陰のボスになりたくて! (若林布吉)
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一章 ミドガル魔剣士学園①
『シャドーガーデン』を設立しよう!


最初の方は原作と同じ流れなので読み飛ばして頂いても構いません。


僕は『陰の実力者』になりたい。いつからそう思っていたのかは分からないけれど、僕はその夢を実現することに僕の全てを捧げた。

 けどすぐに、ある問題が立ち塞がった。それは、僕は核には決して勝てないということだ。

 既存の肉体も、武術もいくら鍛えようと極めようあっという間に蒸発してしまう。それは、僕の考えた『陰の実力者』には許されない。

 そこで僕は未だ人類の発見し得ていない可能性にかけた。つまり、"魔力"だ。

 僕は日々"魔力"を追い求め、とてつもない程厳しい修行をこなした。そして、僕は"魔力"を見つけたのだった。

 あ、そうそう。僕は"魔力"を見つけるついでに赤子に転生してたみたい。ま、どうでもいいけどね。

 

□□□

 

 色々あって、僕は盗賊狩りをしていた。因みに今は10歳くらい。

 

「ひゃっはー!お前ら金だせ!」

 

 今日はスライムスーツの試運転日だ。うんうん。中々使い勝手がいい。

 特に気に入った点は、色々な部位から刃をだせることだね。派手じゃないけど効果的。

 調子に乗ってひゃっはーしてたら、いつの間にか盗賊がいなくなってた。

 途中で「王都ブシン流がー」とか言ってる人がいたけど、うん。十秒持たなかったね。

 

「戦利品は──と」

 

 早速とばかりに僕は戦利品を漁る。

 

「美術品は捌けないからパス。金貨とかがいいな」

 

 驚くことなかれ。金貨一枚で十万ゼニーだ。因みに"一ゼニー=一円"ね。

 

「ん? あれは……」

 

 死んでる商人に手を合わせ、金貨の山にほくほく顔の僕は、奥に檻があるのに気が付いた。

 

「奴隷もパスだねー。けどまぁ、良いものかもだし、一応」

 

 掛けられていた布を外す。中には、腐った人がいた。まだ息があるようだ。

 

「へーすごいね。こんな状態でも生きてるんだ──ん?」

 

 人間の底力に感激していた僕は、ふとあることに気付く。

 これは、魔力暴走に似ている。

 

「使えるかも」

 

 僕は口元に笑みを浮かべた。

 さしもの僕も、魔力暴走を意図的に起こすのは危険なので断念した。けれど、秘めたる可能性を感じたのも事実だ。

 この"肉"があれば、僕はもっと高みへ登れる……!

 僕は"肉"を抱え、その場を後にした。

 

□□□

 

 あれから一ヶ月。うん、充実したものだった。"肉"に魔力を流し、あぁでもない、こうでもないと試行錯誤する日々。どんどん魔力操作の上達を感じて、僕は満足だった。

 より強く、より緻密に……!

 異変が訪れたのは僕が魔力暴走を完全に制御し切れたときだった。

 なんとそこには金髪エルフがいたのだ。

 いやまぁ、だいぶ前からその片鱗はあったみたいだけど、夢中になり過ぎて気が付かなかった。

 すごいね。あんな状態から元に戻れるんだ。

 僕が君はもう自由だ、みたいな感じで送り出そうとしたら、泣きつかれた。もう帰る場所がないだって。

 うーん。

 

「助けてくれた恩は返すわ。だからお願い」

 

 散々迷ったけどなんか有能そうだし、うん。彼女には『陰の実力者』の配下Aをやって貰おう。

 

「というわけで、君は今日からアルファだ」

「分かったわ」

 

 美人なエルフさんは頷いた。

 

「それで君の仕事だけど──」

 

 僕は頭の中で『陰の実力者』の設定を考える。設定は大事だ。

 戦う理由が眠るのを邪魔された腹いせでは締まらない。

 

「君の仕事は──この世界を裏から牛耳る僕の補佐だ」

 

 設定はこうだ。

 僕はこの世界を裏から牛耳る組織の長となる。その組織は技術力、経済力、軍事力全てにおいて突出した組織だ。

 そんな組織を作るために、僕は今、人を集めている。

 あ、そうそう。それだけだと微妙だから敵も作っておこう。

 

「だが、この目標には一つ障害がある」

「障害?」

「そうだ。今現在、世界を牛耳っている組織のことだ。そしてその組織は、君の仇でもある」

「私の?」

 

 僕は頷いた。そして、意味深に間を空ける。

 

「〈ディアボロスの呪い〉だ。」

「呪い?」

「そうだ」

 

 僕はアルファの後ろ、木箱の上の酒瓶を見て頷いた。

 

「〈ディアボロスの呪い〉は〈悪魔憑き〉……君の体を蝕んでいた病のことだ」

 

 アルファは驚いたように口に手を当てた。

 いいね。その反応。

 調子に乗って僕はペラペラと"設定"を口にする。

 曰く、その呪いはかつての三人の英雄、その子孫にかけられたものだ。

 曰く、かつてはその呪いは治せるものだった。

 曰く、その方法をある組織が隠蔽し、歴史を捻じ曲げた。

 

「教えて。その組織の名前は?」

 

 まさに真剣そのものの表情で、アルファは聞いた。僕は再び間を空ける。

 

「ふっ、まだ知るときではない。だが、いずれ知るだろう」

「……そう。分かったわ」

 

 必死に考えたのだが、もう一つのとこで思い浮かばなかった。けど、このくらいは言っておこう。

 

「敵は強大だ。侮るでないぞ」

「えぇ、分かってるわ」

 

 アルファは強い意思の宿った目で頷いた。ちょろいわー、このエルフ。

 

「けど、そういうことなら、私のような〈悪魔憑き〉を沢山集めるべきね」

「ん? んー、ほどほどにね」

 

 ちょっと設定間違えたかな。正直、『陰の実力者』やるだけなら一人でも良かったわけだし。いやでも……

 

「裏社会を牛耳る組織のボスも、やっぱり捨てがたい」

「なにか言ったかしら?」

「いやなんでも」

 

 僕は「ふっ」と微笑みを浮かべ、小屋の入口に立つ。そして肩越しに振り返る。

 

「我らは『シャドーガーデン』。陰に潜み、陰から操る者だ」

「『シャドーガーデン』。いい名前ね」

 

 そうだろう、そうだろう。僕は自分で付けたかっこいい名前を褒められて満足する。

 

「我が名はシャドウ。そう呼ぶがいい」

「ええ、分かったわ。シャドウ」

 

 僕は大いに満足して、小屋を後にした。

 




『ディアボロス教団』という名前がシドくんは思いつかなかったようです。


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"組織"の名前は『ディアボロス教団』!?

原作と同じところはほとんど省きました。そのため、戦闘シーンはありません。
新(オリ)キャラ登場です。因みに、好きなギリシア文字はθです


 アルファは椅子に座り、報告書を読んでいた。やがて読み終わったのか、顔を上げてはぁ、とため息を吐く。

 

「お疲れですか? アルファ様」

「あらガンマ。いいえ、大丈夫だわ」

 

 ガンマはアルファの前にティーカップを置く。カップからは白い湯気が立っていた。

 

「ありがとう、ガンマ」

 

 そう言ってアルファはティーカップに口を付ける。彼が好きな、上品な味わいだ。

 アルファは彼のことを考え口元を緩めるが、すぐに難しい顔になる。

 

「シャドウと会って三年になるけど、敵は思っていたよりも強大だわ」

 

 ──『ディアボロス教団』。

先日襲撃した〈悪魔憑き〉を輸送する一団。迂闊にもその内の一人がその名前を口にしたのだ。

 

「ガーデンは大きくなった。でも相手の底はまだ見えない……一度、彼と話す必要がありそうね」

「アルファ様!」

 

 今後の方針について思案していたアルファの元へ、ベータが駆け込んでくる。随分と焦っているようで、口がパクパクとしていて、言葉が出ていない。

 アルファは立ち上がり、ベータに優しく声を掛けた。

 

「大丈夫。落ち着いて。何があったの?」

「クレア様が……」

「シャドウの姉ね。彼女がどうしたの?」

 

ベータは意を決したように、言った。

 

「クレア様が──攫われました!」

 

□□□

 

「このハゲェェー!」

 

 僕はそんな怒号が聞こえる姉さんの部屋からバレないように退散する。

 いや残念だ。姉さんは良い人だった。

 犯行は夜中に行われたようだ。僕は修行していたので、その間に攫われたのだろう。

 

「シータか」

 

 気配を消して出てきた僕にピッタリとついて来る人物に話しかける。

 その人物はただ無言で頷いた。

 彼女はナンバーズの第一席シータだ。『七陰』という名前を決めた後にアルファが連れてきたため、『七陰』ではない。

 アルファ曰くまだまだ増えるらしいので、丁度良いだろう。

 彼女はアルファたちと比べてもかなり小柄だ。ピンクの髪は腰の辺りまで伸び、黒いローブを着ている。そのローブはかなりぶかぶかで、袖から手は見えず、口元も何故かある襟に隠れていた。

 

「"組織"のアジト、その候補地」

 

 部屋に着くと、シータは様々な資料を広げて色々説明を始めた。抑揚の乏しいその様は『七陰』第七席イータと通ずるものがあるが、彼女程間が空かずに聞き取りやすい。

 僕はほとんど古代文字で何が書いてあるか分からない資料を横目に、シータの話を流し聞いていた。

 ある程度聞いたところで、僕は広げられた地図にナイフを投げる。

 狙うのは何かありそうなところだ。

 

「あっ」

 

 狙った場所からずれた。それも大幅に。

 

「シャドー、どうかした?」

 

 首を傾げて見つめるシータに、僕は咳払いをする。

 

「そこが奴らの隠しアジトだ。そこに姉さんはいる」

「──! 確かに、こっちの情報と合わせれば、そんな気もする」

「気もするって……」

 

 シータは意外と適当なのだ。

 僕はお約束ができて満足した。後は、その刺した位置付近に盗賊がいることを願おう。

 

「アルファ様に報告してくる」

 

 そう言って、シータは出て行った。

 僕は窓から庭を眺めて意味深に呟く。

 

「我らが陰を知るときは近い……!」

 

 うん。いい感じ。

 

□□□

 

 その夜、僕らは暗い森の中を走っていた。

 

「ゼータが先行して見張っているわ……こっちよ」

 

 アルファが前を行き、ゼータ、ガンマ以外の『七陰』が続く。ガンマとシータはお留守番だ。ないと思うけど、また屋敷を襲撃されると大変だしね。

 久びさの実力者プレイだ。

 

「アルファ、先に行く」

「えっ、シャドウ! そっちは──」

 

 少しだけ僕も高揚していたようだ。アルファの静止を振り切り、僕は先行した。

 

 この後結局、僕は盛大に道に迷うのだった。

 

□□□

 

「あなたのお姉さんは無事戻って来たみたいね」

「あー、そうみたいだね」

 

 僕は昨夜の実力者プレイに大変満足していた。特に、「ならば潜ろう。どこまでも」なんて最高だった。あのおっさんの名演技には拍手を送りたいね。

 

「それでシャドウ。『ディアボロス教団』のことなのだけど──」

「ふっ」

「シャドウ?」

 

 しまった。全然話を聞いてなかった。

 アルファが小首を傾げて不思議そうな顔をしている。

 ここはいつもの──

 

「皆まで言うな、アルファ」

「シャドウ……」

「敵はこちらの想定していたよりも強大だ」

「──!」

「だがそれがどうした。我らは我らの道を行く。陰に潜み、陰を狩る。それだけだろう?」

 

 一瞬呆けたような顔をしたアルファは、すぐに首を振って笑った。

 

「えぇそうね。あなたの言う通りだわ」

 

 なんか良く分からないけど、アルファは納得してくれたようだ。

 そして、アルファは意を決したような顔になる。

 

「シャドウ。一つ話があるわ」

「ふむ」

 

 どうやらある"組織"はアルファたちの中で『ディアボロス教団』という名前になったみたいだ。

 その教団はなんと世界規模の巨大組織で、〈悪魔憑き〉を適応者と呼んで処分しているみたいだ。

 それに対抗するため、一人は僕の補佐に残ってそれ以外は世界に散るらしい。

 僕は悟った。彼女たちは大人になったのだと。そして例え一人になっても『陰の実力者』になる決意を強くする。

 立ち去ろうとするアルファ。僕はシャドウモードで、呟くように言った。

 

「孤独な瞳は月の最も満ちるとき、失われし真実を映す」

「シャドウ?」

「ふっ、奴らの好きにはさせないさ。必ず取り戻す」

 

 アルファは顎に手を当てて、考え込む。しかし、すぐに「分かったわ」とだけ言い残し、今度こそいなくなった。

 僕は感傷に浸る間もなく、

 

「ちょっとシドー! 攫われたお姉ちゃんが帰ったのよ! 心配の言葉はないわけ!?」

 

 ほとんど傷の完治した姉さんが僕の部屋に入ってきたのだった。

 




次回はゼータ回です。(恐らく)書籍やアニメ、マスターオブガーデンにはない話です。あっても悪しからず。


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ゼータの使命

少し長め。


 僕は14歳になった。姉さんも学園に行ってしまい、モブとしての平坦な日々が続いていた。

 

「出てきていいよ」

「うん」

 

 夜、屋敷のみんなが寝静まる頃。

 僕は僕以外誰もいないはずの部屋で呟いた。

 鍵の掛かっていない窓が開き、金色の尻尾が揺れる。遅れて、黒いボディスーツに見を包んだ猫系獣人が入ってきた。

 

「やぁ主。良い夜だね」

「やぁゼータ。うん、良い夜だ」

 

 『七陰』第六席『天賦』のゼータ。

 二つ名の通り、器用に大抵のことはこなしてしまう天才肌の金豹族の少女だ。ただし、飽きっぽいため何かを極めることができない。

 ゼータはその瞳でじっと僕のことを見つめていた。

 

「諜報任務の方はいいの?」

「うん。今は休暇中」

 

 ゼータは僕のベッドに腰掛ける。

 

「マーキングしないでね?」

「…………。……うん」

「それで、何かあったの? 今日はベータの当番じゃなかった?」

 

 ゼータは機嫌良さそうに尻尾を揺らす。

 

「ベータはイータの特製ドリンクで倒れてるよ。アルファ様は怒って説教中だし、ガンマとデルタはいない。イプシロンは部屋に籠もってたから、私が来たってわけ」

 

 イプシロンは……スライムの研究かな。『緻密』のイプシロンの魔力操作技術は、ある方面では最早僕以上かもしれない。

 

「そうなんだね。最近調子はどう?」

「調子? あぁ、バッチリだよ。今は北の遺跡の調査してる」

「北の遺跡……」

「主?」

 

 遺跡とは……中々心躍るワードかもしれない。

 かつては栄華を極めた都の朽ち果てた姿。失われた古代技術が眠る施設。超常的な何かとの交信をした祭壇──

 

「うん。どれもロマンがあるね」

 

 よし決めた。

 

「ゼータ。今からその遺跡に案内してくれる?」

「今から? いや、主が望むなら」

 

 そう言って、ゼータは立ち上がる。それから、窓に足をかけて、

 

「外で待ってる」

 

と言って出て行った。

 だが、僕はその際の余計な行動を見逃さなかった。

 

「マーキングはするなと言ったのに」

 

 カーテンに付いた金色の毛を僕ははたき落とした。

 

□□□

 

 闇夜の中を僕らは疾走していた。

 うん。やっぱり黒のロングコートは夜に限る。TPOは大事なのだ。

 

「主ストップ」

 

 気持ち良く走っていると、突然ゼータが静止した。

 気のせいだろうか、若干殺気が漂っている気がする。

 

「うん? あぁ、なるほどね」

 

 その理由を僕は遅れ遊ばせながら気付いた。

 まるで獣のように野を駆ける気配。これは──

 

「ボスー!! 会いたかったのです!」

「デルタか」

 

 デルタが走ってきた勢いのまま飛び込んで来る。尻尾がぶんぶんと凄い勢いだ。

 

「む? ボス! メス猫の臭いがするのです」

「やめろ。マーキングするな」

 

 僕はマッスルでデルタを押し返す。

 と、そこで、怒りに震えていたゼータがさっきより数段低い声音で言った。

 

「なんでここにワンちゃんがいるの?」

 

 妙に"ワンちゃん"にアクセントが付いている。

 

「メス猫こそ、どうしてボスといるのです?」

 

 デルタがガルルッ、と唸り声を上げて威嚇する。

 普段なら僕は見守るところなのだが、今日はこの先に用事があるのだ。

 僕は二人の間に割って入る。

 

「デルタはどうしてここにいるの?」

「ボス! デルタと狩りに行くのです!」

「狩りをしてたの?」

「そう! アルファ様に言われた! 一緒に狩りに行くのです!」

「何を狩ってたの?」

「アルファ様はきょーだん? って言ってたけど、多分盗賊なのです! 一緒に狩りに行くのです!」

「へー、盗賊かぁ! けど、僕は今やらなくちゃいけないことがあるんだ」

 

 僕がそう言うと、デルタはシュンと尻尾を下げる。

 

「あ、そうだ!」

「うん?」

 

 デルタはずっと握り締めていた手を開ける。中には透明な球体の水晶があった。

 

「これは?」

「アルファ様が、盗賊から奪ったらボスに渡せって!」

「アルファが?」

 

 何だろう。僕の『陰の実力者』セットの資金源かな。

 ありがたく頂戴しよう。

 

「アルファ様は、ボスが欲しがってたものって言ってたのです! それは何なのです?」

「さぁ、なんだろう。覚えてないな」

 

 本当に覚えがないので二人で首を傾げる。

 

「主、もう行く」

 

 我慢の限界を迎えたのか、ゼータが僕の腕を引っ張る。後ろでデルタの「あ! メス猫!」と叫ぶ声が聞こえるが、結局追っては来なかった。

 

□□□

 

「マーキングはやめろ」

 

 今日何度目かのそのセリフを口にする。

 

「でも、主。犬の臭いがする」

「いいんだ」

 

 ゼータは口を尖らせるが、一応は引き下がる。

 

「主こっち」

 

 そこから、ゼータの案内で森を進むと、半刻と絶たずに件の遺跡が見えた。

 

「ここ」

 

 そこはミステリーサークルと言える場所だった。

 中央には台座のようなものがある。石の灯籠のような形ではあるが、上の部分はない。青空灯籠だ。

 その灯籠を中心に、大小六つの石版が等間隔で円状に配置されていた。

 

「ふむ」

 

 僕は中央の灯籠を観察する。何か球体のようなものを設置できそうな窪みがある。

 

「ま、やるだけなら損はないしね」

「主?」

 

 僕はデルタから貰った水晶を嵌め込んでみる。丁度ぴったりだ。

 

「満月……」

 

 ぼそりとゼータが呟いた。

 

「さぁ、悠久の歴史を見せてみよ」

 

 僕は意味深に呟いた。

 すると、水晶が淡く光り出す。

 おぉ! これは……!

 淡い光が水晶から飛び出て一つの場所に集まる。その集合体はやがて輪郭を帯び、ドアとなった。

 

「主これは?」

 

 事態が飲み込めていない様子のゼータが聞く。

 大丈夫。僕もなにも分かってないから。

 

「ふっ、行けば分かるさ」

 

 僕はそう言って、扉の中へと入った。

 

□□□

 

 中は何の変哲もない石造りの通路であった。放置されてからかなりの歳月が経ったのだろう。所々にひびが入り、そのひびを埋めるが如く苔が生え、つたが伸びていた。

 ゼータは前を行くシャドウの背中を見ながら歩く。

 元々、ゼータは猫系獣人なので夜目が利く。だからシャドウの姿はよく見えた。しかし、シャドウは人間だ。種族的にそのような特性はないのに、シャドウの歩みに迷いはない。

 あるいは、この地のことを最初から知っていたかのようだ。

 

「主。主はここのこと知ってたの?」

 

 シャドウは振り向かずに答える。

 

「あぁ」

 

 それは短いものだったが、絶対の自信を感じられる響きだった。

 改めてゼータは、シャドウの知識に舌を巻く。

 思えば、今ここにいることは全てシャドウの想定通りだったのかもしれない。

 アルファに水晶を回収するように言い、デルタに託す。鼻の良いデルタなら、離れてるシャドウの位置も分かるだろう。ゼータは道案内として──

 

「いや、私の役目は他にある……?」

 

 その想定には無理があると、ゼータは思った。

 もし、そこまで見抜いているなら、この場所のことは知っているはずだ。なら、ゼータを連れてきたのは他に何かしらの意味があるのではないだろうか。

 ならば、ゼータの役目とは何だろう?

 ゼータが『七陰』の中で秀でたものと言えば、釣りと潜入くらいだ。それ以外もそれなりにできるが、一芸として極めたと言える程ではない。

 

「主──」

「ゼータ」

 

 ゼータは何かを言いかけて、けれど何と言おうとしたかは分からなくて。

 そんなゼータの言葉に被せるようにシャドウがゼータの名を呼んだ。

 シャドウはただ腕を組んで前方を見据えていた。

 

「主?」

 

 ゼータの尻尾が揺れる。

 シャドウの隣に並び、ゼータも同じ景色を見る。

 そこには両開きの扉があった。片方は既に朽ち果て、もう片方も原形は留めているものの、最早その機能は失われていた。

 そして、その奥は玉座の間だろう。少し高い所に玉座が見える。

 ゼータは玉座の間へと入った。

 

 中はただ広かった。広い広い空間にポツンと玉座があるだけだった。

 

「永遠の栄華などあり得ぬ。人が人である限りな」

 

 それは悲哀に満ちた声だった。

 シャドウは優しい。こんな名の知れぬ衰退にまで悲しみを覚えるのだから。

 

「これは……?」

 

 ゼータは玉座の裏に回り込む。そこには古代文字が彫られたプレートがあった。

 所々擦れて読めないが、ゼータはその内容に目を通す。

 

「英雄─の死……人々の──……これは、争い? 暴動……離反……これ以上は……読めないね」

 

 けれど、何となく分かった。

 この国はきっと、内部の腐敗で内から滅んだのだ。きっかけは英雄、あるいは王の死。権力闘争に民衆が巻き込まれたかは不明だが──

 

「王は、負けたみたいだね」

 

 わざわざ玉座に貼ったプレートに離反なんて書いてあったのだ。王の陣営に裏切りが出たのだろう。

 それに、この部屋には玉座以外何もない。いくら風化してようと、調度品などの、その残骸くらいは残る筈なのに。

 

「時の王は最期に玉座で何を思ったか」

 

 気付けばシャドウは玉座に腰掛け足を組んでいた。

 

「それは──」

 

 己の無力さを嘆いたか、滅びゆく国の行く末を案じたか。ゼータはそう答えようとして口を噤んだ。

 ゼータはシャドウの言い回しに違和感を覚える。

 何故シャドウは"最後の王"ではなく"時の王"と言ったのか。

 ゼータは考え、そしてはたと気が付いた。

 

「主は私にこれを伝えたかったから私を連れてきた……?」

 

 ゼータはシャドウの前に回り込む。

 

「主。主はもしかして──」

 

□□□

 

 うん。昨晩は中々悪くないプレイだった。

 僕は日が昇り始めた空を見て思う。

 太古の昔に滅びた文明、その国の玉座で哀愁に暮れる『陰の実力者』。普段とちょっと趣向が違って新鮮だった。

 僕はベッドに身を投げ出すようにして寝転がる。時々僕はどうしてもやるせない気持ちになるのだ。

 

「あぁ、どうして寿命があるんだろう」

 

 永遠の命、憧れるね。

 僕は少し愉快な気持ちのまま、微睡みの中に身を浸した。

 

 

 




子供のゼータと大人のゼータ、口調が少し違いますよね。今回はマスターオブガーデンのゼータを参考にしたので、書籍版のゼータよりも緩い口調になってます。


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これぞモブの戦いだ!

遂に学園へ


 僕は馬車に揺られながら、外の景色を眺めていた。

 乗り合いの馬車には多くの人がいる。僕は馬車に乗る大勢の一人だ。うん、モブっぽいね。

 貴族は15歳になると王都の学園へ通うのがこの国の慣習である。

 そう、僕は15歳になったのだ。

 僕が通うことになる『ミドガル魔剣士学園』は大陸最高峰の魔剣士学園で、国内はもちろん、国外からも将来有望な魔剣士が集まるらしい。

 僕はこの学園生活をモブとして過ごして、裏では『陰の実力者』として色々なイベントを楽しみたいと思っている。

 

「わくわくするね」

 

 僕は胸の高まりを覚え、微かに笑みを湛えたのだった。

 

□□□

 

 僕が入学してから2ヵ月が経った。僕はその間、情報収集と理想的な人間関係、地位の構築に勤しんだ。

 その成果は上々だ。

 まず、この学園、そして隣の学術学園のネームドキャラは大体把握した。

 今最も大物であろう人物はやはり、この国の第二王女アレクシア・ミドガルだろう。

 才色兼備で民衆からの支持も高い。剣に関してあまり良い噂は聞かないけど、完璧人間と言って差し支えないと思う。

 その他にもちらほら主役級がいる。彼らとはあまり関わらない方向で行こう。

 次に僕の成績なんだけど、中の下をキープしている。まぁ、大体はカンニングしてモブ水準に調整してるんだけどね。

 最後に、僕は二人のモブくんたちと友達になった。ヒョロ・ガリとジャガ・イモだ。

 ふっ、彼らの詳細説明なんていらないさ。なんて言っても、彼らは僕の認めた天然もののモブなのだから。モブの詳細なんて知りたい人がいるだろうか、いやいないね。

 

 そんなわけで僕は今、夕焼け色に染まった学校の屋上にいた。

 どんなわけかと言えば、先日の魔力測定で最下位は告白するという賭けをしたのだ。勿論僕は魔力を抑えたので負けた。

 けど、これは考えようによってはチャンスだ。

 

『興味ないわ』

 

 その一言により、今まで百人余りの男たちが彼女に告白しては無惨にも散ってきた。

 僕もこの波に乗り、『罰ゲームに負けて女子に告白』という実にモブらしいイベントをこなすのだ!

 僕は授業から解放され、帰宅する生徒諸君を見下ろしながら、精神を整える。

 僕は今日、このときのために、日々先達諸君の情報を集め、昨夜は夜なべしてまで練習をしてきたのだ。最早、今の僕にモブ度で勝る存在などいはしない。

 

「来たね」

 

 屋上の扉が開き、アレクシア王女その人が現れる。

 僕は微かに表情を強張らせ、彼女と対面した。

 

□□□

 

 アレクシア・ミドガルは、屋上へ続く階段を登っていた。コツコツと無機質な音が一定のリズムで鳴り続ける。

 

「シド・カゲノーとか言ったかしら?」

 

 無謀にも、この国の王女である自分に告白しようとする男爵家の人物の名だ。

 今どき実にベタなもので、アレクシアの机に手紙と花を添えての呼び出しだ。

 面白味に欠ける手紙に、面白味に欠ける花。場所も放課後の屋上と、何十回と見たシチュエーションだ。

 本来なら断る所だが、この状況は大変都合がいい。

 アレクシアは人前では見せない邪悪な笑みを浮かべた。

 

 アレクシアは屋上へと出る扉を開ける。

 薄暗い空間に赤みがかった斜陽が差し込んだ。

 アレクシアは自分の肘を抱える。

 

「それで、話って何かしら?」

 

 そう問いかけつつ、相手の身なりを観察する。

 黒い髪に黒い瞳。平凡な顔立ちだ。制服の着こなしは普通で、改造などはないが、ネクタイを緩め、袖を捲くっている。アクセサリーの類はなく、靴なども一般的なものだった。

 ぱっとしない平凡な青年。それがアレクシアの第一印象である。そしてそれは、アレクシアからして僥倖であった。

 

「アレクシア王女」

 

 シドは片膝をつき、花束を差し出す。

 

「僕があなたを必ず幸せにしてみせます」

 

 真摯に訴えるが如く、シドは言う。

 

「例え槍が降ろうと、魔力が失くなろうと僕があなたを守ってみせます」

「……」

 

 それは無理だろうとアレクシアは思った。

 

「あなたは例えるなら太陽です。世界の中心で輝き──」

「…………」

 

 長い。長過ぎる。

 今もつらつらと世迷い言を述べる青年にアレクシアは苛立つ。とんとんと人差し指で腕を叩く速度が徐々に早くなった。

 一言、付き合ってくださいと言えば承諾して終わりなのに。無駄な時間がどんどん流れていく。

 

「──ので、あなたの側にいたいのです。アレクシア王女」

 

 ようやく終わるのだろうか。吐き出したくなるため息を呑み込み、アレクシアは続く言葉を待った。

 

「僕と──結婚を前提にお付き合いください!」

 

 分かりました、と答えようとしたアレクシアの口に待ったがかかる。

 考えれば分かることだ。男爵家の人間が王族と結婚などできないと。

 周りからの反対は間違いなくあり、駆け落ちでもしなければ実現できないものだ。

 アレクシアもそのくらいのことは分かっている。ここでは「はい」と答えて、後でそれを理由に断ればいいのだ。所詮は"当て馬"なのだから。

 だが、アレクシアの口から肯定の言葉は出なかった。

 "結婚"と聞いて、嫌な顔が思い浮かんだのだ。

 結局、アレクシアはいつものように「興味ないわ」とだけ答えてその場を立ち去った。その間、一度も振り返ることはなかった。

 故に気が付くことはなかった。振られたはずの青年が満足そうに笑い、振ったはずの自分が唇を噛んでいる事実に。

 

 アレクシアは、自分のことが少しだけ嫌いになった。

 

□□□

 

「顔を上げてください。シドくん」

「お前の勇姿はしっかり見届けたぞ」

「二人ともありがとう」

 

 ヒョロとジャガの慰めに、僕はお礼を言う。

 僕は落ち込んだ風を装ってはいるが、反面内心は達成感に満ちていた。

 昨日の告白は、僕の独自の調査で、多く見られた告白の仕方のパターンをいくつか組み合わせたものだ。使う言葉から選び抜き、アナウンサーにも匹敵する滑舌で流れるように言い切った。

 今回の告白には、もう一つ『緊張でガチガチのモブ』という選択肢があった。

 けど、結局は『大勢に同化するモブ』を選んだのだ。

 僕らは日替わり定食980ゼニー貧乏貴族コースを食べ、午後の授業へと向かう。

 今日はいつもより、世界が明るく見えた。

 




本当はヒョロくんかジャガくんを"当て馬"にする予定だったのですが、それだと後の拷問で自分が犯人だと自供していまいそうなのでやめました。


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どこかでメインイベントが進行してる気がする

 ガンマはニューからの報告を聞き、眉を寄せた。

 

「やはり、教団の手のものでしたか」

 

 ミドガル王国の剣術指南役ゼノン・グリフィ。元々教団と関係があると疑っていたが、今回の調査ではっきりした。

 

「まだ公表はされてませんが、アレクシア王女との婚約も決まっているようです」

「アルファ様はなんと?」

「まだなんとも。ですが、王都周辺の拠点に少しずつガーデンの構成員が集結しています」

「そう……」

 

 ガンマは目を伏せる。

 

「もう一度王都にある教団のアジトを洗い直しなさい」

「かしこまりました」

 

 そう言ってニューは退室する。

 ガンマは物憂しげに瞑目し、首を振る。そして、『ミツゴシ商会』の通常業務へと戻った。

 

□□□

 

 先日の大成功のおかげで大変機嫌のいい僕は、いつもよりも早めの登校だ。ヒョロとジャガは置いてきた。モブ友の友情はかくも儚いものなのだ。

 学園の敷地に入ってから、僕は鼻歌混じりに、いつもより若干遠回りで校舎へ向かう。そして、体育館のような王都ブシン流の教室前を通ったときだった。

 

「あっ」

「えっ」

 

 黒い道着に身を包み、剣を振るアレクシアに出会った。

 

「どうしてあなたがここにいるのかしら?」

「それはこっちが聞きたいよ」

 

 アレクシアは憮然とした態度で言う。

 

「ここが王都ブシン流一部の教室だからよ」

「あーそうなんだ」

 

 因みに僕は九部だ。最終的には五部あたりで落ち着こうかと思っている。

 

「それでどうしてあなたがいるのかしら?」

「今朝は調子が良かったからちょっと散歩をしていたんだ」

「そう」

 

 アレクシアはそれきり黙って剣を振る。

 僕はしばらくその様を眺めていた。

 

「良い剣だね」

 

 僕は呟いた。

 

「……どうも」

 

 アレクシアは素っ気なく言った。

 彼女の剣は基本に忠実だ。基礎をしっかりやっている。それは一目見れば分かる。

 けど地味だ。地味だけど無駄が排除され、研ぎ澄まされたその様は、正しく努力の結晶でもある。

 ……デルタにも見習ってもらいたいものだ。

 僕は僕にとって最も許し難い剣を使う獣人の少女を思い浮かべた。

 

「あなた、一昨日と人が変わり過ぎじゃないかしら?」

 

 どのくらい経っただろう。剣を振るのを止めたアレクシアはタオルで汗を拭う。

 

「そうかな?」

「一昨日はもっとうるさ…………いえ、気持ち悪かったわ」

「直球な物言いだね」

「そういう性分なの」

 

 気が付けばけっこう時間が経っていたみたいだ。遠く校門の方向からガヤガヤと話し声が聞こえる。教室内の時計を見れば、いつもの登校時間と同じくらいだった。

 

「今のあなたなら丁度良かったのに」

 

 僕が時計に気を取られていると、アレクシアが何かを言った。

 

「うん? 何か言った?」

「いいえ。あなたのこと、嫌いじゃなさそうだわって話よ」

「この前フッたのに?」

「……嫌いだからフッたってわけじゃないわ」

 

 アレクシアは道具の片付けを始める。

 僕はそろそろ教室に行こうかな。

 

「私はあなたのこと、どちらかと言えば好きよ」

「告白? ならごめん」

「違うわ。欠点の多そうなあなたのことは嫌いじゃないということよ」

「褒めてないよね」

 

 アレクシアはそれから喋ることなく荷物を纏める。教室に行く前に更衣室へ行くのだろう。制服を抱えていた。

 僕はもう行こうかと思ったが、最後に一言だけ言いたいことがあった。

 

「褒めてくれたお返しじゃないけど、僕は『凡人の剣』──君のその剣は、好きだよ」

「──っ」

 

 僕は僕の信念に誓ってその言葉に嘘はないと宣言しよう。僕は『凡人の剣』が好きだ。だって僕の剣も『凡人の剣』だからね。

 アレクシアが何かを言いたそうにばっと僕の方を見る。けど僕はそれに取り合わず、その場を離れた。

 

□□□

 

「それより皆さん、聞きましたか?」

 

 アレクシアと別れてからはいつも通りの日常だった。普通に教室に入って、普通に授業を受ける。

 そして、僕は今日も今日とて日替わり定食980ゼニー貧乏貴族コースを食べていた。

 僕の対面には二人、ヒョロとジャガだ。

 その片割れのジャガが、周囲の様子を伺い、声を低くして話す。

 

「──アレクシア王女、今日からしばらく休学らしいですよ」

「まじか!」

「へー」

 

 ヒョロが大きな声を上げて驚く。それを見たジャガが慌てて声を落とすように言った。

 

「もしかして、この前の告白が罰ゲームだってことによっぽど気分を害されたとかか? だとしたら……」

 

 うん。それはないんじゃないかな。

 ヒョロはぷるぷると震えていた。「処刑だ……」などと世迷い言も呟いている。

 そんなヒョロに気付かず、ジャガは手帳を開いて「これはまだ噂なんですが……」と続けた。

 

「どうやら、結婚の準備に入るのだとか」

「け、けっ、結婚!?」

「へー」

 

 ヒョロはまた、声が大きいとジャガに窘められる。

 

「そ、それで、相手は?」

「こちらもはっきりしませんが……相手はあの、国の剣術指南役ゼノン・グリフィ先生らしいです」

「まじかっ」

「へー」

 

 僕は適当に相づちを打った。

 今朝見たときはそんな様子はなかったんだけど。まぁ、僕は彼女のことに詳しくないから些細な変化なんて分からないけどね。

 

「結婚かー。しかも相手がゼノン先生だなんてなー。流石に俺もゼノン先生には勝てないぜ」

「えぇ、まったくです。自分だって告白すれば付き合うことくらいはできたでしょうが……」

「そだねー」

 

 食べ終わった僕は水を飲んで席を立つ。そして未だ賑わう空間を抜け、食器を返した。

 

□□□

 

 放課後、僕は久しぶりに一人で帰っていた。

 ヒョロは最近王都に出店し、一気に流行り始めた『ミツゴシ商会』に行くらしい。

 ジャガは……言葉にはしてなかったけど、誰かに会いに行くみたいだ。「今日は彼女が服屋に行く日……」とか言っていた。

 

「あとで……」

 

 僕がモブらしく一人でとぼとぼと帰っていると、そんな声が聞こえた。

 

「アルファか」

 

 振り向いては見るけど、雑踏に紛れて既に姿は見えない。

 西に大きく傾いた太陽が、夜の到来を告げているかのようだった。

 

 



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派手にやり過ぎないでよ

今回はいつもより原作リスペクトです。


 寮の部屋に戻って明かりをつけると、薄い闇の中から一人の少女が浮かび上がった。

 アルファだ。少し成長したかな? ちょっと大人びたように見える。

 

「食べるでしょ?」

 

 アルファは『まぐろなるど』で販売されている肉厚まぐろのサンドを差し出す。

 僕はありがたくそれを受け取って、アルファにお礼を言う。

 

「うん。美味しいね」

「そう。新作よ。ガンマも喜ぶわね」

 

 アルファはそう言って微笑んだ。

 でも、どうしてガンマが?

 

「それにしても久しぶりだね、アルファ。ベータは?」

 

 ここ最近はベータが僕の補佐だった。

 僕は食べ終わったサンドの包みをゴミ箱へ投げる。けれど外れてしまい、包みは床に転がった。

 

「今は用事で出ているの。だから私が代わりに来たのよ」

 

 僕はブレザーを脱いでベッドの上に放り投げる。続いてネクタイも投げ捨てた。

 

「そこに水あるわ」

「ありがと」

 

 大きめのコップに入った水を僕は一気に飲み干した。

 その間にアルファは、僕の脱ぎ捨てたブレザーとネクタイをハンガーに掛ける。ついでに包みもゴミ箱に入れていた。

 

「例の件、想定してたよりも教団が早く動き始めたみたい」

「そっか」

 

 例の件……何のことかは分からないけど、かっこいいね。少ない言葉で分かり合う。うん。『陰の実力者』とその配下の会話っぽい。

 

「ガーデンは既に王都に集結している。今夜にでも動けるわ」

「段取りは任せるよ」

 

 アルファは優秀だ。彼女に任せておけば何かは分からないけど、最高の舞台を用意してくれるだろう。

 僕はその間に『陰の実力者』プレイのイメトレでもしよう。

 アルファははぁ、とため息を吐く。

 

「いいわ。あなたのサポートをするのが私たちの使命だもの」

 

 僕はゴロンとベッドに寝転がる。仰向け大の字だ。

 

「騎士団は使うの?」

「いいえ。教団が入り込んでるから」

 

 アルファはどこからかもう一つ、『まぐろなるど』の包みを出す。

 

「くれるの?」

「欲しいの?」

「貰えるなら」

 

 アルファは微かに笑みを浮かべてその包みを差し出す。

 僕はそれを受け取った。

 

「それ、私の分だから。後でご馳走して」

「悪いね。アルファの分も食べちゃって」

 

 そうは言いつつも、僕は遠慮なく食べる。

 

「あまり派手にやり過ぎないようにして」

「どうして?」

 

 アルファは開いている窓の縁に足をかけて振り返る。

 

「陰に潜み、陰から操る──まだ世界に私たちの存在を知られるわけにはいかないでしょ?」

「そういうことね」

 

 未だに僕の作った設定を守り続けてくれる彼女たちには感謝しかない。おかげで、僕の実力者プレイは捗るのだ。

 

「そう言えば、デルタが会いたがっていたわ」

「デルタ来てるの?」

 

 『特攻兵器デルタ』、またの名を『鉄砲玉デルタ』。おつむが残念な獣人少女だ。

 みんなに会えるのは同窓会みたいでいいんだけど、どうか真っ当に生きていてくれ。

 

「その内着くはずよ」

 

 アルファは微笑んだ。

 

「詳細は後で。ベータを送るわ。それじゃまたね」

 

 そう言って、アルファは窓からは飛び出した。後には記憶にあるささやかな香水の香りがだけが残った。

 

□□□

 

 目を覚ますとアレクシアは薄暗い部屋にいた。蝋燭一本の明かりしかなく、石造りの部屋。頑丈そうな扉が見える。

 

「最悪ね」

 

 アレクシアの四肢は台に拘束されていた。そして魔力が使えない。魔封の拘束具だろう。

 助けを待つよりほかはないと、アレクシアは思った。

 

「それより、何があったのかしら?」

 

 何か薬でも盛られたのだろうか。頭が少しぼっーとして、中々思考が纏まらなかった。

 けれど、自分が昏倒する直前の出来事をなんとか思い出す。

 シド・カゲノーという青年と別れた後、アレクシアは更衣室に向かったはずだ。そこで着替えが終わり、教室に行こうとしたところでゼノン・グリフィに声を掛けられた。

 少し話そうと言われたが、確か授業を理由に断ったと思う。しかし、そちらにも話は通してあると言われ、渋々ながら彼に付き合うことにしたのだ。

 通された部屋は学園の応接室だった。そこでアレクシアは、ゼノンが正式に婚約者になったことが告げられる。

 間に合わなかったか、と後悔はすれど、裏は取るべきだろうと思い立つ。

 アレクシアは席を立って退出しようとするが、ゼノンに呼び止められた。

 

『君はこれからしばらく、婚約の準備をすることになる』

『なにを馬鹿なことを──』

 

 そこで、アレクシアの意識は途絶えたのだ。

 

「あぁ、良かったわ」

 

 沸々と湧き立つ苛立ちとは裏腹に、口の端を吊り上げる。

 

「あいつのこと、頭がおかしいんじゃないかってずっと思ってたのよ。やっぱりおかしかったのね」

 

 そうして笑うアレクシアの耳に、じゃらっという音が入ってくる。鎖の音だ。

 

「誰かいるの?」

 

 アレクシアは音の方を見る。

 そこには黒いゴミのような塊があった。

 いや、正確にはそれは生物だった。微かに身じろぎするように動く。

 そして、その生物は顔を上げてアレクシアを見た。その赤い瞳と視線が合わさる。

 その生物の見た目はもう、人非ざる化け物だった。

 顔の各パーツはかろうじて判別できるが醜く爛れ、全身が歪に肥大化している。右腕は異常に長く大きく、逆に左腕は異常に細く短い。

 アレクシアは刺激をしないようにゆっくりと視線を外した。

 見られている。アレクシアはそう感じた。

 痛い程の静寂に包まれる。 

 けれど、それも長くは続かなかった。

 

「ようやく、ようやく手に入れた」

 

  正面の扉が開かれ、白衣の痩せこけた病人のような男が入ってくる。

 

「王族の血、王族の血があれば……!」

 

 アレクシアは男を観察し、内心でため息を吐いた。

 

「……早く救助は来ないかしら」

 

□□□

 

「時は満ちた……今宵は陰の世界……」

 

 ベータを出迎えたのはそんな言葉だった。

 シャドウは椅子に座り、足を組んでいる。無防備な背中、だがその背中が何より遠いことをベータは知っている。

 全てが最高峰である調度品の飾られた部屋。その光景にベータは圧倒される。

 そんな中でも、一際光るものがあった。 

 ──『モンクの叫び』

 幻の名画と言われるそれは、いくら財を積んでも手に入らないとされる。

 そんなものをどうやって手に入れたのだろう。

 尋ねようとしてベータははっと気が付く。そんなことは聞くまでもない。彼だから手に入れられたのだ。

 むしろ、彼以外に相応しい主など存在しないだろう。

 

「陰の世界。新月である今宵はまさに、我らに相応しい世界ですね」

 

 シャドウは何も言わずにグラスに口を付ける。何気なく飲んでいるそれも、酒に疎いベータが知っている程の一品だった。

 

「準備はいいか?」

 

 シャドウは威厳のある声音で言った。

 

「はい。全体指揮はガンマが、現場指揮はアルファ様が執り、私はその補佐を。イプシロンは後方を担当、先陣はデルタが切りますが、作戦開始は定刻通りに。部隊ごとの構成は──」

 

 ベータは作戦の詳細を語る。シャドウはそれを黙って聞いていた。

 

「──以上、計一七一名の構成員で作戦に当たります」

「一七一人?」

「──っ!」

 

 シャドウが疑問の声を上げた。少なかったのだろうか。

 ガーデンの戦闘力を考えれば申し分ないと思うものの、ベータはそれこそが思い違いだったことに気付く。

 今宵の主役はシャドウだ。主役を彩る脇役として、その数字はあまりにも少ない。

 ベータが謝罪を口にしようとする。

 

「申しわ……」

「そんなに増やしたの? いや、エキストラを雇ったのかな?」

「はっ……エキストラ?」

「いや、何でもない。こちらの話だ」

 

 ベータはそれ以上はなにも言わない。それは必要のないことだからだ。

 

「作戦目標は王都に複数ある教団のフェンリル派アジトです。襲撃と同時に……」

 

 ベータが作戦の詳細を語ろうとしたところでシャドウは立ち上がった。

 

「しゃ、シャドウ様?」

「我には行くべきところがある」

 

 シャドウはコートを翻し、振り返った。

 

「ついて来い、ベータ。レクイエムを奏でに行くぞ」

「は、はい!」

 

 鼻血の出そうになる鼻を押さえながら、ベータは返事する。

 月のない今夜は、ベータにとって素晴らしい夜になるだろう。

 




ガーデンの人数は前々から準備してたので50%増量中です。
アルファ様より『アイ・アム・アトミック』の使用制限がかけられました。シドくんは守れるのか


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幕間【祝WBC優勝】野球しよう! 前編

長くなったので分割します。
時間軸はアルファたちがシドくんの元を離れる前のどこか。本編とは関わりがなく、少し早めのエイプリルフール企画とでも思って頂ければ幸いです。
シータが出るので本作の幕間としました。


「野球しよう」

「やきゅう?」

 

 ある夜、いつものように小屋へとやってきたシャドウは唐突にそんなことを言った。

 アルファは聞いたこともない単語に首を傾げる。

 

「野球っていうのはね」

 

 シャドウはアルファの知らない"球技"について楽しそうに話し始めた。

 シャドウの説明を一通り聞き終えたアルファは顎に手を当てて考え込んだ。

 

「なるほど……チームワークを養うのと同時に、各種個人技能も鍛えられるわね」

「そ、そうだね……それでアルファ。『七陰』みんなでやらない?」

 

 シャドウがそう聞くと、アルファはふっと笑みを浮かべて首を振った。

 

「あなたが提案することを無下にするわけないでしょう。分かったわ。明日はみんな空いてるはずだから」

「そう来なくっちゃ」

 

 シャドウはパチンと指を鳴らした。そして、日課の剣の修行をするのだろう。小屋の外へと出ていく。

 アルファは大きく深呼吸して、胸いっぱいに木の香りを吸い込んだ。

 

□□□

 

 翌日。この日はシャドウは珍しく昼間に小屋を訪れた。

 事前にアルファに集められていた一同は驚きに目を丸くした。

 

「ボス! 会いたかったのです!!」

「主さま!? どうしてこちらに?」

 

 シャドウは黒いロングコートではなく、シドとしての装いだ。長袖をまくりつつ、今日やることと、"野球"のルールについての説明をする。

 

「頭も結構使いそうだね。どこかのワンちゃんには難しいんじゃないかな?」

「メス猫こそ、すぐ飽きちゃうじゃないです?」

 

 小馬鹿にしたように、デルタとゼータが言い争う。それをアルファがパン、と手を叩くことで静かにさせた。

 

「あの、シャドウ様。先程、野球は九人と九人、計十八人でやると仰られましたが、今ここには九人しかいません」

 

 ベータはきょとんとした表情で周囲を見回す。そう、ここには『七陰』とシャドウ、そしてナンバーズのシータしかいないのだ。

 

「いや、シータには審判をやって貰おうと思ってたから八人だよ。いいよね? シータ」

 

 シータはこくりと頷いた。

 

「それじゃあ、今回の特別ルールの説明ね」

 

 シャドウは軽く指揮をするように指を振りながら説明する。

 以下が特別ルールだ。

・その一、チーム戦ではなく個人戦で順位を決める。それぞれが四打席を打ち得点を競う。打者以外は全員守り。

・その二、打ってからアウトになるまでに進んだベース分進塁する。

 例えば、一打席目でライト前に打ち一塁に出る。ランナーはその場に残留するものとして扱うが、打った者は第二打席へ。そこでツーベースを打てばランナーは二、三塁となる。

・その三、アウトはボールをピッチャーマウンドにいるピッチャーに返すか、フライを捕るかで判定する。フライは捕る前にベースを踏んでいてもヒットにはならない。

・その四、ピッチャーは直前に打ったバッターがやる。

・その五、スライム、魔力の使用は認める。バットやグローブはスライムで自作。

 

「とまぁ、こんな感じかな」

 

 長々と喋ったシャドウは「ふう」と息を吐く。

 

「シータには審判もだけど、キャッチャーもお願いしていいかな?」

 

 シータはまたこくんと頷いた。

 

「うぅ……ルールが難しくてこんがらがってきたのです……」

「早くも一人脱落かな?」

 

 ゼータの余計な言葉に険悪な雰囲気が広がる。

 

「はいはい。二人とも。今はそんなことしている場合じゃないでしょ」

 

 静かになったのを見てシャドウは機嫌良さげに笑った。

 

「それじゃ、早速やろうか」

 

□□□

 

 厳正なくじ引きの結果、打順は以下のように決まった。

一.シャドウ

二.イプシロン

三.ベータ

四.デルタ

五.ガンマ

六.ゼータ

七.イータ

八.アルファ

 

 最初に打つのはシャドウ、投げるのはアルファだ。それ以外の各々は、思い思いに広がった。

 シャドウはスライムで作った棒状のものを持って打席に入る。

 アルファはイータ手製の硬いボールを握り、十八歩越しにシャドウと向き合った。

 

「いつでもおいで」

 

 シャドウはバットを構え、そう言った。

 アルファはぎゅっとボールを握りしめる。

 

「行くわよ」

 

 アルファは大きく振りかぶった。

 

□□□

 

 アルファが大きく振りかぶるのを見て、僕は内心舌を巻く。

 まさか教えてもないのに、それが最も威力が増す投げ方であることに気付いたのだろうか。

 僕は『陰の実力者』になる一環で様々なスポーツに手を出していた時期がある。どれもそれなりで辞めてしまったけれど、見るのは嫌いじゃなかった。

 先日ふと、昔見た野球の試合を思い出して野球がやりたくなったのだ。

 注目の第一球。

 

「──っ!」

 

 大きく流麗なフォームから繰り出される球はまさに剛速球。砂ぼこりを巻き起こしそうな勢いで突き進む。

 

「ストライクー」

 

 僕は見逃した。いや、正確には手が出なかったのだ。

 やる気のないシータの声が響き渡る。

 

「どう? 私もやるでしょう?」

 

 少し勝ち誇ったような顔でアルファが言った。

 

「ふっ、まだ焦るようなカウントではない……」

 

 球はもう見切った!

 二球目……そこだ!

 

「そんな!」

 

 やや鈍い金属音が鳴り響く。僕のスライムバットは真芯でボールを捉えた。確かな感触に僕は笑みを浮かべた。

 

「ベータ!」

 

 ライナー性の当たりはイータとゼータの間を抜けてそのままベータのいる場所へ伸びる。

 

「えっ、えっ!?」

 

 ベータは慌てたようにグローブを出すも間に合わない。見事顔面で受け止めてしまう。

 

「よしヒットだ!」

 

 僕は一塁を蹴って二塁へ。しかし、ベースまでもう少しのところでボールがピッチャーの元へ戻って来た。

 

「アウトー」

「ふっ、このくらいにしてやろう」

 

 僕はバットを持って打席に戻る。ランナーは一塁だ。

 二打席目。

 

「まさか打たれるなんてね」

「真っ直ぐを打つなんて朝飯前さ」

「……?」

 

 なぜだか考え込んだ風のアルファはすぐに顔を上げる。

 それから先程と同じように振りかぶった。

 ふっ、性懲りもなくまたストレートを──

 

「なに……?」

 

 完璧に捉えたと思った。しかし、僕のバットは宙を切る。これは……

 

「変化球か」

「単純に投げただけでは打たれる。ならそこに変化を加えればいい……どう? 驚いた?」

 

 してやったりとアルファは笑う。

 

「うん。驚いた。けど、甘いね」

「甘い?」

 

 僕は意味深に口の端を吊り上げた。

 

「その余裕、いつまで持つか見ものね」

 

 そうしてアルファは振りかぶる。

 僕はぎゅっとバットを握る。

 

「よいしょ!」

 

 僕は変化のしない真っ直ぐを芯で捉える。アルファは僕の予想通りストレートを投げたのだ。

 アルファは裏をかこうとして、けれども失敗したわけだ。

 心理戦は僕の勝ちだね。

 打球はアルファの僅か右側を通り抜け、誰もいない場所へ飛んでいく。先程と同じライナー性の当たりで、もうしばらくは落ちないだろう。

 これならホームランも狙える。

 僕が一塁を回り、加速しようとしたときだった。

 

「がうっ!」

 

 どこからか現れたデルタがライナーをくわえた。

 

「アウトー」

「あれが捕れるのか」

 

 僕は呆然とする。

 

「アルファ様、アルファ様! デルタがボール捕ったのです!」

「えぇ、良くやったわね」

 

 デルタはぶんぶんと尻尾を振っている。

 さて、第三打席だ。

 第三打席は球こそ甘かったものの、僕は打ち損じてしまい、キャッチャーフライとなった。

 そして第四打席。

 

「悪いけど、このまま押さえさせて貰うわ」

「野球はここからだよ、アルファ」

 

 最早馴染みつつあるアルファの振りかぶり。

 僕はテイクバックを取り、ボールのリリースと同時に踏み出した。

 これは……ボールだ!

 僕はゆっくりと流れる時の中、確信を持って見逃した。

 

「ストライーク」

「えっ? 今のストライク?」

「そう。多分」

 

 忘れてた。イータは適当な性格だったのだ。 

 僕は深呼吸する。まだ慌てる時じゃない。

 二球目……今度こそ、ボールだ!

 

「ストライーク」

「えっ、今のも?」

「うん」

「シャドウ。審判の言うことには従うものよ」

 

 ここに来て僕は追い込まれてしまった。

 だがここで負けるわけにはいかない……!

 三球目。

 アルファは剛速球を投げる。その速さも伸びも、最初の頃とは比べ物にならないくらいに速かった。

 けど、それも僕の敵ではない。

 

「よっ、しっ!」

 

 僕はスライムバットを振り切る。

 感触はあった。打球は──

 

「ガンマ! 行ったわよ!」

「お任せ下さい! アルファさ……ぺぎゃっ!?」

 

 ボールを捕りに行ったガンマはなんと、何もない場所でこけた。

 ボールは無情にもそのガンマの頭上を通過する。

 僕は二塁を蹴って三塁へ。その間にゼータがカバーに回り込んだ。

 

「行かせないよ」

 

 拾ったボールをゼータは投げる。アルファに負けず劣らずの速球が、マウンドに立つアルファ目掛けて飛んでいく。

 

「がう!」

 

 そのまま行けば僕はホームに辿り着かなかっただろう。だが奇跡は起きた。

 デルタはゼータの投げたボールをカット。くわえてしまったのだ。

 僕は悠々とホームインする。これで僕は二点獲得だ。

 

「なっ!? バカ犬っ!」

「何ですか、メス猫? 欲しいならデルタから奪ってみるのです」

 

 ゼータが何か言おうとして、口を噤んだ。デルタの背後にいるアルファを見たためだ。

 

「デルタ。ちょっといいかしら?」

 

 びくっ、とデルタの肩が震える。

 

「あ、アルファ様ならこのボールあげてもいいのです!」

「あ?」

 

 それからしばらく、デルタは大人しくなった。

 

□□□

 

 二番バッターはイプシロン、ピッチャーはシャドウだ。

 

「それじゃイプシロン。いくよ」

「は、はい!」

 

 イプシロンは緊張に体を強張らせつつ、スライムバットを握った。

 注目の第一球。

 

「せいやっ!」

 

 シャドウの投げたボールは至って平凡の球であった。アルファの投げた剛速球や鋭い変化球には到底及ばないものだ。

 普段のイプシロンであれば難なく打ち返せただろう。

 だが──

 

「ひゃっ!」

 

 緊張で固まった体は思うように動かなかった。結果、ぶーんと大きな楕円軌道を描いたバットにボールがかすることはなかった。

 

「むっ……ストライク」

 

 シータが少し固い表情でコールをした。

 返球されたボールをシャドウは捕る。

 

「ふっ、イプシロン」

「は、はい……」

 

 きっと不甲斐ない自分を叱責するのだろうと思い、イプシロンは肩を震わす。

 

「型にハマる必要はない……やりたいようにやれ」

「……分かりました」

 

 一体何のことだろう。

 シャドウの言わんとしていることは分からないが、イプシロンは少しだけ勇気を貰う。体から力も抜けたようだ。

 

「行くよ」

 

 シャドウはセットポジションから足を上げて、踏み出した。

 

「くっ……!」

 

 今度の放たれたボールはまさに超速球。先程のボールとは比べ物にならない。

 目にも止まらない速さでボールはシータのミットに収まった。

 イプシロンは何もすることができなかった。

 

「次で決める……」

 

 三球目。

 先程と同じく、セットポジションからシャドウは動き出す。

 

「絶対打つ……!」

 

 ぐっと奥歯を噛み締め、イプシロンはシャドウを見据える。

 シャドウのしなやかなフォームからは再び超速球が繰り出される。音すら置き去りにするほどの速さだ。

 

「それでも……!」

 

 イプシロンは懸命にスライムバットを振った。

 

「ストライーク。バッターアウトー」

「う、そ……」

 

 イプシロンは崩れ落ちた。

 ボールの影は捉えることはできたのに……! あと一歩届かなかった……!

 

「立て、イプシロン」

「シャドウ、様」

 

 シャドウの冷徹な瞳がイプシロンを見つめる。

 

「お前はその程度ではないだろう?」

「──っ!」

 

 イプシロンは顔を伏せた。よく見れば耳が赤い。

 自分はなんて恥ずかしいことをしたのだろう。シャドウが自分のことを信じてくれているというのに、早々に諦めるだなんて。

 

「行くぞ」

「はい!」

 

 先程の緊張していた頃よりも随分と柔らかい表情で、イプシロンは打席に入る。しかし、その集中力は凄まじいものだった。 

 

「シャドウ様の期待に応えなくては……!」

 

 二打席目、第一球。

 相も変わらぬ超速球だ。視認することすら困難なほどに速い。しかし──

 

「見え、たっ!」

 

 イプシロンのスライムバットに強い衝撃が走る。

 直後、空高くボールが舞い上がった。

 

「アウトー」

「ふふん」

 

 しかし、ふわりと上がった打球に勢いはなく、デルタが口にくわえてキャッチする。

 

「ボスー! デルタ捕ったのです!」

「おーよしよし……マーキングはやめろ」

 

 シャドウが頭を撫でていると、デルタは尻尾を振って体を擦り付けようとする。それをシャドウは押し返した。

 一方イプシロンは未だに手に残る感触を確かめていた。

 

「イプシロン、大丈夫かしら?」

「アルファ様……」

 

 心配そうにアルファがイプシロンに話しかける。

 イプシロンは今一度手に視線を落とし、

 

「はい! 大丈夫です!」

「そう。なら良かったわ」

 

 今の一球でイプシロンは何かを掴んだ気がした。それが何かまでは分からないが、もうイプシロンは下を向かない。

 

「さて行こうか」

 

 イプシロンの第三打席。

 一球目。僅かに外へ外れてボール。

 続く二球目は内角を抉る超速球だった。体を大きく開いてしまったイプシロンは空振る。

 三球目。今度は外の低めいっぱいに超速球がいく。やや開き気味だったイプシロンのバットは届かないように思われたが、元々長めのバットなので、かろうじて当てられた。

 

「ほう。今のを当てるか」

 

 感心したようにシャドウは言った。

 

「ならば……」

 

 四級目。今までと寸分違わないフォームからは超速球──ではなく、最初にシャドウが見せた普通のボールだった。

 虚を突かれたイプシロンは一瞬気後れをするも、考える。

 

「このボールなら、今からでも間に合う」

 

 態勢を立て直し、イプシロンはバットを振る。そして、何の苦労もなく真芯に当てることができた。が──

 

「──っ!? 重い!」

 

 ずっしりとした重みが伝わってくる。まるで巨大な岩を相手にしているようだ。

 踏ん張るイプシロンの背中が悲鳴を上げる。全身の至るところに鉛が詰められた気分だ。

 それでも──

 

「──あぁぁぁーっっ!!」

 

 大量の魔力による身体能力とバットの強度の底上げを行う。まさにイプシロンは死力を尽くした。

 そして、バットを振り切った。

 

「ゼータ!」

 

 ライト方向への打球は仰角四十度で綺麗な放物線を描く。

 眠っていたのだろうか。名前を叫ばれたゼータはむくっと起き上がって周囲を見回す。そして何とかボールを目視した。

 だが、そのときにはもう遅かった。

 

「やった!」

 

 一塁を回るときに、イプシロンは歓喜の声を上げた。

 続いて二塁も回り、結果は三塁打であった。

 

「見事だ」

 

 三塁に座り込むイプシロンにシャドウが声をかける。

 

「ありがとうございます!」

 

 イプシロンは満面の笑みで応えた。

 

「だがまだ終わりじゃない……」

 

 そう。次が第四打席。最後の打席だ。

 そしてこの時点でイプシロンが点差でシャドウに勝てる可能性はない。

 

「それでも、必ず追いついて見せます」

「ふっ……行くぞ」

 

 イプシロンは打席に入り、シャドウと対峙する。

 シャドウの真剣な眼差しがイプシロンを見つめた。その視線にイプシロンはたじろぎそうになるが、もう下は向かないと決めたのだ。

 一球目。

 一見平凡に見えるボールが投げられる。だが、それに秘められた力をイプシロンは知っている。

 

「ストライクー」

 

 イプシロンは見逃した。もうあの球を打ち返すだけの力は残っていなかったからだ。

 狙うは超速球。シャドウがイプシロンの力が尽きていることに気付く前に仕留めなければならない。

 二球目。

 またしても平凡な球だ。

 

「くっ……!」

「ストライーク」

 

 もしやシャドウは気付いているのだろうか。それとも偶然なのか。

 もう追い込まれたイプシロンは、次は何が来ても打つ覚悟をする。

 

「行くぞ、イプシロン」

 

 美しく完成されたフォームから伸びのあるボールが放たれる。 

 ──超速球だ。

 イプシロンは体の力全てを使い、バットを振る。

 

「ファールー」

「うぅ……」

 

 けれどもバットは想定よりも下方の軌道を描いた。思ったよりも力が入らなかったのだ。

 

「どうすれば……」

 

 重い球はまず打ち返せない。かと言って、超速球はバットに当たらない。

 これでは八方塞がりだ。

 そのとき、悩むイプシロンに天啓が舞い降りた。

 

『型にハマる必要はない……やりたいようにやれ』

 

 最初のイプシロンを見たときにシャドウの言った言葉だ。

 あれはただの励ましだと思っていたが──

 

「私のやりたいように……私らしく」

 

 イプシロンは胸に稲妻が走る思いだった。 

 

「私は──」

 

 四球目。シャドウはまた、超速球を投げる。振りに行くイプシロンのバットは悲しいかな。下から振り上げ、アッパースイングの形だ。これでは万に一つも当たらない。

 けれども、

 

「──私は、美しい!!」

 

 イプシロンはバットに魔力を込める。すると、バットは見る見る間に形を変え、ボールの軌道上に、変形したバットが合わさった。

 それは誰にもできるものではない。後に『緻密』と呼ばれるイプシロンだからこそできる芸当だ。

 確かな衝撃を覚え、イプシロンは無我夢中で振り抜いた。

 高くボールは舞い上がる。

 

「なに!?」

 

 誰かの驚く声が聞こえる。

 だが、そんなものには取り合わずに、イプシロンは駆け出した。

 四つのベースを踏まなければシャドウに追いつけないからだ。

 イプシロンは一塁の手前まで来る。これを踏まなければ、そもそも一点も取れない。

 一点を確信し、イプシロンは一塁ベースを踏んだ。が、

 

「アウトー」

「えっ?」

 

 同時に、シータのアウトコールが響き渡る。

 シータの視線の先、見れば地面に突っ伏したベータがいた。

 そのベータは右手にボールを持ち、高く掲げていた。

 

「う、そ……」

 

 イプシロンは崩れ落ちる。

 

「天然に、負けた……?」

 

 そんな言葉が虚しく木霊した。

 

□□□

 

 三人目はベータ、ピッチャーはイプシロンだ。

 イプシロンの目は何故かギラギラと燃え盛っている。

 

「行くわよ! ベータ」

「う、うん」

 

 一打席目。ベータはシャドウの見様見真似で構える。因みに、右手と左手が逆だ。

 

「おぉぉらぁぁっ!!」

 

 雄叫びを上げながら、イプシロンがボールを投げる。普通の球だ。

 

「これなら……!」

 

 ベータはテイクバックをとり、振るのだが、なぜだか力が入らない。

 冗長なスイングは空気さえも切り裂かずに終着する。

 

「ストライクー」

 

 返球されたボールを捕ったイプシロンは勝ち誇った笑みを浮かべる。

 

「どうやら、役者が違うようね」

 

 それが気に障ったのか、ベータは頬を膨らました。

 

「それは、やってみないと分かりませんよ」

 

 ベータはシャドウの美しくも力強いフォームを思い出す。頭の中では、完璧にトレースできていた。

 ただし、右手と左手の順番は逆である。

 二球目。さっきと変わらない普通のボールだ。

 

「えいっ!」

 

 そしてこちらも冗長なスイング。またしても空を切るかと思われたバット。しかし、ミラクルが起きた。

 

「やっ!」

 

 突如として、ボールが失速し始める。イプシロンは既に体の力をほとんど使っていたのだ。

 そのボールの軌道と、完全にアッパースイングたるベータのスライムバットの軌道が、寸分違わずに合わさった。

 

「やったー!」

 

 転がったボールを見てベータは喜ぶ。跳び跳ねんばかりの勢いだ。

 だが、無情なことに、打ったベータの勢いとは反対に、ボールにはこれっぽっちも勢いがなかった。

 

「アウトー」

 

 結局、アルファが捕ってピッチャーに返しベータはアウトとなる。

 イプシロンは当然満面の笑みだ。

 

「ぐぬぬ……」

 

 ベータは眉を寄せて考える。

 

「フォームも、力の抜き差しもシャドウ様と同じはず……何が足りないというの?」

 

 それは勿論、バットの持ち方である。

 そんなことにも気が付かずに、二打席目が始まる。

 結果は言うまでもない。平凡なピッチャーフライと相成った。

 だが、先程とは対照的にイプシロンは唖然としている。その視線の先には、ベータ──正しくは、彼女の胸があった。

 

「また、大きくなってる……?」

 

 先程、ベータが打つときに見てしまったのだ。その"揺れ"を!

 イプシロンは歯噛みする。

 そしてベータも、悔しさから歯噛みしていた。

 お互いが歯噛みし合っている珍妙な状況で、ベータの第三打席が始まった。

 一球目、二球目はベースの前でバウンドしてしまい、ボールとなる。

 三球目も同じ球であったが、ベータは振ってしまいストライク。

 四球目はバットにこそ当たりはしたが、根っこも根っこでどん詰まり。ギリギファールで首の皮一枚繋がった。

 そして、五球目に入ろうとしたときに、ベータはふと気付く。

 

「シャドウ様は、左手が下だった?」

 

 シャドウのフォームを完璧にトレースしていたつもりなのに、何故か打てない。

 だが、よくよく思い返してみれば、ベータのそれには違和感があったのだ。

 その正体にベータは遅まきながら気付いた。

 何度か軽く素振りをしてみる。

 

「こっちの方が打ちやすい」

 

 それが感想だった。

 

「……急に、雰囲気が変わったわね」

「もう今までの私じゃないですよ」

 

 マウンドとバッターボックスから、二人は見つめ合う。

 西から東へ流れる雲は形を変えて、広がった。どこか遠くから、遠吠えが聞こえてくる。

 イプシロンが足を上げた。それに合わせて、ベータもテイクバックをとる。

 イプシロンから放たれたそれは今までと同じ平凡な球──ではなく、それに少し毛が生えたものだった。

 ベータは完璧なタイミング、完璧な間合いで振り出す。

 

「甘いわね」

 

 それを見たイプシロンは笑った。

 そして、イプシロンが手をぎゅっと握ると同時にボールは失速する。

 

「ストライクー、バッターアウトー」

 

 ベータのバットは結局、何も捉えられなかった。

 

「どうして……」

 

 困惑するベータにイプシロンは笑みを浮かべる。そして、髪をバサッとかき上げた。

 

「ただ魔力を抜いただけよ」

「魔力を抜いた……?」

 

 イプシロンはもう何も語らない。ベータは考えてはみるも、その真意は測りかねていた。

 第四打席。

 イプシロンはまたしても、平凡に毛が生えた球を投げる。

 ベータは迷った。また失速するかもしれない。

 

「ストライクー」

 

 けれども、そんなベータの予想を裏切り、スーッとボールは通り抜ける。

 続いて二球目。

 球は同じだ。迷っていても仕方がないと、ベータは打ちに行く。

 すると、ボールは突然失速し始めた。

 

「ストライーク」

「もしかして……」

 

 ベータは顎に手を当て考える。

 ベータが振れば失速し、見逃せば変化がない。

 であるならば、誰かが見て、その場でボールを動かしているのではないか。その誰かとは勿論イプシロンだ。

 イプシロンは、魔力を抜いただけと言っていた。

 これらから考えられるのは、ボールには元々魔力を込めており、それを遠隔で操作し、抜いている可能性だ。

 そんなこと、普通はできない。しかし、『緻密』のイプシロンと呼ばれる彼女ならできるかもしれない。

 ベータは考えを纏めて、打席に入る。

 どうすれば打てるか。

 イプシロンは全力でボールを投げる。その球は平凡な球に毛が生えたようなボールだった。

 ベータはバットで打つことを諦めた。

 だから、バットを鉄板のように平べったくする。線で打てないなら、面で打てばいいのだ。

 奇しくも、この発想はイプシロンの変形バットから得たものだった。

 

「そんなのあり!?」

 

 失速するボールに、ベータの体は泳ぐ。体勢を崩されたベータは、しかし、最後まで体幹で粘り、ボールを打ち返した。

 

「デルタ!」

 

 イプシロンが叫んだ。

 ベータ打った球はライナーでデルタのいる方向へ飛んだのだ。

 デルタは地につく前に捕ろうと、突っ走る。

 

「貰ったのです……?」

 

 そうしていざキャッチしようとしたそのとき、ベータのボールは失速した。

 それは元々体勢が崩れていた上に、平べったいバットでは力が伝わりにくいからだ。

 

「あぅーっ!」

 

 前に跳んだデルタの下をボールが抜ける。デルタはそのままでんぐり返しをした。

 

「よし!」

 

 ベータは二塁を回り三塁へ。その間にカバーに入っていたアルファがボールに追いついた。

 

「イプシロン! 行くわよ!」

 

 アルファが恐ろしいまでの強肩でボールを投げた。その球はまさにレーザービーム。

 その時既に、ベータは三塁を回りホームへ走っていた。

 

「間に合えー!」

 

 ベータは叫ぶ。叫んで、頭から思いっきりジャンプした。ヘッドスライディングだ。

 それと同時にイプシロンがボールをキャッチする。

 砂けむりが舞い上がり、静寂が訪れる。全ての視線がシータに向いた。

 

「んー、じゃあアウト」

 

 その視線を受け、こくりと頷いたシータは宣言した。

 

「や、やったー!」

「えっ、ちょっとシータ!」

 

 天然と人工の二人は、正反対の反応をしたのだった。

 

□□□

 

 四人目のバッターはデルタ。ピッチャーはベータだ。

 一打席目。

 ベータは「シータ、しっかりジャッジしてください……」と未だに落ち込んでいた。

 

「ベータ! 早く投げるのですー!」

 

 そんなベータを見てデルタはぷりぷりと怒る。

 

「それではデルタ。いきますよ」

 

 ベータはシャドウそっくりのフォームでボールを投げる。一球目だ。

 そこそこの速さのボールは、綺麗な縦回転で走る。デルタは見るからに大振りで、めちゃくちゃなフォームで打ちにいった。

 

「ふふん」

 

 だが、それでも余りある才能があった。

 見事に捉えたボールは綺麗な放物線を描く。

 

「これは無理かなー」

 

 シャドウが全力で背走するも、追いつけそうにはなかった。

 

「早速一点ゲットなのです!」

 

 デルタは四足歩行で駆け出した。

 まず三塁を回り、二塁へ。二塁から一塁を回り、ボールが返ってくる前にホームインした。

 

「デルタ、やったのです!」

 

 ホームベースに立ってデルタはふんぞり返る。しかし──

 

「アウトー」

 

 シータは無機質な声でアウトコールをした。

 

「えっ!! どうしてです!?」

 

 デルタはシータの肩を掴み、がくがくと震わす。シータは為されるがまま、行雲流水の如しだ。

 

「だってデルタ、逆走してたもん」

 

 ギャーギャーうるさいデルタにシータは迷惑そうな顔をして言う。

 

「逆走? デルタが?」

 

 訳がわからないとばかりにデルタは首を傾げる。

 

「どっちに走ろうとデルタの勝手なのです。弱いやつがデルタに指図するな」

「はぁ……デルタ。そういうルールなんだから」

「あ、アルファ様!」

「いい? 打ったら右に走るのよ。み、ぎね」

「分かったのです……」

 

 デルタはしょんぼりとして頷いた。

 

「デルタ、いきますよ」

 

 二打席目。

 ベータの投げたボールをデルタは完璧に打ち返した。しかし、先程のような勢いはなく、シングルヒットに留まった。

 三打席目。

 一球目、二球目はかなり外れた球を振り、一気に追い込まれる。

 続く三球目もボール球であったが、流石に学習したのか、デルタは見逃した。

 

「うぅー……デルタは待てが苦手なのです……」

 

 四球目も見逃したデルタはそう呟く。

 しかし、五球目も外れてボールであった。

 

「ベータ! お前わざとやってるな?!」

「これは戦いですよ」

 

 デルタがベータを睨む。対してベータも睨み返した。

 そして六球目。

 インコースギリギリに、ベータはボールを投げた。

 その球をデルタは「ようやく来た!」とばかりに思いっきりひっぱたこうとした。

 

「ゼータ、お願いします!」

「任せてよ」

 

 金色の尻尾を揺らして、ゼータは落下地点に入る。そして何の苦もなく背面キャッチをした。

 

「これであと一打席──」

「デッドボールー」

「──えっ?」

 

 シータのコールにベータは驚く。

 なぜなら、確かに"打球"は飛んでいたのだから。

 

「わうー、痛いのですー」

 

 しかし、デルタは尻尾にフーフーと息を吹きかけて撫でていた。耳も垂れ下がっている。

 

「あの、シータ。デルタはバット振ってましたよね?」

「さぁー」

「振ってたなら、ストライクデ三振になるのではないでしょうか?」

 

 最初にシャドウにされた説明では、デッドボールでも振ればストライクになるはずだ。

 ベータはそれを根拠にシータに問い詰めるが、シータはピンと来ていないようだ。

 

「審判の言うことは絶対。シャドーもアルファ様も言ってた」

「そ、それはそうですけど……」

 

 ベータはそう言われ渋々と引き下がった。

 現在、ランナーは一、二塁だ。

 四打席目。

 デルタはうー! と唸りながら打席に入る。かなりベータを睨んでいた。

 

「ベータ、覚悟するのです」

 

 デルタの纏ってるそれはもう殺気だった。歴戦の戦士ですら震え上がるほどの殺気。

 ベータは固唾を飲んだ。

 

「怖いけど……」

 

 ベータは覚悟を決めて、足を上げる。遠く理想のシャドウを意識して。

 

「がぁうぅぅっ!」

 

 ベータの投げた球をデルタは巨大で無骨なスライムハンマーバットで迎え撃つ。

 ジャストミートした当たりはまさに会心の一撃。凄まじいほどの爆音と共に、ボールが飛ばされる。

 

「わっ!?」

 

 そしてそのボールは一直線でベータ目掛けて飛んだ。

 ベータは反応が遅れるものの、先の経験からグローブだけは出していた。

 そのグローブによってボールは弾かれる。弾かれて、それでもまだ余力を残しているようだ。ベータの大きく後方へ落ちた。

 デルタは四足歩行で疾走する。既に二塁を回っていて、この時点で一点が確定している。

 

「そこを退くのです!」

「ちょっと!」

 

 三遊間の辺りで立っていたイプシロンに、デルタは突撃する。そのままもつれ合い、転がった。

 

「イプシロン! デルタの邪魔するな!」

「そっちからぶつかってきたんでしょ!」

「アウトー」

 

 そうして言い争いをしている間に、デルタはアウトとなる。

 シャドウを追い越せる機会をデルタは見す見す逃したのだ。

 そんなことにも気づかずに、デルタとイプシロンはしばらく言い争いをしていたのだった。

 




皆様はWBCは見ましたか。因みに作者は決勝は見逃しました。
WBCのアーカイブを見ていたから投稿が遅れたなんてことはありませんよ。いえ、本当に。


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幕間【祝WBC優勝】野球しよう! 後編

やっと書き終わった……!
長くなったり遅くなったりすみません。
ガンマの口調が難しかったです。


 五番目のバッターはガンマ、ピッチャーはデルタだ。

 一打席目。

 ガンマは先の四人よりもかなり大きいバットを持って打席に入る。

 

「思いっきり魔力を込めて、振る!」

 

 そのようなことを呟きながら、バットを構える。

 

「はん! ガンマなんて相手にならないのです!」

 

 機嫌を直したデルタが余計な一言を言い、セットポジションに入る。そして、ほとんど足を上げないクイックのようなフォームでボールを投げた。

 

「シュシュシュシュッ!」

 

 その球はただ速いだけの球だった。伸びもなければ、力強さもない。力で無理やり投げたられたものだ。

 そんなボールをガンマは謎の掛け声を上げながら、大振りで打ちに行く。無駄に魔力を込めた無駄の多いスイングだ。まさに力業。

 ここに力対力の戦いが始まる。

 

「ストライクー」

 

  結局、ガンマのバットにボールは当たらない。それもそのはずで、大振りな上にアッパースイングなのだ。これでは、当たるものも当たらないだろう。

 

「魔力を込めて──」

 

 自己暗示のように、ガンマは呟く。

 二球目。

 今度は大きく足を上げるデルタ。ピンと伸びたつま先は太陽の方を向いていた。

 そこから荒々しく踏み込み、やはり力で投げる。

 だが、放たれたボールは先のものよりも数段速い。

 ガンマが動き出す間もなく、キャッチャーミットに収まった。

 

「ストライーク」

「は、速い……!」

 

 ガンマの額を一筋の汗が流れる。

 普通に打てば振り遅れるだろう。

 三球目。

 ガンマはバットを力いっぱい握る。魔力もいっぱい込めた。

 デルタのめちゃくちゃなフォームからは、やはりかなり速いボールが放たれる。

 

「シュシュシュシュッ!」

 

 ボールが放たれるのと同時に、ガンマは振りにいった。 

 振り遅れるならば、その分早く打ち始めればいい。

 そんな至極単純な思考から生まれた戦い方だ。

 唯一問題があるとすればそれは──

 

「ストライクー、バッターアウトー」

「わぶっ!?」

 

 ──ストライクかボールかの判断をする前に打ちに行っているということだろう。

 ガンマはワンバウンドしたボールを見事に空振りした。

 

「へん! どうだガンマ! 参ったか?」

 

 デルタが威張るように腰に手を当ててふんぞり返る。

 

「いえ、まだまだここからよ!」

 

 ガンマは真剣そのものの眼差しでデルタを見つめる。

 

「へん! 何回やっても変わらないのです!!」

 

 二打席目。

 またしてもガンマは、リリースと同時にバットを振り始める。

 デルタのボールはまた数段速くなっていた。それでも、奇跡的にタイミングが噛み合った。

 

「やった! 当たったわ!」

 

 歓喜の声を上げるガンマ。その足のまま、駆け出す。

 だが、その足もすぐに止まった。

 

「アウトー」

 

 というのも、当たったとは言っても真芯ではなく、バットの先っぽに当たったのだ。

 先っぽに当たったところで力は伝わらない。結果的に、簡単なフライを打ち上げてしまったのだ。

 

「芯じゃないといい打球が打てないということかしら……中々難しいわ」

 

 ガンマはどうすればいいかを考える。けれども、良案は思い浮かばない。

 

「ガンマー! そろそろ降参してもいいですよー?」

 

 悪い笑みを浮かべるデルタ。

 次は三打席目だ。

 未だ何の案も思い浮かばないガンマは、それでも諦めずにバットを構えた。

 

「行くですよ!!」

 

 デルタは大きく足を上げて後ろに大きく捻る。その様はまさに『トルネード投法』と呼ばれるものだった。

 ガンマはまた、リリースと同時にステップし、打ちに行く。結局、これしかないのだ。

 けれども、ガンマは途中でスイングを止める。そして──

 

「いたっ!?」

 

 ガンマは大きく体が開いていたために、腹にボールが突き刺さった。

 

「デッドボールー」

 

 ガンマは腹を押さえて涙目になっていた。

 

「ガンマ大丈夫?」

「あ、主さま……」

 

 そんなガンマにシャドウが話しかける。

 

「気休め程度だけど」

 

 そして、ガンマの体を青紫の魔力が包む。糸のように細く、鋼のように力強く練られた魔力だ。

 それに包まれたガンマの体の痛みは次第になくなっていく。心なしか疲れも取れた気がする。

 

「あ、ありがとうございます!」

 

 だが、それよりもガンマの胸中には喜びが渦巻いていた。

 懐かしくも温かい青紫の魔力。それには生命が宿っていると言ったのはアルファだだっただろうか。

 

「ガンマにだけずるーい! デルタもデルタも!」

「いや、あれは治療だから。デルタは怪我してないでしょ?」

「わぅー」

 

 ガンマは感動に涙を流すも、それを拭う。そして、打席に立った。

 

「ガンマのくせに生意気なのです」

 

 嫉妬したのだろう。少し不機嫌そうにデルタが言う。

 だが、極限まで集中したガンマにはその言葉は届かなかった。

 四打席目。

 先程と変わらずに、ガンマは思いっきり、がむしゃらにバットを振る。

 けれども、今度は奇跡は起きずに、二回とも空を切るばかりであった。

 早々に追い込まれるガンマ。

 

「これで終わりなのです!!」

 

 獣の如きフォームから繰り出されるボールは荒れ狂う大波のように、荒々しいものだった。

 速さも伸びも、込められた魔力も今までで一番。宣言の通りに、デルタはこの一球で勝負を決めにきたのだろう。

 

「シュシュシュシュッ!」

 

 ガンマも今日一番の魔力を込めてバットを振ろうとする。

 しかし、そこでまたもや運命の女神はガンマに微笑んだ。

 

「うあっ!?」

 

 ガンマはステップをした足がもつれて、バランスを崩す。その結果、バットは元々ガンマの顔があった付近を通った。

 そして、荒々しいデルタのボールも、丁度そのバットの軌道上に進入してくる。

 

「メス猫! 行ったのです!」

「分かってるよ、ワンちゃん」

 

 ミラクルで当たった打球はぐんぐん伸びる。それはお互いがお互いの持てる全ての力を使ったが故の、二つ目の偶然だ。

 

「ぺぎゃっ!」

 

 バランスを崩したガンマは地面と熱い口づけをする。

 けれどすぐに起き上がり、一塁へ向かう。

 ゼータの頭を越えたボールは、点々とその先へ転がる。

 ようやくゼータが追い付いたときには既にガンマは二塁を回っていた。

 

「いくよ! バカ犬ッ!」

 

 ゼータは思いっきりボールを投げる。完璧な放物線を描いて、デルタの頭上を飛んだ。

 

「メス猫! どこに投げてるですか!!」

 

 デルタは一度屈んでからジャンプをする。一気に十数メートルを跳んだデルタは見事ボールをキャッチした。

 それとほとんど同時に、まるでコケただけのようなヘッドスライディングをして、ガンマは三塁に到達していた。

 少し遅れて、デルタは着地する。

 

「アウトー……だけど、ガンマは一点」

「ど、どうしてです!?」

「着地したとき、もう三塁に着いてたから」

「よく分かんないのです!」

 

 デルタはブンブンと首を振って、またシータの肩を揺する。

 その様子を見ていたガンマは、ようやく状況を理解すると、飛び跳ねて喜んだ。

 

「やったぁ! 嬉しい!」

 

□□□

 

 六人目のバッターはゼータ、ピッチャーはガンマだ。

 一打席目。

 左バッターボックスにゼータは入り、構える。ゆったりとした良い構えだ。

 ガンマはぎこちないフォームでボールを投げる。ふわんとした緩いボールだ。

 

「ボール」

 

 二球目。

 

「ボール」

 

 三、四球目。

 

「ボール」

 

 結局、一球たりともストライクが入らずに、ゼータは出塁した。

 

「ガンマ。ストライク入れてよね」

「うぅ……善処します」

 

 申し分なさそうにガンマは目を伏せた。

 二打席目。

 しかし、結局ストライクが入ることはなかった。

 ランナー一、二塁だ。

 

「申し分ありません」

「いいよ別に」

 

 ガンマは再び頭を下げる。

 ゼータはその様を見て、頬を搔いた。

 

「ガンマは投げるとき力を入れ過ぎだよ」

「えっ?」

「もっと力を抜いて、シータのミットだけ見てればいい」

 

 ゼータはそれだけ言ってバッターボックスに戻る。

 ガンマはその意味を咀嚼し、そしてアドバイスされていたことに気づく。

 ガンマは今一度頭を下げて、マウンドに戻る。

 三打席目。

 アドバイスのおかげか、先程よりも幾分マシになったフォームでガンマは投げる。

 依然として緩いボールではあったが、確かにストライクゾーンに入ってくる。

 

「悪いね、ガンマ」

 

 ストライクが入る。それは『最弱』のガンマにとって大きな進歩であろう。

 しかし、球威もコントロールも、『天賦』のゼータと戦うには余りにも足りない。

 『最弱』と『天賦』。悲しいかな。才能とは時として、いかようにも埋めがたい差を生み出してしまうのだ。

 ゼータの打球は大きく打ち上げられる。完璧な角度、完璧な力の込め方。それに風向き良好となれば、もはや長打は必然の産物と言えよう。

 

「メス猫なんかに、負けないのです……!」

 

 だが、その打球を追う影があった。デルタだ。

 デルタはボールとほとんど並走する勢いで走る。

 ボールを追っているはずなのに、ボールを見ない。今日野球を始めた少女がそれをするのだから、やはり彼女も天才なのだ。

 

「とどけぇーっ!」

 

 デルタはそのままボールに飛びついた。

 顔を背けたくなるほどの砂ぼこりが舞う。鉄のような硬質な香りがし、吹いた一陣の風がそれらを吹き飛ばす。

 

「うぅ……」

 

 地面に突っ伏していたデルタは、伸ばした左手を見る。

 硬い感触が手の中にはあった。

 

「捕ったー! 捕ったのです!」

 

 デルタはそう言って喜びの限りに走り回った。

 既に一塁を回っていたゼータは足を止め、不機嫌そうに鼻を鳴らした。

 

「よりにもよってデルタなんかに……」

 

 折角の良い当たりだったのに、とゼータは口の中で呟いた。

 そのゼータが打席に戻ろうとしたとき、

 

「や、やったわ! アウトが取れたんだわ!」

 

 ガンマの嬉しそうな声が耳に入ってきた。

 

「ガンマ、勘違いしないでよね。今のは、あのバカ犬がたまたま捕っただけ。私の負けじゃないから」

 

 少々強い言い方で、ゼータは言った。「それは分かってますわ」とガンマは返事をするも、嬉しそうな顔に変わりがない。

 それがまた、ゼータを苛立たせる。

 

「さぁ、さっさとやるよ。ガンマ」

 

 四打席目。一球目。

 ゼータは先程と同じように構えているように見える。しかし、見る人が見れば、構えに力が入っていることが分かる。

 対してガンマは、ゼータの教え通りに力を抜いて、投げた。

 緩い球だ。もう何回と見たそれに合わせて、ゼータは少し大振りで振る。

 

「次は越える……!」

 

 バットの真芯で捉える。快音を残した打球は、大きく右手に逸れて行った。

 

「ファールー」

「チッ」

 

 二球目。

 緩いボールに対しまたしても大振りのゼータは再びファールを打ってしまう。

 

「落ち着こう、私。スパイはスパイらしく、冷静に、冷静に……」

 

 尻尾を揺らして大きく深呼吸をする。

 するとどうだろう。少しずつ気持ちが落ち着いて来た。しばらくすれば、もうどうしてあそこまで苛立っていたかさえ、分からなくなる。

 

「よし」

 

 三球目。

 さっきよりもクリーンな視界でボールが見える。ゼータにはボールのその縫い目までくっきりと見えていた。

 

「今度こそ!」

 

 やはり完璧に真芯でボールを捉える。目の覚めるような高い音が響き渡る。

 ゼータの打球は地を這うようなライナー性の軌道で、弾丸のように鋭かった。

 

「アルファ!」

 

 その打球は丁度、シャドウとアルファの間へ飛ぶ。

 アルファは横っ飛びで更にグローブを伸ばすも、あと半球分足りない。

 

「だめ! 届かない!」

 

 それはアルファの悲痛の叫びであった。

 アルファの後ろには誰もいない。もし、ここでアルファが抜かれると、確実にゼータに一点入るだろう。ゼータの足なら二点──いや、三点にだって届くかもしれない。それだけは避けなければならないのだ。

 でも届かない。あと半球。言葉にすればその程度なのに、目に見えるその距離は途方もなく遠かった。

 アルファの横を通り過ぎたボールはその勢いのままバウンドし、尚も無人の荒野を突き進む。その間にゼータは二塁すらも回っていた。

 

「がぁぁうぅぅ!!」

 

 そこで、ようやくデルタが追い付いた。ゼータはまだ三塁へ到達していない。

 

「メス猫なんかに行かせないのですっ!!」

 

 デルタの叫びとボールの射出はほとんど同時。魔力の膨れはまたしても本日最高だ。十全に圧縮された魔力の威力は通常の数十倍となってボールを更に後押しする。

 

「ガンマ! 死んでもとりなさい!」

 

 一連の流れを見てることしかできなかったイプシロンが叫ぶ。

 

「ガンマならできます!」

 

 ベータも遅れて叫んだ。

 

「みんな……」

 

 ガンマは胸に手を当てぐっと力を入れる。

 

「任せてください!」

 

 グローブを前に突き出し、なんとも不格好な形でガンマは構える。

 そのグローブに、隕石のように重く圧倒的なボールが突き刺さる。ミチミチとグローブの革が悲鳴を上げていた。

 

「シュシュシュシュッ!!」

 

 ガンマは掛け声なのか悲鳴なのか不明な声を上げ、踏ん張る。吹き飛ばされないように足に、腰に力を入れる。

 

「だめ……!」

 

 まるで引きずられるかのように、ガンマはボールに押される。地面にはガンマの描いた二匹の蛇がいた。

 

「押し出される……!」

 

 ありったけの魔力を込めて、尚も押される。もうマウンドとされる範囲から片足ははみ出していた。

 

「ガンマ! 踏ん張れ!」

「──! 主さま……!」

 

 心が諦めに傾きかけていたときに、耳に飛び入る声があった。

 その声を聞けば心が踊り、その姿を見ればそれ以外の全てが見えなくなる。

 そんな、敬愛する主の声が聞こえた。

 

「ここで負けるわけには……ガンマ! 今が踏ん張りどころよ!」

 

 自身を叱咤し、気合いを入れる。

 技術も、身体能力も、才能も全て足りないのなら、気持ちで勝つしかないのだ。気持ちだけは誰にも負けない。

 そう、誰にもだ。

 

「───っ!!」

 

 歯を食いしばり、目を瞑る。前方に全ての力を集中させるのだ。

 

「アウトー」

 

 もはや無の境地となったガンマは目を開ける。

 もう、ボールに押される感覚はなかった。

 

「あーあ、残念。もう少しでシャドウ……主に勝てたのに」

 

 三塁とホームの間でゼータがつまらなそうに伸びをするのが見えた。

 しばらく呆然としていたガンマはその場に座り込む。どっと疲れが押し寄せた。

 

「よかった」

 

 そしてそのまま意識は暗転する。遠くでガンマの名を呼ぶ声が聞こえるが、体はもう動かなかった。

 

□□□

 

 僕は気絶してしまったガンマを木陰で休ませ、試合を再開させようとした。

 ……したのだが、七人目のイータの姿が見つからない。

 

「あれ、イータは?」

「そういえば見てないわね」

 

 仕方がないので軽く周囲を探るが姿はない。

 

「シャドー、どうする?」

「いないんじゃ仕方ない。イータは不戦敗として、アルファの番にしよう」

「ピッチャーは?」

「ゼータでいいんじゃないかな?」

 

 そんなわけでイータは0点扱いとなった。

 イプシロンが「まったく……」と呟いたのが、何となく印象的だった。

 

□□□

 

 アルファは打席に立ち、ピッチャーのゼータを見る。

 正直に言えば、ピッチャーがゼータになったのはアルファにとって逆風だ。イータとゼータ、どちらの球が打ちにくそうかは言うまでもないだろう。

 

「ふふん、アルファ様。手加減はしないよ」

「えぇ、分かっているわ。そしてそれはこちらも同じよ」

 

 一打席目、一球目。

 ゼータはノーワインドアップ投法で投げる。右投げなので左足を後ろに下げ、反動を付けて大きく体を使うのだ。

 そこから繰り出されるボールは力強くはないが、しなやかで伸びていて、そして何より綺麗だった。

 アルファは積極的に打ちに行く。

 

「ファールー」

 

 少し感覚のズレがあったのか、ボールはチップして後方へ。

 

「流石アルファ様。次は打たれちゃいそうだね」

「その余裕……まだ何かあるのかしら?」

 

 ゼータは何も言わずに左足を下げる。

 それに合わせてアルファもテイクバックを取った。

 二球目。

 ゼータは先程と全く同じフォームだ。ステップも、腕の振りも変化はない。

 だが──

 

「横回転!?」

 

 そのボールは伸びるどころか逆に失速していく。それと同時に斜め下へゆっくりシフトする。

 そのボールは既に振り始めていたアルファには、どんどん遠くなっていくかのように感じられる。

 自然、体はバランスを崩し、泳いでしまう。

 

「しまっ……!」

 

 バットの先端に当たったボールはバコッという音と共に、前へ飛ぶ。

 

「ふふん。まず一つ」

「アウトー」

 

 アルファはピッチャーゴロに討ち取られてしまう。

 

「もうアウトになれないわね」

 

 現在のトップは二点でシャドウとゼータのツートップだ。それに勝つには三点が必要なのだ。

 二打席目、一球目。

 ゼータがボールを投げる。

 アルファは深い集中に身を落とし、ボールの行く末を観察する。

 ボールは縦回転。間違いなくストレートだ。

 遠くで何やら大きい音がした。

 

「これでおあいこね」

「なっ……!」

 

 真芯で捉えたボールはフェアゾーンギリギリを超速で突き進む。

 

「バカ犬! 捕れ!」

「メス猫がデルタに指図するなっ!」

 

 フィールド内を自由に動き回るデルタ。しかし、流石にライン際まではカバーできなかった。

 

「抜かれたのです!」

 

 デルタの抜かれたボールをベータが追う。アルファは二塁を回っていた。

 

「ベータ! こっちよ!」

「イプシロン……えい!」

 

 随分奥まで転がったために、イプシロンが中継をする。イプシロンはボールを受け取ってゼータへ投げた。

 

「アウトー」

 

 結局、アルファは三塁打となった。

 

「してやられたね」

 

 ボールを手で弄び、ゼータは笑う。まだ何か隠し持っているのだろう。そこには余裕が垣間見えた。

 そして、三打席目──に入ろうとしたときだった。

 

「あれ……私の出番……終わってる……?」

 

 グラウンドの端っこからイータがやってきた。

 

「い、イータ! あなたどこで油売ってたのよ」

「ちょっと……やりたいことが……あって…………それより……ピッチャー……やりたい」

「え? イータが運動を?」

 

 イプシロンは口に手を当て、驚いた。イータは頷く。

 

「ゼータはそれでいいの?」

「別にいいよ、主。丁度野球にも飽きてきたところだったしさ」

 

 ゼータはボールを地面に置き、手を振ってマウンドを下りる。

 

「やった……」

「ちょ、イータどこに行くのよ!?」

 

 イマイチ喜んでいるのか分からないイータはフラフラとした足取りで森の奥へ消える。

 一同がしばらく待っていると、イータは車輪の付いた"箱"を押して戻って来た。

 その箱は何かの金属を溶接したもので、塗装がないため無骨だ。形は丸まればイータが入りそうな立方体だ。その立方体に、筒状の棒が突き出ている。

 

「戦車かな」

 

 とはシャドウの言葉だ。

 

「イータ、それはなに?」

 

 イプシロンが呆気にとられて聞く。イータは自慢げに腕を組んだ。

 

「魔力で……ボールを飛ばす……マシン…………『投げるくん一号』」

「投げる……くん?」

 

 静まり返る中、アルファの手を叩く音が響いた。

 

「続きを始めましょ」

 

□□□

 

「できた」

 

 イータのセッティングが終わる。

 アルファの三打席目だ。

 

「いつでもいいわよ」

 

 イータは頷き、マシンに魔力を込める。

 ガタガタとマシンが揺れたと思った直後──

 

「むっ!? ……ストライク」

 

 高く大きな音を立て、シータのミットにボールが収まった。

 

「手が痛い」

 

 シータはグローブを外して、フーフーと息をかける。

 

「……速いわね」

 

 影は見えたが、回転までは見えなかった。

 

「アルファ様……次」

「えぇ、準備はできてるわ」

 

 二球目。

 ゴトゴトとマシンが揺れる。アルファは発射口を凝視する。

 

「むぅ……ストライク」

 

 シータは顔を顰める。相当衝撃が強いようだ。

 

「見えるけど……」

 

 体が追いつきそうにない。

 アルファは眉を寄せて考える。

 

「次……行くよ」

 

 三球目。

 イータが魔力を込めている間にアルファはテイクバックを取る。

 そして、発射口を見つめる。

 

「来た……!」 

 

 そう言うや否や、ステップし打ちに行く。遅れてボールの発射音が響いた。

 

「くっ……重い!」

 

 それでもやや根っこで捉える。バットを押される感覚を覚えながらも振り切った。

 

「わっ! こっちに来た!」

 

 イプシロンは速い打球に備えて一歩目が遅れた。それでも、何とかボールを捌く。

 

「行くわよイータ」

 

 アルファはアウトになるまいと走る。それでも、ベースは思っていたよりも遠かった。

 ボールは既に、イータへ投げられている。ベースはまだ遠い。

 

「あっ……」

 

 イータが呟く。

 ここまでほとんど野球をしてこなかったからか。イータはイプシロンからのボールをエラーしたのだ。

 

「行ける……!」

 

 それを見たアルファは一か八か跳んだ。一塁へヘッドスライディングだ。

 イータがボールを拾ったのはアルファがベースに着くのとほとんど同時だった。

 

「うーん…………セーフ」

 

 目を凝らしていたシータ。しばらく唸って悩んだ末に、そう宣言した。

 

「まずは一点」

 

 アルファは服に着いた砂をパタパタと払う。黄土色の砂ぼこりが霧のように浮かぶ。

 

「さて、最後の打席ね」

 

 アルファの四打席目。ランナーは一塁だ。シャドウとゼータに追いつくには三塁打。追い越すにはホームランしかない。

 アルファはぎゅっとバットを握りしめ、ふぅー、と長く息を吐く。

 

「まさか……打たれるなんて……思わなかった…………魔力……もう少し……込められるかな?」

 

 イータは先程よりも遥かに多い魔力を注ぎ込む。そのときの彼女の顔は、プレゼントを開ける子どものように輝いていた。

 ゴオー、と大きな騒音をマシンはまき散らす。ガタガタと揺れるのが傍目に見ても分かる。

 

「決め打ちではホームランにはならない。しっかり見てからじゃないと」

 

 いつでも動き出せるように若干前に重心を置く。

 

「発射っ……!」

 

 楽しそうなイータの声。アルファはテイクバックを取りながら、静観する。

 

「むぅー……ストライク」

 

 不満そうに頬を膨らましたシータがコールする。

 やはり遅れて発射音がした。

 

「かろうじて見えはする……けど、それだけでは打てないわ」

 

 ベースをバットで叩き、構える。打開策は見当たらない。

 それでもアルファに諦めるという文字はない。なぜならアルファは『七陰』の第一席アルファなのだから。

 その矜持が常にアルファに前を向かせるのだ。

 

「魔力込めても……思ったより……速くならない…………どこかで……頭打ちが……ある?」

 

 イータは不満げに口を尖らせた。

 それでも、また膨大な量の魔力を込めている。

 マシンがガタガタと揺れる。次第にその振れは大きくなっていき──

 

「っ──!」

「むむぅ……ストライク」

 

 射出されると同時にアルファはバットを振る。無駄な魔力は省いて研ぎ澄まし、最短距離でバットを出した。

 そこまでしても、僅かボールの下を掠っただけでボールはキャッチャーミットに収まった。

 

「どうすれば打てるというの?」

 

 無駄を全て省いても届かない頂き。その事実は自然と"彼"を連想させる。

 そして、その想像で容易く心が縮んでしまう。

 

「駄目よ、アルファ……何か方法があるはず」

 

 あのマシンは"彼"ではない。たとえ"彼"であったとしても、その事実が近付こうとする努力を怠っていい免罪符にはなり得ないのだ。

 アルファはシャドウの方を見る。シャドウは何を考えているのか読めない表情で、アルファのことを見ていた。

 

「何がなんでもやるのよ、アルファ」

 

 深く息を吸って、打席に入る。

 バットを最大限短くし、予め打ち出す位置に置いておく。ガタガタとマシンが揺れ始めれば、すぐにテイクバックを取った。

 やれることはやった。単純な速さには、こちらも速さで勝負するほかないのだ。

 全ての無駄を省いて、振り出しからボールとの接触までの時間を極限まで切り詰める。

 

「これで……最後」

 

 ボールが放たれる。姿は見えない。見えないが、影は捉えた。

 

「そこよ!」

 

 限界まで無駄の削ぎ落とされた完璧なフォーム。バットはボールの軌道上にピタリと置かれる。

 

「へーすごいね」

 

 "彼"の声が聞こえた。しかし、その内容を理解する前に、衝撃と快音が訪れる。

 

「完璧に……打たれたっ……!」

 

 悔しそうにイータが呟く。アルファはバットを投げ捨て駆け出した。

 打球はやや低めの弾道で飛ぶ。そのボールを追うのはデルタだ。

 

「ここでアルファ様のボールを取って、呼び捨てにしてやるのです!」

 

 獣のように駆けるデルタの速度はボールと同等クラス。このまま落ちてくればキャッチすることができるだろう。

 そう考えたデルタは捕球姿勢に入るが──

 

「まだ伸びるです!?」

 

 ボールは落ちる気配がない。慌ててデルタは反転し、更に追うが、そのロスは大きかった。

 

「落ちたわ……!」

 

 二塁手前まで来ていたアルファは安堵の吐息を漏らす。

 デルタの予想を越える程飛んだのには二つの理由がある。

 一つは単に、アルファの魔力がずば抜けていて、尚且つバックスピンがかかるフォームであったこと。

 もう一つは、イータのマシンボールが規格外に速かったことだ。野球は基本、速い球程遠くに飛ぶ。三百キロも出せば、バントでホームランも夢じゃないのだ。

 

「デルタ! こっちだ!」

「ボス!」

 

 かなり奥深くまでボールを捕りに行ったデルタ。マウンドまではかなり距離がある。

 その中間地点でシャドウがカットに入った。デルタはシャドウに投げる。

 

「まずいわ。ピッチャーマウンドにはイータしかいない」

 

 イプシロンは焦ったように呟く。さっきのふわりとしたボールですらイータはエラーしたのだ。シャドウの超速球を捕れるはずがない。

 

「任せて」

 

 そんなイプシロンの心配をよそに、イータの前にゼータが立つ。

 実はゼータは、シャドウがカットに動いたのを見て、マウンドに移動してきていたのだ。

 

「主!」

 

 万歳するように両手を広げてシャドウを呼ぶ。もう、アルファは三塁を回っている。

 シャドウの周りに青紫の魔力が立ち込める。そして大きくステップし、爆発的な魔力を込めてボールを放った。

 

「速い……!」

 

 アルファはその様を見ていて絶句する。どうすれば、あれ程の魔力を練れるというのだろう。ボールの速度はイータマシンのそれにも目劣りしない。

 

「間に合って……!」

 

 決死の覚悟でアルファはスライディングする。

 それに僅かに遅れてゼータがシャドウのボールを受け止めた。

 激しい静寂の中、全ての視線が一点に集まる。

 その視線の先にいたシータはこほんと咳払いをする。

 

「セーフ……多分」

「──っ!」

 

 アルファは安堵に体の力が抜け、そのまま地面に大の字になる。

 見上げた空はいつもより青く見えた。

 

□□□

 

「アルファ、それにみんな楽しかったよ。ありがとう」

 

 試合の片付けも終わった頃、シャドウはそう言って足早に立ち去った。去り際に「姉さんに怒られるかな」とも言っていた。

 因みにガンマは寝たままだ。

 優勝は三点でアルファ。

 二位は同立でシャドウとゼータだった。

 アルファは試合の熱もそのままに、わいわい騒ぐ『シャドーガーデン』の面々を眺める。

 

「偶には、こういうのもいいわね」

 

 アルファはそう言って笑った。

 




本編は今日中に出したいのですが、気力が持つかは不明なので期待せずに待っていてください。


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"ラウンズ"は吸血鬼の集まりなのかしら?

要約すれば原作と大体同じです。


 その夜はとても静かであった。

 各家々に灯る明かりがまるで、夜空に浮かぶ星のように輝いている。

 アイリス・ミドガルは王城の一室から夜景の美しい街を見下ろしていた。

 その胸中に浮かぶのは一人の妹の顔だった。

 

「いかがされましたかな? アイリス王女」

 

 少し物思いに耽っていたアイリスに、柔らかい声がかけられた。

 

「いいえ。何でもありません」

 

 アイリスは首を振って、ゼノンの対面に座る。

 ゼノンは白い湯気の立ち上る紅茶に角砂糖を二つ入れ、銀色のスプーンでゆっくりかき混ぜた。

 

「改めまして、妹──アレクシアとのご結婚おめでとうございます」

「ありがとうございます。アイリス王女」

 

 ゼノンは紅茶の香りを嗅いで、一口だけ飲んだ。

 

「もう五年になりますね」

「あぁ、もうそんなに経ちましたか」

 

 過去を振り返るように、アイリスは話す。対してゼノンの反応はどこか薄いものだった。

 

「王都ブシン流がここまで広まったのも、アイリス王女のお力があってこそ。素晴らしい弟子を持つのは師の誉れですよ」

「ありがとうございます」

 

 昔から見ている笑顔、何度も聞いた声だというのに、アイリスにはその言葉がどこか空虚なものに思えてしまう。

 どこか遠く、ここじゃない別の場所を見ながら、ゼノンは話しているみたいだ。

 

「妹……アレクシアの様子はどうですか?」

「彼女は──」

 

 アイリスはゼノンの顔をじっと見る。それはまるで紙面の裏にある文字を見通そうとするかのようであった。

 その視線を受け、しかしゼノンは朗らかに笑った。

 

「大変元気で健康ですよ、アイリス王女。少々つっけんどんなところがありまして困ってはいますがね」

「そうですか……それは妹が失礼をしました」

「いえいえ、そういった溝も今後埋めていければと思っておりますよ」

 

 話が途切れたところで、ゼノンはふと時計に目をやる。

 

「おや、もうこんな時間ですか。失礼、アイリス王女。この後用事があるので私はここで」

「えぇ、雑談に付き合っていただきありがとうございました。お気をつけて」

 

 ゼノンは立ち上がって礼をし、扉から退室をする。

 アイリスは窓辺に再び立って街を見下ろした。アイリスの胸で何とも言えない胸騒ぎが産声を上げていた。

 

□□□

 

 長い停滞とは得てしてあらゆる感覚を麻痺させるものだ。どのくらいここに拘束されていたのか、今の自分の状態でさえはっきりとは分からない。

 アレクシアの虚ろな瞳は天井か、はたまた遠い過去か、いずれにせよ虚空を見つめていた。

 

「静かね」

 

 アレクシアは呟いた。その呟きにジャラッと鎖の音が反応する。

 

「あなたも大変ね」

 

 虚空を見つめたままアレクシアは言う。

 あの白衣の男はアレクシアから血を抜き、感情のままに罵詈雑言を浴びせあの化け物を蹴っていた。

 ジャララと鎖の音がする。しかし、それっきり静寂が訪れる。街を彩る喧騒も、退屈な先生の話もここまでは届かない。

 

 それから更に、どのくらい経ったか。唐突に扉が開き、白衣の男が入ってくる。

 

「時間がないっ! あいつ、突然費用を打ち切るだなんて言ってっ!」

 

 男はガシガシと頭を掻きむしる。汚いフケが辺りに飛び散った。

 アレクシアは何か変化があったのだろうかと期待を胸に抱いた。

 

「ご機嫌よう。何かあったのかしら?」

「血、血がないと……!」

 

 男が最早見慣れてきた注射を取り出す。何も変わらない状況に、アレクシアの儚い希望は打ち砕かれた。

 

「はぁ、あまり抜き過ぎないでくれると嬉しいわ。まだ死にたくないもの」

 

 アレクシアの腕に針が刺さる。透明なシリンジには見る見る間に赤い液体が溜まる。

 一本、二本と使われた注射器が増えていく。

 

「血はいっぱい欲しい……けど、今必要なんだぁ! は、は、早くしないと、時間がぁ……時間がない」

「それは困ったわね。でも死んじゃうともう取れないのだから、ほどほどにしておいた方がいいわよ」

「わ、分かってる。ひ、ヒヒ、死なないギリギリでや、止めるから」

「えぇ、そうして頂戴」

 

 三本、四本とどんどん注射器は増える。それに合わせてアレクシアの意識は混濁し、不鮮明になっていく。

 心なしか、部屋の気温が下がった気もする。

 

「ヒヒ、も、もっと──」

「それは困るな」

 

 白衣の男が五本目の注射器に手を伸ばしたときだった。開いた扉に寄りかかる影が白衣の男に声をかける。

 沈んでいたアレクシアの意識が徐々に浮上する。

 

「なっ、ど、どうしてここに!?」

「それはここが私の施設だからだよ。忘れたとは言わせないよ」

 

 新しく来た声の主が剣を抜く。白衣の男は持っていた注射器を落とし後退る。パリンと音を立てて注射器が割れた。

 意識がはっきりしてきたアレクシアは目を開ける。

 

「あなたは……!」

 

 声の主は剣を振る。紙でも切り裂くように白衣の男は切られ、断末魔を上げた。

 だが、その断末魔が不快にならないほどの驚きがアレクシアを呑み込む。

 

「──ゼノン・グリフィ。ここがあなたの施設ってどういう意味かしら?」

「そのままの意味だよ。アレクシア」

「気安く呼ばないでくれるかしら? この国の王女を拘束しといて、まだ婚約者でいられるつもり?」

 

 小馬鹿にしたようにアレクシアは鼻で笑う。対して、ゼノンも何も分かってないとでも言うように、首を振って薄い笑みを浮かべる。

 

「君はこれからしばらく、体調不良で表舞台からは姿を消すことになる。周りがどう思おうと関係ないさ。誰も与えられた真実しか見れない、誰も隠された真相には気づかないのだから」

「何を言ってるの? たかだか剣術指南役にそんなことができるとでも思っているのかしら?」

「剣術指南役? そんなくだらない地位なんてどうでもいいさ。私は君の血と、そこの男が残した研究成果でラウンズの第12席に内定するんだ」

 

 アレクシアはちらりと地面に伏す男に目をやる。

 恐らく研究に全てを懸けて全てを失った哀れな男だ。だが、同情の余地はない。

 興味を失ったアレクシアはゼノンを見る。ツンとした鉄の香りが鼻をくすぐった。

 

「ラウンズ? 狂人たちの集まりかしら?」

「教団の選び抜かれた十二人の騎士ナイツ・オブ・ラウンズ。地位も名誉も富も、これまでとは比べ物にならないほど手に入る。礼を言うよ、アレクシア」

 

 大仰に手を広げてゼノンは笑った。

 

「さてと、もう時間がない。奴らが来る」

「奴ら?」

「あぁ。小規模拠点をいくつか潰していい気になっている奴らさ」

「あー、その"奴ら"が怖いのかしら? ラウンズさん」

 

 ゼノンは小さく笑う。

 

「万が一にも僕が負けるなんてことはあり得ない。けれど、もし君が傷つけられるようなことがあってはいけないからね」

「実にロマンチックなセリフね。吸血鬼に言われたのでなければ、惚れていたかもしれないわ」

 

 アレクシアが皮肉げに言うと、ゼノンはやれやれと肩を竦めた。そして、布に何やら薬品を染み込ませる。

 

「まぁそんなわけだから、君には眠って貰うよ」

 

 アレクシアは目を瞑る。はてさて、次はどんな施設に連れてかれるのやら。

 諦めの境地に達していたアレクシアの耳にコツコツという足音が聞こえてきた。

 そして、その足音は扉の前で止まる。

 

「少し、遅かったみたいだ」

 

 アレクシアは目を開けた。

 そこには漆黒のロングコートを纏った男が立っていた。

 




シドくんが五日間拘束されなかったので、その分研究できなかった白衣の人。更にゼノンの都合で研究費を打ち切られてしまい、原作よりも踏んだり蹴ったりです。


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"最強"を見せてやろう

誤字修正、もうパート3くらいです。疲れてるのかな?


 

「定刻になりました」

 

 構成員の一人がそう告げた。

 アルファは高くそびえ立つ時計塔の上から街を見下ろす。長く綺麗な金色の髪は風にさらわれ、流された。

 

「静かな夜。まるで何も事件なんて起こっていないようだわ」

「そうですね」

 

 デルタにも、やり過ぎないように十分に言い含めておいた。それでも少し不安が残っていたが、杞憂で終わって何よりだ。

 

「ベータ様はシャドウ様に付いているようです」

「そう。彼はどこに?」

「それが……」

 

 構成員の彼女は少し言い淀んだ。

 

「そんなところに……いえ、きっと何か考えがあるのでしょう。私たちも予定通りに動くわよ」

「かしこまりました」

 

 アルファはもう一度だけ街を見下ろし、闇の中へと消えていった。

 

□□□

 

 怪しい組織の拠点と言えば地下水路だ! みたいなノリで来たわけだけど、見事に当たりだったみたい。

 僕は見張りであろう盗賊を斬り伏せ、長い廊下を進む。

 カツカツと無機質な音が一定のリズムで響く。静かな夜だ。

 

「シャドウ様。あちらに──」

 

 ベータの指差す方を見れば、扉の開いた部屋があった。中からは蝋燭の光が漏れ出ている。

 誰かいるのかな?

 

「ベータ、下がっていろ」

「はい」

 

 ベータは一礼して消える。気配を探れば少し離れた後ろにいるみたいだ。

 いや、本当に久々の実力者プレイだ。心が踊るね。

 僕は口元に微かに笑みを湛える。その笑みはプレイの一環でもあり、また、本心の発露でもあった。

 

「少し、遅かったみたいだ」

 

 僕が扉に背を預ければ、聞き覚えのある声がした。

 確か彼は──

 

「ゼノン・グリフィ」

「その通り。"次期ラウンズ"ゼノン・グリフィさ。君が教団に噛みつく野良犬だね?」

 

 ゼノンは余裕の笑みを崩さずに、僕に向き直る。ゼノンの剣先が僕の方を向く。

 

「あなたは……」

 

 高まりつつある緊張感の中、ゼノンの背後から女の声がした。

 これまた、聞き覚えのある声だった。

 って、アレクシアじゃないか。こんなところで何してるんだろう?

 

「我が名はシャドウ。今宵、裏に落ちた陰を狩りに来た」

「雑魚ばかり相手にして増長したみたいだ。しかし、残念だったね。教団の主力はここにいる」

 

 ゼノンがアレクシアのいる台の前に立ち、剣を構える。

 そういえば、ゼノンとアレクシアは結婚するんだっけ?

 ということは、アレクシアが拘束されてるのも、そういうプレイなのかもしれない。

 ここはその秘密を守るための拠点──悪いことしたかな?

 

「────」

 

 ちょっと気が削がれた僕は、ドアから背を離す。

 そのときに見えたアレクシアの瞳は僕に警戒こそすれど、ゼノンに対して敵対心を隠せないでいた。

 なるほど。アレクシアは無理矢理拘束されているのか。ゼノンのことも嫌いみたいだし、遠慮はいらないみたいだ。

 

「次期ラウンズ、ゼノン・グリフィ」

「シャドウ」

 

 互いに名乗りを上げて始まる戦い。うん。かっこいいね。

 僕はゼノンの剣を当たるギリギリで胸を滑らすように躱す。続く払いも、剣先が当たる寸前で避けた。

 僕は腕を組み、ゼノンを見る。

 

「少しはやるみたいだ。ならば……っ!」

 

 ゼノンの魔力が爆発的に高まる。その高まりが大気を、部屋を揺らす。

 悪くない魔力だ。

 でも、それだけじゃアルファたちにだって敵わないよ。

 

「見せてあげよう。これが、次期ラウンズの力だ」

 

 膨大な魔力の奔流と共に、超速の白刃が煌めく。普通なら防ぐことすらままならないだろう。

 けど、その刃が僕に届くことはなかった。

 

「なっ……!?」

 

 ゼノンは驚き固まる。

 いいねぇ、その表情。

 

「それで、教団の主力とやらはどこだ?」

 

 僕はゼノンと背中合わせで立つ。彼の表情が苦痛に歪むのが手に取るように分かる。

 ゼノンは振り向きざまに剣を薙ぐ。

 

「バカなっ!?」

 

 けれど、またしても剣は僕に当たらない。机の上の蝋燭が切れ、床に落ちる。

 僕は腕を組んだまま、壁に寄りかかる。

 ゼノンは動揺を隠せない顔で僕を見つめる。

 

「来ないのか? 次期ラウンズ」

「な、舐めるなァァァッ!」

 

 ゼノンは叫び吠えて、剣を薙ぐ。僕はスライムソードを作り出し、それを受け止める。

 

「──っ!」

 

 ゼノンが烈火の如く連撃を繰り出す。刃と刃がぶつかり合い、激しい火花が散る。

 一見すれば両者は互角。けれど、ゼノンのその表情が全てを物語っていた。

 

「凡人の剣……」

 

 そんな呟きが聞こえる。

 

「アァァァァッ!」

 

 必死の形相でゼノンは吠える。

 

「ふん。所詮は児戯か」

 

 僕はゼノンの袈裟斬りを最小限の動きで躱し、距離を詰める。そして、下から来るつばめがえしもほとんど動かずに避けた。

 

「ぐほっ……!」

 

 ゼノンの腹に蹴りを入れ、吹き飛ばす。ゼノンは壁に叩き付けられ、無様にも這いつくばった。

 

「無様だな。次期ラウンズ」

「……っ!!」

 

 ゼノンが歯を食いしばる。

 

「貴様、一体何者だ!? それだけの力がありながら、どうして正体を隠す!?」

 

 それは悲痛な叫びだった。そして、同時に無力故の叫びであった。

 

「貴様が知る必要はない。我らは陰を狩るだけだ──今はまだ、な」

 

 僕は悲哀の籠もった声で告げる。 

 まぁ、何も悲しみとかはないんだけどね。

 

「フフッ、ククッ、いいだろう。貴様が、貴様らがその気だと言うのなら、私もそれに応えようじゃないか」

 

 そう言って、ゼノンが懐から怪しい錠剤を取り出す。赤い錠剤だ。

 

「覚醒者3rd」

 

 ゼノンがそれを飲むと同時に、凄まじい程に魔力が膨れ上がる。その膨張が暴風を生み出し、室内を荒らした。

 筋肉は引き締まり、目は充血する。毛細血管は体表に浮き出て、別人のようだ。

 

「最強の力を見せてやろう」

「──」

 

 最強。その言葉に、僅かに僕は苛立つ。

 技術とフィジカル。どちらかしか選べないとすれば、僕はフィジカルを選ぶ。

 だが、フィジカルだけでは最強とは呼べない。

 僕の信じる『陰の実力者』は最強であり、技術では決して負けてはいけないのだ。なぜなら、技術は努力の結晶であり、技術の敗北は努力の敗北だからだ。

 ゼノンは今この瞬間、確かにフィジカルでは僕を上回ったかもしれない。

 けど、技術は僕には及ばない。そして、突然増えた魔力を上手く扱えるとは思えない。

 そんな状態で"最強"を語るゼノンに僕は苛立っていた。

 

「醜いな……」

「醜い……」

 

 僕とアレクシアの声が重なる。初めて意見が一致したかもしれない。あんまり話したこともないけど。

 

「醜いだと?」

 

 ゼノンから笑みが消える。

 

「その程度で"最強"を語るな。それは"最強"への冒涜だ」

「貴様ッ!」

「借り物の力で最強に至る道は、ない」

 

 僕の周囲に青紫の魔力が現れる。それは緻密に力強く練られている。

 ──あまり派手にやり過ぎないようにして。

 

「分かってるよ、アルファ」

 

 本当は『アイ・アム・アトミック』を打ちたかった。

 けど、アルファにも事情があるのだろう。わざわざ『シャドーガーデン』の設定まで使って用意していたのだから。

 僕はここまで良い舞台を用意してくれたアルファへの感謝も込めて、『アイ・アム・アトミック』を使うのを止める。

 

「な、なんだ。その魔力は……!」

 

 ならばせめて、最高の"力"と"技術"を見せようじゃないか。

 アレクシアよ、これが『剣の頂き』だ。

 僕は全ての魔力を剣に集中させる。そして、今日一番綺麗な剣を振るった。

 

□□□

 

 それは、今まで見たこともない程に完成された剣だった。

 無駄を削ぎ、数多の修練を重ね続けた悠久の剣──それが、かつてアレクシアの信じた『凡人の剣』と同じであった。

 断末魔を上げる暇すらなく、ゼノンが倒れる。

 漆黒を纏った男──シャドウは剣に振って、血糊を落とす。

 そして、部屋の奥、化け物のいる方を見た。

 

「哀れだな……」

 

 それは悲しみを孕んだ声だった。

 シャドウは高々と剣を上げる。

 ジャララと鎖の音がする。

 

「今は静かに眠るがいい」

 

 先程とは違い、優しい魔力が剣を包む。

 振り下ろされた剣に当たり、化け物が魔力に包まれた。

 光で一瞬見えなくなり、目を開ける。するとそこにはもう化け物はいなかった。

 シャドウは次にアレクシアの方を見る。

 

「目撃者は全員始末するのかしら?」

 

 それがたとえ化け物であったとしても。

 覚悟を決め、せめてその顔くらいは記憶に焼き付けてやろうと睨む。

 シャドウは何も言わずに、ただ剣を振った。

 

「──っ!」

 

 アレクシアを拘束していた拘束具が甲高い音を立て切られる。

 

「……」

 

 アレクシアは久方ぶりに自由になった手をさする。その際も、シャドウから目は離さない。

 そんなアレクシアを一瞥し、シャドウは部屋を出ようとする。

 

「ま、待ちなさいっ!」

 

 あまりの呆気なさに、アレクシアは思わずシャドウを呼び止めた。じんわりと冷や汗が背中を濡らす。

 シャドウはゆっくりと振り返った。

 

「私はアレクシア・ミドガル。この国の王女よ」

 

 自分でもバカなことをしていると分かっている。それでも、ここで何もしないのは王女として失格だと感じた。

 

「あなたの目的を教えなさい。あなたは何なの? どうしてここに来たの? それに"我ら"って、他に仲間が──」

「ふっ」

 

 アレクシアの質問にシャドウは鼻を鳴らす。

 

「我らは『シャドーガーデン』。陰に潜み、陰を狩る者だ」

「『シャドーガーデン』……陰を、狩る……?」

 

 目的らしきものは分かったが、言っていることはほとんど分からない。『陰』とは何を指しているのだろうか。

 

「あ、ちょ、待ちなさい!」

 

 そして、シャドウはそれだけ言って今度こそ立ち去った。コツコツと冷たい音が遠ざかる。

 暗い地下の部屋にはアレクシア一人が取り残された。

 




無事にシドくんは約束を守れたようです。その影響でアレクシア王女は原作よりもシャドウを過小評価しています。まぁ、誤差みたいなものですが


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後処理の結果とお礼

一章のエピローグなので短めです。


 放課後、アレクシア・ミドガルは屋上にいた。

 夕日で空は赤く染まり、帰宅する生徒たちが列を成していた。

 まだ夏は始まったばかりだが、今日は暑かった。涼しい風がアレクシアの肌を撫ぜる。

 今回の一件は表沙汰にしないこととなった。それは国の面子を考えてのことであり、幸いにして、結婚のことはまだ公表していない。

 ゼノン・グリフィは病気の療養という理由で、剣術指南役と教師の両方を辞めたということになった。

 アレクシアの婚約の噂は、既に学内に広まっていたが、先のこともあり、自然消滅した。

 まるで、何かに操られたかのように、綺麗に丸く収まってしまった。

 

「気持ち悪いわ……」

 

 思い出すのはシャドウと名乗った男と、彼の属していると思われる『シャドーガーデン』という組織のことだ。

 公的な記録にはそんな名称の組織はない。何もかもが不明だ。

 恐らくは、アンダーグラウンドの組織なのだろう。そんな組織はどうやら"教団"という組織と敵対しているようだった。

 

「シャドウ……」

 

 美しき『凡人の剣』を振る男。この国の頂点、アイリス・ミドガルにすら比肩するゼノンを易々と一蹴するほどの力。

 その目的は分からない。

 だが、シャドウと会ったあの日、同時多発的に事件が起こっていた。

 アレクシアの話を受け、アイリス、その他騎士団が調査に乗り出した。するとどうだろう。惨殺された死体が各所で見つかったのだ。

 いずれも一刀で斬り伏せられ、抵抗した形跡もほとんどない。圧倒的な戦力差があったのだろう。

 そして、その事件が起きた場所は、いずれもその存在が秘匿されていたのだ。

 ある場所は、酒場のカウンター裏にある隠し通路から入れる隠し部屋。

 またある場所は、実際の名義と異なる用途で使われていた施設。

 どこも凄惨なもので、血の匂いに満ちていた。

 

「シャドウに、『シャドーガーデン』……油断ならないわ」

 

 この事件の調査のために、アイリスは『紅の騎士団』を創設した。

 アレクシアも協力したかったのだが、結局、許してはもらえなかった。

 

 冷たい風が吹く。少し体も冷えてきた。

 

「そろそろ帰ろうかしら」

 

 そう思い、バックを持つ。

 そのとき、屋上の扉が開いた。

 

「あっ」

「えっ」

 

 出てきたのはごくごく平凡な少年だった。

 ──シド・カゲノー。

 豪胆にも、アレクシアに告白してきた男だ。それも、疑うらくは罰ゲームで。

 

「ごきげんよう」

 

 つまらなそうに、アレクシアは言う。

 

「いい天気だね」

 

 少年もつまらなそうに言った。

 

「もう陽が沈むわ」

「僕は星の見える夜も嫌いじゃないから」

 

 少年が柵にもたれかかり、空を見上げた。まだ空は赤い。

 アレクシアはバックを持ったまま、柵に体重を預ける。

 

「ポチ……じゃなくて」

 

 これは昔飼っていた犬の名前だ。

 

「シドくんだったかしら?」

「なんか今、すごい失礼なこと言われた気がする」

「気のせいよ」

 

 アレクシアは咳払いした。

 

「ありがとうと、言っておくわ」

「……? 何のお礼?」

 

 赤い陽光に照らされ、影が長く伸びる。

 アレクシアは一度目を瞑った。

 

「私の剣を、前に好きって言ってくれたでしょ。そのお礼よ」

「なるほどね」

「『凡人の剣』、私も好きになったわ。あなたのおかげじゃないけど」

「それは良かったね。一言余計だけど」

 

 それっきり沈黙が訪れる。その沈黙が何とも居心地が悪い。

 もう話す内容はない。アレクシアはその場を立ち去ろうとした。

 

「君はきっと強くなるよ」

 

 少年が空を見たまま言う。

 アレクシアは振り向いて、けれどすぐに前を見る。

 

「そう。ありがとう」

 

 ひらひらと手を振って、アレクシアは屋上を去る。

 

 屋上を去ったアレクシアは知らないが、この後、この少年は一人で『かっこいいポーズ』とそのセリフの練習をしていたらしい。




これで、アレクシアが連続通り魔殺人の犯人と疑われることはなくなりました。
原作と違うようで大体同じ。運命の大きな分岐はもう少し先でしょう。
一章が終わったので後で章分けしておきます。


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幕間 釣りに行こう!

話は五ミリくらい進みます。


 その日は穏やかな波が打ち寄せていた。

 遠目に見える波の綾は形を変え、キラキラと光る。そして、木々のざわめくが如く潮騒が聞こえた。

 

「やっと着いたね」

 

 さんさんと照りつける太陽。その日差しを浴びて海がキラキラと宝石のように輝いていた。

 その眩しさにゼータは目を細める。

 

「岩場、あっち」

 

 そう言ってシータが歩き出す。

 砂に足を取られてよちよちと危なっかしい。

 

「荷物持つよ」

「うん、ありがとう」

 

 ゼータはクーラーボックスと釣り竿をシータから受け取る。

 そして、鼻歌混じりに尻尾を揺らして、先頭を行く。

 

「その鼻歌、シャドーも歌ってた」

「そう。教えて貰ったんだ」

 

 二人は岩場に着く。ゴツゴツとした岩がところ狭しと並び、波が打ち寄せ、潮が舞う。

 岩場にできた小さな水たまりには、小さな魚と蟹がいた。

 

「ここら辺でいいかな」

 

 ゼータは岩の上に座って、海を見る。

 

「悪くないね」

 

 だいぶ穏やかな海だ。泳いでみるのも良いかもしれない。

 

「水着は持ってきてないけど」

「ゼータ、泳ぐの?」

「ううん。そうしても気持ち良さそうって話」

「そ……」

 

 ゼータはお気に入りの釣り竿にウニョウニョしたミミズのような餌を付ける。

 シータも隣に陣取り、海へ竿を投げた。

 

「あっ……」

「あちゃー……」

 

 そう、竿を投げたのだ。

 

「滑った……」

「まぁ、予備あるから」

 

 ゼータがシータに竿を渡す。因みにリールは付いていない。

 シータはその竿を受け取り、今度こそ、海へ糸を垂らした。

 

「……それ、餌付けてないよね。ルアーも」

「うん……でも、こうすれば魚に邪魔されないで、ぼーっとできる」

「もうそれ、釣りじゃなくてもいいよね……?」

 

 そんな感じで、二人の釣りは始まった。

 

□□□

 

 釣りを始めてしばらく、戦果は上々だった。

 

「そろそろ昼にしようか」

 

 そう言って、ゼータはクーラーボックスを開ける。

 

「あれ……? 私のイワシがない……」

 

 さっき釣ったはずのイワシの姿が見当たらない。確かに入れたはずなのに。

 となれば、犯人は一人しかいない。

 

「さっき昼ご飯食べた」

「なんか良い匂いすると思ったら……」

 

 見れば、魔力で動くイータ手製フライヤーの使われた痕跡がある。

 ゼータはため息を吐いて、頭に手をやった。

 そんなゼータにシータが包みを渡す。

 

「これは?」

「ゼータの分」

 

 包みを開ければ、中にはパンに挟まれた揚げイワシがあった。イワシサンドだ。

 

「ソースそっち」

「おぉ、ありがと」

 

 降下しかけた気分が元に戻る。

 ゼータはイワシサンドに食らいついた。

 

「うん、やっぱりフライにはタルタルソースだね」

 

 口元にタルタルソースを付けながら、ゼータが笑う。

 相変わらずシータは、海に糸を垂らしているだけだった。

 

「ガンマたちとの釣りを思い出すね」

 

 『まぐろなるど』設立の起源たる釣り。ガンマ、イータと行ったのだが、あれは酷かった。

 

「なにかあったの?」

 

 海を眺めたままシータが聞く。

 

「もう散々だったよ。イータは海を爆破するし、ガンマは商売のことばかり。釣りの醍醐味を分かってない」

「へー」

 

 その観点から言えば、シータも分かってないと言えるかもしれない。なにせ、糸を垂らすだけでは釣りとは呼べないのだから。

 

「まぁ、無害だしいいか」

「……ゼータは──」

 

 一人そう納得していると、シータが何かを言った。後半部分は波音にかき消されてしまう。

 

「ごめん。聞こえなかった」

「ゼータは、釣りは飽きたりしないの?」

 

 ゼータは自分が非常に飽きっぽい性格だと自覚している。

 ゼータは少し考えた。

 

「そうだね。スパイの任務とかは時々飽きたりするけど、釣りだけは何故だか飽きないんだよね」

「ふーん」

 

 それっきり、沈黙が訪れる。遠くからカモメの鳴く声が聞こえてきた。

 

□□□

 

「シータはさ」

「うん?」

 

 穏やかな昼下り。潮もだんだん満ちてきた。

 ゼータはピクピクと耳を動かす。

 

「シャドウ──主のことはどう思ってる?」

「命の恩人。アルファ様も」

「そっか……」

 

 遠く水平線ではいくつもの船が浮かんでいた。まるで、同一平面上に存在しているかのようなそれらは交錯し、一つの点となっては分裂する。

 

「もし、主やアルファ様に死ね……いや、死ぬかもしれない任務が与えられたとして、どう思う?」

「どうだろう……」

 

 無表情に、シータは海を眺める。

 

「特になにも感じないと思う。多分」

「そっか」

「ゼータはどう?」

「私? 私は──」

 

 ゼータは自分が質問されて、初めてそれが愚問であったことに気付く。

 言葉を選び、少しだけ時間を空けて、ゼータは答えた。

 

「──私は、主に拾われたちっぽけな小猫」

「……」

「たとえ、世界全ての罪を背負うことになっても、主が望むなら何でもするよ」

 

 ゼータは薄く笑う。

 そして、半年くらい前の遺跡での出来事を思い出す。

 あのときにも誓ったことだ。

 

「ゼータ極端」

「そうかな? ……そうかもね。」

 

 あのときの話をゼータは誰にもしていない。

 アルファは優しすぎるのだ。いや、アルファだけじゃない。ベータもガンマもイプシロンも、そうだ。

 話せばきっと、何かが狂ってしまう。あるいは、未来でなら話せるのかもしれない。

 しかし、今は話せないのだと、ゼータは感じていた。

 

「……」

「……」

 

 それは途方もなく孤独なことであった。仲間の内にあり、話せない大事なことを隠し続ける。

 キツくゼータは胸を握る。

 

「父様……主……」

 

 ふと、寂寥の感がゼータを包む。それはゆっくりと心に浸透して、少しずつ心を満たしていく。

 主のためなら何でもすると誓ったのに、そんなことで心を乱す自分が情けない。『天賦』のゼータと呼ばれてはいるが、心を操る術までは知らない。

 足りない強さが欲しい。主のように孤高に生きられる強さが欲しい。

 思えば、〈悪魔憑き〉となって追われた日から、ゼータはずっと力を欲していた。

 

「ゼータ……」

「……ん、なに?」

 

 そうして、弱さの渦流に呑み込まれそうになったとき、シータに声を掛けられる。

 

「ぼーっと海を眺めてると、色々な考えが浮かぶ」

「そうだね」

「岩に当たってできる潮の泡みたいに、浮かんでは、消える」

 

 普段は余り喋らないシータが、饒舌に、詩に書いてありそうなことを言う。

 

「深い海の底に何があるかは分からない。深く青すぎて見えないから」

「……」

「多分冷たくて、きっと真っ暗で、ずっと遠くて」

「何が言いたいの?」

 

 シータはゼータを一瞥してから、垂らした糸を見る。

 

「海の底は孤独。きっとそう」

「……そうだね」

 

 ゼータには、シータの言っていることが、イマイチ判然としない。

 海の底は誰にも見られないから孤独なのだろうか。それとも、深くて遠いから孤独なのだろうか。

 そう考えていると、ふとおかしな気持ちになる。ゼータはふふっと笑った。

 

「陰に潜む私たちは、さながら海の底で生きる蟹みたいだね」

「……たしかに」

 

 シータは両手でピースをする。蟹の真似だろうか。

 ゼータはうんと伸びをして、岩の上にバタンと大の字になる。

 空には大きな白い雲があった。

 

「シータはさ。主のためなら何でもできる?」

 

 それはさっきもした質問だった。答えは分かってる。それでも、もう一度聞きたかったのだ。

 シータは何も言わずに頷いた。

 それを見て、ゼータは深いため息を吐く。海の底まで届きそうな、深い深いため息だ。

 

「もし今、私が『シャドーガーデン』を裏切ったとして、シータはどうする?」

「……質問の意図、なに?」

「いいから」

 

 シータはつまらなそうに、頬杖を付く。

 

「状況による」

「というと?」

「『シャドーガーデン』はシャドーのための組織。シャドーのためになるなら、裏切りもしょうがない。と思う」

 

 ゼータはそれを聞いて笑った。共犯者を得た気分だ。

 

「じゃあさ──」

 

 少しだけ、いつもより弾んだ声で、ゼータ話をしたのだった。

 

 それからしばらくして、激しい夕立ちが降る。海が荒れるまで、ゼータは話した。

 




マスターオブガーデンをやっていたら書きたくなりました。
毎章の終わりにこういった日常回(?)を書こうと思うのですが、ネタを募集中です。こんな組み合わせ、シチュエーションが見たい! ということがあれば是非感想に。
尚、作者の息抜きなので、話が進まないこともあります。あしからず。
次回から二章に入ります。


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二章 ミドガル魔剣士学園②
動き出す歯車


要約すれば大体原作通りです。アイリスの口調が難しい。
ガンマのセリフを一部修正しました。


 

「そろそろブシン祭の季節ですねぇ。二人はもう、選抜大会にエントリーしましたか?」

 

 休み時間。僕とジャガ、ヒョロはモブらしく廊下で話をしていた。

 そのとき、ジャガがそんな風に話を切り出した。

 

「当たり前だろ。良いとこ見せて、かわいい女の子持ち帰るぜ」

「そうですね。二、三人は固いです……三人相手はちょっと大変ですね」

 

 と、二人は怪しい笑いをこぼす。二人とも、ちな童。

 

「シド、お前エントリーしてなかったよな?」

 

 ヒョロが一枚の紙切れを出す。

 

「いや、僕は出な──」

「俺が代わりにエントリーしといてやったから感謝し──ブフゥッ!!」

 

 ヒョロは突然腹を押さえて悶絶する。

 僕はぎゅっと右手を握りしめていた。恐ろしく速いあれだ。

 

「ヒ、ヒョロ君!? 急にどうしたのですか!」

 

 ふっ、やっぱり僕でなきゃ見逃しちゃうみたいだね。

 

「おいおいヒョロ。まるでストマックを右ボディフックで打ち抜かれたみたいに倒れてどうしたんだ?」

「や、やけに具体的ですね、シド君」

 

 僕は右拳を解き、ヒョロを支える。

 

「駄目だ、完全に失神してるな。一緒に保険室に運んでくれ……そういえば、選抜大会のエントリーってキャンセルできたっけ?」

「さぁ、どうでしたっけ?」

 

 僕はヒョロの持っていた紙切れを取る。

 

「あっ、無理みたい」

 

 まぁ、僕の鍛錬の成果を見せられるし、結果オーライということで。

 突然の発作ということで、僕らはヒョロを保険室に運ぶ。先生の許可もちゃんと貰った。

 その道中。

 

「なにあれ?」

 

 校舎へ入っていく物々しい集団を指して僕は言った。

 

「あれは……アイリス王女もいますね」

 

 あと、アレクシアもいた。アレクシアは僕らの方は見ずに、入っていった。

 そういえば、アレクシアは最近剣の腕を上げているみたいだ。何かあったのかな。

 

「そういえば、アイリス王女からミドガル学術学園の方に何か調査の依頼をしているとか聞きましたね」

「へー」

 

 興味を失った僕は、ヒョロを連れて保険室に行った。

 

□□□

 

 広い応接間では、ごく少人数で話し合いが行われていた。本来いるはずの護衛なども含めて、人払いがされている。

 

「王国随一と名高いあなたに、このアーティファクトの解読を頼みたい」

 

 そう言って、アイリスは大きなペンダントのようなものを差し出す。

 

「ですが、私はまだ学生です」

 

 ペンダント型のアーティファクトを見て、シェリー・バーネットは断った。

 しかし、アイリスは真っ直ぐとシェリーを見つめる。

 

「あなたの研究成果は国内外に広く知られている。この分野であなたに勝る研究者などいないでしょう」

 

 アイリスの真摯な説得に、シェリーは「ですが……」と渋る。

 そんなシェリーにまた別の声がかけられた。

 

「いい機会だ。受けてみてはどうかね」

「ルスラン・バーネット副学園長……」

「父と呼んでくれても構わんのだぞ」

 

 初老の男、ルスラン・バーネットは笑って言う。

 シェリーは困ったように微笑みを返した。

 

「シェリー、君ならやれる。自信を持ちなさい。これは君にしかできない仕事なんだ」

 

 ルスランはシェリーの細い肩に手を置いた。

 

「分かりました……」

 

 二人の説得に、気乗りしない様子でシェリーは折れた。

 アイリスからアーティファクトを受け取る。そして、じっくりと眺めてみた。

 

「古代文字ですか。それも暗号化されている」

「それは先日あった事件の現場──仮に"教団"としましょう。その"教団"の施設と思われる場所で発見された」

 

 アイリスは一口紅茶を飲む。

 

「詳細は分かりませんが、恐らく、古代文明の研究をしていたのでしょう。暗号も古代文明と関連があるはず」

「確かに、私向けの依頼ですね」

 

 シェリーは興味深そうにアーティファクトを眺める。

 アイリスは改めて、向き直った。

 

「それで、アーティファクトの警備に騎士団から人を出したい」

「警備……?」

 

 その言葉にルスランが反応する。

 

「実は、このアーティファクトは例の"教団"、あるいはそれと敵対する組織から狙われているのです」

「それは物騒な話ですな」

 

 ルスランの瞳が鋭くなる。

 

「元々、このアーティファクト以外にも様々な資料、物品を"教団"の施設から押収し、保管していました」 

 

 アイリスは「お恥ずかしい話ですが」と前置きをする。

 

「押収して程なく、何者かの手により保管庫が焼失、このアーティファクト以外失われてしまったのです」

「あぁ、この前の火事ですか。そう言えば、アイリス様が新たに騎士団を設立したのはその後でしたね」

 

 アイリスは頷いた。

 

「本日もその騎士団……『紅の騎士団』でのご来訪ですね」

「えぇ」

「それほど、既存の騎士団は信用できませんか」

 

 アイリスは答えない。ただ黙って、ルスランを見ていた。

 

「いいでしょう。二人までなら許可します」

「二人ですか……」

 

 アイリスは顎に手を当て考え込む。

 

「分かりました」

 

 そう言って、背後に控える大柄の騎士の名を呼ぶ。その男の頬には大きな切り傷があった。

 

「グレン。警備はあなたに一任します」

「はっ、お任せ下さい」

 

 話が一段落したところで、アレクシアが口を挟む。

 

「姉さま、私にも協力させてください」

 

 続けてアレクシアは言う。

 

「警備に人数を割くなら、先日の事件に対応する人が減るはずです」

 

 アイリスは何も言わない。

 

「『紅の騎士団』はまだまだ人手不足です。それに、私は()を知っています。私が、適任なはずです」

「アレクシア。ですがあなたはまだ……」

「学生です。しかし姉さまは、学生でも実力があれば関係ないと言っていました」

 

 アイリスの言葉を遮って早口に捲し立てる。

 

「そんなこと言ってません」

 

 アイリスはあくまで諭すように言った。

 だが、アレクシアは引かない。

 

「似たようなことをシェリーさんに言ってました」

 

 アイリスはむっとし、アレクシアは余裕の笑みだ。

 「昔はあんなに可愛かったのに……」という呟きが聞こえる。

 それからもしばしのアレクシアの説得を聞き、アイリスはようやく折れる。

 

「分かりました。学業に支障の出ない範囲で、かつ危険の少ない範囲でのみ、協力を要請します」

「ありがとうございます」

 

 アレクシアは微笑み、頭を下げる。

 

「アーティファクトの件、よろしくお願いします」

 

 アイリスはため息を吐いて、シェリーに言った。

 

□□□

 

 放課後。 

 僕たちは色々あって、長い列に並んでいた。

 

「いやぁ、凄い列ですね。門限には何とか間に合いそうで良かったです」

 

 ジャガは列を見て感嘆の息を漏らす。

 

「えー、これに並ぶの?」

「それだけ良いもんが揃ってるってことだろ。『ミツゴシ商会』には」

 

 ヒョロがニヤリと笑って、僕の背を押す。うん。悪人面がよく似合ってるよ。

 僕たちは大人しく最後尾に並ぶ。最後尾には、プラカードを持った制服姿のお姉さんが立っていて、そこには『八十分待ち』と書いてあった。

 

「でも、やっぱり最近は物騒ですし、買ったらすぐに帰りましょう」

 

 少し震えながらジャガが言った。

 

「あー、人斬りの話か」

「人斬り?」

 

 なんだ、その胸躍る単語は。

 

「知らねぇのか。最近王都では人斬りが出てんだよ」

「騎士団の人もやられてるみたいですね」

「……へー」

 

 僕は口元を綻ばせる。

 人斬りイベントなんて絶対楽しい。できれば参加したいものだ。

 

「それにしても、上客っぽい人が多いね」

 

 列に並ぶ面々を見て僕は言う。

 というのも、みんな身なりが良いのだ。貴族の関係者なんだと思う。もしくは金持ちなのかな。

 ヒョロは鼻で小馬鹿にしたように笑う。

 

「そりゃ、どう見ても高級店だからな」

「ですね」

「でも、学生とか主婦っぽい人も結構いるよ」

「一般人にも買えるくらい安いんだろ」

「ですね」

 

 僕は「へー」と相づちを打っておく。

 僕がもう少し列に並ぶ人々を観察していると、ヒョロがプラカードのお姉さんに話しかけていた。

 

「お、お姉さん、き、綺麗ですね。ご趣味は?」

 

 お姉さんは完璧な営業スマイルでスルーする。

 続けてジャガが話しかけた。

 

「お、おねぇひゃんっ! スリーサイズはいくつですかっ!?」

 

 ジャガの鼻息が荒い。

 お姉さんの額に青筋が浮かんだ気がする。けど、すぐに戻った。見間違いだったかもしれない。

 これは僕もナンパの波に乗るべきなのだろうか。

 僕がそうして悩んでいると、何故だかお姉さんが僕の方を見てニッコリしていた。

 

「お客様。少しお時間をいただけますか?」

「えっ、僕?」

「はい。すぐに終わりますので、アンケートにご協力お願いします」

 

 そんなわけで、お姉さんに連れられ、僕はミツゴシ商会の店内に入る。

 長い列の脇を通り過ぎるとき、すごいジロジロ見られた。それに、後ろのヒョロとジャガがうるさかった。

 

□□□

 

 僕らはやけにモダンな店内を行く。

 チョコとかコーヒー以外にも、服や靴、下着などもある。それらのデザインは洗練されていて、かつ目新しい。

 この商会はいつか覇権を握る。僕は確信した。

 

 やがて店内を抜け、従業員用出入り口に差し掛かる。そこも更に越えると、映画とかでしか見たことのない、絢爛な空間に出た。

 赤いカーペットに豪華な階段、大きなシャンデリア。そして、調度品の数々。

 それらが一堂に会して、しかし、嫌味臭くない雅さがあった。

 美しい彫刻の掘られた扉の前にいた女性二人が、礼をする。そして、ゆっくりと扉を開けた。

 

 ギリシャ神殿のような円柱が並び、大理石の床は輝いている。

 そして、奥へと続くレッドカーペットの左右に美しい女性たちがずらりと並んでいた。

 

「えっ」

 

 僕が一歩部屋に入れば、彼女たちは一斉に跪く。

 

「えっと、アンケートは……?」

 

 この部屋の最奥には、まるで芸術品のような巨大な椅子があった。

 僕の疑問を余所に、その椅子から一人の女性が歩いてくる。

 藍色の髪の美しいエルフだ。モデルのようなスタイルに、妖艶な黒いドレスを纏っている。

 

「ガンマ……」

「永らくお待ちしておりました。主さま」

 

 そう言って、彼女──『七陰』第三席ガンマは微笑んだ。

 



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門限と尊厳

 

「お久しぶりです。主さま」

 

 そう言って、ガンマが歩いてくる。優雅なモデルみたいな歩き方だ。カツ、カツとヒールを鳴らしている。

 ガンマは頭がいい。なんて言っても『シャドーガーデン』の頭脳と呼ばれているからね。

 けど、そんなガンマは大きな欠点を抱えているんだ。

 ガンマは絶望的なまでに運動神経が悪い。付いた二つ名は『最弱』。運動センスも、戦闘センスも、全くと言っていいほどない。

 『七陰』の中で最もセンスが良いのがデルタなら、悪いのはガンマだ。けど、僕はこの二人は同類だと思ってる。

 僕は二人に剣を教える内に二つのことを学んだ。

 一つ、いくらセンスが良かろうと、バカに何言っても無駄ということ。

 二つ、いくら頭が良かろうと、センスがない奴に何を言っても無駄ということ。

 だから僕は、二人に同じ指導をした。

 

『魔力をいっぱい込めて叩き斬れ』

 

 僕は僕にとって許し難い、苦い思い出に顔を顰める。

 

「いかがなさいましたか。主さ──ぺぎゃっ!」

 

 そんな僕を見て、不安そうに声をかけるガンマはコケた。何もないところで、だ。

 

「ひ、ヒールが高いわね……」

 

 そして、ヒールのせいにした。

 周りのお姉さんがさっきのよりも低いヒールを用意し、ガンマの鼻血を拭う。

 何も成長していない。

 

「そ、それで、何かご不満な点でもございましたか?」

「相変わらずだね。ガンマ」

 

 ガンマは恥ずかしそうに顔を伏せる。

 

「コホン。と、とりあえず、こちらにどうぞ」

 

 ガンマに案内されるがまま、巨大な椅子に座る。

 

「ふふっ」

 

 いい……! いいぞ、この眺め……!

 巨大な吹き抜けに、天窓から降り注ぐ陽光、レッドカーペットの脇に跪く美女たち。

 裏社会のボスになったみたいだ。

 ガンマもよく、こんなに金のかかりそうなセットを用意してくれた。

 僕の心は感動に震えた。

 そして、足を組み、左手で頬杖をつき、右手を掲げた。

 

「褒美だ。受け取れ……」

 

 僕の右手から青紫の魔力が天空へ放たれる。そして、青紫の光の雨がガンマ含めた彼女たちに、当たる。

 まぁ、褒美って言っても、大した効果はないんだけどね。

 

「今日という日を、生涯の宝に致します」

 

 震える声でガンマが言った。よく見れば、後ろに控える彼女たちも体を震わせていた。

 演技指導も完璧みたいだ。それとも、やっぱりエキストラなのかな。

 どっちでもいいや。

 

「ところでガンマ。この商会について聞きたいんだけど」

「なんなりとお聞きください」

 

 僕はその言葉に甘えて色々質問した。それで分かったことは二つ。

 一つ目は、僕の前世の知識でボロ儲けしていること。

 二つ目は、僕がハブられていたことだ。

 

「へ、へー」

 

 分かるよ。女性の輪に男の僕は入れづらいって。

 僕はどこか悟ったような、少しセンチな気持ちになった。

 

「主さまが本日来訪された理由は察しております。当然、例の事件についてでしょう」

「……あぁ」

 

 例の事件ってなんだ? けど、『陰の実力者』に知らないことはないのだ。

 僕は全てを知っている演技をする。

 

「例の事件には恐らく教団が絡んでいるものかと」

「ほう……」

「また、先日ネームドのチルドレン1st『叛逆遊戯』のレックスが確認されました。奴らがこの王都で何か企んでいるのは間違いないでしょう」

「ふむ……」

 

 チルドレンってなんだろう。

 分からないから、とりあえず僕は頷き、窓から見える空を眺めた。

 

□□□

 

「ふむ……」

 

 そう言ったきり、シャドウは黙ってしまった。遥か先までを見据えて、思案しているのだろう。

 

「ガンマ」

「はい、なんでしょう。主さま」

「一応聞いておくが、"例の事件"なんだな?」

 

 その質問に一体どんな意味があるのだろうか。ガンマのその明晰な頭脳でも、その意図は測れない。

 分からないのなら、何も考えず、求められる答えを返した方がマシだ。

 ガンマはキュッと口を結ぶ。

 

「……はい、主さま。例の人斬り事件です」

「人斬り……か」

 

 そうして彼は虚空を見つめる。その目には何が見えているのだろうか。ガンマには全く想像ができない。

 

「こちらでも、少し探ってみよう」

「……!」

 

 彼が動くということは、すなわちその問題の解決を意味する。

 ガンマは羞恥と歓喜の入り混じった心境で、頭を下げた。

 

「ニュー、来なさい」

 

 彼をここまで案内したダークブラウンの髪の女性を呼ぶ。

 

「この子はニュー。十三番目のナンバーズです」

「ほう」

 

 彼が目を細めて、ニューを見る。きっと、力量からなにまで、全て見透かされているのだろう。

 

「ニューです。よろしくお願いします」

 

 緊張で震える声だった。ニューはペコリと頭を下げる。

 

「彼女は入ったばかりですが、実力は折り紙付きです。ご自由にお使いください」

 

 彼は頷いた。

 

「用ができたら呼ぶ」

「ニュー、下がりなさい」

 

 ニューは再び礼をして、下がった。

 

「さて、そろそろ帰ろうかな」

 

 彼は立ち上がる。

 

「あ、そうだ。チョコ買いたいんだけど、友達割引で安くなったりしない?」

「最高級のチョコを直ちに用意しなさい」

 

 ガンマが部下に言う。

 

「それって因みに、いくらくらい?」

「友達割引で十割引きでございます」

「それってタダじゃん! ラッキー! ……あ、なら三人分欲しいな」

「かしこまりました」

 

 一般人のシド・カゲノーになりきる彼を、ガンマは微笑ましく思った。

 

 そして、ガンマは気が付かなかった。シャドウから伸びたスライムが、部屋の端にある金貨の山から、数枚の金貨を持っていったことに。

 

□□□

 

「やべーぞ、門限に間に合わねー」

「もう、シド君が遅いからですよ!」

「ごめんって、チョコあげたじゃん」

 

 僕たちは夜闇に包まれた街の中を走っていた。門限まであと少ししかないのだ。

 

「まぁ、本気を出せば一瞬で着くんだけどね」

「なに寝ぼけたこと言ってるんですか、シド君!」

 

 そんな会話をしていると、不意に甲高い音が聞こえた。

 

「ねぇ、今なにか聞こえなかった?」

 

 僕は立ち止まり、周囲を見回す。

 

「はぁ? 何も聞こえなかったぞ」

「ですね」

 

 そんな僕に苛立たしそうに二人が言う。

 気のせいだったのかな。

 僕がそう思って駆け出そうとしたとき、再び例の音が聞こえた。

 甲高い、金属と金属がぶつかり合う音だ。誰か戦ってるのかな。その音は路地裏の方からしていた。

 うん、イベント発生の匂いがする。これは乗るしかないね。

 

「先に行ってくれ……」

 

 僕はお腹を押さえて、苦しそうに呻く。

 それを見た二人の顔色が変わった。

 

「シド君、どうしたんですか」

 

 僕はえずき、口元を押さえた。

 

「先に行ってくれ」

 

 僕は再びそう言った。口の端から流れる唾液を袖で拭う。

 

「体調が悪いのか?」

「大丈夫。ちょっと路地裏で吐けば良くなるから……」

「シド君……辛いなら、自分とヒョロ君が微力ながら力になりますよ」

「いいんだっ!!」

 

 僕は大きな声で叫んだ。少ないながらも、道行く人が振り返る。

 

「僕の介抱なんてしてちゃ、門限に間に合わないだろっ!!」

「つれないこと言うなよ。俺たち友達だろ?」

 

 ヒョロがニヤリといった風に笑みを浮かべる。

 

「ヒョロ君の言う通りです」

 

 ジャガが僕の肩に手を置いた。

 

「ありがとう……でも」

 

 僕は涙を浮かべて、ジャガの手をどける。

 

「もう、手遅れなんだ」

「シド君……?」

「既に、下からは……」

 

 僕は尻に手を当てて俯く。二人は後退った。

 

「頼む……これ以上は見られたくないんだ」

 

 涙ながらの訴えに、更に二人はたじろいだ。

 

「尊厳のために、門限は諦めるということですね」

「……」

「大丈夫だ。このことは三人の秘密だ! 誰にも言わねぇからな!」

「二人とも……ありがとう」

 

 二人は涙ながらに駆け出した。

 

「さて……」

 

 僕はそれを見届けて、路地裏へ入る。

 激しい金属音はまだ鳴り響いていた。

 

 あっ、因みに漏らしてはいないよ。本当に。

 




原作と同じ展開はどうなんだと思い、色々苦心したのですが、元が面白すぎたのでぱっとしませんね。原作ジャガ君の「門限か尊厳かの問題ですね」というセリフ、いいですよね。
レックスの名前は少し前倒しで出ています。


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心躍るね

 音を辿った先では、二人の人物が対峙していた。

 片方は僕と同じ制服を着ている。……あっ、いや。僕はスカートを穿いてないから、同じとは言えないか。

 見慣れた制服姿で剣を握る少女が一人、アレクシアだ。

 もう一人はくすんだ赤髪の男だ。チャラチャラしていて、黒いローブを纏っている。

 うん。あの男、結構やるね。アレクシアも強くはなってるけど、完全に遊ばれている。

 

「くっ、強い……! あなた、何者なの?」

 

 一度大きく後ろに跳び、アレクシアが言った。

 男はくつくつと不快な笑い声を上げた。

 

「俺はレックス。『叛逆遊戯』のレックス様だ」

「『叛逆遊戯』? センスを感じない子供っぽいあだ名ね。どこの飼い犬なのかしら?」

 

 そう言っている間も、アレクシアはレックスと名乗った男から目を離さない。

 レックスはカカカ、と笑う。

 

「そりゃ言えねぇな」

「そう、残念だわ。……ところで、飼い主さんはかなり怖いのかしら?」

「ククッ、ああ怖いぜ? 今回なんて、()()の名前を出したら殺すとまで言われてるんだからな」

「教団、ね。そう、ありがとう」

「なっ!?」

 

 アレクシアにしてやられたレックスは驚きに目を見開く。けれどすぐに剣を肩に乗せ、笑う。

 

「まぁいいか。どうせお前はここで死ぬんだ」

「私を殺す目的はなに? また血が欲しいの?」

「へへっ、喋り過ぎたな。もうお口チャックだぜ」

 

 レックスの目つきが一段と鋭くなる。アレクシアも腰を低くして構えた。

 ……これって、実力者プレイをするチャンスなのでは……?

 そう思った僕は、早速スライムボディースーツを着用した。

 

□□□

 

「──ッ!」

 

 つばぜり合いになったものの、アレクシアは何とかレックスを押し返す。

 アレクシアの額に一筋の汗が流れ、荒い呼吸と激しい鼓動がやけに頭に響く。

 レックスとアレクシアとの差は歴然だ。レックスは力も、速さも、経験もアレクシアの上を行く。勝てる見込みなんてなかった。

 

「───」

 

 それでも、アレクシアは剣を握る。強く握りしめ、決して放さない。

 いつか夢見た、そして間近で見た剣の頂きへ登るその時まで。

 

 剣と剣がぶつかり合い、夜闇にチリチリと火花が舞う。

 攻勢に出れず、何とか相手の攻撃を防いでいる状況だ。

 

「へへっ、もう終わりか?」

「シッ!!」

「おぉ、怖い怖い」

「──!?」

 

 レックスはケラケラ笑いながら、アレクシアの剣を受け止める。そして、前蹴りでアレクシアを吹き飛ばした。

 

「がっ、はッ」

 

 アレクシアはゴロゴロと地面を転がる。視界が目まぐるしく回転し、体のあちこちに擦り傷ができる。

 壁にぶつかりようやく止まった。口の中には嫌な酸味が広がる。袖で口の端を拭えば、血と何らかの体液が付着した。

 コツコツとブーツの足音が近付いてくる。

 頭を打ったのか、明滅する視界では、その足音の主を見ることはできない。それでも、自身の死が歩いて来ていることだけは分かった。

 ぐっと右手を握る。大丈夫。剣はまだ持っている。

 思うように動かない体で、アレクシアは音が近付いてくるのを待った。

 

 それは、アレクシアが覚悟を決めたのとほとんど同時だった。不意に音もなく、三人目の気配が降り立ったのだ。

 その気配は、アレクシアを庇うように立つ。歩いてくる音はなくなった。

 

「お前……何もんだ?」

 

 レックスが言う。未だ視界の歪むアレクシアは、黙って成り行きを見守る。

 

「……我が名はシャドウ。貴様、教団の者か?」

「しゃ、ドウ……!」

 

 アレクシアは息を呑む。だいぶ視界が戻って来た。

 

「カカカ、どうやらお目当てのやつらしいな」

 

 レックスは目を細めて笑う。笑っているが、纏う雰囲気がさっきとは違った。

 それは、言うなれば濃密な殺気だ。肌に触れるだけで汗が吹き出し、血の気の失せるような殺気だ。

 そんな殺気を真正面から受けてもシャドウは平然としていた。自分が負ける可能性をまるで考えていないようにも見える。

 いや、実際そうなのであろう。

 あれだけの剣、あれだけの魔力があるのだ。自分は疎か、レックスでさえも赤子同然なのかもしれない。

 

「ふふっ」

 

 アレクシアが小さく笑う。それは自嘲しているようでもあった。

 

「ピリピリするこの感覚。相当やるな、お前」

「貴様ら、何が目的だ?」

「そんなん一々覚えちゃいねぇよ。俺は殺せって言われた奴を殺るだけ、だっ!」

 

 先に仕掛けたのはレックスだった。

 急に姿が霞んだかと思えば、次の瞬間にはシャドウの目の前にいた。そして、剣を薙ぐ。

 しかし、シャドウの姿が霞むように消えた。その消えた跡を剣は通り過ぎる。

 

「なっ、どこいきやがった!?」

 

 レックスが慌てて周囲を見回す。けれども倒れるアレクシアしか見当たらない。

 

「後は任せた……」

 

 それなのに、声だけが響く。

 そして、カツカツとブーツの音が聞こえた。

 

「かしこまりました。シャドウ様」

 

 女性の声だった。一定のリズムでその女性は足音を刻んだ。

 

「まだ意識があるようね」

 

 足音はアレクシアの傍らで止まる。そして、そんな声が降ってきた。

 アレクシアが声の主の顔を見る前に、強い衝撃が頭を襲う。あるいはそれは、首の辺りだったかもしれない。

 

「あ、ぅ……」

 

 いずれにせよ、その衝撃によりアレクシアの意識は刈り取られた。

 

「レックスだったか。楽に死ねると思うなよ」

 

 ぼんやりと淡い闇の中、その言葉が強く印象的だった。

 

□□□

 

「ここは……?」

 

 目が覚めて飛び込んで来た景色は、見慣れた天井だった。

 

「起きたのね、アレクシア」

「姉さま……」

 

 聞き慣れた声にアレクシアは安堵の息を漏らす。そして再び眠りに……

 

「ちょっと! アレクシア起きなさい!」

「姉さま、私はまだ眠いのです」

「駄目です。もう昼過ぎなのですよ」

 

 そうして、しばらく睨み合っていたが、先に折れたのはアレクシアだった。

 アレクシアが体を起こす。アイリスは深刻そうな顔をした。

 

「昨日あそこで、何があったの?」

「それは──」

 

 アレクシアは昨日あったことを包み隠さず話した。黙って聞いていたアイリスの眉間のしわがどんどん深くなる。

 

「人斬り事件は『教団』の仕業なのね」

「はい。レックスと名乗った男はそう言ってました」

「そうですか」

 

 だいぶ喋ったので喉が乾いた。アレクシアは扉の近くにいるメイドにコーヒーを頼む。

 

「姉さま、どうされました?」

「私、最近流行っているこーひーというものが苦手なのよ」

「砂糖とミルクを入れると、飲めると思いますよ。多分」

 

 アレクシア的には、その飲み方は邪道なのだが。

 アイリスは早速自分の分もメイドに頼んだ。

 

「あの路地にはあなたの他に、血痕がありました。相当傷を負っていたようで、検視官の見立てでは、死んでいてもおかしくないと」

「そうですか」

 

 アレクシアは相づちを打つ。

 

「あの血痕は、そのレックスという男のものなのでしょうか?」

「分かりません。少なくとも、私の剣は一度もあいつには届きませんでした」

 

 平坦な声で言った。平坦な声で言ったつもりだった。

 俯いて、歯を噛み合わせ、拳を握る。シーツがしわくちゃになって、耳の下が熱くなる。

 

「アレクシア……」

 

 アイリスが手を伸ばす。しかし、伸ばした手は何にも触れることはなかった。

 と、そこで、頼んでいたコーヒーがやってきた。白い湯気がほとほとと立ち上っている。

 アレクシアはブラックで、アイリスはコーヒー牛乳で飲んだ。

 

「良い味ね」

「おいしい……!」

 

 そして同時に、大体同じ感想を零す。

 

「もう一つ」

「何でしょう、姉さま」

 

 しばらく無言が続いてから、アイリスが話す。

 

「『紅の騎士団』の予算が通らないのよ」

「内部にも『教団』が?」

「恐らく……」

 

 『教団』は、思っていたよりも強大なようだ。

 二人は眉を寄せて黙り込んだ。

 

「……それでは、私は公務に戻ります」

 

 アイリスはそう言って立ち上がる。そしてさり際に「ちゃんと寝てなさい」とだけ言った。

 アレクシアは窓の外を見ながら、残りのコーヒーを飲んだ。

 

□□□

 

 チョコを買った翌日の放課後。僕は校舎内を歩いていた。隣には二年生の制服を来た隠れ美人さんがいた。ニューだ。

 

「昨晩の報告を致します」

「ふむ」

 

 ニューは色々語った。どうせ全部設定なんだろうけど、かなり詳細を詰めているようだ。

 曰く、教団は学園襲撃を企てている。

 曰く、『痩騎士』がその指揮を執っている。

 曰く、その襲撃には"特別なアーティファクト"を用いる。

 そんな感じの内容だった。

 

「──というのが、レックスから得た情報です」

「ふむ……」

 

 学園襲撃イベント……! なんて愉快なことを考えるんだ!

 冷静を装う態度とは裏腹に、僕の心はわくわくしていた。今から、どんなムーブをしようかと妄想が膨らむ。

 

「いかが致しますか?」

「ふむ……まだ何もするな」

「かしこまりました」

 

 変に邪魔をして、折角の襲撃イベントがなくなってしまっては元も子もない。

 僕はそんな思いからそう言った。

 

「さて、僕はもう帰るよ」

 

 僕は校門の方向へ進路を変える。

 ニューがなにかを言いたそうに口を動かした。

 

「どうしたの、ニュー」

「いえ、なんでもありません……」

「そう」

 

 僕は一度立ち止まり、振り返る。

 

「そうだ。駅まで一緒に行かない?」

 

 びくっ、とニューの肩が震える。

 

「よろしいのでしょうか?」

「ヒョロもジャガも今日はいないからね。丁度喋り相手が欲しかった」

 

 襲撃イベントの設定も詰めないといけないしね。

 ニューはごくりと息を飲むと、小走りで僕の隣に並んだ。

 二つの影が夕日に照らされ、長く伸びていた。

 




シドくんを意識しない分、アレクシアは剣の強さに重きを置いています。また、『シャドーガーデン』が表に出ず、派手な事件はなかったので、ミドガル姉妹はまだ少しだけギクシャクしています。


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大事な人

最初のシーンは、前回の最後のシーン(ニューとの会話)よりほんの少しだけ前の話です。
シェリー回です。


 シェリー・バーネットは、図書館へ向かって歩いていた。放課後、賑やかな廊下を大量の本を抱えながら通り抜ける。

 窓から見える中庭では、楽しそうに笑い合う生徒たちの姿があった。

 

「ひゃっ」

 

 そうしてよそ見をしていると、何もないところで躓き、コケてしまった。抱えていた本は散らばり、鈍い音を立てる。

 普通なら、近くにいる人や友達が一緒に拾ってくれるのだろう。あるいは物語ならば、ここで運命の出会いをしていたかもしれない。

 けれど、シェリーにはそんなことは起こらず、一人黙々と拾って図書館へ向かうのだ。

 シェリーはそれを悲しいことだとは思わない。それが寂しいことだとは思わない。

 今までずっとそうであり、シェリーには研究さえあれば、それ以外はどうでもいいのだから。

 

 図書館に着き、いつも座っている席に座る。両側にはしきりがあり、正面には板がある。

 シェリーは箱の中に閉じこもる虚像を覚えながら、深い集中の海へと落ちていく。

 そこには、感覚なんて必要ない。味覚も、嗅覚も、聴覚も、触覚も。そして、視覚すらも必要ない。

 やがて肉体を手放し、意識だけの世界へたどり着く。文字と思考が混ざり合い、形を成しては溶けていく。チリチリと世界が瞬きをして、閃きは寸刻と待たずに泡となった。

 その微かな発見を見失わないように、慎重に手繰り寄せる。そうして、もう手が届くところまでやって来た。

 

「わっ!」

 

 不意に、目の前に包装された箱が置かれた。底の浅い、平べったい箱だ。

 

「チョコあげる」

「え?」

 

 そう言って少年は立ち去った。

 

「え? え?」

 

 突然のことに事態が呑み込めないシェリーは疑問符を浮かべて箱を見た。

 考えていたことはとうに霧散していた。

 

□□□

 

「ゴホッゴホッ」

 

 ルスラン・バーネットは咳き込みながらも、睨みつけるように報告書を読んでいた。

 チルドレン1stであるレックスの行方が分からなくなったという内容だ。最後に確認された路地には致死量分の血溜まりがあったとのことだ。

 十中八九、やられているだろう。

 ルスランこと、『痩騎士』はぐしゃりと報告書を握り潰す。

 もし、何らかの理由でレックスが計画を喋っていたら、"奴ら"の介入があるかもしれない。

 "奴ら"は名前すら知れぬ組織的だ。黒いスーツに身を包み、瞬く間に教団員を殺戮する。

 圧倒的な戦闘力を持ち、諜報能力も高い。そして何より、完璧なまでに統率されている。

 今回の襲撃に介入されては厄介極まりなかった。

 

「ゴホッゴホッ」

 

 再度、咳き込み、薬を手にする。水と一緒に流し込めば、体が少し楽になった気がする。

 

「延期はできない……」

 

 ルスランには時間がない。この機を逃せば、次はないかもしれない。

 そもそも、教団に抹殺される可能性すらあった。

 

「新しいチルドレン1stを呼ぼう。できれば二、三人……」

 

 新しい真っ白な紙を取り出し、ペンを握る。そして、教団宛に一筆書いた。

 十分そこらで書き終え、引き出しの中に入れて置く。後で、定時連絡員に渡そう。

 

「さてと」

 

 ルスランは立ち上がり、部屋を出る。向かうのはシェリーのいる部屋だ。

 シェリーは大事な大事な愛娘だ。愚かな母とは違い、従順に言うことを聞いてくれる。

 

「シェリー、どうしたんだい?」

 

 研究室を覗いてみれば、シェリーが茶色の物体が並ぶ箱を眺めていた。

 

「ルスラン副学園長……」

「二人のときは父と呼ぶ約束だよ」

「お義父さま」

 

 シェリーは困ったように笑う。

 ルスランは箱を覗き込む。この茶色い物体には見覚えがあった。

 

「そのチョコレートはどうしたんだい?」

「チョコ、レート? という名前なんだ、これ。……これは魔剣士学園の男の子に貰ったんです」

「ほう」

 

 ルスランは口髭を触り、興味深げに目を細めた。

 

「それは最近流行ってる高級お菓子だよ。きっと、君へのプレゼントだ」

「えっ、でも知らない人でしたよ」

「一目惚れというやつだよ。そのチョコは貴族でも中々手に入らない。きっと君のために無理をしたのだろう」

「一目惚れ……」

 

 シェリーは恥ずかしそうに俯いた。もじもじしている。

 それにしても意外だ。まさかシェリーにアプローチする人が出るとは。

 勿論、そういった手合いは今までにもいた。だが、それは打算的であり、シェリーの頭脳を求めてのことだった。

 今回も、その例かもしれない。けれど、ルスランの直感はそうでないと言っていた。

 友達でも彼氏でも、ずっと一人だったシェリーの側に居てくれる人ができるのは喜ばしいことだ。それは嘘や欺瞞ではなく、本心からの思いだった。

 ルスランの笑みが深くなる。それもやはり、自然になったものだった。

 

「それで、返事はどうするのだね?」

「へ、返事ですか?」

「きっとその男の子は返事を待っているよ」

「で、でも私は……」

 

 シェリーは真っ赤になって目を泳がせていた。

 

「研究以外にも、人との付き合い方も学んだ方がいい。学園とはそういう場所だ」

「……はい」

 

 俯くシェリーにルスランは笑いかける。

 

「アーティファクトの件は順調かい?」

「まだ、始まったばかりです」

 

 困ったようにシェリーは微笑んだ。

 

「それもそうだね」

「ただ、一つ分かったことがあります」

「ほう」

 

 シェリーはアーティファクトについて分かったことを説明する。

 どうやら、母ルクレイアが研究していた暗号とこのアーティファクトの暗号が似ているとのことだ。

 ルスランからすれば、それは当たり前なのだが、そのことを言う必要はない。

 

「いい依頼を受けたね」

「はい」

 

 シェリーの頭を撫でれば、彼女ははにかんだ。

 それからしばらく会話をし、その場を後にする。

 去り際に、

 

「研究、頑張りなさい。それと、チョコレートも食べてあげなさい」

「……はい」

 

 ルスランは頷いて、今度こそ立ち去った。

 

□□□

 

 学園最強は誰かと問えば、一昨年まではアイリス・ミドガルと誰もが答えただろう。

 では、今は誰かと言えば、誰もが口を揃えてその王者の名前を口にするだろう。

 彼女の名前はローズ・オリアナ。

 芸術の国、オリアナ王国からの留学生であり、国王ラファエロ・オリアナの娘である。

 彼女の名は隣の学術学園まで轟いていた。

 

 今日、シェリーは珍しく試合を見に来ていた。その試合とは、ブシン祭の選抜大会、その一回戦だ。

 その試合にはローズ・オリアナが出場するらしく、客席はいっぱいだった。

 突然、歓声が巻き起こる。どうやら、ローズ・オリアナが出てきたようだ。

 ローズ・オリアナは手を振り、歓声に応える。

 

「頑張ってください……」

 

 手を組み、祈るように目を瞑る。

 祈る相手はローズ・オリアナ──ではなく、その対戦相手だ。

 ローズ・オリアナが出てきた入口とは反対の入口から、とある少年が出てくる。

 一見すれば、いやしなくとも、平凡な少年。シド・カゲノーだ。緊張しているのか動きが少しぎこちない。

 それも無理のないことだろう。相手は学園最強とまで謳われるローズ・オリアナだ。この会場にいる誰もが、彼女の勝利を確信している。

 

「頑張ってください……!」

 

 それでも、シェリーは彼の勝利を願う。

 両者が対峙し、歓声が止む。

 そして、審判の号令と共に、二人は動いた。

 

「きゃっ!」

 

 シェリーは小さな悲鳴を漏らす。

 試合の決着は一瞬で着いたのだ。少年が派手に血をまき散らしながら、吹き飛ぶ。地面に転がった彼は、血まみれだった。その結果を受けて、客席は一気に盛り上がる。耳が痛いほどの歓声だ。

 シェリーは黙って倒れる少年を見た。

 彼女の胸には青年の安否を思う不安と、微かな落胆があった。

 もしかしたら、シドがローズに勝つんじゃないかと思っていた。あるいは、単にかっこいい姿が見たかったのかもしれない。

 自分勝手だとは分かっていても、少しばかりの落胆は消せなかった。

 ぎゅっと、手に持ったクッキーを握りしめる。

 後でお見舞いに行こう。まずはお友達から、と伝えるのだ。でも、試合の直後に押しかけては迷惑かもしれない。

 そんな風に考えていたシェリーは、己の目を疑った。

 なんと、少年が立ち上がるではないか。

 

「まだ、だ……」

 

 今にも倒れそうになりながら、少年が立ち上がる。大きな歓声の中、シェリーには何故か、彼の声が聞こえた気がした。

 ローズが剣を向き直り、構える。少年も剣を構えた。

 

「頑張ってください……!!」

 

 シェリーは小さくも、しかし彼女にとっては大きな声で叫んだのだった。

 

□□□

 

 試合はそれはもう、凄惨なものだった。

 何度も何度も、少年が吹き飛ばされる。けれど、その度に彼は立ち上がるのだ。

 剣を受ける度に血飛沫が舞い、服が裂ける。

 歓声はいつしかなくなり、悲鳴までもが聞こえてきた。

 見れば、ローズも驚きに目を丸くしていた。

 

「まだ、だ……!」

 

 何回目だろう。少年が立ち上がる。

 会場全体が妙な雰囲気に包まれる。何故立つのだ、と。何故諦めないのだ、と。

 そんな中でも、シェリーは真っ直ぐ少年の姿を見つめる。瞳にその景色を焼き付けるように、真剣に見つめた。

 

「私は、あなたのことを見くびっていたようですね」

 

 静かな会場に、ローズの声が響く。

 

「次で終わりです」

 

 何度も見たローズの構え、そして、今日一番の魔力の高まり。その魔力で、会場にどよめきが生まれた。

 

「や、やめて……」

 

 鼻の奥がツンとする。自然と視界が歪む。

 このままでは、彼が、シド君が死んでしまう……!

 大きな声で叫ぼうとして、けれど喉が痙攣して声が出ない。

 

「やはり、あなたは諦めないのですね」

「……」

 

 ローズの纏う闘気が膨れ上がる。客席のシェリーまで、ピリピリとした感覚を味わう。

 試合を止められる人は……審判!

 シェリーは審判のことを見る。しかし動かない。ローズの闘気に当てられてか、立ち上がる少年の覚悟に呑まれてか。審判は動かなかった。

 

 ローズの剣が呻りを上げる。合わせて少年も動いた。

 二人の剣が交錯し、少年が吹き飛ばされる直前──

 

「あっ……」

 

 少年が僅かなでっぱりに足を取られてバランスを崩す。

 その結果、ローズの剣の軌道上から外れた。そして、ローズの剣は空を切る。

 更に、起きたミラクルはこれだけではない。予測不能な軌跡を少年の剣は辿ったのだ。

 ローズは慌てて回避行動を取るも、間に合わない。微かに頬に切り傷ができた。

 

「ぐはっ」

 

 そして、少年は地面に伏した。全ての力を使い果たしたのか、もう動かない。

 

「しょ、勝者ローズ・オリアナ!!」

 

 ようやく我に返ったのか審判がコールする。

 寸刻を経て、大きな歓声が会場を包む。その歓声はローズを称えるものであり、同時に少年の勇姿を称えるものでもあるように思えた。

 ぐったりとした様子の少年が運ばれていく。ローズはどこか安堵したような表情だった。

 

 シェリーは席を立ち上がり、駆け出した。

 




あのローズ先輩に傷を付けるシドくん。そして試合後は動かなくなる。次回はシドくん視点です。多分。


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反省は大事だけど、イベントは楽しみたい

気付いたらユニークアクセスが10,000越えてましたね。
ありがとうございます。これからも、本作を楽しんで頂ければ幸いです。


 

「……」

 

 僕は半ば呆然と医務室のベッドに横たわっていた。

 グルグルと体のあちこちに包帯が巻かれていて、動きにくい。半ば思考停止状態で天井の染みの数を数える。

 

「751、752、753……」

 

 あぁ。どうして僕はあんなことを……モブとして失格だ。

 主役級キャラに傷を付けるモブが存在するだろうか。

 答えは否。断じて否だ。

 

「754、755、756……」

 

 何故あんな結果──ローズの頬に傷を付ける結果になってしまったのか。

 直接的な要因を挙げるなら、やはり地面のでっぱりに足を取られたことだ。それに偶然が重なって、僕の剣はローズに届いた。届いてしまったのだ。

 

「757、758、759……」

 

 だけど、僕はそれだけが原因だとは思わない。もう一つ、間接的な要因があるのだ。

 それが何かと言えば、僕は浮かれ過ぎていたということだ。近々ある学園襲撃イベントに、今まで修めて来た数々の『モブ式奥義』の披露。僕が浮かれる要因は多々あった。

 

「760、760……あっ間違えた。761……」

 

 僕は今、全身に傷を負っている。試合中の怪我はなかったけど、医務室に運び込まれるに当たって、自分の体を切り刻んだのだ。

 そうしないと、僕が無傷ってバレちゃうからね。

 だから、僕の包帯はそこそこ赤く染まっている。ぱっと見かなり痛々しい。

 というか、普通に痛い。僕はこの痛みを今回の戒めとすることにした。

 

「762、763……いや、ここら辺はもう数えたか。じゃあ戻って、751、752……っと」

 

 僕が反省しながら天井の染みの数を数えていると、医務室の扉が開いた。

 

「えっとー、シド・カゲノー君はいらっしゃいますか?」

 

 そこに立っていたのは、桃色の髪の美人さんだった。

 

「いるけど」

 

 僕は横たわったまま、首だけ向ける。血まみれで起き上がるモブはいないからね。

 桃色さんはどこかほっとしたような顔をして、僕のベッドの側に来る。

 

「お怪我は……大丈夫ではなさそうですね」

「まぁね。見ての通り重症だよ」

 

 僕は半分マジの、痛い演技をする。

 

「だ、大丈夫ですか!?」

 

 ちょっと演技が上手すぎたかな。役者の才能があるかもしれない。

 

「大丈夫、大丈夫だから」

 

 そう言ってしばらく宥めていると、桃色さんはようやく納得してくれたようだった。

 

「良かった……あの! 試合見てました! それで、えっと……かっこよかったです!」

「そ、そう。かっこよかったの?」

「はい。かっこよかったです」

 

 桃色さんは頬を染めて頷いた。

 

「あ、ありがとう」

 

 モブにかっこよさを感じるなんて、変わった子だ。

 まぁ、観客は沢山いたし、中にはそういった人もいるでしょ。

 

「試合、惜しかったですね」

「そうかな」

 

 できれば、この話はもうしたくない。自分の失敗した話をずっとするのは中々に心に来るのだ。

 

「今日はいい天気だね」

 

 というわけで、話題を変えようと思う。こういうときは、天気の話を振っておけばオッケー。

 

「そ、そうですか? 今日は青空が見えませんけど……」

「あっ……」

 

 しまった。今日は曇りだった。

 

「あの、これ……」

 

 桃色さんは少し恥ずかしそうにもじもじして、小さな包みを差し出した。

 

「クッキー焼きました。あの、お返しに……」

「お返し? あぁ……」

 

 良い試合を見せて貰ったことに対してかな。折角だし、貰っておこう。

 

「ありがと」

 

 桃色さんは嬉しそうに微笑んだ。そして意を決したように、

 

「も、もしよろしければ、お友達からお願いしますっ!」

「うん? 友達? いいよ」

 

 桃色さんは飛び跳ねる勢いで喜んだ。

 それからしばらく、僕らは話をした。その結果、彼女がシェリー・バーネットだということに、僕は遅まきながら気が付いた。

 彼女は学術学園のネームドキャラだ。

 僕はそんな人物とあろうことか、友達となってしまったのだ。

 僕は胸の傷を押さえる。

 

「だ、大丈夫ですか?」

「大丈夫、大丈夫」

 

 やっぱりこの痛みは戒めとして、しばらく体に刻んでおこう。

 

□□□

 

 僕は怪我の療養ということで、五日間の休みを貰った。今日は五日目で、怪我は完治している。

 

「さて、と」

 

 僕は例の如く『陰の実力者』セットを用意する。今回は新しく手に入れた幻の彫刻『ミロのジュピター』も飾っておく。

 

「よし」

 

 満足のいった僕は頷き、椅子に座って待った。

 待った……。

 待ち構えた……!

 そして、そのときがやってくる。

 

「来たか……」

 

 僕の後ろで誰かが跪く気配がする。

 

「……シャドウ様。報告に参りました」

 

□□□

 

 ニューが指定された部屋に足を踏み入れると、そこは暗闇だった。

 まだ夜は深く、彼女らにとっては慣れ親しんだ時間帯だ。夜の帳はいつだって彼女らの味方をする。

 ニューは明かりの漏れる奥の部屋へと向かう。

 

「来たか……」

 

 その声は低く深く、威厳に満ちた声だった。

 ニューは即座に跪く。

 

「……シャドウ様。報告に参りました」

 

 緊張からか、舌の回りが悪い。彼が全てを分かっているとは言っても、報告が正しくできないのは問題だ。

 ニューは一度大きく深呼吸をする。

 

「例の件についてです」

「学園襲撃イベ……んんっ! の件か」

「左様です」

 

 ニューは瞑目し、報告に集中する。

 

「ここ数日、王都にある教団の拠点に、続々と人員が集まっています。その多くは3rdですが、2ndもかなりいるようです」

「ふむ……」

「また、チルドレン1stが二人確認されています。一人はネームドではありませんが、もう一人は『悲憤慷慨(ひふんこうがい)』のカース。『シャドーガーデン』でもマークしている実力者です」

「ふむ……」

 

 そこで話を一旦区切る。そして、乾いた唇を舌で湿らす。

 

「次に日時ですが、恐らく明日か明後日辺りだと思われます」

「ふむ」

 

 先程よりも強い相づちだった。その理由が分からないニューは報告を続ける。

 

「こちらの戦力ですが、合計63名。総指揮はガンマ様が、現場指揮はイプシロン様が執られます」

「ふむ……」

「それとは別に、今回の作戦にはイータ様も加わるようです」

「ふむ……ん? イータが?」

「はい。何でも、今回教団が使うだろうアーティファクトに興味があるようでして──」

 

 ガンマが、今思い出しても、彼女が参加すると言ったときの衝撃は忘れられないと言っていた。鬼気迫る勢いでアルファに直談判していたらしい。

 

「──アーティファクトの調査、回収をするようです。また、イータ様の部隊は並行して、学園に持ち込まれているアーティファクトの護衛も致します」

「ふむ……」

 

 そこまで報告を終えて、ニューの肩の荷が下りる。それでもまだ、彼の前なので気は抜けない。

 

「報告は以上ですが、何か質問などはありますか?」

「ふむ……ところで、"アレ"の用意はできているか?」

「"アレ"、でございますか」

「"アレ"だ」

 

 一体どれのことだろうか。ニューは必死に思考を巡らせ、該当するものを探すが見当たらない。

 己の無能を晒すようで恥ずかしいが、ここは彼に聞くしかないだろう。

 

「失礼ながらシャドウ様。"アレ"とは一体……」

「ふむ……ならばまだいい。必要になってから言おう」

「……かしこまりました」

 

 失望されただろうか。ニューの心胆が冷える。

 

「それでは失礼致します」

 

 ニューは最後まで頭を下げたまま退室しようとしたとき、不意に声が掛けられた。

 

「ニュー」

「はっ」

「飲んでいくか?」

 

 ニューが顔を上げると、テーブルの上にはグラスが二つあり、彼の手にはワインのボトルがあった。 

 それは酒を嗜む者なら誰もが知っている程の一級品。平民なら一本で半年は暮らせるだろう。

 

「よろしいのですか?」

「あぁ」

 

 ごくりと喉が鳴る。

 俯いていて今まで気が付かなかったが、この部屋には一級品しかない。絵画や調度品は勿論、グラスにテーブル、タンスなども名のある名工が作ったものだった。

 その光景にニューは圧倒される。

 

「ではありがたく……」

 

 この日の夜は、ニューにとって随分短く感じられたのだった。

 




ニューの報告→お供の流れが多過ぎですね。自重します。
因みに、『悲憤慷慨』は「世情や自分の運命などに対していきどおり、嘆き悲しむこと。」(コトバンク)です。


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あなたの思いは分かったわ

今回からシドくんの地の文での表記を青年→少年としています。今更ですが、原作では少年となっていたことに気が付きました。
他の話も気が向いたときに直していこうかと思います。


 ブシン祭選抜大会の日からもう一週間が経つ。ローズは今でもあの日の光景を鮮明に思い出すことができる。

 ローズは頬を撫でる。そこにはもう傷は残ってはいなかった。

 ガラガラと扉を開け、教室に入る。今日は生徒会選挙の演説があるのだ。ローズはその候補者の応援演説をすることになっている。

 教卓の前に立ち、机に座る面々を見回した。

 

「───」

 

 そして、そこにいたとある少年を見つけ、少しだけ動きが止まる。

 黒髪の平凡な少年、シド・カゲノー。人並み外れた力があるわけでも、秀でた才能があるわけでも、特別家柄がいいわけでもない。少し前のローズは、その存在を認識さえしていなかった。数多に埋もれる内の一人にしか思っていなかった。

 だが、その胸の内で燃える意志の強さはいかばかりか。それはローズにさえ分からない。

 恐らく、ローズの剣にかける思いの強さと同じくらい───いや、ひょっとしたらそれ以上なのかもしれない。

 彼は何のために剣を振るうのか、何故何度も立ち上がるのか。きっと、何か大きな使命や志があるのだろう。

 実力はローズに到底及ばない。しかし、その思いの強さだけで、彼はローズに一矢報いたのだ。

 取るに足らない相手だと、試合前は思っていた。しかし、それは酷い勘違いであり、醜い侮蔑であると今なら思う。

 ローズはあの日の対戦相手として、一国の王女として、また、一人の人間として彼に謝罪をしたいと思っていた。

 件の少年はつまらなそうに頬杖を付いて、話を聞いていた。

 その少年がふと、何かに気付いたかのように、窓の外を見る。そして、微かに口元が動いた。

 

『来たか……』

 

 音こそ聞こえなかったが、確かにそう口が動いた。

 何が、と思いローズが窓を見るのと、それは同時に起こった。

 

 突如として、窓から人が飛び込んで来る。窓の割れる高い耳障りな音が鳴り、悲鳴が教室内に木霊する。

 

「全員動くなッ! 今より我らがこの学園を占拠するッ!」

 

 黒ずくめの男は抜剣し、そう言った。男の仲間も抜剣している。

 誰もが動けないでいる中、ローズの心には燃え盛る炎のような怒りが湧いていた。

 なんという不届き者なのだろう! そして、なんと考えの足りてないことだろう!

 自分の中の正義が叫ぶがまま、ローズは一歩前に出て抜剣する。

 

「魔剣士学園を占拠するなんて、正気の沙汰とは思えませんわ!」

 

 静かな教室にローズの声が響いた。ローズは主犯格と思われる男を睨む。

 だが、その眼差しを受けても男は顔色一つ変えずに笑みを浮かべた。

 

「武器を捨てろ。小娘」

「断ります」

「ふっ……まぁ丁度いい見せしめだ──死ねッ!」

 

 男が鋭い踏み込みで、一息にローズとの距離を詰める。流石に魔剣士学園を占拠すると宣うだけの実力はあるようだ。

 だが、ローズからして、この程度の実力では練習相手としてだって不足する。

 役者が違うのだ。

 そう判断しローズが剣を弾き飛ばそうと、魔力を練ったときだった。

 

「うそっ!? 魔力が……!」

「ようやく気付いたか! だがもう遅いッ!」

「クッ!」

 

 男の横薙ぎを辛うじて剣で受ける。しかし、出力で圧倒的に敵わず、ローズは吹っ飛んだ。

 

「がはッ!!」

 

 背中から勢いよく壁にぶつかる。肺の中の空気が突風のように口から漏れた。

 

「さっさと死ね」

 

 一息つく間もなく、ローズの前に男が立つ。振り上げられた剣を見て、死を覚悟した。

 そして、剣が振り下ろされる。

 

「やめろーッ!!」

 

 そこで、横合いから人影が飛び込んできた。聞き覚えのある誰かの声だ。

 その人影はローズと男の中間、剣の軌道上に体をねじ込む。

 

 赤く暗い、しかし鮮やかな花が咲く。べちゃっと顔に生温かいものが付いた。遅れてどさりと重いものがローズに重なる。

 

「あなたは……」

 

 何が起きたのか掴めず混乱する中、目に飛び込んできた顔を見て呟いた。

 見覚えがある。当たり前だ。忘れたくとも、一生忘れられないだろう。

 

「シド、カゲノー君……どうして、私を庇ったの……?」

 

 ローズは少年を抱きかかえる。その体がずっしりと重く感じるのは、魔力が使えないからか、もしくは少年の体に力が入っていないからか。

 

「良かった……」

 

 満足そうに少年が笑う。その笑顔にローズは戸惑った。

 少年には、何か使命が、志があったのではないのだろうか。それを、自分を助けるためなんかに投げ出したというのか。

 

「死ぬのが、僕で良かった……」

「……!!」

 

 その言葉を最期に、本当に少年の体から力が抜ける。脈が止まり、呼吸はなく、青白い。僅かに残る温かさだけが、彼が生きていたことを示していた。

 ローズは彼の遺体を抱きしめた。冷めないように、強く、強く抱きしめた。

 ローズは理解してしまったのだ。彼のここまでの行動を通して、分かってしまったのだ。何故彼が剣を振るのか。何故彼がローズを庇うのか。それらの意味が分かったのだ。

 幼い頃から数々の告白を、愛の言葉をローズは聞いてきた。だが、未だかつてこれ程情熱的に、全てを懸けて思いを伝えられたことはあっただろうか。

 あの試合での、彼の最後の剣。いや、あれだけではない。あの日の彼の全てがローズへの思いをぶつけたものだったのだ。

 

「いい見せしめになったな」

「……」

「まだ歯向かうか?」

「…………。……いえ、従います」

 

 彼の思いには永遠に応えられない。ならば、彼の死を無駄にすることだけは避けなければならない。

 じっと、耐えるのだ。チャンスが来るそのときまで。

 男たちに連れられて、教室を後にするローズは最後に一度だけ振り返る。

 

「ありがとう……」

 

 熱くなる目頭を押さえ、頭を振る。悔やむのも、悲しむのも全ては解決した後だ。

 ローズは大きく深呼吸をして、教室から出ていった。

 

□□□

 

 グレンはその騒がしさから、学園で何かが起きていることを察していた。

 

「どうだった?」

 

 外の状況を見に行っていた部下のマルコに聞く。

 

「何者かが学園を襲撃しています」

 

 グレンは腕を組み、たくましい髭を触る。

 

「魔力が使えんとなると、下手に動けんな」

 

 ちらりと研究に没頭する少女を見る。こちらの会話は疎か、外の喧騒にも気付いていないのだろう。寸刻前と変わらない様子で、アーティファクトの解読をしている。

 

「とりあえず、様子見だ。折を見て、一先ず校長室か職員室に移動する」

「はい」

 

 マルコの力強い返事を聞いてグレンは頷く。

 まずは何より、この非常事態を未だ研究に没頭する少女に伝えなくては。

 

「バーネット嬢───」

 

 グレンが声をかけたその時だった。

 

「嗚呼ッ、なんという悲劇なんでしょう」

「──ッ!? 誰だ!」

 

 その声は窓の方から聞こえた。剣を抜いて構えつつ、グレンは見た。

 

「『紅の騎士団』副団長殿に、その騎士団の構成員殿。そして、学園一の頭脳バーネット嬢」

 

 窓辺には男が座っていた。

 深い紺色の髪は乱れ汚れていて、髪と同色の瞳の男だ。顔色が悪く、口元に薄く浮かんだ笑みが気味悪い。黒い装束に身を包んでいた。

 

「嗚呼、嘆かわしい。こんなにも未来溢るる人材の失われるこの世の中が。実に、腹立たしい。誰も救ってくれないこの世の中が」

 

 まるで歌うかのように男は言った。

 

「貴様、何者だ?」

「『悲憤慷慨』のカースです──」

 

 カースと名乗った男は腰を折り、礼をする。

 

「──私と知り合った幸運を是非、嘆き悲しみ憤ってください」

 

 そう言って、カースは笑った。




分かると思いますが、『悲憤慷慨』はオリキャラです。一応。


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【至急】情報求む

グレンとかマルコのキャラが分からない……。おかしな点があるかもしれません。

追記
原作を読み返したのですが、やっぱりマルコはもう少し優しい感じにします。急な変更、申し訳ございません。


 グレンは強く剣を握りしめ、カースを睨みつける。けれども、カースはただ突っ立っているだけだった。敵意や緊張などは一切感じられない。

 自然体のあるがままで、そこにいた。

 

「マルコ、お客さんの相手は俺がやる。バーネット嬢を連れて校長室へ行けっ!」

 

 グレンが叫ぶ。その声には強張った響きが入り混じっていた。

 それは、何故だかは分からないが、グレンの本能が警鐘を鳴らしていたためであり、実際微かに剣先も震えていた。その震えが武者震いでないことは、グレン自身が一番よく分かっている。

 

「バーネット様、こちらへ」

「は、はい!」

 

 一瞬虚をつかれたマルコはしかし、即座にシェリーを連れ退室する。その間も、カースは気味の悪い笑みを浮かべるばかりで、何も行動はしなかった。

 

「見す見す逃してくれるとは、親切なことだな」

 

 煽るようにグレンが言う。対してカースは笑みを崩さない。

 

「親切! これは異なことを言いますね。嗚呼ッ! 世界に懇ろ(ねんごろ)なんてものあるのでしょうか」

 

 カースが虚ろを見つめて剣を抜く。だが、それでもまだ戦意というものは感じられない。

 グレンは剣を構えながら、一歩距離を詰める。

 

「狂人め」

 

 そして、一息に間合いを踏み潰し、切り込んだ。

 

「届きませんよ」

「くっ」

 

 だが、いつの間にかそこにあった剣により防がれる。そして、続く二撃、三撃も易易と防がれた。

 

「世界は美しい。そしてそれ故に無常ッ! どれだけ強かろうと努力しようと、魔力が無ければ子羊同然!」

 

 カースが笑いながら歌うように言葉を紡ぐ。グレンがいくら連撃を繰り出そうと、その不快な歌を止めることは叶わない。

 

「『痩騎士』さんは流石ですねぇ。よく先を見据えておられる。不条理な世界に身を置くからこそなんでしょうか。だとすれば! 嗚呼、なんと嘆かわしいことでしょう!」

「何の話だ?」

 

 グレンが問えば、気味の悪い笑みが一層深くなる。ニィと口の端が吊り上がり、濁った瞳が半月を描く。

 

「向こうには別働隊がいるのですよ」

「向こう? ……まさかっ」

 

 グレンはついさっき退室した部下と、護衛対象である少女の姿を思い浮かべる。

 別働隊の規模は不明だが、マルコ一人では手に余ることは目に見えている。本来なら、今すぐ救援に向かうべきだ。

 だが───

 

「まさか! まさかですが、この場を脱し、救援に行こうなんて考えていませんか?」

 

 目の前にいるカースせいで、それはできそうにない。彼の放つプレッシャーがグレンの選択肢を削っているのだ。

 

「だが、それでも───」

 

 グレンは椅子をカース目掛けて蹴飛ばす。カースはその椅子をものの一振りで粉砕し、破片が飛び散った。

 

「任務を遂行するッ!」

 

 その隙にカースの死角にグレンが潜り込む。そして、下段から剣を払う。

 

「甘い! なんと安直な攻撃でしょうか。嗚呼、嘆きを越して憐れみすら浮かんできますよ!」

 

 けれども、グレンの振るったその剣は防がれた。剣と剣とがぶつかり合い、花びらのような火の粉が散る。

 だが、ここまでは分かっていたことだ。

 

「ダァァッ!!」

 

 グレンはつばぜり合いで剣を押し込む。相手が油断している今だけがチャンスなのだ。

 一歩、カースが押されて下がった。

 

「舐めるなァァァッ!!」

 

 グレンはそこから一気に力のベクトルを反転させ、回転する。そして、そのままその勢いでカースの脇腹を蹴った。

 カースが腹を押さえ、よろける。

 

「あぁ、痛い。痛いですねぇ。そして嗚呼! なんと健気なんでしょう───」

 

 そうして脇腹を押さえたままカースはケタケタと笑う。肩を震わし、不気味な声で、カラカラと笑った。

 続く攻勢をかけようとしていたグレンの剣が止まる。

 

「───だからこその悲劇! 全ての企みも思惑も気泡と化すそれは、まさに悲劇ですよ!」

「くっ、新手か!?」

 

 廊下を歩く足音が聞こえる。マルコたちが行った方と同じ方向からだ。

 よもやもうマルコはやられてしまったのか。だとすれば早すぎる。一体どれだけの戦力を相手方は揃えているのだろうか。

 

「悲しいですか? 不安ですか? 憤ってますか?」

 

 グレンの胸中に無事を信じる気持ちと、最悪の想像が入り混じる。嫌な冷たい汗が背中を流れた。

 カースからは目を離さず、扉を見る。足音は、着実に近づいていた。

 

「おやおや?」

 

 そして、ようやく姿を現すといったところで、どさりと何かが転がった。黒く大きな塊───それはローブを纏った血まみれの男だった。

 

「アーティファクトの……回収……まだ…………情報……求む……」

 

 遅れて、少女が入ってくる。茶色い髪のボケっとした少女だ。黒いボディースーツに見を包んでいる。更によく見れば、エルフだということも分かる。

 

「ほうほう……それは2ndの死体。あなた様はどちら様で?」

「マスターにも……アルファ様にも……名前は言うなって……言われてる……」

「ならばやはり、()()()()ですか? 『痩騎士』さんの最悪の想像は的中してしまいましたか!」

 

 心底愉快そうにカースが笑う。だが、グレンには笑っているようで、怒っているようにも感じられた。

 

「何か……知ってそうな……顔…………教えてくれれば……実験には……使わない………………約束する」

 

 冷たい眼差しで少女が言った。寝不足なのか、目の下には隈ができている。

 

「ノー! 世界はままならないものなのですよ」

「なら……死んで」

 

 少女がそう呟くや否や、少女の影が伸びる。それがそのまま、カースの元まで行き、下から数メートル程の刃が突き出た。

 カースは間一髪で体を捻り、その刃を躱す。

 

「嗚呼ッ怒りが、鬱憤が、憎悪が、満たし満たされ満ちていていて! これこそまさに憤りッ!」

 

 そんな戯言を言いながら、カースが突き出た刃を切り裂いた。切り裂かれた漆黒の刃は存在が嘘だったかのように砕けて、床に散る。

 

「スライム……?」

 

 そして、その刃は液体状になり床に広がった。それは漆黒のスライムのようであったのだ。

 

「絶対に……聞き出す……!」

 

 少女の強い決意の籠もった声が部屋に静かに響いた。

 

□□□

 

 シェリーはパタパタとうるさい足音を鳴らしながら、前を行くマルコの背中を追いかける。

 

「バーネット様」

 

 曲がり角で、マルコがシェリーに止まるよう指示する。そのまま彼は壁に張り付き、警戒しながら先を見る。

 その様子を、シェリーは固唾を呑んで見守った。

 と、そこで、不意に肩を叩かれる。

 

「ひゃ……」

「おっと、声は出さないでね」

 

 思い切り叫び声を上げようとしたシェリーの口が塞がれ、聞き覚えのある声が掛けられた。

 

「ぃおくん!」

「静かにね」

 

 見ればそこには最近友達になった少年、シド・カゲノーがいた。

 彼は人差し指を唇に当て、黙るように促す。そして、シェリーの口を覆っていた手を離した。

 

「誰だお前ッ!」

 

 まさかの出会いへの驚きが落ち着いて来た頃、切羽詰まった声がした。マルコだ。

 剣を抜き、睨みつけるように少年を見ている。

 少年は「ひぃ!」という情けない悲鳴と共に両手を上げる。

 その音に気付いたのか、少年の向こう、廊下の奥から"襲撃者"が姿を現した。だが、瞬きをしたらいなくなっていた。気のせいだったのだろうか。

 

「ぼ、僕はこの学園の生徒ですぅ!」

「その血まみれの服はどうした! どう見ても致命傷だろう!」

「えっ! シド君大丈夫ですか!?」

「こ、これは……そう、奇跡的に一命を取り留めたんです」

 

 マルコは少年の言葉を疑っているようで、剣は向けたままだ。そのマルコに、信じてほしいと少年が涙ながらに訴える。その様子を見ていたシェリーの胸は熱くなり、咄嗟にマルコと少年の間に割って入った。

 

「あ、あの! この人は……友達、ですから……! そ、それで……信用できますっ!」

 

 精一杯に、少年を庇う。その真摯な説得を受けてか、マルコは剣を下ろす。一応は信じてくれたみたいだ。

 

「分かりました……でも───」

 

 マルコがシェリーに耳打ちする。

 

「───彼が何らかのアーティファクトで変装し、生徒の制服を奪った可能性もあります。お気を緩めないでください」

「は、はい……」

 

 口ではそう答えたが、実際シェリーはその可能性はないと考えていた。先程のあの優しい声も、あの手の温かさも嘘には思えなかったのだ。

 シェリーは俯く。

 

「少年、名前を聞いても?」

「し、シド・カゲノーでふ」

「カゲノー君、剣は使えるかい?」

 

 マルコが少年に一本の剣を渡した。それは、道中で斬り伏せた"襲撃者"から奪ったものだった。

 

「一応は……」

 

 少年はその剣を震える手で受け取る。そして、ぎこちない動作で腰に差した。

 

「行きましょう」

 

 マルコはそう言って、先頭を行こうと歩き出す。

 

「あの……」

「どうかしましたか? バーネット様」

 

 そのマルコにシェリーは声をかける。ぎゅっとポケットにあるアーティファクトを握った。

 

「副学園長の部屋に行き先を変えて頂きたいです」

「……それは如何なる理由でですか?」

「……そこに行けば、今の状態をなんとかできる、かもしれません」

 

 いつもは合わせなかった目線を合わせる。友達として、上級生として彼に弱い姿を見せるわけにはいかないと思ったのだ。

 マルコは眉間にしわを寄せ悩むが、早々に答えを出したようで頷いた。

 

「分かりました」

 

 その答えを聞いて、シェリーはほっと胸を撫で下ろす。

 

「『強欲の瞳』……」

 

 シェリーは小さく呟いた。それは、この現象を引き起こせるアーティファクトの名だった。

 そして、彼女にとって因縁深いものでもある。

 

「お母様……お義父様……」

 

 祈るように、シェリーは再び呟く。

 

「あぁそうそう。とりあえず、そのうるさいローファーは脱ごうか」

「は、はい」

 

 少年に指摘されたシェリーは赤面しながらローファーを脱いだのだった。

 




シドくんの行動は概ね原作通りです。別働隊はシドくんとイータの部隊により殲滅されました。
ルスランは原作よりも踏んだり蹴ったりですね。


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感謝と未練と絶望と

前の話にも追記したのですが、マルコさんはもう少し優しい感じにしました。投稿してからの変更は良くありません。改めて、お詫び申し上げます。


 僕たちは静かな廊下を通って、副学園長室に辿り着く。その間、一度も襲撃者と遭遇することはなかった。

 ……まぁ、実際は僕がこっそり排除してたんだけどね。だってあの二人、気配を消す気がないのかと思うくらい、酷い動きだったから。

 あ、そうそう。何人か『ミツゴシ商会』の人がいて、彼女たちも盗賊退治をやっていた。『ミツゴシ商会』はそんなことまでやってるんだね。

 

「疲れたー」

 

 僕はソファに身を投げ出す。うん、ふかふかだ。

 

「カゲノー君、休むのはいいけど気を抜かないように。ここはまだ、彼らが彷徨っているからね」

「はい……」

 

 完全に寝そべっていた僕は、姿勢を正し、深く座る程度に留める。

 

「あった!」

 

 机の向こうから喜びの声が聞こえる。シェリーだ。

 いくらかの資料を抱えて来て、僕の目の前にある応接セットのテーブルにそれらを並べる。

 こっちのテーブルの方が広いからね。

 僕は広げられた資料を眺める。

 

「……なにこれ」

 

 それが僕の正直な感想。文字とか、数式とか、図形とか、全く意味が分からない。

 

「これはなんですか?」

 

 テーブルの横から覗き込むマルコが言った。良かった。僕以外にも分からない人がいて。

 

「えーとですね───」

 

 シェリーが絵などを交えながら説明してくれる。ふむ。 

 シェリーの説明によれば、魔力の使えない今の状況は『強欲の瞳』というアーティファクトが原因らしい。そのアーティファクトは、強い魔力や微細な魔力は無理だが、大方の魔力を吸収できるとのことだ。

 

「───このアーティファクトは以前私が研究、解明したものです。危険性も考えて、国で保管してもらっていたのですが……」

 

 シェリーはそこで言葉尻を濁した。

 

「同型のものがあったか、盗まれたかだね」

「……!」

 

 そこまで黙って話を聞いていたマルコが、はっと息を呑んだ。心当たりでもあるのかな。

 

「……横から失礼します。恐らくはそのアーティファクト、先日の火事の際に盗まれたものの一つだと思われます」

「それって依頼のときアイリス王女も言っていた……?」

「そうです」

 

 なるほど。ならこの『強欲の瞳』は盗まれたものってことだ。

 

「騎士団の実力不足でこのような惨事が……」

「そ、そんなことありませんよ」

 

 マルコは悔やんで唇を噛む。シェリーはオロオロしていた。

 

「ところで、何か対処法はないの?」

「……あります」

 

 シェリーは頷いて、大きめのペンダントを取り出した。結構汚い。

 

「それは……!」

「はい。調査依頼をされていたアーティファクトです。そして、これが『強欲の瞳』の制御装置だと思われます」

「ふむ」

「詳細は合わせて研究しないと分かりませんが、この装置で『強欲の瞳』を一時的に無効化できると思います」

「なるほど。その隙に大講堂の生徒を解放するというわけですか」

「はい」

 

 ふむ。

 

「それって、今すぐできる感じ?」

「いえ……まだこのアーティファクトの解読が済んでいないのです」

 

 そう言ってシェリーはペンダントの表面を撫でる。

 僕はほっと胸を撫で下ろした。まだこのイベントが終わるには早いからね。

 

「なので、まずは解読を優先します」

「それで?」

「その後は、このアーティファクトを『強欲の瞳』に近付けます」

「どうやって?」

「えっと……地上は警戒されているので、地下から行こうかと」

 

 シェリーが壁に並んだ本をいくつか抜き取ると、本棚が回転して階段が現れる。

 こういうの大好き。

 階段には埃が積もっていて、しばらく使われてないことが分かる。それを見てか、シェリーの瞳に悲しみの色が浮かんだ。

 

「お義父様、大丈夫でしょうか」

「お義父様って、ルスラン副学園長だっけ?」

「はい。母を亡くした私を引き取り、娘同然に育ててくれたんです」

「良い人だね」

「はい……いつも助けてもらってばかりですけど、今回は私が助けるんです」

「頑張ってね」

 

 決意固い表情でシェリーが言う。僕はいつもの生返事ではなく、幾分の本心を込めてエールを送った。

 と、そこで扉の前に誰かの気配を感じた。

 僕はソファから立ち上がる。

 

「シド君どうしました?」

「ちょっとお花を積みにね」

「お花……? 花壇にでも行くんですか」

「バーネット様、恐らくは違う意味かと思われます……」

 

 僕はそのまま出口へ向かう。

 

「あ、そうだ。何か欲しいものがあったら取ってくるけど?」

「えっと、じゃあ……」

 

 シェリーが手近な紙にいくつかの単語を書き込む。

 

「これをお願いします。私の研究室にあるはずですから」

「うん、オッケー」

 

 僕は扉を開け退室する。それに合わせて例の気配も移動した。

 

「───」

 

 その僕の後ろ姿を、あるいはもっと別のなにかを見てマルコが呟いた。けれどその単語の意味は分からなかった。人の名前っぽいけど、僕はその人のことは知らないだろうしね。どうでもいい。

 

「またせたね、ニュー」

 

 僕は虚空に向かって呟く。すると、柱の陰から素朴な美人さんが出てくる。制服を着ていた。

 

「結構雰囲気変わるね。いつもより幼く見える」

「はい。いつもは化粧で実年齢よりも上に見せていますので」

 

 そのまま僕たちは並んで歩く。とりあえず、屋上にでも行こうかな。僕は高いところが好きなのだ。

 

「報告を致します。現在はイプシロン様の指揮の下、一部の戦える者で敵戦力の逓減作戦を実行中です。既に大講堂から離れた部分のいくつかは制圧済みであり、ガーデンの拠点として使用しています」

「ふむ……」

「また、イータ様と『悲憤慷慨』のカースが戦闘中であり、救援にカイが向かっています」

「ふむ……」

 

 イータは戦闘が得意じゃないからなぁ。それに、この状況下じゃ中々全力も出せないしね。

 

「シェリー・バーネットの護衛にはオメガの部隊が現在当たっており、今のところは異常はないようです」

「ふむ……」

「決戦はいつにしましょうか。指示が無ければ、夜の帳が下りた頃にとガンマ様はおっしゃっていましたが」

「そうだな……」

 

 シェリーの解読には今しばらくかかるらしい。そしてもう夕暮れだ。

 それに、僕は形も結構大事にするタイプなのだ。黒のロングコートは夜しかあり得ない。

 

「シェリー先輩がアーティファクトを無効化する。それを合図に作戦開始といこう」

「はっ、そのように伝えます」

 

 遠くで爆発音がする。派手にやってるあれはイータかな。

 できれば僕も参加したいところだけど、ここはぐっと我慢する。その内、最高の舞台が整うのだ。それまでは陰に潜んでいよう。

 

「シャドウ様。一つ、よろしいでしょうか」

「ん? なに?」

 

 ニューが意を決したように言う。なんだろう。

 

「マルコ・グレンジャー……シェリー・バーネットといた男はどんな様子でしたか?」

「うーん。いつもの様子は知らないけど、特に変わった様子はなかったかな。でも、どうして?」

「彼は……許嫁だったんです」

「まだ未練がある感じ?」

「いえ、そのようなことは……」

 

 何があったのかは知らないが、結構重そうな話だ。こういうときは話を逸らそう。

 

「ところで、例のものの用意はできているか?」

 

 唐突なシャドウモードで話す。ニューはびくっと肩を震わした。

 そんなに怯えなくても、話を合わせてくれればいいんだけど。

 

「はい。ただ今構成員の一人が取りに行っています。距離的にもそこまで時間は掛からないでしょう」

「そうか……」

 

 何かは分からないけど、用意があるらしい。この前の反省を活かしてかな。

 それなら、僕は屋上でスナイパーの真似事でもして待っていようかな。

 

「それでは私はイプシロン様に報告をしてきます」

 

 そう言ってニューは消えた。僕は屋上に向かう……前に、頼まれていたものを取りに行こうかな。

 研究室は……あっちだ。

 僕は機嫌よくスキップ気味にシェリーの研究室へ向かった。

 

□□□

 

 664番はニューに言われたものを取りに行くべく廊下を走っていた。

 魔力がほとんど封印され、思うように速度が出ない。微かに頬が紅潮し、息が上がっている。

 

「えっと、こっち?」

 

 事前に頭に叩き込んだ地図を思い出し、廊下を駆ける。

 今日が664番にとって、初めての作戦だ。かねてよりの訓練の成果を見せる絶好の機会でもある。

 そう考えて、しかしここまで何もできなかった。その思いが、664番の足を更に早めた。

 

「ここを曲がれば……」

 

 右手に件の研究室が見えるはずだ。

 

「───っ!」

 

 トップスピードをほとんど落とさずに曲がったその瞬間、眼前を猛スピードで影が通り過ぎた。

 ピッと頬に赤い線が走る。

 

「なにが……」

 

 恐る恐る664番が研究室を覗けば、そこには人知を超えた光景が広がっていた。

 

 幾本もの漆黒の槍が床や壁を問わず、縦横無尽に突き出ては消える。その槍の速さは目で追うのがやっとだ。

 だが、驚嘆すべきはその数だろう。664番には突き出る槍の残像しか視認できないが、ざっと見ても三十は下らないだろう。

 それらが幾重にも重なり合い、まるで巨大な影が蠢動しているかのようだった。

 そして、そんな魔境の中を重力なんて感じていないかのように飛び回る男がいた。

 

「嗚呼ッ嗚呼ッ! すごいですね、凄まじいですね、恨めしいですねぇ」

 

 その男は胸を内から腐食させるような、本能的に忌避感を抱く笑い声を上げている。その体には無数の裂傷が見受けられたが、特に気にした様子もなかった。

 

「ちょこちょこ、鬱陶しい……」

 

 茶髪の気だるげな表情の少女が言う。その声は今の状況に合わず平坦であった。

 664番は直接会ったことはないが、数々の情報の断片を繋ぎ合わせて、その人物が『七陰』のイータであることに思い至る。

 

「こんなの、人じゃ……ない」

 

 絶望感からか、664番はその場に立ち尽くす。

 『シャドーガーデン』に入ったとき、救われた気がした。いや、実際にそうなのだろう。

 〈悪魔憑き〉になってからは親に捨てられ、里を追われ、死の淵まで転がり落ちて。そこから『シャドーガーデン』は引っ張り上げてくれたのだ。

 そこで厳しい訓練を耐え抜き、ようやく貢献できると思っていた。だが、それはなんと傲慢な考えであったのだろうか。

 こんなの、人の領域での戦いではない。神話やおとぎ話で語られるような光景だ。

 自分は、ここに踏み込めない。

 自分は、この組織に必要なのだろうか。

 自分は、何のためにここにいるのだろう。

 

「嗚呼ッ、全く持って遺憾の限りですが、ここでは分が悪い。ここは一旦引かせて頂きましょうか!」

 

 男が窓ガラスを割り外へ飛び出す。

 

「あっ……情報源が」

 

 遅れてイータもいなくなった。

 

 誰もいなくなった研究室にて、664番は呆然と立っているばかりだった。

 




664番などの、原作で過去が語られなさそうな人物は勝手に捏造していきたいと思っています。


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意外と何とかなることもある

 664番は半ば呆然と立ち尽くしていた。眼前に広がるのは、荒れに荒れた研究室だった。多くのガラス片が飛び散り、様々な薬品が床に、机に広がっている。それらが混ざり合い、ツンとした刺激臭が鼻をくすぐった。

 

「ミスリルの、ピンセットと……」

 

 664番は心ここにあらずといった風に、のろのろと動き出す。たとえ思考が停止したとしても、叩き込まれた教えが、彼女に任務を遂行しろと命令しているのだ。

 棚や机から必要なものを集めていく。その際に、様々な破片や断片で体に裂傷を負うが、痛みはなかった。心を満たす虚無に比べれば、命の滴下などないも同然なのだ。

 

「……地竜の骨の粉末。これで、全部だわ」

 

 あとはニューに届ければ任務完了だ。

 664番が荷物を抱え、部屋を後にしようとしたときだった。

 

「ひっ……!」

 

 首筋に冷たい感触がする。そして、静かな殺気が心の臓を震わせた。

 

「お前、所属は?」

 

 冷たい声が聞こえる。女性の声だ。

 664番は慌てて答える。

 

「現在はニュー様の指揮下にある664番です!」

「何故ここにいる?」

「ニュー様より命じられたものの回収をしています!」

 

 664番が答えると、首筋の冷たい感触が離れる。ふっと安堵の息を漏らしたのも束の間───

 

「がッ!?」

 

 頭を掴まれ、地面と熱い接吻を交す。鼻の奥が嫌に熱くなる。鼻血が出たのだろう。

 

「簡単に情報を喋るな、664番」

「す、すみません……」

 

 翡翠の瞳が冷たく664番を見下ろした。体の芯がやけに冷える。

 

「イータ様の居場所は分かるか」

「敵を追いかけて、窓から飛び出して以降は……」

「そうか」

 

 金髪のエルフはそう言って窓辺に行く。彼女は……カイだろう。イプシロン直属の部下で、ボーイッシュな風体だ。

 彼女は窓を開け、そこから外へ出る。その後を、数人の構成員が追いかけた。

 664番は叩きつけられたときに散らばった荷物を拾おうとして、

 

「あれ……」

 

 それらが机の上にまとめて置かれているのを見つけた。カイが置いたのだろうか。

 

「全然分からなかった……」

「ぅぅ……」

 

 再び自分の無力さを痛感した直後、微かな呻き声を拾った。

 664番が室内を見回してみれば、部屋の隅に倒れている男を発見した。髭が印象的な大柄の男だ。

 

「だ、大丈夫ですか?」

 

 足早に近付き、様子を伺う。どうやら、意識はないようだ。

 続いて脈を測る。規則的に鼓動が伝わってきた。特に問題はない。

 

「良かった……」

 

 ほっと息を吐く。

 664番は、動物などはさんざん殺して来たが、人殺しの経験はない。従って、人の死に対する耐性もほとんどなかった。

 

「駄目ね、私……」

 

 自嘲気味に口の端を吊り上げる。

 

「うーん、こっちかな?」

 

 その時、ふと廊下から声がした。男の声だ。664番は直ぐ様物陰に隠れる。意識のない男も引っ張り机の後ろに隠した。

 664番が物陰からドアを見つめる。人の気配はなかった。足音も呼吸音も聞こえない。

 確かに声は聞こえたのに、それ以外誰かの存在を示す証拠が見つからなかった。

 

「ねぇ君。ちょっと聞きたいんだけど」

「───ッ!?」

 

 気のせいだったのかと思い始めた頃、背後から声を掛けられる。

 咄嗟のことに、664番は思考が停止して動けない。死を覚悟する664番とは裏腹に、緊張感のない声が続く。

 

「大丈夫?」

「は、はい」

 

 敵意のない声に困惑しながら振り向く。背後には、平凡な顔立ちをした血まみれの少年がいた。

 

「ここってシェリー先輩の研究室で合ってる?」

 

 どうしてこんな所に学園の生徒がいるのだろうか。その答えを見つける前に、少年が言った。

 

「え? まぁそうですけど……」

 

 どことなく、掴みどころのない印象を受ける少年だ。その漆黒の瞳は664番を見ているようで、別の遠く知らない場所を見ているようにも思える。

 けれど、その遠い場所は美しく、気高く、そして何より暖かい場所なのだとも思った。漆黒の瞳の、その奥に宿る淡い光が664番にそう思わせたのだ。

 664番は少年に対し、疑念と警戒心、そして少しばかりの好奇心を抱いた。

 

「そっか。ありがとう」

「ど、どういたしまして」

「もう一ついいかな」

「なんですか?」

「探しものがあるんだけど、手伝ってくれない?」

 

 少年の図々しい言葉に面食らう。

 664番には任務がある。早くニューに荷物を届けなければならないのだ。

 

「…………。……いいですよ」

 

 だが、この少年の頼みを断ることが何故だかできなかった。理由は分からないが、それはやってはいけないように思えたのだ。

 

「ありがとう。それで……」

 

 少年がメモを見ながら探しものを挙げていく。

 

「───ガータの実はあっちの棚です」

「あー、あれね」

「───銀皿はあそこです」

「オッケー」

「───ミスリルのピンセットはそこの棚にあります」

「うん」

 

 一通り探しものを集め終え、少年はメモと集めたそれらを見比べ始める。

 

「それ、何に使うんですか?」

「アーティファクトの調整かな」

「アーティファクトの……!」

 

 一体どうして少年がそんなことをするのかは不明だが、それがすごいことには変わりがない。

 664番は純粋に驚いた。

 

「ところで、君はここで何してたの?」

「それは……」

 

 少し前のカイの言葉を思い出す。

 ───簡単に情報を喋るな。

 『シャドーガーデン』の構成員相手ですらそうなのだ。関係ない外部の者に喋っていい道理はない。

 

「……」

「言えないならいいよ。そこまで聞きたいわけじゃないし」

 

 664番が黙っていれば、少年は変わらぬ調子で言った。

 こちらを気遣ってくれたのだろうか。

 

「あっ、あと天雨鳥(レイン・バード)の羽根ってある?」

「それなら、そこの机の上に」

「ほんとだ」

 

 少年は机の上にある白い羽根を取る。そして、ふと思いついたように言った。

 

「そういえば、この部屋だいぶ荒れてるけど、何かあったの?」

 

 664番はなんと答えようか考える。あのくらいなら素直に話しても良いと思うが、先に言われたことが思考を掠める。情報を、簡単に話してはいけないのだ。

 それに話したところで、信じて貰えるかは分からない。それほどまでに、あの光景は人の想像を越えていた。

 

「あなたは……」

「うん?」

「あなたは、自分が何のために存在しているのか、って考えたことありますか?」

 

 考えて、考えて、考えが一巡した結果、全く関係ないことを口走る。

 

「さぁ、どうだろう。考えたことないかもね」

「そうですか……」

 

 664番はその答えに肩を落とす。この少年ならば、664番の欲する答えを持っているかもしれないと、勝手に淡い期待を抱いていた。

 けれど、現実はそう甘くないようだ。結局、答えは自分で見つけなければならないのだ。

 見つからないのならば……。

 664番の心は深く深く奈落の底へと落ちていく。海底に沈みゆく石ころのように、ゆっくりと暗い底へと落ちていく。

 

「───でも、僕にはやりたいことがある。なりたいものがある」

 

 そんな664番に少年は言う。まるで闇夜に差し込む月光のような響きを孕んだ声だ。

 

「世界の誰もが一度は夢見て、けど諦めて。いつかは"できるところの現実"に染まって、忘れてしまう」

「……」

「それでも、僕はそれを諦めないし、追い求め続ける」

 

 どうしてだろう。少年は声の調子を変えたわけでも、喋り方を変えたわけでもないのに、その言葉に圧倒される。彼は一体、何を背負って、何を目指しているのだろう。

 

「どれだけ遠くても、険しくても、たとえそれ以外の全てを捨てなければならないとしても、僕は諦めない」

「…………」

「……そう考えると、僕の存在理由は"それ"になることかもしれないね」

 

 少年は微笑んだ。

 

「君がどんな悩みを抱えてるかなんて知らないし、興味もない。けど───」

 

 少年は荷物を抱えて歩き出す。

 

「───諦めなければ割とどうにかなったりするよ」

 

 続けて、魔力だって見つかったしね、と少年は呟くが、664番には聞こえなかったようだ。

 

「探すの手伝ってくれてありがとう。美人なエルフさん」

 

 少年はそう言い残し、去っていった。

 結局、あの少年はなんだったのだろうか。分からない。

 分からないことだらけであるが、それでも少しだけ勇気を貰えた。

 

「役に立てるように、追いつけるように頑張ろう」

 

 頬を叩き、664番は荷物を抱えて走り出す。

 その表情は心なしか晴れやかなものとなっていた。

 

 その後、戻りが遅かったため、ニューに怒られたのはまた別の話である。

 

□□□

 

 辺りもだいぶ暗くなった。持ち込んでいた刃物で手の拘束を外したローズはひたすらチャンスを待っていた。

 額を一筋の汗が流れ、落ちた。

 

「まずいわ……」

 

 徐々に体の魔力が吸い取られている。それは微々たるものだが、如何せん拘束されてから長い。既に魔力欠乏により倒れている者も出ていた。

 

「時間は味方してくれない……」

 

 騎士団も、魔力が使えないこの状況では手出しができないようだ。

 ローズは全身を甲冑に包んだ人物を見る。ローズが最も警戒する相手で、恐らく敵の首領だ。

 彼の騎士が纏う雰囲気は只者ではない。面と向かって対峙しているわけではないのに、ピリピリとした感覚がする。

 少なくとも、彼の騎士がいるときに行動するべきではないだろう。

 

「もう一人……」

 

 そして同じようにローズが注意する人物がいる。

 こちらは完全に黒い衣装に身を包み、フードを深く被った人物だ。そのため顔は見えない。

 一見すれば、その他の兵卒と変わらない風体であるが、放つ空気が奇妙なのだ。

 一言で表すならば、虚無。そこにぽっかりと穴が空いているようだ。視界に入っているはずなのに、見失いそうになる。

 そんな得体の知れない人物だった。

 

「サーテライト、カースはどこに行った?」

 

 騎士が苛立たしげに言う。

 

「分からないわ。そもそも、まだ帰って来ていないのだから」

「やられたのか?」

「さぁね。知らない」

 

 騎士が剣呑な空気を纏う。だが、サーテライトと呼ばれた黒衣装はどこ吹く風だ。

 

「まぁいい。それで、アーティファクトの回収は?」

「あれが帰ってきてないのよ? それに、バーネット……いえ、シェリーの元へ放った3rdも帰って来ない」

 

 言外にサーテライトはまだだと告げる。

 騎士は舌打ちをした。

 

「まぁいい。どうせすぐに向こうから来る」

「あら、詳しいのね」

「───」

 

 一触即発の雰囲気になる。爆発しそうな程に、緊張感が膨れ上がった。

 

「チッ」

 

 先に外したのは騎士だった。舌打ちし、そのまま別室へと籠もる。

 

「さてと……」

 

 続いてサーテライトも部屋を後にする。

 今がチャンスだ。

 そして、偶然か否か、ローズがそう考えると同時に、大講堂が白い光に包まれる。

 考える前にローズの体は動いていた。

 

「───魔力が、使える……!」

 

 魔力を使い、身体能力を上げて近くにいる黒装束を蹴り飛ばす。その際に、腰に差した剣を奪い取る。

 胸に描くは一人の少年の顔だ。決して、彼の死を無駄にはしない。

 

「魔力は解放されたっ! 生徒たちよ、反撃のときが来たっ!!」

 

 高く剣を掲げて、ローズは声高に叫んだのだった。

 




664番ちゃんの話が予想以上に長くなってしまいました。
あと2,3話で終わると思います(内一話は後日談)。


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星の降る夜

シャドウVSルスランは細部に違いはあれど原作通りなのでカットです。


 生徒が奮起してから、荒れ狂う大波のように、熱気が呻りを上げる。相当数の生徒が剣を持ち、持たざる者は生徒を解放する。その解放された生徒が落ちてる剣を拾い、また戦力が増える。

 奇襲攻撃が功を奏し、生徒側が一挙に流れを掴んだのだ。

 

「はぁぁっ!」

 

 ローズは流麗な動きで剣を振る。死体が血飛沫を上げ、顔に返り血がべったりと付くが気にしない。今は一人でも多くの敵を切らねばならないのだ。

 今、この攻勢の中心にいるのが生徒会長たる自分であるとローズは自覚している。そのローズの動きが止まれば、この攻勢自体が躓くかもしれないのだ。

 それは、命を賭してローズを庇ったあの少年への裏切りだ。ローズは誓って、そのような真似はしない。

 

「……ッ!」

 

 ローズの攻撃の隙を突いて、黒装束の刃が迫る。そのままローズの右腕を切り裂いた。

 

「くっ……」

 

 浅くない傷だ。もう随分前に痛みは消えたが、力の入らない右腕がその傷の深さを物語っている。

 最早、ここまでなのだろうか。

 

「……いえ、まだだわ」

 

 シャツの袖を引き裂き、傷口に巻く。そして剣を左手に持ち替えた。

 数人の黒装束がローズを囲む。ジリジリと包囲の円が狭まっていく。

 嫌な汗が背中を伝う。こんなに体は火照っているのに、寒いくらいに冷たい。

 そんな中でも、ローズは考えてしまう。あの少年がこの場にいたなら、共に背中を預けて戦えたならどれほど心強かっただろうか、と。

 空気が変わる。それは黒装束たちの攻撃が近いことを意味していた。

 いくらローズでもこの数、しかも負傷し体力も底をついた状態では助からない。ならば、一人でも多くを道連れにしよう。

 覚悟を決め、ローズはその時を待った。

 

「───」

 

 そして、黒装束の一人が微かに動き出したときだった。

 その黒装束は何の前触れもなく、真っ二つになる。

 それだけではない。周囲にいた黒装束の全てが赤い花を咲かせていた。

 

「な、にが……?」

 

 視界の端に漆黒のコートが揺れる。敵かと思ってローズは振り向く。

 

「あなたは……?」

 

 漆黒のロングコートを纏った男。自然に、あるがままにそこにいた。

 その男が持つ剣からは赤い雫が滴っている。

 

「───風が、泣いている」

 

 その声は哀傷を孕んだものだった。

 

「お前……ッ!」

 

 黒装束の一人が男に斬りかかる。だが、男はその場からほとんど動かずに黒装束を両断した。

 

「……!」

 

 その太刀筋はただ美しかった。技術だけで出来上がった完成された剣だ。

 そして、"あの日"のことを彷彿とさせる剣だ。

 

「まさか、す、スレイ───」

「敵を討て……我が配下たちよ」

 

 男の合図と共に、黒ずくめの一団が現れる。彼ら……いや、彼女らは電撃的に黒装束たちを斬り伏せ、葬る。

 その光景を、ローズは呆然と見ていた。

 

「ここは我らに任せろ……」

「あ、待って……!」

 

 カツカツとブーツを踏み鳴らし、男は歩き出す。

 

「死にたくなくば逃げるがいい……」

「あなたは……」

「我が名はシャドウ。陰に潜み、陰を狩る者……」

「あっ……」

 

 瞬きをした直後、シャドウと名乗った男は消えた。

 

「……今は、生徒の安全を」

 

 あの男のことも気になるが、今はそれが最優先だ。

 ローズは自分の責任を果たすべく、声を上げた。

 

□□□

 

 アーティファクトを投げ込んだシェリーは大講堂から聞こえる喧騒に震えていた。魔剣士学園の生徒が戦っているのだろうか。

 もう少しすれば騎士団が来るだろう。それまで無事でいてくれればいいが……。

 

「バーネット様。そろそろここも危ういかもしれません。一度戻りましょう」

「はい……」

 

 マルコに連れられて、シェリーは抜け道を歩く。

 何やら嫌な胸騒ぎがする。それが先の生徒の反抗を招いたことへの罪悪感に起因するのか、はたまた別の要素が原因なのかは不明だ。

 薄暗い抜け道は迷路のように学園中に広がっている。一つ一つ目印を確認して、シェリーたちは進んだ。目指すのは最も正門に近い場所だ。

 二階から降りて、一階へ。見える景色に大した違いはない。

 

「ここを、右みたいです」

 

 もう何度目かの曲がり角を曲がる。もう随分遠くまで歩いてきた。とうに大講堂の方向などは分からない。

 沈黙と静寂の中に、無機質な音が規則正しく鳴り響いた。

 シェリーたちは歩みを止めず、ひたすらに出口を目指す。幸いなことに、襲撃者はこの通路を知らないらしい。一度の遭遇戦もなかった。

 

「バーネット様。出口が近いようです」

 

 前を行くマルコがそう告げるが、特に周りの景色に変化はない。

 不思議に思ったシェリーは首を傾げる。それを見たマルコは唇に手を当て、静かにとジェスチャーした。

 

「風の音が聞こえます」

「な、なるほど……」

 

 言われてみれば、そんな気もする。本当に小さな音で確証はないが、彼が言うのならそうなのだろう。

 それから少し進んで、行き止まりに当たった。

 

「壁の向こうから風が吹いています」

「はい」

 

 シェリーはどこかに壁を開ける仕掛けがあるのでは、と探してみる。一つ一つレンガをチェックし、床も念入りに観察する。

 だが、仕掛けは中々見つからなかった。

 

「バーネット様、少し離れてください」

「えっ?」

 

 言われるがままシェリーは離れる。マルコは剣を振りかぶった。

 

「ええっ?」

 

 それを、まさかという思いで見守る。だが、案の定と言うべきか、マルコは想像通りに剣を振り下ろした。

 

「ええ……」

 

 僅か一振りで、壁は見事に破られた。砂ぼこりを巻き上げ、壁が崩れ去る。

 これが魔剣士の力なのか。

 

「さぁ行きましょう」

「あっ、はい!」

 

□□□

 

 出た場所は校門のすぐ側にある校舎の一室だった。あまり使われていないようで埃っぽく、様々なものが乱雑に置かれていた。

 鍵が閉まっていて、扉は開きそうにない。仕方がないので、窓を割って外に出る。緊急避難的措置だ。

 

「申し訳ありません……」

 

 学校のものを壊したことにシェリーは罪悪感を覚える。後で、ルスランに報告しておこう。

 

「バーネット様、こちらへ」

 

 周囲に敵がいないかを探りながら、マルコがシェリーを呼ぶ。マルコの隣に並べば、校門が見えた。人影は見当たらない。

 

「……は?」

 

 じっと周囲の様子を伺っていたマルコは、突然間の抜けた声を上げた。

 

「どうしました?」

「いえ……あちらの方が……」

「───?」

 

 マルコの指差す方を見る。そこにはなんと、夜空をも赤く染め上げる大炎があるではないか。あの場所は───

 

「大講堂……」

 

 先程までシェリーがいた場所だ。その炎は既に手の付けられない程の勢いがある。

 

「バーネット様……」

「はい……分かっています」

 

 シェリーが行ったところで、何もできない。それが分からない程、シェリーは物分りが悪くはない。

 そう、シェリーは決して、物分りは悪くないのだ。

 

「───」

 

 はっと息を呑む音がした。それが自分のものであることに、シェリーは気が付かない。

 

「すみません!」

「あ、バーネット様!?」

 

 マルコの制止を振り切り、シェリーは駆け出す。

 改めて言うのならば、シェリーは物分りは悪くないのだ。

 だが、それでも行かないといけない気がした。たとえ何もできないと分かっていても、シェリーには行かねばならない理由がある気がした。

 

「お義父様……」

 

□□□

 

「落ち着いてください! バーネット様!」

 

 結局、シェリーは校舎に入る手前でマルコに捕まってしまう。そもそもの身体能力が違ったのだ。

 それでも、シェリーはもがく。ジタバタと不器用に、けれど力いっぱいに体を動かす。ビクともしない腕を振り解こうと、前へ前へと足を伸ばす。

 

「いや───」

 

 大講堂以外にも燃えている場所がある。先程までシェリーもいた副学園長室だ。

 

「お義父様───」

 

 何故だか涙がこぼれる。

 冷静に考えて、あそこにルスランがいるはずがない。理性では分かっている。

 これはそう、予感だ。湿った風のようにじっとりと体に纏わり、肌を逆撫でする不吉な予感。

 苦しい圧迫感が気持ち悪い。激しい焦燥感が気持ち悪い。

 気持ち悪くて、しかしどうしようもなくて。どんどん苛立ちを募らせる。

 

「あっ───」

 

 そのとき、その影は突然現れた。否、影ではなく人だ。漆黒のロングコートを纏い、同色の剣を持った男だった。

 

「星が降る……」

 

 漆黒の男が呟いた。酷く悲しげで儚げな声だ。

 シェリーが空を見上げてみれば、星が降ってきていた。

 パラパラと朱色の光が瞬き落ちてくる。その様はある種幻想的で、神秘的だった。

 地に落ちた星々は弾けて、砕けて、散らばる。

 

「───罪の清算は済んだ」

 

 やがて星も落ち切った頃、漆黒の男が言った。

 

「そして背負おう……全ての罪を」

「一体何の話を───」

 

 漆黒の男は、シェリーの問いには答えずに立ち去った。

 

 あとには、朱色に照らされた黒紅色が残るばかりだった。

 




さて、あとはイータVSカースと後日談だけです。二章の終わりも近いですね。


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ただひとつの輝き

ふりがなは、そちらの方が文章のテンポ的に読みやすいと思い振っています。違和感があれば他の読み方でどうぞ


 

「これは……」

 

 カイは感嘆の息を漏らす。

 既に日は暮れ周囲には夜の帳が下りている。元は景観の美しかっただろう中庭は荒れ果てて、象徴であった噴水は見るも無惨な程に破壊されていた。

 そんな中庭の中心には、赤い水たまりが広がっていた。

 

「嗚呼……」

 

 その中心には二人。腹に風穴を空け両膝をつく男と、それを見下ろすイータだった。

 男は全身に裂傷を負い痛々しい。歴戦の戦士でさえ、その様には思わず目を背けてしまいそうだ。

 対して、イータにそこまで深い傷は見受けられなかった。

 

「素晴らしい……」

 

 男は口の端からだらだらと血を零しながらも笑う。掠れて絶え絶えな笑い声が虚しく木霊する。

 

「魔力を制限され、それでも私を越える。どれだけの修練を……! はたまた才能なのか。だとすれば嗚呼……やはりこの世は嘆かわしい」

「うるさい……いいから、情報……早く。死んじゃう前に……」

 

 イータが男に詰め寄る。その様は無防備であり、男にその気があったなら、簡単に傷を負わせられただろう。

 だが、男は気色の悪い笑みを浮かべるばかりで、行動は起こさなかった。

 

「いいでしょう。冥土の土産に何か一つお教えしましょう。何か知りたいことは?」

「冥土に行くのは、私じゃない……」

「ならば、冥土からの土産としましょうか───」

 

 そこで、カースがゴボッと血の塊を吐く。

 

「失敬。残りの時間が少ないようです」

「……アーティファクトの場所は?」

「それなら、桃色髪の娘が持っています」

「そっちじゃ、ない…………魔力を、封じてた方」

「あぁ……」

 

 得心がいったという風に、カースが頷く。

 

「あれは『痩騎士』さんが持っているので、私は知りません」

「え……」

 

 イータは目を見開いて固まる。

 

「他には何か?」

「じゃあ……もういい」

 

 もう興味を失くしたのか、イータは男に背を向ける。

 地面に広がる赤い水面(みなも)には、二つの波紋が生まれ、それらは互いに干渉しては何事もなかったように通り過ぎる。

 

「それなら、こんな話はどうでしょう」

「……」

 

 イータは背を向けたまま動かない。それを見て、男はニヤリと笑う。

 

「王都には、いくつも教団の拠点があります。その内、最も大きな拠点にはディアボロスの右腕が封印されています」

「それが?」

「それがどうということはありませんよ。ですが、もしあなた方がこの先も闇に抗い続けるならば、この情報は役に立つでしょう」

「そう……」

 

 今度こそ、イータは興味を失くしたのだろう。何も言わずに立ち去った。向かう先は今も大炎に包まれる校舎だ。

 我に返ったカイは部下に指示を出し、イータの護衛をさせる。

 

「嗚呼、ままならないものですね」

 

 部下は去り、カイは一人この場に残る。

 男は最早焦点の合っていない瞳で呟いた。そこにあの気色悪い笑みはない。

 

「あれだけの苦痛を、別れを、限界を乗り越え、辿り着くのがここですか。嗚呼……やはり無常……」

 

 その独白を聞いていたカイは男に近寄る。

 

「お前、何故教団の情報を話した?」

 

 男は声を掛けられて、初めてカイの存在に気が付いたようだ。ニッと薄笑いを浮かべる。

 

「抗うに足る力を持たない私の、最期の抵抗ですよ」

 

 段々と男の言葉に抑揚がなくなっていく。呂律も怪しくなり始め、聞き取りにくい。

 ゆっくりと確実に命の灯火が小さくなりながらも、カースは喋る。

 

「教団は大きい。ちっぽけな一人が抗うには、強大過ぎる。私はとうに、反逆も復讐も諦めました」

「……」

「そんな中で、彼女に、あなた方に出会えた。さながら、闇夜を照らす光明を得た心地です。惜しむらくは、私はここで退場するということです」

 

 男は震える腕を空高く伸ばす。そして、星を拾うように、ぐっと握りしめた。

 

「いつだって、世界は非情で無常で腹立たしい。けれども、最後の最後であなた方に会えたこれは、まさに幸運……」

 

 男は笑った。声にならない声を絞り出し、苦しそうに笑った。

 

「嗚呼やはり……やはり、嘆かわしくも美しい」

 

 そして、瞳が曇った。そのまま男は動かなくなる。

 

「……憐れ」

 

 カイは未だ腕を伸ばしたままの男から目を逸らす。

 

「限界を勝手に決めて絶望し、諦めて、挙げ句世を儚んで散る……」

 

 そして、イータの護衛に向かった部下の後を追う。

 

「勝手に光を決めるな。我らの光は唯一(ただひとつ)だ」

 

 そうして、荒々しく破壊された中庭には誰もいなくなる。どこからともなく風が吹いてきても、涼しいと感じる者も、寒いと感じる者もいない。ただ暗い闇夜に明るい月が浮かぶばかりだった。

 

□□□

 

「なるほど……」

 

 グレンからの報告を聞いたアイリスは眉間にシワを寄せる。内容は勿論、先の襲撃事件だ。

 

「目的も襲撃者の正体も不明ですか」

「はい。力が及ばず申し訳ない」

 

 グレンは深く頭を下げる。その頭には包帯が巻いてあった。

 

「それで、あなたが戦った男……」

「カースと名乗っていました」

「相当な手練だったようですね」

 

 グレンが頷く。

 

「魔力を封じられた私では手も足も出ませんでした。恐らく、魔力を使えていたとしても……」

「それほど……」

 

 報告書にもそのことは書いてあったが、改めて本人の口から聞き、驚嘆する。

 

「では、魔力が封じられた中でもその男と対等に渡り合った少女は……」

「尋常ならざる力を持っていると言えるでしょう」

 

 アイリスの眉間のシワが更に深くなる。

 

「報告によれば、新たに別の黒装束の集団が襲撃者を壊滅させたとありますが、その少女とは無関係ではないでしょう」

 

 はぁ、とため息を吐いて窓の外を見る。その視線の先にあるのは、昔自分もそこで学び、今は妹が通っている学園だった。

 現在は火事で校舎が焼失し、修理をするため夏休みが前倒しになっている。

 

「死人はいなかったらしいですね……」

「アイリス王女? いかがされましたか」

「いえ、怪我の方は大丈夫かなと」

 

 グレンは一瞬虚を突かれたように目を丸くし、すぐに目を細めて笑う。

 

「この程度、なんてことはないですよ。食べて寝れば治ります」

「……そうですか」

「マルコの方も大した怪我もないようで、羨ましい限りですな」

 

 髭をしごきながら、愉快そうにグレンは笑い声を上げる。

 

「さて、それでは私はここで。まだ片付けなければいけない仕事が多いので」

「そうですか。ですが、今は傷を負っている身。あまり無理をなさらないように」

「ええ、できる限り善処しましょう」

 

 扉に手をかけたグレンは、ふと何かを思い出したかのように振り向いた。

 

「重要な調査には『紅の騎士団』を当てていただきたい」

「……? それはどうして」

「どうやら、騎士団の方に怪しい動きがあるようでして」

「怪しい動き……」

「はい。あくまで確証はありませんが、何か隠していると思われます」

「分かりました。なるべくそうなるよう掛け合ってみましょう」

「ありがとうございます」

 

 グレンは一礼して退出する。

 残されたアイリスは椅子に深く座りふぅーと長く息を吐いた。

 

□□□

 

 サーテライトは暗い廊下を歩いていた。

 

「はぁ……いつも思うけど、この廊下は長すぎよ」

 

 そんな呟きが静かな空間に響く。

 そして、そこから更にしばらく歩き、ようやく足を止めた。

 目の前には質素だがいい素材の扉がある。サーテライトはそれを開けて、中に入る。

 

「ようやく来ましたか」

「えぇ、ようやく着いたわ」

 

 二人は微妙にニュアンスの異なる挨拶を交す。

 中にいたのは男だった。髪は黒く、綺麗に切りそろえられ、丸いサングラスを掛けている。

 

「それで、首尾はどうでした?」

「上々、と言いたいとこだけど、あまり期待しないでほしいわね」

 

 そう言って、サーテライトは報告をする。

 

「なるほど……やはり、かなりの戦闘力を擁しているようですね。()の組織は」

「そうみたい───ペトス様」

 

 ペトスと呼ばれた男は嫌らしい笑みを浮かべた。

 




カースの話し方は静かな方が素です。
次回はシェリー先輩です。


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行き先は

2章ラスト!


 僕はぼーっと橋の上から、川面を眺めていた。この川はそれなりに大きい。

 小さな船が橋を通過する。その後ろを一匹のカモがついていく。

 

「中々良いプレイだった」

 

 つい先日の学園襲撃イベントを回顧し、僕は思わずニヤけてしまう。

 

「『風が泣いている』はずっと言いたかったんだよね」

 

 他にも、強大な組織を指揮するボスだとか、全ての罪を背負う実力者だとか、結構やりたいことはできた。

 ただまぁ、反省すべき点もある。

 僕がモブとして最初に切られたとき、僕がローズ先輩を庇う形になってしまったんだ。それは、モブからは少し離れているだろう。

 やっぱり、最近モブ式トレーニングをサボっていたからかな。

 そんなわけで、これからは、もっと『モブらしく』をモットーに研鑽を積んでいこうと思う。

 

「あの……!」

 

 そうして、ある程度の方針が固まった頃、横合いから声が投げかけられた。聞き覚えのある声だった。

 僕は声のした方を見る。

 

「あぁ、ごめんごめん。ぼーっとしてた。どうしたの?」

 

 シェリーだった。

 僕が問いかければ、彼女は少しもじもじする。

 

「少し、お話ししたいことがあって……」

「うん」

 

 俯いていた彼女が意を決したように、顔を上げる。そして、真っ直ぐと僕の瞳を見つめた。

 

「先日は、色々ありがとうございました。おかげでアーティファクトの調整も無事できました」

「どういたしまして? 僕は特に何もしてないけど」

 

 やったことと言えば、いくつか必要なものを取りに行ったくらいだ。

 

「お礼なら、一緒にいた……」

 

 あれ、名前何だっけ。

 

「マルコ・グレンジャーさんですか?」

「そ、そう。マルコさんに言えばいいと思うよ」

 

 シェリーはゆるゆると首を振る。

 

「マルコさんにお礼はもうしました。グレンさんにも」

「そうなんだ」

「それで、もう一つ……実は報告したいことがございまして」

「なに?」

 

 シェリーは手に持つ荷物をぎゅっと握った。

 

「あの、私、留学することにしました」

「あぁ、だからその荷物」

「はい」

 

 遠く川の向こうから風が吹き抜ける。僕らの髪は流され、横になびいた。

 

「今から、馬車に乗ってラワガスまで行きます」

「遠いね」

「遠いです。簡単に帰って来れないくらいには」

「そうだね」

「それでも、私にはやりたいことがあるんです」

 

 シェリーはそこで言葉を切った。少しの沈黙が訪れる。

 ここは僕から聞いた方がいいのかな。

 

「それは?」

「私はどうしても知りたいんです」

「なにを?」

「…………お義父様は先日の一件で命を落としました。恐らく、襲撃者にやられたというのが、アイリス王女の見解です」

「うん」

「ですが、あのとき彼は言ったんです。『罪の清算は済んだ』、『そして背負おう、全ての罪を』と」

「うん」

「私はその言葉の意味を知りたい。そして、お義父様の死の真相についても───裏に何かある気がするんです」

「なるほどね」

 

 ただの直感ですけどね、と彼女は苦笑する。

 

「それを知るには、今の知識じゃ足りない。もっと、もっと世界を知る必要があるんです」

 

 シェリーがふと振り返る。その方角には学園があった。

 

「シド君とはもっとお話ししたかったんですけど……」

「うん。またいつか会おう」

「はい。またいつか……」

 

 そこで会話は途切れる。僕はもう帰ろうと思い、彼女に背を向ける。

 

「シド君!」

「ん、なに?」

「シド君……私たち、友達ですよね?」

「そうだね」

「もし、何もかも無事に終わってまた会えたら───きゃっ!」

「うわっ」

 

 突然、周りにバサバサとハトが集まってくる。見れば近くにはパンくずが撒かれていた。

 

「すまんのぉ、パン撒きすぎたわ。ハッハッハ」

 

 袋を持ったおじいちゃんが言った。

 

「……ぷっ」

 

 唖然としていた僕らは互いに顔を見合わせて吹き出した。

 それから僕らはしばらく笑う。シェリーが目に浮かんだ涙を拭う。

 

「それで、何の話だっけ?」

「いえ、何でもありません」

「そっか」

 

 僕は背を向けて今度こそ、その場から去る。

 夏の始まりも近い今日は少し暑い。川から吹く冷たく涼しい風ではなく、モワッとした風が吹いてくる。夏特有の香りと一緒に、何か花のような匂いが僕の鼻をくすぐった。

 そんな中に混じって彼女が呟いた言葉は確かに僕の耳に届いていた。

 

「またこんな風に笑えたらいいですね、か」

 

 僕がそれから、振り返ることはなかった。

 

□□□

 

 664番は少し膨らんだリュックを背負う。

 

「どこ行くのぉ?」

 

 すると、同室の665番が部屋の奥から声をかけた。 

 

「ちょっとね」

「あ、ちょっとぉー……」

 

 それだけ言って664番は部屋を出た。

 

 今日は664番にとって久しぶりの休日である。『ミツゴシ商会』で働き始めてからは初めての休みだ。前々からどう使うか悩んでいたのだが、街へ打って出ることにしたのだった。

 因みに、665番は部屋でゴロゴロしているそうだ。

 

「えっと、ここを右に」

 

 地図を頼りに王都内を歩く。

 いくつもの有名店が並ぶ大通りには、多くの人や馬車が行き交う。その流れが止まることはなく、また、喧騒もなくなる気配はない。慣れ親しんだ夜の街が嘘のようだった。

 

「んっと、もうそろそろかな」

 

 小さな通りに入れば、そこは別空間だった。家を挟んで隣から聞こえる物音が遠い世界のもののように思える。きらびやかな表通りとは裏腹に、ここは随分と寂れていた。

 そんな路地をいくつか抜けて、再び大通りへと戻る。そうすれば、目の前には目的地があった。

 ───ミドガル魔剣士学園。

 王都にある、周辺国でも有数の学園だ。王国だけでなく、諸外国からも入学をする者もいる。

 現在は先日の襲撃事件により、校舎が半焼している。それでも、授業があるのか生徒がちらほら入っていく。

 道に迷ったために、予定より到着が遅れた。もうほとんどの生徒が登校したのだろう。走っている生徒を除いて、人はいなかった。

 

「はぁ……」

 

 今日、664番はお礼を言いに来たのだ。あの絶望の縁から立ち直れたのは、きっと彼のおかげだから。

 664番はそこでしばらく待つが待ち人は来なかった。抱きしめたリュックに顔を埋める。

 

「……また午後に来よう」

 

 664番は学園の門を背に、再び喧騒の海へと舞い戻った。

 

□□□

 

 授業も終わり、ローズは寮へ戻ろうと校門を出る。本当は、あの少年と共に帰りたかったが、ローズが教室に行ったときにはもういなかったのだ。

 

「何か大事な用事があったのでしょうか……」

 

 実は、怪我の完治祝いを用意していたのだが、無駄になってしまった。

 だが、ローズには分かる。あの少年が泣く泣くローズを待たずに帰ったのだということが。

 胸の前で拳を握り、その不運を嘆く。

 きっと彼の行く道は苦難に満ちているだろう。もしかしたら、折れそうになるときが来るかもしれない。そのときは、ローズがあの少年を支えよう。

 

「大丈夫、あなたは一人じゃないから……あら」

 

 ふと、校門の壁に寄りかかる少女が目に入った。恐らく、自分よりは年下だ。リュックを抱えて座り込み、眠りこけている。

 誰か待ち人でもいるのだろうか。

 

「起きてください。大丈夫ですか」

 

 少女の肩を揺する。濃い藍色の髪が揺れた。

 

「んぅ……」

 

 少女が呻くような声を上げて目を覚ます。

 

「大丈夫ですか?」

「うぅ……うん?」

 

 ぱちぱちと瞬きをし、少女が周囲をぐるりと見回した。それから、未だ虚ろな目でローズの顔を見る。

 すると、彼女の顔はハトが豆鉄砲を喰らったようになる。

 

「ろ、ローズ・オリアナ……王女」

「あら、私のことをご存知で」

 

 少女はすぐに立ち上がる。

 

「これは、とんだご無礼を───」

「いえ、気にしてませんわ」

 

 ローズはそう言って、少し緊張した風の少女を宥める。

 少女は未だ萎縮しているが、最初の衝撃からは逃れられたようだった。

 

「それで、こんなところで何をしていたのですか?」

「人を、待っていまして……」

「人……それは生徒ですか?」

「えぇはい。恐らくは」

「名前はなんとおっしゃるのでしょうか?」

「それは……分かりません」

「……では、どんな外見でしょうか」

 

 少女は少し考えてから答えた。

 

「髪は黒色で、何というか、平凡な少年です」

「それは……」

 

 ほとんど候補が絞れない。

 

「他には何かありませんか? 例えば───」

 

 黒髪の平凡な少年。その言葉を聞いたローズの脳裏には、とある少年の姿が浮かんでいた。

 

「───一見すれば平凡な少年でも、何か秘めたる意志を感じたり、よく見れば爪や筋肉の付き方が綺麗であったり、のようなことなどは」

「後者はよく分かりませんが、確かに、前者のようなものは感じました」

「なるほど……」

 

 外見的な指標とはならないものの、その条件ならば数は絞れそうだ。

 ローズは該当しそうな生徒を考えつつ、間をもたせる。

 

「因みに、どんな要件か聞いてもよろしいでしょうか?」

「それは、はい。実は、お礼をしたいんです。その人に」

「お礼、ですか」

 

 ぱっと考えてみたが、あの少年以外に思いつく人はいなかった。

 よもや、あの少年がその人であることはあるまい。

 

「つい先日の話なんですけれども、とある事情により、私はかなり落ち込んでいたんです。そんな私を励まして……とは少し違うかもしれませんが、とにかく元気付けてくれたんです」

 

 少女が懐かしむようにリュックを抱く。その口元には少し喜色が見える。

 

「なるほど。そのお礼というわけですか」

「はい」

 

 ローズは少女の話を聞き、胸が温かくなる。同時に、この学校の生徒の行いに鼻が高い思いだ。

 ローズは校門の近くにあるベンチに腰を下ろす。

 

「えっ?」

 

 そして、手招きをする。

 

「どうやら、私では力になれそうにありません」

「あの、別に、その……」

「なので、暇つぶしにお話でもしましょう」

 

 ローズは少しばかりこの少女のことを気に入った。馬が合う、というわけではないが、どこか親しみを覚えたのだ。

 

「分かりました」

 

 少女がローズの隣に腰掛ける。

 

「そういえば、まだ名前を聞いていませんね」

「名前、ですか」

「えぇ」

 

 向こうはローズのことを知っていたが、ローズは彼女のことを知らない。友達への一歩は互いを知ることからだ。

 

「66よ……じゃなくて」

「……すみません、聞き取れませんでした。もう一度よろしいでしょうか」

「えーっと、り、リズ。リズ・トーカです」

「トーカさん……いえ、リズさんとお呼びしても?」

「も、勿論です」

 

 日は既に傾き、沢山の生徒が下校する。その集団を眺めながらも、二人の会話は控え目に、しかし確実に弾んでいた。

 




664番とローズの話をやるためだけに、丸々一話分くらいを消費してイータVSカースなどを書きました。664番の偽名に深い意味はありません。
シェリー先輩は闇落ち回避か。
幕間を挟んで3章に入ります。


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幕間 イータの一日

話は5ミリくらい進みます。多分。


 日の出と共に、陽光が窓から差し込んでくる。イータの朝は早いのだ。

 

「眠い……」

 

 いや、そもそも寝ていないので早いも何もないだろう。

 目の下に大きな隈を作りながら、イータは机に向かう。机の上には何やら金属製の破片が散らばっていた。

 

「ここが一緒で……こっちはここで……」

 

 それらを上手く組み合わせて少しずつ形を作る。途方もない作業だ。

 

 どのくらい経ったか、全体の一割くらいは終わったかもしれない。未だ原型すら分からない塊を机の上に置く。

 

「眠い……少し、寝よう」

 

 そう言って、イータは研究室に備え付けのベッドに潜り込む。

 既に朝焼けもなくなり、青い空になっていた。今日は快晴だ。

 イータがベッドの中でうとうとする。すると、扉がノックされる。そして、許可もしてないのに誰かが入ってきた。

 

「ちょっとイータ起きなさい! いつまで寝ているのよ!」

 

 イプシロンだ。

 彼女は小言を言いながら、ほうきとちり取り片手に部屋の掃除を開始する。落ちてるゴミは持参した袋に詰め込んでいた。

 

「さっきまで、起きてた」

「今寝てるじゃない……って、あなたまた徹夜したの?」

「……」

 

 イータは答えずに、頭を枕の下に潜らせる。枕で耳を塞いだ形である。大きい声は頭に響くのだ。

 

「もう……」

 

 粗方掃除を終えたイプシロンは掃除道具を片付ける。そして、ゴミ袋を持って部屋を出ていった。

 

「グゥー、スピー」

 

 ようやく静かになった部屋でイータは眠りにつく。気持ち良さそうな寝息を立てていた。

 そして、眠りについたはずなのに、突然むくりと起き上がった。

 

「スピー」

 

 イータは目は閉じたまま、のっそりと歩く。扉に手をかけ、部屋を出た。

 

「スピー」

「あっ、ちょっとイータ!」

 

 そこを偶然見かけたイプシロンがイータに声をかける。当然、返事はない。

 

「まったく、寝相が悪いんだから……」

 

 やれやれと肩を竦めてイプシロンが片手でイータを抱える。反対の手にはいくつか皿の乗ったお盆があった。

 イプシロンはイータをベッドに寝かせて布団をかける。そして、傍らの台にお盆を置く。

 

「ちゃんと食べなさいよ、と」

 

 置き手紙を残し、イプシロンは退室する。

 イータの幸せそうな寝息が部屋に響いていた。

 

□□□

 

「イータ。ねぇイータ起きて」

「うん……?」

 

 名前を呼ばれてイータは目を覚ます。何故か起きなければいけない気がしたのだ。

 腫れぼったい目をこすり、チカチカとする視界に再び目を瞑る。そのまま落ちていくように夢の世界へ───

 

「悪いけど二度寝は後にしてちょうだい。イータ」

「うん……」

 

 ───行くことは許されずに、体を揺すられ目を覚ます。重い瞼を開ければ、イータを見下ろすアルファの顔が見えた。

 

「アルファ様……何か用?」

 

 既に日は落ちかけ、空には夕焼けが広がっていた。研究室の中は赤く染め上げられている。

 

「この前の学園での報告を聞きたいのだけれど。あなただけ、まだ報告を出していないでしょう?」

「ん……面倒」

「研究費を削るわ」

「報告書、用意しておく……」

 

 その返答に、アルファは首を振る。

 

「その必要はないわ。口頭でお願い」

「どうして……?」

 

 イータは首を傾げる。対してアルファははぁとため息を吐いた。

 

「あなたの報告書、ほとんど中身がないから」

「質より量……マスターも言ってた」

「時と場合によるとも言ってたわね」

「うぅ……」

 

 やはりアルファには敵わない。イータの逃げ道を確実に潰している。

 

「それで、あなたが学園で戦ったネームドチルドレンは相当な強さだったようね」

「まぁまぁ、だった。本気出せば、あそこまで時間は、かからなかった」

「それはあの魔力阻害が原因ということ?」

 

 イータは首を横に振る。

 

「違う……殺すと、情報、貰えなかったから……」

 

 イータがそう言うと、アルファは目を丸くした。

 

「教団の情報を集めようとしていたの?」

「違う……魔力、阻害するアーティファクトの在り処、知りたかった」

「えっ?」

 

 アルファが再び目を丸くする。

 

「それは事前の会議で話したでしょう」

「……」

「聞いてなかったの?」

「……」

 

 アルファの顔から視線を逸らす。泳いだ視線の先には冷たくなったパンとスープがあった。

 

「お腹空いた……」

「イータ聞いてるかしら?」

「いいえう(聞いてる)」

 

 イータはパンを頬張り、それをスープで一気に流し込んだ。

 

「ゲホッゲホッ」

「もう、そんなに一気に食べたらむせるでしょう」

 

 アルファはそう言いながら、ハンカチでイータの口元を拭う。

 

「最も効率的な、栄養補給…………あれ、栄養素だけ抽出すれば、もっと効率的かも……?」

「はいはい。今は報告に集中してちょうだい」

 

 何か閃いたイータだったが、手を叩く音によりその想像は霧散する。

 

「まぁ、いいか」

「回収したアーティファクトの破片はどうしてる?」

「復元作業中……マスターが壊すから……」

「彼には何か考えがあるかもしれないわ」

「アーティファクト、壊す意味、なに?」

「……」

 

 アルファが口を噤む。彼女にも分からないのだろう。

 

「……復元はできそう?」

「完全には、無理。でも、メカニズムの解明には、繋がるかも」

「そう。それなら、あなたを行かせた甲斐もあったということね」

「ブイ」

 

 納得したように頷くアルファにVサイン。

 

「分かったわ。もう報告することはないわね?」

 

 イータがこくこくと首を立てに振る。

 

「お邪魔したわ。体調には気をつけるように」

「了」

 

 アルファが出ていく様を見届け、イータは再度ベッドに潜った。

 

□□□

 

「ちょっといい? イータ」

「うん……」

 

 それからしばらくして、またしてもイータを呼ぶ声に目が覚めた。

 もう外は真っ暗で、満月に少し足りない月が空高く昇っている。

 

「ゼータ……何か用?」

 

 だいぶ寝たためか、アルファのときよりもすんなり目が覚める。だが、頭はぼーっとしていた。

 

「頼んでたアレ、できた?」

 

 頼んでたアレとは、新型魔力フライヤーのことだろうか。

 

「それなら、あっちに……」

 

 研究室の奥を指差す。そこにはゴミだかガラクタが積まれた山があった。

 

「えっ、どこ……?」

「もう……」

 

 イータは気怠げにベッドから下りて、ゴミのような山に手を突っ込む。そして中から、箱型の物体を引っ張り出す。その際に、ガシャンガシャンと物凄い物音が響いた。

 

「これ」

「おー! ありがと、イータ」

 

 ゼータは嬉しそうにその物体を受け取った。イータは使い方を説明する。

 

「───で、そこを上げると……」

「火力が上がるわけね。なるほど」

 

 ゼータはその説明を楽しそうに聞く。尻尾がゆらりゆらりと揺れていた。

 

「……じゃあ、使ってみた感想のレポート、よろしく」

「あい分かったよ……そういえばさ」

 

 機嫌良さそうに新型のフライヤーを眺めていたゼータが、ふと思い出したような声を出す。

 

「この前の学園での事件、何があったの?」

「説明、面倒。他の人に、聞いて」

「すぐ出ちゃうからね。そんな時間ないよ」

「む……」

 

 イータはいつも使ってる椅子に腰掛ける。そして、アーティファクトの復旧作業を始める。

 

「まぁ、色々あった」

「その色々の部分が聞きたいんだけど」

「むむ……」

 

 仕方がないので、作業の手は止めずに話す。拙い説明ではあるが、ゼータもそれを分かっているので根気強く質問などをして理解を深める。

 

「───とまぁ、こんな感じ」

「なるほどね。でも、流石はシャドウだね」

「うん……マスターの頭の中、見てみたい」

「そこまでは言ってないかな」

 

 ゼータが苦笑を浮かべる。

 

「あっ、そういえば、変な笑い方の人が言ってた」

「チルドレン1stの? なんて?」

「王都の何処かに、右腕が封印されてるらしい」

「右腕って、ディアボロスの?」

「そう」

 

 ピクリとゼータの耳が動く。

 

「場所とか具体的なことは言ってた?」

「一番大きい拠点としか、言ってない」

「王都で一番……フェンリル派の本拠地かな」

「分からない」

 

 ゼータは立ち上がる。もう行くのだろうか。

 

「さっきの話、アルファ様に報告してない。しといて……」

「時間がないって言ったでしょ。自分でやって」

「えー」

 

 イータが不満げに頬を膨らました。

 

「私も報告サボってるから何か言われそうだし……」

「ゼータ、何か言った?」

「いいや、なんにも……あっそうだ、イータ」

「ん、なに?」

「ちょっと作って欲しいものがあるんだけど」

「また?」

「また」

「……内容に、よる」

「作って欲しいのは───」

 

 ゼータが紙に必要な機能を書く。その紙をイータに渡した。

 

「多分その内必要になるから。急がなくていいよ」

「うん。しばらくは復元作業があるから」

 

 ゼータが窓を開ける。すると、涼しい風が吹き込んできた。

 

「それじゃ、バイバイ」

「うん……」

 

 ゼータは窓から飛び出し姿を消した。イータはすぐに窓を閉めて、復元作業に戻る。

 

 結局、その作業は明け方まで続いた。

 




次回から3章となります。


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三章 聖域
やられるまでがモブの仕事


原作を知る方は前半部分(最初の"□□□"まで)を読み飛ばしていただいて構いません。
二章が長くなり過ぎた反省として、同じ展開はカット(もしくは縮小)していく方針にします。


『暇なら聖地に来て』

 

 先日、アルファからそんな手紙が届いた。

 今は半焼により前倒しとなった夏休みの最中だ。特にやりたいこともないし、適当に盗賊狩りでもしようと思っていた矢先にその手紙は来た。

 勿論、僕はアルファの誘いに乗った。アルファのこういう誘いは楽しいイベントがセットのことが多いんだ。

 あ、そうそう。聖地というのは、この世界で最もポピュラーな宗教である『聖教』の聖地リンドブルムのことだ。

 聖地までは走れば一日、馬車なら四日くらいで着く距離だ。僕はモブらしく馬車で移動することに決めた。

 けど、それが仇となり、途中からローズと共に移動することとなった。

 いや、僕は断った。角が立たず、明らかに萎縮してますよ! といった感じで断った。

 でも、王族パワーには敵わなかったんだ。

 そんなわけで、僕はローズと同じ馬車で聖地まで旅をした。

 その中で知ったんだけど、聖地では『女神の試練』というイベントがあるらしい。ローズはその来賓として呼ばれているそうだ。恐らく、アルファの誘いもそれに関係してるんだろうね。

 本当はもう少し『女神の試練』の話を聞きたかったんだけど、ローズが途中から変な話を始めたので、それは叶わなかった。

 多分、ローズは何らかの宗教に入ってるんだと思う。呼び方もいつの間にかシド君になってるし。

 それで、ようやく聖地に着いて、僕は一人で安宿に泊まろうと思った。けど、ローズの王族パワーの前に、またしても敗北してしまう。結局、僕は一泊三十万ゼニーの高級ホテルに泊まった。

 それからも、ローズに連れられて、色々なところを回って遊んだ。勿論、僕の出費はない。

 そのとき僕は思ったんだ。寄生型のモブもありではないか、と。

 ……まぁ、そんな冗談は置いとこう。

 そういえば、聖地に着いてローズと街を見回っていたら、ベータと会った。ナツメ・カフカという名前で作家をやってるらしい。代表作は『吾輩はドラゴンである』だそうだ。

 ……丸パクリじゃねーか。

 ベータもガンマみたく、僕の前世の知識を使って荒稼ぎしているようだ。

 いや、いいんだ。君たちは君たちの道を行けば。少し思うところはあっても、僕は気にしないよ。

 言い忘れてたけど、ベータも来賓として呼ばれたそうだ。

 で、翌朝入った温泉には何故かアレクシアがいた。いや、早朝は仕切りがなくなって混浴となるのは知ってたけど。まさかアレクシアと会うとは思わなかった。

 そこではお互いに干渉せず、僕はそれなりにリフレッシュできた。まぁ、少しは会話したんだけど。彼女も来賓として呼ばれてるようだ。

 あと、『女神の試練』についても話してくれた。挑戦者に相応しい古代の戦士が呼び出されて、その者と戦うとのこと。まぁ、大抵は呼び出されることすらないとも言ってたけどね。

 その後もイプシロンと会ったり、ジャガのお土産買ったりと色々あった。

 

□□□

 

 そんなこんなで、僕は今、観客席から『女神の試練』を眺めていた。

 まぁ、メインの『女神の試練』は日が暮れてから行われるらしい。それまでは来賓紹介だったり、何らかの催しだったりがある。

 この世界じゃ、こういう大きなイベントはあまりないから、僕もそれなりに楽しめた。賭け試合で小金も稼げたしね。

 そして夜。

 いよいよメインイベントが始まった。一人目は何処かの騎士団の猛者らしい。

 意気揚々と入った彼は、結局戦わずして会場を去る。古代の戦士は呼び出されなかったのだ。

 それからも単調な展開が続いて十四人目。アンネローゼ・フシアナスというベガルタから流れてきた戦士が、遂に古代の戦士を呼び出した。ボルグというらしい。

 結果はアンネローゼの勝ち。ボルグはあんまりぱっとしなかった。

 それからちょこちょこ古代の戦士が呼び出される。けど、誰一人彼らには勝てなかった。

 分かったことは、あのアンネローゼは強かったってこと。ということは、あのボルグも実は強かったのかもしれない。

 夜も更け、次第に挑戦者の残り数も減っていく。会場が終局への雰囲気を漂わす中、僕はアルファの登場はまだかと思いながら、観戦する。

 また一人、無駄に参加費だけ払う哀れな挑戦者が去っていく。その後ろ姿に秘めたるは哀愁か、はたまた次なる挑戦への情熱か。どっちでもいいや。

 その挑戦者が去れば、実況者が次の挑戦者の名前を高らかに叫ぶ。

 

「────次はミドガル魔剣士学園からの挑戦者、シド・カゲノー!!」

「ん?」

 

 すごく僕に似た感じの人がいるみたいだ。まぁ、世界にはそっくりさんが三人いるらしいから、その内の一人がここにいても不思議じゃないだろう。

 

「勇敢なる挑戦者を拍手で迎えよう!」

 

 会場が拍手で湧くも、誰も現れない。

 ……これは、もしや僕のことだったりするのかな。

 でも、僕はエントリーなんてしてない。第一、僕にそんな金はない。参加費は十万ゼニーもするんだ。

 そうやって現実逃避していると、ふと目に入った人物がいた。ローズだ。来賓席からキョロキョロと会場を見回している。

 

「まさか……」

 

 彼女が勝手にエントリーを? 僕は嵌められたのか。やはり宗教は恐ろしい。

 

「おぅ……」

 

 僕は頬を引きつらせる。

 僕には三つの選択肢がある。やるか、逃げるか、壊すかだ。どれも一長一短がある。

 僕は僅か一秒の間にいつくものシミュレーションをし、悩んだ。

 

「よし……」

 

 そして、一つの解へと辿り着く。

 モブとしての誇り、『陰の実力者』としてのプレイを両立させる素晴らしい案だと我ながら褒め称えたい。

 僕は入口から戦うフィールドへと入った。

 歓声はそのときに最高潮に達したのだった。

 

□□□

 

 アレクシアはただ今入場した少年の姿を眺める。黒髪の特筆すべき点のない少年だ。

 

「────ッ!」

 

 その姿を見たナツメ・カフカという胡散臭い女が息を呑むのが分かった。

 

「どうかされましたか、ナツメ先生?」

「い、いえ、何でもないですよ、アレクシア王女」

 

 絶対なにかある。アレクシアの勘はそう告げていた。

 だが、そんな内面はおくびにも出さずにアレクシアは少年の方を見る。

 

「嘘……」

 

 するとどうだろう。古代文字が反応し、光り輝くではないか。その光が粒子となっめ集まり、人の形を成す。

 

「『災厄の魔女』アウロラ……」

「まさか……」

 

 光が収まり、現れた女を見て、隣のナツメとネルソンが呟いた。

 長い黒髪に鮮やかなヴァイオレットの瞳。薄いローブを纏ったある種芸術を感じる美を持った容姿だった。

 

「アウロラとは? 何かご存知で、ナツメ先生?」

「いえ、私も名前だけしか知りませんが……」

 

 嘘を言っているようには思えない。胡散臭いが、その言葉だけは信じることにする。

 

「あんな少年が……いやしかし、そんなはずは……」

 

 ネルソンが目を見開いてまじまじとアウロラを見ていた。心なしか、その視線は彼女の胸元に……

 

「気持ち悪いわ」

「気持ち悪いですね」

 

 それに気付いた二人が同時に呟く。初めて意見が一致したかもしれない。

 

「大司祭代理様、何か知っているのでしょうか?」

「あれは、かつて世界を混沌に導いた『災厄の魔女』。歴史上で最強の女でしょう」

 

 未だ驚愕の衝撃から逃れられていないのか、アウロラから視線を外さずにネルソンは答える。

 それを聞き、訳知り顔の二人に遅れ遊ばせながらも、アレクシアは驚愕に息を呑む。

 

「ポチ……じゃなくて、あのシド・カゲノーという少年は何者なの……」

 

 そんな怪物を呼び出せるとは……。

 因みに、ポチとは昔飼っていた犬の名前だ。

 少年とアウロラはしばらくの間見つめ合う。その姿を見て、アレクシアは何故だか二人が会話しているかのように感じた。

 ()()()()()の出現に湧いていた会場も徐々に熱を失い、やがて静寂に包まれる。その静寂に含まれるのは中々始まらない戦いへの困惑や苛立ち、そして、今までのどの戦士とも違うアウロラへの期待だった。

 

「頑張ってください。シド君……!」

 

 ここまで会話に入って来なかったローズが祈るように手を組む。というか、完全に意識はあっちに向いているようだ。

 そうして、会場全体が妙な緊張感に包まれた頃、戦いは突然に始まった。

 

「シド君……!」

「シャ……!」

 

 アウロラから放たれた一本の赤い槍が少年に突き刺さる。少年はそのまま吹き飛び、壁と衝突した。

 激しくほこりが巻き上げられ、少年の姿は確認できない。しかし、少年が最初いた場所から伸びる赤黒い線がその傷の重大さを言い表していた。

 

「これは……駄目ね」

 

 あの出血では致命傷だろう。

 顔見知りが死ぬのはアレクシアと言えど心が痛むが、元々死ぬ可能性のある試合なのだ。仕方がないだろう。

 会場全体に諦めや失望の雰囲気が漂う。

 そんな中、その声は酷くクリアーに響いた。

 

「我が名はシャドウ。今宵、聖域に眠りし記憶を解き放とう……」

「シャドウ!?」

「シャ……!」

 

 アウロラに相対して、漆黒のロングコートを身に纏う男が立っていた。

 




かなり巻きすぎた感はあります。


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次は本気でやろう

 僕は闘いとは対話だと思っている。

 剣先の揺れ、視線、呼吸、立ち姿、間合い。それらには必ず意味が存在し、その意味を汲み取り、より良い解答を互いに出し合う。だから対話なのだ。

 僕らはしばらく見つめ合ったまま動かない。因みに、僕が吹き飛ばされた場所にはスライムで作った僕が置かれている。突貫工事にしては中々のできで、遠目に見れば僕に見えると思う。近くでみれば、変な人形なんだけどね。

 

「ふむ……」

 

 この感覚は久しぶりだ。それがとても嬉しい。

 ヴァイオレットの瞳をした彼女は、微笑みながら僕のことを見てくれている。剣先も視線も呼吸も立ち姿も、彼女は見てくれている。

 これは、この感覚は、僕たちお互いが高い対話能力を持っていることを証明している。

 対話のない闘いは結果しか残らない。結果しか残らないなら、ジャンケンかコイントスで勝敗を決めた方がいい。その方が効率的だ。ねぇ、デルタ?

 

「貴様の名は?」

「……」

 

 ヴァイオレットの瞳の彼女は何も答えない。うん。じゃあ、彼女のことはヴァイオレットさんと呼ぶことにしよう。親愛なるヴァイオレットさんだ。

 僕らは見つめ合って、少しずつお互いのことが分かる。彼女は距離を離して戦うスタイルみたいだ。そして僕は相手に合わせて戦うスタイル。いつもは対話能力の差からグーで殴る形だけど、決してそれが本来のスタイルではない。

 僕は本当は、デルタのような戦い方は不本意なんだ。

 さっき僕を吹き飛ばしたような赤い槍が何本もヴァイオレットさんの周りに生み出される。

 僕は半歩右足を引き、半身になる。

 直後、地面から目の前にある赤い槍と同じものが突き出てきた。

 

「ふん……」

 

 足を狙うとは合理的だ。そして、早々に赤い槍を出してそちらに注意を向けさせる手も上手い。人はどうしても、目に見えるものばかりを追っちゃうからね。それに、最初に見せた攻撃はどうしても頭に残ってる。

 僕はしばらく見ることに徹する。赤い槍の速さや威力、操作性を見極めるのだ。

 赤い槍は分裂と合体を繰り返し、あらゆる方向から僕を刺さんとする。その槍を一歩で躱した次には半歩で、そのまた次には更にその半分の移動で避ける。

 そうやって、僕は守りの中で少しずつ優勢になっていく。でも、それが少しだけ寂しく感じられた。

 

「無念だ……」

 

 対話の能力が高いと、少し剣を交わしただけで互いの力量が分かってしまう。そして僕は悟ってしまった。彼女の抱える制限を。

 さんざん場内を駆け回った僕は、最初の位置、距離でヴァイオレットさんと向き合う。すると、彼女は攻撃の手を止めた。

 

「記憶の牢獄にて囚われし者よ……」

 

 僕は無造作に歩き出す。

 

「今宵、千年の呪縛から……」

 

 何本もの大木のような太さの槍が伸びる。合わせて細い槍も僕を襲う。それらは自在に形を変え、喰らいついてくる。

 

「我が解き放とうぞ」

 

 そんな槍たちを僕は体に当たるスレスレで躱す。前から来ようが、後ろから来ようが関係ない。もうさんざん見てきたのだから。

 僕がそうしてどんどん近づけど、彼女は同じような攻撃ばかりを繰り返す。だから、僕の歩む速度は変わらない。

 

「今度は──」

 

 そして、もう目と鼻の先まで来たところで、いつの間にかヴァイオレットさんは大鎌を振りかぶっていた。

 初めて見る攻撃だ。だが、遅い。ここはもう、僕の射程範囲だ。

 

「───本気の君と戦いたいよ」

 

 彼女にだけ聞こえる声で僕は言った。

 それを聞いたヴァイオレットさんはただ微笑むばかりだった。

 

□□□

 

 凄まじい。その一言に尽きる戦いはゆっくりと鳥が木の枝に留まるようにして終わった。

 会場の中心に赤く美しい花が咲いたかと思えば、次の瞬間にはアウロラは白い光の粒子となって消えてしまう。

 その光の粒子を漆黒のロングコートを纏った男───シャドウは名残惜しそうに、見つめていた。そして、それら全てが無くなった頃、コートを翻して消えた。

 

「な、何をしている! 早くあの男を追えっ!」

 

 終始混乱したようだったネルソンはようやく我に返ったのか、声を荒らげて部下に命令する。

 

「シド君っ!」

 

 そして、あまりに激しい戦いのため、手出しができなかったローズが来賓席から飛び降りる。

 会場全体はこの異常事態に徐々に湧き立ち、そのうねりは大きな波となって更にここにいる他の人々にも伝播する。どんどん勢いを増す中で、アレクシアはじっと戦いが行われていた場所を見つめていた。

 

「シャドウ……あれ程遠かっただなんて……」

 

 それがあの戦いを見たアレクシアの感想だ。

 対ゼノン戦のときにも、感じた圧倒的な差。あれから幾分とアレクシアは強くなったが、その差は埋まるどころか、むしろ開いているようにも感じられた。

 

「シャドウ……あなたの目的は何なの……? その力を一体何に使うの……?」

 

 アレクシアから見て、シャドウは一つの武の極みとして完成されているように思えた。そして、その完成形が彼女自身の剣のその先にあるものだということも分かる。

 分からないのは彼のことだ。

 彼は一体どこから来て、どうやってあの力を身に着けて、何がしたいのか。そして、彼の属する組織についても得体が知れない。

 シャドウと会ったあの日から、アレクシアは独自に調べ回ってはいるものの、それらの手がかりは一切見つからなかった。

 

「はぁ……やることは山積みね」

 

 一向に減る気配のない問題にアレクシアはため息を吐いた。

 

「ネルソン大司教代理、『女神の試練』はどうされますの?」

「……幸いにして、侵入者は追い払えました。会場の警備を固めつつ、続行しましょう」

「そうですか」

 

 追い払えたというよりは、目的を達して引いたように見えたのはアレクシアの気のせいだろうか。

 

「混乱を鎮めるため、しばらく休憩時間としますので、どうぞ楽にしていてください」

「えぇ、そうさせてもらうわ」

 

 アレクシアはそう言って深く椅子に座った。

 会場を包む喧騒はしばらく止みそうにはなかった。

 

「そういえば、彼は無事なのかしら?」

 

□□□

 

 「シド君! お怪我はありませんか!?」

 

 ローズが鬼気迫る様子で奇跡的に一命を取り留めた僕に話しかけてくる。

 僕はシャドウとして姿を消した後、シドスライムと交代して倒れていた。勿論、服を血まみれにするのも忘れない。

 ローズが僕のことを抱きかかえる。

 

「生きていてくれて良かったです……」

「あんまり強くされると痛いんだけど……」

「ごめんなさい……まさかこんなことになるなんて」

「いや、だから痛いって」

「私はシド君のために良かれと思ってやったのですが、あのような相手が出現するなんて」

「うん、もういいや」

 

 というか、どうしてこれが僕のためなのだろう。

 

「いえでも、シド君の不屈の精神に反応して彼女は呼び出されたのでしょう」

「それは多分違うかな」

「これでお父様にも良い報告ができそうです」

「報告?」

「はい」

 

 やはり宗教関連なのではないだろうか。ローズのギラついた目が怖い。

 

「とにかく、まずは医務室へ行きましょう」

「え? いや、僕はほら、奇跡的に一命を取り留めたから大丈夫だよ」

「それだけ出血をしているのです。早く診てもらわないと死んでしまうかもしれません」

「いやでも……」

 

 僕のささやかな抵抗も虚しく、僕は医務室へ連れて行かれた。僕が自分の体に穴を空けたのは言うまでもない。

 ……前にも、こんなことなかったかな。

 

□□□

 

 二人の少女が、一連の騒動を陰に紛れて眺めていた。

 

「あれが『災厄の魔女』……」

「本気は見られなかったけど、伝承通りの力はありそうだね」

「本当にやるの?」

「必要なことだからね」

「……人員の交代を求む」

「いや、敵には勿論、ガーデンにも知られるわけにはいかないから無理。人手が足りない」

「バレたら、アルファ様に怒られる」

「シャドウの狙い……主がここまでやったんだから。やるしかないよ」

「それは……分かった」

 

 背の低い方の少女が仕方なさげに首肯する。

 

「それに、私たちがどう動こうと坂を転がり始めた石は止まらないから」

「……そっちは何するの?」

「私? 私はそうだね。ちょっと面白い情報が入ったから探りに行ってみる」

「面白い情報?」

「ん。ガーデンの目がここに向いている今がチャンスでもある」

「どこ行くの?」

「ちょっと学園までね。……じゃあ、目的物の回収は任せたよ」

「うん、任された。出来る限りの善処はする」

「なんか緊張感に欠けるなぁ……まぁいいや」

 

 背の高い方の少女は頭を欠いてぼやく。けれど、すぐに頭を振ってその場からかき消えるようにいなくなった。そのとき揺れた金色の尻尾が月光を反射して煌めく。だが、それに気付く者はどこにもいない。

 程なくして、背の低い少女も立ち去り、後には寂しい夜闇だけが残る。

 

 陰に潜む彼らのことは、陰に住む者たちでさえ見つけられない。

 



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いざ聖域へ!

ちょっと長めです。


 ローズに運ばれて僕は医務室のベッドで寝ていた。

 

「お体は大丈夫ですか」

「大丈夫、大丈夫」

 

 ローズが心配そうに僕の顔を覗く。

 そんなに心配しなくても、ちゃんと急所は外したから大丈夫なんだけどね。

 

「シド君、リンゴの皮をむいてあげますね」

「いや別にいいよ」

「何か欲しいものはありますか? あるなら取り寄せますが」

「ないから平気」

「それではシド君───」

 

 なんかすごい圧力を感じる。馬車で感じたそれと同じだ。

 ローズはベッドで寝る僕の側で色々世話を焼いてくれる。うん。意外と皮むき上手だね。

 

「どうでしょう」

「上手いね」

「美味いね……それは私がむいたから余計にということでしょうか」

 

 この人は何を言ってるんだろう。そう思ったけど、僕は基本的に女性には恥をかかせない方針で生きてるのでスルーする。

 それからはしばらく世間話のような会話をした。話題は、最初の方は突然乱入してきたシャドウについてのものだったけど、次第に全く関係ないものへとシフトしていく。学園のこと、ミツゴシの新商品、最近新しくできた友達のこと。そんな感じの話だった。

 

「……あっ、もうこんな時間ですね」

「そうだね」

「名残惜しくはありますが、私は来賓席に戻ります。来賓として招かれている以上長く席を空けるわけにはいきませんから」

「大変だね」

「それ以上は言われなくても分かりますわ。私も同じ気持ちです」

 

 もしかして、ローズも温泉に入りたいのかな。僕はシャドウとして頑張ったから汗を流したいんだけど。

 

「今は我慢しなきゃね」

 

 来賓として呼ばれるのも大変だね。温泉に入りたくても入れないなんて。

 

「はい、そうですね…………それでは……」

 

 何故か目に涙を浮かべたローズは一礼して、医務室を後にする。

 残った僕は一人ぼーっと天井を眺めた。

 

「帰るか、寝るか」

 

 モブらしさを追い求めるならば、ここを動くのは得策ではない。というのも、腹に風穴が空いたのに動き回るモブなんていないからだ。

 でも、本音としては帰りたい。だってここ、やることないから暇だし。

 

「うーん、悩ましいね」

「なにが?」

「うん?」

 

 僕がそうして唸っていると、不意に声が掛けられる。聞き覚えのある声が、()()()降ってきた。

 

「もしかしてずっといた?」

 

 シュタッと華麗に影が着地する。黒いボディースーツの上に同色のローブを着たエルフの少女だ。ピンクの髪は長く、腰の辺りまでは伸びていて、口元は襟に隠れていた。

 シータだ。

 

「今来たとこ。シャドーがオリアナ王女とイチャイチャしてるとこは見た」

「イチャイチャはしてないかな」

 

 僕は宗教には関わらないようにしているんだ。もし、深く関わることがあるとしたら、それは僕が教祖となるときだけだろうね。

 

「そう……」

「そういえば、アルファたちは?」

 

 登場をずっと待ってたんだけど、結局現れなかった。何してるんだろう。

 

「もうすぐ門が開く」

「門?」

「『聖域』への門。それが開くのを待ってる」

「へー」

 

 なんか面白そう。僕も参加したいな。

 

「シータは行かなくていいの?」

 

 ピンク髪の少女は少し目を逸らして首肯した。

 うん。何か後ろめたいことがあるときの反応だ。目が泳いでる。

 

「本当に?」

「来いとは、言われてない」

「ならいっか」

「そう、いいの」

 

 シータは手近な椅子をベッドに寄せて座る。

 

「怪我は大丈夫?」

「大したことないよ。やろうと思えばすぐ治せるし」

 

 それをしないのは、モブ道を貫くためだ。

 

「……シャドーは、ここまでのことは全部読み切ってた?」

 

 シータの雰囲気が少し変わる。言うなれば、より暗く、重くなった感じだ。

 プレイのスイッチが入ったのかな。なら、

 

「勿論」

 

 僕は頷く。だって、『陰の実力者』に知らないことはないのだから。

 

「これからのことも?」

「勿論」

 

 シータは考え込むように黙る。

 

「じゃあ…………分かった」

 

 そして、覚悟を決めたような顔つきになり、目を細めた。ゼータがよくやるやつだ。

 

「ゼータが言ってた。シャドーは優しいって。故に、自分からは最善を選べないって」

「ふむ……」

「だからこそ、自分が全部を背負うって。悲劇の罪も、混乱を招いたという悪名も、そして組織からの裏切りのレッテルも」

「ふむ……」

「その先は……なんだっけ。まぁ、気になるならゼータ自身に聞いて」

 

 シータは疲れたと言わんばかりに「んー」と声を出して、伸びをする。

 ゼータの覚悟は分かった。何の覚悟かは分からないけど、まぁ、多分設定だしいいでしょ。

 

「そうか。ならば、その覚悟を無駄にはするまい」

「うん。そうして」

 

 そうして、話は一段落ついた。それから訪れるのは、お互いに話すことがなくなったための沈黙だった。

 でも、その沈黙はそこまで苦痛ではなかった。お互いが話題を探しているのが分かると何だかほっこりするのだ。

 それに、シータは元々あまり喋らない。今日は沢山話したけど、会ってから一日ずっと話さないことだってあった。だから、慣れてるといえば慣れてる。

 そんな秒針と同じ歩調で進むような時間は、唐突に終わった。

 

「なにこれ」

 

 ベッドの脇、シータの隣に突然変な扉が現れたのだ。薄汚れていて、みすぼらしい扉だけど、よく見ればどす黒い跡がある。多分乾いた血かな。

 

「ん。来た」

 

 シータは来ることが分かっていたのか、特別驚かずに、ドアノブに手をかけ、開ける。そしてそのまま中へと入っていった。

 

「うーん、どうしよう」

 

 僕も追うべきだろうか。でも、アルファたちの方も面白そうだし……。

 

「まぁいいや」

 

 僕は少し考えてから、シータの跡を追って中へと入る。

 まだ起こっていない、あるか分からないイベントよりも、目の前のイベントの方が大事だよね。

 吸い込まれるようにして入った中には、深い闇が広がっていた。

 

□□□

 

 アレクシアはだいぶ混乱も落ち着いてきた会場の来賓席に座っていた。あれから、半刻くらいは経っただろうか。

 

「あとどのくらい待てばいいかしら?」

「既に会場も落ち着いてきております。今しばらくお待ち下さい、王女」

 

 その言葉はもう三回目くらいだ。

 

「分かりました」

 

 憮然とした態度などは見せずにアレクシアは答える。

 直後、控えていたネルソンの部下がネルソンに耳打ちをする。

 

「そんな馬鹿な……」

 

 彼のその表情から、それが朗報でないことはすぐに察せる。探りを入れるならば、今がチャンスかもしれない。

 そう思い立ち、アレクシアが席を立ったそのときだった。

 

 眩いほどに真っ白な光が視界を覆う。熱さなどは感じられないただの光だ。それが全ての光景を塗りつぶし、ただ一色に染め上げる。

 

「何が起こったの……?」

 

 やがてその強い光は収束する。

 突如として起こった変事に会場は静まり返る。

 未だ明滅する視界であるが、アレクシアは目を開け、光の差した方を見る。

 

「扉……?」

 

 そこにあったのは白く大きな扉だ。チリチリとする視界はぼやけて見えないが、淡く輝いているようにも思える。

 その扉はただそこに静止するのではなく、徐々に開いていた。

 

「聖域が、応えたのか……」

 

 ネルソンの驚嘆の声が聞こえる。

 

「それは、どういう意味なのかしら?」

「今日は聖域の扉が開く年に一度の日。あの扉が何の扉かまでは分かりかねますが、誰かが聖域に干渉し、聖域はそれに応じたのでしょう」

 

 誰かとは誰だろうか。アレクシアの脳裏をよぎるのは漆黒のロングコートを纏った男だ。

 しかし、彼は既に目的を達してどこかへ消えてしまった。よもや、忘れ物を取りに来たのでもなければ、戻ってくることはないだろう。

 

「こうなっては『女神の試練』は続けられない。観客を避難させなさい」

「はっ」

 

 ネルソンがそう部下に命じる。

 

「アレクシア王女も非常事態である故、すぐに退避を───」

 

 ネルソンが言い終わる前に、アレクシアは剣を抜く。さらに、周囲を注意深く見回す。そうすれば、もうアレクシアたちは包囲されていることに気が付いた。

 一人ひとりから強者特有の圧迫感がひしひしと伝わってくる。

 

「悪いけれど、扉が閉まるまで大人しくしていて頂戴」

 

 そんな緊張感の中で、鈴が鳴ったかのような美しい声が響いた。

 声の主はコツコツとブーツを鳴らし、扉へと近付いていく。包囲する者は全員黒のボディースーツに身を包んでいるが、その声の主だけは黒いドレスのようなローブを着ていた。美しい金髪が風でなびく。

 

「貴様ら、何者だ」

 

 声の強張った調子でネルソンが言う。

 だが、アルファはその問いには答えずに、後ろ人物に話しかけ、扉の中へと消えていった。

 そのとき、一度だけ目が合ったアレクシアは確信する。

 強い……!

 その瞳から発せられる圧力は今まで経験したことのないものだった。アレクシアにとって最強はシャドウだが、その足元には及んでいるように思える。

 

「お前たちは扉が閉まるまで、そこで大人しくしていればいい」

 

 水色の髪の女はそう言って、ネルソンに剣を向ける。

 

「ひっ……」

「お前はついてこい」

「きゃー、助けてくださーい!」

 

 剣を向けられたネルソンは息を呑む。それと、何故かナツメも捕まっていた。

 

「あれは見捨てても大丈夫そうね」

 

 見るからに胡散臭い女だ。あの胸も盛っているのではないだろうか。

 

「貴様、今何か言ったか?」

「いえ、何も言ってないわ」

 

 水色の髪の女が何故か睨んでくる。本当に睨まれる理由が分からない。

 

「まぁいい」

 

 女は部下だろう人物たちにネルソンとナツメを連行させ、歩き出す。

 

「放せっ!」

 

 その瞬間、ネルソンが激しく抵抗する。が、体型からも分かる通り、普段運動してない彼はすぐにねじ伏せられた。

 

「命が欲しいなら、余計なことはするな」

 

 そうして、女の注意が逸れたときだった。

 どこからともなく現れた黒い影が女を切り裂く。

 

「よくやった! 『処刑人』ヴェノムよ!」

 

 それを見たネルソンが歓喜の声を上げた。

 

「───ッ!!」

 

 女は血を吹き出させながら倒れ……はしなかった。それどころか、傷一つ負っていないように思える。

 そして、気づいたら『処刑人』は細切れになっていた。

 

「見たか……?」

 

 女がネルソンに聞く。

 顔を真っ青にしたネルソンは全力で首を振っていた。

 

「見たか?」

 

 続いて女はアレクシアに問う。

 アレクシアも首を横に振った。

 

「ならいい」

 

 そう言って、地に伏したままのネルソンの頭頂部に手を伸ばす。髪を掴んで引きずっていこうとしているのだろう。

 だが、その手は宙を切ることになる。なぜなら、そこにはもう、()()()()()()がなかったからだ。

 

「チッ」

 

 舌打ちした女は未だ辛うじて残る髪に手を伸ばす。

 

「や、やめろ! 大事にすればまだ……」

 

 ネルソンは喚くが、結局女に連れ去られて、扉の中へと消える。ナツメも一緒にいなくなった。

 扉は徐々に閉まっていく。

 

「これは……行くしかないわね」

 

 決断すれば一直線。アレクシアは飛び出して閉まりゆく隙間に体を滑らせる。

 かなり危ないことをしている自覚はあるが、今行かないと何かが手遅れになる気がしたのだ。

 

 そして、アレクシアには一つだけとても気になることがあった。

 それは、あの水色の髪の女が切られたのをアレクシアは確かに見たのだ。その胸に刃が突き刺さるのを。

 だが、女は無傷であるかのような振る舞いをしていた。

 

「凄まじいまでの回復力……魔力制御がそれほど卓越しているのかしら?」

 

 もしあれだけの回復力があるのなら、戦闘でどれ程有利になるだろうか。

 アーティファクトの可能性もある。

 その秘密も分かればいいなぁ、とアレクシアは思った。

 




アレクシア視点の最初でネルソンに耳打ちされた内容が『処刑人』が死んだという内容でした。なのに、彼は登場してしまってますね(うっかり)。どうせ細切れになるので、まぁいいやとそのまま投稿しました。
因みに、ローズ先輩は聖域突入に間に合いませんでした。


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記憶の中の私へ

前回より長いです。


 扉に入った僕の視界に広がっていたのは、白い空間だった。地平線の彼方へと無限に続いてるかと思えるようなここには、一つの扉と、一人の拘束された女性がいた。

 ヴァイオレットさんだ。

 

「あれ、シータは?」

「ここ」

 

 扉の後ろからシータがひょこりと姿を現す。

 

「何してたの?」

「ちょっと探索。いいものないかなって」

 

 その気持ちはよく分かる。僕はシータの言葉に共感した。

 僕も、町を歩いているときは、銅貨や銀貨が落ちていないかと割と探していたりする。というのも、『陰の実力者』プレイにはお金がかかるから欲しいし、銅貨を見つけてはしゃぐのはとてもモブっぽい。小銭探しは僕にとっては、まさに一石二鳥なんだ。

 

「何か見つかった?」

「扉が一つ」

「あるね。僕も見つけたよ」

 

 というか、ここに来て最初に見つけたね。

 

「ちょっといいかしら?」

 

 とそこで、ヴァイオレットさんが口を挟む。少し虫の居所が悪いようだ。

 

「何かは分からないけど、ごめん」

 

 とりあえず謝っとけばいいの精神で、僕は謝る。

 

「謝罪はいらないのだけれど……」

 

 ヴァイオレットさんは、こほんと一つ咳払いをする。

 

「……さっきぶりね」

「今初めて会った」

「あなたじゃないわ。そっちの少年の方よ」

「そうだね。さっきは楽しかったよ」

「私も楽しかったわ。そして、私の不完全な記憶の中では、あなたが一番強かった」

「光栄だね」

 

 僕の知る限りにおいて、ヴァイオレットさんより強い人は勿論いる。けど、彼女が本気を出したらその誰よりも強い気がする。多分。

 僕はデルタとは違って戦闘狂ではない。

 でも、対話は好きだ。だから、僕は本気の彼女と戦ってみたかった。

 

「それで、どうしてあなたたちはここに?」

「急に現れた扉に入ったらここだったんだよね」

 

 僕の隣でシータも頷く。

 

「出る方法知らない?」

「……出るだけなら、"穴"を作れば出られる」

「どうやって?」

「イプシロンたちが解読中」

 

 つまり、待っていれば出る糸口も見つかるってわけだ。

 

「イプシロンたちからの連絡は?」

「……ない。そして、取れない」

 

 訂正。待ってても埒が明かないみたいだ。

 

「何か知らない?」

 

 僕はヴァイオレットさんに聞いてみる。

 

「分からないわ」

「さっき僕と戦ったけど」

「気付いたらあそこにいたのよ」

「そうなんだ。困ったな」

 

 僕は頭の後ろに手をやる。

 さて、どうしたものか……

 

「……困ったの?」

「そうだね。外に出られないのは大変だ」

「なら、聖域の核を破壊すれば、出れると思う」

「聖域の核?」

 

 シータは首肯する。

 

「聖域の中心には、魔力の核がある。それを壊せばいい」

「へー、それってどこにあるの?」

 

 シータは手のひらで魔力を練る。しかし、それはすぐに、ほどけるようにして消えた。

 

「魔力が吸われてる先、多分」

「なるほど。吸われた魔力を追跡するのか。頭いいね」

 

 そうと決まれば、さっさと中心を目指そう。

 まぁ、早く帰らなければいけない理由はないんだけどね。

 僕が褒めると、シータは胸を張って得意げにする。

 

「えっへん。あと、そこには───左腕も、ある」

「へー、左腕ねぇ」

 

 物騒な話だ。人体コレクションが趣味の人でもいるのだろうか。

 

「まぁいいや。とりあえず行こう」

「───あなたたちの目の前に、四肢を拘束された美女がいます」

 

 僕たちの方針が決まった頃、ヴァイオレットさんが口を挟んだ。やっぱり、虫の居所が悪いようだ。口の先が尖っている。

 

「いるね」

「とりあえず、助けてはみない?」

「あぁ、ごめん。修業してるのかと思った」

「なぜ」

「僕も昔、そうやって修業したからね」

 

 魔力を探すために手段は選んでられなかったんだ。それに、実際魔力を発見してるのだから、効果はあったんだろう。

 

「でも、もうあれだけの魔力を持ってるんだから、その修業はいらなくない?」

「ちょっと何言っているか分からないわ」

 

 僕は学園支給の安物の剣で拘束を断ち切る。

 すると、突然視界は真っ暗になる。

 

「ありがと、久しぶりの自由だわ」

 

 んー、と気持ち良さそうに伸びをする声がする。

 

「シータ、その手をどけてくれない?」

「ダメ。あれは目に毒」

 

 僕の両目を塞いだまま、シータは答える。

 それから少しして、ようやくシータの手がどき、僕の視界が戻ってくる。

 

「うん。さっきぶりの自由だ」

「ずいぶん早くていいわね」

 

 そう言って微笑んだのは、薄いローブを纏ったヴァイオレットさんだった。さっき戦ったときの服と同じである。

 

「いつの間に着替えたの?」

「あなたが目を塞がれてるときにね。これが私服なのよ」

「へー」

 

 ヴァイオレットさんは艷やかな髪を右耳にかける。それが彼女のスタイルみたいだ。

 

「さて、私たちの目的は一致している」

「というと?」

「聖域の核を壊すの」

「驚いた。てっきり、君はそれを止める側かと思ってた」

「何故そうなるのよ。私は解放されたいだけ」

「いいの? ここを壊して」

「いいわ。困らないもの。それに───」

 

 ヴァイオレットさんは目を伏せる。

 

「───ここは少し辛過ぎる」

「なら、いっか。僕は壊すのが得意なんだ」

「あら、頼もしいわね。因みに私、魔力が使えないとか弱い乙女よ。一度ナイト様に守られてみたかったの」

 

 彼女はそう言って微笑む。小悪魔のようないたずらっぽい笑みだ。

 

「因みに、君は解放されたらどうなるの?」

「消えてなくなるわ。ただの記憶だもの」

 

 彼女はそれだけ言って歩き出す。

 僕とシータは互いに顔を見合わせて、その後ろに続いた。

 

□□□

 

 あの白い空間にあった扉に入ると、その先は早朝の森の中だった。木々の隙間から陽光が降り注ぎ、どこからともなく鳥の鳴き声が響く。

 見覚えのないそこで、僕は辺りを見回してみた。

 

「ここは記憶の中よ」

「見覚えはないけど」

「シータも」

「そう……」

 

 ヴァイオレットさんは振り向かずに進む。

 

「君の記憶?」

「さぁ、どうだったかしら。見覚えはあるのだけれど」

 

 そんな会話をしつつ、静かな森の中を歩く。しばらく進めば、突然開けた広場に出る。さんさんと太陽が照りつけるその真ん中には、少女が膝を抱えて座り込んでいた。

 黒髪の少女だ。

 

「泣いてるね」

「そうね」

 

 ヴァイオレットさんは少女に歩み寄る。僕らはそれに続いた。

 

「君にそっくりだ」

 

 近くまで寄って見ると、幼いヴァイオレットさんのようにも見える。ちゃんと瞳もヴァイオレットだ。

 

「似ているだけよ」

「なんで泣いてるの?」

「ママに怒られたんじゃない?」

「どうして?」

「オネショでもしたのよ」

 

 少女は泣いていた。その体には痣がいくつもある。

 

「先に進むには、記憶を終わらせるのよ」

「つまり?」

「───泣いていても、何も変わらないわ」

 

 ペチンと高い音が鳴る。

 

「酷いね」

「いいのよ。自分だし」

「……認めるんだ」

 

 僕らの言葉には耳も貸さずに、ヴァイオレットさんは少女を見下ろす。

 そして、世界は割れた。鏡が割れるように、空間そのものが破片のように粉々になる。やがて残ったのは、深い暗闇だった。

 そんな何もない空間に、僕らはろうそくの炎のようにぼんやりと浮かび上がる。

 

「行きましょう」

「分かった」

「ん」

 

 僕らは何もない暗闇の中を、魔力が吸い取られる方向に進んだ。

 吸い取られる感覚以外はないんだ。

 

「ちょっと、何してるの」

「いや、できるかなって」

「覗かないでね」

「覗かないよ」

 

 だから、上下を逆にして歩いてみたんだけど、意外といけた。

 シータも僕の真似をして逆さまに歩く。

 

「……白」

「何か言ったかしら」

「んー……何も」

 

 そして、しばらく進むと僕らは茜色の光に包まれた。

 

「いたっ」

「いてっ」

「遊んでいるからよ」

 

 そこは、戦場だった。死屍累々といった体で、地平線の果てまで荒廃した大地が広がり、赤く染まっていた。

 その大地の上では、血のような真っ赤な太陽が輝いている。

 ヴァイオレットさんは目的地が分かっているかのように、黙々と歩く。

 死体を踏んで、ぐちょりとした液体が付くのもお構いなしで歩いた。

 

「いいね」

 

 いつか、僕もこんなに暴れてみたいものだ。

 更に進んでみると、戦場の中心に血濡れの少女が座って泣いていた。顔を見なくても分かる。ヴァイオレットさんだ。

 

「また泣いてる……」

「泣き虫だったのよ。剣貸してくれる?」

「ん」

 

 シータが腰に差していた鉄の短剣を渡す。

 

「なんでそんなの持ってるの?」

 

 スライムソードの方が便利なのに。

 

「ん、まぁ、色々」

「ふーん」

 

 ヴァイオレットさんは剣を構え少女の前に立つ。その顔に表情はなく、どこか別のところへ感情を追いやっているように見えた。

 ヴァイオレットさんはそのまま剣を振り下ろした。

 その瞬間、僕は動いた。僕はヴァイオレットさんを抱きかかえる。

 

「死体が……」

「動いたっ!?」

 

 彼女も気付いたようで、目を丸くしている。

 突如として動き出した死体が僕たちに襲いかかってくる。

 

「聖域が拒んでいる……厄介ね」

「ところで、君はここで死ぬとどうなるの?」

「始めの部屋に戻されるんじゃないかしら」

「それは面倒だ」

 

 僕は腰の剣を抜き、迫りくるゾンビたちを斬り伏せる。その隣では、ヴァイオレットさんが蹴倒したゾンビの喉元に短剣を突き刺していた。

 

「圧倒的ね」

「そういう君は、魔力がないと微妙だ」

「言ったでしょう? 魔力がないと私はか弱い乙女だって」

 

 僕はまとめて目の前のゾンビをなぐ。そして、右から手を伸ばすゾンビを蹴っ飛ばした。

 

「子どもを相手にしてる大人のようだわ」

「もっとマシな例えがいいかな」

「じゃあ、魔力を使えないゴリラ選手権大会なら優勝できそうね」

「せめて人にしてほしかった」

 

 そんな軽口を交わしつつ、ゾンビを殲滅する。けど、倒した(そば)からどんどん湧き出してキリがない。

 

「そういえば、あの子は? 私が短剣持っているんだけど」

「シータ? シータなら大丈夫だと思うけど……」

 

 と、そこで、背後にいたゾンビの群れが衝撃で吹き飛んだ。その衝撃の中心にいたのは、シータだった。

 

「そうみたいね」

 

 僕の言葉に、ヴァイオレットさんが同意したように頷いた。

 

「やっぱり訂正。ちょっとまずいかも」

 

 一瞬空いた空白は、すぐにゾンビたちによって埋め尽くされる。やってくるゾンビをシータは蹴りや肘打ちなどで捌き、壊している。

 シータの戦い方は僕や『七陰』の誰にも似てない。強いて言うなら、デルタとベータを足して、そこからデルタとベータを引いた感じだ。

 シータは超至近距離での戦いを好む。故に、手に武器は持っていない。あるいは、持っていても短剣くらいだ。

 僕は彼女の戦い方を『ゼロ距離戦闘術』と呼んでいる。そう呼べる程距離が近いのだ。

 

「おっと」

 

 しばらく傍観していた僕をゾンビが襲う。攻撃の当たる(すんで)の所で躱し、首を飛ばす。

 

「全然大変そうには見えないけれど?」

 

 ヴァイオレットさんが不思議そうに尋ねる。

 今もシータはゾンビたちを屠り続けている。

 

「いや、そろそろだね」

 

 僕がそういうや否や、突然シータの動きが鈍くなる。例えるなら、ガソリンのなくなった車のようだ。

 そう、シータは瞬発力はピカイチだが、驚く程持久力がないのだ。

 僕の『圧縮すれば魔力八百倍理論』に基づく驚異的な突進は、いかなる相手であってもその懐まで潜り込んでしまう。こちらが躱そうと動いても、どうやっているのか、スピードは殺さずについてくるのだ。

 武器には、それぞれ間合いがある。いや、ここは"戦うのに適正な距離"と言おうか。それより内側でも、外側でも、武器の能力は半分以下になってしまうのだ。

 シータの『ゼロ距離戦闘術』では、あらゆる武器の適正な距離の内側に入り込んで戦う。体術で戦おうにも、彼女は僕と数秒程度なら打ち合えるくらい強いから普通は大抵やられる。

 僕の場合はまぁ、結局、体力切れで僕が勝つんだけどね。

 そんなわけで、シータの鈍くなった動きではゾンビに対処しきれそうにない。

 

「僕もずっとはもたないしね」

 

 だから、終わらせることにしよう。

 僕は強引にゾンビ集団を突っ切る。

 

「ごめんね」

 

 そして、未だ泣いたままでいる少女を斬った。

 直後、世界は粉々に砕けて、僕らは再び闇に降り立った。

 




アウロラさんのシーンはアニメ版に寄せました。小説版だと、白い空間ではなく、石の空間でしたね。
アニメ見ていない方に補足をしますと、アウロラは拘束を解かれた直後は全裸です。


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『アイ・アム……』

日に日に一話が長くなる……


 テレビの画面にヒビが入るように、世界に亀裂が走る。そこから徐々に亀裂は広がり、やがて世界は砕け散った。

 砕け散り残ったのは、ただのじめっとした暗闇だった。全てを包み、じっとりと肌に張り付くような暗闇だ。

 そんな暗闇にも一つ光が差していた。

 

「無事?」

「えぇ、おかげさまで」

「ん……疲れた」

 

 シータがゴロンと闇に寝転がる。傍から見れば浮いているように見える。なんか面白い。

 

「またそうやって遊んでないで、早く行きましょう」

 

 ヴァイオレットさんはそう言って光の方へと歩き出した。

 僕とシータは寝転がったまま顔を見合わせてから、ちゃんと立ってその後を追った。

 

 しばらく歩くと、光は次第に広がりを見せる。やがてそれが僕らを包み込む。少し温かい光だった。

 

「ここが聖域の中心?」

「そうよ」

 

 その光も収束し、気付いたら僕らは遺跡のような場所にいた。今まであったどこか夢の中のようなぼんやりとした感覚は消えて、少しひんやりした空気が僕の感覚を醒ます。

 天井は高く、魔法の光が辺りを照らしている。

 一見して、魔力の核らしきものは見当たらない。

 

「そういえば、これ、助かったわ」

「ん……」

 

 ヴァイオレットさんは礼を言って短剣を返す。

 

「魔力の核ってどこ?」

 

 僕らは周囲を見回した。すると、核そのものはなかったけれど、大きな扉は見つけた。

 

「あの奥ね」

「なるほどね」

 

 僕らは扉の前まで移動する。

 扉はとても古めかしくて、とても大きい。どす黒い血痕がこびり付いていて、びっしりと古代文字が書かれている。そして、僕の胴体よりも太い鎖が幾重にも巻き付き、その扉を固く閉ざしていた。

 

「鎖切ればいけるかな」

「いけるんじゃない?」

 

 僕は剣を抜き、軽く鎖を叩いてみる。しかし、硬質な音が響くばかりで、びくともしない。

 うん。これは無理そうだ。

 

「なんか鍵とかないの?」

「んー……」

 

 僕らは見回すまでもなくそれを見つけた。一秒もかかってない。

 

「これだね」

「これだわ」

 

 扉の脇になにやら台座があり、そこには豪華な剣が突き刺さっていた。

 そして、その台座にはまたしても、びっしりと古代文字が刻まれている。勿論、僕は古代文字なんて読めない。難し過ぎて習得を断念したのだ。

 

「この剣でなら、あの鎖を切れるみたいね……」

 

 ヴァイオレットさんが古代文字を見ながら言った。

 さっきも思ったけど、読めるのすごいね。 

 今もヴァイオレットさんは頑張って読んでるみたいだけど、僕には分かる。これはあれだ。

 

「だが、それは選ばれし者にしか抜けない……」

「えっ?」

「僕には分かるんだ……」

 

 よくRPGゲームやラノベで見るやつだ。古くから使われてベタベタなやつだけど、案外僕はこういうのは好きだ。

 ヴァイオレットさんは目を丸くして、先を読み進める。

 

「本当……これは英雄の直系にしか抜けないと書いてあるわ。あの一瞬で暗号を読み解くなんて……」

「ふっ、テンプレは全て網羅してるからね」

「暗号化された魔術文字をテンプレート化して暗記しているということね」

「ふふっ、多分そういうこと」

「……流石」

 

 試しに僕は聖剣を引き抜こうとしてみる。だが、案の定抜けない。

 

「だめだ……僕は拒絶されてるみたい……」

 

 全然拒絶されてる気はしないけどね。

 

「困ったわ……」

 

 ヴァイオレットさんは台座に座り込む。本当に困っているようだ。

 

「別の方法は?」

「ここには記されていないわ……」

 

 僕は手のひらの上で魔力を練る。けれども、すぐに吸い取られ、消滅してしまう。

 

「うん。もう少しすれば、何とかなるかも」

「本当?」

「本当」

 

 もう少し、魔力を強く練れば吸い取られることはないだろう。そのためには、もう少し時間が必要だった。

 

「うん? シータ?」

 

 そうして、今後の方針が決まったところで、シータが台座に登る。

 

「この剣は英雄の直系にしか抜けない。でも……」

 

 シータが聖剣に手をかける。

 

「シータは〈()()()()〉……そして、()()()

 

 ぐっと手に力を込めて、一気に引き抜いた。

 

「条件には、当てはまる」

 

 天高く掲げられた聖剣は光に照らされ、美しく煌めいた。その刀身は白銀で、全長はシータの身長程もある。

 

「おぉ……」

 

 中々良い剣だ。数々の剣を見てきた僕には分かる。

 

「おっとっと……」

 

 天高く掲げたはいいものの、バランスが取れずにシータはよろける。シータは力がないんだ。

 

「これで、鎖は切れる……」

 

 落ちるように、強く地面に打ち付けられた聖剣は甲高い音を立てる。

 ……あぁ、そんな風に扱うから、刃こぼれしちゃったじゃないか。

 床にも、鋭い傷が付いていた。

 シータはとてとてと覚束ない足取りで扉の方へ向かう。 

 けど───

 

「先に来客だよ、シータ」

「ん……」

 

 扉の前に光の裂け目が現れる。その裂け目は次第に広がっていき、中から禿げたオッサンと金髪エルフ美女が現れる。

 うーん、エルフさんはどこか、アルファに似ている気がする。まぁ、骨格とか体の使い方はまるで違うんだけど。

 

「英雄オリヴィエと、ネルソン偽大司教……」

「偽ではない。代理だ」

 

 オッサンは不快そうに鼻を鳴らす。

 

「ほう。魔女を連れ出したか……」

 

 そして、ヴァイオレットさんを見て笑った。

 

「知り合い?」

「いいえ。私の記憶にはないわ。と言っても、記憶は不完全だから知り合いじゃないとも言い切れないけれど」

「じゃあ、暫定ストレンジャーってことで」

 

 ストレンジャー、見知らぬ人だ。

 ストレンジャーさんはそれから、シータを見る。すると、途端に目を見開いた。

 

「なっ、それは……」

 

 その視線の先にあるのは聖剣だった。

 

「貴様、聖剣を抜いたのか……ということは、〈悪魔憑き〉だと……?」

 

 ストレンジャーさんはくつくつと笑う。

 

「なるほど、ようやく繋がったぞ! 貴様らは〈悪魔憑き〉が集まってできた組織だった!」

「……」

「それなら納得がいく……あの恐ろしいまでの戦闘力も、魔力も、あの金髪エルフがオリヴィエに似ていることも」

 

 満面の笑みを浮かべたストレンジャーさんは、今度は忌々しげに僕らを見る。

 

「災難だったな、少年。"奴ら"との関係は知らないが、たとえ無関係でもここに来た以上は始末する───殺れ、オリヴィエ!」

 

 ストレンジャーさんが、側で立ち尽くしている少女に命令する。

 

「ダメよ、彼女は……逃げて……」

 

 ヴァイオレットさんはか細い声で言った。

 

「私は彼女を知らないのに、怯えているわ」

 

 震える手で僕の袖を掴む。

 

「大丈夫」

 

 僕はそんなヴァイオレットさんに声をかける。

 直後、視界は目まぐるしく回転した。

 

□□□

 

 その戦いは少年が吹き飛ばされるところから始まった。凄まじい勢いで壁と衝突し、血飛沫が飛び散った。その血飛沫は、彼が闘技場のようなそこで見せた血糊とは違う、本物の血だ。

 アウロラは今にも泣き出しそうな声で、少年を呼ぼうとした。だが、結局それが音となり、実空間に干渉することはなかった。

 なぜならば、アウロラは一度も少年の名前を聞いてはいなかったからだ。

 アウロラが何も言えないままでも、戦闘は続いている。

 少年は辛うじて致命傷は裂けているものの、差は歴然としていた。当たり前だろう。魔力の有無だけで、大人と子ども程の差があるのだ。いくら彼でも、魔力がなければ、英雄と戦うことはできない。

 少年は距離を詰めようと前に出る。しかし、それよりも速くオリヴィエは半歩足を引いた。

 結果、無防備を晒すこととなった少年の首筋に剣閃が走った。

 それを少年は間一髪で防ぐが、甲高い音と共に吹き飛ばされてしまう。ゴロゴロと滑るように転がり、再び壁に強く当たる。

 

「何をしている。そんな小僧に手間取るな」

 

 ネルソンと呼ばれていた男が苛立たしげに言う。

 その眼光の先には、今ちょうど立ち上がった少年の姿が映っていた。彼は既に半身を赤く染め、痛々しいまでの裂傷を負っていた。さらに、彼の持つ剣は半ばで折れている。

 だが、そんな剣でも少年はしっかりと握り、素振りをして感覚を確認していた。

 

「もう、やめましょう……」

 

 堪らず、アウロラは言った。それは悲しげであり、懇願するような声だった。

 

「お願い……もうやめて……」

 

 ネルソンへ向けて、祈るように言う。

 アウロラの記憶は完全ではない。彼女の記憶は、彼女の人生の途中までしか、ないからだ。その記憶の中にオリヴィエの姿はないが、何故か危険だと思った。記憶にはないのに、まるで知っているかのように心が怯えた。

 だから、アウロラは必死で止めようとした。だが彼女の予想に反して、少年は闘い抗った。

 もしや彼ならと、そんな淡い期待もあった。でも、もう十分だ。

 ずっと蔑まれてきた彼女の人生で、彼女のために命を懸けてくれた人はいなかった。忘れられない思い出ができたから、もう十分だ。

 アウロラのその様子を見たネルソンは口の端を持ち上げた。

 

「良いだろう。貴様が協力するというのなら、そいつは救ってやる」

「協力?」

「そうだ。貴様が拒み続けたせいで、我々は大きく出遅れている」

「何を言ってるの?」

「ふん。所詮は不完全な記憶か。貴様はただ、協力すると誓えばいいのだ」

 

 ネルソンが一瞬少年の方へ視線を移す。

 

「手間をかけさせると、殺すぞ?」

 

 アウロラはきゅっと口を結ぶ。 

 誓うと言うのは簡単だ。だが、それをすれば何か大きなものを失う気がした。

 しかし、言わなければ、今目の前で大事なものが失われてしまう。

 アウロラは決心する。

 

「分かっ───」

「勝手に話を進めないでくれるかな?」

 

 そうして、誓いの宣言をしようとするアウロラの言葉を誰かが遮った。

 少年が、自然な足取りで歩いてくる。

 

「僕が負けるみたいな話はしないでほしい。とても、不愉快だ」

 

 少年はアウロラの前で立ち止まり、ネルソンに剣を向ける。

 

「つくづく哀れなやつだ。今、貴様を助けようという話で───」

「だから、必要ない」

 

 少年が肩越しにアウロラを見る。

 

「君はそこで見ていればいい」

「もういい。殺せ、オリヴィエ!」

「待っ……」

 

 ネルソンが命じれば、オリヴィエは疾風の如く加速する。あっという間に距離を踏み潰し、最速の一撃を放つ。

 

「……残念」

 

 だが、その一撃が少年に届くことはなかった。

 どこか場違いな、間の抜けた声と共に、オリヴィエに影がひっつく。

 

「ナイス、シータ」

 

 背後から覆いかぶさるように、小柄な少女が抱きつく。体格は五分。勢いが散らされたオリヴィエの剣は空を切る。

 だが、オリヴィエのその後の反応は速く、背中から抱きつく少女を地面に叩きつける。そして、トドメを刺そうと剣を突き立てた。

 

「残念だったね。もう一人いるんだ」

 

 けれどもまた、その刃は届かない。安物の剣で心臓を貫かれた英雄は、光の粒子となって消えてしまった。

 

「そ、そんなオリヴィエが……」

 

 ショックにネルソンが口を開ける。

 少女が地面に投げ出されていた聖剣を拾い、少年の隣に並ぶ。

 

「それで、エルフさんはいなくなったけど、次はオッサンでいいかな?」

「クッ……クククッ」

「うん?」

 

 ネルソンがくつくつと嘲るように笑う。

 

「まさか、魔力を使えない人間がオリヴィエを倒すとはな。たとえ劣化コピーだったといえども、称賛してやろう」

 

 パチパチとネルソンは手を叩く。そして、ピカピカと頭を光らせた。

 

「だが、それがどうした。聖域には、途方もない量の魔力が眠っている。つまり───」

 

 ネルソンが腕を振るうと、辺り一面が光に包まれる。 やがて光が収束するとそこには、オリヴィエがいた。

 一人ではない。 遺跡を埋め尽くすかのように、数え切れないほど多くのオリヴィエが現れたのだ。

 

「こういうことも可能だ」

 

 得意げにネルソンは言う。

 

「嘘……」

 

 絶望したように、アウロラは呟いた。

 一人倒すのに、あれ程苦労し、奇襲でもって倒したのだ。同じ手は二度は通用しない。それに、あの数を一度に捌き切るなど、魔力の使えない現状、不可能に近い。

 

「刮目しろ! これが聖域の力だっ!」

「驚いたよ。でも……」

 

 少年は安物の剣を投げ捨てる。隙だらけの少年に、無数のオリヴィエが集まった。

 

「時間切れだ」

 

 しかし、その全てが薙ぎ払われ、吹き飛ばされた。いつの間にやら、少年の手には漆黒の刀が握られている。

 

「その剣はどこから……いえ、魔力が使えるの!?」

 

 ここは聖域の中心。魔力は全て吸い取られるはずだ。

 

「いやまさか、そんなこと……ええい! 早くそいつを殺さんか!」

 

 絶叫するようにネルソンが吠える。

 

「練った魔力が吸い取られるなら、吸い取られないほど強固に練ればいい。少し時間はかかったけど、簡単な話さ」

 

 少年は軽く掃除でもするかのように、オリヴィエをあしらう。その様子はもう、子どもと大人の差だった。

 

「さて、そろそろ終わりに……」

「……待って」

「うん?」

「待って」

 

 少年の後ろに隠れていた少女が少年の袖を引っ張った。

 

「回収……しないと」

「なんの?」

「左腕」

「ふむ……」

 

 激しい戦闘の中、それに見合わない会話は進む。

 

「合図したら、聖域ごと吹っ飛ばして」

「人使いが荒いなぁ。まぁ、いいけど。それで、合図は?」

「……。……聖剣を投げ飛ばす」

「いいの? それ」

「別に、聖剣を回収しろとは言われてない」

「じゃあ、いいか」

「そう、いいの」

 

 話し合いを終えた二人は、徐々に扉の方へ移りながら戦闘を続ける。やがて、扉の前に来たとき、少女は少年の影から飛び出した。

 

「よいしょ」

 

 そして、扉に巻かれた鎖を切る。先程はびくともしなかった鎖が、バターのようにすらりと切れる。

 それを幾度か繰り返し、全ての鎖を切り終える。

 

「えっ、重い……」

 

 開けようとして少女は扉を押す。けれども、全く動く気配はなかった。

 

「それ、横開きじゃない?」

「むむむ?」

 

 横に思いっきり引っ張ってみると、少しだけ動いた。

 

「やっぱり重い……」

 

 そう言って、あろうことか少女は、僅かに開いた隙間に聖剣を差し込んだ。そして、梃子の力を使いこじ開ける。

 ゴゴゴといかにも重そうな音とともに、少しずつ扉が開く。人一人が入れそうな程の隙間ができたところで、

 

「あっ……」

 

 悲鳴を上げていた聖剣は遂に、刀身の半ばで折れた。

 

「いいの? それ」

「せ、聖剣が二つになったと思えば……」

 

 流石に苦しい言い訳だ。

 

「ともかく、回収に……」

 

 一連の流れを傍から見ていたアウロラは、あまりに常識外れな出来事が続いて呆気に取られていた。

 その間に、聖剣の一部が扉の隙間から飛び出してきた。

 合図だ。

 少年の周りに、可視化された魔力の光が現れる。それは恐ろしい程に力強く、緻密に練られていた。

 

「何をしている!? 早くそいつを止めないかッ!」

「もう時間切れだよ」

 

 何人ものオリヴィエが少年に群がる。だが、たったの一振りで弾き飛ばされる。

 青紫の魔力が螺旋を描き、漆黒の刀身に集約していく。その剣を少年は逆手に持ち、振り上げた。

 

「アイ・アム……」

「な、なんだそれは!? やめろォッ!!」

 

 オリヴィエたちが疾走する。その内の最も先頭にいた者が剣で少年の心臓を貫く。

 

「そんな……っ!」

 

 アウロラが悲鳴を上げる。

 しかし、

 

「───オールレンジアトミック」

 

 彼は胸を貫かれたまま、剣を大地に突き刺した。

 青紫の魔力が、一瞬で世界を染める。 オリヴィエは掻き消え、ネルソンは蒸発し、聖剣だったものは溶けていく。

 青紫の魔力は、周囲一帯全てを飲み込んだのだ。

 

 その日『聖域』は消滅した。

 




祝! 初アトミックですね!
聖剣と聖域は無事消滅しました。
あと、言い忘れていたのですが、アルファsideについては、あとで回想という形でやろうと思います。というのも、あっちはあまり変化がないので……。


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これからのこと

三章ラスト! いつもの長さです。


 光の裂け目から抜け出し、聖域から出ればそこは、森の中であった。

 突き刺すようにこぼれ落ちる朝日に、アレクシアは目を細めた。徹夜明けのせいか、少し頭が痛い。

 

「あれは、街かしら」

 

 木々の隙間から街のような光景が僅かにだけ覗いていた。我ながら、この発見をした自分を褒め称えたいところだ。

 

「彼女は……いないようね」

 

 周囲を見回してみれば、そこには見飽きるほどの木々があるばかりだった。一緒に連れ去られたはずのナツメ・カフカの姿は見当たらない。

 

「いえ、私は連れ去られてはいなかったわね」

 

 アレクシアはあのカマトトぶったポヨヨンとは違って、自分の意志であの地へと赴いたのだ。

 そう自分を納得させ、アレクシアは歩き出す。一先ず街の方角へ向かうことにした。

 

「それにしても……」

 

 思い出すのは、つい先程までの『聖域』での出来事だった。

 英雄の正体や、"教団"の目的、『聖域』の正体───世界の陰に埋もれて、歴史の闇へと葬られた真実……いや、ここはそれを真相と呼ぼう。その失われた、あるいは秘匿された真相をアレクシアは昨夜、一挙に知った。

 

「"教団"は、このまま野放しにしてられないわ」

 

 それは一人の人間としての思いでもあり、王族の一人としての責任感から来るものでもあった。

 "教団"の行ってきたことは到底許されるものではない。たとえ、彼らの研究の成果が英雄を生み出したのだとしても、何万もの犠牲者を出してもいい免罪符とはならないのだ。

 だが、そういう思いとは裏腹に、今の自分にも、そして王国にも抗うだけの力がないことをアレクシアは知っていた。

 

「でも、それだけじゃないわ……」

 

 そう、今回分かったのはそれだけではない。何も分からなかったことこそが、今回得た最大の成果だった。

 

「世界に根を張る"教団"ですら、その全容は疎か、名前すら知り得てないなんてね」

 

 ネルソンが"奴ら"と呼んだ組織、『シャドーガーデン』。

 アレクシアはその名前を、シャドウと名乗った男から直接聞いていた。

 

「今まで巧妙に隠してきた名前を彼が出したのは、世界に出る準備が整ったってこと? それとも、もっと別の意味があるのかしら」

 

 全く見当が付かない。それでも……

 

「力は必要ね」

 

 力とは、単純な武力だけではない。知力や、情報統制能力、統率力など、多岐に渡る能力だ。

 アレクシアは優秀ではあるが、天才ではない。今の彼女を構成するのは全て努力の欠片であり、凡人が一生で極められるものには限界がある。

 

「何にしても、人が必要だわ。信頼のできる、できれば優秀な人が」

 

 とりあえず、今回の話は姉であるアイリスにもしておくべきだろう。

 今後の予定を考えながら、アレクシアは森の中を歩いた。

 

□□□

 

 アルファとイプシロンは、山頂からリンドブルムを見下ろしていた。

 

「『聖域』は消滅しました」

「そうね……」

 

 イプシロンの報告に、アルファは目頭を押さえる。

 

「聖剣の回収は?」

「聖剣は蒸発したものと思われます」

 

 アルファはため息を吐いた。

 

「核のサンプルは?」

「恐らく、蒸発しました」

 

 アルファはやれやれと首を振る。

 

「最もシンプルで、最も確実な解決策。彼らしいわ」

 

 そして、疲れたように呟いた。

 

「それができるのが、シャドウ様なのです!」

 

 対してイプシロンは、頬を染めうっとりとした表情だった。

 

「彼にもきっと、考えがあるはずよ」

「はい」

 

 考えがあることは分かる。だが、それがどのようなものなのかは皆目見当も付かなかった。

 

「それでイプシロン。ベータは今何を?」

「教団の拠点に潜り込んでいます。ネルソンがいなくなった混乱に乗じて、資料の回収をしています」

 

 いくら指揮系統が乱れたからと言って、そう簡単には有益な情報が得られないだろう。あまり期待せずに待っておこう。

 

「そう。『聖域』の調査はどのくらい進んだかしら?」

「可能な限りの調査は終えました」

「詳細を教えてくれる?」

 

 イプシロンが小さな手帳を開く。そこにびっしりと書かれた文字は、アルファには読めない。恐らく、彼女にしか読めない暗号で書かれているのだろう。

 アルファはイプシロンの話す内容をその明晰な頭脳で瞬時に処理していく。

 

「もういいわ……それで、例の件は?」

「仮説は正しかったようです」

 

 その言葉に、カチッとパズルのピースが嵌る音がした。

 

「『災厄の魔女』アウロラ───またの名を、『魔人』ディアボロス」

「そう。だから彼は───」

 

 アルファは目を細める。朝日に照らされたリンドブルムは、宝石のように輝いていた。

 

「今後の予定はどうなっているかしら?」

「一先ず、王都のミツゴシ本店に戻り、その後は……」

「私じゃなくて、あなたのよ。イプシロン」

「私の、ですか?」

 

 首を傾げつつも、イプシロンは答えた。

 

「特にはありませんが……」

「そう。なら、ベータのところを手伝ってくれるかしら?」

「ベータをですか……」

 

 口には出さないが、顔には嫌だと書いてある。アルファは変わらない彼女を見て、頬を緩めた。

 

「アルファ様?」

「ごめんなさい。それで、回収が終わったら、あなたはオリアナ王国に、ベータはベガルタ帝国に行って頂戴」

「分かりました。ベータにも伝えておきます」

「えぇ、お願い」

 

 頭を下げ、イプシロンはいなくなる。

 

「教団の目的は魔人の復活……それだけは阻止しないといけないわね……」

 

 その少し後に、アルファもその場から離れたのだった。

 

□□□

 

 目が覚めると、僕は見覚えのある病室のベッドの上にいた。窓辺に近いここには、白い朝日が差していて眩しい。その眩しさに目を細めながら、僕は周囲を見回した。

 

「心臓を貫かれても平気なのね」

 

 そして、ベッドの側には見覚えのある人がいた。ヴァイオレットさんだ。なんかだか体が透けているみたいだ。

 

「心臓の位置を、魔力でずらしたんだ」

 

 僕は体を起こす。

 

「私よりもずっと、びっくり人間ね」

「そうかもね」

 

 ヴァイオレットさんは僕に触れようと手を伸ばす。けど、その手が僕に触れることはなかった。

 まるで実体を帯びていないかのようなその手は、僕の体をすり抜けてしまう。

 それを見た彼女は、一瞬だけ悲しそうな表情になる。

 

「シータは?」

「あの子なら、あなたの起きる前にこの部屋を出ていったわ。『アルファ様に見つかっちゃう……』とか何とか言って、大急ぎで」

「あぁ……」

 

 そういえば、シータはお忍びで来ていたらしかった。本来の業務とかサボってたのかもしれない。

 

「もう消えるの?」

「えぇ、多分ね」

 

 僕らは何も喋らなかった。ただ緩やかな静寂だけが流れていく。

 

「あなたを呼んだのは、実は私なの。嘘を吐いてごめんなさい」

「嘘なんて言ってたっけ?」

「知っていて言わないのも、嘘だと思うけれど?」

「ふーん、なるほどね」

 

 まぁ別に、僕は大して困ってないから、いいんだけどね。

 

「他にも嘘を吐いたわ」

「いいよ、別に」

 

 静かな朝に、小鳥の鳴き声が聞こえてくる。二匹いるようで、耳をすませば、二重唱(デュエット)のようにも聞こえる。

 

「ずっと、早く消えたいと思っていたわ」

「うん」

「でも、忘れたくない記憶が、一つだけできたの。たとえ私が消えても、この記憶だけは忘れずにいたい」

 

 ヴァイオレットさんは胸の前で手を組み、微笑んだ。

 

「大切な記憶を、ありがとう」

 

 少しずつ、影が薄れていく。そこに彼女はいるはずなのに、背後の光景と同化しているようだった。

 

「僕も楽しかったよ。ありがとう」

 

 その言葉を聞いたヴァイオレットさんは、やっぱり微笑んだ。無理やり作ったような表情で、それが少しだけ悲しかった。

 

「もし、あなたが本当の私を見つけたら───」

 

シドの頬に手を添えて彼女は言った。でも、彼にはもう、彼女の姿が見えなかった。

 そこには誰もいない、静かな朝がずっと続いていた。

 

「私を殺して、か……」

 

 彼はアウロラが残した言葉を呟いて、自分の頬に触れた。彼女の温もりが、まだそこにあるような気がした。

 

「あっ、いつの間に戻っていらしたのですね」

「ローズ先輩?」

 

 そうして、僕がしばしの感傷に浸っていると、静かに扉を開けてローズが入ってきた。

 彼女は、僕の顔を見るなり安堵の表情を浮かべた。

 

「昨夜はどこに行っていたのですか?」

「えっとー、その、用を足しに……」

 

 彼女は直ぐ様、ベッドの脇の椅子に腰掛ける。そこは、さっきまでヴァイオレットさんが座っていた場所だ。

 

「お腹の具合も悪いのでしょうか……? でしたら、すぐにお医者様を呼びますが……」

「いや、大丈夫。もう治ったから」

「そうですか」

 

 ほっと息を吐いたローズが、血まみれの僕の服を見る。

 

「あら、確か着替えたはずでは……? それに、傷の位置も上に上がっているような……」

「それは……えーっと……」

 

 それから、彼女を言いくるめるのに、僕はかなり苦労したのだった。




次回はいつも通りの幕間を挟みます。その後、四章ブシン祭編に突入です。


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幕間 アルファの休日

やりたいことを詰め込みました。後悔はありません。


「はぁ……」

 

 まだ朝日も登らないような早朝、アルファは自分の執務室で盛大にため息を吐いた。ぐーっと伸びをすれば、肩や背中の辺りがゴキゴキと鳴る。

 

「お疲れですか」

 

 今し方報告を終えたガンマが尋ねる。

 

「いえ、大丈夫よ」

 

 アルファはゆるゆると首を振る。

 彼女の机の上には、ここ数日で様々な方面から寄せられた報告書や申請書などの書類が、山積みになっていた。部下に代行を命じていたとはいえ、彼女らの権限では判断できないものもある。

 アルファはそんな書類群をミスがないようにと、精査しながら読んでいた。

 

「続けてくれる?」

「は、はい。それで、今月の売り上げについてですが……」

 

 ガンマの報告を聞きつつ、手元の資料も読み進める。本当は、一つずつ丁寧にいきたいところだが、如何せん、時間がないのだ。

 というのも、敵対する商会勢力が連合を組むという怪しい動きを見せたり、教団に属すると思われるオリアナ貴族のドエム・ケツハットが来たりと、予断を許さない状況だからだ。

 だがしかし、数日休んだだけでこんなに書類まみれになるとは思わなかった。

 

「……いえ、これもガーデンが大きくなった証拠ね」

「アルファ様?」

「何でもないわ」

 

 だいぶ集中力が切れてきたようだ。

 気合いを入れ直そうと、ティーカップに手を伸ばす。しかし、やけに軽いそこには、もう何も入っていなかった。

 

「……悪いけれどガンマ。紅茶を淹れてきてくれる?」

「分かりました」

 

 退出するガンマを見送り、手元の資料に目を落とす。

 

『研究費の増額求む』

 

 丸っこい字で、余白を埋め尽くす程びっしりとその理由が書かれている。イータだろうか。

 

「まだ必要なの? しかもこんなに……」

 

 ざっくり、『ミツゴシ商会』での今月の純利益、その三分の一に匹敵する予算をイータは要求している。流石にそれは無理だ。

 

「はぁ……」

 

 アルファが冒頭と同じようにため息を吐いたところで、コンコンコンと軽いノック音が響く。

 

「お茶を淹れてまいりました」

「ありがとう」

 

 アルファの前に置かれた紅茶は、ゆらりと湯気を立ち上らせる。そこから溢れる香りは、いつも彼女が嗅ぐものだった。

 

「腕を上げたわね」

「いえ、そのようなことは……」

 

 彼も美味しいと言っていた味に、少し心が落ち着く。

 

「報告はまだあるかしら?」

「ありませんが……」

「───?」

「その、少し休まれてはどうでしょうか」

 

 物思わしげな表情で、ガンマは言う。

 

「仕事が溜まっているのは分かります。しかし、本来アルファ様がやらなくてもいいようなものもあるでしょう」

「……」

「それら仕事の方は、できる限り私たちがやっておきますので、どうか今は休んでください」

 

 ガンマの言うことにも一理あった。というのも、アルファは自分にできないことは他人に任せるが、自分にできることは自分で抱え込む質だからだ。

 その性質故に、本来ならアルファがやらなくていいような仕事も少なからずあり、それがアルファの仕事量を増大させていた。

 

「分かったわ……任せてもいいかしら?」

「勿論です。アルファ様の代わりはいませんから、無理をなさらないようにお願いいたします」

「えぇ」

 

 結局、ガンマに説得される形で、アルファは臨時休暇を得たのだった。

 

□□□

 

「……もうこんな時間」

 

 それから、ベッドに入り、目が覚めたのは昼頃だった。

 今朝から何も食べていないせいか、腹の虫が鳴る。

 

「これは……」

 

 とりあえず何か食べようと起き上がったところで、テーブルの上に『まぐろなるど』の包みがあるのに気が付いた。

 

「ガンマね……」

 

 どうやら新作のようで、『自信作です!』と走り書きされたメモがあった。

 

「美味しいわね」

 

 流石、ガンマが自信作と宣う(のたまう)だけのことはある。彼もこれは美味しいと言うだろうか。

 

「後でガンマに感想を伝えないと」

 

 食べ終わったアルファは包みをゴミ箱に放り込む。

 

「さて、これからどうしようかしら」

 

 アルファは悩んだ。仕事に戻ってもいいが、ガンマに見つかったら休んでいろと、追い出されそうだ。

 降って湧いた休日は意外と使い道に困る。

 

「……とりあえず、街を散策してみましょう」

 

 そんなわけで、私服に着替えたアルファは王都に出たのだった。

 

□□□

 

 昼時の王都はすこぶる賑わっていた。あちらこちらから、集客しようと元気な声が飛び交う。入り乱れるように人々が行き交い、流れる馬車の列は途切れそうになかった。

 ここは、王都でも屈指の商店街。端に行けば様々な露店が、中央であれば王都を代表するような大手の店が立ち並んでいる。無論、『ミツゴシ商会』もその一つだ。

 アルファは慣れた足取りで、雑踏の中を進む。誰もアルファに気が付かないのか、視線を向けられることはなかった。

 

「いけない。いつもの癖で気配を消していたわ……」

 

 これでは却って不自然だ。もし教団の者がいたら、目を付けられてしまう。

 アルファは立ち止まって、自然体を装う。要は、彼みたく大勢の一人として、周りに溶け込めばいいのだ。

 

「あらごめんなさい」

「す、すみません……」

 

 そうして、流れの中立ち止まっていたことが災いして、背中から誰かにぶつかられてしまう。

 振り向けば、藍色の髪をした小柄な少女がいた。

 

「怪我はな───」

「あ、アルファ様!?」

「───」

 

 驚いた声で少女はアルファの名前を叫ぶ。

 彼女の判断は早かった。少女の口を塞ぎ拘束し、路地裏に入る。

 あまりに手慣れたその一連の行動に、少女は何ら抵抗を示すことはできなかった。

 

「『シャドーガーデン』の者ね?」

 

 口を塞がれた少女は、こくこくと懸命に頷く。

 それを見て、嘘がないと判断したアルファは、拘束を解く。少女は少し涙目になっていた。

 

「迂闊に名前を呼ばないように」

「は、はいっ!」

「あと静かに」

「はい……」

 

 この少しのやり取りで分かったが、だいぶ真面目な子のようだ。

 

「あなた、番号は?」

「664番です」

「664番ね。ここで何をしていたの?」

「それは……」

 

 言いにくそうに、少女は目を逸らす。心なしか、耳が赤くなっていた。

 

「友達と、遊びに……今日は、休日なので」

「そう」

 

 アルファは微笑んだ。それは、昔のことを思い出したことによる笑みでもあった。

 

「ガンマやイプシロンたちと……懐かしいわね」

 

 全てが終わったら、またみんなで集まるのも悪くないだろう。

 

「こんなところにいたのですね」

「あっ……」

 

 そんな風に物思いに耽っていると、聞き慣れない第三者の声が割って入った。

 

「リズさん、そちらの方は……?」

「あの、えっと、その……」

 

 可愛らしく小首を傾げる金髪の人物───ローズ・オリアナだった。

 彼女は、手にいくつかの紙袋を持っていた。

 リズと呼ばれた664番はどうしていいか分からずに、オロオロしている。

 彼女の言う友達とは、ローズのことだったのか。

 

「私はこの子の姉です」

 

 そう言って、664番の頭にポンと手を乗せる。

 

「まぁ! お姉様がいらしたのですね!」

 

 呑気なローズは全くこちらの言葉を疑っていないようだ。

 664番は石像の如く固まって動かない。

 

「あなたは、この子とはどういった関係で?」

「そうですね……友達、でしょうか」

 

 一国の王女が気軽に友達など作ってもいいのだろうか。

 けれど、これは僥倖かもしれない。

 

「友達……そうですか。なら、私はお邪魔なようですね」

「そんなことはありませんわ。よろしければ、これから一緒に観光などはどうでしょう?」

 

 屈託のない明るい笑みでローズが言う。

 

「それはいいですね。ですが、これから私は用事があるので、失礼させていただきます」

 

 そう言って、アルファは立ち去った。後ろからは664番とローズが楽しそうに話す声が聞こえてきた。

 

□□□

 

 アルファがしばらく歩いていれば、いつの間にか昼時も過ぎていた。穏やかな昼下りの街を、川に沿って下っていく。

 ここら辺は住宅街であるようで、大通りに比べると閑静で、それが心地良かった。

 子どもたちがボールを蹴って遊び、お年寄りがベンチに腰掛け談笑に花を咲かせる。いたって平和で、この世に陰などないかと思わせる、長閑な光景だった。

 

「あっ……」

「えっ……」

 

 そんな風景を眺めながら、ゆっくりと歩いていたアルファは、見覚えのある顔を見つけ、足を止めた。向こうも気付いたようで、二人して間抜けな声を漏らす。

 

「あ、アルファ様っ……」

「こんなところで何をしているの? ゼータ」

 

 ゼータは、川に落ちないよう付けられた手すりの上で寝転がっていた。アルファに気付く前は、気持ち良さそうに喉も鳴らしていた。

 

「日向ぼっこだけど……アルファ様もする?」

「いいえ、遠慮しておくわ」

 

 ゼータは気まずそうに目を逸らす。

 

「どうしたの?」

「いや、サボってた報告書の催促に来たんじゃないかと思って……」

 

 手すりの上で器用にあぐらをかいたゼータは、おっかなびっくりと聞く。ピンと真っ直ぐに伸びた尻尾が、彼女の内心を表しているようだった。

 その様子に、アルファは吹き出す。

 

「ちょっ、何で笑うのさ」

「……悪気はないのよ。でも、そんなに縮こまるなら、サボらず出せばいいのに」

「報告書を書くのって、飽きるんだよね。そうそう進展なんかないから、毎回同じような内容になっちゃうし」

「それでも、進展がないということを伝えるべきだとは思わない?」

「それは……そうだけど……」

 

 いまいち釈然としないといった風に、ゼータは口を尖らす。その様子に、また懐かしさを覚えた。

 

「とりあえず、報告書はいいわ」

「ほ、本当っ?」

「えぇ。ところで、いつの間に王都に来ていたの?」

「うん。つい先日ね。ちょっと気になることがあってさ」

「気になること?」

「そ。で、潜入は夜の方やりやすいから、今は待機中ってわけ」

 

 ゼータはそう言って、手すりの上で再び寝転がる。そして、気持ち良さそうに喉を鳴らした。

 

「気持ち良さそうね」

「ん、そうだね。アルファ様もどう?」

「そうね。少しだけ、一緒しようかしら」

 

 アルファは手すりに寄りかかる。流石に、ゼータのように寝転がるのは憚られた。

 

 それから、二人はしばらく会話を楽しんだのだった。

 

□□□

 

 夕刻。ゼータと別れた後、もう帰ろうと思ったアルファは、来た道を戻っていた。

 

「帰る頃には日が暮れていそうね」

 

 美しき夕映えが、西の空に浮かんでいた。

 仕事や学校帰りの人が、列を成して歩いている。彼らの表情は晴れやかであり、疲れてもいて、一日の終わりを実感させるには十分であった。

 昼間賑わっていた商店街も、露店は既に店を畳み始め、熱気はとうに去っていた。中心に進むにつれ、人は増えていくが、やっぱりどこか物寂しい雰囲気だ。いや、そう感じるのはアルファだけかもしれない。

 

「あら?」

 

 そんな中、アルファは『まぐろなるど』に入っていく一人の少年の姿を見つけた。

 その少年の後に釣られるように、アルファも入店する。

 

「いらっしゃいませー! ご注文はいかがなされますか?」

「とりあえず、まぐろサンドとコラ・コーラを貰えるかしら」

「かしこまりましたー!」

 

 商品を注文し、レシートを受け取って待機する。寸刻と待たずして、注文したものが出てきた。流石、ファストフード店だ。

 

「彼は……と。いたわね」

 

 四人席に一人で座り、サンドを頬張る少年の姿を見つける。

 アルファはその少年の向かいの席に座った。

 

「相席いいかしら?」

「それ、座る前に言うよね。普通」

 

 少年は本を読んでいた。タイトルは『エルフ失格』だ。

 

「……うん? アルファか」

「そうよ。今気付いた?」

「今気付いた」

 

 少年は本を読んだまま、ポテトを摘む(つまむ)

 

「それ、面白い?」

「まぁまぁね」

「ふふふ、そう」

 

 ベータも、これを聞いたらきっと喜ぶだろう。

 

「まぁ、完全にパクリなんだけどね」

「何か言ったかしら?」

「いいや、なんでも」

「そう。最近、調子はどう?」

「ぼちぼちって感じかな……あっ、そういえば今度ブシン祭があるよね」

「それがどうかしたの?」

「僕もあれに出たいんだよね。できれば、シャドウやシドとしてじゃなく」

 

 その行為に、どのような目的があるかは分からない。きっと、アルファの想像も付かないような思惑があるのだろう。

 

「分かったわ。ガンマに掛け合ってみましょう」

「ありがとう」

「どういたしまして」

 

 アルファはにっこりと微笑んだ。

 

「そういえば、『聖域』で彼女とは何を話したの?」

「彼女? ……あぁ、別に大したことじゃないよ」

 

 彼は懐かしむような表情で目を細めた。ズズッと液体のなくなったカップを啜る。

 

「彼女は最後こう言ったんだ───私を殺してってね」

「あなたはどうするの?」

「さぁね、どうだろう」

「じゃあ、あなたはどうしたいの?」

「───ふっ」

 

 彼はうっすらと笑みを浮かべるばかりで、何も答えなかった。

 その笑みから、アルファは彼の思考について考える。

 かつて世界に混乱と厄災を齎せ(もたらせ)し『災厄の魔女』アウロラ。彼女は、封印されてから千年の時を越えて尚、永劫の呪縛から逃れられてはいない。

 『聖域』で何があったのか、アルファには分からない。彼は多くを語らないから。

 彼はきっと、平和を望んでいると思う。それは、今までの彼の行動を見ていれば分かる。

 そんな彼なら、いたずらにアウロラの復活はさせないだろう。

 だが、"解放"は望んでいるかもしれない。

 はっきりとは言わないが、アルファにはそう感じられた。

 

「ところで、前に魔力パワーで二百年は生きるって言ってたじゃない?」

「そうだね」

「あれ、もう少し伸びないかしら? ……エルフの寿命には少し足りないのよ」

 

 アルファは冗談めかして言う。けれど、彼ならあるいは……という期待もあった。

 

「大丈夫。四百年は生きるつもりだから」

「えっ?」

「じゃあ、そろそろ帰るね」

 

 彼は立ち上がり、そのまま店を出て行く。

 

「……あっ」

 

 残されたアルファが、彼の座っていた席を見ると、そこには数枚の銅貨とメモがあった。

 

『この前のお礼』

 

 メモには、そんなことが書いてあった。

 

「……私も、魔力パワーで四百年生きられるかしら」

 

 自然とアルファの口元は綻ぶ。

 

 それからすぐに店を出た彼女の足取りは、今日一番軽やかだった。

 




巻いた甲斐がありました。
次回からは四章ブシン祭編に突入です!


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四章 ブシン祭
それってどこの特戦隊?


最近筆の調子がいいです。


 僕は今、騒然と湧く街を見下ろしていた。

 様々な人種や国籍、文化を持つ人々が入り乱れる王都。けれど、そんな彼らでも、確かに"『ブシン祭』を楽しむ"という目的だけは一致していた。

 今後とも決して交わることのない人々と、奇妙な一体感が生まれていたのだ。

 僕はこの雰囲気は好きだ。何かありそうな感じがする。

 

「ふっ……約束の時間だな」

 

 僕は薄い笑みを張り付け、群衆の中へと紛れ込んだ。

 

□□□

 

「お待ちしておりました。主さま」

「ふむ……」

 

 『ミツゴシ商会』王都支店を訪れた僕は、何やかんやであの玉座の間に通される。すると、そこにはガンマがいた。

 因みに、約束していた時間より五分だけ遅れてしまった。

 

「すまない。遅れた……」

「いえっ! 主さまにも何か事情があったことはお察しいたします!」

「ふむ……そうか」

 

 特に事情はなかったけど、そういうことにしておこう。こういうときに、実力者の設定は役に立つ。

 僕は玉座に座り足を組む。前見たときと同じように、ガンマと美女が跪いていた。

 いいね。何度見ても良い光景だ。

 

「例のものは?」

「準備はできております」

 

 ガンマがパンパンと二度手を打つと、扉が開き、何やらカートに乗ったそれが運ばれてきた。

 

「主さまの『陰の叡智』を参考に、改良を施したスライムです。魔力を流すと本物の肌と遜色ない質感に変わります」

「へぇー」

 

 僕はそのスライムを顔に付けて、薄く伸ばす。何だか、顔に粘土を貼り付けただけって感じだ。

 

「失礼します」

 

 そんな感想を抱いていると、ニューの声がした。彼女は彫刻刀のようなナイフを取り出し、

 

「どのような顔にいたしましょう?」

 

 どうやら、彼女がメイクしてくれるみたいだ。確か、前に会ったときメイクが得意だと言っていた気がする。

 

「そうだね……」

 

 僕は思案する。

 ぶっちゃけてしまえば、僕は僕以外の人物に成り切れればいいのだ。『ブシン祭』にシドとして出るのは勿論、シャドウとして出るのもなんか違う気がするからね。

 けど、『ブシン祭』には出たい。『ブシン祭』に出て、「何だあいつは!?」的なムーブがやりたいのだ。

 そんな僕は、頭をフル回転させて考える。どうすれば、より楽しいかを。

 

「あっ」

「……? どうかしましたか」

「ふむ……いや、何でもない」

 

 そんなとき、天啓が舞い降りた。『女神の試練』以来二度目の天啓だ。……ずいぶんスパンが短いね。

 

「あまり強くなさそうな感じで頼む」

「強くなさそう、ですか。承りました」

「それと、男じゃなくて女にしてほしい」

「ぶっ!?」

 

 ガンマが突然コケる。歩いていないのにコケるなんて、なんて器用なんだ。

 むくりと起き上がったガンマは鼻から血を出していた。

 

「主さまが、女装されるのですか!?」

「……あぁ」

 

 イメージしてみたんだけど、うん。かなり良いと思う。

 ───国中が注目する大会に、突如として現れた不気味な仮面の戦士。その戦士は全身を漆黒のコートに包み、性別さえ分からない。だが、圧倒的な強さを持っていた。

 その戦士が、決勝でマスクを取ると、なんと女だった!

 ……といった感じだ。

 この世界じゃ、女性が強いことは珍しくはないけど、それでもインパクトはあると思う。なんなら、マスクを取るまでは男っぽい声にしてみるのもアリだ。

 

「女性役が必要だというのなら、ガーデンの構成員が……なんでしたら、私、ガンマもおります!」

「それは分かっている。だが……すまない」

「主さま……分かりました」

 

 僕が全てを悟ったような低い声で謝れば、ガンマも何かを悟ったように息を呑む。

 何も分かりあえてはいないけど、言葉にしなくても伝わる思考。僕は高い所と、このシリーズが好きだ。

 

「……それでしたら、スライムを使わずとも可能だと思いますが」

 

 そうやって訪れた静寂を破ったのは、そこまで沈黙を守っていたニューだった。

 

「ほう……」

「シャドウ様は素材がとてもよろしいので、ウィッグと多少のメイクで、かなり美人になれると思います」

 

 マスクを外せば下は美女……これもアリだね。むしろいい。

 

「だけど、それでは毎回メイクが必要になるでしょう?」

「それは、そうですが……」

「まぁ、いいんじゃない? 僕も多少はメイクできるし」

 

 変装は『陰の実力者』の必須技能だ。これを会得することで、実力者は神出鬼没の称号を手にできるのだから。

 

「ですが、声は……」

「───これでどうだ?」

「───っ!?」

 

 僕は声帯をイジって声を変える。若干姉さんの声に似ている気がする。

 

「これで、どうかしら?」

「……流石です。主さま」

 

 ニューも頷いていた。

 

「よし。ならば、これで行こう……いいえ、行くことにするわ」

 

 それから僕は、ニューにメイクを教わった。

 

□□□

 

 『ブシン祭』参加受付の前にはそこそこ長い列ができていた。筋骨隆々の歴戦の猛者のような者もいれば、最近剣を持ったばかりだろう若者もいる。

 アンネローゼ・フシアナスも、先程まではその内の一人だった。

 

「何かしら?」

 

 後ろの方がざわついている。

 既に受け付けを終え、帰路についていたアンネローゼは踵を返す。

 

「やんのか、このヤローッ!」

「テメー、誰に喧嘩売ってんだ? あぁ?」

 

 人が集まり円となった中心で、二人の男が睨み合っていた。掴みかかりそうな雰囲気だ。

 

「まったく……」

 

 どこへ行っても、このような手合いはいるのだ。大抵は、大して力を持たない弱者同士であることが多いが、偶に実力者も混ざっていたりする。

 死人が出る前に止めようと思い、アンネローゼは見物する。

 周囲からは歓声や野次が飛び交う。

「いけいけーぇ!」だの、「やれやれーぇ!」だの、無責任にも程がある。

 そして、とうとう睨み合っていた男の片方が手を出した。

 

「いたっ、やったなこのヤローッ!」

 

 そうなれば殴り合いが始まるのは必然。周囲の賑わいはさらに増す。

 

「……素人ね」

 

 キレのない動き、次がない途切れ途切れの攻撃、過度な回避。精錬さなど一切感じられない。

 

「そろそろ止めよう」

 

 だが、そんな戦い……いや、喧嘩でも決着はつく。最初に殴りかかった男は、立つこともできなくなったのか、膝から崩れ落ちる。

 しかし、その状態になってももう一人は止まろうとしなかった。馬乗りになって尚も攻撃しようとしている。

 

「ちょっと、そこまでに……」

「───邪魔」

 

 その声が響いたのは、アンネローゼが出たのとほとんど同時だった。

 真っ黒な衣装に全身を包み、顔には狐の仮面をした人物が円の中心に割って入る。仮面のせいでくぐもっていたのか、その性別の判断さえできない。

 

「何だお前は!」

 

 水を差された男は、気分を害されたのか声を荒らげて立ち上がる。

 

「邪魔」

「うるせぇなぁ!」

 

 そして、血まみれになった拳を仮面の人物に叩きつけた……はずだった。

 

「あっ?」

 

 だが、その拳は宙を切る。何が起こったのか分からず、動けない男の横を、仮面の人物は悠々と通り過ぎる。まるで、何事もなかったかのような様子だ。

 

「くそっ、何だお前ッ」

 

 男は通り過ぎた仮面の人物の背後から殴りかかる。けれど、それも同様に空振ってしまった。

 

「一体何が起こってるんだ……」

 

 ギャラリーの誰かが呟いた。

 先程まで過度な興奮状態にあった男も、気が抜かれたように大人しくなっている。

 仮面の人物の前方で円が割れる。誰も、この不気味な人物に関わりたくないのだろう。

 だが、アンネローゼには分かる。()の人物が持つ圧倒的な技量が。

 彼の人物は、男が殴る直前で半歩だけ横にズレたのだ。そして、絶妙な歩法であたかも歩いているようにしながら、パンチの軌道上から逃れたのだ。

 

「待って!」

 

 アンネローゼは声を上げた。

 ギャラリーの視線がアンネローゼに集まる。それは好奇の目であり、不安の目であり、いずれもが固唾を呑むのが分かった。

 仮面の人物はゆっくりと振り返る。

 

「アナタ、名前はなんて言うのよ」

「……ギニュー・モリータ」

「ギニュー……」

 

 ギニューはそれだけ言って立ち去った。

 

 もう、喧嘩をするような雰囲気ではなかった。

 

□□□

 

 無事受け付けを済ませた僕は、ルンルン気分で帰宅していた。帰りに『まぐろなるど』に寄ったので、僕の手にはサンドが二つある。

 

「そういえば、さっきの人凄かったなぁ」

 

 『まぐろなるど』での出来事だが、袋いっぱいにサンドを買うエルフがいたのだ。大食い選手かな。

 それはともかく、今日は大成功だった。

 僕が受け付けに行くと、丁度喧嘩をやっていたみたいだった。乱入しないで行くか迷ったけど、結局頃合いを見計らって乗り込んだ。

 結果は上々。

 周囲の人々は、僕が去った後、「何だあいつは!?」と賑わっていた。

 

「本戦が楽しみだ」

 

 本戦をより盛り上げるために、帰ってからイメトレをしなければ。

 

「油断大敵ですよ、シド君」

「……ローズ先輩か」

 

 僕の首筋に冷たい感触がある。多分、練習用の細剣だ。殺気を感じなかったから、反応しなかったのだ。

 

「やぁ、練習かい?」

「えぇ、少し時間ができたので剣を振りに。『まぐろなるど』の行ったのですか?」

「うん。あそこの店長さんとは知り合いでね」

「そうなんですか」

 

 僕は食べ終わったサンドの包みをポケットにしまう。

 

「ごめんなさい。名残惜しいですが、そろそろ時間なので失礼します」

 

 ローズはそう言ってお辞儀する。辺りはもう、薄闇に包まれていた。

 

「うん、またね」

「……あの」

 

 失礼すると言ったのに、ローズは何か言いたそうだった。

 

「どうかした?」

「……これから、お父さまと会います。そこで、婚約者が紹介されるそうです」

「そうなんだ……おめでとう、とは言わないでおくよ」

 

 彼女はそれを望んでいないように思えたから。

 

「私はオリアナ王国の王女です。王女として多くの期待を背負い、生きてきました。ですが、私はそれをワガママで裏切りました」

「うん」

「もしかしたら、私はまた多くの期待を裏切るかもしれません」

「うん」

 

 ローズは悲しげな表情で微笑んだ。

 

「ですが、今度は私のワガママではありません……いえ、どうでしょうか……」

 

 彼女はゆるゆると首を振る。

 

「もし……もし、何かあったら、シド君は私のことを信じてくれますか?」

「分かった。信じるよ」

 

 彼女はほっとしたように、息を吐く。

 

「あなたに信じていただけるなら、私はそれ以上は望みません。また、こうやって話せることを願っています」

 

 ローズは顔を隠すように俯いて、そのまま立ち去ろうとする。

 

「ねぇ」

 

 僕は彼女を呼び止めて、持っていたもう一つのサンドを投げた。

 

「これは……」

「あげるよ」

「……ありがとう」

 

 ローズは柔らかく微笑んだ。

 




シドくんはジミナではなく、ギニューとなりました。因みに、漢字表記は「偽乳」です。ゆったりしたコートで隠してはいますが、ばっちり盛ってます。
イプシロン「───!?」
ノリだけで書きました。


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アンネローゼの憂鬱

 あれから、週が明けて『ブシン祭』予選が始まった。

 既に二回戦までは滞りなく終わり、対戦相手の質も徐々に上がってきていた。普段のアンネローゼであれば、望むところだと息巻くところではあったが、今の彼女にそんな余裕はなかった。それと言うのも、彼女の頭の中ではずっと、あの時の光景が映し出されていたからだ。

 誰もが観衆となる中、人混みなど物ともしない態度で歩み出た人物。それは傲慢だと、言える態度だったのかもしれない。だが、()の人物にはそれを為せるだけの実力があるように思えた。

 あの時彼の人物が見せた歩法は、そう簡単にできるものではない。歩法だけじゃない。間合い管理も完璧だった。

 あれ程のことが、アンネローゼにはできるだろうか。

 どちらか片方であれば、できるかもしれない。 

 しかし、双方同時に行えるかと言われれば、自信がなかった。

 

「……そろそろね」

 

 アンネローゼはたった今終わった試合を見て、呟いた。

 まだ三回戦であり、会場は狭い。適当な空き地に柵を立てて、それっぽくしただけの会場だった。観客の数も、それに見合うだけの数に収まっていた。

 

「続いて第三試合!」

 

 魔力拡声器で音圧を増幅させた声が響く。

 

「右手より現れるのは、三年連続三回戦止まりのザッコ・キャーラだぁ! 今年こそ、四回戦に進出なるのか!?」

「あれは……無理そうね」

 

 アンネローゼから見て左方より、大きな体の男が現れる。三十歳前後の見た目だ。

 大鉈のような武器を担ぎ、雄叫びのように吠えている。力はありそうだが、体を上手く使えていなそうだ。

 

「ザッコ選手、今年も気合い十分ですね」

「勿論だぜ!」

「昨年はクイントン選手に、ぼろ負け……」

「惜敗だ」

「そう! 惜敗いたしましたから、今年こそ、リベンジできるといいですね」

「おうよ!」

 

 早く始まればいいのに、とアンネローゼは愚痴を吐く。観客からの盛り上がりも薄かった。

 

「さて! 対する相手は今回が初出場のギニュー・モリータ選手です!」

 

 パラパラと散発的に拍手が起こる。所詮は予選。決勝ラウンドまで進んだならいざ知らず、今の段階ではこんなものだろう。

 

「ギニュー選手は今回が初出場ですが、何か意気込みなどはありますか?」

「……」

「あー……ごほん! それでは、第三試合を始めましょう! よーいはいいですか」

 

 両者は距離を取り、向かい合う。

 そして、笛の音と共に試合が始まった。

 最初に動いたのはザッコだった。彼は開始早々、一挙に間合いを詰めようと駆け出した───ように見えた。

 

「えっ?」

 

 しかし、ザッコは一歩目を出すと、二歩目で膝をつき、三歩目を出すこともなく倒れてしまった。

 

「一体何が……」

 

 その一部始終を見ていた観客は呆気に取られる。ザッコが起き上がることはなかった。

 

「しょ、勝者ギニュー・モリータッ!!」

 

 レフェリー兼進行役が高らかに叫ぶ。だが、普通なら多少なりとも歓声の湧くところに、静寂は訪れた。

 ギニューは、誰もが固まって動かないでいる中、会場を後にした。

 

□□□

 

 アンネローゼは無事に、四回戦進出権を獲得し、帰路についていた。

 折角、彼の人物について知ろうと早く会場へ行ったのに、成果は得られず。結局、謎は深まるばかりだった。

 

「見えなかった……」

 

 油断していたとはいえ、アンネローゼは彼の人物の動きを捉えることができなかった。

 唯一見えたのは、ほんの一瞬だけ、姿が霞んだところくらいだ。まさか、認識できないほどの速さで、動いたとでも言うのだろうか。

 

「何か禁止のアーティファクトでも使っている……?」

 

 だとすれば、かなり貴重なアーティファクトだろう。それに、

 

「代償は大きいはず」

 

 大きな力の行使には、大きな代償が付き纏う。必ずしも、その原則に当てはまるわけではないが、多くの場合はやはり当てはまるだろう。

 いずれにせよ、もう一度見てみるまでは何とも言えない。

 

「次の試合は、絶対に見逃さない」

 

 そうアンネローゼは決意を新たにした。

 

「っと、すみません」

「……こちらこそ、考え事をしていた。すまない」

 

 前方から来た二人組の少年の内、黒髪の平凡な少年にぶつかる。

 お互いに謝罪をし、そして、彼らとはそのまま何事もなく別れた。

 

「……」

 

 アンネローゼは振り返って彼らを見た。彼らは何かを楽しそうに話しながら、去っていく。

 アンネローゼはその後ろ姿をしばし眺め、その後前を向いてその場から離れたのだった。

 

□□□

 

 翌日。今日は『ブシン祭』の四回戦がある日だ。

 アンネローゼは観客席の最前列に陣取り、目当ての試合を待っていた。

 

「よぉ、嬢ちゃん」

 

 そんなアンネローゼの隣に、大柄な男が座った。全身に古い傷跡があり、腰の大剣は使い込まれている。かなりの期間、戦場に身を置いていたのだろう風体の男は、観察するように彼女を見た。

 

「あんた、『ベガルタ七武剣』のアンネローゼだろ?」

「その名は捨てた。今はただのアンネローゼだ」

「そりゃ悪い」

 

 男はちっとも悪いとは思ってなさそうに、肩を竦めた。

 

「……アナタは?」

 

 男の瞳とアンネローゼの瞳が鋭く交錯する。先に折れたのは、男の方だった。

 男は笑って手を上げる。

 

「そう睨むなよ。俺はクイントンだ」

「……確か、受け付けで喧嘩が起こっていたときにいたな」

「あぁ、あれは俺も見てたぜ。なんつーか、ヤバい奴だった」

「月並み以下の感想ね」

「こりゃ手厳しいぜ」

 

 ガハハとクイントンは笑い声を上げる。

 

「昨日の試合も見ていたんだろう?」

「そうね」

「あいつの試合、あんたはどう見た?」

 

 クイントンが足を投げ出す。アンネローゼは足を組んだ。

 

「……超級のアーティファクトを使ったか、もしくは桁違いのバケモノか」

「なるほどな。俺も大体その線だ……具体的には分からなかったのか?」

「わ、分からなかったわ」

 

 少しムッとして、アンネローゼは答えた。

 

「まさか見逃すとは思わなかったのよ。油断していた。ただ、ザッコが踏み出した瞬間、ギニューの姿が霞んだように見えたわ」

「ほう」

「とてつもない速さだったのは、間違いない」

 

 アンネローゼの瞳が鋭く闘技場を見据えた。

 

「ふん……まっ何がどうであれ、今日の試合で分かるだろ」

「そうね」

「対戦相手のゴルドー・キンメッキってのは、俺は知らねぇんだが、有名らしいな」

「有名、ね」

 

 アンネローゼが可笑しそうに、口の端を持ち上げる。それを見たクイントンは眉を顰めた。

 

「不敗神話のゴルドー・キンメッキ。確かに、良くも悪くも有名だわ」

「良くも悪くも?」

 

 アンネローゼは首肯する。

 

「逃げるのよ、彼」

「誰から?」

「強敵よ」

 

 ゴルドーは負ける可能性がある相手とは決して戦わない。勝てる相手とだけ闘い、強い相手と当たった時点で棄権するのだ。それで付いた二つ名は、不敗神話。正確に実力差を見抜く彼に、誰も勝つことはできないのだ。

 

「もっとも、彼はその二つ名が嫌で常勝金龍と名乗っているようだけど」

「ククッ、なるほどな。不敗と常勝、似てるようで全く違う意味だな」

 

 呆れたように、あるいは嘲るようにクイントンが笑う。

 

「なら、不敗神話さんには期待できないってことだな」

「それはどうかしら」

「────?」

「彼、確実に勝てる相手だけと戦って、何度も大会上位に食い込んでいるわ。小さな大会なら、優勝経験もある」

「なら、弱くねぇな」

 

 そうして、話が一段落ついたところで、丁度次の試合が始まろうとしていた。

 ゴルドーとギニューがそれぞれ中へと入場し、向かい合う。

 

「4回戦第6試合ゴルドー・キンメッキ対ギニュー・モリータ! 試合開始!」

 

 歓声と罵声の混じった盛り上がりが、闘技場に巻き起こる。

 そして、試合が始まった。

 

□□□

 

 ゴルドー・キンメッキは今日の試合に臨んだことを後悔していた。

 彼は今、怪しげな衣装に身を包み、顔に狐の仮面を付けた謎の人物と対峙していた。その骨格は、男のようにも女のようにも見える。

 最初、彼の人物を見たときゴルドーは雑魚だと判断した。どの動きを取っても隙だらけで、とても戦場で生き残った者には思えなかったのだ。

 それに、二回戦、三回戦と見てきたゴルドーに言わせれば、対戦相手が勝手に倒れただけで、彼の人物は何もしていないように思われた。

 

 だが、今対峙してようやく理解した。

 このゴルドーへ向けられる圧倒的なプレッシャー。どこから攻めても、全て防がれ───否、それだけではなく、強烈な返しが来るような気がする気配。

 

「すぅー、はぁー」

 

 この感覚は生まれて初めてではない。

 じっとりと全身から汗が生じ、バクバクと鳴る鼓動が頭に響く。血流が速くなり、体温の上昇と共に気分が高揚していく。

 しかし、それに反するように心臓の奥深くが冷え込む。痙攣を起こしているかのように収縮する錯覚を覚える。

 この感覚は、恐怖だ。

 かつて一度だけ体験し、それより逃げ続けてきた感情だ。

 

「───」

 

 この試合は無理だ。棄権しよう。

 その言葉が何度頭を巡ったことだろう。

 既に心は折れ、合図さえあればいつでも逃げ出す準備はできていた。

 表面には出さないものの、もはやゴルドーに、戦意などというものは存在しなかった。

 

「キンメッキさん! やっちゃってください!」

 

 不意に、そんな声が聞こえた。

 いや、あるはずはない。これだけの歓声なのだ。よしんば叫んだとしても、ここまで届くはずはないのだ。

 

「キンメッキさん! 負けるな!」

 

 だが、再びその声が届く。誰かは分からない彼は、必死にゴルドーのことを応援していた。

 ふと思い浮かぶは、昨日の少年の姿。ゴルドーの話を目を輝かせて聞いていた少年だ。

 

「ふっ」

 

 賭けをするろくでもない少年であったが、どうせ自分もろくでもない奴だ。

 あの純粋に尊敬する瞳を思い出す。

 自分も、かつては騎士に憧れ、剣を取ったのだ。

 それがいつしか、逃避心と虚栄心から強敵を避けるようになった。

 だが、騎士とはそんなものではないはずだ。彼が昔、尊敬の眼差しで見つめたのは、そんな騎士ではないはずだ。

 

「ふぅー」

 

 凍える胸を震わせて、笑いそうな膝を無視して笑い飛ばす。

 

「ハッハッハ!」

 

 ───オレは誰だ?

 

「お前も運がないなっ!」

 

 ゴルドーは己の心に問いかける。

 

「この、不敗神話のゴルドー・キンメッキ様が相手だなんてな!」

 

 ───そう、オレは不敗神話のゴルドー・キンメッキだ!

 

 ゴルドーの体の周りに、黄金の龍が現れる。それは、大量魔力を練り、集めた故に起こる奇跡。

 会場がどよめきに包まれる。

 

「喰らえッ! 邪神・秒殺・金龍剣ッ!!」

 

 一息で間合いを踏み潰したゴルドーが、全力で剣を振るう。

 風をつんざき、

 それは今までの彼の人生において、最高の一撃であった。

 

「───見事」

 

 そして、ゴルドーの意識は僅かな浮遊感と共に、深い闇へと沈んだ。

 

□□□

 

「ゴルドー・キンメッキ、まさかこれほどやるとはな……」

「えぇ。最初で最後のあの一閃、並の魔剣士では太刀打ちできない。もっと上を目指していれば、本戦でも戦い抜けられたでしょう」

 

 それが、試合後のゴルドーに対する評価だった。アンネローゼたちは、少し彼のことを見くびっていたようだ。

 

「で、ギニューの方はどうだった?」

「……この試合で、彼は初めて剣を抜いたわ」

「今までは抜いてすらいなかったのか」

「恐らく。きっと、ゴルドーを剣士として倒そうとしたのね」

 

 救護隊による担架で、ぐったりと動かないゴルドーが運ばれていく。彼に送られる声は、野次よりも励ましの方が多かった。

 

「ギニューの剣は……美しかったわ」

「美しい?」

 

 クイントンは首を傾げる。彼には見えなかったのだろう。

 

「そう。言うなれば『凡人の剣』。基礎を積み上げ、無駄を省き、研ぎ澄まされた果ての剣よ」

「そりゃ……ずいぶんな評価だな」

「それだけの技術が、彼にはあった」

 

 何もかもが謎に包まれた人物であるが、こと剣においては、比類なき努力をしたのだろうと分かる。

 アンネローゼは少しだけ親しみを覚えた。

 

「けどまぁ、これでアーティファクトに頼った卑怯者って線は消えたわけだ」

「元々、可能性は低いと思っていたでしょ?」

「まぁな」

 

 クイントンは苦笑を浮かべ、立ち上がる。

 

「見るもん見たし、俺は帰るぞ」

「いちいち言わなくてもいい」

 

 そして、大声で笑いながら去っていった。

 アンネローゼは再び闘技場を見下ろす。既に次の試合の準備は終わっていた。

 

「ギニュー・モリータ……本戦で待っているわ」

 

 そう言い残し、アンネローゼも会場を後にした。




結構緩い話が多くなりそうですね。四章は


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嘘は良くないと思うんだ

緩い話が多くなりそうとか言いましたが、がっつり真面目な話が入りました。


 結局、『ブシン祭』の決勝にて、クイントンはギニューに完敗した。やりたいことは何もさせてもらえずに、あっという間にやられてしまったのだ。

 その一報に、闘技場マニアたちは大いに湧いた。

 だが、それと同時に困惑もしていた。なぜならば、ギニューの試合は全てたったの一撃で終わってしまうからだ。

 クイントンに代表される歴戦の猛者たちを次々と破ったことから実力は保証されている。

 では、その底はどの程度なのか。果たして、現王国最強のアイリス・ミドガルや、かつて名を馳せた『武神』ベアトリクスに匹敵し得るのか。

 マニアたちの間で熱い議論が交わされた。

 その議論の末に、大勢を占めたのは様子見というものだった。それは、ギニューの経歴があまりにも不鮮明であったためだ。

 過去大会の出場記録なし、性別不明、出生不明。その剣も、ほとんどの観客には見ることすらできない。見れた者の話によれば、『凡人の剣』だ、あるいは新しい流派だなどと、情報が錯綜していた。

 そんな状況で、分かることから出されたマニアたちの主な見解は、その圧倒的な速さで押し切ったというものだった。その速さが、果たしてアイリス以下、『ブシン祭』本戦の(つわもの)に通用するか。それが主要な争点となり、結局答えは出ず、様子見ということに相成ったのだ。

 

 本戦は来週から始まる。誰もが、そのときを今か今かと待ち望んでいた。

 

□□□

 

 そんなこんなの今日この頃、僕は自分の部屋にて、恐ろしい姉さんにマウントを取られ、首を締められていた。

 

「アンタ、今私のこと馬鹿にしたでしょう」

「ま、まさか。親愛なる姉さんへの讃美歌を歌っていたとこだよ」

「親愛なる、ね」

 

 僕の首を締める力が強くなる。

 

「私が寮の前でアンタを待っているとき、何を考えていたか分かる?」

 

 窓から差す朱色の陽光のせいで、姉さんの顔に暗い陰ができる。

 そもそも、なんで僕はこんな状況に置かれているのだろう。僕は今日一日を振り返る。

 ……いや、振り返るまでもなかった。モブの一日は、山なし谷なしなのだ。語るまでのことはない。

 寮母さんに姉さんの到来を告げられた僕は、賭けに負けてすっからかんになったヒョロと街をほっつき歩いていたんだ。

 なんて素晴らしいモブライフなんだろう!

 それで、帰ってきたら姉さんに押し倒され、今に至るわけだ。

 

「今日はいい天気だなぁって」

「そんなわけないでしょ。馬鹿にしてるの?」

 

 そろそろ意識が飛んじゃいそうだ。何とか姉さんの気をそらさないと。

 ……いや、待て。それは割とアリかもしれない。

 

「もしかして、このまま落とされようとか考えてないわよね」

「あ、当たり前だよ」

「ならいいわ。それで、何の話だったかしら」

「姉さんが素晴らしいって話じゃなかった?」

「そうね。具体的にはどこがいい?」

「すごく目つきが悪い」

 

 更に強く首を締められる。

 

「目がすごく愛らしい」

「あとは?」

「気性が荒い」

 

 僕の腹に膝蹴りが入る。

 

「すごくお淑やか」

「そこまでほめなくてもいいわよ」

 

 姉さんはコホンと咳払いをする。

 

「……で、『ブシン祭』の話だったわね」

「あれ、そうだっ……いや、そうですね」

「アンタ、明日は必ず見に来なさい」

「えっ、今年は姉さん出ないでしよ?」

「……なに? 私と行くのは不満なの?」

「僕には用事が───」

 

 姉さんの鋭い視線が僕を睨む。

 

「───ないなんて素晴らしいね!」

「そう。それは良かったわ」

 

 機嫌良さそうに頷いた姉さんは、僕の拘束を解き、ポケットからチケットを一枚出した。

 

「これは?」

「『ブシン祭』の特別席よ。普通じゃ手に入らないんだから」

「僕は普通の席でいいんだけど……」

「いいから受け取りなさい」

 

 姉さんは乱暴に、僕の手にチケットを握らせた。

 

「じゃあ、明日迎えに来るわ」

 

 そして、僕の部屋から出て行った。

 

「はぁ疲れた」

 

 僕はそれを見届けて、ベッドに寝転がる。

 

「明日のイメトレでもしようかな」

 

 予想外の予定もできてしまったし、もう一度明日の行動計画を立てた方がいいだろう。

 僕は目を瞑り、イメトレを開始した。

 

□□□

 

 週が明けて『ブシン祭』本戦が始まった。

 僕は姉さんに連れられ、なんかゴージャスな扉の部屋へと通される。

 というか、明らかにここVIP席なんだけど。このチケットも、よく見れば金箔が貼られている。姉さんは一体どこで、これを手に入れたんだ。

 通された部屋に入った僕は、正直踵を返そうか迷った。

 ここにいるのは、どこかで見た覚えのある大貴族の皆様とそのご家族。学園の上位カースト勢はだいたいセットでいる。

 

「無礼のないようにね」

「分かった」

 

 僕は姉さんの影に隠れて空気になる決意を固める。陰に潜み、光明を欺くんだ。

 

「なんか良いね、今の」

「シッ! 静かに」

 

 姉さんが肘で僕をどつく。「言っただしょ」と口が動いた。

 

 それから、僕らがチケットに書かれた席の前に来たときだった。

 

「失礼します。アイリス王女」

「えっ?」

 

 僕らの席の隣にはなんと、この国の王女アイリス・ミドガル、その人が座っていたのだ。しかも、姉さんと顔見知りなようである。

 ……いや、それよりも驚くべきは、姉さんがまともに敬語を使えるということだろうか。

 

「痛っ」

「アンタも挨拶しなさい」

 

 姉さんに促され、僕は一歩前に出る。

 こんなとき、モブならばどうするだろうか。

 僕の明晰な頭脳は、その答えを直ちに導き出した。脳裏にちらつく、まるで仏のようなモブ友の姿が眩しい。

 

「こここ、こ、これは、アイリスおうにょ! 私はシド・カゲノーと申しまふっ。それでは、失礼いたしまふ」

「ちょっと、どこに行くのよ」

 

 はっ! つい本能的にこの場を辞そうとしてしまった。王族パワー恐るべし。

 

「すみません。彼は弟なんですが、見ての通り、少々変わり者でして……」

 

 噛み噛みの自己紹介をした弟に代わり、姉さんがその場を取り繕う。

 正直、ここからつまみ出されても文句の言えない完璧なモブを演じたわけだが、流石はアイリス王女。完璧な笑みを浮かべて対応した。

 

「そちらが、この前話されていた弟さんですね。大丈夫ですよ」

「あのー……姉さんとはどういったご関係で?」

「色々あって、卒業したら『紅の騎士団』に入団することになったのよ。この前言ったでしょ?」

「あぁ! そうだった!」

 

 あれ、そうだっけ? 姉さんの話は大体聞き流してるから分からない。

 

「ふふっ、とても仲がよろしいのですね」

「いや、そんなことは……」

「そうなんですよ」

 

 姉さんが、アイリス王女からは見えない位置で、僕の足を踏む。

 

「立ったままではなんですから、どうぞ座ってください」

「ありがとうございます」

 

 アイリス王女に促され、僕たちは椅子に座る。無駄にふかふかだった。

 

「あら姉様、そちらの方は?」

 

 と、丁度そのとき、また別の声が割って入る。

 誰か、は考えるまでもないだろう。この国に、アイリス・ミドガルをお姉様と呼ぶ存在は一人しかいないのだから。

 

「戻ったのね、アレクシア。こちらは『紅の騎士団』に入団予定のクレア・カゲノーさんと、その弟のシド君です」

「そうなんですか。……ごきげんよう」

 

 アレクシアはお淑やかな王女らしく、お辞儀をする。それが、彼女のイメージからズレているように、僕には感じられた。

 動きに不自然な点はないんだけど、なんとなくそう感じたのだ。

 アレクシアは姉さんを見定めるように眺めた後、席に座る。そのとき、一瞬だけ目が合った。

 

「姉様」

 

 アレクシアが首を振る。

 

「そうですか……」

 

 アイリス王女はそれを見て目を伏せた。

 

「どうしたんですか?」

「それは……」

 

 アイリス王女は言い淀む。

 あっ、これ聞いちゃいけないやつだ。

 

「えーっと、トイレに行ってきます」

 

 そういうときは、席を外すに限る。そのまま試合時刻まで、別の場所で観戦でもしていようかな。

 棚からぼたもち的に、この場から離れるチャンスを得た僕は立ち上がる。

 

「姉様、私もお手洗いに」

「試合までには戻ってくださいね」

「分かっています」

 

 アレクシアもお手洗いのようだ。

 二人で行く間柄でもないし、王女の隣を歩くモブなんて普通はいない。僕は気配を消して、誰にも気付かれないように、その場から離れる。

 

「待ちなさい」

「うん?」

 

 ただ留意すべきは、僕は気配を消しているだけであって、姿は消せないということだ。つまり、認識しにくいだけで、がっつり姿は見えている。

 僕はゆっくりと振り返った。

 

「トイレはそっちじゃないわよ」

「へ、へぇ……」

 

 結局、僕はアレクシアの後ろをついていくことになった。

 

□□□

 

「……」

 

 ゴージャスなVIPルームを出て、僕らは無機質な廊下を歩く。その廊下で、コツンコツンと不規則に、硬質な音が二つ響く。

 その内の一つ、前を行く足音が止まった。

 

「どうしたの? ここはトイレじゃないよ」

「分かってるわ」

 

 アレクシアは振り向いた。

 

「……あなた、クレアさんの弟だったのね」

「そうだね。あんまり嬉しくはないけど」

「その言葉、後でクレアさんに言っておくわ」

 

 それは……面倒なことになりそうだ。

 

「というのは冗談でね。僕は姉さんは好きだよ」

「口が歪んでいるわ」

「……僕は性根が歪んでいるから、口も歪むんだ」

「なるほどね」

 

 なんとか誤魔化せたようで何よりだ。僕はほっと胸を撫で下ろす。

 

「じゃあ、そんな性根が曲がったあなたに聞きたいことがあるんだけど」

「なに?」

「先日の『女神の試練』───あそこで、何があったの?」

 

 アレクシアは腕を組み、壁にもたれかかる。

 

「質問の意図が分からない」

「そのままの意味よ。シャドウ───あの黒ずくめの男ね───が現れたとき、何があったのかを聞いているのよ」

 

 廊下に設置された大枠の窓からは、沢山の光が注ぎ込まれている。しっかりとした造りの割に、今日が晴れということもあって、意外とここは明るい。

 そんな窓際に一羽の黒いカラスが降り立った。黒い影が大きく伸び、カラスはそのクリっとした瞳を怪しく光らせ、窓をつついていた。

 

「さぁね」

「あなたは近くで見ていたでしょう?」

「生憎、僕は気絶してたから。お腹に穴が空いていたわけだし」

 

 僕は肩を竦めてみせる。

 

「そんなわけで、僕は何も見てない」

 

 腕を組むアレクシアの視線が険しくなる。

 

「なら、『女神の試練』が始まったとき、違和感はなかった?」

「特に何も」

「嘘を吐いたり、隠し事をしたりするのはオススメしないわよ」

「嘘は言ってないし、隠し事はないから大丈夫」

 

 アレクシアは舌で唇を湿らす。僕は窓際の出っ張りに腰をかける。僕の影と、黒い影が重なった。

 

「それなら、どうして彼女が呼ばれたのかしら?」

「彼女?」

「えぇ。『災厄の魔女』アウロラ。とてもじゃないけど、あなたと釣り合う相手ではないわ」

 

 どうやら、ヴァイオレットさんの名前はアウロラと言うらしい。あのとき会った女性は彼女しかいないからね。多分そうなんだろう。『災厄の魔女』ってなんかカッコいいね。

 

「君も見ていたのなら、全く釣り合ってなかったのは知っているでしょ?」

 

 なんせ、一撃でやられたことになっているからね。

 

「そうね。一撃で気絶させられていたわね」

「そうだよ」

「───並の魔剣士なら、即死だったかもしれないけどね」

 

 僕らはしばし、無言で見つめ合う。

 

「運が良かったんだ」

「もう一度言うわ。何か隠しているなら、吐いた方が身のためよ」

「何回聞いたって、僕の答えは変わらないよ。だって、気絶してただけだからね」

「……そう。気絶して、運が良かった。そういうことね?」

「大体そう」

 

 僕は座っていた出っ張りから降りる。それに合わせて、黒いカラスは飛び去った。窓辺残るは、カラスの残した黒い羽根一枚だけだった。

 

「で、トイレはどっち?」

「……突き当たりを右よ」

 

 僕はアレクシアの指差す方を見る。かなり遠くに、壁が見えた。

 

「突き当たりってあそこ?」

「そうよ」

「なんか遠くない?」

「遠回りしていたもの」

「なるほどね」

 

 僕はアレクシアの前を通り過ぎる。もう彼女には、トイレに行く気はないようだ。

 この後はどう時間を潰そうか。僕が今後の計画を立て始めたときだった。

 

「───エルフの匂いがする」

 

 ハスキーな女性の声が、廊下に響いたのだった。

 




アレクシアが出ると話が重くなる不思議。


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タイトルを付けるのが難しいときってあるよね

作者の思いは全てタイトルに詰まっています。


「エルフの匂いがする」

 

 その声に僕は振り返る。すると、そこには色褪せた灰色のローブを着た人物がいた。青色の瞳が、フードの隙間から僕のことを見据えている。

 

「エルフの匂い?」

「そう。エルフの知り合いがいる?」

 

 その青色の瞳は、僕を探るように覗き込んでいる。

 

「エルフの友達なら、何人かいるよ」

「……エルフの友達?」

 

 僕の言葉に、アレクシアが首を傾げる。

 

「あなた、エルフの知り合いがいたの?」

「そうだよ。僕の実家の近くは森だからね」

 

 本当は関係ないけど、勘繰られると面倒だからね。

 僕は完全には嘘じゃない嘘を吐いた。真実の中にちょっぴり虚構を混ぜるのが、上手い嘘の吐き方だ。

 

「ふーん」

「話しているところすまないが、私はエルフを探している」

 

 ハスキーなヴォイスの彼女は、言葉通り申し訳なさそうに言った。

 

「そうなんだ」

「かわいい子だった」

「へー」

「心当たりはないか?」

「うーん、ないかな」

「私とよく似ているはずだ」

「そっか」

「私とよく似たエルフに心当たりはないか?」

「あのー……」

「心当たりあるか?」

「ローブで顔が見えないんだけど」

「……そうだった」

 

 ハスキーヴォイスな彼女は顔のローブをとって、素顔を曝した。 その顔は、アルファの親族と言われれば信じられるほどには、よく似ていた。

 だけど、僕は何も反応しなかった。

 いや、意識して何も反応しないようにしたんだ。

 

「……ちょっと心当たりはないかな」

「また嘘?」

「僕が嘘ばっか吐いてるみたいに言わないでほしいな」

 

 まぁ、間違ってはいないんだけどね。

 とりあえず、今度アルファに会ったら確認したほうがいいかもね。

 

「そうか……」

 

 ハスキーなヴォイスの彼女は残念そうに肩をすくめて、僕を見る。そして、自然な動作で剣を抜いた。殺気も予備動作もない完璧なる一撃。

 それでも、僕は反応しなかった。分かってる。これはあれでしょ。寸止めってやつ。

 

「うわっ」

 

 僕は当たるかどうかの絶妙なタイミングでバランスを崩す。どうせ当たりはしないけど、この方がモブっぽい。

 そのまま、僕は無様に尻餅をついた。

 

「なんて自然な剣……」

 

 アレクシアが呟いた。

 

「むむ?」

 

 エルフでハスキーなヴォイスの彼女は首を傾げた。

 

「間違えた。ごめん。もう少し強いかと思った」

 

 そして、僕に手を差し伸べる。僕はその手を掴み、弱々しく立ち上がった。

 

「君の名は?」

「し、シド・カゲノーです」

 

 少し怯えた風に、僕は言った。

 

「なんか胡散臭いわね……」

 

 失礼な。どこからどう見ても、純粋なモブだろうに。

 美人でエルフでハスキーなヴォイスの彼女は、僕の手を握ったまま離さない。

 

「あの……?」

「いい手だ。君はきっと強くなる」

 

 更に美しく微笑んだ。

 すごくアルファに似ている。

 

「私の名はベアトリクスだ」

「ベアトリクス!?」

 

 アレクシアが素っ頓狂な声を漏らす。見れば、目が真ん丸になっていた。

 

「知り合い?」

「そんな訳ないでしょ。むしろ知らないの? 『武神』ベアトリクスという名前を」

「あー、どっかで聞いたことがあるような気がしないでもない」

「あなたね……」

 

 アレクシアはやれやれと言いたげに、ため息を漏らす。それから、ベアトリクスの方へと向き直る。

 

「探している人がいるそうで」

「そうだ。何か知らないだろうか」

「生憎ながら、そのような人物に心当たりはありません」

「そうか……」

 

 アレクシアはコホンと咳払いをする。

 

「ですが、協力はしましょう。もし、探し人が王国内にいるのなら、必ずや見つけ出します」

「それはありがたい」

「なので、まずは姉様……アイリス王女に話を───」

「その必要はない」

「───通して騎士団を……えっ?」

 

 アレクシアは言葉を失ったようだ。口をパクパクと開閉させている。

 そんな彼女に気が付かないのか、ベアトリクスはそのまま続けた。

 

「実は、先日アイリス王女と会ったんだ。そのとき、協力は惜しまないと言ってくれた」

「へ、へぇー、そうなのですか」

 

 アレクシアの笑顔が微妙に引きつっている。口元に手を当て、おほほほとか言っていた。

 

「ま、まぁ、私も出来る限りのことはいたしましょう」

「よろしく頼む」

 

 何とも言えない微妙な雰囲気で、沈黙が舞い降りた。

 どうするんだ。この状況。

 僕はアレクシアの方を見る。……駄目だ。愛想笑いを浮かべるだけで、なんら動きそうにない。

 続いて、ベアトリクスの方を見る。……駄目だ。何やらまぐろサンドを頬張るばかりで、動きそうにない。

 こうなれば、僕の取るべき行動は一つだろう。

 僕は意を決して、手を上げた。

 

「トイレ行ってきます」

 

 僕は二人の反応を待たずして、その場から脱した。

 その後二人がどうなったのかは、僕は知らない。

 

 ……でも、あの『武神』ベアトリクスという人物は結構強いね。

 

□□□

 

 アイリスは特別席で、試合が始まるのを待っていた。

 

「もうすぐ試合が始まるというのに、あの子は何をしているのかしら……」

 

 トイレに行ったきり、戻ってこない妹を思い浮かべる。

 

「大丈夫ですか? アイリス様」

「えっ? えぇ、大丈夫です。少し、考え事をしていました」

 

 アイリスの隣に座るのは、クレア・カゲノーという魔剣士学園の生徒だ。学園での成績は優秀で、一応は男爵家の出ということもあり、一定の礼節も弁えている。

 そんな彼女には、いくつかの騎士団から勧誘があったようだが、今は『紅の騎士団』への加入がほとんど確定的に決まっていた。

 

「組織の拡充は急務、ね……」

 

 それは『聖地』リンドブルムから帰ってきたアレクシアが進言したことだった。

 出来るだけ信頼できて、なるべく優秀な人材を集めて『紅の騎士団』を強化するべきだ、と。

 

「それができたら苦労はないのよね……」

 

 人材もそうだが、騎士団の予算が通らないというのも大きな障壁だ。このままでは、まともに人員を増やすことすら覚束ない。

 

「はぁ……」

「気分が優れませんか? アイリス王女」

 

 アイリスの隣の席に、男が座った。そこは、シドという少年の席だ。

 

「その席は……」

「何か?」

 

 隣に座った男を見て、アイリスは出そうになった言葉を飲み込んだ。

 

「いいえ、何でもありません───ドエム殿」

 

 別に席は用意されているはずだが、ここで指摘しては、彼を遠ざけているように思われるかもしれない。それは国家間のいらぬ摩擦を生みかねない。

 シドには悪いが、ここは口を噤むが吉だろう。

 

「ご機嫌麗しゅう」

 

 ドエムは優雅に微笑むが、その目は笑っていなかった。

 

「アイリス様と観戦できるとは、夢のようですな」

「お戯れを。ドエム殿には婚約者がおられるではないですか」

「おや、まだ非公式なのですが……流石はアイリス様。お耳が早い」

 

 この男、ドエム・ケツハットにはあまり良い噂がない。それは、彼がミドガル王国へ訪問するに際し、色々調べ回ったグレンから聞いたことだ。

 元はしがない貴族であったにも関わらず、宰相まで登り詰めた経歴。そこに至るまでに、彼の周りでは不審死が相次いだという。その範囲は、競争相手となっていた大貴族から始まり、対抗勢力の貴族や従者、果てはその親族にまで及ぶ。

 更に、不確定ではあるが、相当数の平民、それも貧困に喘いでいた人々も姿をくらましている。まず借金などの形に使い潰されたのだろう。

 アイリスは、そんな彼に対する不信感はおくびにも出さなかった。

 

「オリアナ国王のお加減はまだ優れませんか」

「そうですね。本日も欠席されるそうです。ですが、明日は出席されるとのことですよ」

「そうなのですね。明日は丁度、ミドガル王も出席されます」

「それはそれは。奇遇ですな」

 

 ドエムはハハハと声を上げて笑うが、やはりその目には何の感情も宿ってはいなかった。

 

「……それで、アイリス様はこの試合をどう見られますかな」

 

 ドエムが会場を見て言った。

 今は折よく選手が入場してきたところだ。

 対戦カードは、ローズ・オリアナ対ギニュー・モリータだ。

 アイリスは一旦気持ちを切り替え、会場を見下ろす。

 

「順当に考えれば、ローズ殿と言いたいところですが……」

 

 アイリスはちらっと、ドエムを流し見る。

 

「何か懸念点でも?」

「……そうですね。あのギニューという人物は、予選で何人もの強者を打ち倒しています。あるいは、今大会のダークホースとなるかもしれません」

「そこまで言うとは。いやはや、試合が楽しみですな」

「……」

 

 薄い笑みを浮かべて、手を組むドエム。

 

「私の婚約者には、是非とも頑張っていただきたい」

 

 その瞳に一瞬、ギラリと怪しい光が灯るのを、アイリスは見逃さなかった。

 

□□□

 

 ローズは深く呼吸をし、『ブシン祭』本戦の場内へと足を踏み入れる。

 多くの歓声が入り乱れ、右を見ても、左を見ても人で埋め尽くされていた。

 一度、ローズが足を踏み入れれば、白鳥が水面から飛び立つが如く、どっと会場全体が湧き上がる。その盛り上がりが熱気を生み、うねりくねって熱狂となっていく。

 そんなある種一体感に包まれた会場で、ローズの心には深い影が差し込んでいた。

 

「さぁ、始まりました『ブシン祭』! 今年も古今東西、津々浦々! 国内からも国外からも、有名無名の実力者が揃いました!」

 

 魔力で増幅された司会の声が大きく響き渡る。その大きさに負けじと、観衆の盛り上がりも更に爆発した。

 

「さて、そんな『ブシン祭』の映えある第一試合はぁぁっ!!」

 

 そこで司会はぐっと溜めを作る。

 そこまで溜めなくとも、みんな知っているはずなのに。

 

「はぁぁっっ!!」

 

 まだ溜める。

 

「ぁぁぁっっっ!!」

 

 まだ溜める。

 もういいのではないだろうか。会場も静まり返っていた。

 

「───ローズ・オリアナ対ギニュー・モリータだぁーっ!!」

「「うぉぉ!!」」

 

 もう盛り上がれば何でもありなのだろうか。

 そう思いつつも、ローズはギニューと向き合った。

 

「それでは用意はいいですかー?」

 

 司会が元気に吠える。

 それにしても、不思議な人物だ。彼の、ギニュー・モリータという人物からは、全くと言っていい程、殺気を感じない。

 いや、殺気だけじゃない。その実力も全く分からなかった。

 言うなれば、自然。森に木が生えているかのように、そこに存在するのがもっともらしく思えるのだ。

 これは、油断ならない相手だ。

 

「……」

 

 ローズは全ての感情も、迷いも、葛藤も心の奥にしまい込む。

 そして、遥か上空、空の彼方へ飛び立つように集中する。あるいはそれは、深い海の底へと沈着するに等しい行為でもあった。

 いずれにせよ、頭に蔓延る(はびこる)雑念を排し、この戦いのみに気を向けたのだ。

 それは、そうしなければ勝てないことは疎か、かすり傷一つ付けられないとローズの本能が告げている証でもあった。

 

「それでは第一試合、ローズ・オリアナ対ギニュー・モリータ───始め!!」

 

 そして、試合が始まった。

 




ドエム関連は捏造です。
ローズ先輩に何があったのか。次回へ続く。


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ローズ・オリアナの決意

複数日を跨いで書いたため、文の繋がりが怪しいかもしれません。


 試合開始の合図が会場に響き渡る。耳を塞ぎたくなるほどの観衆の声援にローズは包まれた。

 その声援は、熱狂とも歓声とも言えない。いわば、純粋なる興奮により、忘我した民衆たちによる狂宴の叫びのようなものだった。

 熱に浮かされた民衆たちの咆哮は、本来波動であるはずの声に、物理的な質量さえ与えているように思われる。

 圧倒的な"物量"が、ローズには感じられた。

 

 そんな中で、ローズは相手を観察していた。

 相手の一挙手一投足に気を配り、相手の得手不得手、実力の一端を探り合う。

 剣を持たなかった頃のローズは、この最初の間の意味を理解できなかったが、今は違う。この僅かな読み取り合いが、戦いにおいて勝敗を決める大きな一因になることを知っているのだ。

 ───見られている。

 ローズが相手を見ているように、相手もまた、彼女のことを見ていた。しかも、恐らく彼女以上に正確な眼力を以てしてだ。

 ピリピリとした空気をひしひしと感じる。

 頬に冷たい一筋の汗が流れる。

 緊張も高まり、今にも戦闘が始まろうとしていた。

 

「なっ、何のつもりですかっ!?」

「……」

 

 そんな状況なのに、ギニューは剣を収め、腕を組む。そのままじっとローズを見る姿は無防備に他ならない。

 

「今のあなた相手に、剣は必要ない」

 

 あまりに平然と言ってのけるギニューに、ローズは唇を噛む。

 

「後悔しても、知りませんよ」

「……」

 

 未だ棒立ちのままのギニューへ向けて、ローズは徐々に距離を詰める。その慎重さは、相手の間合いがどこまでなのか分からない上に、あの棒立ちの真意も不明であることによる警戒の表れであった。  

 いつでも反応できるように重心を下げる。呼吸のリズムは一定にして、瞬き一つにも気を使う。

 そうして、ようやくローズ自身の間合いまでやって来れた。そこは踏み込めば、一歩で相手に刃が届く距離だ。

 だが、それは相手にとっても同じことだ。

 そして何より、この相手は不気味であった。

 本来、距離が縮まれば縮まるほど、感じるプレッシャーは大きくなる。それに伴い、集中力も高まっていくはずなのだ。

 対して、今のローズはそこまで深い集中をしているわけではない。何故かと言えば、いくら距離を詰めても、プレッシャーが高まるどころか、感じることすらなかったからだ。

 そうまるで、戦う意思そのものがないかのように。

 それがローズにとって、不気味以外の何ものでもなかった。 

 

「ふぅー……」

 

 だが、相手が何であれ、ローズが引く理由にはならないのだ。

 ───きっと観戦してくれているだろうあの少年のためにも、弱い姿は見せられないから。

 

「行きますッ!」

 

 ローズが鋭く足を踏み出した。

 ギニューは全く動かない。まるで反応していないかのようだ。

 彼女の剣は美しく半円を描く。白光を反射して輝く軌跡は、一種の芸術のように、ささやかなる存在感を誇示した。

 その芸術的な一閃と、ギニューの姿が交わった。

 

「───っ!?」

 

 そう、確かに交わったのだ。

 言うなれば、それはガラスに映る自分と、奥にある風景が同化をするかのように交わったのだ。

 直後、ギニューの姿が溶けるようにして消える。

 消えて、遅れ遊ばせながらも、彼女が今まで見ていたものは残像であったことに気が付いた。

 

「誰が、後悔すると?」

 

 背後から声がした。

 

「シッ!」

 

 ローズは振り向き際に剣を薙ぐ。

 しかし、その刃は宙を切る。

 背後から声が聞こえてきたというのに、そこには誰もいなかった。

 

「なっ……どうして……」

「あなたの剣には、迷いがある」

 

 未だギニューを視界に収められないままに、その声だけが響く。

 ローズは、ギニューの言葉に何も言い返せなかった。

 

「何を迷っている? 何に悩んでいる? 『ブシン祭』に出て何がしたい?」

「何って……」

 

 ローズは言葉を失った。

 ───私が『ブシン祭』に出る理由は何?

 自身に問いかける。

 ───学園の選抜大会で勝ち抜いたから?

 違う。それは本質じゃない。

 ───誰かに言われたから?

 違う。これはまさに自分の意志で、選択だ。

 ───じゃあ、何のため?

 

「……」

 

 ローズは自身に投げかけた問いには、答えられなかった。

 そんなローズに、ギニューは更に問いかける。

 

「あなたの奥底で燻ぶるそれは、何?」

「奥底で、燻ぶる……?」

 

 ローズはギニューの言葉を反芻した。

 

□□□

 

 暗闇の中でチリチリと舞う火の粉を幻視する。本当に真っ暗で、そこには儚いオレンジ色の花しか咲いていない。

 その花の数は徐々に増えていく。徐々に、徐々に増えていった。

 やがて、暗闇を明るく照らすほどまでに、その規模は膨張する。

 そうして見えてきたものを、ローズは知っている。そこにある"それ"の名前をローズは知っていた。

 これはそう、"怒り"だ。

 では、何に対する"怒り"なのか。

 言うまでもない。ローズ・オリアナの婚約者、ドエム・ケツハットへの"怒り"だ。

 ローズはあのとき───シドと別れた後に、オリアナ国王と会った。そのとき、耐え難いほどの"怒り"を感じた。自分では冷静でいるつもりであったが、後から考えてみればやはり、頭に血が登っていたのだろう。

 何らかの薬による作用なのだろうか。虚ろとしたあの瞳。ドエムの言いなりになるしかできないあの状態。

 咄嗟に腰の細剣に手をかけた。それはもはや衝動的な反応であった。そして、視野狭窄に陥っていたために、その選択が最善だと信じて疑わなかったのだ。

 そんな彼女を止めたのは、一体何であったか。

 ふわりと、芳ばしい香りが鼻に触れる。それは何だか懐かしくて、愛おしかった。

 それでふと思い浮かぶのは、あの少年が渡してくれたまぐろサンドだった。もう中身は食べてしまったけれど、あの味は今でも思い出せる。

 それだけではない。今も、昔も、どんなに苦しいときもずっと。ずっとローズの側にいた存在を、改めて感じる。

 細いけれどしっかりしていて、守ってはくれないけれど一緒に戦ってくれる。彼女が夢を追い始めた頃からずっと、手の中で共に歩んできた"戦友"だ。

 その"戦友"が、古い記憶を呼び起こしてくれる。

 それは昔、誘拐されたローズが見た夢のような光景だ。

 月下に煌めく一枚絵のような剣閃。次々に盗賊を葬る姿はまさに圧巻。空に絵を描くことはできないが、彼の人物はそれを体現しているかに思えた。

 その古い記憶に付随して、『学園襲撃事件』での出来事も思い出す。

 懐かしく思えたあの剣筋は、スレイヤーさんのものだった。

 それら過去の記憶が、ローズに問いかけた。

 お前の剣は何のためにある、と。

 お前の剣は"怒り"に任せて人を切るためにあるのか、と。

 答えは否。断じて否だ。

 彼女の剣は、あの日見た美しい剣に憧れ、追い求めた剣だ。それは感情に任せて振るうべきにあらず。そして、そんな状態で振れるものでもない。

 一度深呼吸をして、ローズは細剣から手を離した。

 そして、感情に蓋をして、全てを滞りなく終わらせたのだ。

 

 これが、最善であったかは分からない。むしろ、悪化した可能性もある。でも、早計に動いて取り得たはずの手段を潰す愚は免れたはずだ。

 ローズにはもう時間がない。既に〈悪魔憑き〉の症状が出てきているからだ。あるいは、王族と下級貴族が結婚など夢物語だったのかもしれない。第一、それはおとぎ話での出来事なのだ。それは分かっている。

 それでも、ローズはあのときの選択は間違っていないと信じている。

 それに、あの少年は言ってくれたのだ。

 どんなことがあっても、最後までローズのことを信じてくれるって。

 彼が信じてくれるならば、ローズに迷いはない。たとえ行く先に正解がなかろうと、必ず最善の未来もいつか見た夢も描き出してみせる。

 

 それが、オリアナ王国王女、ローズ・オリアナの選択だった。

 

□□□

 

 ローズはぐっと細剣を握りしめる。そして、自分の愚かさを笑う。

 感情に蓋をして、それで覚えてなければいけない大事なことまで忘れてしまうとは、救えない話だ。

 

「───なにがおかしい?」

 

 ギニューが問いかける。

 

「いえ、あなたのことを笑ったわけではありませんわ。少し……ほんの少し、道に迷っていた自分を笑っただけです」

「……」

 

 何のために『ブシン祭』に出るのか。

 今なら、その問いに真摯な気持ちを持って答えられる。

 

「さぁ、試合を再開させましょう」

「……」

 

 ローズは真っ直ぐな瞳でギニューを見据えた。

 ギニューは右手を天にかざす。

 

「受け取るといい……」

 

 そして、その右手から青紫色の光が溢れ出る。その光は天高く闘技場の空へ昇り、花火のように弾けた。

 キラキラと星のような光が降ってきて、ローズを包む。それはとても温かくて、あるいは生命さえ宿っているように感じられた。

 その温かみが、ローズの奥深くで暴れまわる魔力を沈静化させる。無理やり押し込むのではなく、潤滑油を差し込むように、内側の魔力に流動性を与えてくれた。

 気付けば、ローズを苦しめていた〈悪魔憑き〉による症状がなくなっていた。

 

「嘘……」

 

 ローズが啞然としていると、ギニューは黙って剣を抜いた。

 ようやく、剣士として戦ってくれる気になったのだろう。

 そして同時に、凄まじいまでのプレッシャーが叩きつけられる。それは今まで経験したどれよりも強烈なものであった。

 

「ふぅ……」

 

 ローズは剣を構える。バクバクと心臓は激しく鼓動し、冷たい汗が背中を伝う。

 けれど、今まで感じたことのないほどの魔力を感じる。それはローズの内側から溢れるものだった。

 そして、心はひどく穏やかであった。

 

「吹っ切れた、は美しくありませんね」

 

 喩えるなら、強敵に立ち向かう英雄の心境だ。

 

「……あまり、変わらない表現ですね───さて」

 

 ローズの周囲で黄金の風が渦を巻く。

 大気が震え、髪がなびく。

 いつしか観衆の興奮は絶頂を迎え、しかし、静けさが会場を包む。

 ギニューはただ何もせずに立っているだけだった。先手は譲ってくれるのだろう。

 

「それならお言葉に甘えて───行きますわッ!」

 

 一歩目の加速でトップスピードまで持っていく。それから更に、二歩目、三歩目を踏んで、ローズのスピードはついに自身の限界を越えた。

 それは、ローズが生まれて以来最高の一撃だ。速さも、剣筋も過去のローズの遥か上を行く。

 

「はぁァァッ!!」

 

 大上段から振り下ろされる細剣が弧を描く。黄金を纏いし弧は、さらには陽光さえも吸い取った。

 眩しいまでの光が周囲を覆う。

 手には何ら感触はない。人生最高の一撃をもってしても、ギニューには届かなかったのだ。

 

「自分の信じる道を行け」

 

 不意にそんな声が聞こえた。

 直後、衝撃がローズを襲う。

 

 最後に見たその剣は、どんな芸術よりも美しかった。

 

「スレイヤーさん……」

 

 ───必ず、あなたに追いついてみせますから。

 願わくば、そのとき隣にはあの少年も……。

 

 そこでローズの意識は途切れた。

 




〈悪魔憑き〉のくだりは忘れていまして、後から挿入しました。


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予想外の結果

お久しぶりです。


「なんという試合だったのでしょう……」

 

 その感嘆は、試合の終わりが宣言されると同時にアイリスの口から溢れた。

 

「ローズ先輩、あれ程だったとは……」

 

 そして、いつの間にやら戻っていたアレクシアも、素直な感想を漏らしていた。

 

「あらアレクシア、いつ戻っていたのです?」

「つい今しがたです、姉様。丁度、対戦相手のギニューが空に魔力を放った辺りから」

「そうなのですね」

 

 アイリスはコホンと咳払いをする。  

 

「して、アレクシア。ドエム殿への挨拶は致しましたか?」

「……まぁ貴方がドエム様なのですね。遅れ遊ばせながら私は、ミドガル王国第二王女アレクシア・ミドガルです」

 

 アレクシアはスカートの端を摘んでカーテシーをする。

 

「……あぁ、これはご丁寧に。オリアナ王国宰相ドエム・ケツハットと申します。以後お見知りおきを」

 

 ドエムは立ち上がり、アレクシアと握手を交わした。お互い笑みを浮かべてはいるが、内心はどちらも笑ってはいない。その仮面の裏側にある感情は誰にも分からないのだ。

 しかし、このときアイリスには、ドエムが酷く困惑しているように思えたのだった。

 

「どこか調子でも?」

「い、いえ、何ともありませんよ」

「そうですか……」

 

 会場を包む熱気はVIP席にまで届いていた。その熱気には、「凄いものを見た!」という人々の興奮が含まれている。

 ドエムがふらりといった体で席に座った。

 

「ローズ様のことは残念でしたね」

「……はい。ですが、大変素晴らしい試合でした。私は剣のことについてはさっぱりですが、両者共に全力を出し合いぶつかる姿には、私も感じ入るものがありました」

 

 アイリスはちらりとドエムの手を見る。その手は素人ではあり得ない程に、たこができていた。

 

「あと一歩足りませんでしたね」

「あと一歩どころでなかったのは、アイリス様が一番分かっていらっしゃるでしょう」

「……」

 

 ドエムは憎々しげに言った。

 

「あれ程の戦士が、何故今まで無名だった……いや、裏の人間なのか……だとすれば何が目的なんだ……?」

「ドエム殿?」

「……あぁ、失敬。少々考え事をしておりました。ところでアイリス様。あのギニューという選手に関して、何かご存知で?」

 

 アイリスは首を振る。

 

「いいえ。先程話したこと以外には特に」

「そうですか。……彼の戦士は、恐らく裏の社会の人間でしょう」

「というと?」

「あれ程の実力、そして洗練された未知なる流派。どうして表の世界に名が出ていないのか───」

「……なるほど。そもそも表の人間ではないと」

「ええ」

 

 ドエムは神妙に頷いた。

 

「いずれにせよ、私が彼と当たるのは決勝です」

「自信はお有りで?」

 

 アイリスは笑みを浮かべた。

 

「勿論です。どんな相手だとしても、必ず勝ってみせます」

「それは頼もしい」

 

 ドエムが愉快そうな声を上げて笑う。相変わらずその瞳に黄色はない。

 だが一瞬。そう一瞬だけ。確かに感情の灯火が宿るのを、アイリスは見逃さなかった。

 

「〈悪魔憑き〉を治すその力……ギニュー、覚えたぞ」

 

□□□

 

 僕がVIP席に戻ると、何やら僕の席におっさんが座っていた。アイリスと親しげに話している。

 ……これは、うん。もう帰ろうかな。

 僕は回れ右をする。

 

「ちょっと、どこに行くのよ」

 

 その僕の肩に、手が乗せられる。というか、強く握られている。

 

「えっと……少し用を足しに」

「今帰ってきたばかりでしょう?」

「じゃあ、お花を摘みに……」

「同じことじゃない。それとも、本当に字面通りにするのかしら?」

「うわっ」

 

 肩が引っ張られ、そのまま僕は一回転する。

 

「どこ向いているのよ」

「な、流れに身を任せた結果だから……」

「人と話すときは相手の顔を見るんじゃなくて?」

「人と話すときはね……」

「それって、どういう意味?」

 

 背後から凄い不穏な気配を感じる。

 しまった。

 

「姉さんほど美人だと、直視ができないからね」

「……そういうことなら、仕方ないわね。私が悪かったわ」

 

 なんとか切り抜けられたようだ。

 僕は姉さんの方を見ないままに、安堵の息を漏らした。

 

「それで、僕の席にいるあの人は?」

「あぁ……あれはオリアナ王国宰相、ドエム・ケツハットよ」

 

 オリアナ王国宰相? 来賓なのかな。

 

「呼び捨てでいいの?」

「いいのよ。本人の前じゃないし」

「でも、どうして僕の席に?」

「アイリス様と話をしに来たのよ。ローズ先輩という存在がありながら、ろくでもない男ね」

 

 ん? ローズ先輩がなんだって?

 

「ローズ先輩がどうかしたの?」

「知らないのも無理ないわね───」

 

 姉さんが声を潜める。気配からして、周囲を気にしているようだ。そして、「ここからの話は他言無用よ」と前置きをした。

 

「ローズ先輩とあの男は結婚するようよ」

「へぇ」

 

 ここはもっと驚いた方がモブっぽいかも。

 

「なんだって!?」

「シッ! 声がでかいわ。……それに、なんか二回驚かなかった?」

「そんなことはないよ」

「そう?」

 

 姉さんは咳払いをする。

 

「それで、これからどこに行くのかしら?」

「うーん。寮に帰ろうかなと」

「アンタ、折角姉と観戦に来たのに、もう帰るわけ?」

「だって、僕の席ないし」

「……」

 

 沈黙が降りる。けれど、それもすぐになくなった。

 背後で姉さんの遠ざかる気配がする。

 

「どこいくの?」

「あの男をどかしてくるわ」

「それはやめておいた方がいいと思う」

「……じゃあ、どうするのよ」

 

 あっ、ヤバい。この声は完全に頭にきてる。下手すれば、カゲノー家がお取り潰しの未来まで行きかねない。

 

「僕のことはいいから、姉さんは一人で観戦してきなよ。僕はその間に、適当に町をぶらついとくから」

「……そう。でも、私も観戦はもういいわ。お目当ての試合は見たから」

「まだ第一試合なのに?」

「うるさいわね。……というわけで、私も町に行くわ」

「えー、一人でいぃ───」

「何か言ったかしら?」

「やったー! 久しぶりに姉さんと散歩だー!!」

「まったく、アンタはいつまで経っても子どもなんだから」

 

 そんなこんなで、その日僕らはほとんど丸一日町をぶらついていたのだった。

 

 ───その一報が届いたのは、僕が宿に戻ってから、ジャガの口からだった。

 

□□□

 

「アイリス王女が負けたんですよ!」

「へー」

 

 僕の部屋に入ってくるなり、ジャガは開口一番でそう言った。というか、いつ帰ってきたんだ。実家に行っているという話では?

 

「いつ帰ってきたの?」

「今日ですよ」

 

 帰ってきて早々、情報を仕入れてくるとは。その情報通魂に敬礼。ついでに、モブ魂にも敬礼。

 

「お土産は?」

「ありませんよ。あっ、でもジャガイモならあります」

「それはいらない」

 

 『聖地』のときは僕がお土産を買ってあげたというのに。

 そういえば、あのお土産まだジャガには渡してないや。まぁ、後でいいか。

 

「ところでシド君。『聖地』リンドブルムに行ったそうですが、お土産はどこですか?」

「多分あそこら辺のどっか」

 

 クローゼットの方を指差す。すると、ジャガは物凄い勢いでクローゼットの前まで移動した。

 ……ふっ、やはりこういう小物っぽさが、モブになるための第一歩なのだろう。

 

「おぉ! 頼んでいたものもちゃんとありますね! ありがとうございます!」

「全部で三千ゼニーね」

「ジャガイモ払いで」

「それは駄目」

 

 ジャガは渋々銅銀貨を出した。

 

「お土産って、こういうものじゃないと思うんですが……」

「買い物代行サービスだよ」

「そういうものですか」

「そうそう」

 

 ジャガは大事そうにお土産を抱えた。

 

「それで、話は逸れましたが、アイリス王女の件です」

「あぁ、確か負けたんだっけ。でも誰に?」

「それが、元『ベガルタ七武剣』のアンネローゼ・フシアナスという人です」

「へぇー、そうなんだ」

 

 『ベガルタ七武剣』のアンネローゼか。

 僕もいつかは、そんな二つ名で呼ばれたいものだ。

 「あっ、あれは○○のシャドウか!」みたいな感じで。

 

「そういえば、この前『女神の試練』でも、古代の戦士に勝ってたね。名前は忘れたけど」

「そうなんですか。やっぱり、かなりの実力者みたいですね。試合の方もかなり拮抗していたらしく、どちらが勝っても不思議じゃなかったそうです」

「決め手はなんだったの?」

「僕も見ていたわけではないので、詳しくは分かりませんが、どうやらアイリス王女の剣が折れて、そのまま棄権したようです」

「剣は確か、主催者が用意したものだったよね?」

「そうです。アイリス王女は自分の腕が未熟だったと反省してたみたいですね」

「そっか」

 

 なにはともあれ、このまま順調に行けば、決勝相手はアンネローゼということにになりそうだ。

 

「シド君。どうです? 一緒にアンネローゼさんに賭けませんか?」

「いや、僕は遠慮しておく」

「どうしてですか!? 絶対に儲かりますよ!」

「でも嫌だ」

 

 僕はヒョロのように、すかんぴんになるつもりはないのだ。

 

 それからしばらく、僕はジャガによる誘いを断り続けたのだった。

 




まずは、いつもよりだいぶ間が空いたことをお詫びいたします。何があったのかと言えば、単に忙しかったというだけですが。
しばらくは忙しい日々が続きそう(6月いっぱいは結構大変です)なんですが、何とかブシン祭編は終わらせようと思います。
その後について、5章以降を始めるまでに、しばし休載期間を設けようと思います。5章以降は更にオリジナル要素が強くなるため、時間が欲しかったというのもあります。
明確な期限は設けませんが、次回(ブシン祭編ラスト)より一ヶ月以内には戻ってくる予定です。
身勝手な話ですが、何卒ご容赦ください。


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旅の目的

忙しい+長い=投稿が遅くなる
黄金コンボでした。


「ふぅ……」

 

 東の空が朱色に染まっていくのを、アンネローゼは眺めていた。

 ここはアンネローゼの宿泊する宿の屋根の上だ。昼間は暑い季節であるのだが、朝はとても涼しい。少しべとっとした冷たい風が、彼女の青い髪をさらっていく。

 

「……」

 

 思い出すのは『ブシン祭』準決勝、VSアイリス戦だ。

 戦いは途中まで、両者互角の様相を呈していた。幾本もの剣閃が入り乱れ、花火のように火花が散る。

 度重なる衝撃が体の芯に響き、高まる緊張感の中で、視界の明度は下がっていった。それに反比例するように、集中力はより深いところまで落ちていった。

 その暗くなる感覚を、顕微鏡の倍率で喩えたのは、『ベガルタ七武剣』の誰だったか。

 視野狭窄といえば聞こえは悪いが、それはつまり、深い集中の海へと溶け込んでいくのと同義なのだ。

 手足が、目が、耳が、意識が、ただ目の前の敵を打ち倒すためだけに研ぎ澄まされ、それ以外の全てを置き去りにする。無限とさえ思えるほどに引き伸ばされた時間は、けれどもゆっくりと流れた。

 その中でも、思考は全くの明瞭さであった。意識が手綱を握っていると言えばいいか。とにかく、激しい脈動による興奮とは裏腹に、驚くほど冷静な思考だったのだ。

 何とも楽しい時間であった。

 だが、そんな時間は唐突に終わりを迎えた。

 何が起きたのか。

 アイリスの剣が折れたのだ。

 一瞬の静寂が会場を支配する。遅れて、今度はけたたましい程の喝采が響いた。

 アイリスは折れた剣を少し眺めると、それを鞘に収めて笑顔で手を差し出した。そして、完敗だったと、そう言ったのだ。

 

「……」

 

 アンネローゼも手を差し出し、握手を交わした。しかし、顔は笑っていなかった。

 それは何故か。

 生憎と、明確なる理由をアンネローゼはまだ得られていない。

 言うなれば、違和感を覚えたのだ。

 何に対して? 

 決まっている。

 

「来たわね……」

 

 アンネローゼはポツリと呟いて立ち上がった。

 遠く東の空には、今日の到来を告げようと太陽が姿を現した。途端、朱色の空に白が差す。

 それを見届けて、アンネローゼは自室へと行く。

 今はまだ寝巻きだから、着替える必要があったのだ。

 寝巻き少女(二十一歳)は少し腫れぼったい目をこすって、一つあくびをした。

 

 今日、『ブシン祭』の優勝者が決まる。

 

□□□

 

「さぁ、いよいよ本戦もラスト一戦を残すばかりとなりました!」

 

 司会の声に、会場が色めき立つ。

 このイベントの終了を惜しむ声は、想像よりも多かった。

 

「決勝進出一人目は、元『ベガルタ七武剣』が一人、アンネローゼ・フシアナスだぁーっ!!」

 

 だが、そんなことは関係ない。自分は武者修行中の身。惜しむ声に流されて試合時間を伸ばすなどあり得ない。

 アンネローゼはぎゅっと腰の剣を握り、会場へ入る。

 その瞬間、どっと声量が大きくなった。

 

「アンネローゼ・フシアナスさん。何か言いたいことはありますか?」

「何もない」

 

 これから試合だというのに、話しかけないでほしい。この程度で乱される集中力ではないが、それでもやはり、鬱陶しい。

 司会は気を取り直して、叫ぶ。

 

「このアンネローゼに相対する者はぁーっ! ギニュー・モリータだぁーっ!!」

「……」

 

 その声と同時に、漆黒の服を身に纏う人物が現れる。かつかつとブーツを鳴らし、その歩みに迷いはない。

 ずいぶんと、こういった場───あるいは、実践慣れをしているように感じられる。

 

「ギニュー選手。試合に対する意気込みなどはありますか?」

「……」

「あの……ギニューさん?」

「……」

 

 司会の言葉に、ギニューは反応しなかった。

 

「もうなんなんだよ……」

 

 先のアンネローゼに続き、ギニューも芳しくない反応だった。

 それ故だろう。司会はそうぼやいた。

 だが、それでもこの道のプロだ。すぐに気を取り直して、進行を滞らせることはない。

 

「……ごほん。さて、『ブシン祭』決勝戦───」

 

 アンネローゼとギニューは剣を抜き、向かい合う。

 

「───開始っ!!」

 

 そして、けたたましいサイレンが響いた。

 

□□□

 

 最初に動いたのは、アンネローゼだった。

 僕は本当は、もう少し"対話"をしたかったけど、彼女はずいぶんとせっかちなようだ。

 試合開始と同時に、アンネローゼが踏み出す。

 それは奇襲であり、並の相手なら即座に決着がついただろう鋭いものだった。

 僕は半歩後ろに下がり、彼女の剣の軌道上に僕の剣を置いた。そのまま剣と剣は衝突するが、甲高い金属音はせず、少しだけ耳が痛くなる嫌な音がするばかりだった。

 半歩引いた分浅くなった彼女の剣を僕は受け流したのだ。

 それでも手に伝わる感触はあった。うん。悪くない剣だ。

 

「ふぅー……」

 

 彼女は一旦僕から距離を取った。今のは挨拶代わりの小手調べだったのだろう。

 僕らは互いに静かに向き合う。

 この感覚は悪くない。ちょっと物足りないけど、ちゃんと"対話"できてる気がする。決して、僕が一方的にぶん殴る戦いにはならなそうだ。流石は決勝戦。

 

「……」

 

 ジリジリと彼女は距離を狭める。

 まだ僕の間合いにも、彼女の間合いにも入っていない。けど、大きく踏み出せば、そこはお互いの手の届く距離。僕らはミリ以下の単位で牽制し合う。

 そっちから来ないのなら、僕から行こうかな。

 

「くっ!」

 

 僕は大きく一歩踏み込み、剣を横薙ぎにする。アンネローゼは素早く反応して、体勢を崩すことなく、受け止めた。

 まぁ、ここまでは想定内だ。

 僕は更に一歩詰める。

 警戒したアンネローゼが半歩下がるのに合わせて、僕は剣を押し込んだ。

 それで彼女の体勢が崩れたところへ、すかさず蹴りを入れる。

 

「うぐっ!?」

 

 ちょっと浅かったかな。僕も体勢が悪かったから、あまり良い手応えではなかった。鎧もあるしね。

 彼女は蹴られた腹を押さえて、しかし、すぐに剣を構えた。

 

「その武術、どこで学んだの?」

「……」

「……」

 

 僕からの返事がないと分かると、アンネローゼも何も言わなかった。

 僕らの距離は、もうお互いの間合いの内側だった。

 ……さて、そろそろかな。

 

□□□

 

 アンネローゼは、相手の全身を油断なく見据えながら、ここまでの情報を整理する。

 ギニューの使う剣は、ここまで行われてきた試合で見せたものと同じ剣だった。

 既存の型に囚われない全く新しい剣。それは、悠久のときを凝縮したかのように鋭く洗練されていた。

 今しがた僅かに切り結んだだけでも、その片鱗を味わえた。絶妙な受け流しに、完璧なタイミングでの力の抜き差し、そして、死角からの蹴り。

 アンネローゼが考えるに、"間合い"とは単純に開いている距離を指すのではない。動くタイミングや、剣を構えた位置など、それら全てを包括したものを、"間合い"というのだ。

 彼女の知る限りにおいて、その"間合い"に明確な解はない。相手や自身の状態など、様々な条件が複雑に絡み合って、その時々に最適解が存在するのだ。

 彼女の旅の目的は、その最適な"間合い"の条件を見つけることだ。"間合い"を制する者が戦いを制するというのは、多くの戦士の見解であり、それにはアンネローゼも賛同するところだったから。

 

 少々脱線が過ぎたが、言いたかったことは、アンネローゼにはギニューがその最適な"間合い"の所在を知っているように思えたということだ。

 この戦いは彼女にとって、『ブシン祭』優勝がかかっているということよりも大きな意味があった。

 

「行くわよ」

 

 小さく声に出し、己を奮い立たせる。

 もう相手の間合いの内側だ。いつでも相手の剣は届く。

 感じるプレッシャーはアイリスと同等か、それ以上。

 頬を伝った雫がポツリと地面へ落ちた。

 

 仕掛けたのは、ここでもやはりアンネローゼだった。

 "間合い"を学ぶためには、自分から積極的に動いて、肌で感じるしかない。彼女はずっとそう教えられてきたし、いつだってそうやって学んできた。

 ギニューはアンネローゼの剣を、先程と同じように受け流す。だが、二度も同じ手を食らわないのが彼女が『ベガルタ七武剣』と呼ばれるようになった所以の一つだ。

 受け流される力のベクトルを変え、ギニューの剣に対して直交させる。無理な軌道変化だが、最初から狙っていたのだ。やってやることは訳ない。

 そのまま更に距離を詰め、鍔迫り合いに持ち込む。

 ギニューは後手に回るばかりで、何ら反撃する素振りを見せない。

 彼女は全身の力を振り絞り、剣を押し込んだ。

 一歩、ギニューが引いた。

 いや、彼はすぐに一歩進み出た。

 ───それを、アンネローゼは待っていたのだ。

 思い出すのは、数瞬前のギニューとの攻防。あのとき彼は押すことでアンネローゼの体勢を崩したが、今度は引いて崩すのだ。要領は同じだ。

 詰められたのに更に一歩詰め、さっと力を抜いて、剣の上を滑らせる。

 案の定ギニューはバランスを崩した。

 今がチャンスだ。

 

「はぁッ!」

 

 下段に構えられた剣を振り上げる。そこは相手の死角であり、刃があれば、相手の命をも刈り取れる一撃だ。

 ───取った!

 アンネローゼが確信したそのときだった。

 ぐわんッとギニューが仰け反った。

 そのまま刃の軌道から、顔は逸れた。

 

「……」

「アナタ……」

 

 けれど、彼……いや、彼女も無傷ではなかった。

 顔に付けた狐の面は真っ二つに割れ、頬には細い裂傷が付いていた。

 ギニューは頬から出る血を拭う。

 

「女だったのね」

「……」

 

 試合中だというのに、やけに会場が静かだった。アンネローゼにそう感じられるのではない。本当に、静まり返っていたのだ。

 仮面を破壊されたことにより、ギニューは被っていたフードを脱いだ。

 長い髪は黒色で、綺麗な光沢がある。瞳の色は赤く、やや目つきが悪い。けれど、総評として美人の部類で、凛とした雰囲気が感じられた。

 アンネローゼはキッと睨まれる。

 

「それがどうかした?」

「いいえ……続けましょう」

 

 今更、相手の性別など関係ない。全力を尽くすのみだ。

 異様な雰囲気の中、両者は互いに向き合った。

 張り裂けそうな緊張感により、アンネローゼの感覚は意識下から遠ざかる。次第に、それらは無意識下に置かれていった。

 

 理由がなんであったかは分からない。

 傍から見れば唐突に、けれど、本人にしてみれば何らかの目的をもって、前方に跳躍する。

 攻撃ではない。

 これは、防御だ。

 直後、アンネローゼのいた位置を銀閃が通りすぎる。

 だが、そこに安堵はない。

 試合はまだ終わってない。

 そして、アンネローゼには……見えなかった。

 予備動作もなしに、視界から消え、次の瞬間には風切り音が迫っていたのだ。

 いや、その表現は正しくない。

 銀閃に続いて、風切り音が鳴っていたのだから。

 ぱっと振り向いても誰もいない。

 だからか。否、だけれども、アンネローゼは一歩下がって剣を振るった。

 不快な金属音が鳴り響く。火花が散る。

 その明かりに照らされてか、刹那、ギニューの姿が見えた気がした。

 まだ、終わっていない。

 見えてなくとも、まだ続いている。

 先程から防げているのは、直感か。

 それは半分正解だ。

 ……だが、逆に言えば半分は間違いないなのだ。それは何故か。

 それは───

 

「───見えたッ」

 

 あるいはそれは、錯覚だったのかもしれない。

 ───いや、信じよう。ここまで剣に捧げ続けた自分の勘を信じよう。

 その勘という不確定的要素とは裏腹に、アンネローゼはひどく確信を抱いていた。

 言うなれば経験。

 努力し、蓄積してきたあらゆる経験の全てが、今この瞬間に沸騰する。

 それら全てがアンネローゼに語るのだ。

 今目の前に最高の一撃を放て、と。

 

「はぁぁァッ!!」

 

 雄叫びのような声を上げる。気炎を吐いたのだ。

 美しき剣の軌跡が描かれる。

 まさしく、アンネローゼの人生で最高の一撃だった。

 そこで、アンネローゼは見た。

 不意に現れたギニューが、その剣の寸前で立ち止まるのを。

 ───あぁ、これが"間合い"の、武の頂き……

 

 最後の光景、そんな感情が頭を過った。

 彼女の意識はそこで暗転する。

 

□□□

 

 結局、その後は表彰やら何やらで僕は大変だった。

 もうギニューにはならなくていいかな。なんか、来賓のおっさんがすごい見てきたし。

 でも、あの素顔を見せたときの反応は良かったね。今まで騒がしかった会場が、一気に水を打ったように静かになったのだ。

 あいつ、女だったのか……! ってね。

 

「ギニュー」

 

 僕が満足しながら会場の廊下を歩いていると、声をかけられた。

 振り返れば、そこにはアンネローゼがいた。

 

「……」

「アナタ、やっぱり強かったのね」

「アンネローゼも、強かったわ」

 

 彼女は苦笑する。

 

「アナタのおかげで、私は目標に大きく近づけた気がする。ありがとうと、言っておく」

「そう……」

 

 話は終わっただろうか。僕は背を向ける。

 

「アナタ、『ベガルタ七武剣』に入る気はない? 丁度、私のいた分が空いているはずよ」

「ない」

「なら、ベガルタに来る気は?」

「……」

 

 なんか妙にグイグイ来るな……。

 ここは断らずにいこう。

 

「気が向いたら」

 

 それを聞いて、アンネローゼが笑った気配を感じた。

 

「そう。そのとき私がいるかは分からないけれど、いたら歓迎させてもらうわ……また会いましょう」

 

 それだけ言って、彼女は離れていく。

 勿論僕も。

 僕らはもう振り返ることはなかった。

 




予定通り、しばらく休みます。幕間に関しては、ウォーミングアップとして、再開一発目に出そうかと思います。


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外伝 星を見る角度

どうもお久しぶりです。
今回はリハビリも兼ねたシータ回でございます。
五ミリくらいは話が進みます。



 シータの生まれは、エルフとしてはごくごく平凡なものであった。

 場所は深い森にある、小さな集落だ。さして難産などではなく、障害だって持っていない。家族も普通に親兄弟、姉妹がいて、実に良好な家庭環境だった。

 そんなシータは、今と同様昔から、どこかボケッとしていた。何を考えているのか。物心付いたときから、あるいはその前から、毎日ぼーっと何かを眺めていたのだ。

 それは例えば、木々が生い茂る森であったり、母が料理支度する姿であったり、はたまた地面に隊列を成すアリたちであったり。

 とかく、周囲からは不思議な子と評されていた。けれども、これまた不思議なことに彼女は可愛がられていた。

 そんな環境下で、すくすく育ったシータはいつしか空を見上げるようになった。

 朝も、昼も、夜も。

 何をするわけでもなく、飽くこともなく。

 ただ、じっと空を眺めていたのだ。

 そんな少女を、当然周囲は怪訝に思った。けれど、元々の性質故に、半ば放置されていた。

 

「なんで、君は空を見てるんだい?」

 

 そんな折、彼女に声を掛けた男がいた。

 シータが十一歳のときだ。

 明るい茶色い髪に、黄色の瞳、焦げ茶の薄汚れたマントを纏った人間の男。二十代くらいだろうか。この集落では見ない顔だ。

 シータがちらりと見れば、男はニヤリと笑みを浮かべた。

 

「……なんか、胡散臭い」

「おぉ! これは手厳しいねぇ……」

 

 額に手を当て、男がハハハと笑う。どちらかと言えば、「HAHAHA☆」だろうか。

 

「あなた、だれ?」

「俺? 俺はそうだなぁ……旅人、かな?」

「旅人?」

「そそ。世界中を旅してさ。見たいものを見て、食べたいものを食べて、行った先々で色んな奴と出会って、馬鹿騒ぎして」

「……」

「毎日がハッピーなんてことはないけど、それなりに楽しく過ごしてる」

「へぇ」

 

 男の方は見ずに、シータは答えた。

 太陽は西の空へと姿を消して行き、けれども、残光によって未だ鮮やかな朱色がそこには残っている。その些細な朱色の抵抗を押しのけるように、東の空から紺色の波がやってきた。

 それら二つの境は、丁度二人の真上に位置していた。大地と海の境界のように、儚く、脆く、互いが互いと混ざり合っている。

 

「ま、君はならない方がいいよ」

 

 その光景に目を奪われていたシータの耳に、そんな声が届いた。

 

「どうして?」

「……家族を、大事にするといい」

「……」

 

 男はそれしか言わなかった。

 

「さてと」

 

 男は立ち上がってパッパと土を払い落とす。払い落とされた土は、むわりとホコリになって、周囲に飛散した。

 

「ぺっ」

「あら、ごめんよう」

 

 その一部が口に入ったシータは、ぺっぺっとつばを吐いた。

 

「じゃ、俺はもう行くよ」

「……名前は?」

「俺の?」

 

 シータは頷いた。

 

「そうだねぇ……ディディ。一部地域で、そう呼ばれてる」

「ディディ? 変わった名前」

「そうかな? ……そうかもね」

 

 ディディはひょいっと肩を竦めた。

 

「君は?」

「……」

「そっ、言いたくないならいいよ。じゃね」

 

 ディディはそう言ってその場から離れた。

 シータは、ただ黙って空を眺めていた。

 

□□□

 

「でさでさぁ、そん時空からねぇ───」

 

 あれから、ディディは毎日のようにシータの顔を見に来た。勿論、ずっと一緒というわけではないが、シータを見つければ薄い笑みをたたえながら、彼は近付いてくるのだ。

 少し鬱陶しい。

 

「そんで、バァーッとね、雨が降って来たんだ。いや、ザァーッと、かな?」

 

 そして、彼はぼーっとするシータの隣に座り、色々な話をした。

 自分が旅をして龍から逃げる話、旅先で聞いた怖い話、知らない町の知らない女が可愛かった話等々。本当に種々様々で、時にはシータの興味を惹くものもあった。

 まぁ、鬱陶しいことに変わりはないのだが。

 

「どっちでもいい」

「んー、まっ、そうだね」

 

 因みに、今話しているのは、水がなくて困っていたら雨が降ってきたという話だ。

 

「いやぁー、あん時はホントに死ぬぅ! って思ったよ。それこそ、龍から逃げたときより覚悟した」

「……なんでそんなことになったの?」

「そんなことって?」

「水不足」

「ハハッ、なるほどね」

 

 ディディはペロリと自分の親指の腹を舐める。彼はよく、この動作をする。

 

「逃げてたんだよ」

「龍から?」

「うーん、それなら笑い話で済んだんだけどねぇ……」

「じゃあ、何から?」

 

 ディディは黙った。考え込むようにして、顎に手を当てている。

 ……思い出しているのだろうか。

 意外と、衝撃的な事柄の前後って忘れがちだというし……。

 いやでも、この話はそんな衝撃的だろうか。ちょっと水がないときに、雨が降ってきたというだけの話だ。

 

「……まぁ、いいか」

 

 シータは難しいことを考えるのは辞めて、空を見た。もう日は落ち、薄暮(はくぼ)特有の陰った空が見える。

 だが、陰ったからと言って、その魅力までもが失われたわけではない。

 むしろ、こうして闇が下りた頃こそ、もっとも空の輝ける時間なのだ。

 

「……」

 

 シータは空が好きだった。

 どうしてかは分からない。分からないから、好きに理由は必要ない、と結論づけた。細かいことはどうでもいいのだ。

 日がな一日中、シータは空を見ていた。ぼーっとして、何かを考えるときもあれば、心を無にするときもある。

 周囲は止めなかった。まだ子どもだからと。

 だから、シータは止めなかった。

 ずっと。ただ、ずっと。真上の空を眺めていたのだ。

 そうしている間は、シータの心は夕凪のように穏やかであった。

 ───最近シータがちょっと気にしていることも、忘れることができた。

 そんなことを考えていると、隣のディディは地面に寝転がった。

 

「そうだねぇ、龍ではなかったんだよ。あれはなんというかねぇ……」

 

 何とも難しそうな顔をしていた。

 

「……何の話だっけ?」

 

 だが、そんなディディの思案はシータの一言により吹き飛んだ。

 たった数分沈黙しただけで、彼女はもう話の内容を忘れていたのだ。

 いや、あるいはちょっとど忘れしているだけで、少し取っ掛かりを話せば思い出すかもしれない。

 ディディは「あー」と間抜けな声を発した後、

 

「雨が降ってきたって話に至る経緯の話だったんだけど……」

「───?」

「あーぁ、いや、いいよ。誰しも忘れることはあるさ」

 

 ディディは「よっ」と言って足を使い、勢いよく立ち上がった。

 それから、パパッと土を払う。慣れたものだ。

 

「ぺっ」

「おや、すまないね」

 

 そして、巻き上がる粉塵にシータがつばを吐くのも最早ルーティンだ。

 

「なんかごめん」

「んぅ? 何が?」

「話聞いてなかった」

「あぁ、それね。別にいいさ。つまらない話は右から左が世の常さ。全部まともに聞いてなんかいたら、道に迷っちゃう」

「……何の話?」

「いつか、分かるよ」

 

 ディディは肩を竦めて立ち去った。ひらひらと手を振る後ろ姿が印象的だった。

 

□□□

 

 それから、ディディを見ることはなくなった。もう行ってしまったのだろう。彼は旅人だから。

 多少寂しさは覚ゆれど、それ以上の感傷はない。いつか、こうなることは分かっていたし、元の状態に戻っただけなのだから。

 だが、シータはその日を境に部屋に閉じこもるようになった。親にも、兄弟にも何も言わずに、ただ拒絶するように、閉じこもったのだ。

 勿論、周囲は心配した。今までこんなことはなかったのだから。

 

「なぁ、少し話をしないか?」

「やだ」

「……」

 

 誰の言葉にも全く耳を貸さなかったのだ。

 しかし、ずっとこうしているわけにもいかない。故に、両親は意を決し、戸を蹴破った。

 そして目にしたのは───誰もいないがらんどうの部屋だった。

 

「ティーフ! ティーフどこだ!?」

 

 父は叫んだ。喉が枯れるまで、"ティーフ"と叫び続けた。その声は集落全域に届いたようで、ポツリポツリと周辺の人が様子を見に来た。

 母は泣いた。咽び、嗚咽し、ただただ静かに崩れて、泣いた。

 彼らが森へと探しに行かなかったのは、ともすれば悟っていたのかもしれない。

 何を?

 それを知ってしまえば、きっともう戻れない。もう"ティーフ"は戻らないけれど、それを知れば、もっと多くを捨てなければならない。

 そんな予感が二人にはあったのかもしれない。

 

 結局、シータは失踪したことになった。そのことについて、何故探しに行かないんだ! という声もあったが、シータの両親は断固として探しに行かなかった。

 それが、己にできる最後のことだと言わんばかりに。

 

□□□

 

 さて、少し話を戻そう。どこまで戻すのかと言えば、シータが失踪したその日までだ。

 その日は新月だった。真っ暗な大地を、細々と照らす星々。彼らは矮小で、されど美しく、そして力強い光を放っていた。

 

「……」

 

 真っ暗な部屋で、シータはぐったりと倒れていた。

 体の所々が黒く、腐りかけていて、ぜぇはぁと息が荒い。冷や汗が吹き出し、その瞼はほとんど開いていなかった。

 

「やぁ、苦しそうだね」

「……」

 

 シータはうっすらと目を開ける。ぼやけた視界の端には窓があり、そこに人影があった。

 

「……ディディ」

「おっ、覚えてたんだ。君のことだから、てっきり忘れられたと思ってたよ」

 

 ディディは手近なイスに座る。がたっと物音がした。

 

「おっと、あまり音を出すと家主さんを起こしちゃうね」

「何しに、来たの?」

「んぅー、まぁ、君の様子を見に来たんだ」

「旅に出たんじゃないの?」

「ホントはそのつもりだったんだけどねぇ……何となく気になったから戻ってきたんだ」

 

 カラカラとディディは笑い、ペロリと親指を舐める。その様子は、いつもの彼とあまり変わらなかった。

 そのことに、シータの心に少しだけゆとりができる。

 

「そんで、君のその症状、〈悪魔憑き〉だねぇ。うん。ちょっと俺には何ともできないかなぁ」

「何それ」

「君が英雄の末裔である証だよ」

 

 霞んだ視界では分からないが、きっと彼は肩を竦めていることだろう。

 

「昔は治療法があったんだけどねぇ。もう喪われてしまった。生憎と俺も治療はできない」

「……そ」

 

 元より、その覚悟がシータにはあった。あくまで直感ではあったが、この病が治らないことも、忌み嫌われることも、シータは分かっていた。

 ふぅー、と長いため息を吐く。思えば、ため息を吐くのは初めてかもしれない。

 

「ハハハ、ずいぶんと余裕だね」

「そう見える?」

「見える見える。案外、泣き叫ぶ君が見れるかなーとも思ったんだけど」

「趣味が悪い」

「あちゃー、手厳しいねぇ……まぁ、それはいいんだ。俺は君を助けに───いや、選択肢を与えに来たんだ」

 

 いつになく真面目くさった声音でディディは言った。それが可笑しくて、シータは吹き出した。

 

「ちょっ、人が真面目に話そうとしてるのに」

「……普段から、真面目にしてれば、笑わない」

「ちょっと納得いかないけど……」

 

 ディディはこほんと一つ咳払い。

 

「君には二つの選択肢がある。一つは、ここで死ぬ。なぁに、両親にバレるのが嫌なら、俺が死体を離れたところに埋めてやってもいい」

「もう一つは?」

「……ここより北の、ミドガル王国に行くんだ。そこに、〈悪魔憑き〉を治せる者がいる」

「さっき治らないって言ってた」

「何事にも、例外はある。ただ、こっちを選ぶなら、君は過酷な道を辿るだろう。あるいは、死んだ方が良かったとさえ思うかもね」

「でも助かる」

「そうだね」

 

 ディディは頷く。そして、静寂が訪れた。後は、自分で決めろということだ。

 シータは目を瞑り、考える。

 目の前は真っ暗になって、まるで夜のようだ。

 けれど、決定的に違うものがあった。それは───この闇の中には、光がないということだ。

 ふと、死ぬとはどんな感覚だろうと考えてみる。痛くて、苦しいのだろうか。それとも、虚脱していく感覚なのか。はたまた、特に何も感じないのか。

 そう考えながらも、シータは深く落ちていく感覚に囚われる。どこに落ちるのではない。何もない場所へ落ちていくのだ。

 このまま身を任せ、落ち続ければ……。

 シータには漠然とその行き先が分かった。分かった気がする。

 その場所には、きっと何もないのだ。音も、風も、雲も、空も、光も。何もないのだ。

 

「……」

 

 うっすらと目を開ける。未だ霞んだ視界には天井が映っている。

 その視界の端、窓の方には、ディディが立っていた。

 

「決まったみたいだね」

「……」

「"彼ら"もこっちに来てるみたいだし、行くなら早くした方がいい」

「……ん」

「健闘を祈るよ」

 

 窓の縁に足を掛け、今にも飛び出しそうなディディ。シータはむくりと起き上がり、その背中に言った。

 

「ありがとう」

「礼には及ばないさ。俺も楽しかったからね」

 

 そう言って、彼は闇の中へ消える。

 誰もいなくなった窓からは満点に輝く星々が見えたのだった。

 

□□□

 

 それから、腐り弱った体を引きずるように、彼女は飛び出した。

 当然、深く人の手が入らない森で、呪いに侵された少女が移動を続けるのは困難だった。

 入ってすぐに、シータは体力を使い果たして倒れ込んだ。

 けれど、彼女には確信があった。ここで眠ったならば、死んでしまうと。

 未来永劫に続く闇。何もないが故の虚無の闇。それはまさしく、寂しく明けない夜だ。シータにはきっと、そんな夜は耐えられない。

 それが嫌だから、それから逃げたいから、シータは立ち上がる。無理にでも、無茶をしてでも立ち上がる。

 

「はぁはぁ」

 

 それでも、限界はすぐに訪れた。バタンと、受け身すら取ることなく前向きにシータは倒れる。

 地面の湿った感触。香ってくる森の匂い。

 今まで気にも留めなかったそれら感覚が、途端に湧き出してくる。

 ───ここで終わり。

 そう思った。

 所詮足掻いても、子ども一人の力でできることはたかが知れている。発症直後ならいざ知らず、もうずいぶんと末期である。

 助かる見込みは、ない。

 シータは諦めた。どれだけあの"闇"が嫌でも、諦めた。

 だって。だってどうしろというのだ。何をすればいいというのだ。

 呼吸は乱れ、体に力は入らず、鉛かと思う程瞼が重い。

 これは、もう無理だ。

 涙はない。

 ただ一つだけ。

 一つだけでいいから。

 願いがある。

 

「空が……見たい」

「ほら、よいしょ」

「わっ……」

 

 シータが呟くのとほとんど同時に、シータの体が持ち上げられる。それから頭を支えられ、仰向けにされた。

 空はまだ暗い。だが、空の一部に白い光が差し込んでいる。黎明だ。

 

「とりあえず、治しとくね」

「治す……?」

 

 少年の声だった。どこか気の抜けたようで、優しそうな声だった。

 シータが疑問符を浮かべる間に、少年の手には何らかの力のようなものが溜まっていく。

 シータはそれの正体を知っている。───魔力だ。

 昔、怪我をして、長老に治してもらったときの感覚。それに似ている。

 

「よし、行くよ」

 

 額に触れられ、青紫色の光に体が包まれる。

 その光は温かく、力強く、神秘的だった。

 その神秘の力は、シータの淀んだ悪いものを打ち消していく。絡まった糸を解くように、スッキリと。

 

「はい終わり」

「……」

 

 少年の声に目を開ければ、やけに視界がクリーンだった。さっきまでは、重い瞼を無理に持ち上げていて暗かったというのに。

 体の方も、普通に戻っていた。最近感じていた倦怠感などは一切ない。何なら、力が溢れてくるようにさえ思える。

 

「ふっ、我の役目はここまでだ……」

 

 少年はそう言って立ち上がる。黒い髪に黒い瞳、黒いロングコートを着た少年だ。

 

「ま、待って」

 

 シータは慌てて呼び止める。

 さてしかし、次の言葉が思いつかない。

 ……まぁ、いいか。とりあえず名前でも聞いておこう。

 

「名前は、何、ですか?」

「我が名はシャドウ───」

 

 少年はバサッとロングコートを翻す。

 

「───陰に潜み、陰を狩る者だ」

「陰……」

「ちょっとシャドウ! 何回置いて行かないでって言えば分かるのよ!」

 

 そこに、更に一つの声が割り込んだ。

 見れば、黒いボディスーツに身を包む金色のエルフが現れた。

 

「ふむ、後は任せたぞ……とうっ!」

「あっ! ……もう」

 

 少年───いや、シャドウは闇の中へと消えた。

 金髪エルフはそれを見てため息を吐き、シータの方を見る。

 

「あなた、これからどうするの?」

「これから……」

 

 特に何も考えていない。集落に戻るか。道は分からないが……

 

「良ければ、私たちと一緒に来ないかしら?」

「……何するの?」

「一先ずは、『ディアボロス教団』の打倒。それが目標よ」

 

 正直このとき、彼女が何を言っているのかはよく分からなかった。

 シータにとって大事なのは一つだけだ。

 

「さっきの、シャドーは?」

「彼は私たちのトップ……ボスよ」

「ボス……」

 

 シータは、あの体が光に包まれているときに、確かに見たのだ。

 何もない闇。虚無の闇。その中に差し込む一筋の光を。

 明けないと思っていた夜に、唐突に陽が差し込んだのだ。まるで流星のような光であった。

 

「分かった。一緒に行く」

「そう。私は『七陰』第一席アルファ───」

 

 アルファは微笑んで言った。

 

「そして今日からあなたは、ナンバーズ1番シータ」

「シータ……」

「そう。……『シャドーガーデン』にようこそ」

 

 かくして、シータはシータとして、『シャドーガーデン』に入った。そこからデルタに馬乗りされたり、イータに怪しいドリンクを飲まされたりと色々あったが、無事仲間として認められた。

 

 そうやって、日々を過ごす中で、ぼーっと空を眺める機会は減っていった。

 けれども、それでいいのだ。目に見える光だけが、星ではないのだから。

 シータはずっと、空の星を見上げていた。

 でもこれからはずっと、見上げていくのだ。

 あの、暗闇を照らすただ一つの光明(ほし)を。

 

□□□

 

「シータ、行くよ」

「もう?」

「もう夜だから……準備はいい?」

「勿論。司書長はちゃんと始末しといた」

「そ。こっちも、イータが作ったアーティファクトは回収したから準備万端」

「……本当に行くの?」

「またそんなこと言って……」

「流石に二人じゃ大変」

「いえあの、私もいますが……」

「もう、うだうだ言ってないで。ほら」

 

 急かされて、シータは重い腰を上げる。

 眼下に広がるのは、もう一つの夜空だ。

 

「何考えてたの?」

「昔のこと」

「というと?」

「シャドーに会う前と、会ったとき」

「あぁ……」

 

 金色の尻尾を生やした彼女はポリポリと耳の裏を掻く。ゆらりと尻尾が踊った。

 

「感傷に浸るのは、この後にしてよ」

「分かってる。……元より、浸る感傷がない」

「そ」

 

 三人の人影は闇の中へと、消えていく。

 だが、その前に一度だけ振り向く少女がいた。彼女は眼下と頭上の星を一瞥し、すぐに見えなくなってしまった。

 




θに対応するアルファベットは"th"なんですね。そこから取って"ティーフ"です。
次回から五章突入です! 火曜日投稿予定です!


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五章 それぞれの道
『赤き月』の伝説


いよいよ五章です! 本章は色々動きます!


 『ブシン祭』も終わり、校舎の復興も終えたということで夏休みは終わりを告げた。

 そのことに嘆く者、悲しむ者、泣き崩れる者……は流石にいないが、誰しもが浮かない顔をして、登校していた。その顔には、「もう少し遅くなると思ったのに」と書かれているようだった。

 そんな敗残兵共の列に混じるのは、黒く長い髪に、キリッとした赤い瞳をした少女、クレア・カゲノーだ。彼女もまた、その端正な顔つきを歪ませ、難しい表情をしていた。

 

「はぁ……」

 

 もっとも、彼女は別段学校の再開を(かこ)っているわけではない。

 思い出すのは、『ブシン祭』でのことだ。

 

「まだまだ遠いわね……」

 

 クレアは、自分のことを強いと思っていた。今回の大会は、出場の機会にこそ恵まれなかったが、出場すればまず良いところまで行けると自負していた。そして、その考えは今も尚変わらない。

 現に"運さえ良ければ"、良いところまでいけるだろう。

 だが、きっと強敵と当たった時点で負ける。確信があった。

 正直、アイリス以外なら何とかなると思っていた。けれど、それは大いなる思い違いであった。

 アイリスも、アンネローゼも、ギニューも、遠かった。

 そう、彼らはあまりにも遠かったのだ。

 ローズだって、最後に見せたあの剣は凄まじいものだった。果たして、自分はあれを受けても立っていられるだろうか。

 ギニューに至っては、最早勝てるビジョンが思い浮かばなかった。アンネローゼも自分じゃ及ばない程の実力者だったのにも関わらず、ギニューに稚児をあしらうが如く一蹴されてしまった。

 遠目に見て、何をやっていたのかはあまり分からない。ただ、ギニューが驚異的な間合い管理をしていたことだけは分かった。

 結局、彼女は本気など出していなかった。

 

「いえ、精進よ。クレア・カゲノー」

 

 パンッと頬を叩く。それに何事かと幾人かの生徒が振り向くが、クレアと目を合わせるとすぐに顔を逸らしてしまった。

 

「ふん」

「クレア嬢」

 

 そんな反応に鼻を鳴らすクレアに、声が掛けられた。男の声だ。というか、この声は知っている。

 クレアは振り返る。

 

「これは、グレンジャー様。いかがなされましたか?」

「アイリス王女がお呼びです」

「アイリス王女が? ……いえ、分かりました」

 

 クレアはマルコに連れられ、校舎の中へと入っていった。

 

□□□

 

「どうぞ、お座りください」

「ありがとうございます」

 

 アイリスに勧められ、クレアは椅子に腰掛ける。

 ふかふかとしたイスで、体が沈んでいきそうだ。

 

「それで、話というのは?」

「……相変わらず単刀直入ですね」

 

 アイリスは苦笑する。

 

「すみません……」

「いえ、責めたわけではないのですよ。最近、調子はどうですか?」

「特に障りはありません。ただ……」

「ただ?」

「何と言うか、その───」

 

 クレアは先程考えていた不安を、歯切れ悪く、辿々しい言葉で説明する。

 そんなクレアの拙い話をアイリスは終始相槌を打ち、真剣に聞いた。

 

「……なるほど。つまり、今の自分に力が足りないと考えていると」

「はい」

「ですが、あなたはまだ若い。伸びしろは十分にあるでしょう」

「……そうですね」

 

 アイリスが顎に手を当て、少し考え込んだ。

 

「私も、彼女───アンネローゼには敗北を喫しました」

「───! あれは、剣に細工がされていて───」

 

 部屋の端にいたマルコが、慌てたように声を上げた。

 

「それでも、負けたということに変わりはありません」

「……はい」

 

 しかし、彼は頭を下げて、部屋の脇に戻る。

 

「そのアンネローゼすらも、容易く打ち倒したギニューは、やはり傑物の類いでしょう」

「……」

「何も、あそこまで強くなる必要はないのです。私たちは最強を目指しているわけではありません。守るためにいるのですから」

「……ならもし、ギニューが敵に回ってしまったら?」

「私が切ります」

 

 クレアは目を丸くして、アイリスを見た。その瞳に翳りはない。ただ真っ直ぐと、あるべき事実として固く信じている目だった。

 

「ふふっ、そう驚かなくても。別に、私は一人で戦うわけではありません。試合ではありませんから」

 

 チラッとアイリスは脇に控えるマルコを見た。

 

「私には、心強い味方もいますしね」

「……そうですね」

 

 自分は、その心強い味方の内に入っているのだろうか?

 ふと、クレアは疑問に思う。

 

「いいえ、違うわね」

 

 だが、即座にそれが愚問であることに思い至る。

 これは、相手がクレアをどう思うかではないのだ。

 逆だ。

 重要なのは、クレアが相手にどう思わせるかなのだ。

 問答無用で心強く思わせられる程、クレアが強くなればいい

 

「よし」

「どうやら、心の準備ができたようですね。いい顔です」

 

 ここにきて、ようやく今までの会話の意味を理解した。

 アイリスは、自分の悩みをとうに見抜いていて、その上で自分を元気付けようとしていたのだ。

 それを理解すると、途端顔が熱を帯びる。

 

「お手数をおかけしました」

「お気になさらなくともいいですよ」

 

 アイリスがふわりと微笑む。

 

「さて、あなたを呼んだ理由ですが……秋休みに、少々遠出をしていただきたいのです」

「遠出、ですか」

「えぇ。場所は『無法都市』です」

「『無法都市』……」

 

 それから、クレアは『無法都市』について聞いた。

 彼の都市には三人の支配者がいて……だとか。

 巨大なスラムみたいだけど、あなたなら大丈夫ね……だとか。

 魔剣士協会について……だとか。

 色々だ。

 

「……で、どうしてその『無法都市』に私が?」

「『赤き月』の伝説はご存知ですか?」

「一応は」

 

 どのくらい昔だったか。かなり昔の話だが、『血の女王』と呼ばれる存在がいた。『血の女王』は吸血鬼であった。

 色々あって、人族に追い込まれた吸血鬼たちだが、月が赤く染まったそのとき、その力が爆発した。

 その結果、一晩で周辺諸国を滅ぼしたという。

 結局どうなったかは知らないが……

 

「その『赤き月』の伝説がどうしたのですか?」

「……これは、グレンが掴んだ情報なのですが、近々、その『赤き月』が『無法都市』に現れるようなのです」

「私にどうしろと?」

「調査をしてほしいのです。既に、魔剣士協会を通して人員は送り込んでいますが、『紅の騎士団』の息のかかった者も送り込みたいのです」

「なるほど……それは私で良いのでしょうか?」

「是非、お願いします」

 

 クレアは一度大きく深呼吸をする。それから、アイリスの瞳をキッと見つめた。

 

「分かりました」

「……ありがとうございます」

 

 了承の意を表したクレアに、一瞬アイリスが呆けたような顔をした。

 

「私の顔に何か付いてますか?」

「いえ、そういうわけでは。すみません。ただ……」

「ただ?」

「これは失礼に当たるのかもしれないのですが、その、ギニュー・モリータに今の顔が似てるなぁ、と……」

「そうですか?」

 

 クレアは自分の顔に触れてみる。けれど、よく分からなかった。

 

「それだけです! 他意はありません!」

「はぁ……」

 

 アイリスは「こほん」と咳払いをする。

 

「それでは、先の件よろしくお願いいたします」

「はい。承知しました」

 

 その返答を聞いて、アイリスは微笑んだのだった。

 

□□□

 

「来たか……」

 

 ニューがその部屋に入ると、そんな声が掛けられた。すぐに膝を付いて、頭を垂れる。

 

「遅れて申し訳ございません」

 

 相変わらずの素晴らしい部屋だ。元貴族として多少なりとも目の肥えたニューとしては、目を奪われるものがあった。

 例えばあの絵だ。前に見たときはモンクの『叫び』が掛けてあったところには、今はゴーホの『アジサイ』が飾られている。世界に七枚しかない幻の『アジサイ』シリーズの一枚だ。

 他にも、あの……っと、今はそんなことをしている場合ではないのだった。

 

「『無法都市』で動きがありました」

「ふむ……『赤き月』か」

「はい。その関連でしょう」

 

 事前に、『赤き月』のことについては報告していた。そのときも、主はまるで全てを見通したかのように「ふむ……」と言ったきりだったのだ。

 恐らく、このことも想定済みだったに違いない。

 だが、いかに主が全てを知っていようと、報告を怠っていいことにはならない。

 

「既にベータ様は戻って来ており、準備が出来次第発つとのことです」

「ふむ……」

 

 ベータはベガルタに赴いていたが、『赤き月』の報告を受けて急遽戻ってきたのだ。

 

「ベータ様の補佐として、カッパとオミクロンも同行する予定です」

「ふ、む?」

「いかがなされましたか?」

「いや、何でもない」

 

 ニューはそれ以上のことは聞かない。

 「誰だそれ……?」と聞こえた気がしたが、よもや主が組織の人間を知らないはずはない。気のせいだろう。

 

「報告は以上で……」

「待て」

 

 ニューが報告を終えようとしたそのとき、主がそれを制止した。

 何か不十分、不明瞭な点があったのだろうか。それとも、何らかの粗相をしてしまったのだろうか。

 びくっとニューの肩が震えた。

 

「『無法都市』だったか?」

「『赤き月』関連でしたら、そうです」

「……我も行こう」

「えっ!」

 

 断罪覚悟の心地から一転、衝撃と共に微かな喜びが胸に広がる。

 この件は必ず成功する、と。

 だが、同時にある種の不安が去来する。

 自分たちの力が足りないから、主直々に来られるのではないか、と。

 できるならば、主の手を煩わせることなしに解決したい。

 そんなニューの思いとは裏腹に、答えは最初から一つしかないのだ。

 

「分かりました。そのように手配いたします」

「頼んだぞ……」

 

 こうして、報告を無事終えることができた。

 

 先程まで二人の人物がいた部屋には、もう誰の気配もなかった。

 




カッパはΚ、オミクロンはΟで、原作にはいません。また、出場予定もありません。ニューとかと同じ立場です。
尚、『無法都市』については深くはやりません。というのも、章題の通りに色んな視点をやるつもりなので。
その関係上、どうしても本章はシドくんの出番が少なくなります。というか、ほぼないです。そこら辺については、予めご了承ください。


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物語は知らないところで動いてる

 秋。授業も本格的に始まって、生活に日常というのもが戻って来たように思える今日この頃。

 夕日差し込む放課後の教室にて、アレクシア・ミドガルは深いため息を吐いた。

 

「はぁ……」

「だいぶお疲れだね」

 

 そんな彼女に声を掛ける少年がいた。黒い髪に黒い瞳、どこにでもいるような平凡な顔立ちをした少年だ。今はアレクシアから少し離れた位置に座り、何やら分厚い本を開いていた。

 アレクシアはその少年を一瞥し、

 

「はぁ……」

「僕の顔を見て、ため息吐くの止めてくれないかな?」

「あなたには、折角一人になれると思って入った部屋で、あなたと出会ってしまった者の気持ちは分からないでしょうね」

「まぁ、それはね。僕は僕には会えないわけだし」

 

 少年は本に目を向けたまま、軽く肩を竦める。

 

「でも、一人になるだけなら、自分の部屋に行けばいいんじゃない? 寮はすぐでしょ?」

「ここの机の方が大きいのよ」

 

 そう言う彼女の目の前には、様々な資料が所狭しと広げられていた。

 

「何してるの?」

「情報の整理よ……"教団"とある組織が活動したであろう場所のね」

「ふーん。ある組織、ね」

 

 少年は興味を失ったのか、それ以上喋ることはなかった。居心地の悪い静寂が訪れる。

 

「そういえば、お姉さん『無法都市』に行くんですってね」

「うん? ……そういえば、そんなこと言ってた気もするね」

「あまり心配してなさそうね」

「まぁ、姉さん強いし。そこらの魔剣士相手ならどうとでもなるよ。多分」

 

 そこには一種の信頼のようなものがある、ようにアレクシアには感じられた。

 ……姉様は『無法都市』に行くと言ったら、心配してくれるだろうか。

 

「予定通り行けば、秋休みが終わる頃にはこっちに戻ってくるわ」

「へー。やっぱり遠いの?」

「……それなりの距離はあるわ。貴族のピクニックって距離ではないのよ」

「自動車でもあれば楽なんだろうけど」

「そうね……自動車?」

「うん? あぁ! 車だよ、車」

 

 車───馬車とは言っていなかった気もするが……気のせいだろうか。

 まぁ、今はそこは大事ではないだろう。

 

「アレクシアはピクニックに行ったりするの?」

「……一応、これでも王族なのよ?」

「これは失敬。アレクシア王女と呼んだ方がいい?」

 

 アレクシアは首を振った。

 

「そういう意味じゃないわ。王族がそうホイホイ外出できるわけないじゃない、と言いたかったの」

「なるほど」

「べ、別に行ったことないわけじゃないのよ。ただ、護衛をぞろぞろ引き連れて行っても、とてもピクニックとは思えないってだけで」

「あー、確かに」

 

 少年はパタンと本を閉じて立ち上がる。

 

「帰るのかしら?」

「まぁね。邪魔しちゃ悪いし」

「それは今更よ」

「なら、早いこと退散しよう」

 

 そう言って、挨拶もなしに少年は教室を出ていく。コツコツと遠ざかる音がやけに大きく聞こえる。

 

 一人残されたアレクシアが帰ったのは、それから少ししてだった。

 

□□□

 

「遅くなってしまったわ……」

 

 薄暗い廊下を足早に抜けながら、アレクシアは呟いた。既に、ここら辺に人気はない。

 暗くて見にくい階段を一足飛びに下り、下駄箱で下履きに履き替えて、校庭へと出る。

 東の空からは大きな月が上り始めていた。そして、少し赤い。

 伝説の真偽は定かではないが、不気味である。

 

「早く帰りましょう……」

 

 月から視線を外し、歩き始めたそのときだった。

 

「アァァァッ!!」

「なにっ!?」

 

 影が迫った。獣のような影だ。

 咄嗟にアレクシアは鞘から剣を抜く。カランカランと鞘が音を立てて転がった。

 

「重い……ッ!」

 

 剣で受け止めた影は重かった。

 けれど、そこは魔剣士。魔力を込めて強引に振り払う。

 ゴロゴロと転がる影。

 否、それは影の塊などではない。

 月明かりに照らされて、その姿が見える。

 人の形をしている。そして、とても人とは思えない鋭い牙を持っていた。

 "グール"だ。

 元は人であったのだろう。しかし、今は体が青白く、瞳の色は赤い。

 もう、人ではないのだ。

 

「ウガァァーッ!!」

 

 一閃。

 闇を切り裂くそれは、"グール"を安々と両断した。

 

「その状態でもまだ、動くのね」

「ウぅぅ」

 

 上半身だけになっても動く"グール"を見下ろす。

 "グール"は何かを掴むように手を伸ばし、けれどすぐに力なく動かなくなる。

 風が吹いた。モワッと香る血の匂いが、絡みつくように鼻の奥に残る。

 その匂いを感じながら佇むアレクシア。

 その彼女に、またしても迫る影があった。

 

「どれだけいるのよ……」

 

 当然"グール"である。

 この学校の警備も杜撰になったものだ。後で責任者を締め上げなければなるまい。

 アレクシアが剣を構えたときだった。

 

「助太刀します!」

 

 その声と共に、横合いから剣閃が煌めいた。そして、あっさりと"グール"が上下に分かたれた。

 それを成した人物は、細剣に付いた血糊を飛ばし、鞘に納める。しっかりと死んでいることを確認すると、アレクシアの方へとやってきた。

 金髪ロールがふわりと揺れた。

 

「怪我はありませんか?」

「助太刀、ありがとうございます───ローズ先輩」

 

 アレクシアがそう言うと、金髪ロールの女生徒───ローズは微笑んだ。

 

「私などいなくとも、アレクシアさんなら大丈夫だったでしょう。既に一匹倒されているようですし」

「そんなことはありませんよ」

 

 二人は、朽ちた二匹の死体を見る。

 

「どうして学園内に現れたのでしょう……」

「さぁ、分かりません。後で責任者を締め上げますが……」

「とりあえず、今日は早めに寮に戻った方がいいでしょう」

「そうですね」

 

□□□

 

 二人は校門までの暗い夜道を歩いていた。等間隔にある街灯が道を照らすも、その輝きは十分ではないのだ。

 

「そういえば」

 

 しばらく世間話に花を咲かせていると、ふと思い出したようにアレクシアが言った。

 

「ご結婚、おめでとうございます」

「……ありがとうございます」

「式は冬頃でしたか?」

「その予定です」

「あまり、浮かない顔ですね」

「そんなことは、ありません。父が決めたことですから……」

 

 『ブシン祭』が終わり、オリアナ国王は無事に自国へと帰った。それからほとんど間を置かずして、ローズの婚約が発表されたのだ。

 相手は、宰相のドエム・ケツハットだそうだ。

 

「何か懸念でも?」

「懸念と言えば、そうですが……いえ、これは自国の問題ですので」

「そうですか」

 

 もうこの話題は口上に乗せたくないとばかりに、ローズは首を振った。

 

「アレクシアさんは、最近はかなり忙しそうですね」

「えぇ、まぁ。色々立て込んでおりまして……」

「それは───"教団"関連でしょうか?」

「───」

 

 どちらともなく、足が止まった。そして、向かい合う。

 周囲に人気はなく、シーンとした空虚な静けさが広がる。

 だが、そんな中においても際立って見える程に、静かな空間があった。

 

「……その言葉をどこで?」

「私はこれでも、一国の王女です。調べようと思えば、いくらでもやりようはあります」

「調べようと思えば?」

「はい……以前までの私はどうやら怠惰だったようです」

「そうですか」

 

 アレクシアは考える。

 ここで、彼女の協力を得られれば、今後大きな助けとなるかもしれない、と。

 しかし、同時にこうも思う。

 彼女は信頼できるのか、と。

 アレクシアは先の『ブシン祭』において、オリアナ国王に拝謁する機会があった。そのとき見たオリアナ国王は、とてもじゃないが、正気とは思えなかった。恐らく、操られているのだろう。

 では、ローズはどうか。

 ぱっと見、怪しいところは見当たらない。だが、まだ初期症状であり、大して表には表れないという可能性もある。

 もし、ローズが操られている状態で、協力関係を結べばどうなるか。

 それは言うまでもない。こちらの情報が向こうに筒抜けになる。

 やはり、ここは安全策で行くべきだろうか。

 

「……アレクシアさん」

「何でしょう?」

 

 ふと、ローズが語りかけるような口調でアレクシアのことを呼んだ。

 

「あなたはきっと、私のことをお疑いなのでしょう。それは我が王の現状を、そして我が婚約者を見てしまえば無理のないことです」

「……」

「確かに、客観的に見て、私は信用に値しません。裏切りを考慮に入れてしかるべきでしょう。あるいは、もう薬に心身が侵されているのやもしれませんから」

「……」

「しかしです。アレクシアさん、いえ王女。先程も申し上げましたが、私は一国の王女なのです」

「……」

「民を、国を守りたいその気持ちに嘘偽りはなく、それらのためならば父上を───国をも裏切る覚悟がございます」

「……国を守りたいのに、国を裏切るのですか?」

「必要とあらば」

 

 ローズがアレクシアから目を逸らさずに、力強く頷いた。

 その様子を見て、ストンとアレクシアの心内に落ちるものがあった。

 ───あぁ、この人も大切なもののために覚悟を決めているのだ、と。

 

「分かりました」

 

 アレクシアが手を差し伸べる。

 

「これからよろしくお願いします」

 

 アレクシアがにこりと微笑むと、ローズは一瞬呆けたような顔をするも、すぐに顔を引き締め、握手をした。

 

「こちらこそ」

 

 こうして、アレクシアとローズは協力関係を築いたのだった。

 

□□□

 

 秋休み。今日も今日とて図書館を使い、アレクシアは調べ物に邁進していた。

 いつもなら、隣にローズがいるのだが、今日はまだ来ていない。剣の修業でもしているのだろう。

 今アレクシアが調べているのは、ここらミドガル地方の大まかな歴史である。

 "教団"はかなり深くまで根を張っており、また、表舞台に一切出ないことから、相当昔から存在しているものと思われる。

 まだ正式名称すら分からず、学校の図書館程度にそんな詳細が載っているとは思えない。が、少しでも何か得るものがあるかもしれないと血眼になって情報収集をしていた。

 

「へぇー、ここら辺にはかなり手練れの人斬りがいたのね」

 

 今、アレクシアが見ている資料には『ミドガルの悪鬼』と呼ばれる存在について書かれていた。そして、その人斬りは最強とさえ呼ばれていたということも。

 ページを繰り、紡がれる文章はなんとも信じがたいおとぎ話ばかりだ。第一、一個大隊の魔剣士の首を一瞬で刎ねたとか、龍とタイマンで勝ったとか、あり得ない。そんな人間が存在するわけ……

 

「いやでも、シャドウなら……」

 

 脳裏に浮かんだ人物が、龍を両断する光景をイメージする。……ありかねない。

 

「まぁ、話半分と見ておきましょう」

 

 気を取り直し、ページを捲ると、『遠回りの賢者』について書いてあった。

 『遠回りの賢者』とは、賢者と付くように、類まれなる発想で、様々な画期的な道具を考案した者だ。

 そのどれもが、既存のパラダイムから逸脱し、人類の発展に大きく寄与したことは疑うべくもない。学校の黒板とチョークだって、彼の考案だ。

 だが、その頭に"遠回り"と付くのには理由があった。

 というのも、彼の賢者は、自身の考案したものの説明が全くできなかったのだ。どういう理論でそうなるのか、材料は何が必要か、どんな技術を使うのか。何一つとして説明できなかったという。

 それでも彼の賢者の考案した物品が発明されたのは、単に運が良かったというだけだろう。然るべき職人が、一歩先の技術の到達点を見て、研究する。その結果、本来よりは早い段階で技術が発展したのだ。

 そんな事情があるが故に、『遠回りの賢者』の知名度は低い。アレクシアも、今知ったばかりだ。

 

「えっと、『未完成考案記録』……?」

 

 大まかな人物紹介の後に、そんなものが載っていた。 

 後世の職人たちの参考にとでも思ったのだろう。

 

「冷たい空気を生み出し続ける"冷蔵庫"に、ゴミを吸い取り続ける"掃除機"、それから、セキユ? を燃やして動く"自動車"に……?」

 

 ふと、思考の片隅で何かがチラつく。これは何だろうか───

 

「アレクシアさん!」

 

 バタンと図書館の扉が開かれる。幾人かの生徒が「うるさいな」とその方を見たところ、みんな一様にギョっとした。

 

「司書長が、死にました。いえ───」

 

 そこには、呼吸を乱し、汗だくとなったローズ・オリアナがいたのだ。

 彼女は、肩で息をしながらも、つかつかとアレクシアの方へやってきて、小声で耳打ちをする。

 

「司書長が、殺されました」

 




ローズ=アレクシア同盟が成立しました。
補足ですが、原作での都市間の移動は馬車であり、アニメでは汽車を使っているので、自動車はまだ存在しないものとして本作では扱います。まぁ、石油も見つかったばかりですしね。


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学術都市にて

三分の一くらい説明に使ってしまった……。
学術都市の記述はほとんどないので、ほぼほぼ捏造となっております。


 学術都市ラワガス。そこでは、世界中から様々な分野の研究者が集い、日夜研究に明け暮れている。

 その研究に参加する面々は誰もがその分野で名を馳せ、まさに第一人者と呼ばれる人々だ。その下で働く研究員もみな、一癖も二癖もあり、そして優秀だった。

 『世界の頭脳が集まる』とは、実しやか(まこと)に囁かれているが、実際間違ってはいない。ここには世界の叡智が結集されているといっても、過言ではないのだ。

 そんなラワガスは、どの国からも独立した中立都市───言わば、都市国家である。

 都市国家は大抵の場合、大きな権力者、とりわけ"王"と呼称される存在によって統治される。だが、ここラワガスでは、『七賢人』と呼ばれる者たちによる評議会が国の管理運営をしていた。

 その『七賢人』は慣習的に元研究者である者が多い。その影響か、国家規模で研究に対し、莫大な資金を投じる政策を行っている。それが、多くの優秀な研究者を呼び、国は発展し、発展して増えた資金を更に研究に注ぎ込む。そして更に研究が盛んになり……と正のスパイラルができていた。

 この現象が生み出す成果は目覚ましく、いつしか世界の最先端をひた走るようになっていたラワガスは、その恩恵を周辺国にも与えた。

 その結果、周辺国のどの国からも「あそこは泳がせておいた方がいい」と思われ、莫大な資金援助の下、永世中立国となった。

 これが、今のラワガスの現状である。

 

□□□

 

 シェリー・バーネットは、留学生としてラワガスに招待されていた。推薦者は、『七賢人』が一人、コーテン・ラブーだ。専攻はアーティファクトや、考古学だという。どうやら、シェリーの以前出した論文を見て、是非ラワガスに来て欲しいと思ったそうだ。

 ラワガスは、都市国家の中でもかなり大きな部類だ。街の規模だけで言えば、ミドガル王国の王都と同程度のサイズはある。その街全体を囲むように、円形状に城壁が立っている。

 そして、内側に入ってすぐに目に見えるのは、この街一番の商店街だ。大通りに沿ってまず露店が、更に奥に進むにつれきっちりと居を構えた店が立ち並んでいる。これは、どこの街でも大体同じだ。

 だが、本来は街の反対まで一直線で続くような商店街も、途中で途切れてしまう。

 というのも、そこにはまた大きな、二つ目の壁がそびえ立っているからだ。

 ぐるっと街全体を囲むのは"外壁"、更にその中心の重要な研究施設を囲むのは"内壁"と呼ばれる。大まかに言えば、"内壁"より外が居住区、内が研究区となっている。

 その研究区にある学校、『学術都市学園』がシェリーの通っている学校だった。

 

□□□

 

「えっと、この回路がここに接続して……いや、こっちに……? むぅ?」

 

 留学してから、小半年(こはんとし)。シェリーは研究に没頭する毎日を送っていた。

 

「精が出るね」

「あっ、ラブー教授。こんにちは」

「いいわ。そのまま座っていて」

 

 そう言って、ラブー教授───もとい、『七賢人』が一人、コーテン・ラブーは微笑んだ。

 明るい茶色の髪は長く肩口まで伸びていて、その髪を雑把に一括りにしている。柔和な印象を受ける顔は、年齢相応に老けていて、四角い眼鏡が彼女のトレードマークだ。この学園にいるほとんどの人と同じく、白衣を着たその姿は、これぞ研究者! といった風情を醸し出している。

 尚、少し汚れが目立つのは本人曰く「白衣は研究を終えるまで洗わないのよ。付いた汚れは誉れなんだから」だそうだ。確か今年で四十歳だと、言っていた。

 ラブー教授は小さなバスケットを抱え、シェリーの隣に座る。因みにここは、学園内のテラスだ。

 

「もう昼ですか」

「そうよ。昼ご飯はある?」

「うっ……」

「もう、いつも言ってるじゃない。食べるのも仕事の一つよ」

「気を付けてはいるのですが、何とも……」

 

 指摘されてようやく気付いたと言った具合に、ぐぅーっとシェリーの腹の虫が鳴る。

 

「ふふ、仕方ないわね。ほら」

「わっ、ありがとうございます」

 

 しょんぼりと肩を落とすシェリーの前に、白い包みが出される。何やらいい匂いだ。

 お礼を言って、中身を見るとフライとタルタルソースのサンドイッチが入っていた。

 

「これ、『まぐろなるど』の……?」

「そうよ。ちょっと真似して作ってみたの。美味しい?」

「ふぁい!(はい!)」

 

 パクパクモグモグとリスのように頬張りながら、シェリーは頷いた。その様子を見て、ラブー教授も自分の分を食べ始める。

 

「んー、少し酸味が足りないかしら」

「おえふぁいは、ほぉおいいえふ!(これくらいが、丁度いいです!)」

「そうかしら? 私は『まぐろなるど』のあの味が好きなのだけれど……」

 

 とは言いつつも、褒められて満更でもないラブーの口元は僅かに緩んでいる。

 それから十分程で、サンドイッチは食べ終えた。

 

「最近調子はどう?」

「順調です。後は魔力回路がどうなってるかが分かれば、あのアーティファクトの研究も一段落と言ったところです」

「そうなの。それは重畳(ちょうじょう)ね。ところで、クラスの方にはもう馴染めた?」

「うぐっ……ま、まぁ、一応は……?」

「その様子だと、上手く行っていないみたいね」

「うぅ……」

 

 シェリーは恥ずかしそうに肩を縮こませ、俯いた。

 

「別に責めてるわけではないのよ。ただやっぱり、ずっと一人で研究していてもどこかで必ず行き詰まってしまうから。今の内に仲間は見つけて置いた方がいいわよ」

「それはそうなんですが、話すきっかけや話題もなくて……」

「まったく、年頃の娘が集まれば話すべき話もあるでしょうに。……と言っても、ここじゃ無理か。なら、研究の話ならどう? 同じ分野の……いえ、違う分野の子と話すのよ」

「違う分野、ですか」

 

 ラブー教授は頷いた。

 

「良くも悪くも、同じ分野だと色々分かり過ぎちゃうのよ。誰だって、自分の研究の横取りはされたくないの」

「でも、それだと行き詰まっちゃったとき、どうしようもなくないですか?」

「あら、一つの視点ばかりから見続けても、同じ景色しか見えないのよ。いつも言っているでしょう? 研究は多角的にやりなさいって」

 

 ラブー教授はいたずらっぽくウィンクをして、立ち上がる。そのとき丁度、チャイムが鳴った。

 

「じゃ、私は講義があるから」

「色々ありがとうございます」

「いいのよ。推薦したのは私なんだから。面倒はしっかり見るわ」

 

 ひらひらと手を振りながら、ラブー教授は去っていく。シェリーはその後ろ姿に一礼をした。

 

□□□

 

「友達作り……友達作り……」

 

 夕刻。奇妙な念仏を唱えながら、シェリーは廊下を歩いていた。向かう先は教養の聖域、図書館。そこはまたの名を、"ぼっちの最後の砦(the last resort of loners )"という。

 ラブー教授と別れてから、シェリーの脳内の半分近くを"友達作り"という単語が占めていた。これでは、研究もままならない。

 何か良い手はないだろうか。

 

「あうっ……ごめんなさい」

 

 そうして、一つのことを考えるとき、深く集中できるのは彼女の武器だが、ときにそれは好ましくない結果をもたらすこともある。

 前が見えない程度には集中していたシェリーは、案の定誰かとぶつかってしまった。

 即座に謝る。これはミドガル王国にいたときから身に付けていた護身術だ。

 

「次からは気を付けなさい」

「はい……」

 

 女の声だった。透き通るようでいて、どこか絡みつくような印象を受ける声だ。

 シェリーは恐る恐るその顔を見てみた。

 最初に見えたのは、美しい金色で、短めの髪だった。ベリーショートよりは長い。少々癖っ毛なのか、ぴょんと跳ねた部分がある。

 次に見えたのは目だ。優しそうなラブー教授とは違い、ちょっと目つきが悪い。機嫌が悪いのか、睨まれてる? ……ぶつかったからか。

 それ以外の顔立ちは普通で、彼女もまた白衣に身を包んでいた。

 

「あら? あなた……」

「ひええっ! す、すみませんでした!!」

 

 一歩詰め寄られ、逃げるように一歩引いて、華麗な直角お辞儀。もはやそれは、熟練の技と言っても過言ではない。

 そんな彼女の奇行に、女は一瞬立ち止まるが、すぐに膝を折って、シェリーの顔を覗き込む。

 

「あなた、シェリー・バーネット?」

「へっ?」

 

 突然名前を呼ばれて、シェリーの肩がびくっと震える。

 何でバレてるの!? もしかして、私、目を付けられてるの!?

 と思ったかは定かではないが、とにかく、シェリーは間抜けな顔をして、頭を上げた。

 その顔を見て、女は「やっぱり」と呟く。

 

「あなた、ミドガル学術学園のシェリー・バーネットでしょう?」

「は、はい、そうですが……あなたは?」

「私は、サーテライト・プラネット。この学校の三回生で、年齢はあなたの一個上よ」

「は、はぁ……」

「そして、私も元々はあなたと同じミドガル学術学園に通っていたわ」

「……!」

 

 驚きにシェリーは目を見開いた。

 

「まぁ、あなたと違って、推薦状もなしにここに入ってきたのだけれど」

 

 そう言って、サーテライトはニカッと歯を見せ笑う。

 

「よろしく、シェリーさん」

「は、はい」

 

 そして、何がよろしくなのかは不明だが、差し出された手を握り、握手を交わしたのだった。

 




悪い虫はどこからでもやってくるんですよね。
学術都市はもう一話やります。


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真実を求めて

 さて、シェリーがサーテライト・プラネットと出会ってから五日ばかりが過ぎた。

 最初こそ、初々しいカップルのように、ぽつぽつとしか喋らなかった二人だが、五日も経って慣れてきたのか、それなりに話すようになっていた。

 

「へー、アーティファクトを使えば、そんなこともできるのね」

「えぇまぁ……実物はもうないので、どんなメカニズムかまでは分かりませんけど」

 

 今話題に上っているのは、シェリーが学術都市に来る前に研究していた『強欲の瞳』というアーティファクトのことだ。そのアーティファクトは、周囲から魔力を集め、溜め込むことができる。その溜め込んだ魔力を、対になる別のアーティファクトを用いることで自由に使える……だろうとシェリーは仮説を立てていた。

 そのことについて話すと、サーテライトは感心したように、眉を持ち上げた。

 

「もし本当に、そんなことができるのなら、魔術史に残る大発見ね」

「そんな……母の研究成果があってこそのものですから」

「そうかしら。あなたはもっと自信を持ってもいいと思うのだけど……」

 

 サーテライトはいつも、シェリーに向かってそう言っていた。

 自信を持て、あなたは凄いのだから、と。

 それを聞く度に、シェリーは否定した。シェリーには、自分が凄い人物にはとても思えなかったから。

 そうサーテライトに伝えると、彼女は難しい顔をして、「きっと、それがあなたに友達ができない原因でしょうね」ときっぱり言われた。少しショックだ。

 

「プラネットさんは───」

「サーテライトよ」

「───あっ、サーテライトさんは、研究の進捗はどうですか?」

「そうね……まだ、仮説の段階だから何とも」

 

 サーテライトは疲れた表情でゆるゆると首を振る。あんまり順調ではないようだ。

 

「一応、理論の方は粗方できていて、細かい調整とかは、後から実験を通してやっていくつもりなのだけど……如何せん、知り合いに魔剣士がいないのよねぇ。かと言って、警備の魔剣士を引っ張ってくるわけにもいかないし」

「大変そうですね」

 

 サーテライトの専門領域は、魔力学よりの応用魔力学だ。

 そもそも魔力学とは、魔力について理論的な仮説を立て、検証をする。実験室などの整った空間で、基本的な魔力の運動、変化法則を導き出したりするのだ。

 対して応用魔力学とは、そうして組み立てられた理論を元に、どのように実生活に活かすのかを主に研究している。勿論、基本的な魔力の法則について研究したりすることもあるが。

 サーテライトが今研究しているのは、『魔力圧縮に伴う放出エネルギー量の関係』だそうだ。要は、魔力は圧縮するとより大きなエネルギーを放出するという仮説を立てているらしい。実際、その理論を用いた試作品もいくつか完成しているという。

 細かい理論も聞いたが、シェリーにはちんぷんかんぷんだった。

 実際、証明にこそ至ってはいないものの、その法則はかなり昔から指摘されており、ほぼ確定的な予想という状態である。

 その予想の範疇、言わば仮説の上で、サーテライトは自身の研究を行っていた。もし、この予想が見当違いであれば、彼女の研究は何ら意味のないものだったということになる。

 

 

「さて、そろそろ戻るわ」

「あっ、はい」

 

 昼休憩の終わりを告げる鐘が鳴る。それを聞いたサーテライトは立ち上がって、講堂へと消えていった。

 シェリーも、自身の研究とは別に、午後に取っている講義がある。サーテライトの後を追うようにして、シェリーも講義へ消えた。

 

□□□

 

 教室に入ると、既に半数程度の席は埋まっていた。まだ全員ではないようだが、元々この講義を取るものもあまり多くない。

 シェリーは空いている適当な席に座った。

 こうして座っていると、途端周囲が騒がしく思えてくる。自分が話をしているときは、そうでもないのに……。

 けれど、それも仕方のないことだろう。今はまだ、講義前なのだから。

 ガラガラっと、引き戸を開けて教授が入ってくる。

 年の割にずいぶんと後退してしまった髪に、地味なメガネをした小太りの男だ。例に漏れず白衣を纏い、口元のちょび髭がトレードマークだ。

 名前は確か……いや、思い出せない。最初は"チ"から始まった気もするが……。

 

「げっ、チョビ髭もう来た」

「いつも遅刻するのに」

 

 隣の男子生徒二人がこそこそと話すのが聞こえた。そう、名前はチョビ髭だ! ……まぁ、そんなはずはない。恐らくあだ名だが、シェリーは彼の本名を知らなかった。初対面のときも名乗らなかったし、学内ではチョビ髭で通じるのだからやむを得まい。

 

「出席を取るぞー」

 

 などと言いつつ、チョビ髭は紙にレ点を付けていく。途中動きが止まったりするのは、恐らく無断欠席がいるからだろう。

 

「では、昨日の続きからだが───」

 

 そして、講義が始まった。講義というか、授業に近い。

 その内容は、歴史だ。それも、文献すらほとんど残っていないような、遠い昔のことだ。

 シェリーがこの講義を取ろうと思ったのには、理由がある。

 一つは、当時のことを知ることで、何かアーティファクトの解読にも繋がるものがあるかもしれない、と思ったからだ。ラブー教授も言っていたように、研究は多角的にやるべきなのだ。

 もう一つの理由は、ずばり"あの夜"の出来事だ。"あの夜"、燃え盛る校舎の前で、黒いロングコートを纏った男は言った。

───『罪の清算は済んだ』、『そして背負おう、全ての罪を』と。

 それが何を指すのかは今になっても、分からなかった。

 けれど、それはシェリーが何も知らないからだ。

 あの事件、父であるルスランの死は非常に悲しいものであった。悲しいが、同時に漠然とした違和感を覚えたのだ。

 直前の学園襲撃に、ルスランの死、謎の男の残した意味深な言葉。これらの存在が、あの事件には裏でもっと"大きな何か"が動いていることをシェリーに示しているように思えた。

 その"大きな何か"は、あるいはずっと昔から存在しているのではないか。理由があるわけでも根拠があるわけでもない。そんなある種科学者失格な思い込みが、シェリーに歴史の講義を取らせたのだ。

 まぁ、未だに収穫らしいものはないが。

 

 ともあれ、講義はまだまだ続く。シェリーは眠気眼を擦りながらも、真剣にその話を聞いていたのだった。

 

□□□

 

「教授に頼まれて、ちょっと十番倉庫まで器具を取りにいくのだけど、量が多いから手伝ってくれない?」

 

 放課後。講義が終わり、一旦帰ろうかと思っていたところ、サーテライトにそんなことを言われた。勿論、シェリーは二つ返事で了承した。

 

「何だか、薄暗いですね……」

 

 シェリーはランプを手に、やや怯えた様子で呟いた。

 

「この倉庫は日当たりが悪いし、普段から使われないから手入れもされてないのよね。その証拠に、ほら」

 

 サーテライトがしゃがんで足元を照らす。すると、今まさに自分たちの付けてきた足元がくっきりと付いていた。

 

「すごい埃ですね」

「えぇ。あまり長居はしたくないものね」

 

 そう言いつつ、サーテライトがガサゴソと自身の白衣のポケットを漁る。そして、ほいっと何かをシェリーに投げた。

 シェリーはそれをキャッチして、広げてみた。

 

「正方形の、布……? ハンカチですか」

 

 暗くて分かりにくいが、投げられたそれは赤い布だった。正方形で模様が描いてあり、ハンカチというには少しばかり大きい気もする。

 

「いえ、それはバンダナよ」

「バンダナですか」

 

 その布の正体がバンダナだと聞いたシェリーは、バンダナを三角に折って頭に装着する。さながら、三角巾のように。

 

「似合ってますか?」

「いえ、それはそう使うのではな───」

「似合ってませんか……」

「───!? ち、ちがっ……! 似合っているわっ!」

 

 サーテライトが慌てたように言うと、シェリーは嬉しそうに笑った。

 

「こほん」

 

 そこで一つ、サーテライトが咳払いをする。

 

「ここは埃が多いわ。普通に呼吸してるだけで体に悪いくらいには、ね。だから、そのバンダナで口元を覆うのよ」

 

 今まで暗かったせいもあり、よく見ていなかったが、そういうサーテライトも口と鼻を布で覆っていた。

 

「なるほど」

 

 あぁやって使えばいいのか。

 早速シェリーはバンダナで口元を覆う。

 

「息苦しいですね」

「それは仕方ないわ。早く行きましょう」

「はい」

 

 十番倉庫はかなり広い。聞くところによれば、百人は優に入れる大講堂よりも広いという。

 目指すのは、そんな十番倉庫最奥だ。そこには、危険過ぎて仕舞われ、そのまま忘れ去られたアーティファクトや特異な効果を持つアーティファクトが眠っている、らしい。

 そんな危険なものを、一体何に使うのだろうか。

 

「さて、ここね」

 

 と、考えている内にどうやら目的の場所まで来ていたようだ。

 サーテライトが手元のメモをランプで照らして、必要なものの名前を挙げていく。それらをシェリーは埃にまみれながらも、探して集めていた。

 そんな時だ。

 

「わっ!?」

「……ちょ、ちょっと大丈夫?」

「はい、何とか……」

 

 高く積み上げられたいくつもの箱たちが倒れて来たのだ。そして案の定と言うべきか、シェリーはその下敷きとなってしまう。

 サーテライトの助けも得て、何とかシェリーは箱の下から這い出る。それから、パパッと体に纏わりついた埃を落とした。

 

「酷い有り様ね」

「そうですね……とにかく、元に戻しておきましょうか」

 

 今の崩落の余波で、シェリーが下敷きになった場所以外でも、倒壊しているタワーがある。そのままにしておくわけにもいかないので、二人は手分けしてタワーの建設を開始した。

 シェリーがまず着手したのは、自身の上に倒れて来たタワーからだ。

 大体八割程建設し終えた頃だった。

 

「あれ、何か光ってる……?」

 

 大きさは両手で包み込めるくらいだろうか。あるいはもう少し大きい蓋の開いた木箱があった。その木箱の中からは、淡い薄色の光が漏れ出している。

 シェリーはその木箱を手に取り、中を見てみた。

 

「これって……」

「どうかしたの?」

「きゃっ! ……って、サーテライトさんですか。驚かさないでくださいよ」

「あなたが勝手に驚いたのでしょう……」

 

 サーテライトはやれやれとため息を吐く。

 

「で、それは?」

 

 それから、シェリーの手に握られた光る球体を指さした。

 

「落ちた衝撃で起動してしまったのだと思います───恐らく、アーティファクトです」

「ふーん、どんな効果が?」

「それはまだ分かりませんが……」

 

 しばらく無言で、二人はアーティファクトを眺める。

 ぱっと見はただの球体であるが、触ってみると細かい装飾が施されているのが分かる。内側から発せられる薄色の光は弱く、今にも消えてしまいそうだ。

 何に使うのだろうか。

 

「……この模様、古代文字じゃないかしら?」

「えっ?」

 

 ふと、サーテライトがそのように言った。シェリーが彼女の方を見てみると、彼女はアーティファクトを見ていなかった。

 では、どこを見ているのか。

 視線の先を辿ってみると……。

 

『汝、真実を知らむとすらば、───』

 

 壁に古代文字で、そのようなことが書いてあった。いや、正確に言うのであれば、壁に映し出されていたのだ。薄色の光によって。

 シェリーは試しに、手元のアーティファクトをクルクルと回転させてみる。

 すると、文字も一緒に回転した。そう、この古代文字は手元のアーティファクトから発せられた光によって映し出されていたのだ。

 そして、先程の文の続きも映し出される。

 

『───この封印を解き給え』

 

「この封印を、解き給え……?」

「このアーティファクトは、何らかの理由で封印されているということかしら?」

「そうなんでしょうか」

 

 シェリーはとりあえず、アーティファクトを木箱にしまい、蓋をした。学校のものだし、ここには危険なアーティファクトが多いというから、無闇矢鱈に触るまいと思ったのだ。

 蓋をするとやがて、薄色の光も消えた。

 

「ねぇ」

「はい?」

 

 そして、タワーの建材にしようとしたところで、サーテライトに声を掛けられた。

 

「このアーティファクト、ちょっと研究してみない?」

「えっでも、これは学校のものですし……」

「何なら、教授には私から申請しておくわ」

「教授の一存でアーティファクトの持ち出しとかできないと思いますけど……」

 

 正直、シェリーも少し気になっていた。

 好奇心をくすぐられないと言えば、嘘になる。そもそも、ここで好奇心がくすぐられないような人物は、この学術都市にはいない。よしんばいたとしても、きっと成功はしないだろう。

 ほんの僅かな良心だけが、今シェリーに待ったを掛けている状況だった。

 だからもし、大義名分やシェリーが納得できる理由があれば───

 

「大丈夫、その人『七賢人』だから」

「『七賢人』……?」

「そう。『七賢人』が一人、ケーキュウ・スキピオよ。彼なら、ある程度の融通も利くでしょう」

「ですが……」

 

 シェリーの心は揺れていた。微かな良心と、本能的な直感は「やめろ!」と叫んでいる。

 しかし、どうしようもなく湧き上がる好奇心は「やれ!」と言うのだ。

 そんな葛藤を抱えるシェリーに、サーテライトは更に続けた。

 

「あのアーティファクトに書いてあったでしょう? 『真実を知らむとすらば』って」

「……」

「あなた、何か知りたいことがあってここに来たのでしょう?」

「それは……」

 

 未だ悩むシェリーに、サーテライトは微笑んだ。

 

「この研究をすることで、あなたの知りたいことに、一歩近付けるかもしれない───いえ、近付けるわ」

 

 サーテライトは力強く断言した。

 どこかで、ギギっと金属音が鳴った気がした。それからまもなく、シェリーはその音の正体に気が付いた。

 

「は、い……分かりました」

 

 その金属音は、シェリーの心の天秤が傾く音だったのだ。

 

「ありがと。これから頑張りましょ」

 

 サーテライトが手を差し伸べる。シェリーはその手を握り、握手を交わす。

 

「はい……」

 

 その胸中に渦巻くのは、未知のアーティファクトに対する好奇心と、漠然とした少しばかりの不安だった。

 




シェリーさんは怪しいお姉さんに、怪しい研究に誘われてしまいました。
シェリーさんの話はここで一旦区切ります。次やるときは、学術都市編でしょう。
次回はまた別の話です。


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古より心から

ずっと裏で進んでたあれです。

〈追記〉
フェンリルの一人称を僕→俺に訂正しました。原作遵守です。


 真っ白な空間には、三人の少女がいた。彼女たちは迷う素振りなども見せずに、淡々と前方へ進んでいる。

 ふと、先頭を行く獣人の少女が振り返った。それと同時に、何か輪っかのようなものが投擲(とうてき)される。

 その輪っかは綺麗な楕円を描き、その軌道上で赤い花を咲かせながら、獣人の少女の元へ戻ってきた。

 

「流石ゼータ」

「お見事です」

「ふふん」

 

 ゼータと呼ばれた少女は、赤い血溜まりに伏す死体には目もくれず、上機嫌に鼻を鳴らした。

 

「それにしても……」

 

 桃色の髪をした少女がその死体を眺める。どこか気だるげな雰囲気を纏った少女だ。

 

「どうしたの、シータ?」

「思ってたよりも、守備隊が少ない」

「あー、確かにね」

 

 その桃色の少女は名をシータという。シータはすぐに興味を失くしたのか、死体から視線を外した。

 

「となると、この先に何らかの罠がある可能性もありますね……」

 

 そう言ったのは、褐色の肌に、赤い髪をした少女だ。名前をニーナという。

 

「いや、そのはずはないよ。少なくとも、前回までの調査のときには、それらしいものは見当たらなかった」

「まぁ、行けば分かる」

「分かってからでは遅いと思うのですが……」

「何はともあれ、先には進まないと行けないからね。行くよ」

「ゼータ様がそう言うのでしたら」

 

 一行は更に進んで行く。道中、何度か襲撃を受けたが、遠ければゼータがチャクラムで処理し、近ければシータが首をへし折って何一つ滞りもなく、順調なものであった。

 だが、先頭を行くゼータの足がはたと止まった。

 

「ここら辺かな」

「何がですか?」

「もう道が分からない」

「えっ……」

 

 絶句した表情を浮かべ声を漏らしたのはシータかニーナか。あるいは、その両方だろうか。何とも言えない沈黙が訪れる。

 

「そんな顔しないでよ、ほら」

 

そう言ってゼータが懐から何かを取り出した。手の平サイズのものだ。

 

「それは……?」

「アーティファクト。イータに頼んで作って貰った。新品だよ」

「イータ様の……して、どのような効果があるのですか?」

「まぁ見てて」

 

 ゼータはアーティファクトに魔力を流し込む。すると、無数の光の粒子が現れ、四方八方へと飛んで行った。

 

「……何も起こらない」

「まぁまぁ、釣りと一緒。そう焦らないで」

 

 しばらく様子を見ていたシータが呟いた。しかし、クルクルと指でチャクラムを回しながら、ゼータは余裕の表情だ。

 それから少し経って、ばらばらと無秩序にアーティファクトから放たれていた光の粒子の挙動に変化が起こった。まるで、何かに誘われるように、光の粒子は指向性を持ち、ある方向へと流れ始めたのだ。

 やがて、その流れは放射状となり、そこから更に、どんどん絞られて直線状へと変わっていく。

 その一部始終を眺めていたゼータが、そこまでのある時点で「よし」と呟いた。

 

「行くよ」

「この先に?」

「そう」

「何があるの?」

「聞くまでもないでしょ。この領域で最も魔力強い魔力を内包した存在の元───『ディアボロスの右腕』のところだよ」

「───」

 

 その言葉を聞いて二人の顔が引き締まる。いや、二人だけでなくゼータ自身の表情も真剣なものに変わっていた。

 一行は、その光の粒子が導く方向へと歩いていく。

 

 そうして、やがて着いたのは大きな扉の前であった。その扉には無数の古代文字が刻まれていて、幾重にも太い鎖が巻かれていた。

 そして、『聖域』の最深部まで訪れたことのある者なら、みな一様な感想を持つことだろう。

 

「前にも見たことがある……」

 

 シータがポツリと呟いた。

 

「ふーん、どこで?」

「『聖域』で。全く同じ見た目」

「そのときはどうやって開けたの?」

「鎖を切って、こじ開けた。聖剣で」

「なるほどね」

 

 ゼータは少し面白そうに笑った。事の顛末は既にシータから聞いていたのだ。例えばそう、聖剣を隙間に差し込んで梃子(てこ)の原理を使ったり、そうしたら聖剣が半ばで折れてしまったりというようなことを。

 そして、その報告を聞いていたのはゼータだけではなかった。

 

「でも、聖剣ってシャドウ様が消し飛ばしたと思うのですが……」

 

 ニーナは不安そうに言った。その顔には、「これからどうすんだ」と書いてある。

 そんなニーナの不安げな表情とは対照的に、ゼータがニヤリと笑い、尻尾を揺らす。

 

「大丈夫。もう調査も済んでるから」

「いつの間に……」

「あとは倒すだけ」

「倒す、ですか?」

 

 疑問符を浮かべるニーナを尻目に、ゼータは扉に魔力を流し込む。

 そのときだった。

 

「……ん? シータ何してるの?」

 

 シータが墨の付いた筆を持って、扉の前にいた。

 

「記念に一筆書いとこうかなと思って」

「記念に、って……」

 

 ニーナが呆れたように呟いた。

 

「それでシータ、何て書くの?」

「今考えてる……『シータ参上』とか?」

「いいね、それ。隣に『ゼータ参上』も書いといて」

「了」

「あの、もう少し緊張感を……」

「『ニーナ参上』もいる?」

「……ではお願いします」

 

 そんなこんなで、無数の古代文字が書かれた扉には、墨で落書きが施された。因みに、景観に合うようにと暗号化された古代文字で書かれている。知識と気配りの無駄遣いだ。

 

「来るよ」

 

 シータが自身の書いた文字に満足げに頷いていた頃、ゼータは短くそう告げた。

 同時に扉は赤く輝き出して、空間に魔力回路が広がっていく。ギシギシと扉が音を立て、小刻みに震える。

 

「"彼女"は応えてくれるみたいだね」

「"彼女"……?」

「そう───」

 

 しかし、そんな変化が訪れても扉は開かなかった。

 だが、代わりにとでも言うべきか。魔力回路が扉の前で収束し、細い血管のような光で人の形を成していく。

 

「───英雄リリ」

 

 その光は次第に薄れて、そして消えた。

 後に残ったのは、獣人の女性だけだった。黄金の耳に、黄金の髪、黄金の尻尾を持って、猫のような瞳をしている女性だ。

 いや、彼女の容姿についてはもっと分かりやすい表現がある。

 ───そこには、ゼータによく似た獣人の女性が立っていた。

 

「初めまして。獣人の英雄さん」

「……」

 

 リリは何も答えない。その代わり、一瞬で姿がブレ、消えた。

 直後、目にも止まらぬ速さで、剣閃がゼータの首目掛けて飛来した。

 火花が散る。

 

「危ないゼータ」

「ありがと、シータ」

 

 その剣を止めたのは、横合いから軌道上へ割り込んできた漆黒の剣、スライムソードだった。

 

「ゼータ様、これは一体……」

 

 ニーナは今の状況が飲み込めていないようだった。

 

「"彼女"はリリ。獣人の英雄で、『ディアボロスの右腕』を切り落とし、この地に封印した者……の亡霊だよ」

「亡霊、ですか」

 

 ゼータは自身もスライムで剣を作り出す。

 

「そう。死して尚、この地に縛られ続ける亡霊。意識があるのかも怪しいね」

「私には生きているようにも見えますが……」

「獣人は何百年も生きられない。それこそ、どこぞのラウンズでもない限りは、ね」

 

 ゼータが一歩踏み出すと、"リリ"は大きく後ろへ跳んで距離を開けた。

 

「悪くない剣。でも、古い剣」

 

 スライムソードをしまったシータが言った。

 

「応えてくれてありがとう、英雄さん」

「───」

「でも悪いけど」

 

 ゼータの姿が掻き消える。そして、"リリ"の前に突如として出現する。一息に間合いを踏み潰したのだ。

 それは先程"リリ"が見せた踏み込みに近く、しかしより洗練されたものだった。

 "リリ"は抵抗しようと剣を持ち上げるが、遅い。

 

「───私たちはあなたとは違う道を行く。バイバイ英雄」

 

 心臓を貫かれた英雄は、ぐったりとゼータにもたれかかる。その体から出血はなく、体温も体重すらもなかった。

 その英雄の体に少しずつ亀裂が入っていく。命に遠いところから、ひび割れるように砕けていった。

 そんな中で、しかし、英雄は確かに笑ったのだ。ニヤリとでも、カラカラとでもなく、ともすれば気のせいだと思うような薄い笑みを浮かべたのだ。

 そして、一言だけ。

 

『幸運を』

「……」

 

 その言葉が現世に誕生するか否かというところで、英雄は完全に砕け散った。後に残る光の粒子も、次第に薄れ、消えた。

 

「あっ、開いた」

 

 シータが扉を押すと、重そうな音を立てつつも開いた。いつの間にか、あの太い鎖もなくなっている。

 

「ゼータ様大丈夫ですか?」

 

 "リリ"が消えてからぴくりとも動かないゼータに、心配そうにニーナが声をかける。

 

「……大丈夫。行こうか」

 

 そんなニーナをゼータは一瞥し、扉へ向き直る。ニーナからは自分と比べてもさして大きくない背中が見えていた。

 

「……はい」

 

 ニーナは一度目を伏せ、ゼータの後に続いたのだった。

 

「む?」

 

 そんな折、扉に手をかけこちらを見ていたシータが訝しげに眉を寄せた。

 

「───っ! ゼータ!」

「───ッ!?」

 

 直後、シータが叫ぶのと、ゼータがその場で身を捩って跳ぶのはほとんど同時であった。それから一瞬と経たずして、ゼータのいた位置を風切り音が通り過ぎた。

 

「へぇ、今のを躱すんだ」

 

 少年の声だった。しかし、確かに少年の声ではあったが、どこか空虚で空恐(そらおそ)ろしくも感じられる声だ。

 コツコツコツ。

 音がした。ブーツが硬い床に触れる音だ。

 ゼータはその音の方向を見た。

 

「君が『七陰』かな? 今まで姿を見せなかったことを考えると、ゼータか」

「……何者?」

 

 声に相応しく、まだ幼い容貌の少年がいた。白い髪に、未だあどけなさの残る顔。腰には剣を一本差していた。

 

「君は、ナンバーズのシータだね。『ゼロ』のシータと呼ばれてるんだっけ?」

「……シータはナンバーズの1番。ゼロじゃない」

「それより、どうして私とシータの名前を知ってるのかな?」

 

 重心を低く、警戒したままにゼータが問う。

 

「君たちは少し、俺たちのことを見くびりすぎなんじゃないの?」

「見くびり過ぎ?」

「そうだよ。一体誰が、千年にも渡ってミドガル王国を治めてきたと思ってるんだい?」

 

 少年は嫌らしい笑みを浮かべた。

 

「ナイツ・オブ・ラウンズが一人、フェンリル。それが俺の名前さ」

 




ようやくここまで来ました。一番書きたかった話です。
ウィクトーリアについては、無法都市の時点で仲間かどうか分からなかったので、今回はいません。
次回五章最終話、VSフェンリルです。お楽しみに!


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君たちはフェンリルを侮っていただろう?

本当は昨日投稿しようと思ったんです。存外に長くなってそれは叶いませんでしたが。
各キャラクターの魅力を最大限引き出したつもりです。


「───フェンリル。それが俺の名前さ」

 

 少年───フェンリルはニヤリと笑い、剣を抜いた。

 

「こいつがフェンリル……」

「……思ってたより小さい」

「君に言われたくはないね」

 

 フェンリルに続いて、ゼータ、シータ、ニーナもそれぞれ己の得物を手に取った。

 コミカルな会話とは裏腹に、張り詰めた空気が漂う。

 最初に仕掛けたのは───シータだった。

 

「先手必勝」

「ぬっ!?」

 

 何やら一瞬、魔力を溜めたかと思えば、とてつもない速さの直線軌道で、フェンリルの目の前までやって来る。

 そして、勢いそのままに、ボディーブローをお見舞いした。

 

「また突っ走って……」

 

 体をくの字に折ったフェンリルに対し、シータが更に連撃を打ち込む。

 凄まじい速さで打ち込まれる拳や蹴りに、フェンリルは為されるがまま、不器用なダンスを踊るが如くであった。

 

「むっ」

「少し大人しくしてろ」

 

 だが、そんな一方的な状況は長くは続かない。

 顔面を殴ろうとしたシータの拳が掴まれる。そして、フェンリルは片手でシータを地面に叩きつけた。

 

「うっ……!」

「まだ終わりじゃないよ」

 

 更に今度は首を掴んで、再び地面にシータを叩きつけようとする。

 

「相手はシータだけじゃないよ」

「おっと」

 

 その寸前、楕円軌道を描き、フェンリルに接近する影があった。チャクラムだ。

 その飛来するチャクラムを躱そうと、フェンリルの体勢が一瞬崩れる。その隙に、シータが体幹で足を持ち上げ、フェンリルの体を踏み台に跳んで離脱する。

 チャクラムはフェンリルの服を軽く切り裂き、ゼータの手元に戻った。

 

「危なかった……ナイス、ゼータ」

「油断し過ぎ。もう少し緊張感を持って」

「……善処する」

 

 二人は軽口を交わしつつ、前方を見据える。

 そこには、唇から出た血を拭う少年の姿があった。

 

「この程度かい? 『シャドーガーデン』の実力というのは」

「まさか」

「まだ一割も出してない」

 

 フェンリルの見え見えな挑発に、二人は淡々と答える。

 

「シータまだいける?」

「……全然余裕」

「そう来なくっちゃ」

 

 実際、先程床に叩きつけられていたが、そのダメージを負っているようには見えなかった。

 

「まぁ、久方ぶりの遊び相手なんだ。焦らずゆっくりと楽しもうじゃないか」

 

 そう言うと同時に、今度はフェンリルが仕掛けた。

 無駄なく洗練された踏み込みで、一気に自分の間合いまで詰めてくる。そしてそこから放たれる一閃は、ゼータの首を狙う。それはまさに長年剣を振り続け、無駄を削いだ剣だった。

 

「ほう……」

 

 だが、それは言ってしまえば無駄を削いだだけ。特筆するほど速くもなければ、独特のリズムがあるわけでもない。

 ゼータは簡単にスライムソードで防いでみせた。彼女の主の剣は、もっと洗練されている。

 そうして、防がれたことでできた空白に、割って入った影がある。シータだ。

 横合いから滑り込むように現れた彼女は、手に持った短剣をフェンリルの右腕に突き刺した。

 

「悪くはない」

 

 しかしフェンリルは、赤い鮮血が飛び散るのもお構いなしに、懐に入ってきたシータを剣の柄で殴る。こめかみを打ち抜かれたシータの意識がブレた瞬間に、追撃の蹴りを腹に入れ、吹き飛ばす。

 

「思った以上に手応えがな……うん?」

 

 フェンリルは何か違和感を覚え、首を傾げる。だが、それが分かる前に背後に気配を察知した。

 

「ボクのことも、忘れないでよねっ!」

 

 その気配の正体は、開戦当初から様子を伺い続けていたニーナだった。彼女の剣は『シャドーガーデン』のシンボルたる剣で、実力はその中でも頭一つ抜きん出たものだった。

 だが、それでもこの場にいる者たちからすれば、ワンランク落ちるのは事実である。

 振り向きざまに振られた一閃は、容易くニーナの刀身を打ち砕く。

 

「剣筋は悪くない。後百年も修業すれば、俺にも届き得る……でも、それだけだ」

「くっ……!」

 

 ニーナは間一髪で眼前を通り過ぎる刃を躱す。数本の髪の毛が切られ、はらりと落ちた。

 

「ナイス、ニーナ」

 

 剣を失い、下がるニーナと入れ違いに、起き上がったシータが突っ込む。

 

「またそれかい。もう見飽き……」

 

 そして、勢いは殺さず最短距離で、フェンリルにタックルする。更にその最中に、腰に手を回し、抱きついた。

 

「何の真似だ……ん?」

 

 体幹で何とかバランスを保ったフェンリルが、シータの奇行に眉を(ひそ)めた。

 

「やっちゃえゼータ」

 

 シータが呟いたのと、フェンリルが上を見上げたのはほとんど同時であった。

 先程感じた違和感───あるべき姿が見えなかったという違和感の正体に思い至る。

 

「お待たせ」

 

 上空、漆黒の剣を大上段に構える獣人の姿が見えた。その周囲で、凄まじい程の魔力が渦巻いている。

 

「奥義───」

 

 落ちてくる。自由落下に身を任せ、圧縮された魔力と共に、落ちてくる。

 

「あい・あむ───」

 

 ばっと、フェンリルの動きを止めていたシータが離脱する。先程も見せた、超高速直線移動だ。

 だが、そんなことはどうでも良かった。

 フェンリルの目は、上空の光景に釘付けだったのだから。

 

「───あとみっく・もどき」

 

 世界が真っ白に染まった。荒れ狂う魔力の奔流が世界を染めた。

 

□□□

 

「やった?」

「シータ、こういうとき、それは言っちゃ駄目だよ」

「どうして?」

「シャドウが言ってた」

「ふーん」

 

 砂ぼこりのような、白い霧が辺りを包む中、呑気な話し声が響く。だが、内容は気の抜けたものであるが、声は硬かった。

 

「今のはシャドウ様の……?」

 

 ニーナは混乱しているのか、首を巡らした。勿論、シャドウの姿は見当たらない。

 

「違う違う。今のは私がやったの」

「それは……すごいですね」

「まぁ、主ほどの威力は出ないんだけどね。でも、主が私を助けてくれたときと同じくらいは出てる……といいな」

 

 ゼータが懐かしむように、目を細めた。

 

「ゼータ様───」

「ククク、死ぬかと思ったぞ」

「───っ!」

 

 ゆっくりと白い靄が晴れる中、しわがれた声が響いた。

 

「あれ程の魔力、流石は〈悪魔憑き〉と言ったところか」

「お前は……!」

 

 声のしたそこに立っていたのは、白髪の老人だった。今にも折れてしまいそうな程体は痩せ、深い皺がいくつも顔にはある。

 だが、その見た目とは対照的に、与えてくるプレッシャーは一段と強まっている。

 

「それが本当の姿ってわけか」

「ククッ」

 

 見たところ傷はない。シータに刺された傷も、『あとみっく・もどき』による傷もなかった。

 ぽろぽろと、老人───フェンリルの手の中で剣の柄が崩れ落ちる。既に刀身はなかった。

 

「さて、少し本気を出すとしよう」

 

 そう言って、フェンリルが虚空から剣を取り出した。その剣は彼の身長よりも長く、淀んだ血のような赤色であった。

 

「あれが魔剣『血牙』……」

 

 ───魔剣『血牙』。

 それはかつての有名な剣士が使っていた魔剣だ。その変幻自在の刀身は、圧倒的超射程を生み、理不尽な暴力を相手に一方的に叩きつけるという……。

 

「さぁ、第二ラウンドといこうじゃないか」

 

 そう言ったフェンリルの皺が更に深くなる。何とも醜い顔だった。

 

「ゼータ」

「ん、何?」

「……本気で行く。スイッチ頼んだ」

「オーケー。任された」

 

 不敵な笑みを、ゼータは浮かべる。

 

「ふぅー」

 

 対してシータは目を瞑り、大きく息を吐いた。肺の中の空気を全て押し出すように。

 

「すぅ……」

 

 そして、右足を引くとともに、ゆっくりと息を吸う。肺の中を空気で満たすために。

 

「準備はできたか?」

「待っててくれるなんて、存外に優しいんだね」

「ククッ、『シャドーガーデン』の実力、見せてもらおうか───」

 

 フェンリルは言い終わるや否や、『血刃』を振るう。数メートルと伸びた『血刃』が狙うのは、カンガルー・スタートの姿勢で動かないシータだ。

 シータは、しかし、動かない。

 

「シータ様!」

 

 『血刃』の間合いより外にいるニーナが叫ぶ。

 だが、シータは動かない。

 

 ───いや、ニーナには見えなかったのだ。

 

 気が付けば、『血刃』は空を切っていた。シータの姿はどこにもない。

 

「ほう……ならば、これはどうだ?」

 

 長く伸びた『血刃』が何本もの線を描く。その剣速は、ニーナの動体視力をして、捉えきれないものだった。

 だが、そんな剣も全て空を切る。むしろ、どこを目標に振っているのかさえ、ニーナには分からない。

 傍から見れば、フェンリルが高速で素振りをしているようにしか見えないのだ。

 そんな素振りの軌跡も、徐々にフェンリルを中心に収束していく。『血刃』が短くなっているのだ。短くなる度に、剣速は更なる高みへと上っていく。

 やがて、剣閃すらも形を失い、赤みがかった影しか見えなくなった頃、ピタリと『血刃』が止まる。

 

「見事だ」

 

 直後、フェンリルは吹き飛ばされた。

 

□□□

 

 シータが本気を出せば、体術においてシャドウとも数秒は戦える。

 では、何故数秒だけなのか。それは、全力を出したシータの息が数秒しか保たないからだ。

 シータは全力を出すとき、最初に息を吸ったきり、その後は呼吸をしない。呼吸による空白を省き、極限まで切り詰めたアップテンポで以て、相手を圧倒し、制圧する。それが彼女の戦闘スタイルであり、切り札だった。

 それは並の肺活量では、到底なし得ないものだ。そして、それ故に体にかかる負荷も尋常じゃない。

 そうやって、魂を削る真似をしてでも、やらなければいけないときがあるのだ。

 

 シータは、カンガルー・スタートの体勢から、軽くホップして『血刃』を避ける。だが、その避ける動作で同時に前にも進んでいた。

 続く『血刃』の連撃も、ほとんど軌道を逸らさずに、最小限()()の動きで躱す。

 そう、最小限()()なのだ。

 体には深くはない無数の傷が刻まれていく。それでも、シータの足は止まらない。

 何故余裕を持って躱さないのか。

 答えは単純だ。

 時間がないのだ。シータが動ける時間では、『カップムードル』だってできやしない。

 そんな致命傷だけは避けたような回避で、ほぼ一直線に進む。

 徐々に『血刃』の密度が高まり、裂傷の数も指数関数的に増えていく。このまま血を流し続ければ、遠くない未来に倒れるだろう。

 だが、それよりも前に、シータはフェンリルを己の間合いの内に入れた。

 

「見事だ」

 

 そして、瞬きよりも速く距離を踏み潰し、最大限力の乗ったパンチを打ち込んだ。

 

□□□

 

 フェンリルは何とか急所に来る攻撃をいなしつつ、しかし、反撃には出れないでいた。

 ───この敵は手強い。

 それがフェンリルの印象だ。

 ハイペースで繰り出される一発一発が重い。時折来る"大技"は、防いだ腕の骨を容易く粉砕する。そして、連撃の端々で、拳から、つま先から、膝から、ピック状のスライムが出て、確実にダメージを与えてくる。

 フェンリルはそれらを捌きつつ、魔力で自己修復しながら、それでも防戦に回るしかできなかった。

 そして、フェンリルを悩ませているものはもう一つあった。

 

「ぬっ」

 

 突然シータがしゃがんだかと思えば、高速で飛来するものがある。

 矢だ。

 それも、十全に魔力が乗り、直撃すれば即死しかねないものだった。

 

「ぐっ……」

 

 フェンリルは僅かに体を傾ける。しかし、それでは完全に躱し切ることはできない。

 矢は肩口に命中し、肉は(おろ)か、骨まで削り取っていく。

 即座に回復を試みるが、そればっかりに意識を集中させるわけには行かない。再びシータによる連撃が始まった。

 しかし、その動きは先に比べて些か悪い。

 

「ハッ、もう疲れたか?」

「……」

 

 シータは何も言わない。だが、動きは目に見えて悪くなる。

 やがて。

 

「ぷはっ」

 

 吐き出すように息を吐いたかと思えば、彼女は距離を取る。

 

「ごほぉっ……」

 

 だが、もう限界なようで、片膝を着いてしまった。

 

「シータ! 早く下がって!」

「ぺっ……善処する」

 

 唾を吐き、シータは背を向け退く。

 フェンリルは、その隙を見逃さない。

 

「私に背を向けるなんてな……古流剣術奥義───」

「なっ! シータ避けて!」

「───っ」

「『空蝉(うつせみ)』」

 

 咄嗟にシータはスライムソードを作り、フェンリルの剣の軌道に割り込ませる。

 しかし、フェンリルの剣はその剣をすり抜けるようにして───

 

「シータ!?」

「シータ様!」

 

 真っ赤な花が咲いた。シータは地に倒れ伏す。

 

「お前……っ!」

 

 ゼータがスライムソードを持って、シータの側に立つフェンリルに突貫する。そのままフェンリルを斬りつけた。

 激しい連撃を軽くいなされているが、確実にその場からは離れる。

 その裏で、ニーナがシータを回収する。かろうじて、呼吸はまだあった。

 

「シータの容態は!?」

「まだ何とかなりますっ!」

 

 言いつつ、ニーナは魔力を込める。少しずつ、繊細に傷を癒していく。

 ゼータはシータの容態を聞いて、何も言わず戦闘に戻った。心なしか、動きが柔らかくなっている。

 

「ごふっ……」

「シータ様! ニーナです! 分かりますかっ!?」

「……うるさい」

 

 青い顔をして、煩わしそうにシータは眉を顰める。そして、今も戦うゼータの方を見た。

 ゼータは『空蝉』を警戒してか、間合いを外して中距離戦闘を展開していた。

 剣で『血刃』を弾きつつ、チャクラムとナイフを投擲(とうてき)する。

 だが、それらは簡単に防がれて、決定打にはなり得ていなかった。

 

「……遅かった」

「はい?」

「遅かった」

 

 遅、かった?

 主語が抜けたその言葉は一体何を指しているのだろうか。少なくとも、今のゼータの戦いではないように思えた。

 シータはそれだけ言って、ふっと体の力を抜く。

 

「シータさっ! ……なんだ、眠っただけか」

 

 言いたいことだけ言って満足した顔だ。まだ治療中なのに……。

 ニーナは治療を続けながら、先程の言葉の意味を考える。

 

「さて、もう残り魔力も少ない。全力で行くとしよう」

 

 フェンリルの纏う魔力量が爆発的に増える。それと同時に、嫌なプレッシャーが吹き付ける。

 

「中々楽しかったぞ」

 

 フェンリルが構えると、それら魔力がぎゅっと凝縮され、不自然に自然な空白が生まれる。

 

「見よ。我が『空蝉』を更に昇華させた奥義───『空蝉の血刃』」

「───っ!」

 

 急に背中に寒気が走り、ゼータは大きく飛び退いた。

 直後、霧が割れ、地面が割れる。遅れて赤い剣閃が走った。

 ───それは、本来あるべき順序とは全く逆の現象であった。

 

「くっ……」

 

 そのチグハグな攻撃は、フェンリルが剣を振る度にその数を増やしていく。

 やがて、その数は九つの数字を数えるようになった。

 

「バケモノめ……っ」

 

 その九つの剣閃を、ゼータはかろうじて直感だけで躱す。だが、直感で全てを避けられるはずもなく、浅くない傷が蓄積されていく。

 

「遅い……」

 

 その様子を見ていたニーナは、じっと考える。シータの言葉の意味を。

 遅いとは、単純な剣閃を言うわけではないだろう。フェンリルの剣は間違いなく一級品だ。

 では、攻撃のテンポの話だろうか。いや、それもない。彼の九つの剣はゼータでさえ防ぎ切れていない。

 

「それなら……」

 

 遅い。その主語は何だ。

 フェンリルを観察しろ。何が遅いというのだ。

 剣速、テンポ、反射、現象……。

 

「まさか……」

 

 ニーナははっとして、顔を上げる。

 そう、現象だ。あれは明らかに遅い。()()()()()()()()()()()()()()()()

 それが意味することは───

 

「ゼータ様! 見えているのはダミーです!」

「ダミー!?」

「ほう……」

 

 ニーナも剣を抜き放ち、加勢に向かう。もうシータの治療は終わった。峠は越えただろう。

 

「ダミーってどういうことっ!?」

「考えてみてください! フェンリルの剣は過程より先に、結果が起こっているんですっ!」

「……なるほど。そうか」

 

 得心が行ったように、ゼータは頷く。そして、回り込むように横に飛んだ。ニーナはその反対に回り込む。

 フェンリルを二人で挟み込む形だ。

 

「まさか『空蝉』を見破るとはな……少々見くびっていたぞ」

「シータ様のおかげです」

 

 じりじりと間合いを測る。嫌な汗が、ニーナの背中を伝う。

 

「ふっ……だが、見破るのと見切るのは訳が違う───見切れるかな?」

 

 九つの赤い線が、空中を自在に舞う。その一つ一つが即死級の威力を秘めたものだ。

 それでも、ニーナは震える己の心を叱咤し、全力で踏み込んだ。反対では、ゼータもチャクラムを投擲し、スライムソードを持って踏み込んでいた。投擲をした分、ニーナより一歩遅い。

 

「まずは雑魚からだ」

 

 九つの剣閃が、ニーナを狙う。

 ───見える線は全てダミーだ。

 ニーナは魔力の流れを感じ取ろうと目を瞑る。

 探るのは不自然な魔力の動き……ではない。むしろ、自然な場所が怪しい。不自然な魔力の動きは全てダミーだろう。

 ニーナは不自然に自然な魔力を探る。それは、砂漠から小さなダイヤを見つけるに等しい作業であった。

 とどのつまりは、ほとんど直感で見つけると言っても良かった。

 その直感で持って、一本、二本……と躱していく。どれもあまり速くない。ニーナなら察知さえできれば簡単に避けられる。

 そうして、七本、八本と躱してはたと気付く。

 ───九本目がない!

 ニーナは焦る。もう不自然に自然な魔力はない。では、ダミーの中に本命があるのか? いや───ニーナは目を開けた。

 

「残念だね」

「ぬっ……!」

 

 ニーナは首を狙いに来た『血刃』を受け止める。

 それは直感で防いだというよりも、賭けで防いだというべきだろう。なぜならば───

 

「決めに来るときに、首を狙う癖は治した方がいいよ」

「ほざけ……っ!」

 

 フェンリルが最初の一本目をニーナに向けて放ったときだった。

 

「すぐ後ろの敵を忘れる癖も、治した方がいい」

「がっ……はっ……」

 

 フェンリルの胸に漆黒の刃が突き立てられる。

 むせ返るほど血の匂いが広まり、床にポタポタと垂れ落ちる。

 刃が抜かれ、支えを失ったフェンリルはどさりと地面に倒れ伏す。赤い血溜まりが広がっていく。

 

「ここまでか……」

 

 そう言ったフェンリルの顔は、無念というには余りにも清々しいものだった。

 

「今までで一番手強かったよ」

「当たり前だ……私は……俺は、ラウンズの第五席フェンリルだぞ」

「……右腕は貰っていくよ」

「ふん……好きにしろ」

 

 ゼータは尻尾揺らして、シータを肩に担ぐ。心なしか、いつもより覇気がない。疲れているのだろう。

 

「忘れるな」

「……何が?」

「今回の俺の敗北は、間違いなく円卓が協力する結果を招くだろう。……ごほっ」

 

 フェンリルは血を吐き咳き込む。

 

「数百年ぶりのことだ。その力は───」

「問題ない」

「───侮ると後悔するぞ」

「問題ない。私たちにはシャドウがいる」

 

 興味を失くしたのか、ゼータは顔を背け、扉の方へ歩き出す。

 だが、最後に一度だけ振り向いた。

 

「それに、私は主に拾われたちっぽけな子猫だから」

「……ハッ! 傑物だな」

 

 ゼータは前を向く。もう振り返らない。

 二つ分の無機質な足音だけが、静かに響いていた。




ウィクトーリアがいない分、攻め手が減って苦戦した感じです。
作者の脳内戦力順位としては「シャドウ≫フェンリル≧アルファ>デルタ>ゼータ>ベータ=イプシロン>イータ≫ローズ>クレア>アレクシア」といった感じです。シータは数秒ならフェンリルの上に来るでしょう。
フェンリルはもっと評価されていいと思います。

〈追記〉
前に五章ラストと言いましたが、もう一つだけ話を追加します。クレアさんの話です。


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嵐の後の宴

前半戦は『無法都市』での出来事の復習となっています。詳細が気になる方は原作か、アニメ二期をどうぞ。


 クレア・カゲノーは『無法都市』から王都までの帰路に着いていた。その道中、乗り継ぎの関係で、とある無名の都市に滞在する必要があった。

 これは、そのときの話である。

 

 クレアはぼーっと流れ行く雲を見ながら、思案に耽っていた。

 その内容とは勿論、『無法都市』での出来事に関するものだった。

 ───『無法都市』での出来事。

 今思い出してみても、あたりに現実離れしたものだったと思う。

 始まりはグールの異常発生であった。月が赤く染まり、『無法都市』の至るところでグールが現れた。

 しかも、そのグールは通常の個体に増して、強力な力を持っていたのだ。

 そして、日を経るごとに月の赤さも増していき、グールはより多く、より強く、より凶暴になっていった。

 そのとき初めて、アイリスが言っていた『赤き月』の伝説が本物だったのだと実感した。

 だってそうだろう。誰があのような荒唐無稽な話を信じられるというのだ。話を聞いたときも、半信半疑というより、半分以上疑っていた。

 とまぁ、そんなわけで凶暴化したグールを切る毎日が続いていた。

 がしかし、それも長くは続かなかった。

 

 その日は、一段と月が赤かった。そればかりか、夜が明ける気配すらなかった。

 クレアは前日までと同様に、魔剣士協会の面々と協力して、何とか戦線を築いていた。だが、その日のグールは数、質ともに今までの比ではなかった。 

 戦闘が始まってすぐ、死傷者が続出し、脱走する者も相次いだ。クレアもエリート職員と名乗る者と共闘し、何とか目の前の敵を切っていたが、体力も底を尽き始めていた。

 

『あっ……』

 

 それは隣で戦うエリート職員殿も同じだったのだろう。地面に広がる血により、バランスを崩してしまったのだ。

 

『クローディア!』

 

 クレアは叫ぶも間に合わない。

 そのときだった。

 

『始まったか……』

 

 一瞬にして、周囲のグールが吹き飛んだのだ。そして、その中心で佇む男がいた。漆黒のマントを纏った男だ。

 

『もうお前たちの手には負えない……死にたくなくば、立ち去るといい……』

 

 その声はどこか悲哀を帯びたものだった。

 

『待って! あなたは!?』

 

 去ろうとする彼を、クレアは呼び止めた。それが何故かは分からない。ただ、親近感のような何かを感じたのは事実であった。

 

『我が名はシャドウ……陰に潜み、陰を狩る者……』

『シャドウ……』

 

 シャドウと名乗った男はそれだけ言って、消えた。

 ただ、確実に血の匂いが濃くなっていた。その香りは、この都市に三本ある支配者の塔、その一つである『紅の塔』からしていた。

 

『あっちね……』

 

 

 クレアはその後、メアリーという少女と出会い、共に地下道から『紅の塔』に侵入した。

 途中、『黒の塔』支配者のジャガーノートと戦闘になりつつも、メアリーの秘めたる力で何とか退け、『紅の塔』の最上階にたどり着いたのだ。

 

 クレアたちがたどり着いたとき、既に『血の女王』エリザベートは目を覚ましていた。

 その力は凄まじくクレアたちは足元にも及ばなかった。

 後から合流した『白の塔』支配者ユキメ、ジャガーノート、そして漆黒のボディースーツの一団の力を合わせても、まだ足りなかった。

 ……その際、クレアに謎の力が目覚めたのだが、その話は置いておこう。

 エリザベートに圧倒され、もう駄目かと思ったとき、彼は現れた。

 彼───シャドウだ。

 クレアはその姿を見て、何故か安心してしまった。それ故に、傷を負ったクレアの意識はそこまでだった。

 後から聞いた話によると、シャドウは最初こそ苦戦を強いられていたようだが、最後には強大な魔力によってエリザベートを倒したらしい。

 『無法都市』を出るときに見たが、『紅の塔』は完全に消滅していた。一体、どれ程の魔力だったというのだろうか。

 

 

「はぁ」

「浮かない顔ね。どうしたの?」

 

 そう言って、隣に座ったのは魔剣士協会の(自称)エリート職員、クローディアだ。

 ここはクレアの泊まる宿、その食堂だ。今は夕食時というには早く、客の数は少ない。

 

「まぁ、ちょっとね……」

 

 クレアは曖昧に笑って言葉を濁した。

 彼女との出会いは先に回想したように、『無法都市』での一件のときだ。あれから少し仲良くなって、これから本部に戻るというので、旅路を共にしているのだ。

 

「自分の無力さに少し打ちひしがれていただけよ」

 

 これでどの口で、弟を守ると言えるのだろう。自分の身一つ守れないというのに。

 

「そう……よし!」

 

 クローディアはぽんっと膝を打って立ち上がる。続いて、クレアを立ち上がらせた。

 

「ちょっ……何よっ」

「さぁ行きますよ」

「えっ、いや、どこに?」

「飲みに」

「……は?」

 

□□□

 

 そんなこんなで、クレアとクローディアは手近な居酒屋に足を踏み入れたのだった。

 因みに、ミドガル王国において飲酒の年齢規制はないのでクレアも飲める。普段は全く飲まないが。

 

「とりあえず、そうね……」

 

 クローディアがぱぱっと手早く注文を済ます。

 

「私はウーロン茶に───」

「何のためにここに来たと思ってるの?」

「いやでも……」

「ウイスキーロックで」

「かしこまりましたーっ!」

「ちょっ、せめて水割りで!」

 

 危うく、一杯目でスマッシュするところだった。今は夕暮れだ。おねんねにはまだ早い。

 

「うだうだ悩んじゃうときは、パーッと飲んで忘れるんですよ」

「……忘れちゃいけないときは?」

「一旦忘れて、必要なら思い出せばいい」

 

 本当にそれでいいんだろうか。

 クレアは何となく、周囲を観察してみる。

 そこには、仕事が終わり相棒と共に至福の一時を過ごす者、複数人で宴会を始める者たち、そして連れ添いに何かを言われながら浴びるように酒を飲む者がいた。

 まだ夜の帳は落ち切っていないのに、賑やかなものだった。だが、その賑やかな雰囲気に、クレアの心も少し軽くなった。

 

「あぁもうっ! ホントにムカつくわ。あの老(がい)共」

「ちょっとクローディア? 言葉遣いが普段より……」

「ほらほら、あなたも飲みなさいってばぁっ! ほらほらほらほら」

「いや待ってって。これ度数高いから!」

 

 クローディアに無理やり飲まされ、喉を熱い液体が通り過ぎる。お腹の辺りが熱くなる。

 なんか気持ち悪い。

 

「うっぷ……」

「あっ、あれって、ほら『無法都市』にいた……何だっけ?」

「……どれ?」

 

 クローディアの指差す方を見れば、二人の男が飲んでいるのが見えた。金ピカ鎧と筋肉ダルマだ。

 

「あれ、ゴルドー何とかとクイなんちゃらじゃない」

「あぁそうそう! 二人とも中々の使い手だったね。ちょっとお二人さんっ!」

「あっ……行っちゃった」

 

 クローディアは焼き鳥片手に二人の方へ行ってしまった。完全に出来上がっている。

 二人はクローディアの姿を見て驚き、その様子を見て更に驚いた。

 曰く、「これクローディアさんか!?」

 曰く、「いやまさか……でもバトルパワーは同等……いやそれ以じょ、っておわっ!?」

 曰く、「さぁ二人とも飲むよ!」

 酒場は夜に向け、一段と賑やかさを増していく。周りも巻き込んで、盛大に。見れば、『無法都市』で出会った魔剣士たちの姿もあった。

 この盛り上がりのせいか、酒のせいか、クレアは段々と考え悩むのがバカらしくなってきた。

 ええいっままよっ! とグラスを傾けた。

 

「おーぉ、盛り上がってるねぇ」

「……うん?」

 

 ……なんか頭がぼーっとしてきた気がする。というか、世界が明るい。わぁ、星が回るるるる……

 

「あーぁ、こんな時間から皆んな出来上がっちゃってるよ」

「アンタは?」

「おぉ、ここにも顔が赤い少女が!」

「少女じゃないわヨ。らいねんは、学校そつぎょうするんだからっ!」

「そりゃあすまない。別に悪気があったってわけじゃあないんだよ」

「……ふん」

 

 ……なんかわからないけど謝ったからゆるしてあげようじゃない。シドもまえに「姉さんは心が広い!」っていってたんだから。あたりまえよね。

 

「さてと、俺も混ざりに行こうかな」

「私も行くっ!」

 

 テーブルの中央では、クイントンとクローディアが飲み比べをしていた。すぐにクローディアは潰れてしまったが。

 クイントンが上着を脱いで雄叫びを上げる。歓声が上がった。

 

「次ぃ掛かってくんのは誰だコラァ!」

「じゃあ俺が」

「おっしゃこい!」

 

 先程クレアに、声を掛けた男が名乗りを上げた。

 クレアはそれらをカウンターから楽しそうに眺めるゴルドーの隣に腰掛けた。

 

「君はクレア・カゲノーだね?」

「そうよ」

「『無法都市』でも見たけど、中々強いみたいだ」

「あたりまえよ!」

「バトルパワーは……ちょっと言わない方がいいだろうね」

 

 ゴルドーは意味深に笑うが、その実、顔は青かった。

 みんな赤い顔なのに、青かった。

 

「まったく、しけたつらしてんじゃないわよ!」

「あいたっ!?」

 

 クレアはそんなゴルドーの後頭部をペシンと叩いた。

 

「いい? みんなでさわいで、パーッとわすれるのよ。くろーみあ? あれ、ひあ? とにかく、いってたわ!」

「そ、そうかい」

 

 ゴルドーは引き気味だった。

 

「おっ、こっちも盛り上がってるのかい?」

「アンタさっきの」

 

 後ろを振り返ってみると、クイントンが潰れていた。グースカとクローディアと並んで寝息を立てている。

 

「まぁまぁ、俺にも名前ってもんがあるのさ。アンタじゃなくて名前で呼んでくれたまえ」

「なまえしらないわ」

「あれまぁ、名乗ってなかったっけか。俺はそうだねぇ、ディディと、そう呼んでくれ」

「でで?」

「ハハッ、舌が回ってないね」

 

 ディディと名乗った男は肩を揺らして笑った。

 

「あんた……いや、ディディ、もうクイントンを潰したのか?」

「うん? あぁ、彼のことね。そうだよ。一番高い酒で勝負したら、飲み慣れてなかったのか、すぐに潰れちゃったんだよ、彼」

「なるほど……」

「いやぁ、儲かった。ただ酒ほど美味いものはないからねぇ」

「ハハハ……」

 

 さっきからゴルドーだけこの雰囲気について行けてない。やはり、盛り上がるためには知能を同じレベルまで落とさねばならないのだろう。

 

「ところで、最近何か面白い話ない?」

 

 ディディもカウンターの席に座る。

 

「ついこのまえ、『あかきつき』がげんじつになったわ!」

「ほう。『赤き月』の伝説がねぇ……他には?」

「すごいんだから! しゃどうは! どんなだったかみてないけど……」

「シャドウかぁ。……そっちの金ピカ君は、何か面白い話ない?」

「ここでオレに振るのか……そうだな。オリアナ王女の結婚式、なんてどうだ? 近々やるらしいぞ」

「ほうほう。オリアナ王国ねぇ……」

 

 楽しい雰囲気には、人が寄ってくる。客が客を呼ぶように、次々と店内に客が入ってくる。盛り上がりは最高潮で、それはもう喧騒であった。

 今日の夜の中心はここだ、とばかりにみんなが騒ぐ。

 そんな中、一人だけ静かに姿を消す者がいた。

 

「面白そうだねぇ。次はオリアナに行こうかな」

 

 それに気付く者は一人もいない。

 クレアも悩みを忘れ、この一時を大いに楽しんだ。

 

 翌日、生まれて初めての二日酔いにクレアが苦しめられたのは、想像に難くないだろう。

 




クレア「もう二度とお酒なんて飲まないわ……」
クローディア関連は捏造したものです。あと地味に、ゴルドー何とかさんと、クイなんちゃらさんは奴隷落ち回避しました。
なんか怪しい男が動きましたね。


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幕間 ガンマのお仕事

次に繋がる幕間です。お仕事要素は少ない気がします。


「……以上が、今月の売り上げでございます」

「そうですか」

 

 ガンマはびっしりと数字と文字の書かれた書類から視線を落とす。

 

「これまた随分と、業績が伸びてるみたいね」

「はい」

 

 そこに記されていた数字は、先月の二倍近いものであった。普通、一月でそんなに数字が跳ね上がることはない。まして、こちらが何かをしたわけでもないのに。

 これではまるで……

 

「大商会連合の方は?」

「はい。だいぶ足並みが乱れてきたようで、現状は互いが互いの足を引っ張り合っている状態です」

 

 ということはやはり、大商会連合の客が『ミツゴシ商会』に流れているということなのだろう。

 

「急増の連合だから足並みが揃わなかった……? でも、教団がバックにいてそんなことが起こりうるのかしら……」

「一度、アルファ様に相談してみてはどうでしょう?」

「……そうね」

 

 向こうの動きに不明瞭なものが多過ぎる。『ミツゴシ商会』はガンマの管轄とはいえ、一度きっちり離し合っておくべきだろう。

 それはそうと。

 

「ところで、『無法都市』での主さまはどんな感じでした?」

「はい? どう、というと?」

「単刀直入に言えば……カッコ良かったですか?」

「……はい」

 

 それから、ガンマとニューはしばらく談笑をした。

 

□□□

 

「それで、今日はどうしたの? ガンマ」

 

 部屋に入り、軽い挨拶を交わして、早速とばかりにアルファはそう言った。挨拶の後に、世間話のような会話がないのに違和感を持つのは、普段から貴族や商人を相手にしてるからだろうか。

 

「大商会連合の件です。まずはこれを」

 

 それは先日ガンマも目を通した資料だ。昨月の売り上げと今月の売り上げ、その比較のデータが載っている。

 

「それとこちらも」

 

 こっちの資料には、『ミツゴシ商会』の出店地域とそれぞれの収益、何が売れているかなどが記載されていた。

 

「……随分と調子がいいようね。何かしたの?」

「いいえ、『ミツゴシ商会』は何もしてあません」

「『ミツゴシ商会』は、ね」

「はい」

 

 アルファが目で続きを促す。

 

「大商会連合の収益については目下調査中ではありますが、上がってきた報告によると、品不足により客が流出しているようです」

「品不足?」

「はい。ガーデンの者を使い"盗賊狩り"と並行して調査を行いましたところ、『ミツゴシ商会』関連でない馬車の襲撃された跡がいくつも見つかりました。恐らく、大商会連合のものと思われます」

「つまり、彼らは内部ゲバルトを起こしていると?」

「はい。そう思われます」

「そう……」

 

 アルファは顎に手を当て、何やら考え込む。

 

「大商会連合に何か大きな動きはあったの?」

「いえ、そのような報告はありません。ガーター商会は未だ健在ですし、その裏にいると思われる教団の者───月丹にも大きな動きはありません」

「……ガンマの考えが聞きたいわ」

「はい」

 

 ガンマはここに来るまでに考えていたことを語る。

 その内容をざっくり要約するなら、裏で大商会連合を操る月丹、あるいは、更にその上にいる者の身に何かがあったというものだ。

 そして、ここで言う何かとはつまり、殺害されたということである。

 

「……ですが、月丹が殺された程度でフェンリル派の操る大商会連合の手綱が手放されるとは思えません。とするとやはり……」

「フェンリル派のトップ、つまりフェンリル自身が討ち取られたと?」

「はい」

 

 これはあくまで推論であるが、その可能性は限りなく高いように思われた。

 だが、だとすれば何故殺されたか、という疑問が残る。

 長らくミドガル王国を支配してきたのはフェンリルだ。ゼノンの一件でしくじったとはいえ、教団に切り捨てられるような人物ではないだろう。

 しかし、同時にフェンリルを潰せる勢力がいるかと言われれば……『シャドーガーデン』でないとすれば、教団しかいないのだ。

 そもそも、あの『ミドガルの悪鬼』であるフェンリルを倒し得る者だって、数える程しかいないのだ。

 

「これは……教団じゃない別の勢力がいるかもしれないわ」

「アルファ様もそう思いますか?」

「だってそうでしょう。大商会連合が息を吹き替えしてきたこのタイミングで、教団がフェンリルを殺すとは思えない」

「逆に、このタイミングだから殺したということはないのでしょうか? つまり、フェンリル派と敵対する派閥が、足を引っ張ろうとした可能性です」

 

 アルファは少し考え、ゆるゆると首を振った。

 

「それはないわ。第一、それができるならもっと早くやっているでしょう」

「今までタイミングがなかった、あるいは最近になってその術を見つけた、とか」

「そこまで考えると、キリがないわね」

 

 はぁ、とアルファはため息を吐く。

 

「……お疲れですか?」

「いえ、大丈夫よ。ただ、またやることが増えてしまったようね」

「そのようです」

「でも」

 

 アルファは決意の固い眼差しでガンマを見る。いや、その瞳に映るのは、ガンマでない別の何かだろう。

 

「彼……シャドウに裏社会を明け渡す。それを阻む者には、決して容赦はしない」

「存じております」

 

 ガンマも、アルファのその様を見て決意を新たにしたときだった。

 

「がぅー! デルタはただいま戻ったのです!」

 

 騒がしい声とともに、バンと勢いよく開かれた。窓が。

 

「デルタ。入るときは窓からじゃなく、扉からといつも言ってるでしょう?」

「ご、ごめんなさいなのです……」

 

 アルファに怒られ、デルタはしゅんと尻尾を丸める。しかし、何を思い出したのかすぐにニパッと笑った。

 

「聞いてくださいアルファ様!」

「その前に報告があるでしょう?」

「帰り道で誰に会ったと思うっ!?」

「デルタ?」

「あぅ……分かったのです」

 

 また怒られてしゅんとなっている。ガンマの言うこともあれくらい素直に聞いてくれれば、もっと仕事も振れるのだが……。

 

「デルタはちゃんと黒いジャガを狩ったのです!」

「黒いジャガ……?」

「多分『黒き塔』のジャガーノートのことね。頼んでおいたのよ」

「ジャガーノート……あぁ、そういうことですか」

「えぇ」

「アルファ様! デルタちゃんとやった!」

 

 デルタは褒めて褒めて! とはがりに尻尾を振っている。

 

「はいはい。偉いわね、デルタ」

「ボスも褒めてくれる!?」

「彼なら褒めてくれるでしょうね」

「やった!!」

 

 かなり機嫌が良さそうだ。

 

「これでデルタがナンバー2になる日も……」

「あっ?」

「な、なんでもないのです……」

 

 何回目だろう。デルタの機嫌が急降下する。浮き沈みの激しいことだ。

 

「そういえば、さっき何を言いかけてたの?」

「あっそうです! 聞いてほしいのです! アルファ様!」

「何かあったの?」

「帰り道でボスに会った!」

「シャドウに? ……確か、彼も『無法都市』に行っていたわね。何か言ってた?」

「『赤は終わった……次は黒か』って言ってた!」

「赤は『赤き月』のことね。じゃあ黒は……?」

「違うのです!」

「違うって『赤き月』のこと?」

「それはわかんない! ボスが古い紙くれた!」

「紙?」

「これ!」

 

 デルタが口の中から折りたたまれた紙を出した。

 

「べちょべちょじゃない……なんで口の中に入れてるのよ……」

「むっ、ガンマ! お前には関係ないのです!」

「そんなことはないでしょう。主さまからの言葉なら、ガーデンに向けての可能性もありますから」

「何言ってるかわかんない! ガンマ、もっかいどっちが上かわからせた方がいいですか?」

「うっ……」

 

 ガンマの中で嫌な記憶が呼び起こされる。デルタに馬乗りにされている記憶だ。

 

「デルタ。その辺にしておきなさい」

「でもガンマが……」

「デルタ」

「あぅ……分かったのです」

 

 アルファがべちょべちょになった紙を広げ中を見る。

 デルタのことだ。どうせ失くさないようにと口の中に入れていたのだろう。

 

「これは……地図?」

「見たところ、王都周辺のものではありませんね」

「そうね……いえ、この地形見覚えがある気がするわね。どこだったかしら?」

「言われれば……」

 

 二人してうーんと首を捻るが中々思い出せない。確かに、ガンマにも心当たりがあるのだが……。

 

「これ、ボスの姉さん助けたところにそっくり!」

「クレア様の……」

「……あぁ、オルバがいたところね」

「───っ! そういえば、このような地形でしたね」

 

 あれは二年前の話だ。攫われたクレア・カゲノーを救うためにシャドウとガンマ以外の『七陰』で襲撃した場所そっくりであった。

 

「デルタお手柄よ」

「えっへん!」

 

 ガンマが地図をよく見てみると、何やら星印が付けられた場所があった。

 

「アルファ様」

「えぇ、ここに何かがあるのでしょうね」

「ガーデンを派遣しますか?」

「勿論」

「ではそのように」

 

 ガンマは礼をして、部屋を出る。

 後ろからはアルファとデルタの楽しそうな声が聞こえてきた。

 

□□□

 

「へー、主がそんなことをねぇ……」

「そうなのよ、ゼータ」

 

 翌日、ガンマが執務室で仕事をしていると、来客があった。

 ゼータだ。

 彼女は部屋の窓から音もなく侵入してきた。獣人は扉から入れない呪いにでもかかっているのだろうか。

 

「でもそうか。赤の次は黒、ね」

「何か分かる?」

 

 ガンマは主が呟いたという言葉の意味が分からず、仕事にも少々手がつかないでいた。何か、重大な見落としでもあるのではないだろうか、と心配だったのだ。

 

「普通に考えるなら、色に関係する何かを表してるんだと思うけど……」

「色……赤と黒で思い浮かぶのは『紅の塔』と『黒き塔』かしら」

「それはあるかもね。実際、"赤"、"黒"の順に落ちてるわけだし」

「でも、なんか釈然としないのよね」

「うーん……」

 

 ソファに寝転がりながら思案するゼータ。ピクピクと耳が動いている。

 とても静かな時が流れた。

 

「あっ」

 

 やがて、静寂を居心地悪く感じ始めた頃、何かを思いついたように、ゼータが声を上げた。

 

「何か分かったの?」

「確証はないけど……」

 

 ゼータは体を起こす。

 

「『黒キ薔薇』って知ってる?」

「一応は……確か、一夜にしてベガルタ兵十万を葬ったという伝説が残る存在、でしたよね」

「そう。実際どんなものかは分からないけど、実在してるのは間違いない」

「その『黒キ薔薇』が?」

 

 ゼータは「うーん」と考えるように視線を彷徨わせてから、「これは私の推測だけど」と前置きして、自身の考えを口にした。

 

「次に教団が動くのはオリアナ王国なんだと思う」

「オリアナ王国? 何か繋がりが……いえ、あるわ……」

 

 何を隠そう『黒キ薔薇』の伝説はオリアナ王国に残る伝説なのだ。滅びそうになったオリアナ王国が用いた手段、あるいは解き放った存在。それが『黒キ薔薇』なのだから。

 

「そして、今オリアナ王国では式典の準備がされている」

「なるほど……でも、結婚式で何を?」

「それは分からない。向こうにはイプシロンがいるはずだから、彼女に聞いてみた方がいいと思う」

「そうね……助かったわ、ゼータ」

「ふふん」

 

 礼を言うと、ゼータは得意げに喉を鳴らしてまたソファに寝転がる。

 

「そういえば、見たよ」

「見たって何を?」

「子どもが道端でお札のタワー作ってたのを」

「あぁ……」

 

 その報告はガンマの耳にも届いていた。大商会連合も信用創造により紙幣を発行していたのだが、取り付け騒ぎで信用崩壊したのだ。

 まだそれほど広まっていたわけでもないのに、信用崩壊したということは、それだけ向こうが弱っていたということだろう。

 その信用崩壊のせいで紙幣は紙くずへと姿を変え、今や子どものおもちゃとなっていた。

 

「ガンマの鮮やかなる手練手管で、大商会連合も大慌て! みんなそう言ってたよ」

「そんなこと、誰から聞いたのよ……」

「街の噂だよ」

 

 改めて言うが、ガンマは何もしていない。

 だが、その大商会連合関連で一つ思い出したことがあった。

 

「そういえばゼータ。最近怪しい組織とかない?」

「怪しいって、教団関連ってこと?」

「そうではなくってですね……」

 

 ガンマはアルファとの会話の一部をゼータに話した。要は、まだ見ぬ地下組織がいる可能性についてだ。

 

「あぁ……」

 

 それを話すと、心当たりがあるのかゼータは呻くような声を発した。

 

「何か分かる?」

「いや、ちょっと分かんないかな」

「そうですか」

「そうそう」

 

 会話も途切れ、二人の間に沈黙が訪れる。ガンマがペンを走らせる音だけが響いていた。

 

「さて、そろそろ行くよ」

「次はどこに?」

「ベガルタか、ラワガスかかな」

「ベガルタにはベータが向かってるわ」

「また? でもそっか。なら、ラワガスかな」

「面倒臭がらず、ちゃんと報告するのよ?」

「相分かったよ……じゃ、バイバイ」

 

 ひらひらと手を振って応えるゼータは、来たときと同じように窓から退出した。

 集中していたためか、それを気にも留めなかったガンマは、彼女の去り際の言葉を聞き逃すこととなる。

 

「まだ知られるわけにはいかないんだ。悪いねガンマ、みんな」

 

 金色の猫は溶けるように闇夜に消えたのだった。

 




シャドウ「赤(の塔から金を奪うの)は(失敗に)終わった……次は黒(き塔から)か」
大体ガンマが考えた通りでした。
次回からオリアナ王国編です!


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六章 オリアナ王国
オリアナ王国へ


お久しぶりです。


 結局、『無法都市』以来特にめぼしい事件などはなく、僕は大いにモブライフを満喫していた。勿論、裏ではちょこっと盗賊狩りもしてたけどね。

 流れとしては、秋休みが終わり、学園生活が始まって、モブ友たちと薄っぺらな友情を確認し合いつつ、時々アレクシアや姉さんの妨害を捌きながら、中間、期末テストをカンニングで乗り切って、ようやく冬休みになろうとしているところだった。

 僕が姉さんに呼び出されたのは、そんな時だった。

 

 呼び出されたのは、女子寮にある応接室だった。うん。かなり豪華だ。

 何故そんなところに呼び出されているのかといえば……いや、そもそもなんで正真正銘男児として生を受けた僕が女子寮に入れているのかと言えば、

 

「それで、ローズ先輩の件なのだけど……」

 

 この国の王女、アレクシア・ミドガルも同席しているからだった。

 

「私の護衛として、クレアさんにも一緒に来てもらうことになったわ」

「へぇー」

 

 どうやらアレクシアがオリアナ王国へと行くための護衛の一人に、姉さんが選ばれたらしい。

 なんか『無法都市』の一件で姉さんの株が上がったようだ。ジャガが言うには、魔剣士協会のエリート職員さんが姉さんをべた褒めしたのだとか。

 万事順調そうで何よりだ。

 僕は弟として誇らしいよ。

 

「アンタも来なさい」

「嫌だ」

 

 でも、だからと言って僕を巻き込まないで欲しい。王女の護衛とか、いや護衛じゃなくても近くにいるのすら、僕は嫌なんだ。

 ここまで歩んできたモブライフにそんな刺激は必要なかったし、これからのモブライフにも勿論必要ない。

 僕は、極めて論理的にこの誘いを棄却する言い訳を考えた。

 

「あっ、そういえば親にも顔見せないとなー。夏休みも秋休みも帰ってないし」

 

 勿論帰る気なんてさらさらないけどね。呼ばれたら帰るけど。

 ふっ、完璧だ。いくら姉さん、アレクシアとて、極めて論理的なこの言い訳には対抗できまい。

 

「あのハゲには冬休み中は帰れないって言っといたから大丈夫よ」

 

 なん……だと……。

 

「残念ながら、あなたに拒否権はないわ。シドくん」

 

 語尾にハートマークが付きそうな声音でアレクシアが言う。なんか背中にゾワッときた。なんだろう。

 

「ローズ先輩の望みでもあるしね……」

「何か言った?」

「いいえ、何でもないわ」

 

 かくして、僕は護衛……というより研修生的な立場で、オリアナ王国へと行くこととなった。

 

 あっ、そうそう。言い忘れてたけど、何でアレクシアがオリアナ王国に行くのかと言えば、ローズの結婚式があるからだ。相手は宰相のドエム・ケツハットらしい。中々ダンディーな声のおっさんだ。

 もうローズは一足先にオリアナ王国に戻っている。冬休みの前倒しが羨ましい。

 

 そして、冬休みがやってきた。

 

□□□

 

 オリアナ王国の王都までは馬車で片道三日かかるという。僕は姉さん、アレクシア、あともう一人護衛が乗った馬車で流れる雲を眺めていた。因みに、護衛の名前はマルコだそうだ。

 どこかで聞いた気がするけど、まぁいいか。

 

「随分と寂しいわね」

 

 ふと、アレクシアが呟いた。四人も乗っているのに、何を言っているのだろう。

 僕はそう思ったが、何も言わない。僕は女性には恥をかかせない主義なんだ。一応、アレクシアも女性だからね。

 

「四人も乗っているのに、何言ってるの?」

 

 おっと、流石姉さんだ。誰も言わなかったことを平然と言ってのけた。そこには別に痺れないけど。

 

「違うわ。さっきから一台も馬車とすれ違わないことを言ってるのよ」

「確かに……」

 

 姉さんは馬車から身を乗り出して周囲を見渡す。

 僕も軽く魔力を飛ばして周囲を見てみるが、確かに……うん? いや、結構いる。最近よく見る盗賊みたいな奴らが相当数いる。

 ざっくり二、三ダースくらいはいるね。

 でも、襲ってくる気配はない。というか、気配を消して潜伏中のようだ。バラバラになって、哨戒している奴もいる。

 こんなところで何してるんだろう。こんな国境近くで。

 

「本当に誰もいないわ」

 

 姉さんは座り直してそう言った。

 いるけどね。

 

「えぇ。誰もいないなんておかしいと思わない? まして、王女の結婚式なんて国を挙げて祭りをしているだろうに」

 

 いや、ダース単位でいるけどね。

 

「ねぇ、シドはどう思う?」

 

 むっ、ここで僕に振るのか。どう応えるべきか……うん。なんか面倒くさい。

 よし、寝たふりだ。

 

「すぴー」

「あら寝てるの?」

 

 そうそう。寝てるの。

 

「もう食べられ……うぐっ!?」

「いえ、起きてるわ」

 

 姉さんがエルボーで僕の鳩尾を正確に撃ち抜いた。辛うじて、正中線から外すことには成功したが、反応が遅れていたら今頃悶絶していたことだろう。

 その一連の流れを見て、アレクシアは少し引いているようだ。

 

「ゲホッゲホッ……いきなり肘打ちは酷いよ」

「うたた寝するアンタが悪いわ」

「いや、やることないし……」

「それより、さっきから誰ともすれ違わないんだけど、どう思う?」

「うーん、盗賊に襲われてるんじゃないかな」

「真面目に答えなさい」

「そう言われても……」

 

 それからまだ一悶着あったが、無事に三日間の行程を終え、僕たちは無事に王都に着くことができたのだった。

 因みに、国境を越えるとそれなりに馬車は見かけるようになった。

 

□□□

 

 木々すらも眠るほど夜が深くなった頃、イプシロンはスライムスーツに身を包み、森の中を歩いていた。

 後ろに続くのは三人。今回の作戦に際してアルファより推薦された664番と665番、そして構成員の中でも抜きん出た強さを持つ559番だ。

 

「このすぐ先です」

 

 559番の視線の先には、既に廃れた遺跡があった。その中には怪しげな集団がいる。

 

「全部1stチルドレンね」

「はい」

 

 これだけ1stチルドレンが集められているのだ。今回は当たりかもしれない。

 

「計画通りに」

「はい」

 

 559番は返事し、追従するように他二人も頷いた。

 ここはサイショ砦の近くにある森の中だ。サイショ砦はつい二日前にドエム派によって落とされた。その際、ネームドチルドレンが動員されたのが確認されている。

 故に、この地に何かがあるというのがイプシロンの見解だ。

 今回はその何かを特定、物品などであれば、回収することが目的である。

 

「あれは……『疾風』のクアドイ。教団の幹部です」

「当たりみたいね」

 

 突撃の号令をかけようとしたイプシロンは、クアドイの隣にいる人物を見て、それを思い留める。

 

「ではレイナ王妃、祭壇に手を」

 

 ───どうして王妃がここに? いやまさか、ここに鍵があるということかしら?

 イプシロンは559番に目配せする。559番は頷いた。 

 王妃が祭壇に手をかざすと、祭壇は光輝き、魔術文字を浮かび上がらせる。

 やがて光は収束し、祭壇上には小さな指輪が現れる。

 

「これが、オリアナ王国の……」

「───行けっ!」

「なっ!?」

 

 イプシロンが命じた途端、三つの影が飛び出した。その影はみるみるうちに、チルドレンたちを斬っていく。あれよあれよと地獄絵図だ。

 それだけではない。イプシロンから放たれた見えない刃が正確に、豆腐を切るようにチルドレンを切り裂くのだ。

 瞬く間に、二十人ほどが地に倒れ伏す。残ってるのも丁度同数程度だ。

 

「貴様ら、何者だッ!」

「お前に名乗る名はない」

 

 じりじりとチルドレンたちを遺跡の奥へと追い込んでいく。

 

「大人しくその指輪を渡してもらおう」

「なっ……貴様らこれが何か分かっているのかッ!?」

 

 クアドイが目を裂けんばかりに見開いた。

 イプシロンは何も答えない。

 大鎌に魔力を込めつつ、距離を詰める。

 そのときだった。

 

「───なっ!? ぐっ……!」

「イプシロン様!?」

 

 風切り音が聞こえたかと思えば、背中に鋭い痛みが走った。

 イプシロンは痛みを堪えながらも振り返る。

 

「ほう、イプシロンというのか」

 

 男だ。燃えるような赤髪の男が入り口に立っていた。男はゆったりとした歩調で入ってくる。

 

「一撃で倒せなかったのは、随分と久しぶりのことだ」

「あなたは……」

 

 イプシロンが誰何(すいか)すれば、男は優雅に一礼してみせた。そして、名乗る。

 

「私はナイツ・オブ・ラウンズ第九席『人越の魔剣』モードレッド」

「くっ……よりにもよって、ラウンズ……!」

「ククッ、やはりここを襲いにきたな」

「も、モードレッド様! 助けにきてくれたのですか! さぁ、二方向から挟み撃ちに───」

 

 モードレッドの姿を見たクアドイは、目に見えて分かるほど声を弾ませ、剣を構える。その動きに合わせて、チルドレンたちも剣を構える。

 モードレッドはそんなクアドイへ向け、手を振った。

 直後、赤い花が咲く。クアドイだったものはがたっと崩れ落ちた。

 

「少し考えれば、そんなわけがないことなど分かるだろうに」

 

 モードレッドはやれやれとため息を吐く。

 

「さて、イプシロン嬢。舞踏会はまだまだ始まったばかりだ。ごゆるりと楽しんでくだされ」

「……あら、私はダンスが苦手だけどいいのかしら?」

「御冗談を。シロン嬢」

 

 モードレッドは肩を揺らして笑う。

 

「さて、こうして歓談するのも悪くはないが───」

「あなたたち、逃げなさいッ!」

 

 イプシロンが叫ぶと同時に559番は動いた。近くにいたチルドレンを真っ二つに裂きつつ、空いた手で665番を回収する。そして、そのまま流れで未だ呆けて動けていなかった664番を回収した。

 だが、出口にはモードレッドがおり、559番の手は塞がっている。

 モードレッドが剣を構えた。

 

「シッ───!」

 

 そのモードレッドへ不可視の刃が迫る。 

 モードレッドはギリギリのところでその刃を躱した。頬にピッと赤い線が入る。

 その間に、559番は遺跡から脱出する。

 

「まんまと逃げられたな。まぁいい」

 

 ちらりとその姿を見たモードレッドは、イプシロンに向き直る。余裕のある笑みを浮かべていた。

 

「主さま、力を……」

 

 未だ傷の癒え切っていない背中を庇いつつ、イプシロンは大鎌を構えた。

 




いつもは作っていないのですが、本章からは原作とだいぶ異なっていくためにプロットを作ることにしました。その都合上、章と章の間は投稿が遅れそうです。ご了承ください。
イプシロンの明日はどうなるか! お楽しみに!


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二人の王女

 僕らはオリアナ王国の王都に着くと特に観光などはせずに、そのまま王城まで直行した。というか、街道封鎖とかされていて、気軽に観光とか言えるような雰囲気じゃなかったのだ。

 あんまり目立ちたくはないのだが、せいぜい外から見えないように、端で縮こまっているとしよう。

 そんなわけで王城に着いた僕らを出迎えたのは、ドエム公爵だった。ローズの婚約者であり、なんかゴジャースだった。

 

「ようこそ御出くださいました。アレクシア王女」

「此度はお招きいただき、ありがとうございます。ドエム公爵」

 

 なんだろう。二人とも笑ってるのに、空気が張り詰めてる気がする。

 ……よし、気のせいということにしよう。僕はモブだ。モブはモブらしく、モブ道を極めるべし。

 というわけで、空気になるべく気配を消し、ことの成り行きを見守る。

 

「予定より幾分早めに着いてしまいましたが、よろしかったでしょうか?」

「問題ありませんとも。さて、長旅でお疲れでしょう。部屋を用意させているので、どうぞそちらでお休みください」

「お心遣い、感謝いたします」

 

 ドエムの案内に、僕らはついていく。その後ろからは更に、護衛と思われる騎士たちも同行していた。

 

「ところで、ローズ王女はどうしていらっしゃいますか?」

「この時間だと、庭園を散歩している頃合いでしょう。よろしければ、芸術の国オリアナが誇る庭園を、後にご覧になられてみてはいかがですか?」

「えぇ、是非お願いします。できれば、()()に解説していただけると嬉しいのですが」

「……一応、聞いておきましょう」

 

 どうやら、話は一段落ついたようだ。

 と、そこで僕はあることに気付く。ドエムのポケットが不自然に盛り上がっているのだ。

 僕は誰にも視認できないほどの速さで、スリを敢行する。ポケットの中にあったのは、小さな箱だった。

 中身は指輪だ。少しだけ魔力が宿っていて、中々の値打ちものだ。

 ……これ、結婚指輪じゃないだろうか。うん。きっとそうだ。

 ローズ先輩の結婚式をぶち壊すわけにもいかないので、僕はそっと元に戻しておいた。

 

「おや、着いたようですな」

 

 丁度そのタイミングで、用意してた部屋とやらに到着したようだ。

 ドエムは一言、二言何か言って、立ち去る。

 

「嫌な男ね」

 

 ドエムが見えなくなってからアレクシアが、小さな声で呟いた。

 僕は最後まで何も喋らなかった。

 

□□□

 

 日も暮れて、夜。僕らは庭園にいた。

 

「お久しぶりですね。ローズ()()

「そうですね」

 

 どうやら、昼に言っていた通りドエムは話を通したようで、その日の夜にこうして時間が作られたのだ。

 見たところ、ローズに外傷などのようなものはなく、健康そうである。

 良かった。家庭内暴力とかなくて。

 いつものようにロールしている髪に、普段は見ないドレス姿だ。ドレスと言っても、式典で使うような華美なものではなく、私服のようなものだ。

 こうして見ると───

 

「こうして見ると、本物の王女みたいだ」

「ちょっ、アンタ何言ってんの!?」

 

 あ、アカン。声に出てた。

 姉さんが僕の頭を鷲掴みにして、頭を下げさせる。なんか骨がみしみし言ってて痛い。

 

「ふふっ、別に構いませんよ。私とシド君の仲ですから」

 

 一体どんな仲だと言うのだろう。友達?

 

「は、はぁ……」

 

 姉さんはよく分からないが、お咎めなしで良かったという顔だ。ほっと胸を撫で下ろした後、僕を一瞥し睨んだ。

 もう変なことするんじゃないわ、という声が聞こえてくるようだ。怖い怖い。

 

「さて、こんなところで話すのもあれですから、少しお庭の方を見て行きましょう」

 

 ローズはそう言って歩き出す。その横にはアレクシアが並んだ。

 

「素晴らしい庭園ですね。芸術の国が誇るというのは伊達ではないようです」

「お褒めいただきありがとうございます」

「あちらの花はなんと言うのでしょう?」

「あぁ、あれはですね───」

 

 二人が会話しながら進むのを、僕と姉さんは後ろからついていく。他にも、ローズの護衛もいるが、マルコの姿はない。彼は今、控え室で待機中だ。

 僕は、この二人の会話に少しだけ違和感を覚えた。別に普段の二人の関係を知っているわけではないけど、どことなく距離を感じる会話だ。その距離とは、ドエムとアレクシアの間にあった距離とも異なるもののように思える。

 まぁ、よく分かんないけど。

 

「───と、アーティファクトにより温度を一定に保っているのですよ」

「へぇ、それはすごいですね」

 

 今はどうやってこの花を育てているのかについて、ローズが話していた。アレクシアは感心したように、頻りに相づちを打っている。

 

「一通り見て回りましたが、いかがだったでしょうか?」

「とても良かったです。昼に見ればこそ、広がる花々に圧倒されたのでしょうが、月の下で輝く花もまた、神秘的であり格別に美しいものでありました」

「満足してくださったようで何よりです」

 

 ローズは微笑んだ。

 

「さて、長旅を終えた日に、こうして長時間外にいるというのもお辛いでしょう。つきましては、今から私の部屋でお茶でもどうですか?」

 

 その提案に、アレクシアが意味深に目を細める。

 いいな、それ。僕も意味深に目を細めておいた。

 

「お待ちを。ローズ様。もう夜も深いことですから……」

 

 そこで護衛の一人がローズに待ったをかける。

 しかし、ローズは申し訳無さそうな顔で食い下がる。

 

「久しぶりに会ったのですから、もう少し良いでしょう?」

「いや、しかし……」

「私は構いませんよ」

 

 アレクシアの援護で、護衛の人は頭を下げて退いた。

 なんか、今息がぴったりだった。

 

「それでは、私の部屋に参りましょうか」

「えぇ」

 

□□□

 

 ローズの部屋の前まで来て、結局入れたのはアレクシアと僕だけだった。姉さんと護衛は外で待機している。

 姉さんは「どうしてシドはいいの!?」と言っていたが、僕にもそれは分からない。

 だが、アレクシアが何かを囁くとやる気を出したようで、ローズに詰め寄っていた護衛たちを威圧していた。

 気配を探れば、今も扉の前で仁王立ちしていることが分かる。本当に何を言われたのだろう。

 

「どうぞ、お座りください」

 

 とまぁ、そんなわけでローズに促され、僕たちはソファに腰掛ける。すごいふかふかしてる。

 

「それで、何の話でしょうか。単刀直入に話していただけるのでしょう? ()()

 

 席に着くなり、アレクシアがそう切り出した。

 僕はここでの身の振り方を考える。どうすれば、モブっぽいか。

 自主的に話すのは勿論駄目だ。でもかと言って、何のリアクションも取らないのは?

 今この雰囲気は、明らかに大事な話をしますよ! というものだ。

 そんな話を聞いて、モブならどうする?

 当然、相応のリアクションをして然るべきだろう。

 

「はい、勿論です」

 

 ローズは首肯した。

 

「ですが、その前に───先程、父上……陛下が崩御なされました」

「なっ! それは……」

「……」

 

 ここで驚くべきだろうか? でも、何か前置きみたいな感じだったし、もっと重大な発表があるかもしれない。

 そう思い、ここは一旦スルーを選択する。

 

「申し訳ありませんが、まだ公にはされてませんので、口外はしないでいただきたいです」

「分かりました」

 

 僕も頷いておく。

 

「その死因については色々怪しいものがあるのですが……それは置いておきましよう。それで、結婚式と並行してドエム公爵は戴冠(たいかん)の儀も行うようです」

「随分と、早急ね。いえ、用意周到とでも言うべきかしら。まるで……」

 

 アレクシアはその先を口にはしなかった。何を言おうとしたのか、言っちゃまずいことなのだろう。

 

「さて、本題ですが」

 

 僅かに間が空いて、ローズがそう言った。

 

「その結婚式で私は───ドエム公爵を殺します」

「……」

「……」

 

 どうだ? 今か? 驚くべきはここなのか?

 アレクシアをちらりと見てみると、特に驚いた様子はない。すました顔だ。なら、ここは沈黙するのがいいのだろう。 

 まだチャンスはあるはずだ。

 ……それにしても、婚約者を殺すとは。やっぱり家庭内暴力とかあったのかな。

 

「……本当にやるのですか?」

「はい」

 

 ローズは力強く頷いた。

 

「勝算は?」

「既に、騎士団の一部はマーガレット……信頼できる部下の手によって掌握しています。当日の警備の大部分は彼らが行うことになっています」

「でも、恐らくドエム公爵は……」

 

 アレクシアは僕を見て、その先をいうのを躊躇った。それでも、ローズには伝わったようだ。

 何の話だろう。僕だけ置いてきぼりだ。

 ローズは淡々と答えた。

 

「向こうに伏せ札があるように、私にも伏せ札があります」

 

 ローズは、「私ではなくクララが用意したのですがね」と気まずそうに、恥ずかしそうに笑った。

 ……そろそろかな? この伏せ札が実は! みたいな展開でしょ、これ。

 

「自分では何も用意できませんでした」

「今の状況は、先輩の積み上げてきた人望故でしょう。適材適所で気に病む必要はありませんよ。……因みに、伏せ札とは?」

「……今は、言えません」

「そうですか。いえ、そうでしょうね」

 

 あれ、これ不味くない? なんか話が終わりそうな雰囲気なんだけど。

 と考えていたら、ローズが僕の方を見つめてきた。

 なにかな。何か重大な告白かな。よし、こい!

 

「……シド君は、どう思いますか?」

「どうって?」

「私が婚約者を殺すことについてです」

 

 うーん、家庭内暴力があったんだから、仕方ないんじゃないかな。僕は君の選択を否定しないさ。

 

「いいと思うよ」

「……! そうですか。ありがとうございます」

「うん? どういたしまして?」

 

 なんか感謝された。どうして? それより、重大な告白は?

 

「私たちに何かできることはありますか?」

「いいえ。むしろ、今後のためにもアレクシア王女は何もしないでいただきたいのです」

「……そういうことですか。分かりました」

 

 やばい。もう終わりそうな雰囲気が漂ってる。

 

「さて、私たちはそろそろ戻るとします」

「はい。長話に付き合ってくださり、ありがとうございます」

 

 そう言って、二人は立ち上がる。遅れて僕も立ち上がった。

 

 結局、僕は最初に立てた二つの誓いを守れなかったのだ。

 絶対に喋らないという誓いと、大げさに驚くという誓いだ。今にして思えば、相反するこれらを成し遂げるのは、モブ上級者であっても不可能だったのかもしれない。

 あるいは、僕のモブ熟練度が足りなかったのか。

 いずれにせよ、今日のところは僕の負けだった。完全敗北だ。

 部屋から出ると、扉の前に仁王立ちする姉さんの後ろ姿が見えた。なんか殺気を放ってる。

 姉さんはアレクシアが声を掛ければ、すぐに道を譲った。

 それから、ローズとアレクシアが少し話をして、与えられた部屋に戻ることになる。

 気落ちしながら歩いていた僕は、しかしその道中でふと閃いた。これは天啓かもしれない。

 ───婚約者殺すってことは、婚約破棄だよね。

 

「じゃあ、さっきの指輪貰ってもいいのでは?」

「あれ、シドは?」

 

 というわけで、僕は早速飛び出した。同時に魔力の粒子をばら撒く。

 ドエムの場所はすぐに分かった。城の最上階にある一室だ。誰かと一緒にいるみたい。

 僕は気配を消して忍び込む。

 

「……そうか。奴らは取り逃がしたか」

「はい。しかし、幹部と思われる者は現在1stチルドレンたちが追っています」

 

 なんか物騒な話だ。どうでもいいけど。

 

「ですが、一つ問題がありまして」

「なんだ?」

「まだ未確定の情報ではありますが、どうやら、彼の者は『トリツブシ伯爵』の屋敷に逃げ込んだようなのです」

「つまり、あの伯爵が匿っていると?」

「はい」

 

 ドエムが何か考えるように、宙に視線をやる。

 

「よし。ならば反乱を企ててるとして、消すとするか」

「よろしいのですか? 仮にも伯爵ですが」

「問題ない。どうせあと一代で潰れる家だ」

 

 ふむ。これはありかな。

 僕は指輪を抜き取りつつ、考えた。

 

「どうせ家が潰されちゃうなら、僕が貰ってももいいよね」

「誰だッ!」

 

 あっ、ヤバい。また声に出てたみたいだ。

 僕は陰に潜んで、その場から離れた。可哀想だから、箱は元の場所に戻しておいた。

 




マーガレットさんは書籍版に出てきたメイドで、クララはweb版に出てきたローズの妹です。トリツブシ伯爵は捏造です。
原作のweb版は七章(四巻相当)から話が分岐しています。そちらも面白いので、是非どうぞ。


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イプシロンの決意

 そんなわけで、僕は今トリツブシ伯爵の屋敷まで来ていた。国境付近にあって少し遠かったけど、全力ダッシュなら余裕だ。

 さて、取っていくなら何がいいだろう。

 壺とかは駄目だ。嵩張るし、何より価値が分からない。同じ理由で、絵画とかも遠慮したい。モンクの『叫び』クラスなら考えなくもないけどね。

 できればコスパがいいから硬貨がいい。それも、できれば金貨だ。

 次点で宝石の類いだろうか。学生の僕じゃ換金できる場所なんて、たかが知れてるけど、奪った指輪と一緒に売っ払えばいいからね。

 

「……っと、どこかに金庫とかないかな」

 

 早速屋敷に侵入して、僕は魔力を粒子状にして飛ばす。それと並行して、僕の足は執務室へ向いていた。

 執務室なら重要なものもあるだろう。

 

「あれ、鍵がかかってる」

 

 やっぱり重要なものが隠されてるに違いない。

 僕は鍵の部分を破壊して中に入る。

 部屋の中心には机があって、向かって右に本棚がある。

 一見したところ、金庫のようなものは見当たらなかった。

 

「ここには何もないのかな?」

 

 重要そうな書類なら山積みなんだけど、その内容はよく分からない。

 次はどこに行こうかな。分かりやすくお宝がある部屋があればいいんだけど。

 と、そのとき飛ばしてた魔力粒子に反応があった。

 

「あれは……」

 

□□□

 

 イプシロンは追手から何とか逃げ延び、近くの屋敷に潜伏していた。だが、傷を癒やせるほどの魔力はなく、地面に滴った血でその屋敷の主に見つかってしまった。

 咄嗟に剣を構えるイプシロンに、屋敷の主こと、トリツブシ伯爵は朗らかに笑みを見せた。

 

「そんな身構えるものでもないよ。お嬢さん」

「……」

 

 見たところ、戦うのは疎か剣を振ることさえもできなさそうな老人だった。今浮かべている笑みも、それこそ孫娘に向けるような優しいもので、同時に寂寥の感を覚えさせるようなものでもあった。

 向こうに害意がないことを確認したイプシロンは剣を下ろす。だが、まだ剣は仕舞わない。

 

「トリツブシ伯爵……でいいのかしら?」

「あぁそうだ。私がトリツブシ伯爵だ」

「何が目的?」

「目的とは?」

「こうして接触してきたんだ。何か意図があるのでしょう?」

 

 トリツブシ伯爵は笑って首を振る。

 

「誰もいない屋敷に、知らない血痕があったんだ。誰だって見に来るだろう?」

「貴族なら普通誰かに……待て。誰もいない?」

「あぁそうさ」

 

 話を聞けば、トリツブシ伯爵が反乱を企てているとして、近々オリアナ騎士が来るらしい。

 それに恐れをなした使用人たちは、みな逃げてしまったそうだ。

 かくして、たった一日で屋敷はこのご老人一人となってしまったとのこと。

 

「何故お前は逃げなかった?」

「忠義だよ」

「忠義?」

 

 イプシロンが問い返しても、トリツブシ伯爵は何も言わない。ただ、窓の外を見て遠い目をするばかりだった。

 そして、徐ろに語り出す。

 

「……陛下は、とても聡明な方だった。それに、芸術への造形も深かった。そして、何より優しいお方だった」

「……」

 

 懐かしむように、トリツブシ伯爵は語る。

 

「オリアナ貴族は、みな何かしらの芸術を習う。音楽、絵画、舞踊、彫刻、文学……色々ね。それらを極めることが、私たちオリアナ貴族の誉れなのだよ。くだらないと思うかい?」

 

 イプシロンは何も答えず先を促す。

 

「さて、そんなオリアナ貴族のとある少年は伯爵家の嫡男だった。なのに、彼はあらゆる方面で才能を示せなかった。いや、平凡未満だった、の方が正しいか」

「……」

「けれどそれ以外……ことお金に関しては才能があったみたいで、何とか彼は当主の座を獲得することになるけど、それは別の話」

「……」

「少年はどうしても芸術で称賛されたかった。自分の作品が誰かに褒められるのを見たかった」

「……分かるわ」

 

 イプシロンも、仮の姿とはいえ音楽家なのだ。その気持ちは分からなくもない。

 

「本当に色々やったよ。あるいはそれが行けなかったのかとも今は思うが……とまれ、がむしゃらに練習を続けていた。

 そんなある日だ。他国に交渉に行くことになった先代……あぁ、先々代の国王陛下が道中、この屋敷に滞在することになった。そのときに、まだ幼かった先代の国王陛下も随伴なされていてね。恥ずかしいことに、練習中の()()バイオリンをお聞きになったそうなんだ」

 

 トリツブシ伯爵は先程の朗らかな笑みとはまた別の笑みを浮かべる。だが、嫌な感じのしない笑みだった。

 

「とある少年の話なのでは?」 

「あぁそうだった。年寄りは物忘れが酷くていかんね。

 ……それで、あまりに酷い演奏で、近衛がそれとなく止めるように言ったんだ。そんな中で、陛下は『もう少し弾いてくれ』と仰った。

 勿論、少年は断った。恥ずかしいかったから。

 そんな少年に、ならばと陛下はあろうことかバイオリンを一代借りて、『一緒に弾こう』と言う。『合わせて弾いた方が上手くなるから』と。

 無論、少年もそれくらいのことはしてた。一流の奏者を付けてね。けれど、駄目だった。

 でも、そんなのは重要じゃない。重要なのは、陛下が私のために知恵を絞ってくれたことだった」

「……そう」

 

 老人の体験を自分に重ね合わせながら、イプシロンは聞いていた。

 イプシロンは、『七陰』に入った当初、何もできなかった。頭ではアルファとガンマに劣り、戦闘力ではアルファとデルタに劣り、容姿でもベータ筆頭に、アルファ、ガンマ、デルタより優れてるとは言えなかった。

 だが、そんなイプシロンを見捨てずに、シャドウは剣を教えてくれた。知恵を教えてくれた。時には先頭に立ち、勇気を教えてくれた。

 自分より遥か上の存在が、自分を導いてくれる喜び。それはイプシロンにとって、理解しやすいものであった。

 

「さて、そんな陛下に彼は永遠の忠誠を誓ったわけだが、最近どうにも様子がおかしいことに気づいた。そして、その裏に怪しい影があることにも」

「ドエムね……」

 

 トリツブシ伯爵はちらりとイプシロンを見て目を細めるが、何も言わずに話を進める。

 

「しかし、気づいたときにはもう手遅れだった。彼は何もできなかった。そればかりか、下手に嗅ぎ回って他の大切なものまで失うほどに、愚かだった」

 

 その言葉に一瞬首を傾げるイプシロンだったが、即座に納得する。

 そう、この屋敷から逃げたのは使用人なのだ。家族ではなく。

 いや、この老人なら、逃げられるのであれば逃がしたのかもしれない。それはあくまで、逃げられる家族がいたらの話だが。

 

「そんな愚かな彼に、一筋の光が差し込んだ。彼女は王女でね。姉に代わって戦力を集めてるそうだった。

 生憎と、彼には大した駒はいない。腕の立つ者で、未来なき伯爵家に仕える者は少なかった。……まぁ、少しアンダーな組織な友達はいたのだがね。

 さて、ここまで話したら、後は分かるかな?」

「……えぇ」

 

 彼が忠義と言った理由は、イプシロンにはある程度の推測ができた。

 恐らく、彼はローズが結婚式でドエム派と戦うことを知っている。そこで加勢させられるような手勢はいないが、相手の戦力を削ることはできる。

 戦いとは、敵を倒すだけではないのだ。敵を決戦の地から遠く離すことも、相手の戦力を削る一手となり得るのだから。

 トリツブシ伯爵の元まで騎士が来るということは、それだけ敵戦力が減ることを意味する。なぜなら、ドエムが今、表立って動かせるのは子飼いの騎士たちだけなのだ。

 そして、反乱を沈める、阻止しようとするならば、相応の戦力を宣伝的にでも見せる必要がある。

 もし、ここでトリツブシ伯爵が逃げてしまえば、確かに捜索に出る可能性もあるが……いや、それは十中八九ないだろう。表から消えた者を追う方がドエムには都合がいいのだ。

 トリツブシ伯爵がどこまで知っているかは分からないが、なるほど、称賛すべき覚悟と忠誠心であろう。

 

「……来たわね」

「何がだね?」

 

 イプシロンは、訝しげな表情を浮かべるトリツブシ伯爵の首根っこを掴み、部屋の奥へと放る。老体には少し酷なことだが、致し方ない。

 それと寸時と待たずに、彼のいた位置を銀閃が走った。

 

「……なるほど。彼らがバックにいる組織というわけだ」

「そうよ」

 

 相手は全部で三人。三人とも、1stチルドレン級の実力者だ。

 未だ完治してないイプシロン、それも守りながらの戦いだ。

 

「別に私のことは見捨ててくれても構わないが?」

「……参考にさせてもらうわ」

「強情なことだ」

 

 参考にすると言いながら、その気配がないイプシロンを見て、老人は笑った。その瞳に宿るのは、諦念でも、闘志でもない、この先の成り行きを面白がるそれだ。

 死ぬことへの恐怖などは微塵も感じられない。

 

「老人の特権というとこかしら?」

 

 それはそれとして。

 チルドレンたちはイプシロンを囲むように、三手に分かれる。相互にカバーし合える適切な距離感だ。

 完全に包囲してくれるなら、各個撃破もできたものだが……。

 これは相当キツイ戦いになるだろう。せめて、傷さえなければ良かったのだが、それはないもの強請(ねだ)りというものだ。

 高まる緊張感が、久々にイプシロンに"死"を予感させる。青く冷たく感じる腹の底に、一石投じて波紋を作る。

 そうか。"死"か。

 カチッと彼女の中で何かが嵌まる。

 

「───クッ、ハハハ!」

 

 突如として笑い出したイプシロンに、伯爵もチルドレンも困惑する。チルドレンたちはどうするべきかと、お互い目配せするほどだ。

 そうか、そうか、そうか! 

 何を恐れていたのか。イプシロンの思考は本能的に、生きることを第一目標としていた。

 だが!

 だが、誓ったではないか。あの日、主に助けられた日に、そしてその後も助けられる度に、この身を賭してお仕えしようと。

 それでどうして今更"死"を恐れようか。自分の忠誠心は、その程度だったのか?

 否、否、否。断じて否だ。

 "死"を恐れるべからず。背信をこそ、恐れめ。

 

「全員、道連れにしてやろう」

 

 全力で戦えば、傷は開くだろうが、それがどうしたと言うのだろう。ここでチルドレンを倒さない方が、よっぽど忠義に反する。

 イプシロンが研ぎ澄まされた戦意を示せば、即応するようにチルドレンたちも構える。

 先程の緊張感とはまた違った、異様な張り詰めた雰囲気だった。

 

「───踊るにはいい夜だな」

 

 そこに場違いなほど落ち着いた静かな声が窓から響いた。

 その声に、まさかとイプシロンは動揺する。いや、胸が高鳴ると言ってもいい。

 

「だが、女一人を相手に三人で踊ることもあるまい」

「シャ、シャド……!」

 

 その高鳴りのままに、名前を叫びそうになってぐっと堪える。イプシロンは陰の組織。そして、彼はその長。表の世界の住人に名前を知られるわけにはいかない。

 

「我が相手になってやろう」

 

 コツコツと足音を鳴らして、シャドウがゆっくりと迫る。

 すっかり戦意の飛んでしまったイプシロンと、突然現れた怪しい男を見比べて、チルドレンたちは男を先に倒すことを決める。

 それが愚かな選択だと知らずに。

 イプシロンのときと同様の陣形を整えたチルドレンたちははたと気付く───一人いないのだ。

 彼らから見て、右翼を担当していた者がそこにはいないのだ。

 動揺も束の間。

 今度は左翼にいた者の胸から漆黒の刃が生える。

 

「な、なんなんだ……」

「ふっ、貴様に名乗る名はない。……あぁ、そうだ」

 

 残って震えるチルドレンに向かってシャドウが何かを投げる。

 ゴロリと二つの何かが転がった。

 その物体と目が合って、チルドレンは声も失う。

 

「外にいた仲間たちだ」

 

 もっとも、声以前に命をも失っていたのだが。

 

「ありがとうございます。主さま」

「構わん」

 

 そう言って、シャドウより放たれし青紫の魔力がイプシロンを包めば、みるみる内に傷が治っていく。

 いつ見てもぶっ飛んだ神業だ。

 その神に等しき御業を、褒め称えようと口を開きかけたところで、はたと思い至る。

 そんなことしてる場合ではない。

 

「主さま。ローズ王女の結婚式についてですが……」

「問題ない。万事順調だそうだ」

「なっ! まさか指輪の回収も既に?」

「指輪? ……あぁ、既に我が手中にある」

「さ、流石です! 主さま!」

 

 その手際の良さには、感嘆せざるを得ない。一体何手先まで読み、効率化して動いているというのだろうか。

 

「俺はやることがある」

「はい。存じております」

「では、後は任せたぞ」

「はい」

 

 そう言って、シャドウは消える。イプシロンの目でさえ、ほとんど捉えられないほどの高速移動だ。

 

「彼が?」

 

 そこまで面白そうに成り行きを見守っていたトリツブシ伯爵が、既に誰もいない虚空を眺めて聞いた。

 

「えぇ、そうよ」

 

 イプシロンは胸を張って答える。

 

「こいつは、傑物だな」

 

 伯爵はいいものを見たとばかりに、口元を緩める。

 イプシロンも笑みを浮かべようとして、あるものを見つける。

 

「これは指輪? ……いえ、まさか!」

 

 『継承の指輪』だ。

 まさか、敬愛すべき主が不注意で落としていったはずがない。であるならば、先程の言葉の意味は……

 

「全てこの()()()()()にお任せください」

 

 誰もいない虚空に向かって、イプシロンはお辞儀する。

 そう、主は失態をしたイプシロンに重要な任務を任せてくれたのだ。

 ここは何としても挽回しなければならない。天然にリードされないためにも!

 張り切った様子で、イプシロンは伯爵の屋敷を出て行った。



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『継承の指輪』

今回は短めです。


 僕が王城に戻ってきたのは、空にほんのりと白が差した頃だった。

 この時間だと、姉さんは部屋で寝ているはずだ。何故か同じ部屋たから、起こさないようにしないと。

 

「シド君」

「ん?」

 

 そんなことを考えながら、庭園を軽く駆け抜けていたら、誰かに呼び止められた。この声はローズかな?

 僕は足を止めて、その声の方を見る。

 

「シド君も眠れなかったのですか?」

「まぁ、そんなとこ」

「私もいつもより少し早めに目が冷めてしまいましてね。緊張でしょうか」

 

 ローズはそう言って薄く微笑んだ。けれど、その笑みはいつもより心なしか強張っているようにも見えた。

 

「大変そうだね」

「そうですね……いえ、こんなところで躓いているわけにもいきません。大変なのは、これからですから」

「頑張ってね」

「はい。……それでシド君」

 

 ローズは少し言いにくそうに、俯いて指をいじっている。

 なんだろう。何か重大な告白でもあるのだろうか。

 よし、驚く用意はできている。いつでもカモン。

 

「その、これからの話なんですけど」

「うん」

「私は王女で、その結婚相手が国王になります」

「うん」

「それで、その、かなり苦労をかけると思うのですが、よろしいでしょうか?」

「うん。うん?」

「───っ! 本当ですか! ありがとうございます!」

「うん? ちょっと待って、今の何の話?」

 

 何か分からないけど、ローズが飛び跳ねんばかりの勢いで喜んでいる。一体なんだと言うのだ。

 

「まぁ、いいか」

 

 喜んでいるなら、それはきっと良いことだろう。みんなが喜ぶ世界なら、きっと平和になるだろうに。

 あっいや、それだと僕が困るから今のままでいいや。

 

「じゃあ、僕はこれで」

「はい! また後ほど」

「姉さん怒ってないといいな」

「何か言いましたか?」

「いや、なんでも」

 

 僕は足早にその場から離れる。早くしないと、姉さんが起きてしまう。

 その後、完全に気配を消してベッドに潜り込んだはずなのに、姉さんに叩き起こされて怒られたのはまた別の話である。

 

□□□

 

 去っていくシドの姿を頬を染めて、さながら恋する乙女のようにローズは眺めていた。いや、実際恋する乙女なのは間違いない。

 彼女の頭の中にあるのは、理想の結婚生活だ。彼とあんなことやこんなことを……と。

 

「幸せな生活のためにも、まずはしっかりなさい、ローズ」

 

 そうやって夢想に浸るのもいいが、まずは目先のことをやるべきだろう。差し当たって、結婚式での段取りの確認は必要だ。

 頬を叩いて頭を切り替えたローズは、ここにもう一人いることに気が付いた。

 

「───ッ。誰ッ!?」

 

 振り向き、咄嗟に腰に手を伸ばすが、空を掴むばかりだ。愛用の細剣は今は自室にある。

 そのことを思い出し、唇を噛む。

 ここまで気配を消せるのだ。相手はかなりの実力者だろう。あるいは、ローズよりも。

 そして、ここまでの実力者は騎士団にもいない。侵入者か、または刺客か。

 剣のない状況下でどのくらい戦えるか。

 

「騒ぐな。私は貴方の敵じゃない」

 

 そうやって思考を巡らすローズに、その人物は語りかける。黒のローブを全身に纏った人物で、どこか聞き覚えのある、澄んで凛とした声だった。

 

「……誰ですか?」

「それは言えない。だが、今は少なくとも貴方の敵ではない」

「今は?」

「貴方が抗い続ける限り、私たちは敵ではない」

 

 イマイチ要領を得ない回答に、ローズは考える。

 

「……抗い続けるとは、"教団"に、ということ?」

「その認識で構わない」

 

 ここは一先ずそういうことで納得しておこう。

 それよりも、彼女の目的の方が大事だ。何故、わざわざ王城に忍び込んでローズに会うのか。

 ローズは警戒を緩めぬままに問うた。

 

「私に接触した目的は何ですか?」

 

 すると、黒ローブの人物は何かを投げた。僅かに差し込む白光に当たり、それはきらりと光る。

 それをローズはキャッチした。これは……指輪?

 

「それは『継承の指輪』だ」

「『継承の指輪』……」

 

 話に聞いたことはある。彼の伝説の『黒キ薔薇』を呼び起こすことのできる指輪であり、王位継承の時にその所有者が変更されるという指輪だ。

 具体的なことは聞いていないが、これがその『継承の指輪』だというのか。

 

「何故あなたがこれを?」

「全ては主さまのお導き……我が主は、ずっと昔から貴方のことを守っていた」

「私を、ずっと?」

「筋道は既に用意されている。それに乗るか、乗らないかは貴方次第だ」

「そう、ですか」

 

 守られていた自覚はないが、その自覚がないくらいに陰ながら守ってくれていたのだろうか。

 判然とはしないが、しかし何となく腑に落ちる気もした。

 

「どれだけ前からこのことを読んでいたのやら……」

「何か?」

「いや、何でもない。……その『継承の指輪』には、元オリアナ国王の言葉が入っている」

「元国王って、まさかお父様の!?」

「うるさい、黙れ」

 

 ローズが素っ頓狂な声を上げると、黒ローブの人物は苛立たしげに彼女を嗜める。

 それから、ため息を吐いて話を続けた。

 

「その言葉には恐らく、ドエムを断罪する旨が含まれているはずだ」

「───っ! それを、結婚式で公にしろと?」

 

 黒ローブの人物は首肯した。それを見て、ローズも頷く。

 

「分かりました。どなたかは存じ上げませんが、ご協力感謝いたします」

「礼はいらない」

 

 深々と下げていた頭を上げると、そこにはもう誰もいなかった。

 敵か味方かは分からない謎の組織。あるいは、あれがアレクシアの言っていた『シャドーガーデン』なのだろうか。

 だとすれば、敵の敵は味方として、今は信じてみてもいいかもしれない。

 いずれにせよ───

 

「シド君と私の未来のためにも、頑張りましょう」

 

 ローズはぐっと指輪を握り締め、朝日の登る方へと歩き出した。

 今日が決戦の日だ。

 

□□□

 

 一方その頃、ドエム・ケツハットは焦っていた。それはもう、慌てふためくと言えるほどに。

 何故それほどまでに彼は焦っているのか。それは、『黒キ薔薇』を呼び起こすのに必要な『継承の指輪』が無くなっているからだ。

 ずっとポケットに入れていたはずなのに、気付いたらダミーの箱と入れ替えられていたのだ。

 恐らく、教団の他の派閥の者がドエムを陥れようとしているのだろう。

 

「教団が団結して謎の組織に立ち向かうという話はどうなったんだッ!」

 

 怒りのままに机を叩けば、達人が(かわら)を割るが如く、机は真っ二つになる。

 所詮は既得権益の保持と自己利益の追求しか能がない連中だということか。呆れていっそ笑いすら込み上げてくる。

 だが、笑っている場合ではない。

 もし、これが教団に……モードレッド卿にバレたら、間違いなく殺される。

 

「それだけは阻止せねば……」

 

 とりあえず、今使える駒はない。教団の者を使っては、モードレッド卿に話が通ってしまうかもしれない。

 

「受け渡しまで、三日は伸ばせる……」

 

 その間に、是が非でも見つけなければいけない。どの派閥か見当が付かない以上、厳しいものだが、諦める=死だ。躊躇は許されない。

 

「ドエム様! どうかなさいましたか」

 

 と、そこまで考えたところで、先程の音を聞きつけたのだろう衛兵が入室してくる。

 

「なんでもない」

「ですが……」

「なんでもないと言っているだろう。とりあえず、外で待機していろ」

「分かりました」

 

 退出する衛兵を尻目に、ドエムは気持ちを切り替える。

 まずは目先のことだ。これをしくじっても、ドエムの首が飛ぶことは想像に難くない。

 さっと身だしなみを整え、部屋を出る。

 

「さて……」

 

 ローズが何か企てているようだが、どうせ無意味な抵抗に過ぎない。不穏分子と一緒にその企ても潰してやろう。

 

「私は、必ずラウンズになる」

 

 その呟きは思わずドエムの口から漏れたものだった。つまり、それを聞いた者は誰もいなかった。

 




次回は結婚式本番です! お楽しみに!


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鉄の花嫁

最近書くペースが遅い……。


 結婚式とは、どんなものなのだろうか。

 人生一度のビッグイベントだから、きらびやかで美しいものなのだろうか。

 あるいは、神に永遠の愛を誓うそれは神秘的で雅なものなのだろうか。

 僕は思う。それも一つの形なのだろうけど、それは僕の好みには合わないと。僕はどちらかと言えば、派手にわちゃわちゃしてる方が好きなのだ。

 そして、僕は今、そんなわちゃわちゃが起こるだろう式典会場に来ていた。

 見れば、来賓客は普段通りの雰囲気だけれど、そこらを巡回してる衛兵にはちらほら緊張した面持ちの者がいる。顔を見ればそんなことは一発で分かる。どうやら、隊長クラスが多いようだ。

 そして、そういった微かな心の揺らぎは知らぬ間に会場に伝播する。それは小さな揺らぎかもしれないけど、塵も積もれば山となるんだ。

 この、何かが起こるぞ! という雰囲気は大好きだ。

 

 さぁ、結婚式が始まるぞ!

 

□□□

 

「新婦、ローズ王女のご入場です」

 

 その宣言と同時に、腰に剣を差し、鎧を着込んだローズが会場に入る。

 すると、当然と言うべきか、周囲からは困惑によるどよめきが上がった。

 

「まさかここまで露骨に来るとはな」

 

 その様子を眺めていたドエムは分かっていたことだが、一番面倒なシナリオに小さく舌打ちする。

 裏での小細工であれば、教団の力もフルに使えて楽なのだ。よりにもよって、こんな公の場で行動を起こすなど、方々への説明が面倒だ。指輪の紛失で時間もないというのに。

 そう時間がないのだ。

 そのことが、ドエムに少なくない焦燥感を与え、ローズの行動に苛立ちを覚えさせた。

 

「これは王女、何のお戯れで?」

 

 目の前までやってきたローズに、できるだけ落ち着いた様子で問いかける。ここで無闇矢鱈に苛立ちをぶちまけるわけには行かないのが辛いところだ。

 

「ドエム公爵。やはり私はあなたとは結婚できません」

「ほう。それは何故に?」

 

 誰もが固唾を呑んで成り行きを見守っている。この前代未聞の事態に、思考が追い付いていないのかもしれない。

 ちらりとドエムは来賓のアレクシアの方を見る。彼女はドエムを怪しんでいる節がある。まだ表立っては何もしてこないが、付け入る隙は与えると面倒なのだ。

 そのアレクシアを見たドエムは僅かに違和感を覚える。

 何だ? 何がおかしい?

 ぱっと見不審なところはない。悠然と、これから起きることを見逃すまいとこちらを見ているのだ。何も、不審なところは見当たらない。

 ───否、それこそがおかしいのではないだろうか。

 普通ならば、他の来賓のように困惑したり、呆然としたりするものなのだ。だのに、そうでないとすれば考えられることは一つ。

 元々知っていたのだ。これが起こることを。

 ここで問題なのは、一体いつそれを知ったのかだが……庭園で話したときだろう。庭園の散策後内密に話していたことは聞いている。

 となれば、彼女も今回のローズの企てに一枚噛んでいるのだろうか。

 ここまで考えて、ドエムは首を振る。

 いや、それはないだろう、と。仮に噛んでいたとして、どう噛んでいるかは不明だが、下手すれば内政干渉一歩手前の行いとなるはずだ。わざわざこちらに有利になるような手札は渡さないだろうし、他国からの心象も悪くなる。

 それということは、恐らく事前にこれが起こることを聞いていただけだと思われる。言わば、ローズの決意表明を聞いただけということだ。

 ならば、ボロを出さないように気を付けていれば、今はアレクシアのことはあまり気にしなくていい。

 

「私は今日、あなたを断罪に来たのです」

 

 と、そこでトリップしていたドエムの思考が現在に戻ってくる。

 ドエムは、まるで何のことを言っているんだとばかりに驚いた顔をしてみせる。おどけていると言ってもいい。

 大丈夫。証拠は残さないようにしてきた上、数日前にも教団の部下に怪しい種は全て取り除かせたのだ。つまり、ドエムを断罪できる証拠など何一つとしてないのだから。

 

「これはこれは。私は何をしたから断罪されるのでしょう?」

「恐喝、暗殺、買収……幾人かの貴族から証言を頂きました」

「ほう。それはとんだ極悪人のようですね。このドエム・ケツハットという者は」

 

 ドエムはさも面白いジョークを聞いたかのように笑う。

 

「さて、先程証言と仰られていましたが、どうでしょう。それを示すものはございますか?」

「……ありません。ですが、再びこの場で証言して頂きましょう。幸いにして、この場にはほとんど全てのオリアナ貴族が揃っていますから」

「それは良いアイデアだ」

 

 ドエムは向き直り、会場全体を見渡す。

 

「さて、この中に、このドエム・ケツハットにより恐喝や買収、その他道理に反する不利益を与えられた者はいるだろうか。いるならば、直ちに壇上まで来てその旨を話してくれたまえ」

 

 その声は魔法を使ったわけでもなしに、会場の端まで響く。微かに木霊して、しかし、その音しか聞こえなかった。

 つまり、誰も名乗りを上げなかったのだ。

 それもそのはずで、裏切った貴族には既に目星は付けていたのだ。彼らにはこちら側に付くように色々な"説得"をしてみな快くこちらの陣営に来てくれたのだ。

 

「どうですかな? 王女」

 

 ドエムは当然だと言わんばかりに、ローズに視線をやる。

 だが、ローズはこれと言った反応を見せなかった。

 

「また、悪どいことをなさったようですね」

「……もうそれはいいでしょう、王女。それとも他にも何かあるのですか? 私を断罪できる証拠とやらが」

 

 いや、あるはずはないのだ。先にも示した通り、物的証拠は全て部下に始末させた。あとは状況証拠か、証人による証言しかない。その証言も今しがた潰した上、状況証拠だけで断罪などできるはずがない。できるとすれば、魔女裁判くらいだ。

 つまり、もうドエムを断罪することはできやしないのだ。

 

「あります」

 

 だが、そんなドエムの予想に反して、ローズは力強くそう言った。瞳に宿る光は確かに燃えていた。

 

「そんなものあるわけ……」

「あります」

 

 鼻で笑うドエムの言葉に被せるように言ったローズは、懐から何やら銀色の指輪を取り出した。

 あれは、まさか───

 

「な、なぜお前がそれを!?」

「『契約の指輪』。この中には父様の遺言があります。是非、それを今日ご来場くださった皆様に聞いて頂きたいのです」

 

 そう言って指に『契約の指輪』を嵌めると、白い光がその手を包んだ。その光は次第に空中へと舞い上がり、寄り集まって一つの形となっていく。

 やがて光が収束すれば、そこに現れたのはオリアナ国王の姿───そのホログラムのようなものだった。

 

『皆がこの告白を聞く頃には、私はもうこの世にいないかもしれない』

 

 そして、そのホログラムとなったオリアナ国王はここではないどこか虚空を見つめながら静かに、しかし、まるで生きているかのように語り出したのだ。

 その内容は彼の国王の遺言であり、ドエムのここまでの悪行を審らかにするものであった。

 曰く、ドエムは彼の食事か水かに中毒性の高い薬を混ぜている。

 曰く、複数のドエムの背後には名前の明かせない巨大な組織が存在する。

 曰く、既に何人もの貴族が買収、恐喝されドエムの軍門に下っている。

 その他にもドエムの様々な悪事が事細かく語られた。

 そして、それら全てを話し終えると、国王は穏やかに微笑んだ。

 

『私はこの国を守るために、最後まで戦うつもりだ。だがもし、私が敗れても心配はいらない。オリアナ王国の未来は、私が最も愛し、最も信頼する娘に託すのだから。たとえ何があっても彼女を信じてほしい。彼女なら必ずオリアナ王国を導いてくれるだろう───ローズよ。お前にオリアナ王国の未来を託す』

 

 国王の最後の言葉は、ローズの方を見て言われた。まるでそこで生きているかのように向けられたその視線を受け、ローズは決意を新たに、力強く頷いていた。

 

「これが証拠です」

「こんなものはでたらめだっ! 誰がこんな茶番を信じるんだ!?」

 

 対してドエムは想定外の事態に焦っていた。いや、焦るなんてものではない。背中に嫌な汗が流れ、腹の底が重く冷たい。

 最早自分に未来がないことに気付いていて、だが、それを認めないとばかりに声を張り上げていたのだ。

 

「もういい衛兵! この女を捕らえろ!」

「……」

 

 大声でドエムが命令するが、誰も動かない。勿論、この場にいる衛兵がローズ側に付いていることは知っている。だから、事前に教団員を紛れ込ませていたのだ。

 その教団員すらも動かない。これはつまり───

 

「私を見捨てるというのか!?」

 

 そんなことがあっていいのだろうか。否、あっていいはずがない。

 

「私がどれだけ組織に貢献してきたと思っている?!」

 

 そうだ。そんなことがあっていいはずがない。

 だというのに、そうであるはずなのに、どうして誰も動かないのだ。

 

「ドエム公爵。あなたを断罪します」

 

 ローズが腰の剣を抜いた。

 

「お前がッ! お前のせいだッ!」

 

 ドエムはこの言いしれぬ怒りをぶつけるために、剣を抜く。最早、教団の計画など頭になかった。

 甲高い二つの音が響く。そして、無数の火花が舞った。

 戦いは互角。いや、少しドエムが押していた。ローズは捌くのに精一杯で中々反撃に出れないでいた。

 一方で、ドエムの剣はある種高みに上ったものであったが、その激情故かとても荒々しいものでもあった。

 あまりにも高度なその戦いに誰もが呆然と眺めるしかなかった。

 

「クッ! 強い……!」

「私はラウンズになる男だッ! こんなところで躓くわけには───なっ!?」

 

 だが、そんな戦いに割って入る者がいた。

 漆黒のローブを纏ったその人物は、ドエムの乱暴な剣を受け流し、カウンターで横腹に蹴りを入れる。

 

「グッ……!」

 

 その蹴りをまともに喰らったドエムが一度距離を離す。

 

「貴様は……」

「……」

 

 とても小柄な人物であった。深く被ったフードからは藍色の髪が覗く。ぱっと見少年に見えなくもないが、微かに胸が膨らんでいることを思えば、女性なのだろう。

 そして、ローズにはそのシルエットに見覚えがあった。

 たとえ、普段見ないような服に身を包んでいても、見た瞬間分かった。

 

「リズさん……」

 

 リズと呼ばれた彼女は、ちらりとローズを見るが何も答えない。

 真っ直ぐドエムを見て鋭い殺意を叩きつけている。それはともすれば、ローズのよりも洗練されたものだった。

 

「あなたは一体……」

「ごめんなさい」

 

 リズがぼそりと言った。

 短い言葉だったが、やはり聞き覚えのある声だ。

 ローズは彼女と話したいこともあるが、今はそれどころではないのだと思い至る。

 そして、同時に不思議な気分であった。何の因果か、偶然友達になった彼女が自分のピンチに助けに来る。まるで小説のような出来事だ。

 だが、とても心強い。

 

「もうー、先走らないでよー」

 

 と、そこでもう一人乱入する声があった。これも女性の声だが、どこか緩く、緊張感に欠けたものであった。

 

「しっ! 私語厳禁」

「えっ? あー、そうだった」

 

 何とも間抜けな会話だが、あの真面目なところが懐かしい。思えば、『ブシン祭』以来一度も会っていなかった。

 

「何人で来ようが、私に、勝てるものかッ! 私はラウンズになるんだ! ラウンズにィィッ!」

 

 絶叫とも呼べるような醜い声を上げて、ドエムが走り出す。

 乱暴に間合いが詰められるが、しかし速い。その速さから繰り出される一撃にはいかばかりの威力が含まれているのだろうか。

 ローズでさえ受けるのがやっとであろう。

 だが、そんな一撃をリズの仲間と思われる人物が軽々と受け流した。力の大きさはそのままに、向きだけを変えるという離れ業だ。 

 その勢いの、予期せぬベクトルにより体勢を崩したドエムの脇腹を、既に横に抜けていたリズが切り裂く。

 ドバッと溢れる赤い血は、致命傷足り得るものだった。だが、何が彼を突き動かすのか、ドエムの戦意は衰えない。

 剣を握り、声を上げながら、リズの方を睨んでいる。

 と、そこでちらりとリズがローズの方を見る。

 ほんの一瞬だったが、言いたいことは分かった。

 そう、この決着を付けるべきはローズなのだ。

 ローズは駆け出した。

 

「これで終わりです」

 

 そして、完全にドエムの死角から、全力でドエムの胸に剣を突き刺す。突き刺して、手首を返した。

 剣を伝って、赤い液体がローズの手元まで流れてきた。

 

「バカな……この私が……」

 

 ドエムはただ譫言(うわごと)のように何かを呟く。それは、とても哀れなものであった。

 やがて彼は力なく倒れ伏す。

 

「終わったようですね……」

 

 完全に事切れていることを確認したローズはリズの方を向く。

 

「リズさん……」

「私は、リズではない」

「では……」

 

 ───なんとお呼びすればいいでしょうか。

 その言葉が何故か口から出なかった。あるいは、それを言ってしまえば、拒絶されてしまうかもしれない。

 私とあなたは、住む世界が違うのだ、と。

 そして、二度と彼女とは会えないかもしれないと、ローズの勘は告げていた。

 それがローズには怖かった。友達を失うことを恐れ、言葉が出ないとは、なんと滑稽な話だろうか。いや、これは単にローズが臆病なだけだろう。

 

「あの───」

 

 そんな臆病を振り払い、せめて名前だけでも聞こうと声を掛けたときに気が付いた。見れば、リズとその仲間もその方向を見ていた。

 ───コツコツと、ブーツの足音が鳴る。

 それは、異質な空気を纏った赤い髪の男だった。

 

「ふっ、もう少し使えるやつだとは思っていたが、よもや小娘に負けるとはな」

 

 ローズの中で激しく警鐘が鳴る。

 この男はまずい。なにがかは分からないが、とにかくまずいのだ。

 

「さて、まずは仕事をしないといけない」

「仕事?」

「───鍵は継承された。ならば、いつでも解放できる」

 

 そう言った男の周りに、粘着質で不快な魔力が渦巻く。そしていつしか、辺りは暗くなっていた。

 太陽が雲に隠れたのだろうか。否、空に闇が広がっていたのだ。黒き闇が空を侵食する。その闇の中心で、花びらのような何かが蠢動していた。

 

「『黒キ薔薇』……」

 

 隣のリズが呟く。

 その言葉は、ローズも耳にしたことのあるものだった。

 

「教団の掟に則り、証人は全て消させてもらう───殺戮の宴の始まりだ」

 

 男は口元に笑みをたたえて、そう言ったのだった。




ローズ先輩のお母さんは既にローズ陣営に保護されています。書くのが面倒だったとか、忘れていたとかの理由で出なかったわけではありません。ええ、本当に。


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ようやく僕の出番だ

 

 気付けば、空は闇に染まっていた。その闇の中心では、渦巻く花弁のような何かがあり、禍々しい魔力を放っている。

 

「教団の掟に則り、証人は全て消させてもらう───殺戮の宴の始まりだ」

 

 男がそう言った途端、その花弁のような何かからどす黒い異形の塊が落ちてきた。その塊が大きく不快な産声を上げる。それら塊は、誰も見たことのない恐ろしい獣たちであり、凄まじい勢いで人々に襲いかかったのだった───

 

「おぉ! こういう展開か!」

 

 招待された多くの人々が悲鳴を上げ、逃げ惑う中で、僕は逆に歓喜の声を上げた。

 これならようやく、『陰の実力者』プレイができるぞ!

 というのも、さっきローズがドエムと戦っているときに抜け出そうとしたんだけど、姉さんに「トイレは駄目よ」と言われて何もできなかったんだ。

 

「何ニヤニヤしてんの! アンタは私の後ろにいなさい!」

 

 姉さんが剣を抜き放って構えながら言った。

 おっと、つい溢れ出る歓喜が顔に出てしまっていたようだ。ここはモブらしく、悲鳴でも上げているとしよう。

 

「わー、姉さん助けてー!」

「ちゃんと助けてあげるから、絶対に、絶対に私から離れちゃ駄目だからね」

「あなた、私の護衛でしょ……」

 

 その隣で、呆れたように呟くアレクシアも剣を抜いている。彼女は護衛される側なのでは?

 

「分かったよ!」

「よし!」

 

 というわけで、姉さんには悪いけど、僕はわちゃわちゃの中ではぐれたことにしようと思う。

 あとはタイミングだけだ。

 

□□□

 

 空から現れた異形の怪物たちが来賓客に襲い掛かる様をローズは見ていた。

 今は配置したローズ傘下の騎士たちが応戦しているが、敵の量が多く、その上練度不足でとても対応できているとは言い難かった。

 

「……仕方ありませんね」

 

 この手札を切るのは、王家の威信にも関わるので、できれば使いたくはなかった。

 だが、背に腹は代えられない。

 今、父に代わってこの国を守らなければいけないのは彼女なのだ。覚悟を決めよう。

 そう決心したローズは、予め取り決めていた合図を送る。

 その直後だ。パリーンと窓ガラスの割れる音が響いた。

 

「ヒャッハーッ! ようやく俺たちの出番だぞ、野郎共!」

 

 人々の悲鳴の中に、荒々しいげな男の声が響く。それから、窓ガラスを破って次々と会場に怪しい風体の男たちが入ってきていた。

 その誰もが薄汚く、手には得物を持っている。この惨劇の中にあって、それがむしろ小気味よいとばかりに笑う者もいた。

 有り体に言って、彼らは盗賊であり、一目でそれと分かる集団だった。

 

「さぁ、仕事だ仕事だ! がっつり稼ぐぞオラァ!」

 

 人数は五十人程か。いや、今も窓から入ってきており、外には更に待機しているはずだ。

 信じられない程巨大な組織である彼らは、オリアナ一帯の盗賊をまとめ上げていた。

 その盗賊集団のリーダーと思われる男が檄を飛ばせば、彼らは大いに盛り上がり、異形の獣たちに向けて走り出した。

 その勢いたるや、巨大な津波が獣たちを飲み込んでいるかのような錯覚を、ローズに覚えさせるほどであった。

 

「凄いですね……」

 

 今日のためにこれだけの人員を各地から集めてきたのだろう。

 その言葉は自然と漏れた。

 

「へっ、これでもまだ全員じゃねぇからな」

 

 呆けているローズに、先程のリーダーらしき男が声を掛けてきた。その声には些か以上に誇らしさが宿っていた。

 

「失礼。お名前を聞いてもよろしいでしょうか?」

「ザックだ」

「今回は手を貸していただきありがとうございます」

「はっ! 王族がこんなチンピラに頭を下げてもいいのかよ?」

 

 ザックはおどけたように肩を竦めてそう言った。

 

「ふふっ、それもそうですね」

 

 その気安さ故か、不思議とローズの口から笑みが零れる。そして、その笑みを自覚し、はたと奇妙な感覚を覚える。

 

「……私は、盗賊とはもっと野蛮で、卑劣な者たちなのだと思っていました」

 

 思い出すのは、ローズがまだ幼かった頃だ。

 ローズは昔、盗賊に拐われたことがあった。どうして、そんなことになったのかは覚えていないが、あの夜はとても心細く、怖い思いをしたことは覚えている。

 未だ小さかったローズにとって、大きな声で怒鳴り散らす男たちがどれほど恐ろしいかったかは言うまでもない。

 その幼き頃の記憶で、ローズは盗賊という存在に無意識的に先入観を持ち、忌避感を抱いていたのだが、その先入観が揺らぐのを感じる。

 

「……いつもはもっと野蛮で、卑劣なことをやってるさ。それより、例の話は本当だろうな?」

「はい。私が王位になった暁には、あなたたち全員を騎士として雇うと、このローズ・オリアナの名に誓いましょう」

「破ったら承知しねぇからな」

 

 ザックはそう言うと、異様で禍々しい魔力を放っている赤い髪の男に目を向ける。

 そうだ。魔物たちの対処はできたが、まだ一番危険な相手が残っているのだ。

 ローズは、改めて赤い髪の男に向き直る。

 

「ふむ、ローズ派が何か怪しい行動をしているとは聞いていたが、まさか野盗と手を組むとはな」

 

 彼は興味深いものを見たとばかりに笑い声を上げる。

 ローズ、リズ、リズの仲間、賊の頭領を前にしても、余裕の笑みである。それほどまでに、実力差があるというのだろうか。

 各々が得物を手に緊張感を高める中、男は辺りを見回している。

 

「どうやら、イプシロン嬢は来ていないようだな」

 

 一通り会場を見回した男が少し残念そうに言った。

 

「彼女とは久々に、楽しいダンスができたのだがな」

「───それは光栄ね、モードレッド卿?」

「───ッ!?」

 

 男───モードレッドの呟きに呼応するように、どこからか声がした。それは鈴の鳴るような美しい声で、ローズにも聞き覚えのあるものだった。

 そして、その声がしたと同時に、男の背中から血しぶきが上がる。

 モードレッドは呻くような声を上げ、よろめいた。

 

「ごきげんよう? モードレッド卿。あのときとは立場が逆みたいね」

「貴様……!」

 

 モードレッドが少し血色を悪くしながら、新しく現れた女を睨む。彼女は透き通るような水色の髪で、嘲るような笑みを浮かべていた。

 彼女が、イプシロンだろうか。

 両者の間に、今にも破裂しそうな緊張が走る。

 

「待ちなさい」

 

 と、そこでイプシロンの隣にいた金髪の女が待ったをかける。

 そう、隣にもう一人いたのだ。あまりに存在が自然すぎて、ローズは疎か、リズもザックも、モードレッドさえも気づいていなかったようだ。

 そして、彼女の声もローズは聞き覚えがあった。一体、どこで聞いたのだろうか。

 

「殺す前に色々聞きたいことがあるの。答えてくれるでしょう?」

「ふ、ハハハッ! イプシロン嬢が幹部クラスであるならば、それに命令できるのはそれより上位者ということだ。シャドウ自らこの場に現れるとはな。手間が省けるぞ」

 

 高笑いしたモードレッドが、『黒キ薔薇』へ向けて何かを投げ込んだ。

 すると、『黒キ薔薇』に膨大な魔力が集まっていくではないか。それは、吐き気を覚えるほどに強大で、そこでは黒い稲妻のような影が迸っていた。

 やがて、その闇空の中心から巨大な腕が現れた。

 

「そ、そんな……あれではまるで、魔人……?」

 

 巨大な腕からは血のような炎が滴り、次第にその全貌が露わになっていく。

 漆黒の巨体は鋼鉄のように引き締まり、長く太い腕には鋭い爪が伸びている。

 体全てを炎に包んだそれは、空を覆わんばかりの巨大な翼で、漆黒の空を羽ばたいた。

 

「見たか。これが、第四魔界の偉大なる王『ラグナロク』だ」

「ラグナロク……」

 

 ローズの心中に絶望の色が広がっていく。

 あれは、人知を超えた何かだ。とても、人の勝てる相手ではない。

 ローズの持つ細剣の先が小刻みに震える。いや、細剣だけではない。全身がまるで痙攣しているかのように、震えた。

 本能が、あの生物の視界に入ることを拒んでいるのだ。

 

「殲滅せよ、ラグナロク」

 

 モードレッドがそう言うと、ラグナロクは雄叫びを上げてこちらへ向かってきた。

 とても勝てる相手ではない。万に一つも勝ち目はない。

 だが、それでも、それは彼女が膝を折っていい理由にはならないのだ。

 震える足に活を入れ、ローズは細剣を構えた。

 オリアナ王国は彼女が守るのだ。彼との幸せな未来のためにも───

 

「一つ、あなたの勘違いを正しておきましょう」

「なに?」

 

 迫りくるラグナロクへ向けて、金髪の女が剣を振った。

 その剣は、目映いほどの光を纏っていて、途方もなく膨大な魔力を内包していることが見て取れる。

 対して、ラグナロクの方も異質な魔力を拳に宿し、剣とぶつかる。

 正真正銘、力と力のぶつかりが始まろうとしたそのとき───ラグナロクが吹き飛んだ。

 

「私は、シャドウではないわ」

「な、何が……ッ!?」

 

 建物を突き破り、遥か向こうへ消えたラグナロク。その後を呆然と見送る一行の元に、コツコツと無機質な足音が届いた。

 

「我が名はシャドウ。陰に潜み、陰を狩る者───現世に迷い込んだ異物を排除してやろう」

 




後一話か二話続きます。
ザックさんもweb版ではいて、書籍版ではいなくなってしまった人です。仲間の裏切りに遭っていないので、少し態度が悪いです。


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空中戦と前哨戦

すみません。だいぶ遅れました。
後半に一部グロテスクな表現があります。苦手な方は注意してください。


「我が名はシャドウ。陰に潜み、陰を狩る者───現世に迷い込んだ異物を排除してやろう」

 

 ラグナロクが吹き飛ばされた後に、低い男の声が響いた。その声はどこか悲哀を帯びていて、静かな闘志を感じさせるものだった。

 

「貴様が、シャドウ……」

 

 モードレッドは震える声で呟いた。

 吹き飛ばされたラグナロクは遥か遠く、王都郊外まで行っていた。

 これが例の組織の主、シャドウの力だというのか。

 

「いや、そんなはずはない……」

 

 これは恐らく、何らかのアーティファクトを使っているのだろう。筋力を上げる能力か、魔力を上げる能力か、はたまた単に敵を吹き飛ばす能力か。

 いずれであっても、その負荷は相当なものだろう。

 

「ふっ……」

 

 そう一人思案していたモードレッドに、シャドウが赤い瞳を向ける。そして、溢した笑みは彼を見下ろすようなものだった。

 そのまま、シャドウは踵を返す。

 

「後は任せたぞ……」

「えぇ、任せて」

 

 金髪のエルフにそう告げて、シャドウは、飛んだ。そう飛んだのだ。

 空に一直線に伸びる黒はまるで影のようで、『黒キ薔薇』のそれよりも尚深かった。

 その黒い影の向かう先はラグナロクが飛ばされた方だ。

 

「わざわざ死にに行くなど、愚かな……」

「それはどうかしら? 私から見ると、一人で囲まれてるあなたの方が愚かに見えるわ」

「くっ……」

 

 モードレッドは唇を噛む。

 実際、先の奇襲で一太刀を浴びたモードレッドがいつもの力を出すことはできない。それに、会場内に配置した教団員も賊や黒マントが見えるばかりで、一人も残っていない。また、異形の獣たちも彼らに掃討されている。

 そういう意味では、完全にモードレッドがしてやられた形になり、彼が愚かであることを示していた。

 

「さて、あなたには色々聞きたいことがあるのだけれど、まずは、仲間の分を返させてもらいましょう。……イプシロンと、随分遊んでくれたみたいね?」

 

 キッと仮面の奥から睨む視線は冷たい。絶対零度を思わせるそれは、モードレッドの肝を冷やさせた。

 

「さぁ、時間はないわ。楽しく踊りましょう?」

 

□□□

 

 いやぁ、流石は異世界! こんな大きなコウモリがいるなんて。

 僕は意気揚々と飛び出した。というか、飛んだ。

 実はトリツブシ邸からの帰り道で、これまた天啓が舞い降りたんだ。飛んだ方が速くね? という風に。

 それでちょちょっと魔力を操作して、試してみたら意外といけた。

 それはそうと。

 

「君、魔王みたいでカッコいいね」

 

 ゆらりゆらりと僕と同じ高度まで上がってくる魔王(仮)に、僕は話しかける。

 返答はグガアァァ! という唸り声だった。

 うん。ちゃんと挨拶できるのは偉いね。

 

「魔王と『陰の実力者』の一騎討ち……あれ? 魔王を倒すのって勇者であって、『陰の実力者』じゃないのでは?」

 

 いやでも、『陰の実力者』に負けは許されない。対峙してしまった以上、僕は魔王(仮)を倒さなければならないのだ。

 

「あっ、そうだ。魔王じゃないことにしよう」

 

 それなら、何も矛盾は生まれない。それに、人生初の空中決戦なんだ。これを逃す必要はあるだろうか、いやない。

 

「というわけで、コウモリさん。そろそろ始めよう───」

 

 僕が言い終わらない内に、コウモリが腕を振り上げ突っ込んでくる。

 相当な速さではあるけど、動きが直線的過ぎる。僕は悠々と横に離脱して躱す。

 

「おっと。まだ調整が必要かな」

 

 しかし、その反動で少しだけバランスを崩してしまった。いくら僕でも流石に、この高さから落下すると、無傷では済まないだろう。硬くても衝撃波は内臓まで届くんだ。

 僕がそうして試行錯誤していると、コウモリが急旋回して突っ込んでくる。またそれか。

 僕はまたスライドして悠々と避けようとしたが、どうにも魔力が纏まらない。練った魔力が何かに邪魔されて霧散するのだ。『聖域』での感覚とは違う気がするけど……。

 

「あっ」

 

 と思っていたら、魔力が散らばったせいで、僕は落下してしまう。自然の法則に身を任せて、僕は落ちる。

 その直後、僕の元いた辺りを炎を纏った影が通り過ぎた。

 その光景を見て、僕は思う。

 

「あれ、これアリかも」

 

 空中は地上と違って全方位が空白だ。つまり、今までは敵の横を超高速で通って「後ろだ……」とかやってたんだ。でも、空なら華麗に回避して敵が見失った後に「後ろだ……」ができるというわけだ。

 

「よいしょっ」

 

 地面に向けて、魔力で作った風を放つ。その反動で僕の体は空へ弾丸のように飛ぶ。凄い慣性力がかかった。これがGというやつか。

 コウモリは飛んでくる僕へ向けて、謎の火の玉を放ってくる。数はいっぱいだ。

 僕はそれらをランダム機動を描きながら、回避していく。空はこんなに広いのに、まるで火の海みたいだ。

 うん、いいね、こういうの。

 絶対無理だろ! っていう弾幕を無傷で躱していく『陰の実力者』。かっこいい。

 コウモリはいい加減埒が明かないと思ったのか、僕目掛けて突っ込んでくる。

 

「ふん、ワンパターンだな。所詮は獣か」

 

 僕は悠々とそれを避けようとして、またしても魔力が乱されてしまう。

 それでさっきと同じようによろめく。

 でも、タネは分かった。あのコウモリはずっと魔力を撒き散らしながら飛んでいたんだ。魔力を制御できないから、無意味に溢れて、周囲に溜まった膨大な魔力は僕の魔力制御に反応して誤作動を起こしてたみたいだ。

 一体どれだけ魔力があるんだ。

 僕は一端それを避け、見極める。

 コウモリは返す刀で……いや、返す拳で腕を払った。

 ここだ!

 僕は圧縮した魔力で、一瞬で更に高高度へ移動する。それに気付いたのか、コウモリも即座に高度を上げようと魔力を練る。

 けど、高度が上がれば魔力制御は難しくなる。結局、僕の高度に達する前に、コウモリは減速する。それでも、上がろうともがく様を見て、「そろそろかな」と呟く。加えて「空で溺れた哀れなコウモリよ……」とも呟いておいた。

 

「後ろだ……」

 

 未だ上を見て必死に上昇し続けるコウモリの後ろを取る。すると、コウモリはピタリと動きを止めた。

 絶賛動いている最中に、背後を取れるのはいいね。地上だと大回りになるから、結構難しいんだ。 

 

「さて、そろそろ終わらせようかな」

 

 僕の周囲に魔力が集まる。圧縮されて、今にも破裂しそうなプレッシャーを辺りに放っている。

 コウモリは危険を感じたのか、即座に僕に背を向け逃げ出した。

 

「アイ・アム……」

 

 だが、もう間に合わない。

 青紫の魔力はコウモリをしっかりとロックオンしている。折角だから、今回はホーミング機能も付けておこう。

 

「───アトミック・シーカー」

 

 白い閃光が大空を包む。ホーミング機能なんていらないくらいに、光は空を満たしていた。

 そして、全てが蒸発した。

 

□□□

 

 ラグナロクが蒸発する様を、モードレッドは眺めていた。

 既に右足と右腕は無く、魔剣も水色の髪をしたエルフに奪われていた。次第に弱まる脈拍が、自らの死を告げているようだった。

 

「まさか……ラグナロクが……」

 

 もう逆らう力も、気力も彼には残っていなかった。最後の希望であるラグナロクも、今の光で滅されたのだ。教団員はもういない。打開の手段は全て失われた。

 

「向こうは終わったようね。……そろそろお話する気になったかしら?」

 

 金髪のエルフが、モードレッドの左足から剣を引き抜き言った。

 

「貴様らが言っていたことは大体合っている。これ以上言うことはない」

 

 力なく、弱々しい声音でモードレッドは言った。そこにラウンズとして誇りを持っていた彼はいない。

 コツコツとブーツの音がする。

 見れば、先程ラグナロクの方へ飛んでいった男───シャドウがいた。傷一つ負っていない。バケモノか。

 

「そう。なら、今楽にしてあげるわ」

 

 金髪エルフが剣を振り上げる。最早死は免れ得ない。

 だが、そこで少しだけ悪戯心が芽生える。どうせなら、今まで散々苦労をさせてきた教団に少しばかりの意趣返しをしよう。それに、仇なす彼らが慌てふためく様も見れたなら幸いだ。

 

「……教団は、魔人ディアボロスを復活させることが目的だ」

 

 ピタリと剣の動きが止まる。どうやら聞いてくれるようだ。

 

「既にお前らは封印されたディアボロスの肉体の内、二つを解放しているみたいだが……」

「既に? 二つ? 私たちが?」

「……残りの肉体の解放を、教団は───」

 

 だが、彼が最後まで言葉を紡ぐことはなかった。

 金髪のエルフが困惑した声を上げる中、モードレッドの首が舞う。

 

「いやぁ、流石にそこら辺全部話されるのは、困るんだよねぇ」

 

 そして、いつの間にやらモードレッドの亡骸の後ろに、男が立っていた。

 明るい茶色い髪に、黄色の瞳、焦げ茶の薄汚れたマントを纏った人間の男だ。二十代くらいだろうか。

 

「貴様、何者だ?」

 

 男は場にそぐわない快活な笑みを浮かべながら、一同に礼をする。

 

「初めまして皆さん。俺はナイツ・オブ・ラウンズ第一席、ディライト・ディープ───ディディと、そう呼んでくれ」

 

□□□

 

 アルファは咄嗟に距離を取る。それは本能的な行動だった。嫌な汗が背中を伝う。この感触は、生まれて初めてかもしれない。

 唐突に現れたこの男は、底が知れない。ヘラヘラと笑うその顔の裏に、何かおぞましいものが蠢いているようにも思える。

 そして何より、アルファは知覚できなかったのだ。モードレッドの首が飛ぶまで───いや、飛んだ後も、そこに誰かいることに気付かなかった。男が声を発して初めて気付いたのだ。

 

「貴様、何者だ?」

 

 シャドウが落ち着いた声で問うた。

 まるで焦っていないように見えるのは、彼には男が現れるところが見えていたからだろうか。

 

「初めまして皆さん。俺はナイツ・オブ・ラウンズ第一席、ディライト・ディープ───ディディと、そう呼んでくれ」

 

 そうして、大仰な動きでディディは礼をする。普段なら、この隙に切りかかっているところであったが、アルファは動けなかった。

 

「ディディ……ふむ。知らないな」

 

 アルファはシャドウのその言葉に驚く。まさか、彼でも把握していないとは。

 ゆっくりと彼は剣を抜く。

 

「ハハッ、ここで君と争う気はないよ。こっちも命は惜しいからね」

「ふむ……」

 

 ディディがそう言うと、シャドウは剣を収めた。

 それもアルファを驚かせた。今まで、教団を見逃したことはなかったのだ。

 ディディはそれを見て満足げに頷いた。

 

「まぁ、そんなわけだから、じゃあね。シャドウくん」

「……」

 

 そう言って、ディディは姿を消す。またしても、アルファには全く知覚できない。

 ふと、シャドウを見てみれば、彼は漆黒のロングコートを翻し、消えるところだった。

 こっちはしっかりと見える。シドになってクレアの近くまで行くのも分かった。

 

「一体どうなっているの……?」

 

 アルファの呟きは静かに木霊したのだった。




次回は、短めの後日談(一章のときみたいなやつ)を挟んで、幕間に行きます。今週の水か木曜には出したい所存です。


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協力と正体

すみません。だいぶ遅れました。


 その夜は雲のないよく晴れた夜だった。

 ローズは、王城にある一室で、一連の騒動についての後処理をしていた。

 

「中々片付きませんね……」

 

 ローズの机に置かれた膨大な資料は、その一部が今回の騒動に関するものであり、それ以外は過去の"教団"の動向に関するものである。つまり、その大部分が公にできないような極秘資料ということになる。

 既に整理を始めてから、半日以上経っているが、目の前の山は始めたときと何ら変わりがない。

 

「前に進んでいる実感が湧きませんね」

 

 ローズは自嘲気味に笑った。

 これがこの国の実態なのだ。これだけ膨大な数の不正が横行していた過去。その全てではなく、一部を見るだけでもこれだけの時間が必要なのだ。

 過去の清算をするだけで、一歩も前に出れていないのが現状だった。

 

「いえ、清算が始められただけでも前に進めているということでしょうね」

 

 ローズは席を立った。だいぶ集中力が乱れてきたから、少し散歩でもしよう。

 そう思い立ち、閃いた。

 

「それなら、シドくんのところにお邪魔しましょう」

 

 そこで一夜の夢を……と、それはまだいけない。  

 だが、結婚式は無事に終わったので、アレクシア一行は明日にはここを出ることになっている。その前に、彼には一度会っておきたかった。

 

「そうと決まれば、何か手土産でも……」

「少しいいかしら?」

 

 彼の部屋に持っていくものを考えながら、意気揚々と扉に手をかけたローズの背後から声がかけられる。

 この感覚には覚えがあった。そして、声には聞き覚えがあった。嫌な感じはしない。

 ローズはゆっくり振り返る。

 

「あら? 先日の方ではないのですね」

 

 振り返った先には金色の髪をしたエルフの少女と、その側に二人マントを纏った人物がいた。

 あのエルフの少女は先の一件で黒マントの集団を指揮していた人物だろう。

 

「彼女は今、後処理に追われているわ」

「どこも同じなのですね」

 

 少し親近感が湧いたローズは微笑んだ。

 

「それもそうなのだけれど、今回は私自身が来るべきだと思ったの」

「……それはどういう意味ですか?」

 

 自分でも声が強張ったのを感じる。少し、喉が渇いている。

 エルフは静かに答えた。

 

「───『シャドーガーデン』と手を組みましょう」

「手を組む?」

 

 ローズが訝しげに聞き返すと、エルフは首肯した。

 

「あなたと私たちで協力して、教団に立ち向かいたいの」

「……」

 

 ローズは考える。

 彼らの力は学園襲撃事件のときや、先日の結婚式で直接見た。その圧倒的な武力は、長らく暗躍してきた教団をさえ凌いでいるように思える。

 彼らの力が借りられるなら、一見して、この話はオリアナ王国にとってもいいもののように思う。

 だが、彼らがオリアナ王国と手を組む意味はなんだ? どんな利益がある?

 

「……あなた方にどんな利益があるのでしょう?」

 

 考えていたことを馬鹿正直にローズは聞く。ずっと悩んでいても仕方ないと割り切ったのだ。

 

「自分たちの利益よりも先に、私たちのを聞きたいのかしら?」

「自分たちのは明白なので。むしろ、そちらに得があるようにも思えません」

 

 今、オリアナ王国から渡せるものはあまりにも少ない。机の上の負債がその証拠で、悲しいことだが、この後は相当数の貴族を罰しなければならないだろう。

 金銭や芸術品なら、多少余裕はあるが、まさか彼らがそれを欲するだろうか。

 そういった思考の下、ローズの警戒心は少しずつ高まっていた。

 それを機敏に感じ取ったのだろうか。エルフはゆるゆると首を振った。

 

「これは私たちにとっても悪い話ではないわ」

「具体的には?」

「まず、あなたが協力してくれれば表立ったところに拠点を作ることができる。他国では、政治の中枢まで教団が浸透しているから、できないのだけれど」

 

 なるほど、とローズは頷く。確かにそれは利点かもしれない。だが、それだけでは少し弱い気もする。

 ローズは続きを促す。

 

「他には?」

「……分からないわ」

「はい?」

「私には分からないわ」

「私には?」

 

 それは何か引っかかる物言いだった。

 エルフは少し寂しそうに遠くを見る。

 

「"彼"は、ずっとあなたのことを守っていたわ」

「それは……結婚式前にも言われました。どういう意味ですか?」

 

 ローズには守られている実感なんてなかった。

 あの攫われて助けられた夜からずっと、剣を振って、自分の力で進んできたつもりだ。

 ───本当にそうだろうか?

 ローズの心の中で少しだけ引っかかるものがあった。不鮮明だったそれは、少しすつ輪郭を帯び、次第に明瞭になっていく。

 学園襲撃事件のとき、『ブシン祭』、そして今回の結婚式。いつも、誰かに守られていた気がする。

 いや、そう。ローズは確かに守られていた。襲撃事件で久しぶりに会ったときは襲い来る凶刃から、『ブシン祭』では〈悪魔憑き〉から、結婚式では教団から。

 ローズがピンチになると、必ず誰かが助けてくれた。そして、彼らはどこか同じような温かみを持っていたのだ。

 そこでようやく、気付くものがあった。

 

「スレイヤーさん……」

 

 彼らの剣は全て同じだったのだ。どうして今まで気が付かなかったのだろう。あんなに綺麗な剣なんて、他にはないのに。

 

「気付いたみたいね」

 

 エルフが言った。

 

「あなたはずっと私たちの主……シャドウに守られていた。不思議に思わないかしら? どうしてピンチになったときいつも、"彼"が現れるのか」

「それは……」

 

 覆面や仮面、果ては女装までしてローズの前に現れる意味。都合よくピンチには駆けつける理由。

 それらが暗に仄めかすのは───スレイヤーの正体がローズの知っている人物であるという可能性だ。

 

「でも誰が……」

「"彼"はあなたにとても近い人物よ。側にいてもあなたが遠ざけないくらい近い……」

 

 なぞなぞのような言い回しだ。

 だが、もうローズには検討が付いていた。誰が"彼"なのか分かってしまったのだ。

 それに気付いて、はっと息を呑む。

 

「スレイヤーさんはまさか───シドくん?」

 

 エルフはなにも言わなかった。その沈黙が答えだとでもいうように。

 

「"彼"に見えているものは分からないわ。でも、その行動には意味がある。"彼"があなたを助け続けたのは、あなたが私たちにとって必要だから」

「私が必要?」

 

 ローズは積み上げてきたものが全て瓦解していくのを感じた。添い遂げようとした人物が実は、ずっと陰ながら助けてくれていたとは。しかもそれは愛故にではなく、必要だから、と。

 大きな衝撃が走る。しかし同時に、内側から湧き出るような感情があることに気付く。それは激情ではなく、熱情でもなく、もっと静かで強いものだった。

 

「具体的に何があるのかは分からないけれど、それが"彼"の意志なら私たちは従うまでよ。あなたはどうする?」

「私は……」

 

 ローズは固く誓う。

 

「分かりました。私、ローズ・オリアナはあなた方と手を組むと誓いましょう」

「そう。良かったわ」

 

 「ただし」とローズは付け加える。

 

「これは私個人との協力で、オリアナ王国が正式に手を組むというわけではありません」

「えぇ、分かっているわ」

 

 この予防線にどれだけ効果があるかは分からないが、ローズの身勝手に国を付き合わせるわけにもいかない。

 エルフは首肯して、側にいた二人を前に出した。

 

「彼女たちは連絡係として置いていく。好きに使ってもらっていいわ」

「よろしくお願いします」

「よろしくねー」

 

 二人はペコリと頭を下げた。その声を聞いて、ローズは驚く。

 

「リズさん!?」

「えぇと、そうですけどそうじゃないんですが……」

 

 詰め寄るローズにリズはたじろぐ。その様子を見て、リズの同僚と金髪のエルフは楽しそうに笑った。

 

 結局、リズ=664番と自己紹介した頃には、東の空は明るくなっていたのだった。

 




次回幕間を挟んで、七章学術都市編です!


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イプシロンの憂鬱

「───今日も私は美しい」

 

 鏡の前に立つ少女は静かに呟いた。

 その瞬間、足元からまるで意識を持っているかのように蠢く黒い影が現れる。その影は目にも止まらぬ速さで少女を包み、"体"を形成していく。そして、それらは少しずつ形を変え、質感を変え、色を変えながら整えられていた。

 やがて影は収束し、現れた豊満な"体"を見て少女は満足そうに頷く。

 その頃には、東の空に一日の始まりを告げる焼け空が現れていた。

 

 少女───イプシロンの朝は早いのだ。

 

□□□

 

 朝の"日課"を終えたイプシロンはオリアナ王都に新設した拠点の執務室に向かっていた。

 やらなければいけないことは多い。

 特に、オリアナ王国内の教団の掃討と、拠点の確保は可及的速やかに行わなければならなかった。

 それはガンマであれば三徹、四徹などしてすぐに終わらせにかかるだろうし、アルファであれば既にもう終わっているかもしれない。

 だが、イプシロンはアルファほど速く処理はできないし、ガンマのように徹夜するなど彼女にとっては考えられないことだった。肌の手入れを怠ることは、最早命を捨てるのと同義なのだ。

 それでも、イプシロンが仕事の手を抜くことなんて有り得ない。主より伝授され、彼女自身が改良を重ねた超速睡眠法を使った彼女は、最低一時間眠れれば肌的には問題ないのだ。

 やや重い頭を振りつつ、執務室に入った。

 

「おはよう、オメガ」

 

 あくびを噛み殺しつつ、書類に目を通していたオメガに挨拶する。

 オメガは声を掛けられて気が付いたのか、少し血の気が薄い顔を上げる。

 

「……こんばんは、イプシロン様。お休みになられたのでは?」

 

 イプシロンの雑な挨拶に律儀に返す。

 

「休んだわよ。それより、もう朝よ」

 

 指摘されてはっとしたオメガは外を見やる。そこにはもう朝焼けはなく、闇を切り裂くような白光が注いでいた。

 

「……失礼いたしました。こんにちは、イプシロン様」

 

 わざわざ席を立って礼をするオメガにイプシロンは軽く手を振って応答した。

 着席して彼女の前に積まれた山を見る。数時間前より増えている。

 

「また手首が痛くなるわ……」

 

□□□

 

 昼頃。作業に没頭していたイプシロンの耳に小気味よい快活な音が三回届いた。

 ノックだ。

 カイが立ち上がり、少しだけ扉を開け顔を覗かせた。因みに、オメガは今休憩中だ。

 

「イプシロン様。アルファ様がお見えになっています」

「そう。お通しして」

「承知しました」

 

 カイが扉を開けると、その奥には金髪の美少女、アルファがいた。その横にはシータもいる。

 

「ごきげんようアルファ様、シータ」

「ん……」

「忙しいところごめんなさいね」

 

 アルファはそう言って、入室する。

 その動作一つ一つが流麗で、品の高さを伺わせる。イプシロンには到底できない洗練されたものだった。容姿も整っていて、完璧超人で、かなり手強い相手だ。

 だが、バストは負けていない。

 イプシロンは密かに心の中で思う。

 

「今日はどんなご用件で?」

 

 アルファにソファを勧めつつ、用件を尋ねる。

 

「ちょっと気になることがあるの」

 

 着席した両者の前にカイがティーカップを置く。ゆらりと上る湯気に混じって、渋みのある香りが鼻をくすぐった。

 

「気になること?」

「えぇそうよ。まずは、結婚式で現れたあのディディという男のことよ」

 

 ───ディディ。

 ナイツ・オブ・ラウンズ第一席と自称した彼には、イプシロンも底知れない何かを感じていた。

 その正体は形容しがたいものだが、あえて言うならば、何か邪悪なものを凝縮した怪物だろうか。

 主も強い意志を持っているが、それに似通った、しかし異質なものを感じていた。

 

「彼について何か分かったのですか?」

 

 ガーデンはあの日以来かなりのリソースを費やしてディディの行動を追っていた。すると、『無法都市』や『ブシン祭』での目撃情報が出る他、その他数多くの場所に現れていることが分かった。

 だが、その理由は不明だった。目的さえ読めないのだ。あるいは、ふらふらと彷徨っていると言われても信じられる程だ。

 

「そうね……シータ」

「ん」

 

 アルファがこれまで一度も喋らなかったシータに会話の主導権を渡す。

 シータは仏頂面のまま───いや、少し話しにくそうな顔だった。

 

「ディディと前に会ったことがある」

「前に……? それはガーデンの活動で?」

 

 ふるふると首を振る。ガーデンの活動中ではないらしい。

 

「見かけたとかではなく?」

「ん……ディディが、シータを『シャドーガーデン』に入れた」

「はい?」

 

 特に表情の変化なく、今日の夕食を話すが如く調子でシータは言った。イマイチ関係が読めないイプシロンは間抜けに聞き返す。

 

「だから、シータが『シャドーガーデン』に入ったのは、ディディが唆したから」

「唆したって……」

「えっと……前後関係を詳しく話して」

 

 そこからイプシロンはディディとシータのの出会いについての話を聞く。ぶつ切りの文章でちょこちょこ話が飛ぶから分かりにくかったが、要は、〈悪魔憑き〉となった彼女に『シャドーガーデン』の存在を教え、引き合わせたのがディディだということだった。

 

「なるほど……確かに、気になる点はあるわね」

 

 イプシロンは不可解な話に眉を寄せる。

 

「前から、ソースは不明だけどガーデンに会いに来た〈悪魔憑き〉がいるのよ」

「それが彼かもしれない、と」

 

 アルファの補足説明に皺は更に深くなる。

 ディディの目的が分からない。どうしてラウンズの第一席がガーデンの利になるような行動をするのだろう? そこに、一体どんな利が彼にはあるのだろう?

 だが、一つだけ言えることがある。

 

「……少なくとも、教団の総意ではないはず」

「それには同意ね。もし総意なら、ここまで彼らと争うことはないのだから」

 

 しばらく場に沈黙が訪れる。立ち上っていた湯気は既に薄く、香りも馴染んできた。

 様々なことに思考を巡らすが、特にこれだ! と言ったものはなく、いたずらに時間が過ぎていった。

 

「……って、シータ。あなたね……」

 

 長い静寂のせいか、アルファに寄りかかるようにして、シータが眠ってこけていた。

 本当に自由奔放な奴だ。

 アルファはすやすやと眠るシータの頭をゆっくりと撫でている。

 

「穏やかな寝顔ね」

「はぁ……起こさなくていいんですか?」

「いいわ。しばらく寝かしておきましょう。……それで、イプシロン。実はもう一つ、話があるの」

 

 アルファがちらりとカイを見る。その動作の意味に気付いた彼女は、ゆっくりと一礼をする。

 

「イプシロン様、しばしオメガと二人で王都に設置したもう一つの拠点を見て参ります。戻るのは少し遅くなるかもしれません」

「あら、もうそんな時間かしら。私はちょっと手が離せないから、丁寧に見ておいて」

「承知しました」

 

 完全に三文芝居である。

 人払いを済ませ、アルファの方を見る。彼女は出て行ったカイの足音が聞こえなくなるのを十分に待った。

 

「それじゃあ単刀直入に言うけれど───私たち、『シャドーガーデン』の中に裏切り者がいるわ」

「……っ!?」

 

 予想していなかった言葉に、イプシロンは息を呑む。一瞬冗談であってくれと願うが、アルファはこの手の冗談を言わない。なにより、彼女の纏う雰囲気がそれが事実だと思っていることを証明していた。

 

「どういうことですか?」

 

 だからイプシロンは聞き返していた。

 どうしてそんな思考になったのか、と。

 

「前々から、ガーデンや教団以外に動いている組織があることは伝えていたわね?」

「え? えぇ、聞き及んでいます」

「その組織が恐らく、裏切り者よ」

 

 アルファは一拍置いて、続ける。

 

「モードレッド卿の最期の言葉は覚えてるかしら?」

「……教団はディアボロスの肉体を解放させる気だ、と」

「そうね。それに───私たちが既に二つ肉体を解放しているとも言っていたわ」

 

 そこまで聞いて、アルファの言わんとしていることに気付いたイプシロンは再び息を呑む。

 

「確認だけど、私たちは一つも解放なんてしていないはずよね?」

「……そうですね」

 

 ガーデンが解放していないのに、敵はガーデンが解放したと認識している。教団は三つ目の組織について気付いていない?

 その可能性はあり得る。ゼロとは言い切れない。

 だが、その三つ目の組織がガーデンの中にいるとするなら───教団が失態していると考えるよりも、遥かに合理的な筋が通るではないか。

 長らく世界を牛耳ってきた教団が無能であったと考えるよりも、それはあり得る話だった。

 

「誰が裏切っているかはまだ分からないわ」

「でも、ガーデンの力を使わずに解放するなんて、相当な実力者であるはず……まさか『七陰』が?」

「……」

「……」

 

 言って、静寂が舞い降りる。

 それが大いに可能性のあることだったからだ。

 

「解放された肉体というのは?」

「恐らく一つは王都にあるものね。イータが1stチルドレンから集めた情報では、フェンリルの拠点に一つあるはずだから」

「そのフェンリルがやられたことが証拠ということですか」

 

 フェンリルがやられことは最早周知の事実だ。最近、ミドガル王国での教団の活動はかなり限定的になっていた。

 その動乱に乗じて、集めたのだろう。

 

「もう一つは?」

「これも真偽は不明だけど、学術都市か『聖域』に封印されていたものでしょうね」

「『聖域』……それなら、シャドウ様に聞けば解決しそうですね、学術都市の方は……」

「今ゼータが行っているわ」

「ゼータが……応援を送りますか?」

「えぇ、そうしましょう」

「では、そのように手配を───」

 

 いたしましょう、と言おうとしたイプシロンをアルファは制する。

 

「必要ないわ。既にガンマには連絡してあるから」

「ということは、ガンマが応援に?」

「……そうよ。『ミツゴシ商会』の新店舗を出すという建前だわ。それと、後もう一人行く予定よ」

「ガンマが行くなら……ニュー当たりですか?」

「いえ───」

 

 アルファはいやと首を振る。ずっしりと雰囲気が重くなるのをイプシロンは感じた。故に、それが意味すること、アルファの思惑を察し、納得する部分があった。

 

「───デルタよ」

 

 アルファは、『七陰』のゼータを疑っているのだろう。

 イプシロンは何も言えなかった。

 

□□□

 

 アルファが去ってから、どうしても集中ができなかったイプシロンは王都を歩いていた。

 街は結婚式での騒動で一時混乱していたが、今はだいぶ収まってきていた。

 

「……っと」

 

 中央通りを歩いていると、何やら先が人だかりができていることに気が付いた。騎士団が道路の交通整理をしていた。

 そこではっと思い至る。今日はミドガル王女が帰国する日だ。

 ミドガル王女には興味はないが、そこには主もいるはずだ。その主を一目見ようと、イプシロンは人だかりに混じる。

 

 しばらく待っていると、王城の方から物々しい護衛を連れた一台の場所が来る。どうやら来たようだ。

 イプシロンは先程痴漢しようとしてきた男を踏みつつ、その馬車の中を見ようとする。

 

「こんなところで何やってんの? イプシロン」

「ひゃっ!?」

 

 突然声を掛けられイプシロンは驚く。だが、すぐに胸中に浮かぶのは、熱いような気持ちだった。

 

「主さま! どうしてここにおられるのでしょう?」

「ちょっと馬車から見えてね。挨拶くらいはしておこうと思って」

「そんな、わざわざ私のために……!」

「なんか浮かない顔だけど、何かあったの?」

 

 イプシロンの顔を覗き込むようにして、シドが言う。

 

「はい、いいえ主さま、何でもありません」

 

 一瞬彼にも先程のアルファの話を伝えようか迷ったが、すぐに主なら知っているだろうと考え直す。

 もしかしたら、彼には全てお見通しなのかもしれない。

 そこでふと、気になることがあった。

 

「主さま」

「うん? なんだい?」

「天然と人工、どちらがいいですか?」

「……うん?」

 

 これだけは今聞いておかねばならないとイプシロンは思った。最近会っていない天然に一歩リードするためにも、ここだけははっきりさせておかなければならないのだ。

 

「いや、僕は別にどっちでも……」

 

 イプシロンは主の視線が一瞬彼女の胸に行ったことに気付く。

 まさか、気付かれている!?

 

「ちょっとシドー! どこにいるのよ!?」

 

 と、そのとき、馬車の中からけたたましい声が響いた。クレアの声だ。

 それを聞いたシドは「やばっ」と言って馬車の中に戻っていく。

 残されたイプシロンは(スライム)を寄せて呟いた。

 

「いえ、きっと私の胸に見惚れていただけね。ふふっ」

 

 そうして機嫌の良くなったイプシロンは、拠点へと戻っていった。

 




次回から学園都市編です!
少し間が空くかもしれません。


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七章 学術都市ラワガス
モブ的選抜大会


七章始まります。今回は短めです。


 冬休みも終わり、新学期がやってきた。校門をくぐる生徒の間には、陰鬱としていて、けれど興奮した雰囲気が漂っている。

 そんな彼らの多くが話題にするのは、一つはオリアナ王国での話だ。もう女王となり、この学園からもいなくなった女王ローズ・オリアナ。彼女の結婚式での勇姿は、冬休み中の彼らの元まで届いていた。そして、口々に彼女を褒め称えていたのだ。

 そして、もう一つ。

 彼らの口上に上るのは、『留学生』についての話だった。

 曰く、ミドガル王国と学術都市の間で何らかの取り決めがなされた。

 曰く、学術都市は研究に協力してくれる魔剣士を求めている。

 曰く、行った者は生きては帰ってこれない……

 などなど、好き勝手に噂が飛び交っていた。しかし、新たなるイベントに校内が微かに熱気に包まれているのは、疑いようのない事実だった。

 

□□□

 

「というわけなんですよ!」

 

 朝の電車の中。ジャガが鼻息荒く、血走った目で留学生についての話をしていた。

 僕は大きめのあくびをしながら、その話を聞いていた。

 

「留学生か。まっ、俺たちには関係ない話だな」

 

 ヒョロが朝ご飯を食べそびれたからと、さっき買ったパンを頬張る。カツサンドだ。中々いい匂いがする。

 そんなヒョロに、ジャガは分かってないな、と言わんばかりに肩を竦めてみせた。

 

「分かってませんね、ヒョロ君」

 

 いや、実際に言ってた。

 

「あにがあよ?」

「ヒョロ君。食べるか話すかはっきりしてください」

「……で、何が分かってないって? どうせ、成績優秀な奴が選ばれるんだろ?」

「ふふふ、そうとも限らないんですよ」

 

 ジャガが気持ち悪い笑みを浮かべながら、一枚の紙を取り出す。

 

「ほら、これを見てください」

「えーと、なになに……『留学生は選抜大会で決定する。大会は希望者を成績別に分け行う』……ということは、つまり?」

「つまり、自分たちにもチャンスがあるんですよ!」

「なるほど! そういうことか!」

 

 ヒョロが合点がいったとはがりに手を叩く。

 

「そういうことです! そんなわけで、ヒョロ君、シド君、希望届けを出しましょう!」

「えっ、僕は別に……」

「おっしゃ、そうだな! シド行くぞ! 白衣を着た美人を捕まえに!」

「だから、僕は……」

「そうですね! メガネ女子を探しにラワガスに行きましょう!」

「いや……」

「じゃあ、そういうことだから、お前の分も出しとくぞ」

「あー、うん。もういいや」

「よし……あれ? 俺のカツがない」

 

 そんなわけで、僕は選抜大会にエントリーすることになったとさ。

 中々いいカツだった。

 

□□□

 

 さて、本日は晴天。選抜大会日和だ。

 僕は運動場に作られた簡素な闘技場に足を踏み入れ、周囲を見回す。

 

「頑張れよー」

「ファイトですよー」

 

 そんなモブ声援が静かに響いていた。他に声援のようなものはなく、観客もちらほらといった感じだ。

 まぁ、それも無理はないことなのだが。

 というのも、僕が参加しているクラスは一番下なのだ。同時刻に一番上のクラスも試合をしているということもあり、こっちに見物人はほとんど来ていないのだった。

 

 そんなわけで、今僕の前に相対するのはぱっとしない生徒だった。名前はアーベ・レージである。

 肉体も、構えも、表情も何一つ魅力を感じさせることはない。見た目も、体重も、何もかもがオール平均で、逆に名前を覚えてしまったモブ中のモブ。ある意味、ネームドである人物だった。

 

「適当に負けよう」

 

 僕は留学には興味はない。レポートとか色々面倒だし、その時間は訓練に回したいのだ。

 だから、適当に戦ってさっさと負けよう。

 ふっ、今こそ勝負だ。どちらがより、モブモブしいかを!

 適当に剣を構え、試合開始の笛が鳴る。

 直後、僕は走り出した。

 

「うわあぁぁぁっ!!」

 

 間の抜けるような声を張り上げる。相手は咄嗟のことに動転して動けていないようだ。

 ……くっ! まさかこんな隙だらけの突撃にも反応しないとは! これが真正のモブの力……ッ!

 

「だが、まだ負けてはいないッ!」

 

 僕は着地の瞬間に足首の力を抜く。そうすることで、着地の衝撃により自然と足を捻るのだ。

 ───これぞ、『モブ式奥義・母なる大地との接触(モブタンブル・キッス)』だ!

 僕は右足首を有り得ない方向に曲げながら、盛大に地面に倒れ込む。そして、盛大に木の床に口付けをした。ついでに、ポケットから密かに出した血糊で額を赤く染めておく。

 ふふっ、どうだ! これなら、流石のモブでも僕に負けはしまい!

 僕は勝利を確信しながら、顔を上げた。

 だが、目に映る光景に、僕の表情は強張った。

 

「なん……だと……!?」

 

 アーベは倒れていた。どうしてかは分からないが、口から泡を吹いて白目を剥いていた。

 一体何が起こったんだ、と僕は周囲を見回す。しかし、異常は見受けられない。

 では何が……。

 そうして、よくアーベを観察していた僕はその側に落ちている剣を見て悟った。

 剣には、血が付いていたのだ。血糊ではない血が。

 

「まさか、自分の剣を……いやしかし、どうやって……」

 

 一体どうすれば、自然に、自分に剣を突き立てられるのだ? どうやってもそれは不自然な行為であるはず……

 

「うわぁ、あいつドジだなぁ。相手がコケたのに驚いてコケるとかな」

「そうですね。しかも、その拍子に投げた剣が自分に当たるなんて、最早芸術ですよ」

「……」

 

 ヒョロとジャガの会話を聞き、僕は合点がいった。そして同時に、認めなければならなかった。

 この勝負は、僕の負けだということを……

 

 結局、その後も勝ち続けた僕は留学生に選ばれてしまった。そこに至るまでの全ての試合が、涙必至の熱い戦いであった。

 今回の大会で僕は学んだ。まだまだ、僕はモブプロたちには力が及ばないことを。だから、僕はこれからも鍛錬を続けよう。いつか、モブプロたちに並べるように……。

 あっ、そうそう。余談だけど、ジャガとヒョロも留学生に選ばれたみたい。

 ふっ、奴らもまだまだモブ度が足りないな……。




次回からはちゃんと学術都市に行きます


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再会

 僕は列車に揺られながら、流れ行く風景を眺めていた。特段景色が美しいということはないけれど、僕はこういった静かな時間が好きだった。

 

「───っと、シド君聞いてます?」

 

 そんな僕の静かな時間は闖入者により、唐突に終わりを迎える。

 

「そうだぞ、シド。さっきからぼーっと外を見てやがって」

 

 おっと、唐突に終わったわけではないようだ。

 本当は聞いていなかったけど、ここは聞いてたことにしよう。

 

「外は見てたけど、話は聞いてたよ。アレの話でしょ?」

「そうです。アレの話ですよ」

 

 一体どれの話なんだろう。

 

「やっぱアレだよね」

「おう、そうだな。アレだよな」

 

 アレが何かはさっぱり分からないが、こういう中身のない話はモブっぽくて悪くない。

 僕がそうやって一人頷いていると、何やら盛り上がったヒョロとジャガが声を揃えて言った。

 

「この留学で、彼女を作りますよ!」

「この留学で、彼女を作るぞ!」

 

 うん。彼らは楽しそうだ。

 そんなわけで、僕らの学術都市ラワガスへの旅路は続いた。

 

□□□

 

 結局、ラワガスに着いたのは出発してから五日経ってからだった。走れば一日以内には着く距離だが、ああやってゆっくり行くのも悪くない。

 到着した僕らは、まず"内壁"の内側まで案内され、大きな広場のような場所に通された。

 ここは本当に何もなく、舗装すらされていないのだが、所々に黒い煤や、クレーターのような穴がある。恐らく、実験場か何かだろう。

 そんな広場で僕らを迎い入れたのは、総勢百名はいようか、研究者の人達だった。

 その中の一人、白衣を纏った小太りで、口元にチョビ髭の生えたおっさんが話し始める。

 

「えー、ようこそおいでくださいました───」

 

 そんな一言から始まったのは、長い歓迎の挨拶だった。まるで校長の話のようだ。

 僕はどうして人は歳を取ると話が長くなるのか不思議に思う。きっと、失った(髪の毛)の分だけ言葉が蓄積されていくのだろう。

 僕は話すチョビ髭の輝かしきを見て、一人納得していた。

 

「シド君、シド君。話長くないですか?」

「そうだね」

「どうしてこう、年長者の話は長いのでしょうか」

 

 今も話している彼は、そこまで年長ではないと思う。でも、髪はないんだ。いや、ありはするけど。

 

「それはそうと、自分かわいい子見つけましたよ。ほら、あっちの右端の……」

 

 ジャガがそう言って、指さした方向には、金髪で髪の短い女性がいた。ちょっと姉さんに似て、目つきが悪い。

 

「あっ、おいジャガ。あれは俺が先に見つけてた人だ」

「いや、ヒョロ君。こういうのは、早い者勝ちですよ。早い者勝ちとはつまり、先にオッケーされた者勝ちということです」

「ほう? ジャガよ。まさかこの俺と張り合おうっていうのか?」

「ふふふ、まさかヒョロ君。この自分と女性の奪い合いをしようと言うんですか?」

 

 不敵な笑みをうかべた二人は、そのまま見つめ合う。

 

「───えー、であるからして、長旅でお疲れでしょうが、まずは皆様方には魔力量の検査をしようかと思います」

 

 そんな二人の喧嘩を他所に、どうやら挨拶も終わったようだ。

 研究者の人達に連れられ、僕らは施設内へと入っていった。

 

□□□

 

 施設内での検査はさっきのチョビ髭さんが言っていたように、魔力量の測定だけだった。

 選抜大会を元に振り分けられたランクごとに測定が行われる。因みに、僕は一番下のDランクだ。

 上のランクから順に測定が行われ、ようやく僕らの番が回って来た頃には、日が暮れ始めていた。僕らは三十人程しかいないのに、結構時間が掛かっている。

 僕らが通されたそこは、何かの機器が大量にある一室だった。ぱっと見、イータのラボのようであるが、あそこまで洗練されていないように思える。

 そこにいる疲れたような顔の研究員たちを見た隣のジャガはフンスと鼻を鳴らした。

 

「ふっ、シド君。見ていてください。僕の勇姿を!」

 

 ジャガは検査の担当をしている白衣のお姉さんに話しかけ始めた。因みに、さっきの金髪の人とは違う人物である。

 

「こ、ここここんにちは!」

「はい、こんにちはー。どうぞおかけになってください」

「お、お姉さん綺麗ですね!」

「よく言われますー。はいこれ、腕に付けてください」

「こ、ここここの後、お、お茶とかどうでふか?」

「この後はデータの解析をしなきゃいけないんですよー。はい、そのまま動かないで」

「そ、そうですか」

 

 お姉さんはだいぶ手強かったみたいだ。

 ジャガよ。お前の勇姿は見届けた!

 

「と、僕の番か」

 

 空いた席に通される。

 

「あっ」

「えっ?」

 

 そこには、見覚えのある桃色の髪をした少女がいた。

 

「し、シド君ですか?」

「えっと、もしかしてシェリー先輩?」

 

 そう、その桃色の髪の少女は、半年くらい前にここラワガスへ留学したシェリー・バーネットであった。

 

□□□

 

 測定も終わり、宿舎にも案内され、今日は自由時間と相成った。僕は散歩がてら居住区を探索することにした。こういう古い都市は、何か隠し部屋みたいなものがあるのが相場だしね。

 因みに、ヒョロとジャガは爆沈したので今日は部屋に籠もるという。

 

「えっと、シド君?」

 

 そうして、学生区をあらかた見終えたところで、シェリーに話しかけられた。

 

「なに? シェリー先輩」

「いえ、さっきはあまり話せなかったので」

 

 シェリーはもじもじと指をこねている。半年前とあまり変わっていないようだ。

 

「さ、最近どうですか?」

「どうって……まぁ、ぼちぼちかな」

 

 可もなく不可もない平坦な日々だ。ちょっと冬休み中に色々あったけど、最近は実力者プレイは御無沙汰なんだ。

 本当はもっと、毎日わくわくできるようなことがあってもいいと思うんだけど。

 

「シェリー先輩は?」

「私は……私も、ぼちぼち、ですかね」

 

 えへへ、とシェリーははにかんだ。

 

「こっちに来てからは毎日講義とかもありますが、ほとんど研究しかしてなくて……」

「へー、どんな研究?」

「えっと、魔力の運動に関するものなんですけど───」

 

 そこから、シェリーは楽しそうに自分の研究している分野のことを話し出した。決して上手い言葉ではなかったけれど、彼女の研究に対する熱意のようなものは伝わってきた。

 

「なるほどね。ところで、この都市って何か面白いものとか、ところとかない?」

「面白いところ、ですか……」

「そうそう。遺物とか遺跡とか」

「遺物……」

 

 シェリーは何かの言葉に反応して黙り込んでしまった。これは、もしや何か心当たりがあるのだろうか。

 

「シェリー先輩?」

「は、はいっ! 何でもありませんよっ!」

「いや、何も聞いてないけど」

 

 まぁ、言いたくないなら無理には効かないさ。自分で探すというのも楽しみの一つだからね。

 

「まぁ、これからしばらく滞在するわけだし、よろしく」

「そ、そうですね! よろしくお願いします」

 

 そうして、僕らは別れた。

 

□□□

 

「お邪魔するよ」

 

 静かな部屋に、不意にそんな声が響く。

 ガンマは眺めていた資料から目を上げて、窓から入ってきた闖入者を見る。

 ゆらりと、金色の尻尾が揺れていた。

 

「ゼータ。いつもドアから入るように言われているでしょう?」

「別にいいでしょ? こっちからの方が入りやすいんだよ」

 

 ご機嫌な風に鼻歌を歌うゼータはソファにどかっと座った。

 

「む? ワンちゃんの匂いがする」

「デルタも来てるのよ」

「うげっ! デルタもいるの……」

「そういうと思ったから、デルタとは会わせないようにしたのよ」

「ふーん、なるほど」

 

 毛づくろいをしながら、ゼータはソファにマーキングしている。自分の匂いでデルタの匂いを消そうとしているのだろう。

 

「これは、またデルタが荒れるわね……」

 

 本当に、もう少しだけガンマに対して丸くなってくれたら……。

 

「いえ、ありえない話ね」

「それで、ガンマ。今日はなんの用?」

 

 一通りマーキングして納得がいったのか、ゼータは満足げに頷いた。ガンマは「いいえ」と首を振る。

 

「今日は顔合わせをしようと思っただけよ。幸い、今回はちゃんと報告書を出しているようだし」

「ははは、耳が痛いね。でもそっか」

 

 ぴくぴくと耳を動かし、ゼータは立ち上がる。

 

「久しぶりに『七陰』で協力しての任務だし、昔を思い出すね」

「ゼータとは、そうですね。あなたはいつも一人で任務していますから」

「そうだね」

 

 ゼータが窓に足を掛ける。どうやら、扉を使う気はないようだ。

 

「じゃ、また」

 

 そう言って、闇に消えたゼータの姿を見てガンマはふうー、とため息を吐いた。

 

「本当に、彼女は裏切ってるのかしら……」

 

 その呟きに応答する者は誰もいなかった。

 



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ゴールデンレトリーバーと夜更かしの研究者

タイトルに悩みました。前半と後半で話が全然違うのがいけないですね。


 僕らが学術都市に来てから一日余りが過ぎた。今日は朝早くから身体能力テストがあったのだ。

 

「今日のテスト酷かったなぁ……」

「そうですね……」

「そだね」

 

 僕らは疲れから───僕は疲れてないけど───重い足取りで宿に帰っていた。

 

「科学者の連中は、絶対運動したことないよな」

「そうですね。魔剣士だからって、何でもできるわけじゃないんですよ」

 

 今、口上に上っているのは身体能力テストでの種目の一つ、反射神経テストのことだった。

 そのテストでは、超至近距離から射出されるボールを躱すというものだったんだけど、ボールのスピードは余裕で二百キロメートルを超えていた。その上、距離は次第に短くなっていき、最終的には手の届きそうな距離にまでなる。

 まぁ、それでも僕が本気を出せば躱すのは余裕だし、実際その距離でも躱している留学生はいた。

 けど、モブならどうする? ネームドキャラでさえ、躱すのに難儀するものに対して、モブならどうなるのが正解だろうか?

 答えは簡単だ。モブはモブらしく、散るべきなのだ。

 ……ふっ、久しぶりに全力でモブ式奥義のコンボ技を使うことができて、僕は満足だった。

 因みに、そのテストでヒョロとジャガはボールにタコ殴りにされ、今も腫れた顔は元に戻っていなかった。

 

「あの研究者ども、こっちがやめてくれって言っても、無表情で続けやがって。人の心がないだろ?」

「本当にそうですね。見てください、自分の顔を。いつもより二倍は大きいですよ」

「そうだな……いや、逆にこれはこれでありかもしれないぞ。いつもと違うギャップに女子はメロメロだぜ」

「はっ! ヒョロ君天才ですか!? 女子は弱ってるところを見て好きになるともいいまし!」

「そうと決まれば、行くぞ! ジャガ、シド!」

「あっ、僕は用事があるから……」

「まずは食堂に向かいましょう!」

「おう、そうだな!」

「あっ、これ聞こえてないや」

 

 かくして、ヒョロとジャガは走り去っていった。

 つまり、僕は一人取り残されたというわけだ。いやまぁ、自主的に残ったんだけど。

 今日はもう帰ろうかな。

 

「───シャドウ様」

 

 そうして、踵を返して宿に戻ろうとしたところで、不意に名前が呼ばれた。けれど、僕が振り向いたときには、声の主はもういなかった。

 

「そういえば、ここにも新しく出店するんだっけ」

 

 僕は再び踵を返し、道なりに進むことにした。

 

□□□

 

「がうー! ボスー! 会いたかったっ!!」

「うわっ」

 

 まだ開店準備中である『ミツゴシ商会』の店舗を訪れると、匂いで気付いていたのかデルタに出迎えられた。

 

「どーどー、デルタ。あっ、マーキングはするな。あと、今の僕はボスじゃない」

「あうー、ボス力強いのです……」

 

 体を擦りつけてくるデルタをマッスルで押し返しつつ、僕は店内を見回す。豪華絢爛な装飾は王都のそれと違わない。絢爛とは言ったけれど、過度過ぎず、品がいいことは何となく分かる。

 そして何より、王都の店舗との違いは、学術用の本のコーナーや、何に使うかよく分からないフラスコのコーナー等々、学者を狙った商品があることだろうか。聞いた話では、簡易的な実験場も完備しているらしい。

 

「ボス! 一緒に狩りに行く!」

「行かないよ。あとボスじゃない。それより、ガンマは?」

「上にいる! ボス! 一緒に狩りに行くのです!」

「行かないし、ボスじゃない。……上かぁ。挨拶くらいはして行こうかな」

 

 お金貰えるかもしれないしね。

 

「デルタ近くに盗賊のアジト見つけたのです! 一緒に狩りに行こう!」

「うん? 見つけたのに、まだ狩ってないの?」

 

 デルタは待てができない。獲物を見つけたら、一直線で狩りに行くようなやつだ。とても、待てができるとは思えない。

 

「そう! ガンマが近くにあるって言ってた!」

 

 それは、デルタが見つけたとは言わないのでは?

 

「ガンマにはなんて言われたの?」

「一緒に狩りに行こう!」

「絶対言ってないでしょ。ガンマになんて言われたの?」

「狩ってこいって言われた! 一緒に行こう!」

「うーんまぁ、今は暇だし、僕も行こうかな」

「やったー!」

 

 ガンマにも挨拶しようと思ってたけど、同じ都市内にいるんだ。会おうと思えばいつでも会えるだろう。

 デルタは僕がそう言うと、嬉しそうに尻尾を振って、腕に抱きついてきた。

 

「じゃあ、ボス! 早く行くのです!」

「だから僕はボスじゃ……いや、そうするか」

 

 今日のデルタは特に頭が残念なので、どうしてもボス呼びが止められないらしい。それなら、デルタにシドと呼ばせるよりも、もう僕がボスになる方が手っ取り早いだろう。

 というわけで、僕はスライムボディスーツを着て、シャドウモードになる。

 

「行くぞ、デルタ」

「こっちです!」

 

 嬉しそうに尻尾を振りながら駆け出す彼女の背を見て、僕はふと昔飼っていたゴールデンレトリーバーを思い出した。

 

□□□

 

 もうほとんどの研究者たちが寝静まった頃。しかし、とある宿舎の一室からは暖色系の明かりが漏れていた。

 

「えっとー、ここは古代文字だから……」

 

 シェリー・バーネットはランプを光源に、机に向かって球体状のオブジェをいじっていた。いや、正確に言うならば、それはアーティファクトの一種であり、数ヶ月前に、使われていない古い倉庫で見つけたものだった。

 このアーティファクトは時折淡く光り出す。その起動条件は不明だが、シェリーが持つときは大抵光っているので、もしかしたら手に持つことが起動条件なのかもしれない。

 

「でも、サーテライトさんが持ってたときには、光らなかった」

 

 シェリーにあって、サーテライトにないものなんてあるだろうか?

 シェリーになくて、サーテライトにあるものだったら思い付くのだが。例えば、背が高いとか。

 

「そんなことは関係ないですよね……」

「あら、まだ起きてたの?」

「ひゃっ!?」

 

 コンコンとノックがしたかと思えば、ほとんどノータイムで扉が開く。そして、少し驚いたような女性の声が聞こえてきた。

 件のサーテライトである。

 

「驚かさないでくださいよ」

「あなたが勝手に驚いたのでしょう……」

 

 サーテライトは手に持った袋から、飲み物や食べ物を取り出す。

 

「はい、差し入れ」

「あ、ありがとうございます。でも、どうして?」

「本当は日中に持っていくつもりだったんだけどね。忘れてたから、部屋の中に置いていこうと思ったのよ」

「は、はぁ……」

 

 サーテライトはそう言いながら手近な椅子に腰掛ける。

 

「それで、研究の進捗はどう?」

 

 なるほど、こっちが本命か、とシェリーは思った。

 

「はい。ここまでの研究で分かったことは二つです。一つは、このアーティファクトの中には、膨大な魔力量が秘められているということです」

「それは前にも言っていたわね。具体的な数値とかは分かってるの?」

「それは……いいえ。定量化するには、もう少し時間がかかりそうです」

「もう一つは?」

「はい。この中にある魔力が、どこか別の場所に繋がっているということです」

 

 シェリーの言葉を、サーテライトはイマイチ理解できていないようで、首を傾げた。

 

「つまり、どういうこと?」

「えっと、例えば、ある物体間に電流を流そうとしたら、導線とかで物体と物体を繋いだりしますよね?」

「えぇ、そうね」

「その"導線"のようなものが、このアーティファクトから伸びているんです」

 

 サーテライトはしばし顎に手を当て、考え込む。

 

「それで、その"導線"の先がどこかは分かっているの?」

「それはまだ……。というのも、その"導線"は非常に繊細というか、虚弱でして、ちょっと風が吹くだけでも、簡単に途切れてしまうのです」

「やっぱり、封印を解かなければいけないということね」

「はい。そうなるかと」

「分かった。因みに、何か手伝えることはあるかしら?」

 

 立ち上がったサーテライトが不意に思い出したようにそう言った。

 対してシェリーは「えっと……」と歯切れが悪く指をこねている。

 

「その、特にしてほしいことはありません……」

「そう。本当は私にもできることがあればいいのだけれど……不甲斐ないわ」

「い、いえ! そんなことありません! サーテライトさんがいて、えっとその……頼もしいです!」

 

 シェリーの精一杯のフォローにサーテライトは苦笑する。そして、机の上にコトッとアーティファクトを置いた。

 

「魔力はまた充填しておいたから」

 

 それは魔力を溜めることのできる、『強欲の瞳』に似たアーティファクトであった。

 何故彼女がそのようなものを持っているのかは不明だが、なんだかんだで魔力を使うことが多いこの研究では、非常に有用なものであった。

 

「いつもありがとうございます!」

「私にできるのはこれくらいだからね……と、それじゃあ私はもう行くわ」

 

 去り際に「早く寝なさいよ」と言い残し、サーテライトは部屋を後にする。

 シェリーは再び研究に戻ろうかとも思ったのだが、今しがた言われた言葉を思い出し、眠ることにした。

 

 その日は、とても深い夜だった。

 



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失踪事件

 静かな夜だった。

 優しく吹き抜ける風が木々の葉を揺らし、温かな月光が降り注ぐ。さながら、散歩をするには良い夜だった。

 

「がぁーっ!!」

「な、なんだこい───ぐはッ!」

 

 漆黒の影が吹き抜け、儚い花々が咲く。それらはとても鮮やかな赤に闇を浸したような色合いで、不規則にその形を変えている。

 そんな美しき花々を眺めながら、僕は月より明るく光る金貨をせっせと集めていた。

 

「あっちは暴れてるなー」

 

 僕は、今も荒れ狂う暴風のように暴れ回っているデルタに目をやる。戦局は優勢、いや勝勢とでも言うべきか。最早誰一人戦う気力などはないようで、逃げるか狩られるのを待つかする盗賊ばかりで、まともに剣を持っている者はいなかった。

 

「こんなもんかな」

 

 金貨換算で締めて五百枚といったところだ。ただ、銀貨や銅貨もかなりあるので、集めた枚数自体は相当なものになる。

 全部スライムスーツに詰めて持ち運ぶとしよう。

 

「ボスー! 全部狩ったのです!」

「わっ、こらこらデルタ離れなさい」

 

 血まみれになったデルタが、尻尾をブンブン振りながら、僕に向かって突っ込んでくる。そして、何やらくんくんと僕の匂いを嗅ぎ始めた。

 

「あれ? ボスなんか大きくなった?」

「なってないよ」

「なってない?」

「そうそう」

「なってない!」

 

 デルタは何が楽しいのか、キャッキャと笑う。

 

「それじゃあ帰ろう」

「帰る!」

 

 そうして、出口の方を向いた僕は足元に綺麗な石が落ちていることに気が付いた。

 僕はそれを拾い上げる。

 

「何それボス?」

「うーん、何だろ。石ころって言うよりかは、飛◯石?」

「分かんない!」

 

 それはラピ◯タに出てくる飛◯石のようなものであった。青く透き通った正八面体の水晶のような形状で、淡く光っている。魔力が込められているのだろう。

 

「珍しい石だね。高く売れそう」

「ボスー、早く帰ろー」

「はいはい、分かったよ」

 

□□□

 

「ようこそおいでくださいました。主さ───ぺぎゃっ!?」

 

 盗賊狩りから帰ってきた僕らを待っていたのガンマだった。

 彼女は何もない平らな床で華麗にこける。

 なるほど。僕のモブ式奥義に足りなかったのは、この華麗さだったのかもしれない。鈍臭さとも言うが。

 

「ハハハ! ガンマまた転んでる! 鈍臭い!」

「……こほん。それで、主さま。本日はデルタの狩りについていらしたようですが……」

「あぁ、何か問題があったか?」

 

 ガンマの鼻からは赤い血が垂れてきている。それに、お付きの者が素早くハンカチを出して止血していた。

 うん。よくよく考えてみれば、デルタは『ミツゴシ商会』の任務で動いていたのだ。そこに部外者である僕が勝手に入っていったのは確かに、問題だったかもしれない。

 これは流石に怒られるかなー。まぁ、そうなったら、謝れば許してくれるてしょ。

 

「い、いえ! そのようなことはございません」

「あっそう? 良かった」

 

 ガンマは心が広くて良かった。

 

「それで主さま。教団の拠点で得たものについてなのですが……」

 

 うん? あぁ、お金のことか。これは僕が貰ったものだけど、ガンマがどうしてもと言うなら、千ゼニーくらいは貸して上げてもいいかもしれない。

 

「ふっ、ガンマ、欲しいか?」

「いいえ。主さまが持っていろと仰るのならともかく、私ガンマの方からそのようなことは申しません。主さまのご随意に」

「そうか」

 

 ガンマはお金いっぱい持ってるし、そんな細かいお金は気にしないみたいだ。

 やっぱり、お金を持つことで人は心に余裕が生まれる。僕にはもっとお金が必要だけど、焦っていいことはないから、もっとお金を集めよう。

 

「さて、そろそろ帰ろうかな。デルタ降りて」

「あうー、ボスもう行っちゃう?」

「まぁ、帰るからね」

「デルタ、主さまにはやるべきことがあるのよ。降りて」

「ガンマ! 弱い奴がデルタに命令するな!」

「えっ? わっ、ぺぎゃーっ!?」

 

 あぁ、また始まってしまった。デルタがガンマに馬乗りになっている。いつもはアルファが止めるんだけど、今はここにいないし。

 

「デルタ、あんまりいじめちゃ駄目だよ」

「分かってるのです! どっちが上かちょっと分からせてやるだけなのです!」

「ほどほどにね。じゃあ、僕は帰るから」

「あ、主さまーッ!」

 

 うん。デルタも殺しはしないだろうし、ガンマはなんだかんだ言って頑丈だから、大丈夫でしょ。

 僕は二人が取っ組み合う声を聞きながら、そこを後にした。

 

□□□

 

「そういえば、シド君、ヒョロ君聞きました?」

 

 翌日───より正確に言うなら日付は変わってないんだけど───の昼食で、ジャガがそう切り出した。

 ジャガがこう話し始めるときは、何かあるときだ。僕の経験はそう語っている。

 

「何の話?」

「実はですよ、シド君、ヒョロ君……」

 

 ぐいっとジャガが乗り出す。そして、周囲をぐるりと見回した後、小声で言った。

 

「昨日の夜から、ミドガル魔剣士学園の生徒一人が行方不明らしいんです」

「うちらから行方不明者が? ははーん。さては、検査が厳し過ぎて逃げ出したんだな。根性なしなやつもいたもんだ」

「そうですね。自分たちのように強い信念も、溢れ出る才能も持たないしょうもない人だったんでしょう。まぁ、自分はあんな検査余裕でしたけど」

 

 ふむ……。

 

「つん」

「わひゃっ!? ちょっとシド君!? そこは今筋肉痛だから、触らないでくださいよ!」

「余裕だったんじゃないの?」

「も、勿論余裕でしたよ。ねぇ? ヒョロ君」

「お、そうだな。余裕過ぎて、むしろ調子がいいくらいだぜ」

 

 ヒョロが得意そうにのたまった。

 

「調子がいいの?」

「あぁ! 朝起きたら財布の中の銀貨が二枚になってたんだぜ! あれ、なんでシドお前、二人もいる……」

「えっ、ちょっとヒョロ君!?」

 

 急に顔が青くなったかと思えば、ヒョロが机に突っ伏してしまった。

 

「とりあえず、医務室に運ぼうか」

「そ、そうですね。それで、シド君。悪いんですけど、自分はその……この体でして」

「分かったよ」

 

 僕は白目を剥いているヒョロを背負う。そして、医務室に向かった。ジャガが地図を広げて先頭を行く。

 その道中、ふと気になったことがあった。

 

「そう言えば、いなくなった生徒って誰なの?」

「えーっと、確かサイショー・ギセイとかって名前の二年生だったはずですよ」

「へー、聞いたことないけど、どんな人?」

 

 少なくとも、ネームドキャラではないだろう。僕のリサーチには引っかかってないわけだし。

 

「そこそこの成績はあったみたいですよ。選抜大会でも、手堅い戦い方で危なげなく勝ち上がっていたようですし」

「ふーん。失踪ねぇ……」

「あっ、そういえば。さっきは言いそびれたのですが、学術都市の研究者の方でも何人かいなくなってるみたいですよ」

「へー、研究者も?」

 

 ジャガは「えぇ」と頷き、パラパラと懐から出した手帳をめくる。

 

「最初に失踪者が出たのは昨年の秋頃のようですね。つまり、二学期の辺りです」

「秋頃だと、僕たちは休みだったでしょ?」

「休み……『無法都市』……うぅ……」

 

 ジャガは嫌なことを思い出したとばかりに、顔をしかめる。そして、こほんと一つ咳払い。一体何があったのだろうか。

 

「それから、月に一度か二度の間隔で、失踪者が出ているみたいですね。それが、今回は魔剣士だったみたいですが」

「ふーん。なるほどね」

 

 何か面白そうなことが、僕の知らないところで起こっているみたいだ。

 失踪事件イベント! この波に乗らない手はないだろう。

 

「面白くなってきたね」

「はい? シド君なんか言いましたか?」

「いや、何でもないよ。それより、これ本当にこっちで合ってる? 全然人いないけど」

「あれ、こっちと聞いていたのですが、どこかで間違えたのでしょうか」

 

 何か目印になるものはないかと、僕は周りを見回す。

 

「十番倉庫って書いてあるけど」

「えっ、十番倉庫ですか?」

 

 ジャガは地図を大きく広げてよくよく目を凝らして見ている。

 

「それ、上と下が逆じゃない?」

「あっ」

 

 結局、医務室に辿り着いたのは、それから三十分後であった。

 



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ヒント

久々に程よい長さです。ゼータ回はやはり書きやすいですね。


「来たか……」

 

 月のない夜だった。まだ冬であるにも関わらず、開いた窓からは冷たく鋭い風が吹き込んで、カーテンをたなびかせていた。

 

「ん……」

 

 そんな窓から巧妙に隠された気配が入ってくるのを感じる。月光のない夜にあって、捉えどころのない淡い闇のような気配だ。というか、なんか黒い靄に包まれていた。

 でも、一つだけミスがある。

 

「よく分かったね」

「ふん……尻尾が出ているぞ」

「……あっ」

 

 間の抜けた声がしたかと思えば、黒い靄の中から金色の獣人が姿を現した。

 ゼータだ。

 彼女は尻尾をゆらりとくねらせ、流れるように、カーテンにマーキングをした。

 

「マーキングはやめて」

「ん、つい」

 

 ゼータは特に反省した様子もなく、ベッドに腰掛ける。

 その鮮やかな手腕はまさに見事としか言いようがなく、僕も一瞬見逃すほどだった。

 ……変な技術が向上してるな。

 

「……シャドウ話がある」

「例の件か?」

 

 彼女が何を話したいのかは分からないけれど、彼女は今『シャドーガーデン』モードのようだから、僕もシャドウとして話す。

 "例の件"みたいな"何か分からないけれど、意味深な言葉"が僕は好きだ。とてもかっこいい。

 ゼータは目を細める。そのまま、僕らは見つめ合った。

 

「うん、それもある。じゃあ、先そっちから話そう」

「ふむ……やはり、教団か」

「そう。教団のアジトはバカ犬がいくつか潰したけれど、メインの拠点は巧みに隠されてるみたい。怪しい場所はあるけど、特定できるのはまだ先かな」

「ふむ……」

 

 つい最近、デルタと一緒に盗賊狩りに行ったけれど、ここら辺にはまだ盗賊がいるみたいだ。是非とも、狩りに行くときは僕も連れていってほしい。

 そういえば、盗賊のアジトと言えば、変なものを拾っていたっけ。

 あのラ◯ュタに出てくるような正八面体の石だ。仄かに魔力も込められていた。

 

「魔力の石……光が導く……」

 

 僕の脳裏には飛◯石を掲げて高笑いするサングラスのおっさんが映っていた。

 

「魔力の石? 光が導く……?」

 

 対して、僕のその呟きを聞いたゼータは顎に手を当て、何やらぶつぶつと呟き始めた。

 いいね、こういうの。よくある参謀みたいなキャラが、秘密に気付くシーンだ。

 これであれでしょ。「まさか……! いや、そんなことは……」とか呟くんでしょ?

 

「まさか……! いや、でも……」

 

 ゼータがはっと閃いたようにぴくっと眉を上げる。ピンと尻尾が真っ直ぐに伸びている。

 そう! その反応が欲しかったんだ!

 流石ゼータ。実力者プレイの醍醐味を分かっている。

 僕はニヤけたい気持ちを抑えて、厳かな雰囲気を作る。

 

「どうかしたか?」

「……主には、全てお見通しだった?」

「勿論だ」

 

 『陰の実力者』に知らないことはないのだ。僕は、窓から外を見下ろし、鷹揚に頷いた。

 

「分かった。後で調査しておく」

「そうか」

 

 話は終わりだとでも言うように、僕は窓際で夜空を見上げる。そこには点々と、宝石のような星々があった。

 それからしばらく、静寂が室内を包んだ。

 僕は本来的に、静寂だとか沈黙だとかが嫌いじゃない。話題を探すという一点において、二人が同じことを考えていることに何だかほっこりするのだ。

 けれど、今は少し、ほんの少しだけ僕は気まずいと感じていた。

 それがどうしてなのかは分からない。

 ただ、一つだけ言えることがあるとすれば、これは"違う"気がするのだ。どう"違う"のかは分からないけど。

 

「シャドウ」

「なんだ?」

 

 ぽつりと、ゼータが僕の名前を呼ぶ。

 その声音はとても平坦だった。

 

「私はシャドウ……主のためなら何でもするよ」

「……」

「死ねと言われたら死のう。殺せと言われたら殺そう。探れと言われたら探そう。その全ては主のために。主のためなら、何でもするよ」

「……そうか」

「主との約束は覚えてる。そして、主がそれを他のガーデンメンバーに言っていないことも……」

 

 ゼータはパタリとベッドに寝そべった。彼女の尻尾が布団の上をなぞるが、それはいつものマーキングの動作ではなかった。

 

「この都市に、バカ犬───デルタが来ているのは知ってる?」

「あぁ、知っている」

「そっか。今回の作戦に『七陰』は三人もいらない。主もいるしね……ということはつまり、そういうことだよね」

「ふむ……」

「どこで気付かれたのかな。流石はアルファ様だね。でも」

 

 ゼータが足を振り上げ、反動で起き上がる。

 僕は窓から視線を離し、ゼータの方を見る。

 彼女の目がその視線を捉えた。

 

「もう一度だけ言う。いや、改めてここに宣言する───私は、主のためなら何でもするよ。たとえ、全てを失ったとしても」

「……そうか」

 

 彼女は何を思ったのだろう。何を考えたのだろう。

 その真意は測ることができないけれど、僕はその瞳の奥に何か温かいものを感じた。あるいはそれは、脆いガラスのような気もする。

 ゼータはほっとしたように、長い息を吐いた。

 

「それじゃ、私はもう行く」

「ふむ……あっ、マーキングはするな」

「ふふんっ」

 

 最早お決まりのやり取りに、ゼータが頰を緩める。

 彼女が窓に足をかけた。

 

「あまり気負い過ぎるなよ」

 

 そして、今にも飛び出そうな背中に、僕はそう声をかけた。

 いつもはそんなこと言わないのだけれど、今日はどうにも調子がおかしい。ふと、口をついてそう言葉が出てきたのだ。

 ゼータは一瞬驚いたように、びくっと硬直したが、すぐに鼻を二度スンスンと鳴らし、笑った。

 

「うん。分かった」

 

 僕しかいなくなった部屋はとても暗い。びゅっと冷たい風が吹き込んで、カーテンをさらっていった。

 それに紛れて、金色の毛が舞い上がる。それは静かに、夜の闇の中へと消えていった。

 

「うっ、寒い……火鉢どこだっけ?」

 

 僕はあまり大きな音を立てないように、窓を閉めた。

 

□□□

 

「うーん……後少しのはずなんだけど……」

 

 シェリーは大量に本を抱えながら独り言を呟いていた。

 積み上げられた本は右に左に揺れ動いている。今にも倒れそうで、しかし、何故かそのタワーは倒れていなかった。

 これが、シェリーの熟練の技だとでも言うのだろうか。

 勿論、前方はほとんど見えていない。

 

「ほら、前見ないと危ないよ、っと」

「わひゃっ!?」

 

 不意に、そんなシェリーの視界が開ける。同時に、腕の中にある重さが一気に減った。

 見上げてみれば宙に浮く本が……ではなく、持ち上げられた本があった。

 

「シド君ですか」

「そうだよ、っと」

 

 彼は持ち上げた本を抱きかかえる。

 

「ずっと勉強してて偉いね。これから図書館?」

「い、いえ、その……」

 

 シェリーは目を泳がせて、言葉を濁す。つい半年ほど前のシェリーなら、迷わず図書館へと向かっていた。だが、最近のシェリーは色々やらなければいけないことがあるのだ。そう、例えば───人に言えないような研究などだ。

 

「あー、宿舎の方?」

「えっ? あっそうです!」

「最近は何を研究してるの?」

 

 彼の目が抱えられている一番上の本へと滑る。タイトルは『古代アーティファクト目録』である。

 

「えーっと、古代アーティファクト……」

「わわ、わー! 私は、今、研究をしてます!」

 

 シェリーは慌てて意味不明なことを言った。

 ぴょんぴょんとその存在を主張するように、シェリーは飛び跳ねる。反動でシェリーの抱えていた本が数冊落ちる。

 

「いや、何の研究してるの? ほいっ」

「えーっと……アーティファクトの研究?」

「あぁ、確か学園にいたときもしてたね」

「そうですね。あはは……あれ?」

 

 シェリーは落ちた本を拾い上げようと下を見るが、そこに本は見当たらなかった。おかしいと思って、持っている本を見ると、ちゃんと全部揃っていた。

 

「あれ? 今確かに落ちたような……気のせいだったのかな」

「すごいねー。僕はアーティファクトとかからっきしだから」

 

 気のせいだったとシェリーは納得する。

 丁度、T字路に差し掛かった。

 

「私もまだまだです。最近もかなり行き詰まっていて……」

「へー、そうなんだ───」

「はい。って、あれ? シド君?」

 

 段々とシドの声が遠くなるのを感じた。振り返ってみると、左に曲がったシェリーに対して、シドは右に曲がっていた。つまり、遠ざかっていくシドの背中が見えた。

 

「し、シド君! こっちです!」

「うん?」

 

 シェリーはできるだけ大声で叫んだ。こんなに大声を出したのは、この都市に来てから初めてかもしれない。

 ズキズキと喉の奥が痛む。

 

「こほっこほっ」

「あれ先輩、大丈夫?」

「は、はい……ちょっと大声を出して喉が痛くなったんです」

「あー、なるほどね。それなら、お腹から声を出すといいよ」

「お腹から、ですか?」

「そうそう。喉を使って声を出すと、奥の方で炎症が起こっちゃう。だから、お腹を使って、負担をかけないようにするんだ」

「そうなんですか。お腹から……」

 

 シド君は何でも知っているなぁ、と感心していたところでふと、彼女の中で閃くものがあった。

 それはまだ不定形で、かっちりと形の定まったものではないが、何か大きなヒントを得た気がする。

 

「喉からでなく、お腹から……ううん、負担をかけないために、お腹から……いや……」

「うん? シェリー先輩?」

 

 ぶつぶつと戯言のようなことを呟くシェリーにシドは訝しげな表情を見せる。だが、すぐに得心がいったように頷いた。

 そして、シェリーがその手がかりに気づいたのは、奇しくもシドが頷いたのとほとんど同時刻であった。

 研究者モードに頭が切り替わったシェリーは、すぐさま研究に取り掛かりたいとばかりに、歩調が速くなる。というよりも、小走りに走り出していた。

 

「シド君! ありがとうございました!」

「うん?」

「シド君のおかげで、研究が進みそうです!」

「それは良かった。転ばないようにね」

「はい!」

 

 そうしてシェリーはその場から走り去る。

 その走り行くシェリーの姿を見ていたシドは、

 

「みんな誰しも、人に言えないことってあるよね」

 

 そう、例えば特に意味はなくとも、何かぶつぶつと言いたくなったり、とりあえず駆け出してみたり。

 そうやって一人納得していたシドは、手の中の重みを思い出す。

 

「あっ、これどうしよう」

 

 結局、その本たちをシェリーに渡したのは次の日のことだった。

 



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解読

 そこはとても暗い部屋だった。

 どこまでも、遥か地平まで闇が広がっている。その闇は月夜のように澄んだものではない。もっと淀んでいて、汚くて、べっとりと纏わりつくような、そんな闇だった。

 サーテライトの胸がぎゅっと締め付けられる。

 切ない? いや違う。

 悲しい? いや違う。

 苦しいのだ。胸を圧迫するような圧倒的な気配がある。

 体の芯に鉛を詰め込んだように重い。嫌に冷たい臓物が悲鳴を上げるように痛む。

 

「ご機嫌よう? ペトス様」

 

 サーテライトは流れる冷や汗を拭いつつ、不敵な笑みを浮かべた。

 

「よく来てくれましたね。調子はどうですか?」

「えぇ、最高だわ。あなたに会わなければ」

「ククッ、これは手厳しい」

 

 ペトスと呼ばれた男は何が面白いのか、くつくつと腹の底で笑う。

 彼の髪は黒く、綺麗に切りそろえられ、丸いサングラスを掛けている。身なりのいいスーツは、最近流行りの『ミツゴシ商会』のものだろうか。

 ペトスは白い手袋を嵌めた手で、くいっとメガネを持ち上げた。

 瞬間、大気が唸ったのかと思うほど震えた───いや、それは正確ではない。実際には、大気は微塵も震えてなぞいない。全ては錯覚、つまり、サーテライトが勝手にそう感じただけだったのだ。

 

「計画は順調ですか?」

 

 サーテライトは一度、大きく息を吐いた。

 

「えぇ、万事順調よ。あの娘はいい仕事をしてくれてるわ」

「そうですか。それは朗報ですね」

「それで? あのアーティファクトは、本当にこのまま解読していいのよね?」

「そうですね。急ぐ必要はありません。しかし、私が最も嫌いことは、分かっていますね?」

「浪費をすること、でしょう? 分かっているわ」

「それならばよろしい。努々、お忘れなきように」

 

 その言葉を残して、ふっと圧迫感が消失する。まるで、始めからそこには何もなかったかのように、気配が霧散した。同時に、粘着質な闇はただの質素な闇へと変化する。

 どっと、冷たい汗が流れ落ちる。ぽたりぽたりと頰を伝って、地面で弾けた。

 

「ふぅ……」

 

 サーテライトは長いため息を吐く。そして、薄く笑みを貼り付けた。

 

「悪いわね、シェリー。これも仕事だから」

 

□□□

 

「がうーっ!! ボスー! もっかい投げてっ!」

「はいはい……ほら、取ってこーいっ!」

「わうっ!」

 

 まだ空気の澄んでいる早朝。今日も今日とて、雲一つない快晴だ。

 朝はいい。誰もいない静かな散歩ができる。ルンルン気分で散歩していた僕は、しかし、丁度寂れた倉庫のある辺りで、デルタに出くわしてしまった。

 僕が投げた棒は綺麗な放物線を描いて、遥か上空、青い空へと消えていく。視力を、魔力で強化して見てみれば、ここから数キロ離れた森の中へ消えてくのが見えた。

 その軌跡を辿るように、デルタが走る。というか、ぴったり真下に張り付いていた。棒のスピードは、音速までは行かないけれど、相当な速さはある。

 それにぴったりと、確実に捕らえられる距離になるまで、デルタは並走していたのだ。

 

「十分は戻って来ないかな。今の内に帰ろう」

 

 そうやって、僕が踵を返したときだった。

 

「ボスー! もっかい投げてっ!」

「あれ、もう戻って来たの?」

「ふふん、デルタは狩りが得意なのです!」

「これは狩りじゃないけどね」

「確かに! ボス! 狩りを投げて!」

「狩りは投げられないよ。あと、今の僕はボスじゃない」

「うっ……じゃあシド! 狩り投げて!」

「狩りは投げられないよ」

 

 僕はデルタのよだれまみれになった棒を受け取って、大きく振りかぶった。気分はさながら、野茂英雄のトルネード投法だ。

 さぁ、ピッチャー振りかぶって、第一級投げた───

 

「あれ?」

「どうしたの? シド?」

「いや、向こうから何か変な魔力を感じてね」

「デルタも感じた! びびっと尻尾に来たの!」

「行ってみる?」

「行く!」

「じゃあ行こうか」

「やったー!」

 

 僕はポイッと手に持っていた棒を捨てる。そして、スライムスーツを身に纏ってシャドウモードだ。

 さっき感じた魔力の方角は南だ。確か、シェリー先輩の宿舎がある方だったかな?

 

「よしデルタ、こっちだ!」

 

□□□

 

 薄暗い室内には、カリカリと無機質な音が響いていた。ある一定のリズムで刻まれるその音は、カタンという音とともに終わりを迎える。

 

「あとは……」

 

 シェリーは、机の上に無造作に積まれた本の山に手を伸ばす。そして、何かを探すように漁り始めた。

 

「うーん、こっちにはない、かな?」

 

 続いて、今度は雑多に地面に放り出されているゴミ……ではなく、資料の山に目を向ける。最早、それは山というよりも海という表現の方が適切かもしれない。足の踏み場など、どこにもなかった。

 

「えっと、資料、資料……」

 

 そんな海の中にシェリーは飛び込む。そして、遊泳するが如く資料を探し求めた。その姿は、あるいはシドが見れば「ダイビング中かな?」と評したかもしれない。

 チクチクと時計の針が鳴る。

 

 さて、それから短針が半周ほど回った。

 薄暗かった部屋にも陽光が、カーテンの隙間から差し込んでいる。

 

「はぁ……で、できたっ……!」

 

 そして、シェリーは机に突っ伏していた。

 その傍らには、怪しく薄紫色の光を放つ球状のアーティファクトがある。そのアーティファクトからは、一筋の光が伸びていた。

 

「これは……北に伸びてる? 確か、十番倉庫もあっちだったっけ」

 

 シェリーは光のライン上に一枚の薄い紙を差し込んでみる。すると、その光のラインが、紙を透過することはなく、途切れてしまった。

 

「やっぱり、これは普通の光じゃなくて、魔力的なものなんでしょうか? ……っと」

 

 今はこんなことをしている場合ではない。早く、このことをサーテライトに伝えなければ!

 そう思い至ったシェリーはガタッと立ち上がる。

 

「この時間なら、まだ宿舎にいるはず───わっ!?」

 

 そして、駆け出すと同時に、コケた。

 ふわりと何枚もの紙が舞い上がる。それらはゆらりゆらりと踊るように舞い降りた。再び地面のゴミとなった。

 

「……少し、片付けていこうかな」

 

□□□

 

「サーテライトさん!」

 

 結局、片付けに手間取っていたら、昼頃になっていた。

 シェリーが廊下をとてとてと走りながら、十数メートル先を歩く女性の名前を呼ぶ。

 女性は呼ばれたのに気付いたのか、ゆっくりと振り返った。

 

「あら? どうしたの?」

「はぁはぁ、サーテライト、さんっ!」

 

 かなり息を切らせて、シェリーはようやくサーテライトに追いついた。

 そして、追い付くと同時に、サーテライトの白衣にしがみつく。

 随分と急いでいたのだろう。シェリーの額は汗でびっしょりとなっていた。

 

「あら、汗だくじゃない。そんなに焦ってどうしたの?」

 

 サーテライトはポケットからハンカチを取り出して、シェリーの額に当てる。白いハンカチは少しくたびれていて、汗を吸ったそれは幾分か重くなる。

 

「あ、ありがとうござい、ます」

「それで、どうしたの? シェリー」

「……できたんです」

「はい?」

「解読が、できたんです!」

 

 ぐっと、瞳を輝かせながら、シェリーは声を弾ませ言った。

 

「解読って……例のアーティファクトの?」

「はい! 実は、あのアーティファクトは丁度『強欲の瞳』のときのように、複数のアーティファクトを合わせて一つのものなんです! それで、あのアーティファクト自体の役割は恐らくストッパー、あるいは、何らかの制御装置なんだと思います! で、その対となるアーティファクトは恐らく、光の指し示す方向にあるんだと思うんです!」

「……へぇ、そう」

「あっ……」

 

 サーテライトが少し低めの声でそう言った。その声で目が覚めたのか、シェリーは自分の行いを恥じらうように顔を赤らめる。

 

「す、すみません! つい、熱中してしまって……」

「いえ、いいのよ。私もそういうこと、よくあるから」

「す、すみません……」

 

 サーテライトの優しい言葉に、シェリーは少し安堵するが、それでも再び申し訳無さそうに頭を下げる。

 そんなシェリーの肩に温かい感触が乗った。

 

「ほら、いつまでも下を向いてないで。それより、その話をもっと聞かせてくれないかしら?」

「……いいんですか?」

「えぇ、私も興味があるから。それに、この研究をしようと言ったのは、私の方だしね」

「……はい!」

 

 それからシェリーたちはアーティファクトについての話をしながら、歩き出す。

 向かうのは、シェリーの自室だ。

 シェリーは話すのに夢中で、矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。だから、案の定と言うべきか。彼女はサーテライトの微妙な表情変化に気が付かなかった。

 そして、気付かないままに、サーテライトの顔にはいつもの笑みが戻る。優しげで、それでいてどこか薄い、そんな笑みが。

 




本章はあとニ、三話の予定です。


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裏切り

「ガンマ様、ゼータ様より言伝が来ました」

 

 ガンマが開店に関する雑務をこなしていると、ニューからそのような報告がされた。

 ガンマは、頭の中で組み立てつつあったルーナとしての今後の計画を一旦頭から追いやる。そして、即座に『七陰』のガンマに意識を切り替えた。

 

「そう。ゼータはなんて?」

「『敵のアジトを見つけた。今から乗り込む』だそうです」

「そう……ん? 今から乗り込む? 本当にゼータはそう言ったの?」

「……? はい。そうですが……」

 

 何がおかしいのだろうと首を傾げるニューを視界に収めつつ、ガンマは考える。

 昨晩、ゼータを見張らせていたガーデンメンバーによると、彼女は主と接触していたらしい。

 その際、教団のアジトの捜索に手間取っていることを話したのだろう。あるいは、着眼大局に優れ、叡智を司る主ならそれを既に見通していたかもしれない。その主が、何らかの助言をしたのだろう。

 それ自体はいい。それが主の決定なのだから。

 では、ガンマは何に引っかかっているのか。

 未だ思考の表層を漂いながら、ガンマは口を開く。

 

「ゼータは本当に、『潜入する』ではなく、『乗り込む』と言ったのですね?」

「は、はい」

 

 それは本当に些細なことだ。ともすれば、勘違いであり、考え過ぎである可能性も否めない。いや、その可能性の方が高いだろう。

 だが、ガンマには予感があった。

 長年『七陰』として、同じ主を支える同胞として、共に過ごしてきたからこそ感じる違和感があった。

 ───ゼータは何故、『乗り込む』と表現したのだろう?

 彼女はいつも、教団の内部に侵入するときは『潜入する』と言っていたのだ。それは、彼女が潜入という行為にプライドを持っているからであり、潜入するということが『シャドーガーデン』の、ひいては主の利益となるために果たせる役割だと自覚していたからである。

 その彼女が『潜入する』ではなく、『乗り込む』と言ったのだ。

 これではまるで───

 

「戦いに行くようだわ。まだ敵の戦力すらも知れてないというのに」

 

 これは考え過ぎなのだろうか。だが、どうにも拭えない違和感がある。一度疑い始めてしまえば、その疑念は底なし沼にハマったように、深くなっていく。

 本当に……本当に、彼女が裏切っているのだろうか?

 ガンマの眉間のしわが更に深くなった。

 

「それは考え過ぎなのではないでしょうか?」

「……そうね」

 

 そうだ。これはただの憶測。妄想の範疇を出得ない想像に過ぎない。

 妙な勘ぐりで、肝心の仲間を疑っていては、陣頭指揮などできようはずがないのだ。

 ガンマはそう自分を納得させる。

 

「変なこと言ってごめんなさいね。もう他に用はないかしら?」

「はい。緊急の案件は他にはありません」

「そう。それで、学術都市内にいる教団員の目星は付いたの?」

「大方は。ですが、『七賢人』を含め、都市の中枢に入り込んでいる者も多く、排除すれば混乱は避けられないでしょう」

「……件の彼女は?」

「まだ、分かりません。しかし、シェリー・バーネットはアーティファクトの解読をし終えたようです」

「それなら、そろそろ動くでしょうね」

 

 ガンマは目を瞑ってふぅー、と長い息を吐く。

 

「店舗準備には最低限だけ割いて、待機中の部隊にはいつでも出れるように用意させておいて」

「承知いたしました」

 

 頭を下げて退室するニューを尻目に、ガンマは立ち上がる。見下ろした学術都市の街並みは冷たい斜陽に照らされ、赤く染まっている。

 

「始まるわ……」

 

 そして、そっと呟いたのだった。

 

□□□

 

「うーん、ここら辺だと思うんだけど」

「ボスー、デルタはお腹が空いたのです」

「僕もだよ」

 

 結局、朝から魔力の気配がした付近を探していたのだけれど、その原因を見つけることはできなかった。もう薄明だ。流石に、ロングコートで一日中都市内を駆け回るのは目立つので、今は制服だ。

 僕の魔力粒子による探索と、デルタの嗅覚や直感での捜索。これで駄目なら、今回は縁がなかったと思うしかないか。

 そう僕が思ったときだった。

 

「───デルタ」

「ボス」

 

 僕らはどちらともなく立ち止まる。

 このとき、多分僕たちの思考は完全に一致していただろう。

 ごくんと喉が鳴る。ついでに腹の虫も鳴き出した。

 仄暗い闇に広がる白い煙が、まるで僕らを誘っているようだ。

 スンスンとデルタの鼻が鳴る。

 

「行こう」

 

 あぁ、学術都市はなんて危険なところなんだろう。

 僕らは爛々と淡い光を放つ屋台に吸われるように、引き寄せられた。

 

□□□

 

「ズズッ」

 

 懐かしい。とても懐かしい味だ。あっさりとしたスープが、中太麺によく絡み合っている。

 

「ズズッ」

「ボスっ! むぐぐっ……その『ズズッ!』ってやつどうやるんです!?」

「ズズッ」

 

 このチャーシューもいい。ちょっと臭みがあるんだけど、それもよく煮込まれていて気にならない。……何の肉だろう?

 思えば、こっちの世界に来てから中華は食べたことはなかった。前世のそれとは少し違うけれど、これはこれで良い味を出している。

 

「ボスー、もう一杯!」

「えっ、まだ食べるの?」

「食べるー!」

 

 デルタは店員のお姉さんにもう一杯追加を頼む。既に、デルタは五杯も平らげていた。

 

「デルタお金は?」

「むぐっ……ボス、『ズズッ!』ってやつどうやるんです?」

「唇と舌を上手く使って吸うんだよ。デルタお金はあるの?」

「ずぅっ……! わっ、できた! ボス! できた!」

「はいはい凄いね。デルタお金は?」

「ない!」

「ないの?」

「ない!」

「ないのか」

 

 なんということだ。それなら、一体誰がこのご飯代を払うんだ。今日は僕も、元々散歩するだけの予定だったから、財布を持っていないのに。

 さっさと六杯目を食べ終えたデルタが

更に追加を注文する。

 

「デルタは皿洗いしたことある?」

「前に全部割ってから、アルファ様に皿を洗うなって怒られた!」

「おう……」

「もう一杯!」

「ちょっと待てデルタ」

「うわわ、なんです?」

 

 ぐいっとデルタを引き寄せ、屋台のお姉さんに聞こえないように耳打ちをする。

 

「デルタいいかい? 今の僕らにはお金がない。これがどういうことか分かる?」

「分かんない!」

「しーっ! デルタ、声を小さく」

 

 僕は唇に人差し指を当て、静かにするように指示する。デルタはちゃんと理解したのか、両手で口元を覆って、こくんと頷いた。

 

「分かったのです」

「よし。じゃあ、さっきの続きだけれど、お店でお金を払わずに、商品だけ持ってたらどうなる?」

「うぅー、前にそれやったら、アルファ様にすごい怒られたのです。ガンマもめっちゃ怒ってた!」

「そう。それは悪いことなんだ。それで、今の僕らの状況は?」

「あっ……」

 

 流石に、アホの子デルタでも今の状況を察したらしい。珍しく、気まずそうな顔をしている。反省でもしているのだろうか。

 

「アルファ様に怒られる?」

 

 いや、デルタがそんなことするはずがなかった。どうやら前にやったときは、相当こっぴどくアルファに怒られたらしい。

 しおらしく耳が垂れ下がっている。

 

「大丈夫。こんなときには、あれをするんだ」

「あれ?」

 

 ふっ、こんなときのために鍛えていたモブ式奥義『土下座(モブタンブル・キッス2)』を使うときが来たな。

 僕は全てを悟ったかのような清々しい表情で立ち上がる。皿洗いで済めば御の字だろう。

 

「あのー」

「はい、何でしょうか?」

「支払いなんですけれども───」

「あっ、それなら結構です」

「───実は財布を掏られて……えっ? 払わなくていいの?」

「はい。お友達割引です」

「お友達?」

 

 僕は屋台のお姉さんの制服に刺繍されたロゴを見る。

 これ、見たことがあるぞ。というか、普通に『ミツゴシ商会』のものだ。

 ……また彼女たちは、僕の前世の知識を使って儲けているのか。まぁ、最早それは気にならないけど。

 なにはともあれ、無料だと言うのならありがたく、そうさせてもらおう。

 

「うん?」

 

 さぁデルタを連れて帰ろう思ったそのときだった。彼女はある一方向を見つめて固まっていたのだ。

 

「デルタ?」

「ボス、見つけたのです」

「見つけた? 何を?」

 

 デルタの纏う空気が鋭いものに変わる。ちらりと屋台のお姉さんを見ると、彼女は素知らぬ顔で食器の片付けをしていた。

 デルタの変化に気付いているだろうに、手慣れているのだろう。

 そう納得した僕も彼女の見る方向へ、視線をやった。

 暗い夜道は街灯で照らされていたが、特におかしな様子はない。

 

「いや……」

 

 周辺一帯にばら撒いていた魔力粒子に反応がある。その場所は───僕らが朝いた倉庫の付近だった。確か、十番倉庫という名前だ。

 大きな魔力反応だ。徐々に、徐々に大きくなっている。これは、イベントが始まるぞ!

 僕の口元が自然に綻んだ。

 

「始まったか……」

「ボス! 狩りに行くのです!」

「よし!」

 

 今度こそ! とばかりに僕はスライムスーツを纏った。

 

□□□

 

「クククッ、素晴らしい!」

 

 広く、殺風景な空間にはただ一つだけ、大きな水晶があった。その水晶は眩いほどに白く輝いている。だが、その純白の輝きとは裏腹に、放つ魔力は禍々しい。

 そして、その水晶を前に男は、柄にもなく大きな声を上げていた。両手を広げ、清々しいまでの高笑いをしている。

 

「全ては計画通りです。よくやってくれましたね、サーテライト?」

 

 男は水晶からは目を逸らさずに、近くにいた女に語りかける。かつてないほどに、ご機嫌な様子だった。

 

「随分ご機嫌ね」

「えぇ、そうですね。今はとても、気分がいい。これで、教団内での私の発言も無視できなくなるでしょう」

「おめでとうと、そう言った方がいいかしら?」

 

 今まで見たことのない男の様子を前に、女は気だるげな返事をする。いや、適当な相槌を打ったというべきだろう。

 ちらりと、女の視線が力なく横たわる少女の方へ移動する。

 

「───そういえば、あなたには褒美を与えていませんでしたね」

 

 女がしばらく少女のことを見ていると、不意に男はそんなことを言った。

 褒美を与えると、男はそう言ったのだ。

 普通なら喜ぶところなのだが、女はそれにはたと違和感を覚えた。

 

「褒美?」

「そうですよ」

 

 男の顔がこちらを向く。サングラス越しに目があった気がする。

 男の口が、いやに歪んだ。

 

「ここまでよく働いてくれましたね───というわけで、もうあなたは不要なので」

「は?」

 

 不思議な衝撃が女を襲う。意志に関係なく視線が回り、気が付けば地面に寝転がっていた。

 体に力が入らない。なのに、酷い寒さが襲ってくる。

 

「クククッ、私直々に手を下したのです。感謝してください?」

 

 上からそんな声が降り注ぐ。嫌な笑い声も降り注ぐ。

 だが、そんな声も遥か遠くに聞こえる。視界が徐々に暗くフェードアウトしていく。

 死ぬのか。自分は死ぬのだろうか。

 女の脳裏をそんな言葉が駆け巡る。

 死ぬのなら、死んでしまうのなら、自分の人生において一つだけ後悔がある。

 女は寝転がったままに、目線だけ動かす。首は動かない。

 そして、一瞬彷徨った視線は、倒れる少女の上で止まった。

 

「ごめんね……」

 

 女の口から、赤い血と一緒にそんな言葉が漏れた。

 その言葉の意味を、女が自分で理解する前に意識は闇へと溶け込んでいく。

 

「まったく、酷いね。ラウンズってやつは」

 

 最期の瞬間、そんな声が聞こえた気がしたが、もうそれは女には関係のないものだった。

 




あと二話で全部収まるのか!? まぁ、無理そうなら話数を増やすか、一話あたりの文字数を増やしましょう。

※以下本編には関係ない話です。虫が苦手な方は読まないことをオススメします。
先日、幸か不幸かカブトムシを食べる機会がありました。市販のカブトムシを、丸々一匹です。
他にも虫を食べたことはあるんですが、基本的にあまり美味しくありません。食べられるまずさというのでしょうか。
さて、カブトムシを食べた感想なんですが、はい。まずかったです。今までで一番まずかったです。車のタイヤを噛んでる気分でした。
あくまで個人の感想なので、好きな人は好きなのかもしれません。
以上、全く意味ない近況報告でした。


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怨敵と強敵

本当はシャドウが出るところまでやりたかったんですが……。
ゼータが出ると、どうしても気合いが入って長くなってしまいますね。なので、キリの良いところで切りました。


「まったく、酷いね。ラウンズってやつは」

 

 ゼータは血を流し倒れる女を一瞥する。既に魂の抜けたその瞳には、微かに水滴が溜まり、何かしらの後悔を宿しているようだった。

 

「これはこれは、『七陰』の方ですか。よもや、こんなところまで入り込むとは」

「これも全ては主のおかげ。ずっと待ってたよ。お前たちがその魔力石を起動させるのを……光が導いてくれたのさ」

 

 顎をしゃくるようにして、ゼータは男の後ろにある魔力石を指す。未だ輝いているそれによって、二本の長い影が生まれていた。

 

「クククッ、そうですか。では、あなたと一緒にそのシャドウという人物も褒めて差し上げましょう」

「いらないよ───」

 

 ゼータは言い終わらない内に、持っていたチャクラムを投げる。緩い楕円を描くその軌道上には、眼前の男の首があった。

 男は、チャクラムの速さに反応できていないのか、全く動く素振りはない。そして、そのままチャクラムは男の首を通り過ぎた。

 

「チッ」

「おや? どうかいたしましたか?」

 

 しかし、男は何でもないかのように、とぼけてみせる。それから、ゆっくりと見せつけるように首を回した。

 

「幻覚? ……いや、あいつはあの女を確かに切ってた。つまり、実体はあるはず」

 

 先程、この男が部下である女を殺すところをゼータは目撃していた。実体なきものに、そんなことはできない。ゼータやアルファの使う霧だって、攻撃の際は実体化するのだ。

 であるならば、男の体はどこかにあるはずだ。巧妙に隠されているのだろう。

 ゼータの胸の奥で何かがざわめく。何だ? この感じは。

 

「さて、次は私から、と言いたいところですが、丁度いい機会です。実験に付き合っていただきましょう」

「実験?」

 

 僅かな情報も見逃さないとばかりに目を細め、重心を落とす。それと同時に、やはり何かがちらつく。何だ?

 そんなゼータを嘲るように、男は薄ら笑いを浮かべ、魔力石に手をかざす。

 途端、禍々しい───否、それよりももっとおぞましい、形容し難い何かが渦巻く。

 そして、その魔力の感覚をゼータは知っていた。いや、ゼータ以外でも『シャドーガーデン』に属する者ならば、誰しもが知っている感覚だろう。

 その感覚とはすなわち───魔力暴走だった。

 

「何が起こって……」

 

 全身の毛が逆立つようだ。尻尾はピンと張り、本能的に距離を空ける。

 そうして、無意識的な臨戦態勢を整えた彼女の姿は、皮肉なことだが、反りの合わないどこかの犬と通ずるものがあるのだった。

 

「まぁ、そんなに怯えなくても大丈夫ですよ。もう直分かりますから」

 

 そう言って、男は振り返る。ゼータに無防備な背中を晒しているが、今は攻撃する気にはなれない。

 というよりも、魔力石から目が離せないのだ。

 

「さぁ来なさい! 最古の災厄───『ベヒモス』!」

 

 男がそう宣言するや否や、巨大な雄叫びのように魔力の波が唸り、収束する。

 そこに現れたのは、全長は三メートル程だろうか。全身が漆黒に彩られた、カバのような頭と人の体を持った何かだ。四本ある腕を組み、悠然とこちらを見下ろしている。明らかに、この世の者ではない異形の存在だ。

 だが、そうであるにも関わらず、与えてくるプレッシャーがない。まるでそこに存在していないかのように、空虚な気配であり、それが酷く不気味であった。

 

「こ、これは……」

 

 ゼータはごくんと息を呑んだ。

 

「おや、存じ上げませんか? まぁ無理もないですね。……これはベヒモス。かつて、ディアボロスが暴れるよりも前に世界に災厄を齎した存在───の、魂をとある媒介に定着させたものです」

 

 そんな話はゼータも聞いたことがなかった。いや、そもそもディアボロス以前の伝承などほとんど残っていないのだ。その多くは、ディアボロスによって齎された災厄により消失してしまったのだから。

 だが、これで分かったことが一つある。シェリー・バーネットに研究させていたアーティファクトは、このベヒモスの封印を解くためのものだったのだろう。

 そう考えたゼータは、改めて男の言葉を反復し、首を傾げる。

 

「とある媒介……?」

 

 不思議な物言いだ。何か特別なものを媒介にしたというのだろうか。

 ゼータのその小さな呟きに、男はニヤッと嫌な笑みをこぼす。

 

「そう。その媒介とは───ディアボロスの右足ですよ」

「……っ!」

 

 驚きのあまり、表情が強張ったゼータを見て、男は気分をよくしたようだ。饒舌に、話す。

 

「クククッ、右足の封印を解くのはかなり骨が折れますからね。だから、封印されている右足にベヒモスの魂を定着させて、内側から破って貰えばいい。内と外からなら、如何に強固な封印でも、破るのは容易い」

「お前は、それがどういうことか分かってるのか?」

「分かっていますとも。かつての災厄と災厄、その夢の共演ですよ! ……さて」

 

 男は改まって直立し、優雅に一礼をする。それはとても丁寧なものではあったが、端々からこちらを小馬鹿にする態度が透けて見える。慇懃無礼というやつだ。

 

「私はラウンズ第十席……おっと、悪鬼が死んでくれたおかげで昇格していたんでしたね───ラウンズ第五席、ペトスと申します。以後お見知り置き───」

「お前か」

「はい?」

「……お前かぁぁぁッ!」

「なっ!?」

 

 "ペトス"という言葉を聞いた瞬間、ちりちりと記憶の奥で燻っていたそれが爆発する。そして一気に、鮮明な記憶が呼び起こされる。

 

□□□

 

 これは、〈悪魔憑き〉となったゼータを救うべく、彼女の父が旅立ったときの記憶だ。

 

『必ず見つけてくる。だから父を信じて待っていなさい』

『父様……ッ』

 

 そして、ひと月が過ぎた。

 

『穢れはどこだ?』

 

 同じ金豹族の男が問う。その横には誰かがいる。とても憎い誰かだ。

 父は縄に縛られ、跪いている。

 

『言わぬなら、全員火炙りにするが』

『言ったところで同じだろう? お前は私を嬲りたいだけだ』

 

 男が剣を抜く。

 父を膨大な魔力が包み、拘束が解ける。

 

『行けッ! 走れ!』

 

 彼女の母が掴む。走り出す。

 それが父の最期の姿だった。

 

 それから川を越えた。その途中で、追手を振り払うために母とは別れていた。

 母からはまだ小さな弟が託されていた。

 

『おやおや、こんなところにいましたか』

 

 気付けば、目の前に男がいた。薄い笑みを浮かべ、司祭服に身を包んでいるが、その手には血のついた鎖が握られている。その鎖の先端には分銅が付いていた。

 司祭は父の首を、続けて母の首を彼女に見せ、放り捨てる。

 

『さて、どちらが悪魔憑きかな?』

 

 そして、歩み寄ってくる。

 

『わ……私が悪魔憑きですッ、だからどうか、弟は……ッ』

『……心配しなくていい。悪魔憑きでない子供に用はない』

 

 司祭は弟の首を切り落とした。

 

□□□

 

 どうして忘れていたのだろう。あれだけ殺してやると叫んで、殺してやると誓って、殺してやると呪い続けていたというのに。

 そうだ。あのとき、あの司祭は確かに名乗っていたのだ。"ペトス"と。

 ようやく繋がった。全て繋がった。彼と対面してからずっと感じていた違和感。上手く噛み合わない感覚。

 その全てが、燻るゼータの情動を示していたのだ。

 

「お前がッ! 父様を! 母様を! 弟を! お前がぁぁぁぁッッ!」

 

 突然湧き上がる感情があった。これは、怒りだ。そう、これは怒りなのだ。

 ゼータは怒りのままに、突っ走り、ペトス目掛けて剣を薙いだ。

 しかし、

 

「届きませんよ。あなたの剣は」

「ぐっ……!」

 

 硬質な音が響いた。彼女の剣は硬い感触によって止められる。見れば、ベヒモスの腕が、二人の間に割って入っていた。

 

「絶対に、殺してやるッ」

 

 ゼータはそれにも構わず、ありったけの魔力を込める。腕ごとペトスを切ろうとしているのだ。

 

「殺してやる……ッ!」

 

 あの頃は非力だった。無力だった。戦えなかった。

 だから、殺された。親も、兄弟も、同胞も。全て、全て奪われたのだ。

 だが、今は違う。今は手元には、世界有数の実力が握られている。

 故に奪わせない。仲間を、組織を、主を、奪わせない。

 逆に、奪い返すのだ。彼らによって失われた時間を、命を、全て。

 そして、それを以て亡き故郷の者たちへの弔いとしよう。

 

「があぁぁッ!」

「随分と荒々しいですね」

 

 ペトスがパチンと指を鳴らす。すると、一瞬にしてベヒモスの腕が消える。

 今まで全開出力だったゼータの剣は、丁度車がスピンするのと同じように、空回る。

 そうしてできた隙に、ベヒモスの巨大な腕が薙ぎ払われ、ゼータの腹部に突き刺さる。

 

「ぐは……ッ!」

「流石に今のは効いたようですね」

 

 ペトスは、吹き飛ばされ地面に這いつくばるゼータを見下ろし、余裕の表情だ。

 かろうじて、急所を外したゼータは、痛む腹を押さえながら立ち上がる。

 今の一撃で、ゼータの思考はクリアになりつつあった。無闇矢鱈に吶喊しても勝ち目はないのだ。

 

「バカ犬じゃないんだから」

 

 それならばどうするか。

 解決策は未だ見つからないが、ふっとゼータは笑みをこぼす。

 

「なんでこんなときにあのワンちゃんが出てくるのやら」

 

 どうせなら、主の方が良かったのに。

 

「さて、私も暇ではないのでね。そろそろこの辺で終わりといたしましょうか───ベヒモス、やれ」

 

 ペトスがベヒモスにそう命じる。ゼータは剣を構えた。

 ベヒモスは一発一発が重いことは然ることながら、その速さも桁違いであった。威力は言うに及ばず、速さでも負けている可能性がある。

 ゼータの『あとみっく・もどき』ならばあるいは、致命傷となるかもしれないが、溜めの時間が必要だ。

 ならば、取れる行動は一つだろう。かつて主は言った。『塵も積もれば山となる』と。つまり、

 

「小細工も重ねれば戦術になる、はず」

 

 器用なゼータは何でもできる。一つのことを極めるのは難しいが、色々なことを上手くやるのは得意なのだ。

 すなわち、今まで溜め込んできた技術を全て出し切って的を絞らせない、猪口才で鬱陶しい戦い方もできるのだ。

 ゼータがそのように作戦を立てたときだった。

 何かが、高速でゼータの横を通り過ぎた。

 

「人風情が我に指図するでない。不愉快だ」

 

 振り返ると、ペトスの上半身だけが、地面に転がっていた。強い衝撃を受け、顔は疎か、上半身全てが潰れている。

 ゼータは改めて、それを為した存在に目をやる。

 ベヒモスはゆっくりと何かを確かめるように手を握ると、ゼータを見据える。

 

「ふむ……久々の現世だ。しばし、準備運動に付き合え」

 

 直後、ゼータは衝撃と共に、意識を失った。

 




前にあと二話と言いましたが、無理そうです。流石に、あと一話では終わりません。
因みに、原作でもペトス君はフェンリルの攻撃を謎の方法で防いでいましたね。その方法が不明だったので、本作では自由に実体と非実体を切り替えられるということにしました。多分アーティファクトのおかげですね。
よって、知覚外からの一撃は普通に喰らったようです。
ゼータの過去は是非書籍五巻をお読みください。

あと、後ほど今後についての活動報告を上げておきます。


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役者は揃った

ちょっと長くなりました。


「この先にいるという話だったわね」

 

 先行していた部隊と合流したガンマは夜より暗い闇の中を進む。

 ここは十番倉庫と呼ばれる場所だ。

 種々のアーティファクトや資料、実験装置が雑多に、タワーのように積み上げられ、しかし、その一部は倒壊しており、足の踏み場もないと言えるような状態だった。

 そんな倉庫の最奥で、弱々しく差す淡い光があった。その光は壁にぽっかりと空いた穴から発せられていて、その周辺だけを照らしている。縦幅は二メートルといったところだろうか。

 また、その穴からは淡い光とともに、仄かな魔力も漏れ出ていた。その事実が、これがただの穴ではないことを証明しているようだった。

 恐らく、この先にゼータは入ったのだろう。

 

「……」

 

 手を伸ばし、穴に触れる。途端、その境界面に、僅かな魔力の揺らぎが生まれた。だが、その揺らぎも次第に薄れていき、やがて元の平静な状態へと戻る。それはまるで、水面にできた波紋が緩やかに消えていくかのようなものであった。

 

「ガンマ様。ここは私が先行します」

「……そうね。ニュー、お願いするわ」

「はい」

 

 意を決し、進もうとしたガンマの前にニューが出る。ガンマは運動音痴が祟って、戦闘能力はほとんどないのだ。

 彼女もそれを分かっているから、ニューに先頭を譲ったのだろう。

 いや、ならばそもそも彼女が実行部隊に入る必要はない。いつものように後方から指揮していればいいのだ。

 それをしない理由はただ一つ。

 

「私が見極めましょう───あなたが裏切っているのかどうかを」

 

 こうして、ガンマは白い穴に足を踏み入れた。

 

□□□

 

 視界が一気に目映い白に染まり、世界が色を失う。やがて現れた空間は、全ての色が抜け落ちたかのように真っ白な場所だった。

 そんな一面に広がる白の中に、いくつか異なる色を持ったものがある。その内の一つに、力なく横たわる金と黒色のシルエットを見つけた。周囲には、赤い斑点が飛び散っている。ガンマは息を呑んだ。

 

「ゼータっ!」

「ガンマ様!」

 

 咄嗟に走り出そうとしたガンマを、前にいたニューが止めた。

 こんなときに何を、とガンマが少し苛立たしげにニューの方を見る。だが、彼女はガンマを見ていなかった。

 何か異常事態だと察して、ガンマはその視線の先を辿る。その先には───

 

「ふむ。新たな客か」

 

 サイのような顔と目が合った。頭はサイ、体は四腕を持った人のようで、そこからは明らかに乖離した何かだ。鼻頭から生える角は禍々しく伸び、冬の湖畔を想起させるその黒い瞳には、光がない。

 その瞬間、ガンマの中に芽生えたのは何だろうか。恐怖か、焦燥感か、嫌悪か。

 そのどれでもある気がする。そのどれでもない気がする。

 ただ一つだけ、確かなことがあるとするならば、

 

「ガンマ様……」

「えぇ、あれは相当危険よ」

 

 まだ何一つ、その動きすら見ていないこの状況で本能が警鐘を鳴らしている。

 言い知れぬ悪寒。腹の底から湧き上がる吐き気。圧迫感。どれもほとんど経験したことのない感覚だ。

 そんな状況にあって、しかし、同時に血の高鳴りも感じていた。彼女の主が度々口にしている「血が騒ぐ……」とはこの感覚のことを言っていたのだろうか。

 遺伝子レベルでの、目前の存在に対する忌避感と敵意。これは一体なんなのだ。

 

「すまぬな。客人よ。まだ目覚めたばかりで力の加減が分からぬのだ。先の者より早く壊れないでくれたまえ」

「先の者……」

 

 ガンマが視線を軽くゼータに向けた途端、強い風が吹き抜け、何か不快な音が響いた。その音は喩えるなら、何か重いものを勢いよく土に叩きつけたような音で───

 

「ガンマ様ッ!」

「きゃっ!?」

 

 ガンマがそれを認識する前に、強く手を引かれる。軽く体勢を崩しながらも、力の方向に合わせられたのは、普段からデルタに振り回されているおかげだろう。物理的に、だが。

 

「何が……」

 

 大きく距離を取ったガンマは先程まで自分のいた場所を見る。

 そこには、ゼータと同じ様に転がるガーデンのメンバーと───サイのような悪魔の姿があった。

 

「ほう。あれを躱すとはな……」

 

 感心したように呟くサイの四本の手の内、二本が赤く染まっていた。

 ……二本?

 元々、ゼータの血で一本は赤く染まっていた。ということは、ゼータを殴った手とは違う手で攻撃してきたのか。

 ───ぽたりと、雫の落ちる音がする。

 いや、違う。

 ガンマはゆっくりと振り返る。そこには、ひしゃげた腕を抱え、肩で息をするニューの姿があった。

 

「に、ニューっ!?」

 

 即座に魔力を使って止血を試みるが、ここまでの重症だ。ほとんど後方の、それも矢面に立たないガンマでは治せそうにない。

 そうやって四苦八苦するガンマに向かって、ニューは首を振る。

 

「ここは一旦引きましょう」

「……そうね。私たちだけではどうしようもないわ」

 

 戦闘音痴とはいえ、ガンマだってそれなりに戦いを目にしてきたと思っている。主やアルファ、デルタ、その他『七陰』やナンバーズたち。彼、彼女らの戦いを目にしてきたガンマでさえ、目に追えない速さ。そして、スライムスーツの防御ですら容易く突破する破壊力。

 今現在の負傷したニューと自分、それと数人のガーデンメンバーで何とかなるような相手ではないだろう。

 あぁ、こんなときにデルタがいてくれれば……。

 ないものねだりだが、この最悪の状況。恨み言の一つでも言いたくなる。そもそも、今朝から見ていないが、どこに行っているのだろう。

 だが、撤退するにしても問題がある。一つは、倒れた仲間───ゼータも含めて───をどう回収するかだ。いや、仲間だけではない。見れば、ここにはシェリーや、生死不明の研究者の姿もある。

 彼女らはを運び出すには相応の人手と、時間が必要になる。

 もう一つは、どうやってあの怪物を足止めするかだ。こちらの最高戦力であるニューは、腕一本が完全に再起不能だ。意識を保っているのもやっとという様子で、もう少し血を流せば、ほんとうに昏倒しかねない。

 連れてきている構成員も精鋭揃いであるが、ナンバーズと比べても一段見劣りするのは事実だ。彼女らでは、束になっても勝てない。否、時間すら稼げないだろう。

 

「ふぅ……やるしかないわね」

「どうされるのですか?」

 

 ガンマは剣を抜く。通常の剣より更に長いそれはロングソードや、クレイモアのような大剣だった。

 

「ニュー、倒れている人の救出後、即時離脱をなさい」

「……ガンマ様はどうされるのでしょう?」

「殿を務めるわ」

「なっ」

 

 それを聞いたニューは驚いたように眉を上げる。

 

「そ、それなら、私が!」

「いいえ。今のあなたでは戦えないわ」

「そんなことはありません! 今でもガンマ様より───」

 

 そこまで口走り、ニューははっとした表情を見せる。彼女がこうして表情を崩すのは珍しい。

 

「も、申し訳ありません」

 

 ニューはガンマが戦えずに悩んでいることを知っていた。緊急時に咄嗟に出たとはいえ、越えては行けないラインを越してしまったのだと思っているのだろう。

 

「大丈夫よ」

 

 だが、ガンマは怒るでもなく、悲しむでもなく、安心させるように微笑みかけた。

 いつもなら、罪悪感や自己嫌悪が支配するところなのに、今のガンマの心は風の凪いだ海辺のように静かなものだった。

 

「ガンマ様……」

「可及的速やかに戦線の構築をしなさい。デルタは……勝手に来ると思うから。ゼータ他、倒れてる人の救出も頼むわ」

「承知、いたしました……」

 

 『最弱』のガンマは最弱であると同時に、ガーデンを代表する『七陰』でもある。

 確かに、戦略的観点から述べるのならば、ガンマが後退するのが正しい選択だろう。だが、彼女はそれを選ばない。

 なぜなら、彼女にだって意地があるからだ。死ぬと分かっている作戦に、どうして自らを慕って、付いてきてくれた部下を投入できようか。

 ガンマは、自分が弱いことを知っている。

 ガンマは、自分が至らないことを知っている。

 それでも、やらなければならないときがあるのだ。

 

「すみません。アルファ様。どうやら、一番抜けは私のようです」

 

 いつか、どこかでアルファが言っていたこと───「いつか、誰かが犠牲になる」という言葉。

 なるほど。それは今日、ガンマの元に訪れるらしい。

 魔力を込める。溢れんばかりの───否、必要以上の膨大な魔力が溢れ出す。それら魔力は、熱が放射するように、大気へと溶け出していく。

 

「ふん。もうよいのか? まだしばらくは待てるぞ?」

「必要ないわ」

 

 ガンマは後ろのニューを見やらない。恐らく、彼女はもう動き出しているだろう。

 ガンマは大上段に高々と剣を構える。

 その構えは何とも不格好であったが、全身を取り巻く魔力は過去最大級のものだ。故に、彼女の放つプレッシャーもまた、過去最大級のものになっていた。

 膨大な魔力を足に込め、地を蹴る。不器用な動きとは裏腹に、威力だけは絶大だ。

 故に、地面にはひびが入り、莫大な推進力を生んで、怪物めがけて突進する。

 

「シュシュシュシュッッ!」

 

 最早必要があるのかと疑いたくなる、意味不明な掛け声を上げ、怪物に迫った。対して、怪物は腰を低く落とし、迎撃の姿勢を見せる。

 常人が見れば一瞬。しかし、強者にとっては二、三手打てる時間を以て、ガンマは距離を踏み潰した。

 ここはもうあの腕の射程圏内だろう。

 案の定、怪物の腕に予備動作が見えた。

 ───来るっ!

 ガンマは剣を思いっきり振り下ろした。

 つんざくような風切り音が、ガンマの耳まで届く。剣と、拳が交錯した。

 赤い、花が咲く。

 

「ぺぎゃっ!?」

「ぬっ?」

 

 "地面から顔を起こした"ガンマは鼻血を流しながら、頭上に突き出されている腕を見上げた。

 ぽたりと、赤い液体が落ちて、彼女の額を濡らした。

 ……怪物の血も赤かったのか。

 

「クッ……クク、クククッ! 見事だ。人間よ」

 

 何がおかしいのか、怪物が笑い声を上げる。そして、長さが半分になった腕を下ろした。

 

「まさか、コケたと見せかけて我の攻撃を避けつつ、剣を投擲してくるとはな」

 

 機嫌良さそうに笑う怪物の声を聞き、ガンマはようやく我に返った。

 周囲を見てみれば、怪物のものだと思われる腕が落ちていた。

 徐々に動き出した思考が、直前までの出来事を整理し始める。

 ガンマは死を覚悟して突貫した。今までにないほど真剣だった。そして、大剣を振り下ろしたのだ。

 そこまではよかった。ブーンッと冗長な風切り音がする。その音と共に、重心が前方へブレた。その結果、前につんのめる形になり、ガンマは美しきダイブをしたのだ。

 その反動で手放してしまった大剣は回転しながら怪物目掛けて飛んでいく。膨大な魔力の籠もったそれは、奇跡的な軌道を描き、偶然にも怪物の突き出した腕に命中し、それを切断した。

 偶然と偶然の重なり合った奇跡。それが、ガンマが今生きている理由だった。

 顔が熱を帯びるのを感じる。

 

「そ、そう! これぞ、真・捨て身大車輪よ!」

「ククク、面白いな」

 

 ガンマは油断なく怪物を見据えつつ立ち上がる。もうニューたちの撤退は済んでいるのだろうか。後ろを振り返りたい気持ちはあるが、眼前のそれから目を離すのは、即刻死を招きかねない。

 故に、怪物から視線を離さず、ガンマは新たにスライムソードを生成する。

 

「───さて、そろそろ終わりにしようではないか」

「……」

 

 ピリッと肌を走る突き刺すような感覚。それまでの弛緩した雰囲気が嘘のように、怪物の纏うそれが変わる。

 今度は先程のような手───そもそも、あれは偶然の産物であるが───は通用しないだろう。

 ガンマは拙い構えで怪物に相対する。

 深く呼吸をして、集中力を高める。

 やけに静かな時間が流れた。

 まるで、スローモーションビデオを見ているかのように、ゆっくりと、怪物の腕から血が滴って───

 

「があぁぁぁッッ!!」

「む?」

 

 突然、横合いから黒い影が飛来した。黒い影は自身の大きさよりも尚大きい"鉄の塊"のような物体を振り回し、怪物へとぶち当てる。

 その衝撃で、怪物は吹き飛ばされた。

 

「おーい、デルター。そんなに張り切らなくてもいいよー」

 

 遅れて、どこか間の抜けた声が背後からする。

 その声が聞こえたとき、ガンマの胸の内から熱いものが込み上げてきた。

 ガンマは駆け出した。

 

「主さまっ!」

「わっ……ってガンマか。……あれ、血が付いてるけど、戦ってたの?」

「は、はい!」

「へぇー、ガンマがねぇ……」

 

 主はなにやらそう呟いて、遠い目をする。その瞳には何が見えているのだろう?

 

「さっきの無駄魔力はガンマだったか……」

「主さま?」

「うん? いや、何でもない。それより───」

 

 主はデルタによって吹き飛ばされた怪物を見る。そうだ。まだ戦いは終わっていないのだ。

 

「主さま。あの怪物の詳細は分かりませんが、身体能力が恐ろしいほど高く───」

「───ベヒモスだよ」

「えっ?」

 

 ガンマは唐突に掛けられた声の方を見る。

 そこには、顔を顰めて頭を押さえるゼータの姿があった。主が、あるいは自分で治療したのか───恐らく主と一緒に現れたということは、主に治してもらったのだろう───未だ髪や服に乾いた血が付いているが、目立った外傷はない。

 彼女が無事なのは嬉しいことだが、今はそれよりも彼女の口にした言葉の方が気になる。

 

「ゼータ、何か知ってるの?」

「ちょっとね。あっちに転がってるラウンズさんに聞いたんだ」

 

 ゼータは上体だけになって転がっている男を指す。

 

「ラウンズ……そう。彼はなんと?」

「ええっと確か……かつて、ディアボロスが暴れるよりも前に世界に災厄を齎した存在、ベヒモスの魂を、ディアボロスの右足に定着させた、って言ってたよ」

「ベヒモス……聞いたことないわね。それよりも」

「うん、そう。ディアボロスの一部を媒介にしているせいで、バカみたいな魔力を持ってる」

 

 それに加えて、これだけ感じる魔力が少ないということは、それだけ魔力制御も上手いということだ。

 

「……ふっ、所詮は過去の遺物の継ぎ接ぎだろう? 何も恐れることはない……」

「……っ!」

「それは……!」

 

 だが、主はあの超級の相手を前にしても、口元に笑みを湛え、事もなげにそう言って見せた。

 

「さぁ、ダンスの時間だ」

 

 主のロングコートがばさりと音を立てた。

 




実はこの話、何回か回数書き直しています。最初に書いたものだと本話の二倍近い文量あり、展開も気に入らなかったので、没にしました。
次回終わるかなぁ……。まだシェリーさんが眠ったままなんですが。


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漁夫の利とシェリーの決意

無理でした。


 僕が十番倉庫に着いたときには、既に戦闘が始まっていたようだけど、どうやら間に合ったみたいで良かった。折角のメインイベント、それも封印されてたボスとの対決を逃すなんて、『陰の実力者』失格だろう。

 

「ふむ……」

 

 攻撃を受け、吹き飛んだサイのような怪物───ベヒモスが悠然と立ち上がる。デルタの"鉄塊"による攻撃をまともに受けても大してダメージを受けていないようだ。それに、既に切り落とされていた腕もいつの間にか復活している。

 僕の口元が自然と綻んだ。

 いや、別に僕は戦闘狂というわけではないんだけど、やっぱり最終決戦は盛り上げないと、ね。それにしても、燃えるコウモリの次は人みたいなサイか。この世界の動物は意外と凶暴なのかもしれない。

 

「デルタ」

 

 僕はやり過ぎないでよ、という意味を込めてデルタを見る。

 デルタは分かったのか、頷いた。ビクッと耳が動く。

 

「わうっ!?」

 

 直後、デルタはその場でジャンプし、空中で体を捻った。その残影を呑み込むように、大きな黒い影が移動する。

 

「むっ、先程のお返しをしようと思うたのだが……」

 

 ベヒモスは空を切った拳を開閉し、意外そうにそう漏らす。

 

「今ゾクって毛が立った!」

 

 デルタは空中での不安定な状態から体をよじり、着地する。そして、その着地からほぼノータイムで、地を蹴った。"鉄塊"を大きく振りかぶる。

 

「僕はしばらく後衛かな」

 

 まぁ、デルタと一緒に戦うことなんてほとんどないし、たまにはいいかもしれない。

 前衛は『特攻兵器』デルタに任せて、僕は高みの見物………じゃなかった。サポートと洒落込もう。そう、洒落込むのだ。

 

「デルター、美味しいところは残しといてね」

「がぁぁっ!!」

「あっ、これ聞いてないやつだ」

 

 仕方ない。上手く掠め取る方法を考えよう。

 

□□□

 

「ははっ、あれは……やばいね」

「そうね」

 

 ゼータは、吹き荒れる暴風のようなデルタとベヒモスの攻防を見て呟いた。いや、それを攻防と表現するのは些か語弊があるかもしれない。

 言うなれば暴力。デルタの"鉄塊"が一振りされる度に凄まじい風が吹き荒れ、ベヒモスは数メートル単位でノックバック受ける。一体あの細腕のどこに、あんな大きなものを振り回せる力が眠っているのだろう。

 対して、デルタはベヒモスが繰り出す攻撃は躱せないまでも──"鉄塊"が大振り過ぎて、重心が大きく動いているのだ──ほとんど受け切っていた。

 それでも、時折できる隙を狙ってベヒモスが一撃必殺の攻撃を叩き込もうとしている。だが、それを、シャドウがカバーに回ることで、完璧に防いでいた。

 しかし、一つだけ問題があった。それはベヒモスの圧倒的な回復能力であった。というのも、デルタの暴力的な攻撃をガードしたベヒモスの腕や脚は幾度となく破壊されていた。骨折、断裂、破裂、切断……。その種類は多岐に渡り、その数は数え切れないほどであった。それでも、あの怪物は、それら全てをゼータが瞬きする間に治している。

 まさに、人外の化け物と言えよう。

 つまり、お互いに決定打に欠けている状況だった。

 

「行くの?」

「えぇ。ここに私がいても、できることはないでしょうから。ニューに命令した通り周辺の封鎖と、あとはこの都市の教団の力を削ごうと思う」

 

 今まで共にその戦闘を見ていたガンマは、スライムソードをしまってそう言った。

 

「そっか」

「あなたは?」

「私は……ここに残るよ。今の状況でも、私にだってできることはあるだろうし、やらなきゃいけないこともあるから、ね」

「やらなきゃいけないこと……いえ、分かったわ」

 

 ガンマは何かを言いかけたが、ぐっと堪えるような表情を見せる。そして、何も言わずに立ち去った。

 

「さて……」

 

 ゼータは今も繰り広げられている戦闘を見る。

 

「漁夫の利ってわけじゃないけど、ワンちゃんには頑張ってもらいたいね」

「ぁ……」

「ん?」

 

 ゼータはピクピクッと周囲を探るように耳を動かす。この後の行動計画を練っていた彼女の耳に、何か音が聞こえたのだ。

 その音が何だったのかと思い、辺りを見回す。

 

「ぁ……」

「あっちか」

 

 戦闘の音に混じって、聞こえる"音"を彼女の耳は拾った。これは、人の声……?

 それに、その"音"がする場所は──

 

「……まだ生きてたんだ」

「……」

 

 ゼータは半身だけになってもまだ、息のある男──ペトスを見た。

 ペトスは、その虚ろな目をサングラス越しにゼータに向ける。

 

「流石はラウンズ……いや、『ディアボロスの雫』のおかげ、かな?」

「……」

「まったく、無様だね。自分で呼び出した存在に殺されて」

 

 ゼータが嘲笑混じりの声音で言うが、ペトスは何も言わない。いや、言えないのだろう。それが物理的に声が出ないのか、返す言葉がないのかは分からないが。

 

「ペトス、お前の名前を忘れたことはない。初めて会ったあの日から、私はずっとお前を殺したかった」

 

 遠くで、デルタの"鉄塊"とベヒモスの拳がぶつかる。その余波が随分離れたゼータの元まで届き、彼女の髪を揺らした。

 

「でも、それは叶わなかった」

 

 フンッとゼータは鼻を鳴らす。

 彼女の胸中に渦巻くのは何だろうか。

 怒りや憎悪、あるいは復讐心だろうか。

 

「叶わなかったけど──だけど、一つ吹っ切れた」

 

 いや、違う。それが答えでないことは、その表情は不満げというよりも、どこか満足した──言うなれば、やるべきタスクを一つ終えた者の顔を見れば分かることだろう。

 

「……どこで、間違え……たの、でしょうね」

 

 その表情を見たからか、途切れ途切れにペトスが呟いた。一言紡ぐ度に、口の端から血の泡が漏れ、彼の頬を伝う。彼はただ、上を見上げた。

 

「それは最初からだよ。お前には、主がいなかった。それが、お前の最大の間違い」

「主……シャドウ、か」

 

 ペトスはその名前を口に含むように、転がした。転がして、そして、僅かに口角を持ち上げる。

 

「私には、世界を滅ぼす罪を背負ってでも、やらなきゃいけないことがある。そのために、教団も潰す。それは、お前への復讐よりも大事なこと。そう、大事なんだ」

「ふっ、あの小娘が──」

 

 そこで彼の言葉は途切れた。もう二度と、その言葉の先が紡がれることはないだろう。

 

「バイバイ、私の過去。もう振り返らない」

 

 ゼータは目の前に横たわるそれから目を離す。

 過去の清算は終わった。あとは、どう未来を掴み取るかだ。未来の、主のためならゼータは何でもする。そう、どんなことでもやるのだ。

 

「あれは……」

 

 そう心に決めたゼータは、ふとここにはいないはずの人物を見つけた。

 

□□□

 

 シェリーが目を覚ましたとき、不思議な浮遊感があった。小刻みに振動があり、腹の辺りが圧迫されているようだ。

 誰かに運ばれている……?

 

「ニュー様、目が覚めたみたい」

「にゅー?」

 

 一体誰のことだ。そもそも、何故自分は運ばれているのだろう。

 シェリーは浮かんでくる記憶の断片を探る。

 確か、サーテライトに研究が終わったと伝えて、シェリーの家にアーティファクトを取りに帰ったのだ。それから、アーティファクトの魔力がどこに繋がっているかを辿って十番倉庫にやってきて──

 

「バーネットさん、気分は──」

「サーテライトさんは!?」

 

 脇に抱えられながらも、全身を使ってぐるっと周囲を見回す。

 何があったかは不明だが、何か良くないことが起こったのなら、彼女も脱出していなければならない。だが、ここにはボディスーツを着た一団と、数人の研究者らしき人々しかいない。一見して、彼女の姿はなかった。

 ジタバタと暴れたためか、抱えられていたシェリーは地面に落ちる。

 その様子を見たボディスーツの一団は互いに目配せをした。

 

「バーネットさん、まずは落ち着いてください。そして、よく、よく落ち着いて聞いてください」

 

 ブラウンの長い髪をした人物が宥めるように言う。

 

「まず、先程十番倉庫でアーティファクトの暴走による爆発がありました。我々はその救助に来たんです。それで、バーネットさんは助けられたのですが、我々が到着した時点でサーテライトさんの息は既にありませんでした」

「そんな……」

 

 はっとシェリーは息を呑む。だが、同時に違和感があった。この違和感はなんだろう?

 それに、この一団はなんだろう?

 勿論、学術都市にも魔剣士はいるし、消防などもいる。だが、ここまで黒ずくめの組織なんてあっただろうか。

 

「一先ず、安全なところに避難して──」

「アーティファクトの暴力は止まったんですか?」

「……はい。問題なく、別部隊が対応しています」

 

 シェリーはそう言った彼女の右腕を見る。

 

「ひっ……」

 

 彼女の右腕は、本来あり得ない方向にひしゃげていた。ヌメリとした液体が、そこから地面に落ちる。

 暗くてよく分からなかったが、彼女の額には尋常じゃない汗が吹き出ていた。

 ……何かがおかしい。あんな怪我は普通じゃない。

 恐らく、サーテライトが死んだというのは本当だろう。アーティファクトの暴走も事実かもしれない。

 だが、彼女たちは何かを隠している。そう、これは謀られている感覚だ。得体のしれない何かが、自分の知らないところで蠢動している気がする。

 

「ですから、バーネットさんは一旦安全な場所に移りましょう。ここはまだ危険かもしれませんから」

「……」

 

 ここで、彼女の提案を呑んだらどうなるだろう?

 科学者らしく、分からないことは分からないままに、目を瞑る。それが、一番楽な選択かもしれない。

 だが、それでは何も変わらないじゃないか。

 彼女の義父が死んだとき、彼女はその場にいなかった。義父の死を聞いたのは、もう全てが終わった後だった。

 

「……戻りましょう」

 

 シェリーは意を決し、言った。

 

「それはできません」

「でも、アーティファクトが暴走してるんでしたよね? でしたら、私も役に立てると思います!」

 

 はっきりと、きっぱりと、シェリーは言い切った。それは普段の彼女を知る者であれば、恐らく驚愕に値するだろう行動であった。

 対して、ブラウンの髪をした女は、そんなシェリーの様子に困ったような顔になる。どう言いくるめたものか、とその顔には書いてあるようだ。

 そうやって、場に沈黙が舞い降りる。じれったい時間が流れ、気まずい雰囲気を感じた。

 どうやって説得しようか。自分の普段の口下手を呪いつつ、シェリーはその天才的な頭脳をフル回転させる。

 だが、そんな空気を破ったのは女でもシェリーでもなかった。

 

「わ、きゃっ、ペぎゃっ!?」

 

 間抜け声の三段飛びのような悲鳴と、続いてドスッと鈍い音がした。見れば、新しく来たのだろうボディスーツの女が地面に突っ伏している。

 

「……」

 

 水を打ったような静寂が訪れる。

 それは先程の沈黙とはまた違った、気まずい雰囲気であった。

 

「こ、こほん」

 

 だが、女は何事もなかったかのように立ち上がり、軽く咳払いをする。つー、と鼻血が流れ出ていた。

 

「それでニュー、今の状況は?」

「ええっと……はい──」

 

 そして、それに追随するように、誰もそのことには突っ込まず、ニューと呼ばれた女が現状の報告をする。妙に手慣れたこの一体感はなんなのだろうか?

 

「──という状況でして」

「なるほど、分かったわ。とりあえず、あなたは治療をなさい」

「はい……そちらは大丈夫だったんですか?」

「えぇ、主さまが来てくださいましたから、あっちは問題ないでしょう。それよりも、私たちは被害を抑えつつ、教だ……いえ、予定通りに行動するわ」

「承知いたしました」

「あ、あの!」

 

 話が一段落ついただろうところで、シェリーは声を上げる。すると、新しく来た女はニューに目配せをする。ニューは一礼した後、数人を連れて離脱していった。

 

「なにかしら?」

「あの! 私、戻りたいんです!」

「それは、どうして?」

「さっきの人が言ってたんですけど、アーティファクトが暴走したんですよね? でしたら──」

「本当のことを言って頂戴」

「──えっ?」

 

 シェリーの言葉を遮って、女は真っ直ぐ彼女を見据えながら、ピシャリと言った。

 ドキッと心臓が跳ねる。

 

「あなたの戻りたいという言葉は、恐らく本心からの言葉でしょう。それは目を見れば分かるわ。そして、同時にあなたの目は少しだけ濁ってもいる。それは、建前を述べる者の目よ。あなたの、本音はなに?」

「……」

 

 シェリーは絶句した。こんな短い間の話で、ここまで理解してしまうなんて。この人は一体何者なのだろうか。

 女は口調こそ厳しいものではあったが、その実、表情は穏やかなものだった。それ故だろうか、普段ならたじろいでしまいそうところで、シェリーは一つ勇気を振り絞ってみる。

 

「……私は知りたいんです。隠されている真相を、埋もれている事実を。

 私の知らないところで、知らない内に、知らないことが起きていて、でも、私はそれに気付くことなく日々を過ごしていく。私はそれが嫌なんです。──もう、大事な人が既に死んでいたなんてことは嫌なんです」

 

 それはシェリーの偽らざる本心であった。彼女の胸には、未だに義父であるルスランの死による傷が残っている。だが、同時に大事に思える人たちができていた。

 その内の一人、サーテライトは既に死んでいると聞かされた。

 何故? 何故彼女は死んだのだ? そして、何故自分は生きているのだ?

 どうしようもないほどの違和感が胸に燻っている。これは、あの夜に、ルスランが死んだと聞かされたときに感じたものと似ている。

 現場に行けば何か分かるかもしれない。そんな思いがシェリーに芽生えていた。

 

「知りたい……そう。でも、その事実があなたの望むものではない可能性もあるわ。いえ、それ以上に知るというのは危険を伴うわ。不必要に、身を危険に晒すこともないでしょう?」

「ずっと蚊帳の外にいるくらいなら、死んだ方がマシです」

 

 キッと女の目を見る。彼女の持つその雰囲気に気圧され、視線を外してしまいたくなるが、ぐっと堪える。

 暫時、その状態のまま見つめ合う。

 

「……そう」

 

 やがて、女はため息を吐きながら、目を逸らした。シェリーは女から目を離さない。

 

「分かったわ。あなた、シェリーさんを連れていきなさい」

「えっ、私ですか?」

「あなた以外誰がいるのよ。彼女をここまで連れてきたのもあなたなんでしょう? 最後まで責任持ちなさい」

「分かりましたー」

「わっ!?」

 

 再び、シェリーは浮遊感を感じた。どうやら、担がれたようだ。

 

「く、苦しい……」

 

 絞り出すような声で呟くシェリーの前に、あの女が立つ。

 

「シェリー・バーネット。これ以上踏み込んだら、あなたはもう引き返すことはできない。いいわね?」

「も、勿論です!」

「そう。ならいいわ」

 

 彼女は今シェリーを抱える人物の耳元で何かを言う。内容はよく聞こえなかった。

 

「それじゃ、シェリーさん。掴まっててね」

「えっ、それってどういう……」

「よいしょっ!」

「わあぁぁっっ!?」

 

 だが、その内容について深く考える間もなく、強烈な圧迫感が腹を襲ってくる。何とか吐かないように耐えながら、シェリーは早く着いて! と祈る。

 その願いも虚しく、十番倉庫に着く頃には、大きなマーライオンの跡があったのはまた別の話だろう。

 

「ここまで、主さまは見越していらしたのかしら……」

 

 そんなことになると露も思わず、女──ガンマはそう呟いた。

 




というわけで、シェリーさんが十番倉庫まで来ました。
終わる終わる詐欺もいよいよ佳境! 次回こそ、ベヒモスをぶっ飛ばしましょう!


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決着

やっと書き終わった……!
長めです。結構攻めたかもしれません


「がうぅぅ!!」

 

 "鉄塊"がベヒモスの腕をへし折りながら、その巨体ごと吹き飛ばす。

 だが、これまでと同じように即座にそれは完治する。そして、魔力によって生み出した風を巧みに操ることで、その巨体の体勢を一瞬にして整える。

 

「うん。それは、これまでも見てきた」

 

 僕はマンネリ化してきたそれを見て、ため息を吐く。

 対話のない戦いは退屈だ。

 ベヒモスは僕たちの攻撃を受けるだけで、全然僕たちのことを見てくれない。いくら攻撃しても、ただ目標を狙うだけの攻撃しかしてくれない。

 今までバカ魔力にかまけて、力技だけでやってきたのだということが、ありありと伝わってくる。彼の対話スキルは、デルタと同等と言って良いだろう。

 ……ここから進展がないんだったら、さっさと決めちゃおうかな? 向こうはバカみたいな魔力があるようだけど、こっちの魔力には限りがあるわけだし。

 デルタはそんなことには目もくれず、さらなる攻撃を叩き込もうと突進する。まさに脳筋だ。むしろ、微笑みすら浮かべていた。

 その心内は、全力で戦えて最高! といったところか。丁度、ドッグランで犬が全力疾走するようなものかもしれない。まぁこれでは、ただの脳筋ではなく、脳筋な戦闘狂になるわけだけど。

 進展もなさそうだし、そろそろやるか。流石にアトミックで、全部ちりに変えればもう再生するなんてことはないだろう。

 

「デルタ」

「があぁぁ!」

「ちょっと、デルタ」

「──きゃんっ! ボスっ! 尻尾ダメ!」

 

 デルタが勢いよく振り向いて、涙目で抗議してくる。危うく振り向きざまに"鉄塊"をぶち当てられるところであった。

 僕は「いいかい?」と指を立てる。

 

「僕はそろそろ飽きてきたから、終わらせようと思うんだ」

「えー! もうです?」

「そう。今日はもうお開きね。続きはまた盗賊狩りでやって」

「うー、分かったのです……」

「よし。じゃあ、少し時間を稼いで。一秒くらいでいいよ」

「分かったのです!」

 

 デルタはまだ戦えると聞いて嬉しそうに笑う。

 一秒といって侮ることなかれ。僕たちクラスになると、瞬きの間に五回くらいは技をかけられる。だから、一秒は結構長いのだ。

 デルタは飛び出し、僕は魔力を練る。

 

「この魔力……」

 

 すると、デルタには目もくれず、ベヒモスはこちらを見る。

 おっ? 何かあるのだろうか。

 

「だが、もう遅い」

 

 既に、僕の準備は整った。

 周囲に魔力の渦ができる。轟々と僕を中心に暴風が吹き荒れる。

 

「刮目せよ──アイ・アム・アトミック」

 

□□□

 

 時は少し遡り、シェリーは、以前は見なかったはずの十番倉庫の白い穴を通って、不思議な空間に出たところだ。

 通ってきた穴にも驚いたが、突如として視界に広がったその光景は非日常的で、彼女は言葉を失う。

 遠くでは、今まで見たことのないような戦闘が繰り広げられている。それは、シェリーではとてもではないが、目で追うことすらできそうにない。だが、荒れ狂うほどの暴風の余波と、何より吹き付けるその圧倒的なプレッシャーは彼女でも感じられた。

 

「シェリー・バーネット」

 

 しばらく呆けていたところで、不意に名前が呼ばれた。

 その声の方を見てみると、そこには金色の毛並みをした獣人がいた。頭には血を流したような跡がある。

 ボディスーツを着ているということは、先程の一団と同じ組織なのだろうか。

 

「え、えっと……?」

「どうして戻ってきた? ガンマは何をしている?」

「が、ガンマ……?」

「さっきシェリーと話してた人だよー」

 

 ここまでシェリーを連れてきてくれた人が、耳打ちをしてくれる。

 

「えっと、アーティファクトが暴走したって聞きまして、私なら、アーティファクトにも詳しいですし、お役に立てるかなと」

「ガンマはそれを了承した、と」

「は、はい」

 

 獣人はシェリーを見てから、考え込むように顎に手をやった。尻尾を揺らしながら、何かを掴むように視線を宙に投げる。

 やがて、何らかの結論が出たのか。ふんっと鼻を鳴らした。それから、ちらりとシェリーの横を見る。

 

「分かった。ここまで来たってことは、覚悟はできてる? もう引き返せないよ」

「は、はい!」

 

 シェリーはやや声を上ずらせて、しかしはっきりと言い切った。

 

「じゃあまず、ガンマが言ってた"アーティファクトの暴走"っていうのは嘘」

「えっ」

「アーティファクトは別に暴走していない。詳しい説明は省くけど、あれは君が解析したアーティファクトから出てきた厄災。君は、見事封印を解いたってわけだよ」

「わ、私がですか」

「そう。今は主とバカ犬が戦ってるけど、相手が圧倒的な魔力を持ってて、再生力が高すぎるから決め手がない」

「なるほど……」

 

 今も壮絶な戦いが繰り広げられる方を見るも、やはりすごいという感想しか沸かない。どちらが優勢かすら分からないが、彼女がそういうならそうなのだろう。

 

「そこで、君の出番だ」 

 

 パチっと指を鳴らし、獣人はシェリーを指差す。

 急に話を振られたシェリーだが、ここまで聞けば、彼女がシェリーに何を求めているかは容易に想像できた。

 

「えっと、つまり、あの牛? みたいな魔獣をもう一回封印すればいいってことですか?」

「そ」

 

 獣人は我が意を得たりとばかりに、頷いた。

 しかし、シェリーは対照的に、指の先を合わせてこねる。

 

「確かに、解析は終わって見事封印は解けたみたいなんですけど、そもそも今アーティファクトが手元に無いのと……」

「あー、それならここにあるよ」

 

 獣人がどこからか見覚えのある球体を取り出した。どこから出したのだろう?

 

「ペトス……って言っても分かんないか。まぁ、君の成果を利用して呼び出したやつが懐に持っててね」

「そ、そうですか……」

「これで大丈夫?」

「えっと、いや、その……」

 

 シェリーは気まずさから、尻すぼみにどんどん声が小さくなる。指のこね具合は、最早パン屋も驚くレベルにまで達していた。

 

「まだ足りないものが?」

「は、はい。えっと、私も詳しくは分からないんですけど、何かを封印するには純度の高い魔鉱石が必要なんです」

「魔鉱石……そういえば、最初にここに来たとき、ペトスの後ろに光る石があったっけ」

 

 シェリーは周囲を見回すが、ぱっと見魔鉱石らしきものはない。

 

「それって、一回砕けた石でも大丈夫なの?」

「さぁどうでしょうか。分かりませんが、正直無理だと思います」

「それはどうして?」

「大量の魔力を封じ込めるには、純度が高く、大きい魔鉱石が必要なんです。だから、砕けて小さくなった破片では恐らく……」

「魔鉱石の方が耐えられない、と」

 

 獣人はごろごろと喉を鳴らす。への字に曲がった眉毛が、これは困ったと言っているようだった。

 シェリーはアーティファクトの研究中に見た先行研究を振り返る。確か、こんな状況で使える知識があったはずだ。

 どんな研究だっただろうか。魔力に関するものだった気がする。あとは、魂、体……

 

「あっ!」

「何か分かった?」

「はい! 以前読んだ先行研究に、魂は肉体に比べて魔力の保有量が格段に少ないというものがありました!」

「それで?」

「はい。なので、あの牛さんの魂と肉体を分離させればいいんです!」

「なるほど……どうやって?」

「えっ? ……えっとこう、ガツンって感じで、では駄目ですかね?」

 

 獣人の視線がどんどん冷えていく。ど、どうしよう。

 

「……まぁ、主なら何か手段があるかもしれない。とりあえず、その方向で──ッ!」

 

 突如、今までとは比べものにならないくらいの、強大な魔力が生じる。それは漆黒のロングコートを纏った男を中心に渦巻いていた。

 そして、シェリーにはその男に見覚えがあった。

 

「あのときの……」

 

 星の降った夜、ルスランの死んだ日に、彼女の前に現れた男だ。あのとき、彼は意味深長なことを呟いて、去っていったのだ。

 そして、シェリーがあの事件の裏に何かあると感じた原因でもある。

 まさか、ここであの人間離れした戦闘をしていたのが彼だったとは。

 

「伏せてっ!」

「危ない」

「わっ」

 

 予期せぬ再会に呆けていたシェリーは、突然押し倒されて地面に伏せる。

 意味も分からず倒れ込んだ彼女が、痛みを感じるより早く世界を青紫色の光が包む。

 だが、その直前、彼女は風で飛んでくるあるものを見つけた。それを掴んで、シェリーの意識は再び落ちる。

 

□□□

 

 僕はあまりの衝撃に、一瞬立ち尽くしていた。

 

「ボスっ!」

 

 それが祟って、二度目の、今度は物理的な衝撃によって吹き飛ばされた。

 だが、その衝撃によって目の前の光景が夢ではないことが証明され、止まっていた思考が再び動き出す。

 

「ふむ。先程の技は見事であった」

 

 僕は立ち上がる。身体的なダメージはほとんどない。無防備な状態でパンチを受けたが、無意識に体が受け身を取っていたのだ。

 けど、そのパンチが僕に与えた精神的ダメージは大きなものだった。

 僕は、僕の持てる最大の攻撃を以てしても、アレを討ち滅ぼすことができなかったのだ。

 いや、それだけならまだいい。完全に滅ぼすことができず、再生して復活したのなら問題はない。

 だが、現実は違った。ベヒモスは、僕の放った『アイ・アム・アトミック』と同等の威力を持つ正拳突きをしてきたのだ。何の溜めもなく、人が呼吸をするように、魔剣士が魔力を使うように平然と、その突きを放ったのだ。

 まるで、存在としての差が違う。

 

「──クッ、クククッ、ハハハ!」

「ぼ、ボス! 変なものでも食べたですか?」

「……いや、何でもない」

 

 僕はこのとき、確かに喜びを感じていた。

 思えば、僕はこの世界に来てから本当の意味で、本気で戦ったことはあっただろうか。霧の龍やヴァイオレットさん、他にも強い相手はそれなりにいたけれど、結局僕には届かなかった。

 それが今、それなのに今、僕の前には僕に届き得る存在が現れたのだ。

 これは、僕が『陰の実力者』になる上で越えなければならない壁に違いない。僕は強く魔力を練り始める。

 

「良かろう。ならば、俺が本気で相手をしてやる」

 

□□□

 

「起きて起きてー」

「んぅ……」

 

 体を揺すられ、シェリーは目を覚ます。どれくらい寝ていたのだろうか。周囲を見ても、環境に大きな変化は見られない。あれだけの魔力が溢れれば、地面にクレーターでもできそうなものだが。

 

「……って、今はそんなこと考えてる場合じゃない」

「そうだね。問題発生だ」

「問題、ですか?」

「ん」

 

 獣人はある方向を指差した。

 だが、そこには何もなかった。ただ真っ白な地面が続くばかりであったのだ。

 シェリーはその真意を汲み取れず、首を傾げる。

 

「えっと……?」

「──破片ごと全て、消し飛んだ」

「あっ」

 

 確かにそれは問題だ。作戦の根幹を揺るがしていると言っても過言じゃない。

 と、そこでシェリーは気を失う以前にあるものを拾っていたことを思い出す。

 

「これを使いましょう」

 

 ぎゅっと握っていた手を広げる。力強く握っていたためか、手がズキズキと痛む。

 広げた手の中から現れたのは、正八面体の綺麗な水晶のようなものだった。シドが見れば、飛◯石とでも言っていたかもしれない。

 

「それは……!」

「はい。恐らく魔鉱石です。それもかなり高純度の」

「それをどこで……いや、主はここまで見通して……」

「あのー……」

 

 なんか変な勘違いをされている気がする。気のせいだろうか? 気のせいということにしておこう。

 

「よし。それでいこう。私に何かできることはある?」

「すみません。特には……」

「分かった。じゃあ、主には私から伝えておく」

「お願いします」

「……任せたよ」

 

 獣人はそれだけ言って背を向ける。彼女が言った通り、作戦をロングコートの男に伝えに行くのだろう。

 

「は、はい!」

 

 シェリーはその背中に、大きな返事を返したのだった。

 

□□□

 

 迫りくる拳を、僕はいつもより余裕を持って回避する。

 そうやって、余裕を持って回避しているはずなのに、一手を追うごとにどんどん回避がギリギリになっていく。

 

「ふっ……」

 

 僕は思わずニヤけてしまう。これはつまり、相手が僕のことを見て、僕の動きを予測してくれている証拠に他ならない。

 そうしていく内に、ベヒモスの攻撃が僕に届く。五つに一つだったヒットが四つに一つに、四つに一つだった攻撃が三つに一つに、その精度は徐々に上がっていく。

 ただ僕も漫然と攻撃を躱すだけではない。ベヒモスの拳のラインに剣を入れ、彼の拳の勢いを使って竹のように切り裂く。

 そのまま肩ごと切断をするが、しかし次の瞬間にはベヒモスの肩は元に戻っている。

 これだ。この再生能力こそが、最も厄介なのだ。どれだけダメージを与えようと、そんなことは関係ないとばかりに回復してくる。正直、理不尽だ。

 つまり、一撃必殺の、先程放ったアトミックよりも大きな一撃を叩き込む必要がある。

 しかし、それには二つ問題がある。

 一つは、ベヒモス自身がアトミックと同等レベルの攻撃を放てるということ。というか、先程から掠ってる攻撃は直撃したら僕でも即死しかねないものである。

 もう一つの問題は、僕の魔力がかなり損耗しているということだろう。先程のアトミックで相当量持っていかれたのだ。

 この二つの問題を越えて、先程と同等以上の一撃をベヒモスに叩き込む。中々どうして、異世界に来てからで一番苦しい戦いだろう。

 

「ふっ、だが、今の僕は前世のときとは違う」

 

 そうだ。あの頃の、日々どうすれば核に勝てるかを考えていた僕とは違うのだ。

 ──僕はもう、核を越えたのだ。

 今こそ、核爆弾のその先に行くときが来た。僕は、一発目のアトミック以来ずっと練っていた魔力を解放し──

 

「がうッ!」

「むっ」

 

 そうして、決意を固めた頃、横合いからデルタの"鉄塊"が差し込まれる。その"鉄塊"は今までと同じように、ベヒモスを吹き飛ばす。

 

「主!」

「ゼータか」

 

 そのままデルタがベヒモスを押し飛ばして、僕と彼の間を大きく開ける。

 そのすぐ後、ゼータが僕のことを呼んだ。

 この連携……まさか、デルタとゼータが協力を?

 

「主、実は──」

 

 僕の側に来て、ゼータがシェリー先輩のことや、アーティファクトのこと、封印に関してなどの作戦の概要を手短に話す。

 

「ふむ。そうか」

 

 僕は正直何を言っているかほとんど分からなかったが、とりあえず僕も思い付いていた風に頷いておいた。

 まぁ、要するに、

 

「ガツンと叩けばいいわけだ」

「えっと……いや、主がそういうなら、そうなのかな……?」

 

 よし、そういうことなら、僕の用意はできている。

 

「ゼータ。一分だ」

「……! 分かったよ」

 

□□□

 

「ワンちゃん!」

「わうっ!?」

 

 ゼータは二つのチャクラムを投擲する。それはそれぞれ孤を描きながら、ベヒモスの四本ある腕の内、二本を切り落とした。

 咄嗟的に身を屈めてそのチャクラムの軌道から外れたデルタは、後ろを振り返って威嚇する。

 

「メス猫! 余計なことはするな!」

「うるさい、バカ犬。一分だけだよ」

 

 ゼータは威嚇を続けるデルタの横に並び、ベヒモスを見据える。

 

「……分かったのです」

 

 その様子を見ていたデルタは、吐き捨てるように呟いた。

 

「バカ犬は嫌いだけど──」

「今だけは共闘してやるのです」

 

 デルタがそう言ったかと思えば、次の瞬間飛び出した。無骨な"鉄塊"に、呆れる程の魔力が込められる。彼女はその"鉄塊"を全力で振り抜いた、

 

「なっ!?」

 

 だが、その"鉄塊"は空を切る。空を切った分できた空白を埋めるように、ベヒモスが二本の右腕でデルタを殴る。

 

「これだからバカは……」

 

 しかし、その二本の右腕を二本の矢が射抜く。貫くには至らない攻撃だが、その軌道をずらすには十分な威力を持っていた。

 その結果、ベヒモスの拳は僅かにデルタを擦って空振った。

 それでも、容易に表面の肉を持っていくだけの威力を秘めたものではあったのだが、デルタはお構いなしに、体を無理に捻ることで"鉄塊"を使った燕返しをする。

 その一撃はベヒモスの顎に直撃し、その骨を砕いた。続けて、上に速度を持った"鉄塊"を振り下ろすよりも早いと判断し、デルタはシャドウ式回し蹴りを敢行する。回復中の顎に更に蹴りが入り、その首があり得ない方向に曲がった。

 

「ワンちゃん横っ!」

「うぐっ!?」

 

 だが、そうして本来なら致命傷であるはずの状態なのにも関わらず、無事な左手が正確にデルタを撃ち抜く。

 かろうじて、"鉄塊"によって攻撃を防ぐものの、デルタは高速で吹き飛ばされる。

 その後を追い、ベヒモスは彼女に接近するが、その軌道を遮断するように、剣閃が凪がれた。ゼータが割って入ったのだ。

 

「手が焼けるね」

 

 しかし、その剣は安々と躱され、逆にカウンターが来る。そのカウンターに対し、ゼータは霧となる。

 空を切る、という表現が正確かは不明だが、少なくともその拳はゼータに当たらない。黒い霧でベヒモスを包囲し、ゼータが現れては攻撃し、そして消える。

 流石のベヒモスも、その攻撃に翻弄されるが一旦動かなくなったかと思えば、その拳を地面に振り下ろした。

 それによって生まれた風圧が霧ごと吹き飛ばした直後、ゼータは姿を現した。あのまま霧の状態でいれば、拡散し過ぎて最悪元に戻れなくなっていたかもしれない。

 吹き飛んだゼータはゴロゴロと地面を転がる。起き上がろうとしたところで、黒い影が差した。

 

「まずっ……!」

「まったく、世話が焼けるのです!」

「ぐはっ」

 

 ゼータは腹を蹴られて更に吹き飛ぶ。何事かと見てみれば、彼女の元いた位置にはデルタがいて、"鉄塊"で攻撃を受け止めていた。

 

「蹴る必要はなかったでしょ……」

 

 肋骨が折れたかもしれない。

 

「さて、そろそろ──」

 

 もう一分くらいは稼いだのではないだろうか。そう思い、ゼータは振り返る。

 

「──時は来た」

 

 その期待に応えるように、その言葉は紡がれた。

 

「見るがいい。核を越えし力──アイ・アム──」

 

 爆発的な魔力がゼータの頬を撫ぜた。今までにない圧迫感。赤紫色の不思議な紋様が浮かび上がる。

 デルタもそれを察知してか、横に離脱した。

 

「──アンチマター」

 

 眩い光がゼータの視界を包んだ。

 全てが、蒸発した。

 




というわけで、アトミック(核)を越えたアンチマター(反物質)です。反物質爆弾というものですが、作者はよく知りません。核よりすごいらしいです。
因みに、体が吹き飛んだベヒモスは無事シェリーさんに封印されました。
次回(今週中には?)、シェリーさんをガーデンに引き込んで本章は終わりです。長かった……!


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一つの終わりと一つの始まり

ギリギリ年内ですね


 ガンマは報告書に目を通すと、大きく天を仰いだ。

 

「ガンマどうした?」

「何でもないわ」

 

 デルタはどこから持ってきたのか、謎の骨を噛んでいる。エルフであるガンマでは分からないが、どうやら骨に付いた肉の風味を楽しんでいるらしい。機嫌良さそうに尻尾を揺らしている。

 

「デルタ、あなたはもう王都に戻ってください」

「むっ、ガンマがデルタに指図するな!」

「これはアルファ様の命令よ」

「……分かったのです」

 

 本当はアルファからそのような指示がなされたわけではないが、最早デルタがここにいても仕方ない。ガーデンの最強の剣である彼女を遊ばせておけるほど、今のガーデンには余裕は無い。

 まだ一連の騒動は王都まで伝わっていないだろうが、アルファもきっと同じ判断を下すに違いない。

 

「ほら、早く行かないと怒られるわよ」

「うっ……! 早く行くのです!」

 

 デルタは持っていた骨をバリッと噛み砕いて飲み込むと、窓を破って出て行った。そう、破って出て行ったのだ。

 

「……はぁ」

 

 ガンマが二回手を叩くと、すぐにガーデンのメンバーが飛び散ったガラス片を片付け始める。

 それを見たガンマは、報告書を持ってきたニューに目をやった。彼女は昨日の戦いで右腕に大きな怪我をしたはずだが、今はもう治っている。まだ少しリハビリが必要であるが、日常的な動作は問題ないようだ。

 そんな彼女は今日の午後から早速仕事に復帰していた。

 

「ここに書いてあるのは本当ね?」

「はい。ガンマ様がシェリー・バーネットと共に派遣した者は、そのように証言しております」

「そう……裏付け調査は?」

「午前中は衛兵などがいてできなかったため、まだできておりませんが、変な騒ぎになっていないところを見ると……」

「確証は高いというわけね」

 

 昨夜、十番倉庫の内部にて大規模な爆発があった。その爆発はそこら一体を吹き飛ばすほどの威力を秘めていたものの、普段から使われてないのと、ガーデンによる封鎖で被害は少なかった。

 恐らくアーティファクトの暴走と公式には結論付けられるだろうそれを、誰がやったのかはガンマには容易に想像ができた。そもそも、あんなことができるのは、この世界には一人しかいない。

 あの爆発はベヒモスを倒す上で必要だったのだろう。それは分かる。だが、十番倉庫含め、あの空間ごと丸々吹き飛んだことにより、失った手がかりは予想以上に多い。

 いや、それでさえ、あるいは些細なものかもしれない。

 今度は先程よりは低い角度で、ガンマは天を仰ぐ。そして、長いため息を吐いて立ち上がる。

 

「十番倉庫跡を中心に、継続して調査なさい」

「承知いたしました。それで、ガンマ様はどちらに?」

「ちょっと人に会いに行くわ」

「……そうですか」

 

 ニューはその言葉だけで察したようで、何も言わず一礼した。

 ガンマはローブを纏い、持っていた報告書を机に置いて部屋を出た。

 置いていかれた報告書には一文、こう書かれていた。

 ──『ゼータ様、ディアボロスの右足ともに所在不明』。

 

□□□

 

 シェリーはふぅ、と息を吐いてベッドに寝転がった。暗い部屋には、カーテンの隙間から淡い月光が差し込んでいて、一つの筋ができていた。その光の筋が彼女の枕元に落ちる。

 ここは学術都市で彼女に与えられた自室である。

 あの出来事から、既に丸一日が経過したが、まだ彼女の中で消化できているとは言い難かった。それは、あそこで見たものが今までの彼女が知っていた世界からは、到底想像できないものだったからだ。

 シェリーには、シャドウの放った閃光以降の記憶がほとんどない。かろうじて覚えているのは、無我夢中でアーティファクトを起動させ、サイのような怪物を封じ込めたところまでだ。その後は、気づいたらこの部屋のベッドで寝ていた。今日は学校に行こうかとも思ったが、気力が湧かなかったのと、幸いなことに学校側の事情で講義が全て無しなったということもあり、シェリーは一日中引きこもっていた。

 

「サーテライトさん……」

 

 シェリーは、先日失ってしまった友人の名前を呟いた。その言葉は暗い部屋に静かに木霊する。寝返りを一つ打つと、月明かりが丁度目に入ってきて目を細めた。淡く静かなその光は穏やかで、シェリーは月と目が合っているような錯覚に陥った。

 サーテライトのことはガンマという少女から死んだと聞かされていた。あの空間に着いたときには、色々あって余裕がなかったのだが、せめてお別れぐらいは言いたかった。

 シェリーは今一度、ふうと息を吐いた。

 

「失礼するわ」

「わっ!」

 

 突然、窓が開いて黒い影が入ってきた。

 シェリーは咄嗟に起き上がる。

 

「えっと……」

 

 入ってきた人物は、その漆黒のフードを取る。月明かりに照らされて、藍色の長い髪と、エルフの特徴的な耳が見えた。

 この顔には見覚えがある。

 

「ガンマさん、ですか?」

「そうよ。私の言ったことは忘れてないわよね?」

「はい」

 

 彼女に、そして金色の獣人に、もう引き返せないと言われていた。

 シェリーは背筋を伸ばして居住まいを正した。妙に喉の渇きを覚えるが、唾をごくりと呑んで紛らわす。

 

「私はどうなるのでしょう?」

 

 もう引き返せない。その言葉にはいくつかの解釈ができるわけだが、シェリーはそれを自分が消されることと解釈していた。

 ガンマのいる組織がどのようなものかは分かりかねるが、表に出ていないような情報を手に入れたシェリーは殺されても仕方がない。あるいは、ルスランやサーテライトもそういった裏の情報を得たために殺されたのではないだろうか。

 

「……それはただの妄想、か」

 

 未だにシェリーの知らないところで何が起こっているのかは分からない。分からないが、その一端は見えてきた。そして、その一端だけでも計り知れないほど大きいということも、分かってきた。

 知れば知るほど、そこが知れない。そんなどこか科学と似通ったものが、ここにはある気がする。  

 

「あなたの質問に答える前に、一つ答えて」

「は、はい」

「あのとき、あなたが私に言った『知りたい』という気持ちに変わりはない?」

 

 ──知りたい。

 そうだ。シェリーは知りたいのだ。

 昨夜ガンマに言ったあの言葉に嘘はない。そして、その気持ちは揺るがない。

 もう何も、知らないところで失わないために。手遅れになる前に、行動するために。

 シェリーは、見えない未知の空白に立ち向かいたいのだ。

 

「……そう。変わってないみたいね」

「えっ?」

 

 まだ何も言っていない。シェリーはきょとんと首を傾げた。

 そんな彼女の呆けたような顔を見て、ガンマは相好を崩す。

 

「目を見れば分かるわ……さて。それではシェリー・バーネット」

「は、はい!」

「『シャドーガーデン』にようこそ。配属は追って伝えるけれど、一先ずは私の部下ということになるわ」

「は、はぁ……」

 

 正直、配属とか言われても分からない。そもそも『シャドーガーデン』にようこそとはどういうことだ?

 

「えっと、つまり、私はガンマさんたちの仲間になるってことですか?」

「そうなるわね」

「なるほど! そういうことですか!」

 

 配属というのは、どこかの研究室に所属するみたいなものだろうか。

 一人合点のいったシェリーは満面の笑みを浮かべる。

 

「これから、よろしくお願いします!」

「……えぇ、よろしく」

 

 ガンマは少し頭が痛いとばかりに頭に手をやるが、シェリーがそのことに気付くことはなかった。

 この日、シェリー・バーネットは『シャドーガーデン』のメンバーとなった。

 




というわけで、シェリーさんはガーデンの一員となりました。まぁ、普通のメンバーではなく、イータと共に技術・研究職となるでしょう。

さて、これにて七章も終わりということで、事前に伝えていた通り(活動報告)、一月〜二月いっぱい活動を休止致します。三月くらいから活動を再開したいなぁと思っております。

それでは、良いお年を!


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デルタ帰還!

どうもお久しぶりです。まずは明けましておめでとうございます、でしょうか。少し遅めですね。


 夜の帳が下りる中、デルタは森の中を走っていた。冬という季節故か、うるさい虫の声は聞こえず、生物の気配もだいぶ少ない。

 だが、いるところにはいるもので、デルタの鋭い五感は確かに獣の存在を捉えていた。向こうもデルタの接近に気付いたようで、のっそりと動き出した気配がする。この気配は、熊か。

 この時期に起きているとは珍しい。デルタは特に何も疑わず、そう思った。

 これはデルタが知る由もないことなのだが、冬眠中だった熊は、あまりにも強烈な気配を放つデルタに驚いて、目を覚ましてしまったのだ。その正しく野生の勘で、危険を察知したのが、熊にとっては逆に仇となる。寝ていれば気づかれなかっただろうに、起きてしまったがために、デルタに感知されてしまったのだから。

 熊は咄嗟に逃げようとするも、もう遅かった。デルタの爪は、もう熊の首に届いていた。

 

 デルタは倒れた熊を見下ろしていた。傷口からどくどくと溢れる鮮血も、次第に勢いを弱めていく。もわっと広がる鉄の香りに、いつもなら達成感や征服感が込み上げてくるところなのだが、今日はどうにも調子が悪い。何だか、胸の辺りにモヤッとしたものがあって、それが胸に広がる高揚感を押し留めている気がした。

 

「きっと、お腹が空いているからなのです」

 

 デルタは手際良く皮を削いでから、生肉に齧り付く。

 不味くはないが、美味しくもなかった。

 

□□□

 

「デルタ戻った!」

 

 バンっと勢いよく扉を開けながら、デルタは入室する。ぎょっとした顔で何人かが振り向くが、この部屋の主──アルファは何でもないようにゆっくりと顔を上げた。

 

「早かったわね。ガンマは?」

「ガンマはまだあっちにいるのです!」

「あなただけ戻ってきたのね。何かあったの?」

「えっとー……」

 

 デルタは頭に手を当てながら考える。ラワガスを発ったのはいつだったか。スポンジのようにスカスカで、なのに吸収性に難アリの脳みそをフル回転させる。

 

「ボスと会った!」

「彼と? やっぱり何かあったんでしょう?」

「それで、狩りした!」

「そう。それで、何があったの?」

「なんか牛みたいなのもいた! デルタとボスで狩った! 強かった!」

「牛? ちょっと分からないけれど、彼が動いたのなら、何かあるわね」

 

 本当はゼータやシェリーもいたはずなのだが、デルタにとって重要ではないので、頭から完全に抜けていた。因みに、牛ではなく、サイのような見た目だったのだが、そこもデルタにとっては些事なので、頭から完全に抜けていた。

 アルファは何やら紙にすらすらとペンを走らせた後、それを近くにいた部下に渡した。

 

「そう言えば、ゼータの様子はどうだった?」

「メス猫は……」

 

 デルタの尻尾と耳がピンっと伸びる。両手五本の指と指を合わせて、こねくり回していた。

 

「デルタにはよく分からないのです……」

 

 それは普段の彼女とは違う困惑と不安の入り混じった声音だった。

 デルタは耳を伏せて、尻尾を垂らしながら拙い言葉で更に続ける。

 

「デルタはバカだけど、この群れがボスのために盗賊狩りしてるのは知ってるのです。それだけじゃなくて、みんなボスが好きなのも知ってるのです」

 

 デルタのシャドウ・ハーレム計画では、強い女を沢山集めることになっている。そのとき、大部分が"この群れ"から入ることになるだろう。

 

「メス猫も……ゼータも、他のみんなと同じ匂いがするのです。猫臭いけど」

 

 言いたいことは伝わっただろうか。あまり伝えるということが得意でないデルタは、いつになくもじもじとして、アルファを見る。

 その様子を見たアルファはふっと相好を崩す。

 

「あなたの言いたいことは分かったわ」

「そ、そうです?」

「えぇ。それより、あなたは帰ってきたばかりで疲れてるでしょう。少し休みを取ったらどう?」

「大丈夫なのです! デルタは、元気ピンピンなのです!」

「元気満々でしょう。言葉は正しく使いなさい」

「ほら、尻尾もピンピンしてる!」

「それはブンブンでしょう」

 

 アルファはそうツッコミながら、手元の資料をパラパラ捲る。そして、引き出しから地図を出すと、

 

「じゃあデルタ、ここに"盗賊"の拠点があるから、お願いできる?」

「任せろなのです!」

 

 そう言って、デルタは窓の方へと走り出す。その直前上の窓を、部屋にいた一人が素早く開けた。流石に手慣れている。

 

 地図を持たず、ろくに見もしなかったデルタが道に迷ったのに気付いたのは、それから半刻後だった。

 

□□□

 

「道に迷ったのです……」

 

 デルタは再び森の中を歩いていた。スンスンと周囲の匂いを嗅いでみるが、人の気配は全くない。

 適当に走っていれば、見つかるだろう。

 

「うん? この匂いは……」

 

 再びスンスンと鼻を鳴らして嗅いでみると、覚えのある匂いがしてきた。高速でこちらに近づいてきている。デルタも、全力で駆け出した。ブンブンと尻尾を振りながら。

 

 向こうもこちらの接近に気付いたのだろう。足を止めた。デルタは構わず全力でダッシュする。

 

「ボスー!」

「やっぱデルタか」

 

 直前にしっかり勢いを弱め、ボス──シャドウに飛びついた。

 

「どーどーデルタ」

「えへへっ」

 

 頭を撫でられたデルタは嬉しそうに笑う。抱き着いたついでに、マーキングもしておこう。

 

「やめろ」

 

 だが、マーキングしようとした瞬間、強い力によってデルタは引き離されてしまった。

 

「ボス! なんでここにいるのです?」

 

 確か、デルタがラワガスを出る少し前、ボスはまだ学校があると言っていたのだ。実際、彼は今学園の制服を来ている。

 

「うん? あぁ、この前の騒動で留学が終わったんだ。やることは、もうほとんど終わってたしね。それで、帰って来る道中に、近くに大きな盗賊がいるって話を聞いたから、宿から抜け出してきたんだ」

「うーん?」

 

 言っていることの意味がよく分からないので、デルタは首を傾げた。首と一緒に尻尾も傾げている。

 まぁ、なんであれ、盗賊狩りに来たのは間違いないようだ。

 

「デルタも狩りする!」

「いいけど、何かやることがあったんじゃないの?」

「アルファ様に盗賊狩れって言われてる!」

「なるほど。じゃあ、同じところなのかな? 場所は分かる?」

「分かんない!」

「そうかぁ。僕も大体の場所しか分からないけど、まぁ行けば分かるか」

 

 何やら一人で納得したらしいボスは、「よし行こう」と前を行った。

 

□□□

 

 結局、盗賊の拠点があったのは、ボスと遭遇したところから、街を挟んだ反対側であった。

 そこにいた盗賊たちを一人残らず討伐し、今はボスが戦利品を漁っているところである。ボスは、機嫌良さげに鼻歌を歌っていた。

 

「こっちは無理かな。絵画は捌けないし……おっ、こっちの宝石なら、質屋で高く売れそうだ」

 

 デルタは積み上げた死体の上に座ってその様子を眺めていた。

 

「ボス」

「うん? なに?」

「その鼻歌は?」

「あれ、前に教えなかったっけ? ……いや、確かあれはゼータに教えたんだったかな」

 

 何故か聞き覚えがあったのは、ゼータがよく歌っていたからか。

 デルタはその鼻歌を聞きながら、下を見た。そこには、理由の分からない内に殺され、無理解の表情を浮かべた死体たちがあった。

 いつもはそれを見て多幸感を覚えるデルタは、しかし、このとき彼女の胸中には、そのようなものが芽生えなかった。むしろ、ただ漠然とした掴みどころのない不安が波のように打っては引き、打っては引きを繰り返していた。

 ──いつもとみんな違う。

 デルタが報告に行ったときの感想がそれだった。正確にどこが違うのかは判然としないが、彼女は肌でそう感じたのだ。そして同時に、その違う理由がゼータにあることも、デルタは感じ取っていた。

 ラワガス遠征。アルファには、ゼータと戦うかもしれないと言われていた。デルタはそれを"何かやらかしたゼータにガツンと怒りに行く"のだと思っていたのだ。だから、それが終わればいつも通りになると考えていた。

 だが、結果は戦わなかったのに、ゼータ関連でピリピリしている。そのピリピリは──まるで敵に向けるようなものだった。

 

「ボス、メス猫は大丈夫かな?」

「ゼータ?」

 

 ボスの漆黒の瞳がデルタを捉える。絡み合うように視線が交わり、音がなくなる。まるで深い闇の中に吸い込まれてしまったかのような錯覚を、ふっと笑う声が断ち切った。

 

「大丈夫だ。彼女にも考えがある」

「……そうですか。そうです! まったく、あのメス猫は世話が焼けるのです!」

「あっ、デルタ。いいかい。ちゃんとアルファに伝えとくんだぞ。『ここにはお宝はなかった』って」

「分かったのです! 一言一句、全部ちゃんと伝えるのです!」

「よし良い子だ」

 

 頭を撫でられ、デルタはえへへと笑う。そして、彼らは盗賊の拠点を後にした。

 

 尚、アルファへの報告で「ボスは『いいかい。ちゃんとアルファに伝えとくんだぞ。ここにはお宝はなかったって』って言ってたのです!」と言ったのはまた別の話である。




活動報告にも書きましたが、3月、4月はそれなりに余裕がある見込みなので、いつもより沢山書いていきたいなぁ(願望)と思っております。 
次から八章となります。一話目はプロット作るので少し遅れます。


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八章 ガーデンの内乱
各陣営の動き


八章スタート!


「シド君、ヒョロ君遂にこの時期が来ましたね!」

 

 いつも通りの学校、いつも通りの昼食の席でジャガが目を輝かせながらそう言った。

 僕は日替わり定食の貧乏貴族コースをつつきながら、何かあったかと考える。

 ……いや、あった。それも一大ビックイベントだ。

 

「ん? ジャガ、何があるって?」

「分かってませんねぇ、ヒョロ君は」

 

 ジャガはチッチッチと人差し指を振って三回舌打ちをする。そのドヤ顔は、いつも通り鼻につくものだ。狙ってやっているのだろうか。

 

「卒業式ですよ、卒業式!」

 

 ジャガは大げさに机をバンッと叩いて、立ち上がる。周囲の視線が一瞬集まるが、いつものことか、とすぐに視線は散っていった。

 そうだ。卒業式があるのだ。

 貴族には、ミドガル魔剣士学園に十五歳から三年間通う義務がある。つまりだ。今年十七歳になる人物は卒業することになるのだ。例えば、ローズ先輩のように。……いや、彼女は中退しているから関係ないか。

 コホン。話を戻そう。

 そう、十七歳になる者は卒業するのだ。そして、僕の姉クレアは今年で十七歳になる。すなわち、姉さんはこの学園から卒業し、来年度からは僕の生活(モブライフ)に平穏が訪れるのだ!

 僕がそうやって一人嬉し泣きしている横で、ヒョロが怪訝な顔つきになっていた。

 

「あぁ、卒業式か。そんなものもあったな。それがどうしたんだ?」

 

 確かにそうだ。あくまで姉さんの卒業が嬉しいのは、僕だけだ。いわば、超局所的ハリケーンな姉さんの被害を受けるのは僕だけであり、他の生徒──それこそ、何の関わりもないジャガには関係ないイベントではないだろうか?

 僕とヒョロ、二人の訝しげな様子を見て、ジャガはやれやれといった風に肩を竦めた。

 

「これだからお子様は……いいですか? 卒業式といえば当然あるでしょう! あのイベントが!」

「なんだ? ……おっ、分かった。手で作ったアーチを先輩が通るときに、わざとよろけてラッキースケベを狙うんだな?」

「むっ、それはいい案ですが……いいえ、不正解です。僕が言いたかったのは、第二ボタンの交換というイベントですよ!」

「ほう……」

 

 ヒョロの目が細められる。

 

「詳しく」

「いいですか? まず大前提として、僕たちはいい男です」

「そうだな」

「そうかな」

「そうです。つまり、必ず先輩たちの中に、僕たちを狙っている人がいます」

「そうだな」

「いないと思うけど」

「……彼女たちが僕たちに会えるのは恐らく最後。だから、せめてもの慰めと僕たちのボタンを欲しがるでしょう」

「そうか!」

「いや、それは絶対ないよ」

「後は、その場の流れで上手くやれば、ベッドイン間違いなしです!」

「おぉ!」

 

 何やら盛り上がっているところ悪いのだが、その展開だけは絶対に起こり得ないのだ。

 なぜなら、

 

「この制服のどこに、渡すボタンがあるの?」

「あっ」

「あっ」

 

 つまり、そういうことだ。

 

□□□

 

 冷たい風がシータの頬を撫ぜた。眼下には淡い星々の光が点々としている。もう、街も眠る時間帯だ。

 風が目に滲みる。シータは薄く目を細めた。その隣に人影が一つ立ち並ぶ。

 

「シータ、やっぱり気付かれたみたい」

 

 その声音はどこか寂しげで、また儚げなものでもあった。

 

「思ったより早かったよ……もう少し誤魔化せると思ってたんだけど」

「アルファ様はやるならとことんやる。もうお日様の下を、堂々と歩けない」

「別に構わないよ。だって、私たちは陰で生きてるんだから。今までと何も変わらない」

 

 シータはふっと息を吐く。白い吐息が風に流され、消えていった。

 

「そうだね」

「しばらくは、王都に留まるよ。ここに左足があるって情報があった」

「それ本当?」

 

 王都からは既に、右腕を回収している。同じ都市に二つもあるだろうか。

 

「分からない。けど、真偽を確かめる意味でも、留まる価値はある」

「分かった……ウィクトーリアは?」

「ちょっと所用で他に行ってもらってる。もうすぐ帰ってくるよ。多分」

 

 そのとき、一陣の突風が吹いてきた。遠く彼方の空から流れ着いたこの風は、轟々と耳障りな音を置いて、また飛び去っていく。

 後には無機質な石の冷たさが残るばかりで、他には何もない。まるで、何もかも突風に攫われてしまったかのように。

 

□□□

 

「どうやらゼータたちは潜伏したようです。アルファ様」

 

 人払いをして、ガンマが告げた内容はそのようなものだった。

 

「そう……」

 

 アルファは自分の顔が強張るのを感じる。これで、完全に退路は断たれてしまったのだ。

 

「もし、素直にここに来て、私たちにちゃんと説明してくれたのなら……私はきっと、彼女のことを信じられたわ」

 

 アルファは暖炉で燻る燃えかすを見て言った。その言葉は、ふと口をついて出たのか、あるいは自分に言い聞かせたのか。

 重い沈黙が、室内に舞い降りる。

 

「えぇ、分かっております」

 

 ガンマに言えたのは、それだけだった。

 

「それで、いなくなったのはゼータだけ?」

「いいえ。彼女の他には、シータや559番含め数名がいなくなっています」

「そう。あの子たちも……」

 

 他にも裏切り者がいると聞いても、アルファの心に波は立たなかった。

 最早決心しなければならないだろう。怒りに任せてではなく、ちゃんと覚悟を決めて、彼女たちを断罪するのだ。

 これが本当に、最後の決心である。

 ふぅーと目を瞑って大きく息を吐く。机の上にあるマグカップを手に取った。

 

「あら?」

 

 だが、仄かな柑橘系の香りがするだけで、中には何も入っていなかった。

 

「私が淹れてきましょうか?」

「いえ、今日はこの後すぐ休むから必要ないわ」

「そうですか。どうかご無理はなさらずに。アルファ様はすぐ仕事を溜め込みますから」

「えぇ、分かってるわ。あなたも適度な休憩はしなさい」

「分かりました」

 

 ガンマは分かっていますよ、と言わんばかりな口調で言った。余計なお世話だっただろうか。

 そこでほっと空気が弛緩した。先程とは違った穏やかな沈黙に包まれる。

 そんな中で、廊下を慌ただしく走る音が響いてきた。何事かと二人の視線が扉に集中する。バンっと勢いよく扉を開けたのは、ニューだった。

 

「し、失礼します!」

「そんなに慌てて、どうしたの?」

「それが……」

 

 ニューは彼女にしては珍しく、表情を曇らせている。それだけ、悪い情報なのだろう。

 そう検討を付けて、アルファは報告を待った。

 

「先程、常連客の方から聞いた話なのですが……どうやら、近頃市井に"『ミツゴシ商会』は悪の秘密結社と裏取引している"という噂が流れているそうです」

「……! まさか、『ミツゴシ商会』と『シャドーガーデン』の関係が露出したの?」

「それは今から調査します」

 

 ニューは優秀だ。既に調査は始めているだろう。

 

「ですが、もし噂の発信源に教団が関わっているのならば、そう見るべきでしょう」

 

 ガンマはそれを察して、調査方法については触れずに私見を言う。

 

「……そうね。まったく、よりによってこんな時期に」

「とにかく、まずは噂の確認と、その源を辿ろうと思います」

「そうして頂戴、ニュー」

 

 ニューは頭を下げて、今度は走らずに去っていく。

 

「……しばらくはゆっくり休めなさそうね」

「そうですね」

 

 二人は口元に微かな笑みを湛えた。それが現状の余裕から来るものではないことは、双方理解している。むしろ、これから起こるであろう未知の障壁に対して挫けないように、繕って己を鼓舞しているのだ。

 故にアルファは、全く不安を感じさせない口調で言った。

 

「ガンマ、紅茶を淹れてきてくれる?」

「承知しました」

 

 ガンマも鉄壁の微笑みを以てそう返答したのだった。

 

□□□

 

「ククク、順調に噂は回っているようだな」

「流石です。月丹様」

 

 月丹は上げられた報告書を見て、満足そうに頷いた。衰退し縮小した『大商会連合』の長カーターはそれに追従する。

 

「あの忌々しい『ミツゴシ商会』を崩すのに、あんな嘘をばら撒くとは……信用が大事な商売において、これは嫌な攻撃です」

「ふん、何も完全な嘘というわけではない」

「と、言いますと?」

 

 『大商会連合』は昨年の秋に『ミツゴシ商会』に対抗するためにできた組織だ。当初の予定では、信用創造の隙をついて連合諸共、『ミツゴシ商会』を倒すはずだった。

 しかし、突然フェンリルが死亡し、月丹属するフェンリル派が揺らいでしまったのだ。それで、その計画は白紙に戻り、連合の勢力はだんだんと縮小していったのだ。

 その一連の騒動の中で、連合は傭兵を雇い『ミツゴシ商会』の馬車を何度も襲撃している。普通の行商人に対しては効果があったそれは、しかし、『ミツゴシ商会』直下の馬車に対しては効果がなく、傭兵は全て壊滅していたのだ。

 つまり、『ミツゴシ商会』は相当な武力を持っているということだ。聞く話によれば、無法都市の『妖狐』ユキメも傘下になり、急速に勢力を伸ばしている。

 彼らの裏には何かいる。それが、月丹の結論だった。

 月丹はカーターの問いには答えずに、立ち上がる。

 

「夜剣の連中に連絡は取れたか?」

「は、はい。前向きに検討するとのことです」

「そうか」

 

 月丹はその顔に獰猛な笑みを浮かべる。

 ──さぁ、第二回戦だ。俺はお前たちを踏み台にして、ラウンズになるぞ!

 

 ここに、『ミツゴシ商会』対『大商会連合』の第二回戦が始まったのだった。

 




三つ巴の形になりました。月丹はフェンリル派残党をまとめたようです。
この章は長くなりそうですね……無駄話はなるべく削ぎたい所存です。


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この風を見よ

 その日はぽかぽかとした、とても心地よい日和だった。冬も終わりを告げて、ようやく春が始まるといった感じだ。

 今の僕は風のない海のように、心が和いでいた。まさに菩薩である。

 

「……って、聞いてますか。シド君」

「うん? ごめん、考え事してた」

「まったく、なにぼーっとしてんだ」

 

 ガタンゴトンと規則的な揺れが体を震わす。今は電車で通学中だ。車内は多くの人々により埋め尽くされていて、押しくら饅頭状態だった。

 

「それで、何の話だっけ?」

「『ミツゴシ商会』の話ですよ。最近不穏な噂が流れているんです」

「へーどんな?」

「なんか怪しい組織と繋がりがあるんだってさ。みんな言ってるぜ」

「へー」

 

 怪しい組織か。彼女たちも大きくなったから、そういったヤの字の人々とか、裏の組織とかと繋がりを持ったのだろう。

 まぁ、やり過ぎないでくれればいいけど。

 

「この前も『大商会連合』傘下の店が襲撃されたとかで、連合はピリピリしていますね」

「あぁ、あの『ミツゴシ商会』の商品をパクってた店の話か? 市場に高値でレプリカが出回ってるから商会長が怒ったって話聞いたぞ」

「怒ったの?」

 

 ガンマが怒るとは珍しい。そう言えば、あんまり見たことがなかったっけ。いつもクールビューティーなできるウーマンって感じ出してたし。

 でも、確かに誰かに無断でパクられるのは良い気分がしない。僕だって仮に『シャドーガーデン』を騙る奴がいたとしたら、やっぱり許さないだろう。ガンマの怒りもさもありなんだ。

 

「そうそう、で──ひっ」

 

 と、そこで電車がカーブをする。遠心力によってジャガがよろけた。そして、誰かの足を踏んでしまったのだろう。強く睨まれて声にならない悲鳴を上げていた。

 

「おいおい。今日始めて電車に乗ったんじゃないんだぜ? カーブするタイミングくらい覚えとけって──ひっ」

 

 腕を組んで語り始めていたヒョロは、かけられたブレーキによって前につんのめる。そして、誰かの足を踏んでしまったのだろう。「チッ」という舌打ちをされ、声にならない悲鳴を上げていた。

 どうやらもうすぐ駅に着くようだ。

 

□□□

 

 放課後、寮の自室に戻るとアルファが来ていた。

 彼女はソファから立ち上がると、僕の顔を見て笑った。

 

「久しぶりだ」

「えぇ、久しぶりね」

「何かあったの?」

 

 僕が魔剣士学園に入学してからというもの、アルファと会う機会はかなり減った。彼女と会うのは大体面白いイベントが起こる前か最中だった。

 今回も、何か面白いイベントがあるのかもしれないと、僕は少し期待する。

 

「街に出回ってる話は聞いたかしら?」

「話? あぁ、『ミツゴシ商会』の噂のこと?」

「えぇ、そうよ。やっぱり聞いているようね」

 

 アルファは物憂げにため息を吐いた。

 僕は構わずに制服をハンガーにかける。

 

「『大商会連合』が動き出したのよ」

 

 その様子を眺めながら、アルファは話し始める。

 

「もしかしたら、向こうはガーデンと『ミツゴシ商会』の関係を見抜いたのかもしれない」

「ふむ……」

 

 なるほど。ここで『シャドーガーデン』と噂を関連付けるのか。確かに、噂ではヤの字の方々と関わりがあるって言われてたっけ。アルファも今回はだいぶ練ってきているようだ。

 着替え終わった僕はキッチンでお茶を淹れてアルファに出した。一応彼女もお客様だからね。

 アルファは「ありがとう」と言って、一口啜る。

 

「ちょっと渋いわね」

「葉っぱだからね」

 

 イプシロンが淹れてくれたお茶にはこんな渋みはなかったんだけど。不思議だ。葉っぱが違うのか。うん、きっとそうだ。そうに違いない。

 

「それで、アルファはどうするの?」

 

 アルファはゆるゆると首を振る。

 

「この件に関しては、全面的にガンマに任せたの。彼女なら上手くやってくれるはずよ」

「だろうね。ガンマは昔から頭がいいから、こういうのは得意そうだ」

「ふふっ、ガンマに伝えておくわ」

 

 うーん、アルファから『ミツゴシ商会』の動きが聞ければ、いい感じに介入できると思ったんだけど。

 というか、ふと思ったんだけど、何故アルファは全部ガンマに任せてるのに僕に話をしに来たのだろうか。いや、多分違う。本題は別にあるのだろう。そっちが、アルファが抱えている案件ということだ。

 僕は足を組んで声を落とす。シャドウモードだ。

 

「……それで、本題は?」

「察しがいいわね。本題は──ゼータのことよ」

 

 本題を告げたとき、アルファの表情に一瞬変化があった気がした。しかし、僕の魔力で底上げしまくった動体視力を以てしてもそれがどんな表情だったかは分からない。気のせいだったか。

 

「ほう……」

 

 ゼータめ、また何かサボったのか。昔はよく、彼女がサボらないように言ってくれとアルファに頼まれていた。

 まぁ、僕は基本的に放任主義なので、注意したことはなかったんだけど。

 

「彼女は彼女なりに考えている」

「……やっぱり、何か知っているのね。あの子があなたを裏切るとは思えない。でも、ガーデンからは明らかに離反した」

 

 何か悪い結論にでも至ったのか、アルファが沈痛な面持ちになる。いや、待て。涙目になっている。

 僕は考えた。こういうとき『陰の実力者』ならどういう言葉をかけるべきかを。部下に対してかけるべき言葉は──

 

「……大丈夫だ。何も問題はない。万事順調だ」

 

 『陰の実力者』に失敗はない。同様に負けることもないし、計算外もない。

 『陰の実力者』は全てを見通し、最強でなければならない。

 僕はあえてアルファには視線を向けず、沈みゆく夕日を眺めた。誰だって、自分が泣いている顔は見られたくないだろう。

 少しの間、静寂が訪れる。衣擦れの音すらしない静けさだ。夜が近い。

 

「……分かったわ。私はどんなことがあっても、最後まであなたを信じる」

「それでいい」

 

 僕はスライムスーツに着替えて窓辺に立つ。こうすると、入ってきた風でいい感じにコートがなびくのだ。だが、今は無風状態でそうならなかった。

 仕方がないので、僕は魔力によって自力で風を生み出す。ぶわっと室内に、冷たい風が渦巻いた。ついでに、風に強弱も付けてみる。

 

「相変わらず卓越した魔力操作ね」

「ふっ……」

「それじゃあ、私はもう行くわ」

 

 そう言うと背後からアルファの気配が消えた。まるで霧になってしまったかのように、ふわっと消えたのだ。

 いいな、僕もやってみたい。どうやるんだろう。

 

「……もう風はいいか」

 

□□□

 

「まったく、随分と賑やかになったね」

「フェンリル派の残党が動いてるみたい」

「それは知ってる」

 

 ここは地下用水路の、かつてアレクシアが囚われていた部屋である。流石の『シャドーガーデン』の監視も、迷路のようになっているここまでは及んでいないのだ。

 

「助けに行くの?」

「……いや、動けば流石にバレる。それに、残党程度なら敵じゃないでしょ」

「そう。……そう言えば、『十三の夜剣』も動き出したみたい。『ミツゴシ商会』を潰そうとしてる」

「それは、結構まずいかもね」

「うん、まずい。でも、夜剣と連合の癒着の証拠があれば、向こうも揺らぐ……かもしれない」

「……なに?」

「シータは潜伏苦手だから」

「……。分かったって。私が行くよ」

 

 ゼータは大きく息を吐いて、両手を上げる。降参ポーズだ。

 

「そう。ゼータが行くって言うなら仕方ない」

「まったく……集めたアレの管理は?」

「ウィクトーリアに任せた。血の気が多いから、頭を冷やすべき」

「じゃあ、シータはなにするの?」

「キツネさんに会いに行く」

「あぁ、そういうこと。バレないようにね」

「大丈夫。シータは潜伏が得意だから」

「どっちなの……はぁ」

 

 シータといると妙に疲れる。まぁ、悪い気はしないが。

 

「じゃ、行ってくる」

「ん。行ってら」

 

 本当に、世話の焼けるやつらだ。

 



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大体合っているけど、結構間違っている仮説

 ゲーテ・モーノ伯爵は山のように積まれた資料や報告書を見て今日何度目かになるため息を吐いた。夜も深くなってくる頃、慢性的な寝不足で鈍い頭には、『ミツゴシ商会』の最高級コーヒーが一番しみる。

 すっかり冷たくなったコーヒーを一口啜る。

 

「冷めて尚この香り。流石はミツゴシだ」

 

 仕事に忙殺される中において、この味だけが彼の心のよりどころだった。

 何故彼がここまで仕事に追われているのかと言うと、『十三の夜剣』の長であるブラッド・ダクアイカン侯爵から直々に仕事を任されたからだ。あるいは、押し付けられたと言ってもいい。

 

「もうこの味が飲めなくなると思うと寂しいものだな……」

 

 『大商会連合』が完璧に模倣したと言って品を出回らせているが、イマイチこの香りを再現できていない。冷めると風味が飛んでしまうのだ。

 カップを置き、手近な紙を一枚手に取って眺める。長時間細かい文字を眺めていたせいで、目が横滑りするが思考は未だ健在だ。内容をほとんど入れないままに、ゲーテは思案する。

 今、彼の下に集まっている情報は全て『ミツゴシ商会』に関するものだ。伯爵であり、検察でもある彼は噂を上手く使った尤もらしい証拠を作って、『ミツゴシ商会』を有罪にしろと言われていた。噂とは大まかに言えば、あの商会が裏組織と結託して悪事をしているというものだ。

 

「裏組織か……やはり『無法都市』関連にするのが無難か。いくつかツテを使えば証拠もでっち上げられる」

「ふーん、なるほどね」

「……っ! 誰だッ!?」

 

 ゲーテは叫びながら周囲を見回す。だが、人影は見当たらない。

 当然だ。この部屋には誰もいないはずなのだから。そもそも、屋敷中に手練れの護衛や衛兵だちがいる。侵入できる者などいないはずなのだ。

 聞き間違いだったのだろうか。疲れ過ぎて幻聴を聞いたのかもしれない。

 そう納得したゲーテは、はたとおかしなことに気付いた。何故、あれだけ大きな叫び声を上げたのにも関わらず、外から護衛が顔を覗かせないのだろうか。扉のすぐ前にいるのだ。よもや聞こえなかったということもあるまい。

 もし、サボって眠ったりしていたのなら、『ミツゴシ商会』より先に断頭台の上に送ってやる。

 ゲーテがそんな益体のないことを考えていると、背後に気配を感じた。気配を感じたのに、振り向くのが躊躇われる。それほどのプレッシャーが、ゲーテに叩きつけられていた。

 

「これが偽造の証拠、ね」

 

 それは女の声だった。後ろでぺらりと紙の捲られる音がする。誰かがいるのは明らかだった。その姿を少しても見ようと、僅かに目を向けたときだった。

 突然、耳が熱を帯びる。熱い。熱すぎる。

 理解できない状況に、まずはその現況である耳に手を伸ばそうとしたとき、首筋を温かなものが流れた。

 それが何かを理解したくないゲーテは完全に硬直する。

 

「他に何か偽造したものはある?」

「い、いや、ない。それもまだ作っている最中だ」

「そ。これ命令したのは?」

「……ブラッド・ダクアイカンだ」

「そっか。じゃあそっちにもお邪魔しないとね」

 

 背後にいる人物が笑った気配がした。ゲーテは向こうが動くまで何もできない。それが分かっているからだろう。背後の人物は、余裕の雰囲気で鼻歌まで歌っている。

 

「それ、『ミツゴシ商会』のだね。好きなの?」

「……あぁ」

「良いの作るからね。彼女たちは」

「お前は一体何者なんだ?」

 

 誰にも気づかれることなく護衛を無力化するほどの手練れ。そんな存在が、表でも裏でも有名にならないはずがない。だが、ゲーテの脳裏にこんな芸当が、単独でできる者は見当たらなかった。

 

「さぁ。なんだと思う?」

「……あの噂は本当だったのか」

「あぁ、あれ。大体当たってる。私は違うけど」

 

 私は違うけど。その言葉の真意を考える前に、背後の人物は言った。

 

「君、こっちに付きなよ。『十三の夜剣』じゃなくて」

「何を言っている」

「いつまでも末席で仕事押し付けられるのは嫌でしょ? だからこっちに付きなよ」

「……こちらにどんなメリットがある?」

「今死なない」

 

 ぎゅっと心臓を握られている錯覚に陥る。腹の下が異様なほどに冷え込んだ。

 この状況で、最早答えは一つしかないだろう。だが、答える前に一つ確かめねばねらないことがある。

 

「そっちに何のメリットがある?」

「王国の中枢にツテが欲しい」

 

 背後の人物は考える素振りも、気負う素振りなく言った。

 だが、納得が行く部分もあった。裏の社会に生きる彼女にとって、表で使える駒が欲しいということだろう。

 しかし、その答えならその答えで、また疑問が生まれる。

 

「それなら、ダクアイカン侯爵を取り入った方が早いだろう」

「向上心がないのは使えない」

 

 さっぱりとした答えたった。要は、お互いを利害関係に置くことで、裏切らないようにしたということだ。

 

「……分かった。私はそっちに付くとしよう」

「ん。じゃ」

 

 ふと耳に触れられたかと思うと、気配が消えた。本当に突然に。

 そして、何よりも驚いたのが、耳が元通りになっていることだった。血は残っているが、痛みは疎か怪我をしたという事実までも女と一緒に霧散してしまったかのようだった。

 

「私はこれからどうなるのだ……」

 

 未来に対する不安と、それと同じくらいの期待がゲーテの心を占めた。

 窓から見える眠りについた街は、とても暗い闇に覆われていた。

 

□□□

 

「何が起こっているッ!?」

「ひぃっ」

 

 月丹が感情のままに拳を振り下ろすと、ドーンと凡そ木が奏でない音を立てて机が粉砕された。その破片がカーターの頬を撫で、赤い線が横一文字に書き足される。

 しばらく荒い息で固まっていた月丹は、何度か深呼吸をした後に無事だった椅子に座り直す。それを見て、ガーターはおっかなびっくりに報告を続けた。

 

「さ、先程も申し上げました通り、ブラッド・ダクアイカン侯爵が捕まりました」

「罪状は?」

「それが、かなりの数でして……順当にいけば、極刑は免れないと思います」

「検察はゲーテなのだろう? 何とかならんのか」

 

 月丹の問いに、ガーターは答えにくそうに口を歪める。

 

「流石にコネで何とかなる範囲を逸脱しています。それに、当のゲーテ・モーノ伯爵はかなりやる気のようでして」

「ちっ、こんなときに権力争いか」

 

 月丹はこめかみに手を当て、軽く揉む。現在の苛立ちは最高潮だ。ガーターの顔がどんどん青くなっていく

 

「夜剣は揺らいだとはいえ、まだ十二人残っている。例の件はどうなった?」

 

 その問いによって、ガーターの顔が青を通り越し白となる。血の気の失せたその顔は、死人と言われても誰も疑うまい。 

 

「いえ……夜剣のメンバーは謎の襲撃者により半壊しています。恐らく実行は困難かと」

「なんだと? 奴らの中には武闘派もいたはずだが」

「その武闘派がまとめて一掃されました。加えて、その事件の嫌疑もダクアイカン侯爵にかかっています」

「そんなことがあるわけ……」

 

 少なくとも、ダクアイカン侯爵にそれをするメリットはない。であるならば、これはダクアイカンに見せかけた第三者のがやったことだろう。

 だが、夜剣の武闘派をまとめて一掃できる勢力など、いるはすが──

 

「いや、いる」

「は、はい?」

 

 困惑顔のガーターを差し置いて、月丹は思考する。

 元々考えていた仮説。『ミツゴシ商会』は何らかの組織と繋がっているというものだ。月丹は、それが『無法都市』やベガルタの傭兵崩れなどだと思っていた。

 だが、彼らにここまでできる力はない。

 そこで、月丹にはある心当たりがあった。ここ最近急に台頭し始め、ラウンズや1stチルドレンを多数葬っている組織のことだ。直近では、オリアナ王国にも現れたらしいが……。

 その組織の確認がされたのは、大体二年前だ。そして、『ミツゴシ商会』が生まれたのも、二年前だ。

 ここに、何らかの繋がりを考えるのは飛躍しているだろうか。

 図らずも、月丹は今、教団が一丸となって倒そうとしている相手と戦っているのかもしれない。

 

「分かった」

「はぁ?」

「もういい。お前は下がれ」

「は、はい!」

 

 ようやく解放されると血色の戻り始めた顔でガーターは言い、魔剣士である月丹でも驚くスピードで退室していった。

 その光景を片隅に、月丹は今後の方針を考えるのだった。

 




ガーデンとミツゴシは繋がっていますが、夜剣を潰したのは彼女たちではありませんね。月丹の大体合ってるけど、結構違う思考でした。


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黒はかっこいい

「ちょっとシド! 何ボケっとしてんのよ!」

 

 とある休日。僕の平穏な学園生活が唐突に終わった。

 僕は確かに、時間だけは溢れかえった休日を謳歌していたはずだ。いつもよりも遅くまで寝て、魔力操作の練習をし、かっこいいポーズやセリフを考え、実際に練習していた。それは傍から見れば無価値なものに見えるかもしれない。でも、僕にとっては大事なルーティンだったんだ。

 その最中に──そう、あれは高いところから街を見下ろすときに言おうと思っていたセリフ「ふっ、遂に動き出したか」の練習をしていたときだった。

 

『休日に部屋に籠もってないで、少しは姉孝行しなさい!』

 

 バンと扉が開き、その先には姉さんがいた。向こうも休日なので制服姿ではなく、私服だ。

 だが、問題はそこじゃない。何故、男子寮である僕の部屋に、女子である姉さんがいるのかということだ。まさか正面から普通に入ってきたのだろうか。……うん、多分そうだろう。一体寮の規則はどうなっているんだ。

 

『やぁ、姉さん。いい朝だね。どうしてここに?』

『日がな一日時間を浪費し続ける愚弟を連れ出すためよ。あと、もう昼だわ』

『あっ、僕食堂で昼食をたべないと』

『それは問題ないわ。寮母さんに連れ出すことは言ってあるから』

『いやでも……』

『なによ。私と出かけるのは嫌なわけ?』

 

 姉さんの鋭い眼光が僕を睨む。僕はしっかりと全身に鳥肌を立たせて、慄く。どこからどう見ても、ライオンを前にした子鹿に見えることだろう。

 

 

『ま、まさか! 姉さんと出かけられるなんて、僕はなんて幸せ者なんだろう!』

『ならさっさと準備をしなさい。逃げたら許さないから』

『逃げないとも。うん』

 

 僕は返事をしつつ、刹那の間に思考を巡らせる。逃げたときのメリット、デメリットを天秤に乗せるのだ。

 個人的な感情としては、逃げ出したい。でも、僕は思い出した。思い出してしまったんだ。

 去年の夏。僕はどんなに怒っていても、時間が経てば沈静化すると思っていた。けれど、姉さんは時間が経るごとに、どんどん怒りが増幅し、危うく締め落とされるところであった。

 その出来事を思い出した僕は、しっかり部屋着を着替えて部屋を出た。天に高々と上り、地上を見下ろす太陽が眩しかった。まだ冬の寒さが残る今日この頃、嵐が来るなんて誰が想像できただろう。

 ……そして、今に至る。

 

「そうね、まずは服を見に行くわ」

「はいはい」

「はいは一回」

「はいはい……はい」

 

 姉さんに睨まれた。

 

□□□

 

「姉さん、もうそれでいいでしょ」

「いやでも、こっちも……」

「うん、じゃあそっちの方が似合ってるよ」

「じゃあって何よ」

 

 姉さんは恐ろしい目つきで僕を睨みながら、両の手に持った服を元に戻す。

 ここは『ミツゴシ商会』が運営するデパートの中にある服屋である。いつもは外に行列ができるほど並んでいて──僕は『お友達待遇』で列をすっ飛ばしているが──今日は随分とがらんどうであった。

 やっぱり、例の噂のせいだろうか。

 因みに、今姉さんは卒業式に着ていく服を選んでいるのだが、かれこれ半刻は過ぎているだろう。先程からお腹が鳴りっぱなしだ。

 

「そろそろご飯にしない?」

「そうね……もうちょっとで選ぶわ」

「それ、ちょっとだった試しがないじゃん」

「今度はほんとにちょっとよ」

「僕試食コーナーの方に行ってる」

「駄目よ」

「えー」

 

 首根っこを掴まれて、引きずるように僕は運ばれる。早く終わらせたい僕はその状態で、視覚強化をしつつぐるりと周りを見る。姉さんも、同じようにキョロキョロとしていた。

 

「……それにしても、ここにはかなり商品があるわね」

「まぁ、ミツゴシだからね。色んなのがあるよ」

 

 僕の知らない内に、僕の知っているものがどんどん増えている。今も新商品と銘打たれたジーンズを見て、僕はため息を吐く。最早、ガンマたちが僕の知識を使って商売することに感慨が沸かなくなっている。

 またいつものあれか、となるだけだ。

 

「いえ、そういう意味じゃないわ」

「じゃあ、どういう意味?」

「……アンタ、本当に世間に疎いわね。学校でも話題になっていたはずよ」

 

 我が弟のなんと無知なことか! やれやれと首を振る姉さんの顔にははっきりとそう書いてあった。

 

「最近、『大商会連合』に属する行商人の馬車が襲撃されているのよ。それで、王都にある店舗は軒並み品不足になってるの……『ミツゴシ商会』以外は、ね」

「へぇー」

「前々からあった噂だけど──『ミツゴシ商会』が秘密結社と結託して『大商会連合』を襲っている。それがいよいよ現実味を帯びてきたって訳ね」

「なるほど」

「今人がいないのも、変な裏組織と関わりたくないっていうのと、もう一つは同情ね」

「同情」

「そう。多くの人は弱い、貶められてる方を応援したくなるのよ。それで今、『大商会連合』の売り上げは前より伸びているわ」

「へー」

 

 僕は前世で似たようなものがあったのを思い出す。アンダードッグ効果だ。例えば、たまたま点けたテレビでスポーツがやっていて片方が劣勢だとする。そのとき、人は負けている方を応援したくなるようだ。

 今回の件で言えば、不当な攻撃によって弱められてしまった『大商会連合』を民衆は応援したくなったというところか。それにプラスして、妙な組織とは関わりたくないという感情が上乗せされて、今は閑古鳥が鳴いているのだろう。

 姉さんの話は割と筋が通っているし、ガラガラのこの状況はどうやっても言い繕えない。僕は素直に感心する。

 しかし、一つ気になることもある。

 

「それ、姉さんが自分で考えたの?」

 

 姉さんにここまで理路整然と考えられる力があるとは思えない。誰かの話を、得意げに語っていたのではないだろうか。

 姉さんはギクッと擬音語が付きそうな勢いで静止し、こほんと咳払いをする。よく見れば、耳が少し赤くなっていた。

 

「とある魔剣士協会の知り合いに聞いたのよ」

「やっぱりね」

「どういう意味よ」

「姉さんにここまで考えられるとは思えないからね」

「アンタねっ!」

 

 あっ、やばい。

 

「……って普通の人は思うだろうけど、僕は姉さんなら思いついてもおかしくないと思ってるよ!」

「フォローになってないわ!」

 

 強烈な回し蹴りが僕のこめかみを打ち抜く。僕はその衝撃を首の関節だけで吸収しつつ、ノックアウトしたような演技する。幸い、僕の体が吹っ飛ばないように姉さんが僕の体を押さえていたので商品に突っ込むようなことはない。

 もし突っ込んでいたとしても、賠償金を払うのは姉さんだっただろうけど。

 姉さんは、ノックアウトした僕を見て鼻を鳴らす。

 

「たぬき寝入りしてるんじゃないわ。起きなさい」

「バレてたか」

「何年一緒にいると思ってるのよ。これくらい朝飯前よ」

 

 再び首根っこを掴まれて、僕は引きずられる。そろそろ本当にご飯を食べたい僕は、視覚強化に加えて思考速度も強化し、素早く大量の情報処理をする。要は、姉さんが気に入るものを探し出せばいいのだ。

 そうして僕は一つのドレスを指差した。

 

「あれでいいんじゃない?」 

 

 ドレスについてはあまり詳しくない僕から見ても、中々よくできたデザインだと思う。貴族だらけの魔剣士学園の卒業式でも悪目立ちはしないだろう。

 そして何より、色がいい。黒はかっこいい。

 

「ふん、アンタにしては趣味がいいわね」

 

 姉さんも興味ありげにそのドレスを見ている。きっと僕と同じように、黒の魅力に惹かれたに違いない。

 

「ふっ、やはり血は争えないか」

「なに言ってんのよ」

「いや、なんでもない」

「まぁ、アンタが自分から選んでくれたものだし、これにしようかしら」

「やっとご飯が食べられる……!」

 

 結局この日、昼食後も連れ回され、帰宅したのは寮の門限ギリギリだった。

 




とある魔剣士協会の知り合いは、ただのエリートさんです。気になる方は、原作3巻をどうぞ。本作では、一緒にお酒を飲んだ中になっています。


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覚悟はいいか? オレはできてる

ユキメさんの話し方が難しかったです。タイトルはノリで書きました。


 アイリス・ミドガルは指でこめかみを揉みながら、大きくため息を吐いた。只今、机越しに立つグレンはいつもなら、そんな態度を咎めるところなのだが、今日はその様子もない。

 何も言わずに、淹れたてのコーヒーを置いてくれた。砂糖、ミルク入りなのは言うまでもないだろう。妹であるアレクシアが教えてくれてから、気に入って飲んでいるのだ。

 

「かなりお疲れのようですね。最近はどうにも悩みのタネが多いですから」

「そうですね」

 

 先程までアイリスは、大貴族であるブラッド・ダクアイカン侯爵の裁判に王族の一人として出席していた。初日は滞りなく終わり、また後日続きが行われるが……。

 

「何故、ダクアイカン侯爵の腹心であったゲーテ・モーノ伯爵は急に裏切ったのでしょうか」

 

 それが大きな謎だった。今までは忠実に働いていた彼が、ともすれば自身の悪事も晒され破滅しかねないのに、裏切った理由。考えられる可能性はいくつかある。

 例えば、より強力な派閥から、より好条件で誘われた可能性。だが、そんな派閥は存在しない。

 では、派閥を組織に置き換えてみたらどうか。こちらの方があり得るだろう。

 しかし、やはりこの仮説にも問題はあり、そもそも夜剣の裏には下手すれば王国以上の何かがいたのだ。その正体までは不明だが、その強大さ──親である国王も知っているようだが、話してくれない──と聖教に関わりがあることだけは妹の調査によって判明している。

 繋がりそうで繋がらない不気味な不鮮明。それが酷くもどかしい。

 思考が白熱したアイリスは、糖分を欲してコーヒーに手を伸ばす。妹が見れば呆れ返るだろう行為だが、アイリスには関係ない。

 コーヒーは、甘い物なのだ。

 

「……今日は少し味が違いますね」

 

 一口飲んだアイリスは、いつもとやや違う味に首を傾げた。いつもは風味など気にしていないのだが、普段から良いものを口にしているアイリスは舌が肥えている。その舌が、今飲んだコーヒーの雑味を感じ取ったのだ。

 グレンは申し訳無さそうに眉を顰めた。

 

「すみません。そのコーヒーはいつものミツゴシ製品ではなく、ガーター商会から仕入れたものでして……」

 

 ガーター商会は『大商会連合』の盟主商会であり、王宮御用達でもある商会だ。

 

「今、『ミツゴシ商会』から商品を仕入れますと、あらぬ噂が立ちかねませんので、多少品質は落ちますがガーター商会から仕入れを行っているのです」

「そういうことでしたか。それならば、仕方ありませんね」

 

 人の噂とは恐ろしい。いや、今市井で流れているのは噂というよりも、陰謀論に近いだろうか。噂を肯定すれば勿論、否定しても「言えないことがあるのだろう」や「何か隠しているに違いない」と言われて、勝手に民衆に広まっていく。

 膨れ上がった数はそれだけで暴力となり、物的根拠がないままに多数決的に真実が決定される。事実も、根拠も大衆には必要ない。多くの人が信じる真実さえあれば。

 もうこうなっては誰にも止められないだろう。

 あれだけ盤石を誇っていた『ミツゴシ商会』でさえも、陰謀論には打ち勝てなかった。それが、今の状況だ。

 

「人の噂とは恐ろしいものですね。うん? これは……」

 

 そろそろ本来の仕事をしようかと思って机の上に目を向けたアイリスは、昨日までなかった封筒を一つ見つけた。

 それを手に取り、裏返して見ると狐の紋章が刻まれた封がしてあった。

 

「この紋章は?」

「それは、『雪狐商会』のものですね。今は無法都市を仕切っているユキメが会長の商会です」

「無法都市? 何故そんなところから……」

 

 とりあえず、中を見ないことには始まらない。

 アイリスは封を開けた。

 

□□□

 

 時は少し巻き戻り、舞台は無法都市の白き塔、その最上階だ。

 未だ夜の明けない闇の中で、ユキメは一人ソファに座っていた。そして、徐ろに窓の方を見やる。

 

「来んしたか」

 

 音もなく部屋に忍び込んできた小さな人影に、彼女は声をかけた。人影は、窓際から動くことなくその眠たげな瞳をユキメに向けた。

 

「むっ、シータの潜伏がまさか見破られるとは」

 

 そして、そんな呟きを漏らす。その声音に嘘はなく、本当に驚いているようだ。

 ユキメは、センスを口元に当て、微笑む。

 

「シータはんが塔を頑張って登っている時から気付いていんしたよ」

「そん、な……」

 

 シータがあまりのショックに、膝をつく。

 思えば、初めて会ったときもこんな調子だった。あのとき、彼女が窓から入ってくるのに気付いたユキメは、武器であるセンスを構えて待っていたのだ。そして、ようやく塔を登り終えて部屋に入ったシータは、その様子を見てこう漏らしたのだ。『気付かれていた……?』と。

 ユキメは少し前のことを思い出し、ふっと口元を緩める。しかし、すぐに表情を引き締めると、

 

「そんなところで座っとうないで、ソファにかけなんし」

「ん……」

 

 シータは失意のままに、立ち上がり、よろよろと歩いてソファに腰掛けた。

 

「ジュースはお飲みになりんすか?」

「うん。リンゴジュースを所望する」

「分かりんした」

 

 ユキメが手を叩くと、側近であるナツが水瓶とカップを持って現れた。予め、リンゴジュースを用意していたのだ。

 ナツはカップにジュースを注ぐと、一礼をして部屋から去る。

 シータは、リンゴジュースを飲んで機嫌が直ったのか、いつものように無表情に戻っていた。まるで幼い子供だ。

 

「それでお話とは?」

 

 だが、彼女は貴重な協力者だ。話を進めるべく、ユキメは本題に入る。

 シータは、凡そ半分くらいまで飲むと、

 

「なんだっけ」

 

 首を傾げていた。何しに来たんだ。

 一瞬何とも言えない空気が流れるが、シータはそんなもの関係ないとばかりにジュースに口つけていた。やがて、水瓶も含めて全部飲み干した頃、何かを思い出したように顔を上げた。

 

「思い出した」

「今日は思ったより早かったどす……」

 

 ユキメはちゃんと話があることに安堵する。無ければただ時間とリンゴを無駄にしただけになってしまう。

 シータは懐から紐で纏められた紙の束を出す。

 

「これ」

「……? これはなんどすか」

「ゼータが夜剣の屋敷からパクってきた資料。『大商会連合』と夜剣の癒着について書いてある」

「『大商会連合』の……」

「あと、今ゼータがガーター商会に潜入してるから、陰謀の証拠も手に入る……はず。ゼータだから多分しくじらないと思う」

「そうでありんすか」

 

 ユキメは、努めて無表情にそう返事した。

 『大商会連合』の単語を聞いて、ユキメの心がざわついたのだ。それは今まで決して誰にも漏らして来なかったことだ。そして、これからも胸の内に秘めておこうと思っていたことだ。

 

「シータは全部知っている」

 

 だが、そんな彼女の心を嘲笑うかのように、シータはその黒い瞳を真っ直ぐ向けてくる。

 さっきまではちらりともユキメを見ず、水瓶を名残惜しそうに眺めていたのに、一番嫌なこのときだけは、瞬き一つせず目を離してくれそうにない。深く、不鮮明な闇を纏う瞳の奥には一体、何が渦巻いているのだろうか。

 ユキメは視線を逸らすことさえもできずに硬直する。

 

「ユキメも知ってると思うけど、『大商会連合』を操ってるのは月丹」

「そうでありんすね」

「月丹は、昔とある娘と婚約していた」

「……そうでありんすね」

 

 はっきりとは言っていないものの、シータは確信を持って話しているのだろう。そして、本当に全部知っているのなら、ユキメの思いも察しが付いているのかもしれない。

 

「ユキメは決断をしなければいけない。そして、決断したならばもう引けない──できないならば、もうその機会は訪れない」

「わっちは……」

 

 彼女は今、ユキメに選択を迫っている。そして、その選択をしたならば最後までやる覚悟を決めろと言っている。

 一瞬の躊躇い。寸刻の逡巡。永遠に感じる時間の思考は、しかして永遠に消え去ることとなる。

 ユキメは覚悟を決めた──月丹に復讐する覚悟だ。

 

「分かりんした」

 

 ユキメがそう言うと、シータの視線が再び水瓶に戻る。一体、どれだけリンゴジュースが飲みたいのだろうか。

 

「それで、わっちは何をすればいいんどす?」

「さっきの資料を、雪狐商会の名前でアイリス王女に送ってほしい」

「……そういうことですか」

 

 ユキメは、何故こんな遠回りのことをするのか、納得する。要は、第三者を装ってタレコミするのだ。

 第三者からの方が、当事者から伝えるより客観性が持たせられる。もし、『ミツゴシ商会』がこの情報を流したと知られれば、「不利になったから適当なことを言って貶めようとしているのだろう」と言われかねない。そうなれば、『ミツゴシ商会』は二度と反撃する機会を失うだろう。

 

「それが、あなたたち『シャドーガーデン』の決定ですか」

「『シャドーガーデン』……ん、そう」

 

 シータは一瞬の間を空けて、頷いた。伝令役のシータと会ってからそこそこ時間が経つが、未だに彼女のペースが分からない。

 だが、それは今重要なことではない。

 

「いいどす。それはわっちが責任を持ってアイリス王女に送りんす。ですから──」

「分かってる。月丹は任せた」

 

 言葉を遮り、シータは再び真っ直ぐユキメを見据えていた。何の曇もなく言い切るその様子に嘘はない。いや、そもそもここまで彼女は一度だって嘘を口にしていない。

 疑う必要はないだろう。

 

「じゃあ、シータは闇に潜る」

「分かりんした」

 

 立ち上がって窓際に近付くシータは、「そうだ」と言って足を止めた。ユキメは何人か『シャドーガーデン』の者と会ったが、一人として扉から入って来た者はいなかった。そういう決まりでもあるのだろうか。

 

「もう多分会わないけど、これだけは謝っとく」

 

 そうやって思考を巡らせていると、シータがそのようなことを言った。ユキメがその真意を聞き返す前に、シータの姿は消える。そして、声だけが響いてきた。

 

「シータは一つ嘘を付いた。このことにガーデンは関係ない」

「それはどういう……」

 

 そこまで口にして、しかし最後まで言うことはなかった。

 だってもう、答えてくれる相手はいないのだから。闇に問いかけても、孤独は答えてくれないのだ。




次回『大商会連合』をぶっ潰す予定です!


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終幕と開戦

ユキメと月丹の関係については、アニメ二期か、原作三巻を読むことをオススメ致します。


「どこから情報が漏れたッ!?」

 

 ガシャンと大きな音が鳴る。それはグラスが割れる音であり、机が破壊される音であり、そして築き上げてきたものが崩れ去る音でもあった。

 目前のガーターは最早、呼吸するのもままならない様子で、顔を青ざめ沈黙していた。何かを話そうとしているのだろう。口をパクパクと動かしているのだが、残念なことに言葉が音となり、この世に生まれ落ちることはなかった。

 その様子を見た月丹は、鼻を鳴らす。

 

「もういい。下がれ」

「は、はいっ」

 

 一人になった部屋の中で、唯一無事な椅子に座り直す。まずは現状を整理しよう。

 ことの始まりは、王女アイリスが団長である『紅の騎士団』からの便りだった。その内容を端的に表すのなら、『ガーター商会は他商会の積み荷を襲撃している可能性がある。よって、商会内の査察を行い、関係者には尋問を行う』だ。

 更に、明文化されていたわけではないが、夜剣や噂ついても仄めかされていた。その文章はまるで、こちらは全部知っているのだと伝えているようでもあった。

 もし、本当に全部知られているとして、問題はどこから情報が漏れたか、だ。

 可能性の一つとして『紅の騎士団』が独自調査したというものも挙げられるが、これは可能性が低い。あの小さな組織に、そこまで調べられるとは考えにくい。

 一番可能性があるのは、内部からの漏洩だろう。だが、こちらも先程のガーターの様子を見てないと判断した。もし、内部からの漏洩であれば、ガーターがとっくに裏切り者を始末しているはずであり、その報告をしてきたはずだからだ。その方が、月丹の怒りに触れなくて済む。

 こうやって、可能性を排除していくと、残るのは外部犯の可能性だ。一番やってきそうな相手は、現在敵対している『ミツゴシ商会』か。もしくは、そのバックにいる謎の組織だろう。

 

「チッ、抜かったな」

 

 『ミツゴシ商会』の関連施設には見張りを付けていたはずだが、報告はない。どこの報告も、我が戦線異常なしだった。

 順当に考えれば、犯人は『ミツゴシ商会』ではない。しかし、あそこは謎も多く、未だにチョコレートの原料や、どこでその原料を入手しているのかすらも分からない。

 その上、バックの組織に至ってはほとんど情報がない。オリアナ王国にいたラウンズ、モードレッド卿は何か知っているという話も聞いたが、こちらまでは情報が回ってきていないのだ。

 どうやって情報を掴んだのか分からないが、これがラウンズとその他の違いということなのだろう。

 いずれにせよ、犯人は『ミツゴシ商会』関連に違いないと、月丹の中では結論付けられていた。

 これからどうすればいいか。

 必死に思考を巡らせるが、てんで回る気配がない。もう見えなくなった目が疼く。遠い過去の記憶が、微かな熱を帯び、ジリジリと月丹の内側を焦がす。

 

「クソッ……まぁいい」

 

 やるべきことは思いつかないが、やらなければいけないことならある。考えるのは、それを済ませた後でも遅くないはずだ。

 

「まずは裏切り者の始末だ」

 

 ゲーテ・モーノ伯爵。一番最初に裏切り、計画を狂わせた男だ。その罪は、清算せねばなるまい。

 外套を羽織り、外に出る。寒い夜の道を、月丹は一人歩いたのだった。

 

□□□

 

 月丹は、途中にいる護衛を斬り伏せながら、廊下を歩く。立ち向かってくる者、逃げる者、ただ立ち尽くす者。様々といたが、全て一刀のもとに斬り伏せた。

 赤く鮮やかな絨毯は、もっと暗い深紅色へとその色を変えている。ピチャピチャと水たまりを踏むような音を奏でつつ、月丹は目的の部屋まで来た。

 しかし、月丹はその扉を開けるのを躊躇う。

 この扉の先にある強者の気配。それだけなら、月丹は動きを止めることもなかった。強者との戦いは何度もやってきたのだ。今更尻込みするようなことではない。

 だが、その気配には覚えがあった。本来、ここにいるはずがなく、こんなに強いはずがない者の気配だ。

 故に戸惑い、開けるのを躊躇ったのだ。

 

「入りなんし」

 

 その戸惑いを察知したのか、扉の向こうから声が聞こえた。

 月丹は、ゆっくりと扉を開けた。

 

「久しぶりでありんすね」

 

 そこには懐かしき妖狐──ユキメの姿があった。記憶よりもだいぶ大人びていて、尻尾の本数も違うが月丹が彼女を見間違えるはずがない。

 

「お前が、何故ここにいる?」

 

 月丹は震える声で言った。

 対してユキメは、悲しげに目を伏せる。

 

「月丹……わっちはずっと、この日が来るのを待っていんした。でも、いざこの日が来ると、どうしてこなにも悲しいのでありんしょう」

「まさか、貴様が……いや、そうか」

 

 月丹は『ミツゴシ商会』とその周辺ばかりに気を取られていた。その状況で、全くのノーマークであった無法都市陣営の介入……。道理で、月丹は前兆を掴めなかったわけだ。『ミツゴシ商会』は何もしていなかったのだから。

 ユキメはセンスで口元を隠し、月丹は剣を構える。

 

「ゲーテ・モーノはどうした?」

「主が来るのは分かっていんした……今はとうに、屋敷の外にいんしょう」

「あいつを唆したのはお前だったか」

「唆したとは人聞きが悪いどすね」

 

 そこで沈黙が訪れた。重々しい空気の中には、微かに何らかの感情が入り込んでいた。

 邪念、余念、無意味な感傷。どちらのものであるか、あるいは両者のものか。

 それが明かされることは永遠にない。なぜならば──

 

「グハッ……! ここまでの力を……」

 

 一閃。たったそれだけで、この戦いは決したのだから。

 驚愕に目を見開き、そして、手を懐に伸ばしかけた月丹は結局何もせずに倒れる。内から温かいものが溢れ出し、真冬の中にいるように凍える。

 それでも彼は、手を伸ばす。震える手は、もう見ることのできない顔に触れた。

 

「もうお終いでありんす」

 

 ユキメは静かに言った。

 

「俺は……最期まで、お前を傷つけようとした」

 

 ずっと胸にしまって、言えなかった言葉。いや、全てをふいにして、力を求め始めたときから外に出ないように蓋をした悔恨の言葉。

 数多の命を切り捨ててきた彼の経験は言っている。お前はもう長くはない、と。

 人生の淵で、ずっと押し留めていた言葉が際限なく溢れ出て、しかし混ざり合ってしまって、言葉にならない。そして、それに拍車をかけるように、思考の巡りが遅くなる。本当に、別れは近いのだ。

 それでも、これだけは言っておかねばなるまい。

 

「すまなかった」

 

 何に対して謝ったのか。目的語を失った言葉にユキメは、

 

「わっちは、主の全てを許しんす」

 

 と、そう言った。

 最早音も遠くなり、指先の感覚も存在しない。最期の瞬間、彼が感じたのは懐かしき彼女の香りであった。

 

□□□

 

「終わったみたいだね」

「えぇ」

 

 ユキメが腕の中で息絶えた月丹の顔を眺めていると、背後からそう声がかけられた。

 ユキメは月丹をゆっくりと横たえて、立ち上がり振り返る。

 そこには、漆黒のボディースーツに身を包んだ猫の少女──ゼータがいた。

 

「まずはお礼を。主らのおかげで、長年の悲願を叶えられたどす」

「礼はいらないよ。利害の一致ってやつだから」

 

 ゼータはそう言って肩を竦めた。

 

「それよりも、このことはアルファ様たちには内緒にしてね。今私が動いたことがバレるのは、都合が悪いから」

「分かりんした。報告書には、全てわっちがやった書きんしょう」

「助かるよ」

 

 ゼータは窓を開けて、縁に足をかける。言いたいことを言ったら、すぐどこかに行くのはつい最近まで連絡役だった少女に似ている。そして、彼女らは窓しか出入り口として使っていない。本当にそういう規律でもあるのだろうか。

 

「よかったね」

 

 ゼータの姿が掻き消える。

 ユキメは、今度は誰もいない虚空に向かって返事をした。

 

「そうでありんすね」

 

□□□

 

「アルファ様。ゼータの居場所が分かりました」

 

 ガンマはたった今、ニューから上がってきた情報をアルファに伝える。

 既に日が落ちてから随分経っている。時計は見ていないが、深夜であることは疑いようがないだろう。

 

「場所は?」

 

 アルファは少しやつれながらも、凛とした表情だ。そして、覚悟の決まった瞳をガンマに向ける。

 ガンマも気持ちを今一度引き締めた。

 

「二つ、目撃情報があります。一つは、ゲーテ・モーノ伯爵の屋敷です」

「ゲーテ・モーノ伯爵……ダクアイカン侯爵の元懐刀ね。そう、彼女がやったのね……」

 

 一瞬、彼女のその瞳の奥が揺らいだ。常人には見えない程の揺らぎではあったが、確かに揺らいでいた。

 ここ最近、『ミツゴシ商会』は崖っぷちまで追い込まれていた。根拠のないデマを、デマと証明するのは存外に難しい。悪魔の証明をやらなければいけないからだ。

 様々な対処方法を模索して、実行し、それでも結果は出なかった。そうした八方塞がりは、必然的にガーデンの士気に暗い影を落とす。誰も言わず、顔にも出ないように取り繕ってはいたが、嫌な疲労は溜まる一方だったのだ。

 そんな中で転機が訪れた。突然、『大商会連合』が揺らいだのだ。どこからかのタレコミにより、彼らの不正が暴かれ、査察が入った。その査察で暴かれた内容が明らかになるにつれ、少しずつではあるが、『ミツゴシ商会』の売り上げも復調していた。

 後に、タレコミ元はユキメだと分かったが、彼女にそんな力があるのかは疑問だったのだ。そんな中で、ゼータが動いていたとなれば、納得のいく部分も多い。

 だが、それは同時にもう一つの事実をガーデンに突きつけている。──ゼータは、ガーデンを助けるために動いたということだ。

 もし、ガーデンから完全に離反して、敵対するつもりならそんなことをする必要はない。

 その感情が、僅かにアルファの脳裏を過ったのだろう。

 

「大丈夫ですか?」

「……ありがとう。大丈夫よ。続けて頂戴」

 

 ガンマはそのことに気が付かないふりをして、報告を続ける。

 

「それでもう一つ、目撃情報があったのは、地下水路です」

「地下水路……」

「はい。迷路のように張り巡らされた王都内の地下水路です。確かに、あそこなら隠れるにはうってつけと言えます」

「そう」

 

 アルファは一度だけ目を瞑り、深呼吸した。そして、ゆっくりと目を開ける。

 

「デルタと、空いている『七陰』、ナンバーズを呼びなさい」

「やるのですね?」

「えぇ」

 

 このときが来るのは覚悟していた。ガンマは顔の強張りを感じつつ、一礼して了承の意を示す。

 そんなガンマの内心を察してか、アルファは優しく言った。

 

「大丈夫よ。全ての責任は私が取るわ」

「……」

 

 その言葉が恐ろしくて、ガンマは最後まで顔を上げられずに、退室したのだった。

 




本作では、ユキメは覚悟がしっかり決まっていたので、自分の手で月丹と決着が付けられました。ゼータは万が一に備えて見守っていました。


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開戦前の一幕

今回は短めです。内乱は次回からになります。


 僕は、願わくば永遠の命が欲しい。永く生きていれば、それだけ鍛錬に時間がかけられ、強くなれる。知識や経験だって、永く生きた方が積み重ねられるに決まっている。つまり、僕の理想とする『陰の実力者』により近付いていけるのだ。

 それに、一〇〇年後くらいにひょっこり現れて、「まさか、あれは伝説の……」みたいな展開もやりたい。

 他にも、今が歴史になる程遠い未来で、ネームドキャラや主人公キャラに「古の真実を教えてやろう……」みたいなこともやりたい。

 これらをやるためには、どうしたって僕の寿命では足りない。まだ魔力パワーで六〇〇年くらいしか生きられないのに、"忘れ去られた伝説"みたいな展開はできないのだ。

 僕は永遠の命が欲しい。不死になりたいとは言っていない。不老であるのなら、僕はそれでいい。

 それが、僕のささやかな願いだった。

 

□□□

 

 僕は暗い部屋でベッドに横たわりながら、そのようなことを考えていた。

 今日は昼寝をしてしまったせいか、どうも寝付きがよくない。うだうだと考えている内に、夜もだいぶ深くなっていた。

 

「そろそろ寝るか」

 

 僕の平均睡眠時間は二時間程である。というのも、僕は魔力と前世のなんか健康に良さそうなものをかけ合わせた独自の睡眠法を確立しており、その結果として睡眠時間の短縮に成功したのだ。今の僕は、前世の人間なら誰しもが憧れる超ショートスリーパーなのだ。

 僕は気合いを入れて眠ろうと試みる。だが、全く、これっぽっちも眠くない。

 ……うん、これはもう寝なくていいのではないだろうか。

 

「ふっ、まだ眠るには早いか……」

 

 眠くないのに眠るなんて、時間の浪費もいいところだ。ふっ、僕は無駄を好まない主義なんだ。

 僕はそう結論付けて起き上がる。

 眠らないなら、まだまだ夜は長い。久しぶりに、寝静まった街を見下ろす僕、とかをやってみるのもいいかもしれない。

 

「ん?」

 

 そう思って、スライムロングコートに着替え、部屋を出ようとしていたとき、僕はベッドの脇に何かが落ちていることに気付いた。

 気になって見てみれば、それは『ミツゴシ商会』がだいぶ前に新しくオープンした『ロイヤルミツゴシ高級バー』の会員証だった。会員番号は『001』と書いてある。

 

「ふむ……」

 

 バーか。秘密の会話をするにはぴったりの場所だ。何より、バーで飲んでいる姿はかっこいい。

 

「まだやってるかな」

 

 ヒョロとジャガから巻き上げたお金もあるし、友達割引もしてくれるかもしれない。最悪、駄目そうなら逃げればいい。

 よし、行こう。『ミツゴシ商会』が運営しているなら、知り合いがいるかもしれないし。もしかしたら、『陰の実力者』プレイに付き合ってくれるかもしれない。

 僕はミツゴシ製のスーツに着替え直し、部屋を出た。

 

□□□

 

 僕が『ロイヤルミツゴシ高級バー』に着くと、丁度店じまいの準備をしている店員に出会った。

 

「あれ、もう終わりかな?」

「はい、すみま……」

 

 愛想よく振り返ったその人の顔が固まる。完全に動きを止めて、まるで彫刻のようだ。

 

「あの……」

「あ、いえ、その……我が『ロイヤルミツゴシ高級バー』に何かご用ですか?」

「まぁ、ちょっと飲みに……」

 

 僕がそう言うと、店員さんは急いで中に入っていった。僕は一人、寒い店外に取り残されていた。

 うん、やっぱり迷惑だったかな。ここは日を改めて出直してこようか。

 そう思い踵を返したところで、さっきの店員さんが戻ってくる。はぁはぁ、と肩で息をしていた。なんでそんなに急いでいたのだろう。

 

「シド・カゲノー様、ど、どうぞご入店ください」

「あれ、でも、もう閉店だったんでしょ。 いいの?」

「はい。今、開店しましたから」

「開店したのか」

「はい。開店しました」

 

 閉店してすぐ開店するとは。これが新時代の営業スタイルか。

 まぁ、入っていいと言うのなら、ありがたく入ってしまおう。

 

「なんか悪いね」

「滅相もございません」

 

□□□

 

「あなたがここに来るなんて、珍しいわね」

 

 僕がお店に入ると、聞き慣れた声が聞こえてきた。アルファだ。

 彼女の前には半分くらいまで水の入ったグラスが一つ、置いてあった。チェイサーかな。

 僕は彼女の隣に腰を下ろす。

 

「最近よく会うね」

「昔は毎日のように顔を合わせていたのに、不思議なものね」

「今日は一人で飲んでたの?」

「えぇ……お酒は、飲んでないけれど」

 

 そう言って、彼女は水を一口飲んだ。

 僕はバーテンダーにウォッカマティーニを頼む。……なんで、ウォッカがあるんだ。

 

「……まぁ、いいか」

 

 どうせ、ガンマたちのせいだ。

 

「そのスーツ、ようやく着てくれたみたいね」

「まぁね」

 

 彼女は少し嬉しそうに頬を緩めた。けれど、何だかいつもと雰囲気が違うような気がする。いつもよりちょっと、暗い印象を受けた。

 悩み事でもあるのだろうか。

 こういうとき、僕はどうするべきか。順当に考えれば、悩みを聞くべきだろうが、アルファが抱えている問題だ。面倒なものに違いない。

 うん、こういうときは気付かなかったふりだ。僕は、何も見ていない。

 

「あなたの目標は裏社会のボスになる、よね?」

 

 僕が心の中でそのようなことを考えていると、神妙な面持ちでアルファがそう聞いてきた。

 僕は考えてみた。

 僕の夢はあくまで『陰の実力者』になることだ。何をどうすればなれるのかは分からないが、日々それっぽいことをして研鑽を積んでいる。

 それを踏まえた上で、裏社会のボスになることについて考える。

 物語の冒頭、謎の雰囲気を醸し出していた男が、中終盤に実は組織のボスだった! という展開は一度やってみたい。

 他にも、裏社会のボスであるということは、いっぱい配下がいそうだ。組織的に裏で動くというのも、かっこいいのでやりたい。昔はアルファたちとよく一緒に動いてそれっぽいことをしていたのだが、最近はなんだかんだ一人だ。

 一人には一人の、複数人には複数人のいいところがあると思うが、ずっとやってないとやりたくなる。

 それに、大規模な組織の行動というものはやったことがない。そういう意味でも、やってみたい。

 うん、裏社会のボスにも、夢が詰まっている。

 

「そうだね。僕は裏社会のボスになりたい」

 

 僕のその言葉を聞いた彼女は、安堵したように大きく息を吐き出した。

 

「それが聞けて良かったわ」

 

 アルファは立ち上がる。もう行くのだろう。

 僕は味のよく分からないウォッカマティーニを飲む。感想を述べるなら、お酒の味がした、だ。

 そこで僕は隣にいる気配がどこにも行っていないことに気が付いた。

 

「あれ、まだ行かないの?」

「いえ……そうね」

 

 アルファは少し考える素振りを見せる。

 

「あなた、他に何か夢とか目標とかはあるかしら?」

「藪から棒にどうしたの?」

「少し、気になって」

「夢とか目標とかじゃないけど、欲しいものならあるよ」

「それは?」

「永遠の命」

 

 僕は即答した。丁度さっきまで欲しいと考えていたものだけに、この答えは必然であった。

 アルファはピクリと眉を動かした。

 

「そう、永遠の命ね。覚えておくわ」

「別に覚えなくてもいいけど」

「ふふっ、覚えておくわ」

 

 そう言って、アルファは店を出ていった。

 残った僕は一人、お酒を飲んでから帰宅した。

 




本当は前回アルファと会ったときに「永遠の命が欲しい」と伝える予定だったのですが、書いていなかったことに気付き、急遽入れました。少し強引ですが、ご愛嬌ということで。


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