獅子帝の去りし後 (刀聖)
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第一章 落日、見届けて
第一節


 ──母にとって、自分とは何だったのか。

 

 問いかけるべき母は、すでに亡い。父や祖父母たちに問いかけても、苦味を伴った沈黙で答えるのみである。

 

 ゆえにユリウスは幼い記憶を頼りに自問せざるを得なかった。

 

 親が子を慈しむのは普遍的な事であろうが、ユリウスの母は自らの腹を痛めて産んだ息子を異常なまでに溺愛していた。

 

 父は自分を『ユリウス』と呼んでいる。祖父母たちも同様であったが、ただ母だけが『オスカー』と呼ぶのである。なぜ母だけが自分の事をそう呼ぶのか、幼いながらに疑問を抱いて尋ねた事があるのだが、その問いに母は寂しげに笑うだけであった。

 

 今より幼い頃、外出の際に母親とはぐれて迷子になった事があるのだが、母は迷子になった幼児以上に取り乱し、半狂乱になって周囲の奇異の目も構わずに街中を駆け回った。その末に息子を見つけ出し、涙を流しながら抱擁してきた姿は、幼いユリウスの目から見ても異常であった。

 

「オスカー、オスカー……私を一人にしないで」

 

 母は自分ではなく、息子の(うち)にある「何か」をだけ見ていたのではないか。

 

 

「起床! 起床!! 起床!!!」

 

 過去の記憶の夢の中を彷徨(さまよ)っていたユリウスを現実に引きずり戻したのは、カーテンの隙間から差し込む払暁の光と、天井の一角に据え付けられたスピーカーからの大音量だった。

 

 ユリウスは身体を起こし、軽く頭を振って夢の残滓を振り払い、軽く伸びをして身体をほぐす。

 

 隣ではルームメイトの一人であるグスタフが、同年代の中では頭一つ大きい体躯をベッドから起こしていた。

 

「おはよう、グスタフ」

 

「おはよう」

 

 短く朝の挨拶を交わしつつ、二人は慌ただしく動き始める。周りではその他のルームメイトたち数名も慌ただしく起き出していた。

 

 カーテンと窓が音を立てて開け放たれた。緑と土の香りが入り混じった早朝の清澄な空気が室内に流れ込み、それを吸い込んで意識の底に沈澱している眠気を追い払う。

 

 彼らはすみやかに寝具をたたんで点呼に参加しなければならない。その後に体操を行い、顔を洗い、制服に着替えて校庭に整列し、掲揚されたローエングラム王朝の軍旗たる『黄金獅子旗(ゴールデンルーヴェ)』に敬礼をほどこすのだ。

 

 ここは新帝都フェザーンの帝都地区の郊外にある帝国軍幼年学校の仮宿舎である。時節は新帝国暦〇〇三年、宇宙暦八〇一年の七月二七日の早朝。

 

 ある一人の人物が世を去ったその翌日であった。

 

 

 昨日の夜までは寒気を伴った激しい風雨が新帝都全体に降り注いでいたため、朝の校庭の土には湿り気が残っているが蒼穹は澄みわたり、清涼な空気と雨に濡れた草木と土の匂いが整列している生徒たちの肌と鼻腔を穏やかにくすぐっている。

 

 だが、今の生徒たちの意識は、嗅覚ではなく不吉な予感と共に視覚に向けられていた。

 

 彼らの目の前に高く掲揚された光輝在る『黄金獅子旗』はすでに見慣れたものであったが、その軍旗が旗竿の最上部ではなく、一目で判る位置にまで下げられ夏の風の中で力なくたなびいている。

 

 半旗。弔意を表す際に掲げられるそれを、生徒たちは何度か目にしたことがあった。動乱の時代において国家の重臣が非命に(たお)れたり、戦争やテロリズムにより多くの犠牲が出るたびに彼らの頭上にはためいてきたがゆえである。

 

「まさか皇帝陛下の御身に、何か……」

 

 

 生徒の一人がつぶやいた一言が、不安に満ちていた校庭の空気を一瞬凍てつかせ、それが溶けた後、喧騒は無秩序に拡大された。

 

「ばかな事を言うな!」

 

「しかし、陛下は死病にかかっておられると……」

 

「あの皇帝(カイザー)だぞ! あの方が病などにお斃れになるものか!」

 

 蜂の巣をつついたような騒ぎは、教官たちの叱咤によって表面上は収まったものの、生徒たちの不安と動揺は際限なく膨張する一方であった。

 

 

「どう思う、ユリウス」

 

 グスタフは前を向きながら、右隣に立っているユリウスに小声で問いかける。

 

「さあな。皇帝のご病気が不治だとは俺も聞いているが……」

 

 ユリウスもまた小声で視線を正面から動かさずに答えた。グスタフもユリウスも若年ながら、同学年のみならず上級生に比較しても並外れた胆力の所有者である。むろん、偉大な皇帝の安否について完全に平静ではいられなかったが、不安げに小声で会話を交わしている周囲の生徒たちに比べればはるかに落ち着いていた。

 

「あの皇帝がお斃れになるなど、確かに想像できないな。あの方なら、大神オーディンに不老不死を許されたと言われてもおかしくない」

 

 

 ラインハルト・フォン・ローエングラム。

 

 

 宇宙に進出した人類社会の過半を支配していたゴールデンバウム朝銀河帝国において、一介の貧乏貴族から新帝国の皇帝の座にまで翔け上がり、百年にわたり独立を維持してきたフェザーン自治領(ラント)と、旧帝国の圧政から逃れた人々により建国された自由惑星同盟(フリー・プラネッツ)をも併呑し、人類社会の再統一をほぼ成しとげた空前の若き覇者の名である。豪奢な金髪と覇気に満ちた蒼氷色(アイス・ブルー)の両眼を備えた半神的なまでの白皙の容貌の所有者であり、『金髪の有翼獅子(グリフォン)』『常勝の天才』と呼ばれる生ける軍神。

 

 グスタフの言葉には、皇帝への畏敬の念が偽りなく込められていた。彼の父親は一軍の総司令官として大敗の末に戦死したが、皇帝ラインハルト──当時はまだ形式上はゴールデンバウム王朝の臣下であったが──はそれにもかかわらず父を昇進させてその功をねぎらい、グスタフら遺族にも手厚く報いてくれたのである。皇帝に対する感謝と尊敬も不動となろうというものであった。

 

「……そうだな」

 

 そういった事情を知っているユリウスは同意の証としてうなずいたが、一方で皇帝を尊崇する友人を冷ややかに眺める自分も存在しているのを自覚し、やや憮然とした。まったく、我ながらこの無意味に皮肉っぽい性格は誰から受け継いだのだろうか。

 

「まあ、ここであれこれ言ってもしかたない。すぐにロイシュナー校長が過不足なく説明してくださるさ。今の俺たちにできるのは、校長のお言葉を待つ事だけだ」

 

「違いない」

 

 グスタフは苦笑したが、すぐに表情を消し口を緘した。彼らの前に校長が姿を現し、壇上に向かっていくのが見えたからである。が、その動きはいつもに比べてどことなくぎこちない。表情もこわばりを隠しきれておらず、感情の制御に少なからぬ努力を強いられているようであった。

 

 

 ヨハン・ハインリッヒ・ロイシュナー中将は三九歳。黒い頭髪と、ぎょろり(・・・・)とした薄茶色の眼が特徴的な人物である。

 

 ロイシュナーは大佐時代にゴールデンバウム王朝の将官であった時期のラインハルトの座乗艦ブリュンヒルトの二代目艦長を務めていた事があり、アムリッツァ会戦後に准将に昇進した後はその任を副長のニーメラー中佐に託して離れ、分艦隊司令官に転属した。

 

 初代艦長であったカール・ロベルト・シュタインメッツの後任としてラインハルトに選ばれただけに艦長としての能力は申し分ないものがあったが、艦隊司令官としては特筆すべき点はなく、「水準よりややまし」というところであった。

 

 だが、部下からの信頼も厚く組織の運営や管理に関しての非凡な見識と手腕、加えて少佐時代に幼年学校で教師を務めていた経歴の所有者であり、それゆえにリップシュタット戦役後に帝国の全権を掌握したラインハルトは少将に昇進したばかりのロイシュナーを執務室に呼び出し、中将への昇進を告げた上で幼年学校校長への就任を命じたのである。

 

 幼年学校校長就任はともかく、功績もなく昇進する事に対しロイシュナーは抵抗があったが、ラインハルトは微笑しつつ応じた。

 

「卿にはしばらくは幼年学校の改革に精励してもらう事になる。その前渡しと思えばいい。それとだ、卿は勁直な武人だ。本心では前線勤務をこそ望んでいるのではないか?」

 

 図星であったため、ロイシュナーが咄嗟に応えられずにいると若い主君は先ほどまでの微笑を消し、

 

「その卿から戦場で武勲を立てる機会を奪うのだ。中将昇進くらいでは償いにはなるまい」

 

 と申し訳ないような表情を浮かべた。自身が戦場の雄たる事を望んでいるラインハルトにとって、自分と志を同じくする信頼する部下から武人としての活躍の場を取り上げる事に対し、忸怩たる思いがあったのである。

 

 それを察したロイシュナーは敬愛する主君の心情を酌み、逡巡を捨てて謹んで辞令を受けた。かくしてロイシュナーはラインハルトの期待に応え、『ゴールデンバウム王朝最後の幼年学校校長』および『ローエングラム王朝最初の幼年学校校長』として硬直化した幼年学校の改革に邁進して成果を上げ、歴史にその名を刻む事となる。

 

 

 ロイシュナーはマイクを手に取り、いつも通りに生徒たちと朝の挨拶を交す。だが、次に発せられた言葉はいつも通りのものではなかった。

 

「生徒諸君らに伝えねばならない事がある。落ち着いて聴いてほしい」

 

 いつもは朗々として威厳に満ちているはずの声にも、表情や動作と同様にやや精彩が欠けている。それが傾聴している生徒たちの不審と不安を更にかき立てた。

 

「病床にあられた皇帝ラインハルト陛下は、昨夜、治療の甲斐なく崩御された……」

 

 

 息を呑む声が至る所で生じた後、先ほどのそれをはるかに上回る動揺が整然と整列していた生徒たちの間にたちまち伝播して、校庭は騒然となった。教官たちの「静粛に! 静粛に! 校長のお話は終わっていない!」という叱咤の声にも震えがある。

 

 混乱が収まるまでにやや時間を要したが、校長の表情には不快感はない。自分が発した言葉の内容を、初耳にして冷静さを保つのが無理難題である事を理解していたからである。

 

 校長の話が再開され、数日中には国葬が営まれるため、幼年学校の生徒全員も様々な準備を行わねばならない事、その後に嫡男であるアレクサンデル・ジークフリード大公を新帝とした即位式が執り行われる事が伝えられた。また、皇帝に先立って軍務尚書パウル・フォン・オーベルシュタイン元帥が地球教徒のテロによって死亡し、皇帝の後にその国葬が営まれる事も伝えられ、生徒たちの多くは状況の激変に呆然とし、ただ翻弄されているかのようであった。

 

 最後にロイシュナーはこう締めくくった。

 

「皇帝陛下の崩御は、生徒諸君にも多大なる悲哀と喪失感をもたらしている事と思う。だが、諸君らは新帝国の未来を担うかけがえのない人材である。どうかそれらを乗り越えて、勉学に精励して帝国の発展と平和に貢献する軍人に成長してもらいたい。それをこそ、亡きラインハルト陛下も天上(ヴァルハラ)から望んでおられるであろう」 

 

 

 集会は終わった。

 

 校舎に戻った生徒たちは呆然とする者、おぼつかない足取りで右往左往する者、人目をはばからず嗚咽する者と反応は様々であったが、皇帝ラインハルトという巨星の消失に未曾有の衝撃を受けているのは全員に共通していたのである。

 

「父さんの分まで、陛下にお仕えするつもりだったのに……」

 

 グスタフは廊下の窓際に立ち、窓の桟を両手で握りしめた。その顔には失意と悲哀の感情が満ちている。豪胆な彼も尊崇する皇帝の死を事実として突きつけられ、先ほどまで残されていた平常心を失ったかのようであった。

 

「グスタフ……」

 

 ユリウスは親友に呼びかけたが、次にかけるべき言葉がなかなか出て来ない。冷静さと大胆さを周囲から評価されている彼もまた、偉大な覇王の訃報に強く動揺していたのである。

 

 だが、一時的にせよ何とか自身の動揺を抑える事に成功し、低く嗚咽する友人に声をかける。

 

「……校長も仰られていただろう、俺たちが軍人として成長し、発展と平和に貢献する事をラインハルト陛下も望んでおられると。そうすれば、陛下だけでなくケンプ提督も喜んで下さるさ」

 

「その通りだ」

 

 横から予期せぬ声をかけられて、ユリウスとグスタフは即座に姿勢を正して声の主に敬礼をほどこした。

 

 他ならぬロイシュナー校長である。その表情には悲哀の色がわずかに残ってはいるが、生徒の模範たりうる毅然とした教育者の態度を取り戻していた。

 

 ロイシュナーはグスタフに視線を向けた。

 

「私などが語るまでもなく、君のお父上は立派な軍人だった」

 

 ロイシュナーは生前のグスタフの父親とも面識があり、その為人(ひととなり)と赫々たる武勲を知悉している者の偽りのない言葉であった。

 

「グスタフ・イザーク・ケンプ。君もまた優秀な生徒だ。どうかまっすぐ前を見て、お父上の名に恥じない軍人になってほしい」

 

 

 カール・グスタフ・ケンプ。

 

 

 グスタフの父親の名である。

 

 かつて単座式戦闘艇ワルキューレを駆って撃墜王(エース)として名を馳せ、艦隊勤務に転じてからは艦長としても艦隊司令官としても公明正大で巧妙果敢な指揮官としての名声を獲得するに至る。

 

 短く刈り込まれたブラウンの頭髪と二メートルになんなんとする身長、そして横幅に広い厚みのある筋肉によろわれた動かざる花崗岩の風格の所有者であり、息子であるグスタフにとっては厳しくも優しい、誇るべき父親であった。

 

 だが、その偉大な父親も三年前に、三六歳の誕生日を迎える事なく他界した。

 

 宇宙暦七九八年、旧帝国暦四八九年の第八次イゼルローン要塞攻略戦において総司令官に任命されたケンプ大将は、帝国領と同盟領を結ぶ数少ないルートであるイゼルローン回廊を制圧するべく一万六〇〇〇隻の艦艇と移動要塞として改造されたガイエスブルクを率いて自由惑星同盟軍を苦しめたが、同盟軍の智将ヤン・ウェンリーの戦術に抗し得ず、移動要塞と動員兵力の九割を喪失する大敗を喫して戦死したのである。

 

 遺児は亡父の志を継ぎ、報仇雪恨を果たすべく軍人としての道を歩む事を決意したのだが、自由惑星同盟滅亡後も新帝国に対し民主主義の旗を掲げて抵抗し続けたヤンは昨年の六月にテロリズムに斃れ、ヤンへの挑戦は永久に不可能になってしまった。

 

 そして今や、父親の分まで忠誠を捧げるつもりであった大恩ある皇帝まで世を去ってしまい、グスタフは自分の進むべき道を見失ってしまっていたのである。

 

 

「……はい」

 

 グスタフは決然とした表情で顔を上げる。まだ心の整理が完全にできたわけでもないが、いつまでも沈んでいては亡き父に叱られるであろうし、自らも失意の底にあるにも拘らず自分を激励してくれた親友や校長にも顔向けができないというものである。無理にでも眼を前に向け、足を前に進めねばならなかった。

 

 ロイシュナーはうなずき、次いで隣のユリウスに視線を移して語りかけた。

 

「ブリュール。君のお祖父(じい)様のダンネマン大佐は派手な武勲にこそ恵まれなかったが、職務に忠実で面倒見のよい、尊敬に値する軍人だった」

 

「祖父をご存知なのですか?」

 

「ああ、私がまだ新任士官だった頃、上官として随分とお世話になった。退役なさったとは聞いていたが、ご壮健かな」

 

 ユリウスは肯定した。母方の祖父であるヤーコプ・フォン・ダンネマン退役大佐は、今も数千光年離れた旧帝都オーディンで趣味である園芸を楽しみつつ、祖母と共に悠々自適の生活を営んでいるはずである。

 

「そうか。君も親友に劣らない才知の持ち主だと思う。どうか友人同士で切磋琢磨しあって、共にこれからの新しい時代にふさわしい軍人となる事を期待する。君のお祖父様もそう願っているだろう」

 

 

 ユリウス・オスカー・フォン・ブリュール。

 

 

 傍らの親友には及ばないものの同年代の中では長身であり、プラチナブロンドの頭髪と黒い双眸を有する、貴公子的な容貌の一一歳の少年である。グスタフ・イザーク・ケンプと共に、常に最優等生グループの一角を占める存在で、特に射撃や格闘戦といった実技においては親友と一、二を争う素質の所有者である。授業における格闘術の模擬戦で彼らに当たる事となった他の生徒は、自らの運と技量の不足を呪うのが常であった。

 

 三年にわたって幼年学校校長を務めてきたロイシュナーであったが、この二人ほどの単なる優等生に留まらない将来性を感じさせる生徒は、初めての存在であった。二年生に進級したばかりのこの二人が成長したならば、あるいは『帝国軍の双璧』の再来たり得るのではないかとすら思えるのである。

 

 それと同時に、長い流血の果てに到来した平和の時代において、若く才幹と鋭気溢れる彼らが道を誤り、身を持ち崩さないように自分たち年長者が時には導き、時には諭す事の必要性をロイシュナーは理解していた。

 

「はい。ご期待に沿えるように、慢心せず力を尽くします」

 

 ユリウスはそう答えつつ、やや苦い記憶を思い出していた。

 

 

 実のところ、祖父は孫の軍人としての大成を願うどころか、軍人になる事すら控えめながら反対していたのである。

 

 軍幼年学校への進学を希望している事を告げるなり、元大佐は、

 

「長く続いた戦争もじきに終わる。これからは平和な発展の時代を迎えるのだから、軍人以外の道も考えてはどうだ」

 

 と孫に翻意を促した。だが、ユリウスは平和な時代であっても軍人には果たすべき役目があると幼いながらに思っていたので我意を押し通し、祖父も結局は折れた。

 

 祖父がため息をつきつつ、「やはり、血は争えんか……」とつぶやいた苦い声を、ユリウスは思い出す。かつての自分と同じ道を孫が歩む事をなぜ素直に祝福してくれないのか、祖父の心情の在り処を今でもユリウスはつかみかねている。 

 

 

 そうしたユリウスの内心をよそに、壮年の校長はうなずいて敬礼を交わしたのち、その場を立ち去った。

 その背中が見えなくなってから二人は敬礼の手を下ろし、ユリウスは回想を中断してグスタフに顔を向けた。

 

「そろそろ朝食を食いに行くか。何をするにしても、腹が減っていてはな」

 

 二人は控え目に笑いつつ、悲哀と喪失感と困惑による三重奏の鎮魂曲(レクイエム)の音符と化している生徒の群の間を縫って、食堂へと足を向けるのであった。



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第二節

 国葬の日。

 

 帝国領の各所において、基本的に国旗や軍旗は半旗として、旗竿が短く半旗にできない旗はその上に黒く細長い弔旗を付けて掲げられている。かつてゴールデンバウム王朝期においては、皇帝崩御に際してそれらとは別に漆黒の幟が弔旗として、惑星の地表を埋め尽くさんばかりに林立したものだが、生前のラインハルトはそれを無用として廃止していたのである。

 

 ラインハルト終焉の地となったヴェルゼーデ仮皇宮は、かつてのゴールデンバウム王朝時代におけるフェザーン帝国高等弁務官事務所邸であり、豊かな緑に囲まれた広大な敷地内に建つ白亜の壮麗な館である。とはいえ、旧帝都オーディンにおける前王朝の皇帝の居城であった『新無憂宮(ノイエ・サンスーシー)』に比べれば一〇〇〇分の一にも満たない規模でしかない。その仮皇宮で今から営まれようとしている葬礼もまた、当時の評判でも後世の視点から見ても、宇宙を手に入れた人物を弔うにしては簡素に過ぎると評されるものであった。

 

 

 仮皇宮の庭の一隅には、葬儀に参加すべく学校から到着したばかりの軍関連学校代表の生徒たちが礼服に身を包み、左胸に喪章をつけてたたずんでいる。ユリウスとグスタフもその中に粛然とした様子で立っていたのだが、にわかに学生たちの間にざわめきが生じた。軍人の集まりの中から、同じく喪章をつけ、高級士官の礼服を着た一人の人物がユリウスとグスタフの前に歩み寄ってきたのである。その人物の姿を確認して冷静なユリウスも息を呑み、親友に比していささか敬礼が遅れてしまった。

 

 

 ナイトハルト・ミュラー上級大将。

 

 

 確か今年で三一歳のはずだが、若さに似ず落ち着いた印象のある風貌である。その顔にある翳りが、主君の死に対する哀惜の深甚なるを無言のうちに物語っていた。

 

 彼は軍最高幹部の中では最年少ながら上級大将の首座という立場にあり、軍神たる皇帝(カイザー)ラインハルト亡き今、帝国のみならず全人類社会においてミッターマイヤー元帥に次ぐ令名を誇る軍人なのである。そのような人物に何の前触れもなく初めて対面する状況になったのでは、まだ幼いと言えるユリウスの常の沈着さに刃こぼれが生じるのも無理からぬ事であった。

 

 二年前のフェザーン及び同盟への侵攻作戦『神々の黄昏(ラグナロック)』における最終決戦となったバーミリオン星域会戦において、同盟軍のヤン・ウェンリー元帥の魔術的な戦術の前に劣勢を強いられたラインハルト・フォン・ローエングラムを救ったのが、途中から来援したミュラー艦隊であった。

 

 ミュラーは乗艦を三度にわたって沈められながらも、そのつど艦を乗りかえて戦闘指揮を執り続けた。同盟軍の勇将ライオネル・モートン中将を戦死せしめたほどの攻勢における果敢さもさる事ながら、守勢における粘り強さに戦術家としての真価を発揮し、停戦にいたるまで主君を守るべく戦い抜いたのである。その献身的な勇戦は敵手たるヤンをしてよく判断し、よく戦い、よく主君を救う「良将」と賞賛せしめ、『鉄壁ミュラー(ミュラー・デア・エイゼルン・ウォンド)』の異名の由来となったのであった。

 

 

「お久しぶりです。ミュラー提督」

 

 グスタフのその声と表情には、相手に対する確かな憧憬と畏敬が感じられた。

 

 砂色の頭髪と同じ色の瞳が、穏やかにグスタフを見つめている。一見して均整の取れた長身に見えたが、左肩がやや不自然に下がっている事にユリウスは気づいた。

 

「ああ。しばらく会わないうちに大きくなったね、グスタフ。お母上とカールは元気かな」

 

「はい、二人とも相変わらずです」

 

 カールことカール・フランツ・ケンプはグスタフの三歳年下の弟であり、この年八歳の誕生日を迎えている。再来年には兄の後を追って幼年学校に入学する予定であった。

 

 短いやりとりの後、グスタフは傍らの友人をミュラーに紹介した。紹介されたユリウスは緊張をできる限り抑え込み、名を名のる。

 

 全人類社会で二番目に偉大な提督は、砂色の双眸をまたたかせてユリウスを見つめ、少し首をかしげるような動作をした。

 

「……君とは、以前どこかで会った事があるかな?」

 

「いえ、こうして面と向かってお会いするのは初めてです」

 

 事実、ユリウスは軍最高幹部とは誰一人とも面識はなく、出兵式などの儀典でその姿を見た事があるだけである。

 

 ミュラーは一度幼年学校に講演のために訪れた事がある。戦場において部下たちを叱咤激励するのには慣れているミュラーも、勝手の違う講演というものは苦手であり、かつての『帝国軍の双璧』と同様に早々にそれを切り上げ、校庭の木陰で生徒たちと歓談に興じた。多くの生徒たちはこの偉大な提督からの握手や激励を求めてその周囲に集まったものだったが、この時教師から所用を申し付けられていたユリウスはこの青年提督と会う機会を逃していたのである。

 

「そうか。すまない、変な事を聞いてしまったな。これからもグスタフと仲良くしてやってほしい」

 

「はい、もちろんです」 

 

 ユリウスは声がうわずらないように気を付けつつ答えた。

 

 その時、ミュラーの副官であるドレウェンツ中佐が上官の傍らまでやってきて何事かをささやきかけ、ミュラーはうなずいた。

 

「グスタフ。いずれ時間があればまたゆっくりと話をしよう」

 

「はい!」 

 

 グスタフの返事に微笑しつつ敬礼を一つ残し、ミュラーは踵を返して副官と共に歩き去っていった。その背中を見送り終わり、敬礼の手を下ろしたユリウスはグスタフに緊張の余韻を隠し切れない口調で問いかける。

 

「ミュラー提督と知り合いだったのか、グスタフ」

 

「ああ、まあな」

 

 いつもは朗々としているはずのグスタフの言葉に、歯切れの悪さをユリウスは感じた。友人の疑問を感じ取り、グスタフは場所を変えて話したいと言った。

 

 いまだ周囲からの羨望の視線にさらされつつ、グスタフに促されてユリウスは少し離れた木陰に移動する。

 

 

「三年前の戦いで、ミュラー提督が父さんの副将だったのは知っているだろう?」

 

 無論、ユリウスは知っている。第八次イゼルローン要塞攻略戦において、ミュラーは副司令官として遠征軍総司令官であったケンプを補佐する立場にあった。

 

 そして激戦の末にケンプは爆発四散した移動要塞と運命を共にし、ミュラーは重傷を負いつつも二〇分の一以下まで撃ち減らされた敗軍をまとめて帰還した後、長期療養を余儀なくされたのである。

 

 ケンプの帝国軍葬に際して、ミュラーは医師の制止を押し切って部下に支えられながら葬儀に参列し、葬儀に先立って主将たるケンプを救いえなかった事を遺族に謝罪した。

 

 ケンプ夫人はその謝罪を受け入れ、兄よりさらに幼い弟カールは状況を飲み込めず、母親の喪服の裾にしがみついてミュラーを見つめるのみであったが、グスタフは拒絶した。幼い彼は敬愛する父を失った反動から、ミュラーを「父を見殺しにして生き延びた無能者」と断じ、父親譲りの気性を発揮して激しく非難したのである。夫人は際限なく罵倒の言葉をつむごうとする長男の頬に平手を打って黙らせ、息子の無礼を詫びたが、ミュラーは一言も弁明せずただ頭を下げるのみであった。

 

 その後退院し復帰したミュラーは折を見てケンプ家を何度か訪問した。当初は彼に反発していたグスタフだったが、ミュラーの誠実で穏健な為人(ひととなり)に触れ、復帰後の彼の戦場での活躍を聞き知り、反発心はいつの間にか消えて強い尊敬の念を抱くようになっていたのである。

 

 そして何度目であったか、ケンプ家を再訪したミュラーに対し、グスタフはこれまでの非礼を深く謝罪し、ミュラーもそれを穏やかに受け入れたのであった。

 

 

 ユリウスは得心した。知り合った経緯がそれでは、知人かと聞かれてばつ(・・)が悪いのも無理はない。

 

「提督の左肩には気づいていたか?」

 

 グスタフの問いにユリウスはうなずく。

 

「ああ、こころもち不自然に下がっているように見えたが……」

 

 あれは第八次イゼルローン攻略戦で負った戦傷であった。ガイエスブルク移動要塞の爆発の余波に旗艦が巻き込まれ、ミュラーは艦内の壁に叩きつけられて全治三ヶ月の重傷を負ったのである。現在の医療技術であれば元通りに整復する事も可能だったのだが、ミュラーは主将や多くの将兵たちを死なせた敗戦を忘れないために、自身への戒めとしてあえて完治させずに残す事を望んだのだという。

 

「そういった事情を知ったのはしばらく後の事だった。父さんが死んだ戦いで傷付いていたのは、自分たち家族だけじゃない。そんな事にも気付かずにミュラー提督を口汚く責めた自分自身が情けなかった」

 

 グスタフはうつむいたが、まだ一〇歳に満たない子供が、敬愛していた父の死に冷静でいられなかったのは無理のないことであったろう。にもかかわらず自らの不明を悔い、謝罪もしたのだからグスタフの器も捨てたものではない、とユリウスは思う。

 

 それに、グスタフの非難もまったくの的外れという訳でもない。ミュラーにも副司令官として敗戦の責任があったのは確かであり、だからこそグスタフの罵声を甘受したのだろう。そのミュラーの己に厳しい高潔な姿勢に触れて、グスタフもまた感化され成長したのではないだろうか。ユリウスは親友のたくましい肩を軽く叩いた。

 

 その時、彼らの頭上から何の前触れもなく強い風の流れが生じた。それは庭の緑豊かな木々の間を駆け巡り、長鳴りする木ずれの音を奏でたのである。

 

 人々が驚いて頭上を見上げると、仮皇宮のはるか上空に陽光を受けて輝く二隻の艦艇が滞空していたのが見えた。

 

 一隻は白銀、一隻は深紅とそれぞれ鮮やかに彩られた、共に機能美を究めたかのような流線型の戦艦である。

 

「ブリュンヒルトに、バルバロッサ……」

 

 誰ともなくつぶやかれた言葉が、天空を飛翔する二つの存在の固有名詞を示していた。

 

 皇帝ラインハルトの座乗艦にしてローエングラム王朝軍の総旗艦たるブリュンヒルト。

 

 そして故キルヒアイス元帥の座乗艦たる戦艦バルバロッサ。

 

 主と共に勇名を馳せた二隻が、主と主の盟友を見送るために天空を翔けてきたのだと、人々は理解した。

 

 

 ジークフリード・キルヒアイス元帥。

 

 

 名工の鍛えたサーベルのような強靭さを感じさせる一九〇センチに達する長身と、炎とも紅玉(ルビー)とも形容される輝くような癖のある赤毛の美男子であり、幼少期からのラインハルトの盟友にして半身。ゴールデンバウム王朝打倒の志をラインハルトと共有し、比類なき忠誠と才識、そして謙虚で温和な為人をもってラインハルトのともすれば激しく鋭すぎる一面を抑え、補佐役および副将としてその覇業を支えた不敗の驍将であった。

 

 四年前の旧帝国暦四八八年九月、帝国を二分する内乱となった『リップシュタット戦役』において、帝国元帥にして帝国軍最高司令官であったラインハルト・フォン・ローエングラム侯爵は門閥貴族連合軍を打ち破り、貴族連合盟主ブラウンシュヴァイク公爵を自決せしめて勝利者となった。

 

 当時上級大将にして宇宙艦隊副司令長官だったキルヒアイスもまた、別働隊を率いてラインハルトの本隊の後方を磐石なものとすべく辺境星域に向かい、大小数十度に及ぶ戦闘にことごとく完勝し、キフォイザー星域会戦では敵の副盟主リッテンハイム侯爵率いる五万隻の大軍を大破した。そして全辺境星域を平らげて本隊と合流し、最終決戦の終盤において麾下の高速巡航艦隊の圧倒的な破壊力と速度で敵軍の戦線崩壊の契機を作り上げて勝利を確定させ、「巨大すぎる」と味方の一部から警戒すらされるほどの武勲を打ち立てたのであった。

 

 その直後、戦勝式における捕虜の引見時にラインハルトが刺客に襲撃された際、キルヒアイスは自らの身を盾として凶弾を浴び、盟友に看取られながら二一歳の生涯を閉じたのである。

 

 その先日までキルヒアイスだけが式典時の武器の携行を許されていたのだが、それを不公正な特権であるとした謀臣オーベルシュタインの献言を、この時期キルヒアイスとの関係に未曾有の亀裂が生じていたラインハルトが是としたがゆえの惨劇であった。その早すぎる死は彼を知る多くの人間から惜しまれ、事あるごとに「キルヒアイスが生きていれば」とローエングラム王朝の重臣たちを嘆息せしめたのである。

 

 短い期間ではあったが、共に死線を潜り抜けてきた栄光ある騎手を失った戦艦バルバロッサは、戦役終了後にラインハルトの予備旗艦という名目上の扱いで旧帝都オーディンの宇宙港に繋留され、フェザーン遷都後に新帝都の宇宙港に移された。自身の誤断と狭量ゆえに半身を失った自責の念と喪失感から終生逃れられなかったラインハルトは、時折この深紅の戦艦を視察に訪れ故人をしのんだと伝えられる。

 

 若い覇者はキルヒアイス以外の人間がバルバロッサを旗艦とする事を決して許さなかった。ローエングラム王朝成立後、バーミリオン会戦において旗艦リューベックを失ったナイトハルト・ミュラーにバルバロッサを新しい旗艦として与えてはどうかという意見があったが、ラインハルトはそれを容れず、代わりに新王朝における最初の新造戦艦パーツィバルを与えるという名誉をもってミュラーに報いたのである。

 

 屈指の功臣ミュラーですら許されなかった以上、総旗艦ブリュンヒルトに万一のことがない限りはバルバロッサが再び戦場に出る可能性はなく、その雄姿を見る事はもはや叶わぬと人々は思っていたのだが、皇妃(カイザーリン)ヒルデガルドの指示により、この場への二艦の来訪が実現したのであった。

 

 ユリウスもまた、今よりも更に幼いころ、宇宙港から数多の軍艦が天空の彼方へと飛翔するのを目の当たりにした時の興奮と感歎を思い出していた。旗艦級の戦艦の全長はおよそ二五〇メートル前後──六〇階の高層ビルに匹敵──であるが、あの時初めて間近で見た戦艦は実際の大きさよりも遥かに巨大に感じられたものである。

 

 古い伝説の比翼の鳥のごとく寄り添って飛翔する伝説的な二隻の戦艦を仰ぎ見た軍人や生徒たちは、誰に言われるともなく一斉に艦影に対し敬礼を施した。彼らには、その二隻に天上(ヴァルハラ)へと翔けていく黄金と深紅の頭髪の二人の若者の姿が重なって見えたであろうか。

 

 特にビューロー、ジンツァー、アルトリンゲン、ブラウヒッチ、ザウケンといった将官を始めとしたキルヒアイスの旧部下たちは、皇帝のみならず真の名将であったかつての上官との記憶をも思い起こし、瞼の熱さに耐えかねているようであった。

 

 中でも先日まで惑星ハイネセンの警備責任者の任にあり、治安回復に目処がついた後は後事をマイフォーハー中将に委ねてフェザーンに帰着していたフォルカー・アクセル・フォン・ビューロー大将などは、堪えきれなかったのか片手を顔に当てて低く嗚咽を漏らした。同僚や部下たちは慰めの声をかけようとしたが、

 

「ベルゲングリューン……」

 

 というビューローの悲痛な独語を聞いて、彼がかつてキルヒアイス麾下で勇名を競い合い、昨年自ら命を絶った戦友の事までも想起した事を知り、周囲の者たちは沈黙せざるを得なかったのであった。




 









 旗艦級の戦艦の全長については、

・原作の黎明篇第五章でオーベルシュタインが艦隊司令官ゼークト大将を見限って旗艦から退艦する際に、「六〇階建のビルに匹敵する巨艦のなかを艦底へとおりてゆく」という描写がある。

・原作第一巻初刷の四年前の1978年に開業した東京・池袋の六〇階建ビル「サンシャイン60」の最頂部までの高さが239・7メートル(ウィキペディア参照)である。

 という二点を参考にしています。

※追記

 アニメ版の設定において、旗艦級の戦艦の全長が1000メートル前後であるのは承知していますが、この小説は基本的には原作をベースとしており、原作とアニメ、コミック版などの各設定に矛盾や齟齬がある場合は原作の記述を優先しています。
 
 作者個人としては「六〇階建のビルに匹敵する巨艦のなか」という原作の記述は戦艦の全高ではなく全長と解釈するのが自然であると考えておりますので、なにとぞご了承ください。


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第三節

 ゴールデンバウム王朝において、皇帝の葬儀は皇太子、またはそれに準じる立場の後継者がその責任者となるのが慣例であった。

 

 一例としては第六代皇帝ユリウスの死後、後継者たる立場を誇示すべく盛大だが空虚な葬礼を差配したのは「皇太曾孫」たるカール大公であった。もっとも、後にカールは玉座に座る直前に帝位継承権を放棄し、第二位の継承権を有していたカールの従兄であるブローネ侯爵ジギスムントがジギスムント二世として帝冠を戴く事が即位式当日に発表されて、裏の事情を知らされなかった当時の大多数の臣民たちを驚愕および困惑させたものである。

 

 ユリウスの急死は、一〇〇歳近くになっても健康に翳りすら見せない曾祖父に対し迷信的な恐怖に囚われたカールによる毒殺であり、それを知ったジギスムントの宮廷工作によってカールが帝位継承権を喪失したというゴールデンバウム王朝にとって不名誉な事実が暴かれたのは、王朝滅亡後の近年の事である。

 前王朝の例に従えば、ラインハルトの葬儀は後継者たるアレクサンデル・ジークフリードことアレク大公(プリンツ・アレク)がその任に就くべきなのだが、無論いまだ生後三か月にも満たない乳児に務められるはずもない。そして後継者が幼少の場合は、先帝から公認された後見人が代理として葬儀を取りしきるのもまた慣例であった。

 

 ラインハルトはことさらに前王朝の前例を踏襲しようとしたわけではないが、死の直前に遺した遺言のひとつとして、大公の母にして新帝即位時に摂政皇太后となる皇妃(カイザーリン)ヒルデガルドことヒルダを自身の葬儀の責任者に任じる事を明言していた。これは摂政としてのヒルダの立場をより強めるための、ラインハルトの配慮でもあったと思われた。

 

 皇帝(カイザー)の配偶者という立場の女性が摂政という国家を指導する立場に就き、あまつさえ皇帝の葬儀を取りしきる事に対し後々の影響を心配する一部の声もあったが、ヒルダの摂政就任はあくまでも彼女が新王朝にもたらした政治および軍事における多大な功績あってのものであり、皇帝の葬儀の運営責任者たる事も同様であると公式記録に明記される事でひとまずの決着を見たのである。

 

 とは言え、ヒルダの運営能力に疑念を差し挟む余地はまったくないものの、彼女は出産を終えてさして間もなく、崩御まで病床にあった夫の看病や乳児であるアレク大公の世話を皇姉アンネローゼと共に行なっており、夫の崩御の心痛もあって軽視し得ない肉体的及び精神的な疲労を残している事が懸念された。そのため、ヒルダはあくまで要所要所における最低限の指示や提案の提示のみに徹し、補佐役を置いて葬儀全体の運営はその人物に委任する事が決定されたのである。

 

 当初その補佐役として国務尚書マリーンドルフ伯爵が周囲から推されたのだが、伯爵は皇妃が皇帝の国葬の責任者となる以上、この上皇妃の父にして閣僚首座という、名目上は宰相に比肩する立場にいる自分がその補佐を務めるのは、外戚の専横を正当化する悪しき前例となりかねないとして、これを固辞した。本来は国務尚書の座すら娘の婚姻に先立って退こうとしたその思慮と誠実さは、多くの人々から好意をもって受け入れられたのである。

 

 次に推薦されたのは、宇宙艦隊司令長官ミッターマイヤー元帥であった。彼は軍務尚書オーベルシュタイン元帥亡き後、軍の最高位たる立場にしてマリーンドルフ伯から次期国務尚書に推挙されている身でもあり、その並ぶ者なき武勲と公明正大な姿勢はその任にふさわしいと思われたのだが、ミッターマイヤーもまた、辞退する意向を示した。

 

 というのも、ローエングラム王朝成立後、ほとんどの国葬やそれに準じる葬儀を取りしきっていたのが故オーベルシュタイン元帥であった事に対し、文官の一部から不満が出ている事をミッターマイヤーは知っていたからである。

 

 武官であるレンネンカンプ上級大将の密葬やルッツ元帥の国葬はまだしも、文官でありテロに(たお)れた工部尚書シルヴァーベルヒが同時期に戦没したファーレンハイト、シュタインメッツ両元帥と合同で弔われ、その葬儀委員長までも軍部の代表者たるオーベルシュタインが務めた事は、いかに弔うべき武官の方が多いとはいえ、「文官軽視の表れではないか」という無視しえない疑惑を一部で生じさせていた。

 

 ローエングラム王朝において文官は決して軽視されている訳ではない。むしろラインハルトは為政者としても独創性と見識と意欲に富んだ偉才と一般的に評価されており、それを支える文官たちの存在は重要なものであった。とはいえ、成立当初から軍人皇帝のもとで軍部による武断主義の傾向が強い新王朝では文官の存在が淡いものになりがちであるのは否定し得ない。

 

 ましてや卓越した才識と指導力を有したシルヴァーベルヒの横死後、彼のようなカリスマが文官側に存在していない事が一部文官の間に焦りを生じさせており、この上皇帝の国葬まで武官が葬儀を取りしきったとあっては、彼らの不満を顕在化させ、国家の両輪たる文官と武官の間に深刻な亀裂が生じる可能性もある。ここは軍部が一歩譲るという体裁が必要であると判断したゆえのミッターマイヤーの辞退であった。

 

 重臣間の相談の結果、マリーンドルフ伯とミッターマイヤー元帥は宮内尚書マクシミリアン・ローレンツ・フォン・ベルンハイム男爵に、葬儀運営における事実上の運営責任者就任を要請した。ベルンハイム男爵は前王朝においては宮内省や典礼省における一中堅官吏に過ぎなかったが、職務に忠実な旧王朝の故実に精通した人物で、五年前の前王朝の第三六代皇帝フリードリヒ四世の国葬を始め、幾人かの皇族や大貴族の葬儀運営にも携わった経験もあり、この一件にはうってつけの人材と言える存在と思われたからである。

 

 皇帝の国葬のほぼ全面的な差配という重責を背負うなどという事態は、ベルンハイム男爵の想像力の地平線の彼方にあった。前王朝において宮内尚書は皇帝の葬儀において重要な役割を果たすべき立場にあったのは確かだが、それはあくまでも皇太子など葬儀の最高責任者への助言・補佐を行なうまでに留まっていたのである。

 

 だが、人臣としての文武の最高責任者二人に頭を下げられて、誠実な宮内尚書はつつしんでの「諾」以外の返答の選択肢を持ち得なかった。ましてや、ベルンハイム男爵個人としても皇帝ラインハルトには恩義があり、その葬儀を取りしきる事については「望む所」という心情も確かに存在したのである。

 

 

 旧王朝の宮内省の一官吏であった時期、ベルンハイム男爵は無駄と思われる儀礼の簡略化や削減およびそれによる宮廷費の抑制を、精密な資料を作成して一度ならず上申した事がある。気質は剛性とは言いがたい彼にとって、これらの上申は持てる見識と勇気を総動員して行なったものなのだが、その行動はその時点では報われなかった。慣例を重んじ変化を好まない上司たちによって上申はことごとく却下され、逆に疎まれて典礼省へ出向させられたのである。典礼省は貴族関連の行政事務を処理する役所であるが、その職掌の多くは宮内省や司法省のそれと重複していたので、省そのものがある意味閑職とも言える存在であった。

 

 失意に肩を落としていたさなか、ベルンハイム男爵はひとつの仕事を命じられる。すなわち、二〇歳を迎えるラインハルト・フォン・ミューゼルのローエングラム伯爵家相続の事務的な責任者に任じられたのである。

 

 食うにも困る貧乏貴族の出自であったにもかかわらず、まぐれ続きの軍功と、当時の皇帝フリードリヒ四世の寵姫の弟であるという立場だけで出世した(と当時の大半の大貴族は信じていた)ラインハルトの伯爵家相続は、いかに皇帝の意思とはいえ大貴族にとっては非常に不愉快な事例であった。

 

 ある者は成り上がり者を嫌悪し、ある者は大貴族の憎悪の余波を向けられる事を恐れたりと、その相続の手続きを積極的にやりたがる人材が当時の典礼省におらず、省の上層部は白眼視していたベルンハイム男爵に厄介な仕事を押しつけたのである。だが、それは男爵にとっては、思いもよらなかった人生最高のロイヤルストレートフラッシュを完成させるエースのカードとなった。

 

 男爵は皇帝の寵姫の弟に対して、その鋭い眼光にやや気圧されながらも、媚びもせず、忌みもせず、ただ粛々と丁寧かつ誠実にラインハルトの伯爵家相続の手続きを行なった。その公正な態度と的確な事務能力に感心したラインハルトは、後に却下された男爵の宮廷費の削減案に目を通す機会があり、その旧弊を改めようとする意志と識見の深さに非常に感銘を受けた。これにより、ローエングラム王朝における初代宮内尚書の椅子は座るべき人物を得たのである。

 

 

 かくしてベルンハイム男爵は皇帝夫妻の結婚式の証人役という大役を務めたわずか半年後に、皇帝陛下の葬儀の事実上の運営責任者というさらなる大役を務める事となり、不満を抱いていた文官たちはそれを知ってある程度は溜飲を下げたのである。だが、篤実だが気の弱い一面のある宮内尚書本人は、やる気は充分ながら中堅官吏であった当時とは比較にならない重圧を両肩とみぞおちの辺りに知覚し、国葬の準備開始から終了まで胃腸薬を手放せない身となった。そして皇妃の体調への配慮ゆえにその補佐役となった自分の体調が思わしくないと公言する訳にもいかず、心身ともに穏やかならざる宮内尚書は宮廷医からこっそりと薬を受け取りつつ、外見上の最低限の平静を保つのにも少なからず苦労したのである。

 

 ヒルダは葬儀全体の基本的な運用は宮内尚書に委ねたが、皇帝の国葬として恥ずかしくない程度の格調を保ちつつ、できるだけ簡素にする事を求めた。ラインハルトは葬儀の規模についてまでは遺言では触れなかったが、それは皇妃に対する信頼の表れのひとつであっただろう。ヒルダは亡夫が前王朝における浪費と虚礼に満ちた式典を心の底から嫌悪していた事を知悉しており、それはヒルダ自身の価値観とも完全に合致していたのである。

 

 皇妃の意を受けた宮内尚書は「できる限り簡素な皇帝の国葬」という、前王朝の慣例を参考にしづらい匙加減の難しい課題に皇妃の意見を確認しながら四苦八苦しつつ、結果としてつつがなく仮皇宮の広壮な大広間で挙行された葬礼を終わらせる事に成功した。宮内尚書は式の終了後に皇妃から感謝とねぎらいの言葉を賜った後、人目のない場所で胸をなでおろし、なでおろした手を下げて胃の辺りを押さえたのであった。

 

 

 一方、葬儀の簡素さに反比例して豪華極まりなかったのは、列席者たちの顔ぶれであった。その人数こそ旧王朝の皇帝の葬礼に比べればはるかに少ないものの、皇妃ヒルデガルド、第二代皇帝となるアレク大公こと皇子アレクサンデル・ジークフリード、グリューネワルト大公妃といった皇族を始め、ミッターマイヤー元帥を筆頭とする軍高官や内閣を構成する尚書を始めとする高級文官や官僚といった、人類社会における歴史上空前の大帝国を動かしうる要人たちが、ただ一人の死者を見送るためにこの場に参上していたのである。また、その中にはごく少人数ながら帝国軍のそれとは異なる軍服姿──黒いベレーにジャンパーとハーフブーツ、アイボリーホワイトのスカーフとスラックス──も見られた。自由惑星同盟の滅亡および指導者ヤン・ウェンリーの死という苦難を乗り越え、新帝国との間に講和を成立させて民主主義の命脈を保ったイゼルローン共和政府の軍事指導者たるユリアン・ミンツ中尉と、その同伴者たちが賓客として参列していたのであった。

 

 そしてユリウスとグスタフも、幼年学校の学年代表の一員として葬儀の最後列に連なる事を許されていたのである。

 

 葬儀はユリウスと同じ名を持つ前王朝の老皇帝のそれとは真逆の空気──すなわち、簡素だが偽りない哀悼の念に満ちた──の中で最後まで進行した。文官代表のマリーンドルフ伯の弔辞を皮切りに、短いが真情の込められた追悼の言葉が次々と会場に響きわたり、参列者たちを一段と粛然とさせてゆく。士官学校や幼年学校といった軍関連学校の最上級生首席による弔辞も読まれ、いずれの生徒も過度の緊張と悲哀により、所々で声を詰まらせる場面が少なからずあったが、それはむしろ皇帝への深い敬意と哀惜の存在を示しているものと受け止められた。参列者たちは特殊ガラスの蓋のケースに納められ、低温保存されている皇帝ラインハルトの遺体を前にし、各々異なる思いを胸中に抱きつつ、死してもなお強い存在感を保つ覇者との最後の別れを惜しんだのである。

 

 無論、ユリウスもいまだ巨大な喪失感の虜囚たる存在であったが、その一方で、

 

 ──もし今、この式場で高殺傷力の爆発物が炸裂したら──

 

 などと不穏当極まりない事を、この皮肉屋としての一面がある少年は思考の一隅で考えてしまい、今こんな事を考える学生は自分くらいだろうな、と内心で苦笑した。三年ほど前に今は亡き黒と青の瞳を持つ名将が、似たような状況で似たような事を空想した事など、無論ユリウスは知る由もなかった。

 

 しかし、一笑に付してしまえる話でもない。身近な例では先日、国家の重鎮であった軍務尚書オーベルシュタイン元帥がテロの犠牲となっているではないか。警備責任者であるケスラー上級大将やその配下たちなどは、さぞ神経を尖らせ、葬儀の静謐を妨げないようにしつつ警備体制を整えているに違いなかった。

 

 

 ウルリッヒ・ケスラー上級大将。

 

 

 今年で三九歳となる彼は、茶色の頭髪の両耳の付近のみが白く、眉にも白いものが混じっており、実年齢にそぐわない印象がある。だが、八年前の旧帝国暦四八四年に法務士官の研修のため宇宙艦隊司令部から憲兵隊に出向していた当時の年齢は三〇歳を過ぎていたにもかかわらず「二〇代後半」に見えたという証言がある。実際、その当時の彼の頭髪や眉には白髪がまだ目立っては存在せず、それらがなければむしろ若い印象を与える容姿であった。彼の頭部に白いものがはっきりと現れるのは、当時の軍上層部に忌避された結果として辺境星域への赴任を命じられた時期からであり、辺境における心身への労苦の結果によるものと思われる。

 

 その容貌は「軍人というより敏腕の弁護士を連想させる」と言われる一方で、「歴戦の武人らしい精悍な風貌」という相反する記録も存在する。全体としては後年上梓された『ケスラー元帥評伝』を始めとして前者の評価の方が圧倒的に多いのだが、後者の評価はリップシュタット戦役終結後二年ほどの時期に集中して見られる。

 

 彼は辺境勤務において前線指揮及び後方支援の両方に豊富な経験と実績を積み重ねた後、旧知であったラインハルトに中央に呼び戻されてその幕下に入り、リップシュタット戦役では艦隊司令官として活躍した。戦役終結後、ケスラーはその実務能力をラインハルトに見込まれて憲兵総監と帝都防衛司令官の兼任を命じられ、活躍の場を地上へと移す事となる。

 

 だが、ケスラーは気質的には宇宙空間を往く事に喜びを見い出す行動型の武人であり、前線勤務から外された事に対し内心で忸怩たる思いを抱いていたのは事実である。地上勤務に就いてしばらくの間、前線の武人でありたいという願望が身にまとう雰囲気に表れた結果として「歴戦の武人」という外見の印象につながり、そしてそういった自身の欲求を徐々に抑え込んで地上勤務に精励した結果、「軍人というより有能な法律家」という従来の印象に回帰したのではないか、と後世の歴史家の一人は推測している。

 

 

 ユリウスの脳裏に、不意に一つの疑問が浮かんだ。

 

 オーベルシュタイン元帥がこのヴェルゼーデ仮皇宮の二階の一室において地球教徒のテロに斃れた際、その時の仮皇宮の警備責任者もケスラー上級大将であった。この時点で地球教は本拠地たる地球を始め各惑星の重要な支部もすべて壊滅させられており、テロの実行犯の人数は二〇名程度に過ぎなかった上、戦いぶりは狂信的であっても戦闘員としての練度は精鋭とはほど遠いものだったという。携帯していた武器も貧相なものであり、軍務尚書を死に至らしめた爆発物も光子爆弾でも中性子爆弾でもなく、原始的な手製の爆弾であった。

 

 ケスラーの治安責任者としての能力と実績は一幼年学校生徒のユリウスもよく知る所だが、その彼が警備を担当していたにもかかわらず、どうしてそんな少人数の、練度も装備も精鋭とは言いがたい集団の仮皇宮への侵入を許したのだろうか?

 

 その当時の夜、新帝都は猛烈な雷雨の渦中にあった。闇夜と嵐、そして雷雨による機械的な警備システムの不備の発生などに乗じたのを考慮に入れても、不自然なものをユリウスは感じた。

 

 まさかとは思うが、ケスラーは仮皇宮の三階の一室にいた皇帝一家の警備を万全なものとした上で、地球教徒どもを完全に覆滅するために、わざと外部の警備に穴を開けて隙を見せつけ、彼らを仮皇宮の内部に誘いこんだのではないだろうか。そして、軍務尚書の横死も、もしや……。

 

 この時点では、ユリウスは死んだ軍務尚書が地球教の本尊たる地球を破壊するという流言をもって、皇帝の身を囮にして地球教徒を仮皇宮に呼び寄せたという事実を知らなかった。知っていれば、軍務尚書と憲兵総監の間に地球教覆滅のための水面下での連携があった可能性に気付き、更なる戦慄を禁じえなかったであろう。

 

 ユリウスは心の中で頭を振った。断定するには自分が持つ知識や情報は質量ともに貧弱に過ぎる。単に想像の翼を広げ過ぎただけかも知れない。そう思いつつ、彼は心の一隅に抱く疑問をまた一つ増やしたのであった。

 

 

 なお、後世においてもユリウスと同じような疑問を抱いた歴史家は幾人か存在し「ケスラーが襲撃を奇貨としてオーベルシュタインを謀殺した」と主張する者や「オーベルシュタインとケスラーが地球教覆滅のため水面下で協力しており、オーベルシュタインは自ら囮となった」と唱える者もいるが、いずれの説も定説となるには証拠に乏し過ぎるとされている。

 

 ケスラー自身は「地球教徒の仮皇宮への侵入を許し、軍務尚書を守れなかった責任は私にある」と述べるにとどまり、この件について多く語る事はなかった。皇帝崩御直後に憲兵総監は警備責任者として皇妃に謝罪したが、皇妃はそれを咎める事なくその働きをねぎらい、皇帝の遺言通りに新帝の即位に際して他の上級大将と共にケスラーに元帥号を授与する事となる。

 

 

 式も終盤に差しかかろうとしていた。学生による献花が始まったのである。

 

 まず士官学校の生徒代表者たちが用意された花を手にし、棺の前まで歩み寄って一礼した後、献花台に花を置いて亡き皇帝に敬礼するのである。士官学校生徒のそれが終わった後、次に列を作ったのは軍医学校の生徒たちだが、その中にいる一人の人物に周囲の注目が集まった。

 

 今年一六歳のエミール・フォン・ゼッレであった。昨年の六月に幼年学校を卒業し、現在は軍医学校に籍を置いて医学を一心不乱に学びつつ、皇帝ラインハルトの近習を先日まで務めていた少年。

 

 宮内省は軍医学校生徒の弔辞を、最上級生首席の生徒ではなく彼に読んでもらう予定を立てていたが、エミールは「皇帝陛下の近習だったからといって、学校の先輩をないがしろにしては陛下に叱られます」と言って謝絶した。軍医学校の学年代表の一人としての立場は、彼の努力によって勝ち得たものであったが。

 

 ラインハルトの死後、エミールは近習を辞して軍医学校に戻り、勉学に精励する予定になっていた。戦死した父親が軍医であり、その背中を幼少期から見ていた彼が父と同じ道を歩む事を決めたは自然な成り行きであったが、かつて彼は至尊の冠を戴く前のラインハルトから「お前に私の主治医になってもらう」と言われ、感動して一層の努力を誓ったものである。

 

 もはやその約束は永久に果たされないものになってしまったが、それはエミールの医者としての歩みをかえって早ませる事となった。医学を学び、畏敬すべき皇帝の傍に近侍する立場にありながら、皇帝の最期を看取る事しかできなかった不甲斐ない身が、医師として大成する努力を怠って、どうして天上(ヴァルハラ)に赴いた際に皇帝に顔を合わせる事ができるだろうか?

 

 

 なお余談ながら、皇帝の近習であった時期のエミールの姓名について、資料や記録によっては貴族の出自を示す「フォン」の称号が省略され「エミール・ゼッレ」と表記されている場合があるが、これには事情が存在する。

 

 戦死した彼の父親はゴールデンバウム王朝時代の開明派と呼ばれた政治グループに参画しており、当時の開明派の指導的立場にあった現ローエングラム王朝の民政尚書カール・ブラッケと財務尚書オイゲン・リヒターとも交流のある人物だったのである。

 

 ブラッケとリヒターは貴族でありながら「フォン」の称号を省略する事で開明派の旗手たる事を表明していた。フォン・ゼッレ軍医もそれに倣おうとしたのだが、妻に反対された。ただでさえ開明派とつながりがある事で当時の治安当局からマークされているのに、さらに当局や門閥貴族から睨まれるような事は、自分たちだけでなく一人息子のためにも避けるべきだと訴えたのである。夫は妻の言い分に反論出来なかった。

 

 ゼッレ軍医は旧帝国暦四八七年、宇宙暦七九六年のアムリッツァ会戦で戦死したが、その志は息子に受け継がれた。

 

 旧王朝が倒れローエングラム王朝が成立した後、エミールの母は旧弊が打破された新時代が到来したのだから、もはや称号を捨てる事にこだわる必要はないのではないかと考えた。だが、エミールは開明的な時代を見ぬまま世を去った父親のせめてもの遺志を叶えたいと願い、息子が母親をようやく説得する事に成功したのは皇帝崩御後の事であった。そういった事情を知っていた周囲の人間は、正式な改名以前から彼のことを「エミール・ゼッレ」と呼んでおり、それがこの時期のエミールの姓名表記が異なる記録がいくつか混在する原因を作ったのである。

 

 

 この時点では未だ「エミール・フォン・ゼッレ」が公式な姓名である少年は献花を終え、棺の中の皇帝に敬礼した。その手が震え、両眼に涙が浮かぶのを見て、周囲の人々は痛ましいものを感じずにはいられなかった。

 

 

 幼年学校生徒による献花は最後であった。

 

 まず最上級生である五年生の代表たちが二列一組で棺の前へと向かって行く。下級生たちの範となるべく、彼らは緊張と悲哀を可能な限り抑え込んで献花に臨んだ。次いで四年生、三年生とその後に続き、ユリウスら二年生の順番が訪れる。

 

 ユリウスの隣にいるのはグスタフである。彼ら二人が式場の前列まで進んだ際、軽いざわめきが起こったのをユリウスは知覚した。カール・グスタフ・ケンプ提督の遺児であるグスタフの出自と、父親を彷彿とさせる堂々たるその体躯と態度がその原因であろうとユリウスは思った。

 

 ユリウスの洞察は半分は当たっていた。だが、実際の所はユリウス自身も注目を集める一因となっていたのである。明敏な少年であっても、年齢による洞察力の限界もあり、自分自身を客観的に見るのは難しいものであるらしかった。

 

 その白金色の頭髪と黒い双眸の幼いながら貴公子的な容貌と、緊張を感じさせないごく自然な優美な動作は、他の学生とは一線を画する忘れがたい印象を見る者に与え、傍らのグスタフと並んで歩く事でさらにそれを強くする結果を生んだのであった。

 

 特に最前列にいた蜂蜜色の髪の宇宙艦隊司令長官は、一瞬だが強い既視感(デジャヴ)に囚われて軽く目を瞠った。それはこの場に同席している亜麻色の髪のイゼルローン軍総司令官が、傍らにいる薄く淹れた紅茶色の髪の伍長と初めて出会った時にかつて感じたものと共通していたのだが、無論ミッターマイヤーはその事は知る由もない。そして外見ほどに泰然としていた訳でもないユリウスも、尊敬すべき元帥閣下の視線に気付きそこねたのである。

 

 やがて二人は棺の前にたどり着き、特殊ガラスの中の亡骸を眼前に見る事となった。

 

 

 ──この方が、あの皇帝なのか──

 

 

 白銀と漆黒に彩られた大元帥の軍服と純白のマントに包まれて横たえられた優美な肢体は、色とりどりの花々に覆われている。

 

 半神の趣がある元からの白皙の相貌は、完全に精気を喪ってその白さをさらに深いものとしており、雪花石膏(アラバスター)の彫刻のような印象があった。その三方を、豪奢極まりない癖のある長い金髪が包んでいる。

 

 常に剄烈な光を放っていた蒼氷色(アイス・ブルー)の両眼は閉じられ、二度と開かれる事はない。

 

 死してもなお、皇帝ラインハルトは美しく神々しい存在であった。だが、生命力と覇気に溢れ、一〇〇〇万将兵の陣頭に立って星々の大海を翔けていた、生前の(まばゆ)いまでの雄姿とは比べるべくもない。現在、皇帝の早すぎる死に対して悲哀よりも己の無力と死神の無情への憤慨が勝るかのような表情を浮かべている猛将ビッテンフェルト上級大将は、かつて皇帝の結婚式に際して僚友であるミュラー上級大将に「皇帝は花婿としてはただの美青年に過ぎないが、全軍の大元帥としてはまことに神々しい」と語ったものだが、この時の少年たちもそれに近い感慨を抱いた。

 

 もはや常勝の軍神は天上へと去り、地上にはいらっしゃらないのだ、とユリウスとグスタフは改めて思い知らざるを得ず、胸が締め付けられるような思いにとらわれたのである。

 

 短いが深い沈思の後、己を取り戻した二人は示し合わせたかのような動きで棺に一礼し、自然な動作で献花台に花を手向け、ユリウスはしなやかに、グスタフは力強く、それぞれ見事な敬礼を施した。そして踵を返し、堂々と皇帝の棺の前から歩み去っていく。

 

 その二人の表情には哀惜と共に、決然とした意志の存在も感じられたのだった。



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第四節

 仮皇宮での葬礼は終わり、皇帝の遺体が納められた棺はこれから葬儀用の地上車(ランド・カー)に載せられ、郊外の埋葬予定地に向かう事となった。

 

 

 ゴールデンバウム王朝において、「神聖不可侵」たる皇帝の遺体は帝室の権威を示すため、帝都近郊に壮麗な霊廟を建造してその中に葬られるのが、王朝の創始者たるルドルフ大帝以来の伝統であった。

 

 特に従弟であるカール大公から帝冠を奪い取って第七代皇帝に登極し、一部の廷臣や大商人と共に国家経済を私物化して国庫を一代で破綻せしめ、後世において『痴愚帝』などという不名誉な蔑称を与えられたジギスムント二世などは、生前にプラチナとダイヤモンドの巨大な棺を作らせ、その周りに死後の後宮の構成員として鋳造させた六〇〇体もの純金の美女像を侍らせて巨大な墳墓の中で永い眠りに就こうとしたものである。

 

 だが、その品性とは無縁な輝きに溢れた未来図は、皇太子オトフリートの造反によって引き裂かれる。皇太子は父帝の身柄を拘束して強制的に退位させ、一荘園に軟禁した後にオトフリート二世として即位し、父の即位以前への復古政策を掲げて国政の再建を断行した。先帝に追従して自らも私腹を肥やした廷臣や商人たちはことごとく全財産を没収された上で粛清ないし追放の憂き目に遭い、輝ける棺桶は解体され、麗しい黄金の乙女たちは無骨な金塊に還元された。不本意な退位を余儀なくされた痴愚帝は肥大しきった物欲を満たせぬまま悶死し、自らが予定していたよりもはるかに小規模な墓所にささやかな副葬品と共に葬られる事となったのであった。

 

 オトフリート二世は六年にわたって政務に精励し、政治と経済の混乱をほぼ収拾した後に急逝した。これは過労によるものと思われるが、一方で既得権益を奪われた貴族や商人による毒殺説もささやかれ、迷信深い者は我欲の権化である先帝の呪いではないかと密かに噂し合った……。

 

 

 後世『獅子帝(ルーヴェナルティグ・カイザー)』という尊称を奉られるラインハルトは、痴愚帝のごとき虚栄心や物欲とは生涯疎遠すぎるほどに疎遠であった。生前の彼は巨大な建造物で皇帝の権威を誇示する意図は毛頭なく、当初は自らの墓所も一般的な市民と変わらぬ規模のものでよいとすら考えていた。

 

 だが、功臣であるシュタインメッツ元帥が、当時は独身であった主君たるラインハルトに倣って家庭を持たないまま戦没した事や、シルヴァーベルヒの死後に工部尚書の座を引き継いだグルックの「皇帝があまりに質素な生活では、臣下が余裕ある生活を送れない」という忠告などを受けて、ラインハルトは考える所があったようである。病により自らの死期を悟った彼は皇妃や重臣たちと意見を交わし、その結果として墓所の敷地は広く確保され、それに伴って墓石も大き目の物が用いられる事となった。それでもなお、前王朝における皇帝のやたらと壮麗な霊廟に比べても、また、全宇宙の覇王となりおおせた偉人の眠る場所と考えても、あまりにもささやかに過ぎる墓所であったが。

 

 その墓石に記された内容も簡潔で、彫り込まれたのは生没及び即位の年月日と姓名のみであったが、皇妃(カイザーリン)ヒルダの提案により、後に墓石の傍らにはラインハルトの盟友たる故ジークフリード・キルヒアイス元帥の功績を称える顕彰碑が建てられる事となっていた。いつの事になるかは判らないが、いずれはヒルダ自身ももう一方の傍らにおいて永遠の眠りに就く事となるであろう……。

 

 

 機動装甲車に先導され、皇帝の棺を載せた地上車が緩やかな速度で仮皇宮の門をくぐる。その後を追って、新帝国の皇族や重臣たちも地上車に乗って墓地へと向かっていった。

 

 その道程では多くの帝国軍将兵やその家族、そして旧くからのフェザーン市民たちが、多数の警備兵が配置されている車道の両側を所狭しと埋め尽くしていた。将兵やその家族たちは公正で自由な社会体制をもたらし、戦乱に終止符を打った偉大な皇帝(カイザー)の崩御に悲嘆に暮れ、被征服民でありラインハルトに対しては複雑な心情が入り混じっている旧フェザーン市民たちも、空前の覇者の死に一つの時代の終焉を痛感して粛然とせざるを得ず、共に彼らは葬列を見送ったのであった。

 

 

 高級士官や軍関連学校の生徒たちは、先んじて墓地に到着し、葬列を迎えるべく道沿いに整列していた。時間は夕刻に入り、小高い丘陵上の墓所は地平線に近づきつつある落日に照らされて緋色に染め上げられつつあった。

 

 機動装甲車と皇帝の棺を載せた地上車の後に、最初に眼前を通過した地上車の窓越しにユリウスが敬礼しつつ見たのは、ローエングラム王朝の遺された皇族と外戚たちであった。献花の時には緊張でよく確認できなかった要人たちの姿を視界に収め、ユリウスの鼓動は高鳴る。

 

 皇妃ヒルダとその隣のベビーシートに乗せられたアレク大公(プリンツ・アレク)、そして皇帝の姉である大公妃アンネローゼと国務尚書にして皇妃の父たるマリーンドルフ伯が、それぞれ喪服をまとって座している。無垢な表情を見せる乳児を除き、誰もが沈痛な心情を、女性たちはかぶっているヴェールをもってしても隠しきれてはいないが、それでも死せる者が後顧の憂いなく天上(ヴァルハラ)へと旅立てるように毅然とした態度を保とうとしているように見えた。

 

 ついでユリウスが後続の地上車の中に見い出したのは、蜂蜜色の頭髪とグレーの瞳を有した、やや小柄だが引き締まった体格の青年の姿であり、さらに鼓動が速まるのを少年は自覚した。

 

 

 ウォルフガング・ミッターマイヤー元帥。

 

 

 この年三三歳を迎えるこの人物は、キルヒアイス元帥亡き後はラインハルト麾下の中で親友ロイエンタール元帥とともに実戦部隊の代表格として『帝国軍の双璧』と謳われ、ロイエンタールの死後は『帝国軍の至宝』と称えられる存在である。

 

 最高水準の戦術を臨機応変に使い分ける事ができる用兵家で、自他に対して厳しいロイエンタールをして「神速にして、しかも理にかなう」と絶賛せしめた。親友の評価する通り、その戦いぶりは剽悍かつ迅速きわまりなく、四年前のアムリッツァ星域会戦の前哨戦では麾下の艦隊の先頭集団の一部が追撃していた同盟軍アル・サレム中将率いる第九艦隊の後尾集団と一時入り混じってしまったほどの快足を見せ『疾風ウォルフ(ウォルフ・デア・シュトルム)』の異名を奉られる所以(ゆえん)となった。本質的には戦術家であるが、戦略家としても帝国軍宇宙艦隊司令長官たるに相応しい広く柔軟な識見を有していると評され、皇帝ラインハルト亡き今となっては、人類社会随一の名将というべき巨星である。

 

 その名将の隣にはチャイルドシートに乗せられた幼児の姿があり、さらにその隣には妙齢の女性が座っていた。女性はエヴァンゼリン・ミッターマイヤー夫人であり、幼児は故ロイエンタール元帥の遺児にして、ミッターマイヤー夫妻の養子であるフェリックス・ミッターマイヤーであろう。

 

 

 オスカー・フォン・ロイエンタール元帥。

 

 

 ダークブラウンの頭髪と『金銀妖瞳(ヘテロクロミア)』と呼ばれる黒い右目と青い左目という神秘的な印象を与える双眸の、貴公子然とした長身の美丈夫。もう一人の『帝国軍の双璧』たる存在で、智勇の均衡という点ではラインハルトすらも凌駕すると言われ、無二の戦友ミッターマイヤーをして「攻守ともに完璧に近い。ことに沈着にして広い戦局全体を見わたしながら戦いを運営する点で、俺はロイエンタールの足下にも及ばない」と絶賛させた用兵家である。ラインハルトの登極後には統帥本部総長として皇帝の代理にして首席幕僚という重責を背負いながらも主君の期待にほぼ完璧に応え、後に広大な旧同盟領を統括する新領土(ノイエ・ラント)総督に任じられて軍事のみならず行政にも卓越した手腕を発揮するなど、その信頼は厚かった。

 

 が、昨年の新帝国暦〇〇二年一〇月、皇帝ラインハルトがロイエンタールの招請に応じて新領土の中枢たるバーラト星系第四惑星の旧同盟首都ハイネセンへの行幸に赴く途上、ガンダルヴァ星系第二惑星ウルヴァシーにおいて叛乱部隊の襲撃を受けるという変事が起こった。世に言う『ウルヴァシー事件』である。皇帝は虎口を脱して新帝都に戻る事ができたものの、その代償として随員の一人である歴戦の勇将コルネリアス・ルッツ上級大将が皇帝の盾となって落命する結果となった。

 

 この間に事態をある程度は把握しているはずのロイエンタールは新帝都への出頭はおろか、一言の弁明も謝罪も行わなかった。自らの領土内での屈辱的な逃避行を強いられ良臣ルッツを失った皇帝は憤激し、ロイエンタールを叛逆者と断じてミッターマイヤーにその討伐を命じて軍を発した。ロイエンタールも「君側の奸」たる軍務尚書オーベルシュタイン元帥と内務省次官・兼・内国安全保障局長ラングの両名を排除する事を大義名分に挙兵するに至る。

 

 一一月二四日にミッターマイヤー軍とロイエンタール軍は旧同盟領の要衝たるランテマリオ星域において激突する。後世『第二次ランテマリオ会戦』もしくは『双璧の争覇戦』と呼ばれるこの会戦において、両軍は稀代の用兵家たる総司令官の指揮の下で一進一退の戦いを繰り広げていたものの、メックリンガー上級大将率いる別働隊の侵攻や麾下の一部兵力の造反により、最終的にロイエンタール軍は瓦解した。

 

 重傷を負いつつも延命のための手術を(うべな)わなかったロイエンタールは残存兵力をまとめてハイネセンに帰着し、一二月一六日に総督府の執務室において絶命する。三三歳であった。なお、彼の死を知らされたラインハルトは、新領土総督に任じたのはともかく、元帥に任じたのは誤りではなかったとして、ひとたび剥奪した元帥号をロイエンタールに返還している。

 

 

 ロイエンタールは生涯独身であったが、ラインハルトにより粛清された旧貴族の一門の令嬢との間に私生児である男子が産まれており、その子をミッターマイヤーは引き取って養子にしたのである。

 

 そしてもう一人、先月幼年学校を修了したハインリッヒ・ランベルツという今年一五歳の少年がミッターマイヤー家の一員となっているはずだが、彼の姿は地上車の中には見えない。自分たちと同様に整列して保護者たちを見送っているのであろうか。

 

 ユリウスらが去年入学した時期、ランベルツは最上級生であった。面識はなかったがロイエンタール元帥の従卒を仰せつかった事で同級生や下級生からの羨望の的となったのはまだ記憶に新しい。その縁からロイエンタールの叛乱終結後にミッターマイヤーの知遇を得、近年両親を失っていた事から被保護者として迎えられたのである。その事もまた羨望と嫉妬の種になっているが、実の父母を失った上での事であるし、『帝国軍の至宝』の養子という立場はとてつもない重圧たりうるであろうから、当人も幸福なだけでは済まされないだろう。

 

 そのような事を考えていたユリウスだが、不意に地上車の中の、宇宙最高の名将のグレーの視線がこちらに向けられている事に気付いた。それが自身に向けられる理由に心当たりがなかった白金色の髪と黒い瞳の少年は、自分の傍らにいる、同僚であった故カール・グスタフ・ケンプ提督の忘れ形見に向けられたものだろうと思った。

 

 続いてユリウスはその名将の隣に座っている、自分よりちょうど一〇歳年下の幼児と視線がぶつかった。その目は実父とは異なり、両方とも大気圏の鮮やかな空の色である。ロイエンタール提督の遺児であるという先入観のゆえであろうか、初めて直視したはずのその幼い顔立ちにユリウスは既視感を覚えたが、それも長くは続かなかった。黒い瞳と青い瞳の視線の交錯は数瞬のうちに終わり、ミッターマイヤー一家を乗せた地上車はユリウスの前をほどなく通り過ぎていった。

 

 

 続いて来た地上車の中にミュラー提督の姿を確認した時、ユリウスは横目で友人の様子を窺った。予想通り、その表情は敬意と憧憬に満ちたものであったが、不意に視線が厳しいものになったのを見て、ユリウスはその視線の先を追う。そこにはミュラーと共に座っている、帝国軍のそれとは異なる軍服──窓越しに見えるのは黒いベレーにジャンパー、アイボリーホワイトのスカーフ──を着た二人の人物の姿があった。

 

 一人は亜麻色の髪と、ダークブラウンの瞳をした端正な容貌の少年めいた印象の残る青年であり、もう一人は鉄灰色のおさまりの悪い髪型の、外見上は二〇代後半に見える青年である。確か名は、ユリアン・ミンツ中尉とダスティ・アッテンボロー中将であったか。その後続の車には、ミュラーの幕僚と共にオリビエ・ポプラン中佐とカーテローゼ・フォン・クロイツェル伍長が乗っていたが、この二人の名はユリウスの脳裏の人名録には記されていなかった。

 

 彼らはヤン・ウェンリーの死後も、ヤンの被保護者にして愛弟子たるミンツ中尉を後継の総司令官として民主共和制の旗を掲げて帝国に対し抵抗を続け、ついには皇帝ラインハルトとの間に和平を成立させてバーラト星系の内政自治権を勝ち取った、敬意を払うべき先日までの「敵」であった。

 

 

 ヤン・ウェンリー元帥。

 

 

 中肉中背で長めの黒髪と黒い瞳の、外見上は軍服を着用していても軍人らしく見えない温和そうな青年であったが、この人物こそがラインハルト・フォン・ローエングラムを筆頭とする帝国軍にとって最大の雄敵というべき存在であった。

 

 戦場においては魔術的な戦術を行使して敵を翻弄し、難攻不落のイゼルローン要塞すら二度もたやすく手中にしてのけ『魔術師ヤン(ヤン・ザ・マジシャン)』『奇蹟の(ミラクル)ヤン』と畏怖された不敗の用兵家。グスタフの父カール・グスタフ・ケンプを始めとして、多くのラインハルト麾下の一流の将帥たちがことごとくヤンの手によって、ある者は戦場で(たお)れ、ある者は戦死は免れたものの敗北の味が並々と満たされた苦杯をあおらされる事となった。

 

 常勝の天才たるラインハルト自身も例外ではなく、アスターテ、アムリッツァ、ランテマリオ各会戦ではヤン一人により完全勝利の美酒をことごとく苦味と酸味を加えたカクテルに作り変えられ、バーミリオン会戦にいたっては中盤以降は戦術的に主導権を奪われて敗死の半歩手前まで追い込まれた。当時ラインハルトの秘書官であったヒルダの献策により、『帝国軍の双璧』に首都ハイネセンを包囲された同盟政府の停戦命令がなければ、ラインハルトは後世「常勝」と呼ばれる事はなかったであろう。

 

 ヤンは自由惑星同盟が皇帝に即位したラインハルトの手によって二七三年の歴史に幕を下ろされた後、独立を宣言したエル・ファシル星系に身を寄せて革命軍司令官に就任し、民主共和制存続のために戦う意思を示す。再奪取したイゼルローン要塞に拠ってヤン艦隊はラインハルト率いる遠征軍に寡兵で勇戦するが、停戦後にラインハルトとの会談に赴く途中で帝国軍を装った地球教徒の襲撃を受け、ヤン・ウェンリーは三三歳の生涯を不敗のままで閉じたのであった。

 

 その訃報を知ったラインハルトを始めとする帝国軍の領袖たちは自らの手で斃し得なかった、生きていれば自らを斃していたかも知れぬ偉大な敵将の死を惜しみつつ、喪中にある敵軍を討つを潔しとせずイゼルローン回廊から悄然として撤退したのである。

 

 

 皇帝ラインハルトとヤン・ウェンリー元帥。それぞれ敬愛する主君と憎むべき仇敵である、時代を代表する二人の名将亡き後、グスタフのそれぞれの思いはどうなるのだろう、とユリウスは思う。

 

 前者への忠誠心は新帝となるアレク大公や皇太后となるヒルダ、そして彼らが継承する新帝国に向けられるに違いないが、問題は後者への復讐心である。あるいは後継者たるミンツ中尉やその周囲の人間に憎悪を引き続けて向けるのか。

 

 これはグスタフ一人に限った事でもない。ユリウス自身は周囲の知人縁者に戦死者や戦傷を負った人たちは確かに存在したが、軍人だった母方の祖父は退役まで生き延び、父方の祖父や父たちも徴兵はされたが後方勤務で兵役を終えているので、旧同盟軍やヤン一党に対してさほど負の感情を抱いてはいない。だが、長く続いた戦乱の時代において、戦場に朽ち果てた将兵は数え切れず、親や子、兄弟や友人縁者を失った人間はその数倍にのぼるだろう。平和や繁栄が訪れても、憎悪や悲哀が人々の心からただちに去るわけもなく、それが何かのきっかけで連鎖的に発火したらどうなるのか……。

 

 と、そこまで思いをめぐらした所でユリウスは内心で苦笑した。そのような事は亡き皇帝陛下や、摂政となる皇妃陛下を始めとする新帝国の重鎮たちは百も承知のはずである。いまだ軍人の卵として殻を破れてもいない自分がそこまで思いわずらって何になるのか。さしあたって自分は傍らの友人の事を考えるべきだろう。実際のところ、それすらも未熟な自分にとっては重荷かもしれないが。

 

 最近知ったことではあるが、第八次イゼルローン要塞攻略戦において、同盟軍の援軍の存在を知ったケンプ提督が実施した時間差各個撃破戦法を見破ったのは、なんと当時一六歳であったユリアン・ミンツ曹長であるという。これにより各個撃破に失敗して艦隊戦での勝機を失ったケンプはガイエスブルク移動要塞に撤退し、移動要塞そのものを質量兵器としてイゼルローン要塞を破壊する作戦を実施するが、これも成功せずケンプは爆散する要塞と共にイゼルローン回廊の塵と化したのであった。

 

 それを考えれば、ヤンの後継者という立場を抜きにしても、ミンツ中尉はグスタフにとって明らかな仇の一人といえる。

 

 だが、最初は反発していたミュラー提督に対して、今では揺るぎない尊敬の念をグスタフは抱いている。そのミュラーも当初はケンプ提督の復讐を望んでいたが、バーミリオン会戦終結後にヤンと対面し、その為人(ひととなり)に触れた後に偉大な敵将への憎悪を捨てたという。それゆえにミュラーはヤンの死に際しての弔問の使者となり、ヤン亡き後のヤン一党との交渉のパイプ役となったのである。今地上車にミンツ中尉たちと同席しているのもそれが理由であろう。あるいはグスタフの敵手への敵愾心も、共和主義者たちとの交流が深まれば、いつかは完全な敬意に昇華されるのかもしれない。

 

 

 そのような事を考えているうちに、ミュラーらを乗せた地上車は過ぎ去り、更に続いて軍部や内閣の重鎮たちを乗せた地上車が連なって通り過ぎていく。軍人を志す身としては、皇帝ラインハルトと共に戦場を闊歩して勇名を馳せた将帥たちにユリウスが意識を奪われてしまうのは無理からぬ事であっただろう。

 

黒色槍騎兵(シュワルツ・ランツェンレイター)』艦隊を率いる『帝国軍の呼吸する破壊衝動』フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルト上級大将。

 

『芸術家提督』『文人提督』エルネスト・メックリンガー上級大将。

 

 義手の剛毅な用兵巧者アウグスト・ザムエル・ワーレン上級大将。

 

『沈黙提督』エルンスト・フォン・アイゼナッハ上級大将。

 

 憲兵総監・兼・帝都防衛司令官ウルリッヒ・ケスラー上級大将の姿は見えなかったが、警備責任者として別行動を取っているのだろう。あるいは最初の機動装甲車に乗っていたのかもしれない。

 

 

 地上車の列が途絶えた後、生徒たちは敬礼の手を下ろし、皇帝の埋葬を見届けるべく教師の指示の元に移動を始める。足を動かしつつ、ユリウスは傍らの友人にあえて問いを発した。

 

「ヤン・ウェンリー一党への憎しみは捨てきれないか、グスタフ」

 

 友人の問いに目を見開いたグスタフだが、先ほどイゼルローン軍の指導者たちへ向けていた視線を見られていたのを察したのであろう、憮然とした表情で地上車が走り去った方角を見つめた。

 

「……父さんの死をメックリンガー提督から聞かされた時は復讐を誓ったよ。泣き崩れる母さんの姿は今でも忘れられない」

 

 

 第八次イゼルローン要塞攻略戦の最終局面において、艦隊戦で敗退した総司令官ケンプ大将は起死回生の一手としてガイエスブルク移動要塞を最大加速でイゼルローン要塞に激突させ、要塞を完全破壊する作戦を決行する。

 

 それを予測していた敵将ヤン・ウェンリーは麾下の全艦隊に移動要塞の進行方向左端の航行用エンジン一基のみへの集中砲火を命じ、要塞本体に比べて防御力の低いエンジンを破壊させた。推力軸を狂わされた移動要塞は制御不能に陥った上にイゼルローン要塞主砲『雷神の鎚(トゥールハンマー)』の一撃をとどめに浴びせられ、ケンプは爆風で吹き飛ばされた破片により内臓に達する致命傷を負ったのである。

 

 総員退去の命令が発せられた後、参謀長フーセネガー中将を始めとする幕僚たちはもはや助からないにせよ、ケンプを司令室から連れ出して脱出しようとしたのだが、ケンプ本人が謝絶したという。

 

「こんな図体を担いででは、脱出できるものもできなくなるぞ。……この要塞だけでなく俺もまた、うすらでかい役立たずだったな。俺には似合いの棺桶だ……」

 

 ケンプは苦しげに自嘲しつつ、遺書が宇宙艦隊司令部の執務室のデスクの抽斗(ひきだし)に入っている事を告げ、それを家族に渡すように参謀長に頼んだ。家族の前では安心させるために「俺が今まで戦場に出て帰ってこなかった事があるか」と豪語していた彼だが、百戦錬磨のケンプは戦場における生命の儚さを知悉していた。特に戦闘艇乗りであった時期、先刻まで軽口を叩き合っていた同僚が刹那の間に火球となって散華するのを幾度も眼前で見ており、死はいつでも訪れると覚悟して戦場に赴くたびに遺書をしたためていたのである。

 

「それと、ミュラーに詫びておいてくれ。俺は彼の献策を生かせなかった……」

 

 第八次イゼルローン攻略戦当初、イゼルローン要塞には総司令官であるヤン・ウェンリーは不在であった。国防委員会の命令により、査問会に出頭すべく首都ハイネセンに赴いていたためである。戦闘中に得た捕虜からの情報によりそれを察した副将ミュラーは、要塞救援のために戻ってくるであろうヤンを捕捉すべく、三〇〇〇隻の兵力を割いて同盟領方面から見て死角となる宙域に配置させた。だが、主将ケンプはこれを認めず、敵側の偽報と断じて配置した戦力を戻させてしまったのである。この判断はその前に艦隊でのイゼルローン要塞への攻勢に失敗していたミュラーに対し、功を焦り気味のケンプが不満や不信を少なからず抱いていたのも一因であったと思われる。

 

 だが、同盟軍の増援艦隊と交戦するに及び、ミュラーの主張が正しかったのではないかとケンプは内心で後悔する事となった。敵の増援は明らかに警備部隊(ガーズ)巡視部隊(パトロール)の混成艦隊であるにもかかわらず統率が取れていて艦隊行動に乱れがなかった上、回廊の地形を生かした巧妙な戦術展開や、駐留艦隊との無言の連携の絶妙さから、やはりヤンはイゼルローンから離れており、救援に戻ったヤンが増援部隊の指揮を執っているのではないか、とケンプも考えざるを得なかったのである。

 

 ミュラーの当初の計画通りに兵力が配置されていれば、増援部隊の側面ないし後背を突く事が可能であったろう事は、多くの軍事史家が肯定する所である。三年後の新帝国暦〇〇三年二月に行なわれたイゼルローン共和政府軍と帝国軍の回廊内での戦いにおいて、イゼルローン要塞に肉薄せんとしたワーレン上級大将率いる艦隊の側面を、同じように索敵システムの死角に伏せられていたメルカッツ提督の指揮するイゼルローン軍別働隊が捉える事に成功した事実から考えても、ミュラーの伏兵案も成功する可能性は高かったと思われる。結果としてケンプは誤ったのだった。

 

 

 ──思い起こせば、俺は功に(はや)り過ぎていたかも知れん。ミュラーの失敗を過剰に責め、彼の意見のもっとも肝心なものを退け、大魚を逸してしまった。何と視野と度量の狭い男か。ここまでの大敗を喫するのも当然の帰結という事か……。

 

 かくして己の狭量と誤断が副将の思慮と将兵の勇戦を無に帰した事を悔いつつケンプは絶息し、闘将としての生涯を終えたのであった。

 

 葬儀の後、グスタフは自宅を訪問したフーセネガーから父が判断を誤り、それを悔いてミュラーに詫びの言葉を遺したという話を聞いて絶句した。副将が無能だったために父は敗死したのだと思い込んでいたグスタフにとって、それは受け入れがたい内容であったが、今にして思えばそれがミュラーへの認識を改める萌芽となったのかもしれない。

 

 

「……だけど、ヤン・ウェンリーはすでに亡く、共和主義者たちとは和平が結ばれた。どこかで区切りを付けるべきなのは、解っている。解ってはいるんだ」

 

 グスタフの低く呻くような、未整理な心情の率直な吐露に、ユリウスはうなずきつつ提案をしてみる。

 

「機会があれば、ミンツ中尉たちと会ってみるのもいいかもしれないな」

 

 グスタフは顔を軽くしかめた。

 

「……今はだめだ。会っても、この口が何を言うか自分でも判らない。とにかく今は時間が欲しい」

 

 かつて怒りに任せてミュラー提督を罵倒してしまった苦い経験がグスタフにはあり、その再現は避けたいという事なのだろう。何も今すぐ結論を出し、ユリアン・ミンツやその同志たちに会わなければならない理由もある訳でもない。心情を整理する時間は充分にあるはずであった。

 

 ユリウスは親友ならば正しい判断に至れるだろうと信じたが、その一方で自らの心の裡に、

 

「むしろ俺が親友と認めた奴ならば、これくらいの葛藤は乗り越えてみせろ」

 

 と友人を皮肉っぽく眺める自分と、

 

「そういうお前はどうだ。色々と屈折したものを抱え込んだままのお前に、この率直な男の親友の資格があるのか?」

 

 と自身を冷ややかに見つめる自分が並行して存在するのを自覚し、いささか苦い気分になった。

 

 グスタフ・イザーク・ケンプは知性は十分ながら、気質は単純明快な少年である。その公明正大で正道を歩まんとする姿勢は「ひねくれ者の自分とは比較にならない」と内心でユリウスに自嘲交じりの羨望を覚えさせる。

 

 もっとも、グスタフの方ではユリウス・オスカー・フォン・ブリュールの同年齢とは思えない視野の広さと柔軟な思考力を羨望していた。「単細胞な自分とは雲泥の差だ」と親友に対し嫉妬を感じ、亡き父から教え込まれた単純明快な価値観を恨みたくなる事もあるほどである。

 

 そのように己が持たないものを持つ親友を羨望し、無意識の内に互いに影響を与え合っている事に、二人の少年はこの時点では気付いていなかった。



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第五節

 屈強で忠実な親衛隊員たち数名により、『黄金獅子旗(ゴールデンルーヴェ)』に覆われた皇帝(カイザー)の棺が地上車(ランド・カー)から下ろされて丁重に担ぎ上げられ、沈痛な心情の微粒子を黄玉(トパーズ)色の瞳に宿した親衛隊長ギュンター・キスリング准将の先導の下に墓地の中を進んでいく。棺の両側も親衛隊員に固められ、その最後尾に副隊長ユルゲンス大佐率いる一隊が付き従った。墓地に整列してたたずむ人々は沈みゆく夕日に淡く照らされながら、その葬列を(おごそ)かに見守っている。

 

 葬列が向かっている、深く掘り下げられた墓穴から近い場所にたたずんでいる喪服を着た一人の女性の胸元が不意に(きらめ)く。その女性が銀色のペンダントを首から掛けていて、それが落日を反射したのだとやや離れた場所に立っていたユリウスは気付いた。普通は葬儀の際は目立つような装飾品は身に着けないはずだが、周囲の人々がそれを気に留めている様子はない。

 

 

 大公妃アンネローゼ・フォン・グリューネワルト。

 

 

 皇帝ラインハルトの五歳年上の実姉であり、母親であるクラリベル・フォン・ミューゼルを幼くして事故で失ったラインハルトにとって、母代わりと言えるかけがえのない存在であった。

 

 美しい黄金色の長い髪は弟のそれよりやや濃い色調であり、青い瞳もまた弟よりも深い色合いで、最上級の青玉(サファイア)を思わせる輝きを有している。透き通るような白磁の肌と合わせて、半神的な容貌を謳われた弟よりも更に繊細な、清楚な印象を与える比類なき美貌の所有者である。

 

 そしてその美貌ゆえに、下級貴族の娘でありながら一五歳で時の皇帝フリードリヒ四世の後宮に寵姫として納められ、グリューネワルト伯爵夫人(グラフィン・フォン・グリューネワルト)の称号を与えられて皇帝が崩御するまでの一〇年にわたり寵愛を受ける事となったのである。それはアンネローゼにとって本意ではなかったが、聡明な彼女は家族を守るためには皇帝の居城たる『新無憂宮(ノイエ・サンスーシー)』に赴く以外に選択肢は存在しない事を承知しており、自身の未来を捨てる決断を下してアンネローゼは弟の下を去ったのであった。

 

 当時一〇歳であったラインハルト・フォン・ミューゼル少年は慟哭し、そして憎悪した。最愛の姉を奪った皇帝フリードリヒ四世を。母の死後は無気力となって酒に溺れ、娘をためらいなく皇帝に売り渡した父セバスティアンを。そのような醜悪で不当な行為を正当化する腐敗しきった社会体制を。そしてその横暴の前になすすべがない自分自身の無力を。

 

 かくして黄金色の頭髪の少年は自らに誓約した。皇帝を倒し、ゴールデンバウム王朝を滅ぼし、姉を宮廷という名の牢獄から解放するのだと。そして二度と他者に膝を屈し、自らの無力を呪う事のないように、宇宙で最も強大な存在になりおおせてみせるのだと。そしてラインハルトは盟友ジークフリード・キルヒアイスと共に、志を遂げるために必要な強大な力を掌中に収めるべく軍人としての道を選び、全宇宙の覇者としての第一歩を踏み出したのであった。

 

 だが、宇宙統一の道程においてキルヒアイスは中途にして(たお)れ、それを知ったアンネローゼはフリードリヒ四世の死後にひとたび戻った弟の下から再び離れる事となる。自らが犯した大罪によって片翼をもぎ取られたラインハルトはそれでもなお、墜ちる事を許されなかった。フェザーン自治領を呑み込み、ゴールデンバウム王朝を簒奪し、自由惑星同盟を歴史上における過去の存在となし、共和主義者たちの残党と和議を結び人類社会の戦乱に終止符を打った後、金髪の覇者は天上(ヴァルハラ)へと去っていった。

 

 幼い頃から慈しみ、何よりも大切な存在であった弟とその親友の成長を見守りながらも、その二人に先立たれ、一人生き永らえている大公妃の今の心境はどのようなものなのか、ユリウスには想像もつかない。解っているのは、あの女性が存在しなければ、人類社会の統一政権たるローエングラム王朝もまた存在しえず、宇宙はいまだ終わりの見えない混沌の渦中にあったであろうという事である。温和だが気丈で芯の強さを持った彼女は、ゴールデンバウム王朝時代には前線の戦乱のみならず後方の陰謀にもさらされていた弟たちを守るために心を砕き、ローエングラム王朝成立後には出産前の皇妃が刺客に襲撃された際、武器一つ持たない身でありながら毅然として刺客の前に立ちふさがり、義妹とその胎内に宿っていた甥を守ったのだ。

 

 そういった背景に思いを馳せれば、彼女の姿が旧き時代に終焉をもたらし、新しき時代の到来を告げた『運命の女神(ノルン)』の一柱のようにも見えるのである。

 

 そしてもう一人、ローエングラム王朝にとっての運命の女神といえる女性が、同じく喪服をまといアンネローゼの傍らに王朝の後嗣たる乳児を抱いて立っているのだ。

 

 

 皇妃(カイザーリン)ヒルダこと、ヒルデガルド・フォン・ローエングラム。

 

 

 今年で亡夫より一歳年少の二四歳であり、くすんだ色調の長めの金髪とブルーグリーンの瞳の凛然とした美貌の所有者である。常であれば瞳に宿っている知性を伴った生気に満ちた光が硬質的な印象を和らげているのだが、現在のヴェール越しに見える双眸には活力は乏しく、落日の中にたたずむその姿は彫像のような雰囲気を醸し出していた。

 

 ゴールデンバウム王朝の末期にマリーンドルフ伯爵家の一人娘として生を享けた彼女は、大貴族の一員でありながらその陋習に囚われる事なく非凡な知性と行動力を兼ね備えた人物に成長を遂げた。

 

 リップシュタット戦役においては戦役の勃発に先駆け、父親を説得してローエングラム陣営への参加を表明し、その卓越した見識と決断力によってラインハルトの信頼を得た彼女は戦役終結後に彼の首席秘書官に抜擢される。以降は政治、軍事両面において次々と的確な助言や献策を行なって、キルヒアイス死後のラインハルトの覇業を支え続けた。

 

 中でも特筆されるべきは、『神々の黄昏(ラグナロック)』作戦の最終決戦たるバーミリオン会戦において同盟軍最高の智将ヤン・ウェンリーと相対したラインハルトの敗北を予期し、『帝国軍の双璧』たるミッターマイヤー、ロイエンタールの両提督を動かして無防備であった同盟首都ハイネセンを包囲し、同盟政府に停戦命令を出させた事であろう。民主主義の精神を重んじるヤンの為人(ひととなり)を正確に洞察したヒルダの策は見事に功を奏し、あと半歩で手中に収められるはずであった完全なる勝利とラインハルト・フォン・ローエングラムの生命という極上の果実に対して未練を見せる事なく、黒髪の魔術師は兵を退いたのである。もしヒルダがラインハルトの臣下として存在しなければ、ラインハルトは常勝の令名と共にバーミリオン星域に葬られ、ローエングラム王朝も空想上の存在に成り果てていたに違いなかった。

 

 ローエングラム王朝成立後もヒルダは引き続き首席秘書官として、『回廊の戦い』でシュタインメッツが戦死した後はその後任の大本営幕僚総監として皇帝ラインハルトの有能な補佐役を務め続けた。そして今年、新帝国暦〇〇三年初頭に皇妃に冊立され、五月一四日には王朝の継嗣たるアレクサンデル・ジークフリードを出産、それから二ヵ月半に満たない七月二六日に夫と死別し、現在に至るのである。

 

 

 アンネローゼとヒルダ。ゴールデンバウム王朝、フェザーン自治領、そして自由惑星同盟に引導を渡したローエングラム王朝を編み上げし二柱の『運命の女神たち(ノルニル)』。落日に照らし出される彼女らの姿は美しく、そして悲しい。

 

 彼女たちの後ろにはマリーカ・フォン・フォイエルバッハやコンラート・フォン・モーデルを始めとした近侍たちが神妙な表情で控えているが、その隣には明らかに近侍ではない、喪服を着た二人の貴婦人の姿もあった。

 

 

 マグダレーナ・フォン・ヴェストパーレ男爵夫人とドロテーア・フォン・シャフハウゼン子爵夫人。旧王朝の寵姫であった頃からの、当時宮廷で孤立していたアンネローゼの数少ない友人たちであり、ヴェストパーレ男爵夫人は古典音楽の講師だったヒルダの亡き母親の教え子でもあった。その縁からヴェストパーレ家とシャフハウゼン家はリップシュタット戦役ではローエングラム陣営に与して家名を保ったのである。

 

 ラインハルトのフェザーン遷都後も二家は旧帝都オーディンに留まった。両家の当主は政治的野心は持ち合わせておらず、男爵家当主であるヴェストパーレ男爵夫人はパトロンとして芸術家の発掘や援助に努め、シャフハウゼン子爵は薬用植物の研究や旅行記の読書を趣味とする教養人として、各々学芸省の要人と定期的に交流する程度であった。シャフハウゼン子爵の弟であるハッセルバック男爵が侍従長となった以外は一門から要職に就いた者も存在せず、政治史よりも文化史において後世に家名を知られる事となる。

 

 彼女たちはラインハルトとヒルダの結婚式に参列するため、今年の一月にアンネローゼと共に一度フェザーンを訪れていたが、結婚式の終了後はオーディンに戻っていた。そしてラインハルトの発病を知って再びフェザーンに向かったのだが、搭乗していた宇宙船の動力部の故障や航路上での恒星風の発生などの悪条件が重なり、到着したのはラインハルトの死の直後となってしまったのである。二人の夫人はアンネローゼとヒルダと再会した際に悔やみの言葉を述べ、ラインハルトの看病と乳児の世話に忙殺された二人の手助けができなかった事を詫びたが、皇族の二人の女性は遠方から足を運んでくれた友人たちに感謝の意を告げたのであった……。

 

 

 そう言えば、皇帝ラインハルトはリップシュタット戦役後から銀色のペンダントを身に着けていたはずだが、葬儀での皇帝の遺体には掛けられていなかったのを、ユリウスは思い出した。となると、あのペンダントは大公妃が皇帝の遺品として譲り受けたのだろう。

 

 この時点でユリウスはもちろん、参列した人物のほとんどは知らなかった。その銀色のロケットペンダントには、中には幸せそうに微笑む一人の少女と二人の少年が一緒に写っている写真と、黄金色と赤毛の頭髪がそれぞれ一房ほど収められている事を。

 

 そして、その赤毛の一房は半分に分かたれ、その半分は皇帝の棺に納められた事も……。

 

 

 アンネローゼが握りしめる銀のペンダントを、ヒルダは悲しげに見つめる。彼女はその夫の遺品に何が収められているかを知っている数少ない一人であった。

 

 ヒルダは生前のキルヒアイスと面識を得る機会はなかったが、彼女はラインハルトの覇道の前半生における補佐役たるキルヒアイスを極めて高く評価しており、その早すぎる逝去を最も惜しむ一人である。ましてや五年前の旧帝国暦四八七年、カストロプ公爵の叛乱において、親族として説得に赴いた父マリーンドルフ伯はカストロプ公に拘禁されたが、その叛乱を迅速に鎮圧して父親を救ったのが他ならぬキルヒアイスだったのだ。ラインハルトに従って彼がその核を作り上げたローエングラム王朝を守護し、発展させていく事こそがヒルダにとってキルヒアイスに報いる唯一の道であった。

 

 少し強い風が流れた。その風を紡ぎ出している天空に在る二隻の艦を仰ぎ見たアンネローゼとヒルダの顔は、やや距離がある上にヴェールで覆われていたのではっきりとは見えなかったが、白金色の頭髪の少年は視覚以外の感覚により、二人がどのような表情をしているのか理解できたような気がした。

 

 

白鳥の衣の戦乙女(ブリュンヒルト)』と『紅毛の果敢なる王者(バルバロッサ)』。

 

 

 皇帝ラインハルトの永遠の旗艦と、ラインハルトの無二の盟友キルヒアイス元帥の旗艦。

 

 落日の光を受けて、白銀の艦は緋色に染められ、深紅の艦はその色を深いものにしてそれぞれ輝いている。

 

 ブリュンヒルトを操艦しているのは無論、現在の艦長たるザイドリッツ准将だが、バルバロッサはその前任者であったニーメラー大佐が臨時の艦長として操艦を務めている。

 

 軍幼年学校校長であるロイシュナー中将は地上にあって、黄昏に近付きつつある天空を舞う白銀と深紅の戦艦の姿をときおり仰ぎ見て、そのたびに懐旧と羨望がもつれ合ったかのような表情を浮かべていた。

 

 そして隣接する昨年完成したばかりの戦没者墓地の一角には故カール・ロベルト・シュタインメッツ元帥の墓標が建てられており、いわば総旗艦ブリュンヒルトの歴代艦長全員がこの地に集結し、各々異なる立場から主君の葬列を見守っているのだった。

 

 

 ニーメラーはブリュンヒルトの二代目艦長であったロイシュナーの副長としてアスターテ、アムリッツァの両会戦に参加し、ロイシュナーが准将に昇進して分艦隊司令官に転任した後に艦長の座を引き継ぎ、リップシュタット戦役において初めて旗艦の艦長として戦場へと赴く事となった。その芸術的なまでの操艦技術や運営能力、部下たちからの信望の厚さは前任者であるシュタインメッツやロイシュナーに劣るものではなく、戦役中は総司令官たるラインハルトは自らの旗艦の運用に関して、全く懸念を抱く事なく貴族連合軍との戦いに専念する事ができたのである。

 

 だが、その翌年にケンプとミュラーの指揮するイゼルローン回廊への遠征軍が進発した直後、ニーメラー中佐は急病に倒れ、長期療養に入らざるを得なくなってしまった。副長であったマットヘーファーは当時は少佐であったため戦艦の艦長たる要件を満たしておらず、ニーメラーは知己であり生粋の宇宙船(ふな)乗りの七代目たるジークベルト・ザイドリッツ大佐を後任の艦長に推挙したのである。

 

 当初ラインハルトはその推挙に対し、少なからず困惑の色を見せた。ザイドリッツの艦長としての能力や声望はラインハルトも熟知する所であり、それらを疑った訳ではない。彼がらしくもない動揺の表情を表したのは、別の理由によるものであった。

 

 

 旧帝国暦四八七年のアムリッツァ会戦後に中将から上級大将へと生者でありながら二階級特進を果たしたジークフリード・キルヒアイスに、礼遇の一環として高速戦艦バルバロッサが個人旗艦として与えられた。

 

 そのバルバロッサの艦長を務めていたのが、他ならぬ当時中佐だったザイドリッツだったのである。

 

 翌年の旧帝国暦四八八年のリップシュタット戦役において、キルヒアイス上級大将はラインハルトの副将として全軍の三割もの兵力を別働隊として率い、辺境平定に向かった。彼が大小数十回の戦闘にことごとく完勝を収め、次々と辺境を平らげていった陰には、ザイドリッツの完璧に近い旗艦の運用によって回避された危機や獲得した勝機も少なからず存在したのである。

 

 特にキフォイザー星域会戦ではキルヒアイスはわずか八〇〇隻の高速艦隊で五万隻のリッテンハイム侯率いる大艦隊に突入して、統制に欠ける敵艦隊を内部からかき回して混乱の極に陥れてのけたのだが、その陣頭にあったバルバロッサの操艦を担当したザイドリッツ中佐は総司令官の迅速な指揮に遅れる事なく的確に従い、見事にキルヒアイスの期待と意思に応えて勝利に多大な貢献を果たしたのだった。

 

 そして辺境を完全平定してラインハルトの本隊と合流した後の貴族連合軍との最終決戦においても、キルヒアイスは高速巡航艦隊を率いて勝利の契機を作ったのだが、苛烈な砲火の中にあっても艦長の巧妙な操艦により揺るぐ事なく前進していた戦艦バルバロッサの勇姿が味方の士気を高め、敵を畏怖させたのも勝因の一つであった。

 

 だが、勝利の直後、敬愛していた赤毛の驍将は、己を疎んじ、遠ざけようとしていた友を刺客の魔手から守って斃れた。バルバロッサはラインハルトの予備旗艦として帝都の宇宙港に繋がれ、ザイドリッツは大佐に昇進したものの、それを喜ぶ心境には到底なりえないまま悲哀と失意を抱えて深紅の戦艦から降りる事となったのである。

 

 

 その傷心の真の宇宙船乗りが、自分の旗艦の艦長たる事を承知してくれるであろうか──。

 

 

 ラインハルトがニーメラーの推挙に躊躇したのはそれが理由であった。キルヒアイスを死に追いやった自分を、彼は赦し、その手腕を惜しみなく振るってくれるのか。己の愚かしさを責め、悔いる事限りないラインハルトには自信がなかった。

 

 ニーメラーは病院のベッドに横たわりつつ、TV電話(ヴィジホン)越しに主君の表情からその心理を察したが、あえて彼は重ねてザイドリッツを推薦した。

 

 ラインハルトは意を決し、首席副官のシュトライト少将にザイドリッツ大佐を執務室に呼ぶように命じた。そしてほどなく参上したザイドリッツに気が進まないのであれば断っても構わないと前置きし、ラインハルトは総旗艦艦長就任の話を切り出したのである。

 

 主君からの話を聞き終わった大佐は瞼を閉じていたが、それも長い事ではなく、見開かれた瞳には決意の意思が見て取れた。

 

 キルヒアイスの死に対しラインハルトに責任があるのは紛れもない事実であろうが、天上(ヴァルハラ)に去った赤毛の名将が金髪の盟友を、文字通り生命を賭して守り抜いたのもまた事実である。そのラインハルトのために最善を尽くすのは故人の希望にかなう事であるはずであった。なればこそ、キルヒアイスの旧部下であったブラウヒッチ、アルトリンゲン、ザウケンといった提督たちはラインハルトの直属に転じる事を(がえ)んじ、現在も主君に勝利を捧げるべく最善を尽くしているのではないか。ミッターマイヤー麾下となったビューローやジンツァー、ロイエンタールの幕僚となったベルゲングリューンらも同様であろう。自分一人がラインハルトに背を向けるような真似をしては、天上のキルヒアイス提督に合わせる顔がないというものであった。

 

「閣下が何を気にかけていらっしゃるのか、小官は理解しているつもりです。ですが、閣下のために微力を尽くす事こそが、キルヒアイス元帥の遺志に沿うものと小官は承知しております。まして、総旗艦の艦長たるを命じられるは、小官にとってはこの上ない栄誉。謹んで拝命いたします」

 

 かくしてザイドリッツはブリュンヒルトの四代目艦長に就任し、数多の戦場においてラインハルトを満足させる手腕を振るう事となった。

 

 なお、初代艦長のシュタインメッツは旧帝国暦四八六年九月の第四次ティアマト会戦後に准将に昇進して辺境星区に転属し、艦長であった期間は半年程度であった。

 

 二代目のロイシュナーは旧帝国暦四八七年一〇月のアムリッツァ会戦後に准将に昇進して分艦隊司令官となり、約一年でブリュンヒルトから離れる事となる。

 

 三代目のニーメラーは旧帝国暦四八九年の四月に、前述の通り病気療養のため在任一年半で艦長の座を退いた。

 

 そして四代目のザイドリッツは旧帝国暦四八九年四月から新帝国暦〇〇二年の八月現在に至る三年四ヶ月まで、歴代艦長の中でもっとも長くブリュンヒルトの艦長を務めているのであった。

 

 

 皇帝の棺は丁重に、静かに墓穴に納められた。その上に花束が添えられた後、土が静かにかけられていく。

 

 ユリウスはその様子を黙然として見ていたが、不意に隣接する戦没者墓地に視線を向けた。その墓地にはシュタインメッツのみならず、彼と同時期に戦死したアーダルベルト・フォン・ファーレンハイト元帥、テロに斃れたブルーノ・フォン・シルヴァーベルヒ工部尚書、皇帝を守って生命を落としたコルネリアス・ルッツ元帥、そしてオスカー・フォン・ロイエンタール元帥の墓も立てられているはずであった。

 

 

 ロイエンタールとその麾下にあって叛乱の最中に生命を落とした者たちは、叛乱終結後の惑星ハイネセンの治安責任者となったアウグスト・ザムエル・ワーレン上級大将の管理の下に密葬が営まれた後、遺族の意向や要望に応じて各々各地に墓が建てられる事となった。

 

 ロイエンタール自身は法的には独身であり、両親はすでに他界し兄弟姉妹もいなかったが、ロイエンタール家に父親の代から仕える老執事がロイエンタールの遺体の引き取りを申し出た。

 

 後世の歴史家たちは「ラインハルト・フォン・ローエングラムの質素で地味な私生活よりも、むしろオスカー・フォン・ロイエンタールのそれにこそ王侯の格調があった」と評しているが、そういった生活を営むには、当然ながら使用人の存在が不可欠である。官舎では従卒がその身辺の世話を行なっていたが、ロイエンタールの私邸には少なからぬ数の使用人が勤めており、彼らを取りまとめているのがこの老執事であった。

 

 フェザーンへの遷都令が発布された後、新領土総督として惑星ハイネセンに着任したロイエンタールは、生家たる旧帝都オーディンの屋敷を引き払って新帝都となるフェザーンに新しい邸宅を構えるように老執事に指示し、後事は全て彼に委ねた。前もって準備を進めていた老執事は遅滞なく主人の意向に従ってフェザーンへの転居を済ませ、主人がフェザーンにいつ戻ってきても問題なく迎えられる用意を調えたのだが、ロイエンタールは結局その新居に足を踏み入れる事はなかったのである。

 

 ロイエンタールの叛乱に際し彼の私邸は封鎖され、留守を預かる老執事は他の使用人たちの動揺を抑えた後、憲兵隊から出頭を命じられて聴取を受けた。だが彼は、

 

「この件に関し、私めは旦那様からは何も伺ってはおりません。大逆罪の連座の対象となるならば、謹んでそれに従います。ですが、他の使用人たちにはなにとぞ寛大な処置をお願いしたい」

 

 と、泰然として応じ、直々に尋問を行なった憲兵副総監ブレンターノ大将を感嘆させた。とはいえ、皇帝ラインハルトには叛逆者の一族郎党までも処罰の対象にする意思は毛頭なかったのだが。

 

 そして叛乱終結後、密葬の後に叛乱に参加した将兵の遺体の埋葬が許可される事を知った老執事は、ロイエンタールの遺体の引き取りとフェザーンへの埋葬を懇願したのである。

 

 ロイエンタールは生前、祖国の滅亡を予期した古代の名将が主君に疎まれて自決する際に「自分の目をくり抜いて敵国の方角にある城門の上に置け。故国の滅亡を見届けるためだ」と言い残したという逸話を挙げた後、

 

「俺の死ぬ瞬間を、俺自身の目で見てみたいものだ」

 

 と独語したのを老執事は記憶していた。それゆえロイエンタールと縁が深いとは言い難いフェザーンに埋葬を希望する理由を聞かれた彼は、

 

「旦那様はローエングラム王朝の未来をお気に掛けておられる事と思います。王朝の往く末を見届けられるのならば、その中心となる新帝都こそが最も相応しい場所と私めは愚考した次第でございます」

 

 と答えたのだった。

 

 

 

 叛逆者であるロイエンタールは、当初は戦没者墓地への埋葬の資格なしとして別の墓地に葬られるはずだったのだが、ロイエンタールがフェザーンに埋葬されると知った皇帝ラインハルトは、

 

「予は彼に元帥号を返還した。予が任命した元帥ならば、予の名の下に弔う義務がある」

 

 として、戦没者墓地への埋葬を指示したのである。

 

 埋葬に際しては、老執事を始めとする使用人たちの他、叛乱終結後に予備役に編入されたディッタースドルフ中将、ゾンネンフェルス中将、リッチェル中将、シュムーデ技術准将、レッケンドルフ少佐といったロイエンタールの旧部下たち、そして親友ミッターマイヤー元帥とその一家も立ち会う事となった。ラインハルト自身は参列を控えたものの、皇帝の首席副官シュトライト中将が代理として派遣された。ロイエンタールの遺児にしてミッターマイヤーの養子となった幼児は義母に抱かれつつ実父の埋葬を見届けたのだが、当時一歳にも満たなかった彼は、無論後年になってもその光景を思い出す事はできなかったのである。

 

 

 そのロイエンタールの墓の周囲にはバルトハウザーやシュラーを始めとした、ロイエンタールの叛乱に従って戦死した将兵たちの墓も建てられており、ロイエンタールの墓に最も近い位置に建てられている墓石には、次のような文章が刻まれている。

 

「帝国軍大将ハンス・エドアルド・ベルゲングリューンここに眠る」と。

 

 

 ハンス・エドアルド・ベルゲングリューンはかつては故ジークフリード・キルヒアイスの麾下にあって分艦隊司令官として勇名を馳せた。キルヒアイスが不慮の死を遂げた後はロイエンタールの下に転任して参謀長となり、ロイエンタールの新領土総督就任後は査閲総監に任命されるなど、軍事方面における彼の右腕として全幅の信頼を寄せられていた人物である。ロイエンタールの叛逆に際しては、当初は思いとどまるように諫止したものの、上官がその決意を翻すつもりがないと悟った後は黙然としてロイエンタールに従った。

 

 叛乱終結後、ミッターマイヤー元帥麾下の分艦隊司令官であるフォルカー・アクセル・フォン・ビューロー大将は、総督府の玄関においてミッターマイヤーらを迎えた旧友ベルゲングリューンの姿がいつの間にか消えている事に気付き、総督府の彼の執務室を訪れた。ドアの前に警備兵がいなかったため、横にあるTV電話を操作し、来訪を告げる。画面に現れた旧友の陰鬱な表情に、ビューローは悪寒を覚えた。

 

「最期に卿と言葉を交わせるとは望外の事だ。できれば酒も酌み交わしたかったところだが……」

 

「最期だと? 卿、まさか……。早まるな! ドアを開けろ!」

 

 キルヒアイスとロイエンタール。偉大な上官にして真の名将たる二人の人物が最期の瞬間までラインハルトに対する敬愛を抱き続けた事はベルゲングリューンも知っている。だが、ラインハルトが謀臣オーベルシュタインを重用し、そのオーベルシュタインが手駒とした奸臣ラングの暗躍を許した結果、上官に二度も先立たれる結果を生んだとあっては、彼は皇帝に対しこれまで通りの忠誠を誓う事ができそうになかった。己の人生が滑稽で悲惨極まるものに成り果てたと自覚した彼にとって、天上に赴いてかつての二人の上司と再会を果たす以外に、もはや為すべき事は存在しなかった。

 

 ビューローは後悔した。親友の為人から考えれば、こういう挙に出る事も予測できたはずなのに。それを洞察し得ず解錠装置も用意していなかった自分の迂闊さを呪いつつ、ロックされたドアを何度も強く叩いた。

 

「死に急ぐな、ベルゲングリューン! 生き延びて皇帝陛下に再びお仕えし、ローエングラム王朝の繁栄と安寧に尽力する事こそ、キルヒアイス元帥とロイエンタール元帥が天上で望まれているとは思わないのか!」

 

「王朝の繁栄と安寧か……。それは屈指の功臣たちを粛清する事によってこそ成り立つ、と皇帝はお考えなのかな。狡兎死して走狗()らる、か」

 

 ビューローの必死の説得に対し、皮肉な口調でベルゲングリューンは応じる。かつて『金銀妖瞳』(ヘテロクロミア)の提督は彼に語ったものであった。「野に獣がいなくなれば猟犬は無用になる」と。

 

 キルヒアイスの死後、一度はビューローの言う通りにも考えられた。だが二度も続けば、もう充分だった。ロイエンタール閣下すら二度までも叛逆の嫌疑をかけられ、その屈辱に耐えられなかった。自分ごときに耐えられるはずもないではないか……。

 

「皇帝陛下にお伝えしてくれ。忠臣名将を相次いで失われ、さぞご寂寥の事でしょう、と。次はミッターマイヤー元帥の番ですか、と。功に報いるに罰をもってして、王朝の繁栄があるとお思いなら、これからもそうなさい、と」

 

 これほどラインハルトに痛烈な批判を浴びせた者はこれまでいなかった、と評される言葉を残してベルゲングリューンはTV電話を切り、画面は何も映さぬ灰白色に還元した。ビューローは腰からブラスターを抜き放ち、最大出力で電子錠の制御卓に向けて発砲する。何度目かの発砲で小規模な爆発が生じ、ビューローは爆発と破片によって顔をかばった腕に軽傷を負ったが、そんな事に構わずドアをこじ開けて彼は室内に駆け込んだ。

 

 だが、無情にもビューローがそこで見たのは、自らブラスターで頭部を撃ち抜き、鮮血の泥濘の中に倒れる旧友の変わり果てた姿であった。栄えある帝国軍大将の階級章は軍服から引きちぎられて床に転がっている。ビューローは覚束(おぼつか)ない足取りで数歩進んだ所で膝を突いてしまい、軍服の膝頭は血に濡れた……。 

 

 

 親友の傷心と生命の両方を救いえなかったビューローは悲嘆に暮れながらも、いや、むしろ悲嘆から逃れるために宇宙艦隊司令長官の幕僚として任務に精励し、上官や同僚と共にフェザーンに帰着した。

 

 ビューローにとって、親友の最期の言葉を皇帝に伝えないという選択肢は存在しなかった。だが、それによって皇帝の鉄槌がベルゲングリューンの遺族の頭上に振り下ろされるような事があってはならない。皇帝の憤怒は自分の一身で全て引き受ける覚悟を固め、傷心の大将は皇帝への謁見を希望したのである。

 

 執務室でビューローからベルゲングリューンの遺した伝言を一字一句あやまたず伝えられたラインハルトは、やや眉を寄せ、目を閉じて黙って聞いていたが、ほどなく見開いた蒼氷色(アイス・ブルー)の瞳には負の感情は宿っていない。ベルゲングリューンとビューローの、それぞれの示した剛直な言動はラインハルトの不快や怒りを誘うものではなかった。仮に誘っていたとしても、それを凌駕する正反対の感情が皇帝を支配していたのである。

 

「言いたい事を言ってくれるものだ。さすがキルヒアイスとロイエンタールに重用されただけの事はある」

 

 苦笑の数歩手前の表情を浮かべつつ、皇帝は評した。

 

「そう言えば、彼は自決に際し階級章を引きちぎって床に捨てていたそうだな」

 

「……はい」

 

「ならば、放言の罰として、彼には不本意だろうが予定通りベルゲングリューンには帝国軍大将として葬られてもらう。それでよいな、ビューロー大将」

 

 それはつまり、ベルゲングリューンの家族は罰されず、遺族として相応に遇されるという事である。ビューローは安堵し、皇帝の寛容に深く頭を下げたのだった。

 

 謁見終了後、宇宙艦隊司令部に戻ったビューローはミッターマイヤーに事の次第を報告した。

 

 蜂蜜色の髪の元帥はうなずき、椅子から立ち上がって窓際まで歩みを進め、外の景色を見やりつつ語り始める。

 

「陛下がな、俺に死ぬなとおっしゃったのだ」

 

 ビューローは一瞬はっとした表情を作ったが、すぐにそれを打ち消し、黙って耳を傾けた。

 

「キルヒアイスとロイエンタール亡き今、俺がいなくなれば帝国全軍に用兵の何たるかを身をもって教える者がいなくなり、自分も貴重な戦友も失う、と。俺のような非才の身には過分なお言葉だが、皇帝のご命令ならば、従わねばならん」

 

 瞼の熱さに耐えるかのようなミッターマイヤーの声であった。

 

「それに、ロイエンタールも最後に言葉を交わした時に言い遺した。皇帝を頼む、と。俺は陛下より八歳ほど年長だ。陛下より八年先に天上に赴くまで、皇帝と王朝を守りたてまつり、次の世代に伝えるべきものを全て伝え切る。それまで俺は意地でも死なんよ。だから、卿の親友が遺した最期の言葉は杞憂もいい所だな」

 

 実際には七ヶ月ほど後に、自分よりも年少の皇帝を見送る立場に立たされてしまう『疾風ウォルフ』は力強い光を湛えたグレーの視線を、同じ内乱の中で同じく親友を失った部下に向けて軽く笑いかけたのだった。

 

 

 埋葬は終わった。皇帝の棺の上を覆った土は固められ、棺は完全に大地の下へとその姿を消したのである。偉大な主君の墓標に対し、皇族や文官は黙祷を、武官は敬礼をそれぞれ行なった。

 

 人々は偉大な皇帝の死を、受け容れ難くも受け容れるために必要な儀式を見届け終え、悄然として帰路へと着き始める。

 

 黄昏の中、日没の方角を見やりつつ、足を止めてユリウスはつぶやく。

 

()が、落ちたな」

 

「……ああ」

 

 グスタフはうなずく。

 

 太陽は完全に地平線の下に没したが、その残照は降りかかる暗闇に抗って天空を暮れなずませている。金色と緋色の余光は、光輝と豊穣の黄金と、業火と流血の真紅で彩られたローエングラム王朝を体現している様にも思えた。

 

 陽は落ちた。落日の後、その残照はやがて消え去り、冷気を伴った暗黒が残された人々の心身を覆う事になるだろう。

 

 だが、陽はまた昇る。昔日の太陽の輝きには及ばずとも、柔らかい払暁の光が差し込む事を信じて、今は耐えるしかないのである。

 

「……行くか」

 

「……そうだな」

 

 ユリウス・オスカー・フォン・ブリュールとグスタフ・イザーク・ケンプは共に一一歳。皇帝ラインハルトを始めとする死せる人々が遺したものを継承し、守護するために、悲哀と喪失感と共に希望と決意をその胸に抱いて、未だ幼い「次の世代」たる二人の少年たちは歩いていくのであった。

 

 

 

 

 

                                第一章 完結



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第二章 曙光は淡く、されど眩し
第六節


──生前から死者と大して顔色が変わらない人だったから、まるで眠っているだけのように見えるな──

 

 などと失礼な事を、特殊ガラスのケースの中に横たわる死者に敬礼しつつユリウスは考えてしまった。もっとも、参列者の大部分は似たような感慨を抱いていたかもしれない。

 

 

 皇帝(カイザー)ラインハルトの葬儀が終わった数日後、皇帝に先立ってテロに(たお)れた軍務尚書の国葬が営まれた。ユリウスはグスタフと共に喪章を外す暇もないまま、その葬礼にも学年代表として参列していたのである。

 

 

 パウル・フォン・オーベルシュタイン元帥。

 

 

 ラインハルトの軍最高幹部の中で最年長の彼は今年で四〇歳の誕生日を迎えており、卓越した見識と処理能力を兼備する軍官僚であると同時に、冷厳な謀臣としてローエングラム体制における闇の部分を一身で象徴する存在でもあった。

 

 体躯は肉付きの薄い長身で、本来は黒っぽい頭髪は若白髪が多く半白となっているが、最大の特徴と言えるのはその両眼であろう。その薄茶色の双眸は、「補視器」たる光コンピューターが組み込まれた義眼であり、時として異様な光芒を放つそれと、血色と表情に乏しい相貌とあいまって無機質的な印象を他者に与える人物である。

 

 

 彼の目が不自由であったのは生来のものであり、ゴールデンバウム王朝の始祖たるルドルフ大帝が制定した「劣悪遺伝子排除法」が有名無実化される以前の帝国に生を()けていれば、彼は新生児の時点で「処分」されていた事は疑いない。

 

 そしてその後も身体障害者への差別意識や冷遇が根強く残る前王朝時代の中で成長した彼は、様々な形で辛酸を舌と喉が焼けるほどに嘗めさせられる事となった。かくして義眼の男はルドルフと彼の遺した王朝への、静かだが(くら)く深い憎悪を心中において醸成していったのである。

 

 

 ゴールデンバウム王朝時代においてローエングラム伯爵家を継承し、元帥号を得て政治的にも飛躍的に立場を強化した当時のラインハルトは、来たるべき宮廷勢力との対決に備え、政略及び謀略面における参謀役を欲していた。キルヒアイスやミッターマイヤー、ロイエンタールといった既存の将帥たちは知性は充分だが、彼らには実戦部隊を率いてもらわねばならなかったし、そもそも彼らは謀略は時には有効で用いざるを得ない場合もある事は認めつつも、本質としては積極的に関わる事を良しとしない矜持を抱いた武人である。一時的であればまだしも長期間において謀略家に徹するなど、彼らの為人(ひととなり)から考えても無理な話であっただろう。

 

 折りしもその頃、旧帝国暦四九七年五月に難攻不落であるはずのイゼルローン要塞が同盟軍のヤン・ウェンリーの機略によって呆気なく奪取された。その際に戦死を遂げた要塞駐留艦隊司令官ゼークト大将の幕僚であったオーベルシュタインは進言をまともに吟味すらしない頑迷な上官を見限り、要塞主砲の直撃を蒙って消滅する寸前の旗艦から脱出したのである。

 

 敵前逃亡の罪で処断されるはずだった彼は、自身にはない覇者としての器量を持つラインハルトにゴールデンバウム王朝打倒の不退転の決意と覚悟を披瀝して自らを売り込んだ。それを了承したラインハルトはイゼルローン失陥の責任を取るべく辞任を表明した当時の「帝国軍三長官」への寛恕を、三長官職の後任の辞退を引き換えに皇帝フリードリヒ四世に申し出、三長官に借りを作る代償としてオーベルシュタインの免罪と自身の麾下への転属を認めさせたのであった。

 

 

 オーベルシュタインはローエングラム体制下にあって、軍政と謀略の両面に『ドライアイスの剣』と称されるほどの精密かつ冷徹な手腕を発揮し、必要とあらば自己犠牲や主君への痛烈な直言も厭わないほどの私心なき姿勢を生涯にわたって貫いた。謀略における功績の多くは公に語られる事がはばかられる類のものではあったが、公表されている功績だけでも王朝創業の功臣と呼ばれるに足る存在であっただろう。

 

 その一方であまりにも情というものを顧みない、非協調的で秘密主義に徹したその言動は多くの人物から敬遠ないし忌避されるものであった。それらが明確な形で表れるようになったのは、ジークフリード・キルヒアイスの死が契機であったのは疑う余地がない。

 

 

 前王朝時代のフリードリヒ四世崩御後の新体制下において、名実共にローエングラム陣営のナンバー2となった当時のキルヒアイスの立場を同陣営内で認めない意思を公言したのはオーベルシュタインただ一人であった。彼は組織においてナンバー1に迫る権能を有し、かつ私人としてもナンバー1と緊密な立場のナンバー2などという存在は構成員の忠誠心の所在を曖昧なものにしていまい、有能であれ無能であれ組織にとっては有害であるという確乎たる価値観の所有者であったのである。

 

 彼はキルヒアイスの為人や才幹については「尊敬に値する」「有能な男」と高く評価はしていた。それでもなおナンバー2有害論を撤回することはなく、キルヒアイスの地位や権限の突出に対し、事あるごとに懸念を表明していたが、当初ラインハルトはその進言を一顧だにしなかった。十年以上も生死や苦楽を共にして来た赤毛の盟友との間に培われた信頼関係は、余人の想像の及ばないほどに固く結びついたものだったのである。

 

 それに深刻な綻びを生じさせる事件が起こったのは、旧帝国暦四八八年のリップシュタット戦役の渦中においてであった。

 

『ヴェスターラントの虐殺』である。

 

 

 貴族連合軍の盟主たるブラウンシュヴァイク公爵の領地であった辺境の惑星ヴェスターラント。

 

 公爵の代理としてその統治を任されていた甥のシャイド男爵は、伯父を後方から支援するために領内からの搾取をさらに強めたが、それは従来の大貴族主導の支配体制に歪みが生まれつつある趨勢を察知していた領民たちの、大規模な叛乱を誘発してしまう結果を生む。

 

 シャイド男爵は混乱の中で重傷を負いつつもシャトルで脱出し、貴族連合軍の根拠地たるガイエスブルク要塞に逃げ込んだ。だが、満足な手当ても受けられないままの長距離の汚辱に塗れた逃避行は男爵の心身を完膚なきまでに痛めつけていた。要塞に到着して本格的な治療を受ける(いとま)もなく、若い貴族は呪詛の呻きを遺して絶命したのである。

 

 先立って自ら出陣していながら成り上がり者の「金髪の孺子(こぞう)」ことラインハルト率いる敵軍に大敗し、命からがら要塞に撤収する破目になった己の醜態に憤懣やるかたない心境であったところに、一門である甥が従順たるべき領民に殺されたという事実を突きつけられたブラウンシュヴァイク公は激昂した。その結果として凄まじい憤怒の炎に炙られた、肥大しきった選民意識の赴くままに公爵は「恩と身の程を忘れた賤民ども」の頭上に、熱核兵器という名の「正義の刃」を下す事を厳命したのである。

 

 一部の諫止を退けてその命令は強行された。攻撃部隊は遮る者もなく目的宙域に到着し、乾燥性の惑星ヴェスターラント上に点在していた居住可能地域であるオアシス全てに、一撃で数十万人を死に至らしめるに充分な破壊力を保有した核ミサイルを叩き込んだのである。

 

 人類が発祥の地たる地球を唯一の生存圏としていた時代、大国間の熱核兵器の応酬により惑星規模の大量虐殺と放射能汚染をもたらした『一三日戦争』は、人類史上の隠しようもない汚点であった。それ以来、熱核兵器を惑星上で使用する事は禁忌というべき行為となっており、不動の信念に基づいて四〇億人を抹殺したルドルフ大帝ですら採らなかった手段であったのだが、ブラウンシュヴァイク公は元から豊かとは言えなかった思慮も分別も放擲し、封印を無造作に破ってのけたのであった。

 

 ヴェスターラントの地表上に五〇以上もの巨大な閃光の半球が連鎖的に発生し、それらはすぐにマッシュルーム状の、空を貫かんばかりの高度までそびえ立つ原子雲に変じた。その中心から発せられた衝撃波と熱線と放射線が世界蛇(ヨルムンガンド)の猛毒の吐息のごとく、地表とその上に在った建物を、草木を、動物を、人々を容赦なく呑み込んでいく。

 

 強烈な熱線を浴びた者はたちまち頭髪が燃え上がり、網膜が潰され、皮膚が焼けただれてゆく。

 

 そしてほぼ同時に凄まじい衝撃波とそれに伴う爆風が荒れ狂い、見えざる巨人の(てのひら)が振るわれたかのように建築物はなぎ倒され、人々は吹き飛ばされた末に焼けた大地や崩れ落ちた建物の壁に叩きつけられた。

 

 鼓膜が破れ、衣服が剥ぎ取られ、ある者は眼球を眼窩から飛び出させ、ある者は皮膚が手の先からずる剥けとなって襤褸(ぼろ)のごとく垂れ下がり、ある者は破裂した腹部から内臓をはみ出させつつ、無惨に焼かれ、引きちぎられた姿で次々と倒れ伏していく。

 

 衝撃波と突風により破砕され、高速で飛散する窓ガラスと建材の無数の破片を浴びて絶叫する者もいる。

 

 倒壊した建物の下敷きになって圧死した者もいる。

 

 発生した猛烈な炎の嵐に巻かれて焼死する者もいる。

 

 劫火に追われてオアシスの水源や用水路に飛び込むも、力尽きて溺死する者もいる。

 

 そうした地獄絵図に木霊していた乳児のか細い泣き声も、両親に助けを求める幼児の悲鳴も、我が子を捜し求める父母の叫びも、もはや動けぬ老人が飲み水を求める低い呻き声も、長くは続かずに消えていった。

 

 虚空に高く舞い上げられた大量の土砂は放射性下降物と化し、『死の灰』(フォール・アウト)はヴェスターラントの住民二〇〇万人の上に屍衣となって覆いかぶさった。

 

 遅れて駆けつけたローエングラム陣営の軍隊によって救護活動が行なわれたものの、物理的には膨大な数の要救助者全員に手を回すのは現実的に困難であり、いまだに鎮まらない炎の嵐も活動を阻害した。心理的には救助を命じられた防護服姿の将兵たちは凄惨な無数の屍や充満する放射能に対して恐怖で腰が引けていて救護が進まず、それまで虫の息であった生存者も次々と死者の列へと加わっていった。

 

 たまたまオアシス間を移動していて難を逃れたごく少数の例外などを除いて生存者はほとんど存在せず、その生き残りの住人たちも放射能によって住めなくなった故郷から、同胞たちの弔いも満足に出来ないまま離れざるを得なかったのである。

 

 ──かくてヴェスターラントは『地下の死の女神(ヘル)』に抱かれし惑星となった。

 

 

 ヴェスターラント核攻撃の情報は、事前にラインハルトの耳にも届いていた。彼はそれを阻止させるべくヴェスターラント方面に最も近い位置の部隊に出撃命令を下そうとしたのだが、それを制止したのが当時の宇宙艦隊総参謀長であったオーベルシュタイン中将であった。冷徹な総参謀長はこのブラウンシュヴァイク公の愚行を妨害せずにこのまま実行させるべし、と躊躇の表情を欠片も見せる事なく主君に進言したのである。

 

 ──叛乱を起こしたとはいえ、降伏勧告や鎮圧といった選択肢を採らずに問答無用で二〇〇万人への熱核兵器による無差別攻撃という暴挙が行なわれれば、貴族連合軍の支配下の他の領民や、平民出身の兵士たちの憎悪と動揺を生じさせ、大規模な離反を促す事が可能となる。そうなれば、戦役は勝利の内に早期終結が成り、結果として犠牲は少なく抑えられる──。

 

 金髪の帝国軍最高司令官は総参謀長の冷厳な具申に絶句しつつも、その献策が有効なものである事は認めない訳にはいかなかった。

 

 また、ラインハルトは自分が潔癖に過ぎる部分がある事をこの時点で自覚していた。清濁を併せ呑む器量を持つべき覇者を志す身として、味方たりうる存在に対してすら迷いを見せず、有効だが冷酷な判断を下す事ができるオーベルシュタインに対して非好意的な感情と同時に、一種の劣等感を感じざるをえなかった。それゆえにその意見を退ける事ができなかったのである。

 

「支配者として、敵ならざる者たちの血と白骨で塗り固められた覇道を進む覚悟はおありか」

 

 そのような無言の問いを突きつけられたラインハルトは、逡巡を完全に振り払えないままに総参謀長の策を了承したのだった。

 

 なお、ローエングラム陣営に核攻撃の情報を最初にもたらしたのは、貴族連合軍から脱走したヴェスターラント出身の兵士であった。彼は故郷の惨劇の映像が公表された直後に、与えられた一室において死体となっているのが発見され、悲嘆の末に自ら命を絶ったと思われた。義眼の謀略家の指示で口封じのために殺されたという説も後世にはあるが、真相は不明である。

 

 

 別働隊を率いていたキルヒアイス上級大将は辺境星域を完全平定した後、ラインハルトの本隊と合流する途上において『ヴェスターラントの虐殺』の凶報を知った。その蛮行への憤慨が冷めやらぬ中、続けて唯一の主君が事前に敵の動向を把握していながら、それを政略に利用すべく看過したという、信じたくないが無視し得ない情報を彼は耳にする事となる。民衆を理不尽に踏みにじるゴールデンバウム王朝の打倒と、その価値観の否定こそが、幼少期から金髪と赤毛の二人の若者が共有してきた辞書に明記された正義であった。その項目を金髪の若者は民衆の血をインクとして塗り潰し、書きかえたというのだろうか。

 

 キルヒアイスは本隊と合流を果たした後にラインハルトに事の真偽を問いたださざるを得ず、情報が事実だと知った彼は虐殺された民衆のみならず目の前の盟友のためにも、深い義憤と悲哀を抱きつつラインハルトに諫言した。

 

 これまで誠実な盟友たる赤毛の若者が発してきた数々の助言や諌止に対し、ラインハルトは度量をもって応じてきたはずである。だが、このキルヒアイスの忠言は、自らの決断に迷いと後ろめたさを感じていた金髪の若者の耳にかつてなく逆らった。非理性的な反発心の赴くままにラインハルトは諫言は退けてしまい、二人の間にあった信頼関係という名の無二の宝石には、破断に繋がりかねない(たがね)の一撃が加えられたのである。

 

 

 キルヒアイスの耳にヴェスターラントにまつわる噂をもたらしたのは、貴族連合軍のヴェスターラント攻撃部隊からの脱走兵と公式には記録されている。だが、リップシュタット戦役終結後にその兵士は消息が不明となっている上、その兵士が提示した身分証明のためのIDカードが偽造したものである事が後に判明している。そもそも一兵士に過ぎないはずの立場の彼が、どこでそのような噂を知り得たのか、あるいは推察を行ない得たのかなど、不可解な点も多い。

 

 そのため、「実はその兵士はオーベルシュタインが戦役勃発以前に貴族連合軍に潜入させた工作員の一人であり、ラインハルトとキルヒアイスの過度に思える信頼関係を切り崩す事を企図した義眼の上司の指示に従い、脱走兵を装って騒ぎ立て、キルヒアイスに件の噂を吹き込んだのではないか」と考察している歴史家も存在するが、明確な証拠も存在しないため推測の域を出ないとされている。

 

 

 いずれにしても、結果として盟友と名射撃手としての二つの信頼によりただ一人式典時の銃の携帯を許可されていたキルヒアイスはその資格を失い、丸腰で参列した戦勝式において彼は刺客に狙われたラインハルトを庇って致命傷を負う事となる。そして必死に呼びかけてくる金髪の盟友との絆はなお失われていない事を噛み締めつつ、その代償として赤毛の驍将は生命と未来を喪失したのであった……。

 

 

 持論たるナンバー2有害論に基づいて、キルヒアイスの銃の所持を不要な特権として主君に廃止を進言したのは他ならぬオーベルシュタインであった。その進言を受け入れた責任を他者に転嫁せず、生涯にわたり悔やみ続けたラインハルトとは対照的に、義眼の謀臣は後悔の念を表情に示す事はなく、謝罪の言葉も言語化する事はなかった。そればかりかキルヒアイスの死を利用して政敵を排除するという辛辣な策略すら考案してのけた彼に対し、ローエングラム陣営の諸将の大半はその能力と必要性を認めつつも、好漢であった赤毛の名将への哀惜も相まって顕在化した忌避や反感といった負の感情を抱き続ける事となったのであった。

 

 

「ローエングラム陣営がヴェスターラントへの攻撃計画を事前に知りながら、政治宣伝のためにあえて看過した」という噂は事件直後から流布していたが、ラインハルトの治世下の帝国政府はそれに関して事実を知る関係者には緘口令を敷き、「敵性勢力による流言」として公式には否定していた。赤毛の友を永遠に失い、自責の念に苛まれていたラインハルト自身は事実を公表しようと当初は考えたのだが、これもまたオーベルシュタインに制止されたのである。

 

「公表すれば、事実を知りながら口を緘したまま天上へ去っていったキルヒアイス提督の思慮が無に帰す事になりますな。それでもよろしいですか」

 

 死者の名を盾に使いつつ自身の意見を通そうとする謀臣の態度に金髪の覇者は不快感を刺激されたが、情のみならず理にも適ったその意見を受け入れざるを得なかったのである。

 

 オーベルシュタインの主導による情報管制もあり、結果として戦役終結後も虐殺黙認の噂は信頼に足る情報として扱われる事はなかった。かつて自由惑星同盟末期の最高評議会議長トリューニヒトは在任中にラインハルトを独裁者として批判する演説を行なった事があるが、扇動家(アジテーター)として悪名高い彼ですらヴェスターラントの件には言及しなかった。また、最後のフェザーン自治領主(ランデスヘル)ルビンスキーも後世に名を残す陰謀家であったが、その彼にしても『ヴェスターラントの虐殺』を題材とした謀略は実施し得なかったのである。

 

 ローエングラム王朝成立後、ラインハルトに征服された旧同盟領において統治に不満を持つ民衆による暴動や抵抗運動は少なからず生じたが、彼らが挙げたスローガンの中にも「ヴェスターラントを忘れるな」「ヴェスターラントの二の舞を許すな」という類のものは存在せず、ヴェスターラントにまつわる黒い噂が信憑性を伴って広がっていなかった事を物語っている。

 

 ラインハルトの軍事的な好敵手たるヤン・ウェンリーも、その短い生涯において『ヴェスターラントの虐殺』に関しては一度も公に触れる事はなかった。愛弟子であるユリアン・ミンツを始めとするヤンの周囲の人々も多くの記録や証言を後世に遺しているが、ヴェスターラントの件について深く言及してはいない。

 

 だが、同盟を混乱に陥れた救国軍事会議のクーデターや、エルウィン・ヨーゼフ二世の同盟への亡命事件がラインハルトの策謀の成果である事を看破していたヤンである。その彼が『ヴェスターラントの虐殺』を偶発的な事件と判断していたとは考えにくく、おそらくはその卓越した分析力によって事実を察知していたと思われるが、ローエングラム体制との関係を考慮して沈黙していたのではないか、と後世の一部の歴史家たちは推測している。

 

「彼は人格的に完璧ではないにしろ、この四、五世紀の歴史の中で、もっとも輝かしい個性だ」

 

 これは後世に伝えられているヤンのラインハルト評の一つであるが、「人格的に完璧ではない」とは、同盟軍による大規模な帝国領侵攻作戦における一種の焦土作戦や『ヴェスターラントの虐殺』の黙認に見られる、必要とあらば無辜の民衆の犠牲をも織り込んだ作戦を容認し、実施する事も辞さない非情と言える一面も指しているかも知れない。

 

 もっとも、ヤンは自身が「人格的に完璧」にはほど遠い人間であると認識しており、それを他者に望むつもりも毛頭なかったであろう。彼がヴェスターラントの裏面の真相に気付いていながら口を緘していたとすれば尚更である。そもそも敵や味方を死なせたり欺いたりする事に明け暮れる権力者や用兵家などという人種は「人格的に完璧」であったら務まらない、という皮肉かつ辛辣な意見も存在するが……。

 

 

 ヴェスターラントのわずかな生存者や、兵役などで故郷を離れていたため難を逃れた旧住民の一部は真相の究明を求めた運動組織を結成したが、その活動は蟷螂の斧でしかなかった。帝国政府からは多額の補償を支給されたものの、真相の究明に関しては門前払い同然の扱いを受け、ラインハルトの主導した社会体制の改革の恩恵に浴した大多数の帝国領民からは秩序を乱す異分子として、白眼視もしくは迫害の対象となったのである。

 

 もともと少なかった構成員はそれらに耐え切れずに次々と離脱し、組織はわずか数年で空中分解に追い込まれた。そして新帝国暦〇〇二年八月二九日のラインハルト暗殺未遂事件の犯人は、その組織のリーダーにして最後の構成員だったのである。

 

 彼は明確な証拠こそ得る事はできなかったが、数年にわたる執念深い調査の末に、郷里の大量虐殺にラインハルトが関与していた事を確信していた。そして組織の解体により追い込まれた彼は、妻子や同胞の仇たる『金髪の孺子』を斃すべく、捨て身のテロリズムに身を投じたのである。

 

 だが、殺意を隠し切れず、周囲への注意を払わないまま皇帝に近付こうとする暗殺未遂犯は親衛隊副隊長ユルゲンス大佐の警戒の対象となり、実行の寸前で捕縛される結果となった。そして、テロという手段とはいえ自分を殺そうとした男の顔くらいは見届けようと、多くの兵士たちの列から遠く離れた場所で少数の側近と護衛のみで暗殺犯と対峙したラインハルトは、予想もし得なかった衝撃をその男から与えられる事となる。

 

 暗殺未遂犯は兵士に囲まれ手錠をかけられた上に電圧銃(スタンガン)によって抵抗力を奪われていた。しかし、彼の胸中の瞋恚(しんに)の念は衰える事なく猛っており、故郷と家族を核の炎で灼いたラインハルトに対し、自分を無視し排斥した他の民衆への激しい憎悪をも込めて叫んだのである。

 

「生きている奴らは、貴様の華麗さに目が眩んで、ヴェスターラントの事など忘れてしまっているだろう。だが、死者は忘れんぞ。自分たちがなぜ焼き殺されたか、永遠に憶えているぞ」

 

 憲兵隊司令部に連行された際に暗殺未遂犯を診察した医師のカルテには、彼の喉は絶叫のあまり、言葉を発するのも困難なほどの重度の炎症を起こしていたと記録されており、そのため憲兵総監自身による尋問もほとんど成果は得られなかったと伝えられる。史上空前の覇王の肺腑を直撃した生命がけの弾劾と、その原動力となった彼の悲憤の烈しさが窺い知れるが、事破れて心身の活力を費い果たした彼は獄中で自ら命を絶ち妻子の後を追ったのであった。

 

 

 グスタフを始め現在の幼年学校の生徒たちは、無論『ヴェスターラントの虐殺』の件の噂を耳にしたとしても信じず、敬愛すべき主君に悪意を抱く者たちの妄言と一蹴している。だが、ひねくれ者を自認するユリウスはそういった意見に共感すると同時に、親友であるグスタフにも語っていない異なる見解を抱いてもいた。

 

 無論の事、不敗の名将にして歴史家志望であったヤン・ウェンリーの卓越した情報分析能力には、未だ一一歳の未熟な少年であるユリウスのそれは遠く及ばない。それでも、一流の軍略家であるラインハルトやオーベルシュタインが敵の軍事行動の情報を事前に掴めなかったなどという不手際をするだろうか、という疑問を明敏な少年は抱かざるをえない。同時に彼は『ヴェスターラントの虐殺』が当時のローエングラム陣営に多大な利益をもたらした事も、漠然とではあるが理解していた。

 

 そういった点から考えて、噂はあるいは事実なのではないか、ともユリウスは思うのである。

 

「グスタフに漏らしたら喧嘩になるかな。まあ、それも面白いかもしれないが」

 

 自分と互角の、天性の喧嘩巧者である親友との殴り合いを想像し、それで胸が少し弾んだ自分の心理にユリウスは苦笑した。

 

 ユリウスはこれまで多くの喧嘩を経験してきたが、嗜虐的に多数で少数をいたぶるような真似に与した事はなく、戦う力や意志を喪失した相手を更に痛めつけるなどという行為もした事はない。幼くもそういった尊厳や矜持を心の裡にすでに育んでいたユリウスにとって、二〇〇万もの民衆が無差別に虐殺され、それをあの誇り高い、畏怖すべき金髪の覇者が政治利用のために看過したという推察は重きに過ぎた。

 

 仮に事実だとして、ラインハルトの為人からしてそのような策を自分から発案するとは考えにくく、義眼の参謀の発案であるのは間違いない。だが、最終的に認可したのはラインハルトであろう事も然りである。

 

 そしてその二人の決断は軍略家として合理的な判断だったのではないか、と思った自分自身に慄然とした所で、ユリウスは考えるのを止めた。考えた所で情報も乏しく、未熟もいい所の自分に明快な結論が出せるような事ではないし、そもそも虐殺黙認が事実と確認できた訳でもない。考察し、他者に語るにしても、まだまだ先の話だとユリウスは自身に言い聞かせる。

 

 内心の疑問を心の最深部に押し込む一方で、喧嘩絡みで不意にユリウスの心の表面に浮かび上がったのは亡母の事であった。

 

 母親が健在だった頃、ユリウスは一度喧嘩の現場を偶然通りかかった母に見つかってしまった事がある。その時点で喧嘩相手は一方的に叩きのめされて泣きながら退散する所であったが、彼女の存在に気付いたユリウスは、まずい、と思い身体を強張らせた。叱られるならまだしも、自分を妙に溺愛する彼女が過剰に騒ぎ立てるのではないかと懸念したからである。

 

 だが、予想に反して、母は少し驚いた顔をしていたものの取り乱したりはしなかった。彼女はプラチナブロンドの美しく長い髪を揺らしながら近付いてきて、寂しげな笑みをその美貌に浮かべつつ息子を優しく抱きしめたのである。

 

「やはり、オスカーはオスカーなのね……」

 

 喜んでいるのか悲しんでいるのか解らない声色で、それ以上に解らない内容の言葉を母がつぶやいたのをユリウスは憶えている。

 

 ヴェスターラントの真相といい、亡き母の真意といい、世の中には理解できない事が多すぎる。自分の目と手と思考の及ぶ範囲のあまりの短さに、ユリウスはもどかしさを感じざるを得ないのであった。

 

 

『ヴェスターラントの虐殺』における裏面の事情が全て公表されたのは、事件の当事者たちが全て現世の住人ではなくなった後の事であった……。




 









 オーベルシュタインの没年齢は、書籍版で最新の創元SF文庫版第10巻では三九歳から四〇歳に修正されていたのでそれに従っています。


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第七節

『ヴェスターラントの虐殺』はオーベルシュタインの予測通りに、以前から親密とはほど遠かったブラウンシュヴァイク公と彼を盟主と仰ぐ貴族たちから、民心が完全に離れる決定的な契機となった。

 

 ローエングラム陣営によって撮影された惨劇の映像は帝国全土に流され、民衆たちは戦慄し、恐怖し、そして憤慨した。

 

 その結果として、貴族連合軍の支配下にあった全領地において連鎖的に大規模な民衆暴動が発生する事となり、現地にて統治を行なっていた貴族とその一族郎党はことごとく駆逐された。そして支配者を打倒した民衆たちはこぞってローエングラム陣営へ帰属と庇護を求めたのである。無論、ローエングラム陣営がそれらに応じない理由は存在しなかった。

 

 支配領の離反により貴族連合軍は軍事物資の供給元を失い、彼らの根拠地たるガイエスブルク要塞は完全に孤立する事となる。それに加え、平民や下級貴族出身の将兵たちの脱走やサボタージュも多発し、これまでも敗北を重ねてきた連合軍は砂上の楼閣のごとく、急速に崩壊を始めたのであった。

 

 そういった不本意極まりない状況にブラウンシュヴァイク公は歯ぎしりしたが、周囲の貴族諸侯までも失望の視線を投げかけてくるに至っては、さしもの傲岸な公爵も人心の離反を皮膚で痛感せざるを得なかった。もはや感情に任せて「第二のヴェスターラント」を生み出す事もできず、いまだ戦意を失わない若い貴族たちと酒宴に興じて現実から逃避し、更に人望と判断力を損なっていったのである。

 

 そのあげくに無謀な青年貴族たちの扇動に乗った盟主は、最善と思われた要塞への籠城策まで捨て、全軍を挙げての最終決戦をローエングラム軍に挑んだ末に惨敗を喫する事となる。その果てに大貴族の道連れとなって滅びるのを拒否した麾下の兵士たちの投降や造反も相次ぎ、貴族連合軍は完全に瓦解した。

 

 かくして盟主たるブラウンシュヴァイク公は自決に追い込まれてガイエスブルク要塞は陥落し、リップシュタット戦役は終結したのであった。

 

 

 そして戦役終結後の戦勝式にてキルヒアイスが非業の死を遂げた数日後に、ローエングラム陣営の名将たちに率いられた高速巡航艦隊は帝都オーディンへと急行する。その結果、幼帝エルウィン・ヨーゼフ二世の身柄及び宰相府に保管されていた国璽の確保と、ローエングラム陣営の表面的な同盟者にして潜在的な敵対者であった帝国宰相リヒテンラーデ公爵とその一派の排除に成功し、帝国軍最高司令官と帝国宰相を兼任する事となったラインハルト・フォン・ローエングラム「公爵」による独裁体制が帝国にて確立したのであった。

 

 その新体制の成立において、ラインハルト暗殺未遂事件を逆用し、その首謀者としてリヒテンラーデ公を排除し政治及び軍事の全権を掌握する策を考案したオーベルシュタインの功績は高く評価された。かくして新体制下において、彼は実戦部隊の代表たる『帝国軍の双璧』の両提督に伍する地位を与えられる事となったのである。

 

 ラインハルトの皇帝即位後にローエングラム王朝の初代軍務尚書に任じられてからも、オーベルシュタインは変わらぬ辣腕を振るい続けた。完璧な軍政を運営し、実戦部隊の後方を安定せしめて王朝の人類社会統一に貢献し、冷徹な謀略をもって新王朝の直接的ないし潜在的な敵対勢力を次々と排除して帝権の基盤を磐石たらしめた実績は、彼を忌避している者たちも認めざるを得ないほどに巨大なものであった。

 

 そして新帝国暦〇〇三年七月二六日に発生したヴェルゼーデ仮皇宮襲撃事件に際し、オーベルシュタインは仮皇宮の二階の一室において地球教徒の投げ込んだ爆弾により致命傷を負う事となる。自身の死が不可避なるを察した彼は冷然と延命処置を拒絶し、淡々と自家の執事への伝言を残した後に四〇歳の生涯を閉じたのであった。

 

 

『ヴェスターラントの虐殺』に代表されるオーベルシュタインの冷徹な謀略家ぶりは当時及び後世に広く伝えられており、その機械的というよりは鉱物的な印象の風貌もあって、一部には感情の存在すら疑う者もいるほどである。

 

 だが、もともとは幼少期から体験した障害者への差別や冷遇が募らせた、「ゴールデンバウム王朝への憎悪」という感情こそが、彼が行動を起こした動機である事はいくつかの信頼できる証拠や証言から明らかであり、他にも彼が他者の前で感情の揺らぎを表した場面は、さほど多くはないが様々な資料に散見される。特にオーベルシュタインの部下であるアントン・フェルナーの遺した手記は、義眼の上官の感情面について言及されている部分が比較的多く、後世においてオーベルシュタインという人格の研究や考察に欠かせない一級資料のひとつと見なされる事となった。

 

 一例としては『バーラトの和約』後の同盟領への再侵攻に際し、オーベルシュタインが「皇帝(カイザー)の本領は果断速攻にある。座して変化を待つのは、考えなみれば皇帝には相応しくない」と理より情に傾いた言葉を漏らした事に対し、フェルナーは「意外の念を禁じえなかった」と回想している。

 

 また、ロイエンタールの叛乱終結後、ミッターマイヤーが何ゆえ自らの手で親友を討つ事を決意したのか推論を述べた後に「私も口数が多くなったものだ」と苦笑の表情を浮かべて部下の眼を疑わせたという記述もあり、フェルナーの述懐に従えば「にわかに氷の彫像が笑ったようなものだった」という事になる。

 

 フェルナーの手記の他の諸記録にも、リップシュタット戦役直前の貴族たちの動向を喜劇的と評したラインハルトに対し「ハッピーエンドで終わらなければ喜劇とは言えないでしょうな」と軽口めいた発言を返す、柔らかく煮た鶏肉しか口にしないような野良犬を拾って養う、機械的ないし化学的な洗脳を「野暮」「無粋」と切り捨てるといった、冷酷な効率至上主義者という一般的なイメージからは想像しにくい言動が伝えられている。

 

 新帝国暦〇〇二年八月二九日のラインハルト暗殺未遂事件において、オーベルシュタインが捕縛された暗殺未遂犯に対して「ヴェスターラントの虐殺」黙認の考案者が自分である事を明言し、語る必要のない裏面の事情をことさらに語った件も、関係資料が公表された後の後世の人々に意外の念を抱かせる事となった。あえて事実を語ったのは、生命を賭して復讐を遂げようとした暗殺未遂犯に対する「ゴールデンバウム王朝への復讐者」としての「惻隠(そくいん)の情」だったのではないかと推測する歴史家も存在するほどである。

 

 また、旧帝国暦四八七年のアムリッツァ会戦においても、猛将ビッテンフェルト提督率いる『黒色槍騎兵』(シュワルツ・ランツェンレイター)艦隊がヤン・ウェンリー麾下の第一三艦隊によって痛撃を蒙った際にラインハルトの参謀長であったオーベルシュタインに動揺の色が見られたという記録も存在し、その翌年のリップシュタット戦役終結直後の戦勝式においても、ラインハルトが刺客に砲口を向けられた際に主君の傍らにいたにもかかわらずオーベルシュタインは動きえなかった。後世の編纂資料やフィクション作品の中には、盾となるべく即座に主君の前に立ちふさがる描写がなされているものも存在するが、これらは「常に冷静沈着で自己犠牲も厭わない人物」というイメージや先入観によって作られた創作であり、史実ではない。

 

 そういったいくつかの不測の事態に即応できていない事例から「ヤン・ウェンリーと同様、オーベルシュタインは深慮遠謀の人ではあったが、必ずしも臨機応変の人ではなかった」と後世において評される場合がある。だが、戦勝式の襲撃に関しては動きえなかったのは標的となったラインハルト自身や、キルヒアイスを除く列席していた歴戦の勇将たちも同様であり、オーベルシュタインのみを酷評するのは公正ではないという反論もある。

 

 ともあれ、以上の点から考えても、口数も少なく表情に乏しいとはいえオーベルシュタインもまた「感情の動物」たる人間であり、「無感情の鉱物」という評価は明らかに誇張ないし偏見と言える。もっとも、当の本人は誤解を解く努力をまったく行なわなかったばかりか、むしろそういった印象を利用していた節もあった。フェルナーも手記の中で、ラインハルトの影として他者からの反感を一身に受ける「泥かぶり役」や「憎まれ役」を務めるために「冷徹で無情な謀略家」を演じている側面もあったのではないか、と旧上司の意図について推論を述べている。

 

 オーベルシュタイン自身は己の心情を他者にほとんど語る事なく生涯を終えており、彼の内面の多くは豊富とは言い難い証言や証拠から推測するしかない。そして、それは後世において研究者や創作家の知的好奇心や創作意欲を、むしろかき立てる結果となったのであった。

 

 

 軍務尚書の国葬には、皇妃(カイザーリン)ヒルダとその腕に抱かれたアレク大公(プリンツ・アレク)を始めとした帝国の重鎮たちが列席した。その顔ぶれは先の皇帝の国葬とほぼ同じであったが、大公妃アンネローゼは体調を崩したため欠席しており、代わって最前列の末席には、オーベルシュタイン家に長年仕えてきた老執事とその老妻が座る事となったのである。

 

 そして式場の建物の入口近くにおいては、葬儀の開始から終了まで、白い毛並みに黒い斑紋を全身にまぶした老いた雄犬が億劫そうに寝そべっていた。彼はオーベルシュタイン家の同居者でありながら参列を認められなかったのだが、特に残念そうな風でもなかった。ときおり首を持ち上げて式場の内部に視線を向けてはまたうずくまるその姿に、その世話を任された警備の兵士を始めとして式場に出入りする人々の多くは奇異の目を向けずにはいられなかったが、ダルマチアン種の老犬は悠然とした態度で人間どもの不躾な視線を無視し、大きくあくびをしたのであった。

 

 

天上(ヴァルハラ)までの皇帝の随行者(おとも)とは、奴には元帥や軍務尚書以上にもったいない身分だ。もっとも、あの辛気臭い(つら)戦乙女(ワルキューレ)たちに嫌われて、今頃は天上行きの戦車から突き落とされているかも知れんがな」

 

 国葬の会場に向かう途上において、ビッテンフェルト上級大将が発した朗々たる毒舌に同道していた同僚たちは苦笑したが、発言者も傍聴者も表情には精彩を欠いていた。彼らは程度の差こそあれ、一人の例外もなく義眼の謀臣を忌避していたにもかかわらず、誰も彼の死に歓喜や安堵といった感情を抱く事はできなかったのである。

 

 人格的には嫌っていても、軍務尚書が帝国にとって軍政家および謀略家として巨大な存在であった事は他の軍最高幹部たちも認めざるを得ない。偉大なる皇帝には及ばぬにせよ、その死によって生じた空隙もまた巨大なものとなる事は想像に難くなかった。

 

 それに、故意にしろ計算外にしろ、結果としてオーベルシュタインはラインハルトとその一家の身代わりとなり、皇帝の臨終の静謐を守って(たお)れた。この死が彼自身の計画通りであったとすれば、それは自分の進言が一因で夭逝した赤毛の驍将への贖罪という意味もあったのかもしれないという意見もあるが、それを聞いたビッテンフェルトなどは「奴がそんな殊勝なものかよ」と不機嫌そうに吐き捨てたものである。主君がリップシュタット戦役の戦勝式で刺客に狙われた際、ただ一人動きえたキルヒアイスが犠牲となった惨劇は、参列していたにもかかわらず即座に動きえなかった諸提督にとっても生涯忘れえぬ痛恨事であった。そういった背景も相まって、残された同僚たちの心中には主君に殉じる形で世を去った軍務尚書への嫉妬や羨望に似た感情も確かに存在し、彼らとしては嘆息や舌打ちを禁じえない心境であったのだった。

 

 

 オーベルシュタインの国葬において、葬儀委員長は軍務尚書であった彼亡き後の軍部の代表者たるウォルフガング・ミッターマイヤー元帥が務める事となった。皇帝の国葬における事実上の責任者たる立場を宮内尚書ベルンハイム男爵に譲ったミッターマイヤーの評価は文官の間で高まっており、今回の国葬の責任者就任について異論を申し立てる者は存在しなかったが、蜂蜜色の髪の元帥本人は自己の立場に苦く笑わざるを得ない。

 

「俺があの(・・)オーベルシュタインの葬儀を取りしきる事になるとはな」

 

 軍務尚書は同僚たちに嫌われていたが、無論ミッターマイヤーも例外ではなかった。皇帝ラインハルト存命中の三元帥の一人としてオーベルシュタインと同格の立場にあった彼はその公明正大な姿勢ゆえに、しばしば公の場において義眼の謀臣と意見を対立させたものであった。

 

「ヤン・ウェンリーよりもあの(・・)オーベルシュタインがいなければ宇宙は平和、ローエングラム王朝は安泰、万事めでたしめでたしだな」

 

 彼はかつて親友たる故ロイエンタール元帥との会話でそう毒づいた事があるのだが、実際にそうなってみても、他の同僚たちと同じくミッターマイヤーも「万事めでたしめでたし」という気分や展望は到底抱けなかったのである。どうやら生死を問わず、多くの人々にとってオーベルシュタインは悩ましく忌々しい存在であるらしかった。

 

 そういった心情や主君の死による悲哀や喪失感を抑え込みつつ、軍務尚書の葬儀の運営を粛々と行なっていた『帝国軍の至宝』は、幼年学校生の献花が始まった際、列に並んでいる一人の少年に無意識の内に視線を向ける事となった。

 

 

 数日前、皇帝の葬儀が終わった直後に同僚たちと会話を交える機会があったミッターマイヤーは、年少の同僚であるナイトハルト・ミュラーに何気ない風を装いつつ問いかけた。

 

「ところで、献花の時にケンプの息子の隣にいた少年を卿は知っているか?」

 

 白金色の髪の少年の傍らにいた、ひときわ背の高い少年の素性はミッターマイヤーも記憶しており、同時にミュラーが大黒柱亡き後のケンプ家を気にかけ、交流を持っている事も知っていた。そして少年の名と、彼がグスタフの親友である事をミュラーから聞き出す事ができたのである。

 

「誇り高いグスタフが親友と認めるほどですから、彼も優秀なのでしょう。二人ともども将来が楽しみですね。……彼がどうかしましたか」

 

 砂色の髪の勇将は主君の死によって曇っていた表情をわずかにほころばせつつ語った後、やや怪訝そうな口調で逆に蜂蜜色の髪の元帥に問いかけた。

 

「いや、やけに人目を惹く子だと思ったのでな」

 

「そうですね。初対面の際に私もそう思ったのですが、同時にそれ以前に会った事がある気もするのです。あれほど印象的な子ならば忘れるはずもないのですが」

 

『鉄壁ミュラー』はやや首を傾げつつ語り、『疾風ウォルフ』は「そうか」と頷きつつ、別の話題に話を切り替えたのだった……。

 

 

「ユリウス・オスカー・フォン・ブリュール……オスカー、か」

 

 蜂蜜色の髪の元帥は口の中で少年の名を反芻する。ミュラーと同様、ミッターマイヤーは皇帝の国葬で初めて意識したはずの少年の姿に既視感を覚えたのだが、それはミュラーが感じたものよりも強く、同時にある人物の姿が、一瞬ではあったが彼に重なって見えたのだ。

 

 彼の姿と名前を知った今、ミッターマイヤーは一つの可能性に思いを致さざるを得ない。まさかと思いつつも、故人となった親友の生前の行状を思い起こせば完全に否定はできなかった。現に自分の養子であるフェリックスという実例が存在するではないか。

 

 思考の迷路に入りかけたところで、ミッターマイヤーはその入口で足を止めた。今の所は個人的な印象のみに基づいた、何一つ具体的な証拠のない憶測でしかない。仮にその憶測が事実だったとしても、下手に追求すれば少年自身やその周囲に混乱と不幸を招く事にもなりかねないだろう。

 

 それに、ミッターマイヤーの執務室のデスクの上には国家の重鎮および軍の最高責任者として、取り急ぎ片付けねばならない重要な案件が山積しているのである。解決を急ぐ必要のない個人的な疑問などは、ひとまずはデスクの抽斗(ひきだし)に保管して鍵をかけておき、さしあたっては現在進行中の軍務尚書の国葬を無事に終了させねばならない。そう思いつつも、軍務尚書の棺に敬礼する白金色の髪の少年を意識せざるを得ないミッターマイヤーであった。

 

 

 ミッターマイヤーの思い描いた予定通りに、葬儀は大過なく終了した。そしてテロに斃れた軍務尚書もまた、主君の眠る丘陵地帯に隣接する戦没者墓地に、雲に覆われた夕空の下において埋葬されたのであった。

 

 なお、ラインハルトが埋葬された丘陵は、彼の存命中には完成しなかったフェザーンにおける新宮殿たる『獅子の泉』(ルーヴェンブルン)になぞらえてか、誰ともなく『獅子の丘』(ルーヴェンベルク)と呼ぶようになり、やがて正式な名称として定められる事となるのである。

 

 

 軍務尚書の埋葬を見届け終え、幼年学校への送迎のバスを待っているさなか、不意にグスタフはつぶやいた。

 

「オーベルシュタイン元帥は、皇帝陛下の忠臣だったのだろうか」

 

「……さてな。だが、元帥の死も計算通りの殉死だったのかも知れないとは思う」

 

「なぜそう思う?」

 

 親友に問われたユリウスは、二年前のバーミリオン会戦時のオーベルシュタインの動静を例に挙げた。

 

 バーミリオン会戦の中盤以降、ラインハルト・フォン・ローエングラムはヤン・ウェンリーの用兵の前に劣勢に追い込まれ、総旗艦ブリュンヒルトはその砲火の直撃をいつ蒙るか判らない状況だった。それでもオーベルシュタインは単身で脱出する事も、副官のシュトライトや親衛隊長のキスリングのように主君に退艦を促す事もしなかったと伝えられている。

 

 オーベルシュタインはかつてイゼルローン要塞が陥落した際にも、頑迷固陋な上官を見限って脱出している「前科」があった。それを考えれば、覇者としての矜持で自らの足を縫い止め、かたくなに敵に背を向ける事を拒むラインハルトを見捨ててもおかしくはなかったはずである。にもかかわらず、徹底的な合理主義者であるはずの義眼の謀臣は主君の決意に従い、停戦に至るまで金髪の覇者と共に激戦の渦中に留まり続けたのだ。

 

 それから考えれば、一般的な忠誠心とは違うのかもしれないが、少なくともひとたび主と定めた人物と命運を共にする覚悟は持っていたのではないか、とユリウスは思うのである。

 

「だから、その死も計算ずくだったのかもしれないとも思うのさ。あの人も案外、無自覚のうちに皇帝の放つ熱気にあてられていた部分もあったのかもしれないな」

 

 ユリウスはそういった後、空を見上げた。皇帝の国葬の時とは異なり、曇天の空模様は落日の余光が地上に降りかかるのを阻んでいるように見える。だが、厚い雲の裏からほのかに透けて見える黄昏の残照が、自分が推し量った軍務尚書の心情に似ているようにもユリウスには思えたのであった。

 

 グスタフは虚を衝かれたかような表情を浮かべ、軽く唸った。

 

「俺は単純にオーベルシュタイン元帥の事は好きではないからな。そんな事は考えもしなかった」

 

「俺だって好きではないんだがな。今言った事も推測に過ぎないさ。単なる不慮の死だった可能性も充分にありうる」

 

 ユリウスは苦く笑った。軍務尚書の死に仮皇宮の警備責任者だった憲兵総監が関与していたのではないか、という推測はさすがに口には出せない。

 

 グスタフのような正道を歩む人間がオーベルシュタインを嫌うのは当然の事だろう。ユリウスも堂々たる武人たらんという意志を持っているが、ひねくれ者を自称する彼は、同時に義眼の謀略家の立場や思考も共感はできないが、ある程度の理解はできるのである。そして理解できてしまう自身に対して憮然とせざるを得ず、義眼の謀臣に対しても単なる忌避感に留まらない、同属嫌悪とまではいかなくともそれに似た感情も抱いてしまうのだった。

 

 

 苦い気分になりかけたユリウスは別の話題を振ろうと考え、不意に砂色の髪の提督の言葉を思い出す。

 

「そういえばミュラー提督も初対面の時におっしゃっていたが、また背が伸びたんじゃないか?」

 

 毎日のように顔を合わせていると中々気付きにくいが、確かに言われてみれば、先月よりも体躯が大きくなっているように思える。

 

「……らしいな。近いうちに制服も仕立て直しが必要かもしれない」

 

 グスタフは左腕を軽く挙げる。袖丈の部分が目に見えて短くなっているのが判った。よく見れば、襟もきつくなり始めているように見える。

 

 顔立ちもまだまだ幼いが、成長と共に花崗岩の風格を謳われた父親の面影が色濃くなりつつあるグスタフは、体格もまた亡父のそれを受け継いでいるのは間違いないように思われた。ユリウスも同年代の中では背の高い部類に入るが、グスタフには及ばない。実年齢よりも大人びていると評されるユリウスも、自分より高い身長の友人を羨む年相応な感情を抱いている事を自覚し、苦笑せざるを得ないのである。

 

「ここ数年は弟からは兄さんばかり背が伸びてずるい、と会うたびに文句を言われるよ」

 

 グスタフは困ったような笑いを浮かべた。グスタフの弟であるカール・フランツは兄とは違って体格は母親に似たらしく、身長は標準の域を出ていない。父親に似ているのは、濃い栗色の頭髪くらいであろう。逆にグスタフの頭髪は父親や弟より淡い色合いで、母親のそれに近い。

 

「この間会った時も同じ事を言われてな。逆に俺はお前がうらやましい、お前が今のまま成長すれば、父さんが断念した夢を継げるだろうと言い返したら目を丸くしていたな」

 

「断念した夢?」

 

 ユリウスは首をかしげた。

 

「ああ」

 

 グスタフは語り始めた。

 

 

 カール・グスタフ・ケンプは幼少の頃から戦闘艇乗りに憧れ、一五歳を迎える年に帝国軍飛行学校に入学した。

 

 飛行学校は単座式戦闘艇ワルキューレなどのパイロットの二年制の養成機関である。入学者は下士官候補生として操縦・射撃・爆撃・偵察・撹乱などの技術や知識を叩き込まれ、卒業後は伍長に任官され正式にワルキューレへの搭乗資格を与えられる。

 

 士官学校でも同様の技術や知識を学んでパイロットになる事は可能だったのだが、軍人であったケンプの父親はすでに戦死しており、遺された母親の負担を少しでも軽くしたいと思ったカール・グスタフ少年は、士官学校よりも早く卒業できる飛行学校への進学を選択したのだった。

 

 卒業したケンプは順調に武勲とそれに伴う昇進を重ね、准尉に昇進した二〇歳の時点で撃墜王(エース)の称号に恥じない数十機もの撃墜スコアを獲得していたのである。

 

 が、その時点でケンプは一つの問題に直面していた。

 

 飛行学校への入学時点でもケンプは一八〇センチを超える長身であったが、ワルキューレの激しい機動に耐えるためにトレーニングを積み重ねた彼の体は、搭乗員資格を獲得した一七歳の後に一九〇センチに達してしまった。そして一般的な成長期を過ぎても身長は伸び続け、二〇歳の時点で身長は二メートルに届かんばかりになり、体の幅も身長の高さを感じさせないほどの筋肉で、はちきれんばかりに膨らんでいたのである。一応はパイロットの条件の中にも、身長一九〇センチ以下という項目は存在した。だが、資格獲得後に一九〇センチを超えるなどという事態は想定されておらず、超えた場合の資格の是非について規定は存在していなかったのである。

 

 パイロット・スーツは特注で対応できても、ワルキューレの規格や設計の関係上、従来以上に操縦席(コクピット)のスペースを拡張するのは不可能であった。ケンプの愛機の操縦席は彼の巨体を収める限界に近づき、操縦にも支障をきたしつつあった。それを自覚しつつもケンプはワルキューレを駆り続けたのだが、とある会戦で敵の駆る戦闘艇スパルタニアンとの格闘戦(ドッグ・ファイト)でウラン238弾の連射を操縦ミスで回避に失敗し、自機への被弾を許してしまった。僚機の援護で辛うじて母艦に帰投できたものの、これによりケンプは自身のパイロットとしての限界を認めざるを得なかったのである。

 

 かくしてケンプはパイロットとしての生命を終える事を決断した。上官からの推薦を受けて帝都オーディンの士官候補生養成所に入所し、一年後に少尉として士官としてのスタートラインに着いた後に艦隊勤務に転じたのである。後の『挽き肉製造者』(ミンチメーカー)ことオフレッサー上級大将にも劣らない体格と、それに見合った格闘能力を有していた彼には装甲擲弾兵総監部からの勧誘もあったが、「どうせ戦うならば、地を踏みしめるより宇宙を翔ける方が性に合っている」と言って辞退したのだった。

 

 門地もなく、軍幼年学校や士官学校出身でないにも関わらず、前線で武勲を重ねて三〇代前半で「閣下」と呼ばれる地位にまで昇進した事実は、ケンプの非凡さを証明するものであったろう。だが、平民出身の、まして下士官上がりの将官などは門閥貴族出身者が主流である軍首脳部からは忌避されてしかるべき存在でもあった。その上、剛直で公明正大なケンプは、軍内部の腐敗や怠惰を常々容赦なく批判しており、上層部の忌避に拍車をかけた。それゆえ当時の軍の主流派から疎外される事となったのだが、それは逆にラインハルトの知遇と得る一因となり、彼の麾下に招かれて軍最高幹部の一人として遇される僥倖(ぎょうこう)をも招いたのであった。

 

 

 ラインハルト・フォン・ローエングラム麾下の軍最高幹部のリストを、誕生年別で作成すると次の様になる。

 

旧帝国暦四六七年生 ラインハルト・フォン・ローエングラム

                   

旧帝国暦四六七年生 ジークフリード・キルヒアイス

 

旧帝国暦四六一年生 ナイトハルト・ミュラー

 

旧帝国暦四五九年生 ウォルフガング・ミッターマイヤー

 

旧帝国暦四五八年生 オスカー・フォン・ロイエンタール

                   

旧帝国暦四五八年生 フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルト

                   

旧帝国暦四五八年生 アウグスト・ザムエル・ワーレン

                   

旧帝国暦四五七年生 エルンスト・フォン・アイゼナッハ

 

旧帝国暦四五六年生 アーダルベルト・フォン・ファーレンハイト

          

旧帝国暦四五六年生 カール・ロベルト・シュタインメッツ

                   

旧帝国暦四五六年生 コルネリアス・ルッツ

           

旧帝国暦四五四年生 エルネスト・メックリンガー

                   

旧帝国暦四五四年生 ヘルムート・レンネンカンプ

 

旧帝国暦四五三年生 カール・グスタフ・ケンプ

                   

旧帝国暦四五三年生 ウルリッヒ・ケスラー

 

旧帝国暦四五二年生 パウル・フォン・オーベルシュタイン

 

 

 いずれも下級貴族ないし平民の出身であり、身分制という桎梏の強固な旧王朝の中でも栄達を果たした彼らは、かつてラインハルトが語ったように「帝国軍における人的資源の精粋」と呼ぶに相応しい面々であった。

 

 最年少であるラインハルト自身とその半身たるキルヒアイスは別格として、彼らに次いで若いミュラーは階級こそ同格ではあっても、軍最高幹部に迎えられた当初においての実績は他の同僚に及ばなかった。それゆえ第八次イゼルローン攻略戦では副司令官として同階級のケンプの指揮下に入ったのである。ミュラーが『鉄壁』の異名と共に、他の同僚に比肩し得る声望を確立するのはバーミリオン会戦後の事であった。

 

 旧帝国暦四五二年から四五四年生まれまでの軍最高幹部における五人の年長者の内、オーベルシュタイン、ケスラー、メックリンガーの三名は軍政家として優秀な手腕と、それに伴う実績と名声を有しているのは周知の通りである。オーベルシュタインはローエングラム王朝の初代軍務尚書として、軍務省をほぼ完璧に運営していた。ミッターマイヤーがオーベルシュタインの更迭を主君に進言した際、その後任として「ケスラーなりメックリンガーなりが任に耐えましょう」とも発言している。

 

 軍政家として名望高いこの三名は、当然ながら後方勤務が多く、逆に言えば前線において華々しい武勲を挙げる機会が他の同僚に比べて少なかった事が、他の年少の同僚と同程度の階級に留まっていた要因の一つであった。オーベルシュタインはそれに加え、旧王朝における身体障害者に対する差別意識によって、実績に比しての昇進が妨げられていたと思われる。

 

 一方、ケンプとレンネンカンプは前三者とは異なり、ミッターマイヤーやロイエンタールらと同じく前線勤務で武勲を立てる機会に多く恵まれていた。にもかかわらず年少の同僚と同程度の階級に留まっていたのは、やはり幼年学校や士官学校といった軍上級学校の出身ではなかった事が要因の一つであろう。レンネンカンプは後世上梓された『帝国将帥列伝』の彼の項目の一節に「彼ももともと戦士であったのだ」とある通り、軍専科学校卒業後に伍長に任官し、武装憲兵や陸戦隊員として勇名を馳せた下士官出身の軍人だった。そして後にケンプと同じく士官候補生養成所を経て士官となり、軍艦乗りに転身したのである。

 

 ラインハルト麾下の軍最高幹部の内、ケンプとレンネンカンプの二名のみが階級は上級大将に留まり、死後も元帥号を得るには至らなかった。これは両者共にヤン・ウェンリーとその一党の前に敗亡し、元帥への特進には値しないと主君から判断された結果であった。

 

 二人が究極的な敗北を喫したのは、ミッターマイヤー、ロイエンタールといった年少の同僚の後塵を拝した事に対する無念や焦慮に由来する、いささか過剰な功名心にはやった事が原因の一つに挙げられる。一部には「下士官出身者ゆえの劣等感」がそれを加速させたのではないかと推測する声も存在し、それを聞いたグスタフ・イザーク・ケンプなどは「父は功を焦ったのかもしれないが、そこまで卑小な人ではない」と憤慨したものであった。

 

 

 そのグスタフは父親の事情を語り終え、聞き終えたユリウスはやや呆然としたような表情を浮かべていた。ユリウスはケンプが飛行学校出身である事は知っていたが、パイロットを辞した理由までは知らなかったのである。

 

 ユリウス自身も学校の授業で戦闘艇のシミュレーターには何度も搭乗した事があるが、確かに言われてみれば、あの堂々たる体格はワルキューレの操縦席にとっては大きすぎたに違いない。過ぎたるは及ばざるが如し、という事だろうか。

 

 幼い頃からの夢を、努力や才能の不足ではなく体格の適正ならざるがゆえに、二〇歳という若さで断念しなければならなかったケンプの心情は察するに余りあった。

 

「ケンプ提督も無念だっただろうな」

 

「ああ。父さんは軍艦乗りになった事を後悔していなかったが、それでもパイロットだった過去に誇りを持っていた」

 

 その事を知っていたグスタフは、父の遺志を継いでパイロットの道を歩む事も考えた事はあるのだが、結局は断念した。理由の一つには、父譲りの体格から考えて、パイロットになったとしても結局は父親と同じ結末になる可能性が高いと思ったのもあったのである。

 

「近々レーンホルム科学技術総監閣下が直々に、同盟やフェザーンの技術者たちも巻き込んで次世代戦闘艇の開発に着手するらしいけど、操縦席が劇的に広くなるとも思えないしな」

 

 グスタフは軽く、たくましい肩をすくめた。

 

「だから、俺としてはカールがパイロットを志してくれれば、と思うんだ」

 

 グスタフも傑出した身体能力の所有者だが、その彼から見ても、カールは反射神経や動体視力といったパイロットとしての天稟(てんぴん)に恵まれているとの事だった。兄としての贔屓(ひいき)目があるかもしれないが、とグスタフは軽く笑いつつ「まあ、選ぶのはカール自身だ」とグスタフは最後に付け加えた。

 

 ユリウスはうなずいた。カールも考える時間は充分にあるだろう。なるべく悔いのない選択をして欲しいものであった。もっとも、それはグスタフや自分にも言える事だと彼は思う。どのような未来が自分たちを待ち受けているのか、あるいは自分たちがどのような未来を切り開くべきなのか。熟慮し、選択し、切磋琢磨しなければならないのである。

 

 

 永久に過去の存在となりつつも、なお絶大な存在感を有している皇帝ラインハルトとオーベルシュタイン元帥へ捧げる鎮魂曲(レクイエム)は終わった。だが、生ある人々は続いて新帝の即位式という新たな未来への前奏曲(プレリュード)を奏でなければならない。

 

 こちらに向かってくる送迎のバスを見やりつつ、二人の少年は未来に思いを馳せるのであった。









 シュタインメッツの年齢は原作では明記されていませんが、旧帝国暦四八六年(宇宙暦七九五年)九月の『レグニツァ上空遭遇戦』及び『第四次ティアマト会戦』を題材とした劇場用アニメーション『わが往くは星の大海』においては、二九歳(劇場用パンフレット4頁および『TOWNMOOK SFアドベンチャースペシャル 銀河英雄伝説≪わが征くは星の大海≫』43頁(徳間書店、1988年))もしくは三〇歳(アニメージュ文庫『ラインハルトとヤン 銀河英雄伝説─わが征くは星の大海─より』5頁(岸川靖編、徳間書店、1988年))と設定されています。

 これに従い、この二次小説においては『レグニツァ上空遭遇戦』と『第四次ティアマト会戦』の終結までに三〇歳の誕生日を迎えたと解釈し、シュタインメッツの誕生年月を旧帝国暦四五六年(宇宙暦七六五年)九月生まれと設定しています。


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第八節

 皇帝(カイザー)ラインハルトと軍務尚書オーベルシュタイン元帥の葬儀が終わり、ごく短い期間に服喪した後、帝国の中枢にいた人々は迅速かつ精力的に活動を再開した。「いたずらに長く喪に服す必要はない。予が死んだとて、政治の空白を作ってはならぬ」とは、ラインハルトの遺言の一つであった。

 

 新帝の即位式の準備は無論の事、皇帝の崩御に伴う内閣や軍組織の人事の刷新や、講和が成立したイゼルローン共和政府との条約の細部の調整など、政治及び軍部の関係者は多忙を極める毎日を過ごす事となる。だが、それは彼らにとって、偉大な皇帝の死による未曾有の悲哀と喪失感をまぎらわす救いの一つとなったのは、否定のできない事実であった。

 

 そして新帝国暦〇〇三年八月一九日。新皇帝の即位及び戴冠の日が訪れる。

 

 

 式場に選ばれたのは、先日までフェザーンにおける帝国大本営が置かれていた、旧フェザーン自治政府の迎賓館の広大な中央ホールであった。皇帝ラインハルトの崩御と共に彼が主宰していた大本営もその役目を終え、現在ではエルネスト・メックリンガー提督が統帥本部総長代行として統括している帝国軍統帥本部の臨時のオフィスとなっている建物である。

 

 帝国軍幼年学校の二年生であるユリウスは親友たるグスタフと共に、皇帝と軍務尚書の国葬に引き続き学年代表の一員として、その中央ホールの壁際にたたずむ事を許された立場にあった。皇帝ラインハルトの葬儀と埋葬をその眼で見届け、今またその後を継ぐ新帝の即位を至近で見届ける事が叶う立場にある事は、彼らにとって悲嘆や感動とは別に、歴史が動く瞬間に指呼の距離で立ち会っているのだという感慨を、あらためて全身で知覚させていたのだった。

 

 静かに音を立てて巨大な扉が開かれ、二つの人影が式場に入来した。

 

 黄金造りの宝冠を(こうべ)に戴き、純白の正装に身を包んだ二人の女性──一人は乳児を抱いている──が、最敬礼する文武の群臣たちの中央を貫く深紅を基調とした絨毯の上を静かな、そして確かな足取りで並んで歩いてゆく。

 

 摂政皇太后ヒルデガルドと、アレク大公(プリンツ・アレク)を抱いた大公妃アンネローゼである。

 

 敷かれた絨毯の行き着いた先には、無人の玉座があった。その前にたどり着いた二人の内、ヒルダに対し式部官が紫色の絹布の上に鎮座した、黄金に輝く帝冠をうやうやしく差し出す。

 

 皇太后はかつて亡夫が頭上に戴いた、その冠を両の手に取った。そして冠をアンネローゼが抱く息子の頭上にかざす。乳児はそれに興味深そうな表情をたたえた青い瞳を向けるが、それも長い事ではなく、やがて皇太后は帝冠を胸元に両手で抱えつつ玉座の傍らに移り、凛然とした表情で群臣たちに向き合う。これは即ち、いまだ乳児に過ぎぬ息子には物理的な意味以上に巨大すぎる冠を、己が預かるという意思の万人への表明であった。そして、それを見届けた大公妃は乳児を抱いたまま、弟の物であった玉座に静かに腰を下ろした。

 

 ここにローエングラム朝銀河帝国第二代皇帝アレクサンデル・ジークフリード・フォン・ローエングラムの即位が成ったのである。

 

 

皇帝万歳(ジーク・カイザー)!」

 

皇帝アレクサンデル万歳(ジーク・カイザー・アレクサンデル)!!」

 

帝国万歳(ジーク・ライヒ)!!!」

 

 群臣たちは片手を掲げ、一斉に呼号した。偉大であった先帝ラインハルト崩御による悲哀と喪失感を振り払うかのように。ユリウスら軍関連学校の参列していた生徒たちもそれに倣い、自分たちよりも幼い新帝の即位を讃えたのである。

 

 その歓声は広壮なホールを揺るがし、満たすに足りる大音量であったが、それらが向けられた対象たる幼帝と、皇太后及び大公妃の耳には届いていなかった。

 

 と言うのも、実は玉座の周囲には遮音力場(サイレンス・フィールド)を発生させるための装置が事前に隠されて設置されており、発生した力場によって群臣たちの歓呼の声は三人の皇族の鼓膜に到達する前にかき消されていたのである。

 

 こういった細工が施された事情は、今年、すなわち新帝国暦〇〇三年の初頭のラインハルトとヒルダの結婚式での出来事に端を発していた。

 

 

 皇帝夫妻の成婚を寿(ことほ)ぐべく、参列していたフリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルト上級大将は声帯と肺活量の限界に挑むかのような声量で「皇帝万歳! 皇妃万歳(ホーフ・カイザーリン)!」と歓声を上げた。それを皮切りとして、他の群臣たちも負けじ遅れじと、美しき新郎新婦を大音声をもって祝福したのである。

 

 だが、そこでささやかな椿事が起こる。

 

 養母であるエヴァンゼリンに抱かれて、養父母と共に結婚式に参列していたフェリックス・ミッターマイヤーがぐずり始めてしまったのだ。同僚のケスラー上級大将からは後に「歓声というより怒号」と呆れ気味に評された、歴戦の兵士たちでさえ萎縮せずにはいられない猛将の大声(たいせい)を至近で聞いては、一歳にも満たない幼子が怖がるのも無理のない事であっただろう。むしろ即座に泣き出さなかったのは大したものであったかもしれない。

 

 養母にあやされて幼児は程なく機嫌を直したものの、オレンジ色の髪の猛将はばつ(・・)の悪そうな顔でミッターマイヤー一家に謝罪し、宇宙艦隊司令長官とその令夫人は笑ってそれを受け入れたのだった。

 

 

 後に即位式の準備の初期において重臣間でこの一件に話が及んだ際、式において乳児である新帝も大音声に驚いて泣き出す可能性が誰ともなく指摘された。思い起こせば、三年前にも同じような事例が存在していたではないか。

 

 

 旧帝国暦四八九年九月に即位したゴールデンバウム王朝の最初の女帝にして最後の皇帝たる、当時は八ヶ月の赤子であったカザリン・ケートヘンが即位式において乳母に抱かれて式場に入場した際にそれは起こった。

 

 入来を告げた式部官の豊かな声量に驚いて乳児が泣き出してしまったのである。結果としてその原因となった式部官は蒼白となり、乳母は慌ててあやし始めるなど、式場は一時騒然となってしまった。何とか泣き止ませる事はできたものの、機嫌を損ねた乳児は戴冠時や群臣が発した歓声などのたびに再び泣き出し、荘厳であるべき式典は滑稽な惨状を呈する事となる。列席していた群臣たちの主席にして事実上の帝国の支配者であったラインハルト・フォン・ローエングラム公爵は失笑を抑えるのにいささか苦労したものであった。

 

 

 アレクサンデル・ジークフリードの即位式で同じような事を繰り返さないためにも、対策が講じられる事となった。当初は新帝に耳栓をしてもらう案が出たが、事前に試すと乳児は嫌そうにむずがったため、代案として玉座が据えられた壇上の周囲に遮音力場の発生装置が設置される事が決定し、その玉座の周囲に新帝が到るまでの間、音楽の演奏や式部官による朗々たる告知なども控えられる事となったのである。

 

 かくして即位式において、新帝たる乳児が途中で泣き出すという事態は未然に防がれた。その「功労者」の一人たるビッテンフェルトは式の後でワーレンやケスラーなどから「お手柄だな、ビッテンフェルト」「戦場の外でも、卿の大声が役に立つ事もあるのだな」などとからかわれ、面白くなさそうとも、気恥ずかしいともとれるような表情で「ふん」と鼻を鳴らして横を向いたのであった。

 

 

 ローエングラム王朝の二代皇帝の正式な全名は「アレクサンデル・ジークフリード・フォン・ローエングラム」であるが、ごく短かった大公時代は「アレク大公」と呼ばれ、皇帝として即位した後は『治世の名』(レグナル・ネーム)として「皇帝アレクサンデル」と公式な文書には記載される事となる。

 

『治世の名』は君主の座に付く人物が複数の名を有している場合、その中の一つないし二つから選んで名乗るものである。前王朝たるゴールデンバウム朝においては、始祖ルドルフ大帝以降の皇族の主流の子女の多くは誕生時に権威付けの手段の一つとして、正式名として長たらしく三つ以上の名を与えられるのが慣習となっていた。

 

 その一方で、帝位を継ぐ可能性の低い傍流や庶流の子女は一つないし二つの名しか与えられない場合が多かった。元ブローネ侯爵であった第七代ジギスムント二世、リンダーホーフ公爵から登極した第一五代エーリッヒ二世、皇帝の庶子である第二一代マクシミリアン・ヨーゼフ一世や第二三代マクシミリアン・ヨーゼフ二世、皇太子の庶子である第三七代エルウィン・ヨーゼフ二世、ペクニッツ子爵家令嬢であった第三八代カザリン・ケートヘンなどがその例であり、即位後の彼らはそのままの名を『治世の名』として称する事となったのである。

 

 

 ゴールデンバウム王朝歴代皇帝の『治世の名』にまつわる変わった逸話の一つに、第三二代皇帝エルウィン・ヨーゼフ一世が、ゴールデンバウム朝の歴史上「ゲオルク」を公式に「治世の名」として称した皇帝は一人も存在しないにもかかわらず、「ゲオルク二世」などと一部で呼ばれていたというものがある。

 

 エルウィン・ヨーゼフ一世の父親である第三一代皇帝オトフリート三世は名君と称されるにたる才幹と実績の所有者ではあったが、晩年は宮廷内の抗争で心身を病んだ末に衰弱死している。

 

 そういった宮廷の暗部と父帝の姿を見て育ち、父の崩御後に至尊の冠を戴いたエルウィン・ヨーゼフもまた、暗殺やクーデターの恐怖に怯える事となる。それゆえに、彼は心許せる数少ない近臣の一人であったランズベルク伯爵に緊急避難用の通路を極秘のうちに作らせ、主君の身に危急の事あれば、この通路をもって救出に参上せよ、と命じたのである。

 

 当時のランズベルク伯爵の五代後の末裔であり、旧帝国暦四八八年の『リップシュタット戦役』終結後に敗残の身一つでフェザーン自治領に亡命する事となるアルフレット・フォン・ランズベルクは、このかたじけない御諚を口伝として先代たる父親から聞かされていた。そして異郷の地で無聊の身をかこっていたさなかに、当時のフェザーン自治領府から持ちかけられた計画を聞いて彼は驚喜する事となる。かつて五代前の先祖が当時の皇帝の密命で作り上げた通路を使い、その皇帝と同じ『治世の名』を持つ幼帝エルウィン・ヨーゼフ二世を救出(事実上は拉致であったが)するなどという行動は、夢想家としての側面が強かった伯爵のロマンチシズムと忠誠心を大いに刺激してしかるべきものであった。

 

 そしてその「救出」によって幼帝は自由惑星同盟に身柄を移され、彼を擁して「銀河帝国正統政府」が樹立されたのを契機に、帝国の事実上の支配者となりおおせていたラインハルトは同盟侵攻の大義名分を得るのである……。

 

 

 エルウィン・ヨーゼフ一世の全名は「ゲオルク・エルウィン・ヨーゼフ・フォン・ゴールデンバウム」であり、大公時代は「ゲオルク大公」と呼ばれていた。即位すれば「ゲオルク」を本人は『治世の名』とするつもりであったが、父帝たるオトフリート三世は死に際し、遺言の一つとして「ゲオルク」の名を『治世の名』として使う事を禁じてしまった。

 

 オトフリート三世の弟の一人に、ゲオルクという甥と同名の人物がいた。オトフリート三世はその弟の器量を見込んで一時は「皇太弟」に立てたのだが、宮廷内の混乱が進むにつれ、猜疑心を膨らませた皇帝は皇太弟を廃した上でクーデター疑惑で自裁させてしまう。それゆえに弟に死を賜った皇帝は「ゲオルク」という名を忌んだのである。

 

 同名ゆえに仲のよかった叔父を失い、「ゲオルク」の名を禁じられたゲオルク大公は不快であった。とはいえ、理不尽とは思っても正式な遺言という事実は動かしようもない。それを反故にすれば彼に反感を持つ勢力からの攻撃材料にされかねず、やむなく父の死後に即位した彼は「エルウィン・ヨーゼフ」を名乗ったのだった。

 

 だが、当時のランズベルク伯など、ごく親しい一部の近臣には自らを「ゲオルク二世陛下」と密かに呼ばせた。「ゲオルク一世」は皇太弟に立てられながら帝位に就けないまま誅された同名の叔父の事であり、叔父の鎮魂と父への反感もあって自らをその二世と称したのである。

 

 

「ゲオルク二世」と似たものでは、「ルードヴィヒ三世」の逸話が存在する。これは第三五代皇帝オトフリート五世の渾名であり、無論の事、ゴールデンバウム王朝皇帝の系図には記されていない。

 

 オトフリート五世の正式な全名は「オトフリート・ルードヴィヒ・カール・フォン・ゴールデンバウム」であり、大公時代は「オトフリート大公」と呼ばれていたが、大公自身は実の所、「オトフリート」という名を好んでいなかった。

 

 第四代オトフリート一世は「灰色の散文」と呼ばれた自己主張を持たない極端な保守主義者であり、その姿勢が政務秘書官であったエックハルト子爵が国政を壟断する結果を招いた。

 

 第八代オトフリート二世は見識と意欲に富んだ人物であったが、昏君であった父である『痴愚帝』ジギスムント二世の悪政の後始末に奔走させられ、過労で早世したとされる。

 

 第三一代オトフリート三世も有能な軍人にして政治家であったが、度重なる宮廷内の陰謀にさらされて心を病み、最後には毒殺を恐れて食事すらまともに摂れなくなり衰弱死した。

 

 第三三代オトフリート四世は『強精帝』の名の通り、為政に関心を持たず後宮に一万人以上もの美女をはべらし、肉欲に溺れた末に頓死するという醜態をさらしている。

 

 以上のように、オトフリートという『治世の名』を持つ皇帝は、為政者として無為徒食な存在であるか、有能で責任感が強いがゆえに寿命を縮めるという末路を辿っているかのいずれかである。オトフリート大公はさほど迷信深い人間ではなかったが、印象がよくないとは思っていたらしい。特に祖父たるオトフリート四世の色欲に塗れた醜聞や悪評は、同じ名を持つ孫にとっては嫌悪感すら抱くほどに耐え難いものがあったとされる。

 

 そういった事情から、第三四代オットー・ハインツ二世の崩御後、立太子されていたオトフリート大公は最初の名である「オトフリート」ではなく二番目の名である「ルードヴィヒ」を『治世の名』にと希望したのだが、その希望を公にした途端に皇后となる正室や廷臣たちの猛反対に直面する事となった。

 

 というのも、王朝の歴史において、それまで「ルードヴィヒ」という名の皇太子は二人存在したものの、ことごとく帝位に就くことなく横死しており不吉であるとされたからである。

 

 それに引き替え、「オトフリート」という名で玉座に座った人物は四人も存在しており、こちらの名の方が縁起としては悪くないと、オトフリート皇太子は迷信深い正室から懇々と諫言される破目になった。オトフリート五世は吝嗇な側面が強いものの水準以上の能力を持った為政者であったが、私人としては恐妻家という一面もあったのである。

 

 残る名である「カール」を『治世の名』として使いたいという妥協案すら、妻は首を縦には振らなかった。「カール」もまた、過去においてその名を冠した皇太子全員が玉座に座る事はなかったからである。かくして神聖不可侵であるはずの皇帝となるべき人物はそのまま押し切られ、不本意ながら「オトフリート五世」として即位する事となってしまったのであった。

 

 それ以降も当人は「ルードヴィヒ」という名に未練があり、「オトフリート」という名をごり押しした妻たちへの反発も相まって、近臣の一部に自らを「ルードヴィヒ陛下」と密かに呼ばせていたのである。その未練がましさをあざ笑うのと、ゴールデンバウム王家にとって不吉な名である「ルードヴィヒ」という名をあえて用いることで、オトフリート五世に非好意的な者たちの一部は、皮肉や揶揄を込めて陰で彼を「ルードヴィヒ三世」と呼び奉った。「三世」であるのは、先の歴代皇帝のうち、全名の中に「ルードヴィヒ」の名を持った者が二名存在したからだとも、至尊の座に着きえなかった二人の「ルードヴィヒ皇太子」という過去の存在があったゆえとも言われている。

 

 オトフリート五世は、息子にも正式に「ルードヴィヒ」の名を与えたいと望んだものの、それも正室と廷臣たちの賛同を得られなかった。やむなく彼は正室との間に生まれた嫡子には「リヒャルト」、その同腹の弟には「クレメンツ」を、それぞれ一番目の名として与えたのである。そして、リヒャルトとクレメンツの間に生まれた男子たるフリードリヒは側室の子であった。

 

 旧帝国暦三三一年、宇宙暦六四〇年の「ダゴン星域会戦」で、ヘルベルト大公を総司令官とした帝国遠征軍が数で劣る自由惑星同盟軍に大敗した事実は、ゴールデンバウム王朝史上における拭い切れない汚点の一つである。

 

 その遠征軍を派遣した第二〇代皇帝フリードリヒ三世は後世「敗軍帝」などと不名誉な呼称で呼ばれる事となり、それ以降「フリードリヒ」も、皇族の名としては避けられがちな名であった。オトフリートが息子の一人にあえてその名を与えたのは、自分の腹を痛めずに産まれた庶子に良い印象を持っていなかった正室の勧めによるものであり、本音ではこの側室の子にこそ「ルードヴィヒ」と正室は名づけさせたかったが、さすがに自重したのだと宮廷周辺ではささやかれた。

 

 フリードリヒは幼少期においては水準以上の知性を表したものの、長じるにつれて聡明さは鳴りを潜め、酒色や娯楽にふける遊蕩児としての道を歩んでいく。これは元々権力欲に乏しいにもかかわらず、父の正室やその周囲から猜疑の目で見られるのに辟易したフリードリヒが、その才気と義務感を自ら放り捨て、灰色に沈殿していったのではないかと後世の史家たちは推測している。後年の彼は為政者としては無為で自堕落な存在として後世に伝えられる事となるが、時として、鋭く含蓄のある言動を垣間見せて周囲の人間を驚かせる事も少なくなかったといういくつかの記録も、その推測の根拠の一角となっている。

 

 その推測が正しいとすれば、フリードリヒの意図は達成されていたと言ってよかった。帝王教育も受けず、父帝を始めとした宮廷関係者の眉をひそめさせる放蕩者になり果てた彼を見て、もはや息子たちの対抗馬たり得ないと皇后陛下はご安堵あそばされたのである。

 

 だが、リヒャルトとクレメンツは後に後継者の座を巡って対立し、結果として二人は権力闘争の中で命を落とす事となる。かくして、後継者から半ば除外されていたフリードリヒが、父帝の崩御後に第三六代皇帝フリードリヒ四世として玉座に座る事となったのだった。オトフリート五世の皇后が健在であれば即位に強硬に反対したかもしれなかったが、彼女は息子たちの相次ぐ横死による心痛のあまりに昏倒し、意識を回復せぬまま夫に先立って病死していたのである。

 

 

 なお、オトフリート五世の崩御は旧帝国暦四五六年であったが、ラインハルト・フォン・ローエングラムの謀臣たるパウル・フォン・オーベルシュタインは、その年に四歳を迎える幼児であった。いわば物心がつくかつかないかという時期から、繰り返し目が不自由な彼の耳に飛び込んでくる「神聖不可侵たる皇帝陛下」の名がオトフリート五世だったのである。

 

 それゆえ、成長するにつれて障害者を差別し冷遇するゴールデンバウム王朝への憎悪を募らせてきたオーベルシュタインにとって、オトフリート五世の名は憎悪の原体験であり、冷徹な彼が公式な場でしばしば「ルードヴィヒ三世」などという俗名をあえて用いたのは、ゴールデンバウム王朝への隠し切れない憎悪のゆえであったのだと、後世の歴史家の一部は主張している……。

 

 

 フリードリヒ四世は皇后や側室たちの間に、死産や流産を除けば一三人の子をもうけたが、その内九人は成人前に、二人は成人後に若くして死去している。その二人はどちらも男子であり、二人とも「ルードヴィヒ」を一番目の名として与えられていた。フリードリヒ四世が帝室にとって不吉な名であるはずのその名を、あえて皇子たちに与えたのは「ルードヴィヒ」の名に固執し未練を持っていた亡父への、苦笑を交えた手向けの意味もあったらしい。父帝と同様にフリードリヒ四世もまた、皇后や廷臣たちから「ルードヴィヒ」の名を与える事に反対を受けたが、彼の皇后は先代の皇后よりもはるかに控えめで、フリードリヒ自身も父よりも図太い、あるいは鈍感な側面があったらしく「よいではないか。それで傾くようならば、ゴールデンバウム家もその程度のものでしかなかったという事だ」と言って反対論を沈黙させたと伝えられる。

 

 だが、最初の「ルードヴィヒ皇太子」は、子女を残す事なく旧帝国暦四七六年に父親に先立って死去し、その弟が新たな「ルードヴィヒ皇太子」として立てられた。旧帝国暦四八二年に誕生した後の第三七代皇帝エルウィン・ヨーゼフ二世はその庶子であり、その誕生後まもなく二番目の「ルードヴィヒ皇太子」も病死する事となる。かくして「ルードヴィヒ」という名への、多くの宮廷関係者の忌避感はさらに高まる結果となったのであった。

 

 なお、フリードリヒ四世の後継者たる「ルードヴィヒ皇太子」が二人存在していたという事実は、後世においては二人を混同してしまう事態を招く場合が多い。「ルードヴィヒ皇太子は旧帝国暦四七六年に死去しているのに、なぜその子であるエルウィン・ヨーゼフ二世の誕生年が旧帝国暦四八二年なのか?」という類の疑問もその一つである。そのため、後世においては兄を「ルードヴィヒ四世」、弟を「ルードヴィヒ五世」などと冗談交じりに区別される場合もあった。

 

「ルードヴィヒ四世」の死後、フリードリヒ四世直系の男子が病弱な「ルードヴィヒ五世」のみとなった事は由々しき事態であるとして、皇室の後継者たる男児を一人でも多く確保する事を名目に、宮内省の職員たちは総力を挙げて皇帝の眼鏡にかなう若く美しい少女を捜し求めた。

 

 その結果として、貧しい帝国騎士(ライヒス・リッター)の出自に過ぎないアンネローゼ・フォン・ミューゼルが旧帝国暦四七七年に後宮に納められる事となる。だが、それはアンネローゼの弟たるラインハルトの手による、ゴールデンバウム王朝の葬送曲の第一節が奏でられる端緒となり、王朝の永続と繁栄を願った宮廷関係者の思惑と正反対の結末を招く事となったのであった……。

 

 

 旧王朝に留まらず、フェザーン自治領、そして自由惑星同盟の葬送曲をも最終章まで演奏しきった後に天上へと去っていった『獅子帝』ラインハルトの後継者たるアレクサンデル・ジークフリード・フォン・ローエングラムの「ジークフリード」の名は、無論ラインハルトの盟友たる故ジークフリード・キルヒアイス元帥の名から採られたものである。

 

 そして、もう一つの名にして『治世の名』となった「アレクサンデル」は、今ひとりの名将にして故人である人物が由来となっていた。

 

 

 

 アレクサンドル・ビュコック元帥。

 

 

 

 戦乱の中で武勲を重ね、一兵卒から元帥にまで上り詰めた、自由惑星同盟軍最後の宿将。

 

 半世紀を超える老練な戦歴の所有者で、愛想の悪い白髪の老人だが親しく見所のある人間に対しては面倒見がよく、冗談を飛ばしたりする柔軟な一面もあり、部下や市民からの信頼も厚かった。軍上層部におけるヤン・ウェンリーの数少ない理解者にして、ヤン自身も敬愛して止まなかった人物である。

 

 

 かつてラインハルト・フォン・ローエングラムは、フェザーン自治領及び自由惑星同盟への侵攻作戦『神々の黄昏(ラグナロック)』の概要を最高幹部たちに披瀝した際、「ヤン・ウェンリーはイゼルローンにあり、同盟軍の他の兵力、他の将帥は論ずるに足らぬ」と言い放ったものだが、後にその豪語を修正する必要を認める事となる。

 

 フェザーンを電撃的な速度で無血占領し、フェザーン回廊を突破して同盟領に雪崩れ込んだラインハルト率いる帝国軍の大兵力を、同盟軍の宇宙艦隊司令長官たるビュコックは要衝たるランテマリオ星域で迎え撃った。

 

 宇宙暦七九九年、旧帝国暦四九〇年二月八日に戦端が開かれた『第一次ランテマリオ会戦』において、麾下の兵力の絶対数と質の双方において同盟軍は圧倒的に不利な立場に立たされていたが、五〇年以上の戦場経験を誇る老提督は沈着にして巧妙な用兵と地の利をもって大軍に対抗した。最終的には帝国軍の全面攻勢の前にビュコック麾下の艦隊は力尽き、イゼルローン要塞を放棄して駆けつけたヤン艦隊の救援によって辛うじて壊滅を免れる事となったが、寡兵をもって長期にわたり戦線を維持し続けた白髪の老将の手腕をラインハルトは「老人はしぶとい」と賞賛し、ヤンに次ぐ同盟軍の名将として評価を改めたのである。

 

 だが、ビュコックやヤンの起死回生を図った勇戦もむなしく、首都星ハイネセンを帝国軍に包囲された同盟政府は膝を屈する事となる。『バーラトの和約』によって同盟は主権に様々な制約を加えられて事実上の帝国の属領と化し、帝国本土に凱旋したラインハルトはゴールデンバウム王朝を簒奪し、ローエングラム朝銀河帝国初代皇帝となりおおせたのである。

 

 そしてその即位から二ヶ月も経過しないうちに発生した、退役していたヤンの逮捕に端を発するハイネセンにおける無秩序な一連の騒乱を同盟政府の無能と不実の証拠とみなし、ラインハルトは和約の破棄と同盟領への再侵攻を宣言する。

 

 証拠なく反動分子として逮捕されたヤンは旧部下たちによって謀殺される寸前に救出されたものの、それゆえに同盟政府と袂を分かたざるを得ず、すでに首都星を脱出していた。そしてヤンが去った後、ハイネセンの地表には帝国軍に対抗しうる手腕と人望を兼備した用兵家は、もはや一人しか存在しなかったのである。

 

 かくしてヤンと同じく現役を退いていたビュコックは宇宙艦隊司令長官に復帰し、翌年の宇宙暦八〇〇年、新帝国暦〇〇二年一月、布陣したマル・アデッタ星域においてラインハルトと再戦する事となる。ランテマリオに比べればマル・アデッタは戦略的価値は低く、ラインハルトはそのままハイネセンを直撃する事もできたが、同盟の残存兵力を司令長官もろとも完全に粉砕する事は軍事的及び政治的にも意義のある事であり、そもそも若き覇者は同盟軍の宿将の矜持と生命を賭した挑戦を無視できるような人物ではなかった。

 

 不安定に恒星風が吹き荒れる広大な小惑星帯という地の利を生かし、ランテマリオ会戦時を下回る兵力を持って、同盟軍は勇戦した。帝国軍において先陣を任された気鋭のグリルパルツァー、クナップシュタインの両提督を翻弄し、帝国軍の誇る名将たちの鋭鋒と堅陣をかいくぐり、混戦状態を作り出して帝国軍本隊に肉薄したビュコックの指揮統率とその麾下の将兵の奮戦は、ラインハルトを始めとする敵将たちをも瞠目させるものであった。

 

 だが、兵力の差は如何ともしがたく、ついに同盟軍は攻勢の限界点を迎える。崩壊した戦線から離脱する味方を援護すべく、同盟最後の宇宙艦隊司令長官は最後まで戦場に留まり続けた末に帝国軍の包囲下に置かれた。そして降伏勧告に感謝しつつも穏やかに、だが毅然と拒否して七三歳の老提督は爆沈する旗艦リオグランデと命運を共にし、帝国軍の将兵たちは自らの手で葬り去った偉大な敵将に敬礼しつつ戦場を後にしたのであった。

 

 

「ビュコックの死は自由惑星同盟という国家に象徴される民主共和政治の終わりであった。ヤンの死は同盟という国家の枠に束縛される事のない、民主共和政治の精神の再生であった──少なくともその可能性は極めて豊かであるように、後継者たちには思われたのである」

 

 これは歴史家の一人が著した記述の一節であるが、偉大な老いた敵将の死後、似たような感慨をラインハルトは抱いていたらしく、次のような述懐が後世に伝えられている。

 

「不死鳥は灰の中からこそ甦る。生焼けでは再生を得る事はできぬ。あの老人は、その事を知っていたのだ」

 

 つまり、自らの手で葬り去ったビュコックこそが、彼が殉じた民主共和政体たる自由惑星同盟の象徴であり、自らの手で斃し得なかったヤン・ウェンリーと、その後継者たちに代表される民主共和制の命脈を保たんとする意思と行動こそが「不死鳥の再生」であると、若き覇王は認識していたと思われる。

 

 銀河連邦の市民の圧倒的支持を受けて皇帝となり、自己神格化への道を驀進したルドルフ・フォン・ゴールデンバウムや、祖国を枯死せしめた衆愚政治家ヨブ・トリューニヒトなどを産み落とした民主共和制に対し、ラインハルトは冷笑的ないし懐疑的な姿勢を抱いていた。二五年の太くも短い人生において『獅子帝』がその認識を改める事はついになかったが、それによって民主共和制の旗を最後まで掲げ続けた二人の偉大な敵将への敬意が損なわれる事もなかったのである。

 

 それゆえに、ラインハルトは「アレクサンデル」の名を息子に与えた。これは白髪の老将が身命を惜しまず守らんとした自由惑星同盟を併呑し、その旧領に生きる民衆の庇護者となったというラインハルトの意思表明であり、同時に死者たちへの敬意と手向けでもあったのだ。そして、宇宙暦八〇一年、新帝国暦〇〇三年に帝国との講和を成立させたヤンの後継者たるユリアン・ミンツは皇帝ラインハルトと対面した際、皇子の名の由来を聞かされた時は驚きと意外の念を禁じえなかった、と後になって回想する事となる。そして、『獅子帝』が軽く笑いながら次のように語った事も、彼より六歳年少の革命軍司令官によって後世に伝えられる事となったのであった。

 

「……それゆえ、あの老人の名を皇子に与えたのだ。だが、予は卿の師父と彼が遺した民主共和制の精神を完全に征服する事はついにできなかった。だから、ヤン・ウェンリーの名は、卿らが用いるといい」

 

 

「皇帝万歳!」

 

わが皇帝万歳(ジーク・マイン・カイザー)!!」

 

「皇帝アレクサンデル万歳!!!」

 

 同盟の白髪の宿将と、帝国の赤毛の驍将の名を継いだ乳児を讃える大歓声はしばらくの間、絶えることなく式典の間を満たし続けていた。













※追記

・アレクサンデル・ジークフリードの名の由来について
 
 これはモンゴル帝国の開祖であるチンギス汗の名である「テムジン」が、彼の父イェスゲイが捕らえた敵将テムジン・ウゲの名から付けられたという逸話をモチーフにしています。
 
 原作者である田中芳樹氏は「帝国は、どちらかといえば、ドイツよりも帝政ロシアに近いでしょうね」(『SFアドベンチャー増刊 銀河英雄伝説特集号』35頁(徳間書店、1988年))と語っています。
 
 そして帝政ロシアの前身であるルーシ諸国はモンゴル帝国に征服された歴史があり、文化や習俗などにおいてモンゴルの影響を強く受けていますから、それを考えれば「敵将の名を息子に与える」という逸話と、銀河帝国の価値観には親和性があるのではないかと考えて設定してみました。
 
 また、ラインハルトの「息子に対等の友人を一人残してやりたい」という最期の願いと、「わしは良い友人が欲しいし、誰かにとって良い友人でありたいと思う」というビュコックの最期の言葉は繋がっているのではないかと感じたのが、「アレクサンデル」はビュコックの名が由来となっているのではないかと考えた理由でもあります。


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第九節

 歓呼の声が鳴り響いている大広間を埋め尽くす群臣たちの最前列には、帝国における文武の最高幹部たちが立ち並んでいる。

 

 その中で、武官の筆頭たるウォルフガング・ミッターマイヤーの傍らには、愛妻たるエヴァンゼリンと、彼女に抱かれた養子たるフェリックスの姿があった。

 

 

 当初ミッターマイヤーは、皇帝夫妻の結婚式において乳児であったフェリックスが泣き出しそうになったのを慮り、フェリックスの戴冠式への参列を見合わせるべきか否か、いささか悩んだものであった。だが、摂政皇太后であるヒルダにその事を相談した所、彼女は迷いなくフェリックスの参列を求めたのである。

 

「よろしいのですか? その……」

 

 明快なミッターマイヤーが珍しく言いよどむのを見て、皇太后陛下は柔らかに微笑する。

 

「元帥のお子様は、新帝の大事なご友人ですもの。戴冠式にはぜひ出席していただかないと、のちのち彼らに恨まれてしまいますわ」

 

 その言葉に、今や宇宙最高の勇将となった人物は恐縮しつつ一礼したのだった。

 

 

 かくして生後一歳三ヶ月半のフェリックス・ミッターマイヤーは、友人たる生後三ヶ月のアレクサンデル・ジークフリード・フォン・ローエングラムの戴冠式における参列者のリストに名を連ねる事となる。

 

 なお、余談ながらフリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルトが軍最高幹部の面々の中ではミッターマイヤー一家から最も離れた位置に配され、彼の新帝を讃える歓声が皇帝夫妻の結婚式の時と較べて控えめであった裏の事情を知っていたのは、列席者の中のごく一部のみであった……。

 

 

「大丈夫ですよ、あなた。あのビッテンフェルト提督のお声を近くで聞いてもすぐには泣かなかったのですから。きっとこの子はロイエンタール提督の強いお心を受け継いでいるに違いありません」

 

 フェリックスが歓声に驚いて式の途中で泣き出しはしないか、と懸念を漏らした夫に、妻は穏やかに笑いながらそう答えたものである。

 

 後にそういった夫婦間の会話を知ったエルネスト・メックリンガーは、「ミッターマイヤー夫人(フラウ・ミッターマイヤー)は、宇宙一の勇将たるご夫君よりも胆が据わっておいでだ」と評した。それを聞いた同僚たちは大笑し、当の『疾風ウォルフ』(ウォルフ・デア・シュトルム)は少し肩をすくめつつ苦笑せざるを得なかったのだった。

 

 かつて自分たちの結婚式の際、父親は祝福に訪れた美丈夫たる親友ロイエンタールの姿を見て花嫁の目移りを心配したが、母親は夫の懸念を「うちの息子だってけっこういい男ですよ」と一笑に付したものであった。結局は父の懸念は杞憂に終わり、のちに家族間での笑い話の一つとなったのだが、どうもミッターマイヤー家の男が妻よりも小胆であるのは伝統であるらしい。さて、うちの二人の養子たちはどうなる事やら……。

 

 

 新帝即位の瞬間に大広間に満たされた歓声に、幼いフェリックスは驚いて周囲を見渡すような仕草をしたものの、養母の予想通り、感情を害したりはしなかった。ほどなく彼は、壇上の玉座に座している大公妃アンネローゼに抱かれた一歳年少の乳児に青い双眸を向け、しばらくはその視線を動かす事はなかったのである。

 

 その光景を玉座の傍らに立つヒルダは微笑ましく眺めつつ、彼女は偉大な敵将であった同盟軍のアレクサンドル・ビュコック元帥の事を思い起こしていた。

 

 

「わしは良い友人が欲しいし、誰かにとって良い友人でありたいと思う。だが、良い主君も良い臣下も持ちたいとは思わない。だからこそ、あなたとわしは同じ旗を仰ぐ事はできなかったのだ」

 

 マル・アデッタ星域会戦で勇戦の果てに敗北した老将は、敵手たるラインハルトからの降伏勧告に対し泰然としてそう答え、差し伸べられた手を謝絶したのである。

 

 その降伏勧告を進言したのは、当時はまだ皇帝首席秘書官であったヒルダ自身であった。彼女は「未練をあの老人に笑われるだけだ」と否定的であった主君にこう言ったものである。

 

「敗敵に手を差しのべるのは勝者の器量を示すもの、それを受けいれぬ敗者こそが狭量なのですから」

 

 だが、死を目前にしても気負う事なく、敵を讃えつつ不屈のまま死んでいったビュコックの姿は、狭量という表現とは無縁の極みというべきものであった。その傍らにたたずむ参謀長チュン・ウー・チェン大将に代表される、司令長官に殉じた部下たちもまた、悠然とした態度を最期の瞬間まで崩す事はなかった。彼らの堂々たる死を、主君と共に見届けたヒルダは自分の発言が浅薄なものだったように感じられ、今思い出しても恥じ入らざるを得ないのである。

 

 ラインハルトは老いた敵将の最期の言葉に対して、当初はその毅然たる態度ほどには感銘を覚えなかったらしい。「他人に何が解る……」という皇帝(カイザー)の低いつぶやきを、傍らにいたヒルダは耳にしていた。

 

 だが、それは無二の「良い友人」たるジークフリード・キルヒアイスを一介の「良い臣下」として扱おうとした結果、彼を死に至らしめた自分の愚行から無意識の内に目を背けてしまっただけなのかもしれない。「良い友人」という存在が、人生を豊かな、光彩に満ちたものにしてくれるという事を、ラインハルトも隣家の少年と知り合ってから一〇年以上も心身双方で実感していたはずである。そして一時の激情に任せてそれに背を向けたがために、金髪の覇者は赤毛の盟友を現世において永久に喪い、生涯にわたり消えぬ罪悪感と喪失感を心中に抱き続ける事になったのであった。

 

 

「ラインハルトには父親がおりませんでした」

 

 大公妃アンネローゼは、かつてヒルダにそう語った事がある。アンネローゼとラインハルトの父セバスティアンは、息子に言わせれば「娘を権力者に売り渡した唾棄すべき屑」であった。尊敬など論外であったし、憎悪し続けるにせよ、超克するにせよ、それらの対象として実父は卑小に過ぎる存在でしかなかったのである。

 

 その欠落した父性の最初の代替的存在となったのが、最愛の姉を強奪した皇帝フリードリヒ四世に代表されるゴールデンバウム王朝であった。だが、それらは巨大な復讐と超克の対象とはなりえても、敬意の対象にはなりえなかった。

 

 そしてラインハルトにとって「尊敬し超克すべき父性」を補完する存在となったのが、「互角の敵手」と彼自身が認めたヤン・ウェンリーやアレクサンドル・ビュコックといった自由惑星同盟軍の名将たちだったのではないだろうか。ラインハルトが戦術的には勝利し得ぬまま終わったヤンの名ではなく、自らの手で(たお)したビュコックの名を息子に与えたのは、「尊敬すべき父性」を超克したという感慨の、無意識の表れでもあったのかもしれない。

 

 ヤンはバーミリオン会戦後の、ラインハルトとの最初にして最後の対談で語った。

 

「私が帝国に生を享けていれば、閣下のお誘いを受けずとも、進んで閣下の麾下に馳せ参じていた事でしょう」

「あなたは違う。常に陣頭に立っておいでです。失礼な申し上げようながら、感歎を禁じ得ません」

 

 ビュコックはマル・アデッタ会戦後のラインハルトの降伏勧告に対し、返答の冒頭で告げた。

 

「わしはあなたの才能と器量を高く評価しているつもりだ。孫を持つなら、あなたのような人物を持ちたいものだ」

 

「尊敬すべき父性」に値する敵将たちからの、これらの偽りなき賞賛は黄金色の髪の覇者にとって誇りたり得るものであったに違いない。そういった最大の雄敵たち、そして最大の味方であった赤毛の盟友との邂逅と別離が、短い人生においてラインハルトの人格を陶冶する巨大な一助となったのは否定し得ないであろう。

 

 息子に「アレクサンデル」と「ジークフリード」という二つの名を与え、自身が死に臨むに際し、息子に「対等の友人を一人残してやりたい」と望んでフェリックス・ミッターマイヤーを枕頭に呼び寄せたラインハルトは、自分の三倍の人生、そして六倍の軍歴に匹敵する生を全うした老元帥の最期の言葉を、太くも短い人生の晩年において噛み締めていたのかもしれなかった。

 

 ヒルダは亡夫の思念の軌跡に想いを馳せつつ、抱えていた帝冠を、傍らに用意されていた台座の上に安置した。そして遮音力場(サイレンス・フィールド)の圏外へと、静かに歩みを進めてゆく。摂政皇太后たる彼女の双肩には、いまだ幼い息子の代理として全宇宙の指導者たる義務が課せられているのだった。

 

 

 戴冠式に続き、皇帝ラインハルト崩御後の内閣における新しい閣僚人事が公表された。

 

 まず最初に発表されたのは、閣僚首座たる国務尚書フランツ・フォン・マリーンドルフ伯爵の辞任である。

 

 マリーンドルフ伯爵家は、ゴールデンバウム王朝末期は門閥貴族内のいずれの派閥にも属さず、中央政権の中枢にも係わり合いになる事が少ない地味な存在でしかなかった。有力な門閥貴族の一角であったカストロプ公爵家とは親族関係にあったものの、公爵家からは距離を置かれていた。権力を濫用し私腹を肥やす事はなはだしかったカストロプ公オイゲンに対し、マリーンドルフ伯は事あるごとに苦言を呈していたため煙たがられていたのである。

 

 だが、それは結果としてはマリーンドルフ伯爵家に幸運をもたらした。オイゲンの事故死後にカストロプ家を継いだ息子のマクシミリアンが叛乱を起こして鎮圧された後も、従来より公爵家から忌避されていたのに加え、伯爵が単身でマクシミリアンの説得のためにカストロプ領に赴き、容れられずに拘禁されたという事実によって、親族にもかかわらず連座で処罰される事態を回避しえたのである。

 

 現在のマリーンドルフ家当主たるフランツは、実の娘であるヒルダのような才気煥発といった人物ではなかったが、そのヒルダの才気に掣肘を加える事なく育て上げた一例からも解るように深い知性と理解力を兼ねそなえており、穏健で誠実な為人(ひととなり)で領民や他の貴族からも手堅い人望を集めてもいた。そしてそれゆえに、ローエングラム王朝を創始したラインハルトから王朝の初代首席閣僚に任じられる事となったのである。

 

 初代皇帝による親政体制が布かれていた新王朝の黎明期において、皇帝の補佐機関である内閣の長たる国務尚書にラインハルトが求めたのは、組織内において運営や調整役を大過なく行なう事のできる堅実かつ公正な手腕と見識であった。そしてリップシュタット戦役勃発直前から、娘の進言によりラインハルトに従う事を表明していたマリーンドルフ伯はラインハルトの独裁体制確立後においてその存在感を強めており、その立場も含めて、若き覇者にとって首席閣僚として理想的な人物であったのである。

 

 ラインハルトの期待通り、国務尚書に就任したマリーンドルフ伯は儀典や国事をつつがなく運営し、閣僚間の意見や利害の対立を事あるごとに仲裁し、各省の官僚たちが手腕を発揮する環境を整え、けれん味のない着実な手腕で王朝の内政面において多大な貢献を果たす事となる。

 

 だが、色恋沙汰に関心が薄かったラインハルトに統治者の婚姻の重要性を喚起したり、ヤン・ウェンリーにより再奪取されたイゼルローン要塞への皇帝親征に対して控えめながら反対の意思を明言するなど、かつてのカストロプ公爵家に対してもそうであったように、マリーンドルフ伯は単なる誠実なイエスマンではなかった。必要とあらば上位者の感情を害する可能性のある諫言や忠告も辞さない人物である事を実際の言動で証明しており、その姿勢は主君や周囲からの評価を高めるものとなったのである。

 

 そういった為人の伯爵が、ヒルダの皇妃冊立が発表された後に「皇妃の実父が宰相級の地位にあるのは国家のために好ましくない」として国務尚書職の辞任を皇帝に申し出たのは当然の流れであったかもしれない。

 

 

 前王朝たるゴールデンバウム朝において、建国者ルドルフ大帝の崩御後に帝位を継いたジギスムント一世の実父が、ルドルフの長女カタリナの婿たるノイエ・シュタウフェン公ヨアヒムである事は史書の記す通りである。ノイエ・シュタウフェン公は新帝の補佐役たる帝国宰相として、舅に期待された通りの辣腕を発揮した。ルドルフの死を契機として続発した共和主義者による叛乱の全てをことごとく鎮圧し、息子たるジギスムント一世を有能な専制君主に育て上げ、比較的公正な施政を布いて社会体制と民心を安定させ、王朝の基盤を堅牢たらしめた功績自体は、賞賛されてしかるべきものであっただろう。

 

 だが、それは同時に、皮肉にも皇帝の外戚が国政を牛耳る事態を正当化する先例となり、ゴールデンバウム王朝が罹患した宿痾(しゅくあ)の一つともなったのである。

 

 王朝末期においては、フリードリヒ四世の女婿たるブラウンシュヴァイク公オットーとリッテンハイム侯ウィルヘルム三世が、皇帝崩御後に皇孫たる自身の娘を至尊の地位に就け、自らは摂政たらんと画策した。それが失敗した後は武力をもって「正当な地位を奪還」せんとして、帝国を二分する内戦を引き起こしたのである。世に言う『リップシュタット戦役』であるが、結果として二人を指導者とする貴族連合軍は当時の帝国軍最高司令官であったラインハルトによって敗亡に追い込まれる事となる。そして返す刀で表面上の同盟者であったリヒテンラーデ公爵一派をも排除したローエングラム陣営による独裁体制が誕生し、五〇〇年近い年月の間に内部が食い荒らされ、朽ち果てかけていた『黄金樹』(ゴールデンバウム)の事実上の倒壊を招いたのであった。

 

 

 二人の大貴族が外戚ゆえに権力欲を際限なく肥大化させ、その果てに旧王朝を道連れにして滅び去ったのはわずか数年前の事であった。その激動の時代を皮膚で体感したマリーンドルフ伯は自身は無論の事、後世の者たちにも彼らの轍を踏ませたくはなかったのである。

 

 信頼する首席閣僚からの辞意を聞き終えても、ラインハルトはわずかに眉を動かしたのみで、即答はしなかった。伯爵の思慮を明敏な皇帝が忖度するのは難しくはなく、ラインハルト自身も前王朝における、無能な外戚の専横に対しては侮蔑や嘲笑、そして嫌悪といった感情しか抱きえなかったから、伯爵の見識にも共感し、その至誠は敬意を払うに値するとも思った。かといって、そのまま素直に了承する訳にもいかない。

 

「辞任を申し出るからには、後任について考えぬ卿ではあるまい。予に何人をもって新たな閣僚首座にすえよと言うのか」

 

 やがて発せられた若い皇帝の下問に、マリーンドルフ伯は「恐れながら」と前置きしつつも、迷う事なくウォルフガング・ミッターマイヤー元帥の名を挙げた。

 

 意外な名を出され、皇帝は意表を突かれたような表情を浮かべた。が、やがて表情を消して国務尚書を注視しつつ口を開く。

 

「そうなれば、閣僚経験もない、政治家としての実績に乏しい高級軍人が閣僚首座に就任したという先例が後世に示される事になるな」

 

 主君のその言葉によって、今度は伯爵が意表を突かれたかのような表情を浮かべる事となった。

 

 

 ゴールデンバウム王朝においては、閣僚首座たる国務尚書の椅子は王朝成立直後の初代を例外として、他の閣僚の地位を最低でも一つは経て、他の閣僚たちを主導するにふさわしい政治的な実績を積み重ねた(と、みなされた)後に腰を下ろすのが常であった。歴代の帝国宰相や国務尚書の中には確かに軍部出身者も少なからず存在したが、そのいずれも、少なくとも軍務尚書という閣僚の座を経験しており、臣下の出自で統帥本部総長や宇宙艦隊司令長官、またはそれ以下の地位から一足飛びに宰相級の地位に就いた例は存在しない。

 

 一例としては、『止血帝』エーリッヒ二世に従いゴールデンバウム王朝史上最悪の暴君たる『流血帝』アウグスト二世の打倒に協力したコンラート・ハインツ・フォン・ローエングラム伯爵は軍部出身者であったが、エーリッヒ二世の即位後に閣僚首座の椅子に座ったのは、軍務尚書と内務尚書を歴任した後の事であった。のちにそのローエングラム家を相続したラインハルトにしても、帝国宰相に就任したのは帝国軍最高司令官として宇宙艦隊司令長官、統帥本部総長、そして軍務尚書の三職を兼任した後の事である。 

 

 ゴールデンバウム王朝最良の名君として知られる『晴眼帝』マクシミリアン・ヨーゼフ二世は、即位に際しオスヴァルト・フォン・ミュンツァー中将を辺境から召還し司法尚書に任命した。マクシミリアン・ヨーゼフは父帝フリードリヒ三世の『暗赤色の六年間』と呼ばれる治世の晩年以来、宮廷内に蔓延する腐敗と陰謀の一掃を推し進めるには、確かな才識と剛直かつ廉潔な姿勢を兼備した補佐役が不可欠であると判断し、即位以前から親交があったミュンツァーに白羽の矢を立てたのである。

 

 だが、この大胆な抜擢は、新帝の予想を凌駕する批判の集中砲火にさらされる事となった。

 

 これはミュンツァーが『弾劾者ミュンツァー』と呼ばれるほどの公明正大さゆえに、軍や宮廷の上層部に忌避されていた事だけが理由ではない。ミュンツァーは軍政家としても相応の実績を積んでいたとはいえ、それまでの軍歴における最高位の役職は帝都防衛司令部参事官どまりであった。軍務尚書はおろか軍務次官の経験すらない下級貴族出身の人物を、反対を押し切って閣僚に任命した事に対し、多くの関係者は懸念を表明せざるを得なかったのである。

 

 また、先立ってマクシミリアン・ヨーゼフは「正室たる皇后は、大貴族の一門から迎えるべきでは」という多くの意見を退けて、下級貴族出身の侍女ジークリンデを即位に際して皇后に冊立しており、その事も各方面からの反発の温床となっていた。そこにミュンツァーの司法尚書就任という事態も加わり、宮廷内外の敵対勢力のみならず中立勢力、そしてごく少数の好意的な勢力の内部からも、新帝への無視しえぬ不満や疑念を噴出させる結果を生んでしまったのである。

 

 庶子であり、帝位継承の可能性が低かった立場から登極したマクシミリアン・ヨーゼフの宮廷や軍部における支持基盤は磐石にはほど遠い代物でしかなかった。それゆえに、政権運営のためにも諸派閥に対し新帝は相応の譲歩を余儀なくされたのである。

 

 綱紀粛正のためにも、ミュンツァーの司法尚書登用は譲れない条件であったが、その代償として、ミュンツァーはマクシミリアン・ヨーゼフの事実上の宰相として改革に多大な功績を残しながらも、老齢で退官するまで役職は司法尚書の座から動く事はなく、帝国宰相や国務尚書といった地位に昇る事はなかったのである。軍人としての階級も上級大将にとどめられ、退任の際に次代のコルネリアス一世から元帥号授与の打診があったものの、ミュンツァーはそれを固辞して政治の舞台から去ったのであった。

 

 

 以上のような例から見ても、ゴールデンバウム王朝においてすら、軍部出身者の帝国中枢での政治関与はそれなりに慎重になるべき問題として取り扱われていたのである。旧王朝の超克を志したラインハルトとしては、こういった点を看過するわけにはいかなかった。

 

 確かにミッターマイヤーは閣僚首座を務めるだけの器量を有しているかもしれぬ。だが、平民の出である彼は、当然ながら大貴族のように領地経営に携わった経験はない。前王朝時代から高級軍人として軍政にも一定の経験を積んではいるが、比類なき勇将たる彼の本領は前線指揮にこそあり、後方勤務に関しては年長の同僚であるオーベルシュタイン、ケスラー、メックリンガーらの実績と名声には及ぶべくもなかった。

 

 それに、後に続く軍人全てが、彼のような公明正大な姿勢と柔軟かつ広範な識見を兼備しているはずもない。ラインハルトは常々「血脈にとらわれず、もっとも強大で賢明な者が支配者となるべきである」と語ってはいたが、武勲に驕り、政治的な定見や経験を持たぬ軍人に権力をほしいままにさせる道筋をことさらに作りたいとは思わなかった。

 

「外戚の専横は否としながら、政治的な実績を碌にも持たぬ高級軍人の専横は是とするのか」と無言の内に主君から問われたマリーンドルフ伯は返答に窮せざるを得ない。

 

 明晰なマリーンドルフ伯が後世における軍部出身者の専横の可能性について思い至らなかったのは、ゴールデンバウム王朝の歴史において皇族主導の武力ないし宮廷工作による政権奪取は数例が存在したものの、ラインハルトの台頭までは臣下である軍部出身者が、強大な軍権と武勲を背景にして政治権力を掌握した例は存在しなかった事が一因かもしれない。

 

 ゴールデンバウム朝の軍権は、大元帥たる皇帝が掌握するものとされていた。だが、建国者たるルドルフ大帝や自由惑星同盟領への親征を敢行したコルネリアス一世などの少数の例外を除いて、事実上は軍務尚書、統帥本部総長、宇宙艦隊司令長官といった『帝国軍三長官』によって三分されていた。さらにそれらの管轄下にある諸組織が伝統的に水面下で監視し合い、牽制し合ってきた事によって、軍部によるクーデターの勃発が未然に防がれていたという側面も確かに存在したのである。そして、末期においてラインハルト・フォン・ローエングラムが三長官職を独占して軍事的な独裁権を手中にした事によって均衡そのものが消滅し、ゴールデンバウム王朝は滅亡への急坂を転落していったのであった……。

 

 

「卿の推薦は一考の余地があるとも思うが、少なくとも今の時点では認めるわけにゆかぬ。他に推挙したい者はいるのか」

 

 自分の半分にも満たぬ年齢の主君にそう問われ、マリーンドルフ伯は引き続いて沈黙を余儀なくされた。

 

 伯爵の見るところ、現在の閣僚の中にも閣僚首座を務められるだけの経験と実績を有した人物は幾人かは存在すると思う。だが、ローエングラム王朝が成立してから二年にも満たない現時点において、政治を司る各省の体制は磐石に固められているとは言いがたい。むこう数年は現在の地位から尚書たちを異動させるのは得策ではなく、複数の尚書職を正式に兼任させるのも悪しき先例となるであろう。伯爵がミッターマイヤーを推薦したのは、戦乱の時代が終息に向かいつつある現在においてならば、ナイトハルト・ミュラーを筆頭とする後任候補が多く存在する軍部からミッターマイヤーが離れても問題は少ないであろう、と判断したのも理由の一つであったのである。

 

「それとも、思い切ってオーベルシュタインを推薦するか? そうすればミッターマイヤーが軍務尚書の後任となり、彼に閣僚としての経験を積ませる事もかなうが」

 

 明らかに冗談と判る口調で語り、マリーンドルフ伯を絶句させたラインハルトは短く笑った後、不意に不快を示す表情を浮かべる。その不機嫌の理由が、義眼の謀臣が政治的な補佐役となる未来図を想像したからなのか、自身の冗談の出来の悪さに対してなのか、あるいはその両方か、伯爵には判断できなかった。

 

 忌々しさを振り払うかのように、若い覇者は前髪をやや荒くかき上げた。そして表情を改め、命を下す。

 

「どうやら、他にはいないようだな。ならば辞任は認められぬ。当分の間は引き続き国務尚書の任を務めよ」

 

 軽く嘆息したいのを自制しつつ、黙然と伯爵は一礼した。かくして、マリーンドルフ伯は皇帝の崩御に至るまで首席閣僚の座に留まる事となったのであった。

 

 

 そして、それから七か月も経たぬ新帝国暦〇〇三年七月二六日にラインハルトが天上(ヴァルハラ)へと去り、皇帝とオーベルシュタイン元帥の葬儀が終わった後に開かれた臨時閣議において、伯爵は再び辞任の意向を表明したのである。

 

 それに対し、慰留の声は各方面から挙がった。特に司法尚書ユストゥス・ブルックドルフや民政尚書カール・ブラッケらは強く続投を求めた。

 

 マリーンドルフ伯がミッターマイヤーを国務尚書の後任に推薦したと当初に聞いたブルックドルフやブラッケは、短い驚愕の後に不審と不満を覚えざるを得なかった。

 

 ブルックドルフはミッターマイヤーに対し、公人としても私人としても悪意を抱いてはいないが、文官の重鎮の一人たる彼としては軍部出身の人物が閣僚首座の座に就く事に対し、懸念を抱かざるを得ない。戦乱が終結し、軍人皇帝たるラインハルトも亡き現在の帝国において、軍部が保有する巨大な影響力は縮小され、法律や官僚との均衡を確立してしかるべきなのである。

 

 ブルックドルフの意見にブラッケも同調した。ブラッケは故オーベルシュタイン元帥に次ぐ皇帝の武断主義への痛烈な批判者であり、新王朝における軍部の巨大な影響力に対し、かねてから懸念を表明していた人物でもあった。

 

 とはいえ、ブルックドルフもブラッケも、軍部との全面対決を望んでいる訳ではない。マリーンドルフ伯がミッターマイヤーを国務尚書の後任に推薦したという報は、軍部内では驚きと共に、おおむね好意的に受け止められていた。無論、『帝国軍の至宝』が軍から遠ざかる事に対する抵抗感や寂寥感は確かに存在したが、それ以上に宰相級の地位の後任候補にミッターマイヤーの名が挙がった事について、彼の部下にして用兵の弟子たるバイエルライン大将を始めとして『疾風ウォルフ』を慕う多くの将兵たちは、率直な喜びと興奮を覚えていたのである。

 

 その上、かつてブルックドルフには奸臣ハイドリッヒ・ラングの姦計に乗せられ、故ロイエンタール元帥に叛乱の疑いありとの告発に手を貸してしまった苦い過去がある。それ以来、軍の一部には司法省に対して敵意とまではいかなくとも隔意めいた感情が確かに存在していた。それを考えれば、司法尚書としては媚びるつもりはないが、必要以上に軍部の悪感情を刺激するのも避けたい所であった。

 

 皇帝亡き今、宇宙最高の勇将にして国家の重臣たるミッターマイヤーの名望は極めて巨大である事は、万人が認めるところである。ブルックドルフやブラッケとしては、彼の国務尚書就任に正面から反対はできないにせよ、せめて文官側の立場を固め、意思を統一する時間を稼ぎたいというのが本心であったのである。

 

 彼らとしては、考えても詮ない事と理解しつつも、前工部尚書ブルーノ・フォン・シルヴァーベルヒの横死を惜しまざるを得ない。才識にふさわしく、帝国宰相の座を狙っていた野心家でもあった彼が健在ならば、政治方面に進出すれば強力なライバルとなるミッターマイヤーの国務尚書就任に賛成はしなかったのではないか。新王朝の社会及び産業基盤を構築し整備する巨大な組織を完璧に運営していた異才の意見があれば、マリーンドルフ伯を翻意させる強力な一助となったであろうに……。

 

 

 一方で、内務尚書バルドゥール・オスマイヤーは、ブルックドルフらの意見に理解を示しつつも、マリーンドルフ伯の主張に積極的に賛意を表明した。

 

 

 オスマイヤーはラインハルトの評価に値する有能な行政官であったが、前王朝時代はその手腕と、平民の出自であるがゆえに狭量な大貴族出身の上司や同僚たちに疎まれていた。その結果として彼は辺境星区に配され、長年にわたり辺境各地においてインフラの整備や治安機構の構築などに従事する事となる。

 

 オスマイヤーは自分の才幹と見識に相応の自負を抱いていたが、それをまともに評価しようとしない上層部に失望し、自身の不遇を嘆かざるを得なかった。だが、それでも彼は自己に課せられた責務を放擲せず、行政家としての経験と実績を着々と、辺境にて積み重ねていったのである。

 

 そのような中で、オスマイヤーはウルリッヒ・ケスラーやカール・ロベルト・シュタインメッツといった、後のローエングラム陣営の軍最高幹部となる少壮気鋭の軍人たちと邂逅する機会を得る。上層部に疎まれて辺境送りになったという、似た境遇の彼らは才識を認めあって意気投合し、担当地域における治安維持や密輸の摘発、及び流通の安定化など、様々な局面で協力しあって著しい成果をあげる事に成功したものである。

 

 そして旧帝国暦四八八年のリップシュタット戦役において、ジークフリード・キルヒアイス上級大将麾下のローエングラム陣営の別働隊が辺境星域の平定に乗り出した際、いまだ辺境に在ったオスマイヤーは同じ境遇の行政官たちと語らって彼らを糾合し、進んで赤毛の驍将に協力を申し出たのである。中央に復帰していたケスラーからオスマイヤーの存在について聞かされていたキルヒアイスは、喜んで彼らを受け入れた。

 

 キルヒアイスは占領地を民衆の自治に委ねたが、支配される事に慣れ、自治そのものが未経験であった民衆による安定した自治体制が短期間で構築できたのは、辺境の行政事情に精通したオスマイヤーらの堅実な手腕と、彼らが長年辺境にて培ってきた人脈、そして骨身を惜しまぬ奔走が背景にあったのである。かくしてキルヒアイスの辺境平定に、オスマイヤーは行政面において多大な貢献を果たしたのであった。

 

 こうしてローエングラム陣営からの信頼を得たオスマイヤーは戦役終結後に帝都オーディンに召還され、帝国の独裁者となりおおせたラインハルト・フォン・ローエングラムと対面を果たす事となる。そして自らの目でオスマイヤーを見定めたラインハルトは彼の行政能力に満足し、彼を推挙したケスラーとシュタインメッツ、そして故人となったキルヒアイスの人物鑑定眼の正しさを確認したのであった。

 

 

 以上の点から解るとおり、オスマイヤーが新王朝における初代内務尚書に任命されたのは、オスマイヤー自身の力量と彼を登用したラインハルトの決断もさる事ながら、その力量を正当に評価してラインハルトに推薦してくれた軍最高幹部たちの存在も大きかった。

 

 王朝の黎明期において、軍務尚書オーベルシュタイン元帥および内国安全保障局長ラングとの間で国内治安の主導権をめぐってオスマイヤーが水面下で抗い得たのは、かねてから厚誼を結んでいた憲兵総監たるケスラーとの間に暗黙の連携を構築する事かできたからである。

 

 また、内務次官を兼任するようになり、上司たるオスマイヤーの地位を露骨に脅かす存在となったラングが己の策に溺れたあげくに失脚したのは、故コルネリアス・ルッツ提督がラングの言動に危惧を抱き、ルッツから相談を受けた同僚たる憲兵総監の綿密な調査がラングの不正を暴いた結果であった。

 

 オスマイヤーもラングの不正を全く察知していなかったわけではない。が、身内の不正を白日の下にさらす事への逡巡に加え、内務省内の各所にはラングの息がかかった人間も少なからず存在しており、彼らの妨害や非協力的な態度により内部調査は遅々として進まなかった。外部の存在である憲兵隊なればこそ、ラングという蛇蝎の尻尾を押さえる事が可能だったともいえる。結果としてラングの党与は内務省内から一掃され、内務尚書としては少なからず面目を失う事となったものの、オスマイヤーは安堵し、同時にケスラーとルッツに深く感謝したのだった。

 

 そういった事情から、オスマイヤーは閣僚の中では明らかに親軍部派といえる存在であった。もっとも、恩人の一人であるキルヒアイスの死の原因を作っておきながら後悔の色を見せず、ラングの跳梁をも黙認した軍務尚書オーベルシュタインに対しては虚心ではいられなかった。それゆえに、オーベルシュタインの死後は迷うことなく親軍部派の立場を鮮明にして、ミッターマイヤーを推すマリーンドルフ伯を支持する側に立ったのである。

 

 

 財務尚書オイゲン・リヒター、工部尚書ルツィアン・グルック、学芸尚書ヒエロニムス・フォン・ゼーフェルト博士、宮内尚書マクシミリアン・ローレンツ・フォン・ベルンハイム男爵、内閣書記官長フィリップ・マインホフ、そして軍務尚書臨時代行ウォルフガング・ミッターマイヤー元帥といった他の閣僚たちは中立を保った。

 

 国務尚書の後任に推薦されている、当事者たるミッターマイヤーは同僚のエルンスト・フォン・アイゼナッハ提督の態度を模倣したかのように、会議中はしばらく口を緘し続けた。

 

 他の閣僚たちはというと、ブルックドルフやブラッケらの主張に対し、同じ文官の重鎮として少なからず理解や共感はするものの、同時に国務尚書や内務尚書と同じく、軍部に対して彼らが抱いている懸念は司法尚書や民政尚書のそれよりも強いものではなかった。少なくとも現在の時点では、軍部は文官側の職掌に露骨に介入するような真似は行なっていないのである。下手に軍部を刺激したくないという思いは、反対派のそれよりもさらに強いものであっただろう。

 

 また、オスマイヤーほどでないにせよ、軍関係者と浅からぬ交流を持っている者も中立派の閣僚の中には存在しており、それも彼らが反対に踏み切らない一因となっていたのである。たとえば、学芸尚書ゼーフェルトが芸術や文学といった分野の同好の士という関係で、『芸術家提督』エルネスト・メックリンガーと長年にわたり交誼を結んでいるのはその一例であった。

 

 ましてやミッターマイヤーは皇帝の葬儀の運営責任者という名誉をためらいなくベルンハイム男爵に譲るなど、文官側への配慮も少なからず示しているのである。そういった例に見られる至誠と見識を兼備したミッターマイヤーであれば、軍部の専横や暴走を許し、悪しき先例を作るような愚行は犯さないであろうという信頼感は深いものがあった。

 

 亡き皇帝の代理にして、この会議の主催者たる摂政皇太后ヒルダとしては、本心では父親に首席閣僚として補佐を務めてもらえれば、どれほど心丈夫な事かと思う。だが、父親の主張も正論であり、実の娘であると同時に摂政たる身としては公私の別はわきまえてみせねばならず、本心をありのままに吐露するわけにはいかなかった。

 

 かくして、皇帝亡き今、マリーンドルフ伯の決意を変える事のできる人物はもはや地上には存在せず、伯爵が翻意する事はなかったのである。

 

 説得の言葉を述べつくしたブルックドルフは軽く肩を落とした。ブラッケは軽く息を吐き、そして閣僚首座に問いかける。──では、国務尚書はあえて亡き陛下の御意を無視なさり、あくまでミッターマイヤー元帥を後任に推薦なさるおつもりか、と。

 

 マリーンドルフ伯は(かぶり)を横に振った。今でもミッターマイヤーを後任に推薦したいという意向は変わっていないが、亡き主君の指摘どおり、現時点では断念すべきなのは伯爵も認めざるを得ない。だが、建国者たる皇帝亡き今だからこそ、外戚たる自分が首席閣僚の地位に留まるわけにはいかないという決意も確固たるものであった。

 

 そこで伯爵が提案したのは、国務尚書職は一時的に空席として、摂政皇太后たるヒルダにその地位を代行させる。そしてヒルダの負担を軽減するため、補佐役として摂政首席補佐官という役職を新設するというものであった。

 

 その提案に対するざわめきを横に、マリーンドルフ伯はある一人の人物をその首席補佐官に推薦した。そして、その人物の名が自分のものであった事に、内閣書記官長マインホフは仰天する事となる。

 

 マインホフはこの年三六歳であり、この会議の出席者の中ではヒルダとミッターマイヤーに次いで若い。独創性では同年代であった先の工部尚書シルヴァーベルヒには及ばないが、ミッターマイヤーが存在しなければ、マリーンドルフ伯は彼を後任に推したかもしれないというほどの能吏である。だが、巨大な武勲と人望を有する、万人が認める建国の元勲たるミッターマイヤーに比べればその存在感は及ぶべくもない。年齢も政治家としての閲歴も上回る他の閣僚たちを主導するには、マインホフにはまだまだ貫目が不足していると言わざるを得ないであろう。

 

 そういった事情を考えれば、内閣書記官長の職も引き続き兼任させつつ、ヒルダの補佐役として国務尚書の職責を一部なりとも担当させるのは、いまだ少壮のマインホフにとって将来のためにも得がたい経験と実績となるであろうとマリーンドルフ伯は考えたのである。また、そうしてマインホフの価値を高める事により、軍部出身者の政治方面への進出に危惧を抱く文官たちの不安と不満を和らげようという配慮の一面もあった。

 

 伯爵の提案を受け、会議の参加者たちの間で白熱した議論が展開される事となった。

 

「マインホフの行政手腕から考えれば能力的には摂政補佐官と内閣書記官長の兼任は可能であろうが、この二つの職を兼任させるのは、先例的にのちのち問題とならないのか」「内閣を主導すべき首席閣僚の地位が、名目上とはいえ空席であるのはいかがなものか」「ミッターマイヤー元帥の国務尚書就任が見送られても、軍部の反発は問題ないレベルに抑えられるのか」などといった問題が次々と提起され、長時間の討論が行なわれた結果として、マリーンドルフ伯のこの提案は了承された。マインホフ自身は当初「身に余る」と恐縮しつつ辞退しようとしたのだが、皇太后や伯爵はおろか、他の閣僚たちからも強く要請ないし説得され、結局は受諾する事となったのである。

 

 

 かくしてマリーンドルフ伯爵は閣僚首座の地位を潔く退いたが、完全に公職から身を退いたわけではなく、替わりに名誉宮廷顧問官を始めとするいくつかの名誉職を与えられた。

 

 宮廷顧問官は皇帝及び閣僚の相談役に留まる、決定権を持たない存在に過ぎない。だが、伯爵の深い見識と表裏なき誠実さに裏打ちされた数多くの助言は、伯爵が国務尚書を辞した後のローエングラム王朝初期において多くの要人を陰ながら支える事となるのである。

 

 

 実戦部隊の長たる宇宙艦隊司令長官という、現在のミッターマイヤーの地位は彼の才幹に合致し、彼の志向を充足させる理想的な立場である。その立場から、三〇代前半という若さで離れるのはミッターマイヤーにとって本意ではなかったが、オーベルシュタイン元帥亡き現在、軍部の最高職たる軍務尚書の椅子に座るのはミッターマイヤー以外にありえない。それでも軍部に留まれるだけ、ミッターマイヤーとしては国務尚書職よりも心理的に受けいれやすかったのである。

 

 ミッターマイヤーの国務尚書就任が見送られたと聞き、首席閣僚就任を期待していたバイエルラインを始めとする軍人たちは落胆しないでもなかったが、その経緯を聞いて彼らの大半は納得したので、取りたてて問題とはならなかった。われらが『疾風ウォルフ』が実戦部隊から遠ざかるのは寂しくはあるが、替わって軍部の最高峰たる軍務尚書の後任に就かれるのは、それはそれで喜ばしいではないか。

 

 かくして、ウォルフガング・ミッターマイヤーは宇宙艦隊司令長官を辞して軍務尚書に就任する事となったのである。一部には軍務尚書と宇宙艦隊司令長官の兼任を求める声もあったが、ミッターマイヤーは点頭しなかった。彼としても、まったく心を動かされない提案だったと言えば嘘になる。だが、先のマインホフや帝都防衛司令官と憲兵総監を兼任したケスラーの場合はまだ解釈の余地があるが、軍組織の頂点たる『帝国軍三長官』の地位を臣下たる身が正式に兼任するのは明白な悪しき先例になる事は疑いなく、それを理解しえないミッターマイヤーではなかった。

 

 

 国務尚書 空席(摂政が職責を代行)

 

 軍務尚書 ミッターマイヤー元帥

 

 財務尚書 リヒター

 

 内務尚書 オスマイヤー

 

 司法尚書 ブルックドルフ

 

 民政尚書 ブラッケ

 

 工部尚書 グルック

 

 学芸尚書 ゼーフェルト博士

 

 宮内尚書 ベルンハイム男爵

 

 内閣書記官長 マインホフ(摂政首席補佐官兼任)

 

 

 かくして、初代皇帝ラインハルト崩御後における、ローエングラム王朝の新内閣の陣容は定められたのである。

 

 

 マリーンドルフ伯にとって、あえて国務尚書の座を空席にするという提案は窮余の一策であった。それはあくまでも一時的な措置であり、娘である皇太后の負担を考えても、伯爵としてはできるだけ早くにミッターマイヤーに閣僚としての経験と実績を積み重ねた上で、首席閣僚の椅子に着いてもらいたいところであった。そして蜂蜜色の髪の元帥は、伯爵のたび重なる腰の低い要請に抗しきれず、ついには数年後の閣僚首座への就任を約束させられたのである。

 

「柄ではないのだがな。生き残った者の責務、か」

 

 軍務尚書職の正式な辞令を受け取るべく、壇上に向かったミッターマイヤーは内心で嘆息した。

 

 六年前の旧帝国暦四八六年五月初頭。当時は皆、前王朝の一軍人に過ぎなかったラインハルトとキルヒアイス、ロイエンタールと自身の四人が初めて一堂に会した日の事を、ミッターマイヤーは終生忘れる事はないであろう。その時から金髪の若者は、ゴールデンバウム王朝の打倒と宇宙の統一という志を共有した、赤毛の友に次ぐ盟友として自分たちを遇してくれたのである。

 

 その四人のうち、今も現世に留まっているのは自分一人となってしまった。それを思えば深甚な寂寥の念を、ミッターマイヤーは禁じえない。

 

「俺に死ぬなと命令なさっておいて、ご自分だけ先に友人たちの下にゆかれるとはあまりではありませんか」

 

 亡き主君に対し不敬とは思いつつも、苦笑まじりにそう慨嘆もしたくなるのである。

 

 偉大なる皇帝は無論のこと、キルヒアイスとロイエンタールの二人が健在ならば、国務尚書どころか軍務尚書の後任にも自分の名などが挙げられる事はなかっただろうに、とミッターマイヤーは思う。

 

 だが、どれほど哀惜したところで、死者はもはや還らない。彼らの遺したものを守り、育て、伝えていく義務が、生者にはある。さしあたって、ミッターマイヤーはまず軍務尚書の椅子に座り、軍務省を掌握しなければならなかった。

 

 

 先の軍務尚書たる生前のオーベルシュタインはミッターマイヤーの国務尚書就任の話題を耳にして、積極的に支持を表明したりはしなかったが、反対の意思も示さなかったとされる。

 

 あるいは、名実ともにラインハルト麾下の比類なき勇将となりおおせた『帝国軍の至宝』が軍権から距離を置くのは、むしろ王朝の安定のためには好ましいと義眼の謀臣は計算したかもしれない。だが、それにはラインハルトがマリーンドルフ伯に告げたように、ミッターマイヤーに閣僚としての経験と実績を積ませる必要がある事を、オーベルシュタインも理解していたであろう。

 

 まさかとは思うが、オーベルシュタインが自ら死を選んだのだとすれば、それは軍務尚書の座を自分に譲るためでもあったのではないか、などとミッターマイヤーは不意に考えてしまった。

 

 

 摂政たる皇太后の御手から辞令を受け取り隣に戻った養父の、壇上に向かう前よりも厳しくなった表情を見て、養母に抱かれた幼児は不思議そうに青い瞳をまたたかせた。その視線に気づいた『疾風ウォルフ』は、亡き親友の血を受け継いだ養子を安心させるため、内心を押し隠しつつ微笑したのであった。



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第十節

 新閣僚の発表と任命が終了し、式典は続いて軍部の新しい人事の発表に移行した。

 

 まず最初に行なわれたのは、元帥杖授与式であった。後世『獅子の泉(ルーヴェンブルン)の七元帥』と呼ばれる七名の軍最高幹部たちに、いまだ乳児に過ぎぬ皇帝の代理たる摂政皇太后ヒルデガルドの名において、元帥の辞令と元帥杖が与えられるのである。

 

 始めに式部官によって名を読み上げられたのは、武官の代表たる軍務尚書ウォルフガング・ミッターマイヤーであった。すでに元帥号を得ている彼には、新たに『帝国首席元帥』という称号が贈られる事となる。

 

 就任直後である軍務尚書は再び玉座の前へと向かい、(きざはし)の下にて片膝を突く。それを見て、壇上の皇太后は式部官から差し出された辞令を広げ、それに記された簡潔な文章を凛然とした声で読み上げた。

 

「建国の元勲たる功績を賞し、汝、ウォルフガング・ミッターマイヤーを帝国首席元帥に任ず。新帝国暦〇〇二年八月一九日。銀河帝国摂政皇太后ヒルデガルド・フォン・ローエングラム」

 

 それを聞き終えた蜂蜜色の髪の勇将は静かに登壇し、皇太后の繊手から辞令と、それに続いて新たな元帥杖をうやうやしく拝賜する。この瞬間、ミッターマイヤーは帝国首席元帥となったのであった。皇帝(カイザー)ラインハルト亡き後の、帝国軍の精神的な支柱たる彼にふさわしい称号である事は万人が認めるところであろう。

 

 

 そうしてミッターマイヤーが壇上から下りた後、続いて故人であるジークフリード・キルヒアイスとパウル・フォン・オーベルシュタインの二元帥に対しても、生前の功績に基づいて帝国首席元帥の称号が追贈される事が公表された。

 

 ローエングラム王朝の創成から終焉に至るまで、結果として首席元帥の称号を与えられたのはこの三名のみであり、皇帝ラインハルト即位時にローエングラム王朝軍の元帥号を与えられていたキルヒアイス、ミッターマイヤー、ロイエンタール、オーベルシュタインの四名のうち、叛逆者として死を迎えたオスカー・フォン・ロイエンタールのみが、帝国首席元帥の称号を授与される事なく終わった。死後における元帥号の返還や戦没者墓地への埋葬に対しても「寛大に過ぎる」という声が少なくなく、この上首席元帥の称号まで追贈するわけにはいかないと、帝国の上層部は結論せざるを得なかったのであった。

 

 だが、それでもなお、当時のみならず後世においてもロイエンタールは三名の首席元帥と同格の存在とみなされ、他の三人と共に『獅子帝の四元帥』の一人として数えられる存在となるのである。

 

 歴史上ただ一人、ローエングラム王朝の帝国首席元帥の称号を生前に授与され、後世において『獅子帝の四元帥』と『獅子の泉の七元帥』の双方に名を連ねる事となるミッターマイヤーは、喜色を表面にも内面にも浮かべる事はなかった。後世の評価など彼は知る由もなかったが、無論の事、身に余る栄誉と思ってはいる。だが、軍務尚書や国務尚書の地位と同じく、自分以上にその栄誉にふさわしい者たちが健在であれば、という思いを『帝国軍の至宝』と呼ばれる人物は完全には拭えなかったのであった。

 

 

 続いて、現存する六名の上級大将への元帥杖授与が行われる事となる。

 

 最初に呼ばれたのは、上級大将の首座にして、最年少たるナイトハルト・ミュラーであった。

 

 彼は元帥号と同時に、ミッターマイヤーの後任として、宇宙艦隊司令長官の地位を与えられた。かつて前任のミッターマイヤーは、先帝たるラインハルトに辞任を申し出た際に「宇宙艦隊はミュラー上級大将にゆだねて不安はございません」と断言したものである。その評価は現在においても変わっておらず、軍務尚書となり司令長官職を退いた『疾風ウォルフ』は迷う事なく、後任者として『鉄壁ミュラー』を推挙したのであった。

 

 その推薦は万人を得心させるものと思われたが、異論を唱える者がただ一人だけ存在した。他ならぬミュラー自身である。当初、推薦に対しミュラーは「軍最高幹部の中で、軍歴がもっとも短い小官が司令長官の後任となるのは恐れ多く思います」と辞退の意向を示したのであった。

 

 人々はミュラーのその慎み深い姿勢に改めて敬意を抱いたが、皇太后ヒルダやミッターマイヤーを始めとする他の同僚たちの説得もあり、最終的にミュラーは受諾する事となったのである。

 

「なに、卿ならば大丈夫だろう。上手く俺たちを使いこなしてみせろよ」

 

 猛将フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルトなどは屈託なく笑いながら、ミュラーの背を強く叩いて激励したものである。ミュラーは手荒い祝福の痛みに顔をしかめつつ、苦笑してうなずかざるを得なかったのであった。

 

 

 そして、そのビッテンフェルトはミュラーの次に名を呼ばれ、元帥杖授与と共に宇宙艦隊首席副司令長官に任じられた。「副」の一文字が付くとはいえ、事実上は権限が二分され、帝国中枢部の艦隊戦力は帝国軍が誇る『歩く堅忍不抜』と『呼吸する破壊衝動』たる二人の主導によって動かされる事となるのである。

 

 

 アウグスト・ザムエル・ワーレンは『新領土』(ノイエ・ラント)総軍司令官として、ガンダルヴァ星系第二惑星ウルヴァシーの軍事基地に駐留し、新帝国の支配下に組み込まれた旧同盟領の大半に及ぶ領域の治安維持を担う事を命じられた。戦乱が終結したとはいえ、いまだ混沌とした状況から脱し切れていない旧同盟領の安定化に、ワーレンの実績を伴った手腕は大いに貢献するであろう。

 

 また、これまで旧『新領土総督府』の権限を引き継いで旧同盟領の行政を司っていた民政府も、現在の拠点であるバーラト星系が和約に基づいて共和主義者たちに引き渡されれば、それと入れ違いでウルヴァシーに移転する事が決定されている。ウルヴァシーは行政面においても、新領土の中枢として発展を遂げる事となるであろう。

 

 とはいえ、現在の所はまだ建設途上である未開の惑星の域を出ておらず、インフラの整備状況や周辺星系の治安面を考慮しても、将兵や官吏の家族を呼び寄せられるような環境とはほど遠い状態である。ワーレンが実家に残している老父母や、亡き妻の忘れ形見である一人息子と共に暮らせるのは今しばらく後の事になりそうであった。

 

 

 エルンスト・フォン・アイゼナッハは、かつて同僚のメックリンガーがその任にあった『後方総司令官』を前身とする『ヴァルハラ星系圏』(グロスラウム・ヴァルハラ)総軍司令官として、ヴァルハラ星系第三惑星にして旧帝都たるオーディンへの赴任を命じられた。

 

 ラインハルトによるフェザーンへの遷都により、オーディンが辺境の一惑星に転落する……時が来るにしても、それはまだまだ先の話となるであろう。ヴァルハラやその周辺星系は従来の帝国領内において、五〇〇年近く『帝都圏』の中心であった人口密集領域である。首都という地位を失ったものの、政治・軍事・経済・文化など、様々な側面から見ても、当分の間は人類社会屈指の要地であり続ける事に疑う余地はない。

 

 前王朝時代からの帝国領内は旧同盟領に比べれば安定しているとはいえ、点在する流刑地にはラインハルトに敗れた旧門閥貴族の生き残りが多数存在し、中央の統制が届きにくい辺境付近においては宇宙海賊などの非合法組織の行動が活発化の兆候を示しつつあるなど、くすぶる火種が存在しないわけではない。小なりとはいえ、放置しておけば燎原の大火になる可能性もあるそれらを新帝都から監視し、抑え込むにも限界があった。領内で変事が発生し、その領域を担当する治安能力では手に負えない事態にまで発展した場合、総軍が事態収拾のために出動する事となる。ローエングラム王朝創業の功臣たるアイゼナッハならば、確実な判断力と行動力をもって、その任に耐えうるであろう。

 

 

 先年のロイエンタール元帥叛逆事件の記憶は現在もなお生々しく、かつての新領土総督の権限には及ばないとはいえ、強大な兵権を有する機構の新設を不安視する声も確かに存在した。

 

 だが、現在も軍務省によって進められている帝国全土の軍管区再編はいまだ途上であり、それが完成するまで領内の治安維持のためにも、総軍新設が不可欠と判断されたのである。先年の叛乱を裏面で画策した陰謀家どもはすでに一掃され、総軍司令官を拝命した二人の元帥は人格および実績において充分に信頼に足る存在であり、過剰な心配は無用であると結論づけられた。言語化こそしなかったが、「ロイエンタール元帥の轍は踏まぬ」というのは、重責を背負う事となった二人の総軍司令官に共通した確固たる決意であった。

 

 軍管区再編が完了すれば、いずれ軍縮の一環として二つの総軍の権限と規模は縮小される事になるであろうが、軍最高幹部の一角たるエルネスト・メックリンガーは、同僚のミュラーに対し「軍事力は中央集権でよい。軍管区のそれぞれに兵権を与えれば、ひとたび中央の統制が衰えた時、割拠の原因となるのではないか」と、軍管区の兵権強化に懸念を語った事がある。無論の事、彼はその懸念を主君であった生前のラインハルトに奏上もしたのだが、

 

「卿の言にも一理あるが、中央の統制が衰えるとは、要するに統治者が無能や低能に堕したという事ではないか。そうならぬように国家の中枢にいる者たちが心すればよい。それができねば、衰退や滅亡も必然というべきものだ」

 

 と、覇気と矜持を全身に満たした皇帝は一刀両断にしたものである。「予は無能や低能にはならぬし、そのような輩が予の跡を継承する事も許さぬ」という強固な意志を目の当たりにし、『芸術家提督』は一礼して引き下がったのであった。

 

 現実問題として、銀河系の五分の一にも達する広大な帝国領全域を中央集権で完全に統制するのは、現在の様々な条件を勘案しても困難とメックリンガーも認めざるを得ない。不安があるにせよ、それを解決するのは今後の課題とし、腰を据えて対処すべきであった。軍管区再編が成れば、統帥本部総長がそれらを指揮し運用する国内軍総司令官の地位を兼任する事となり、総長の力量が問われる事となろう。

 

 そしてその統帥本部総長に、今回正式に任命されたのが他ならぬメックリンガー自身であり、幼帝及び摂政皇太后の代理として、帝国全軍を統括する重責を任される事となったのである。前王朝時代では統帥本部次長、新王朝では後方総司令官、大本営幕僚総監といった要職を歴任している彼の手腕と為人(ひととなり)に対して、懸念を表明するものは存在しなかった。

 

 

 最後に呼ばれたのは、現在の軍最高幹部における最年長者たるウルリッヒ・ケスラーである。憲兵総監の地位はそのままだが、帝都防衛司令官の座から退き、代わって軍務省首席次官に就任し軍政面におけるミッターマイヤーの補佐に当たる事となったのである。憲兵隊内部の改革には今しばらくケスラーの手腕が必要であり、それに目途がつけばブレンターノ憲兵副総監がその肩書きから「副」の字を外す事となるであろう。また、ミッターマイヤーが国務尚書の地位に昇った後は、その後任としてケスラーが軍務尚書の座を引き継ぐ事も内定しているのであった。

 

 ケスラーは本来、堂々たる前線の武人たらん事を志望していた。そしてその志望に見合う前線指揮能力と実績を有していたのだが、同時に後方における優れた実務能力をも兼備していた彼は、リップシュタット戦役後に主君たるラインハルトの命によって憲兵隊司令部と帝都防衛司令部の長たるべし、と命じられる事となる。それは彼の志向とは異なる地位であったが、それでも彼は新たな職務に最善を尽くし、主君の期待に充分に応えたのであった。

 

 

 今年の新帝国暦〇〇三年七月一八日、イゼルローン共和政府と交戦の末に講和を成立させた皇帝ラインハルトは新帝都フェザーンへと帰還する。ほどなく皇帝はヴェルゼーデ仮皇宮の一室にケスラーを招き、地球教徒の襲撃を受けた皇妃(カイザーリン)ヒルダとその胎内に在ったアレクサンデル・ジークフリード、そして大公妃アンネローゼといった一族を守り通した憲兵総監の功を改めてねぎらった。

 

 恐縮する憲兵総監に対し、病床の皇帝は目をやや伏せつつ、にわかに話題を改める。

 

「予は卿に、かねてから詫びねばならなかった事がある」

 

 予想外の主君の言葉に、沈着なケスラーも驚きの表情を隠し切るのに失敗した。

 

「何をおっしゃるのです。陛下が小官に詫びられる事など……」

 

「いや、ある。予は、卿が星々の海を往く武人たらんと欲していた事を察しながら、卿を地上に縛りつけてしまった。……赦せ」

 

 それを聞いたケスラーは口を開きかけたが、すぐには言葉を発しえなかった。

 

 かつて前線勤務を望むロイシュナーを幼年学校校長に任命したときもそうであったが、必要と判断しての事とはいえ、有能にして忠実な臣下から広大な宇宙を翔ける権利を奪った事に対し、ラインハルトも忸怩たる思いが(おり)となって心底に存在していたのであった。もはや余命いくばくもなく、己自身も地上に留まらざるを得ない立場となって、皇帝はケスラーの無念をより深く理解したのかもしれない。

 

「……もったいなきお言葉です。ですが、どうかお気に病まれませぬよう。陛下の覇業に微力ながら貢献させていただけた事は、小官にとってまぎれもなく幸福でございました」

 

 やがて発されたケスラーのその言葉は彼の赤心から発されたものであり、それを聞いたラインハルトは穏やかにうなずいたのであった。

 

 

「全宇宙を征服なさった覇王が、地上に足止めされ、病室に閉じ込められている。おいたわしい限りだ」

 

 新帝国暦〇〇三年七月二六日。ラインハルトが崩御する直前に仮皇宮に参内したケスラーは、低くそうつぶやいたものである。ケスラーも主命によって地上に留められた事に不本意を感じる身ではあったが、同時に偉大な主君の下で重責を担う緊張感と充足感に満たされてもいた。だが、その主君が今、地上に在るのは銀河系を翔けた両翼から生命力が失われた結果でしかない。数日前に皇帝から賜ったばかりの言葉を回顧し、ケスラーは胸を締めつけられるような思いとともに、沈痛な独語を吐き出したのである……。

 

 

 ケスラーにはオーベルシュタイン亡き後、己がローエングラム王朝における謀略の第一人者となる覚悟と決意があった。

 

 現在の軍務尚書たるミッターマイヤーは、かつて「謀略によって国が立つか! 信義によってこそ国は立つ」という言葉を、先代の軍務尚書たるオーベルシュタインに対して叩きつけた事がある。

 

 公明正大にして将来の国務尚書たる彼の意思はそれでよい、とケスラーは思う。だが、新王朝に仇なしていた名だたる陰謀家たちがことごとく(たお)れたとはいえ、ケスラーが把握している限りでもその残滓は少数とはいえ存在しており、ローエングラム王朝の支配体制を良しとせず、新たに陰謀を巡らす輩が現れないとは断言できない。それらに対処するためにも、オーベルシュタイン死後も謀略に通じた人材が王朝には必要となるであろう。そして軍最高幹部の中では、自分こそが亡き義眼の謀臣に最も近い思考と経験を有している、とケスラーは苦く認めざるを得ない。

 

 ラインハルト存命中に限っても、金髪の覇者の盟友たるジークフリード・キルヒアイス、ローエングラム王朝創成期における最高級の技術官僚(テクノクラート)ブルーノ・フォン・シルヴァーベルヒ、王朝にとって最大の雄敵であったヤン・ウェンリーなど、暗殺者の魔手により墜とされた巨星は少なくなく、ラインハルト自身、幾度も暗殺や謀殺の危機にさらされたのである。これから平和と発展を迎える時代、新帝を始めとする要人がテロリズムの犠牲となる事など、断じて許容してはならない。ケスラーは亡き主君の知遇に応えるためにも、己の手を果てなく汚し、他者から忌避され、己の身に代えてでも守るべきものを守り通す決意を固めていた。

 

 そして皇太后の御手から辞令と元帥杖を受け取って壇上から下りる際、ケスラーは参列する文官の中に、ある人物の無表情な相貌を見い出し、わずかに眉を動かした。

 

 現在の内国安全保障局長ウド・デイター・フンメルである。

 

 

 先の内国安全保障局長たるハイドリッヒ・ラングが不正の果てに失脚した後、その地位は一時的に上司である内務尚書オスマイヤーが預かる事となった。だが、武人たるラインハルトは前王朝の社会秩序維持局の流れを汲む秘密警察の再構築に対しては元々消極的であり、謀臣オーベルシュタインに説かれて設立を認めたという経緯がある。それを考えれば一連の不祥事により内国安全保障局は廃止される可能性もあったのだが、局の存続をオーベルシュタインは皇帝に進言し、オスマイヤーも皇帝に局の存続を嘆願した。

 

 前者はラングを再登用し、その暗躍を許した自己の責任を認めつつ、内国安全保障局の必要性を改めて理路整然と主君に奏上した。後者は直属の上司として、ラングを御しえず内務省の権威と信用を損なった自己の力不足を皇帝に陳謝し、同時にこのまま内国安全保障局が解体されては内務省の威信が更に失墜するとして、名誉回復の機会をいただきたいと懇願したのである。

 

 ラインハルトは自身が任命した二人の閣僚の意見を検討し、最終的にそれらを容れて存続を認める事となった。理由の一つとしては、帝国内における治安維持に関して、憲兵隊の存在が突出しがちであった事も挙げられる。

 

 本来、国内治安は内務尚書が最大の責任者であるべきなのだが、地球教団を始めとする武装したテロ組織に対して、調査はともかく掃滅には通常の警察力では荷が重いのは明らかであり、物理的な鎮圧では憲兵隊が前面に出ざるを得なかったという事情もあった。このまま憲兵隊のみが存在感を増すのは好ましくない上、現在の所は比較的良好な内務省の憲兵隊への認識も負の方向に傾きかねない。戦乱も終局が見えたこれからの時代において、治安維持における内務省の立場を相対的に強化する必要があったのだった。

 

 内務尚書オスマイヤーは自ら再建と綱紀粛正を行なうべく、正式な内国安全保障局長の兼任を申し出た。だが、軍務尚書オーベルシュタインは前王朝たるゴールデンバウム朝において、初代内務尚書エルンスト・ファルストロングが社会秩序維持局長を兼ねて思想犯や政治犯を弾圧した悪例を挙げて反対し、ラインハルトもそれを是とせざるをえなかった。オスマイヤーがファルストロングの再来になるなどとラインハルトも考えたりはしなかったが、閣僚が秘密警察の長を兼任するという事例がよい結果を生むとも思えなかったのも確かであった。

 

「では、卿には後任に心当たりはあるのか」

 

 その下問に対し、軍務尚書が推挙した候補者の名を聞き、ラインハルトはにわかに眉間に皺を寄せた。記憶巣から掘り起こすに際して、その名には忌避感という汚泥が付着していたのである。

 

 眠たげな目つきと整えられた濃い茶色の頭髪、そして口元とあごに切りそろえられたひげを蓄えた容貌のフンメルは独創性には乏しいものの整然たる行政処理能力の所有者と評されている能吏であり、『神々の黄昏』(ラグナロック)作戦時の遠征軍に随行していた行政専門家の一人であった。そして『バーラトの和約』後は同盟首都ハイネセンに残留し、高等弁務官に任命されたヘルムート・レンネンカンプ上級大将の首席補佐官たる事を命じられたのである。

 

 後にそのレンネンカンプは確たる証拠もないまま、高等弁務官の強権をもってヤン・ウェンリー退役元帥の逮捕を同盟政府に強要し、結果としてハイネセンにて収拾困難な騒乱を引き起こす事となる。そしてフンメルはそのレンネンカンプの暴走を制止するどころかヤンの逮捕を法律的に正当化する助言を行なった上、ラインハルトによる同盟領への再侵攻が宣言されたのち、国家の滅亡に臨んで動揺した同盟の一部軍人をそそのかして同盟最後の最高評議会議長ジョアン・レベロを殺害させるという挙に及んだのである。

 

 そうした陰険といえる一連の行為によってフンメルは皇帝の不興を買う事となり、ラインハルトは同盟滅亡後にフンメルに対し降格のうえ帝都オーディンへの送還という処分を下した。フンメルはその処置を、慇懃に淡々と受け入れて帰郷の途につき、その態度もラインハルトを不快にさせたものである。その後のフンメルは司法省や内務省を転々として、閑職に甘んじている存在であった。

 

「卿は予に、あのような男を再び起用せよというのか。第二のラングになりかねないような奴ではないか」

 

「官吏として、有能で勤勉な人物である事は保証いたします。陛下に他の候補者の心当たりがおありならば、その者をお取り立てになられるのがよいかと」

 

 ラインハルトは不機嫌に沈黙した。有能で忠実な官吏には幾人かは心当たりはあったものの、「秘密警察の長」という立場に据えるのにはためらいがあったのである。ほどなく、いささか苛立たしげにラインハルトはフンメルの内国安全保障局長就任を容認したのであった。

 

 

 帝国における謀略の責任者たる覚悟を固めているケスラーにとっても、現在の内国安全保障局長であり、就任して短期間で組織を掌握してのけたフンメルの存在は無視しえない。入手した複数の情報を照らし合わせ、彼がオーベルシュタインの息の掛かった人物である事をケスラーはすでに把握していた。

 

 確たる証拠はないが、レンネンカンプの暴走やレベロ殺害といった同盟末期の一連の混乱は、フンメルを介してオーベルシュタインが演出したのではないかという疑惑を、現在でもケスラーは捨てきれないでいる。そして義眼の謀臣亡き現在、フンメルがどのような行動原理に基づいて活動しているのかも明確ではないのである。

 

 憲兵総監の周到な調査の結果においても、閑職に回された後のフンメルが不正に手を染めた形跡は確認できなかったが、それでもケスラーはフンメルの直接の上司であるオスマイヤーと連絡を定期的に取り合い、内国安全保障局長の動向を怠りなく観察していた。ハイドリッヒ・ラングにしても、内国安全保障局長に登用された当初は私行上に問題はなかったと判断されていたのである。フンメルが職務に精励して王朝や臣民に益をもたらすならばそれでよいが、もし彼が「第二のハイドリッヒ・ラング」と成り果てるならば、害が顕在化する前に排除しなければならないであろう。

 

 そのような事を考えつつ壇上から下りたケスラーは、壇の袖に控えている近侍たちの中に、顔見知りの少女の姿がある事に気付いた。

 

 マリーカ・フォン・フォイエルバッハというのが彼女の名であり、摂政皇太后ヒルダの近侍にして大事な友人たる存在であった。

 

 ケスラーはこののち、亡き主君と自分自身に誓約した通り、長い年月において王朝の深き闇の部分に向き合っていく事となる。それは剛毅な彼をして、精神と神経を著しく消耗させる過酷な道程であった。そしてそのケスラーの心身を癒し、かつ救う存在となるのが、今より二年後にケスラー元帥夫人となるマリーカの笑顔と思慮なのであった。

 

 そのような未来図は、明敏な憲兵総監であってもさすがに現時点では予想し得なかった。だが、視線が合った黒い髪と瞳の少女の表裏なき微笑を見て、厳しい表情をしていたケスラーもわずかに口元をほころばせたのであった。

 

 

 軍務尚書 ウォルフガング・ミッターマイヤー首席元帥

 

 軍務省首席次官兼憲兵総監 ウルリッヒ・ケスラー元帥 

 

 統帥本部総長 エルネスト・メックリンガー元帥

 

 宇宙艦隊司令長官 ナイトハルト・ミュラー元帥

 

 宇宙艦隊首席副司令長官 フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルト元帥

 

 ヴァルハラ星系圏総軍司令官 エルンスト・フォン・アイゼナッハ元帥

 

 新領土総軍司令官 アウグスト・ザムエル・ワーレン元帥

 

 

 以上のように、皇帝ラインハルト亡き後のローエングラム王朝軍最高幹部たる『獅子の泉の七元帥』の処遇は決定されたのである。

 

 

 

 迎賓館における式典は、つつがなく終了した。

 

 この後は、フェザーン中心街区においてパレードが開催される予定となっている。といってもそれほど大規模なものではなく、新帝や皇太后といった要人たちが地上車(ランド・カー)に乗って二時間ほど行進しながら、市民や将兵たちにお披露目を行なうのである。

 

 当初、テロなどの危険を考慮した一部の関係者はパレードを式典のスケジュールから外すべきではと主張したが、摂政皇太后たるヒルダはテロリズムや陰謀の存在を軽んじるつもりはないが、上に立つ者が危険を恐れ過ぎていては民や兵たちの信頼は得られないとして、パレードの実施を命じたのであった。かくして、摂政皇太后の意を受けて関係者はパレードのコースの選定や警備計画の立案などに奔走する事となる。

 

 

 その警備関係者の一人に、先日まで旧帝都オーディンの防衛司令官の任にあり、ケスラーから帝都防衛司令官の地位を引き継いだばかりのツェーレンドルフ大将という初老の士官も名を連ねていた。彼は前王朝時代から「堅物」として知られ、憲兵隊や陸戦隊などで経験を重ねた古強者でもある。ローエングラム独裁体制成立後は同世代の僚友であったモルト中将と共に憲兵総監謙帝都防衛司令官となったケスラーの部下に組み入れられ、組織内の改革や綱紀粛正に進んで協力したものであった。老練で手堅い人望を有していたツェーレンドルフやモルトの支持や補佐がなければ、ケスラーの組織改革は頓挫とまではいかなくとも大幅な遅延を余儀なくされていたであろう。

 

 モルトは三年前の旧帝国暦四八九年七月に発生した皇帝エルウィン・ヨーゼフ二世拉致事件当時における宮中の警備責任者であったため、その責を負って自決する事となる。長年の友人であったツェーレンドルフは誰よりもその死を惜しんだものであった。

 

「あいつが生きておれば、わしなんぞが帝都防衛司令官の後任となる事もなかったろうに」

 

 そう言って僚友を改めて悼みながらも、彼は現在の帝都防衛司令官として関係各所と連絡を密にしつつ、諸式典の警備の万全を期すべく努めたのである。

 

 

 そうして手配されたケスラーやツェーレンドルフらによる大規模な警備計画を、ヒルダは不意に亡夫の気性を思い起こしてつい苦笑しそうになったが、それを自制しつつ認可したのであった。

 

 

 かつて生前のラインハルトは、周囲の者たちが必要最低限と判断した護衛すら過剰であるとして忌避し、側近たちを悩ませたものであった。

 

 ラインハルトには前王朝時代、一五歳で少尉に任官してすぐに前線へと身を投じたが、それと同時に名義上のみ近衛師団に在籍していた時期がある。これは大貴族の子弟出身者に、箔付けのために与えられる名誉職としての意味合いのものでしかなく、ゴールデンバウム王朝末期の近衛兵はすでに形骸化した存在に堕していた。豪奢な金髪の少年は実際にその目で確認した「皇帝陛下を守護したてまつる精鋭」であるはずの近衛兵の規律意識と練度の低さに呆れ、「見栄えだけの玩具(おもちゃ)の兵隊」という酷評を赤毛の盟友に漏らしたものである。

 

 事実として、リップシュタット戦役勃発時において近衛兵司令部や皇宮警察は為すところなくローエングラム陣営の『新無憂宮』(ノイエ・サンスーシー)制圧を許してしまい、ラインハルトの評価を裏付ける結果となった。そして、戦役終結後に帝国の独裁者となりおおせたラインハルトは冷笑混じりに近衛兵司令部および皇宮警察の解体を命じたのだが、のちにその処置についてラインハルトは後悔する事となる。

 

 と言うのも、その結果としてエルウィン・ヨーゼフ二世拉致に際し、近衛兵に代わって宮中の警備責任者たる立場にあったモルト中将を自決させざるを得なかったからである。こうなると判っていたならば、近衛兵司令部だけでも残しておき皇帝拉致の責を近衛兵どもに負わせた後で解体したものを、とラインハルトは悔やみ、ツェーレンドルフにも劣らずモルトの死を悼んだのであった……。

 

 

 ともあれ、このような近衛兵へ抱いていた悪印象も、ラインハルトが身辺に最小限の親衛隊員しか置かなかった理由の一因とも言われている。だが、皇妃を迎え、姉たる大公妃が旧帝都オーディンより訪れ、皇子が誕生するに至り、側近たちは皇族周辺の警備力の強化を強く進言した。自分一人ならばともかく、家族までも自分の矜持のために無用な危険にさらすわけにはいかず、ラインハルトもそれを容れざるを得なかったのであった。

 

 かくして、皇帝の親衛隊は大幅な人員増強がなされる事が決定されたのだが、それが実現する前にラインハルトは世を去る事となる。そして、少将に昇進した親衛隊長ギュンター・キスリングに統率された隊員たちはパレードに際し、皇帝一家と随行する重臣たちが搭乗した地上車の列を、徒歩にて前後と左右から警護する事となるのである。

 

 

 軍関連学校の生徒代表たちは迎賓館の前で整列と敬礼を行ないつつ、機動装甲車に先導された皇帝陛下の車列を見送った。

 

 なお、その車列の中にはユリアン・ミンツを始めとするイゼルローン共和政府の代表者たちの姿は存在しなかった。彼らは戴冠式には参列せず、返還するイゼルローン要塞にて帝国の使者を迎える準備を整えるため、いったんハイネセンに戻るべく祝辞のみを残して出立していたのである。そのため、グスタフは皇帝の葬儀時のような表情を見せる事もなかったのであった。

 

 そして車列の全てが学生たちの前から去った後、夕刻のパーティーまでに皇帝一行を迎えるべく所定の場所へ集合するのと、規律と節度を保った行動を心がけるように注意された上で、自由行動を教官たちに許可された学生たちは一時解散したのである。

 

 何とはなしに迎賓館の入口に二人して残り、しばらく無言のままたたずんでいたユリウスとグスタフであったが、沈黙を破ったのはグスタフであった。

 

「お前はパレードを見に行かないのか」

 

 ユリウスは端整な顔に苦笑を浮かべつつ答えた。

 

「あんな混雑の中に紛れ込む気分にはなれないな。新帝のお姿は充分この目に焼き付けたさ」

 

 グスタフは広い肩を軽くすくめつつ、親友に賛意を表した。

 

「同感だ」

 

 彼らの視線の先に存在したのは、パレードのコースを警備する兵士たちの壁と、それらに遮られつつも車道の両側にて歓声を上げる、見わたすかぎりの大群衆の海であった。その中に生じていた空白地帯である車道を、皇帝の行列は緩やかな速度で堂々と進んでいる。

 

皇帝万歳(ジーク・カイザー)!」

 

皇帝アレクサンデル万歳(ジーク・カイザー・アレクサンデル)!!」

 

帝国万歳(ジーク・ライヒ)!!!」

 

 先ほどまで戴冠式の式場に鳴り響いていたのと同じ歓声が、将兵や市民たちから湧き起こっている。そして、それらに混じって異なる内容の歓声も、負けじ劣らじとばかりに生じつつあった。

 

我がアレク(マイン・アレク)!」

 

我らがアレク(ウンザー・アレク)!!」

 

 先帝ラインハルトの、健在であった頃の比類なき雄姿は人々を畏怖させたものだが、生後三ヶ月の乳児である新帝のあどけない姿は、父親とは別の意味で彼らを魅了したようであった。

 

 時間が来るまで迎賓館の中でも見学させてもらうか、とグスタフが提案しようとする前に、ユリウスが問いを発した。

 

「そういえば、元帥杖授与式の時に少し暗い顔をしていたが、何か思うところでもあったのか?」

 

 軍最高幹部たちが元帥杖を受け取る姿を見つめていた親友の表情に、憧憬や得心といった心理だけではなく翳りのようなものも、明敏なユリウスは見い出していたのである。

 

 親友のその問いにグスタフは目をまたたかせた。ほどなく後ろを振り返り、迎賓館の玄関上に掲げられている『黄金獅子旗』(ゴールデンルーヴェ)を仰ぎ見つつグスタフは言った。

 

「……大した事じゃない。もし父さんが生きてこの場にいたならば、元帥杖を手にしていただろうか、と思っただけさ。考えても詮ない事だがな」

 

  

 奇しくも、というべきか、八月一九日の今日はカール・グスタフ・ケンプの誕生日でもある。健在であれば三九歳、現在の軍最高幹部の最年長者であるケスラー元帥と同年であった。

 

 ローエングラム王朝成立時において、ケンプの旧部下たちの一部からケンプに元帥号を追贈してほしいという嘆願が出された事がある。だが、これは実現しなかった。

 

「多くの兵を無為に死なせたにもかかわらず、上級大将に特進させていただけただけでも身に余る厚遇です。これ以上のご好意に甘えるのは、あの人も望まないでしょう」

 

 とケンプ夫人は語り、戴冠したラインハルトも、結果として死せるケンプに元帥杖を贈る事はなかったのである。だが、その代わりとして、かつての撃墜王(エース)である彼の名を冠した戦闘艇搭乗員の育成基金の設立が決定されたのであった。

 

 

 ユリウスは友人のその言葉に対し、すぐには返答しえなかった。敗戦時の副将であったミュラーの現在の地位を思えば、主将のケンプも生き延びてさえいれば敗軍の将の汚名を返上する機会を得て、新王朝の元帥たりえていたかもしれない。確かに考えても詮ない事ではあるが、そういった思いを禁じえない親友の心情をユリウスは察したのである。

 

 だが、ほどなく不敵な印象を感じさせる表情を作り、白金色の頭髪の少年は友人に語りかける。

 

「だったら、おまえが元帥杖の所有者となればいいじゃないか。そうすれば『ケンプ元帥』の名は文句なく歴史に刻み込まれる」

 

 その大胆な発言に、グスタフは思わず目を見開きつつ友人に顔を向け、やがて苦笑した。

 

「……簡単に言ってくれるな。今は『元帥量産帝』の時代じゃないんだぞ」

 

 

 ゴールデンバウム王朝第二四代皇帝コルネリアス一世は、歴代皇帝の中では統治者としての手腕と意欲において屈指と言える存在であっただろう。だが、同盟領への大親征に途中まで成功を収めながら、留守中の宮廷内でのクーデター勃発を許した詰めの甘さと、後世『元帥量産帝』などと揶揄されるほどに元帥号を濫発したという二点は、彼の名君としての経歴における瑕瑾(かきん)と言うべきものであった。

 

 親征の中で三十五人もの『元帥』を失いながらも帝国本土に帰還しクーデターを鎮定した後は、さすがに自戒したのか、コルネリアスは新たに元帥を任命する事はなかった。そして彼の崩御後に即位した第二五代マンフレート一世は、先帝に元帥号を与えられた者たち全てが世を去った時期を見計らい、元帥への終身年金の大幅な増額や大逆罪以外での不逮捕特権などを制定したのである。これは先帝の遺言によるものであった。コルネリアスは後世において、かつての自分のように元帥号をみだりに授与する皇帝が現れないように制約を設けるという手を打っていたのである……。

 

 

「弟が父親の遺志を継いでパイロットを目指すのだとしたら、兄として負けてはいられないだろう? 父親が果たせなかった夢を、お前も引き継いだらどうだ。まあ、あえて目指さないというのなら、俺が先に元帥になってしまうかもしれないな」

 

 口で言うのは簡単だが、これからの戦乱が終結した時代、大きな武勲を()てる機会も著しく少なくなるのは明らかであり、元帥への道は困難極まりないであろう事は無論ユリウスも理解している。ローエングラム王朝は成立してから三年にも満たぬ現在、生者と死者を含めて一〇名以上の元帥を輩出しているが、これは激動の時代ゆえの事であり、元帥号を得たのはいずれも戦乱の中で著しい実績を示したと、万人が認める将帥であった。コルネリアス一世が濫発したものとは、元帥杖の重みが比較にならないのである。

 

 それを承知しながらもあえてユリウスが大風呂敷を広げたのは、尊敬していた父親、その父を斃した仇敵、そして畏敬すべき主君を全て失ったグスタフが、新しい主君に父親の分も仕えるという以外の目的を持てれば、と親友を奮起させるためでもあった。無論の事、立身出世にいたずらに固執して道を誤るような愚は避けねばならない。グスタフの父にしても、彼の敗死は功を焦った事が一因であるのは疑いないのだから。

 

 自分を発奮させようとしているユリウスの意図を、ほどなくグスタフは理解した。内心で感謝し、同時に「こいつなら、確かに早々と元帥杖を手にしてしまうかもしれない」と焦りに似た奇妙な思いを抱えつつ、挑発的な笑みを友人に返す。

 

「誰が目指さないと言った? 元帥杖を棒っきれみたいに言ってのけたお前に呆れただけだ。言われなくたって、いつか必ず元帥杖を俺の所有物(もの)にしてみせるさ。お前よりも先にな」

 

 そうして二人の少年は顔を見合わせて最初は皮肉っぽく、やがては朗らかに笑い合ったのであった。













 
 ラインハルトが近衛師団に所属していたという設定は、黎明篇序章の記述を基にしています。


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第十一節

 戴冠式とそれに伴う諸式典は大過なく、盛況のうちに終了した。かくして、初代皇帝ラインハルトの死後、ローエングラム王朝は新たな一歩を踏み出したのである。

 

 

 それから約一月後の新帝国暦〇〇三年、宇宙暦八〇一年九月下旬。

 

 新任の宇宙艦隊司令長官ナイトハルト・ミュラー元帥は、一万隻を超える艦隊とともに従来の帝国領方面からイゼルローン回廊へと入り、回廊の中央部に存在するイゼルローン要塞に向かいつつあった。

 

 イゼルローン共和政府からローエングラム朝銀河帝国へと返還されるイゼルローン要塞にて、引渡しに先んじて正式な和約の調印式が行なわれる事となった。その全権大使として、イゼルローン共和政府の重鎮たちともっとも交流の深いミュラーが派遣されたのである。

 

 ミュラーは昨年六月の、畏敬すべき敵将ヤン・ウェンリー元帥の死に際し弔問の使者として訪れて以来のイゼルローン再訪である。そして三年前の旧帝国暦四八九年、宇宙暦七八八年四月にはイゼルローン要塞を攻略すべくカール・グスタフ・ケンプの副将としてヤンとの間に干戈を交え、主将以下一八〇万もの将兵を失うという大敗も経験している彼は旗艦パーツィバルの艦橋にて、その心中に一言では言い表せない感慨が去来しているのを自覚していた。

 

 そしてその正使たるミュラーに、昇進を果たして間もない二名の上級大将が副使として随行している。

 

 

 ホルスト・ジンツァーとマチアス・ライムント・ドロイゼンというのが、その二人の名であった。

 

 

 ジンツァーとドロイゼンは共に前任の宇宙艦隊司令長官であるウォルフガング・ミッターマイヤー麾下の勇将として知られた人物であったが、ミッターマイヤーの軍務尚書就任に伴って、彼が去った後の宇宙艦隊司令部も再編され、大規模な人事の異動が行なわれた。

 

 その人事の一環として、返還後のイゼルローン方面軍司令官に任命されたのが、副使の一人であるジンツァーであったのである。

 

 

 ホルスト・ジンツァーは、かつては故ジークフリード・キルヒアイスの部下であり、キルヒアイスの艦隊司令官就任に際しては高級副官に選ばれた人物であった。

 

 旧帝国暦四八七年のアムリッツァ星域会戦の際、別働隊を率いて同盟軍の後背を突くという大役にいささか空気が張り詰め気味だったキルヒアイスの司令部内において、当時大佐であったジンツァーは「早くしないと、やっつける敵がいなくなってしまうかもしれませんな」などと、ことさらに大声で発言して司令官や同僚たちを苦笑させ、彼らの緊張を(ほぐ)してみせたものであった。

 

 だが、会戦終結後の論功行賞では人事上の都合により、ジンツァーは昇進を見送られる事となる。彼はそれに対し不満を示す事なく、翌年のリップシュタット戦役においても辺境平定の途上で遭遇した地球教の巡礼団への物資供出の手配を手際よく済ませたり、キフォイザー会戦を始めとする諸戦闘においても精確な状況分析や報告をもって勝利に貢献するなど、有能な副官として陰ながらに上官を支え続けた。キルヒアイスもそういったジンツァーの働きを見落とす事なく評価し、キフォイザー会戦後にはラインハルトの認可を得た上で准将に昇進させ、その功に報いたのである。

 

 戦役終結直後のキルヒアイスの遭難に際しては、自身の動揺や悲嘆を抑えつつ同僚たちとともに麾下の兵士たちを叱咤して混乱を最小限に留めてみせた。その功績も含めてラインハルトの独裁体制確立後には少将への昇進を果たしたものの、尊敬する上官を失ったジンツァーはそれを喜ぶ心境には到底なれなかったのであった。

 

 ほどなくジンツァーはミッターマイヤー麾下への転属を命じられ、本人の志望もあって分艦隊司令官に抜擢される。彼は訓練やいくつかの実戦を経て用兵家としても非凡な手腕を示したが、攻勢よりも守勢に優れているとミッターマイヤーには評価され、それゆえに遠征時には常に最後衛を任される事となるのである。

 

 そのためバイエルライン、ドロイゼン、ビューローといった、先鋒や両翼を担当していた同僚の分艦隊司令官に比して華々しい活躍の場にはあまり恵まれなかったが、彼らやミッターマイヤーが戦場で後顧の憂いなく前面の敵に相対する事ができたのは、ジンツァーが後背を堅実に守っていたからこそであったのである。

 

 顕著な例としては、旧帝国暦四九〇年の第一次ランテマリオ会戦が挙げられるだろう。勝利がほぼ確定した会戦の最終局面において、イゼルローン要塞を放棄して急行してきたヤン艦隊に後背を突かれて一時混乱した帝国軍の中で、いち早く混乱を収拾したのはミッターマイヤー艦隊であった。それはミッターマイヤーの抜きん出た指揮統率もさる事ながら、最後衛にあったジンツァー艦隊がすかさず堅固な防御陣を展開して迎撃態勢を整え、味方を落ち着かせたという点も大きかったのである。これによって時間的余裕を得たミッターマイヤーは、他の同僚たちに先んじて総司令官たるラインハルトに戦況報告を行なう事ができたのであった。

 

 それゆえにその功績をミッターマイヤーも適正に評価し、ジンツァーを他の三名の分艦隊司令官と同列の存在として扱った。そして今回の人事において彼はその守勢における手腕を評価され、イゼルローンという要衝の警備責任者に任じられたのである。

 

 そのジンツァーは四年半ほど前の旧帝国暦四八八年、宇宙暦七九七年の二月、捕虜交換式の際に上級大将であったキルヒアイスの随員の一人として、当時は同盟の掌中にあったイゼルローンの人工の大地に足を踏み入れた事がある。それが今や、ジンツァー自身が上級大将という高位に昇り、新任の方面軍司令官として再びイゼルローン要塞へと向かっている。わずか数年間における状況の激変や、その間に得られたものや失われたものを思い起こし、ジンツァーも常になく感傷的にならずにはいられなかったのであった。

 

 

 一方、もう一人の副使たるマチアス・ライムント・ドロイゼンだが、彼はジンツァーとは異なり、カール・エドワルド・バイエルラインと共にリップシュタット戦役以前からのミッターマイヤーの部下であった。彼もまたミッターマイヤー麾下で最も果敢と言われたバイエルラインにも引けを取らない勇将であったが、目先の戦術的勝利に固執せず退き際を適切に見きわめる視野の広さも持ち合わせており、その将器はミッターマイヤーも高く評価するところである。

 

 そしてそのドロイゼンも、先の人事においてジンツァーに劣らぬ大役を拝命していたのであった。

 

「アレクサンデルシャンツェ要塞」建設の現場責任者という地位である。

 

 

 イゼルローン回廊の帝国本土側入口にほど近い宙域に建設が決定されたこの要塞は、ミッターマイヤーにより建設計画が上申され、それを是とした生前の皇帝ラインハルトにより認可されたのである。

 

 この新要塞の建設計画は帝国本土における軍事力や防衛力を強化する目的と同時に、周辺星域の住民の人心を慰撫するという政治的な意図も含まれていた。

 

 五年前の旧帝国暦四八七年、宇宙暦七九六年における自由惑星同盟軍の帝国領侵攻は、イゼルローン回廊周辺の辺境星区に住まう帝国領民にとっては思い返したくもない悪夢のような過去である。帝国軍の一種の焦土作戦により、食料や物資の不足に悩まされた同盟軍と占領地の民衆は衝突を余儀なくされ、双方ともに多大な犠牲を生む結果となった。同盟軍に対する、辺境の民衆の憎悪と恐怖はこの時点で醸成されたのである。

 

 ほどなく同盟軍はアムリッツァ星域で壊滅的な打撃を蒙って本国へと全面撤退したものの、イゼルローン要塞はしばらくの間は同盟軍の手中にあり、旧帝国暦四九〇年初頭に要塞が帝国に奪還されるまで、民衆たちは同盟軍再襲来の可能性におびえながら過ごす事となるのである。

 

 それから二年後の宇宙暦八〇〇年、新帝国暦〇〇二年のヤン・ウェンリーによるイゼルローン要塞再奪取の報が知れわたるや否や、自称「解放軍」が自分たちのもとに再び襲来するのではないかと、イゼルローン回廊周辺の辺境星域の住民たちはたちまち恐慌状態に陥った。

 

 実際には帝国領に深く侵攻できるだけの余力は当時のヤン艦隊にはなく、ヤン自身も民衆への暴行や略奪行為を是認するような人物ではなかったのだが、そのような事情を辺境の住民たちが正確に知るすべなど持っているはずもない。辺境を統治及び警備する現地の行政官や軍人たちは、行政府や軍事施設の前に陳情や懇願のために殺到した群衆を慰撫するのに奔走させられる破目になり、大規模な民衆暴動に発展しかねない事態を沈静化するのに並々ならぬ苦労を強いられたのであった……。

 

 かくして、難攻不落の代名詞であったイゼルローン要塞は、いまや帝国の民衆たちにとって絶対の防壁とはいえない存在となり果てていた。二度にわたるイゼルローンの失陥は「魔術師」ヤン・ウェンリーの機略あってのものであり、「あれを模倣しうる者が他にいるとも思えんな」と帝国軍最高幹部たちは語り合ったものだが、民衆たちの不安や不信を放置しておくわけにもいかなかった。ミッターマイヤーが回廊の帝国本土出入口を扼す新要塞の建設計画を立案し、ラインハルトや軍務尚書オーベルシュタイン元帥がそれを認可した背景には、こういった事情を勘案したという一面もあったのである。

 

 

 その新要塞の名称たる「アレクサンデルの砦」(アレクサンデルシャンツェ)は無論、この年に誕生し即位した乳児の名にちなんだものである。

 

 その乳児の名の由来となった人物たる同盟軍のビュコック元帥の「アレクサンドル」という名は「守護者」という意を語源に持っている。そして同盟最後の宿将は、奇しくもその名の通りに「民主主義と市民の守護者」として戦い、戦場に斃れたのであった。

 

 新要塞の名にもまた「新帝の名の下に民衆を守護する」という意味も込められており、帝都から遠く離れた辺境であっても新王朝は軽んじたりはしないという意思表示でもあった。そして数年後に完成したこの新要塞は、兵士たちからはその名の由来となった人物と同様に「我らがアレク(ウンザー・アレク)」の愛称で親しまれる事となるのである。

 

 

 今回その「我らがアレク」の建設の現場責任者に任じられたドロイゼンを特に推薦したのが、直接の上官であったミッターマイヤーであった。ミッターマイヤーは宇宙艦隊司令長官であった時期にこの要塞の建設を思い立った際、自身がその総責任者になる事も考えていた。が、軍務尚書という軍政の最高責任者に就いた以上はおいそれと新帝都から離れるわけにもいかなくなったし、後進の者たちに功績や経験を積む機会を与えるべきでもあったのである。いわば「疾風ウォルフ」(ウォルフ・デア・シュトルム)が、自らの代理として選んだのがドロイゼンなのであった。そのような重責を委ねたという一事のみを見ても、「帝国軍の至宝」がドロイゼンに抱いている信頼の厚さが窺い知れるというものであろう。

 

 そして、その要塞建設の次席の責任者の一人として、ドロイゼンの下に今回新たに配属されたのが、アイナー・ヴァーゲンザイル大将であった。

 

 ヴァーゲンザイルは今年の新帝国暦〇〇三年、宇宙暦八〇一年二月におけるイゼルローン共和政府軍との戦闘で敗退した上、援軍であるワーレン艦隊に敵の伏兵の情報を伝達し損ねるという失態を演じている。それに加えて戦闘に先立ち敵をいたずらに軽侮する言動を行っていた事も問題視された。それらだけが理由というわけでもないであろうが、結果として先の人事では彼は昇進を果たせなかった。そして、少し前まで同格であったドロイゼンの下につく事となったのである。これはヴァーゲンザイルが先日までのイゼルローン回廊の帝国本土側出入口の警備責任者であり、その周辺の星域についてある程度熟知していたのも理由の一つであった。

 

 ヴァーゲンザイルはこの人事に不満を隠せなかったが、その態度に対しても軍最高幹部たちから厳しい叱責と説諭を浴びせられる事となる。散々に油を絞られた彼は、改めてドロイゼンの下で忍耐と視野を培い、驕慢を自戒する事を命じられたのであった……。 

 

 

 一方、ジンツァーの補佐として新たにイゼルローン方面軍副司令官という地位を拝命したのは、かつてラインハルト直属の分艦隊司令官の一人であったアルノルト・グリューネマン大将であった。

 

 グリューネマンは一昨年のバーミリオン会戦時において重傷を負い、ローエングラム王朝成立時には大将に昇進したものの、長期にわたって療養生活に入っていたために彼もまた先の人事では昇進を見送られた。そして先日まで同階級であったジンツァーの指揮下に入る事となったのだが、彼は不満の色を少なくとも表には出す事なく、謹んで副司令官の辞令を受けたのであった。

 

 なお、グリューネマンは昨年、軍最高幹部の一角たるコルネリアス・ルッツ提督が不慮の死を遂げた後にその艦隊の指揮権を引き継いでいた。そしてジンツァーの指揮下に入るに際し、麾下の艦隊もジンツァーの艦隊と統合され、新たなイゼルローン駐留艦隊として再編されたのである。ルッツはかつてのイゼルローン要塞および駐留艦隊司令官であり、旧ルッツ艦隊は一年と八か月ぶりに「奇蹟の(ミラクル)ヤン」によって不本意な退去を強いられた要塞へと帰還する事となったのであった。 

 

 

 そして九月二六日、帝国艦隊は回廊の中心部に到達し、イゼルローン要塞との幾度かの通信を交わした後、全軍停止をミュラーは命じた。

 

「衛星群の設置は予定通りに完了しました。現時点でのフェザーンとの通信状態も問題ありません」

 

 副官ドレウェンツ大佐のその報告にミュラーはうなずき、新帝都との間に回線を繋ぐように命じたのであった。

 

 

 その頃、新帝都フェザーンにおいて、幼年学校の生徒たちは帝都中心部に程近い「金獅子」(ゴールデン・ライオン)ホテルに移動し、会場に設置されている大画面のスクリーンの前にて着席していた。これから行なわれるイゼルローン共和政府との、講和の調印式を見届けるためである。

 

 遷都にともないオーディンからフェザーンに移転した軍関連学校の本校は、現在の時点ではフェザーンにおいて接収した建物を仮の学校施設として利用している。正式な施設は現時点において急ピッチで建設が進められているが、それらが完成するのは今しばらく先の予定であり、全生徒が視聴できるだけの大型スクリーンが現在の校内には存在しなかったのである。

 

 

 このホテルはかつては「ヴルタヴァ」と言う名であり、その設備や内装などは上等ではあっても最高級とまでは言えず、大都市の中枢部ではありふれた部類の建物といってもよい存在に過ぎなかった。

 

 だが、旧帝国暦四八九年の帝国軍によるフェザーン占領の際、宇宙港や都心へのアクセスが便利であるという立地条件ゆえに接収されてフェザーンにおける帝国軍総司令部とされ、のちに皇帝となったラインハルトがフェザーンへの遷都直後に帝国大本営を置いた事で、この個性に乏しい一ホテルは歴史に名を残す事となるのである。

 

 新帝国暦〇〇二年九月一日にラインハルトは大本営を旧フェザーン自治領府の迎賓館に移転し、「ヴルタヴァ」は元の所有者(オーナー)に返還される事となった。

 

 その際、その所有者にしてフェザーン有数の実業家たるオヒギンス氏は恐縮の体を装いつつ、新王朝の軍旗たる「黄金獅子旗」(ゴールデンルーヴェ)にあやかった、ホテルの改名をお許し頂きたいと願い出たのである。なお、このオヒギンス氏は商都フェザーンにおける伝説的な成功者バランタイン・カウフの盟友の孫にあたる人物でもあった。

 

 その厚かましい願いを、当時の首席秘書官ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフを通して聞いたラインハルトは、興味なさげに「好きにさせるといい」と短く答えて決裁中の書類の束に視線を戻したものである。かくして「ヴルタヴァ」は名を改める事に皇帝陛下の「お墨付き」を得たのであった。

 

 そしてホテルとして経営を再開した「金獅子」は以前とは比較にならぬ好評を博し、たちまちフェザーンにおいて抜群の知名度を誇る宿泊施設になりおおせた。特にラインハルトの執務室であった三階の西翼部と、居室であった一四階のスイートルームは予約の絶えぬ人気スポットとなり、他の高級ホテルの経営者たちを羨望させる事となるのである。

 

 このように、オヒギンス氏の商魂たくましい目論見は見事に的中し「まったく、フェザーン商人は転んでもただでは起きぬ」と帝国関係者を苦笑させ、「祖父の薫陶がよく行き届いている」と、旧フェザーン市民からは呆れ半分に賞賛され、彼は実業家としての名望を著しく高めたのであった。

 

 

 そのホテルの、広壮な会場に集合している幼年学校生の一員であったユリウスとグスタフは、時間が来るまで取り留めのない会話を交わしていた。そして現在自分たちが居るホテルについて話題が移り、その名の由来となった「黄金獅子旗」について、不意にグスタフが疑問をこぼした。──そういえば、俺の記憶が正しければ『黄金獅子旗』は先帝陛下が前王朝時代から用いられていたはずだが、やはりローエングラム家の家名か元帥号を得られた際に、下賜なり制定なりされたのだろうか?

 

 その疑問に、ユリウスは軽く首を横に振りつつ答えた。

 

「いや、俺が知っている限りでは、あの軍旗の意匠はローエングラム伯爵家に代々伝わっていたものらしい」

 

「そうなのか?」

 

「ああ、何でもルドルフ大帝からローエングラム家の初代に、ラウエングラム(・・・・・・)の家名と共に下賜されたものだそうだ」

 

 その言葉の後半を聴いて明らかに怪訝な表情をするグスタフに対し、ユリウスは苦笑する。

 

「ああ、言っておくが俺の言い間違えでも、お前の聞き間違えでもないぞ」

 

 そう言いつつ、白金色の髪の少年は資料で得た知識を友人に語り始めた。

 

 

 ローエングラム家の初代たるアルベルトは元々は銀河連邦の軍人の出身であり、同じく軍人であったルドルフ・フォン・ゴールデンバウムの部下にして、用兵の弟子の一人であった。

 

 二八歳で少将となったルドルフが軍を辞して政界に転出した際も、アルベルトは軍隊に残留し、軍内部におけるルドルフの有力な支持者であり続けた。そしてルドルフが銀河帝国を建国して至尊の冠を頭上に戴くに際し、アルベルトは家名を伴った伯爵号を与えられたのだった。 

 

 その下賜された家名こそがLAUENGRAM(ラウエングラム)であったのである。

 

 ラウエングラムという家名についてその由来は諸説あり、一小説に登場する架空の人名という説も存在するほどである。だが、LAUENは古い言葉で「獅子(ルーヴェ)」を指す意もあり、それにちなみルドルフは家名とともに深紅の地に黄金の獅子と縁取りをあしらった意匠の軍旗を下賜したのであった。

 

 西暦二八〇一年(宇宙暦〇〇一年)に成立した銀河連邦における第一公用語は、「英語」という言語を基としたものであった。

 

 そして宇宙暦三一〇年(旧帝国暦〇〇一年)、ゴールデンバウム朝銀河帝国が銀河連邦に取って代わった後、第一公用語は複数存在した第二公用語の一つであった「ドイツ語」という言語を基としたものに切り替えられる事となる。これは王朝の始祖たるルドルフ大帝が、自身の遠い祖先の出自である(と称していた)ゲルマン系の文化や風習の普及にこだわった結果であった。

 

 これに先立ち企図していた、自身の身長や体重を基準とした度量衡の刷新計画が経済上の理由から頓挫した事もあって、公用語の変更に懸けるルドルフの執念は尋常ではなかった。ゴールデンバウム王朝黎明期における財政責任者であったクレーフェは、度量衡の変更を阻止する事には成功したが、公用語の変更に関しては強く異を唱えなかったと伝えられる。一説には、温厚とは評しがたい主君の忍耐力や不満が限界点に達する事を懸念したクレーフェが、試算上では度量衡の変更に比して経済的な負担が遥かに少ない公用語の変更を容認せざるを得なかったのだ、とも言われている。

 

 同盟と帝国の公用語について「もともとそれほど差のある言葉でもない」と、少年時代のユリアン・ミンツが日記に書き残しているように、言語学的にも英語とドイツ語は同系統であり、もともと第二公用語の一角として連邦時代も比較的頻繁に用いられていたという背景もあってか、新しい第一公用語はさしたる混乱もなく徐々に帝国全土に定着していく事となった。その過程において、連邦時代の第一公用語は新しい第一公用語の文法や表記、そして発音などに強い影響を与えた。それによって帝国公用語が基となった言語から少なからず変化を遂げている事実は、後世の言語学者たちが口をそろえて指摘するところである。

 

 そういった事情から、連邦時代の影響が未だ色濃く残っていた王朝成立期においては、LAUENGRAMを連邦時代の第一公用語風に「ローエングラム」と発音する者が少なくなかったのだが、ルドルフはそちらの響きの方が気に入ったらしい。自身が愛好したオペラの演目の主人公にして伝説の英雄たる白鳥の騎士LOHENGRIN(ローエングリン)にも通じるとして、ほどなくルドルフはアルベルトに対し家名をLOHENGRAM(ローエングラム)に改めよ、と命じたのである。

 

 LOHENには「炎」や「燃える」という意味もあり、深紅を地とした『黄金獅子旗』にも相応しいとされた。一方、GRAMには「悲嘆」や「憤怒」という意味がある。これ自体は良い意味とは言えなかったが、神話において大神オーディンが地上にもたらし、英雄たちが手にした剣に与えられた名も「GRAM(グラム)」であったため、ルドルフは「王朝に危機が迫った時、『炎を纏いし神剣』をもって国賊を撃滅すべし」と初代ローエングラム伯に命じたと、伯爵家の家史は伝える。

 

 それ以来、ローエングラム伯爵家は王朝有数の武門の家柄として永く知られる事となった。その歴史の中でも特筆されるべきは、「止血帝」エーリッヒ二世の御世におけるコンラート・ハインツ・フォン・ローエングラム伯爵の功績であろう。

 

 王朝史上最悪の暴君たる「流血帝」アウグスト二世を打倒すべく挙兵した自身の下にいち早く参上したコンラート・ハインツに対し、エーリッヒはその手を取って感涙を浮かべつつ「ローエングラム家はまさしく帝国の神剣である」と讃えたという。ほどなくコンラート・ハインツはエーリッヒ麾下の三提督の一角としてアウグストの命脈を絶たしめるのに貢献し、エーリッヒの即位後にその腹心となりおおせたのであった。

 

 だが、のちにローエングラム伯爵家は時代を経てその血統が途絶え、伯爵家は断絶の憂き目を見る。やがて、その家門はフリードリヒ四世の時代にラインハルト・フォン・ミューゼルという若者が継ぐ事となり、ローエングラム家は「腐敗した王朝を断罪する神剣」へと変貌を遂げたのであった……。

 

 

「……とまあ、俺が本で読んだのはこんな所だ」

 

 ユリウスはそう締めくくって語り終え、ふと周りを見てみれば、グスタフのみならず近くの同級生たちもいつのまにか話に聞き入っていた。ユリウスは饒舌ではないが、必要と思えば雄弁を振るう事もできる少年であった。その要点を無駄なく押さえた内容に加え、見事な抑揚と滑舌を備えた声は、聞く者を引き込むものがあったのである。

 

「そんな由来があったとは知らなかった」

 

「まさに先帝陛下に相応しいご家名だ」

 

 口々に学友たちが表情を興奮と感動で輝かせつつ語り合う中で、ユリウスは少し舌を回し過ぎたかと内心で苦笑すると同時に、自分が語った逸話について「いささか劇的に過ぎる」と皮肉っぽく考えた。すべてが虚構ではないにせよ、旧王朝や伯爵家の権威付けのために創作ないし改竄された部分も少なからずあるのは疑いない。前王朝が滅び去った今、学芸省などによって膨大な量の未公開資料が分析されれば、歴史的事実も白日の下に姿を現す事となるのだろう。

 

 とはいえ、ローエングラムという家名が、まるでラインハルト・フォン・ミューゼルという存在がこの世に生を享ける前から、彼に与えられるために作られたかのような由来や逸話に彩られていたのも確かである。それに、ラインハルトの永遠の旗艦たる戦艦ブリュンヒルトも「白鳥」にたとえられる存在であり、ローエングラムという家名の由来の一つたる「白鳥の騎士」ローエングリンを連想させる。

 

 最愛の姉を奪われた「悲憤」を糧とした「獅子」のごとき「黄金」の髪の若者が、「白鳥」を駆ってゴールデンバウム王朝を「炎」の中に叩き込み、灰燼に帰せしめる……。「偶然」の一言で片付けるには、あまりにも出来過ぎているのではないか。

 

 そういえば、ラインハルトにローエングラム伯爵家の家名を継がせる事を決めたのは、時の皇帝にして、ラインハルトの姉アンネローゼを奪った張本人たるフリードリヒ四世であったとされる。そしてブリュンヒルトもまた、フリードリヒ四世の名の下にラインハルトの大将昇進に際して与えられたのものである。この二つは憎悪していた皇帝や旧王朝から与えられた文物の中で、ラインハルトが心から喜んだ稀有な存在でもあった。

 

 あるいはフリードリヒ四世は、ラインハルトの抱いている憎悪や野心を察した上で、その彼に相応しい由来を有する家名と旗艦を下賜したのであろうか。だが、とするとフリードリヒ四世は寵姫の弟が己や王朝を憎悪し、打倒せんとするのを承知していながら、彼を処断するどころか、あえて強大な地位と権力を与えていたという事になる。それでは老いた皇帝が、自ら破滅を望んでいたに等しい。まさか自分を、敵役としてローエングリンに斃される「フリードリヒ」・フォン・テルラムント伯爵に擬していたとでもいうのだろうか……。

 

 

 なお、後世の歴史家の中にはユリウスと似たような疑問を抱き、更に穿った見解を提唱する者も存在する。

 

「『LOH(ロー)』は古語で『森』を表す単語でもあった。一例としては『ISERLOHN(イゼルローン)』も同様で、これは『鉄の森』を意味する語である。つまり、『LOHENGRAM』とは『緑の森』(グリューネワルト)たる姉を奪われたラインハルトの悲憤を示しており、フリードリヒ四世は寵姫の弟が己に向ける憎悪の委細を承知していたのだ」と……。

 

 

 不意にユリウスの思考は中断を余儀なくされた。「静粛に!」という教師の声が響き渡り、歓談していた学友たちもすぐに口を閉ざす。そしてほどなく、彼らの前の巨大なスクリーンに銀色に輝く球形の建造物が映し出され、学生たちは一斉に起立した。

 

 

 イゼルローン要塞。

 

 

 強力なエネルギー中和磁場に加え、鏡面反射処理(ミラー・コーティング)を施された超硬度鋼と結晶繊維とスーパー・セラミックの四重複合装甲という最強の盾と、「雷神の鎚」(トゥール・ハンマー)と呼称される九億二四〇〇万メガワットの大出力を誇る要塞主砲群の一斉砲撃という最強の矛を兼ね備えた、直径六〇キロメートルの巨大な人工天体である。

 

 

 旧帝国暦四三六年、宇宙暦七四五年の第二次ティアマト会戦において凄絶なまでの大損害を蒙った帝国軍の首脳部は、回廊内における防衛と出撃のための一大拠点の必要性を痛感し、巨大要塞の建設計画を立案するに至った。

 

 だが、現実問題として、限られた軍事予算の枠内では喪失した戦力の再建を優先せざるを得なかった。一〇年ほどの歳月を費やしてその再建がひとまず成った後も、守銭奴として有名であった時の皇帝オトフリート五世は何やかやと理由を並べて、多額の国家予算を必要とする巨大要塞の構築になかなか手をつけようとはしなかったのである。重臣リューデリッツ伯らの度重なる説得を受けて皇帝がしぶしぶ要塞建設の勅令に署名したのは、第二次ティアマト会戦から二〇年近くの年月が経過した後のことであった。

 

 旧帝国暦四五八年に完成を見たこの要塞は三〇年近くの間、六度に及ぶ同盟軍の大攻勢を退け、「鉄の森」の名に恥じぬ難攻不落を誇った。だが、宇宙暦七九六年のヤン・ウェンリーによる無血占領が成功してのち、わずか四年ほどの間にイゼルローンはエルネスト・メックリンガー評するところの「球技(フライング・ボール)のボールのように」三度にわたって所有者を変える事となる。そして四度目の所有者の変更が、あと数時間ほど後に平和裏に開始されようとしていたが、それに先立ってある「儀式」が行なわれる事となっていたのである。

 

 

 ナイトハルト・ミュラーは右手を上げ、それを静かに振り下ろした。

 

 それに一拍遅れ、戦艦パーツィバルの艦首から金属製の球形のカプセルが射出された。それは要塞が公転する恒星アルテナの光を反射して、淡く煌きつつ艦から離れてゆく。

 

 やがてそのカプセルは二つにゆっくりと割れて、内容物が宇宙空間に解き放たれる。

 

 それは人の頭髪であった。一人のではない。太陽の欠片のような黄金色の髪と、炎や紅玉(ルビー)を連想させる鮮やかな赤毛が、それぞれ一房ずつ収められていたのであった。

 

 

「俺は地上で死ぬのは嫌だ。どうせ不老不死ではいられないのだから、せめて自分に相応しい場所で死にたい」

 

 と、生前のラインハルトは初陣の戦場にてキルヒアイスに語ったものである。

 

 ヒルダに対しても、彼女との婚姻の後に似たような事を漏らした事があるのだが、結果として、彼は地上にて二五年の生涯を静かに閉じる事となる。本人も末期においてその境遇を受け容れていたようであるが、せめてその遺髪の一房だけでも、夫が死に場所として望み、闊歩してきた宇宙に還したいとヒルダは願ったのであった。

 

 ラインハルトの葬礼が終わった後、宿所として提供された仮皇宮の一室にて義妹のそういった思いを聞いた大公妃アンネローゼは穏やかにうなずいた。そして彼女はにわかに椅子から立ち上がり、化粧台に歩み寄って抽斗から長方形の小さな箱を取り出す。そしてそれを持って戻り、ヒルダに手渡したのである。

 

 ヒルダは義姉とその木製の簡素な箱を交互に見つめたのち、アンネローゼに促されてその蓋を開ける。中には一房の赤い頭髪が収められており、ヒルダの目を瞠らせた。誰のものであるかなど、聞くまでもない。

 

 その遺髪は、キルヒアイスの死後、ラインハルトが自分の分とは別に姉に贈り届けたものであった。それを受け取ったアンネローゼは、今日まで丁重に保管していたのである。

 

「どうか、この遺髪も一緒に送ってあげてください。私は弟から、これを譲り受けましたから……」

 

 アンネローゼは胸元の銀色のペンダントを片手で静かに包みながら、ヒルダにそう語ったのだった。

 

 

 そして今回の和約の調印式に際し、ヒルダは二人の遺髪を、全権大使に任じたミュラーに託したのである。

 

 イゼルローン回廊はカール・グスタフ・ケンプ、アーダルベルト・フォン・ファーレンハイト、カール・ロベルト・シュタインメッツといったラインハルトの覇業を支えた勇将たち、そしてその彼らを戦没せしめた新王朝の最大にして最良の敵であったヤン・ウェンリーなど、有名無名の将兵が数知れず斃れた古戦場である。そして何よりも、ジークフリード・キルヒアイスの死場所となったガイエスブルク要塞が失われた場所であり、夫とその盟友の遺髪を弔うならば、この回廊こそがもっとも相応しいとヒルダは考えたのであった。

 

 二つの色の髪がほどなく(ほぐ)れて混ざり、回廊内を生ある存在のようにゆっくりと進んで行く様は、撮影されて全人類社会全土に流された。

 

 フェザーンの旧迎賓館の一室にて催された会議において、主催者たる摂政ヒルデガルドおよび参集した文武の重鎮たちも、会議場に設置されているスクリーンを通して宇宙空間を漂う遺髪に黙祷や敬礼を施した。そして、出席していない大公妃アンネローゼも、乳児たる甥を抱きながら別室においてその一部始終をスクリーン越しに見届けたのである。

 

 どこまでも高く、どこまでも遠くへと飛翔できる強い翼を持っていたあの二人にとって、あるいはイゼルローン回廊は狭すぎるかもしれない、とヒルダは思う。だが、キルヒアイスの最期の願いであった、宇宙を手に入れるという誓約を果たしたラインハルトは、誰も見た事のない夢を見果てて世を去った。前人未到の領域への旅路は、これからの時代を生きてゆく者たちに委ねるべきであろう。わが子アレクサンデル・ジークフリードや、その友フェリックス・ミッターマイヤーはまだ見ぬ宇宙へと思いを馳せるであろうか……。

 

 

 同じ頃、ユリウス・オスカー・フォン・ブリュールと、グスタフ・イザーク・ケンプという二人の少年は、学友たちと共にスクリーンに映る遺髪に敬礼を施しつつ思惟を巡らしていた。

 

 眼前の遺髪の所有者たる二人が初めて出会ったのは、軍人を志す前の一〇歳の時であったと仄聞している。

 

 また、「帝国軍の双璧」たるミッターマイヤー、ロイエンタールの両提督が友誼を結んだのは、軍人として赴任した、前線たるイゼルローン要塞においてであったという。

 

 自分たちが知己を得たのも一〇歳の時であり、出会った場所も軍人としての道を歩むべく入学した軍幼年学校においてであった。それからまだ一年を過ぎた程度の年月しか経てはいないのである。それを思えば、自分は傍らにいる親友とどのような人生を歩み、友誼を培うのであろうかと、ユリウスとグスタフは考えずにはいられなかった。だが、確かなのは、友の歩みは早く、そして力強いものであるという事である。それこそ、うかうかしていると置いていかれると思うほどに。己がどのような人生を歩むにせよ、互いに研鑽し合うのを怠るつもりは、彼らの心情には(ごう)も存在しなかったのであった。

 

 

 やがて、黄金と深紅の髪は永遠の夜の深遠へと、溶けるように人々の視界から去っていった。

 

 

 ……新帝国暦〇〇三年、宇宙暦八〇一年九月二六日。イゼルローン要塞において、のちに「イゼルローンの和約」とよばれる条約がローエングラム朝銀河帝国全権大使ナイトハルト・ミュラー元帥とイゼルローン共和政府代表フレデリカ・グリーンヒル・ヤンの名において正式に締結され、要塞は帝国に返還された。

 

 共和政府の一団はバーラト星系へと進発し、ハイネセン到着後の一〇月二〇日に帝国の「新領土」(ノイエ・ラント)民政府および駐留軍との間で星系の統治権の引継ぎを正式に完了した。そして「八月政府」は「ハイネセン臨時政府」となり、一年二か月の短命の歴史を終える。

 

 さらにその臨時政府のごく短い治世を経て「バーラト自治政府」が発足し、人類史に新たな一ページを加えるのに長い時間を必要とはしなかった。

 

 

 

 

 

                                第二章 完結




 









 LAUENGRAMという名は、イギリスの作家アンソニー・ホープ(1863‐1933)の著作であり、田中芳樹氏も愛読していた冒険小説「ゼンダ城の(とりこ)」に脇役として登場しています。

「ゼンダ城の虜」は何度か日本語に翻訳されており、1970年初版の創元推理文庫版(井上勇・訳)ではドイツ語(?)風に「ラウエングラム」となっていますが、それ以前の古い邦訳本(1925年出版の健文社版(宮田峯一・訳)など)には、英語圏からの翻訳のためか、英語風に「ローエングラム」と訳している本もあります。この二次小説における「ローエングラム」の家名の由来は、これを基にした創作です(なお、余談ながら「ゼンダ城の虜」の過去を題材とした「The Heart of Princess Osra」(日本語訳未刊行)には、「Hilda von Lauengram」という名の伯爵夫人が登場するそうです)。

 また「LAUEN」が「獅子」を示すという件については、ドイツのニーダーザクセン州ローテンブルク(ヴュンメ)郡の町村名である「ラウエンブリュック」の由来を参考にしています。


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第三章 残照は儚く、そして昏く
第十二節


 

 

 フェザーン。

 

 

 それは星系を構成する恒星の名であり、その星系にて人類が居住可能な環境を有する第二惑星の名でもあり、それらを中心部に内包している『回廊』の名でもある。

 

 フェザーン回廊はイゼルローン回廊と並び、現在の人類の生存圏を分断する危険宙域である『宇宙の墓場』(サルガッソ・スペース)を貫く希少極まりない要衝であり、その宙域に同じ名を冠した自治領が成立したのは旧帝国暦三七三年、宇宙暦六八二年の事であった。

 

 フェザーン自治領(ラント)はゴールデンバウム朝銀河帝国と自由惑星同盟という二大国の狭間にあって、軍事力ではなく地の利を生かした経済活動によって自らの価値を著しく高め、成立後わずか半世紀で人類社会における三大勢力の一角となりおおせた。

 

 だが、帝国の英雄ラインハルト・フォン・ローエングラムの侵攻によって自治領は一〇〇年強の歴史に終止符を打つ事となる。そして皇帝となったラインハルトの発した勅令により、新帝国暦〇〇二年、宇宙暦八〇〇年七月二九日に惑星フェザーンがローエングラム王朝の新たな帝国首都に定められたのであった。

 

 

 

 その遷都令発布から一年と五か月ほどが経過し、人類社会は新帝国暦〇〇四年、宇宙暦八〇二年を迎え、新帝都中央地区はすでに冬の気配に覆われていた。

 

 帝国の治安関係者は創業者たる皇帝の死を契機として暴動やテロが連鎖的に勃発する可能性を憂慮し、皇帝崩御直後から警戒態勢を全土に敷いていた。だが、現在の時点では大規模な騒乱は生じてはおらず、新しい政治、軍事、および経済の再構築などで慌しいながらも、人類社会はおおむね平穏な状況であった。

 

 昨年は皇帝(カイザー)ラインハルトの崩御の年であり、喪に服すためにも年末年始の諸行事を控えるべきでは、という意見も政権の中枢には存在した。が、摂政皇太后ヒルデガルドは「いたずらに長く喪に服す必要はない」というラインハルトの遺言を尊重したいと考え、重臣たちもほどなく皇太后の意思に従った。かくして、民心を慰撫するためにも諸行事は予定にいくばくか考慮を加えつつも、去年と同様に行われる事が決定されたのである。

 

 

 その内の一つに、一二月に行なわれる『降誕祭』(ヴァイナハテン)が存在した。

 

 同盟やフェザーンにおいては『クリスマス』と呼ばれ、元は古い宗教の開祖が誕生したとされる日を静粛に祝うものであったらしいが、現在の帝国においては子供たちにプレゼントを贈り、家族や親しい知人たちと穏やかに団欒を楽しむだけの行事となっている。

 

 一方、同盟ではクリスマスは一般的な行事ではなかったが、商都であったフェザーンにおいては商業主義の下に盛大に祝われていた。フェザーン市民はある者は賑やかにこの行事を楽しみ、ある者は稼ぎ時として商売に励んだものであった。

 

 だが、旧帝国暦四八九年、宇宙暦七九八年以降、旧フェザーン市民にとってクリスマスは苦い記憶を伴う単語として、彼らの辞書に記される事となる。

 

 その年の一二月二四日は、侵攻してきた帝国軍の先鋒たるミッターマイヤー艦隊が惑星フェザーン上空に現れた日であり、それはすなわちフェザーンの独立が失われた日ともなった事を意味していた。例年通り、聖夜(イヴ)のお祭り騒ぎに浮かれていたフェザーン市民たちは空から降ってきた予想外のクリスマスプレゼントに対し、一転して恐慌と呆然の二重奏に合わせたダンスを入り乱れて踊り狂う破目になったのであった。

 

 フェザーン最後の自治領主(ランデスヘル)アドリアン・ルビンスキーの腹心であり、帝国駐在の高等弁務官に就任したニコラス・ボルテックは、帝都オーディンにおいて自治領の権益を最大限に主張すべき立場にあった。だが、彼は紆余曲折を経て自治領主に叛き、フェザーンの自治権を帝国の事実上の支配者たるラインハルトに売り渡す決断を下す事となる。

 

 ボルテックは自治領主府に偽情報を送り続け、フェザーン側の目と耳を撹乱してラインハルトの侵攻計画を可能な限り隠蔽し、帝国軍のフェザーン占領を成功させるのにひとかたならぬ貢献を果たした。そしてフェザーン占領の翌月にボルテックは帝国軍の後続艦隊とともに故郷に帰還し、ラインハルトから『フェザーン代理総督』という地位を与えられたのである。

 

 帝国軍の進駐という、望みもしなかったプレゼントを押し付けてきた代理総督閣下を旧フェザーン市民たちは、皮肉と自嘲を込めて「我らが『聖ニコラス』(サンタクロース)は『トナカイの()(そり)』ならぬ『帝国軍の押す乳母車』に乗って、一月遅れでやって来た」と評したものであった。

 

 かくして『聖ニコラス』は、主人への背信という名の煙突を通り抜けて郷里に(すす)まみれの錦を飾ったが、その栄達は所有者ともども長寿を保ちえなかった。一年半ほど後にボルテックはルビンスキーと内国安全保障局長ラングの謀略により、剥ぎ取られた錦に代わって「爆弾テロの共犯」という濡れ衣を着せられ、獄中にて変死を遂げる事となるのである。彼が聖人の名にふさわしく天国に旅立てたか否か、生者に知るすべはなかった……。

 

 

 降誕祭や『大晦日』(ジルヴェスター)、そして新年の祝賀といった一連の行事が一段落し、惑星フェザーンに住まう人々はつかの間の休息を終えて活動を開始していた。

 

 無論の事、郊外の帝国軍幼年学校も例外ではない。教師や生徒たちも、先帝の喪の年にあって素直に祝えないながらも年末年始の休暇を家族などと過ごしたのちに、新しい学期を迎えたのである。

 

 

 その幼年学校の図書室の一隅において、二年生のグスタフ・イザーク・ケンプは設置されている情報端末の画面を見つつ、深く嘆息していた。

 

 新年の休暇が終わった後の最初の休日。グスタフは資料閲覧のために友人と連れ立って図書室を訪れ、先に用件を済ませた彼はとある人物の近況を端末を使って調べていたのである。

 

「どうした、グスタフ。ため息なんてらしくないな」

 

 そのグスタフの背中に、友人たるユリウス・オスカー・フォン・ブリュールが声を投げかけた。グスタフは少し首を動かし、横目でユリウスを見やりつつ軽く苦笑した。

 

「らしくないは余計だ」

 

 その言葉にユリウスも笑みを返し、横から画面を覗き込む。グスタフもそれを止めようとはしなかった。

 

 そこに映し出されていたのは、銀河帝国の軍服を着用している鋭角的な印象の青年の肖像と彼の経歴であり、ユリウスも知っている人物であった。

 

 

 イザーク・フェルナンド・フォン・トゥルナイゼン大将。今年で二六歳となる彼は、ラインハルト・フォン・ローエングラムとは前王朝における幼年学校時代の同級生であり、常に学年首席の座を占有していたラインハルトに次ぐ優等生グループの一員でもあった。

 

 進学した士官学校においてもトゥルナイゼンは秀才として名を馳せていたが、士官学校に進まず功績を()てて出世していくラインハルトの姿に刺激され、自らも学校を中退して前線に身を投じた。そして指揮官や作戦参謀として実績を重ね、二〇代前半という年齢で将官の椅子を得たのである。

 

 それは彼自身の才幹や武功もさる事ながら、上級貴族という出自も昇進を早めた一因であった事は否定しえない。もっとも、大貴族の一門でありながら偏見や身分に囚われずに『金髪の孺子(こぞう)』の力量を評価し、旧帝国暦四八八年の『リップシュタット戦役』で貴族連合軍ではなくローエングラム陣営に与した洞察と判断は非凡であったと言えるであろう。そして戦役終結後には、畏敬すべき主君と認めたラインハルト直属の分艦隊司令官の一人に抜擢され、階級も中将に昇り、当時の軍最高幹部たちに次ぐ地位を獲得したのである。

 

 だが、旧帝国暦四九〇年、宇宙暦七九九年のバーミリオン会戦の序盤において、トゥルナイゼンは小さからぬ失態を演じる事となった。

 

 総司令官たるラインハルトからの「それぞれの部署において対応せよ」という指令を受け、戦意と功名心を抑え切れなかったトゥルナイゼンは、第二陣でありながら第一陣との位置関係や連携を無視して突出しようと図り、前線に混乱を生じさせてしまったのである。無論の事、敵将たる『魔術師』ヤン・ウェンリー元帥がそのような好機を見逃すはずもなく、同盟軍の容赦なき攻勢によって帝国軍の前衛部隊はしたたかに叩きのめされた。

 

 総司令官からの怒気に満ちた指令を受けたトゥルナイゼンは、慌てて命令に従い艦隊を後退させた。だが、彼に陣形を乱され、半ば押し出される形となっていた帝国軍前衛部隊はヤンの構築した半包囲体勢の中に誘い込まれてしまった。その巧妙さは参戦していたラインハルトやメルカッツといった人類社会有数の名将たちをも瞠目せしめるほどであり、前衛部隊は苛烈な集中砲火の餌食となり果て、同盟軍の半包囲下から脱するまでに総司令官の想定を上回る損害を蒙る事となる。結果として、トゥルナイゼンは敵の攻勢の成功に貢献してしまったのであった。

 

 かくして主君からの評価を著しく下落させた彼は、会戦終了まで失態の悪印象を覆すだけの武勲を樹てる機会を、ついに得られなかった。そして会戦後に前線勤務から外され、現在に至っているのである。

 

 

 そういった一連の経緯を思い起こしていたユリウスには、友人の嘆息の理由に心当たりがあった。

 

「そういえば、確かこの人はケンプ提督の元部下だったな。もしかして、面識があるのか」

 

「……ああ」

 

 少し間を置いて、グスタフはうなずいた。

 

 

 トゥルナイゼンはリップシュタット戦役に際して、ローエングラム陣営の軍最高幹部の一角たるカール・グスタフ・ケンプの麾下に組み入れられた。

 

 大貴族の出自にもかかわらず、トゥルナイゼンは公明正大にして勇猛果敢な武人として平民出身のケンプに敬意を払い、その指示に忠実に従った。ケンプもトゥルナイゼンのその姿勢と才幹を高く評価し、用兵術や軍務の管理運営など、若い部下への指導を熱心に行なったものである。戦役がローエングラム陣営の勝利によって幕を閉じ、トゥルナイゼンがラインハルトの直属となった後もケンプとの交流は続いた。

 

 そしてユリウスの予想通り、トゥルナイゼンは他の同僚とともにケンプの官舎を幾度か訪問した事があり、ケンプの家族とも面識を得ていたのである。同じ「イザーク」という名を持ち、若くして栄達した青年将官に対しグスタフは憧憬と親近感を抱いた。トゥルナイゼンの方でも上官の息子たちを好ましく思い、親交を深めたのであった。

 

 だが、ほどなくケンプは旧帝国暦四八九年の第八次イゼルローン攻略戦においてヤン・ウェンリーに大敗を喫し、いまだ少壮であった生命を散らす事となる。

 

 トゥルナイゼンは敗者たる運命を免れた己の強運を「確信」する一方で、同時に元上官であったケンプの復讐を誓った。バーミリオン会戦序盤での彼の無謀な突出は功名心だけでなく、ヤンへの復讐心もその原動力となっていたのである。

 

 ケンプの軍部葬において、グスタフは参列したトゥルナイゼンと話をする機会があった。グスタフが父を(たお)した敵将ヤン・ウェンリーへの復讐について口にすると、トゥルナイゼンはわずかに粛然としていた表情を緩めてこう言ったものである。

 

「そうか。だが、あの魔術師に挑むのは私が先だな。私がヤンを斃してしまっても恨まないでくれよ」

 

 そして、彼は重傷の身でありながらも葬儀に参列していたナイトハルト・ミュラーの姿を遠くに見つけて、いささか温かみに欠ける表情を浮かべる。軍最高幹部の中では最年少であり、同僚に比して名声や実績に乏しかったミュラーは、更なる栄達を望むトゥルナイゼンにとっては至近の「追い越し」の目標といえる存在であった。そして今回のイゼルローン遠征軍の副司令官であり、総司令官であったケンプを救いえず敗軍の将として帰還したミュラーに対し、トゥルナイゼンは冷ややかな目を向けたのであった。

 

 だが、バーミリオン会戦においてトゥルナイゼンは主君からの不興を蒙った上、復讐を遂げる事はおろか大功を樹てる事も叶わなかった。しかも皮肉な事に、いささか過小に評価していたミュラーの来援により主君ともども彼は危地を救われ、停戦まで戦い抜いた砂色の髪の提督は『鉄壁』の異名と確固たる声望の双方を得たのであった。

 

 そして一年ほど後にヤン・ウェンリー暗殺の報が任地にて無聊をかこつトゥルナイゼンの下に届き、彼は再戦の機会を永久に失った事を知らされるのである……。

 

 

 なお、ローエングラム王朝成立時において、ラインハルトはトゥルナイゼンを大将に昇進させている。

 

 バーミリオン会戦の中盤以降、帝国軍はヤン・ウェンリーの巧妙極まりない包囲作戦によって殲滅の危機に立たされた。来援したミュラーの艦隊が三回にわたり旗艦を沈められ、同僚のアルトリンゲン、ブラウヒッチの両艦隊が壊乱、グリューネマンが負傷、カルナップが戦死という惨状の中、トゥルナイゼンは防戦一方に追い込まれながらも、結果として分艦隊司令官としてはただ一人、停戦まで陣頭に立ちつつ戦線を維持する事に成功した。本人の積極的な性格とは逆に、戦術家としては防衛戦の方に適性があったようである。トゥルナイゼンがヤンの神懸かりとすら思えた攻勢を多少なりとも減衰させ、最後までラインハルトを守る盾の一部となったのは事実であった。

 

 もう一つの昇進の理由としては、空戦隊長ホルスト・シューラー中佐の存在があった。

 

 シューラーはリップシュタット戦役まではケンプ艦隊に属しており、かつての撃墜王(エース)だったケンプの薫陶を受けていた人物であった。そして戦役終結後にトゥルナイゼンとともにラインハルトの直属となり、結果として第八次イゼルローン攻略戦での戦死を免れたのである。そして彼もまた、上官であり恩師であったケンプの復讐を誓ったのであった。

 

 シューラーは自身の経験とも照らし合わせつつ、過去の戦史を徹底して研究した。そしてかつてケンプが旧帝国暦四九七年、宇宙暦七九六年のアムリッツァの前哨戦で実施した艦と戦闘艇の連携作戦の強化と、それに加えて同盟軍の撃墜王オリビエ・ポプランが確立した三機一体の集団戦法の導入を上層部に具申したのである。

 

 第八次イゼルローン攻略戦において、敵空戦隊の三機一体戦術を目の当たりにした元撃墜王のケンプはその効果に注目し、自身の私見を加えた詳細な戦闘記録を遺していた。そして敗北した遠征軍の残存艦隊が持ち帰ったそれをシューラーはケンプの「遺言」と考え、重要な研究材料として最大限に活用したのである。

 

 復仇の志を共有するトゥルナイゼンはそのシューラーの具申に積極的に賛意を示し、ラインハルトもそれを容れた。かくしてラインハルト直属艦隊においてそれは試験的に導入され、シューラーの主導の下にその練度を高めていった。

 

 その結果、バーミリオン会戦の中盤以降において帝国軍のワルキューレ空戦隊は艦隊の混戦状態を尻目に、同盟軍のスパルタニアン空戦隊に対し優位を確保する事に成功したのである。

 

 ヤン艦隊が誇るポプラン戦隊は皮肉にも、専売特許であったはずの三機一体を取り込んだ帝国軍空戦隊に翻弄される破目になった。同盟軍空戦隊は三機一体によって数の優位を生み出す機会を得られないまま、敵の艦砲の射程内にいつの間にか追い込まれて撃墜される艇が続出し、それぞれ酒の名を冠したポプラン麾下の六個中隊はその半数が祝杯として敵に飲み干され、ポプランに並ぶ撃墜王であったイワン・コーネフ中佐も巡航艦の砲撃により斃れた。優勢のまま進んでいた艦隊戦の戦況とは裏腹に、同盟軍空戦隊は艦隊の防衛に専念する事を余儀なくされ、停戦に至るまでその劣勢を覆す事は叶わなかったのである。

 

 帝国軍空戦隊が敵に対し優位を最後まで確保していた事実は、艦隊戦で劣勢に追い込まれながらもラインハルトの艦隊が停戦に至るまで戦線を維持しえた要因の一つである事は明白であった。もし空戦まで不利ないし拮抗状態にあったならば、同盟政府からの停戦命令より迅く、ヤン艦隊の砲火は総旗艦ブリュンヒルトを直撃していたかもしれない。それゆえ、シューラーは無論の事、彼の意見を強く薦めたトゥルナイゼンの功績もラインハルトは評価したのである。

 

 アムリッツァの前哨戦においてヤン・ウェンリーの第一三艦隊と対峙したケンプ艦隊は劣勢に立たされながらも撃墜王サレ・アジズ・シェイクリ、ウォーレン・ヒューズの両名を屠り、バーミリオン会戦では彼の意志と戦術を受け継いだシューラーがオリビエ・ポプランの戦隊を半壊せしめ、イワン・コーネフを戦死に追い込んだ。ケンプ自身はヤンの手によって敗死したものの、空戦という分野において、彼は不敗を誇ったヤン艦隊に深い爪痕を刻みつけたのであった。

 

 バーミリオン会戦以前まで、ケンプを失った事に対するラインハルトの印象は「後味は決してよいものではなかった」という程度に留まっていたが、ケンプの衣鉢を継承した空戦隊の勇戦により救われた金髪の覇者は彼を再評価し、改めてその死を惜しんだ。それゆえに、新王朝成立後に若き初代皇帝は戦闘艇搭乗員の育成を目的とした「カール・グスタフ・ケンプ基金」を設立して、その功績に報いたのである。これはラインハルト自身が麾下の人物の名を冠した事例としては、「ジークフリード・キルヒアイス武勲章」に続いて二番目という栄誉であった。

 

 

 こういった事情からトゥルナイゼンは大将への昇進は果たせたものの、彼はバーミリオン会戦序盤での失態の原因となった視野の狭さや配慮の不足をラインハルトから厳しく叱責された。その上で、主君の意向によって後方に回される事となったのである。

 

 とはいえ、ラインハルトはかつて自らの狭量が盟友ジークフリード・キルヒアイスの死を招いた事を心から悔やんでおり、一度の失敗のみでトゥルナイゼンを見限るつもりはなかった。もともとトゥルナイゼンの才を評価していた若き覇王は、新しい職場において広範な視野と柔軟な識見を培い、同年の配下に才を容れるだけの器を持つ事を望んだ。彼の職務への精励振りによっては、再び直属に呼び戻す事もラインハルトは考慮していたのである。

 

 が、畏敬する主君の直属という地位と前線勤務の双方から外されて、トゥルナイゼンは落胆して精彩や積極性を著しく失った。おおむね順風満帆な軍歴を歩んできた彼にとってこれほどの蹉跌は初めての経験であり、ここにきて精神的な打たれ弱さを露呈してしまったわけである。

 

 大きな失敗こそしなかったものの、芯が抜けてしまったかのような態度を取り続けるトゥルナイゼンに対し皇帝は苦々しい失望を禁じえなかった。結局ラインハルトの崩御に至るまで、トゥルナイゼンは皇帝の寛恕を得る事は叶わなかったのである……。

 

 

 グスタフはまたもや似つかわしくなく嘆息した。ケンプがバーミリオン以降にラインハルトから再評価された事は、彼の遺族にとっても喜ばしかった。だが、一方でトゥルナイゼンが父の復讐を遂げんとした事によって判断を誤り、それにより敬愛する主君から遠ざけられたという事実は、グスタフの心を曇らせずにはいられなかったのである。

 

 その友人の姿を見てユリウスも眉をひそめ、同時に友人にこのような表情をさせているトゥルナイゼンに対して、いささかならず腹立たしい感情を抱いた。

 

 失敗を犯し、希望に沿わぬ任務に従事せざるを得ない自己の境遇に失意を覚えるのは仕方のない事だろう。だが、そこから立ち直り、前に進むだけの強さを発揮せずして何が軍人か、とユリウスは思うのである。かつてヤン・ウェンリーに未曾有の大敗を喫しながらも名誉回復を成し遂げたミュラーや、志望とは異なる任務に就いても最善を尽くして主君の期待に応えたケスラーなどの軍最高幹部たちの姿を、トゥルナイゼンも見習うべきであろうに。

 

 だが、グスタフが消沈しているのはトゥルナイゼンの近況だけが原因ではなかったのである。そのもう一つの理由について、グスタフは語り始めた。

 

「実は年末に帰省した時、トゥルナイゼン提督と話す機会があったんだ」

 

 

 現在においてもケンプ家とトゥルナイゼンの交流は途絶えてはいないが、以前に比べればその頻度は明らかに減少している。

 

 閑職に回されたとはいえ、ローエングラム王朝の帝国軍大将が暇をもてあます立場に甘んじる事など初代皇帝たるラインハルトが許すはずもない。トゥルナイゼンは新しい職場で意欲をあまり刺激されない任務に勤しまざるを得なかったし、高言を吐いておきながら復讐を果たせなかった身としてはケンプの遺族に対して負い目を感じてもいた。そういった諸々の事情から、ケンプ家から彼の足は遠のいていたのである。

 

 それでも、年に何回かは手紙のやり取りや、TV電話(ヴィジホン)での会話も行なわれていた。だが、トゥルナイゼンは目に見えてかつての鋭気を失っており、その姿を見るのはグスタフにとっても辛かった。何度となく激励の言葉を贈ったりもしたのだが、失意の青年士官はそれを聞いても力なく笑うだけであり、逆効果にしかなっていないとグスタフも悟らざるを得なかったのである。

 

 そして昨年末、実家のTV電話での通話において、皇帝の崩御や昇進を果たせなかった事でさらに落胆した様子のトゥルナイゼンに対し、グスタフはついに感情を爆発させたのである。

 

「いつまで肩を落としているつもりなんですか!」

 

 突然のグスタフの激しい声に、若い帝国軍大将は息を呑んだようであった。

 

「俺にとってあなたは先を行く人だ。あなたの丸まった背中なんかもう見たくない!! 俺が最後に見送った父さんの背中は堂々としていた。あなたは父さんから何を教えられたんですか!!!」

 

 両眼に薄く涙すら浮かべているグスタフのその剣幕にトゥルナイゼンは唖然としていたが、やがて目を伏せ、

 

「……すまない」

 

 と、一言だけつぶやいた。

 

 気まずい雰囲気のまま、トゥルナイゼンとの通話は終わった。傍らにいた弟のカール・フランツは呆然とした表情で兄を見つめ、母親はグスタフをたしなめはしたが、その表情と口調は柔らかいものであった……。

 

 

 その経緯を聞いたユリウスは、先ほどまでの腹立ちを忘れて軽く笑った。本来ならば声を上げて笑いたい所であったが、他の学生も利用している図書室にいる事をはばかったのである。幼年学校の一生徒が栄えある帝国軍大将閣下を叱り付け、謝罪の言葉まで言わしめるとは。 

 

「怖いもの知らずな奴だな。まあ、あの『鉄壁ミュラー』にさえ食ってかかった事もあるお前なら、意外ではないか」

 

「……それを言うな」

 

 グスタフは顔をしかめた。感情に任せてミュラーに罵声を浴びせた頃から進歩していないと、自己嫌悪に囚われていたのもグスタフを落ち込ませていた理由の一つであったのである。

 

 だがユリウスに言わせれば、そのトゥルナイゼンへの難詰はかつてのミュラーに対してのそれ以上に正当なものだと断言できる。ミュラーはトゥルナイゼンのように、戦意を先走らせて戦況や味方との連携を顧みないなどという浅慮な行動を採ったりはしなかった。それゆえにラインハルトも敗軍の将たるミュラーを前線勤務から外す事なく、戦場での汚名返上の機会を与えたのであろう。ミュラーは見事に主君のその期待に応えたのである。

 

 そしてトゥルナイゼンはミュラーが備えていたものを欠いていたがために、戦場の外における名誉回復を主君から望まれたのだが、彼は主君の期待に背いてしまった。そして、敗北を喫しながらもごく自然に背筋を伸ばした雄姿を後進に示したミュラーに対し、トゥルナイゼンはグスタフに悄然とした背中をさらし続けた。ミュラー以上に批難されて当然というべきであり、トゥルナイゼンが反論できなかったのも、それを多少なりとも自覚していたでもあったからではないだろうか。あるいは、トゥルナイゼンは厳しくも親身な指導を行なったであろう旧上官の面影を、グスタフに見い出したかもしれない。

 

 いずれにしても、立ち直るか否かは最終的には本人次第である。主君や上官のみならず、一〇歳以上も年下の後進の少年にまで叱咤されて発奮しないようでは、イザーク・フェルナンド・フォン・トゥルナイゼンもそれまでの人物だ、とユリウスは冷たく考えた。が、あえて言語化はせず、彼が口に出したのは友人のための言葉であった。

 

「まあ、トゥルナイゼン提督もまだお若い。同年代だったグリルパルツァー、クナップシュタインの両提督などは一昨年の叛乱で生命まで落としているし、グリルパルツァー提督に至っては軍籍すら剥奪されているしな。それに比べれば、大将として汚名返上の機会を待てるだけ救いはあるだろう」

 

 グスタフは表情をわずかに緩めながらうなずいたが、不意に先ほどとは微妙に異なった苦い表情を作った。

 

「グリルパルツァー提督か……。俺は元々、あの人が好きではなかったな」

 

「ほう? 何故だ」

 

 

 アルフレット・グリルパルツァーとブルーノ・フォン・クナップシュタインは、共に軍最高幹部の一角であった故ヘルムート・レンネンカンプ提督の旧部下にして用兵の弟子である。

 

 その力量は主君や軍最高幹部からも評価されており、ローエングラム王朝成立当初においては、軍最高幹部たちが軍中枢へと移行した後の前線を担う若手の有力候補と見なされていた。

 

 だが、新帝国暦〇〇二年のオスカー・フォン・ロイエンタール元帥叛逆事件に際し、『新領土』(ノイエ・ラント)総督たるロイエンタールの直属となっていた二人は、叛乱に加担する道を選択するのである。

 

『第二次ランテマリオ会戦』において、クナップシュタインは討伐軍の総司令官ウォルフガング・ミッターマイヤー元帥の迅速にして苛烈な攻勢を支えきれずに戦死を遂げた。本人にとっては不本意極まりない死であっただろうが、それでも同僚のグリルパルツァーの末路に比べれば、まだ軍人としてはまっとうな最期と評すべきであった。

 

 そのグリルパルツァーの方は、会戦の最終局面において造反し、総司令官たるロイエンタールの本隊を後背から撃つという挙に及ぶに到る。そのあげくに逆撃に遭って撃破され、討伐軍に降伏するという重ね重ねの醜態をさらす結果となった。

 

 グリルパルツァーの造反がロイエンタール軍の瓦解の要因の一つとなったのは事実ではあったが、それを賞賛する者は存在しなかった。そして、これ以上墜ちようがないと思われていた彼の評価が、瘴気を放つ泥沼の最深部に沈められるような事実が会戦終結後に判明する事となる。

 

 叛乱の端緒となった惑星ウルヴァシーにおける皇帝襲撃事件の直後、青天の霹靂であったその報を受けたロイエンタールの命によって治安回復と現地調査のために派遣されたのが、他ならぬグリルパルツァーであった。ロイエンタールがグリルパルツァーにこの任を命じたのは、軍人にして学者という二つの側面を持つ『探検家提督』の軍事および調査能力を評価しての事であったが、結果としてこの人選が、彼らの命運を大きく左右したのである。

 

 グリルパルツァーはウルヴァシーの混乱を鎮定した後、調査によって事件の背後に地球教の暗躍が存在した事実を把握したのだが、その調査結果を彼は緘口令を敷いて隠匿した。そして何食わぬ顔で新領土の中枢たるハイネセンに帰還し、陰険な策略を心中に秘めつつロイエンタールの叛乱に協力する事を表明したのであった……。

 

 討伐軍の別働隊司令官であり、ウルヴァシーにおいて再調査を実施して裏の事情を暴露したエルネスト・メックリンガーは、グリルパルツァーを厳しく糾弾した。ねじれた野心に目がくらんで主君の期待と信任に背き、上官の叛乱を制止する努力を怠ったばかりかそれを助長し、果てには味方を装って無防備な背を斬りつけるという卑劣な手段で功を誇ろうとするなど、まともな擁護や弁解の余地などあろうはずもない。少なくとも、光輝ある『黄金獅子旗』(ゴールデンルーヴェ)を仰ぐローエングラム王朝の軍人としては。

 

 そういった一連の事情を知らされた皇帝ラインハルトも、嫌悪や失望といった膨大な負の感情をグリルパルツァーに向けざるを得なかった。ここまでの醜行を示されては汚名返上の機会など与えようがなく、グリルパルツァーは皇帝の命により軍籍剥奪の上で死を賜ったのである。銃殺刑ではなく毒酒による苦痛なき自裁を命じたのが、せめてもの温情であっただろう。もっとも、死後も汚辱に塗れた評価を背負う事を自覚していた彼にとって、さしたる慰めにはならなかったであろうが……。

 

 

 こういった一連の経緯から、グリルパルツァーは自決後も多くの人間から嫌悪される存在へと成り下がってしまったのである。

 

 そしてグリルパルツァーに対するユリウスの評価は、世間のそれと大差はない。味方を背中から刺してその首級を差し出すなどという行為を、高潔な皇帝ラインハルトが是とするなどと本気で思っていたのだろうか。いや、そう思ったからこそグリルパルツァーは自身の計画を実行したのであろう。

 

 かつて自由惑星同盟の滅亡に際し、上位者であった最高評議会議長ジョアン・レベロを殺害した同盟の一部軍人たちが征服者たるラインハルトに処刑された事例もある。その先例だけを見ても、そのような行為がラインハルトに嫌悪される事など少し考えれば解るはずだが、理解できなかったとすればグリルパルツァーも愚物としか表現のしようがない。

 

 それとも、先ほど話題に上がったトゥルナイゼンや、ケンプやレンネンカンプといった軍最高幹部たちもそうであったように、強すぎる野心や功名心はそれほどまでに所有者の知恵の鏡を曇らせ、奈落の底へと導いてしまうものなのであろうか。そういえば、『常勝の天才』ラインハルト・フォン・ローエングラムですら、バーミリオン会戦では『魔術師』ヤン・ウェンリーを独力で撃破したいという欲求から逃れられず、その点をヤンに衝かれて戦術的敗退を喫しているのである……。

 

 そこまで考えて思考が本題から逸れかけているのにユリウスは気付き、元の話題に話を戻した。

 

 さて、グリルパルツァーは現在でこそ「唾棄すべき背信者」と酷評されているが、叛乱事件以前は帝国軍大将にして探検家という、文武に優れた少壮気鋭の軍人として相応の敬意を払われていた人物であった。その彼に対し、あの叛乱以前から非好意的な感情を抱くような事情が、グスタフにはあったのだろうか。

 

 あまり気の進まない風ではあったが、グスタフは親友に話す事にした。

 

 

 四年前の、第八次イゼルローン攻略戦で戦死した父、カール・グスタフ・ケンプの軍部葬に際しての事である。

 

 葬儀が始まる前、父親を救いえなかったナイトハルト・ミュラー提督を罵倒したグスタフは、母親に平手で鋭く頬を叩かれた。そして不意の一撃に呆然とする長男に、母はミュラーに謝罪するように厳しく命じたのである。

 

 だが、グスタフは母に従わなかった。彼はミュラーを憎悪や憤怒といった感情を込めた瞳で睨みつけた後、母の制止を振り切って式場を飛び出してしまったのだった。

 

 さまざまな感情が頭の中で渦巻いていたグスタフは、その時は一人になりたいと思った。そのため、彼の足は自然に個室があるトイレへと向けられたのである。

 

 そしてトイレの出入口を遠くに認めた際、やや急ぎ足でそこに入っていった青年将官の礼服姿をグスタフは目撃したが、その時はあまりに気に留めなかった。

 

 グスタフは後に続いてトイレに足を踏み入れたが、その瞬間、閉ざされた個室の一つから「やったぞ!」という小さいが確かな歓喜の声が聞こえたのである。トイレの扉や壁には防音や吸音処理が施された建材が用いられているはずであったが、どうやら壁の一部が老朽化していたらしい。扉が閉まっていたのはその一室のみであり、その声の主が先ほどの青年士官である事は明白であった。

 

 高級士官の礼服を着ていた以上、葬儀の参列者の一人であることは疑いない。父の葬儀の直前でそんな真似をされてグスタフは憤慨し、先刻のような怒声を上げたい衝動に駆られた。

 

 が、続けて聞こえてきた「ようやく入会できた」などといった内容から、父の死を喜んだというわけでもないらしかったし、人の目と耳のない(と思われた)場所で歓喜を爆発させるだけの節度があった事も考え、グスタフは軽く息を吐きつつ心を落ち着かせた。そして声が筒抜けかも知れぬ個室に篭もりたいとも思えず、グスタフは黙ってその場を立ち去ったのである。

 

 グスタフがトイレから少し離れた後、ほどなく例の青年将官も出入口から出て来た。その表情にはすでに歓喜の欠片もなく、謹厳そのものの表情で式場へと向かっていったのを見てグスタフは呆れたものである。そしてグスタフも感情を完全には整理できてはいなかったが、長男たる自分が父の葬儀に遅れるわけにも、ましてや欠席するわけにもいかなかった。トイレの壁の件を式場の関係者に伝えた後、ばつ(・・)が悪いと思いながらも式場へと戻るべく足を動かしたのであった。

 

 

 この時の青年士官こそが他ならぬアルフレット・グリルパルツァーであり、彼が悲願だった帝国地理博物学協会への入会許可の知らせを受け取ったのが、父親の葬儀の直前であった事をグスタフは後に知った。

 

 かくして、ミュラーのように徐々に畏敬の念を抱いていったわけでもなく、トゥルナイゼンのように出会った当初から親睦を深めたわけでもない交流なきグリルパルツァーに対し、グスタフは冷めた感情を抱き続ける事となる。そしてロイエンタール元帥叛逆事件以降、グリルパルツァーはグスタフのみならず、万人から忌避される境遇に自ら落ちぶれてしまったのであった……。

 

 

「そいつはまた……」

 

 面白くもなさそうな表情のまま語り終えた親友を見やりつつ、ユリウスは苦笑した。

 

 苦労を重ねての念願が叶った喜悦に耐えるのが難しかったのは理解できるし、完全防音のはずの個室で、まさか声が外に漏れていたとはさすがに予想外に違いない。まして、それをこれから弔うべき故人の身内に聞かれるとは、つくづく間の悪い事だと思う。その件に関しては、グリルパルツァーを責めるのはいささか酷であろうし、そう思ったからこそ当時のグスタフも怒気を抑制しえたのであろう。同時に、グスタフがグリルパルツァーにいい印象を抱けなかったのもまた、無理からぬ事だったと言える。

 

 

 なお、グリルパルツァーのトイレでの一件をグスタフは積極的に広めようなどとは考えなかったが、語った一部の人間に対し、ことさらに他言無用を求めたりもしなかった。結果としてこの逸話は後世に広く伝えられ、「唾棄すべき背信者」の軽薄な一面の証左として扱われる事となるのである……。

 

 

「ここにいたか、ケンプ」

 

 不意に二人の背中に、大きくはないがよく(とお)る声が投げかけられた。

 

 二人が振り向いた先に立っていたのは、彼らと同年代の、同じ幼年学校の制服を来た一人の少年である。堂々たる態度と体格であり、その身長はユリウスより高く、グスタフより低い。

 

 

 ウィルヘルム・フォン・ミュッケンベルガー。幼年学校の三年生であり、旧ゴールデンバウム王朝末期の宇宙艦隊司令長官グレゴール・フォン・ミュッケンベルガー元帥を大叔父に持つ少年であった。




 




 




 この二次小説における帝国やフェザーンの降誕祭(クリスマス)は、外伝『千億の星、千億の光』でキリスト教の行事である『聖霊降臨祭』(プフィングステン)が帝国で祝われている描写を基にした独自設定です。
 
 また、外伝『ユリアンのイゼルローン日記』において、宇宙暦七九六年一二月辺りの記述にクリスマスについての言及が存在しなかったので「クリスマスは同盟では一般的なイベントではない」と、この二次小説においては設定しています。


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第十三節

 グレゴール・フォン・ミュッケンベルガー退役元帥は新帝国暦〇〇四年、宇宙暦八〇二年現在、六四歳を迎える年齢で健在である。

 

 

 ミュッケンベルガー伯爵家は前王朝において武門の家系として知られ、グレゴールは旧帝国暦四二九年に先々代の当主ウィルヘルムの次男として生を享けた。

 

 グレゴールの兄たる長男は知性は充分ながら生来病弱であり、父親は健康で自分に似た気質の次男に家督を継がせようと考えていた節があった。だが、その意思を明言する前にウィルヘルム・フォン・ミュッケンベルガー中将は旧帝国暦四三六年、宇宙暦七四五年の第二次ティアマト会戦にて戦死を遂げるのである。

 

 当主を失った伯爵家は、幼少であった長男が親族から後見役を迎えて継承し、成人後に正式に家督を継ぐ事が取り決められた。その弟であるグレゴールを後継に推す声も少なからず存在したが、当人は仲の良かった兄と家督争いをする意思など持ち合わせてはいなかった。その代わりグレゴールは亡父の志を継ぐべく、軍幼年学校と士官学校を経て帝国軍人のエリートコースを歩む道を選択したのである。

 

 士官学校を首席で卒業した後、任官したグレゴールは前線と後方の双方で功績を重ね、風格ある武人としての名声を獲得するに至る。そして大将に昇進して個人の旗艦を与えられたグレゴールは、その巨大戦艦を『ウィルヘルミナ』と命名した。これは夫亡き後も気丈に息子たちを育てた母の名であるのと同時に、父の名であるウィルヘルムにちなんだものでもあった。古来より艦船は女性にたとえられてきた存在であるため、あえてグレゴールは女性名詞の方を自らの旗艦名としたのである。

 

 病弱ゆえに四〇代半ばで死の床についたミュッケンベルガー伯爵は、軍人として大成した弟こそ後継にふさわしいとして家督を譲ろうとした。しかしグレゴールはそれを謝絶し、分家として兄の嫡男を支える意向を示したのであった。

 

 兄の死後、グレゴールは兄が遺した長男の後見人となった。伯爵位を継いだその甥も体が弱く、軍人としては後方勤務しか務められなかったが、旧帝国暦四八〇年に誕生したその息子は健康体かつ曽祖父ウィルヘルムと大叔父グレゴールに似た気質に育ち、父と大叔父を喜ばせた。その子には曽祖父と同じ名が与えられ、将来のウィルヘルム・フォン・ミュッケンベルガー二世伯爵およびゴールデンバウム王朝の軍人として活躍するかに思われた。

 

 だが、旧帝国暦四八八年に勃発したリップシュタット戦役によってゴールデンバウム王朝は事実上倒れ、勝利者たるラインハルト・フォン・ローエングラムによる独裁体制が確立する。

 

 ミュッケンベルガー伯爵家は貴族連合軍には参加せず中立を保ったが、ローエングラム体制に協力的であったわけでもない。戦役の前年に退役した大叔父グレゴールや現当主の父親らは新体制に出仕するつもりはなかったが、次期当主たるウィルヘルムには「お前はまだ幼い。新しい時代をわれらに従って生きていく事もない」と告げ、将来の進路をどうするかは本人に委ねた。

 

 ウィルヘルム少年は悩み抜いた結果として、軍幼年学校に進学し、新王朝の軍人として生きていく事を選択したのであった……。

 

 

「何かご用でしょうか」

 

 椅子から立ち上がった二人の下級生が上級生に対し礼を行ない、名を呼ばれたグスタフが問いかける。その口調は丁寧ではあったが、どことなく白々しさがあった。恐らくは見当がついているのであろう。そしてユリウスにも心当たりは存在した。

 

 その上級生は鋭い光を両眼に湛えつつ、静かに用件を切り出す。

 

「唐突ですまないが、この後に用事がないのなら戦闘訓練に付き合ってくれないか」

 

 その台詞は、二人の下級生にとって予測の範囲内のものであった。

 

 

 昨年の秋ごろに実施された二年生と三年生の合同訓練において、その一環として戦斧(トマホーク)を用いた模擬戦が、上級生と下級生との間で行なわれた。

 

 一〇代前半という、第二次成長期における一年前後の年齢差はなかなかに大きい。大抵の場合は体格と経験で勝る上級生が下級生に勝利を収めるものなのだが、世の中には例外というものも存在するのが常である。そしてユリウスとグスタフは、まぎれもなくその例外に属していた。

 

 ユリウスが対峙した上級生の力量は平凡なものであった。下級生は打ち合って三合ほどで相手の得物を叩き落とし、その喉元に戦斧を突き付けてみせる。あまりの技量差に上級生は悔しがる気も起きず、うなだれつつ降参した。

 

 そしてグスタフの対戦相手となった上級生こそ、他ならぬウィルヘルム・フォン・ミュッケンベルガーであったのである。

 

 ウィルヘルム・フォン・ミュッケンベルガーは現在まで学年首席の座を他者に譲った事がない最優等生ではあったが、それに比して学校内での交友関係の幅は狭く、孤高を保つ傾向が見られた。新王朝成立後も家名を保った大貴族出身の学生たちとは多少の交流を持ってはいるが、それらも深いものとは言いがたい。

 

 ロイシュナー校長を始めとする教師陣はその点をいささかならず危惧し、幾度となく忠告を行なっている。が、物心がついた時期から「ゴールデンバウム王朝の武門の矜持」を叩き込まれてきた彼は新時代における自身の在り方に浅からぬ迷いや悩みを抱え込んでいるらしく、それが他者との積極的な交流を阻んでいる一因となっているようであった。

 

 学年首席であるミュッケンベルガーは、格闘術においても同級生の中で突出した存在であった。だがグスタフも実技ではユリウスと共に学年内で双璧を為す立場にあり、この二人の激突は、その模擬戦の中において異論なく随一の激闘となったのである。

 

 数十合に及んだ戦斧の打ち合いは、周囲の生徒たちが自身の訓練を忘れて見入ってしまうほどの力戦であった。親友の力量を熟知しているユリウスも、学年が一つ上とはいえグスタフとここまで戦えるミュッケンベルガーの実力にいささか驚かされたものである。

 

 だが、最終的に勝利は下級生であるグスタフの手中に帰した。

 

 上級生の手から得物が弾き飛ばされ、乾いた音を立てて訓練室の床に転がる。腕に走る痺れに顔をしかめるミュッケンベルガーの首筋に彼の物ではない戦斧の刃が添えられ、審判役の教官が終了を告げた。

 

 周囲が興奮の坩堝となっている中において、ミュッケンベルガーは率直に敗北を認めた。しかし、悔しげな表情を完全には隠し切れていなかった……。

 

 

 つまり、これはミュッケンベルガーからの雪辱戦の申し込みなのであろう。同学年でまともに相手になる学生が存在しない以上、訓練というのもまるきり方便ではないのであろうが。

 

 ミュッケンベルガーの放つ眼光は、並の下級生であれば抗いがたい迫力であっただろう。だがグスタフは呑まれた様子などまったく見せてはいない。彼は上級生の双眸を見返しつつ、数秒ほどの間を置いた後にうなずいた。

 

「承知しました。俺……僕でよろしければ」

 

「そうか。では、一時間ほど後に第一訓練室で待っている。済ませるべき事があるなら、先に終わらせてからでいい」

 

 そう言うとミュッケンベルガーは踵を返し、自然な、だが堂々とした姿勢で図書室から退出していった。

 

「随分あっさりと受けたじゃないか」

 

 上級生の背を見送り終わったユリウスがそう言うと、グスタフはいささか肉食獣めいた笑いを浮かべた。

 

「少し気分が腐っていたところだからな。一暴れして発散するのも悪くない」

 

「勝てば、の話だな。どうだ、勝てるか?」

 

「伊達におまえ相手に腕を磨いてきたわけじゃない」

 

 自信に満ちた口調と表情でそう言いつつ、グスタフはデスクに放置していた資料を整えて手に取った。

 

「さて、上級生を待たせるわけにもいかないし、少し急がないとな」

 

 

 刃の部分がダイヤモンドに匹敵する硬度の炭素(カーボン)クリスタルで作られた全長八五センチ、重量六キロの片手用の戦斧と、スーパー・セラミックと結晶繊維の複合素材製で、鏡面反射処理(ミラー・コーティング)が施された円形盾(ラウンド・シールド)。装甲擲弾兵の基本的な装備構成の一例である。

 

 幼年学校生の訓練用の物は、実戦用のそれとは素材も異なって重量も軽く、戦斧の刃は最初から丸められている。とは言え鈍器としては充分であり、訓練用の装甲服越しであっても、まともに叩き付けられればただでは済まない。数年に一度は訓練中に骨折などの重傷者も出るし、過去には死亡事故も起こっている。安全対策も幾度となく考案および実施されてはいるが、実戦を想定した訓練である以上、事故をゼロにするのはなかなかに困難であった。

 

 これから刃を交える二人の少年はすでにウォーミングアップを終え、装備一式を着用し訓練室の一隅にて対峙している。あとは開始の合図を待つのみであり、それを行なう役目を任されたのは唯一の立会人であるユリウスであった。

 

 心身ともに引き絞られた弓のような状態の二人の間に立ち、白金色の髪の少年は静かに右手を高く挙げる。

 

「始め!」

 

 ユリウスが手を振り下ろしながら鋭く声を発すると同時に、二人の少年は互いの挙動を見極めつつ、じりじりとした足捌きで間合いを計る。

 

 極限まで張りつめていた緊張の糸は、やがて音もなく切れた。

 

 同時に雄叫びを上げつつ床を蹴りつけ、両者はたちまち肉薄した。戦斧と戦斧が音高く衝突し、そのまま押し合いとなった。それも長くは続かず、どちらからともなく二人は距離を取る。そして改めて攻防が開始された。

 

 左に打ち込み、右に薙ぎ、上から振り下ろし、下から斬り上げる。

 

 それらを躱し、受け止め、打ち払い、受け流す。

 

 両者ともに教本の知識と教師の指導を吸収し、基礎を固めつつある事が看て取れる攻防だが、その速度と圧力は凄まじい。幼年学校の同級生は言うに及ばず、最上級生すら対処するのが容易ではないと思われる攻撃と防御の目まぐるしい応酬は、すぐには均衡が崩れそうになかった。

 

 そして立会人としてその攻防を五感で追い、正確に戦況を把握しているユリウスの動体視力や直観なども非凡なものであった。いわゆる「見取り稽古」も歴とした鍛錬の一環である。同世代同士のこれほど高水準の一戦を見れるのは得がたい経験である事をユリウスは理性で理解すると同時に、少なからぬ感情の高ぶりを彼は自覚していた。

 

 ミュッケンベルガーの動きは、以前の訓練時よりも明らかに鋭さと力強さが増している。敗北を糧として一層の精進を積み重ねた事は疑いない。

 

 だが、グスタフとてその間に机上の学問のみならず、一箇の戦士としての研鑽も怠らなかった。その事を、訓練相手を数多く務めていたユリウスは身に染みて知っている。

 

 ミュッケンベルガーも同年代の中では堂々たる体躯だが、眼前の下級生には及ばない。グスタフのずばぬけた巨躯と、日々の鍛錬で鍛えられた膂力によって振るわれる戦斧は、受け止め、受け流すだけでも相当な負担となる。長時間にわたってそれをいなし続けられるのは、同年齢ではユリウスくらいのものであろう。ミュッケンベルガーも防ぎつつ果敢に反撃を行なっているが、消耗と焦慮の色は隠しきれなくなりつつあった。

 

 一方のグスタフも、なかなか隙を見せない上級生に対し感嘆と同時に苛立ちも禁じえない。だが、彼は冷静さを保つ事を捨てなかった。幼年学校への入学以来、生来の短気のために訓練などで幾度も不覚を取ってきた事が、彼の忍耐を涵養しつつあったのである。そして訓練における「不覚」をグスタフにもっとも多く強いてきたのが、親友にして悪友である傍らの立会人であったのだった。

 

 ここまでの攻防でユリウスの見るところ、純粋な実力はグスタフに軍配が上がるであろう。ミュッケンベルガーも伸びたが、グスタフの成長はそれと同等かそれ以上であったのである。だが、実力が上の方が勝つとは限らないのが勝負事というものである。ミュッケンベルガーには逆転を狙えるだけの力量があり、油断すれば一瞬で優勢は覆されるかもしれなかった。

 

 グスタフは猛攻の手を緩めず、ミュッケンベルガーは防戦に追い込まれつつも粘り、彼らはそれぞれに機を窺い続けた。そして、終局が訪れる。

 

 ミュッケンベルガーが間合いを取るべく一度退こうとしたのを感覚的に察したグスタフは、不意にその左手の盾ごと渾身の体当たりを敢行した。相手の戦斧と足さばきに意識を向けがちであったミュッケンベルガーは、その予想外の一撃をまともに喰らってしまう。下がろうとしたタイミングであったのに加え、疲労もあって彼は踏みとどまれず、宙を短く舞って床に横転した。

 

 痛みを堪えてすぐに立ち上がろうとしたミュッケンベルガーであったが、時すでに遅く、彼の鼻先にはすかさず追ってきたグスタフの戦斧が突きつけられていた。

 

「……参った」

 

 悔しげに自己の連敗を上級生は認め、それを聞いたグスタフは荒く息を吐きつつ得物を下ろした。

 

 

 暖房を点けていない訓練室の空気は冷たく乾いており、つい先刻まで熱戦を繰り広げていた学生たちの顔からは白く熱気が立ち上っている。装甲服を脱いでアンダースーツ姿となった二人はベンチに腰掛け、ユリウスの差し出したイオン飲料をストロー越しに少しづつ胃に送っていた。

 

「随分と、体当たりと蹴りの使い方が巧みだな」

 

 ぽつりとミュッケンベルガーがつぶやいた。皮肉ではなく、感心したような口調である。最後の体当たりだけでなく、グスタフは戦斧の攻撃に上手く蹴りも絡めて戦闘を優位に進めてみせたのである。

 

 グスタフとユリウスは顔を見合わせて苦笑する。

 

「どちらも喧嘩ではそれなりに使いますので」

 

「……喧嘩か」

 

 

 伯爵家令息であるミュッケンベルガーにとって、喧嘩はあまり馴染みのないものである。前王朝時代では身分制が絶対的であり、門閥貴族出身の子供が生活圏も異なる同年代の平民や農奴、下級貴族と喧嘩沙汰になる事など普通はありえなかった。仮に喧嘩になったとしても、後で身分の低い側が捜し出され、一方的に手ひどい罰を課せられるだけである。そして同じ大貴族の幼い子弟同士では、険悪な雰囲気になれば即座に周りの同胞や従者に仲裁ないし制止されるのが常であった。

 

 幼い頃から下町で喧嘩慣れしているグスタフと比較できる場数と身体能力を兼ね備えているのは、現在の幼年学校ではユリウスくらいのものであろう。ユリウスは平民よりは裕福な下級貴族であったが、幼い頃から好奇心と行動力旺盛な彼は、過保護すぎる母親の目を盗んでしばしば下町までも足を運んでいた。そして身分を名乗らずに平民の悪童どもと時には交流し、時には喧嘩に明け暮れたものである。帰宅後、母の涙ながらの追及を誤魔化すのは喧嘩以上に難儀ではあったが……。

 

 

「今日は時間を取らせたな。いずれまた手合わせを頼む」

 

 そう言いながら、上級生はシャワー室へと向かうべく立ち上がった。

 

 そこでユリウスが、不意にミュッケンベルガーに対し言葉を投げかける。

 

「大叔父君はご壮健ですか」

 

 その問いにグスタフは軽く驚き、問いかけられた一学年上の先輩は眉間に皺を寄せた。

 

「……なぜそんな事を聞く?」

 

 上級生からの険を含んだ視線と言葉を受けても、平然としたままユリウスは答える。

 

「お気に障ったのでしたら、お詫びします。軍人を志す身としては、前王朝において元帥にまで昇りつめられた方の事が多少なりとも気になるというだけです。他意はありません」

 

 ミュッケンベルガーはユリウスをしばし睨んでいたが、怒気を発したりはしなかった。いささか無理を言って、グスタフを訓練に付き合わせた事に思う所もあったのかもしれない。やがて彼は軽く息を吐き出し、質問に答えた。

 

「大叔父上はお元気さ。お体はな」

 

 

 ミュッケンベルガー伯爵家とその一門は旧帝国暦四八八年のリップシュタット戦役には参戦せず、中立の立場を保った。ミュッケンベルガー退役元帥は現在、すでにオーディンの帝都中心地区の本館を引き払って郊外の別荘に転居し、監視されながらの隠遁生活を送っている。帝国元帥ともなれば年金など退役後の手当ても巨額なものであったが、ローエングラム体制成立後はそれらの受給を拒絶し、課税によって目減りしながらも相応の資産をかかえて金銭的には不自由ない生活を営んでいるという。

 

 だが、長年にわたり勤務した軍からの退役、ローエングラム独裁体制の成立、そしてゴールデンバウム王朝の完全な滅亡といった経緯によるミュッケンベルガーの傷心は、余人には想像し得ないほどに深いものであった。旧帝国暦四八七年、当時七歳であった又甥のウィルヘルムは威風堂々としていた大叔父が六〇歳に満たず勇退を余儀なくされて消沈し、その背中が丸まっているのを見て愕然としたものである。奇しくもというべきか、その大叔父が父親を第二次ティアマト会戦で失うという衝撃を味わったのも七歳の時であった……。

 

 なお、ミュッケンベルガー元帥はゴールデンバウム王朝末期の『帝国軍三長官』の一角たる宇宙艦隊司令長官でもあったが、彼と同時期にその任にあった残りの二長官はすでに死去している。

 

 リップシュタット戦役勃発に際し、ローエングラム陣営によって軍務省と統帥本部は呆気なく制圧され、軍務尚書ゴットリープ・ノルベルト・フォン・エーレンベルク元帥と統帥本部総長ビクトル・フォン・シュタインホフ元帥の両名も身柄を拘束された。そして二人は不本意な退役と自邸への軟禁を強制され、すでに宇宙艦隊司令長官に就任していた帝国元帥ラインハルト・フォン・ローエングラム侯爵が帝国軍三長官をすべて兼任した帝国軍最高司令官として、『賊軍』たる貴族連合軍との対決に臨む事となるのである。

 

 八〇歳に届く年齢であったエーレンベルクは、失意によって急速に体調を崩した。そして戦役終結後の初冬に風邪を悪化させて肺炎に罹患し、入院や延命処置を拒否した末に息を引き取ったのである。

 

 エーレンベルクより若年であったシュタインホフもまた、虚無感から逃れられなかった。二年ほど後のゴールデンバウム王朝滅亡直後、彼は常備していた睡眠導入剤を大量に服用し自室で倒れているのを家人に発見され、搬送された病院で死亡が確認された。

 

 三長官の中で唯一存命しているミュッケンベルガーは、王朝に殉じての自害を試みたりはしなかった。彼は生命をいたずらに惜しむ臆病者ではなく、旧王朝への忠誠心も他の二者に劣るものではなかったが、

 

「自決は、私の武人としての本懐ではない」

 

 とは歴戦の(つわもの)たるミュッケンベルガーの意思であり、死すならば父と同じく戦場において、という矜持の表れでもあった。そして、むざむざと生き延びる事によって現在と後世の人間から侮蔑され、嘲笑を浴びせられる屈辱と、長年仕えてきたゴールデンバウム王朝を守れなかった悔恨を死すまで抱き続ける事こそが、戦場で死場所を得られなかった元帥が自らに課した罰であったのである。

 

 旧帝国暦四八九年のエルウィン・ヨーゼフ二世の同盟への亡命事件に際し、旧王朝末期の帝国副宰相ゲオルク・フォン・ゲルラッハ伯爵は皇帝拉致の共犯として自裁に追い込まれたが、同時に軍部の重鎮であったシュタインホフとミュッケンベルガーにも嫌疑がかけられた。

 

 リップシュタット戦役終結直後に帝国宰相クラウス・フォン・リヒテンラーデ公爵が潜在的な政敵であったローエングラム陣営に排除された際、その腹心たるゲルラッハも死を強制されたところで不思議ではなかったが、ラインハルトはこの時点での彼の処断を見送った。軽侮していた『金髪の孺子(こぞう)』の迅速かつ苛烈な処置に震え上がったゲルラッハが自ら副宰相の地位を返上の上で謹慎した事に加え、ローエングラム陣営に味方した貴族内から寛恕を求める声が上がったのを考慮したのである。

 

 しかし、リップシュタット戦役後、中堅以下の文官の大半も勝利者たるラインハルトに帰順したが、元副宰相として中央政界に無視しえぬ人脈を持っているゲルラッハは彼らに影響力を行使しうる存在でもあった。ラインハルトが帝国宰相就任後に推進した公正を眼目とする改革に対し、常々「民衆に必要以上に迎合する」政策を否としていたゲルラッハが否定的である事は明白であった。そして改革に不満と不安を抱くローエングラム派および中立の貴族の一部には、彼を担ぎ上げて自分たちの権益を守らんとする水面下の動きが存在していたのである。

 

 それを複数の情報源から察知していたラインハルトは皇帝拉致を大義名分としてゲルラッハの排除に踏み切り、これによって不平派の貴族たちは慄然としつつ改革への抵抗を断念したのであった。

 

 この事件に際し憲兵総監ケスラー大将から直々に聴取を受けたミュッケンベルガーは、関与を明確に否定した後に淡々とこう述べたものである。

 

「孺子が私の生命を欲するならば、このまま刑場に引きずり出せばよい。死にぞこないの老兵一人、簡単なものだろうて」

 

 だが、二人の退役元帥については証拠不十分として逮捕には至らなかった。一説には、副宰相であったゲルラッハに比して政治的な影響力に乏しく、派閥も消滅して軍人としての信望や求心力も失っていた彼らをことさら処断する必要はないと判断されたためとも言われている。無論、ローエングラム陣営からの監視は継続されたが、シュタインホフは新王朝成立後に世を去り、ミュッケンベルガーも現在に至るまで不穏な動静を見せる事はなかったのである。

 

 かくして、大神オーディンは失意の果ての病死、旧王朝への殉死、長き落胆の余生と、ゴールデンバウム王朝末期の帝国軍三長官にそれぞれ異なった運命を与えたもうたのであった……。

 

 

 大叔父の近況を簡単に語り終えた少年は、不意に忌々しそうな表情とともに、吐き捨てるような口調でつぶやいた。

 

「大叔父上は、先帝陛下とオーベルシュタイン元帥にはめられたのさ。それさえなければ……」

 

 そこまで言いかけたところで、上級生は二人の下級生の不審そうな視線に気付く。ミュッケンベルガーは自身の口の滑りを後悔するような表情を作った。

 

「いや……何でもない。くだらない事を言った。忘れてくれ」

 

 そう言い捨てて立ち去ろうとしたミュッケンベルガーは、不意に足を止めてユリウスに向き直る。

 

「そういえば、ブリュール。この間の合同訓練の模擬戦は見事だった。いずれ、おまえとも戦斧を交えたいものだな」

 

「……その時は、胸を貸していただきます」

 

 すべてが社交辞令ではないにしろ、不躾だった質問に対する意趣返しの意味もあるのだろう。その台詞にユリウスもそう答えるほかなく、ミュッケンベルガーはうなずいた後に去っていった。

 

「それにしても、上級生に思い切った事を聞くな。ユリウス?」

 

 揶揄するような口調で話しかけてきた親友に対し、ユリウスはささやかに皮肉で応じてみせる。

 

「ミュラー提督やトゥルナイゼン提督を怒鳴りつけるほどじゃないさ」

 

「まだ言うか、この野郎」

 

 二人の少年は互いに苦笑いの表情を浮かべた。

 

「まあ、ミュッケンベルガー元帥の近況は俺も興味があったけどな」

 

 グスタフは旧王朝末期の宇宙艦隊司令長官に、少なからず共感する部分があった。戦争で父を亡くし、その志の継承と復仇を誓って軍人の道を歩んだという点では、グスタフも同様だったからである。

 

 

 グレゴール・フォン・ミュッケンベルガーにとっての(かたき)は、第二次ティアマト会戦時の同盟軍の総司令官ブルース・アッシュビーと、その指揮下にあって父親を直接に斃した第一一艦隊司令官ジョン・ドリンカー・コープの両名であった。

 

 だが、アッシュビーはその会戦の最終局面で致命傷を負って戦没し、コープは六年後の旧帝国暦四四二年、宇宙暦七五一年のパランティア会戦で敗死した。当時幼年学校に在籍していたミュッケンベルガー家の次男は帝国軍の勝利およびコープ戦死の報を聞いても歓喜する気分にはなれず、自身の手で讐を討てなかった事を心から無念に思ったのであった……。

 

 

「……しかし、『はめられた』というのは何の事だったんだ?」

 

 グスタフは首をひねった。「忘れてくれ」などと言われても、先代の皇帝及び軍務尚書の存在を匂わされては聞き捨てになどできるはずもない。

 

「さてな……」

 

 ユリウスは自分の持っている知識の整理を、頭の中で試みた。ミュッケンベルガー元帥が、ラインハルトとオーベルシュタインに陥れられたと称しうる事といえば、何があるだろうか。

 

 しばし黙考したユリウスの脳裏に不意に閃いたのは、ミュッケンベルガー元帥の退役についての経緯であった。

 

 

 旧帝国暦四八七年、宇宙暦七九六年。帝国領に侵攻してきた自由惑星同盟軍をアムリッツァ星域にて壊滅せしめた宇宙艦隊副司令長官ラインハルト・フォン・ローエングラム元帥は、その大功によって宇宙艦隊司令長官に昇格し、元の司令長官であったミュッケンベルガーは六〇歳に満たぬ年齢で勇退する事となった。

 

 だが、彼が退役する一連の事情を知らず、当時の帝国軍三長官の経歴を一通り把握している者が存在したとすれば、ミュッケンベルガーの退場に疑問や不審を抱く事になったであろう。というのも、三長官の中で仮に勇退に追い込まれる人物がいたとすれば、それは最年少のミュッケンベルガーではなく、最年長者であった軍務尚書エーレンベルク元帥であったはずだからである。

 

 エーレンベルクは当時すでに八〇歳近い高齢であり、医学的な平均寿命にはまだ一〇年ほど届いておらず健康状態にも問題はなかったとはいえ、軍人としてはとうに退役していてしかるべき年齢であった。二〇歳ほど年少のミュッケンベルガーなどは「あのくたばりぞこない」と陰口を叩いた事もあるほどである。

 

 通常の人事であれば、ラインハルトが宇宙艦隊司令長官に昇格するならば、エーレンベルクが老齢を理由に勇退し、統帥本部総長シュタインホフ元帥が新たに軍務尚書に就任した後、空席となった統帥本部総長の座にミュッケンベルガーが座るというのが定石であろう。そして、そうならなかったのには相応の事情が存在していたのであった。

 

 

 三〇〇〇万人に達する同盟軍の大侵攻作戦の迎撃に際し帝国軍が採用したのは、辺境周辺の民衆に犠牲を強いる、一種の焦土作戦であった。本来領土を死守すべき現地の統治者たちは、上層部の命令によって軍事用のみならず民需用の物資まで全てを徴発し、それらを抱えつつ現地の民衆を置き去りにして撤退したのである。

 

 抵抗する者もなく、広大な辺境星域を無血占領した同盟軍が直面したのは、食料を始めとする生活必需品を要求する五〇〇〇万もの大群衆の姿であった。解放軍や護民軍を自認する同盟軍としてはその要望を呑まざるを得ず、同盟軍の物資は底なし沼に放り込まれるがごとくに消費される事となる。そして占領地の拡大とともに庇護すべき民衆の人口も倍増し、各占領地の兵站はたちまち破綻への奈落に追い落とされた。

 

 そして後方からの補給が間に合わず、物資の供給を停止した各占領地では暴動を起こした民衆と占領軍との衝突が続発し、『護民軍』の美名は地に墜ちて汚泥に塗れた。その結果として、同盟軍は民衆の怨嗟の声を背にして全占領地の放棄に追い込まれたあげく、再集結したアムリッツァ星域における会戦にて壊滅的な打撃を蒙った。自称『解放軍』の敗残者の群は勝利の女神の無情を呪いつつ、二〇〇〇万を超える屍を異郷の地に残して本国に撤退する事となったのである。

 

 

 そしてその焦土作戦を提案したのが、ミュッケンベルガーを派閥の長と戴く宇宙艦隊司令部の幕僚群だったのである。

 

 戦略の決定権は軍令の最高機関たる統帥本部にあったが、実戦部隊の長たるミュッケンベルガーは幕僚たちの意見をまとめ、統帥本部総長シュタインホフに上申した。それを受けたシュタインホフは自身の幕僚たちとともに宇宙艦隊司令部からの作戦案を検討し、軍務省とも協議を重ねた結果、有効な戦略案して承認したのである。

 

 勅命により迎撃の現場責任者たるを命じられたローエングラム伯ラインハルトは、イゼルローン回廊出口での迎撃を主張し、民衆に犠牲を強いる焦土作戦には強く反対していたと軍の公式記録には明記されている。そして、ミュッケンベルガーは「卿は戦場において、戦術面で最善を尽くせばよい。戦略に黄色い嘴を挟むな」と一喝して副司令長官の反対を退けたのであった。

 

 ラインハルトがこの作戦案を麾下の最高幹部たちに披瀝した際、彼らは驚愕の後の、民衆を戦火に巻き込む事への逡巡の表情を完全には隠し通せなかった。それを見た若き元帥は、それまでの自信に溢れた表情を消して部下たちに語ったものである。

 

「卿らの心情は私も理解できる。だが、これは軍上層部からの内密かつ絶対の命令であり、純軍事的に見て極めて有効な戦略である事は認めざるを得ない。事ここに到っては、敵が弱体化しきった時点で全面攻勢を行ない、可及的速やかに勝利を収めて民衆の犠牲を最小限に抑えるほかに手はない。改めて、卿らの健闘に期待する」

 

 そして同盟軍が侵攻を進め、抵抗も受けないままに占領地を拡大していくにつれ「神聖不可侵たる銀河帝国の領土」に「不逞きわまる叛徒ども」が土足で乗り込むのを前提とした作戦を立案し「臆病にも戦おうとしない」宇宙艦隊司令部や、それを認可し許容した統帥本部や軍務省に対し、門閥貴族の一部から批判が挙がりはじめた。

 

 それは燎原の大火のごとく急速に巨大化し、軍部からの作戦についての説明や理解を求める声は、「臆病者」「栄えある帝国貴族、帝国軍人の恥さらし」といった轟々たる非難の嵐にかき消された。予想をはるかに上回るその反発に軍首脳部は狼狽し、彼らは前面の叛徒どもよりも後背の大貴族たちによって困惑させられる事となる。

 

 迎撃の現場責任者であったラインハルトにもその非難の声は向けられたが、彼はすでに麾下の艦隊とともに帝都オーディンを出立して辺境に近い宙域で大攻勢の機会を計っており、貴族たちの癇癪に直接相対する事はなかった。オーディンに残って不満や非難を叫ぶ貴族たちへの対応に四苦八苦せねばならなかった帝国軍三長官とその幕僚たちこそ、いい面の皮であったというべきであろう。

 

 帝国政府中枢部も大貴族たちの批判を無視しえず、焦土作戦の責任者に対し何らかの処分を下さざるを得なかった。その結果、同盟軍が大敗の末に完全撤退した後、発案の責任者であるミュッケンベルガーが退役に追い込まれ、作戦案を容れた統帥本部総長シュタインホフと軍務尚書エーレンベルクは俸給の返上や譴責といった処分を受ける事となったのである。戦役が大勝利に終わったのに加え、フリードリヒ四世の崩御に伴うエルウィン・ヨーゼフ二世の即位による恩赦が考慮されなければ、三者にはさらなる重罰が加えられていたかもしれない。

 

 そして発案に関わった宇宙艦隊司令部のミュッケンベルガー閥の軍高官たちも処罰の対象となり、その多くは辺境への左遷といった処分を受ける事となった。

 

 門閥貴族としては、目ざわりな成り上がりの『金髪の孺子』もまとめて排除する意図があったのだが、彼らが非難していた焦土作戦の立案に『孺子』が関与していなかったばかりか明確に反対していた事までは、軍事機密のゆえに当初は把握していなかったのである。その事実を、アムリッツァでの会戦前に知らされた大貴族たちは愕然とした。もしこのまま軍部への批判を継続して帝国軍三長官全員を退役に追い込めば、『孺子』がその三職全てを独占する事となるかもしれない。かといって振り上げた拳を今さら収める事もできなかったため、やむを得ず彼らは軍務省や統帥本部への批判を軟化させ、代わりに焦土作戦の発案元たる宇宙艦隊司令部に非難を集中させたのである。

 

 これこそが、三長官の中でミュッケンベルガーだけが勇退に追い込まれた要因であった。門閥貴族たちとしては不愉快かつ不本意な事に、彼らの行動が今回の勝利の立役者たるラインハルトの宇宙艦隊司令長官就任と、彼の派閥による宇宙艦隊司令部の要職の独占に手を貸す結果になってしまったのである。

 

 そして辺境星区に流された旧ミュッケンベルガー閥の軍人たちの多くは、翌年に勃発した『リップシュタット戦役』において貴族連合軍に与する事となる。彼らは自分たちを中央から逐った門閥貴族陣営に好意的にはなれなかったが、彼らの多くも大貴族の係累であり、自分たちの後釜にまんまと居座った『成り上がりの孺子』一派に膝を屈する事もできなかったのだった。

 

 なお、当のミュッケンベルガー自身は戦役勃発時は帝都に留まり、居館をローエングラム陣営の兵士たちによって監視されつつ中立を保つ事となる。かつての帝国元帥にして宇宙艦隊司令長官であった彼だが、退役した経緯が経緯であったため、ブラウンシュヴァイク公やリッテンハイム侯といった大貴族たちが作成していた貴族連合軍総司令官候補のリストからは最初から除外されていたのだった。

 

 貴族連合軍から冷遇されつつも、戦役勝利後に中央への復帰を約束された旧ミュッケンベルガー派は、辺境制圧に乗り出してきたジークフリード・キルヒアイス上級大将率いるローエングラム軍の別働隊と対決し、そして敗滅した。

 

 キルヒアイスは辺境を完全平定するまで数十回もの戦闘に臨んだが、その相手の大半は、敵意に燃えキルヒアイスの降伏勧告を拒否した旧ミュッケンベルガー閥の軍人たちであった。キルヒアイス率いる大軍と対峙するためには統一された指揮系統と兵力の集結が不可欠であったのだが、ミュッケンベルガーの強力な指導力によって統率されてきた彼らは、ミュッケンベルガーが去った後の指導者の座を争って貴重な時間を空費するという愚を犯してしまう。その上彼らは「焦土戦術の発案者」として辺境の民衆から侮蔑と怨嗟の対象となっており、民衆によるサボタージュや地下での抵抗活動によって行動をさらに鈍らされた。

 

 かくして旧ミュッケンベルガー派はことごとく各個撃破の好餌として撃滅され、キルヒアイスの辺境完全平定という大功の養分となり果てる。その報を帝都にて知らされたミュッケンベルガーは、深く嘆息したのであった……。

 

 

 そういった一連の事情を考えてみれば、アムリッツァ会戦の後、確かに当時の軍務省や統帥本部の権威と求心力は失墜し、宇宙艦隊司令部の主流であったミュッケンベルガー閥は没落した。この彼らの凋落こそが、リップシュタット戦役勃発時にローエングラム陣営がたやすく帝国中枢の軍事の全権を掌握しえた要因の一つだったのである。

 

 結果として見れば、当時のローエングラム陣営が多大な利益を得たのはまぎれもない事実である。これはローエングラム陣営にとって、単なる幸運であったのだろうか。これがラインハルトや、その謀臣オーベルシュタインの遠大な謀略による結果のものであったとしたら……。

 

 ユリウスは戦慄した。仮にそうだとすれば、同盟の大侵攻に際し民衆を犠牲の羊として軍神の祭壇に捧げたのは、ミュッケンベルガーらでなくラインハルトとオーベルシュタインという事になる。『ヴェスターラントの虐殺』の裏面の事情を推察した時の事も彼は想起し、黒い双眸は常ならぬ光を帯びた。

 

「どうした、ユリウス?」

 

 友人の怪訝そうな声と表情に気付き、白金色の髪の少年は思考の迷路から引き戻された。

 

「……いや、なんでもない。考えても解らないものは解らないな。ほら、身体が冷えない内におまえも早くシャワーを浴びてこい」

 

 そう言いつつ、ユリウスは持っていたタオルをグスタフに放ったのであった。

 

 

 

「……後世において、ラインハルト・フォン・ローエングラムに仕える以前のパウル・フォン・オーベルシュタインの軍歴はさほど重視されず、重点的な研究の対象とされる事は皆無であった。だが、それは結果として謀略家オーベルシュタインの本質を捉えそこなう事となっていたのではないか」

 

「……オーベルシュタインは他者を惹きつけるカリスマ性に恵まれているとは言えなかったが、能力的には決断力、効率性、広範な見識を備えた、極めて有能な軍官僚であった事については疑念の余地はない。ゴールデンバウム王朝を憎悪し、打倒を密かに誓っていた彼は志を遂げる下準備として、その能力をもって配属先の各部署において畏敬を勝ち取り、宇宙艦隊司令長官の次席副官就任や統帥本部情報処理課への在籍などを経て、軍務省、統帥本部、宇宙艦隊司令部といった当時の帝国軍中枢部に広く深い不可視の人脈を密かに形成していた事は、先に挙げた諸史料の分析により明らかになったと思う。イゼルローン失陥の際に逃亡者として処断される予定であった彼がオーディン帰還後に拘束される事もなく、当時のローエングラム元帥府を訪れる事が可能であったほどに行動の自由を得ていたのも、その人脈がもたらした結果によるものだったのである」

 

「……そうして長い年月をかけて構築した人脈や情報網を抱え、彼は満を持して覇者たる器量を持つラインハルト・フォン・ローエングラムの麾下にその身を投じた。そして当時のラインハルトが政治及び謀略面における参謀役たりうる人材を渇望していたとはいえ、その時点におけるオーベルシュタインの謀略家としての能力は未知数であり、彼には明確な実績を示す機会が必要であったはずである。そして謀略家としてのオーベルシュタインの試金石となったのが、当時の宇宙艦隊司令部の主流派たるミュッケンベルガー閥の追い落としだったのではないだろうか」

 

「……オーベルシュタインはかねてから形成していた中枢における人脈と情報網を可能な限り駆使し、宇宙艦隊司令部の周辺に焦土作戦の概要を自然な形で吹き込み、提案されるように巧みに誘導した。そして軍務省や統帥本部の周辺にもその提案を許容するような空気を醸成するように手を打っていたのである。そして同盟軍が侵攻の度合いを深めるにつれ、宮廷の周辺や大貴族たちから焦土作戦に対する批判が生じるようにも仕向け、倨傲かつ単純な大貴族たちはまんまと義眼の謀臣に踊らされたのであった」

 

「……キルヒアイスが『軍上層部の厳命』たる焦土作戦に静かに憤慨していたという、彼の部下たちが残している複数の証言から考えても、民衆に犠牲を強いた真の首謀者がラインハルトとオーベルシュタインであった事は、赤毛の驍将は知らされていなかった事は疑いない。もし彼がその真相を知れば、『ヴェスターラントの虐殺』よりも早く、彼とラインハルトの信頼関係に深刻な亀裂が生じる事となったであろう。なお、ローエングラム陣営におけるキルヒアイスの存在の突出を危惧していたオーベルシュタインが、この時点でこの一件を利用して彼とラインハルトの仲を裂こうと画策した形跡は管見の限りでは存在しない。彼がそれを試みなかったのは、政界ばかりか軍部すらも完全には掌握できていなかった上、門閥貴族という巨大な敵も存在していた当時の状況で、自陣営で本格的な内紛を生じさせるのは下策と判断したからではないだろうか。そして、リップシュタット戦役で勝利への道筋が見えた時点で、オーベルシュタインはヴェスターラントの件を利用してキルヒアイスの影響力の弱体化を目論んだとも考えられるのである」

 

「……結果として、オーベルシュタインのこの策謀は見事なまでに成功を収め、宇宙艦隊司令部の主流たるミュッケンベルガー閥は中央から姿を消してローエングラム閥がそれにとって代わる事となった。それから間もなく勃発したリップシュタット戦役に際し、ローエングラム陣営は軍務省と統帥本部をも呑み込んで、軍事的な独裁権を獲得するに至る。そして辺境に追いやられたミュッケンベルガー派の軍人たちはキルヒアイスによって一掃され、『焦土作戦の責任者たち』を憎悪していた辺境の領民たちは快哉の声を上げつつローエングラム陣営を熱狂的に支持したのである。おそらくミュッケンベルガーは『金髪の孺子』とその一派により陥れられた事を悟って大いに憤激したであろうが、陥れられたという具体的な証拠ももはや存在せず、彼やその周囲が焦土作戦を是として実施を命じたのはまぎれもない事実であった。見苦しく弁明や責任転嫁などできるはずもなく、潔く処分を受容するほかに矜持を保つすべはなかったであろう。また、実父が斃れたティアマト星域での二度にわたる会戦とアスターテ星域での大勝を経て、彼はすでに『金髪の孺子』の用兵家としての力量を不本意ながらも認めていたが、大貴族の一員である自身が貧乏貴族上がりの孺子に謀略面でもしてやられたという自覚は彼の敗北感をより強め、勇退を受けいれる一因となったのではないだろうか」

 

 

「……かくして、ラインハルトはオーベルシュタインの謀臣としての資質を認め、義眼の男は銀河系を一閃する、鋭利かつ長大極まりない『ドライアイスの剣』へと変貌する第一歩を踏み出したのであった……」

 

               J・J・ピサドール「秘匿されし歴史」(ザ・ヒドン・ヒストリー)より一部抜粋

 



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第十四節

「ユリウス。明後日の休みは空いているか」

 

 

 とある下級生と上級生が戦斧(トマホーク)を交えてから一か月ほどが過ぎたある日、その下級生たるグスタフは、食堂にて昼食を共にしていた友人に問いかけた。割ったライ麦パンにバターを塗っていたユリウスは質問者に視線を移す。

 

「ん? ああ、これといった用事はないな。確か、おまえは外で家族と会う予定じゃなかったか?」

 

「いや、実はな……」

 

 キャベツの漬物(ザワークラウト)にフォークを刺しつつグスタフが言うには、彼の母親の知人が来月、オーナーシェフとしてフェザーン都心地区でレストランを開くらしい。

 

 その知人は開業前にケンプ一家を食事に招いたのだが、今日の朝に弟のカールが高熱を出して寝込んでしまい、母も看病のために家に残るとの連絡があった。グスタフが一人で行くのもどうかと思っていた所、さらにそのオーナーシェフから連絡があり、食材を無駄にしたくないから友人がいるなら連れて来い、と言われたとの事であった。

 

「味の方は保証する。なにせその人は「ポンメルン」の料理長(シェフ)が認めた弟子だからな」

 

「ほう……」

 

 ユリウスは感心したようにつぶやいた。

 

「ポンメルン」は旧帝都オーディンの帝都地区に存在するレストランの名である。皇族や大貴族が足を運ぶような格式は有していなかったが、家庭的な料理を提供する名店として、下級貴族や平民階級の間では旧王朝時代から評判は高い。

 

 そこの料理長は気風(きっぷ)のよい、平民出身の初老の男性であった。料理の腕前は折り紙つきで、弟子志望者はこれまで数多かったが、その厳しい指南に最後まで耐え独立にまで至ったのはほんの一握りに過ぎないと聞いている。

 

 ユリウスも家族に連れられて何度か「ポンメルン」の料理を堪能した事がある。確かに幼少の記憶であっても印象に強く残る美味であり、店の印象も良いものであった。ユリウスは目の前にある昼食へ無意識に視線を落とす。

 

 

 帝国を二分する内乱となった「リップシュタット戦役」以前の幼年学校の学食の味は、量はともかく味は貧相としか言えないものであったらしい。

 

 ゴールデンバウム王朝末期において、帝国軍内部の兵站における不備や不正の横行は珍しいものではなかった。杜撰な輸送計画による補給の遅延や途絶、および誤配などにより勝利や拠点を放棄せざるを得なかった事例など、枚挙に暇がない。そして軍需物資の横領犯や、規格より低品質の物資を納品して利鞘を稼ぐ悪徳業者、そして袖の下を受け取ってそれらを容認ないし助長する補給担当者といった輩も後継者難に悩む事はなかったものである。

 

 軍幼年学校もその例外ではなく、経理上の不正や備品の横流しなどの噂は常に存在していた。軍人志願である以上、戦地における粗食にも耐えねばならない場合もあるのは当然だが、それでも当時の学食の味気なさは学生たちにとって深刻な不満の種であり、不正の噂の信憑性を高める一因となっていた。一〇年近く前には、不正の真偽を確認すべく食料倉庫に潜入した学生が事故死し、管理責任の追及を恐れた当時の校長が隠蔽工作のため殺人に手を染めた事件まで発生している。

 

 当時の幼年学校においては、休日での外食をささやかな楽しみにしていた学生も多かった。大貴族出身の学生や教師の中には、密かに高級な食料品を学校内に持ち込む者も少なくなく、目に余らない限りは学校側も彼らの実家との関係をはばかりそれを黙認していたという。学校の最高責任者たる校長自身が私室にワインやキャビアなどを隠し持っていた事例すら存在していたのだから、その程度の目こぼしは当然であったのだろう。

 

 リップシュタット戦役後、帝国の独裁者となったラインハルト・フォン・ローエングラムは政治改革のみならず、軍組織の再編成や改善にも本格的に着手した。彼は従来からの兵站の問題点を正確に把握しており、軍隊内の流通におけるシステムの整備、監査機関の強化や綱紀の粛正によって先に挙げられたような不備や不正は激減する事となる。

 

 幼年学校校長に就任したロイシュナー中将もまた、精力的に学校内部の綱紀粛正と組織改革に取り組んだ。既得権益を主張したであろう大貴族出身の学生および教育関係者の大半は貴族連合軍に身を投じ、連合軍の敗滅と共に学校から完全に姿を消していたため、ロイシュナーは存分に改革の大鉈を振るう事ができたのである。

 

 そのささやかな成果の一つとして、学食の質も大幅に改善されたのであった。

 

 

 現在の幼年学校の学食の味は「可もなく不可もない」といったところである。が、軍関連学校はレストランや高級ホテルではないのだから、その点について不平を鳴らす筋合いはない。むしろ栄養価のみならず、味覚的にも充分に考慮された水準にまで引き上げてくれた事に、ロイシュナー校長や彼を起用したラインハルトに感謝すべきであろう。

 

 とは言え、時には舌鼓を打つほどの食事を楽しみたいという欲求くらいは抱いても咎められる謂れはあるまい。現在はあのルドルフ大帝の治世ではないのだから。

 

 

 前王朝の開祖たる「鋼鉄の巨人」ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムは、皇帝即位までは質実剛健を旨として、独善的ながらも自己の心身を厳格に律していた。

 

 しかし、至尊の玉座に着いて巨大な権力と富を掌中に収めた後は自制心も緩み、巨大なテーブルに所狭しと並べられた佳肴や美酒を愉しむ食生活が常態化するのである。

 

 それでも初老の年齢までは健康診断を定期的に受け、軍事訓練や狩猟といった運動を欠かさないなど節制も充分に意識していた。だが、晩年にはそれも疎かとなり、「ひとかけらの贅肉も一片の脆弱さもなかった」鋼鉄の肉体とそれを司る精神に、赤錆が顕著に浮き始める。

 

 食事の改善を勧める侍医を遠ざけ、運動も怠りがちになった老境のルドルフが痛風などの生活習慣病に悩まされ、それが寿命を縮める一因となった事実は、王朝滅亡後の諸資料の公開により暴露される事となった。「玉体はなお強壮を保っていたが、全人類社会の統治者として重圧や後継者たる男児に恵まれなかった失意などの精神的苦痛が心臓に負担をかけ、崩御に至った」などというのは、王朝にとって都合の悪い事実を隠蔽するための美辞麗句に過ぎなかったのである。

 

 ルドルフやその周囲に侍る一握りの貴族たちは美食を大いに堪能する一方で、「我らのような選ばれた存在とは異なり、凡俗な大衆は物質や金銭に過度に接すれば、必ず汚染され堕落する」として、大多数の平民階級に対しては食事内容に関しても質朴たる事を強要したものである。

 

 だが、時代を経て締め付けもある程度は緩和され、王朝末期には平民たちもささやかな贅沢を享受するくらいの余裕は与えられていた。

 

 そして、同時期におけるルドルフと大貴族の末裔の大半は先祖の期待を裏切り、心身ともに余すところなく「物質と金銭で精神を汚染され」ていた。両手一杯に抱え込んだ権力と富によって視野を塞がれていた彼らは、その重みにふらついている自覚もないままに破滅への道程を歩む事となる……。

 

 

「分かった、お招きにあずかろう。無料(ただ)で美味い飯が食えるなら悪くない」

 

 オーディンから遠く離れたこの地で『ポンメルン』の味を継承した料理を味わえるという誘惑は実に魅力的であり、白金色の髪の少年は笑いつつ友の好意に応じたのだった。

 

 

 当日の正午前。

 

 天候は外出日和とは言いがたいものであった。鈍色(にびいろ)の雲に覆われた空からはまばらに粉雪が舞い降り、地面に落ちては儚く消えてゆく。

 

 惑星フェザーンは、人類発祥の地たる地球に比して気候は全体的に冷涼で湿度も低く、一年を通じておおむね過ごしやすい環境を有していた。

 

 とは言え、公転する恒星から見て地軸が傾いている以上、地域差はあれど四季も一応は存在している。ゆえに冬期ともなれば相応の寒気が生まれ落ち、中緯度に存在する中央市街区全体を支配せんと欲するのであった。

 

「先帝陛下と皇太后陛下のご成婚のときも、こんな天気だったな」

 

 冬の女王のささやかな息吹が感じられる風景をバスの車窓越しに見やりつつ、グスタフはつぶやいた。

 

 昨年の一月二九日に挙行されたその結婚式から、すでに一年が経過している。末永く幸福に在る事を多くの臣民から願われていた新郎新婦の内、新郎たる皇帝ラインハルトがその半年後に崩御するなど、誰が想像しえただろうか。

 

 外の景色にも劣らず表情を曇らせつつある友人に対し、隣に座っていたユリウスは言葉を投げかける。

 

「気持ちは解るが、これから食事を楽しもうというのに暗くなってどうする? そんな顔で店を訪ねたら失礼になるぞ」

 

「……ああ、そうだな」

 

 グスタフは素直にうなずく。ユリウスは雰囲気を変えるべく、別の話題を俎上に載せる事とした。

 

「雪と言えば、聞くところによると先帝陛下は()のビュコック元帥を新雪にたとえられたらしいな」

 

 

 自由惑星同盟(フリー・プラネッツ)最後の宿将たるアレクサンドル・ビュコックは、マル・アデッタ星域にて寡兵ながら老巧な用兵をもって大兵力の帝国軍に抗い、敗れた後は潔く散っていった。

 

 皇帝(カイザー)ラインハルトが自ら斃した敵将を「新雪」と評したのは、マル・アデッタ会戦後に上位者たる元首を殺害し、征服者に媚を売らんとした同盟の一部軍人たちの処刑を命じた直後であったという。彼らの醜行は、若き皇帝の嫌悪感を刺激すると同時に、彼がビュコックに抱いていた清冽な印象を更に強める事となったのである。あるいは、史上空前の覇王は老元帥の老いて白くなった頭髪からも、穢れなき雪を連想したかもしれない。

 

 そして、雪解けの後には春が来るものである。

 

 ビュコックの死は志ある共和主義者たちを悲嘆させると同時に、その遺志を継がんと彼らの精神を大いに鼓舞せしめた。溶け去った新雪は大地に還り、来たるべき季節を潤す大河(リオグランデ)の源流となりおおせたのである。

 

 そして自由惑星同盟の滅亡、ヤン・ウェンリーという巨星の消失という厳冬を乗り越え、新帝国との講和を勝ち取った共和主義者たちはバーラト星系にて民主共和制の命脈を保った。小なりといえども春を迎え、残された種子は芽吹いたのであった。

 

 第二代皇帝たるアレクサンデル・ジークフリードの名の由来たる人物という事もすでに公表されており、ビュコック元帥は旧同盟市民のみならず、敵の陣営であった帝国の将兵や一般市民の間でも敬意を向けられた存在となりつつある。それは、かつての雄敵を讃えるだけの余裕が生まれているという事でもあった。

 

 父のまぎれもない(かたき)であったヤンに対して、グスタフはまだ感情を整理し切れてはいない。だが、ビュコックに対してはグスタフも自然に敬意を払う事ができた。ユリウスとグスタフは、帝国公用語に翻訳されたビュコックの回顧録の内容を話の種として、しばらくの時間を会話に費やしたのであった。

 

 

 やがてバスは最寄りの停留所に到着し、そこから二人は白い息を吐きつつ徒歩で目的地に向かう。

 

 新しい首都星たるフェザーンの帝都中心街区は、好ましいとはいえない天気ながらも人々による活気に溢れている。帝国公用語や同盟公用語の表記や会話がそこかしこに存在しており、様々な出自の人間が希望や意欲を原動力として活動しているのが皮膚で感じられた。

 

 また、少なからず帝国の軍服を着た武装兵や憲兵の姿も見かけ、警邏や警備を行なっている彼らに近付くたびに立ち止まり、敬礼を交わさねばならなかった。

 

 ほどなく二人の学生は目的の店の前にたどりついた。ユリウスは何とはなしに店の看板を見て、しばしそれに視線を固定させる。

 

 が、グスタフに促され、帽子とコートの雪を軽く払い落としつつ店の入り口に歩を進めたのだった。

 

 

 暖かで落ち着いた雰囲気の店内で二人の少年を迎えたのは、白いコックコートに身を包み、青いコックタイを襟元に巻いた一人の若い女性であった。

 

 外見から見て二〇代の後半といったところだろうか。女性としては長身で肉付きがよく、くすんだ癖のある金髪は短めに切りそろえられている。表層的な容姿は「ありふれた美人」といった所であるが、その表情からは意思の強さと性格の朗らかさが看てとれた。

 

「じかに会うのは久方ぶりだねえ、グスタフ。またずいぶんと背が伸びたじゃないのさ。そのうち親父さんを超えるんじゃないかい?」

 

 その女性は笑いかけつつ、グスタフの肩を強めに叩いた。

 

「……お久しぶりです。痛いですよ」

 

 グスタフは少し顔をしかめつつ応えた。

 

「あっはっは、悪い悪い」

 

 淑女らしからぬ笑い声を上げつつ、女性は反省の色のない口調で謝罪した。その光景を白金色の髪の少年はいささか呆然として見つめていたが、

 

「で、こっちの子が友達かい?」

 

 という言葉とともに視線を向けられ、我に返る。青い瞳から放たれる興味の光にやや辟易しながらも、ユリウスは帽子を脱ぎ、名のりつつ挨拶した。

 

「へえ、どんな子かと思っていたら、随分と整った顔立ちをしてるじゃないか。比べてグスタフは少しごつすぎるねえ」

 

 妙に感心したような表情をしながら、目の前の女性はあけすけな評価を下す。ユリウスは返答に困り、グスタフはむくれた表情を作ろうとして失敗し、結局二人は苦笑を浮かべた顔を見合わせざるを得なかった。どうもこの女性には、憎めない人徳のようなものが備わっているようである。

 

 そう言った少年たちの心情に構わず、彼女はにっと笑ってユリウスに挨拶を返した。

 

「今日はよく来てくれたね。あたしはここのオーナーシェフって奴で、グレーチェン・フォン・エアフルトって言うんだ。よろしくね」

 

 ユリウスが軽く瞠目するのに気付かず、女主人は年少の客人たちをテーブルに着くよう促した。

 

「さあさあ、突っ立ってないで、二人ともこっちの席に座って待ってな。準備はできてるから時間は取らないよ」

 

 そう言うとグレーチェンは手にしていたコック帽をかぶり、幼い二人の客を案内する。

 

 二人の帽子とコートを預かり、席に着かせたのちに厨房へと向かうオーナーシェフの後姿を見つつ、ユリウスはやや小声でグスタフに尋ねた。

 

「なあ、あの人はもしかしてシュタインメッツ元帥の……」

 

「知っていたか。ああ、恋人だった女性(ひと)だ」

 

 

 

 カール・ロベルト・シュタインメッツ元帥。

 

 

 

 主に辺境にて功績を積み重ねたのちにラインハルト・フォン・ローエングラムによって中央へ召還され、軍最高幹部の一角として遇された名将であった。

 

 

 旧帝国暦四八九年に開始されたフェザーン自治領(ラント)と自由惑星同盟への侵攻作戦「神々の黄昏」(ラグナロック)において、シュタインメッツは第四陣の艦隊司令官として従軍した。

 

 その翌年の同盟の降伏後、彼は割譲されたガンダルヴァ星系の駐留艦隊司令官という役職を任される事となる。この人事は、先立ってライガール・トリプラ間の会戦で敵将ヤン・ウェンリーに大敗したシュタインメッツに対してラインハルトが名誉回復の機会を与えたという側面も存在していた。その主君の意図にシュタインメッツは感謝し、帝国の属領となった同盟に睨みを利かせる重責を果たすべく任地に赴いたのであった。

 

 ほどなく、新帝国暦〇〇一年と改められたその年の七月に同盟首都ハイネセンにて勃発した騒乱を契機として、新王朝の皇帝となったラインハルトは同盟領への再侵攻を全宇宙に向けて宣言する。シュタインメッツは主君率いる親征軍の到着を待ちつつ同盟政府の動向に対しての牽制および監視を怠らずに不測の事態に備え、ラインハルトの同盟完全征服に目立たないながらも重大な貢献を果たしたのであった。

 

 そして同盟滅亡後の新帝国暦〇〇二年三月一九日、帝国軍における新たな人事が皇帝ラインハルトの名において公表された。まず最初に示されたのは、統帥本部総長オスカー・フォン・ロイエンタール元帥の「新領土」(ノイエ・ラント)総督職への内定であった。そしてそれに伴い、ロイエンタールの総督赴任後は大本営を主宰する皇帝自身が統帥本部を司る事、そしてその補佐役として、駐留艦隊司令官の任務を終える事となるシュタインメッツが大本営幕僚総監に擬せられたのである。

 

 だが、結果として彼はその重職を生前に拝命する事はなかったのであった。

 

 その年の一月にイゼルローン要塞を再奪取したヤン・ウェンリー一党を討伐すべく、皇帝ラインハルトは大軍を率いてイゼルローン回廊に侵入する。

 

 その一翼を担ったシュタインメッツは「回廊の戦い」の中盤において、ラインハルト本隊を直撃せんとした敵の別働隊から主君を守るべくその前に立ちふさがった。そして彼は別働隊に痛撃を加えて潰走寸前まで追い込んだのだが、その直前に敵側の救援として現れた「魔術師」ヤン・ウェンリーと「ゴールデンバウム王朝最後の宿将」ウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツという、当時の人類社会において五指に入る二人の名将と相対する事となったのである。

 

 巧妙と老練をそれぞれ体現したかのような左右からの攻勢は、極めて完成度の高い連携行動でもあり、その圧力は尋常ならざるものであった。加えて、敵別働隊とラインハルト本隊の間に速度を優先して割り込んだため、シュタインメッツ艦隊の陣形は伸びきって厚みと深みを著しく欠いていた。この状況もヤンやメルカッツの予測の範疇にあり、別働隊を指揮していたマリノ准将は皇帝本隊を直撃こそできなかったが、多大な犠牲を払ってシュタインメッツ艦隊に巨大な隙を作る事に成功したのである。

 

 それでも、先のライガール・トリプラ間での敗戦時とは異なり、シュタインメッツには撤退や後退という選択肢は存在しなかった。逆境の中、彼は背後の皇帝を守るべく迎撃と陣形の再編を試み続けたが、その非凡な指揮統率をもってしても麾下の戦線崩壊は食い止められず、シュタインメッツは艦隊中枢部を直撃されて五月六日に戦死を遂げるのである。三五歳の誕生日まで、四ヶ月あまりの時間を残しての死であった。

 

 その代償として、帝国軍の他の部隊が来援するだけの時間は稼がれ、戦線は再び膠着状態となった。かくしてこの時のラインハルト本隊の危機は去り、シュタインメッツは死して主君の盾としての役目を果たしたのであった。

 

 先立って戦死したファーレンハイトに続き、軍最高幹部の一角を失ったラインハルトは憂愁の色を隠せなかったが、ほどなく首席秘書官であったヒルデガルド・フォン・マリーンドルフを「第二代の」大本営幕僚総監に指名する。これは正式な就任前に斃れたとはいえども、あくまで「初代の」幕僚総監としてシュタインメッツを遇するという皇帝の意思表明でもあった。

 

 そして、同時にシュタインメッツはローエングラム王朝成立後における五人目の帝国元帥に叙されるのである……。

 

 

 そういったシュタインメッツの経歴に思いを致していたユリウスであったが、ほどなく成長期にある少年たちの食欲を刺激する、蠱惑的な匂いが漂ってきた。

 

 焼き立ての香ばしい玉葱のパイ(ツウィーベルクーヘン)

 

 特製のハーブドレッシングをかけた、カリカリに焼いた刻みベーコンとチシャ(フェルトザラート)のサラダ。

 

 様々な野菜とソーセージ入りのレンズ豆のスープ(リンゼンズッペ)

 

 溶けたバターとレモンの絞り汁にひたされた熱々の鱒と茸のホイル焼き。

 

『ポンメルン』料理長直伝である鶏肉のクリーム煮(フリカッセ)

 

 デザートは生地の歯ごたえと、果肉の甘みと酸味のバランスが絶妙な林檎のタルト(アップフェル・トルテ)

 

 女主人が手ずから次々と運んでくる料理の群れに対し、少年たちは健啖ぶりを存分に発揮した。テーブルマナーに気を配りつつも、皿の上から料理が消えていく速度は実に早い。完食にはさほどの時間を要しなかったであろう。

 

 そして食後のコーヒーである。少年たちは香り高いそれにクリームをたっぷり入れて、食事の余韻を楽しんだ。

 

 ユリウスは女主人にお礼の言葉と、「ポンメルン」の料理長の弟子という肩書きに恥じない味だったという感想を率直に述べる。グスタフが友人の言葉に同意し、弟が病床で悔しがっていたと母が言っていた、と告げた。

 

 同じテーブルに着き、片手のワイングラスを置いて女主人は礼と賛辞を鷹揚に受けた。

 

「二人が今日来れなかったのは残念だけど、カールが治ったら改めて招かせてもらうよ。それにしても、いい食べっぷりだったねえ。作った甲斐があったってものさ。先帝陛下とキルヒアイス元帥を思い出すね」

 

 その何気ない言葉の最後の部分を聞いて、コーヒーカップを口元に運ぼうとしたユリウスの手が止まる。グスタフの方は口に運んだ直後であったため、むせて咳き込んでしまった。

 

「……お二人と面識があったのですか」

 

 好奇心を隠し切れないユリウスの問いに「面識ってほどじゃないけどね」と、女主人は悪戯(いたずら)に成功した子供のように笑いつつ応じた。

 

 

 ラインハルト・フォン・ミューゼルとジークフリード・キルヒアイスの両名は幼年学校を卒業して任官するに際し、とある老婦人姉妹の家の二階を下宿先に定めた。

 

 前線勤務から帰還してオーディンに在る時期は、食事は下宿先の家主たちが作る料理の相伴に預かったり、軍施設の士官食堂で済ませる事が多かった。

 

 一方で外食の機会もそれなりに存在しており、格式ばっておらず、質の高い家庭的な料理を提供する「ポンメルン」は二人のお気に入りの店の一つだったのである。

 

 当時グレーチェンはもっぱら厨房に籠もっていたため、件の二人と直接に話した事はない。だが、ときおりホールで見かけるその姿は充分すぎるほどに印象的であり、豪奢な金髪と燃えるような赤毛の少年二人が並んでいる姿を、グレーチェンは今でも鮮明に思い出す事ができた。

 

 彼女自身は美形であっても年下にそこまで心を惹かれなかったが、彼らに対し様々な年齢層の女性客が低く嘆声を漏らし、注文を取りに伺ったウエイトレスの少女が頬を染めていた光景もよく憶えている。もっとも、当の本人たちはそういった女性陣の視線に、とんと気付いていない風ではあったが……。

 

 磊落な料理長はホールにも仕事をおろそかにしない程度に顔を出し、客と直接の交流を持ったものだが、件の二人も例外ではなかった。キルヒアイスの方はともかく、ラインハルトは気安く話しかけられる事に当初は不本意を感じていたみたいだが、孫に接するかのような当時の家主たちの態度と同様に、来店を重ねるにつれて慣らされてしまったようである。

 

 ある時は、料理長自慢のフリカッセを完食したラインハルトは作った本人の眼前で、

 

「ここのフリカッセは宇宙で二番目に美味しい」

 

 と言い放った。

 

 そしてそれを聞いた料理長は、少しはらはらした表情のキルヒアイスを横目に怒気を発するでもなく、面白そうに問いかけたものである。

 

「ほう、俺の精魂込めた料理が二番目か。で、一番目を作ったのは誰だ?」

 

 金髪の若者が姉だと悪びれずに答えると、きょとんとした表情を数瞬作った料理長はほどなく、

 

「なるほど。家族の愛情という調味料には勝てんな」

 

 と言いつつ、にやりと笑って放言を受け止めた。

 

 また、ある時はその日のお勧めメニューであった新鮮なチシャのサラダを、二人の少年のうち赤毛の方は注文したが、金髪の方はポテトサラダを選んだ。

 

 その理由を聞いた料理長は、ラインハルトがチシャを苦手としていると知って大笑いし、金髪の若者はいささか不貞腐れたような表情を浮かべた……。

 

 

 そういったいくつかの、宇宙を征服した覇王とその無二の腹心の逸話をグレーチェンは面白おかしく語り、二人の少年は時には興味深く、時には笑いをこらえながら、耳を傾けた。女主人が今日用意した料理は、全て金髪の覇者と赤毛の驍将が「ポンメルン」で注文した事があるメニューの中から選んだものであり、それによって女主人の話はさらに弾む事となったのである。

 

 話が一段落すると、女主人はそれまでの朗らかな表情に少しほろ苦さを加えつつ、

 

「そのお二方も、あたしより若いのに天上(ヴァルハラ)に去ってしまわれたんだねえ」

 

 と軽く嘆息した。

 

「まったく、軍人ってのは因果な商売だね。ようやく平和になったんだから、あんたたちは生き急いだらいけないよ」

 

 その言葉に含められている深さと重さを理解し、ユリウスはグレーチェンを見返す。その少年の表情を観察した彼女が、不意に微笑を浮かべた。

 

「その様子だと、あたしの事情も知っているみたいだね」

 

 ちらりと向けられた女主人の視線を受け、グスタフは少し慌てたように首を横に振る。

 

「グスタフには確認を取っただけです。元からシュタインメッツ元帥の事績にも興味がありましたし、何より店の名前が名前ですので」

 

「……ああ、なるほどね」

 

 ユリウスの返事に苦笑して答えつつ、女主人は手に取ったグラスを口元で傾けた。

 

 そして彼女は、シュタインメッツと自身の過去についても、静かに語り始めたのだった。



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第十五節

 カール・ロベルト・シュタインメッツは士官学校卒業後、早くから有能さと勇敢さにおいて非凡と評されるだけの功績を示していた。

 

 だが、不運な事に配属先の上官のことごとくが傲慢極まりない貴族出身者であり、剛直かつ清廉な気質にして平民出身のシュタインメッツは、彼らとしばしば衝突せざるを得なかった。「三〇歳近くまで、あまり上官には恵まれなかった」というのは後年における本人の弁である。

 

 その結果、シュタインメッツは任官してわずか一年ほどで辺境星区への転属を命じられる。辺境への赴任期間は一応は三年と定められていたが、軍上層部に疎まれ辺境を転々としたまま軍歴を終える者も数多かった。彼もその例に漏れず、辺境各地をたらい回しにされる事となるのである。

 

 そのような境遇の中でもシュタインメッツは腐る事なく経験と実績を積み重ね、兵士たちや平民ないし下級貴族出身の同僚や部下から絶大の信頼を寄せられる存在として、着実に軍人としての評価を高めていった。

 

 

 そのシュタインメッツに転機が訪れたのは、辺境に赴任して九年、三〇歳を迎える旧帝国暦四八六年の事である。

 

 この年、第三次ティアマト会戦での勝利によって帝国軍大将に昇進した一九歳のラインハルト・フォン・ミューゼルに、大将への礼遇の一環として個人の旗艦たる新造戦艦ブリュンヒルトが与えられた。

 

 当初ラインハルトは腹心たるジークフリード・キルヒアイス中佐をその艦長に据える事も考慮したが、キルヒアイスが冗談めかして自分の忠誠心がブリュンヒルトに優先的に向けられてよいのならばと語ると、半ば本気で慌てつつ断念したものである。

 

 戦艦の艦長は中佐ないし大佐をもってその任に宛てる事が軍規で定められていたが、その要件とラインハルトの人物鑑定眼に耐えうる能力を兼ね備えた人材は、なかなかに見い出せなかった。心当たりのある人物は、別の任地にあってそこから異動させる事が不可能であったり、実績は充分ながら階級が低かったり、逆にすでに将官に昇進していたりと、ことごとく候補者リストから外さざるを得なかったのである。

 

 そのようないささか苛立たしい心境の中で、ラインハルトは知己であり、辺境に赴任していたウルリッヒ・ケスラー准将と超光速通信で会話を交わす機会を得た。久々の会話の中で、ラインハルトは件の人事について現状を述べた後、

 

「卿がまだ大佐だったならば、任地から呼び戻して旗艦の艦長になってもらいたかったところだ」

 

 とこぼし、ケスラーを軽く苦笑させたものであった。そして、ケスラーは不意に何かを思い出したかのように笑みを収め、ラインハルトに辺境で知己を得た一人の人物を推挙したのである。

 

 その人物こそがカール・ロベルト・シュタインメッツ大佐であり、長年にわたり辺境勤務に従事していた彼は、新任地に慣れぬケスラーに何かと助言してくれた存在でもあった。才幹も為人(ひととなり)も充分に信頼に値するとケスラーは太鼓判を押し、同時に彼が任期を終え、形式上の手続きなどを行なうために間もなく帝都に一時帰還する事もラインハルトに伝えたのである。

 

 通信を終えたラインハルトはすぐさまキルヒアイスと共にシュタインメッツの経歴について調べ上げ、ほどなく得られた情報はことごとくケスラーの推薦を裏付けるものであった。

 

 それでも自身の眼で相手を見定めたいとラインハルトは望み、彼は辺境帰りの一軍人と面会の約束を取り付けて対面を行なう事となる。そして長くもない対話の中で、シュタインメッツがひとかどの人物である事を若き帝国軍大将は確信し、彼の艦長指名を決断したのであった。

 

 その指名にも、シュタインメッツを引き続き辺境勤務に留任させる腹積もりであった軍上層部は難色を示したが、最終的にはラインハルトの強い要望を容れざるを得なかった。シュタインメッツが定められた赴任期間を満了するのは事実であったし、皇帝が寵姫の弟に与えた旗艦の初人事に水を差すのもはばかられたという事情もあったのである。

 

 シュタインメッツも、ラインハルトの事は辺境にてケスラーから「大器の所有者」と聞かされていた。そしてその金髪の若者と対面を果たした彼はケスラーの鑑定眼が正しかった事を悟り、自分より一〇歳以上も年少の大将閣下の指名を受諾したのである。

 

 

 辺境より久々に戻った帝都において、シュタインメッツ大佐は馴染みの店であった『ポンメルン』に足を運んだ。ブリュンヒルトの初代艦長は面識があった料理長に久闊を叙し、料理長はかつての常連客の出世と帰還を素朴に喜んだものである。

 

 そうした会話の中、シュタインメッツは厨房の中にコック姿の女性がいる事に気付いた。そして、その軽い驚きの表情を見た料理長は何気なく「唯一認めた女の弟子」を呼んで紹介したのである。このあまり劇的とは言えない邂逅が、カール・ロベルト・シュタインメッツとグレーチェン・フォン・エアフルトという男女の馴れ初めであった。

 

 

 エアフルト家はルドルフ大帝以来の名門貴族の一つであったが、本家はとうの昔に政争の渦中で爵位を失った末に断絶している。グレーチェンの実家はその傍流のまた傍流であり、かろうじて帝国騎士(ライヒス・リッター)の地位とささやかな財産を保った家柄に過ぎない。シュタインメッツの死後、彼の「愛人」の家名を聞いてもラインハルトや、その副官にして名門ブラウンシュヴァイク公爵家の旧臣でもあるシュトライト中将がさしたる反応を示さなかった事からも解る通り、エアフルト家の名はすでに歴史に埋没していたのである。

 

 祖父が事業にて先祖伝来の館を手放すほどの負債を抱え、父の代になってもその返済にいささか苦慮する家庭環境で成長したグレーチェンは、良縁を望む両親の願いをよそに二年制の調理学校への進学を選んだ。

 

 負債の清算にようやく見通しが立ちかけた程度の実家の経済状況では、縁談でまともな結婚を望めないのは明白であった。彼女が聞いた話では、二〇年ほど前にエアフルト家と古くから関係があったマールなんとかいう凋落した伯爵家の娘が二〇も年長の裕福な下級貴族に嫁がされ、夫との仲が破綻したあげくに自殺したというではないか。もともと祖父の事業の失敗はかの伯爵家の定見のなさが要因で、それ以降は絶縁状態になってしまっており詳しい事情は知らなかったが……。

 

 そんなろくでもない結婚をするよりは手に職を付けて自立した方がいいと、生来負けん気の強いグレーチェンは割り切った。使用人もいない家庭環境で育った彼女は家事に慣れており、料理にも相応の経験と興味があった事と、弟が希望していた大学への進学を手助けしたいという思いも決断を後押ししたのである。当初は反対していた両親も、弟の進学と家計の件を持ち出されては強く反論はできず、最終的には娘の進路を容認したのであった。

 

 ゴールデンバウム朝銀河帝国においては建国者ルドルフ大帝の価値観を反映して、男尊女卑の思想が深くその根を下ろす事となった。王朝中期の『晴眼帝』マクシミリアン・ヨーゼフ二世の改革などを経て幾分かは改善ないし緩和されたものの、それでもなお王朝末期まで、女性の社会進出には有形無形の制約が数多く存在していたのである。

 

 料理界も例外ではありえず、相応の報酬をもって遇される一流レストランや宮廷ないし門閥貴族の厨房には女性の料理人は至って少なく、志望者がいたとしても大抵の場合は門前払いを喰らわされるというのが当時の現状であった。

 

 伝手のないグレーチェンは思案の末、卒業後に『ポンメルン』の扉を叩く。評判の高い店の中において『ポンメルン』は、過去に少なくない数の女性の料理人志望者を受け入れた実績があったのである。もっとも、その志望者らは料理長の男女の区別なき厳しさに耐えられず、結局は辞めてしまったのだが。

 

 没落したとはいえ、貴族令嬢たる身の弟子入り希望には剛腹な料理長もさすがに驚いたようである。だが、グレーチェンの本気を看てとった料理長は「音を上げるようならすぐに叩き出す」と宣告し、彼女を受け容れたのだった。

 

 グレーチェンは数年間の下働きを行ないつつ、料理長からの容赦ない指導や叱責にも黙々と耐えた。一部の男の同僚たちからの、

 

「女、それも貴族の癖にここの厨房に入るとは」

 

 という揶揄や陰口には平然として、

 

「くだらない嫌味を言う暇があったら、料理の腕を磨いたらどうなんだい? あんたたちの手は口ほどには動かないだろうに」

 

 と、本人曰く「料理長から料理よりも先に伝授された」下町訛りで言ってのけ、彼らを赤面および沈黙させたものである。やがてその根気と仕事への誠意を料理長に認められ、彼女は少しずつ重要な仕事を任されるようになっていったのであった。

 

 そうして奮闘していたグレーチェンは、二二歳を迎える旧帝国暦四八六年にシュタインメッツとの出逢いを果たすのである。

 

 

 白銀の戦艦の手綱を任されたシュタインメッツはその能力に加えて、上司への直言もためらわない剛毅な為人もラインハルトに高く評価された。シュタインメッツの方もまた、己の能力を正当に評価し、諌言を容れる度量をも備えた若い上官への敬意を深めたのである。

 

 第四次ティアマト会戦後、ラインハルトは准将に昇進したシュタインメッツを幕僚にと望んだ。だが、この要望は容れられず、シュタインメッツは辺境への再赴任を命じられた。ブリュンヒルトの初陣が済んだ以上、もはや軍上層部はラインハルトにそこまで配慮する必要を認めなかったのである。また、有能にして辺境の事情に通じたシュタインメッツは上層部にとっては疎ましいのと同時に、辺境星区を安定させるための優秀な駒たりうる存在だったというのも理由の一つであった。

 

 この時期、シュタインメッツはすでにグレーチェンと恋仲と言って差し支えのない関係を築いていた。当初は意気投合した知人といったところであったが、交流を重ね、異性として好感を互いに深めていくのにさほどの時間を要しなかったのであった。 

 

 ラインハルトが「機を見て必ず召還する」と約束してくれたとはいえ、申し訳なさそうな表情を禁じえないシュタインメッツから辺境行きを告げられたグレーチェンは、

 

「ま、呼び戻すって約束があるなら、信じるしかないね。あたしも手に職はあるし気長に待つさ。ただし、辺境(むこう)で別の女なんか作ったらただじゃおかないよ、ロベルト」

 

 と言って、苦笑いしつつうなずく准将閣下を送り出したのである。グレーチェンはいつの間にか、恋人の事をミドル・ネームで呼ぶようになっていた。

 

 

 かくしてシュタインメッツは畏敬すべき上官と恋人との再会を期して、再び辺境星区の治安維持に従事する事となったのである。

 

 将官としてそれまで以上の権限を有する事となったシュタインメッツは、武断に偏らない硬軟織りまぜた手腕を存分に発揮した。彼が担当していた星域において跋扈していた宇宙海賊や密輸団などの非合法組織はほぼ一掃され、未然に防がれた叛乱や暴動も両手の指の数では足りないほどである。

 

 中でも、カストロプ公爵の半年にわたった叛乱に際して、その影響で生じた流通や治安の混乱に乗じ大規模な蠢動を図った辺境の海賊どもを一網打尽にした功績は特筆すべきものであった。

 

 もしシュタインメッツや彼に協力したケスラーら近隣の軍管区司令官たちの活躍がなければ、数日で叛乱鎮圧に成功したキルヒアイスは、引き続き海賊への対処を命じられる事となったであろう。そうなれば事態の収拾にはさらなる時間を要し、迅速に叛乱を鎮めたという印象は著しく薄れる事となったに違いない。それを理解していたキルヒアイスはシュタインメッツやケスラーに通信を送り、心からの謝意を伝えたのである。

 

 姓の頭文字が同じSである事にひっかけて、銀河連邦時代に海賊鎮圧で活躍したシュフラン(S U F F R E N)提督の再来と兵士たちから謳われるほどの武勲は、軍上層部も認めざるを得なかった。

 

 シュタインメッツはラインハルトの下を離れて二年足らずで中将にまで昇進し、複数の軍管区を担当する権限を有するに至る。これは彼の功績もさる事ながら、権限をある程度まで拡大させて彼に手腕を振るわせれば、辺境の安定につながるという上層部の思惑やラインハルトの推薦などが絡んだ結果であった。金髪の若者に言わせれば、功績に比して昇進が遅れていたので是正しただけだと言う事になる。もっとも、仮にシュタインメッツが順当に昇進していれば、彼がブリュンヒルトの艦長に就任する事もなかったはずである。それを思えば、皮肉な巡り合わせの妙にラインハルトも苦笑を隠せなかったものであった。

  

 公平に見て、旧帝国暦四八八年初頭の時点で大将に昇進していてもおかしくないだけの大功を、シュタインメッツは重ねていた。だが、まだ三二歳と若く、異例の昇進速度と兵士からの高い声望への嫉妬と警戒に加え、剛直な為人ゆえの上層部からの忌避、何よりも平民出身である事が栄達を妨げたのである。

 

 半世紀以上前の第二次ティアマト会戦において大量の高級士官の戦死者が出た後、帝国軍はその穴を埋めるため、上級貴族出身者のみならず下級貴族及び平民の軍人を引き立てる事を余儀なくされた。

 

 その結果として、軍における下級貴族や平民出身の高級士官の比率や影響力は増大してはいたものの、それでも身分制の壁は未だ強固な存在として彼らの前に立ちはだかっていたのである。それゆえに、当時の常識では大将以上の階級は皇族や門閥貴族の係累でもなければ、通常は三〇代もしくはそれ以下の年齢で任命される可能性は絶無であった。

 

「少なくとも、あと一〇年は昇進はない」

 

 と周囲からはささやかれており、当のシュタインメッツもその評が正しい事を知っていた。彼はいたずらに出世に執着するような人物ではなかったが、軍人として実力相応の矜持や自負は抱いている。自分の能力や実績の不足によらず昇進がままならないという状況への無念の思いを、完全には禁じえなかったものであった。

 

 

 旧帝国暦四八七年、下級貴族の出自ながら「当時の常識」をことごとく粉砕してのけたラインハルト・フォン・ローエングラム元帥が宇宙艦隊司令長官に就任した際、二年ほど辺境に在ったケスラーは任地から召還されローエングラム元帥府に艦隊司令官として迎え入れられたが、シュタインメッツは辺境に留められる事となる。

 

 これは来るべき門閥貴族たちとの対決に備え、ラインハルトが下した判断によるものであった。軍歴の大半を辺境各地にて過ごし、経験と人脈を培ってきたシュタインメッツが現地に最初から在れば、戦役勃発後の辺境の平定が迅速かつ容易になるとラインハルトは計算したのである。

 

 その点のみを考えれば、ケスラーも辺境に留めるべきではあった。だが、中央の艦隊戦力の大半を掌握した当時のラインハルトは有能な前線指揮官のさらなる増員を必要としていたため、やむなく辺境での経歴が短いケスラーのみを呼び戻したのである。

 

 シュタインメッツはそういった事情に不満を漏らす事なく、旧帝国暦四八八年のリップシュタット戦役勃発に際しては迷わずにローエングラム陣営への協力を表明した。そしてそれを行動で示すべく、同じようにローエングラム陣営への参加を決断した軍人たちを糾合し、貴族連合軍に属する勢力圏に侵攻して勝利を重ね、従来から管轄していた領域を含め一七もの星区を平定してみせたのである。

 

 やがてローエングラム軍の別働隊を率い、「辺境の王」と呼ばれるほどの破竹の勢いで辺境平定を進めていた宇宙艦隊副司令長官ジークフリード・キルヒアイス上級大将と合流を果たした彼は、キルヒアイスにその諸星区を委ねようとした。

 

 だが、キルヒアイスはシュタインメッツに辺境星域に留まり、オスマイヤーを筆頭とした行政官たちと連絡を密にしつつの、現地の治安維持や流通の安定化などを要請したのである。シュタインメッツもそれを快諾し、キルヒアイスは辺境平定後、後顧の憂いなく最終決戦の地たるガイエスブルク要塞へと向かう事ができたのであった。

 

 ブリュンヒルトの初代艦長であったシュタインメッツには、ラインハルトの副官だったキルヒアイスと身近に接していた短かからざる時期がある。それゆえ、目立たないながらも的確かつ迅速に補佐をこなすキルヒアイスの真価の片鱗をシュタインメッツは早くから感じ取る事ができ、同時にその為人にも好感を抱いていた。そしてキルヒアイスも「ラインハルト様はよい艦長を選ばれた」と、シュタインメッツの才識と人格を高く評価していたのであった。

 

 辺境にて再会を果たしたキルヒアイスとシュタインメッツは、事務的な話を一通り済ませてコーヒーを飲み交わしつつ、つかの間の歓談に興じた。

 

「ローエングラム侯は辺境の現状を憂慮されておられます。この内戦が終結し新体制が成立した後は、抑圧されてきた民衆は解放され、辺境も滞っていた開発が大きく進む事となるでしょう」

 

 それまでの軍歴のほどんどを辺境で過ごしてきたシュタインメッツは、そこに住まう民衆にも浅からぬ情を抱いている。ゆえにそのキルヒアイスの言葉は頼もしく、そして喜ばしいものであった。

 

「そして、分裂している人類社会が再び一つにまとまり、戦乱の時代が終わりを迎える日もそう遠くはないと私は確信しています。どうか提督にも、その力添えをお願いしたく思います」

 

 キルヒアイスが語ったその壮大な未来図に、豪胆なシュタインメッツもさすがに息を呑む。

 

 シュタインメッツはラインハルトや同僚となるロイエンタールのように、乱世の雄としての野心を抱いた事はない。だが、それでも「人類社会の再統一」という展望を聞かされて、自分は歴史を大きく動かす蓋世の英雄の下に在るのだと、胸の奥が熱くなるのを感じたのだった。

 

 そして、キルヒアイスの出立の日を迎え、見送りに出たブリュンヒルト初代艦長は、

 

「後方の事はお任せください。どうか心置きなく、ローエングラム侯と共に大貴族どもと決着をつけられますよう。……新しき時代のために」

 

 と力強く請け負い、「辺境の王」は穏やかにうなずいた。やがて二人は敬礼を交わし、赤毛の驍将は旗艦バルバロッサに搭乗すべく長身を翻す。シュタインメッツはその背中を、敬意を込めて見送った。そして、それが彼が最後に見たキルヒアイスの生前の姿となったのである……。

 

 

「あの二人がねえ」

 

『ポンメルン』で食事を楽しんでした二人の若者のうち、金髪の青年が傲慢な大貴族どもを打倒して帝国の支配者となりおおせた事に、大胆なグレーチェンもさすがに驚嘆せずにはいられなかった。

 

 同時に、もう一人の赤毛の青年が友を守って斃れた事に対しては、小さからぬ痛ましさを禁じえない。店でときおり見かけただけの自分ですらそうなのだから、浅からぬ交流があったシュタインメッツの心痛はいかほどかと、グレーチェンは慮ったものである。

 

 リップシュタット戦役終結後、シュタインメッツは自身が統括する辺境諸星区の支配権を勝利者たるラインハルトに改めて差し出し、念願の大将に昇進の上で帝都へと召還された。

 

 だがグレーチェンが憂慮した通り、シュタインメッツにとってキルヒアイスの非業の死は、恋人との再会と新体制の軍幹部として遇された事への喜びをいささかならず冷めさせる寒風となったのである。それに加えて、恋人にも語れない一つの疑念が、彼をさらに苦悩させていたのだった。

 

 キルヒアイスが辺境を平らげてガイエスブルクへ向かう途上で起こった「ヴェスターラントの虐殺」。

 

 それを端緒とした、貴族連合軍の自壊。

 

 その前後に、金髪と赤毛の若者たちの間に生じた亀裂。

 

 そして儀典時の銃の携帯という、それまでキルヒアイスのみに認められていた権限が取り消され、結果として彼はラインハルトを狙った刺客の前に素手で立ちふさがり、身代わりとなって落命した……。

 

 軍の最高幹部となりおおせたとはいえ、シュタインメッツは裏面に隠されている真相を全て把握できていたわけではない。だが断片的な情報と表層上の結果からでも、ほんの短期間のみ流布していた「ローエングラム陣営によるヴェスターラント虐殺黙認」という噂が事実であろう事を、シュタインメッツは悟らざるを得なかったのである。

 

 

 ある一日、シュタインメッツは帝都随一と謳われる高級レストランでの夕食(ディナー)をグレーチェンに持ちかけた。彼女は以前、そのレストランについて「一度くらいは『敵情視察』をしてみたいね」と冗談めかして語った事があり、シュタインメッツはそれを記憶していたのである。その誘いに女料理人はしばし唖然としたのち、破顔して受諾したのであった。

 

 当日、シュタインメッツは軍服姿でグレーチェンと落ち合った。そして現れた待ち人の姿に、今度は彼が唖然とさせられる事となる。

 

 青系統のドレスを着こなし、髪を調え、落ち着いた意匠の装飾品で飾ったグレーチェンは、シュタインメッツが見慣れていたおおらかな彼女の姿とは全くの別人であった。

 

 予約した時刻通りにレストランに到着し、支配人自らの先導で二人は席に案内された。なにしろ、今をときめくローエングラム体制の軍の重鎮とその同伴者である。下にも置かないもてなしぶりにシュタインメッツはかえって居心地の悪さを内心で感じたが、グレーチェンの立ち振る舞いは、充分に貴族令嬢らしく悠然としたものであった。

 

 やがて二人は豪華な食事を終え、支配人とその他大勢の大仰な見送りを受けつつ店を後にした。

 

「料理はさすがだったし、ワイン給仕人(ソムリエ)のワインの選択も良かったけど、もてなしが行きすぎて媚びになっていたの頂けなかったね」

 

 地上車(ランド・カー)の中でいつもの砕けた口調に戻ったグレーチェンは、遠慮なくそう批評したものである。

 

 同僚のエルネスト・メックリンガーに「忠誠心と卑屈さとの区別を厳然とわきまえていた」と、のちに評される事となるシュタインメッツは苦笑しつつ同意した。

 

 しかし、レストラン側もこれまで皇族だの大貴族だのと、機嫌を損ねれば全てを失いかねない人種ばかり相手にしてきたのだから無理もない、とも思う。シュタインメッツ自身、若手の士官時代に大貴族出身の上官に何度も逆らった結果として辺境に飛ばされたのである。これからの時代、そういった点もおのずと変わる事となるだろう。

 

 シュタインメッツは話を変え、今日のグレーチェンの優雅かつ堂々とした姿に驚いた事を率直に語った。

 

 彼女が苦笑しつつ言うには、両親から「貴族としての作法は身に付けていて損はない」と言われ、苦しい家計の中で工夫しつつ学ばされたとの事である。大将閣下は恋人の知られざる一面に触れて惚れ直すと同時に、人を外見や第一印象のみで測る愚かさを改めて自戒したものであった。 

 

 シュタインメッツはほどなく運転手に車を止めさせ、同伴者を促して外に降り立つ。ここちよい夜風を感じつつ二人は少し歩き、見晴らしのよい高台に足を踏み入れる。

 

 そこは帝都中心地区の夜景が一望できる場所であった。暗黒の(とばり)の下で無数の灯の連なりが美しく煌いており、その一つ一つが帝都に住まう人々の営みを示しているのである。

 

 その風景の地平線近くに、ゴールデンバウム王朝の皇城たる『新無憂宮』(ノイエ・サンスーシー)()った。

 

 だが、ローエングラム独裁体制の成立後は広大な宮殿の四大地区のうち、後宮である『西苑』と猟園である『北苑』は閉鎖され、政治の中枢たる『東苑』と皇帝一家の居住する『南苑』も、大半の建造物が無人と化した。貴族諸侯の参加する園遊会や、やたらと盛大な儀典などが行なわれる頻度は激減し、かつての不夜城の光輝は大半が失われ、ささやかな残照が夜景の中で存在を主張するのみである。  

 

「皇帝陛下がおわす宮殿も、ずいぶんと寂しくなったものだねえ。あのレストランで食事を堪能できた事といい、時代が変わったっていうのを改めて実感させられるよ」

 

「ああ。(ふる)い時代は終わり、新しい時代が始まりつつある。そして、それを為すのはローエングラム公爵閣下だ。閣下は遠からず人類社会を再び統一される。それだけの器量をあの方はお持ちだと、俺は信じている」

 

 アルコールでやや熱くなっている息とともに、それとは比較にならない熱のこもった言葉をシュタインメッツは静かに紡ぎ出した。そして彼は、確固たる決意を感じさせる表情でグレーチェンに向き合う。

 

「そして統一が為される頃には、閣下も伴侶を迎えていらっしゃる事だろう。二年も待たせておきながら、こんな勝手な事を言うのは心苦しいのだが……」

 

 そう前置きしつつ、シュタインメッツは決意と願いを披瀝した。

 

「大神オーディンへの願掛けとして、それまで俺も家庭は持たぬと決めた。どうか、今少し待っていてはくれないか」

 

 それを聞いたエアフルト家の令嬢が、幾度かのまたたきの後で相貌に浮かべた感情は、怒でも哀でもなかった。ただ苦笑を浮かべて、軽く肩をすくめたのみである。

 

 もし結婚という話ならば彼女はそれを喜んで受けるつもりであったし、シュタインメッツが望むならば店を辞めて家庭に入ってもよいと思っていた。シュタインメッツの言葉はいささか予想外ではあったが、聞き終わってみれば「ロベルトらしい」と、自然に受け容れる事ができたのである。

 

「古風だねえ。ま、そういうところも嫌いじゃないよ。ロベルトの好きにすればいいさ。できる事なら、あたしが白髪の婆さんになる前には迎えに来てほしいけどね」

 

 そう言って、グレーチェンはシュタインメッツの首元に両腕を投げかけ、それに応じて大将閣下も青いドレスの貴婦人を抱き寄せたのであった。

 

 

 この時点のシュタインメッツの心奥には、グレーチェンにも語らなかったもう一つの決意が存在していた。

 

 

 ローエングラム体制における軍最高幹部はいずれも、高級軍人としての情報収集能力、豊富な経験、そして非凡な知性ないし感性を備えていたのは万人が認めるところであろう。

 

 その彼らが『ヴェスターラントの虐殺』の前後や裏面における諸事情に、疑念を全く持たなかったはずもない。シュタインメッツ以外の武人としての矜持を持つ同僚たちも、恐らくはある程度の真相を察していたと推測される。

 

「どのみち、俺たちの人生録は、どのページをめくっても、血文字で書かれているのさ。今さら人道主義の厚化粧をやっても、血の色は消せんよ」

 

 これは猛将フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルトが、叛逆者となったオスカー・フォン・ロイエンタールと戦った後に語った述懐である。この言葉には、かつての僚友と殺しあった事だけではなく、昔日の『ヴェスターラントの虐殺』で大利を得た自身や自陣営への自嘲や自己嫌悪なども含まれていたかもしれない。

 

 それでもなお、彼らは自らの剣と忠誠を、ラインハルトに捧げ続けたのである。

 

 後に唯一、主君に叛旗を翻す事となるロイエンタールですら、その死に到るまでヴェスターラントの一件を公の場で話題にする事はなかった。ただ、僚友であったカール・グスタフ・ケンプの戦死後、主君にとって盟友キルヒアイス以外の部下は使い捨ての道具に過ぎないのではないか、という疑念を彼が抱く一因にはなったかもしれない。

 

 諸将のラインハルトへの忠誠心に致命的な翳りを生じさせなかった要因の一つには、謀臣パウル・フォン・オーベルシュタインの存在があるだろう。虐殺黙認が事実として、その発案者がオーベルシュタインである事は疑いないところである。最終的にその提案を容れたのはラインハルトであろうが、結果としてそれがキルヒアイスの死を招き、深い自責と後悔の念を見せる主君に比べ、オーベルシュタインの方は超然たる態度を崩す事はなかった。それにより諸将の反感や嫌悪感は、義眼の謀臣が一身に背負う事となったのである。

 

 

 ……自分では、いや、他の誰にもラインハルトにとってのキルヒアイスの代わりとなる事など不可能であろうと、シュタインメッツは思う。ならば、自分は自分にできる事をするしかない。主君のために最善を尽くし、その覇業に貢献する。それこそが、新時代を見る事なく世を去ったキルヒアイスへの弔いにもなると、彼は信じたのだった。

 

 仮に主君や、その謀臣が自陣営の利益のために二〇〇万もの民衆を見殺しにしたというのであれば、それを察しながらも沈黙し、忠誠を捧げ続ける選択をした自分も同罪である。もし地獄というものが存在し、大神オーディンの審判により主君がその最下層に墜ちるならば、自分もそこに往く事となるだろう。軍の士気にもかかわるため、うかつに公の場では口に出せたものではないが、もとよりシュタインメッツは軍人として大量の血を流してきた己の罪業を自覚しており、それから目を背けるつもりはなかった。

 

 ただ願わくば、自分の事はともかく、大神におかれては現世における主君の大罪のみならず、なにとぞ比類なき大功もご照覧あれ。そして、その御魂を天上(ヴァルハラ)へと戦乙女(ワルキューレ)たちに導かせ給わん事を……。



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第十六節

 旧帝国暦四八九年、宇宙暦七九八年一一月。後世の軍事史上に特筆大書される事となる、帝国軍による一大侵攻作戦「神々の黄昏」(ラグナロック)が発動する。

 

 カール・ロベルト・シュタインメッツ大将はフェザーン自治領(ラント)侵攻軍の第四陣の艦隊司令官として、帝国軍最高司令官ラインハルト・フォン・ローエングラム元帥率いる本隊の後背を直接守る責務を与えられる事となった。

 

 明けて旧帝国暦四九〇年、宇宙暦七九九年。自治領の無血占領を果たしてフェザーン回廊を突破し、自由惑星同盟(フリー・プラネッツ)の領内へ深く歩を進めた帝国軍は「第一次ランテマリオ会戦」にて勝利を収める。その直後にガンダルヴァ星系第二惑星ウルヴァシーを占領し、一大橋頭堡を確保するのである。

 

 帝国本土と前線の距離、いわゆる「距離の暴虐」を除くならば、この当時における帝国軍の最大の脅威は疑いなく、守備していたイゼルローン要塞の放棄という代償を払いながらも行動の自由を得た「魔術師」ヤン・ウェンリー麾下の同盟軍一個艦隊であった。

 

 第一次ランテマリオ会戦ではがら空きだった後背を扼されて完勝を逃し、本土からの輸送船団も壊滅させられ兵站の不安定化を招くなど、帝国軍は的確に急所を突いてくるヤン艦隊の存在を意識外には置きえなかった。総司令官たるラインハルトは決断し、ヤン艦隊を撃滅する方針を明言する。

 

 そして最初にヤン艦隊を捕捉するという大任を命じられたのが、シュタインメッツ大将であった。

 

 ラインハルトは、ヤンが同盟全土を股にかけた「正規軍によるゲリラ戦」を基本戦略と為す事をこの時点で予測していた。そしてシュタインメッツは軍歴の大半を帝国内の辺境で過ごしており、神出鬼没の宇宙海賊どもを掃討してきた経験と実績は他の同僚たちよりも豊富であった。それゆえ、根拠地を定めぬであろうヤン艦隊の捕捉にはシュタインメッツが適任とラインハルトは判断したのである。

 

 また、辺境勤務が長かったがゆえに、シュタインメッツが艦隊指揮官として同盟軍と戦ったのは先の「第一次ランテマリオ会戦」が最初であった。それゆえ、彼に同盟軍との交戦の経験を積ませておきたいという主君の思惑もあったのである。相手は同盟軍最強の「奇蹟の(ミラクル)ヤン」だが、シュタインメッツとて歴戦の用兵巧者である。その手腕に期待してもよいはずであった。

 

 各方面からの諸情報を分析したシュタインメッツ艦隊は、最有力と思われた情報に従ってウルヴァシーとの連絡を密にしつつトリプラ星系方面に進軍する。そして三月一日、トリプラとライガール星系の中間に存在するブラック・ホールを覆うかのごとく、凸形陣を展開しつつあるヤン艦隊を発見したのである。

 

 シュタインメッツの司令部は、敵がブラック・ホールを背にしているのは迂回攻撃を防ぐ事と「背水の陣」によって将兵に不退転の戦意を持たせる事を企図していると結論した。今やヤン艦隊の敗北は、自由惑星同盟の敗北を意味する。その重圧ゆえに、彼らも決死の覚悟を固めているのであろう……。

 

 それにより、シュタインメッツ艦隊は敵をブラック・ホールと挟撃し殲滅すべく凹形陣を構築しつつ進撃し、同日二一時に両艦隊は交戦を開始する。当初は前進を続け、半包囲態勢を取りつつあるシュタインメッツ艦隊が優勢のように思われた。

 

 が、二日五時三〇分、戦いつつ後退していたヤン艦隊は突如として前進に転じる。ヤン艦隊は驚異的な機動力と砲火の集中によって、凹形陣を敷いたため相対的に薄くなっていたシュタインメッツ艦隊の中央部を一気に突破してのけた。そしてすぐさま反転して陣形を整え、シュタインメッツ艦隊をブラック・ホールへと追い落とし始めたのである。かくしてヤンの企図した「中央突破・背面展開戦法」は、後世の戦術の教本に載せられるほどの成功を収めたのであった。

 

 もし猛将たるフリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルトであれば、重厚な布陣による迅速な力攻めで敵をブラック・ホールに突き落とそうと図ったであろう。仮にシュタインメッツがそうしていたならば、さしものヤン艦隊も中央突破は困難であったに違いない。だが、情報を重んじるヤンはラインハルト麾下の最高幹部たちの戦歴や為人(ひととなり)も、高い精度で把握していた。剛胆ながらも慎重なシュタインメッツであれば、高確率で半包囲にて着実にブラック・ホールとの挟撃を試みるであろうとヤンは予測し、そしてそれは見事に的中したのであった。

 

 シュタインメッツ艦隊は一転して、ヤン艦隊の猛攻とブラック・ホールに挟撃されるという危機に陥った。ヤンと同じように前進して敵陣を突破しようにも、ヤン艦隊の砲火の集中は巧妙かつ苛烈であり隙が見い出せない。偽りならざる後退を強いられた艦艇群はほどなく光すら逃れられぬブラック・ホールの高重力に囚われ、乗員の必死の操艦もむなしく次々と「事象の地平」に引きずりこまれて現世から姿を消してゆく。

 

 逆境の中、敵後方のトリプラ星系方面からヘルムート・レンネンカンプ大将率いる艦隊が接近中との報告は、シュタインメッツにとって一縷の希望であった。だが、味方が戦場に到着するまで戦線を維持できぬ事を、ほどなく彼は交差する砲火の中で悟らざるを得なかった。もはや継戦不能と判断を下し、シュタインメッツは自身の動揺と敗北感を抑え込みつつ撤退の指示を出す。

 

 転進し、あえてヤン艦隊の火線に無防備な側面をさらしつつも、シュタインメッツ艦隊はブラック・ホールの脱出不可能領域の境界線すれすれに沿って突進した。ブラック・ホールの高重力を逆用した「スイング・バイ」航法により、双曲線軌道を描きつつ推力を加速させたシュタインメッツ艦隊の離脱速度は凄まじく、ほどなくヤンは後方から接近するレンネンカンプ艦隊に対応するためもあって追撃を中止させる事となる。かくして、シュタインメッツは多大な犠牲を払いながらも虎口から逃れえたのであった。

 

 ほどなくレンネンカンプ艦隊をも退けて勝者となったヤンは、窮地に陥りながらも思い切った手段で撤退を果たした敵将の判断を評価したものである。

 

 だが、その評を知ったとしても、シュタインメッツにとっては慰めにならなかったであろう。戦死者率一〇パーセントを越えた時点で「惨敗」とみなされる場合すらある事を考えれば、敗走し未帰還率が八〇パーセントというシュタインメッツ艦隊の現状は、まごう事なき大惨敗である。敗戦直後の彼は態度こそ毅然と保っていたが、未曾有の大敗による衝撃と戦死者への自責の念により、自軍の宇宙艦隊総参謀長を上回るほどに血の気を失った顔色は隠しようもなかった。

 

 悄然としてウルヴァシーに帰還したシュタインメッツとレンネンカンプは、主君から鋭い叱責を受けたものの処罰は受けず、新たな功績をもって敗戦の罪を償う機会を与えられた。先に本土からの輸送船団の護衛を全うできず、死を命じられたゾンバルト少将への処遇に較べると寛容に過ぎると思われるが、これはゾンバルト自身が主君に対し「もし失敗したら、この不肖な生命を閣下に差し出し、もって全軍の綱紀を正す材料としていただきます」と事前に明言してみせたがゆえである。彼は失敗に加えて大言壮語により生命を失い、生前の言葉通りに「全軍の綱紀を正す材料」となったのであった。

 

 三〇〇〇隻以下にまで撃ち減らされたシュタインメッツ艦隊は、そのまま単独行動を行なえばヤン艦隊の絶好の標的となるだけである。そのため、ラインハルトの命により他の各艦隊から兵力の一部供出を受けて「一個艦隊未満」と称せるだけの体裁を整えた。シュタインメッツとしては面目ない限りであったが、義務と雪辱を果たすためにはやむを得ない処置であった。

 

 そして同僚のアウグスト・ザムエル・ワーレン大将麾下の艦隊もヤン艦隊に大敗を喫するに到り、忍耐の限界に達した帝国遠征軍総司令官は一つの作戦を考案し、実行に移す。

 

 それは敵補給基地制圧を名目として主要提督たちの各艦隊を分散出撃させ、総司令官たるラインハルト自身も出撃し、自らを囮にしてヤンを包囲網の中に誘い出すというものであった。

 

 シュタインメッツも主君の下から離れ、寄せ集めの艦隊をなんとか統制しつつ敵補給基地の一つに向けて進軍する。そして基地を制圧し必要な処置を行なった後、シュタインメッツ艦隊は即座に主君の戦うバーミリオン星域へ急行した。

 

 実際には、基地を制圧するよりも先に諸提督の下には「バーミリオン星域にてヤン艦隊の所在確認」という情報はもたらされていた。

 

 しかし、ラインハルトは事前に「敵発見の報があったとしても、補給基地制圧を優先せよ」と厳命していたのである。これはヤン艦隊のバーミリオン撤退を想定した処置であった。もしヤンが撤退を決断したとしても、その周辺星域の補給基地が制圧され、集積されている物資が奪取ないし破棄されていれば、ヤン艦隊は物資不足のまま遠方の補給基地へと向かわざるを得ない。無補給のままラインハルトの追撃を受けつつ、帝国軍の大包囲網を突破し、はるか彼方の基地に到達するなど、いかに逃げ上手のヤン艦隊とてアムリッツァ会戦時の撤退戦以上に困難である。いずれ物資も尽きて動けなくなり、降伏を余儀なくされるであろう……。

 

 だが、この自身の敗退など考慮せぬ、覇気にあふれた判断は裏目に出た。包囲網の完成よりも遥かに早く、ヤン艦隊の果敢かつ巧妙な攻勢によってラインハルト麾下の艦隊は窮地に陥ったのである。短期間でリューカス星域制圧に成功したナイトハルト・ミュラー大将の来援すらも、ヤンの攻勢を完全に押し留める事は叶わなかった。

 

 そして、勝利を目前としたヤン艦隊が同盟政府の無条件停戦命令により矛を収めた事を、バーミリオンへ向かう途上にあった各艦隊の司令官たちは知らされる。結果としてシュタインメッツはこの遠征中において、ヤンに再挑戦する機会を得られなかったのであった。

 

 

 バーミリオン会戦終結直後の五月六日。ラインハルト・フォン・ローエングラムとヤン・ウェンリーという時代を代表する二人の軍事的英雄が、帝国軍総旗艦ブリュンヒルトの艦内において歴史的な会見を果たした日である。

 

 白銀の艦の内部にはバーミリオンに在った帝国軍の最高幹部たちも、偉大な敵将を礼をもって迎えるべく集結していた。そしてその一人であったシュタインメッツは、シャトルから降りてきたヤンの姿を肉眼で初めて見る事となる。

 

 年齢は三二歳との事だが、外見は二〇代後半でも通用するだろう。黒い瞳とおさまりの悪い黒髪で、身長は平均的だが長期の戦闘直後のためか、少しやつれた印象がある。「同盟軍史上最年少の元帥」「不敗の名将」といった肩書や評価とは裏腹に、どう贔屓目に見ても一国の重要人物(VIP)とは思えぬ平凡な部類の容貌にして、武器よりも書籍を手にしている方が似合いそうな人物であった。

 

 その客人を会見の場であるラインハルトの私室に案内する役目は、バーミリオン会戦での勲功第一と認められたミュラーに与えられていた。かつてヤンに大敗を喫した砂色の両眼と頭髪の提督は遺恨なき姿勢で畏敬すべき敵将と接し、黒い両眼と頭髪の提督の方も自然と柔らかい表情と口調で応じたのであった。

 

 ほどなくミュラーに先導されて、ヤンは会見場へと向かう事となる。整列する諸将の間を、敬礼しつつ通り過ぎてゆく敵将の後姿を見送り終わったシュタインメッツは、

 

「俺はあいつに負けたのか」

 

 と、思わず上機嫌とは無縁な声と表情でつぶやいてしまった。自分にかつてないほどの苦杯を痛飲せしめた男ならば、軍人として非凡な威風を備えていてほしかったというのが、彼の偽らざる本音だったのである。

 

 同じくヤンの手で一敗地に塗れた経験がある三人の同僚のうち、ビッテンフェルトは面白くなさそうに鼻を鳴らし、ワーレンは軽く嘆息し、レンネンカンプはヤンが去った方角をしばらく睨んでいた。

 

 残りの最高幹部のうち、アーダルベルト・フォン・ファーレンハイト大将はそういった同僚たちの反応を見て、やや肩をすくめたようである。彼にしても、三年前にラインハルトの下で戦ったアスターテ会戦ではヤンに完勝を阻まれた経験があり、僚友たちの無念は実感として理解できたのであった。そして謀臣パウル・フォン・オーベルシュタイン上級大将は同僚たちとは異なって、平常通りの無表情である。ただ黙然としてヤンを観察し、その人物を見極めんとしているかのようであった。

 

 多少なりとも心情を口に出した事もあってか、シュタインメッツはやや失調していた平静を回復した。

 

 人は外見や第一印象のみで真価の全てを測れるとは限らない。その事は恋人のドレス姿の一件で、改めて身に染みていたはずである。そして、洞察力や想像力が至らなかったいう点では、ライガール・トリプラ間の会戦時も同様と言えるのではないか。敵将の構想を洞察しきれず、戦術の読み合いに遅れを取った事こそが、先の大敗の要因であった事は間違いない。ヤンを恨むよりも先に、まず自身を省みるべきであろう。

 

 それに加え、実際に眼前で見たヤンの姿もシュタインメッツの心情を沈静化させた部分もあった。目前の勝利を放棄させられた無念や、自分が破った敵将たちへの優越感といった感情を欠片も見せず、ミュラーと和やかに言葉を交わしていたヤンの態度自体には、シュタインメッツの不快感を刺激するものは存在しなかった。やや物珍しそうに艦内を眺めている、線の細い風貌のヤンに対して失望に似た感情と同時に、少なからず毒気を抜かれる思いもしたのも確かである。

 

 僚友たるナイトハルト・ミュラーは、自身を大敗せしめた敵将にわだかまりを示さず、偽りなき敬意を払ってみせた。自分も年少の同僚の大度を見習うとしよう……と、シュタインメッツは自身に言い聞かせたのであった。

 

 

 同盟首都ハイネセンに駐在する帝国高等弁務官と、「バーラトの和約」により帝国に割譲されたガンダルヴァ星系の第二惑星ウルヴァシーに駐留する艦隊及び基地司令官。ラインハルト麾下の遠征軍の大半が本土に帰還した後、事実上の属領となった同盟に睨みを利かせるためにも、この二つの人事は不可欠であった。

 

 当初ラインハルトはオスカー・フォン・ロイエンタールを高等弁務官の筆頭候補に挙げた。だが、謀臣オーベルシュタインが「帝国軍の双璧」は帝国本土の軍中枢に在るべきとして反対し、ラインハルトもそれを容れた。

 

 となれば、かつてヤン・ウェンリーに大敗した将帥たちに名誉回復の機会を与えるためにも、彼らの中から選ぶべきである。

 

 ビッテンフェルトは第一次ランテマリオ会戦、ミュラーはバーミリオン会戦でそれぞれ大功を樹て、少なからず汚名を雪いだとして除外された。

 

 残るはシュタインメッツ、レンネンカンプ、ワーレンの三名となる。その中で蒙った被害がもっとも少なかったワーレンが候補から外され、彼は本土に帰還し別の機会を待つ事となった。

 

 そして主君からの下問を受けたオーベルシュタインは、次のように進言した。

 

 シュタインメッツは麾下の艦隊を八割を喪失していたが、レンネンカンプ艦隊は第九次イゼルローン攻略戦における分を含めても、損失は三割前後に留まっている。それを考えれば、シュタインメッツ艦隊に各艦隊から供出していた兵力を元の艦隊に復帰させ、残存兵力をレンネンカンプ艦隊に統合し予備兵力を加えて一個艦隊の形を整え、レンネンカンプを駐留艦隊司令官に、シュタインメッツを高等弁務官にそれぞれ任命するのが合理的と思われる……。

 

 ラインハルトはその進言が理に適っている事を認めたが、採用はしなかった。それにはいくつかの思惑や事情が絡んでいた。

 

 一つには、ラインハルトが艦隊司令官としての自信と名誉の双方を回復する機会もシュタインメッツに与えるべきだと判断したからである。用兵家としての自負が傷つけられたのはレンネンカンプも同様であったが、損害の巨大さに鑑みれば、シュタインメッツの方がより深刻であろうとラインハルトは考えたのだった。

 

 もう一つの理由としては、ラインハルト直属艦隊の再編成にあった。

 

 カルナップは戦死し、トゥルナイゼンは転任を命じられ、グリューネマンは重傷により療養生活を余儀なくされるなど、バーミリオン会戦後のラインハルト直属の分艦隊司令官は過半数が不在となり、兵力自体もおびただしい損害を蒙った。そのため、当然ながら将と兵を補充する必要が生じたのである。そこで白羽の矢が立ったのが、若手の中で特に期待されていたレンネンカンプ麾下のアルフレット・グリルパルツァーとブルーノ・フォン・クナップシュタインであったのである。

 

 かくしてレンネンカンプの高等弁務官就任後、彼の二人の部下は二分されたレンネンカンプ艦隊の指揮権をそれぞれ引き継ぎ、ラインハルトの直属に編入された。

 

 そして、シュタインメッツはもう一方の要職であるガンダルヴァ駐留軍司令官に任命される。彼の艦隊はさらなる兵力供与により一個艦隊の形を取り戻し、惑星ウルヴァシーにて建設途上の基地を拠点として治安維持や軍事訓練に従事する事となるのである。

 

 シュタインメッツは名誉回復の機会を与えられた事を主君に感謝する一方、オーディンに在る一人の女性との再会が遠のいた事について、彼女につくづく申し訳ないとも内心で思った。

 

 ささいな私信のために、数千光年もの距離における超光速通信を多用する高級士官など、ゴールデンバウム王朝時代では珍しくもなかった。が、ラインハルトやその幹部たちは、基本的に戦地での私信は兵士たちと同様に時間を要する手紙で行なっており、ローエングラム体制成立後はその旨が正式に軍規で定められる事となった。配下の将兵たちは郷愁の念を堪えつつ軍務に従事しているのに、戦地で高官が特権を濫用しては示しがつかぬというのが彼らの考えであり、その姿勢が兵士たちからの信頼や敬意を高める一因となっていたのである。

 

 シュタインメッツも例外ではなく、彼もその点に不満を漏らしたりはしなかった。だが、辺境勤務や個人的なこだわりのために何年も待たせてしまっている恋人に対し、

 

「せめて手紙くらいは定期的に送るとしよう。愛想を尽かされたくはないからな」

 

 と、神妙に考えたのであった。

 

 

 ヤン・ウェンリーへの遺恨を捨てる。

 

 ゴールデンバウム王朝期にヤンに屈辱的な敗北を喫しつつも生還した帝国軍の主要提督たちの内、最初にその境地に至ったのはナイトハルト・ミュラーであった。無論の事、戦場で再びまみえれば全知全能を挙げて戦うと誓った上である。ほどなくカール・ロベルト・シュタインメッツとアウグスト・ザムエル・ワーレンも同じ結論に至った。

 

 血気盛んなフリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルトは、「小癪な魔術師」への敵愾心を最後まで捨てなかった。だが、バーミリオン会戦前にヤン艦隊への対処を議論するに際し「そんなものは放っておいて、敵の首都を直撃すればよいのだ」と、ヤンとの直接対決に固執しない戦略眼を示したり、「回廊の戦い」の直前にヤンの謀殺を進言した部下に怒号を浴びせて黙らせるなど、敵意によって将帥としての判断力や矜持を曇らせる事もなかったのである。戦場での借りは戦場で何倍にでもして叩き返すのがオレンジ色の髪の猛将の譲れぬ面目であり、戦場の外で意趣返しを行なうなどという事は──通信文で「喧嘩を高値で売りつける」程度のものしか──ありえなかった。

 

 そして彼らの主君たるラインハルト・フォン・ローエングラムも、バーミリオン会戦においてヤンに事実上の戦術的敗退を喫し、勝利を「譲られた」あるいは「盗んだ」自らを(わら)った。だが、彼はその直後の会見でヤンを厚遇で傘下に招き、それを謝絶されても穏やかに許容するという覇者の襟度を示したのである。

 

 ただ一人、第九次イゼルローン攻略戦でもヤンに手ひどい損害を与えられていたヘルムート・レンネンカンプのみが、主君や同僚たちほどの柔軟性や度量を発揮し得なかった。それに同盟において帝国の権益を主張すべき高等弁務官の重責や、年少者にして上位者たる「帝国軍の双璧」や同僚たちへの競争心なども加わり、結果として実直が過ぎ融通が利かぬ傾向が強かったレンネンカンプの判断を誤らせたのである。

 

 かくして、六月二二日にローエングラム王朝初代皇帝となりおおせたラインハルトは、やはりオーベルシュタインの進言に従い、高等弁務官と駐留艦隊司令官の人事は逆にすべきであったかと後に悔いる事となった。

 

 

 レンネンカンプ上級大将は皇帝の代理人として、退役していたヤンの逮捕を明確な証拠なく同盟政府に「勧告」し、惑星ハイネセンにおける無秩序な騒乱の引き金を引いた。結果として彼は同盟政府と訣別したヤン一党の逆襲を蒙って虜囚となり、名誉なき自死に追い込まれるという結末を迎えるのである。

 

 ウルヴァシーの駐留艦隊司令部にて、「ハイネセンにて動乱発生、高等弁務官はヤン・ウェンリー一党に拉致さる」との報告を受けたシュタインメッツ上級大将は予想外の事態に驚愕した。

 

 駐留艦隊司令部とハイネセンの高等弁務官府は定期的な連絡を欠かしてはいなかったが、レンネンカンプは弁務官府内に緘口令を敷くと同時に同盟政府へ他言無用を暗に強要し、一連の経緯を可能な限り隠匿していたのである。恐らくは横槍を入れられる事を防ぎ、功績を独占するために報告や相談をあえて怠ったと推測された。

 

 大まかな経緯を理解したシュタインメッツは同僚の判断とその上での失態に呆れ、同時にその兆候をつかめなかった自身に歯噛みしつつも、必要な措置を採るべく迅速に行動した。まず帝国本土への報告を行なって指示を仰ぎ、彼は皇帝から高等弁務官代行の兼任を命じられた。

 

 シュタインメッツはハイネセンの高等弁務官府には正確な経緯の報告と軽挙妄動を慎む事を厳命し、同盟政府には事態の収拾への協力と弁務官府に所属する軍人や文官の安全の保障を求め、ハイネセンを離れ所在不明となったヤン一党とは通信で交渉を呼びかけた。こういった指示や渉外を、総書記リッチェル中将や副官セルベル中佐といった幕僚群とともにシュタインメッツは寝る間も惜しんで推し進めたのであった。

 

 ほどなくヤン一党との交渉の結果、レンネンカンプの死亡とその理由が判明した。そして指定があった宙域にて、低温保存された遺体を収容する事に成功したのである。遺体はすぐにウルヴァシーの基地に運び込まれ、本人確認と死因の特定が行なわれた。

 

 検死後に遺体安置所に足を運んだシュタインメッツは、死せる同僚に無言で敬礼をほどこした。手を下ろした彼は、新たに大本営が置かれた惑星フェザーンへ、迅速かつ丁重に遺体を送り届けるよう指示を出す。

 

 搬出され遠ざかっていく遺体保存用ケースを見やりつつ、シュタインメッツは嘆息を禁じえなかった。

 

 レンネンカンプの一連の強引な判断と行動の根底に、ヤン・ウェンリーへの遺恨という煮えたぎった溶岩が存在していたのは疑いない。その噴出を抑えられず、炎熱に灼かれて身を滅ぼした僚友に失望すると同時に、ヤンによって同じく敗者の列に立たされた経験を持つシュタインメッツは、その心情を少なからず理解できてしまった。また、仮に自分とレンネンカンプの役職が逆であったならば、事態もここまで悪化せず僚友も不名誉な最期を遂げる事もなかったのだろうかとも考えてしまい、溜息も深くなろうというものであった。

 

 副官セルベル中佐は気つかわしげな表情を作りつつ、次の予定について言及する。うなずいたガンダルヴァ駐留軍司令官・兼・帝国高等弁務官代行閣下は、副官を従えて歩き出すのであった。

 

 

 一一月一〇日。ハイネセンにおける一連の混乱を防ぐ事もあたわず、収拾すらできずに事実関係を隠蔽し続ける同盟政府の道義と能力の欠如を名分として、皇帝ラインハルトは全宇宙へ向け「バーラトの和約」の破棄と自由惑星同盟への再宣戦を布告する。

 

 シュタインメッツはその布告が発せられる数日前に、弁務官代行として同盟政府の非を問うべく必要最低限の随員のみでハイネセンに赴こうとした。多数の兵力を連れてでは同盟政府の動揺や猜疑を無用に引き起こすだけであろうし、所在が知れないヤン一党などによるウルヴァシー急襲の可能性も考慮に入れなければならなかった。留守居を命じられた副司令官クルーゼンシュテルン大将は血相を変えて危険を訴えたが、

 

「その時は、俺もろとも惑星ハイネセンを吹き飛ばせ。積年の混乱は、大半がそれで一掃される」

 

 と、シュタインメッツは平然と答えたものである。一人の女性の事が胸中になかったといえば嘘になるが、家族や恋人などとの再会を期しているのは麾下の将兵とて同じである。彼は死に急ぐつもりはなかったが、一軍を預かる責任者として、必要と思えば危険を冒す事にも躊躇はなかった。

 

 だが、シュタインメッツはバーラト星系へと向かう途上でラインハルトの宣戦布告を拝聴し、もはや自分が同盟政府を問責する必要もなくなった事を知った。主君が同盟との再戦を決断されたのならば、それに従うのみである。彼は急いでウルヴァシーへと帰還し、安堵の表情を浮かべたクルーゼンシュテルンの出迎えを受けたのである。

 

 シュタインメッツは改めて、あらゆる事態に即応が可能な態勢を整えた。そして皇帝親征軍本隊に先行してきたビッテンフェルト上級大将の「黒色槍騎兵」(シュワルツ・ランツェンレイター)艦隊をウルヴァシーに迎え入れて補給と休息の場を与え、情報の交換と共有を行なった。

 

 そして本隊も同盟領深くに侵出するに到り、「黒色槍騎兵」艦隊は先鋒として改めて進発を命じられた。そしてシュタインメッツ艦隊は引き続きウルヴァシー残留を指示され、同盟首都星ハイネセンや他の要衝に対する牽制および監視を抜かりなく行ないつつ、未だ途上であるウルヴァシーの基地建設を推し進めたのであった。

 

 そうして新帝国暦〇〇二年の一月を迎えても変わらずに多忙な中、シュタインメッツは一つの変報に接する。僚友にしてイゼルローン方面軍司令官たるコルネリアス・ルッツ上級大将から、ヤン・ウェンリーによって一四日にイゼルローン要塞を再奪取されたという通信がウルヴァシーにもたらされたのだった。

 

 シュタインメッツは大本営に急報すべく駐留基地の通信設備を最大限に稼動させた。そして「マル・アデッタ星域会戦」で同盟軍を撃滅したばかりの帝国軍本隊と、電波障害を排して回線を繋ぐ事に成功したのである。

 

 主君が蒼氷色(アイス・ブルー)の両眼に怒気を閃かせ、(なげう)たれたグラスが音高く床上で四散する。さらにその破片が皇帝の軍靴に踏みにじられる光景を前面の大型モニターの中に見て、剛胆なシュタインメッツも心身を固くせざる得ない。彼の背後にもモニターが存在し、そちらには僚友ルッツの青ざめた顔が映し出されている。

 

 ルッツ艦隊はいまだイゼルローン回廊よりガンダルヴァに向かっている途上であり、艦隊の通信設備では遠方のマル・アデッタ周辺とは直接連絡が困難であった。マル・アデッタは恒星の活動が不安定で恒星風が断続的に発生する上、総数が算出不能なほどの小惑星群も存在しているため、長距離通信を行なうには条件が悪すぎたのである。ウルヴァシーの大型通信設備を経由して回線を再接続するにも確実性に欠け、時間も惜しまれたために、このような一見回りくどい措置が採られたのであった。

 

 

 余談になるが、後世の編纂資料やフィクション作品には、マル・アデッタ星域会戦終結直後にルッツが艦隊とともにガンダルヴァ星系に到着していたと描写しているものも存在する。

 

 だが、イゼルローン要塞再失陥が確定してルッツ艦隊が回廊離脱を開始したのは一月一四日、その報がマル・アデッタに伝えられたのが一月一七日であり、三日でイゼルローンから直線距離で五〇〇〇光年近く離れているガンダルヴァに到るのは、たとえ「疾風ウォルフ」ウォルフガング・ミッターマイヤー提督や「ヤン艦隊の生きた航路図」エドウィン・フィッシャー提督の艦隊運用をもってしても不可能である。

 

 これは恐らく「シュタインメッツの背後でルッツがうなだれている」といった一部の一次資料の表現が招いた誤解であると推測される……。

 

 

 正式な処分は追って伝えるとして、ルッツはガンダルヴァ到着後に謹慎するよう皇帝に命じられた。主君との通信が終わった後、シュタインメッツはあえて僚友への露骨な慰めは行なわずに、事務的なやり取りを行なう。

 

 ルッツとの通信が終わった後、シュタインメッツは腕組みをしつつ静かに唸った。用兵家としてのルッツの堅実かつ冷静な手腕は彼もよく知るところである。その彼と一個艦隊および難攻不落の要塞の組み合わせをもってしても抗しえぬとは。

 

 シュタインメッツはヤン・ウェンリーの底が見えぬ軍事的機略に改めて戦慄し、同時にルッツに対して同情の念を禁じえない。シュタインメッツ自身も昨年ヤンに屈辱的な大敗を喫しており、僚友の失意や敗北感への理解は深いものであった。

 

 とはいえ、ルッツが得がたい将帥である事は、彼を引き立てた皇帝も充分に承知するところである。かつての自分などへの処遇を考えても、名誉回復の機会をルッツにも与えるに違いなく、いたずらに僚友の心配をする必要はないであろう。そしてイゼルローンの失陥は確かに痛恨事だが、少なくとも現在の時点では帝国にとって致命傷とは程遠い。逆に今や虫の息と成り果てているのは、マル・アデッタで「呼吸する軍事博物館」こと老将アレクサンドル・ビュコック元帥麾下の主力艦隊を喪失した自由惑星同盟である。シュタインメッツは精神のチャンネルを切り替え、主君の同盟完全征服を補佐すべく職務に戻るのであった。

 

 

 二月九日。シュタインメッツは麾下の艦隊とともに惑星ハイネセンの衛星軌道上にあり、主君を総司令官とする一〇万隻の友軍を迎える。

 

 その一週間前、統合作戦本部長ロックウェル大将を筆頭とする同盟軍の決起部隊によって同盟の最高評議会議長ジョアン・レベロが殺害された。政治中枢を掌握した決起部隊は、その旨とともに全面降伏の意思をシュタインメッツに伝えたのである。

 

「本職の一存では決められぬ。皇帝陛下にお伝えするゆえ、ご裁可を待たれよ」

「……我々の、いや、市民の安全と権利は保障していただけるのだろうか」

「わが主君は、無用な流血や混乱は望まれぬ。皇帝陛下のご到着まで、卿らには首都星の治安維持と市民の慰撫を求めたい」 

 

 シュタインメッツのその返答を都合よく解釈したのか、画面の向こうでロックウェルはわずかに安堵した表情を見せる。

 

 この時、シュタインメッツはロックウェルの態度に少なからぬ違和感を感じた。国家元首殺害という大それた事をしてのけたにしては、どことなく自分たちの行為におびえ、戸惑っているような印象があったのである。国家の滅亡に臨んで右往左往していた彼らが、高等弁務官であったレンネンカンプの政治的な補佐役たるウド・デイター・フンメルに焚きつけられて挙に及んだという裏面の事情など、この時点のシュタインメッツが知る由もなかった。

 

 だが、彼らの末路は容易に想像できた。一連の醜行自体もさる事ながら、そのような行為を皇帝が認めるなどと考えるのは、皇帝に対する大いなる侮辱でしかない。そのような事も理解できないのでは、惜しむところはないというべきであった。無論、そのような思考をロックウェルに対して示したりはしない。絶望と自暴自棄のあげくに、ハイネセン全土を巻き込んだ暴発などされてはたまらぬ。

 

 謹慎を解かれたルッツとその艦隊にガンダルヴァ星系の守りを委ね、バーラト星系方面に進出していたシュタインメッツ艦隊は皇帝に連絡を行ない、事情を過不足なく説明した。そして即座にハイネセンへと向かい、短時間で大気圏上を蟻の這い出る隙間もないほどに扼してみせたのである。

 

 シュタインメッツの保有する兵力をもってすれば、とうの昔に単独で無防備に等しいハイネセンを占領する事も可能であった。しかし、同盟征服の最後の仕上げは覇者たる皇帝じきじきの御手により行なわれるべきだとシュタインメッツは信じていたがゆえ、彼は露払いや裏方に徹したのである。そしてそれは、確かにラインハルトの意にかなっていたのであった。

 

 

 かくしてラインハルト・フォン・ローエングラムは、惑星ハイネセンに個人としては二度目、皇帝としては初の足跡を示したのである。

 

 事前にロックウェル大将らから出迎えの申し出があったが皇帝は冷然とはねつけ、彼らには治安維持の権限を帝国軍に委ね、指示があるまで官舎や自宅で待機するように命じた。市街地の警備は、同盟政府との交渉役であったシュタインメッツと親征軍の先鋒たるビッテンフェルトが分担する事となった。

 

 ロックウェルらの監視や市街中心部の警備の準備をビッテンフェルトとその司令部に任せ、シュタインメッツは武装兵四個師団とともに、皇帝の乗る地上車(ランド・カー)を国立墓地へと案内した。そして墓地の遺体安置所にて「同盟最後の最高評議会議長」の遺体との対面を終えた後で、ラインハルトはシュタインメッツをレベロの葬儀の責任者に任命し、その手配を一任したのであった。 

 

 ハイネセンでの変事発覚後、シュタインメッツは生前のレベロとは幾度となく通信で交渉を行なった事がある。生真面目だが精神的な余裕に乏しい印象であり、おそらくは非常時ではなく平時にこそ真価を発揮する人物なのだろうと思った。国難という重圧に振り回された末にこのような最期を遂げたのは気の毒ではあるが、故人となったレンネンカンプと共通する為人に鑑みれば、殺害されなくとも遠からず自ら命を絶っていたのではあるまいか。

 

 せめて誠意と礼節をもって葬送を執り行おうとシュタインメッツは思いつつ、安置所を退出する主君の背に付き従ったのであった。

 

 

 ロックウェル一派の処刑や同盟市民の人心の慰撫、新しい統治体制の構築など、征服者たちはハイネセンにおいて必要な措置を次々と打ち出し、占領行政を推し進めた。

 

 そして、二月二〇日。ハイネセンの国立美術館敷地内において、俗に言う「冬バラ園の勅令」が全宇宙に向け公布されるのである。

 

 自由惑星同盟の完全なる滅亡の宣言。そして現在、人類社会を正当に統治するはローエングラム朝銀河帝国あるのみ……。

 

 皇帝の朗々たる布告を聞きつつ、シュタインメッツは、胸中に広がる感慨の存在を自覚せずにはいられなかった。かつてジークフリード・キルヒアイスが彼に語った人類社会の再統一。それが名実ともにほぼ成し遂げられたのである。いかにヤン・ウェンリー一党を迎えてイゼルローン回廊を制したとて、独立を宣言したエル・ファシルなど亡国の残滓に過ぎぬ。

 

 フェザーン自治領、ゴールデンバウム朝銀河帝国、そして自由惑星同盟。永きにわたり人類社会を三分してきた政治体制は、この二年そこらの期間で次々と過去の存在となった。そして、その三大勢力全てに引導を渡したのが、主君たる金髪の若者なのであった。

 

 かつてラインハルトの戴冠式の際、遠く任地にあったシュタインメッツは臨席できぬ事を心情の一部で残念に思っていたのを、否定はできなかった。しかしこの瞬間、自分は歴史の巨大な転換点に立ち会い、同時にそれを為した空前の覇者の重臣であるという誇りに満ちた自覚は、ささやかな不満を拭い去るに充分なものであった。

 

 勅令を発し終えた後、歩き出した主君を讃える何万もの兵士たちの歓呼、緋色の落照と清冽なる寒気、そして咲き誇る冬バラの多様な色彩と芳醇な香気の中で、半神的な容貌の皇帝が片手を上げて将兵たちに応えている。歴史に名を残す名画家であっても、この荘厳にして熱気に満ちた雰囲気を歴史画として完璧に再現するのは不可能なように思われた。

 

 赤毛の驍将も天上(ヴァルハラ)からこの幻想的な光景を見守っているであろうか。いや、天上からではなく金髪の盟友の隣で見届けたかったに違いなく、ラインハルトもそれを願っていたはずであった。それを叶わぬ夢と為したのは他ならぬラインハルト自身であり、彼はこの瞬間にもその大罪に下された重き罰に苛まれている。

 

 そう思うと、シュタインメッツの瞼の裏はさらに熱くなった。もし自分が天上に往く事が許されたならば、キルヒアイス提督に語れるだけの事を語るとしよう。そのためにも、シュタインメッツは五感全てをもって、この日の記憶を心身に深く刻みつけたのであった。

 

 

 二月下旬に突如生じたロイエンタール元帥の叛逆疑惑や、三月一日にハイネセンポリスで発生した大火災など、立て続けの想定外の事態がひとまず収拾された後、皇帝ラインハルトは三月一九日にイゼルローン要塞に拠るヤン・ウェンリー一党の討伐を宣言する。

 

 その宣言に際し、ロイエンタールはヤン討伐後に統帥本部総長に替わり旧同盟領の総督という大任に就く事を命じられる。それに伴い、ロイエンタールの退任後は皇帝自らが統帥本部を主宰し、その補佐役として大本営幕僚総監が新たに置かれる事となった。

 

 そして、事実上の統帥本部総長とも言えるその幕僚総監にシュタインメッツが内定する。当初ラインハルトは首席秘書官ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフをその候補に考えたが、経験も実績もない身であると固辞され、主君もそれを容れた。ラインハルトは短い思案の末、総督府発足と同時に役目を終える事となるガンダルヴァ駐留艦隊司令官を補佐役に擬したのである。皇帝直属にして若手の有望株であったグリルパルツァーとクナップシュタインを、見聞を広めさせる意味もあって総督府に艦隊ごと転属させる腹案もあったため、シュタインメッツ艦隊を入れ替わりに編入できるという点も考慮された。

 

 無論の事、シュタインメッツ個人の資質と経験も、皇帝の軍事的な補佐役として充分なものと見なされていた。辺境赴任時代の海賊対策やリップシュタット戦役時においても武断的な手段のみならず、情報を重視した上での内部分裂、帰順の交渉などの工作も巧みに使い分けて大いに成果を上げており、同盟征服に際しても駐留艦隊司令官及び高等弁務官代行として、武力を行使せずに事態を適切に判断し処理してみせた手腕は評価されてしかるべきであった。

 

 そのため「シュタインメッツの資質は、戦術家よりも戦略家ないし軍政家に傾いていた」と後世において評される場合もある。その意味では、シュタインメッツにとって幕僚総監という役職は艦隊司令官よりも適任たりえたかもしれない。

 

 だが、この時点では彼はいまだ「ガンダルヴァ星系駐留軍司令官」であり、皇帝から艦隊司令官としてイゼルローン遠征への従軍を命じられるのである。

 

 来たるべきヤン・ウェンリーとの再戦に戦慄と高揚を覚えつつ、シュタインメッツは皇帝本隊に先立ってクナップシュタイン艦隊を伴ってハイネセンを発ち、ウルヴァシーに一時帰投した。

 

 フェザーン方面軍司令官に任じられたルッツと彼の艦隊を送り出したのち、シュタインメッツは皇帝の命に従ってクナップシュタイン大将にウルヴァシーの警備を委ねた。その補佐として駐留軍司令部総書記のリッチェル中将もウルヴァシーに残留し、途上である基地周辺の開発やイゼルローン遠征軍の兵站の手配などに携わる事を命じられる。

 

 そしてシュタインメッツは主君と合流すべく、彼にとって最後の戦場となるイゼルローン回廊へと向かうのである……。





 イゼルローンとガンダルヴァ間の距離は、

・「第一次ランテマリオ会戦」後に戦場を離脱した帝国軍が二・四光年を移動してガンダルヴァを占領(風雲篇第四章五)。

・イゼルローン要塞内の人物描写の後、「五〇〇〇光年をへだてた虚空で、急激な転回をしめした」と「第二次ランテマリオ会戦」の最終局面について記述されている(回天篇第八章一、二)。

・「第二次ランテマリオ会戦」終結直後、ハイネセンへ撤退中のロイエンタールの追撃準備をしているミッターマイヤーらが、ガンダルヴァ外縁部にてイゼルローン回廊を通過してきたメックリンガーと合流(回天篇第八章三)。

 といった作中記述を元に推測しています。


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第十七節

 宇宙暦八〇〇年、新帝国暦〇〇二年五月六日一一時五〇分。

 

「回廊の戦い」の中盤において、ヤン・ウェンリーとウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツの猛攻にさらされていたシュタインメッツ艦隊の旗艦フォンケルに、磁力砲(レール・キャノン)から放たれた三発の砲弾が直撃した。

 

 それらは巨艦の重装甲を獰猛に食い破り、またたく間に凄絶なる爆炎へと変じる。顕現した荒ぶる火神は艦内にて暴れ狂い、殺戮と破壊をほしいままとした。無論、艦橋も例外たりえず、司令官以下の艦橋要員は退避する暇もなく爆風に呑み込まれたのである。

 

 幕僚の一人であった次席参謀マルクグラーフ少将は、ごく短い間の気絶から意識を取り戻した。頭部からは血が流れ出し、打撲や骨折のために全身の各部が痛むという有り様である。気力を奮い立たせて彼は身を起こし、司令官や同僚たちの姿を探し求めた。

 

 重傷を負ったマルクグラーフであったが、自身がまだ幸運な部類に属していた事を、ほどなく彼は思い知る事となる。

 

 炎と煙が充満する空間の中で、最初にマルクグラーフが見つけたのは、瓦礫の陰に隠れていた参謀長ボーレン中将の遺体であった。頭部に長大な金属片が深々と突き刺さっており、即死したのは一目瞭然である。生ける次席参謀は、死せる参謀長に敬礼を施した。その直後、

 

「ボーレン……参謀長」

 

 という、弱々しくも冷静に死者を呼ぶ司令官の声を、マルクグラーフは確かに聞き取った。彼は声が発せられたと思しき方向へと、重くなった両脚を叱咤しつつ急いで向かう。

 

 そしてほどなく、左下半身が巨大な瓦礫の下敷きとなっている司令官と、その傍らでうつ伏せとなった副官セルベル中佐の姿を発見したのである。二人の周囲に広がっていた血溜りは、火災によって灼熱した床の上で泡立ち、急激に気化しつつあった。

 

「司令官閣下、セルベル中佐……!」

 

 激痛と煤煙によってかすれた次席参謀の呼びかけに、返答はない。セルベルは、もはや身じろぎの一つもしなかった。だが、シュタインメッツがわずかに身をよじらせるのを見て、マルクグラーフは軍靴の底を焼く熱気と、全身を(さいな)む痛覚の妨害をねじ伏せて司令官の下に歩み寄る。

 

「シュタインメッツ提督……!!」

 

 司令官は答えない。聴覚や視覚といった五感は急速に失われつつあり、立ちこめる煙や燃えさかる炎にも遮られ、マルクグラーフの存在に気づけなかったのである。

 

 薄れゆく意識の中でシュタインメッツは、先に逝った僚友たちとの再会も間近らしい。もっとも、俺に天上(ヴァルハラ)の門をくぐる資格が与えられればの話だが、と死に直面しながらも恬然としていた。

 

 背後の皇帝(カイザー)については、ひとかけらの不安もない。畏敬すべき敵将たるヤンとメルカッツの鋭鋒は見事に自分の心臓を貫いたが、代わりに少なからず時間は稼いだ。軍神たる主君や同僚たちならば、その猶予を充分に生かすであろう。あとは武運を祈るのみである。自分は結局ヤンに勝ちえなかったが、彼に加えメルカッツ提督まで相手であったならば、恥じる事も悔いる事もない。

 

 心残りは、死なせた将兵とその遺族の事、そして共に新時代を迎えたいと願った一人の女性を遺して逝く事である。遺書をしたためてあるとはいえ、謝罪と感謝の意を自分の口で伝えられないのは残念であった。

 

 その女性の名を、シュタインメッツは残された生命力の全てを込めてつぶやいたのである。

 

「……グレーチェン……!」

 

 司令官の末期の言葉と直後のかすかな呼吸音を、確かに次席参謀の鼓膜は捉えた。

 

 そしてシュタインメッツが、再びその口にて言葉と呼吸を紡ぎだす事はなかったのである……。

 

 

 やがてフォンケルは巨大な火球と化した後、司令官を初めとする死者たちとともにイゼルローン回廊の深遠へと消え去った。

 

 だが、ローエングラム王朝創成の功臣にして忠良の名将たるシュタインメッツの名声は消える事はなく、その死は主君を始め多くの人間から惜しまれた。

 

 辛辣な人物鑑定眼を持つオスカー・フォン・ロイエンタール元帥すら例外ではなく、当時の統帥本部総長たる彼は、シュタインメッツを自身の「新領土」(ノイエ・ラント)総督就任後の大本営を託すに足る能力の所有者と評価していた。それゆえ、フォンケル撃沈は冷徹な彼を刹那の間ながら自失せしめたのである。皇帝首席秘書官ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフ伯爵令嬢が後任の大本営幕僚総監に就任する事が発表された際、ロイエンタールが淡々としていたのは彼女に含む所があったというよりも、その職に就くはずであったシュタインメッツを惜しむ心情が強かったゆえかもしれない。

 

 かくして戦没後、新王朝初代の大本営幕僚総監として遇され、先立って戦死していたアーダルベルト・フォン・ファーレンハイトとともに「ジークフリード・キルヒアイス武勲章」と帝国元帥の称号を贈られ、新帝都が在るフェザーン回廊の出入口の一つを扼す「三元帥の城」(ドライ・グロスアドミラルスブルク)の由来の一角と成りおおせたシュタインメッツの令名は、永く後世に伝えられる事となるのである……。

 

 

「……そんなわけで、ロベルトは天上へ行ってしまったのさ。こんないい女を置いて戦乙女(ワルキューレ)の尻を追いかけていくだなんて、ひどいもんじゃないか。『実直ぶっていたくせに、この浮気者!』って文句を言ってやりたいところだね」

 

 語り終えたグレーチェンは、そう言って話を締めくくる。鋭い感性と理解力を備えた少年たちは、冗談めかした物言いの底にある、深い悲嘆の存在を強く感じざるを得なかったのであった。

 

 グスタフは、ややためらいつつ女主人に問いを投げかけた。

 

「……グレーチェンさんは、ヤン・ウェンリーを恨んでいないのですか」

 

 ユリウスは思わず親友の顔を見つめてしまった。問いかけられた当の本人は、少し目をまたたかせる。

 

「……そうだねえ。グスタフの参考になるかは判らないけど」

 

 

 シュタインメッツ戦死の報を聞いた直後、グレーチェンは職場である「ポンメルン」に連絡を入れ、一日のみの休養を取った。そして翌日、いつも通りの時間に職場へと足を運んだのである。

 

 軍の公式発表で、かつての常連客の死を知っていた料理長(シェフ)は自身の喪失感もさる事ながら、常の闊達さを明らかに失っている「唯一認めた女の弟子」の心情を慮らざるを得なかった。

 

 もうしばらく休養しても構わないという料理長の言葉に、感謝しつつもグレーチェンは首を横に振った。

 

厨房(ここ)はあたしにとっての戦場です。戦場で義務を果たそうとしない上司や同僚、それに部下がいたら、ロベルトなら厳しく叱りつけるでしょうしね」

 

 そう言いつつ彼女は自分の「戦場」へと向かう。

 

 料理長はその背中を見やりつつ、「さすが、おまえさんの惚れた女だな。元帥閣下」とつぶやいたのだった……。

 

 

「あたしは聖人君子とはほど遠い人間だし、まったく思うところがないって言ったら嘘になるさ。でも、だまし討ちとか卑劣な手で殺されたのならともかく、正面から智勇ってのをぶつけ合っての結果だからね。それに、あちらさんも先帝陛下に国を滅ぼされた上に暗殺なんてされてしまったし、聞けば結婚して間もなかった奥さんもいたそうだしねえ」

 

 グレーチェンは少し溜息をつく。

 

「そういった事も考えると、あまり恨む気にもなれないね。ロベルトも以前負けた事に衝撃は受けていたけど、遺恨は持たないようにしていたみたいだし。あたしが無闇に恨みを広言したら、ロベルトの名誉を傷つけるような気もしてね」

 

 その言葉に、グスタフはうつむいた。ヤンへの昏い感情をいまだ消化しきれない、自身の未熟や狭量を思い知らされたような気がしたのである。

 

 それを見た女主人は軽く苦笑したのちに立ち上がり、グスタフの傍に歩み寄ってその肩に静かに手を置いた。

 

「まあ、あんたよりはずっと年長だからねえ。このあたりは年の功って奴さね。グスタフはグスタフなりに悩み抜けばいいさ。ただ、できる事ならグスタフ自身や周囲の人間にとって、実りのある結論に到ってほしいところだね」

 

 その思いやりの込められた言葉を聞いたユリウスは、シュタインメッツ提督がこの女性に惹かれた理由の一端を理解できたような気がした。

 

 労わられたグスタフは頷いたが、それでも物憂げな気配は完全には消えなかった。友人のらしくない表情を見かねたユリウスは、自身が気になっていた別の話を持ち出す事としたのだった。

 

「そうしていると、まるで家族のように見えるな。フロイライン・エアフルトとは古い知り合いなのか、グスタフ?」

 

 ユリウスのその質問に答えたのは、女主人であった。

 

「いいや、付き合いはそれほど古くはないよ。ええと、まだ二年は経っていなかったっけね」

 

 席に戻りつつ彼女は確認を取り、ケンプ家の長男は肯定する。

 

「それと、あたしの事はグレーチェンでいいさ。御令嬢(フロイライン)だなんて柄でもないしね。その代わり、あたしも君の事をユリウスと呼ばせてもらうよ。それとも、オスカーの方がいいかい? ロベルトみたいにさ」

 

「……いえ、ユリウスと呼んでください」

 

 一瞬の間を置いて、白金色の髪の少年はそう応じたのだった。

 

 

 新帝国暦〇〇二年、宇宙暦八〇〇年の七月七日。この日、惑星フェザーンにおいて、ファーレンハイト、シュタインメッツ両元帥とシルヴァーベルヒ工部尚書の国葬が合同で執り行われた。

 

 その参列者の中に、グレーチェン・フォン・エアフルトの姿もあった。彼女は正式に結婚や婚約はしていなかったものの、生前のシュタインメッツが遺産の相続者として指名し、それを皇帝ラインハルトが直々に承認した事もあって、遺族と同じ待遇で葬儀に招かれたのである。

 

 そして葬儀の場で、故カール・グスタフ・ケンプの妻であったローザリエ・ケンプ夫人との面識を得たのであった。

 

 ケンプ夫人は夫の死の直後こそ悲嘆に沈んだが、そのまま泣き暮らしたりなどはしなかった。遺された息子たちを亡夫に恥じぬように育てる義務が彼女にはあり、そのためにも背筋を伸ばした姿を示さねばならなかったのである。

 

 夫を弔い、多少なりとも精神的な再建を果たした後、ケンプ夫人は行動を開始する。母親として家庭内の事を抜かりなく行なうかたわら、慈善団体の運営に参加し、福祉施設への慰問を行ない、遺族年金などの一部を寄付にあてるなど、公の場へ積極的に関わる姿勢を採りはじめた。その精勤振りは「ケンプ提督は良き女性を伴侶に選んだ」と、故人の名声を高める事にもなったのである。

 

 そして件の国葬に、ケンプ夫人は戦没将兵遺族救済基金の運営委員という肩書きで参列していた。シュタインメッツは生前、ローザリエが関与していた福祉団体へ定期的に寄付を行なっており、その事がグレーチェンに彼女が声をかけるきっかけとなったのである。

 

 二人は葬儀の後で食事を共にしつつ、話を交わす機会を作った。ローザリエは旧王朝時代から男社会の厨房で奮闘していたグレーチェンに、グレーチェンは夫亡き後は社会貢献に努めるローザリエに、おのおの共感と尊敬の念を抱き合ったのである。これが、彼女らの交誼の端緒であった。

 

 

 ケンプ一家との温かい交流は、シュタインメッツを失った直後のグレーチェンにとって救いの一つとなった。そして、料理人としての彼女に転機が訪れたのも、この時期だったのである。

 

 

 質実剛健で知られるシュタインメッツは、その私生活も浪費家と称するには程遠いものであった。

 

 高級士官に昇進した後もその生活態度はさして変わらなかったが、しばしば部下や友人に酒食を奢ったり、信頼できる福祉団体などに寄付を行なったりしており、金銭(かね)離れは悪くなかった。

 

 そのため、軍歴と地位の変遷に鑑みれば、彼の遺した資産はそれほど多くはない。それでも、平民階級の一般的な収入から考えれば充分に巨額といえるものではあった。

 

 シュタインメッツが遺していた書状は、遺言状めいてはいたものの、あくまで私的に作成されたものに過ぎない。シュタインメッツほどに思慮深い人物が、法律上の正式な遺言状を作成しなかったのには事情があった。

 

 

「もし俺が死んだら、遺産はお前が受け取ってくれ。そして別にいい相手を見つけてほしい」

 

 旧帝国暦四八六年一〇月の「第四次ティアマト会戦」終結後、帝都オーディンへ帰還していたシュタインメッツは、交際を始めていた女性にこう切り出した。

 

 仮にこのまま自分が戦死すれば、グレーチェンは遺族年金などの支給の対象にはならないので、せめて財産だけでも遺したい。自分の両親はすでに他界しており、他に家族もいないため、受取人としてグレーチェンを指名しても問題はない。了解が得られれば、すぐにでも弁護士に依頼して正式な遺言書を作成してもらう、というのが、シュタインメッツの主張であった。

 

 唐突な発言に面食らっていたグレーチェンは、やがて少し面白くなさそうな表情を作り、

 

「そんな気遣いはしなくていいさ。まあ、あんたの甲斐性にも惚れたのは確かだけど、財産目当てでつきあい始めたわけじゃないよ」

 

 と、片手を軽く振りつつ謝絶の言葉を紡ぎだした。

 

 自分たち交際を始めて間もなく、婚約だの結婚だのという話はまだ時期尚早、という思いは二人に共通したものであった。確かに戦時の職業軍人である以上、戦場などで斃れる可能性も低くはないだろう。だからといって、それに急きたてられて華燭の典を祝われるのも嫌なものである。そして、婚約すらしていないのに遺産相続を云々するのは筋が通らない、というのがグレーチェンの言い分であった。

 

 さして長くもない押し問答の末に、結果として男の方が折れた。

 

「結婚するまで、ロベルトが死ななければいいだけの話じゃないか。あんたの退役までの給料に加えて、老衰でくたばるまで支給される年金とかの方が総額がずっと大きいだろうしね。そう簡単に殉職なんかするんじゃないよ」

 

 そのグレーチェンの言い草に、シュタインメッツは苦笑してうなずかざるを得なかったのである。そしてシュタインメッツが辺境へと再赴任すべく旅立ったのは、その会話から間もなくの事であった。

 

 そしてその二年後、ローエングラム体制の軍幹部となりおおせていたシュタインメッツは「神々の黄昏」(ラグナロック)作戦が決定した直後に、遺産相続の話を改めてグレーチェンに切り出した。そして彼女から返ってきた返答は、二年前と変わらなかったのであった。

 

 それに対し、シュタインメッツは困ったような表情を隠せない。

 

「辺境行きで二年も待たせたあげく、俺のこだわりで婚約もしないままだというのに、おまえにはろくにも報いていないのだが……」

 

 同盟の軍事力は帝国領侵攻における大敗と、その翌年の内戦により著しく衰微してはいる。とはいえ、その領域は広大であり、ヤン・ウェンリーやアレクサンドル・ビュコックを始めとした少なからぬ歴戦の名将たちも健在である。今回の出兵においては、その雄敵たちと彼らの領域内で戦わねばならないのだ。

 

 シュタインメッツとて、むざむざと戦死するつもりはない。が、もしもの時には、やはりグレーチェンに遺産を受け取ってほしいという願いを捨てきれないのである。

 

「水くさい事を言わないでおくれよ。それに、実家の負債の事は前にも話したじゃないか。報いていないだなんて、謙遜も度が過ぎるってものさ」

 

 エアフルト家は祖父以来、各方面への負債にいささかならず悩まされていたが、それも過去の話となりつつあった。

 

 というのは、債権者であった大貴族たちが先年の「リップシュタット戦役」で敗北の果てに没落し、結果として債権のほとんどがローエングラム新体制の財政部門の管理下に移行したからである。

 

 債務全体が消失したわけではないが、不当な加算があったと認められて大幅な額が免除の対象となり、利子や取り立ては以前よりもはるかに穏やかなものとなった。残りの債権者も、新体制に倣って請求の手を緩めざるを得なかったのである。

 

 かくしてエアフルト家の負債は、無理をせずとも数年後には完済できるまでに目減りしていた。事態を好転させてくれた帝国の支配者たるラインハルトや、彼に協力したシュタインメッツには感謝の念が絶えないというのが、エアフルト家全員の率直な思いであったのである。

 

「……それは公爵閣下はともかく、俺が礼を言われることではないんだがな」

 

 そう言いつつも、シュタインメッツの表情はやや明るいものとなった。

 

 交際を始めた後、グレーチェンの家族は辺境に左遷されていた軍人を温かく迎えてくれたものである。両親の死後、家庭の団欒というものと長く無縁だったシュタインメッツにとって、この一家の少しでも役に立てたのならば実に喜ばしいというものであった。

 

「ともかく、あたしのために堅苦しい遺言状なんて作る必要はないよ。他にあてがないなら、国庫に収まるようにでもしておけばいいじゃないか。宰相閣下なら国家予算も有意義に使ってくださるだろうしね。ま、言うまでもないけど、無事に戻ってくるのが一番さ」

 

 グレーチェンのその言葉にシュタインメッツは軽く嘆息し、この話題を打ち切らざるを得なかったのだった。

 

 シュタインメッツが艦隊を率いて帝都を出立したのは、その年の一二月の後半である。彼は早朝に官舎まで見送りに訪れたグレーチェンと抱擁しつつ口付けを交わしたのち、再会を期して軍港へと向かった。

 

 それが、一組の男女の永別となったのである。

 

 

 宇宙暦八〇〇年、新帝国暦〇〇二年六月、「皇帝は征旅を還したもう」事が公表された直後、グレーチェンは憲兵総監・兼・帝都防衛司令官ウルリッヒ・ケスラー上級大将の訪問を自宅にて受けた。

 

 シュタインメッツを喪ったグレーチェンは軍部からの使者の訪問について、事前に連絡は受けていた。だが、その使者が軍最高幹部であるとはさすがに予想外であった。

 

 ケスラーは丁重な悔やみの言葉を述べたのち、

 

「辺境に赴任していた頃は、シュタインメッツ提督に何かと助けられたものです」

 

 と懐かしそうにグレーチェンに語ったものである。グレーチェンもまた、

 

「ロベルトは閣下の才識と為人を高く評価し、閣下の推薦のおかげで皇帝陛下との縁を得た事を心から感謝していました」

 

 と伝え、客人を粛然とさせたのであった。

 

 そして表情を改めた憲兵総監閣下は、皇帝がグレーチェンをシュタインメッツの遺産相続の有資格者と公認し、同時に彼女が遺族待遇での国葬への参列資格を得た事を告げた。

 

 驚いて青い両目を見開く彼女に、ケスラーは封が施された一通の書状をグレーチェンに差し出す。それはシュタインメッツが彼女宛に残した遺言が記されたものであった。

 

 シュタインメッツは生前、二通の書状をオーディンに残留していた僚友ケスラーに託していた。

 

 シュタインメッツの戦死後、故人の遺志に従ってケスラー自身がその内の一通を開封した。それには全ての遺産をグレーチェン・フォン・エアフルトに託すと記されており、ケスラーはその内容を正確に大本営へ伝達したのである。

 

 そして皇帝による裁可が得られた後、もう一通が相続人に指名された女料理人の元へと届けられたのであった。

 

 グレーチェンは国葬への参列の是非を即答できなかったが、ケスラーはその場での返答を求めなかった。できれば早めに連絡をいただきたいと告げて憲兵総監が辞去したのち、グレーチェンは書状の封を切る。

 

 共に過ごし、待ち続けてくれた事への感謝。

 

 生きて還れず、そのうえ承諾を得ずに遺産相続を指名した事への謝罪。

 

 感謝や謝罪の念は金銭や物質には到底換えられないが、それでもできれば遺産を受け取って欲しい。それでも受け取りたくないのならば辞退してもらって構わない。

 

 といった内容が、その書状には記されていた。

 

「……まったく、死んだ後も困った男だね」

 

 確かに「法的に正式な遺言状」は作製しなかったようだが、空前の大帝国の創始者たるラインハルト・フォン・ローエングラムの公認となれば、帝国における最上のお墨付きではないか。

 

 こちらの意向を尊重しつつ、それでもできる事なら遺産を受け取ってほしいというシュタインメッツの心情を感じ取り、書状を机の上に置いたグレーチェンは目を伏せたのであった。

 

 

 グレーチェンは葬儀に参列すべきか否か、実のところ少なからず迷ったものである。妻でも正式な婚約者でもない立場を気にしてのことだったが、料理の師匠である料理長に、

 

「らしくもなく悩むな。惚れた男の葬式に招かれて出ないなんざ不人情だろう。それに、おまえは最近少し無理しがちだ。気分転換も兼ねて行ってこい」

 

 と、背中を押されてオーディンを出立したのであった。

 

 かくしてグレーチェンは葬儀には参列したものの、遺産の相続については一時保留した。参列の是非といい、即断即決を旨とする自分らしくないとは思いつつも、すぐに結論が出せなかったのである。

 

 遺産を受け取らないと決めれば簡単だが、シュタインメッツの最後の願いを無下にするのもためらわれた。全額をしかるべき団体に寄付するというのも、相続放棄と大して変わるまい。

 

 かといって、遺産をもらった所で有益な用途が思い浮かばなかった。実家の借金はもはや心配する必要はなく、手に職もある自分一人を養いつつ貯えを増やすくらいはできる。つつましい家庭環境で育ったグレーチェンも浪費家としての資質に乏しく、厚意で遺された財産を散財で使いつぶすなどという発想は彼女にはない。相続するならばするで、有意義に使わなくては女がすたるというものであった。

 

 葬儀からの帰郷後、仕事の休憩中に賄いを食べながら事情を料理長に打ち明けた。すると、女料理人にとって想定外の回答が返ってきたのである。

 

「だったら、そいつを元手に独立して店を構えてみたらどうだ」

 

 いささか甲高い音が、広くもない部屋に短く響きわたった。思わずグレーチェンが、フォークを皿の上に落としてしまったのである。

 

 確かに料理長の弟子には独立した人間も何人かは存在する。だが、そのいずれも師匠から一人前と認められて独立を果たしたのは三〇歳を過ぎての事であった。そのため、まだ三〇に達しておらず、いまだ料理長からもしばしば叱られている自分が独立するなど、この時期のグレーチェンにとっては想像の埒外にあったのである。

 

 その思いを率直に話すと、料理長は軽く苦笑する。

 

「そりゃ、これでもおまえが生まれる前から厨房に入ってたからな、その俺から見れば、おまえはまだまだ嘴から黄色味が抜けてないさ。だが、雛鳥もいつかは自前の翼で飛ばなきゃいかん。まあ、少し早いかもしれんが、男ばかりの厨房で今まで踏んばってきた根性と、独立できるくらいの技倆(うで)になったってのは、認めてやってもいい」

 

 店を構えるには当然、相応の資金(さきだつもの)が必須であり、普通の平民が簡単に用意できる額ではない。

 

 資金を貯え、足りない分は保証人を確保して借金やら融資やらで補うにしても、働きつつ社会的信用を涵養する年月が必要となる。また、旧王朝末期においては関係する役所への届け出の際に、少なからぬ「袖の下」を幾度となく要求される事も珍しくなかった。拒否すれば書類の不受理や手続きの遅延といった嫌がらせを受けかねないので、要求された側も不本意ながら支払わざるを得なかったのである。

 

 裕福な貴族や商家が物分かりのいいパトロンになるなどという事例もあるにはあるが、そんな幸運がそうそう転がっているわけもない。弟子たちの独立が三〇歳過ぎになっていたのには、料理の技倆以外にもそういった世知辛い事情も絡んでいたのである。

 

 だが今のグレーチェンならば、さしあたっての金銭的な問題はシュタインメッツの遺産を相続すれば解決する。ローエングラム体制成立後は綱紀も粛正され、役所での手続きもスムーズに行なわれるであろう。「ポンメルン」の料理をこよなく愛してくれた故人も喜ぶのではないか。

 

「それと、近々遷都とやらが行なわれるだろう。フェザーンに引っ越す事になって、うちの料理を味わえなくなるのは寂しいって言う客も多くてな。おまえがフェザーンで店を構えてくれれば、そういった声にも少しは応えられるが、どうだ?」

 

「……師匠は、フェザーンに行かないんですか」

 

「俺か? 俺は引退までここの料理長を勤めるさ。年を食った昔なじみの客も、結構この惑星(オーディン)に残るみたいだしな。俺はそういった連中の舌と胃袋を満足させなきゃならん。まだまだ副料理長のあいつだけに任せるわけにはいかんよ」

 

 料理長の言う副料理長は、彼の一番弟子にして後継者でもある。いずれ料理長が引退すればその跡を継いで「ポンメルン」を切り盛りする事となるだろう。とは言え、心身ともにいたって壮健な料理長が引退するのは、当分先の話になるのは間違いなさそうであったが。

 

 そこまで話をして、グレーチェンの胸の奥に心地よい緊張感と高揚感が生じる。挑みがいのある目標を与えられ、生まれつきの負けん気が強く刺激されたのであった。

 

「……ありがとうございます。師匠が認めてくれるなら、あたしも新天地(フェザーン)で腕を振るってみたいです」

 

 その返答を聞いた料理長は満足そうにうなずき、

 

「そうか、なら、あっちに行った連中に『ポンメルン』直伝の料理をおまえなりに味わわせてやれ。ついでに、美食家気取りのフェザーンの拝金主義者どもに、古都オーディンの本当の美味ってもんを教えてやんな」

 

 と、決意した弟子を激励したのであった。

 

 ひとたび決断を下せば、グレーチェンの行動は早い。遺産相続の手続き、去る事となる「ポンメルン」における仕事をしながらの引き継ぎ、フェザーン都心で不動産物件の物色、現地スタッフの募集、関係する役所への書類の提出、新帝都への転居の準備など、若い女料理人は目まぐるしくも充実した歳月を過ごす事となる。

 

 その日々は彼女を悲嘆から立ち直らせる、最上の良薬ともなったのであった。



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第十八節

 こうして独立に向けて動き出した前後から、グレーチェンは旧シュタインメッツ艦隊の元幕僚とも顔を合わせる機会が多くなった。

 

 

 その一人であるミヒャエル・フォン・ナイセバッハは、かつてシュタインメッツ艦隊の参謀長を務めていた人物である。

 

 ナイセバッハは前王朝時代から、参謀として有能と称されるに足る実績を重ねていた。だが、王朝末期に在籍していた帝国軍主計総監部において、兵站における多大な問題点を指摘し改善を声高に主張したため、上司たちに疎まれて辺境に左遷される憂き目に遭う。そして、同じく辺境に配されていたシュタインメッツに見いだされて幕僚に迎えられたのであった。

 

「神々の黄昏」(ラグナロック)作戦終結後、シュタインメッツは同盟から割譲されたガンダルヴァ星系への駐留を命じられるが、ナイセバッハは参謀長を辞して帝都オーディンへ帰還する事となる。

 

 帝国の事実上の支配者となったラインハルト・フォン・ローエングラムによる軍制改革と綱紀粛正は、短期間で顕著な結果を示した。だが、神々の黄昏という遠征の過程において、軍内部における少なからぬ課題や問題点が浮上したのである。

 

 無論、数千万人規模の大軍の遠征が、いささかの問題も生じずに済むはずもない。が、厳罰が定められ監査が強化されたにもかかわらず、フェザーン占領直後の民間人暴行事件やイゼルローン要塞奪還時における遺棄物資の横領事件を始め、遠征中に発覚した重大な軍規違反の件数は、総司令官たるラインハルトや軍最高幹部たちの想定以上に多かったのである。

 

 また、ゾンバルト少将による輸送船団の護衛失敗は、事前に総司令官から注意を受けていたにもかかわらず、ゾンバルトがヤン艦隊の本格的な襲撃の可能性を低く考え、警戒や索敵を怠った事が要因の一つであった。高級士官の中に、兵站の重要性を甘く見るような輩がいまだに存在していた事実は、低能や怠慢を著しく嫌うラインハルトの憤怒を誘ったものである。

 

 こういった現状は、兵站や軍規を軽視するゴールデンバウム王朝の積年の悪弊が表面上は一掃されても、深部にはしぶとく根を張っている事をラインハルトに痛感させた。遠征の目的を果たして本土への帰還の途についた彼は、各方面に改革の強化や再検討を厳命したのであった。

 

 その一環として、軍上層部は高い運営能力と兵站への見識を見込み、ナイセバッハに軍中枢への転属と帝国軍主計総監への就任を打診した。シュタインメッツは「卿がかつて望んだ改革を、卿自身で為す好機ではないか」と躊躇していたナイセバッハを激励し、信頼していた参謀長を新たな職場へと送り出したのである。

 

 後事をボーレン次席参謀に託してオーディンに帰還したナイセバッハは、大将昇進の後に帝国軍主計総監部を差配する立場に置かれる事となった。そうして彼は兵站にかかわる問題点の改善に取り組み、厳しい眼を持つ軍の領袖たちを納得させるだけの成果を挙げてゆくのである。

 

 新帝国暦〇〇二年の「回廊の戦い」にて、大本営の後方主任参謀の兼任を命じられていたナイセバッハは、艦艇一〇万隻を超える遠征軍の兵站を支える責任者たる立場にあった。

 

 ゾンバルトの失策や、先の同盟領再侵攻の際に同盟軍が展開したゲリラ戦術による補給線の寸断といった過去の事例を繰り返させるわけにはいかない。ナイセバッハは警備艦隊の哨戒やそれらの間の連絡を密にさせて補給路を堅実に維持せしめ、物資の輸送および負傷兵や損傷艦の後方への搬送などを可能な限り迅速に行なえるように心を砕いた。

 

 そのナイセバッハの努力は実を結び、「回廊の戦い」での帝国軍の後方においては、最後まで深刻な遅滞が生じる事はなかった。しかし、その戦いで敬愛すべき元上官たるシュタインメッツやかつての同僚たちの多くをヤン・ウェンリーに斃された彼は、自身の功績を誇るような心境には到底なれなかったのである。

 

 シュタインメッツは旧帝国暦四九〇年のライガール・トリプラ間の会戦においてもヤンに敗退しているが、これは当時の参謀長であったナイセバッハの見解を、総司令官が受け容れた結果でもあった。敗戦後、自己の見解が誤っていた事を強く悔いる参謀長を、

 

「あまり気を落とすな。最終的な責任は俺にある」

 

 と司令官は自身の衝撃を隠そうとしつつ労わったものである。 

 

 シュタインメッツを弔う葬儀において、グレーチェンはナイセバッハと顔を合わせ、悔やみの言葉を伝えられた。

 

 当初は謹直な表情を維持していた元参謀長であったが、話すにつれて感情が昂ぶったのか、

 

「閣下に敗将の汚名を着せてしまったのに、その償いができませんでした」

 

 と、人目をはばからず涙を流し始め、グレーチェンや周囲の参列者は彼をなだめるのにいささか苦労したものである。

 

「ロベルトは償いなど求めていないでしょう。あなたが今、課せられている責務を全うする事こそ望んでいるはずです」

 

 とグレーチェンは語り、ナイセバッハはうなずきつつハンカチで目元を拭ったのであった。

 

 

 ナイセバッハの次にグレーチェンへ挨拶を行なったのは、頭部に包帯を巻き、車椅子に座った壮年の軍人であった。アンドレアス・ライナー・マルクグラーフ少将である。

 

 ナイセバッハの転属後、参謀長に昇格したボーレンの跡を引き継いで次席参謀となったマルクグラーフはシュタインメッツの幕僚でただ一人、回廊の戦いにて轟沈する旗艦からの生還に成功した。護衛隊長のルンプ中佐は戦死したが、奇跡的に軽傷で済んだ護衛隊員らに支えられつつ、脱出用のシャトルに乗りこむ事ができたのである。

 

 そして重傷のマルクグラーフは、大本営に司令官の戦死を報告した直後に力尽きて昏倒し、後方の病院船に収容される事となった。

 

 別の艦に在った副司令官クルーゼンシュテルン大将も司令官とほぼ同時に戦死しており、司令部不在となり果てたシュタインメッツ艦隊は、大本営による再編が完了するまで果敢だが無秩序な艦隊運動で戦線を混乱させる要素となった。マルクグラーフは丸一日の昏睡から回復した後も絶対安静が必要であり、歯噛みしつつベッドの上から、戦況および自艦隊の現状を見守る事しかできなかったのである。 

 

 回廊の戦いの終結後、フェザーンへと帰着したマルクグラーフは入院生活を余儀なくされた。だが、かつてケンプの軍部葬に重傷の身で参列したミュラーに倣い、マルクグラーフも上官の弔いの場に姿を見せたのである。 

 

 そこでマルクグラーフは部下に支えられつつ立ち上がり、上官の最後の言葉をグレーチェンに伝えたのであった。

 

 それを聞いたグレーチェンは、マルクグラーフに礼を述べて頭を下げた。葬儀が終わった後、彼女は人のいない場所で、

 

「まったく、最期にあたしの名前を呼ぶなんてねえ。……思いの外、気障(きざ)な男だったんだね」

 

 と言いつつ、瞼を軽く押さえたのであった……。

 

 

 ザムエル・リッチェルは旧王朝時代から軍官僚としての能力には定評があり、同時に旧フェザーン自治領(ラント)自由惑星同盟(フリー・プラネッツ)といった外部勢力の内部事情に精通している事でも知られていた。これはフェザーン駐在弁務官事務所や統帥本部情報処理課、軍務省軍事情報局などに籍を置いていた軍歴によるものであった。

 

 旧帝国暦四八八年の「リップシュタット戦役」勃発時、リッチェルは中立派として軍事情報局に勤務していたが、ラインハルトが軍事的独裁権を獲得した後はローエングラム陣営に帰順した。

 

 戦役終結後、リッチェル少将はシュタインメッツの下に配属され、その実務能力を評価されて情報主任参謀に就任する。そして旧帝国暦四九〇年の「神々の黄昏」作戦終結後、ガンダルヴァ駐留軍司令部が成立するにあたり、リッチェルは中将昇進後に司令部の事務全般を統括する総書記という重責を任される事となった。

 

 駐留軍司令官となったシュタインメッツにとって、高水準の軍政手腕と同盟領内についての広範な見識を兼備したリッチェルは貴重な存在であった。同盟首都星ハイネセンにおける変事発生後、シュタインメッツが武力に依存せず的確な判断を下せたのは、総書記の精確な知識に依る所が大だったのである。

 

 同盟滅亡後、イゼルローン要塞を再奪取したヤン・ウェンリー一党の討伐が決定され、シュタインメッツもイゼルローン回廊遠征への従軍を命じられた。

 

 ヤン討伐に際し、帝国の支配下に置かれたハイネセンはアルフレット・グリルパルツァー大将が警備を委ねられ、もう一つの旧同盟領の要衝にしてシュタインメッツが不在となるガンダルヴァの警備は、ブルーノ・フォン・クナップシュタイン大将がその任にあたる事となる。いずれも重要な任務には違いないが、当人たちにとってはいささかならず不本意な人事であった。

 

 故ヘルムート・レンネンカンプ上級大将の旧部下である両名は、先のマル・アデッタ会戦では先鋒を任されながらも同盟軍のアレクサンドル・ビュコック元帥に翻弄されただけに終わっている。ゆえに両者とも失地回復と旧上官の(かたき)であるヤンへの復讐を果たすべく、イゼルローン遠征への従軍を切望していたのだが、ラインハルトはそれを認めなかった。かつてのレンネンカンプやトゥルナイゼンに通じる危うさを懸念され、任務に励みつつ後方にて全体を見渡す経験を積むように主君から厳命された二人は、謹んで命令を受けざるを得なかったのである。

 

 そしてリッチェルはガンダルヴァに帰還し、クナップシュタインの補佐や惑星ウルヴァシーの基地整備、そして遠征軍への後方支援などに従事する事を命じられた。その結果として、彼はシュタインメッツとともに戦死する事をを免れたのである。だが、ナイセバッハと同じくリッチェルもその事を喜ぶ境地にはまったく至れず、自分の能力を活用してくれた上官や同僚たちの死を悼んだのであった。

 

 オスカー・フォン・ロイエンタール元帥の「新領土」(ノイエ・ラント)総督就任後、リッチェルはその麾下に組み入れられる事となる。新たにウルヴァシー基地司令官に任じられたヴィンクラー中将と入れ替わる形で、リッチェルはクナップシュタインと共にハイネセンへの赴任を命じられた。

 

 総督の軍事面の補佐役たる査閲総監は、ハンス・エドアルド・ベルゲングリューン大将がその座に着く事となる。彼は前線と後方の双方において有能な軍人であったが、総督ともども旧同盟領内の事情にはさして通じてはいなかった。ゆえに、その部分を補うべくリッチェルが査閲副総監に任じられたのだった。

 

 ロイエンタールの叛乱事件に際し、リッチェルはベルゲングリューンと同様に強く上官へ翻意を促した。だがロイエンタールの決意が揺るがぬ事を悟ると、その意志に従ったのである。

 

 総督府に属して日が浅いリッチェルがあえてロイエンタールに加担したのは、グリルパルツァーのように自己の利益を追求した結果ではなかった。

 

 かつて旧上官のシュタインメッツの大本営幕僚総監就任に、当時の統帥本部総長であったロイエンタールが積極的に賛意を示してくれた事に対し、リッチェルは感謝の念を抱いていた。それに加えてロイエンタールの卓越した度量と才幹に身近に接した事により、短い期間で総督への強い敬意をリッチェルは心の裡に育んでもいたのである。旧同盟領の民衆を生贄や盾とするような作戦を採るつもりはない、とのロイエンタールの明言を聞いて、リッチェルはロイエンタールに最後まで従う事を決めたのであった。

 

 ロイエンタール軍の出撃に際し、リッチェルはハイネセンに残留する事となった。留守中の軍政の統轄を命じられた彼は忠実に命令に従い、友軍の後方支援とハイネセンの治安維持に腐心した。結果としてロイエンタールが敗退後に帰着するまでハイネセンを含む後方で大規模な混乱が起こる事はなく、重傷を負っていた総司令官は出迎えたリッチェルの働きを心からねぎらったものである。

 

 帰還した上官の血色を失った相貌に息を呑んだリッチェルは、軍病院への直行を勧めた。しかしロイエンタールはそれを忠言と認めつつも容れる事はなく、乗り込んだ地上車(ランド・カー)を総督府に向かわせた。そして「金銀妖瞳」(ヘテロクロミア)の名将は執務室にて推し開かれた天上(ヴァルハラ)の門扉を泰然としてくぐり、現世から去ったのであった……。

 

 叛乱の終熄後、自ら生命を絶ったベルゲングリューンと、皇帝から死を賜ったグリルパルツァーを例外として、生き残ったロイエンタールの幕僚たちは予備役編入を命じられる。叛逆に加担した高級士官への処置としては寛容に過ぎるものではあったが、これはウォルフガング・ミッターマイヤー元帥らの寛恕の嘆願と、元よりロイエンタールに最後まで従った将兵に含む所を持たなかったラインハルトの判断の結果であった。

 

 ラインハルトの崩御後、新帝即位に伴う恩赦により現役復帰を認められたリッチェルは、フェザーンにてグレーチェンと対話する機会を作った。予備役の時点では監視の目が存在し、旧上官の想い人に迷惑をかける事を慮って自重していたのである。

 

 リッチェルは誠実な悔やみとシュタインメッツへの感謝の言葉を述べた後、新たな人事によりガンダルヴァに再赴任し、新領土総軍司令官アウグスト・ザムエル・ワーレン元帥の下にて司令部総書記の役職を再び拝命した事をグレーチェンに告げた。

 

「新領土の安定と発展を、駐留なさっていたシュタインメッツ元帥は望まれていました。はばかりながら小官も閣下のご遺志を継ぎ、微力を尽くす所存です」

 

 そう言い残してリッチェルは辞去し、かつての赴任先へと旅立ったのであった。

 

 

 シュタインメッツの旧部下たちは、グレーチェンがフェザーンで独立する事を知るや、それを応援すべく軍の内外で開店の情報を広め始めた。元より師匠である「ポンメルン」の料理長(シェフ)が常連客などを通じて話を広めていたのだが、それに拍車がかけられ、一時期はグレーチェンも殺到する問い合わせへの対応に追われたものである。

 

「まあ、おかげさまで、開店後の予約はしばらく一杯でね。ありがたいけど、これはロベルトの遺徳や『ポンメルン』の名声に底上げされているだけさ。これからも技倆(うで)を磨いて、応援してくれている人たちや天上のロベルトに呆れられないよう努力しないとね」 

 

 それを聞いた白金色の頭髪の少年はやや間を置いて、気になっていた事を口にした。

 

「やはり、この店の名前は……」

 

「ああ、あいつの棺桶になった(ふね)からもらったのさ」 

 

 

 HUONKER(フォンケル)。これが、グレーチェンが選んだ店の名であった。

 

 

 戦艦フォンケルの名は、ゴールデンバウム王朝史上有数の名将と評されている、ラウレンツ・フォン・フォンケル帝国元帥から採られたものである。

 

 旧帝国暦三九八年に伯爵家の次男として生を享けた彼は、他の上級貴族に較べて選民意識は薄く、下級貴族や平民に対しても公平かつ寛容であった事で知られている。「身分の低い者たちに甘すぎる」と周囲から言われながらもその態度を崩す事はなく、兵士たちからは「楽人提督」「我らがフォルケル」と親しまれ、敬意を払われていた。

 

 フォンケルは芸術を愛好していた母親の影響で、幼少期から音楽や演劇に関心を示していた。彼が平民に強い偏見や隔意を抱かなかったのは、実家がパトロンとなっていた平民出身の芸術家たちと早くから交流を持っていたのが要因だと言われている。

 

 だが、彼はのちの「芸術家提督」ことエルネスト・メックリンガーとは異なり芸術的表現力にはとんと恵まれず、周囲からの評価も芳しくなかったため、その方面への道をやむなく断念した経歴を持つ。軍人としての道を歩んだ後、それでもバイオリンの演奏を一番の趣味としており、彼に非好意的な者は「へたの横好き」「へぼ楽士」と陰口を叩き、好意的な者もそれを否定できなかったものである。

 

 そして「フォルケル」とは古い叙事詩において、信義と礼節を備えた勇者にしてフィーデルという弦楽器の名手と描かれている騎士の名である。演奏の技巧はさておき、その趣味と軍人としての有能ぶり、また民衆(VOLK)を労わる姿勢から、「HUONKER」という家名にも引っ掛けて、「VOLKER(フォルケル)」という渾名を奉られる事となったのであった。

 

 

 なお、帝国公用語においては母音の後に付く「R」の発音は必ずしも一定していない。綴りが同一であっても、「VOLKER(フォルケル)」のようにRの発音を古めかしく響かせる場合と、ミッターマイヤー麾下の勇将ビューロー提督の名である「VOLKER(フォルカー)」のようにRを母音として発音する場合が混在しているのである。他の比較例としては、

 

OBERSTEIN(オーベルシュタイン)」と「OBERHAUSEN(オーバーハウゼン)

 

SINGHUBER(ジングフーベル)」と「HUBER(フーバー)」「KAMMHUBER(カムフーバー)

 

 などが挙げられるであろう。

 

 こういった同形異音語が多々生じているのは、帝国公用語の基となり、「英語」を基本とした銀河連邦の公用語の影響を受けていた当時の「標準ドイツ語」の発音と、銀河帝国の創始者ルドルフ大帝が愛好し、普及を促した古典的なオペラや歌曲などで用いられていた「舞台ドイツ語」の差異によるものであり、両者が長い年月をかけて入り混じった結果によるものだと言われている……。

 

 

 旧帝国暦四三六年、宇宙暦七四五年の「第二次ティアマト会戦」で同盟軍は大勝と引きかえに不世出の用兵家ブルース・アッシュビーと猛将ヴィットリオ・ディ・ベルティーニを(うしな)ったが、それでも彼らと同期の名将集団である「七三〇年マフィア」の内、五名はいまだ健在であった。

 

 第二次ティアマト会戦に不参加であったフォンケル提督は、それまで平民への寛容ぶりから軍首脳からは敬遠されがちな存在であった。だが、帝国軍は先の会戦の「軍務省にとって涙すべき四〇分間」において高級士官を多数失い人材不足に陥っていたため、上層部も有能な彼を重用せざるを得なくなった。かくしてフォンケルは凄惨きわまりない損害をこうむった宇宙艦隊の再建に取り組みつつ、七三〇年マフィア率いる同盟軍との戦いに、帝国軍の名誉と勢威の回復を期して臨む事となるのである。

 

 粘り強い防御戦を得意とするフォンケルは最前線に出て「男爵(バロン)」ウォリス・ウォーリックや「行進曲(マーチ)」フレデリック・ジャスパーといった名将たちと干戈を交えて勝敗を重ね、用兵家としての実績と経験を高めていく。

 

 その中でも最大の武勲と言えるのは、旧帝国暦四四二年の「パランティア会戦」での勝利であろう。大将であったフォンケルは七三〇年マフィアの一角であった宇宙艦隊副司令長官ジョン・ドリンカー・コープ大将を戦死に追いやり、兵数にして三〇万人もの損害を与えて敵艦隊を潰走せしめたのである。

 

 この時のコープの指揮統率が「第二次ティアマト会戦時とは異なり、酔っ払い集団(ドリンカーズ)と化した彼らに酔い覚ましの水を浴びせる味方は存在しなかった」と後世で揶揄されるほどに精彩を欠いていたのは事実だが、それでもその隙を的確に把握して完勝をおさめたのは非凡な手腕と言うべきであった。

 

 惜しむらくは、帰還の途上にジャスパー大将率いる同盟軍増援の強襲を許して少なからぬ損害を出してしまった事である。

 

 総司令官であったフォンケルは勝利後も油断しないように全軍に伝達していたが、ジャスパーの艦隊運動の迅速ぶりと巧妙さは、帝国軍後衛の不意をしたたかに突いた。後衛を指揮していたカイト中将は、第二次ティアマト会戦では重傷を負い指揮不能に追い込まれ、麾下の艦隊も最大級の損害を被るという屈辱を味わっていた。そのため、今回の会戦で奮戦し少なからず名誉回復を成し遂げて浮かれ気味だった彼は、総司令官の注意を聞き流してしまったのである。

 

 帝国軍はフォンケルの叱咤の下、ごく短時間で秩序を回復して反撃を試みた。だが、「コープに浴びせそこねた冷や水を、敵の背中に叩きつけた」(ウォリス・ウォーリック談)ジャスパーは相手が態勢を立て直したのを見るや即座に離脱を指示し、フォンケルに追撃の余地を見い出させぬまま撤退を果たしたのである。

 

 最後に瑕瑾が生じはしたものの、帝国軍にとって悪名高き七三〇年マフィアの一人を斃して勝利した功績は巨大であった。これによりフォンケルは上級大将に昇進し、高い声望と宇宙艦隊副司令長官の地位を得るのである。

 

 第二次ティアマト会戦から六年が経った時点でも、帝国軍の人的資源は質量ともに深刻な欠乏状態にあった。それでもなお、大貴族出身者が多数を占める軍上層部は下級貴族や平民出身の軍人の抜擢に消極的だったのである。権限と発言力を著しく高めたフォンケルは、同僚のシュタイエルマルク提督らとともに関係各所の説得に奔走し、下級貴族及び平民出身の軍人の大規模な引き立てを実現させたのであった。

 

 

 なお、この年の一〇月二九日、フォンケルらによる行動の最初の成果である大規模な士官の人事異動が、軍務省にて発表された。そしてその直後、同盟側のスパイ網運営容疑者とひそかに目されていた軍務省参事官ミヒャールゼン中将の暗殺事件が発生するのである。公式記録において生前の彼と最後に面会したのは、シュタイエルマルク大将であった……。

 

 

 かくして帝国軍は一〇年もの年月をかけ、戦力の再建に一段落をつける事に成功する。それに多大な貢献を果たしたフォンケルは軍政家としての手腕も高く評価された。彼は旧帝国暦四五二年に元帥号を与えられ、同時に宇宙艦隊司令長官に就任する。

 

 リヒャルト皇太子とクレメンツ大公の派閥による宮廷抗争と二人の横死、皇帝オトフリート五世の崩御、それにともなうフリードリヒ四世の登極といった政治的な動静とフォンケルは出来る限り距離を置き、純粋に武人としての職責を全うする事に努めた。

 

 そして彼は司令長官に在任中のまま、フリードリヒ四世の即位から二年後の旧帝国暦四五八年に六〇歳で退役する事となるのである。これは宇宙暦で七六七年にあたり、ヤン・ウェンリーやロイエンタール、ビッテンフェルト、ワーレンといった後年の名将たちが誕生し、イゼルローン回廊にて帝国の巨大要塞が完成した年でもあった。

 

 その要塞の建設費用は当初の想定を凌駕する額となり、その桁数は財政関係者の顔色を多彩に変化させるに充分な代物であったと伝えられる。要塞建設の総責任者であったセバスティアン・フォン・リューデリッツ伯爵は、計画を通すため故意に低く算出した建設予算を提示したと告発されて自裁を命じられた。

 

 そして建設に積極的に賛同したフォンケルや、軍務省次官となっていたシュタイエルマルク上級大将らも勇退に追い込まれたのである。一説にはフリードリヒ四世の周囲の大貴族たちが、軍の重鎮でありながら皇位継承に際し中立を保ち、かつ平民や下級貴族から信望を集めている彼らに隔意と疑念を抱いて、イゼルローンの一件を利用し排斥に踏み切ったのだと言われている。

 

 ラウレンツ・フォン・フォンケルとハウザー・フォン・シュタイエルマルクは軍幼年学校および士官学校時代の同期である。公人としては互いの力量と見識を認め合い、協調すべき部分では協調を怠らなかった。

 

 一方で、人並みに社交的なフォンケルに対し、シュタイエルマルクは気難しい為人(ひととなり)で孤高を保つ傾向が強く、私人としては反りが合わず交流は皆無であった。シュタイエルマルクが先んじて静かに死を迎えた後、軍部葬に出席した老いたフォンケルは「有能で沈着な軍人だった」と、故人の印象を短く語っただけであったと伝えられる。

 

 フォンケル自身も、へたなバイオリンの演奏でしばしば周囲を辟易させつつ穏やかな晩年を送り、旧帝国暦四八二年に病死した。元帥号を得ていた彼は国葬で弔われ、若き日にその背中を仰ぎ見ながら軍人としての道を歩んだグレゴール・フォン・ミュッケンベルガーやウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツといった後進たちに見送られつつ埋葬されたのであった。

 

 そしてこの年、一五歳のラインハルト・フォン・ミューゼルが幼年学校を卒業し、初陣を果たしている。

 

 後にローエングラムの家名を継承する彼が銀河帝国を簒奪し、宇宙を統一しえた要因の一つに、その下に集結した下級貴族や平民出身の将帥たちの存在が挙げられるであろう。

 

 彼らはその出自と能力によって、同じ身分である圧倒的多数の将兵から絶大な信頼と支持を集めていたのは周知の通りである。ラインハルトの独裁権力確立の基盤となったアムリッツァ会戦やリップシュタット戦役、そして「神々の黄昏」作戦などの勝利は、戦争の天才たるラインハルトの手足として彼らが十全に活躍したからこそであった。

 

 もしフォンケルが主導した軍部の人員増強案が断行されていなければ、ラインハルトの時代になっても下級貴族や平民出身の高級士官の絶対数や影響力は限定的なままであり、軍部内の「ローエングラム閥」も成立しえなかったであろう。

 

 それゆえ、フォンケルは「自由惑星同盟、フェザーン自治領、そしてゴールデンバウム王朝滅亡の陰の立役者」「ローエングラム王朝の成立と人類社会統一の大功労者」などと、ラインハルトに敗れて没落した者たちからは怨嗟の、そして後世の歴史家からは皮肉を交えた評価の対象となるのである。

 

 もっとも、ゴールデンバウム王朝のみに限って言うなら、仮に人員増強が為されないままであれば、人的資源が質量ともに不足し軍組織の維持や運営に著しい支障をきたした事は確実である。そうなれば有力貴族の相次ぐ叛乱や同盟軍の攻勢などに対処しえないまま、異なる形でゴールデンバウム王朝は崩壊していたかもしれない。「Aという衰亡の道を塞げば、Bという滅亡の門が開くというだけの事である」とは、かのヤン・ウェンリーが遺した言葉である……。

 

 

「フォンケル元帥は今でも平民や下級貴族に人気があるからね。店の命名には料理長も賛成してくれたよ。ロベルトも尊敬していたから、旗艦をもらった時は喜んでいたものさ。俺は元帥とは違って芸術には人並み以上の興味はないんだがな、と苦笑交じりでもあったけどね」

 

 そのシュタインメッツに対し「志向はともかく、芸術の才能は似たり寄ったりじゃないか」とからかったグレーチェンは、続けてこうも言ったものである。

 

「フォンケル元帥の功績や、戦死せずに老後を迎えた悪運にあやかりたいものだね」

 

 その彼女の言葉は、前半のみが実現する事となった。シュタインメッツはローエングラム王朝の功臣として、軍人としてフォンケルに勝るとも劣らぬ令名を獲得する。そして彼は壮年の年齢で、フォンケルの名を冠した旗艦と共に天上へと旅立っていった。

 

 叙事詩において、楽人騎士フォルケルは戦友との友誼に殉じて闘死したと描かれている。そしてシュタインメッツもまた、主君への忠義に殉じて戦場に斃れたのである。それを思うと、ユリウスもグスタフも改めてシュタインメッツへ敬意と哀惜の念を抱かざるを得ないのであった。

 

 

「ところでさ、あんたたちはどんな風に知り合ったんだい? なかなかに気難しいグスタフが、親友と認めるなんてねえ」

 

 これは湿っぽくなった雰囲気を変えようとした、グレーチェンの何気ない言葉であった。

 

 だが、グスタフはばつ(・・)の悪そうな、ユリウスは少し困ったような表情をそれぞれ浮かべる。

 

「……ひょっとしたら、何かまずいこと訊いたかい?」

 

「……いえ」 

 

 やや間をおいて、グスタフは首を横に振ったのち、ユリウスに向かって軽くうなずいた。

 

「いいのか、グスタフ?」

 

「いいさ。立ち入った話を聞いておきながら、こちらは何も話さないというのもな」

 

 そうか、とユリウスは言った後、自分とグスタフが最初に出会った時の事を語り始めたのだった。




 戦艦フォンケルの名の由来について少し検索したところ、

「ドイツの音楽家フォルケル(JOHANN NIKOLAUS FORKEL)」

 もしくは、

「叙事詩『ニーベルンゲンの歌』の登場人物フォルケル(VOLKER VON ALZEY)」

 のRやLの発音が無声音化して「フォンケル」と表記されたもの、という説を見つけました。

 この二次小説における「フォンケル」の由来はそれらの説の一部と、ドイツ語圏に実在する「HUONKER」(フォンカー)という姓を絡めて作った独自設定です。


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第十九節

 一〇歳のユリウス・オスカー・フォン・ブリュールは、帝都オーディンの帝国軍幼年学校の敷地を一人歩いていた。

 

 彼はこの月に、幼年学校に入学を果たして間もない新入生である。季節は六月の下旬。瑞々しい新緑の季節を経て、新帝国暦〇〇二年、宇宙暦八〇〇年もその過半が過去の領域へと去りつつあった。

 

 

 出征中の家族や知人の身を案じながらも、帝都の民衆は例年通り「昇天祭」(クリスティ・ヒンメルファート)「聖霊降誕祭」(プフィングステン)「聖体祭」(フロンライヒナム)といった初夏の祝祭を催し、それらは盛況のうちに終わっている。その余韻もすでに消え去り、在校している幼年学校の教師や生徒はいつも通りの日常を営んでいた。

 

 広大な敷地内にはユリウスら学生が宿所としている寄宿舎のほかに、学校本部、第一から第三までの各校舎、体育館、図書館、閲兵場兼競技場、射撃訓練場などといった施設が存在している。

 

 それらは建設されてから永い月日が経過しており、定期的な改装や補強工事が行われても、もはや隠し通せぬほどに老朽化が進行していた。そのため、帝国の独裁者となりおおせたラインハルト・フォン・ローエングラムはロイシュナー校長などの具申も受け容れて、全ての軍関連学校の移転と新築を指示したのであった。

 

 リップシュタット戦役の結果、雲上に鎮座まします支配者層であった門閥貴族の大半は、完全敗北という奈落の最下層に叩き落とされた。その彼らからは金額にして天文学的な数字となる財産が没収され、それらは勝者たるローエングラム独裁体制下の国庫に収められたのである。

 

 そしてその一部である帝都中心地区郊外の広大な土地から好立地の場所が選別され、軍関連学校の新しい敷地に充てられた。

 

 だが、各学校の新施設が落成する前に、新王朝を興したラインハルトによるフェザーンへの遷都令が布告され、それらの施設は完工後にオーディン分校として利用される事となるのであった。

 

 遷都の勅命が正式に発せられるのは一か月ほど後の七月二九日であったが、事前に遷都の情報自体は内定として帝国全土に周知されている。そのため、ユリウスもこの場所で過ごすのもごく短い期間であろう事はすでに承知していた。

 

 入学して間もないユリウスの心中に、この旧い学校から離れる事に対しては感慨など湧くはずもない。だが、ここはかつて偉大なる皇帝(カイザー)ラインハルトや、その盟友たる故ジークフリード・キルヒアイス元帥が一〇歳から五年にわたって過ごした場でもある。それを思えば、今のうちに記憶に残すべく、休日を使って散策してみようという気にもなるのであった。

 

 正門とは正反対の、いわゆる裏庭に足を踏み入れていた白金色の髪の少年は、不意に不穏な喧噪によって鼓膜を刺激された。

 

 それは彼にとって聞きなれたものであった。まだ幼さを残した声での怒号が飛びかい、何かが叩きつけられたり倒れたりする音が断続的に響きわたる。間違いなく学生同士の喧嘩であった。

 

 そのささやかな戦場と思しき場所に向かったユリウスは、ほどなく三対一の少年たちの乱闘を目撃する事となる。

 

 明確な数の差があったが、意外にも優勢なのは一人の側であった。

 

 その少年は怒りに駆られているように見えた。彼は体格や身体能力が交戦中の三人よりもずば抜けている上、明らかに場数でも勝っている。暴風のごとく荒れ狂う憤怒の権化は数的劣勢をものともせず、ごく短時間で二人を芝生の上に這いつくばらせてのけた。

 

「……やるな」

 

 その光景を遠目に見たユリウスは、思わず独語する。喧嘩慣れしている彼でも、同年であれほどの喧嘩巧者は記憶にない。惜しむべきは、最低限保つべき冷静さを失っているように見える点であろうか。

 

 そして最後の一人の腹に鉄拳を叩き込んだ怒れる少年は、両膝を突く相手の胸倉を左手でつかみ強引に立たせる。

 

「さあ、言ってみろ。さっきの台詞を言えるものなら、もう一度言ってみろ! 言えないのなら、今すぐに取り消せ!!」

 

 表情に似つかわしいその怒声に対し、先に叩きのめされた二人はすでに戦意を喪失してうつむくだけであった。だが、驚異的な膂力でなかば宙吊りにされている少年だけは、力強さを欠きながらも嘲りの表情を浮かべる。

 

「……誰が取り消すか。言えというなら、何度でも言ってやる」 

 

 その返答を聴いた巨躯の少年は、全身にさらなる憤激をみなぎらせた。

 

 怒りに任せて振り上げられた彼の右の拳は、相手に直進する事はなかった。その事実は拳の所有者の意思に反していた。その太い右手首を、背後から近づいたユリウスが掴んだのである。

 

「そこまでにしておけ。もう勝負はついているだろう」

「邪魔をするな! 放せ!!」

 

 右腕を封じられた少年は闖入者の手を乱暴に振りほどこうとするが、振りほどけない。どうやらこの優男は、見た目よりも非凡な握力や膂力を有しているらしい。だが、その認識は、今の彼にとって感嘆よりも苛立ちを誘うものであった。

 

「放せってんだッ」

 

 すでに忍耐力が在庫切れとなっていた少年は、襟首をつかんでいた相手を放り出してユリウスに殴りかかった。

 

 その拳は迅さと重さを兼ね備えた一撃であった。だが、殴りかかられた方は危なげなく回避してのけ、同時に相手の顔へカウンターの拳を迷いなく放ったのである。

 

 頭に血が上って小さからぬ隙──同世代でそれを突ける者は少ないだろうが──が生じていた少年は、その鋭い一撃を回避も防御もできなかった。次の瞬間には、顔の左半分に未曾有の痛撃が炸裂したのを知覚しつつ、巨躯の少年は短く宙を舞った後に横転した。

 

 ここまで見事に拳を叩き込まれたのは、彼にとって初めての経験であった。その事に唖然とし、頭を揺らされてやや意識が朦朧としながらも、意地っ張りな少年は膝を震わせつつ立ちあがった。

 

「タフな奴だな」

 

 その頑健さと気丈さに、ユリウスも驚嘆していた。これまでの喧嘩相手なら、今ほどの一撃を加えていれば勝負は決まっていたに違いない。

 

 それに、身をかすめた拳から感じられた圧力は、喧嘩の場数も相応に踏んでいる剛胆なユリウスをして()()()とさせるものであった。怒りに我を忘れて大振り気味であったからこそ余裕をもって対処もできたのだが、相手が今少し冷静であればこうも上手くはいかなかったであろう。

 

「あれ以上は喧嘩ではなく、ただの見苦しい私刑だ。両親からそんな教えを受けてきたわけでもないだろう、グスタフ・イザーク・ケンプ」

「……俺を知っているのか」

 

 身構えようとしたグスタフは、やや毒気を抜かれたかのような声で応じた。

 

「父親が有名だからな。俺は、同じ一年のユリウス・オスカー・フォン・ブリュールだ。お見知りおき願おう」

 

 そう言いつつ、ユリウスは周囲に力なく座りこんでいる三人を見渡す。彼らの方は名前は知らないが、顔には見覚えがあった。確かユリウスやグスタフと同じ一年生だったはずである。

 

「で、なぜ神聖な学び舎で、かくも苛烈にして不毛な闘争が勃発する事となった?」 

 

 皮肉という香辛料(スパイス)を言葉にまぶしつつ、白金色の髪の少年は喧嘩の理由を双方に問いただした。

 

「……おまえには関係ない」

「なくはないさ。なにせ穏便に喧嘩を制止しようとしたら、誰かに問答無用で殴られそうになったからな。事情を聞くくらいは構わないだろう?」

 

 ぐっ、とケンプ家の長男は言葉に詰まる。強烈な反撃を喰らわせておきながらぬけぬけと、とも思ったが、グスタフが喧嘩を仲裁しようとした第三者に拳で返答したのは確かであった。

 

 やがてグスタフは軽く息を吐き、自分が叩きのめした三人を睨みわたしつつ答えた。

 

「……こいつらは、父さんを侮辱した」

 

 この三人はグスタフに対し、図体がでかいだけの役立たずだの、しょせんは下士官上がりだのと、故人となったカール・グスタフ・ケンプ提督への非難や暴言を浴びせたのである。生来直情的なグスタフが、尊敬する父親を貶められれば憤慨するのは当然であった。

 

 グスタフの方の事情を諒解したユリウスは、次は侮辱した側のリーダー格と思しき少年に理由を聴いた。

 

 先刻まで胸倉をつかまれていた彼は痛む腹をさすり、グスタフを睨みつつ憎々しげに答える。

 

「……俺の父さんは、二年前のイゼルローン攻略戦で死んだ。特攻に失敗した移動要塞の爆発に巻きこまれてな」

「……!」

 

 グスタフの内部で奔流のごとく荒ぶっていた憤怒が、断崖絶壁に激突したかのように急停止した。

 

 そして彼とは逆に、堰が切られた急流のような勢いで少年は話を続ける。

 

 残りの仲間である二人のうち、一人の父親はケンプが最後の艦隊戦で実施した各個撃破戦法が失敗し、同盟軍に挟撃された際に戦死した。

 

 もう一人の父親は、乗艦が移動要塞の爆発の余波により僚艦と衝突して大破し、その結果として片腕と片足を失った。

 

 その陰惨な過去を、激しい口調と表情で少年はまくし立てた。

 

「それもこれも、おまえの親父が無能だったからだ!」 

 

 叩きつけられた怨嗟の言葉に対し、グスタフは悔しそうに拳を握りしめ、一言も発しえなかった。

 

 その横で、ユリウスは静かにうなずいた。

 

「なるほど。あの戦いで、総司令官だったケンプ提督に大敗の責任があるのは紛れもない事実だ」

 

 それを聞いて屈折した笑みを浮かべる少年に対し、ユリウスは冷たく鋭い視線を向けつつ言葉を継いだ。

 

「だが、そのケンプ提督を総司令官に任じたのは、当時は前王朝の宰相にして最高司令官であられた皇帝陛下であり、副司令官はナイトハルト・ミュラー提督だった。その事は知っているはずだな?」

 

 やや余裕を取り戻していた少年の表情が、ひきつったものとなった。

 

「ケンプ提督の責任を追及するのであれば、少なくともお二方の責任も問わなければ筋が通らない。ましてや、先日までの親征ではケンプ提督の時を凌駕する戦死者も出ている事だしな」

 

 そのユリウスの言葉に、グスタフを含む周囲の少年たちは息を呑んだ。「回廊の戦い」で皇帝ラインハルトやミュラーといった軍最高幹部たち率いる帝国軍が多大な犠牲を出した事を、この少年は平然と口にしてのけたのだ。

 

 

 なお、ラインハルトとミュラー、そしてケンプを総司令官に推薦した当時の宇宙艦隊総参謀長オーベルシュタインの三名は、敗戦後は自主的に一年間の俸給を返上しており、それは戦没将兵遺族救済基金に充当されている……。

 

 

「それで、あの方々に対し面と向かって同じ事を申し上げたのか?」

 

 その問いに対し、表情から笑みが消えた少年はうつむいた。その態度こそが、返答であった。

 

「なら、申し上げる勇気があれば、今すぐにでも実行してみるがいい。俺が立会人として見届けてやる。心配しなくとも、お二方は正当な批判を受け止めるだけの度量を持っておられるさ」

 

 少年はうつむいたまま、返答をなしえない。残りの二人もさらに消沈したかのように見える。

 

 一方、グスタフはと言うと、いささか苦い表情を浮かべていた。かつて父親の葬儀に参列したミュラーを罵倒してしまい、ミュラーもそれに全く抗弁をしなかったという過去を思い出したからである。

 

 その彼の表情にまで注意を払っていなかったユリウスは、三人の少年たちに冷笑の視線と言葉を投げつける。

 

「ふん、この世にいないケンプ提督は三人がかりで罵れても、ご健在の皇帝陛下やミュラー提督には何も言えないか。大した勇敢ぶりだ。息子どもが立派に成長を遂げて、お父君たちも感涙が止まらないだろうな」

 

 容赦なく鋭利な舌剣と眼光で斬りつけられ、突き刺された少年たちのうち二人は、もはや一言も発しえなかった。

 

 だが、先刻までグスタフに襟首を締め上げられていた少年は異なる反応を示した。屈辱に身を震わせたのち、喚声をあげて白金色の髪の毒舌家に躍りかかったのである。

 

 ユリウスはその雑で迫力に乏しい突進を難なく躱すと同時に、片足で相手の足元を軽く払う。精神のみならず身体のバランスをも失った少年は、一瞬の空中浮遊を体験したのちに、芝生と荒々しく抱擁させられる事となった。

 

 うつ伏せに転がされた少年が立ち上がるよりも早く、ユリウスは彼の顔のすぐ横の地面を、勢いよく踏みつける。

 

「まだやるか?」

 

 熾烈さを秘めた冷静な声と視線を上から突きつけられ、少年は身じろぎもできない。心身ともに打ちのめされ、完全に戦意を喪失したようであった。

 

 それを見たユリウスは、足を退いて息を一つ吐いた。

 

「まあ、おまえたちもヤン・ウェンリーという復讐の対象を失って、さぞ感情を持て余していたんだろうがな」

 

 その言葉は正鵠を射ていた。グスタフを含め、軍幼年学校に入学した彼らが、旧同盟軍最高の智将にして父親の(かたき)であるヤンへの挑戦を心に期していたのは確かである。

 

 もしヤンを斃したのが軍神たるラインハルトや軍最高幹部たちであれば、彼らも得心し「代わりに仇を討ってくださった」と諦めもついたであろう。

 

 だが今月の初頭、ヤンは地球教とやらいう訳の分からない集団のテロにより、戦場の外での死を遂げた。再戦や復仇を望んでいた帝国の将兵や戦死者の遺族にしてみれば、「勝ち逃げされた」という思いを禁じえないのも無理からぬ事だった。

 

 先ほどまでの喧騒が嘘のように、裏庭はいささか重苦しい静寂が張りつめている。そして、それを破ったのは乱入者たる白金色の髪の少年であった。

 

「立て、医務室に行くぞ。口裏くらいは合わせてやる」

 

 

 休日の医務室に在番していたのは、すでに六〇歳を過ぎた軍医大佐であった。

 

 この下級貴族の出である大佐どのは、軍医として前線の野戦病院などで豊富な経験と見識を積んだ古強者である。同時にかなりの頑固者であり、軍の医療体制の不備を容赦なく批判し、つねづね改善を訴えてもいた。

 

 そのため、当然ながら前王朝では旧軍首脳部に忌避された。危うく辺境に飛ばされかけたが、有力貴族出身の同僚のとりなしで、彼は出世コースを外れて幼年学校の校医という「閑職」を二〇年ほども務める事となるのである。

 

 ラインハルトによる独裁体制成立後、ローエングラム陣営に属した元同僚や旧部下の推薦で異動の機会もあったが、初老の軍医はそれを断った。新体制下における医療も含めた軍制改革は、彼にとっても喜ばしい事ではあった。が、もはや長く現場から遠ざかっていた自分の出る幕ではないと考え「今さら栄達など望まんわい」と、数年後の退役まで校医を務める意向を示したのだった……。

 

「ふん、またずいぶんと派手にやったの」

 

 その軍医大佐は医務室に現れた五人を見やり、呆れたように鼻を鳴らした。その批評に対し、ユリウスが()()()とした態度で答える。

 

「『訓練』の結果です。軍医どの」

 

「……まあいいわい。そこの()()()のは、怪我はそれだけかの?」

 

 ()()が浮かびあがっている自身の左の頬骨のあたりに、視線を感じたグスタフは肯定する。

 

「なら、おまえさんから手早くやろうかの。そこに座るといい。他はそっちに座って少し待っとれ」

 

 軍医殿はきびきびとした言動で指示し、準備を始めた。

 

 対面したグスタフの負傷箇所を診察したのち、貼付剤(ゼリーパーム)を取り出しつつ老軍医は独語する。

 

「まったく、元気な事だて。一〇年ほど前を思い出すわい」

 

 その言葉には、皮肉っぽくもやや楽しげな懐旧の響きがあった。

 

「金髪と赤毛の二人組の孺子(こぞう)どもも、入学した当初から医務室(ここ)の常連じゃった。もっとも、大きな怪我を負っていた事はほとんどなかったがの。幾度も何倍もの数を相手にして負けなしじゃったのだから、大したものだったて。むしろ、そやつらに叩きのめされた連中の手当の方が面倒だったわい」

 

「その二人は、もしかして……」

 

 思わず口をはさんだユリウスを偏屈な軍医は()()()と睨み、犬か猫でも追い払うかのように手を振った。

 

「ほれほれ、治療の邪魔じゃ。おまえさんはただの付き添いじゃろう? 病気も怪我もしとらんのなら帰れ帰れ」

 

 邪険な態度で応じられたユリウスは苦笑いし、軍医どのに敬礼して室外に出ざるを得なかったのだった。

 

 

 軽い治療を施されたグスタフも、ほどなく医務室から退出した。手当てが終わった以上、先刻まで腹立たしい理由で喧嘩をしていた連中と同じ室内にいる理由もなかったのである。

 

 そして医務室近くの壁際に、彼を殴り飛ばした白金色の髪の少年がたたずんでいた。

 

「……まだいたのか」

 

 グスタフの気圧の低い声に対し、ユリウスはにやりと笑って応じる。

 

「ああ、おまえに用事があってな」

「俺に?」

 

 怪訝そうな表情を、グスタフは顔に浮かべた。

  

「なに、暇だったら俺と格闘術の『訓練』に付き合ってくれないかと思ってな。おまえもこのままじゃ暴れ足りないだろう? 逆上していないおまえの戦いぶりも見てみたいからな」

「……いいだろう、後悔するな。この()()の分の借りは返させてもらうぞ」

 

 肉食獣めいた笑みを交わしつつ、二人は訓練室に向かうのであった。

 

 

 数時間後、顔どころか全身に打撲(うちみ)擦過傷(すりきず)を作って医務室に舞い戻り、

 

「より実戦的な『訓練』の結果です、軍医どの」

 

 と声をそろえて主張する新入生の二人組を見て、老校医は心から呆れ果てる事となる。

 

 そして、治療中に二人から「金髪と赤毛の二人組」の在学中の話をせがまれた初老の軍医どのは、自分の口の滑りに舌打ちしたい気分になりつつも、やむを得ず昔話をしてやったのだった……。

 

 

 

「初めての出会いが喧嘩とはね。まあ、あんたたちらしいと言えばらしいねえ」

 

 ユリウスから昔語りを聞き終えたのち、グレーチェンは朗らかに笑った。「喧嘩なんてしてはいけない」などと言わないのも、この女性(ひと)らしいとユリウスは思った。

 

「まあ、グスタフはともかく、ユリウスの方は顔を殴られて美童ぶりが台なしになったらもったいないねえ。グスタフも、殴るなら顔以外にしておきなよ」

 

 女主人のその言い草に、グスタフとユリウスは憤慨と困惑の表情をそれぞれ作りかけたが、結局は先刻と同じように顔を見合わせて苦笑したのだった。

 

「まあ、約束はできません。こいつ(ユリウス)が喧嘩で油断したら、顔だろうとどこだろうと遠慮なく叩き込みますよ」

「心配しないでください。初対面の時のこいつ(グスタフ)みたいな隙を作るつもりはありません」

 

 それぞれそう言って笑顔で軽くにらみ合う二人の少年を見て、グレーチェンは笑いつつ心中で独語した。

 

 

 ロベルト、あんたが天上(ヴァルハラ)に去った後も、次の世代をになう子たちは育っているよ。先帝陛下やあんたが道を切り開いた平和な時代の中で、有意義な人生を歩んでほしいものだね……。

 

 

 夕刻が近づき、二人の幼年学校生は「フォンケル」を辞去した。

 

 グレーチェンはわざわざロボット・カーのタクシーを自費で呼んでくれた。行きと同じくバスで帰るつもりだった二人は辞退しようとしたが、「さっきまで料理にがっついていたのに、今さら何を遠慮してるんだい。四の五の言わずに乗っていきな」と言われて、なかば強引に車内へ押し込まれたのである。

 

 自動運転のタクシーが発進したのち、ユリウスとグスタフはしばらく無言のまま、車窓の外を流れてゆく風景を眺めていた。

 

 今日は美味い食事を堪能し、故シュタインメッツ提督などの興味深い逸話も聞く事ができた。だが、二人の少年は単純な満足感にだけ浸ってはいられなかったのである。

 

「生き急いだらいけない、か」

 

 グスタフが不意につぶやく。その横顔に黒い瞳を向けたユリウスは、ほどなく顔を正面に向け、沈思するかのような表情を浮かべた。

 

 カール・グスタフ・ケンプは、誇りある武人として栄誉を求めた果てに敗れて斃れた。

 

 カール・ロベルト・シュタインメッツは、忠勇兼ねそなえた名将として主君の盾となり戦場に散った。

 

 彼ら以外にも野心、理想、忠誠、愛憎、矜持などといった心中に抱いていたものに従い、動乱の渦中にてあるいは蹉跌を犯し、あるいは死んでいった多くの人々を、少年たちは直接的ないし間接的に知っていた。

 

 だがそれでも、非凡な才器を有しているとはいえ一〇年と少しの齢しか重ねていない二人にとって、グレーチェンの言葉の重みを完全に理解し実感するのは難しい。小さからぬ悩みや陰を背負ってはいても、心身ともに活力と弾力性に富んでいる伸び盛りの彼らは、歩みを緩め、立ち止まるには早すぎる年齢であった。

 

「まあ、急いては事を仕損じる、と言うしな。グレーチェンさんの忠告は、今はありがたく胸に刻んでおこう」

「……そうだな、今の俺たちは孵化すらしていない軍人の卵に過ぎない。先達に敬意を払って、前に進むしかないな」

 

 ユリウスの言葉にグスタフはうなずき、二人は再び車外の景色に視線を移す。

 

 

 先刻まで天空を覆いつくしていた雲はその密度を減じ、姿を現した落日の残照によって一部を緋色に染めあげられている。雪はとうに止み、舞い降りたであろう純白の使者は、すでに地表から姿を消していた。

 

 

 

 

 

 

 

                                第三章 完結



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第四章 旧き都の弔歌
第二十節


 船窓の外に広がる果てなき深淵を、少年はただ見つめていた。

 

 宇宙船の船体に隔てられたすぐ向こう側は、生身の人間の生存を許さぬ永遠の冬夜である。

 

 だが、その畏怖すべき悠久なる空間こそ、彼が己の翼で翔けたいと欲している場所なのであった。

 

 

 宇宙暦八〇二年、新帝国暦〇〇四年の四月、フェザーン回廊内の新帝都フェザーンとヴァルハラ星系内の旧帝都オーディンを結ぶ最短航路を、一隻の船舶が旧帝都方面へと航行している。

 

「アルバトロス」という固有名詞を与えられているその貨客船の船内に、今年で帝国軍幼年学校三年生となるユリウス・オスカー・フォン・ブリュールは乗客の一人として在った。

 

 

 フェザーンからオーディンまでおおよそ二週間。この数字は、燃料の消費効率を経済的に考慮した、単独の艦艇もしくは小規模の船団による速度に基づいたものである。

 

 旧帝国暦四八九年の「神々の黄昏」(ラグナロック)作戦において、一二月九日のイゼルローン回廊に遠征中のオスカー・フォン・ロイエンタール上級大将からの増援要請を受けたラインハルト・フォン・ローエングラム元帥は、即時にウォルフガング・ミッターマイヤー上級大将率いる艦隊をオーディンから進発させた。

 

 そしてイゼルローン回廊に向かうかと思われたミッターマイヤー艦隊は、一二月二四日に惑星フェザーンの上空にその姿を現したのである。かくして「神々の黄昏」作戦の一角たるフェザーン自治領(ラント)占領は、ほぼラインハルトの計画通りに成功したのであった。

 

 二万隻に達する大艦隊が、少数の艦艇のそれと大差ない日程でオーディン・フェザーン間を踏破した事実は、十分に偉業と呼ぶに値する。帝都からフェザーン回廊周辺までは自軍の勢力圏内であり大規模な妨害を考慮する必要がなく、その道程において燃費を度外視した回数のワープと航行速度で行軍する事を、ラインハルトが許可したのである。

 

 そして、先年の「リップシュタット戦役」終結直後のガイエスブルク・オーディン間の強行軍を教訓として最大限に生かし、シミュレーションや幕僚との意見交換を重ね、脱落艦もほとんど出さず迅速な進軍を完遂せしめたミッターマイヤーの指揮運用は「疾風ウォルフ」(ウォルフ・デア・シュトルム)の令名に恥じぬものであった。

 

 

 そのかつての帝国軍の雄図とは比べるべくもないが、アルバトロス号のささやかな航宙(セーリング)もその予定の過半までが消化されており、現在の時点では船長や航法士のスケジュールを逸脱する事なく平穏に進んでいる。

 

 肉視窓に向けていた黒い瞳の視線を外し、ユリウスは自身の客室へと戻るべく踵を返す。先刻まで彼は、船内の狭いトレーニングルームで汗を流していたのである。今頃はフェザーンで親友も自己研鑽に励んでいるはずであり、彼に遅れを取るわけにはいかなかった。

 

 ほどなく到着した扉の前で、彼は内部にいる人物に帰室を告げる。電子錠が解除され、白金色の髪の少年は室内に足を踏みいれた。

 

 そこには目を閉じた壮年の男性が、静かに椅子に座っている。やがて彼は目を開き、入室した少年へ穏やかに声をかけた。

 

「戻ったか、ユリウス」

 

 フェルディナント・ユリウス・フォン・ブリュール。ユリウスの父親である。その父の今の雰囲気から、ユリウスはある事を悟らざるを得なかった。

 

「……オーディンから連絡があったのですか?」

「ああ。義母上が亡くなられたと、義父上から今しがたな」

「そう、ですか……」

 

 フェルディナントの義母、つまりユリウスの母方の祖母ラッヘル・フォン・ダンネマン夫人は生来から蒲柳の質であり、七年前にも心臓の持病で倒れている。その時はすぐに病院に運ばれ、手術が成功して事なきを得た。

 

 だが、その後の健康状態も良好とは言いがたく、再度の手術に耐えられるだけの体力がない以上、次に倒れれば生存率は至って低いと医師から宣告されていたのである。

 

 そしてこの月の初頭、彼女はオーディンの自宅にて再び倒れ、その報を受けてユリウスは父と共に急遽フェザーンを出立したのであった。

 

 父親もユリウスも、おそらく間に合うまいと思ってはいた。だが、覚悟はしていたとはいえ、いざ身内の訃報に直面してみれば、不敵な少年も粛然とした心情を抱かずにはいられない。

 

「葬儀は、私たちの到着を待ってくれるそうだ」

「兄上は、やはり来れないのですか?」

「ああ、お前も知っているだろうが、工部省も今は大変な状況だからな。ルードヴィヒも色々と手を離せんらしい」

 

 ルードヴィヒ・フォン・ブリュールはユリウスの一〇歳上の異母兄であり、フェルディナントの先妻との間に生まれた子であった。現在は大学を卒業して官吏となり、工部省に勤務している。

 

 フェルディナントは一四年前に先妻を事故で失っており、その一年ほど後にユリウスの実母であるツェツィーリア・フォン・ダンネマンと再婚している。

 

 ブリュール家とダンネマン家は共に帝国騎士(ライヒス・リッター)の称号を有する下級貴族であり、邸宅が近所であったため古くから交流を持っていた。フェルディナントとツェツィーリアは一〇歳以上年齢が離れた幼馴染であり、兄妹のような関係であったという。

 

 財務省の官吏であったフェルディナントが先妻と結婚してしばらく年月が経過した後、評判の佳人として成長したツェツィーリアにも何人もの求婚者が現れたというが、結局彼女はその中から伴侶を選ぶ事はなかった。

 

 そしておりしも妻を失って間もないフェルディナントとの結婚話が持ち上がり、そのまま二人は夫婦となる。のちにツェツィーリアが男児を出産し、ユリウス・オスカーという名が与えられた……。

 

 そのツェツィーリアは昨年、新帝国暦〇〇三年に死去している。

 

 その前年の年の一〇月半ば、オスカー・フォン・ロイエンタール元帥叛逆の報に全人類社会が騒然としているさなか、ツェツィーリアは家族とともに転居したフェザーン市街中央地区において、突如として行方不明となった。

 

 そして彼女は降りしきる雨の中、冷えこんだ夜半の郊外にて警察に保護された。だが、実母と同じく体が強いとはいえなかった彼女は低体温症から重度の肺炎を発症し、年を越した一月の下旬に世を去ったのであった。

 

 この母の失踪と死去といった一連の騒動のため、ユリウスは参列できたはずの故コルネリアス・ルッツ元帥の国葬と、翌年の皇帝の結婚式に出席できなかったのである。

 

 

 ロイエンタール元帥叛乱の端緒となった皇帝(カイザー)ラインハルト襲撃事件に際し、皇帝の随員の一人であったルッツは主君の盾となり惑星ウルヴァシーにて斃れた。

 

 事件発生を知った「新領土」(ノイエ・ラント)総督たるロイエンタールは、グリルパルツァー大将に皇帝一行の保護と治安回復を命じてウルヴァシーに急行させた。そしてグリルパルツァー麾下の軍はウルヴァシー制圧の過程で、基地の遺体安置所に収容されたルッツの遺体を発見したのである。

 

 グリルパルツァーは総督への報告の一つとしてその事実を伝え、どのように処置すべきか指示を仰いだ。そしてロイエンタールは、ほどなく「遺体は礼節をもってフェザーンへすみやかに送り届けよ。望むならば、卿と卿の軍もそれに同行して構わぬ」と返答したのであった。

 

 グリルパルツァーはその返答の前半のみ、正確に実行した。彼は麾下の高速艦から数隻を抽出し、その小艦隊にルッツの遺体の護送を命じて新帝都方面へと送り出したのである。敬礼してそれを見送ったグリルパルツァーは、自身の打算に従って、フェザーンではなくハイネセンへと帰還する事を決断したのであった。そして「後半の勧めにも従っていればよかったものを」と、彼は後世の人々から冷笑ないし憫笑される事となるのである。

 

 一一月上旬、死せるルッツは新帝都に無言の帰還を果たす。新領土への討伐軍派遣の準備で慌ただしい中にてとりおこなわれた国葬は、いたって簡素なものにならざるを得なかったが、主君たるラインハルトをはじめ、列席した文武の重鎮たちの多くが忠良の名将の死を惜しんだのである……。

 

 

 実の母親に対し酷薄だとは自覚しつつも、彼女の不可解な失踪と死に対しユリウスは悲しみよりも苦々しさを強く感じざるを得ず、その思いは現在でも変わっていない。

 

 ユリウスと他の家族との関係は、ユリウス本人から見れば普通とは言いがたい。父や祖父母は彼らなりに愛情をもって接してくれていたとは思うが、同時に彼らの間には、乗り越えがたい不可視の垣根のようなものの存在を明敏な少年は感じているのである。

 

 兄ルードヴィヒはというと、全寮制の学校に入学したのちは実家に帰る事はあまりなく、家族とは疎遠となっている。本来は温和で人当たりのよい性格らしいが、たまに顔を合わせたとしても、父やその再婚相手、そして異母弟とはぎこちない空気が漂うのが常であった。今回の祖母の一件にしても、仕事が忙しいのは事実であろうが、自分のように実の祖母ではなく、父のように義母という関係でもない人間のために時間を割く気になれないという心理もあるのかもしれない。

 

 異母兄の心情はまだ理解できる。多感な少年期に慕っていた母を失い、その悲嘆が癒されないうちに父が再婚したとあっては、父や継母、そしてその間に生まれた異母弟に対し憎悪とまではいかなくとも隔意を抱くのは無理からぬ事とも思える。

 

 だが、実母が自分に抱いていた心情は、ユリウスには理解しがたい。彼女の実子への溺愛や執着心は、息子本人と世間一般から見ても過剰に過ぎるものであったと思う。

 

 父や祖父母がそのあたりの真相を知っているのは疑いないが、彼らはユリウスに対して、それを(かたく)なに語ろうとはしなかった。

 

 そして今、事情を知る一人たる祖母が、秘密を抱えたまま世を去った。健在である身内が自分に真相を語ってくれる日は、はたして来るのだろうか……。

 

 

 そのような思惟を巡らせていたユリウスの聴覚を、彼や父以外の声が刺激する。父が点けていた立体テレビ(ソリビジョン)から、軍の公式発表を読みあげる報道官の淡々とした台詞が流れてきたのである。

 

 その内容は、辺境のパラス星系において帝国軍が宇宙海賊の根拠地の一つを強襲し、制圧に成功したというニュースであった。

 

「海賊か。いつの世も、こういった連中の種は尽きないものだな」

 

 特に表情も変えないまま、フェルディナントはつぶやいた。

 

 

 現在の旧来の帝国領内においても、前王朝時代から宇宙海賊と呼ばれる非合法組織は中央の眼と手が及びにくい辺境各地に存在している。重罪を犯した逃亡者、脱走兵、没落した旧貴族やその私兵、破産した商船主など、その出自は様々であった。

 

 海賊の生業と言えば略奪が最初に連想されるが、他にも「通行料」の徴収、拉致による身代金の要求、密造品や禁制品の闇取引と言った不法行為によって懐を潤している集団も多く、当然ながら主権国家にとっては容認すべからざる存在である。また、軍および門閥貴族の一部などと裏で癒着してその走狗となり、「飼主」の対立勢力への妨害行為や、狂言の襲撃による保険金詐欺の片棒を担ぐといった事例すら珍しくはなかった。

 

 銀河連邦の軍人時代に海賊討伐で名を馳せたルドルフ大帝の治世以来、海賊対策は帝国軍の伝統的な責務の一つであり、それは王朝が交代しても変わりはない。

 

 だが大抵の場合は、海賊たちも質と量で勝る正規軍と正面から戦う愚は犯さなかった。陽動やゲリラ戦などで撹乱を図って対抗し、形勢不利と判断すれば即座に逃げ散るのが常であり、捕捉も容易ではなかった。仮に鎮定に成功したとしても、それは統一されざる集団である海賊全体の一部に過ぎず、広大な辺境に点在する彼らを完全に根絶するのは不可能に近かったのである。

 

 旧帝国暦四八八年のリップシュタット戦役終結後、帝国内における全権力を掌握したローエングラム独裁体制は、辺境に跋扈していた海賊たちへ「公平な裁判」で処遇を決すると公に確約し、投降を呼びかけた。

 

 当初海賊たちは、その布告をにわかには信用しなかった。だが、新体制が敗者たる貴族連合軍に属していた多くの投降兵や捕虜たちを赦免し、その中のファーレンハイトやシュトライトを始めとした有能な高級士官を登用し厚遇しているという事実が知れわたるにつれ、徐々に近隣の軍管区司令部に出頭する海賊たちも現れ始めた。

 

 無実の罪を着せられたり、不当な債権を背負わされたりして逃亡者とならざるを得なかった場合などは、事実と認められれば情状が酌量されて比較的に軽い刑で済む判決が次々と下された。その結果として、少なからぬ数の海賊が武力によらず宇宙から姿を消す事となる。

 

 だが、それでもなお無視しえない数の海賊が、現在でも辺境星域に潜んでいると推測されている。出頭すれば死刑ないし終身刑を免れないほどの重罪を重ねている者たちは無論の事、()()()()と出頭したりはしなかったのである。

 

 それに加え、リップシュタット戦役での敗北後にローエングラム陣営へ膝を屈する事を肯ぜず逃亡に成功した貴族連合軍の一部には、フェザーン自治領ではなく辺境各地に潜伏して海賊に身を落とした者たちの存在も確認されている。そのため、旧帝国暦四八九年に幼帝エルウィン・ヨーゼフ二世が宮中から拉致された際、犯人と目される旧門閥貴族たちが「辺境に人知れず根拠地でも築いているのだろうか」と推測された事もあった。

 

 一方、旧自由惑星同盟においても、辺境の海賊への対策は同盟政府や軍部にとっても重要な課題であった。

 

 末期においてはカーロス・クブルスリー提督を現場責任者とした、軍による数年がかりの掃討作戦が、顕著と言ってよい成果を挙げていた。その結果として、同盟の完全滅亡までその領域内において、海賊たちの大規模な蠢動が確認される事はなかったのである。ヤン・ウェンリーがイゼルローン方面軍の司令官であった時期、イゼルローン回廊の同盟側出入口付近の星域にて海賊が出没したとの報を受けたヤンは「何だかえらく懐かしいものに出遭った気がするな」と、いささか緊張感を欠いて評したものであった。

 

 その討伐成功の思わぬ副作用と言うべきか、討伐の過程において同盟内のいくつかの大企業が裏面で海賊との間に細からざるパイプを形成していた事が判明し、政財界の一大スキャンダルの端緒となった。

 

 それににより著しく社会的信用を失った企業の一部は、重ねて愚かな事に失地回復の一環として、有力政治家への贈賄を実行したのである。ほどなくその事実も宇宙暦七九六年のなかばに露見し、さらにスキャンダルは巨大化した。

 

 そして収賄容疑により失脚した政治家たちの中には、当時のロイヤル・サンフォード政権の閣僚の一人であった情報交通委員長も含まれていたのであった。

 

 これにより、同年のヤンによるイゼルローン要塞無血奪取によって多少なりとも上向いていた政権の支持率は、大幅に下落する事となる。元々イゼルローン攻略は、ヤンと彼を起用したシドニー・シトレ統合作戦本部長に功績を帰するものと市民の大半は評価しており、サンフォード政権はその余恵をささやかに得ていたに過ぎない。成立当初から市民の期待が高いとは言えず、国力の衰微に対し有効な政策を打ち出せずにいた同政権である。ひとたび大きな不祥事が起これば、支持率の再低下は当然の事であった。

 

 そしてそれは、軍の一部から提出された大規模な帝国領遠征計画を、支持率回復をもくろんだ政権が認可してしまうという結果を生む。かくして、アムリッツァ星域における大敗という自由惑星同盟滅亡への扉は押し開かれるのである……。

 

 

 新帝国暦〇〇四年、宇宙暦八〇二年現在、人類社会において宇宙海賊の総数は減少の一途をたどっていると言ってよい。だが、それだけに現存している海賊はローエングラム王朝への反抗心や敵意が強固な者たちばかりであった。

 

「まあ、このあたりの航路には、さすがに噂の『大神の槍』(グングニル)を名乗る連中も進出はできないだろう」

 

 

 フェルディナントが口にした「大神の槍」は現在、旧ゴールデンバウム王朝時代からの帝国領方面の辺境星域に存在している、最大規模の海賊が自称している名であった。

 

「グングニル」とは神話における大神オーディンの所有する投槍の銘であり、投擲すれば狙いたがわず対象を貫き、のちに所有者の手元に戻ると言われている神器である。

 

 また、オーディンは一振りの神剣を地上にもたらし、それは英雄シグムンドの手に渡った。のちにオーディンは、罪を犯したシグムンドに向けてグングニルを投げ放ち、彼の剣を折り砕く。激戦の渦中で愛剣を失った英雄は落命し、のちに折れた剣は打ち直されて「グラム」と名づけられた……。

 

「大神の槍」の構成員の中核は、リップシュタット戦役における貴族連合軍の残党であるとされる。彼らは前述の神話に基づいて、グラムを家名の由来の一つとし王朝簒奪と言う「大罪」を犯した「ローエングラム」を打ち砕いて、のちに旧帝都たる惑星「オーディン」に戻るという決意を自称に込めているのだという。

 

「気宇壮大な事だ。だが、実力が伴っているのやら」

 

 と、ユリウスは最初にその名の由来を聞いた時は皮肉っぽく思ったものである。

 

 だが、その集団は、現在までローエングラム王朝軍の索敵と攻撃をかいくぐって存在し続けている。「大神の槍」は旧帝国領にて根拠地を変えつつ辺境を転々とし、船団を襲撃して公路や兵站を一時的にしろ寸断し、急行した討伐部隊を地の利を掌握した巧妙果敢なゲリラ戦術で翻弄したのち、致命的な損害を避けつつ幾度も逃げおおせているのである。

 

 

 新帝国暦〇〇二年の終わり、すなわちロイエンタール元帥叛逆事件発生の辺りからハンス・レーマンと名乗る人物が新たな首領格となった「大神の槍」は、近隣の海賊を次々と傘下に収めて急速にその勢力を強め始めた。

 

 この時期、後方総司令官エルネスト・メックリンガー上級大将は叛乱を起こしたロイエンタールの後背を扼すべく、主力艦隊を率いて旧同盟領方面に進出している。すなわち旧帝国領内の軍権を統括していた最高責任者が、大兵力と共に長期にわたり不在となっていたのである。

 

 それに加え、叛乱終結後にヒルデガルド・フォン・マリーンドルフ伯爵令嬢が皇妃に冊立されて大本営幕僚総監を辞し、その後任にメックリンガーが任命されたため、旧帝国領の軍内部の人事異動で指揮系統に少なからず空隙が生じていた。海賊たちの躍進には、こういった状況に上手く乗じたという背景も存在したのであった。

 

 

「大神の槍」がいかに勢力を拡大させたとて、現時点では史上空前の大帝国と較べれば、獅子の足元でうごめく蚤虱(のみしらみ)に過ぎない。

 

 しかし、どのような大勢力も、最初は小規模な存在を核として発展するものである。かつて前王朝末期においてはラインハルト・フォン・ミューゼルという若き一軍人も、当時の支配者層たる門閥貴族の大半からは「花園を荒らす害鳥」という程度の印象しか、当初は持たれていなかった。

 

 だが、「皇帝の寵姫の弟という立場と運のみで成り上がった」と思われていた彼は多くの輝かしい武勲を背景として急速に勢力を強め、ついには「リップシュタット戦役」において貴族連合軍を打倒し、帝国の支配者としての立場を完全に奪い取ったのである。

 

 また、史上空前の覇者たるラインハルトの最大の味方であったジークフリード・キルヒアイスと、同じく最大の雄敵であったヤン・ウェンリーの両名が、捨て身の刺客によって生命を奪われている事例も記憶に新しい。彼らはそれぞれ敗滅直後の貴族連合軍の投降者と、帝国軍の討伐で壊滅した地球教の残党という、もはや眼中に入れるに足りぬと思われていた存在の凶行によって非業の死を遂げたのである。

 

 この数年間のそういった事例に思いを致せば、帝国側としては台頭する「大神の槍」を弱小勢力と侮ってばかりもいられなかった。彼らがその組織力を利用して、近年に限ってもいくつかの成功例がある要人へのテロを企図する可能性は十分にありうるのである。

 

 かつてアンネローゼ・フォン・グリューネワルト大公妃が弟である皇帝ラインハルトの結婚式に出席するためオーディンから少数の高速艦隊に守られつつ出立した際、皇帝は最愛の姉の安全を、最大限に考慮するよう命じたものである。自分の姉が「大神の槍」のみならず、地球教や旧フェザーン自治領主のルビンスキー一党といった敵性勢力からの殺傷や拉致の標的となる可能性が極めて高い事をラインハルトも承知し、かつ危惧したのだった。

 

 そして大公妃の道中の護衛責任者という大任を命じられたのが、エミール・フランツ・グローテヴァル大将であった。

 

 

 グローテヴァルは元の姓を「グローテヴォール」と言い、元々はマリーンドルフ伯爵領の警備艦隊司令部に所属していた経歴を持っている。

 

 旧帝国暦四八七年、旧王朝に対し叛乱を起こしたカストロプ公爵領の艦隊がマリーンドルフ伯爵領に侵攻した際、当時准将であったグローテヴォールは分艦隊の一つを率いて防衛の任にあたった。

 

 マリーンドルフ伯爵自身は、説得のために赴いたカストロプ領にて身柄を拘束されており、カストロプ艦隊の侵攻時点で伯爵家は当主不在の状態であった。伯爵は出立前に「私の身に何があっても、決してカストロプ家に屈してはならない」と言い残しており、この言葉に従って伯爵領は徹底抗戦を決定したのである。

 

 数で勝るカストロプ艦隊に対して、伯爵領の警備艦隊は帝都オーディンからの援軍が来るまで防御戦術に終始し、結果としてそれは成功で報われた。

 

 その中でも的確な機雷原の敷設の立案および実行、敵の後背に回り込んでの補給線の遮断など、グローテヴォールの骨惜しみなき働きぶりは目ざましかった。叛乱鎮圧後、救出されたマリーンドルフ伯爵家当主も同じ「フランツ」という名を持つグローテヴォールに対しての信頼を深めたのである。

 

 翌年の「リップシュタット戦役」でローエングラム陣営に与したマリーンドルフ伯爵家は、協力の一環として私設艦隊の一部をローエングラム軍に従軍させる事となる。そしてその艦隊司令官に任じられたのが、グローテヴォール少将であった。

 

 グローテヴォール艦隊は、ジークフリード・キルヒアイス上級大将率いる辺境平定のための別働隊に組み込まれた。先のカストロプ動乱において、叛乱鎮圧の立役者であったキルヒアイスと面識を得ていたグローテヴォールは謹んでその指揮下に入ったのであった。

 

 味方となった貴族の私兵に、ラインハルトやキルヒアイスは忠誠の証明以上の期待はしていなかった。だが、その中でも練度と士気の高いグローテヴォール艦隊は、寡兵ながら例外的な活躍を示したのである。

 

 キルヒアイスは数十回もの中小規模の会戦に臨んでことごとく勝利を収めたが、グローテヴォールは陽動や後方撹乱などでそれに少なからず貢献し、赤毛の驍将からの信頼を高めていった。

 

 そして「キフォイザー会戦」でリッテンハイム侯爵の大軍を撃破し、ガルミッシュ要塞を占領したキルヒアイスは、グローテヴォールに要塞への駐留を要請したのである。それを受諾したグローテヴォールは、大きく損壊した要塞の応急修理を行いつつ、戦役終結まで周辺星域およびローエングラム軍の後方の安定に尽力したのであった。

 

 戦役終結後、成立したローエングラム独裁体制下にて、降伏した旧貴族連合軍の私兵は多くが再編成されて正規軍に吸収された。同時にローエングラム陣営に与した貴族も、私兵の保有に大幅な制限が加えられる事となる。マリーンドルフ伯爵は進んで保有する警備艦隊の指揮権の移管を申し出、グローテヴォールは中将に昇進の上で正規軍に籍を移したのであった。

 

 旧帝国暦四八九年に開始された「神々の黄昏」作戦に際し、グローテヴォールは帝国領に残留し、メックリンガー大将の指揮下にて領内の治安維持に従事する事となる。マリーンドルフ家と懇意であったヴェストパーレ男爵家を通じてメックリンガーと以前から面識があったグローテヴォールは「芸術家提督」からも信頼され、麾下の艦隊を率いて主君の命と上官の指示に忠実に従ったのだった。

 

 ローエングラム王朝成立後、大将に昇進したグローテヴォールは旧帝国暦四九〇年改め新帝国暦〇〇一年の同盟領への再侵攻に際し、遠征軍への従軍を命じられる。艦隊司令官として初めて同盟領に足を踏み入れる事となった彼は、ヴァーゲンザイル大将、クーリヒ中将、マイフォーハー中将らと共に遠征軍の第四陣の一翼を担った。総司令官が定められていない第四陣の各部隊は、それぞれ状況に応じ遊軍として独自に動ける態勢を整えていたのである。

 

 そして遠征の途上、グローテヴォールは第二陣のミッターマイヤー艦隊に造兵廠を完全破壊された惑星ルジアーナへの駐留を指示された。そして長期間にわたり、フェザーン回廊方面からの兵站の安定や、投降した同盟軍捕虜および民間人への処遇などに心を砕く事となるのである。

 

 そして新帝国暦〇〇二年の「回廊の戦い」終結後、グローテヴォールはルジアーナ駐留の任を解かれて後方総司令部への異動を命じられ、再びメックリンガーの指揮下に入るべく旧帝都オーディンに赴任したのだった。

 

 それに前後して、彼は姓をGROTEWOHL(グローテヴォール)からGROTEWAL(グローテヴァル)に改名したのである。

 

 

 彼は改名した理由を公には語らなかったため、後世において多くの歴史家がその背景を考察している。

 

 グローテヴォールという姓は古語で「巨大な土壁」もしくは「巨大な堰堤(ダム)」を意味する「GROET-WAL」を語源としていると伝えられている。古くは「GROTEWAL」もしくは「GROTEWALE」「GROTEWAHL」とも表記されていたとされているため、古めかしく改姓しただけではないかという推測もある。

 

「WOHL」には幸福や繁栄、健康などといった意味もあり、自身のそれを捨ててでも新帝国を守る「土壁」(WAL)となる決意を示したのだという者もいる。

 

 他には、「WAL」は「鯨」を意味する語でもあるため、艦隊司令官たる彼が自らを「星々の大海を征く巨鯨」と称したのだという説もある。

 

 また、「WALHALLA(ヴァルハラ)」には「戦死者の館」、「WALKUERE(ワルキューレ)」には「戦死者を選ぶ者」という語意がそれぞれある通り、WALには「戦死者」を指す意も存在する。そのため、「マル・アデッタ会戦」や「回廊の戦い」にて膨大な数の「戦死者」が生じた事に衝撃を受けた彼が、死者への哀悼を示すために改名したのだという見解も存在している……。

 

 

 同年末期のロイエンタール元帥叛逆事件においてメックリンガーが旧同盟領へと進発するに際し、グローテヴァルはヴァルハラ星系に残留し、後方総司令官の職責を代行するように命じられる。

 

 一方、同じく後方総司令部に籍を移していたヴァーゲンザイル大将は、メックリンガー艦隊通過後のイゼルローン回廊帝国側出入口付近の星域への駐留を命じられた。

 

 重要な任務には違いないだろうが、同階級のグローテヴァルより明らかに格下に扱われたヴァーゲンザイルは不満を漏らさずにはいられなかった。

 

 それに対しメックリンガーは、グローテヴァルの方が年長で軍人としての閲歴も上である事、後方勤務の経験でもグローテヴァルに一日の長がある事などを列挙し、ヴァーゲンザイルを沈黙させたのであった。この貯めこんだ不満がヴァーゲンザイルの心中の矜持を刺激し、のちに功名に逸った彼がヤン・ウェンリー亡き後のイゼルローン軍に不覚を取った一因ともなったと言われている。

 

 グローテヴァルの方でもヴァーゲンザイルに配慮する一方、メックリンガー艦隊進発後に辺境付近で「大神の槍」などの非合法組織が蠢動し始めた事に対処しなければならなかった。

 

 後方総司令官代理として、兵数が低下した要衝たるヴァルハラ星系近辺から迂闊に動くわけにもいかず、グローテヴァルは辺境各地に駐留する警備および巡視部隊からの報告を分析し、連携を密にさせて不敵な海賊どもを可能な限り抑えこもうとした。

 

 だが、結果として「大神の槍」の巨大化を阻止する事はできず、途中でフェザーンから増援として帝国本土に向かったグリューネマン大将麾下の一個艦隊と連携する事により、海賊の跳梁になんとか歯止めをかけるまでに留まった。グローテヴァルは忸怩たる思いを禁じえなかったが、彼の妨害がなければ海賊どもの成長はさらに大きなものとなっていたであろう。少なくとも、皇帝とその周辺は「グローテヴァルは与えられた条件の中で最善を尽くした」と評価したのである。

 

 

 こういった経歴に鑑みて、皇帝や現在の軍最高幹部のみならず、故キルヒアイス元帥、旧主である国務尚書マリーンドルフ伯爵、その令嬢にして皇妃に冊立される事となったヒルダ、アンネローゼの友人たるヴェストパーレ男爵夫人といった要人たちから能力及び人格的にも安定した信頼を寄せられていたグローテヴァルは、弟の結婚式に出席すべく初の恒星間航行に臨むアンネローゼの警護役として、最良の部類と言ってよい人材であった。

 

 主君の意を受けた護衛責任者たるグローテヴァルは、まず随行する艦船や人員に不審な点がないかを入念に点検させた。そして目立たないように通常の戦艦を臨時の旗艦と定め、最短航路を含めた複数の航路に囮艦隊をオーディンから同時に進発させ、ヴァルハラ星系内にて各艦隊間でシャトルを頻繁に往来させたり、傍受を想定して真偽の入り混じった通信を濫発させるなど、敵性勢力の眼と判断を惑わすべく細心の注意を払ったのである。

 

 かくして最短航路の倍近い五〇〇〇光年もの迂回航路を、グローテヴァルは一か月弱の時間をかけて踏破し、アンネローゼを無事にフェザーンへと送り届ける事に成功したのであった。

 

 

 新帝国暦〇〇三年七月に皇帝ラインハルトが崩御し、翌月のアレクサンデル・ジークフリードの即位後、エルンスト・フォン・アイゼナッハ元帥が「ヴァルハラ星系圏(グロスラウム・ヴァルハラ)総軍司令官」に任命され、旧帝都オーディンに赴任した。

 

 それに伴い、上級大将に昇進したグローテヴァルは副司令官の一人としてアイゼナッハの補佐役たる事を命じられている。

 

 ヴァルハラ星系圏総軍が正式に発足して以降、「大神の槍」の行動は目に見えて失速した。二万隻を超える主力艦隊を擁している総軍は、状況に応じて兵力を派遣し、辺境の現地の警備艦隊と呼吸を合わせつつ着実に海賊の戦力を削り、資金源を押さえ、拠点となりうる施設を制圧ないし破壊するなど、時間をかけて海賊を徐々に弱らせつつあるのである。

 

 ユリウスも任官すれば、任務の一つとして海賊討伐に従軍する事もあるだろう。未知のエイリアンによる大襲来か、大規模な叛乱でも起こらない限り、人類社会がほぼ統一された現在では他に艦隊戦に参加する機会などあるはずもない。

 

 とは言え、前者はともかくとして後者はありえないとも断言はできない。現に一昨年にはほとんどの人間が予期しえなかった「大規模な叛乱」が勃発しているのだから。

 

「これからは帝国軍の性格も変わる。外征のためでなく治安維持を目的としたものになるだろう」

 

 これはヤン・ウェンリーの死後、故ロイエンタール元帥が親友ミッターマイヤー元帥に語ったとされる台詞だが、皮肉にも発言者たるロイエンタール自身が「帝国軍の性格」が変わる前に叛逆者となり、討伐軍司令官に任じられたミッターマイヤーとの間に「双璧の争覇戦」という一大会戦を催す事となったのである。

 

 とは言え、今の時点では起こってもいない叛乱よりも、実際に存在している海賊たちについて思いわずらうべきである。海賊の根絶は困難だとしても、辺境開発の推進と民心安定のためにも、帝国軍はその勢威を弱め、封じ込めるために尽力せねばならない。そして軍のみならず、政治に携わる者たちも、海賊などの犯罪者を可能な限り生み出さないような社会体制を形成する義務があった。

 

 亡き母の事は、現時点で傍らの父やオーディンに在る祖父は真相を語る気配もない。ユリウスは臆病や消極といったものとは縁遠い少年であるが、それでもこの一件に関しては、無理に聞き出すのがためらわれるのである。

 

 そして、将来はともあれ、現在の海賊討伐は現役にして歴戦の軍人たちに任せるしかない。今は至近で自分がなすべき事、すなわち祖母の弔いに臨むとしよう、とユリウスは巡らしていたいくつかの思考を打ち切る事にする。

 

 その彼を乗せて、アルバトロス号は旧帝都に舳先を向け虚空を進んでゆくのであった。




 










1.オーディンとフェザーン間の距離について

 オーディンとフェザーン間の時間的距離は、オーディンにて拉致されたエルウィン・ヨーゼフ二世がフェザーンに「二週間で到着の予定だ」と描写されているのを基としています(策謀篇第三章三)。

 なお、オーディンに居住しているアンネローゼがラインハルトの結婚式に出席するべくフェザーンに赴いた際に「五〇〇〇光年にわたるこの長い旅」と書かれていますが(落日篇第一章二)、一方でイゼルローン要塞と同盟首都ハイネセン間の時間的距離が「三週間から四週間」(雌伏篇第五章二)、実距離が「四〇〇〇光年」(雌伏篇第五章三、怒濤篇第二章三など)と描写されています。

 これだと五〇〇〇光年を二週間で征くというのは無理が生じますので、この二次小説ではアンネローゼを警護するグローテヴァル艦隊は安全のため迂回航路を進んだと設定しています。

 
2.グローテヴォールとグローテヴァル

 グローテヴォールの姓の由来や変遷については「GenWiki」というサイト(ドイツ語)の「Grotewohl」の項目を参考にしています。これを基にして、この二次小説ではグローテヴォール大将(怒濤篇第三章三に登場)とグローテヴァル大将(落日篇第一章二に登場)を同一人物として設定しています。
 
 また、ドイツ語には「A」「O」「U」といった母音の上に「‥(ウムラウト記号)」が付く文字がありますが、この二次小説では環境依存による文字化けを防ぐため、それぞれ「AE」「OE」「UE」という表記で代用しています。


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第二十一節

 時はユリウスが、海賊制圧のニュースを聞く数日前にさかのぼる。

 

 

 旧帝都オーディンから数千光年の距離にある恒星パラスは複数の惑星を周囲に従えており、その生存居住可能領域(ハビタブルゾーン)に存在する第二惑星ガゼリオンが、星系内最大の人類の生活圏である。

 

 そして星系外縁部を公転する小惑星のひとつを利用して建造され、のちに放棄されていた旧軍事基地が海賊のアジトとなっている事実が判明したのは、ごく最近の事であった。

 

 

撃て(ファイエル)!」

 

 砲撃命令が下され、帝国艦隊から無数のビームが岩塊の外壁に容赦なく叩きつけられる。反応が鈍いながらも外壁に設置されている砲台群から反撃の砲火が放たれるが、圧倒的な密度の火力により砲台は次々と沈黙を強制されていった。

 

 帝国軍のレーザー水爆により外壁に穿たれた複数の破孔に向け、強襲揚陸艦群が殺到してゆく。そして揚陸艦から降り立った装甲擲弾兵部隊は、アジト内部への秩序ある侵入を果たしていった。帝国軍は見事に海賊どもの不意を討ち、ここまでは予定通りに強襲が成功しつつある。

 

 

 この帝国艦隊は、ディートリッヒ・ザウケン上級大将直属の部隊であった。

 

 ザウケンは故ジークフリード・キルヒアイスの旧部下であり、キルヒアイスの死後は帝国軍最高司令官となったラインハルトの直属に転じた。

 

 当初はラインハルト直属艦隊の分艦隊司令官の一人であったが、ほどなく人事異動によりザウケンは航法主任参謀たる事を命じられた。艦隊司令部は作戦、航法・運用、情報・索敵、後方の四部門で構成されており、彼はその一角の責任者に任じられたわけである。

 

 大きな責任を伴う重職ではあったが、ラインハルトの司令部に身を置くというのは、ラインハルトの補佐役筆頭であるパウル・フォン・オーベルシュタインの、血色と表情が至って薄い顔を見る機会が増える事も意味していた。敬愛していた旧上官たるキルヒアイスの死因を作りながら、ラインハルトのような悔恨の情を微塵も見せない宇宙艦隊総参謀長に対しザウケンは強烈な反感を覚えずにはいられなかったが、彼は私情を抑えて職務に精励したのである。

 

 旧帝国暦四八九年に開始された「神々の黄昏」(ラグナロック)作戦で示された航法主任参謀の手腕は、ラインハルトをおおむね満足させるものであった。その翌年の最終決戦たるバーミリオン会戦の中盤における、ラインハルトが考案し敵将ヤン・ウェンリー元帥をして「何という厚みと深みだ……」と感嘆せしめた二十四段もの縦深陣の構築と運用は、運用責任者であるザウケンの苦心の結果でもあったのである。

 

 だが、ひとたびその縦深陣が崩れたのちは、ヤンの魔術的な用兵と、それを可能にしたエドウィン・フィッシャー中将の名人芸の域にある艦隊運用の前にラインハルト艦隊は劣勢に追い込まれた。ザウケンは必死に破綻しつつあった艦隊の秩序を維持する事に専念し、際どくはあったものの停戦まで全軍の戦線を完全崩壊から守り抜く事に貢献したのであった。

 

 

 余談となるが、「神々の黄昏」作戦時におけるラインハルト直属の分艦隊司令官の中に、ザウケンの名が加えられている二次資料なども多数存在する。これは、その前後に分艦隊司令官を務めていた事実に起因する誤認であろう……。

 

 

 ローエングラム王朝成立後、大将に昇進したザウケンは再び分艦隊司令官に任じられる。これはバーミリオン会戦後、分艦隊司令官の過半が戦死、療養、異動といった事情で不在となったためである。彼に代わって大本営の艦隊運用の担当を任じられたのは、王朝初代の統帥本部総長にして皇帝(カイザー)の首席幕僚たるオスカー・フォン・ロイエンタール元帥の麾下の一人であり、キルヒアイス艦隊時代の同僚でもあったハンス・エドアルド・ベルゲングリューン大将であった。

 

 かくしてザウケンはマル・アデッタ会戦、回廊の戦いといった諸戦闘にも参加し、主君の矛ないし盾としての役目を務めたのである。

 

 

 新帝国暦〇〇三年の皇帝ラインハルト崩御後、エルンスト・フォン・アイゼナッハ元帥が「ヴァルハラ星系圏(グロスラウム・ヴァルハラ)総軍司令官」に就任するに際し、上級大将に昇進したザウケンはエミール・フランツ・グローテヴァル上級大将と共に副司令官としてアイゼナッハの補佐役たる事を命じられ、旧帝都オーディンに赴任する事となる。

 

 オーディンは現時点における人類社会屈指の要地であると同時に、上官であったキルヒアイス元帥の墓所が存在し、キルヒアイスの遺族が現在も居住する惑星でもある。その周辺を守るという重責は、ザウケンにとって様々な意味で意義が感じられる任務であったのだった。

 

 

 侵入したアジトの内部に仮設された陸戦司令部の指示に従い、帝国軍装甲擲弾兵部隊はアジトを全面制圧すべく前進してゆく。内部に人身売買や身代金目的などで拉致された民間人が多数監禁されている、との情報も事前に得られており、アジトごと完全破壊するという訳にもいかなかったのであった。

 

 その司令部においてレオポルド・シューマッハという姓名の壮年の准将が旅団長として陸戦隊の指揮を執り、各所と連絡を取りつつ、次々ともたらされる報告を分析し、的確かつ迅速に指示を出している。虚を突かれた海賊たちは最初から腰が引けており、小規模な戦闘が散発的に起こってはごく短時間で収束してゆく。

 

 彼の下に届けられた複数の報告の一つの中に、投降した海賊の自供などにより彼らの所属が確定したというものがあった。彼らは「雷光フリッツ」(フリッツ・デア・ブリッツ)の異名を持つ、フリッツ・マイヤーを首領と仰ぐ海賊団に属していたとの事である。それを耳にしたシューマッハは、沈着な表情にわずかな苦笑の成分を浮かび上がらせ、内心で独語する。

 

「やはり『大神の槍』(グングニル)ではなかったか。ザウケン提督も舌打ちのひとつもしたい所だろうな」

 

 旧来の帝国領内における最大規模の海賊たる「大神の槍」の討伐に、帝国軍人としての義務感以上の熱意をザウケンが傾けているのを、シューマッハは知っていた。

 

 その情熱の発生源はふたつ存在しており、ひとつはザウケンの旗艦の名も「グングニル」であったからである。

 

 海賊風情が自分が大将昇進時に与えられた栄えある旗艦と同じ名を称しているというのは、当のザウケンからしてみれば快いものではなかったのであった。ましてや神話を持ち出して、ローエングラム王朝を打ち砕くなどと妄言を吐いているとあってはなおの事である。

 

 そしてもうひとつの理由は、ザウケンにとっては前者よりもさらに深刻なものであった。

 

 

「赤髭」(バルバロッサ)ハンス・レーマン。それが現在の「大神の槍」首領の異名と姓名である。

 

 

「大神の槍」は旧帝国暦四八八年のリップシュタット戦役終結後、敗北し辺境に落ち延びた貴族連合軍の残党の一部により結成された集団である。「逆賊たる金髪の孺子(こぞう)を討ち、正義を帝国に回復する」という大層なお題目とは裏腹に、事実上は辺境にて細々と略奪や密輸などを行ない、大規模な討伐軍が来れば尻尾を巻いて逃げるしかない小悪党の集まりに過ぎなかった。

 

 幹部の間で主導権争いが多発し、統制もまともに取れなくなりつつあった「大神の槍」は年月を経るにつれて弱体化し、自然消滅への一途をたどっていた。

 

 だが新帝国暦〇〇二年の後半ごろ、急速に台頭したハンス・レーマンとその支持者たちによる叛乱が「大神の槍」内部で発生し、従来の首領と幹部たちは粛清ないし追放されてレーマンが新たな首領となりおおせたのである。

 

 レーマンが中枢を掌握したのちの「大神の槍」は急速な膨張を遂げ、それまで帝国辺境で最大規模を誇っていたフリッツ・マイヤーの海賊団の勢力を短期間で凌駕するに至った。現在ではヴァルハラ星系圏総軍の成立と活動によって一時期の勢威は押さえこまれつつあるが、その神出鬼没の蠢動ぶりは、歴戦の帝国軍をして閉口させるに足るものであった。

 

 レーマンは燃えるような赤毛と鋭い碧眼、そして顔の下半分を覆う堂々たる口ひげ、顎ひげ、そして頬ひげをたくわえた壮年の偉丈夫であると伝えられる。

 

「赤髭」という異名はその容貌ゆえに地球時代の(いにしえ)の王や海賊になぞらえて彼の配下から畏敬を込めて呼ばれ始め、現在では辺境星域の住民たちの間でも完全に畏怖と共に定着しているという。

 

 そして、かつて戦艦バルバロッサを駆って辺境を平定し令名を轟かせたジークフリード・キルヒアイスの旧部下たちにとって、新王朝に仇なす海賊が旧上官の栄光ある旗艦と同じ名を騙り、あまつさえ辺境を我が物顔で闊歩しているなどという皮肉な現状は、不快を通り越して憤慨すべき事態であったのだった。

 

 

 レーマンのその軍事的な力量と実績から見ても、彼が経験豊富な高級軍人の出身である可能性は高いとされている。

 

 だが、帝国軍の各情報機関の調査の結果では「ハンス・レーマン」という姓名とその容貌が一致する軍人は、消息が不明である高級士官のリストの中には見いだせず、偽名である事は確実であった。そのため、彼の素性については様々な推測や憶測が入り乱れているのである。

 

 その諸説のひとつとして、戦死したとされている旧自由惑星同盟軍の提督の存在が取り沙汰されていた。

 

 

 ラルフ・カールセン中将。自由惑星同盟末期の勇将として知られる人物である。

 

 

 宇宙暦七九六年、旧帝国暦四八七年の同盟軍の帝国領侵攻において、ボルソルン星系に駐留していた同盟軍第一二艦隊はコルネリアス・ルッツ中将率いる帝国艦隊の強襲を受けた。

 

 第一二艦隊司令官ビクトル・ボロディン中将は不利な状況に陥りながらも自ら殿軍を務めて味方の離脱を援護し、包囲下に置かれ抗戦も撤退も不可能となった時点で自決したのであった。脱出できたのは全体の二割程度に過ぎなかったが、その中には分艦隊司令官ラルフ・カールセン准将の名も含まれていたのである。

 

 かろうじてアムリッツァ星系に到着した第一二艦隊の残存艦隊は、第五艦隊司令官アレクサンドル・ビュコック中将の指揮下に入った。第一二艦隊所属の将官のほとんどは戦死ないし重傷を負うなど人的資源においても多大な損害を被っており、ビュコックの指示により健在であったカールセンが残存艦隊の指揮を執る事となったのである。

 

 アムリッツァ会戦においてカールセンは敬愛していた上官ボロディンの無念を晴らすべく奮戦し、その巧妙にして果敢な戦いぶりはビュコックや第一三艦隊司令官ヤン・ウェンリー中将といった味方の名将たちを感嘆せしめた。帝国軍の別働隊に後背を突かれた同盟軍の敗北が確定したのちも、カールセンは最後衛に身を置いて味方の撤退に尽力したのであった。

 

 本国に生還したカールセンは少将に昇進し、警備艦隊司令官として担当する星系の治安維持に従事する事となる。宇宙暦七九七年の救国軍事会議のクーデター勃発においてはイゼルローン方面軍司令官となっていたヤンに合流し、その指揮の下でクーデターの完全鎮定に力を尽くした。

 

 宇宙暦七九九年、旧帝国暦四九〇年の帝国軍による同盟領侵攻に際し、カールセンはライオネル・モートンと共に中将に昇進の上、一個艦隊の司令官に就任する。

 

 第一次ランテマリオ会戦において同盟軍は宇宙艦隊司令長官ビュコック元帥の指揮の下、先鋒ベルナルド・レナート・パエッタ中将の第一艦隊、右翼モートン中将の第一四艦隊、そして左翼カールセン中将の第一五艦隊という布陣をもって、自軍の五倍もの帝国軍を迎え撃った。

 

 寄せ集めで質が不安定な、数的にも「一個艦隊未満」の麾下の艦隊をモートンやカールセンはどうにか統御しつつ両翼を支え続けた。兵力の質量ともに明確に劣勢であった同盟軍が長期にわたり戦線を維持しえたのは、ビュコックの地の利を生かした老練な用兵と宇宙艦隊総参謀長チュン・ウー・チェン大将の的確な補佐もさる事ながら、その麾下に在った三名の中将の勇戦も大きな要素だったと言えるであろう。

 

 第一次ランテマリオ会戦にて同盟軍が敗退したのち、再編成した残存艦隊を率いてモートンとカールセンはヤン・ウェンリー元帥麾下の艦隊に合流する。

 

 任地であったイゼルローン要塞を交戦中に放棄し、行動の自由を得たヤン艦隊は帝国軍の兵站に強烈な一撃を加え、帝国軍の名将率いる一個艦隊を三度にわたり撃破するという離れ業を成し遂げていた。が、それまでの損耗も決して少ないものではなく、用兵家としての力量と実績を兼備したモートンとカールセンの増援は、決戦を目前としたヤンにとってもありがたいものであった。

 

 

 なお、いまひとりの中将であるパエッタは、第一次ランテマリオ会戦の最終局面において旗艦が被弾し、彼自身も重傷を負ってしまった。アスターテ会戦時に続き、不運にもパエッタは再び長期療養を余儀なくされたのであった……。

 

 

「神々の黄昏」における帝国軍と同盟軍の最終決戦となったバーミリオン会戦において、モートン、カールセン両艦隊は総司令官の指揮と期待に充分以上に応え、中盤以降における同盟軍の優勢の獲得に大きく貢献した。モートンは帝国側の増援たるナイトハルト・ミュラー大将の猛攻の前に斃れたが、カールセンは同盟政府の停戦命令が届くまで、敵の総司令官たるラインハルトの喉笛に喰らいつくべく奮闘したのであった。

 

 そして翌年の宇宙暦八〇〇年、新帝国暦〇〇二年の一月一六日。ひとたび自由惑星同盟を屈服させ、本国に帰還し新王朝を打ち立てたラインハルト・フォン・ローエングラムによる同盟領再侵攻に際し、カールセンは再びビュコックの指揮の下で戦う事となる。

 

 自由惑星同盟軍最後の戦いとして史書に記される事となるマル・アデッタ会戦において、カールセン艦隊は特筆すべき勇戦ぶりを表した。

 

 小惑星帯に潜む同盟軍の後背を撃たんとした勇将アーダルベルト・フォン・ファーレンハイト上級大将の艦隊を、それを予測していた司令長官と総参謀長の指示によりカールセンは伏兵として逆にその側背を撃った。そうしてファーレンハイトを一時後退せしめた後、今度はカールセン分艦隊が長駆して帝国軍本隊の後背に回り込んだのである。

 

 帝国軍後衛は「鉄壁」の異名を持つミュラー上級大将の艦隊であった。死を決したカールセン分艦隊は、ビュコック率いる本隊と連携して堅牢かつ重厚な敵陣に深く突入していく。ミュラーや急追してきたファーレンハイトに加え、アイゼナッハ上級大将の艦隊にも囲まれた同盟軍は、そうした苦境と混戦の渦中にあって、ラインハルトの本隊に肉薄してみせるほどの凄絶な攻勢を発揮したのである。

 

 だが戦争の天才たるラインハルト、「帝国軍の双璧」オスカー・フォン・ロイエンタール元帥とウォルフガング・ミッターマイヤー元帥の的確かつ苛烈な迎撃と逆撃に直面し、その猛攻もついに限界点に達する。そして遅れて到着した猛将フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルト上級大将率いる「黒色槍騎兵」(シュワルツ・ランツェンレイター)艦隊の突撃により、勝敗は完全に決したのであった。

 

 そして司令長官と総参謀長に先立ち、最後まで戦い抜いたラルフ・カールセンは轟沈する旗艦ディオメデスと共にマル・アデッタに果て、闘将としての鮮烈な軌跡を後世に遺したのであった……。

 

 

 ……というのが公式な戦史におけるカールセンの堂々たる晩節なのであるが、非命に斃れた人物などの、いわゆる「生存伝説」が巷間に流布するのは珍しい事ではない。

 

 確かに伝え聞くレーマンの容貌の特徴はカールセンのそれと合致し、二人の活動時期も重なってはおらず、統率力を備えた巧妙果敢な指揮官という点も共通はしている。近年においてもバーミリオン会戦で戦死したとされていたウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ提督にも会戦後から生存の風説が生じ、事実として健在であったという実例もあるため、カールセンとレーマンを同一人物と信じる人々も少なからず存在しているのである。

 

 とはいえ帝国当局は情報分析の結果として彼らが同一人物の可能性は低いとみなしており、そもそもレーマンの素性を必要以上に追求する必要も認めてはいない。重要なのは、いかにしてレーマンと彼が率いる集団を封じ込め、撃滅するかであった。

 

 

 陸戦指揮官の一人たるシューマッハにしても、眼前の相手が「大神の槍」であるにせよないにせよ、やるべき事に変わりはない。

 

 旅団長閣下は、部下の一人に問いかけた。

 

「これまで、ゼッフル粒子が使用された形跡はあるか」

「いえ、現時点では確認されていません」

 

 発明者たる応用化学者カール・ゼッフル博士の名を冠するこの粒子は、現在の人類社会において気体状の高性能爆薬として利用されている。複数の化学物質を、発生装置内で触媒を加えて結合させる事により生じるゼッフル粒子は、少量でも恐るべき燃焼力と爆発力を発揮する引火性の高い危険物であった。

 

 近年においては、リップシュタット戦役において巨大と言ってよいガルミッシュ要塞が、他の爆発物などの誘爆の相乗効果もあったとはいえ体積にして四分の一が損壊した例がある。これでさえ、内部で炸裂したゼッフル粒子は一人でも無理なく携帯可能な程度の分量であったと推測されているのである。

 

 これほどに有益だが危険性が極めて高いゼッフル粒子の素材となる各化学物質は、なにかと規律が緩みがちであった末期のゴールデンバウム王朝においても製造、保管、輸送、そして使用といった全ての過程において厳重な管理の対象であり、違反者や事故発生時の責任者などは例外なく厳罰に処される事が定められていた。その製造工場は帝国の直轄領内のみに建設が許可されており、ほぼ完全な内政自治権を有していたフェザーンですら製造は禁止されていたのである。

 

 こうした高破壊力、殺傷力を有した爆発物の徹底した管理は、共和主義者の中性子爆弾によるテロで功臣たるエルンスト・ファルストロングを失ったルドルフ大帝の勅令が基となっていた。そして帝国とは何かと立場を異にする自由惑星同盟においても、ゼッフル粒子などの管理体制は法律で厳格に規定されていたのである。

 

 そのため、皇族や門閥貴族といった専制的な権力者であっても、平時──帝国と同盟間の一五〇年に及ぶ慢性的な戦争状態をそう称してよければ──において超高性能の爆発物を入手し保有するのは巨大な困難とリスクが伴った。

 

 

 旧帝国暦四八六年のブラウンシュヴァイク公爵邸におけるクロプシュトック侯爵のテロでゼッフル粒子やそれに伍する破壊力を有した爆発物が用いられていれば、爆発地点となった大広間にとどまらず、敷地全域が焦土と化していたであろう。そして、当時公爵邸のパーティーに出席していたラインハルト・フォン・ミューゼル大将も人生からの早すぎる退場を余儀なくされ、人類史は大幅に変わっていたに違いなかった……。

 

 

 リップシュタット戦役終結後、敗者たる貴族連合軍に属していた直轄領や軍事施設から、少なからぬ量のゼッフル粒子などの高性能の爆発物が内乱中に流失した事が確認されており、非合法組織の手に渡っている可能性が以前から指摘されていた。新帝国暦〇〇一年のキュンメル男爵による皇帝ラインハルト暗殺未遂事件において準備されていたゼッフル粒子も、その一部であったと推測されている。

 

 また、自由惑星同盟の滅亡後、その旧領内においても管理体制の混乱による大量破壊兵器の流出が問題となっており、要人へのテロを警戒するローエングラム王朝はその対処に現在も苦慮しているのであった。

 

 そのため、今回の討伐においても海賊側が所有していないとも断言できず、各部隊において検知器を常時動作させ、即効性はないが中和剤も大量に用意していたのである。現在の時点では取りこし苦労に終わっているが、最も効果的な局面で使用するタイミングを計っているだけかも知れず、油断はできなかった。

 

 

 ほどなくして中央指令室に次ぎ、核融合炉の制御室の奪取に無事成功したとの連絡を受けたシューマッハは、外の艦隊司令部にその旨を報告した。

 

 主港(メイン・ポート)の防御システムを解除し、ゲートを開いて味方の艦隊を迎え入れる準備を整えるよう命じたのち、旅団長は直属の部下たちと共に中央指令室への移動を開始する。

 

 要所はほぼ制圧し、監禁されていた民間人の移送も滞りなく進行していた。あとは内部に残った海賊への対処である。投降すればよし、抵抗すれば力ずくで無力化するしかない。逃亡を図る者も多いだろうが、仮に基地内から脱出できたとしても、外では帝国艦隊が包囲網を形成しているのである。

 

 中央指令室へと向かう途上、そこを占拠した部隊からシューマッハの直属部隊へと暗号通信が入った。基地内の監視システムが一個小隊ほどの海賊の姿を捉えたのだが、その集団がシューマッハらがいる方向の通路に向け逃亡しているという。

 

「通路の前後の隔壁を下ろして閉じ込めろ」

 

 旅団長は中央指令室に指示を出した。遠くから重々しい起動音が響いたのち、再び指令室から通信が入る。

 

「後方は()りましたが、前方の隔壁が作動しません」

 

 長期間放棄され、老朽化が進んでいた施設である。海賊たちも細かい点検や整備などはしていなかったのであろう。やむを得ず、シューマッハは麾下の部隊にその手前の広い空間で迎撃態勢を執るように命じる。

 

 それから二〇秒も経たぬうちに、帝国軍部隊は件の海賊たちと接敵する。後方を遮断された事を察知していた海賊たちは、自分たちを凌駕する武装と人数の装甲擲弾兵部隊を前に愕然として立ちすくんだようであった。

 

「武器を捨てて投降せよ」

 

 パニックに陥ったのか、あるいは降伏しても死刑を免れないほどの罪を重ねていたのか、その勧告に対して海賊たちは背を向け、全速力で元のルートを逆戻りするという選択を採った。たちまち帝国軍から高密度の火線が放たれ、それらに串刺しにされた海賊たちが次々と倒れ伏す。

 

 辛うじて銃撃を逃れ、下ろされた隔壁を視覚内に捉えた海賊の一人が携行していたハンド・キャノンを構える。退路を作るべく隔壁を破壊しようとしたのであろうが、その発射より早く、追撃してきた帝国軍兵士が放った一筋の光線が海賊の左脛部を無慈悲に貫通した。

 

 傷口から鮮血を流しつつ膝を突いた海賊は苦痛と絶望、そして憎悪の表情を浮かべ、ハンド・キャノンの砲口を敵へと向ける。

 

 即座にその海賊は複数のビームに貫かれたが、同時に彼が担いでいた得物からは報復の炎が噴き出していた。それは装甲擲弾兵の先頭集団の頭上を越え、部隊の中心に向かって緩やかな放物線を急速に描いてゆく。

 

「散開!」

 

 シューマッハが急ぎ短い命令を発した直後、それは人工の地面に着弾し瞬時に炸裂した。その爆発の衝撃波が、帝国軍兵士たちの身体を装甲服(アーマー・スーツ)越しに打ちのめす。

 

 床の舗装材が吹き飛び、その下の岩盤が脆くも崩落して深く大きな亀裂が、そして急激な空気の奔流が生じた。

 

 直下の階層は外壁に面していないはずだが、真空にごく近い空間となっていたらしい。気圧差によって破孔はライン河の妖女(ローレライ)(くら)き妄執と化し、周囲に存在するものを抗いがたく(いざな)わんとする。

 

 そしてその不可視の強烈な渦に至近で捕らえられた将兵の中には、爆風で姿勢を崩していたシューマッハも含まれていたのであった。

 

「磁力靴を……!!」

 

 シューマッハは数名の部下と共に引きずり込まれながらも叫び、「作動させろ」と言葉を継ぐ暇もなく、大多数の部下の眼前から奈落の底へと姿を消失させた。










 カールセンの髪と目の色は原作では記述が見当たらないため、田中芳樹氏の初期短編小説「海賊船ロシテンナ号」に登場する「ラルフ・カールセン」の設定を流用しています。
 
 また、カールセンの年齢についても原作には言及が存在せず、アニメ(石黒昇監督版)では頭髪と髭が灰色の初老以降の年齢という容貌で描写されていますが、この二次小説では赤毛という設定を生かすため、戦死時は壮年と独自に設定しています。


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第二十二節

 高所からの投身を強いられたシューマッハは、そのままであれば基地が発生させている人工重力により、はるか下方の硬い床へと叩きつけられていたであろう。

 

 が、一部の固定器具の老朽化により下層の天井から垂れ下がっていた数本のケーブルが、シューマッハの生命を救った。それらが彼の手足に絡みつき、彼の身体を宙吊りにしたのである。

 

 だが、それも数瞬の事に過ぎなかった。装甲服(アーマー・スーツ)(よろ)った彼の重量にケーブル自体は耐えたが、ケーブルをそれまで天井に縫い付けていた固定器具群は経年劣化により耐え切れず、連鎖的に破断していった。かくして軛から解放されたケーブルは絡まっている人間ごと、急速に斜め下方へ向かって突進する事となったのである。

 

 大昔の物語に登場する密林の野生人(ターザン)のごとく、シューマッハは高速移動する一本のケーブルに全身の力を込めてしがみつく。そうしながら彼は、低く呻きつつ急接近する床面を凝視するしかなかった。

 

 結果として、シューマッハは墜死の運命を免れた。ケーブルと人間により構成された即席の振り子は掠るように床上の空間を通過し、「重り」であったシューマッハはケーブルから手を放して人工の大地をしばし横転する事となったのである。

 

 ようやく横転が収まったのち、受け身を取っていたシューマッハはゆっくりと立ち上がった。冷静沈着をもって鳴る彼も、さすがに予想外のスリルに心臓の鼓動が早まっているのを自覚せざるを得ず、安堵の息を吐く。

 

 身体の節々が少し痛むものの、動くのに支障がないのを確認した彼は、共に奈落へと吸い込まれた彼の部下たちの元へと駆け寄った。

 

 上官のような悪運に恵まれなかった部下たちは、全員が殉職を強制されていた。強靭な装甲服は原形をとどめていたが、その内部の肉体は数十メートルからの落下の衝撃に耐えられなかったのである。

 

 シューマッハは短く嘆息したのち、彼らの遺体に敬礼を施した。

 

 いつの間にか天井の破孔から漏れていた光は消え、同時に空気の奔流も途絶えていた。どうやら上層に踏みとどまれた部下たちが、応急で風穴を塞ぐのに成功したらしい。ここまでの気圧差があっては、やむを得ない処置であろうとシューマッハは思う。

 

 シューマッハは周囲を見渡す。彼が転落する事となった空間は非常用の照明が灯っているのみで薄暗く、フライング・ボールのコートが余裕で収まりそうな広さがある。

 

 奇妙なのは壁や床、そして天井のいたるところにビームやウラン238弾などによる弾痕、そして爆発物によるものと思われる破壊の痕が見られる点であった。明らかにこの空間で大規模な戦闘があった事が示されている。その痕跡は、それほど古いものではないようにシューマッハには見えた。

 

 

 のちの帝国軍の調査で判明した事だが、これは半年ほど前に発生した海賊内での内紛によるものであった。

 

 当初は、略奪品の配分を巡る口論から始まった。口論が乱闘へ、乱闘が戦闘用ナイフや軽火器を用いた小規模な戦闘へ、小規模な戦闘からハンド・キャノンやロケット・ランチャーといった重火器やバリケードを用いた大規模な内紛へと発展するのに、一時間を要しなかったのである。それを完全に収拾するのに、海賊たちは実に半日ほどの時間と多くの死傷者を必要としたのであった。

 

 その内紛の際に、ハンド・キャノンから無造作に放たれた砲弾のひとつが天井に直撃していたのである。そして今回の帝国軍のアジト強襲において上層からもハンド・キャノンの一撃を加えられた結果、上下から負荷を加えられた岩盤の一角は耐久力の限界に達し、崩落を起こしたのであった。

 

 階層内に空気が存在しなかったのは、内紛時に保管されていた爆薬に兵火が及び、大規模な爆発が生じた結果であった。それにより外壁に達する損傷が複数生じてしまい、その亀裂から空気が宇宙空間へと流出したのである。海賊たちは元から重要地点ではなかった、この階層を修復する事なく封鎖したのであった……。

 

 

 シューマッハはヘルメットに内蔵された通信機を作動させ、上層の部下たちと連絡を取ろうと試みる。だが、返ってきたのは鼓膜を不快に刺激する、機械的な雑音のみであった。

 

 そういえば先刻のハンド・キャノンの爆風により大小の破片がシューマッハの身にも降りそそぎ、その内の大きい岩塊が彼のヘルメットをしたたかに打っていた。また、先ほどの床での横転も加わり、それらにより通信機が不調をきたしたらしい。

 

 死んだ部下たちの通信機は使えるだろうか、と考えた時、シューマッハは近付いてくる気配を察知した。

 

 帝国軍はこのアジトの重要拠点奪取を優先しており、それらが存在していないこの階層にはまだ侵攻していないはずであった。旅団長である自分の捜索部隊が急遽編成されている事は疑いないが、それにしても早すぎる。

 

 シューマッハの視界内に現れたのは、帝国軍の装甲服ではなく、気密服をまとった五、六人ほどの集団であった。非武装ではなく、それぞれ手にはブラスターやオート・ライフルといった火器を携行している。明らかに海賊の残党であった。

 

 海賊たちも装甲服姿のシューマッハの存在に驚いたようであるが、相手が一人しかいないと見るや、銃器を構えて戦闘態勢をとった。

 

 無論、シューマッハは気配を感じた時点で警戒しており、事態が確定するや即座に行動した。海賊の射撃の練度はそれほど高くはなかったが、そのうちのブラスターから放たれた一条の閃光がシューマッハの左肩をかすめる。だが、鏡面反射処理(ミラー・コーティング)を施された装甲服はその程度ではびくともしなかった。

 

 シューマッハはブラスターによる反撃の銃火を、敵集団に向けてほとばしらせる。その狙いは海賊たちとは比較にならないほど正確で、しかも(はや)い。たちまち二人の海賊が急所を撃ち抜かれて地面に崩れ落ちた。

 

 それにより敵たちがひるみを見せた隙を利用して、シューマッハは発砲しつつ広大な室内から退避する事に成功したのであった。

 

 

「運が良いのか、悪いのか」

 

 かつてバーミリオン星域会戦において、激戦の渦中で乗艦を幾度も捨てざるを得ない状況になりながらも生還したナイトハルト・ミュラー提督は苦笑交じりに独語したものである。

 

 そして海賊のアジト内部にて、思わぬ孤立無援に陥ったレオポルド・シューマッハ准将もまた、同じような心境に在ったのだった。とは言え、死んだ部下たちの事を思えば、この瞬間に無事であるだけでも悪運尽きてはいないのであろう。

 

 ひとまず数的不利な状況から撤退を果たせたシューマッハであったが、状況は良いとは言いがたい。装甲服の酸素供給装置の残量にはまだ余裕があったが、彼の手元にある武器は、ブラスターが一丁とその予備のエネルギー・カプセルがひとつ、そして左大腿部に帯びた超硬度鋼製の戦闘用ナイフが一振りのみである。

 

 この空気なき階層にどれだけの海賊が逃げ込んでいるかは不明だが、味方の救援が来るまでこれ以上の交戦は可能な限り避けたい。制圧した指令室からも監視システムを使ってこちらを捜索しているであろうが、この老朽化が著しい基地の現状では、その機能もどこまで生きているか怪しいものである。

 

「四年ほど前を思い出すな。あの時はひとりではなかったが」

 

 シューマッハは現在歩いている場所と似た、薄暗い地下道を今と同じく不本意な事情で潜る事となった記憶を不意に思い出して、苦く笑った。

 

 それを機に、自身の過去を少し振り返りたい気分になったのであった。

 

 

 レオポルド・シューマッハはゴールデンバウム王朝屈指の名門貴族であったブラウンシュヴァイク公爵家の領地内にて、旧帝国暦四五六年に生を享けた。

 

 シューマッハは軍人を志して士官学校に入学し、卒業後は正規軍と公爵家の私軍の間で定期的に籍を変えつつ、軍人としての経験と実績を積み重ねていった。

 

 前線で大功を樹てる機会が少なく、後方勤務が多かったシューマッハだが、それでも後ろ盾なき平民出身でありながら三〇歳で大佐にまで昇進した事実は、彼の有能さを証明するものであっただろう。

 

 そして旧帝国暦四八八年、シューマッハ大佐はブラウンシュヴァイク公オットーの甥である帝国軍少将エゴン・アンドレアス・フォン・フレーゲル男爵の次席参謀となり、彼の下で「リップシュタット戦役」を戦う事となる。

 

 

 フレーゲル家はゴールデンバウム王朝成立時は爵位を与えられず、一介の帝国騎士の家系にとどめられていたが、のちに王朝の開祖たるルドルフ大帝の晩年に積み重ねた功績を認められて伯爵号を授与された。そして時代を経て侯爵へと陞爵(しょうしゃく)を果たし、フレーゲル家は押しも押されぬ大貴族の一角に家名を連ねる事となるのである。

 

 王朝末期において、のちに内務尚書となるフレーゲル侯爵はブラウンシュヴァイク公オットーの妹を正室に迎えていた。フレーゲル侯とオットーの妹の間に産まれたエゴン・アンドレアスは両親のみならず母方の伯父からも可愛がられ、選民意識を肥大化させつつ成長するのである。

 

 侯爵家令息として少年期から男爵号を称する事を許され、戦場経験なく二〇代前半で将官の階級を与えられるなど、フレーゲル男爵は名門貴族の子弟として厚遇を受けていた。

 

 もっとも、当の男爵はそういった待遇にも完全に満足はしていなかった。爵位や将官の中でも「下級」でしかない男爵号および准将や少将など、彼にとっては侯爵家を継ぎ元帥号を得るまでのつなぎである「卑位卑官」でしかなかったし、とある「成り上がり者」の台頭以降は、より不満が募るようになったのであった。

 

 帝国騎士(ライヒスリッター)ラインハルト・フォン・ミューゼル。皇帝フリードリヒ四世の寵姫の弟であり、一〇代後半で軍部にて「閣下」と呼ばれるまでになりおおせた、食うにも困る下級貴族出身の「金髪の孺子(こぞう)」。加えて断絶していたローエングラム伯爵家の相続まで許されるなど、多くの門閥貴族たちにとっては不快極まりない異分子であった。

 

 フレーゲル男爵は門閥貴族内における「孺子」嫌いの急先鋒と言える存在であった。五歳年下の貧乏貴族の小せがれが自分を上回る爵位と軍の階級を有するに至るなど、選民意識に凝り固まった彼に許容できるはずもなかったのである。

 

 むろんラインハルトの側でも、とあるパーティー上での初対面時から(じつ)のない傲慢さを振りかざすフレーゲル男爵を強く嫌悪していた。その非友好的な関係は当時でも有名で、大抵の事に無関心であった怠惰な皇帝の記憶にも残るほどであったと伝えられる。そして旧帝国暦四八六年のクロプシュトック侯爵の叛乱に前後して、両者の関係は完全に決裂するに至ったのであった。

 

 明けて四八七年、ローエングラム伯ラインハルトはアスターテ会戦での勝利により帝国元帥の称号を与えられ、同時に宇宙艦隊副司令長官に任じられる事となる。元帥杖授与式の列席者の一人であった帝国軍中将フレーゲル男爵は、押しも押されぬ軍部の重鎮になりおおせた「孺子」への嫉妬と憤激と危機感のあまりに歯ぎしりを禁じえなかった。

 

 式典終了後、ラインハルトへの対抗意識に燃えるフレーゲル男爵は伯父ブラウンシュヴァイク公に、中将たる自分を正規軍の一個艦隊司令官に推薦してほしいと嘆願した。このまま「孺子」の際限なき成り上がりを指をくわえて見ている訳にはゆかぬ、という点では一門の意見は一致しており、公爵は甥の要望を受け容れたのである。

 

 そのブラウンシュヴァイク一門の推薦に対し、軍務尚書エーレンベルク元帥、統帥本部総長シュタインホフ元帥、そして宇宙艦隊司令長官ミュッケンベルガー元帥といった軍最高幹部たちは渋面を並べざるを得なかった。

 

 経験と実績がいたって乏しく、気位と血気のみ盛んな青年貴族に一個艦隊を任せるなど、軍事の専門家たる彼らにしてみれば歓迎できる事態ではない。確かに似たような前例は少なからず存在していたが、そのほとんどはろくでもない結果しか生んでいないのである。

 

 その顕著な例が、旧帝国暦三三一年の「ダゴン星域会戦」での敗北であろう。公に語る事はできぬが、次代の皇帝候補ゆえに総司令官に任じられた戦場経験なきヘルベルト大公が経験豊富な幕僚群の意見の大半を無視したのが要因のひとつとなり、叛乱軍こと自由惑星同盟軍に歴史的大敗を喫したのであった。

 

 しかしこの際は、名門中の名門たるブラウンシュヴァイク公爵とその一門の強い要望を退けるのは難しい。それに「帝国軍三長官」も全員が門閥貴族の出身であり、彼らもラインハルトの急速な台頭に対し強い懸念を抱えてはいたのである。

 

 こういった諸事情を勘案した軍上層部は「金髪の孺子」への掣肘の一環となりうるのであればと、フレーゲル男爵の艦隊司令官就任を容認したのであった。

 

 だが、正規軍一個艦隊司令官フレーゲル中将の生命は、現世に生まれ落ちる前に終わる事となる。それは、フレーゲル自身の自業自得によるスキャンダルが原因であった。

 

 先のアスターテ会戦において、会戦前に帝国軍の遠征部隊の詳細な機密情報が自由惑星同盟軍に漏洩していた事が露見したのである。これは遠征軍総司令官であったラインハルト・フォン・ローエングラム上級大将に対し、大敗ないし戦死を強いるべくフレーゲル男爵やブラウンシュヴァイク公らが画策したものであった。

 

 だが、この陰謀は失敗に終わった。情報に基づいて二倍の兵力を繰り出してきた敵軍に、ラインハルトは自軍の一〇倍以上の損害を与えて凱旋したのである。高貴なる陰謀家たちは忌々しさに酒杯を床に叩きつけたものだが、ほどなくその陰謀の魔手が彼ら自身を屈辱の底へと叩きつける事となった。

 

 軍上層部に明白な機密漏洩の証拠をつかまれた結果、「主犯」と目されたフレーゲル男爵は憲兵隊に身柄を拘束され、ブラウンシュヴァイク公も宮廷や軍務省への出頭を余儀なくされる。彼らは件の陰謀に関しては完璧に証拠を隠滅したと確信していたため、容疑を否定しつつも狼狽を完全には隠し通せなかった。

 

 この一件は同年のイゼルローン要塞陥落後、ローエングラム陣営に迎えられていたパウル・フォン・オーベルシュタインの策略によるものであった事が、後世の研究にて判明している。

 

 古くから帝国軍の中枢部を転々とし、軍内部に広く深い人脈と情報網を形成していたオーベルシュタインの参入は、ローエングラム陣営の情報収集能力を大幅に強化させていた。フレーゲルらの陰謀を突き止めた義眼の謀臣は、この情報をローエングラム陣営以外の軍上層部とブラウンシュヴァイク一門の離間工作に利用する事にしたのである。自陣営の影を見せる事なく、機密漏洩の証拠が自然な形で軍上層部に渡るようにオーベルシュタインは手配してみせたのであった。

 

 軍事機密漏洩は当然ながら重罪であり、軍法会議で罪状が確定すれば王朝への重大な背信行為として、身分の高低を問わず大逆罪が適用されていた。だが、事実を公表し皇女の降嫁先たる名門の主流に近い一族を処分するのは様々な面から悪影響が大きすぎるとされ、関係者間で秘密裏の交渉が幾度も重ねられたのである。

 

 その結果、機密漏洩はフレーゲル中将の「故意」ではなく、彼と彼の幕僚の「過失」によるものとされた。それによりフレーゲルは処刑回避と釈放の代償として、少将への降等および艦隊司令官内定の白紙化という処分を下される。ブラウンシュヴァイク公は「過失」については何もあずかり知らぬとされたが、今後は甥への監督を怠らぬようにと厳重注意を受ける事となったのであった。

 

 ローエングラム陣営の長たるラインハルトとしては、いけ好かぬ青年貴族が銃殺刑にでも処されてくれれば()()()()したのだが、さしあたっては謀略の成功と、発案者たる新参のオーベルシュタインの情報収集能力と謀略手腕の一端を確認できた事に満足した。

 

 用意した汚泥を自身で浴びる破目となったフレーゲル男爵はといえば、満足とは正反対の心境に在った。大逆罪の嫌疑をかけられ、降等などという処分を受けるなど、選民思想の権化たる彼には耐えがたい恥辱でしかない。彼は面子を少なからず潰された伯父ともども、軍上層部へ強い逆恨みの感情を抱いたのである。

 

 かくして、オーベルシュタインは当時の「帝国軍三長官」を戴く軍上層部と、ブラウンシュヴァイク一門の間に鋭い楔を打ち込む事に成功した。そしてこれが後に、同盟軍の帝国領侵攻作戦において焦土戦を採用した軍上層部への門閥貴族たちの非難をブラウンシュヴァイク一門が主導し、結果としてローエングラム陣営がアムリッツァ会戦での勝利後に漁夫の利を得る伏線となるのである……。

 

 

 そしてその年、フリードリヒ四世の崩御後にエルウィン・ヨーゼフ二世が即位し、新帝を擁する帝国宰相リヒテンラーデ公爵と宇宙艦隊司令長官ローエングラム侯爵の枢軸体制が成立する。

 

 皇孫たる自身の娘たちの即位という野望を阻まれたブラウンシュヴァイク公爵オットーとリッテンハイム侯爵ウィルヘルムは、憎むべき新体制の打破という共通の目的をもって手を結んだ。翌年の旧帝国暦四八八年には彼らを領袖とした「リップシュタット貴族連合」が結成され、新体制へ不満を抱える者たちがその旗下に参集したのである。

 

 かくして銀河帝国は二分され、やがて「リップシュタット戦役」と呼ばれる王朝史上において最大規模の内乱が勃発する。無論の事、フレーゲル男爵は伯父と自身の意思に従って貴族連合に参加したのだった。

 

「正義派諸侯軍」の提督の一員として分艦隊を預けられる事となったフレーゲル少将の司令部には、それぞれ准将の階級を有する参謀長と副司令官が、司令官自身の指名で配属されていた。だが、彼らもまたフレーゲルの腰巾着である青年貴族に過ぎず、軍隊経験と能力は司令官と似たり寄ったりの水準でしかなかったのである。

 

 ブラウンシュヴァイク公の一部の側近たちはその点を危惧せざるを得なかった。彼らは戦役勃発前に、せめて軍務に通じた人物を補佐につけるべきと主人に進言したのである。フレーゲルが先の情報漏洩で失態を演じた事もあって、公爵はその言を容れたのであった。

 

 こうして側近らから推挙されたレオポルド・シューマッハ大佐が、フレーゲルの次席参謀に任命されたのである。

 

 なお、この時の補佐役の候補として、能力的にはシューマッハに劣らぬとみなされていたアントン・フェルナー大佐の名も挙がっていた。だが、彼は遠慮のない皮肉めいた言動が多い人物でもあり、我の強い青年貴族とは相性が悪すぎるとして候補から外されたのである。

 

 シューマッハとしては、経験も度量も乏しい上官の下で働くのは不本意であった。だが、推薦者たるシュトライト准将やアンスバッハ准将といった軍の先達には少なからず恩や義理もあったため、謹んで拝命したのであった。

 

 フレーゲル男爵の側でも「平民風情」を司令部の重職に迎え入れるのには強い抵抗があったが、伯父の指示とあっては是非もない。フレーゲルは重要な事案は自身や取り巻きたちで決定し、こまごまとした面倒な実務のみシューマッハやその下にいる下級貴族や平民出身の参謀たちに押し付ける事にしたのである。

 

 このような事情から、「リップシュタット戦役」において軍事的に優れた手腕を十全に発揮する機会は、最後までシューマッハには与えられなかった。

 

 重要と思われた案件について意見を具申してもほとんどが無視され、総司令官の命令に背いて出撃しようとするのを諌止すれば怒声と共に却下され、その果てに大敗した後は撤退戦に尽力したにもかかわらず、「役立たずめ」と八つ当たりの罵倒を浴びせられる有り様であった。冷静さと自制心に定評のある次席参謀も、さすがに想定以上の不満と徒労感の蓄積を自覚せずにはいられなかったものである。

 

 やがて戦役も終局が近づき、貴族連合軍の敗色が極めて濃厚となった。盟主ブラウンシュヴァイク公はフレーゲルら一部の血気盛んな青年貴族の扇動に乗り、残存兵力をもって根拠地たるガイエスブルク要塞から最後の出撃を敢行する。

 

 シューマッハは堅固な要塞に拠る利を手放すのは現時点では下策である、と上官に進言はした。だが、すでにシューマッハの推薦者たちは主君たる公爵の傍から切り捨てられており、もはやフレーゲルは「平民風情」の進言など一顧だにしなかった。平民出身の大佐は嘆息しつつも、義務を果たすべく無謀な艦隊戦に従軍したのであった。

 

 六回に及ぶ貴族連合軍の波状攻撃において、フレーゲル少将はその先頭集団に属して奮戦する。彼は軍人として不足しているものが多すぎたが、少なくともこの攻勢においては臆病者ではなかった。

 

 だが、フレーゲルの参謀長は迫り来る敵軍と破滅を前にして臆病風に吹かれ、決戦直前に行方をくらましていたのである。そのため、次席参謀はフレーゲルから(両者にとってはなはだ不本意ながら)「参謀長代行」に任命されたのだが、それも名ばかりのものに過ぎなかった。

 

 最終決戦において貴族連合軍は、敵側の予想以上に善戦した。だが、それもローエングラム軍の驍将ジークフリード・キルヒアイス上級大将率いる高速巡航艦隊の投入により終末を迎える。キルヒアイス艦隊に迅速かつ苛烈な一撃を加えられ、それを機に全面攻勢に転じたローエングラム軍の前に貴族連合軍の艦隊は完全に崩壊したのであった。

 

 無論、フレーゲル麾下の艦隊も例外ではない。副司令官が戦死し、司令官の命令や督戦を聞かず敗走する艦が続出し、気が付けば彼の旗艦の周囲からは自軍の艦艇が一隻残らず消え失せていた。事ここに至っては、傲岸な青年貴族も完全敗北を認めざるを得なかったのであった。

 

 それでも彼は「貴族の矜持」に基づいて「戦艦同士の一騎打ち」を「金髪の孺子」やその麾下の提督たちに申し込んだが、ことごとく無視された。ブラウンシュヴァイク公ならともかく、もはや敗残のフレーゲル男爵など彼らにとっては路傍の小石以下の存在でしかなかった。

 

 まして戦艦同士の一騎打ちとは笑わせる。通常「貴族の決闘」ならば、生身でサーベルや銃を用いて行われるものであろう。それを申し出ないのは、一箇の戦士としての自信がないからに他なるまい。彼がかつて勇将ウォルフガング・ミッターマイヤー提督と五分の条件で格闘に及び、一方的に叩きのめされた事をローエングラム軍の幹部たちは知っていた。

 

 無視され続けて狂乱する司令官に対し、シューマッハは諫言しつつ捲土重来を期した戦場からの離脱を勧めた。だが、精神のバランスが完全に崩壊していたフレーゲルは、帝国貴族として最後の一兵まで戦い「滅びの美学」を完成させると言い放って参謀の進言を蹴り飛ばしたのである。

 

 それを聞いた理性豊かなシューマッハも、これまでの不満も加わって忍耐力の限界に達した。彼はフレーゲルが自分の無能を美化して自己陶酔に浸っているだけであると喝破し、部下である自分たちがそれに殉じる道理もない、と鋭利な舌刀で上官の虚栄心を斬って捨てたのである。

 

 軍人である以上、戦場で斃れる覚悟はシューマッハにもあったが、フレーゲルの言はあまりにも馬鹿馬鹿しい。彼もここまで言われた以上は自分を赦さないであろうが、参謀長代理としては部下たちのためにも、上官を弾劾せずにはいられなかったのである。

 

 そして予想通り、逆上したフレーゲルは静かにたたずむシューマッハを自ら射殺しようとした。しかし、司令官よりも参謀長代行を比較にならないほど信頼していた周囲の将兵は、それよりも早く無数の銃火を司令官に浴びせかけたのである。最後まで「帝国貴族の栄光」という(しがらみ)から解放される事のなかった青年貴族は、雄敵との闘争ではなく部下の造反により名誉なき死を遂げたのであった。

 

 事が終わったのち、生命の恩人たる周囲の部下たちから今後の身の処し方をシューマッハは問われた。無益な最期を拒んだ以上は、降伏か逃亡かの二択である。

 

 ローエングラム侯ラインハルトは峻厳な人物だが、その度量は滅びつつある大貴族たちよりもはるかに広く深いのは疑いない。だが、彼が毛嫌いしていたフレーゲル男爵の旧部下である自分に寛大な処置を取ってくれるか否か、シューマッハには確証が持てなかった。この時点での彼は、戦役勃発に際し虜囚となったシュトライトがその堂々たる態度によりラインハルトに赦された事を知らなかったのである。

 

 また、貧家の出自であるラインハルトも、下級貴族や平民の全てから支持されている訳でもなかった。彼らの中にはゴールデンバウム王朝の体制下にて大貴族が幅を利かせる中で厚い皇恩を受け、苦労して地位を確立した者も少なからず存在していた。その一部は従来の秩序を打ち砕かんとするラインハルトの台頭に危機感なり恐怖なりを抱いたがゆえに、あえて大貴族が牛耳る貴族連合軍に参加したのであった。

 

 ブラウンシュヴァイク公爵家の領民として育ち、平民ながら少壮にして高級士官となりおおせたシューマッハも、そういった意識をまったく有していなかった訳でもない。彼は「成り上がりの金髪の孺子」を嫌ってはおらず、その才器を高く評価はしていた。だが、それでもシューマッハはゴールデンバウム王朝の落日を認めつつも、ラインハルトへの降伏には少なからず躊躇を覚えていたのである。

 

 加えて、軍民問わず多くの犠牲を出した戦役を無能な盟主や上官の下で経験し、戦争や軍務にいささか倦んでいたというのもあった。ローエングラム侯の陣営に加われば、間違いなく軍人としての手腕を存分に発揮できるであろう。だが、そういった欲求もシューマッハの心中には湧き上がらなかったのであった。

 

 となれば、軍人としての知識と経験を求められるであろう自由惑星同盟への亡命も、選択肢から外れる事となる。

 

 こういった思案や感情を整理した結果として、シューマッハはフェザーン自治領への亡命を決断した。同行を望む部下たちにはそれを許可し、ローエングラム軍への投降を希望する者たちにはシャトルを与えて去るに任せた。その際にシューマッハは低温保存されたフレーゲル男爵の遺体を離脱者たちに委ね、しかるべき場所へ埋葬されるように取り計らってほしいと頼んだものである。

 

 

 かくして、亡命希望者たちを乗せた戦艦は大貴族たちの巨大な墓所となったガイエスブルク要塞から離れ、フェザーン回廊へと進路を転進したのであった。



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第二十三節

 フェザーン到着後、亡命を認められたレオポルド・シューマッハ元帝国軍大佐とその一行は、まず乗ってきたフレーゲル男爵の旗艦を売却すべく闇市場(ブラック・マーケット)に渡りをつけた。シューマッハ自身は現役軍人時代に不正に手を染めた事はないが、軍内外の不正の摘発に関わった経験はある。そのため、非合法組織という存在に対し無知ではなかったのであった。

 

 搭載していた兵器類は非武装宙域であるフェザーン回廊に入る直前に爆破処理などで廃棄している上、法的にはシューマッハらの財産ではなかった戦艦である。足元を見られて買い叩かれるのはやむを得なかったが、それでも売却額は今後の資金としては充分なものとなった。

 

 部下たちはシューマッハに全資金の運用を委ね、生命の恩人たちからの信頼に応えるべく元大佐は思案を重ねた。その末に彼は、商都フェザーンにおいては競合相手が比較的少ない堅実な農場経営を生活基盤とする事としたのである。

 

 元より人類が居住可能な環境を有していた惑星フェザーンは、砂漠や荒野を原風景とする乾燥性の天体である。他星系の惑星などから天文学的な量の水資源が輸送され、同時に大規模な緑化事業が一世紀近くにわたり進められてきた。その膨大な資金と労力を費やした惑星改造(テラフォーミング)は一定の成果を挙げ、一〇〇年前からは想像もできない地味豊かな大地が惑星上の各所に誕生していたのである。

 

 そしてその一部にして、首都圏から北方に九〇〇キロほど離れたアッシニボイヤ渓谷をシューマッハは新天地に選んだ。

 

 活用されず放置されていた土地を購入し、水利権を確保し、住居や農機具、農作物の種子や苗木、肥料や農薬などの用意も調えるなど、シューマッハらは慌ただしくも平穏な日々を過ごしたのであった。

 

 その途上で、故国にて成立した新体制において貴族連合軍の有能な降将たちが重用されていると仄聞したシューマッハは、安堵と同時に得心を覚えたものである。

 

 少将となったアルツール・フォン・シュトライトは見識と誠実さに富んだ人物で、シューマッハがブラウンシュヴァイク公爵家の私兵だった時に何かと便宜を図ってくれた恩人でもあった。

 

 そして大将となったアーダルベルト・フォン・ファーレンハイトはシューマッハの士官学校時代の同級生でもあり、その時期から面識があったのだった。

 

 

 シューマッハの旧上官であったフレーゲル男爵は、ファーレンハイトに対して明らかに非好意的であった。「リップシュタット戦役」において陣営を同じくしたとはいえ、爵位なき貧乏貴族の出身でありながら自分より階級が上の少壮の中将である。選民意識の強い男爵としては、忌避感を抱くのは当然の帰結であった。そしてファーレンハイトの方でも、傲慢な大貴族たちと必要以上に交流を持とうとはしなかったのである。

 

 そういった事情から、シューマッハは士官学校の同期と旧交を温める事をはばからざるを得なかったのだが、一度だけ戦役中にファーレンハイトとガイエスブルク要塞内において会話する機会があった。

 

 フレーゲル男爵に意見を具申し却下されたシューマッハ大佐は、面白くなさそうな表情で取り巻きたちと去ってゆく上官の後ろ姿を見て軽く嘆息した。そこで、通りかかったファーレンハイト中将に声をかけられたのである。

 

 敬礼する大佐に対し中将は公の場ではないから礼儀は不要と言い、次いでやや苦く笑った。

 

「卿も頭痛の種が絶えないようだな。卿ほどの軍人は得がたい存在なのに、男爵も勿体ない事をなさるものだ」

「いや、卿には及ばないだろう。作戦会議では貴族諸侯の間で、なにかと苦労しているらしいな」

 

 シューマッハも苦笑を浮かべる。打算と感情が強く渦巻く大貴族主導の作戦会議においては、職業軍人であるファーレンハイトや総司令官メルカッツ上級大将らの意見や作戦案がまともに検討もされず却下される事も珍しくはない、と聞いていた。

 

 それを考えれば、メルカッツやファーレンハイトこそ自分以上に勿体ないとシューマッハは思う。故郷の領主にして貴族連合軍の盟主たるブラウンシュヴァイク公の器量を、シューマッハは元からそれほど高く評価してはいなかったが、戦役勃発後はその評価もさらに下落する一方であった。シュトライト准将ほどの有能で忠実な人物を敵中に置き去りにし、敗れて解放されたオフレッサー上級大将を内通者と安易に断定して処断するような了見では、麾下の名将たちの真価を引き出せるとは到底思えない。

 

「ともあれ、自分自身に恥じぬように振る舞うまでだ。お互いに軍人として最善を尽くすとしよう」 

 

 いくつか会話を交えた後にそう言い残して、ファーレンハイトはシューマッハと別れた。そしてこれが、士官学校の同期同士の永訣となったのである。

 

 それより後、最後の作戦会議においてファーレンハイトが無謀な出撃への従軍を拒否し、盟主ブラウンシュヴァイク公を正面から弾劾したと聞いたシューマッハは、彼らしいと思わずにはいられなかったのであった……。

 

 

 シュトライトとファーレンハイトはともに高潔と言ってよい人物だが、両者は敵であったラインハルトの度量に感服してゴールデンバウム王朝への忠誠を断ち切ったらしい。彼らは新しい主君の下で、その才識を存分に発揮する事であろう。

 

「あるいは、亡命した自分は選択を誤ったのかもしれないな」

 

 という思いがシューマッハの心中をよぎらないでもなかったが、それは後悔には結びつかなかった。自分には自分の選んだ忙しい現在があり、過去を振り返る暇はないはずであった。

 

 だが、有能な軍人だったという過去の方が彼を放置しておかなかったらしい。フェザーン自治領府首席補佐官ルパート・ケッセルリンクと名のる青年が、シューマッハの前に現れたのである。

 

 

 補佐官は門閥貴族の残党や自由惑星同盟の上層部をも取り込んだ、銀河帝国皇帝エルウィン・ヨーゼフ二世の「救出」計画への参加を元大佐に求めた。これはラインハルトの独裁体制確立により著しく強大化した帝国に、先の遠征失敗とクーデターで著しく弱体化した同盟を併呑させて人類社会統一国家を成立させ、経済面からそれを支配せんと目論んだフェザーンの遠謀の一環であったのである。

 

 もはや部下たちと耕す農場以外に関心を持たない事としていたシューマッハも、自治領の強大な権力により作物の販路を脅迫の材料とされては拒否は不可能だった。闇市場で戦艦を非合法に売却した事も把握されているのは疑いなく、シューマッハは最初から「詰み」に追い込まれていたのであった。

 

 かくしてシューマッハは彼と同じく貴族連合軍に参加し、敗北後はフェザーンに亡命していたランズベルク伯爵アルフレットと共に、二度と踏む事はないと思っていた帝都オーディンの地へと潜入する事となったのである。

 

 

 潜入前にランズベルク伯と顔を合わせたシューマッハは、伯爵が自分の事を憶えていないのを知り、いささかならず安堵した。伯爵はフレーゲル男爵と交友を持っており、男爵の次席参謀であったシューマッハがここにいる理由を追及されれば面倒な事になっていたであろう。だがフレーゲルは「平民風情」を大事な友人に不必要には近づけなかったため、伯爵の記憶には残らなかったのである。

 

 ランズベルク伯は門閥貴族としての矜持を持ちつつも、選民意識がいたって薄い青年であった。平民出身のシューマッハにも隔意を見せず、任務における意見にも耳をきちんと傾けてくれる彼に対し、

 

「よくこれで、あのフレーゲル男爵と友人でいられたものだ」

 

 と元大佐は思い、同時に好感を抱いたのだった。

 

 生来温和な気質だったのもさる事ながら、多くの平民や下級貴族出身の文人や芸術家たちと、幼少期から交流を持っていたのも大きな要因であったのだろう。ランズベルク伯爵家は好学の家系として少なからず学者や芸術家などを輩出しており、現当主たるアルフレットも文学に傾倒していたのである。シューマッハにとって不本意な仕事を強要されたのに変わりはないが、少なくともフレーゲル男爵の下で働いていた時よりもはるかに動きやすいのが、せめてもの救いであった。

 

 かくして旧帝国暦四八九年七月六日夜、「皇帝救出計画」が実行に移される。

 

 帝国博物学協会ビルの地下倉庫に出入口が存在する「新無憂宮」への地下通路は、ランズベルク伯爵家の五代前の当主が時の皇帝の密命により秘密裏に建設したものであった。当時のランズベルク伯は学芸省に籍を置いており、彼の管轄下にあった帝国博物学協会の敷地が地下通路の終点に選ばれたのである。老朽化していた博物学協会ビルの移転に伴う再建築を隠れ蓑にして資材と人員を投入し、往古の皇帝の忠臣は秘密通路を完成させたのであった。

 

 伯爵と元大佐は博物学協会の敷地内へと忍び込む。もともと政治ないし軍事関連の施設に比べれば警備体制も緩く、倉庫内までの侵入は比較的容易なものであった。

 

 一〇キロ以上の距離を有する薄暗い通路を軽車両で踏破し、「新無憂宮」の南苑の地上に出たふたりは、暗闇にまぎれて宮殿内への潜入を果たした。そして見事、皇帝陛下を救出したてまつったのである。

 

 ……と言えば聞こえはいいが、シューマッハに言わせれば、単なる幼児拉致でしかなかった。七歳の皇帝エルウィン・ヨーゼフ二世は、忠実な臣下として振る舞うランズベルク伯の言動を理解できない癇の強い子供でしかなく、説得を断念して強引に連れ出すほかなかったのである。

 

 皇帝拉致の報を受けた憲兵総監兼帝都防衛司令官ウルリッヒ・ケスラー大将は幹線道路の検問や宇宙港の閉鎖など、迅速かつ的確な指示を次々と各方面へと発した。

 

 だが、シューマッハの要求に応じフェザーン側が仕組んだ大規模な陽動工作によって、治安当局の意識と人員の大半がそちらの現場である帝都郊外に向けられていたのである。それにより生じた間隙を縫って、実行犯たちは逃走に成功したのであった。

 

 そしてフェザーンの帝都における弁務官事務所に一時潜伏した皇帝一行は、宇宙港の封鎖が緩和されたタイミングを見計らってフェザーン船籍の貨客船に乗り込み、フェザーンを経由して自由惑星同盟へと向かうべく帝都を離れる事となる。

 

 

 皇帝陛下の癇の虫は船内でも鎮まる事を知らず、シューマッハはランズベルク伯ともども、手荒に扱う訳にもいかない幼児を抑え込むのに少なからず苦労をしたものである。伯爵は皇帝への強い忠誠心や義務感を有していただろうが、それらに至って乏しい元大佐は、フレーゲル男爵の下にいた時期と似たような徒労感しか抱けなかった。

 

 物心がつく前に両親と死別し、祖父であった先帝フリードリヒ四世からはさして関心を向けられず、従者たちからも愛情なき養育しか受けられなかったエルウィン・ヨーゼフを哀れと思う心情はシューマッハにもあった。

 

 かといって、獣じみた癇癪にさらされる立場が充実したものに転化するはずもない。同盟首都ハイネセンに到着し幼帝の身柄を引き渡した時は正直ほっとした表情を隠せなかったが、周囲からは重責を全うした事による安堵と解釈された。それが厄介なジョーカーを手放せた事によるものだと引き取った側が悟るのには、大して時間を必要とはしなかったのである。

 

 こうして幼帝を戴き、自由惑星同盟にて成立した亡命政権たる「銀河帝国正統政府」において、ランズベルク伯は「帝国軍大将」の階級と「軍務次官」の地位を与えられた。シューマッハも「帝国軍准将」の階級を与えられたが、もともと軍務に嫌気が差していた彼にとっては迷惑なものでしかない。まして、砂上の楼閣としか思えぬ組織のものとあっては……。

 

 フェザーン自治領からは報酬としてフェザーンの正式な永住権と市民権が部下ともども付与され、そして莫大と言える金銭が振り込まれた銀行口座が贈られた。これらは将官だの提督だのといった空虚な肩書きよりはありがたかったが、

 

「仕事が終わった以上は、アッシニボイヤの農場に帰りたい」

 

 というシューマッハの要望は受け容れられなかった。

 

「正統政府も人手、それも有能な人材がいたって不足しており、今しばらくは同盟領に留まっていただきたい」

 

 とケッセルリンク補佐官から通信画面越しに要請──事実は部下や農場を人質とした脅迫──され、シューマッハはそれを受諾せざるを得なかったのであった。

 

 通信を切り、シューマッハは椅子に身を委ねてひとり沈思する。今後もフェザーンの首脳部にいいように振り回されるようでは、自身や部下たちの人生も不安定に過ぎる。以前から考えていたようにフェザーン側の力と選択肢を可能な限り削ぎ、彼らに対抗できる手段を少しでも多く確保しておくべきであろう。

 

 無論、一介の亡命者がフェザーン首脳部と正面から敵対するのは無謀でしかなく、搦め手から攻めるほかない。となれば同盟領内に縫い留められたのを奇貨として、同盟政府や軍関係者との間に人脈を作っておこうとシューマッハは決意したのである。

 

 だが、その決意は結果として無駄なものとなった。

 

 

 旧帝国暦四八九年、宇宙暦七九八年一二月、フェザーン自治領は帝国軍の先鋒たるウォルフガング・ミッターマイヤー上級大将の電撃的な侵攻により、あっけなく占領の憂き目を見る。帝国軍によるフェザーン回廊の制圧、それはすなわち自由惑星同盟領への侵攻ルートが開けた事をも意味していた。

 

 さしものシューマッハも、これは予想外の事態であった。イゼルローン回廊は智将ヤン・ウェンリーが難攻不落の要塞に拠って堅守しており、歴戦の帝国軍といえども突破は不可能に近い。よもやイゼルローン方面への攻勢を陽動として非武装宙域たるフェザーン回廊に別途に侵攻し、無血占領を完遂するとは。ラインハルト・フォン・ローエングラムの大胆な構想力と果断な実行力を高く評価していたつもりであったが、それでもなお過小であったとシューマッハも認めざるを得ない。

 

 そしてこのような事態になって、フェザーンに残してきた部下たちの安否を気遣わずにはいられなかった。

 

 先のリップシュタット戦役で敵対し、敗北後も降伏せず亡命という道を選んだ者たちに寛大な処置をローエングラム公が採ってくれるかどうか判らない。いかに彼の懐が深くとも、無制限かつ無原則ではあるまい。フェザーン方面への航行や通信は同盟の管制下に置かれ、シューマッハが単身でフェザーンに戻る事はおろか、部下たちや農場の現状を知る事すら事実上不可能であった。

 

 正統政府内においてまともに話が通じる例外的な存在であったメルカッツ「軍務尚書」とその一行がイゼルローンを放棄したヤン艦隊に合流すべく出立した後も、シューマッハ自身はハイネセンに留まった。皇帝陛下を守りまいらせる決意を固めていたランズベルク伯を見捨てる事が、彼にはできなかったのである。

 

 そして旧帝国暦四九〇年、宇宙暦七九九年五月五日。ハイネセン上空を帝国軍が扼した事を知ったランズベルク伯は、いち早く幼帝を連れて逃亡するという選択を採ったのであった。

 

 先年までの敵国領内における王朝再興までの逃避行など、正統政府の閣僚たちですら非現実的として放棄ぜざるを得なかった方策である。シューマッハはローエングラム公に降伏し、幼帝の生命と安全を懇願するという方法もあると伯爵に進言したが「もしそれが容れられなかった時はどうするのか」と拒絶され、進言した側も反論はできなかった。

 

 やむを得ず、ふたりは急いで持ち出せる限りの現金と護身用のブラスターを用意し、動きやすく目立たない服装に着替えた後に、混乱と自失と諦念の坩堝と化していた正統政府ビルを密かに抜け出したのである。肝心の幼帝は侍医に精神安定剤を投与されて熟睡を強制されており、ランズベルク伯が背におぶって連れ出したのであった。

 

 

 ひとまず「流浪の皇帝とその忠臣たち」は、ハイネセンポリスの下町に隠れ家を確保した。

 

 彼らの潜伏が長期にわたって成功しえたのは、ひとつには同盟の社会的混乱と人的資源の不足による警察力の低下に原因があっただろう。ハイネセンに駐留した高等弁務官レンネンカンプ上級大将麾下の帝国軍は装甲擲弾兵四個連隊、軽装陸戦兵一二個連隊のみであり、重要事項とはいえ前王朝の「廃帝」の捜索にそれほど多数の人員を割く余裕もなかったのある。もともと帝国側の最高権力者たるラインハルトが幼帝の行方にさして興味を抱かなかったため、レンネンカンプも捜索の優先順位をそれほど高く設定はしなかったのであった。

 

 平民出身で前線の過酷な環境下を少なからず経験していたシューマッハはまだしも、王侯貴族として不自由の少ない生活を享受していた幼帝と伯爵にとっては、あばら家での貧相な寝食は厳しいものがあったに違いない。それでも伯爵は不平を漏らさず耐えてみせたのだが、忍耐を知らぬ皇帝陛下はさらに癇癪を強める事となったのであった。

 

 もともと雑駁な下町においては騒々しい子供など珍しくもなかったのもあり、ときおり近隣から騒音への苦情が舞い込む程度で済んでいたのは皮肉な幸運であった。そのたびに「皇帝陛下のお世話と警護」を進んで引き受けたランズベルク伯は丁寧に謝罪をして事を収めたものである。

 

 そのシューマッハは外への買い出しや情報収集を担当し、いざとなればこの惑星から脱出するために密航業者への伝手を作るべく、定期的に宇宙港周辺へ脚を運んだ。

 

 我ながら付き合いが良すぎるな、とシューマッハは苦く笑う。幼帝はともかく、どうやら伯爵には完全に情が移ってしまったらしい。無論フェザーンに残してきた部下以上とは言えないが、彼らの事は現時点で無事を祈る以外にできないのは確かであり、毒を喰らわば皿までといった所であった。

 

 

 そういった潜伏生活が半月ほど過ぎた頃、夜半に彼らの隠れ家へひとりの男が訪問してきたのである。

 

「ランズベルク伯爵閣下とシューマッハ提督でいらっしゃいますな」

 

 応対したシューマッハと室内にいた伯爵の顔に緊張が走り、ふたりはブラスターの銃把に手をかける。その一見みずぼらしい風体の男は、動揺する事なく両手を上げた。

 

「私はアドリアン・ルビンスキー閣下の手の者です。話を聞いてはいただけませんか」

 

 それを聞いたふたりは再び驚く。確かに同盟の官憲や帝国軍の兵士であれば、このような回りくどい事はせずに自分たちを問答無用で捕縛していたであろう。どうやら正統政府成立の時期から、フェザーンは皇帝の周辺を独自に監視していたらしい。

 

 帝国の侵攻でフェザーン自治領主の座から逐われたルビンスキーは、シューマッハらと同じく逃亡と潜伏を余儀なくされている立場にある。だが、その組織力と資金力は、陰謀を企むには充分に保持されていたのだった。

 

 ルビンスキーの使者を名のった男は、彼の主人がふたりの「ゴールデンバウム王朝への揺るがぬ忠誠」に感嘆かつ共感しており、潜伏のための資金や情報などの提供を申し出ていると告げた。

 

 ランズベルク伯は「皇帝救出計画」以来の「フェザーンの変わらぬ厚意」に感涙を浮かべたが、シューマッハはルビンスキーは自分たちを「前王朝の皇帝一味」という手駒としてしか見ていないと看破していた。いざとなれば、その駒を使い捨てる事に躊躇はしないであろう。だが、シューマッハらの資金や情報網にも限界があるのは確かであり、フェザーン側がこちらを利用するのであれば、こちらもフェザーンを利用してやろうとシューマッハも思い定めるほかなかったのである。

 

 手付けとして多額の現金や偽造の身分証などが詰められたトランクを差し出した男に、シューマッハはいくつか質問を投げかけた。

 

 当初の交渉役であったケッセルリンク補佐官はどうしたのか、という問いに、

 

「去年の暮れに不慮の死を遂げられました。若く有能な人物であったのに惜しい事です」

 

 と男は淡々と答えた。それを聞いたシューマッハはあの不遜で野心的な青年が、権力闘争に敗れて現世から退場したのだと悟ったのである。

 

 アッシニボイヤの農場と部下たちはどうなっているか、という切実な質問には、なにせ首都圏から遠く離れた場所であり、現状は把握できていないと素っ気なく回答された。シューマッハは本当に知らないのか疑念を抱いたものの、追及しても成果は得られまいと判断せざるを得なかったのだった。

 

 ハイネセンからの脱出ルート確保と、農場や部下たちの現状調査といった要望を告げ、男を見送ったシューマッハは彼が置いていったトランクやその内容物をくまなく調べた。爆弾なり盗聴器なりが仕掛けられている可能性を考慮しての事であったが、結局は取り越し苦労に終わった。

 

 もっとも、盗聴はともかく監視されているのは疑いない。心もとなかった追加の資金や身分証を得て行動の自由が多少広がったとはいえ、シューマッハは明るい気分にはなれなかったのだった。

 

 

 ローエングラム王朝が成立し、新帝国暦〇〇一年となったその年の七月におけるヤン・ウェンリー退役元帥の逮捕は、ヤンの旧部下たちによる同盟元首ジョアン・レベロと帝国高等弁務官ヘルムート・レンネンカンプという重要人物たちの拉致と、それに伴うハイネセンポリス中央部における市街戦の勃発を招いた。

 

 その余波が、ハイネセンポリスの下町にも及んだのは言うまでもない。けたたましいサイレンの音が絶えず、通常よりも多くの官憲が殺気立ちつつ闊歩するようになった。シューマッハは外出時の用心をさらに強めねばならなかったものである。皇帝一行は隠れ家を幾度となく替えて下町を転々とし、シューマッハにとってはほとんど無為な日々が過ぎていった。

 

 そして一一月一〇日、ローエングラム王朝初代皇帝ラインハルトの同盟領への再侵攻が、全宇宙へ向けて宣言される。

 

 それを知ったランズベルク伯は、

 

「ハイネセンを脱出すべきであろうか」

 

 と危機感もあらわにシューマッハに尋ねたが、被質問者は首を横に振った。密航業者に関してはいくつかの伝手ができたものの、脱出先に有力と思える候補が存在しなかったのである。

 

「支援者」たるルビンスキーが潜伏しているであろう惑星フェザーンは、皇帝ラインハルトが大本営をオーディンから移動させており、その警備体制は強化されているのは疑いない。まして、そのフェザーンから帝国軍の艦隊が大海嘯のごとくハイネセンへと押し寄せつつある現状では、残念ながらフェザーンへの密航は論外であった。

 

 そしてフェザーン回廊及びイゼルローン回廊が帝国の手にある以上、潜伏すべく旧帝国領に向かうのも非現実的な案と言わざるをえない。

 

 独立を宣言したエル・ファシルは、シューマッハから見ても無謀かつ無力としか言えない存在である。消息が不明となっているヤン・ウェンリーとその一党が合流すればあるいはとも思うが、それでも「銀河帝国正統政府」という近来の悪例が存在する以上、「ゴールデンバウム王朝の廃帝」を受け入れるのは外交的に見ても悪手と彼らは判断するのではないだろうか。受け入れを拒否されるのみならまだしも、身柄を拘束されてローエングラム王朝との交渉材料に使われる可能性すら考えられた。

 

 バーミリオン会戦で戦死したとされる「ゴールデンバウム王朝最後の宿将」たるメルカッツ提督がヤンと共に在れば、幼帝とその一行の権利を最大限に擁護してくれるのは疑いない。だが、この時期の「メルカッツ生存」は根拠なき風説に過ぎず、判断材料として扱う事はできなかったのである。

 

 こういった思案をまとめた結果として、シューマッハは現時点ではハイネセンに留まった方がいいと判断した。説明を受けたランズベルク伯も、不安な表情で頷いたのであった。

 

 

 そうして越年した宇宙暦八〇〇年、新帝国暦〇〇二年。

 

 一月にマル・アデッタ会戦で同盟軍主力艦隊が最後の敗北によって消失し、二月には勝者たる皇帝ラインハルトがハイネセンへと到着した。そして同月二〇日の「冬バラ園の勅令」により、自由惑星同盟の滅亡が宣言されるのである。

 

 マル・アデッタ会戦に前後して、イゼルローン要塞が「エル・ファシル独立政府」と合流したヤン一党により再奪取され、健在であったメルカッツ提督がそれに参加しているとの確たる情報はシューマッハらの耳にも届いていた。

 

 この情報入手が今少し早ければ、シューマッハはエル・ファシルへの密航をランズベルク伯に進言していたかもしれない。だがその情報の裏付けを得た時点で、すでにガンダルヴァ星系駐留軍であるシュタインメッツ艦隊がハイネセンの上空を扼しつつあったのである。

 

 帝国軍の大兵力が近辺に展開している状況では、ハイネセンからの脱出を試みるのはリスクが高すぎた。そしてラインハルトの気質から考えれば、同盟を滅ぼしたのちに遠からずイゼルローンへと大軍を率いて親征するのは確実である。この時点でイゼルローン方面への密航を図るのは無謀と、シューマッハも判断せざるを得なかった。

 

 

 そして幼帝一行の運命を変転させる事故が、三月一日夜に起こった。ハイネセンポリス中央における大規模な爆発および火災発生である。

 

 その火勢は下町の一部にも達し、シューマッハらの当時の隠れ家から指呼の距離へと急速に接近した。シューマッハとランズベルク伯は急いで最低限の荷物を持ち出し、幼帝を隠れ家から連れ出したのだった。

 

 眠りに就いていた幼帝は、不機嫌そうに眼をこすりつつ伯爵に手を引かれていた。だが、暗黒の中を燃え盛る炎を目にし、遠くから断続的に轟く爆発音を耳にして、眠気と不快感を圧する恐怖と不安に囚われたようであった。その表情を看て取ったランズベルク伯は、

 

「ご心配なく。あなた様はこの不肖の身に代えてもお守りいたします」

 

 と、自身の不安を押し隠してうやうやしく言上した。しかし、この時の伯爵を見る幼帝の視線は、明らかに負の感情が満ちていたようにシューマッハには見えたのである。

 

 この一〇か月ほどの逃亡生活を経ても、幼帝は二人の「庇護者」に懐く事はなかった。伯爵の手前、表面的な礼儀のみを保っていたシューマッハは当然として、純粋な忠義をもって仕えてきたランズベルク伯も同様だったのである。

 

 伯爵はエルウィン・ヨーゼフを「ひとりの人間」ではなく「ゴールデンバウム王朝の正統な皇帝」という血脈と身分しか見ていない傾向が強く、臣下としての分をわきまえてか、強固だが一方的な忠誠心はあっても親愛の念は向けていないようにシューマッハには思われた。あるいは幼帝は彼なりに、それを感じ取っていたのかもしれない。そして粗暴かつ邪険に扱っても礼儀と誠意を絶やさない彼を薄気味悪く感じるようになっていったのではないかと、シューマッハは後に回想したのだった。

 

 にわかに幼帝は、それまで伯爵につながれていた手を乱暴に振り払った。そしてあらぬ方向へと駆け出したのである。

 

「へ、陛下!」

 

 予想外の主君の行動に、一瞬ランズベルク伯は放心し、ついで狼狽した。シューマッハはすぐに幼帝の後をを追おうとしたが、その彼の前を慌てて避難する群衆が急流となって遮った。

 

 かくして、彼らは喧騒と暗闇の中にまぎれた幼帝の姿を見失ってしまったのである。 

 

 シューマッハは半狂乱になりかけたランズベルク伯をなんとか落ち着かせ、手分けして幼帝を探し始めた。子供の足ではそう遠くへ行けるはずもないが、この混乱の中、しかも夜半である。たったふたりでの捜索が難航するのは当然であった。

 

 大火は払暁を迎える頃には鎮まったが、それまでに彼らは幼帝を発見する事はできなかったのである。火災原因や被害状況を調査している帝国軍兵士や官憲の姿も増え始め、これ以上の捜索は危険であった。二人は一旦、延焼を免れた隠れ家へと戻らざるを得なかったのである。

 

「もし陛下の御身に万一の事があれば、私は、私は……!」

 

 床に座り込みつつ両手で顔を押さえて呻くランズベルク伯であった。

 

 長きにわたる低水準の潜伏生活は、大貴族出身たる彼に多大な心労を強いていた。それでも「皇帝陛下さえご無事であれば、王朝復興の希望はある」と常々そう語って自身を鼓舞していた伯爵であったが、その皇帝が彼の前から消え失せてしまったのである。伯爵の精神が千々に乱れるのも無理からぬことであった。

 

 まだ「万一の事」があったと決まったわけではない、とシューマッハは励ました。そして状況が一段落したら自分は再捜索に向かう。ここに皇帝陛下が戻ってくる可能性もあるため、伯爵には隠れ家に留まっていてほしいと告げ、伯爵は動揺しつつも首を縦に振ったのであった。

 

 シューマッハは用心しつつ、近隣の病院や救護キャンプ、仮設の避難所などを訪ねたが、成果は得られなかった。そして気が進まないながらも、いくつかの死体収容所(モルグ)にも足を運んだのである。

 

 シューマッハは収容所の管理者に事情を説明し、身元不明である子供の遺体の情報を求めた。

 

 先の大火による死者は五五〇〇名にも及んだが、その大半はハイネセンポリスの地理に通じていなかった帝国軍の将兵であった。そのため、旧同盟市民、それもエルウィン・ヨーゼフと同世代である子供の犠牲者の割合はそれほど多くはない。それでも一〇〇人単位の数に及んでおり、確認だけでもひと苦労であった。

 

 結果として、生者としても死者としても、幼帝はシューマッハらの下に戻ってくる事はなかったのであった。

 

 そして何度目かの成果なき捜索を終え、期待から落胆へと一変するランズベルク伯の表情を見る事を覚悟して、シューマッハは夜半に隠れ家へと戻った。だが、留守を預かっているはずの伯爵の姿が見当たらない。

 

 あんな精神状態でどこへ行ったのかとシューマッハが思った矢先、背後から近付いてくる足音が聞こえた。振り向くとそこには当の伯爵が、油膜を浮かべたような両眼でシューマッハを見つめていたのである。

 

 そして彼は、見知らぬ少年を両腕に抱きかかえていた。眠っているのかと思ったが、その顔色は異様に蒼白で、全く身じろぎもしない。それどころか、呼吸すらもしていないように見える。戦場経験を積み重ねていたシューマッハは、それが死体である事に気付かざるを得なかった。

 

「……その子は一体?」

「何を言っているのだ、准将。我らが皇帝陛下のご尊顔を忘れたわけではあるまい」

 

 そのどことなく虚ろな声での返答に、冷静沈着なシューマッハもさすがに絶句した。

 

 不意に伯爵が着ていた古いコートの裾から、字が書かれた紙片が舞い落ちる。シューマッハはそれを拾い上げ、目を通す。それはシューマッハ自身が書いたものであり、病院や死体収容所などの住所をひかえたメモであった。

 

 おそらくシューマッハが隠れ家に残していたメモから死体収容所の所在を知った伯爵は、そこに赴いて幼帝の同年代の死体を盗み出したに違いない。

 

 ランズベルク伯は隠れ家に入り、遺体を粗末なベッドへ丁重に横たえて優雅に一礼した。

 

「おいたわしや、陛下。今度こそは、必ずわたくし共がお守りいたしますぞ」

「……伯爵」

 

 ランズベルク伯の元から夢見がちな精神は、忠誠の対象を見失った衝撃により完全に別世界へと旅立ってしまったようであった……。



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