転生チート、絶対に三振しない (辺境の塁審)
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ミスターファールボール

後田前梨(うしろだまえなし)というプロ野球選手を知らない日本人はいない。

 

 そう言われるとどんな選手を思い浮かべるだろうか?

 

  前人未踏の安打製造機?

  技巧光る守護神投手?

  いぶし銀の守備職人?

  絶対無比の選球眼?

 

 いやいや、彼にはどれもない。

 その生涯に一本のヒットもなく、ただ一回の三振もない。

 彼にあるのは、豪快なフルスイングから生み出されるファールボールただそれだけ。

 

 ある審判曰く、球数制限は投手ではなく、彼のためにある。

 ある監督曰く、投手にとっては奴は魑魅魍魎の類である。

 ある記者曰く、九回裏満塁で彼がバッターボックスに立った時、ピッチャーが泣き崩れた。

 

 数多の試合で敵チームの投手を枯渇させ、国際大会で野手が次々にマウンドに上がる狂気の渦に叩き込み、どんな悪球もファールにして誰よりも投手に忌み嫌われた彼をファンは畏怖の念を込めてこう呼ぶのだ。

 

 

  ミスターファールボールと。

 

 

 

 

   ◇◆◇◆◇◆

 

 

 

とある夏の県予選決勝・とある投手視点

 

 

 

 ああ、糞なんてこった!あと一勝で小学生の頃から夢見てきた甲子園に手が届くというのに。

よりにもよって、そうよりにもよって最終回満塁の局面であの悪魔が今からバッターボックスに立とうとしている!

 

 後田前梨。

 

 絶対にアウトにできない妖怪みたいな奴!

 どんな悪球・荒れ球でもバットが届く範囲ならその豪快なフルスイングでファールにしてしまうイカレ野郎。

 いつもなら絶対に対戦しない。すぐに申告敬遠で一塁に放り込むのに、状況がそれを許さない。あと一点でも失えば甲子園への切符が俺とチームメイトの手から零れ落ちる。

 動悸が凄い。眩暈までしてくるようだ。後田の獣の如き眼光だけがやけに目について冷や汗が止まらない。俺の異変に気が付いたキャッチャーの相棒がタイムをとってマウンドに駆け寄って来る。

 

 「おい、大丈夫かよ……。その、冷や汗やべぇな」

 「はは……、大丈夫に見えっかよ。もう、心臓が止まりそうなぐらい逆にバクバクいってる。俺は後田が凡退したところ練習試合でさえ見たことがねぇんだ。おまえもそうだと思うけど」

 「そりゃそうだけど、一生全打席出塁するなんてありえない。どんなスーパースターだって三振もすれば凡退もする。だから、お前がここで後田を初めて打ちとったピッチャーになれ!それで俺たちの優勝だ。諦めるわけにはいかないだろう?」

 「……そうだな、一流選手もたくさん凡退してきた。……だからこそ、アイツは妖怪じゃないかなって」

 「は?」

 

 相棒は俺の可笑しな発言に一瞬ポカーンとしていた。それから、すまん忘れろと言ってマウンドから相棒を追い返す。

 そうだ、後田は妖怪なんかじゃない。なら、一流選手と同じように何時かは凡退しなきゃおかしいだろ!今日、ここがその時だ!おまえの伝説にここで!俺が!終止符を打ってやる!

 

 

 その後、45球もファールで粘られ、俺は熱中症になりマウンドの上で意識を失った。

 

 やっぱ、あいつ妖怪だわ。

 

 

 

 

 



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悪くねぇ

 唐突だが、俺は死んだ。

 

 2軍と1軍を行ったり来たりする、どっちかというと2軍の期間が長いプロ野球選手の俺だが、たまたま1軍の枠が怪我で空いた時に、チームが久々のリーグ優勝を果たしたのだ。

 一応、1軍にいたためビール掛けに参加することになったが、一球も投げていない身でははしゃぐ気にもなれず、隅で一人、浴びるための酒を浴びるように飲んでいた。

 2軍監督の忠告が何度も頭をよぎる。これ以上活躍できなければ今シーズン限りで戦力外通告もありえると……。もう、俺も若手じゃねぇ。球団は新人のために枠を開けようとしているのだと思った。

 引退後は球団職員になれるだろうか?国家資格なんぞ運転免許しかない。……契約金、ちゃんと貯金しとけばよかった。

 

 項垂れた俺の姿を雑誌の記者がパシャパシャと撮って回る。

 

 「草臥れたオッサンを撮影して金になんのかよ」

 「地元じゃまだ貴方は英雄ですからねぇ。進退が気になる人も少なくない」

 「あっそ」

 

 ここに留まる気も失せて、無性に夜の街を歩きたくなった。

 シャワールームで体にこびりついた酒を落とし、球場を後にする。

 今日がホーム戦でよかった。

 酒に弱いのにあまりにも飲みすぎたようだ。

 

 前後不覚に千鳥足……。

 

 ぶらぶらと夜の街を徘徊する。思い返すは我が人生。

 高校までは最高だった。地元じゃ無双の高校球児。

 誰も俺の足元にもおよばねぇって、てんっぐになんえ、ヒック!

 

 「○○投手じゃないですか!酔ってますねぇ!優勝おめでとうございます!」

 

 中年のおっさんの集団が俺に気が付いて近づいて来る。まだ、俺のことを覚えてくれている人がいるだけで嬉しいよ。涙ちょちょぎれる。

 それから、見知らぬオッサンどもと肩を組んで歓楽街で球団歌を大合唱。

 将来への不安がちょっと和らいだ気がした。

 夜の散歩の成果としては悪くない。

 

 でもなあ、死ってのはマジで唐突にやってくるもんだ。

 青信号、みんなで渡れば怖くない!そりゃそうだ!ってボケにツッコミ入れながら横断歩行を歩いていたら、ちょっとだけ遠くに貨物トラックが視界に入った。

 信号で止まるには少しスピード出しすぎじゃって酔った頭でも感じたが、まあ止まるだろって楽観視もしてた。正常性バイアスってやつ?

 でも、近づいてきて分かったが運転手はカーナビの操作に夢中だった。地元の人じゃなかったのかも。

 

 この時、ようやく今日まで体を鍛えていて良かったって思えた。

 まだトラックに気が付いていないオッサンの集団を進路上から突き飛ばして、突然の俺の暴行にみんな驚いた表情をしていたけれど、逃げ切れねぇって悟った俺はこう言ってやったんだ。

 

 

 

 「悪くねぇ最期だ」

 



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野球の邪神様

 気が付くと、なんにもない真っ白い空間にいた。

 視線の先はどこまでも白。

 なんだここ?

 

 確か、俺は愉快なファンたちを助ける為に彼らを安全地帯まで突き飛ばして……。

 そして、左半身にトラックの衝撃と激痛を感じながら意識を失ったはず。

 死後の世界とは実はこんなにも虚無的な空間だったというのか。

 

 そしてなによりここでの俺の格好は全裸だった。中年手前のおっさんが乙女のように恥じらってもきめぇだけだと思うが、恥ずかしいものは恥ずかしい。なにか、羽織るものがないかキョロキョロ視線を彷徨わせて、そして、ようやく自分の背後に人がいたことに気が付いた。

 

 

 そいつを一言で表すと、『球審』であった。

 なにが見えているのか、自分でもすぐには理解できなかったが、球審としか言いようがない恰好をしているのだ。防具マスクで隠されているため顔の造りは分からなかったが、奥に見える両眼は俺を値踏みしているように見えた。そう、まるでスカウトマンのように。

 

 「ふふ、漸く気が付いたねぇ。初めまして、このボクこそが八百万の神が一柱、野球の女神、名は『球神』です!」

 

 マスクから飛び出してきた声は、驚くことに美しいソプラノヴォイスであった。確かに、最近は女性の公認審判も珍しい存在ではないが。それに、その天を仰ぐような珍妙なポーズは何なんだろうか。もしかして、彼女が自分で考えたストライクコールのつもりなのかもしれない。

 

 「あの…コスプレイヤーの方ですか?球審のコスプレなんて確かにもの凄く珍しいと思いますけど、あんまりウケが良くなさそうな……」

 「現実逃避は良くないねぇ、君。自分で死んだという確信があるでしょ。それに、こんな果てしない白い空間が地球上に存在するとでも?」

 「…じゃあここはどこなんですか」

 「神域だよ。このボク、球神の」

 

 どうも、俺の周りをグルグル回り始めた娘さんを何かしら超常の存在だと認めざる得ないようだ。

 ただ、神だと素直に信じるわけにはいかない。人の魂をもてあそぶ悪魔だったら迂闊に何かしらの取引に応じるわけにはいかないだろう。

 

 「不敬にもこのボクを悪魔と疑うか。まあいいよ、ボクは古代の神々と違って寛大だから。それにねぇ、君が神たるボクに対して警戒したところで何の意味があるのかなぁ?たとえ、これから下す神勅に人たる君が不満を持ったところで拒む手段などありもしないのに」

 

 加えて、この超常の少女は他人の思考を読むことができるようで、そのせいで警戒する気も失せてしまった。おまけに、彼女は俺に何か命令するつもりらしい。神が人に与える試練など古来より理不尽なものと相場は決まっている。

 

 助けて、他の神様!

 

 俺は嘗てないほど心の内で神に救いを求めた。

 

 「フフフ、無駄だよ。ここは他の神でも不可侵の個人神域。他の神々に君の願いが届くはずがない!それにこれからボクが君に下す神勅は君にとって必ずしも不都合じゃないはず」

 「そこまで言うなら聞くだけ聞いてみましょうか」

 「拒否権は無いって言ってるでしょ……。まあ、いいや。では、ゴホン、球神として君に神勅を下します」

 

 改まって(推定)女神は背筋を伸ばす。気のせいが彼女から後光が差してきているように感じる。いや、本当に物理的に光ってんなコレ。雰囲気作りか。

 

 「雰囲気作りって言わない!えー、君は現世に生まれ直し、ボクの神使として、もう一度プロ野球選手として活躍しなさい」

 「はい?」

 

 もう一度プロ野球選手を目指せって?いや、自分には一流に届き得る才能がないことは十分に理解している。新しい人生を与えてもらえることには感謝するが、プロ野球選手は目指さないだろう。恐らく、野球が趣味の領域を出ることはない。あ、いや、拒否権は無いんだっけ?

 

 「無論、このまま君を転生させても前世の焼き直しか、少し結末が良くなるだけということは分かってるよ。だから、相応の加護と呪いを付与するね」

 「お断りします」

 

 「だから、拒否権は

 「他人の努力を神の加護とやらで踏みにじる畜生に俺をしないください。重ねて神様にお願い致します」

 「……」

 

 俺の願いを聞き届けると彼女は無言になってマスクに左手を当て、天を仰いだ。

 

 「……君も野球の現状をよく理解してると思うけど」

 「と言うと?」

 「野球は日本とアメリカじゃ人気のスポーツだけど、世界的に見れば必ずしも有名とは言い切れない。それどころか、最近じゃ日本やアメリカも他のスポーツに押され気味。だから、野球が衰退しないためにも必要なんだ。誰もが知るような起爆剤が」

 「人気の起爆剤ならもういるじゃないですか、あの人が」

 「あの人ねぇ。確かにあの人は凄いね、神の加護も無しに努力であそこまでの偉業を成し遂げたのだから」

 

 お互いに何かしみじみとした雰囲気になり、女神は俺の隣に女の子座りで腰を下ろした。ここまで会話を交わしてきてなんだが、まだ俺は何の服も着てないのだ。無性に恥ずかしさがぶり返してきてたまらない。なんか、羽織るものを神の力で生み出してほしいのですが。

 

 そんな、俺の内心を知ってか知らずか、いや読心能力があるのだから知らなきゃおかしいが、一流じゃなくても凄い筋肉だねぇ、頑張ってきたんだねぇと呟きながら白く美しい指先で俺の筋肉を撫でてくる。

  

 速やかに本題に入りましょう。

 

 「あの人の大活躍で確かに野球の人気は盛り返した。だけど、多くのファンはあの人の活躍に脳を焼かれてしまい、今後は、にわかファンの基準はあの人になる。にわかだって経済的には野球を支えてくれる大黒柱の一つなんだ。この影響は百年後を見据えれば無視できない」

 「だから、俺に神の加護で下駄をはかせて、あの人の引退後の虚無期間を埋めろと?」

 

 「いいや、君にはあの人とは全く被らない形で活躍してもらうよ」

 

 そう言うと女神は勢い良く立ち上がって、座り込んでいる俺を見下しビシッと人差し指を突き付けた。

 

 「君に与える加護は一つ!絶対に三振しない!君が代償として受ける呪いは一つ!絶対に打球は前に飛ばない!ファールボールだけで、前代未聞の邪道の英雄になるんだ!」

 

 「それ、めっちゃブーイング受けるんじゃ」

 「そうでもしなきゃ二番煎じになって皆の記憶に最期まで残んないだろう!」

 

 後ろには飛ぶんなら、キャッチャーフライではアウトになるんじゃね、とか、ファールしか打てない選手にはプロどころか高校のスカウトも声掛けないんじゃねとか疑問が頭の中をグルグル駆け巡る。

 

 「投手としてプロにいかないよう新しい体の球速は130キロまでとする!」

 「鬼!悪魔!」

 「プロ野球選手になれなかった場合、23歳の春に頭が爆発四散する!」

 「邪神!」

 「さあ、旅立ちの時だ!ボクの神使!良し悪しはともかく球史どころか世界史に名を遺せ!」

 

 ここにきて、初めて女神は球審のマスクを外した。

 マスクの下に隠されていたのは、ショートヘアの可愛らしい元気娘のキリリと引き締まった真剣な顔だった。

 空間全体が異常に輝き出す。

 転生の瞬間も近いと言うことか。

 流石に頭が爆発四散する覚悟を決めてまで信念を貫き通す自信はない。

 神には結局勝てなかったよ。

 

 ところが、すんなり俺は転生の瞬間を迎えなかった。

 白色の空間に巨大な黒い亀裂が次々に走ったのだ。

 

 「誰かがボクの神域に攻撃を仕掛けている!これは……テニスとサッカーの神か!」

 「あ、そんな神様もいるんですね」

 

 不可侵の神域とは誰の発言だったっけ?

 

 「日の本では万物に神が宿る!彼女らはボクが神の力で現世に干渉することを認めていないんだ!」

 「そりゃそうでしょうとも」

 

 フェアじゃないしね。

 

 次の瞬間、黒々とした亀裂から二つの人影が神速で飛び出し球神に襲い掛かった。

 

 遠のく意識の中、最後に見たものはサッカーボールとテニスラケットで二人の女性にシバかれる野球の女神の姿でしたとさ。

 

 

 



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バットの芯に当たらない

 転生した先で俺は幼少期にしかできないことを考えた。いや、考えたと言うのは語弊があるかもしれない。前世から常々思っていたのだ。

 

 両腕投手なら投球の疲労を両肩に分散できるのになぁ、と。

 

 前世では、まだ球数制限なんか無かったから県大会の準々決勝から甲子園の三回戦まで全部俺が投げた。最後当たりは本当に肩が爆発するのではないかと思うぐらい激痛が走り、一時的に痛みを忘れるため夜中のホテルで奇声を上げながらチームメイトと共にソーラン節を踊った。男子高校生特有の変なノリの良さである。結局、ダブルエース体制ではなかったから翌日も痛みを隠してマウンドに上がり、そして、ボコスカに打たれた。順当である。

 世の中には何百球も投げても故障しない頑丈な投手もいるが、例外なので考えないことにする。

 

 兎に角、肩は消耗品だ。大事に労わる必要がある。酷使なんてもっての外。

 

柔軟体操も欠かさない。体が硬いとリリースポイントは後ろになり、ストレートの回転数も下がってしまう。目指せ、体操選手!

 

 将来的には、最速130キロの呪いを受けた今世の体であるが前世に培った投球技術を加味すれば高校野球までなら通用するかもしれない、多分……。いや、最近の高校生凄いからなぁ、うーん。

 まあ、武器は多いに越したことはない。転生させてくれた神様には悪いがファールボールだけで戦うつもりはない。頭爆発の未来さえ避けれれば俺はOKです。

 

 そうして、両利きになるための特訓と柔軟体操を一人隅で黙々とこなしていたため幼稚園の先生方は珍獣を見るように、俺を少し避けていた。でも、幼稚園児のノリに今更ついていくのはキツイんです。勘弁してください。あ、連絡帳にお子さんの様子が心配ですなんて書かないで!

 

 小学校に進学すると同時に地域の弱小軟式野球チームに入った。強豪チームではファールしか打てない俺は練習だけで淘汰される恐れがある。鶏口となるも牛後となるなかれ、の精神でいこう。

 

 成人の視点で見ると、小学校の野球チームは保護者の時間的負担が結構でかい。練習中の見守りとか練習試合への送迎とか。少し、今世の両親に罪悪感を感じる。前世の俺はマジでなんにも考えていなかった。何時か、恩返しが出来ればいいと思う。

 

 今世の初めての打撃練習は本当にストレスフルなものになった。当たり前だが、俺のバッティングフォームは小学生にしては完成されていて、教えることがねぇと監督はぼやいていた。

 ところが、どれだけバット振ってもバットの芯にボールが当たらない。空振ることもなかったが、全てファールボールになってバックネットを揺らすだけだった。監督は、一年生が一回も三振しなかったことに凄いと言っていたが、俺はこれが神の呪いかと戦慄していた。

 

 ちなみに、物理的にバットが届かない球を振ろうとすると不自然に体が硬直する。

 バントをしようとしても同じように硬直する。

 ストライクボールを見逃そうとすると体が勝手にスイングする。

 

 まさしく、神の金縛り。

 

 バント練習を全くしようとしない俺は監督からこっぴどく怒られた。

 神に代わって心から謝罪致します。心の中でだけど。

 

 神の呪いを確認して、バッティングフォームはアッパースイングからダウンスイングに変更する。どーせ、打球は二度と前には飛ばないのだ。飛距離を稼ぐ意味はないのだから少しでもキャッチャーフライの確率を下げた方がいい。

 

3年生になる頃には、監督も薄々俺の異常性に気づいてきて、満塁時の代打要員として起用されるようになった。近隣のチームの間ではちょっとした有名人だ。なんでも、異常にファールで粘りまくる奴がいるらしいと。泣かした小学生のピッチャーは両手の指では数えきれなくなった。

 両腕投手計画も順調だ。前世の俺の代名詞、落差の大きい縦カーブも両肩で再現されつつある。

 体格が追い付けば5年生当たりから投手も務めることができるかもしれない。

 

 ここまではそこそこ順調だと思えた。



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橋の下のホームレス女神

 ある日、自転車に乗って帰宅中、大きな橋の下にぼんやりと光っている何かを見つけた。なんだろうと思ってじっと目を凝らしたら、どうもそれに見覚えがあるような気がした。

 まさかねぇ、と思ったが一応近づいて確認することにした。

 

 そのまさかである。俺に祝福と呪いをもたらした野球の女神『球神』がボロボロの球審の姿のまま橋の下で項垂れていた。

 

 「あの、神様?ですよね」

 「……っ!ああ、君は!ボクの神使!会いたかったよぉ!」

 

 十数年ぶりに会った女神は、相変わらず美しくはあったが、かつては無かった山羊のような匂いを漂わせていた。ちなみに、前世の実家ではシバヤギをペットとして飼っていた。名前はヤギくんである(母命名)。

 

俺に抱き着こうとする女神の顔を押さえつけながら事情を聞くと、不当に神の力を使って現世に干渉した罪によって神格の大部分と読心能力を剥奪され天を追放されたらしい。それから、現世で唯一の縁がある俺に助けを求めようとしたが、転生の瞬間に他の神々に乱入された為、どこにいるのかわからなかったとのこと。

 俺を探して全国を放浪するうちに戸籍なしの不法滞在者として日本からも追放されそうになったり、陰陽師に妖怪と間違われて祓われそうになったりと、まあ、色々と酷い目に遭ったそうな。

 

 「ボクを保護してくれ!これ以上、人間に酷い目に遭わされたら反転して祟り神に堕ちてしまう!」

 「祟り神に堕ちるとどうなるんです?」

 「無意識に人を喰らう化け物になる。多分、真っ先に縁がある君が喰われる」

 

 よく見ると女神の周りには黒い靄みたいなのが薄っすら漂っていた。

 人に頭爆発の呪いを付与したり、祟り殺そうとしたりしやがって。

 もう死神へ転職することをお勧めします。

 

 「保護してくれって、何をすればいいんです?」

 「君の家に住むことを認めてくれればいいんだ。家人の許可がなければ神は勝手に他人の家には上がれないからね」

 「小学三年生の息子が、高校生くらいの女の子を家に住まわせてくれって言えば親はパニックになりますよ」

 

 それもそうか!と言って女神は、みるみるうちに縮み俺と同い年くらいの容姿に変身した。

 

 「これで良し!」

 「いや、何も解決してないんですが」

 「後はなけなしの神の力でどうにかするから安心したまえ!」

 

 結局、女神は今世の両親の記憶を怪しいビームで改竄し、我が後田家の養子に収まった。

 

 人の記憶は改竄できても、物理的な家の間取りは変えられなかったらしく俺の部屋の押し入れに住み着く座敷童な女神。貴女は、未来から来たロボットか。

 

 「明日には市役所職員を洗脳して戸籍を作ろうと思うんだ。現世での名前も考えなきゃなあ」

 「穏便にお願いしますよ。それと、天に帰る手段も考えといてください」

 「君が何時か、契約金でボクの神社を建ててくれよぉ。信仰が集まれば神格は回復するんだ」

 「今世は浪費しないって決めているんです」

 

 

 

 

 

 

 翌日、練習から帰宅するとニュースでは緊急特番が組まれていた。

 なんでも、ある地方の市役所職員が全員錯乱状態に陥り緊急搬送されたとのこと。

 新種類の錯乱ガスが使われたテロではないかと警察は捜査を始めているようだ。

 

 リビングのソファで体育座りで丸まった女神は冷や汗を流し、決して俺と視線を交わさない。

 

 貴女、実は神の力を十分に使い慣れていないでしょう?

 

 

 

 

 

  ◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 「ボクのコーチになってください」

 

 それは、傲岸不遜な神が人に土下座をしてまで頼み込む偉大な瞬間であった。

 

 いや、ちがうちがう。そうじゃない。想定外の景色に思わず固まってしまったが、何故女神がこんなことをしているのか理由を聞かねば。

 

 「神様、野球がしたかったんですか?てか、なんで土下座?」

 「うん、ボクは野球の守護女神だけど実際にプレイしたことはないんだ。いつも、天から観戦するだけ。神格を保持したまま地上には降臨できなかったから。

 それと、土下座をしているのは迷惑ばかり掛けている君に少しでも誠意を見せようと思って」

 

 迷惑を掛けている自覚はあったのか。

 そして、一つ気になることができた。

 

 「もしかして、神格が剥奪されることを織り込み済みで俺に加護を与えたんですか?地上で野球がしたくて」

 「ゔ⁉」

 

 女神の視線が右に左に泳ぐ。あまり、感情を隠すことは得意ではなさそう。

 彼女のコーチを断る理由はない。そこそこ迷惑をかけられたが、あるはずがなかった二度目の人生を授けてくれた恩がある。それには、いくら感謝しても足りないと思っている。

 いろいろ、変な制約は付けられたが。

 

 それに、今所属しているチームは六年生の卒業で人数不足に陥り解散の危機を迎えている。女神を補充要員として連れていけば監督は泣いて喜ぶかもしれない。監督はチームの存続に躍起になってたし。

 

 「希望するポジションはどこですか?」

 「コーチを受けてくれるのかい!」

 「ええ、良いでしょう」

 「キャッチャーがしたいんだ!君の相棒として同じ景色を見せてくれよ!」

 「キャッチャーか……」

 

 キャッチャーの適正が無い奴は残念ながらいる。ファウルチップにビビる奴はいつまでもビビるし、試合中に考えなきゃいけないことは多く、敵の監督との読み合いに勝たなくてはならない。

 

 「キャッチャーを選択するということは、ピッチャーの脳を半分預かるぐらいの気持ちが必要ですよ。そして、青痣を作ることになっても球を後ろに逸らしてはいけない」

 「君の脳みそを半分預かる……」

 

 比喩だからね?

 

 「コーチングするからには俺も手は抜けない。特に下手糞のままキャッチャーを続けることは本当に苦痛だ。ピッチャーとの仲が険悪になる様が手に取るようにわかるし、最後は野球自体が嫌いになる。そうなってしまった奴を俺は知っている」

 

 女神は唾を飲み込んだ。滑らかな喉が上下に動く。

 

 「そうならないように、君の指導に最後まで喰らいついてみせるよ」

 「よくいった。その発言、忘れないでくださいね。平日は仕事で忙しい監督に代わってキャッチャーのイロハを叩き込んであげます」

 

 

 

 「それから人としての名前は空匙(そらさじ)にした。ボクはこれから後田空匙(うしろだそらさじ)だ」

 「空匙。良い名前ですね」

 「そうだろう」

 

 適当に褒めれば、女神改め空匙は満足そうに腕を組んで頷いた。

 

 

 

 それから、空匙が一人前のキャッチャーになるための特訓が始まった。

 

 「肘と胴体をくっつけない!肘の位置は肩より少し高く上げることを意識して!そんなフォームでは何時か肩を痛めるぞ!」

 「はい!」

 

 空匙は肘が胴体と離れない典型的な女の子投げだった。これを矯正するため肘を肩より高く動かす動作を反復させる。

 

 「変化球をミットで追いかけないで!捕球位置を予測して待ち構えるんだ!」

 「はい!」

 

 キャッチャー初心者にありがちな変化に合わせて変化球を捕球しようとする動作。これは矯正するというよりも何度も変化球を受けて軌道を予測できるまで慣れるしかない。空匙は、何日も俺の球を受け続ける内に球速が遅い縦カーブでもミットの芯で捕球して良い音を出せるようになった。

 

 「怖くても顔を逸らしてはダメ!クッションボールがホームベースの上に転がるようなイメージで体の向きを変えること!上半身はリラックスさせて力を抜く!」

 「うう……」

 

 ワンバウンドしたボールを後逸しない練習。空匙はこれにもっとも苦戦した。特に予測が難しい変化球のワンバウンドボールが怖いらしく顔を背けてしまう。防具で守られていない腕や太ももには青痣ができてしまったらしく、母は義娘が体罰を受けていると勘違いして警察署に突撃しそうになった。結局、空匙の謎ビームで母の記憶は抹消され事なきを得た。

 

 「キャッチャーフライは強力なスピンが掛かっているから、バックネットからホームベースに帰ってくるような軌道をとる。空匙が思う落下点より半歩ホーム側に下がって」

 「はい!」

 

 キャッチャーフライは思ったより早く捕球できるようになった。

 

 それからもカバーリングだったり、外野からの中継プレーだったりチームプレーに関する練習は他のチームメイトの協力を得てサクサク進んだ。可愛らしい空匙に小学生男児たちはメロメロで協力を得ることにはちっとも苦労しなかった。

 

 逆に、空匙に良い姿を見せようと全員が練習に真面目になり、監督は俺の指導力は美少女に負けると項垂れた。監督、アンタはなんも悪くねぇ。

 

 3カ月の特訓を経て、空匙は捕手として最低限のスキルを身に着けた。配球に関しては自習に任せることにする。

 

 「よく頑張りましたね。正直、途中で投げ出すと思っていました」

 

 夜、自室の押し入れで配球に関する本を読む空匙に声を掛ける。

 半袖からのぞく腕には薄っすらと治りかけの青痣が見えた。

 

 「君、教官の才能あるよ。無意識に飴と鞭を使い分けている。口調も変化させているだろう?」

 「おお、そりゃ天狗になって体罰教官にならないように注意しなければ」

 

 しかし、何故ここまで空匙は野球に一生懸命になれるのだろうか。

 やっぱり、自分が司るスポーツだから?

 

 「空匙にとって野球ってどんな存在ですか?」

 「ボクにとって野球は生みの親であり、これから見守っていく子供でもある」

 

 迷いもなく即答だった。

 

 「ボクは野球の守護女神でありながら、プレイヤーの苦しみや喜びを真の意味で理解できていない不完全な存在だった。その、最後のピースを今少しづつ埋められているような気がする」

 

 空匙はじっと自分の手のひらを見て、それからグッと握りこんだ。

 

 「ボクの師匠を務めてくれて感謝しているし、これからも指導を続けてほしい。君に二度目の生を授けたのはファンを救った褒賞と野球を発展させる道具としてだけど、君で良かったと思っている。一流の選手でも他人を思い遣れない人はいるから。……それから、もうボクに対して敬語を使うのは止めないか?地上では、もう神でなく空匙という一人の女の子として生きているつもりなんだ」

 「空匙がそれを望むのなら」

 

 そうして、俺と空匙は自然と互いに近づき固い握手を交わした。

 

 

 

 

 

 




誤字報告ありがとうございます。


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宣戦布告

 明朝、目覚まし時計の役割を担った空匙に揺すられ目を覚ます。それから、運動着に着替えて、玄関を開けると夜明けの光が目を差し2人とも目を細めた。

 

 朝のルーティンとして、本格的に走り込みを始めた。俺の体はこれから急激に成長し、適量の運動を行えば筋肉がつくようになるだろう。千里の道も一歩から。結果は幾千もの努力に支えられているはず。

 

 走り込みから帰宅すれば、空匙と柔軟体操を行う。幼少期から柔軟体操を欠かさず行ってきた俺は、男子ではトップクラスに柔らかいが、空匙はそれを超えてくる。もう、スライムが人に擬態してるんじゃないかと思ったぐらいで、彼女の顔を出さず動画投稿サイトにアップすればコメント欄は体操選手からの怨嗟と称賛で溢れかえった。

 

 一連のルーティンを終えれば、朝食を摂り両親に出発の挨拶をして、空匙と共に学校へ向かう。

 

 よし、今日も一日頑張りますか!

 

 

 

  ◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 所属するチームでは、4年生の新体制からエース兼1番打者を務めるようになった。新しい相棒の空匙はとりあえず9番キャッチャーに落ち着く。

 

 この頃になると、近隣のチーム連中は真面に俺と勝負しなくなった。敬遠で必ず先頭打者を出塁させても、後続打線が貧弱で、ウチがなかなか点を取れないことを理解しているのだ。タイブレークの末に敗戦することが続き、このままでは地区大会さえ突破できそうにない。

 

 この状況を打破するため、監督が遂に博打にでる。

 

 とりあえず、俺が出塁することはほぼ確定なので、2番バッターを状況特化型に仕上げることにしたらしい。2番バッターに選抜されたのは、ミートが上手い左バッターの内木田君。彼には、バッターボックスの後ろギリギリに立ってもらい、狙い球をストレートに絞ってもらう。一塁ランナーの俺には、練習試合から積極的に盗塁を試みさせ公式戦ではファーストを出来る限りベースに釘づけ、内木田君のヒットゾーンを広げる。監督は、敵のバッテリーとの読み合いにどうにかして勝ち変化球の時に盗塁のサインを出す。この作戦で少しでもチャンスを増やそうと目論んだ。

 

 そこから少しづつ作戦の改良を重ね、時にはヒットエンドランで意表を突いたりしつつ、なんとか地区大会を突破した。

 

 練習試合を滅多に組まない遠方のチームには普段の印象を植え付けることは難しいため、県大会では勝ち上がれそうにもないが、まあ、今日だけは喜んでも罰は当たらないだろう。

 

 

 「有力な選手が一人いるだけでは、野球は勝てない。ボクも頭では分かってたつもりだったけど本当に難しいんだね」

 

 公民館で開催された地区大会優勝の祝勝会で焼きそばを頬張り、リスのようになりながら空匙はしみじみと語った。

 

 「そう、野球は一人だけ活躍しても勝てない。だから、普通は向上心がある選手は強豪チームに入りたがる。勝つために。……はぁあ」

 「もしかして、弱小チームでやっていくことに限界を感じているの?」

 「ああ、鶏口牛後は野球には当てはまらないなって。まあ、今は県大会に向けて集中するか」

 

 久々の地区大会優勝で喜びの余りベロンベロンに酔った監督を眺めながら少し憂鬱になった。

 

 

 

 

 

 

 しばらくして県大会のトーナメント表が完成した。ウキウキ顔でスマホを眺めていた監督の顔が一瞬で青白く変色する。

 

 「初戦の相手は、えー、その、なんだ。桜ビシャモンテンズだ」

 

 なんてこった。優勝候補だ。

 

 

 

 

 

 

 

 トーナメント表が完成して最初の日曜日。監督と俺は桜ビシャモンテンズの敵情視察に来ていてた。

 

 「なんというか、全体的に隙がないな」

 「ですね」

 

 桜ビシャモンテンズは監督以外にも専門分野ごとに指導者を揃えていた。

 実に質の良い練習が受けられるだろう。流石、プロもコンスタントに輩出する名門チームだ。

 

 監督も俺もチームの総合力の差に打ちのめされながら、一応、桜ビシャモンテンズのエースを動画で撮る。

 一瞬エースの少年がギロリと画面越しに俺を睨んだ気がした。

 気のせいか?

 

 

 

 

 「おい!おまえ!」

 

 監督の煙草臭い車に乗り込もうとしたところで、一人の少年に呼び止められる。

 

 「えー、君は確か」

 「桜ビシャモンテンズのエース当累千治(あてるいせんじ)だ!」

 「当累?もしかして元最多勝の」

 「親父は関係ないだろ!おまえの前にいるのは俺だ!」

 

 前世の同期入団者と同じ苗字に反応すると当累少年は顔を真っ赤にして吠えた。

 すでに運転席でスタンバイ状態の監督はメンドクセーと呟く。

 

 「弱小地区で天才両投げピッチャーとか、ファールでめちゃくちゃ粘る妖怪だとか言われていたって、最後は俺にボコボコにされるんだ!そうして、親父と監督に俺が最強だって教えてやる!」

 「あ、うん」

 「次の試合、覚悟しとけ!」

 

 言いたいことを全て言い終えたのか、当累少年は練習に戻っていった。

 当累のヤロー、自分の息子をちゃんと見てやってんのか。

 いや、息子相手でも仏頂面を貫いているんだろうな。

 ようやく、監督の車に乗り込む。

 

 「なんかあの少年の家庭と心がこじれている気がするな」

 「ですね」

 

 まあ、ケアはむこうさんの監督の仕事だしな、と呟いて監督は車を発進させた。

 

 帰宅して空匙に今日の出来事を伝えると「ついに、ライバルの登場だね!」とはしゃいでいた。

 ポジティブ過ぎる。

 

 

 

  ◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 県大会初戦当日の朝、我らが監督より「当たって砕けろ、今日の記憶も何時か糧になる」と有難く糞な訓示を頂きグランドに整列する。

 

 向こうのベンチから当累少年がやっぱり睨んでくる。君は俺について何を吹き込まれたのかね?

 

 1回表、桜ビシャモンテンズの攻撃を俺と空匙のバッテリーは左飛、三振、三振とテンポよく打ち取る。

こちとら、転生しても元プロ野球選手じゃい。簡単に小学生に負けてたまるか。

 

 1回裏、先頭バッターは俺。左バッターボックスに入りマウンドを見上げる。

 そこには、殺る気満々といった当累少年がいた。

 バッテリーには、ベンチから敬遠の指示は出ていない模様。

 よほど自分のチームのエースに自信があるのか。

 まあ、初対戦でもあるしな。

 

 初球はいきなり内角高め一杯ストレート。

 ボールはバットの上部を掠り球審に直撃。

 かなり挑発的な配球だ。

 

 しかし、この球威、並の中学生では打てないだろう。

 小学生では言うに及ばす。

 

 マウンドの上で、当累少年は不敵に嗤った。

 

 

 

 

 

 

 ところが、彼がいくら投げても俺を打ち取ることはできなかった。

 球数が20を超えたところで相手の監督がたまらず敬遠の指示を出し、渋々彼は俺を出塁させた。

 

 結局、その回は後続が凡退し点は入らなかったが、事件は2回表の桜ビシャモンテンズの攻撃中に起こった。

 なんか、当累少年と相手監督が口論しているなと思っていたが、いきなり桜ビシャモンテンズの監督が近くにあったキャッチャーマスクで当塁少年の顔面をぶったたいたのだ。小学生の教え子に反論されたことが、よほど腹に据えかねたらしい。キャッチャーマスクの材質には金属も使われている。当然、当塁少年の頭からは流血が始まっていた。

 それでも、当累少年は尚も相手監督を睨み続けたものだから、相手監督の怒りのボルテージは一層上がって二発目を喰らわそうとしていた。しかし、当累少年が二発目を喰らう直前、何者かが彼に覆いかぶさった。よく見るとそれは空匙だった。

 

 空匙の脳天にキャッチャーマスクが直撃し、鈍い音が球場に木霊する。彼女と当累少年は揃って倒れこんだ。

 

 「なんだ小娘が!他所のチームの指導に干渉するな!」

 

 相手監督に怒鳴りつけられた空匙が陽炎の如くゆらりと立ち上がり両眼を爛々と紅く光らせる。

 次の瞬間、彼女の周りから黒い靄が一気に噴出した。

 

 ヤバい!堕ちる!

 

 『(しるべ)に足り得ん身でありながら、指導者を騙る不埒者め。

 球神の名の下に貴様に神罰を、うぐっ⁉』

 

 「空匙!意識をしっかりと!堕ちそうだ!」

 

 慌てて空匙に駆け寄り神罰を下さないように彼女の口を手で塞ぐ。

 俺の手には彼女の血がべったりと付いた。

 

 てか、この黒い靄の中にいると、吐き気と頭痛が加速度的に増える!

 うっぷ!

 

 「オロロロロ……」

 「ひゃああああ!なにをする、この不埒者2号め!」

 

 思わずそのまま空匙の綺麗なうなじ目掛けて嘔吐してしまった。

 しかし、それで黒い靄の噴出は収まった。

 

 空匙の祟りを受けて腰を抜かしていた相手監督の顔が再び真っ赤に染まり立ち上がったが、その手を押さえつける者がいた。ウチの監督である。

 

 「アンタは俺より指導者としての才能があるんだろうな。ここまで強豪のチームをつくりあげたもんな。でも、これは一線を超えている」

 「なんだと!」

 「体罰って、結局は刑法が禁じる暴行・傷害行為だろ?教育現場では何故か体罰って言葉にすり替わってしまうけどな。不思議だぜ。今回は俺だけじゃなくて四人の審判も目撃している。もちろん、全員、立派な成人だ」

 

 

 

 

 

 

 結局、桜ビシャモンテンズの監督は駆け付けた警察官に逮捕され、空匙と当累少年は一応救急車で搬送された。

 後の調査で保護者の目が届かない場所では、日常的に体罰があったことが分かり、ワイドショーで取り上げられていた。指導者層は全員解任されたそうだ。

 今回は怒りで我を忘れ、遂に成人たちの前でボロをだしてしまったのだろう。なまじ、体罰で成功経験を積んでいたのも拍車をかけた。

 

 空匙は翌日には頭に包帯を巻いて帰ってきた。

 

 「まあ、よく咄嗟に当累君に覆いかぶさったな」

 「なんか、無意識にね。守らなきゃって。それに、後付けになるけど原因の一端はボクにもあるから、あれで良かったんだよ。それと、………堕ちそうになっていたのを止めてくれてありがとう。方法は酷かったけど」

 「マジで怖かった。次は何があっても正気を保てよ。虐殺をした荒魂(あらみたま)として日本史に名を残したくないだろう?」

 「ぜ、善処します……。それにしても、スポーツは殺しあう事無く、闘争本能を満たす人特有の儀式でもあるのに、暴力や流血沙汰が横行しては本末転倒だなあ」

 「神々はスポーツをそんなふうに解釈してんのか」

 

 

 

 翌日、帰宅すると玄関の脇に当累少年がいた。

 彼は、空匙の前に進むと少しまごついて頭を下げた。

 

 「あの……、その……、助けてくれてありがとう」

 「いえいえ、頭の傷は大丈夫かい?」

 

 空匙は微笑みながら、彼の傷の経過を聞いた。

 顔を上げた当累少年の顔がボッ!と一気に茹で上がる。

 

 堕ちたかな?

 だが、こちらは無害な堕ち方だ。

 

 空匙に礼を言い終えたあと、当累少年は俺の方に来た。

 

 「前回はうやむやになったが、俺はお前を打ち取ることを諦めていない」

 「なんで、そんな俺を打ち取ることに拘るんだ?」

 「……親父が、たまたま見た小学生の練習試合に珍種がいるっていってて、その……、それに!俺に打ち取れないバッターがいるって、なんかムカつく!」

 

 俺をダシにして父親と話したいのか。どんだけ、話しにくい雰囲気だしてんだよ。

 

 「もっと親父さんと喋ってみろよ、お前の親父さんは息子に無関心な冷酷ヤローじゃないはず」

 「お前に親父の何がわかる!テレビでしか見たことないくせに!」

 

 しまった。喋り過ぎた。

 

 「ああ、すまん。部外者が口だしすることじゃなかったな。きーつけて帰れ」

 「言われなくても!」

 

 

 

 当累少年の球威を思い出し、やがて彼は偉大な投手になるかもしれないなと走り去る背を見ながらぼんやり思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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盤外戦術

 県大会2回戦の天気は生憎、霧雨だった。

 

 夏とは思えぬ寒さで、全員ハーフジャケットを着こんだままウォーミングアップを行う。

 地面が少し水を含んで重くなっていることを確認できた。

 

 アップを終え、バッグにスパイクシューズを取りに戻る。今日は、水を吸って重くならないよう革底ではなく、樹脂底のスパイクを使った方が良いだろう。

 

 あれ?

 

 「ねえ、空匙。俺のスパイクを見なかった?」

 「スパイクなら右手に持っているじゃん」

 「いや、これは晴れの日用の革底スパイクで……」

 

 確かに朝から、天気予報を確認して両方用意したはずなのに。どこかに落としたか?

 しかたない。これを履くか。

 

 今日の対戦相手は、暴風ウルフというウチと同じ無名のチームである。しかし、実力で県大会の2回戦まで勝ち上がってきたのだ。初戦を戦わずして勝ったウチより格上と言える。今日も厳しい戦いになるだろう。

 

 

 

 

 1回表、先頭バッターの俺がバッターボックスに入ろうとすると相手チームのキャッチャーが話掛けて来る。空匙を除けば初めて見る女性キャッチャーだったため、試合前から少し印象に残っていた。

 

 「よう、初めまして妖怪さん。おまえの噂はこっちまで届いてんよ。今日は少し雨が降っているけど、革底スパイクで大丈夫か?」

 

 どうも、マスクの奥の顔は少し、にやついているような雰囲気がした。キャッチャーは確かに相手の様子をまず確認するものだが、真っ先にスパイクは確認しないだろう。まさかこいつ!

 

 「おっと、か弱い乙女をそう睨むなよ。……それに目撃者はどこにもいないさ」

 

 確かにウォーミングアップ中は誰も荷物を監視していない。ここで、抗議しても分が悪いか?

 俺はとりあえず打席に集中することにした。

 

 球審のプレイボールコールと同時に敵のピッチャーは完全静止の規則など無視してクイックモーションで初球を投げた。初球のコース、これは顔面直撃ルート!

 

 しゃがみながらバットを振ったため、剣を上段に構えたようなポーズになってしまった。上は見えないがボールがバットを掠った振動が手に届く。

 そして、間髪を入れず響くボークの宣告。

 

 「おお、流石妖怪。これを当ててくるか」

 

 口笛を吹きながら感嘆の声を上げる女キャッチャー。しかし、球審に睨まれミットを構えなおす。

 

 結局、その後は一球もバットに当たるコースには来なかった。

 一塁ベース上であの女キャッチャーの肩について考える。果たして、強肩か、否か。

 試合前の練習では明らかに手を抜いていたたため、全くわからない。

 監督はどう判断するのか。

 

 打席に立つのは、もちろん2番内木田君。

 カウント、1ストライク2ボール。監督のサインはヒットエンドラン。

 

 ピッチャーがモーションに入ると同時にスタートを切る。

 ホーム側を横目で見るとあの女キャッチャーはすでに中腰になっていた。

 その瞬間、相手のバッテリーに読み負けたことを悟った。

 

 高くボールのコースを外され空振る内木田君。

 ミットに吸い込まれたボールは次の瞬間には女キャッチャーの肩の上にあった。

 なんと、素早いクイックモーションなのか。彼女が腰を素早く捻り、低く伸びた球はショートのグラブに綺麗に収まり容易く俺を二塁で刺し殺した。

 

 

 1回裏、守備につく前に俺はマウンドの上で、空匙に話しかけた。

 

 「相手のキャッチャーのスローイングを見ていたか?肩の力だけでなく、最小限の動きで腰の回転をボールに伝えたお手本のような動きだった」

 「ああ、見てたよ。惚れ惚れするほどだった」

 「あのキャッチャーの性格以外を手本に……、なんだこれ?」

 

 マウンドには足を踏み出す位置あたりに大穴が開いていた。回が進むごとにマウンドの穴が投手によって少しずつ深くなるのは当然であるが、初回に空く深さではない。

 しかもこの穴、柔軟性が高い俺がちょうど踏み込む位置あたりに有り、雨粒を受けて少しだけ水溜まりを作り始めている。相手のピッチャーが踏み込む位置は俺より少し後ろだから、明らかにこの穴は故意的に作られたものだとしか思えない。

 

 投球練習や試合中に一球投げる度に少しずつスパイクで掘ったのか?

 

 「小賢しい奴らめ……」

 「ん?どうしたの」

 「今日の対戦相手は予想外の妨害行為を仕掛けてくる可能性がある。少し警戒してくれ」

 「……普通じゃない戦術をとってくるということ?」

 「多分ね」

 

 ところが、何事も起きず試合は淡々と進む。

 狡猾さだけでなく審判の目が届く場所では妨害行為をしない強かさも持ち合わせているようだ。

 

 俺のスパイクは回が進むごとに革底から水分を吸い上げ重くなっていく。毎回、マウンドに上がる都度に埋め戻したはずの穴が元に戻って足場のコンディションも最悪だ。流石に、スパイクの底にはオイルを塗ってなかったし、塗っていたとしても削ぎ落ちるだろう。

 

 ぐっしょり濡れたスパイクの重さは、成人の体なら耐えられるが小学生の体には重すぎる。チームメイトに予備のスパイクを借りるか?ダメだ、足のサイズは俺が一番でかい。

 

 結局、終盤に下半身の持久力を使い果たした俺は制球が乱れ5点を失った。

 

 それは得点力が低いウチのチームには致命傷を意味する。

 

 

 

  ◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 トイレから出ると目つきの悪い少女がニヤつきながら、腕を組み壁にもたれかかっていた。

 彼女の右手には俺の樹脂底スパイクが入ったシューケースが握られている。ミスったな。前世でも試合前に道具を盗まれたことがあるのに、小学生がやるとは思っていなかった。

 

 「さっきは悪かったなァ、妖怪。次はGPSでも括りつけとけ」

 「こっちはおまえの脳味噌にGPSをぶち込みてえくらいだ」

 「おお、怖い怖い。妖怪の退治に頭を使うのは定石だろ。ちょっと話があるんだ。最後まで聞いてくれればスパイクを返してやってもいい」

 

 彼女の指先でシューケースが左右に揺れる。要求どうりに話を聞いてやる筋合いはない。俺は素早くシューケースに掴みかかった。ところが、彼女はお手玉のようにシューケースを上に放り投げ俺の手を躱す。

 

 「自力救済はんたーい。窃盗犯にも法律上は占有権がありまーす」

 「場合によるだろ!」

 「ハハ、それもそうだ」

 

 これ以上無理に掴みかかれば彼女の体を傷つけかねない。

 ここは諦めて話を聞こう。

 

 「私の名前は飽童子寒那(あくどうじかんな)。おまえの名前は知っているから自己紹介はしなくていい」

 「マウンドに作った水溜まり用の穴もおまえの指示か」

 「もちろん」

 

 彼女は胸を張って堂々と肯定した。

 

 「おまえのバッティングスタイルは面白いと思うがそれだけでは勝てないことを薄々感じているだろう?私と同じ中学、高校に進学しろ。私の悪辣さが加われば敵との実力差をグチャグチャにかき混ぜてやれる」

 「犯罪行為で勝とうとするな。被害者が増えればその分おまえが復讐される確率が上がる」

 「いいね。私に何時か天罰が下るなどありもしないことを言う奴は沢山いたが、確率を持ち出して説得してきた奴は初めてだ。リスクを感覚でなく数字で考える人間は嫌いじゃない」

 

 彼女は一人勝手に満足して頷いていた。

 

 「何がおまえをそこまでさせる」

 「何って、今いる地獄を抜け出すために……。後はまあ、女性に甲子園の出場資格が与えられてからすでに7年が経つが未だ一人もグランドに立てていねぇ。女性選手を客寄せパンダくらいにしか思っていない上層部のオッサンどもに一泡ふかせられれば最高の刺激になる。……まあ、私の事情なんかどうでもいい。互いにメリットある道具として手を組もうぜ」

 

 そう言うと彼女は右手を俺に差し出した。

 

 

 

 



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元最多勝投手、襲来。

 結局、飽童子の手をとることは無かったが、スパイクは返してもらえた。彼女の提案は、リスク云々の前に気が進むものではなかったし、仮に手をとって空匙が日ノ本一の祟り神と化したらどうすればいいんだ。俺に陰陽師の伝手はねーぞ!

 

 別れ際に、気持ちが変わったら連絡しろ、待っていると言われたが、その時の飽童子の顔は何も感情を映さない無表情になっており、それを見た俺は悪寒が止まらなかった。

 シューケースの中には、連絡先が書かれた紙ともう一つクシャクシャに丸められた紙が入っている。

丸められた紙を広げてみると、そこには真っ赤な文字で荒々しく

 

 男はみんなクソ!

 

 と書かれていた。

 

 飽童子は男性に何か深い恨みがあるのか?

 だとしたら、何故、男性が多い野球をしているのか?

 

 疑問は尽きない。一方、空匙は『男はみんなクソ!』と書かれた紙を押し入れで寝転がりながら深刻そうに調査していた。

 

 「この紙に書かれた文字からは強い怨念を感じる。見て」

 

 空匙が文字をなぞるとそれだけで彼女の指先が黒く変色した。

 

 「陰陽師でもない普通の少女が書き殴った文字が呪詛にまで昇華している。これは……」

 

 なんだか只事ではないと言うことは分かる。飽童子の心が破壊されるような出来事が進行中なのだろうか?とにかく、一刻も早く飽童子に更生してもらわねば、中学・高校で彼女のチームと対戦した時、チームメイトの安全が保証されない。

 

 こんな時は前世なら探偵と弁護士を雇って飽童子の身辺調査を依頼するのだが、小学生の経済力ではどうしようもない。遺産は口座に残ったままか?いや、流石に前世の両親が相続し終えただろう。教師や今世の親に相談しても証拠がない以上、根本的な解決には至るまい。

 ああ、頭痛が酷くなる。

 

 結局、その日は眠りにつく直前まで、飽童子の背筋の凍える無表情が頭にこびり付いて離れなかった。

 

 

 

 ◇◆◇◆◇◆

 

 

 『6年1組後田空匙さん、6年2組後田前梨くん。至急、職員室まで来てください』

 

 

 校内放送で呼び出されクラスメートたちに囃し立てられながら職員室に向かうと予想外の事を告げられた。

 

 「あー、元プロ野球選手の当累万治(あてるいばんじ)さんから君たちに電話が来ている」

 

 俺は受話器を担任の先生から受け取る。

 

 「もしもし、後田前梨です」

 『突然に電話をしてすまない。私は千治の父、当累万治という者だ』

 「元最多勝投手の、ですよね?よく知っています」

 『そうか、ありがたい。遅くなってしまったが先日の出来事について君の義理の姉、空匙さんに親として直接御礼が言いたいんだ。それと、君が断らなければ3打席だけ私と勝負してみないか?君のバッティングスタイルには前から少し興味があったが、私の息子が打ち取れなかったと聞いてね、ますます興味が深まった。君たち両方の都合がつく時間を教えてくれ』

 「元最多勝投手から勝負を持ち掛けられて断るバッターなんていませんよ。空匙のスケジュールについてちょっと聞くので待ってくれませんか?」

 

 こうして、俺はかつての同僚と対戦することになった。

 

 

 

 

 電話を受けて最初の土曜日の朝、俺と空匙は校庭で万治を待っていた。

 元最多勝投手が来ると知ってチームメイトと監督も見学に来ていた。

 

 蝉の声が朝からとてもうるさい。 

 

 グランドの砂が巻き上がらないようホースで水を撒きながら彼を待つ。

 

 そんなことをしていると、一台の青い高級スポーツカーが滑らかに駐車場に入ってきた。枠に駐車すると、助手席から当累千治くんがピョンと飛び降りてくる。

 次に運転席からのっそり現れたのは余りにも大柄な男だった。とても、引退してから数年が経つとは思えない程に筋肉は鍛え抜かれ、なにより、モアイ像のような仏頂面を貫くその男の名こそ、当累万治。

 戦力外通告を受けてから他球団で最多勝投手まで這い上がった不撓不屈のスーパースターである。

 ファンはその下剋上な人生に多いに熱狂した。

 

 そして、後部座席からは一人全く見知らぬ男が降りてくる。たぶん、知り合いの捕手の誰かだろうけど。

 

 万治はウチの監督に挨拶をしているが、監督を見ると大スターを前にしたせいか悪徳商人の如くクネクネしていて少し気持ち悪く感じた。まあ、しょうがないか。

 

 監督に挨拶を終えた万治が空匙の前に立つ。

 

 「遅くなってすまない。私が千治の父、当累万治だ。先日、息子を暴力から庇ってくれた事について心から感謝している。ありがとう」

 「い、いえいえ。試合解説の仕事とかでお忙しいのは分かっていますから!いつも、解説楽しみに聞いています」

 

 万治は全く笑わないシュールな野球解説者としてネットの民の玩具と化している。

 しかし、選手を貶める発言は絶対にしないし、プレーの改善点を分かりやすく淡々と述べるので録画して聞き直す現役選手も多いのだとか。

 不倫などの不祥事も全くないキャリアを持っているのでテレビ局としても呼びやすいのだろう。

 

 「来年から中学生だな。成人用のミットかグラブが必要になるだろう?御礼にこのカタログから好きなミットかグラブをプレゼントしよう。値段は気にしなくてもいい。野球を小学校で止めるならこちらの高級洋菓子店カタログをプレゼントするが」

 「野球は続けるのでミットがいいです!ありがとうございます!」

 

 空匙、めっちゃ嬉しそう。キャッチャーミットは他のグラブより頭一つ値段が張るもんな。

 空匙への用事が全て済んだのか、万治の仏頂面な顔がフクロウのようにグルン!と俺の方を向く。

 その怖い仕草、治ってなかったのか。

 

 「君が前梨くんだね?さあ、約束通りアップが終わったら3打席勝負をしようじゃないか」

 

 彼の顔は無表情なままだったが、少し期待にワクワクしているようにも見えた。

 



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鬼神降臨

 万治の投球練習を俺はじっと見つめる。彼のピッチングフォームは現役引退から数年経っているというのに綺麗なスリークォーターのままだった。野球の入門書の付録に付いて来る映像に収録されていても全く驚かない。幾千もの努力の軌跡がマウンドから離れて久しい肉体に最適な動きをさせるのだろうか。

 

 少し前世を思い返す。万治は俺たち同僚の選手がキャバクラで飲み歩いている時も一人、室内練習場でフォームの確認を夜遅くまでしていたって付き合わされたコーチが愚痴っていた。彼は、誰よりも野球に対して真摯だった。大量失点してファンから酷く野次られた日もじっと言い返すこともせず、でも握りしめた拳は微かに震えていて悔しさを必ず努力に昇華できる人間だった。

 

 転生した後に万治が最多勝のタイトルを獲得したって知った時は俺も少し嬉しかったんだ。同時になんで俺はおまえほど野球に真摯に、そして全力で向き合わなかったんだろうって後悔もしたけれど。

 

 今日の万治の球速は恐らく140キロは超えている。加えて、回転数は同じ球速を出せるアマチュア投手より遥かに多いだろうから見た目以上に伸びてくるに違いない。それを余裕をもって捕球している青年キャッチャーは驚くことにプロではなく、どこかの国立大学の研究員で万治の甥っ子なのだとか。彼は「いつか野球の最適解を科学で解き明かして見せます!」と生き生きと語っていた。

 

 非科学的な力を授けられた身としては、科学者の前でプレーして良いものか悩む。ファールをフルスイングで打ち続ける生き物は果たして科学的な存在と認めてもらえるのだろうか。普段俺を妖怪呼ばわりする奴らだって冗談のつもりだろうけど、科学者から妖怪認定をくらってはちょっと笑えない。

 

 しかし、今更勝負を放棄するわけにはいかない。有名人が来ると噂になってギャラリーは少しずつ増えている。休日だと言うのに校長先生と教頭先生まで姿を見せた。

 

 もう、腹を括るしかない。科学者同伴とは思っていなかったが自分の意思で勝負を受諾したんだ。それに年齢から考えて彼は駆け出しの学者だ。学会とかでそんなに影響力を持つ存在ではないだろう。

 

 遂に万治の投球練習が終わる。甥っ子キャッチャーがマウンド上の万治に駆け寄り作戦の打ち合わせをしているのを横目に俺は左バッターボックスに入った。

 

 バッテリー以外の守備にはチームメイトが一応入ったが誰も構えることなく、偉大なマウンド上の投手にのみに視線は注がれている。バッテリー間の確認が済みキャッチャーボックスに捕手が帰ってきたことを合図に俺はバットを構えた。それに続く球審役の監督のプレイボールコールが聞こえた。

 

 万治は軽く目をつぶり、そしてゆっくりと瞼を上げた。

 

 俺は彼のそれだけの動きでグランドの空気が一気に緊張状態になった錯覚を起こした。

 

 

 

 鬼神が今、マウンドの上に降臨する。

 

 

 

 

 

 万治が投げた初球に俺の精神は全く反応しなかった。

 気が付くと俺の体は勝手にフルスイングを終えた体勢で、手にはじんと痺れる感触だけが残る。

 キャッチャーミットの中にはボールは収まってはいない。

 

 僅かに残った記憶の映像を頼りに考えてみると、初球はど真ん中のストレートだったと思う。

 投手だったとはいえ一応プロ野球選手だった俺がど真ん中のストレートにさえ反応できなかった事実に冷や汗が止まらない。それ程、俺と万治には実力差があるというのか。

 

 或いは、万治の努力の軌跡は俺が受けた神の加護さえ打ち破るのではないかと思った。

 俺はバッターボックスの立ち位置を最大限後ろにずらした。

 

 

 それから、万治は全てのコースにあらゆる球種を投げてきた。

 まるで、何かを確かめるように丁寧に彼は投球を続ける。

 そして、その全ての球を俺はファールにした。

 

 球数が30を超えるころ漸く四球になり1打席目の勝負は終了した。

 

 「タイムだ。2打席目に移る前に少し時間をくれ」

 

 万治のタイムの要求で休憩時間が少しできる。マウンドに再びキャッチャーが駆け寄りバッテリー間で作戦会議が開かれていた。キャッチャーの甥っ子の顔には焦りが見えたが万治は対照的に冷静に見えた。

 

 バックネット裏では見学していた校長先生と教頭先生の顎が外れそうになるまで開かれポカーンとしており、千治君は苦虫を嚙み潰したような顔をしていた。

 

 空匙は一流のピッチングを生で見れて大興奮状態だ。

 

 

 俺は2打席目について考える。1打席目に30球以上をバッターボックスで見たため流石に目が慣れた。精神的にもボールのタイミングを掴みつつある。全てのコースに投げ分けてきたことから考えるに万治にとっても1打席目は手探りの状態だったに違いない。2打席目は一体何を仕掛けてくるのだろうか。もし、投手の自分が打者の自分を攻略するならどうするかを考える。答えはすぐに出た。しかし、それは事情を全て知っている自分だから出せた解答だ。流石に1打席しか対戦していない万治が辿りつけるとは思っていない。

 

 キャッチャーの甥っ子君がマウンドから帰ってくる。彼がチラリとこちらを見た時、化け物を見る目をしていた。まあ、慣れたことだけど。

 

 再びバッターボックスに入りバットを構える。マウンド上の万治の両眼は一層ギラギラ輝いて見えた。

 

 

 2打席目の配球について少し違和感を感じたのは8球目を終えた時だった。

 どうも、高めの球速が速い球種を中心に投げている気がする。

 

 内角高め一杯に高速スライダー。

 次に、外角高め一杯のストレート。

 

 万治はもう答えに辿りついたのか?

 

 俺の考えが合っていれば次は真ん中高め一杯のストレートである。

 ただし、前の2球より半個分高めにくる。

 

 ストライクゾーンは四角柱ではなく五角柱だ。

 高め一杯は真ん中がちょっとだけ高い。

 

 想像通り真ん中高め一杯にストレートが来る。

 それも、俺はファールにした。

 

 準備は整った。俺の目は今、高く球速の速い球に慣れきっている。

 それに対応するためバッターボックスの位置も最も後ろだ。

 ならば、次に万治が投げる球は90キロ台の遅く変化の大きい縦カーブ。

 コースはもちろん低め一杯。

 

 読めた!この勝負、俺の勝ちだ!

 

 万治がリリースするちょっと前にバッターボックスの位置を最後方からラインを踏むくらい前に移す。

 カーブが大きく変化する前にファールにしてやる!

 

 ところが万治が投げた球は俺が予想していたものではなかった。

 確かにその球は遅かった。でも、90キロ台どころじゃない。

 

 余りにも遅すぎる山なりボール。80キロ?いや70キロ台か?

 こんな遅い球でストライクが狙える訳がない!いや、入りそうにも見える!

 

 どんなに遅くとも90キロ台のボールを想定していた俺の上半身はかなり前に突っ込んだ体勢になる。

 

 考える限り最悪なスイング。まるで下から球を掬い上げるような無様さ。

 

 あまりにも軽い手応えをバットの先に感じ、視線だけでボールを追いかけると浅いフライが後方に上がっている。

 

 そして、悠々とキャッチャーミットに収まる白球。

 結果は、見てのとおりキャッチャーファールフライ。

 

 グランド全体が一瞬だけ音を失う。

 

 そして、続く歓声。

 

 

 この時、俺は今世で初めて打席で敗北を喫したことを悟った。




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研究対象みっけ

 「君の腕があと10センチでも長ければ、君の年齢があと三つでも上だったら、今のボールさえもカットしてしまうのだろうか。いや、はや、まさかこんなプレースタイルを小学生にしてモノにしてしまう選手が出てきてしまうとは、新種の怪物の誕生だな」

 

 帽子の鍔を摘まんで持ち上げ、空いた左腕で汗を拭いながら相変わらずの仏頂面で万治は呟いた。

 

 まさか、たった一打席で俺が徹底的にフライを避けようとスイングしていたことに気が付くとは。

 投球しながら打者を観察するなど至難の業だろうに。

 普通の投手はキャッチャーミットに視線を集中させるものだ。

 

 「後田君は最近では珍しいダウンスイングをエンドランの場面でも無いのにずっと続けていた。それに気が付くことができればファールフライを恐れているのではないかと予想できるわけだ。今のように極端なボールでなくとも、いずれは落差の大きい変化球で君を攻略しようとするチームは出てきただろう。まあ、その頃には君の体も成長し、握るバットも成人用と長くなるから問題ないのかもしれないが」

 

 それと同じことは俺も考えていた。

 

 この弱点は小学生ゆえの腕とバットの短さに起因するものだと。

 だから、放置していてもいずれ問題は解決するだろうとも考え目を瞑った。

 

 だが…………

 

 

 「あっ!雨だ」

 

 誰かの声が聞こえて空を見上げれば急激に成長した入道雲が周辺一帯を覆い尽くそうとしていた。

 これは夏の風物詩ゲリラ豪雨の前触れか。

 

 そう考えた数秒後には大きな雨粒が俺の頬を何度も打付け始める。

 

 「全員校舎まで走れ!風邪を引かないようすぐに着替えろ!」

 

 監督が大声で部員に指示するのを聞きながら、漠然とした不安を抱えて俺は屋内に引き上げた。

 

 

 

 着替え終えてそのまま俺は万治の下まで足を運ぶと彼は息子の千治君から質問攻めにあっていた。普通に親子間で会話が出来るようになって微笑ましい。そして、親子揃って俺の接近に気が付く。

 

 「本日は対戦ありがとうございました。元日本一の投手と戦えて光栄です」

 「いや私こそ面白い経験をさせてもらえたと思っている。ここまで徹底してフルスイングでファールボールを打ち続けることができる選手が誕生したなど実際に対戦した後でも信じられないぐらいだ。人生とは何が起きるか分からないものだな」

 

 それには全面的に同意する。

 死人の俺がこうして君と再び会話できるなど前世では全く予想していなかった。

 だが、偶然にも与えられた二度目の生も条件を満たさなければ再び失う。

 どんな異質な戦法ができても、このまま弱小チームでしか活動できなければスカウトの目には永遠に映らない。

 せめてここで縁ができた万治がどこかの球団のコーチでも就任してくれれば……。

 

 「ところで万治さんはどこかの球団のコーチに就任する予定はありませんか?」

 「……早めの売り込み営業かな?」

 「はい、可能性は少しでも上げたい性格でして」

 「貪欲だな。まあ、声は掛けられている」

 

 コーチがスカウトの仕事をメインにすることはないが、スカウトマンとの会話が全くないわけではない。

 スカウトマンは全方位にアンテナを広げておりコーチの推薦があれば少しは調査をしてみようという気にはなることを知っている。

 

 「もし、万治さんがスカウトマンだったら俺を指名候補に上げますか?」

 「……難しいな。君がこのまま順調に今のプレースタイルを極めるという仮定に基づいて話すが、試合に勝つ、優勝を目指すという点だけなら確かに有益な駒になるだろう。ただ、プロ野球は勝てさえすればよいということではない。試合を通じて観客に緊張感を、感動を、悔しさを、驚きを、喜びを、心を揺さぶるひと時を提供しなければならない。その点はプロ野球と君のバッティングスタイルは相性が悪いかもしれない」

 「……そうですよね」

 「ただし、重大な場面で君が初登場すれば莫大なインパクトは提供できるかもしれない。誰だコイツは、なんだこのプレースタイルは!みたいな感情を抱かせることはできると思う。認識された後でも、実際に出場しなくともベンチやネクストバッターサークルに存在するだけで敵チームの投手とファンに恐怖を提供できる……かもしれない?いや、すまないな。さっきから『かもしれない』と推測ばかり話して」

 「いやそれはしょうがないと思いますけど。まあつまり、俺は噛めば噛むほど薄味になるガムのお菓子みたいな存在ってことかぁ」

 

 最後は無味無臭の存在になって紙に包まれポイっとな。

 いや、笑えねえな。

 

 「そう落ち込まずとも、君の武器はそのバッティングスタイルだけじゃないだろう?世にも珍しい両腕投手でもあるとか聞いたぞ。……いや、改めて考えると君は攻守ともに珍しい存在だな。一人野球サーカスか?」

 「じゃあ、登録名は後田ピエロで決定ですかね」

 「いや、それはどうだろう?」

 

 そろそろ飽童子の件も万治に相談したい。話を切り替えなければ。

 

 「すみません。もう一つだけ別件で相談したいことがあります。これはもしかすると千治君の安全にも関わることかもしれないのです」

 「俺?」

 「……とりあえず聞こうか」

 

 隣で会話を静かに聞いていた千治君の頭上にクエスチョンマークが飛び交う。

 息子を人質にとるようで申し訳ないが、あらゆる手段を使って勝ちに拘る飽童子が千治君とこの先に対戦するようなことがあれば俺と同じような妨害を受ける可能性もあるのだから間違いではないと思いたい。

 知り合いで信頼できる人格と大きな経済力の両方を有する万治でないと根本的に解決できないと俺は考えている。

 

 そして、俺は県大会2回戦で起きた全ての出来事を万治に話した。

 千治君はカンカンにキレたが、万治は右手を顎に当てじっくりと思考している。

 俺にはない親としての視点から飽童子の状況を分析しているのかもしれない。

 

 「その場合はまず飽童子さんの学校に連絡を入れて……、いやその娘の親の精神状態次第では虐待の恐れも……まず、どうしてそんなことを始めてしまったのか……」

 

 ブツブツと呟いて考え込む万治。

 やっぱり、不祥事を起こさない有名人は慎重に行動する癖がついてるのだろうな。

 

 「すまない、飽童子さんについてどう動けば良いのかここでは判断できない。懇意にしている弁護士と相談してからで良いだろうか?」

 「いえ、こちらこそすみません。巻き込んでしまって」

 「いや、場合によっては息子も被害に遭う可能性はあった。それに、息子と同い年の娘がそんなことをしているのは心が痛む。知ってしまった以上は目を背けたくない」

 

 少しだけ心が軽くなった気がした。頼りになる大人に相談できて少し前進できた気になったからだろうか。

 

 「叔父さん、こちらの少年と私も話したいのですが良いでしょうか」

 「本人に聞け」

 

 俺の背後から若い男性の声がして万治が返答する。

 振り返れば眼鏡をかけた青年が少し血走った目で俺を見つめていた。

 

 この人は、確か万治が連れてきた甥っ子キャッチャーだったはず。

 

 「君のことは、監督さんから少し聞いたよ!なんでも、公式戦で未だに凡退したことがないそうだね?」

 「はあ、そうですが」

 「凄いねえええ!確率的にちょっと有り得ない生き物だ!何がどうなれば、そんな結果が生まれるのか全く分からない!……ところで君、VR野球に興味はあるか?」

 「VR野球?」

 



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