陰キャ君と拗らせてる女達 (依存スキー)
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湯川とソファー

 世間一般が定義するところによると、どうやら僕──日向 奏多(ひなた かなた)は『陰キャ』という人種に当たるらしい。

 陰キャとは所謂、陰気なキャラクターの略称であり、休み時間中に教室の隅で本を読んでいたような僕は、それに分類されるという。

 一般的に陰キャという言葉に肯定的な意味合いが込められることはなく、蔑称として用いられるのがほとんどだ。

 だが、今回僕が意義を申し立てたいのは僕が陰キャと呼ばれていることではなく。

 

「何で僕の家にコイツがいるんだよ……」

 

 大学生になると同時に小さなアパートの一室を借りて一人暮らしをはじめ、僕の家は自分だけの聖域となった。しかしそんな僕の家の中で──引っ越し直後に厳選を重ね、奮発して買ったお気に入りのソファーを一人で陣取った上に──幸せそうな笑顔で惰眠を貪っている湯川有栖(クソ野郎)が、『陽キャ』と呼ばれるのは、少し納得がいかないのだ。

 

 

 

─────────

 

 湯川 有栖(ゆかわ ありす)と知り合ったのは、確か中学1年生の夏の頃だ。

 中学受験を突破して、それなりの中高一貫校へと入学を果たした僕は同じく中学受験を突破した優秀な仲間達と恵まれた環境で青春を謳歌──することはなく、図書室で一人で本を読んでいた。

 今思い返しても、中高を通して僕は学校で本を読んでいる記憶しか基本残っていない。そう考えると、僕が陰キャと呼ばれるのもまあ自然な事ではあるだろう。同じ──どころか、毎日図書室に通っている人さえ僕以外にはいなかったと思うし、正直かなり僕は異常な生徒だった。

 唯一関わりがあるのは図書委員ぐらいだったし、文化祭や体育祭でもずっと裏方の雑用に徹していて人と喋ったかも怪しいレベルだ。

 

 もはやクラスの中で空気と同じような扱いだった僕と、湯川が接点を持ったのは本当にたまたまの事だ。

 

 中学校ではありがちな宿題である──読書感想文の締め切りが明日に迫っていたある日。締め切り前日になって重い腰を上げた──というより、無理やり突き出された湯川は図書室へ本を借りにきていた。

 

 勿論その日も僕は図書室にいて──無論、僕はとっくにそんな宿題など終わらせていたが──湯川の姿を偶然見かけた。

 最初は特に気にすることもなかったのだが、視線をキョロキョロと彷徨わせ、困ったように辺りをうろうろとしているのが目についてしまった。

 読んでいた本を一度置いて、ブラウンヘアーの彼女の方へと視線を向けると彼女の脇には既に本が2冊挟まれていた。その2冊には「上」と「中」の文字が載っているのが見え、そこで彼女の事情を何となく把握した。

 

 他の読書中の人達の邪魔にならないよう、静かに席を立ち上がって、ずらりと立ち並ぶ本棚を見回す。

 すると、彼女がいた所とはかなり離れた位置の本棚に、彼女が脇に抱えていたものと同じタイトルの本──「下」の文字が載っている──を見つけた。

 

 要は、上中下を一セットで戻さずにバラバラなとこに戻した奴がいたのだろう。正直図書室を頻繁に利用する側からすると傍迷惑な行為である。対策として本を返すのが面倒な人向けに指定のスペースを作り、そこに戻せば後で勝手に図書委員が正しい位置に戻してくれるというシステムも作ったのだが……

 人間というのは儘ならないもので、それでも尚勝手に出鱈目な位置に本を戻す奴がいるのだ。

 

 まあ、そんなことは今考えても仕方ないため、大人しく見つけた本を手に持って湯川へ渡しに行った。

 正直、他人とコミュニケーションを取るのは苦手であるが、本を手渡すぐらいなら問題ない。

 

 ──なんて思っていたのが最大の誤算だった。

 

 本を手渡した時は、想像よりも驚いた反応をされたが邪険にされるようなことはなく、そして想像よりも感謝された。

 

 そこまではまだ何とも思わなかったのだが、その後素早く元の席に戻って読書を再開した僕の隣に、当然かのように彼女が座った時には脳がフリーズした。

 

 その時からだ、僕の読書という1人の世界の中での行為が湯川という忌むべき女によって侵され始めたのは。

 

 

────────

 

 とりあえず、この目の前に鎮座するでかい生ごみをどうにかしなければ。

 ソファーの背もたれにはおそらく無造作に放り出したであろう上着がかかり、彼女が自身でチャームポイントと宣っていた滑らかな髪は無惨に頭の下敷きとなっている。本人は気にしていないみたいだが、──世間一般的には十分高いと言って差し支えない──その胸が作っている深い服の谷は目に毒である。

 そして一番文句を言いたいのは僕が何をしても効果がないほど熟睡していることである。普通人の家でここまでリラックス出来るものなのだろうか、いやそもそも普通勝手に人の家で眠りこけるのはおかしいのだが。

 

 かくなる上は……

 

「おら」

 

「ひゃっ! あっーー!! つっ、冷たいーー!!」

 

 横向きになって寝ていたため、がら空きになっていた背中へ氷を投入すると、うんともすんとも言わなかった体はびくんと跳ね起きた。

 

「ようやく起きたか……、人の家で熟睡しやがって」

 

「ひ、ひどいよ奏多……こんなことするなんて」

 

「ようやく家に帰って落ち着けると思ったらこんなのが転がってたらこうもするだろ」

 

「こんなのじゃないですーー」

 

 足をパタパタさせながら口を尖らせて不平そうに言う。いや、やっぱり見てくれはいいんだよなぁ。あとは性格がもうちょいアレだったらいいんだけど。

 

「何でここにいるんだ? 理由によっちゃ叩き出す」

 

「いやー、それがさ。サークルの新入生歓迎会? 的なの行ってたんだけど……、気づいたら終電なくなっちゃってさ。そんでお金もあんまなかったから、近くに君のアパートがあるのを思い出してさ」

 

「ダウト。そんな終電なくなる時間まで、新入生歓迎会なんてしないし、お前そういう付き合いそんな興味ないタイプだろ。さらに言えば、お前学生にしては過剰な小遣いもらってたよな?」

 

「い、いやー……。たまたま、今日はそういう気分で、たまたま気づかなくて……」

 

「たまたま金がなくて、たまたま僕の家の近くだったと?」

 

「そ、そう! そうなんだよ!」

 

「……」

 

「そ、そんなジト目で見ないで……」

 

 はあ、と一つため息をつく。気づいたら湯川はソファの隅で膝を抱えて丸くなっていて、よく見るとうっすら涙目だ。

 

 湯川は高校生になってすぐ家庭の事情とやらで転校していった。まあ、半ば強制的に連絡先を交換させられた上に、ちょくちょく会いに来たせいで、連絡が途絶えることはなかったが……。

 けれど、大学が同じだった──待ち構えてたかの様に湯川と大学の入学式でバッタリあった時は、心底驚いた。その瞬間から、また付き纏われる羽目になることは確信していたが……流石に女一人で深夜に僕の家に押しかけるとは思わなかった。

 ここで理詰めして追い払えたとしても、どうせこいつはまた来るんだろうなぁ……どうして僕は住んでるアパートの名前を教えてしまったのか。

 どれだけ追い払っても、必ず定期的に図書室にいる僕の所に通い続けたのだから、今更どうにかならないことなど知っている。

 そう言えば、湯川が僕の所にくる頻度は基本週1、2程度だったが……確か2ヶ月間ほど何故か僕のところにくる頻度が毎日になった時期があったな。

 僕がどこか心の底で湯川を追い払うのを諦めたのはあの時だったかもしれない。

 

「……分かった。いいよ、別に来て」

 

「ほ、ほんとに……?」

 

 膝にうずめていた顔を目の部分だけ上げて、こちらの機嫌を伺うように尋ねる湯川の頭に、犬耳を幻視する。

 

「そんな毎日のように来たりしなきゃ、僕だってもう口うるさく言わないさ。もう諦めたというか、慣れたというか──ん?」

 

 当然のように湯川がここにいたから気付かなかったけど、そもそもコイツどうやって家の中に入ったんだ?

 

「お前どうやってあのドアの鍵を突破したんだ? ……もしかしてピ」

 

「大家さんに言ったら、いいよ〜って」

 

 ほっ、もし2本の針金を鍵穴に刺していたのだったら僕はコイツを追い出すどころか豚箱にぶち込まなければならなかっただろう。良かっ──

 

 いや何も良くない。ここの防犯意識はどうなっているんだ。見ず知らずの人間を確証もなく勝手に部屋に入れるなんて。

 ……まあ、大家さん40歳ぐらいのおじさんだったし、こんな若くてスタイルのいい美少女に頼まれたら断れないか……湯川リテラシーが低いことこの上ないが。

 

「……今回だけは許すが、せめて次からは僕に了解を取るか僕がいる時にしてくれ……」

 

「おけまる!」

 

 おけまるじゃねえ。

 

「そう言えば、お前ソファーとかじゃ寝れないって言ってなかったっけ? ついでに、お気に入りのタオルが無いとぐっすり寝れないみたいな……」

 

「いやー、それがさ! なんかこのソファーすごい落ち着くんだよねー!

何かほわほわするというか、何かに包まれている様な気がして……」

 

 そう言って今度はうつ伏せでソファーへ寝転び、顔をうずめる湯川。

 同時に僕はある種の感嘆に震えていた。

 

「そうだろ? 湯川にしては見る目があるじゃ無いか。そのソファは僕が厳選に厳選を重ねた一品でさ。座って本を読んでも、寝転んで本を読んでも快適に過ごせる様に質感から形状まで深く考慮して……湯川、聞いてるか?」

 

 声をかけても全く反応がない。どうやら寝入ってしまったようだ。正直、人が喋っている最中に寝るのはどうかと思うが、この寝つきの速さもひとえに僕が選んだソファが素晴らしいからだと納得することにした。

 

「……タオルぐらいかけてやるか」

 

 適当にタオルケットを引っ張り出して、湯川にかけてやる。

 

「全く、僕なんかに構って何が楽しいんだか」

 

 湯川を生粋の陽キャと呼んでいたクラスメイトを見かけたことがある。だが、僕は湯川を陽キャと呼ぶのはやはり違和感を覚えてしまう。クラスの空気同然の生徒の元へ足繁く通い、挙句の果てには大学生になってそいつの家に押しかける奴を陽キャなんて称するのはふさわしく無いだろう。

 

 そう、ふさわしい名づけをするなら……『拗らせてる女』なんてどうだろう。

 

 




需要があったら続く


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酔っ払いと酒

 窓から差し込んだ暖かな陽の光でパチリと目を覚ます。まだぼやけたままの目を擦りながら、体を起こした。目覚まし時計の針を確認すると6と7の間を指していた。

 

「まだ6時半か、眠いな……」

 

 重い体を引きずって、湯川が昨日眠りについたリビングへと向かった。湯川曰く、意外とあいつは朝に弱いタイプらしい。毎回ギリギリで間に合っているので遅刻自体はあまりしないそうだが……

 その話からまだすやすやとソファーで眠っているのと思ったのだが、リビングの扉を開けると既にソファーはもぬけの殻だった。

 

 キョロキョロと軽く辺りを見回してみると、昨日無造作に床に置かれていた鞄も無くなっていた。

 

「帰ったのか? あいつ……なんか用事でもあったのかね」

 

 あいつの性格的に、何も言わずにささっと一人で帰るのは違和感があるが……

 まあ、急用でもできたのだろう。僕はそう結論づけて、さっさと朝支度に取り掛かることにした。

 しかし、また何かが引っかかってピタリと動きを止める。洗面所に向かおうとした足をもう一度リビングへと向け、誰もいなくなったソファーを見る。

 

「何か、忘れてるような……?」

 

 そんな思いは、すぐに朝の陽光に焼かれて消えていった。

 

 

 

────────

 

 

 さて、散々中学時代に毎日図書館へと押しかけてだる絡みをしていた湯川だが、大学では形こそ変わったものの、結局本質は変わらず同じようなことが続いている。

 まず、大学に入ってから僕はそこまで本を読まなくなった。まあ、理由は色々あるのだが、一番は中高ずっと読書をしていたおかげで純粋に読書に対する熱が大分落ち着いたせいだ。

 まあ、もちろん休日に一冊読むぐらいはしているのだが、中高のように放課後も図書室で読み耽るようなことがなくなった。

 その結果湯川との交流は、図書室でのだる絡みから、強制的な一緒の昼食へと進化を遂げた。進化論もびっくりのヘンテコな変化である。

 

 そして、これに加えて今日からは家への突撃が加わったことで、結果的に湯川との交流の時間は倍増レベルとなること間違いなしだ。かくもこの世は無情である。

 

 しかし、湯川は僕もこればかりは認めざるを得ないぐらいには普通に美少女であるため、周りからはこれが非常に羨ましいものに見えるらしい。

 

「いいご身分だよな〜? リア充様はさぁ〜?」

 

 そのうちの一人が、隣の席に座りながら怨嗟の声を撒き散らしている、ギザギザ金髪頭で、首には変なドクロのアクセサリーを身につけている男── 織田 長谷(おだ ながたに) ──通称オダナガである。本人はこのあだ名をダサいダサいと言っているが、うちのアパートの名前よりは100倍センスがあると思う。馴れ初めは湯川と僕が昼食を食べ終わって別れた後にひっ捕まえられたという、何とも迷惑なものである。ついでに取ってる講義も偶然同じのがあり、そのせいで講義のたび絡まれるのだ。

 

「リア充ねぇ……リアルが充実してるって意味なら、まあそれなりだとは思うけど」

 

「あぁん!? あの湯川さんと毎日昼食を共にしておきながら、それなりだと? なんて贅沢な野郎なんだ……」

 

「あの湯川さんって……」

 

 迫真の表情で叫ぶオダナガに思わず面食らう。まだ大学に入って大して経ってないというのに、もう噂になっていたのだろうか……

 

「どうせこれから今日も湯川さんと昼食に行くんじゃねえのかぁ? だか、俺の目の黒いうちはそんなことは──」

 

「かーなーたーくーんー?」

 

 なぜか少しだけ苛立ちが混じった声が聞こえて、後ろから首へ抱き締めるように手が回された。ふにゃりと、後頭部にやわらかい感触が伝わる。……どうやらお出ましのようだ。

 

「公共の場で人に抱きつくんじゃない」

 

「奏多くんがこんな可愛い女の子との約束を忘れてるからでしょー?」

 

「別に忘れていたわけじゃ──」

 

「んーー? 何か言ったかなあ?」

 

「……ナニモイッテナイデス」

 

 何か湯川の機嫌が悪いんだが……いつもこいつが怒る原因は皆目見当がつかない。こういう時は大人しく嵐が過ぎるのを待つのが一番だ。

 

「コロッ、コロス……ヒナタ、コロスゼッタイ。マッサツ……リアジュウ、ボクメツ」

 

 何か隣で人を殺すようプログラムされた悲しき機械みたいになっている奴もいるけどこれは無視しよう。

 だが、こいつの言うリア充がいわゆる彼女彼氏のことを言っているのなら……それは的外れとしか言いようがない。

 

 何故ならば、恋愛感情の有無に関しては既に湯川に確認済みであるからだ。正直、あそこまで無理に僕につき纏ってきているということはコイツ僕に惚れてるんじゃね? と思ったことは一度ではなかった。まあ、その度現状を客観視してそんな訳がないと確認していたのだが、一度好奇心に耐えられず聞いてしまったことがある。

 

 結果についてはお察しで、ふつうーにないと言われて。それなりに他人の言っていることの真偽や感情について鋭かった僕はそれが本心から出た言葉なんだろうなと分かってしまって。まあそりゃそうかと納得して終わった。

 あくまで中学三年生の時の話ではあるが、そもそも高校時代は転校して学校が別になったから関わる機会も減っていたし、大学に入ってからのこの短い時間で何かが変わるとも思えない。となると、それは今も変わってないのだろう。

 

 ……それで、これは認めたくない話なのだが。

 

 恐らく、いつかは湯川も大学で誰かに恋して、彼氏を作る時が来るのだろう。まあ先ほども話した通り湯川は引く手数多だ、一人ぐらいはお目に叶う奴がいるだろう。

 となると、この憎たらしい関係は終わりを告げるわけで……

 

 まあ、そのアレだ。非常に癪ではあるが、この関係が終わってしまうのが、ほんの少しだけ……寂しいような。

 

「おーい? どうしたの?」

 

 ぼーっと湯川の事をじっと見つけて黙り込んでしまった僕に、少しだけ心配の色が混じった声がかかる。

 

「いや、何でもない。ただ、終わり良ければ全て良しだよなって思ってただけだ」

 

 だから、その時が来た時は笑って見送るべきなのだろう。

 

「……どういうこと? ほ、本当に大丈夫? 読書のしすぎで頭変になっちゃったんじゃ……」

 

 それはそれとして一発殴っとくか。

 

 

 

 

───────

 

 

 それは、大学の課題を終わらせた後の帰り道のことだった。もう空は既に黒く染まっていたが、湯川に今日は家に来ないと約束させた安心と共に、自宅に向かっていた時のこと。

 

 なんか変なのがいる。

 

 僕が借りている『はいおく荘』──正直こんな名前をつけたやつの気が知れないが──の2階にある端の一室にたどり着くためには必ず通らなければいけない通路で、ドアにもたれかかって座って泣いている一人の女性を見つけた時の感想は、そんな物だった。

 

 露出が多い服というわけでも無いのに着崩しているせいで、夜の空気にさらされている肌。そして両耳に一つずつ付いているピアス。身だしなみに関しても、泣いているという状況を考慮してもクシャクシャになった髪にダルダルの服からして良いということはまず無い。

 

 そして何よりも、彼女のすぐ横に置かれている開封済みの発泡酒。

 

 ……さっきの発言は撤回したほうがいいかもしれない。変なやつというよりヤバいやつである。

 引っ越した時に挨拶に行った時はあんなふうに見えなかったのに……あんなのが隣人なんて全く運がない。

 さっさとスルーして自分の家に帰ろう。

 

 酔っ払いの相手ほど面倒臭いものはないと言う、妙に説得力のある母の教えに従って、静かに彼女の前を通り過ぎようとした瞬間──

 

 ぬるっと横から伸びてきた腕が、僕のふくらはぎをがっしりと掴んだ。突然片足に力が加わったことで、思わず転びそうになるが何とか耐える。

 

「な、何ですか……」

 

「なぁんですかあじゃあないよ〜僕と君の仲じゃあないか〜、あんなことやそんな事しといてさぁ。それで泣いている僕を無視しようなんて薄情な〜」

 

「いや、一回挨拶に行っただけですよね!?」

 

 陰 キ ャ は に げ だ し た!

 し か し 、 ま わ り こ ま れ て し ま っ た!

 

 




ヤンデレや依存ってのは下準備が大事でねぇ……すぐ食べたくなるのを抑えて、じっくりとコトコト煮込むんだ……
ちなみにこれでストックは完全に切れました。
続き……どこ……? ここ……?


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氷星と失恋

 

 真夜中の星空の下でドアにもたれかかって酒を飲んでたやべー女──あらため、隣の部屋の106号室に住んでいる氷星 祐里(ひょうせい ゆうり)さんから渋々話を聞くと、部屋の外で飲んだくれるのも仕方ないと思えるような──いややっぱり流石にそれは擁護できないが、それなりの事情があることが分かった。

 曰く、「突然付き合っていた彼氏に振られちゃった上、傷心状態で家に帰ったら鍵が無くなっていた」と。

 なかなかに散々な話だ、泣きっ面に蜂という奴だろう。それでドアの前で酒を飲み始めるのは頭のネジが外れているんじゃないかと思うが、そんな目にあったら自暴自棄になる気持ちは分かる。

 

 正直関わったら面倒臭い予感しかしなかったが、そのまま寒空の下に仮にも女性を放っておくのも忍びなかった上、本人の熱烈なリクエストもあり、一旦僕の部屋に上がってもらうことにした。

 

「まあ、とりあえず暖房つけるんで体温めてください」

 

「ありがとう……優しいねぇ君は。そんなんじゃ悪い大人に捕まっちゃうぞぉ?」

 

 ドアノブを捻り、ドアを開けてまだふらふらと足元がおぼつかない氷星さんをリビングに招き入れ、少し高めの温度に設定した暖房をつけた。体を温めるためにタオルか毛布でも持ってこようと浴室へ向かおうとした瞬間、くぅという可愛らしい音が氷星さんのお腹から鳴った。

 

「……お腹、空いてるんですか?」

 

「あっ、いや、これは、その…………はい」

 

「仕方ない人ですね……まあ、昨日の残り物ならあるんで、適当に用意しますよ……」

 

 そう言うと、氷星さんは驚いたように目を見開いた。

 

「えっ、本当かい? いやでも悪いよ流石に……」

 

「こんな深夜に人の部屋に上がり込んでいる人が言うセリフじゃないですよ」

 

 遠慮する氷星さんをよそに、冷蔵庫から昨日の余り物──3、4切れほどの卵焼きに、家にある具材を適当に切って入れた野菜炒め、ほぼじゃがいものみのポテトサラダ(?)を取り出し、電子レンジという優秀な文明の利器へと放り込む。

 後はお湯を沸かしてインスタントの味噌汁を作り、基本常備している冷蔵してある米も電子レンジへぶち込んだ。

 

 すると、あっという間にまあ及第点にはなるだろう食事が出来た。それらを食卓の氷星さんの前へと出すと、氷星さんは感極まったように長く息を吐いた。

 

「いやあ、悪いねえ。こんなご馳走まで出してもらってさ」

 

 氷星さんの何処か申し訳なさも混じる反応に、アイツだったら遠慮なく食べるだろうに、大袈裟だなぁなんて思ってしまう。良くない、感覚があいつのせいで捻じ曲がってしまっている。

 

「大丈夫ですよ、大したことじゃないですし」

 

「いやいや、これは何らかの形で君にお礼をしないとな〜」

 

「とりあえず早く食べてください、冷めちゃうんで」

 

「確かにそうだねぇ。それじゃあ、いただきまーす」

 

 もぐもぐと美味しそうに僕の作ったご飯を食べている氷星さんを見て、心の中に一つの疑問がぽっと灯った。

 どうして彼女は振られたのだろう? 正直、氷星さんはところどころ跳ねているロングヘアーと、眠そうな瞳から少しだるそうな雰囲気を纏っているものの、かなりの美人でスタイルも良い。性格は……まあちょっとアレな部分もありそうだが最初思ったよりも遥かにまともそうだ。

 そんな女性を振る……相手はよっぽどのモテ男だったりするのだろうか。もしくは単純に相性が良くなかったのか、交際において結局相性というのは一番重要な要素らしいし。

 

「それにしても……」

 

 突然、氷星さんは食べる手を止めて神妙に呟いた。何事かと思い僕は眉を上げて氷星さんの言葉へと耳を傾けた。

 

「振られちゃったかぁ……」

 

 意気消沈といった様子で机に突っ伏して涙声が発せられる。当然といえば当然だが、まだ彼氏に振られた傷は癒えていないようだ。

 

「やっぱりショックですか?」

 

「そりゃあねえ。悲しいに決まってるよ」

 

「……」

 

 何かが、心に引っかかった。彼女から感じた、奇妙な違和感。その形容し難い感覚は、確かに心の隅で声を上げていた。

 多分、氷星さんは嘘をついている……いや、というよりは僕が何かを勘違いしている。歯車が微妙にずれて噛み合っていないような、そんな感じがする。

 僕の中の埋もれていた好奇心が、首をもたげた。普段なら理性がそんな危ない考えを起こす前に止めていただろうに、密かに僕を襲っていた眠気のせいか、押しとどめようした言葉は口をついて出ていった。

 

「氷星さんは……本当に──」

 

 ピーンポーンと、軽快な音が僕の言葉を遮った。インターホンの音が耳を突き抜け、理性を取り戻した僕はすぐさま口をつぐんだ。

 あぶない、余計でしかない事を口走るところだった。好奇心は猫を殺すと言うし、それが人間なら尚更だ。

 それはそうと、こんな時間にインターホンか……宅配便だろうか?

 

「ちょっと出てきますね」

 

「うん。こんな時間に何だろうね、知り合い?」

 

「こんな遅い時間に来る知り合いは……まあいないわけじゃないですけど、今日は来ないはずです」

 

 うっすら脳裏に浮かんだ嫌な予感を振り払いながら、玄関へと足を運ぶ。半ば祈るようにドアノブを回してドアを開けた。

 

「来ちゃった♪」

 

「来ちゃったじゃねえ」

 

 どうやら嫌な予感は当たってしまったようだ。苦虫を噛み潰したような顔しているだろう僕を見て湯川ははにかんだ。

 

「毎日は来るなって言わなかったか?」

 

「いやいや、前に来たのは一昨日だって。だから毎日じゃないですー」

 

「……そういうことじゃなくてだな」

 

「聞こえないよーだ。えい、突撃ーー!!」

 

「あっ! 待ちやがれ!」

 

 湯川は叫びながら手を上に突き出したと思うと、玄関にいる僕を無理やり押し退けて、家の中を駆けて行ってしまった。どうしてこうもこいつは……

 慌てて追いかけるものの、湯川はさっさと廊下を進んでリビングへと入って行ってしまった。ああ、めんどくせえ……

 湯川を追いかけて俺もリビングの中へ入ると、呆然としたように口をあんぐりと開けた湯川が氷星さんを見つめていた。氷星さんはというと、少し困った様子でこちらへ微笑んだ。

 

「すいません氷星さん、うちのバカが驚かせてしまって。ほら、お前も謝れって」

 

「いやいや、全然大丈夫だよ。それにしても元気な子だねえ〜、僕とは大違いだ」

 

「これを元気と言って良いんですかね……」

 

 今までの数々の言動を思い返してため息をついていると、湯川が固まったまま反応がないことに気づく。いつでも何やらほざいている湯川にしては珍しい様子だ。

 

「おーい、湯川? どうした?」

 

「あっ、えっ、いや、だ、誰?」

 

「あー、この人はお隣さんで、鍵落とした上に彼氏に振られて意気消沈してドアの前にもたれかかってる所を見つけちゃって。そのままにしておくのも気が引けたから、とりあえず家に上がってご飯食べてもらったとこ」

 

「初めまして〜、氷星祐里です。君は日向くんの彼女さんか「違います」は、早いね……」

 

 この手の質問には超高速で即答することにしている。何故なら湯川に答えさせると面倒臭いからだ。

 ……それにしても、本当に今日のこいつ変だな。こいつコミュニケーション能力なぜか無駄に高いから、初対面の人でも緊張とかはしないんだけれども。

 

「は、初めまして。湯川 有栖です。一応奏多とは中学からの付き合いで、今は同じ大学の同級生です」

 

「へぇ〜、こんな時間に家に来るなんて、やっぱり仲がいいんだねぇ」

 

「腐れ縁って奴ですよ、それより氷星さん、今日これからどうするんですか?」

 

「ん〜、どうしよっかなあ。とりあえず、今日はネカフェにでも泊まろうかなって……」

 

「……別に、僕の家に泊まっても構わないですよ。もう一人ぐらいなら寝れるスペースありますんで」

 

「えっ」

 

「いやいやいや! 流石に大丈夫だって、そこまでお世話になるのはねぇ」

 

「ならいいですけど……ちゃんとお金持ってるんですよね?」

 

「……多分、持ってるよ。多分……やっぱりないかも、お酒買ったから無くなっちゃったかもしんない」

 

「あっ、な、なら、私の家に泊まらないですか? こんな貧相な家よりもよっぽど豪華な部屋ですよ! それに、女の人がこんな男がいる屋根の下で寝るなんて危険ですよ、襲われちゃったらどうするんですか?」

 

「貧相でもねぇし襲わないわ。……というか、大家さんに言って鍵開けて貰えば良くないか?」

 

 あれ、そうなるとそもそも僕の家に上げること自体意味なかったのでは? こんな簡単なことに気づかなかったとは、灯台下暗しという奴だ。やっぱり僕も眠気であまり頭が回っていなかったのだろうか。

 

「あー、確かにそうだねぇ。でも、大家さんこんな時間まで起きてるかなぁ?」

 

「大丈夫ですよ、あの人の生活完全に昼夜逆転してるんで。今の時間ならピンピンしてますよ」

 

 逆に昼間は起きていないのでそれはそれで面倒なのだが、今回は好都合だ。

 

「そうなのかい? なら良かった。……それじゃあ僕もそろそろお暇するとするよ。ご馳走様、ご飯美味しかったよ。ありがとうね」

 

 氷星さんは本当に嬉しそうな声で感謝を述べる。いつも感謝など微塵もしてこない奴がいるおかげで非常に新鮮だ。

 

「全然大丈夫ですよこのくらい、慣れてるんで」

 

「ふふっ、そうかい?」

 

 立ち上がって玄関へと向かう氷星さんに後ろからついていく。未だにさっき感じた奇妙な違和感は胸に残っていたが、それを振り払うように首を振った。

 

「それじゃあ、バイバイ。……と言っても、隣なんだけどねぇ」

 

「まあ、お別れというにはちょっと距離が短すぎますね」

 

「湯川ちゃんだっけ? あの元気な子」

 

「はい、そうですけど」

 

「……羨ましいねぇ、あんな顔が出来て」

 

 そう言って、氷星さんはどこか寂しそうな笑みを浮かべた。何故だかその姿が妙に魅惑的に見えて、どこか儚くて消えてしまいそうで、目に焼き付いた。

 

「えっ……」

 

「いや、何でもないよ。またね」

 

 その言葉と共にドアが閉められる。氷星さんの姿はドアの向こうへと消えて、残ったのは僕ともう少しで形になりそうなドロドロとした違和感だけだった。

 

 




感想くれると更新速度が上がる(多分)


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白石と合コン

更新速度上がるとか言っておいて前話から1週間空いてるとかどうなってるんですかね


 

「彼女が欲しい?」

 

 迫真の表情でオダナガの口から告げられた言葉を反芻すると、オダナガは大きく首を縦に振った。

 

 酔っ払った氷星さんに絡まれたあの日から1週間ほど経った頃。講義のグループワークでたまたま一緒になったオダナガから、相談があるからグループのみんなでファミレスでも行かないかと誘いがあった。

 正直、速攻で断ってさっさと家に帰ろうと思ったが、オダナガの「奢るから」という言葉と、他のグループメンバーからの後押しという名の心の傷を抉るような説得により、僕と、オダナガと、他の二人のグループメンバー、白石 透(しらいし とおる)藤崎 真紀(ふじざき まき)の4人で近くのファミレスへと足を運んだ。

 そしてオダナガから開口一番に飛び出した言葉は、まあ大学生の悩みとしては良くあるものだった。

 

「作ればいいんじゃないかな?」

 

 オダナガの切実な叫びに、同級生の中でいの一番にイケメンとして名の上がる白石がメニュー表を開きながらモテる奴特有の感覚であっけらかんと返す。

 

「そんな簡単に作れたら苦労しねーんだよこの量産型イケメン!」

 

「いまいち褒められてるのか貶されてるのか分からない言葉だね……」

 

 そんな白石を見てオダナガはこの世の不条理を嘆くように机を叩きながら苦し紛れの罵倒を─もはや罵倒になっていないかもしれないが─する。

 まあ白石も悪気はないのだろう。一応、白石とは中高が同じであり、別に親しかったわけでもないが、6年間で2桁以上は白石が告白されてることを目撃したことがある。

 ちなみにいつの間にか白石からは友達認定されていた。正直中高と交友関係が終わっていた僕の中では、確かに白石からは休み時間にちょくちょく話しかけられていたので、そう考えると親しいほうではあるかもしれないが……別に白石はそれ以上の仲の人なんて腐るほどいるだろうに。この友達認定までの軽さが白石がモテる秘訣だったりするだろうか。

 

「というか何でお前そんなにモテるんだよ? やっぱり顔か? 顔なのか?」

 

「うーん……オダナガ君はまず女の子に対してがっついて接してるのが良くないんじゃないかな。そんな気持ちを全面に出されるとやっぱり女の子はいい気持ちがしないよ」

 

「正論で俺の心を削ってくるの辞めてくれよ!」

 

「これ僕必要なくないか? 白石一人でどうにかなるだろ……藤崎もそう思うだろ?」

 

 白石の説得力抜群正論パンチでオダナガがダウンしているのを横目に、何故かメニュー表を食い入るように見つめていた藤崎に向けて問いかける。

 藤崎は急に話しかけられたことで肩をビクッと震わせてパッとメニュー表から目を上げた。

 

「えっ。あっ、そ、そうだね……正直ボクも恋愛とかそういうのよく分からないし……」

 

「藤崎君は結構モテそうだけどね、小動物系って感じでオダナガ君よりは」

 

「えっ!? そ、そう……? ありがとう……えへへ」

 

「さらっと俺を刺してくるのやめてくれない?」

 

 確かに、藤崎は身長も155センチくらいだし、着てる服も男にしては何かふわふわしてるし、手足は細いし色白だしで、そっちの方面で人気はありそうだ。

 一方白石は服装は上は白のTシャツに下はジーンズで髪型も何もセットされていない状態なのに何故だか凄くおしゃれに見える。一方オダナガは日によって髪型をマッシュとかに変えたりしてるし、服装に関してもいろんなジャンルを試してみていて、身だしなみには気をつけているらしいものの、何の手間も加えていない白石に勝てる要素が見当たらない。これではオダナガが世の不条理を叫びたくなるのもわかる気がする。

 

「かくいう奏多にも一応湯川さんがいるしさぁ……この場でモテてないのまさか俺だけ?」

 

「だから……湯川とはそういう関係じゃないって言ってるだろ?」

 

「へぇ、そうなのかい? てっきり付き合っているのかと思ってたよ」

 

「いやだから──」

 

「だって毎日昼食を一緒に食べてるし、聞けば最近は君の家にまでちょくちょく行ってるらしいじゃないか」

 

 白石の痛いところをついてくる言葉に思わず眉を歪める。事実だから否定のしようもない。

 

「だから湯川からははっきり恋愛感情がないって言われてるんだよ」

 

「それも昔の話だろうし、今は変わっているかもしれないじゃないか。何か昔と比べて変わったことはないのかい?」

 

 コイツ本当に痛いところついてくるな。イケメンにレスバ力まで与えちゃダメだろ、何で天はコイツに二物与えたんだ。

 

「……強いて言えば、ここ最近昔と比べてスキンシップが増えた──というより、だる絡みされることが多くなったけど……別に、仲の良さと恋愛感情の有無は対して関係ないだろ」

 

「まあ、確かにそうだね。それに……彼女はそこそこハードな人生歩んでるし、そう簡単に彼女のことを推し図ることは出来ないか」

 

 顎に手を当てながら思案げな顔をしている白石の口から、僕からしてみれば少し違和感のある言葉が飛び出した。

 

「ハードな人生? あいつが?」

 

「そうなんじゃないかな。小学生の時は親の転勤で結構頻繁に転校してたみたいだし。それに──」

 

 そこまで言うと、白石の鞄から携帯の着信音と思われる音が鳴り出した。白石がカバンの中を漁り、けたたましく振動している青色のスマホを取り出す。

 

「……あー、どうしよっかな。まあ、後で折り返すよ」

 

「誰からだよ?」

 

「一昨日告白された女の子」

 

「す、すごいね……」

 

「よしぶっ殺そう」

 

 感心した様な声を出して驚きを隠せない様子の藤崎に対して、オダナガは彼女が欲しいと赤裸々に叫んでいる人からすれば喉から手が出るほど羨ましい状況を見せつけられて、般若の形相になりながら殺意を白石へと飛ばす。今にも手を出しそうな勢いだ。

 

 いつの間にかだいぶ話が逸れてしまったから一旦元に戻そう。そう考えて口を開く。

 

「……で、結局僕らを呼んだ理由は? 意見は多い方がいいってのは分かるけど、僕は意見を出せるからすら怪しいけどな」

 

「んーー、実は、合コンをやりたくてさ」

 

「は? 僕ら4人で?」

 

「そう、俺ら4人でさ」

 

 ……何を考えているのだろう、コイツは。どう考えても合コンをやるのに適切なメンバーには思えない。別に合コンなんて参加しようと思えば色々他に方法があると思うのだが。

 

「いやさ、俺も何回か合コンに行ったことはあるけどな、やっぱりそういう所に来る人って手慣れてるのよ。トークの振り方とかさ、気遣いとかで。そんな人たちと一緒の場に立つと俺としても辛いところがあるわけで」

 

 オダナガから舞台の演技さながらに唇を噛み締めて絞り出された言葉はクソみたいな言い訳だった。周りの環境にどうこう言う前にひとまず自分に目を向けた方が良いのではないだろうか。

 

「だから恋愛初心者を連れてきて自分が優位に立とうってことか……でもそれなら白石はどう考えてもダメだろ、注目全部掻っ攫われるぞ」

 

「まあそのリスクもあるが白石みたいな奴がいないと女の子が来てくれないかもしれないだろ? 言うて合コンなんて基本1対1なんだから大丈夫だって」

 

「……つまり白石は撒き餌ってことか? 色々と性格悪いな」

 

「多分その腐った性根を治さないとどうにもならないと思うけどね」

 

「ぼ、ボクも……そういうのはあんまり良くないと思う」

 

「ちょっと言葉のナイフが多すぎやしないか? 言葉で人は殺せるんだぞ」

 

 胸を押さえて顔を苦悶に歪めながらオダナガは苦し紛れの反論を繰り出すが、それ相応の言動をしているのだから仕方あるまい。

 

「……まあそれで、どうする? 別に全然断ってもいいぞ、他にも一応当てはあるし」

 

「まあ、面白そうだし参加するよ。大学生なら一回ぐらいやってみたいしね」

 

「ボクは……えっと、ボクでいいなら……」

 

「奏多はどうする?」

 

「遠慮──いや、どうしようか。あーー、一旦保留かな」

 

 オダナガの誘いを断ろうと言葉を紡いだが、一旦口をつぐんだ。普通に断ろうと思ったが、少しだけ迷いが生じた。別にオダナガみたいに彼女を作りに行くつもりはないが……試しに行くぐらいなら有りかもしれない。

 少しだけ考えてみることにした。

 

「おけおけ。とりあえず二人は参加だな。というか白石はそもそも今まで彼女いたことないんだよな。誘っておいてなんだし非常に癪だしぶん殴りたくなるほど羨ましいけど、あんなにモテるのに気に入った女の子とかいなかったのか?」

 

「……何を言っているんだい?」

 

 オダナガから発せられた自然な疑問を受けて、白石は心の底から不思議そうに首をかしげる。

 まあ、その、アレだ。

 

「だってもし断らずに付き合っちゃったら──女の子のあんな可愛い表情が見られないじゃないか」

 

 ……世の中、完璧な人間など中々いないということだろう。

 

 

─────

 

 白石が衝撃の性癖を暴露したことによって、4人の集まりはその後30分ほどで解散となった。……まあ、自分の性癖を満たすためにわざと女の子を堕としたりしてるのではなく、普通に接していて好きになってきた子を普通に断って、普通に(?)興奮しているだけらしいから、セーフ? なのか?

 本当に好きな人ができたら付き合うとは言っていたが、そうなるとアイツはずっと傷ついた表情をしてる人と付き合うってことか……? そんな奴いるのだろうか。

 

 お開きになった後は、どこに寄ることもなくボクが住んでるおんぼろ……違った、はいおく荘に帰ってきた。

 ドアの前に立ってカバンから鍵を取り出そうとしている間、僕は合コンに行くべきかどうかについて思い悩んでいた。

 

「どうしようかなぁ……そういう事に挑戦してみるのもありな気はするけど」

 

「どうしたんだい少年。何か悩み事かい?」

 

 ドアの前で一人ぶつくさ言っていると、ふと横から聞き慣れた声が飛んで来た。その声は以前のように酔っ払ってふわふわとしている気配はなく、理知的な雰囲気さえ感じられた。

 ……そうか、この人なら相談相手に丁度いいかもしれない。

 

 視線を横に向けるとそこには、前とは違いしっかりと暖かそうな上着で身を包んだ氷星さんがにこりと笑って立っていた。




定番のイベント。これもやっぱり必要なスパイスですよ
今度こそ感想くれたら更新頻度上がる(多分)


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恋愛と夢

お久しぶりです。何でこんなに投稿が遅れたかというとですね、学年が上がって塾からいかれた量の宿題が出たからですね。つまり作者じゃなくて塾が悪い(暴論)


 

「どうぞ、粗茶ですが」

 

「粗茶っていうか水ですよねコレ」

 

 悩みを聞くと言われ氷星さんの家に上がった後、久しぶりのお客さんだ、なんて言われながら僕の目の前に出されたのは紛れもない東京の蛇口から出る水道水だった。

 

「ごめんごめん、冗談だってー。今ちゃんとしたの用意するから、何がいいかな?」

 

「まあ別に水でもいいですけど僕は……それじゃあジュースとかあります? なかったらお茶でもいいです」

 

 okと返事をした後、氷星さんは冷蔵庫の方へと向かっていき、中を物色し始めた。

 その様子を横目に、僕は氷星さんの部屋を見渡す。間取りとしては──同じアパートだから当たり前なのだが──僕の部屋と同じであるのに、氷星さんの部屋は僕のと随分違って見えた。

 投げ捨てられた発泡酒の空き缶に、放り出された下着、大量に積み重なっている書類の束。一応本棚はあるのだが、漫画や小説から雑誌まで様々なものが混雑しており、というかまともに縦に並べられてすらいない。

 正直これは本好きとして見過ごす訳には行かないよなあ……

 そう思って若干の面倒臭さを感じている重い腰を上げて、本棚の方へと向かって整理を始めていく。取り敢えず、シリーズものだったり同じ作者の本のとのだけはまとめて置いて、後は漫画、小説、雑誌の分類さえすれば良いだろう。

 

「日向くーん、カルピスとオレンジジュースならあったけど、どっちが……って、いつの間にか本棚の整理始めてるぅ!?」

 

「あ、しちゃ不味かったですか?」

 

「いや別にしちゃダメってことはないけど、お客さんにそんな雑用みたいなことやらせられないよ」

 

「なら縦に並べて置くぐらいのことはしておいて欲しいんですけれども」

 

 氷星さんと話しながら本の整理を続けていると、軽く2桁は行ったであろう、何十冊目かの本を手に取った時、奇妙な違和感を覚えた。

 一見乱雑に積まれていた本達にはある共通点がある様に思える。

 

 ここにある本は全て、『恋愛』というものと関わりを持ったものだ。小説で言えば、『世界一美しい恋愛』なんてキャッチコピーと共に売り出されていだものもあるし、漫画は全てラブコメで統一されているし、雑誌に関しても『恋人を作る方法100』なんてのがある。

 

 本を整理する手が止まった。湧き出てきたのは、前に感じたのと同じく様な奇妙なもどかしさ。何かを見落としている様な感覚。

 それが何なのか頭の中を探っているうちに、背後から氷星さんの少し拗ねた様な声が聞こえてきた。

 

「ほら、もういいだろう? 取り敢えず本題に入ろうじゃないか。君の悩みとやらを聞かせてくれよ」

 

「……分かりました」

 

 胸に渦巻いてた黒い何かを振り払って、氷星さんの方へと振り返る。氷星さんの正面の椅子へと腰を下ろして、口を開いた。

 

「別に悩みってほどじゃないんですけど、今合コンに誘われていて、それに行くかどうか迷ってるんです」

 

「行ったらいいんじゃないかな?」

 

「即答ですね……」

 

「だって行かない理由が無くないかい?」

 

 氷星さんは曇りない目で、まるでそれがこの世の摂理であるかの様に宣う。……いやあるわ。何だこの人合コン過激派か?

 

「別に、合コンなんて何が起きたとしても損する様なことは基本ないと思うよ。女の子側がうんともすんとも言わなかったとしても、今回はご縁がなかったんだなーで終わりだよ」

 

「まあそもそも彼女を作りにいく気はあんまないですけど」

 

「そりゃそうだろうね。でも、合コンなんて大学生のうちくらいしか出来ないし、それも経験だと思うよ。特に君なんて、この機会を逃したら二度と合コンに参加しようなんてならないんじゃないかなぁ」

 

「……まあ、確かにそうですね」

 

「それに、やらずに後悔するより、やって後悔した方がいいっていうしね〜」

 

 個人的にそれは納得しかねるところがあるが、合コンに行ったところで後悔する様な羽目に遭う可能性は低いことは確かだ。

 ……どうしようか。

 

 腕を組んでうーんと唸りながら悩んでいると、僕へ氷星さんがとある疑問を投げかけてきた。

 

「そう言えば、君中高時代はぼっち……いわゆる陰キャだったと言っていたじゃないか」

 

「確かに言いましたけど、それがどうかしましたか?」

 

 氷星さんはそこで一旦を口をつぐみ、顎に指を当てながら思案げな表情になった。そしてそのまま恐る恐るといった様子で言葉を紡ぎ始めた。

 

「いやさぁ、日向君さ、極端にコミュ力が無いってわけでもないし、そんなに人と関わるのが嫌いって感じでもないでしょ? むしろお節介なぐらいだし。性格が悪いとかでもないし……なんで中学と高校はそんなに一人でいたのかなって」

 

 ……思いがけぬ所を氷星さんに突かれて、僕は思わず目を見開いた。湯川にすら指摘されたことが無かったことを、まさか氷星さんに指摘されるとは。

 妙な所で鋭いなこの人。

 

「あ、嫌なら別に全然答えなくてもいいよ!? 僕個人のちょっとした疑問だから」

 

 あまり触れられたくない部分に踏み込んでしまったと思ったのか、氷星さんは慌てたように手を振りながら言った。

 

「……特に大した理由は何もないですよ。強いて言えば、中学に入ってから読書にハマったからですかね」

 

「へぇ〜そうなんだ。やっぱり好きなんだ? 本」

 

「まあ、そうですね。もっとも最近はあんまり読んでないですけど」

 

 読書にハマったから、これは本当のことだ。他の理由は……無いわけではないが、先の言葉の通り大したものでは無い。ただ、どこにでも良くある、ありふれたものだ。

 

「そう言えば、3人目の彼氏が本が好きでよくあの作家がどうこうとか言ってたなぁ。僕は本なんて大して詳しくないから全然分からなかったけど」

 

「へぇ、そうなんです……ちょっと待ってください。今なんて言いました?」

 

 氷星さんの口から飛び出した衝撃的というか、おかしな言葉に思わず聞き返す。僕の聞き間違いだよな?

 

「えっ、僕は本なんて全然詳しくないから……」

 

「そこじゃ無くてその前です」

 

「3人目の彼氏が……」

 

「……聞き間違いじゃ無くてマジですか」

 

 氷星さんは僕の言葉こそむしろ意味がわからないというように、首を傾げる。……もしかして僕の感覚が世間の感覚とずれているのだろうか? いや流石にそんなはずはない。

 

「もしかして……。氷星さん、つかぬことをお聞きしますが、今までに彼氏って何人作りましたか?」

 

「え? えーっと、13、あれ14だっけ? いや15だった気もするような……」

 

「マジで言ってんのかこの人……」

 

 僕の口から深いため息が漏れて、空気へと溶けていった。

 

 

 

 

──────────

 

 

 

「さーて、どうなるかなぁ?」

 

 夜遅くなってきたということもあり、彼はなんだか逃げるようにさっさと自分の部屋と戻っていってしまった。

 彼が突然いなくなってしまった部屋は妙に物寂しく見えた。

 

「あの感じだったら、多分行きはするような気がするし、そうだったらいいんだけど」

 

 彼の性格からして、彼女を作るだな何だのはしないだろうけど。それで十分だ。

 ふと、彼が几帳面にもきちっと整理してくれた本棚に置いてある一冊の本に目をやり、何気なく手にとった。

 この本棚に置いてある本では、一番古い本で、何度も読み直した本だ。

 内容は至って普通の恋愛小説。幼馴染の女の子と男の子のとても綺麗で、美しい恋の話。

 

「恋には障害ってのがつきものだよねぇ……でも、あの子にはちょっと悪いことしちゃったかな」

 

 今回合コンに行くことを彼に薦めた理由の一つは多分、彼女への僕の醜い嫉妬。少しだけ、意地悪をしてみたくなったのだ。

 

「……自覚はしてないかもだけど、いやでもなら尚更、羨ましいなぁ」

 

 あの表情だけで、彼女が彼のことをどう思っているかなんて一瞬で分かった。そして多分自分は一生あんな顔、彼女が抱いているような思いは抱けないんだと。

 

「まあ、彼女には頑張って欲しいなぁ。僕の分まで」

 

 結局憧れた夢は夢のままで、色々足掻いてみても叶うことはなかったけど。

 他の誰かがそれを叶える様子を、隣で見ていることぐらいは許されてもいいだろう。

 

 窓から見えた月は雲が薄くかかってぼやけていた。

 




次話くらいからヤンデレ要素が前面に出てくる(多分)のでモチベのために何卒感想、評価を……


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過去と図書室

 流石にこれは予想外だったな……まあ、現実は思っていたよりも厳しいということだろう。

 僕の大学の近くにある、とある飲食店の中で出されたお冷を飲みながら僕はそんなことを思った。

 視線の先には白石と……顔をやや赤くしながら白石と話している女の子3人。

 チラリと視線を白石の奥にやれば、生気をなくしてこの世の中に絶望したような顔をしたオダナガと困ったように微笑んでいる藤崎君が見えた。

 そして視線を正面へと戻せば……

 

「どうしたんですか? そんなに私のことを見つめて……ちょっと恥ずかしいです」

 

 性別は違うが、顔の整い具合で言えば白石に勝るとも劣らないレベルの美少女がこちらに微笑みかけてくる。特に目に止まるのは、まるで輝いているかのような艶をたたえた黒髪。

 高校の時に金色に染まっていた髪は、色が変わってもなお変わらず彼女の美貌を際立たせていた。

 

「いや……まだ僕のこと覚えてたなんて、ちょっと驚いたんだよ」

 

 確かに、彼女とは僕としてはそれなりに長い付き合いだったが、彼女からしたら既に忘れ去られていた過去のことだと思っていた。

 

「当たり前です。私が貴方のことを忘れるなんて、ありえないじゃないですか」

 

 ……まただ。氷星さんに初めて会った時に感じた、いや、それよりも遥かに強い違和感。目の前の彼女が、中学の時の彼女とも高校の時の彼女ともどうしても重ならない。

 彼女──夜見 梨沙(よるみ りさ)──とは多分湯川の次に長い付き合いだ。まあ、僕と彼女の関係は図書委員と図書室に入り浸っている生徒という関係で、会話も主に本の借りる時ぐらいにしかしなかったから『付き合い』と呼んでいい関係なのかは微妙だが。

 そしてそんな付き合いも高校生となってからしばらくすると無くなってしまった。

 理由は……彼女が変わったから。いや、僕が変わらなかったから、とも言うかもしれない。

 きっかけは天気予報を裏切る突然の大雨に、僕がたまらず近くの建物の下へと避難した時、たまたま夜見と鉢合わせたことだ。

 中学までの夜身の容姿というか服装は、黒縁の丸眼鏡に目までかかるほどに伸び切った前髪、ついでに大抵の時はマスクをつけているといった感じだった。

 だから、ある意味で僕はその時夜見の素顔を初めて目にしたのだ。そして、伸びた髪で隠れていた彼女の美貌も。濡れて水が滴っている髪をかき上げて顕になった彼女の顔は言わば、『造られた美』といった感じで、のちに天使なんていう異名がつけられるほど整っていた。

 一見地味で暗い女の子が、実は……なんて展開は物語の中だけだと思っていた。現実は小説より奇なりというが、まさかそんな人物があんな身近にいるとは想像もしていなかった。

 

 確かそれが夏休みの半ばごろのこと。そして、夏休みが明けた最初の登校日、僕が目にしたのは老若男女……というよりは学校の生徒の視線を釘付けにしている夜見の姿だった。

 一体何を思って彼女は自分の美貌をさらけ出すことを決めたのだろうか。それは未だに謎のままだ。

 

 ……正直に言おう。ぶっちゃけ少し夜見は僕に気があるんじゃないのか、なんて思っていた。あの雨の日に僕が夜見の容姿を褒めたから……なんていう物が根拠の、今思えば荒唐無稽な妄想である。

 まあそれも、あっという間にクラスの中心人物となった夜見の周りには常に人だかりが出来るようになり、いつのまにか図書委員は別の人に変わっていて夜見とは疎遠になってしまった。

 容姿だけでなく性格も陽キャっぽくなった夜見にとって、僕みたいなやつの相手は退屈だったのだろう。仮に僕が陽キャを気取ったところで、ただ痛々しいだけだからどうしようもなかったけれど。

 少しだけ未練はあった。湯川との騒がしい会話と対照的な、短いけれど好きな本のことについてゆったりと話す時間は僕にとって心地いいものだった。

 しかし、もともと僕と彼女は住む世界が違ったのだ。そう割り切って僕は湯川も夜見もいなくなった図書室で一人本を読んで残りの高校生活を過ごした……のだが。まさかこんな形で再会するとは夢にも思わなかった。

 

「奏多君は、何で今日ここに来たんですか? あんまりこういうところ来るタイプじゃないと思ってました」

 

「……気まぐれ、だよ。友達に誘われて、ちょっと知り合いに相談したら行ってみることを薦められたってだけだ」

 

「はぁ、そうなんですね。私びっくりしちゃいましたよ」

 

 夜見は手を合わせながら、大げさに思えるほどの驚きの感情を露わにする。その様子を見て、何故だか僕の背筋に悪寒が走った。

 何故だろうか。今の夜見は透き通るような雰囲気におどけた仕草が合わさって、綺麗さと可愛いさを併せ持っている完璧な美を体現していた。

 なのに、それが自分に向けられているという実感のなさも相まってなんだか居心地が悪い。

  まるで────

 

 突然、後ろから肩を叩かれた。後ろを向くと、何故か無表情になったオダナガが立っていて。

 

「お前、ちょっと話があるから来てくれないか?」

 

「えっ、あっちょい待、すまん夜見、ちょっと席離す」

 

「はい、わかりました」

 

 肩を掴まれて半ば引き摺られるように、僕はオダナガによって男子トイレの中まで連れ込まれてしまった。

「急にどうしたんだよオダナガ、いま話の──」

 

「どうしたもうこうしたもねえよ! 何だあの状況はぁ!」

 

 僕が事情を聞こうとすると、オダナガは悲痛な叫び声を上げて顔を覆ってしまう。まぁ、あれもはや合コンと言えるか微妙なレベルだし、気持ちはわからなくもない。

 

「おっかしいだろ! 何で白石に対して3人集中して俺らに見向きもしないんだ! いやそれはまだしも何であいつも完全に3人を捌ききってんだよ! あの女子3人の顔見たか? 既にもう完全にあいつにほの字だぞ、まだ始まって1時間も経ってないっつうのに!」

 

「まあ、流石にアレは予想外だったな……」

 

 でも白石誘ったのお前だし。自業自得なのでは? そう思っても口には出さない。

 

「そういうてめーは! 何で一番な美少女と親しげに喋ってんだよ、おかしいだろ! もうてめーには湯川さんがいるだろ……どうして俺は……」

 

「そんなこと言われてもな……別にお前も会話に入ってくりゃあいいだろ」

 

「無理だろ。だってなんかこえーもんあの人。何度か俺も話しかけようとしたけどさ……」

 

 オダナガは首を振って、がっかりと肩を落とした。

 ……怖い、か。何だか気持ちはわからなくもない気がするな。

 

「まあ、取り敢えず戻ろうか。あんまり待たせちゃ悪いだろ?」

 

「分かったよ……」

 

 オダナガは頭をかきながら、不貞腐れたようにトイレの出口へと歩き出した。僕も同じように席へ戻ろうとトイレの出口へと足を向けた瞬間、ポケットに入れていたスマホが振動して太ももを揺らした。

 

「ん?」

 

「どうした?」

 

 オダナガが僕の声で振り返って不思議そうに尋ねてくる。

 

「誰かから電話が……げ」

 

 ポッケから出せばスマホには湯川の2文字が。……何の用だアイツ。

 仕方なくスマホの画面をスライドして耳へ当てる。すぐに湯川の声が飛び込んできた。

 

「もしもーし? 聞こえてるー?」

 

「聞こえてるけど……どうした?」

 

「いやさ、今日奏多暇かなって」

 

 湯川が告げた言葉は電話に出る前から薄々察していたことだった。これは事前に連絡をするようにはなったという進歩を喜ぶべきなのだろうか?

 

「悪いが暇じゃない。だから家に来ても誰もいないぞ」

 

「えー? じゃあ今何してるの?」

 

「合コンに来てる」

 

 事実をありのまま伝えると、ピタリとスマホの向こうの湯川の声が止まる。向こうの環境音は未だ聞こえてくるから、通話が切れたわけではないようだ。

 10秒ほど待ったが、未だに反応が返ってこない。少し疑問に感じたが、こんなくだらない電話をしている暇もないのでさっさと切ることにした。

 

「それじゃ、今日は諦めてくれ。じゃあな」

 

「え、待って、おねが──」

 

 何か言いかけていた湯川を遮るように切断のボタンをタップした。そのままトイレを出ようとしたのだが……

 

「ええ……?」

 

 すぐさまもう一度スマホが振動し始めた。何だこいつ、メンヘラか? 正直これ以上夜見を待たせるのも申し訳なかったので、電話を無視してスマホの電源を切る。スマホの振動は収まり、当たり前だがまた震え出す気配はなかった。

 

 スマホから目を離して視線を上げると、オダナガがまるで度肝を抜かれたような驚いた表情をしていた。

 

「……どうした?」

 

「いや、お前、なんか……勇気あるというか、恐れ知らずというか」

 

 僕が恐れ知らず……? どちからというと恐れ知らずなのは湯川の方ではないだろうか。長い付き合いの僕でも、湯川が怖がったところを見たことがないどころか、怖がるような物事すら思いつかない。

 

 オダナガの不可解な言葉に僕は首を傾げるのだった。

 




そろそろやんやんしてくると思う
評価、感想よろしくお願いします


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恐怖と夕日

 オダナガと共に白石達がいる机へと戻ると、夜見が藤崎と話しているのが目に入った。藤崎は初対面、しかも相手が夜見ということもあって少し気恥ずかしそうにしている。

 

「へえ、そうなんですね。他の人達も同じように大学の授業で?」

 

「は、はい。皆、僕なんかと仲良くしてくれて……あ、奏多くん」

 

「悪かったな、突然席を外して」

 

「いえ、全然大丈夫ですよ」

 

 席に着くと夜見はこちらに視線を向けてにこりと微笑む。それだけの所作なのに、僕からみてもそれが自分の美貌が最大限発揮されるように洗練されていることがありありと分かった。

 中学の時はそんな様子のかけらもなかったし、高校の時もここまでじゃなかった気がするが……大学に入ってから何かあったのだろうか。

 

「……どうかしましたか?」

 

 思考に耽っている僕を不思議に思ったのか、夜見はなんだか不安そうな目つきで尋ねてくる。

 

「いや、なんというか。夜見、変わったなって思って」

 

「…‥変わった、ですか? 具体的には、どう……」

 

 夜見の声が尻すぼみになる。その声は、どこか期待しているようで、どこか怖がっているような相反した感情を含んだ物だった。

 

「そうだな、なんていうか──」

 

 別に、変わったというのは中学の時と比べて、という意味ではない。ましてや身長や顔、髪などの身体的特徴というわけでもない。変わったと思ったのは、彼女がまとう雰囲気。

 触れたらすぐに壊れてしまいそうな、脆くて透き通った水晶みたいな。儚くなったというか、繊細になったというか、不安定というか。流石に脆くなったね、なんて言うわけにもいかないので色々と頭の中をこねくり回してみても、いまいち良い言葉が見つからない。

 なんとか搾り出された言葉は──

 

「綺麗に、なったよね」

 

「っ……!」

 

 言葉が口から出た瞬間、少し言葉選びを間違えたなと後悔する。あたり触りの無い言葉と言えばそうだし、別に嘘では無いのだがこれじゃ口説いてるみたいだな……

 勿論夜見はそんな月並みな言葉聞き慣れているだろうけど、中学の時僕がそんなこと言うタイプじゃなかったからか、目を丸くして驚いた表情を浮かべている。

 

「ほ、本当ですかね……?」

 

「まあ、あくまで僕個人の感想だけど……本当だよ」

 

「ありがとうございます。嬉しいです」

 

 そんなやり取り、夜見は幾度なく繰り返してきたはずなのに、お礼まで言ってくる夜見の顔に浮かぶ魅惑的な笑顔には、ありありと喜びの感情が表れていた。

 危うく、本当に夜見が自分に褒められて心の底から喜んでいるのだと錯覚してしまうところだ。

 しかし、ここで一つの疑問が頭に浮かんだ。なんで夜見はこんな場所に来たのだろうか、夜見がわざわざこんな合コンに来るメリットがあるとは思えない。もしかして白石目当て……なら当の本人をほったらかして僕と話しているわけがない。

 頭に浮かんだ疑問は言葉となってそのまま口から離れていった。

 

「夜見はさ、なんで合コンに来たんだ? 正直夜見だったら、いや夜見こそわざわざこんな所に来る必要ないだろ」

 

「ダメですよ奏多君。こんな所、なんて言ったら」

 

 人差し指を立てて、顔を可愛らしくムッとさせながら『めっ』なんて言葉を幻視させる仕草で注意をしてくる夜見。今でも根が真面目なのは変わっていないんだな、と何故だか安堵した。

 そして夜見は少し考え込むような素振りを見せた後、でも、と言葉を続ける。

 

「確かに私はこう言う場所に好き好んで参加するタイプでは無いですね」

 

「なら、なんで……」

 

「──気まぐれ、ですよ」

 

「気まぐれ?」

 

「そう、奏多君と一緒ですね?」

 

 夜見は軽く首を傾けながら僕に同意を求めてくる。

 一緒‥‥一緒か? 夜見の気まぐれは僕と違って、富豪の嗜みというか、上流階級の人間が庶民の暮らしを観察に……みたいな感じがするけど。

 

「夜見のそれと僕のは色々世界が違う気がするけどな……」

 

 軽く呆れて、ため息を一つつく。そう、今は奇跡的に僕と夜見の世界が交わっているけれども、恐らく今日が終わったらもう二度交わることはないだろう。

 

「え……?」

 

 頬杖をつきながら、視線を何となくついに二人で話し始めた藤崎とオダナガの方に向けていたが、夜見の今までとは打って変わった弱々しい声が耳に入って、咄嗟に視線を正面に戻す。そして、目を見開いた。

 視界に映った夜見の顔は、恐怖で染まっていた。

 

「い……、いやそんなことないですよ! だって……」

 

 焦ったような甲高い声が反響する。何となく周囲の視線が自分達に集まるのが分かった。

 なんの危険もない都会の飲食店の中だというのに、夜見は何かに怯えていた。ここまで一瞬たりとも崩れることのなかった彼女が纏っていた神聖とまでも言える雰囲気は見る陰もない。どこか懐かしい彼女の素顔が見え隠れしていた。

 

「お、おい夜見?」

 

「……嫌、嫌です。そんなの……」

 

 何と言ってるのか聞き取れないほど小さな声が夜見から発せられる。瞬間、夜見の瞳が涙で滲んだ。これはまずい。本能で危機を察知した僕は頭を回らせてこの状況を切り抜ける方法を模索し出した。

 

「よ、夜見! ちょっと外に出て風にでもあたりにいかないか?」

 

女の子を泣かせてしまうなんて状況に今まで直面したことがなかった僕が捻り出した案は破れかぶれとしか言いようがなかったが、何もしないよりはマシだと考えて実行しようと席を立つ。

 

「え、は、はい……?」

 

 夜見の手をつかんで、そのまま半ば無理やり夜見とこの場から連れ出そうとする。夜見は特に抵抗もせず大人しく引っ張られて着いてきてくれたため、何の障害もなく店の外に出ることができた。

 

 既に外はもう薄暗くなっており、空を見上げるとビルの隙間に悠然と佇む夕日が僕の目に入る。昼間の太陽とはまた違う燃え盛るような赤は僕には不釣り合いに思えた。

 振り返ると、さっきまで浮かべていた恐怖の感情の代わりに戸惑いと申し訳なさを露わにしている夜見が店の入り口の前に立っていた。

 

「あー、悪かったな」

 

「……はい?」

 

 何に対しての言葉か分からない、という風に夜見は首を傾げた。

 

「いや、急に連れ出してさ。……後、僕の発言何か気に障ったみたいだし」

 

 正直何が悪かったのかは皆目見当がつかないが、泣かせた時点でこっちが悪い。大人しく謝ったほうがいいだろう。

 夜見は一瞬ピタリと動きを止め、その後すぐ再起動して矢継ぎ早に喋り始めた。

 

「えっ、いやそんな事、というより私の方こそ取り乱しちゃって……。急にあんな反応しちゃって迷惑でしたよね……ほ、本当に、申し訳ないです……!」

 

 ワタワタと焦って、視線をやや下に向けてどもりながら喋っている夜見はさっきまでとはまるで別人に見えた。

 

「ははっ」

 

 思わず、笑みが溢れる。目の前の必死に謝っている夜見に対して失礼だと分かっていながら、口が弧を描くのを止められなかった。

 

「え、えっと……私、何か変なこといいましたか?」

 

 店から出てきた時よりも、さらに戸惑った……というより困った表情を浮かべている夜見に対して、慌てて弁明の言葉を紡ぐ。

 

「いや、何でもないよ。ただ、なんか懐かしいというか……」

 

 今の夜見の姿は中学の時の、図書室に僕と二人きりで時間を過ごしていたあの頃の彼女とどうしようもなく重なった。

 勝手に変わっていたと思っていた。もう僕とは全く別のところにいる人間なんだと。

 でも、僕がそう思っていただけで、実際はそんなことないのかもしれない。

 そして、実際は違うのに周りからそんなふうに見られるってことは、僕には想像も及びつかないが辛いことなのだろう。

 

「氷星さんの言う通り、とりあえずやってみるもんだな……」

 

「氷星さん?」

 

「あっ、ごめん。口に出てた?」

 

 夜見の少し驚いたような声が耳たぶを打って、自分がいつの間にか頭の中の思考を口に出していることに気がついた。

 

「氷星さんって、もしかして大学生の女の人ですか?」

 

「えっ? そ、そうだけど……なんで? あっ、もしかして知り合い?」

 

 夜見の予想外の言葉に声が漏れるが、夜見の交友関係なら知り合いでもおかしくないだろうと納得する。

 

「いえ、そういうわけではないんですが……その人、ここら辺じゃちょっとした有名人なんですよ」

 

「有名人?」

 

 まあ確かに氷星さんは美人だけれども……それだけじゃ有名になんてならないだろう。

 もしかして──

 

「昔から彼氏を作っては別れ、作っては別れを繰り返しているそうで、何でもその数が尋常じゃないらしいんですよね」

 

 想像したことがそっくりそのまま夜見の口から発せられて、思わずため息をこぼす。まあそれしかないよな……

 

「それにですね。あくまで噂なんですが、氷星さん子供の頃親から虐待を受けていたらしくて」

 

「え?」

 

「それで、何でもそのせいで愛に飢えてるから、彼氏を取っ替え引っ替えしてるなんていう憶測があるんですよ」

 

 夜見が明かした衝撃の事実に動揺を隠さず僕は固まってしまう。氷星さんにそんな過去があったなんて……人の秘密を勝手に暴いたようで少し申し訳なさを感じる。

 けれど、同時に僕は夜見の言葉に少しの違和感を覚えていた。氷星さんが愛に飢えている、でも少なくとも僕は彼女と関わってみてもそんな印象は全く受けなかった。というより、むしろ──

 

「だから、あんまり氷星さんと関わるのはやめた方がいいかもしれないです。聞くところによると、またつい最近彼氏と別れて今はフリーらしいです。奏多さんは優しいですし、もしかしたら狙われ──」

 

「いや、それは無理かな」

 

「なっ、何でですか……?」

 

「僕、噂とか基本信じないタイプなんだよ。ましてやそれで行動を変えるとかは絶対にしたくないし、しない。それに……」

 

 改めて、目の前にいるただ本が好きなだけの一人の女の子を見つめる。

 

「決めつけたり、思い込むのは良くないってさっき学んだばかりだしな」

 

 見上げた空に浮かんでいる夕日は、僕の心を照らしてくれているような気がした。

 

 




さてはこいつ陰キャじゃねえな?(タイトル詐欺)


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熱と恐怖

 夜見とのいざこざはあったが、総じて見れば合コンはつつがなく進んでいった。相変わらず、白石の周りには女の子3人が付き纏っていて、それを妬ましく思ったオダナガがそのうちの一人にアタックするものの、あっけなくあしらわれて。

 藤崎はオダナガの愚痴に付き合うような形で軽く喋りながら、地味に高級なこの店の料理に舌鼓を打っていた。

 合コンと呼べる形を成していたのかは不明だが、全員にとって中々に楽しいひと時となったのではないだろうか。

 もっとも、そんなニュアンスのことを言ったらオダナガにすごい目で睨まれたが。

 

 僕らがまだお酒が飲めない年齢ということもあり、合コン自体は早めの夜8時過ぎ辺りにお開きになった。……オダナガが途中から変なうめき声を上げてプルプル震えだしたのもその一つの理由だったりもする。

 

 外はもう太陽が沈んで夜の世界へと入り、昼間には太陽の光で塗り潰されていた街灯やネオン灯などの人工の光たちが暗闇の中で激しく主張していた。

 

 店の前で軽く別れの挨拶を終えた後、一人でさっさと家に帰ろうと思い足を帰路に向けようとした時、夜見に呼び止められた。

 

「あ、あの。一緒に帰りませんか?」

 

「あー、良いけど……方向同じか? 僕の家ここから結構近いし、このまま歩いて帰ろうと思ってるんだけど」

 

「そ、そうなんですね……! それで、方向はどちらでしょうか?」

 

 何故か嬉しそうな様子の夜見を横目に、自分の家がある方角へと指を向けた。

 

「あっちかな。○×駅を通り過ぎて、5分ぐらい歩いたところにあるんだけど……夜見は?」

 

「は、はい! 私もそっちです」

 

「そ、そうか……なら、途中まで一緒に帰るか」

 

 なんか情緒不安定だな、何て思いながら夜見と肩を並べて一緒に歩き出す。こんな時は、相手の歩くスピードに合わせるんだっけか? 

 

 少しだけ歩幅を変え、足を踏み出すペースも落としてみる。

 

 うろ覚えの記憶を引っ張り出してみたが、本当に出来てるかすらも分からない。

 ちらりと見える夜見の横顔に負の感情は見当たらなかったので少なくとも嫌がられている訳ではないと思いたい。

 

「奏多さん。ちょっとお願いがあるんですけど……」

 

 夜見がポツリとつぶやいた。声は至って平坦な者だったが、握り合わされた両手が震えているのが見える。

 

「あ、明日、どこか一緒に遊びに行きませんか? いや、別に明日じゃなくてもいいんです。だから、いつか……」

 

 えっ? そんな声が口から飛び出そうになって、思わず足が地面から離れるのをやめた。

 頭の中を整理しつつ、急いで返答を作り上げた。

 

「明日は……好きな作家の講演会があるからなぁ。まあ昼過ぎには終わるし、それからで良かったら」

 

「ほ、本当ですか? じゃあ、お願いします……!」

 

 予想だにしていなかった展開に内心驚きで一杯だったが、なんとか表情は平静に保つ。

 再び歩き出した僕達の間に何故か会話は無くて、詳細な時間とか一体どこに行くのかとか、色々話すべきことはあったのに、何故か言葉は見つからず、時は過ぎていく。

 周りの四方八方から視線が僕達に向けられているのを感じたが、気にする余裕もなかった。

 

 されど時間は有限で、数分で視界の先に○×駅が見えて来る。改札の前まで辿り着くと、夜見はまた明日、と一言を笑みと共に告げてそのままこちらを振り返ることもなく改札をくぐっていった。

 

 一方僕は、夜見が居なくなっても尚ぼーっと改札の前に立っていて、その場所から離れられなかった。

 

 本当は夜見は僕に気があるんじゃないか、なんて。高校の頃下らないと切り捨てた考えが頭をよぎった。

 

 

 

─────────

 

 

 

 夜の道に僕の足音だけが空気を震わせて反響している。空を見上げてみると大半の星の光はかき消されて、有名な星たちだけがまばらに散りばめられていた。

 

 こんな夜は、あの日のことを思い出す。あの日はもっと薄暗くて、息苦してくて、これでもかというほど月が輝いていた。

 あの時、ドアを開けていなかったら、今の僕はもっと違っていたのだろうか。

 意味のない仮定だ、そんなことはずっと前から分かっている。けれど、そう思わずにはいられない。

 

「あー。ダメだな。せっかく合コンに行って、昔の知り合いと再会して、明日遊ぶ約束までして。そんな帰り道で考えることじゃないな」

 

 誰も悪くなかったのかもしれないし、全て僕のせいだったのかもしれない。だけど、今考えたところで真相がわかるはずもないし、気が晴れるわけもないのだ。

 

 ふいに、コツコツと小走りしているような足音が背後から耳へと入ってきた。上半身だけを捻って後ろを向くと、一つの人影が僕の方へと一直線に向かってきていた。容貌からその人影が誰なのか判断を終える前に、僕の胸の中へと飛び込んできた。目に入ったのは、鮮やかな茶色。

 白く艶やかな指は、皺ができるほどに強く僕の服を掴んでいた。

 

 僕の口が言葉を紡ぐよりも先に、彼女が声を荒げた。

 

「奏多ぁ……ぃ、いやあ……! やぁ、やだよ……ねえ……!」

「お、おい、湯川?」

 

 声が掠れて、震えていてほとんど聞き取れない。呂律もうまく回っていなさそうだ。カタカタと、歯と歯がぶつかり合う音が妙によく響いている。

 

 明らかに様子がおかしかった。今まで目にしたことがないほどに。思わず戸惑いの声が漏れるが、僕の声が湯川に届いているようには見えない。

 

「ね、ねぇ……か、かなたは、さぁ……」

 

 湯川が恐る恐ると言った風に顔を上げた。まず僕の目に飛び込んできたのは、その表情。

 

──恐怖

 

 湯川がそんな感情を浮かべるなんて、想像すらしたことがなかった。けれど、今目の前の湯川の瞳には、ありありと恐怖が刻み込まれていた。

 

「お、おい湯川!」

 

 ふらり、と湯川の体のバランスが崩れる。一端の抵抗すら見せずに、後ろへ傾いていく湯川を慌てて抱きしめる。途端、体中に熱が伝わってきた。

 

「お前……これ、絶対熱あるだろ……!」

 

 湯川の体は、おおよそ肌寒い夜の空の下の人間の体とは思えないほどに熱を発していた。

 幸いなことに、僕のアパートはもう数歩先だ。一応、僕が今まで一度も風邪をひいていないおかげで、多少なりとも看病出来るくらいの物資は揃っているはずだ。

 

「だ、大丈夫か、湯川? 辛いだろうけど、とりあえず僕の家まで連れて行くぞ……!」

 

 合コンの後の余韻とか、少しネガティブ気味になってしまった思考とか、そんな物全部吹き飛んでいって、僕は自宅まで湯川を背負って行った。

 

 

 

 

────────

 

 

 

 朝日に包まれて、僕はゆっくりと瞼を開けた。最初に目に飛び込んできたのは呑気に眠っている湯川の姿。未だ満足に開き切らない瞼を擦りながら、座ったまま眠りにつくこととなった椅子から立ち上がろうとする。

 しかし、何かに引っ張られるような感覚と共に押し止められた。ふと目線を下に向けると、湯川の両手が僕の手首を包み込むように掴んでいた。

 

 幸い、あの後病状が悪化するようなことはなく。一度目が覚めたときに、薬と水と、急いで作ったお粥を少しだけ食わせて、ネットで調べた付け焼き刃の処置を施してやると、また眠りについてしまった。

 

 見た感じ熱も下がったようだし、大事にならなくて良かった……そんな事を考えていると、湯川が目を覚ましたようで、微かなうめき声と共にもぞもぞと動き始めた。

 

「ん、ぅうん……あれ、奏多ぁ?」

 

「目が覚めたか、調子はどうだ? 多分もう熱は下がったと思うけれど……別に医者でも何でもないから詳しいことは分からないから、何かあったら言ってくれよ」

 

「あれぇ、そうだ、私……倒れちゃって……。あれ、奏多、講演会はどうしたの……? 好きな作家さんのが、今日あるって……」

 

「いや、行く訳ないだろ……? 何だ、お前の中で僕は悪魔か何かなのか? いくら何でも熱出してるやつほっぽり出して楽しんできますとはならねえよ……」

 

 一体全体湯川の中での僕はどんな奴なのだろうか……。もしこの状況で自分の用事を優先させる図太さが有れば、また別の人生を歩んでいたのかもしれないが。

 

「へ、へぇーー、そ、そうなんだぁ。えへっ、へへ……」

 

 僕の言葉を聞いて、湯川は甘ったるい惚けた声を出しながら、今までに見たことないほどの満面の笑みを浮かべた。口角はだらしなく垂れ下がり、病み上がりのせいもあってか、顔全体から力が抜けてふわふわした表情になっている。

 

 ……くっ、不覚にもドキッとしてしまった。正直こいつ顔だけで言ったら普通に夜見とも張り合えるレベルだからな……それに加えて今の表情は流石に反則じゃないか……?

 

 それはそうと、夜見には悪いことしたな……せっかく誘ってくれたのに。いや、思ったよりも湯川の回復が早いし、時刻を遅めにすれば行けるか?

 

「湯川、もう一人で大丈夫そうか……? 大丈夫そうなら、僕はそろそろ出かけるけど」

 

「えっ、いや、やっぱりまだちょっとクラクラするかなぁ? 何か、若干息苦しいし……だ、だから」

 

 病み上がりとは思えないほど矢継ぎ早に湯川は言葉を発し始める。声はまた不安で震えていた。

 

 ……いや、そんな捨てられた子犬みたいな表情されたら、罪悪感で出かけるなんて選択肢取りようがないだろ。

 

「あーもう、仕方ないな。非常に癪だが、貴重な休日を捧げてやる。目を離した隙にまた風邪を拗らせたりされたらたまったもんじゃないからな」

 

「ぇ、えへへ、ありがとう……。やっぱり、奏多は優しいなぁ」

 

 安心したように、湯川はほっと一息つく。そして目を細めてはにかんだと思うと、そのまま寝息を立て始める。

 

「寝たのか……随分と寝つきのいい奴だな」

 

 何があったか知らないが、今の湯川はメンタルが結構来ているらしい。流石にそんな奴を一人こんな部屋にほっぽり出して出かけるというのは……流石に酷だろう。

 

 気になることは、正直無数にあった。しかし、今の僕はその事をわざわざ湯川から聞き出す気力も、勇気も持ち合わせてはいなかった。

 

 ぐちゃぐちゃに積み上げられた感情が、ため息となって口から漏れ出した。

 




感想=モチベ


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