ブルアカの短編とかいろいろ (一生ホームアローンマン)
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ミカがアズサの翼をデコる話
トリニティ総合学園はかつてその地にあった多くの分派が統合されてできた、キヴォトスでも随一の伝統と規模を誇るマンモス校である。キヴォトスでは各学園が自治区を形成しているが、トリニティのそれは当然規模も大きく、よく整備されたものであった。
そんなトリニティの中でも巨大な商業施設に、白洲アズサは訪れていた。
(ここは、何もかもがアリウスとは違う……)
休日を謳歌するトリニティ生の少女たちが辺りを行き交う。誰もが皆華やかで、友人同士で他愛もないおしゃべりをして、楽しそうに過ごしている。
ラフな、悪く言えばちょっとボロい男の子のような服装をして待ち合わせ場所に佇むアズサはかなり浮いていた。
アズサはアリウス分校の生徒だ。アリウスはかつてトリニティの統合に反対し、迫害を受け追放された。地下に潜った彼らは一時内紛状態にまで陥り、今ではマダムと呼ばれる謎めいた存在に支配されている。
Vanitas vanitatum.Et omnia vanitas.
すべては虚しい。それこそが真理であると教えられ、貧しい食事、僅かな物資、軍事教練ばかりの日々を過ごしてきた。
こうした苦しい生活を送るのも、すべてはアリウスを迫害した現トリニティが悪い。彼らを滅ぼさねばならない。そうも教わってきた。
いよいよ計画の実行が近づき、折よく人員を送り込む機会にも恵まれた。そのため、アズサはトリニティの情勢を伝えるスパイとして、またいざその時の、内部からの実行役としてここに来たのだ。
「やっほー☆待たせちゃったかな?」
いかにも高級そうな車が少し離れたところで止まったかと思うと、その中から長い桃色髪の少女が小走りで近づいてきた。
「えっと、あなたが白洲アズサちゃん……だよね?」
「そうだけど。あなたは、聖園ミカ? トリニティの有力者だと聞いている。今日の任務は、私の転入準備。そんな雑事になぜ?」
「ミカでいいよー。私もアズサちゃんって呼ぶね。今日来たのはまあ、言い出しっぺだからかな」
ニコニコと微笑みながら両手で包むようにアズサの手を握るミカ。彼女は、巨大組織にはつきものの権謀術数渦巻くトリニティの生徒会、ティーパーティーの3人いるトップの一人だ。普通ならこんなところにいるはずもないのだが。
「下の子たちにお任せでもよかったんだけど、アリウスの人にアズサちゃんのことおめかししてあげてって頼まれちゃったからさ」
「……任務なら、是非もない。よろしくお願いする」
「おっけー☆それじゃ早速行こうか!」
ミカは現トリニティとアリウスの「和解」を主張し、そのための交渉を行ってきた。アズサは、表向きは和解の第一歩となる、アリウスからトリニティへの密かな転校生という立場だった。
アリウス側は制服や体操服、教科書など最低限のものを支給するよう頼んだだけであったが、ミカはこれをあえて過大にとり、この場に自らやってきていた。
(アリウスの子と仲良くなるのこそ、和解の第一歩だよね!)
ミカはアズサの手を取ると、学校指定の品も扱う行きつけの服飾店へと歩き出した。
(目が眩むようだ)
いかにも高級店といった風情の店に入り、アズサはそう思った。ディスプレイされている商品のデザインが派手、というわけではない。落ち着いた可愛らしい、お嬢様校であるトリニティの生徒に受けが良いような、そういった物が多い。
しかし薄暗い地下での生活を余儀なくされていたアリウスの生徒にとってはまさに別世界である。
(ばにたす、ばにたーたむ)
かと言って、羨むようなこともないが。全ては虚しい。ただそれだけである。そうして無感情に店内を眺めていたアズサから離れたミカは、慣れた様子でロボットの店員に声をかけ連れてくる。
店員はいかにも場違いな格好のアズサに、少し顔面のモニターに映る表情を歪めたが、ミカの連れに失礼を働くわけにはいかないと思い直したのだろう。慇懃な態度で声をかけた。
「いらっしゃいませ、お嬢様。制服を新たにお仕立てということですが」
「トリニティの制服は基本の服に軽い改造おっけーって感じだよ。アズサちゃん、どんなのにする?」
店員は端末にカタログを表示し、基本形となるいくつかのセーラー服や、その改造例などを見せてきた。
「……よくわからない。任務に差し支えなければなんでも構わない」
アズサはこれまで生きてきておしゃれに気を使うなんて考えたこともなかったのだ。カタログの写真から笑いかけてくるモデルの少女たちを自分に置き換えることなど想像もできなかった。
「……いかがいたしましょう。基本デザインのものでしたらすぐにお渡しできますが」
「うーん、それもちょっとなあ。じゃあアズサちゃん、私が決めちゃってもいい?」
「構わない」
「おっけー☆それじゃ目一杯可愛くするねー」
何がそんなに楽しいのだろう、アズサがぶっきらぼうに呟いた承諾の言葉にミカは笑顔を深めると、矢継ぎ早に店員に注文を出しはじめた。基本は白黒のセーラー、有翼用の背開きタイプ、ドレス風に、アリウスとトリニティ両方の校章……。
「そういえば昔お友達と一緒にここに来たとき、翼がないのにみんなでおそろいがいいーなんて言って同じ背開きの制服注文してたなあ……」
クスクスと思い出し笑いをしながらもテキパキとデザインを決めていくミカをアズサはただ眺めていた。
「あとは、アズサちゃん好きな色ってなにかな?」
「色……紫がいい」
「ふんふん、よーし、いい感じになりそう!」
アツコ、アリウスで姫と呼ばれる少女のことを思い出し、アズサは思わずそう答えていた。やはりどうでもいいと、任せると、そう言うつもりだったのに。身を飾ることに意味などない。
地を這うように生きる自分に美しいものなど、似合うはずもない。しかしあえて否定する言葉も、なぜか出てこなかった。
「それでは、数時間程度で完成となりますが、いかが致しましょう」
「お買い物してからまたくるね。それじゃ行こ、アズサちゃん」
「かしこまりました。それではお嬢様方、良い休日を」
アズサの制服のオーダーを終えたミカは、再びアズサの手を取ると、別の店へと歩みだした。
二人は化粧品店や雑貨店、医薬品店などのテナントを巡り、次から次へと身の回りの品を購入していった。アズサは本当に必要最低限の物だけを買おうとする、あるいは必要ないと拒否するが、それでもミカは絶対必要だから! と買い与えていった。
「翼用のブラシと、香油……? 別に必要ない。値段も高いし」
そうして店巡りをする中で、翼の手入れ用品の専門店にやってきた。翼を持つ生徒が多いトリニティ特有の店である。
「ダメダメ、絶対いるよー。きちんとケアするのとしないのじゃ全然羽艶が違うんだから」
「シャワーを浴びればそれで十分だと思う」
アズサが自身とミカの翼を見比べると、なるほど確かに同じ純白の羽でも全く違う。ミカの翼は照明を反射して鮮やかに輝き、アズサの翼はくすんだように光を吸い込んでいる。
しかしそれがなんだというのか。反射光など少ないほうがカモフラージュ率が上がって任務に有利だ。
「むぅ、たしかにちょっと手間かもだけどさ。……アズサちゃんオシャレとかには全然興味ない感じ?」
「……ない」
少し眉尻を下げ、ミカはアズサに問いかける。ミカはアリウスとの交渉を重ねる中で、おぼろげながらもアリウスの惨状を把握しつつあった。思春期の少女たちが過ごすにふさわしくない、学園としてはとうに終わってしまっている場所。
アリウスとトリニティの和解。ずーっと昔から喧嘩しっぱなしっていうのもなんだし、元をたどれば同じトリニティの仲間とも言える。だから、なんとなく、仲良くできたらいいよね。その程度の思いからの試み。
しかしその実現の始まりこそが今ここにいる白洲アズサなのだ。彼女に、このトリニティ総合学園で楽しく、実りある青春を謳歌して欲しい。そうした思いがミカにはあった。
「うーん、でもまあ、そうだね。やってみたら楽しいかもしれないよ☆」
「あっ」
だから購入! とミカは一揃いになったセットを買い求めた。お節介かも、迷惑かも。そんな思いがないでもなかったが、少ない。
彼女の友人二人はそうであればわりと率直に文句を言うし、隙あらば立場を奪ってやろう、おだててすかして利益を得よう、などと考えるばかりの取り巻き達の意向は考慮に値しないからだ。
何事もポジティブに、とにかく思った通りにやってみる。なんだかんだ上手くいく。聖園ミカはわりと脊髄反射で動くタイプだった。
「手入れのやり方とかも書いてあるから、やってみて」
「……了解」
「うんうん。それじゃ最後は羽アクセだね」
不承不承にうなずいたアズサを連れ、ミカは最後の店に向かった。
「最近流行ってるんだー」
羽アクセ、その名の通り翼を飾り付けるためのアクセサリーである。トリニティには翼を持つ生徒がそれなりの数いるが、運動などの邪魔になるので言うほど流行ってはいない。
「こうやって色々つけると一気に華やかになるから」
そう言って自らの翼を揺らすミカ。片翼につけられたいくつもの月と星のアクセサリーが小さな音を立てた。彼女の銀河のようなヘイローと合わせたデザインだろうか。
スカートも背部が長く星空のような裏地が見えるようになっている。宇宙! って感じでいいでしょ、とミカは笑った。
「アズサちゃんに合いそうなのの目星もつけてあるよ。えっとね……」
種種雑多なモチーフの品がところ狭しと並べられた店内を歩く。棚の間を縫うように進みしばらく、ミカは足を止めた。その先には色取り取りの花飾りが棚を埋め尽くしている。
「聖園ミカ」
「ん? どうしたのアズサちゃん」
「何度も言ったが、私にはこういうものは不要だ。意味がない」
アズサはミカが摘み上げた花飾りから目をそらし言った。心惹かれるものがないわけでもない。可愛いものを好ましく思う原初的な気持ちが湧き上がる。しかしアズサは自身のその気持ちを理解できずにいた。
だから、切り捨てる。すべては、虚しい。いずれ朽ち果て消えるそれらに一体なんの価値があろう。
「うーん……えいっ☆」
黙り込んでいたアズサの翼に、ミカは手に取っていた紫の造花のアクセサリをつける。その手付きは意外なほどに繊細で丁寧だ。砕けた態度に反して、彼女の所作は上流階級らしい気品に溢れていた。だからこそ、無理に振り払うこともできず、アズサはただされるがままになるしかなかった。
いたずらが上手くいったと言わんばかりの笑顔だったミカは次から次へと花飾りを追加していく。段々とその表情は真剣なものになり、少し離れて全体のバランスを見たり、位置を整えたり色合いを考えて交換したり、アズサの翼を彩る作業は暫くの間続いた。
「よーし、完成!」
華やかに飾られたアズサの翼を見て、ミカは満足げにうなずいた。試着用に置かれた大きな姿見の前までアズサを連れ、彼女にもそれを見せる。
「いい感じでしょ。めちゃめちゃ可愛いよ」
「……私は、私には必要ない。聖園ミカ、あなたはなぜこんなことに手間と時間をかけるの? どれだけ着飾ってみたところですべてはいずれ消え去る虚しいものだ。美しいものは汚され、高貴なものは貶められるだろう。無価値で、無意味だ」
アズサにとってはすべてのものがそうだった。そのように強く刷り込まれている。アスファルトの孔穴に咲く名も無い花に、それでもと抗う強さを知り、しかしそれを心の芯へと育てるまでには今の彼女はまだ未熟だった。
「ごめんね。気に入らないの、押し付けちゃったかな。でもね、アズサちゃんにはこういうのも覚えて欲しいんだ」
「それはなぜ?」
少しだけ寂しげに微笑むミカに、アズサは問いかけた。
「トリニティの校訓に淑女たれーなんてのがあってね。ナギちゃん、私のお友達なんか口癖みたいになってるけど」
「学校の決まりだから、ということ?」
「ううん、違うよ」
鏡越しに、じっと無表情に見つめるアズサの目をミカは見た。
「淑女がどうのなんて言われるとめんどくさーって感じになっちゃうけどさ、別にこれ決めたトリニティの先輩たちもめんどくさいもの押し付けようとしてるわけじゃないんだよ」
「それは、どういうこと?」
「素敵な女の子になろうね。そして楽しい学校生活を送ってね。そういう、後輩たちに向けたメッセージなんだ」
ほんとは違う、もっとすーこーな何かがあるかもだけどねー、と笑いながらミカは続ける。
「トリニティはキヴォトスの中でも特に伝統を大事にする学校。堅苦しい決まりが多くて、自由がなくて、息苦しー、なんて言われることもあるし、それで息が詰まっちゃって変なことする子や、嫌な感じになっちゃう子たちもいるんだけどさ」
そうだ。伝統に雁字搦めになり、鈍重な巨体の各部は権益のために裏切りと策謀を重ね、自壊していく。アズサにとってトリニティとはそういうものだ。そう教わり、その最後のひと押しをするためにここに来た。
「でもね、そういうののお陰で、比較的治安は落ち着いてるし、街並みも綺麗だし、遊ぶところもたくさんある。いいところなんだよ、ここは。私もね、友達と一緒にお買い物したり、着せ替えっこしたり、帰り道に甘いもの食べたり、いっぱい遊んだよ。すっごく楽しかった」
「一時の享楽こそまさに、すぐに消え去る虚しいものだと思う」
楽しいものなど何もない。アズサはそういうところから来た。ミカはすっぱいぶどうだね、なんて笑うこともできた。しかしただ、この小さな後輩の暗い目が悲しかった。
「そうだね。学年が上がって、立場ができて偉くなって、昔みたいになんにも考えずに一緒に遊ぶなんてことできなくなっちゃった」
(ばにたす、ばにたーたむ)
そらみたことか、とアズサは心のなかで少し笑った。それが嫌で、ミカを見つめ、続きを促す。寂しげではあっても、彼女が虚無と後悔に包まれているようには見えなかった。
「でも、お友達と一緒に遊んで、思い出は残ってるし、楽しかったことがなかったら良かったなんて絶対思わない。距離が離れちゃって色々嫌なとこが見えちゃったりする今でも大事なお友達なのは変わらない」
ミカはアズサに向き直り、直接向かい合った。手を取り、優しい笑顔で告げる。
「トリニティで、あなたが素敵な学園生活を送れますように。これはそういうお願いなんだ。そして確信でもあるね。先輩たちが守って、私達が受け継いだ、トリニティらしいこのトリニティ総合学園はあなたが楽しく過ごせるところだよ☆」
友達もきっとたっくさんできるよー、弾むように言うミカの言葉をアズサは信じられなかった。暗く淀んだ世界で身を寄せ合う、沈み切らないようにお互いに手を引くような仲間ではなく、一緒に可愛いものを買い、甘いものを食べるともだち。そんなのは想像もできなかった。
「そろそろ時間かな。それじゃ制服受け取りに行こうか」
「……了解」
ミカは大量の花飾りの会計を済ませると、アズサの手を引き最初の服飾店へと向かった。
服飾店で無事にオーダーした制服を受け取ると、ミカに試着を勧められ、アズサは試着室に入っていた。短時間の作業にも関わらず不備は見当たらず、サイズはピッタリ。生地も上等で、これまで着ていた服とは比べ物にならないほど滑らかな手触りだった。
(落ち着かない……)
白黒のセーラーを基本に、落ち着いたデザインながらも要所にフリルやレースをあしらったドレスのような改造制服。たしかに、これならお嬢様学校のトリニティに潜入しても悪い意味で目立つことはないだろう。
「わー! アズサちゃん可愛いっ!」
試着室を出たアズサを抱きしめるミカ。アズサはそれを軽く押しのけ離れた。自分の趣味で飾ったアズサに満足しているのか、ミカは雑に扱われてもニコニコとしている。
「制服の準備はできた。これで今日の任務は完了」
「うん、そだねー。色々買った小物とかはまとめて寮の部屋に送ってもらったし」
翼を飾り、新品の美しい制服に袖を通し、まるで自分がなにか別の存在になったようだと、違和感とともに湧き上がる不可解な感情に翻弄され、アズサはとにかく早くこの場を後にしたかった。
「今日は色々振り回しちゃってごめんね」
全くだ、と思ったが、一応世話になった相手に文句を言わない程度の常識はアズサにもあった。悪いなどと欠片も思っていなさそうなニコニコ顔のミカ相手になら多少なり言っても良かったかもしれないが。
「それじゃ改めまして。白洲アズサさん、トリニティ総合学園へようこそ! 歓迎するよー☆」
「……ありがとう」
アズサは思う。きっと彼女は今日を後悔するだろう。アズサは、アリウスはミカの善意を裏切り、利用し、彼女の大切なものを滅ぼし尽くすのだ。悲しむだろうか、怒るだろうか。恨み、憎しみに沈み、道を踏み外すだろうか。
すべては虚しいものだ。
ただ、それでもアズサはその日から翼の手入れが日課になった。朝出かける前には翼を飾り、制服に袖を通す。
すべては虚しい。でも、それでも。
未だ確固たる言葉にはならない想い。ちょっとめんどくさい先輩のお節介で、それは少しだけ輪郭を確かなものにしていた。
セイアちゃん死亡()前のミカただのめんどくさい陽キャギャル意外と面倒見のいい先輩概念。この後自ら地獄に向かって突き進んでいきますが、感情に振り回され続けたミカが先生の大人の責任という名の無償の愛に触れて赦しと祈り、自分の感情に折り合いをつけ憎んだ相手の幸福すら祈りそのために戦う。あまりにも美しい流れでほんとミカ好き。
とにかくミカでなんか書きたいなと言う気持ちになったのでこんなん書いてみました。アズサは多分トリニティ入学前の時点でわりと気持ち固まってるんですが本作ではこの後ヒフミさんたちと楽しく過ごすまではあんま固まってなくミカの影響もちょっとあるよな感じにしました。
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名探偵ネムガキ 第一話 謎のカリスマ犯罪者ファウスト登場!
シャーレのオフィスに居るときは大体日当たりの良いところでごろごろしながらドーナツをかじっている彼女だが、今日は珍しく先生のデスクまでやってきていた。
「やー先生、今ちょっと時間ある?」
>『あとは書類仕事だけだから、大丈夫だよ』ピロンッ!
『いつものドーナツデートかな? もちろん行くよ!』
メガネの下にやや隈の浮いた白衣の青年が頷いた。いかにも物語の中盤で裏切りそうな顔をしているが、いざとなれば生徒のために命をかけることも辞さないナイスガイこと、シャーレの先生である。
彼は国や自治体ともいえる各学校の垣根を超えて、キヴォトス全体の様々な問題を解決するために日々奔走するシャーレの主であり、そして女子校生が大好きだった。基本的には穏やかな微笑の下に変態性癖をしまっておける大人であり、今もその姿勢を崩すことはないが。
「それならよかった。ヴァルキューレでちょっとしたイベントがあってね。先生にも来てもらおうかと」
『ふむ。何かスピーチとか必要かな?』
「いや、展示会みたいなもんだから。一緒にぐるっと回ろーってだけ」
気楽な様子で手をふりふりしながら言うフブキは、ついでというように横にいたトリニティ総合学園の
「せっかくだし、ヒフミちゃんも一緒にどう?」
「私もいいんですか? 先生が出かけるならご一緒したいですけど……」
「おーけーおーけー。一般公開はしてないんだけどね。先生の付き添いってことで」
本日のシャーレの当番、書類仕事やエナドリ買い出しなどの雑用をする、であったヒフミは笑顔で頷く。
「それじゃあご一緒させてもらいますね。ヴァルキューレ警察学校って普通の学校と色々違いそうなので、ちょっと気になってたんです」
傍から見て全然普通でも地味でもないのだが、彼女は地味で普通を自認しており、“特別”だったり“個性的”なものに惹かれる習性があった。
「ヒフミが行くなら私も行く」
「はいよー、まあ一人も二人も一緒だし、構わないよ」
近くのソファでモモフレンズグッズをいじっていた白洲アズサも立ち上がり言った。ここしばらくの補習授業部の活動でアズサはヒフミと交友を深めていた。
モモフレンズはキヴォトスで流行っている……まあ流行ってるかな、一部界隈では有名だよね、くらいのゆるキャラグループだが、ヒフミは狂信的とも言うべき愛をそのモモフレンズたちに向けていた。
普通の子はその熱量にわりと引くことが多いのだが、良くも悪くも世間知らずで素直なアズサは、ヒフミの熱烈な勧誘によりすっかりモモフレンズ沼に引き込まれていた。普通に自身が可愛いもの好きということに気づいたのもある。
ちなみにヒフミのお気に入りはペロロ様というなんかベロンと舌を出したキモ……変な鳥で、アズサはわりと正統派に可愛いデフォルメ骨マスクをかぶった謎の動物、スカルマンがお気に入りである。
『それじゃあ、皆で行ってみようか』
ということで4人はヴァルキューレ警察学校へ向かった。
「案外普通……ですね?」
「ご期待に添えなくてわるいね。でもまあ業務にかかわるとこ以外はマジで普通の学校だからねー。トリニティとかの方がよっぽどデカいし色々特殊だと思うよ」
ヴァルキューレ警察学校はキヴォトスの全行政を担う連邦生徒会の管轄だが、お役所の常というべきか予算はかなりカツカツであり、校舎のビルもよく見ればやや古びて補修が行き届いていないようだった。
「構造的に防衛力に問題があるように見える。これでは暴徒の襲撃などに対処できない」
会場はこっちだよー、と先導するフブキの後について体育館へと足を進める中、あまり周囲を観察しているようにも見えなかったが、実はしっかりとチェックしていたアズサが呟いた。ゲリラ屋として訓練を受けた彼女は、初めて訪れた場所でテロしたりされたりの想定をするクセがあった。
「キヴォトスは基本平和だから大丈夫だって……。あってもせいぜい軽い銃撃戦とか爆弾騒ぎとかくらいだし~」
>『銃撃戦や爆弾騒ぎがあるのに平和……?』ピロッ
『キヴォトスではよくあることだな!』
「あはは……まあ、本当に大事件みたいなのはめったにないですから、平和と言えば平和なのかもしれません」
「うん、今日の視察任務にヴァルキューレの防衛状況は関係ないか。行こう」
普段は普通に授業に使われている体育館の前には、「押収品陳列会場」と立て看板が置かれていた。
『これはまた、壮観だね……』
「ですね……」
「これすべて盗品? すごいな」
広めの体育館はパーテーションでいくつもの区画に区切られ、それぞれ敷かれたシートや台の上に無数の盗品が整列していた。
「まずは定番の下着だね~。お金に困った不良が盗って売っぱらうパターンが大半なんだけど、たまーに自分でコレクションしてるやつもいるね」
>『生徒の下着を……許しがたいね』ピッ
『自分でコレクション……つまり百合下着泥棒!?』
「うん。下着ドロ出るとパトロール増やされたりするしほんとサイアク……キヴォトスの人間は身体能力高いから、素手で壁よじ登ってベランダから盗ってくとか、屋上からロープ一本で降下するとかやるし。こういう空き巣系なかなか対処しづらいんだよね」
やれやれと肩をすくめるフブキと、真顔で床のシート一面にずらりと並べられた女性用下着の群れを眺める先生とアズサに対し、ヒフミはほんのりと頬を赤くしていた。
「あの、ところでこれ、なんでこんなふうに並べる必要が?」
「グラデーションが綺麗だね」
色ごとに仕分けされきっちりとグラデーションになるように並べられた下着類はまるで現代アートのようであった。
「累犯・模倣犯の根絶が目的。こういうふうに並べて報道すれば一発で犯人が恥ずかしいやつだってわかるから、だって。いやまあどんだけ効果あるかは知らないけどね~」
言われてみれば、体育館の中にはヴァルキューレの生徒だけでなくカメラを持ったクロノスジャーナリズムスクールの生徒らしき者もちらほらかいた。彼女たちがこの光景をニュースで流すのだろう。
「はぁ。ちゃんと真面目な理由でやってるんですね」
「まあ並べる私ら下っ端はわりと遊び半分だけどね」
「ええっ?」
「そうでなきゃやってらんないよこんなの。そんじゃ次行こうか」
けらけら笑いながら移動するフブキとともに、一同は体育館の中を一回りすることになった。
『野球のボールがピラミッド状に……』
「なにかの商品展示みたいですね」
「キヴォトスではボールよりもバットの方が大量に売れていると聞いたけど、ボールもたくさんあるんだ」
「それはただのジョークだね。バットより銃のほうが強いし」
様々な学校から盗まれた野球ボールであったり。
「運動靴がこんなにたくさん」
「靴を盗ってどうするんだろう。サイズが違うと履けないし、たくさんあっても意味がない」
「これも売れるみたいだね~」
>『ちゃんとした競技用のは安くないし、酷いね』ピロッ
『興味があります!』
整然と並べられた大量の運動靴であったり。
『これはキヴォトス特有だね……』
「いえ、キヴォトスでもだいぶ珍しいと思うんですけど……」
「銃のストックだけ盗んだの? わざわざ分解して? まるごと盗むならともかく、理解不能」
「嫌がらせなのか愉快犯なのか趣味なのか……まあよくわかんないことするやつを見るのも案外珍しくないね、警察なんかやってるとさ」
種類別色別にこれも綺麗にグラデーションで並べられた大量の銃床であったり。陳列された様々な大量の押収品を眺めながら4人は回り、そしてその区画へと立ち入った。
「こ、これは……!」
『キモい鳥!』
>『モモフレンズのグッズ……?』ピポッ
「見たことがあるものばかり、いや違う。なんだか違和感がある……これは一体何?」
「いや、それがね」
「海賊版ですっ!」
ヒフミが叫び、一瞬体育館が静まり返る。
「これは公式が出しているモモフレンズグッズではなく、非公式の、それもファンメイドの二次創作作品などでもなく! 海賊版、いわゆるバッタモンです! 公式グッズの粗悪なコピー品! 公式の利益を掠め取る最悪の所業っ!」
拳を震わせ猛り狂うヒフミさんに、叫び声に注目していたその場のほとんどの人間はそっと目をそらした。アズサはなるほどと頷き、フブキは苦笑いで誤魔化した。
『なぜそんなものがここに?』
もはやグッズ専門店ではないかというくらいに山ほどのぬいぐるみなどが並べられた一画を前にして先生は疑問を呈する。
「盗品じゃなくて押収品だからね。盗品以外もあるんだよ。これはちょっと前にブラックマーケットの著作権法違反グッズ製造工場を制圧したときのやつ」
なぜか工場自体は到着前にまるごと壊滅してて、これは別の倉庫にあったやつなんだけど、とフブキはヒフミをちらりと見た。ヒフミはスッと目をそらした。
「あ、悪は滅びるんですね。ペロロ様もきっとお喜びですよあはは……」
『ヒフミ……?』
「大丈夫先生。証拠は残っていないはずだから」
そういう問題ではないと先生は思ったが、フブキがここは本題ではないと言うように先へと促す。アズサはいつの間にかいつものガスマスクを装着している。顔を隠さなければならないような事態がこの場で起きるとでも言うのだろうか。
「───! こ、これは……!」
「この間皆でゲットしたやつだね。私も部屋に飾っている」
海賊版モモフレンズグッズの先にあったのはまたしてもモモフレンズグッズであった。しかし先程のものと比べて明らかに質がよく、またペロロ様たちが普段見慣れないコスプレをしたぬいぐるみであった。よく見ればそれは各学校の制服のようだった。アズサのギリギリの発言はスルーされた。
「限定モモフレンズグッズ。買い占めと値段の吊り上げでちょっと前に話題になったよね」
ヒフミがたらりと冷や汗を流すのを先生は横目で見た。
「とある不良集団が買い占め転売やってたんだけど、それ自体は別に犯罪じゃないからね。通報とかもけっこうあったけど
アズサはそっぽを向いていた。しゅこーしゅこーとマスクの呼吸音が白々しく響く。
「ただそいつらこの間別件逮捕したんだよね。転売で集めたお金で色々ヤバいもの買い込んでたり、さっきの海賊版工場ともつながりがあったみたいでさ。ブラックマーケットの拠点が謎の覆面集団に襲撃されたって話で、全員ぶっ倒れてたから楽な仕事だったけど」
ヒフミの冷や汗がたらりたらりと増えていく。
「海賊版は処分するとしてもこっちはまあ、一応正規品なんだよね。それで捜査や罰則が終わった後で返却予定なんだけど、でも全種類数個ずつ帳簿と数があわなくてさあ……」
なぜかお金は置いてあったんだけどね。何か知らないかなあ、とフブキは目をそらす二人にニッコリと笑いかけた。
「あ、あはは……ちょっとなんのことか全然わからないですね」
「……シュコー」
『ヒフミ、アズサ……?』
自分がいないところでまた大立ち回りをしていたことを察し、心配半分呆れ半分で見つめる先生を尻目に、催涙弾のピンに指をかけ素早く脱出経路を確認するアズサと、そっぽを向きながらもペロロ様リュックに手を突っ込みガサゴソとなにかを取り出そうとするヒフミ。
「まー別に被害届とか出てないし、その襲撃犯をどうこうってことはないんだけどね?」
明らかに臨戦態勢に入った二人を相手にも余裕綽々といった調子を崩さないフブキ。敵(?)のホームで無闇に戦う愚を犯すことはあるまいと、大胆かつクレバーな天才犯罪者
「そ、そうですか。私は特に関係ないですけど、少し用事を思い出したので失礼しますね!」
「私も帰る。じゃあね先生、シュコー」
足早に立ち去る二人を見送り、先生はフブキに声をかける。
『いいの、フブキ?』
「なんのことだかわかりませんなあ。ちょっとした銃撃戦なんてキヴォトスじゃよくあること、だし」
今日のイベントにヒフミたちを連れてくることになったのは偶然ではあるまい。先生は少し前にシャーレの当番決めの際、フブキが予定をズラしたことで玉突き的にヒフミの当番が今日になったのを思い出していた。
直接交換したわけではないので印象に残っていなかったが、各人の予定を読み切っての動きだとしたらなかなか大したものである。ただ、わざわざ連れ出してグッズを見せただけというのどういうことなのか。
「これは独り言なんだけど、あんまり派手にやるのは控えてねーって一言言いたかった感じ。こっちの立つ瀬がないからさ」
『……謎の覆面集団に会うことがあったら言っておくね』
先生は生徒に清廉潔白であることを求めていない。衝動のままに駆け抜けることも、時には成長のために必要だと考えているからだ。基本的には見守り、ときに応援することすらある。もちろん積極的に犯罪を教唆するわけでは無いが。
「よろしくー。いやまあヴァルキューレがもっとバリバリ働けって話なんだろうけどさ。根本的に戦力不足だからどーしよーもないんだよね」
カンナ局長またキリキリしてるよ、とフブキはため息をついた。
『カンナとはまたご飯行って愚痴聞いてあげないとだね。フブキも行く?』
「やー、例の屋台でしょ。それは普通に二人きりで行ってよ。私とはまた別に二人でドーナツ食べに行こ」
それじゃあそうしようととぼけた顔をする先生に、フブキは苦笑いで仕切り直した。
「それはともかく……うちは人数、装備もそうだけど、エースがいないんだよね。だから舐められてる。先生があのウサギちゃんたちうちに引き込んでてくれたらなーなんて」
元SRT特殊学園の生徒たちの多くはヴァルキューレに転入することとなったが、全体的な質は高くともやはりエースと言える人材はいなかった。件のRABBIT小隊の面々は転校を拒否したままであるし、SRT最強と名高いFOX小隊は行方知れずだ。
『無理強いはできないからなあ。私は基本的に生徒の自主性を尊重したい』
「だよねー……。はぁ、お散歩日向ぼっこドーナツタイムだけで業務が終わる平和が欲しいよ。安心してサボりまくれる素敵な職場……」
以前はサボりまくって完全にそんな感じだったじゃないか、と先生は思ったが、そんなフブキでも真面目に働くときはある。この怠け者の小さな婦警さんも、なんだかんだで正義感というものをちゃんと持っているのを先生は知っていた。思えば最近は少し真面目に働いている様子だったかもしれない。
「近頃どうもブラックマーケットやカイザーグループに妙な動きが増えてる。何かあるかもしれないから、気をつけてね先生」
『ありがとう。フブキもね』
「あはは、私は大丈夫だって。所詮街のおまわりさんだからね。本当にヤバいとこには近づかないから」
パシパシと先生の背中を叩き、フブキは体育館の出口へと向かう。すれ違う先生の鼻にふわりと甘い香りが漂った。
元々タイトルは盗品陳列ヴァルキューレでしたがヒフミさんが出ると一目でわかるようにしたかったのでこうなりました。特に続く予定はないですが語呂と勢いで第一話。冷や汗ダラダラヒフミさんとガスマスクアズサがそっぽを向いてしらを切るところが書きたかったのとリアル警察の盗品陳列展示の記事を見てこんなんできました。
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ハルカと雑草研究会
伊草ハルカはよく散歩をする。敬愛する便利屋68の社長である陸八魔アルやシャーレの先生のために、なにか献上できる品がないかと物陰から物陰を伝うようにゆっくりと歩きながら探しているのだ。
他にも、便利屋の依頼でよく使う爆発物の掘り出し物がないかだとか、地形を把握することで効率的にターゲットを爆破する方法を考案するだとか、歩き回ることは大きなメリットがあると感じている。
同じ便利屋の仲間であるカヨコやムツキのように知恵を巡らせることも得意ではない、とハルカは自身を評価しており、それが正当かどうかはともかく無能な己はとにかく脚を使うのが良い、と日々あちらこちらを散策しているのだ。この日はゲヘナ自治区のやや外れ、特に何もなく、それゆえにまあまあ治安のいいエリアをうろついていた。
ゲヘナでは三歩歩けば不良に因縁をつけられるだとか、目的地につくまでにカツアゲに合う確率が250%、つまりは2回でメインと予備財布は確実に取られて3回目に靴下の中の最後のお金まで奪われる可能性が50%みたいに言われる危険地帯……も実際あるが、そこそこ普通にすごせるエリアもそれなりに広い。
シャーレの先生に言わせればめっちゃ可愛いヒナちゃん、ゲヘナの不良にはまさに悪魔の王と恐れられている空崎ヒナ率いる風紀委員会の活躍によるものである。
ともかくそのため他校の生徒が普通に遊びにくる繁華街だとか、ちょっとしたイベント会場だとか、そういったものも存在していた。渡航危険レベル3(渡航中止勧告)とかレベル4(退避勧告)みたいな場所ばかりではないのだ。
ハルカがぶらりと歩いて見つけたその場所もそんなイベントスペース、というか大きめの貸し会議室のようなところであった。だだっぴろい空間を用途に合わせて区切ったり装飾したりして使う、たまにアングラな薄い本即売会会場になっていたりする。
「え?え?アレ?どうして……???」
グラサンと大きめのマスクで顔を隠したピンク髪の元トリニティ正義実現委員会、現補習授業部部員の謎の人物がここにいるのはそれが理由だったりするのだが、残念ながら今日は薄い本即売会の日ではなかった。日付を間違えたのだ。補習授業部のカレンダーに大きく丸がつけてあったため勘違いしたのである。
「コハ……あなたも例のグッズを買いに?」
「シュコー」
後ろから紙袋とガスマスクで顔を隠したわりに普通にお嬢様学校トリニティの制服を着ているため何度も不良に絡まれては撃退しつつここまでたどりついた謎の補習授業部部長と部員……もうめんどくさいのでヒフミとアズサがやってきて話しかけるが、ピンク髪のめんどくせえコハルはぶんぶんと首を振って否定する。
「ちちち、違うわよ!私は、そう!学術的興味があって来たの!勉強しに来たんだから!一緒にしないでよね!!!」
ぴゅーと駆けていくコハルにヒフミとアズサは顔を見合わせると、少し肩を震わせて笑い、歩いて会場へと向かっていった。ハルカはそんな謎のトリニティ生集団を物陰から黙って見送った後、ゆっくりと看板へ近づく。
『キヴォトス雑草研究会 会場』
達筆な筆文字でそう書かれた看板の足元には、鉢植えにその名の通り雑草が植えられ、ドンと置かれていた。本来日陰でのけ者にされているべき彼らが、今日の主役は俺たちだぜ、と言わんばかりに堂々としていた。
普段ハルカが育てている半陰性、日向過ぎても日陰過ぎても生きていけない半端者、の雑草たちと違ってバリバリ陽性なのもあるだろうか、立派に大きく育って看板の下半分を半ば覆い隠している。
「わぁ……」
ハルカは、自分のような駄目で役立たずで邪魔なやつ、に似ている雑草に親近感を感じ、密かな植物園……ただの郊外の廃墟だが、を作り育てている。鉢に植えたり、なんならただのバケツに穴を開けたものを鉢代わりにしたり。森の土を集め、道端の雑草を植え替えて育てる趣味だ。
先生は素敵だと言ってくれてそれはそれは嬉しかった、まさに天にも登るような喜悦であったが、ただそう言われたのは先生の優しさからであって、変なことをしている自覚はある。
だからこそ、この雑草研究会、看板下に置かれた雑草の鉢植え、自分と同じようなことをしている人間がいるというのはなんともいえないむず痒い気持ちを起こさせた。
存在し得ないであろうと思われた同好の士が地上にいたことを知る喜び、しかし雑草「研究会」という、自身とは遠く離れた世界を思わせる単語に見る不安。同じ雑草、とはいえ、あちらからしたらお前なんかと一緒にするなと、そう言われるようなものかもしれない。
「ど、どうしよう……」
会場の方を見やり、なにかいかにも賢そうなインテリ集団のイベントだったらどうしようとか、鉢植えに育った雑草のたくましさを見てほっこりしたりだとか、なんとなく看板に手を伸ばしてはすぐ引っ込めたりだとか、いつも以上に挙動不審なハルカを見とがめたのだろうか。後ろから新たにやってきた人物が声をかけた。
「あの、どうかしましたか?」
「ひゃわぁっ!すみませんすみません私なんかがごめんなさいすみません……!」
看板の前に立ち尽くすハルカに声をかけたのはゲヘナ学園給食部の愛清フウカであった。なんとなくひと声かけた瞬間怒涛の勢いでマシンガン謝罪を食らい半眼になって引くフウカであったが、まあこのくらいの変なやつはキヴォトスでは珍しくもない。気を取り直して尋ねた。
「興味ありますか、雑草研究会」
「いえ、すみません。あの、その……気になります」
ものすごい勢いで目をそらし、か細い声で、しかし確かな肯定を聞き色々気にせず話を進めることにする。
「私も、ちょっと面白いよと聞いただけなので詳しいことは知らないんですけど、一般の人でも普通に入れるそうなので気になるなら少し覗いてみてはどうですか?」
「はぁ……でも、邪魔になってしまわないか……」
雑草研究会は一応キヴォトスの食料生産にかかわる分野で、なおかつ直接的には飲食物に関係がない。たまの休みを平和に過ごそうと考えたフウカは、これならば例の集団が突然POPして店を爆破したり拉致されて料理を作らされたりクレイジータクシーばりの暴走運転を強要されたりするような目には合うまいと思いやってきたのだった。別に嫌いではないが、疲れるのだ。
出入りの業者から研究会の話を小耳に挟んだくらいだったが、いかにも平和そうだし、こうして気にしている子もちょっとおどおどし過ぎだが、大人しくていい子そうではないか。フウカは今日という日が素敵に穏やかな休日となることを確信しつつ続けた。
「知名度が低すぎるのをなんとかしたくて、キャラクターコラボグッズまで作ったそうで。誰が参加しても、喜ばれこそしても嫌がられることはないはずですよ」
「……それなら、ちょっとだけ。隅っこの方に、お邪魔します……」
優しい言葉をかけられ内心ではすごく死にたくなっていたハルカだが、あまり断るのも逆に失礼だし、相手の時間を無駄にさせてしまうと思い頷いた。
フウカと連れ立って会場に進むが、先程のものだけでなく、会場周りにはいくつか同じような看板があり、誘導の矢印とともに雑草の鉢植えも置かれていた。
完全に統制を離れ無節操にボーボーになったその辺の空き地を切り取ってきましたみたいなものから、なんらかのテーマ性をもってまとめられたのだろうなという芸術性を感じるものまで様々だった。
「なんだか不思議ですよね、雑草の鉢植えなんて」
「そ、そうですね。変ですよね……」
自分でもそう思っている、とはいえハルカはフウカのストレートな感想に心がぶん殴られる。いろいろな鉢植えを見て、どんな人がどんな思いで育てたのだろうとウキウキした気持ちがしゅるしゅるとしぼんでいくのを感じた。
「でもこうして植えてあるとなんだかちゃんとしたもののように見えるから面白いですよね」
「そ、そうですよね!私も、その、嫌いじゃないです」
「お花は控えめな方が可愛らしかったりしますし、切り花を食卓に飾ったりしたら素敵かも」
「はい……」
フウカはとくに何も考えずつらつらと思ったことを言っていただけだが、ふと思いついた食卓を飾る、で給食部にはそんな暇も予算もないな、とげんなりした。さらに言えば花を愛でて喜ぶような感性をもったゲヘナ生なんか激レアだよなあ、とか自分で駄目なとこが次々と思いつきやや半目になる。
しかし気を取り直して、先生に食事を届けるときに食卓の彩りに食事以外の物も考えたほうがよりよいかも、と良いアイディアが浮かび心にメモした。
ハルカは雑草が褒められてウキウキが復活し、先生が雑草の門松をとても喜んでくれたことを思い出し、鉢植えを飾る方向には可能性があると思った。その後すぐにやっぱり花の咲かない雑草を愛でる人はあまりいないですよねとへこんだが。ハルカはシダ植物のような花の咲かない雑草を好んでいた。
こうしてぽつりぽつりと雑談をしつつ歩みを進め、二人は会場内へと入った。この時点での双方相手の印象は、優しくて落ち着いてて素敵な人、話しかけてくれて嬉しい上手く返せなくて申し訳ない。
ゲヘナ生にあるまじき大人しさ、雑草の話になると目がキラキラするし植物が好きなのかも、こんな子ばかりなら日々の生活も平和なのに、であった。
片方は相手の印象ほぼこのまま帰路につくが、もう片方は数時間後に180度ひっくり返されることになる。フウカの表情は穏やかであった。今はまだ。
「おぉ~!こ、これが……!」
「モモフレンズ草むしり検定カード……かわいい」
「限定グッズですから、しっかりゲットしないとですね!」
「うん。観賞用・保存用・布教用に3つずつ買わないと」
入ってすぐ脇には物販コーナーがあり、奥には机と椅子が並べられ、プロジェクターなども設置された大部屋になっている。謎のトリニティ生二人は農学関係の書籍や雑誌、植物の写真集、押し花のキーホルダー、謎に値段の高い雑草の鉢植えなどには目もくれず、限定モモフレンズグッズを買い漁っていた。
ヒフミとアズサの他にもグッズを買い求めるギャルっぽい生徒が数名おり、レジの店員はわりとニコニコしているのでこれはこれで正しいムーブなのかもしれない。
「ど、どうしましょう。見ていきますか?」
「ええと、そろそろ時間みたいですし、ちらっと見るくらいで」
「そうですね……」
ハルカとフウカは少しうろついた後、会場の奥に入る。そこは通常の教室の倍程度の広さに2~30人ほどが集まり、やや閑散とした様子だ。キヴォトスの研究会はミレニアムサイエンススクールで一般人には理解不能の最新理論を喧々諤々戦わせるようなガチのものから、単に学校の枠を超えて生徒同士で集まる趣味のサークルのようになっているものまで様々あったが、雑草研究会はやや後者よりの集まりのようだった。
趣味の人が多くてゆるい空気だが、ガチめの論文発表をする人もおり関連企業の人間も少ないが来る、くらいの感じである。
前の方でしゃんと背筋を伸ばして座っているコハルを横目に、二人が隅っこの方へ座るとまもなく、司会の生徒が開会を告げた。いかにもゲヘナ生といった風体のスケバンだったが至極真面目に進行していく。
定期参加者以外も多いからだろうか、前口上として司会はすらすらと雑草研究会について説明していく。
「雑草の研究って、つまりは除草剤とか、薬品を使わない防除とか、そういう話だったんですね……」
「ええ、食料生産に関わる地味に重要な分野だとか」
司会の説明について小声でポソポソと感想を述べるが、ハルカはガッカリしていた。結局のところ、どこに行っても邪魔者か。いや、わかっていたことだ。誰かの育てた鉢植えに妙な期待をしてしまっただけのこと。自嘲の笑みがこぼれた。
その後は実際に発表者がそういった内容の研究発表をしていく。基本的にはライトな内容で、ほとんどガーデニング日記だったり、エリアごとに外来種の雑草の繁殖状況を調べるようなちょっと凝った夏休みの自由研究のようなのだったりした。
合間合間の農薬関係などわりとガチな内容の発表ではどこかの教員か企業所属らしいロボットから素人質問で恐縮ですが、などと恒例のワードが飛んで発表者を青くさせたりしつつも研究会は順調に進んでいった。
前の方のコハルはちょっと難しい内容の発表になった瞬間突っ伏して寝始め、ヒフミは気もそぞろに買ったばかりのペロログッズをいじり、アズサは授業を受けているかのようにノートを取っていた。
ハルカとフウカはポソポソ感想を交わしつつ、基本はぇ~とテレビの教養番組を見るような調子であった。そんなこんなで研究発表が進んでいくと、ある生徒が前方に出る。
セーラー服を着崩しバッテンマスクで顔を隠した、いかにもゲヘナの不良生徒といった彼女だが、普通に発表者席に着くとプロジェクターに画像を映しつつ、慣れた様子でレジュメのデータを参加者に送る。
「新参者でしたが、ちょっとは慣れてきました、今回何回目だったかな。ま、ともかくゲヘナ農地で一般的な雑草への肥料・農薬の影響の発表。そんじゃよろしくお願いします」
次々と映し出されていく映像は看板前を飾っていた雑草の植木鉢だ。どうやら彼女があれらを育てた人物だったらしい。投与した肥料や農薬、また日照時間や降水量、散水量などの基本的なデータ、雑草の生育について詳細なデータが次々と出される。
考察部や結論部はやや稚拙ながらも特定の種類の雑草のみを農薬で排除する実験だとか、肥料の組み合わせで雑草を大繁殖させるだとか、実用的な部分もちょくちょくあり、業界関係者を唸らせるできであった。
「すごいですね。あの鉢がこうやって育てられたんだ」
「ええ、本当に……」
ハルカは、自分が育てる雑草に向ける愛情とはまた別の、やや無機質ながらもじっと見つめて目を離さないような愛を感じ、発表者に称賛の念を送った。
「ご清聴あざした。鉢の販売もやってるんでね、特別なやつはちょっとお高いですけど、わかってる方は買ってってください」
不良生徒が頭を下げ、発表は終わった。そしてハルカが感動に浸るまもなく入り口のドアが蹴り開けられた。
「風紀委員会だ!大人しくしろっ!お前たちには違法薬物売買の容疑がかかっている!!!」
「……は?」
「え?え??」
フウカとハルカを含めた会場の過半の人間の混乱をよそに、勢いよく飛び込んできたのはゲヘナ風紀委員会の
「な、何言ってんだぁ!?ここは健全な研究発表の場だ!風紀委員会の犬どもなんかお呼びじゃないぜ!」
発表を終えたばかりの不良生徒が叫ぶ。司会や他の不良生徒たちもそうだそうだと同調し、あっけにとられていた他の参加者たちにもその空気が伝染し、睨まれたイオリはちょっと引く。
「え、えーと……犬はアコちゃんだけだ!じゃなくて、証拠証拠、アレ持ってきて」
するとイオリはぞろぞろと引き連れていた他の風紀委員たちに指示し、例の雑草の鉢植えがバケツリレーで運ばれてきた。
「な、何をやってるんでしょう?」
「なにがなんだかさっぱり。でも確かなことは、私の平和な休日が消えそうだということです」
半目でやさぐれるフウカを後目に状況は加速していく。鉢植えをみてぎょっと表情を変える不良たち。
「こいつを、こうだ!」
「あぁっ!?」
床に叩きつけられバラバラに飛び散る鉢と雑草にハルカは悲鳴を上げたが、気にせずイオリは鉢の中から“証拠品”を拾い上げる。
「ネタはあがってるんだ!規則違反者ども、逃げられると思うな!」
土に汚れながらも厳重に包まれた物体、その中から現れたのは謎の白い粉であった。ご禁制のハッピーターンの粉であることは誰の目にも明らかだった。
「ちっ、ばれちまったら仕方ねえ!やるぞてめえら!」
「抵抗は無駄だ!」
あれよという間に風紀委員会と不良達の間で銃撃戦が始まり、犯罪に無関係だったらしい参加者たちが悲鳴をあげて逃げ惑う。
「私達も逃げないと!」
一緒に避難しようとハルカの袖を引いたフウカは、それが微動だにしないことに気づく。そして銃声に紛れ細い声が漏れている。
「許さない許さない許さない許さないこんなこと、絶対に、許さない……!」
呪詛のように絶対許さないと呟き続けるハルカの暗く深く沈んだ目を見てフウカはすべてを察した。このキヴォトスにまともで大人しい子なんてものは存在しないのだ。
フウカ自身もわりかしまともな方ではあるものの、今不良を鎮圧しようと頑張っているイオリを亡き者にしようとしたこともある。ここはキヴォトスなのだ。
椅子を蹴立ててハルカは立ち上がる。
「許さない……!死んでください死んでください死んでください!」
同時、机などの遮蔽を利用して結構頑張って風紀委員会に対抗していた不良たちの横っ面をぶち抜くショットガンの連射が直撃した。そしてなんとか生き残った不良たちにまた別方向からトドメのアサルトライフルの銃撃が突き刺さる。
「そうだ、許さない」
アズサは雑草というものに特別な想いを抱えていた。あるいはハルカと同じか、それ以上に。だからこそ同じように許せなかった。ガスマスクの下の紫の瞳を同じ色でハルカは見つめた。
「な、なに!?援軍!?ってお前便利屋のやつじゃないか!お前らまた悪さしてたな!っていや、便利屋の奴らじゃない!?なんだお前ら!ほんとになに!?」
突然敵が全滅してあっけにとられていたイオリがハルカを見て戦意を取り戻す。しかし、ガスマスクと紙袋と未だに寝ている謎の集団に気を取られた瞬間、狙いすましたアズサ必殺の銃撃がお腹パンチとなりぶっ飛ばされる。
「ばにたす ばにたーたむ」
これにより同じく敵の全滅に驚き戸惑っていた風紀委員たちがイオリちゃんの仇を取れ、とハルカたちを狙う。イオリは死んでないぃとうめきながらもお腹痛くて立ち上がることができない。
「ペロロ様、お願いします!」
次の瞬間、射線を遮るように出現した謎のデカくてキモい鳥がハルカたちの姿を隠す。派手な音楽をけたたましく鳴らしながら光り、踊り、回る。意味不明な事態に恐慌状態に陥った風紀委員たちはペロロ様に銃撃を集中させるが意味不明な耐久力で完全に耐えるキモい鳥。恐慌は拡大するばかりだ。
「続けてコハ……謎のグラサンちゃんお願いします」
「もうっなんなのよもう!ほんとになんなのよ!」
ペロロ様を盾にしている間に叩き起こされたコハルがセイなる手榴弾を投げ込み、恐慌状態の風紀委員部隊が半壊状態になったところでこの戦闘の趨勢はほぼ確定した。
「なにがなんだかわからない……でも風紀委員に捕まるわけにはいかないしとにかく逃げないと!」
「そ、そうですね!逃げましょう!」
「何がどうしたらこんなことになるのよっ!」
半泣きになりながらも地味に的確なサポートをしていたフウカと、同じく地味に的確に指揮を取っていたヒフミと、寝起きに戦場に立たされてやっぱり半泣きのコハルが駆け出す。アズサもそれに続こうとしたが、立ち止まり振り返る。
「あげる」
アズサは手短に告げモモフレンズの1体、スカルマンの草むしり検定カードをハルカに押し付けてから走り去った。シンパシーを感じたので布教用のグッズを早速渡すことにしたのだった。ややあっけにとられたハルカがカードを仕舞っていると、最初に倒れた不良生徒が意識を取り戻したようで、もぞもぞと動く。
「結局、こうなるのかよ。雑草風情の定めとはいえ……クソっ」
倒れていた不良生徒が漏らした声に、ハルカは返した。
「雑草でも、鉢に植え替えてくれる方がいます。雑草でも、素敵だと言ってくれる方もいます」
ハルカが思い浮かべた人物たちを不良生徒は知らないだろう。ただ、そういう人と同じ心をこの不良生徒はきっと持っているのだと、そう信じたかった。そういう気持ちを踏みにじられた怒りと悲しみと、それでも信じたいという思いが渦を巻きグラグラと煮えていた。
「……へっ。ただの隠れ蓑、カモフラージュ、それだけ。それだけだったのになあ」
「すべて消します。許せないので」
「わかったよ。次からは真面目にコツコツやるさ……」
ハルカがスイッチを押すと会議場のすべてが爆炎に包まれた。巧妙に仕掛けられた爆弾による爆発の連鎖が芸術的なまでに会場を吹き飛ばしていく。ハルカが立っていた会場の中央と、その足元の不良だけは無傷だ。
ちょうど出たところだったフウカとコハルは爆風にふっとばされ、少し離れていたヒフミは必死で紙袋を抑え、アズサはただ風に吹かれた。
すべては灰と瓦礫の山になった。違法薬物も、世にも珍しい雑草の鉢植えたちも。
「踏まれて踏まれて折れ曲がっても、その先で花を咲かすのが雑草さ。なあ、そうだろ」
ハルカは無言で瓦礫を乗り越え立ち去る。花が咲かない雑草もある。それを愛してくれる人がいるならそれでいいと、そう思った。でもその人達も雑草が花を咲かせたならば、それはそれで喜んでくれるだろう。自分はどうするべきなのか、どうなるべきなのか。
敷地の端、瓦礫の隙間から顔を出し、吹き飛ばされながらも生き残っていたらしい鉢植えだった雑草を見つけ、ハルカは摘んで帰った。後日、秘密の植物園に白い仮面の謎の動物カードが刺さった雑草の鉢植えが一つ増えていた。
「おのれ便利屋68!絶対に許さんぞっ!陸八魔アル!!!」
ややアフロのイオリは瓦礫を跳ね除けながら立ち上がり、空に吠えた。
正月ハルカが可愛かったの(とフリフリミニスカ着物ムチュキが着せたのかなとか思ってましたが、安いから選んだ+先生が慌てて別の着せようとする→アレな店のコスプレ衣装では?というのを見てえっちだ……と思ったの)で書きました。
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ヒフナギ姉妹妄想怪文書
私がはじめてお姉ちゃんの存在を知ったのは、ちょうど中学校に上がる少し前の頃でした。普段はいつもニコニコしているパパとママが珍しく神妙な顔をして、大事な話があると言い出しました。
そのときに、ヒフミも大人になったから、と私の出生の秘密について教えられたのです。いえ、まあ秘密というほど大げさなものではなくて、小さな頃に親戚の家、つまり今の家に養子に出されたというだけなのですけれど。
私はトリニティの名家である桐藤の本家に生まれたのですが、その血筋の証明ともなる白い大きな翼を持たずに生まれたことから、分家の中でも端っこの方、ほとんど一般家庭である阿慈谷の家で育つことになったのだそうです。
パパとママは自分たちが私の本当の両親でないことを後ろめたく思っていたようで、この話をしているときは終始辛そうでした。私も二人が本当のパパとママじゃなかった、というのはそれなりの衝撃を伴う事実でした。
けれどそれ以上に、私のパパとママはこの人達であって今話に聞いただけの実の両親という存在は別に重要なものではない、という思いが強かったです。もしかするとそれはすごく薄情なことなのかもしれませんが、その当時も今も、それが正直な気持ちです。
それをパパとママに伝えると、ホッとした様子で、いつもの家族が戻ってきました。それから3人で一緒にホットケーキを作って食べました。メープルシロップやホイップクリーム、いちごソースもたっぷりかけたたまにしか食べれない特別なやつです。とっても美味しかったなあ……。
ああっと、それは本題じゃなかったですね。その時一緒に姉の話を聞いたんです。すごいお嬢様のお姉ちゃんがいるって。実の両親には興味なかったですが、一人っ子だったので姉妹というものには少し憧れがありました。
平凡でなんにも特別なところのない私に、特別な姉妹がいる。それはすごく魅力的なことで、その日の夜はドキドキしてなかなか寝付けませんでした。
それからしばらく、私はいつものように学校に行って、友だちと遊んで、家に帰って勉強して……これまでとなにも変わらないいつも通りの日々を過ごしていました。
けれど頭の片隅にはいつも顔も知らないお姉ちゃんのことがありました。どんな人なんだろう。私と似ているのかな。どんなお菓子が好きなんだろう。もしも会えたら、仲良くなれるのかな。
ふわふわとしたそれらの思いは、時を経るに従い薄らいでいくどころかより強くなっていきました。いつしか私はお姉ちゃんに会ってみたいと、いえ、なんとかして会おうと考えるようになったのです。
当時の私はまだまだ子供でしたから、その年頃特有といいますか、少しだけ無鉄砲なところがありました。
桐藤の家のことはほとんどなにも知らなかったのですが、両親宛ての年賀状の中からそれらしきものを見つけ、住所をメモして、お気に入りのペロロ様ポーチに水筒とお菓子を詰め込んで、それだけを持って家を出ました。
やっぱり実の両親に会いたいんだ、なんてパパとママに思われたくなかったですから、ある休みの日にこっそり一人で出かけることにしたのです。バスに乗り込むとしばらくは見慣れた街並み。
お姉ちゃんにあったらどんなことを話そう。一番前の席に座って、犬の運転手さんの耳がぴくぴくと動くのを眺めながらずっと考えていました。気づけばお客さんもまばらになって窓の外は見たことのない景色。
降りる予定だったバス停もすぐそこで、私は慌ててボタンを押します。滑るように止まったバスの精算機に交通ICカードを押し当てて、運転手さんにお礼を言ってステップを降りました。
そこはトリニティのなかでも古くからの高級住宅街で、道行く人達もなんだかズッシリした格好をしているというか、私の家の近くののんびりした空気とはぜんぜん違う感じがしました。
はじめて一人での遠出でしたから、些細な事が強く印象付けられたと言うだけかもしれません。けれど私はまさに未知の世界への冒険に踏み出すんだ、なんて、少し高揚した気持ちで鼻歌なんか歌いながら目的地を目指すのでした。
桐藤の家は思ったよりも簡単に見つかりました。いえ、最初は大きな公園かなにかかなと思ったところがそうだったので、それと気づくまでにしばらくかかりましたが。
高くて長い塀が延々と続き、その先に立派な門があり警備の人までいました。周りの家とくらべても明らかに巨大なお屋敷に気後れした私は、お友達を訪ねるように気軽にインターホンを押すなんてことは考えられませんでした。
でもここまで来てすごすごと帰ることなんてできませんし、冒険気分も残っていたので、お屋敷の周りをぐるりと回ってなんとか中に入れないかと探索を続けたのです。
大人の足でもそれなりに時間がかかるだろう道のりを、キョロキョロ辺りを見回しながらあるき続け、疲れて、やっぱりもう帰ろうかななんて思いはじめた頃。すっと壁からマスク&マントルの黒白猫が飛び出してきました。
びっくりして見つめる私をちらっと見返すと、ニャッと一声鳴いてその子はさっさとどこかに行ってしまいました。呆然と見送った後、はっと我に返った私はその子が出てきたところを調べようと近づきます。
すると壁の変化は見て明らかで、長い塀が途切れてそこから先はプリペットの生け垣になっていたのです。高さは塀と同じくらいでしたが、猫なら簡単に、人間の子供でも頑張ればなんとか入れそうな隙間が根元にありました。
早速私はペロロ様ポーチを外して穴に放り込むと、続けて自分自身もその中にねじ込みます。頭と肩は簡単に抜けましたが、おしりが引っかかってすっぽりハマってしまいました。
ちょっと泣きそうでしたが、しばらく頑張って腕の力で無理やり進むと、どうにか体全部を引っこ抜いてコロンととお屋敷の庭に飛び込むことになったのでした。
「わぁ……」
お庭には立派なモクレンの木が規則正しく立ち並び、白い花を咲かせています。その合間合間には丁寧に刈り込まれた植え込みや立派な花壇があり、水仙やサイネリア、ゼラニウムにマーガレット、色とりどりの季節の花が一面に広がっています。
ぺたんと芝生に尻もちをついたまま、暫くの間呆然と景色を眺めていました。その時通っていた中等部の校舎にも素敵な花壇はありましたが、それよりずっと壮麗でした。
高等部の校舎周りや、大聖堂の近くなら同じくらいの庭園がありますが、当時はまだ見たことがありませんでしたから、まるで異世界に迷い込んだような気持ちになったものです。
どれくらい時間がたったでしょうか、それほど長い時間ではなかったと思うのですが、座り込んで動かない私を不審に思ったのでしょう、誰かがすぐ側に近づいてきたことに気づきます。
ハッと顔を上げた私の目に映ったのは、舞い落ちる花びらとともに揺れるクリームイエローの長い髪。こちらを覗き込む金の瞳は理知的な光を湛え、大きな白い翼はまるで本物の天使様のようでした。
「ごきげんよう、お嬢さん」
「は、はひっ! ごきげんようございます!」
「ふふっ、はい、ごきげんようございます。転んでいたみたいですけれど、立てるかしら」
「だ、大丈夫です……」
動転し、裏返った声で変な叫びを上げてしまった私にクスクスと微笑んだ彼女はそっと手を差し伸べてくれました。助け起こされた私の頭や肩についた草や葉っぱがそっと取り除けられます。
何気ない所作の一つ一つが優美で、気遣いに満ちていて、違う世界の、特別な存在なんだと、見た目だけでなくすべてがそうでした。冒険の高揚も、素敵な庭園の感動も小さくすぼんでいき、ただただ萎縮するばかりです。
「私は桐藤ナギサ。あなたのお名前を聞いてもいいかしら?」
「あっ、阿慈谷ヒフミです!」
「そう、ヒフミさん。よろしくお願いしますね」
ナギサ様はおどおどと縮こまる私の手を優しく握り、小さなガゼボ*1に導きました。品のいいラウンドテーブルに可愛らしいティーセットが並んでいます。アフタヌーンティーを楽しんでいたのでしょうか。
邪魔をしてしまったのかもしれません。場違いなところに迷い込んでしまった、そんな思いばかりが頭をめぐり、すぐにも駆け出して逃げてしまいたくなりました。けれど、そんな私を安心させるように優しい声が言うのです。
「せっかくですから、一緒にお茶にしませんか?」
お姉ちゃんも、私と同じく姉妹の存在だけは知っていて、私が本当の両親に会いに来たのかと、それだけは気遣わしげでした。けれどそうではないと言えばほっと息を吐きます。
「そうですね。両親に会うのはきっとあまり楽しくないことになるでしょうから。それよりも、こんなに可愛らしい妹がいたことが嬉しいです。色々お話しましょう」
「私もっ……素敵なお姉ちゃ、お姉さん……お姉さま? と会えて嬉しいです!」
「ふふ、あなたがよければお姉ちゃんで構いませんよ、ヒフミさん」
「……はい、お姉ちゃん」
二人きりのお茶会は夢のようなひとときでした。初めて会った生き別れの姉は、想像していたのと同じ、いえ、それよりも素敵な女性でした。穏やかで落ち着いた声音に緊張を解され、ぽつぽつと話し始めます。
途中で何故か水筒に入れていた麦茶を見るからに高そうなティーカップに注いで一緒に飲むことになったり、スーパーで買った駄菓子とケーキスタンドに並べられた可愛らしいお菓子を交換したり、こんなことしていいのだろうかという場面もありましたが。
家族のことや学校のこと最近集めるようになったモモフレンズのグッズのこと。他愛のない話題でもニコニコと楽しそうに聞いてくれました。
お姉ちゃんからも、好きな紅茶のことや、お茶菓子のこと、お菓子作りの練習をしたいけれどなかなか時間がとれないことや最近読んだ本のこと、いろいろなことを聞きました。
日が傾いて庭園が茜色に染まり、そろそろ帰らないと心配されてしまう時間です。名残は尽きませんでしたが、その日は解散ということになりました。
「今日は楽しかったです。ありがとうございました、お姉ちゃん」
「こちらこそ、あなたと話せて良かったです、ヒフミさん」
「いえその、あんまり面白い話もできなくて……」
「そんなことはありませんよ」
お姉ちゃんはそれまでみせなかった、少しだけ寂しげな顔をして言いました。
「私が普段話す人たちは、皆さんそれぞれ立場のある方たちですから、気を抜いて、素直な気持ちを見せるようなことはなかなかできません。幼い頃からの友人は別ですけれど、彼女たちも私自身も役職につくようになって、どうしても昔と同じようにはいきません」
私が普通であることに悩むように、お姉ちゃんは特別であることに悩んでいたのでしょうか。
「こうして腹蔵なく話せるだけで、私はとても嬉しいのです。よければまたいらしてください」
夕日の中、お姉ちゃんの微笑みは社交辞令とかそういうのではなく、本当に心からのものに見えました。なんの取り柄もない私ですが、この人の寂しさを少しでも埋めてあげることができるなら、それはとても素敵なことだと思ったのです。
「はい、またお邪魔しますね。今度はもうちょっとちゃんとした物を持ってきます」
「麦茶でしたか? あれはあれで、クセがなくて飲みやすくてよかったですけれどね」
「ごめんなさいごめんなさい……それじゃ、さよなら!」
生粋のお嬢様の口に一杯数円レベルの代物を入れてしまった罪悪感に背中を押されつつ、私は夕暮れの街へ駆け出しました。
その後、特に私の生活が大きく変わる事はありませんでした。何か特別な出来事をきっかけに私を包む世界が大きく変わるような、そんな物語のようなことを期待していなかったと言えば嘘になる、といいますか、いつもそのようなことばかり夢想していたのですけど、そういうことはなかったのです。
特別な出来事があったからといって、普通な私が特別な存在になることもない。当たり前のことですけど、浮かれていた私がそのことに気づくまでには少し時間がかかりました。
お姉ちゃんが忙しい合間を縫って誘ってくれる、二人だけの秘密のお茶会、そのときだけが特別な時間。その他はそれまでと変わらない、普通の私の平凡な日常。
それは期待していたのとは全く違った形で唐突に終わりました。
ある日突然、何人かの上級生の人たちに呼び出され、お話をされました。曰く、あの家の人間なのに羽なしの“出来損ない”がナギサ様に近づくことは全くふさわしくない。身の程をわきまえなければならない。私の思慮のない行動が問題を呼び込む恐れがあり、それは誰にとっても不幸な結果になる。
秘密のお茶会を秘密にしていたのは本当に僅かな期間だけのことで、お友達に素敵なお姉ちゃんを自慢することを私は我慢できなかったのです。そしてそれが巡り巡って彼女たちの耳に入ったのでしょう。
今はまあ、なんとなくはわかりますが、当時の私には完全に理解不能な話でした。ただ、私のような普通の子が特別な人を煩わすことを、周りの人は気に食わないのだろう、そのことは理解できました。
ただ、お姉ちゃんとのお茶会は既に私にとっても大切な時間になっていましたから、その場できっぱりとお断りしたのです。するとその人たちは一つ頷くとあっさりと帰っていきます。
その日は結局何事もなく、なんだったのだろうと首を傾げましたが、すぐにあの人たちが何をしたのか理解しました。
親しかったはずのお友達みんなからもう一緒に遊ぶことはできないと言われます。なんで、と泣いて喚いてもよかったのですが、心当たりはありすぎるほどにありました。だから、あはは……と笑って、気にしないで、あなたは悪くない、そう言って見送ることしかできませんでした。
それ以上なにかをされることはありませんでしたが、ただ誰ともなにも話せない日々が続きました。家族や、お姉ちゃんに心配をかけるわけにはいきませんから、家やお茶会では努めて普通に過ごします。
きっとあの人達に頭を下げて、お姉ちゃんとのお茶会を諦めれば、それだけでそれまでの普通の日々は帰ってきたのでしょう。でも、私は負けたくなかった。こんなつまらないあの人達の“普通”に膝を屈することは絶対にしたくなかった。
休みの日には、お友達と出かけると嘘をついて一人で少し遠くのショッピングモールにでかけます。寂しさを埋めるようにたくさんのモモフレンズグッズを買いました。モモフレンズがちょっと好きなファンシーグッズから、もっともっと大切なものになったのはきっとこの頃です。
今もお気に入りのペロロ様のリュックを見つけたのもちょうどこのときでした。リュックを背負って鏡に自分の姿を映します。まるで小さな翼が私の背中に生えたようでした。
翼があれば、はじめからお姉ちゃんと姉妹として過ごして、こんなにつらい目にあうこともなかったのかな、そんなふうに思って泣きたくなる夜もありました。でも、こうしてペロロ様の翼を背に負うと聞こえるのです。
「君はなにも間違っていないのですから、頑張れ! 負けるな! ペロロー!」
ペロロ様が悪党と戦うときにモモフレンズのみんなに勇気を与えるように、私にも励ましの言葉をかけてくれるようでした。小さな翼が偽物なのは、私が私であることの証です。ちょっと躓いたくらいでパパとママと、お友達と過ごした日々を否定するなんて有りえません。
挫けそうになるたびにリュックを背負い直し、ペロロ様に翼をもらって、私は勇気を取り戻すのです。そうして私とペロロ様の戦いの日々は続きました。
無限に続くかに思えたつらい日々は、始まりと同じく唐突に終わりを告げます。あの上級生たちがなぜか私のもとに訪れ、ペコリと頭を下げ、立ち去りました。当時は疑問符が浮かぶばかりでしたが、今思うに納得はいかないけれど筋は通す、そういったものが現れた行動だったのでしょうか。
今でも彼女たちのことは好きじゃありませんが、彼女たちにもそれぞれの考えがあり、お姉ちゃんのためを思ってのことだったのだと思えば、理解はできます。
その後お友達ともまた話せるようになりました。しばらくはギクシャクしましたし、特に仲の良かった子からは涙ながらに謝られて逆に申し訳なくなってしまうようなこともありましたが。ともかく、普通の日々が帰ってきたのです。
そして、その次のお茶会の日。
「ごめんなさい、ヒフミさん」
会うなりお姉ちゃんは私のことを強く強く抱きしめました。淑女らしくいつも落ち着いているのに、このときばかりは少しだけ泣きそうな声で、まるで親に怒られるのを恐れる子供のようでした。
「私のせいで、あなたにはつらい思いをさせてしまいました……」
お姉ちゃんには気をつけて隠していたつもりでしたが、様子がおかしいのがバレてしまったのでしょう。震える背中をそっと抱き返します。
「大丈夫です。あれくらい、へっちゃらです。それに、こうして助けてくれました」
「でも、私がもっと気をつけていればそもそもあんなことには……」
少し体を離し、赤くなった目でこちらを見るお姉ちゃんをしっかりと見つめ返します。
「お姉ちゃんとの楽しいお茶会の時間を大事にしたくて、頑張りました。だから笑ってください、お姉ちゃん」
「……もうっ! あなたという人は……!」
ぽろぽろと涙をこぼすお姉ちゃんを再び抱きしめます。お姉ちゃんも先程よりもさらに強く私を抱きます。それだけでなく、白く大きな2枚の翼も私を包み込みます。柔らかく暖かな感触が、大事にしたい、守りたい、という気持ちを伝えるようでした。
飛べない翼はでも、こうして愛を伝えるためにあるんだ。
翼のない分それでも愛を返せるように、私はお姉ちゃんをぎゅっと抱きます。その日はずっとそうして、飽きるまで抱き合っていたのでした。
「……さてお二人とも、資料は確認していただけたでしょうか。今日の議題は問題行動が見られる生徒の情報の共有でしたが、ずいぶんじっくり読んでいましたね。基本的には正義実現委員会の方にお任せするのでそれほど詳細なものではないはずですが……」
さきほど渡した資料を読み終えたらしいミカとセイアに声をかけるナギサ。大した議題もなくサッと終わり、しばらく雑談して解散、という平時におけるティーパーティーのいつもの定例会議のはずだったのだが。
「まずはそうだね……実に深い資料だった。君が問題生徒の中で特に注目している阿慈谷ヒフミについて、よくわかったよ」
「……? ヒフミさんはたしかにブラックマーケットに出入りしている疑いがあり、問題生徒のリストに入っていますが……リストの他の生徒と比べて特別なにかあるということはなかったはずですが」
紅茶を少し口に含んだ後、意味深に告げるセイア。何か気になるところがあっただろうかとナギサは首を傾げる。
「いや、これナギちゃんの妄想日記でしょ。ナギちゃん普通に一人っ子だし」
「もちろんわかっているよミカ。しかし実在の人物を対象にした創作というのは、作者のその人物に対するイメージというのが色濃く出るもの。ある意味では客観的な事実よりも参考になるデータだ」
「あの、ミカさん、セイアさん、一体何を……?」
呆れ顔で頬杖をついていたミカが、資料に紛れていた数枚の紙をぴらぴらと振る。几帳面な文字で綴られたのは、桐藤ナギサと阿慈谷ヒフミが生き別れの姉妹であったら、という想定を元にした短編小説、ストレートに言ってしまえばまさしく妄想日記、そのコピーであった。
「んなっ───!!?!? なぜそれをっ!!!」
ようやく状況に気づいたナギサは一瞬で沸騰し真っ赤になりミカから小説を奪い取ろうと手を伸ばすも、圧倒的なフィジカルの差で全く相手にならない。ミカがナギサに怪我をさせないよう余裕を持ってあしらっている間にセイアは続ける。
「どうやら配布資料に混ざりこんでいたものを当番の子がそのまま全部コピーしたらしいね。内容を見ていれば抜いただろうから、読んだのは私達だけだ。よかったねナギサ、こんなものが流出することがなくて」
「うん、まあ正直キモーッ☆って感じだったし、それはそう。不幸中の幸いってやつだねナギちゃん」
「ああぁあぁぁあああああああっっっ!!!!!」
叫び、両手で顔を覆い、崩れ落ちるナギサ。セイアがカップをかき混ぜる音と、ミカがクッキーをポリポリかじる音だけが響く。追撃をかけないだけの情けはティーパーティーの机上にも存在した。
「しかしナギサに同性愛の趣味があるとは意外だな」
「ねー。長い付き合いだけど全く気づかなかったよ」
やっぱりなかったらしい。二人はニヤニヤと笑いながらナギサを追撃する。こんな格好のいじりのネタを得た以上ちょっとやそっとで済ますなどありえないのだ。
「ど、同性愛とか、そういうのではありません! 単なる気まぐれの創作であってそれ以上でも以下でも……!」
「あーあ、でもかなしいなー。私はこんなにナギちゃんのこと好きなのにナギちゃんはよその子に夢中なんだ」
「全くだ。私がこれほどの特別な感情を向けるのはナギサだけだというのに、手ひどく裏切られた気分だよ」
「はぁっ!?!!??!?」
しどろもどろに弁解していたナギサに特大の爆弾が投下され、少しはおさまっていた顔の熱が先程以上に燃え上がる。そんなナギサを見てセイアはクックッと喉で笑い、ミカは遠慮なくケラケラ笑った。
「軽いジョークだよ。私に同性愛の趣味はない」
「私も普通に男の子がいいかな☆ナギちゃん好きなのはほんとだけどねー」
「あなたたちっ……!」
弄ばれ、ぐぬぬと歯ぎしりするナギサだがこの圧倒的不利を覆すカードを持ってはいなかった。セイアの袖にとまるシマエナガだけが同情するような視線をナギサに向けていた。
「ふっ、すっかり真面目な話をする空気ではなくなってしまったね」
「誰のせいですか誰の……!」
「ナギちゃん」
「君だ」
「むぅぅぅぅぅぅっ!!!」
ふざけっぱなしの二人の性格がいいとはいえないが、資料に怪文書を混ぜ込んだナギサがこの状況のトリガーであることは間違いない。しかし飽きたのかこれ以上は後日の反撃が怖いと思ったのか、二人は話題を変えた。
「しかし男性ね。いかにも年頃の少女らしい話題だが、そういう話はしたことがなかったな。どんな人がいいんだい? 具体的な男性は身近にほぼ存在しないから、イメージの話になるが」
「そりゃもう王子様だよー。ピンチに颯爽と駆けつけてくれるような人がいいな☆」
ミカの発言を聞き、いかにも頭ン中おひめさまだな、と言わんばかりの表情を浮かべ失笑するセイア。
「あ、ひど。真面目な話なのに。つらい時とかしんどい時にちゃんとそばにいてくれるような人がいいって話だよ」
「ああ、それなら理解できなくもない。私も、そうだな。パートナーに求めることはそう多くない。未来の光景から目をそらさず、ともに歩んでくれるならそれで十分だ」
おめーも十分頭ン中おひめさまじゃねーかと憮然とした表情を浮かべるミカ。しかしセイアのこういうのを深掘りしたところで真顔でつらつらまだるっこしい長い話を並べるだけで面白くないので矛先を変える。
「それでナギちゃんは? やっぱり年下の女の子?」
「自分と同じくらいの背丈の金髪少女かね?」
メンタルリセットのため努めて落ち着いて紅茶を飲んでいたナギサはむせた。
「げほっ。…………誠実な方であればそれ以上のことはありません」
目を伏せ、何事もなかったかのように振る舞いながらも、いかなる感情かカタカタとカップを揺らすナギサに二人が寄っていく。
「えー! つまんないつまんなーい! もっとなんかあるでしょ!」
「こうなった以上恥のかき捨てというものだろう。赤裸々に語ってくれて構わないよ。なに、ここだけの話だ。さあさあ」
うつむき無理やり二人を視界から外し続けるナギサの頬を、左右から無遠慮にぷにぷにするミカとセイア。しばし後、ついにナギサはキレた。
「……あなたたちっ! 本当に、いい加減になさいっ!!!」
怒り狂うナギサは煽りまくる二人の口にマカロンを大量に突っ込んで物理的に黙らせた。セイアは普通に敗北し、ミカは流石にやりすぎたかと甘んじて受けた。
「本日の定例会は終了! 解散です! それではごきげんよう!」
二人はもっきゅもっきゅと口の中のものを片付けながら、足早に立ち去るナギサにぱたぱたと手を振り見送った。キヴォトスでも1,2を争うマンモス校であるトリニティ総合学園、そのトップたるティーパーティーの会談は、わりといっつもこんな感じであった。
某所でスレナギちゃんが見た目似てるから私たち姉妹みたいですよねとか言ってるのを見て。
ミカでなんか書きたいけどエデン条約後おいたわしすぎて上手く書けねえとか、ヒフミさん絆でペロキチ過ぎて避けられてる疑惑とかでそもそもいじめネタなんて扱うべきではないのではという思いもありましたが思いついちゃったので書きました。ナギちゃんの妄想怪文書だから……を言い訳にしつつ。
あとゲーム内で翼とか耳角尻尾とか言及することほぼないのにネタにしていいのかというのもありましたがDQ7で育った身としては翼のあるナシは世界の存亡にかかわるレベルなので姉妹・翼アリナシ・ペロロカバンで擬似翼、の時点でネタにせざるを得ませんでした。
翼で抱きしめるくだりはイキ杉田ニキ吹き替え旅するシェフの鷹狩り回で鷹が餌を翼で覆って独占しようとするの見て書きました。あとアリスがFF9やるネタ書こうと思ってやり直してる時に見たバハムートから翼で城を守るアレクサンダーくん。
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ムツキちゃんに先生が舐められる話
パラリパラリと紙を捲くる音、カリカリとペンを走らせる音、時計の秒針のカチカチとなる音、夜も更けた静かなシャーレのオフィスではそんな音ばかりがやけに大きく聞こえた。
時折むにゃむにゃとアロナの寝言がシッテムの箱……先生のタブレットから漏れてくるが、それくらいである。
シャーレの先生は多忙だ。いっつも女子高生とデートしているだけに見えるが、実際はとにかく書類仕事が多い。
シャーレは学校、つまりは各自治体の枠にとらわれず諸問題を解決するために活動する。枠にとらわれないと言えば聞こえはいいが、要は活動の前提として横紙破りをすることになるわけだから、なにをするにしても関係各所への報告書の作成・提出が必須になるのである。
先生が常に寝食を削るレベルで仕事に追われ、目の下の隈が消えることがないのもこの辺に原因があった。
キヴォトスではIT系の技術も大いに発達しており、すべて電子化しようと思えばできるだろう。そうすればいくらか仕事も楽になるはずなのだが、紙文化が強く根付いているのかそうなる気配はない。
行きつけの居酒屋などでたまに狙ったようにエンカウントする黒服によれば、紙とペンを使った契約は特別なものであり、特に神秘を内包するキヴォトスの生徒たちがそれを行うことで深い意味と力が生じる……とかなんとか。
キヴォトスの紙文化がそうした背景を元にしているのかは実際のところはわからないし、由来の考察をしたところで書類地獄が終わることもないのだが。
先生はぼんやりと思考がそれていくのを感じた。疲労と眠気でそろそろ限界なのかもしれない。仮眠をとるか、もう少しキリの良いところまで進めるか。そんなことを考えていると不意に頬のあたりにうっすらと熱を感じた。
嫌な予感がして視線だけを横に向けると、そこには目をつむり、唇を頬につくんじゃないかと言うほど近づけてジッと待っている浅黄ムツキがいた。
>『ムツキ?なにしてるの……』
『ガチ恋距離だね!』
そっと距離を離しながら問いかけると、ムツキは引っかからなかったことに不満そうに唇を尖らせた。なにも考えずに横を向いていたら頬にキスされることになっていただろう。
「お疲れの先生を労ってあげようと思っただけだよ~だ……ちぇー」
ムツキのいたずらは初めの頃こそまさしく悪ガキ……というには爆弾使用のバイオレンスなものも多かったが、ともかく子供らしい、微笑ましいものが多かった。しかし仲良くなるにつれてなにやら種類が変わってきたように思われる。
先生との直接的な接触も最初は恥ずかしがっていたが、お正月の頃には首筋を噛むような……なんというかマズイ方向に吹っ切れてしまったような行動が増えていた。
「はいどーぞ。ムツキちゃんの愛情たっぷりだよ♪」
『……もしかしてタバスコとか入ってる?』
いたずらついでだろうか、ムツキが持ってきた二人分のマグカップにはふわりと湯気を立てるココアが並々と淹れられている。
「んふふ、どうでしょー?心配ならこっちにする~?」
>『いや、この青いマグカップのをいただくよ』
『せっかくだから俺は赤い方を選ぶぜ!』
騙されたなら騙されたで目が覚めてちょうどよかろうと、半ば捨鉢な気持ちで先生はふうふうと息で冷ましたココアを口に含んだ。軽いいたずらは食らいすぎてすっかり慣れっこだったし、ムツキが本当に酷いことをするとすれば敵相手か、よっぽど変なテンションになった時だけだ。
『うん。ホッとする味』
意外にもココアは普通に市販の美味しいものだった。特に何かおかしなものが入っている様子もない。
「やるねー先生。仕掛けたいたずら全部に片っ端からひっかかってた頃が懐かしいよ」
そう言いながらムツキは自分のカップにシュガースティックの砂糖をドバドバ投入していた。やはりなにか入っていたらしい。
「こっちはブラックココア。普通の砂糖とか入ってるやつじゃないんだー。ミルクで色は調整して、裏をかいたつもりの先生がにがーい!ってなるはずだったのに」
『私はムツキを信じてるから』
「もー、平気な顔でそういうこというんだから!」
物語の中盤で裏切りそうな顔をしている先生だが、どれほど前科があろうと生徒相手は信じるベースで行動する。それは偽りのない本音だ。今回は特に信じて行動したというわけでもないが。
そんな彼の返答に少し顔を赤くしたムツキは、手を引いて仕事用のデスクからソファに導き、ぴったりとくっついて座った。彼女は便利屋のメンバーや親しい相手に、隙あらばこうして身を寄せるクセがあった。
再び沈黙が降り、時計の音とマグカップを冷ます息の音、ゆっくりと味わうようにココアを飲む音だけがしばらく響いた。
「先生さー……近頃楽しい?」
『充実してるし、楽しいよ』
>『休みは欲しいかな……』
「あはは、ほんとにお疲れだね~。そんなだからタバスコとかわさびはやめといたんだ」
『微妙な気遣い……!』
「ムツキちゃんが遠慮するなんて相当だよ~?」
ムツキは飲み終えたカップをテーブルに置くと、先生の方へ向き直る。
「アルちゃんなんかはさー、いつだって新鮮な驚きを提供してくれて、だからこそ大好きなんだけどさ」
自分を驚かせてくれる、という意味ではなく本人が新鮮な
「先生ちょっと慣れてきちゃったよね?私のいたずら」
『そんなことはないと思うけど……』
憂いを帯びた瞳が上目遣いに見つめる。青いカップもテーブルに置かれたのを見計らい、細い指が脇腹をゆるくなぞった。
「楽しいことが欲しければ探す、なければ作る!がモットーのムツキちゃんだけどさー……あんまり先生に派手ないたずらして、怪我したり倒れちゃったりしたらさ、ヤダなーってのがあってさ。ちょっと遠慮してたというか、ちょっとビビっちゃってた所があるかもなーって、最近思うのです」
『そうかな……そうかな……?』
今回のように躱せるパターンもたまには出てきたといえ、未だに大体のいたずらにひっかかっている先生は首を傾げた。
「あんまりエスカレートさせるわけにはいかない、でもいつものちょっとしたいたずら程度じゃ先生に十分楽しんでもらえない……これは由々しき事態だよね?」
もう十分堪能したよと先生はふるふる首を振ったが、先程までの憂い顔を一瞬で恐るべき企みを秘めた笑顔に変えたムツキは完全に無視して続けた。
「だからね、今日は“ト・ク・ベ・ツ”なイタズラしてあげる……♡」
耳元で妖艶に囁きかけるムツキの吐息に、先生はブルリと震え、ズレたメガネを少女の白い指がそっと丁寧に戻した。
ムツキはやや不器用に先生のネクタイを外すと、それで両手を頭上に縛り上げソファに転がす。先生も軽く抵抗しようとはするが、キヴォトスの生徒と外の人間ではパワーがダンチなので結局どうにもならずになすがままだ。
>『あの、ムツキ?ちょっと、これはマズイ……』
『私に乱暴する気でしょう!薄い本みたいに!』
「なにがマズイの~?私はドンドン楽しくなってきたよ!」
ソファに仰向けに寝転ぶ形になった先生の腰に小さな体がトンとまたがり、うりうりと軽く脇腹を揉んでくる。特にどうということもないケンゼンな行為のはずなのだが、傍から見たら完全にアレである。場合によってはシャーレのオフィスが爆発する危険な状況だ。
しかし幸いにもと言っていいのかあるいは不幸にもなのか、夜も更けたシャーレのオフィスはすっかり無人、邪魔をする者はいないようだった。
「カヨコちゃんがたまにシャーレに泊まってるって聞いてさー……これは私も泊まり込みで先生と一晩中おたのしみしないとなーってずっと思ってたんだー♪」
『いや、それは普通に仮眠室のベッド貸してるだけ……私はソファで寝るし』
先生の胸板に倒れ込み、首元を触れるか触れないかのフェザータッチでいじりながらムツキは先生の不純異性交遊を責め立てる。
「んでも~朝帰りしたカヨコちゃんつやっつやしてるし~それってそういうことだよね?」
『いやほんとに違う……!』
実際何事もないのだが、翌日のカヨコの機嫌が明らかに上向いていることにハルカは戦慄し、ムツキは実際何事もなかったことまで察しているし、アルちゃんはなんか良いことあったのかしら?よくわかんないけど良かったわね!と思っている。
だがすべてはなにも関係ないただの口実だ。刹那的快楽主義者であるムツキは今この瞬間を愉しむことしか考えていなかった。
「まずはー先生、ゲームしよ?」
『ゲーム……?』
5時間二人でボードゲームに興じたこともある仲だ。昼間ならともかく、こんな顔をしたムツキが夜中に仕掛けてくるゲームなどまともなものじゃないのは容易に察しがついた。
しかしそれでなんとか満足してもらわないと本格的にマズイことになる。先生は挑戦を受けるしかなかった。ゆっくりと頷く先生に、嗜虐的な笑みを浮かべるムツキ。
「ルールは簡単!これから私がすることに、立派な大人の態度を保てたら先生の勝ち。ドキドキしてムツキちゃん大好きーってなっちゃったら先生の負けー。ね、簡単でしょ?」
>『一体何をする気なの……?』
『クッ、厳しい戦いになりそうだ……!』
「まだエッチなことはしないから大丈夫だよ。もちろん負けた方は罰ゲームで、勝ったほうが好きにしてオッケーだから……んふふ♪どうなっちゃうかわかんないけどねー」
体を起こしたムツキは再び腰のあたりにまたがり、両手を胸につく。グッと顔を近づけてゲームの開始を宣言した。
「まずはー、鎖骨ー♪」
軽く胸元をはだけると、宣言の通り鎖骨に舌を這わせるムツキ。ぬるりとした感触が伝い、熱さが生ぬるさに、そして空気に触れて冷たさに変わっていく。ゾクゾクと痺れるような感覚が走り、早くも勘弁して欲しくなる。
「あはっ、先生もうダメそ?流石に早くなーい?」
『ま、負けないよ……!』
先生は生徒に負けない、大人の意地を見せるため先生はむず痒い感覚をこらえ気を張った。
「それじゃ上に参りまーす。くび~♪」
『……!』
以前に軽く甘噛されたときとは明確に違う、ぺろぺろと丹念に、ちゅっちゅと吸い付きも交えつつ、皮膚が薄く感覚が鋭い首筋を責め立てていく。
「ふぅー……」
『ぅぐっ!?』
さらに不意打ちのように首から耳元へ矛先が移される。舐められ、吐息で湿らされた場所を中心に、普段は五感の中でもさほど意識しない触覚が酷く鋭敏になっているのが嫌でもわかった。
「そ・ろ・そ・ろ……限界じゃない?」
耳をはむ程に唇を近づけ、至極ゆっくりと、そして脳の中心まで響くような小さなささやき声。並の精神力であればあっという間に骨抜きにされていただろう。
しかし先生は耐えた。大人だからだ。大人としての
「頑張るね~、でもそうこなくっちゃ面白くないよねっ」
唇で耳を揉むように食べていたムツキが体を離す。このくらいで飽きてくれないかと期待した先生だが、くふふと喉を鳴らすような笑みにまだまだこの戦いが続くことを察した。
「それじゃ今日のために考えてきた必殺技、やっちゃおうかな!」
『必殺技……!』
必ず殺すと書いて必殺の技。古今東西ありとあらゆる勝負事の決定打となる奥義。しかし格ゲーも嗜む先生は必殺技に耐えるか、避けるかした後こそが逆転する最大のチャンスだと知っていた。ピンチはチャンス、よし来いと身構えた先生に対し、しかしムツキはゆるゆると体を撫ぜることを続けるのみ。
「昔の漫画で読んだやつなんだけどさ、眼球舐めってのがあるんだって。びっくりしちゃうよねー、目玉舐めるって、すごい発想」
いきなりなにを言い出すんだと訝しむ先生を無視して続ける。
「でもさ、食べちゃいたいくらい好きーっていう気持ちはわかるし、普通絶対やらない特別なことをするのが最高の愛情表現なんだーって言われたらさ……ちょっと分かるような気、してこない?」
ニヤリと笑うムツキに、もしかしてマジで眼球を舐められるのか、と先ほどまでの体の疼きとは違う種類の震えが走る。恐らくこれは術式の開示。不意打ちよりもこれからする行為を説明し、想像させることで効果を高める手管。恐ろしい子、と戦慄する先生。
「あはっ、ほんとにはやらないよ。目は大事だし、病気になっちゃうと大変だもんね」
やや重い空気から一転、軽い調子で常識的なことを言うムツキにホッと胸をなでおろす。が、次の瞬間には目の前に彼女の顔。視界がムツキで埋まり、こつんとおでこが当てられる。
「でも私、先生も好きだし、メガネも好きだから、こういうのはどうかなーって」
れろんと、メガネのレンズに舌が這う。ゆっくりと、見せつけるように。目に痛いほどに真っ赤で、舌先は尖り、なにかを探るように揺れ、ぬらりと唾液で光っている。赤い舌が一度、二度と往復し、メガネの縁にたまった唾液が玉になり、ぽたりと頬に垂れた。
少女のある意味では内臓のような生々しいものが視界の半分を覆い、わずか10ミリ先で踊っている。ガツンと頭を殴られるような衝撃。なにも考えられず、思わず目の前の細い体を抱きしめようと手を伸ばす。
縛られた手は思う通りに動かせなかったが、それを見て至福の笑みを浮かべたムツキはさっと拘束を外した。
さあ、後はご自由にどうぞ?
小悪魔が笑う。茹だった頭は機能停止したままだ。すべてを受け入れるように広げた腕に導かれ
「んんっ、う~ん……むにゃ、イチゴミルク~……」
謎の寝言により空気が止まった。
「うひひひひひ……」
「ぶふっ!」
追撃の謎笑いにより吹き出すムツキ。先生の思考も一発で通常状態だ。巧妙に高められた怪しい雰囲気はすっかり霧散していた。
「なにもー!急にイチゴミルクって!」
『と、ともかく、私の勝ちでいいよね!ゲームおしまい!』
乗っていたムツキをどかし、ソファに座り直し服装を正す。色々とベトベトになってしまっていたが、とにかく取り繕わねばという気持ちだった。
「はーい。ま、続ける感じじゃなくなっちゃったしね~」
残念そうな顔をしつつも、口元は半笑いのムツキがサッと先生のメガネを奪った。そして彼女のバッグからスプレー缶を取り出し、シュッシュと泡を吹き付け磨いていく。どうやらメガネクリーナーらしい。磨き終わればさらに取り出した目の細かいメガネ拭きで仕上げる。
ピカピカになったメガネを一度自分の顔にかけて確認し、納得したように頷くと先生の顔に戻す。
「うん、男前。それじゃ今日は帰るね」
ばいばーいと手を振り、止める間もなくオフィスを出ていくムツキ。こんな夜遅くに帰すのもどうかと思ったが、あんなことがあった直後だ。下手に泊めるわけにもいかない。
「あ、そーだ。“勝者の権利”はいつでも使っていーからね~♪」
『!?』
帰ったと思ったら戻ってきてドアを開け、顔だけだしたムツキがそう言った。勝ったほうが負けた方を好きにしていい、最初に言われた言葉を思い出し、また頭に血が上りそうになる。
それを努めて無視して、早く帰りなさいと叫べば、はーいと笑いながらの返事が返り、タッタと軽やかな足音が遠ざかっていった。今度こそ本当に帰ったらしい。
>『アロナ、いつもありがとう』
『アロナ、しばらくおやつ抜き』
「そんなに食べられません……うひひひひ」
シッテムの箱をつけよだれを垂らしながら机に突っ伏して寝るアロナを見ると、グラグラに揺さぶられた精神が平静に戻っていくのを感じた。
煌々と光を放つ自動販売機から、ガチャンと缶ジュースが取り出し口に落ちてくる。公園のベンチに座って、冷たいそれをおでこに押し当て、ホッと一息。火照りに火照った顔を夜風とともに冷ましてくれた。
「あー……もー!」
最後までイケなくて、残念?安心してる?先生がドキドキしてる顔見られただけでも満足?もっともっとその先までしたかった?
終始余裕な態度を崩さなかったため先生は気づいていなかったが、触れて、味わって、その先を意識して、心臓が破れそうなほど高鳴っていたのだ。思い出すだけで耳まで赤くなるのが分かる。
「これじゃしばらく帰れないなー」
プルタブを引き、缶を開ける。イチゴミルクをグビグビと一気に飲み干した。恨めしいような、ありがたいような、そんなイチゴミルク。飲み終えたそれを少し離れたゴミ箱に投げつける。見事に外れて弾かれて、なんだか笑ってしまう。歩いて拾って直接シュート。
上手くいかないのもそれはそれで楽しいこともあるものだ。
便利屋の面々と共に過ごして、ムツキはそれをよく知っていた。
正月ムツキメモロビの太ももからお尻にかけてのラインをじっくり眺めてから書きました。
あとノーマルと正月の絆ノーマルでは5時間タイマンボドゲ祭りとか謎の蠢くバッグとかそこはかとない狂気をにじませつつも意外と純情っぽかったのが正月で弾けたのを見てどっちだよとか小悪魔とメスガキの違いとはとか根っこのとこではお兄さんに懐いてるタイプのメスガキ好きとか化物語の眼球舐めと眼鏡っ娘好き設定でメガネ舐め疑似いけるやんとかそんなアレコレ。
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ミドリとコハルと同人即売会
ミレニアムサイエンススクールの生徒、才羽ミドリは同人作家である。3DアクションやVRに体感型ゲームなどが主流な昨今、それに反して2Dレトロゲームを主に作っているゲーム開発部に所属し、メインの肩書としてはそのイラストレーターなのだがそれとは別で絵も描くし漫画も描く。
ミレニアムという学校自体、方向性に差はあれどいわゆるオタク傾向の強い学生の集まる所であり、その手のイベントも豊富だ。今はネット上のやり取りだけで完結するクリエイター支援サイトのようなものだけで活動することもできるし、そういう作家も増えてきているが、やはりイベントの空気感というのは他に代えがたいものがある。
同好の士がウジャウジャ集まった空間の熱は創作に新たな活力を与えてくれる。そういう思いもありミドリはわりと頻繁に同人イベントに参加していた。大規模なものではないが今日もそんなイベントの日だ。
「それじゃ、ちょっと出かけてくるね」
「んー」
「頑張ってね」
時間調整にちょっと顔を出していたゲーム開発部の部室から出発する。匿名掲示板でレスバに励んでいるモモイは気のない返事。前日に準備を手伝ってくれてせっかくだし売り子もやってくれないかなと思っていたけど、人が多いところは無理だと全力で断られたユズはいつものようにロッカーからくぐもった声。
「ミドリ、どこか行くんですか?アリスもお出かけしたいです」
「あ~……えっとねアリスちゃん、今日はちょっと」
ブラウン管テレビのゲーム画面を見つめながらひたすらゴミを釣りあげていたアリスがポーズボタンを押してくるりと振り返る。
ミドリは困った。ミスったなと思う。いつものように家から直接出るべきだったか。ニコニコしながらこちらを見上げるアリスは純粋で、ある意味生まれたての赤ん坊のような存在だ。様々な経験を経て精神的に成長したとはいえ、まだまだ情緒的に触れさせるべきではないところもある。
ぶっちゃけて言えば今日のイベントは普通にかなり際どいのを扱うのでアリスを連れて行く訳にはいかない。ガタンと音を鳴らすロッカー、固まるミドリに首を傾げるアリス、スマホを握ってクッションに寝転がっていたモモイもスッと姿勢を正し、部室に謎の緊張感が満ちる。
時折、通りすがりの知らないミレニアム生がお菓子で餌付けしながら流行りのネットミーム語録を教え込もうとするように、アリスはどんなものでも偏見なく受け入れる、受け入れてしまう。するとエッッッな薄い本など読ませればどうなるか。その日の夜には先生に夜這いをかけるアリスの姿が目に浮かぶようだ。
ただでさえ貧弱な先生ではアリスのハイパーアンドロイドパワーになす術もないだろう。先生がパパになるんですよ、と先生の上でお腹をさすり微笑むアリスに、涙で枕を濡らす先生。一瞬でそこまで想像したミドリは顔を青くしながら解法を探した。
「えっと、その……」
しかし無言のロッカー、役に立たない。ポーズを解いてセーブしてゲームの電源切ったアリス、お出かけする気満々だ。マズイ。藁にもすがる思いで姉を見る。
当意即妙に返されるグッと力強いサムズアップ。流石だ。普段は大概ぽんこつだが、いざという時ほど意外な爆発力を発揮するのがモモイだ。なにか上手い方法を思いついてくれたのかとホッと一息ついた瞬間モモイの立てた親指がひっくり返る。
口元がひきつる。アリスがいなかったら銃撃戦が始まっていた。この姉、役に立たねえ!モモイに言わせればあんたがエ口本なんか書いてるからでしょ!というところでなにも反論できないのだが、しかし情熱は止められないのである。そしてアリスも止まらない。
ヘアブラシで床まで届く長い髪を軽く整え、ミレニアムの指定コートを羽織り、ハンカチやティッシュもポケットに詰め込んで準備万端だ。万事休すか。天を仰いだミドリの背後でやや乱暴にドアが開く。
「おい、大丈夫か!?なにがあったッ!」
「あ、ネル先輩」
ふりむけば、ミレニアム最強とも名高い「C&C」のリーダー、
「ネル先輩よく来たね!アリスが新作の格ゲーでネル先輩ボコボコにしたいんだって!もちろん受けて立つよね!」
「あ?あぁ……?おいお前ピンチで大至急とかなんとか……」
全力ダッシュで来たらしく、軽く汗をかいた額を拭うネルにまくし立てるモモイ。
「アリスもネル先輩と勝負したいよね!」
「えっ?えーと、はい!アリス勝負からは逃げません!」
そうしてモモイは首を傾げるネルとアリスをまとめて押し出していった。バタンと部室のドアが閉まる直前、ビッと背後にピースサイン。事態を察した瞬間スマホでネル先輩を呼びつけていたらしい。姉、やはりできる女であった。
お土産になにか甘いものでも買ってきてあげよう。そう決めたミドリは鉢合わせないように少し待ってからようやく会場へと出発するのであった。
会場についたミドリは慣れた様子で関係者入り口から中に入り、スペースの設営や知り合いへのあいさつ回りを終え、イベントの開始を待っていた。最初の頃は手間取ることも多かったが、今や百戦錬磨のサークル参加者である。さらに途中で着替えたため普段の面影もない。
トレードマークの猫耳ヘッドホンを外し、ロングヘアのウィッグにアンダーリムの伊達メガネ。私服も普段はあまり着ないコーディネートだ。まあ知り合いがじっくり見ればバレる程度の軽い変装だが、姿を変えることに意味があるだろうと思っている。
しばし待てば開場のアナウンスが告げられ、どやどやと一般参加者が入ってくる。この瞬間の、買う側でも売る側でもわくわくするような一体感、みんなでなにかを作り出すという感覚に似たそれがミドリは好きだった。
今回は中規模のイベントで、参加サークルも有名所がそれなりに、企業ブースも少し、その中でミドリのサークルは中堅どころといった感じだ。早速やってくるのは常連さんとも言うべきなんとなく何度も顔見てるな、という人や、SNS上でも軽い付き合いがあり声をかけてくる人、スケブを求める人。どう考えても特定不可避なのに顔に謎の落書きを貼り付けて変装している明らかに見覚えのある謎の成人男性。謎の落書きの人にも営業スマイルで対応し、新刊やグッズを全部お買い上げになる彼を見送った。他のところでも大人買いをしては生暖かい笑顔で見られている彼になんともむず痒い気持ちになる。
いろいろな人がいる。アホみたいな陽キャ、というかアホの姉とは違っておよそ社交的とは言い難い性格のミドリだが、大体こういうところに来る人はみんな似たような感じなので知らない人ばかりでも案外余裕があった。
「……!」
だから、イベントも終盤になって、挙動不審な様子でやってきたかと思えば見本誌をガン見し、似合わないデカいサングラスとマスクの隙間から覗く顔を真っ赤にしている、なんとなくどこかで見たことがあるような気がする少女。そんなのを眺めても、ああ、イベント初参加なのかな初々しいなあとか思う余裕があった。
「エッチなのはダメ、死刑……!」
「!?」
唐突にボソボソっと呟かれた物騒な言葉に戦慄が走る。もしやどこかの風紀委員の内偵か。こういったイベントはなんとなく暗黙の了解というか、版権モノの二次創作だとか、一般向けと言い張れるギリギリのエロスの追求だとか、それ明らかにアウトでしょでその場で黒塗りするだとか、様々な方面でグレーゾーンを綱渡りする危ういバランスで成り立っている。それを崩そうと言うなら、抗わなければならない。
イベント会場では同担拒否やカップリング論争で銃撃戦が始まるのもそう珍しいことではないのだ。それに見せかけて始末するべきか……?ミドリは机の下に置いていた愛銃に手を伸ばしかける。
しかし相手に動きはない。ぷしゅうと頭から煙を上げたまま、ゆっくりと新刊の見本誌を読み進めている。ただの独り言だったらしい。読み終えたピンク髪の少女は財布から500円玉を取り出し、新刊を1冊買い求めた。
「ありがとうございます。じっくり見てくれてましたけど、どうでしたか?」
「うぇっ!?えっと、その……
そんなの言えるわけないでしょ!」
マスク越しのボソボソ声から一転、ドでかい声で叫ぶ謎のグラサンマスクピンク髪、というかコハル。遠くでそれに気づいた落書きを顔に貼り付けた怪人物がちょっと現場に近寄ると、ハラハラした様子で柱の陰から見守りはじめる。
「……大丈夫ですよ。ここに来てる人はみんなこういう本を買いに来てるんですから。なんなら私が描いてるんですから」
「……ぅあ。……ごめんなさい、いきなり大きい声出して」
「いいえ、こちらこそ急に声かけてごめんなさい」
イベント初心者の子に嫌な思い出を作らせるわけにはいかない。表情、声音、態度、ミドリは全力で気にしてませんよアピールをしかける。その甲斐あってかすぐにコハルは落ち着き、買ったばかりの薄い本を大事にカバンにしまった。
「よければSNSで感想呟いたりしてくださいね」
「あっ、えっと……既刊も読んでて、オリジナルの方」
あまり引き止めてもなんだろうと、話を切り上げようとすれば、コハルの方から話し出す。サークルチェックはしてから来ていたらしい。ミドリの本を読んで、思ったことはあったのだろう。
ミドリは基本的に版権モノをメインに出していたがここ最近はオリジナルも書いていた。妹系の控えめな女の子とちょっと抜けたところもあるけど頼りになる大人の男性の恋愛モノだ。言うまでもなく妄想大爆発である。しかしだからこそ熱の籠もったものでもあった。現実の人物、いわゆるナマモノを扱うのは色々とリスクのある行為だし、それでエライことになってるような人もいる。しかしそれでも溢れ出るものを抑えるには足りなかったのだ。
「我慢できなくなった男の人にムリヤリされちゃって、でも優しくて流されちゃうみたいなのがすごく良くて……」
「そこはとてもこだわりました。駆け引きのバランスと言うか、強引さと優しさの天秤をちょいちょい揺らしながら進んでいくような」
お互いにやや人見知り気味の性格であったが、一度スラスラと流れるようになれば共通の話題もあり案外と話に花が咲く。二人はしばし作品談義、薄い本談義にふけった。
「……ふぅ、こんな変なこと人とたくさんしゃべったの始めて。エッチなのはダメなのに」
「ふふ、まあこういう場だからこそというのはありますよね。普段だったら絶対できない。……でも、好きな人とそういうことをしたいって思ったりするのは本当にダメなことなのかな、なんて思ったりすることもあります」
わりと危ういことを言うミドリにコハルは目をむく。そんなのダメに決まってる。またもや叫びそうになったが、流石に今度は我慢して咳払い。普通のトーンで言う。
「ダメに決まってるじゃない。特に私たちは子供だし」
「……まあ、そうですよね」
常識的に同意して、しかしあったばかりの相手になぜか本音が漏れた。
「子供だからダメ。子供だから、相手にされない……そういうの、すっごくヤダ」
「うぇっ?……ええと、なんかごめんなさい」
ポツリと独り言のように呟いた言葉は思いの外ガチのトーンを含んでいて、それを引き出してしまったコハルは焦る。自身に失言癖があることをうっすら理解し始めていた彼女は、普段それで自分が恥をかいたりするだけだからそんなに気にしていない……いや、気にしてはいたがそこまで深刻に考えていなかった。
けれど、他の誰かを傷つけてしまうとなれば話は別だ。それは全く、彼女の信じる正義にもとる。
「あの……その、そう!確かに世間的には、ダメなんだけど絶対ダメかって言うと違って……自分が信じる正しいことのために頑張るのは、きっと悪いことじゃないと思う。もちろんその、他人を傷つけたりするようなのは別として」
あとは露出とか変態みたいなのも別で、とかだんだん支離滅裂になりながらもなんとかフォローしようと言葉を連ねるコハルに、ぽかんとするミドリ。
「とにかく!常識とかに縛られすぎて落ち込んだり思い悩んだりするのはダメってコト!いい!?」
なにがなんだかわからなくなった後、
「な、なによ!」
「ええと、謎のグラサンさん、ありがとう」
元気が出ました、と手を握り軽く振る。こういう偶然の出会いもまた、イベントの醍醐味だろう。そして落ち着いたところで柱の陰でうんうんと頷きながら後方腕組み先生面をしている謎の不審者の姿に気づき、ちょいちょいと手を振って呼び寄せる。
「もうちょっとしたら閉会ですし、片付けしたらどこかでご飯食べて帰るつもりなんですけど、あなたもどうですか?この人の奢りです」
『!?』
唐突にご飯をタカられ困惑する落書き男性を完全に無視してコハルに問いかける。こっそり見ていたことにムカついたのと恥ずかしかったのでその仕返しである。落書きの男性はこのイベントであらかた軍資金を使い果たしていたらしく、空の財布を振った後、大人のカードを見つめて少し震えた。
しかしがっくりしつつも断る様子を見せない先生に、笑顔のミドリ。コハルはそんな二人を交互に見て少し迷った後、こくりと頷いた。
しばし後、近場のファミレスに集合した3人は思い思いに料理を頼み、イベントや作品の感想会となる。イベントにいっつも顔を出す先生とミドリがこうして食事会をするのは始めてのことではないし、本の感想を聞くのもわりと恒例になっていたりする。自分と相手のそういう本描いてるの知られて、見られて、ましてや感想聞くとかちょっとヤバすぎない?と思わないでもないというか、最初に知られた時はもうこの世の終わりのような惨状になったが、現在では両者ともに高度な見なかったことにする、をすることで落ち着いている。
今のミドリは知らない同人作家だし、先生は謎の落書き男性で、コハルはどこかのグラサンマスクなのだ。頼りない建前に過ぎないが、秘密が守られる限りはそれが真実となる。そしてそういう秘密の関係は酷くドキドキするものだし、先生にとっても同じなのではないかと思えば悪くない。
やや屈折した、でもこれもきっと青春。
夜遅くまで盛り上がった食事会を終え、コハルと連絡先を交換し、今夜自分の本を読むであろう先生にスッと体を擦り付ける。ドギマギした様子の先生に手を振り、コハルにまた別のイベントで会おうと約束し解散となった。帰り道の途中、24時間営業のお店で甘いものをいくつか見繕って購入。ゲーム開発部のみんなとネル先輩へのお土産にしたのだった。
「そういえばミドリはどこかにお出かけしてたんでした。ケーキ屋さんに行ってたんですか?」
「うーん……秘密、かな」
翌日の部室。上機嫌な様子でそう言うミドリにアリスは首を傾げ、ユズはビクリと震え、モモイはケーキをパクパクしながらも苦虫を噛み潰したような顔で応じた。
「アリスはミドリみたいになっちゃダメだからね。ちょーヤバイよ、こいつ」
「???」
特別な誰かの特別になりたい。そのためには色んな特別を積み重ねるべきだよね。迷うことも多かったけれど、今はいつもより少し前向きだ。どこかで見たのと似たようなデカいグラサンを戯れに顔にかけて、ミドリはニヤリと笑った。
淫夢汚染されたミレニアムでホモガキになったアリスとそれにツッコミ続けるモモイとか書きそうになりましたが流石に方向転換しました。
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トリニティ救護騎士団ゲヘナ救急医学部合同研修会
トリニティ総合学園とゲヘナ学園、キヴォトスでも三指に入るこの2つの学園の確執は根深い。一説によれば遥か数百年の昔、学園という形ができる以前から両者は憎しみ合い、隔絶されていたとも言われる。
そんなかつてに比べれば恐らくずいぶん緩やかになったのであろうが、現在でもそのような傾向は残っており、両校の生徒はお互いになんとなく壁がある。付き合うべきではない近所の不良校の下品な人々・お高くとまったいけすかねー近所のお嬢様校のやつら。大体そんな感じである。
つい先日、両校の平和条約であるエデン条約調印に際しては、様々な策謀の末とはいえ一触即発、あわや本格的な全面戦争に突入するかと思われたほどだ。しかし最終的には連邦捜査部シャーレの先生の元、エデン条約の調印はなされ、今後両校は友好関係を築いていく……。一応建前上はそうなっている。
もちろんそれで生徒たちの意識がいきなり変わるなんてことは有りえず、両者の間の溝は広く深いまま。そんな中、両校合同で1つのイベントが企画されたのは非常に珍しいことながら、友好関係構築の第一歩としてトリニティ上層部、主にナギサに歓迎された。
ゲヘナ
そのイベントはトリニティ救護騎士団及びゲヘナ救急医学部による合同研修会。両校の医療関係部活動である救護騎士団と救急医学部の若手が集まり意見交換を行おうという企画である。先生が撃たれて重傷を負った際に面識を得た氷室セナと鷲見セリナの発案によるものだ。
当初は救護騎士団団長・蒼森ミネも張り切って参加の意を表明しており、全員参加での開催となる予定だったが、それを知ったナギサが全力でストップを掛け、セイアとサクラコも同意したため結局1,2年生を中心としたメンバーがゲヘナ救急医学部に向かうこととなった。
ミネは彼女流の「救護」を必要とする患者がゲヘナにも数多くいることを感じており、ゲヘナへの出張を楽しみにしていたため大いに残念がったという。
ともかく、文化的・歴史的経緯によるもの、また一部の生徒には生理的に無理と言わしめるほどの種族的な嫌悪感、それらを乗り越えての交流が医療関係者から始まったのは偶然ではないだろう。
基本的に自由奔放なキヴォトス人の中にあって人助けをしたい、傷ついた誰かのために働きたい、そうした利他の心が特に強いのが彼女たちである。積み重ねられた負の感情を乗り越えるために必要なのはまさにそのような心であった。
「それでは本日の救急医学部及び救護騎士団による合同研修会第一回、死体の基本的取り扱いについてを開始いたします」
「えっ?」
救急医学部の部室棟、研修会の会場となった会議室でホワイトボードを背にしたセナはクールな真顔で言った。じゃあこれから山に埋めに行きましょうか海に沈めに行きましょうかなどと平気で続けそうな風格があった。
唐突にキヴォトスでも結構ショッキングなワードをぶち込まれたセリナは混乱し、周囲を見渡す。ゲヘナ救急医学部の生徒たちは特に気にした様子もなくパチパチと軽く拍手をしている。後輩のハナエもニコニコしながら大きな拍手。それに釣られた救護騎士団の他の生徒達からもぱらぱらとまばらな拍手が起こり、なんとなく全体で特に問題ない感じの空気が形成されていた。
おかしいですよと叫びたかったが、相手は他校の上級生で、なんなら敬愛するシャーレの先生の命の恩人である。もにょもにょと口をへの字にしたセリナはとりあえず小さく拍手をした。
「失礼、死体ではなく負傷者でしたね」
直後にゲヘナの下級生に耳打ちされて修正するセナ。負傷者を死体と呼ぶのは彼女のなかなか直らない悪癖であった。隣のハナエはなーんだ、びっくりしちゃいました、などとニコニコしている。絶対嘘だろ。セリナは納得いかない顔になった。
「ともかく、した……負傷者について、両校の新入部員向けの基本的なマニュアルの読み合わせ、質疑応答、改善案についての検討。これらが本日の内容になります。よろしいでしょうか」
「はい、問題ありません。よろしくお願いします」
団長ミネ不在のためトリニティ側代表としてセリナは答えた。あまり専門的になりすぎず、かつ両校で行う意義のある内容として事前に打ち合わせた通りのものであった。
両校の基礎教本が配られていく。生徒たちの前に並べられるのは2冊。まずは厚手の教科書ほどの救護騎士団のもの。もう1冊はペラっと薄い本並の、本と言うか冊子・ハンドブックの類である救急医学部のものである。応急処置についての映像資料として裏表紙にBDまで付属しているトリニティのものとはずいぶん趣が違った。
「わぁ~、ぜんぜん違うんですねえ」
ハナエはその薄さに驚き、手にとってパラパラとめくる。薄い上に絵が多く、というかほぼ漫画だ。セリナも手にとってみる。内容は応急手当の仕方、の前に戦場での動き方。突入、待機の判断の仕方、負傷者の
逆にゲヘナの救急医学部は分厚いトリニティの教本に明らかに怯んでいた。2年生以上はパラパラめくったり目次を眺めたりしているが、1年生は厚さを比べてゲラゲラ笑ったり、人物写真を探してヒゲを書いたりパラパラ漫画を書き始めたり早くも集中力を失っていた。
そんな具合でしばらく教本を読む時間をとった後、セナが口を開く。
「それでは質疑に入ります。両校教本のコンセプトの違いは明らかですが、その辺りから確認していきましょう。セリナさん、いかがでしょう」
「はい、救急医学部のものはかなり実践的といいますか、軽く読んですぐに現場に出るようなことを想定しているように思いました」
救護騎士団はしっかりと座学で理論を学びつつ、ある程度形になってから現場に出ていく。ゲヘナ生がうんざりする教本も、本当に基本的な最初の一冊でしかなく、現場に出るためには最低限これだけ必要と定められた知識が詰め込まれている。
そして現場に出た後も勉強勉強、専門的な知識にも手を伸ばしていくことになる。セリナ自身も日々いくら学んでも足りないと思っているくらいだ。しかし少なくとも1冊目の教本の内容はしっかりと暗記していた。ハナエはまだかなり怪しかったがやる気はある。
「ええ、その通り。ゲヘナ生は基本的にバカばかりです」
唐突に身内をぶっ刺すセナに、多くの救急医学部生はダメージを受けたり苦笑い。恍惚としているのも一部、いやわりといたが。
「バカでもやる気はあるのが救急医学部に入ります。バカに無理やり座学をやらせてもモノにならないので、とにかく本当に最低限だけ詰めて現場に出して体で覚えさせます。鉄火場で血を見ながら覚えたことは早々忘れないものですから」
「なるほど、なんといいますか……」
「合理的でしょう」
「え、ええ。そうですね」
そうかな、そうかも……。セリナは流石にそれはちょっと乱暴すぎないかなとか、心の準備とか色々必要なんじゃないかなと思ったが、なんとなくドヤった雰囲気の無表情に異論を挟むのはやめておいた。ハナエはなるほど!とうんうん頷いていた。ちょっとお勉強嫌いの気がある彼女には馴染みやすい考えなのかもしれない。
まあ、とにかく場数を踏むというのもそれはそれで間違っていないのも確か。1の実践が百聞に勝ることもある。もちろん知識を学ぶことも重要であることに変わりはないが。
「それではこちらからも疑問を。トリニティの教本は内容的に充実した素晴らしいものでしたが、化学薬品による負傷や長時間継続的な攻撃を受けた場合の治療、監禁され衰弱した生徒の治療……。あまり一般的でないケースについてもかなり詳細に扱っているのが気になりました。緊急時の対処として優先度が高いのはわかりますが、基礎教本に載せるべき内容でしょうか」
「それは、そのぉ……」
そういえばそうですね、と首を傾げるハナエ他1年生。2年生以上の救護騎士団員や一部救急医学部員は察した顔をして目をそらす。まあそういうことなのである。しかしあちらが身内の恥をバッサリ切った以上こちらもやらねば無作法というもの。セリナは意を決して口を開く。
「トリニティではわりとよくあることなので」
「……。…………なるほど」
やや飲み込みにくかったのか一時停止したセナだが、ややあってそういうこともあるだろうと頷いた。ムカつくやつがいたらとりあえず銃と爆弾持って襲撃かけるゲヘナ生と、開けたら大発火するヤバ薬品漬けレターを送りつけるトリニティ生のどちらがマシかは議論の余地があるところだろう。どちらにせよここにいる面々がやるべきことは被害者の治療だが。
「あとはそうですね、歩容などから負傷を見分ける方法が非常に充実していたのも気になりました。私自身としても新たな知見でしたね。救急医学部としては判別がつかなければとりあえず死体に1発撃ち込んで、喚く元気があるなら大丈夫という判断ですが」
とんでもなく雑だよね、などと実際やられたのであろう医学部1年生達からも地味にツッコミのボヤキが出るが、2年生以上はヘルメットとかで顔隠してるやつも多いし効率最高なんだよな、とうんうん頷いている。ゲヘナではむしろやられたフリで救急車をタクシー代わりにしようとするアホを排除するほうが重要なのだ。
「恥ずかしいとか、心配をかけたくないとか、プライドの高さ故にとか、とにかくイジメにあって怪我をしたことを隠そうとする生徒さんも多いので……」
ゲヘナの負傷者は大体喧嘩の銃撃戦やテロによるもの。トリニティではその割合は大きく下がり、陰湿ないじめによる負傷者が多い。根本的な治安自体はトリニティの方が遥かに良いのだが。
救護騎士団の中にはこの話題で顔を伏せる者、逆にすっと胸を張る者もいた。被害を受け、助けられ、感謝と憧れから加入する。こう言うのも何だがそれはわりとよくある流れであった。他所からは白い目で見られることも多い団長ミネを慕い騎士団が結束する理由の一つでもあった。
「なるほど。所変わればした……負傷者の様相も変わり、必要な治療の手順も変わる。基本的なことですが改めて実感しました。騎士団側から他になにかあるでしょうか」
「そうですね。では……」
ゲヘナでもトリニティ同様、なんなら明け透けな分より凶悪ないじめがあり、似たような境遇の部員もいる。質疑のやり取りの中で、彼女らの中にはなんとなく通じるものがあったのだろうか。最初よりも打ち解けた雰囲気で会合は続いていく。代表のセナとセリナだけではなく他の生徒たちも段々と意見を発するようになり、ヒートアップしすぎて部長の冷たい目に黙らされたりしつつも研修会は大いに盛り上がりを見せた。
ゲヘナ救急医学部もまた救護騎士団と同じように、セナを慕う生徒の集まりだ。アホアホで無限に尽きることのないゲヘナの負傷者を、愚痴の一つもこぼさずひたすらに治療し続ける姿。それはそんなアホアホのゲヘナ生をしても感じ入るものがあったのだ。
基本雑な扱いとは言えしっかりと治療され、食事を渡され、冷たい声の無表情で一言かけられ放り出される。風紀委員長のヒナと同じような悪魔だよなんて罵る声もあったが、見えにくくわかりにくい無限の慈愛に触れた者がここに集っていた。冷たくされて喜ぶマジでただのマゾヒストも一部いたが。
ともかくも、その後研修会は恙無くスケジュールを消化した。救急医学部と救護騎士団の彼女らは同じく医療者として活動し、その他にも通じるものがあることを互いに理解し、なんとなく一体感を得た上で無事に終了したのである。小規模とは言えゲヘナとトリニティの合同企画をこのような形で終えられたのは快挙と言って良い。某ティーパーティーのナギサ様もお喜びである。
「セナさん、今日は貴重な機会をありがとうございました」
「いえ、こちらこそ。得るものが多く実りのある会だったと思います。今後ともよろしくお願いします、セリナさん」
ぼちぼち解散という空気になって、笑顔で……片方はいつもの冷たい無表情だが、雰囲気は柔らかく、代表者同士挨拶を交わしていた。
「ところでこれは個人的な質問なのですが」
「はい、なんでしょう」
「笑顔というのは、どのようにすればよいのでしょう」
セナに至極真面目に尋ねられ、セリナは悩む。楽しいことを考えれば、笑おうと思えば人は自然と笑顔になるものだ。しかしそういうことを聞いているのではないだろう。普通の人は、なんて悩める人には絶対に言ってはいけない言葉だ。
「そうですね……表情筋のトレーニングとかでしょうか」
「……やってみたことはありますが、あまり効果はないようでした」
一瞬で八方塞がり!セリナは困った。そんな空気を察したのか何も考えていないのか、横で控えていたハナエが口を出す。
「どなたに笑顔をみせてあげたいんですか?」
「え、それは患者さんでしょうハナエちゃん」
「いえ、先生……シャーレの先生です」
研修会の話の流れで普通に治療にかかわることだろうと思っていたセリナは不意を突かれた。先生のことは基本的にいつも見ているし、多くの生徒に慕われているのも知っていたが、ここでもか!
「言葉ではお慕いしていると伝えましたが、やはり常に仏頂面の女よりもいつも笑顔の……そう、ハナエさんのような方が好ましいのではないかと思います。なので私も先生に笑顔を見せられるようにしたいのですが」
「えっ、ええっ!?」
「やっぱり!セナさん、恋する乙女の顔してましたもん!」
ストレートすぎる告白に驚くセリナとグッと拳を握るハナエ。セリナはセナの顔を見直したが、そのクールな表情からは何も読み取れなかった。
「笑顔には、やっぱり愛ですよ!愛さえあればそれが笑顔です!」
「なるほど……愛。ではこのような?」
セナはほんのりと薄く、僅かに口角を上げた。言うなればターゲットを撃ち殺した直後の暗殺者みたいな会心の微笑みであった。セリナは普通に怖かったが、ハナエはそれです!と喝采をあげた。
いや違うだろう、色々言いたいことはあるがそんなんじゃ先生が腰を抜かしてしまう。別にニコニコしていなくても先生はわかってくれるし、生徒の個性を尊重する方だから無理をしなくてもいい。セリナがそう言おうとした瞬間、セナの無線に通信が入った。
「……はい。はい。わかりました。現場に急行します。あなた達は重症者を優先し治療を。……総員傾注」
しばし後、無線を切ったセナが一声かけると弛緩した空気だった救急医学部全員が即座に姿勢を正す。
「歓楽街で大規模テロ、負傷者多数。救援に向かいます。最低限の待機要員を残し全員出動です。行動開始」
言葉を聞き終えた瞬間には医学部生は全員走り出している。毎日のように事件が起こるゲヘナで磨き抜かれた彼女らの緊急時における行動力は瞠目すべきものがあった。
「セリナさん」
「はい」
「ゲヘナ自治区中心部の歓楽街でテロがおきました。高級寿司店の食品偽装に不満を持ったテロリストが店を爆破したようです。本来ならさほど問題になる規模ではありませんでしたが、テナントが入ったビルが建築偽装で強度不足だったようでビルごと崩れ負傷者多数です。その後テロリストと巻き込まれて無事だった不良たちが戦闘、勝利し不良たちを傘下に加えたテロリストがビルのオーナー企業に襲撃をかけ大規模な抗争に発展。そちらでも負傷者多数。研修会に参加せず待機していた部員たちでは手が足りず、さらに我々が救援に向かってもやや厳しく、かなりの重症者以外は見捨てる形になると思われます」
セリナは冷静に淡々と述べられた意味不明な事件の概要報告で既に目眩がしそうだったが、しかし言うことは決まっている。
「申し訳ありませんがお手伝いをいただけますか」
「もちろん」
救護が必要な場に救護を
「それが我々です」
救護騎士団もまた、救急医学部とともに走り出した。急がなくてはいけない。患者が待っているのだから。
ゲヘナ学園に派遣した救護騎士団が大規模テロに巻き込まれたと聞いたナギサは紅茶を吹き出し、ミネは次は止められても絶対行こうと決意した。
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おヒゲギアユズット3 プリンイーター
ジジッ……。暗闇の中にノイズ音が走り、聞き覚えのある声が続く。
「聞こえるだろうか、ユズ……いやTHE YUZU」
「ウタハ先輩*1……? えっと、どうして?」
花岡ユズはとあるテーマパークでアルバイトをしていた。ゲーム開発費のために先生から紹介された様々なアルバイトを経験した彼女だが、着ぐるみのバイトが一番性に合っていると感じたのだ。そのため以前とは別の場所で着ぐるみの短期バイトに励んでいた。しかしその最中急に今から休園になるという放送が流れ、途方に暮れていたところだった。
「YUZU、本名で呼ぶのはマズイ。緊急事態だ。コードネームで頼むよ。そうだな、ハミングバード……は長いか。ええと、脱獄王……ハリーとでも呼んでくれ」
「私のはほぼ本名なんですけど……」
「YUZU、さっきも言ったが緊急事態だ。今君のいるレッドウィンター連邦学園で戒厳令が発令された。自治領境界は封鎖され外部との連絡は遮断されている」
「ええっ!?」
レッドウィンター版ご当地ペロロ様、立派なカイゼル髭のついたおヒゲペロロ様がビクリと跳ねる。ここはチェリノ記念公園、通称おヒゲランド。ど田舎の寂れた遊園地感満載のテーマパークであった。ユズはおヒゲペロロ様の着ぐるみで風船を配るアルバイトをしていたのだった。
「戒厳令の原因は伝説の生物、ツチノコの自治領内での発見報告だ。レッドウィンター事務局書記長チェリノはツチノコにプリン100個の懸賞金をかけ、捕獲されるまで戒厳令が解かれることはないと宣言した」
「ツチノコ? プリン? え、あの、ウタ「ハリーだ」……ハリー先輩、冗談ですよね……?」
すがるような震える声で、おヒゲペロロ様内部のインカムに呼びかけるユズ。しかしウタハはあくまで平坦に否定した。
「YUZU、ツチノコ騒ぎだけなら勝手にやってくれという所だが、今は状況が悪い。つい先日納品されたばかりの最新兵器、OHIGE GEAR……新型レールカノン搭載二足歩行戦車が使用される可能性がある。キヴォトス北部で大規模な環境破壊が起これば、事はレッドウィンターだけの問題にとどまらない。この状況に干渉できるのは今レッドウィンター内部にいる君しか居ない。YUZU、君の手にキヴォトスの未来がかかっている。チェリノ書記長が飽きておヒゲギアを起動する前にツチノコを発見するんだ」
「むむむ、無理ですっ! というかツチノコと兵器となんの関係があるんですかぁ!?」
意味不明な状況、しかし事実を淡々と述べるウタハにユズは叫んだ。そこに紅茶のカップを置く音とともに第三者の声が差し込まれる。
「外交上の重要人物として彼女のパーソナリティはある程度把握しておりますが、ツチノコを探すためにタイガ地帯……北部針葉樹林帯を焼き払う、そんな本末転倒なやり方をする可能性が十分にある。私が保証しましょう」
「え、誰……ですか?」
「名乗ることはできませんが、私もあなた方にならって、そうですね……ダージリンとお呼びくださいYUZUさん」
「今我々はシャーレにいる。先生は残念ながら不在だったが、何人かの生徒の協力を得ることができた。大丈夫だ、YUZU。我々が全力でサポートする」
ダージリンことトリニティの桐藤ナギサは偶然シャーレを訪れていたためこの作戦に参加することとなった。もちろんキヴォトスの平和を守るためというのも無くはないが彼女自身の目的があった。が、ひとまずそれは置こう。黙って成り行きを眺めていた3人目の参加者が声を発したからだ。
「YUZUさん。体調管理とサバイバルについてサポートします。……THE Body、ボディとお呼びください。現地での経験はありませんが資料は用意しました。お役に立てることもあるかと」
ボディこと氷室セナもまたシャーレに訪れていたため流れで参加することになった人員である。彼女だけは特に他意もなく純粋なボランティアだった。しかしYUZUが作戦行動を行うことを前提とした冷徹な声は、押しに弱い人間だったら黙って流れで出発させていたかもしれない。しかし花岡ユズはいかにも気弱そうな普段の態度に反して嫌なことは嫌とキッパリ言える人間であった。
「……」
沈黙が降りる。ユズは考えた。彼女の仲間たちであればどうするか。アリスやモモイであれば一も二もなく走り出すだろう。勇者として世界のために。いかにもアリスの喜びそうなシチュエーション。
モモイは楽しそうだと笑うだろう。そして誰かのためになるならばと迷わない。ミドリはノリ気にはならないかもしれないが、きっと行くだろう。後で先生に褒めてもらうために。ちょっぴり打算的、でも姉と同じく正義感はある。
私は、どうだ。そんな仲間たちのようになりたい。勇気が欲しい。……踏み出すならば、それが勇気になるだろうか。
「……分かりました。私にできることがあるのなら」
例えば、アイドルになってステージで踊れ! なんて言われていたらユズは全身全霊で拒否していただろう。しかし事はシンプルに言えば動物を捕まえるだけだ。それはそれで大変だろうし、インドア派の自分に慣れない野外活動は難しいかもしれないとユズは思う。でも一人で地道にやるような作業は得意だし、きっと頑張れる。ユズは自分の意志で戦うことを決めた。
「ありがとう、YUZU。ではまず目撃情報のあった227号特別クラスというところに向かってくれ。位置は……ええと、どこだ?」
「ここです。YUZUさんの現在地からかなり北上したところですね。停学処分を受けた生徒が暮らしているそうです。かなりの僻地ですね」
「ああ、ありがとうダージリン。聞いた通りだYUZU。ともかく北へ向かってくれ」
「はい!」
やる気に満ちたユズは気炎を上げ、ぺたぺたぺたーっと駆け出していく。おヒゲペロロ様スーツは高性能であった。
「あの……」
「はい、なんでしょうYUZUさん。道はあっていますよ。しばらくはその線路沿いに進めば間違いありません。途中で途切れてしまうのでその先は気をつける必要がありますが」
「あっ、はい。わかりましたダージリンさん」
ペタペタじゃりじゃりと足音だけが響く。おヒゲランドを出てからしばし、あっという間に文明の気配がなくなり、森の中をざっくり切り開いた線路の上を進むばかりだ。ミレニアムでは既に初夏の陽気だったが、ここレッドウィンターではまだまだ遅い春、地面は見えているが日陰にはわずかに雪が残っている。ふふ、と笑い声が漏れた。
「……? ダージリンさん?」
「いえ、すみません。なんでもないのですが、少し楽しくて」
「楽しい、ですか?」
正体不明の人物の発言に、ちょっぴり不謹慎さを感じるユズ。これは世界を救うための戦いなのだから、真面目にやらなければ。
「ほとんど初対面方たちと、秘密のあだ名で呼び合って、スパイ映画のような作戦を実行する。わくわくしませんか?」
「……それは、まあ、はい」
正直な所なんでコードネームで呼び合っているのかとか、連絡が封鎖されているという話なのになんでこんな気軽に通信できるんだろうとか色々あったが、ダージリンの言うように客観的に見れば中々面白い状況かもしれない。ゲームの主人公的と言ってもいい。
「時間は限られている、とはいえ作戦の性質上長丁場にならざるを得ません。遥か北の地にお一人というのは寂しくなることもあるでしょう。雑談でも気軽に連絡していただいて構いませんよ。ああ、それと私はレッドウィンター連邦学園の情報についてお伝えできます。外交上必要な情報を概ね把握している、というだけで現地に行かなければ分からないようなことはレッドウィンターの生徒に聞いていただくしかありませんが」
「ありがとうございます、ダージリンさん」
いつもの仲間は居ない。一人ただ走っている。でも頼りになる先輩や、顔も名前もわからないけれど仲間がいる。離れていても、仲間だ。
「線路の上を進んでいますね、YUZUさん」
やる気を出したもののあまりにも景色が変わらず疲れてきたユズは再び無線連絡をかけていた。今回出たのはザ・ボディことセナである。そのあまりに冷たい声に怯むユズ。何か怒らせてしまったかな、ダージリンさんは雑談でもいいって言ってたけど不真面目だったかな、とか考えているがセナは平常のテンションである。退屈で連絡してきたのだろうと的確に把握し、黙るユズを気にせず話し始める。
「スタンドバイミーという古い映画があります。ご存知でしょうか」
「……? いえ、わからないです」
「小さな町に住む4人の少年が、線路を辿って死体を探しに行くという物語です」
「……ホラー映画ですか?」
キヴォトス人にとって死というものは日常から遠く、ほとんどフィクションの中だけに存在するものである。ユズはゲームで倒せるタイプのゾンビとかは得意だったが、どうにもできずにやられてしまうようなホラー映画は嫌いだった。
「いえ、青春、友情、冒険……そのあたりが主題でしょうか。死体は一種のマクガフィン*2に過ぎません。ただ、幼い頃にこの映画を見た私にとって死体はとても重要なものになりました」
「青春や友情の象徴……ということでしょうか?」
「はい、まさしく。線路をたどり、死体を探しに行く。そんな冒険をしたいとずっと思っていました。直接でないのは残念ですが、あなたの目を通して共に行かせていただきます。無事に死体が見つかるといいですね」
「は、はい……探してるのは死体じゃないですけど」
ユズはセナを変な人だと思った。だけど最初の印象より冷たい人でも、悪い人でもなさそうだとも思った。
「装備の調子はどうだろうか、YUZU」
「あ、ウタ……ハリー先輩。装備?」
さらに先へ先へと進んでいるとウタハから無線連絡が入る。普通にバイトをするだけのつもりだったユズは特に特別な装備などは持っていないはずだった。いつもの愛銃と、おやつのお菓子くらいだ。
「ああ、そのおヒゲペロロスーツはエンジニア部で作ったものだからね。試作極地対応型パワードスーツだ。インカム部分だけ持っていってくれてもよかったんだが……気に入ってくれたようで嬉しいよ」
「えっ……」
園内放送やスタッフ向けの連絡を受け取ることができる通信機が着ぐるみの頭についており、ウタハがそれを通じて連絡してきたことからユズは着ぐるみを着ていないと通信できないと思っていた。
しかし実は通信機能はペロロスーツのアホ毛部分についており取り外し可能だった。着脱式のアホ毛をもげば着ぐるみでペタペタダッシュなんてアホなことをする必要は一切なかったのだ。
「……脱ぎます」
特に見ていた人もいないが、羞恥で顔を赤くしたユズはスーツを脱ごうとする。
「いや、待って欲しい。それは本当に高性能なんだ。生体電流で稼働して内部の温度を快適に保ち、動作を強力にサポートする。各種センサーも付いているから任務にも役立つはずだ。市街地では目立ってしょうがないかもしれないが、真っ白な体は雪の残るレッドウィンターでのカモフラージュ効果も非常に高い! なんの不満があるというんだい?」
「見た目です」
端的に告げるユズにウタハは黙った。白いおヒゲの生えたキモい鳥が雪道をペタペタと進む。遅い時間帯ならそのまま都市伝説になりそうな絵面である。しかしユズは思う、ずっと走っている割に疲れていない。
エンジニア部の能力に疑問はない。しょっちゅう変なものも作るが、性能に関しては折り紙付きだ。コレも確かに高性能なのかもしれない。着ぐるみの中という狭くて暗い空間もユズ好みであるし、さらなるセールスポイントを色々とまくし立てるウタハの前で脱ぎ捨てていくというのも薄情だろう。
「……わかりました。ひとまず今回のミッション中はこのままで」
「ああ、良かった。じゃあついでなんだが、レッドウィンターには光るキノコがあるらしいんだ。それを食べると生体発電の効率を高めて、バッテリーの回復を早くしてくれるという話があってね。せっかくだから事実か確かめてみてくれないか」
「えぇ……?」
そんなゲームの回復アイテムみたいなことがあるだろうかとユズは訝しんだが、ウタハが言うならそうなのかもしれないと思った。彼女はエンジニア部の部長で、英才集うミレニアムの中でもトップクラスの頭脳の持ち主のはず。
「生物発光のエネルギー変換効率の高さはよく知られていますが、それはあくまでタンパク質と酵素による科学反応。電力とは何ら関係ありません。そして野生のキノコの判別は非常に難しく、致命的な毒を持つものも多いため推奨しません」
「あ、やっぱりそうですよね……」
ちょっと騙されかけたユズだがセナにぶった切られたウタハを見て正気に戻る。
「……ボディ、科学の発展に犠牲はつきものでね」
「ハリーさんご自身でお試しになるならどうぞ。あなたの死体は私がしかるべき所に運搬しましょう。YUZUさん、そういうことですから、食料の採取は野鳥や野ウサギ、クマなどの狩猟を推奨します。しっかり焼けば寄生虫などの心配もありません」
「栄養バーやお菓子があるので、それを食べますね……」
「……そうですか」
ユズは鳥さんウサギさんクマさんを自分が撃ち殺して食べることを想像して顔を青くし、セナは冒険らしいサバイバルな食事を楽しんでもらえなさそうでちょっとガッカリしていた。ウタハは端末でヒカリダケに似た毒キノコを自分が食べた場合の致死率について計算し始めていた。
「あ、あの……人がいっぱい居ます」
線路を進み、その先の悪路を進み、そろそろ227号特別クラスまで後少しというところで、ユズは森の中をうろつく多数の人影を見つけた。
「ふむ……あれはレッドウィンター連邦学園の事務局保安部、工務部、知識解放戦線。主要な勢力が勢ぞろいしているようですね。仲良く協力、というようなことはないはずですが。ああ、戦闘をはじめましたね。クーデターの頻発する政情不安な自治区ですからそうもなるでしょう」
「となればYUZU、まともに相手をする必要はない。スニーキング・ミッションだ。互いに争うことに夢中な彼女らの横をすり抜けるのは、君なら容易いことだろう」
「……そうですね、こっそり行きます」
そうして小競り合いを続けるレッドウィンター生から隠れて進んでいくユズ。茂みや木の影に隠れ、雪の塊のふりをし、捨てられた人形に見せかけ、わりと節穴な……というよりはツチノコ探しや他勢力との戦闘でキモい鳥なんか気にしてる暇がない彼女たちを切り抜けていく。
しばらく進むと、前方に何人かの生徒が固まっているのが見える。樹上を指さしながら何か喚いている。ユズは不審に思い様子をうかがうと、その生徒たちがバタバタと倒れていく。
何者かに銃撃されたらしい。全員が倒れ、残雪に全ての音が吸い込まれるような静寂の中、細く呪詛のような女の声をユズは確かに聞いた。
「ぷ~り~ん~……!」
「!?」
「YUZUさん、止まってください。今聞こえた声、あれは恐らく227号特別クラスの天見ノドカ……“至高の甘味”ザ・プリン」
「え? あの、ダージリンさん?」
異様な雰囲気にアドバイスを求めようと通信を繋いだユズにナギサがなんだかトチ狂ったことを言い出し困惑するユズ。しかし当然知ってますよねという感じで話を続けられどうしようもない。
「普段はさほどでもないそうですが、特定の状況下では異常な戦闘力を発揮するレッドウィンターの秘密兵器と聞いています。おそらく今がその状態なのでしょう。迂闊にこの先に足を踏み入れれば、YUZUさんと言えど……」
「えぇ……?」
よく見ればさきほどやられていた生徒たち以外にもあちらこちらに倒れ伏すレッドウィンター生の姿が見える。危険なのは間違いない、間違いないのだろうが……。
「私が補足します」
「ボディさん、ザ・プリンの秘密について何かわかるのですか?」
「はい。彼女は恐らく甘味欠乏症を発症しています」
「なんですって!? ……あの!?」
どの? ユズは首を傾げた。
「甘味欠乏症はキヴォトスの女学生に特有の疾病であり、長期間好みの菓子類を接種できなかった場合に発症し、凶暴化・特定の菓子類への異常な執着を見せます。彼女は恐らくなんらかの理由でプリンを摂取できない状態が長く続いたのでしょう。しかも慢性化の兆候が見られる。このままでは彼女はプリン・モンスターになってしまいます」
「プリンさえあれば倒すことができる、ということですね。しかしこんな森の中にプリンなんてあるはずが……」
「周囲の死体の荷物を漁ってなんとか材料をかき集めれば……」
「カン○リーマァムの焼きプリン味なら持ってますけど」
おやつとして偶然持っていたお菓子ついて言及すれば、それだとばかりにナギサがパチンと指を鳴らす。長年の練習の後が感じられるやたらといい音だった。
「ザ・プリ~ンッ!」
プリンプリンプリンプリン……
ザ・プリン、天見ノドカは背後からのグレラン急襲で爆散した。断末魔の叫びがエコーで響き、ちょっと前髪チリチリになって倒れたノドカはそれでも焼きプリン味を手放さなかった。
ダンボールの上に焼きプリン味を置き、物陰に隠れて待つこと十秒、周囲を警戒しながら野生の獣のような仕草でやってきたノドカは獲物を発見すると目を輝かせ、いそいそと座り込むと手を合わせ、個包装を剥がし一口、至福の表情を浮かべたその瞬間を狙い撃った恐るべきエージェント、THE YUZUの仕業であった……。
称賛の声を飛ばす無線の音を聞きながら、ユズは微妙な顔。別に死闘がしたかったわけではなかったが、こんなんでいいのだろうか。にへらと口の端を歪め、なにやらいい夢をみているらしいノドカを置いて先へと進んだ。
いよいよ227号特別クラスの旧校舎にたどり着き、流石にペロロ様では目立つのでダンボールに着替えて潜入を開始するユズ。頭にはペロロ様から引っこ抜いたアホ毛通信機をつけている。
「YUZU、そこには間宵シグレ大佐という人物がいるはずだ。彼女がツチノコの第一発見者で、最も多くの情報を握っているはずだ。彼女がSNSに投稿した写真はやや不明瞭だが確かにツチノコのようだった。彼女に話を聞くんだ」
「了解です」
廃墟のような隙間風吹きすさぶ旧校舎をダンボールに隠れたまま探索するユズ。すると校舎の一角から甘い匂いが漂ってくる。不審に思いそこに向かえば、なにやら部屋の中からかちゃかちゃと怪しい音が。そっと扉を開け、覗き込む。
そこには赤ら顔でポケットボトルをあおる明らかな酔っ払いが居た。
「ようこそ、我が城、我が校舎へ。歓迎しよう、トリニティの工作員」
呆然とするユズにシグレは語る。ダンボールに入ったままであることなどお構いなしだ。
「ツチノコを捕獲しに来たんでしょ? ゲヘナの美食研は自治領境で戦闘中、ミレニアムはチェリノ会長と組んだ。ならあとはトリニティだ。戒厳令をすり抜けてここまでくるなんてのは他の中小の学校じゃ無理だろうからね……」
再びボトルをあおり、たらりと口の端を伝うアルコールを腕で拭う。ゲヘナ、ミレニアム……なんのことだ? この作戦には何か自分の知らない裏があるのだろうか。ユズは沈黙したまま、ダンボールの取手の穴からシグレを見つめた。
「どうせトリニティらしい上から目線で希少生物を保護してやろうという腹だろ? チェリノ会長はどうせペットの世話なんかできやしない。逃げられてしまうのがオチだ。ふふっ、その見識は正しいよ」
図星を指されたナギサは目を伏せ、素知らぬ顔で紅茶を飲んだ。ウタハはまあそう見えるよねと冷や汗をかく。
「ツチノコのことはどうでもいい。そちらに譲ろう。私の目的は、配給を減らされ苦しむ友人にお腹いっぱいプリンを食べさせてやりたいだけだよ。私たちは協力できると思うんだ。まず私たちでチェリノ会長を倒し、レッドウィンターの全権力を掌握し、然る後レッドウィンター生を効率的に動員しツチノコを捕獲する。どうだい?」
ユズは立ち上がり、ダンボールから出た。なんとなく事情が見えてきたからだ。彼女とは相容れない。戦うしかない。
「あてが外れたな。ミレニアムの刺客だったか……そちらが会長に与えたおもちゃのせいで、レッドウィンター内部のバランスが崩れた。もはや外部勢力の協力なしに会長を打倒することは不可能だ。そして私のような反抗勢力を潰せば、チェリノ会長を傀儡にした間接統治の完成というわけだ。……でもそうはいかないよ」
「違う、と言っても信じてもらえないですよね」
怒りに震えるシグレはボトルを投げ捨てた。床に叩きつけられ、ガシャリと割れ破片が舞う。
「当たり前だよ。そう簡単に思い通りになると思わないで。私は呼気に火がついたその日から、炎を自在に操るファイアーボルト。まずは、ノドカの苦しみを償ってもらおうッ!」
「くっ……!」
「YUZUさん、まずはCQCの基本を思い出してください」
可燃物だらけの狭い室内で、お互いグレネードランチャーは使えない。しかしそんなことを気にしていないのか、拳に炎を纏わせ肉弾戦を仕掛けようと素早く突撃するシグレ。しかしユズは目がいい。しっかりと見えている。そして、声に導かれるまま、掴み、極め、投げる。
「ぐぅっ! ……まだだっ!」
巧みにフェイントを混ぜ、ユズを翻弄しようとするも惑わされない。全て見えていた。吹き上げる炎のゆらめきの奥にある筋肉の動き、動作の起こり、視線、その真偽まで。幾度もの攻防を経て、決定的な隙をさらしたシグレはぶん投げられる。
壁にずらりと並べられた酒瓶を巻き込み、ガシャンガシャンと盛大に叩き割りながら倒れた。どろりとした液体に沈み、ついにシグレは力尽きる。そして燃える体が浸されたアルコールの池に火がついたかと思うと、教室全体がメラメラと燃えはじめた。
「酔っ払いの鎮圧も、救急救命の基本です」
「ありがとう、ボディさん。そしてハリー先輩……。お話を聞かせてもらいますよ」
「うっ、は、はい……」
普通に消火器で火を消して、ちょっと焦げたシグレを回収。外に出て一息ついたユズはウタハの尋問をはじめた。思えば最初から怪しかったのだ。なぜレッドウィンターの謎の兵器のことなんか知っていたのか。
「私が、おヒゲギアを作ったんだ……」
「……なぜそんな危険な兵器を」
「アーマード○アの新作が発表されて、エンジニア部全員テンションが振り切れてた。ちょうどその時レッドウィンターからカッコイイ乗り物が欲しいと依頼があって、つい」
予算も潤沢だったから、これでもかと高性能にしたんだ。そう供述するウタハにユズは頭を抱えた。
「そういうことだったんだ。……なんてアホらしい」
前髪チリチリで、同じくチリチリで眠るノドカを膝枕したシグレがぼやく。そしてスマホを取り出し、一枚の画像を見せる。
「こっちもアホらしい話。分かる?」
SNSに投稿されたものよりかなり鮮明な画像。ヘビなんかに詳しくないユズでもなんとなく違和感を覚える。
「ただのアミメニシキヘビですね、これは……」
「正解。会長や事務局を動かして隙を作るための、ただのフェイクさ。酒瓶飲み込んだただのヘビ」
資料と見比べたセナが答えを出し、シグレは頷いた。死体はフェイクだったというわけだ。セナと、ついでにナギサはすごくがっかりした。結構本気でツチノコが欲しかったのだ。
「ふぅ、まあしかし朗報ではあるね。ミレニアムが本気で会長をバックアップする気がないなら、勝機はある。ともかく、YUZUだっけ、領外まで送っていくよ。抜け道には詳しいんだ。こうなった以上は帰るしかないだろ君は」
「……いえ。おヒゲギアを破壊します」
「なんだって?」
ユズは決然として宣言する。身内の恥は雪がねばならない。普段からアリスが世話になっていることもある。しかしシグレは訝しみ、ウタハは通信で叫ぶ。
「ユズ! 無茶を言わないでくれ! C&Cだってきっと苦戦するような代物だぞ! 冷酷な算術使い式高出力プライマルアーマー、マルチプルロケット、30ミリ機関砲2門、超高出力大口径レールカノン! 一人で相手にできるわけがない!」
「でも、弱点はあるんですよね?」
だってそれがロマンだから。技術的な限界ももちろんある。その上小綺麗にまとめるよりは何かを尖らせ何かを削る、そういったものを彼女たちは好んでいた。そしてユズはそれをよく知っている。
「ある、あるが……主砲発射時のほんの一瞬、バリアが解けて無防備になる。それだけだ。やはり……」
「タイミングゲーは得意です。フレーム単位の隙間でも、差し込む時があるなら問題ない……です!」
ユズは遠く南の空を睨んだ。折しもそこでは美食研究会がおヒゲギアと対峙し、給食部の車がレールカノンでスクラップにされ撤退するところだった。チェリノはおヒゲギアのてっぺんで高笑いを上げ、イズミはツチノコが食べれなかったことに泣き、フウカは涙も枯れ果てやさぐれていた。
「ふふっ、OK YUZU。あれ相手じゃ大した役には立てないだろうけど、弾除けの一人二人いるといないじゃ大違いだ。一緒に行こうじゃないか」
「いいんですか、シグレさん」
「元はと言えば私たちの問題だよ。ほらノドカ、起きて」
ぺしぺしと頬を叩かれうぅんと呻くノドカ。プリン欠乏症がおさまっていないのか指先が震えている。
「さあ、会長を倒して、プリンをお腹いっぱい食べよう」
「プリンッ!?」
飛び起きたノドカとともに、3人は歩き出す。鋼の咆哮を上げる狂気の兵器OHIGE GEAR。それを討つために。
「頼んだよYUZU、いやUZQueen……!」
こうして、記録に残ることのないスニーキング・ミッションは終わった。
レッドウィンター連邦学園では謎の巨大な爆発が起こり、しかしまあこんくらいよくあるよね、と誰もがすぐに忘れ去っていった。
シグレとノドカはアフロになって気絶したチェリノを担いで帰り、ボロボロのユズも、同じくボロボロになったおヒゲペロロ様を着てシャーレに帰る。
セナの治療を受け、せめてこれくらいはと、もらえなかったバイト代を立て替えてくれたナギサに礼を言い、すごい勢いで謝るウタハをチョップ一発で許した。仮眠室で一晩ぐっすり眠り、そして翌朝。
「あ、ユズ。珍しく出かけてたみたいですけど、どこに行ってたんですか?」
「ちょっとアルバイト。バイト先でプリンいっぱいもらったから、みんなで食べよ」
「わーい、やったー!」
「わ、ほんとにいっぱい。ありがとね、ユズちゃん」
「んー! プリン美味しいです!」
後にユズのこの経験を元にして作ったステルスゲーは、敵兵がガバガバ過ぎるとか、逆にボスが鬼畜すぎるだとか色々言われたものの概ね好評を博したようである。
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シスターサクラコに捧ぐ、アリスの淫夢語録講座
歌住サクラコは思う。変わらねばならない、と。エデン条約に纏わる騒乱を経て、切に思う。
浦和ハナコを思う。彼女は以前から目をかけていた後輩だった。優れた知識と、なによりもそれを活かす素晴らしい知恵を備えていた。シスターフッドに招き、いずれは自身の後を継ぎ、良い形で組織を率いていって欲しい。そんな風に考えていた。
しかしサクラコはそんなハナコの能力しか見ていなかった。輝かしい頭脳に目を奪われ、その年頃の少女らしい心を何一つ知ろうとしなかった。
それは当時彼女の傍に居た誰もが同じで、サクラコだけが目を曇らせていたわけではない。しかし、どうだ。才覚を持て余し、孤独に苛まれ、静かに苦しみもがいていた彼女に、シスターとしてできることはなかったのか?
ハナコは変わった。素晴らしい知己を得て、孤独から解き放たれ、自ら封じていたその知恵を生き生きと振るうようになった。事あるごとに性的な発言を繰り返し人をからかうのは悪癖と言うべきだが、それはまあ……いいだろう。
ともかくもハナコは友人たちとの関わりの中で自ら殻を破り前へと進んだのだ。
ティーパーティーの桐藤ナギサはどうか。近頃は職務上関わることが特に増えた彼女だが、かつての人を寄せ付けない風韻はすっかり消えたように思う。人の上に立つものにふさわしい威厳が削がれ、隙が増えたと、悪くはそのようにも言える。
だが、適切に人を頼り、信頼し、任せ、己は長として為すべきことを為す。言葉にすれば当たり前のことだが、猜疑心の塊のようであった一時を思えばまさに奇跡のよう。彼女の率いるフィリウス分派の雰囲気もずいぶん柔らかくなったように感じる。
権勢衰えたりと言えども、優れた政治的調整能力は健在。人間的成長に伴う硬軟織り交ぜた手練手管は以前よりも遥かに鋭くなったとすら言えるだろう。同じ学園の同胞として頼もしく、また別派閥の長として恐るべき人。そのようにナギサも変わった。
百合園セイアは。生来の健康不安と、その悪化から表舞台に出ることこそまだまだ少ないが、最近は顔色が良くなっているように見える。本人もやる気があるようだから、いずれはまたティーパーティーのメンバーとして活動するはずだ。
未来視の異能のせいか何事にも厭世的、積極的に動くことを恐れてすらいるようだった彼女は、未来視を捨てたことで逆によりよい未来を、希望を思い描くことができるようになったのだろうか。
そして、聖園ミカ。彼女もまた変わった。気まま我儘気分屋のお姫様。誰よりも優れた力を持ち、知性にも優れ、トリニティで最高峰の権力をも備えて、それを自在に振るうことになんの躊躇いもなかった。心根の優しさはあったが、それがすっかり霞んでしまうほどに衝動的だった。
だからこそ間違え、その中で正しい道を見つけた。心のままに振る舞い自他を傷つけ続けることを止め、他者に手を差し伸べることをこそ選んだ。
経典の語る教えを、上辺でなく心底で体得した彼女ならばシスターフッドに招くにふさわしいとすら思う。きっと堅苦しいのはヤダ、なんて断られるだろうけど。
犯した罪は消えず、今の彼女は苦しんでいる。自責と他責、罪の重さに押しつぶされようとしている。でもそれをそっと支える信頼できる大人がいる。きっと二人で乗り越えていくのだろう。
誰もが変わった。翻って私は、歌住サクラコはどうか。……何も変わっていないのではないか?
目指すべき先達と考えていたユスティナ聖徒会の亡霊を、聖女バルバラの姿を見た。かつてアリウスを迫害した聖徒会が、そのアリウスの逃亡を助けていたことを知った。
そこまでするつもりじゃなかったんだ。こんなに酷いことになるなんて思わなかった。そんな愚かさを嘆く声が聞こえてくるようだ。
不信と猜疑、誤解と対立、対話の足りないこと。過ちは、争いは、悲劇は、みなディスコミュニケーションから生まれているのではないか。
シスターフッドは変わった。変わらざるを得なくなった。トリニティを代表する組織の一つとして、政治の表舞台に立ち、多くの相手と対話を進めていかなければならない。そういう存在になった。
その代表として、怖そう、話しかけづらい、変わった人、そんな風に思われる人間であり続けることが許されるのだろうか。
シャーレの先生は変わらない良さもあると、変わらないことで安心できることもあると、そう言ってくれた。同輩のヒナタや後輩のマリーも無理に変わらなくても良いと言ってくれる。
しかしその優しさに甘え続けることは、正しいのか。
救護騎士団団長ミネのように、揺るがぬ信念を抱き、わが道をひたすら進み続ける者もいる。
それも一つの正しいあり方。
だが、考えれば答えはすぐに出る。
「こんにちは。アリスはアリスです!」
「ごきげんよう。歌住サクラコと申します。本日はよろしくお願い致しますね」
ミレニアムサイエンススクール、ゲーム開発部部室。小物や雑貨、衣服にゲーム、雑多なものがゴロゴロ転がる散らかった部屋。アリスが適当に開けたスペースにクッションを敷き、さあどうぞと促す。何もかもが未知の空間で、内心目をシロクロさせながらもサクラコは落ち着いた様子でクッションに座り込んだ。
「先生からご要件は聞いてます。サクラコさんは親しみやすいトーク技術を磨きたいと」
「はい、先生にどなたか紹介していただけないかと伺った所、そういうことならアリスさんが一番ということで」
「はい。アリスも最近トーク技術を学んだばかりですから、お力になれると思います。教わってばかりで、誰かに教えるというのは初めてですから楽しみです」
ニコニコ笑うアリスにサクラコは心中唸る。なるほど、これが親しみやすさ。ころころと素直に表情が変わり、直球で懐に飛び込んでいく、初対面の相手とでもすぐに仲良くなり可愛がられるような所がアリスにはあった。
先生もそれを考慮しての人選だろう。先生はゲーム開発部の気安いやり取りを見るのがいいんじゃないかなとも思っていたが残念ながらここにいるのはアリスだけだ。
ミドリとモモイはトリニティの偉い人が来ると聞いてダッシュで逃げた。一応、ユウカが責任取るから*1嫌なことされたら光の剣でぶっ飛ばしてやんなとは言い置いて。逃げ遅れたユズはいつものようにロッカーで息をひそめている。
アリスは全然気にせず、さあさあお菓子どうぞとコーラや駄菓子を次々サクラコに渡していく。サクラコは生まれて初めてのコーラに思わず吐き出しそうになったが、全力で耐え抜き青い顔で笑顔を保った。青筋を浮かべてキレているようにも見えるそれをロッカーの隙間から覗いていたユズも顔を青くした。
「トーク技術を学ぶにあたって、まずは……サクラコさんはゲームをしますか?」
「ゲーム、ですか。あまりしませんね」
ゲームと聞いてサクラコはチェスやトランプを思い浮かべる。シスターフッドの生徒たちがたまにやっているのを見かけたことはあるのだ。やってみたい気持ちもあったが、下手に混ざろうとすれば気を使わせてしまうのは間違いない。そのため自分でプレイすることはなかった。日々の業務も忙しく、サクラコは無趣味だった。
「そうですか……教材としてはやはりゲームが一番なのですが。初心者の方ですと1タイトル3~40時間くらいはかかってしまいます。サクラコさん、3日くらい泊まっていくことは可能ですか?」
「申し訳ないですがお仕事がありますので、あまり長居することは……」
そんなに時間がかかるものなのか。サクラコは親しみやすいトークを学ぶのは過酷なのだな、と驚いた。ユズはアリスの唐突なお泊り提案で知らない人と数日同じ空間で過ごす可能性に震え、カタリと音を立ててしまったが幸い誰も気づかなかった。
「ふーむ。では短期間で効果的なものがいいですね。それなら、語録を学んでみるのがいいかもしれません」
「語録?」
経典にある聖人の言葉をまとめたようなものだろうか。たしかに解説書や手引書などと並んで初心者向けではある。悩み苦しむ時に心に染み入るような言葉というのはあるものだ。信仰の始まりとして、比較的ポピュラーなルートだろう。ただ、相談や懺悔を聞くのではなく親しみやすい会話にはふさわしいものだろうか。サクラコは首を傾げた。
「はい。ミーム、インターネットミームの類でみんな知ってて使いやすいやつを覚えれば間違いなく親しみやすくなります!」
「……なるほど」
自分が思っているのと全然違うようで、サクラコは既に何もわからなかった。しかしアリスが言うのならば間違いないだろう。親しみやすさを体現し、恐らくゲームで厳しい修行を積んだのであろう少女をサクラコは早くも信頼し始めていた。ユズは嫌な予感がしてモモイにモモトークを送った。
「ではまず日常で使いやすい淫夢語録その1! ありがとナス! 感謝の気持を伝えたい時に使います」
淫夢。男性同士のあれやこれやのビデオから派生した一群のインターネットミームを指す。ミレニアムサイエンスハイスクールの生徒は総じてオタク傾向があり、こうしたミームに詳しいものも多かった。外から輸入された動画を楽しんだり、自らMAD動画*2製作者になる生徒すらいた。
また、クソゲーと淫夢は実況・RTA動画という形で密接に関わっており、そんな環境でインターネットに触れたアリスが
サクラコはインムさんという人の言行録なんだろうなとふわっと理解した。聞いたことはないけれど恐らくミレニアムの有名人なのだろう、と。
「ナス……。なぜナスなんでしょう」
「わかりません! 山海経の生徒さんは謝謝茄子! と言うそうですからそれが由来かもしれないですね」
「なるほど、そんな文化が……」
サクラコはしっかりとメモを取った。しかし、これでは以前の今風の言葉遣いを覚えた時、わっぴ~! で先生に引かれたのと同じことになってしまうのではないだろうか。そんな懸念を伝えればアリスは頷く。
「確かに、あまりに自分らしくないことをするというのは良くないかもしれません……ですが安心してください! 淫夢語録には日常性とともに高いカスタマイズ性があるのです」
お前のことが好きだったんだよ!
そう言ってアリスがホワイトボードに書き出したのは大胆な告白の文章だ。サクラコは少し赤面した。
「これをこうして、こうです!」
アリスは先生お前のことが好きだったんだよ!ですよ!
「〇〇のことが好きだった、という骨格の部分を残せば語録だということが伝わり親しみやすさを、改変部分で自分らしさを演出できます。この語録は特に日頃の感謝や好意を伝えることができる素敵な語録ですから、オススメですよ」
実際に先生に言ったら喜んでアリスの頭を撫でてくれました、ニコニコしながらそう言うアリスにサクラコは唸る。なるほど……。好きだということ、それを直截的に伝えるのを気恥ずかしく思うようになったのはいつからだろう。自分は周囲の人に十分それを伝えられていただろうか?
感謝と好意。それは人間関係を円滑たらしめる一番の潤滑剤ではないだろうか。それに先生に頭を撫でられるなんてちょっと羨ま……コホン。咳払いをはさみつつサクラコは手帳にメモを綺麗な字でサラサラと書いていく。板書、アリスの発言、自身の所見。ページはあっという間に黒く染まっていった。
「その他の使いやすい語録としてはこの辺りでしょうか」
1.大人しくしろ、バラ撒くぞこの野郎!
2.動くと当たらないだろ! 動くと当たらないだろ!
3.カスが効かねぇんだよ(無敵)
4.おいゴルァ! 降りろ! 免許もってんのか!
「い、いきなり物騒ですね……」
「主に銃撃戦の際に使用します。1は弾丸をバラ撒いたり敵を威圧する時に、2は敵が回避した時、3は敵の攻撃があたった時に。4は車両から敵を引きずり出す時に使います」
アリスがホワイトボードに書き並べた語録にサクラコは流石に手を止める。ゲヘナ生であれば普通にもっと汚い言葉も使うがサクラコはトリニティのお嬢様だった。
「確かによくあるシチュエーション*3ですが、あまり乱暴な言葉づかいは……」
「大丈夫です! これもカスタマイズですよ!」
大人しくしてください、バラ撒きますよこの野郎!
アリスはサラサラと書き直す。まだ微妙な気はしたがだいぶマシにはなっているだろうか。
「戦闘時の語録は重要です。仲間を鼓舞しながら敵の士気を下げ、頼り甲斐を示すことが出来ます」
「頼り甲斐……たしかにそれは重要ですね」
バカでかいレールガン、光の剣をぽんぽんしながらドヤッと食べる牧場ミルク顔をするアリス。強さは時に人を遠ざける原因にすらなるが、親しみやすさと合わさればアリスの言うように頼り甲斐、親しみをより高めるものになるだろう。
前線での戦闘ももちろんこなせるが、どちらかといえば後方で指揮を取ることが多かったサクラコなので、そういったやり方で人を引き付ける発想はなかった。保留していた内容を一気にメモする。
「あとは使いやすいものとして数字のミームですね」
114514! 1919 810 364364 36、普通だな!
「ふむ、意味のない数字の羅列に見えますが……」
「はい、意味はあんまりないみたいです。ただ語呂合わせで覚えやすく、組み合わせて大きな数にできるのが重要なポイントです」
1145141919
アリスは数字語録をつなげて書き直す。サクラコは11億4千5百万……と普通に読んだ。確かに大きい数字だが、これがなんだというのだろう。
「例えば、そうですねえ。サクラコさんはシスターさんですからお祈りをしますよね」
「ええ、基本的には決まった時間に」
「ではこんなのはどうでしょう」
30分くらいお祈りをしようと思ったら1145141919分も祈ってしまいました。
「???」
「およそ2178.7年ですね。当然そんなにお祈りをするのは不可能ですから、誰でもすぐにジョークだと分かるわけです」
「……なるほど、たしかに」
わからなかったサクラコは自分を恥じた。ジョーク、自身にとって鬼門であり、親しみやすさのためにぜひとも身につけたいと考えていた技術である。しかしこんな調子では……。
「微妙な数字ではすぐにジョークだとわからない、笑いにとっては致命的なすべりが発生してしまいます。しかしあからさまでわかりやすいものならばそんなことにはなりません。わかりやすいジョークのための巨大で印象的な数字、それが数字語録です。これを用いて、たとえばお釣りを渡す時にはい1919810円! なんて言えばドッカンドッカン笑いが取れるというわけです」
これをオーサカ・オバチャン・メソッドと言います。モモイが言ってました。そう言って数字語録の下に強調線を引くアリス。サクラコはうんうん頷いて爆速でメモを取った。素晴らしきかなオーサカ・オバチャン・メソッド。これならば私にも軽妙なジョークがとばせることだろう。サクラコは感動した。
感謝と好意、頼り甲斐、ジョーク。どれも親しみやすさに向かう適切な観点だった。もはや眼の前の幼さを残す少女に敬意すら抱いていた。道に惑う己の手を引く、師と仰ぐにふさわしい人物と感じた。
アリスは適当に思うまま喋っていただけだが、サクラコがとても真面目な様子で聞いてくれるので気分を良くしていた。その後も適当な語録について語り、そろそろネタ切れとなったところでとっておきのものを披露することにした。
お前さっき俺らが着替えてる時、チラチラ見てただろ
「これは一体……?」
「着替えてる時チラチラ見られた時に使う語録です!」
お前先生さっき俺らアリスが着替えてる時、チラチラ見てただろましたよね?
これをこうしてこう! とアリスは修正を加えると、なんだか普通にヤバい文章が出来上がった。そんなまさかと思いつつもサクラコは尋ねる。
「アリスさん、ええと……これは?」
「はい、この前メイド服に着替えた時に(ほとんど着替え終わってたけど)先生にチラチラ見られたので。その時は思いつかなかったんですが、次の機会があれば言おうと思ってます。この語録を使うと着替えてた人と見てた人がとっても仲良くなれるそうなので、楽しみです!」
笑うアリスに表情をなくすサクラコ。ユズはモモミドに救援要請モモトークを連打していた。モモイはダッシュで部室に戻っていたが、遠くに遊びに出ていたのでギリギリ間に合わなかった。
「急用ができてしまったので、名残惜しいですが失礼しますねアリスさん。またお会いしましょう」
「はい! アリスも楽しかったです!」
にこやかに手を振るアリスに暗い笑顔で手を振り返し、サクラコは部室を出た。移動しながらモモトークを立ち上げ先生に送る。
本日はアリスさんをご紹介いただきありがとナス!
親しみやすい人、に向けて一歩前進できたように思います。
まだまだそんなんじゃ甘いよと言われてしまいそうですが、ま、多少はね?
ところで先生さっきアリスさんが着替えてた時チラチラ見ていたと伺ったのですが、どういうことでしょうか?
先生のことが好きだったんだよと無邪気にあなたを慕うアリスさんに一体何をなさっているのですか?
今からそちらに参ります。
†悔い改めて†
「大人しくなさい、バラ撒きますよ先生!」
「動くと当たらないでしょう! 動くと当たらないでしょう!」
「ちょっとよろしい!? 降りなさい! 教員免許お持ちになっているのですか!?」
シャーレの事務室に銃声が響く。一応配慮したのかゴム弾だが、サクラコのアサルトライフル・浄化の織り手はその名の通りに性犯罪者(冤罪)を浄化しようとしていた。
その頃ようやく部室にたどり着き、息を切らしながらモモイがアリスに叫ぶ。
同時、逃げ惑う先生も叫ぶ。
『サクラコ!「アリス! キヴォトスでは淫夢ごっこは恥ずかしいんだよ!!!」』
ミドリに救出され、なんとか誤解を解いた先生に謝罪し、イロイロな事実を把握したサクラコは大いに赤面した。
シロクロinsaneヒフミさん単騎チョコミント戦法で撃破したのでチョコミントとヒフミさんの話を書こうかと思いましたがスイーツ部のことよく知らねえなあと思ってたとこにイベントが来たので温めておきます。
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甘ナツと魔術師にアフォガードを
ここに来るにあたって放課後スイーツ部の面々も誘ってはみたがカビ臭いとこはパス、などとヨシミには一発で切り捨てられ、カズサもそこまではっきり言う事はなかったもののそういうとこは苦手、アイリは普通に用事があってダメだった。
別に今日でなければならないということもないので日を改めても良かったのだが、まあいつもいつでもつるんでいるというわけでもない。こうして一人、いかにも雰囲気のある古風な建物を前にするのも胸が高鳴るというもの。
ちょっと寂しいのは確かだが、図書委員の人から預かった大きく重厚な鍵もまさに物語のキーアイテムといった風情を醸し出している。冒険、そして古代の謎をめぐるロマン。甘いスイーツだけでなく、ナツはそういうのも大好きだった。
いざ、と鍵を差し込み、固く閉じられた門扉の封印を解く。意気揚々と戦々恐々半々くらいの気持ちで、大きな軋む音とともに薄暗い古書館の中へと入り込んだ。
「ごめんくださーい。誰かいないのー……」
コツコツ、ギシギシ。思ったよりも掃除は行き届いているようで、明らかに埃まみれで人の気配がないだとか、そこかしこに蜘蛛の巣が、なんてことはなかった。しかし強い独特の古い紙の匂いの中、光の差さない古い建物を進むのは思った以上に度胸のいる行為だった。
古書館はそれなりに大きな建物だったが、その殆どは書棚で埋め尽くされた閉架書庫であり、古書館の主ともいうべき人物の居室としている空間は普通に入口の近くにあった。そのため冒険の時間は案外あっさりと終わりを告げる。安心したような不満なような。ともかくナツは隙間から細く明かりを廊下に投げかけているドアをノックした。
「……」
無反応。もう少し強く。
「……」
重厚なドアを叩く音は静かな廊下によく響いたが、何も起こらない。明かりはついており、耳をすませばカリカリとなにか書き物をする音が聞こえるし、定期的に紙をめくる微かな音すら耳に届く。中に人がいることは明らかなのだが。
ナツは少し考え、突入することにした。そういう人だということはシャーレの先生やメガネの図書委員さんから聞いていたし、だからこそ会ってみたいと思ったのだ。
ギィと重いドアを開け中に入る。
中はやはり薄暗い部屋。四方の壁際に大きな書架が並び、隅にはデスクがある。そこに置かれた間接照明がまあまあ見える程度には明かりを投げかけており、廊下と比べればある程度人が暮らせる空間だ。
それ単体で歴史的な価値の有りそうなほどの古い本を、慎重な手付きでめくりながらノートに現代語訳と注釈を加えているのは目的の人物である
なんと声をかけたものかな。迷い、口を開き、閉じる。友人たち相手であれば雑に適当になんとでも思うまま喋れば良いのだが。ほとんど初対面で、先輩だ。別に1歳2歳違うだけで偉いなんて思っちゃいないけれど。
「先生からお話はうかがっています。なにか、依頼があるとか」
言葉が出る前に、メガネを外し、ペンを置いたウイがこちらを見た。胡乱げな目には明らかに歓迎の意はなく、敵意と言うほど強くはないが、めんどくさいなあという感情が溢れていた。人間を見る目より古書を見る目の方にこそ愛情が籠もっている。そんな風にすら見えた。
「本当であれば門前払い、外の方の話なんて聞きたくないのですが、しかたありません。受けるかどうかは別としても聞くだけ聞きますので、どうぞ」
ナツは半目のウイにニヤリと笑った。見本のような偏屈な隠者。なんとも、面白い人じゃあないか。
「それではお言葉に甘えて。私はトリニティ総合学園1年、放課後スイーツ部のナツ。トリニティでも随一の賢者と名高い古書館の魔術師さんにお願いがあってきたよ」
「随一でもないし、名高くもないし、変な二つ名みたいなのはやめて欲しいんですが……お願いとはなんでしょう」
ことさら大仰に語るナツに、言葉ではバッサリ切ってみせるが意外と満更でもないようで照れくさそうにするウイ。基本引きこもりなので褒められることに慣れていないのだった。
「私は、伝説の“忘れ去られた駄菓子屋さん”を探しているんだ」
忘れ去られた駄菓子屋さん。トリニティの生徒たちに古くから伝わる都市伝説。長い長いこの学校の歴史において、その変遷とともに流行っては廃れていく数々のお菓子ちゃんたちが、すべてそこに集まっているという伝説の場所。そのお話はいつの間にか風化してしまい、誰にも探されることなく、今や逆にそのまま丸ごと博物館のようになってしまった。と言われてたり言われてなかったり。
「聞いたことはありますね。他愛もない、無数にあるゴシップの一つとしてですが」
聞いたことがあるというよりはそういったゴシップを集めたような本で読んだことがあるだけだが、ウイは首を傾げた。そんな変なものを探してどうしようというのだろう。
「中央図書館で調べたり、聞き込みをしてみたり、色々やってみたけれど手がかりは全然。でもきっとどこかにあると思ってるんだ」
「それはなぜですか?」
しょせんは噂話。どこかの誰かの思いついたホラ話。なにか話の元になるような何かはあったのかもしれないが、似ても似つかないような真実か、時の流れのなかで消え去っているか。紙の上に記された文字たちと違って、現実のなんと移ろいやすいことだろう。信じる理由などどこにあるというのか。
「だって、あった方が素敵じゃない?」
ニカッと笑うナツに、そのキラキラ光る目に見つめられ、ウイは恥ずかしくなった。依頼というから少し身構えてしまっていた。ああ、この子はお馬鹿な子供なんだな。
なんということはない。これは遊びのお誘いだ。幼い日に、友達の家の玄関に駆け込んでその名前を呼ぶような。一緒に宝探しごっこをして遊ぼうと、そういう話なのだ。
外の人間の中でも一等嫌な政治ごっこ権力ごっこに血道をあげているような類とはかけ離れた人種だということが一発で理解できてしまった。先生が自身に彼女を差し向けることを良しとした理由も。基本的に人嫌いなウイだが、こんな子供を跳ね除けるほどでもない。そしていいだろう。一緒に遊ぼうじゃないか。
しかし、遊びだとしても、この古書たちに関わることならば手抜きなど一切しない。
「わかりました。では、忘れ去られた駄菓子屋さんの真実を探るとしましょう。この子達のだれかが、きっとそれを語る時を待っているはずですから」
そっと手に持った古書を閉じ、その表紙を優しく撫でながら、しかしギラリと輝いたウイの目にナツは怯む。なんかちょっとミスったかもしれない。
「おぉぅ……」
丁寧な手付きで、しかし重苦しい音とともに、ナツの目の前に分厚い古書が何冊も置かれる。別の部屋から机と椅子にライトなど作業に必要なものを持ってくるように指示され、その通りにすると、終わったときには既にかなりの量の本が集められ、移動式の小さな書架に収められていた。
「ゴシップについて纏めた本や古い日記、当時の有力生徒のものだけでなく一般生徒のものもできる限り集めてきました。その中でも比較的新しく読みやすいものがこちらです」
「こ、コレ全部読むの……?」
一冊一冊の分厚さもさることながら、とにかく量が多い。ナツもそれなりに読書家ではあったが、当然読むのは綺麗に印刷された活字本だ。癖のある手書き文字の日記や、古文の授業でも専門コースでなければ触れないような古い資料の数々に気圧されていた。
「読むのではなく文字を探すんです。お菓子、駄菓子、食品関係の話題、ゴシップ関係、とにかく関係の有りそうなところをチェックしてください。さほどの手間ではありませんよ。翻刻*1や完訳を作るとなれば相応に時間がかかりますけれどね」
「ふぅむ、達人の言う、ね、簡単でしょ?と同じような気配がするんだけど……まあともかくやってみるね」
なにしろ自分で頼んだことであるし、なによりこれも宝探しの1コマだ。授業で読む古文のテキストなんかよりもずっとわくわくする。
「ええ、わからないことがあればなんでも聞いてください。私はもう少し心当たりのある資料を集めます……ああ
付箋を貼ったり、ましてや折り目をつけたり、本を痛めるようなことをしたら叩き出しますからね
ページ数をメモしたり栞用の書き損じ紙を挟むように」
普段自分も使っているらしい長方形に切られたコピー用紙の束を渡すウイの異様な迫力にナツはコクコクと頷くしかなかった。
ちょいちょい休憩を取りつつも半日ほど。こぼしたり、手が汚れたりするようなもの以外なら何でもいいですというウイをオススメスイーツ責めにし、自分ももしゃもしゃしつつナツは頑張った。
渡された量の1/3も終わっていないが、慣れない作業に頭が疲れくらくらする。外の景色は全く見えないがそろそろ日が暮れる頃だろうか。
「それじゃあ魔術師さん、私は1回帰るね。明日の放課後また来るから……」
「何を言っているんです?」
「ぅえ?」
腰をあげかけたナツの肩を細い指がつかむ。見た目に反して思いの外強力なパワー。メレンゲの泡立てとか上手にできそう。
「半端で終わらせたら、気持ち悪いじゃないですか。……これはあなたがはじめた物語です。完結まで走り抜けるのが、義務というものです」
「いやでも授業とかあるし……」
基本的にこういう無茶振りを言うのは自分の仕事だったので新鮮だなあと思いつつ、常識的なことを言ってみるがもちろん通用しない。
「古文の成績を、学年1番にしてあげましょう。十分ですよね?」
ウイとしては外の人間に何度も何度も来られるよりは一度で済ませた方が楽だ。ナツの本の扱いが丁寧で、作業の覚えも早かったためまあまあ許せるタイプの人間だと判断したことも大きいが。
「少しボロですがシャワーもあります。缶詰になるにはそう悪くない環境ですよ」
「……私は缶詰になるよりはフルーツ缶でパフェを作りたいな~」
「終わったらお好きなだけどうぞ」
結局、作業にはほとんど丸2日を要した。疲れ果てて倒れ伏すナツに、爆速で最初の分を終わらせさらに大量の追加の資料に当たっていたウイが声をかける。
「ではチェックした箇所の表を作成。時系列順に情報を並べ、関連性の低い情報を弾き、法則性を見出します」
「そーいえばまだ終わりじゃなかったんだった……」
「ある程度検討はついていますから、もうすぐですよ」
そう言うウイの言葉に半信半疑ながら、集めた情報を整理し考察を進めていく。曲がりくねった文字をひたすら眺めるばかりだった数十時間、それは果たして報われるのか。
小さなメモに情報を書き写し、年代ごとに分けた菓子の空き箱に入れていく。古い日記にあったのは雑多で胡乱なゴシップ記事ばかり。いつの時代もこの年頃の女の子なんてこんなものだよね。
お菓子を作ったり食べたりした記述も宝探しついでに集めようかと思ったけれど、あまりに多かったので断念していた。古いレシピなんかは普通に中央図書館に行けば本があるだろうから折を見て読んでみようかな。そんなことを考えつつ、ひたすらに手を動かした。
「では、やってみましょうか」
すぐ、と言われてそれから結局数時間。ようやく一通りの情報をまとめ終わった。そして紙片の山を前にしたウイが、次から次へと机の上に並べていく。的確に整理された雑多な情報が、一つの真実を伝える。
“忘れ去られた駄菓子屋さん”の噂がある時期まで遡るとぱったりと途絶えることが一目瞭然だった。
「つまり……」
「そう、恐らくはこの時期に噂が生まれた。そしてその元となるものがこれ以前、近い時期に存在した。この頃トリニティで……キヴォトスで何があったか分かりますか、ナツさん」
ナツは考える。歴史の授業もそんなに苦手ではない。記憶の中で年表を辿る。
「アビドス恐慌?」
現在は廃校の危機に瀕している砂漠の学校。その名を関する経済的なイベントが、その時期では一番象徴的なものだった。
「ええ、ちょうどその頃です。キヴォトスでも随一のマンモス校であったアビドス高等学校のデフォルトに端を発するキヴォトス全体の経済危機。あの学校本格的に斜陽に向かうまでもちょいちょいやらかしてますからね。もちろんトリニティ総合学園も大きな影響を受けました」
ウイは予め用意していたのであろう古い都市図を取り出し、そのページを開いた。
「当時の市街地の地図です。古聖堂を中心としているのは変わりませんが、今とは栄えてる場所がかなり違います」
ウイが指さした場所を見る。現在の地図と違い、なんだかごちゃごちゃして分かりづらいが、今の中心市街からはだいぶ離れていることが分かった。
「当時のトリニティ上層部は経済危機を乗り切るために、大規模な公共投資、新市街の開発に着手しました。現在は交通網の発達でさらに新しく市街地が形成されているので、この場所は旧旧市街とでも言うべき地域になるでしょうか。今ではかなり寂れているようですね」
古い地図と、真新しい綺麗な地図を見比べるウイ。現在の鉄道駅を囲むようにできた中心市街、当時の開発でできたというちょっと離れた旧市街、すっかり外れの旧旧市街、それらを指で辿る。
「つまり、忘れ去られた駄菓子屋さんはこの時の都市開発の影響で“忘れ去られた”……ってこと?」
「恐らくは。そして旧旧市街でそれに当てはまりそうなのは、これらでしょうか」
綺麗な地図には容赦なくマーカーで印をつけていくウイ。いくつかの製菓会社、流通倉庫、小売店、製菓店。既に廃業したものも多く、古地図や資料と照らし合わせながら探し出し、関連性の有りそうなものを片っ端からマークしていく。
「流石にこれ以上は絞りきれませんでしたが、現地を散策すればなにか分かることもあるかもしれません」
「……すごい」
手がかりなんて何もない、噂だけがあり、真実へ向かう道筋なんてどこにもなかったはずなのに。どうしたことか、今この手には伝説を踏破するヒントが握られている。目をしょぼしょぼさせながら眺めた少女たちの他愛ない日記の雑記の塊が、確かな形になっている。
薄力粉、砂糖、卵。なんでもない材料が、正しい手順を経てあるべき形になるように。当然のように宝の地図が出来上がっていた。
「さすがは古書館の魔術師さん。噂に違わぬ素晴らしい魔術、感服したよ~」
「……あなたも一緒にやったでしょうに。根気とやる気、丁寧ささえあれば誰でもできることですよ」
疲れグデっていたナツの瞳にまたキラキラとした光が宿る。それに見つめられたウイは頬を赤くして目をそらした。
「ともかく、依頼の件はこれで終わりです。実際に見つかるかどうかは知りません。あとのことはあなた次第です」
「うん、ありがとう。……ひとまず今日は帰ってベッドで寝て、明日現地に行ってみるね」
気持ち的には元気が出てきたとは言え、流石に今から宝探しをするほどの体力は残っていなかったのだ。見送りはなく、しかし最初の刺々しい空気がすっかりなくなった古書館をナツは後にした。
「やあ、魔術師さん」
「……こんにちは、ナツさん。」
後日、現地調査を終えてナツは再び古書館に顔を出していた。目星をつけた建物を一通り回ってみたところ更地になっていたり、すっかり崩れて瓦礫の山になっていたり、食品とは関係ない別の企業が使っていたり、ほぼ全て空振りだったが一箇所だけいかにも怪しい地点を残していた。ただそこはなんとも薄気味悪い、不良たちですら塒にするのを躊躇うような有様だったので中には入っていなかった。一人では怖かったのだ。
「というわけで今度先生と一緒に探検に行くつもりなんだけど、魔術師さんもどうかな?」
「……。……いえ、私は遠慮しておきます」
先生とお出かけ、という点でウイは非常に悩んだが、この後輩の邪魔をするのも野暮だろうというのと、外に出たくない気持ちとで断った。
「そう?じゃあ、結果はまた後日。それじゃああとは、今回のお礼だね」
「別にそういうのは構いませんけど……」
「私がしたいから」
そう言ってナツは鞄から小さな魔法瓶とクーラーバッグ、大きめのマグカップ2つを取り出す。魔法瓶の蓋を開ければほこほこと湯気が立ち、濃いコーヒーの香り。
「……これは」
「そう。図書委員さんに聞いたんだ~」
保冷剤の詰められたクーラーバッグからはバニラアイスの箱。更にマグカップのサイズに合わせた大きめのアイスクリームディッシャー*2。
カップそれぞれにアイスを落とし、魔法瓶から濃いめに入れたエスプレッソを注ぐ。熱いコーヒーがバニラアイスを緩々と溶かしながら絡み合っていく。
「……アフォガードですね」
「その通り。アメリカーノ*3が好きな魔術師さんと、甘いものが大好きな私が一緒に楽しめるスイーツということでチョイスしたよ」
さあどうぞ、とナツがスプーンを添えて差し出せば、ウイは大人しく受けとった。意外なほどの気遣い。好みのリサーチをしてくるというだけでなく、自分も楽しめるものという選択。一緒に良い時間を過ごそうという、そんな一皿。
「……では、いただきます」
とろけたバニラアイスの甘みとエスプレッソの苦味。刻一刻と変化する味、食感、温度。甘いものはさほど好きではないが、これは確かに好みのスイーツだった。対面するナツもスプーンを咥え、実に幸せそうな表情で味わっている。
なんだか、不思議だ。ウイは自分のテリトリーである古書館に人が立ち入るのを好まない。無理やり入ってくる子たちや、一緒にいて欲しい人もいないことはないが。しかし、別にいても構わないかなと、そう思うような子は初めてだった。
「……ご馳走様でした。とても美味しかったです」
「にひ、シンプルだけど、複雑な味。こういうのもいいよね~」
食べ終えたカップを片付け一息。魔術師さんの満足げな様子に、ナツも嬉しくなっていた。誰かと共にスイーツを楽しむ。それはなににも代えがたい素晴らしい一時だ。
「魔術師さん、あなたは孤高の人だ。人を拒み、知恵の泉に沈み、ただ無言の声を聴くことだけを生業にしている。私も人に周りに合わせろと言われることが多いけれど、あなたもきっとそう。図書委員さんの外出お誘い作戦も失敗したし」
「……シミコ、また余計なことを」
突然語りだすナツに、ウイは特になんの反応もしない。図書委員の後輩であるシミコの先生まで出汁にした策謀はともかく、話したいなら聞く。きっと不愉快なものではないだろうから。
「私も、他の誰かのようになれるとは、なろうとは思わない。よくわからない私をよくわからないままに受け入れて、分かってくれる人たちがいるから。魔術師さんもあなたのやりかたで世界と関わっているのが分かるから。きっと本来ならすれ違ってお終いだった。だから、嬉しかったよ」
ナツはウイの手を取り、ゆるゆると上下に振った。
「全然違う世界に生きていた私たちが、こうして一緒にアフォガードを作って楽しんだ。それはとても素敵なことだと思う。最終的にはどうなるかわからないけれど、今回のこと、この機会と、あなたに、かんしゃを」
ウイもまた、それに応えて小さな手をそっと握り返した。
「……ええ、私も、この数日楽しかったです。たとえどれほど世界が広がろうともきっと変わらない私ですが、ナツさんの心遣いをありがたく思います。あなたの探索が、良い結果になりますように」
そうして二人は別れた。紐解かれた伝説。忘れ去られた駄菓子屋さんの真実は、秘密だ。
やや今更ですが感想評価ここすき誤字報告等ありがとうございます。励みになっております。淫夢語録で感想増えて草なんだ。
スイーツ部イベント良かったですね。レイサ好き。でも水着アズサ引きたいのですり抜けてきてくれ。ということで引いてません。絆ストーリーすごくいいらしいのでぐぬぬですが。
今回イベではナツが一番好きになったしすり抜けで引いてたのでナツ書きました。
黒歴史バッサリやって、当時の人間関係も全部切り捨てて、それがほんとに大人になるってことか?俺ら子供なんだから子供らしくバカでも中二病でもいいじゃねえか。俺らも一緒にバカやるからよ、あの子と仲直りしな!終始コレ。お節介焼きの余計なお世話と言ってしまえばそれまでですが、レイサがいい子なのでザクザク刺さるんですよね。ナツは変な子ですが友情に厚いし怖がりだったり普通の女の子らしいとこもあり、すごい可愛いかんしゃあ~。
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陸八魔アルvsファウストvsUZQueen
ゲヘナ学園2年、陸八魔アルはしばしばゲームセンターに通っている。昔からの趣味というか、もはや習慣のようなものだ。中学生の頃、今のようなハードボイルドな“悪”を志す以前は読書とゲームが生きがいであった。
便利屋68の社員たちと連れ立って行くこともあれば、こうして一人ぶらりと出かけていくこともある。便利屋のメンバーは一緒にいることも多いが、それでも四六時中というわけではない。それぞれ単独行動を好む所もある。
ムツキは気まぐれに楽しいもの探しに出かけるし、ハルカは一人静かな趣味の時間を持っているようだし、あとは雑事を一人で終わらせることに使命感を持っている。
カヨコはあれでムツキと似たところがあり、猫のようというか。一人でいるのが好きですという顔をしているけど意外に寂しがり屋。適度に構うのが重要なのだ。
アル自身もにぎやかなのが好きではあるが、孤独とハードボイルドの相性の良さは抜群だと思っているので一人で過ごしたくなることもある。特に意味もなく夜中に一人で高いところに登ってみたりとか。夜景が綺麗なので普通に悪くない時間だ。
まあともかく今日は一人でゲーセンの日なのだ。軽く新作のゲームをチェックしたり自宅……事務所では出来ない大筐体のVRゲームなんかもたまにはやりたい。そう思ってD.U.*1にある行きつけのゲーセンにやってきた。ゲヘナ自治区の中のゲーセンは治安が世紀末なので対戦ゲーがそのままリアル銃撃戦に発展することが恒例。あんまりまともに遊べないのだ。そのほうが楽しいなんてムツキは言うが、アルとしては普通にゲームがしたい。
ゲヘナのゲーセンと違ってこっちは平和……まあゲヘナほどでないとはいえ所詮キヴォトスなのでたまには爆発炎上もするが、平和だ。綺麗だし、でっかいし、冷暖房もガンガン効いてて過ごしやすい。色々な学区から生徒がやってくる分ちょっと混むのだけが難点だが、ゲーム内なら野良対戦も楽しいし、音ゲーなんかならギャラリーがいるほうがやりがいがあるというもの。ガラガラに空いてるよりはよほどマシだろう。
入口付近に並ぶクレーンゲームコーナーを抜けて奥へ行こうと思ったところで、知り合いの顔を見つけて立ち止まる。何か揉めているようだ。
「譲ってください! お願いします!」
「べ、別に構いませんけど……。なんとなく取っただけだから……」
「ダメですユズ! ルート権*2は厳密にしなければ後々まで禍根を残します! ここはゲームで勝負をつけるべきです!」
「え、えぇ……?」
大きい声で小柄な少女? に詰め寄っているのは阿慈谷ヒフミ。アルは縁あってヒフミの正体を知り、今では敬意とほんのりした対抗心を持っている。そしてその間に入っているのは天童アリス。アル、ヒフミ、それにミレニアムのユウカと一緒にアイドルやったこともある仲だ。
そして詰め寄られているのはダンボールを被った怪人物である。……なんだろうあれは。ミレニアムのジャケットを着ているしアリスの知り合いのようだから、ホンモノの不審者というわけではないだろうが。それに険悪な様子というわけでもないし、アルは普通に声をかけてみることにした。
「ちょっと、どうしたのよあなたたち。爆発物を使うなら店の外でやりなさいよ?」
「あ、アルだ。こんにちは!」
「あ、どうもアルさん……って、そんな武力に訴えるなんてことは!」
手をぶんぶん振って身の潔白を示すヒフミと普通に挨拶するアリス。アリスはついでに初対面だった二人、ダンボールを被った花岡ユズとアルを互いに紹介する。
「はぁ~、社長さんなんだ。すごいですね……」
「そうよ。あなたも依頼があればいつでもどうぞ。面白い内容なら受けてあげる……ところでその、聞いていいのかわからないけど、頭のそれはなに?」
便利屋68社長の肩書が入った名刺を渡され、ダンボールの取手の穴から眺めて、起業なんてすごいなあと感心しきりな様子のユズにニヤリと笑うアル。ただやはりダンボール頭が気になり冷や汗タラリ。どこでもフルフェイスのヘルメット被ってる奴は珍しくないがダンボールはレアで、異様である。
「ええと、落ち着くので……」
「ユズはここでは有名人なんです。人が集まっちゃいますから顔出しNGです」
ダンボールの端を押さえてうつむくユズに腕でバッテンを作って補足するアリス。格ゲー音ゲーシューティング、ほとんどのジャンルで不動のランキング一位を獲得するユーザー名UZQueenはゲーセンのヒーローであった。そしてそんな様子を見てアルはすべてを察した。
「なるほどね。あなたも裏街道を歩く者、というわけ。夜闇の住人と言えど陽の光の暖かさを忘れられない。ええ、そういうこともあるでしょう。なにも聞かないでおくわ」
「……???」
察していなかったアルのなかでは既にユズの悲しき過去と壮大なストーリーが展開していたが、ヒフミがちょいちょいと腕を引っ張り現実に引き戻す。
「あ、あの、ペロロ様グッズ……それが最後の一つで、クレーンゲームのプライズ限定で、何件か回ったんですけどどこも品切れで、本当に欲しいんです……! 相応のお金は払うのでなんとか譲って頂きたいんですけど……」
ヒフミが指すのはユズが小脇に抱えた箱。キモい鳥の人形……ペロロ様ゲーセン限定アクションフィギュアである。浮かれた星型サングラスなど付けてなんとなくパリピな格好だ。イカれた、もといちょっと変な印象を与える目が隠れているので普段よりいくらかマシに見える。
「ワンコインで取れそうだからなんとなく取ってみただけで、あげちゃっても構わないんですけど……」
「ダメです! 勝負勝負です!」
アリスは合法的に賭け試合ができそうなのでノリにノッていた。ミドリやユウカが怒るので普段は中々できないのだ。しかしネル先輩とお菓子をかけた勝負は超エキサイティングである。楽しいのだ。
とはいえネル先輩はザコいのでたまには別の相手と熱い賭けバトルがしたい。そんなフラストレーションが溜まっていた所、ちょうどよく現れたのがヒフミである。逃がすわけにはいかない。アリスはシュッシュとシャドウボクシングなどして威嚇する。
「あ、アルさん、なんとか説得していただけないでしょうか……」
「ふぅーん……」
アルはユズの背景を除いてようやく大体の事情を理解した。ヒフミがちょっとおかし……熱狂的なペロロファンなのは知っていたし、アリスの見た目相応に子供っぽい所も知っている。なにか別の餌をぶら下げてヒフミをユズと二人にしてやればそれで解決するだろう。
……しかし、己の目指す“悪”がそんな無難で安易な道を歩むことを許してよいのだろうか?
───否である。
「ヒフミ、いえ……ファウスト。あなたは優れた悪党だけど、足りないものがあるわ」
「あ、あの! それやめてください! それに悪党でもないです普通です私は!」
慌てるヒフミにゆっくりと首を振る。彼女は一般人の偽装を徹底している。それも含めて、優秀な犯罪者だ。だからこそユズのように顔を隠すことすら無く普通に暮らしていけるのだろう。だが、それが悪党として正しいのだとしても認めることは出来ない。
「あなたに足りないもの、それは矜持! 己に悪を任ずる者としてのプライド! それ無くしてはそこらのチンピラとなんら変わらないわ!」
「え、ええっ!?」
腕をバッと振りかざし叫ぶアルにおぉーと感嘆とともにぱちぱち拍手をするアリス。ユズもなんとなくつられて拍手。ヒフミはなんだかマズイ方向に状況がダッシュしているのを察して青くなる。アルは鼻が高くなる。
「悪党としてのプライドがあるならば、欲しいものは戦って奪いなさい! 勝負よ!」
「ええぇえぇぇぇーっ!?」
「では、そういうことでよろしいですね!」
ことの成り行きが自身の思いどおりになってニッコニコのアリスが全員を押して行き、決戦のバトルフィールドへと移動することとなった。
「ユズに勝負をさせるわけにはいかないので、アリスが代理です。そして元はユズが取ったものですから、勝負の内容はアリスが決めます。よろしいですね?」
「決闘代理人、チャンピオンというわけね。理屈は通ってるし、まあいいんじゃない」
「クイズゲームならなんとか……それかじゃんけんとかじゃダメでしょうか……?」
補習授業部の面々でたまに一緒にやってハナコが無双するクイズゲームを指しつつ主張するヒフミは黙殺された。ユズはちょっとどうかと思ったが、アリスが楽しそうだしまあいいか、と景品のペロロフィギュアを抱えて待機することにした。
「勝負の内容はこの名作格ゲー! 普通の対人ルールで3本勝負の2本先取、3人なのでじゃんけんで一人シードにして勝ち上がり戦です」
アリスが決めたゲームは新作、というにはしばらくたっているが人気のタイトルだった。アリスがネル先輩といっつもやってるやつである。つまりそれなりにやり込んでいるゲームだ。自信満々な態度にそれを察したアルはこの子も中々悪の素質があるわね、と思った。
「ではじゃんけんぽん」
「や、やったー! やりました! 私の勝ちです!」
最初のじゃんけんではヒフミが勝利し、1回戦はアルvsアリスとなった。有利な戦場を選ぶのは戦の基本とはいえ、欲望に驚くほど素直に動く様はまさにこれからの育成次第で白黒どちらにも転がる進化前ポ○モン。ならばこの子に悪のなんたるかを示すのも良いだろう。
「ふっふっふっ、では勝負ですアル。負けても泣いちゃダメですよ?」
「ふふふ、どうかしらねえ。便利屋のやり方、見せてあげるわ」
ガシャガシャとレバーを動かしキャラ選択。横のアリスも迷わず選んだそのキャラはまさに主人公といったイケメンキャラだ。バランスの取れた強キャラでもある。アルが選んだのはそのゲームのボスのようなポジションのいかにも悪そうなおじさん。コートをなびかせ黒いオーラを放っている。一撃は重いがその分隙も大きく上級者向けと言える。
「さあ行きますよ、たぁ! てぃ! とぉー!」
「甘い甘い、そんなんじゃ私の首は取れないわよ!」
派手な掛け声とは裏腹に堅実に攻めてくるアリスに対し、アルの方も防御を中心とした落ち着いた動き。お互いに様子見の静かな立ち上がりだ。
「むっ! むぅ……ンアッー! ズルいですそれハメですよねうちのシマじゃノーカンなんですけど!」
「これくらい抜けられないほうが悪いわよ。ほらほら、どうしたの、このままやられちゃうのかしらぁ!?」
じわりじわりとアリスを追い詰めたアルは突如として怒涛の攻めを見せ、アリスのキャラクターを壁際に固めてしまう。ガードの上から少しずつ体力が削られるが、アリスは為す術がない。
「せやっこれで逆転です! あぁああぁぁぁーっ!!!」
「ふんっ! 甘いわよ! ……よし、1本目!」
固められた状態から脱出するため敵を吹き飛ばす技を使ったアリスだが、アルはそれを完全に読んでおりしっかりとスカした上でとどめを刺した。実力差の出た勝利と言えるだろう。金欠でゲーセンから離れている時期もあったが、体がしっかり覚えていたようだ。
「むぅー……でもまだまだこれからです。動きのクセは理解しました! アリスの華麗な逆転劇にご期待ください!」
「ふふっ、哀れね。炎に向かう蛾のようだわ……」
2戦目が始まる。今度は固められまいといきなり飛び込んでくるアリス。しかしその瞬間画面が暗転する。
「開幕超必ブッパ!? アルはバカなんですか!?」
「それに当たってる子に言われたくないわね! ほらっ覚悟しなさい……! ……あっはは、どう、格が違うってこういうこと」
暗転後の演出から大ダメージを受けダウンした所を的確な起き攻め、さらにそのまま繋がったコンボによってアリスのキャラクターはあっという間にHPをゼロにされてしまう。画面には悪そうなおじさんがもっと悪そうな顔でニヤリと笑い、決めポーズの上に大きな勝利の文字が浮かんでいた。
「うぅ~ズルですチートですユウカです。もう一回やりましょう!」
「はいはい、また今度ね。今は次の勝負。さあヒフミ、準備はいい?」
しっしと追い払われてダンボールユズに泣きつくアリスと入れ替わり、真剣な表情で見つめていたスマホを仕舞ったヒフミが席に着く。
「アルさん、私、負けません。負けたくありません……!」
ゾワリと背筋が震えるほどの覇気。ヒフミからは普段のぽわぽわした雰囲気が消え、絶対に勝つという決意がみなぎっていた。ちょっとした余興程度に考えていた、というかゲーセンに遊びに来たら知り合いを見つけたので普通に遊んでいた感じだったアルは気を引き締めなおす。このヒフミ、何かやらかしそうな気配がする……!
「……裏社会の王の力、とくと見せてもらおうじゃないの」
ツッコミを入れる余裕もないのか、画面をじっと見つめ試合の開始を待つヒフミの横顔をちらりと覗き見る。そうだ、このキヴォトスの闇に名を轟かすカリスマ犯罪者ファウスト、それを破った女という称号を得るのも悪くない……!
「あうぅぅぅ~……ま、負けました」
「……冗談抜きでガチ初心者じゃないのよ」
お互いに様子見の1本目序盤、隙あらば必殺技ゲージを溜めるヒフミに警戒しながら立ち回るアルだったが、いざゲージが溜まった瞬間ヒフミは特に意味もなく超必殺技をブッパした。直前にスマホで攻略サイト見て基本操作と必殺コマンドだけ覚えての対戦だったらしい。派手なエフェクトの必殺技はなにもないところで虚しく炸裂した。
説明を見ただけでまあまあ動けるというだけで大したものだったが、1本目は空振りの必殺技の隙をしっかり咎めたアルが勝利。2本目は馬脚を現したヒフミに基本の立ち回りやコンボを教えてコンボ練習で削りきらせてヒフミの勝利。3本目は加減しつつ普通にやってアルが取り、そのまま勝利となった。
「ではその、こ、これでなんとか……!」
「いや、いいわよ別に。なんか変な感じになるからお財布出すのやめてよね。初心者狩りは美しくないし、私は別にそのトリモドキいらないし……って乱入!?」
財布を取り出したヒフミが限定ペロロ様の値段交渉をしていると乱入する者が居た。乱入とはゲームをプレイ中の他プレイヤーに対戦を仕掛ける機能を使い、挑戦することだ。ネットを介して他店や世界中のプレイヤーと戦うこともできるが、今表示されているのは向かい側の筐体。そしてそのプレイヤーネームは……。
「UZQueen……!? まさかあの!?」
「うん。えへへ……楽しそうだったから、私もやりたくなっちゃって。よろしくお願いします、ね?」
アルが顔を上げれば、ダンボールの頭が筐体の上から覗く。アルがゲーセン通いをするようになってしばらくして名を上げた、ほとんど同期の伝説的プレイヤー。様々なタイトルで全国ランキング1位を総嘗めにして譲ることのないキヴォトス最強のゲーマー。
「まさか、こんなところで出会うことになるとはね……でも私だってかつてシャイニングデーモンと呼ばれた女! そう簡単に倒せるとは思わないことね!」
中学生時代メガネギラギラさせてゲーセンで対戦に明け暮れていた頃のあだ名である。そう、かつてネット対戦で頂点を目指し、何度も負けたことがあったのだ。当時の悔しさが再び燃え上がる。
自分はしっかりと腕を磨いたわけでもない、UZQueenは現役チャンピオン。不利な要素ばかりだ。しかし、それでも負けたくない。なぜなら、アルもまたゲーマーなのだから。
「……くっ!」
「……。……よし!」
1本目。久々の、そして初めての対面での対戦。やはり探り探りの立ち上がりとなったが、次第にユズがじわりと有利を広げ、そのままアルを押し切る形での勝利となった。
上級者同士の戦い、しかし基本的な動作や読みの深さ、すべての要素においてユズはアルの1歩2歩上を行く。それが現れた勝負だった。ユズの方に移動したアリスは大盛りあがりで応援している。ヒフミは勝者のトロフィーとして筐体の上に置かれたペロロ様にちょっと手を伸ばしては引っ込めてを繰り返している。
このままでは勝てない。しかし、下手な博打を打てばそれこそカモにされるだけだ。アリスとの勝負のように。あの時アルは戦い方と腕の差で追い詰めたアリスがどのような行動に出るかを予想しブッパを当てた。アリスの友人としてユズがその意趣返しをしてくるというのは大いに有り得る話。
そして続く2本目、じわりじわりと消極的な動きを見せるアルにユズは意外そうな顔をする。実際飛び込んできたらブッパなして沈めるつもりだったから。しかし隙を見せなかったからと言って勝てるわけではない。動かなければ1本目の再現となるだけだ。
期待外れだったのだろうか。アルのプレイに、燃え上がらせてくれるような何かを見た気がしていたが。機械のように的確に、正確な動作でアルを追い詰めていくユズ。
「……そこぉっ!」
「うそっ!」
ここしかない、その瞬間。攻め続けるユズに攻撃を差し込み、コンボを繋ぐ、途切れない。抜け出そうと暴れる動きもしっかりと読んでいる。必殺技ゲージは満タンだ。すべてを吐き出し、暗転。
ユズのキャラクターは倒れていた。
「ふふっ、あははははっ! どうよ! これが便利屋、陸八魔アルの力よっ! 見たかUZQueen!」
「そ、そんな……! ユズがやられるなんて、嘘です……もうおしまいです……」
アルはガッツポーズで勝利の咆哮を上げ、アリスは筐体にすがりついて絶望する。陸八魔アルの優れたる所、それが存分に出た勝負だった。
伝説のプレイヤーにすら打ち勝つ彼女の才能とはなにか。それはここぞというその時、その瞬間を見極める力。観察力であり、勘働きであり、そして良くも悪くも勢いよく彼女を運ぶ幸運だ。目にも止まらぬ速さで駆け抜ける幸運の女神の前髪を鷲掴みにする瞬発力とも言える。
敵に対すれば致命の弱所を撃ち抜く死神の弾丸となり、強者を相手にすれば常人には不可能な逆転の一手を掴み取る。そういうものを陸八魔アルは持っていた。
……そして、そんな
「これで1対1。楽しくなってきたね。さあ、最後のラウンドだよ……!」
「……! 上等ォ!」
ダンボールを横に置き、素顔を晒したユズが笑う。普段の気弱な表情とはまるで違う。獲物を食らう王者の笑み。対するアルもまた笑う。冷や汗をたらしながら、しかし、ピンチの時こそ真の悪党はふてぶてしく笑うものなのだから。
じわりじわりと攻め上がるユズ。そしてその動きは先程よりも遥かにキレのあるものだ。未来が見えているかのような読みは選択肢を外すことは決して無く、確実にアルを追い詰めていく。
しかし焦らず、被害を最小限に押さえつつその時を待つ。勘働きに任せるとは、適当にやったら上手くいったというものではない。幸運を掴むということは、捨て身で崖の向こうへ身を投げるようなものではない。
五感で得たすべての情報を統合し、表層意識に言葉として登るより前に、電撃的な速さで判断するということ。あからさまなブラフにも、巧妙を極めた罠にかかることもない。伝説の女王とて人の子であることは間違いない。いつか起こるミスを確実に咎め、致命の一刺しに変える……!
「……今っ! ぁああぁぁぁあっ!?」
「こうっこうっえいっ!」
完璧なタイミングで放たれたはずの致命の一撃はしかし、女王の喉元を貫くことなく虚しく空を切った。しっかりと技の後隙を咎めたユズのコンボで既にだいぶHPが削れていたアルのキャラは撃沈。2対1でユズの勝利となった。
「おぉぉぉ! さすがユズです! さすユズ! UZQueen最強! UZQueen最強!」
「あ、アリスちゃんちょっと……」
褒め称えるアリスと、いつの間にか集まっていたギャラリーの拍手に照れるユズ。アルはそちらへ向かうと軽く手を握り、ペロロ様を渡した。
「やっぱり、強いわね。これはあなたのものよ。元からそうだけど」
「ありがとう、アルさん。た、楽しかったです……それと、これはアルさんが持ってて」
ユズが渡されたペロロ様を返すと、アルは表情を歪めた。
「情けをかけられるほど落ちぶれちゃいないわ。勝者は勝ち取り、敗者はただ去るのみ、よ」
「ううん。預けるだけ、です。返しに来てください。また……一緒に遊びましょう?」
敗北の証というわけか。ふ、とアルは息を漏らした。そうだ、熱く、悔しく、そして楽しい戦いだった。敗北を刻み、勝者を称えるのもまた悪の道。素直に受け取ったペロロ様の箱を抱え、格ゲーコーナーを出た。背を向けたまま手を振る。
「覚えておきなさいユズ。次はこうはいかないんだから」
「はい、アルさん。次も、負けませんから」
楽しそうな声を背に受けて、陸八魔アルはクールに去った。
「あ、あの! ペロロ様、さっきくれる感じでしたよね! お金なら出しますから!!!」
はずだった。ダッシュで追いかけてきたヒフミがアルにしがみつきペロロ様フィギュアを要求する。
「ちょっとぉ! 流石に空気読みなさいよ! 余韻台無しじゃない! それにこれはまたユズと勝負する時に持ってくんだからダメよ! 別で探しなさい!」
「限定グッズは! 限定グッズは欲しいと思った時に手に入れないと一生手に入らないんです!!! ください! なんでもしますから!!!」
今なんでもっていいましたよね!? という声が遠くから聞こえるのを無視し、しがみつくヒフミを引きずってゲーセンを出るアル。いい加減鬱陶しくなったので引き剥がしてダッシュで逃げる。
「諦めなさい! あなたも悪党なら引き際をわきまえるべきでしょう!」
「引き際なんて知りません! こ、こうなれば力づくでも……!」
こんなキモい鳥モドキの何がいいのよ! と捨て台詞を吐いて立ち去るアルを追うべく、ヒフミは近くに停めてあった愛車に乗り込む。*3
そう、巡航戦車Mk.VIクルセイダー、通称クルセイダーちゃんである。ヒフミは迷わずアルを砲撃した。アスファルトごと吹っ飛ぶアル。逃げ惑う周囲の一般通過生徒。デカい音を聞きつけて集合する関係者。
「ちょっとぉ! 洒落にならないわよ!?」
「なになにアルちゃん、喧嘩ー? あ、ヒフミちゃんじゃん。へー……たのしそー!」
「アル様ーッ!! ご無事ですか!?」
どこからともなくアルの元へ現れたのは楽しいこと探しをしていたムツキと、爆発物の買い出しをしていたハルカ。そしてヒフミタンクの方にも補習授業部の面々が現れる。アズサの買い物で一緒に来ていたが、ヒフミはゲーセンに行くために一旦別行動していたのだ。
「ヒフミ、どうしたの? 敵襲?」
「ぺ、ペロロ様が! ペロロ様を、お救いしないと!」
「なるほど、強奪されたグッズの奪還任務了解した。行動を開始する」
「ちょっと、なんか様子おかしいし絶対違うでしょ。待ちなさ……あぁ! もう!」
アズサはふんすと鼻息荒く即座に参戦を決定しタンクデサント*4。同じく戦車にとりついたコハルは急制動に振り落とされそうになって必死でしがみつく。
「集まるんなら言っておいてよね」
「あ、カヨコさん、しばらくぶりで」
あらあらと笑うハナコは秒で状況を把握したものの楽しそうだしまあいいかとスルーして戦車に飛び乗り、ついでに知った顔を見つけて手を振る。CD買いにきていたカヨコはハナコに雑に手を振り返して便利屋組に合流。特に図ったわけでもなく集合するのもわりとよくあることであった。
「観念してペロロ様グッズを渡してくださーい!」
「あっははは! ちょうど新作の地雷試したかったんだー♪ 対戦車戦よーい!」
ギャリギャリとアスファルトを削りながらクルセイダーちゃんが駆ける。小回りを活かして路地裏に逃げるアルたちを、壁を削りながら追い回し砲撃が連続する。ムツキとハルカがバラ撒いた爆発物が連鎖的に大爆発を起こし、倒壊するビルの瓦礫の合間を縫ってクルセイダーちゃんが突き抜ける。白昼堂々たる大規模テロに早くもヴァルキューレのサイレンが木霊する。カヨコの先導でどうにかこうにか逃げながら、アルは白目をむいて叫んだ。
「どうしてこうなるのよぉぉぉーっ!!!」
☆3初期メンがヒフミコハルアルちゃんで思い入れがあるんですが、アルちゃん過去が謎なので中々書きづらいですね。今回すべて捏造です。実際には賢い文学少女陸八魔リリィになりそうな気もしますが、ゲーム三昧おバカ地味メガネ中学生アルちゃんもいいんじゃないかと。便利屋結成編を含むゲヘナメインストーリー熱望。
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