動した。

 

「フレーゲル剣術中伝 ツインバイト!」

 

 鋭い横なぎの一撃。シュカはそれを上体を逸らして避ける。体の柔軟性を存分に活かして回避だ。

 しかし、騎士の攻撃はそれだけではなかった。振り切った直後の剣が翻り、もう一度シュカを襲った。

 

「ハハッ! そのスキルは初めて見たな!」

 

 体勢を崩したシュカはそれを避けられないように見えた。

 しかし、彼女はむき出しの拳を突き出すと、剣先に撫でるように触れて攻撃を逸らした。

 

「魔闘術――流水」

 

 シュカの体が滑らかに動く。まるで流れる水のように攻撃を逸らす様は芸術とすら言える。

 

「魔闘術――烈火 噴口」

 

 シュカの拳が、燃え盛る炎の如き勢いで打ちあがり、騎士の顎をかちあげた。騎士の剣の動きよりも早い、見事な拳の一撃だった。

 浮き上がり、地面に落ちてきた騎士は完全に気絶していた。

 

「勝負あり」

 

 おお、とギャラリーからどよめきが上がる。シュカはこっちを見て、笑顔でピースしていた。

 

 

 騎士たちの公開鍛錬が終わると、俺たちの元を審判役をしていた老騎士が訪ねてきた。

 

「先ほどの立ち合いでは若い者の相手をしてくださりありがとうございました。シュカ殿、とお呼びしても?」 

「うん、大丈夫。僕も意外と面白かったよ。ありがとう。でも強いて言えば君と戦いたかったかな?」

「はは、この老骨は半ば引退したようなもの。無理ですよ」 

「またまたー。あの場で一人だけ僕の動きを最後まで目で追ってたでしょ?」 

 

 謙遜する老騎士だが、近くで見ると筋肉質な腕は丸太のように太いし、目には独特の迫力がある。たしかに強そうだ。

 会話する老騎士とシュカの間には不思議な親近感のようなものがあるように見えた。強者同士で分かり合っている、と言えばいいだろうか。

 

「剣を持たぬ者の戦いは我ら騎士は見る機会がありませんので、参考にさせていただきます」

「剣を持たない戦いに興味があるの? 騎士なのに?」

「ええ。――真の騎士は剣すら必要としない。かつてフレーゲル剣術を極めた騎士が残した名言です。私如きではその言葉の真意は分かりませんが」

 

 その言葉に、シュカは少しだけ驚いたような顔を見せた。

 

「でも、騎士は僕たちみたいな魔闘術師を軽視しているって聞いたけどな。戦いに誇りがないとかなんとか」

「はは、確かに以前ならそうだったでしょう。しかし私たち騎士は魔王ソウルドミネーターとの戦いで悟ったのです。誇りで人は守れません。強さだけが、人を人である権利を与えてくれるのです」

 

 老騎士の言葉には、不思議な重みがあった。

 

「魔王……王都は少し前まで魔王との戦いを繰り広げていたと聞きました」 

「ええ。――最悪の魔王、ソウルドミネーターは、卑劣な王でした。アンデッドの王である彼は、誇りのないゾンビやスケルトンたちを私たちに差し向けました。加えて、ソウルドミネーターの配下たちは近づくと爆発を起こすものもいました。魔王が最も得意としたのが、自爆攻撃だったのです。その結果大勢の騎士が死にました」

 

 その時の光景を思い出したのか、老騎士がわずかに目を細めた。

 

「結局のところ、誇りや信念は生死を分けなかったのです。もっとも、かの魔王を倒した二人だけは違いましたな。」

「二人っていうと……姫聖女とその騎士の話か?」

 

 露店で聞いた話を思いだす。魔王を倒した聖女のお姫様と、それに付き従った騎士の話。

 

「ええ。ソフィア姫様は当然として、騎士ゴルドーは私たち騎士の理想を体現したような若者でした。優しい心を持ち、礼節を弁え、その上誰よりも剣の腕が立った。……あそこで死んでいい若者でなかったのは確かです」

 

 老騎士が目を伏せる。彼の無念が伝わってきて、俺たちは口をつぐんだ。

 

「……年を取ると昔話ばかりでいけませんね。皆さんは勇者の使命のために魔王を討伐するのでしょう? この話を教訓として覚えていただければ幸いです」



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姫と騎士の物語、その末路

 姫聖女ソフィアは、自室の窓の外を眺めながらぼんやりと物思いにふける。

 憂いを含んだ顔は、男が見れば息をのむほどの美しさだ。美貌を持つお姫様は、何をしても絵画のように様になる。

 

 しかし彼女は――彼は、本来それを眺める側の立場だったのだ。

 

 

 

 ――騎士ゴルドーとはかつての私の名前だった。

 王国の貴族の家に生まれ、剣の才能に恵まれた私は王都の騎士団の入団試験に合格し、研鑽を積んだ。

 

 驕りではなく、自分は剣においては騎士の中でも天才だった。王国最大の剣術大会、フレーゲル杯で優勝したのは14歳の時のことだった。当時の騎士団長を下して栄光を手にした私は、様々な貴人から自分の警護を打診された。

 

 その上で、私はソフィア様の元で勤めることを選んだ。

 

 姫聖女、ソフィア様はかつて例を見ないほど稀有な王族だった。

 その名前の通り、王族として史上初めて聖女としての力に恵まれたのだ。

 

 聖女とは、当代で最も聖魔法の扱いに優れた人のことを示す言葉だ。そのため、戦となれば前線に立ち、騎士や兵士の援護をする。

 私は、そんな立派な人を守るという大きな仕事ができることを喜んだ。

 

 ソフィア様は、能力だけでなく人格まで優れた方だった。高貴な身分にも関わらず、どんな人間にも平等に接する。驕った様子一つなく、自分のできることを淡々とこなす。

 それでいてハッキリとした意志の強さを持っていて、決断するべきことを決断する力を持っていた。

 そんなソフィア様を、王都の民は大いに慕い、期待した。

 魔王が王都に攻めてきた時も、ソフィア様がいればなんとかなると信じられた。

 

 そんな力に恵まれ、重い責任を負わされて辛くないのか、と姫様に聞いたことがある。

 交流を重ねていくうち彼女にすっかり惚れていた私は、彼女がつらいと言うなら彼女を連れてこの国を出ていく気概すらあった。私が忠誠を捧げていたのは、国ではなく姫様だったのだ。

 

「ゴルドー、私を気遣ってくれてありがとうございます。けれども、私は今の自分に満足しているんですよ」

「満足、ですか」

「はい。私は誰よりも他人を救える力を手に入れました。つまり、誰よりも人の笑顔を見ることができるのです」

「笑顔を……」

 

 その言葉を言う姫様は、穏やかな笑顔を浮かべていた。

 それは、誰よりも優しい姫様らしい言葉だった。

 

 この言葉を聞いて、やはり自分はこの人に剣を捧げようと思えた。

 素晴らしい主君を持てた騎士である自分は幸せだと、本気で思えた。

 

 

 けれども、私の人生は、あの時全く違うものになってしまった。

 もともとゴルドーと呼ばれる騎士だった私は、お慕い申していた主君、姫様の体に乗り移ってしまった。

 

 ――すべての原因は、あの時私が姫様を守れなかったことだ。

 

 

 

 

 姫様の騎士である私は、戦場に立つ彼女を守る責務がある。姫様の近くに控える代わりに、私は姫様の援護を存分に受け取れるのだ。

 

「『主よ、この者に祝福を与え給え』」

 

 ソフィア様の元から眩い光が溢れ出し、私の体を優しく包み込む。これは身体能力強化の聖魔法だ。

 類まれなる聖魔法の才能を持つ姫様が使うそれは、私の体に大きな力を与える。

 剣を握る腕が軽い。今ならどんな敵でも斬れる気がした。

 

「ソフィア様、ありがとうございます」

 

 礼を言いながら、私は剣を構える。視線の先にいるのは、王都を脅かす最悪の魔王、ソウルドミネーターだった。

 

「ヒヒヒ……クソガキが二人集まったところでいったい何ができるというです……! 私の魂コレクションに加えて差し上げましょう」

 

 醜い見た目をした魔王だった。

 人型のシルエットの上には骸骨や腐った人肉の悪趣味な装飾。死霊術師とは皆あんな趣味なのだろうか。

 その体には、邪悪な気配が満ちている。

 

「行け、魂ども!」

 

 ソウルドミネーターが手を突き出すと、人魂が飛び出して私に襲い掛かってきた。数は二つ。鬼火のようなそれは、ソウルドミネーターの意思一つで爆発する。そのため、素早く斬らなければならない。

 どちらも、王国民を殺して得た魂だろう。やはりこの魔王はここで討伐しなければ。

 

「フレーゲル剣術中伝――ツインスパイク」

 

 スキルを発動し、剣を振るう。二振りの連撃。

 私の剣術のスキルは最高峰のSS。剣先は一瞬で走り人魂を弾き飛ばした。

 

「姫様!」

「はい! 『邪なるものを打ち祓い給え、セイクリッドインパクト』!」

 

 姫様の杖から眩いばかりの光が溢れ出すと、ソウルドミネーターの元へと一瞬で飛んで行った。

 

「ぐ、がああああああああああ!」

 

 聖魔法はアンデッドに対して絶大な効果を発揮する。魔王ソウルドミネーターは魂を扱うアンデッドだ。苦しむその様子はかなり弱っているように見える。

 

「ゴルドー!」

「はい! おおおおお!」

 

 怯んだソウルドミネーターに向けて、私は剣を構えて突っ込んだ。

 剣気を解放、身体能力を一気に向上させる。

 激戦の中で私の魔力は消耗していたが、それでもとっておきを放つ体力は残っていた。

 

 剣を頭の上まで振り上げる。魔力を一層剣に籠める。すると、剣が風を纏い始めた。凝縮された剣気は物理現象すら巻き起こす。

 剣を中心にごうごうと音を立てる竜巻が起こる。長い修練の果てに私が行きついた斬撃の極致だ。単に斬るだけにとどまらない破壊を起こす剣。

 

 私はそれを、ソウルドミネーターめがけて一気に振り下ろした。

 

「フレーゲル剣術奥伝――アースディヴァイド」

 

 斬った。そう確信できる渾身の一撃だった。

 フレーゲル剣術奥伝は現代騎士の中でも使い手は二人だけ。開祖から受け継がれた、一撃必殺の大技だ。

 振り下ろした刃はソウルドミネーターの体を真っ二つに分断し、風がその皮膚をめちゃくちゃに切り裂き、勢いのままに地面に大きな切り傷を作った。

 

「が、は……ヒッ」

 

 真っ二つになったソウルドミネーターの顔が醜い笑みを浮かべる。明らかな致命傷にも関わらず不気味な表情。

 それを見た瞬間、私は次に起こる出来事を予感した。

 

「姫様!」

 

 何よりも守るべき方に向かって、私は走った。魔王ソウルドミネーターの力は魂の収集とその活用。その中でも特に厄介だったのが配下を使った自爆攻撃だ。

 であれば、自分の魂を使った自爆攻撃もできるだろう。この悪辣な魔王が最後にやることと言えば、自身の魂を使った最大火力の自爆だろう。

 

「ゴルドー!」 

「ッ――貴女だけでも、生きてください」

 

 私の名を叫ぶ姫様の体を覆いかぶさって地面に伏せる。

 姫様はこんなところで死んでいい人ではない。もっともっと沢山の人を救える人なのだから。

 

 背後から耳をつんざく爆発音がする。

 華奢な体を抱きかかえて、私は背後から聞こえる爆音にそなえた。

 

 

 ◇

 

 

 「……え?」

 

 目が覚めて、私はすぐに違和感に気づいた。自身の体の調子を把握するのは騎士の義務だ。しかし全身が体に違和感を訴えている。

 

 自らの体を見下ろす。細い腕。高い声。長い金髪。憧れ、慕い続けた方の姿。

 眩暈がする。ありえない現実に頭が追い付かない。

 

「――そんなはずは」

 

 豪華な部屋の鏡を見て、自分の姿を確認する。見覚えのある、ずっとお慕いしていた主君の姿。

 

 ああ、やはりだ。

 私は、姫様の体を奪っていた。




ソフィアの設定はかなり気に入っているのですが、受け入れてもらえるでしょうか


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強引だって

「ソフィア、二日後の休日に教会を抜け出さないか?」

 

 開口一番の俺の言葉に、彼女は大きく目を見開いた。

 

「俺たちパーティーメンバーで今度デアルト山まで観光に行くんだよ。ソフィアも見に行かないかなって思ったんだけど……やっぱり忙しいか?」

「……別に急用があるというわけではありませんが、でも私は」

 

 わりとモノをはっきり言う彼女にしては珍しく、言いよどむ。

 それは断り切れない、というよりはむしろどう答えていいのか分からない、という風に見えた。

 

「あれだ、ソフィアがどうしたいのか、それを聞かせてくれ」

「……」

 

 何か考え込むように黙り込んでしまうソフィア。

 

「私がどうしたいかですか。……よく、分からないですね」

 

 なんだそれ。そんなの考えるまでないだろ。

 そう思ったが、俺は黙って彼女を見て言葉の続きを待つ。

 

「行きたい、とは思っているんだと思います。けれども私には責務があります。私を必要としてくれる人がいます。みんなが頼ってくれます。だから、行くわけには……」

「ソフィア」

 

 彼女の言葉を遮り、俺はもう一度先ほどの言葉を言った。

 

「ソフィアがどうしたいのか、それを聞かせてくれ」

「……」

 

 彼女は、空虚な笑顔のまま固まってしまった。前から彼女の歪みには薄々気づいてたが、思ったより重症だ。

 治療の名手である彼女だが、自分の心まで癒すことはできないらしかった。

 

 ソフィアと話していて、分かったことがある。完璧に見える彼女だが、その精神はひどく不安定だ。

 

 何が原因かは分からない。自分を律している、を通り越して苛んでいると言えばいいか。みんなに頼りにされて、治療や社交などを毎日こなすのはつらい。そう思っているはずなのにそれを表に出すまいというこだわり。

 

 そんな不安定性は、放っておけなかった。俺はもうすでに、彼女の優しくてけれどもどこか強かさを感じるあり方に惹かれいた。

 彼女の人間性に惹かれたのだ。彼女と信頼関係を結んで恋仲になれればどれほど幸福だろうか、と思えるほどに。

 

 ソフィアは俺の問いに答えを返せない。自分がどうしたいのか。それすら言葉に出せない。言葉に詰まり、下を向く。

 

「私、は……」

「ええい、もう分かった! 今度の休み、攫ってでも来てもらうからな! お姫様を攫うなんて大変なことになるからな! それが嫌なら自分で来いよ! じゃあそういうわけで決定!」

 

 多少強引になってしまったが、いいだろう。

 俺は自分勝手なのだ。自分の都合で他人を振り回すし、気に入った人間には幸せになってほしい。

 俺はソフィアに少しでも幸せになってほしいのだ。

 彼女がそれを願っていなくても、俺がそうあってほしいのだ。

 

 

◇ 

 

 

 俺が出合わせたTSっ娘二人に、初対面のソフィアはペコリと頭を下げた。

 

「初めまして。私はソフィアと申します。本日は一日、なにとぞよろしくお願い致します」

「おおおお、おいキョウ! どんな脅しをしたらお姫様を連れてこれるんだ! 元の場所に返してこい! 怒られるじゃすまないぞ!?」

 

 動揺するヒビキ。もともと新しくできた友人を連れていくと言っただけで、二人には誰を連れていくのか伝えてなかった。

 

「へえ、本物のお姫様だ! 僕はシュカ、よろしくね!」

 

 犬耳をピコピコさせながらシュカが挨拶する。

 それに対して、ソフィアは丁寧に頭を下げた。

 

「はい、よろしくお願いします」

「なんだかソフィアは不思議な雰囲気を纏った人だね。強者の雰囲気はあるのに、肉体はあんまり強くなさそう……うん、よく分からないから一回戦わない?」

「え、それはその……」

 

 ソフィアが困ったような笑みを浮かべる。

 

「シュカ! お姫様と殴り合いをしようとするんじゃない! 間違いなく死刑だぞ!」

 

 シュカがソフィアを殴ったら一発で大怪我させると思う。

 みんなの人気者のお姫様大怪我させたら死刑の前に私刑に遭うかもしれない。

 

「ええー、極まった騎士の雰囲気を感じるんだけどなあ。うーん、残念」

「そんなわけないだろ。むしろソフィアは運動音痴だ」

「え、そうなの?」

「ああ、腕立って伏せ一回もできない程度にな」

「きょ、キョウさん、それは恥ずかしいのであんまり言わないでほしいのですが……」

 

 この前ソフィアって運動音痴だよなって話をした時のことだ。

 「キョウさんは私を舐めすぎです! 見ていてください!」と言って腕立て伏せを始めた彼女だったが、結局一回もできずにダウンしていた。

 

 赤面するソフィアはやっぱり可愛い。ああ、できれば俺のヒロインになってくれないだろうか。

 

 シュカに代わって、今度はヒビキがソフィアに話しかけていた。

 

「ソフィアさん、もしかしてコイツに騙されていないか? こいつはハーレムを作りたいって言って憚らないクソ野郎だぞ。愛想の良さに騙されちゃダメだぞ」

「いえ、その点はさんざん聞いているのでよくわかっています。それに、キョウさんは私などに興味がないでしょうから」

 

 ……めちゃくちゃ興味あるけど!? お姫様とのラブロマンスに憧れて仕方ないけど!?

 相変わらずソフィアの自己認識はよくわからない。どうしてその美貌を持っていて、自分が男に好かれないと思っているんだ?

 

「本当か?」

 

 ヒビキが俺にジトっとした目を向けてくる。

 

「あ、ああ! ソフィアはいいやつだからな! 善意につけこむような真似、俺がするはずないだろ!」

「おい、目が泳いでるぞ」

 

 クソ、幼馴染のヒビキの前では嘘がすぐばれる!

 

「ふふ、やっぱり話に聞いていた通りの面白い方々ですね、キョウさん」

「ああ。まあ俺ほどじゃないけど!」

 

 さて、4人の顔合わせも済んだことだし、いよいよ登山だ。

 

「しかしキョウ。お姫様を連れてくるのにやることが登山なんてセンスがないんじゃないか?」

「うるせえ。もともとここに来ることは決めてたんだからしょうがねえだろうが」

「私はいいと思いますよ、登山。普段なら絶対にできないので、良い経験をさせてもらっています」

 

 ああ、本当にソフィアはいい子だな。どこかの眼鏡TSっ娘にも見習わせたいものである。

 

「じゃあ、早速行こう! きびきび行こう! レッツゴー!」

 

 ぴゅう、と駆け出していってしまうシュカ。速い。間違いなく本気で走っている。

 追い付けるわけがないだろ、と俺とヒビキは呆れながら見ていたが、ソフィアだけは違った。

 

「よしっ、私も」

 

 だっ、と駆け出すソフィア。しかしその足はシュカと比べようもないほど遅い。高校のクラスに彼女がいたら一番を争う遅さだろう。

 加えて、山道は足場が悪い。少し行くと、ソフィアは足元の根っこにひっかかった。

 

「あっ」

「ソフィア!?」

 

 ずしゃああ! と顔面のあたりから地面に落ちるお姫様。

 

「だ、大丈夫か!?」

 

 彼女を抱え起こして様子を見る。幸い顔に傷はないようだ。咄嗟に手をついたらしい。

 お姫様の顔に傷をつけたらそれこそ責任取って結婚しないとだったぜ……。

 

「あっはは。少し張り切り過ぎてしまいましたね」

 

 自分の手を見て苦笑いするソフィア。見れば、切り傷がついている。

 

「ちょ、ちょっと待ってろソフィア。今傷の消毒を……」

「いえいえ、私は自分で治せますので」

 

 ソフィアが小さく詠唱すると、傷口に光が灯り治療が始まった。さすが聖女。

 

「心配しなくて大丈夫ですよ。この通り、すぐに治せますから」

「いやいや、そうは言っても心配はするって」

 

 あんな顔面ダイブされたら誰だって気を遣うだろう。

 しかしソフィアは、少し驚いたような顔を見せた。予想外のことを言われた、というような不思議なリアクションを見せるソフィア。

 

 その様子には気づいていないのか、ヒビキはソフィアに声をかける。

 

「シュカの馬鹿は放っておいていい。多分一人で山頂まで走って行ってすぐ帰ってくる」

「そんなことが……?」

 

 ヒビキの言葉に、ソフィアは大きく目を開いた。

 しかし、ヒビキによるシュカの分析は間違っていない。彼女は体力馬鹿だし鍛錬馬鹿なので、俺たちの想像を超えてくるのだ。

 

「ゆっくりでいいさ。ボクだって体力には自信がないんだ。正直登山なんて気が向かなかったくらいだ」

 

 少しだけ微笑んでみせたヒビキの様子に、ソフィアは興味を持ったらしい。彼女から問いかけを投げる。

 

「ヒビキさんは魔法使いなんですよね。キョウさんとはどこで知り合ったんですか?」

「ああ、キョウが勇者であることは知っているか? ボクはキョウの故郷からの友人だ。――といっても、姿が大分変わってしまってな。キョウが獣のような欲望を解放してボクを食っちまったら、ボクたちの友人関係はおしまいになる」

「おい、誤解させるようなこと言うな!」

 

 お前を食おうとしたことなんて一回も……いや、見た目だけはいいから結構あったな。

 

「誤解だと? この前だって――」

 

 彼女が何かまずいことを言おうとしている予感がして、俺は彼女を買収する方に舵を切った。

 

「ああー、わかったわかった! ソフィアにそんなこと教えるな。何が食べたいんだ。言ってみろ。ケーキか? 肉か? その胸のでけえ脂肪を満足させてやるよ!」

「おまっ、ノンデリにもほどがあるだろ!」

「お前に対するデリカシーなんかとうの昔に消えたわ!」

 

 ぎゃあぎゃあと騒ぎながら歩いていると、隣から忍び笑いが聞こえてきた。見れば、ソフィアが口を抑えて静かに笑っていた。

 

「フフ。仲がいいんですね」

 

 ……そんなストレートに言われると、少し困るな。俺の横のヒビキは少し頬を赤らめて視線を反らしていた。クッ。この眼鏡、可愛いのが癪だ。



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大丈夫かこのお姫様

 先に行ってしまったシュカはいったん放っておいて、俺とヒビキ、それからソフィアは雑談しながらゆっくりと山登りをしていた。

 

「ボクたちばっかり話してるのもアレだな。ソフィアはいつもどんなことをして過ごしているんだ?」

「ああ、王族がどんな生活をしてるのか気になるな!」

 

 使用人に世話をされて悠々自適の暮らしだろうか。

 憧れるな。俺も可愛いメイドに囲まれてお世話されたい。

 

「私の場合はあまり期待されているような話はできませんよ。姫である前に聖女としての勤めがありますから」

「それってあれか。治療の仕事ってことか」

「それはあくまで一部分です。聖女たるには常に清廉潔白でなければなりません。朝の6時に起きて水浴びをして身を清めることからです」

「ええ!? 寒くない?」

「冷たいですよ。でも、身を清めるのにはそうではないといけません」

 

 すごいな。修行みたいなもんか。

 

「それから、朝の8時から治療院の仕事が始まります」

「朝早いな」

「治療の仕事は急を要することがありますからね。深夜に急患が来た場合はもっと前から対応しますよ」

 

 日本の救急外来みたいなものだろうか。大変そうだ。

 

「ずっと仕事してるのか? 休憩は?」

「お昼休憩は交代で取ります。だいたい20分程度ですか」

「みじか!」

 

 購買までパンを買いに行く時間すらあるか怪しいぞ。

 

「だいたい何人くらいで仕事してるんだ?」

 

 今度はヒビキがソフィアに問いかけた。

 

「治療を担当するのは4人です」

「四人で怪我人全員を手当してるのか? 大変そうだな」

「最近は王都も平和になりましたから。昔ほどではありませんよ」

 

 ソフィアの口ぶりは穏やかだ。

 ひょっとしたら、昔は大変だったのかもしれない。

 

「仕事以外はどんなことをしてるんだ? プライベートは?」

「プライベートと言いましても……だいたい夕食後は勉強の時間になりますから、あまりそういった時間はないですね」

「なんか思ってたよりずっと窮屈な生活なんだな」

 

 王族なんだから、もっと金に任せて遊べるとばかり思っていた。

 

「聖女、ですからね」

 

 聖女という自分の称号を、お姫様はひどく重々しくつぶやいた。

 

「ソフィアはそんな生活でいいと思ってるのか? どっかに飛び出したいとか思わない?」

 

 少なくとも俺ならそんなの全部投げ出して自由になりたいと思うけどな。

 

「良い、悪いではなく私は聖女です。責務があります」

「責務、ねえ」

 

 そんな苦しそうな顔をするくらいなら、どっかに放り捨ててしまえばいいのに。

 

 そんな会話をしていると、山の上の方から大きな声と地響きのような足音がした。

 

「みんなあああああ! 遅いよおおおお!」

「シュカ……お前まさかもう山頂から戻ってきたのか?」

「そうだよ! みんな遅いよ!」

 

 まじかよ……俺たちまだ山の中腹くらいだぞ……。どんなだけ早く山登りしたんだ。

 

「お姫様にはちょっときつかったかな? 僕がおぶってあげようか!」

 

 キラキラとした邪気一つない笑顔で提案するシュカ。

 人を一人おぶっても余裕で山頂まで行けるらしい。

 

「い、いえ。私はまだまだ……あっ」

 

 気合を入れたソフィアだったが、彼女の足元にはちょうど木の根があった。足を引っ掛けて転びかけた彼女を、俺は両肩を抑えて支えた。

 

「っと……まただぞお姫様気をつけろ……よ」

 

 言葉尻が小さくなったのは、自分たちの今の体勢に気づいたからだ。正面から彼女を抑えた俺に対して、ソフィアが寄りかかるようにして体重を預けている。ちょうど、ハグの寸前のようだった。

 

「す、すまんすまん! お姫様とのハグは俺にはちょっと早すぎる!」

「いえいえ、そんなに気にしないでください」

 

 てっきり気安く触ったことを怒られるかなと思ったが、意外にもソフィアは笑顔のままだった。

 

「意外だな。婚前の男女はくっつくなとか、そういう価値観の世界だと思っていたけど」

「私の場合は……まあ、そんなに気にしないでください。減るものでもないですし」

「お姫様にしては寛容すぎない? 大丈夫? 知らない男とかについていっちゃダメだよ?」

 

 なんだか心配になったので、俺はソフィアに優しく問いかけた。

 しかし、若干馬鹿にしていることを感じ取られたらしく、ソフィアは眉を吊り上げた。

 

「キョウさんのように奔放な方に気を遣われることなどありません。それに私、こう見えて強いですから」

 

 ムキ、と力こぶを立てる動作を見せるソフィア。しかしその細い腕には何の変化もない。

 不安だ。なんでこの子は運動音痴なのに自信だけは高いんだ。

 

「ほ、本当に大丈夫かお姫様。キョウみたいな軽薄な奴に話しかけられたらまずは金的にキックだぞ?」

 

 おいヒビキ、えげつないことを箱庭育ちのお姫様に教えるな!

 

「ふふ、大丈夫ですよ。キョウさんは言動と同じような軽薄な人間ではありません。そのことは、きっとお二人も分かっています。ね?」

 

 いや、どうだろうな……。コイツら事あるごとに俺を馬鹿にしてくるからな。

 しかし予想と反して、二人は明確に否定することもなく顔をそむけるだけだった。

 おい、反応に困るだろ。せめて何か言えよ。



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山頂にて

久しぶりだなオレンジ評価バー! ハハッ、恋しかったぜぇ? 俺はテメエの姿が見たくて仕方なくて、夢にまで見るほどだったんだぜぇ? 
おいおい、何赤くなってるんだ? 照れちまったのか? ハハッ! 可愛い奴だぜ!


「ふう……ようやく頂上までこれたな」

「はあ、はあ。キョウは元気だな……」

「まあな。お姫様は大丈夫か? ……ソフィア?」

「……ぜえ、ぜえ」 

 

 後半全然しゃべらなくなったソフィアを見ると、彼女は疲労に肩を上下させながら膝に手を当てていた。

 

「大丈夫かソフィア」

「だ、大丈夫です……これでも……聖女ですから……こういうのにも慣れています。私、タフなので……!」

 

 ぐい、と力こぶを見せる動きをするソフィア。相変わらず細い腕は、筋肉が盛り上がる様子がまったくなかった。

 

「いやいや、全然大丈夫そうに見えないんだが……大人しくシュカに背負ってもらって良かったんだぞ?」

「い、いえ、自分の足で登山するのを楽しみたかったので……」

 

 そういう彼女は、疲労を滲ませながらも楽しそうだ。汗を滲ませながらも、王都にいた頃とはまた違う晴れ晴れした表情を見せてれる。

 

「まあ確かに苦労した方がその後の達成感も強いしな。ほら見ろよソフィア。今日は良く晴れてるから、ここからでも王都がよく見えるぞ」

 

 俺が指さした方は、ちょうど木がなくて眼下の景色が一望できた。見えたのは、俺やソフィアが最近歩いていた王都の光景だ。上から見ると、整然と並んだ屋根が綺麗に見える。

 

「上から見た王都は、こんな景色だったのですね」

 

 額に薄っすらと汗を浮かべた彼女が景色を見下ろす。その目は、今まで見れなかった光景に輝いているように見えた。

 

「ああ。これが、かつてソフィアとその騎士が守ったものだな」

「その話を、知っていたのですね」

 

 ソフィアが少し表情を固くする。俺にはそのことを知ってほしくなかった。彼女の表情はそう語っているようだった。

 

「ああ、とは言っても噂話レベルだけどな。実際に見たわけじゃない。でも、王都の人たちが姫様とその騎士に感謝していることは伝わってきた。二人の活躍があったから今みんな笑顔になれているんだって」

「感謝、そして笑顔ですか」

 

 ぽつ、と呟いた彼女が何を考えているのかは窺い知れない。

 けれども俺は、俺が持ちうる言葉すべてを用いて彼女に語り掛ける。

 

「だから俺は、ソフィアはもっと堂々としていいのになって思ったんだ。聖女の使命だとか、王族だからとか関係なく、ソフィアはソフィアを幸せにすることに意識を割いてもいいと思う」

「キョウさん……」

 

 何かで雁字搦めの彼女に必要なのは、きっと自分を肯定する力だ。短い時間接しただけだが、俺はそう直感していた。

 戦いの中で何か大切なものを失ったのかもしれない。多くの人を失ったのかもしれない。

 その過程で、精神を疲弊してしまったのかもしれない。

 

 それでも、彼女には幸せになって欲しい。

 

 

 俺の言葉を聞いていたヒビキも口を開く。ソフィアと短く接するうちに、彼女の中でも何か感じるものがあったらしい。

 

「コイツはお気楽馬鹿すぎるから参考にしすぎるのもどうかと思うが……でも、ボクも概ね同意見だ。英雄だから、聖女だからみんなのために尽くさなきゃいけないなんてことないだろ。むしろ逆だ。他人より色んなことを成したんだから、少しくらい威張っても、自由に生きてもいいんじゃないか」

 

 ヒビキの言葉を聞いて、シュカも口を開いた。彼女は馬鹿そうに見えてしっかりと自分の考えを持っている。

 

「お姫様は難しく考えすぎなんじゃない? 僕は獣人のしきたりが嫌で逃げてきた無法者だけど、それでも今まで生きてこれた。人が生きるのにそれほど多くのものはいらないと思ってるよ。背負うものはそんなに多くなくてもいい。才能に、スキルに恵まれたのなら自分のために使わないともったいないと思うな!」

「ヒビキさん、シュカさん……」

 

 ソフィアが大きく目を開く。やがて彼女は、花がほころぶような笑顔を見せた。

 

「――ありがとうございます。なんだかちょっとだけ、考え方を変えられた気がします」

 

 それは、彼女が初めて見せた彼女の本当の顔のようだった。

 少なくともその時は、そう見えたのだ。

 

 

 

 

「なあなあヒビキ。俺たちとソフィアの関係性、結構いい感じだと思わないか?」

「……あ? ああ」

 

 朝食を食べながら、俺はヒビキに話しかけた。

 朝があまり強くないヒビキは、分かっているんだかわかっていないんだか唸り声で返事をした。

 

「お姫様と密会して、お出かけして、悩みも聞いた! これはさあ……これはもう、彼女は俺のヒロインルートに入ったってことじゃないか!?」

 

 興奮のままにフォークをヒビキに突き付けるが、彼女は眠そうに俺を見つめるだけだった。

 

「お前がそう言って彼女ができなかったことが何回あった? 期待しすぎんな。ていうか彼女に押し付けんなよ」

 

 押し付けるな、と言った彼女は俺の話をよく聞いていないように見えてその実キチンと言うべきことを言ってくれているのだと思う。そういうハッキリした奴の方が俺は好きだ。

 

 ……でも、ちょっとくらい肯定してくれてもいいとは思う。

 

「分かってるよ。ソフィアの意思は最大限尊重する。……まったく、こういう時のヒビキは面白みがないな」

 

 正直に言えば、俺はソフィアに心惹かれていたのだと思う。おしとやかな立ち振る舞いも、笑うと幼く見えるところも、自分の役割を必死にこなそうとするところも、気に入っていた。

 

 だから、隣の席の男がしていた噂話を聞いた時、俺は信じられなかった。

 

「おい、聞いたかよ! ソフィア姫の婚約が決まったってよ! お相手はコロンブス公爵。40代のオッサンって話だぞ!」

「……は?」



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婚約決定

アッ評価ありがとうございます


「おい、聞いたかよ! ソフィア姫の婚約が決まったってよ! お相手はコロンブス公爵。40代のオッサンって話だぞ!」

「……は?」

 

 聞こえた言葉があまりにも信じられなくて、俺は思わず声を出してしまった。

 

「ソフィア姫がなんでそんな奴に……? コロンブス公爵って言えば何人もの妾を囲ってるだらしねえ好色家だろ? 姫様はそれに納得してんのかよ」

 

 その話を聞いた男は少し不機嫌そうだ。

 どう考えてもソフィアがどう思うのかが考慮されていない、と思っているようだ。

 

「それが分からねえんだよ……騎士に聞いたら、なんでも今回の決定は陛下の意思じゃないとかなんとか……とにかく、平民がとやかく言えることじゃないって言われたな」

「なんだそりゃ! 姫様に一番助けられてるのは俺たち平民だろ!? なんで貴族の一存で姫様の一生を決められなきゃいけなんだよ!」

 

 彼らの大声は俺たちのいる食堂中に響いていた。俺たち以外の人間もその噂話を聞いているようだ。

 ガヤガヤと他の人も噂話を始める。真偽を確かめようとする者。自分も同じことを聞いた、と熱を持って話す者。雰囲気から察するに、まったくのデマというわけでもないらしい。

 

「おいキョウ、さっきの聞いたか?」

 

 見れば、先ほどまで眠そうにしていたヒビキが真剣な表情で俺に問いかけてきていた。

 その瞳はいつもの意思の強い光を灯している。

 それに対して俺も瞳に力を籠めて問いかける。

 

「ソフィアの奴、ハーレム作ってるオッサンとの結婚願望があるなんて聞いていたか?」

「いいや。お前が聞いてないんだから聞いてるわけないだろ。とにかくソフィア本人に話を聞きに行こう。教会に行けば聞けるはずだ」

 

 さっさと朝飯を掻き込むと、俺たちは教会へと向かった。

 

 話を聞きつけたシュカも合流した。彼女はやけに血の気の多い笑顔を浮かべていた。

 

「キョウ君。とりあえずお姫様に話を聞こう。状況によっては僕がその場で連れ去ってあげるよ」

 

 きっと、ソフィアの意にそぐわない結婚だったらぶち壊してやろうと思っているのだろう。

 彼女は権力や慣習で人を縛ることをひどく嫌っている。あまりに反骨精神が強すぎて故郷を出てきたほどだそうだ。多分彼女は、自らが王国の敵となったとして己の正しいと思うことを為そうとするのだろう。そのあり方は、どこか親近感を覚える。

 俺もまた、ソフィアの意にそぐわないものだったら全部ぶち壊してやろうと思っていたところだ。

 

 しかし、教会の前にはすでにソフィアの結婚の話を聞きつけた住民たちがわらわらと集まっていた。

 

「ソフィア様ー! 結婚の話は本当なのですか!?」

「王都からいなくなってしまうのですか? そんなの嫌です!」

「結婚が嫌なら俺たちに言ってください! デモ起こしてやりますよ!」

 

状況は混乱しているにも関わらず、教会側からは一般の聖職者が前に出てくるばかりでソフィア本人の姿はどこにも見られない。

 

「キョウ、どうやらソフィアはここにはいないみたいだな」

「ああ。いたら本人が何かしらアクションを起こしているはずだからな」

 

 優しくて責任感の強いソフィアなら、民衆が暴動をおこしそうな雰囲気を見たら何かせずにはいられなくなっているだろう。

 つまり彼女は、教会の他の別の場所に連れていかれたということだ。

 

「どうするキョウ君。僕が王城に殴り込んであげようか?」

 

 にや、と好戦的な笑顔を見せるシュカ。しかし声色には真剣な口調が入っている。別に完全に冗談というわけでもなさそうだ。

 いつもは呆れてしまう彼女の無鉄砲ぶりが、今はなんだか心強い。

 

「俺もできればそうしたいが……もう少し情報を集めてからだな。ヒビキ、こういった時に情報を集めるならどこに行けばいいと思う?」

「そうだな……平民の情報を当たったところで噂話程度しか聞けないだろう。シュカ、Sランク冒険者として貴族とのつながりとかあったりしないか?」

「あったけど、今の僕じゃ姿が変わりすぎて会えないかな」

「そうか、シュカの場合男の姿でしか知られていないのか」

「やはりそうか……」

 

 彼女がSランク冒険者のシュカであることを証明できる人がいない。となれば、彼女の今までの人脈を使うこともできない。以前冒険者ギルドに行ったときにシュカが本人証明できなかったことからも推測できることだ。

 

「となると、手がかりを持っているのはキョウだけだな」

「俺?」

 

 ヒビキは俺のことを指さして、言葉を紡いだ。

 

「ソフィアと一番多くの時間を過ごしてきたのはお前だ。ボクたちに会わせる前に何回も話してきたんだろう? どこで会った? 何を話した? 彼女は何に心を揺さぶられた? ――彼女が助けを求めるのなら、いったいどこに来ると思う?」

 

 ……そうか。ソフィアと一番話したのは俺だ。彼女のことを一番知っているのも俺だ。

 考えろ。考えろ。

 

 彼女と出会ってからの短い、けれども濃密で鮮明に覚えている思い出を辿る。

 

 彼女と初めて出会ったのは大通りの一角だった。人混みで偶然俺とぶつかった彼女は、思わずフードの下の顔を見せてしまった。

 

 彼女と会っているのはいつも色気の一つもない裏路地だった。ソフィアは有名人だから、顔を見られたら騒ぎになってしまう。

 

 彼女が何に心を揺さぶられたのか。表面的な感情は見てきたが、彼女がその奥深くで何を考えているのかは分からずじまいだった。

 結局のところ、俺は彼女の根幹に辿り着くことができなかったのかもしれない。

 彼女がどうしてそんな自己犠牲みたいな選択をしたのか俺には分からないからだ。

 登山の時にたしかに納得してくれたはずなのに。ソフィアはソフィアが幸せになるために生きるべき、という言葉は伝わっていなかった。

 

 だから、彼女がどこでどうやって助けを求めるのかなんて分かるはずもなかった。

 それでも、彼女の行動を推測するくらいならできるかもしれない。

 

「……ヒビキ、分かったかもしれない」

 

 ハッキリした根拠はない。けれども、俺は一つの推測を立てた。

 彼女がいるとすれば、あそこだ。

 



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夜霧の先で

 ソフィアに出会えるとすれば、きっと今夜だけだ。俺にはそんな予感があった。

 

 平民にすら婚約の噂が立ったのだ。多分、ソフィアが王都を去るのはそう遠い話じゃない。婚約相手の公爵領に行くのだろう。

 だから、急がなければならない。ソフィアの本心を聞かなければ、とても納得できそうにない。

 

 大通りと言えど、深夜になると人通りはない。ほとんどの住民は寝静まった頃だろう。

 そもそも通りには街灯などほとんど存在しないのだ。ほとんど周囲が見えない。

 

 加えて、夜の王都には薄っすらと霧が漂っていた。

 

 そんな通りを歩き、目的地へと向かう。

 一見何の変哲もないような大通りの一角。

 

 そこにはやはり、彼女の姿があった。夜霧の先にぼんやりと浮かぶ人影は、以前会った時よりもさらに細く、頼りなく見えた。

 

 ここは俺たちが初めて出会って会話をした場所。往来の中でフードを被ったソフィアと話した場所。

 思い出の場所だ。

 

 俺たちが出会うのに相応しい場所。否、俺が彼女を見つけるために街を彷徨うとしたら真っ先に行く着く場所。

 そこに彼女はいた。

 内心はどうあれ、彼女は俺と会おうとするはずだ。俺の推測は正しかった。

 

 後は、言葉を尽くしてソフィアの内面を暴き立てるだけだ。

 

「ソフィア」

「キョウさん。……まさかとは思っていましたが、本当に来たのですね」

 

 振り向いた彼女の金髪は、夜の闇の中でもよく見えた。今日はフードは被っていないらしい。

 ここに来てくれた、ということは彼女もまた俺と話をする意思があるということだろう。

 逸る気持ちを抑えて、俺は彼女に問いかけた。

 

「ソフィア。結婚の話は本当なのか?」

「……はい」

 

 夜霧の向こうからソフィアの澄んだ声が聞こえてくる。嘘はない。霧の先で光る彼女の目を見ればそれは分かる。

 

「ソフィアはそれを、望んでいるのか?」

「……」

 

 今度は答えがない。ああ、この反応には見覚えがある。以前、山に一緒に行かないかと誘った時と同じだ。自分の本心を押し殺している反応。俺が嫌いな反応だ。

 彼女の様子に、自分の中に大きな感情が蠢くのが分かる。それを彼女にぶつけないように押さえつけながら、俺は言葉を続けた。

 

「ちょっと前、山に行った時話しただろ。ソフィアは立派なことをしたんだから。自分勝手に生きたっていい。楽に生きていいんだって」

「はい」

 

 彼女みたいに優しい人は、もっと自由になっていい。俺はそう伝えたはずだ。

 

 ソフィアの肯定に、俺は彼女に一歩近づいた。

 

「それなら!」

「――けれども、これは決まったことなんです。陛下もこの決定に賛成しています。今夜抜け出してきたのは、キョウさんにもう私に関わらなくていいということを伝えるためでした」

 

 彼女の言葉は硬い。夜霧の奥で彼女がどんな表情をしているのか分からなかった。

 俺はもう自分の感情を抑えきることができなかった。

 

「――まだ、聞けてないぞ」

「はい?」

「ソフィアがどうしたいのか、まだ聞けてない! 君が嫌だって言えば、今ここで一緒に逃げ出すこともできる! だから、君が本当はどうしたいのかを――」

 

 どうしてそんなに自分をないがしろにするんだ。自分勝手な俺にはまったく理解できない。

 本当にそれでいいと思っているなら、ちゃんと俺の目を見て話してくれ。いつもの君のように、言いたいことはハッキリ言ってくれ。

 

 幸せそうにしてくれ。

 

「ごめんなさい、キョウさん。さようなら」

 

 しかし、彼女はそれ以上語る気はないようだった。

 夜闇にすう、と彼女の気配が消えていく。

 

「まっ待て!」

 

 行かせてはならない。そう直感した俺は、夜霧の中を気配を頼りに彼女の後を追った。

 

「……消えた?」

 

 夜闇の中、全力で背中を追ったはずなのに彼女の姿はどこにも見えなかった。

 もうどちらに向かったのかすら見当がつかない。

 

「……っ」

 

 歯嚙みする。

 自分の中に様々な葛藤が生まれるのが分かる。

 

 多分、ここまで言われたなら諦めるのが筋ってものなのだろう。

 

 ソフィアは一国の姫だ。その進路は国を動かすものになる。俺みたいな何のしがらみもない平民とは違うのだ。

 貴族同士の付き合い、ましてや王族の付き合いなんて俺には想像のつかないほどの金銭や利害や動くのだろう。

 結婚というものが個人だけじゃなく家同士の問題になることくらい知っている。

 

「……それでも、納得できない」

 

 やっぱり俺は、自分勝手だ。たとえソフィアがそれに納得していたとしても、俺が納得できない。

 なんでソフィアばっかり我慢しなきゃいけないんだ。なんで人のために尽くした彼女が、人のために自分を殺さなきゃいけないんだ。

 

 納得できない。イライラする。居ても立っても居られない。

 

 もともと、ソフィアと話した時点で結論はほとんど出ているようなものだった。

 

 俺は、たとえ自分勝手でも独りよがりでも傍迷惑でも大罪でも、彼女を救うことにした。



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姫聖女強奪計画

 ソフィアと会ってくる、と言って深夜に出掛けた俺をヒビキとシュカは寝ないで待っていたらしい。

 そんな二人に、開口一番俺は告げた。

 

「シュカ、ソフィアを救うために一緒に殴り込みするぞ。多分王城に行けばいいだろ」

「おいキョウ、情報収集はどうした!?」

 

 俺の言葉に、ヒビキが驚いたような声を上げた。

 一方シュカは、待ってましたと言わんばかりの良い笑顔を浮かべた。

 

「いや、もう情報収集はいい。そういうまどろっこしいのは俺には合わない。ソフィアがどんな様子なのか分かれば十分だ」

 

 結局のところ、ソフィアは助けてくれとも困っているとも言わなかった。でも、彼女の顔を、目を観察することはできた。

 だから助ける。俺は自分勝手だから、勝手に助ける。しがらみがどうとか期待がどうとか責務がどうかは関係ない。

 

「シュカ、お前は強いんだろ?」

「もちろん!」

「そうだろ。そしてお前に勝った俺も強い」

「そうだね! でもその物言いは腹が立つかな!」

 

 シュカはニッコリ笑顔で俺を睨むという器用なことをした。

 

「なら、お姫様一人攫ってくるくらいならできるだろ」

「うん、正面切ってはさすがに厳しいけど、闇に乗じてならいけるね!」

「お、お前ら……馬鹿だとは思ってたけどこんなに馬鹿だったのか!?」

 

 ヒビキが愕然とした声を出す。

 

「何他人ズラしてんだヒビキ。お前も馬鹿の一人として王城に喧嘩売るんだぞ」

 

 お前がいなくちゃ誰が難しいこと考えてくれるんだよ。

 

「はあああ!? 何勝手なことを……いや馬鹿たちだけに任せるわけにはいかないか」

 

 諦めたように呟くヒビキ。しかし言葉とは裏腹に存外乗り気に見える。

 ヒビキも納得してくれた。これなら、いけるかもしれない。根拠はないが、不思議とそう思えた。

 

「いいだろう。せっかくチートじみた力を得たんだ。ボクにだってこれを思うままに振るってみたいという欲望くらいある。――やってみようじゃないか、お姫様強奪作戦。望まぬ結婚を控えた花嫁を攫ってくるなんて男心がくすぐられる」

 

 不敵に笑ったヒビキは、強気な笑顔を浮かべた。

 

 

 ◇

 

 

 王城の警備は当然ながら深夜でも厳重だ。頑丈な城壁。見回りの騎士は最低でも剣術Cランク以上。それが10人以上。

 

 しかし、警備の中に不自然な穴がある。東側の門。

 そこには見張りの騎士が二人だけ立っている。しかし、それ以上は何もない。見張り台の上に立つ者もいなければ、松明の火も少ない。

 

 俺たちは東門の前にある茂みの中から王城を観察していた。

 

「なんでここだけこんなに警備が薄いんだ?」

「これはボクも噂程度に聞いただけだが、貴人の逢引きのためらしいぞ。王城に住まう貴族が夜な夜な女や男を引き入れるために、事情を知っている騎士だけを配置して、彼らが王城に忍び込むのを黙認する。そういう仕組みだ」

「ちょっと不用心すぎないか?」

「そうだな。ただ、この東門は人通りが少なくて利用者も少ない。そして、配置されている騎士も手練れだ」

 

 鑑定で騎士のスキルを見る。剣術のスキルはA。おそらく、大きな街に一人いればいいレベルの実力者だ。

 しかし。

 

「手練れね、面白いじゃん」

 

 シュカが好戦的な笑顔を浮かべて、拳を握る。

 

「シュカ、音を立てずに一人だ。やれるか?」

「当たり前でしょ。どれだけスキルに恵まれても、奇襲に強いとは限らない。才能の有無が戦いの勝敗を分けるわけじゃないことを証明してあげるよ」

 

 彼女の使う魔闘術は厳密にはスキルではなく、技術だ。それでもシュカは、高位のスキルに恵まれた騎士一人くらい簡単に倒せると豪語する。

 

「もう一人はヒビキに任せたからね」

「ああ」

 

 ヒビキの返事を聞き、シュカの気配が薄れていく。夜霧にまぎれた彼女は、やがて静かに攻撃を開始した。

 

「魔闘術――陰如 不知」

 

 極限まで薄くした魔力を纏ったシュカは、一瞬で騎士の元へと肉薄する。

 気配がほとんど感じられない。これも彼女の技術なのだろう。目を離せば一瞬で見失ってしまいそうだ。

 彼女は足音も立てずに駆け、騎士の背後から肉薄する。

 

 そして、一閃。振るわれた拳は、手練れの騎士一人を一瞬でノックアウトした。

 

 その様子を観察しながら、ヒビキは既に詠唱を開始していた。

 

「『万物の根源たる水よ、我が意に応え、姿を変えよ。ウォーターウィップ』」

 

 次の瞬間、水の塊がもう一人の騎士を襲う。無色の水は一瞬で騎士の元へと殺到すると、鞭のようにしなって騎士の頭に叩きつけられた。

 あっさりと気絶した手練れの騎士二人。それを見て、俺はぽつりと呟くのだった。

 

「……これ、俺いる?」

 

 コイツらだけでソフィアを救えばいいんじゃないかな。そう不貞腐れそうになりながら、俺たちは聳え立つ巨大な城へと侵入していった。



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ぶん殴るべき相手

 王城の自室にいるのも、今夜で最後だ。

 普段から教会で寝泊まりしてみんなの治療をしていた私にとってこの部屋はあまり馴染み深いところではないけれど、僅かな感慨が胸に残る。

 

 明日から私は、コロンブス公爵の妻として彼の家に行く。これはもう決定事項だ。

 

 男と結婚して、所帯を築く。男と愛し合い、キスをして、子どもを作る。

 私の心が、そんなのは嫌だと訴えかけてくる。

 私の心はずっと男のままだ。男と恋をするなんて想像できない。

 

 それに、この体はずっと憧れていた姫様のものだ。

 尊敬し、憧れていた彼女の体が暴かれるという事実すら受け入れがたい。

 それを一番近くで見つめるのは、他ならぬ私なのだ。

 

「ヒヒ……ひどい顔ですね、姫聖女様?」

「カーター……」

 

 王城の自室、窓から外をぼんやりと眺めていると、背後から声をかけられた。

 振り向いた私の目に映ったのは、小さな男だった。

 猫背で覇気がない彼は、私の紹介で王城へと入り込み、ずる賢い頭脳とへりくだっった態度で多くの貴族の懐に入り込んだ奇人だ。

 それに、彼は他人の弱みを握るのが上手かった。彼が現れて二年経った今では、王城にいる人達は彼を無下に扱うことができなくなっていた。

 

「あなたの言う通りに彼には別れを告げてきました。満足しましたか?」

「ヒヒ……ええ、ええ。あなたの憂い顔を見ればその言葉に嘘がないことも分かりますとも。……不安なのでしょう? 彼らが自分を助けるために無理をしないのか」

「ッ!」

 

 図星を突かれた私は動揺する。相変わらず、カーターは他人の見せるネガティブな感情を見抜くのが上手い。

 

 彼らなら無茶をしかねない。先ほどからずっとそう思っていた。

 キョウさんはきっと怒っている。彼なら私の本心に気づいただろう。王国に喧嘩を売るような蛮行をしてもおかしくはない。

 

「ダメですよ。今更結婚の話をなしにしようだなんて。私の言う通りにしなければ、あなたの中身を王都の民にバラします」

「……ええ、分かっています」

 

 カーターは、唯一私の中身が騎士ゴルドーであることを知る人物だ。

 彼がどうやってそれを知ったのかは分からない。彼が人の弱みをどうやって握っているのか、私はついぞ分からなかった。

 「民に愛された姫聖女の中身が彼女を守れなかった騎士だと知ったら失望するでしょうね」とは彼の言葉だ。

 私はその言葉を否定できなかった。誰よりも敬愛していた姫様の名前を地に落とすことなど、私にはできない。

 

「あなたはあの醜くだらしないコロンブス公爵と結婚して、聖女を引退する。誰よりも愛された姫聖女が、望まない結婚生活をいやいや過ごす。それが私の描いた理想のシナリオです」

「……やはり、何がしたいのか分からないですね」

 

 悪趣味なカーターの言葉は全く理解できない。しかし彼は、ひどく楽しそうだった。

 

「ヒヒ、綺麗で民衆に愛されたモノが、誰にも憎まれるモノに汚される。ヒヒヒ。これ以上の娯楽がこの世にありますか?」

「……それなのに、あなたは私の体に手を出さないんですね」

「ヒ? それは私が汚らわしいと? ――ふ、ふざけるな!」

 

 いきり立ったカーターが拳を振りかぶる。私はそれを、避けることもなく頬で受けた。

 

「っ……」

 

 殴られた衝撃にその場に倒れ込む。じん、と頬が痛む。

 

「そうだ……お前は黙って私の言いなりになっていればいい。そう、お前が公爵と結婚すれば、私は……」

 

 カーターは最後まで言い切る前に部屋を出て行ってしまった。残された私は、自分に治癒魔法をかける。

 

「キョウさん、馬鹿なことは考えないでくださいね」

 

 ポツリ、と呟く。

 最近話してた少年。別の世界から来たという彼は、私とはまったく違った常識を持っていた。

 正直なところ、彼と話すのは楽しかった。私の凝り固まった常識を崩してくれる彼は、私にとって新しい風のようだった。

 

 だからこそ、これ以上私に関わってはダメだと思った。

 

 

 

 侵入した王城の中は警備の人員などいないようだった。ひょっとしたら、さっきヒビキが言ったように貴族の逢い引きを目撃させないために城門前にのみ警備を置いているのかもしれない。

 順調に奥に進めている。しかし、そんな俺達の前に立ち塞がる影があった。

 

「夜の王城にネズミが三匹……なるほど、罠を張ったかいがありまいたね」

 

 それは背の低い男だった。背丈が低いだけでなく猫背なため、一層小さく見える。意地の悪そうな笑み。ギラギラと光る目。あまり良い人間には見えない。

 しかしその存在感は、不気味なほどに大きかった。

 

「どうも騎士って風貌じゃないけど……おい、黙って逃げてくれればお互い見なかったことにするぞ」

「ヒヒ……」

 

 戦意のない人間を打ちのめすのは気分が悪い。そう思って声をかけたが、小男は不気味な笑いをこぼすだけだった。

 

「キョウ君。あいつ雰囲気が妙だよ。強いって感じはしないけど、無策に殴っても倒せるビジョンが浮かばない」

 

 シュカの敵の強さへの嗅覚は正確だ。そして、彼女はだいたいの敵を見ても「殴れば倒せる」と言う。

 そんな彼女が、油断ならないという顔で小男を見つめている。

 

「しかし、少々実力を見誤りましたか……そこの獣は少々厄介そうですね」

「――へえ、僕を獣と呼ぶのかい?」

 

 犬歯を剝き出しにしたシュカが怒りを滲ませた笑顔を浮かべた。全身から怒気が湧きだしているようだ。

 一般人が見れば一目散に逃げてしまいそうな迫力。しかし小男は、不気味な笑顔を浮かべるだけだった。

 

「ええ、犬に食わせるのはこれくらいで十分でしょう。――キメラ」

 

 小男が上に手を突き出すと、どこからともなく腐臭がしてきた。

 匂いはどんどんと近づいてきたかと思うと、やがて凄まじい気配が近づいてきてシュカの体を吹き飛ばした。

 

「シュカ!?」

 

 彼女を吹き飛ばしたのは、不気味な風貌をした四足歩行の獣だった。

 後方まで吹き飛んだ彼女を心配するが、しかし俺たちの目の前にはまだ小男がいる。

 

「召喚術師、あるいは死霊術師とかそういうやつか? キョウ、鑑定できるか?」

「ああ」

 

 鑑定を発動すると、小男のステータスが見えてきた。

 

 名前 カーター

職業 不明

【ユニークスキル】

不明 SS

 

 

【スキル】

死霊術 A

魂操作 S

 

 不明……不明ってのは初めて見たな。

 

「ヒビキ、こいつ鑑定の一部が弾かれる。名前がカーターってことは分かった」

「なに? ……そんな奴今までいなかったな。手の内が分からないってことか」

「何、関係ない。――ぶったたけば倒れるのは一緒だろ!」

 

 剣を手に一気に距離を詰める。ノロノロやってるとシュカのように正体不明の攻撃で吹き飛ばされかねない。

 

「おおおおお!」

 

 剣を振るう。しかし刃は、地面から突然現れた白骨の腕に受け止められた。大理石の床から現れたのは、骸骨の兵士だった。カタカタと動くそれは、生命を持っているかのように立ち上がり俺の前に立ちふさがる。

 その後ろで、カーターが不気味な笑みを浮かべた。

 

「ヒヒ。一つ、いいことを教えて差し上げましょう。姫聖女の結婚は私が立案して陛下に認めてもらったものです。国のことを想った忠臣たる私の願いを、陛下は快く引き受けてくださいました」

「お前が……そうか」

 

 よし、一発殴る。そう決めた俺は、再び剣を構えて前へと飛び出した。



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湧き出る亡者たち

「稲妻よ、『ライトニング』」

 

 俺の後ろからヒビキが飛ばした雷がカーターを襲う。しかし今度は床の下から這い上がってきたゾンビが代わりに雷を受けた。

 その隙間を縫うように走り、俺はカーターに剣による攻撃を試みた。

 しかし、俺の足元から現れたグールが進路を妨害する。

 俺は横なぎに剣を振ってそれを斬り捨てるが、前を見ると既に10体以上のアンデッドが俺とカーターの間に生まれていた。

 

「っ……際限なしかよ」

 

 見れば、何の変哲もない床だったはずの場所からは亡者たちが溢れ出てきていた。大理石の床からそれらが這い出る原理は分からない。

 しかし、ひどく不気味な光景であることは伝わってきた。

 

 骸骨にゾンビ、それから獣のような死体のようなもの。その数は十ほど。腐臭が充満してきている。生気のない瞳が俺を見つめている。ホラー映画の一幕のようだ。

 

 背後をちらりと見ると、シュカがひときわ巨大な化け物と戦っていた。彼女の三倍ほどの大きさはあるだろうか。四足歩行で凄まじい突進を繰り出している。

 その身は明らかに生物のものではない。腐った皮。はみ出た腐肉。目には光がない。あれもまたアンデッドの一種なのだろう。

 

 死霊術師というのはこんなに厄介なものなのか。

 一体一体はあまり強そうに見えないが、文字通り死を恐れない軍隊なので、肉壁として最適だ。

 俺たちの力を合わせてもなかなか中心にいるカーターに辿り着けない。

 

 死霊の湧き出る様子を見たヒビキが、俺に大声で呼びかけてきた。

 

「キョウ! 大技を出す! 援護を頼む!」

 

 彼女の優れた頭は既にこの状況を打開する方法を弾き出していたようだ。

 一体一体倒していてもキリがない。

 となれば、ヒビキの大規模な魔法で一網打尽にするしかない。

 

「――おお、任せた!」

 

 俺の返事を聞いたヒビキは、すぐに詠唱を始めた。その目は集中するためにキュッと閉じられている。

 彼女は俺が守ってくれると信じてくれているみたいだ。周りが見えないほどに集中した彼女の様子からそのことが伝わってくる。

 

 信頼されてるっていうのは悪い気はしない。それに応えられなければハーレムを作るなんて夢のまた夢だ。

 

「ハッ!」

 

 剣を振るい、ゾンビの伸ばしてきた手を打ち払う。続く二撃目でゾンビの脆い体を真っ二つにする。

 

「ぐおおお……」

 

 しかし、すぐに別のアンデッドがこちらに攻撃を仕掛けてくる。辛うじてそれを斬り捨てる。

 

「クソッ……やっぱり数が多いな」

 

 馬鹿正直に剣を振っていてはヒビキを守れなそうだ。

 仕方ない。試してみるか。

 

「『ひれ伏せ』」

 

 ずん、と骸骨やゾンビがその場に倒れ込んだ。それと同時に、俺の体まで地面に押されるような感覚を受けた。

 

 重力魔法。もともと俺の力ではないそれだが、一度傲慢の魔剣を抜いたことで使い方がなんとなく分かった。

 シュカの体を沈めた時の重力魔法がランクSだとすれば、今のはBランク程度だろうか。強力な魔法だが、自分も動きづらくなるのはキツイな。

 やはり本領を発揮するには魔剣を抜いていないとダメか。

 

「おい傲慢の魔剣、そろそろ出番じゃないか?」

 

 剣の柄を握り力を籠める。しかし、動かない。

 

 この程度自分で切り抜けてみろ。そう俺に言っているようだ。

 

「チッ……本当に、いけ好かない剣だ!」

 

 通常の剣を手に、俺は動きを止めたアンデッドたちに襲い掛かる。しかし体が重い。剣を振るたびに疲弊する。しかし重力魔法を使い続けなければ物量の差に押し潰されるだけだろう。

 

 術者である小男は俺の様子をニヤニヤと見ているだけだ。性格の悪い奴め。

 

「ヒビキ、まだか!?」

 

 ヒビキは杖を構えて何か高速でつぶやいている。しかし、そんなヒビキの近くまで這いよったゾンビの姿があった。

 

「ッ! ヒビキ!」

 

 彼女の身が危ない。守りきれない。身が凍るような危機感に襲われる。唯一無二の親友を失う恐怖。

 

「まっ……」

 

 手を伸ばした瞬間、轟音が響く。

 ヒビキに襲い掛かろうとしていたゾンビは、後方から文字通り飛んできたシュカの拳によって粉々に粉砕された。

 

「シュカ!」

「ごめん、遅れた! 意外としぶとくてさ」

 

 見れば、俺たちの3倍はあるかという大きさのキメラは、緑色の血を大量に流して地面に倒れ込んだ。その表面はほぼ全身がへこんでいて、無事な箇所など一つもない。

 

「なっ!? キメラは今の私の作れる最高傑作、Sランクにも匹敵する上等品ですよ!?」

「あーうん、生命力はあったね。多分脳みそを10回は潰したけどまだ生きていたから」

 

 事もなげに言うシュカ。よく見れば、その身には傷一つない。返り血を浴びただけで無傷な彼女は、まだまだ戦意を昂らせていた。

 

「さて、僕を挑発したツケ、そろそろ払ってもらおうか?」

「ヒヒ……しかしいくら個として強くても、この数のアンデッド相手に――」

「『――其は天よりの裁きなり。雷光よ来たれ――ジャッジメントストーム』」

 

 目が眩むほどの稲妻が、周辺一帯に広がった。一つ一つに致死の威力が籠められた雷は、俺たちのいる大広間を焼き尽くした。

 

「おお……すげえ」

 

 ヒビキの大規模な魔法は、アンデッドを残さず消し炭にしたようだ。見れば、先ほどシュカが倒したキメラすら吹き飛んでいる。

 しかしそんな惨状の中にあっても、小男はまだその場に立っていた。

 

「ヒ……ヒヒ……ヒヒヒ……なるほど、これが不幸というやつですか。いいでしょういいでしょういいでしょう。――おい貴様ら、私に歯向かったからには普通に死ねると思うなよ?」

「なんだ、絶体絶命なのに威勢がいいな」

 

 まだ奥の手でもあるのか? 

 カーターの様子が変わる。卑屈で意地の悪い笑みから、邪悪で力あるものの笑みへ。

 シュカが注意深く彼を観察している。彼女にすら警戒させる何かが、カーターにはある。

 

 カーターの出方を窺っていると、大広間に突然澄んだ声が響いた。

 

「――あなたたち、いったい何をしているのですか!?」

「ソフィア!?」

 

 俺たちが救うべきお姫様、ソフィアの姿がそこにはあった。



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関係ない

 俺たち三人の力を合わせて不気味な小男、カーターを追い詰めることに成功した。

 しかし、彼は未だ余裕を見せている。

 何か奥の手があるのか。そう訝しむ俺たちの元に、ソフィアが現れた。

 

「何をしているのですか!?」

「ソフィア!? なにやってるんだ! 危ないから離れろ!」

 

 カーターは、ソフィアの姿を確認すると彼女に向かって話しかけた。彼女に危害を加えようという様子は見られない。

 

「いけませんよ、姫様。ご覧の通り城内に不審人物が侵入しております。危険ですのでお部屋にお帰りください」

「カーター! なぜあなたがキョウさんたちと戦っているのですか!? 話が違います!」

 

 ペラペラと話したカーターに対して、ソフィアが怒る。

 いつも優しい顔をしているソフィアは、瞳に強い光を灯してカーターを睨みつけていた。

 しかし彼は動揺する様子がなく、ヘラヘラした態度を変えずに話した。

 

「おやおや? この方々がソフィア様のお友達だったのですが? 初めてお会いしたものですから、存じませんでした」

「白々しいですよ、カーター。あなたのことですから知っていたのでしょう? 彼らが私の友人であること。今夜王城に侵入したことを」

 

 カーターが何も言わずに笑みを浮かべると、ソフィアの声が一段と低くなった。

 

「この方々を傷つけるのは私が許しません」

「おお、恐ろしい顔ですね。ですが私に歯向かってよろしいのですか?」

 

 カーターがニヤリと笑うと、ソフィアが唇をキュッと噛んだ。

 ああ、やっぱりコイツが俺が倒すべきだ。俺は改めて確信する。

 

 ソフィアがこちらを向く。表情は硬い。

 

「……皆さん、ここは何も言わずに立ち去ってくださいませんか? 城内に侵入した件は秘密にしておきますから」

「そうはいかない。俺たちはソフィア姫をさらいに来たんだからな」

「ッ」

 

 ソフィアがわずかにうつむく。その様子が本当に悲痛で、彼女はやはり助けなど求めていなかったのだと確信を深める。

 それでも、俺は俺の為したいことを為すだけだ。

 

「私はそれを望まないと伝えましたよね」

「それでも、だ。俺はソフィアと違って優しくないし自分勝手だ。だから、お前を勝手に助け出す」

「ヒヒヒ……そんな主張、国がゆるすとお思いですか?」

 

 カーターが嘲笑う。

 

「お前には関係ないだろ。黙ってろ」

「いえいえ。私は王国の忠臣。放ってはおけませんよ。いいですか? これは国王の承認したことです。子どもの我儘でどうにかなるものではありません」

「いいや、通すんだよ。我儘を。今からな」

 

 王族がどうとか国がどうとかじゃなく、俺がしたいからするのだ。

 他人にどうこう言われても関係ない。最終的にソフィアが幸せになるならそれでいいだろ。

 

 カーターは、俺の顔を見て言葉を変えた。

 

「ふむ、理屈で訴えても無駄な人種ですか。では、こう言えばよいでしょうか。――私も、私がそうしたいのです。この姫聖女という民に愛された存在を、公爵という醜い男に犯してほしいのです」

「……は?」

 

 奇しくも、それは俺の思考とよく似ていた。

 けれども、理解できない。

 コイツはいったい、何を言っているんだ?

 

「あなたも男なら分かるでしょう? 姫、聖女。清廉潔白で、民に慕われている。冗談のように並べ立てられた褒め文句の数々を手にした彼女が、醜い男に汚されるのですよ? 滑稽で、冒涜的で、悲劇的です! この世にこれほどのエンターテインメントがあるでしょうか!」

 

 彼の瞳は欲望にギラギラと輝いていて、言葉が本心から出たものであることが分かる。

 

「そんなわけないだろ! どちらかが不幸になる関係が面白いもののあるわけあるか!」

 

 一対一の婚約だろうがハーレムだろうが、どちらかを不幸にする関係が面白いわけがない。

 そんなのは従属だ。隷属だ。

 結婚、恋愛っていうのはそういうことじゃないはずだ。

 

 しかしカーターの弁舌は熱を増すばかりだった。

 

「いいえ、いいえ! 想像してみてください。ソフィア姫の顔が苦痛に歪む姿を。何かを必死に我慢するさまを。綺麗な体が醜い男に暴かれる姿を! なんとも滑稽で、無様で、最高ではありませんか!」

 

 俺たちに語りかけるというより、自分の言葉に酔いしれているようだった。爛爛と輝いた目はどこか遠くを見つめている。

 

「もういいよ、クソ野郎。叩き斬ってやるよ」

「――キョウさん。こらえてください。私が我慢すれば、全部解決することです」

「ッ……ソフィア!」

 

 どうして他ならぬ君がそんなことを言うんだ。

 

「前にも言いましたが、私はそのくらいの目に遭って当然の人間なんです」

「そんなこと……」

「違うのです! 私はっ、キョウさんの思うような良い人間ではないのです! 中身はひどく醜くて、どうしようもないんです!」

 

 ソフィアの目は、自己嫌悪や怯えを含んでいた。彼女が初めて見せた表情に、俺は戸惑う。

 何を言っているんだ、と思った。どうして彼女がそんな風に思うのか、やっぱり理解できない。

 

 戸惑っていると、カーターが静かに俺の疑問に答えた。

 

「彼女の言うことは事実ですよ。姫聖女の中身は騎士ゴルドー。彼女を守れずに死んで、あまつさえ体を奪い取った不届き者です」

 

 ソフィアの顔が絶望に染まる。それだけは知らないでほしかった、と言っているようだった。

 カーターが俺をニヤニヤと見つめる。

  

「どうですか、主人公気取りの勇者様。失望しましたか? お姫様を助けに来たはずが、正体が男の気持ち悪い化け物だと知ってどんな気分ですか?」

 

 ソフィアの顔には、もう何の表情も浮かんでいなかった。諦観、という言葉を体現したかのようだった。

 もうどうなってもいい、という態度。

 

「さあ、もう茶番は十分でしょう。さっさと家に帰って今日のことは忘れてしまいなさい。こんな気持ち悪い化け物が男に食われたところでどうだっていいでしょう?」

「……」

 

 ぎゅう、と拳を握る。ソフィアの全部諦めたような顔が、頭から離れなかった。

 

「――関係、ない」

「はい?」

 

 カーターが問い返してくる。

 

「関係ないって言ったんだ! ソフィアの中身がどうとか性別がどうとか犯した罪がどうだとか、そんなのは全部関係ない! ――俺は、他でもない今のソフィアを助けに来たんだ!」

 

 俺は自分勝手な人間だ。どれだけ拒まれても助けたい人間は助けるし、殴りたい奴は殴る。

 ハーレムを目指すのだってそうだ。俺がそうしたいからそうする。

 

 けれど、これは関係ない。女の子だとかハーレムだとかお姫様だとか、そういうのは今は関係ない。俺と話し、笑い、と語り合った彼女を助けるのだ。

 俺は自分勝手な人間だから、俺が気に入った人間にはみんな幸せになってほしいのだ。

 

「話がそれだけならもう十分だ! 俺はここでソフィアを攫って、彼女に自分には価値があるんだと教えてやる」



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邪悪の顕現と悪魔の囁き

「話がそれだけならもう十分だ! 俺はここでソフィアを攫って、彼女に自分には価値があるんだと教え込んでやる。」

 

 胸のうちに溢れる様々な感情。

 既に心は決まった。俺はここでソフィアを攫って、彼女に幸せになってもらう。これが俺のやりたいことだ。

 

 今なら、抜ける。そう確信して傲慢の魔剣に手をかけた。

 する、と鞘から出る魔剣。黒く、禍々しい刀身が現れた。

 

「へそ曲げてたんじゃないのか、傲慢の魔剣」

『――ワシは己の傲慢さを世界に押し付ける愚か者の味方じゃ。今の貴様のようにな』

 

 それは心強い。やっぱりコイツは俺みたいな奴にピッタリだ。

 

「おお、恐ろしい! 非力な小男を切り伏せようとは、なんと恐ろしい暴漢か!」

「ひれ伏せ」

 

 重力魔法を行使すると、カーターはその場に跪いた。

 しかし、地面に倒れ込むことはない。

 冷や汗をダラダラと流しながらも、重力魔法に抵抗している。

 

「ヒッ……ヒヒヒ! まさか伝説に刻まれし七罪の魔剣に遭うとは思いませんでした! 災難災難!」

「お前……何者だ?」

 

 シュカですら抗えなかった傲慢の魔剣の重力魔法。

 それに抵抗する彼は、明らかに普通の人間ではなかった。

 

「ヒヒ……そろそろ窮屈な皮は脱ぐ時ですか」

 

 カーターが不気味に笑う。次の瞬間、彼の体に異変が起きた。

 ゴボゴボ、と皮膚の内側から何かが蠢いた。まるで風船のように内側からボコボコと何かが出てこようとする。明らかに人間がするはずがない動き。

 やがて、何かが肉体という袋を内側から突き破るようにして飛び出してきた。

 

 皮袋を突き破った黒い何かが、カーターを包み込む。

 彼の姿が豹変していく。メキメキと背が伸びていき、不気味な装飾がついていく。

 

 ひび割れた骸骨。死体の肉。むき出しの目玉。まるで死体コレクターだ。

 ひょろりと高い背に、悪趣味なコレクションがずらりと並ぶ。

 

 その顔は、醜く歪んでいた。ちょうど、人間の皮をすべて無理やり上に引っ張ればできるような顔。

 少なくとも、同じ人類には見えなかった。

 

 身に纏う雰囲気は邪悪そのもの。先ほどまで相対していたアンデッドがおもちゃのように思えるほどにおぞましい。

 

 息を吞み、俺はそれに問いかける。

 

「……お前は、誰だ」

「ヒヒ、私は七代魔王が一柱ソウルドミネーター。かつて王都を手中に収めかけた魔王だ」

「七代魔王?」

「キョウ。七代魔王の話、ボクは聞いたことことがある」

 

 ヒビキの声は恐怖に震えていた。

 

「一体で一国を滅ぼすと言われた、最強格の魔王の名称だ。魔王ソウルドミネーターはこの土地、最精鋭である騎士が集う王都を滅ぼしかけた魔王の名前だ」

 

 ヒビキの話には俺も聞き覚えがあった。王都を脅かした最悪の魔王。卑劣なアンデッドの王。

 

「で、でも! その魔王は姫聖女とその騎士が倒したはずだろ!?」

「――魂の操作は、私の最も得意とする術です」

 

 カーター、否、魔王ソウルドミネーターが話し始める。

 

「下僕の魂を爆発させることができる私は、忌々しい騎士に討たれる直前に自らの魂を爆発させました。自爆と同時に私の魂の核は大きく飛び、やがて人間への憑依に成功しました。カーターという男の魂は、その時に死に絶えました」

「なるほど、死霊術師らしい卑劣で嫌な生存戦略だ」

「ヒヒ。しかし、肉体を喪った私の力は大きく削がれました。魂の損傷も激しく、力はなかなか元には戻りませんでした。人間社会で生きる術を持たない私が利用しようと考えたのは、あの爆発によって魂の入れ替わった姫聖女でした」

 

 ソウルドミネーターは、剝き出しの白骨の手でソフィアを指さす。

 彼女の表情は、こちらからは良く見えなかった。

 

「姫聖女を脅すのは簡単でした。魂のプロフェッショナルたる私には彼女の中身があの騎士であることは一目瞭然ですからね。英雄で姫聖女の庇護があれば、王国で生きるのはたやすかった」

 

 カーターは楽しそうな表情で言葉の先を続けた。

 

「そして何よりも! 自分たちを殺した魔王の世話を偽物の姫聖女がしているという状況は、本当に滑稽でたまらなかったですよ! ヒヒ……ヒヒヒヒヒ!」

「……姿が変わっても性格は変わらないんだな」

「当然でしょう。そうして力を蓄えた私は、ようやく本来の姿をここに顕現させることができたというわけです。本来ならあの姫聖女様が王都から消えてから復活する予定だったのですがね。いやはや、2年間は長かったですが、姫聖女様が自分が受け取るべきではない称賛を浴びて苦しそうにする姿を見ているのが楽しくて、あっという間でしたね!」

「てめえ……」

 

 傲慢の魔剣を構えて、ソウルドミネーターと向き合う。既に重力魔法はかけているが、ソウルドミネーターは膝をつく様子すらなかった。

 切り込むビジョンが思い浮かばない。隙だらけの立ち姿のはずが、まったく隙が見えない。

 攻めあぐねる。どう動けば目の前の敵を倒せるのか分からず、俺は足を止めた。

 

「キョウ君、ヒビキ。君たちは先にここを出て、騎士と聖職者に助けを求めに行ってくれない?」

「シュカ、何を言っているんだ!?」

 

 見れば彼女は、静かに前に出て拳を構えているところだった。

 

「死霊術師、というけどあれは本体も死霊の類だね。今の僕たちじゃ相性が悪い。教会の高位の聖職者を呼んできた方がいい。僕が時間を稼ぐから」

「そんなの……いや、ソフィアがここにいるじゃないか!」

 

 人類最高の聖魔法の使い手が、ここにいる。しかし彼女は、先ほどからうつむいたまま一歩も動く様子がなかった。

 

「さすがにあんなショックな話を聞いた後じゃまともに動けないよ。魔法の行使には精神力が必要だしね。大丈夫、僕が時間を稼ぐからお姫様を搔っ攫って逃げなよ」

「シュカ……」

 

 拳を構える彼女は、いつものように戦いを楽しむ様子がない。

 ただ為すべきことを為すような、決意だけがその身に籠っていた。

 

「ヒヒ! 無駄ですよ。以前の私ならともかく、今の私は人間に受肉した姿。たとえ本物の姫聖女でも聖魔法だけで祓うことは不可能です。肉体と魂の両方を一瞬で破壊されない限り、何度でも蘇ってみせましょう」

 

 ……あいつの肉体を一瞬で破壊する? できるだろうか、今の俺に、傲慢の魔剣の力を以てしても――

 

『小僧、貴様の魂をよこせ』

 

 傲慢の魔剣の声がする。幼い女の子の声が、俺に語り掛けていた。

 それは、悪魔の囁きのように甘美な響きだった。

 

『魂を燃料にして、貴様にあの王を打ち倒すすべを授けてやろう。何、安心しろ。我ら七罪の魔剣とは、王たるものを斬るために生み出されたもの。この程度の力の差、武器の性能で埋められる。貴様が身の一部をワシに捧げることに同意さえすれば、な』

 

 ……力の差、か。たしかに今の俺ではソウルドミネーターを斬ることはできないのかもしれない。

 頼るしかないのか? 傲慢の魔剣の声には、悪魔の誘惑のような恐ろしさがあった。

 ここで頷いてしまえば、何か取り返しのつかないことが起きてしまう予感。

 

 悪魔と契約するのか、ここでシュカを見捨てるのか。……いや、考えるまでもないか。シュカを見捨てるなんて俺が俺に納得できない。であれば――

 

「――キョウさん」

 

 しかし、そんな葛藤をしていた俺の肩を、ソフィアがそっと叩いた。




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美しい剣

「キョウさん。一つ、言い忘れていたことがあったんです」

 

 俺の後ろに立ったソフィアが静かに語る。絶体絶命の状況も忘れて、俺は彼女の言葉に魅入られていた。

 体ごと振り返って、彼女の顔を見る。

 

 凛とした碧眼が、俺のことを真っ直ぐに見つめていた。

 彼女の中にある熱が、俺の中にまで伝わってくるようだった。

 

「たしかに私は、本当の意味でのソフィア様ではありません。主を守れず、肉体を奪ってしまった不届き者の騎士です。けれども、あなたは私を受け入れてくれました。だから――」

 

 俺の肩から手を離し、彼女が前に出る。殺気をまき散らすソウルドミネーターの元へ向かう。

 

 

「私は、ただ守られるお姫様ではありません」

 

 

 彼女の華奢な足がゆっくりと前に進む。

 ソウルドミネーターはそれを見て、にやりと笑った。

 

「ヒヒヒ! 姫聖女様、いかがなさいましたか!? この私にお怒りですか? それとも不甲斐ない自分に怒り、自殺しに来ましたか? あなたの奪い取った聖魔法では私は倒せませんよ!」

「いいえ、そのどちらでもありません」

 

 ソフィアの纏う雰囲気が変わる。ふんわりとしたお姫様の空気から、清廉な騎士のそれへ。

 

「剣気、解放」

 

 途端、その場に突風が吹いた。

 その風は、ソフィアから吹き荒れているようだ。まるで台風の目だ。ソフィアを中心に、外へと押し出すような風が吹いている。

 

「……剣?」

 

 何も持っていなかったはずのソフィア。しかしその両手には、たしかに剣が握られていた。風によって作られた剣。幻想のような、けれども力強い存在感のある剣だ。

 

 彼女はそれを、堂々たる姿で構えている。

 背筋がピンと伸び、体に余分な力が籠っていない。正眼に構えた剣はピクリとも動かずに、出番を待っている。

 

 真の騎士は剣すら必要としない。

 老騎士から聞いた言葉がふと思い出された。

 今の彼女の立ち姿は、まさしく騎士と呼ぶに相応しいものだった。

 

「まさか……まさか貴様、騎士の力を使えるのか!?」

 

 ソウルドミネーターの表情に焦りが浮かぶ。

 相対するソフィアの顔には毅然とした決意が満ちていた。

 それは、今までで一度も見たことがない彼女の顔だった。

 

 騎士たるもの斯くあるべし。彼女は立ち姿だけでそう語っているようだった。

 ソフィアの纏う闘志が収束していく。

 

「フレーゲル剣術奥伝――」

 

 風の剣を中心に、暴風が渦を巻き始める。遠くにいる俺たちまで吹き飛ばされてしまいそうだ。

 今まで見たことがない威力の攻撃が放たれようとしている。そんな予感がする。

 この中で最も強いシュカですら、その攻撃を見て呆然と立ち尽くしているようだった。

 

 それを目にしたソウルドミネーターは激しい動揺を浮かべていた。生命の危機を感じ取った人外が、みっともなく狼狽する。

 先ほどまでの人を馬鹿にしたような態度はどこかに行き、命乞いをするように手を前に突き出す。

 

「ま、待てっ私ならお前の魂を元に戻せるかもしれないぞ! 魂を操るのは私の専門分野だ! お前を救えるのは私だけだ! だから――」 

「――アースディバイド」

 

 それは、俺がこの世界で見た中でもっとも美しい剣だった。

 

 真っ直ぐに振り下ろされた剣が、ソウルドミネーターの体を頭部から真っ二つにした。同時に、彼の体の中心にあった黒い闇のようなものもの――魂が真っ二つになって霧散する。

 轟音が響き、邪悪な気配が消滅する。完全なる死。

 

「今更私を救えるなんて嘘を言っても遅いですよ、カーター」

 

 ソフィアの心を弄び、多くの死を冒涜した死霊術師の魔王は、この世で最も美しい剣によって滅せられた。

 

 役目は果たした、と言わんばかりに風の剣もその姿を消す。ソフィアを中心に渦巻いていた風も収まった。

 後に残ったのは、こちらに向かって控え目に微笑む可愛らしいお姫様の姿だけだった。

 

「ソフィ――」

「ああ、すいません。この体ではもう限界です」

 

 彼女の華奢な体がふらりと倒れ込む。先ほどまでの毅然とした立ち姿とは全く違う、儚く脆い姿だった。

 

 俺は慌てて駆け寄って、それを支えた。

 お姫様抱っこのような状態。柔らかい感覚が手に伝わってくる。心臓の鼓動が早くなる。

 

「ちゃんと支えてくださってありがとうございます、私の救世主さん?」

 

 ソフィアが小さく呟いて、小さく笑いかけてくる。

 思わず頬が赤くなるのが自分でも分かる。

 

 

「おい、何事だ! 大丈夫か!?」

 

 いつの間にか騒ぎを聞きつけたらしい騎士たちが駆け寄ってきた。

 彼らはソウルドミネーターの死体を見て、驚いた顔を見せた。王都を脅かした魔王の姿は、騎士にとっても見覚えのあるものだったのだろう。

 死体と、疲れ切って倒れ込んだソフィアの姿を見た騎士は事態をある程度把握したらしい。

 

 俺たちは今晩は休めと王城の部屋を貸されて、翌日の事情聴取を待つことになった。



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姫を攫った勇者

 翌日、俺たちはソフィアと一緒に騎士団に呼び出された。

 

 昨夜、王城で何があったのかを聞くために騎士団本部の応接間に通される。

 俺たちが勝手に王城に入ったのは明らかなのに尋問室に連れていかれなかったのはソフィアのおかげだろう。

 彼女がいなければ間違いなくお尋ね者だった。

 

 ソフィアが率先して騎士たちに事情を説明している。

 

「――そうして、私の加護を受けたキョウさんの剣がソウルドミネーターの体を真っ二つにしたのです」

「ソフィア様がそう言うのであれば嘘はないとは思いますが……本当にこの者たちが魔王ソウルドミネーター討伐の功労者たちなのですか?」

 

 騎士の目が少し疑うように俺たちを見る。当然の反応と言えば当然の反応だ。

 俺たちは名前も知られていない冒険者。騎士たちでも倒すのに苦労した魔王を討伐したと言っても怪しいだろう。

 

「ええ、私が保証致します。彼らは魔王ソウルドミネーター復活の気配を敏感に感じ取り、勇敢にも王城に侵入。私の魔王討伐を手伝ってくださったのです」

 

 そ、ソフィアが表情一つ変えずに嘘を吐いている……! そんな器用なことできたのか、とちょっと感心してしまう。嘘もつけないほど真面目な子、というイメージだった。

 俺たちはそれに話を合わせてうんうんと頷いているだけだった。

 

「なるほど、ありがとうございます。姫様も話し続けて疲れたでしょう。少し休憩にしましょうか」

 

 そう言って、事情聴取をする騎士たちは部屋を出て行った。

 後に残ったのは、俺たち三人とソフィアだけ。人の目がなくなると、ソフィアは俺の方にすす、と近づいてきた。

 彼女が俺の耳に口を近づけてきた。

 

「嘘を言うのってなんだかドキドキしますね。私はうまくできていたでしょうか」

「……あ、ああ」

 

 近い近い近い! ソフィアの真っ白な頬っぺたがすぐ近くにある。甘い吐息がこそばゆい。

 ……しかし、彼女はTSっ娘。元男である。恋愛的なアレを期待するのは間違いだ。

 収まれ鼓動。お前のドキドキは勘違いだ。

 

「ねえねえ、ソフィアはそんなに女の子らしいのに男の子だったの?」

「はい。と言っても二年近く姫様として生活してきたので、すっかり所作などは身についてしまいました」

 

 たしかに、ソフィアの動きは一つ一つに気品がある。ヒビキやシュカとはまた違った感じだ。

 しかし、彼女は確かに元々男だったらしい。

 

「クッ、またTSっ娘……俺の、俺のハーレム計画がいつまでも進まない……」

「キョウ、諦めろ。お前に普通の女の子はよりつかない」

 

 ヒビキの揶揄うように言葉に、俺は怒った。

 

「いやだって、おかしいだろ! お姫様だぞ? お姫様とラブコメディーできると思ったのに、お姫様がTSっ娘だとは思わないだろ!」

 

 お姫様と言えば女の子の中の女の子だろ!

 

「ふふ……キョウさんは本当に私を『はーれむぱーてぃー』にと考えていたんですか?」

 

 心底面白そうに笑うソフィア。彼女は、前よりずっと表情豊かになったようだ。特に笑顔が、前よりずっと可愛らしくなった。

 

「でも、私は別に構わないですよ?」

「え?」

「ん?」

「?」

 

 ヒビキとシュカの表情が固まる。

 ソフィアはおっとりした笑顔で言葉の続きを言った。

 

「はーれむ、というのはみんな仲良しな関係のことでしょう? いいじゃないですか! 正直私、そういうのに憧れてたんですよ!」

「ンン……ソフィア、俺が言うハーレムというのはだな」

「あっはは。いいじゃないかキョウ。これがお前のハーレムパーティーってことで」

「TSっ娘ハーレムとか正気か?」

 

 そんなの、俺が求めたハーレムパーティーじゃない!

 嫌だ! 俺は女の子とイチャイチャしたい!

 

 

 

 

「姫様、昨夜の轟音について、民に向けて説明してくださりませんか? 王都では不安が広がっています。改めてソウルドミネーターを討伐したこと、民に話していただけませんか? 情けないことに、我々への信頼は姫様の婚約発表から地に堕ちています。姫様からの言葉なら、みな納得するかと」

「いいでしょう」

 

 騎士からの願いに、ソフィアは小さく頷いた。俺たちは外に出ていないので分からないが、街ではそれなりの騒ぎになっているらしい。

 応接間から外に出る。騎士たちが先導して、俺たちは王城の方へと案内された。

 

 王城の前の広場には、それなりの人が集まっていた。既に騎士たちから昨日の出来事について発表すると告知していたのだろう。

 騎士たちによって群衆は一箇所に集められている。俺は音楽ライブの光景を連想していた。

 

 ソフィアの姿を認めた群衆が彼女に声をかける。

 結婚しないでくれ、という声。昨日何があったのか問う声。王都に残って欲しいという叫び。

 それらに対して小さく頷いたソフィアは、彼らを見回せる場所、王城の外階段の上に立つ。

 

「皆さん、昨日は大きな音で驚かせてしまう申し訳ございません。しかし、ここにいる勇者パーティーの皆さんのおかげで、ソウルドミネーターの存在を完全に滅することができました。……これで、私の騎士にも胸を張れます」

 

 その言葉を、彼女がどんな心情で吐いたのか俺には分からなかった。彼女の毅然とした表情は、その内面を映していなかった。

 群衆はざわざわと騒いだが、ソフィアがまだ何か話そうとしているのが分かったのか、すぐに静まる。

 

「そして、この度は私からご報告がございます」

 

 姫からの報告。なんだなんだ、と群衆がざわつく。

 

「この度の婚約の話、まことに勝手ではありますがお断り申し上げます」

 

 ざわざわ、と群衆が騒ぎ立てた。

 今回のはどちらかと言えば歓声に近い。

 複数の声は、好意的で、彼女の決断を支持しているようだ。彼女が結婚を拒否してくれたことを喜ぶ王都の民。ソフィアに幸せになって欲しいと願う人たち。

 

「しかし、お父様はそれを許さないでしょう。既に多くの人が私の婚約のために動いてくださっています。そのため――」

 

 突然、ソフィアは俺にちょいちょいと手招きした。

 大人しくソフィアの元に行くと、俺に群衆の視線が集まる。

 あいつは誰だ、という当然の疑問が上がる。

 

 王都の民の視線を一身に受けて、ソフィアは俺の手をそっと握った。

 

 

「私は、この方と駆け落ちすることにしました!」

 

 

「「……えええええ!?」」

 

 群衆から、今日一番の驚き声が上がった。騎士たちも驚いているし、ヒビキとシュカも驚いている。というか俺が一番驚いてる。

 

「じゃあ行きましょう、キョウさん。あんまりここに留まってると捕まりますよ」

「いやソフィアはそれでいいのか!?」

「ええ、もちろん。……キョウさんが私の我儘を聞いてくれるのならですが」

 

 急に不安そうな顔をするソフィアが少しだけ上目遣いで聞いてくる。

 

 ……そんな顔されて断れるわけないだろ!

 

「行くか。ヒビキ、シュカ」

「キョウ、王都から出るならさっさと出た方がいい。興奮した群衆がこっちに来てるぞ」

 

 姫を止めるためか、あるいは俺を殴るためか、血走った目をした民衆はすごい迫力だ。

 「あいつぶっ殺す!」とか「どこの馬の骨とも知れない男に姫様を渡せるか!」とか「幸せになれよー!」とか色んな声が聞こえてくる。

 少なくとも、この場にいたらロクな目に遭わないことだけは確かだった。

 

「ったく……ソフィア、俺の背中に乗れ」

「お姫様をお姫様抱っこする機会ですよ?」

「……ああー、分かった分かった! 役得だからやってやらあ!」

 

 こうなればヤケだ、と俺はソフィアの柔らかくていい匂いのする体を抱きかかえる。鼓動が早くなるのを感じた。

 俺の顔を見上げたソフィアが、小さく笑った。

 

 それを見ながら、俺はなかばやけっぱちでこの国のお姫様を攫うのだった。

 

 こうして、俺たち四人は慌ただしく王都を後にすることになった。




一章は次でラストです!


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前を向いて

 意識が醒めて、まず最初に自分の体を見下ろす。

 そこには、小さくて白い、お姫様の体があるはずだった。

 

 しかし視界に入ってきたのは男の頃の大きな体。

 それを見て私は確信する。ああ、これは夢だ、と。

 

「ゴルドー」

 

 それでも、ソフィア姫様が私の前に出てきた瞬間、私は臣下の礼を取っていた。

 私はずっと彼女の騎士だ。

 

 一年ぶりの再会。会えただけでも私の胸は高鳴っていた。たとえ夢でも、彼女と会えて嬉しかった。

 

「そんなにかしこまらないでください。誰も見ていないですよ」

 

 聞きなれた、そしてあの日からずっと私が模倣してきた声だ。

 本物のソフィア様の声。純粋で穢れない彼女の人格をうかがわせる声は、私には出せないものだ。

 

「私はあなたを敬愛しています。誰かが見ているから臣下として振る舞っていたのではなく、心から尊敬していたのです」

 

 彼女は最高の主君で、素晴らしい人格の持ち主だった。

 その想いは彼女が死んでしまった後でも変わらない。

 

「だから、あなたを殺し肉体をも奪ってしまった自分が許せなかった」

 

 声が震える。自らの罪を改めて口にすると、おぞましく、許されない罪を犯していることを実感する。

 しかし姫様は、穏やかな笑みを浮かべるばかりだった。

 

「フフ……ゴルドー。一つ勘違いしていますよ。あの時、あなたは確かに私を守って殉死しました。あなたは騎士の勤めを全うしました」

 

 彼女が私の働きを認めてくれた。真意を問う前に、私の体は熱くなった。姫様には責められても仕方ないと思っていた。主君を守れなかった騎士など、騎士失格だと思っていた。

 

「あの後あなたと私の魂を入れ替えることであなたの魂を救ったのは私の意思です。聖魔法の奥義、究極の救済魔法、死にゆく肉体から魂を掬い上げ、自分の体に救い出す術です」

「なっ……なぜそのようなことを!?」

 

 驚愕に胸が詰まる。私は、ずっと魂を扱う魔王、ソウルドミネーターの仕業だと思っていた。

 悪辣な死霊術師が最後に残した趣味の悪い遊び。

 そう推測していたが、ソウルドミネーターは最期までそんなことを言わなかった。

 

 私は、彼女の言葉の真意が分からず姫様の顔を呆然と眺めた。

 彼女自身が、私と入れ替わりを望んだ。そして私の肉体と共に死んだ。

 

「分かりませんか? 私が、あなたを好きだったからです」

「……!」

 

 彼女は真っ白な頬を少し赤くした。初めて見る表情だった。

 あるいは、意識的に見落としていたのだろうか。自分と彼女では身分が釣り合わない……否、自分程度では彼女のような人格者には釣り合わないと思ったのだ。

 

「叶わぬ恋であることは分かっていました。だってあなたは、あくまで私の臣下として私を慕ってくれていたのですから」

「……そう、ですね」

 

 それは、否定できない。きっと彼女の言う好きと私の敬愛は別物だ。

 私は彼女を理想の主君と見ていた。それは恋と似ているようで全く非なるものだ。

 

 でも、相手に生きて欲しかったのは私も同じだった。

 どうしてあなたが生きてくれなかったのだ。どうして私など生かしてしまったのか。

 

「姫様、今からでも私の魂と入れ替わることはできないのですか?」

 

 夢とは言え、姫様の存在には不思議なリアルさがあった。私の想像の彼女ではなく、本物の彼女と話しているような感覚。

 だからこそ、私は彼女の言葉を素直に信じられたのだ。

 

「いいえ、ここにいる私は魂の残滓。あなたの魂にこびりついた欠片です。あなたの心が晴れたことで浮上することができましたが、この後すぐにでも消えるでしょう」

「そ、んな……」

 

 せっかく姫様と再会できたのに。

 体が冷えていく。悲しみに胸が張り裂けそうになる。

 

「だから、最期に話したかったのです。まず、お礼を言わせてください。あの時、身を挺して私を守ってくださりありがとうございました。嬉しかったですよ」

「ッ」

 

 ああ、私はその言葉を聞きたかったのかもしれない。

 ずっと不安に思っていた。姫様を守れなかった自分は騎士失格だったのではないかと。姫様にふさわしい騎士ではなかったのではないかと。

 

「それから、どうか私の体を幸せにしてください。あなたの魂が幸せと思う方に進んでください。愛を育むのもいいことだと思いますよ? キョウさんは良い方だと思います」

「姫様!?」

 

 彼女のお茶目な物言いに、私は動揺した。

 

「し、しかし私は元は男でして」

「今は女の子でしょう?」

「いえその、精神的に問題が……」

「でも、キョウさんと話すあなたは楽しそうでしたよ」

「……」

 

 それは、否定できない。

 姫様は口を抑えてクスクスと笑った。

 しかし、すぐに真面目な表情に戻る。

 

「そろそろ時間ですね。ゴルドー、見守っていますからね」

「……はい、ありがとうございます」

 

 本当は、もっともっと言葉を交わしたかった。しかし、もう逝ってしまう彼女を引き止めることはできない。

 

 彼女の体が透明になっていく。ずっと会いたかった主が消えていく。

 

 まだまだ言いたい言葉は沢山あった。それらを飲み込んで、私は彼女に最後の言葉をかけた。

 

「姫様、お慕い申しておりました」

 

 透明な笑顔を浮かべた彼女は、やがてその体を薄くしていき完全に消え去った。

 

 

 

 

「ソフィア、おいソフィア起きろ」

 

 俺の肩によりかかってすやすや眠るソフィアを起こす。

 柔らかい感覚の心地よさに起こすのを躊躇ったのは秘密だ。

 

「あれ……私、眠っていましたか?」

「ああ、王都からだいぶ離れたから一旦休憩しようって言ったらすぐにな。……なんか随分穏やかな表情をしてるな。良い夢でも見たか?」

「ええ、私にはもったいないくらいの良い夢でした」

 

 彼女が薄く微笑む。何かを惜しむような懐かしむような、けれど前向きな笑顔だった。

 その顔を直視した俺は、何も言えなくなる。

 

 俺たちの様子を見たヒビキが声をかけてくる。

 

「ソフィアダメだぞ。キョウの前で居眠りなんてしちゃ。こいつは男なんだから、いつ気の迷いを起こすか分からん」

「キョウと同じ部屋に寝泊まりしてたヒビキの言葉とは思えないね」

「グッ……ぼ、ボクたちは幼馴染みだからセーフだ!」

 

 なんだその謎の理屈は。

 どうしよう、頭の良いはずのヒビキが馬鹿になってる。

 

「だからTSっ娘は対象外だって言ってるだろ。そういうわけで、ソフィアも安心しろ」

 

 俺が感じているのは友情であり愛情や劣情ではない。

 しかしソフィアは俺の言葉を聞いてなぜか複雑そうな表情だった。ちょっとジト目で俺を見つめてくる。

 

 

「しかし、成り行きでこんなところまで来ちゃったけどお前らは本当にこれで良かったのか? 俺についてきて良かったのか?」

 

 彼女たちにはみんな、それぞれに特技を持った立派な女の子だ。

 

  ヒビキなら、魔法の腕と頭の良さで一人でも生き抜けるだろう。

 しかし彼女は俺の言葉にニヤリと笑って眼鏡を触った。

 

「ああ、お前がハーレム作ろうと四苦八苦するところを楽しく眺めさせてもらうよ」

 

 シュカの方を向くと、彼女はにっこりと笑った。

 

「キョウ君についていくと強敵と出会えそうな予感がするからね。僕の鍛錬のためにも好都合だよ!」

 

 彼女の元気な笑顔に嘘はないようだった。

 

 最後にソフィアを見ると、彼女は控えめな笑みを見せてくれた。

 

「私は、キョウさんと一緒にいたいです。これは、他ならぬ私の意思です」

 

 ソフィアの表情は、王都にいた頃よりもずっと晴れやかだ。

 

「じゃあ、いくか。世界を救って俺のハーレムパーティーを作るために!」

 

 見た目だけはどうしようもなく美少女な三人に囲まれながら、俺は大きく宣言した。




これで一章完結です。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございました!
ここからは週一更新を目安に頑張っていく予定です。


ここまで読んでどうだったか、感想や評価などで伝えてくださると嬉しいです。
TSっ娘ヒロインのこんなところが好きだったとか、このシーンが好きとか、気軽にお願いします。
それらが作者の続きを作る活力になります。


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二章
ちぐはぐパーティー


新章お願いします!


 じりじりと身を焼く太陽が鬱陶しいのは地球も異世界も変わらない。

 徒歩で長距離を移動しているとなおさらだ。頭がじんわりと熱を持ち、汗が背中に滲む。

 

「おい! なんでお姫様を仲間にしたのに俺たちはまだ徒歩で移動してるんだよ!」

 

 見渡す限りの平野が、俺たちの前に広がっていた。

 うんざりする。いったい街までどれほどだろうか。

 ああ、スマホが欲しい。目的地までの距離を検索したい。

 

「仕方ないだろ。ボクたちは王都からは逃げてきたようなものなんだから。馬車を要求する暇もなかった」

「私のせいですね。申し訳ありません」

 

 ソフィアがこちらを向き軽く頭を下げる。よく見れば、彼女も額に汗が浮かんでいる。

 通常時の彼女は虚弱な運動音痴だ。しかもそのことに自覚が薄い。

 見張っておかないとバタリと倒れしまうかもしれない。

 

「いやまあ、ソフィアがああするくらいしかなかったのは分かってるから別にいいんだけどな」

 

 ソフィアが望まない結婚をするくらいなら、王都から逃げ出した方がよかった。ソフィアに駆け落ちだなんて言われなくても彼女を攫うつもりだった。

 そのこと自体は疑っていない。

 

「ああするしかなかったっていうよりも、ソフィアはああしたかったっていう風に見えたけどね」

 

 シュカがなんでもないように呟く。それを聞いたソフィアは、白い頬を薄っすらと赤くした。

 

「いえその、駆け落ちというのは誇張表現と言いますか、言葉の綾と言いますか。それはその、キョウさんの許諾を得ずにこ、恋仲になりたいなどという言説ではありませんので。私はそんなふしだらな者ではありません。皆さんにはそのあたりは勘違いしないで頂けますと幸いです!」

「お、おう……」

 

 彼女は早口で言い切ると、ぜーぜーと呼吸を乱した。

 どうでもいいところで体力を使わないでくれ……。

 

「それにしても、ソフィアもボクたちと同じ元男なんだろう? そんなに女の子っぽい感じじゃなくて、もっと素でいいんだぞ」

 

 ヒビキがソフィアを気遣うように話しかける。どうやら、なし崩し的に俺たちについてくることになったお姫様(?)を心配しているらしい。

 

「いえ、私の場合はソフィアとして過ごしていたのが二年にもなりますからね。今ではすっかりこちらの方が素の私です」

「へえ……ボクにはあまり分からない感覚だな」

「私の場合、演じているうちにそれが自分になっていったといった感じでしょうか。今ではもう、騎士だった頃の自分がどんな話し方をしていたのか思い出せないくらいです」

 

 ふふ、とソフィアが楽し気に笑う。

 それに対して困ったように眉を下げたのはシュカだ。

 

「それは……笑って済ませられることなの? 僕はちょっと怖いと思うけどな」

「いえいえ。私にとっては些事ですよ」

 

 穏やかに笑うソフィアの本心は伺い知れなかった。

 

「ソフィア……」

 

 いったいどんな経験をすればこんな風に達観できるのだろう。そう思って彼女を見ていると、ふいに彼女の姿が視界から消えた。

 

「あっ」

「ソフィア!?」

 

 見れば、足元の石に躓いたソフィアは顔面から地面に倒れ込んでいた。

 手をついて衝撃を防いだ様子すらない。

 俺たちが慌てて彼女を心配する。

 

「おい、大丈夫か!?」

「なんで毎回顔面から転ぶんだよ! めちゃくちゃ痛そうなんだけど!」

「す、すいません。お見苦しいところを……」

 

 くい、と顔を上げた彼女は鼻血を流していた。

 清楚でまさしくお姫様と言った顔をしている彼女が鼻血を流しているのはひどくアンバランスで、いっそシュールですらあった。

 

「お、おい。これで鼻血拭けって」

 

 男の頃から律儀にハンカチを持ち歩いていたヒビキが、白地のハンカチを差し出す。

 

「いえ、あなたのハンカチを汚す必要はありませんよ」

 

 ソフィアの清楚な声が響くと、白い光が彼女を包んだ。

 治癒魔法。彼女のそれは、人類の中でも最高峰のものらしい。

 白い光に包まれ傷を治した彼女は、もうすでに血の跡すらなかった。

 

「治癒って汚れまで消せるのか!?」

「え、ええ……」

 

 なぜか興奮した様子のヒビキがソフィアにぐい、と近寄りながらソフィアに問いかける。

 それに戸惑ったソフィアがわずかに身を引く。

 

「なんだよヒビキ。汚れなんて気にしてたのか」

「気にするに決まってるだろ! ボクたちは毎日風呂に入る生活をしていたんだぞ? それが突然こんなところで体を拭くだけで満足できるわけないだろ!」

「お、おう……」

 

 彼女の気迫に圧倒された俺は、生返事しかできなかった。

 街の中にいた頃ならともかく、移動中は風呂なんて入れるわけがない。昨夜は平野で野宿だった。

 

 ヒビキの必死な様子を見て、シュカがカラカラと笑った。

 

「あっはは。ヒビキはもしかしてキョウと一緒にいるから匂いを気にしてるのかな?」

「そ、そんなわけないだろ! キョウがボクの体臭を気にしているかもしれないとかそんなこと全然ボクには関係ない!」

 

 むきになって言い返すヒビキの様子に、シュカはさらに楽しそうに笑った。

 いつの間にか立ち上がっていたソフィアも、それを見て楽しそうにニコニコと笑っていた。彼女の今の笑顔は心から楽しんでいることが伝わってくるような笑みだった。

 

 ……ソフィアがそんな顔をできるのなら、無理やり助けたかいがあったというものだろう。

 彼女にとっての幸せがどんなものなのかなんて俺には決められようもないが、少なくともあそこにいるよりもマシだったと信じたい。

 

「ていうかソフィア、あんな武の極みに到達している騎士なのに石ころでコケるってどうなってるの? ちぐはぐすぎない?」

 

 どうやら、強さバカであるシュカはソフィアのちぐはぐな身体能力に興味津々のようだ。

 目がキラキラ輝いて、尻尾がブンブン横に振られている。

 

「ああ、あれですね。一時的に剣気を解放しただけです。今の私の素はこの程度です」

 

 ソフィアは小さな手のひらを出してシュカに見せた。真っ白で、傷一つなく、マメもない。

 

「ソフィア様の体はもともと決して強いものではありませんでした。中身の私が剣の振り方を知っていても、通常の状態でまともな一撃を繰り出すことは不可能でしょう」 

「でも、剣気を解放すれば戦えるようになるってこと?」

「そう単純なものではありません。肉体の限界と剣気の限界を考えて、全力を出せるのはせいぜい数秒。一撃放つくらいが限界でしょう」

「ええー、それじゃ僕と戦えないじゃん……」

 

 シュカが露骨に残念そうな声を出した。よっぽどソウルドミネーターを倒した一撃が記憶に残っているらしい。

 元Sランク冒険者のシュカから見ても、ソフィアの剣は凄まじいものだったようだ。

 

 

「まあでも、無理やり見せてもらえばいっか!」

 

 シュカが突然動く出す。あまりにも予兆のない行動に、俺は制止するのが遅れた。

 

「魔闘術――烈火 噴口!」

 

 一瞬でソフィアの目の前に立ったシュカが攻撃態勢を取った。

 体を捻じり、拳に力を溜める。

 ギリギリと引き絞られた弓の弦が解き放たれる瞬間のように、彼女は力を解放した。

 ソフィアの華奢な体に、岩をも砕く拳が目にもとまらぬ速さで迫る。

 

「ソフィア!?」

 

 しかし、ソフィアはただその場に立ちニコリと笑っただけだった。

 

「拙速ですよ、シュカさん」

 

 シン、という静かな音が響いた。ソフィアの体が動くところは、まったく見えなかった。

 

 しかし、戦闘態勢を取っていたシュカの体は糸が切れたように力を失って倒れた。血は出ていない。

 しかし、まさかシュカがその場でこけたなんてことはないだろう。

 

 ソフィアは熟練の武道家がするように、止めていた息を解放して一呼吸ついていた。

 俺は半信半疑で彼女に問いかけた。

 

「い、今の一瞬でシュカを斬ったのか?」

「斬ってはいません。軽く攻撃しただけです」

「そもそも剣があったことすら見えなかったんだけど……」

 

 見えなかった。彼女がどんな風にシュカを倒したのか分からない。近くで見ていたヒビキも同様だったようだ。

 

 何事もなかったかのようにその場に立っていたソフィアだったが、やがて突然力を失って倒れ込んだ。ちょうどシュカと同じような恰好だ。

 さっき転んだ時とは違い、全身に力が入っていないように見える。

 

「ソフィア!? やっぱりシュカに殴られてたのか? よし、あいつが起きたらお仕置きをしておこう」

 

 また耳と尻尾を弄りたおしてやろう。そもそも突然仲間に殴りかかるのは論外だ。飼い犬をしつけるように、厳しく言いつけなければ。

 

「いえ、攻撃を受けたわけではありません。この通り、剣を一度振るうと体が全然動かせなくなってしまうのです。お恥ずかしい限りです」

 

 ソフィアが顔だけ上げて恥ずかしそうに微笑む。

 彼女は今動けない。動けないお姫様……何をしても抵抗できない……ハッ! ソフィアは中身男、中身男……!

 

「で、キョウ。動けない人間が二人できたわけだがどうするんだ?」

 

 ジトっとした目で事態を眺めていたヒビキが俺に聞いてくる。

 

「ヒビキ、ソフィアをおぶっていけるか?」

「無理だな。今のボクにはそんな力はない」

「あー、俺がソフィアをおぶって、シュカは地面を引きずって行くか!」

「さすがにダメだろ! シュカの背中がボロボロになるわ!」

 

 うん、さすがに女の子の体の扱い方じゃないな。中身男だけど。

 



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魔法都市へ

 眼下に広がるのは、堂々たる街並みだった。

 魔法都市シーゲル。王国内でもトップクラスに大きな都市であるここが、俺たちの目的地だ。

 シュカがずっと歩いていた疲れを取るように伸びをした。

 

「ふう、ようやく着いたね。いやあ、長かった!」

「ああ、誰かさんがソフィアに殴りかかったせいで余計に時間がかかったな」

「……」

「おい、こっち向けよ脳筋。お前反省してないだろ」

 

 俺の言葉に、シュカは下手くそな口笛を吹いてそっぽを向いた。

 結局、ソフィアの攻撃で気絶したシュカが起きるのと騎士の力を使って歩けなくなったソフィアが回復するのを待つのに半日ほど使ってしまった。なんという無駄な時間だっただろうか。

 すべてこの戦闘バカのせいである。

 

「お前ら、イチャついてないでさっさと行くぞ。まだ時間を無駄にする気か」

「あれ、嫉妬?」

「……」

 

 ヒビキはついにシュカの軽口を無視し始めた。だんだんこのやかましい獣人の扱い方が分かってきたらしい。

 

「ソフィア、魔法都市ってどんなところなんだ?」

 

 この世界について一番知っているのはソフィアだろう。そう思って彼女に聞くと、すぐに答えが返ってきた。

 

「魔法都市シーゲルは王国の中でももっとも魔法研究の進んだ場所ですね。魔法大学や研究所が密集していて、学者や魔法使いが多く住んでいます」

「へえ、あれか。頭の良い奴がいっぱい集まってるってことか。なんだか肩身が狭そうだな」

「わかるー。僕は魔法の適正なんてゼロだから、行ってもなかなかすることないかもなあ」

 

 俺とシュカが不満の声を上げる。インテリの街なんて本能で生きている俺たちには合わない。

 そう、もっと酒! 暴力! 女! っていう方がいい。……いや、それはそれで引くかも。

 

「シーゲルの周辺は魔物の出没が多くて冒険者ギルドも活発に活動しているそうです。私たちの名前を上げるためにもこの街に来る意味はあると思いますよ。……そういえば、皆さんは今までどんな名前で活動をなさっていたのですか?」

「名前?」

「冒険者パーティーの皆さんは自分たちで名乗る名前があるのではないですか? 『青色のにわとり』のように」

「なんだ、その弱そうなパーティーは……」

 

 勇ましいパーティーがそんな名前だったら脱力ものだろう。しかしソフィアの顔には冗談を言ったような気配はなかった。もしかして、彼女は微妙にセンスがズレているのだろうか。

 

「シュカはSランク冒険者だったんだろ? そういうのなかったのか?」

「いや、僕はずっと一人でやってたからね。獣拳王っていうのも他の人が名付けてくれたものだし」 

「一人でSランク冒険者になったのですか? それは凄いですね」

 

 ソフィアが称賛を口にする。それに対して、シュカはちょっと微妙な顔をした。

 

「僕にも強さの底が見えないソフィアに言われると微妙な気分なんだけど……」

 

 シュカは未だに道中でソフィアに瞬殺されたことを根に持っているらしい。

 

「そんなシュカも身分証明が不可能になったからボクたちと同じB級冒険者だけどな」

「そうなんだよねー。地位にそんなにこだわりはなかったけど、でも肩書きがないと面倒ごとが多いね。たとえばあれ」

 

 シュカが前方を指さす。そこには、都市の外壁の前で検問を待つ列があった。

 

「あそこに入る平民はみんなあそこを通るはずだからね。随分待たされると思うよ?」

「ああ、王都に入る時も検問あったな。Sランク冒険者なら待たないってことか?」

「高位冒険者は身分が保証されているようなものだからね。貴族用の列が早めに入れるはず」

 

 シュカが指さしたのは、馬車の並ぶ列だ。並んでいる人間はかなり少ない。

 

「いえ、あちらの列で問題ないでしょう。私についてきてください」

 

 ソフィアは自信満々に言うと、貴族用の列の方へと向かっていった。

 

 

「騎士様、お勤めご苦労様です。私はソフィア。この国の姫です」

「…………は?」

 

 呆けた顔でソフィアの顔をじっと見つめる見張りの騎士。しかし、ソフィアの顔が尋常ではない気品を漂わせていることに気づいたようだ。少し視線をうろうろと迷わせると、やがて他の人間を呼びに行った。

 

「今の騎士様、少し判断が遅いですね。騎士たるもの迅速果断に行動しなければ。私は師にそう教わりました」

「いや、自国の姫様がいきなり目の前に出てきたら誰でも困惑すると思うぞ」

 

 わりと優しいソフィアは、騎士に対しては妙に厳しかった。

 騎士ゴルドーは模範的な騎士だったと言う。騎士の在り方についてはこだわりがあるのだろう。

 

「ほ、本物のソフィア様……!? し、失礼致しました! ただちに来賓の準備を致しますので、待合室でお待ちください!」

「お気遣い有難く存じます。しかしながら、来賓としての扱いは結構です。私は現在、冒険者パーティーの一人として行動しておりますので」

「そ、ソフィア様が冒険者ですか……!? しかし、それは……」

「2年前、私がゴルドーと共に魔王ソウルドミネーターを討伐したことをお忘れですか? 聖女として、聖魔法については誰よりも覚えがあります。お気遣いは無用です」

「そ、そう言われると貴女様に救われた一人の王国民としては何も言えないのですが……」

 

 騎士が困ったように言いよどむ。

 

「お騒がせ致しました。迅速な対応、感謝申し上げます」

 

 ソフィアはほんの少し頭を下げると、堂々たる足取りで外壁の奥、魔法都市の中へと歩いて行った。俺たちはそれに慌ててついていく。騎士たちは、胸に手を当てる敬礼でソフィアの姿を見送っていた。

 

 

「驚いたな。ソフィアってあんな風に堂々と話すんだな」

 

 ソフィアがお姫様として振舞っているところは初めて見た。

 

「ええ。この前言ったことをお忘れですか? 私は守られるだけのお姫様ではありません。少しでもキョウさんたちのお役に立てるのなら、この身分すら利用してみせましょう」

 

 ソフィアがいたずらっぽい笑みを浮かべる。王都にいた頃には見たことのない彼女の表情に、一瞬見惚れてしまう。お淑やかな子が自分にだけ見せてくれた表情のよう錯覚して、心臓が大きく跳ねる。

 ヒビキは、その様子を見て少しだけ表情を暗くしていた。

 



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優れた人間と比べられるのはつらい

 宿で荷物を置いて、冒険者ギルドの場所を確認。ついでに美味しそうな飯屋も何件か見つけておく。

 

「それじゃ、観光だな!」

「待て、お気楽馬鹿! ここに来た理由を忘れたのか!?」

 

 ウキウキと街を歩こうとした俺の肩を、ヒビキがガッチリ掴んだ。

 

「え? 可愛い女の子を見つけるために来たんじゃないのか?」

「オーケー、お前の頭の中が空っぽな事はよくわかった。それじゃあ、ボクの言葉をもう一度聞いて、その貧相な頭の中に頑張ってとどめておけよ」

 

 ヒビキがくい、と眼鏡を上げて説明を始める。

 

「魔法都市では一般人にも魔法の学術研究を公開している。これは画期的なことで、この都市が魔法と言う学問にどこまでも誠実であることを示している。道中ソフィアが頑張って説明してくれたな」

「あーうん……おう!」

「あら、キョウさん?」

 

 ソフィアがにっこりと笑って俺を睨んだ。

 こわい。いつも優しい顔をしている彼女の睨み顔怖い。

 

「ボクとキョウは魔法のスキルを持っているだろう。この都市の魔法研究について知れば、熟練度が上がるかもしれない」

「ええー。勉強ってことか?」

 

 それはまた、気乗りしないな。なんで異世界に来てまで勉強しないといけないんだ。

 

「勉強と言えばそうだが、研究するのは魔法というファンタジーについてだぞ。そう聞くと、キョウでもやる気が出てこないか?」

「ああー、そう言われればそうかもな」

 

 魔法。勉強すればもっと凄いこともできるようになるかもしれない。それは結果的に女の子にモテることにも繋がるかも。

 

「ヒビキは本当にキョウ君の扱いがうまいね。なんていうの、手のひらで転がしてる?」

「それは人聞きが悪いから嫌なんだが……これでも幼馴染だからな。コイツがどういうことにやる気を出すのかは知っている。高校でコイツが赤点を取らなかったのは半分くらいはボクのおかげだな」

 

 シュカの問いに、ヒビキは豊満に育った胸を張った。

 実際のところ、ヒビキが俺を無理やり勉強させてくれなかったら危なかった。

 話を聞いていたソフィアが楽しそうに笑った。

 

「ヒビキさんは今までずっとキョウさんを支えていたのですね。今の二人を見れば、そんな雰囲気が伝わってきます」

「……いや、今のボクがコイツを支えているのかは正直微妙だがな」

 

 ヒビキが言いよどむ。眼鏡を押し上げることで、彼女がどんな表情をしているのか窺い知れなくなる。

 

「ヒビキ……?」

 

 彼女らしからぬ態度に違和感を覚える。

 しかしヒビキがすぐに別の言葉を発するので、俺は疑問を口にする機会を失った。

 

「だから、ボクとキョウはしばらく大学に通うことになる。キョウが嫌だと言ってもボクが引き摺っていく。シュカとソフィアにはその間に冒険者としての依頼をこなしてランク上げに貢献してもらう。二人の実力なら造作もないことだろ?」

「まあね、僕強いし!」

「異論はありませんよ。将来のことを考えれば自己研鑽は必要でしょう。キョウさんの剣の技術については私がお教えできます。通常の魔法についてはヒビキさんにお任せしましょう」

 

 シュカとソフィアが揃えば危険に陥ることはまずないだろう。シュカは接近戦最強だし、ソフィアは本気を出せばどんな敵にも負けない気がする。

 ヒビキは胸がデカイ。

 ……あれ、このパーティー俺いるか?

 

「それじゃあキョウ、さっそく魔法大学に行くぞ」

「高校すっ飛ばして大学に行くとは思わなかったな、ヒビキ」

「なに馬鹿なこと言ってんだ。この世界に小中高の一貫教育なんてないから、ボクたちの知る大学とはちょっと違うものだぞ。どっちかっていうと研究室だな」

 

 ヒビキのそんな言葉を聞いて、俺たちは魔法都市の中心部に存在するデカイ建物、魔法大学へと出向くことになった。

 

 

 魔法大学の受付に行って、簡単に事情を説明する。受付の男は見知らぬ人間が突然訪れたにも関わらず、丁寧に接してくれた。

 

「なるほど、勇者様ですね。世界の闇を払わんとする皆さんへの協力を魔法大学は惜しみません。しかし、それは皆さんの実力を見てからです。失礼ながら、鑑定の魔道具を使わせていただいても?」

 

 受付の男が何やら丸い魔道具を出す。水晶玉のようなそれは、鑑定ができるらしい。

 後でヒビキに聞いたが、鑑定の水晶玉はかなりの高級品で滅多にお目にかかれないものらしい。

 

「それじゃあボクからやります」

 

 ヒビキが水晶玉に手をかざすと、ガラスのような表面には文字が浮かび上がってきた。

 

「こ、これは……Sランクの魔法ですか……! 見事ですね、ヒビキ様。次はキョウ様もお願いします」

 

 俺もヒビキと同じように水晶玉に手をかざす。

 ヒビキがすごいのを見せた後だとやりづらい。

 水晶玉に文字が浮かび上がる。受付の男はそれを見て、感嘆するわけでもなく俺に問いかけてきた。

 

「これは……『楽天家S』とはいったいどんなスキルなのですか?」

「俺が聞きたいです」

 

 もっとカッコイイやつが欲しかった。

 

「炎魔法のランクはB。十分に優秀なものをお持ちですね」

 

 ヒビキの時とリアクションが露骨に違う。悲しい。

 

「上の者に確認してまいります。そちらに腰掛けて少々お待ちください」

 

 どこかに行く受付の男を見送って、俺とヒビキはその場で待つことになった。

 

「ヒビキ、やっぱりスキルを見ると俺より全然強そうだよな。『水魔法S』っていうのは聞いた奴全員驚くからすごいんだろうな」

「どれだけ強い魔法を使えても役に立たなきゃ意味ないけどな」

 

 ヒビキの表情が少し硬い。珍しい反応だ。

 

「役に立つだろ。少なくとも『楽天家S』よりは」

 

 取り換えてほしい。切実に。

 俺も水魔法をぶわーって出して女の子にキャーって言われたかった。

 

「キョウは本当にやばい時に正解を選べる奴だろ。王城でソウルドミネーターと戦った時もそうだった。あの時ソフィアがソウルドミネーターを倒してくれたのは、きっとキョウがソフィアのことを助けたいって言ったからだ」

「……」

 

 ああ、ヒビキの悪いところが出ているな。少し顔を下げて語る彼女に、俺はそんな風に思った。

 良い方向にも悪い方向にも想像力が働く。

 

「シュカは普段馬鹿そうに振る舞っているけど、度胸がある奴だ。ソウルドミネーターが本気を出した時に真っ先にボクたちを逃がそうとしたのは彼女だった」

 

 ヒビキの口調はずっと平坦だ。

 

「ソフィアは王都にいた頃とは違う。彼女はもう、自分の芯を持って行動している。それに彼女は特別なものをいっぱい持っている。――それじゃあ、ボクには何がある」

「……」

 

 少し、言葉に迷う。そして、迷った俺を見たヒビキはわずかに顔を下げた。

 

「ヒビキは――」

 

 俺が言いかけた時、遠くから声がした。

 

「お待たせいたしました。こちらにお願いします」

 

 先ほどの受付の男の声だ。

 

「キョウ、行くぞ」

 

 彼女はこれ以上俺の言葉を聞く気はないようだった。

 まあ、後でじっくりと話せばいいか。そう思って、俺は彼女の後を追った。



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魔法講義

 受付の人に事情を話してからの魔法大学の動きは早かった。

 俺たちの求めている魔法の熟達を助けてくれる人員を見つけ出し、時間と場所の都合をつける。

 

 俺とヒビキに簡単な魔法大学内部の見学をさせているうちにそれらの工程を終わらせ、待たせることなく俺たちを教師役の元へと案内した。

 

 俺たちの教師は、随分と綺麗な女の人だった。

 

「スキルを授かった勇者の皆さんはいきなり魔法を使えるせいで魔法の基礎をおろそかにしがちです。私から簡単にそのあたりを基礎理論と共にご教授しましょう」

「うわあ、やっぱり勉強じゃないか! いやだいやだ! 俺は自由に暮らしたいー!」

「キョウ、うるさい」

 

 隣で一緒に話を聞いているヒビキの突っ込みがそっけない。悲しい。

 いやしかし……やっぱりこの教えてくれている人綺麗だぞ。茶髪にほどよく膨らんだ胸。キリッとした目は意思が強そうだ。

 仲良くなったら「フフ、キョウさんには特別に『私の攻略理論』教えてあげます」とか囁いてくれそう。

 

 おお、なんだかやる気が上がってきた。

 

「はいはい先生! 俺は女の子にモテる魔法が使いたいんですけどどんなのがありますか?」

「急にやる気になったな……そして質問が浅ましい」

 

 ヒビキのジトっとした目線を受けながら俺が女性を見ていると、彼女は苦笑した。

 

「あっはは……私はここの一生徒ですので、先生なんて呼ばなくていいですよ。それから、モテる魔法と言いますがキョウさんの『炎魔法 B』であれば十分派手な魔法は打てると思いますよ」

「おお……聞いたかキョウ! 俺は魔法でモテることができるらしいぞ!」

「おうおう、良かったなあ。派手な魔法が撃てれば絶対モテると思ってるお前のおめでたい頭が羨ましいよ」

 

 くそ、ヒビキの奴め。自分はSランクの魔法を使えるからって余裕ぶっこきやがって。

 

「あなた方は高位のスキルを持っているため、強力な魔法を最初から使えます。しかし、魔法とは使う人間の練度によって威力や規模、正確性が変わるものです」

「ああ、魔力の扱いとか、魔力変換率とかそういう話ですか?」

 

 ヒビキが聞いたことのないような言葉を発し始めた。俺は頭上にクエスチョンマークを浮かべる。

 

「ヒビキさんは随分詳しそうですね。どこかで教育を受けたのですか?」

「いや、王都にいた頃に本で何度か読んだんです」

「そ、それ俺に言えよー!」

 

 こいつ、いつの間に一人で強くなろうとしていたのか。ゆるせん。

 

「あの頃のキョウはお姫様を口説くのに夢中だったからな。そんな暇なかったよ」

「ああー、あの頃か。たしかに忙しかったな」

 

 というか、恋をし始めていたのかもしれない。

 お姫様と、誰の目にも触れないようにひっそりと会う。みんなに慕われている彼女が、俺だけを見てくれている。そんな状況に酔っていたのかもしれない。

 

 ……まあ、結局のところソフィアの中身は男だったわけだが。

 くそ、騙されたぜ……。お姫様がTSっ娘とか予想できるかよ。

 

「お二人の知識がどれくらい違うのか分からないので、確認がてら一つずつ話しますね。まず、私たち魔法使いは体内にある魔力を使って魔法を放ちます」

 

 コク、と俺とヒビキが頷く。

 

「魔力はこの世界に生きるすべての人間が持っている生命力のようなものです。それを消費することで体力を使います。魔力が多ければ多いほど、タフな魔法使いと言えるでしょう」

「ちなみに、俺たちの魔力はどれくらいなんですか?」

「はっきり測ることはできませんが……勇者として召喚される方は総じて一般よりも魔力が高い傾向にありますね。安心していいと思いますよ」

 

 茶髪の女性はにっこりと笑った。そんな顔もまたいいな……。

 彼女の顔に見惚れる俺を、ヒビキが「真面目に勉強しろよ……」という顔で見ていた。

 

「初歩的な魔法を使うのにも、人によって使う魔力量は違います。魔力を無駄なく発動させていれば、より少ない魔力で魔法を行使できます。勇者の皆さんがおろそかにしがちなのはこの部分です」

 

 その言葉に、ヒビキが納得したように頷く。

 

「なるほど。ボクの魔法が使っている魔力量のわりに効果が薄かったのはそういうことか」

「じ、自分の魔力量が分かるのですか?」

 

 ヒビキの言葉に、茶髪の女性が目を大きくして問いかけた。

 

「はい。多分ボクのスキルの『魔力透視 S』の効果でしょう。自分も他人も、魔力を使っている際には魔力らしきものが光って見えます」

「え? なんだよそのカッコよさそうな能力!」

 

 ヒビキの言葉を聞いて、茶髪の女性は驚いた顔を見せた。

 

「そのようなスキルもあるのですか……勇者の授かるスキルとはすごいものですね」

「なあなあ、シュカとか魔力を纏って戦ってるんだろ? どんな風に見えるんだ? ソフィアは? 俺は?」 

 

 隠していたなんて水臭いじゃないか。そう思ってヒビキに根掘り葉掘り聞いてみる。

 

「シュカのは薄いベールを纏っているようなイメージだな。量は決して多くないのに、体をびっちり覆っていてとても硬い」

 

 体を覆う薄いベール……なんだろう、ちょっとエッチだな。

 

「ソフィアが聖魔法を使う時は神々しい光がぶわっって出る感じだ。魔力量自体がボクらより全然上。才能をフル活用して聖魔法を使っているという印象を受けた」

「じゃあ俺は?」

 

 期待を込めて聞くと、ヒビキは少しだけ唸った。

 

「お前あんまり魔力使わないんだよな……」

「え、そうなの?」

「ああ。剣振ってる時は全然感じない。それにお前はなかなか魔法を使わないし」

「ああ、どうしても斬った方が早いと思えてな」

 

 『炎魔法B』より『剣術B』の方がなんとなく手になじむ。俺の気質に合っているのかもしれない。

 俺たちの話を聞いていた茶髪の女性が口を開いた。

 

「魔法と剣の両方を扱う方は剣術にも魔力を乗せる方が多いですね。もっとも、魔力切れに陥りやすくなるので一長一短ですが」

「へえ……」

 

 そう言えばシュカもそんなこと話してたっけ。高位の剣士は剣に魔力を籠めるとかなんとか。

 本気を出したソフィアも、なんかすごい力纏っていたしな。本人は『剣気』と言っていたが、あれも魔力の一種なのだろう。

 

「それじゃあキョウさん。魔法と剣の両方に魔力を使えるように、訓練を頑張りましょう!」

 

 グッ、と手を握る茶髪の女性。

 可愛い、と見惚れる。心なしか心臓の動きが早い。

 つ、ついに見つかっちまったか。俺の女性との初めての出会い……! この知的な女性と、理屈を超えた愛をしちまうのか!?

 

 そんなことを考えていると、ヒビキちょっとだけ冷たい声で口を挟んだ。

 

「キョウ、顔がにやけててキモい」

「なんだとお前!?」

 

 お前だけ綺麗な顔に生まれ変わったからって調子に乗るなよ!?



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テンション高めなお姫様

 あれから、俺とヒビキは何度も魔法大学に通っていた。

 別に強力な魔法を覚えたとかではない。そういうのは、もらった高ランクのスキルで事足りている。

 

 当初説明されたように、俺たちは魔力の扱い方について学んでいた。

 ヒビキは目に見えて魔法の威力が上がっていた。

 その成長っぷりは大学の人も天才だと褒めるほどだった。

 クッ、今思い出してもあの時のあいつのドヤ顔ムカつくぜ……! ドヤ顔すら様になってるのが本当に腹が立つ。

 

 そんな彼女に負けないように、俺も扱いの上手くなった魔力を剣術に活かすために元天才騎士のソフィアに教えを受けるのだった。

 

 

 

 

 魔法都市には研究者だけでなくその家族や彼らの生活を支える生産者が暮らしている。

 そのため、生活する上で必要な設備も備わっている。ど真ん中にそびえ立つ大きな魔法大学がなければ、普通の街と対して変わらない。

 

 この広場も、子どもや住民が軽い運動をするために作られたのだろう。

 日本で言う公園のような場所に立っていると、時折吹いてくる風が頬を撫でる。

 周囲に人はまばらだ。多少体を動かしても誰かとぶつかるようなことはないだろう。

 

 俺の目の前には、見事な金髪を綺麗なポニーテールにしたソフィアがいた。

 普段のふんわりとした髪型とは違う、活発なイメージだ。ちらりとのぞく首筋が白くて眩しい。服装も華美でお姫様らしいものではない動きやすい薄い布地のもの。ボディラインを目で追いそうになって慌てて目を逸らす。

 

「キョウさん。剣の道は一日にしてなりません」

「はい師匠!」

「いい返事ですね」

 

 ふんふん、と満足気に頷くソフィア。可愛い。しかし残念ながら中身は男である。

 その白くて細い手には木剣が握られている。

 傍目に見れば、お転婆なお嬢様が慣れない剣を振ってカッコつけようとしているようにも見える。

 けれど彼女は、並び立つ者がいないほどの剣士だ。

 

「長きにわたる剣の鍛錬の道に必要なのは、信念です。熱血です。気合です。気概です」

「は、はい師匠」

 

 あれ、なんかソフィアが怖い。目の奥で何かがメラメラ燃えている。

 お姫様をしていた頃のソフィアが見せなかった表情。

 それは、おそらくかつて騎士だった彼女の顔だった。

 

「キョウさんにはそれらが備わっていることを私は確信しています。……カッコよかったですからね」

「……え?」

 

 珍しく弱弱しい声だったので聞き取れなかった。

 聞き返すが、ソフィアは説明せずに言葉をつづけた。

 

「コホン。だから、キョウさんに足りないのは経験と技術と知識だと私は考えました」

「え、それってつまり足りないのは全部じゃないか?」

「心さえあればどうにでもなります。信念は簡単には鍛えられませんからね。技術と知識は今から私が伝えます。経験はいずれ増えていくでしょう」

 

 ソフィアが木剣をぶん、と振り上げて俺へと切っ先を向ける。

 箸よりも重い物を持ったことをないように見える細腕。それに支えられている剣は、不思議と威圧感を感じた。

 

「キョウさん。あなたの剣術のスキルランクはBでしたね。常人であれば辿り着けない位階です。普通の敵であれば圧倒できるでしょう。しかし、魔王のような強敵と相対するにはその一つ上が必要です。魔力で剣を強化するのもその一端です」

 

 ソフィアの言葉には、実体験に基づく重みがあった。

 

「魔力の制御を勉強したのですよね? 早速ですが剣を魔力で強化してみせください」

「おう。……こうか?」

 

 体中を血液のように巡る魔力に意識を集中。手先からそれを放出するような意識で、剣に魔力を籠める。

 

「なるほど。制御は拙いですが修練の跡が見えますね。真面目に練習したのですね」

「……まあな」

 

 勉強なんて、と思っていたがこれもハーレムのためだ。それに、命だって懸ってる。

 

「魔法とは違い剣に籠める魔力は感情の動きを直に反映します。冷静にいろと言っているのではありません。逆です。目の前の敵をこの一撃で倒すのだという気概を籠めて魔力を練ってください。自然と伝達される魔力量が増えるでしょう」

「へえ……魔法大学の教えとはちょっと違うな」

 

 あちらはむしろ、理性で魔力を制御しろと教えていた。

 

「どちらが正しいという話ではなく、戦いの中で最適な使い方があるというだけです。魔法については大学の方がおっしゃるように使用するのが良いかと思われます」

「おう」

「では、魔力を籠めたまま素振りを何度か見せてください」

「わかった」

 

 大きく両手を上げて、剣を振り下ろす。

 ソフィアはそれを見ると、小さく頷いた。

 

「なるほど。スキルを使わないキョウさんはまだ勇者の身体能力任せの剣ですね」

 

 ぶつぶつと呟くソフィア。

 

「いいですか、私の剣の振り方をよく見ていてください」

 

 す、と木剣を振り上げたソフィアが、軽く素振りをする。相変わらず、見惚れるような剣だった。何者にも遮られないような太刀筋は、芸術的ですらあった。

 

「おお、さすが……」 

「すぅ……ぜえ、ぜえ、はあ、はあ……」 

「えっ、一回素振りしただけで疲れたのか!?」

 

 ソフィアが肩を上下させながら息を乱している。ちらりと見えるうなじには透明な汗が伝っていた。

 

「わ、私はお姫様だったので剣を振る機会なんてなかったんですよ」

「いや、それでも流石に虚弱すぎるというか」

「私が、私が虚弱……! そ、そんな……」

 

 何やらソフィアがガーンとショックを受けている。かつて強くなることを目指して頂まで登り詰めた彼女にとって、衝撃を受ける事実だったらしい。

 

「いや、その体なら仕方ないっていうか。その細い体見れば当然っていうか」

 

 ソフィアの体は小さい。たしか同い年くらいだったはずだが、同じく女になったヒビキやシュカよりもさらに一回り小さく、細く見える。

 

「コホン……今は私の問題は後回しにしましょう。キョウさん。あなたの素振りと私の素振りのどこか違ったのか理解できましたか?」

「まあ、違うところはたくさんあったけど。ソフィアの剣はやっぱり綺麗だなと思ったよ」

「き、綺麗ですか? ……それはなんだかむずがゆい言葉ですね」

 

 ソフィアはちょっと顔を逸らすとなぜか顔を赤くした。真っ白に肌に朱が刺すとよく目立つ。

 

「なんで照れてんだよ天才騎士様兼お姫様……褒められ慣れてるだろ」

「と、とにかく! キョウさんはひとまず私の振りを手本としてみてください」

「ああ、それならなんとかなるかも。綺麗だったからよく目に残ってる」

「へ!? そ、そうですか。それなら大丈夫ですね……」

 

 ソフィアの照れる顔が可愛くて、つい余計なことを言ってしまった。

 彼女は無理やり話題を切り替えると、何やら早口で語り始めた。

 

「そ、それでは、ゴールを設定したところでさっそく実際の技術的な話に入りましょうか。私のはオーソドックスなフレーゲル剣術ですが、キョウさんも基礎はできているのでこのままフレーゲル剣術を修めれば問題ないでしょう。まず注目するべきは腕の使い方です。キョウさんは動作の全部に力を籠めすぎなので余分な力を抜いてその分インパクトの瞬間の集中力を――」

「いや早い早い! 何言ってるか分からないって」

「分からなくて結構です。今からキョウさんの体が嫌でも覚えますから」

「それなんかエロいな」

 

 俺の最後の不適切発言はソフィアに見事にスルーされた。元男なのに下ネタとかあんまり好きじゃないタイプ? 変だな。男と仲良くなる時はだいたい有効なんだけど。

 

 それから、俺とソフィアのマンツーマンの秘密レッスンが始まった。

 ……そう言うとやっぱりエロいな。

 

 

 

 

 太陽が傾き、オレンジ色の光があたりを包み込んだ夕方。広場にいた他の人ももう家に帰った頃だろうか。

 俺は、汗だらけでその場に立ち尽くしていた。ソフィアの指導の元で、俺はもう一生分の素振りをした気がする。

 

「はあ……ソフィア、見た目に反してスパルタだな……」

 

 どこまでやれば限界なのか見えているようですらあった。倒れ込みそうになる直前に言い渡される休憩。それが終われば、ソフィアに力の籠め方など細かく指示を受けて素振りをする。

 終わる頃には、俺は箸すら持てないんじゃないかというほど疲労困憊になっていた。

 

「キョウさんのためですから、当然です。あなたは魔神を倒して世界を救うのでしょう?」

「おう! それでハーレムを作る!」

「ふふ、ブレない芯があるのはいいことです。その夢を胸に抱け続ければ、いずれ努力も苦にはならなくなるはずです」

「そ、そうか……?」

 

 できれば楽してハーレムしたいけど。

 しかし、澄んだ瞳で俺を見つめてくるソフィアの手前そんなことは言えなかった。

 

「そう、キョウさんはこのままやれば問題なく強くなれると思います。――だから、その邪悪な魔剣は不要だと思いますよ」

「……」 

 

 ソフィアの目が見たこともないほど冷たい光を灯していることに気づいて驚く。

 彼女が見つめるのは俺の腰に下がった傲慢の魔剣だ。なんだか不思議な縁を感じて、俺はこいつを肌身離さず持っていた。

 

 剣に対して、彼女は冷たい視線を向けていた。

 

「騎士として、剣を見る目については人並み以上に自信があります。その上で言いますが、キョウさんの魔剣はいずれ持ち主を破滅させる類のものです」

「まあ、鑑定したらそんな風に書いてあったな」

 

 傲慢の魔剣。使い手をことごとく発狂させて死に至らしめた800年前から存在する魔剣。しかし俺は、不思議とコイツに対して恐ろしさを感じたことはあまりなかった。

 

「でも俺はなぜだか分からないけどずっと大丈夫だったんだ。今まで三回この剣を抜いたけど、精神汚染なんて感じたことがないんだ」

「それは良かったです。きっとキョウさんの身体的特性やスキルが上手く嚙み合ったのでしょう。けれど魔剣というものは、持ち主を食らい尽くすことを常に考えている狡猾なもの。キョウさん、あなたはたとえどんなピンチに陥ろうとも、魔剣に対して何も差し出してはなりませんよ」

「……」

 

 ソウルドミネーターと戦った時、傲慢の魔剣は俺に「魂を差し出せ」と言った。あれは、俺を食らいつくそうとする魔剣の策略だったのだろうか。

 ソフィアがソウルドミネーターを倒さなければ、俺はあのまま魔剣に力を与えていただろう。

 

「力があれば人は縋り、頼りたくなるもの。魔剣も同じです。己の力ではなく道具の力で逆境を切り抜けようとした時、人は道具に食われます」

 

 ソフィアは続けて何か言おうとしたが、一度口を閉じると少し言葉を考えてからまた口を開いた。

 

「私がキョウさんに何かを強制するのもおかしな話なので、これ以上は言いません。けれども、魔剣は危険なものであることはよく覚えておいてくださいね」

 

 それだけ言って、ソフィアは今日のトレーニングを終了にした。

 

 

「……お前、ソフィアに随分嫌われてんな」

 

 一人になると、夕方の風が嫌に寒かった。

 鞘に収まった傲慢の魔剣をそっと撫でる。言葉を話す剣は、今は何も語ることはなかった。



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罰ゲーム?

 頑張ってばっかりだと疲れてしまう。そう言い訳して、俺は今日頑張らないことにした。

 真面目なヒビキやソフィアと一緒だと、どうしても真面目な話になりやすい。魔法の話とか、剣の話とか。

 それは彼女らの美徳だと思うし嫌いじゃないが、俺は別に真面目な人間じゃないのでたまには羽目を外したくなるのだ。

 

 というわけで、俺は普段からあまり難しいことを考えてなさそうなやつに声をかけた。

 

「シュカ、今日は二人で遊ぼうぜ」

「え? 珍しいじゃん! いいよいいよ! なにする? 筋トレ? 組み手?」

「それはもちろん……」

 

 無防備なシュカへとするりと近寄り、そっと肩を掴む。

 

「この前ソフィアに殴りかかったことへの罰ゲームな」

 

 俺の手がシュカのふさふさした犬耳に伸びる。その途端、シュカは凄まじい勢いでバックステップを踏んだ。

 彼女は顔を真っ赤にして叫んだ。

 

「きょ、キョウ君の変態! 馬鹿! それはダメだってこの前教えたじゃん!」

「ええー。ダメなことをしたのはお前も一緒じゃん」

 

 人に殴りかかるのはダメなことだろ。そう思って彼女を睨みつけると、バツの悪そうな顔をする。

 

「それはその、目の前に未知の強敵がいると思ったら腕試ししたくなるじゃん。キョウ君は三日何も食べずに過ごした後に目の前に出されたステーキを食べずにいられるの?」

「……無理だな」

「じゃあ僕がソフィアに挑みかかっても仕方ないよね!」

「いいわけあるか! それとこれは話が別だ!」

 

 俺はお前の話術になど引っかからんぞ、馬鹿め!

 

「と言っても、耳と尻尾をいじり倒すのも考えものだ。シュカの言葉を信じるなら、あれはセクハラに当たるのだろう」

「だからそうだって言ってるじゃん。この世界じゃ常識だよ」

 

 シュカが不満げに口を尖らす。

 

「俺はセクハラは好かない。あれは両者が内心それを認めているからゆるされるものだ。罰則は使うのは俺のポリシーに反する」

「キョウ君はハーレム作ろうとか言ってるのに謎に義理堅いよね……」

「なので! お前には着せ替え人形になってもらう!」

 

 ビシッ! とシュカの顔に人差し指を突き付けると、彼女はポカンとした表情を浮かべた。

 

 

 

 

 服屋の前には、幼子のようにみっともなく駄々をこねる獣人の姿があった。

 

「やだやだやだ! スカートなんて動きづらいもの僕は履かないぞ!」

「普段上半身サラシだけの奴が何恥ずかしがってんだ! お前は素材はいいんだから大人しく俺の目の保養になりやがれ!」

「これはセクハラじゃないの!?」

「違う! 現にお前は今そんなに嫌がってない!」

 

 俺の言葉に、シュカが大きく肩を震わせた。

 

「ッ…………そ、そんなわけないじゃん!」

「今否定までに3秒あったな。耳もピクピクしてる。これはもう肯定です」

「ッ!」

 

 シュカの顔がみるみるうちに真っ赤になっていく。活発な顔が羞恥に染まる様は嗜虐心のようなものを刺激される。

 

「ほら、店先でいつまでもうじうじしてると邪魔だぞ。入った入った」

「あっ、ちょ」

 

 彼女の手を握って服屋の中に入る。岩すら砕くであろうシュカの拳は、俺の手で包み込んでしまえそうなほどに小さい。

 

「いらっしゃませ」

「ああ、店員さん。コイツにコーディネートしてやってください。気になってる男とデートに行くそうなので」

「ちょ、キョウ君!?」

 

 とんでもない出まかせを言い始めた俺に驚きの声を上げたシュカ。その様子を見た女性店員は、面白そうに頬を吊り上げた。

 

「予算はいかほどで?」

「金に糸目は付けませんよ」

「おお……」

 

 もともと俺は、この世界に召喚された時に一人では使い切れないような資金をもらっている。

 加えて、冒険者としてランクが上がってきた俺たちは高位の依頼を受けられる。その分、依頼一回でもらえる報酬額も上がっている。

 

「それではさっそく準備させていただきますね。愛しい彼女さんの姿を楽しみにしていてくださいね!」

「え? あっはい」

 

 なんか勘違いされてる気がする。まあいっか。その方がシュカが恥ずかしがって面白いし。

 店員さんに連行されていったシュカが試着室に放り込まれているのが見える。

 シュカの悲鳴にも似た声が店内の奥から聞こえてくる。

 

「あっちょっ……いやいやいや! それは無理でしょ! 布小さすぎでしょ!」

「それはひょっとしてギャグで言っているのですか? なんですかその防御力ゼロの上半身は! 出せばいいというものではありませんよ! いいから私に身を任せてください!」

「いや上は別にいいんだって! ……このひらひらは何?」

 

 どたどた、と店内を走っている音がする。

 

「いやいやいや! 下着は関係ないでしょ!」

「あります! その色気の欠片もない下着では彼氏さんがガッカリしてしまいます!」

「だからそういうのじゃないんだって! キョウ君は異性って感じじゃないから!」

「それでは今から意識してもらわないとですね!」

「ちがーう! そういうことじゃないっ!」

 

 ……楽しそうだな。

 

 店員さんのあわただしい足音。衣擦れの音。シュカの悲鳴。

 それらをボーっと聞いていると、やがて店員さんが俺の方に歩いてきた。

 

 大きな仕事を為した後のように額の汗を拭いながら、満足気な表情で彼女は俺に話しかけてくる。

 

「なかなか強情な彼女さんでしたが、良い服を選んだと自負しておりますよ。それでは、彼女の艶姿をご覧ください」

「……」

 

 普段うるさいシュカの声がしないな、とこちらに歩いてくる彼女の様子を見る。

 そちらを見た途端、俺は息を呑んだ。

 

 最初に目に映るのは、普段サラシだけで健康的な肌を晒しているシュカの襟付きシャツだ。色は水色。

 普段よりも露出の抑えられた彼女は、いつもよりも大人びて見える。

 

 そしてボトムスは薄いピンクのスカート。白色の生地に、ふわふわという装飾がついている。まさしく女の子、と言った感じだ。

 店員さんは言わずとも俺の要望を汲み取ってくれたらしい。

 丈はなんと膝上。いつものようにハイキックをかましたら中身が見えてしまうだろう。

 

 そして、彼女の短い髪には小さな髪飾りがつけられていた。

 横の髪を軽くまとめる、小さな髪飾り。普段飾り気の一つもない彼女らしくないものだった。

 

「……」

「……」

 

 思わず、黙ってしまう。シュカも顔を赤くしてもじもじするばかりなので、気まずくて仕方がない。

 店員さんが俺たちの様子をニマニマして見つめていることも気恥ずかしさを加速させている。

 

 シュカ、なんか話せよ。普段余計なことまで話すくせに急に黙りやがって。

 

「な、なんか言ってよ」

 

 俺の脳内を覗いたようなセリフをシュカが言う。その目は潤んでいて、耳が期待するようにピクピクと動いている。

 

「悔しいが、似合ってるな」

「ほ、本当……?」

 

 シュカの瞳がじっと俺を捉える。彼女の後ろで尻尾がブンブンと振られているのが見えた。

 

「ああ。女の子の容姿について俺は嘘はつかない。……たとえ中身がお前でもな」

「微妙に素直じゃない物言いだね」

 

 正直、期待以上だった。恥ずかしがってるシュカを見て目の保養になれば、程度に思っていた。

 しかし現れたのは、まさに女の子らしい女の子だったのだ。

 ふんわりとした服。健康的な生足が形の良い顔を引き立てている。

 街を歩けば人の目を奪うこと間違いなしだろう。

 

「キョウ君、もう気はすんだでしょ! 僕はもう着替えるから!」

「いえいえいえ!」

 

 試着室へと戻って行こうとするシュカを、先ほどコーディネートを担当した女性店員が引き留めた。

 

「本当に似合っていますから! 彼氏さんもかなり喜んでますから! もう少しだけそのままでいてください!」

「キョウが喜んでる……?」

 

 ぴく、と耳を動かすシュカ。

 

「はい。あなたは照れてよく顔を見れていなかったようですが、彼氏さんは話す時も目がちょっと泳いでいましたよ」

「……」

 

 本当か、と問うようにシュカがこちらを見るので、俺は反射的に目を逸らす。

 

「あれ、たしかに普段と違うな」

 

 ひょこひょこと、シュカはスカートの裾を気にしてゆっくりと歩いてきた。普段の隙のない足運びとは違う歩き方だ。

 

「あれー、いつも相手を見て話すキョウ君と目が合わないぞー?」

 

 先ほどまでの恥じらう様子はどこへやら、シュカが嬉しそうな笑顔で俺の顔を覗き込んだ。

 装いを変えた彼女を直視するとわずかに赤らんだ頬が見られてしまいそうで、俺はまた顔を逸らす。

 

「あれあれあれ! キョウ君と! 目が合わない!」

 

 ニコニコした笑顔のシュカから顔を逸らすために、俺はその場をグルグル回ってシュカとドッグファイトのようなことをした。



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ヒビキの日常

 寝ぼけ眼に眼鏡をかける。この眼鏡は、ボクが日本から唯一こちらに持ってこれたものだ。

 体すら作り替えられてしまったボクにとって、これだけがヒビキである証拠。

 ひび割れていた部分は魔法で直してもらって使い続けている。

 

 視界が明瞭になったので、身だしなみを整える。

 

 顔を洗い、髪を丁寧にとかす。長くなった黒髪は、相変わらずツヤツヤしている。

 男だった頃ならともかく、今の体でだらしない恰好を人目に晒すのは抵抗がある。

 

 女になってしまった生活にもすっかり慣れたものだ。

 キョウがこんなところを見たらなんて言うだろうか。

 

 ローブを羽織り、三角帽子を被る。

 そうすれば今のボクは誰がどう見ても魔法使い、あるいは魔女だ。

 

 相部屋のシュカの姿は既になかった。今日も元気に早朝から走り込みだろうか。

 無人の宿の部屋に鍵をかけてボクは外にでた。

 ランニングも終わった頃だろう。多分今はここにいる、と宿の隣、ソフィアの部屋へと向かう。

 

 ノックをして自分の名前を告げ、ドアを開く。

 予想通りそこにはシュカとソフィアの二人がいて、何やら談笑していた。

 

「あれ、ヒビキが珍しく遅起きだね。今日は魔法大学行かないの?」

「んー? ああ、今日は講師役の人がいないからな。キョウは休みだーやったーってどっか出掛ける計画立ててた」

「キョウさんらしいですね」

 

 その様子を想像したらしい。ソフィアがクスクスと笑う。

 

「それじゃあせっかくだしあれだね。今日は僕ら三人でどこか行かない?」

「私たちで、ですか……?」

 

 ソフィアが意外そう顔でシュカに問い返すと、彼女はケモ耳をピクピクさせながら笑った。

 

「そう。王都から逃げ出してきたからずっと慌ただしかったから、ソフィアとは話す機会全然なかったでしょ? ヒビキもそう思わない?」

「まあ、たしかにそうだな。ソフィアがTSっ娘だと知ってから全然会話した記憶がない。ソフィアはキョウとばっか話してるからな」

「そそそ、そんなことはないと思いますが!?」

 

 ボクがソフィアに揶揄うように言うと、彼女は顔を真っ赤にしてブンブンと手を振った。実際のところ、ソフィアとキョウはかなり仲が良くてここに来るまでもよく話していた。

 王都にいた時以上に、彼女はキョウと距離が近くなっていた。

 

「あー、それはそうかも。ソフィアはキョウがいないなら僕たちと一緒にいたくはない?」

「いいえ、そんなことはありませんよ。お二人とも今まで私が会ったことのないタイプの方ですからね。話していて面白いです」

 

 ソフィアがにっこりと笑う。あまり嘘はなさそうだ。

 元々、好奇心旺盛な人だとは思っていた。

 騎士とお姫様。どちらの身分も、あまり自由がなかったのかもしれない。

 

「でも、ソフィアは自分で買い物とかあんまりしてないんじゃない? 箱入りのお姫様でしょ? 大丈夫? 小銭の価値とか分かる? ぼったくられても気付かなかったりしない?」

「まあ、最近はそうでしたが……でも騎士だった頃は買い出しなど行ってましたよ。私はシュカさんの思うような何も知らないお姫様ではないので!」

 

 ふふふ、と不敵に笑うソフィア。

 中身がどうとか知られる前なら決して見せなかった顔だろう。

 

「いやあ、でもソフィアは隠してた中身も踏まえて結構そのままな気がするけどね。騎士だっけ? 育ちがいいのはそんなに変わりないんじゃない?」

「育ち、ですか? 騎士たる私の家は貴族家ですが、そこまで歴史のある家ではないですよ」

 

 それを聞いたシュカは、納得したように頷いた。

 

「やっぱり貴族だったのかー。うん、なんとなく予想はしてたな」

「ああ、ボクも納得した。体が変わる前からなんか気品ある感じだったんだろうな」

「気品がある、というのは騎士の男だった身としてはあまり褒め言葉に聞こえないのですが……」

 

 ソフィアが微妙な表情を浮かべた。

 完全に女性としての自分を受け入れたように見えた彼女だが、一応男性としての意識は残っているらしい。

 

「じゃあソフィアはどんな風に見られたいの?」

「そうですねえ、頼りになる治癒術師、でしょうか。キョウさんが魔神を討伐するというのなら、それを全力で支えられるようになりたいです」

「へえ、なんか予想外だね。ソフィアはお姫様な見た目してるのに理想は騎士なんだね」

「ええ。肉体が変われど信念まで変わったつもりはありません。私は私。姫様の肉体を受け継いでここにいるのですから、彼女に胸を張れるように生きるのです」

 

 ああ、彼女は凄いな。大事な人を亡くして、それでもなお前をむいて 生きようとしている。

 ついついネガティブになって、彼女とは比較にならないほどつまらないことで落ち込んでいる。

 

「なるほどー! 信念のある人、僕は好きだよ。強いからね! というわけでソフィア、もう一回僕と戦ってくれないかな!?」

「戦いません。私は剣を振ったら一日はまともに動けませんから」

 

 ぴしゃり、と言い放ったシュカをギロッと睨むソフィア。

 シュカは不満そうに口を尖らせた。

 

「ええー! ケチ! 民の期待に応えた聖女様なら僕の願いも叶えてよ!」

「他人に迷惑をかける願いは叶えません。あの後キョウさんに怒られたのをもう忘れましたか?」

「うっ……覚えてるけど……」

 

 いつもはシュカと一緒に馬鹿をやるタイプのキョウだが、シュカがソフィアに殴りかかった時は結構本気で怒っていた。

 街について落ち着いてからキョウにこんこんと怒られたシュカは、犬耳がへた、と倒れていたのをよく覚えている。

 

「仲間内くらい平和にやれよ。敵に出会う前に動けなくなってたら笑い話にもならないぞ」

 

 別に不仲というわけではないと思うが、身内からいつ襲われるか分からないのは流石にソフィアが可哀そうだ。

 

「まあそうだよね。僕だって全力を出せずに死ぬのは避けたいし。じゃあ、ちょっと物足りないけど普通にどこか行こうか!」

 

 と言っても三人の趣味は微妙に合わない。

 ボクが好きなのは魔法とかその辺だ。知識欲が刺激されるし、ファンタジー要素はワクワクする。

 

 シュカが好きなのは体を動かすことだ。暇さえあれば冒険者ギルドで依頼を受けて魔物を討伐しに行っている。そんなストイックさが彼女をSランク冒険者にしたのだろう。

 しかし、休日で一緒に出かけようと言って依頼をこなすというのも変な話だ。

 

 ソフィアが好きなものは分からなかった。彼女に話を聞いてみると、忙しくて趣味どころじゃなかったらしい。

 昔は剣を見たり、友人の遊びに付き合ったりと色々やっていたらしい。「これから少しずつ楽しいことを思い出していきます」とは彼女の言葉だ。

 

 ボクたちは頭を捻った。共通点と言えば全員TSっ娘であることくらい。趣味嗜好はかなり違う。

 悩んだ末に向かった先は――

 



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裸の付き合い

 見渡す限りの肌色に、ボクは頬を赤らめた。無意識に自分の胸を隠してしまう。

 隠すもののないむき出しの肉体を、ボクはタオルで隠した。

 

 女風呂。それは男子高校生なら一度は侵入を夢見るユートピアだ。

 キョウがボクの話を聞いたなら、血の涙を流して悔しがるだろう。

 

 「なんでお前だけ! ずるいぞ!」とか言ってきそうだ。

 ……想像したらムカついてきたな。

 あいつはスケベ猿だ。馬鹿男子高校生だ。ハーレム野郎だ。

 

「ヒビキさん、何をそんなに恥ずかしがっているのですか? 早く行きましょう」

「ソ、ソフィアはなんてそんな堂々してるんだよ! お前もTSっ娘だろ!?」

「ええ。でも今の私は女性なので」

 

 不思議そうに首をかしげるソフィアの姿を直視する。

 彼女の美しい裸体は、女性の目すら惹きつけていた。

 

 ボクの目もまた彼女の体を観察する。

 冗談みたいに白い体は、まるで陶器みたいだ。均衡の取れた体は細くて、触れたら折れてしまいそうなほど。

 胸は平均よりやや小さいくらいか。それは欠点というよりむしろ彼女の上品な美しさを引き立てているようだった。

 特に腰まわりの曲線が綺麗だ。きゅ、とくびれた腰のあたりはコルセットでも巻いてるみたいに理想の体型。

 

 男が見れば、思わずその細い腰に手を回して……

 

「――ああー! 違う! ボクはキョウとは違う!」

 

 性欲とか興奮とか、全然しないし……! 眼鏡を触って落ち着こうとしたが、風呂に入る際に置いてきたことに気づく。

 ああ、ボクは随分動揺してるな。

 

「ヒビキ、何でそんな挙動不審なの? 眼鏡がないとまともに話せないタイプなの?」

 

 シュカが呆れた様子でボクに話しかけてくる。そちらを見て、ボクはまた息を呑んだ。

 惜しげもなくさらされたシュカの体は、健康的な美を体現していた。

 

 肌はソフィアよりやや焼けている。しかしシミ一つない。自分の体のケアなど興味なさそうなシュカは随分と綺麗な体をしていた。

 胸はサラシ越しに見ている頃から大きいと思っていたが、改めて直視すると普段の印象よりさらに大きい。柔らかくて、触れれば手が沈んでしまいそうだ。

 

 腰まわり、それと脚がかなり引き締まっている。普段から運動している成果だろう。ソフィアの腰回りは折れてしまいそうな美しさだったが、シュカのそれは余分な脂肪を落とした機能的な美を感じさせた。

 ところどころに筋肉がついているのが分かる。シュカの場合、筋肉は自分の体を太くするより内側に溜まっているようだった。

 

 大男をも一撃で蹴り倒してしまう脚は、ソフィアのものと比べるとやや肉がついている。

 しかしそれは不摂生の結果というよりも、運動している結果のようだった。

 視覚だけでも肉感を訴えかけてくるそれは、豊かな魅力を放っている。

 

「……ヒビキ、目がちょっと気持ち悪いよ?」

 

 シュカが少しだけ体を手で隠す。

 

「ばばば、馬鹿! ボクがそんなこと考えてるわけないだろ! キョウじゃあるまいし!」

「具体的には何も言ってないんだけど……」

 

 入口でずっともたもたしているわけにはいかない。ボクたちは湯船に浸かる前にシャワーを浴びることにした。

 

「王都にいた頃から思っていたが、異世界なのに随分風呂が充実しているな……」

 

 もっとも、ボクは大衆風呂を使うのは避けていた。言わずもがな、裸の女性の中に入っていくのは罪悪感があったし恥ずかしいからだ。

 

「入浴文化は勇者、転生者が広めたものらしいですよ。日本人として一週間風呂に入らないのはありえない! とかなんとか」

「ああ。気持ちは分かるな。街にいる時はともかく、移動中はずっと風呂なしだからな。ソフィアがいなかった時は特に汗が気持ち悪かった」

「ヒビキはキョウに汗臭いと思われるのが嫌だったんじゃないの?」

「……フン、そんなわけないだろ」

「ヒビキ、動揺すると眼鏡を指でクイッて上げようとするよね。今空振りしたけど」

「……」

 

 バレバレだったらしい。誤魔化すのをやめて、ボクはシャンプーで体を洗うのに専念した。

  

「そういえば、二年間女だったソフィアはともかくシュカはなんで違和感なく女風呂入ってるんだよ」

「僕? いや、裸とか裸じゃないとか、あんまり関係なくない? そういうの気にするのは交尾の時だけでしょ」

「――ゴホッ! ゴホッ! 交尾って言い方はないだろ!」

 

 もっとこう、風情のある言い方をしてくれ。

 シュカの言動は色々おかしいと思う。戦闘バカであること以外も。

 

「シュカさん。あなたも今は乙女なのですから、言動には気を付けた方がいいですよ」

「ええー。僕ソフィアみたいに育ち良くないもん。ていうか女であることはわりとどうでもいいし」

 

 拗ねたように言うシュカの言葉を聞きながら、ボクは髪をシャワーで流した。

 

「まあ、私が強制できるようなものではありませんが。けれど、キョウさんに変に思われるのはシュカさんも嫌でしょう?」

 

 隣でシュカが動揺しているのが雰囲気から察せられた。ボクは耳だけ傾けたまま髪をシャンプーで洗う。

 

「え、そんなに変だったかな?」

「ええ、かなり」

「そっか……ちょっと考えてみる」

 

 シャンプーを髪に馴染ませながら、ボクは驚いていた。シュカが素直に人の言葉を聞き入れるのは珍しい。

 短い付き合いで、ソフィアは彼女の扱い方が分かったらしい。

 

 

 

 

 体を洗い、湯舟の中へ。

 移動中は、恥ずかしくてなかなか周りを見れなかった。

 しかし、お湯の中に身を沈めていると不思議と動揺は収まってきた。

 

「ふう……やっぱり風呂は落ち着くな」

「ヒビキ、さっきまで縮こまっていたのに凄い満足そうだね」

「ああ。なんだか日本に帰ったような気分だ」

 

 思い出す。平和な日本で暮らしていた頃のこと。

 ボクは男で、キョウのただの友達で、なんでもない学校生活を過ごしていた。

 キョウの馬鹿な話に呆れて、適当にチャチャを入れて、そんな日々が退屈だとも思っていた。

 

「ヒビキさん。昔のことを思い出しているのですか?」

 

 ボクの顔を見て、ソフィアが優しく問いかけてきた。

 

「ん? ああ。この世界に来る前のことを、ちょっと」

「そうですか……ここに来る前は、キョウさんと一緒だったんですとね?」

 

 どうやらソフィアは、ボクとキョウはここに来るまでどんな風に暮らしていたか気になるらしい。

 見れば、シュカも興味深そうにボクを見ていた。

 

「そういうことを気にするあたり、余裕そうに見えてソフィアも恋する乙女だな」

「……いえ、別に? ただお二人がどんな生活をしていたのか気になっただけですが? 以前私の暮らしは話したので、聞いておかないと不平等だと思いまして。本当に、それだけですから!」

 

 ソフィアがやたらと早口になる。こうなった時の彼女はたいてい照れている。キョウと話してる時よくこの状態になっていた。

 

「……キョウとボクは、いわゆる幼馴染みだ」

 

 からかうのもほどほどにして、ボクは彼とどんな風に過ごしてきたのか話し始めた。

 

「小学生で同じクラスになったんだ。その頃のボクは同級生に馴染めてなかった。嫌な奴だったからな。他人の間違いばかりが目について、注意して」

「正義感が強かった、ということですか? 決して悪いことには思えませんが」

「まあ、よく言えばそうだが。ただ小学生にとって鬱陶しかっただろうことは想像できる。だからボクは、みんなにからかわれるようになったんだ。悪口を言われるとか上履きを隠されるとか、そういう些細なことだけどな」

 

 少しだけ当時を思い出して、ボクは上を見上げた。湯煙がもわもわと立ち昇っている。

 

「それでもボクにはショックだった。自分は間違ってないのにどうしてこんなことになるんだっていじけて、でも何もできなかった」

 

 あの頃から、ボクは臆病なままだ。

 

「そんな時、キョウが現れた。奴は悪口を言っている同級生の前に立って、こう言い放った。『お前ら、つまんないことしてるな』と」

 

 あの頃からずっと、彼の判断基準は自分が楽しいか楽しくないかだ。

 

「キョウはボクをからかう奴らを放っておいてボクと遊び出した。そっちの面白そうだから、とあいつは言っていたかな。――多分嘘だろうな」

「どうしてそう思うの?」

 

 シュカが曇りのない瞳でボクを見つめて聞いてくる。

 

「あいつは小学校の人気者。そしてボクは暗くて隅っこで本を読んでいる日陰者だ」

「今のヒビキさんはそんな感じはしないですけどね。もっと堂々としているというか、自分の知識、及びそこから出す推論に自信を持っているように見えます」

「そうそう! 結構いつも自信満々だよね!」

 

 二人の明るい言葉を聞いて、ボクは少しだけ笑った。

 

「そう演じてるだけだ。――本当にピンチの時には何も思い浮かばないんだからな」

 

 結局、シュカと戦った時もソウルドミネーターと戦った時も、ボクには何もできなかった。

 ボクは本当にキョウと一緒にいてもいいのだろうか。そんな想いが頭にぼんやりと浮かんできたのは、結構前からだ。

 

 いや、これは彼女たちに話すようなことでもないな。ボクは気持ちを切り替えた。

 

「……いや、この話はいいんだ。そうだな。キョウの初恋の話とか聞きたいか?」

「えっ、なにそれ面白そう! 聞きたい聞きたい!」

「えっ、ははは、初恋ですか!? それは聞きたいような聞きたくないような……いえ、でもこれから彼と付き合う上でどんな経験をしてきたのか聞いておくことは良好な関係構築に必要なことなのでき、聞かせてください!」

 

 元気に返事するシュカと、やたらと動揺するソフィア。

 それを見てなんだか先ほどまで悩んでいたのが馬鹿らしくなったボクは、上機嫌で語り始めた。

 

 

 それから、ボクたちの湯船での談笑はソフィアが顔を真っ赤にしてのぼせたので終了となった。

 彼女は相変わらず今の自分の体力を把握できていないらしい。虚弱気味のソフィアには長時間の入浴はきつかったらしい。

 

 のぼせたソフィアは「まだ……いけますから……」とうわ言のように言っていてボクたちを苦笑させた。 

 

 

 多分、ボクものぼせていたのだろう。

 上機嫌にキョウとの思い出を語っていたボクは、結局二人にマウントを取りたかっただけじゃないのか? 優越感に浸り、二人に負けることはないのだと実感したかったのかもしれない。

 そうだ、ボクはこんなにも魅力的な人間である二人に嫉妬していたのだ。

 たとえ性別が変わったとしても、ボクの醜いところは変わらなかったのだ。



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成長と次のステップ

 俺とヒビキが魔法について学んでいる場所、魔法大学内には、実際に魔法を試すための大きな実験室が存在する。

 高位の魔法を撃っても周囲に破壊が及ばないように結界が張られている、体育館のような巨大な部屋だ。

 ここなら派手で効果範囲が広い魔法を使っても観察できるし、実戦的な訓練もできる。

 

 俺はそこで、杖を構えたヒビキと相対していた。

 

「キョウ、行くぞ!」

「ああ、来い!」

 

 真剣勝負だ、とあらかじめ言っていただけあってヒビキのやる気は十分だ。

 ヒビキが詠唱を始め、杖が光り出す。

 

「『――ウォータートルネード!』」

 

 生み出されたのは、巨大な水の渦だった。背丈をはるかに超す青色の旋風。

 漫画にでも描かれるような非現実的な魔法が俺に迫ってくる。

 

 それに対して、俺は何の変哲もない普通の剣を構えた。

 

「フレーゲル剣術 中伝 ツインスパイク」

 

 最近ソフィアに教わった技を発動する。

 高速で振るわれる剣には、薄っすらと魔力を纏っている。

 

 ソフィアには「うーん、技量で言えば騎士のギリギリ及第点でしょうか。威力は申し分ないです」と言われた一撃だ。

 否定的に聞こえるが、これは剣に関してはとことん厳しい彼女にしては肯定的な評価だと言えよう。

 

 俺の剣が風音を立てて竜巻を迎え撃つ。技の熟練度はかなり上がっている。

 もし仮に高校生をしていた俺だったら、その動きを目で追うことは不可能だっただろう。

 

 ただし、普通に考えれば鉄の塊が風を斬れるわけがない。

 

「はあああ!」

 

 しかし、魔力を籠めれば魔法は斬れる。

 

 気合を入れて剣を振る。単にスキルに任せて剣を振っているわけではない。そこに俺の意思を、魔力を乗せる。

 

 二連撃技が竜巻を襲った。

 一撃で竜巻の威力を弱め、二撃目で完全に吹き飛ばす。

 

「『炎よ、我が意思に応えよ。ファイアーストライク!』」

 

 今度は俺の番だ。

 構えた腕から噴き出した炎が、ヒビキへと猛スピードで襲い掛かる。

 いつかドラマで見た火炎放射器の噴射。それを何倍も大きくしたような猛火の津波だった。

 

 しかし、ヒビキの反応は早かった。

 まるで事前に何が起きるのか分かっていたかのようだ。いつの間にか彼女の前に生み出されていた水の盾が、俺の炎の噴射を防いだ。

 

 ジュッ! という音を立てて消える炎を見ることすらせず、ヒビキは次の魔法を繰り出していた。

 

「『紫電一閃』」

 

 俺が見た中で最も早い魔法だった。ヒビキの杖から飛び出した雷は、一切ぶれることなく俺の体に迫ってくる。

 俺の炎魔法なんて比じゃないほどの速度だ。

 

 剣での防御も回避も全く間に合わず、俺は電撃を体で受けた。

 

 その途端、実験室に眩い光が走った。

 

 その光の正体は、魔法大学が誇る技術の一つ、魔法からの身体保護だ。

 実験室に張られた結界の中では人体を直撃した魔法の効果が中和される。学者が何代にも渡って開発した魔法を中和する大魔法だ。

 

 ヒビキの凄まじい雷に焼かれた俺は悲鳴を上げながら倒れ込むはずだったが、その場で軽い痺れを感じる程度に収まった。

 

 誰の目から見ても、決着は既についていた。

 

「ふふ……見たかキョウ! ボクの勝ちだ!」

 

 ヒビキが絵に描いたようなドヤ顔でこちらに近づいてきた。うきうきとした足取りなので、豊満な胸が上下に揺れている。

 コイツ……いつになくテンション高いぞ……! 

 

 ヒビキはテンションが上がると結構分かりやすい。俺の背中とかバンバン叩いてくるし、手を叩いて笑ったりする。

 普段クールぶってるので分かりやすい。頭の良い美女、と言った印象を受ける今の彼女がそれをやると結構ギャップがある。

 

「なんだよお前。強いじゃねえか。俺いなくても魔神とか倒せるんじゃねえか? もうお前ひとりでいいよ。俺は女の子とイチャイチャしてくる」

「お、なんだ? いじけてんのか? キョウにはしては可愛い反応だな」

 

 ヒビキがニヤニヤして俺の顔を覗き込んでくる。彼女の嬉しそうな笑顔が近づいてきて、俺は動揺する。

 

「……冗談だよ。俺はハーレムパーティーに相応しい男になるからな。まずは世界を救わないと」

 

 ヒビキは俺の言葉ににっこりと笑うと、顔を覗き込むのをやめた。彼女の人差し指が眼鏡を引き上げ、その瞳がレンズで見えなくなる。

 

「これで、ボクもお前の役に少しは立てるかもな」

「え?」

 

 彼女がぽつりと呟いた言葉は聞き取れなかった。

 聞き返すが、彼女はなんでもなかったような表情で別の話を始めた。

 

「キョウの魔法も随分威力が上がったな。美女に魔力の使い方を教わったかいがあったな」

「ああ。教えてくれたのが男だったらこんなに早く上達しなかっただろうな。美人さんの前で頑張ろうとしたのが良い方向に働いた」

「現金な奴め……」

 

 ヒビキは呆れたような目で俺を見た。

 

「ただ、今の魔法があっても王城で会ったソウルドミネーターを倒せたか怪しいな」

「……まあな」

 

 あいつは別格の気配を纏っていた。今の自分でも倒せるビジョンが浮かばない。

 

「だから、単に魔法が上手く扱えるようになったからと言って喜んでもいられないだろう」

「ヒビキは相変わらず現実的だなー。ここは凄い魔法撃てるようになった! って素直に喜ぶところじゃないか?」

 

 本当はもうちょっと喜んでいたかったんだろ。俺には分かる。

 いつもより表情豊かだし、目がキラキラしてる。そんなに俺に勝てたのが嬉しかったのだろうか。

 

「ボクはお前のようなお気楽バカじゃないんだよ。個人の力には限界がある。ボクたちに次に必要なのは、実戦経験、それとパーティー全体での連携の練習だろうな」

「いやでもシュカとか放っておいても敵を殴り倒すし練習しても無駄じゃないか? というかあいつを制御できる気がしない」

 

 ひとたび戦いのことになると、あいつの思考はかなりおかしい。

 普通、何の備えもしていない仲間のお姫様に急に殴りかかるか?

 悪意がないだけになおさらタチが悪い。あいつは人を害したいのではなくただ戦いたいだけなのだ。

 

「いや、他の奴ならともかく、キョウの言うことならシュカは従うだろ」

「そうか? あいつ基本的に俺のこと舐めてないか?」

 

 少なくとも敬意を感じたことは一度もない。まあ俺も彼女に敬意を示したことはないが。

 

「舐めてるかどうかと従うのかは別だ。だから、俺たちのパーティーで本格的に冒険者としての仕事をするぞ」

「勉強の次は仕事かあ。嫌だなあ。もっと楽して女の子とイチャイチャしたい」

「この阿呆は……」

 

 ヒビキの呆れたような視線を受けながら、俺は輝かしい未来に思いをはせた。



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理屈と直感

 俺がヒビキと一緒に魔法の練習に励んでいた間も、シュカとソフィアは何度か冒険者としての依頼を受けていたらしい。

 俺たちが魔法大学で研鑽しているうちに、パーティーの資金は増えていた。

 

 お金自体は召喚された時にいっぱいもらったが、ずっと働かずに暮らせるほどではないので非常にありがたい。

 

 ヒモ、という言葉が一瞬頭をよぎった。

 大丈夫、今から稼げばセーフ。まだヒモじゃない。

 

 とにかく。冒険者ギルドでも重用されるようになり、彼女たち二人は凄腕冒険者として名前を挙げていた。

 

 そもそも、元Sランク冒険者であるシュカがいれた大抵の依頼はどうにかなる。彼女にタイマンで勝てる存在などなかなか存在しないだろう。

 加えて回復役のソフィアは聖女であり、おそらくこの世界で最も優秀な治癒術師だ。動けなくなるというデメリットのある騎士の力を使わなくてもシュカなら十分彼女を守れるだろう。

 

 ……改めて、コイツらなんで俺と一緒にいるんだ? 

 

 俺は自他共に認めるポジティブな人間だが自分の実力を過信しているわけではない。

 勇者としての加護があるとはいえ、実績と経験が全然足りてない。

 対してシュカとソフィアは、経験も実績も十分な強者だ。

 

 ……まあ、いいか! 心強い彼女たちが俺のハーレムパーティー作りを手伝ってくれるって言うんだから喜んでおこう! 

 

 

 ◇

 

 

 さっそく、俺たちは4人で冒険者ギルドに来ていた。

 

「それじゃあソフィア、連携の練習のために、ちょっと手ごわくて練習になりそうな依頼を見繕ってくれないか?」

「ええ、お任せください」

 

 ソフィアは穏やかに笑うと、さっそく依頼書の貼られた掲示板と睨めっこを始めた。

 俺たちのやり取りを見ていたシュカが、不満そうに俺に話しかけてきた。

 

「冒険者のことなら僕に聞いてよ。なんでソフィアに頼んだの?」

「お前にこういうことやらせるとトラブル持ち込んでくるだろ。俺はもう知ってんだよ」

「ええー。信用ないなー」

 

 当たり前だろ。短い付き合いでお前の馬鹿さはよく分かってる。

 

「いや、信用してるよ。お前は絶対物事をややこしくして俺に面倒事を持ち込むって信じてる」

「キョウ君ひどいなー。そんなんじゃ女の子にモテないよ?」

「グッ……女の子と接する時はもっと優しくするから大丈夫だ」

「知らないの? 裏表のある男は嫌われるんだよ?」

「……」

 

 こ、コイツ普段馬鹿なくせに舌はよく回りやがる……! 

 言い負かした、と確信したのかシュカはニマニマと笑って俺の顔を見ていた。

 

「キョウさん、これなんかはいかがでしょうか?」

 

 ソフィアが掴んできた依頼書を四人で覗き込む。

 

 パッと見た感じ、森から出てきてしまった魔物の討伐依頼のようだ。

 

「ダイヤモンドエイプ? なんとも大仰な名前だな」

「ええ。強い魔物として知られています。王都の騎士団でもこれを倒すのはそれなりに苦労するでしょう」

「へえ、ソフィアが言うんなら本当に強いんだね」

 

 シュカがキラキラと目を輝かせた。まだ見ぬ強敵との戦いにワクワクしているようだ。

 

「シュカ、忘れたのか? 俺たちは連携の練習をするんだ」

「覚えてるよ。僕が最初にぶん殴って、みんなにおこぼれを上げればいいんでしょ」

「全然分かってないじゃねえか! 協調性の話をしてんだよ!」

 

 チームワークを、という話をしたはずなのに彼女は都合の良い曲解をしていた。

 

「強敵はこっちの足並みが揃うのなんていちいち待たないじゃん! 各々が思う最適な行動を取ればそれが連携になるでしょ!」

 

 シュカは強情だった。これだけは譲れない、という意思が見える。

 言葉を聞いていると、どうやら考えなしに言っているわけではないようだった。

 多分これは、シュカが多くの経験から出した結論なのだろう。

 

「キョウ君の理屈は戦いの中では通じないよ。そんなことやってたら死ぬだけだ」

 

 彼女は強い。

 己の直感に従って今まで生き抜いてきたから、独自の結論を持っている。

 

「シュカさんの言う理屈は完全に間違いとは言えませんね。騎士団でも、個人技に優れ我が強い騎士は遊撃として単独行動をさせたりしていました」

 

 ソフィアは規律正しさを重んじるかと思ったが、意外にもシュカに同意しているようだ。

 強さを極めた者同士、通じ合うものがあるのかもしれない。

 

「どうするんだキョウ」

 

 ヒビキに言われるまでもなく、分かっている。

 シュカを無理やり規律の中に入れ込むのは間違っている。彼女はきっと、自由の中でこそ輝く人間だ。

 それでも。

 

「でも、ソウルドミネーターと戦った時は、シュカは自分を犠牲にしようとしただろ」

「……それは、そうだけど」

「俺は、ああいうのは嫌だ」

「ッ……」

 

 彼女は大きく目を開いて俺を見つめた。

 

「俺が嫌だ。俺は自分勝手だから、俺のために誰かが死んでいくのは絶対に嫌だ。だから、俺が本当にヤバいと思ったら俺に従って欲しい。俺は俺が嫌だと思う結末を絶対に認めたくない」

 

 シュカはしばらくじっと俺を見つめたかと思うと、やがておずおずと頷いた。

 

「分かったら練習だ。いざという時のためだ。シュカには自由が似合うと思うし、好きに振る舞って欲しい。ただ、本気でヤバい時に力を貸して欲しいってだけだ。分かったか?」

 

 こくこく、と頷くシュカは、なんだかいつもの覇気がない。もっとこう、反発されるかと思ったんだが……。

 

「ソフィアも、それでいいか?」

「キョウさんがそう判断したのなら、私に異論はありませんよ」

 

 ソフィアは優しく笑ってそう言ってくれた。



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彼らの連携

 魔物討伐に出発する前、ヒビキから進言があった。

 

「今日の戦い、ボクに最後の一撃を任せてくれないか?」

「別に構わないと思うけど……なんでわざわざ?」

 

 俺に語り掛けた彼女の表情は硬くて、何か決心を感じた。

 

「魔法大学での講義がかなり参考になったから、自分の力がどこまで通用するのか試したいんだ。……ボクの力がこのパーティーに相応しいものなのか、試したい」

「特に異論はありませんが……」

 

 言葉に詰まったソフィアが俺の顔を見る。

 

「……キョウさんも、彼女の提案に賛同しますか?」

 

 ソフィアの目が俺を貫く。彼女は、俺に選択を委ねているようだった。

 ヒビキについて最もよく知る俺が決断するべきだ。彼女の瞳は、そう語っているようだった。

 

「ああ。ヒビキの言う通りにしよう」

 

 どうやら、今のヒビキには自信というものが必要そうだ。

 俺はそんな風に感じていた。

 

 

◇ 

 

 

 森を進むいくらか時間が経った。今まで会った魔物は小物ばかりで、シュカの拳や俺の剣であっさりと倒せてしまった。ヒビキの魔法やソフィアの治癒の力すら必要なかった。

 警戒しつつも、雑談を挟みながら森を彷徨う。

 元から経験豊富なソフィアとシュカは特に緊張した様子はない。一方のヒビキは、相変わらずちょっと表情が硬いようだった。

 

 シュカを先頭にして視界の悪い森の中を進んでいると、突然シュカが手を上げて立ち止まった。

 彼女の耳が周囲を警戒するようにぴくぴく動く。見れば、ソフィアも周囲に鋭く視線を巡らせ警戒しているようだった。

 

「……いたか?」

「分からないけど、近いと思う」

 

 俺は剣を抜き、ヒビキは杖を構えた。

 やがて、奥の方から地響きが聞こえてきた。まるで岩石が地面を走っているような大きな音だ。重さだけで言えば、今まで会った魔物の中でも一番かもしれない。

 

 枝葉を搔き分け――否、木の幹そのものを倒壊させながら、そいつは俺たちの前に姿を現した。

 

「キィィィィッ!」

 

 叫び声が俺の鼓膜を激しく震わせる。

 

 俺たちの世界にいた猿をそのまま10倍くらいに拡大したような見た目だった。

 その巨体は、自然界にはそぐわないクリスタルのような色をしていた。

 半透明の体毛は、周囲の緑を薄っすらと反射している。

 森林という自然界において、その不自然な色はあまりにも異質だった。

 

「ソフィア、こいつが!?」

「間違いありません! Bランクモンスターの中でも最強と名高いダイヤモンドエイプです!」

 

 凄まじい雄叫びと共に巨体が迫ってくる。それに真っ先に反応したのはシュカだった。

 

「魔闘術――流水」

 

 直撃すれば肉体をえぐってしまいそうな拳を、シュカは滑らかな動きで受け流した。ダイヤモンドエイプの体がバランスを崩す。

 いつもならそのままカウンターを繰り出すところだが、彼女は不機嫌そうにこちらをちらりと見た。

 

 ……なんだ。不満そうにしてても一応協力する気はあったんだな。

 

「ヒビキ! お勉強の成果見せようぜ!」

「ああ! 『大地よ、万物を支える不動なるものよ――』」

 

 ヒビキが詠唱を開始するのと同時に、ソフィアの聖魔法が発動した。結界魔法。聖女たる彼女のそれは、並大抵の攻撃を通さない。

 シュカを躱してこちらに突っ込んできたダイヤモンドエイプは、まるでパントマイムでもするみたいに透明の決壊に衝突した。

 

「キィィ!?」

 

 全速力でぶつかったにも関わらず、ダイヤモンドエイプは大したダメージを受けていないようだった。

 鉄壁というのは本当のようだ。自身の体重も相まってコンクリートに突撃したトラックのような衝撃を受けたはずだが、流石のタフさだ。

 

 動きを止めたダイヤモンドエイプに向けて、俺は斬りかかった。

 

「フッ……」

 

 魔力を籠めた一撃は、頑強な皮膚を浅く傷つけるだけにとどまった。

 仕留められるとは思っていなかったが想像以上の硬さだ。

 

「ヒビキ、いけるか!?」

「――『其の威容を示し、地上を貫け。クレイランス』」

 

 ヒビキの詠唱が終わると、地面から土でできた巨大な槍が飛び出した。

 

「キィィィ!?」

 

 俺の剣など比べようもないほどの威力の籠ったそれは、ダイヤモンドエイプの胸をあっさりと貫通した。

 

「キィ……」

 

 急所を貫かれた魔物は、槍に貫かれたままその場で力尽きた。

 

「お、おお……」

 

 凄いな。ヒビキの魔法は元々凄い威力をしていたが、ここまでだっただろうか。

 

 実際、技の派手さで言えば前に使っていたやつの方が上だ。

 しかし今のは、敵の急所を正確に捉えていた。

 

 戦闘が終わったのを確認して、ソフィアとシュカがこちらに近づいてくる。

 

「ヒビキさん、今のは見事な攻撃でしたね」

「ああ、ありがとう。思ったより上手くいってボクも安心したよ」

「ヒビキー! 次は僕にそれ撃ってよ! 戦おう戦おう!」

「いや、シュカが防御しそこねたら死ぬだろ……」

 

 戦いの心得がある二人から見ても、ヒビキの今の一撃は見事なものだったらしい。

 

「……良かったなヒビキ」

 

 少し心配していた。彼女は自分が役に立っていないんじゃないかと気にしているようだった。

 そんなこと直接言うのもこっぱずかしいので言わないが。

 

「キョウ、なんか言ったか?」

「いや……」

「ヒビキ、キョウ君は今自分より君がちやほやされて不機嫌なんだよ。そっとしておいてあげて?」

「おい、勝手に俺の心中を捏造するな」

 

 ヒビキが評価されるなら普通に嬉しいし。

 仲良く話すヒビキとシュカを眺めていると、ソフィアがこっそり話しかけてきた。

 

「キョウさん、どこか安心してますね。ヒビキさんのメンタルを心配してらっしゃったのですか?」 

「……ソフィアにはバレてたか。ヒビキには言うなよ。変なプライド刺激するから」

「ふふっ、キョウさんは自分勝手だなんだと言っていますが結構気遣いの人ですよね」

 

 ソフィアは心底面白そうに笑った。そういうこと言われと、居心地が悪い。

 

「それは勘違いだぞ。俺は俺が気持ち良くやるために自分の気に入った人間には幸せでいてほしいんだ。あいつのためじゃなく俺のためだ」

「ええ、ええ。そうでしょうね」

 

 ソフィアの笑顔は崩れなかった。余裕を見せつけられているみたいで、ちょっとした敗北感を覚える。

 

「ソフィアは俺に期待しすぎなんだよ。俺は君みたいに清廉潔白じゃない。嫌なことからは逃げるし楽しいことばっかり考えて。勝手に期待して勝手に失望しないでくれよ」

「ええ、存じていますよ。その上で、私はそういう方が好きですよ。いいじゃないですか、自分の大事な人のためになら頑張れるだけでも。元々私もそういう考え方でしたから」

 

 ソフィアは少し視線を逸らすとどこか遠くを見つめた。

 会話が途切れたところで、ヒビキとシュカがこちらを見ているのに気づいた。

 

「……なんだ?」

「いや、やっぱりお前ら仲良いなと思って」

 

 ヒビキはそれだけ言って、すぐに別の言葉を紡いだ。

 

「討伐の証拠を持ち帰らないとだな。今剣を扱えるのはキョウだけだ。耳のあたりでいいから斬ってくれないか?」

「おう。ところでこの宝石みたいな表面、高く売れたりしないのか?」

「ダイヤモンドエイプの皮は珍しい見た目から高く売れますが、良い状態で切り離すには専門的な技術が必要です。冒険者ギルドに任せれば討伐者にもお金が入ってくるはずなので、今は討伐証明だけで十分ですよ」

 

 相変わらずソフィアはこの世界の事情に詳しいな。

 耳を切り取ると、俺たちはその場を後にした。

 

 冒険者ギルドに戻ると、受付の女性がひどく安心した顔をした。

 

「皆さん、討伐お疲れ様でした。これで周辺住民の皆さんも安心できるかと思います」

「いえいえ、それほどでも……本当仲間たちが優秀だっただけで、いやでも俺も結構……ガッハッハ!」

「キョウ君、テンション高いね」

「あいつ美人に褒められるとすぐ調子乗るからな」

「調子の良い奴め……」



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観光しようぜ!

 魔法都市は比較的平和な場所だ。魔物の出現率は高くなく、近辺に強大な魔王の姿もない。

 

 もともと優れた魔法使いが集う場所だけあって、防衛能力はかなり高い。

 魔法大学は多くの優秀な魔法使いを抱えている。

 

 研究職の魔法使い、前途有望な学生たち。魔法関係のスキルランクを平均すればB程度。

 実戦経験がほとんどないのが玉に瑕だが、彼らが固まって高火力の魔法を繰り出すだけでも相当な脅威となるだろう。

 

 魔物や魔王の蔓延るこの大陸において、魔法都市は比較的平和で栄えている場所と言えよう。

 

 そんな都市に来たのだから、一日くらいかけてじっくり見て回りたいだろう。

 異世界観光ツアーとかワクワクするし。

 俺は事あるごとにヒビキにそう訴えていた。

 

「それじゃあ、そろそろキョウがうるさいし観光ツアーでもするか」

「よっしゃ! カタブツが折れた!」

「おい、調子乗ってるとぶん殴るぞ」

 

 実際ヒビキはカタブツなので、こういった言動は珍しい。

 もしかしてちょっと元気出たか? 

 

「観光……そうなると私の出番ですね!」

 

 横で聞いていたソフィアがなぜか気合を入れてフンフン言い始めた。

 

「魔法都市については王女としての勉強の際にひとしきり勉強しております! 観光ツアーとなれば、私が完璧なガイド役を演じてみせましょう!」

「……お、おう」

 

 彼女の目があまりにもキラキラしているので、俺は余計なことを言うのをやめた。

 彼女が何かやりたい、と言ってくれるだけでも嬉しいし。

 

 張り切るソフィアに先導されて、俺たち四人は宿から出た。

 

 

 ◇

 

 

「魔法都市最大の特徴と言えば、やはり中央にそびえ立つ魔法大学でしょう。ただしあそこは無許可で立ち入れるような場所ではないので、直接見学はできません。キョウさんとヒビキさんはよく出入りしていましたが、それはあくまで勉学のため。観光をしたいと言っても聞き入れてもらえないでしょう」

「ああ、あんまり自由に移動とかはさせてもらえなかったな。機密情報とか多いんだろう」

 

 ヒビキが納得するように頷く。

 

「しかし、その研究結果は都市内に還元されているのです。あれを見てください」

 

 ソフィアが指刺したのは、路上に設置された何かの露店だった。店主がニコニコと何かを手に取り、子どもに手渡している。

 

「アイスクリームという食べ物は転生者の皆さんの知識から作られました。そして、冷やして保存する技術は魔法大学の研究の賜物です」

 

 よく見れば、店主の後ろには小さな冷蔵庫のようなものが置いてあった。

 当然電気が通っているわけがないので、俺たちの知る冷蔵庫のわけがない。

 

「アイスクリームを保存する箱は魔法大学の開発した氷魔法『フリージングブレス』の魔法陣が刻まれています。それによって内部を冷えたままにしているのです」

「魔法陣……魔法大学で名前だけは聞いたな。最近研究されている技術で、スキルを持たない人でも魔法の恩恵を受けられる研究だったか」

「さすがヒビキさん、よく学んでおりますね。まだ研究段階のため王都でもほとんど知られていないですね」

 

 話の内容はあまり理解できなかったが、何やらすごいことなのは伝わってきた。

 ちなみにシュカは俺の隣で「ぽけーっ」としている。馬鹿仲間がいて俺も一安心だ。

 

「なるほどな。女の人が可愛いだけじゃなかったのか、魔法大学」

「お前は大学で何を学んだんだ?」

 

 ヒビキの呆れた目が俺に突き刺さった。

 

「ねえねえ! そんなことよりそのアイスって言うの食べてみようよ! なんか美味しそうな匂いがする!」

 

 難しい話に飽きたらしい。アホの子であるシュカはワクワクとした口調で露店を指さした。

 

「そうですね。ここで話をしているよりも味わった方が分かりやすいかもしれません。食べてみましょうか」

 

 店主の元に走って行ったシュカが金を出すと、アイスクリームが4つ出てくる。

 小さなカップの中に入っているそれは、久しぶりに見たこともあってかなり美味しそうに見えた。

 

 露店の前には小さなテーブルとイスが置いてある。ちょっとおしゃれな喫茶店みたいだ。この辺のデザインも転生者の知識だろうか。

 

 席に着くと、待ちきれないと言った様子でシュカがさっそくかぶりついた。

 

「いただきまーす! ……つめたっ!?」

 

 驚いたシュカは口を抑えてオロオロし始めた。

 

「こ、氷を丸飲みした時みたいだね……でも、信じられないくらい甘い!」

 

 慌てるシュカに、俺は不敵な笑みを浮かべた。

 

「ククク、田舎者がうろたえやがって。舌が肥えた日本人にとってこれくらいありふれたもんだぜ? ……うまっ! 想像以上に美味いな!」

「お前もたいがい田舎者だろ」

「いやヒビキも食ってみろって。美味いから」

「……本当だ」

「露店で食べるのは不思議な趣がありますね。王城での豪華な食事とはまた違った美味しさです」

 

 おそらく高級料理にも慣れているだろうソフィアも満足顔だった。

 

「スキルってこういう使い方もあるんだな」

 

 多分、俺が氷魔法のスキルをもらったところでこんな使い方は思いつかなかっただろう。

 

「ええ。スキルを授かって、自分のためだけではなく他人のために活かそうと思った優しい方がこういった発想をできるのでしょう。王国が誇るべき人材ですね」

 

 ソフィアが嬉しそうに笑った。

 彼女は偽物のお姫様かもしれないが、国を想う気持ちは本物だった。

 

 

 カップの中のアイスクリームが消えてみんなが満足した顔になると、観光ガイドのソフィアがニッコリ笑って言った。

 

「さて、それでは次のおすすめスポットに行きましょうか」



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みんなが幸せに暮らせるように

お待たせしました


 魔法都市観光ツアーの案内人(仮)、ソフィアが続けて連れてきてくれたのは都市の外周部だった。

 

 魔法都市には周囲をぐるりと覆い囲むように外壁が存在する。

 比較的平和な場所だが、周囲には魔物の生息地帯が点在するため都市を覆う壁は必須だ。

 

「外壁を見てもあんまり感動できないと思うけど……あれか、おっきいなーとか言えばいいのか?」

 

 ガイドのソフィアの意図が分からず困惑するが、隣のヒビキは違う感想を持ったようだ。じっくりと壁面を眺めている。

 

「これ……さっき言ってた魔法陣が刻まれてるな。よく見ると壁面に薄っすら魔力が通ってる」

「え? ただの壁に魔法使ってるってことか?」

「使ってるって言うよりは待機状態だな。何らかの条件を満たすと魔法が発動する」

 

 ヒビキは興味津々と言った様子で壁を擦っていた。

 

「ヒビキさんは魔法について随分勉強したのですね。これが魔法都市の防衛の要、物理防御と対魔法結界を兼ね備えた『デュアルプロテクター』です」

 

 おお、なんか強そうな名前。

 

「じゃああれか。ヒビキが魔法ぶっ放してもソフィアが剣を振っても壊れないってことか?」

 

 俺の言葉にヒビキは無言で頷いたが、ソフィアは少し訂正した。

 

「一撃では不可能ですね。物理的に斬れても魔法的防御に邪魔されます。ただ、私がかつての体だったなら壊さずとも飛び越えれば済む話ですが」

「こわ……このお姫様こわ……」

 

 なんで外壁に対抗意識燃やしてんだよ……。

 彼女は謎に熱くなってしまったことを恥じるようにコホンと咳払いすると、解説を始めた。

 

「話を戻しましょう。この結界ならば、大規模魔法をも防ぐことができます。そして有事には外壁の上に魔法使いを配置して攻撃することもできます。『デュアルプロテクター』ができて以来、魔法都市が敵の侵入を許したことはありません」

「これも魔法大学の研究成果、か」

 

 つまり、この都市の人たちの安全を守っているものだ。

 

「ええ。技術が確立してコストの問題が解消すれば、王都にも造られる予定です。観光、というには少し退屈だったかもしれませんが、この都市が何に守られているのか知っておいて欲しかったのです。それがこの場所について知るということに繋がりますから」

 

 かつて王都において魔王に立ち向かい、大勢の民を守った騎士様は、そう言ってニッコリ笑った。

 

 

 ◇ 

 

 

「演劇は何も最近できた娯楽ではありません。昔から貴族を中心に親しまれてきました。しかしここの公演は昔からある演劇とは一味違いますよ」

 

 大きな劇場の中に入ると、真っ先に大きな舞台が目に入ってきた。木造の古典的な舞台だ。大きな幕が下りているため、現在は中の様子は見えない。

 シュカがちょっと不満そうに口を開く。

 

「演劇かー。見たことないけど、長い間じっとしてないといけないんだよね? 僕そういうの苦手かも」

「今回のものは教養的な内容ではなく誰でも楽しめる庶民的なものなのでシュカさんにも楽しんでいただけると思いますが……見るの、やめますか?」

 

 ソフィアが気遣うように言ったので、俺は適当にシュカを煽る。

 

「なんだー? シュカは『待て』もできないのか?」

「ムッ……見るよ! キョウ君でも分かる話なら僕でも分かるし!」

 

 こいつ……やっぱり俺のこと馬鹿にしてやがるな。

 俺は馬鹿だがシュカほどではない。そう思って彼女を睨むが、彼女は「フン」と軽く鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまった。

 

 

 ◇

 

 

 舞台の幕が上がった。

 主演らしい俳優が高らかに声を響かせる。

 

「おお、我が故郷は傍若無人にして邪知暴虐の魔王によって燃やしつくされてしまった! 私は決してこの虐殺を赦しはしない!」

 

 平凡な農民だった彼は、復讐のために身を削って訓練を重ね、魔王討伐の大望に向けて動き出す。

 彼の真摯でどす黒い願いを、運命の神は見ていた。

 鍛錬のために入った深い洞窟の中で、彼は一振りの魔剣を手に入れた。

 

「神は私を見捨てていなかった! この憤怒の魔剣さえあれば、魔神すら打ち倒せるだろう!」

 

 男は禍々しいオーラを纏う魔剣を手に入れた。

 その剣は男に凄まじい力を与え、ついには魔王と対面することが叶う。

 

「我が怒り、この身を焼き尽くさんばかりの憤怒は貴様を焼き尽くすであろう。七大魔王、龍王ファフニールよ。ここが貴様の墓場だ」

 

 男は真っ赤に燃える炎を纏っていた。自らの身をも焼く炎は、仇敵たる龍王にも襲い掛かった。

 

「馬鹿な……! 500年生きたワシが30年も生きていない小僧に負けるなど……ありえん……ありえんんんんん!」

 

 龍王は消えない炎に焼かれ、灰となる。

 後に残った復讐者もまた、自ら纏った炎に焼かれて塵となった。

 

 これにて復讐劇はおしまい。後に残ったのは、魔王の恐怖から解放された人類の歓喜だった。

 

 

 ◇

 

 

「凄かったね! 炎がぶわーって! 魔法がゴーッて!」

 

 シュカの語彙力不足な説明は、けれども俺たちの感想を代弁していた。

 

「すごいな。CGでも見てるみたいだった」

「ああ。科学技術抜きでこれほどの演出ができるとはな。正直なめてた」

 

 遥かに進んだ技術でアニメやドラマを見ていた俺たちも驚いた。やっぱり生で見るっていうのは迫力が違う。

 

「こちらも大学からの技術提供ですね。既存の演劇に閉塞感を覚えた劇団と、魔法による演出に研究を活かしたかった大学側の提携です」

 

 なるほど、ソフィアが俺たちに何を見せたかったのかなんとなく分かった。

 

「この都市には魔法を使える人だけじゃなく、みんなが楽しく暮らせるようにっていう願いが籠められているんだな」

 

 確認するように言うと、ソフィアは満足気な表情で頷いた。

 彼女がはりきっていた理由が分かった。

 本当に、偽物なのに本気で国民を案じている優しいお姫様だ。

 

 みんなが幸せに暮らせるように。素晴らしい理念だ。

 

 それはこの世界でもまた誰もが願い、そして壊されてきた願いだった。



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都市の異変

 この世界は危険でいっぱいだ。戦争だってあるし、人を殺すことすら厭わない盗賊だって珍しくない。

 

 そして、突然現れた魔王に街ごと破壊されることだってそう珍しいことではないのだ。

 たとえ王国内でも最高峰の防衛能力を誇る魔法都市でさえも、例外ではない。

 

 何気ない日常が絶対に明日もあるというのは幻想だ。

 

 万物は流転する。

 異世界におけるそれなりに幸せな生活というものは、力ある一人の意思であっさりと壊されてしまう不安定なものだった。

 

 

 先日キョウたちがBランクの魔物、ダイヤモンドエイプを討伐した場所、魔法都市北部の森林地帯には、異変が起きていた。

 

「ブモオオオオオ!」

 

 木々の間をくぐり抜けて、小さな影が疾走する。

 森に住むCランクの魔物、フォレストボアはそれなりに大きな体躯を持つ猪のような魔物だ。

 

 森の中ではほとんど敵なしのフォレストボアは今、ひどく怯え、森の中を必死に逃げていた。

 平時であれば絶対に見られない光景だ。

 

 フォレストボアは縄張りを荒らす相手には絶対に歯向かう。

 Aランク相手であろうと勇猛果敢に襲い掛かるフォレストボアが、脇目も振らずに逃亡している。

 

「……」

 

 それを追うようにしてゆっくりと歩く影があった。

 遠目に見れば、何の変哲もない瘦身の男だ。長く伸びた黒髪。気だるげに曲げられた猫背。陰鬱な顔。

 

 しかし、その体から発せられる気配は明らかに普通の人間とは違うものだった。

 その証拠に、危険な森を無防備に歩いているにも関わらず彼に襲い掛かる魔物の姿は全くない。

 

 この森に逃げ込んだ魔物、ダイヤモンドエイプもそもそもがこの魔王から逃げてきた結果このような人里近くまで来たのだ。

 

 冒険者ですら手を焼くBランクの魔物を戦わずして逃亡させる存在。

 彼こそが人類の生存を脅かす魔王の一柱。戦わずして敵を無力化するスキルを持った異色の魔王だった。

 

 魔王は己から逃げる魔物など見向きもせず森を歩き続け、やがて遠くに見えてきた都市を見つめた。

 

「ようやく見えたな、魔法都市」

 

 陰鬱な呟きが漏れる。その瞳には、何年もかけて凝縮された複雑でドロドロした感情が浮かんでいた。

 

「あの虚栄都市を我が力にて征服すれば、この鬱屈は報われる」

 

 痩身の魔王が力を溜める。

 彼の纏う異様な空気が、さらに濃度を増した。

 

 雰囲気などという曖昧なものではなく、力を持った何かが空間を駆け巡る。

 逃げ遅れた魔物たちは、その場にバタバタと倒れだした。

 

「『虚無の波動』」

 

 彼の体から放たれた空気は、黒色だった。それは木々や岩すら貫通し、どこまでも伸びていく。

 そして到達した都市の外壁。魔法に対する絶対の防御を誇る外壁は、しかし魔王の放ったスキルを防ぐことはできず、街の中に黒色のオーラを通した。

 

 それを確認した魔王は、先ほどのスキルを断続的に発動させながら魔法都市へと歩いていった。

 

 

 

 

 装備を整えて冒険者ギルドの依頼を受けに行く。魔法大学に行く頻度は減らして、今は経験を積むことを優先している。

 

「もっと難しい依頼を受けてもいいんじゃない?」

「シュカは戦いたいだけだろ。我儘言うな」

「ええー! 僕とソフィアがいればどうとでもなるじゃん!」

「そりゃそうだが……」

 

 実際その通りなので反論しづらい。

 

「シュカ、僕たちは最終的に魔神討伐を目的としてる。転生者のキョウの力をつけるのが優先だ」

「そうですね。いくらシュカさんと言えど魔神をひとりで倒せるわけではないでしょうし」

 

 魔神討伐、というよりもその功績でハーレムを作るのが目的なのだが……。まあいいか。

 

 談笑をしながら都市を出ようとする。道を歩く人とちらほらすれ違った。

 ここにいる人たちはそれなりに幸せそうな顔をしていて好きだ。食うのに困ってなくて、命の危機に毎日晒されていない。

 それは結構幸福なことなんだと、ここに来てから気づいた。

 

 昨日とあまり変わらない日常。

 しかしそれは、唐突に破壊された。

 

 

 真っ先に異変に気付いたのは、ソフィアだった。彼女は突然顔色を変えて警句を叫んだ。

 

「――ッ、何かが来ます!」

 

 その瞬間、空間を黒い何かが通った。形を持たない、空気としか言えないような何か。それが防御する暇もなく自分の体に迫り、そのまま貫通していった。

 黒い空気に触れると、不気味な悪寒が全身を支配した。心に何かが入ってくるような感覚。

 

 それは少しすると俺のうちから出て行った。

 体の調子を確かめると、異常はない。

 

 しかし、周囲にいる人はそうはいかなかった。

 

「ぐ、う……」

「……」

 

 ヒビキとシュカが突然苦しみだしその場に倒れた。

 

「キョウさんは無事ですか!?」

「俺は問題ない! ソフィア、何が起きたか分かるか!?」

「おそらく何らかの魔法攻撃だと思われますが……しかし魔法都市の結界を突破できるとはとても思えません……!」

 

 ソフィアですら現状を把握できていない。周囲を見れば、他の人たちもヒビキたちと同じように地面に倒れ込んでいた。

 

「ヒビキ、おいヒビキ!」

 

 俺はヒビキの肩を揺さぶってよびかけた。

 特に激しく苦しんでいるシュカの元にはソフィアが駆け寄り治療を始めた。

 

「……ちがう、ボクは……!」

 

 ヒビキの大きく開かれた目は虚空を見つめて小刻みに震えていた。その様子は、ここではないどこか別のところを見ているようだった。

 

「ヒビキ! ヒビキ! どこ見てんだよ!」

「ちがうっ! ボクは、キョウのために……違う、違う、違う!」

 

 こちらの言葉が聞こえていない。ヒビキは、現実に存在しない何かにひどく怯えているようだった。

 

 

 

「……あれか?」

 

 異様な雰囲気を纏った痩身の男が、無防備に歩んでいる。

 突然人が倒れだして混乱する魔法都市の中にあって、彼は周囲で倒れる人を見もせずに中心部である魔法大学へと歩いている。

 

「あれのせいで、ヒビキとシュカは苦しんでいるのか……!」

 

 拳を握る。憤りが胸のうちから噴出する。

 剣柄を握り、俺は一歩前に踏み出た。



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瘦身の男

 突然人が倒れ始めた魔法都市。

 その中にあって、堂々たる足取りで都市の中心に向かっている男がいた。

 

 おそらく、今尚ヒビキとシュカを苦しめている力はこの男のものだろう。

 そう思って、俺は剣柄を握った。

 

 しかし、唯一無事だったソフィアが俺に鋭く警告した。

 

「キョウさん、不用意に仕掛けないでください。相手は王国の魔法技術の結晶を突破し、この都市に侵入した敵です。私にもどんな力を使ったのか分かりません」

 

 彼女は鋭い目で痩身の男を据えていた。

 

 彼女が治療したシュカは、先ほどよりも呼吸が穏やかになっていた。

 けれども、真っ青な顔をして目を覚まさない。ソフィアの治療ですら彼女の目を覚ますことはできなかったらしい。

 

「シュカの馬鹿、待ち望んだ強敵だっていうのに寝坊か。普段の威勢はどこ行った?」

「これは技術で受け流せる類の攻撃ではありませんからね。おそらく強力なスキルが必要です。シュカさんの力で対応できないのは仕方ありません」

 

 ちら、と仲間たちの様子を見る。顔を真っ青にしたシュカ。何事かブツブツ呟き続けて焦点の合わないヒビキ。

 ソフィアの場合は、聖女としての力で力の影響を防いでいるのだろう。

 

 おそらく、あの男を倒せばこの力は収まる。

 そこまで分かれば十分だ。

 

「ソフィア、あれを初撃で仕留める。支援を頼めるか?」

「キョウさん、あなたは本当に……いえ、その方がいいかもしれません。承りました。全力で支援致します」

 

 ソフィアが何事か唱えると、俺の体に力が湧いてくるのが分かった。

 SSランクのスキルによる支援魔法。体に力が行きわたる。

 

 傲慢の魔剣は――相変わらず抜けない。

 俺は普通の剣を握りしめると、瘦身の敵へと飛びかかった。

 

「フレーゲル剣術――『ツインスパイク』」

 

 今まで繰り出した技の中でも一番のキレだった。

 ソフィアによる全力の支援魔法の恩恵は大きい。今までは俺の成長のために敢えて使わなかったのだろう。この状態なら、ダイヤモンドエイプすらも一撃で倒せそうだ。

 

 俺の気配を感じたのだろう。驚いたように瘦身の敵が振り返る。

 無手だったはずの彼の手にはいつの間にか幅広の肉切り包丁が握られていた。

 彼はそれを振るうと、俺の剣に合わせてきた。

 

「グッ……」

 

 感じたことのない手ごたえだった。まるで虚空を攻撃しているような感覚。鉄と鉄で打ち合っているとは思えない。

 暖簾に腕押しとはこのことだろうか。剣の接触部分を見る。肉切り包丁と剣の間には、ポッカリと浮かんだ「暗黒」が浮かんでいた。

 

「ッ!」

 

 無理やり距離を離して体勢を整える。瘦身の敵は先ほどの肉切り包丁を構えて俺を見た。

 

「なぜ、動けている?」

「なんでだろうな。俺が馬鹿すぎて効かなかったのかもな」

 

 おそらく、先ほどのは精神攻撃の類だろう。ヒビキの様子などから、俺はそう推測する。

 肉体に影響する術であれば、ソフィアの治癒で治せたはずだ。幸運にも俺にはこういった類の攻撃は効かないらしい。

 

 敵の範囲攻撃は防げたが、彼が手に持つ肉切り包丁の性能が分からない。

 

 先ほど空中に「暗黒」を展開した得物を油断なく観察する。まるで、次元の裂け目がぽっかりと開いてしまったような光景だった。

 飲み込まれれば最後、二度とこの世界に戻れないような予感がする。

 

「あれは……なんだ?」

 

 疑問が口からこぼれてくる。

 すると、唐突に傲慢の魔剣が話しかけてきた。王城で喋って以来話しかけても答えなかったくせに、自分が話したい時は口を開くらしい。

 

『おい小僧。あの剣なかなかの業物じゃぞ。我ら七罪の魔剣ほどではないが、国宝になっていてもおかしくないレベルの魔剣じゃ』

「へえ、プライドの高いお前が言うんだから本当だろうな」

『ああ。虚空を生み出し、次元の彼方へ敵を飲み込む魔剣じゃ。尤も、我ら七罪の魔剣が一本、「暴食」に真っ二つに折られて今ではあのような惨めな姿じゃがのう』

 

 くつくつ、と笑う気配がする。つくづく性格の悪い剣だ。

 察するに、もともと長剣だったあの剣は真っ二つになって包丁程度のサイズになったらしい。とはいえあの特殊能力がある以上危険度に変わりはないだろう。

 

『じゃが、未熟な小僧であればあっさり負けかねない。――せいぜい気を引き締めることじゃ』

「そこまで分かってるなら力を貸してほしいもんだがな。…………無視かよ。相変わらず性格の悪い奴」

 

 剣を構える。瘦身の男は猫背のまま肉切り包丁を構えてぼそぼそと話した。

 

「耐性スキル持ちか……黙ってここから去れば見逃してやる。背中を向けて立ち去る気はあるか?」

「そうしたらお前はどうするんだ? 今苦しんでいる人は解放されるのか?」

「知らない。勝手に苦しんでいるだけだろ。この都市は魔物の根城に改造する。エサにでもするさ」 

「それなら、ここでお前を倒す」

 

 他に選択肢がないことは分かった。後はやるだけだ。

 

 2回目の攻撃はやや慎重に。距離を詰めていく俺に対して、瘦身の男は間合いの外から肉切り包丁を振った。

 刃先から先ほども見た「虚空」が飛び出す。それは一直線に俺の元へと飛んできた。

 

「ッ……飛ぶのかよそれ……どういう理屈だ!」

 

 辛うじて剣を合わせて、無理やり逸らす。「虚空」はどこか遠くへと消えていった。

 

「めんどうだな……」

 

 短い肉切り包丁を構えているだけなのになかなか近づけない。剣が届くビジョンが浮かばない。魔法を使っても同じだろう。

 観察していたソフィアも打開策を思いつかなかったらしい。険しい表情で状況分析を続けている。

 

「ヒビキとシュカは起きないか……」

 

 ちらと様子を見るが、二人はまだ苦しんでいるようだった。

 早く解放したいところだが、治療のプロであるソフィアが治せないと判断したのなら俺にはどうにもできないだろう。

 目の前の敵を倒す以外方法はない。

 

「お前、俺の嫌いな顔をしているな」

 

 瘦身の男がぼそぼと話した。彼の無気力な瞳が俺を見ている。

 

「世界は希望に溢れている。そんなことを考えてる奴の顔だ」

「まあ、俺は楽天家らしいからな」

 

 Sランクのスキルを持っているほどだ。

 

「気に食わない。お前も、この都市も、人間も。すべて虚無に返してやる」

 

 男が肉切り包丁を構える。また先ほどの攻撃が飛んでくるのか、と身構えた俺の目に映ったのは、予想外の光景だった。

 肉切り包丁を振るい「虚空」を出したのは先ほどまでと同じ。しかしその後、彼は自ら「虚空」の中に入っていった。

 

「……は?」

 

 思考が追い付かない。彼が何をやったのか分かったのは、後方に控えるソフィアの方から不気味な音がした後だった。

 

「ッ! ソフィア、後ろだ!」

 

 彼女の後ろにぽっかりと空間の穴が空き、そこから瘦身の男が出てきた。

 背中を取られる形となったソフィア。肉切り包丁が彼女の柔肌を斬らんと襲い掛かる。

 

 ――しかしその瞬間、彼女は最高の騎士へと戻っていた。

 

「フレーゲル剣術――スピンスパイク」

 

 凄まじい反応速度だった。腰の捻りを活かして上体を半回転。手に生成した風の剣は、敵の刃に思いっきりぶつかった。

 遠くからでも感じ取れる衝撃が走り、瘦身の男が後ろに吹き飛ばされた。

 

 天才騎士ゴルドーの防御のため放った一撃は、普通の剣であれば真っ二つに斬ってしまいそうなほどの威力だった。

 奇襲を仕掛けたはずの瘦身の男はダメージを負ったらしく地面に膝をついている。

 

「クッ……」

 

 しかし、今のソフィアには一撃が限界だ。剣を振り終わった彼女はその場に倒れ込む。

 おそらく、しばらくまともに動けないだろう。

 

「なんだ、その女はダウンか? 凄まじい威力だったが一度きりとは使えないな」

 

 瘦身の男は立ち上がる。多少ダメージはあったらしいが、動きに澱みがない。

 戦闘に大した支障はないだろう。

 

「ちょっと寝てるだけだ。お姫様はか弱い生き物だからな。俺ひとりだけで十分だってよ」

 

 虚勢を張って剣を構える。その様子を無表情に見つめていた瘦身の男は、再び包丁を振った。



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友情の再定義

 キョウとソフィアが戦っている間、僕は情けなく地面に倒れ込んでいることしかできなかった。

 ソフィアが倒れ、キョウが窮地に陥った今でさえ、だ。

 

 意識が朦朧とする。忌まわしい幻聴が絶えずボクの耳を蹂躙する。

 あの黒い波動のようなものを食らってからずっとそうだ。悪夢の中にいるみたいに、自由が効かない。

 

 体は全く言うことを聞かない。無様なうめき声を出して地面に転がることしかできない。

 

 なんとか意識を集中させて、ボクは目の前の光景を分析した。

 

 

 突然魔法都市に現れ、住民の大半を無力感した瘦身の男と、キョウは一人で戦っていた。

 シュカはボクの隣で同じように呻いている。おそらく、ボクと同じく体の自由が効かないのだろう。

 ソフィアは先ほど騎士の力を使った影響で動けない。

 

 ボクが、キョウを助けなければ。

 そう思っても体に力が入らない。

 

 自分の内側から力が吸い取られてるような感じだ。魔力を出せない。魔法の一つも行使できない。

 

 何よりも、強制的に頭に入り込んでくる「悪夢」が、ボクの精神を蝕んでいた。

 

「お前は足手まといだ」

 

 幻聴の中で語り掛けてきているのは、才川(ヒビキ)──男の頃の自分だった。

 

「お前に何ができる。根暗で、プライドだけ高くて、まともに人間関係を築けなくて、大事な時に決断できない。キョウに迷惑をかけるだけじゃないか。どうしてまだのうのうと生きているんだ?」

 

 うるさい。そんなこととっくの昔に分かってる。

 それでも彼のために、ボクを助けてくれたキョウのために頑張るって決めたんだよ。

 

「何の意味がある? 頑張るだけじゃ何の意味もない。役に立てない人間であるお前はキョウから離れるべきじゃないか? 現に今、あいつはとても困っている。お前が役に立たないからだ」 

 

 ……その通りだ。でも、ボクが一番キョウのことを分かっている。たとえボクが役立たずでも、そういう意味では唯一無二だ。

 

「ソフィアは頭が良くて、キョウのことを考えている。彼女がいれば十分だ」

 

 ッ……でも、ソフィアとシュカは彼が日本にいた頃を知らない。

 

「そうやって優越感に浸っているのは本当に滑稽だな。気色悪くて、キョウみたいにまっすぐな人間にはとことん不釣り合いだ」

 

 ──そんなこと、分かってんだよ! 

 

「分かってるんならどの面下げてここに来たんだ。お前なんて奴隷として男に尽くす一生がお似合いだったんじゃないか?」

 

 ……。

 

 もはや、キョウの姿は見えない。幻聴は視覚にまで影響を及ぼしていた。ボクの視界に映るのは、真っ暗闇と冷たい目でボクを見つめる才川響(ボク)のみ。

 使えない。役に立たない。助けられてばっかり。そんな言葉ばかりが脳の奥に突き刺さる。

 

 

 キョウと瘦身の男の会話が、まるで水面でも通しているみたいに遠くに聞こえてくる。

 

「哀れだな、お前。仲間は寝ている。誰も助けに来ない。連れてくる人間を間違ったんじゃないのか?」

 

 思わず、身を固くする。その問いの答えは、今のボクが最も聞きたくないものだった。

 暗闇の向こう側にいるキョウの言葉に耳を澄ます。

 

 いったい、彼は何と言うのだろうか。

 ボクは、彼の言葉に耐えられるのだろうか。

 

 

 

 

 

「お前に何が分かる。あいつらは俺にはもったいないくらいのいい奴らだ」

 

 力強い言葉が響き、ボクは胸を撫でおろした。

 けれど、反対側から冷たい問いかけが響いた。

 

「本当にそうか? よく考えてみろ」

 

 瘦身の男がそう言うと、暗闇は昏さを増した。おそらく、先ほどボクたちや都市の人を飲み込み、昏倒状態にした黒いオーラを再び出したのだろう。人のネガティブな感情を湧き起こし、立ち上がれないほどの絶望の底に叩き込む力だ。

 

 それらはまだ無事な人間、キョウのもとへと向かって行く。

 

「もう一度聞くぞ。鬱陶しいくらいに希望に溢れているお前。周囲の人間はお前に何もしてくれない。今俺を倒そうとしているのはお前だけだ。人間は他人を助けない。それでも、お前は仲間たちの価値を信じるのか?」

 

 ボクに向けているわけではない言葉が、胸に深く突き刺さる。

 キョウがどう答えるのかが怖い。彼が仮にボクに価値がないと言ったら、いったいボクはどうすればいい。

 

 思い起こされる、奴隷としての記憶。

 矮小な体で鉄格子に閉じ込められた記憶。食事すら満足に取れない不自由な生活。

 彼に見捨てられたら、ボクはまたあそこに戻るのではないか。

 

 けれど、それでも、キョウの答えは変わらなかった。

 

「いいだろ、別に。助けてもらいたくて付き合ってるわけじゃない」

「そうか。では、誰の助けも得られず死ね」

 

 彼が走る音がする。剣を振る音。やや遅れて、何かが斬れる音。

 その瞬間、ボクの視界は回復した。

 まるで、もっとも見たくない景色を見せようとしているみたいだった。

 鮮血が舞う。腹のあたりを切り裂かれたキョウが、地面に倒れ込んだ。

 痩身の男が乱暴にキョウを蹴りとばす。力の入っていない彼の体が、僕のすぐそばに転がってきた。

 

 血の気の引いたキョウの顔が、僕のすぐそばにあった。

 手を、取る。冷たい。

 

「ァ……あ、ああああああ!」

 

 結局、ボクは助けられてばっかりで何一つ役に立てないのか? 

 彼がこうやって倒れるところを見るしかないのか? 

 

 なあキョウ、教えてくれよ。ボクは、生きている価値があるのか? 

 

 目を閉じる。もう、現実なんて見たくなかった。

 

 

 

 ◇

 

 

 キョウの手を握って目を閉じた後。

 気づけば、ボクは知らない場所にいた。

 

 真っ白な空間。

 直感的に、先ほどの幻覚の続きだと悟る。

 けれど、先ほどまでのそれとは違いどこか現実と地続きな場所。

 そこには、ボクとキョウだけがいた。

 

「なんだこれ……夢?」

 

 キョウがぶつくさ言いながら立ち上がる。

 その胸には先ほどの傷はない。

 

 彼の姿に一瞬安堵を覚える。

 けれど、これは夢だ。現実の彼は、ボクの目の前で倒れ込んだ。

 

「キョウ……?」

「あ、ヒビキ? 夢の中だと無事なのか?」

 

 目を丸くしたキョウがこちらに近づいてくる。いつもの様子と変わりはない。

 

「よかったー。ヒビキが無事なら、とりあえず心配事は一つ解決だな!」

「い、いいわけないだろ! お前は斬られて……ボクは……何もできなくて……!」

 

 思わず叫んでしまう。彼のなんでもないような態度が苦しい。

 

「まあ、ソフィアがいるなら死なないだろ。多分助けてくれるって」

 

 明るい様子で笑うキョウ。その姿に、僕の胸の中にあったドロドロしたものが溢れ出してきた。

 

「……そうだな。ソフィアはお前の役に立てるもんな。さっきだって最後まで一緒にいて、キョウの足を引っ張らずに。でも、僕は別だ。僕には何もできない。何もなかったんだ」

「……ヒビキ?」

 

 ダメだ。こんな姿、キョウに見せたくない。

 けれど、言葉が口を突いて出てきてしまう。醜いボクが表に出て来てしまう。

 

「ボクはお前と対等な友人だとずっと信じていたんだ……けれど実際どうだ。奴隷になってからお前に助けられて、命の危機をお前に助けられて、それでボクはお前の危機に何にもできなかった! こんなので、お前の友人だなんて名乗れるのか? ボクは、お前よりずっと弱い人間なのに!」

 

 ああ、どうしてこんなにも本音が抑えられないのだろうか。

 感情を隠すのは得意な方だと思っていたのに。

 この体のせいか? すぐに動揺して弱いボクが出てきてしまうのは、女になったからか? 

 

「ヒビキ……」

 

 沈黙を保っていたキョウが口を開く。

 

 ボクはそれを見て、恐怖に息を呑んだ。

 失望されたかもしれない。否定されるかもしれない。絶縁されるかもしれない。

 そんなボクの思考は、彼の言葉に打ち切られた。

 

「なんでそんなこと言うんだよ」

「……え?」

 

 彼の目を直視する。その瞳は、あの日ボクを救った時みたいに強い光を灯していた。

 

「どうして俺とお前が友達であることに対等だとか役に立つだとか言い出すんだよ」

「だって……納得できないだろ! お前は最後には誰かを助けられる奴で、ボクはいっつも助けられてばっかりで……」

「──関係ないだろ!」

「ッ……」

 

 彼の一際大きな声に、ボクは口を噤んだ。

 キョウの瞳が鋭くボクを捉える。

 

「ソフィアもお前も、真面目な奴っていうのはどうしてそんなに自分を低く見積もるんだよ。俺が何回お前に助けられたと思ってるんだ。試験範囲を教えてくれて、留年を回避させてくれて、くだらないバカに付き合ってくれて」

「そ、そんなことじゃ……」

「やったことが大きいか小さいかとかどうでもいいんだよ! 何度も言っただろ。俺にとって俺が楽しいかが全てだ。……お前にやってもらっことは楽しかったんだよ。試験前だってのにくだらない話をしたり、テスト結果でいちいち騒いだり、そういうものをお前がくれたんだ」

「でも……」

 

 嬉しい。けれども、そんな言葉を本当に僕が受け取っていいのだろうか。

 

「いい加減気づけよ。俺はずっとお前も必要としていたんだ」

「ッ……」

 

 必要としていた。その言葉は、ボクの胸に深く突き刺さった。

 

「だから、さ」

 

 彼は軽く笑った。

 

「俺と一緒に、みっともなく足掻いてみないか?」

 

 彼の手を取り、ボクは──

 

 

「ッ……ァ」

 

 倒れ込むキョウのすぐ隣で、ゆっくりと起き上がった。



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恋は雷のように

 手放していた杖を、手に取る。

 まるで老人のようにそれにもたれかかりながら、ボクは呼吸を整えた。

 

「驚いたな」

 

 瘦身の男は、先程までの無表情とは違う驚愕を顔に浮かべた。

 

「虚無の底から這いあがってきたのか? この状況で、いったいどうやって」

「単純なことだ」

 

 ボクは意識的に口角を上げて、精一杯の笑みを浮かべた。

 

「男の意地とか、そう呼ばれるやつだよ」

 

 我ながら、ふざけた言葉だ。馬鹿な奴に影響されたのだろうか。

 

「くだらないな」

 

 そう吐き捨てる瘦身の男はどこかボクに似ている気がした。

 斜に構えて、失望して、冷徹に世界を眺めている様。少しだけ、興味が湧いてしまった。

 

「お前、名前はなんていうんだ?」

「なに?」

「お前の名前だよ。諦めたフリしてるお前」

「それを聞いて何になる。……まあ、いいだろう。魔王に成った私の名はルサンチマン。特に覚える必要はないぞ」

「ハハッ、ボクは嫌いな名前だな」

 

 怨恨、あるいは嫉妬、だったか。

 陰鬱な名前の魔王に向けて、杖を構える。

 それに合わせて、ルサンチマンが肉切り包丁を構えているのが見えた。

 

「稲妻よ ライトニング」

 

 詠唱と共に魔力が出力され、スキルが発動する。

 ボクの杖から飛び出した稲妻は真っ直ぐにルサンチマンの元に走る。

 しかし、ボクの攻撃は再び出現した「虚空」に吸い込まれてしまった。

 

「……やっぱり魔法もダメか」

 

 キョウの剣を防いだ正体不明の力には、ボクの魔法も通じないようだ。

 ここまでは、概ね予想通り。

 

「どうだ、諦めたか? 俺と似た目をした女」

「誰が……お前と似ているだって……!?」

 

 言葉と同時に、ボクは魔法を発動させた。

 策は既に考えてある。

 あとは、それを忠実に実行するのみ。

 

 ボクにできるのはこれくらいだ。

 事実を元に作戦を組み立てて、それを愚直なまでに実行する。

 

 キョウのように窮地にて奇跡を掴み取るような力はない。

 けれど、キョウの信じてくれたボクを信じて、最善を尽くす……! 

 

「──ウォーターナイフ!」

 

 撃ちだされた水の刃の数は四つ。それらは空中で曲線を描き、それぞれ別方向からルサンチマンを襲った。

 

 今まで展開された「虚空」は一つ。であれば、複数方向からの攻撃には対応できないはず。

 

 しかし、ルサンチマンはボクの攻撃を見ても動じなかった。

 彼が肉切り包丁を横に大きく振るうと、「虚空」もまた横に大きく広がって出現した。

 水の刃は、すべて大きな「虚空」に吸い込まれていった。

 

「私の虚無はこの程度では破れん」

「まあ……そうだろうな……ッ!」

 

 先程のはあくまで気を引くためのもの。本命は次だ。

 

『──其は天よりの裁きなり。雷光よ来たれ──ジャッジメントストーム』

 

 魔力の効率的な操作方法を学んだ今のボクなら、大規模魔法を短い時間で発動できる。先ほどの魔法とは比べ物にならない規模の電撃が、ルサンチマンを襲った。

 

「ッ……」

 

 肉切り包丁が空間を切り裂く。全方位から迫る電撃を見たルサンチマンは、自ら「虚空」の中に入り瞬時に移動した。

 

 テレポーテーション。先ほどソフィアを戦闘不能に追い込んだ手法だ。

 ──でも、それはもう知っている。

 そして、そこから出した推論も確立した。

 

「お前みたいな奴が逃げる先なんて決まってる……相手の後ろ、視覚の外だろ!」

 

 ボクならどうするか、というシミュレーションの答えを辿れば簡単だ。

 自分であれば、正面から相対するのを避けて背後から攻撃する。

 臆病者の結論など分かり切っている。そんなもの、他ならぬボクが10年以上見続けてきた。

 

「水よ……アゲインストオブウェーブ」

 

 背後を振り向くと同時にただちに魔法を発動。

 難しくて発動に時間のかかる魔法はいらない。

 使うのは最低限の魔力。小さな波を起こす程度の初歩的な水魔法だ。

 

 しかし、それは先ほどボクが発生させた大規模な電流を巻き込み、通常時以上の威力を発揮した。

 

「なっ……」

 

 空間移動を行った直後の無防備なルサンチマンは、ボクの生み出した波をまともに食らった。

 水流が彼に到達すると同時に、水中を流れる電流が彼を襲う。

 

「ぐっ……アアアアアア!」

 

 ルサンチマンが悲鳴を上げる。

 生身の肉体の方はそこまで強くないようだ。

 すまさず追撃するために、ボクは次の詠唱をする。

 

『大地よ、万物を支える不動なるものよ。其の威容を示し、地上を貫け。クレイランス』

 

 地面から突き出した土の槍が、ルサンチマンに襲い掛かる。

 先ほどまでダメージに怯んでいたように見えた彼。

 

 しかし、なんとか体勢を立て直した彼は肉切り包丁を振るい「虚空」を顕現。辛うじて追撃を防いだ。

 

「クソッ……! なぜお前がここまで戦う……すべて無駄なのだぞ!」

 

 おそらく、キョウだったらルサンチマンが何を言いたいのか分からなかっただろう。

 でもボクは。彼によく似たボクなら、よくわかってしまった。

 

「貴様の昏い目を見れば分かる……お前も俺と同じだ。何をしても無意味なのだ! 努力も、夢も、すべて諦めることになる。であれば、最初からすべて諦める方がずっといい。いっそ壊してしまえば、すべて諦められるのだから!」

「……ああ、そうだな」

 

 ボクはキョウみたいにポジティブな楽天家じゃない。

 だから、彼の言葉も理解できる。

 

 けれども、彼とボクには決定的な違いがある。

 

「魔王ルサンチマン。お前はそうやって諦めて、全部壊すことを選んだんだな。だから、人間をやめて魔神についた」

 

 魔王とは人ではない魔の存在。しかし、ルサンチマンの濁り切った感情は、あまりにも人間らしすぎた。

 彼はボクの言葉を首肯した。

 

「ふん……そうだ。魔法都市ですら、俺の才能を認めなかった。だから壊す。授かったこの力で、この都市を破壊し、人間の文明を破壊し、すべての知識を無に帰す。俺が否定されたのと同じようにな」

「ああ、そうか」

 

 きっと彼は、ボクが行きついたかもしれない未来だ。

 絶望して、諦めて、全部壊したくなって。そうやって心を凍り付かせたボク。

 でも、違う。

 

「お前も、俺と同じ目をしている。醒めた目で世界を見て、呆れて、諦めている。お前も俺と共に来ないか? 己を否定する世界を壊したくはないか? 楽天的な馬鹿たちに、同じ絶望を与えたくはないか?」

 

 彼の目に冷たい炎が灯っている。きっと本気なのだろう。ボクに負けたくないだとか、そういう打算抜きに彼はボクが同じ道を歩むことができると信じているのだ。

 でも、違う。

 

「悪いな。──諦めるのは、もうやめたんだよ」

 

 正面を見る。ルサンチマン。ボクとよく似た目をした魔王。

 

「諦めるのはもうやめた。人が結構馬鹿なことだとか、社会が間違ってるだとか、そういうのは今はいいんだ」

 

 後ろをちらりと見る。倒れ込んだキョウの姿。ボクの友人で、この世界で唯一かつてのボクを知る人。

 

「諦めるのはもうやめた。ボクは元々男だからとか、彼は友人だからとか、そういうのはもういい」

 

 にこりと笑う。

 

「だって、必要としてくれたんだ。それなら、ボクは彼のために諦めるのをやめる。精一杯、彼が彼らしくあれるように全力を尽くして、それで自分の望みも果たす」

 

 不思議な高揚感が胸を満たしている。

 そして、魔力もまた自分の体の中に充満しているのが分かった。

 

 多分、我慢することをやめたからだ。

 魔力の源は己の心だ。

 激情が炎を作り、悲しみが豪雨を生み出し、想像力が土魔法を練り上げる。

 

『──其は天を瞬く雷光なり。閃きは刹那。衝撃は地を割く』

 

 ボクにとって、恋とは雷のようなものだった。

 惨めな奴隷生活から解放されて、初めて彼の顔を見た瞬間。

 変わり果てたボクのことをボクであると彼が見抜いた瞬間。

 ボクなんかが必要だと言ってくれた時。

 

 ボクは、雷に打たれたのだ。

 

『雷鳴よ轟け。スパークリングスピア』

 

 迅雷が知覚すら困難な速度でルサンチマンに迫る。彼は肉切り包丁を振って虚空に逃れようとした。

 

 しかし、先ほどまでの魔法とは段違いの速度で走る稲妻の前では、彼の足搔きは無駄だった。

 

「あ……アアアアアア!」

 

 虚空に潜るよりも早く、彼の体に電撃が直撃した。

 細身の身体がブルブルと震える。

 それと同時に、魔法都市全体を覆っていたオーラが薄くなっていくのが感じられた。

 命の危機に、彼のスキルが解除されたのだろう。

 

 全身をガクガクと震わせた彼は、その場にうつ伏せに倒れ込む。

 彼の恨めしそうな目がボクに突き刺さった。

 

「なぜだ。どうして俺が淘汰されなければならない。馬鹿はお前らだ。人間に諦めをつけた俺は間違っていない」

「まあ、馬鹿はどっちかとか、案外どうでもいい問題なんだろうよ」

 

 ボクは彼に近づき、人間からかけ離れて人類の敵となってしまった細身の身体を見た。

 

「ただ、勝手に諦めて勝手に壊そうとするのは間違っていた。それだけだろ」

「……そう、か」

 

 最後に小さく諦めたように呟いて、彼は呼吸を止めた。

 耳を劈くような雷鳴が飛び、異空間へ繋がる裂け目が発生していた戦場に、沈黙が下りた。

 非日常から解放されて、現実に引き戻される。

 

 人間の形を保っていた彼の命を奪ったことに、罪悪感を覚える。

 けれども、和解はありえない。

 ルサンチマンは絶対に止まれなかった。

 彼の人間への憎悪は、誰かに慰められて消えるようなものではなかった。

 誰かがやらなきゃならなかった。

 

 それでも、とボクは思考を進める。

 

 一方的に彼の考えを否定し、打ち倒したボクは、かつてボクを否定した同級生たちと対して変わらないのではないだろうか。

 

「──ヒビキ」

 

 後ろから声がして、慌てて振り返る。そこには、出血する腹を抑えて笑うキョウの姿があった。

 

「キョウ!? お前何してんだ! 大人しく寝てろ! 重症だろ!」

「いや、ヒビキが頑張ってるのが見えたから助力したかったんだけど……いらなかったな」

 

 彼はボクの方を見て、ニヤリと笑った。

 

「結構かっこよかったぞ、ヒビキ。お疲れさん」

 

 彼のそんな言葉を聞いてしまうともうダメだった。

 ボクの目から勝手に涙が溢れ出す。

 

「お、おい……そんな泣くことじゃ……」

「うるさい、これは汗だ」

 

 ボクを心配してオロオロと近づいてきたキョウの足が、ふいにふらついた。

 彼の身体を支えるために、ボクは彼の身体を抱き留めた。

 途端、ボクの心臓は大きな音を立て始めた。彼の大きな体が近くにあると、体が熱い。

 

「ほら、無茶をするから……寝てろって」

「悪い。くそ……どうせなら美少女に介抱されたかったぜ……」

 

 どうやら意識が朦朧としてきたらしい彼の耳元で、ボクは最後に呟いた。

 

「なんだ、ボクじゃ不満か? ……これでもボクは結構満足してるんだが」

「……」

 

 返事をする前に、キョウは意識を失ってしまったらしい。

 小さな呼吸音を立てながら目を瞑った彼を地面に横たえ、頭を膝の上に乗せる。

 ちょっと重たくて、くすぐったい。

 

「ははっ、馬鹿みたいな寝顔」

 

 顔にかかった前髪を軽く払う。ボクは、その顔をしばらく眺めていた。



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膝枕

 寝て起きたら全部解決していたし、俺はなぜかヒビキの膝枕で寝ていた。

 やわらかい。あったかい。

 あれ、俺ってもしかしてヒロインだった……? 

 

「な、なあヒビキ……なんで俺はここで寝転がってて、お前が全部解決してるんだ?」

「ああ? 腹の傷が痛むから余計なこと喋んなよ」

 

 膝枕から顔を上げようとすると、さりげなく顔を押し戻された。

 ヒビキの眼鏡の奥の目が、俺を見つめている。

 優しくて、気遣いがあって、むずがゆい視線だった。

 

「もう、解決したのか?」

「はあ? お前見てただろ」

「いや、斬られたあたりから記憶がないんだけど……」

「……」

 

 ヒビキはちょっとむすっとした顔になると、俺の額を軽く叩いた。

 

「なんで覚えてねえんだよ、馬鹿」

「いや、そう言われても……」

 

 いや、本当に分からない。なんで怒ってるんだコイツ。

 そんなやり取りをしていたら、ようやく今の状況が飲み込めてきた。

 どうやら、あの瘦身の男は倒せたらしい。

 

 助かった。あのままだったら、みんな仲良く死ぬところだった。

 

「みんなは?」

「ソフィアはベッドで寝てる。ただの肉体の疲労だから、すぐに回復するだろうよ」

「あのお姫様ホントちぐはぐだな……」

 

 剣を一振りしただけで倒れる最強の騎士がいてたまるか。

 

「シュカは……命に別条はない。肉体的ダメージはないからな。ただ、精神的なダメージがちょっと大きそうだ」

「そう、か」

 

 最後に見たシュカの姿を思い出す。地面に倒れ込み、悪夢にうさなれるようにしていた彼女の姿。

 強敵を前にして、一撃入れるどころか立ち向かうことすらできなかったことについて、彼女はどのように思うのだろう。強さに固執し、それをアイデンティティとしてた彼女は。

 

「まあでも、みんな無事なら良かった」

「……そうだな」

 

 少しの沈黙。

 ヒビキが小さく息を吸うのが聞こえた。

 

「なあ、キョウ。──ありがとな」

「……なんでだ?」

 

 感謝されるような覚えはない。むしろ、俺の方が感謝しないといけないくらいだ。

 

「ボクを必要としてくれて、ありがとう」

「……そんなの、感謝なんていらないだろ」

 

 そんなの今更だ。俺が必要だったから、お前と一緒にいるだけだ。

 そう思って反論するが、俺の顔を見下ろすヒビキは柔らかく笑うだけだ。

 

「お前にとってはそうかもしれないけどな。ボクにとっては結構大事なことなんだよ」

「そうなのか? 別に俺がどう思おうとお前には関係ないだろ」

「いいや、違う。ボクは、お前に必要とされて嬉しかったんだ」

 

 そう言う彼女の顔は本当に嬉しそうで、華が咲いたみたいなその顔に、俺は一瞬だけ見惚れてしまった。

 

「ボクのできることなんて、本当につまらないことばかりだったんだ。机の上のお勉強だとか、口喧嘩とか、その程度。だからお前が羨ましかった。だから、つまらない絶望に囚われて立ち上がれなくなった」

「いや、俺を羨ましがるところなんてないだろ」

 

 むしろ、俺の方がうらやましかったくらいだ。そんなこと、気恥ずかしくて絶対口に出せないが。

 

「でも、羨ましがっても、お前の持ってるモノを欲しがっても、ボクには手に入らない。だから、ボクはボクの欲しいものを手に入れることにした」

「……そうか。まあ、お前が満足できるならいいんじゃないか」

 

 少なくとも、辛気臭い顔してるよりずっとマシだ。

 

「言ったな? お前がそう言うなら、ボクはボクの欲しいモノを欲しがるのを諦めない。後悔するなよ」

「お前がどんな選択をしようとお前の勝手だ。俺の止める道理なんてない」

「フフ……そうか、そうか」

 

 なぜか満足気なヒビキの表情は、どこか艶やかに見えた。

 頬が紅潮して、眼鏡の奥の瞳が緩んでいる。

 まるで、恋する乙女みたいだ。

 

 友人がそんな風に見えてしまったことに少しばかり罪悪感を感じて、俺は眼を逸らす。

 

 

「まあ、十分堪能したから解放してやるよ。ほら、立て」

 

 彼女に促されて立ち上がると、わずかにふらつく。傷は塞がっているが、血が足りないらしい。

 俺の肩を、ヒビキがそれとなく支える。

 

「行くぞキョウ。こんなところでいつまでも寝っ転がってるんじゃねえ。お前はハーレムパーティーとやらを作るんだろ」

 

 言葉の裏にどんな感情があるのか、今の俺には分かりようもなかった。



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吹っ切れた幼馴染とネガティブ少女

 魔法都市が正面から敵の侵入を許し、あわや都市全滅の危機だった今回の事件は、かなりの大事になった。

 

 一日もしないうちに王城から騎士たちが派遣され、事情聴取が行われた。

 事情の説明については、ソフィアが率先して騎士たちに話してくれたおかげでスムーズに進んだ。

 

 俺が証言したところで信憑性とか全然なかったし、ソフィアに感謝だ。

 

 騎士たちはついでにソフィアに王都に帰ってきてくれないか、と懇願していたが、ソフィアは「駆け落ち中ですので」の一点張りでそれを切り捨てていた。

 

 

 増援戦力として騎士が集結したが、魔王ルサンチマンは配下を一切引き連れていなかったため、杞憂に終わった。

 どうやら、あの昏い目をした魔王は独りだったらしい。

 

 

 魔法大学は今回使われた強力なスキル──『虚無のオーラ』を防げなかったことを重く見て、防壁強化のために研究することを決定したそうだ。

 ヒビキいわく、『精神干渉への対策が必要』とのことだ。

 どうやら、あの黒いオーラ自体に殺傷力はなく、人の体の中でネガティブな感情を増幅されるものだったらしい。

 

 あの魔王のスキルランクはSS。一瞬でネガティブな感情を増幅された人々は、絶望に沈み悪夢の中でずっとうなされていたそうだ。

 悪趣味なスキルだ。

 

 まあ、スキルがどれだけ凶悪で、この国がどんな風に対応していくのかは、正直俺にはあんまり関係ない。

 どっちかって言うと、あの経験を経て友人たちにどんな影響があったのかの方が大事だ。

 

 

 

「ソフィア、もう治療は大丈夫なのか?」 

「ええ。この都市の聖職者の皆さんが引き受けてくださいました。それに、外傷のある方はほとんどいませんでした。やはり、精神攻撃の類は厄介です。……部外者の私では、心の傷は治せませんからね」

 

 少し寂しそうに呟いて、ソフィアは薄く笑った。

 

「まあ、別にソフィアのせいじゃないだろ。聖女だろうと、スキルがSSだろうと、できないものはできないんだろ? それくらい誰でも分かるって」

「……お気遣い、感謝します」

 

 そんなに気負う必要ないのに。そう言ったところで、責任感の強い彼女は聞き入れてくれないのだろう。

 

「そう言えば、ずっと忙しくてあまり話せていなかったのですが。キョウさんの話を総合すると、ヒビキさんが自力で『虚無のオーラ』を打ち破ったから、今回の魔王ルサンチマンは討伐できた、ということでよろしいのですか?」

「まあ、そうだな」

 

 後々分かってきたが、皆を昏倒させたスキル、『虚無のオーラ』はあいつの持つSSクラスのスキルだったらしい。

 

「ヒビキさんはキョウさんを助けるために絶望の淵から這いあがって来たと……本当に、お二人は仲が良いのですね」

 

 少し顔を伏せて言うソフィアに、特に考えずに答える。

 

「まあ、今では唯一の同郷出身だからな」

「けれど、きっとそれだけではないのでしょう?」

 

 彼女の言葉に、ちょっと黙る。

 

「キョウさんはその程度の縁でヒビキさんを大事にしているわけではないでしょう?」

「まあ、な」

 

 正直に話すのも気恥ずかしいな。そう思って、俺は少しの間空を見上げた。

 

「最初は、どちらかと言えば俺の苦手だと思ってたんだ。理屈っぽくて、冷静で」

 

 ヒビキと初めて出会った頃のことを思い出す。小学生の頃、淡々と自分の意見を話している彼の姿。

 

「でも、どこまでも公平だった。自分も他人も、両方を厳しい目で見て、正しい判断を下そうとしている。そういうのは、自分勝手で自分に甘い俺にはできないからな」

 

 ないものねだりというか、羨ましさとか、そういうものだったのかもしれない。

 

「それで興味を持って、気づけば俺に必要な奴になってた。俺には見えないものができて、俺にはできないことができる。ヒビキは、そういう凄い奴だ」

 

 語り終わってから、ちょっと気恥ずかしくなる。

 

「ま、まあ本人には絶対言わないけどな! 調子乗ってうざいから!」

「いえ、その……」

 

 ソフィアの気まずそうな声。不審に思って彼女の視線を先を見ると、そこには顔を真っ赤にして立ち尽くすヒビキの姿があった。

 

「ッ……お、おうキョウ。盗み聞きするつもりはなかったんだが……タイミングが悪くてな」

「……」 

 

 重たくて気まずい沈黙が下りる。

 なんだこれ。地獄か。

 ソフィアも流石に気まずかったのか、わざとらしくヒビキに話しかけた。

 

「ヒビキさん。用事はもう終わったのですか?」

「ああ。大学の方でちょっと話を聞いてきたんだ。しばらくここには来ないからな」

「そうですね。知識を交換するのは良いことです」

 

 ここでの目的だった、魔法の知識のレベルアップはだいたい達成できた。

 それに、ヒビキの悩みもだいたい解決したらしい。

 あの日以来、ヒビキは少し明るくなった。

 

「キョウはもういいのか?」

「ああ。できれば先生してくれた茶髪のお姉さんともっと仲良くなりたかったんだが……」 

 

 俺が後悔を語ると、なぜかヒビキの視線が鋭くなった。

 

「ああ。あの人言ってたけど、実は男より女の人の方が好きらしいぞ」

「そうなのか!? ……それなら仕方ないな。百合に挟まるのは大罪だからな」

「そうだぞ」

 

 ヒビキから貴重な情報を得たので、俺はキャンパスでの恋愛を諦めた。

 クソ……知的お姉さんとの恋愛物語を描きたかったぜ……。

 

「今噓つきさんが一人いらっしゃったような……それはともかく、シュカさんはどちらに?」

「あれ? そう言えば……いつもなら『次なる強敵に会いに行くってことだね!』とか言って意気揚々と準備しそうなものを」

 

 そんな話をしていると、向こう側から見覚えのある影が歩いて来た。

 

「シュカ、遅かったな」

 

 シュカは『虚無のオーラ』を食らって以降、あまり喋らなくなった。

 落ち込んでいるのは察せられたが、明るい彼女のことだからすぐに元通りになると思っていた。

 

「おいシュカ、出発するぞ。もう行けるよな?」

 

 けれど、いつまで経っても彼女は無口なままだった。

 やはり元気のない彼女に声をかける。

 

「うう……」

 

 返事がない。ずっとブツブツと何事か呟いている。

 

「おいシュカ、どうした……?」

「うう……ボクは弱い……」

「……どうした?」

 

 様子のおかしい彼女に恐る恐る声をかける。

 

「弱いんだ……弱い……弱い……」

「……?」 

 

 下を向いて小さな声で話すものだから、上手く聞き取れない。

 うるさいくらいに元気に話すシュカらしくない態度だ。

 

 俺は彼女の言葉を聞くために、ぐっと耳を近づける。

 すると、シュカはガバッと顔を上げた。

 

「うわああああ! 終わりだああああああああ!」

「うわっ! 急に叫ぶな!」

 

 鼓膜が破れたかと思ったわ。

 しかしシュカは俺の様子には全く気付いていないようで、また下を向いてブツブツ呟き始めていた。

 まるで感情のジェットコースターだ。

 

「戦えないならボクがここにいる意味ってなんだ? なぜ生きて……なぜ生まれて……ああ、人生というのはつまり……」

「おい、シュカ? なんかお前中身入れ替わったか?」

 

 もっとこう、ウザイくらいポジティブなキャラだっただろ。

 なぜここまで落ち込んでしまったのだろうか。こういう時どうやって慰めたらいいのかとか、良く知らないんだけど……。

 

「ああ、むじょー……」

 

 ……いや、このふざけた物言いはそんなに落ち込んでないかも。

 

「だあああ! いいから、行くぞ! 歩いて、新しい景色見て、飯でも食ったら気分も晴れるだろ! ほら!」

 

 どのみち、ここにいても何も変わらない。ちょっとすれば元に戻るだろう。

 そう思って、俺は彼女の手を引いて魔法都市を出ることにした。




第二章はここまでです
ここまで読んでくださりありがとうございます!


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