マフラーの中の赤と白 (4m)
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01 観察

行き交う車、行き交う人。

 

仕事終わりの帰宅ラッシュで賑わう、街の大通り。

街の街灯に灯りが灯り、その道に並ぶビルからはそれぞれネオンの光が外へと漏れていた。

会社員、学生、そしてお客を呼び込む店の店員たちがそれぞれお互いに声を掛け合い、これからの夜の予定を語り合う。

そんな何てことない、いつも通りの夜の路上を、まるでその喧騒を邪魔するかのように男は走る。

人々の間を縫い、時には道路に飛び出し車のクラクションを浴びようとも男は走り続けていた。

 

「はぁ···!はぁ···!」

 

腕を振れない分、息が余計に上がる。

胸の中に抱えている黒と灰色の生き物の分体の幅が広がり、余計に人にぶつかる。

 

「うぐっ···!はぁ···はぁ···!」

 

歩いていたカップルの間に割って走り込み、そのせいで繋いでいた手が離れてしまった

それに腹を立てる彼氏からの罵詈雑言を浴びながらも男は走った。

 

「はぁ···はぁ···」

 

男は尚も走る、周りに構っている時間はない。

 

どれくらいの時間走ったのだろうか。

ついに男は立ち止まり、少し前屈みになりながらも再び走る為に息を整える。

こんなとこで立ち止まってる場合じゃないと、男は自らに言い聞かせながらさっき割って入ったカップルが歩いていった方向をふと振り返った瞬間だった。

 

「···あ」

 

別のカップルが通りすぎたその瞬間に現れたその隙間。

無機質なコンクリートで出来ている、小さな隙間。

道端に並ぶ百貨店の横に小さな裏道を見つけた。

 

「···!···っ!」

 

無我夢中だった。

腕の中で暴れるその生き物の口を押さえながら来た道を戻る。

早く、早くしなければ···来る。

アレが、あいつが来る。

 

何がいるのかわからないのもお構いなしに、男はその路地裏に飛び込んだ。

 

そこは薄暗く、足元にはどこの店の物かもわからないダンボールや木箱が道端に散乱していた。

突き当たりはどこに繋がっているのか右に折れ曲がり、その先からは街のネオンがうっすらと差し込む。

きっと後ろはダメだ、アレは勘がいい。

いや、勘がいいなんてもんじゃない、それがデフォルトなんだ。

そんなものに人間が抗うことなんて出来ない。

 

道の真ん中に突っ立って考えるのもアレだ

男は壁際に背中を合わせ、ゆっくりと呼吸を整える。

よかった、腕の中のコイツも静かになった。

やはり育ちがいい。

男は心の中で胸を撫で下ろし、改めて通路の奥をうかがった。

ネオンがチラチラと通りすぎる人の影で遮られるたび、心臓が跳ねる。

 

寄りかかっている壁際の、上から地面まで真っ直ぐ伸びている鉄の配管に身を隠し、そのまま静かにしゃがみこんだ。

ポタポタと水滴が配管を伝い地面に落ちて、小さな水溜まりが出来ている。

寄りかかった壁が少しひんやりとしているのが幸いで、火照った体が少しずつ冷えていく。

踏んずけた木の板の軋む音、配管の中を流れる水の音、普段は聞き流す筈の音がハッキリ聞こえてくる。

それだけ神経を研ぎ澄まし、周りを警戒しながらも、心臓は不思議と落ち着いてきた。

 

よし、このまましばらくここで静かにやり過ごせば、何とかごまかせるだろう。

 

男がそう思った瞬間だった。

 

配管の奥の突き当たりの通路を曲がった先の喧騒、行き交う人々の影がその突き当たりの壁に街のネオンに照らされて映っている。

その一つ、通りを歩く人たちの影の一つがピタッと止まった。

気のせいだ、気のせいに違いない。

きっとそうだ、きっと···。

 

男が自分の心に必死に語り掛けながら、意を決して配管に隠れつつ、奥をゆっくりと覗き込む。

立ち止まったその影は通りすぎることなく、徐々に徐々に大きくなっていく。

それと同時に聞こえてくる、小さな足音。

影の大きさから、子どもではないことが確かにわかる。

 

「クゥ···!ーー!···!」

 

胸の中で暴れるコイツの口を必死に押さえながら、ひたすらその足音に耳を澄ます。

 

···ヒタッ······ヒタッ···ヒタッ···ヒタッ

 

とそのおぼろげな足音は、ゆっくりと、大きくなっていく。

男の心臓が、落ち着けたはずの心音が、その足音に合わせるように大きくなっていく。

奥の壁に映っている影が段々と大きくなり、そしてその''生き物''の形をハッキリと表すかのように小さくなり始めた。

 

間違いない、この路地に入ってきてるのがわかる。

男は息を飲み、ジッと身を細めるのだった。

下手に動けば、すぐに距離を詰められて終わりだ。

その前にここから何とか抜け出すしかない。

 

そのまま息を潜めジッとしていると、ちょうど男の尻と壁の間の空間に細長い鉄パイプのようなものがあることに気付いた。

 

武器に使えるか?

 

そう思って男が少し体を動かしたのがマズかった。

そのせいで鉄パイプが少し転がり、路地裏に小さくほんの少しだけ金属の転がる音が響く。

それによって男の心臓は跳ね上がり、目をハッキリと見開いて、ゴクリと唾を飲み込んだ瞬間だった。

 

ヒタッ·································

 

その生き物の足音が止んだ。

路地裏はやけに静かになり、通りの雑踏が聞こえ始める。

しかし、男は違った。

そんなものよりも、この路地裏の静寂のほうがよっぽど大きく耳に響く。

お互いに動く気配はない、何かおかしなものがこの空間を支配しているようにさえ感じる。

そんな風に思え、男が空気中に舞うホコリさえも目に捉えるほど神経を鋭く研ぎ澄ますのとほぼ同時に、''それ''は聞こえ出す。

 

 

ヒタヒタヒタヒタヒタヒタヒタ

 

 

足音が素早く連続して聞こえ、みるみるうちに距離が詰められているのがわかる。

逃げ出すのは簡単だ、だが今動けば確実にやられる。

必死に息を殺して、''ソレ''が動きを止めるのをひたすら待つ。

そしてその音がハッキリと近くで聞こえるほど大きくなると、突然ピタッとその足音が止んだ。

まるで消えたかのように、初めからその音を出す物体が無かったかのように、音楽を停止した時のようにピッタリ止んだ。

 

おかしい、いくらなんでもこの水溜まりだらけの路地裏で立ち止まれば水音でわかる。

落ちる水滴の音さえ確かに聞こえる空間だ、一体どうなっている?

男は意を決して、そっと身を隠している配管の影から奥を覗き込んでみることにした。

 

ゆっくりと顔をずらして、奥を覗き込んでいく。

男の右目が通路の奥を捉えるが、そこに至るまで何もない。

奥の壁際に立て掛けてある、百貨店のロゴが入った木の板、同じような配管、水滴で濡れたダンボール、そんな物しか目に入らない。

 

やっぱりおかしい、何も存在していないなんて。

絶対いた筈だ、ありえない、確かにそこに···。

 

男がそう思った瞬間だった、しゃがみこんでいた男の頭上から僅かに入っていた街のネオンの光が何かによって遮られ、目の前が暗くなる。

心臓が脈を打つ、全て音が無音になる、男の頭の中のすべての細胞が、''それ''の原因に気付き始める。

身を隠している配管の反対側だ、何かを感じる、何かが···。

男が顔を上に向け始めるよりも先に、眼球が上に向く。

顔を動かしたくなかった、認めたくない。

そんな一瞬で、ありえない、しかし相手を考えると絶対に···。

 

ギョロッ

 

思考が停止する。

大きな赤い眼球が、男を上から覗き込んでいた。

暗闇でも見えるように、その眼は不気味に赤く光っている。

 

細い足、隙間から見えたその足を隠すようにグルッとカーテンのように囲まれた表皮に、男が隠れていた配管に寄りかかっている手には指が見える。

人間のようなシルエットだが頭部は大きく、その特徴的な頭頂部は顔を半分ほど覆っており、片目だけが男を睨み付けていた。

胸には目の色と同じ、赤い色の三角形の突起が生えていて、極端に細い体。

それはもう、''それ''が人間でないことを確実に物語っていた。

 

「ひっっっぐッ···!」

 

喉が詰まり、悲鳴にならない悲鳴を発するのと同時に、男の目の前が大きくグニャっと歪んだ。

地面のアスファルトが歪み、壁に立て掛けてある木の板も曲がって見える。

そして次の瞬間、

 

「んぼぅう!?ごふっ!」

 

その得体の知れない歪みは突然男の方向へ移動し、腹を殴られたような鈍い痛みが男の体を襲った瞬間、男の体はいとも簡単に宙に舞い、背後の壁へと叩きつけられるのだった。

 

「んがっ!?がっっ!!」

「キャウンッ!」

 

その歪みは尚も残り続け、男を地面に下ろすことなく締め上げるように壁に張り付け続ける。

男と共に空中に浮かんだ鉄パイプや木の板が激しい音を立て地面に落ちると、男はその苦しみに耐えきれず胸に抱えていた''ソレ''を落とし、必死にもがいて抵抗していた。

 

何かわからない、この得体の知れない透明なエネルギーが男の腹の辺りに張り付き、目で見てわかるほどに男の体は少し凹んで、ミシミシと音を立てて壁に押し付けられる。

 

ヒタ···ヒタ···ヒタ···ヒタ···

 

そして''それ''はゆっくりと、配管の影から姿を現す。

横から差し込む街のネオンが、そのシルエットを半分ほど映し出し、男の目がそのヒト形の形を捉え始めるのとほぼ同時だった。

 

「ぐはっ···!ゴボッ!ガッ···!」

 

男の腹を押さえつけていた未知のエネルギーが一瞬にして消えると、そのヒト形は男へと一気に間合いを詰め、片手で首を鷲掴みにする。

ズルズルと、一度は地面へと落ち掛けた男の体を壁に押し当てながら持ち上げたのだった。

 

「ぐっ···なっ···!がっ···!」

 

息が出来ない。

首もとにひんやりと纏わりつく、女性のような細長い指。

腕の力だけで持ち上げているのだから相当鍛え上げられているのがわかる。

両目が光り、その赤い瞳孔は男を睨み続けていた。

こんな薄暗いところでもその目が光っているのは、暗闇でも獲物を捉えるような身体システムのお陰だ。

 

もう何処へ逃げようと追い続けてくるだろう。

 

「グルルッ···!グルルルル···!」

 

地面に落ちて倒れたそいつはいつの間にか起き上がり、男の右方向、男がこの路地裏へと逃げ込んできた方向を見て、低く唸るように声を震わせる。

何かを威嚇するように、その鋭い目はその方向を捉え続けていた。

 

続いて男の首を締め上げている''ソレ''も、その方向へと視線を反らした。

男も必死に抵抗しながら、何とか同じように目線だけをそちらに向ける。

 

街のネオンに照らされて、一人誰かが立っている。

その姿はネオンの影で黒く染まり、男なのか女なのかわからない。

とにかく人間なのは確かだった、シルエットがそれを物語っている。

右手をポケットに入れて、こちらを観察するように立ちすくんでいたのだった。

 

「あっ···!がっ···!たっ···ぐっ!あがっ···!」

 

すでに薄れかかっている意識の中、必死に声を振り絞って男は叫ぶ。

それをわかってくれたのか、男はゆっくりとこちらに向かって歩いてきた。

 

よかった、これで助かるはず。

この状況を見て近寄ってくるのだ、その手を入れているポケットの中に''コイツ''に対抗する''アレ''を持っているはずだ。

 

男がそう思った時だった、その人間はポケットから手を抜くと、手に持っていたモノは男が想像しているものとは全く違った。

一瞬小型の球体のような物は見えた、しかしそれは取り出した物にくっついているアクセサリーのようなものであり、現物とは全く違う。

人間はそれを、右手に滑り込ませるようにはめ込んだ。

布製のようなその生地は男の手を包み込み、五本の指がハッキリ見えて動かせるグローブのような形になった。

そしてその手の甲の部分に、その半球の形をしたアクセサリーのようなものが留まる。

 

次の瞬間、その人間は反対の手でそのグローブの手首の部分を引っ張ると、その球の部分が鈍く、オレンジ色に光り出すのだった。

それと同時に、男の首を掴んでいる''ソレ''に向かって一つ頷いた。

 

嫌な予感がした、男の体から猛烈に冷や汗が吹き出る。

 

その時だった、''ソレ''は男の首を掴んでいるのとは逆の手を、地面に向かってかざす。

すると、また空間が歪んで見えるようなエネルギーが発生し、地面に転がっている鉄パイプの一つがみるみるうちに浮かび上がってくる。

 

「···!···!!ーーー!!」

 

声にならない悲鳴がまた響く。

その浮かび上がった鉄パイプの矛先が、男の体の方向に向いたまま、''ソレ''手元に収まるのだった。

 

「あっ···!がぁぁぁぁぁ···!!」

 

男の悲鳴も虚しく、''ソレ''は大きくその鉄パイプを持った手を振りかぶる。

 

一方それを傍観していた人間の目はそれに見向きもせず、その男の足元で震えている黒と灰色の生き物へと視線が動き、左手をポケットに入れる。

そこから取り出したのは、手の中に収まるほどの小さな球体。

人間は、その球体の外側に付いている小さなスイッチを押す。

するとその瞬間に風船のように膨らみ、赤と白のツートンカラーが特徴的な野球ボールほどの大きさへと変化するのだった



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02 待機

「···」

 

緊張が走る。

背中の辺りから、腕を伝って指先まで痺れるような緊張感。

右手に握りしめたボールから伝わる、無機物の少し冷たい感触。

張り詰めた現場の空気と、他の人達の声。

 

端に置かれたスタンド式のタイマーからブザーが鳴って、表側の電光掲示板にデジタル式の数字が赤く光り、制限時間が表示される。

 

「ラストセット!よーい···」

 

白い紙が一枚挟まれたバインダーを持った同級生が、そのタイマーの裏側に立ってそう声を掛けてくる。

体育館の真ん中を緑色のネットで端から端まで仕切り、綺麗に半分に別れた片方の中心に立って、俺は床にしっかり足を付け、ボールを握り、スタートの合図を待った。

 

「始め!」

 

同時に鳴り響くタイマーのブザーと共に神経を研ぎ澄ます。

自分の周りには、店先に設置してあるスタンド型の看板の中心をくりぬいたようなお手製の装置がいくつも無造作に並べられ、その一つが木の板を倒したような音を発しながら、その中心にポケモンの絵が書かれた的を表示させた。

 

「ふんっ···!」

 

支点として右足を残し、左足を構えて前に出すと、その勢いのままアンダースローの要領でボールを勢いよくその出現したポケモンの的に向かって投げ込んだ。

 

ボールは綺麗な真っ直ぐとした軌道を描き、その的の中心目掛けて一気に飛んでいく。

そして思いっきり的の中心にぶつかると、その衝撃をまともに受けた的は素早く後ろに倒れるのだった。

 

しかし、休んでいる暇はない。

次は後ろ、背後から同じ的が起き上がる音が聞こえたと同時に踏み込んだ左足を素早く戻す。

体を反転させ、軸足は離さず、体の軸をブレさせずに、腰に付けているポーチからボールを取り出し、ボール中央部分の突起を押す。

するとボールはすぐさま手のひらに収まる大きさまで膨らむと、俺はそれをその出現した的へと投げ込んでいくのだった。

 

右前、左後ろ、左前、背後、そして再び正面。

 

次から次へと出現場所が変化する的に、俺は正確にボールを当てていく。

 

体勢を崩せば終わり。

少しでも動作が遅れればそれまで。

 

どんな状況でも冷静に判断し行動する力、それがなければ千載一遇のチャンスなんて簡単に逃してしまう、それどころか、それに気づくことすら出来ないかもしれない。

しかし逆をいえば、その能力を伸ばせば''それ''に気づくチャンスが増えるわけだ。

 

「あと10秒ー!」

 

チラッと視界に入ったブザーの後ろに立っている同級生が、拳を握って最後の追い込みに気合いを入れろと言ってくる。

そう言われなくても今すでに全力全開だ。

 

いかなる場合でも最高のパフォーマンスを。

 

その心構えを小さい時からずっと守り続けてきた。

決められた動作を、決められたやり方で、なおかつ最短でこなすこと、それが''プロ''と呼ばれる世界だと。

一般人の''全開''が、プロで言う''普通''になること、それを目指して何百何千と回数をこなす。

それが、このカリキュラムの達成目標の一つだった。

 

「はい終了ー···。終了!終了終了終了!!」

 

ポーチの中に右手を入れて、次のボールを掴んだ瞬間に、タイマーのブザーが鳴り響く。

 

そのタイマーの裏側の操作盤でバインダーを持って立っている同級生が俺に向かって叫びながら、ブザーのボタンを声に合わせてビービービービーと細かく押すのだった。

 

俺はポーチの中に突っ込んでいた右手からボールを離し、ゆっくりと右手を引き抜いて一息ついた。

まわりで倒れている的が一つを除きゆっくりと起き上がって、スタンバイモードに入るランプが右上で点灯し、授業終了の合図となる。

 

「ズルはダメ。それ以上やったら丸焼きにするからね」

 

自慢のオレンジ色の長髪ポニーテールを手で払いながら、バインダーに挟まれている俺のスコア表に点数を書き込んでいた。

 

「···ふー」

 

一息ついて、腰のポーチのチャックを締めると、両手を上に上げて体を伸ばす。

そのままゆっくりとタイマーが設置してある壁際まで歩いていき、置いておいた自分のタオルで汗を拭きながら、壁際に寄りかかって反対側のコートを観察する。

 

「どうぇぇぇぇっへっ!!」

 

バランスを崩して、中央を仕切っている緑色のネットを揺らしながら倒れ込む体格のいい同級生。

最後の叫びが体育館に響くが虚しくも、それと同時にあっち側のタイマーが無情にも終了のブザーを鳴らす。

 

何とか立ち上がるが、振り返って見たタイマーの数字に再び床に向かって突っ伏していくのだった。

 

「あーあ···」

 

俺に結果を書いたプリントを渡しながらあっちのコート見て苦笑いを浮かべていた相方。

あっちのコートでは、突っ伏したままのその同級生に仲間達が寄っていき、ドンマイドンマイと肩を叩いて慰めていたのだった。

 

「···ドンマーイ」

「おめぇに言われたかねぇんだよぉ!どうせ満点なんだろうがよっ!?」

 

同級生達にあやかって俺も慰めの言葉を掛けてあげたのだがどうも逆効果みたいで、両手で拳を作りながら起き上がり抗議された。

 

「そんなことない、一つ逃した」

「嫌みは百点満点だねっ!」

 

非情にもそう息巻いて俺を言葉でどつき回す同級生に、横から現実を知らせるスコア表がパートナーから渡されて肩を落としてやっと黙った。

 

努力は認める、だけどそれに結果がついてないと意味がない。

俺にだって苦手なことはある、だからこそこのスクールに通っているのだ。

 

「はーい!みんなお疲れ様!まぁまぁ、そう落ち込まないでっ!もうチャイムなるから、残念だけど再チャレンジはまた今度ねっ!片付けちゃってー!」

 

手を叩いて体育館にいる俺たちにそう指示するのはジャージ姿の担任の先生。

ポケモンの事をよく知っていて、授業もわかりやすくて明るい性格から、生徒からも信頼されていて尊敬されていて、誰がどう見ても優秀だと言わざるを得ない女の先生。

 

さすが、ちゃんとした会社から派遣されてきた公認の教師だ。

 

「ほら、立って立って!また今度頑張ってみよう!ね!」

「ううぅ···せんせぇ···」

 

同級生もそんな先生に励まされながら立ち上がり、他のメンバーに混じって的を片付けはじめた。

 

体育館の中央を仕切る緑色のネットが左右にカーテンのように開いていき、紐で結んで置いておく。

中央が開いたことで、こちら側にある準備室へとキャスター付きの的が次から次へと運び込まれて来るのだった。

 

「はい、ん、オッケ。これで全部?」

「たぶん」

「待って待って···!これで···全っ部」

 

次から次へと同じようにキャスターの音を響かせながら運んでは、終わった人は体育館を後にしていく。

残ったのは最初に的を運び込んだこっちのコートのパートナー含む俺たち二人と、最後に的を運んできたさっき床に突っ伏して嘆いていた同級生、というより友達、というよりは幼なじみ。

誰に頼まれたわけでもないのに俺もパートナーも残って最後まで片付けが終わるのを待つのだ。

 

こっち側のコートの人間が、準備室に近くて楽な分、運び込まれてくる的をちゃんと仕舞えるように最後に残って綺麗に並べるという暗黙の了解みたいな決まりがあるにはあるけど、俺たちは特別だった。

 

「くそっ···僕のハリちゃんさえ出せればこんな、捕まえるときはいつも一緒なのに···」

「ポケモンは禁止のはずだ、そもそも相手は生き物じゃないし」

「ズルはダメ」

 

この学校に入ってからも入る前からも、なんとなく一緒にいて、気づいたら近くにいる。

誰から言い出した訳でもないのに、自然とそうなる。

そんな田舎ならではの関係。

産まれる病院も一緒、入った保育園も一緒、そして入った学校も一緒。

町が小さいんだからそうなるのが当たり前だった。

 

的に手をついてそのぽっちゃりとしたお腹を垂れさせながら落ち込む姿も、そんな彼を見て最終的には背中を叩いて少し励ます彼女の姿も、昔からずっと知ってる。

 

「まぁまぁ、世の中ポケモン捕まえるだけが全てじゃないからさっ。元気だしなよ」

「でも···それじゃあ僕の夢が···」

 

二人を見守っていたその瞬間、会話を遮るように体育館の中にチャイムが鳴り響く。

あ、マズッ、早くっ、と彼女が友人と俺の肩を軽く叩いて準備室から颯爽と飛び出る。

 

「はいはい、閉めるよー」

「今出る」

「待って待って···!置いてかないでよ!」

 

彼女は俺たちがまだ中に残っているにも関わらず、扉に手を掛けて閉じようとするのだ。

もちろん冗談だが、そんな慌てた様子を見てクスクス笑うのだった。

全く、なんて友達がいの無いやつだ。

 

「ほらほら早くー、もうみんな戻っちゃってんだから」

 

準備室の鍵を閉めながら、再び彼女は俺たちの肩を叩いてそう言うと、スタスタと体育館の出口へと歩いていく。

 

「···はぁ~あ、もっと上手く出来たら···贅沢かな僕···」

 

彼女に続き、友人もトボトボと歩き出した。

気がつくと、体育館には俺たちだけ。

他の同級生たちはさっさと教室に戻ってしまったらしい。

まったく友達がいのない連中だ。

 

 

ーーーーーーーーーー

 

 

校舎と体育館を結ぶ渡り廊下を抜け、校舎に入ると低学年たちの教室からワイワイと騒がしい声が聞こえてくる。

帰りのホームルームが終わるまでの時間が待ちきれないのだろう。

そんな声を聞いて遠くの職員室から急ぎ足で向かってくる先生達、その手にはホームルームで使うのであろうバインダーが握られていて、それぞれが教室に入ると早速静かにするようにと注意の言葉が聞こえてくるのだった。

 

校舎はその教室がある長い廊下と、その廊下の端にある短い通路を挟んで反対側にもう一本同じような長い廊下のある、まるで長方形のような形をした珍しい作りとなっている。

その反対側にはパソコンが並ぶ視聴覚室や音楽室といった授業で使うような教室が並んでいて、その長方形の中心の空いたスペースにはテーブルや本棚が並び、生徒たちが楽しめる憩いの場となっているのだった。

 

「いいんだ、今はいいんだ!ハリちゃんが唯一無二のパートナーなんだから!これで···挑戦したってルール的には問題はないはずなんだし、可能性だってゼロじゃない!」

「あたしは···うん、ちょっときびしーぃ?と、思うけど···。まぁ、ルール的にもズルではないはず···うん。でも相当努力しないと···」

 

俺たちはその長い廊下同士を繋いでいる、間の短い通路にある階段を上って二階にある自分達の教室へと向かう。

その階段の上にある天窓からうっすらと既に夕日が差し込み掛けていて、もうすぐで夕方なんだというのを体で感じる。

階段のその天井まで吹き抜けているスペースで響く三人分の足音に何だかボーッとしてしまい、俺はそのまま天井を向きながら二階まで歩いて行くのだった。

 

「で、あんたは?」

「···あ?」

「いや、''あ?''って···アレよ。出したんでしょ?締め切りもうちょいだったし」

 

二人で話していた筈だったが、ふと俺に話を振られる。

最近よく''それ''を切り出される。

まぁ、こんな時期だ無理もない。

そろそろ決めておかないと先生も困るだろうし、それは自分自身にも言えることだというのも十分わかってる。

 

階段を登りきり、二階の長い廊下に差し掛かるまで、俺はそんな事を聞いてくるそいつから目をそらし、もうすぐ教室というところまで一向に返事を返さなかった。

 

「···あんたもしかして」

「マジ?」

 

そして廊下の端にある教室の引き戸に手を掛けても、二人の質問に俺は返事を返さなかった。

そんな様子を見た二人は教室に入ると、同級生たちにねぎらいの言葉を掛けられながらも窓際にある俺の机に近づいていき、中を漁り始めるのだった。

 

「おい、プライバシーの侵害だぞ」

 

腰に巻いていた学校支給のポーチを自分のロッカーにしまいながら俺がそう言っても、ガチャガチャと教科書やらペンケースやらを押し退けてその目的の物を探すのをやめない友人

 

「あったあった!」

 

顔に掛かったポニーテールを掻き分けて、机の中に突っ込んでいた手を引き抜くと、同時に出てきた一枚の白い紙を机の上に広げる。

 

「やっぱり、真っ白、前と同じ」

「マジかよ···」

 

目の当たりした現状に、ぽっちゃりしたお腹に若干肘を当てながら頭を抱えられた。

机の上に置いてあるのは、パソコンで作成された、題名に''進路調査表''と掛かれた一枚の紙。

その題名の下には細い黒い線で作られた枠が三つ並んでいて、第一候補、第二候補···とそれぞれ名前がふられている。

 

「同じこと毎回聞いて悪いんだけど、あんた夢とか希望とかないの?旅に出るとか、ジムに挑むとか、コンテストに出るとか」

「···考えたことない」

「僕を見習いなよ、第一候補に''チャンピオン''!ただそれだけ書いて出したんだから!」

「あなたは極端すぎ。再提出食らってたじゃない」

 

まったく好き勝手言われる。

''ポケモントレーナー''···確かに将来の選択肢の一つに挙げられることが多い。

というか、ここのスクールにいる人たちほとんどがそうだろう。

 

「だ、だって···僕はそれが目標で入ったわけだし。い、いいじゃないか!後は···そう、一応''科学者''とも書いたけどさ···」

「いいじゃない、意外と頭良いんだからさ。この前の''ポケモン科学''のテストの結果、まだ根に持ってるんだからねあたし」

「偶然だよ。たまたまヤマを張ったところが出ただけ。そりゃあ···科学の力は凄いとは思うけど···、それはあくまで!僕がチャンピオンになるための布石だからさ!知識は必要だろ?フロンティアの試練の一つにもなってるくらいなんだから!」

 

二人があれだこれだと言い合っている間に、俺は自分の机の椅子を引いて座りそのパソコンの文字以外、自分の名前すら書かれていない紙を手で持って夕日の光に軽く照らしながら眺める。

 

もうそろそろ冬になる、その足音が聞こえ始めてくる秋の初め頃。

日によっては少し寒い日がチラホラ出始めて、今年は少し気温が低いのか、そんな日は町でもマフラーを巻いている人がチラホラ見えてきた。

 

そろそろ自分の将来を決めなければならない。

町を出て、専門の学校に通うなら尚更だ。

近頃は、みんなもう自分の進路を決めて提出したのか、その話は教室の中でも聞かなくなった。

さっき言ったポケモントレーナーや科学者の他にも選択肢はたくさんある。

ポケモン学者、ポケモンのルーツを辿る歴史の研究者、ポケモンをサーカスやショーなどに出演させるための調教師、ポケモンを預かって育てるための育て屋、モンスターボールを始めとする様々なポケモンに関する道具の販売士等々、バトルに関係するもの以外にも職業は数えきれないほど存在し、それぞれの夢に向かって生徒のみんなは技術を磨く。

そうしているみんなは輝かしくて、ひた向きで羨ましい。

 

「で···でっ!」

 

少しだけ黄昏ていると、自分の机の上に勢いよく手をつかれてしまった

一回でそちらに目を向けなかったのが気に食わなかったらしい

 

「どうすんのさあんたは、漠然と···こう、やりたい事とかないの?」

 

言い方はぶっきらぼうだが、言葉の節々に俺の事を心配して言ってくれている感情が見え隠れしているのがわかった。

 

将来を決めないといけない、それはスクールに入っていればいずれ向き合うことだとはわかっていたはずなのに。

やりたい事···本当に漠然とではあるが、ないわけではないのだ。

でもそれは、この進路調査表に書くようなハッキリとした物ではなくて、まるで子どもの夢のような、少しこっ恥ずかしいものだから口に出せずに困っている。

 

それに応えてくれる進路も···無いことはない。

だけどそこに踏み込むには、俺にとってはとてつもない覚悟がいることであって、簡単には決められない。

母さんも···いい顔はしないかもしれない。

 

「···お前はどうなんだよ」

「···あ?」

 

自分の事を誤魔化すように、今度は逆にこっちから聞いてみる事にした。

 

「いや、''あ?''って···、とりあえず俺の事はいいから、お前は何て書いたんだ?俺たちにだけ答えさせるのは不公平だろ」

「そりゃもちろん、あたしはね···この子とっ!」

 

するとおもむろに、その体育用のジャージのポケットからモンスターボールを取り出すと、真ん中のスイッチを押して膨らませ手元に収める。

慣れた手つきでそのまんま、足元の床にそのボールを落とすと、ボールは貝のように上の赤い半円の部分が上に開き、その瞬間中から光が飛び出したのかと思うと、光が晴れていくのと同時にシルエットが浮かび上がる。

 

「ロコ~!」

「コンッ!」

 

パートナーである彼女が呼び掛けるのと同時に、そのポケモン···ロコンは首を左右に振り、そのつぶらな黒い瞳を彼女に向けて問いかけに応えるように短く、可愛く声をあげるのだった。

 

「寂しかった?あたしも寂しかった~ん。ほらおいで、おいでっ」

「コォ~ンッ」

 

そうやって俺の机の上を彼女は軽く指でトントンと叩くと、そのロコンは身軽に一つ飛び、机の上にその可愛らしいおみ足四本で佇み、今度は体を振るのだった

 

その綺麗に整えられた茶色の綺麗な毛並み。

冬に差し掛かる時期なのか、前に見たときよりも毛並みがフワッとしているように見える。

そして特徴的な頭と尻尾のオレンジ色の毛も、手入れが行き届いているのか毛先までとてもサラッとしていて、触り心地が良さそう。

 

「ほら既に可愛い~。あなたポケモンは嫌いじゃないんでしょ?」

「···まぁ、ウチにも居るし」

「あ、ロコちゃん!ほらおいでおいで、お腹だよ~お腹」

「コン~、コン~!」

 

人懐っこい性格なのか、ロコンは呼ばれたほうにテクテクと歩き、その前足の可愛い肉球を友人のその、本人曰く''ぽっちゃり''とした腹に乗せて二足歩行のようにその場に立ってじゃれあいに行くのだった。

そのふさふさとした六本に別れている、若干頭の上にあるとさかのような巻き髪の部分に似ている尻尾を俺のほうに向け、ユラユラと左右に少し振りながら頭をその友人のぽっちゃりとしたお腹に擦り付けて甘える。

 

「冬毛?前と若干感触が違う」

「そ。サロンにも行ってきたからフサフサなのよ。ほら、こっちにも行ってらっしゃい」

 

そう言うと彼女はロコンを少し持ち上げて、頭をこちらに向けるのだった。

俺に向けられたそのつぶらな黒い瞳が、今度は俺の目と目線が合う。

既に全く警戒はしていないのか、目尻は完全に広がっていて目付きは完全に緩み、鼻の先端をヒクヒクとさせて、時折俺の顔に近づかせながら若干匂いを嗅いでいた。

こっちが顔を少し傾けると、同じようにロコンも顔を同じ方向に少し傾けて、興味深そうに俺の行動を真似していた。

 

俺はそんな賢いロコンの頭に手を近づけると、自分が何をされるのか理解しているのか、触れる瞬間には耳を完全に寝かせて頭を少し下げ、目を瞑って大人しく手が頭の上に置かれるのを受け入れていた。

確かに、冬毛なのかフワッとした感触が手のひらに広がる。

撫でているうちにロコンは''コロコロコロ''と喉を鳴らし始め、今度は喉元も撫でてほしいと言っているのか、俺の手をすり抜けるように頭を上げ、自分から喉元へと擦り付けてくる。

 

「よかったね~、ロコ~」

 

俺はそれに従うように喉元、そして体のほうへと撫でるように手を移動させる。

心臓部分より少しお腹寄りの部分に到達すると、そこは他の部位よりもほんのり暖かく、きっとここに炎を生成する器官があるのかと思われる。

ポケモンとは···興味深い、独自の進化を遂げて、それぞれがこの厳しい自然を生き抜く為の術を身に付けている。

 

満足したのか、ロコンは最後に鼻から一息出すと、鼻先を俺の手の甲に一瞬触れさせて、その場に座り込むのだった。

 

「可愛いでしょ~?手に鼻チョンしてくるのは人を信頼している証。あんたも少しは''自分のポケモン''ってものに興味持ってみたら?」

「···今はまだいい。何をパートナーにするのかなんて···まだ考えたことない」

「あら、そう?ならあたしと一緒にロコンにする?抱きしめてると暖かいしね~。カモーン、うふふっ、ね~?」

「コォ~ン」

 

ロコンは飼い主の胸の辺りに飛び込むと、彼女に抱き抱えられながら頭を彼女の首もとに擦り付け、思いっきり甘えていた。

よっぽど彼女の事を信頼しているのだろう、目を閉じて、素直に頭を撫でられている

 

「···夏は暑いけど」

「コンッ!?」

 

人間の言葉が少しわかるのか、彼女が呟いた一言に態度を一変させ、途端に前足を彼女の上半身に当てるとその抱擁から離れようとじたばたし始めるのだった。

 

「ごめんごめんっ、ごめっうっへ!がはっ!わかっ!わかったわかったから!ごめんってばぁ~」

「コンー!!」

 

そんな慌てふためく彼女の言葉も聞かずに、ロコンは俺の机の上に飛び降り、そのまますぐに床の上に飛び降りと、身軽に一瞬でその動作をこなし、置きっぱなしになっていたモンスターボールに軽く頭を触れさせて、少しだけ開いたそのボールの隙間から出た光に包まれて中に吸い込まれていくのだった。

 

「あぁ~!ロコ~···」

「随分と賢いロコンだ。俺より頭いいかもな」

 

弱々しくしゃがみこむ彼女は床に置いてあるモンスターボールを拾うと、中央のスイッチを押して小さくし、ポケットへとしまいこむ。

が、しかし、余程ショックなのか、地面にしゃがみこんだままうなだれてしまっているのだった。

 

「だ、大丈夫大丈夫!僕のハリちゃんもたまに拗ねるときもあるけど、すぐ仲直りするからさ!ご主人でしょ?その子もわかってるはずだって!ホラッ、前の喧嘩の時も···」

 

一生懸命励ましているが、彼女は立ち上がろうとしない

 

「この子は結構根に持つタイプなのよ~。夜ご飯になっても出てくるかどうか···」

 

励ましの言葉を掛けられてもますます落ち込んでいく彼女だったが、突然自分の両頬を両手で叩き、勢いよく立ち上がるのだった。

 

「えぇ~い!落ち込んでたってしょうがない!後で謝る!そして許してもらう!くよくよ悩んでたって、この世はしょうがない時だってある!」

 

あるのよ!と意気込んでみせるが、どこかその表情は浮かばれない。

もうすでに根に持ってしまっているのか、落ち込んでいるのが表情に出てる。

···何とかは飼い主に似るってやつかもしれない。

となると、案外すぐに仲直りするかもしれないな。

お互いに思ってることは一緒なんだし。

 

「とにかく!あたしの夢は、この子と一緒に警さ···つ···」

 

そこまで言いかけて、彼女はそれ以上喋るのを止めた。

俺たち二人のやり取りを見ていた友人も、どうしたらいいかわからないという表情で、気まずそうに俺と彼女とを交互に見比べていた。

一番申し訳なさそうにしているのは、彼女。

バツが悪そうに、さっきまで自信満々で語っていたその表情が歪んでいく。

俺たち三人の間に微妙な空気が流れていって、周りのクラスメートたちの雑踏がやけにハッキリと聞こえてくるのだった。

 

「···ごめん」

「何であやまる、気にするなって言ってるのに。まだ小さい頃の話だし、だから俺もよく理解できなかったから、よく覚えてない。立派な夢なんだから胸を張ってればいい。ここを卒業したら、そういう学校に行くんだろ?」

「うん、色々調べて···あなたのお母さんにも教えてもらったの。街に行ったら丁度いいところがあるからって」

 

彼女が語る夢に、俺と友人の二人は無言でうなずく。

彼に関しても彼女に関しても、自分で目標を決めて目指した道だ。

応援したり心配したりはするが、馬鹿にはしない。

これから先はそれぞれが自分の道を歩いていく、いつまでも一緒というわけにもいかなくなってくる。

 

「はいはいみんなー!席についてー!ごめん!着替えは後で!先にホームルームやっちゃうからー!はいはいそこー!早く座ってー!」

「ごめんなさいごめんなさい!座りますー!はいはい、あんたも行った行った行った」

 

彼女に背中を押されて、無理やり自分の席へと追いやられる友人。

そして彼女も、少し離れた自分の席へと戻っていく。

 

「さっきの反省と報告は明日の一時間目にやるから、今日はいいからねー。じゃあ、明日についての連絡なんだけどー···」

 

黒板にチョークで文字を書きながら、白衣姿に着替えた先生は色々説明するが、クラスメートのほぼ全員がきっと聞き流しながら放課後何をしようかと考えていることだろう。

彼女でさえ、隣の席の女友達とヒソヒソと先生にバレないように話している。

それでいいのか未来の警察官、固く考えすぎるよりはいいのかもしれないけど。



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03 待機

「それとー!先週ふざけてー!''森''に入ろうとしてる生徒がいたのー!危ないから絶対に入っちゃダメだからねー!」

 

ホームルームの終わりの挨拶の後で、周りがガタガタとカバンを背負うなり、机の位置を直すなり、自分のロッカーから物を取り出したりする雑音と会話の中で先生が叫んでいた。

クラスメートたちは聞いているのか聞いていないのか、先生のほうを振り向くこともなく生返事だけで我先にと教室の扉を開き、階段へと歩いていく。

もう帰るだけなのだからか、みんなジャージの上から上着を羽織って、着替えをバッグに押し込む。

大体の人たちは階段へ向かうが、二階の中央にある本が置いてある図書スペースへと赴くものもチラホラいる。

勉強する···そんな人たちも希にはいるが、大半は放課後残ってその図書スペースの一角に置いてあるトランプで遊ぶメンバーが多い。

先生もそんな光景にはもう慣れっこなのか特に何も言うこともなく、見向きもせずに黒板に書いた文字を綺麗に消していくのだった。

 

「それじゃ私、図書委員だから。行くね、じゃっ」

「ああ、じゃ」

 

彼女は一言俺にそう言うと、その希なメンバーに混じってその図書スペースへと赴いていく。

遊ぶ為ではない、もしルールを守らなかったりする奴らがいたら丸焼きにするためだと本人は言う。

頼むから本までは燃やさないでほしいと願うばかりだ。

 

「じゃあ僕も、今日は父さんが久しぶりに帰ってきて家族で食事なんだ。今日は真っ直ぐ帰るよ」

「わかった···、じゃあまた今度」

「ごめんね、埋め合わせはするからさ!じゃっ!」

「ああ、じゃっ···」

 

そう言うと、そいつはそのぽっちゃりしたお腹を揺らしながら、駆け足で階段を降りていくのだった。

食事か···町一番のお金持ちの御曹司も大変だ。

 

いつの間にか教室に残ったのは俺を含む数人の生徒と、教師用のデスクを整理している先生だけ。

なんで残っているのかって?あいつらが机の中をメチャクチャにしたからだ。

ちゃんと収まるように物をしまっていたはずなのに、どうも一度物を引っ張り出すとうまくいかない。

出したのなら片付けていってほしかった

 

「うーん、明日は一時間目はこれで···教員会議は五時からだから、作業はその後で···」

 

気がつくと、周りにいた数人の生徒はいつの間にかみんないなくなっていて、教室に残っているのは俺と先生だけになっていた。

先生は自分のパソコンに向かってボソボソとぼやきながらキーボードを操作していて、俺はというとやっとゴールが見えてきたところだった。

後は、この開けたスペースに物を順番に入れていけばいいだけだ。

お互い無言で作業を続けていると、廊下から聞き覚えのある声が響いて聞こえてくる。

 

『こらぁ!それ以上うるさくしたら丸焼きにするからねー!』

 

お前が一番うるさいと思うけど、とツッコみかけたがそれをグッとこらえて教室の出口から廊下を見つめていると、ふと先生がクスクス笑っているのに気づいた。

 

「ふふふっ、やっぱりあの子、とっても元気ね」

「はぁ···、すいません」

 

なんで俺が謝らないといけないんだろう。

昔からの腐れ縁だからか瞬時に反応してしまう。

しかし彼女が叫んだことで図書スペースでトランプをしていたメンバーが静かになったことも事実だ。

本人も悪気はないのだから文句を言うにも言いにいけない。

 

「いいのよ。彼女のおかげで図書スペースの安全は守られてるもの。先生たちもわざわざ見廻りに行かなくてよくなったって喜んでるわ」

「暗黙の了解ですか」

「内緒ですよ?」

 

その先生は可愛らしく、人差し指を立てて唇の前に持ってくると、俺と先生の二人しかいないはずの教室の中で、わざとらしく声をひそめてそう言うのだった。

 

「さすが、将来警察官を目指しているだけあるわね。普段の態度を見ても、自分に自信を持っているし、声は通って聞こえるし、その素質は十分に整ってる。私も将来逮捕されないように注意しなくちゃ···なんてね」

「···」

 

話の流れが少々怪しくなってきたので、俺は残りの物を机の中に適当に詰め込むと、横に掛けてあったバッグを持って素早く教室から出ようとしたが、''···さよならっす''と頭を下げた瞬間に''ちょっとまって''と声をかけられる。

 

「今時間ある?少し話したいことがあるのだけど、ここに座って?」

「···はい」

 

先生はそう言うと、近くにあった他の生徒の机の椅子を自分のデスクの傍に置いて、手で指し示して俺に座るように促される。

先生のその口調は、俺に''帰る''という選択肢を与えない強気なもので、簡単な話ここに座れと言われているのと同じだった。

俺は逆らうことも出来ず、持った自分のバッグを一旦また机の上に置いて、言われた通りにその用意された椅子に座る。

 

「さて···っと」

 

先生は自分のパソコンの画面を、デカデカと中央に''ND''と書かれているデスクトップに戻して、その自慢の茶髪のショートカットを手で払ってから俺と向き合う。

近くに来ると、その着ている白衣からはほんのりと科学薬品のような匂いが漂ってきているのがわかり、それを誤魔化そうとしているのか、少しだけ柑橘系のような匂いもする、香水だろうか?

 

「なんで呼ばれたか···わかる?」

「···ええ、まぁ」

「あの後、お母さんとはお話···したかな?」

「···まぁ」

 

前にも同じことがあった。

それは数ヶ月前のことだったが、その時は母さんも一緒にいて、三者面談のような形式だった。

その時には自分の他にもまだ進路に迷っているクラスメートが周りにいて、俺と同じように悩んでいる人を集めて面談をしたのだ。

その甲斐があって、クラスメートたちは次々と進路が決まっていき、気がつけば今こうやって進路について先生と話しているのは俺だけになってしまっている。

 

「悩む気持ちはわかる、ものすごくわかる。先生もあなたくらいの年頃の頃は凄く悩んだから。ポケモンが大好きだったから、何かポケモンの役に立つ仕事がしたいって、漠然と思ってたの」

「だから···''先生''ですか?」

 

俺は咄嗟に思い付いた答えをぶつけてみた、しかし···。

 

「ううん···実はそれも違うの」

 

先生はパソコンを操作して、デスクトップの端に並んでいたアイコンをクリックすると、画面いっぱいに活字と数字が並んだプロフィールのようなものを映し出す。

そこには、俺に関する今までの学歴や成績などの情報が事細かに表示されていて、住所や氏名、年齢なども書かれている。

 

「先生はね、その時の···私にとっての''先生''に、今と同じようにこうやってお話ししてね、自分自身を客観的に見つめてみた。今の私には何が出来て···何が出来ないのか。まずは自分のことを知ってみようって思ったの、だから今のあなたみたいに···」

 

先生はカーソルを動かして、それぞれのカリキュラムの文字の部分をクリックして、より詳細に学力を画面に表示する。

体育の部分、ポケモンの捕獲に関する基礎的な運動能力と知識、ポケモン科学、語学や算数、高学年では数学、理科等必修とされる科目に関してはA評価と表示されていて、それは今まで積み重ねてきた学年ごとに同じアルファベットが並んでいた。

 

「うん、非常に優秀です。問題も起こさないし、友人もいるみたいだし。内申も悪くない。ただ一つだけ気になるのは···''ポケモン学''かなぁ。決して悪い成績ではないんだよ?だけど···他の教科と比べてみると、ここだけ悪目立ちしている感じなんだよねー···」

 

先生の言う通り、パソコンの画面の中の''ポケモン学''という科目の部分だけ''B''という評価が表示されている。

決して悪くはない、悪くはないのだが、俺の成績表を一目見ると、そこだけ目立ってしまうのは俺でもわかる。

これが進学先の先生なり、就職先の担当者なりが見るなら尚更だ。

何だか気になる部分というのは間違ってないだろう。

違和感を感じるのは俺も一緒だった。

 

「ポケモンは嫌い?」

「そんなことは···ないですけど」

「あれから自分のポケモンは?」

「···持ってません」

 

ポケモン学とは、簡単に言うと···トレーナーズスクールでよく学ぶバトルのやり方や技の使い方とか、そういうポケモンバトルのことなどを一切省いた、純粋にポケモンという生き物について学ぶカリキュラムで、ポケモンの体の構造から、生態や、生息地からみる様々な生活スタイル、食べ物の趣向など、生態系に関するあらゆることを学んでいけるのが特徴的だ。

しかし、新種のポケモンは絶えず発見されていくため、''これ''とか''この教科書''を学んでおけば終わりということはなく、''常に勉強''しなければならないのが、大変なところだ。

 

「あなたは、そう···ポケモンに興味がないわけじゃないのよね?そうじゃなきゃ、こんないい成績はとれない。だけど、一歩踏み込めていない。違う?」

「···はい」

 

先生の言っていることは、正しいけど少し間違っていた。

踏み込めていないわけじゃない、自分から踏み込まないだけなんだ。

解決策が分かっているだけ、余計に俺を苦しめる。

きっとこの感情は今は、まわりの誰にも理解できないだろう。

 

「だけどそれはね?見方を変えると完全に悪いって決めつけることでもないの。実を言うと、ちょっといいことでもあったりする」

「何ですかそれ?」

「ポケモンに対する偏見がない。あなたの頭の中ではポケモンは皆平等になってる」

 

先生は自分のデスクの一番下の、大きい引き出しから小型のテレビのようなものを取り出してデスクの上に置いた。

最近の薄型テレビとは全然違う、片手で持てる小さい四角い箱のような、色も少し落ちていて傷も入ってる。

年期の入った代物だった。

 

「ごめんね~、ちょっと古いんだけど先生これしか持ってなくて。''おしえテレビ''っていうんだけど、電源つくかなぁ···」

 

画面の下に配置されている、他のよりは一回り大きいボタンを押すと、テレビの画面が一瞬ちらついて、やんわりとその中に映像が映し出されてくる。

その画面は普段みているテレビよりも大分ぼやけて見えて、この機械が相当古いものだとわかった。

 

「よかったよかった。例えばね···こういう風に、技術はあるわけだから、この画面に映ってるお兄さんみたいに、他の人に教える''インストラクター''って職業もある。バトルのやり方、道具の使い方、それこそ、さっきの体育でやってたポケモンの捕まえ方とか」

 

画面の中ではお兄さんが説明を交えながらモンスターボールを投げて、その使い方やコツを教えている映像が流れていた。

それに続けて先生は、わざマシンの使い方やポケモンの相性の解説の動画など一通り紹介し終えると、そのテレビを机にしまう。

 

「ポケモンを平等に扱えるってことは、様々なポケモンを差別することなく接することができる才能がある。きみは悪いところを直そうとするよりも、長所を伸ばしたほうがいいかもしれないね。そうすると、自ずと道が見えてくると思う」

 

パソコンの画面も元のデスクトップに戻すと、今度はさっきテレビをしまった引き出しの一つ上の引き出しを開けて、何冊かの冊子を取り出した。

 

「無理に今将来の職業を決めなくてもいい。とりあえず進学して、さらに技術や知識を磨いてから将来を決めても遅くはないから···そういう道もある。たとえば···これとか」

 

その冊子を開きながら、先生は説明していく。

そこには、スクールを卒業した生徒がさらに技術を身に付けるための学校。

ポケモンをたくさん扱う研究所などの紹介、そして最後の極めつけは、表紙にデカデカとシンプルに''ND''と書かれた大手複合企業のパンフレットがあるのだった。

 

「先生も勤めているこの会社。今は、私は先生としてこの町に出張になっているからここにいるんだけど、大元はここなの。ここもポケモンをたくさん扱ったり、研究したり、病院も持っているからポケモンの健康診断もやったり···」

 

多分、説明しなくても知らない人はいない。

この地方では有名すぎる会社だ。

テレビやラジオでよくCMはやってるし、新聞にも広告が一面で載っている。

会社が主催でイベントもやってるし、逆にスポンサーとしてお金を出したりもしている。

 

「だからいずれ、たくさんのことを学んだらそっちを考えるのも、先生いいと思うな。それだった力になれることもあるし···後輩が増えることは、私も嬉しいしね」

「···考えてみます」

 

先生なりに考えてくれた結果なんだろうけど、俺はまだこの場では決められなかった。

開いてくれたパンフレットを閉じて、先生のほうに押し戻す。

先生はそれを何も言わずに受け取ると、再び引き出しに戻し、''話はそれだけ''と言って立ち上がるのだった。

俺は座ったまま先生を見上げる

 

「とりあえず、進路調査表は出してね。期限は···今月中。病院でポケモンの健康診断がある次の日ね。これだったらわかりやすいでしょ?」

 

それを最後に、先生はクラス名簿を手に白衣を翻して教室の出入口の扉を開く。

''気をつけて帰ってね''それだけ言い残すと、先生は廊下に出て、うるさい図書スペースの''お目付け役''にも挨拶すると、反対側の廊下にある理科室へと姿を消して行くのだった。

 

誰もいなくなった教室で、俺は座っていた椅子を元の位置に戻し、自分のバッグを持って出入口へと向かう。

 

「あ···、よっ」

「···よう」

 

図書スペースの机についている彼女が、手を胸元で少し挙げて声を掛けてくる。

俺も軽く返事をしてから階段へと向かおうとしたが、挙げていた手でそのまま小さくこ招いていたので、誘われるままにその机に近づいていく。

さっきのトランプメンバーは帰ったのか、すっかり彼女一人で本を読んでいたようだ。

 

「お小言?」

「みたいなもん。さっさと進路調査表を出せってさ」

 

予想していたのか、彼女もさほど驚いておらず、首を縦に振るだけだった。

 

「色々紹介された、進学とか、インストラクターとか、あと···先生と同じ会社」

「すごい大手じゃん。不自由も何もないんじゃない?」

「そうだけど···」

 

そうだけど、俺には引っ掛かるところがある。

進学にしろインストラクターにしろ、むしろそんな大手企業に入るなんてことになったら、町を出ていかなくてはいけなくなる。

家に···二人だけにしてしまうことになる。

できればそれも避けたいことだった

 

「ひょっとして、家族が心配なの?」

「···まぁ、それもあるよ」

 

地元を離れるということに慣れない。

旅に出る人たちは本当に尊敬する。

ジムを制覇するなりコンテストに出るなり、目標があれば別なんだろうけど、これといって明確な目標もなくて地元を離れるなんて、家族を残していくのは、心もとない。

 

「そっか···一度お母さんに相談してみたら?時期も時期だしさ」

「わかった···考えてみる。お前によろしくいっておいてくれって言ってた。チョコクッキー美味しかったよ」

「ホント!?イエローちゃんは!?」

「···無反応だったけど、無反応ってことは嫌がってはいないと思う」

 

そう伝えると彼女は大層喜んでいる様子だった。

 

去り際に彼女からもう少しで終わるから一緒に帰ろうと言われたが、寄るところがあるから今日はダメだと言うと、しぶしぶ諦め···なかった。

魂胆は見えている、イエローに会いたいのだろう。

 

「''店''にしばらくいるかもしれないし、ずっと待ってるっていうなら別だけど」

「いや···それならお断りしようかな···あはは、そしたらイエローちゃんによろしくね!今度また遊びに行くって伝えておいてっ!」

「はいはいわかった。それと、イエロー''ちゃん''じゃなくてイエロー''くん''な」

 

彼女がポケモンに嫌われてるわけではないが、絶妙に嫌がられてる理由が薄々わかる。



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04 報告及び審議

学校の正面玄関の扉を開くと、右上から夕日の光が眩しく降り注ぎ、ヤミカラスが騒がしく頭上を通り山へと帰っていく。

一羽や二羽ではなく、数えきれないほどの数が四方八方を山に囲まれたこの田舎町の上空を飛び回り、それぞれの巣へと帰っていくのだった。

 

学校用の道路を挟んだ目の前の大きな茶色のグラウンドでは生徒たちが残って野球をしていたり、端っこにある大きなジャングルジムで鬼ごっこをしていたりと放課後を満喫していたが、地面に置いてあった自分のバッグを手に取って家に帰る人もチラホラ出始めていた。

それと入れ替わるように、少年少女野球団の子どもたちがユニホーム姿で自転車に乗って次々とグラウンドに来ては、練習の準備を始める。

 

自分が着ている上着のチャックを上までしっかり上げ、そんな様子を見ながら学校を離れていくと、今度は学校の裏にある大きな記念のモニュメントから鐘がメロディーに合わせ四時を知らせる音が聞こえて、そのすぐ横にある一面緑の芝生のフィールドで生徒達がサッカーをするのが見えた。

チームジャージを来ているのを見ると、この町のクラブチームだろう。

みんなやりたいことを見つけて、各々が目標の為に行動していた。

 

あまり深く考えず、俺も''お店''に向かうことにした。

グラウンドの横を通り、すぐそばを流れている町の中心を分断するように流れている小さな川に架かるトンネル状の橋を渡り、反対側に出る。

田舎なので町の中には建設会社の資材などを置いておく土場がいくつかあり、そんな場所が町の中心部分にある光景も珍しくない。

ここもそうだ、トンネルを抜けたらすぐに工事用のトラックが何台も停まっていて、もう夕刻だからか仮のプレハブの事務所からハチマキを頭に巻いている作業員の人たちが次々とトラックに乗り込んで、町の中にある本社へと戻っていく。

 

「気をつけて帰れようっ!」

「はい、さようなら」

 

通り過ぎざまに、トラックの中からお兄さん達に声を掛けられる。

父さんの顔が広かったこともあって、町の人たちはよくこうして挨拶をしてくれることが多い。

俺だけに限らず、町の人たちは子どもでも大人でも、朝も昼も夕方も何かと一声掛けてくれる。

そのおかげで怪しい人がいても一瞬で誰かが気付くのが町のいいところで、天然の監視カメラがそこらじゅうにあるのと一緒だ。

 

田舎ならではの特徴、とでもいうのか。

大体が顔見知りになる。

 

「···ふむ」

 

そのまま裏路地の住宅地に入って大通りを目指す、奥さんたちが夕飯の材料がたくさん入ったビニール袋を持って車から降り、家に入っていく姿をちょくちょく見かけるようになってきていた。

家の扉を開けると大体その家のポケモンが出迎えていて、手伝える者は主人である奥さんの代わりに荷物を持ったりと、微笑ましい光景が広がる。

 

そこから少し歩いて、大通りにある数少ない信号機の一つを曲がると、夕日が一段と眩しく遠くの山の上から見える

その山を見ていると、目線の先に目的のフレンドリーショップが見えた。

うちの近所にある唯一の食品売り場兼雑貨屋だ。

 

「ムッちゃん!ムッちゃん!ムッ~ちゃん!」

「ムッ、ケムッ、ムッムッ」

「はいはい、ヤミカラスが鳴いたから帰りますよ~。ほらっ、神様にご挨拶して」

 

歩いていく最中、フレンドリーショップの隣にある大きな鳥居の抜けた先、綺麗に敷き詰められた石の通路の先にある大きな神社の本堂の前で遊んでいる親子が神社の鐘を鳴らし、手を合わせているのが見えた。

その女の子のポケモンなのだろうか、ケムッソも女の子の足元にムニムニと体を伸縮させながらすり寄り、その女の子の真似をして頭を少し下にペコリと下げていた。

 

微笑ましい光景を眺めながら、俺はフレンドリーショップの前まで行き、もう全自動ではない自動ドアを手で開けて中へと入っていく。

 

「いらっしゃい···おお、少年君」

「どもっ···」

 

色あせた古い飲料のポスターがいくつか貼ってあるカウンターに座っていた店員のお兄さんが、顔を上げて俺に声を掛ける。

しかし目が合ったのは一瞬で、すぐにお兄さんはカウンターの上の作業に戻ってしまった。

青いバンダナに青いエプロンをしている姿からまだ営業中だと思うんだけど、その作業は趣味か何かなのか?

カウンターにゆっくり近づいていくと、その上には小さな作業台があって、何やら小さなチップの様なものにはんだごてを当てて、細い配線を繋ぎ合わせようとしているようだった。

 

「前から思ってたんだけど、それなに?」

「少年君にはまだわからないものさ」

「お店のもの?」

「そうといえばそう」

「違うと言ったら?」

「半分は自分の趣味みたいなもの」

 

聞いてもはぐらかされて埒が明かない。

わかっているのは何かの機械の部品ということだけ。

カウンターにいるときはよく見ている光景だからもうあまり突っ込んで聞かないけど、どうせ暇だしやってても田舎だから誰にも何も言われないと本人は自分で言っていた。

確かに、冷蔵庫の商品棚に自分の夜ご飯とか余り物とかを入れておけるくらい田舎なのだから本当にそうなんだろう。

 

「新刊入った?」

「そっちに出してあるよ、ポケモンカードは全滅。あれ?今日、大将は?」

「家族で食事だってさ」

「ほう、町一番のお金持ちの息子も大変だ」

 

お兄さんは、あいつを体格で判断しているのか、''大将''と呼ぶ。

本人が納得しているからいいけど、実際町でもあの家族がそんな感じのポジションだから違和感がない。

それだけやり取りすると、俺は入ってきた''元''自動ドア側のガラス窓のほうにある本の陳列棚に置いてあった雑誌を手にとってパラパラとめくる。

色々な地方の色々な情報やニュースが載っているこの雑誌、テレビでやらないようなことまで載っているので読んでいて面白く、さらに様々な地方の職業まで載っているので、勉強も兼ねて読んでいるのだが···。

 

「少年君、それ読んでて面白いかい?中々いないよそんな生徒は。みんなその隣の漫画の本は買っていくんだけどなぁ」

「俺が面白いからいいんだよ」

 

あいつと同じことを言う。

今日は来なかったけど、ポケモンカードを物色し終わったら大体はお兄さんの言うとおりその漫画の棚へと移っていく。

後は、店に来る生徒達は大体店の奥に伸びる商品棚のお菓子を選んでいたり、ポケモン用の商品を選んでいたりと、それぞれ自由に見て回っているのを見掛けるが、やはり一番手に取られているのは''アレ''だった。

 

「少年君は、まだポケモンに興味がないのかい?」

 

案の定、声を掛けられたほうを見てみると、お兄さんの片手には、赤と白のツートンカラーの球体が握られていたのだった。

おそらく、うちのスクールに通っている大半の生徒は買いに来る代物だろう。

 

「···そういうわけじゃない」

 

再び雑誌の紙面に目を通すが、やはり特集として多く組まれているのは地方のポケモンの話と、その地方の特徴的なモンスターボールといったようなポケモンに関することばかり。

珍しいポケモンだったり、幻といったポケモンを見たといったような都市伝説のような話だったり、それの捕獲は現在の技術で可能なのかどうかなど、やはり捕まえることが大前提であるように話が進んでいる。

 

また背後からはんだが溶ける匂いがしてきた。

 

「でも結局は、付き合っていくパートナーを選ぶ時が来るんじゃないのかい?町を一歩出れば野生のポケモンが飛び出してくるわけだし、旅に出る他の子たちも自分のポケモンは必ず持ってる。一生のパートナーになるかもしれないんだから、とても運命的だろうね。ある意味恋人以上さ」

 

お兄さんの言う通りだ。

読んでいる雑誌にも、地方のトレンドのポケモンが載っている紙面が広がっていた。

ジム、コンテスト、それだけでなく様々な職業、建築だったり農業だったり、はたまた芸能界のアイドルのような可愛いポケモンが有名な俳優と一緒に歌って踊っていたり。

 

やはり生活になくてはならない存在になる。

この世界で共存していく限り必ずといっていい程の関わっていかなくてはならない。

それはたとえポケモンが嫌だといって逃げたとしても、どの地方に行ったって同じことだ。

 

「もしその時になったら喜んで協力するよ少年君、お得意様の大事な門出になるんだから。ほら、モンスターボールなら売るほどある」

 

それだけ言うと、お兄さんは作業に戻って話し掛けてこなくなった。

それはそれでポケモンの事を聞かれなくなったからいいけど、今度は俺が背後にチラチラと目を向けるようになった。

バトル用品に、ポケモンフーズに、モンスターボール。

必要な物は店に全て揃っているが、自分が使うなんて考えもしなかった。

アレが入ったコレが入ったとお兄さんは小さい頃から教えてくれるが、未だに良さがわからない

 

「あ、そうだ」

 

お兄さんが思いついたように顔を上げて作業を中断すると、背後の···おそらくお客さんから頼まれて取り寄せた予約品なのだろうか、そんなのがたくさん置かれている棚の片隅から、片手に収まる大きさの小さなスプレーのようなものを取り出して俺に見せてきた。

 

「これ、少年君にあげるよ。なに気にしないでくれ、問屋からもらった試供品だから」

「···何これ」

「改良された第三世代のキズぐすりだってさ。''とっさの怪我にもシュシュッと解決!効き目、即効性、当社比31%向上!普段の生活、バトルの時も、どんな時でも頼れる老舗の相棒!''···だ、そうだよ。治験を終えて申請も通っていよいよお店に並ぶから貰ったのさ」

「俺貰っても意味ないと思うんだけど」

「イエロー君がいるじゃないか。それに、これがキッカケになるかもしれない。持っていて損はないだろう?」

 

そう言うと半ば強引に俺の手に渡してくるお兄さん。

雑誌を棚にしまって、お兄さんからそれを渋々受け取った。

手にフィットする握りやすい形状で、これを患部に近づけて上の押し込み式のスイッチを押すと出る形状らしい。

観察してみると使いやすく考えて作られているのがわかった。

 

俺が興味ありげに眺めている光景が嬉しかったのか、お兄さんは上機嫌で再び作業に戻る。

なんだか手のひらの上で踊らされているようで納得がいかなかった俺はそのキズぐすりをバッグの奥に適当に放り込むのだった。

抗議しようとカウンターの前に行ったその時に、外から車のヘッドライトの光が店内に差し込んで流れたのがわかった。

おそらく隣にある神社と共同の駐車場に入っていったのだと思う。

 

「お客さん?」

「···たぶん、少年君も早く帰ったほうがいいかもね」

 

お兄さんはそのカウンターの上の作業台に乗せてあるチップごと作業台を持ち上げてカウンターの裏にしまった。

さすがに普通のお客さんが来るときはマズいのだろうか。

さっきあまりここに住んでいる人は気にしないと言っていたが、そうではない人なのか

そう考えると特別扱いされているようで気分はいいけど。

 

「こんばんは。あら、まだお家に帰ってなかったの?」

 

入ってきたのはなんと、先生だった。

さっき学校で着ていた白衣は置いてきたのだろうか、普通に上は暖かそうな薄いコートにチノパン、そして首もとを隠すようにマフラーをしている。

それよりも寄り道しているのがバレた。

確かにマズいかも。

 

「先生さん、この子は帰ろうとしたら僕が呼び止めたようなものです。誰もいないから話し相手になってほしいっていう具合に。だからこの場は何卒、ご容赦してやってください」

 

そうお兄さんが先生に言った瞬間に、お兄さんは俺に目線で合図を送ってきた。

''感謝しなよ''とでも言いたげなその視線に俺はますます踊らされているような感覚になり、先生側に目線を反らしてやった。

 

「あら、そうだったの?でも、寄り道はダメよ。勉強道具を買いにきたのなら、先生もアドバイスしてあげる」

「···結構です」

 

先生からも目を反らして、俺は足早に店から出ていくことにした。

また学校でしたような話を蒸し返されても嫌だ。

そして変に勘ぐられて怒られるのもめんどくさい。

その自動でなくなった自動ドアが今はとてももどかしい、後ろから先生の視線をひしひしと感じる。

無理やりいつもより力を入れて開けたそのドアを後ろ手で閉めて、俺は店の前の歩道に飛び出した。

 

「なんで先生がここに···」

 

行きつけなのだろうか?

ここに来て鉢合わせするのは初めてだ。

 

息を整えて帰路につこうとすると、道路を挟んで向かい側にあるガソリンスタンドには、さっき土場から戻ってきた建設現場のトラックたちが明日の為に燃料を入れている光景が広がっていて、夕飯の前に今日最後の散歩をポチエナとしている人や、遠くのコンビニに夕飯を買いに来ている姿が見えるなど、田舎で人が少ないからこそ見えるし目に入る夕方の一幕が広がり、一日の終わりを感じさせていた。

 

山の頂から差し込んでいた夕日がさっきよりも小さくなって、街灯がぽつらぽつらと点きはじめ、町の大通りをまっすぐ照らしていく。

ネオンが一切ない、街灯の明かりだけでも町を取り囲んでいる山々がうっすらと見えるのだ。

その中には、神社から真っ正面に位置している山の上、整備された登山道の終点にその入り口は存在していた。

 

''森の口''、町の大人たちは昔からそう呼んでいる。

 

そこだけぽっかりと木が伐採されて、口のように見えるからだろうか、そんな名前がつけられていたのだった。

 

その先は先生の言っていた通り危険だそうで、NDが行った調査でも人間が入るには危険で適さないと判断が下されたため登山道もそこの手前で止まっており、そこは引き返して降りる前に休憩できる木のテーブルと椅子、そして屋根がつけられた休憩所が設けられて終わりとなっている。

 

「···帰ろう」

 

腹も減った、町からは都会のような排気ガスの変わりに夕飯の匂いが漂ってきていて、食欲をそそられる。

俺は歩き出した、帰るといっても家はすぐそこだ。

でも少し寒くなってきた、俺もマフラーを首に軽く巻く。

1ブロックも歩かない、フレンドリーショップを右に出て進んだ先のすぐの交差点、信号機すらないその十字路を大通りを横切るように渡った先の角にある家だった。

何の変哲もない、二階建ての一軒家。

 

もう母さんも帰ってきている、下のリビングからはガラス越しに光が漏れているのだった。

 

「ただいま」

 

玄関のドアを開けて中に入る

返事がない、しかし奥で人が動いているのがリビングのドア越しにわかった。

気づいていないのか、そのドアも開く様子がない。

このまま玄関にいるのも寒いので、玄関のドアを閉め、一旦フローリングの廊下の上にバッグ、その上にマフラー、その上に上着と中に入る準備を進める。

 

その時だった、リビングのドアが開いた音がした。

しかし俺に声を掛けてくる様子はない、そのかわり、大きな面積の物を床に置いたようなベタッベタッっという音が一定のリズムで俺のほうに近づいてくるのがわかった。

靴を脱ぐために座って下を向いていてもそれが誰だかすぐにわかる。

 

「···ただいま」

 

背後に立ち尽くしているそいつ

靴を脱いで床に座った状態で後ろを向くと、まず飛び込んでくるのはその大きなベージュのクチバシ。

そのクチバシからは息をする音が聞こえてくることから生き物だ。

それからその黄色い横に大きな体、艶やかなその丸い大きな体にその先についているヒレのようなクチバシと同じ色の足。

黄色い短い尻尾に、これまた体と同じような黄色い丸い頭。

その丸々とした体型はどこぞのお金持ちのお坊っちゃんといい勝負だ。

そしてその顔についている二つのつぶらな瞳、こいつが何を考えているか未だにわからない、謎が多すぎる。

 

「ただいま、イエロー」

 

そう言うと、そのイエローと呼ばれたコダックはそのクチバシを俺の頬に軽くくっ付ける。

返事をしている証拠だ、こいつは意外と賢い。

さすが父さんのポケモンだ。

 

今日は風呂で洗ってもらったのか、体からはボディーソープのいい匂いがする。

 

「バッグを部屋に置いたらすぐに行く。お前も戻っていい」

 

俺は頭を撫でると、そのことについてはまったく触れることなく、俺がバッグの上に置いてあった上着とマフラーをその手に取ると、またベタッベタッっと足音を立て、俺に背を向けてリビングに戻っていくのだった。

 

「···グワッ」

 

やっと声が聞けた。

その一言だけ呟くと、イエローは器用にリビングの扉を開けて中に入っていくのだった。

まったく自分のペースを崩さず、余計なことは一切喋らない。

リビングのソファーでテレビを見ていてもそのソファーの隣にただ佇み、同じようにテレビの画面に体を向けて見ているのだ。

たまに隣にいることに気づかなかったりするときもある。

ソファーでウトウトして夜電気が点いていない中起きたら、そいつが傍に立って俺を見下ろしているときなんかは心底ビックリする。

 

「あら、イエロー。ああ、帰ってきてたの?おかえりー」

「ただいま。バッグ置いたら行くよ」

 

イエローが入っていったことで母さんが俺が帰ってきたことに気づいたようだ。

だが手が離せないのか、声が聞こえてくるだけ。

俺は玄関のすぐ横の階段を上がって、二階の自分の部屋へと向かう。

階段、二階の廊下の電気を点けて部屋のドアを開ける。

大通りの街灯の明かりが窓から僅かに入り、部屋の中を照らしている。

バッグを奥だけだからそれで十分だった。

 

時折通り過ぎていく車のヘッドライトの光が差し込んで、部屋の棚がチラついて照らされる。

額縁に入れられた二階級特進の賞状と、事件に関係する感謝状や表彰状、メダル、そして仲間たちに囲まれて写っているそれを貰った本人の写真。

丁度その本人の顔だけが外から差し込んでくる光の影で隠れ、その輝かしいメダルや賞状を持っている体に光が当たっていた。

 

「ただいま、父さん」

 

いつものように声を掛けて、自分の机の上にバッグを置き、携帯電話を隣に置いて、いつものように部屋を出る。

廊下からチラッと見えた母さんの部屋には、自分の部屋にあるのとは比べ物にならないほどの枚数の表彰状が天井付近の壁に飾られていて、それが部屋をぐるっと囲んでいるのだった。

 

「···おっと」

 

上着から出してポケットに入れていた''それ''を置き忘れていた。

小さい頃からまるでおまじないのように言われるがまま、いつもポケットに入れているそれは未だ使い道がない。

それをいつもの場所、父さんのその写真の隣に置く。

部屋を出る前に、一歩立ち止まった。

 

「警察って、どうなの?本当に人の役に立てるの?」

 

返事が返ってくるはずがないのに、思わず呟いた。

その時道路を走る車のライトが再び写真を映し出し、父さんと、その父さんの足元に座っている相棒、そう、父さんのポケモンのグラエナが浮かび上がる。

そして、そのまま流れるように進む光が写真の隣に置いた一つのモンスターボールを映すと、そのまままた影が写真を遮り、部屋の中を暗闇が支配するのだった。

 

「···それで自分が死んだら、何にもならないじゃないか」

 

''人の役に立つような人間になりたい''そんな子どもみたいな漠然とした自分の夢を語ったことがあるのは、父さんだけだった。

 

警察の制服に身を包んだ父さんは格好よくて、憧れてて、子どもながらにそんな父さんが好きだった。

会社の同僚や後輩の人もそんな父さんを慕っていて、よく家に遊びに来ては楽しそうに夕飯を食べたり、子どもの俺と遊んでくれたり、イエローや、その頃はグラエナもいた。

何不自由ない楽しい毎日、それが日常で、俺も将来は父さんのような警察官になるのかなと薄々思ってたりはした。

 

でも、ある日からそれは変わった。

 

今でも覚えてる、それは丁度今の時間帯、夕飯時。

雨が降っていた、夏ごろの話

いつものように夕飯の時間、いつものように玄関の扉が開いた。

お父さんが帰ってきた、そう思って俺は玄関の、廊下の上に立っていて。

でも扉が開いて、雨の音が大きく聞こえてくるのと同時に見えたのは、いつもなら笑顔で入ってくるはずの同僚の人が見せる沈んだような顔だった。

ずっと立ち尽くしたまま、家に入ってこようとしない。

 

どうしたの?お父さんは?と俺が問いかけると、その同僚の人はさらに苦い顔をして俺から目を背けるのだった。

異変に気づいた母さんがリビングから出てくる。

 

あら、どうぞ、上がって?

と同僚の人を諭すが、顔を横に振るだけだった。

俺には何が起こったのかわからない、とにかくその同僚の人と母さんを交互に見るしか出来なかった。

すると同僚の人はゆっくりと母さんに話し始めた、その声は震えていて、話す度に涙声が混じり始める。

話し終わった頃には、母さんはすぐ車の鍵を持って俺と一緒に父さんが勤めている警察署に向かった。

 

そこにあったものは、父さん''だったもの''らしい。

 

子どもだから、身長から父さんが横たわっているベッドの上を見ることが出来なかった。

見た瞬間に母さんは口に手を当てて泣き崩れ、俺を抱き締める。

何が何なのかわからなかった、ただ俺が父さんを見ることが出来たのは、その父さんが家に帰ってきたとき、大量の包帯が至るところに巻かれていた姿だった。

黒服に身を包み、父さんが俺にくれた一つのモンスターボールを手に持って、その顔を見る。

触れたその顔はとても冷たくて、まるで眠っているようなのに、父さんは返事をしない。

 

その時気づいた、グラエナがいない。

グラエナのモンスターボールもない。

イエローは家にいた、だけどあいつはいない。

ボソッと葬式で聞こえた話が今でもハッキリと耳に残る。

''犯人は人間じゃない''、それが聞こえた時、俺の頭の中で色々なことが繋がり始めた。

 

家に帰って自分の部屋に戻ると、持っていたモンスターボールを思いっきりベッドに叩きつけた。

父さんとの練習の時にも出したことがない力で、壊す勢いで投げつけた。

異変に気づいた母さんが俺の部屋に入って来てまた抱き締められる。

''父さんの言ったことを忘れちゃ駄目、父さんは正しいことをしていた人間なんだから''と言われて、俺が投げつけたモンスターボールを母さんは再び俺の手に握らせた。

 

その時部屋に入って来たイエローを、俺は思いっきり睨み付けてしまった。

イエローは何も言わず部屋を出ていってしまったが、俺はその時の事を今でも後悔していた。

 

「あっ···、イエロー」

 

気がつくと、俺はいつの間にかリビングの扉の前まで来ていて、リビングの中からイエローが扉を開けてくれていた。

考え事をしすぎるのも、よくない。

 

「ありがとう」

 

そう言って俺はイエローの頭を撫でてリビングへ入る。

美味しそうな匂いが食欲をそそる。

 

''人の役に立つ人間になりたい''それが俺の目標で、悩みでもあるのだった。



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05 待機及び対象人物の観察

昨日歩いた道をただ戻る。

それが俺の毎日で、俺が今やるべきことの全てだった。

休日を除いて。

 

「おはよう少年君。今日も素晴らしい一日になるように願っているよ」

「そりゃどうも」

 

冗談なのかそうでないのか、毎回毎回そんなギザなセリフを掛けてくるフレンドリーショップのお兄さん。

もうちょっとレパートリーは無いのかといつも思ってしまう。

シャッターを開けて、店の中に差し込む光を遮るための屋根のようなテントが、お兄さんが天井にある輪っかのようなところに棒を引っ掛けて回すことで天井からせりだし、歩道まで少し出てきていた。

日差しを避けるためだと思う。

昨日の夜とは違ってちゃんと働いていた。

 

学校へ向かう道は夜とは全く様変わりしていて、走る車も違えば歩く人も違う。

交差点に差し掛かれば、信号機に付いているスピーカーから放送が流れて、それを聞くことで朝を感じている人も多い。

現に田舎ながら自分のポケモンと早朝の散歩に勤しんでいるおじいさんやおばあさん、今日は仕事が休みなのか、若い男の人たちなども混ざって交差点の角で井戸端会議をしている様子も時折見掛けるのだった。

足元で井戸端会議の最中、相手とじゃれついているエネコやポチエナといったポケモンたちも、田舎ながら知り合いなのかもしれない。

 

『新しい時代、新しい世界。人間も時代の進化に適応してこそ新しい道が切り開かれる。そんな道を切り開く為に寄り添う企業、それが私たち、ニュー·ディメンションなのです。今月も、そんな我々NDから新商品をいくつかご紹介しましょう。新しい朝を彩ること請け負いです』

「···はよー!!」

 

放送が一段落するタイミングで、大きな声が耳元で聞こえた。

集中しすぎていた為か、交差点を曲がっても後ろから話し掛けられたことに気付かなかった。

 

「なんだ、気付いちゃった。せっかく丸焼きにしてあげようと思ったのに」

「やめてくれ朝から」

 

視界の端々で、オレンジ色の髪が揺れる。

相手はしてやったりといったような表情で清々しいまでの笑顔を浮かべ、悠々と俺の一歩前を歩く。

そのご自慢のポニーテールを左右に揺らしてこちらの様子を伺うと、俺が交差点の井戸端会議を見ていたのに気付いたのか、彼女はポケットからモンスターボールを取り出して手のひらの上で上空にこれ見よがしにと軽く放り投げまたキャッチするという行動をとり始めた。

 

「ポケモンとの朝散歩···誠、美しきことかな。パートナーと共に新たなる未来を描けるなど···人生においてこれほど、生を感じることもないであろう···ふふふ」

「なんだそれ」

「NDの新しいCMのなんかキャッチコピー的な」

 

後ろから聞こえてくる放送でも確かにそんなことを言っているような言っていないような。

とにかく彼女はその手の上で放り投げているモンスターボールを手の中に収めて握りしめると、地面の上に軽く投げるのだった。

 

「さっ、出ておいで!一緒に学校行こっ!」

 

モンスターボールが地面に触れた瞬間、ボールが開いて中から光が漏れる。

その光が晴れると相棒のロコンが昨日と同じ様に現れて、元気よくご主人様である彼女の胸元に飛び込···まなかった。

 

「昨日帰ってからやっぱり一緒にご飯を食べたら仲直りしたの!ほらっ、もう勝手にボールに戻らないし、この可愛らしいお顔を私に見せてくれるんだからー!」

 

出てきたロコンは、何をするのでもなく四本の足を地面にしっかりと付けて、お手本のような姿勢のままその場に佇んでおり、まるで雑誌のモデルのようだった。

サロンで整えられたその毛並みもあり余計そう見える。

 

唯一違うのは表情が半目で感情がなく、ジトーっとした目付きのままその彼女の事を凝視していたことだった。

 

「私達はやっぱりベストパートナー!ね?ロコ。ね?ね?うむむ、うむ···」

「お前、明らかに嫌がってるぞ」

 

彼女が抱き上げて自分の顔をロコンに擦り寄せようとするが、ロコンが片方の前足を彼女の頬に当ててそれを拒んでいた。

彼女の頬がその部分だけ凹み、その二人の距離が縮まらない。

 

「おはよう!ああ!よかった。二人は仲直りでき···てるのかな?これ」

 

裏道にある豪邸のような大きな建物からお坊っちゃんもやってきたが、二人の様子に半信半疑だった。

前足を交互に彼女の頬に当てて徹底抗戦を貫いていたロコンは、いよいよ彼女の胸から俺の胸の中へと飛び込んでくる。

 

ふわりとポケモン用のシャンプーのいい匂いと暖かい体温が伝わってきて、そんなロコンを抱き抱えるように肩に上半身を乗せて上げると、お尻のあたりに腕を持ってきて落ちないように支えてあげた。

ロコンも前足を俺の肩の後ろにまわして、お腹を肩に乗せてリラックスしている。

 

「せっかく···せっかく朝シャンまでしてあげたのに···。高いシャンプーだから一週間に一回って決めてたけど、仲直りできるかなって···」

「物で釣るな。方法が間違ってるんだよそもそもが」

「ホラッ!逃げてないだけ一歩前進だよ!ねっ?元気出して!僕のハリちゃんのお腹貸してあげるから!」

 

ロコンと一緒に歩き出すと、後ろでモンスターボールが開く音が聞こえた。

自分を照らす朝日の光が少し遮られるのがわかり、その彼の大きなポケモンが姿を現したことに気づく。

 

「モチモチ···今日もモチモチでいいよ、ハリちゃん···」

「ハリッ」

「それにロコンだってきっとわかってるハズだよ!ご主人様も反省してるって!」

 

ロコンの横から後ろを振り返ってみると、自分たちより二倍は大きいんじゃないかという彼の相棒であるハリテヤマが、その大きな片腕に彼女を乗せてノシノシ歩いていた。

その相撲の力士のような大きくて丸い容姿から恐がられることが多いそうだが、こうして見た通り優しい性格で、彼女が落ち込んでいることに気付いているのか嫌がる素振りを見せずお腹を触らせてあげていた。

そんなハリテヤマも俺の肩にいるロコンと目を合わせると、ポケモン同士で通じ合うものがあるのかロコンの目に迷いが生じていた。

 

「···お前も、ご主人様が反省してるってさ。機嫌直してやってくれ、悪気はないんだ悪気は」

 

ロコンにそう言ってやると、わかっているのか俺と目を合わせたり反らしたりを繰り返し、最終的に俺の鼻に自分の鼻を軽く触れさせて俺の肩から立ち上がり地面へと降りていった。

すると一目散にハリテヤマの方向へと駆けていき、そのお腹を踏み台にして腕の中にいる彼女の胸の中に飛び込んでいくのだった。

 

「ロコ~!ん~!」

 

今度は素直に頬を擦り寄せられているロコン。

その状況を察したのかハリテヤマは彼女を自分の腕から下ろして素早く友人の彼の傍へと移動して歩き始めた。

 

「ハリちゃんありがとうね、やっぱりポケモンのことはポケモンかな?」

 

最初からそれが狙いだったのか、彼はなんだか納得するかのようにハリテヤマを優しく撫でていた。

その後ろにはすっかりいつもの様子に戻っていた彼女とロコン。

他に散歩している人たちと同じ様に仲良く歩いて行動していた。

やっぱりどこか、根に持つところはお互いに似ているようだった。

 

そのまま俺たちは通学路を歩き、裏道の小さな交差点を抜けて、トンネル状の橋へと向かう。

ハリテヤマは一緒に連れていると大分目立つが、周りを歩く人も家から出てきた人も特に驚く様子もなく、それどころか逆に挨拶してくる光景も見える。

マクノシタの時は何ともなかったが、ハリテヤマになってからは大変じゃなかったかと本人に聞いたことがあるが、大事なのは周りの理解だと言っていた。

勘違いしているだけで、本当のハリテヤマのことを知れば、こうなるのはさほど難しいことではなかったとの事だった。

 

たまに近所の力仕事を手伝ったりと、おかげでハリテヤマにも友達が増えたという。

 

「おう!学校頑張れよ!」

「ありがとうございます!」

「ハリッ!」

「カイカイ!」

 

トンネル前の建設会社の土場にいたカイリキー達と元気に挨拶を交わしてるハリテヤマ。

やはりポケモン同士通じるものがあるのか、お互いに警戒する様子もない。

優しい性格だから、その分恐がられたり怯えたりされると落ち込むときもあるとか。

 

「大変だったよ···、今のこの時期になってやっと相手も落ち着いてくれたっていうか···」

 

そう言って彼が見た視線の先には、向こうの学校へと繋がる橋は近場にはこのトンネル状の橋しかなく、反対側から登校する生徒を除いて学年問わずこの通学路に多く集合する形になるため、新入生のチビッ子が登校してくる春先が大変らしい。

ハリテヤマを見た瞬間に大泣きされることもあるため、慣れるまでは神経を使って今日は一緒に登校するか否かを判断するという。

学校の授業等でやっと新入生達がポケモンに慣れてきたこの時期だからこそ、堂々と一緒に登校できると喜んでいた。

 

「ハリちゃんこう見えて傷つきやすいタイプだから、相当気にするんだ。その度に大丈夫だよって言うんだけど、それでも本人は···ね?」

「ハリ···」

 

トンネルの中でハリテヤマは恥ずかしそうに自分の頭を掻いていた。

そんな彼の小さな夢は、春先の桜並木の通学路をハリテヤマと一緒に歩いて通学することだというが、それも難しいと言っていた。

周囲への理解というのも簡単ではなさそうだ。

 

「だ·か·ら···、アンタもそろそろパートナーにどう?ロコみたいに可愛いのもいるし、ハリちゃんみたいにカッコいいのもいるし、ね~?」

「コンッ!コンッ!」

 

トンネルを抜けてハリテヤマの一歩前に出てきた彼女はロコンとハリテヤマを隣に並べて、俺に見せつけるようにそう言うのだった。

彼も同様で、ハリテヤマの隣で俺に頷く。

 

こいつらには本当のことを言っていない。

言う必要もないし、この空気を壊したくない。

もし本当のことを言ってしまったら、こいつらはもう俺の前でポケモンを出すことはしなくなるだろう。

それは嫌だった、ハリテヤマもロコンも大事な友達だった。

 

「おっと、そろそろ戻さないと。ハリちゃん、また家でね!」

「そうだね、先生いないからセーフ···だよね?まだセーフ?セーフだよね。オッケオッケセーフセーフ」

 

学校の敷地に入ると彼女はロコンをモンスターボールに戻し、彼も自分のモンスターボールをハリテヤマに向けてかざし、ボールから赤い光が出てハリテヤマを包み込んでいく。

その一瞬、ハリテヤマが完全に光に包まれる一歩手前のその瞬間、ハリテヤマと目が合った。

ほんの一瞬だったがハリテヤマのその目は、何だか申し訳なさそうな、俺に謝っているような目をしていたような気がする。

 

ハリテヤマは気付いているのか?

ポケモンの中には人間の感情に敏感なヤツもいる。

だけどそれを正確に伝える術がないものもいる、それか俺の気持ちを汲み取ってあえて伝えないハリテヤマの優しさなのだろうか。

 

どちらにせよ、あの事件のことはまだ公にはされたくなかった。

 

 

ーーーーーーーーーー

 

 

ポケットモンスター、縮めてポケモン。

 

この世界には至るところにそう呼ばれている生き物が多く存在している。

人間達はそのポケモンを捕まえて、バトルさせたりコンテストに出したり、仕事に携わらせたり、様々な場面で活躍させている。

 

その種類は全容が掴めず、今も尚確認される量は増え続け、その謎の解明に世界中の生物学者や科学者達などが全力を尽くしている。

中には珍しいポケモン、大地や海を作ったといわれるものや、この宇宙を創ったものもポケモンだという伝説がまことしやかにささやかれている。

まだ全てはわからない、ポケモンは環境に合わせて進化し、成長する生き物だからだ。

 

そんなポケモン達と理解を深め合い、信頼し合えるように努力しなければならない。

 

「···というわけで、ポケモンの進化に関しては教科書にあるように、同じタイミングというものは存在しません。私たちにも個性があるように、ポケモンにも個性があります。皆さんのポケモンも、同じポケモンでも性格とか違うよねー?」

 

教科書の最初の1ページ、この教科書の編集者の偉そうな''学ぶ姿勢''とかなんとかいう題名でつらつらと書き連ねられていたページを見ながら、俺たちに尋ねてきた先生を見る。

お昼前のお腹が空く時間帯に、一番興味の薄い授業。

生徒が流れ作業のように頷くのを見た先生は再び黒板にチョークで要点を書き出していくのだった。

 

今授業でやっているところは全く関係のないページを開きながら、俺は周りを見渡す。

 

「シーッ。ロコ、もうちょい待っててね。もうすぐお昼ごはんだから···」

 

周りに迷惑をかけないように教育しているかつ、教室で出してもいいサイズのポケモンならばこの授業では自分の隣に並べて座らせてもいいという先生の計らいによって、大抵の生徒たちは自分のポケモンを並べる。

授業内容によっては、そのポケモンを教壇の上に立たせて説明することもあるので、その時の''主役感''を味わってみたい気持ちもあるようだ。

実際に自分のポケモンが教壇に立ったときはそのパートナーの生徒は誇らしげだった。

 

「うーん···、体育館でやればいいのに···」

 

それとは反対に、ポケモンが大きすぎるが故に教室で出すことを禁じられている方々はこの授業が逆に面白くないらしく、隣にいる友人も悪態をついていた。

体育館でやるときは人気者だが、こういう時は何だかしっくりこないと前に言っていた。

 

ロコン、ポチエナ、エネコ、キノココ、ココドラと様々なポケモンが教室の中で並びたち、それぞれのパートナーたちは自分のポケモンたちと楽しそうに授業を受けている。

残念ながらポケモンを出せないトレーナーたちも、この授業は他にない魅力があるので悪態をつきつつもノートに授業内容を書き連ねていた。

 

俺にとってはこれが、何だか現実を突きつけられているような気がして、どうも乗り気にならなかった。

ノートをとりつつも、その隣に置いてある教科書は全く別のページを開いている。

少し先の、オーダイルを例としたポケモンの感情の表現方法なんて、この周辺にいないポケモンのことを覚えたって冒険やバトルに興味ない人にとっては何に役に立つのか全くわからない。

 

俺が今気になっているのは、あと何分で昼飯にありつけるかだった。

 

「···はい、といわけでこれがポケモンにおける進化というものに関しての記述だけど···質問ある人いるー?」

 

再び先生が俺たちに振り向くが、その先生の質問に対して誰も手を上げない。

というか上げるわけがない、今までもそうだったし、それがいつもの空気だったからだ。

みんな考えてることは大体一緒のハズ、''あともう少しで昼飯にありつける''だ。

その雰囲気が先生の質問のおかげでひしひしと伝わってくるのがわかる。

ある意味での団結だった、それをポケモン達も感じ取っているのか黙って大人しく座っているのが少し面白かった。

 

「何もないなら···えーと、じゃあ最後にこの教科書の練習問題!問1から問3まで解いたら丁度いいはずだから、それで終わり!はい、始め!」

 

授業の終盤の終盤、中盤あたりではダラダラ言われた問題を解いていくクラスメートもこの最後のタイミングでは素早くペンをノートに走らせていく。

単純でわかりやすい、きっと先生の目からもそう見えているのだろう。

俺もこの時ばかりは教科書の指定されているページを開き、問題を解いていく。

 

NDから支給されたこの立派な教科書もこの秋ごろになれば大分薄汚れていくが、あまりこの教科書を開かないおかげで俺のは大分綺麗だった。

自分のポケモンのおかげでボロボロになってテープで補修している生徒もいる。

きっと家でもポケモンと一緒に勉強しているのだろう。

うちにもイエローはいるが、アイツは黙って見ているだけだし。

 

「あ、ちょ、ロコ。ダメよ···!」

 

彼女のロコンが教科書の上に乗り邪魔をしていた。

もうお腹が空いたのが我慢できなくなったのか、彼女に降ろされても再び机の上に上がってきている。

もうチャイムが鳴る、俺も最後の問いの答えをノートに書き込むのだった。



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06 注意、観察対象の融解

「はい!また明日ねー!昨日も言ったけどー!森はダメよー!」

 

今日は昨日よりも早い時間で授業が終わり、放課後は大分余裕があった。

自分の教科書をバッグに入れて、帰る準備を整えていく。

 

「いつもごめんなさいね」

「いいんです!いいんです!好きでやってることですから!何かあったら丸焼きです!」

「頼もしいわ。あらあら、よしよしロコちゃんもね~。でも、本は丸焼きにしないでね~」

「コンッ!」

 

それもそうですね~、と彼女は先生の冗談に笑って応え、昨日と同じようにバッグを手にブラブラとぶら下げてロコンと共に廊下の図書スペースの机へと向かっていった。

すでにその図書スペースの一角ではトランプが始まっていて、彼女は着いて早々に''こらぁ!''と声を張り上げているのだった。

 

「どうする?今日もお店に行くの?僕は行こうと思ってるんだけど···」

 

先に帰る準備を整えていた彼が俺に話し掛けてくる。

俺は机の上に置いた自分のバッグに手を置いて少し考えた。

昨日も行ったし、それに先生が来るとは予想外だった。

また色々勉強のことを言われるのも嫌だし、それなら黙って一人で勉強しているほうがマシだ。

 

「···悪い、昨日行ったから俺はいいや。それに、ポケモンカードは昨日もなかったぞ」

「本当に!?いつになったら入荷するんだよ~。ネットには転売品がゴロゴロ転がってるのに···」

 

それでも最後の望みを掛けてお兄さんに聞きにいくために、お店には行ってみるそうだ。

あまり望み薄だとは思うが

 

バッグを持ち上げて窓から外を見てみても、まだまだ青空が広がっていて相当時間に余裕がある。

今から追いかけて俺もやっぱり店にいくか、いや、結局その後家に帰ってぼうっとするだけだ。

なんだか昨日の先生とのやりとりなどで気分が乗らず、友達と遊ぶというにも気が乗らない。

どちらかといえば勉強しなくてはならないと、そんな使命感に突き動かされる。

かといって···

 

「丸焼きぃぃぃぃぃ!」

 

教室のドアを開けて教室を出た瞬間に、威勢のいい彼女の声が廊下いっぱいに響く。

これでは図書スペースで勉強しようという気にはとてもなれなかった。

町の図書館に行ったって今度は大人たちがいるし、併設された児童館から幼稚園児が来たりと別の意味で落ち着かない。

そこも候補から外れだ、こんな時に一人になれるような、自分だけの隠れスポット的なところがあればよかったが、こんな田舎じゃ喫茶店すらない。

考えられるところといえば···

 

「はい、さよなら。はーい、さよならー。また明日ねー」

 

教室から出て帰っていくクラスメートたちを見送る先生を見て、いつも言われている言葉を思い出す。

 

···そうだ、あそこなら観光シーズンでもない限り誰もこない。

頂上には休憩所もあるし、意外と暖かい。

誰にも邪魔されないなら十分だ、森にさえ入らなければいい

 

少し遠いが、散歩がてら向かってみることにしよう。

たまには気晴らしもいい。

 

 

ーーーーーーーーーー

 

 

「はぁ···はぁ···」

 

整備されている遊歩道を上り、やっともう少しで休憩所というところまで来た。

ここまで来るのにもそこそこ長い道のりだった。

学校を出てからいつもの帰宅路とは一本町中を歩く。

大通りの商店街を抜けて、また学校とは真反対のエリアへと入っていくのだ。

 

途中でNDが経営しているポケモン、人間両方が利用できる病室、福祉施設がある辺りでは、今日も今日とて忙しそうに看護師や介護士の人たちが動いていた。

田舎だから若者よりも老人が多く、駐車場の車まで支えながら一緒に歩いている姿をよく見る。

看護師や介護士の中には地元の人もいるが、NDから派遣されている人が多い。

大手会社様々だ、若者が少ないこんな田舎町じゃありがたい。

これを機に町から出ていってしまった若者を呼び戻そうとする運動も行ってるみたいだけど、町の広報誌を見ても中々難しいみたいだった。

 

「···やっぱりここに来て正解だった」

 

遊歩道の階段、階段と言っても舗装された立派なものではなく、山登りの時に登っていくような、細い木で土を囲んだような自然の階段だった。

もうその上には休憩所が見えている

ちょうどよく誰もいなかった。

 

「ふぅ···」

 

通ってきた道を振り返ってみる。

ここからは町が一望できて、結構いい眺めだ。

だからこそ観光シーズンには賑わうんだけど。

 

「ムッ、ムッ、ムッ」

「カラッ」

 

遊歩道から一歩山の中を見てみると、豊かな自然の中に様々なポケモンが暮らしている。

現に今も、その体を器用にくねらせてケムッソが俺の足元を同じように頂上を目指して登っていた。

その様子を森の中から見ているカラサリスは家族だろうか?

低学年の頃、ポケモンのスケッチでカラサリスとマユルドの違いを出すのに苦労した思い出がよみがえる。

 

とにかく、俺も早く上まで登ってしまいたかった。

勢いに任せて行かないと、久しぶりの山登りはやっぱり少しキツかった。

 

「はぁ···はぁ···はぁ~···、着いた···」

 

頂上は町の管理会社によってキチンと整備されていて、人が立ち寄るところは雑草が綺麗に刈り取られ、清掃され、整えられていた。

山の縁は落ちないように柵がもうけられていて、アクリル板がはめ込まれている。

そこには横長の木のベンチがあり、座りながら町の景色を楽しめるわけだ。

 

「久しぶりだな」

 

頂上は心地よい風が吹いていて、その風に乗って背後からヤミカラスが数羽町へと飛んでいった。

涼しい風が火照った体に丁度よく、もう秋だが少し暑いくらいだ。

そして、''森''も変わらない。

 

振り返ると、大きく口を開けた森の入り口が広がっていた。

見ているだけでも吸い込まれそうな、自分より何倍もある大きな太い木が何本も並び、伐採されて綺麗にそこだけ一列に整えられているのが間近で見ると恐ろしく感じる。

先生に言われ続けたせいもあるかもしれない。

この奥に何があるのか、昔から住んでいてもわからない。

さすがに入ろうとするやつらの気が知れないな

 

「誰もいない···よな?」

 

とにかく、もう休憩所に入って休みたかった。

少し森の気に当てられたせいか、緊張しながらその休憩所の建物の扉を恐る恐る開ける。

 

景観に合わせて木で出来ていたその休憩所は、まるでログハウスのようだ。

二階建てに見えるが、その正体はその高い屋根まで何もない広々とした円錐上の空間で、中央に大きなテーブル、そして壁際にはストーブ、天井付近には大きなエアコンと登ってきた登山者や作業者の為に体を休めることのできる空間になっていた。

 

「温度は···いいか、このくらいで」

 

その景観からは想像できない最新式の温度調整パネルが入り口横の壁に備え付けられ、そこで温度を設定すれば自動的に設備が動き室温を調整してくれるなど、資金を投資してくれたNDの商品様々だった。

 

こんなところで営業しなくてもいいのに

とにかく、勉強するには十分すぎるくらいだ。

これならもっと早く使ってみるんだった。

 

バッグを開けて、教科書を出す。

普段は全く気が乗らないポケモン学から始めることにした。

これだけいい環境だ、少しはペンも進むかもしれない。

 

 

ーーーーーーーーーー

 

 

それでも中々、ポケモン学は厳しいものがあった。

他の教科は優々と進む、ポケモンの捕まえかた、最新の戦闘アイテム、ポケモンの技についての考察に、育成論。

ポケモン学の合間に進めていく教科の方が遥かに進みがいいのは皮肉なものだった。

ペンでその問題をなぞっても何だか気が乗らないのだ、ふと窓の外なんかを見つめてしまう。

 

「···んなこと言われてもな···」

 

普段の周りの声が頭の中で騒がしい。

椅子の背もたれに深く寄りかかり、天井を見ながら一息つく。

誰もいない最高の環境で勉強しているはずなのに、それだけは頭の中でモヤモヤして進まないのだ。

変わらなければいけないことはわかってる、でもやはり過去の経験が脳裏をよぎってポケモンそのものに向き合えない。

間違った考えだっていうのはわかってる。

 

そんな風に考えながら悶々と勉強していると、そこそこ時間が経ってしまっていた。

入り口の上にある時計を確認しても、まだ夕日が赤くは染まってないが、太陽は大分山に沈んでいく時間帯だった。

 

「どうすっかね···」

 

ぼやきながらまた背もたれに深く背中を預けて天井を眺めていると、それは聞こえてきた。

 

「···ん?」

 

もっとよく耳を澄ます。

···間違いない、何か聞こえてくる。

 

「鳴き声···?」

 

何かが···か細く声を上げているような、微かに聞こえるその声。

この休憩所の外、森のほうから聞こえてくるような気がする。

教科書を閉じてペンを置き、そっと休憩所の扉の小窓から外を覗いてみたが、それらしき影も姿もない。

続いて周りの窓を一つ一つ確かめてみたが、外には何もいる様子はなかった。

草むらの中や柵を越えた崖の先も考えられるが、崖のほうから聞こえた感じではなかった。

 

となると、外の草むらの中、森の入り口の辺りかもしれない。

 

荷物を全てバッグにしまって背負い、警戒しながらゆっくりと休憩所の扉を開く。

いつでも逃げられるように、まずは休憩所に背中を向けながらその壁づたいに草むらを漁ってみることにした。

 

「···ダメだ、何もいない···」

 

登ってきた登山道側、崖側、そしてそのまま一周グルっと草むらを手でかき分けながら探してみたが、何もいない。

そもそもその声が一切しなくなり手掛かりがなくなってしまったのだ。

 

「気のせい···なのか?」

 

もしかしたら森の中を吹き抜ける風の音がそう聞こえただけかもしれない。

もう何も聞こえないし見つからないので時間も時間だからそろそろ帰ろうかと思い登山道へ向かおうとしたその時、登山道側から微かに何かが草むらをかき分けて移動する音が聞こえた。

 

間違いない、確かにハッキリ聞こえた。

俺は咄嗟に学校で習った通りに、姿勢を低くし決してその対象から目を離すことのないようにゆっくりと距離をとりながら移動を開始する。

背を向けた瞬間襲いかかられる可能性は非常に高い、ポケモンを持っていない場合の唯一の対処法だった。

悔やまれるのは人間がいることを知らせるような音のする鈴のようなものを何も持っていないことだった。

 

「···なんだ、何がいる?」

 

草むらがガサガサと揺れるその動きが森の入り口へと向かっているのが見え始めた。

その光景から対象はあまり大きくない、虫ポケモンかあるいは小型のポケモン、エネコやポチエナのようなものかも。

 

草むらの動きが突然止まった。

森の入り口の一歩手前、整備された道を少し森側に外れたところで何かがうごめいている。

ゆっくりと近づくと、そのポケモンの声が聞こえてきた。

 

「···ムッムッ、ケムッ、ムッ」

「お前」

 

その赤い体、うねうねと動きながら何かを動かそうとしていたのは、さっき登山道を必死に登っていたケムッソだった。

こちらを襲ってくる様子はない、変わりに必死に何かをしているようだった。

 

「なんだ?何かいるのか?」

 

草むらをかき分けて、そのケムッソの目線の先に何がいるのか確認してみると、そこには予想外の光景が広がっていた。

 

「ラ···ラル···、ル···ルゥ···ゥ···」

「ラルトス···それに、これって···」

 

そこには、緑色のおかっぱ頭のような頭部と、白い上半身に下は白いドレスのような表皮で足元を隠しているポケモン、ここらでは珍しいラルトスが地面に横たわる形でうめいていた。

 

「誰がこんな···こんな酷いことを」

 

そのうめいていた原因が問題だった。

地面に置いてあったのは、小型のポケモン用のワナだった。

冷たい印象の錆び付いた金属が特徴的な古典的なトラップ。

ギザギザの、まるでサメハダーの歯のような形をした部分を開き、グルッと一周円を描くようになっているそのパーツが上になるように設置しておくと、その上を歩いた瞬間そのギザギザした部分が半分に折れて対象を挟み込んで捕らえる。

単純な作りだが効果は絶大で、外部からの助けがない限りそのギザギザの部分が食い込んで逃さず、最初はいいが徐々に痛みで動けなくなる。

 

人間ならなんとか、この程度の小さいトラップなら自力でその挟み込んでいる部分を開いて脱出できるが、小型ポケモンにとっては自分の体ほどの大きなトラップだ、その痛みは尋常じゃないだろう。

解除の仕方もわからずそのトラップの恐怖に暴れているうちに体力も消耗してくる、ポケモンを捕まえる方法としてはイカさないやり方だ。

 

「大丈夫だ、落ち着け。とっとっと、落ち着けって、大丈夫だ」

「ラル···!ラル···!ラル!」

 

手を動かして必死にもがいているラルトスをなだめながら、まずはどうなっているのかを確かめることにした。

トラップはそのドレスのような表皮の下になっていて、詳しい状況がわからない。

暴れている手を抑えながらその表皮をめくってみると、中にある小さな細い左足ががっつりそのトラップに挟まれている光景が見えた。

足がもうほとんど動かせない状況だ、足が挟まれている部分から赤い血が滲んでいて、その周りも血管が浮き出ていて酷くうっ血している。

 

どれほどここでもがいていたのだろう、よく見ると周りの土がえぐれていて、草むらの中にいるはずなのにそのラルトスが横たわっている辺りがもう草が抜けきりすっかり土が見え、湿っている。

逃げようとして必死にもがいた証だ、草が抜けているのも、草を掴んで体を引き抜こうとしたのだろう。

 

「くそっ···まてよ、どうする···俺がこの歯の部分を開いて···」

 

このままじゃラルトスがもたない

トラップは地面にしっかり固定されていて、移動させるのは無理だ。

それならここで解除するしかない。

 

「ムッ···ムッムッ」

 

一緒にいたケムッソが必死にラルトスの腕を咥えて引きずりだそうとしているが、それじゃあ無理だ。

まてよ···それだ、これならいけるかもしれない。

 

「いいぞ、お前。そのまま、そのままだからな」

「ムッ」

「ラ···ラル···」

 

同じポケモンのケムッソが近くにいるからなのか、ラルトスは暴れるのを止めてケムッソに従うような様子を見せた。

その瞬間に、俺は手をそのラルトスの足を挟んでいるトラップの歯の部分に当てる。

このまま力を加えれば開く、後はタイミングを合わせるだけだ。

 

「ムッムッ···ムッ!」

 

ケムッソがラルトスの腕を引っ張る方向に力を加えた。

その時俺も力を入れて思いっきりその歯を開くと、上手い具合に読みが当たる。

トラップの歯を開いているうちに、ケムッソがラルトスの腕を引っ張ってトラップの中から引きずり出したのだ。

 

「よしっ、いいぞ。よくやったお前」

「ムッ、ムッ」

 

俺がトラップから手を離すと、物凄い勢いで歯が再び閉じ込み何もない空間を挟み込んだ。

乾いた金属音が鳴り響いて、そのトラップがいかほどの力でラルトスの足を挟み込んでいたのかを思い知る。

まったく、恐ろしいことをするやつもいたもんだ。

先生が森に近づくなと言っていた理由も頷ける。

 

「ラル···、ウ···、ウゥ···」

 

尚もうめき声をあげて倒れているラルトスにケムッソが寄り添って、その体を心配そうにラルトスへと優しく擦っていた。

俺もラルトスに十分配慮しながら再び表皮をめくってみると、その挟まれていた足には刺し傷のような生々しい跡がトラップの歯形状に広がっていて、そこからの出血は今も続いている。

暴れたことで、土埃がその挟まれていた足にもこびりついて汚れが激しい。

これじゃあ衛生上でも問題があるだろう、早く綺麗に洗い流してまずは治療しないと。

 

「大丈夫だ、大丈夫だよ。今綺麗にしてやるから」

「ラル···」

 

俺はなるべく痛がらないようにゆっくりとラルトスを胸の中に抱き抱えて、休憩所へ戻ることにした。

 

「ん?···あぁ、大丈夫だ。何もしないから、今は少し見ててくれ」

「ムッ···」

 

俺が歩く後ろをケムッソも心配そうについてくる。

たしか、休憩所の外に···そうだ、間違いない、あった。

さっきグルッと休憩所の周りをまわった時に見つけた外付けの蛇口。

これなら登山者や作業者も汚れた靴なんかを洗い流すことができる。

今回ばかりは町の施設管理会社に感謝だ。

 

「よし、ゆっくりやるからな。染みると思うけど···少し我慢だぞ」

 

蛇口の前にゆっくり腰をおろして、ラルトスの表皮をめくり、左足を出させる。

胸に抱えたラルトスから暖かい体温が伝わってくるのを感じて、今さらながら、こいつも一生懸命生きようとしているのがわかった。

俺がここに来なかったらどうなっていたか、考えただけでもゾッとした。

捕まえたり、バトルさせたりするだけじゃない、ポケモンも一つの生き物なんだと、教科書で何時間も学ぶより、今回の出来事のほうがよっぽど印象深く感じた。

 

だからこそ、今回のトラップのようなポケモンを軽く考える行為に怒りを覚える。

 

「まずはゆっくりな、じゃあ···いくぞ」

 

蛇口を軽くひねって、ほんの少しだけ水を出す。

緊張しながらも、ラルトスの足の傷口に当てていくのだった

 

「ラ···ラル···」

 

水が傷口に当たった瞬間、ラルトスがわずかに反応する。

傷口のまわりの土汚れが段々と落ちて、その怪我をしている部分がハッキリ見え始めた頃、やはり想定していた事が起こる。

 

「ラ···ラル···!ラルッ!ルッ!ルー!!ルゥゥーッ!!」

「我慢してくれ···!もうちょっとだから!!」

 

寒い季節への変わり目でほんの少し蛇口の水が温かくなっていたとはいえ、傷口に染み渡るのが耐えられなかったようだ。

俺の手の中で体を激しく動かして必死に逃げようとするが、それを俺は押さえつけてなんとか怪我をしている左足を水に当て続ける。

 

「ルー!ルッルッ!ラルッ!」

「もう少し···もう少しだから···後はこの血を洗い流して···」

 

そのこびりついた血を水流を強くして洗い流し一応の処置は完了したが、とても耐えられなかったのか俺の手の中から飛び出し、地面に転げ落ちてしまうラルトス。

後はその傷口を拭いて最後の処置をしなければならないのだが

 

「これで終わりだ、頑張ったな···。後はその傷口を拭いて、何か布を当てれば···」

「ラルッッッ!!!」

 

再びラルトスを抱き抱えようとしたが、その体に伸ばした俺の手をラルトスは思いっきり自分の腕を振り抜いて弾く。

 

「···っ!」

 

やっぱり、小さいからといって侮ってはいけなかった。

弾かれた自分の右手に鋭い痛みが走ったのを感じて恐る恐る見てみると、そのラルトスの手先が当たった辺りの皮が少し剥けていて、ジワジワと血が滲み、滴ってきている

ポケモンは野生の生き物、友人のロコンやハリテヤマのようにしつけられているわけでない。

完全に部外者の俺は、自分に''痛い事''をする敵に見えるのだろう。

 

「ラ···ラル···!」

 

ラルトスの俺を見るその目が、確かにそれを物語っていた。

一生懸命俺から逃げようとするのだが、立ち上がろうとする度に痛みに耐えきれず再び地面に体を転がしていた。

 

「···待ってくれ、そのままじゃ···ダメだ。ダメなんだよ···お願い···だから」

 

自分の手を庇いながら、なるべく優しく声を掛けてラルトスに手を伸ばすが、ラルトスはそれでも半信半疑のまま逃げようとする。

 

···何やってるんだ俺は、ここまでされたらこのまま放って帰ればいい筈だ。

俺には関係ない、俺はこいつにとって敵なのだから。

 

たけど、違う。

偽善なのかもしれないけど、俺の中の心がそれを許さないみたいだ。

必死に語り掛ける俺に対して、ラルトスは何度も振り返りながら、距離を詰められないように逃げようともがく。

しかし、ここで思わぬ助っ人が入った。

 

「ケムッ!」

 

俺たちの様子をずっと心配そうに見ていたそのケムッソが、逃げようとするラルトスの前に立ちはだかり何かをラルトスに熱心に訴え掛けていた。

 

「お前···」

 

その短い手足を一生懸命に動かして、必死にラルトスに伝えようとするケムッソ

 

「ケムッ!ケムッケムッ、ムムッ!」

「···ラル」

 

次第にラルトスの動きが小さくなり、さっきのように逃げようと暴れなくなっていく。

 

さっきまでの敵対するような視線は次第に落ち着いていき、代わりに段々とその目尻には涙が溜まっていくのが見えた。

 

「ラル···ラル···ラルゥゥゥ···ラルゥゥゥゥ···!」

 

怪我をした左足に手を添えて、必死に痛みに耐えながらその目から大粒の涙を流して歯を食い縛る様子が痛々しい。

俺はなるべくラルトスが恐がらないように、再び近づいて手を伸ばす。

 

「ラル···!ルゥゥゥ···!」

「よしよし、痛いな。大丈夫だ、何とかしてやるから」

 

また胸に抱えることができたのはいいが、傷口を拭いて布を巻くだけで本当にいいのだろうか?

学校の授業の時に使っているタオルは今はある、たまたま今日は使っていないから清潔だ。

それならキチンと消毒もできたほうがいいと思うが、あいにく自分のポケモンも持っていないんじゃ、アイテムなんて使うタイミングがないし何の持ち合わせも···いや、ちょっと待てよ。

 

俺はしゃがんで背中に背負ったバッグを地面に置き、片手で中を漁り''それ''を探す

 

「ラル···?」

 

ラルトスももう抵抗する様子はない。

俺の胸の中で俺の様子を観察している。

俺はバッグに突っ込んだ手で奥底にあるそれを教科書の間をぬって探すと、あった。

使わないと思って適当に放り込んであったが、こんなところで役に立つとは。

 

「たまには役に立つじゃん」

 

ついつい自分でもそうぼやいてバッグの中から取り出したそのアイテムを見る。

お兄さんが激押ししていたそのスプレー式のキズぐすりは、今回の状況では神様からの贈り物のように思えた。

綺麗に透明な薄いビニールで包まれていた包装を破って、そのスプレーの噴射口をラルトスの足の傷口へと近づけ、その容器の上にあるプッシュ式のボタンを軽く押す。

 

「ラル···!」

 

ほんの少しだけ染みたのか、ラルトスから声が小さく上がるが暴れる様子はない。

消毒液が傷口にまんべんなくかかったことを確認すると、バッグから使っていないタオルを取り出して、傷口に巻けるよう小さく破き、包帯代わりに足に巻き付けてあげた。

 

「これで···よし。後は良くなるまで激しい運動などはお控えいただいて···なんて通じるわけないか」

 

ラルトスがなるべく痛がらないように、俺の胸の中からゆっくりと地面へと下ろしてあげた。

よかった、何とか立てるようにはなっているみたいだ。

外側の白い表皮がその怪我をしている足を覆うように囲んでいるため、天敵からもその傷口は見えないから弱っていることをすぐに悟られることもないだろう。

 

「さてと、俺はいくよ。丁度···時間もいい頃合いみたいだ」

 

自分の手にもタオルを少しちぎった布を当てて縛り、血が出ないように軽く縛った。

その場から立ち上がると、今まで建物の陰にいた分日の光がどうなっていたのか気づいていなかったが、もうその光はオレンジ色にすっかり染まり、向こう側の山の上から町を綺麗に照らしていた。

 

「お大事に」

 

俺はこのまま山を降りることにした。

母さんも心配する。

 

ここでラルトスに会えたのは貴重な経験だった。

そもそも会えることが非常に珍しい。

人の心を感じ取れるポケモンだ、それ故に警戒心が強く中々人前に姿を現さない。

先生たちに森へと近づくなと言われている以上、この森にいたことすら知らなかった。

 

このまま知られないほうがいい、きっといい。

きっとこの子にも家族がいる。

その仲間たちと静かに暮らしたほうがいい。

見つかったらそれこそ今度は何をされるかわかったもんじゃないからだ。

 

誰にも言わないし、捕まえる気もサラサラ無かった。

 

「···」

 

俺が山を降りていく階段に差し掛かるあたりまで、ラルトスは立ち尽くしたまま俺の事を黙って見つめていた。

そして階段を降り始めると、森の方向へ向かって足を気遣いながら移動する音が聞こえて、徐々に小さくなっていく。

ラルトスを助ける時に確認したが、まわりにはあれ以外のトラップも無かったため、無事に森へと帰れる···と思う。

 

もう''変なやつ''に捕まるなよと内心思いながら、俺も家路を急ぐことにした。

 

「意外と···痛いな」

 

自分の手を押さえてみると、ヒリヒリとした痛みが今になって響いてくる。

自然の厳しさを身をもって体感した一日だった。



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