ぼきく同棲概念(弱火) (月兎耳のべる)
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ぼきく同棲概念(弱火)
『
店で食べるのと違って何だか抵抗感がある。
必ずしも美味しくない訳じゃないんだよ?
でも嬉しいかって言われたら苦笑いするくらいには馴染まない。
スパイスからこだわる家は言わずもがな。
市販ルーを使っても合わないのが面白い。
多分、いわゆる『お袋の味』に馴染み過ぎているせいだとは思うんだけど……。
……具材なんか代わり映えしないのに何でだろね?
だって野菜でじゃがいも、人参、玉ねぎでしょ。
お肉で豚か牛。突発乱入でシーフード。ちくわもあったかも。
あとは隠し味にワイン? トマトジュース? 牛乳?
まあそいつらをごった煮してはい出来上がり。
それがカレーだ。
出来るものはカレー。
誰が作ってもカレー。
どう味わってもカレー。
──そんなカレーを、私の心は拒絶している。
「あっあの……どうですか、おねーさん?」
「んん~~~♪ 今日もおいひーよぉ、ぼっちちゃーん♪ ありがとねぇ~!」
「へ……えへ、へへ。お、お代わりもありますから……す、好きなだけどうぞ……!」
(うへぇ……)
駅から歩いて40分。
風呂ナシ訳アリおんぼろアパート。
築半世紀超えの歴史的建築で。
吹けば飛んでく薄壁に囲まれた、隙間風完備の我が屋敷。
そこに貧乏ベーシストこと廣井きくりと、後藤ひとり──通称ぼっちちゃんは同居している。
飲みもそこそこに家に帰ればこんばんわ。
今日もぼっちちゃんはカレーを用意して待っている。
「いや~締めのカレーが胃にキクねぇ~……!」
本気でキく。
マジで苦しい。
「えへへ……あっよ、よそいましょうか?」
いやいいんだよぼっちちゃん。
遠慮してないんだよマジで。
「いつもほんとにありがと。でも毎日カレー作るの大変でしょ? たまには一緒に食べに行ったりとか……」
もうここ3か月毎日カレーだよ。
そろそろ別のにいい加減変えよう?
「い、いえ……わ、私に出来るのはこ、これくらいですし……ようやくコツも掴めたので……む、むしろもう少し作らせて欲しいというか……!」
わぁ。張り切ってるなぁ。
そっかぁ~……まだ作ってくれるのかぁ……はぁ。
「ずっと練習してるもんね。その甲斐あって日に日に美味しくなってるよ、いよっ料理長!」
「でへへ……」
指先に巻かれた努力の証。
狙ってた男が急につけてきた
「んぁ~~~……美味しいなぁ~……ちくしょぉ~~~……!」
「……?」
どうしてこうなってしまったんだろ。
食べても食べてもなくならない、アルミ鍋いっぱいのカレーに辟易しながら私は思い出す。
最初は……酔っぱらってたところを助けて貰ったからだったっけ。
ぼっちちゃんの初印象。
それは自己主張の強い挙動不審者って感じ。
ギターを背負った全身ピンクジャージでピンク髪の女の子。
原宿と勘違いしてる? ここ金沢だよ? って思わず言っちゃいそうだった。
ただ話してみればまあ年相応だった。
ギタリストの彼女は極端なほど人見知りで、チケットノルマに困っていた。
だから業界の先輩として、助けて貰った恩返しにちょーっとばかし手助けしてあげたんだよね。
そしたらさ。
(──ぼっちちゃんはダイヤの原石だった)
ひと目で分かった。
彼女のスタイル。
テクニック。
そして心揺さぶる青臭い音。
それはベース(とお酒)に人生を捧げた私が思わず夢中になる程。
だから……まー。入れ込んじゃうよね。
私のライブに招待したりさ。
悩みに乗ってあげたりさ。
一緒にセッションをしたり。アドバイスしたり。
飲……じゃなくてご飯食べいったりね~。
分かりやすく悩んでるのもあったし。
あと元同じ陰キャってのもあったし。
他の面子ほっぽいて贔屓目に見ちゃった所はあった。
この娘が持っている本当の実力。
それが真に発揮されたらどんな音を出すんだろって思ったらついついね。
(したらまぁ……こーなっちゃうよねぇ……)
超絶コミュ障で誰と話すにも目を合わせないクソ雑魚メンタルの気弱。
そこに親身に乗ってくれる優しいお姉さんが現れたら?
その結果が今だ。
ぼっちちゃんは想像以上に私に入れ込むようになってしまった。
「あっお、お姉さん。きょ、今日のライブも……良かったです……!」
「お。ぼっちちゃん今日も見てくれたんだぁ~、ありがと~」
「……お、お姉さんのライブなので……。さ、最前列は無理でしたけど……あの、きょ、今日は……少し前の方に……」
「えらいねぇ~、もちろん私もぼっちちゃんに気付いてたよ~」
「……へ、うぇへ……へへへぇえへへへ……」
ぼろ畳に座った私に、音も無く距離をつめたぼっちちゃんが笑う。
褒めて褒めてと言いたげな緩んだ顔は、私が雑に撫でると更に蕩けて液状になる。
ぼっちちゃんの気の許し方は独特だ。
知り合った頃はそれこそ影すら拝ませてくれなかったのに。
話せるようになって、お出かけ出来るようになって。
「あ、この人なら大丈夫だ」って認めた瞬間、急に距離感をバグらせてくる。
影の差す顔に「にちゃっ」とする笑顔をくっつけて。
蛇のように四六時中まとわりついてくる。
四六時中は誇張じゃない。それこそ、可能な限りずっと。だ。
結束バンドの皆もいるのに、どこへ行くにも私についてきて。
挙句の果てには私の家で半同棲なんだから。
(ど~したもんかな~……)
気安い関係に憧れてたのかねぇ。
ぼっちちゃん、高校入る前まで友達居なかったそうだし。
それにしたって同年代と絡むべきだと思うけど……まあ。
いずれにせよ、だ。
私が始めた関係なんだ。
大人としてびしっといってやらないと駄目だとは思う。思うんだけど──
「あっ、ま、またお酒開けるんですか……? なら、わ、私も……」
「だめー。ぼっちちゃんにはあげませーん」
「も、もうすぐ私……20歳ですし……」
「駄目ですー。お酒は二十歳になってからです~」
「じゃ、じゃあ……お姉さんも駄目です……の、飲みすぎです……」
「私は大人だからいいんです~」
「……そのお酒、私が買ったのに……」
「う゛。」
「……ここの家賃とかも……私が出してるのに……」
「うえぇぇぇぇぇん……は、はぁぁぁいぃぃぃぃ……!」
(強く、出れないんだよなぁ……!)
年下に家賃まで払わせてるド畜生の私には何も言えやしない。
……待って。弁明させて欲しい。
『押しかけた迷惑料として家賃の半分と食費を賄います』。
そう言いだしたのはぼっちちゃんの方だから。
いや、その時点ではっきりと断るべきだとは確かに思う。
でもその時私は正常な判断を下せる状態じゃなかった。
下せる状態じゃなかったんだ。
よせばいいのに二つ返事で「えーいいのー?ラッキー!」って頷いたらしくてさ……それで見事年下女子との同棲生活の出来上がり。
……じ、自分だって、稼いでるんだよ?
でも稼いだ傍からお金が消えてくから仕方がないんだもん。
頷くしかないんだもん……。
「ちくしょーお酒なしでもカレーは美味しいねぇ……!」
「……そもそもお酒とカレーは合わないと思います……」
そもそもがこのカレー地獄だって。
貧乏すぎて倒れた私にぼっちちゃんがカレーを施してくれたのが切掛だった。
当時は本当に酷い出来栄えでさ。
水っぽい。粉っぽい。具材ボロボロ。
カレーというよりカレー風味の謎の液体って感じだった。
ただ、そんなのでも空腹の前ではミシュラン3つ星と同等。
涙を流して感謝しまくったら意気揚々と連日作り出したんだっけ。
(……強く言えればいいんだけどさ。毎日毎日一所懸命工夫して。期待に満ちた目でじーっと見つめられて……誰が拒めるっていうんだよぉ~……!)
「お水です。今日もお酒いっぱい飲みましたよね……?」
「今日は控えたもん……」
「あっそういう冗談はいいです……」
「うえーん! ぼっちちゃんが意地悪するー! 今日は冗談じゃないもんー!」
そして日を追うごとに気兼ねなくなる二人の関係。
切っ掛けは私。
追い上げはぼっちちゃん。
染めたのは私。
染まっていったのはぼっちちゃん。
陰鬱になるのは私。
陽気になっていくのはぼっちちゃん。
彼女の右手に刻まれた『星に絡みつくウロボロス』。
それが今日も無自覚に私を攻め立てる。
私に憧れて入れたっていうそれは、シールでもなんでもない本物の刺青だ。
家族にも妹ちゃん達にも相談せずに一人で入れて。
そして誰よりも先に私に報告してきた。
『あっ、お、お姉さん……こ、これ見てください……!』
『おぉ~~~っ、私とおそろじゃん~! イカすね~! シール作ったんだ~!』
『い、いえ……い、入れて貰いました……お、おねえさんみたいになれるようにって……』
『───へぇ~。そっか~ありがとね~』
……まあ。周りから滅茶苦茶責められたよね。
先輩はキレたし。
妹ちゃんなんて殴りかかる勢いだった。
この時ばかりは私も下手打ったって思って距離置こうとした。
でも。
もう遅かった。
ぼっちちゃんの中の私は。
その時点でどうしようもないくらい大きくなっていたんだ。
『私が……っ、私が入れたくていれたんです……! お姉さんを責めないでくださいっ!』
正座する私の前に立ってさ。
涙目で庇い立てちゃってさ。
誰が諭そうと絶対に折れず、認めず。
私に非がない事を何度だって力説した。
お陰でこの件はうやむやになり。
私と先輩たちの距離はあやふやになり。
晴れて今の歪な関係が出来上がった。
生活圏のほとんどを私と共に過ごす事を決め。
それでいて音楽の道も辞めずに続けてくれた。
……こんな私を構ってくれるのは嬉しいよ。
本当に嬉しい。
でもさ。
今でも私は、キミがここに居てもいいのかなって思うよ。
「ぼっちちゃんこそ、今日はどうだったのさ?」
「あっ、次のアルバムの収録は……ばっちり、でした……リテイクなしで、一発収録です……」
「おぉ~すごいじゃん!」
「アルバム収録なんてちょ、ちょちょいのちょいですよ~……で、でも私は……出来るなら、お姉さんと一緒に演奏したいです……」
「あー……んー……それはね~」
「だめ……ですか……? SICKHACKと結束バンドのコラボって形で……」
「……駄目じゃないかな~。私達はありがたいけどさ、結束バンドのみんなはそうは思わないよね? メジャーにいったキミ達がまだマイナーな私達とコラボってのは……」
「構いません……! み、みんながダメだって言うなら……結束バンドを抜けてもいいんです……私はお姉さんとならもっと……もっといい音を出せるって思うから……!」
「ぼっちちゃん……」
最終的に。私の目論み通りぼっちちゃんは開花した。
結束バンドは今やSICKHACKより明確に上の立ち位置だ。
高校卒業前に全国デビューを果たし。知名度はぐんぐんと上昇中。
夢だったという武道館ライブも目前で、最早誰にも止められない。
技術と。才能と。情熱。
その全てで殴りつけてくる曲の数々は、私も認めざるを得ず。
一歩どころか十歩くらい差をつけられてしまったと感じている。ただ──
(私は間違えていた……彼女は、ダイヤの原石なんてもんじゃなかった)
誰かに照らされて輝くダイヤモンドじゃなかった。
ぼっちちゃんは自ら光り輝き、そして全てを飲み込む太陽だったんだ。
他バンドどころか、メンバー全員を食い散らかすほどの圧倒的な『個』。
彼女だけが突出した「結束バンド」は、売れ筋とは別に解散の危機に陥っていた。
そして恐るべき事に。
ぼっちちゃんは、今もまだ成長の途中にいる──!
「……」
「……? あっ、お代わりですか」
「う、ううん~違うよ~むしろお腹いっぱいというか……」
「あっそ、そうでしたか……あ、あの。お口に合いませんでしたか?」
「い、いやいや! すっごく美味しいよ! ぼっちちゃんのカレーは私の血肉みたいなもんだよ! ──あっ」
「そそそ、そうですかへへ……うぇへへ……あ、明日も作りますね?」
「あ、あははは。うん。よろしくね……」
ピックよりも軽い我が口を恨む。
適当に過ごそうとしたツケがこれだと思うと笑えて仕方ない。
いや、笑えないな。
廣井きくり。
お前は。
お前がぼっちちゃんを歪ませたんだぞ。
「……」
スプーンに乗ったカレーを眺める。
銀の器に乗った3:7のライスとルー。
多くても少なくてもバランスを崩す。
小さくも完結した世界。
それを躊躇しながら口に運ぶ。
「……ん。美味し」
一口運べば広がる他人様の風味。
酒で弱った喉を、重たいそいつらが押し通っていく。
カレーだ。
馴染みある筈だ。
美味しい筈だ。
好きな筈だ。
けれど私は。
その味を。
どうしても辛く思う。
「……も、もー食えない~……」
「あっ、お、お粗末様でした……」
ぽこんと膨れた細いお腹を撫でる。
苦しい。
もう何も入れたくない。
このまま寝転んだらさぞ楽だろう。
日をまたいだらお腹が空いて。
そしてまたカレーを食べるんだ。
まどろみの中で
それはそれは楽しい日常だろうね。
だけどさ。
どうあがいてもこの関係は終わりを迎える。
そこにあるのは早いか遅いかの違いだけ。
それなら早い方がいい。
上機嫌に皿を洗うぼっちちゃんに、私は思わず声をかけていた。
「……ねぇ。ぼっちちゃん」
「……?」
アルミの鍋を空にして。
銀の匙から飛びだすんだ。
私という器は君の居場所としてはあまりにも小さい。
キミを待つ、もっと大きな場所へキミは行くべきなんだ。
「あのね────えっと…………」
けれど私は口ごもってしまう。
今日こそはと思ったのに、ここぞという時に喉奥でつっかえた。
どうしてって狼狽えた途端に溢れ出る女々しい理由の数々。
あの音を壊したくない。
まだ見ぬ彼女の音の先を聞いてみたい。
この関係を崩したくない。
日陰で二人寝そべるような生ぬるい関係を続けたい。
その優越感に浸りたい。
私を唯一無二だと誇るぼっちちゃんに、そして私より上にいるぼっちちゃんに、ずっと縋られていたい。
それは夏場に3日放置したカレーみたいな思考。
その全てが唾棄すべき理由だっていうのに。
なんだって私は止まってしまうんだ?
「……お姉さん?」
「──ぁ」
気付けば……ぼっちちゃんに顔を覗かれていた。
長いまつげ。陰気な表情。ハリのある肌に。吸い込まれるような瞳。
私のパーソナルスペースに飛び込んで。
連日カレーを作ってくれる。
どうしようもなく気がかりで、迷惑な後輩。
目を合わせた途端に、すとん。
喉まで出かかった言葉は胃袋にまで落ちてしまった。
「……………ごちそうさま。明日もカレー、期待してるからね」
「! はいっ……ま、任せてください……へ、へへへ……!」
その髪を少し乱雑に撫でてやる。
すると私の気も知らずに『にちゃり』と笑った。
今日は食べすぎて苦しかった。
だから明日言うことにしよう。
遅かれ早かれその日が来るなら。
今日じゃなくてもいい筈だよね?
陰気な後輩をあやしながら、私は誤魔化し続ける。
ただ予感があるとすれば。
(──もしもこのカレーが、私にとっての『お袋の味』になったら)
二度と私は……切り出せないと思う。
ぼっちちゃんに甘えて。
ぼっちちゃんを求めて。
ぼっちちゃんがいないと何も出来ない。
ただの『白米』になるんだろう。
(……その時、君はそんなご飯に寄り添うカレーのままで居てくれるのかな)
私はどうしようもない恐怖を胸に抱いて。
明日の『他人様の家のカレー』を心待ちにするのだった。
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