この世界は間違っている。 (ジェローラモ藤)
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第一話  渇き

  

 

 一話 渇き

 

 

 

 とある広い公園。外れの方にある荒んだベンチに座りながら、少し離れたところで遊ぶ子供達を死んだ目で眺める一人の青年がいた。

 

 彼の名は比企谷八幡。喰種捜査官である。

 

「おい比企谷一等」

 

 誰かが背後から呼びかけた。比企谷は特に焦る様子もなく、コーヒーを一口飲んでから面倒くさそうに振り返った。

 

「相変わらずサボりか?この不良者が」

 

 そう言って小馬鹿にしたように鼻で笑う彼女の名は平塚静。比企谷の上司にあたる上等捜査官である。

 

「子供は喰種の好物だからこうやって見てれば自ずと怪しい奴に目星が付くんすよ」

「その怪しい奴として目星がつけられたのが貴様だ。先ほど通報があったと警察からウチに通報があったんだ」

 

 呆れたように言う平塚に、比企谷は何一つ悪びれも無いように舌打ちした。

 

「お前が捜査官になり一年。職業上不審者として警察に顔を覚えられる者は少なからず居るが、一年で覚えられた奴は私が知る限りお前が初めてだ」

 

「だからと言って捜査官としての資格と業務を放棄する気はありませんよ」

 

「ああ、それはごもっともだ。私はお前を説教に来たわけではなく少しでも不審者感を軽減してやろうと思い来た訳だからな」

 

「ハァ……余計なお世話ですよまったく」

 

 比企谷は不機嫌そうに頭を掻きむしり、胸ポケットからタバコを取り出す。これを見て、平塚もタバコを取り出して加えた。

 

「まあここは都内でも数少ない、禁煙指定のされていない公園だからな。お前がここを選ぶのも頷けるよ」

 

 火を付けた比企谷を追う様に、平塚も火を付けて比企谷の隣に腰を下ろした。

 

 暫くして、比企谷と平塚は決して焦る事はなく火を消して、自然に立ち上がる。

 

「お前は勘がいいな、私は五年はかかったぞ」

「まぁ、俺も五年前から訓練してるんで」

「……そうだったな」

 

 二人の視線の先は同じく、子供達を横目に歩く三十代半ば程の男。二人の勘が、その男を喰種だと嗅ぎつけたようだ。

 

 五分ほど追跡した所で、付けていた男がソワソワとし始めた。どうやら付けられているのを察したようだ。間髪をいれず、比企谷は短刀型のクインケを二本投擲。それは丁度その男が逃げ出そう走り出した瞬間だった。二つの短刀は男の脹脛と膝の裏に突き刺さり、踏ん張りが効かなくなって転倒する。

 

「これが簡単に通る様じゃたかが知れてるな」

 

 急いで立ち上がった男は身構えると同時に赫眼し赫子を出現させる。間違いなく喰種だ。

 お構いなしに歩いて詰め寄る比企谷。手に持っていたホワイトケースが変形し、刀剣となる。

 クインケ。喰種捜査官が持つ、対喰種兵器。

 

「油断は禁物だぞ、比企谷」

 

 平塚の言葉をよそに、比企谷はそのまま近付く。喰種が叫び声を上げて赫子を伸ばす。それと同時に比企谷は一気に踏み込み、赫子を正面から切り伏せると一瞬のうちに喰種の胴体を切り裂いた。

 絶命こそしていないものの、喰種は力無くその場に膝を付いて胸を押さえる。

 

「一応聞くが、龍について何か知っているか?」

 

 喰種の顔面に刃を突き付けて比企谷が問う。血を吐きながら荒々しく呼吸をする喰種は、暫く黙り込んだのちに口を開こうとするが、比企谷は喰種の首を落とした。

 

「……何か言おうとしていたぞ」

 

「命欲しさの戯言なんかノイズでしか無い。こんなBレート程度の喰種に最初から何も期待してないですよ」

 

 そう吐き捨てると比企谷はスマホを取り出して喰種死体処理を要請する。

 命のやり取りにすら、生きる上での全てに渇ききっている。そんな比企谷の背中を、平塚はどこか憐れむような目で眺めていた。

 

 

 五年前、突如現れた巨大な怪物が一時間にも満たぬ間に千人以上の民間人を虐殺した。数十名の捜査官が駆け付けるも手も足も出ず一方的に打ちのめされ、それ以来一切の情報を掴めずにいる。

 

 その怪物の名は龍。

 

 SSSレート指定の喰種であり、比企谷の妹は龍に命を奪われている。

 

 

 

 

 

 

ーーー

 

喰種

 日本は世界で最も喰種が多く潜み、常にその脅威にさらされている。龍出現との因果は不明だが、Sレート以上の特定指定喰種の個体数が過去最多の危険な状態にある。

 

 

 

比企谷八幡

一等捜査官 175cm 19歳 

クインケ

量産型クインケ 刀剣型 Bレート

量産型クインケ 短剣型 Bレート 

(二本所持)

 

性格 無気力捻くれ者

好物 タバコ、甘いコーヒー(甘い物全般)

 

 

 

 





 よろしくお願いします。


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第二話  平塚班

 

 

 CCG江戸川区支部。比企谷八幡はそこに所属している。

 局内にて平塚静率いる平塚班の面々が集合していた。捜査官は基本的に班決めされており、こうして一日一回、ミーティングを行うのが規則である。

 

「てか暑くない?冷房もっと効かせて欲しいんですけど」

 

「マジそれな〜平塚上等おなしゃす!」

 

「ダメだお前ら、CCGは絶賛省エネ運動実施中につき局内の空調は22度の風量1で固定だ」

 

「ああ〜熱中症なるっつーのー」

 

「はぁ、三浦さん。そんなに嫌なら今すぐ帰って良いわよ。病欠にしておいてあげる」

 

「はぁ⁉︎ そんなん規則違反でしょ!」

 

「なら大人しく規則に従って22度の風量1で我慢しなさい」

 

「ま、まあまあゆきのん落ち着いて」

 

「優美子も落ち着け、後でアイスでも食べよう」

 

 

 この様に特に何か大事な話をするわけでもなくただ規則と言うことで集まっている状態である。

 喰種というものは死に物狂いで自身の尻尾を隠す。手掛かりは中々見付からないし大きい事件を起こすことも滅多にない。故に班会議がこの様に井戸端会議状態になるのは捜査官の常であった。

 

 

「おーいお前達、肝心な喰種の話をしないと我々は国民を守る英雄ではなく税金泥棒に成り下がってしまうぞ」

 

「今この瞬間は間違いなく税金泥棒ですよ、平塚先生」

 

「かぁ〜あの真面目な雪ノ下少女がこの会議時間を平然と読書タイムと割り切る人間になってしまうだなんて、やるせないな」

 

 少しむっとする雪ノ下を、由比ヶ浜が宥める。平塚班は総勢八名。平塚上等を班長に副班長に雪ノ下雪乃、第三席に葉山隼人。平班員として由比ヶ浜結衣、三浦優美子、海老名姫菜、戸部翔、そして比企谷八幡。

 

 

「しかし一番問題なのはお前だ比企谷。読書もおしゃべりもスマホで動画を見るのもまだ良い」

 

 由比ヶ浜と戸部は焦り気味にスマホを机に置くが、三浦は平然とスマホを触り続ける。雪ノ下と三浦はというと当然の様に読書。それを苦笑いで眺める葉山。

 

「比企谷、寝るのに関しては本物の税金泥棒だぞ貴様」

 

 椅子に深く座り顔にハンカチを被せたまま比企谷は反応しない。呆れた様に溜息を吐いて平塚はタバコに火をつける。雪ノ下が局内は禁煙だと指摘するがお構い無し。

 

「たまにはお前の意見も聞かせてみろ。この中身のない腐ったルーティンに新しい風を吹かせてみたらどうだ」

 

 少しの沈黙を経て、比企谷は顔からハンカチを取り姿勢を正す。彼もさも当然という様子でタバコに火をつけると、あからさまに嫌がる雪ノ下を横目に窓際に移動した。

 

「Aレート女狐」

 

「ほう……」

 

 興味深そうにする平塚。喰種はレートで分類されており、Sレートを越える個体は特定指定喰種として強くマークされる。逆に言えば、Aレートはそこまで気に掛ける存在ではない。以前、民間人にとって危険な存在であることには変わりないが、優先順位は特定指定喰種に比べ劣る。

 

 女狐は大体三年前から存在していると仮定されている。

 

「女狐は面食いです、筋金入りの。イケメンに拘る癖に食い残しも多い。少しでも気に食わない肉……箇所は絶対に喰わない偏食家だ」

 

 だからなんだという様子で話を聞く面々の中、雪ノ下、平塚、葉山は表に出しこそしないがなるほどと言った様子。

 

「Aレート如きじゃここまで食に余裕は持てない。Sレートはあると見た方がいいでしょう」

 

「なんだお前やっぱり優等生じゃないか!」

 

 嬉しそうに平塚が言うと、雪ノ下は不服そうに比企谷を睨む。当の比企谷は意に返さない様子。

 

 間も無くしてアラームが鳴った。班会議の義務時間終了の合図だ。比企谷は真っ先に会議室を後にした。それに続いて、葉山、三浦、海老名、戸部も退室した。

 

「はぁ、私は奴が心配だよ」

 

 一人呟く平塚に、雪ノ下が本を閉じる。

 

「彼の仕事には正義が無い」

 

「それは感情論だろ?喰種を駆除し人々の平和に貢献する。結果だけを見れば奴はこの班で一番の仕事人だ」

 

 不服そうに雪ノ下は溜息を吐き、それを苦笑いで宥める由比ヶ浜。

 

「だが、私も同感だ。喰種への復讐、憎悪。そういった感情に燃える捜査官は多いが……奴はそれ以外の人生に興味が無い。あの調子じゃ奴は長生きせんよ」

 

 

 

 

 

 比企谷の管轄は江戸川区だが、その中でも主な活動拠点は三つ。どれも喫煙可能の広めの公園である。子供の肉を好む喰種は多く、比企谷はそれを狙い入隊一年で三十体以上の喰種を駆除した。

 

 だがここ数ヶ月は比企谷が縄張りとしている公園周りは喰種に警戒されてしまっていた。

 

 次はどうしたものかと少し悩む比企谷。

 

 今の彼の目的は上等捜査官に昇進する事。そうする事でより大物の喰種の捜査に携わる事ができ、必然的に龍の情報を掴む機会も増えるからだ。

 

「ヒッキー!」

 

 振り向くとそこにいたのは由比ヶ浜。彼女はアカデミー時代から何かと比企谷を気に掛けている。

 共感能力が高い由比ヶ浜は、比企谷の誰よりも強い復讐心と荒んで枯れた精神を感じとり、自ら死に向かい行く彼を放っておけないでいた。

 

「隣いい?」

 

「いいよ」

 

「ごめんね、邪魔だったら帰るからさ」

 

「好きにしろ」

 

 相変わらずの死んだ目で面倒臭そうにタバコを取り出す比企谷。

 えへへ。と苦笑いしつつもどこか嬉しそうな様子で由比ヶ浜は隣に座った。

 

 暫しの無言。客観的に見れば気不味い事この上無いが比企谷はそう言う人間であり、由比ヶ浜にとっては慣れたものである。

 

「ヒッキーは頭が良いし察しも良いし何でも出来て凄いから、私も少しご教示?願おうと思いまして」

 

「そういうのは雪ノ下のほうがいいだろ、あいつの方が俺より頭良いし何でも出来る。何と言ってもアカデミー主席の天才だからな」

 

「そうだけど!ヒッキーからも学びたいの!」

 

「平塚上等もお前もそんなんだから、俺は無駄に雪ノ下に敵意を持たれんだよ。あいつはあれでいて嫉妬深い奴だろ、お前しか友達いないし」

 

 あからさまな嫌味だが、間違ったことは言っていないため由比ヶ浜は苦笑いする。

 

「ねぇ、ヒッキー。死なないでね」

 

「……この仕事向いてねえよ、お前」

 

 汗を流し遊ぶ純粋な子供達と仕事帰りの人々の重い足取り。夏日の夕焼け空に少しだけ涼しい風が吹く。鎮まりゆく街に虚しく響く蝉の鳴き声。

 その風情の全てが、二人の心の温度差を鏡写しに思えた。

 

 

 

 

 

 

 

ーーーー

 

 

平塚静

上等捜査官 170cm 28歳

クインケ

神ノ河 刀剣型 Aレート

 

性格 気さく親父

好物 タバコ、酒

 

 

 

雪ノ下雪乃 

一等捜査官 163cm 19歳

クインケ

量産型クインケ 刀剣型 Bレート

 

性格 生真面目負けず嫌い

好物 紅茶、甘味

 

 

 

由比ヶ浜結衣 

三等捜査官 158cm 19歳

クインケ

量産型クインケ 刀剣型 Bレート

 

性格 陽気温厚心配性

好物 スイーツ、ぬいぐるみ

 

 

 



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第三話  平塚班始動

 

 

 翌日の班ミーティング。今日も相変わらず自由時間だ。

 アカデミー時代からの毎日の付き合いとなれば自ずと会話も減る……事も無く、特に戸部、次いで由比ヶ浜と三浦を中心に毎日の様にお喋りに盛り上がる。

 

「そかそう言やさ、昨日渋谷行ってたんだけど臭い話聞いたんだよね」

 

 徐に戸部が語り出す。毎日の様に夜遊びに出ている戸部に、班員達は少し呆れ気味な様子。

 

「なんか俺ら世代?高校生から大学生、あと若い社会人?の男?」

 

「とりあえず若い男だな」

 

 本題の要領を得ない戸部に、葉山が横から突っ込み気味に口を挟む。

 

「ここ数年、異様に行方不明とか喰種の被害にある人が多いんだって!イケメン限定で!」

 

「昨日話した女狐か」

 

「そうそう!んで隼人くん、臭うのはこっから先よ。昨日ふと思ったんだけど、そう言えば半年前くらいから渋谷の箱中心にスゲェ噂になってんのよ。面喰い女つって!」

 

「それはどんな噂なんだ?」

 

「めっちゃ可愛いベージュ髪の女の子がいてさ、もうイケメンばっか狙って逆ナンしてくるって。んで、可愛すぎるもんでみんな乗っちゃうんだけど、その子に捕まったら最後そのイケメンは二度と現れない!これ今思えば女狐じゃね?」

 

「ほぼ確定じゃ無いか」

 

 平塚班の中でもダントツで頭が悪い戸部の有益情報に、全員が驚愕する。

 

「戸部……どうした貴様、悪い物でも食ったのか⁉︎」

 

「むしろ彼に限って言えば普段の食生活が悪いのでは無いかしら。断食するべきね」

 

「トベっち実は有能……⁉︎」

 

「戸部君がいつもその調子なら助かるのに」

 

「戸部……アンタ天才?」

 

 若干一名、完全に馬鹿にしているが、班員たちの大袈裟な反応に戸部は満更でも無く嬉しそうにする。葉山は戸部を少し憐れむ様に苦笑い。

 

「よし、葉山。早速今夜渋谷に行け」

 

「え、何で隼人君?」

 

「アンタじゃ一生待っても女狐に声かけられないでしょ」

 

「あー、そういう事ね!……酷くね?」

 

 CCGが駆除する喰種の大半は、Bレート以下の小物だ。それでも十分な治安貢献なのだが、Sレート超え特定指定喰種の駆除は全ての捜査官にとって名誉であり目標であり、この職における誇りである。

 

 自分たちが江戸川区管轄であることを棚に上げて女狐の捜査に燃える平塚班の面々。

 

「平塚先生、やる気なのは良いと思いますがそもそも女狐はAレートですよ。比企谷君の読みには私も共感しますが……Sレート超えは仮定でしか無いです」

 

「なぁに、研究室でRc細胞値のデータを出してもらいそれでレート査定を更新する。Sレートなんて捜査官人生において何度駆除に携わる事ができるか。滅多に無いぞ。……ボーナスが出るしな」

 

 ボソッと最後に吐く平塚。

 特定指定喰種を駆除すれば相応のボーナスが出るのだ。昇進にも大きく響く。

 卑しくニヤニヤする平塚を見て、雪ノ下はため息を吐く。

 

「最後の一言が全てでしょう……。しつこい様ですが、女狐がSレートと言うのはあくまで家庭でしか無いでしょう」

 

 先ほどまでの腑抜けた表情から一転、平塚が真面目な表情に変わった。

 

「いいや、私の感がSはあると言っている。比企谷の考察を受けて昨晩、女狐の情報に目を通したのだが、やはり異様だ。女狐は赫子痕すら一度も残していない」

 

「……赫子を一切使わずに獲物を確実に狩る程の力を持つか、赫子痕を隠す必要がある喰種」

 

「御名答。どちらにしても、Aレート如きでは無いのは確かだろう。私はそう思うが、お前はどうだ?雪ノ下」

 

「……同感です」

 

 赫子は喰種にとって最も優れた攻撃手段、詰まるところ狩猟能力だ。それを一切使わずに何年も狩りを成功させているとなると、余程頭がキレるか、もしくは素手で確実に、人間に逃げる間も声を上げる間すらも与えずに屠る強さを持つことを意味するどちらにしても危険である事に変わり無い。

 

「Sレート駆除の実績を上げれば昇進は間違いないだろうなぁ。雪ノ下と比企谷に関してはもしかしたら上等に昇進するかもなぁ!」

 

 あからさまに昇進というワードを強調する平塚。ミーティング中は座ったままの昼寝を日課とする比企谷だが、少し迷ってから不服そうに起き上がった。

 

「やりましょう、女狐」

 

「なんだ、お前が班の方針に意欲的だなんて珍しいな?良い事だ」

 

 こうして平塚班は女狐捜査に取り掛かる。

 

 

 

 

ーー

 

 

葉山隼人

二等捜査官 178cm 19歳

クインケ

量産型クインケ 刀剣型 Bレート

 

性格 爽やかイケメン

好物 ブラックコーヒー、ロック

 

 

 

三浦優美子

三等捜査官 162cm 19歳

クインケ

量産型クインケ 小銃型 Bレート

 

性格 高飛車(ガラスのハート)

好物 ネイル、派手髪

 

 

 

海老名姫菜

三等捜査官 155cm 19歳

クインケ

量産型クインケ 小銃型 Bレート

 

性格 現実的傍観者

好物 イラスト、BL

 

 

 

戸部翔

三等捜査官 179cm 19歳

クインケ

量産型クインケ 刀剣型 Bレート

 

性格 典型的お調子者

好物 クラブ、酒



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第四話 女狐

 

 

 渋谷のとある人気クラブ。週末につき、広いフロアは大勢の客で賑わっている。その隅の方のテーブルに、平塚班が居た。

 

 葉山と戸部がフロアを歩き、とりあえず良い具合に目立つ。そしてそれを残りの面々が遠くから観察し、怪しい人物を察知する。それが平塚班の作戦だった。

 

「今すぐにでも帰りたいわ」

 

「まぁまぁ雪ノ下、これも仕事の一環だ。お前もまだ若いんだから少しは遊ばないとダメだぞ?私がお前らくらいの歳の頃なんか毎日遊び歩いて……。チッ」

 

「勝手に語り始めて勝手に地雷踏んで勝手にキレないでください」

 

 あからさまに不機嫌になりながら酒を飲む平塚と、呆れた様子の雪ノ下。

 

「あぁ‼︎ あの女今隼人に色目使ったんだけど‼︎何アイツ⁉︎ アイツ絶対女狐っしょ!」

 

「優美子私情挟みすぎ」

 

 店内に入ってから絶え間なく葉山の近くを通る女性に敵意を剥き出しにする三浦と、それを軽く遇らう海老名。由比ヶ浜はそんな同僚たちを見てながら笑いしていた。

 

 そもそもここに来るのは葉山と戸部だけで良かったのだが、三浦の提案、もとい葉山を監視したいというワガママで全員で来ることになったのだ。

 

そんな彼女たちの元に男性グループが近づく。

 

「ねえお姉さんたち、俺らと飲まない?奢るよ」

 

 下心丸出しのコワモテな男たち。同じ遊び人でも、物腰柔らかい戸部とか大違いだ。

 

「あ?話しかけないであっち行ってくんない?あーし今忙しいんですけど。見てわかんないの?」

 

「貴方たちの様な低俗で品性下劣な下等人種が話しかけないでくれる?人生が汚れるので」

 

 そんな男たちは、三浦と雪ノ下の強烈なチクチク言葉に打ちのめされる。流石にそこまで言われれば女が相手といえど黙っていない輩もいる。

 

「なんだテメェら⁉︎」

 

 男たちの一人が声を荒げる。EDMの音響にかき消されながらも、その一角周囲に緊張が走るが、喰種との命のやり取りに身を置いている捜査官はこの程度の事では何一つ動じない。

 

 今にも暴れ出しそうな男の肩を、背後から何者かが優しく叩く。比企谷だ。

 

「お客様どうかなされましたか?極力揉め事は控えてもらいたいんですけど。ましてや女性を相手に」

 

 スタッフのなりきりをする比企谷に、男たちは不満気ながら立ち去った。

 

「比企谷助かったぞ、お前なかなかやるな」

 

「そろそろ潮時でしょ。雪ノ下と三浦がストレスの限界で爆発寸前です。それに、こんなビジュの良い女達が誰と喋るわけでもなく長時間居座るなんて明らかに不自然ですよ」

 

「ビ、ビジュが良いって、ヒッキー⁉︎」

 

「お、お前どさくさに紛れて何を言ってるんだ……」

 

 照れる由比ヶ浜と平塚に、比企谷は意味不明そう眉を顰める。そういうところだぞ、と言った様子で雪ノ下と海老名は溜息を吐いた。

 

「比企谷くんに賛成よ、良い加減帰りましょう。ここの空気はもうウンザリよ」

 

 

 

 

 

 

 クラブを出て平塚班メンバーは少し涼しい風を浴びようととある公園に訪れていた。

 

「それらしい相手は見つからなかったな」

 

「と言うより、候補が多すぎて分からないね……」

 

「てか隼人くん、女の子に絡まれすぎっしょ。マジ羨ましいわ〜。今度また二人で行かね?」

 

「ふざけんな戸部。隼人に悪い虫が付いたらどうすんだし」

 

 三浦と戸部はほろ酔いと言った様子だ。一番酷いのは平塚で、完全に酔っ払っている。

 

「良いなぁ貴様らは若くて!もう私はな、戻れないんだよ。畜生‼︎」

 

「無意味に私たちに当たらないでください」

 

「そんなの、私が一番分かってんだよこの馬鹿野郎‼︎お前頭良いくせにそんなのも分からないのかこの馬鹿!」

 

「平塚先生、落ち着いて落ち着いて」

 

 呆れた様子の雪ノ下と、酔い潰れた平塚を宥める由比ヶ浜。近くの自動販売機で水を買ってきた比企谷が、それを平塚に渡すが、平塚はそれを払いのける。

 

「なんだぁ貴様〜!私を憐んでいるのか?憐んでいるんだよ!この……」

 

 そのままリバースしてしまう。最悪と言った表情で首を振る雪ノ下と、慌てて背中をさする由比ヶ浜。

 

「もう手遅れでしょうけど酔い止めでも飲んだ方がいいですよ」

 

 そう言って比企谷が平塚の手を引き、駄々をこねる平塚を半ば引きずる様な形でコンビニへと向かっていくのだった。

 

「ヒッキー、素っ気ないし無愛想だけどすごく気配り上手だよね」

 

「生まれつきの女たらしって感じだね」

 

「はぁ?何言ってんの姫菜。あの仏頂面なんか相手にする女、結衣くらいっしょ」

 

「ちょ、優美子うるさい!」

 

「はぁ〜?本当のことじゃんー」

 

 おちょくる三浦と、食い下がる由比ヶ浜。それを葉山、戸部、海老名が微笑ましい様子で眺め、雪ノ下は我関せずといった様子で星を眺める。

 

 

「あのぉ、そのアッシュケース何ですか?ひょっとして皆さんお金持ちだったりして」

 

 気配無く急に現れたその少女に雪ノ下達は一瞬驚く。栗色の髪をした、非常に可愛らしい少女。見るからに、男に強い女といった印象だ。

 

「ていうか、さっきアポムに居ましたよね?声かけようか迷ってたんですぅ。女の子が多くてタイミング見つからなくて……でも我慢できず追いかけてきちゃいました」

 

 少女はそう言って葉山に詰め寄る。間髪入れずに敵意剥き出しで反応する三浦だが、少女はそんなのは御構い無しと言った所だ。

 葉山は、呆気に取られた様子で苦笑いすることしかできずに居た。

 

「やっぱり鳩だったんですね」

 

 少女がそう言った瞬間、雪ノ下が量産型クインケ/拳銃型を取り出し、少女の頭に向けて発砲する。

 一瞬反応に遅れつつも、全員咄嗟に距離を取りクインケを展開。応戦体制に入った。

 

「わぁ、凄い判断力。只者じゃないですねそこの綺麗なお姉さん」

 

 少女の脳天に空いた三つの穴から弾丸がメリメリと排出されてカランカランと地面に落ちる。

 

 凄まじい再生力。

 雪ノ下達は、その少女が並外れた力を持つ喰種である事をすぐに理解した。否、理解させられた。

 

「一応、名前を聞いても良いかしら」

 

「名前ですか?えっとぉ……女狐?」

 

 女狐、Sレート以上。奇しくもこの若い捜査官達の想定は的中する。

 

 ただ一つ、女狐が想定外の力を持つという事を除いて。

 



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第五話 殺気の衝突

 

 

「大丈夫よ。毎日の厳しい鍛錬と命を賭ける決意はこの瞬間のためにある物でしょう、焦らないで」

 

「んなの当たり前っしょ!あーしらはSレートを狩れる、平塚センセーの言葉をこの実戦で証明するだけだし!」

 

 

 平塚班は班長である平塚と単独行動の比企谷を差し引いた六人でSレートを対処する能力がある。平塚は彼らをそう評価しており、それは間違いではない。

 

 

「雪ノ下さん、今回はアンカーを頼む‼︎」

 

 

 葉山、由比ヶ浜、戸部が横に並び刀剣型クインケを構えると同時に、三浦と海老名が小銃型クインケで女狐に弾幕を浴びせる。

 

 女狐は焦る様子もなくニコニコとどこか楽しそうな表情で銃弾の雨を浴びる。出血こそしているが、肉を貫通するまでには至っていない様子だ。

 

 雪ノ下が一発発砲。葉山、由比ヶ浜、戸部が踏み込むのと同時に三浦と海老名は射撃を止める。

 葉山、由比ヶ浜、戸部の振るう刃がそれぞれ首、両腹肩を切り裂く。

 

 

(硬い‼︎)

 

 

 由比ヶ浜は女狐の肉の硬さに驚愕する。三人が首と両腕を切り落とすつもりで放った斬撃はどれも浅い。

 正面に対峙している葉山が連撃で刀剣を女狐の胴体を切り裂き、間髪入れずにその背後から強襲した雪ノ下が同じ軌道で胴体を切り裂いた。

 葉山と雪ノ下による二重の斬撃は流石に深く、女狐の艶かしい声と共に鮮血が飛沫が上がる。

 

 連携攻撃を決めても決して油断せず瞬時に後退する。

 

 大きく胸を切り裂かれた女狐はそれでも焦る様子は無く、鼻歌を歌ったかと思うと傷はみるみるうちに再生していく。

 

 

(再生速度が早い‼︎)

 

(嘘、そんな……)

 

(パネェっしょ⁉︎)

 

 

 今までない程に脅威的な再生力に戦慄する若き捜査官達。だが、雪ノ下だけは臆する事なく剣を構えた。

 

 

「喰種の再生力には限りがある。失血すればRc細胞値が低下して必然的に再生力も下がる。何度でも切り裂くだけよ。そしてボーナスで猫カフェにでも行きましょう」

 

 

 決起つける雪ノ下の言葉に、他のメンバーの緊張が少し緩まる。

 

 

「猫カフェくらいいつでも行けるよゆきのん。どうせならハワイにでも行っちゃおうよ!」

 

「夏は嫌いなの。これ以上暑いところに行きたくないわ」

 

「もう、こんな時に細かい指摘しない!」

 

「はいはいお喋りなんかしてる暇ないよー」

 

 

 そう言って海老名は再び射撃を開始し、三浦もそれに続いて小銃を放つ。

 Bレート程度の喰種なら数秒で肉塊となるRcコーティング弾による弾幕。それを浴びながら平然と歩きながら接近する女狐を見て、再び彼らの心身に緊張が走った。

 

 どう見積もってもAレート程度の喰種では無い。

 これがSレート。その強大な力を実際に体感する重圧は彼らにとってかつて無い物だった。

 

 

「一、二。う〜ん、三」

 

 

 女狐はそう言って雪ノ下、葉山、由比ヶ浜を順番に指差す。三浦と海老名が弾切れを起こし、雪ノ下を先頭に葉山、由比ヶ浜、戸部が女狐に攻撃を仕掛けた。

 

 四方向からの斬撃。どれも浅く、女狐は顔色一つ変えることは無い。そして四人が二度目の斬撃を放とうとした瞬間。

 

 

「四ですね」

 

 

 女狐の蹴りで戸部が一撃でぶっ飛ばされる。全く反応が出来ず、数メートル吹っ飛ばされた戸部は両腕で腹を抱えてもがき苦しむ。

 

 

「トベっち‼︎」

 

 

 由比ヶ浜は動揺を隠せない。

 しかし、この瞬間、この状況での動揺は命取りだ。目の前の敵との命のやり取りから決して気を逸らしてはならない。

 

 比企谷は例外として、平塚班の中で頭一つ抜けている雪ノ下と葉山は動揺に気を取られる事なく、再生途中の女狐の切創を先と同じ軌道で切り裂きより深い傷を与えた。

 

 一瞬遅れて刀剣を振る由比ヶ浜だが、女狐の手刀で刀身を叩き折らる。

 

 

(あ、これやばい……)

 

「やっぱり貴女が三番。この場にいる皆さんの強さランキングです」

 

 

 平手打ち一発で叩き伏せられる由比ヶ浜。勢いよく頭から地面に倒れ、気絶した。

 葉山はともかく、唯一の親友である由比ヶ浜を目の前でやられた雪ノ下は流石に動揺を隠せない。

 

 

「雪乃ちゃん‼︎気を抜くな‼︎」

 

 

 葉山の叫びに辛うじて集中を取り戻した雪ノ下。葉山と雪ノ下が後退したのと同時に、リロードを済ませた三浦と海老名が再び女狐を蜂の巣にする。

 

 流血こそしつつも全くもって効いている様子のない女狐は、やれやれと言った様子で溜息を吐く。

 

 一瞬にして三浦と海老名の目前まで詰め寄り、小銃を二丁同時に握り潰した。

 

 

「こんなオモチャ乱射した所で資源の無駄遣いにしかなりませんよ?」

 

 

 三浦と海老名は戦慄しその場に尻餅をついて動けない。

 

 咄嗟に女狐に斬り掛かる雪ノ下と葉山。しかし、女狐はそれを悠々と躱すとカウンターで葉山に蹴りを入れる。

 葉山は咄嗟に防御しつつバックステップし、ズザザザと勢いよく後退する。

 

 

「ガハッ‼︎」

 

 

 完璧ではないガードだが、十分な形で受けた。それでも尚、女狐の蹴りの威力を殺し切ることはできず、吐血した葉山は腹を押さえてその場に膝を付く。

 

 

「おお〜今の防ぐなんて凄いですね〜。上等クラスって所ですか」

 

 

 そう言いながら続け様に雪ノ下の首に手を伸ばす女狐。雪ノ下はその腕に斬撃を入れながら紙一重で躱わし、返す刀で女狐の両目に向けて斬撃を放つが、しゃがんでそれを避ける。

 

 その隙に雪ノ下は距離を取り仕切り直す。気絶して戦闘不能になった戸部のクインケを拾った三浦が隣に並んだ。

 

「やっぱり貴女が一番ですね〜。ここ最近戦った鳩さんの中で上から数えた方が早いかもしれないです」

 

 雪ノ下が入れた腕の傷が再生していく。この再生力に加え、肉が硬く骨を断つに至らない。

 

 この六人でSレートを狩れる。平塚のその言葉には間違いない。 

 詰まる所、この状況からして出る答えは。

 

 

「Sレート以上……‼︎」

 

 

 今更ながら、雪ノ下は固唾を飲む。キョトンとしたスッとボケた様子で、可愛らしく微笑む女狐。その余裕な仕草が、雪ノ下たちと女狐の力の差を表していた。

 

 

「三浦さん、海老名さん。貴女達まで死ぬ必要はないわ。逃げなさい。出来れば倒れた三人を連れて」

 

「は、はぁ⁉︎ 逃げろって、この状況で……アンタどーするわけ⁉︎」

 

「数分くらいなら、時間稼ぎ出来る」

 

 

 雪ノ下は剣を構える。まだ物言いたげな三浦だが、雪ノ下の一段と殺気が高まった空気に押し負け、三浦と海老名は倒れる戸部と由比ヶ浜を連れてその場を離れた。

 

 

「逃げろと言ったじゃない」

 

「気にしないでくれ、足手纏いにはならない」

 

 

 呼吸が荒いながらも、葉山は雪ノ下の隣に並ぶ。剣を構えた2人の闘気は、先程までより一段と強く放たれる。

 

 枷が無くなった状態とでも言うべきか。連携攻撃の際、雪ノ下と葉山は他の4人が着いて来れるギアに合わせて動く。つまり、格下との連携を求められないこの状況において初めて自分のトップギアの出力を発揮できる。

 

 六人連携と単独の二人。どちらがより強いかは分からないが、雪ノ下に限って言えば、瞬間的な爆発力は間違いなく後者だろう。

 

 少しの膠着を経て、女狐は微笑んだ。

 

 

「いいよですよ、どうぞ」

 

 

 女狐がそう言うと同時に、雪ノ下と葉山は地面を蹴り一気に距離を積める。

 

 猛烈な斬撃の嵐。抵抗すること無くそれを受ける女狐を、雪ノ下と葉山は体力持つ限りひたすらに斬り付ける。

 

 そして大体一分が経った。

 

 

「はっ……はッ……」

(呼吸が……息ができない……‼︎)

 

 

 生まれ付き呼吸器の弱い雪ノ下と、内臓出血を起こしているであろう葉山。二人の体力は限界を迎えた。

 過呼吸気味になりながら跪く二人と、血塗れになりながらも二人を見下す様に平然と立つ女狐。

 

 もう無理だと、雪ノ下と葉山は絶望する。神頼みに近い駆け引き無視の一方的な全力攻撃。

 

 次元が違うこの喰種に対して、今の自分たちが出来るこれ以上ないほど殺傷。

 

 それが微塵も通用しない。ただでさえ、打つ手無しが故に行ったこの特攻とも言える猛攻も無意味に終わり、いよいよ本当に打つ手無しとなってしまった。

 

 今この命があるのは、女狐が無防備に攻撃を受けていたからであり、この目の前の喰種が少しでもその気になれば、自分たちの命は簡単に奪われてしまう。

 

 その現実が深々と雪ノ下に突き刺さる。  

 

 

「あッ」

 

 

 突然、何処からか飛んできた短刀が女狐の背中に突き刺さる。

 そして振り返った女狐の両太腿を斬撃が一閃し、胸に後ろ回し蹴りが突き刺さる。

 

 喰種にとって人間の打撃などなんて事ない、ましてや女狐の様な強い喰種にとっては尚更。

 しかし、深くは無いとはいえ太腿の傷は筋断裂を起こすには十分。踏ん張りが効かない女狐は、言わば重量40〜50キロ程度の肉の塊。

 鍛えてる人間からすれば、それを蹴り倒すくらい難しいことでは無い。ぶっ飛びはしないが、女狐は勢いよく転倒する。

 

 

「比企谷君……‼︎」

 

 

 比企谷八幡。平塚班における最高戦力。

 這い蹲る二人を軽く一瞥して、比企谷は女狐に歩みを進める。

 

 

「情報は」

 

「……高い再生力、肉は硬く並みの攻撃じゃ骨に届かないわ。赫子は不明」

 

「了解。俺が抑えてる内に息を整えろ」

 

 

 女狐が起き上がり、比企谷は立ち止まる。その距離は凡そ五歩分と言ったところか。

 赫子を持つ喰種にとっては十分な射程範囲内だ。

 

 両太腿、膝の少し上あたりを切り裂いた傷が瞬く間に再生していく。その驚異的な再生力を目にして比企谷は特に焦ることは無い。

 

 

(Sレート以上は確実か。……俺一人じゃ無理だな)

 

 

 相対する二人の殺気がビリビリと周囲に吹き荒れる。

 少し比企谷を見つめて女狐は嬉しそうに、愛らしく笑った。

 

 

「遊びましょう」

 

 

 その一言と同時に比企谷は一気に距離を積める。

 首筋への一閃。それを察して躱わす女狐だが、比企谷はそのまま少し態勢を下げつつタイミングと角度をズラし、女狐の右から袈裟に切り裂いた。

 両断とはいかないものの、先程までの雪ノ下達の様に浅い太刀筋では無い。雪ノ下と葉山が二重の斬撃で与えたのと同等の深傷を、比企谷は一撃で与えてみせた。

 

 

「あはっ♡」

 

 

 恍惚する女狐。傷の再生途中ながら比企谷の頭目掛けて手を伸ばす。

 比企谷は僅かな動きでそれを躱わし、返す刀で腕を切り落とした。

 

 

(分かっていた事だけど……強い……‼︎)

 

(これ程とはッ)

 

 

 自分達が手も足も出ないかと思えた相手と渡り合う比企谷に、雪ノ下と葉山は驚愕する。

 

 女狐は腕を切断されながらも、女狐は残った左腕を比企谷の首に向けて振るう。無理な追撃はせず、比企谷は距離を取りそれを簡単に躱わした。

 

 

「そんなオモチャみたいなクインケで骨を切られたのは初めてです」

 

 

 女狐は落ちた自身の腕を拾うと、その断面を合わせる。数秒にして、腕は接合した。

 だが、胴体に深々と付いた傷の治りは先程までに比べてやや遅い。

 

 確実にRc値が低下している。雪ノ下と葉山はそう確信した。だいぶ呼吸が落ち着き、二人は比企谷の両隣に並ぶ。

 

 

「遅くなってごめんなさい。助太刀するわ」

 

「所で比企谷、平塚先生はどうしたんだ?」

 

「駄々が面倒くさくなってコンビニに置いてきた」

 

「お前、最後まで面倒見ろよ……」

 

 

 程よい緊張と脱力。それは良質な集中状態。

 

 数秒の膠着。女狐が動き出すよりほんの一瞬速く、比企谷が地面を蹴った。

 過剰とも言える大袈裟に刀を構える比企谷。彼の持つ剣技と溢れ出る殺気に警戒して女狐は身構えるが、比企谷は急停止して接近を止める。

 

 

「あれ?」

 

 

 呆気に取られる女狐を、タイミングをズラす形で雪ノ下と葉山が強襲する。

 相変わらず深くは無いが、先ほどと比べて浅くは無い。肉の硬度も下がっている。確実に女狐のRc値は低下し弱体化していた。

 

 それでも尚、女狐は比企谷から視線を外さない。依然、女狐にとって脅威となるのは比企谷ただ一人。

 

 比企谷は接近し剣を振るう。

 強烈な殺気の衝突。

 比企谷の猛攻に女狐も応戦する。

 

 比企谷の太刀筋は女狐の反応を一歩上回り、雪ノ下と葉山の攻撃も上乗せされ、明らかに優勢を取れている。

 変わらず高い再生力だが、再生が追いつかない傷が少なからず出始める。

 

 女狐の笑は先程までの余裕のあるものから殺気を纏う物へ変わる。

 

 そして比企谷の刃が女狐の両目を一閃したのと同時に女狐の余裕の笑は消え、本気の殺意を纏った。

 

 

「はぁ。目は笑えないですよ、女子的にも喰種的にも」

 

 

 殺気を浴びて瞬時に退がる比企谷。

 一瞬の動揺と焦りに身を取られた雪ノ下と葉山は反応が遅れてしまった。致命的だ。

 

 ついに放出される女狐の赫子。九本の巨大な赫子は、比企谷、雪ノ下、葉山を簡単に蹴散らした。 

 

 

「あ〜あ、出しちゃったぁ」

 

 ぶっ飛ばされた雪ノ下と葉山は動かない。

 

 辛うじて防御と受け身を間に合わせた比企谷だけが、戦闘不能に陥っていないが、それなりのダメージを負った。

 

 

(骨は逝ってないか?……いや、軽く割れてるな。内臓は無傷では無いが問題ない)

 

「貴方本当に強いですねー。階級は?おいくつですか?ていうか良く見たら普通にイケメンですね!その腐った感じの目私的には結構好きですよー?」

 

 

 赫子を出し、また余裕を取り戻す女狐。それも当然、喰種の脅威とはこの赫子にこそあるからだ。赫子の有無で、喰種の戦力は数倍変わる。

 

 

(この程度のクインケじゃ倒せる訳が無い)

 

 

 自身のクインケを眺めながら思考する比企谷。

 

 さっきまでとは打って変わり攻撃的になった女狐が攻撃を仕掛ける。

 咄嗟に躱わし、雪ノ下と葉山から離れる様に移動する比企谷。

 

 動き回りながら赫子の猛攻をクインケで防ぐが、どれも重く一撃受けるたびに掌が痺れる。

 

 足を止めて、万全の構えをとる比企谷。それを見て女狐は嬉しそうに笑う。

 

 目の前の若い捜査官は、この凶悪な喰種、凶悪な赫子を真正面から受ける気だと、とんだ命知らずが居るものだと、女狐の感情が昂る。

 

 スゥーっと、深呼吸し集中力を最大に引き上げた比企谷は、迫り来る二つの赫子を、全力の剣戟で迎え撃つ。

 バキンッと、クインケが砕けるが、赫子を二つ破壊する。

 

 続く四つの赫子を掻い潜り接近。徒手の間合い程の近距離なら赫子はむしろ届かなくなる。

 

 女狐は殺気満点の笑みで両腕を比企谷に伸ばす。綺麗で白いその細腕は、喰種という前提を加えるだけで人間の胴体を簡単に貫通する凶悪な鉤爪と化す。

 紙一重でそれを躱わし、比企谷は隠し持っていた短刀を女狐の喉に深々と突き刺した。

 

「かはっ」

 

 突き刺した短刀を抉る様に捻り、一瞬女狐の動きが止まる。

 比企谷は女狐の身体を蹴りながらその威力を利用する様に後退する。

 

 ふらふらと千鳥足で首を抑え、短刀を引き抜くと、喉に空いた穴からドバドバと重く血が零れ落ちる。

 

 比企谷は雪ノ下が落とした刀剣を拾うが、一瞬目を離した隙に、女狐の傷はもう再生していた。

 

 

「不死身かよ……」

 

「いいえ、流石にそろそろ限界です」

 

 

 限界。それは比企谷も同じだった。量産型Bレート程度のクインケで、女狐の強力な赫子を一瞬で二つも破壊したのだ。それも正面衝突の形で。

 比企谷の両掌の骨には既にヒビが入っていた。

 

 再び、強襲する女狐。比企谷は応戦するが、女狐は切り裂かれながらもお構い無しで刀剣を赫子で弾き飛ばし、比企谷を押さえ込んでしまう。

 

 赫子で縛り上げ、その眼球を優しく指で触れる。

 

 

「貴方本当に強いですねー。今まで出会った鳩さんの中で十本指に入りますよ?嘘じゃ無いです」

 

 

 ぐりぐりと、指で眼球を擦られながらも比企谷は少しの反応も見せない。

 

 

「私、貴方がくれる痛みに惚れちゃったかもしれないです!あっ、勘違いしないでください私えむじゃ無いので。痛みというか、貴方の質の良い殺気ですかね?」

 

 

 女狐はその指を舐めて、比企谷の体液の味を確認した。

 

 

「うっ……ストレス過多ですね。もしかして鬱の人ですか?人生楽しまなきゃダメですよ?味に響くので」

 

 

 うえーっと舌を出す女狐。無意識に赫子を強く締め、比企谷が苦痛に少し声を上げると、女狐はごめんなさいと悪びれも無い様子で謝り赫子の力を弱めた。

 

 こんな状況下で、比企谷が吐く言葉は。

 

 

「……龍について何か知っているか?」

 

「はい?」

 

 

 自身がもう万事休すという状況で何の質問だと、女狐は呆気に取られる。

 

 

「知ってたら何か教えろ」

 

「うーん。何故そんな質問を?」

 

「どうでもいいだろ」

 

「貴方の質問も私に取ってはどうでもいいです」

 

「……この手でヤツを殺さないと俺は死ねない」

 

「はぇ?……あはは!本気で言ってますそれ?」

 

 

 今まさに殺される直前の人間のその言葉に、女狐は腹を抱えて笑う。だが、比企谷の表情は本気そのものであり、何よりも。

 

 

(この殺気は普通じゃない)

 

 

 比企谷が纏う殺気。そのオーラは、女狐程の強い喰種からしてもただならぬ物だった。

 女狐は、含みがある様に微笑むと、比企谷を解放し、跪く比企谷の顎を掬い上げる。

 目と目が触れるか否かと言うほどまで顔を近付けて、女狐は言った。

 

 

「龍は私であり、私じゃありません」

 

「は?」

 

 

 意味が分からない。比企谷は眉を顰める。

 

 

「だから〜。龍は私であり、私じゃありません。あんまりお喋りが過ぎると怒られちゃうので」

 

 

 そう言うと女狐は立ち上がり、比企谷に背を向けた。待て、と手を伸ばす比企谷だが、身体のダメージは思っているより大きく、立ち上がれない。

 

 

「貴方はまだまだ強くなります。最上の殺し合いをしましょう。……えっと、おいくつでしたっけ?」

 

「……十九」

 

「一つ上でしたか。では、また会いましょう。……せんぱい♡」

 

 

 女狐は立ち去る。

 

 情報に処理が追いつかず、一人思慮に耽る比企谷。

 龍は私であり、私じゃ無い。ただの妄言にしか思えないが、これほどの強さの喰種の言葉を簡単には流せない。

 

 三浦と海老名に連れられて酔いが覚めた平塚が駆け付ける。

 

 女狐。その喰種との出会いを機に比企谷の運命は大きく動き出した。

 

 

 

 

ーーー

 

 

Rc細胞

 人間が持つ血液中の物質。喰種はこれが以上に高く、赫子や再生力、強靭な肉体の所以。

 



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