ただ、光莉さんと結婚したい (とりがら016)
しおりを挟む

第1話 そして勘違いは始まった

  ──春。

 

 温かな風が緩やかに吹き、陽気な日常を桜色で彩る季節。全国の学生が新たな生活を始めるこの日、みんなは何を思うだろうか。

 

 新たな生活に浮足立たせ、始まる学生生活に夢馳せる者。引っ込み思案で、友だちができるか不安になる者。人それぞれ様々な思いがあり、様々な願いがある。

 

 学生たちが様々な思い、願いを抱える中。高校生活が始まり二週間目を迎えた俺、氷室(ひむろ)夕弥(ゆうや)は、こんな思いを抱えて校舎へ足を踏み入れた。

 

 俺はただ、光莉さんと結婚したい。

 

 これは、俺が小さい頃から性癖を破壊しにきたお姉さんと結婚するために奮闘する物語である!

 

 

 

 

 

 俺の好きな人の話をしよう。

 

 俺の好きな人の名前は朝日(あさひ)光莉(ひかり)。年齢を感じさせない若さを誇り、更にお胸が大きく、小柄でパワフルで面白くて優しくて、めちゃくちゃ可愛いお姉さん。ただし、年齢は俺の両親と同じとする。

 

 両親と同じ高校に通っており、それからずっと交流があった光莉さんは、両親が結婚し俺が生まれたとなるとそれはもう俺を可愛がった。うっかり幼気な俺の性癖を完全に破壊するほどに。これは責任をとってもらうしかないとずっとアプローチをしているのだが、「年齢が」「その、ほら、私おばさんだし……」とわけのわからないことばかり。

 

「というわけで、どうすれば光莉さんが俺を男として意識してくれるか考えてくれ」

「難しいと思うけどなぁ。光莉さん、自分に自信があるようでないし」

「おい、俺の前で光莉さんのことわかったような口きいてんじゃねぇぞ。死にてぇのか?」

「それが人に相談乗ってもらってる人の態度……?」

 

 放課後。帰路につきながら相談を持ち掛けた相手は、織部(おりべ)里沙(りさ)。父親の妹、その子どもであり、つまり従妹。手入れの行き届いている明るい茶髪を腰まで伸ばし、クール美人な顔立ち化と思いきや、目はくりくりと可愛らしい。何度「お前の従妹紹介してくれ!」って頼まれたことか。それを父さんにチクったら翌日からそいつの姿見かけなくなったけど。

 

「昔は俺のこと好きって言ってくれたんだけどなぁ。あの頃顔全体で感じてた温もりが懐かしいぜ」

「うわ、性欲丸出しじゃん。光莉さんそれを怖がってるんじゃないの? あまりにも夕弥が性欲強すぎて、受け止めきれる気がしないから」

「は? ドエロいなそれ。非常に興奮してきたわ」

「思っても言うなよ。私身内だけど一応女の子だよ?」

「言いにくいけど、お前に女を感じたことは人生で一度たりともない」

「言いにくい割にははっきりしすぎじゃない?」

 

 青筋を立てた里沙に頬をつねられる。思い出すなぁ。小学生の頃里沙と一緒にいると「うわ、夫婦だ夫婦!」ってからかわれたから、「は? 婚姻届けも出してねぇしまだ社会にも出てねぇのに夫婦とか頭ワリィのか? ちゃんと勉強しろよお前。頭ワリィゴミを育てるために学校はあるんじゃねぇんだぞ」と反論したらなぜか里沙に怒られたことを。

 ちなみに父さんは「間違いなく俺の息子だな」って満足気だった。その瞬間「あ、俺は致命的に間違えたことを言ったんだな」と自覚できた。父さんは教師をやってるのが信じられないくらい頭がおかしくて人でなしだから、反面教師にできて非常に助かっている。

 

「ほんとーに女を感じたことないの?」

「何? お前従兄に何期待してんの? むしろキモいだろ。従兄に女として見られるの」

「確かに夕弥はキモいけど、なんかムカつく」

「俺を無条件でキモくしてんじゃねぇよ。ぶっ飛ばすぞ」

 

 俺は『従妹を女として見るのが』キモいって言ったんだぞ? なんで『氷室夕弥はキモい』に変換されんだよ。え、普段から俺のことキモいって思ってるってこと? いつも光莉さんに対しての想いを叫んだり相談したり歌ったりしてるだけなのに、俺のどこがキモいんだ。意味わかんねぇなこいつ。

 

「じゃああれやってみる? 『こいつ、こんな体だったっけ……』ってやつ」

「エロ漫画かよ。それに俺は光莉さんのドエロダイナマイトボインに夢中だからお前如きの体なんて興味ねぇよ」

「巨乳に対する呼称があまりにも昭和過ぎない? っていうか私も普通にある方だし! ほら」

 

 言いながら、道の真ん中で胸を持ち上げる里沙。しかし従妹にそれをやられたところで何の感情も浮かばない。せいぜい「こいつ、こんな体だったっけ……」って思う程度だ。あれ? 里沙の思惑成功してねぇか?

 

「あ、今いやらしい目で見た」

「おいおい、バカ言うなよ。生まれた時から一緒の従妹だぞ? 今更いやらしい目で見るなんてあり得ねぇだろ。っていうか何が目的なの? 俺にいやらしい目で見られて何の得があんだよ」

「……ほんとーにわかんない?」

 

 え、て呆ける俺を見る里沙の目には悲しそうな色があった。何かを諦めているような、それでも縋りたい何かを見ているかのような。

 

「ね、いとこ同士でも結婚ってできるんだよ。知ってた?」

「……」

 

 あまりの衝撃に固まる俺を見て、里沙は可愛らしく「ふふ」と笑う。顔を真っ赤にしてそのまま俺に背を向けて、逃げるように走り去っていった。

 

 ……え? うそ、ほんとに? いや、そんなはずない。事実確認だ。このまま連絡を取り合わず明日を迎えたら変に意識しちゃって俺が恥ずかしくなる。

 スマホを取り出し、『おい、今の冗談だよな』と里沙に送ると、『そだよー』と返ってきた。

 

 そだよーじゃねぇよ。

 

「男の純情を弄びやがって……許さねぇ……!!」

 

 この瞬間、復讐のために里沙に将来性も何もないとんでもないバカ野郎を紹介しようと心に誓い、それを察した両親に説教された。イカれてんのかこいつら。

 

 

 

 

 

「あはは、ごめんって。ほら、あんなにはっきり女を感じたことないって言われたからムカついちゃったっていうか」

「一瞬でも真剣に考えた俺に申し訳ねぇと思わねぇのか?」

「あれ、真剣に考えたんだー??? 私のこと? ありがとねー???」

「抱きしめてキスするぞ」

「本当にごめんなさい」

 

 翌日。いつものように家の前で合流し、登校しながら昨日のことについて文句をぶつける。にやにやしながら煽ってくる里沙が本当にうざいから言いたくないことまで言っちまったし。俺の『抱きしめてキス』は光莉さんのものなのに……。

 

「なんかキモい」

「感覚で罵倒するのやめてくれる?」

 

 今自分の方が立場弱いって自覚あんのか? それとも何があっても薫姉さん以外自分の味方してくれるからって調子乗ってんのか? だとしたら許せねぇ。里沙も父さんも母さんも。なんで父さんと母さんまで里沙の味方すんだよ。なんだよ「いつだって喧嘩が起きた時点で男の方が悪いって決まってんだよ」って。なんだよ「薫ちゃんの子どもだから悪いことするわけない」って。俺がグレてねぇの奇跡だろ。

 

「はぁ、うちの両親子育てランキングがあったら最下位だろうなぁ。光莉さんがお母さんだったら毎日ばぶばぶちゅっちゅってできたのに」

「確かに最下位だね」

 

 今その要素はなかったのに俺をみながら里沙が同意する。なんでだ? ただ俺は光莉さんへの想いを口にしただけだっていうのに……。

 

 そうしていつも通りの会話をしながら足を進めると、学校に近づくにつれてうちの生徒がちらほら増えてくる。それもいつも通りだけど、何か今日はちょっと違う気がした。なんとなく視線を感じるような、そう、『夫婦』だってからかわれた時と同じような視線を感じる。気分がよくないのは、女の子から感じる視線は好奇というか、どちらかというといい感情っぽいからいいんだけど、男から向けられているのはいやらしい感情。それが里沙に向けられている。

 

「後ろ隠れてろ。じゃないとお前にいやらしい目を向けたやつらが根こそぎ里沙過激派に始末される」

「あ、私の心配じゃないんだ……」

 

 でもありがと、としおらしく言って俺の背中に里沙が隠れると、周りの女の子が小さく黄色い悲鳴を上げる。ほんとになんだ? 何が起きてんだ? もしかしてため込んでただけで、『あいつらってやっぱり夫婦に見えるよね』っていう世論が今日になって爆発したのか?

 

「おい」

 

 その答えを教えてくれたのは、いつの間にか俺たちの近くまでやってきていた担任の先生……つまり、父さんだった。『公平さを保てなくなるから』という理由で自身の子が通う学校に親は勤務しないというのが普通だが、うちの高校に問題児が多すぎて離れられなくなっている問題教師。

 

 その問題教師は、懐かしむような、しかしあきれた様子で俺たちにスマホの画面を見せてきた。

 

 そこに映しだされていたのは俺たちが通う光生高校のホームページ。といっても光生高校に通う生徒、教師、その家族だけが見れるものであり、その特性もあってか『光生高校ニュース』なんていう身内ネタに振り切ったページもある。

 そのトップページにあったのが、『織部里沙、道の真ん中で愛を伝える!!』という見出しとともに、夕日に照らされた俺たちが向かい合っている写真。記事の内容にはしっかり「ね、いとこ同士でも結婚ってできるんだよ。知ってた?」という里沙のセリフが載せられていた。

 

「ちっ、違うんですおじさん! こ、これはその、ただ夕弥に女の子として見てほしかったっていうか」

「おい待て里沙!! ややこしいこと言ってんじゃねぇよ!! 違うんだ父さん、ただ俺は里沙に性的な魅力を感じちまっただけなんだ!!」

「あれ? なんで俺朝っぱらから息子と姪のラブラブを証明されてんの?」

 

 間違えた!! クソ、なんで俺は『気が動転したらポンコツになる』ところが似ちまったんだ!! そりゃそうか、だって両親ともにそうだし。遺伝率100%じゃん。なんだこのクソ遺伝子。そのせいで俺の学園生活が終わろうとしてんだけど???

 

「そんなセリフを吐くやつがよくややこしいこと言うななんて言えたね!!?」

「うるせぇ!! 元はと言えば里沙が『私、ちゃんと女の子として育ってるんだよ……?』って上目遣いで見ながら俺の制服をちょこんってつまんできたのがワリィんだろうが!!」

「自分に責任がないことにしたいからって話作るな!! 夕弥に対してそんなことするわけないでしょ!!」

「俺も昨日までそう思ってたわ!! みなさん聞いてください!! 俺可愛い妹だと思ってたこいつに昨日誘惑されました!! 俺は被害者です!!」

「あー!! そんなこと言うんだ!! 昨日私のこといやらしい目で見てたくせに!!」

 

 マズい、止まらない!! ここまでヒートアップしたら止め時がわからない!! どうしよう、周りに人が集まってきてるし、あのニュースを否定しようにも否定しきれないところまで来てる。

 ただ、俺は知ってる。普段クズでどうしようもない父さんでも、こういう時には頼りになるってことを。

 

「いやぁ、確実に俺の息子だな」

 

 頼りにしていた父さんは懐かしむように頷いているだけだった。ほんとダメだなこいつ。

 

 これは、最悪な高校生活をスタートさせた俺が、従妹ではなく大好きなお姉さんと結婚するために奮闘する物語である。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第2話 勘違いかもしれない気持ち

 学校の前で大騒ぎした俺たちは、朝っぱらから生徒指導室にぶちこまれた。隣には里沙がいて、正面には父さんが座っている。父さんはスマホ……恐らく俺たちのニュースを見ながら、流石に結構な問題だからか頭を抱えていた。

 

「どうしよう……日葵(ひまり)が可愛すぎる……」

 

 違った。母さんの写真見てただけだった。

 

「息子と姪がひでぇ目に遭ってるってのに何してんだクソ親父」

「別にそう問題でもないだろ。俺は学生の頃千里と付き合ってるって新聞張り出されたし」

「お父さんとそんなことになってたんですか……?」

 

 千里、里沙のお父さん。今ではクールでカッコいい人だけど、学生の頃は女の子と間違われてもおかしくないほどのメスだったらしい。それに父さんとは親友でそういう仲を疑われてもおかしくないほどだったらしく、それなら付き合ってるって言われても……おかしくないけど本人たちはたまったもんじゃないだろうな。

 

「でもさ、俺たちは異性だから妙にリアルだろ。いとこだから話題性も抜群だし……これが光莉さんの耳に入ったら最悪だな」

「見ろ。日葵も『え!? 二人ともそんなことになってたの!?』ってびっくりしてる」

「光莉さんに伝わる助走かけてんじゃねぇよ!」

 

 流石の母さんでも光莉さんには言わないだろうけど、あの人かなりのポンコツだからふとした拍子に言っちまう可能性もなくはない。母さんと光莉さんほぼ毎日会ってるらしいし……。

 

「あ、今光莉と一緒だって」

「おいシャレになんねぇって!! 光莉さんには絶対言うなって伝えてくれ!!」

「言っといたけど、多分死ぬほど動揺してるからバレると思うぞ」

「ふざけんなよクソ親父……!!」

 

 どうすんだよ、これで光莉さんにバレてしかも『おめでとう』なんて言われたら!! 多分あの人違うんですって言っても聞いてくんねぇぞ。『やっぱり私みたいなおばさんじゃなくて、若い子がいいに決まってるわよね』ってなるって絶対! しかもいい人だから『いとこ同士なんて気にしちゃだめよ。ほんとに好きなら胸張ってなさい』って応援してくれるって!! マジでいい女だな、結婚しよう。

 

「……いや、待てよ? ここは先に手を打って『俺と里沙がニュースになっちゃったんですよねー』って話題にすればいいんじゃねぇか?」

「ふふふ、実はもう送ってるんだよね、私」

「ずっとスマホ触ってるって思ったら、でかした里沙!! ちなみになんで俺から目を逸らしてるんだ?」

「いや、あの、えっと」

 

 俺から目を逸らしながら、里沙がスマホの画面を見せてくる。なになに? 『夕弥と付き合うことになりました』『そう』だって?

 

「何してくれてんの?」

「ち、違う! 『夕弥と付き合ってるって勘違いされてめちゃくちゃ困ってるんですけど、夕弥は相変わらず光莉さんが大好きだって言ってるから安心していいですよ』って送ろうとしたの!!」

「それがどうしてこんなことになってんだよ!!」

「仕方ないでしょ!? 焦ってたんだから!!」

「仕方ないで許せることと許せねぇことがあるんだよ!!」

 

 あまりの怒りに立ち上がって里沙に詰め寄り、応戦する形で里沙も立ち上がって言葉をぶつけ合う。こいつもわざとやったんじゃないだろうけど今回ばかりは許せねぇ。なんだ? どう間違えたらフォローがご報告になるんだ? 気が動転してたらポンコツになる遺伝子こいつも受け継いでんのかよ。終わってんなこの遺伝子。

 

 しかしまずい。ついさっきまで考えていた最悪の事態がもう目の前まできてるどころか俺の思考が追い付かないレベルの速度で追い越していった。早急に対処しないと取り返しのつかないことになる。

 

「安心しろ、夕弥」

「父さん?」

 

 そこで立ち上がったのが、父さんだった。得意気な表情で俺を見る父さんにムカつきながらも、やっぱり頼りになるんじゃないかと期待してしまう。

 そこで俺はそういえばと思い出した。『付き合うことになりました』への返答が『そう』っていう淡泊なものだったことを。もしかしたら、父さんが先手を打っていて冗談だってわかっていたから淡泊な返事だったんじゃないか?

 

「日葵によると『私みたいなおばさんじゃなくて、若い子がいいに決まってるわよね』ってため息吐いてるらしい」

「何が安心しろだよカス。殺してやろうか?」

「むしろここまで手遅れなら落ち着いて考えられるだろ。ポジティブにいけポジティブに」

「信じられねぇくらいネガティブな状況なんだけど???」

「いっそ付き合ったことにして、別れたってことにしてみる?」

「んなことしたら里沙がいとこと付き合って別れたやつってなっちまうだろ? そりゃダメだろ」

「……そう」

 

 俺がやらなきゃいけないのは、光莉さんの誤解を解くこと。学校内で勘違いされるのは別にいい。言いたいやつには言わせとけばいいし、どうせ時間が経てば俺たちが付き合ってないっていうのはわかることだ。

 でも、光莉さんに関しては時間が解決するなんて悠長なことは言ってられない。『俺が光莉さん以外を選んだこと』に納得させちゃダメなんだ。俺は光莉さんしか見えてないってことを信じさせなきゃいけない。

 

「押し倒すしかないな」

「流石俺の息子。当然の帰結だな」

「今私がしっかりしなきゃいけないってことがわかった。落ち着いて二人とも」

 

 俺と父さんが完璧な解を出したっていうのに、里沙が待ったをかけてくる。一度俺を地獄に落としたこいつに対する信用なんて皆無に等しいが、一応聞いてやることにした俺は落ち着いて席についた。

 

「まず、私と付き合ってるって勘違いしたまま光莉さんを襲ったら、光莉さんはめちゃくちゃ怒ると思う」

「光莉さんに俺の童貞を捧げられないからってことだよな? 大丈夫、そこは先にちゃんと説明する」

「待て、女の子はちゃんと体を綺麗にしてからじゃないと恥ずかしいもんだ。いきなり襲われるのは嫌だからってことだよな?」

「まったく違う。『里沙と付き合ってるのに私に手を出すってどういうつもり?』ってなるってことね。理解できる? バカども」

 

 俺と父さんが言ったことも間違ってはいないが、里沙の言うことも一理ある。確かに里沙と付き合ってるって勘違いしたままだと『不誠実だ』って怒られるのも無理はない。ってなると結局光莉さんの誤解を解かないといけないってことになる。

 じゃあどうやって? 光莉さんは結構柔軟だし誤解だって言ったらわかってくれそうだけど、伝え方を間違えればどんどん沼にはまっていく。だから一手目は絶対に間違えちゃいけない。

 

「どうやって誤解を解くか……」

「正面から伝えるのは?」

「バカかお前は。もし正面から伝えて信じてもらったとして、『やっぱり私のことが好きなのね、嬉しい』って言われたら発情する自信しかない。お前は光莉さんの前に獣を放つ気か?」

「なんで夕弥みたいなのにバカって言われなきゃいけないの?」

「待て里沙。今回ばかりは夕弥が正しい」

「おじさんはそろそろ自分がほぼすべてにおいて正しくないってことを自覚してください」

 

 なぜかはわからないが、父さんが里沙からとんでもない罵倒を受けた。おかしい、父さんは俺の背中を押してくれる立派な父親なのに。里沙が父さんを否定する理由はなんだ?

 ……もしかして。

 

「おい里沙、勘違いなら勘違いって言ってくれ。もしかして本当に俺のことが好きなのか?」

「勘違い」

 

 勘違いだったみたいだ。よかった。

 

 勘違いついでに、里沙の案である『正面から伝える』について考えてみる。よく考えれば、すぐに否定しなければ『私のこと本気じゃなかったのね』って思われるだろう。それなら正面から伝えるっていうのは悪くないかもしれない。今の時代、SNSを通して告白することも珍しくなくなっている。だからこそ、正面から伝えるっていうのは本気度が伝わりやすい。

 

「父さん。俺、行ってくるよ」

「学費もったいないから行くな」

 

 覚悟を決めた息子を冷たい理由で叩き伏せるゴミが俺の父親です。助けてください。

 

 

 

 

 

 氷室夕弥、っていう男の子がいる。

 

 昔好きだった人と、今でも大好きな親友の子どもで、信じられないくらい可愛くて小さい頃からいっぱい遊んだ記憶がある。それこそ、小さい頃から『光莉さんすき!』って言ってもらえるくらいには。

 その『好き』に熱を帯び始めたのはいつ頃からだっただろうか。

 

 最初は違和感を覚えつつも、懐いてくれてるとかそういう意味での『好き』だと思ってた。でも、どうやら異性に向ける『好き』らしいって気づいたのは、夕弥が中学生になった頃。真正面から「本気で女性として見てます」って言われた時だった。

 

 そんな夕弥が、里沙とねぇ。

 

いや、100%勘違いでしょ。

 

 あの二人の息子なら、好きっていう言葉に偽りはない。だから、私に対する好きっていう気持ちは本気で、自惚れじゃないっていう確信もある。もちろん里沙は可愛いしいい子だけど、だからって夕弥が私を放置して付き合うなんてありえない。

 ……なんて言うのはめちゃくちゃ恥ずかしいし自信過剰だし死にたくなるから、日葵から『夕弥と里沙が付き合ってる』って言われた時は話に乗ったけど。

 

「それは勘違いって話なのよね?」

「はい……お騒がせしてすみません」

 

 里沙に呼び出され、適当なカフェに入って向かい合う。話題はもちろんあの勘違いの話で、私がすんなり受け入れると里沙は目を丸くしてからしっかり頭を下げた。

 

「にしても、ほんとに親子なのね。昔まったく同じことあったし」

「こんな形で遺伝を感じたくなかったです」

 

 ぷく、と小さく頬を膨らませる里沙。ほんとに顔がいいわねこの子。顔がいい両親の子どもだからそりゃ顔がいいに決まってるけど、同性で年齢差がある私でもドキッてするくらいには整った顔をしている。こんな子とずっと一緒にいるのに私しか見えてない夕弥はかなりおかしい。従妹だからっていうだけで無視できるような女の子じゃないでしょ。

 

「でもなんで里沙が? 夕弥なら自分で伝えにきそうなものだけど」

「えっと、それは、ですね。少し相談というか、なんというか……」

 

 もじもじし始めた里沙に首を傾げる。こんな時に夕弥を抑えて、私のところにきて相談?

 

 里沙はしばらくもじもじした後、アイスコーヒーで喉を潤わせた里沙は意を決したように私と目を合わせ、形のいい唇をゆっくりと震わせた。

 

「……わ、私、夕弥が好き、かも、しれなくて」

「……そう」

 

 申し訳なさそうに言う里沙にへの返事は、思ったより優しい声が出た。安心、があったのかもしれない。やっと夕弥が私以外の女の子を意識するかもしれないって。っていうか申し訳なさそうなのはなんで? もしかして私も夕弥のことが好きだと思ってる? いやいや、流石に、ねぇ? もし本当に私が夕弥のこと好きだったら、年齢差とか関係なく無遠慮にぶんどってくからそれはない。

 じゃあなんでと考えて、もしかしてと思ったことを言葉にした。

 

「あんた、夕弥に申し訳ないって思ってる?」

「……」

 

 小さく頷く里沙に、思わずそっと頭を撫でた。

 

 里沙は、私へ夕弥への好意を伝えることによって、夕弥からのアプローチを断る理由を増やしてしまうって思って、夕弥に申し訳ないって感じてる。なーにめちゃくちゃいい子じゃないこの子。もしかして私が産んだ? こんなにいい子で可愛い子なら私の娘に決まってるわね。

 

「別に気にしなくていいわよ。どっちにしろあの子の好意に応える気はない……って里沙の前で言うことじゃないわね」

「い、いえいえ! いいんです。まだ本当に好きかわからないし、むしろ勘違いだって思いたいですし」

「先に言っておくけど、いとこだからとか考えなくていいわよ。好きになっちゃったんなら仕方ないし、好きってそういうものだし」

「……それなら、年の差とか考えなくてもいいと思うんですけど」

「いい度胸だな、テメェ」

 

 思わずブチギレると、里沙は額をテーブルにこすりつけて「申し訳ございませんでした」と全力で謝罪した。もう、冗談なのに。

 

「で? 相談っていうからにはその先があるんでしょ?」

「……はい。その」

 

 ちょっと、付き合ってるっていうのを本当にしたいなって思ってまして。続けられたその言葉に、「それもう好きってことでしょ」と返すと、顔を真っ赤にして黙ってしまった。

 

 とりあえずこの子を私の娘にしようと思う。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第3話 そして勘違いは増えた

「作戦、やり遂げました」

「マジでやったのかよ……」

 

 俺と里沙がただならない関係(勘違い)だということが学校中に知られた翌日。中庭で弁当を食べながら昨日の結果報告を聞いていた。

 

 作戦とは、『里沙が俺のことが好きだと光莉さんに言って、なんとかもやもやさせよう大作戦』のことであり、発案者は里沙。俺のことを好きだなんて嘘でも言いたくないだろうに提案してくれたのは、俺をからかおうと言っただけのセリフが原因でとんでもない事態になってしまった負い目があるからだろう。別にもう気にしてねぇのに。

 

「光莉さんを騙すのは気が引けるけどなぁ」

「嘘じゃないって言ったら?」

「昨日千里さんから『うちの娘が返ってきた途端ゲボ吐いたんだけど、心当たりある?』って聞かれたぞ。死ぬほど嫌だったんじゃねぇか」

「ごめん。あまりも気持ちが悪くて」

「謝る相手に気持ち悪いとか言うな」

 

 まぁそれに関しては思うところは何もない。俺だって里沙のことが好きだなんて言おうものなら、言葉よりも先に鳥肌が立って耐えられなくなって色々あって内閣総理大臣になる。だから職に困った時は誰かに里沙のことが好きだって言うつもりでいる。俺のこの人生設計で唯一不安なのは、父さんにこのことを話した時「完璧だな」って言われたことくらいだろうか。

 

「ところで平気? 昨日からずっと追われてるけど」

「命を狙われて平気なやつっている?」

 

 そして不安といえば、今の俺の状況も不安である。

 

 里沙は正直言ってかなり可愛い。スタイルもいいし頭もいいし、運動もできるし人当たりもいいから男女問わず大人気だ。そして特に男からの人気がすごい。里沙のことが好きなやつなんて珍しくないし、気が付けばアプローチされていたなんてことはざらにある。

 そんな里沙が、俺と付き合ってるっていう噂が広まった。もちろん俺は命を狙われることになった。

 

「金属バットで思いきりぶん殴られそうになったし」

「最初は避けたけど、流石に避けきれなくて死んだんだよね」

「何勝手に殺してんの? 幻と喋ってるつもりだったのかお前」

「まぁね」

「まぁねじゃねぇんだよ」

 

 得意気に答える里沙がムカついて弁当から卵焼きを奪って食ってやると、怒った様子もなく「おいしい?」と聞いてやがったので「おいちい!」と可愛らしく答える。

 

 距離を空けられた。なんでだろう。ただ光莉さんに甘える予行演習のつもりで言っただけなのに。卵焼きを咀嚼しながら首を傾げ、味付け的にこれを作ったのは里沙だなと勝手に予想しながら飲み込んだ。ごちそうさま。

 

「お粗末様。ね、ゴールデンウィークどうする?」

「光莉さんとハネムーン」

「そんな戯言より、お父さんが旅行に行きたいって言ってたんだけど」

「俺の純愛に対して戯言って言ったことはこの際許してやるよ。もちろん光莉さんも一緒だよな?」

 

 頷く里沙を見て、即座に光莉さんへ連絡する。電話は迷惑だろうから『ゴールデンウィークの新婚旅行どこに行きたいですか?』と送っておいた。邪魔なのが何人かついてくるけど、どうせ光莉さんしか目に映らないし誰がいても一緒だろ。

 

 うちの家族は結構付き合いが多い。っていうのも、父さんの妹が二人いてそのどちらも結婚していることもあるし、高校時代父さんと仲が良かった人たちも全員結婚してる、もしくは子どもがいるからっていうのもある。ちなみに光莉さんは将来的に俺と結婚する。

 

「まぁ旅行になるかどうかはこれから予定立てて決めると思うけど、どっちにしろ空けておいてね」

「……今気づいたんだけどさ。光莉さんって今里沙が俺のこと好きって思ってるんだろ?」

「……うん」

「じゃあさ。光莉さんの前なら、里沙は俺のこと好きアピールしないといけないんじゃね?」

 

 里沙がピタリと固まって、手から箸が落ちる。持ち前の反射神経で地面に落ちる前にキャッチし、「しっかりしろ。このままだと箸べろべろ舐めちゃうぞ?」と言ってみても固まったまま。これはめちゃくちゃショック受けてるな。自分で蒔いた種なのに。

 

 いや、よく考えたらそうだよな。俺も仲が進展しそうだから里沙の作戦を受け入れたけど、そういうことになるよな。しかも元々光莉さんをもやもやさせることが目的だし、むしろそうすることが正しいまである。

 もっとも、俺と里沙の心が保てるかどうかは別の話だ。

 

「え、待って。それって他のみんなにもそういう姿を晒すってことだよね」

「そうなるな」

「それって夕弥が光莉さんと話してたら、積極的に妨害しにいかないと不自然ってことだよね」

「まぁ、俺のことが好きってことになってるならそういうことになる」

「早まったことした。私自殺する」

「なお早まろうとしてんじゃねぇか。落ち着け」

 

 俺から自分の箸を取返し、喉元に突き立てようとした里沙の腕を掴んで阻止する。そりゃめちゃくちゃ嫌だろうけど、ここで里沙の命が尽きたら自動的に俺の命も尽きることになる。父さんなら『目の前で女の子を死なせただと? 死ね』くらいは普通で言ってくる。俺も流石に命は惜しい。

 

 つか、マジで軽率すぎたな。俺たちの身内って基本的にノリがいい人しかいないし、里沙が俺のこと好きなフリをしたら積極的に盛り上げてくる未来が見える。マジで集まったら学生に戻るんだよなあの人たち。

 

「どうしよう……何人かは倫理観死ぬほど壊れてるから、一緒の部屋で寝させられることもありえそう……」

「そうなったら子どもできないと不自然だよな……」

「夕弥にとっての自然が不自然なんだけど、自覚ある?」

 

 どうやら俺にとっての自然は不自然らしい。また俺は賢くなってしまった。

 

 しかしこれは早急に対応策を考えないといけない。まず全員に『光莉さんに里沙が俺のこと好きだって嘘をついている』っていう状況を伝える……ダメだ。そんなことをしたらリアルさがなくなるし、光莉さんにバレてしまう可能性がある。

 それなら、バレても問題なく演技ができそうな人にだけ伝えておいて、俺たちの心労を軽くするのが一番か?

 

「よし、春斗に相談しに行くか」

「呼んだ?」

「きゃっ!!」

 

 後ろから突然かけられた声に悲鳴があがる。俺の。

 

 振り返ってみると、髪を綺麗な金に染めた高身長のイケメンがイケメンなスマイルでイケメンに手を振っていた。

 (きし)春斗(はると)。父さんたちの高校の同級生であり、うちの高校教師でもある(きし)春乃(はるの)さんの義理の息子。うちの高校身内多すぎて身動きとり辛いんだけど、こういう相談事したいときに頼りやすいからいい環境ではあると思う。

 

「なんかクソおもろいことなってるやん。どこまでいったん? G?」

「Gが何を指すかは知らねぇけど、なんともなってねぇよ」

「G行為」

「クソ下らねぇ上にド下ネタかよ」

 

 けらけら笑いながら俺の隣に座り、長い脚を組む春斗。こいつ所かまわずイケメンオーラ振りまくから一緒にいると気まずいんだよな。俺も負けず劣らずイケメンだけど、「性格がゴミ」ってわけのわからないこと言われてイケメンに見えないらしいし。

 

「あの、春斗。私たちそういうんじゃないから。ほんとに」

「聞いてた聞いてた。夕弥が追われとってひとしきり笑ったから、事情聴いたろーって思って」

「小さい頃から知ってる大親友を危うく見殺しにするところだったんだぞ? 笑ってんじゃねぇよ」

「そん時はそん時やろ」

「人の命を簡単に割り切るのやめてくれない?」

 

 うちの父さんの友だちにしては珍しく、春乃さんはかなりいい人だ。非の打ちどころがないと言ってもいい。なのに春斗は倫理観よりも面白いことを優先するクセがある。流石に絶対に倫理観を優先した方がいいときはそうするらしいが、俺はいまだにその場面に出会ったことがない。

 

「しっかし、無理ちゃう? あれやろ、光莉さんの前やったら夕弥が女の子と話したりしてると里沙は嫉妬せなあかんやろ?」

「うっ、ゲェエエエ……」

「想像しただけで吐きそうは聞いたことあるけど、想像しただけで吐くなよ」

 

 咄嗟に春斗がビニール袋を取り出して受け止めたから大惨事にはならなかったけど、見ろ。俺たちの様子を見ていた何人かの男が喜んでんじゃねぇか。とんでもねぇ変態しかいねぇなうちの高校は。ぜひ退学したい。

 

「できるだけサポートはするけど、笑ってもうたらごめんな」

「おい、里沙は確かに面白いけど、俺に笑いどころなんてないだろ」

「もう笑えるやん。おもろ」

「あの、私が面白いっていうの否定してくれる?」

「想像しただけで吐くやつがおもろないわけないやろ」

 

 二人そろって春斗に言い負かされた俺たちは、「こいつわかってねぇな」と肩を竦めることで自分の優位性を保つことにした。いつだって最強なのは人の話を聞かずに何を言われようともダメージを受けないやつだって決まっている。それはつまりバカなんじゃないかって声も聞こえてくるが、俺は賢いからそんなことはありえない。里沙はバカ。

 

「ほんじゃ光莉さんにバレへんよういちゃつくフリするとして、二人に別の話あんねん」

「私に告白するなら時期考えて」

「冗談は夕弥の性格だけにしといてくれ」

「なんで俺を攻撃した?」

「おもろそうな部活見つけたんやけど、一緒に見に行かへん?」

 

 俺と里沙は顔を見合わせ、そういえば部活とかあったなと思い出す。部活に入れば光莉さんと話すことも増えるし、行ってみてもいいかもしれない。

 

 ただ、俺はこのとき春斗が『おもろそう』と言ったことをもっと警戒するべきだった。名前のない部室に入った瞬間現れた、『お嬢様に憧れるもお嬢様適正がなさすぎてぐしゃぐしゃになっている滑稽な生き物』を見た瞬間、俺はそう思った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第4話 そしてお嬢様が現れた

「ようこそいらっしゃいまし! 『麒麟寺(きりんじ)朱音(あかね)をお嬢様に育て上げる部』への入部希望ということでよろしくて!!?」

 

 表札の掲げられていない部室のドアを春斗に言われるまま開けると、テーブルの上に仁王立ちしながら意味のわからないことを金髪碧眼の女の子が叫び始めたのでとりあえず閉めて春斗を見た。

 

 爆笑している。

 

「なんだあの珍妙な生き物」

「ダハハ!! な? おもろそうやろ?」

「なんか私たちとてつもなく変な部活の入部希望者だと思われてるけど」

「あ、まだ部やないで。申請通るわけないやろし」

 

 じゃあまだ部活でもなんでもないのに一人で部室を占領して、意味の分からない部を名乗ってるってことか。イカれてんなあの人。

 里沙と目を合わせ頷き合い、部室に背を向ける。あぁいうのと関わるとろくなことがない。ただでさえ俺たちは今全校中の注目の的なのに、あんなのと一緒にいたら確実に悪い噂が立つ。確かに光莉さんと話す話題が増えるって思ったけど、こういうんじゃねぇんだよな。

 

 そんな俺たちに待ったをかけたのが春斗だった。

 

「話だけ聞いたってもええんちゃう? ここで帰ったらあの人悲しむんちゃうかな。せっかく来てくれたのに一回見ただけで帰られるってめっちゃきついで」

「うっ、確かに……」

「驚くほど良心が傷つかない」

「里沙はええ子やなぁ。おい、見習えよカス」

「そこまで言われるようなこと?」

 

 言われっぱなしは趣味じゃないから仕方なくもう一度入ってやることにして、またドアに手をかける。まるで初めて入るかのように「お邪魔します」と言ってからドアを開けると、そこにはテーブルの上に仁王立ちしている金髪碧眼の女の子がいた。

 

「ようこそいらっしゃいまし! 『麒麟寺(きりんじ)朱音(あかね)をお嬢様に育て上げる部』への入部希望ということでよろしくて!!?」

「あの子はNPCか何か?」

「あれがNPCやとしたら明らかな設計ミスやろ」

「どう見てもメインじゃないとおかしいもんね」

 

 人をゲームキャラ扱いするやつはドチクショウだから、里沙と春斗もドチクショウだってことが今証明された。

 

 どうもと頭を下げて、各々名前を告げて自己紹介すると、麒麟寺さんはテーブルから華麗に降りて無駄に豪華な椅子に座り、「お茶でも淹れてくださる?」と一言。

 

「お茶の場所も教えられてねぇのに淹れられるか!! ふざけんな!!」

「指示されたことに対して怒ってるんじゃないんだ……」

「はぁ、使えませんわねこのゴミカス」

「おい、今このお嬢様初対面の相手にゴミカスって言ったか?」

 

 かなり失礼なお嬢様にブチギレながら、いつの間にか春斗が淹れてくれた紅茶を飲んで椅子に座る。なんで春斗お茶の場所わかってんだっていうのとそもそもなんでこの部屋にティーセットがあるんだって言いたいことはいっぱいあるが、前者は春斗だからっていうことで納得し、後者はこの学校だからってことで納得した。

 

「で、なんで俺たちは麒麟寺さんをお嬢様に育てあげなきゃなんねぇんだ?」

「"あげなきゃならない"? むしろこのわたくしをお嬢様に育て上げられることを光栄に思うべきですわ!」

「それはほんまにそう」

「面白そうだからって適当に同意しないで。えっと、麒麟寺さん。そもそもなんでお嬢様になりたいの?」

 

 こんな失礼で意味のわからないやつにお嬢様になりたい理由聞くとかいいやつかよ。俺と同じでいい子に育ったんだな。俺たちをこんなところに連れてきた悪魔とは大違いだぜ。

 

 麒麟寺さんは里沙の質問に対し、春斗の淹れた紅茶を一口飲んで「うますぎでは?」とお嬢様らしからぬ言葉を漏らして慌てたように咳払いした。

 

「なぜか留年してしまいましたので、お嬢様になれば巻き返せると思ったからですわ! 聞くところによるとお嬢様はお金持ちらしいですし!」

「あんたが留年したのは確実にアホだからだろ。つか先輩だったんすね?」

「お嬢様がお金持ちなのは、いいところに生まれたからやで」

「あまり難しいことを言わないでくださいまし」

「どんどん留年した理由が露呈してる……」

 

 そして致命的にお嬢様には向いていない。カップもわしづかみにして飲んでるし。掌で上から覆うように掴むって何? なんかカッコいいんだけど。お嬢様よりお嬢を目指した方がいいんじゃね? あの、ヤのつく感じのやつ。

 

 でも、なんか不思議だな。こんなにおかしい人がいるなら父さんが放っておくわけないと思うんだけどなぁ。あの人、なんかおかしい生徒担当みたいになってるらしいし。

 

「ちなみに顧問の先生とか決まってるん?」

「氷室先生が『人数集めたら承認する』とおっしゃってくださいましたわ!」

 

 担当してたわ。流石父さんだった。

 

「でも確か部活の承認得るのって、5人は必要ですよね?」

 

 ちび、と可愛らしく紅茶を飲んで言った里沙に、麒麟寺さんが「あと一人、悩ましいですわね……」と顎に指を添える。いつの間にか俺たちが数に加えられてんだけど。なんで俺の貴重な青春を光莉さんじゃなくてわけのわかんない部活に捧げなきゃいけないの? 面白そうって言ってたし春斗だけにしてくれよ。今も一緒になって「あと一人だけやったら心当たりあるで」って言ってるし。

 

「同じクラスで、『お前らと一緒にいたら内申がマイナスに振り切れる』って言うてあんまり学校で話してくれへんやけど。ちなみにこの二人の従兄弟」

(かすみ)ぃ? 確かにあいついいやつだから押せばいけそう……じゃねぇよ俺入る気ねぇからな」

 

 井原(いはら)(かすみ)。俺と里沙の従兄弟であり、うちの高校教師である井原(いはら)(れん)さんの息子。今思ったんだけど、この高校に身内が多いのは、この高校がおかしいやつらの集まりだからじゃねぇのかな。

 とは言ってみたものの、霞はおかしいやつではない。うちの遺伝子では珍しい常識人で、イケメンであり恥ずかしがり屋という可愛らしい一面もある。

 

「あら、夕弥はわたくしをお嬢様にしたくないと?」

「どう活動すれば麒麟寺さんをお嬢様にできるんです?」

「わたくしに勉強を教え、いい大学に入れるよう教育を施していただき、勝ち組の人生へのレールを敷いていただきますわ」

「活動内容が真面目だと断りにくくなるからやめてくれませんか」

「でもそれって部活動っていうよりただの勉強会じゃ……」

 

 里沙の言葉に、麒麟寺さんがふっと笑う。まるでその言葉を待っていたとでも言いたげな笑みに、この数分間で既に麒麟寺さんに対して『アホ』の烙印を押している俺たちは、どうせくだらねぇこと言うんだろうなと期待ゼロで待ち受けた。

 

「お嬢様とは位高きもの。つまりすべてを導く立場にあるべきですわ! ですので、皆様方の助けになるような活動をしたいの。いわゆるvolunteerというやつですわ!」

「なんでボランティアの言い方ネイティブなんだよ」

「それなら生徒会とかでいいんじゃないですか? わざわざ部活じゃなくても」

「わたくしみたいなアホに生徒会は無理でしてよ」

「現実見えてへんようで見えてるみたいやな」

 

 よかった。「それいいですわね。でしたらわたくしたちで生徒会を乗っ取りましょう!」なんて言い出さなくて。俺絶対嫌だぞ生徒会。あんな時間削って学校のために動くような意味の分からない団体。内申点とかプラスされそうではあるけど、もうその程度じゃ取返しのつかないくらい内申点マイナス振り切ってる自覚あるし。なにせ入学間もなくして命狙われてんだから。

 ……まぁだからといって部活に入るわけじゃない。あくまで生徒会よりはマシだってだけで、ボランティア活動してるのになぜか悪評が広まりそうな部活は願い下げだ。このまま部活に入ったら学校中に『アホお嬢様(偽)の取り巻きのアホ』だって認識されてしまう。

 

「さて、お返事聞かせてくださる? もちろん入りますわよね!」

「俺はええよー」

「すみません、私は遠慮しておきます……」

「俺も……」

 

 断ろうとしたところで、スマホから着信音。この音楽は……! 高鳴る鼓動を抑えつつ、スマホを取り出してみてみれば『マイスウィートラバー』と表示されていた。

 

「あら、お知り合いにゴムがいらして?」

「アホは黙ってろ。もしもし!」

『もしもし。元気そうね』

「光莉さん! もしかして新婚旅行で行きたいところが決まったんですか!」

『はいはい。それは将来のお嫁さんと考えてね』

「将来のお嫁さんは光莉さんですし、光莉さん『お嫁さん』って言うの少女みたいで可愛いですね」

 

 光莉さんだ! 光莉さんから電話がかかってくるなんてどうしたんだろう? 十中八九俺に愛を伝えたいがためにかけてきたに違いないが、光莉さんは恥ずかしがり屋なところがある。ここは光莉さんから愛を伝えてくれるのを待って、それから俺からも愛を伝えよう。なんだろう、『待て』をされてるみたいで興奮してきたな。

 

『今どこにいるの?』

「学校ですよ。春斗のやつに部室棟の方連れてこられて、今変な部活の勧誘受けてます」

『へぇ。そこって連絡通路渡ってすぐのところ?』

「? そうですけど……」

『懐かしいわね。そこ、私が入ってた文芸部の部室だったのよ』

 

 俺は懐から入部届を取り出し、名前と血印を捺して麒麟寺さんに提出した。

 

「奇遇ですね。ちょうど俺もこの部活に入ろうとしてたんで、やっぱり運命かもしれません」

『そ。で、里沙は一緒にいるの?』

「あぁ、いますよ」

 

 里沙に目配せする。光莉さんは今『里沙は俺のことが好き』だと思っている。つまり俺が部活に入るってことは、里沙も入らなきゃ怪しまれるかもしれない。

 里沙もそれがわかっているのか、はちゃめちゃに嫌そうな顔をして俯いた。少しして顔を上げると、瞳を潤ませ、頬を紅潮させながら俺の制服の裾をちょこんとつまんだ。

 

「ゆ、夕弥が入るなら、私も……だめ?」

 

 演技うまっ。相手が俺じゃなかったら恋に落ちるぞその仕草。ただなんでそんなことしたんだ? 別に見えてねぇからそこまでやらなくていいだろ。見ろ、春斗が面白くて爆笑してるじゃねぇか。

 

『相変わらず仲良さそうね』

「家族みたいなもんですから。それよりいつ俺に愛を伝えてくれるんですか?」

『そんな予定はないし、もう用はないわよ。それじゃ』

 

 え? と呆けた声を出す暇もないまま電話が切れる。用はないって、俺の場所と里沙が一緒にいるかって聞いただけじゃね? 何の用だったんだ?

 

 ! もしかして、俺の声を聞きたかっただけとか? いやぁーかわいい人だ! きっと嫌なことがあって俺の声を聞きたくなったに違いない。は? 光莉さんに嫌な思いさせたやつがこの世に存在してるってのか? ぶっ殺してやる。

 

「夕弥夕弥」

「ん?」

 

 俺が光莉さんに仇なす一切を塵にしようと決意していると、春斗が俺を呼んでスマホを見せてきた。何々?

 

「『夕弥と里沙を部活に入れたいから協力してください……』」

「……春斗?」

「ってわけで麒麟寺さん! あと一人!」

「では先ほどお話に上がりました霞さんを襲撃しにいきますわよ!」

 

 麒麟寺さんと春斗が部室を飛び出し、霞を襲撃しに行く。

 取り残された俺と里沙は目を合わせて、同時にため息を吐いた。

 

「あいつ、許せない……」

「あぁ。勝手に光莉さんと連絡とりやがって……!!」

「そっちじゃない」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第5話 そして依頼が舞い込んだ

「『麒麟寺朱音をお嬢様に育て上げる部』……マジで5人集めてきたのか」

 

 職員室。俺たちは部の承認を得るために顧問(予定)の父さんのところにやってきていた。春斗の策略によって入部届を出してしまった俺と里沙は断ることもできたが、それだと光莉さんに嘘をつくことになってしまうため入部だけはしてやることにした。

 クソみたいな部活だったらやめりゃいいしな。

 

「ん-!! ん-!!」

「ところで霞は拘束プレイの趣味でもあるのか?」

「いえ、霞さんは入部をお願いしたら抵抗されましたので、ふん縛って連れてきましたわ!」

「あ、あの、流石にやめてあげない? 嫌がってるし……」

 

 麒麟寺さん、俺、里沙さん、春斗。そして最後の一人は霞。襲撃すると案の定抵抗されたため、俺と春斗が取り押さえ、麒麟寺さんが「拘束はお嬢様の嗜みでしてよ!」と興奮しながら縛り上げた。里沙は最後まで止めようとしていたが、「早めに最後の一人を確保しておいた方が時間を使わなくて済むぞ」と言ってやると黙って見届けた。

 こういう時って見てるだけで自分はいい人ですっていう顔してるやつが一番悪いって決まってるんだよな。お前のことだぞ、里沙。

 

「ん-まぁ喋れるようにはしたってもええか」

「んっ、げほっ……おい、僕は入らねぇからな! 言ったろ、お前らと一緒にいたらろくな目に遭わないから嫌だって!」

「おい里沙、やれ」

 

 猿轡を外した瞬間生意気なことを言い始めた霞に里沙を差し向ける。里沙は頷いて俺とハイタッチをかますと、霞の前にしゃがみこんだ。

 

「……私たちと一緒にいるのいや?」

「うっ、いや、その、一緒にいるが嫌なのは夕弥と春斗だけで」

「私たち家族なんだから、私はみんな一緒にいたいな」

 

 悲しそうに目を伏せる里沙に、霞が言葉に詰まる。

 

 対霞には里沙がよく効く。なぜなら霞が嫌っている、というより周りの目が気になるから一緒にいたくないのが俺と春斗だけであり、里沙はかなりの優等生で、しかも見た目がよくて女の子として完璧と言ってもいいやつだから、初心すぎる霞には里沙がよく効くというわけだ。血がつながっているとはいえ、いとこくらいになれば少し異性を意識しても無理はない。

 

「で、でも別にそんなみょうちきりんな部活で一緒にいなくたっていいだろ?」

「うん」

「おい里沙、こっちこい」

 

 あまりにも同意するしかなかったからか頷きやがった里沙の腕を引いて、肩を組み身を寄せる。「顔が近くてキモい」と失礼なことをぬかしやがった里沙へ嫌がらせにウィンクをかましてやった。

 

「言っただろ? ここであいつを引き込んでおかないと明日も明後日も麒麟寺さんに付き合わされることになるぞ」

「いや、あれは同意するしかなくない? 私だってそう思ってるし」

「俺もそう思ってるけど、頼む。あの初心なザコを納得させられるのはお前しかいないんだ」

「今夕弥さんが里沙さんに『俺にはお前しかいない』と言っていたと投稿しましたわ!」

「なんでそんなことするの?」

 

 なぜかとんでもない嫌がらせをしやがった麒麟寺さんを睨むと、胸を張って得意気に鼻を鳴らし、そのままとんでもない投稿をしたであろうスマホの画面を霞に見せつけた。

 

「あなたが部活に入らなければ、里沙さんが不利になるであろう投稿をしまくりますわ」

「おいあのお嬢様脅し始めたぞ」

「ほしいものはなんとしてでも手に入れるってお嬢様っぽいんちゃう?」

「それを職員室でやってるのがおかしいと思うんだけど……」

 

 父さんも止めないし。生徒が生徒を脅してんのに「ウケる」とか言って写真撮ってるぞこのクソ教師。俺もウケるから写真撮ってるけど。

 流石の霞も里沙を人質に取られたら弱すぎるのか、少し悩んだ後「わかったよ……」と言ってため息を吐いた。それに満足そうに頷いた麒麟寺さんは父さんを見てふんぞり返る。

 

「さ、部の承認のために動いてくださいな! 活動内容はお勉強及びvolunteerですわ!」

「わかった。でも部の名前長すぎて覚えにくいから『便利部』とかにしとくか」

「使いつぶす気満々だぞこのおっさん」

「里沙は潰さねぇよ」

「誰も潰すなよ」

 

 本当に不思議そうな顔をした父さんをぶん殴り、俺たちは親子喧嘩を始めた。

 

 

 

 

 

 翌日、朝。

 

 殺気に溢れる視線を一身に受けながら教室で里沙と話している時、それは訪れた。

 校内の放送を報せるジングルと。声の調子を整えるように咳払いして、マイクに声を乗せた。聞こえてきたのは、昨日散々聞いたお嬢様の声。

 

『みなさまごきげんよう! 1年C組、麒麟寺朱音ですわ! わたくしはつい昨日、麒麟寺朱音をお嬢様に育て上げる部、通称便利部を立ち上げました! 学校のみなさまのお手伝いをするために、校内サイトに依頼ページを作成いたしました! 恋のお悩み、勉学のお悩み等なんでも依頼してくだされば、便利部がお手伝いいたします! それではみなさま、よろしくお願いいたしますわ!』

 

 思わず校内サイトを開き、『今日のゴミと里沙たま』というクソ気色悪い記事を無視して、見たことのない『便利部依頼ページ』というリンクを見つける。これを一体誰が? まさかあのお嬢様か? いや、それはない。あのお嬢様はアホだから無理なはず。

 ……いや、今はいいか。とりあえず見てみようとリンクから飛ぶと、そこには『氷室夕弥を殺してください』『氷室夕弥の四肢をもいでください』『里沙たん、ちゅき』『里沙、見てるか?』『結婚してくれ、里沙』と依頼ではなく終わっている文字の羅列で埋め尽くされていた。多分うちのクラスだ。

 

「おい、里沙。見ない方がいいぞ」

「もう見た。気持ち悪い……」

 

 クラスの男子数人が気持ちよさそうに身をよじった。犯人はあいつらか。とりあえず顔は覚えたから、父さんに報告しておこう。あの人里沙にはクソ甘いからなんとか地獄に追い込んでくれるだろ。

 

「……ん?」

 

 よく見てみると、部活メンバー一覧というリンクもある。それをタップしてみれば堂々と学年クラス、そして本名まで記載されていた。あぁ、だから『里沙、見てるか?』ってやつがあって、俺に対する恨み言が多かったのか。多分部活メンバーがわかってなくてもそういうのであふれてたと思うけど。

 

「まぁ、でもこんなのにちゃんとした依頼送ってくるやついねぇだろ。むしろ里沙に対する気持ちワリィ発言とか見えやすくなってるから、それはなんとかしないとな」

「夕弥って時々、ちゃんと頼りになること言ってくれるよね」

「なんやかんやで里沙のこと大事に想ってるやろしなぁ」

「当然のように割り込んでくるのやめてくれ」

 

 気配は感じていたものの、流石にいきなり肩組んですぐ近くに顔出されたらびっくりす、うわっ、顔良っ。そりゃクラスの女の子も「え、岸くんだ!」「なんであのゴミの近くに!?」って言うわな。あとなんでこの短い期間で俺が『ゴミ』ってのが共通認識になってるんだよ。俺なんか悪いことしたか?

 でもなんでここにいるのかは俺も気になる。春斗は大体自分のクラスで霞をいじってるか、自分のクラスで霞をいじってるか、自分のクラスで霞をいじってるかだから俺たちのところにくることはそんなにない。霞いじってばっかだなこいつ。

 

 その答えは、春斗が指を指した先にあった。その先は教室の入り口、そこに麒麟寺さんと霞、そしてもう一人見覚えのない女子生徒がいた。

 

「早速依頼やって」

「は? マジ?」

「ほんとに依頼する人いるんだ……」

 

 驚きつつ、手招きする麒麟寺さんに従って教室を出る。「ごきげんよう」とどこか慣れてなさそうに言った麒麟寺さんに「地獄に落ちろ」と挨拶を返し、里沙に殴られながら部室へ向かった。

 

 部室に入ると、豪華絢爛な装飾に革のソファ、いくらするかわからないティーセットにどこかの社長が使っていそうなデスクがドンと鎮座している。あれ、昨日こんなだったっけ。

 

「さ、お座りください。春斗さん!」

「お客様、コーヒーか紅茶、どっちがお好みですか?」

「えっと、じゃあ紅茶で」

「かしこまりました」

 

 ……まぁいいか。俺たちが使う部室が豪華で困ることなんて何もないし。嫉妬される要因が増えるだけだ。

 割り切った俺とは違いめちゃくちゃ困惑している里沙と霞を置いて、ノリで社長デスクの椅子を引くと、麒麟寺さんが機嫌よさそうにそこへ座る。なんか楽しくなってきたな。

 

「……さて、お話聞かせてくださる? 三上さん」

「えっと、自己紹介、したほうがいいよね。2年A組の三上(みかみ)若菜(わかな)です。朱音ちゃんとは元クラスメイトで」

「三上さん。元クラスメイトって言われると留年が浮き彫りになるのでやめてくださいまし」

「えっ、あの人留年してたの?」

「あ、言ってなかったっけ。そうだよ」

 

 霞が驚き、里沙の言葉を聞いてから麒麟寺さんを見て「まぁそうか」と呟いた。あいつ普通の皮被ってるけどちゃんと失礼だよな。麒麟寺さんはそんなこと気にする人じゃないから青筋立たせるだけで済んでるけど、ちゃんと言う相手は選んだ方がいいと思う。ちなみに麒麟寺さんはどちらかと言うと言わない方がいい相手。

 

「あの、その……こんなこと相談するの恥ずかしいんだけど、ちょうど半年前くらいに彼氏ができてね?」

「あら、おめでとうございます」

「朱音ちゃんには言ったことあるから知ってると思うんだけど……」

「そのような記憶力があれば留年していませんわ」

「後輩の前で留年ジョーク連発するのやめろ。反応に困るだろ」

「お前に反応に困る心があるなら、そこで笑ってる春斗をどうにかしろ」

 

 霞が言うから仕方なく、俺のイケメンスマイルで見惚れさせて静かにさせてやるかとイケメンスマイルを春斗に披露したところ、余計笑いが深くなった。

 

 息の根を止めれば静かになるか……?

 

「でも、ね。あんまり進展なくて。まだ手をつないだだけなんだ」

「おー。なんや可愛らしくてええと思いますけど」

「私としては、その先までいきたいというか」

「ごめん里沙。僕耳塞いで後ろ向いてるから」

 

 初心すぎる霞はここでリタイアした。里沙も優しい顔で「仕方ないなぁ」と霞の背中をぽんぽん叩いている。あんな顔俺にしたことあったか? いや、ないな。俺に向けてくる顔は大体失望と侮蔑と嘲笑だ。俺一体普段里沙に対して何やってんだ?

 

 今までのことを振り返り、里沙に対しての所業を思い返してみる。光莉さんとのことを相談したり、光莉さんの可愛さを語ったり、光莉さんへの愛を語りつくしたり……ダメだ、なんの問題も見当たらない。

 

「それで、この前ニュースになってたでしょ? 氷室くんと織部ちゃん」

「え」

「お」

 

 里沙との思い出から現実に引き戻したのは、なにやら不穏な言葉だった。流れを整理すると、『半年前に付き合った彼氏がいる→あんまり進展がない→だから、最近ニュースになった俺たちのところにきた』。

 

「結構、おあついみたいだし、アドバイスとかもらえないかなーって」

「そういうことならちょうどいいですわね! 夕弥さん、里沙さん! 今回はあなた方二人で解決しなさい!」

 

 俺と、里沙が、恋の相談に乗る。

 

「じゃあまずは押し倒してキスすればいいと思います」

 

 冗談だと思ったのか、三上さんは笑って「もう、何言ってるの?」と言った。俺は真剣だったのに、失礼な人だなぁ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第6話 そして勘違いは加速した

 土曜日。俺と里沙は、校区内にある大型デパート『ルミナス』にきていた。父さんが学生の頃からずっとあるルミナスは、やはりというべきか様々な客で賑わいを見せている。

 そんな賑わいの一部であるはずの俺たちは、表情に出さないよう内心に絶望を貼り付けて、二人並んで立っていた。

 

「さぁ、どうしよっか……」

「知らないよ……」

 

 背後から感じる好奇心と期待に濡れた視線は気のせいではないだろう。

 

 俺たちがここにきている理由は、『便利部』に依頼を持ってきた三上さんにある。

 俺と里沙がカップルだと勘違いしている三上さんは、アドバイスをもらうどころかお手本を見せてほしいと俺たちに言ってきた。もちろん麒麟寺さんは「そういうことであれば、我が部の、いえ、日本の、いえ、世界のベストカップルの力をお見せ差し上げますわ!!」と俺たちの意見も聞かず承諾した。それを逃す春斗ではなく、「そういえば、次の土曜ルミナス行くって言うてへんかったっけ?」と俺たちを蜂の巣にし、霞は「里沙に恥かかせるなよ」と良心を見せつけた。

 

 しかし、恋人同士の振る舞いなんて知らない……いや、両親を見てたからなんとなくわかるけど、それを里沙とやろうとも思わない。でも、ここでそういう演技をしないってことは『便利部』の沽券に関わる。俺としては知ったこっちゃないけど、麒麟寺さんは霞を部に引き入れるために里沙を人質にとってたし、あまりにもひどいこと以外は従っておいた方がいい気もする。

 

「ま、せっかくだしぶらぶら見て回ろうぜ。あっ! 今のはブラジャーブラジャーのことをぶらぶらって言ったわけじゃねぇからな!?」

「そっか」

 

 冷たい反応をされてしまった。せっかくなんかちょっと気まずい雰囲気だったから和ませようと思ったのに……。本当に間違われてないか不安だったっていうのもあるけど。

 

 俺と恋人と思われていて、なおかつそれを見られているという状態が気になるのか、少し様子のおかしい里沙を連れて歩く。土曜日だからか俺たちと同じく……厳密にいうと違うけどカップルもそこそこいて、それを見るたびあっちを観察した方がためになるんじゃねぇかと振り向いてみるも、三上さんは俺たちにしか目がいっていないようだった。

 それなら、できるだけ恋人っぽく振舞った方がいいか……。恋人っぽい振る舞い、そういえば、両親はどこか出かけるときに時々別々に家を出ていく。なんでそんなめんどくせぇことすんのかって聞いたら、「待ち合わせ場所で会った時に、綺麗にしてきてくれた日葵を褒めたいからな」とカッコつけていた。

 

 そういえば俺は里沙のこと褒めてないなと思って里沙に視線を向けると、ちょうど目が合った。

 

「なに?」

「里沙。お前は本当にいい体をしてるな」

 

 里沙の顔が青ざめて、家族を見る目から敵を見る目になってしまった。どうやら何か違ったらしい。

 

「え、まさか夕弥、私をそういう風な目で見てたの……?」

「勘違いしてるようだから言わせてもらうけど、『いい体だと思う』ことと『性の対象として見る』ことは直結しないぞ」

「いや、だとしてもそんなこと言われていい気分しないよ。やり直し」

「なんか、仮にもデートしにきてるからか、いつも可愛いけど今日はより可愛いな」

「は? キモ」

「ぶっ飛ばすぞテメェ」

 

 やり直しを要求されてやり直したらこの仕打ち。そりゃ俺も褒め言葉あんまり思いつかなかったけどさ。仕方ねぇだろ。可愛い以外出てこなかったんだから。

 ……ただなんとなく、隣にいる里沙が機嫌よさそうにしてるから不正解ってわけじゃなかったんだろう。ぷぷ。キモとか言って照れ隠しですか。可愛いやつめ。

 

「そうだ。手とか繋いでみる?」

「さっきキモって言ったやつの発言かよそれ」

「別に手を繋ぐくらいどうってことないでしょ。キスとかは死ねって思うけど」

「人の命を何だと思ってんの?」

 

 ん、と手を差し出すと、ん、と手を握ってくる。ちゃっかり恋人繋ぎしてきたのはこいつの根性を褒めるべきか、引きつりそうな表情を注意するべきか。別に「なんで繋がなかったの?」て三上さんに聞かれたら「人が多くてむしろ危ないかと思いまして」って言えばいいだけなのに、頑張るなぁこいつ。

 

「久しぶりに繋いだけど、おっきくなったね」

「おいやめろよ! そんなえっちなこと言うの!」

 

 爪を立てられた。痛い。

 

「ごめんなさいは?」

「里沙より手が大きくなってごめんなさい……」

「そっちじゃなくて」

 

 里沙はため息を吐いてから「まぁいいよ」と言って前を見る。まさか俺の手が里沙の手より大きくなっただけでブチギレるなんて、どうなってんだ教育ってやつは。日本の未来は終わってんな。

 しかし、マジで久しぶりに繋いだけど里沙の手がめちゃくちゃ小さく感じる。可愛い女の子の手って感じだ。俺の手は固いのに、里沙の手は柔らかい。きっと童貞レベル100なら握っただけで昇天することだろう。ちなみに俺のレベルは89だから危ないところだった。

 

 しばらく歩きながらいつも通りの会話を繰り広げている中、店の前、アウトドアショップだろうか。その前に展示されているテント? が目に入った。

 

「里沙。あれってテント?」

「ん? ……テント、じゃないかな? へぇ、透明なテントってあるんだ」

 

 見つけたのは、ドーム型のテント。ただし透明であり、中がスケスケの。ただでさえキャンプはプライバシー守られにくいのに、自らそれをぶち壊しに行く大胆なテント。一瞬簡易ラブホテルかと思った俺はかなり一般的と言っていいだろう。

 

「そういやキャンプってあんまり行ったことないよな」

「だね。次のゴールデンウィーク、キャンプもありかも」

「ちょっと見てみるか」

「うん。行こ」

 

 簡易ラブホテルの横を通って店内に入る。アウトドアショップというよりはキャンプ用品店べきか、キャンプに詳しくなくても「あ、キャンプで使うんだろうな」とわかるくらいわかりやすくキャンプ専門店の装いだ。

 

「もうここでキャンプでいいんじゃね?」

「自然どころか人工物に囲まれてるけど……」

「ちゃんと雨も降るだろ」

「それ多分、バーベキューの煙で火災報知器が反応してるだけだと思う」

 

 ここでキャンプをする案は却下らしい。なんでも使えるし色んなテントを楽しめるしいいと思ったんだけどなぁ。

 

 それより、二人用のテントとかないかな。もちろん光莉さんとの愛の巣ってわけ。自然に囲まれながら二人きりの世界を構築して、そのまま結婚して子どもができるって寸法よ。

 

 里沙が手を離した。そんなに気持ち悪かった?

 

「ね、見てこれ!」

「ん?」

 

 別に俺が気持ち悪かったわけじゃなく、いいものを見つけただけだったらしい。

 

 里沙が手に持っているのは、直径20cmくらいの球体。色は水色で、近くを見ると様々な色のものがある。

 

「そんなにボール好きだったっけ」

「これボールじゃないの! なんだと思う?」

「でっかいうんこ!」

「今日ほど夕弥との血の繋がりを恨んだ日はない」

「そんなに?」

 

 俺としてはルミナスが揺れるくらいの爆笑ワードだったのに、どうやら里沙には刺さらなかったらしい。里沙はため息を吐いてまた一つ幸せを逃し、手に持っているボールの説明を始めた。

 

「これね、中に材料入れて転がすだけで、アイスができるらしいの」

「ってことはフンコロガシってことだから、さっきの俺の回答もあながち間違いじゃないのか」

「あと、思いきり叩きつければ人殺しの道具にもなる」

「俺を冷たくしてどうする。すみませんでした」

 

 謝ったら許してくれた。里沙はボールを眺めながら「ほしい……」と呟き、値段を見てぐぬぬと唸り始めた。値段は1万5千円で、学生には少し手を出しづらい金額。

 仕方ないな。今日はデートだし、俺が一肌脱いでやるか。

 

「里沙」

「え、なに?」

「んなもん買ってしばらくは使うけど、どうせ普通にアイス買って食うのが楽だって気づいて使わなくなんだからやめとけよ」

「血も涙もない……」

 

 いや、わかってるけど……と文句を言いながら棚に戻して、不満がありますと頬を膨らませたまま自然と手を繋いだ。

 

「なんか、ほら、ないの? 否定するだけじゃなくて楽しそうだとか、肯定するようなさ」

「里沙がいればどこでも楽しいからな」

「……ふーん」

 

 里沙はちょろいのでこんな感じのことを言うと機嫌が直る。実際一緒にいると楽しいからずっと一緒にいるわけだし、嘘は言ってないから別にいいだろ。今も上機嫌なのか俺の手をにぎにぎして喜びを表現してるしな。こいつマジで可愛いな。妹みたいに思ってるけど、本当の妹だったらキモいくらいシスコンになってた自信がある。だって、父さんは妹の薫さんいまだに可愛がってるし、母さんも同じだからあの二人の血が流れてる俺は間違いなくそうなっていた。

 

「てか、だから俺里沙のこと好きなのか」

「え?」

「え?」

「え?」

 

 思わず出た言葉に里沙が反応して、俺以外の誰かがそれに反応して、その声があまりにも聞き覚えがありすぎて俺が反応して、振り向いた。

 

 そこには、艶のある黒い髪を肩まで伸ばし、少々釣り目気味な大きい目、笑いすぎたのか目尻にある小皺がとってもチャーミングな、おっぱいの大きいお姉さんがいた。

 

 朝日光莉。俺が好きな人。

 

 状況を整理してみよう。俺たちは恋人繋ぎで、今俺が里沙に対して好きって言って、それを聞かれて見られた。

 

「光莉さん、こんにちは。今日もお綺麗ですね」

「こんにちは」

 

 ひとまず、挨拶は大事。そして褒めることも大事。もしかしたら聞かれてないかもしれないし、自分から墓穴を掘ることはない。相手が触れてこないならこっちから言うべきじゃない。いや、本当にそうか? 光莉さんがもし俺と里沙が付き合い始めたって勘違いしてたら終わりじゃないか?

 

 ……いや、それならこっちから「さっきのは勘違いです」って言った方がいい。最悪は避けなきゃいけない。そう決意して口を開こうとした時、繋いだ手がちょこ、と引かれた。

 

「ね、ねぇ夕弥。今の、ほんと?」

 

 こいつも勘違いしてんじゃねぇか!! 状況わかってんのかテメェ! 今光莉さんは俺と里沙が付き合い始めたって勘違いしてるかもしれねぇんだぞ!! なのになんで「いや、恋愛的な意味じゃねぇんだよ」って否定するのに罪悪感がある聞き方してくんだよ! ちょっと言葉詰まっちゃうだろうが!

 

「私、お邪魔みたいね。またゆっくり話聞かせて」

「あ、違うんです! 光莉さん! 光莉さーん!」

 

 光莉さんは俺と里沙を交互に見てから、小さく微笑んで俺たちに背を向け、そのまま去っていった。すぐに追いかけるべきだとわかっていても、この勘違い女、いや言い方が悪かった。里沙の勘違いを置いていくわけにもいかず。

 

「……とりあえず、飯にすっか」

「う、うん」

 

 えっと、多分ごめん。とようやく先ほどの事態を理解し始めた里沙の頭をぽんぽんと撫でると、「ウザい」と弾かれた。嘘だろお前。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第7話 そして新たな問題が舞い込んだ

 どうやら三上さんの参考になったらしく、ほくほく顔でお礼を受けてそのまま見送り、帰り道。

 

「……一瞬でも勘違いしちゃってごめん」

「いや、俺があんなこと言っちゃったのが悪いんだよ。里沙は何も悪くない。俺のママにしてやってもいい」

「なんで?」

 

 俺にもわからない。

 

 あの後、里沙には『家族として』好きだって言ったのは理解してもらった。でも光莉さんはあの場からすぐいなくなっちゃったし、まだ説明できていない。『便利部』の活動で里沙とデートを演じることになって、俺がぽろっと里沙に好きだって言っちゃっただけ、と言えば話は早いけど、少し待ってほしい。

 光莉さんは『里沙が俺のことが好きだ』と思っている。つまり、光莉さんから見れば『自分に好意がある女の子を期待させ突き放したクソ野郎』に映るっていうことだ。

 

「どうする……このままじゃ俺がクソ野郎になっちまう」

「それは大丈夫じゃない? 元々だし」

「俺は父さんの背中を見て育ったんだ! そんなわけあるか!」

「じゃあクソじゃん」

「あ、じゃあクソか」

 

 納得した。だから俺入学間もなくしてクラスメイトから『ゴミ』って罵倒されるのか。なんであんな子育て大失敗男が教師なんてやってるんだ?

 

「光莉さんには私から言っとくよ。『便利部』の活動で、そういう風に見せるために夕弥が言ったって」

「マジでいい女じゃん。結婚してくれ」

「ふふ、いいよ。しよっか?」

 

 え、と呆ける俺に里沙はまた笑う。その頬は赤く染まっていて、「それじゃ!」と何かを誤魔化すように背を向けて走り去っていった。

 

 ……え? うそ、ほんとに? いや、そんなはずない。事実確認だ。このまま連絡を取り合わず明日を迎えたら変に意識しちゃって俺が恥ずかしくなる。

 スマホを取り出し、『おい、今の冗談だよな』と里沙に送ると、『そだよー』と返ってきた。

 

 そだよーじゃねぇよ。

 

「男の純情を弄びやがって……許さねぇ……!!」

 

 ……あれ? この流れ、なんか知ってるような気がする。

 

 まぁ気のせいだろ。きっと。でも一応月曜日は死なないように気を付けようと思う。一応ね?

 

 

 

 

 

「はぁっ……はぁっ……!!」

 

 月曜日。息を切らしながら、俺は部室棟廊下にある掃除用具入れに身を潜めていた。

 

 事の顛末はこうだ。俺と里沙が向かい合っている写真が一面になっていて、俺がプロポーズして里沙が受け入れたっていうニュースが学内サイトに上がっていた。そして俺は里沙の過激派に命を狙われた。クソッ、なんでこの学校は命のやり取りが日常的に行われてんだ!?

 

「いたか!?」

「いや、いない」

「探せ! 必ずやつを性犯罪者の骨格標本にしてやるんだ!!」

 

 どうやらうちの学校にはサイコパスがいるらしい。なんでそんな恐ろしい発想ができるんだ。

 里沙と一緒に登校して、学校に近づいた瞬間背後から気配を感じ、振り向けばどう見ても俺を殺す気しかない目をしている数人の男子生徒。脱兎のごとく逃げ出した俺は、追手からの目線を切りながらこの掃除用具入れに逃げ込んだってわけだ。

 

 なんで俺がこんなみじめな目に……? 今回ばかりは悪いの里沙だろ。流石の父さんと母さんも里沙を叱ってくれるだろ。だって二度目だぞこれ。もしかして確信犯なんじゃねぇのかあいつ。だとしたら許さねぇ。今度会った時「正直お前に性的魅力を感じてる」って言って死ぬほど嫌な気持ちにさせてやる。

 

 俺が里沙への復讐を考えていると、殺伐とした空気に似合わない綺麗な鼻歌が聴こえてきた。その鼻歌の主は俺が隠れている掃除用具入れの前で立ち止まると、ゆっくりとドアを開ける。

 

「すんません」

「えっ、ちょっ」

 

 顔も確認せず腕を掴んで中に引き入れ、また閉めた。そして間髪入れず大声を出されないように口を塞ぐ。すみません、こうしないと俺の居場所がバレるかもしれなかったんです。

 

「……!」

「すみません。俺、命を狙われてるんです」

 

 つかこれ、掃除用具入れ狭いから密着しちゃってますね。本当にすみません。絶対女性ですよね。鼻歌聴いててそう思ったし、女性特有の香りするし、柔らかさとかもモロにそう。俺性犯罪者じゃん。なんで? なんで俺性犯罪者になるか殺害されるかの二択を選ばなきゃならなかったんだよ。

 ……いや、この人が知り合いならワンチャンある。恐る恐る目線を下げ、どうか知り合いであってくれと祈りを捧げながら顔を確認した。

 

「……」

 

 そこには恍惚としている麒麟寺さんがいた。知り合いは知り合いだけど様子がおかしい。なんか小刻みに震えてるし。もしかして呼吸できない? いや、鼻まで塞いでないから大丈夫なはず。それなら閉所恐怖症とか? でもなんか気持ちよさそうだしそれもない? じゃあなんだ!? なんで俺が麒麟寺さんを引きずり込んだのに俺が怖い思いしてるんだ!?

 

 そうして混乱する俺の耳に、予鈴の音が届く。それと同時に追手も教室に戻っていく音が聞こえて、しばらくしてから掃除用具入れの外に出た。

 

「ぷはっ、はぁ……ハァ……」

「あ、あの、麒麟寺さん。さっきのには訳があって」

「い、いえっ、わかっていますわ。ニュースを見れば大体のことは推測できます、もの」

 

 頬を赤く染め、息を切らしながら話す麒麟寺さんはどこか色っぽい。ぺたんと可愛らしく座り込んでるものだから余計にそう見えてしまう。光莉さんには及ばないけど。

 

「でもすみませんでした。苦しかったですよね?」

「大丈夫ですわ。わたくし、少々ドMですので」

「矛盾してねぇか?」

 

 え、何? じゃあ掃除用具入れに引きずり込まれて口を押えられて興奮してたってこと? いや、怖がらせるよりはいいけど……むしろ最善か? だって喜んでくれてるんだし……よし、麒麟寺さんがドMでよかった!

 

「てかなんで部室棟に?」

「朝、少しでも時間があれば掃除しておりますの。使用させていただいているわけですから、少しでも綺麗にしておかなければと」

 

 少し落ち着いてきたのか、流暢に喋りながら立ち上がる。麒麟寺さんってただの、っていうかとんでもないアホだと思ってたけど結構見習うべきところある気がするんだよな。今のだってそうだし、これだけできた人ならさっきのドM発言も俺に気を遣ってのものに思えてきた。

 

「夕弥さん、ありがとうございました。おかげで非常に興奮いたしましたわ」

 

 違うわ、ガチだった。なんだこの人。『お嬢様に憧れているドM留年女子生徒』って世界のどこを探してもこの人くらいしかいないだろ。どんだけ追加する気だよ不名誉なアイデンティティ。進歩のない日本の教育が産んだ化け物か?

 

「あぁんっ、それより聞きましたわよ」

「咳払いに見せかけて喘ぐな。何をです?」

「三上さんから、随分いいデートを見せてもらったと。部長として鼻が高い高ーい! ですわ」

「鼻をあやすな。いや、ほぼ普段通りだったんですけどね」

「夕弥さんと里沙さんはいとこでしょう? 長い年月の上に今の関係があるのなら、それは関係を進めたい三上さんにとっていい見本になるのは当然でなくて?」

 

 この人本当に留年したのか? 単純に勉強できなくて留年したって聞いたけど、今のセリフ聞いたら少なくとも留年するほどバカじゃない気がする。まぁ、それを聞いて何かの地雷踏んでもなんだし別に気にしなくていいか。ドMは本当っぽいし、嘘つくタイプじゃないだろ。

 

「それと、また新たに対処しなければならないことがありますわ」

「対処っていうと、なんか依頼には聞こえませんね」

「えぇ。わたくしを壁に押さえつけながらこれを見てくださいまし」

 

 もちろん壁には押さえつけず、残念そうな麒麟寺さんを無視してスマホを覗き込む。

 

 そこには、里沙に対するおぞましい書き込みがあった。便利部の依頼ページに書き込まれたそれは、里沙に対する求婚であったり告白であったり、中には俺への殺害予告まであった。別にそれは日常茶飯事だからいいとして、里沙へのおぞましい書き込みは放っておけない。

 

「既に先生が動いてくださっているようですが、我が部の一員にこのような書き込みは許せませんわ。里沙さんはわたくしと違いまともな女性。毎日これを見てしまっては心に傷を負ってしまうかもしれません」

「とりあえず麒麟寺さんに自分がまともじゃないって自覚があってよかった。それで、何か対策は考えてるんですか?」

「わたくしはアホなので考えてくださいまし」

「カス。とりあえず、今日の昼にでもあいつら集めましょう」

 

 やっぱりこの人頭が悪くて留年しただけだ。間違いない。俺の罵倒で気持ちよくなっている麒麟寺さんを見て確信した俺は、春斗と霞に『今日の昼、便利部部室に集合』と送っておいた。

 すぐに返信があり見てみると、『里沙の件やな。了解』と春斗から、『里沙の件だな。とりあえず武器の調達から始めよう』と霞から。察しが良くて助かるが、流石に身内から犯罪者が出るのは止めなきゃいけないので『バレないようにな』と返しておいた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第8話 そして対策は固まった

「さて、それでは第一回『里沙さんに不快な思いをさせる不届きものどもへの制裁会議』を開催いたしますわ!」

 

 昼休み。便利部中央のテーブルを囲み、俺たちの前に立つ麒麟寺さんがホワイトボードにマーカーを走らせ、『里沙さんに不快な思いをさせる不届きものどもへの制裁会議』と無駄な達筆な字で刻む。アホな人って字が下手なイメージあったけど、多分お嬢様は字が綺麗みたいなイメージがあるから字の練習をしたんだろう。

 里沙は申し訳なさそうに、春斗は珍しく真剣な表情で、霞は殺気立っていた。俺と春斗がひどい目に遭ってもほとんど気にしないくせに、霞って里沙にめちゃくちゃ甘いよな。何? 里沙のこと好きなの? 死ぬぞ。冗談抜きで。

 

「みんな、ごめんね? こんなことになっちゃって」

「里沙が謝る必要ないよ。あんなクソみたいな書き込みするやつらが悪いんだから」

「俺も同意見だけど、そもそもの発端は里沙だってことをここに宣言します」

「それはそうかもせんけど、それを言うんやったら発端は夕弥と里沙のじゃれ合いをニュースにのっけたやつやろ」

「まぁそれはそう」

「つまりそいつをふん縛ってぶち殺せばいいってことか」

「みなさん! say shock me!」

「静粛にだろドMが」

「あと別にそんなうるさくなかったやろ」

 

 一応麒麟寺さんが部長だから言うことは聞いて静かにしておく。正確に言えば言うこと聞くなら麒麟寺さんをぶっ飛ばすって言わなきゃいけないんだけど、麒麟寺さんは静粛にとsay shock meを間違えただけだろうし。いや間違えるか普通。静かにしてほしいっていう気持ちよりもいじめてほしい気持ちの方が勝ったってこと? そんな欲望濡れだから留年するんだよバカが。

 もちろん俺は常識人なためそんなひどい罵倒は口に出さず、麒麟寺さんが話出すのを待つ。麒麟寺さんは俺たちの顔をゆっくりと見回した後、ホワイトボードに『対策』と書き出した。

 

「今ある問題は我々便利部の依頼ページに、里沙さんへのクソ気色ワリィ文言が書き込まれていること」

「麒麟寺さん。怒りすぎてお嬢様言葉崩れてますよ」

「その発端は夕弥さんと里沙さんがニュースになったこと。つまり対策として考えられるのはなんでしょうか?」

「あ、そっからこっちで考えてくれってことなんやな。了解」

 

 そうえいばこの人対策何も思いつかないから俺たちを集めたんだった。あまりにも自然に進行始めたから何か対策を思いついたのかと思っちゃったぜ。

 まぁこれはものすごい偏見だけど、お嬢様は下々のものに全部任せて、下々の出した成果を自分のものにして高笑いするものだろう。ア!? 誰が下々のものだ!!

 

「言うても二択やろなぁ。ニュースが発端でこんなことなってるんやったら、その勘違い事態打ち消すか、それとも勘違いされたままどうにかするか」

「どうにかするって何するんだよ」

「んー、私の言うことなら聞いてくれるかなぁ」

「俺にひどいことするなって言っても、里沙が洗脳されてるとか訳のわかんねぇこと言って殺しにくるだろうなぁ」

 

 あんなニュースが出たくらいで俺の殺害を決意するくらいだ。里沙が何を言ったとしても、やつらにとって重要なのは『里沙に特定の相手を作らせないこと』。だから俺にひどいことをするなって里沙が言っても止まらない、書き込むのをやめてって言っても表面上は収まるだろうがそういうやつらが次にどういう行動をとるかわからない。

 

 マジで終わってねぇかこの学校。なんでこんなとこに入っちまったんだ?

 

「ログインIDとかで書き込んでるやつはわかるだろ? そいつらを弾くようにサイト側が対応すればいいんじゃないか?」

「既に夕弥さんに対して過激な行動に出ている以上、見えなくしただけでは意味がありませんわ。根元から断ち切らなければ、ヒートアップしてもっとひどいことになりかねません」

 

 霞の意見を麒麟寺さんがバッサリ切り捨て、部室内に沈黙が訪れる。相手はあんなニュースが出たくらいで里沙に気持ち悪い文言送ったり、俺を追いかけまわして亡き者にしようとしてくる化け物どもだ。そう考えれば一時的な対応をとって落ち着かせるんじゃなくて、根本から断つっていう麒麟寺さんの意見は間違っていない。

 

 ただ、その方策が思いつかない。

 

「……私が、夕弥をこっぴどくフるって言うのは?」

「その後学校で里沙と話さなくなることだろ? それは俺が無理だし、第一それは里沙と付き合ってたってことを認めたことになるから、それを理由に俺が殺される」

「僕はそれでいいと思う。少なくとも里沙の安全は保障されるだろ」

「アホ。里沙が夕弥をフるってことは里沙がフリーになるってことやぞ? んなもんカスどもがおとなしくするわけないやろ」

「あの、俺が殺害されることについても注意してもらっていいですか?」

「こら、あかんぞ」

 

 春斗が適当に霞を怒った姿を見てブチギレそうになったが、今は里沙の問題をどうするかが先決だ。こいつらに対する文句と制裁はあとでいいだろう。なんでこいつら俺の扱い雑なんだよ。そりゃ里沙は可愛いしいいやつだし非の打ちどころがないけど、俺だって……まぁ、俺も春斗と霞の立場ならそうなるわ。何にも悪くなかった。むしろ俺が悪かった。

 再び部室内に沈黙が訪れる。里沙は死ぬほど申し訳なさそうにしてるし、早くなんとかしてやりたいけど、一つもいい案が出てこない。これは、もう先生がなんとかしてくれるのを待った方がいいか?

 

 そうやって諦めかけていた時、麒麟寺さんが「こういうのはいかが?」と里沙を見つめて話し始める。

 

「え?」

「夕弥さんをこらしめようと暴れているド変態を誰も止めない理由はなんだと思います?」

「夕弥がカスだから」

「夕弥がゴミだから」

「春斗さん、霞さん正解ですわ」

「里沙。今は何も言わず俺をよしよししてくれ」

「キモ」

 

 俺の心は打ち砕かれた。幼馴染二人にカスだとかゴミだとか言われて、慰めてもらおうと思ったらキモって言われて。もういいんだ。俺に生きてる価値なんてないんだ。生きてるだけで里沙に迷惑かけるなら死んだ方がマシだ。

 

「あくまで客観的に見てですわよ。わたくしはそう思っていませんもの」

「流石この世を引っ張っていく器を持っているだけのことはありますね」

 

 俺はわかっていた。心の中ではバカだとかアホだとか罵倒しつつも、この人が上に立つ者の才覚をお持ちであるということを。わかってんのか? 俺のことをカスとかゴミとかキモとか言ってきたクソ幼馴染ども。人の悪いところしか見つけられないお前らは人として終わってんだよ。テメェらみたいなもんは麒麟寺さんの部屋の床を舐めて掃除でもしてろ。

 

「夕弥さんがどうしようもないお方だから、里沙さんに相応しくないというのが我が校の総意になっている。つまりそこを覆せれば、むしろ覆さなくとも多くの方を仲間にできるかもしれませんわ」

「それはどうやって?」

「里沙さん。いつも夕弥さんを罵倒する姿ばかり見ていますが、本当に悪いところしかないのですか?」

 

 いつものアホな雰囲気はどこへ行ったのか、本当にお嬢様かと思ってしまうほど凛とした表情で里沙を見る麒麟寺さん。今舞台に上がっているのは麒麟寺さんと里沙の二人で、俺たち男どもは客席へ降ろされてしまった。それだけ場を支配されたと言えばいいのだろうか、少なくともこの部室内での主導権は麒麟寺さんが握っていて、それに引き込まれているのは事実だ。

 

「……え、っと、言わなきゃだめですか?」

「その反応をするということは、きちんと夕弥さんのいいところを理解しているということですわね。そう、入学して間もない夕弥さんのいいところをあなたは知っている。でも、周りの方々は何も知らない」

「つまり、みんなに夕弥のことを知ってもらう?」

「その上で里沙さんが本気で夕弥さんのことが好きだと信じてもらえれば、仲間は増えるはずですわ。仲間にするなら女子生徒がいいですわね。高校生男子は、女子にダサいと思われることをなにより嫌いますから」

「えーっと、つまりなんだ。里沙が女子に俺のいいところを伝えて……付き合ってるどうこうはどうするんです?」

「そこは里沙さんにお任せいたします。ただ、この案を採用するのであれば、夕弥さんに好意がないとは言えませんわね」

 

 麒麟寺さんの案は、里沙の恋を応援させることで味方につけるっていうこと。確かに里沙くらい可愛くていいやつなら味方に付いてくれる人は多そうだ。でもそれって、なんか、どんどんあのニュースで生まれた勘違いが本当になっていきそうな……。光莉さんには里沙が『本当にしたい』って嘘ついてるけど、マジで本当になったら困るんだけど俺。もし高校の間に光莉さんと付き合えるってことになったら、光莉さんにまで矛先向かねぇか? 里沙から俺を寝取ったって。

 

「……夕弥、いい?」

 

 多分、里沙もそのことがわかってるんだろう。俺に聞いてきてくれたのはそういうことだと思ってる。

 できれば、ダメだって言いたいけど。でもここでダメだって言ったら里沙を見捨てることになる。

 

 うん、そっちの方がダメだな。

 

「できるだけいい風に言ってくれよ。俺の人生もかかってんだからな」

「……ふふ、うん。私、夕弥のこと誰よりも知ってる自信あるもん」

「ちなみに俺の方が知ってるで。マジな話」

「あとで僕にも教えてくれ。顔くらいしか思いつかない」

「決まりですわね! 里沙さんに負担をかけるのは申し訳ありませんが、頼みましたわよ!」

 

 じゃれ合い始めた俺たちを見て、麒麟寺さんが得意気に笑って胸を張る。掃除用具入れで割とあることを知った俺はなぜだか気まずくなって目を逸らすと、里沙と目が合った。

 じとっとした目で見られた。俺のことを誰よりも知っているっていうのはどうやら本当らしい。誤魔化すためにしたウィンクも大した効力はなく、むしろ麒麟寺さんに告げ口された。あっ、やめろ! その人興奮しちゃうだろ!



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第9話 そして勘違いは応援になった

 あのニュースが出てから、大丈夫? と心配されることが多くなった。朝登校するときいつも夕弥と一緒なんだけど、夕弥は男の子にいつも追いかけられて途中ではぐれて、教室に行けば「大丈夫? 氷室に何かされてない?」と声をかけられ、大丈夫と笑って答えるのが日課になってた。

 多分、大丈夫だろうなって思ってたから。夕弥なら逃げきれるだろうし、逃げきれなくても口がうまいからなんとかして無事で帰ってくるんじゃないかって。多分夕弥も私に被害が出てなかったらこの状況をどうにかしようなんて言い出さなかったはずで、それは春斗も霞も同じで、春斗は追いかけられてる夕弥を見て笑ってたし、霞は夕弥の逃走ルートを見て、どうすれば効率的に捕まえられるかなんて遊びもしていた。

 

 だから、私に被害が出なかったら面白いだけで済んだのになぁ。

 

「里沙、大丈夫?」

 

 放課後。おじさん……先生が出て行った途端、クラスの男の子が戦闘体勢に入って夕弥のところへ殺到して、夕弥が逃げ出した後。友だちが私のところにきて心配そうに声をかけてくれた。みんな私が依頼ページですごいことを言われてるって知ってるから、いつもこうして声をかけてくれる。それ自体はありがたいことなんだけど。

 

「みんな心配してるよ。氷室に洗脳されてるんじゃないかとか、弱み握られてるんじゃないかとか」

 

 これ。入学して全然経ってないのに悪評を広めまくってるのが面白いけど、現状を考えれば笑えない夕弥に対する評価。これのせいで男の子たちが止まらないし、放置しても大丈夫だってなってしまっている。これをなんとかするには、夕弥がいい人で私が好意を抱いているってことに……しないと……いけない……。

 

「ど、どうしたの? 何か苦しそうな顔してるけど」

「やっぱりひどいことされてたの?」

「ちっ、違う! そんなことない!」

 

 夕弥に好意を抱いていることにするっていうのがあまりにも嫌すぎて顔に出てしまっていたのか、みんなに心配されてしまった。慌てて否定したから余計夕弥に脅されてるみたいになってるし。ダメだ、私がここで失敗しちゃったらまた夕弥たちに迷惑がかかっちゃう。

 

「……あのね。みんな、夕弥がゴミだとかカスだとか色々言ってるけど、それは確かにそうなの」

 

 まず、それは認めないといけない。最初から夕弥を全肯定すると盲目に見えるし、洗脳感が強くなるから。

 

「でもね。そんなことが気にならないくらい、一緒にいて楽しいの。何もない道を歩いてても絶対に笑わせてくれるし。それに、自分本位に見えるけど、私が危なくなったり苦しんでたりしたら、いつも私を優先してくれる」

 

 小学生の時。私が怖いおじさんに声をかけられたときは真っ先に飛んできて「最近のネットの拡散力ってすごいんですよ」って脅してたし、クラスの男の子にちょっかいかけられると無言で庇ってくれて、「お前らが思いつくよりもひどい嫌がらせを、お前らにできる自信と準備が俺にはある」って言って追い払ってくれたし。

 ……まぁ、一般的な王子様みたいなカッコよさとはかけ離れてるけど、それでも私を守ってくれてたことに変わりはない。「里沙がひどい目に遭ったって父さんに知られたら息子とか関係なく殺されるから」なんて言ってくるけど、そんなことなくても助けてくれるって信じてる。

 

「確かに夕弥はおかしいかもしれないけど、私にとっては素敵な人なの。面白くて優しくて、時々カッコよくて。私を大事にしてくれる夕弥が好き」

 

 言ってから、あれ? と思った。夕弥のことはもちろん家族として好きだけど、今の言葉のニュアンス的には恋愛的な好きで、私は夕弥とそういうことになるなんて考えるだけでも吐き気がしてたのに。なぜか、今はするっと『好き』っていう言葉が出てきた。

 ……そういえばお母さんが、『お父さんはすごく演技がうまくて、自分の容姿活かして兄貴をたぶらかしてたから、里沙はそうなっちゃだめだよ』って言ってたっけ。なるほど、その演技力が私に受け継がれていて、恋愛的な『好き』も演技なら自分にすら違和感なく言えちゃうってことか。お父さんの遺伝子は恐ろしい。

 

 なんてお父さんの遺伝子に震える私の耳に、黄色い声が突き刺さる。いっそ耳鳴りにすら聞こえてしまいそうなそれにびっくりしている私に、休む暇もなく質問が飛んできた。

 

「ごめん! そうだよね、里沙が好きっていうならいい人に決まってるもんね!」

「ねぇねぇ、もっと教えてよ氷室のこと! それだけ言うならいっぱいエピソードあるんじゃない!?」

「え、えっと……言わなきゃだめ?」

「だめ!!」

 

 多分、作戦には成功したけどそれと同時になにかを失った気がする。とりあえずごめん、夕弥。

 

 

 

 

 

「おはよう氷室! 里沙!」

「ん? おはよう」

「お、おはよう……」

 

 これで7回目。里沙と一緒に登校して、里沙の友だちに挨拶された回数。今までは里沙にだけ挨拶して俺は無視してたのに、それほど昨日の作戦がうまくいったってことだろうか。一応昨日成功したっぽいことは教えてくれたし、実際今日は俺を襲撃しようとしたやつらに対して、「うわ、ダッサ」「モテない理由自分から振りかざしてんじゃん」と女子生徒が言葉の刃を多投してくれる姿を見かけた。

 

 ただ気になるのは、挨拶してくれる度に里沙が気まずそうにしてること。

 

「なぁ里沙。そういえば昨日具体的にどうなったかってのは聞いてないよな」

「……えっと、耳貸して」

「いいけど、ちゃんといい医者紹介してくれよ」

「取らなくていいから」

 

 あぁそういうことかと少しかがんでそっと里沙へと近寄る。顔を寄せてきた里沙の髪が頬をくすぐって、ふわっと甘い香りがして、ちゃんと女の子してるなーと感心している俺の耳に里沙がそっと囁いた。

 

「あのね」

「おう」

「私が夕弥のこと好きってことになってて」

 

 それは作戦通りだから、別に里沙が気まずくなる必要は……まぁ里沙からしたらごめんだろうから気まずくはあるだろうけど、別に割り切ってりゃいいのに。

 

「それでね」

「あ、まだあるのか」

「夕弥との思い出とか根掘り葉掘り聞かれて」

「おう」

「気づいたら私も止まらなくなっちゃって」

「うん」

「めちゃくちゃガチだと思われちゃった」

 

 だからごめん、と謝る里沙に、なんだそんなことかと拍子抜けした。それって俺が被害被るわけでもないし、むしろ里沙の男避けにもなるから悪いことなんて……光莉さんと付き合う道が遠のくくらいだ。大問題だけどそれは昨日割り切ったから仕方ない。

 

 だからそれを聞いても里沙が気まずくなる理由がわからなかった。なんだろう、女子からそういう目で見られるかもしれないからごめんとか? 里沙なら俺がそういうの気にしないってわかってそうだけどなぁ。

 

「あ、もしかして言ってる間に俺のこと好きだって思っちゃったとか?」

「そ、それはない!!!!」

「バカお前耳元だってこと忘れんな!!」

 

 見事俺の左耳を破壊した里沙は、顔を赤くして走り去っていった。なんか最近よく里沙が走り去る姿見るなぁとのんきに考えて、指を鳴らしてまだ左耳が聞こえることを確認してから歩き出した俺の肩に、手が二つそっと添えられた。

 

「おはよう。夕弥」

「朝からうるさいな」

「春斗、霞。おはよう」

 

 相変わらずイケメンスマイルを振りまく春斗と、不機嫌そうな霞。二人の視線は遠くなった里沙に注がれていて、しばらくしてから俺に視線を向ける。

 

「なんやおもろそうなことなってるやん」

「聞いてたのか?」

「幼馴染だし、家族みたいなものだからな。話してる内容は大体わかる」

「なんか霞からそういうの聞くと嬉しいわ俺」

「せやんな! なんか俺もきゅんってきたわ」

「うるさいな!」

 

 強くない力で肩を叩かれて、反射的に「いたっ」と言うと、霞が「あ、悪い」と謝ってきた。マジでいいやつだなこいつ。時々言動とか行動とかズレるしめちゃくちゃ初心だけど。多分初心は関係ない。

 

「ま、多分友だちとそういう雰囲気の中で話したから恥ずかしがってるだけだろ。あいつそういうの想像しただけで吐いたんだぞ? よく考えたら怒っていいよな俺」

「里沙は純粋だしな」

「んー、どうやろなぁ。案外もしかしたらもしかするかもせえへんで?」

「もしそうなったらマジで相談に乗ってくれ」

 

 俺やだよ。それってなんか、光莉さんから応援されることになるじゃん。光莉さんが俺を諦めさせる武器を手に入れるってことじゃん。

 それに、うまく断れる自信ねぇし。こういうこと考えてること自体里沙に申し訳ないし。

 

 ほないこか、とへらへらしている春斗と、それとなく気にしとくよ、とやはりいいやつの霞に挟まれて、俺は校門を通り抜けた。

 

 

 

 

 

「みなさん! ゴールデンウィークのご予定はいかが!?」

「俺たちは家族ぐるみでどっか行こうって話になってる」

「ウワァアアアアアアン!!!!」

「こんな秒でガチ泣き出来る人おるんや」

 

 放課後。里沙に対する書き込みが激減し、とりあえず昨日の作戦が機能していることを全員で大喜びした後、麒麟寺さんから提供された話題にそれとなく返したらガチ泣きされてしまった。この人、みんなで遊びたかったんだろうなぁ。

 

 朝様子のおかしかった里沙は正気を取り戻したようで、「ごめんね。ちょっと変だった」と俺に謝ってくれた。俺の耳を破壊しようとしたこと以外は気にすることでもないから、「好きだぞ」と答えてやると、めちゃくちゃ青ざめて震え始めたから俺が謝るハメになった。元に戻ったか試すにしては酷なことをしてしまったと反省している。

 

「ぐすっ、いいもん。ちょっとみんなで遊びたいなって思ってただけで、ご家族同士の付き合いなら仕方ないし」

「お嬢様言葉崩れてめっちゃかわええことなってもうてますよ」

「ね、夕弥。あの人連れて帰ってもいい?」

「霞に聞けよ」

「僕にも聞くなよ」

 

 かわいそうに。霞にも見放されてしまった麒麟寺さんは春斗から紅茶を受け取り、ちび、と可愛らしく一口飲むとすぐに復活して、いつものように胸を張った。

 

「さて! わたくしがゴールデンウィークを一人寂しく過ごすことが決定してしまいそうなこの現状、どうにかして打破しなくてはいけないと思いますの!!」

「他に友だちいねぇんすか?」

「他にということは、わたくしたちお友だちってことでいいんですのね。えへへ」

「夕弥夕弥。本気でかわいい。だめ?」

「だから霞に聞けって」

「だから僕にも聞くなって!」

「法律に聞いてみたらええんちゃう?」

 

 少し調べてみると、どうやら誘拐というものに当たるらしく、それを里沙に伝えると残念そうにしていた。まぁわかる。最近心を許し始めてくれたのか、麒麟寺さん愛らしいもんな。つか心許すの早くねぇか?

 

「みなさん。わたくしはもちろん他にもお友だちはいますが、部としての絆を深めるためにも、せめて一日一緒にいるべきだと思いますの」

「『せめて』って言うところに懇願めいた何かを感じるな」

「こら。思っても言わないのそんなこと」

「どっか行く言うてもゴールデンウィーク全部使うわけやないやろし、いいですよ。どっか遊びに行きましょ!」

「本当!? 嬉しい! ですわ!」

 

 跳ねて喜ぶ麒麟寺さんを俺たち4人は優しい目で見つめて、勢い余ってテーブルに手をぶつけて「痛い!」と叫び、里沙に治療されているところを見て「あぁ、この人留年したんだった」と思い出した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第10話 そしてGWがはじまった

 神奈川県某所にあるホテル『アルストロメリア』。そこは敷地内に様々なアミューズメントがあり、それはプールだったりゴルフだったりと思いつく限りの遊びがそこにある。

 

 ゴールデンウィークに氷室家、織部家、井原家、岸家、そして光莉さんでアルストロメリアに訪れ、チェックインを済ませたかと思えば父さんが全員を引き連れてやってきたのは、いくつもの真っ白な真四角の大きい建物。中に何があるか想像もつかず、ここにくるまでに受けた説明は、『1つの建物ごとに4人で入り挑戦すること』、『リタイアせずクリアできたら、滞在費がタダになる』という二つだけ。

 

「父さん、なんだここ?」

「アルストロメリアは父さんが世話になった人が経営していてな。で、このアミューズメント……『花を捧ぐ』っていうらしいんだけど」

 

 なんかうまくは言えないけどとりあえずつける名前を間違えている気はする。

 

「ぜひ最初のお客さんにってことで招待されたんだ。本来はクリアしたら夕食がタダになるんだけど、滞在費をタダにするからってことでな」

「ほーん。で、俺は光莉さんと一緒なんだろうな?」

「バカ! こういう組み分けの時はくじ引きの方が楽しいに決まってんだろうが!」

 

 そういってウキウキしながら12本の割り箸を取り出す父さんに呆れて、「恭弥かわいい」と優しく笑う母さんを見て更に呆れた。いつまでカップル気分なんだこの人たち。両親の仲がいいと子どもは優しい性格に育つって聞いたことあるけど、俺に対する周りの評価を見るにそんなことなさそうだからあの説は嘘だと思っている。

 

 カップルモードになっている両親と絡むと気持ち悪いから、俺は自然にスキップしながら光莉さんへ近づき、「光莉さんも俺と一緒がいいですよね!」とイケメンスマイル。ふっ、これで光莉さんは俺に惚れたに違いない。これで惚れてくれるなら既にゴールインしてるだろうからそんなことはないけど、俺も着々と男を磨いてるから今日はわからないぞ???

 

「ん、そうね。夕弥はなんでもできるし、何があっても何とかなりそうだもの」

「これが愛の告白ってやつですか……」

「違うよ」

「簡単に否定するのはやめてくれ」

 

 さっきまで千里さんと話していた里沙がわざわざ俺の方を見て否定してくる。いいじゃん別に告白じゃなくても愛であることは多分そうなんだから。息子とか弟とかに対するそれだとは思うけど。

 ……いや待て、そういえば思い出した。確か里沙って光莉さんの前だと俺のことが好きなフリをしないといけないんじゃなかったか?

 

 嫌な予感がして里沙の方を見てみると、どことなく光莉さんの近くにいる俺を面白くなさそうな目で見ている。あいつの演技力半端ねぇな。

 

「おいおい。明らかに光莉さんの方が自分より魅力的だからって腹立てるなよ」

「言っちゃ悪いけど、私の方が若いもん」

「千里? この子本当に言っちゃ悪いこと言ってるわよ。どういう教育してんの?」

「僕の背中を見て育ったんだ。誇らしいよ」

「だからなのね……」

 

 よかった……光莉さんが子どもには優しくてよかった……。光莉さんを挑発するようなことを父さんとか千里さんとかが言ったら再起不能にさせられるから、里沙もそんなことになったらどうしようかと思った。今千里さんが子どもの責任取らされようとしてるけど。まぁ千里さんならいいや。

 

 千里さんが光莉さんに詰められている間に、父さんが俺のところにやってくる。手で握った割り箸を俺に差し出し、「引いても番号見るなよ!」と連呼するのが鬱陶しくてすぐに引いて、里沙も俺の後にすぐ引いた。なんか同じような言葉が聞こえるなって思ったら父さん「引いても番号見るなよ!」ってずっと言ってる。あれの息子だってことが漠然と不安になることがあるのはきっとあぁいう姿を何度も見ているからだろう。

 

「夕弥と一緒がいいなぁ」

「今光莉さんは千里さんを殺してるところだから、別に演技しなくていいぞ」

「え?」

「え?」

「よーし! じゃあ番号見ていいぞ!」

 

 里沙が首を傾げた理由を聞こうとした時、やっと別の言葉を父さんが発した。まぁいいかと疑問をどこかへ追いやって番号を見ると、『Tres』。なんでスペイン語?

 

「あ、私『Tres』」

「俺もだ。マジで一緒じゃん」

「ほんと? やった」

「ハイ番号別に分かれて! キビキビ動く! 『Uno』がそっちで『Dos』がそっちで『Tres』がそっち!」

「学校におるときよりやる気やん」

「当たり前だろ。学校は子どもの未来がかかってんだぞ?」

「普通学校におるときの方がやる気のやつが言うねん、それ」

 

 どうやら春乃さんは父さんと一緒らしい。いち早く父さんに近づいて、楽しそうに会話を始めた。そういうことすると母さんが嫉妬するからやめてほしい。あの人父さんが女の人に話しかけられるだけで嫉妬するんだから。父さんが母さん以外の人になびくわけがないのに。キッショ。

 

「あら、夕弥と里沙も『Tres』?」

「光莉さん! 光莉さん一緒なんですか!」

「あ、あの、さっきはすみませんでした。父は無事ですか?」

「死んだわ」

 

 どうやら千里さんは死んだらしい。どうりでさっきから見かけないと思った。

 

 あと一人は誰だろうと待っていると、里沙に後ろから優しく抱き着く影が一つ。

 里沙の母親であり、父さんの妹である薫さんだ。

 

「わ、お母さん」

「一緒みたいだね。よろしく、光莉さん。夕弥」

「よろしくお願いします。すみませんね、カップルと一緒じゃ気まずいでしょうけど」

「ちなみに、私は千里を葬って勢いづいてるわよ」

 

 即座に頭を下げ許しを請う。危ない。そういえば光莉さん、ある日を境に俺に対してあんまり甘くなくなったんだった。それはそれで子どもっていうより男として見てくれてる気がしていい気もするけど、光莉さんに殺されるようになるってことでもある。今更だけど日常的に殺してくる人ってなんなんだ? 日本は放っておいていいのか? いい。なぜなら光莉さんは世界一可愛くて綺麗でいい人だからだ。

 

 他は父さん、春乃さん、恭華さん、霞が『Uno』、母さん、千里さん、蓮さん、春斗が『Dos』らしい。光莉さんに殺されたはずの千里さんがいつの間にか戻ってきているのを見て、慣れって恐ろしいなと震える俺に、里沙がそっと耳打ちした。

 

「ごめん、夕弥」

「ん?」

「……やらなきゃいけない」

 

 やらなきゃいけない? と少し考えて、あ。と気づく。

 

 そういえば光莉さん一緒じゃん。里沙、俺のこと好きなフリしなきゃじゃん。しかも薫さんいるじゃん。え? ってことは里沙は自分の母親の前で、俺のことが好きなフリしなきゃいけないってこと?

 

「1組でもクリアできたら滞在費無料らしいからな! みんな頑張れよ!」

 

 誰よりもウキウキしている父さんの声が遠く聞こえたのは気のせいだろうか。

 

 多分気のせいじゃなくて、きっとこれから先訪れるであろう心労が原因だろう。娘と一緒なことが嬉しいのか、機嫌が良さそうな薫さんを先頭に白い建物へ入りながら、バレないようにため息を吐いた。

 

 

 

 

 

『ようこそお越しくださいました! このアミューズメント花を捧ぐは、4人1組となりゲームのクリアを目指すものです!』

 

 中に入って聞こえてきたのは、人のような機械音声のようなちぐはぐな声。全体に響き渡るそれと、ちょうどこの建物の辺を4等分するかのように扉が設置されている。入ってすぐの場所にあるテーブルには、ごつい機械的な腕輪が置かれていた。

 

「デスゲームみたい」

「ここにいるのがあんたたちじゃなかったら、私の勝ちだったのに……」

「勝てないからとかじゃなくて、殺すのに躊躇するからっていう意味で言ってます?」

 

 恐る恐る聞くと、光莉さんは真面目な顔をして頷いた。多分この中だと俺が殺されやすいから距離をとっておこうと思う。

 

『まずは各々そちらにある腕輪を装着してください! 装着いただきましたら、次の説明に参ります!』

 

 こういうのってつけたらダメだって漫画で学んだけど、それは漫画の話。父さんの知り合いが経営してるホテルっていうのが気になるけど、まさか犯罪まがいのことはやらされないだろうし、多分大丈夫だろ。

 腕輪を腕に通すと、ガチッという音とともに腕輪がはまる。腕輪にはモニターがあり、そこに表示されているのは『98』という数字だった。3人の腕輪を見れば、光莉さんが『40』、里沙が『67』、薫さんが『31』。なんだろう、男らしさの数値とか?

 

『皆様にやっていただくのは、かくれんぼ&鬼ごっこ! 扉の先には街が広がっており、数機のドローンが飛んでおります! そのドローンから隠れ、見つかったら逃げる! 腕輪に表示された数値は見つかりやすさとなっております!』

 

「うそだろ」

「ひゃ、100じゃないだけマシって思えば、ね?」

 

 里沙の慰めが耳に入ってこない。もし俺が光莉さんより数値が低かったら、見つかった光莉さんを助けに入って俺に引き付けるみたいなイケメンムーブができたのに、これ俺が追いかけまわされるだけじゃね? しんどい。

 

『高い数値が表示されてしまった人もいることでしょう。しかしご安心ください! 街中にはボックスが設置されており、その中には腕輪に差し込めるカードが入っております! その効果は様々であり、数値を下げるカードも存在します、が! カードは差し込むまで効果がわかりませんのでお気を付けください!』

 

「夕弥は兄貴とそっくりだから、ドローンを引き寄せるカード引き当てそう」

「父さんと似てるシリーズで一番嬉しくないんですけど」

 

 どっちみち数値高いから引き寄せるし。

 

『カードを駆使し、助け合い、30分間逃げ切ることができればクリアです!』

 

 30分。もし低い数値が出て見つかりにくいって場合はそれほど長くないのかもしれない。ただ俺の数値は98で、もうドローンから見れば爆音流して輝いているようなものだろう。ドローンなのに「アホがきやがった」と思うに違いない。

 

『あ、ちなみに4人全員ですよ! それではお楽しみください!』

 

「ごめん。終わった」

「他の組に期待しよっか」

「何言ってんの」

 

 俺の背中をバン! と叩き、光莉さんが笑う。あまりにも女神すぎる微笑みに俺は死んだ。

 

「始まったら私がなんとかしてあげる。私もあんたを探すから、あんたも私を探しなさい」

「この腕輪は、結婚指輪だったってことか……」

「違うよ」

 

 否定されてムカついたから里沙に投げキッスをしておいた。里沙が泣いた。俺は薫さんに怒られた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第11話 そして争いが始まった

 扉を開けた先には、ふよふよ浮いているUFOキャッチャーみたいな形したドローンが7機くらいありました。

 

「うそだろ」

『ハッケン! ハッケン!』

 

 ビカビカとドローンが発光し始め、機体から2本のアームが伸びる。先が手の形になっているそれを俺に伸ばしてくるのと同時に走り出した。

 なんだよ98ってそんなにひでぇのかよ!! 見つかりやすさとかじゃなくて探されてすらなかったんだけど! バランス調整ミスりすぎだろクソが!!

 

 ビービーと警報音のようなものを鳴らしてくれるのは距離がわかるからありがたい。どうやら全力で走れば直線距離なら逃げきれるほどの速さらしく、音がどんどん遠ざかっていくのがわかる。とはいえ、ずっと全力疾走できるわけじゃないからどこかに隠れないといけない。

 

 周囲を見渡して、あ、そういえばめちゃくちゃしっかり街っぽく作られてるなと今更ながらに気づく。見た目はビル街で、気になったのは高い位置に映し出されているモニターくらいだろうか。モニターには残り時間が映し出されていて、それぞれの見つかりやすさの数値も表示されていた。よく見れば俺のところが赤くなってるから、恐らく見つかった人は赤く表示されるんだろう。

 ちら、と後ろを確認して、近くの路地裏に入る。忘れちゃいけないのが俺は見つかりやすさ98だってこと。多分どっかに隠れたとしても、めちゃくちゃな速さで見つかるに違いない。だから俺が期待するのは、ボックス。

 

 路地裏に入って少し奥に入った場所でそれを見つけた。正方形の四角い箱にひまわりが刻まれているそれをすぐに開けて、中に入っているカードを取り出し腕輪に差し込んだ。

 

『氷室夕弥様がひまわりのカードを使用されました! 効果は[これから5分間、全ドローンに自分の位置がバレる! 更にその間ドローンは他の人には目もくれない!]』

 

 街全体に響くアナウンスの直後、街のあちこちから『ハッケン!! ハッケン!!』という音が俺に向かってくるのがわかった。は?

 

「俺が何したってんだよ!!」

 

 5分って長すぎだろ! まぁその間は他の人が見つからないし終われないって考えたら悪い話じゃないんだろうけど!

 いや、ここは3人を信じよう。3人がいいカードを拾ってこの状況を打破してくれるに違いない! 心の中で3人に希望を託し、四方八方から現れたドローンから逃げるために近くにあったドアを開けた。

 

 ご丁寧にビルの内部まで作りこまれているらしく、入った場所はラウンジのようになっていた。走りながら見渡せば、そこには先ほど俺を地獄の底に落としたボックスが一つ。

 

「……今度こそ!」

 

 さっきは死ぬほど悪い効果だったが、近くに悪い効果を2つも置かないだろ、多分! やけくそ気味にボックスを開けて、カードを取り出して一気に差し込むと、さっきと同じようにアナウンスが鳴り響いた。

 

『氷室夕弥様がエリカのカードを使用されました! 効果は[今いる建物が5分間封鎖される!]』

 

 ガシャン! という音とともにすべての壁にシャッターがおりた。いや、これは当たりなんじゃないか? 俺も出られないけど、ドローンも入ってこれない。しかも5分間なら俺が追われ続ける効果が切れるまでこのままってことだろ?

 そう余裕をぶっこいている俺の耳に届いたのは、外から聞こえてくる無数の『ハッケン! ハッケン!』という音と警報音。見なくても無数のドローンがこのビルを取り囲んでいることがはっきりわかる。

 

「おかしくなるおかしくなる! もういいだろ中に入れないんだからほっといてくれよ! 効果に忠実すぎだろお前ら機械かよ!」

 

 機械だったわクソが!

 

 クソ、なんだこれ。絶対捕まることはないのにめちゃくちゃ怖い。ずっと『ハッケン! ハッケン!』って聞こえるしビービービービーうるせぇし、つかよく考えたら5分間乗り切ったとしても、見つかりやすさ98だったらこの無数のドローンがそのまま俺のところに殺到してもおかしくない。だったら今俺がやるべきことはここで頭がおかしくなることじゃなくて、ビルの中からボックスを探し出すことだ!

 

 階段を使って2回に上がる。オフィスをイメージしているのかいくつものパソコンと業務デスクが並んでいる。それに混じって忌々しいボックスが存在感を放っていた。

 もうこうなったら何があっても一緒だろうとボックスを開け、カードを差し込む。事態が好転してくれと祈りを捧げると同時に働き者のアナウンスが効果を告げた。

 

『氷室夕弥様がゲッケイジュのカードを使用されました! 効果は[ドローンは周囲にいるドローンを攻撃する!]』

『コロス!』

『シネ!』

『ハッケン! ハッケン!』

『ジゴクニオチロ!』

『クツウヲアジワエ!』

『ハッケン! ハッケン!』

 

「俺はただ楽しみにきただけなのに、なんで争いの引き金を引いてるんだ……」

 

 頭がおかしくなるどころかもうおかしくなった。外からドローンの殺伐としたセリフが聞こえてくるし、そんな中でもまだ俺を発見しているドローンがいる。これもうR18だろ。子どもがこんな目に遭ったら泣いちゃう通り越して感情失うよ。

 もうこれ以上俺が何かしたらひどいことになる気がするから、おとなしくしておこう。このまま捕まったとしてもみんなわかってくれるはずだ。

 

 願わくば、光莉さんと愛の逃避行をしたかったなぁ……。

 

 

 

 

 

「何あの地獄絵図……」

「清々しいくらい恭弥の血を引いてるわね」

「ど、どうにかして助けられないかな……」

 

 夕弥が開始早々とんでもないカードを引き当てて、そのまま連続でとんでもないカードを引き当てて、作り上げられたのはビルを取り囲むドローンがお互いを攻撃し合いながら、中にいる夕弥を捉えようとうろついている地獄絵図。そのおかげと言ってはなんだけど、すぐにお母さんと光莉さんと合流できたのはまぁ、いいことなんだとは思う。夕弥にとっては最悪だろうけど。

 

「助けるっていうならこの現状を打破できるカードを使うしかないわね」

「でもカードの効果はランダムだって言ってたし……」

 

 そう。カードを使って助けようにも、カードの効果はランダム。もしかしたら今よりもひどいことになるかもしれないし、実際夕弥もなんとかなってくれって祈りながらカードを使って、今みたいにひどいことになったんだろうし。そう思うとカードを使うのに躊躇してしまう。

 のに、光莉さんは懐からカードを取り出して腕輪に差し込もうとしていた。

 

「ひ、光莉さん! ストップ! 夕弥が死んじゃうかもしれないんですよ!?」

「聞いたことある? 運営側が積極的に死人を出すアミューズメント」

「流石に兄貴の知り合いでもそれはないだろうけど、これ以上ひどい目に遭うのは夕弥がかわいそう」

「ほんとにひどい目に遭うと思う?」

 

 言って、光莉さんはカードを見せてくる。見た目はシンプルで、長方形で真っ白。両面には名前のわからない花が描かれている。

 

「さっきからアナウンスでわざわざ花の名前言ってたから、何か関係あると思うのよね」

「ひまわりとエリカと、ゲッケイジュ? だっけ」

「ひまわりの花言葉は『私はあなただけを見つめる』、エリカは『孤独』、ゲッケイジュは『裏切り』。他にも色々あるんだけど、実際の効果と一致する意味としてはこれくらいね」

「……カードに描かれている花の花言葉と効果が関係してるってことですか?」

 

 多分ね、と頷く光莉さん。そう考えれば、何かおかしいなと思っていたアミューズメントの名前である『花を捧ぐ』にも意味が出てくる。私もアナウンスで花の名前を聞いた時なんだろうなとは思ったけど、花言葉と効果が関係してるなんて思いもしなかった。

 

「光莉さん、花言葉知ってるんですね」

「光莉さんは可愛くてロマンチックだから」

「む、昔アルバイトしてた時に勉強しなきゃいけなかったから知ってるだけよ」

 

 夕弥がいるビルの周りは殺伐としているのに、私たちの雰囲気は和やかだった。夕弥もここにいさせてあげたかった。ビルに引きこもってるせいで光莉さんの可愛いところを見逃しちゃったんだから。

 

 カードに描かれている花の花言葉と効果が関係してるなら、光莉さんの持っているカードに描かれている花はなんなんだろう。さっき差し込もうとしてたからひどいものじゃないんだろうけど、せっかくだから気になってしまう。

 

「光莉さんの持ってるカードの花ってなんなんですか?」

「『屁』に『糞』に『葛』って書いてヘクソカズラ。昔暇だった時、恭弥とひどい花を探そうって言って知ったのよ」

「花言葉は?」

「『人嫌い』。だから……」

 

 光莉さんがカードを腕輪に差し込むと、アナウンスが流れる。

 

『朝日光莉様がヘクソカズラのカードを使用されました! 効果は[これより5分間、ドローンは参加者から逃げ回る!]』

 

『ウワァ、ニンゲンダ!』

『キモイ!』

『コロス!』

 

 アナウンスが流れてすぐに、ドローンが夕弥のいるビルから離れていく。夕弥が使ったカードの効果は残ってるみたいで、ドローン同士が争いながら。でも、夕弥を追い続けるっていう効果はなくなったみたいだから、上書きされる効果とそうじゃない効果があるのかな?

 

「さて、どうせしばらく夕弥はあのビルから出られないでしょうし、その間カード探しましょっか」

「あーあ。夕弥また光莉さんに絡んでくるよ。光莉さんが助けてくれたんですね! これが愛ってやつですか、結婚しましょう! って」

「女に助けられてるような男は願い下げよ」

「だから行き遅れてるんですね」

「よかったわね里沙。あんたが可愛くて」

 

 どうやら私は可愛くなかったら今の一言で殺されていたらしい。口には気を付けようと思う。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第12話 そして死人が出た

「マジで流石です光莉さん! 大好きです! 今すぐ結婚するっていうのはどうでしょう!」

「あんたがもっと大きくなったらねー」

「光莉さんとのことを想像したら、いつでも大きくなれます!」

 

 光莉さんにぶっ飛ばされた。理由は流石にわかる。みんなの前だと恥ずかしいからってことだよな?

 

 あの後。光莉さんに助けられた俺はビルの閉鎖が解除された瞬間にビルを飛び出し、女神である光莉さんと合流した。あ、里沙と薫さんもいた。

 3人は俺がビルに閉じ込められている間にカードを集めていたらしく、『カードに描かれている花の花言葉がそのまま効果になる』という光莉さんの素晴らしい推理のもと有効活用し、見事30分逃げ切った。俺はほとんどおとりに使われた。

 

「っと。お疲れ様、夕弥」

「あ、すみません薫さん」

 

 ぶっ飛ばされた俺を受け止めて、柔らかく笑う薫さん。父さんの妹なのに綺麗で優しくていい人だなぁと会う度に感心する。薫さんが妹だっていうのが父さんの妄言だって言われても納得するくらいには信じられない。でも薫さんも父さんのこと兄貴って呼んでるし、本当なんだろう。

 

「……あの、もう大丈夫なんで離してもらっていいですよ」

「んー? せっかく可愛い甥と会ったんだから、もうちょっとお姉さんにサービスしてくれてもいいでしょ?」

 

 そのままぎゅっと俺を後ろから抱きしめ、ふふ、と笑う薫さんにめちゃくちゃ照れ臭くなって里沙に目で助けを求めるも、「もう、お母さんったら」と微笑ましく見つめてくるのみ。お前、俺のこと好きなフリするんだったら自分の母親に対しても嫉妬しろよ! いやいや、母親に嫉妬って。甥を可愛がるのは普通のことでしょ? じゃなくて俺とお前がいとこ同士だってこと忘れてんのか! お前に限ってはその論理破綻してんだよ!

 

「そういえば兄貴たちどこ行ったんだろうね」

「スマホ見たら、『なんかお前ら遅すぎるから適当に遊んどくわ。ちなみに、クリアできなくて拗ねてるわけじゃないから勘違いしないでよね!』って恭弥からきてたわ」

「うわ、キツ」

「里沙。それ父さんに直接言わないでやってくれよ」

 

 あの人大体の悪口は効かないのに、母さんか薫さんか里沙からの悪口はめちゃくちゃ効くから。里沙から敬語使われ始めた時もすげぇへこんでたし。「俺、もう家族じゃないってことなのかな……」ってへこんで母さんに慰められてたし。あのクソジジイ、母さんに慰めてもらいたいからへこんでるフリしてただけだろ。

 

「ふーん。じゃあ私たちも私たちで遊んじゃおっか」

「夕弥は大丈夫? 春斗とか霞とかと一緒の方がいいんじゃない?」

「光莉さんがいればあとは誰でもいいですよ」

「……私は?」

「里沙はどうせ誰と一緒でもついてくんだろ」

 

 拗ねた様子で俺を睨みつけてくる里沙に返すと、光莉さんと薫さんがため息を吐いた。あの、光莉さんはともかく薫さんが今ため息吐くとぞくっとするからやめてくれません?

 

「夕弥。そういうのはちゃんと最初に言わなきゃ愛想つかされちゃうよ?」

「もっと言うと恭弥みたいになるわよ」

「ごめん里沙。ずっと一緒にいてくれ」

「極端すぎない? いゃ……いいけど」

 

 いやだけどって言おうとして、光莉さんの前だから急ハンドル切ったな。いつもならキモいとも言ってくるのに、今はもじもじしながら視線を逸らして頬を染める強烈コンボ付きだ。乙女の反応として100点過ぎて、将来詐欺師にならないか心配になってくる。薫さんも「あれ?」って首傾げてるし。あの、勘違いしないでよねっ! 里沙は俺のこと好きじゃないんだからっ!

 

 俺の気持ち悪さが伝わったのか、それとも俺から父さんと同じ空気を感じ取ったのか、薫さんが「夕弥、やめて」と言ってきた。俺目に見えるところでは何もしてないのに流石だぜ。

 

「さ、どこに行く?」

「光莉さん。ここ式場もあるみたいですよ」

「私、仲良くしてた友だちがみんな先を越していく姿見てるから、式場トラウマなのよね」

「俺がそのトラウマ、幸せに塗り替えてあげますよ」

「夕弥。そんな妄言はいいから遊ぼ」

「薫さん。おたくの娘さんの教育はどうなってるんですか?」

「ちゃんと育ってると思うよ」

 

 どうやら薫さんも俺のさっきの発言を妄言と捉えたらしい。俺は泣いた。

 

 まぁ流石にもうちょっと段階を踏まないと結婚は早いか。そう納得して、ここに来た時にダウンロードした地図を見る。ひょっこり顔を出して地図を覗き込んでくる薫さんと一緒に……つかまだくっついてたのかこの人。もはや違和感なさすぎて忘れてたわ。

 

「ほんとに色々あるね」

「あ、私にも見せて」

「じゃあ私も」

「光莉さんは私の隣にきてください。うっかり夕弥が妊娠させちゃうかもしれないんで」

「これがちゃんと育ってる娘さんの言うことですか?」

「うん」

 

 どうやら薫さんも俺がうっかり光莉さんを妊娠させると思っているらしい。俺は再び泣いた。

 

 全員に見えるようスマホを横に向けて、敷地内の地図を見る。敷地内にはプールやゴルフ場、ボウリング場に乗馬もあるようで、動物とのふれあいコーナーもあるらしい。里沙が目を輝かせてふれあいコーナーのアイコンをタップすると、『愛しいベイビーちゃんたちと触れあれる憩いの場』というタイトルとともに、犬や猫、うさぎの写真が表示された。ちょくちょく思うけどクセ強いなここ。

 

「里沙。ここに行きたいの?」

「うん! うち、お父さんが襲われるからペット飼えないし」

「あ、ちゃんと育てられないでしょ! とかそういんじゃねぇんだ」

「飼う前からヒエラルキーでペットの下に行く人間っているのね」

「でも本人がペットみたいなものだから」

 

 薫さんのとんでもない発言は聞かないことにした。なぜなら里沙が気まずそうな顔をしていたから。多分、その、まぁなんだ。そういうことだろう。

 

 

 

 

 

 薫さんが「じゃあ手つなごっか」と言って俺の手を握り、「じゃあ私も」と言って光莉さんが里沙の手を握り、存分に子ども扱いされながら向かったふれあいコーナーの入り口で。

 

「ええもん。期待するだけアホやってことやん」

「あの、春乃さん。気にしないでください。躾が行き届いていただけですから」

 

 三角座りしてしょげている春乃さんと、春乃さんを慰めている霞がいた。先生でもあり友だちの母親でもある春乃さんのあんな姿を見るのは気まずいどころの騒ぎじゃないから目を逸らしたくなるが、霞に気づかれて「助けてくれ」とジェスチャーで伝えられる。

 

「……どうしたんだ?」

「聞いてくれ。恭弥さんが始まった瞬間秒で捕まって、荒んだ心を癒そうとここにきたら、春乃さんが動物みんなをうっかり服従させちゃったんだ」

 

 仕方なく話しかけるとなんとも可哀そうな出来事を聞かされてしまった。なんだ? 父さんの年代は動物に対して何かしら特性持ってないと気が済まないのか? そういえば父さんから「春乃を前にした動物は服従するんだぞ。特に犬」って聞かされてたけど、マジだとは思わなかった。

 

「あのねぇ春乃。あんたいっつもわんちゃん服従させるんだから、やめておきなさいって言ってるでしょ?」

「だって! なんかいけるかなって思ってん! せやのに今日こそはって思って入ってみたら一斉に服従するし、恭弥くんと恭華が入ったら一斉に懐かれるし!」

「あいつらは感性が獣だから仲間だと思われてるのよ」

「そっちのが嬉しいやん……あとわんちゃんって言うのかわええな……」

「仮にも慰めてる相手を煽ってんじゃないわよ」

 

 それは光莉さんが可愛いから仕方ない。春乃さんは悪くない。

 

 にしてもそうか。父さんと恭華さんがいないなって思ったらまた懐かれてるのか。あの双子は警戒心抜群の野良猫にも一瞬で懐かれるし、ふれあいコーナーに行こうものなら一瞬で動物に埋め尽くされる。多分中に入ったらもふもふの山が二つ出来上がっていることだろう。

 

「私のことはほっといてええから、行ってきてええよ。霞もごめんな」

「……悪い夕弥。恭弥さんと恭華さん連れてきてくれ。これじゃあまりにも春乃さんがかわいそうだ」

「任せろ」

 

 こっちには薫さんがいるんだ。きっと可愛い妹の頼みならすぐに聞いてくれるだろう。まったく、春乃さんがこんなにも可哀そうだってのにあの2人は何やってんだ?

 

 憤りながらふれあいコーナーと書かれた扉を開けて中に入る。様々な動物がいるようだがやはり人気なのは犬、猫、うさぎといったペットとして身近な動物。動物ごとに柵で区切られており、一つ一つ見て回って探すのは苦労しそうだなと思った矢先、もふもふの山が二つ見えた。

 

「多分あそこだね」

「よかったな里沙。大量に触れ合えるぞ」

「あぁいうのじゃないんだけど……」

 

 よく見ればもふもふの山の一番下には父さんと恭華さんがいて、「ヘルプ! ヘルプ!」と叫んでいる。ただあまりにも一体化しすぎて「ねぇみて! ヘルプ! って鳴いてるわんちゃんいるよ!」と子どもが喜ぶ始末だ。いや、そうはならねぇだろ。

 

 逃げ出さないように二重になっている扉を開けて、もふもふの山に近づく。春乃さんなら既に服従させているであろう距離まで近づくと、山の下にいるアホどもが俺たちを見た。

 

「お、どうだった? クリアできたか?」

「その状態でよく普通に会話しようと思ったな。クリアしたよ」

「やるな、流石私の甥と妹と姪と親友。恭弥はすぐに捕まったっていうのに」

「あぁ!? 最初に100が出たらもう終わりだろうが! 俺は悪くねぇよ調整ミスだ調整ミス!」

「俺98だったぞ」

「俺の息子ともあろうものが2の違いもわかんねぇのか? 100円のものを98円で買えんのか? 買えねぇだろうが!」

「夕弥。夕弥はこんなみっともない大人にならないでね」

 

 里沙の一言が父さんに刺さり、父さんは死んだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第13話 そしてゲームが始まった

「お、夕弥に里沙やん! 光莉さんに薫さんも!」

「春斗」

 

 里沙の一言によって撃沈した父さんと、双子だからか同じくらいダメージを受けた恭華さんを引きずり出して外に放り出してから、改めてもふもふを堪能した後。昼食をとりにフードコートへ入ると、ちょうど入り口付近に春斗がいて手を振りながら近づいてくる。

 

「どやった? クリアした?」

「もちろん。光莉さんのおかげでな」

「全員で頑張ったんだから、私だけ上げるのやめなさい」

「あっ……」

 

 光莉さんに優しくチョップされ、触れてもらった喜びに思わず声を漏らすと里沙から「キモ」と言われ、すかさず慰めるように薫さんが撫でてくれた。いつも思うけど、薫さん俺に対して甘すぎないか? 純情すぎる男の子なら惚れるぞ。叔母だけど。

 

「千里さんと日葵さんが席とっといてくれてるから、先そっち行く?」

「ちょーっと待ったァ!」

 

 俺たちを連れて席に行こうとした春斗の背後から現れ、俺たちの間に割って入ってきたのは、高校教師のクセに派手な金髪でピアスも空けているチャラついた男性、霞の父であり恭華さんの旦那である井原蓮さん。蓮さんは「お、かわいこちゃんにかわいこちゃんの体毛ついてるじゃん!」と里沙の肩から犬の毛を払って、人懐っこい笑みを浮かべた。

 

「せっかくだし、ゲームしようぜ!」

「義兄さん。声大きい」

「……」

「義兄さん。声聞こえない」

 

 両極端で素直でまっすぐ。どういう育ち方をしたらこうなるんだっていうくらい蓮さんはまっすぐだ。この人を見てたら教師だってことを忘れるし、実際学校でも教師をやっている時間より生徒と遊んでいる時間の方が長い。あと恭華さんは薫さんの姉で、だから蓮さんのことを義兄さんって呼ぶのはそりゃそうなんだろうけど、こんな人が義兄さんって呼ばれてるのはいまだに違和感しかない。

 

「こんぐらいでいい?」

「よし」

 

 やっと声のボリューム調整が終わったのか、薫さんがオーケーマークを作ると蓮さんは改めて俺たちに向き直った。

 

「このフードコートには和洋中なんでも揃ってて、デザートもある! こんなにいっぱいあんならそれぞれの大好物もあるっしょ? だったら、お互いのことを理解してるかのテストもできるってわけ!」

「相手が一番食べたいものを推測して、それをテーブルまで持っていくってことですか?」

「夕弥正解! それぞれの相手は、そうだなぁ。野郎と女の子で1対1ってのはどう?」

「当てた場合は?」

「相手に好きな言葉言ってもらうってのは?」

「よし、光莉さん。俺とやりましょう」

「まず日葵と千里がいいって言わないと」

 

 それもそうかと性欲をぐっと抑え、「そんじゃご案内!」と元気よく歩く蓮さんの後ろについていく。しかしマジでナイスだな蓮さん。蓮さんも俺が光莉さんのこと好きだって知ってるから、さりげなくサポートしてくれているんだろう。蓮さんは父さん経由で俺と里沙が付き合ってるのは勘違いだって知ってるだろうし。

 少し歩くと、母さんと千里さんの姿が見えてきた。2人もこっちに気づいたようで、母さんは年甲斐もなく手をぶんぶん振って、千里さんも母さんに合わせてぶんぶん手を振っている。

 

「お父さん! 恥ずかしいからやめて!」

「娘を大事に想う僕の心の何が恥ずかしいの? ショックだな、まさか僕の愛情が恥ずかしいって思われてるなんて、いやでも大丈夫だよ。里沙がそういう年頃だって理解してるし、里沙はいい子だから僕の愛情を恥ずかしいなんて思ってないって。ただそうはっきり恥ずかしいって言われると僕も傷つくからちょっとやめてほしいかな」

「娘をいじめるな」

 

 べらべら喋り始めた千里さんに薫さんのビンタが飛び、千里さんの口撃は乾いた音にかき消された。そこまでしなくてもと思わないこともないけど、千里さんが喋り始めた瞬間に光莉さんが袖をまくって臨戦態勢だったから、多分薫さんは千里さんを守ったんだろう。もちろん光莉さんから殺されないように。

 

「夕弥、どう? ここ楽しい?」

「光莉さんと一緒にいて楽しくないなんてことありえないだろ」

「ふふ、そっか。光莉と一緒にいるんだもんね」

「日葵! 今私と結婚してくれるって言った!?」

「言ってないよー」

「ま、恭弥を殺せば目を覚ましてくれるからいいわ」

「俺と母さんの前でさらっと父さんの殺害予告しないでくれます?」

 

 光莉さんは母さんの親友であり、そういう意味で好きなんじゃないかと疑ってしまうほどの母さん過激派だ。これでも学生の頃よりはマシらしく、父さん曰く学生の頃は毎日のように母さんに欲情してたらしい。そういうところも素敵だ。

 ちなみに父さんも母さんに欲情していたらしく、それは素直にキモいと感じた。マジで信じらんねぇよな。いくら好きだとはいえ毎日欲情するなんて猿かよ。人類と名乗るのに必要最低限な知能が備わってねぇんじゃねぇの?

 

 俺が心の中で父さんを罵倒している間に、蓮さんが母さんと千里さんに説明し、2人の承諾を得たところでそれぞれの相手を決めるフェーズに入る。もちろん俺の相手は光莉さんに決まっている。光莉さんも俺の方を見ずに母さんの方ばっか見てるし。あの、男と女で一組ですからね? 少しは俺のこと見てくれてもいいんじゃないですか?

 

 まぁ、この場は蓮さんが仕切ってくれるんだ。当然のように俺と光莉さんをペアにしてくれるだろう。期待を込めて蓮さんに視線を送ると、蓮さんからウィンクが返ってきた。

 

「じゃあここは女性陣に選んでもらおうぜ! 青春のドキドキって感じがしてたまんねぇっしょ! 里沙ちゃん、日葵ちゃん、薫ちゃん、光莉ちゃんの順で頼んます!」

 

 なるほど、ここで光莉さんから俺に対する愛を再確認させてくれるということですか。やっぱり蓮さんは素晴らしい。それに光莉さんを最後にすることで俺を余らせるようにするサポートのおまけつき。全員俺が光莉さんのこと好きって知ってるから、きっと俺を選ばない。

 

「……えっと、じゃあ夕弥で」

「ちょっとこっちこい」

 

 里沙の手を引いてその場から離れ、顔を寄せると気まずそうに里沙が目を逸らす。

 

「何してんだ、テメェ」

「ごめん……! でもだって光莉さんの前だから」

「なんかこう、あんだろ。俺を選ぼうとするけど恥ずかしくて無理! みたいな演技」

「だ、だって流石にそれはキモくてできなかったんだもん」

「もんとか言って可愛く言ってっけど、すげぇ暴言吐いてるぞお前。俺を傷つけて楽しいのか?」

「そんなに言わなくてもいいじゃん。夕弥を選びたかったのはほんとなんだから」

「えっ」

 

 こいつ、まさか俺のこと本気で……?

 

「光莉さんとペアになったら死ぬほど最低なセクハラしそうだったし」

 

 違った。俺に対する信頼がえげつないほど低いだけだった。そこまで言われたら俺も納得するしかない。ここで食い下がったらとんでもなく情けない男になることは目に見えていた。

 

 なんかごめんな? と謝って2人でテーブルに戻り、ペア決めが再開する。母さんが選んだのは春斗で、理由は「恭弥が嫉妬しなさそうだから」らしい。本当に俺にゲボを吐かせるのがうまいな、この両親は。

 

「じゃあ私は、せっかくだしお父さんじゃなくて義兄さんにしようかな」

「僕は娘の前だと『お父さん』って呼んでくれる妻にこれ以上ない悦びを感じるんだ」

「なんでいきなりクソキショイ発言しだしたんやこの人」

「お父さんはこの年になってまでお母さんが照れてる姿を見たい恥ずかしい人なんです」

「お目当ての照れてる姿は見られてないみたいよ」

 

 薫さんはゴミを見るような目で千里さんを見ていた。相手が相手ならありがとうございますと言ってしまいそうなほど冷たい視線に、千里さんが「ありがとう」と伝えている姿は素直にキショかった。父親のひどい言葉を聞かせないよう咄嗟に里沙の耳を塞いでしまい、びっくりしたのか里沙が「きゃっ!」と小さく声を漏らした瞬間、千里さんがぐりんと顔をこっちに向けてきたのは素直に怖かった。バケモンだよこの人。

 

「なら私は千里ね。別に今更千里に言わせたい言葉なんてないんだけど」

「僕にはあるよ」

「なんやろ、今までの言動聞いてたらめちゃくちゃキショいセリフに聞こえてくるんやけど」

「流石に薫さんの前だから『あなたの赤ちゃん産ませてほしいの』とかは言わないだろうけどなぁ」

「日葵さん。夕弥早めに院入れた方がええんちゃいます? 頭に少年がつく方の」

「え? 夕弥今おかしなこと言った?」

「ダメだよ春斗。日葵さんはおじさんのせいで狂ってるんだから」

「お前ら俺たち家族を丸ごとバカにしてんじゃねぇよ」

「発端はあんたでしょ」

 

 家族を庇ったつもりが光莉さんに注意されてしまった。おかしい。今『決まった!』って思ったのにな……。もしかして俺たち家族はおかしいのか? 父さんがおかしいのは間違いないとして、俺は父さんの背中を見て反面教師にしたからまともなはずなのに。さっきだって俺が光莉さんに言ってもらおうとしていたセリフを言っただけなのに。おかしいよこいつら。俺をいじめて楽しんでるんだ。光莉さんに言ってやる!

 

 あ、光莉さんに注意されたんだった。じゃあおかしいの俺だわ。

 

「ここにあるものはそこのQRコード読み込めば出てくるから、それぞれ一番食べたいものを決めたら女の子は女の子同士で、野郎は野郎同士で共有すること! これで不正はでないっしょ!」

「やるからには勝たないとな。母さん、里沙の一番食べたいもの教えてくれたら、今度俺が家を出て一か月父さんと母さんを二人きりにすることを約束する」

「家族みんなで一緒にいたいからだめ」

「里沙。俺を殺してくれ」

「そうやって人は成長していくんだよ」

 

 あまりのみじめさに里沙も不憫に思ったのか、優しさで包み込んでくれた。ありがとう、ありがとう……。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第14話 そして解を導いた

「今考えたら、俺日葵さんに言わせたいセリフとかないんやけど」

「俺も里沙に言わせたいセリフないな……」

「あ、そうなんだ。僕は朝日さんの自尊心を粉々にしようと思ってたんだけど」

「恐ろしいにもほどがあんだろ」

 

 先攻、男。メニューを決めた俺たちは席を立ち、ぶらぶらと店を眺めていた。スマホでメニューを見て決めてから来てもよかったが、実際に目で見るのと違うかもしれないし。あとなんか、目の前で当てようと必死になってメニューとにらめっこするのが普通に恥ずかしかったのもある。

 

「んー、じゃあさ。男はもし当てれたとしたら『大好き』って言ってもらうことにしね?」

「じゃあ僕は朝日さんからで」

「俺は里沙からで」

「俺は日葵さんからで」

「俺は薫ちゃんから!」

 

 間違いなく死人が出る。それにそれって光莉さんの目の前で里沙に「俺に向かって大好きって言え」って言わなきゃいけないってことだろ? 終わってんだろ。その後一日里沙の顔も光莉さんの顔も見れる気しねぇしその場に母さんもいるから四面楚歌どころの騒ぎじゃなくなる。

 

「まぁさすがにやめときません?」

「もう送った! すまん!」

「俺絶対当てへんようにせなあかんやん……」

 

 蓮さんの独断により春斗の顔色が変わる。春斗の相手は母さんだから、もし『大好き』なんて言われようもんなら父さんと光莉さんに殺される。……面白そうだから母さんが好きなものを「あれ嫌いって言ってたぜ」って嘘教えようかな。

 その点で言えば俺は安心だ。里沙の好きなものならわかるし、それを持っていかなければ大好きって言われる心配もない。適当にコッペパンとか持って行きゃいいだろ。

 

「夕弥?」

 

 コッペパンを買おうと店へ行こうとした俺の肩に手を置いたのは、にこにこ笑顔を浮かべている千里さん。何か粗相をしたかと首を傾げるが、何も心当たりはない。

 

「君は里沙から大好きって言ってもらいたくないの?」

「……」

「あんなに可愛くていい子で優しい女の子から大好きって言ってもらえるなんて、男からしたら勲章ものだと思わない?」

 

 なるほど。俺が里沙の好物を当てられるにも関わらず、コッペパンを買おうとしてたから怒ってるのか。世の中には娘に手を出すやつはぶっ殺すとかいう物騒な父親もいるけど、千里さんは別ベクトルでめんどくさい父親だったらしい。

 

「いや、そりゃそうですけど」

「里沙に色目つかってんのか!!」

「どうしてほしいんだよあんた」

 

 何? 里沙から大好きって言ってもらいたくないみたいなのはムカつくけど、それはそれとして色目使われるのもムカつくってか? クソめんどくせぇなこの人。薫さん結婚相手間違えたんじゃねぇか? 今のところ大正解なのって里沙が生まれたことくらいだろ。

 ただ俺は理解のある男。娘を持っている父親なんてこんなものだと思っている。父さんも「もし娘が生まれていたら俺は化け物になっていた」って言ってたくらいだし。もうとっくに化け物だけど。

 

「まぁ冗談だけどね。夕弥は朝日さんのことが好きなんでしょ? だったら里沙から大好きって言われるわけにはいかないよね」

「千里さんっていきなり理解のある大人みたいな言動しますけど、多分さっき言ってたことも本心だろうから一番信用ならないんですよね」

「そういうことを正面切っていってくるのは流石恭弥の息子って感じだね。興奮してきた」

「できれば二度と俺に話しかけないでもらえますか?」

 

 父さんと千里さんはかなり仲がいい。恥ずかしげもなく親友だってお互い言うくらいだし、一か月に数回は時間を見つけて遊ぶくらいには。もう一緒に住めばいいだろって思うけど、その場合里沙も一緒の家に住むことになるからそれは流石に……何が問題なんだ? 別に妹みたいなもんだし、何の問題もないか。

 

「でも、コッペパンはやめてあげて。夕弥なら好きだけど一番食べたいかって言われるとそうじゃないもの、持っていけるでしょ?」

「そんな以心伝心みたいなマネできると思います?」

「恭弥の息子と僕の娘なんだから、できるでしょ」

「キッショ」

 

 素直な感想を口にすると「根絶やしにしてやろうか、クソガキ」と凄まれてしまったので走って逃げた。

 

 

 

 

 

「にしても、よくチョコフォンデュなんてものをお昼に食べようなんて思えるわね」

「あはは……その、好きっていうのもあるんですけど、自分でやってこなきゃいけないから夕弥ならめんどくさがるだろうなって思いまして」

 

 その考えは正しかったんだと小さくガッツポーズ。当てられて何か言わされるのが嫌だったからそうしたんだけど、蓮さんから『男が当てたら女の子には『大好き』って言ってもらいます!!』って連絡がきたときは心臓が止まるかと思った。本当に当てられないようにしてよかった。

 あとまぁ、本当にチョコフォンデュみたいな楽しいものが好きっていうのもある。あとで個人的にやりにいきたい。

 

「でも、蓮のやつも先に言ってくれたらよかったのにね。そしたら里沙は当ててもらえるようにしたでしょうに」

「ひ、光莉さん!」

 

 え? と首を傾げる光莉さん。乙女度が高いおばさんと察しがいいお母さんはすぐに光莉さんが言ったことの意味に気が付いて、私にとっては嫌な笑みを浮かべている。

 

「へー、そうだったんだ。お母さんにも一言くらい言ってくれたらよかったのに」

「里沙ちゃんが夕弥をねー! ふふ、里沙ちゃんがお嫁さんになってくれるなら安心だなぁ」

「あら、まだ言ってなかったの?」

「だってその、恥ずかしいですし」

 

 咄嗟に言い訳するとひとまず納得してくれたようで、「そ、ごめんなさい」と謝罪してくれた。危ない。そうか、そうだよね。光莉さんに言ってるなら別におばさんとお母さんに言っててもおかしくない。危なかった。バレるところだった。

 

「あ、それじゃあ夕弥が何を持ってきたとしても正解だってことにする?」

「そ、それはだめです! なんかずるっていうか」

「里沙。恋にズルもなにもないんだよ」

「閃いた!」

「日葵ねーさんを押し倒して手籠めにしようとするのはやめてね、光莉さん」

 

 『恋にズルもなにもない』を捻じ曲げて解釈した光莉さんはしかし、お母さんに注意されてしゅんと項垂れる。光莉さん、いい人で面白くて可愛くて素敵な人だっていうのはわかるんだけど、どうしてもこういうところが目立って見えてしまう。私とか夕弥とか、子どもと一緒にいるときは比較的まともなのに、大人で集まるとどうしてこうなっちゃうんだろう。

 

「あ、きたみたいだよ! 夕弥だけだけど……何も持ってない?」

 

 おばさんが見ている方に目を向けると、確かに夕弥だけがこっちに向かって歩いてきていた。その手には何も持っていなくて、番号札みたいなのもないから何かを頼んできたっていうわけでもなさそう。

 もしかして、「え、俺を食べたいんじゃねぇの?」って言って大幅に外しに来たのかもしれない。何か食べ物を選んだら当たる可能性が少しでもあるから。それなら流石にお母さんたちも「正解」だって言えないだろうし、もしそうだったとしたら夕弥は超ファインプレーだ。

 

「夕弥、どうしたの?」

 

 声の届く距離まで近づいてきた夕弥に声をかけると、夕弥は私と目を合わせてどこかへ向かって指をさす。

 

「チョコフォンデュあったからやろうと思ったんだけど、里沙は自分でやりたいかと思ってな。行くか?」

「……」

「ふふ。いってらっしゃい! 里沙ちゃん!」

「恭弥の息子であり恭弥の息子ではないわね」

「よかった……段々氷室家の血が薄まってるみたいで」

 

 本当に、本当にちょっとだけきゅんとした。

 

 

 

 

 

 ふっ、俺の作戦は完璧だ。隣を歩く里沙を横目で見て、勝ち誇った笑みを浮かべる。

 

 メニューを選ぶ中で考えたのは、外しに行ったとしても安全じゃないってことだ。里沙も外してほしくて一番食べたいもの以外を選んでるかもしれないし、かといってルール的には好きなものを選ばなきゃいけないから、他の人から見て「あれ、そんなの好きだったっけ?」って違和感を持たれないようなものを選ばなきゃいけない。だとすると、当ててしまう可能性はぐんと跳ね上がる。

 それならいっそ、当ててしまってもいいから里沙を席から遠ざけさせて、もし当たっていたとしても「二人の時に言ってもらいましたよ」って言ってお茶を濁すのが一番いいと導き出した。俺が天才すぎて光莉さんが惚れてくれる気配までしている。

 

「春斗のためにも、こんなことやってるってのは父さんに知られないようにしないとな」

「おじさんが知ったら、たとえ春斗が正解してなくてもおばさんとペアを組んだっていう事実だけで殺しにかかってきそうだしね」

 

 春斗は一瞬「まぁゲームやし、せっかくやから勝ちに行こか」って言って父さんに母さんの好きなものを聞こうとズルをしようとした瞬間、「あっぶな! 死ぬとこやった!」ってスマホを投げてたし。その後「なんとしてでも負けなあかん」って決意を固めてたし。本当に危ないところだった。あいつこのゲームで勝つと光莉さんも待ってるからな。

 

「あ、そういえば夕弥」

「なんだ?」

「私が夕弥のこと好きってこと、おばさんとお母さんにバレちゃった」

「何してくれてんの?」

「ひ、光莉さんだから! ばらしたの!」

「薫さんはまだしも、母さんポンコツなんだぞ……? 瞬く間に広まっていく未来しか見えねぇよ……」

 

 あと多分俺に悟られまいと様子おかしくなるし。もしかして俺たち取返しのつかないことしてねぇか?

 

「そう考えたらこうやってわざわざ二人で席を立ってるのってかなりマズいことなんじゃねぇか?」

「ちょ、チョコフォンデュやりにいってるだけだから! そ、それにその、ほら。二人きりなら、みんなに見られてないなら恥ずかしくないし」

「なにが?」

 

 里沙が一歩俺に近づいて、背伸びして耳元でぼそっと囁いた。

 

「大好き」

 

 言ってすぐに少し離れて、顔を赤くしてもじもじしながら「ちょ、チョコフォンデュがね?」と付け足す里沙に、一言。

 

「……いや、席から離れてんだから言ったことにすりゃよかっただろ」

「……」

「……」

「……」

「……ごめん」

「……うん」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第15話 そして裸で付き合った

「日葵と風呂に入ることを想像したらめちゃくちゃ勃起したわ」

「息子と風呂に入りながら言うセリフか?」

 

 アルストロメリア、大浴場。家族風呂があるみたいだけど、父さんがこんな感じだから却下された。あと俺も光莉さんと入るってなるとこんな感じになるだろうから自らやめておいた。光莉さんと二人きりなら全然問題ないのに、他有象無象どもが邪魔すぎて話にならない。

 

「日葵はすごいんだぞ? 特にあの」

 

 息子の目の前で母親のすごいところを語ろうとした父さんの頭を掴み、湯船に叩きつけてその場から離れる。「せっかくだから久しぶりに息子と入りたいわん! へっへっへっ」とクソ汚い犬のフリをしながらの懇願があまりにも見てられなかったから一緒に入ってやったけど、もう息子としての義務は十分に果たしただろう。ていうかあんな姿を見せられてまだ息子でいてやっていることに感謝してほしい。

 あんな化け物は放っておいて、春斗と霞を探す。千里さんは「子どもは子ども同士の方がいーじゃんね!」と流石の気遣いを見せた蓮さんに連れていかれたから、あの二人は一緒にいるはずだ。どうせならあの化け物から俺を救い出してほしかったのに、薄情すぎないか?

 

 小さい頃から一緒にいた親友たちの薄情さに憤りつつ大浴場をふらふらしていると、二人の姿を見つけた。何やら荘厳な扉の前で立ち止まって何かを話している……待て、なんで大浴場に荘厳な扉があるんだ?

 

「何してんだ?」

「お、バケモンから逃げてきたん?」

「春斗。いくら事実だからって友だちの親に対してバケモンはないだろう」

 

 どうやら春斗と霞からしても父さんは化け物に映っていたらしい。安心した。俺が間違っているわけじゃなかったんだ。

 

 俺の父さんが化け物だということを改めて認識したところで、二人は俺から扉がよく見えるように移動する。その扉に書かれていたのは、『イケない混浴』という文字。説明も何もなく、それだけが書かれていた。

 

「なんだこれ」

「父さんが言うには、この扉の先に水着があって、それを着ると混浴できるらしい」

「屈強なオカマさんが見張ってるから悪いこともできんようになってる言うてたわ」

「屈強なオカマに見張られてる混浴……?」

 

 ちゃんと施設だからそういうことはないと思いつつも、少し恐怖を感じる。どうせ混浴に行けばチャラい男が数少ない女の子を囲んでるだろうし、女の子がいなければ今か今かと獲物を待ち受けているクソ汚い男がいるだけだ。

 

「もしかして入ろうとしてたのか?」

「やー、ちょっと気になってもうてな」

「なにが」

「考えてみろよ。多分こういうところには入らないだろうけど、もし里沙がここに入ってたとしたら、すぐに悪い男の餌食になる」

「……!!」

 

 そうか、なんで想像できなかったんだ。確かに、その可能性はある。

 

 荘厳な扉に手をかけて、二人の方へ振り向いた。ふっ、どいつもこいつも男の目をしてやがるぜ。

 

「光莉さんが俺に会いたくて入ってる可能性が、ここにはある!!」

「話聞いとった?」

「夕弥にあまり酷なことを求めるなよ」

 

 なぜか呆れ気味な二人の声を背に、近くにある水着をひっつかんで一秒で着替え、『イケないコね』と書かれている、普段なら触れたくもないような荘厳な扉を開けた。

 

 そこに広がっていたのは、死体の山だった。正確には息はあるけど、白目をむいた海パン一丁の男たちが山になっているその光景は死体の山と言うほかない。

 その山を作り上げたであろう人物は、俺たちに気が付くと血にまみれた手を親し気に振って出迎えてくれた。

 

「なーに? こんなところに入ってきて、いっつも私に好き好きって言うけど、他の女の子のこと気になっちゃった?」

「光莉さん! やっぱり俺に会いに来てくれたんですね! つか大丈夫ですかなんですかこの男ども! もしかして光莉さんに声をかけてきたとか、クソッ、くるのが遅れてすんません! おい春斗、霞! この性犯罪者どもの写真を撮って出会い系サイトに『おじさんが大好きです』って一文添えて登録するから手ぇ貸せ! あっ、あと光莉さん! 水着姿めちゃくちゃ可愛いです! 好きです!」

「うるさい」

 

 俺の愛に対して返された光莉さんの言葉は四文字だった。そんなつれないところも可愛らしくて好きだぜ。「なーに?」もお姉さんっぽくて非常によかったし、この場に春斗と霞がいなかったら体を震わせながら弓のようにしなって、天へと昇る心地に抗えずどうにかなってしまっていた。こんなに俺の心を惑わせて、光莉さんは本当に罪な女だぜ。

 

「光莉さん。なんでこんなとこおるんですか?」」

「日葵がね。『恭弥がいるかも、しれないから……一緒にきてくれる?』っていじらしく頼んできてくれたから。ちなみに里沙も来てるわよ」

 

 多分母さんと光莉さんを二人きりにしたら万が一のことがあるといけないからだろう。万が一っていうのは二人が男にどうこうされるっていうわけじゃなくて、光莉さんが母さんにどうこうするっていう方の心配。その点で言えば里沙はその場にいるだけで光莉さんが自重するようになるしかなり適任だ。

 

「その二人はどこに?」

「里沙が男に声かけられたから避難させてるわ」

「は? 里沙何にもされてないですよね?」

「私を誰だと思ってんのよ。男が声をかけた瞬間ぶっ殺したわ」

「もうちょっと待ってもよくないですか……?」

「何言ってんだ霞。里沙くらい可愛い女の子が混浴にいて、それに話しかける男に下心以外があると思うか? こればっかりは光莉さんが正しい」

 

 そもそも混浴にくる男は下心しか持ってないんだから。クソ、うちの年がら年中父さんに恋をしてる母さんのせいで光莉さんに余計な拳を震わせて、里沙を危険な目に遭わせちまった。あの人もう歳なんじゃねぇか? 元からポンコツだったけど、日々常識とか判断力とか失われていってる気がすんだけど。あと光莉さんのおっぱいが大きいんすけど。

 

「そんなこといいから、他のカスどもに声かけられる前に二人を迎えに行くわよ」

「はい! あの、その……手、つないでもいいですか?」

「嫌よ。あんた興奮するでしょ」

「俺の下半身を見ても同じことが言えますか!!?」

「見たから言ってんの」

「霞。光莉さんは見たらしい」

「僕に話しかけるな」

 

 なぜか霞に嫌われてしまったようで、霞は爆笑する春斗の陰に隠れてしまった。ははーん? さては光莉さんが魅力的すぎて、『俺を嫌い』ってことにして光莉さんから距離をとったな? この思春期め!

 

「夕弥夕弥。そのまんまで日葵さんと里沙のとこ行くん?」

「やっべ。気まずいどころの騒ぎじゃねぇ」

「なんか嫌なものでも思い浮かべろ」

 

 嫌なもの嫌なもの……いや、面白いものにしよう。直近で見た嫌なものが嫌なもの過ぎて思い出したくもない。

 面白いもの……今から里沙に会うってなって、小さい頃からずっと一緒にいたのにも関わらず、明らかな異性を感じてるからめちゃくちゃ恥ずかしくなってる霞。だっひゃっひゃっひゃ!!!

 

「よし、ありがとう霞」

「僕が嫌なものってこと!!?」

「あ、違う。家族みてぇな異性にすらどぎまぎしてんのが滑稽で面白くて。だからありがとう」

「舐めてんのかこいつ……」

「いいじゃないそれくらい。むしろそうやって身近な男の子に恥ずかしがってもらえる方が、女の子としては嬉しいもんよ」

「あ、あのぅ、光莉さん……俺、恥ずかしいですぅ」

「生き様がやろ?」

「テメェ!!」

 

 俺の100点満点の光莉さんに対するアプローチに余計な一言を挟んできた春斗と大乱闘。しようとしたところで、「ここお風呂場よ。暴れんのはやめなさい」という光莉さんの声に冷静になって振り上げた拳を下ろした。「あれ? さっき光莉さん男の人たちを」なんて余計なことを言いそうになった霞の口を塞いでおくことも忘れない。光莉さんのあれは必要なことで、俺たちの喧嘩は必要ないことだ。わかったな?

 

 そうして暴れながら歩いていると、開けた場所にでた。テニスコート六面分くらいはある広さのお風呂で、正常そうな男女が各々お湯を楽しんでいる。よかった。光莉さんが手を下さずに済みそうだ。

 二人は男に話しかけられることもなく、仲良く談笑している。近くでオカマさんたちが目を光らせているのは勘違いじゃなければ護衛だろう。俺たちが近づくと一瞬睨んでから、優しい微笑みを浮かべてその場から去っていった。カッケェな普通に。

 

「日葵! 里沙! 大丈夫だった? 男に変なことされてない?」

「大丈夫! ありがとね、光莉」

「光莉さんも相手に怪我させすぎてませんか?」

「あいつ、心配するのが相手なあたり性根を疑うよな」

「ナチュラルに失礼やんな、里沙」

「は、春斗っ! 僕は目を閉じるから手を引いてくれ!」

 

 初めは光莉さんのことをずっと心配していたからか光莉さんのことしか見えていなかったみたいだが、俺と春斗が里沙に低評価を与え、霞が目を閉じていつも通り初心ムーブをかましたことで俺たちに気づいたのか、母さんが俺たちに手を振って里沙が目を丸くしてから母さんの背中に隠れた。

 

「夕弥! 春斗くんに霞くんも!」

「どうも! 里沙はどうしたん? なんで隠れたん?」

「な、なんか恥ずかしい」

「お前まで俺の生き様が恥ずかしいって言うのか!?」

「なんの話!?」

 

 違ったか。まぁ俺の生き様に恥ずかしいところなんてないから間違いだろうとは思ってたけどな。

 しかし今更水着姿程度で恥ずかしがること……霞は例外として。恥ずかしがることないと思うんだけどなぁ。……いや、えっと、俺個人的にはなんとなく恥ずかしくなる原因はあるけども。なんか母さんは俺と里沙交互に見てにやにやしてるし。わかりやすすぎだろあんた。子どもの恋路はもっと隠れて応援するもんなんじゃねぇの?

 

 母さんのポンコツは今に始まったことじゃないから置いといて、せっかく会ったのに隠れられるとちょっと寂しい。ここはなんともないからって安心させておかないとな。

 

「別に、里沙の水着姿見たところで今更なんとも思わねぇよ。肌が綺麗とかスタイルいいとかやっぱり可愛いとかその程度だ。なぁ春斗。俺ものすごい勢いでとんでもない暴露しなかったか?」

「事実やしええんちゃう? 声に出すのはキモいけど」

 

 なぜか思惑と違うことを口走ってしまったが、これでも大丈夫だろう。里沙なら顔を青くしながら「キモ……」と言っていつもの調子を取り戻すはずだ。せっかくの風呂で気分を悪くさせて申し訳ない。でも元を返せば里沙が恥ずかしがるのが悪いんだから、これは自業自得だ。

 

「……?」

 

 って思っていたのに、里沙が中々出てこない。どころか、母さんの背中に一層縮こまって姿を隠す。

 

「あんた、やっぱり恭弥の息子ね」

「何かよくわかりませんけど、不名誉だっていうことはわかります」

 

 どこか呆れている光莉さんに答えながら、里沙を見る。

 

 母さんの背中に隠れているからよく見えないけど、ちらっと見えた耳は赤くなっているように見えた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第16話 そして傷を負った

「光莉さん。どうすれば光莉さんは俺と結婚してくれると思います?」

「本人に聞くことじゃないわね、それ」

 

 一番信頼している光莉さんにだから聞いたのに何を言ってるんだろうと首を傾げると、光莉さんがぺちんと優しくおでこを叩いてくれた。やべぇなこのおでこ一生洗えない。でも洗わないと汚いから、このおでこを摘出して新しいおでこを取り付けようと思う。

 

 ホテルアルストロメリアの地下にはバーがある。バーと言ってもお酒のみを提供するところではなく、雰囲気をバーに寄せたカフェのようなところだ。ダメ元で「光莉さん! 俺と大人な雰囲気を楽しむのはどうですか!」と頼んでみたら「いいわよ」と言ってついてきてくれたから、俺は夢だと思っている。あ、でもさっき光莉さんが叩いてくれた時痛かったから夢じゃないか。この人力加減バグってんだよな。優しく叩いてくれたって言ったけど、内出血くらい起きていてもおかしくない。

 

「考えてみてくれません? 俺勉強もできるし運動もできるし顔もスタイルもいいし、悪いところなんてないと思うんですけど」

「恭弥の息子」

「最悪のウィークポイントじゃん……」

 

 父さんは死ぬほどクズだから、その血が流れている俺もクズである可能性は十分にある。俺は自分を客観視できる人間だ。いくら頭と見た目がいいからって、それを台無しにしてしまうほどのクズ加減があるということを俺は知っている。なんで母さんは父さんと結婚したんだって毎日どころか毎分、いや毎秒思ってるし。

 でも、俺はそんなはっきりとしたクズじゃないはずだ。だって千里さんも「君って恭弥よりは面白くないよね」って言ってきたし。つかなんだよその言い方。あの人ノンデリじゃね? 普通に。

 

 しかし、どうするか。光莉さんは会いたいと言えば会ってくれる。でもこの旅行先でバーという大人な空間。そして光莉さんはお酒を飲んでいるというあまりにも都合のいい状況。これを逃すなんて男じゃない。

 

「こうしましょう! 今から光莉さんはお酒を、俺はソフトドリンクを飲んで、光莉さんが先に酔ったら結婚してください!」

「あんたもお酒飲むならまだしも……っていうか私にメリットないでしょ」

「は? 俺まだ未成年なんで酒飲んじゃダメでしょ」

「法律を守る常識があって、なんで公平性が欠如してんのよ」

「公平性に欠けてませんよ。だって俺は、光莉さんに酔ってるところだから、さ」

 

 お酒の中に入っていた氷を口に詰め込まれてぶん殴られた。この人親友の息子に対して容赦ねぇよ。普通そんなヤクザみたいな殴り方する? さっき自分で20も離れてるって言ってたよね?

 でも、ポジティブに考えれば、こうやって暴力を振るっていいと思ってくれてるってことだ。それは信頼度の高さの表れに違いない。だって父さんと千里さんは俺以上にボコボコにされてるし、しかも俺は光莉さんからすれば親友の息子。そんなやつの口に氷を詰めてぶん殴るなんて、愛情表現以外の何がある?

 

「ふっ、感じましたよ、光莉さんからの愛」

「単純にムカついたらぶん殴るクセがあるだけよ」

「よく直した方がいいって言われません?」

「殴ってもいい相手にしかやんないからいいのよ」

 

 ほら、愛情表現だった。見方によっては暴力を正当化してるようにも見えるけど、俺は愛情表現だって信じてる。そうじゃなきゃ流石に父さんと千里さんは光莉さんを訴えていてもおかしくない。

 

「そういえばあんた」

「はい?」

「私のどこが好きなの? いっつも求愛行動しかしてこないから、聞いたことないわよね」

「人を動物みたいに言うのやめてくれません?」

 

 なんだ? いきなりそんなこと聞いてくるってことは、脈ありか? それともまだ俺の求愛が冗談だと思ってるのか? だから好きなところを答えられないだろうみたいな? だとしたら心外だ。これは真正面から好きなところをぶつけてわからせるしかない。そして、女性に好意を伝えるときはいつだって一言目が大切だ。俺は父さんが一言目でいつも間違えてひどい目に遭っている姿をよく見ている。反面教師としては一級品だぜ。

 

「まずは張りのあるおっきなおっぱい」

 

 

 

 

 

「夕弥。なんでぐちゃぐちゃになってるの……?」

「おかしいな……」

 

 父さんは「女性を褒めるときは、その人の一番の魅力を伝えるんだぞ」って言ってたから、それはその通りだと思って実践しただけなのに。やっぱりあの人の言うこと信じるべきじゃねぇな。

 里沙の声で目を覚ました俺は、差し伸べてくれた手をとってゆっくり体を起こす。いや、引き起こす。頭が土まみれになっているのは、恐らく俺がロビーを彩る植木の一部にされていたからだろう。俺が麗しすぎるからって、観葉植物の一種にするのはやめてほしい。

 

「その様子だと、光莉さんとはうまくいかなかったみたいだね」

「どこをどう見たらそう見えるんだよ」

「ありのままを見てそう見えたんだよ」

 

 何を言っているんだ? 俺はただ光莉さんとバーに行って、ぐちゃぐちゃにされて植木にされただけなのに。まぁ一般人からすれば大失敗に見えるだろうが、俺からすれば大成功だ。光莉さんが植木にしてくれるなんて、よっぽど近しい人間じゃないとやってくれないからな。

 

「もう一回お風呂入ってきたら?」

「だな。大浴場を血で汚すの申し訳ないし、部屋で入るか」

 

 ホテルの部屋は、「夫婦で部屋を取ると子どもができちゃうから」という父さんのイカれた思考により、男と女で分けている。だから毎年夜になると「枕投げしようぜ!」と父さんか蓮さんが言い出して、全員が盛り上がって大騒ぎすることが恒例だ。ちなみに去年は盛り上がりすぎて枕野球をした。

 

「あ、夕弥」

「ん?」

「えっと、言いにくいんだけど……今男部屋の方ね? お風呂でおじさんとオカマさんが裸の付き合いしてるらしくて」

「なんで俺の父さんは気軽に地獄を作り上げるんだ?」

 

 何してんだあの人。子どもができるからって理由で男と女で部屋分けしたのに、なんで自分はオカマに襲撃されてんの? 多分、学生時代世話になった人がオカマだったって言ってたからその人なんだろうけど……。

 

「つかんなことになってんなら風呂入れねぇじゃん」

「うん。だからこっちきなよ」

「おー。そうすっか」

 

 別に知った仲だし、大体血はつながってるし気まずさなんて一つもないしな。光莉さんがいたら興奮しすぎて死ぬけど、まだバーにいるだろうからその間に風呂入ればいいだろ。

 あまりにもダメージを負いすぎたため、里沙に手を引かれながら部屋へ向かう。おかしい。こういうギャグっぽいダメージって漫画とかならすぐに治るのに……。現実は非情だ。

 

「えっと、カードキー……」

「ここじゃね?」

「勝手にポケットまさぐるな」

「アアアアアアアアア!!!!!」

「ごめん!」

 

 部屋の前についてカードキーを探しだしたから、勘で里沙のポケットをまさぐったら「こら」みたいな感じでぺちんと一撃。しかしそれが傷に触れてめちゃくちゃ痛くて叫び散らしてしまった。あれ、光莉さんマジで俺にムカついて暴力振るってきたのか? 親愛を感じるようなダメージ量じゃねぇだろこれ。

 叫ぶ俺に焦った里沙が、急いでカードキーをかざしてドアを開け、俺を中にぶち込む。仮にも俺のことが好きだと言っているやつの扱いじゃねぇだろ。物みたいにぶち込みやがったぞこいつ。

 

「あれ、夕弥。どうしたの?」

「その傷つき方は光莉やな」

「薫さん、春乃さん」

 

 光莉さんの傷つけ方把握されてるんだ……。どんだけ父さんと千里さん光莉さんにやられてたんだよ。あの二人のノンデリ加減みたら相当な数だろうけど。

 

「母さんと恭華さんはいないんですか?」

「日葵は恭弥がひどい目に遭ってるって聞いて飛んで行って、恭華はこれ以上の地獄ができんようにってついて行った」

「俺、もうこっちに泊まろうかな……」

「いいよ。私と一緒に寝る?」

 

 小首を傾げて上目遣いの薫さんに、思わず目を逸らす。この人めちゃくちゃからかってくるんだよな。俺が思春期で恥ずかしがるってわかっててやってくるからタチが悪い。春乃さんがやってくるなら「まぁ春乃さんだしな」ってなるけど、いっつも優しくて穏やかで真面目に尊敬できる人だからこそ照れてしまう。

 

「母さん! 夕弥ももう子ども扱いしていい歳じゃないんだから!」

「じゃあ大人扱いしよか。私と一緒に寝る?」

「春乃さん!」

「まぁまぁ里沙。そんな独り身のジョークに目くじら立てるなって」

「今私のこと独り身言うた?」

「死ぬほど失言しました」

 

 修羅の気配を感じて瞬時に土下座する。自分が悪いと思ったらすぐに謝る。修羅を感じたら土下座する。父さんからの数少ない有益な教えだ。ちなみに母さんからは「謝らなきゃいけないようなことしちゃだめだよ」と教えられた。

 

「別に気にしてへんよ。薫ちゃん、光莉呼んどいて。夕弥風呂入れとくから」

「めちゃくちゃ気にしてるじゃないですか!! やめて!! せめて薫さんにして!!」

「やって」

「はーい。じゃあ一緒に入ろっか?」

「違いますって! 言葉の綾っていうか、そもそも一人で入れますから!!」

「でも傷だらけだし、一人で入ったら危ないよ?」

「そうそう。ここはお姉さんの言うこと聞いといた方がええよ」

 

 マズい、このままだと俺のハイパービッグマグナムが見られてしまう。家族みたいなもんだからいいかと言えばそういわけじゃなくて、むしろ家族みたいなもんだからこそクソ恥ずかしい。この人たち思春期の男子高校生をなんだと思ってんだ? こういうのが一生の心の傷になって女性不信になるかもしれないんだぞ?

 

「クソ、助けてくれ里沙!」

「えっ、あっ、えっと、わ、私が一緒に入る!」

「そうじゃねぇだろ!!」

 

 誰が「(傷だらけで風呂に入るの難しいから)助けてくれ」って言ったんだよ!! 正直お前と入るのが一番気まずいんだよ!!

 

「流石にいとこ同士とはいえ、それは許可できないかなぁ」

「み、水着きるし、大丈夫! 万が一のこと考えて夕弥は目隠しするから!」

「俺を使って何プレイしようとしてんの?」

「それならええかもな」

「よくないですけど?」

「そういえばプールあるからって持ってきてたね、水着。それならいいかな」

「よくないですけど!?」

「それじゃあ先入ってるね」

「なんでだよ!!!!」

 

 倫理観バグってんのかこの人たち!! どう考えても年頃の男女を一緒の風呂に入れちゃダメだろ!! いとことは言え男女だぞ? 水着着てても変わんねぇよ! 風呂っていうシチュエーションがもうダメなんだよ!!

 

「もういいよー」

「もういいよじゃねぇんだよな」

「ほら、女の子待たせるもんやないで」

「里沙をよろしくね」

「その言い回しやめてくれません?」

 

 まぁ、中に入って俺は大丈夫だからって説得するしかねぇか。多分里沙も今頃頭抱えて「なんであんなこと言っちゃったんだろう」ってなってるところだろうし。どうせ水着も着てねぇだろ。

 脱衣所の扉を開けて、中に入る。

 

 めちゃくちゃビキニだった。

 

「何してんのお前」

「なんか引っ込みつかなくなっちゃって……どうしよう」

「バカじゃねぇの? 俺里沙と入んのが一番気まずいんだけど。あと水着似合ってるぞ、かわいい」

「私も自分のこと死ぬほどバカだと思ってる……あとありがと」

 

 『俺のことが好きムーブ』にしてもやりすぎな気がする。というかそうか、それが広まってるから一緒に風呂入んの許可したのか? あり得るな。恋する女の子の応援のためなら、ある程度の倫理観は切り捨てるだろうし。

 

「一人で大丈夫そうだったって言って戻っとけ」

「……でも、ここにくるまで手を引かなきゃこれなかったし」

「大丈夫だって。普通に歩けっ」

 

 歩けるし、と足を踏み出した瞬間バランスを崩して里沙の方に倒れてしまう。マズい、と思った時にはもう遅かった。痛む体を無理やり動かして、里沙にぶつからないよう体を捻ろうにも無理がある。

 

「うわ」

「ぶっ!!!!」

 

 しかし里沙が虫を叩くように俺をビンタしたことで、里沙を巻き込んで倒れる事態は回避された。さっき俺のこと心配してたよな? なんでそんな無感情で俺のこと殴れんの?

 

「ほら、やっぱり危ないじゃん」

「今ちょうどダメージも増えたしな……」

「もういいんじゃない? 夕弥が何かしてくるとは思えないし、昔は一緒にお風呂入ったことあるし」

「昔ってまだ里沙に女性らしい起伏がなかった頃の話だろ?」

「キモい言い方しないで。ほら、早く脱いで」

「いやん! 里沙ちゃんったら大胆ね!」

 

 場を盛り上げようとふざけてみたら、無感情に裸にひん剥かれて風呂へぶち込まれた。いや、もっとほら、ないの? 裸見て「きゃっ!」とか。あぁダメだ。完全に『無』になってらぁ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第17話 そして罪を償った

 ゴールデンウィークにゆっくりできる場所なんて、学生には基本的に存在しない。お金を払えばホテルを取ったり、レンタルスペースを借りて時間を気にせずゆっくりできるけど、学生の身分でそんなお金を用意できる……いや、用意はできてもそんな気前よくお金を使えるほどお金を持っているわけでもない。霞の家はケーキ屋だからそこを使わせてもらおうと思っても、流石に身内だからと飲食スペースを占領するのは非常識だし、となると『お金が必要なくて長時間ゆっくりできる場所』は誰かの家しかなくなる。

 

「っていうわけなんだよ姉ちゃん」

「じゃああんたらのうちの誰かの家に行ってくんない?」

 

 インターホンを鳴らし、出迎えてくれた姉ちゃんは、めちゃくちゃ嫌そうな顔で突っぱねてきた。

 姉ちゃん、氷室(ひむろ)(あおい)。父さんと歳が18個も離れている妹で、現在大学生一人暮らし。麒麟寺さんが「わたくし、お金がありませんわ!」とお嬢様にあるまじき発言を聞いた俺は、『お金が必要なくて長時間ゆっくりできる場所』として姉ちゃんの家をチョイスした。じいちゃんとばあちゃんが「半端な家で一人暮らしはさせられない」と2LDKのマンションを与えられた意味はこれだと俺は確信している。

 

「申し訳ございません、夕弥さんの叔母さま。わたくし、お友だちの家にお邪魔するのが夢でして」

「ならお友だちの家に行ってくんない?」

「せめてのお詫びとして」

「……や、別にお土産ねだってるわけじゃないけどさ」

「わたくしがきましたわ」

「あぁもうめんどくせぇわ。入っていいよ」

 

 麒麟寺さんの非常識な言動に姉ちゃんが折れて、俺たちを迎え入れてくれる。「おじゃましまーす!」と元気に突入する俺と春斗と麒麟寺さんの後ろで、里沙と霞が姉ちゃんにケーキを渡しているのは気にしないようにしておこう。ほら、姉ちゃんは身内だし。家族だし。気ぃ遣う必要ねぇだろ。

 

 姉ちゃんの家にはちょくちょく泊まりに来ていて、その時に使わせてもらっている部屋になだれ込む。叔母とはいえ年齢が近いからちょっとよくないんじゃない? と思う人もいるだろうが、俺には光莉さんがいるから問題ない。姉ちゃんはただの姉ちゃんだ。

 

「えっと、ほんとにごめんね? 急にきちゃって」

「僕では止められませんでした」

「いーよいーよ。ほんとにいい子だねぇ里沙と霞は。うちのウンコにも見習ってほしいよ」

「甥を糞便と同じ扱いすんなよ」

 

 里沙と霞を撫でながら言う姉ちゃんに中指を立て、立てた瞬間に変な方向に曲げられそうになって土下座する。そんな俺に「大騒ぎすんなよ」と言って姉ちゃんは部屋から出て行ったのを見て、広めのテーブルを囲んで全員座ったところで麒麟寺さんが口を開く。

 

「さて、みなさま。わたくし一人寂しく過ごしていたゴールデンウィークで思ったことがありますの」

「これあんまり遊ばれへんかったこと根に持ってへん?」

「思っても言うなよ春斗」

「もっとお互いのことを知るべきだと思いますの!」

 

 やはり気にしていたのか、口を滑らせた春斗を睨みつけながら麒麟寺さんが胸を張る。霞が麒麟寺さんから目を逸らしたことは後で泣くまでいじり倒すとして、そういえば出会ってから全然経ってないし、俺たち四人はともかく、麒麟寺さんは俺たちのことほとんど知らないよな、と一人納得した。

 

「わたくしが知っていることと言えば、里沙さんが夕弥さんを愛していることくらいですし」

「待って麒麟寺さん。それ誤解なの」

「違うんですの? わたくしの目にはとても好意的に見えますわよ」

「確かに夕弥のことは好きだけど!」

「何? いきなり修羅場?」

 

 ガチャ、とドアが開く音とともに聞こえてきた声に里沙が固まり、ゆっくり後ろを向く。そこにはケーキとジュースを乗せたトレイを片手に、にやにやといやらしい笑みを浮かべる姉ちゃんがいた。

 

「葵さん違うの! 今のは」

「はいこれ、買ってきてくれたケーキとうちにあったジュース」

「葵さん聞いて!」

「なーに恥ずかしがってんの。ちっちゃいころは『ゆうやとけっこんする!』って言ってたし、別に驚きもないけど」

「ウワー!!!」

「じゃあごゆっくり」

 

 言いたいことを言って部屋を出る姉ちゃん。ゲラゲラ笑う春斗。里沙を気遣う霞。頭を抱えて動かなくなった里沙。うちの身内全員に広まったんじゃねぇかなぁと心配する俺。「めちゃくちゃうめぇですわ」とケーキを頬張る麒麟寺さん。

 この人、わかっててやってるよな多分。根が善人ながら邪悪な気がするんだけど。

 

「里沙さんは非常にいじりがいがあって可愛らしいですわね」

「十割理解したようなもんですよ」

「里沙を表現するんやったら、大体可愛いが結論になりますから」

「あとは優しいとか」

「ありがとう!!」

 

 やけくそなありがとうを披露して、これまたやけくそにケーキを食べ、ジュースを飲み干し、なぜか俺のケーキからイチゴを奪って俺を睨みつけてくる里沙に、「やっぱりお可愛らしいですわ」と麒麟寺さんが微笑む。思えば里沙はいつも振り回されてるような気がするなぁ。大体振り回してるのは俺だから、口に出すと「夕弥が言うな!」って言われるから言わねぇけど。

 

「夕弥さんと里沙さんと霞さんって、血の繋がりがあるんでしたわよね?」

「俺の父さんと里沙の母さんと霞の母さんが兄妹なんすよ」

「春斗さんはどういうつながりで?」

「俺の母さんが三人の両親と高校からの友だち」

「へぇー。だとするとほぼ身内みたいなものなんですのね」

「ちょっと寂しそうな顔してるやん」

「夕弥。撫でていい?」

「霞に聞けよ」

「なんでいつも僕に振るんだよ!」

 

 俺たち四人は全員の親につながりがあって、麒麟寺さんにはない。それを気にして麒麟寺さんが口の先を尖らせた。ドMで留年してるくせに。これは関係ない。

 

 改めて考えてみると、結構異常だなと思う。仲良すぎじゃねぇか俺らの両親。普通は住む地域離れるもんじゃねぇの? 俺ら幼小中高全部一緒なんだけど。そりゃ麒麟寺さんが疎外感持ってもおかしくない。俺も同じ立場なら疎外感……ねぇな。気持ちワリィって思うわ。

 

「麒麟寺さんのことも教えてくださいよ。そういえば名前とお嬢様になりたいってことくらいしか知らないですし」

「わたくしのこと? そうですわね……」

「?」

 

 ちらちらと麒麟寺さんが俺に視線を向けてくる。何その視線? 「これ言っちゃおうかな……」みたいな。俺と麒麟寺さんに共通の秘密があって、それを言おうかどうか悩んでるみたいな。そんなのあったか?

 

「夕弥さん。申し上げてもいいと思います?」

「え? 何の話っすか?」

「まぁ! 忘れたとは言わせませんわよ! わたくしを掃除用具入れに引きずり込み、暴れるわたくしを抑え込んで無理やり口を抑えたことを!」

「ちょっとこっちきな、夕弥」

 

 めちゃくちゃマズいことを麒麟寺さんが言った瞬間ガチャ、と音が鳴ってドアが開き、顔を覗かせた姉ちゃんが能面のような表情で俺を呼ぶ。マズい。これに従って姉ちゃんの方に行ったらこの場での弁明の機会も逃すし、姉ちゃんに殺される!

 

「違う! 姉ちゃん聞いてくれ! 俺はただ、命を狙われていただけなんだ!」

「んなわけないでしょ。言い訳すんならもっとまともなのにしてくれる?」

「これは事実やで」

「葵さん。本当のことなんです」

「夕弥を庇うのは癪だけど、本当です」

 

 三人からの援護射撃に姉ちゃんが絶句する。そうだよな。普通の学生が命を狙われるなんて信じられないよな。でもあるんだよ、あの学校では。俺も言いながら信じてもらえないだろうなって思ってたからこれは姉ちゃんは悪くない。里沙たちがいて助かった。

 いや助かってねぇわ。麒麟寺さんが言ったことを弁明する相手増えてるから被害でけぇよふざけんな。

 

「まぁ、それは本当だとして。だからといって性犯罪はよくないじゃん」

「葵様、それは違いますわ! 性犯罪などではなく、無理やりでしたがわたくしは嬉しかったんです!」

「クズ男に引っかかった女の子の言い方してるやん」

「有罪だな夕弥。光莉さんには僕から言っておいてやる」

「クソ初心野郎が光莉さんとまともに話せねぇだろカス。調子乗ってんじゃねぇぞ」

「そんなに言わなくてもいいだろ!!」

 

 俺を責められるからと嬉しそうにしている霞がムカついたから攻撃すると、本当に気にしていたことだからか掴みかかってきた。「悪い、言い過ぎた」と謝れば「僕も言い過ぎたよ……」と引き下がる霞はいいやつで本当に扱いやすい。正直バカだと思ってる。

 

 ただこのままじゃ『麒麟寺さんを無理やり襲った挙句、その中でどうにか麒麟寺さんを堕として自分の女にしたクソ野郎』になってしまう。なんで光莉さん一筋の俺が、お嬢様になりたい留年ドM女を手籠めにしたって思われてんだよ。元を返せば里沙のせいじゃね? 里沙があんな態度とって、それが学校中に知れ渡って俺の命が狙われて、その結果麒麟寺さんを掃除用具入れに引きずり込む事件を生んだんじゃね?

 

 ……いや、ここで里沙のせいにしても俺のクズさが浮き彫りになるだけだ。そんなことしたら余計に俺の立場が悪くなる。じゃあどうすればこの場を切り抜けられる? 一番いいのは、麒麟寺さんにさっきの発言を撤回してもらうこと。「お嬢様なので冗談の相場がわかりませんでしたわー!」って言ってもらうことだ。

 

 なんとか伝わってくれとアイコンタクトを送る。麒麟寺さんはそれを受け取って、首を傾げたあと目を見開き、「任せてくださいまし」と力強く頷いた。

 

「みなさま、よろしいですか」

 

 凛とした声が空間を支配する。麒麟寺さんの纏う空気が変わった。

 

「わたくしが本当に性被害を受けたとして、このような場ではっきりと口にすると思っていますの?」

「性被害やないやろうけど、そんでもやったことは事実っぽいし、せやったら夕弥はどっちにしろ悪いことしてるやろ」

「負けましたわー!!」

「きな、夕弥」

「役立たずー!!」

 

 春斗に一瞬でKOされた麒麟寺さんの敬礼に見送られ、俺は姉ちゃんに引きずられ部屋を後にした。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第18話 そしてジャブを放った

 放課後、便利部部室。こんな部活に毎日依頼が舞い込んでくるわけもなく、「中間試験が迫っていますわー!!」と大騒ぎする麒麟寺さんの勉強を見るのが日課となり始めた頃。

 里沙以外の四人が先に部室へ集合し、後から疲れた表情の里沙が部室にやってくるのも見慣れた光景になっていた。

 

「やっと解放された……」

「お疲れ様ですわ。春斗さん」

「ほい紅茶」

「ありがと」

 

 なぜかできる執事の動きが板についている春斗から紅茶を出され、俺の隣に座りながら一口。一息ついて落ち着いたように見えるが、やはりその表情には疲れが見えた。

 

「なんで女の子って恋バナ好きなのかな……」

「そりゃ女の子である里沙が一番理解できるだろ」

「わたくしも女の子ですわよ?」

「一般的なっていう枕詞つけられる自信あります?」

「わたくしはお嬢様ですわー!」

 

 里沙が精神的に疲弊している理由。それは、『ゴールデンウィーク中俺と何かあったんじゃないか』と女の子に質問攻めされているからだ。

 そりゃ家族みたいなもんだから旅行には行くし、旅行に行っていない間もふらっとお互いの家に行って時間を潰すこともある。旅行中一緒にお風呂に入ったのはまぁその、あれだとして、そういう家族的な交流も『里沙は俺と付き合っている』と思っている女の子たちからすれば、『家族的な交流の中にあった二人だけの大切な時間』を知りたい、っていう風になるらしい。んな場面一ミリもなかったけどな。

 

「夕弥、もういいんじゃないか? 里沙に捨てられたって言えば」

「俺は変な目で見られてもいいけどよ、それやったら里沙がいとこと付き合って別れた女の子っていう風に見られるだろ? んなことしたら俺が父さんに殺されんだろうが何回言ったらわかんだよ愚図」

「こんなすぐ暴言飛ばすようなやつが、まだ里沙と付き合ってるって信じられてんのがおかしいと思うんやけど」

「あら、夕弥さんは素敵な男性だと思いますわよ? 誰彼構わず暴言を飛ばすようなお方ではございませんでしょうし」

 

 まぁあなたにドMだ留年だなんだって平気で言ってますけどね。気にしてないならいいんです。

 

 ただ確かに春斗の言うことも一理ある。俺は入学して間もないのにやばいやつだって認識されるくらいだったのに、今じゃ全然そんなことも……なくはないが、少なくとも前より避けられることはない。そう考えると、里沙の『俺のいいところアピール』がものすごい効果を発揮してるってことになるけど、それはそれであんまり考えたくもない。

 

「でも悪いことちゃうやろ? 男避けになってんのも事実やろし」

「それはそうだけど、そういう会話になる度に夕弥のことが好きだってフリしないといけないから、いい加減ゲボ出ちゃう」

「里沙も大概ひでぇから帳尻取れてんだろ、俺たち」

「夕弥以外には言わないだろ」

「すなわち愛ということですわね!」

「違いますから」

 

 違うこともねぇと思うけどなぁ。『この人にはこれを言っても大丈夫』って言うのは信頼っていう名の愛だろ。里沙が違うって言いたくなる理由もわかるけど、そうはっきりと否定されるとへこむように見せかけてまったく気にならない。そもそも光莉さん以外眼中にない。そして光莉さんの眼中に俺はいない。ぐすん。

 

「しかし、里沙さんが毎日夕弥さんとのことを聞かれて疲弊しているのも事実。これを解決できる手がありましてよ。ずばり! 女の子たちの欲を満たしてあげればいいんですの!」

「女の子たちの欲?」

「そう。里沙さんと夕弥さんのことが聞きたい! となっているのは、お二人について『付き合っている』という情報を知っているのみで、『どこまで行っているのか』『普段どんなことをしているのか』が不透明だからだと考えられますわ」

「……確かに、私いつも歯切れ悪い答えばっかしちゃってます」

「そらゲボ出そうやったらそうなるわな」

 

 里沙と俺は付き合ってるっていうことになっている。そしていとこだってこともバレている。だからこそどこまで行ってるのか知りたいっていうのはまぁ理解できる。ただ里沙はさっきも言っていた通り俺のことが好きなフリをするとゲボが出そうになるから、女の子たち満足のいく答えを出せていない。

 

「っていうことは、やっぱり里沙が女の子たちを満足させないといけないってことですか?」

「おい霞。お前らしくもないド下ネタだな」

 

 里沙に無言でビンタされたから、霞に一言「ごめん」と謝っておいた。なんだよ、ちょっとした冗談じゃん。何? 霞相手だからダメ? 過保護すぎだろお前。もう霞も16になる歳っつーか俺たちと同い年だからいいだろ。霞がそういうの苦手って知ってるでしょ? でもこいつ、そのくせ俺と春斗が猥談してたら自分が入れないからって拗ねるんだぜ?

 

「夕弥さん、里沙さん。お二人の世界に入るのはやめてくださいまし」

「麒麟寺さん。変な言い方やめてください」

「それはお嬢様言葉のことですの? それとも二人の世界のこと?」

「お嬢様言葉が変っていう自覚あったんですね……」

「世界広しと言えど、お嬢様でもないのにお嬢様言葉を使う留年女学生は、わたくしくらいですわ!」

 

 あとドMな。

 

「つまり、わたくしが言いたいのは、夕弥さんも責任を負うべきということですわ! お二人が付き合っているとなっている現状、これはお二人の問題なのですから」

「俺が育児をしない夫みたいな言い方するのやめてくれません?」

「うっ」

「おい里沙! 今吐きそうになったらつわりがきたみたいになっちゃうだろ!」

「別にならへんで」

 

 焦った。育児っていうワードの後に里沙が吐きそうになったから『育児をしない夫』がリアルになるところだった。俺は世間の夫は育児をしないっていうイメージを一人で払拭するくらい育児をしたい男なのに。むしろ光莉さんの母性に甘えて俺も育ててほしいとまで思ってるのに。あれ、それだったら別の形で育児に参加してね?

 

 それもまたアリ。

 

「夕弥が責任を負うって、具体的にどうするんです?」

「女の子たちが里沙さんに聞かなくてもいいや、となるくらいお二人が仲睦まじい様子を校内で展開する、というのはいかが?」

「待ってください麒麟寺さん。私、流石に夕弥を殺したくはありません」

「そんなに嫌なわけ? 流石に傷つくぞ俺」

「今まで里沙が夕弥の隣にいてくれたんだぞ。その気持ち考えてみようと思わないのか」

「俺ってそこまで嫌悪感与える人間なのかよ」

「俺は別にそうは思わへんで」

 

 一人味方をしてくれた春斗に投げキッス。負け時と返されたウィンクに頬を赤らめると、「うわ、キショ」という率直な意見を里沙からいただき、とりあえずは春斗と二人で猛省することにした。正しいことは受け入れるタチなんだ、俺たちは。

 

 しかし、学校で里沙と仲睦まじく……つまりいちゃいちゃするのか。俺はそれで里沙の負担が減るなら全然やれるけど、里沙の負担の種類が変わるだけじゃねぇのか? しかもそれって父さんたちにもその様子が伝わるかもしれないってことだし、リスクがでかい気がする。

 

「まぁ、俺もただ見てるわけにはいかねぇってことはわかりました」

「あくまで先ほどのものは解決策の一つとして考えていただければ結構ですわ」

「でも確かに、普通に里沙がまぁ、惚気? みたいなことやってもうたら、次から次へとほしがってきそうやしな」

「そう考えると聞く必要がないって思わせるのはありか」

「あとは俺が頑張るだけ、か」

「あの、私の意見は無視? 嫌なんだけど私」

「里沙」

 

 里沙の肩に手を置いて、正面から見つめる。少し驚いて目を丸くした里沙は、気まずそうに眼を逸らして小さく「なに」と呟いた。

 

「俺を信じろ。やるときはやる男なんだ」

「……別に、信じてないわけじゃないけど」

「決まりですわね! 夕弥さん、あなたに里沙さんの今後がかかっていること、重々ご承知くださいな!」

「任せてください」

 

 

 

 

 

 翌日、昼休み。

 

 最近里沙は友だちと食べることが多く、俺は春斗と一緒に霞を拉致って三人で食べているが、昨日の便利部での会話で決意を固めた俺は、今まさに弁当箱を取り出して友だちと昼飯を食おうとしている里沙の元へと歩いていく。それに気づいた里沙は、一瞬嫌そうな顔をした後、『え、な、いきなりどうしたの? 一緒にお昼食べるっていう話してなかったのに!』と焦る乙女の表情に切り替えた。大女優かよお前は。

 

「里沙」

「どうしたの? 夕弥」

 

 周りから視線を感じる。これから何が起きるのかという期待の色を感じる。別に、今日この一撃で満足させようとは思っていない。そんなきつい一撃を放ったら里沙が気持ち悪すぎて死ぬか俺を殺す。だとすると、今必要なのはジャブだ。想像しろ、『里沙からの惚気があまり聞けず、悶々としている気持ち』を満たせるようなジャブは何か。

 

 ちゃんと頬まで赤くして表情を作っている里沙のそばにしゃがみこんで、懇願するように見上げる。その時点で里沙の完璧な作られた表情が一瞬崩れたのを見なかったことにして、言った。

 

「最近一緒に飯食えてねぇから、今日は二人で食いたいんだけど、いいか?」

「ひっ」

 

 これ以上教室にいるとボロが出るからと急いで里沙の手を取って、教室を出る。これで正解だ。あのままあそこにいると、「あとで色々聞かせてよー!」攻撃が始まる。だから強引に連れていくことで、その攻撃から逃れ、俺の強引さを際立たせる。そうすれば放課後だって俺が連れていくことが可能になる。

 ジャブに加え今後の布石も打つ俺のこの対応は完璧と言えるだろう。

 

「吐きそう……」

 

 俺が気持ち悪すぎて吐きそうになっている里沙の心情を除けば。

 

「大丈夫か里沙」

「誰が言ってんの。……でもありがと。正直、そんなにゆっくりお昼食べられてなかったから」

 

 だろうな、という言葉は飲み込んで、とりあえず便利部の部室を目指す。誰かに見られるところで食べてたら里沙の心が休まらない。その点便利部なら誰かがきたとしても気を遣わなくていいやつだし、むしろ二人きりにならない可能性がある分俺も気が楽だ。

 

「ね、夕弥」

「なんだ?」

「さっきみたいなやり取り、光莉さんとやりたかったりした?」

「は? 里沙以外にやんねぇだろ」

「そっか」

 

 そもそも光莉さんは学生じゃねぇし。あ、これは多分失言。女性に年齢に関する言葉は禁句。

 

 その日は便利部の部室について、そういやここまでずっと手つないでたけどその必要なかったなと二人で笑ってから、二人で飯を食った。マジで薫さん料理上手だなって褒めたら里沙は自分で弁当を作ってるみたいらしかった。超恥ずかしい。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第19話 そして新たな弱点が見つかった

「わたくしの家があまりお金がなくて、しかもわたくしが小さい頃にお母様が出て行って離婚して、お父様とわたくしと弟の三人暮らしという話はしましたっけ」

「あんた何留年してんすか」

 

 そういえばもうすぐ中間試験ですわー!!! と騒ぎ始めた麒麟寺さんの勉強を見るために大集合した中で落とされた爆弾に、つい心無い言葉を浴びせてしまった休日の午後。大体のことは笑って済ませる春斗も、「えぇ……」と流石にドン引きしていることから、とんでもなさがうかがえる。

 これが「お父様がお仕事で忙しく、わたくしが幼い弟の面倒を見なければいけなくて……」ということなら百歩譲ってまぁわかる。ただ、一緒に勉強していると麒麟寺さんが本当にアホだということがわかったから、マジでバカすぎて留年した可能性がかなり高い。

 

「こら。弟さんの面倒を見ていたからかもしんないじゃん」

「弟は中学二年生でかなり優秀ですわ。わたくしのことを白い目で見すぎてもう黒目がなくなっていますもの」

「比喩表現やなくてほんまに白目なるやつおらんやろ」

「なんか僕らにもプレッシャーのしかかってきたな」

 

 確かに。麒麟寺さんの勉強を俺たちが見ていて、それでもだめだったら俺たちまで落ち込んじゃうだろ。ていうか学校はなんで麒麟寺さんをサポートしないんだ? 学校の利益のことしか考えていない腐った学校ならまだしも、うちの高校には父さんも蓮さんも春乃さんもいるのに、麒麟寺さんを放置するとは思えない。

 

「そないな状況やったら母さん放っとかんと思うんやけど」

「あ、わたくし一年生の頃はやさぐれておりましたので。更生に一年かかった次第ですわ」

「お嬢様を目指すようになったのが更生……?」

「やさぐれて留年するよりはマシなんじゃない?」

「それに、わたくし用の問題を先生方が作ってくださっていますので、毎日家で猛勉強中ですわ! お嬢様たるもの、知識と教養は必須ですのよ!」

 

 あぁ、それで父さんが毎日母さんといちゃつく暇も惜しんでパソコンにかじりついてるのか。流石の父さんも麒麟寺さんの家庭事情を見たら母さんよりも麒麟寺さんをなんとかしようっていう方向に傾くらしい。

 ……ちょっともう少し麒麟寺さんこのままでいてくれねぇかな。そうすれば家の空気がピンクになることも少なくなるし。

 

「それにしても、皆様お勉強できるんですのね」

「俺は『教師の息子がバカだと恥ずかしいから』っていうクソみたいな理由で勉強させられてたんで」

「私は『娘が賢いといざという時にマウント取れるから』っていうクソみたいな理由で勉強させられてましたから」

「俺は『勉強してる二人よりも賢くなったら、上から煽れておもろいから』っていうおもろい理由で勉強してるんで」

「僕は単純に勉強してます」

「里沙さんがまともに育っている理由がよくわかりませんわ」

「母さんの背中を見て育ちました」

 

 あと話を聞く限り霞がいい子すぎる。こいつの欠点なんなんだ? 俺を敬遠するところくらいだろ。初心なのも可愛くて欠点になり得ないし、こいつ家のケーキ屋の手伝い率先してやるし。おかげでお姉さまから人気がすごいらしい。まぁわかる。初心で顔がよくて礼儀正しい男の子ってもう人気が出ないわけないしな。その度にムカつくから「こいつ俺の親友です」って言って評価下げるようとしたら「そんな子とも付き合ってあげてるんだ!」ってむしろ評価上がるし。マジでムカつくな。俺が何したってんだ?

 

「麒麟寺さん、今回は大丈夫そうなんですか?」

「流石に去年のような無様は晒しません。きちんとお勉強もしていますし、赤点は逃れられますわ。ですがしかし!」

「うっせぇな」

「夕弥。クソが漏れ出てんで」

「え!?」

「ウンコやなくて」

「二人とも、下品」

 

 春斗が妙なことを言うからお尻を確認したら、里沙に怒られてしまった。でも麒麟寺さんがぷるぷる震えてるからお気に召したんだろう。下ネタが好きってマジでバカっぽいな。哀れだぜ。

 

「夏が近づいていますわ! ということはつまり、プールの授業があるということ」

「……もしかして」

「わたくし、一切泳げませんの。どういたしましょう」

「土下座して単位もらうっていうのはどうです?」

「他の体育頑張ったら単位帳尻合うやろ」

「……」

「夕弥、春斗。『じゃあ一緒に練習しましょうか』って言おうとしたけど恥ずかしくて言えない霞を見習って」

 

 泳げないとう麒麟寺さんに対して、諦めから入った俺と春斗がまた怒られた。いやだってさ、できないことをできるようになるのって難しいし、ただでさえ勉強頑張ってんだぜ? 一つくらい無理せずできないままにしててもバチ当たんねぇだろ。むしろ、「泳げるようになりましたが勉強で蓄えた知識がすべて流されていきましたわー!!」ってなるより全然いい。

 

「でも一緒に練習する言うても、麒麟寺さんお金ないんやろ? 学校のプールでも借りる?」

「んなことしたら里沙のスク水姿を見にクソどもが押し寄せてくるだろうが。ダメに決まってんだろ」

「学校のプールを利用するとなると、もうプールが始まってしまっていますわ。そうなる前に練習して、泳げるようになっておきたいんですの」

「やってもらう側なのに我がまま言ってんじゃねぇよ。わきまえろ」

「夕弥、クソが出とる」

「え!?」

「ウンコやなくて」

「いい加減にして」

 

 里沙が本気でブチギレそうな気配を醸し出し始めたので、素直に頭を下げる。流石にウンコの天丼はきつかったか。ウンコの天丼って言い方したらなおきついしな。これを口に出すと本気で気分が悪くなりそうな人がいるだろうから、気を遣って俺の心のうちにとどめておこうと思う。俺は常識人だからな。

 俺のお尻が連続で確認されてびっくりしているのを気にしながら、麒麟寺さん泳げない問題について思考を巡らせる。フリをして光莉さんのことを考える。夏と言えばプール、夏と言えば海、プールと海と言えば水着。これは光莉さんをすぐに誘うしかない。そして俺の肉体美を見せつけて「夕弥、すき……」って言ってもらおう。これしかない!

 

「ねぇ、そろそろいい?」

「姉ちゃん。どうしたんだ?」

 

 部屋の入口、ドア枠に手をついて、カッコよく立っている姉ちゃんに首を傾げる。なぜそんなに気に入らない表情をしているのかわからない。ただ俺たちは、タダで使える姉ちゃんの家を利用してるだけなのに。

 

「あんたら私の家たまり場にしてるけど、せめて事前に連絡くらいくんない?」

「姉ちゃんの家は俺たちの秘密基地みたいなもんだろ」

「私のことよしなが先生だと思ってんの?」

「葵様。失礼ながら、葵様をよしなが先生だとは思っていませんわ」

「知ってるけど?」

 

 じゃあなんで言ったんだろう。最近よくないことがあってイライラしてんのかな。俺と姉ちゃんの仲だから相談してくれてもいいのに……。

 でも流石に親しき仲にも礼儀あり。いくら姉ちゃんだからと言って、連絡もなしに休日に押し掛けるのはよくなかったか。ただ突然決まるから事前に連絡もクソもないし、俺たちは悪くないと思う。ただ、里沙と霞が謝ってるってことは悪かったんだと思う。里沙と霞は常識人である俺以上の常識人だから、二人のとる行動はかなり正しい。そして二人は俺と一心同体みたいなもんだから俺はもう謝らない。

 

「ま、大暴れするわけじゃないから別にいいけど」

「彼氏も作らず一人でだらだらするだけだしな」

「甥だろうとなんだろうと普通に殴るよ」

「おいおい(笑)」

 

 何が起きたかわからないが、痛いことだけはわかる。明らかに俺が悪かったのに、里沙が「大丈夫……?」って心配してくれるくらい今の俺の状態はひどいらしい。

 

「ごめんなさい葵さん。いつも迷惑ばかりかけて」

「いーよ霞。なんだかんだわきまえてくれてるから」

「そうですわ! 葵様にプールへ連れて行ってもらいましょう!」

「わきまえてへん人おるけど」

「ん? そんくらい別にいいよ。どうせやることないし、それなら暇な時間をかわいいあんたらのために使った方が有意義でしょ」

「え、いいよ葵さん! 流石にそれは悪いし」

「子どものうちに与えてくれるもんは受け取っときな」

 

 遠慮した里沙と、「ありがとうございますわ!!」と目をキラキラさせている麒麟寺さんをぽんぽんと撫でて姉ちゃんが微笑んだ。なんだこの人。ほんとに俺と同じ血流れてるのか? 俺が同じこと言ったら「もっともらしいこと言って、何企んでるの?」って言われるぞ俺。明確なことはわからないけど、姉ちゃんにいい血が流れていて俺に悪い血が流れていることだけはわかる。

 俺に母さんの血が濃く流れてたらな……。母さんから「お父さんにすごく似てる!」ってよく言われるし、その度「おい、息子に対して嫉妬させるなよ」「ふふ。そういう意味で好きなのは、恭弥だけだよ」「日葵……」ってクソみたいな展開が生まれるから、父さんに似てるって言われるのがトラウマにもなってるし。

 

「でもいいのかよ姉ちゃん。五人分って結構かかるだろ?」

「甘えんの本当に上手だね夕弥。朱音ちゃんと里沙と霞の分は出すけど、全員分払うとは言ってないよ」

「なんで俺ら選考漏れしたん?」

「まぁ、俺たちが大人だからだろうな」

「そんなので恥ずかしくないの?」

「里沙。心にくる言い方はやめろ」

 

 『そんなの』はあんまりだろ。それに俺が言ったことは間違いじゃない。俺は光莉さんに大人な恋をしてるし、春斗はなんかよく笑ってるから大人だろ。春斗が大人である理由が薄いような気もするけどそれも気のせいだ。それを気にするやつが子どもってことだな。

 

「ついでに水着も買ったげよっか」

「それは恥を体現したようなわたくしでも流石に遠慮いたしますわ」

「朱音ちゃん可愛いんだから、恥なんて言ったらバチ当たるよ。それに遠慮もしなくていい。可愛い子の水着買えるなんて、立派な社会貢献でしょ」

「え、あ……その……ありがとう、ございます」

「元々やさぐれててお嬢様を目指すようになって、素はしおらしくてすごい女の子しててめちゃくちゃ可愛いって、連れて帰るなって言う方が嘘だよね」

「連れて帰っていいかどうかは流石に霞に聞かないとなぁ」

「まだ僕に聞くのかよ……」

 

 ノリってやつだろ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。