天使なリズムとHG! (劣白)
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プロローグ『引きこもりに余命もくそもないよね』

他サイトにて、以前投稿し失踪したものを改稿していく予定です。

今の所、二日か三日ごとに更新予定。

コメディ多めの百合小説にしたいです(願望)


 暖かい太陽の光はカーテンによって遮られ、照明すら点いていない仄暗い部屋。辺りにはお酒の空き缶が散らばり、ゴミを詰め込んだビニール袋が隅に積まれている。掃除は行き届いておらず、テレビといった家電や箪笥といった家具には埃が溜まり放題だ。

 そんな不衛生極まりない部屋の中央には薄汚い炬燵が置かれ、そこに入り込んで暖を取る人がいた。

 

「あー……寒いなぁ。炬燵に入っているのに寒いような気がする。……そういえばもう十一月だっけ? 冬だよ。そりゃ寒い訳だよ」

 

 大阪の辺境にひっそりと佇むアパートの中、木霊するのは虚しい独り言。

 そこ、二〇五号室に住むのは猫水仄音(ねこみずほのね)という、成人したばかりの大人しい女性だった。

 仄音の今までの人生は至って普通であり、絵に描いたかのような小中高を卒業。それからは音楽系の専門学校を入学して無事に卒業し、音楽で成功を収めるのを志した。

 

「私……何をしているんだろう……あ、最近、独り言が多くなった気がする」

 

 天井の染みを数えながら仄音は現状に危機感を覚える。が、何もしない。女性らしさの欠片も無い散らかった部屋の中で、ただボーっとしていた。

 傍から見れば引きこもりのようだろう。

 それは強ち間違っていない。実際、仄音が最後に外出したのは半年前に実家に帰った時だ。それ以外は一歩たりとも家から出ていない。毎月親から仕送りがあるので働かず、生活する上で必要な物は全てネットで注文をすれば事足りた。

 このままだとダメだ。それは仄音自身がよく分かっているが、だからこそ改善できない。引きこもりを二年続けた結果、臆病や孤独が染みついてしまい、外に出る事すら物凄く怖いのだ。元々、人見知りの部分があったが、その範疇を超えてしまっている。

 

「コンビニどころか外に出られないし、独り言は多いし……ほんと惨めだなぁ私……」

 

 自嘲するような薄笑いを浮かべて仄音は目を瞑った。

体力だけ有り余った身体は大して睡眠を求めておらず、薄らぼんやりとした世界を感じるしか出来ない。

 

 暫くして、ふと視界に入ったのはゴミの山とは反対の隅に置かれたギター。

 仄音の趣味であり、夢といっても過言ではないアコースティックギター。乱雑とした部屋には似つかないほど綺麗にされており、周りにはアンプなどの機材が置かれている。

 

「やるべきことが分かっている筈なのに動かない身体……自分が情けない……死ぬのは怖いけど……このまま溶けていきたい……」

 

 仄音の夢は音楽で成功する事であり、具体的に言えばギターでの成功だ。傍から見れば素敵な夢だが、夢で終わってしまう儚い夢にも聞こえる。それほどまでに音楽は厳しい。先駆者が沢山いて、生半可な気持ちでは叶わない。

 実際、仄音の夢は何の計画性もなく、今はただの夢に過ぎない。が、それを叶えるためにしておくべき努力は引きこもりの仄音にも分かる。

ギターで売れたいなら、ギターを沢山練習して、音楽の知識をつける。作詞作曲をして、ライブをして、もっと言えばネットなどで活動して、自分の存在を周りに知ってもらう。

 何をすればいいのか? 分かっている筈なのに動かない自分に嫌気が差す、そんな毎日にいい加減うんざりとしていた。

 

――ピンポーン!

 

 インターホンが部屋に響き、それはぐーたらと引きこもり生活をしている仄音に来客の合図だった。

 

「えぇ? 誰だろう……」

 

 玄関を見つめ、仄音は思考を巡らす。

 

「親かな? いや、平日の昼だから仕事だろうし、来たとしても何かしら連絡を寄越すよね。スマホに通知はない……じゃあネットで買ったものが届いた? いや、何も買っていない。それじゃあ大家さん? 家賃はちゃんと払っているよ」

 

 自問自答して消去法で考えていく仄音だったが全く思いつかない。

 

「変な宗教勧誘だったら嫌だなぁ……」

 

 普段なら居留守するところだが、相手が誰なのか無性に気になる仄音は炬燵から這い出て、たどたどしく玄関に向かった。

 相手に悟られないように、そっとのぞき穴に目をくっつける。

 仄音の視界に映ったのは奇妙な人間。いや、人間ではないと言われても疑わないほどに妙な雰囲気を醸し出している不審者だ。

 紫と白の奇抜なワンピースドレスは膝下まで伸び、スカートはふんわりと膨らんでいる。所々にシルクやフリルが装飾されて、魔法少女を彷彿とさせる格好だろう。

 ポニーテールにしている桃色の髪。顔には仮面が付けられ、鼻から上は分からない。が、雪のように白い肌とバランスの良い体型から察するに女性。それも美人さんだと仄音は予想した。

 

「いや、そうじゃなくて誰!? 今日はハロウィンじゃないし、も、もしかして新手の宗教!? って、あ……」

 

 つい叫んでしまった仄音は慌てて口を抑えるが、もう遅い。

 

 ――ドンドンッ! バンッ!

 

 仄音がいると分かった不審者はドアを何度も叩いてくる。

 焦った仄音は後退って息を呑んだが、怯む事無く冷静を保って「誰ですか? 何か用ですか?」と尋ねた。

 しかし、返ってくるのはドアを叩く威圧感。変なコスプレのような、奇抜な格好の人が無言でドアを叩いてくる恐怖感はきっと仄音にしか分からない。

 

「そ、そうだ。警察に……」

 

 命の危険を感じた仄音は炬燵に置いていたスマホを手に取った。

 震える手を必死に動かして番号を入力――し終える前に、ガチャリという鍵が解かれた音が鳴り響いた。

 

「え? ま、まさか……」

 

 スマホを片手に、仄音は油が切れた機械のようにゆっくりと振り向いた。

 そこには扉の向こう側にいた筈の人物が家の中に入り込み、鍵を閉めている光景。しかもご丁寧にチェーンも掛けている。仄音を逃がさないと言っているようなものだろう。

 しかし、絶体絶命的で人生に一度も経験しないような奇妙な状況だというのに、仄音は妙に落ち着いていた。

 その理由は相手の雰囲気だ。最初、ドア越しに確認した時はとてつもない威圧感を覚えたが、実際に会ってみると大して恐怖抱かない。

 仄音から見た相手は『ただのコスプレをした変な美少女』であり、身の毛もよだつほどの戦慄は覚えられない。

 

「あ、あの……あ、どちら様ですか? け、警察、よよよ呼びますよ?」

 

 仄音はいつでも通報できるようにとスマホを手に持ち、相手に話しかける。が、目の前の変人はまるでエラーでも起こしたようにビクとも動かない。仮面をつけているので、何処を見ているかも分からずに、ただ気まずい空気が辺りを支配した。

 こういう時、常識人やコミュ力が高い人ならば上手い対応をするのだろうが、人見知りで引きこもりである仄音だ。普通の人ならまだしも、相手が不審者となると余計に緊張してしまう。しどろもどろになっているのも、それが原因だった。

 

「聞こえる、聞こえる……悪の欠片の声が……世界の滅亡を望む声が……」

 

 静寂とした雰囲気、コスプレ美少女のぶつぶつとした呟きはしっかりと仄音の耳に入った。

 その意味の分からない内容に急激な不安を覚え、仄音は思わず後退った。今すぐにでも逃げ出したかったが玄関を防がれているので逃げられない。警察に通報しようにも阻止される可能性が高く、最悪の場合は触発されて暴行を受ける可能性もある。

 

「お、落ち着こう……私ならできる……私は陽キャ……陽キャ……コミュ力の高い陽キャ……相手はただの中二病だよ……」

 

 鍵を開けて不法侵入してきた時点でただの中二病ではないのだが、現実を受け入れられない仄音は都合よく改変する。小声で自己暗示を掛け、距離的に相手にも伝わっていた。

 

「ドレスなんて珍しいね。何かのコスプレなのかな? それにしてもき、綺麗な髪だね。わ、わわ私は大好きだよ!」

 

 再び場を支配する静寂。

 明らかに的外れな発言だった。冷え切った空気とは裏腹に、仄音の心は羞恥という名の炎が燃え盛っており、顔を真っ赤に染めている。

 

「ち、違うから! いや嘘じゃないけど! 本心だけど! 決して口説いている訳じゃなくて!」

 

 視線をいったりきたりさせて、手をばたばたとさせている仄音に止めをさすかのように不審者は後ろに組んでいた手を前に出した。

 不審者が手に持っていたのは巨大な刃。日本刀のような綺麗な曲線を描いたものではなく、大きな包丁のような見た目をしているが明らかに調理用ではない。草木を薙ぎ払うのに適した刃物であり、人はそれをマチェーテと呼ぶのだがその存在を知らない仄音にはただの凶器にしか見えなかった。

 

「ひぃ……なにそれ……」

 

「貴方には死んでもらうわ」

 

 まるでロボットアニメで主人公がヒロインに言いそうな言葉だろう。その後にはデデンッ! という特徴的なイントロまで流れそうだ。

 

「へ? 死ぬの? 私が?」

 

 言われた本人である仄音は圧倒的不審者な発言に茫然としてしまうと同時に、心の中は色んな感情で混沌としていた。

 

「さようなら。ムラマサぶれーどの錆びになりなさい」

 

「なにそのだっさい名前!? って待って! まだ死ぬつもりないよ!」

 

「ダサくないわ。ほら、名前とぴったりで格好良いでしょう? その身で味わいなさい」

 

 愛用の武器を侮辱された不審者は光り輝くムラマサの刃先を、仄音へと向ける。

 

「ちょ、待って! 死ぬのは怖いでしょ! 殺すならせめて私が生活に困り始めたら! あとできれば優しく殺して! って殺されるくらいなら自殺するよ!」

 

「何をしているの?」

 

 猜疑心、羞恥心、恐怖心。主にその三つが混ざり合ったカオスから正常な判断が出来なくなっている仄音は叫びながら壁に頭を何度も打ち、不審者は目の前で行われる奇行に引いていた。

 

――オイコラ! ウルセー!

 

 やがて、壁越しに聞こえてくるのは隣人の怒声。怒りの籠った壁ドンである。

 不味いと思った仄音の顔色は一気に悪くなり、頭の中が真っ白になった。もはや不審者のことは頭の中から消えている。

 

「またやってしまった……やっぱり駄目だなぁ私……」

 

「いつもあんな事をしているの? 下手すれば死ぬわよ?」

 

「い、いやいやしてないよ! ギターの音でよく隣人に怒られるってだけで頭はぶつけていないよ!」

 

「そうなの? じゃあ死んでもらおうかしら」

 

「だからどうしてそうなるの!」

 

 当然と言った風に殺そうとしてくる不審者はじりじりと前進し、その度に仄音は後退った。まるで追い詰められた動物だろう。

 さほど大きくもない部屋の中、直ぐに限界が訪れた。

 

「あっ……」

 

 仄音の背中と壁がぴったりとくっついた時、光を纏ったムラマサを振り上がった。

 

(ああ、こんなところで死んじゃうのか……)

 

 死を覚悟した仄音は咄嗟に目を瞑る。そもそもこの世に執着している訳でもないので、死んだらただ死んじゃったと思うだけ。だから抵抗する素振りは見せない。

 

「……殺さないの?」

 

 いつまで経っても痛みや衝撃がこない。それどころか意識があると不思議に思った仄音は目を開けた。

 そこには固まっている不審者。仮面越しだがどこか悲しげで、ムラマサを持つ手は微かに震えている。

 

「あ、あ……どうしたの?」

 

 仄音は困惑しつつ、思い切って訊いた。

 しかし、不審者は動かない。何かに葛藤しているように身体を震わせ、小さな喘鳴を漏らす。

 やがて、数分が経ち、ムラマサは消えた。刃から浸食されるかのように気泡になって宙に溶けていったのだ。まるで魔法のようだろう。

 凶器から解放された仄音はほっと胸を撫で下ろした、安心も束の間、不審者は滔滔と語り始めた。

 

「貴方の中には悪の欠片があるわ。かつて人類を滅ぼそうとしたゴミ、いや悪神ヒステリーの種が宿っているの……それが開花するまでの間、監視させてもらう」

 

「へ? ごみ? 悪神ひすてりー? え、えーと、よく分からないけど……助かったの?」

 

 取り敢えず、助かったと仄音は胸を撫で下ろした。

 

「私の名前はロト。貴女は猫水仄音ね」

 

「どうして私の名前を知って……それにしてもロトって勇者みたいな名前だね」

 

 珍しい名前に仄音は微笑んで興味を示した。決して貶している訳ではなく、単純に格好良い名前だと思ったのだが、嘲笑されたと勘違いしたロトは不機嫌になる。

 

「よく笑っていられるわね。私の見立てだと欠片が覚醒するまで一年かしら? それが貴方の余命よ。覚醒したら問答無用で殺す」

 

「え、えぇ……」

 

 ロトとの出会いが、これからの運命が大きく動き出すのだが、知る由もない仄音はただ余命宣告と殺人宣告をされた事に困惑の声を漏らすしかなかった。

 




猫水仄音
今作の主人公。ギタリスト。わりとクズ。

ロト
どこぞの赤い彗星みたいな仮面をつけている不審者。ムラマサぶれーどを召喚できる。


最初なので連続で投稿します。


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第一話『昼夜逆転』

 仄音とロトがアニメのような奇妙かつ、衝撃的な出会いをして数時間が経った。

 宣言通りロトは仄音をじーっと見つめて監視しており、一切会話がない。同じ炬燵に入っているというのに、凍てつくような気まずさだけが辺りを支配していた。

 

(なんだこれ、なんなんだこれ……)

 

 あまりの気まずさから仄音はノートパソコンを動かして自分の世界に籠る。悪い言い方をするなら逃げの現実逃避だろう。

 一方で、仄音に興味を抱いていたロトは据わった目で、ただ彼女を観察していた。

 

「ねぇ……」

 

「ふ、ふぁい!」

 

 不意にロトが言葉を発し、驚いた仄音はノートパソコンをバタンと閉じた。そして、殻に籠るヤドカリのように炬燵に潜る。不自然過ぎるだろう。

 

「仄音はいつもこんな自堕落な生活を? 目に隈が出来ているという事は夜更かしをしていて、恐らく昼夜逆転もしている。部屋の中から相当なアニメやゲーム好きだと察せられるし、一日中それをしているわね? つまりは働いていないニートというもの……部屋は散らかっているし、救いようがないわよ」

 

 仄音の一日のルーティンは先ず十五時という世間一般ではおやつ時に目を覚ます事から始まる。そこからはぼーっとアニメを見ながら食事(インスタント)をしたり、パソコンやスマホでネットサーフィンを楽しんだり、最新のゲームを遊んだり、正に引きこもり生活を送っていた。

 ロトの推測は全て的を射ていたので仄音は軽い恐怖を抱いてしまう。

 

「そ、そんな直球に言わなくても……」

 

 自分でも情けないと感じている仄音は図星を突かれて靉靆な雰囲気を醸し出す。同時に失望されたと思ってロトの顔を直視できず、炬燵で視界を蔽った。

 

「これからどうするつもりなの? ちゃんと正さないと駄目よ」

 

「う、うるさいなぁ……だ、大体ロトちゃんには関係ないよね! 放っておいて! どうせ私の余命は一年くらいなんでしょ!」

 

 正論を言われて不貞腐れた仄音は拗ねた子供のように頬を膨らませ、更に深く炬燵という殻に閉じ籠る。

 

「関係あるわ。私は天使だから、人間を善に導くのも仕事なのよ」

 

「……え? は? てんし? 頭大丈夫?」

 

 拍子抜けした仄音は炬燵から顔を覗かした。

 

「私は天使なの。それくらい分かるでしょう? あと痛い人を見るような蔑んだ目は止めなさい。殺すわよ」

 

「ごめんなさい……それにしても天使かぁ……」

 

 自分を天使だと名乗ったロトに、仄音は若干引いてしまった。が、熟考してみると強ち嘘ではないかもと疑い始める。

 仄音の脳裏に過っていたのはロトとの出会いだ。

 ロトは施錠していた筈の扉を謎のパワーで開錠し、どこからかムラマサを取り出しては泡のように消した。何かしらタネがあるマジックの可能性も否定できないが、目の前で目撃した仄音は本物だと感じる。いくらロト自身が天使などという妄言のような事を言っていたとしても、その事実は変わらない。

 

「分かった。ロトちゃんが何かしら力を持っていて、宇宙人だとしても信じるよ」

 

「私は正真正銘の天使よ。見たら分かるでしょう?」

 

「……いやどこが!? その格好つけた仮面とふりふりとしたドレスのどこに天使要素があるの!?」

 

「はぁ……」

 

 間を空けて固まったと思ったら大声で反論してくる仄音に、億劫に思ったロトは溜息を吐いた。

 

「いい? 世間一般的に天使は先ず頭上に光る輪っかが浮かんでいて、神々しい翼が生えているの。あと服装は清楚で白い――え?」

 

 仄音がうんちくを言うように語っていると、目の前のロトの服装が変わっていた。

 頭上には五徳が浮かび、ドレスはそのままだったが色が白に染まる。何よりも仄音の視線を釘付けにしたのは背中の翼だった。

 鳥のような翼や、蝙蝠の羽のような不気味なものでもない。まるで光を具現化したかのような神々しい翼であり、オーロラのようでとても美しい。

 

「どう?」

 

「いや、全然違うよ。何で頭に五徳? 天使の輪じゃないし、服は同じ物を白にしただけでしょ……まあ翼は格好良いけど……」

 

 言われた通り表現したというのに、翼しか褒めてもらえないロトは不服そうに自分の髪を弄っている。

 一方で、また不思議な力を目の当たりにした仄音はある答えを出していた。

 

「分かった。本当は魔法少女なんじゃない?」

 

「そんな子供向けアニメみたいな存在じゃないわ。大体魔法少女だったら恥ずかしくて自殺ものよ」

 

「魔法少女が嫌いなんだね」

 

 きっぱりと否定したロト。その毅然たる態度は嘘を吐いているように見えない。

 つまりは本当に天使なのだろう。

一先ず、信じる事にした仄音は気分を変えるために置いてあったお茶を喫した。

 

「ふぅ……で? なんで天使なのと私の人生が関係あるの?」

 

「クズのまま死んでいくなんて嫌でしょう? だから立派に死ねるように、この私が更生させてあげるのよ」

 

「それが人間を善に導くってこと? 余計にお節介だよ。更生なんていらない。私はこの生活が気に入っているの……」

 

 嘘だ。仄音は一ミリもこの生活が良いなんて思っておらず、ズキリと胸が痛む。

 確かに働いて、友達を作って、夢を追って生きていくよりは引き籠った方が楽だろう。しかし、それは肉体的な問題であり、精神的は辛いものだ。

 周りの同期は社会に貢献し、自立している。それどころか恋人や友達を作り、充実した生活を送っているだろう。

 それに比べて仄音はどうだ? 親の脛を齧り、社会のお荷物。倒錯的で、自立なんてもっての外だ。生きているだけで奇跡だろう。情けないったらありゃしない。世間に顔向けできず、家に引きこもって劣等感を覚えることしかできないのだ。

 

「こういう自堕落的な生活をしていると悪の欠片の成長が促進されるのよ?」

 

「寿命が縮むって事?」

 

「そうよ。私の見立てではこのままじゃ悪の欠片は一年ほどで覚醒する……だけど更生すれば最大で半年は伸びるわ」

 

 ロトの返答を聞いた仄音だったが、それで改善しようと思うほど心に響かなかった。

 

「じゃあこっちで好きにやらせてもらうわ」

 

「へ?」

 

 温かい炬燵から立ち上がったロトはすたすたと歩き出す。

 嫌な予感がした仄音は炬燵に突っ伏しながら、彼女を見つめていた。

 

「何をするにしても先ずは昼夜逆転を直すべきね。それで手っ取り早く直す方法が二つ。一つは今から物凄く疲れる事して、夜中には寝る。もう一つは明日の二十二時くらいまで起きておく。どちらがいいかしら?」

 

 ロトは仄音を尻目に部屋を漁って、大きめのポリ袋を見つけるとゴミの分別をし始める。

 この生活が気に入っていると主張していた仄音だが、やはり心のどこかでは改善を願っている。だから顎に手を添えて真面目に考えていた。

 

「やるなら二つ目かなぁ……因みに一つ目の疲れる事って?」

 

「聞きたいかしら?」

 

 仄音の単純な疑問。

 ロトはにやりと笑みを浮かべ、炬燵で暖を取っている仄音を押し倒した。

 

「ちょ、何しているの?」

 

 まさか馬乗りになるとは思っていなかった仄音は困惑しているが、構わずロトは仄音の服の中に手を忍ばせる。

 ひんやりとしたロトの手は炬燵によって火照った仄音の身体を刺激し、段々と上へ進んでいき、そこは柔らかい二つの――

 

「ん……そこは――って! やめてよ! 変態天使!」

 

「ぐふっ!」

 

 流石にこれ以上は不味いと思った仄音はロトにビンタをかました。

 

「な、なにするの!? サドにでも目覚めたのかしら」

 

「違うよ!? そんな卑猥な事をして疲れるなんてごめんだよ!」

 

「……? 私は魔法を掛けようとしただけよ? 相手の胸に触れないといけないの」

 

「魔法!? 天使なのに!? 相手の胸に触れるのが発動条件ってなに!?」

 

「ごふっ!」

 

 反射的に仄音はもう一度ビンタをしてしまい、ロトの両頬には綺麗な紅葉が浮かび上がる。

 

「酷いわ……私は仄音に重力魔法を掛けて、それで運動してもらおうと思ったのに……」

 

「なんかごめんね……」

 

 今になって罪悪感に苛まれた仄音は申し訳なさそうに謝った。

 飽くまでロトは仄音の事を思って行動しているにも関わらず、それを侮辱するのは勿論、無下にするのは良くないだろう。暴力はもっといけない。

 

「じゃ、じゃあ一つ目にしようかな」

 

「そう? 今の時刻は二十時。健康的な睡眠時間は八時間らしいから、明日の二十二時まで起きないといけないけれど……大丈夫?」

 

「多分大丈夫。夜更かしなら慣れているから……」

 

 結局、一つ目の案に決定し、普段から夜更かしをしている仄音は余裕そうに笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 時刻は夜の十一時過ぎ。規則正しい生活を送る子供なら、既にベッドには入り込んで寝ている時間帯だろう。大人だって二、三時間すれば明日に備えて就寝する。

 年齢的には大人、精神的には子供である仄音は昼夜逆転を治すためにロトと談笑を楽しんでいた。

 

「なるほど、ゴミの日は把握したわ。それで、この辺りでスーパーは何処にあるのかしら? あまり地理に詳しくないのよ」

 

「二年前と変わっていなかったらこの辺りに……それと此処には大きめのショッピングモールがあるよ」

 

「ああ、あのショッピングモールね。大きいから流石に覚えているわ」

 

 スマホに地図を表示させて丁寧に説明する仄音とそれを記憶して頷くロト。

 ふと仄音はスマホの時計機能に目がいった。

 

「あ、もう十一時過ぎたけどロトちゃんは帰らなくていいの?」

 

「え? 私は仄音を監視しないといけないから帰らないわよ?」

 

 監視中は帰らない。仄音の寿命まで、つまり一年くらいは帰らないという事であり、それは遠回しに仄音の家に住むと主張しているようなものだ。

 悪びれる様子もなく、当たり前といった風な口振りなので仄音は呆気にとられたが、直ぐに正気を取り戻す。

 

「流石に帰った方がいいよ! 家族が心配しない?」

 

「天使は年中無休で悪の欠片を根絶するために働いているの。私はこの辺り、広野市担当の天使だけど、よく他の地域にも出張するわ。だから家を持ってなくて……仄音の更生もそうだけど、泊めてくれた方が有難いの。あ、お金はある程度出すから心配しないで」

 

「い、家がないの? そ、そう言われたら断れないよ……」

 

 真剣な表情で頼み込んでくるロトと目が合い、仄音は期待から胸がドキドキと高鳴った。

 ロトが住めば孤独でなくなり、きっと生活が楽しくなる。それだけでなく色んな面で支えてもくれるだろう。実際、ロトは仄音を更生させようと意気込んでいる。

 だけど二人で生活するという事は色々と問題が浮上するだろう。嬉しいと思う反面、不安だって少なからずある。混沌とした感情に、仄音は表情を曇らせた。

 

「ロトちゃんが住むとなると……布団はどうしようかなぁ……」

 

 真っ先に脳裏に浮かんだ問題は寝床。

 仄音の住むアパートはこの辺りだと比較的安い。それ故におんぼろで部屋数が少なく、なんとキッチンやお手洗いなどといった部屋を除くと自由に使える部屋が現在二人のいるリビング一つしかない、一般的に1DKと言われる物件である。

 なら必然的に寝室はそこになるのだが、厳密にいうと寝室は此処ではなく、吹き抜けのようになっている二階だ。俗に言うロフトという場所であり、面積はリビングの三分の一程度。そこで仄音は縮こまって寝ているのだ。

 

「私は別に炬燵でも構わないわよ?」

 

「駄目だよ。風邪ひいちゃうよ……布団を買いに行こうにも夜だし、ネットで買っても直ぐに届かないだろうし……やっぱり朝一に買いに行くしかないのかなぁ。でも外に出るのは嫌だなぁ」

 

 ロトの提案を拒否した仄音だったが良い案が思いつかずに唸る。引きこもり故、絶対に外出を避けたかった。

 

「まあ、その時になったら考えようかな……」

 

 早朝に買い物に出向くという英断を下せない仄音は(どうせ就寝は先のことだ……)と問題を先送りにする。駄目な人間だろう。

 相変わらず弱気な仄音を、ロトはジト目で睨みつけていた。

 

「あ、そろそろお昼ご飯でも食べようかな……」

 

「お昼ご飯って、そろそろ深夜よ? まあ確かに仄音にとってはお昼ごはんでしょうね」

 

「ロトちゃんも何か食べる?」

 

「頂こうかしら」

 

 まだまだ眠気が来ない二人はお昼ご飯感覚で、キッチンに積まれていたカップヌードルを食す。

 その間、ロトはずっと怖い顔をしていたが、淡々と麺を啜る仄音は気づかない。

 大量のゴミと食品庫に建設されたタワーのようなインスタント群を見て、ロトは良く思っていなかった。明らかに食生活が乱れ、不健康なのだ。

 

「これは早急に何とかしないといけないわね……」

 

 仄音を正しい方向へ導こうとロトはぶつぶつと思案していたが、肝心の仄音はノートパソコンでアニメを見ていたため気づいていなかった。

 

 

 

 

 

 

 時計の短い針が三を指した頃、仄音とロトは二人で家庭用ゲームを遊んでいた。

 プレイしているゲームは色んな作品のキャラが大乱闘をするゲームなのだが、初心者のロトは仄音に蹂躙されている。

 

「やった! また私の勝ちだよ!」

 

 普段一人でゲームしている仄音からすると、友達と隣同士でプレイして奪い取った勝利はいつもより嬉しく感じられた。

 そのお陰で熱中し、既に二時間が経過してロトは眠気からうつらうつらとしている。

 

「あれ? もしかして疲れちゃった?」

 

「ええ……眠気が、もう限界かも……」

 

 仄音は昼夜逆転しているのでまだまだ元気だったが、規則正しい生活を送っているロトには夜中の三時はきつかった。

 

「ロトちゃん……付き合ってくれてありがとうね……」

 

 引きこもりの世話をするだけでなく、プレイした事もないゲームを眠たい中、二時間もやらされる。それも負けていたので相当な苦痛だろう。

 結局、これは全てロトの優しさなのだ。仄音の生活習慣を直そうとするのも、ゲームに付き合ってあげるのも、全て仄音の事を思っての行動。

 それを感じた仄音はロトに感謝の念を抱き、ふらふらとしている彼女の肩を支えた。

 

「ちょ、大丈夫? 兎に角ゲームを切るね。取り敢えず、二階の私の布団で――」

 

 途切れた言葉。それもそうだろう。仄音はロトに押し倒され、聞こえてくるのは心地よい寝息。

 

「えぇ……どうしよう……」

 

 移動させようにも布団は二階だ。完全に脱力しているロトを抱える力を、引きこもりである仄音が備えてある訳が無い。

 じゃあ、どうすればいいのか? 単純にロトに離れてもらい、炬燵を消して、代わりにタオルケットか何かを持ってこればいいだろう。炬燵をつけたまま寝てしまうと脱水症状の可能性があり、世間一般では風邪を患うとも言われている。

 しかし、それを阻むようにロトは仄音を抱き締めた。顔と顔が近く、ロトの寝息が仄音の首に掛かり、良い匂いが鼻を擽る。

 

「ろ、ロトちゃん?」

 

 羞恥に悶え、一刻も早く抜け出したい仄音だったがロトは一向に離さない。ロトの脳内の中では仄音は抱き枕になっているのだ。

 そこまで強く締めつけていないので、華奢な仄音でも抵抗すれば簡単に抜け出せるだろう。しかし、ロトが起きてしまうのは確実だ。

 

「うぅ……この状況絶対おかしいよ……」

 

 普通に考えて、昨日会ったばかりの人、いや天使と一緒に寝るなんてあり得ない。

殺意を向けてきた天使に世話をされるのもおかしな話だが、それに気づくほど仄音の頭は回っていなかった。

 

「綺麗な髪だなあ……」

 

 ロトのぷっくりとした桃色の唇が間近に見え、似たようなピンク色の長い髪からは花のような甘い香りがする。髪型はポニーテールなのに背中まで及び、全く癖がない。跳ねやすい毛先も真っ直ぐだ。

 比べて仄音の髪は癖毛であり、それも特徴的だった。傍から見れば猫耳のように見える癖毛で、それは水に濡らしても直らない。正に猫水仄音であり、それが理由でよく学校で揶揄われていた。

 だからロトの髪の毛が羨ましく思え、仄音は無意識の内に彼女の艶のある髪に触れてしまう。

 

「仮面の下……見てもいいのかな?」

 

 ロトの仮面の下。きっと気にならない人はいないだろう。押すなと書かれたボタンがあれば、無性に押したくなる。そういった心理に仄音は支配されていた。

 

(きっと美人さんなんだろうなぁ)

 

 ロトの体型や容姿から察して仄音は確信していたが、それ故に気になって仕方がない。

 

「す、少しくらい、いいよね? バレないよね?」

 

 誰に聞いている訳でもなく、独り言のように喋りながら仄音は手をそっと仮面に伸ばす。

 日の光をあまり浴びていない綺麗な腕から伸びた一本の人差し指は仮面に触れ、思わず息を呑んだ。遂に、ロトの素顔が明らかになるのだ。期待と興奮から心臓がドクドクと脈を打ち、世界がスローモーションのように長く感じられる。

 仄音はゆっくりと仮面を捲り――刹那、音にならない程の強烈な耳鳴りと共に光が弾けた。

 星が爆発したかのような閃光が視界を包み、意識はあっという間に刈り取られた。

 

 

 

 

 

 心地よい小鳥の囀りが聞こえ、太陽が顔を出して燦燦と日常を照らす。その下で人々は忙しそうに動いており、学生が登校し、社会人が通勤し、中にはもう働いている人だっている。

 それに比べて無職である仄音は未だに眠っており、逆に天使という仕事をして生活リズムを整えているロトは自然と目を覚ました。

 

「んぅ……眠ってしまったようね……」

 

 夜更かしをしていたので倦怠感があったが、起きないといけない。睡魔がまだ眠るように手招きしているが、自分に甘くないロトは立ち上がろうとした。が、何かに捕まれているようで起き上がれない。

 

「あら? 仄音も寝ちゃったの……」

 

 抱き枕のようにロトを抱き締め、心地よさそうに寝ている仄音。意識が吹き飛ぶほどの閃光を喰らい、気絶という名の眠りに入っていたのだ。

 そんな惨事を知らないロトは単純に仄音が寝落ちしたと思って微笑んでいた。

 

「って起こさないといけないわ……起きなさい。ほら、仄音。起きて。今起きないとまた昼夜逆転よ」

 

 気持ちよさそうに寝ている仄音を起こすのは気が引けるが、ロトは心を鬼にして彼女の肩を揺すり、時には名前を呼ぶ。それを繰り返していると仄音の意識は段々と覚醒してきた。

 

「んぅ? ロトちゃん? ……あ、あれ? わ、私……」

 

 仄音は軽く混乱していたが、深海から浮上するように記憶が上がってくる。

 

「そ、そうだ! ロトちゃんの仮面が爆発して!」

 

「あら? 私の仮面を剥がそうとしたの? 残念ながら私の素顔はトップシークレットよ。許可なく見ようとしたら自動的に閃光が炸裂するようになっているのよ」

 

「何それ! おかげで失明するかと思ったよ!」

 

「人の許可を取らずに剥がそうとするからよ」

 

 正論と共にジト目を向けられて、ぐうの音も出ない仄音は黙り込む。

 

「それよりもいつになったら離してくれるの? 抱き着いてくるなんて、随分と甘えん坊ね」

 

「な! 先に抱き着いたのはそっちだよ!」

 

「知らないわ。恥ずかしいからって言い訳しなくてもいいわよ」

 

 特に意味もない言い合いをする二人だったが、表情は笑顔で微笑ましい光景だろう。

 今の時期は真冬であり、足だけ炬燵に入れて寝ていた二人。普通ならば風邪を引くとこだが抱き合っていたお陰で温かく、体調を崩さなかった。

 




仄音
なんだかんだでロトに気を許せるようになっている。

ロト
自称天使。仮面の下はトップシークレット。仄音を更生しようと計画している。



元のプロット通りだと脱線しまくって二、三十万文字くらいいきそう。削って十万文字くらいにしようかと検討中。


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第二話『眠気』

 気絶という名の就寝を果たし、無事に早朝に目覚める事ができた仄音。後は夜更かしする事無く、きちんと夜中十時に就寝できれば昼夜逆転は治るだろう。結果的に、二人が添い寝をしたのは正解だったのかもしれない。

 しかし、神は引きこもりを見放しているのか、仄音に最大の危機が迫っていた。

 

「ね、眠いよぉ……どうしようロトちゃん……」

 

 それは眠気だ。人間の三大欲求である睡眠欲が限界を訴えている。

 いつもは十時間以上寝ている仄音だったが、今回の睡眠時間が四時間くらい。コップで例えるなら睡眠という液体が半分も満たされていない状態だ。

 そんな状態で昼食としてカップ麺を食べたら、満腹中枢が刺激された上、炬燵でぬくぬくとリラックスして過ごす。急激に眠気が襲ってくるのは必然だろう。

 

「寝ちゃダメよ。折角、起きられたのに……寝たら殺すから」

 

「ぶ、物騒だなぁ。でも本当に限界なの……何とかしてよロトえもーん」

 

「いちいち腹が立つわね……」

 

 間延びした仄音の声にぴきぴきと苛立ったロトは額に青筋を作るが、それは仮面によって隠されている。

 

「魔法で何とかならないの?」

 

「直接眠気に左右する魔法は使えないけれど、遣り様によってはなるわね。でも基本的に悪の欠片を根絶させる以外の用途に魔法を使うな、と上から厳しく言われているの」

 

「えぇ? だったら、そのかめ――なんでもいいや……」

 

 仄音は脳裏にロトの仮面が過ったが、悪寒がしたため指摘せずに胸の内に留めた。

 

「それに、もしも使ったとして、仄音が魔法頼りになってしまったらそれこそ駄目人間よ」

 

「う……確かに……」

 

 既に駄目人間なのに、ロトの魔法頼りになったらもっと駄目人間、いやクズ人間になってしまう。そんな自分を脳裏でイメージした仄音はロトの魔法を当てにするのは止めようと心の中で密かに誓った。

 しかし、そうなると眠気を失くす手段はなくなってしまい、諦めた仄音は仮眠を取ろうと炬燵に寝転がる。

 

「だから寝ちゃ駄目よ」

 

「仮眠をとるだけだよ。三百分で起きるから」

 

「いや、それ五時間じゃない。絶対にダメよ……そうだ、コンビニか何かで眠気が覚める飲み物でも買ってきたらどうかしら?」

 

 今のご時世、コンビニなどに行けば眠気覚ましのドリンクが売ってある。もっと言えば自販機でもコーヒー類が置いてあるくらいだ。

 ロトは良い案だと思って勧めるが、仄音は既に同じ考えを持っていた。

 

「私もそう思ったけどむ、無理かな……外に出たら私、死んじゃうよ……」

 

 自分が買い物をする光景を想像して、凍り付いた仄音の脳内は魔境。もはや家の外を地獄としか思っていない。

 呆れたロトは溜息を吐き、平坦で冷めた視線を仄音に向けた。

 

「死ぬって……ただの人見知りでしょ。引きこもりを脱却できるチャンスじゃない。いい機会よ」

 

「無理ったら無理なの! せめてロトちゃんが一緒についてきて!」

 

「私? 面倒だけど、それで仄音の引きこもりが改善され「や、やっぱりいい!」――はぁ……」

 

 とある事に気づいた仄音は自分から頼んだと言うのに、声を荒げて断った。

 意味が分からないロトは不服そうな表情を浮かべたが、どうしても仄音は受け付けられない。服装が普通ではないロトを連れて外に出るなんて、羞恥心という海に身を投げるようなものなのだ。

 

「仄音の人見知り……どうにかならないの? 私とはすぐに打ち解けたじゃない……」

 

「た、確かにそうだけど……」

 

 仄音は引きこもりで、人見知りで、無職という負の三連コンボだ。

そんな自分には絶対友達ができない。そう思っていた筈なのに出会って二日目のロトとはまるで以前から親友だったように仲良くなっている。自分が知らないような何か強い繋がりがある気がしてならなかった。

 そういう心情があった仄音だがぎゅっと唇を結んで、何も語らない。その人に対する想いを打ち明けるのは誰だって恥ずかしいものだろう。

 

「そういうロトちゃんはどうなの? 悪の欠片? を持つ私と仲良くしていていいの? どうして優しくしてくれるの?」

 

「……生に執着しない貴方を見ているとむかついたのよ。後は本当に自己満足(・・・・)で、天使の仕事よ。まあ、それでも時が来れば殺すわよ?」

 

 毅然とした態度でロトは言った。その表情は仮面によって分かりづらい。

 

「それで? どうするの? コーヒーとかはないのかしら?」

 

「私、苦い物はちょっと……甘いものが好きだから林檎ジュースなら常備してるけど」

 

「そう……私はコーヒーが好きなのだけど……」

 

 仄音はコーヒーのような苦い物は嫌いなので、家に置いてある飲み物はいつも林檎ジュースかお茶だ。

 単純にフルーツの中では林檎が好きなので林檎ジュースなのだが、それでも糖分で頭が冴えるだけであり、カフェインが入っていないので眠気は冷めないだろう。

 

「それなら何か気を紛らわせるような事をしたら? ほら、そこのギターを弾くとか……」

 

 部屋の隅に追いやられたギターを指し、ロトは仄音に訊いた。

 仄音は寂しそうにしているギターを一瞥したが、直ぐにロトに視線を戻す。挙動不審気味にぴくぴくとし、肩を丸めて、手を弄っていた。

 

「どうしたの? 音楽学校を卒業しているそうだし、ギターで成功するのが夢なんじゃないの?」

 

「そ、そうだけど……ってどうして知ってるの?」

 

「事前にターゲットの情報は調べるものよ。天使の情報収集能力を舐めないことね」

 

「天使って……まあいいや」

 

 スマホを弄りながら言うロトを見て、仄音は天使という伝説上の存在はスマホでやり取りをするくらいグローバルなのか? いや、そもそもスマホという人類の技術を駆使して連絡を取るのか? といった疑問を抱いたが、軽く頭を振って掻き消した。今はそんな事はどうでもよく、大事なのは眠気について、だ。

 

「で、ギターは弾かないの? 私としても聴いてみたいのだけど……」

 

「ひ、弾くけど……その……」

 

 わざわざ温かい炬燵から出て、ギターの前に立っているにも関わらず、仄音は躊躇っている。表情は真剣だが、焦っているようにも見え、額からは汗が噴き出ていた。

 夢に近づくためにもギターを練習すればいい。それなのに何をそんなに渋っているのか? ロトには理解出来なかったが、仄音の感情は単純だった。

 

「は、恥ずかしいの!」

 

 そう、仄音は人前で演奏するのに慣れていない。だから失敗を恐れ、変に恥ずかしがってしまう。

 あまりにくだらない理由にロトは拍子抜けした。

 

「はぁ……どんなに酷くても笑ったりしないわよ。だから、ほら……ギターが好きなら胸を張って弾きなさい」

 

「う、うん!」

 

元気づけられて覚悟を決めた仄音はギターを手にして、近くの丸椅子に座る。手慣れたチューニングを済ませ、手首を軽く回して、深呼吸。

 

「いち、に、さん……」

 

 数えるのと同時にギターのボディを叩き、リズム良く弾き始めた。

 両手が細かく動き、まるでダンスをしているようだろう。奏でている音は低く、高く、心に透き通ってくるような優しい音色だ。親指を使い、一定のリズムでベース音を弾く。人差し指と中指、薬指は忙しなく動き、弦を撫でるかのように滑らかに動いている。時折入るフレットノイズがまた良いアクセントを醸し出している。

 弾いている仄音の表情は凛々しくて悠々としていて、もはや羞恥心に左右されていない。真摯にギターと向き合っている事が分かる。

 そんな演奏を聴いているとロトは感慨深くなった。仄音はギターの弦を弾いているのではなく、仄音自身の琴線に触れている。そう言われても疑わないほどに、仄音の演奏で感動した。

 

「ふぅ……どうだった? 昔、作った曲を弾いたんだけど……」

 

「素晴らしいわ……」

 

「ふぇ?」

 

 率直な感想を言われ、思ってもいなかった仄音は声を漏らす。

 

「う、嘘でしょ? そこまで難しくないし……気を使わなくてもいいんだよ?」

 

「いえ、本当よ。こう、胸にジーンとくるような感じで……兎に角凄かったわ!」

 

 ロトは今まで体験した事のない形容し難い感情に高揚感を抱き、燃えるような目を見開いていた。

 こうも率直に褒められたのは随分久しぶりな仄音は頬を朱色に染めて照れ、舞い上がってアコギとアンプを繋げ始めた。

 

「じゃあ、まだまだ弾くよ!」

 

 気分だけでなく音量も上げて、今度は好きなアニメの曲を弾き始めた。

 

 ――ドンッ! ウルセーゾ!

 

 しかし、流石にアンプはやりすぎだっただろう。それなりの大きい音が鳴り響き、遂に隣から壁ドンをされてしまった。

 一瞬にして静まり返る空気に、ロトは不安を含んだ視線を仄音に向けた。

 仄音はまた隣人に怒られたという事実に泣きそうになるが我慢する。しかし、同じ過ちを繰り返した後悔は拭えないので、ギターを片付けては拗ねた子供のように炬燵へ潜り込んだ。

 

「す、素敵な演奏だったわ! ね、眠気はどうなったかしら?」

 

「いいんだよ……どうせ、私なんか、この世にいらないんだよ……社会のゴミなんだよ……」

 

 憮然とした表情で、息をするように毒を吐く仄音。それは仄暗い負の感情を感じさせる靉靆としたものだ。

 

「…………ぐぅ……」

 

「寝ちゃったの!? ダメよ! 起きなさい!」

 

 そのまま不貞寝を開始する仄音を起こそうとロトは彼女の身体を揺さぶった。

 絶対に起きるくらいに激しく身体を上下させるが不貞腐れている仄音は頑なに起きない。

 やがて、痺れを切らしたロトはムラマサぶれーどを取り出すのだが、その後の展開は口に出すのも憚られるだろう。

 

 




仄音
気が弱い。隣人に壁ドンされるたびに落ち込んでしまう。子供のように拗ねる。結構お調子者。林檎ジュースが好き

ロト
コーヒーが好き。天使の情報網を舐めてはいけない。仄音の演奏に感動した。


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第三話『仄音更生計画Ⅱ』

 仄音は睡魔に打ち勝ち、なんとか昼夜逆転を改善した。健康的な生活への第一歩を踏み出し、清々しい気持ちで日中からギターを弾いていた。リズム良くピックを振るってコードを弾いたり、時には指で弦を弾いてソロギター奏でたりと好調だ。

 隣人は留守なのかいつもの壁ドンがない。ロトに聴かれる事にも恥ずかしがらず、仄音はギターの世界へ導かれるようにのめり込んでいく。

 

「ちょっといいかしら……」

 

 そんな時、先程から紙に何かを書き込んでいたロトは仄音に話しかけた。

 丁度曲のサビの部分を弾いていた仄音は弾きたいという気持ちを抑え、ギターをスタンドに掛ける。

 

「これを読んで頂戴」

 

 びっしりと文字が書かれた紙を差し出され、受け取った仄音はさっと目を通す。気分的にはチラシに目を通す感じだったが、内容は想像を絶するものだった。

 

「えーっと、なになに……仄音更生計画ねぇ……ナニコレ?」

 

「その名の通り仄音を更生するための計画を纏めたのよ。ほら、貴女って引きこもりのニート、つまりヒキニートじゃない」

 

「ひ、ヒキニートの何が悪いの? わ、私はこの生活を満足しているよ」

 

 いつものように虚勢を張った仄音に、ロトは呆れて溜息を吐いた。

 

「働きアリの法則って知っているかしら? 二割は良く働き、六割は普通に働く、二割は怠けるっていう法則なのだけど、仄音は二割の怠けるに該当、その中でも最低クラスよ。もう暗黒大魔界ランキング最下位よ」

 

「うぐ……」

 

 ぐうの音も出ない仄音は心に槍が刺さったような痛みを負った。

 

「暗黒大魔界ランキングってなに……? いや、それにしてもこれはないよ……」

 

 聞きなれない単語が気になったが、仄音は話を戻し、再び丁寧に纏められた紙に目を通す。そして、ああでもないこうでもないと小首を傾げながら反芻して、なお不服そうにロトを睨んだ。

 紙の内容を理解出来ていないからではない。そもそも更生というのは元々聞いていたので吃驚でもなく、今になって反骨精神を抱いた訳でもない。

 それでは、どうして仄音は動揺しているのか?

 答えは計画の内容に原因があり、そこに記されている事は仄音にとってあまりに残酷だった。

 

「今、仄音は昼夜逆転を正そうとしていて――いやもう治っているといってもいいわね。ステップⅠはクリアよ」

 

「それじゃあ次はこのステップⅡの食生活の改善と生活必需品の買い出し、それと部屋の掃除?」

 

「ええ、そうよ。インスタント食品ばかりの生活を止めて、きちんと朝昼晩栄養満点の物を食べましょう。生活必需品はまあ服とか色々ね。制服とパジャマだけでは普通の生活は出来ないわ。後は掃除だけど部屋の隅に積まれたゴミは私が処分したから、単純に整理ね」

 

「なるほど……で? このステップⅢは何?」

 

 紙にはフォントと言われても疑わないような綺麗な文字が羅列しており、そこのステップⅢを指して仄音は食い気味にロトに聞いた。

 

「何って就職よ。いつまでも親の仕送りで生活するなんて情けないでしょ?」

 

「なんで!? そんなの聞いてないよ!?」

 

 仄音は声を荒げて、炬燵を両手で叩いた。

 バンッ! という大きな音が響き、注がれたお茶は短い波を打つ。

 

「更生なんだから働くのは当たり前でしょう? 社会経験になるし、親の負担も減らせるわ」

 

「そ、そうかもしれないけど……」

 

 ニートである仄音は楽だ。劣等感という感情はあるが、社会的責任を伴わないため、ある意味精神衛生は良かった。言わば、今までぬるま湯に浸かっていたのだ。それ故に働くとなると途轍もない不安感に駆られた。脳裏には妄想という名の社会の闇が蔓延り、就職=死の方程式が出来上がっている。

 

「何も正社員になれとは言わないわ。最初だから週一のバイトでもいいのよ」

 

「うん……」

 

「よく考えてみて……いつまでも親の仕送りで生活して、特に何もせずにずっと親の脛を齧ろうと思っている人間と、仕送りを受けつつもいつか自立しようと夢を頑張っている人間。どちらが格好良いかしら? 当然、後者よね」

 

 ロトは何も親の仕送りを受ける事自体が悪いとは思っていない。改善させようとしているのは仄音の姿勢であり、後者であって欲しいと思っていた。

 

「うん、分かったよ。覚悟しておくよ……」

 

 怖くて今にも身体が震えだしそうだが、それ以上にロトの言う通りだと思った仄音は腹を括った。

 

「それで次のステップⅣは? 何も書いてないけど?」

 

「そこでは仄音に夢を追ってもらおうと考えているけど、具体的な方法を確立していないから何も書いてないわ」

 

「最後のステップⅤは……」

 

「私に殺されてあの世行きね……」

 

 ご愁傷様と言った風に手を合わせて拝んでくるロトに、仄音は苦笑いを浮かべる。激しい喜怒哀楽は感じられず、ただ引いているような感じだ。

 てっきり罵倒でもされると思っていたロトは目を細めた。

 

「一年で死ぬというのに仄音は冷静ね。ショックじゃないのかしら?」

 

「勿論ショックだよ? ただ、もし明日死んでしまうとか、世界が滅ぶって言われても、実感が湧かないし、それならそれでもいいかって思ってしまうかな……」

 

「そう……」

 

 一年で死んでもいい。そう思っているという事は現実を楽しんでいない表れであり、ロトは少しだけ悲しくなる。

 

「で、今日からステップⅡをしていくの?」

 

「そうね。当分の間はステップⅡで身体を馴らして、落ち着いてきたらⅢに移行かしら……」

 

「ステップⅡかぁ……と、取り敢えず掃除でもしようかな……」

 

 引きずった笑みを浮かべた仄音は掃除をしようと動き出す。

 ステップⅡの項目を実施していくと決定したのはいい。しかし、服を買おうにも、食生活を改善しようにも、店へ出向くのが基本だ。つまりは外に出ないといけない。

 正直、買い物はネットで済ましたかったがそれでは駄目だ。ロトも許してくれない。だから嫌な事は後回しにして、消去法で掃除になった。

 

「先ずはゲーム関連……いや、その前に押入れ? いや、そこまではしなくてもいいよね……」

 

 掃除なんて仄音にとっては古の文化であり、思い出しながら手を動かしていく。

 散らかっていた物を元の場所へ戻し、炬燵用の掛け布団、寝床の布団と枕を日干しして、はたきを使って上にある埃を下に落とす。そして、落ちた埃を吸うため部屋全体に掃除機を掛けた。

 埃が所々に積もっており、よく分からない小さくて黒い虫が湧いていて、想像以上の汚さに仄音は慄然としていた。

 

「こんなところに住んでいたと思うとなんかやだなぁ……」

 

「なら定期的に掃除をするようにしましょう」

 

「うん、そうするよ」

 

 ショックだった仄音は素直に頷いた。

 そして、後悔を拭うように更に掃除に没頭する。トイレ掃除に、お風呂の浴槽を掃除。その後は拭き掃除へ移行し、部屋の至るところを磨いていく。炬燵、机、床、キッチンのコンロ周り。一生懸命、雑巾でゴシゴシと力強く擦る。

 人が変わったかのように働く仄音を、背後から見ていたロトは驚嘆して、目をパチパチとさせていた。

 

「て、手慣れているわね。本当にヒキニートの仄音?」

 

「一応、学生時代は一人でこなしていたからね。大体の事はできるよ」

 

「意外ね……でも頼もしいわ。私も何か手伝いましょうか?」

 

「え? うーん……」

 

 手伝うと言われ、仄音は何を任せようかと手を動かしながら考える。

 現在、仄音はキッチンの頑固な汚れと格闘しており、これが終われば拭き掃除は大体終わったも同然だ。そうなると残っているのは――

 

「後は整理整頓と洗濯だけかなぁ……」

 

「じゃあ洗濯をするわ。整理整頓は私では無理でしょうし……」

 

「そうだね。なら洗濯は任せるよ」

 

 仕事が減ったことに仄音は笑みを浮かべ、洗濯機へと向かったロトを見送った。

 しかし、それはナンセンスだっただろう。手間が省けると、目先のことしか考えていない仄音は全く気づいていなかった。

 

 

 

 

 何事も無くキッチンを磨き終え、後は整理整頓だ。

仄音は保管していた調味料や冷蔵庫の中、棚に並べていた食器類を整理する。

 

「うーん……カップ麵ばかり食べていたから冷蔵庫は飲料水以外空っぽ。置いてあった調味料の殆どが賞味期限切れ。しかもほぼ使っていないし、勿体ないなぁ……」

 

 取り敢えず、賞味期限切れの物は段ボールに詰め、端に追いやっておく。後でロトに相談するつもりだった。

 

「それにしても食器が少ない。いや、それだけじゃないよ。歯磨き粉、シャンプー、洗剤、ああ挙げればキリがない……ロトちゃんが住むなら色々と買い足さないといけないし……」

 

 仄音はロトが言っていた生活必需品の買い足しの重要さを認識した。今、家の中には一人暮らしが出来る最低限の物しかなく、そこに二人で住もうとしているのだ。

 ロトは「天使は風邪を患わない」と言って炬燵で寝ているし、今着ている服以外を持っていない。バスタオルだけでなく、歯ブラシだって一本しかない。

 許容範囲を超えており、劣悪な環境だろう。

 

「……兎に角、今は整理整頓に集中しよう」

 

 あと少し、と意気込みを入れて仄音はリビングへと戻った。

 刹那、視界の隅に黒光りした生物を見てしまった。見つけてしまったのは幸いなのか、災いなのか。唐突の出会いに思考停止している仄音だが、生物の正体だけは理解した。

 

「う、うにゃああああああああああああああッ!」

 

「ど、どうしたの!? 中学生の時に書いていた黒歴史っぽい中二病ノートでも出てきたの!?」

 

 猫の鳴き声、否、女性の叫び声だ。

 何事かと駆けつけたロトが見たのは、部屋の隅で真っ青になって身体を震わしている仄音の姿だった。

 

「そ、そこに……地獄からの使者がが……」

 

「なに? 特殊な蜘蛛でも現れたの?」

 

 取り乱している仄音が指した場所は壁。いつもなら何の汚れも無い、新品同然な真っ白の壁な筈なのに、一点だけ黒い染み。まるで穴が空いているように見えるが、凝視すると幾つもの紐が生えている。

 

「ってなによ、ただのゴ……」

 

 壁にある点の正体はG(ゴキブリ)だ。生えている紐のようなものは所謂触角と足であり、それらは彼らが生きていく上の能力。しかし、人間にとっては不快を与える物にならない。

 そんなGが出た、という事実にロトは固まった。まるでパソコンがエラーを起こしたかのようにビクともせず、俯いている上、仮面を付けているので表情が分からない。

 

「ろ、ロトちゃん? ど、どうしたの?」

 

 しかし、表情が分からなくとも、様子から異常だと察せられる。

 無理もないだろう。

 Gとは世間一般では、すばしっこくて、しぶとくて、汚くて、気持ちの悪い害虫だ。水一滴あれば三日は暮らせ、脅威の繫殖力を持ち、虫というカテゴリの中では高度な知能を持つ彼らを見つけた時のインパクトは計り知れない。漆黒の身体は大きくて十センチを超え、そんなのが自分の部屋に潜んでいたと思うと恐怖で頭がおかしくなり、極めつけに一匹見たら数十匹はいるとも言う罠。

 Gという人類の敵と言っても過言ではない超生物と対峙している恐怖、それでいてロトの様子を懸念する気持ち。その二つに支配された仄音はその場でオロオロとするしかない。

 

「こ……こ……」

 

「へ? な、何?」

 

「殺す……一匹残らず……ぶっ殺す!」

 

「えぇ!? ちょ、その気持ちには賛成だけど! だ、駄目だよ!」

 

 豹変した鬼のようなロトは肩や首を回して柔軟し、両足を大きく開いた。召喚したムラマサを右手に握り締め、その刃先をGへ向ける。宣戦布告という奴だ。

 

「ギルティよ!」

 

「ギルティ!? 中二病っぽくてダサいよ!? って、ダメだって!」

 

 有罪という意味の英語を言い、コスプレのような格好で、ムラマサぶれーどという刃物を向けている。傍から見たら中二病だろう。刃は輝きを放ち、Gに怒りの鉄槌を下そうとしている。

 明らかに過剰過ぎる力で、周りの被害が心配な仄音は咄嗟に止めに入った。

 

「落ち着いて! ロトちゃん! 殺虫剤ならあるから! ね!?」

 

「待てないわッ! 本能が殺せと訴えかけているのッ!」

 

「ちょっ! やめてバカ!」

 

 仄音の手を振り解き、ロトは綺麗な太刀筋でムラマサぶれーどを振り下ろした。が、その騒ぎで警戒していたGはカサカサと何処かへ逃げていく。

 結果、轟音と共にアパートが揺れ、頑張れば大人一人が通れそうな穴が壁に空いてしまった。

 

「あばばばばばば! ろ、ロトちゃんやりすぎだよ!」

 

「大丈夫よ。奴を倒したら私が修復魔法で直す。貴女にとっても都合が良いでしょう?」

 

 そう言ってロトはもう一度ムラマサぶれーどを振り下ろ――す前にGは壁に空いた穴へと逃げてしまった。

 

「勝ったわ……やっぱり天使は最強ね」

 

 ロトは勝利の余韻に浸り、自慢げにウインクして身も蓋もない事を言った。

 

「負けだよ! 壁にこんな大穴を空けてる時点で大負けだよ! お隣さんにどう説明したらいいの!?」

 

「落ち着きなさい」

 

「落ち着けないよ! Gを追い出してくれたのは有難いけ――んむむ!」

 

「いいから黙ってみていなさい」

 

 ロトは右手で仄音の煩い口を防ぐと、左手を壁の穴へと翳した。

 すると、まるでビデオの巻き戻しのように砕け散っていた残骸が独りでに壁へと戻り、最初から穴なんて無かったかのように直ってしまった。

 目の前で破壊された筈の壁が元に戻る工程を目にしたのだ。仄音は目を丸くさせ、これが俗に言う魔法なのかと実感して息を呑んだ。

 

「えぇ……壁が戻ったのは修復魔法だっけ? 凄いと思うけど……」

 

「そうでしょう? 天使は凄いのよ」

 

「でもGが……」

 

 仄音の視線の先は修復された壁であり、お隣さんを不憫に思ってしまう。今は留守のようだが、仮にそうじゃなかったら……元々、仄音の家にいたGを退治する筈だったのに、何故かその役目を隣人に押し付けてしまう結果になった。

 申し訳ない気持ちでいっぱいになった仄音は心の中でお隣さんに謝っておく。ついで、日頃の騒音についても謝った。心の中で、だ。

 

「大丈夫よ。隣人は引っ越したわ」

 

「……へ?」

 

 ギターを弾いても隣人からの壁ドンが無くなったとは思っていたが、それは引っ越したからだったのか? それにしてもどうして突然……

 

「はっ……」

 

 何かに感づいた仄音は恐る恐るロトを見る。

 彼女は嘲笑っていた。その姿は天使というよりは悪魔のようだった。

 

 

 

 

 さて、死闘を繰り広げて何とか問題を解決した二人は再び作業に戻った。

 仄音は部屋の整理整頓に手をつけ、勉強机の引き出しの中や棚を探っては何があるのかを把握。ついでにいらない物があれば除けるという反復横跳びのような行為を何度も繰り返していく。

 

「こんなものかな。大掃除でもないし……うん、これでいい筈……」

 

 勝手に折り合いをつけて終わろうと思った矢先、仄音はギターに目がいった。

 普段使っている場所だから、要らない物はないだろう。そう分かってはいるが、もしかしたらとんでもない伏兵が潜んでいるかもしれない。念のため、いや、ほぼ気まぐれでギター類に触れた。

 

「えーっと……アンプにギター、カポタストとピックは……元の場所に仕舞っておこう」

 

 頻繁に使う用品は出しっぱなしになりがちなので今日くらいはと小物入れに片づけ、次に立て掛けられていたハードケースに手を付ける。

 

「弾かない時くらいケースに入れていた方が良いよね? 出しっぱなしだとギターに悪いらしいし……あれ?」

 

 頑丈なケースの蓋を開け、そこにギターを入れようとしたが仄音はある事に気がついた。

 ケースに備え付けられた小さな収納スペース。そこに紙切れのようなものがはみ出ているのだ。

 

(何かのチラシかな?)

 

 そういう先入観を抱き、仄音はゴミを撤去する感覚で紙を抓んで引っ張った。

 

「あ……これって……」

 

 出てきたのはゴミではなく、正しく思わぬ伏兵というもの。

 本当に思いもしなかったもので、言葉を失った仄音は出てきた写真に釘付けになってしまう。

 その写真は幼い頃の仄音と、親友だった人物が映ったツーショット。幼い仄音は屈託のない笑みを浮かべてギターを背負い、隣で立っている少女は楽しそうに仄音の腕に抱き着いている。背景は当時通っていた小学校の教室で、時刻は夕方なのか綺麗な夕焼けに染まっていた。

 傍から見るとアルバムとか入っていそうな、ただの思い出の写真だろう。しかし、態々ギターケースに入れていたという事はとても大事な物で、思い出深い物なのだ。

 だからこそ、今までこの写真の存在を忘れていた仄音は形容し難い感情に苛まれた。

 

「どうして忘れていたんだろう……」

 

 学生時代、肌身離さず持ち歩き、この写真があったから仄音は頑張ってきた。

 仄音の全てが詰まっていると言っても過言ではなく、それを忘れてしまっていた自分が憎く思え、同時に懐かしくも思え、寂しくも思え、それらが蟠りとなって心に圧し掛かる。

 

「こっちは終わったけど――仄音? どうしたの?」

 

 洗濯を終えて戻って来たロトは仄音の暗い表情を見て何事かと思い、また奴が現れたのかと心配する。

 しかし、ロトは辺りをきょろきょろと見回すがそれらしい物体どころか影もない。不意に仄音が持っている写真に視線がいった。

 人の写真を許可なく見るのは良くないだろう。プライバシーの侵害だが、気にするなというのも酷だ。考えに考え、天使と悪魔の囁きに惑わされたロトはじりじりと仄音に近づいて、何とか写真を覗こうとした。

 刹那、ロトの気配を感じ取って我に返った仄音は慌てて写真を隠すように戻した。

 

「何を隠したの? 写真だったわよね? 私は見ちゃいけないのかしら?」

 

「え? うーん……見られたら恥ずかしいから秘密だよ。それより終わった?」

 

「……ええ、洗濯なら終わったわ」

 

 白を切るだけでなく、話題を変える必死さ。余程隠したい事があるのだろうと感じたロトは腑に落ちない。

 

「手で丹念に洗っておいたわ」

 

「ありがとう……ん?」

 

 仄音の家には洗濯機がある。

それなのに手洗い? と疑問に思った仄音だったが、ベランダに干された洗濯物を見て驚愕した。

 

「いや、下着しかないのに洗濯機を使うのって、なんだが勿体ない気がして……」

 

「あ、あああああああ!」

 

 恥ずかしさのあまり顔に火がついた仄音。

 忘れてしまっていたが、ロトに洗濯を任せるという事は下着を見られるという事なのだ。それどころか洗濯機を使えばいいのに手洗いをされている。

 

「へ、変態! 変態天使!」

 

「何言っているの? 頼んできたのは仄音でしょう?」

 

「そ、そうだけど……ああどうして気がつかなかったんだろう……」

 

 揚げ足を取られ、仄音は後悔した。意を汲んでくれなかったロトを責めたい気持ちがあるが、淑女を忘れていた自分も悪いので叱る事が出来ない。

 

「今更じゃないかしら? これから一緒に住むならこれくらいの事で一々言っていられないわよ? それに私たちは女性同士じゃない。別に気にすることないわ」

 

「うぐっ……」

 

 確かにそうだろう。

 仄音の脳裏にはロトと同衾した記憶が蘇り、これからも下着を見られると思うと気が気でないが、後には引けない。この環境に適応していくしかないのだ。

 




仄音
就職は悪。当時の熱意を思い出した。

ロト
天使というよりは悪魔に近い。

隣人
元のプロットでは割とメインキャラだったが、改稿版では消されてしまう被害者。


いつか投稿スピード落ちます。


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第四話『天使とお買い物』

 掃除のお陰で仄音家がピカピカになり、早くも数日が経った。

 相変わらず不健康な食生活をしている仄音はお気に入りのカップ麵を啜って、心の中で今までの出来事を振り返っていた。

 

(ロトちゃんが来てから毎日が新鮮だなぁ。心が満たされて、何だか幼少期に戻った気分だよ……)

 

 自堕落的だった仄音の生活は、ロトのお陰で改善の兆しを見せていた。

 ゴミだらけだった部屋はすっかり綺麗になり、厄介な隣人は引っ越した(真相は不明)。昼夜逆転が当たり前だったのが、ロトの厳しい管理で夜の十時、遅くても十二時までには就寝。朝の八時までには起床という流れを作った。

 それらは仄音の精神衛生を向上させ、心の蟠りを軽くした。最高の環境でギターの練習に励む。仄音の毎日は充実しているだろうが、色々と考えさせられる事もあった。

 

(それにしてもロトちゃんは絶対に仮面を外さない。気になるなぁ……)

 

 ロトは生活中、絶対に仮面を外さなかった。仄音とゲームをしている時、食事中、入浴中、就寝中まで。仮面と言っても目から鼻を覆う物なので食事は不可能ではないが、入浴中といった明らかに仮面が邪魔な場合であっても頑なに外さなかった。

 仄音は箸を止めて、目の前のロトに視線を向ける。

 気難しそうな表情のロトはカップ麵、それもうどんを食べていて、何となくテレビを見ていた。その心は仄音の食生活の改善を考えていたのだが、知る由が無い仄音は釣られてテレビに注目する。

 

「ミカエルステーション? こんな番組あったっけ?」

 

 ニュース番組のようで右上に『悪の欠片、プリン混入事件』と大きく書かれている。

 テレビには映っている唯一の人物は司会者だけで、ミカエルという大天使染みた名札を付けており、天使の輪を頭の上に浮かべていた。

 巧まずして普通の番組じゃないと察した仄音はジト目をロトへ向け、その説明を求める視線に気が付いたロトは手を止めた。

 

「天使用のチャンネルよ。一つしかないけど、主にニュース番組ばかりね」

 

「なにそれ? 勝手に特殊なアンテナでも建てたの?」

 

「そんな事しないわ。電源、十、四、電源、十、四、の順番でリモコンを操作すれば繋がるわ」

 

「えぇ、なにその昔のゲームでありそうなコマンドは……」

 

「因みに十と四で天使よ」

 

「聞いてないよ」

 

 べたな洒落だろう。

 一気に寒くなった仄音は更に深く、炬燵へ浸かった。

 

『――続いて、星座占いですが一位から十一位まではこんな感じです。ラッキーアイテムは貴方の心の中にあります。そして、えー残念ながら今日の最下位はいて座の貴方です。なんと今年一番の最悪の日になるようで、流星群のように不幸が降りかかるでしょう。ラッキーアイテムなんてものは存在しません。残念です。精々死なないように頑張りましょう』

 

 星座占いというのは一種の夢だろう。学校または会社へと向かう前、朝ごはんを食べつつテレビを見て、そこで行われる星座占いはその日の運勢を決めるもの。興味が無くてもニュースのおまけコーナーみたいな扱いで紹介されるので、なんとなく見てしまうものだ。一位だった場合は嬉しいし、また最下位だった人は落ち込む。占いを信じない人でも、その感覚は一緒に違いない。ラッキーアイテムを意識する人もいるだろう。

 そんな星座占いは朝が多く、ミカエルステーションという天使の番組がやっていてもおかしくはない。しかし、内容は杜撰、それも不吉だったため仄音は口を開けたまま箸を落とした。  

 ミカエルがいて座の人たちに告げたのは、今日が一年の一度の最悪の日になること。それもラッキーアイテムが存在せず、死を彷彿とさせることを添えられた。

 

「星座占いね。私は誕生日を憶えてないから分からないけど……仄音はいて座だったわね」

 

「う、うん……朝から一気に不安になったよ」

 

 誕生日が十二月十二日の仄音はいて座だったので、最悪な事態を考えてしまい、表情を曇らせた。テレビなんて見なきゃよかったと後悔する。

 

「ただの占いだから気にしない方がいいわよ……あ、そうだわ。今日はショッピングモールで色々と買い物をしましょう」

 

「この流れで!?」

 

 不吉な星座占いを見た仄音は密かに家で大人しくしておこうと思っていた矢先、ロトから無慈悲な提案されてしまった。穏やかな日常は終わりを告げて、ショックから顔色を悪くする。描いたかのような絶望的表情に暗い雰囲気だ。ハイライトがない昏い目は底なし沼のようだろう。

 ロトの言う予定は買い物、つまり外に出ないといけない。それもショッピングモールという人が密集する場所で、仄音にとって地獄極まりない場所だ。そんな場所に訪れたら死。

 星座占いの事もあり、何としてでも阻止しようと仄音は奮い立った。

 

「きょ、今日はいいや……ま、また今度にしようよ! ね!」

 

「駄目よ」

 

「そんな! 後生だから! お願い! 星座占いだって不吉だったから出たくないの!」

 

「ミカエルの星座占いはどうせ適当よ。当たらない」

 

 確かに杜撰な感じがする番組だった。なら、星座占いは当たらないのか。

 ……いや、ここで納得してしまったら買い物に出向かないといけない。それだけは何としてでも阻止したい仄音は首を振った。

 

「で、でも、もし――「もしもの時は私が守る。安心しなさい。貴方はただ私に従っていればいいの」

 

 ロトの言葉は力強く、意志を宿していた。真摯な瞳を見ていると、とても反抗しようとは思えない。

 それに、本当に守ってくれるなら。人見知りでヒキニートな自分を助けてくれるなら。そう期待してしまい、仄音は静かに頷いた。

 

「さて、昼夜逆転は直って部屋も綺麗になった。次は食生活の改善と生活必需品の買い足し、つまりは買い物よ」

 

 ロトはどこからか『仄音更生計画書』を取り出し、ステップⅡを指した。

 

「ここには必要な物が揃ってないわ。例を挙げればキリがないけれど仄音の服だってそうよ。流石にパジャマと制服だけはないわ」

 

 仄音は引きこもりになってから、随分と腐ってしまった。自分自身のケアをせず、ゲームや音楽関連の機材に金を注いだ。新作のゲームを買うためにカップ麵ばかり食べ、ギターの機材を買うために洗髪剤を買わなくなった。

 その結果、必要最低限の物しか買わず、残ったのは臆病な引きこもりニートだ。勿論、親の金が元手の話である。

 

「通販じゃ駄目なの? 便利だよ?」

 

「通販だと時間が掛かって、送料も掛かるわよ? それに、これは引きこもり脱却の術よ。買い物だけじゃなくて、外に出ること自体に意味があるの」

 

「うぐっ……」

 

 ぐうの音も出ない仄音は俯いてしまう。ロトの言葉に安心感を抱いたのは事実だが、まだ勇気が出ないのだ。後少しの所で尻込みしている。

 一方で、ロトは昨日の時点でこの状況に陥ると予想しており、ニヤリと笑みを浮かべた。

 

「私だって色々と買い物がしたいのよ……そうね。今日、頑張って買い物に行くなら、全額私が負担してあげるわ。ゲームでもギターでも好きな物を買ってあげる」

 

 逡巡としている仄音に、痺れを切らしたロトはそう宣言して拍車を掛けた。

 物で釣る、いや金で釣るとは嘗められたものだろう。仄音は心外だと思ったが、心の中の悪魔が『ここは甘えようぜ。ついでに高額なギターを買ってもらおうぜ』と囁き、同時に対の存在である天使は『いいえ、ここは自分に厳しくあるべきです。奢ってもらおうとは考えず、全て自分が負担するのです(親の金)』と良心に訴えかける。

 

「うぅー! じゃあご飯だけ奢って!」

 

「分かった。行くのね。早く用意しましょう。お腹が空いたわ」

 

「あ……」

 

 苦悩の挙句、仄音は絞り出したような声で答えた。それによりショッピングモール行きが確定する。

 ショックから泣きそうになっている仄音だが、引きこもりを改善するために出かけるは良い事だと分かっている。自分だけでなく、ロトの物も買い備えないといけないとも分かっている。だから発言を撤回しようにも、口を開けなかった。覚悟を決めるしかない。

 

 

 

 

 仄音は朝八時に起床し、ミカエルステーションを見たのが九時くらい。そして、十時には家を飛び出した。目指すは近所のショッピングモールなのだが、ヒキニートの影響でスタミナがなく、だらだらと一人で横断歩道を渡っていた。

 ロトと仄音は一緒に買い物をする予定だったのに、どうして一人で歩いているのか? それはいざ出発の時に重大な事実が発覚したのが原因だった。

 

『ロトちゃん? もしかして、その格好で行くの?』

 

『……? 何か問題でもあるかしら?』

 

 そう、それはロトの服装だ。普段からコスプレのような特徴的な服を着たロトとショッピングモールで、隣同士歩くなんて注目を集め、仄音にとっては拷問に近いだろう。

 しかし、ロトは自分の服装がおかしいと思っていないので首を傾げて、不思議そうに戸惑う仄音を見つめている。天使はそこらの人間よりも聡明で特殊な力を持っているが、一般的な常識が欠けているようだった。

 結果、注目を浴びるのが苦手な仄音は直前で「やっぱり一人で行く! 私は陽キャだもん!」などと虚勢を張って一人で飛び出してしまったのだ。

 

「それにしても久しぶりの外だけど……」

 

 天候は晴れに近い曇り。雨が降る雰囲気はなく、周りは朗らかしている。

 法律を守って車道を丁寧に走る車。すれ違う人々はスーツを着た社会人であったり、買い物をした主婦であったり、または友達とはしゃぐ幼い子供だったり。飼い主と楽しそうに散歩している犬がいれば、生き残るために餌を求めて彷徨う野良猫。優しそうな老人に餌付けされる鳩。ああ、この町は平和だろう。

 仄音も、住民の一人だった。音楽という道を選び、ギターを弾いて夢を目指す。しかし、結果は出ておらず、胸を張ることができない。心にあるのは劣等感だけだ。

 仄音の目には周りの人々が羨ましく映り、特に子供を見たら胸が苦しくなった。過去の楽しかった時期に戻りたいと願ってしまう。

 

「急ごう……」

 

 嫌な気持ちから逃げるように仄音はスピードを上げた。周りが気になり、気配だけでなく風の音さえも恐怖を抱いてしまう。挙動不審気味に俯き、自分の足元と薄汚れたコンクリートが見えるだけの劣悪な視界の中、どんどん歩いていく。

 

 やだ、あの子ってあのアパートに住んでいる引きこもりでしょう――

 うわ、まだ制服を着ているとか貧乏なのか――

 

 時折、すれ違った人の声が耳に入り、それら全てが自分を嘲笑っているように聞こえ、仄音は過呼吸になった。周りの人が自分に注目している。悪口を言っている。誹謗中傷だ。

 冷静に考えればそんな筈はないだろう。仮に思っていたとしてもシャイな日本人は心に留めるのだが、ずっと引きこもっていた仄音は冷静になれない。悪い方向に思い込んでしまう。被害妄想という奴だ。

 

「うぅ……無心無心……気にしない気にしない……」

 

 それが分かっていても気分は悪くなる一方で、今はただ視線から逃れたい一心で歩を進めている。ショッピングモールへと向かっている筈だが、もはや盲目になっており道が分からない。

 

「あ、あれ?」

 

 気づいた頃には全く知らない場所にいて、仄音は困った声を漏らした。

 光景はがらりと変わって商店街。賑わう人々で溢れ、平日の午後という事もあって、主婦が多い。夕飯に向けて買い物をしているようだ。

 

(此処って……ああ、あそこか……)

 

 周りを見渡す仄音はショッピングモールとは明後日の方向にある商店街である事を察した。

 しかし、理解しただけであり冷静になった訳ではない。道路や住宅街とは違い、商店街とは色んな店が集まる故に人が多い場所である。そんな魔界の地に来てしまった引きこもりの仄音はパニックに陥った。頭の中が真っ白になり、そこにあるのは酷い妄想から来る恐怖。

 怖い。ただ人間という同種が目の前を歩いている。群れている。それだけなのに身体の震えが止まらず、息も荒くなる。自分という存在が貶されているように思えた。

 遂に仄音は商店街を避けるように路地裏へと入って、現実逃避をするように蹲った。

 

「すぅー……はぁー……」

 

 気分を落ち着かせるように深呼吸をして、これからどうするのか思考を張り巡らせる。

 帰ろうにも、また商店街を通らないといけないと思うと仄音は嫌気が差す。いや、そもそも外に出るのはうんざりと思い、これ以上人の目を浴びたくない。

 ならロトに助けを求めるしかないだろう。

 

(でも、一人で行けるって強がっちゃってこの体たらくだよ。流石に迎えに来てとは言えないよね……)

 

 スマホの画面で何故かこけしのアイコンをしているロトの連絡先を表示させるが、思い留まった仄音。暗い路地裏で、隠れるように蹲っているからか、マイナス思考がどんどん溢れだしてくる。

 

(本当に私って駄目な人間だよ……商店街に来ただけこの有様なんて、更に賑わっているショッピングモールに行ける訳ないよ)

 

 すぐ真横は活気に満ち溢れているというのに、そこに仄音は入ろうとはしない。どうする事も無く、無駄な時間が過ぎて行く。静寂としている路地裏がまるで時間が止まっているかのように錯覚させる。

 

「ん? なに……? へ?」

 

 足元に影が出来て、不思議に思った仄音は顔を上げた。

 そこには『天使』がいた。二枚の翼を雄々しくはためかせ、神々しく舞い降りてくる天使だ。謎の逆光で良く見えないが美しい女性ということは分かり、まるで天国からの迎えのようだろう。

 

「あ、もしかして私はいつの間にか死んでいた? それで天使がお迎えに……って、て、天使!?」

 

 天使という存在を再認識した仄音は吃驚から崩れた。ロトの時とは違って、舞い降りてきたのが天使だと分かったのは雰囲気からだった。

 

「ふーん……貴方が仄音さんね?」

 

「え、あ、ああ、はい……」

 

 天使は如何にも威厳がある感じで、舐めるような目つきを仄音に向ける。じろじろと見るだけで、何もせずに喋りもしない。

 

(本当に天使なのかなぁ? まあロトちゃんよりは大人らしくて、神々しいけど、どうして服装はセーラー服? 歳は二十代前半くらいかな? そこそこ綺麗だしモテそう……)

 

 天使の格好はよくあるセーラー服で、翼が生えていなかったらただの女子高生に見えるだろう。

 天使はニコニコと仄音を見つめている。初心な男子なら一発で恋に落ちているところだ。

 

(あれ? もしかして?)

 

 人見知りの仄音は戸惑いながらもじろじろと天使を観察し、ロトとの出会いを思い出した。その経験から急激な嫌な予感に襲われた。

 

「じゃあ死のっか!」

 

「だと思ったよ! だから無理だって!」

 

「あ、こら! 逃げないで! 痛くないように殺してあげるから! ね?」

 

 そう言って天使が取り出したものは錆びが酷いチェーンソーという、如何にもホラー映画に出てきそうな物だ。斬られてしまうと良くて切断、悪くて致命傷。どちらにせよ衛生面が最悪で、生き残っても感染症で死んでしまうだろう。

 

(や、やばい! あれじゃ出逢った当初のロトちゃんだよ!)

 

 もはや買い物どころではないので、仄音は家を目指して走る。同じ天使であるロトに助けてもらう魂胆だ。

 しかし、不思議な魔法を扱う天使から逃げられるほど、人間の仄音は強くなかった。ゲーム的に言えば『しかし、まわりこまれてしまった』である。

 

「逃がさないよ! シャボンゲージ!」

 

「ふぁっ!? って、え? な、なんで私が浮いてるの!?」

 

「ふふん、私の得意魔法は水なんだ。それも泡が好きでね。凄いでしょ?」

 

「くっ! なんで天使はこうも魔法が使えるの!? 天使じゃなくて魔法使いの間違いでしょ!」

 

 天使が手を翳した瞬間、仄音は泡のような丸い球体に包まれた。

 ぷかぷかと空中を浮遊し、シャボン玉を彷彿とさせるが強度は段違いだ。仄音が大暴れしてもゴムのように伸びるだけであり、決して破れる事はない。

 

「さて、どう調理しようかな?」

 

「ま、待って! どうして私を殺すの? ロトちゃんは私の余命は一年だって……」

 

 仄音は溢れそうな涙をぐっとこらえて、ロトが助けてくれると信じた。だから少しでも時間を稼ごうと、情報を引き出そうと、天使に質問を投げ掛ける。

 すると天使は赤い瞳をパチパチとして、次の瞬間には腕を組んで顎を突き出した。大きな胸が強調され、仄音は少しだけイラっとする。

 

「ふーん……そこまで知っているなら分かるでしょ? 仄音さんの中には悪神ヒストリーの種、つまりは悪の欠片があるの。それなのに腑抜けたロトは見逃したんだよ……馬鹿らしいわ……」

 

 天使は仲間であるロトの事を見下していた。闇の欠片を秘めた者は即刻処刑するのが決まりなのに、ロトは仄音に猶予を与えている。それは褒められた行為ではなく、タブーを犯しているのだ。

 しかし、助けられた側である仄音は違う。真摯に接してくれたロトを愚弄され、頭に血が上っていた。

 

「ロトちゃんを馬鹿にしないで! ロトちゃんは良い子だよ! 私が知ってるもん!」

 

「あはははは! ロトがイイ子? そんなわけないじゃん! あいつはいつも私の邪魔ばっかり……ごほんっ!」

 

 棘のある笑い声を上げた天使は咳払いをした。

 

「生かすという行為は見栄えが良いわよ。でも、それじゃあ天使は務まらない。いずれ悪になる者は刈り取らないと……それが理……」

 

 そう言って天使はチェーンソーを起動させ、唸るようなモーター音と共に刃がぐるぐると回り始める。

 

(ああ、此処で死ぬのかな……)

 

 痛いのは嫌なのに、死ぬのは怖いのに、妙に冷静でいられた仄音はゆっくりと目を瞑る。唯一心残りなのはロトに恩返し出来ていないことで、少しだけ生きたいという気持ちが芽生えていた。

 

(バイバイ……ロトちゃん……)

 

 しかし、そんな小さな思いはすぐに枯れ、水を差すかの如く現れたのは――

 

「はいはい、アリアはご退場しましょうね。お呼びじゃないのよ」

 

「ぎゃあああああああ!」

 

 颯爽と現れたロトはすれ違いざまにアリアと呼ばれた天使をムラマサぶれーどで斬りつけた。それも脳天から股にかけて、真っ二つである。

 仄音は思わず目を背けたが、違和感に気がついた。

 

「これは……水? あれ? あれれ?」

 

 アリアから出たのは血飛沫ではなく、ただの水。斬られた身体も水へと変貌し、路地裏に水溜まりを作った。

 

「アリアは他の地域担当の天使よ。よく私を揶揄うために、こうして水分身を送ってくるのよ」

 

 確かに水魔法が得意と言っていた。きっと分身も、その延長線上の魔法なのだろう、と納得した仄音はアリアのシャボン玉から解放され、その場で崩れ込んだ。

 一時とはいえ、アリアという天使に殺されかけたのだ。未だに心臓がバクバクと煩くて、恐怖から震えが止まらない。

 仄音が縮こまって身体を抑えていると、不意にロトに頭を撫でられた。

 

「守ると言ったのに……遅くなってごめんなさい。怖い体験をさせたわね。アリアは……今度会ったら半殺しにしておくわ」

 

「いや、いいよ。悪いのは私だよ。悪の欠片を秘めている私が悪いの……」

 

 そうだ。アリアは使命を全うしようとしたに違いない。何も責められるようなことはしていないだろう。

 

「…………」

 

 ロトは歯痒く思った。目の前の少女は助けを求めているのに、自分では助けられない(・・・・・・)。殺すことしかできない。結局、何もかも自己満足でしかないのだ。それが嫌で、憎くて、弱くて、発狂しそうだった。

 

「そういえばロトちゃん……」

 

 ああ、嵐が過ぎ去った。仄音は疲れから溜息を吐いて肩を落とし、ついに触れてしまった。

 

「どうしてメイド服なの?」

 

「ん? なにか変かしら?」

 

 その服装はいつものフリフリとした魔法少女のようなドレスとは一風変わり、西洋の召使いが着込むメイド服。俗に言うコスプレというものだった。

 

 




仄音
人見知り重度。新キャラに殺されかける

ロト
登場が遅い。そして、メイド服。

アリア
新キャラ。省いても良かったけど、後に使えると思い残したキャラ。

知恵(未登場)
元のプロットでは仄音の元クラスメイトだったキャラ。作者の都合で無かったことにされた。


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第五話『天使と機械音痴』

「やっぱり似合っていないかしら?」

 

「そ、そんなこと……とても似合っていて、可愛いよ!」

 

 降り立った天使に、仄音はタジタジになっていた。勿論、似合っているとは思う。ロトは元々美人であり、メイド服とマッチして本物のようだ。

 しかし、どうしてよりによってそれを着てしまったのか? メイド服を着込んだロトと買い物をしないといけないのか? まだ前の服装の方がマシだ。と仄音は仄暗いオーラを醸し出して、これから起こるであろう悲劇に困り果てていた。

 

「そ、それじゃあ帰ろっか! そんな格好じゃ買い物なんてできないしね!」

 

 ロトの手を取って、強引に帰路に就いた。仄音の独断だったが、ロトは抵抗すること無く、妙に大人しい。

 そんなロトの様子に、仄音は不思議に思ったが同時にチャンスとも思った。だから構わずにどんどん家へと引っ張っていく。

 

「アリアから何も言われなかったかしら? 彼女、物凄く嫌味ったらしいから……」

 

「え? ああ、あの天使のこと?」

 

 不意に質問され、その内容は仄音の身を心配しての事だった。

 

「うん。大丈夫だよ。殺されかけたけど……ロトちゃんが助けてくれたし……」

 

 表情を曇らせる仄音の不安を霧払いするように、彼女の手をロトは強く引っ張った。必然的に立場が入れ替わり、仄音がロトに”エスコート”される形になっている。

 

「それより、ロトちゃんはどうしてメイド服を着ているの?」

 

「これ? 仄音が私と買い物に行きたくない理由が服装だと思って変えてみたの。メイド服? って由緒正しい服装なんでしょう? そうミカエルが言っていたわ」

 

「そうだけど……普通は着ないよ」

 

 確かに人類の歴史上、由緒ある服装だ。しかし、今の時代では浮いてしまう服装であり、着込むのはコスプレイヤーかそう言った嗜好を持つ人のどちらかだ。普通に生活していたらまず見かけないだろう。

 つまり、メイド服というのは注目を集めるということだ。

 羞恥心からのぼせたように顔を赤く染めた仄音は空を仰ぎ、深く息を吐いた。

 

 そんな仄音の横顔を見たロトは胸が苦しくなった。

 体験したことがない。否、体験はしたことある。そんな気はするが一体どこで経験したのかは見当がつかない。急な病ではないことは確かで、原因は明らかに仄音だった。

 兎に角、その苦しみから解放されたかったロトは本能的に仄音から距離を取る。

 

「ロトちゃん? どうしたの?」

 

「あ、いや、何でもないわ。もう大丈夫だから……」

 

 怪訝に思う仄音に我に返ったロトは再び彼女と手を繋いだ。苦しさはすっかりと抜け落ちている。

 

「そういえばロトちゃん、アリアさんとはどう……いう……」

 

「ん? 何かしら?」

 

 急に立ち止まって呆然とする仄音に釣られてロトも動きを止めた。

 仄音は息継ぎをする魚のように口をパクパクとさせ、どんどん顔が青ざめていく。親に隠し事がバレた時のようだろう。

 

「ど、どうして? ショッピングモールに?」

 

 家に向かっていた筈なのに、なぜか目の前には活気に満ち溢れて陽の場所であるショッピングモールがある。理解不能で仄音は立ち眩みがした。

 実はロトがエスコートすると同時にさりげなくショッピングモール方面へと進行方向を変えていたのだが、引きこもり歴が長く、会話に集中し、極度の方向音痴。その三つの要素を含んでいた仄音は気がつかなった。

 

「あ、ああああ……」

 

 メイド服を着たロトと手を繋いで歩いている仄音は注目の的だ。ここが秋葉原といった場所なら大して目立たないだろうが、生憎にも大阪の端っこ。老若男女問わず、色んな人がこちらを見てヒソヒソとしている。子供に至っては「ママー! あんなところにメイドさんがいるよー!」と無邪気にはしゃぎ、保護者の母は「見ちゃだめよ。ああいう大人になっちゃダメだからね」と子供を躾けている。

 痛い。視線がとても痛く、まるで胸に釘を打たれているようだろう。羞恥心で顔から火が出そうになった。

 

「それじゃあ買い物をしましょう。先ずは昼食ね。約束通り奢ってあげるわ」

 

「え、え、え……」

 

 周りの視線に臆することなく毅然としているロトは仄音の手を引いた。

 仄音は頭の中が真っ白になり、何も考えることが出来なくなっていた。

 ショッピングモールの奥へ奥へと連れられる。エスカレーターへ飛び乗り、上昇するに連れて階下の人ごみが豆粒のように縮んでいく。

 デートを楽しんでいる若いカップル。友達と駄弁っている高校生。カフェで一息ついているサラリーマン。それらだけでなく殆どの人はロトのメイド服を見ては、驚いたように二度見していた。

 もはや取り返しがつかないだろう。

 

 二人はカフェで食事を摂り、色んな店を見て回った。雑貨屋から服屋まで、兎に角生活する上で必要な物を買い込んだ。

 楽しむロトとは裏腹に、仄音は相変わらず死んでいた。羞恥心を刺激され続けた結果、うんともすんとも言わない人形と化してしまったのだ。そんな仄音を経由して店員と話すロトはもはや腹話術師だろう。

 場所はがらりと変わってゲームセンター、

 正直、買い物とは関係ない場所だったが、これで仄音が調子を取り戻すならとロトは億劫とした足取りで入店する。

 

「ねぇ、あの子メイド服を着ているよ」

 

「うわ、こんなところでコスプレかよ……」

 

 ゲームをプレイしていた人々は手を止めて、それぞれの感想を述べている。口に出さなくても目が語っていた。

 

「初めて来たけど随分と煩いのね。目に悪そうだし……」

 

 そんな軽蔑の視線を気にすることなく、ロトは周りのネオンに光ったゲーム機をまじまじと観察する。角張った派手な箱に、人々を楽しませる技術が詰め込まれていると思うと感心した。

 一方で、少しだけ感情が戻っていた仄音は昏い双眸で俯いている。

 

「まだ無表情なの? 人見知りにも程があるわよ?」

 

「……ごめんね」

 

 ただ一言謝って仄音は項垂れる。本当に恥ずかしくて仕方なく、謝罪の言葉はほんの少しだけ正常だった思考の働きだ。

 

「いい加減慣れなさい。周りを気にするだけ無駄よ。だって他人だもの」

 

「そんなことを言われても……」

 

「はぁ……」

 

 渋りまくる仄音に呆れたロトは彼女の気を逸らして上げようと適当なゲーム機に手を付けた。

 それはUFOキャッチャーだった。お金を入れてアームを精密に動かし、景品をゲットする。運が良ければ一発で取れ、運が悪かったら大金を吸い取られる。博打に近いゲームだろう。

 

「ロトちゃん……大丈夫だよね?」

 

 大丈夫とはUFOキャッチャーのやり方を知っているのか? それを踏まえて、ちゃんとプレイ出来るのか? そういうことを心配していたのだが、体調を聞かれたと勘違いしたロトはコクッと頷いた。

 

「本当かな……って、えぇ……」

 

 不安を感じつつ肝心の台へと視線を移すと、ガラス越しに映るのは天使の輪。勿論、玩具であり、頭に付ければ電源を入れれば光るというアミューズメントの景品らしいだろう。

 しかし、天使が天使の輪を狙うとはどういうことなのだろう。天使だったら本物の神々しい輪っかを出せるのではないか。

 仄音はジトーっとロトを見つめてしまう。

 

「どうやって遊ぶのかしら? ……ふむ、これは壊れているわね。取り敢えず、叩けば直るのでしょう」

 

「ちょ、ちょっと待って! そこにお金を入れるんだよ!」

 

 まるで映らないブラウン管テレビを直すかの如く、ムラマサを創り出して台を叩こうとするロトを、仄音は咄嗟に止めた。

 そもそもムラマサだと叩くのではなく、刃物なので斬るになってしまい、台に傷が負ってしまえば最悪は弁償しないといけないのだ。

 

「ほら、此処に投入口があるでしょ!」

 

「そう、ここに百円を入れるのね」

 

 ムラマサが消え、ロトは言われた通りに百円玉を投入し、ピコンッという軽い電子音と共に気分を盛り上げるためのBGMが流れ始める。

 

「なるほど……これでアームを動かすのね」

 

 プレイし始めるロト。その瞳は好奇心の炎を灯している。

 いざアームを動かし始めた。しかし、左右上下に動くレバーを適当にぐりぐりと動かしてボタンを押し、アームはほぼ初期位置の場所で降下して空を掴んだ。

 

「ろ、ロトちゃん? アレを狙うんだよ?」

 

「分かっているわよ」

 

 もう百円を入れてロトは慎重に景品を狙う。が、何度やっても明後日の方向へアームが行き、景品に掠ることもない。ただ何もない空間に降下する。

 その異様な光景を前に仄音は苦笑いを浮かべるしかできない。

 

(UFOキャッチャー初プレイだろうけど、あまりにも下手過ぎるよ。もしかして、ロトちゃんって機械音痴?)

 

 プレイするほど上手くなっているが常人には程遠く、まるで幼児がプレイしているようだろう。

思い返してみれば一緒に家庭用ゲーム機で遊んだ時、何度もプレイしても初心者を脱却しなかった。スマホの設定について訊かれた事だってあった。

 

(うーん……でも最低限は出来ているし、ただ苦手なだけなのかな……)

 

 仄音が考え込んでいる時、既にロトは千円を使っていた。

 漸くアームが景品に触れるようになったが下手なのは相変わらずで、寧ろ景品が遠ざかってしまっている。

 

「仄音、両替してきてくれる? このままじゃ終われないわ」

 

「え? 別にいいけど……って一万円……」

 

 仄音は受け取った諭吉を見て、ロトを一瞥する。

 ロトは見るからに目をぎらつかせて、獲物を見る目で景品を睨んでいる。

 ああ、これは負けているギャンブラーの瞳だ。今、引いたら損。しかし、景品を取れば元は取れる。そういう期待を胸にプレイして、最終的に大損するアレだ。

 恐らく、止めたところでロトはレバーから手を離さない。それこそ全額を投入したとしても獲る気なのだろう。

 同じ経験があるからこそ仄音は何も言わなかった。ただ不憫に思い、大人しく両替機を探してゲームセンターを彷徨う。

 ショッピングモールに入って初めての単独行動だった。

 

「なんだかんだ言って慣れてきたなぁ……」

 

 完全に恥ずかしさが消えたと言ったら嘘になるが、それなりに平然としていられる。今なら一人でも外出が出来ると自負し、同時に人間の慣れは恐ろしいと思った。

 仄音は学生たちの横を颯爽と通り過ぎる。ガラスが割れたような大量のメダルを補充する店員を見て、ずらっと並んだゲーム機の角を曲がった。

 

「あ、これが両替機だね」

 

 大きく両替機と書かれた機械を前に、仄音はふとロトとの出来事を思い出した。

 

「そういえば素っ気ない態度を取っちゃったなぁ……ロトちゃんに謝らないと」

 

 レストランや服屋さんでのこと。仄音は羞恥心に打ちひしがれて感情が鈍っていたので、迷惑を掛けてしまっただろう。だからきちんと一言謝って、今度こそ楽しい買い物をしよう。

 そう決心し、近くにあった両替機で一万円を両替して、落とさないようにしっかりと握り締める。

 周りを気にして駆け足気味にロトの元へと戻ると――そこには火花をバチバチと散らした台と焦ったロトの姿があった。

 

「あっ……」

 

 果たして、どちらの声が漏れたのだろう。ただ分かるのはUFOキャッチャーのアームが落ち、台を貫通して火花を散らしていることだ。

 普通にプレイしていてそうはならない。

 なら、何故そうなったのか? 答えは簡単で仄音が両替に行っている隙を見て、ロトは台を通してアームに魔法を掛けたのだが、重力魔法が暴発して結果的に台を破壊してしまう始末。

 ズルをして景品をゲットしようとしたロトは仮面に手を当てて格好をつけているが、プルプルと震えている。動揺していることがまるわかりだ。

 

「ろ、ロトちゃん? なに、しているの?」

 

「ち、違うのよ? 決して魔法を使って楽にゲットしようとした訳じゃなくて――そ、そう! くしゃみをした所為で魔法が暴発したのよ!」

 

「こ、怖! くしゃみで魔法が暴発って何かのアニメ!? 下手すれば私の命も危ないよね!?」

 

 普通に考えればくしゃみで暴発するなんてあり得ないのだが、信じてしまった仄音は一歩後退った。

 

「だ、大丈夫よ! こうしてしまえば! ほら!」

 

 慌ててロトが台へと触れると修復魔法が発動し、台はみるみるうちに元へと戻った。勿論、景品も元の位置である。

 

「ごほんっ……さて、両替はしてくれた?」

 

 自分のミスを無かったことにしようと咳払いをして話題を変えるロトに、仄音は頭を殴られたかのような驚きを覚えた。

 

「ろ、ロトちゃ――はい、両替してきたよ」

 

「ありがとう」

 

 親の仇のように睨みつけられ、怯んだ仄音は大人しくお金を渡す。天使のミスを掘り返すという行為は、自らの墓穴を掘る行為と一緒なのだ。

 お金を受け取り、札を財布に仕舞ったロトはUFOキャッチャーの前で肩をクルクルと回して柔軟させ、いざレバーを掴んだ。

 仄音は親が子を見守るようにはらはらとしていた。

 そして、両替をして三回ほどプレイが終わり、一向に動かない景品にロトは憤りを覚えて台を叩く。

 

「くっ惜しい……往生際が悪いわね」

 

「いや、全く惜しくないよ。全然動いてないし……私がやってあげようか?」

 

「え? でも、それはなんだか負けたような気がするわ」

 

「UFOキャッチャーに勝ち負けはないよ! このままだと時間が掛かりそうだし……いいから代わってみて!」

 

 あと数時間はプレイするような鈍さで、埒が明かないだろう。

 痺れを切らした仄音はロトからレバーを奪い取って、さっさとアームを動かす。

 仄音自体、あまりUFOキャッチャーをプレイしたことがなかった。幼い頃に数回遊んだだけであり、それでもロトよりは格段に上手いと断言できる。

 アームはがっちりと景品を捕らえ、ゆっくりと持ち上げた。一秒一秒が長く感じられ、落ちるかもしれない不安で仄音の心拍数が上がる。

 そんな心境に追い打ちをかけるようにアームはぐらぐらと傾きながら動き、その度に景品は段々と下がっていく。

 

「あっ!」

 

 ついに落ちた。風に散らされた花のように呆気ないだろう。

 思いがけず声を上げた仄音は絶望に染まった。が、景品の落下先が穴であることを確認して胸を撫で下ろした。

 取り出し口から景品である天使の輪を取り出して、仄音はロトへと渡す。

 

「運が良かったのか一発で取れたよ……」

 

「凄いわ。あんなに的確にアームを操作するなんて」

 

「いや、あれは誰でもできるよ。ロトちゃんが下手過ぎるだけでしょ」

 

「そう……薄々思っていたけど私って下手なのね」

 

 ロトは景品を抱えて俯いてしょんぼりとしている。

 

「え、いや、やっぱり私が上手いだけかな。運も実力の内ってね!」

 

 元気づけようと前言を撤回して胸を張った仄音だったが、ロトに疑心を含んだ瞳を向けられて顔を逸らしてしまった。

 人の行動というのは時に言葉よりもダイレクトに伝わり、ロトは深く心に傷を負った。

 

 

 

 

 頭に景品である玩具の天使の輪を付け、メイドなのか天使なのかよくわからないコスプレをしているロトはご機嫌だった。人見知りで挙動不審気味になっている仄音は買い物を続け、食料や日用品を揃えていく。

 それは数時間に及び、大量の荷物で二人とも両手を封じられながら、仲良く並んで帰路に就いていた。勿論、通り過ぎる人に注目され、まるで見世物小屋だろう。

 

「はぁー疲れた。冬なのに少しだけ汗がでてきたよ」

 

 引きこもり故に体力がない仄音はふらふらと揺れていた。

 対して、普段から過酷な天使の仕事をこなしているロトは澄ました様子で歩いている。

 

「……ロトちゃん。遅くなったけど、今日はごめんね?」

 

「なんの話かしら?」

 

「ほら、最初の私、半分意識が無かったから……」

 

 UFOキャッチャーの時に謝るタイミングを逃し、仄音はずっとチャンスを窺っていた。

 そして、現在の時刻は五時過ぎ。冬なので太陽が隠れるのが早く、夕焼けになって黄昏ている今がそのチャンスだと判断したのだ。

 ロトは少しだけ沈黙し、きちんと仄音と目を合わせて想いを紡いだ。

 

「……私の方こそ悪かったわ。いきなりショッピングモールで買い物はヒキニートの仄音には辛かったわね。次はコンビニ……はゴミヒキニートの仄音には無理ね。一緒にゴミ捨てにでも行きましょう」

 

「ご、ゴミヒキニート……貶されているようにしか聞こえないよ……否定できないけど……」

 

 予想以上の罵倒に仄音は顔を引きずらせた。

 

「まあでも! 次は一人で行けるよ! ロトちゃんの所為で耐性がついたし!」

 

 お陰ではなく、所為である。

 今回の買い物はコスプレしたロトがいた所為でハードルが天高くまで上がり、必要以上に注目された。初心者が難易度ベリーハードでゲームを始めるようなもので、引きこもりの仄音には辛いことだ。

 しかし、しっかりと経験値として蓄積され、仄音は自信を得ていた。ただ一人で出かけるなんて、今日の苦行と比べれば霞んで見える。

 

「そう……期待しないで期待しておくわ」

 

「なにそれ。矛盾しているよ? ……ああ、お腹が空いてきちゃった」

 

「もうすぐ夕飯時だもの。今日からは食生活を正していくわよ」

 

「んー……ロトちゃんって料理できるの?」

 

 純粋な疑問だった。

 仄音自身、一人暮らし歴が長く、学生時代はきちんとした生活を送っていたため自炊をしていた。だから最低限の料理は出来た。

 

「得意ではないわ」

 

「そ、そうなんだ。因みに今日は何を作る予定なの?」

 

 嫌な予感を覚えた仄音は恐る恐る訊いた。

 するとロトは「そうねぇ……」と手に持ったエコバックを覗きながら考え込み――

 

「ライスオーブかしら……」

 

「なにその七つ集めたら何か起こりそうな料理は?」

 

「失礼ね。代々天使に伝わっている由緒正しいおにぎりよ」

 

「おにぎりなの!?」

 

 大層な名前の割に手軽な料理で仄音は思わず声を大きくした。

 

「ほ、本当に大丈夫? それにおにぎりだけなの? おかずは?」

 

「心配しなくていいわ。きちんと美味しいのを振舞ってあげるから」

 

 毅然とした態度で言うロトだが、その態度だからこそ仄音は不安に駆られた。今までの経験上、ロトが胸を張って語ることは碌でもないことが多いのだ。

 それに朝食なら兎も角、晩御飯がおにぎりだけなのは辛いだろう。何かしらおかずが欲しいと思い、一瞬仄音は自分が料理しようかと考えた。

 

「ふふふ、楽しみにしていてね」

 

「くっ……そんなに眩しい笑顔を向けられると……」

 

 仮面越しでも分かるほどの笑顔で張り切っているロトに苦言を呈すには勇気が必要で、それが足りなかった仄音はただ自身の弱さを歯痒く思った。

 

「それにしても今日は沢山買ったわね。でも、これでやっと最低限かしら?」

 

「そうだね。まだロトちゃんの布団とか買っていないし……あっ! あぁっ!? 弦を買い忘れたよ!?」

 

 衝撃の事実に仄音は愕然としてロトへと凭れ掛かる。

 そうだ。仄音の中の第一目標と言っても過言ではないギターの弦を買い忘れた。

 

「これは決定したわね」

 

「え?」

 

「明日もお出かけね?」

 

 にこりと笑みを浮かべて言うロトに、仄音は目の前が真っ暗になった。

 




仄音
スパルタレベリングでもう何も怖くない状態。ある意味では外出できるようになった。

ロト
荷物の描写がないのは魔法のお陰。きっとそう。


次回は二日後の予定


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第六話『天使と慣れ』

 

 時刻は朝の七時。現役の天使という事もあり、朝に強いロトはすっかり頭が冴えていた。いつもの私服を着込み、昨日に取った天使の輪を頭に付けている。

 それに比べて仄音は未だに睡魔に打ち勝つことが出来ず、だらしないパジャマの格好で大きな欠伸をしていた。

 

「うぅんねむい……あ、ロトちゃん醤油とってくれる?」

 

「はい、どうぞ」

 

 二人は炬燵で暖を取りながら、仲良く朝食を摂っていた。

 暫くして、仄音は目が冴えると同時に落ち着きが消えていく。それは身体に表れ、貧乏揺すりが激しさを増した。

 これには普段仄音に優しいロトも寝起きということもあって苛立ってしまった。

 

「少しは落ち着いて食べられないの?」

 

「えっ? あ、ごめんね」

 

 指摘されて気が付いた仄音はしまったと思い、しょんぼりと項垂れて正座した。表情が曇り、食が進んでいるようには見えない。

 ロトはリモコンを使ってテレビの音量を下げた。因みに朝に天使の番組を視聴するのは日課になっている。

 

「それでどうしたの?」

 

「え?」

 

「いや、さっきから様子がおかしいでしょ? 言ってみなさい」

 

「あ、えっとね、昨日、ギターの弦が切れちゃって……一日中弾いていないから落ち着かないの……」

 

 もじもじとして答える仄音に、ロトは呆れた。

 弾いていないと言ってもたった一日の話である。それくらいで精神が乱れるとは、どれだけギターが好きなのだ。音楽家を目指すなら、その感性は好ましいだろうが、そうではないロトには到底理解できない。

 

「昨日は買い忘れたものね」

 

「そうなんだよね……はぁ憂鬱だよ……」

 

 ロトに言われて、不満げな仄音は味噌汁を口に含む。

 昨日の買い物で、十分な食料を購入したので家の冷蔵庫は潤沢。朝食はインスタント食品から白飯に味噌汁、鮭と豪華になった。如何にも日本人らしい朝食だろう。料理したのは仄音である。

 本当はロトに任せるつもりだったのだが、昨日の夕飯の時にライスオーブというおにぎりを出され、仄音は嫌でもロトの料理の腕を思い知ってしまった。

 

(あれはもう一生食べたくないな……)

 

 ライスオーブという天使に伝わるおにぎりは地獄のような味だった。天国ではなく、悪魔のイメージがある地獄だ。人間が知る甘味、辛味、苦味といった味覚全てに該当しないよううな不思議な味で、唯一は分かるのは死ぬほど不味いということ。

 仄音は一口齧っただけで身体が爆発したかのように錯覚して、意識が闇に吞み込まれた。思い返しただけで吐きそうになった仄音は頭を軽く振って、何とか忘れようとする。

 

「そういえばロトちゃんは弦を出せないの? その修復魔法ってやつで……」

 

「だから魔法は私用できないのよ」

 

「でも壁とか、UFOキャッチャーを直していたし……」

 

「あれはいいのよ。そのままにしていたら仕事に支障が出るから」

 

 壁を直さなかったら大家から修理費を請求され、UFOキャッチャーを直さなかったら今頃警察にお世話になっていただろう。つまり、ロトの言う支障とは物事の大きさ。ロトの匙加減である。

 

「むぅ……なんか釈然としないよ」

 

「何度でも言うけど魔法を頼りにするのは良くないわ。魔力だって限りがあるもの」

 

「そうなの?」

 

 魔力という如何にもゲームにありそうな要素を耳にして、仄音は小首を傾げた。

 

「人間と違って天使は魔力を持っているの。早い話、体力よ。使い切っても寝れば回復するわ」

 

「そうなんだ。ロトちゃんは重力魔法と修復魔法だっけ? それ以外は使えないの?」

 

「そうね。基本的に、生まれた時に魔法が定められるわ。因みにアリアは水魔法よ」

 

「え? 天使って生まれるの? 魔法が決まるっていったい誰が?」

 

「……さあ?」

 

 はぐらかしたロトは会話を切り上げて食事に集中する。

 その意図が分からず、ただ訊いちゃいけないことだと思った仄音は大人しく引き下がった。

 

 忘れてしまいがちだがロトは天使であり、仄音は人間。それも悪の欠片を宿した天使の駆除対象である。それなのに仄音が天使の内部を探るのは良いことではないだろう。そもそも、こうして一緒に暮らしていることが可笑しい。肉食動物であるライオンと草食動物であるシマウマが仲良く暮らすなんてあり得ないのだ。

 

「ロトちゃんは、どうして私に尽くしてくれるの? アリアさんが言っていたけど本当は駄目なんだよね? 私を殺さないといけないのに……どうしてなの? 本当に自己満足なの?」

 

「……前にも言ったけど、生に執着しない貴女を見ているとむかついたのよ。時が来れば殺すわ。絶対に」

 

「そう……なんだ……」

 

 まるで自分に言い聞かせるかのような断言だ。

 ここ数日の暮らしで仄音は随分とロトを気に入っていたため、言い切られるのは冷たく感じられた。分かっていたことではあるが、やはり実際に口に出されると辛い。ロトからとなると猶更だろう。

 

 そんな仄音をこっそりと見つめていたロトは真剣な表情で思考に耽り、箸を止める。

 ロトの言葉は嘘ではなかったが、真実かと問われれば違った。

 本来、ロトたち天使は悪の欠片を除去することが仕事であり、駆除対象に肩入れするなんてことはない。上によって、そう定められていた。

 それなのにただの気まぐれで仄音を生かすのか? いや、あり得ないだろう。例えば、目の前に害虫がいたとして、自分はそれを駆除する仕事をしている。そして、依頼も承っている。それなのに駆除対象を態と見逃す。否、何度でも言うがあり得ないのだ。

 ではどういう意図があって、仄音を生かしているのか? それはロト自身にも分からなかった。最初こそ殺すつもりだったが、彼女を見ているといざ振り上げていたムラマサが震え、そこで自分が躊躇していることに気がついた。殺そうと思っているのに、本能が否定しているのか胃がチクチクとし、胸に熱いものが込み上げてくる。

 形容し難い感情だ。ロトは頭を悩ませた。苦悩を続け、気まぐれだろうと思い込んだ。勿論、深層では違うと分かっているため溜飲は下がらない。しかし、そうでも思わない限りロトは永久に考え込んでしまいそうだった。

 そのうえで現在の倒錯的な生活があり、皮肉にもロトはとても満足していた。

 

(何なのかしらこの気持ち……仄音との生活は楽しいけど、本当はいけないのよね。でも仄音を殺すなんてできない……ああ、きっと師匠に怒られるわ)

 

 先の未来を予測してロトは億劫とし、それは仮面越しでも分かるほどに顔に表れていた。

 

「ロトちゃん……あのね……」

 

「なにかしら?」

 

「え、えっとね、ロトちゃんは悩んでいるんだよね? よく分からないけど好きにすればいいと思う。自己満足でしょ? もし何かあったら私を殺してくれていいから……」

 

「……仄音はそれでいいの?」

 

「うん。前に言ったけど、そこまで生きたいと思っていないし……優しいロトちゃんに殺されるなら本望だよ」

 

「貴女ねぇ……」

 

 自分のことを心配してくれることは嬉しく、特に仄音だからか胸が高鳴った。

 しかし、同時に生物としての本能である生きることに執着しない仄音に、不満を抱いてしまう。死んでもいいなんて今の生活は楽しくないのか、と非難したかった。

 

「……口元にご飯粒が付いているわよ?」

 

「嘘!?」

 

 仄音は咄嗟に手の甲を使って口元を拭う。

 

「嘘よ」

 

「え? ろ、ロトちゃん! 揶揄うのはやめて!」

 

 嘘だと分かった仄音は騙されたことに悔しそうにしている。

 これはロトなりの仕返しなのだ。生物の道理に反して生に執着を見せないのが気に食わないと言っているのに、簡単に死を口にする彼女への仕返し。

 少しだけ気分が晴れたロトは茶を喫した。

 

 

 

 朝食を食べ終えた仄音は手持ち無沙汰になり、退屈そうに炬燵に突っ伏していた。

 ギターは弦がないので弾けず、やれることはノートパソコンを動かして暇を潰すか、よく分からない天使の番組を見るか。

 どちらも気が進まないので、ベッドで布団に包まろうとしたらロトに止められた。

 

「大丈夫だよ。布団で休むだけだから」

 

「いや、貴女の場合は寝ちゃうでしょ? 二度寝したらまた生活リズムが狂うわよ?」

 

 ご尤もである。仄音としても昼夜逆転は避けたい。寝過ごして結果的にギターが弾けなくなる可能性だってあるのだ。

 

「それじゃあ何しようかなぁ……溜まっていたアニメはこの前に消化したし……」

 

「なら私とお話しましょう? 嫌かしら?」

 

「え? そんなことないよ! いっぱい話そう!」

 

 仄音とロトは炬燵で温もりながら談笑を楽しみ、空気は弛緩した。

 話題は何気ない世間話だったり、将来のことだったり、特に仄音が興味を抱いたのはアリアという天使の話題だった。

 

「アリアは私と同期の天使でね。水魔法を使い、特に泡が気に入っているようね。よく私と業績を競い合っていたの」

 

「ぎょ、業績……」

 

「そうよ。まあ同期の中では私が一位で、彼女はいつも二位だったわ。それが悔しいのか、いつも私に突っかかってきて面倒くさい女性よ」

 

「確かにアリアさんはロトちゃんに執着していそうだったなぁ……」

 

 仄音の記憶の中のアリアはロトを見下すような、何かしら特殊な感情を抱いていた。ロトの名前を口に出した彼女はとても恨めしそうに歯を食いしばっていた。

 

「あっ、そうだわ。仄音更生計画でも進めましょうか……」

 

「えっ、なに、その思いついたかのような言い方は……もしかして忘れていたの?」

 

 仄音の指摘に、ロトはあさってを向き、鳴らない口笛を吹いている。

 思わず、仄音は苦笑いを浮かべてしまうが、そんな余裕はないだろう。

 何故なら、仄音更生計画Ⅱは既に達成されているため、次のステップへと移行。ステップⅢは働くこと。つまりは就職だ。就職という文字はヒキニートにとって地獄、また処刑とも読めてしまう。

 ロトの説明を受けて、処刑を悟った仄音は脳内をフル回転させ、被害妄想を抱いた。

 妄想の中の仄音は会社によって馬車馬の如く働かされ、何か失敗を犯す度に、魔物のような見た目の上司に鞭打ちされる。やはり地獄なのか。

 

「週一のバイトでもいいのよ……? でも、確かに心配ね。ヒキニートでゴミクズな仄音に働くのは酷かしら?」

 

 妄想した挙句、放心状態の仄音は口から白い靄のような魂を出してしまっている。

ロトはもう一度反芻する。その結果、やはりヒキニートに就職は難しいという考えに至った。

 しかし、このまま一生ヒキニートをやる訳にもいかないだろう。親の仕送りだっていつまで続くか分からないし、やはりきちんと自立しないと心配である。

 

「と、なると慣らさないといけないわね」

 

 仄音の外出が決定した。

 

 

 

 仄音は昨日購入した服――漆黒のスカートに、少し弛んで皺のようになっているシャツ。腰辺りからはチェーンが乱雑に伸び、ヴィジュアル系バンドのようだろう。ロックロックしいファッションだ。

 外出の目的は外に慣れること。それと、昨日買い忘れてしまった弦の購入である。

 

「それじゃあ行ってくるね」

 

「本当に一人で大丈夫? 慣らしだから私と一緒でもいいのよ」

 

「いや、メイド服のロトちゃんといたら余計に目立つよ」

 

 もうあんな想いはしたくない。ロトと出掛けるなら、一人の方が数段楽なのだ。それほどヒキニートにとって注目を集めるというのは毒である。

 

「いってきます」

 

「いってらっしゃい」

 

 挨拶を交わし、お互いに何だか家族みたいだと思ったが、言葉にすることなく別れてしまう。

 昨日、過激なレベリングをしたお陰が、外の世界はまたがらりと変わっていた。否、視覚的にはあまり変わっていないが、大きく変わったのは仄音の気の持ちようである。

 人目を気にして、俯きがちに歩いていたのが、今では背筋を張ってきちんと前を向いている。幻聴も聞こえない。完全に不安感を拭えた訳ではないが、それでも多少挙動不審気味に見える程度で収まっている。

 

(いける……! 私は成長してる!)

 

 もう何も怖くない。そう仄音は調子に乗って、駆け足気味に楽器店へと向かう。

 

「ちょっといいかな?」

 

 刹那、背後から声を掛けられ、振り返っては呆気にとられた。

 その人物自体、見覚えがない。が、見た目からして二十歳前半の青年で精悍な面構えをしており、服装的に警察官なのだと察せられる。

だからこそ仄音の背筋が凍り付き、顔色を悪くした。息が荒くなり、目の焦点があっていない。

 それもそうだろう。今の状況は二十歳の女性が警察官に声を掛けられている。職務質問という奴であり、つまりは疑われているのだ。

 




仄音
外出からは逃れられない。ファッションセンスは男子中学生。ある意味バンドマンらしい。

ロト
匙加減で魔法を使う。仄音に依存しかけている。

聖奈(未登場)
本来ならここでオカルト好きな女子小学生が登場していたがカットされた。


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第七話『四面楚歌』

ちょっと遅くなりました。

この辺りは改稿しまくりなので、ほぼ書き直しています。
展開もオリジナルです。


 突然な国家権力の登場に、額から汗を噴き出した仄音はその場で土下座を披露した。

 

「す……すみませんでした!」

 

「え、えぇ! 僕、まだ何も言ってないけど!? 何かしたのかい!?」

 

「してないです!」

 

 動揺を隠すかのように食い気味に答える仄音を見て、警察は目を丸くした。突拍子もなく、土下座をされたら誰だって困惑するものだ。

 

「も、もぉびっくりするじゃないか……最近、この辺りで不審者が出没していてね。幼い女の子が狙われているんだ」

 

「そうなんですか? それはいけないですね!」

 

「なんでも飴といったお菓子で釣っているようでね。荷物を見せてもらってもいいかな?」

 

 そう訊いてくる警察だが、実質拒否権はないだろう。

 仄音は顔を青くして、サウナに入ったかのように汗だくだくだ。何故なら、仄音のトートバッグにはロトによって持たされたお菓子が入っているのだ。

 

「こ、これで勘弁してください」

 

「何をやってるんだ!? 君は!?」

 

 お菓子が入っている以上、疑われるかもしれない。最悪の場合、冤罪を掛けられて牢獄行きだ。

 何が何でも鞄の中身を見られたくなかった仄音は財布から千円札を五枚ほど取り出して、警察へと捧げた。俗に言う賄賂である。

 

 が、勿論警察は賄賂に靡かない。よく出来た組織だろう。寧ろ、挙動不審気味な仄音に何かあると疑い、鋭い目つきに切り替わる。

 

「お金は受け取れない。兎に角、鞄の中身を見せてもらうよ」

 

「あっ!」

 

「これは……」

 

「ち、違うんです! 確かにお菓子ですけど氷砂糖です! 氷砂糖はノーカンですよね! ね!」

 

 仄音がびくびくとした様子で答える。氷砂糖も立派なお菓子なのでノーカンも何もないのだろう。

 警察は怪訝な表情を浮かべ、鋭い眼光で仄音の格好を確認する。つま先から頭の天辺まで隈なく、だ。

 不良っぽい服装だが彼女の怪しい行動は全て人見知りだからだろうと、警察は今までの経験から何となく分かった。しかし、絶対に悪人ではないと断言はできない。少しでも可能性があるなら疑うのが仕事なのだ。

 

「ん? 無線か。はい、こちら――はい、了解です」

 

 不意に無線から連絡が入り、警察の耳に最新の情報が飛び込んでくる。

 

(近くに不審者の目撃情報か……挙動不審気味、猫のような特徴的な黒髪で、ロックを彷彿とさせる格好ねぇ……うん、この子のことだよね)

 

 警察は再び仄音を見据える。

 確実にその不審者とは仄音のことであり、それは事実だった。痛々しい格好をしている挙動不審気味な女性。正義感溢れる人ならば通報するだろう。

 

「君、身分証明できるものを持っているかな?」

 

「え? は、はい……」

 

 仄音は財布に入っていたほぼ意味を成していない免許証を警察に渡した。

 名前、年齢、住所を把握すると警察は再び鞄の中身に手を付ける。そんな時、また仄音は財布からお金を取り出した。それも今回は千円札が八枚だ。

 

「すみませんすみません。私は人畜無害な一般ピーポーです! これで勘弁してください!」

 

「だから見逃すことは――ってさっきより増えてない!?」

 

「さっきは……その……少しだけ手元に残しておきたくて……私の小さなプライドです」

 

「みみっちいな! そんなことで胸を張られてもだな!?」

 

 思わず警察はツッコミを入れてしまう。仕事のことなど頭の中から消え去ったが、数秒後には落ち着きを取り戻した。

 

「ごほんっ!」

 

 気を取り直すように咳払いをし、再び鞄へと手を付ける。

 仄音は警察に疑われているとパニックになっていたが辛うじて平常を保っていた。

 

「ん? これはなんだ?」

 

 鞄の中身は至って普通。と思いきや底の方に小さな袋が出てきた。中には砂糖のような粉末が入っており、まるで隠されていたようだ。

 まさか、危ない粉なのでは? と、警察は鋭い視線を仄音に向けた。

 

「そ、それは……」

 

「これはアレだね? 本当のことを言いなさい。黙っていても検査で分かるぞ」

 

「え、ええ、エンジェルパウダーです!」

 

 聞き覚えのないチープな単語に警察は耳を疑った。

 しかし、仄音は真面目だ。信じてもらえないと分かっていたが、それでも真実を主張するしかできなかった。

 

「嘘を吐くな。これは薬だな?」

 

「違います! 天使から授かったエンジェルパウダーです! 多分調味料です!」

 

「なんだそれは! 使ったら天使に召されるほど気持ちよくなるってことか!」

 

「違います! 逆に気持ち悪すぎて失神します!」

 

 仄音の言い分は事実だった。

 このエンジェルパウダーなる物はロトがライスオーブという料理を作った際に使われた謎の粉なのだ。その激マズ具合ときたら地獄を体現しており、思い出してしまった仄音は吐きそうになる。

 しかし、一つだけ疑問があるだろう。

 

 そう、どうしてその粉が仄音の鞄の奥底へ隠れていたのか。

 実はエンジェルパウダーとは天使の間では万能として知られており、お守りのように肌身離さず持つのが定番だった。つまり、ロトが仄音の安寧を願って、勝手に鞄へと忍ばせていたのである。

 結果として安寧とは真逆の物騒な出来事が起きているのだが……ただ嵌められたと仄音はパニックに陥っている。

 

 仄音の迫力に警察は一瞬怯んだが、直ぐに上擦った声で仄音の腕を掴んだ。

 

「と、兎に角、署まで来てもらうぞ」

 

「ちょ、嫌です! 離してください! 誰か助けて! この人ストーカーでーす!」

 

「す、ストーカーだと! 妄言も大概に――うげっ!」

 

 警察と仄音が揉めていると、突如空から落ちてきた水玉が警察の頭上に直撃した。

 強い風が吹き、仄音は髪を棚引かせながら目を丸くしてぽかんと口を開けてしまう。本当に突然で、隕石が落ちてきたようなインパクトがあった。

 普通に考えてあり得ないだろう。まるでバケツを零したかのような水塊が頭上に落ちてくるなんて、何処のファンタジー世界だ。

 

「あ、もしかして……」

 

 人は理解できないものを目にした時、今までの人生で見知ってきた概念の中から理解できないものに一番近しいものを探し出し、それに当て嵌める。

 仄音の場合、それは天使だ。この水を落としたのは天使の仕業だ、と確信した。ロトかどうかは分からないが、こういった非日常は天使だと相場で決まっている。

 

「うっ……」

 

 強い衝撃に意識を失った警察は数秒間身体を硬直させると倒れてしまった。白目を剥いていて、無事とは言い難い。

 仄音は恐る恐る警察の首筋に手を当てた。

 

「い、生きてる……」

 

 轢かれたカエルのように倒れている警察だが、幸いな事に脈はあった。正常に呼吸をしている。

 そこで仄音は思い出したかのように辺りを見回した。

周りには人の気配はしない。しかし、いつ人が来るか分からない。騒ぎになれば、もっと人が集まるに決まっている。

 そうなれば仄音は真っ先に疑われ、野次を飛ばされながら捕まってしまう。最悪の場合はニュースに掲載され、インタビューにてロトが「いつかやると思っていました」と答えるかもしれない。

 

「あ、あはは……私は何も知らない。何も見ていないよ……」

 

 仄音は譫言を呟き、逃げるように現場を後に――できなかった。

 空から舞い降りた天使によって首根っこを掴まれたのである。

 

「あ、アリアさん!?」

 

「ふっふっふ、助けてあげたのに逃げるなんて薄情だねー」

 

 意地悪そうな笑みを浮かべたアリア。そう、舞い降りた天使はアリアであり、その格好は前と同じで女子高生スタイルだ。

 一体何をしに来たのか? どうして自分を助けたのか?

 仄音は足りない頭を高速で思考させたが、一向に答えが見つからない。ただ分かるのは、一刻も早く逃げた方が身のためだと言う事だが、逃れられそうにない。

 

「お、お願い! 見逃してください! お金ならあげるから……!」

 

「五百円だけ!? さっき警察に千円札を渡していたよね!?」

 

「ひぃっ! ご、ごめんなさい! これも私のちっぽけなプライドなんです!」

 

「天使を目の前にしてプライドなんて……! ま、まあいいし……私が貴方を助けたのはこれが理由だから」

 

 そう言ってアリアは警察の掌にあったエンジェルパウダーを手にした。

 先ほども言った通り、エンジェルパウダーとは天使の間では万能だ。そのため需要が高く、供給が間に合っていない。天使たちにとって貴金属のようなものなのだ。

 それを間接的にロトから奪い取ったアリアは不敵な笑みを浮かべ、再び仄音と向き合った。

 

「はぁ~さいっこう! ロトからエンジェルパウダーを奪えるなんて……!」

 

「は、はぁ……」

 

「……今、変なこと思ったでしょ?」

 

「め、滅相もないです!」

 

 本当は変態と思っていたのだが、口が裂けても言えない仄音は視線を逸らしてはぐらかす。

 

「そうだ! 仄音さんには死んでもらわないといけないし、ちょっと私に付き合いなさい!」

 

「え、普通に嫌――はい」

 

 アリアがシャボン玉を掌に浮かべたことにより、拒否権がないと悟った仄音は死を覚悟した。

 

 

 

 

(なんだこれ……なんなんだこれ……)

 

 仄音は思考停止していた。

 アリアの水魔法によってシャボン玉の中に閉じ込められ、そのまま空を飛んでいる。比喩ではなく、本当に空を飛んでいるのだ。

 アリアは翼を羽ばたかせ、仄音はそれに着いていく形で浮遊している。まるで連行される犯罪者のようだろう。

 上空何百メートルだろうか?

 もしも、魔法を解除されたら仄音は即死だろう。地面に臓器と血を撒き散らしての圧死だ。

 

「そんなに怯えなくても殺さないから。今日は、ね」

 

「何ですか、その明日には死ぬみたいな言い方は? って言うかど、一体何処に向かって……」

 

 仄音は高いところは苦手ではない。しかし、限度がある。

 安全かどうか確証もない未知の手段で上空何百メートルに居たら、誰だって恐怖で竦んでしまうものだろう。仄音もその一人であり、命をアリアによって掴まれているので尚更だ。

 

「目的地はないのだけど……ただ仄音さんに私たち天使の実態を見せた方がいいと思って……」

 

「実態?」

 

「そう。貴方はロトの加護を受けているらしいけど、自分から逃れたくなるほど絶望的な現実を突きつけてあげる」

 

「……アリアさんはロトちゃんが嫌いなの?」

 

「そうよ」

 

 アリアは心底嫌そうに顔を顰めて、子供のように暴れ出す。

 

「むきー! ロトが侮辱してきたことは忘れてないんだから! 最新だとロトナンバー百五! あれは一か月前の天使集会の日! ロトは私の恋路を邪魔したの!」

 

 恨めしそうなアリアは肩身離さず持ち歩いている真っ黒な手帳を取り出した。

 表紙には血で殴り書いたような文字で『ロトナンバー』と宝くじのようなタイトル。見ただけで呪われそうで、少し読めば死んでしまう。そういう先入観を抱いてしまうほどに禍々しいオーラを放つ手帳を読み始めた。

 




仄音
格好が痛々しい。不審者扱いされる。

ロト
仄音の鞄に勝手にエンジェルパウダーという未知の粉を忍ばせた。

アリア
本当は出番がなかった。だけど出しました。プロットが変わったので。ロトナンバーというロトへの恨みを綴ったノートを持ち歩く。

警察
元は名前ありの、脇役的な存在だったが、今回ではただのモブです。これ以上は出ない予定。生きています。


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第八話『残酷なカルマ』

遅くなりました。失踪はしません!


 天使集会とは月に一回はある会議の事で、地域の天使たちが集まっては情報を交換して、親睦を深める。いわば連携を強化し、効率良く悪の欠片を除去するのが目的だった。

 と、いってもその文化は時代と共に廃れつつあり、今ではすっかり形骸化しているのが現状である。

 広野市担当の三天使も会議という形だけを取り、駅前のファストフード店で学生のように駄弁っていた。

 

「それで貴方たちはノルマを達成したのでしょうね?」

 

 先ず、話を切り出したのはロトだ。スマホに表示された自分の業績を見せ、それはノルマの二倍を達成している。仄音に会う前の彼女は仕事熱心であり、ブラック企業に勤めているかのような働きぶりを見せていた。

 

「んな!? 私より多いじゃん! くっそー……自信あったのに……」

 

 一番に反応を示したアリアは悔しそうに肩を落とす。女子高生のような制服のうえ金髪であり、雰囲気的にはギャルだろう。この店に、いや人間社会にしっかり溶け込んでいる。

 

「そう……残念ね。アリアが私を超えることはあり得ないでしょうね」

 

 対して、ロトは余裕そうにポテトを一本一本抓んでは口に運んでいるが、魔法少女を彷彿とさせるドレスであり、物凄く目立っていた。

 周りに一般人はそんな天使たちを見てはヒソヒソと私語を話している。

 

「な!? 私に喧嘩売っているの!?」

 

「ま、まあまあ落ち着いて……確かにロトさんの方が多いけど、アリアさんも平均より多いよ」

 

「くっ……此処が店の中じゃなかったら水魔法を放つのに……!」

 

「あはは……」

 

 アリアを宥める三人目の天使は朗らかな微笑みを見せる。

 サラリーマンのようなスーツを着ている彼の名前はサトウ。漢字で書けば佐藤であり、ロトとアリアと違って人間社会の歯車として働いている、一番の常識天使だ。

 

「で、サトウはどうなの?」

 

「いつも通り、ギリギリノルマを達成したよ」

 

「またなの? 貴方、それでも天使の誇りを持っているのかしら?」

 

「ご、ごめん……言い訳のつもりじゃないけど人間社会ってたいへんなんだ。仕事は難しいし、飲み会に付き合わされるし……」

 

「ブラック企業に勤めているからじゃないの? 天使の仕事に集中したら?」

 

「……二十四時間働いているロトさんに言われたくないなぁ」

 

 サトウは天使の仕事の他に、普通のサラリーマンとしても働いている。そこらの天使よりは毎日が忙しく、いつもギリギリな生活を送っていた。

 しかし、それは成績が伸びない理由にならない。サトウが人間社会で働くのは趣味であり、天使の使命ではないのだ。

 

「いや、サトウ君は凄いよ! 私たちと違って人間社会で働いて、天使の仕事をこなしているんだから! 元気だしなよ!」

 

 立つ瀬がないと落ち込んでいたサトウを、アリアは頬を赤らめながら一生懸命に励ました。

 

「あはは……ありがとう。そう言ってくれると気が軽くなるよ」

 

「はぅ……」

 

 サトウの笑みを不意打ちされたアリアは茹った風にもじもじと手を弄り始める。

 明らかに恋する乙女(三十路)であり、青春のワンシーンのようなやり取りを食事中に見せつけられたロトは段々と苛立ってきた。

 

「あ、そうだ。サトウ君もポテトを食べる?」

 

「え? ぼ、僕は別に……」

 

「いいからいいから、ほらあーん……」

 

 アリアはソースを軽く付けたポテトをサトウの口元に運ぶ。

 最初は恥ずかしがっていたサトウだが観念して口を開いてポテトを受け入れた。

 

「ん? ――か、辛らああああああい!」

 

「ひぇっ! さ、サトウ君!?」

 

 柄にもなく叫びながら水を飲み干すサトウ。本当に辛く、まるでハバネロを舌全体に塗ったように痛い。その証拠に舌が赤く腫れ、あまりの痛さぁら大事にとっておいた白い粉を舌に塗った。

 するとみるみるうちに赤みは引いていき、舌は本来の姿に戻った。

 

「ひ、酷いよアリアさん……エンジェルパウダーを使っちゃったよ。これ、結構高いのに……」

 

「え? わ、私じゃ――はっ!」

 

 アリアは悪魔のような微笑を浮かべているロトに気がついた。手元にはご丁寧にドクロマークが描かれた黒い小瓶を転がしている。

 そう、これは冤罪だ。アリアはロトに罪を被せられたのだ。

 

「わ、私じゃないよ! 犯人はロトに決まってるよ!」

 

「何を言っているの? こういう悪戯は貴方の専門でしょ? いつも私にしているじゃない」

 

「くっ……」

 

 確かにアリアはよくロトに悪戯を仕掛けていた。その殆どはロトに効果がなかったが、それでもこのグループでは悪戯=アリアという図式が成り立っていたのだ。

 どう弁解しようが無駄だと思ったアリアは悔しそうに歯ぎしりをし、恨んでやるとばかりにロトを見つめることしかできなかった。

 このピリピリとして緊迫に満ちた空気が店内に漂い、客は悪寒を感じて静まり返っていたが、鈍感であるサトウは気にせずにハンバーガーを頬張っていた。

 

 

 

 

 読み上げ終えたアリアは怒りのあまりロトナンバーで仄音を叩いた。

 

「そう! ロトの所為よ! ロトの所為でサトウ君に嫌われたじゃない! きっと悪戯好きなババアって思われたわ!」

 

「どうして私が殴られたの!?」

 

「八つ当たりよ!」

 

「あ、はい。そうですか……って、ぎにゃああああああああああっ!」

 

 腫れ物には触れないと決めた仄音は理不尽を屈せず、静観を貫いた。その顔はまるで仏のようで、心頭滅却すれば火もまた涼し、を体現しているようだ。

 そんな仄音の態度に苛立ったアリアは更に癇癪を起し、ジェットコースターのような急降下を繰り返す。ぐるぐると回る視界に胃が揺さぶられる感覚。これには流石の仄音も音を上げてしまい、吐く寸前まで繰り返された。

 

「はい、着いたわよ」

 

「ぜぇーぜぇー……し、死ぬ……」

 

「仄音さんが悪いんだよ? ああいう時は嘘でも同情しておけばいいの。まあ嘘だったら殺すけど」

 

 どのみち殺されるじゃないか……と、仄音は天使の横暴さを身に染みたところで辺りを見回した。

 そこは何処かの廃工場だった。少なくとも仄音に見覚えはなく、広野市から大分離れているのだろうと察せられた。

 

「此処は……まあ田舎にある廃工場ね。目的は悪の欠片を覚醒させた人間の始末よ」

 

「え? それって……」

 

 仄音が理解する前に、何者かが廃工場から這い出てくる。

 それは異形だった。顔にはドロドロとした血を彷彿とさせる双眸があり、口は裂けてしまっていて肉が丸見え。サラリーマンだったのだろう。元は紺色だったであろうスーツは血塗れになっている。

 人間としての形を最低限保っているようだが、化け物には違いない。仄音は身体の芯から震え上がって、思わずアリアの背後へと隠れた。

 

「仄音さんの悪の欠片に反応して出てきたようだけど……予想以上に成長しているじゃん。殺し甲斐があるわー」

 

「え? 殺すの!?」

 

「そりゃそうじゃん……いつまでもほのぼのとした日常が続くとは思わないことね。仄音さんは悪の欠片を持つ害虫なんだから」

 

 そう言って、アリアはチェーンソーを手にして、化け物へと突撃した。対する化け物も瞳をギラつかせて、鋭く尖った爪で飛び掛かる。

 これが天使と悪魔(悪の欠片)の戦い。命の奪い合い。

 ドラマや映画でしか見られないような、リアルな光景が広がっている。

 アリアのチェーンソーが化け物の腕を切断し、そのまま身体を切り裂いた。臓器が撒き散らされ、血飛沫が舞う。

 グロテスクだ。いくらそういうゲームで鍛えた感があったとしても吐き気を催す。

 しかし、これは現実だ。アリアが言っていた絶望的な現実というもの。

 いわば、あの化け物は仄音の成れの果てなのだ。いずれ仄音もああなって、天使によって裁かれる。殺される。凶器を握るのはロトかもしれない。

 

「あはは! これだから天使はやめられない!」

 

 返り血で真っ赤に染まるセーラー服。

 もはや、原型を留めていない化け物。

 仄音は青ざめて、ただ身体を縮こまらせていた。この場から逃げようにも戦慄から動けず、頭の中が真っ白だ。

 

 やがて、化け物は絶命した。

 アリアは三日月のように頬を吊り上げて、狂気的な笑みを浮かべていた。

 

「どう? これが天使の実態よ? 絶望的だよね。仄音さんもいずれはこうなるんだから……」

 

「いや、あの、魔法は使わないんですか? 水魔法なら、もっと綺麗に殺せたんじゃ……」

 

「ああ!? あんな不確かな物より信じられるのはコレだけでしょ!?」

 

「えぇ……」

 

 そう叫んだアリアはチェーンソーで化け物だった物を更に刻んだ。

 鬼畜の所業だろう。天使とは思えない行動だ。

 仄音は呆れた溜息を吐いた。水魔法やシャボン玉があれば、簡単に窒息死させられる気がしたのだが、どうやら天使が信じられるのは物理攻撃だけらしい。

 

「悪の欠片を秘めた者は悪神ヒステリーのために行動するの。まあ要するに人類を滅ぼうとする。その結果がこれよ……今回は随分と馬鹿な相手だったわ」

 

 アリアは徐に錆びた扉をこじ開ける。その瞬間、辺りに漂い始める異臭。まるで生ごみを数か月放置したかのような酷い悪臭に、仄音は吐きそうになった。

 

「ただ殺人衝動に身を任せていたようだし……あっ、こっちには来ない方がいいわよ?」

 

 アリアは手慣れた様子で忠告する。

 果たして扉の向こうには何が広がっているのか……微かに見えるこびりついた血痕と生臭さから、勘の悪い人でも察せられるだろう。その先は見ちゃダメだと。

 

 仄音はどうにかなりそうだった。

 目の前で起こったのは非現実的で、それも物騒な展開。悪の欠片を持った人間の成れの果てが化け物で、人を襲っていた。これがアリアの言う絶望的な現実なのだ。

 他人事ではない。

 仄音もまた、悪の欠片をその身に宿している。つまり、いずれはああなってしまうのだろう。

 

「どう? 絶望した? 仄音さんもこうなるの。化け物になって、人類を滅ぼすために行動する。今回は馬鹿だったけど、もしかしたら頭脳派のテロリストになるかもしれないし、そしたら被害が出るかもしれない。絶望的だよね……だから、私が殺してあげる」

 

「でも……」

 

「でもじゃない! 人殺しになりたくないよね!?」

 

 アリアは仄音に詰め寄った。拒否権はないと言わんばかりに、力強く肩を掴む。

 

「早く私に殺されよう!? ね!?」

 

「で、でも、どうせ殺されるならロトちゃんに……「そんなことしたらロトのノルマになるじゃない!」

 

 本音を漏らしたアリアを、仄音はジト目で睨む。

 しかし、そんな悠長な事をしている暇はなかった。目を血走らせたアリアはチェーンソーを振り上げ――ることはできなかった。

 

「アリア? こんなところで仄音に何をしているのかしら?」

 

「ひっ! ろ、ロト!? どうして此処が分かって……」

 

「ニュータイプよ」

 

「あっ分かった! エンジェルパウダーを発信機代わりにしていたのね!?」

 

 一瞬で見破られたロトは不貞腐れたように肩を落とし、ムラマサぶれーどを召喚してアリアに歩み寄る。その姿は鬼気迫るもので、苛立ちと怒りを募らせた、激昂を通り越した凍てついた闇のように思えた。

 これには威勢のいいアリアも躊躇い、あたふたと窮された。近くにいた仄音を人質に取ったが、その行動は火に油を注ぐしかない。

 

「ロトちゃん! ちょっと待って!」

 

 そして、アリアがちびりかけた時、仄音が声を上げた。

 

「私、悪の欠片がどんなに残酷なものなのか、何も知らなかった。無知で愚かだった私に、アリアさんは教えてくれたの。だから、許してあげて?」

 

「仄音さん……」

 

 拉致した挙句、殺そうとしたアリアを庇う仄音こそ天使だろう。慈悲の心で満ち、本心からの発言だ。

 これには感服したアリアは自分の行いを振り返り、恥じた。いくら悪の欠片を宿す人間だったとしても、やり方が汚いだろう。ロトを目の仇にして、恨んで、仄音への仕打ちだ。天使というよりは悪魔だった。

 

「アリア……許すわけないでしょう?」

 

「へ――うげっ!」

 

 許す流れだったのにも関わらず、それに逆らったロトはムラマサぶれーどを投擲。矢のように真っすぐ飛んだそれはアリアの脳天に突き刺さり、アリアは血を噴き出して倒れてしまった。

 まさかの展開に仄音は唖然としつつも、恐る恐るアリアの首元に手を添えた。脈はない。ただの屍のようだ。

 

「ろ、ロトちゃん? 流石にやりすぎじゃ……」

 

「大丈夫よ。天使はこれくらいでは死なないわ。それより仄音は大丈夫? アリアに何もされていない?」

 

「うん。ロトちゃんが助けてくれたから無事だよ……」

 

 果たして、本当に無事で良かったのか……

 悪の欠片の行く末を目の当たりにしてしまった仄音は表情を曇らせる。

 

「そう……帰りましょうか……」

 

 ロトは仄音の手をひいた。もう離さないとばかりに力が籠っていて、温かみを感じる掌だ。

 

「…………」

 

 なんて声を掛けたらいいのか分からない仄音は終始無言を貫き、ただロトに縋りついた。もはや頭の中からギターの弦は消え去っていた。




仄音
悪の欠片を実態を知る。鬱気味。

ロト
激おこぷんぷん丸。アリアには基本容赦がない。

アリア
やり方は汚いが、一応天使の勤めを全うしている。

サトウ
消そうかと思ったけど出した。今作では空気くん。アリアの想い人。常識人。


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第九話『特撮ヒーロー』

カットしようと思いましたが、思い残しました。特撮は僕も好きです。


 仄音が悪の欠片の実態を目の当たりにしてから一週間が経った。

 弦を買い換え、今日もギターの練習に励む仄音だったが、やはり本調子ではない。少しでも暇があれば、脳裏に浮かぶのはアリアの言葉とあの化け物の姿。こびりついた頑固な汚れだろう。

 いっそ洗剤で洗い流せないかと、仄音が溜息を吐いた時、ロトは荒ぶっていた。

 

「なによ! アニメが見れないじゃない!」

 

「ロトちゃん? 何をして――ちょちょ私のノートパソコンをどうするの!?」

 

 ロトが勝手にパソコンを弄っていたことも驚きだが、それよりもムラマサぶれーどの錆にされそうだったので仄音は咄嗟に止めに入った。

 仄音にとってパソコンとはスマホよりも大切なものであり、ヒキニート生活で集めた堕落の結晶が溜まっているのだ。それを破壊されようものなら精神的にダメージを負ってしまう。

 

「いえ、アニメというものが気になったのよ」

 

「だからってどうしてパソコンなの? ロトちゃんはスマホ持っているよね?」

 

 ロトはきょとんとした様子で小首を傾げた。

 

「そうだった……この天使は情弱なんだった……」

 

「失礼ね。すまーとふぉんでアニメを見られるなんて知っていたわよ」

 

 その発言自体が如何にも情弱っぽくて仄音は苦笑いを浮かべてしまった。

 アニメに興味を持つとはロトらしからぬことだろう。そういったサブカルは嫌いのイメージがあったのだが、心境の変化でもあったのか。

 

 兎に角、同志が増えるかもしれないのは仄音にとっても悪い話ではない。きっとロトとアニメについて語り合えたら、素敵なことだろう。キャラクター談義、今期アニメの視聴……考えただけで涎を垂らしてしまいそうだ。

 仄音はウキウキでロトにノートパソコンを渡し、某有名サイトを開いた。ヒキニートであった仄音は俗に言うアニメ見放題のプランに入っているのだ。

 

「沢山あるのね」

 

「そりゃあね。日本を代表するサブカルだもん」

 

 ページいっぱいに表示されているアニメは膨大で、スクロールしても果てが見えない。

 じっくりと吟味して決めるのが一番だろう。しかし、ロトは机に頬杖を突いて、仄音に訊いた。

 

「仄音のおすすめのアニメは何かしら?」

 

「私?」

 

「ええ。そもそもアニメを見ようと思ったのは仄音に興味が出たからだもの」

 

 真っすぐな瞳で告げられて仄音は赤面する。恥ずかしがることなく想いを伝えられるのはロトの良いところであり、悪いところでもあるだろう。

 仄音は平静を装いながらパソコンを操作して、特におすすめだったものをクリックした。

 

「お、おすすめはこれかな」

 

「……これはアニメなの?」

 

「特撮はアニメじゃないけど、広い意味では同じだよ」

 

 ディスプレイには『神仮面ファントムセイバー』という文字が痛々しいフォントで描かれている。

そのパッケージは如何にも男児の興味を惹きそうな格好良いシーンだ。変身している主人公が怪人と戦っており、CGを駆使されてエフェクトが派手。どうやらリスト型の装置を使って変身するようで、手には刀のような現実ではあり得ない剣を持っている。

 ロトは眉をひそめては固い表情でモニターを睨みつけていた。

 

「特撮って男の子が見るものじゃない」

 

「甘いよロトちゃん! その考えは古い! 今の時代、女児向けアニメを男性が見て、男児向けアニメを女性が見る時代なんだよ!」

 

「そ、そうなの……」

 

 据わった瞳の仄音に啓蒙されたロトは少しだけ辟易としてしまった。

 

「それでも特撮はちょっと……」

 

 特撮と言えば正義のヒーローというイメージが強いだろう。主人公が変身して世界の平和を守る。悪い言い方をすれば大きな野望を叶えるためにコツコツと努力を積んできた悪の組織に、正義のヒーローである主人公が怒りの鉄槌を下すというテンプレだ。

 魔法少女や勇者といったものが嫌いなロトは特撮を否定する訳ではないが、特段興味がなかった。

 

「ま、まあ取り敢えず見てみようよ! 面白いから!」

 

 不服そうなロトを横目に仄音はテレビから伸びていたケーブルとパソコンを繋いで『神仮面ファントムセイバー』を再生する。プレミアム会員なので見放題なので躊躇いはなかった。

 

 

 

 

 お試しで一話を視聴した。感想は人それぞれだろうが、二人ともつまらないとは感じず、寧ろその逆であった。

 

「いやぁ……久々に見たけど斬新で面白いよね。押入れに仕舞っている変身玩具を取り出したくなるよ……ロトちゃんはどうだった?」

 

「……そうね。及第点かしら」

 

 澄ました表情で点数を述べたロトだが、内心は穏やかではなかった。特撮という評価が変わるほど、面白いと感じており、溢れんばかりの興味で妙にソワソワとしている。及第点というのはただの見栄っ張りだ。

 

 ――ピンポーン!

 

「あ、頼んでいた物が届いたのかな?」

 

 仄音はロトの様子がおかしいことに気づかず、荷物を受け取るために「続きを見ていてもいいよ」と言い残して玄関へと向かう。

 あっという間に一人残されたロトはじっと目を瞑る。

 脳裏に蘇るのは先ほどの『神仮面ファントムセイバー』という特撮の一話だ。

 幼い頃に両親を亡くした主人公の圭一は育ての親である祖母のお墓参りをしていた。線香を焚いて、手を合わせて黙禱をしていた時、不意に背後から現れた白装束で如何にも幽霊のような少女に衝撃の事実を告げられる。

 

『そこ、私の墓なんだけど……』

 

 幽霊が現れたのと、信じていたものが間違っていた二重の驚きで圭一は絶句した。

 それから幽霊少女の手を借りて、山奥で本来の祖母の墓を見つけ出したが、突如現れた怪人に襲われた。その際、祖母の墓が破壊されて出てきたのかARという腕に装着する形の変身アイテムだった。

 

「本当に凄い……! 面白いわ……!」

 

 窮地に立たされた主人公は幽霊の少女と契約してARを腕に装着して変身。その姿は少年男児の心を惹く様な研ぎ澄まされたスーツで、それを生かすアクションシーン。命のやり取りに、圭一は主人公らしい視聴者を魅了する戦いを見せる。

 

「確か変身する時はこうよね……」

 

 もはや底なし沼だ。特撮という沼に片足を突っ込んだロトは夢中になって、主人公圭一の真似を始めた。

 腕に妄想のARを付け、その時計の針のような芯をぐるぐると回し――足を大きく開いて右肘を前に出し、身体を捻る。そして「リバイブ」と言えば変身は完了だった。

 

「後は必殺技ね。確か剣を使って……」

 

 主人公である圭一は変身した際に装備されている剣を使って戦い、必殺技もそれに因んでいる。

 ロトはムラマサを召喚し、一話目のラストを着飾った必殺技を再現する。

 

「こうして魔力を剣に宿して、剣先で球体にして……ファントムスラッシュ! ――って、え? ほ、仄音?」

 

 ムラマサの剣先に球体を作って、それを投げ飛ばす圭一の必殺技『ファントムスラッシュ』。名前から斬撃なのに斬っていないというツッコミはさておき、ロトは帰ってきていた仄音と目が合った。

 仄音は待ちに待った商品が入ったダンボールを抱えて、軽い足取りだったのだが、衝撃的な光景に固まってしまった。不幸にも目撃してしまった。そう、事故である。

 誰にも見られていないと思っていたロトは動揺し、コントロールを失った必殺技がガラスを突き破って彼方へ飛んでいく。

 

「あ、危な!? ろ、ロトちゃん!? ま、まあ気持ちは分かるけど、本当にファントムスラッシュを繰り出したらダメでしょ!?」

 

 ガラスの破片が床に散りばめられ、思わず仄音は声を荒げた。

 しかし、そんなことよりも恥ずかしい行動を見られたロトは正気ではなく、ただ茫然としていて――

 

「拳があちーぜ……」

 

 ふと主人公の決め台詞を呟いた。暴発した必殺技の所為でアリアが大変な目に遭うのだが、知らぬが仏だろう。

 

 




仄音
同志が増えたのは嬉しいが、ロトの豹変ぶりに少し引き気味。

ロト
魔法少女や勇者といったものが嫌いな割には特撮にハマってしまう。


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第十話『楽なのは』

我慢できないので投稿します。
今回も短めです。


 ギターの弦、ゲーム機といった趣向品。また普通の生活必需品を買い足した仄音の生活水準は見違えるほど上がった。

 きちんと朝に起きて、夜には眠る。避けてこそいるが一人で出掛ける事も可能になり、近所のコンビニに足を運べるようになった。もっと言えばロトという同居人ができて心身ともに豊かになっている。

 

「はぁー……もう十二月の十一日かぁ。時が経つのは早いなぁ……」

 

 音楽の勉強を欠かさない仄音は炬燵の上で教本を広げて読書する。二年ほど前に買った本なので、記されていることは既に知識として蓄えているものばかりだが、勉強にならない訳じゃない。

 本を捲ってはパラパラと流し見して仄音はふと思った。

 

(そういえば誕生日は十二月十二日だから明日で誕生日……二十一歳になっちゃうのか……)

 

 時が経つのは早いと思った。数か月前は学生生活を送っていた気分なのに、実際は数年が経過している。

 すっかりお婆さんのような思考になった仄音は諦めたように溜息を吐いて、目の前でパソコンの画面に釘付けになっているロトを見つめた。

 

(ロトちゃんはすっかりパソコン人間、いやパソコン天使だよ。四六時中パソコンを触っているし……)

 

 ロトが勝手にパソコンを使うようになった時、仄音は汗を滝のように流して焦った。見られたくないものを見られたのでは? と不安に駆られたのだが、機械音痴なロトはアニメを見るために使っただけと言って否定。

 そもそも情弱な天使にパソコンのデータを探ることなんてできないだろう。そう思い直した仄音はあっさりとロトの言い分を信じ、額の汗を拭った。

 

「ロトちゃんは何を見ているの? またセイバー?」

 

「ええ、そうよ」

 

 セイバーとは『神仮面ファントムセイバー』という特撮を指しており、集中しているロトは軽く頷いて肯定した。

 

「この三日間、ずっと見てない? そんなに気に入ったの?」

 

「……いえ、これを見ているのは貴方との話題を増やすため。詰め込んで視聴するのは地上波に追いつきたいからであって、決して気に入っている訳ではないわ」

 

 イヤホンといった物は着けていないため、パソコンに内蔵されたスピーカーから音が駄々洩れだ。

 

『ファントムセイバー! 只今、見参だぜ!』という声が静寂とした部屋に響く。

 ああ、主人公が変身したということはクライマックスだろうなぁ、と仄音は感想を抱いた。

 ロトは興味が無いと、仕方なく視聴している風を装っているが、鼻息を荒くして画面に注目している姿はハマりハマった熱狂的なファンだ。

 

「確か主人公の必殺技ってファントムフラッシュ――「ファントムスラッシュよ。剣先にエネルギーを集中させ、振るう事によって射出する技で、当たった敵は内部から爆散する超絶格好良い技よ。因みに主人公の決め台詞である『拳があちーぜ』も、味があっていいわね」――そ、そうだっけ? あはは……」

 

 言動がファンのそれだが見栄を張るロトは何が何でも否定する。それにしては下手だろう。

 仄音は乾いた笑みを浮かべ、次の瞬間には俯いた。

 普段のロトは仄音を気にして、彼女が暇そうにしているなら声を掛けては構っていた。しかし、今は特撮にのめり込むように夢中になって構ってくれない。それが何だか気に食わない仄音は子供のように頬を膨らませてしまう。

 

(いや、それが普通なんだよ……構って欲しいなんて子供じゃないんだから……もう二十一歳の大人だよ!)

 

 ハッと我に返った仄音は自分に強く言い聞かせ、再び本を読み始めた。

 そして、何時間が経っただろう。ロトが三話ほど見終えた時、仄音は腕を大きく上へ伸ばし「んー」と軽くストレッチをし、気分を変えるためにテレビを点けた。ロトを配慮して音量は小さめである。

 

「あ、ミカエルステーション……」

 

 テレビに映ったのは天使の番組であるミカエルステーション。朝食時、ロトがいつも掛けていたチャンネルであり、そのまま設定されていたようだった。

 仄音は何となく林檎ジュース片手に見始めた。天使の番組は普段何を発信しているのか興味があった。

 

『えー前に放送した『悪の欠片、プリン混入事件』ですが……犯人は僕でした。はい、部下に見つかって殴られましたよ。ほら、上司である僕を殴ったんですよ! それもトンファーを持って、こう足で頬をね。酷いでしょ?』

 

「なにこの番組は……」

 

 ツッコミどころ満載な天使の番組に仄音は苦虫を噛み潰したような顔で肩を落とした。

 仕様もなさそうな事件が数日ぶりに解決したと思えば、犯人は司会者であるミカエルで、彼は部下に制裁を受けて赤くした頬にガーゼを付けていた。いや、そもそもトンファーを持つ意味はあるのだろうか。

 ロトは以前にミカエルステーションは主にニュースを扱っていると言っていた。

 それは果たして本当なのだろうか? 本当はニュースの皮を被ったバラエティ番組ではないのか? 本当にニュース番組だとしても身も蓋もないような内容だと仄音は思ってしまう。

 

『あ、ここで次のニュー――え? なんだって? あ、そっかぁ……これはまずいことになった。まずいまずい』

 

 スタッフからカンペを出され、それを読んだミカエルは徐に立ち上がって、視聴者に背を向けた。ポケットからスマホを出して、二、三回ほど画面をタッチして操作すると耳に当てる。その行動はまるで誰かに電話を掛けるようだろう。

 

 ――神仮面ファントムセイバー! 悪を蹴散らすため、神の名を元に剣を振るうぜ!

 

 仄音は戦慄した。

 部屋の中に木霊した『神仮面ファントムセイバー』のテーマ曲は炬燵に置かれたロトのスマホから発せられている。つまりロトは着信音を態々変えていたのだ。

 仄音はぐっと堪えた。本当はロトを問い詰めたかった。「本当は大好きなんでしょ! ファンなんでしょ!」と責めたかった。が、言ったところでロトは頑として認めないだろう。

 

「……っていつまで見てるの!? 早くしないと電話が切れちゃうよ!?」

 

 痺れを切らした仄音は声を荒げた。

 タイミング的にロトに電話を掛けているのはミカエルなのだろう。テレビの中のミカエルは中々応じない電話にイライラして、腰に手を当てて爪先でリズムを刻んでいた。

 

「出たら確実に仕事を押し付けられるだろうし、出ないわよ。ノルマはもう達成しているから働く必要がないもの……」

 

「え、えぇ……そんなにハマったの?」

 

「だからハマっていないわ」

 

 以前のロトは一生懸命に四六時中働き、天使の誇りを胸、いや天高くに掲げていた。業績が評価され、上司たちは厚い信頼を寄せた。ミカエルが電話を掛けているのも、ロトなら緊急に対処してくれるだろうという信頼のお陰である。

 仄音の更生に努めてからロトは格段に仕事を減らしたが、電話越しに指示される緊急の仕事は絶対にこなしていた。

 しかし、目の前の彼女は最低限の仕事をこなすだけで天使のプライドは感じられない。ただ特撮に夢中になっている痛い中二病だろう。

 

『うーん……珍しく出ないなぁ。他の天使に頼るか? いや、でも彼女じゃないと被害が大きくなるかもしれないし……』

 

 ミカエルは苦悩し、唸っている。

 その苦しい独り言を耳にした仄音は焦った。

 

「なんだかよく分からないけど被害が大きくなるらしいよ。早く行ってあげて? ロトちゃん? ね? お願い!」

 

「えぇ……」

 

 働きたくない気持ちと、仄音の頼みは聴いて上げたいという気持ち。その二つが天秤に掛けられ、皿はぐらぐらと揺らぐ。

 

「もう! いい加減にして! 電話に出ないと怒るよ!」

 

「はい、もしもし――」

 

 仄音に嫌われると思ったロトの行動は迅速だった。素早くマウスを操作して動画を停止すると同時に、片手で電話に応じた。それから「はい、わかりました」と暫く会話すると通話を止めて、ベランダに立つ。

 

「それじゃあ仕事に行ってくるわ。あ、ぱそこんはそのままにしていて頂戴ね。晩御飯までには帰って来るつもりだから」

 

 ロトは神々しいオーラの翼を広げ、以前に仄音がUFOキャッチャーで取った光輪を頭に装着した。

 ベランダに立った彼女はまるで戦場へ舞おうとしている天使のようで、背中で語るかの如く言い残し、大空へと飛び立った。

 

「い、いってらっしゃい……」

 

 人が変わったかのように張り切って仕事に出掛けるロトを見送った仄音は放心気味だった。いつかご近所さんに見られるのではないか? と懸念を抱いたが、どうすることもできないので考えないようにする。

 

 

 

 ロトが出勤して、仄音はギターを抱えていた。

 最初は練習しようと思っていたのだが、いざギターを構えると物思いに耽ってしまい、心ここに在らずと言った風にぼーっと今後について考える。

 

「はぁ……このままじゃ約束を果たせそうにないよ……」

 

 脳裏に浮かぶのは優しい親友。約束を交わした仲であり、破らないために仄音はギターを上手くならないといけない。

 ハードケースの上に置かれた仄音の宝物である写真。そこに写った親友は仄音と一緒に満面の笑みを浮かべているのだが、今にも消えそうな儚い笑みにも見えてしまう。

 

「悪の欠片が覚醒するまで一年か……それまでにどうにかしないとなぁ……」

 

 具体的な線引きが出来ていない仄音は呟いた。

 彼女と約束したのは『ギターを本気で頑張って最高の演奏を聴かせる』だ。そこに技術は関係なく、最高の演奏をできると自負するならば、今でも達成されている事になるが、仄音はそう思っていなかった。

 仄音の中の最高の演奏とは売れていることだ。世間で認められて、ファンができ、本業にできるほどお金を稼ぐ。その曖昧な環境が出来た時こそ、自分は最高の演奏を親友に送れると思っていた。

 つまり、あと一年。その短い期間で、ギターで成功しないと約束は守れないということになる。

 難しいことだろう。音楽に特段才能がある訳でもなく、ただ少しギターが上手いだけ。それだけで売れるほど音楽は甘くない。

 勿論、仄音も身に染みて分かっていた。だからこそ引きこもりになり、厭世的になっていた。今はロトの更生を受けて、大分とマシになっているが……

 

「ロトちゃんに殺されたら、何もかも投げ出せて楽だろうなぁ……」

 

 仄音は今まで死んでもいいと思っていた。世界が滅んでしまうなら、それならそれで仕方ないと思っていた。

 だけど、今では心のどこかで生きたいという気持ちが芽生える。今の楽しい生活、見つけてしまった親友との写真が仄音の後ろ髪を引っ張った。

 




仄音
今の所は生きようと思っている。生きる理由はロトとの生活、とある人物との約束である。

ロト
特撮オタク。手遅れ。

ミカエル
謎。設定ではただのネタキャラではなく、割と重要人物。

神仮面ファントムセイバー
人気特撮番組。あまり人気ぶりから3年間続いている。


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第十一話『サプライズ』

「ロトちゃん遅い……連絡はないし、いつ帰って来るんだろう……」

 

 仄音は炬燵でだらだらと寝転び、スマホを弄りながら呟いた。

 プレイしていたゲームはクリアし、長い時間ニートを満喫しているのだが、何時まで経ってもロトは帰ってこない。

 

「最近、特撮にハマっているようだし、何かあったのかな……」

 

 ロトは熱狂的なファンだ。そして、天使故か頭のネジが抜けている。神仮面ファントムセイバーのグッズを買い占めてきても何も可笑しくはない。

 折角だから押し入れにある変身玩具でも取り出そうかと仄音が思い立った時、ぐぅーという間抜けな音が鳴り響いた。

 

「お腹空いた……」

 

 現在の時刻は夜の十二時だ。昼食を摂ってから何も食べていない仄音の腹は鳴いている。

 

「今日の晩御飯はオムライスかなぁ……先に食べても――いや、待った方が良いよね」

 

 冷蔵庫の中身を思い出しながら献立を考え、今から料理して先に食べようかと思ったが止めた。

 今から料理するとロトは冷たいオムライスを一人で食べる事になってしまう。いや、それならロトの分だけ後で作れば良い話なのだが、それはそれで悲しいだろう。やはり二人一緒に食べる夕飯の方が美味しいのだ。

 

「……いや! それにしては遅いよ!」

 

 慮った仄音は思わず起き上がって、炬燵を叩いて八つ当たりする。

 しかし、いくら叫ぼうが、苛立ちを積もらせて八つ当たりしようが、ロトが帰ってくるわけではない。ただ虚しさが残るだけだ。

 

「はぁ、待つしかないよね……ん?」

 

 静寂とした部屋の中に響くのは微かな音。パソコンのモーター音でも、近所の公園からでもない、それは隣の部屋。つまり空室から発せられていた。

 

「ロトちゃんの声? 誰かと喋ってる?」

 

 じっと聴いていると話し声のようだろう。

 誰もいない筈なのに……と、不思議に思った仄音はそっと壁に耳を当て、盗聴し始めた。

 

『ちょ――そこ――あか――』

 

『いいじゃない――くる――』

 

 壁越しだけあってよく聞こえない。しかし、誰と誰が話しているか仄音には分かった。

 

「え? ロトちゃんとアリアさん? どうして……」

 

 どうやら隣の部屋にはロトとアリアが居るようで仄音は訝しく思う。

 連絡もしないで夜遅くまでアリアと遊んでいるのか? 自分は仲間外れなのか……

 悲しみの気持ちがふつふつと積もり、気持ちがどんどんと沈んでいくのに比例して、ロトへの不信感が深まる。

 

『ちょ――ほん――』

 

『あな――す――き――』

 

 壁越しに聴こえたのは途切れ途切れだが、断片的なものを繋ぎ合わせるとまるでロトがアリアを襲っているように聴き取れるだろう。

 

「な、ななななななななななななな……!」

 

 仄音はこれ以上にないほど動揺して、顔を真っ赤にさせた。

 帰りが遅いロトはアリアと逢引していた。それも今、隣の部屋で享楽に耽ろうとしている。自分はお腹を空かせて待っているというのに……

 仄音とロトの関係は一言で表せない。天使と悪の欠片を宿す人間の関係であり、家主と居候の関係でもあり、友達でもあった。

 ロトが誰とどういう関係になろうが、何をしようが、仄音には関係ない事だ。しかし、胸が抉られたかのような疎外感を覚えてしまう。約束をした訳でもないのに裏切れたと思った。

 ショックから眩暈がした仄音は居ても立っても居られずに隣の部屋に突撃――しなかった。

 

「もういいもん……ロトちゃんなんて知らないから……」

 

 ヒキニートという内気な仄音がとった行動は不貞腐れて眠ること。つまりは不貞寝だった。頭の中を闇がぐるぐると巡り、昼夜逆転を恐れていなかった。

 

 

 ――ドカーン!

 

 

「な、なに!? 爆発!?」

 

 不貞腐れていた仄音の耳朶を打ったのは爆発音。轟音と共にアパートが震え、壁には大穴が開通された。咳き込んでしまうような砂埃が舞い、視界が煙たい。

 

「ちょっとロト! 普通にドアから行きなさいよ!」

 

「インパクトに欠けるじゃない? それにしても威力が強すぎたかしら……ファントムスラッシュは危険ね」

 

 開通された穴から出てきたのはロトとアリアの二人。やはり隣の部屋に潜んでいたらしく、その事実が仄音をさらに追い詰めた。

 

「珍しい組み合わせだね。私のことでも殺しに来たの?」

 

 仄音から飛び出た言葉はどこか重々しい。いつもの可愛らしい声ではなく、平坦気味で棘が感じられた。

 醸し出される靉靆とした雰囲気に、ロトは心配から胸のざわつきを覚える。

 

「……? 今日が何の日か分からないの?」

 

「え? どういう――」

 

 反射的に身体を起こした仄音の目に飛び込んできたのは隣の部屋。そこは空室だったにも関わらず、豪華な飾り付けがされている。部屋の壁に掛けられていた『仄音お誕生日おめでとう』と書かれた看板。それだけでなく折り紙で輪を作り、連結させたカラフルな鎖が部屋を一周しており、机には三人分のコップとお皿。近くに買ってきたであろうチェーン店のピザの箱が置いてある。

 まるでパーティーのような雰囲気だろう。もしかして、と思った仄音はとんがり帽子を被ったアリアを見つめた。

 

「まだ分からないの? 仄音さんの誕生日よ。仕事終わりに飲みに行こうと思っていた私も手伝ったんだから感謝しなさい!」

 

 アリアにそう言われて仄音は全てを察した。

 ロトの帰りが遅かったのも、アリアと隣の部屋に居たのも、全て仄音を祝うためだったのだ。アリアとロトが享楽に耽っているように聴こえたのは勘違いだったに違いない。

 思わぬサプライズに、仄音は涙腺が崩壊しそうになるのをぐっと堪えた。このような事は生まれて初めてで、自分には一生縁がないと思っていたことだ。

 

「そっか……十二時を超えたから私の誕生日……」

 

「そうよ。だから、こう言うべきよね」

 

 ロトは仄音の華奢な手を取り――

 

「お誕生日おめでとう、仄音……」

 

「おめでとう……不服だけど……」

 

「ロトちゃん、アリアさん……ありがとう……」

 

 仄音の真摯な言葉に、天使たちは顔を綻ばせる。

 それから楽しい誕生日パーティーが始まったのだが、勝手に隣室を使っていることを指摘するのは野暮なのだろう。と、仄音は楽しむことを優先した。

 因みに壊れた壁はロトの修復魔法によって直された。

 

 

 

 

 

 談笑やアニメを見たりしながらケーキを平らげ、無事に誕生日パーティーが終わった。時間にしたら二時間ほどで、仄音は満足で爽快な気分だった。飛び立つアリアを見送って、きちんと玄関から自分の家へと戻った。そして、パジャマに着替えて就寝準備に入る。

 

「もう夜中の二時ちょっとだし、そろそろ寝ないとなぁ……」

 

 仄音は二階の布団でダラダラとスマホでソシャゲを楽しみ、下ではロトが真新しい布団を敷いていた。

 その服装は魔法少女のような天使の正装ではなく、仄音とお揃いのパジャマだ。

今までロトの寝間着はドレスだったが、寝づらいに決まっている。そこで布団を購入するついでに仄音と同じ淡いピンク色のパジャマを購入したのだ。

 

「仄音? ちょっといいかしら?」

 

 まだ汚れ一つないシーツの上で正座をし、膝に乗せた小さめの紙袋をぎゅっと握ったロトは上にいる彼女に話し掛けた。

 

「ん? どうしたの?」

 

「その……今日は一緒に寝てもいいかしら?」

 

「え……それって私と同じ布団で眠るってこと?」

 

 二階であるロフトは狭く、布団を二枚敷けるか、敷けないか、ぎりぎりのラインで、それならば同じ布団で寝ると考えるのが普通だろう。

 その通りであり、ロトは静かに頷いた。

 

「ふ、二人で……一緒に……」

 

 普段使用している布団で一緒に眠る。それもスペース的に抱き締め合うかの如く、くっつかないといけない。

 狭くてもいいのか? 汗臭くないだろうか? 一緒に寝る事は構わないが、色々と不安に思ってしまう。いや、そもそも恥ずかしくて気が遠くなりそうだった。

 

「流石に恥ずかしいよ」

 

「そのくらい慣れなさい」

 

「でもスペース的に狭いよ? それに私って良い匂いじゃないし……」

 

「そんなことないわ。狭いのは気にしないし、別にいいでしょう? 最初は二人で寝たじゃない」

 

「あれは事故っていうか流れというかなんというか……うぅ、分かったよ」

 

 ロトから熱い眼差しを送られ、上手く言い訳できなかった仄音は観念した。

 許可を下りたロトは緊張感がほぐれて、少し身体が軽くなった。が、まだ問題は解決してないのでいつも以上に無口である。

 ぎこちない動作で梯子を上り切ったロトはきょとんと座り、同じ柄のパジャマを着た彼女を窺った。

 

「うぅ……」

 

 毛布を抱き寄せた仄音は恥ずかしそうに、微かに頬を赤くして、落ち着かない様子で手を弄っている。一緒に寝たのは出逢ったばかりの頃、炬燵で添い寝した時以来であり、その時とは状況が違う。

 あの時は流れでそうなったが今は違い、お互いに同意し合っての添い寝なのだ。

 

「その……改めて誕生日おめでとう。これは私からの気持ちよ」

 

 勇気を出したロトは後ろに隠し持っていた紙袋を仄音に差し出した。そう、渡せていなかった誕生日プレゼントである。

 パーティー中に渡さなかった理由は仄音の反応を独り占めしたかったからだ。

 

「あ、ありがとう。まさかロトちゃんから貰えるなんて……」

 

 誕生日パーティーの時に貰えなかったので、用意していないのだろうか? と少し残念に思っていた矢先の事である。

 突然のプレゼントに仄音は吃驚したが、物凄く嬉しかった。まだ中身を見ていないのに、ロトの祝いたいという気持ちだけで心が安らぎを感じる。

 

「早速開けるね! ……これは、指輪?」

 

 紙袋から出てきたのは黒い小箱。その中に入っていたのは二つの銀色の指輪で、側面の窪みに紫色の宝石が呻込められている。装飾はそれだけでシンプルだろう。故に高級感がある。

 

「あのね、貴方の誕生日プレゼントをずっと考えていたの。で、その結果がそれよ。高い指輪だと遠慮しそうだから、私が一から作ったわ。どうかしら?」

 

「うん、嬉しい。ロトちゃんみたいで気に入ったよ……」

 

「その宝石は私の魔力で作っているから……」

 

 魔力で生成された宝石は光に反射して、星の光の如く輝いている。ロトが創っただけに、ロトのイメージにぴったりで仄音は吸い込まれるように見とれてしまった。

 

「そうなんだ。ロトちゃんって機械音痴なのに、そういう面では器用なんだね」

 

「機械音痴じゃないわ。誰だって初めて触る物は使いこなせないでしょう?」

 

「いや、そうだとしてもロトちゃんは人一倍酷いと思うけど……それにしてもどうして指輪が二つなの?」

 

「ペアルックよ。私との……嫌かしら?」

 

 不安からロトは弱弱しい声で言った。一番に懸念していた事であり、緊張している原因だった。

 もしも拒絶された暁には死ねる。仄音の返答が、これからのロトの運命を分かつのだ。

 

「嫌じゃないよ! 寧ろ、そういうのって憧れてたから嬉しいよ!」

 

「本当? 無理してない?」

 

「してないよ! ほんとに嬉しい……」

 

 その返答はロトからしたら、免罪符のようなものだ。許しを得ただけでなく、寧ろ嬉しいと屈託のない笑みで言われた。

 ロトは心が躍った。霧が掛かっていた感情が薙がれ、自然と笑みを零してしまう。

 

「早速付けてみよっと! あ、ピッタリだよ!」

 

 本当に嬉しかった仄音は早速、指輪を左手の薬指に通した。そう、左手の薬指だ。無意識下で行われたことで、その意味に仄音は気づかない。

 それとは裏腹に、意味を知っていたロトは驚いたが顔には出さない。しかし指輪を凝視してしまい、教えようかと考えてしまう。

 

「あ、ロトちゃんにもつけてあげるね」

 

 その隙に仄音はロトの右手を奪い取って、薬指に指輪を通した。その行為にも意図はなく、ただ見栄えが良いように自分と同じ部位に付けただけである。

 

「あ……」

 

「えへへ、どうしたの? 顔が真っ赤だよ?」

 

「な、何でもないわ!」

 

 左薬指の指輪の意味は愛、または絆を深める。そして、願い事を叶える意味を持つ。例をあげるならば婚約指輪がそうだ。あれは互いに愛を深めるための手段の一つなのだ。

 ああ、まるで結婚しているようだろう。

 意図した訳ではない。そもそもロトは仄音に対して、そういった恋愛感情は抱いていない筈だった。それなのに茹蛸のように顔を真っ赤にして、布団を被って逃げた。

 

「も、もう寝ましょう? 明日に響くわ」

 

「そうだけど……本当に一緒でいいの?」

 

「もう、何度も訊かないで。ほら! 寝るわよ!」

 

「わわっ! 急に押さないで!」

 

 腕を引っ張られた仄音は布団の中に引き込まれ、そのまま寝る体勢に入った。仰向けになり、その隣ではロトも然り。二人して寝転んだまではいいが、お互いに意識し合い、とても眠れるような空気ではないだろう。

 仄音がこっそり隣を見ると仮面を付けたロトがいる。仮面の所為で目を瞑っているのかが分からない。

 

「ロトちゃんは……仮面を外さないの?」

 

「ええ……私としては外したいのだけど、上から外すなときつく言われているのよ」

 

「あ、そうなんだ……」

 

 仮面は上司が強制していたものだったと、知った仄音はあっさりと引き下がった。否、引き下がるしか出来ないのだ。ただの拘りだったら止めるが、天使、それもロトの上司が関わっているなら軽率な行為はできない。

 

「仄音……」

 

「どうしたの?」

 

「その……ごめんなさい……」

 

「どうして謝るの?」

 

「私は自分の気持ちが分からない。貴方を殺さないといけないのに……思えば出会った時からそうだった……私、天使失格ね……」

 

 珍しく弱気になっているロト。

 慰めようにもどうすればいいのか分からない。不器用な人間だった仄音はふと大切な存在が脳裏に過った。

 

「ロトちゃん……これ……」

 

 仄音は衝動的に大事な写真をロトに見せた。こうすることで話を逸らすと同時に、自分のギタリストとしての原点を知って欲しいと思ったのだ。

 

「写真? 仄音がいつも隠れて見ていたものよね?」

 

「隠していた訳じゃないよ? ただ恥ずかしかったというか……ロトちゃん? どうしたの?」

 

「……いえ、何でもないわ。それで、この少女は誰なのかしら?」

 

 ロトは写真に写る幼い仄音の隣、屈託のない笑顔を浮かべた少女を指した。

 

「長月深紅ちゃんだよ。私の親友……ギターを始めたきっかけも深紅ちゃんなんだ。深紅ちゃんが私の弾くギターが格好いいって、そう言ってくれたから今がある」

 

「そう……」

 

「いつか最高の演奏を聴かせる約束をしているんだけど……一体いつになるのか。ここ数年は会っていないし、もしかしたら忘れていたりして……」

 

 仄音は自虐的な笑みを浮かべ、ロトの腕に抱き着いた。

 

「でも安心して。悪の欠片が覚醒する兆しが出たら死を選ぶから……化け物にはなりたくないし……だからその時はよろしくね? ロトちゃん……」

 

「……ええ」

 

 返事をすると同時にロトは仄音に抱き着いた。

 

「わ、ちょ、そんなにくっつくの?」

 

「じゃないと布団からはみ出てしまうわよ? 風邪を患うよりはマシだから我慢しなさい」

 

 最初の時と同じように抱き枕扱いされた仄音の耳は赤くなり、心拍数が高くなった。

 少しでも顔を上げれば間近にロトの顔がある。薄い生地で出来たパジャマだからか、より一層ロトの体温と香りに包まれて、仄音はぎゅっと瞑った。




仄音
少し天然成分が入っている。指輪の意味は後に気づき、だからといって付け直すのもアレなので悩み抜いた。

ロト
特撮に没頭しているように見えて、きちんとサプライズを計画していた。指輪について下心はない。写真についてはノーコメント。

アリア
偶然にも仕事現場で鉢合わせし、折角だからとロトにパーティーの手伝いを強要された。なんだかんだ楽しかったので満足している。


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