穢れなき虜囚 (ヤン・デ・レェ)
しおりを挟む

プロローグ
DEATH:ジタン・コッポラ


その日、一人の男が死んだ。

 

男の名を知るものは誰一人居ない。ただその日、彼を知る多くの者が世界で最も畏れられたエージェントの死を悼んだ。

 

そこには憧憬があり、安堵があり、そして渇望があった。

 

史上最高にして最強のエージェントと呼ばれた男…又の名を、ジタン・コッポラは死んだ。

 

遺体は最後まで見つからず、葬送にあたって用意された空の棺には、彼が遺した最愛のフィアンセが憤怒と悲壮に満ちた慟哭を上げて縋りつき、棺に土が被される時になっても決して離れようとしなかった。

 

参列者の屈強な男たちが数人がかりで羽交い締めにして彼女を引き離した。その場に居合わせた者達は、皆泥まみれになりながらも何とか埋葬を終えた。

 

つい数時間前まで、美しい指先だった。艶のある良く手入れされた爪。その五指に至るまでを尽く傷つけて、剥がれ落ちるまで彼女は止まらなかった。

 

誰もいなくなった墓地で、ただ一人、固く均された地面と闘った。

 

葬儀の途中から降り始めた雨はその勢いを強め、血と泥に塗れた彼女を責め立てる様に濡らした。

 

何時間と、彼女は土を抉り。そして棺に辿り着いた。震える手で、その蓋を開ける。中には何も入っていない。

 

空っぽの棺を見下ろす。そして気がついた。

 

何かがあって欲しいと手を伸ばし、目を凝らすと、底で何かが光っていた。

 

 

エージェントとして、彼は何も遺さなかった。何も。

 

ただ、婚約指環だけを除いて。燃え盛る残骸の中から、奇跡的に無傷のリングケースが発見された。

 

一回り大きな空白の隣に、少し小さなシルバーリングが納まっていた。小ぶりの指輪の内側に刻まれた名を検めた結果、この指環が贈られる予定だった彼女に行き着いた。ご丁寧に姓まで結婚した後のものに改めて刻まれていた。彼は気が早い人だったのかも知れない。

 

空っぽの棺の中に、女は赤子の様に身を横たえた。

 

そして、震えながら彼の形見を掬い取り、そのボロボロの薬指に差し込んだ。

 

爪が剥がれ落ち、止めどなく血が流れる指。泥と血で赤黒い手の中にあって、傷一つないシンプルなシルバーリングの無垢な輝きは異様を極めた。

 

 

ほんの数日前に婚約したばかりだった。

 

あと数日も経てば、何方からともなくお互いを思って選んだ指環を差し出していたかもしれない。

 

彼女の方から一目惚れして、一年間猛アタックを続けてやっと結ばれたのだ。仕事柄彼は決して立派な恋人では無かったかもしれない。一緒にいた時間も他のカップルと比べれば長くは無いだろう。

 

思い出が錯綜して、息も絶え絶えに、それでも涙を嗚咽を止められずに、吐きながら雨に打たれながらも彼女は吠えた。

 

「決してッ!!決して許さない!!私は貴様らテロリストを絶対に赦しはしない!!皆殺しだッ!!皆殺しにしてやるッ!!この私の手で直接ッ!根絶やしにしてやるッ!!!」

 

一緒に過ごした時間は長くなかっただろう。だが、それでも彼女は幸せだった。決して二度とあるような恋では無かった。決して二人と出逢える人じゃなかった。

 

彼女にとっては何よりも濃密で刺激的な、掛け替えのない日々だったのだ。他の誰にも、絶対に埋め合わせることは出来ない唯一無二の人だった。

 

一人の男の死とともに、一人の女が愛に狂った。狂った愛は迷わず、恐るべき復讐者を産んだ。

 

某年の9月11日の出来事だった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

9.11の奇跡

通称9.11の奇跡。

 

全容は謎に包まれているが、全世界のテレビや新聞が報道したように、この奇跡により二機の旅客機とその乗客及びテロリストの犯行による被害者は、テロリストの全滅と旅客機の破損それから微少の負傷者と引き換えに、奇跡的にゼロ名であった。

 

誰がどうやって…肝心なことは全く分からなかった。

 

ただ間違いないことは、合衆国の極一部の人間が知るところによればその奇跡は決して天から突然与えられた奇跡ではなかったということ、そして国際社会の支配者層のほとんどがある一人の英雄の死に心から感謝するとともに、哀悼の涙を流すことを禁じ得なかったということである。

 

その奇跡は紛れもなくただ一人の人間離れした人間が自らの命と引き換えに成し遂げたものだった。その奇跡の名前をジタン・コッポラという。

 

ジタン・コッポラ。出身、本名、人種、年齢など全てが不明の人物である。消息不明になるまでの所属はCIA(ラングレー)だとされているが、その活動内容の多くはCIAに限らず、NSAや時の大統領からの直接依頼なども含む壮大かつ、深刻な代物ばかりであったという。

 

自身が籍を置いていたCIAにおいても彼の事を詳細に知る者は皆無であり、彼をCIAに招く契機となる出来事や、それ以前の経歴に関しても一切が不明であるか、もしくは完全に抹消されている。

 

彼個人の影響力は凄まじく、一介の暗殺者や工作員の扱いでは断じてなかった。

 

暗黙の了解として主要各国首脳陣が交替する際には、顔合わせと称した脅迫会談が開催され。この際にジタンに嫌われれば平時から命の危険は勿論のこと、依頼に対して快い返事を受け取れないことにもなりかねなかったが。

 

一方で、ビジネスの相手として及第点を与えられれば、どのような依頼でも完遂する核よりも安全で核よりも便利な、最強の兵器が手に入ることと同義であるとさえ、一国を動かすエリートたちに大真面目に語られる存在であった。

 

ありとあらゆる兵器・車両に通じ、近接戦闘に関しても他の追随を許さない技術と練度を誇り、何よりもその未知数の経験値と鋼の精神力により史上最高の軍事工作員との呼び声高く。如何なる死線からも涼しい真顔で生還することから、超越的な存在として同業の兵士や工作員たちからは熱狂的な支持を誇り、彼の死後も同等の憧憬と畏敬を向ける者たちが殆どである。

 

世界中の係争地、裏社会を飛び回り、自分自身を絶対的な指標として敵対者を跡形もなく始末してきたジタンはまごう事無き伝説のエージェントとして語り継がれるであろう。

 

ジタン・コッポラ、彼は史上最高のエージェントとして裏の歴史に名を遺した。そして、9.11の奇跡を起こしアメリカを救うのと引き換えに、歴史から姿を消したのだ。

 

 

 

米国防総省の最終報告書によれば、ジタンがハイジャックされた二機の旅客機の片方の乗客としてその場に居合わせたことは、事件の前後を詳細に検証すれば必然であると結論付けられた。

 

機密文書によれば、9月11日のほぼ同時刻にアルカイダ側のハイジャック実行犯によりコックピットが占領される20時間前に既にジタンは行動を開始していたことが報告されている。

 

少なくとも12名のアラビア系人が前日中に殺されており、その遺体が全て発見されるのに1週間を要している。これらの被害者は観光目的で入国したにも関わらず、銃火器や爆発物の生成に必要とされる物質などが現場から押収されており、テロリストの一員であったと考えられた。

 

この不審死による被害者が少なくとも12名であり、ハイジャック犯として後にコックピット内や通路で遺体として発見されたテロリストの数が7名であったことから、前述の12名を含めれば今回の実行犯は全員で19名にも及んでいたことが新しくわかって来た。もしも前日までに人数を減らしておかなければ、恐らくは当日に確実に2機以上のハイジャック事件が発生していたと考えられ、ジタンの独立行動により確実に被害が軽減されたことは疑う余地が無いことである。

 

 

そして事件当日のジタンは殺し切ることができなかったテロリストを抹殺する為に、または事件当日までに発見できなかったテロリストを確認した上で確実に抹殺する為に自ら当該機に乗客として搭乗したと推測されている。

 

これより以降はその場でジタンを見ていた乗客の証言に基づく。

 

「搭乗後、間もなくハイジャックにより操縦を奪われたことで機内は騒然となった。怯えや憤りで落ち着きのない機内で、隣に座っていた男性だけは通常のフライトと何ら変わりがないように見えた。リラックスしてさえいたかもしれない。」

 

「テロリストの声が何度も響いて、英語だったりそれ以外の言葉が混じっていて、兎に角怖かった。静かにしろ、殺すぞって言葉が聞こえたんだ。巡回し始めたテロリストがこっちに近づいてくる。ふと、金属がこすれ合う音が聞こえたから隣の男性を見たんだ。」

 

「彼は目深くハンチングを被っていた所為で目元の表情は分からなかった。けど、口元は薄く笑みを浮かべるみたいな。すごく穏やかな顔に見えたよ。赤ちゃんをあやすときみたいな、ね。」

 

「すぐそこまで銃を構えたテロリストが来てるのに音が止まなくて。音の正体を探すと、彼がベルトを分解してる音だったんだ。」

 

「僕は窓の方だったから、通路側の彼がこのままだと一番にテロリストから目を付けられるのは分かってた。だからやめろって言った。でも、彼は手を停めなかった。」

 

「ベルトのバックル、あれは金属製だった。それを分解して、それぞれバックルの縁を形作ってた部分、それからベルトに通す針みたいな部分に分けてた。」

 

「4本の金属の棒になった縁の部分をつなげて一本の細長い棒にして、その先端に針みたいな部分を付けて、それから先端の部分から精密なキャップを取り外してた。むき出しになったのは鋭くとがった金属の太い注射針みたいなやつだった。」

 

「あと一歩で、テロリストが僕たちの席に来る。もう目の前って時に、彼は今取り外したキャップを前方に転がしたんだ。」

 

「チリリリ…そんな音がか細く鳴ったんだ。テロリストはビクっと反応して、それから僕たちの席に背を向けた。銃の引き金に指を掛けたまま、ゆっくりしゃがんで、すぐ後ろ、足元に落ちてた音の発信源を拾おうとしたのさ。」

 

「それからはほんの、本当に一瞬だった。彼はスーツに革靴、ハンチングの姿で狭い機内をアライグマかピューマみたく飛び回ったんだ。」

 

「気づいたら席にいなくなってた。それから次々にテロリストが倒れて、すぐにコックピットのドアが開いて、中から彼が出て来た。」

 

「彼は自家用の飛行機操縦経験者を募ってた。手を挙げた人を連れてコックピットに入ると、そのまま急旋回したんだ。」

 

「窓側の席に居た僕はどんどん近づいてくる街並みやビル群に戦々恐々としてたからやっと命の危機が去ったと思った。でも、実際には逆だったよ。彼、何を思ったのか僕たちの機と同じように街に向かって突っ込もうとしてた旅客機に、上から伸し掛かって見せたんだ。」

 

「機体の頭と腹がこすれ合った衝撃で揺れに揺れて、そのまま無理やり高度を落とさせて…滅茶苦茶だったよ。いつ向こうが自爆するのかわからないのに…。」

 

「でも、お陰で今の僕たちの命があるわけだけどね。」

 

 

 

その後、ジタンは操縦を辛うじて一命をとりとめたパイロットに任せ、自らは高度1000mの湾上空で真下でぐんぐん高度を落とすもう一つの機体に単独でダイブを敢行し、高高度環境下にも関わらず恐るべき身体能力で機体のドアを破壊、ここから中へ突入した。

 

突入後、約5分で機内及びコックピット内を完全制圧することに成功し、操縦を取り戻したことで機体の内湾への不時着をパイロットに命じた。

 

テロリストは全員がこの時点で無力化されていたが、ジタン突入に際して時限式に改めてセットされた爆薬が発見されたため、ジタンは迷わずこれを抱えて高度100mを切ったあたりでこれを投擲した。

 

爆弾は想像以上に威力が大きく、余波に煽られて機体がヨーイングした。この衝撃でジタンは自身がこじ開けたドアから足を踏み外して落下した。

 

これ以降、ジタンは消息不明となった。彼の遺体は確認することが出来なかったが、無事不時着したものの大破した飛行機の残骸から彼が婚約者に送る予定だった指環が発見され、これを婚約者に遺品として返還した。

 

殺害された7名の実行犯は全員が寸分狂わず同質の手法により無力化されたことが検死結果から判明している。

 

法医学者からのレポートに依れば、死因は脳幹を強引にシェイクされたこと。眼球から細長い金属を突き込まれ、骨に掠ることもない精密な状態で頭の最奥の脳だけが液状に攪拌されていた、という。

 

また遺体にはもう一つの共通点があり、それは惨い手法で殺されたにもかかわらずその表情が全く苦悶を浮かべていないと言う点である。

 

これには様々な推測が挙げられたが、最も現実的な非現実的結論として、「凶器が眼球を貫き脳幹を破壊するまでの速度が、人間のあらゆる反射神経・感覚神経の速度を上回ったから」というものが導き出された。

 

この結論は素人にもプロにも納得を与える物だったが、肝心の法医学者たちは「納得できるが理解できない、これはおよそ人間に出来る芸当ではない」と言い最後まで信じたくない様子であった。だが、検死を担当した者達も結局その結論を否定する言葉を口にすることはなかった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

REBORN:ジタン・コッポラ

記憶を失う前、俺は何をしていたのだろう。自分自身のこと、自分に関わる誰かのこと…何もかも思い出せない。

 

あぁ…でも、確かに凄く大事なものがあった気がするのは何故なんだろう。

 

俺に遺されていたのは着ていたスーツと、指に嵌められた指環だけだった。

 

あと、自分の名前…指環の内側に彫ってあった名前…。

 

それによれば、俺の名はジタン・コッポラというらしい。

 

 

 

目を覚ますと何処かの寝台の上だった。黒人の水夫に補助されながら抱き起されて説明を受けた。

 

ここは船の上で、船長曰く俺は遠洋漁業船に漂流している所を拾われたらしい。

 

見つかった時の俺は酷い有様で、全身傷だらけだったそうだ。中でも両手両足の骨折が酷かったらしい。

 

「まるで空から降ってきて海に叩きつけられたみたいだ」とは船長の談だった。

 

あと「よくあのケガで生きていたな」とも繰り返し言われた。

 

俺は運が相当良いらしい。

 

 

持ち物は何もなく、おまけに記憶も無かったせいで自分の名前しか分からない。俺は説明を受けずとも自分が厄介者であることを理解していた。

 

しかしいきなり船から追い出されても生きていけない。俺が拾われたのは数日前。かなり眠っていたせいで、港は遥か彼方だ。無理を承知で頼みこんだ。「俺をここで働かせてください」と。

 

船長は仕方ないことだと快諾してくれたし、ゲンを担ぐ船乗りたちも運の良い俺を歓迎してくれた。

 

こうして、何一つ自分のことは分からなかったが、俺の第二の人生が幕を開けた。

 

 

 

「あぁ…あの時の船員たちは俺を運が良いとかっていってたっけなぁ…。」

 

「こら!そこ、喋るんじゃねぇ!!死にたくなかったら黙ってろ!」

 

数カ月後、俺は<貨物>として縄を打たれていた。空を見上げながら呟くと、厳しい声でお叱りを受けた。

 

あれから一週間も経たずに俺は船上での生活に慣れた。自分はもしかして漁師だったのかな?と思うほどにな。

 

一か月が過ぎるころには船長の次に頼られるほど人望を集めていた。自分はもしかして漁船の船長だったのかな?と思うほどにな。

 

商品以外の魚を食べる時だって初見で三枚におろして皆を驚かせてしまった。いや、俺が一番驚いたのだが。

 

順調に海の男になりつつあった俺だが…多分、漁師じゃないかな?と確信し始めていた。というのも、俺は海の生活に適性が高すぎるし、おまけに言葉に何不自由しないのだ。これは完全に七つの海を股にかけた冒険家とかだったんじゃないか、と思った訳である。

 

ココロオドル自分の過去への妄想。順風満帆な漁稼ぎ。俺が終生の稼業を漁師に設定しようかと言う時、その事件は起こったのだ。

 

「じゃあ、代金は受け取ったから。あとは頼むよ。」

 

「あぁ、任せてくれ。しっかり元は取らせて貰うよ。こっちだと白人は高いからな。」

 

俺達が向かっていたアフリカの某国近海に入った途端、武装したボートが接舷してきたんだ。そして向こうから自動小銃をもった黒人が乗り込んでくるのを船のデッキで認めた途端、船長が副船長を射殺した。

 

デッキに集められた船員は全員が初めから<貨物>だったらしい。船長と、俺から距離を置いていた数人の航海士や漁師が海賊共のグルだった訳だ。

 

唯一副船長だけは別で、船を所有していた会社の意向でねじ込まれたらしい。気の毒に殺されてしまったがな。

 

俺達は数人ずつに纏められてボートに移された。

 

ははは…まさか、拾われた船が選りにもよって人身売買のための奴隷船だったとはなぁ…俺は運が相当悪いらしい。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ウラとオモテ
キレてないよ


奴隷として売られた気分は最悪だった。

 

コイツら…本ッ当に野蛮極まりないのだ。俺はウンザリしていた。

 

もとより自分が何者なのかもわからなかったのだ。自分が元から奴隷だったとしても驚かない。だが、待遇というものがある。俺はどうにも自分に降りかかる理不尽と言うものが我慢できないらしい。

 

汚い檻の中にすし詰めにされて、立ったまま垂れ流し状態で何日も過ごした。バイヤーが来るまでの数日間、俺は碌な食事も与えられずに、それどころか水浴びもできなかった。

 

このクソ暑いアフリカで日影どころか太陽の真下で晒された。鉄製の錆びまくってる鉄格子に、狭いもんだから体を無理やり押し付けられる。火炙りにされてる気分だった。

 

ぜ、絶対に許さねぇ…全員<殺してやる>……は?俺、今あいつらのことを殺そうと思ったのか?

 

唐突すぎる殺意に実感が湧かなかった。

 

いや、確かにこんな目にあわされれば相手を殺したくなるだろうが…記憶をなくす前の俺は漁師じゃなかったのか?

 

このとき抱いた殺意は余りにも自然だった。すとんと体の奥に嵌る感じ。任せれば体が勝手に動いてくれそうなくらい、俺は冷静になれた。

 

 

 

結局、俺は誰も殺さなかった。犬でも食わない虫の湧いた雑炊を吐きもせず飲み干した。奴隷の日常を経験して得た唯一の収穫は、俺の肉体が明らかに頑丈だってことぐらいだった。何を食わせられても腹も壊さないし、不味すぎる筈の食事を飲み干しても俺の体は拒絶反応を示さず、実に素直に腹に納めた。…前の俺はどんなもんを食らってきたんだ?心配になった。

 

日がな一日ずっと海賊たちを観察していた。すると、面白いことが分かった。

 

アイツらどいつもこいつも口に煙草を咥えて、四六時中ふかしているのだが、不思議なことにコイツらがタバコに火を付けている瞬間を俺は見たことが無い。んんん???どういうコトなんだってばよ。

 

指でも弾いて火花を散らせてるのか?それとも…火を付ける瞬間に限って俺は意識が無いのか?

 

謎は解けなかったがもう一つ、収穫があった。なんと、俺だけいつの間にか手足の拘束が外れていたのだ。流石にバレて撃たれたくないので正直に「縄が緩い」と言って、見張りの奴に結ばせるのだが…この不思議な縄抜けが何度も繰り返されたのだ。

 

結果、俺は今こうして拘束なしでバイヤーの目の前に並べられているという訳である。殺されなかった訳?顔が良すぎたんだとよ。

 

 

「Mr.ヘクマティヤール、悪いが今回は現物での取引になりそうだ。次は必ずダイヤモンドを用意する。不服なら少しの現金もある。」

 

「話になりませんな。ところで…そこの男は何者ですか?貴方が私に渡したこの、契約不履行甚だしい納品書にもそこの男のことに関しては書かれていませんでしたが…。」

 

「契約不履行?…あんた、少しは状況を考えたらどうだ?白髪のジュードが…。」

 

「口を慎んでいただきたい…それと、私の質問に答えて貰おうか。」

 

「ぺっ!舐めやがって、どうだっていいだろう!?さてはいちゃもん付けて武器を売らないつもりかよ?えぇッ!?」

 

「まずは質問に答えてくれ。」

 

「ふざけやがって!この野郎!こっちが特別にオマケを付けてやろうってんだから黙って受け取れや!それから好きに調べやがれ!俺達だってコイツのこたぁ知らねぇんだよ!」

 

取引相手はどうやら白人らしい。海賊の頭の屈強な黒人を相手にしても動じていなかった。大した胆力だった。

 

だが、険悪な空気のまま話は進み、手持ちの現金も全てつける代わりに次回の取引の確約と、次回は必ずダイアモンドと現金で支払うことで合意することになったらしい。バイヤーの前に引き出される直前にホースで適当に体の汚れを落とされただけだから相当臭うはずなんだが…向こうの白人も、その護衛らしき男女二人組も顔を顰めてはいるがそれだけだ。

 

まぁ、危険な橋をこれまでも渡って来たんだろうなぁ。

 

 

 

商談が終わり、物の引き渡しも完了したころだった。

 

白銀頭のバイヤーの護衛、その男の方がおもむろにタバコを咥えたのだ。

 

「…ありゃ…さっき海に落っことしちゃったから着かねぇや…。まったく、ツいてないね。」

 

「?」

 

俺は不思議な心境になった。「あれ?普通に火を着けてる場面をこの目で視てるんだが…」と。

 

これまでの自分の不思議体験は全て俺の妄想か単なる白昼夢だったのかと…そう思った時だった。

 

…カシッ…カシッ……カシュンッ!

 

「やっと着いた…ぜ…!?」

 

男のライターに火が灯った瞬間。俺の視界は真っ赤に染まった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

キレてるよ

海賊のボスとの商談中。雇主であるフロイド・ヘクマティアルの背後でレーム・ブリックとチェキータは周囲への警戒を怠らずに、今回の向こうの支払いである奴隷たちに目を向けていた。

 

「気の毒って言ったら、気の毒よねぇ…あら?」

 

大柄で屈強な女性。チェキータが奴隷たちを見ながら声を零した。

 

「どうした?生き別れの兄でも見つけたのか?」

 

「いいえ…でも、そうね…そんな感じかしら?」

 

「ぶふッ…お前さんにもそーいう冗談のセンスがあったってことだ。」

 

「ふふふ…本当の話なのに。…まぁ、他人の空似かも?」

 

相方の男の傭兵レームは、珍しく目を見開いて固まっていたチェキータを探るように茶化し、チェキータはすぐにいつも通りの何を考えているのかわからない表情を顔に張り付けた。

 

任務中に感情の混じる声を上げるとは滅多なことではない。だが深追いはせず、いつも通りに戻ったチェキータを確認してからレームは視線を前に戻した。

 

いつも通りに戻っていた筈のチェキータの眼だけは、寸分狂わず一人の奴隷を射抜いていたことに、レームは気がつかなかった。

 

 

穏便な取引の幕引きと共に、事件は起こった。

 

きっかけは誰にもわからなかった。突然、海賊のボスの首が180°回転したのだ。椅子に座ったまま突如として絶命した。そうとしか見えず、海賊たちはバイヤーを疑う素振りさえ見せなかった。それほどまでに一瞬のうちに彼らの頭目は、誰から見ても確実に死亡していた。

 

人間技ではない。まるで魔法のような光景。その中で、唯一僅かな変化を掴んでいた者が居た。チェキータだった。

 

彼女はにんまりと口に弧を描いて、流石に困惑した様子のフロイドに耳打ちした。

 

「さっきの彼がいなくなってるわ。もしかしたら、彼の仕業かもしれないわね。」

 

「…そんな馬鹿な…いや、もしも…もしも、本当に<あの男>だったとしたら?」

 

「朝飯前よ。」

 

「戦闘準備だ。私はまだ死にたくない。それに、もしかしたらこれはチャンスかもしれない…。」

 

紅潮する顔を隠そうともせず、チェキータは言った。眼を見開く百戦錬磨の商人フロイド。

 

だがすぐさま事態収拾の為に、それから万が一でも自分の身だけは守れるようにと武器を構えた。

 

 

異変から間もなく、奴隷が一人失踪していることに気づいた海賊たちは、バイヤー一行を椅子の上で死んだままのボスの目の前で待機させた。既にバイヤーと護衛も防衛火器を構えており、この場がまだ商売の場であるならば、利益を搔っ攫われないためにも今は眼を離すことは出来なかった。

 

あちこちに散らばって捜索を開始してから一分。悲鳴が響き渡り、それ以降は一方的な殺戮の場と化した。

 

「ぎゃあああぁぁぁ!?」

 

頭上から突如現れた奴隷が、指を躊躇なく海賊の眼球に刺した。そして、そのまま眼窩一杯に手を突き込んで頭の中を掻き混ぜて殺した。

 

「おいっ!そいつを捕まえろ!」

 

「ぐぎゃ!?腕がぁぁ…腕が、折られだぁぁ!?」

 

捜索班の班長が指示し、援護射撃を受けながら身動きの取れない奴隷を拘束する為に近づくと、そのまますれ違いざまに腕を正反対の方向に捻じ曲げられ、そのまま両目を親指で突き潰された。

 

「うううう、撃て!撃てぇぇ!!ぅがぁぁぁぁ!???」

 

混乱と恐怖で我を失い乱射するが当たらない。飛び跳ねる様に弾丸から逃げ、射線に捉われる前に接近し、そこらへんに転がっていたプラスチック製スコップで心臓を抉りだした。

 

「クソッ!!弾が当たらねぇゾ!ごぽぽぽぁおぉ…!?」

 

「速い!早すぎィッ!?ぐあああ!おでのぐび、がぁああ!や、やづ、どっがら、ナイフを!?グぇ…」

 

二人同時に乱射するも撃破叶わず。一人は先ほど殺した者から鹵獲したサバイバルナイフを真後ろから首を串刺しにするように突き入れて殺し、もう一人はスタンダードに首を一閃で掻き切られていた。

 

 

次々にトランシーバーに届く凶報。捜索に向かった者たちは各個撃破されていき、バイヤーと護衛二名、それからボスの代理を務める者とその護衛数名を除いて、その場には件の奴隷ただ一人となっていた。

 

最後の悲鳴から十数分が経つも、今度は一転して何も起こらず。焦れに焦れた残りの海賊たちが屋外に出た時だった。

 

「おい!?クソ野郎!出てきやがれぇぇ!!!」

 

「ヒッ!?う、うええええええええええ!!!!」

 

「あん?う、うわぁぁぁぁぁ!!!???」

 

乱射して、吼えていたのも忘れて。部下の悲鳴に従って飛び上がるように上を見上げた。

 

すると、そこには向かいの屋根の上から、武器庫から持ち出された手榴弾と爆薬をこちらに投擲するあの奴隷の姿があった。

 

 

<<カシュンッ!!>>

 

 

海賊たちが最期に見たものは、無表情で着火済みのライターを放り投げる姿だった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

邂逅その1

「…なにがあったんだ?」

 

アフリカ某所。遂三十分前まで小さな集落として機能していたその場所は、一人の規格外の男によって完全に破壊されてしまった。

 

だが、外ならぬその執行者である男は、訳の分からぬ状況に困惑していた。死体の海で立ち尽くす男の手には着火済みのライターがあった。

 

「ライター?なぜ?…そもそも、どうして海賊共が死んでいるんだ?」

 

<<カシンッ!>>

 

「考えるのは後だな…まずは、生きてる人間でも探すか。あの白髪スーツの男の部下がやったのか?」

 

「だとしても俺以外の奴隷が居ない、置いてかれたのか?それとも俺が原因で撃ち合ったのか?さっき俺のことがどうのこうのって…ったく、物騒極まりないな。どうかしてるぜ…。」

 

ライターの蓋を閉めてそこらへんに放ると、身に纏う襤褸布から上品な所作で埃を払ってから男はゆっくりと歩き出した。

 

 

 

「お、生存者発見。おーい!アンタ!あんた、さっきの商人だろう?」

 

歩き回ること数分。険しい表情であたりを見回す白髪頭を見つけた。

 

男は手を振りながら悠々と歩いて近づいていったが、すぐに白髪の商人の二人の護衛が銃を構えて商人の前に布陣した。気配は鋭く、目にも感情の色を極力載せないように洗練されていた。

 

そのため、手の平を見せるように両手を挙げて敵意が無いことを示しつつ、その場で立ち止まり声を掛けた。

 

「なぁ、他の連中は何処に行ったか知ってるか?俺は知らないんだ。それに、見てくれよこの惨状。気が付いたらこうなってた…ハァ…全く参ったよ、重要な部分を見落とすからこうなっちまうんだなぁ。」

 

男は自嘲するように自分が肝心の場面を見逃してしまったことに対して溜息を吐いた。

 

<<チューーーンッ!!>>

 

すると、護衛の男の方が男の足元に一発打ち込んだ。

 

「なんだよ脅かすなよ、口を閉じろか?」

 

「チッ!動くな!」

 

「(少し早漏すぎる嫌いを感じる…若いな。だが所作だけ見れば、確かに手練れだな…。)」

 

男は無意識にそう考えた。そして体が勝手に動き出しそうな躍動感を奥の方から感じて、自分は何を考えているんだと首を振った。

 

「やはり…生きていたか。」

 

両手を上げ、完全に立ち止まり一言も発さなくなった男を見据えて口を開いたのは、白髪の商人だった。

 

「…」

 

「…いい、少し話をしよう。」

 

「わかった。俺も丁度相談があったんだ。」

 

律儀に口を噤んでいた男に対して許しを出してから、白髪の商人と男は互いに自己紹介をした。

 

「久しぶりだな…いや、お久しぶりですミスター・コッポラ…数年前は貴方のお陰で助かりました。いや、気づいていないだけで何度も助けていただいているのでしょうが…。私の事を覚えておいでですか?フロイドです、フロイド・ヘクマティアルです。幼い頃にも、賊の拉致から助けていただきました…立場は逆ですが、今日のようにね。」

 

丁重な一礼を受けてもジタンは驚かなかった。

 

「(商人と言うくらいだ、多分ホストと同じように相手を自分側に抱き込むための常とう手段なのだろう…それにしても、随分凝った設定を瞬時に思いつくとは大したものだな…。)」

 

ジタンは一通り感心すると、習うように一礼してから自分の知る自分の全て、つまり名前だけを開示してから状況確認の為にフロイドに問うた。

 

「…人違いではないか?俺たちは初めまして、だろう?俺は…ジタン・コッポラ。それ以外は俺自身も全く知らんが…えぇ?何故今日あったはずの俺の名前を知っているんだ?フロイド?」

 

「はい。フロイドです。ミスター・コッポラ。」

 

問うた、は良いものの途中から決定的な違和感を覚えたジタンは着地点を変え、今日初めて教えた自分の名を当然の如く知っていたフロイドに自身との面識があるのか確認を取った。答えは是。

 

「あぁ、なぁフロイド…もしや君は以前に、俺に会ったことがあるのか?」

 

「はい。それも何度も。」

 

ジタンは驚いたり、過去の自分への興味が湧いたりと忙しかったが、今は目の前のフロイドと名乗った自身と面識がある人物が、過去の自分とどれだけ関わり深い者なのか探りたかった。

 

家族…ではないが、少なくとも何度も会うくらいには誼があったことが確認でき、満足したジタンは少し茶目っ気を出すように周りを手で示しながら言った。

 

「……にわかには信じがたいな。だが、助けて貰って言いにくいんだがここには何の用で?商売のために来てたような気がするんだが…相手を殺しちゃ元も子もないだろうに。」

 

言っていてジタンは首を傾げた。おや、どうしてフロイドが驚いているんだ、と。

 

「え?殺した?誰が、誰をですか?」

 

「え?海賊殺したのは君達じゃないのか?」

 

フロイドは困惑して尋ね帰すが、更に困惑したジタンがこれに返す。

 

出掛かった答えがアブナイことに商人の勘で気づいたフロイドは、敢えて藪蛇になるようなリスクを避けて口を噤んだが、そこに容赦なく爆弾を投下する者が居た。

 

「あら?ジタン、貴方自分でやったんじゃない。海賊を一人で皆殺しにしたこと…覚えてないのかしら?」

 

「は?」

 

フロイドの護衛の屈強な女性。チェキータがそう言った。ジタンは信じられないとばかりに口を開いて固まってしまった。

 

「し、失礼します。少々、相談しなければいけない事案が出来まして…。」

 

呆然としたジタンから引き離すように、フロイドはレームも連れて小屋の中に撤退した。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

邂逅その2

「チェキータッ!しゃしゃり出るんじゃないッ…私が話しているんだ!」

 

血相を変えたフロイドがチェキータに人差し指を教鞭のように立てて嚙みついた。

 

「あらぁ、私だって無関係じゃないわ。それに、何だったらフロイドさんよりも深い関係で結ばれているわ。今だって…ともかく、ここは私に任せてくださいな。貴方に任せていても、多分今のジタン相手じゃ迎えの船が来るまでに話がまとまらない。」

 

雇主からの一喝など歯牙にも掛けない物言いにフロイドは閉口する。よく見れば、チェキータの表情は喜色と興奮が浮かんでいる。心なしか息も荒い。お預けされた獲物を早く早くと急かす虎のように余裕が無い。いつもなら決して見せない部分が見えていた。赤信号目前の予感。

 

「くれぐれも、勘違いされるような言動は慎み給え。お互い、死にたくはないだろう?親しくとも限度はある。ましてやミスター・コッポラは今、記憶に何らかの支障をきたしている様子だが、それでもその戦闘力は寸分も衰えていない…あの日に死んだと聞いていたが…やはり、あの人が死ぬはずはなかった。しかし…これではCIAも落ち目だな。」

 

これ以上引き留めるのは危険。直感的に理解してフロイドはチェキータに渋々交渉を任せることにした。確かに、ジタンへの憧れや畏怖に抗えない自分よりも、彼相手の交渉はジタンにこそ深く突きこむような積極性を発揮できる彼女に任せた方が建設的だろう。

 

「はいはい、じゃあお話してくるわね。」

 

フロイドの苦渋の決断など露ほどにも興味が無いチェキータは軽い足取りで凄惨な死体が転がる道を真直ぐジタンに向けて進んでいった。

 

「ああ…レーム、大人しくしてろよ?さっきは運が良かったな。」

 

チェキータが小屋の外に出たのを確認してから、珍しく草臥れた様子のフロイドはレームに声を掛けた。

 

「なぁ…あの話、まさか本当なのか?もしも、死んだはずの男が生きていたとすりゃ…俺は例のあの人に引き金を引いちまったってことになるんだが…。」

 

レームは我関せずで見守っていたものの、それでも相手が明らかに人間離れした戦闘力を発揮する瞬間をつい先ほど目にしたばかりだ。緊張は最高潮であるし、警戒心も限界突破しかけていた。もしもフロイドの言葉が事実であれば、先ほどの威嚇射撃はもしかしなくとも雇主を守るつもりが、雇主と自分を殺しかけていることも痛いほど理解できた。

 

そして、声の調子からフロイドは本気だった。血の気が引いて眩暈でも起こしそうになった。

 

「ふっ…よかったな、恐らくお前は史上初だ。ミスター・コッポラに引き金を引いて殺されずに済んだ男として、歴史書に載るかもしれんな。」

 

フロイドは常ならばレームにも見せることの無かったニヒルな笑みを浮かべていた。

 

「へっへへ…冗談キツイぜフロイドさん。」

 

「…冗談だと思うか?」

 

茶化そうといつもの調子で言うと、フロイドは蛇のような温度を失った瞳でレームを見つめた。眉も口元も笑ったまま。なるほど、人間どうしようもない状況だと可笑しくなって笑っちまうが、同時に目が笑わないと言うが、それはつまりこういうコトだったんだな。レームは納得した。

 

「…ホント、冗談キツイぜ…。遺書でも書いておくか?」

 

「諦めろ。キレたが最後、この地上に存在した記録丸ごと殺される。戸籍からクレジットカードやレンタルビデオの利用履歴まで、全てな。残るのは身元不明の遺体だけ。即死させられ、美しく防腐処理された死体だけが遺される。ミスター・コッポラの逆鱗に触れた愚か者の末路として、鮮明に記憶されるようにな。」

 

「…そいつぁ、古代ローマ人も真っ青だな…。」

 

<<カシュンッ!>>

 

レームは青い顔を隠すように、震える手で取り出したタバコを口に咥えると、先端をライターの火で炙り重々しく煙を吐いた。着火の為に石が起こした摩擦で火花が散る。原始的恐怖と安堵を齎す知恵の灯だ。

 

<<パクンッ!>>

 

思い切りよく蓋を戻すと同時に、外が騒がしくなった。

 

「…一体何事だ?まさかッ!?」

 

ドアを小さく開けて外の様子を伺うと同時に、再び血相を変えたフロイドが飛び出すより早く、レームは彼を庇って覆いかぶさった。

 

次の瞬間。日干し煉瓦製の壁が崩れた。

 

<<ドゴッ!!ガラガラガラガラ……!…>>

 

「何事だ!!チェキータ!お前、何をやらかした!?」

 

フロイドらしからぬ剣幕でレームの体の下から怒鳴る声が響いた。

 

「ごめんなさい…ちょ~っと、これは私にもわからないかな…だっていきなり豹変したんだもの…いいえ違うわね…<元に戻った>が正しいかしら?」

 

案の定、レンガの壁を突き崩したのはチェキータだった。

 

「おい!お前さん、一体全体何をどうしたら深い関係からここまで険悪になれるんだぁッ!?」

 

フロイドを抱え起こしたレームが叫んだ。

 

「う~ん何故かしら?私はただ本物のジタンか否かを確かめるためにナイフを向けただけよ?」

 

「それだバカ!!」

 

本当に理解できないわぁ?と言うチェキータに対してレームが吼えた。フロイドは土埃まみれの自分の身を顧みる余裕すらなくして、崩れた壁の陰から外を見遣っていた。

 

「…おい、チェキ…豹変したってことは何かキッカケがあるんじゃねーの?」

 

レームの言葉は御尤もだ。

 

「確かに一理あるわね。でも、本当に突然なのよ、逃げ足が速い以外は全然だったわ。あと少しで素っ裸に出来たのに、押し倒した瞬間目つきが変わったの。次の瞬間には抜け出されて、そのあと気が付いたら壁に埋まってたってワケ。」

 

手をひらひらさせながらチェキータは笑って言った。

 

フロイドは目を回しそうになり、レームはマガジンを引き抜いて残弾を確認してからマガジンを差し込みレバーを戻すと、愛銃M4カービン コルトコマンド―の射撃仕様をセミオートからフルオートに変更した。

 

「…んん~?聞き捨てならねぇ狼藉を働いてた気がするが…今はいいや、それより奴さんも兵士だろ?てことは何かセルフマインドコントロールで自分自身を切り替えるスイッチがあるんじゃないか?」

 

土煙で視界が不良な状態で、向こうから悠々と迫っているであろうジタン。彼へ向けて銃口を向けるレームは、チェキータにMP7を手渡しながら言った。

 

「えぇ、一番あり得そうね…でも、何かしら?条件は…味?色?言葉?…それとも、音?」

 

チェキータは頷き、レーム同様にチャンバーチェックを行いつつレームの問いにいくつか候補を挙げた。

 

「音?音っつったって俺がさっき発砲した時は何でもなかったぞ?寧ろ撃たれてんのに反応が無さ過ぎてこっちがビビっちまうくらいだった。」

 

既に銃の発砲音ではないことは鮮明だった。視線を前方に向けたまま、小声で話を続ける。

 

「なら別の音じゃないの?私は何も引っかかりそうな言葉とか言わなかったわよ?」

 

目を細めてチェキータが言う。彼女はジタンが彼女の知るジタンではないことに気がついていた。外見は同じでも、今の彼はチェキータが知る仕事中の彼ではなかった。明らかに隙だらけで、殺そうと思えば殺してしまえるように見えたが…実際には殺せないとしても、彼からはあの痺れるような冷たい気配…殺気すら殺す冷徹さが感じられなかった。

 

「おと…音…なんか、銃以外で音の出るもん、ねぇ…?」

 

一瞬ストックに首を預けて悩む素振りを見せるレームだったが答えは出そうにない。

 

「レーム、その話はあとでね、そろそろ彼の<射程>に入るわ。」

 

その時煙の向こうに人影が見えた。徐々に濃くなる人影からは、アフリカの熱射をも忘れさせるような冷たさが感じられた。いや…正確には感じさせられていると言うべきか、彼とて本気ではないという訳だ。

 

そのことだけでも知れたならば上出来だろう。レームとチェキータもまた極めて高度な経験と技術を有する戦闘機械としての素質に富む存在だった。

 

だが、それでも本気で殺しに来たジタン・コッポラを相手に、殺気や気配を感じ取れるのかと問われれば…それは唯一ジタンにのみ断言が許されることである。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

邂逅その3

 

 

「……」

 

先ほどまでの饒舌さはなく、ただただ美しい容貌に何変哲の無い光を湛えた瞳が二つ、半壊した小屋の中からジタンを見遣る三人のことを見つめていた。

 

「これよ、これ…ジタンはこうでなくちゃ。嫌に饒舌だから人が変わったのかと思ったわよ。」

 

チェキータの独り言にレームは反応せず、目の前の得体のしれない莫大な存在に視線を固定して離さない。

 

「……チェキか……」

 

チェキータの声に反応したのは、なんとジタンだった。彼はポツリとそう零したきり沈黙したが、チェキータは能天気に心底楽し気に、引き金に掛けていない方の手で、アロハポーズを作りジタンへ向けて掲げた。

 

すると、ジタンも当然の如くアロハポーズにした手を掲げて、ゆらゆらと揺らした。

 

「……久しいな、フロイド……」

 

アロハポーズに律儀に返してから、ジタンはフロイドに目を向けた。

 

「お、お久しぶりです…ミスター・コッポラ。その、先ほどは部下が失礼を…。」

 

弱弱しい態度で立ち上がり頭を下げようとするフロイドをジタンは手で制した。

 

「……いや、いい……」

 

ジタンの表面上は穏やかな声に身を引き締めつつフロイドは顔を上げた。

 

「あ、ありがとうございます。」

 

「……相談がある……」

 

感謝の言葉を言ったのも束の間、ジタンの<相談>に背筋を伸ばしたフロイドは冷や汗を隠さずに、本交渉に臨んだ。

 

「謝罪などいらぬ。貴様の命で償え。」とか言われたらフロイドは殺される前に恐怖のあまり悶死するかもしれない。

 

「なんでしょうか?」

 

「……俺を雇え……」

 

恐る恐る尋ねると、予想の斜め上の答えが返って来た。

 

「「「え゜ッッ!?」」」

 

チェキータまで、一同が気の抜ける声を上げた。緊張感が白けて、どことなくコメディチックな雰囲気に呑まれそうになるが、忘れるなかれ周囲には未だに死体が散乱している。

 

「……今、一文無しでな……」

 

「あ、え、えっと…それは構いませんが…えぇと、よろしいのですか?」

 

血生臭い就職面接に戸惑いつつも、経営者でもあるフロイドは緊張が解けて倒れそうな足にむち打ち話を詰めようとした。

 

「……なにが?……」

 

「…本国に御帰りにならずよろしいのですか?恐縮ですが合衆国迄安全にお送りすることも可能ですが…。」

 

本来、死んだことになっているジタン・コッポラ。彼が実は生きているなどと言う状況は、国際情勢に如何程の衝撃をあたえるだろうか。その情報が流出すればデマであれ真実であれ瞬時に自社の株価が大暴落も急上昇もし得る程、なのは間違いないだろう。

 

「……疲れたんだ……」

 

「ハイ……。その、ではどのような内容で?」

 

「……衣食住だけだ……」

 

気を遣った質問を投げかけてみれば、意外にもジタンは本国への帰還を望んでいなかった。理由は彼を知る者にとっては遅すぎる程の、彼を知らない者にとってはあまりにも陳腐すぎる理由だったが。

 

「で、では職務に関しましては……」

 

「……当面護衛のみ……」

 

衣食住と娯楽などの保証さえすれば、大国の大統領すら暗殺できる最強無敵の矛が手に入る、そんな信じられない現実に直面してフロイドは良くも悪くも夢見心地であった。

 

例え攻撃的な活躍が望めなくとも、世界の首脳や資産家が挙って巨額を積んでも気に入らなければ断るような、そんな人材のヘッドハントに成功してしまったのである。フロイドは最早半ば水に浮いているような状態でジタンとの商談成功を噛みしめていた。商談と呼ぶには、いささか一方的過ぎたものではあったが。

 

「……畏まりました。で、ではそのように…。あと、その、この二人はご存じかと思いますが私の護衛として雇っていまして…。」

 

「……安心しろ、チェキに襲われかけたから放り投げただけだ。……」

 

「は、はぁ…。」

 

一難去った今しかないと、自分はあくまでも雇っただけでありレームやチェキータの独断専行だから自分は勘弁してくれという旨の弁明を試みたフロイドは、自分にも二人にも何事も起こらなかった事実に驚き、ジタンの寛容に困惑した。

 

「……今日から、よろしく……」

 

「…はい。ようこそHCLIへ、我々はミスター・コッポラを歓迎します!」

 

ジタンの方からよろしくされたフロイドの驚きは空を飛ぶ勢いだったが、彼は非凡の胆力を発揮して堂々たる挨拶を披露した。

 

気を取り直して挨拶すると、握手の為にジタンは敢えて右手を差し出した。フロイドは思考するまでもなく反射的にその手を取った。これにて商談成立である。

 

「……あぁ、それと……」

 

「はい…何か必要なものがあればなんなりと。」

 

肩の荷が下りたような心地も束の間、ジタンは握手している手を引いてフロイドに一つ頼みがあることを伝える。早速の注文に気を引き締めたフロイドに、ジタンは耳打ちするように言った。

 

「……ライターを……」

 

「ライターですか?おい、レーム。」

 

ライター。つまり着火具である。今この場においてタバコを常飲しているのは一人しかいなかった。フロイドは根元まで吸いきる直前のタバコをふかしていたレームに声を掛けた。

 

「おぅ…ほらよ、どうぞ。」

 

「……ありがとう……」

 

「あら?ジタンってタバコ苦手だったわよね?」

 

レームがライターを手渡した瞬間。チェキータがそう言った。

 

「……フッ…答え合わせだ……」

 

チェキータの言葉を聞き、ジタンはこの時初めて口角を僅かに上げて、悪戯が成功した時のような無邪気な笑みを浮かべたのである。

 

<<カシュンッ!>>

 

蓋を弾き、石が擦り合わされ、ZIPPOライターが明かりをともす瞬間の音が響いた。

 

 

 

「…んん?あれ?服がある…なんでだ?チェキータに身包み剥されるとこだったのに…それに銃向けられてるし、いやさっきもか…フロイド、こりゃどういう状況だよ?なんでそんなに驚いてんだ?」

 

ライターの音が鳴るのと同時にジタンは先ほどまでの無口さはどこへやら、実に饒舌に言葉を発すると、自身を見つめて目を見開く三人の表情を見て、自身の置かれた状況の特異さに首を傾げた。

 

「ああぁ!?そ、そういうことか!ナッ!?…この中でタバコを吸うのは、レームお前だけだな。」

 

謎が解けたフロイドは騒動の元凶になってしまったレームを眼でどついてから、安堵と呆れの含まれた重い息を吐いた。

 

「なるほどね…ふふ、アナタって相変わらず楽しいヒトね。」

 

チェキータは案の定嬉しそうにニマニマとジタンを見つめていた。類稀なサプライズに投げ飛ばされたことに少しも腹を立てた素振りすら見せずに大喜びの様子であった。

 

「…なんだ、つ、つまり今回の一件、はじめから俺の所為ってワケかよぉ?…こいつは、まいったぜ。まったく。」

 

ジタンの言葉、フロイドからの視線、そしてチェキータのニヤニヤでレームも状況を察した。ジタンから返されたライターを手で弄びつつ、なんてこったと気まずそうに頭を掻いていた。

 

「んんん??」

 

「えいッ!ふふ、案外饒舌なジタンも悪くないかも。ギャップ萌えかしら?」

 

困惑するジタン。突っ立っていた彼の頬肉をつまんで伸ばしたりしていたチェキータは、これからの仕事が待ちきれない様子で頭一つ大きい彼に横から抱き着いた。

 

「…まぁ、丸く収まったのなら何よりだ。ところで、結局アンタら俺を買ってくれるのか?海賊は死んじまったし他の奴隷もいないからな、できれば一緒に連れて行ってくれると助かるよ。」

 

背が高くても線が細いジタンは、クマに覆い被さられる様にチェキータに埋もれつつ、終始淡々とした無表情で言い切った。

 

銃を降ろして話を聞いていたレームとフロイドは互いに顔を見合わせると肩を竦めた。

 

「はぁ、それはもう、是非よろしくお願いします。」

 

「あぁ、アンタが味方なら心強い。こちらこそよろしく。」

 

「また一緒ね。何年振りかしら…暴れてくれそうにないのだけは残念ねぇ。」

 

「おぉ、なにすんのか知らんけど。これからよろしく!フロイド、レーム、チェキータ。」

 

フロイドは慇懃無礼に、レームは敬意を込めつつフランクに、そしてチェキータはただただ純粋に嬉しくて仕方がない様子で、そしてジタンは<全く意味わかんないけど見た感じオッケー>の精神で新たな仕事仲間へと最初の挨拶をぶちかました。

 

 

 

こうしてジタン・コッポラの第二の人生はその驚異の修正力により、またしても血と硝煙の尽きない戦場へと誘われていった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

アパッチその1

人生最大の危機を乗り越えて、売れない奴隷からHCLIの正社員に大出世したジタン・コッポラだったが残念ながら待っていたのは普通の暮らしとはかけ離れた過激な毎日だった。

 

 

 

アフリカ某所。フロイド一行はアフリカ権益係争で敵対する武器商人による急襲を受けていた。

 

 

差し向けられた刺客は完全武装のAH-64アパッチ攻撃ヘリコプター。その圧倒的な攻撃力と装甲の前にフロイドの車列は壊滅した。タイヤの潰れたディフェンダーで命からがら逃れた彼らを、デザート色の迷彩で塗装されたアパッチの執拗な追撃が待ち構えていた。

 

旋回するヘリの足音から逃げ続ける。鳴り響くローター駆動音と金切声の様に続く給弾ベルトの悲鳴。赤熱する砲身から立ち込める煙。彼らが通った道はえぐり取られた大地から砂煙が帯を引くように立ち昇った。

 

灼熱の太陽が照らす真昼間、アフリカの廃空港へ逃げ込んだフロイド、レーム、チェキータそしてジタン。彼らの頭上で旋回しつつ、動くものを手当たり次第に30mmチェーンガンの掃射で粉みじんにするアパッチ。

 

空飛ぶ戦車を相手に、彼らの手元には拳銃と自動小銃しかなかった。護衛として黒で統一された防弾チョッキと戦闘服をきているチェキータやレームとは違い、今回は事務の仕事だとはぐらかされて同行していたジタンの恰好は上下黒のスーツにタイ無し白シャツ姿であった。砂埃と泥でダメになった買ったばかりの革靴は安らかに眠れ。

 

敵地上部隊の到着が早いか、HCLI本社の救援ヘリが早いか。無線通信の最中、遂に頼りない鉄筋コンクリートの壁の裏でうずくまっている所をアパッチに補足されてしまった。

 

すぐさま地上を指でなぞるように撃ち込まれる30mm機関砲弾。アスファルトも砂も等しく吹き飛ばしながら死の射線が迫りくる中、ジタンはフロイドを担ぎながら遮蔽物を次から次に変えながら必死に逃げていた。

 

緊急事態発生(CondiRED)!!緊急事態発生(CondiRED)!!こちらジタン・コッポラ!本部応答せよ!!フロイド氏他三名で攻撃を受けている!座標は****、SA(南アフリカ)東部国境以北**km地点。えぇ!なんだって!!機関砲がうるさくて聞こえない!!」

 

「えぇ?あぁ!!そうだ、座標は緯度**経度**…ああ、そうそう、そこ!そこだ!!その廃空港にいる!え?いや、コンボイはもうダメだ!非戦闘員及び車列の荷は全て避難・放棄済みだ!あぁ、そうだ!そこだ!」

 

「敵ぃッ!?敵、相手は攻撃ヘリ(アパッチ)だ!ぐうぅぅッ管制塔が!?ああ、今も俺達を探してる!!奴ら手当たり次第にミサイルを!今も管制室が吹き飛んで吹き抜けにッ!あん!?赤外線カメラ(サーモ)だぁ!?積んでるわけないだろ!!ここアフリカだぞ!?真昼間の陽炎で人間の体温なんざ霞むことは向こうも分かってる!!だから30mm使う前に目星い建物ミサイルでボコボコにしてんだよ!!あぁ!あぁ!わかった!15分だな!あぁ!頼んだぞ、至急応援を求む!?てッッうおぉぉぉッ!?!?」

 

至近距離で炸裂した30mmの破片が無線に刺さり、煙を上げた。本部からの連絡が最早不可能となった今、出来ることは耐え忍ぶことのみだった。

 

「ミスタージタン!迎えは何分後に!?」

 

焦るフロイドを宥めつつ、状況を説明するべくジタンは顔を突き合わせた。

 

「ガッデメッ!!無線機が今の爆風でイカれた!予測時刻は最寄りの中継基地から最短15分後だ!それまでにあのヘリをどうにかせにゃ!」

 

ジタンは人差し指と親指で無線機を摘まんで見せた。5cm大の金属片が深々と無線に食い込んでおり、無線機の奥から煙と共に燻る火がちろちろと舌を出していた。

 

「ミスタージタン…どうにか、できますかね…?」

 

青い顔ながら希望を捨てていないのか、フロイドはジタンに問いかけた。

 

瞬間、背後からコンクリートがはじけ飛ぶ音と粉塵と共にアパッチが顔を寄せてきた。

 

「声が小さくて聞こえねぇ!もっとデカい声で言え!」

 

硬質な建材の破砕音に耳を傷めつけられながらジタンはフロイドを担いで走った。無意識に動く肉体にジタンはもう慣れていた。こういう時には、身体に任せるに限る。

 

「頼みますよ!!ミスタージタン!!」

 

叫ぶフロイド。半泣きだったが、重要資料の入った仕事道具のPCと鞄だけは抱いて離さなかった。

 

「いつもみたいに不思議な力で何とかなればイイがなッ!!フロイドッ!お前は信じる神にでも祈ってろ!!おーーいッ!!レームッ!聞こえるかぁ!」

 

フロイドの商人としての意地を垣間見ながら、ジタンは励ますように彼に軽口を叩いた。まだ無事な無線をポケットから取り出し耳のインカム越しに同僚に呼び掛けた。

 

「聞こえませーん!!」

 

聞こえて来たのはレームの呑気な声だった。ジタンは安堵しつつ忘れずにツッコミを入れた。また弾着が近くなっている。自分に向かって手合わせ拝むフロイドに首を傾げつつ、ジタンはレームに声を張り上げた。

 

「おい!!遊んでる場合かッ!そっちには弾ぁ残ってるのか!!」

 

ジタンからの声を聴き、こちらも安堵したレームは転がり回ったお陰ですっかり砂埃塗れの戦闘服を気にするそぶりもなく、落ち着いた手つきで愛銃M4カービンの薬室と弾倉を確認。撃ち尽くしてしまったことを確認してから、マガジンをリロードした。

 

「マガジン一本で終いだ!!って!?おいおいッ!遮蔽物から頭出すもんじゃねーぞ!」

 

<<シャコッ>>と音を立ててレバーを引き薬室への装填を済ませ、ジタンへ報告した。チラリと30mほど離れた位置にいるジタンとフロイドを確認したレームは、ジタンが頭を出して手をこちらに振っているのを見て苦笑した。

 

「聞こえないんだよ!それに30mmで掃射されてんだぞ!隠れる場所もそろそろ無くなる!ったくよぉ…事務の仕事とか言い出すから付いてくればこれだ!!おいッ!チェキ!チェキ!?聞こえるかッ?残弾はッ!?」

 

手を振り返されたジタンは悪態を吐いた。全身を引っ込め、陽光に晒され熱くなったコンクリ壁とアスファルトに背中と尻を預けてから、もう一人の相棒に声を繋ぐ。アパッチの旋回運動が確認され、もう直にここもヤツの射角に入る。時間が無かった。

 

「アハッ♪うふふ…確かにそんなこと言ったかも~!あ、私は今のを撃ち切るとオシマイね~!そういうジタンは?」

 

冷静に焦るジタンの声が届き、真反対の<オモテ>のジタンに微笑まし気なチェキータ。手元のP90の残弾を確認したチェキータも、ヘリに決定打を与えられないことを理解しつつ報告した。

 

「45口径に3発!チャンバー込みでな!以上だ。」

 

最後に告げられた誰よりも頼りない報告にレームが吹いた。

 

「おい!冗談よせよ!フロイドさんは無事なんだよな!?」

 

レームはタバコを咥えながらわかり切った質問を敢えてした。煙草は激しく動いた所為でポケット内であちこち折れたり潰れたりしており不格好だったが、泥まみれ埃塗れの今の恰好にはやけに似合う仕様に見えた。

 

「レェェェーームッ!!私は無事だーー!!」

 

悲鳴のようなフロイドの声にレームが笑った。

 

「おぉ!元気そうだな!」

 

絶体絶命の状況下でへらへらと笑うレームにフロイドも怒りたいような有難いような心地であった。

 

互いの無事を確認した矢先、チェキータの声が届いた。

 

「レーム!ジタン!そろそろ私のとこ、壁が無くなっちゃいそうなんだけど?ウッ…つつ…ちょっと破片が掠っちゃった…。」

 

無線から届く音の八割が機関砲が地面を耕す音だった。フロイドとジタンの方がチェキータには近い。100mほど離れた半壊した管制塔のすぐ脇の瓦礫に避難していたチェキータに、運悪く破片が届いてしまったようだった。

 

「言わなくても見えてる!!四つん這いになってそこでじっとしてろ!」

 

ジタンは腰から抜いたUSP拳銃をフロイドに投げ渡して言った。

 

「ジタン!どうすんだよ!?」

 

アパッチがチェキータの元に釘付けになっていることを横目で確認してから、フロイドの元に滑り込む様に合流したレームは走り出そうとするジタンの背に叫んだ。

 

「俺が行く!!」

 

ジタンはそれだけ言い残して走り出した。

 

「はぁ!??どうやってッ!?お前さん、素手でヘリ堕とす気かよ!?正気じゃねえな!」

 

肉体が動いた。そこに表のジタンの意志は関係なかったのだ。明らかに人間離れした走力で駆けだしたジタンに向かってレームは舌打ちを一つ。

 

「シャダップ!!ここぞという時の神頼みだ!!頼むぞ不思議パワーッ!!」

 

レームの制止も気にせずぐんぐん進んでいくジタンは本気だった。

 

「…あぁ、クソッ!フロイドさん!イイんだな!!?」

 

レームの許可を求める声にフロイドは頷いた。

 

「やってくれぇ!!」

 

許可を得たレームは愛銃と自身が咥えていたタバコ、そしてライターをクイックリロード用にマガジンを固定するバンドに括りつけて全力で投擲した。

 

「おいッ!ジタン!もってけ!死ぬかもしれねえんだ!記念に一服していけよ!あと、これももってけ!」

 

全力で投擲した先、ジタンの体は後ろを見ることもなく受け取り、スリングを肩にかけると言葉通りに煙草を咥えた。

 

「悪いな…借りるぞ。」

 

走りながら煙草に火をつける瞬間。フリントの摩擦により独特の擦過音が鳴った。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

アパッチその2

<<カシュンッ!>>

 

炎がオイルを吸った先端に着火するより早く。

 

<<キンッ!>>

 

甲高い音と共にライターの蓋が落ちた。

 

「敵発見!!急げ、補足しろ!」

 

「ハッ!!小銃ごときで何が出来る!!挽肉にしてやる!」

 

「補足完了、射撃はじめ!!」

 

敵パイロットと射手の咆哮が機内で響いた。

 

高度がぐんぐん低下して、管制塔の頂上に辿り着いた瞬間、真正面に30mm機関砲の銃口が向いている状態が完成していた。

 

そして、ジタンの口元から零れたタバコが地面に落下するより早く。

 

<<ドドドゥッ!!!ドドウンッ!!>>

 

彼は30mm機関砲のマズルフラッシュが瞬く中を縫い、半壊した管制塔に駆け上り、むき出しの管制室だったものから飛び降りた。

 

階段と瓦礫を駆け上がる最中にベルトから組み立てた総チタニウム製の錐、先端の切っ先をタングステンで加工した総重量1kgを越えるベルトバックルから変身した、その凶器をジタンは平然と30mm機関砲の給弾機関部に突き立てた。

 

<<プシュン!!>>

 

ガスの吹き抜けるような音が響くのを待たずに、ジタンはそのまま深々と突き刺した錐から手を離して重力に任せて落下した。

 

落下距離高度30m。ジタンは素早くレームから借りたM4を構えるや、フルオート射撃で装填されてあるマガジンを撃ち尽くした。

 

「奴を撃て!!撃ち殺せ!!」

 

「ハッ!!」

 

カチ…カチ…

 

「おい!どうした!?何故撃たん!!」

 

「クソッ!!野郎ッ!チェーンベルトをッ!!」

 

「んなッ!?バカな!」

 

「クソッ!機長、ミサイルを!ミサイルで吹き飛ばしましょう!!」

 

給弾ベルトを砕くように強引に差し込まれたチタニウムの直棒。射撃の為に必要な機構を信じがたい方法で阻害され、作動しない射撃ボタン。業を煮やした機内では遂にミサイルの使用が決断された。

 

しかし、彼らがミサイルの照準を設定している最中に甲高い打撃音が機内に響く。

 

「な、なんだ!?」

 

「見てください!奴です!!」

 

射手が指差した先には火花を散らすミサイルポッドがあった。

 

<<パララララッ!!パララララッ!!>>

 

至近距離からアサルトライフルの5.56×45mmNATO弾を30発。寸分狂わず撃ち込まれた先。

 

標的はミサイルポッド及びそのすぐ隣に懸架されていたAGM-114ヘルファイヤミサイルだった。

 

<<グワッ!!ブッシュウウウ……!ギュルルルル…ゥゥゥ…>>

 

「ッつ…うわ、うわあぁぁぁぁ…!!?」

 

「メーデー!メーデー!ぎゃあぁぁぁぁ!!??」

 

引火し、暴発したヘルファイに煽られたアパッチは不細工な回転を始めた。機内ではミサイルの爆発で防弾板が融解、装甲が剥離しガラスも破砕していた。火の手が機内の操縦士と射手を襲い、空飛ぶ戦車は数秒足らずで灼熱の棺桶と化した。

 

「……チェキ…大事ないな。行くぞ…あと10分で迎えが来る。ランデブーポイントへ急ぐぞ……」

 

撃ち尽くしたM4を肩に掛けなおし、転がりながらケガ一つなく着地してみせたジタンは駆け足でチェキータの元へと駆け寄った。

 

声を掛けた瞬間、背後でアパッチが墜落し、地面へ激突した。

 

<<ドッ!!ボファ!!グガァァンッ!!>>

 

墜落現場の滑走路の真ん中では大爆発、次いで残存火薬にも引火し次々に爆発が起きた。爆炎が吹き上がり、距離があると言うのに肌を焼くような熱で汗が噴き出した。

 

 

 

ジタンは放出品のカラシニコフ小銃弾痕だらけの崩れかかった壁に凭れていたチェキータをゆっくりと抱き起すと、空回りして回転しながら飛び出したヘリのブレードを遠回りに避けながら進んだ。

 

「……事務仕事だと聞いていたんだがな…ウソの付き方が尋常じゃないぞ。今度からは対応可能な事務員を選ぶことだ……」

 

フロイドとレームの元へと向かう途中、ウラに還ったジタンは常よりは饒舌にチェキータと言葉を交わしていた。

 

「ふふ…こんな事務員どこにも居ないわよ…。」

 

彼なりの冗談なのか、それとも本気なのか。灼熱の中で汗一つ浮かばない平然無比の美貌を誇るジタンとは対照的に、チェキータはケガの痛みと爆発の熱で冷や汗と脂汗を幾筋も垂らしながら言葉を紡いだ。

 

「……まぁな、事務員に救われるPMCもここだけだろうしな……」

 

「事務仕事だから安心してついてらっしゃい」…そう言われてついてきたことへの小さな意趣返しのつもりで皮肉を言い合った。

 

ふと、立ち止まったチェキータに従う形で、彼女に肩を貸すジタンも立ち止まりチェキータのことを伺った。

 

「……傷が深いのか?……」

 

首を振るチェキータ。彼女らしくもない。駄々っ子みたいな素振りだった。

 

俯きがちな顔を覗くと、目を細めて痛みを忘れたように楽しそうな、けれど切なそうな表情を浮かべていた。

 

「…ねぇ、ずっとこのままじゃダメ?」

 

しな垂れて頭を預けられた。痛みの所為か、生温く荒い吐息が首筋で籠る。肩に掛けられた腕が、その腕を離さぬように握るジタンの手に伸びた。

 

重ねられた手は、傷口を応急処置した時に付着したチェキータ自身の血で塗れている。鮮烈な赤から黒々として所々に砂埃が混じった茶けた色合いに変わった手の平。

 

情緒の欠片も無いシチュエーションだったが、チェキータの手は温かく、その温もりはジタンの深く深くに遺されてきたこれまでの拭い難い過激で無慈悲な半生に束の間、輝く温かい思い出を思い出させた。

 

「……少し疲れたんだ。だから、しばらく表のままでいたい……」

 

過激だが、それでも捨てがたい時間だった。チェキータが言った<このまま>は、オモテの自分をこのまま忘れてしまおうという誘いだった。

 

だがジタンは余りにも働きすぎていて、その場で即断できるほどの情熱を戦場に馳せるには気力が足りなかった。

 

「そう…いいわ、私はどっちも好きだから。いたた…ふふっ…痛いわ~痛くて歩けないわね?どうしましょう?ふふっ…ケガが思ったより深かったみたいね。これじゃあ、歩けそうもないわ~。ね?どうしたらいいのかしら?」

 

重ねた血塗れの手を赤子をあやす様な慈しみに溢れた手つきで撫でられたチェキータは、自身の誘いが断られたというのに本の少しも落胆も失望も見せなかった。

 

彼女がジタンと出逢ったのは20歳より前のことで、彼女が初めて人を殺した時には既に同じ戦場で同じ釜の飯を食べ同じベッドで互いの身を抱き合って眠っていた仲だ。

 

誰よりも長い関係性を持っていることが誇らしくも疑いのない彼女にとって、ジタンとのことは今更好き嫌いなどという単純な指標で割り切れるような浅い関係性ではないのだ。それこそ、血の繋がった家族以上に、別々の場所に居ても必ず再会できると確信し合う間柄なのだから。

 

「……そうか…なら抱いて行くぞ…フロイド達が待ってる……」

 

チェキータはあからさまに傷を痛がり、ジタンも演技と本音が混じるチェキータの言葉に喜んで乗っかり、彼女の腰に手を回した。

 

「よろしくお願いするわ…ありがとう。」

 

「……家族なら、当然のことだ……」

 

その手際の良さや軽々とした所作とは裏腹に頗る丁寧に横抱きにされたチェキータは彼の為すままに身を任せた。

 

手を振るレームとフロイドの姿が見える頃、彼女は上体を起こした。胸をひしゃげさせジタンの視界の半分を温もりと母性で埋め尽くしながら、首に腕を回し彼のシャツの胸ポケットを探った。

 

「それじゃ、<またね>おやすみなさいジタン。」

 

レームの寄こしたZIPPOを取り出した彼女は、ほんのり口角が上がった…わかる者にしかわからない…穏やかな笑顔のジタンの胸元でライターの蓋を打ち上げてフリントを擦った(すった)

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

アパッチその3

<<カシュンッ!>>

 

粒子が大気を叩く硬質な音と共に、ジタンは寝起きのような表情で目をパチクリと瞬かせた。

 

「んん??あれ?あぁ、またコレか…お、チェキじゃん…此処は?俺達死んだのか?それともレーム達だけ?」

 

三途の川か地獄の入口か、ファッキンホットな現場でのんびりしいなオモテのジタンが優しい笑顔のチェキに声を掛けた。

 

「いいえ、今回も何とかなったわ…貴方のお陰よ。」

 

愛おしそうに血みどろの指で頬や目元を撫でられてジタンはくすぐったそうな表情を浮かべた。

 

「んむうッ!?」

 

撫でる手指はそのまま、万力の如く力がこもったかと思えばガッシリホールドされて唇を奪われた。

 

「ン~…ふふ、今回の分のお礼よ。さ、行きましょ、フロイド達はアッチよ。」

 

両手が塞がっていたこともあり、ポヤンとした表情で彼女を見つめていたジタンに、なんでもないような調子で擽ったく笑いかけたチェキータは火のないタバコを噛みだしたレームを指差して先を促した。

 

「お、おお。そーだな。そうしよう。」

 

我に返ったジタンが歩みを再開すると、遠くで回転翼の駆動音が響いてきた。

 

「迎えが来たみてぇだな、はぁ…仕事は散々だったが、アンタのお陰でまた生き残れたな…全く、アンタといると退屈しねぇぜ。ま、今回もお互いお疲れ様ってこった。そら、早いとこ帰ってビールでも飲もう。」

 

迎えのヘリが滑走路上にホバリングで高度を下げていくのを見上げながら、レームがしみじみとジタンに語り掛けた。

 

「はぁ…散々だってことには同意するぜ。あと、いつも言ってるけど俺はビールみたいに苦い酒は飲まないんだっちゅーに!」

 

湿っぽような、どこかしら茶化すような調子のレームに同意しつつ、ジタンはそのノリに乗って軽妙に返した。

 

「わはははは!!知ってる知ってる!お前、苦いと涙目になるもんなぁッ!!あっはははは!」

 

絶体絶命の状況下から脱し、またフロイドの表情から敵の増援は本部の部隊が殲滅なり牽制なりしてくれたお陰で心配いらないことを知り、開放感を感じてるのだ。そんな状況での仲間の軽口になら乗っておくのが戦場の醍醐味だろう。

 

「笑うんじゃない!イイ年した俺が涙目とか言うな言うな!恥ずかしいだろうが!」

 

さらっと弱点を晒されたことに明るい声を上げた。テンポの良いやり取りに興じていると、一足先に救護班の手当てを受けてヘリに乗り込んでいたチェキータから声が掛かった。そろそろ離陸だ。

 

「ジタ~ン?レーム~?置いてくわよ~!」

 

 

「いま行くーーっ!!」

 

伸びをグーっと一つしたジタンが最後にヘリに乗り込むとすぐさま高度が上昇した。荒涼としたアフリカの大地を照らす真っ赤な夕焼けに機体の背を焼かれながら、ジタン達四人は今回も無事に戦場(キリングフィールド)を離脱した。

 

 

 

後日、アフリカの某大都市の一角でライターの石を擦る音が響き、過熱するアフリカの炎に油を注いでいた武器商人が一人消えた。

 

彼に関わった者、彼を知る者達の手元からは彼の存在や経歴を証明するあらゆる資料が喪失し、彼を彼だと証明する全ての記録が抹消された。FBIのブラックリスト上に保存されていたプロファイリングやCIAのデータベースは無論、銀行預金から所有不動産、果てはビデオのレンタルからクレジットカードの利用履歴に至るまで。古代ローマ人も真っ青の仕打ちだった。

 

すべての後に遺されたのは、身元不明の遺体が一つ。死因は眼窩を貫通して届いた細い棒状の凶器による脳破壊だった。死に化粧と防腐処理まで施された死体は自宅の寝室で眠るように安置されていた。彼が何者で、彼が何を成し遂げて来たのか…そのことを知る者は誰一人として存在しなかった。

 

 

 

帰って来た家、大型輸送船の船室にフロイドとレームの二人が居た。

 

今回受けた損害はウラのジタンの活躍で、敵対していた武器商人の資産を接収して大幅にプラスになったが、それとこれとは別だった。損失したものの始末書が上がって来たので決済の確認をしたりとやることが山積みだった。部下と手分けしてもこれなのだから、本部に戻るまでは船上こそ正にフロイドの戦場だった。

 

「はぁ…まったくどうしてこうも物騒なことになるのか…。いや、無事で済んだのだが…。」

 

草臥れたフロイドがすっかり冷めたコーヒーを顔を顰めて飲み干しながら零した。萎えぎみの雇主を肴に、レームは旨そうにタバコをふかした。

 

フロイドの言葉も最もで、ジタンをチームに入れてからは今回のような絶体絶命の状況が割と頻発していた。戦場とトラブルを引き寄せる重力のようなものを纏っているのかと思うほどだが、同時に結果的には大きく成功や黒字に導き、またフロイド自身は本来のポーカーフェイスを忘れて死ぬような思いを毎回しつつも一度として傷一つ負わずに生還してきていたのだ。

 

「へへへ…全く、ジタン、あいつやっぱりサイボーグかなんかなんじゃねぇのぉ?小銃と鉄の棒っきれだけでアパッチ堕としてチェキータ抱いて走って戻って来るたぁ…いやぁ、本当に大したモンだぜ。」

 

口元を覆うように人差し指と中指でタバコを挟むと、レームは愉快そうな調子で語った。

 

「…ライターもちゃんと帰って来たんだろう?」

 

回していたペンを落として、フロイドがレームに聞いた。

 

「あぁ、無事だった。相変わらず、不思議な力のお陰だな。」

 

正にその通り、不思議な力と言うほかなかった。だが、全て少なくともこの二人を含む者たちにとっては決して牙を剥いたことのない力だった。

 

「心理学…いや精神科学的なカラクリだとは思うのだが…はぁ、またしてもあの人に助けられたな。」

 

背もたれに背を預けたフロイドは無機質な船室に場違いな黒檀製デスクの引き出しから葉巻を取り出して言った。

 

「なぁ…ずっと気になってたんだが、始めっからスイッチ入れないのはどうしてなんだ?そのほうが仕事も楽に済むんだがなぁ…。」

 

俯き吸い口をカットするフロイドにレームは問うた。

 

「…レーム、ミスタージタンは決して、決して望んで今の様になった訳ではないぞ。…あの人はもう覚えていまい、しかし私ははっきりと、あの人が幼い私を助けてくれた時に語ったことを覚えている。」

 

レームの問いにフロイドは顔を上げなかった。だが、いやに熱のこもった真剣な声をレームは聞いた。

 

「…ありきたりな悲劇は俺は腹いっぱいだぜ?」

 

軍人として、元デルタフォースとして働いてきたレームは、この業界に参入する以前からその手の悲劇には見飽きていた。

 

「ありきたりなものか…だが、悲劇ではある。この世の理不尽を憎み、理不尽を自らが体現することで自分から奪われることを拒むに至ったのだ。その過程は壮絶なもので然るべきだろう…だが、悪いなレーム、私もまだ死にたくない。許しも出ていないのに話すことは出来ない。」

 

だがレームの淡々とした様子を気にすることもなく、フロイドは折角炙った葉巻にも口を付けずに、ただ語った。

 

「へぇ…要するに、戦場からは正直おさらばしたかった…ってことか?」

 

レームとてジタンの伝説的所業は既知、いやリアルタイムで体験すらした世代なのだから詮索はしない。例えどれだけ興味関心があったとしても、例え今や平凡で温厚な男に人格が挿げ変わっていたとしても。

 

なぜならジタン・コッポラの心底には依然として生ける伝説が全盛の儘に彷徨を続けているのだから。

 

「まぁ、そうなるな…。だが、おそらくあの日の<9.11の奇跡>は単なる偶然だったのだろう。結果的に記憶を喪失したことは事実で、その証拠にライターで人格は元に戻っても自分にまつわる詳細な情報を何一つミスタージタンは覚えていない。」

 

そこで初めてフロイドは葉巻を一口燻らせた。

 

「着火でウラに還り、鎮火でオモテに返る。」

 

レームは吸いきったタバコを携帯灰皿に納めると、新しいタバコを咥えた。

 

<<キキンッ!カシンッ!>>

 

<<キキンッ!カシンッ!>>

 

そして着火はせずに、愛用のZIPPOの蓋だけ開閉して弄んだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

アパッチその4

<<キキンッ!…シュボッ!…カキッ…チンッ!>>

 

3度目の開閉で、レームは初めて着火した。躊躇いがちに石を擦るとタバコの先を炙った。一口ふかし、芽生えた火を少しの間見つめた。それからゆっくりと押し戻すように態々反対の手を使い蓋を閉じた。

 

しばらくレームもフロイドも言葉を発さなかった。当然だが何も起こらなかった。独特のオイルの香りが鼻に衝いた。

 

「どちらもミスタージタンの理想像なのだろうな…望まずして極めた理想と、望んでいたが得られなかった理想…二つの理想の自分なのだろう…先日社員検診の時にミスタージタンを診た医師とカウンセラーの所感、その受け売りに過ぎんが…。」

 

葉巻の煙に巻かれるフロイドがぼんやりと船窓から外を見ながら言った。何時の間に立っていたようだ。

 

「そうだ…あの話、本当か?」

 

レームは自分で思う以上に長く火を見つめていたことに気恥ずかしくなり、話題を変えた。

 

「…子供達の話か?」

 

フロイドは船窓の外を見たまま言った。

 

「あぁ…俺はともかく、チェキの奴とジタンを離すのはお勧めしないぜ?それに、自分の護衛は如何すんだ?新しいのを雇うのか?」

 

煙を吐き出してレームは矢継ぎ早にフロイドに問いかけた。

 

「あぁ…その件ならミスタージタンには許可を貰ったんだ。ココの…娘の御守りを頼んだら快諾してくれたよ、子供のことは嫌いじゃないらしい。」

 

煙を味わいながら、「レームも変なことを気にするものだ」と思いつつフロイドは軽々答えた。

 

「へっへへ…それ以上に、アイツは子守の方がのんびりできると考えてるのさ。で、チェキの方は?」

 

レームはくしゃりと笑って、いかにもオモテのジタンが快諾しそうな一見簡単そうな依頼内容に笑いを零した。

 

「……チェキータにはキャスパーについて貰おうと考えてる。」

 

フロイドはチェキータの話では、一転声を潜めるように答えた。

 

「おいおい…俺とジタンが嬢ちゃんについて、チェキだけ坊主と一緒かよ…荒れないかねぇ?」

 

レームは汗を一筋垂らして自分の憂慮が現実になりそうだと思った。

 

「こればかりは、お互い成長して欲しいのでな。レーム…そもそもお前が不甲斐ないからなんだぞ?ミスタージタンが来てからチェキータは四六時中あの人にべったりだ。」

 

要するに、フロイドなりにスーパースターを盗られたことへの意趣返し兼ジタンにバカンスを提供しようと考えた結果らしい。無論それらが全てではないだろう。海運の巨人は伊達ではない。しかし、ジタンへの配慮は確かに含まれていそうである。

 

「あぁ、スティッキーマインみたいにべったりだな。へっへへ、文字通り<地雷>だな。」

 

痛い所を突かれた筈が、全く頓着しないどころか心底面白そうなレームの様子にフロイドはため息を吐いた。

 

「笑いごとか!お前たちは結婚していたんだろう?レーム、お前が不甲斐ない所為で私のミスタージタンが、よよ…よッ!!よりにもよって!間男みたいじゃないかッ!」

 

当人以外にとってはしょうもない案件で余程悩んだらしい。フロイドは真剣な面持ちで指摘した。

 

「俺に言うなよフロイドさん。そもそも…常識に則った結婚じゃないからお互い問題ないだろ。俺にもアイツやジタンのことは理解できるもんと出来ないもんがあるんだ。チェキータもジタンも独自の恋愛観っつーか、愛情論っつーかで生きてるんだ。ノーマルな俺にゃぁさっぱりさ。」

 

自分と結婚を繰り返しているチェキータのことは当然ながら嫌いではない、互いに信頼しているし好意もある。

 

だが、殊にジタン・コッポラと言う人間が関係するとチェキータは人が変わる。豹変すると言っても過言ではないだろう。戦闘力や殺人技術で全人類の上から数えた方が早いオンナの藪蛇に手を突っ込もうなど…レームは怖いもの知らずでも命知らずではない。

 

「…頼りないことだ。だが、この話は置いておく。私の護衛は心配不要だ。暫くデスクだしネゴにしても欧米中心、基本的には代理を派遣するからな。それに、アフリカとアジアの販路は子供たちに任せることにした。先日の海賊とのネゴもそもそもは下見を兼ねていた。」

 

衝撃の決断に、流石の歴戦の超神兵レーム・ブリックもタバコを落としかけた。

 

「お前とチェキータだけなら分けられなかったかもしれんが…そこにミスタージタンが加わるなら別だ。少し早いが、実地で勉強させることにしたよ。」

 

十歳未満の子供二人に数十億ドル規模の市場を二つ、軽々ポンと任せるところは流石歴戦の大商人。その胆力と覚悟には恐れ入るほかなかった。

 

「……自分のガキを10年と経たずに戦地に放り込むたぁ、アンタも大概イカれてるぜ。」

 

今すぐに全権を渡すわけではない。だとしても、お遊びの様に上手くいく類の代物ではないのだ。命がけ。文字通り骨も返ってこないことも在り得る業界なのだ。

 

「どうとでも言え、私は私の仕事に忠実なだけだ。それに…あの子たちにとっても自分の子供への情すら知らない父親より、ずっと傍に居てくれるミスタージタンのような男や、常識的な君との方が家族というものについて深く学べるだろう。」

 

レームの言葉は正に忘れた筈の常識に裏打ちされた苦言であった分、レームにしろフロイドにしろ自らが身を置く世界の歪さ醜さを再認識することになったのは言うまでも無い。

 

「あと、人選についてはキャスパーの母や姉代わりに制御できる人材としてチェキータを、ココの父や兄代わりとして頼れるように君とミスタージタンを選んだ。新しい人材の登用などは君に任せる。ココ名義でPMCを作っておく、取締役は君がすると言い。あと…彼のことはフリーとしてHCLIの直轄に回す。これならキャスパーの援護に向かわせる口実が作れる。チェキータも文句はないだろう?」

 

レームはタバコを咥えたまま敬礼をして返した。彼なりの誠意であり、現時点での上官であるフロイドの采配に不満が無いことを表明するための切り替え、業務上の線引きでもあった。

 

「子供達をしっかり頼んだよ。将来の後継者だからね。」

 

海運の巨人フロイド・ヘクマティアルはそう言って話を締めた。半ばほどまで吸った葉巻を惜しげもなく潰してから、彼はレームを遺して部屋を後にした。

 

 

 

その日、ジタン・コッポラはHCLI社の辞令を受領した。

 

新しい護衛対象としてココ・ヘクマティアル並びにキャスパー・ヘクマティアルが彼のリストに追加された。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

HARD LIFE
ナイトサイト


中東某国の港湾都市にて、時刻は20:00を回った頃、HCLI社が所有する社員保養施設ではその日細やかな送別会が開かれていた。

 

主催者はフロイド、主賓はジタンであった。ホテルを改装した施設には厳重な警備が敷かれており、周囲は北側に市街地の夜景、南側には広大な海と殺風景なコンテナの群れに囲まれていたが、会場内ではそんなことは気にも留めず、ある程度気心の知れた四人が他の職員を省いて寛いでいた。

 

高級ホテルの立食形式で用意された料理を、ベッドの上やソファの上何かで、思い思いに食べている四人の間には寂しさなど微塵もない。しかし少し浮かれ気味なのは間違いない。

 

壁掛けのテレビは真黒のままなのに、エスニックな味付けで腹を壊した所為かテレビの前に一人で瓶ビールばかり飲んでいたレームは、そのことに目を付けられて、珍しく酔って饒舌のフロイドに絡まれていた。

 

冷たい目つきのまま赤ら顔のフロイドと苦笑いのレームが白い革張りのソファで仲良く隣り合っていた。海運の巨人と言われるだけあって中東の物も食べ慣れているらしい、ラクダの肉の蒸し焼きだと紹介されたガツンと来るスパイスの効いたそれを、フロイドは気負いなく手掴みで口に運んでいた。その厳格で冷酷な仮面を今日ばかりは脱いで見せたことにはチェキータも驚いていたが、これもジタンのお陰だろうとレームは思った。いよいよ肩まで組まれた。用意された舶来のボルドーワインの品評を高らかに始めたフロイドが自分の子供に戦場で武器を商いさせようと企む悪人とは…とても思えまい。

 

野郎二人の喧騒から少し離れた所で、上機嫌で大皿に山と盛られた料理に舌鼓を打っていたチェキータはそんな二人をベッドの上で胡坐をかいて眺めていた。目元はいつものように薄い笑みを浮かべており、頬が膨らむほど料理を詰め込んでもぐもぐ咀嚼していること以外は何時もの様に、何を考えているのか見当もつかない。

 

中東あたりでよく食べられるインドのナンにも似たパンに、よく煮こまれスプーンで押せばほろほろと崩れるまで柔らかくなった羊肉を乗せてかぶりついた。溢れてパンの端を滴る肉汁が五つ星ホテルのベッドシーツを汚すが、誰も気にも留めない。ボウルに盛られていた羊肉のシチューを一人で食べ切ってしまったらしい。空になった皿でスプーンの音がカランと響いた。口の端に残っていたパンのカスをペロッと舐めとる仕草まで、一部始終を見届けたジタンは、「よく食べるなあ」と感嘆を零した。

 

ベッドの脇の卓には平べったいパンとひよこ豆のコロッケ半切れの盛られた木の籠、ケバブ数切れと付け合わせのヨーグルトソースの載った白い陶の平皿、ウイスキーが半分まで注がれたシンプルなロックグラスが置かれていた。ベッドから降りたところにジタンは居た。スツールに座り、ダブルベッドの真横から、上に陣取ったチェキ―タの大食を肴に、フォークでゆっくりと夕食を摘み、明日のことを考えていた。

 

 

送別会と称するには賑やかしの欠けた時間だったが、ノスタルジックな心地に浸りながら四人だけで二時間ほど楽しく過ごしてから、その日は解散となった。

 

フロイドを部屋に送り届けた三人は部屋に戻ると、明日の朝、ココ・ヘクマティアルの監督兼護衛を任せられるレームとジタン、キャスパー・ヘクマティアルの監督兼護衛を任せられるチェキータに分かれて、お互いの新しいボスがどんな子供なのか、レームが選ぶ追加のメンバーはどんな奴になるのか、などについて話し合った。

 

滅多なことは言わない。少しは弁えている三人でも、気持ちが大きくなっている今は少し舌の滑りが良すぎた。レームとチェキータはお互いの新しいボスに対して、フロイドがそのまま小さくなったような、よく言えば早熟で利発な子供、悪く言えば可愛げのない擦れた子供を思い浮かべた。二人の予想は概ね当たっていたが、ジタンが予想する番になると、彼はやけに優しい顔つきになって考え込んでしまった。黙り込んでぼーっとしているジタンを見かねた二人は話題を新しいメンバーに変えることにした。

 

酔いが回って来たレームは陽気になって、どんな新顔が来るのか、ヒントを交えながら当ててみるように言って笑った。

 

チェキータが「同い年の老兵じゃない?」と言うと、レームは自分は「まだ若い」と言い返した。すると今度はジタンが「ソイツは俺と会ったことあるか?」と聞き、これに「なら死人ね。」とチェキータが即答すると、豹変する自分を知らない幸せな男ジタン当人を除いて、鋭いジョークに二人とも大笑いに笑った。

 

不謹慎な発言でレームも不覚にも笑ってしまったが、笑いすぎて目元に浮かんできた涙を拭ってから、「いいや、会ったことはない。でもアンタのことは知ってる奴だよ。」と答えた。人の名前も顔もサッパリ覚えていないオモテのジタンは首を傾げてしまった。

 

レームの足元に転がるビールの瓶が10本目を数える前に、彼は酔いつぶれてテレビ前のウッドテーブルに突っ伏した。ぐごごご…と寝息が聞こえて来てチェキータとジタンは顔を見合わせた。

 

三人の中で一番に陽気な顔が脱落したことで、二次会は自然とお開きになった。レームを担いで部屋に届けに行ったチェキータを見送り、ジタンは潮風を感じられる南側のベランダに出ると、手すりに肘を置いて深呼吸をした。すっかり氷の解けたウイスキーを呷った彼は、それから自分にあてがわれた部屋に向かい、電気を消した。

 

 

 

真夜中のことだった。タオルケットだけを巻き付けて、小さく丸くなって眠るジタンのベッドに足を掛ける者がいた。ギシ…ギシ…とスプリングがか細く鳴き、誰かの大きな影がジタンの真上で、身体をまたいで立った。

 

窓の外では海に注いだ月の光が反射して、分厚い雲の隙間を縫って闇の中、海原を白いストロボがチカチカと光っているように見えた。

 

 

生来のものか、その誰かの瞳にはハイライトの明るさが無かった。子供の頃からの特徴なのか、誰かは気にしたこともないが。そんな黒々と沈殿した澱のような色の光を吸い込んで離さない黒目が、キリッとした横長に縁どられた目元で際立っていた。

 

大きな瞳は黒い満月のようだ。一定のリズムで刻まれる鼓動と呼吸には特別な変化は無い。いつも通りの拍を刻んでいた。いつも通りの。人を殺す時のもの、誰かと一緒に食事をするときのもの。いつ何時であれ同じリズムを。

 

大きな影が一歩、摺り足でベッドの上を進んだ。と同時にジタンは寝返りを打ち、彼は仰向けになった。そして影は背を丸めて、腰を眠ったままのジタンの腹の上に落とした。

 

まだ眠ったままのジタンの顔を真上から至近距離で覗くように、両手をジタンの頭の両脇について体をゆっくりと倒すと、窓から注いでいた月の光が大きな影の頭に当たった。スキッとした青白い月光が照らし出したのはチェキータだった。

 

上半身には黒の半袖シャツだけを纏い、下半身には光沢のある紺のシルクで編まれた薄手のローライズのショーツだけだった。無防備な二の腕や透き通った白く匂い立つような首筋とくっきりと浮かぶ胸元から鎖骨に滲む影、その影に深く刻まれた豊かな谷間、服の上からでもわかる浮き出た腹筋の緩やかな盛り上がり、ショーツとシャツの狭間から見える背筋に沿って尾てい骨に辿り着くしなやかな反りのシルエット、ショーツが食い込んで肉感的な味を想起させる腰回りの嫋やかさ、眩しくさらけ出された筋肉質ながらも脂肪の柔らかさを保った腿と脹脛、磨かれた爪の先の光沢に至るまで、月光を一杯に浴びた白くきめ細やかな肌は、戦士にあるまじき色気を纏い、その身の全てが強く女を意識させた。

 

卓越した戦闘能力を秘めた肉体はよく鍛えこまれていたが、確かに柔らかく。それは天性生まれ持った美体を最大限生かせる範囲に、絶妙な均衡で維持された逞しさと美しさの共存だった。自室でシャワーを浴びて来たのか、潤いを湛えた肌の表面に当たった光が砕けるたびに、その破片がラメ入りのパウダーとなって彼女の晒された肌を飾る様は、神々しくも艶めかしかった。

 

チェキータはしばらくの間じっとジタンの寝顔を、寝息が当たるほどの近さで見つめていた。数分か、数十分か。チェキータはシャツの胸ポケットからおもむろにライターを取り出した。そして、ジタンの耳元から少し離したところで蓋を弾くと、フリントを擦り上げた。

 

<<カシュンッ!>>

 

独特の音と共に火がボボッと灯り、月以外照明の無い部屋の中を暖かく照らした。ライターに芽生えた火を見守る間もなく、

 

<<カシンッ…>>

 

という金属の蓋が閉じる音が響くと、火の加護が失われ再び暗がりを招き入れた。

 

「…」

 

ほんのりと青白い夜の視界の中、チェキータはじっとジタンを見つめていた。

 

そして、月さえもが分厚い雲の彼方に消え失せた頃、沈黙と共に、男の瞼が開いた。

 




ヨルムンガンドの中で一番好きなキャラクターは誰だろう。やっぱり…皆、それぞれ好きなんだよな、なんだかんだで。

因みに今作のヒロインは複数なので、それぞれに明確なポジションがあります。序列が無い分、それぞれとの関係性や思い出などなどをがっちり書くぜ。

既に理解してしまった方も知るかもしれませんが、チェキータさんは最古参正妻ポジションです。本二次創作内で戦闘力と正妻力の貫録で彼女に比肩する者は居ないでしょう。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

穢れなき虜囚その1

*凌辱など戦時下の不快な描写多数。この次の話を呼んでもストーリーに致命的な欠落は生じない。ジタン・コッポラという二次創作上の主人公の過去を知りたい場合にのみ読むことをお勧めする。


ジタンは夢を見ていた。体が熱くて熱くて仕方なかった。逃げたくて、でも離れがたい。だからジタンは藻掻いた。自分のことを掻きむしる。自分のことを捕まえてしまって離さない誰かにしがみついて、爪を立てた。ジタンは泣いていた。傷つけたくなくて、でもすぐにでもその場から離れなくちゃと、必死に暴れた。暴れても、ずっと離さずに抱いていて欲しかった。掴まえて居て欲しかった。でも離れなくちゃならなかった。一人に、孤独になりたかった。ならないと、ならないと…

 

 

「僕は、どうなってしまうんだろう?」

 

 

 

ジタン・コッポラが生まれたのは50年代から60年代後半だった。民族と宗教を巡って争うある紛争地帯の直中で生を受けた。戦火に呑まれた町角で産声を上げたジタンの両親は戦闘に巻き込まれて死んだ。運よく助け出されたジタンを育てたのは、母と姉だった。全員に血の繋がりなどなかったが、ジタンは二人を母と呼び、姉と呼び慕った。そして彼女達もまたジタンに出来得る限りの愛情を注いで育てた。

 

ジタンの人生はまだこの時、始終平穏なものであった。銃を握ることも無ければ、戦争に焼け出されることもなく、彼は5歳まですくすくと成長した。

 

だが彼の人生を変えた一日は突然起こった。ある日、ジタンは母と呼び慕う女性に言いつけられ、庭先に植える花の種を買いに向かった。決して裕福な暮らしではなかったが、ジタンとその家族は品や希望を捨てることを嫌った。どんな状況下でも、何か希望や美しいもの心安らぐものを、この場合は目と鼻で愛でることを好んだ。ジタンは花が好きでも嫌いでもなかったが、家族が花を愛でる姿を好んでいた。

 

利発な子に育ったジタンは、言いつけられた通りに花の種を買い、寄り道もせず家に帰った。

 

 

しかし、家に帰る途中でジタンは何者かにより後頭部を強打され、意識を失った。そして、再び目を覚ました時、ジタンはトラックに積まれ揺られていた。何が起こったのか理解するより先に、積み荷として何処か砂漠の中で降ろされた。

 

周囲を見渡すが数人の銃で武装した大人以外には、自分のように困惑し怯える子供が十数人いるばかりだった。自分の置かれた状況が異常であること以外、何もわからない彼らの手に押し付けられるようにナイフが配られた。全員に行き渡ったのを見計らって、ベレー帽を被った男が言った。子供同士で殺し合え、と。

 

生き残った者にだけ戦士として食料と武器を与える。そう、ジタン達は命じられた。

 

女も男も関係なく、五歳から十歳くらいまでの子供たちが殺し合いを命じられて、言われた通りに出来るわけが無かった。だから、動けずにいる子供たちの中から数人を引きずり出した大人たちは、彼らを押さえつけて、その手に握らせたナイフを押さえつけたもう一人の子供の胸に突き立てさせたのだ。目の前でデモンストレーションを見せつけると、子供たちは泣き出したり、慄いたり。それでも誰も動かなかった。

 

すると、先ほど無理やり自分の手で子供を殺させられた子供に、また一人子供を殺させた。その子供の意志とは関係なく、大人たちは嫌がる子供の手にナイフを握らせ、もう一人が押さえつける子供の腹や心臓を突き刺した。手に伝わる感触と血や臓物の濃い匂いで、その場にいる子供や、刺した子供が嘔吐した。

 

惨状は子供たちが狂ったように互いを刺し合うまで続けられた。あの後も何人もの子供を、無理やりに殺すように仕向けられた少年は、血走った目のまま、その場で立ち尽くしていた。そして、それから一時間も経たないうちに血みどろの子供たちの死体が辺り一面に散乱する地獄が出来上がった。

 

「全員死んでる。」「発破を掛け過ぎたな。」「残ったのは突っ立ってたコイツだけだ。」

 

大人たちはそう言い、最後までただただ立ち尽くしていることしかできなかった少年を戦士として教育することに決めた。頭に麻袋を被せられ、少年は再びトラックに積まれて何処かへと連れ去られた。来るときは満杯だったトラックには、今や少年しか載っていなかった。

 

 

 

少年はそれから、過酷な虐待を受けながら戦士として人をより多く殺すための教育を受けた。少年は当初殴られても無気力だったが、次第に何も言わずに従順に言われたことを言われた通りに実践する様になっていった。数年間の教練を通じて、少年は体術に関しては大人数人を相手取ることが出来る程に、射撃の腕なら重機関銃を使用しての2000mの超長距離狙撃も可能な程の腕前へと成長していた。皮肉にも少年には天性の才能があったのだ。戦うことに対しての、人を殺すことに関わる全てに対して少年は天才的であり、また万能選手だった。

 

10歳になった少年は初めての戦場に送り込まれた。そして、そこで家族と再会した。変わり果てた母は小銃弾を数発、至近距離で重要な臓器に撃ち込まれて殺されてしまった。膵臓や肝臓の破裂、直接の死因は出血性ショックだろう。亡骸を見ても、少年は泣かなかった。なぜなら、彼女を撃ったのは少年だったのだから。

 

命じられた。だから、少年は言われた通りに引き金を引いたのである。そして、誰の手も借りずに生まれて初めて一人の命を奪ったのだ。

 

少年が姉と呼び慕っていた女性は、捕虜として連行され、ゲリラの兵士たちによる苛烈な凌辱に晒された。少年はその有様を、棒立ちで見守っていた。泣きもせず笑いもせず。

 

その様子を見た、少年を戦士に仕立てて誇らしげなベレー帽のリーダーから関係でもあるのかと問われれば、少年は何も言わず、ただ頷いた。「全員で輪姦(まわ)した後で好きにしろ。」と言われると、少年は再び頷いた。

 

そして、全員が用を足し、立ち去った後で、誰もいない檻の中に入った少年は、姉と呼び慕っていた女性の傍に座りこんだ。

 

少年は全身を穢され、度重なる乱暴と凌辱により股から血を流す女性を見つめていた。女性と少年の足の裏はどちらも真っ黒に汚れている。爪の間には奥まで泥が詰まっていた。

 

何もしない人影に顔を上げた女性は、泣き腫らし、暴行により青や紫の痣に囲まれた目を微かに開き驚いた様子だった。

 

二人は少しの間、ほんの少しの間見つめ合っていた。そして、女性は少年に縋りつくや、静かに嗚咽と涙を流したのだ。しかし、その涙は自身の境遇を憂い、媚び諂う涙ではない。命乞いの涙でもない。紛れもなく、憐憫と憤怒の涙であった。

 

女性は少年の手や腕を見た。其処には古傷と並んで、真新しい火傷の跡が点々と遺っていた。一目で、煙草を押し付けられたものなのだと分かる。女性は傷跡を撫でながら、言い聞かせるように言った。

 

「ここに居たのね。心配したのよ。痛かったでしょう。怖かったでしょう。」

 

何度も重ねるように、女性は言った。少年は涙を流さなかったが、自分に縋りつく女性の背中にゆっくりと手を伸ばした。

 

女性は少年の手を拒まず、少年も女性から頭を背中を撫でられることを拒まなかった。

 

少年は小さな、小さな声で言った。

 

「母さんを殺したんだ。撃てと言われたから。」

 

突き放す様に少年は言った。さっきまで自分を温かく撫でていた女性の手が止まると、少年は歯を食いしばり拳をにぎりしめ、身構えた。だが、罵声も拳も飛んでは来なかった。

 

「貴方は悪くないの。だから、帰ってらっしゃい。ここから逃げて、どこか遠くへ行きなさい。そこで、普通に暮らしなさい。」

 

姉はただそう言い、少年を抱きしめた。少年は深く息を吸った。不潔な体液の饐えた臭気に咽そうになった。体の正直な反応で、少年の目元に涙が浮かんだ。欠伸を嚙み殺すように、少年の顔が歪む。

 

 

 

翌日。女性は遺体になって発見された。死因は首にある酸素を脳に送る血管を圧迫されたことによる窒息死だった。全身に泥と糞尿が塗られ、体はバラバラに切断され、乳房も切り取られていた。それから、女性の首から上も綺麗サッパリ無くなっていた。

 

ベレー帽の男は部下の性処理のための恰好の道具を失い腹を立てた。そして、部下もまたこんなフザケタことを仕出かした不届き者をとっちめてやろうと犯人捜しを始めた。大事になるかと思いきや、犯人は直ぐに見つかった。

 

野ざらしの無人の小屋のすぐ傍で、少年が野火をしていたのを発見した兵士が、事件のことを話すと、自分がやったのだと正直に白状したのである。野火で燃やしていたのは女性の頭、それから少年があの日買いに行って持ったままだった花の種だった。

 

皆の楽しみを奪ったことで、少年は殴る蹴るの暴力は勿論、少年が殺した女性の代わりとして兵士の性欲を解消するための役目を強いられた。このころになると、幼い頃から玉の御子のように美しかった少年は、そのケが無い者でも惹かれるような、ゾッとする美貌に成長しており、この土地では珍しい白くきめ細やかな肌もまた、兵士たちの情欲を呷った。戦士として酷使してきたがために肉付きも最悪だったが、経験のない少年は痛がり、泣き叫んだため、その反応に少年を犯した兵士たちは強い征服感と雄としての優越感を感じていた。少年は戦士としても、性処理の道具としても好評を博した。

 

 

少年は昼間は戦場に立ち敵を殺し、夜は兵士の穢れを全身で受け止める毎日を送るようになった。少年は次第に少しの泣き声も上げなくなって、ただただ死んだ目をする様になった。虐めても面白くないと、兵士たちが飽きたため、早めに全てが終わり解放されると、少年は全身に纏わりつく想像を絶する汚穢を、近くに流れる濁った河の水で口の中まで洗い流してから、姉の元に通った。毎晩、毎晩。

 

女性の遺体は、野晒しにされていたが、野火をしていた場所に少年が毎晩少しずつ深い深い穴を掘り、そこに埋めた。埋める頃には蛆が湧いていて、腐臭も強烈だった。だから埋める前に一匹残らず、その蛆を取ってやって、それから布をかき集めて縫った袋で丁寧に包んでやった。自分の着ている襤褸よりもうんと上等な死に装束だった。一晩埋めずに、その隣で夜を明かし、朝日が差し込み二人を照らす頃に、少年は彼女を埋めた。

 

毎晩、身体をキレイにしてから彼女の元に通う。そこで、少年は野火を起こし、二人でただ静かに夜を越す。新聞や厚紙をほぐして重ねたものを身に巻き付けて。小さく丸まって眠るのだ。

 

 

 

少年が完全に壊れてから、少年はもっと強くなった。戦場に出れば出る程、少年は強くなった。そして、最前線での縦横無尽の活躍により、戦線を100キロ押し上げたと賞賛され、政府軍から100万ドルの懸賞金を掛けられるまでになっていた。もはや誰も少年を性処理の道具として扱えるものは居なくなっていた。

 

だが、少年が変わることはなかった。彼は言われるがままに敵を殺し、言われるがままに飯を食った。そして毎晩彼女の腕の中で眠った。野火の跡で、まだ熱の死んでいない温い地面を寝床に、少年は毎晩、彼女に抱かれる夢を見ていた。

 

そして、遂にその時がやって来た。超大国が政府軍の支援に乗り出し、それまでゲリラを支援していた超大国がその手を引いたのだ。最早ゲリラが磨り潰されるのは時間の問題だった。

 

 

少年が戦火で産声を上げてから15年が経っていた。熱狂と殺戮は圧倒的な火力によりゲリラが掃討されることで急速に、しかし一時的な鎮火へと向かった。最前線で戦い続けていた少年は狙い撃ちにされ、彼が所属する部隊は完全に包囲されていた。ベレー帽の男は既に戦死し、少年を知る他の兵士たちも皆、次から次に、弾を吸い寄せるように死んでいった。あっという間に味方が死に絶えた戦場で、重機関銃や戦車の砲口が少年の逃げ込んだ場所へと照準を合わせていた。

 

 

負傷し、全身血塗れの少年は、何故か死にたいとは思えなかった。寧ろ生き延びるには今しかないと思ったのだ。

 

最早誰も自分のことを知る者は居なかった。全員死んでいたから。つまり、逆を言えば誰も少年を縛る者もいないはずだ。少年は必死に走った。鬱蒼としたジャングルをひた走った。敵の大隊が差し向けられ、戦闘機による機銃掃射やナパーム弾を投下され、それでも少年は生きていた。全身火傷と銃創と裂傷…そのほかにも数えきれない傷を負っていた。それでも少年の心臓は鼓動を続け、足は行き先が分からずとも動き続け彷徨を躊躇わなかった。

 

荒い息で逃げまどい、彷徨い、三日三晩駆け続けた果てに、少年は彼女の元に帰って来た。姉の眠る場所に。

 

最早逃げ道はなく、包囲の半径は100mを切っていた。ネズミ一匹逃げられない。少年も、例え逃げ道が残されていたとしてもこれ以上は動けそうもなかった。

 

一歩、二歩進み、足は止まる。

 

腰が足が震え、膝が笑う。だらりと垂れた腕に両手を突き出す力もなく、つんのめるように体が傾く。

 

膝を着く。

 

やっとの思いで頬を地面に向け直してから、倒れ伏した。

 

土埃と、それから灰が舞った。

 

野火の跡。あの晩の跡。彼女の眠る、真上だった。あの日、優しく微笑む彼女の首に手を掛けて殺した。彼女は抵抗しなかった。死ぬ直前まで自分に謝っていた。頭を、肩を撫でてくれた。力が抜けて手がだらりと垂れた後、もう誰にも汚されないようにした。もう何十回も、何百回もさせられてきたことだったから、人間の体を解体するのなんて簡単なことだった。容易いもので、女性の柔らかい筋骨なら尚更だった。筋に沿い骨を避け、するすると豚や牛を捌くみたいに切り分けた。目を瞑っていても出来るだろう。

 

悲鳴一つ上げずに死んだ彼女の顔は、窒息死だから苦痛で歪んでいた。蒼褪めていて、不気味な黄色を薄っすら滲ませた、乾いた蝋のような死人の顔だ。内臓ばかりが熱くて、今バラバラに切り分けたばかりの部位を、一から組み立てたら起き上がってくれないものか。皮膚と筋肉の下の熱が、彼女がまだ自分を死んだものとは思っていない様に感じた。

 

首の骨の隙間を縫って首を落とした。美しい切断面を視れば、きっとあの世があっても綺麗に縫い合わせることに苦労はしないはずだ。腕や足だってそうだ。きっと綺麗に直して貰えるよ。

 

首だけを抱えて、野火を焚き、彼女と別れた。まだ何処かで帰ることが出来ると、元通りに生きられると考えていた自分とも別れた。油紙に包まれたヒマワリの種と一緒に彼女の頭を焼いてしまった。彼女の頭は小さくて、でもうんと重たかった。真っ白い骨も灰に返るまで、一晩掛けて焼いた。油紙がオブラートを水に溶かす様に、砂糖が焼けるみたいに小さく縮みながら焦げて消えていく様を見ていた。夜が明けるまでもなく、彼女は灰へと還り、僕には本当に人を殺すこと以外の何もかもが無くなってしまった。意味を持たなくなり、希望も生きる術も、自分自身の価値すらも見いだせなくなってしまった。そのことが一等虚しく、堪らなく悲しかった。天へと送り出すつもりで野火を焚いた。逃げようと思ったけど、自分は逃げなかった。意地だったのかな、それとも贖罪だったのか。身一つで償う方法など知らなかったから、彼女と同じ苦痛に身を晒すことに迷いはなかったなあ。

 

灰を愛おしそうに撫でると、野火の炭屑の中に小さな白い欠片があった。土と灰をほじくって、出てきたものを拾った。骨かと思えば、それは種だった。白と黒の種。ヒマワリの種だった。おつかいで、言いつけられた通りに頼んで、自分が買った花の種だった。

 

種を握ったまま、少年はもう一度立ち上がった。そして、また歩き出した。死ねないのだ、死ぬわけにはいかないのだ。まだ彼女の願いを、こんな自分に望んでくれた願いを叶えていないのだから。

 

 

<<ズキューーーーンッ!>>

 

 

少年が立ち上がった時、彼の頭に衝撃が加わった。暗転する視界。全てが黒く塗りつぶされる直前、遅れて銃声が聞こえて来た。

 

 

 

 

 

 




もう怖くないよ、怖くないんだ、ママ。
僕はもう大丈夫だよ、だから安心して、ママ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

穢れなき虜囚その2

ヒマワリだ。ヒマワリが見える。辺り一面に咲くヒマワリだ。

 

背の高い大きなヒマワリ。僕の視界はヒマワリの黄色でいっぱいだった。

 

誰かが僕を呼ぶ。ノイズ混じりの濁った声だ。でも、懐かしい声。誰の声だろう。とっても、優しい声だ。穏やかで、無邪気で…。

 

ああ、思い出した…この声はまだ何も知らなかった頃の僕の……。

 

 

 

15歳の頃、少年兵ジタンは頭を撃ち抜かれた。側頭部に綺麗に空いた弾丸の射入口がはっきり確認できた。戦場で転がる死体の一つとして、彼は集団墓地に運ばれ、そこで目を覚ました。

 

星の綺麗な夜だった。人工物の明かりなど全て、自らで破壊しつくしてしまった所為で星の明るさが嫌と言うほど分かった。自然の齎す沈黙の夜のことも。

 

ジタンはすべて覚えていて、でも決定的に違った。頭の傷と共に、身体の傷も、それから失ったはずの色々な感覚まで、一から百まで全て揃っていた。無くなっていたのは、ジタンが頭を撃たれた時にも握りしめて離さなかったヒマワリの種だけ。

 

ジタンは種の行方が何となくわかるような、でもそんな訳がないとも思った。傷一つない全身を何度も触って確かめて、それからジタンは死体穴を抜け出した。嫌と言うほど綺麗になっていた全身を、泥や血で汚すのは躊躇われたが、その潔癖の感覚だって失っていたものを取り戻したのだと実感できて、何か嬉しかった。

 

目覚めたジタンは自分の体がすっかり違う者になっているような心地になった。今なら、これまで以上に何もかも上手くやる筈だ。何もかも。だが、何か忘れているような気がする。どうにも晴れない心地であった。まるで大事な錘でも落っことしてしまったような、どうにも身軽過ぎて怖いくらいだった。

 

ジタンは駆けだした。兵士を殴りつけ、昏倒させると、その足で夜襲を仕掛けた。拠点を一つ、二つ潰して物資を手に入れたジタンは、それを元手に商売を始めた。

 

とびきり上手くやる兵士を、自分と言う商品を売り込んだのだ。

 

初めは舐められたものだったが、それでもこれ以外に出来ることが無いジタンは必死に実績を戦場で作り見せつけた。優秀な兵士が入用な火薬庫の様な土地で、商売は直ぐに好評になり、一人じゃ使い切れないぐらいの武器と弾薬を、たったの三年で使い切るほど繁盛した。

 

そして、溜めた金で海を渡り、そこで彼は女と出逢った。

 

 

 

欧州の先進国に偽造パスポートで入国して直ぐに、ジタンは外人部隊への勧誘を受けて正規の兵士として頭角を現した。世界中を生き急ぐ魚のように転戦し続けたのち、一国に仕えることが性に合わず、数年で軍を辞した彼は次にドイツに渡り、そこでも卓越した戦闘力を評価されたが、息切れのしない体が勝手にジタンを戦場に送り込んだ。

 

苛烈過ぎる戦闘に疲れ果てた欧州の先進国に、結局ジタンは居場所を見出せなかった。

 

それから10年近くジタンは孤独に戦い続けた。北欧、中欧、東欧、中東、西アジア、北米、南米の軍隊を渡り歩き、それでも居場所を見つけられないまま、結局最後はフリーの雇われ兵士となって紛争地を転々とした。

 

 

そして80年代のある戦場で、若い女が声を掛けて来たのだ。

 

彼女の名前はチェキータと言った。

 

外見の成長が止まった見た目20歳のジタンから見ても尚若い女だったが、それでもその時から既に背丈はジタンと同じくらいあった。同じ地区の夜間作戦を共に決行する為に相棒として派遣されたのだと、彼女は言った。

 

女性の兵士を見たことは初めてではなかったが、ジタンは自分と同じくらいに大きい女性から親し気に声を掛けられどぎまぎしたのを覚えている。

 

その晩の作戦は、これまでにないくらい上手くやれた。反応速度も、CQBのキレも過去一番に良かった。ジタンはそれからしばらく彼女と会うことは無かったが、何故かまた逢える気がした。そして、そう感じていたのはチェキータも同じだった。

 

 

戦場でジタンに勝る者は居なかった。市街地での戦闘であれ、暗殺任務であれ、尋問であれ、彼は戦場を具現化したような人間だった。

 

戦争の、いや人間を殺し苦しめることに掛けては神に愛された才能を持っていた。

 

本人の望むと望むまいに関係なく、彼は戦場に求められ続け、そして戦い続けた。

 

だがジタンがどれだけ優秀でも、相棒への気配りすら忘れず、カバー力に卓越していても、それでも不思議とジタンの相棒は長続きしなかった。

 

五人目の相棒が対戦車地雷の煽りを食らって跡形もなく吹き飛んでから、ジタンはいよいよ部隊内から<死神>と呼ばれ始めた。誰も望まない、しかし最高の戦果を確実に叩き出すジタンとの任務に名乗りを挙げる者は多かったが、それでも何度も続けて死ぬとなれば別だった。皆、命が惜しいのだ。

 

一人で任務をこなすとなった時、飛び入りで手を挙げた者がいた。それがチェキータだった。

 

自分の任務を終えて直ぐに、チェキータは帰って来るなり手を高く上げて言った。

 

「誰もいないなら私でいいわね。また一緒だね、今度もよろしく。」

 

ジタンは戦っていて一度も楽しいと思ったことなど無かった。だが、この時チェキータに掛けられた言葉には、思わず力強く「ああ!」と返していた。ジタンはチェキータならきっと死なないと思った。そして、彼の予想通りチェキータは死ななかった。

 

 

二人一緒の任務が大成功したその日から、ジタンの相棒はチェキータになった。

 

チェキータはジタンと行動を共にすると、戦闘では必ず調子が良くなり、オマケに傷一つ負わなかった。アルコールと賭け事にも強くなり、生理までグンと軽くなった。

 

お互いに特別好みが同じだとか、そんなありふれた共通項こそなかったが、気持ち悪いくらいに二人の相性は良かった。どう動くのかではなく、動いた結果二人は常に互いを助ける結果を生んだ。

 

だが、この時はまだ二人とも互いに互いを戦友だとしか思っていなかった。心強い味方、一緒に居ると心地いい相手を見つけたと、ただそれだけだと思っていた。まだお互いの深い部分は何も知らない、浅くぬるま湯に手足を遊ばせているような関係性に過ぎなかった。

 

 

転機が訪れたのは二人が別々の任務に分かれて、同じ戦場で戦うことになった時だ。

 

生え抜きの精鋭だけで構成された敵部隊に対して、圧倒的少数の自軍が撤退するまで時間を稼ぐことが目的だった。ジタンは最前線で、チェキータは後方支援で分かれて戦場に向かった。

 

そして、示し合わせた様に二人は戦場で再会することになった。

 

混戦の中でチェキータは負傷し、相棒と逸れて戦場を彷徨っていた。砂嵐に呑まれて視界が無い中で彷徨った先で、足を引きずりながらも辿り着いた小屋の中に居た先客がジタンだった。訳を聴くとジタンも相棒が榴弾を至近距離で食らい、粉々に吹き飛んでしまった挙句破片で無線が破壊された所為で、完全に孤軍となり彷徨っていたら小屋を見つけたらしい。

 

日干し煉瓦とセメントで出来た壁に背中を預けて、並んで足を延ばし二人きりで砂嵐をやり過ごした。チェキータは負傷した腕と足をジタンに手当して貰っている間、ふとこんなことを言った。

 

「今日はケガしちゃった。きっと、ジタンと一緒じゃなかったからね。」

 

ジタンは一瞬手当てを中断し、直ぐに再開した。それからチェキータの顔を視ずに、患部を包帯で丁寧に巻きながら言った。

 

「そう思うか?」

 

チェキータはジタンの消え入るような声に自信満々に言った。

 

「絶対そうだよ。だから、もう離れないようにしなくちゃ。」

 

ジタンはまた手を停めそうになり、今度は思い直したように、少し強めに一番外側の包帯を巻いてしまった。

 

「……どうして、チェキはここに居る…。」

 

ジタンはチェキータの言葉に否も応とも言わなかったが、チェキータのことを知ろうとした。ジタンの言葉にチェキータはにっこりといつもの笑みを浮かべて頷いた。

 

それから、二人は嵐の中だということも忘れて、お互いのことを話した。ジタンは恐る恐る、チェキータはドキドキしながら。二人は本当に相手のことを知りたいと思った。互いの人生の中でこれまでにないほど、強く強く、目の前の他人を今よりもっと、ずっと近くに感じたいと思ったのだ。

 

ジタンは自分の変なトコロのこと。独りぼっちだと言うこと。記憶が虫食いになっていてよく覚えていないこと。死んだと思ったら生きていたこと。それからチェキータに逢うまでのこと。訥々と、内から零れる様にジタンは話した。

 

ジタンの話をチェキータは静かに最後まで聞いてから、それから今度は自分のことを話した。

 

チェキータは自分が銃を持ってここにいる理由について考えた。結論はぼんやりとしていて、言うなれば「これが一番自分に合ってる」職業だと感じているから、という答えに行きついた。

 

彼女の過去は決して不幸に充ちている訳ではなかった。だが幸福にも満ちていなかった。

 

生まれた家が軍人の家系だったこと、幼い頃から戦闘術に慣れ親しみ、誉められたからそればかり続けてきたこと。発育が良くて運動も勉強もできたから、異性からも同性からも学校では無視されていたこと。同年代と遊ばずに教練や狩りばかりしていたこと、だから色恋に触れずに来たこと。高校を卒業して士官学校に受かったこと。軍人の適性は抜群だったが自分は国家に忠誠を尽くすことに納得できなかったこと。頭も悪くなかったが学んできたことの違いから同年代とは話が合わず大学も途中で辞めたこと。軍人にもそれ以外にも成れない自分に失望した実家を勘当されたこと。楽観的思考でアメリカに渡りそこで軍産複合体に支えられるPMCに目を付けて飛び込んだこと。初めて人を殺した時も鹿やコヨーテを殺した時みたいに気の毒に思っても罪悪感を感じなかったこと。

 

チェキータは感慨深げに自分のこれまでの軌跡を話した。

 

ジタンはチェキータの話を最後まで聞くと、黙って彼女の手に自分の手を重ねた。二人とも硬い手触りの1000デニールのバリスティックナイロンで編みこまれたグローブをしていた所為で、手の柔らかさなんかわからなかった。しかし、ずっとそのままでいる内に、手が放つ熱だけは伝わった。

 

ジタンもチェキータも確かに生きていた。二人とも互いのことをじっと視ていた。そして今更になって目の前の男が女が、滅法美しく、それでいて頼もしく、オマケに間違いなく自分のことが好きだと理解して顔を二人同時に赤らめた。二人ともすぐそこに存在して、冷たい武器の先ではなく、温もりを向け合っていたのだ。

 

 

 

ここまで来てしまったことに対して、ジタンもチェキータも後悔はしていなかった。なぜなら、後悔のしようが、二人ともなかったのだから。穢れを知るよりもはやく、二人は自分自身の生きる道を決められてしまっていたのだから。選ぶことを知るより前から、二人は戦場の虜囚だった。

 

二人はその晩、遅くまでこれからの話をした。そうして決め事をした。どれだけ離れ離れになっても、必ず再会すること。どんなことがあっても必ず生き残ること。それから、死ぬときは一緒に死のうと。

 

「絶対絶対、同じ弾丸で同時に死ぬの、や・く・そ・く、だよ?」

 

言い出したのはチェキータだった。

 

「危なくなったり、独りぼっちになると一緒に逢えるんだよ。どこでだって。今日みたいに。」

 

嵐が過ぎて、真っ暗になった外。澄み切った漆黒の下、心地良い静寂(しじま)の中で目蓋を閉じていた。完全に体を横にしないまま、うつらうつらとしていたジタンは寝耳に水だった。

 

向きなおると、そこにはジタンの膝枕に頭を預けるチェキータの、彼女の円らな黒い満月の様な瞳がジタンを真直ぐ見つめていた。幼ささえ感じる程に純粋な瞳だ。自分の瞳も、こんな色をしているのだろうか。ジタンは思った。

 

「私達二人ぼっちだもん。だから、その時は傍にいて手を握って。私に触れて。」

 

いつの間にか彼女はグローブを外しており、ジタンも素手で彼女の手を握っていた。胼胝の跡があるごつごつした手だ。でも、それはジタンもおんなじだった。温かい。自分の手より少し小さくてずっと柔らかい手だった。触っていて心地よかった。ジタンは泣きそうになった。

 

ジタンは黙ってチェキータを見つめていた。頷いてくれない。チェキータの頬が膨らみ、「頷いてよ」と言われると、ジタンは今度こそ頷いてしまった。

 

「約束だから。」

 

そう言ってチェキータは眠った。ほんのかすり傷だと言うのに死にはしないかと心配で仕方ない。頭の中でチェキータの<約束>が延々と木霊し続けた。ジタンはその晩ずっとチェキータの生暖かい寝息が自身の腹にじんわりと広がる感触を毎分のように確かめながら、まんじりともせずに過ごした。翌朝、瞼を上げたチェキータを視て「ああ!」と声を上げたほどだ。

 

 

 

あの嵐の夜から半日、二人は無事に仲間に合流した。道中で屠った敵の数13名。部隊は無事に撤退したようで二人にはボーナスが出た。一晩中温められ摩られたチェキータの傷は一晩で驚くほど綺麗に塞がっており、後遺症は皆無だった。

 

 

部隊に復帰して間もなく、チェキータとジタンは公に交際を始めた。何もかもがお互いに初めてのことだったが、二人は互いから片時も離れようとしなかった。それこそトイレの中から風呂の中まで。お互いに全てを預け任せる様に、心から互いを心と体の拠り所として受け入れ、また認めていた。

 

ジタンの順風満帆の生活は突然途切れる。それも彼自身の手によって。それは由々しき事態だったが、同時に至極当然の予定調和であった。

 

ノイズが彼を惑わし苦しめたのだ。少年兵としての過酷過ぎる記憶は、不思議なヒマワリの幻影と共にジタンを、その人格の根本を根こそぎ書き換える荒治療によって封印されてきた。だが、温かい、平穏と拠り所を見つけたジタンには、最早正常な生き方、普通に生きる為に必要な何もかもが失われていた。もう一つの、記憶も何もかもが完全に正反対の人格でも新たに作り出さない限り…。

 

温もりは劇薬となりジタンを苛んだ。

 

育ての親を撃ち殺し、凌辱を受けた初恋の女性までもを自分の手に掛けねばならなかった記憶は、<普通に生きること>こそ外ならぬ初恋の女性の最期の願いであったにもかかわらず、終ぞジタンに安穏と救いを与えることを許さなかった。

 

ジタンは初めてチェキータと肌を重ねた瞬間、自らの猛りが濡れそぼった温かい肉に包まれた瞬間、無力な少年兵時代に味わった兵士による集団性暴力の記憶をフラッシュバックさせ、ベッドシーツの上で激しく嘔吐してしまい、そのままパンツすら履かずに逃げ出そうとしたのである。

 

チェキータはこの時ジタンを、母親以上に強く抱きしめ、姉以上にその存在を強く強く肯定し続けた。

 

「もう怖いものはないの。もう大丈夫なの。だからジタンを私に返して。貴方は私の傍にいて好いの。私は貴方を愛してる。貴方だって私を愛してる。それで好いじゃない。辛かったことは、美味しいものを食べて女を抱いてスッキリして、すっかり忘れていいの。」

 

「どうしても忘れられないならその怒りだけ、悲しみだけ持って行きましょう。私も一緒。一緒に背負うから。何時でも胸を貸すから。もう、奪られる(とられる)ことも、汚されることもないの。だって、私もジタンも誰よりも強いから。」

 

「誰も私を犯せない。誰も私を穢せない。誰も貴方から奪えない。奪わせないと誓うわ。ジタンだけ、ジタンにだけ許してあげる。だから帰ってきて。いなくなっちゃ嫌だよ。」

 

ジタンを締め落とし、彼が吐いた汚物を掃除し、自分とジタンの身体に付着した汚物を丁寧に洗い流してから、チェキータは雪山で震える者の凍えたカラダを解す様に、彼より少し小柄な体で少し大きなジタンのことを目一杯包み込んだ。

 

裸のまま肌を密着させる。震える彼の肩を腕を頭を抱いて、チェキータは根気強く、何度も何度も何度も何度も…泣きじゃくるジタンの背を撫で摩り、涙を拭き、鼻にちり紙を当て、耳元で蕩けるように甘く、しかし強く囁き続けた。

 

労苦を厭わず、いっそ快く。チェキータは一晩中、ジタンを抱いてあやし続けた。ジタンは夜更けに泣きつかれて眠り。眠った後も再び目覚めるまで、彼女は彼を抱いて決して離さなかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

穢れなき虜囚その3

R15かな。


結果的に、ジタンは帰って来ることが出来た。

 

だが、その人格は少年兵になる前の良心と正義感、少年兵の頃の過剰なまでの無機質さと冷酷さをも内包するようになっていた。表情が乏しくなり口数が減り、しばしばノイズに悩まされる様にもなった。魘される度に<ヒマワリ>の夢を見るのだ。夢の中で何者にも囚われていなかった頃の幼い自分、何も知らなかった自分と対峙する度に、ジタンは子供に返ったように泣いた。小さく背を丸めて眠る癖も戻ってしまった。

 

不安定で無様すぎる自分に絶望したジタンはチェキータから距離を取ろうと試みるも、これを拒んだのはほかならぬチェキータだった。彼女は不安定で今にも崩れそうになってもジタンのことを、否、そんなジタンだからこそ、それまで以上に強い愛情を彼に注ぐようになった。それは病的なまでに深刻でいて寛容だった。

 

 

チェキータはジタンに対してあるマインドセットを染み込ませた。

 

一つは自分の正義感や良心に対して素直に行動すること。人助けであれ、人殺しであれ、ジタンは規範に捉われないで済むようになる。

 

そして一つは女を抱くこと。もっと直截的な言い方をすれば、心を許した相手との、或いは何か優位性を有する相手…具体的には命の恩を売った相手とのセックスが、彼の中に蟠る絶望をリセットする為の儀式(イニシエーション)になった。

 

チェキータに対する不義理や不誠実にジタンは反発したが、彼女は止まらなかった。先ずは自分から、そして次…とチェキータはジタンに対して少しずつ、しかし確実に調教を施していった。

 

 

チェキータは紛れもなく愛情故にそれら一連の調教に勤しんだ。他者から見て狂気だとしても、チェキータにとっては狂喜だった。

 

回数を重ねて慣らしていくうちに、ベッドの上で過ごす二人の時間は母と子のものから、姉と弟のものに、初々しい男女のものから、燃え上がる情欲にめくるめく初夜の夫婦のものへと変遷して行った。

 

チェキータはジタンが初めて<ヒマワリ>の夢を見た日以来、初めて肌を重ねることに成功した時、泣きながらも自分を離すまいと必死にしがみついて腰を振るまでになった男の姿に、この上ない感動を覚えた。その想いは正に狂喜と呼んで差し支えなかった。

 

快楽に喘ぐ貌をうっとりと火が付くほど見つめる度に、彼女の中の女としての愛情と母性は同時に成就を果たした。この時に全身を駆け抜けた絶頂に勝る快楽と愉悦に比肩するものは、チェキータの全人生を振り返ったところで皆無であろう。

 

女の下で、或いは上で。一人の男が、この世に一人だけの男が自分の手で狂っていくのだ。

 

最早、その女が自分であろうが自分でなかろうが彼女には些末な事象に過ぎなかった。ジタンに自らを救済する為に必要な快楽と平穏の技法を、一から全て教え込んだのは自分なのだから。

 

ジタンが女を抱く時、彼は常にどこかで無意識にもチェキータのことを想うのだから。彼はチェキータに教えられた通りに、チェキータが彼にそうしてくれた様に、チェキータが喜んでくれて褒めてくれた通りに、チェキータ以外の全ての女をも愛するのだ。他の女は一生気づくことなど無いだろうが…だがそれで好かった。少なくともチェキータはジタンとの二人きりの世界で、その身が欲する幸福の全てを完結させたのだから。

 

 

ジタンは最早チェキータを殺せない。彼に自覚が無かろうと、チェキータにはそれが分かった。なぜならば自分も同じだから。そして、もう決して切れない繋がりが結ばれたと確信した所で、チェキータはジタンを調教から解放した。

 

重篤な依存などの後遺症もなく、きっぱりと次の戦地へと赴くジタン。彼との暫しの別れは寂しいだろう。だが、その寂しさが今以上に強い愛情を彼女の中で煮詰めるための時間になるのだからと、チェキータはジタンにより広い世界を視てくるようにその背中を押した。

 

 

 

チェキータから離れたジタンは、しかしチェキータの調教通りの生活を無意識下で実践することで精神の崩壊を防いでいた。

 

彼はその硬派な性格とは裏腹に、多くの出逢いに恵まれた。その良心に従い行動し、女子供だけはどんな大金を積まれようとも手に掛けず、また納得できない依頼に対しても迷いなく自身の意志を尊重し、死と生存を文字通りに司った。そして、誘蛾灯に誘われる蛾の様に、世界各地の戦地とアンダーグラウンドに赴くや、その実力を遺憾なく発揮した。21世紀早々に、彼は最早知らぬ者のいない恐怖と崇敬の代名詞として、大成したと言っていい存在となった。

 

行く先々で死線を潜り抜け、誘われるがままに死地に飛び込み死に触れそうなほど近づくたびに、奇跡のように弾道が逸れ、太刀筋が逸れ、破片が逸れ、ジタンは必ず生還した。世界でも指折りの危険な男となった彼は、その狂気に見合う凶暴性を秘めた異性を恒星の如く強烈に惹きつけて已まなかった。

 

もはや神に愛されているとしか考えられなかった。それほどにジタンは向かう先で死地に遭遇し、周囲を血と死臭のする戦場に作り替えたのだ。平穏な日本でさえ、ジタンに平穏を分け与えることはなかった。一方で、彼にチェキータとは異なる方法で希望を与えもしたが…。

 

もう一つの希望の話は別に語るとして、彼の伝説と浮名は世界を駆け巡り、広い様で狭いこの業界の片隅で暮らすチェキータの耳にも、その噂は届いていた。

 

 

彼女はジタンが自分の調教通りに、健気に生きる様を思い浮かべては、その度にレームにその悶々たる切なさを、仕事での愚痴とともに語って聞かせた。結婚したとはいえ、チェキータにとって結婚とは実務上の利益を追求した結果だった。共同生活で仕事上での相棒との信頼を醸成し、連携をより円滑に行うための手っ取り早い手段…以上のことは考えておらず、その実二人の結婚生活は実戦形式の連携を極めるためのブートキャンプが9割であった。

 

残りの一割で惚気と愚痴とを聴くうちに、気の好いレームに至っては一応妻であるチェキータよりも、彼女の語るジタンへ強い興味を抱く程だった。

 

チェキータはレームとの連携が必要な時以外は唐突に離婚を持ち出す癖があり、初めは面食らったものの、適応したレームはすぐにチェキータとジタンの再会が近いことを悟った。

 

野性的な勘なのか、女の勘なのか…離婚の直後にジタンと再会することはほぼ確実なことだった。レームは一応妻である女性をここまで狂わせるジタンと言う男に尊敬と恐怖を抱いたものだった。

 

 

そして9.11の直前、レームは珍しく取り乱したチェキータの姿を記憶していた。

 

この時、電話越しにチェキータが聞いたのはジタンがアメリカでCIAの工作員として勤める内に出会った女性との結婚を考えているという報告だった。

 

ジタンもまた、チェキータのように結婚というものをしてみたいと思っていたのだ。だが、そこにはやはり純粋な好奇心があり、言うなれば自分が慕う女性と同じことがしてみたいと言う彼の中の幼さが、チェキータにとっては最悪の形で表出した結果なのかもしれない。

 

チェキータはこの時強い怒りを顔も名も知らぬ女に向けて抱いた。

 

何故ならば、ジタンが明るい声で「結婚してみたい女性がいる」などと報告したのはこれが初めてのことだったからだ。

 

それは女としての嫉妬ではなかった、なぜなら二人にとって結婚とはそれほど重大な事象ではなかったからだ。だというのに彼女が怒りを他所の女に向けた理由は、これまでになかった兆候だったからだ。

 

自分の知らないジタンを引き出した女がいる事実、そしてそのことがこれまでギリギリで抑圧し制御してきたジタンの精神と肉体とにどんな影響を及ぼすのか…想像もつかなかった。故にそのことにチェキータは焦りと怒りを覚えていたのだ。

 

 

 

そして結果を言えばチェキータの不安は的中した。

 

ジタンは9.11の最中、再び<ヒマワリ>と出会ってしまった。英雄的所業を達成し、結婚を年内にでも控えている状況で、激しい頭痛と鼻血を合図に、明滅し始めた視界の中で、彼は生まれるかもしれない自分自身の子供と、我が子に待ち受けるであろう過酷な運命を見せつけられた。

 

子供。それはチェキータが抑え込んできた思考の一つだった。

 

子供を作ることを、ジタンに考えない様にさせて来た理由には、チェキータにとってジタンこそが我が子同然でもあったからという側面や、チェキータの想定とは関係なく彼が見出したもう一つの希望が各地で拾った、血の繋がらない子供達を養育することだったからという側面もあった。

 

だが、何よりもジタン自身がその思考を拒んでいたのだ。

 

そこには彼自身が親を失ったからということもあるが、それ以上に自分は普通に生きていけないということを、子供と同じ世界で生きることは出来ないということを、誰よりも彼自身が思い込み、信じ込み、諦観の回った心身の奥ですっかり理解していたから、わかり切っていたことだからだ。

 

本来なら、どれだけ強い狂気的な刺激を以てしても、彼を変えることは出来なかったはずだった。

 

だがここに来て、彼の子供を拒む意志を司る人格が弱まり、無邪気な子供だった頃の、愛すると結ばれて共に子を産み育てる<普通>になんら戸惑いの無い、人格が強まったのだ。

 

理由は言うまでも無く、婚約者の女性の存在だった。彼女は軍を退役した一般市民だったが、軍事へ精通していることを除けば、それまでジタンが出逢って、心身を通わせた女性の中では飛び抜けて<普通>の女性だったのである。

 

凶悪な威力を用いても破壊できない砦を崩したのは、ほんの細やかな温度だった。それは、言うなればチェキータがそうだったように、デジャブのようにジタンの記憶と心身の門を開ける為に差し込まれた鍵となったのだ。

 

彼女はジタンへ猛アタックの末に交際に持ち込んだが、<普通>の口説き文句に、<普通>の交際、<普通>の待ち合わせ、<普通>のデート…その何もかもが<普通>を知らないジタンには劇薬だった。

 

そしてその<普通>が、皮肉にも結果的にジタンと婚約者の女性…後に名を捨てHEX(魔女)と呼ばれるようになる彼女…から、その<普通>の幸福を同時に奪い取ることになってしまった。

 

 

 

テロリストを殺し尽くし、また一つ世界の火種を踏み消し、或いは数万人もの無辜の生命を救った直後に起きた出来事だった。血塗れの手を見下ろし、立ち尽くす彼を覆ったのは結局自分は何処も変わっていなかった、戦場からは逃れられないのだ、という事実だった。

 

ジタンの記憶にはどれだけの血に塗れていない潔白な記憶があるだろうか。そこにどれだけの赦され得る余地が残されていただろうか。彼の記憶は自分が殺した人間の死相でいっぱいだった。その頂で小さく輝くものがあったとして、自分が内に秘めるこの全てを何に昇華できるのだろう。<普通に暮らしたい>という強い意志は、いつの間にか宝くじの一等の様な、決して手に入ることのない夢に風化していた。

 

もしも誰かと結ばれたとして、彼女達は<普通>の自分を愛してはくれないかもしれない。「どれだけ人を殺したと思っている。お前にそんな資格はない」と、軽蔑され、見捨てられるのではないか。見捨てられなかったとして、自分の子供を腕に抱いた時、自分は何を考えるのか。それはきっとこの子が、自分のように親を、自分や自分の大切なものを殺すかもしれないという不安とビジョンで塗りつぶされているに違いない。

 

チェキータとも、HEXとも…自分の愛する誰とも、子供を産み育てることが許されない現実は、自分を自分で赦すことが出来ない現実は、遂に生と死の均衡を崩した。絶望がジタンの生命を刈り取ろうとした。頭痛と眩暈、止めどなく流れる鼻血と共に、彼はバランスを崩した。

 

一線を越えてしまったジタンは、糸の切れた人形のように、未だ高度の下がり切っていない飛行機の、こじ開けられた搭乗口から身を投げた。意識が喪失する直前の、じゅわっと広がる暗闇の中でジタンは手を伸ばした。

 

何か、救いを。

 

その一心で手を伸ばし、海面へ真っ逆さまに落ちる中、手に収まったのがライターだった。

 

テロリストか、或いは乗客の落とし物か…ジタンは朦朧とする中で意味もなく、祈るような気持ちでライターを擦った。

 

幻で好いから「普通に暮らしたい」…と。

 

<<カシュンッ!>>

 

キラキラ光る涙の滴が頬を伝って空を遡り行く。海の青黒い顔が画面一杯に広がる。

 

ライターに火が付くと共に、ジタンの脳裏で満開の<ヒマワリ>が戦いだ(そよいだ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ヒマワリ…花。不思議な黄色い花。所有者はジタン・コッポラ。彼の深層心理に深く根を張っている。花の意志の有無や詳細は不明。ジタンの心身を通じて、自分自身や他者に作用することもある。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

GOOD MORNING

ヒマワリ畑の中を走り回る夢を見たんだ。酷い夢だった。自分の三倍はありそうなドデカいクマに追い回される夢だった。背の高いヒマワリに囲まれて先なんざ見えやしない。今自分がどこに居るんだかもわからない。荒い息遣いだけが聞こえて俺は自分の気が変になったんだと思った。デカいヒマワリをかき分けかき分け、走りまくった。だが、クマってのは凄くて、俺のことを鼻でも脚でもしっかり補足したまま、びったりくっついてきて離れない。撒こうなんて考える余裕もなくなっていった。

 

「ウッ!?うわあああああ!?」

 

そして、散々逃げ回って、遂に力尽きて後ろから首筋をガブッ!…だ。

 

痛みが来なくて不思議に思うと、代わりにヌルンッ…て感触が背筋を駆け上がって、吃驚した俺は大声上げて目ぇ覚ました。顔中ぐしゃぐしゃのガピガピ。涎と涙と、色々だ。とにかく酷い面で目を覚ましたってこった。

 

「あら、起きたのねジタン。おはよ。」

 

暗がりの中で起きた俺の視界一杯に生っ白い壁が広がってた。腫れぼったい目で混乱した俺の頭はその温かい壁に顔を突っ込んで、二度寝と洒落込もうとしてたんだが、そんな俺の頭の上から声が降って来た。

 

驚いて顔を上げるとそこにはデカい双子山…に阻まれた誰かの顔。声は聞き馴染んだ女の声だった。

 

「どうして俺の部屋にチェキがいるんだ…ん?むむ??」

 

「どうしたの?まだお眠かしら?」

 

「え?なんだ?これ。」

 

「ほら、おいで?」

 

「え、あ、うん。」

 

やっと自分の居場所が何処なのか分かったのは、頭から被ってたシーツをポーンと放ってからだった。さっきの状況をまとめれば、俺はシーツに潜り込んでチェキータの温くて白くてすべすべのお腹に頭を突っ込んで眠ってたって訳だ。なあんだ、さっきの山はあいつの乳か。道理でデカい訳だ。安心した俺は寝ぼけ頭のままで、仰向けで手招きするアイツにぴったり密着して、頭を抱かれながらまた目蓋を閉じた。甘くて安心する匂いだ。

 

「久しぶりだったけど、中身は変わってなくて安心したわ。」

 

しばらくして、今度こそ頭の寝ぼけが取れた俺は自分のやってることに驚いて、飛び起きた。いきなり胸から飛び起きた俺にも、アイツはちっとも驚かないでいつものニヤニヤ顔だ。足が絡めてあるせいで起き上がれなくて結局逆戻り。ポヨンッ…なんて、危なげなく俺を抱きとめるチェキはやはり俺より遥かに頼もしい。受け止めるなり言われた言葉で、俺の頭は混乱した。変わる変わらないを心配されるほどの中身が俺には昔あったってことか?にしても、昨日のことはさっぱりだ。いや、なにか夢を見たんだが、それ以上は何も思い出せない…。

 

「中身ィ?なんだそれ?」と、俺は探るようにアイツに聴いても。

 

チェキータは「ふふ、いいんだよ、ジタンはそのままで。」と言うだけだ。男の頭をクンクン嗅いだり、兎に角困った奴だ。それを甘受している俺もまったくどうかしている。ましてやこいつは既婚者じゃなかったか?今は離婚してるらしいが。俺は間男にはなりたくない。その旨を伝えるも「何も心配いらない」の一点張りで放そうとしない。

 

「…ま、いーや。ところで、なんで裸なんだよ!」

 

今更ながら俺とチェキータは、二人とも全裸だった。朝っぱらから事案発生か?にしては俺もこいつも落ち着きすぎだし、おまけに絡まったままの足をどうにもしないでいる。俺は動かそうにもがっちり固められてて動かせないだけだが。

 

俺の追及にもチェキータは何を考えているのかさっぱり悟らせない、ぽやんとした表情だ。蕩けるみたいな柔らかい顔してなーにが「ふふ、どうしてかしら。」だよ!俺は身動き一つとれない。抱き枕状態だ。

 

一向にらちが明かないので、昨日何があったのか聞き出そうとして見る。

 

「昨日は酒飲んで寝た筈なんだが…部屋に忍び込んだか?ニンジャみたいに!」

 

そういってもチェキータは「ふふふ…。」と笑うばかりだ。腕に力が入ってアイツの乳が俺の胸板で潰れて凄いことになっていた。アイツの腕の中で俺とチェキの乳が押し合いへし合い状態である。胸が苦しい…くはないな。俺の胸も、何時鍛えたのか知らないが分厚い。お陰で筋肉と脂肪で俺達の間はみっちり隙間なく充満してる状態だ。柔らかいのは好い。だが熱いったらない。

 

「なあ、昨日俺、なんかしたのか?」

 

俺は目と鼻の先で見せつけられる、チェキの人懐っこい笑みに耐えられなくなって、自分が悪いことをしたような気分になって来た。アバウト過ぎて俺も肝心なことを聴けるとは思ってないが、それでも、沈黙よりマシだと思ったのだ。

 

しかし、俺の疑問に答える代わりにチェキは、俺の腰を足でガッチリ抑えてから、こんなことを言い出した。

 

「…そんなことより、そろそろ時間じゃないの?」

 

「え?」

 

何言ってるのか思い出そうと頭を働かせたのと、答えが向こうからやって来たのは同時だった。

 

扉が結構な力でノックされたかと思えば、向こうからレームの声が聞こえて来たのだ。

 

「お~~い!ジタン!まだ寝てんのか?もう船が出ちまうぞ~?」

 

レームの声に俺はすっかり全部を思い出して、それから今度こそ、この心地良くも食虫植物の如き危険を孕んだ拘束から抜け出そうと藻掻いたのである。

 

「あああ!?な、なら早く言ってくれよ!それじゃ、またなチェキ、このことは次逢った時に聴くことにする!だ、だから離してくれ!」

 

俺はそう叫んだ。叫んだと言っても耳に痛くない程度にな。俺の叫びを聞いたチェキータは腕と脚にググ…と力を籠め始めた。いや、逆だよ逆。俺の言葉に相槌を返しながら、チェキータはミチミチに俺を拘束して、甘ったるい声で囁き始めた。

 

「ええ~…ねえ、行くの止めない?草臥れたおじさんよりも、お姉さんと一緒の方が、きっと毎日楽しいよ。」

 

自分のことをお姉さんというチェキータは間違いなく美人である。現場の痕跡から言って、多分俺は昨夜何らかの過ちを犯したものとも思われる。しかし、俺も給料を貰う身であり、何よりも今以上に安全な子守とくれば受けない手はないのだ。故に、俺は心を鬼にして、と言うよりも切実な業務遂行の必要に駆られて、彼女を説得したのだ。

 

「頼む、この埋め合わせは今度!今度会った時にするから!だからご勘弁を!な?チェキ、頼むよ!」

 

俺は情けなさ骨髄だった。だが、そもそもチェキのことは嫌いではないし、この場で簡単に誘惑に呑まれるようではそれこそ男が廃る、とも考えたのである。最後まで言い切って頭を下げると、下げた頭を撫でられた。

 

頭を上げるとチェキータがはにかんだ笑みを見せて「なら仕方ないね、約束だよ?また逢おうね。」と言ってくれた。

 

「勿論だ、すぐに会える。子守だぜ?危ないことなんて何もないよ。心配すんな、不器用な俺でも流石に子守じゃ死にたくても死ねないさ。」

 

カッコよく言ったつもりだった。が、実際はクマに正面から抱き竦まれてサバ折りされてる状態だからまったく格好良くない。若干フラグっぽいことはさておき、俺の言葉にはにかんだ笑みを消したチェキは、黙ってうなずくと俺の首に顔を埋めて来た。あれ、しくったか?

 

焦るも、首から顔を上げたチェキが耳元で「そっか…じゃあ、いってらっしゃい!」と言ってくれたのでなんとか成功判定を下せそうだ。

 

俺は勢いよく頷くとがちがちにチェキに固められた自分の体を見下ろして「おう!それはそうと、急がないとそろそろ本格的にマズい。頼むから手足と乳をどかしてくれ。」と懇願したのだった。

 

 

 

まったく格好良くない朝をなんとか乗り切って、解放されるやシャワーを浴び、昨日の料理の残りをぱくつきながら、すぐに荷物をまとめた俺はレームの元へと駆け足で向かった。部屋を出て直ぐのところで待っててくれたレームを見ると申し訳なくなった。

 

俺達が速足で部屋を後にする時、チェキータが平然と「あはは、またね~ジタ~ン!遅れちゃだめだよ~!」と部屋から半袖シャツとショーツだけの恰好で身を乗り出して手を振って来たので、俺は顎が外れるかと思った。尚、手は振り返した。

 

困惑しつつも歩きながらアペンディックスに固定してある樹脂製ホルスターに護身用の拳銃を差し込み、レームに謝っておく。この拳銃…FNファイブセブン…といい、俺の私物は何故か全て俺が注文したことになってた。記憶にないのに。

 

銃のサイトにはトリチウムを埋め込むだの、レーザーを内蔵式にしろだの…この銃一つとっても、俺がごねた所為で細かい拘りがあるとレームが言ってた。俺の注文通りに作った結果らしい…だが生憎ここに来るまで生粋の漁師生活を一か月近くしていた俺にそんな知識は皆無な訳で…悉く謎である…。

 

「朝から何が何だか…おーいッ!レーーム!今行く。遅くなった!」

 

合流したレームはいつも通りに煙草をふかしていた。この男は例え俺が寝坊しても常に頼もしい。俺達は右手の平を見えるように手を上げて「おう」と挨拶を交わした。足元が忙しなくロビーに向かっていること以外はいつも通りである。

 

「いや、まあいいんだけどよ…そういや、チェキータ何処か知らねえ?フロイドさんが探してたんだけど…。」

 

下の階に向かうべくエレベーターに乗り込んですぐにレームが言った。

 

俺は一応は夫婦だったのに夫婦らしからぬこいつにガツンと言ってやるつもりで言ったのである。

 

「アイツなら俺の部屋にいたよ!」

 

だが、驚かされたのは俺の方だった。レームは我が意を得たりと手を叩くや、腹を抱えて笑ったのだ。

 

ひとしきり笑ってから彼は「へっへへ…アンタも隅に置けねえな。」と言って、俺の肩をどついたほどである。

 

俺はこいつがそういう癖を持っているのか、それとも単に変わった奴なのか、或いは俺の方が知らないだけでなにか二人の間に了解があるのか…色々な疑問が浮かんでは消えた。ともかく、どつきたいのはこっちであった。

 

目を覚ませといった感情を込めて「何言ってんだよ!お前の嫁だろ!」と俺が言うと、レームは今度は「そっくり同じセリフ返してぇとこだぜ。」と言い返し、俺の眼は回るような心地になったものである。

 

いよいよ下の階につく頃には、俺は何だかそういえばそんな気もするなあ、などとレームの弁舌に押されて納得してしまいそうであった。チェキとレームが任務以外で一緒に居るところを見たことは無い、だというのに俺の隣にはこっちに来てから常にチェキがいる気がする。

 

結局変わった夫婦だな、とお互いに言い合って話が途切れた。

 

「チェキと言い、朝から退屈しないな全く。」と俺は零した。

 

保養施設を出て直ぐに乗りつけられたドイツ車SUVに乗り込むと、前の席に乗ったレームが糊の取れてない仕事着を俺に渡した。車の中で着替えろと言うことらしい。

 

「そら、着替えたら急ぐぞ。お嬢ちゃん達が俺達を待ってる。」

 

レームは何時ものタクティカルパンツとポロシャツなのに、何故俺だけこのクソ暑い中東で、黒のタートルネックに黒のダブルジャケットと揃いのスラックスを渡されたのか…釈然としない。あとダークブラウンのハンチングも。

 

だが、これもレームの教えてくれたところによると、俺の注文通りらしい。俺の知らない間に、俺のことが俺により勝手に決められている。何だこりゃ…哲学か?…今は止してくれ。俺は考えることをやめてスーツの袖に腕を通した。

 

「お嬢ちゃん、達?双子か?姉妹か?」

 

悩ましい気もしたが、詮索は何となく怖いし、何より面倒くさいので後部座席一杯使って、ベルトまできっちり身に着けてから、レームのお嬢さんたちという言葉のニュアンスをつねってやった。

 

退屈な道中にも関わらず、レームときたら俺の質問で一気にご機嫌である。何が面白いのか知らないが、彼はタバコを噛み噛み言った。

 

「へへっ!見てからのお楽しみだ。」と。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

NEW FACES

 

 

 

港に着くと、フロイドと一緒に乗ってきたコンテナ船より一回り小さな船に乗り込んだ。乗船規定云々の説明を聞き流し、もっといえばトイレの場所だけ覚えてから、俺達の新しいボスとお目見えした。

 

向かった先、共用スペースに集まったのは俺とレーム、それから黒人の筋肉モリモリマッチョマンの知的な眼鏡と真っ白い子供の四人だった。

 

「成るほど…達、ねえ。」

 

レームは俺がもう一人お嬢さんがいると思い込んでいたことに笑っていたらしい。

 

「だろ?新しいメンバーもここに呼んでたんだ。その内もっと増やしていく予定だが…記念すべき第一号だ、紹介しよう!新メンバーのウィリアム・ネルソン君だ。」

 

レームに促されて紹介されると、ウィリアムと呼ばれたやけに腰の低い黒人の男性が俺の前に進み出た。よかった~、フロイドの娘だと聞かされていたのにとんだ勘違いじゃなくて。案の定、白い方が俺のボスらしい。

 

「初めまして!お噂はかねがねッ…み、ミスター・コッポラ!」

 

ウィリアム君は俺に対しても礼儀正しく挨拶してくれた。だが、なんでみんな俺の名前にミスターを付けたがるんだ?それに噂って…。

 

「…初めまして、ああっと、そのミスターはよしてくれ。自分じゃないみたいな気がするんでな。それに、お噂ってなあ…俺に言われても困っちまう。ま、気軽にジタンって呼んでくれよ。よろしく…えーと、君のことは、何て呼べばいいかな?」

 

悪い噂じゃないことを期待しつつ、俺はウィルソン君に右手を出した。

 

「あ?え?え?…レームさん、本当にこの方が?」

 

恐る恐るだが彼は俺の右手を握り返してくれた。だが、にしては物凄く警戒されたことが引っかかった。

 

「ん?へへっ…お前さんもその口か、ああ、確かにコイツがジタン・コッポラだ。今は、まあスイッチがオフの状態だと考えてくれ。ヤるときゃヤる奴さ。」

 

ウィルソン君がちらちらとレームの方に視線を遣ると、レームはレームでニヤニヤしながら俺にだけ聞こえないぐらいの声で何か囁いていた。おい!俺の悪口じゃないだろうな!?

 

「は、はぁ…わかりました。こちらこそ、よろしくお願いします!私の事は是非、ワイリと。ジタンさん。」

 

どうやら悪口じゃなかったらしい。俺達は改めて握手をして、それから互いの愛称を交換した。ワイリ君には素直に好感を抱いた。何というか、好青年って感じだな。

 

「OK、ワイリ。んで、ワイリと一緒に居るそのちっこくて白いのが…。」

 

俺達がワイワイやってる横で、壁に寄りかかり腕を組んでだんまりを決め込んでいた、お人形さんみたいな子供に、俺が視線を向けると、俺の言葉が言い切られる前にその子が口を開いた。

 

「初対面に対して、随分な言い草だなジタン・コッポラ…実在していたことには驚きだが、期待外れも良い所だ。」

 

睨まれた。澄んだ青い目だった。肌も髪も真っ白い子供だが、可愛らしいのは今のところ外見だけみたいだ。キッと音が聞こえてきそうだった。確かに、俺が悪いな。俺が頭を下げると、少女はそっぽを向いて返したので、黙って頭を上げた。うーん。ツンツンのツンである。チェキータの人懐っこさを分けてやりたい。

 

「…ああ、我らが新しいボスだ。」

 

俺の途切れた言葉をレームが拾ってくれた。新しいボス。若くてもボスはボスだ。俺は気を取り直して手を差し出した。

 

「よろしくな、こっちは期待されてたことに驚いてるよ。それで、名前は?」

 

少女は俺の手を一瞥すると、腕を組んだまま、俺の顔も見ずに言った。

 

「…ココ。ココ・ヘクマティアルだ。好きに呼べばいい。」

 

なるほど、中々の近寄りがたさだ。これを<尖ってる>と受け取るかどうか、はさておき、俺はじっくり時間を掛けて彼女の言葉に返した。

 

「そうか、ならココと呼ばせて貰おうか。俺の名前は、知ってるようだが一応名乗ろう、ジタン・コッポラだ。よろしく、ココ。」

 

手をもう一度差し出してみるが…残念ながら彼女が俺の手を握ることは無かった。見かねたレームが手を叩き、この顔合わせを締めくくった。

 

「ようっし!自己紹介は済んだな?今はともかく仕事の時は仲良くしろよ?頼むぜワイリ、ジタン、ココ。」

 

レームが俺達を見回すと、それぞれ頷き応えた。これから仲でも深めないか?という空気を期待したのだが、ココは俺達を置いてさっさと自室に向かって足を向けた。

 

「問題ない、レーム。私もそこは弁えている。」そう言い残して帰っていったココを見送った俺達が、三人だけになってすぐ新しいボスに対する感想が自然と零れるのは仕方がないことだった。

 

ワイリは一粒汗を浮かべて「はっはは…これはまた、随分と。」なんて言っていた。微笑ましいより、予想を超えてきたことへの驚きが勝った感じだ。

 

初対面の俺ですら温厚で好青年だという感触を抱いたワイリ君は少し不安を感じるくらいが正常だろうが、俺からすると子守の必要があるのか、その方が心配になった。

 

「それにしても、スレたやっちゃのぉ~。レーム、そういや俺は何すんだあ?」

 

ココへの第一印象はともかく、あの子のお守をするように言いつけられていた俺は、自分が具体的に何をするのか、今更になって不安になって来た。気づけば口に出ていたようで、レームも少し目を見開き、すぐに思案顔になった。

 

「あッ。言ってなかったっけ。」

 

ギクリッ!と気づいて欲しくなかった様子のレーム。

 

「フロイドも子守だとしか…。」

 

俺は素直に伝えたが、レームもレームで詳しく知らなかったようだ。煙草の煙を吐き出すと、ワイリにもアイデアを募りだした。我らがチームリーダー殿は適当である。良くも悪くも。

 

「はあ~、そうだな。そうなると、だが事務って訳にもイカんしなあ。ワイリ!なんかつかず離れずって役職で、イイの思いつかねえか?」

 

案を問われたワイリは、突然のことなのに真剣に考えてくれているようだった。俺もない頭をこねくり回してみる。

 

「護衛ではだめなんですか?」と言うワイリ。

 

ストレートな意見だが、俺は顔を顰めた。だってそうだろう?俺は自分の事を漁師だと思ってる身元不明の一般人だぜ?ここに居ることだって何のマグレなのか。そもそもこれは子守なのだ。護衛は俺の仕事じゃない気がするぜ。

 

ワイリの案にはレームも「それだとちょっとなあ…。」と首を傾げた。

 

ダメ出しにも物ともせず、考えること暫く。庭が無いのに庭師やら、免許無いのに運転手やら、色々案が出たがしっくりくるのは中々出ず、結局ボディガードに落ち着きそうになった時だった。

 

「あ!家庭教師とかはどうでしょう?」

 

ワイリ君のひらめきは、それは今日一番にナイスなアイデアだと、その場の全員が思った。だが、少し考えて直ぐに俺は自分の学歴がさっぱりだということに思い至り、レームに向かって首を振った。

 

「選りにもよって教師か!?学校通ったこともないんだぞ!?」

 

俺の反応に明るい顔だったワイリ君が萎びてしまった。ごめんなさい。

 

「ダメでしたか…。」

 

申し訳なくなったが、これも没だろう…そう思っていたら、レーム、彼がまたしても類稀なる適当さを遺憾なく発揮して、ワイリの案に満足そうに頷いた。

 

「…いや、いいなソレ!」

 

まさかの合格に俺は身を乗り出した。

 

「おい!レーム、正気かよ!」

 

俺の不安そうな顔を見たレームは、歯を出してニシシと悪い顔を作った。あ、ダメだこれ。

 

「へっへへ、何も普通のお勉強するわけじゃあねえんだ。人生の家庭教師ってところだ!どうだ?寧ろお前さんほどの適任はいないぜ?」

 

レームは「肩の荷が下りたぜ~。」なんて言って、伸びをしている。どうやらこれで決まりみたいだ。

 

「…わかったよ。給料分は働くよ。」

 

俺は諦めて家庭教師をすることを受け入れたが、自信など皆無だった。何せ、今後どうすればあのお嬢さんと仲良くやっていけるもんか、マトモな案は一つだって持っていないのだ。

 

だが、レームはタバコを噛み噛み、俺を面白がるように見つめながら言った。

 

「へへッ…今はそれでいいんじゃねーの?始めるまでは億劫でも、案外適役だったりするもんだ。」

 

レームの言葉に俺はまた上手く言いくるめられたような気がしたが、その迷いもワイリの笑い声でどっかへ飛んで行ってしまった。

 

「はっはっはっはっ!確かに、先のことは想像もつきませんからね!ジタンさんなら、きっといい先生になれますよ。」

 

陽気×2である。無口な俺一人じゃあ手に負えないぜ。ワイリは心底そのとおりだと言ってくれるようで、俺は乗せられてしまった自覚はあるものの、家庭教師として頑張る気になった。

 

「ワイリまで…まあ、やってみるよ。気長に、な。」

 

俺が頷いて、持ち直したのを見届けたレームは、ズボンのポッケから銀色の小物を二つ、ゴトリと机の上に置いた。

 

「ああ。…それと、忘れるところだったが、コイツを持っとけ。」

 

レームの手がはけると、そこには二つのライターがあった。無印のZIPPOか。俺はなんだか懐かしい気持ちになった。

 

「ライターですか?」

 

ワイリが一つ手に取ると、何か特別なもんでもないかと、真剣な目で見聞し始めた。

 

「ああ。ここぞという時、擦るんだな。時には神頼みもしてみるもんだ。」

 

レームはもう一つを俺に渡し、ワイリの見聞が終わるのを待った。

 

「レームさんらしくもない…何か特別な意味でも?」

 

顔を上げたワイリは苦笑いだった。どうやら彼の眼から見て、こいつは何変哲の無い代物だったらしい。レームはワイリの疑問をうんうん聞いてから、ライターを指差してニヤリと笑って言った。

 

「秘密兵器さ。とっておきのな。だが、濫用はおすすめしない。」

 

ワイリの怪訝な顔を見ると、俺だけが理解できないとかじゃなかったらしい。何だろう、秘密兵器って…。

 

「ライター?秘密兵器?…まあ、御守りだと思って持っておきます。」

 

俺もワイリももやもやしたままだったが、役立つとレームが断言するくらいだから持っておくことにした。俺が自分のライターを手で弄んでいると、レームがそっとライターを擦ろうとしていた俺の手を停めてから、言った。

 

「ああ、そうしてくれ。それと…ココの分はジタンが持っといてくれ。アンタが今日から、ココの保護者代表ってわけだ。」

 

レームの言葉にポカーンとなったのも束の間、俺はふと疑問を思い出したので、レームの秘密兵器とやらを俺達の顔の前まで持ち上げて言った。

 

「おう。にしても、フロイドと言い、ライターになんかジンクスでもあんのか?」

 

俺の知らないことなんて、自分のことも含めて山ほどある。自分のことはなんとなく、聞かない方が良い気がする…だが、それはともかく折角預かるにしてもジンクスくらい聞いても罰は当たるまい。

 

俺に聴かれたレームは、少し遠い目をしてから、目の前の俺に語り掛けるみたいに言った。

 

「誰だって命は惜しい。そんなもんだ。」

 

俺に言ってるってのに、レームの奴は俺を見ていないような…単なる気のせいか?

 

「レームやフロイドでも、そんなもんかね…。」

 

「ああ、そんなもんさ。」

 

何となく焦点の合わないレームの視線に耐えかねて、俺はライターをポケットにしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

INNOCENT ARMS DEALERS

ジタン・コッポラ。

 

それは名前であり、記号に過ぎないものだった。それは彼本人が誰よりも理解していた。だが、現実にはその名前を耳にしただけで震えあがってしまう者もいる程だ。名前が、音が、記号が、明確な質量を伴うほどに、それほどまでに、彼は死を踏みしめて、これまで生きて来た。

 

だからこそ、荒んだ人生を送って来たジタンにとって、戦う事ではなく守ることや教えることを求められたフロイドの子供達や、彼らの私兵と共に過ごした時間は新鮮な経験であり、何よりも、望んでいた<普通の生活>の到来を予感させるような毎日だった。

 

家庭教師となったジタンは、ココ・ヘクマティアルと出逢い、あれから約13年間、兵士としてではなく、人生の家庭教師として、また一人の家族として、武器商人と旅をした。

 

ココの兄であるキャスパー・ヘクマティアルとの出逢いを翌年、恒例のチェキータとの再会の際に果たしてからは、純粋な時間で13年の内の三分の一をキャスパーと、三分の二をココと、HCLI社本部から派遣される家庭教師という肩書で、共に過ごしたことになる。

 

 

長い時間と数多の苦楽を共にしたジタンには、この兄妹の差異と共通点と言うモノが、次第に見えて来るようになった。

 

外見は誰もが口を揃え、「双子でもないのにソックリだ」と言うほどよく似ている。プラチナブロンドの、光の反射によって時には新雪のように無垢な白銀に煌めく美しい髪も、陽ざしに弱く繊細な白い肌も、全てを見透かすような澄んだ空色の瞳も、まったく同じだ。

 

また、ココもキャスパーも武器商人としての適性を、若くして見事に発現させ、幼くしてそのノウハウを叩き込まれた経験も相乗し、十代前半時点においても大口の取引をいくつか成功させた程の手腕を有する点も共通していた。

 

しかし、ジタンはこの二人が全くの別物であることを、極めてプライベートな時間を共有する度に実感してきた。

 

先ず何よりも、衣服や装飾品、自動車などへの<こだわり>や好みが全く異なるのである。このことは二人とも明らかに差異が現れており、ジタンの言葉を借りれば

 

「ココとは腕時計の好みも車の趣味も合ったが、キャスパーとは合わなかった」らしく、ココが質実剛健な腕時計や頑丈でタフな欧米の車を好むのに対して、キャスパーは腕時計なら華美で派手なもの、車両なら燃費やコストパフォーマンスのいい日本車などを好む傾向があった。

 

食事に関しても二人には違いがある。二人ともファストフードを好む点は同じだが、ココは会食形式でもそつ無く熟し、料理を味わうことにも余念が無いのに対し、キャスパーは堅苦しい場での食事を嫌い、また同じ物ばかりを食べる嫌いがあるのだ。

 

そして、最も二人の違いを感じる部分は人材登用と武器商人としてのポリシーにあった。

 

人材登用に関して、ココは13年間に、初期メンバーだったレームとワイリとジタンに加え、更に7人を仲間に加えた。順に、バルメことソフィア・ヴェルマー、マオ、ルツ、ウゴ、エッカート、トージョ、そしてアールの7人である。全員が全員一癖も二癖もあるが、その実力は折り紙付きの、一流の人材だった。

 

ココの人材登用の特徴は、その都度何か直感的なものに従い、まるで少女が美しい花を摘んで来て花冠を作るように、見る人に依れば無分別ともとれる基準で忠実に選別を行った。武器商人として戦場の現実に直面してきたのだから、その人間性になにか重篤な欠陥をきたしていてもおかしくはなかった。だが、依然として瞳と魂を腐らせずにココはこれまで成長を重ね、武器商人として生きて来た。彼女の人生の半分以上を見届けて来たジタンは、捨て猫を次々に拾ってくるような彼女の習性を、しばしば「少女らしい」或いは「無邪気な愛らしさがある」と評した。

 

ジタンの言葉には切なさと安堵が混じる。何故ならば、ココは武器商人としての自分を酷く憎んでいるからだ。より正確に言えば、彼女は戦争や軍隊、武器そのものを誰よりも強く憎悪し軽蔑している。理由は明白であり、ココ・ヘクマティアルは余りにも武器商人に向いていなかったのだ。この言葉を聞くと、まるで適性が無かった様に聞こえるが、実際は逆であり誰よりも商人としての適性は抜きんでていた。だが、その精神は武器商人として戦場で生きるには、余りにも高潔で気高く、正義感に溢れ純粋で、敏感で優しく、そして誰よりも強く賢かった。

 

ココ・ヘクマティアルは、商人に徹することができるほど冷酷ではなく、また確信犯に成り切れるほど恥知らずではなかった。才能が有り、権力があり、財力があり、武力があり…否、持っていたからこそ彼女は商人としての自分を憎まずにはいられなかったのだろう。持っていながらも、世界を変えることのなんと難しいことか。

 

ありきたりな言葉だが、天才としての自覚程、ココ・ヘクマティアルを苦しめるものは無かったはずだ。無力に生まれていれば、アドルフ・アイヒマンの様に陳腐な悪に徹していられただろう。或いは思慮を欠いて生まれることが出来たならば、ロベスピエールの様に確信犯と成り、革命を起こし粗暴にも世界を壊して回ることもできただろう。だが、彼女は賢明であり謙虚だった。よりよい方法があることを知っていて、その方法を模索する能力があった。彼女は逃げたくても逃げられない、逃げたいのに逃げたくないジレンマに絶えず襲われる他なかった。

 

ココ・ヘクマティアルのポリシーは、世界平和の為に武器を売ること。ジレンマの末の、粗削りだが、誰よりも純粋な理由だった。

 

 

 

対して、兄であるキャスパーはココ以上に、自身の基準と言うモノに厳格である。キャスパーの登用した人材は最初期から彼を守って来たチェキータと、翌年から数年、数カ月ごとに休日や仕事での行動を共にしてきたジタンを除き、他に三名だけである。順に、エドガー、アラン、ポーの三人だ。

 

彼らを登用した理由を聞くと、キャスパーは恐らくこのように答えるだろう。

 

「彼らは自分の価値と、僕のビジネスを理解している」と。

 

キャスパーのポリシーは、商人としての達観した自覚とそこに生甲斐を見出していることである。彼は、幼少期から続けて来た武器商人という職業に対して、幾つもの葛藤の末に、自分自身の中での納得と赦しを見出したのである。武器そのものとの和解、或いは停戦と呼んでもいいかもしれない。

 

キャスパーは自分自身を一人の武器商人として以上に、一人のビジネスマンかつ一人の商人として定義するようになった。ネゴシエーションの場に暴力を持ち込むことに対する気後れなどない、しかしそこには理由がある。キャスパーからしてみれば、自分自身の才覚を遺憾なく発揮できる場所、自分の生きる居場所を商売の場に設定し、その商品が偶然にも武器だった、という訳である。ビジネスに従事するものの最重要課題は利益の追求であり、その為に利用できる手段が、武器を扱う者の場合は外ならぬ商品そのものだった…これも、キャスパーに言わせれば「効果的なデモンストレーション」のようなものなのかもしれない。

 

戦場であれどこであれ商人として自分を定義している彼は、覚悟を決めた人間の一人だ。彼は自ら選んだ商人の生き方に忠実であり、そのためにビジネス上の約束事、契約に対しては岩のように頑固である。柔軟性を持ち合わせていないわけではない。一度結んだ契約を、意地でも履行する覚悟を持つ者、だと言う事だ。

 

故に、キャスパーの覚悟に則った命令に忠実に従うことのできる、そんな人材を彼は選び自分の身近に置いた。実力もさることながら、キャスパーの私兵はキャスパー同様に契約や仕事に忠実であり、例え少年兵や若い女が相手であっても、全員が全員、迷わず引き金を引くことが出来る、堅牢な精神と思考を有している。

 

一見、無邪気で子供らしいキャスパーだが、ココと比較すれば彼の方が遥かに<大人びている>ことがわかるだろう。そこには決して短絡的で安易な無邪気さではなく、自ら選んだ道を全力で満喫し、駆け抜けるための気概に満ち溢れている。キャスパーの思考を、ココは否定も肯定もしないが、その逞しさや大人びた感性に対して羨望を抱くのかもしれない。

 

キャスパーのポリシーは商人として生きること。その為に守るべきものは守り、倒すべきものは完膚なきまでに叩き潰す。良くも悪くも容赦を知らない生き方だ。ジタンはキャスパーのこういう所を気に入っていた。キャスパーと食事をしたり、話したりするたびに、ココが妹でキャスパーが兄である理由が、何となくわかった気になるのだ。

 

 

 

ここで、もう一人の武器商人の話をしよう。HCLI社総帥フロイド・ヘクマティアルについてだ。

 

ココ・ヘクマティアルとキャスパー・ヘクマティアルの父、フロイドのことをジタンは覚えていない。正確には自分を漁師か何かだと思い込んでいるジタンにとっては初対面でも、戦場から戦場へ渡り歩いていた頃のジタンにとっては幾度となくその命を助けた相手である。

 

遡ること40年近く昔のこと、当時10代後半だったジタンがアフリカの海賊の掃討作戦に駆り出された時のことだった。海賊の拠点を掃討中に立ち入った家屋に、両手両足を拘束された子供がいた。顔も髪も真っ白い、美しい空色の澄んだ瞳の、不思議な子供であった。

 

直後に海岸線から入り江に迂回し溯上した敵のボートが現れた。固定された機銃による激しい銃撃に晒されて、気を抜けば命を落とす状況下であったにもかかわらず、戦闘の最中にジタンはこの子供を保護し、庇いながら非戦闘地域まで送り届けたことがあった。

 

その子供がフロイドであり、その後貿易商人として頭角を現す頃には、ジタンもまた一角の人物として軍事と暗部の界隈ではその名を知らぬ者のいない存在になっていた。

 

そして、何の数奇か二人はしばしば出くわした。二度目は思い出深いアフリカで再会し、そこでビジネスパートナーとしてフロイドは信頼を得ることに成功し、互いの名前を交換した。

 

その後も三度目、四度目…と、フロイドとジタンは顔を合わせた。ヨーロッパやアジアでも、日本でさえ、二人は偶然にも遭遇し、次第に互いの存在を強く意識するようになっていった。

 

ジタンからすればフロイドは依頼主の一人であると同時に、奇特な商人という認識だった。だが、ジタンの意識するしないに関係なく、ジタンはフロイドの危機を幾度となく救った。それは気まぐれや、偶然の一致だった場合もあるが、それだけではなかったはずである。ジタンは、その精神の底の何処かで、あの日、気まぐれに救った幼い少年の命が、目の前で奪われることに筆舌に尽くし難い拒絶を感じていたに違いなかった。故に、彼は気まぐれに、利益にも名声にもならなくとも、全身全霊を尽くしてフロイドの命を死の淵から何度も掬い上げたのだ。

 

ジタンの自覚なき依存とも、執心ともとれる行動は、フロイドにもまた強い影響を遺した。フロイドはジタンとは違い、はっきりとジタンと言う一個人に対する強い執着を自覚し、またその容体を良く理解しようと試みて来た。

 

結果、フロイドの自覚した執着は、それは熱烈な恋慕にも似た、一種の崇拝だった。フロイドはアメコミのヒーローの様な、超法規的に悪党を抹殺する爽快感や、正義を決して自認せずまた自覚もしない姿に擦れた感性を満たされる感覚、そして戦場に縛り付けられたその生き方に、自分には決して出来ないその生き方に、生まれて初めて純粋に感動したのである。

 

彼はジタン・コッポラという傷だらけのダークヒーローを応援する、一人の追っかけでありオタクでもあった。そして、このことがフロイドとジタンを再び結び付けるきっかけとなった。

 

フロイドは商人として達観する一方で、自ら選んで陳腐な商人、確信犯的商人になることを選び、これをポリシーとした。それは彼の子供達を含む圧倒的多数の他者からすれば、理解し難い冷酷さを覚えるかもしれない。しかし、一方でフロイドは誰よりも優秀な商人として、資本家として大成することが出来た。そして、世界の暗部に対しても、妥協と和解することを選んだ。妥協も和解も、フロイドの中では諦念とは全く異なるものであり、フロイドが選んだのは正義か悪かの二元論ではなく、ジタンと言う第三の意志であり、これは言うなれば神の見えざる手に善悪生死の判断を、商人としての正誤は無論、自らの生死すらも委ねようという意味だった。

 

フロイドは自分から進んで正義だとか慈悲だとか、そう言ったものを捨て去り、代わりに心の平穏を手にした。煩わされることが無くなった彼は、意図せず自らの人間臭さを取り戻した。

 

そして、運命の再会とも言えるジタンとのアフリカでの三度目の遭遇に際して、フロイドはジタンを自身の護衛として雇う一方で、自分を一般人だと言い張るもう一人のジタンの意志を尊重し事務としての職と生活を保障した。

 

フロイドの良く知るジタンは護衛として、フロイドも知らない普通の人間のジタンは家族の様な友達の様な存在として、フロイドを支えた。彼らはレームとチェキータを合わせた四人で3年ほど旅をし、その中でジタンと言う男の歪な心身を知ると共に、仲間としてこの愛すべき大人少年兵を理解しようと努力を重ねた。同じ時間と苦楽を共にして、ジタンの望みも、苦悩も知った上で、フロイドは彼に自分の子供たちを託すことを決めた。

 

親心というには過剰かもしれないが、フロイドはジタンは子供たちを決して見捨てることは無いだろうと考えて、またジタンの心を癒すヒントになることを願い、我が子二人と、過去に囚われた一人の男の背を押して、新しい旅路へと送り出した。

 

 

 

フロイド・ヘクマティアルとキャスパー・ヘクマティアル、そしてココ・ヘクマティアル。

 

ジタン・コッポラは三人の武器商人と旅をしてきた。だが、未だ彼の心は過去に囚われたまま、自らを赦すこともできずにいた。

 

何か、何かが足りない。武器を売る者だけでは、それだけではこの男のバラバラに張り裂けた心と体を、優しく丁寧に縫い合わせ、再び前へと進ませてやることは出来ない。どれだけ美味しいものを食べても、どれだけの栄誉を浴びても、どれだけ美しい女性を自分の虜に堕としても、それでもジタンの頭の中で蜷局を巻く人格の内のどれか一つが別々に満たされ、癒されるばかりなのだ。

 

癒しの種はとうの昔に蒔かれている。ならば、あとは傷口を縫合し、ジタンの身と心を一つに繋げてやれる楔が必要なのだ。

 

だが、ジタンを赦してやれるのはジタンだけなのも確かなこと。或いは、未だ封印されているジタンの記憶に、原点に寄り添ってくれる誰かが必要だった。

 

そして、その誰かはジタンと同じ、穢れなき虜囚でなければならない。無垢な兵士。鏡写しの誰かとの新しい思い出が、ジタンに前へと進むための力を与えてくれるはずだから。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

It's a HARD LIFE

ジタンが第三の人生を開始した日から丁度13年目のある日のこと。

 

彼は真っ暗闇の中で目を覚ました。周囲には背の高い樹木が生い茂り、地面はしっとりと濡れていて、地面に投げ出されていた手の平には水気を含んだ土の感触を感じた。体が重い。思うように動かず、目だけを動かす。虫の声も聞こえないほど静かだったのが、余計に不気味であった。人工の光など無い。晴れた空に星が良く映えた。

 

ここでやっと、自分が誰なのかが思い出されて来た。自分の名前は…そうだ、ジタン、ジタン・コッポラだった。それで、ええと…なんだっけ?

 

鼻腔に届いた夜の森の匂い。澄んだ空気、なんてものじゃない。とても重くて噛めそうなくらいだ。自分の呼気か、はたまた山の植物に呑まれるような、大木や長い蛇の様な蔦や蔓が瘴気でも吐き出しているのか、とにかく鬱屈とした感じだ。正真正銘の山奥とは大変に息苦しささえ感じるのだと思い出した。

 

「ジタン、ジタン・コッポラ…俺は、ジタンで、それで、そうだ、チェキータもいたな、それとレーム、フロイドに、キャスパー、ココと……。」

 

浅い息をしながら、自分の名前や知ってる人間の名前を繰り返し呟いた。今は少しでも早く頭を再起動させなければ。

 

脳震盪を起こしているのか、記憶は混濁していた。顎を摩ると擦り剝けて血が出ていた。直前の記憶は…何だったか。確かヘリに乗っていた筈である。

 

「あぁ、お、思い出して、来たぞぉ…そうだ、俺が、腹ぁ下した、せいで遅れて、キャスパー達とは、別れて乗って、それで、俺のヘリだけ防空網に、引っかかって…あぁ、クソッ!…空ぁ飛ぶと、いっつも、コレだッ!」

 

「そんで、ぇえと、無線だ、無線が来て、パラシュート降下して、まっすぐ進めば、先方の、基地に着くからって、そこで合流、するって、キャスパーが…言ってて、それで…」

 

「それで、ほッ…ぅうっ…つつ、他の、連中と一緒に、飛んだ、はずなんっ…だがねぇ…。」

 

「あぁ…ヘリが、30mmに撃ち上げられ、て…堕ちたん、だ…。」

 

頭を押さえてうんうん唸る。悩んだ末に、彼はひりひり疼く背中に手を伸ばした。そこには少し膨らんだバックパックがある。そう、何の変哲もないバックパックが…。

 

「あぁ…ガッデメッ!!何がッ!どうしたら…俺のだけ、りゅ、リュックなん、だよッ!」

 

「…ぐぅぅッ!?ほッんとにッ!運が、ねぇなあ…ッつう…い…。」

 

そう独り言ちた男は立ち上がろうとして、できなかった。激しい熱が左足に奔り抜けて、力なく倒れ伏してしまったのだ。余りの痛みに転倒した男は何とか仰向けになり、自分の全く力の入らない左足に目を向けた。

 

「…こいつは、酷いな…ははは、骨の髄がむき出しだぁ…。」

 

彼の左足は、膝から綺麗に逆方向に曲がっていた。更には膝から下の、何処の骨なのかはともかく、太い骨の断面が剥き出しだ。一目でわかる開放骨折だった。左脚以外はほとんど無傷だったが、逆に左脚は全く再起不能の状態だった。太腿に力を込めて諦めた。身じろぎ一つで断面が軋んだ音を立て、か細い流血が放物線を描きながら噴き出し、濃い緑の茂みを黒々と染めた。

 

「グッ…ゥゥゥううぅッ!か、片足一本で、済んだと、お、思う、べき、かぁ?」

 

気絶している間に夜になっていたということは、既にアドレナリンの鎮痛効果は皆無に等しい。剝き出しの痛みが男の全身に走り、瞬く間に全身汗みずくになった。頭のてっぺんから血と汗が止めどなく垂れて来る。眼に入ると痛い。俯いた顔の、頬を伝って更に下へと、鼻の頭に辿り着いた端からぼだぼだと粘っこい汗が滴り落ちた。口の端から喘鳴が漏れ、血混じりの唾液がつうっと顎を伝い、汗と一緒に水溜まりを作った。充血した眼を回しながら、自分の顔を気付けで二度三度張り、腰のベルトに手を遣る。眠っていた時間に失われた血液もあることだ、今は、今は一刻も早く止血をしなければ…。

 

 

ベルトを使い、傷口を膝より上の部分で鬱血するくらい締め上げる。痛いくらいに締め着けるのが重要だが、怪我が痛すぎて他の痛みが分からなかった。

 

ぜいぜい荒い息遣いでなんとか太腿より下を見放す覚悟でベルトを巻いた男は、救難の連絡をするために懐に手を伸ばした。忙しなくジャケットの中を探るも、電話らしきものはない。

 

「おいおい…冗談はよしてくれよ…。」

 

懐を続けて探り、体を起こして脱いだジャケットを逆さまにしても、それでも虎の子のイリジウム衛星携帯電話は見つからない。代わりにころりと落ちて来たのは銀色の小さな塊。

 

「なんだ?あ、これ、レームのあれか?」

 

拾い上げるとそれは、何時ぞやレームから預けられて以来、何かと便利に使っているライターだった。ライター本来の使い方ではこれまで一度として活用した記憶がないものの、困った時のライター頼みである。不思議なことに、このライターを擦ると意識がなくなるのだ。そして目が覚めると車の中だったり…とにかく気づくと厄介ごとが終わっているのである。無論、抜群に怪しいので滅多に使ったりはしないのだが…自分で使わなくても意識がなくなる時があるのは何故だ?と彼は首を傾げた。

 

兎も角、彼の持ち物は今や中身の期待できないバックパックと手の平に乗っかるライターだけであった。

 

絶望のあまり顔が青くなる。本当に何の物音もしない山中で一人切りなのだ。気が狂いそうになり、堪らず叫んだ。

 

「ど、どッ…何処じゃァァァア!?ここはぁああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

だが当然助けが来ることも、彼の問いに答える者も現われはしなかった。

 

現在、ジタン・コッポラは西アジア某国の鬱蒼とした山中にて、絶賛遭難中である。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

just a MAN but a HERO
just a MAN but a HERO その1


HCLI社本部の意向により、西アジア某国に新たに建設される軍事道路の計画責任者として選ばれたのは、アジア地域での販路を一手に担うキャスパー・ヘクマティアルだった。

 

本部の意向、即ち実父でありHCLI社総帥フロイドの意向である。その実現は急務とされ、全権を任されたキャスパーは計画遂行の為の第一歩として、瀬踏みを兼ねて、現地軍とのコネクション構築の為に、数年来の部下であるユスフ・ガスードを新聞記者としての身分を与えて送り込んだ。

 

近隣国家との紛争や内戦の遺産は、無数の地雷原として、この西アジアのとある国にも存在していた。冷戦下の闘争の残り火に、冷戦終結後に生まれた世代が焼かれる悲劇は、この国において珍しいことではなかった。

 

新たな火種にも、希望の道にも変わり得る巨大な軍事道路の建設がこの国の将来に何を齎すのかなど、キャスパーには予見こそすれど、商人として以上の興味など無かった。西アジアでの工作も、彼にとっては無数に熟してきた仕事の一つでしかなかったのだ。

 

しかし、事態は偶発的な事件により一変することになった。

 

 

 

新聞記者として地雷原近辺を散策し、目標である地上基地部隊との接触を図っていたユスフ・ガスードが拘束されたのである。一時的な拘束の後、彼は解放され、副司令官の後ろ盾を得ることに成功した。基地内部の現状とその勢力図などを逐一報告するなど、キャスパーの工作は成功していたかに見えたが、ここでガスードが欲を出した。

 

ガスードは副司令官との個人的なビジネスを展開し、これをキャスパーが本来売り込む予定であった商品に紛れさせ、ひそかに国境を越えさせたのである。明らかな越権行為に対する監視の目が無かった訳ではないが、HCLI社からの正式な報告が届くより早く、事態は動いた。

 

 

急遽ガスードから報告があり、これがキャスパーと彼の私兵一行が基地へ入るための下準備が整ったというものだった。ヘリでの接近を可能とするための対空網の管理もつつがなく、とのこと。

 

石油利権が絡んだこの不穏な山岳地帯は多くの金を生む。キャスパーがこの場所に、本部からの命令が無くとも注目していたことは当然であり、その為の準備に抜かりはなかったといえよう。

 

しかし、現実問題として、この対空網の統制には不備があり、というのも基地内部の司令官と副司令官の間には緊張状態が続いており、一部を除いて対空兵器の管理には抜けがあった。

 

そしてガスードの連絡を受けたキャスパー一行が、基地に向かう当日にこの対空網の管轄権が僅かに変動していた。副司令とガスードの画策するビジネスを知らない基地司令官の指揮下、30mm機関砲が不運なヘリを一機撃墜したことは、様々な偶然と必然が重なった出来事であった。

 

 

撃墜されたヘリの搭乗員は負傷し山中で遭難中のジタンを除いて全滅。パイロットを含めて全員が即死の状態だった。

 

この報告を、ガスードの背信報告と共に基地帰還後に聴いたキャスパーは白い顔が赤くなるほど激怒した。怒髪天を衝くほどであった。

 

激しい回避運動を続け、這う這うの体でヘリが飛び立った現地の航空基地に戻って来るなり、キャスパーは言った。

 

「ははッ!まさかまさか、ですよ…話を付けるまでが仕事だってのに、利潤の追求は商人の信条ですが、僕だって少しは弁えてますよ!だというのに、自分の分を弁えずに度を過ぎた欲を出すからこういうミスを犯すんです。僕だって危ない橋は渡りますよ?でも、それとこれとは別でしょう。挽回できるミスなら犯すこともありますよ?でも、これは違う。致命的なミスを犯した時の代償は命で払って貰いましょう。」

 

キャスパーの言葉に珍しく笑みを消したチェキータも同意した。

 

「キャスパーに賛成。でも、その前にジタンを見つけなきゃ。いいわね?」

 

「えぇ!勿論です、チェキータさん。たかがヘリから落ちた程度であの人が死ぬなんて考えられませんよ!」

 

「「「(う、うわぁ…ガスードの奴、ただじゃ死ねないな……。)」」」

 

爛々と好戦的な笑みを浮かべるキャスパーと、笑みを消したチェキータ。二人の凄みある表情にエドガー、アラン、ポーは頷きつつも、静かに二人から距離をとった。

 

 

 

時は進んで、あの後血を失いすぎて失神したジタンは青白い顔で朝焼けを迎えた。

 

周囲には依然として動物の気配が無かった。身体は指先まで冷え切っており、血も温度も足りなかった。ジタンは体を引きずり木に背中を預けると、バックパックの中身を漁った。

 

「なにか、食い物でも、なんでもいい…。」

 

ファスナーを開き、中のものをひっくり返すと、出て来たのはチョコレートバーが3本と、方位磁石1つ、ライトが1本、折り畳み式のナイフが1本だった。頼りないことこの上なかったが、それでも何もないよりマシである。

 

ジタンはその場で手早く包みを破くと、チョコレートバーにかぶりつきながら、手の届く範囲の落ち葉や落枝をかき集めた。

 

キャラメルのにかにかする食感と、ピーナッツのカリカリが独特の、濃厚な味わいのチョコレートバーが体に沁みて、ジタンに生きる為に必要な活力を与えてくれた。最重要な水が一滴もなかったことは問題だが、今はまだ喉が渇くだけで納まっている。これからの迅速な行動が命取りになることは明白だった。

 

ジタンはナイフを軽く振って刃を開くと、集めた枝を削り木くずを手の平一杯分ほど用意して、ポケットからライターを取り出し、口をへの字にして、渋々フリントを擦った。

 

<<カシュンッ!>>

 

背に腹は代えられない。木くずに火が灯ると同時に、すうっと瞳から怯えや不安の色が消えた。代わりに浮かんだのは冷徹で淡々とした瞳。ジタンの意識はウラへと還った。必死な表情が丸わかりだったつい先ほどまでの彼が別人であるかのように、突然表情が変わった。頬や口元から余分な力が抜けて、感情が抜け落ちた表情へと眼差しに変わった彼は、それまでの迷い迷いの行動から一転、痛みも迷いも振り切った行動に移りだした。

 

燃え盛る焚火を仕立てた彼は、ナイフの刃を火で炙り、服を噛みしめると、左足の負傷部位を躊躇なく焼灼した。既に止血している状態だが、それでも立ち上がり、行動するためには傷口を物理的に塞ぐ必要があった。真っ赤に熱されたナイフのブレードが生身の肌を焼き、じゅうじゅうと音を立てた。恐ろしい音だ。自分の皮膚が焦げる臭いは筆舌に尽くし難い。

 

だが激しい苦痛を伴う処置にもかかわらず、ジタンの顔には脂汗が浮かぶにとどまり、うめき声を漏らすことなく、眉間に深いしわが寄るだけだった。それも、痛みと言うより不快な香りに対するものだった。

 

左足の負傷部位を粗方塞ぐと、ジタンは荷物をバックパックに纏めると、左腕にシリコンバンドで巻いてある腕時計…Ollech&Wajs社製C1000…を見た。現在の時刻は06:30を丁度過ぎた頃であった。

 

今のジタンの出で立ちは、前日のチェキータ達に合わせた、黒尽くめの戦闘服であった。左膝が肌色と赤黒い色に染まっている点を除いても、十分に怪しい姿だった。ヘリを堕とした側の兵士に見つかれば、まず無事では済まないだろう。運が良ければ捕虜として拘束されるかもしれないが望みは薄く、既に敵対関係にある以上はほぼ確実に尋問の後で射殺されることだろう。

 

敵との遭遇が移動に伴う危険の最たるものだったが、ジタンはこのリスクを踏まえた上での移動を決定した。既に、最後にキャスパーから受けた<先行して基地に向かう>という指令は有名無実に等しい。これはヘリが墜落してから20時間以上経過しているにも関わらず、チェキータ達のヘリが捜索隊として墜落現場上空を旋回していない、という現在の状況から判断できる。つまり、ガスードは完全に下手を打ったのである。基地とHCLI社の間に契約を結ぶことは、基地責任者の総意ではなかったということだ。

 

だが、最寄りのランデブーポイントを選定した場合、事前にオモテのジタンが見た際の記憶に照らし合わせれば、最寄りの安全で開けた場所は半径10km圏内に存在しなかった。目的地だった基地を除いて。

 

敵地だったが、地上基地までの1km未満の道のりと安全地帯までの10kmを越える道のりを考慮すれば、正確な方位まで把握している敵地に向かった方が、今のジタンにとっては賢明な判断だった。

 

なぜならば、連絡手段のない現状で行動半径の拡大は、捜索隊による発見を遅らせ、かもすれば発見が遅れることで致命的な感染症に罹患する恐れをも高めてしまうからだ。ほぼ賭け事に等しい決断だったが、最悪、虜囚としての待遇を覚悟してでも基地を目指すべきだ、とジタンは考えた。

 

決断するが早いか、ジタンは木に手を肩を恃みにしつつ、方位磁針に従って一路北上を開始した。約5時間半で1kmを走破する頃、目の前に森林の終わりが現れると、彼は道中で拾い集めた丈夫な蔓と落枝で患部を固定し、太く長い木の枝の杖に体重を預けて立ち上がり、森林と未舗装の道路を挟んで遠望される地上基地へと向けて、更に行軍を速めた。

 

 

 

 

 

ジタンが基地を視界に納めて間もなく、彼は基地の手前の森林に敷かれた未舗装の道路から一定の距離を保ちつつ、ここに来て歩行での移動を断念した。

 

息や焦燥を殺す努力は感じるが、それ以上に鋭い気配が首の後ろでチリチリと騒いだのである。よく訓練された兵士の存在を敏感に感知したジタンは、周囲を二度見回してから焦ることもなく緩慢にも大地に伏すと、左足を体の後ろに放り出し、健在の右足を前に進む為に胴体と地面の間で擦りながら、やや上体を起こす匍匐の姿勢で前進を再開した。

 

匍匐で進み始めてから数分後のことだった。けたたましい銃声と共に、木々の隙間を飛び交う、低く唸るような音が耳元に残った。流れ弾だった。

 

流れ弾の飛来より早くから頭を低く下げて木陰に隠れたジタンが目を凝らすと、彼の先ほどの予測が的中していたことが証明された。銃撃戦を展開していたのは、どうやら地雷除去戦車を伴った山岳兵と、2か3台の軍用トラックを運転していた武装集団のようだった。ジタンの張り詰めた感覚に引っかかったのは山岳兵の方だったらしく、その動きは無駄が無い…いや、特殊な訓練を積んできたというよりも、森林や山岳地形での戦闘に慣れている様であった。装備にしても周囲に溶け込むことを前提とした迷彩を纏っており、何より状況から推測してお手本通りの伏撃を展開したことが伺えた。

 

ジタンは山岳兵側に実戦経験豊富な指揮官、しかも中隊、大隊長クラスの存在を予想し、10分足らずで制圧された軍用トラックの武装集団が実戦経験に乏しい警備の域を出ない兵士、或いは山林地形での戦闘経験が貧困な警察官や一般兵あがりの傭兵で構成されているであろうと予想しつつ、戦況を見守った。

 

戦闘が山岳兵の一方的な掃討戦に移行した頃、一人だけヘッドギアを装備していない黒髪の男が現れた。トラックや死んだ兵士を指で示しつつ、何か指令を出していることが伺えた。トラックの積み荷がアメリカ製の銃だということまでを茂みの中から見聞きしてから、ジタンはこの男を先刻の伏撃の指揮官だと仮定し、この場から静かに離脱しようと動き出した。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

just a MAN but a HERO その2

誰にも気付かれることなく、ジタンが匍匐で森を迂回し、基地に向かおうとした時、彼の耳元にまたしても騒音が届いた。

 

「ひぐッ…ぐす…ウワァーン!」

 

銃声ではなかった。ならば、そのまま進もうという所だが、この時ジタンは頭を低くして進むのではなく、勇壮にも立ち上がったのである。むくりと起き上がった男の表情はいつも通りの淡々とした真顔だった。だが、目に見えて青筋がジタンの額に隆起していた。赫怒の表れである。

 

ジタンの怒りを説明することは容易かった。何故ならば、聞こえて来たのは、幼い子供の悲痛な声だったからだ。

 

むっくりと立ち上がったジタンの10歩先で繰り広げられていたのは、端的に言えば外道の行為であった。

 

「さあ、進むんだ。一歩一歩、摺り足で進め。足の裏の感触をしっかりと、確かめながらだ。さもないと、こいつの頭を吹っ飛ばす。次はお前だ…わかるな?」

 

拳銃を少年の頭に押し付けたスーツ姿の男が、少女を脅して地雷原を歩かせていた。子供達はどちらもまだ幼い。黒髪の少女の頬にはガーゼが当てられており、帽子を被った少年の肌の見えるところにも生傷が見えた。子供達は二人とも泣いていた。地雷原を歩かされている少女はしゃくりあげては、後ろを振り返った。少年を見つめる少女を見ると、煙草を口に咥え、火をつけるばかりだったスーツ姿の男が、これ見よがしに少年の頭に銃口を押し付けた。

 

スーツ姿の男は時折子供たちの後ろで小太りの男と言葉を交わしており、男のことを副司令と呼んでいた。

 

ここに来てジタンは合点がいった。副司令、基地の副司令の後ろ盾を得たと言っていた男に一人心当たりがあったからだ。

 

つまり、電話と銃を持ち、ふてぶてしくも子供を追いつめているスーツの男が、よりにもよって件のユスフ・ガスードであった。ジタンの全身がぎちぎちと音を立てて軋む。瞳孔が収縮したり散大を繰り返した。口元は張り裂けんばかりに力が籠った、一文字を描いている。分厚い気配が匂い立ち、少女がまた一歩踏み出すのに合わせて、ジタンの左足がその重傷をも厭わずに一歩踏み出した時だった。

 

先刻の黒髪の指揮官と思しき男が、声を張り上げて子供たちの前に現れたのだ。

 

「マルカ!!モーリス!!そこから動くな!!」

 

「しれいかん!」

 

鬱蒼とした森林の中で、野太い男の頼もしい声と、か細くも希望を見つけた少女の声が響いた。まだ、ジタンの姿に気づいた者は居ない。両者ともに、目の前の状況を解消することに夢中なのである。

 

しれいかん…司令官…ということは、黒髪の男の方が基地の最高責任者と言うことで合っているらしい。だが、そうなるとガスードはやはり相当にヘマをしたということになる。見るからに人望の無いデブに媚びを売るとは…失望を通り越して呆れるばかりだった。キャスパーが聞けば「芸人に向いてる」と言い、笑い飛ばすことだろう。

 

だが、現状は芳しくなかった。突然のヒーローの登場に現場に静寂が満ちたのも束の間、司令官の背後にある銃が満載された軍用トラックと、その下で横たわる兵士の死体を眼に入れるや、ガスードがずかずかと地雷原に数歩踏み込み、司令官に向けて口角泡を飛ばして激高し始めたのである。

 

「おいおいおい、俺の部下皆殺しかよ…ジジィ!てめぇ、指一本でも俺の商品に触れてみろ!ぶっ殺してやる!」

 

ガスードが司令官に銃口を向け、冷静さを失ったのを皮切りに、副司令と呼ばれていた司令官と同じ軍服を着た小太りの男も、部下に対して司令官に銃口を向けるように命令を下し始め、司令官側も狙撃の為に四方八方から山岳兵の鋭い殺気がガスードや副司令を貫いていた。当人たちは狙われているとは理解できても殺気には気づいていなかったが。

 

「おい!なにボサッとしてる!撃て!司令を撃たんか!」

 

「し、しかし!!」

 

ガスードが喚くのに合わせて我を取り戻した副司令が部下に命令した。だが、兵士は銃を向けても撃つことが出来ない。一触即発の緊張状態を維持しながら、膠着する一瞬の間に、司令官と副司令官の舌戦が始まった。

 

「その男に従うな!このッ…欲に溺れたブタ野郎め!!」

 

「なんだと!クソッ!基地は保育所じゃねえ!イカレじじぃめ!」

 

互いを指差しで罵り合うも、本気で舌戦に参加しているのは副司令だけである。舌戦の背後で司令は目線を子供たちに向けては、部下に目配せを送り、少しずつガスード達を包囲する準備を整えていた。

 

「クソッ…クソッ…ああ、もう滅茶苦茶にしやがってぇぇ!!テメェの所為でキャスパーが死んでたらどうしてくれる!!」

 

「武器商人の口車に乗せられやがって!おい!武器商人!子供達が先だ!子供たちを安全な場所に移動させたら、そのあとで何でも話を聞いてやる!そこのブタ野郎じゃない、俺が改めて聞いてやる!だから、まずは子供たちを!」

 

司令官の視線や態度で自分の話をまともに取り合われていないことに、副司令が癇癪を起こし、拳銃まで抜いて威嚇する。状況が悪化の一途をたどる中で、ガスードのすぐそばで震えながらしゃがみ込んだマルカと呼ばれた少女を見遣りながら、司令官はガスードに懇願するように言った。

 

だが、副司令もガスードも、初めから議論する気などなかった。

 

「うるせぇ!このクソジジィが!」

 

ガスードは苛立たし気に口に咥えた火のついていないタバコの前で一向に火のつかないライターを擦っていたが、司令官からの提案に神経質な声で返し、携帯のアンテナで突き刺す様に司令官を指しながら一歩踏み出した。

 

「おいデブ!早くッ!コイツを撃ちやがるぇッ!?」

 

<<バンッ!!!>>

 

踏み出した瞬間だった。カチリという音と共に、ガスードの足元に埋まっていた跳躍地雷が地面から勢いよく飛び上がったのである。

 

「な?え?あ……。」

 

地雷の跳躍に弾かれ、片足を空中に遊ばせたガスードがポカンとした表情で、そう言葉を漏らした。僅かな、ほんの僅かな滞空時間。死に直結する数瞬間の行動猶予において、その場にいる誰もが目を見張り、息を呑み、屈んで伏せて、我が身を守ろうと、あるいは何もできずに身を固くしていた。

 

沈黙と灰色の視界が全員に共有され、脳の演算能力を置き去りにして、道徳も倫理も置き去りにして、ガスードの肉体は本能のままに直ぐ傍にいた少女に、マルカに手を伸ばした。

 

一息に殺してしまえそうな、それほどの馬鹿力でマルカの首を鷲掴み、宙に放った。目と鼻の先で燃え滾り、鉄屑の殺人粒子をまき散らさんと膨れ上がる跳躍地雷とガスードは、マルカという一枚の壁を以って隔てられたのだ。その壁が、生と死を分ける壁でもある。

 

 

マルカの見ている世界は、酷く緩慢で、静かな世界だった。人が生きている間に見ることのできる物のなかでも、恐らく最も貴重で、最も恐ろしい世界だった。生と死が繋がってしまった世界が、マルカの痩せていて小柄で、それでも温かい体に宿ってしまった。呑み込まれてしまった。

 

首にガスードの手が掛かるが早いか、グエっと圧迫された喉からうめき声も上げられず、最期の一呼吸も終えないうちに、足が地面から離れた。落ち葉がまだ舞っている。円運動をしながら、旋回しながら落ちていく。マルカと一緒に。

 

ツンと痛む鼻の奥。たすけて、そう叫びたくてもがっちり握り込まれたガスードの腕の所為で声が出ない。えー…えー…と音のない声を上げた。誰に聞こえていなくともマルカは声を上げた。

 

 

ゆっくりと涙で滲んでゆく視界には三つの顔があった。

 

一つ目は鬼の様な醜悪な形相のガスードの顔。

 

二つ目は自分に手を伸ばす蒼褪めて必死なしれいかんの顔。

 

そして三つめは…死の恐怖を一瞬忘れてしまうほど美しい、見知らぬ男の人の顔だった。

 

 

 

 

マルカの背後で眩い閃光と共に鉄屑が吐き出される瞬間、ガスードから3歩の位置にあった茂みの中から黒い影が飛び出した。その影は残像と共に鋭く、死ぬばかりのマルカの背後に回り、彼女を呑み込む様に抱きしめると、マルカの首に伸びるガスードの腕の筋だけを切断した。

 

ガスードの胸を足場にして、反発を利用するや影はマルカを胸に大事に大事に抱えて、跳躍地雷の<直下>で小さく丸まった。

 

瞬間。炸裂。

 

赤とオレンジと黄色の眩い閃光と黒々とした散弾が周囲を横薙ぎにした。光と共に熱が噴き出し、しがみつくマルカを抱いた影の背中をこんがりと焼いた。

 

だが、跳躍地雷の直下を除き、無傷のものはほとんど存在しなかった。

 

無数の小さな鉄の粒が秒速数百mで、衝撃波と共に人体に突き刺さるのである。撃ち抜かれた肉体が無事なわけが無く。真正面から受ければ、重要臓器は無論、眼球を含む粘膜部分もまた無事では済まない。焦げ臭いにおいと、血の匂いが充満する森林の一角において、そのあまりの惨状に即座に再起できるものは、無傷であれ皆無であった。

 

マルカを抱いて守った、影の存在を除いて。

 

 

 

 

マルカも、地雷から離れていたもう一人の子供のモーリスも、二人とも奇跡的に無傷だった。

 

煙や燃えカスが燻る惨劇の血だまりで、体を起こした影はゴプっと泥のような血を口から吐き出した。

 

ずるずるに焼けただれた背中の肉が木霊すような鈍痛を全身に伝えていたが、影は背中を気にした素振りも見せずに、腕の中の少女、無傷のマルカに目を遣った。

 

身体を小さく丸めて声を殺し、ぎゅっと口と目蓋を噤んで泣いていたマルカは、いつまでもやってこない痛みに訝しみ、恐る恐る薄目を開けた。

 

「…あ。」

 

「……よかった……」

 

目蓋を上げると、そこに居たのは恐ろしいガスードでも、頼もしい司令官でもなく、三つ目の見たこともない顔の男だった。男は黒尽くめで、頭からも足からも血を流していて、指の先まで全身傷だらけだった。初めて会う人なのだから、とても恐ろしい筈なのに、マルカはこの男を恐ろしいとは思わなかった。はにかんだ表情が愛らしい、うっとりするほど美しい相貌の男に、マルカは見惚れていた。まるでお伽噺の王子様か、優しく守ってくれる神様のようだと。

 

「……痛い、所は、ないか……」

 

「ぇ…は、はいっ…あ、あの…」

 

「マルカ!マルカーー!」

 

むわっと血が臭うが、マルカにはさっぱり気にならなかった。そんなことよりも、目の前で優し気に微笑んでくれる男のことを少しでも長く見ていたいと切に思った。細い脚や腕を気遣わし気に触れられる。いやらしさなんて、あるわけが無い。優しい手つき、温かくて、マルカは両親の事を思い出した。

 

マルカの意志とは関係なく、手がゆっくりと伸びて、男の傷だらけの顔に、頬に、唇に指が触れた。ヌトっと黒々として熱い血が指の先に着き、マルカは男のことが途端に心配になり、声を掛けようとしたが、彼女が声を出す前に少年の声が聞こえて来た。

 

帽子を被った少年がマルカに泣きながら抱き着いた。

 

「うわぁあああん!よがっだよぉぉ!」

 

「モーリス!モーリスも、無事でよかった!」

 

抱き着かれたマルカも、モーリスと呼ばれた少年の無事を心底喜んでいた。

 

二人が落ち着くまで見守ってから、男は鼻を啜る少年の体に慎重に触れながら、身体に違和感は無いかと二度三度聞いた。

 

「……君は、どこか、痛いところは、無いか……」

 

「えッ!?あ、あ、うん…大丈夫だよ。その、マルカは!マルカはケガ、してないの!?」

 

気遣わし気な男にモーリスは驚いたが、されるがままにケガの無いことを確認されてから、ポーっと男を見つめて微動だにしないマルカに声を掛けた。

 

「……」

 

「マルカ!ねえ、大丈夫?」

 

「ぇ?…あ、ぅん。大丈夫、だよ?」

 

「よかったぁ、よかったよぉ…。」

 

「ありがとう、モーリス…。」

 

モーリスの声に一度では反応しなかったマルカも、身体を揺さぶられれば流石に気づき、きょとんとした表情で、正面から飛び込んできたモーリスを抱きしめた。

 

「うん!うん!アッ…で、でも、あの、その人、誰?マルカの知ってる人?」

 

マルカの胸で泣いていたモーリスがふとそんなことを言うと、マルカは首をゆっくりと横に振った。

 

「ぅぅん。でも…助けてくれたの。」

 

「……そっかぁ。あの…。」

 

マルカは男の方を向き、目が合うと耳まで真っ赤にして俯いてしまった。モーリスはマルカを助けてくれた男が何者なのか見当もつかなかったが、会った時から傷だらけ血だらけで怖いはずなのに、表情は柔らかく、声も両親が諭す様に優しかったから、ガスードや副司令よりもずっと素敵だと思った。

 

素直にありがとうと伝えたい。そう思いモーリスがもじもじと、名も知らぬ男と目を合わせると、男は切れ長の目を垂れさせて、内緒話をする時みたいに、手を口元に立ててモーリスに言った。

 

「……ジタンだよ……」

 

「…え?」

 

「……俺の、なま、えは…ジタンだ、じたん、コッポラ……」

 

上目づかいで、くりくりとした目を開き、ぼんやりと口を開けて、ジタンの言葉を噛み砕いたモーリスは、愛らしい笑顔を浮かべて自信一杯に頷いた。

 

「うん!ジタンさん!マルカを、助けてくれてありがとう!」

 

「あの、ありがとう、ございます。でも、そのせいでケガが…。」

 

モーリスは元気いっぱいに、抱き着きながら。マルカは目を伏せて、唇を申し訳なさそうちょみっと尖らせて、泣きそうな顔で。二人の子供たちはこの得体の知れない男に、全く健気にもありがとうと言ってくれた。ジタンは血が垂れる頭に手を遣り、髪をかき上げながら重い息を吐いた。痛みの種類が、重く響くようなものから、全身を切り裂いたり焼いたりするようなものに変わって来たのだ。

 

「………ぁぁ…し、心配いらない、さ……」

 

だが、アドレナリンの枯渇により、大の大人でも泣き叫びそうな激痛を露ほども悟らせず、だらだらと滲み浮かぶ脂汗を拭い払ってジタンは涼しい顔で子供たちに言った。だが、子供たちとて戦場の孤児である。現実の非情さは嫌と言うほど思い知っている。ジタンのやせ我慢などお見通しなのだ。

 

「…じたんさん?ねぇ、ヒッ!背中、酷いケガだよ!」

 

くるりとジタンの背後に回ったモーリスが鼻に掛かった泣きそうな声を上げると、マルカはジタンの手をテディベアを抱くように、大切そうにギュッと抱いた。ジタンの眼が細められ、潤んでキラリと瞬き、口元はギュッと噤まれたかと思えば、我慢ならずに波打った。モーリスとマルカの円らな瞳がジタンを、痛いほど優しく見つめていた。

 

「……ぁあ、なんてことない。さ、基地に、行こう、俺も、基地に、用事があるんだ……」

 

ジタンは顔を二度、三度、ごしごしと拭ってから、近くの木の根元まで右足と両の腕で這い寄ると、木の幹に手を肩を預けて、右足に力を込めて立ち上がって言った。

 

ぜいぜいと荒く熱い息を吐きながら。片目を瞑って見せると、モーリスとマルカが木の杖を持ってきてくれた。杖を恃みにして、砕けた膝と剥き出しの骨から、血が止めどなく伝い落ちる左足を引きずりながら、ジタンは再び歩き始めた。道中で、ついさっき放り投げたバックパックを背負い直し、手招きする彼の隣を、モーリスとマルカは寄り添うように歩いた。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

抜け落ちたエピステーメー

記憶の断片が次第に薄まり剥離していく。それ自体は当然のことだ。どこかより深いところに隠されてしまうのだろう。沈んでいくのだろう。しかし、一方でジタン・コッポラは思う。記憶のない自分。自分を知らない自分に対して、自分のことを知っているという他人。私の記憶は失われたものなのか、あるいは失っておくべきものなのか。彼らとともにいるために、過去の自分は不要なのか。もしも不要ならば、過去の自分を清算する方法などあるのだろうか。

 

思うに、そのように自分にばかり都合のいい方法は存在しないに違いない。むしろ、過去の自分が遺した見知らぬ痕跡をたどることになるだろう。その中で何を思うのか?知らないな、だが好いことばかりではないだろう。

 

手始めに、このじめじめとしていて寝苦しい場所から出てしまおう。そうしよう。

 

がばり。そんな擬音を思い浮かべながら体を目いっぱい勢いをつけて動かそうとして、ピクリとも動かなかった。どうしたことだ、これは。

 

重い瞼を開くと、痛いくらいの潔白が眼を突いた。

 

ここはどこだ?

 

俺の疑問に答えたのは、視界の端で真っ白い旋毛を見せていた女の声だった。

 

「目が覚めた?君にしては珍しい。お寝坊さんだ。」

 

聞きなれた声に安心するとともに、なんとも不格好な状態で彼女からことの顛末を聞くこととなった。

 

 

 

 

彼女…ココ・ヘクマティアルは俺の雇い主だが、同時に家族のようなものであり、時には娘になったり、妹になったり、はたまた年の離れた許嫁になったりする不思議な関係性だ。一概に言い切ってしまえるほど、単純な関係ではないのだ。お互いに、そう考えているに違いない。

 

かくして、そんな比較的親しい彼女から、何故自分がここにいるのか、具体的には自分が何故今も生きていてこうして君と話しているのか、そのことについて詳しく聞きたかった。

 

「一応聞いておくけど、どこまで覚えてる?」

 

どこまで…何の、とは聞くまい。不祥事に巻き込まれた辺りからだな、きっと。だが、すでに疑問が渋滞している。どうしてキャスパーじゃないんだ?暫くは彼のもとで働くという計画だったはずだが。

 

「あぁ、そういえば…あの子供は無事なのか?」

 

ふと思いつきに近かった。だが言ってしまったものを呑み込むことはできない。結果がどんなに予想とは異なるものであっても。

 

「……子供のことなんか、今はどうでもいいでしょ?」

 

…ココは不機嫌になってしまった。まだ話のスタート地点にすら辿り着いていないのに、彼女の機嫌を損ねてしまったことは大きな誤算だった。しかし、何故だろう?全く心当たりがない。…それよりも、うぅ…頭が痛い。心なしか顔もあちこち痛む。

 

俺が痛みに苛まれてココの機嫌を取れないでいると、彼女は我が意を得たりといった様子で蛇のように顔をグイっと近づけて、真正面から覗き込んできた。

 

「ふふ…痛むんだ。」

 

あぁ、痛いよ。痛みには強い方なんだが…頭が、ガンガン、するんだ。

 

「フフーフ…教えてあげる。」

 

するりと彼女の手が優しく俺の頬に触れた。愛おしげに撫でながら、彼女は一瞬瞳の奥に、その青い深淵に赫怒の色を灯したて言った。

 

「君が心配してあげたその子供に、君は頭を撃たれたんだよ。」

 

72時間前にね、と彼女は付け足した。

 

 

 

 

俺は驚き、珍しく疑問の声を上げた。

 

「そんな、嘘だろう?あの、マルカと名乗った女の子がそんなことを?」

 

すると、今度は驚いたのはココの方だった。

 

「え?子供って、そっちのこと?」

 

どっちだよ。俺は片っぽしか知らないぞ。

 

俺の疑問が膨らむにつれて、逆にココの不満は小さくなっていったようだ。幸いなことに機嫌が戻ってきた。

 

「なぁ~んだ、もう!驚かさないでよね、流石に私も頭に来ちゃうとこだったよ!」

 

完全に激おこだった、とは言わないのが美女と付き合うマナーだ。

 

完全に激おこだったけどな…。

 

「そこは言わない約束だよ?」

 

ごめん。なんか、心配かけたみたいだな。

 

「そりゃーもうね、今の今まで寝ずに飛行機乗り継いできたんだから。駆けつけるのだって金がかかるのだよぉ、君ぃ?」

 

うぅ…すまん。金の話には弱いんだ。

 

「うむ反省したならよろしい!…フフーフッ…君が生きてるってだけで、私はもう十分だよ。お金なんて惜しくないよ…だから、今のは冗談。本気にしないでッ…。」

 

そんなの理解してる。でも、こっちは本当に言わない。俺はただ頷くだけだ。

 

「…ありがとう。それで、前置きが長くなっちゃったけどまずはどうして私がキャスパーの代わりにここにいるのか、について説明するね。」

 

あぁ、そこが一番気になるところだった。

 

「言っちゃえばキャスパーに任せると子供でも容赦なさそうだったから、それだと君の本意に沿わないんじゃないかって…私が気を遣ったってだけの話だね。ふふ…でもあいつには感謝されたよ?あとチェキにもね。珍しく、あそこの二人が揃って荒れてたから怖かったんだよねぇ…。」

 

想像に難くない…愛されてる実感はうれしいものだが、何も返せそうにないことが悔しいな。

 

「フフーフフ…みんな好きでやってるんだから、気にしなくていいんだよ。それに、ちょっと臭い言葉だけど、あいつもジタンを家族だと思ってる証拠じゃない?気前が良くなるってことは、つまりそういうことだよ。」

 

…照れくさいな。さ、続けてくれ。

 

「ふふ、照れてるね~。と、ここまでにして。次にさっきの子供の話についてだけど…話を聞いてる限りだと…ジタンは自分が誰にどこで撃たれたのか覚えてないってことでいいんだよね?」

 

あぁ、その通りだ。撃たれる前から死にかけだったのは覚えてる。

 

「ふふッ…笑えないからね?今も五体満足になるまで回復してる時点で超人だって理解してる?もうっ!ほんっとーに心配かけすぎ!ジタンは何時も何時も…昔っから、ギリギリを攻めすぎなんだよッ!」

 

うぅ…耳が痛い。面目ない。

 

「はぁ…言って治るなら今ここで寝てないよね…。うん、切り替えた。」

 

ココは頬をぴしゃりとたたくと、今度は仕事人の顔になった。白いスーツとシャツに、結んでいた暗色のタイを緩めている。恰好を見れば何か商談の途中だったのかもしれない。ほっぽり出させてしまったな…と申し訳なくなった。

 

彼女は資料をわきに倒れていた仕事用のバッグから取り出した。病室に窓はない。快適だから息が詰まることはない。恐らくはキャスパーかココが気を利かせてこの部屋にしてくれたんだろう。俺は窓がない方が落ち着くから。

 

 

 

 

「跳躍地雷を直下で回避って…噓でしょ、馬鹿なのかな君は?」

 

真面目にやった。そしたら成功しただけだ。

 

「…まぁ、普通にこの時もケガしてるし。自分が人間だってこと忘れてない?」

 

ヒマワリがそうさせる。

 

「…?なんか言った?」

 

…いいや、失言だった。忘れてくれ。

 

「…それで、君と子供二人…例のマルカと…」

 

モーリスだ。覚えてる。

 

「そう、そのモーリスと一緒に三人で基地に向かって歩いてたんだよね?」

 

あぁ、記憶に新しい。とはいっても三日も前のことらしいが…。

 

「それから君は子供たちを基地に送り届ける過程で、山岳部隊から移籍してきた少年兵と接敵…。」

 

…待て、なんだって?少年兵?そんなの記憶にないぞ?

 

「…記憶が無いのは何故なのか原因はさておき、覚えてないのはこの子なのね?」

 

あぁ、そして君のさっきの口ぶりからすると…。

 

「えぇ、この子が…ジョナサン・マルという子供が貴方を撃った少年兵だよ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

夜襲

あの晩、重傷の基地司令が戻って来るなり、僕たち兵士を集めて言った。

 

「副司令は死んだ。記者と名乗っていたヤツはHCLI社の手先だった。」

 

周囲の兵士たちはその事実に驚いていたみたいだったけど、僕はそんなことよりも子供たちのことが心配だった。僕が子供たちのことについて聞くと、司令は血のにじむ頭に包帯を巻かれながら言った。

 

「副司令が死んだ場所で視た、生きていた筈だが…黒尽くめの男に連れ去られた。アイツが敵だったのかは分からない。だが、警戒すべき相手だった。基地の守りを固めろ。」

 

この時の僕にはそれだけで十分だった。これからそのHCLIとの戦いになったとして、どちらの人間かもわからないその黒尽くめの男を見つけられるかは分からないけれど、それでもあの子たちを攫った男が好い人間だとは思えなかった。

 

だから、見つけたら真っ先に僕が撃つと、そう誓ったんだ。

 

徹夜で基地の守りを固めることになって、僕は巡回の兵に選ばれた。そして僕は立てたばかりの誓いを果たすことになった。

 

 

 

 

深夜、二人一組で巡回していると、僕と組んでいた兵士が叫んだ。

 

「視ろッ!あそこ!マルカとモーリスだ!生きてたんだ!」

 

死んだと思っていた二人は生きていて、僕の姿を認めると真直ぐこっちに走って来る。その姿が見えて、僕はとっさに走り出しそうになって、それから二人の後ろに酷い怪我を負った黒尽くめの男を見つけた。

 

僕は頭に血が昇って、どうしてマルカとモーリスに何もせずに帰してくれたのかとか、そういう大事なことをすべて頭の中から忘れてしまっていた。僕はその男の悍ましい迄の、執念の様なものに恐怖していたんだと思う。緊張のあまりブレる銃身を貨物の箱の上に置いて固定した。

 

「ジョナサン!ダメーーーッ!!」

 

マルカの声が聞こえた時には、僕は引き金を引いていた。

 

僕の放った弾丸は吸い込まれるように男の頭に向かった。

 

バきゃっ。

 

頭蓋が砕ける音と共に、男の体がゆっくりと崩れ落ちた。

 

やった。仇をとったんだ。

 

そう思った矢先、僕はマルカに頬を打たれた。すぐそばまで来ていたのに、気づくのに時間がかかった。

 

彼女は怒っていた。それから、涙を浮かべたまま何も言わずに倒れた男の元迄走って行ってしまった。モーリスも一緒だった。酷く泣いていて、いつもなら泣き止んでくれるのに、僕がどれだけ慰めても泣き止んでくれなかった。

 

結局、基地司令の命令でマルカとモーリスは男の死体から引き離された。二人は無事に基地に収容された。僕は、手柄を上げたと司令に褒められたけど、泣いてるマルカとモーリスを見ているのが辛くて、ちっとも嬉しくなんかなかった。

 

人を撃って嬉しくないなら…僕はまだマトモなのだろうか。

 

そんなことを思いながら、僕は残りの時間をぼんやりとした気持ちのまま過ごした。

 

巡回の当番を交代して僕がベッドに入るころだった、基地の上空に真っ黒い攻撃ヘリが現れたのは。

 

 

 

 

動かなくなった人を見たのは何回目だろう。そんな益体の無いことを考えてしまった。

 

ジタンさんは僕にとって兄のような存在だった。根が真面目なのか、時々適当になり過ぎる僕をチェキータさんと並んでよく支えてくれた。不思議な人で、文字通り人が変わると怠惰でお人好しなのが、まるっきり変わった。映画の中から現れたと言われても納得するほどの凄腕だった。

 

彼の手腕に救われて、僕も僕の仲間達も今のところはどんな危険なヤマを越えても軽傷で済んでいた。チェキータさんのお墨付きを疑って、父に向けられない反抗期をあの人に向けていた頃が懐かしかった。

 

父というより兄で、人生においては教師でもあった。僕は常に教えを乞う側で、彼は基本は優しくのんびりとした調子で、人が変わると的確かつ端的に物事の道理や、世の不条理への対策方法を教授してくれた。少し色っぽ過ぎるのが玉に瑕だと、チェキータさんはよく言ってたっけ。確かにその通りで、僕の初恋も多分風呂上がりのあの人が奪っていったに違いない。

 

大人になって、人の死体を見ても吐かなくなった。死体の腐った臭いもへっちゃら…勿論、凄く臭いんだよ?でも、気にならなくなってしまった。

 

果たしてこの変化を喜んでいいのか、嘆くべきなのか僕にはわからない。けれど、少なくとも今だけはあの頃に戻ってしまいそうだった。初めて死体を見て、その臭いを嗅いで吐いてしまった日のように。

 

 

 

 

ジタン・コッポラだったものが発見されたのは偶然だった。それが幸運なのか、その判断は人によりけりだったが。

 

見つかった遺体は野晒しにされていて、既に蛆虫が湧いていた。鳥類に啄まれもしており、およそ生きている様には見えなかった。

 

頭部は酷いもので、黄色い脳漿がとくとくと灯油のように溢れていた。血と泥とで滅茶苦茶になっており、戦闘服の背中部分は火傷と鉄の粒子でズタズタに裂けていた。例え生きていても一生の傷が遺るだろう。足は折れていて骨が露出し血が吹いていた、墜落現場から考えればここまで歩いてこれたという事実すら奇跡では説明できない程だった。

 

砕け散りそうなジタンの肉体を発見したのはチェキータだった。

 

「機体直下ッ!!」

 

彼女は金切声でそう叫ぶと、それっきり一言も発さなかった。応急処置用のキットと自動小銃を抱えて、ヘリの減速も待たずに降下したのだ。

 

エドガー、アラン、ポーの反応は能面の様だった。余りの有様に言葉を失っていた。そして、この惨状で尚生きているジタンの生命力に、或いは死ねない現実に酷く畏敬の念を感じている様子だった。余りの事態にエドガーなど最初に十字を切ろうとして、アランとポーにどつかれる程であった。

 

そして、最後に降り立ったキャスパーの反応は他の四人よりもなお静かだった。血走った眼をしたチェキータが応急処置に奔走する横で、無駄なことは何も言わずにただ増援と救護設備の整ったヘリを要請していた。

 

死んでいるのではないか、とは誰も言わなかった。戦場を家とする彼らにとっても、ジタンという頼もしくも目の離せない男のことは常以上に思いやる価値のある存在なのだと、態度で示している様だった。

 

恐ろしく粛々とした段取りでジタンはヘリに収容され、次いで近辺で最大の病院に緊急搬送され入院が決まった。

 

あのジタンがこの有様であるという事実は少なくない衝撃を、HCLI社各所に与える可能性があった為に隠匿された。これにはフロイドも思わず眉を顰めつつも、納得して判を押したという。

 

 

 

 

瀕死のジタンを収容した直後、キャスパーとその私兵部隊は救護ヘリと並んで要請していた攻撃ヘリに乗り換えて件の基地への夜襲を決行した。

 

しかし、この段でもまだキャスパーは冷静であった。恐ろしいまでに冷静に、彼は基地の無血状態での無力化を私兵たちに命じたのである。殺害許可を与えないだけで、任務の難易度は跳ね上がることは言うまでもない。しかし、私兵たちは納得して各々の役割を演じた。

 

 

 

 

最初に抑えられたのは指揮所と電源設備だった。

 

ヘリのホバリングが聞こえるのに警報が鳴らない。異常事態だと感じて枕元に立てかけていた銃を手に取った。と同時に、電気が落ちた。完全な闇に呑まれた基地内では物音が一瞬、完全になくなった。

 

それからすぐ、銃声が鳴り始めた。恐ろしく機械的で、断続的に鳴る銃声に背筋が凍った。少しずつ近づいて来る。

 

一度銃声が鳴るたびに、味方がケガの痛みに喘ぐ声が増えていった。僕はまず子供たちを隠すために司令の元まで行こうとして、そこで電源が戻った。司令を先頭に通信士官と子供達が投降している列だった。

 

最初に抑えられていたんだということを理解して、それから真直ぐ武器庫に向かったけれど、そこには大柄な黒尽くめの兵士が僕を待ち構えていた。

 

「貴方ね…少年兵は一人だけなんですもんね。」

 

声からして女の人だった。しなやかで鋭い気配…狼の様だと思った。

 

「…。」

 

僕が緊張と、隙を窺いつつも動けないでいると、相手の方が話しかけてきた。

 

「だんまりかしら?お姉さんね、ちょっと怒ってるの。可愛い子供でも手加減できないかも…。」

 

苛立っているような声音で、背筋がゾクリとした。腰を低く、小銃の引き金に指を掛けた所で相手が動いた。

 

「うわぁぁぁッ!!」

 

横薙ぎに連射した弾丸は全て外れていて、代わりに一歩半で彼女のナイフが銃に届いた。

 

「はい、おしまい。動かないでね、大事なのはこれからだから。」

 

小銃の機関部に差し込まれ、一瞬で部品をいくつか破壊されたことを理解する前に僕の首筋にナイフのブレードが添えられていた。

 

「あ、あぁ…。」

 

僕は首が圧迫されるのに抵抗しようとしたけど無駄だった。僕の意識は女の手で簡単に奪われてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

お見舞い

入院四日目から、俺が目を覚ましたと聞いて顔なじみが続々とお見舞いに来てくれた。

 

 

 

 

いの一番に来たのはココだったが、その次に来てくれたのはアールとレームだった。病室だってのに、いや俺の病室だから気兼ねなくタバコをふかすレームに小言を言いつつ、俺たちは久しぶりに世間話をしたりした。

 

すると、俺がポーカーがめちゃ弱いという話から賭けの話になった。なんでも二人は俺の生死に百ドルずつ賭けていたらしい。なんて不謹慎な奴だと思ったが、何時もの調子だからだと思えば居心地がよかった。

 

「へっへへ…やぁっぱりな。生きてたようで安心したよ。これでアールとの賭けは俺の勝ちだ。」

 

レームが風でカーテンがそよぐ窓際で、タバコを口元から離して笑った。勝ち誇ったような顔がいやらしい。

 

「なんだよおっさん!アンタが始めて先に賭けたんだから勝つに決まってんだろ!…っつーか、それだと俺がジタンさんが死んだと思ってたことになるじゃんか。」

 

ベッド脇のパイプ椅子に座るアールが青い顔で気まずそうに俺を見たので、十センチほど腕を上げて「気にするな」と言っておいた。

 

「早い者勝ちだよぉ…ところで、流石に動けそうにないかい?」

 

そんな馬鹿な質問した奴は後にも先にもレームくらいだった。今思えば、こいつは健康な俺しか見たことないんだったな。いや、それは俺もだった。

 

「見りゃ分かんだろ!ここまで全身くまなく包帯でぐるぐる巻きなんて初めて見たわ!」

 

「へへ、ジョークジョーク!ところで…ライターは役立ったみてーだな。好かったよ、君を失うには早すぎるように感じていたんだ。」

 

アールが俺を指さしながら呆れたように言った。レームと意外にも相性がいい。名前の響きも似ているからなぁ、とか変なことを思っていると、レームはしんみりした顔で俺の枕元に置いてあった汚れたライターを見て言った。心配してくれてたんだろうな…少ししんみりしていると…

 

「レームのおっさんに乗せられない方がいいっすよ、ジタンさんまで老けちまうぜ!」

 

「なんだぁ?この伝説の傭兵同士の友情に嫉妬か?」

 

「んなわけあるか!おっさん同士の友情に興味なんてないわ!」

 

アールの言葉は結構俺に刺さった。ぐふぅ…俺も思えばおっさんかぁ…大けがして、最初に味わったのが若さへの敗北とはこれ如何に…。

 

 

 

 

次にお見舞いに来てくれたのはワイリとマオとウゴだった。ウゴとワイリは大柄な方だから病室が少し手狭に感じた。

 

「ハッハッハッハッハッ!生きてまた会えて嬉しいですよ。」

 

「いやはや、どんな人でも危ないときはありますからね。」

 

「私も軍にいたときはそういうことありましたけど…えー…流石にここまでのはなかったような…。」

 

ワイリはいつも通りの調子であの豪快で爽やかな笑い声を披露し、マオは器用にもリンゴを剥いてくれた。ウゴはというと、何かと最近の車事情について語って聞かせてくれた。乗る専かと思っていたが、案外見るのも乗せてもらうのも好きらしい。ケガをしてみないとわからない同僚の一面があるんだなぁと思った。

 

「この人は特別製ですからね。ところで、気晴らしにドライブなんてどうですか?大型のバンとかなら、ストレッチャーに乗ったままでも外の景色が見えると思いますよ?」

 

ウゴらしい提案だった。

 

「さすがにまだ安静でしょう…でもドライブですか、好いですね。治ったらみんなでピクニックがてら行くのも楽しいでしょう。」

 

マオの言葉もご最もだった。

 

「家族連れからは警戒されそうなピクニックになりそうだね。」

 

ワイリの洒落にも聞こえる有様がありありと連想された。いかつい男所帯でピクニックかぁ…最後にしたのはいつだったか。そもそも経験がないかもしれない。三人とも仕事人だから、それぞれの専門的な話に耳を傾けつつ、これからに少し期待してしまう時間だった。

 

 

 

 

次にやってきてくれたのはルツ、トージョ、それからバルメだった。バルメが俺を見た瞬間涙目になったのは少しドキっとした。心臓に悪い。ただでさえ、今は弱っているのに。そのまま言ったら手は出なかったが叱られて、それからまた涙目になった。ちょこっと罪悪感。

 

「あ、これお見舞いっす。いやぁ~災難でしたね。」

 

「いや、でもルツ考えても見ろ、この人ばっかり災難にあってるおかげで俺たちは毎回何とかなってんのかも知んねぇぞ?」

 

「やめなさいトージョ!そういう不謹慎なこと言うんじゃありません!」

 

ルツはスイーツをお見舞いに差し入れてくれた。甘いものとか好きなイメージあったし、少し納得。トージョに至ってはエロ本を差し入れようとしたようで、失敗したからせめてもと文庫本に見せかけた官能小説を寄越した。バルメにバレて殴られていた。うん、自業自得である。因みにバルメはダンベルをくれた。…いや、ウッソだろ?

 

「ははは!姉御がお嬢に本気で慰められてるとこ初めて見たぜ!」

 

「あッ!?そのことは言わない約束です!覚悟しなさい!」

 

「あーあ…ルツ、骨は拾ってやる。」

 

「うぐおぉぉぉぉッ!?助けろやぁぁ!」

 

ルツがパイルドライバー掛けられる程度には賑やかだった。俺は和んだような疲れたような気がした。悪くない気分だった。

 

 

 

 

次に訪れたのはエコーだった。手酷く傷を負って退役となり、今でも親交が続いているのは嬉しいことだと思う。こうして見舞いにも来てくれるのだから俺も…いや、俺に記憶はないのだが、俺のお陰らしいので、一応俺も頑張った甲斐があるものだ、と言っておこう。

 

「へへ…まさかアンタも退役組か?ふぅーん、まだまだね…まぁ、負傷兵の先輩としちゃぁよ、死なない程度に頑張ってくれよ。戦えなくなっても案外失うものより得るものの方が多いかもしれないぜ?」

 

「…なぁ、アンタあの満月の夜のこと本当に覚えてないのか?」

 

「そうか…ま、思い出したら教えてくれよ。俺の命はアンタに拾ってもらったもんだからな。恩返し、とっとくからさ。」

 

エコーはよくその、満月の夜のことについて俺に聞いてくれる。だが、俺は何時も覚えていないと答えるしかない。少し気を悪くさせてしまわないか心配なのだが、それでも事実だ。俺はその夜のことが記憶から抜け落ちている。何が起きて、何を見て、そして俺が何を成したのか。俺は一つも知らないのだ。エコーが無事で、それから俺も生き残ったという以外、何もわからない。誰かに聞こうとすると、足がすくんで声が出ない。…俺の過去に、何か深く楔打つ何かがこの夜にあるのだろうか。

 

 

 

 

「本当に会うつもりなの?」

 

あぁ。その子に、ジョナサンに会ってみたい。

 

「…わかった。多分何も起こらないと思うけど…でも、私も一緒に行くからね。ジタン、それが条件だよ。」

 

分かったよ、ココ。

 

 

 

俺は明日、現在軟禁中だというジョナサン・マルに会うことにした。自分を撃った少年兵に会うということでココからはやんわりと反対されたが、それでも俺は会ってみたい。

 

何故なのかはわからなかった。これまでにも少年兵をたくさん見てきたはずだ。けれど、そのどれとも違う何かを彼に感じているのだろうか?それとも俺自身に何か、深いところで変化があったとでもいうのだろうか?

 

わからない。だが、分からないからこそ俺はジョナサンと会うことでそのわからない何かの正体を突き止めたいのだ。

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

満足

夜襲の後の交渉により、道路構築の権利と共に子供達と件の少年兵をHCLI社側が引き取ることになった。子供達に関してはジタンの行動記録を呼んだキャスパーの手によって滞りなく日本に送還され、新しい人生を送れるようにと手配された。

 

しかし、件の少年兵ジョナサン・マルに関しては、満場一致で軟禁処置と相成り、ココの部隊に引渡された。ココは少年を輸送船内の船室ではなく、急遽空いたコンテナを改装して作った窓のない部屋に留め置く様に指示していた。トイレの際には入口の見張りに口頭で許可をとり、連れ立って用を足すことが決められ、入浴は定時に見張りの監視を受けながらで行われた。

 

しかし、その他には特別の暴力もなく、少年は日がな一日、天井を見て過ごしたり、持ち込みが許可されたラジオから流れて来る音楽や情報を聞き流したり、そうして時間が来れば三食と入浴を済ませて消灯時間に眠るという、なんとも健康的だが退屈な船上生活を送ったのだった。

 

ジョナサンは満足していた。これから殺されるにしても子供たちは平穏に暮らせるらしい。暴れる気も起きず、誰一人欠けることなく平和な国に言ったのだと思えば…少なくとも今は真相はさておき、満足した気分だった。

 

キャスパーと名乗った真っ白の男は余程、自分が撃った男のことを気にしているらしく、男が救い出した子供も、そうでない子供もまとめて日本での生活を保障すると言っていた。「今回は特別だし、基盤も金もあの人のものを使ってる。彼が勝手に僕に丸投げしてるだけだよ。」とは言っていたが、それにしたって気前が良かったとジョナサンは思った。

 

そんなある日、少年の下に一人の男が現れた。精悍な顔の男は、しかしストレチャーに乗せられた包帯の塊のような形をして少年の前に現れると、彼と共に入出した真っ白い女…コンテナに軟禁される直前に少し話した記憶のある…の介助を受けながら、上体を起こした。

 

「はじめまして、ジョナサン。俺のことは何か、聞いてるかな。」

 

男の声は酷く優しかった。精悍で鋭利な刃物のような外見からは想像できなかった声に、ジョナサンは戸惑った。

 

だが、聞かれているなら答えなくてはいけない。真っ白い女からのちょっぴり警戒するような視線を潜りつつ、ジョナサンは男と向き合った。

 

「アンタのことは知らないし聞いてない。でも…多分、僕が撃ってしまった人だ。」

 

変な聞き方になってしまったと、ジョナサンは眉を八の字に歪めた。何と言うのが正解なのか…こういう時は謝るべきなのか…彼には分らなかったのだ。

 

ジョナサンの様子を伺って、という訳ではないが気にした様子も無く男は言った。

 

「俺はジタン、ジタン・コッポラって言うんだ。それで、なんだ、確かに君に撃たれた人だよ。」

 

ジョナサンは「ジタン…」と零し、それからだんまりになった。

 

ジタンは少し戸惑いながらも自分から話しかけることにした。

 

「別に君をどうこうしようとか、そんなことは考えていないんだ。何か代償をくれとも、そんなことは思っちゃいない。ただ…なんていうか、あの時の俺はどんなだった?」

 

ジョナサンは変なことを聴くやつだと思った。自分のことなのに、撃たれた時のことを覚えていないなんて、と。

 

「変なの…あの時、アンタは避けなかった。避けようともしなかった。変だなっては思ったけど、足に酷い怪我もしてた。だから動けなくてそのまま黙って撃たれたんだ…そう、思ったくらいだよ。」

 

ジョナサンの所感を聴いて、ジタンはしばらくの間空を仰いだ。

 

目を瞑り、開いてからジタンは言った。

 

「…んー…と、多分、満足しちゃったんだろうなぁ。」

 

「まんぞく?」

 

ジョナサンは不思議に思った。自分に抵抗もせずに撃たれた理由が満足してたからだなんて、と。

 

「うん。満足。」

 

「どうして?」

 

ジタンは優しい顔をして言った。

 

「君、あの子知ってるだろう?あの、マルカって子供。あの子ね、俺が助けたんだよ。」

 

いきなり何を言い出すんだろう。戸惑いながら、でもジョナサンはお礼と謝罪を言うべきかと迷った。

 

「え?あぁ、うん…ありがとう…知らなくて撃ってしまった。ごめんなさい…。」

 

ペコリと、自分でも少し不思議な気持ちになりながら頭を下げると、男が笑った。

 

「いやいや、だから、お陰で俺は満足しちゃったんだよ。」

 

「だ、だから、その満足したって何なのさ。」

 

「うぅむ…そうとしか、言いようがないんだよ。でも、そうだなぁ、凄く好いことをしたから、じゃないか。」

 

「すごくいいこと?」

 

「うん…なんか、俺はあんまり良い人じゃないからさ、でも何かを変えたんだってそういう気がしたんだよ。あの子に、そういう気持ちにさせて貰ったんだよ。それで、君の方に走っていこうとしたあの子達を見て、それで何かほっとしたっていうか、もういいやってなったんだ。」

 

ジョナサンはジタンの言葉を黙って聞いた。

 

「…なんで、僕と話そうなんて…。」

 

「一緒に来ないか?俺達と。」

 

「え…?」

 

突然の誘いに、驚いたのはココも同じだった。

 

「え!?いきなり?ねぇ、ジタンッ!私は聞いてないよ!」

 

「俺も話してないぜ?今思いついたからな。」

 

「えぇ~…もう、どうしてそんなこと思ったの?あと、君はどうしたいの?」

 

「え、えぇっと?」

 

ジョナサンは混乱していた。死んだと思っていた男が生きていて、自分と会って話したいと言ってきて、来たらきたで満足したから撃たれただのと…。ジョナサンは混乱していた。

 

「…どうして、僕なの?」

 

「俺が撃たれようと思ったのが、それが君だったからだ。」

 

「まるで他人事みたい…。」

 

「そんなもんだよ、それで?どうする?他に行く当てがあるならそれでいいし、居心地が悪かったら出てってもいい。俺が金を出すし、なんなら学校とかに通うか?今からならキャスパーに土下座してあの子たちと同じ道を、歩めるかはともかく試すことが出来る。そういう機会を、俺が用意しよう。さぁ、どうする?」

 

「…どうして?」

 

「…わからない。でも、なんとなく。」

 

「なんとなくで決めて良いの?」

 

「良くない。でも、俺が好いならそれでも構わないんだ。俺の問題だからな。さ、頭を撃ったお詫びと言ったらなんだが、少し旅行に付き合うつもりで…どうだ?給金も弾むぜ?…俺じゃなくてレームが。」

 

「……じゃぁ…。」

 

 

 

 

この日、ココの私兵部隊に新しい顔が入った。ジタン肝入りで参加した年若い新入りに皆が興味津々であった。

 

新隊員の名をジョナサン・マル。

 

仲間達は彼をヨナと呼ぶ。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。