ロックハート英雄譚 (黒鵜)
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Break with a Banshee.-バンシーの決別-
0,プロローグ


初投稿よろしくお願いします!


 流浪の用心棒として名が売れ始めた菊の前にその男が現れたのは全くの偶然だった。

 

 魔法族と非魔法族が混ざり合うスコットランド西部の片田舎。ゴミの積まれた不衛生な路地裏を抜けた先にひっそりとそびえる場末のバー。魔法族にのみ認識できるその隠れ家に、一人の東洋人が座り込んでいた。

 水タバコの煙が充満する店内のカウンターで黙々と酒を胃に流し込んでいる女──菊は、路銀を稼ぐためにそこに滞在していた。

 バーはいわゆる仲介場で、腕に自慢のある魔法使いたちが依頼を待つ溜まり場でもあった。

 

「やあ、お嬢さん!」

 

 目ぶかにフードを被ったいかにも不審な男が、見た目にそぐわぬ明朗な音声で小柄な女に話しかけた。周囲で客を待っている同業者たちは彼を不憫に思い、目をそらす。

 あいつには女の腰元で光る、薄い剣が見えないのか? 

 彼以前に女に話しかけた下賎な輩は返事の代わりに一撃をもらい、たちまち気絶した。女は無声呪文で浮かせた不埒な輩を店の隅に寄せ、薄汚い山を築いていた。今や彼女がこの店のボスである。

 山がまた大きくなる。そんな店内の予想は一瞬にして裏切られた。女が急に立ち上がったのだ。そして不審な男の顔を覗き込むと、仮面のように凍てついた顔から一転、満面の笑みを浮かべて腰元に抱きついた。

 

「お、お嬢さん。そんな情熱的に来られても僕は──」

「おお! やはり、キミは我が友 ロクハート!」

「そ、その呼び方は──まさか……キク!?」

 

 場がざわついた。誰だあの男は。飼い主か? 猛獣のような女と知り合いのようだ、それも随分と仲がいい。

 そんな周囲を気にもとめず、東洋の訛りが入った堅苦しい言い回しのイギリス英語で話す女──菊と彼女にロクハートと呼ばれた男──ギルデロイ・ロックハートは、ホグワーツ魔法魔術学校在籍中の親友と思いがけず再会したのであった。

 

「キミは最近何をしているんだ? 私は用心棒をしていてな、最近はこれ一本で稼いでいる」

「流石。まったく変わらないな……ところで、まだ英語を喋れないフリしてるのか?」

「フン、言葉に気をつけたまえ、キミ! 何かと都合がいいだけだ! ──そういうロクハートは、相変わらず、まあ……」

 

 うだつのあがらない。

 かつてはキラキラとしていた男が、随分とまぁ落ちぶれたものだ。菊は胸の中でボソリと毒を吐く。

 菊の隣に乱暴に腰掛けたロックハートは年配の店主に「ファイア・ウイスキーを」と声をかけた。炎の名を冠する、文字通りルビーのような色に輝く甘い酒だ。昔はもう少し辛い酒が好きだったはずだが、随分と酒の趣味も変わったようだ。菊が内心その変化に驚いていると、ロックハートはおもむろに顔を隠していたフードを脱ぎ去った。

 フードの下から現れたのは、薄汚れた男だった。緩くウェーブした金髪は薄汚れ、乱雑に首元で一括りにされている。白い肌は肌荒れこそないもののどこかくすみ、顎には無精髭。かつて女を虜にした甘く垂れていたブルーアイズは、薄暗いクマに囲まれて疲れたような印象で。あんなにも晴れ渡っていた瞳の中の空は、今や曇天に変わっていた。

 菊は少し残念に思いながらも学生時代の友人にもう一度盃を掲げた。

 

 

 

「小説ゥ? なんでまたそんなことを……」

「そんなことって……はあ、そう。そういうキクだって、地元に帰って家業を継ぐとか言ってなかったか?」

「実家の方でちょいと戦争が起きてな……疎開しがてら修行中だ」

「そうか……」

 

 ポツリポツリ会わなかった間の空白を埋めるようにお互いの近況を話していく。

 闇の時代が終焉を迎えてから早2年。

 ホグワーツ魔法魔術学校を三年時に中退し、故郷である日本へと帰ったはずの菊はサムライのような格好でスコットランドの場末のバーで用心棒を。

 キラキラと輝いていたロックハートはかつての美しさを鈍らせ、決して順調とは言えない小説家人生を歩んでいる。

 そんな二人の人生がここで再び交わったのは偶然か、必然か。

 

 

「あー、ゴホン。ここに来たのは、実はキクに依頼があってのことなんだ」

「ほう、私に依頼と?」

「ああ。……本のネタになりそうな話を小耳に挟んでね。その護衛をしてほしいんだ。腕の立つ用心棒なんだろう? 僕の友、サムライ キクノジョウ」

「ああいいだろう。報酬はこれでどうだ?」

 

 示された額は相場より安く、菊の心遣いが見て取れた。ロックハートのすっかりやつれた様子にその懐事情も察したのだろう。それに気づいたロックハートはカサついた眦にうすらと涙を浮かべ、ゆっくりと生ぬるいジョッキを煽った。

 

「……よし、交渉成立だな」

 

 菊はその様子を見て頷く。腕を組んで、依頼主の言葉を待つ。ロックハートは喉仏を数回上下させ、ジョッキを飲み干すと机に器を振り下ろした。

 

「目標はスコットランドの伝説 バンシー退治だ! くれぐれも僕のことを守ってくれよ? こう見えて腕はからっきしなんだ!」

「ああ、友よ、キミからの依頼は我が杖腕に賭けて守ると誓おう。故に安心して執筆を行ってくれたまえよ!」

 

 この時、菊はエールを二本半、ロックハートはファイア・ウィスキーを二本飲み干していた。彼らは酔っ払っていた。

 二人はアルコールの含まれた息を吐きながら、千鳥足で夜の街に消えていった。

 




就活で気が狂った末に書き上げた二次創作供養


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1,廃村にて

 ナイフで切り裂けそうな程に濃く重い霧に沈んだ早朝の路地裏。ゴミ袋が散乱した石畳の上で、うだつの上がらない小説家 ギルデロイ・ロックハートは目を覚ました。

 浴びるほど飲んだ火酒のせいで重い思考をゆっくりと回しながら、霞む瞳で周囲を見回す。

 

 ここはどこだ? 

 ──スコットランドの田舎町

 

 何のためにここに? 

 ──小説のネタ探しの、その護衛を探しに

 

 自分がここにいる理由を思い起こしていたロックハートは、そこで傍に黒尽くめの小柄な女が剣を抱えて座り込んでいることに気がついた。

 

「おお、起きたか。ロクハート」

 

「……んあ?」

 

「何、まだ寝ぼけているのか? 全くしょうがないやつだ」

 

「???」

 

 全く、訳がわからなかった。なぜ、こいつがここにいる? なぜ、僕はここにいる? なぜ、なぜ、なぜ──

 

 その時、懐を弄っていた菊が紙切れのようなものを人差し指と中指に挟んでロックハートの前に立った。

 

 ロックハートの煤に塗れた白い頬に影が落ちる。そこでようやく違和感を覚えたのかノロノロと顔を上げた彼は、そこで菊の持つやけに見覚えのある紙に気がついた。

 

 

 

「どれ、日本に伝わる二日酔いの式を使ってやろう」

 

「ま、待て……それはまさか──!!」

 

 

 

 菊がヘンテコな文字の書かれた薄く細長い紙を口に添えると、ロックハートの身体中を激痛が駆け巡り、思わず地面に倒れ込む。一拍置いて全ての痛み・だるさが体から消え去ったロックハートは「これを経験した僕は、きっと磔の呪文も耐えられるだろうね」と頬を石畳につけたまま嫌味を口にした。

 

 英語に堪能でない菊は嫌味を額面通りに受け取りつつ、目では彼の体から吐き出された穢れを目で追いかけた。

 

 

 

「さて、昨夜の話の続きをしようか、ロクハート」

 

「だから、それは名前じゃないってば……はあ」

 

「キミ、何を追いかけるためにここまで来たんだ?」

 

「──バンシー退治だ」

 

 

 

 軽い調子で尋ねかけた菊にロックハートは勿体ぶった様子で答えた。

 

 それは、まるでかつて学生だった頃のやりとりを彷彿とさせる仕草だった。

 

 自己愛の塊であるロックハートがまるで舞台俳優のような大げさな立ち振る舞いで語りかけ、日本からの留学生 菊がそれを生真面目に受け取る。

 

 在りし日の彼らが、まさにそこにいた。

 

 深酒の影響で昨晩の記憶が一部欠けている菊は目を丸くしてロックハートの瞳を見つめた。

 

 

 

「何? バンシーとは……妖怪の?」

 

「魔法生物だ。……ともかく、僕はバンシーをどうにかしてほしいと依頼を受けてここまで来たんだ」

 

 

 

 ここからは聞くも涙、語るも涙の感動劇。

 

 それは、ロックハートがいつものようにネタ探し兼散歩に出かけたある晩のことだった。

 

 

 

 彼はいつもの散歩ルートから外れ、森の中に迷い込んでしまった。

 

 霧が深くかかったそこを勇ましく歩いていると、ふと開けた場所に出た。そこには小ぶりな家が一軒立っていたそうだ。その家の玄関口には泣き腫らした顔の老婆が星空を見上げて座り込んでいた。

 話を聞くと、元々スコットランドに住んでいた一族だったが、ある魔法生物に家を追い出されてしまったそうだ。その後一族は衰退し、今は森の奥でひっそりと暮らすようになった。

 これが、今から60年以上前の話になる。

 

 あなたのような親切な人にお願いしたいことがある、もう一度この目で生家を目にしたいのだ、と。

 

 若干ヒステリックなその老婆が子供の頃に起こったその事件の解決を、ロックハートはまんまと押し付けられたという訳だ。

 

 

 

「ふむ……それでロクハートはその妖怪をバンシーと断定し、退治しようというのか」

 

「そうとも! この僕の叡智により、その家に居着いていたバンシーが原因だと突き止めた! さて、友よ。魔物退治と洒落込もうじゃないか!」

 

「──あい、わかった」

 

 

 

 

 

 

 

 一行は、スコットランドの郊外にある寂れた農村へと向かった。老婆から聞き出した、彼女の生家がある村だ。人口は数百人程度の小さな村で、かつてはマグルを支配する立場にあったという。農業が盛んに行われたというその村は、今の季節であれば青々と作物が生い茂っているとの話だった。

 

 

 

「これは──」

 

「ふむ、ボロボロだな」

 

 

 

 ようやっとたどり着いたそこにはなにも、なかった。

 

 枯れ果てた大地はひび割れ、木は生気を失い萎びている。不毛の地とはなるほど、こういう土地の事を指すのだろう。そう思わせるほどに村は枯れ果てていた。建物は倒壊し、風化したレンガが家の周りに散乱しているのみである。事前に聞いていた畑どころか、人気すらないその街に驚きを隠せないままロックハートが呟く。

 

 

 

「60年でここまで風化するのか……」

 

「廃村は初めてか?」

 

「初めてだが……うう、この村を壊滅させたモンスターの相手は任せたぞ?! しっかり僕を守ってくれよ?」

 

「……うーむ」

 

「な、何だその気の抜けた返事は!?」

 

「いや、ちと気になることがあってな」

 

 

 

 菊はロックハートをあしらいながらも、手を刀にかけて警戒しながら進んでいた。そして空き家が数軒連なるメインストリートを抜けたそこに、目的の屋敷は聳え立っていた。

 

 

 

「これは……」

 

「なんでここだけ綺麗なんだ!?」

 

 

 

 屋敷は驚くべきことに、美しい状態を保っていた。

 

 白い石の壁には蔦が伝い、青い屋根は枯れ葉一つ積もっていない。手前の庭も手入れが行き届いており、芝生は青々と、木には色とりどりの花が咲き誇っていた。

 

 今もここに人が住んでいると言われても何ら不思議ではない。そう思わせるほど、屋敷全体から生活感が漂っていた。

 

 二人でその場に立ちすくんでいると、屋敷から一人の女が顔を出した。苔のような色のガウンを被った金髪の美しい女だ。

 

 

 

「もし、どうかなすったの?」

 

「ああ、うら若きお嬢さん! 僕はギルデロイ・ロックハートと申します。まずは僕と出会えた君の幸運に感謝しよう! それで──」

 

「黙れロクハート」

 

「な、何を言うんだキク!」

 

「静かに」

 

 

 

 凸凹コンビ──方や薄汚れた自惚れ男、方や物騒なものを背負ったアジア系の小娘──の軽妙なやりとりに、女はルビーのように燃え盛る瞳を瞬かせた。

 

 ロックハートに対する対応とは一転、菊は女に対し丁寧なお辞儀をした。

 

 

 

「いや、失礼した。私は菊。さる人の依頼でこの地に参った」

 

「まあ、ご親切にどうもありがとう。私は主人に頼まれてこの屋敷を管理しております、アンジーです」

 

 

 

 アンジーと名乗った女は礼儀正しい菊に喜び、上擦った声で二人を屋敷へ招き入れた。

 

 屋敷の中は清潔なものだった。埃ひとつ落ちていない廊下には燭台がいくつも並び、曇りひとつない燭台が頭上で揺らめく炎を写している。それとは対照的に通る廊下には全く手入れがされていないような部屋が多くあり、中には壁が崩壊して外が丸見えになっている部屋もあった。

 

 

 

「寒かったでしょう? 紅茶を用意しますわ」

 

「お気遣いどうも、レディ!」

 

「ふふ、どうぞお掛けになってお持ちくださいまし」

 

 

 

 廊下の奥の方に一際大きな部屋があった。両開きの部屋を開くと、暖かい空気が頬を撫でた。パチパチと時折爆ぜる暖炉の薪が中央にあり、長テーブルと椅子が何脚か並んでいる。赤い絨毯は年季の入った風ですっかり踏み固められていた。

 

 菊は、屋敷全体からえも知れぬ気味悪さを感じていた。座りが悪いというか、変なのだ。

 

 一度判断を仰ごうと菊は雇い主を盗み見た。

 

 

 

「フフ、上質な椅子に腰掛ける僕。ゆらめく暖炉を眺める僕。フフフ……

 

 ──ん? どうした、キク?」

 

「……なにも」

 

 

 

 盗み見て後悔した。我が雇い主は随分とご機嫌な様子で暖炉に一番近い席、いわゆるお誕生日席に腰掛けてふんぞり帰っていたのだ。

 

 なんて鈍い男だ。

 

 菊はこの男のこういうところが好きであり、嫌いでもあった。

 

 深いため息をこぼしてやれやれと首を振る菊の姿に目を白黒させながらも、再び元の姿勢に戻るロックハート。それを尻目に、菊は違和感の糸を慎重に手繰り寄せた。

 

 

 

「お待たせいたしました、お茶ができましたよ」

 

「おお、レディ、ありがとうございます!」

 

「どうぞ十分にあったまってくださいまし」

 

「ご好意に甘えさせていただきます」

 

 

 

 扉から入ってきたアンジーは、上等そうな白磁のティーポットを浮かせたまま空のカップを配った。菊は物珍しそうに、ロックハートは懐かしむように琥珀色の水面から立ち上る湯気を見つめていた。菊は両手でカップを持つと、ふうふうと息を吹きかけてから一口すすった。ロックハートは角砂糖をふたつとミルクをたっぷり入れた紅茶を、魔法でかき混ぜてから煽った。

 

 アンジーは肩にかけていた苔色のガウンを膝の上に重ね、自分で淹れた紅茶に角砂糖をひとつ落とした。

 

 

 

「さて、何かを調査するためにこの村にいらしたのよね?」

 

「──実は、かつてここに暮らしていた魔法使い一族からの依頼なのです」

 

 

 

 ニコニコとしていたアンジーの顔が明らかに翳った。

 

 菊は内心「釣れた」と確信を得ながら話を続ける。

 

 

 

「なんでも、かつて暮らしていた地に戻りたいとのことで──」

 

「──ダメッ!」

 

 

 

 悲鳴のような、拒絶の言葉だった。

 

 菊の言葉を遮るように椅子を倒す勢いで立ち上がったアンジーは「まだ……」と俯きながら呟く。菊はゆっくりと目を細めながら言葉を続けた。

 

 

 

「我々はこの地に調査をしに訪れたのですが……」

 

「まだ……ダメなの……まだ、まだ……」

 

「まだ? 何がまだなんです?」

 

 

 

 菊の言葉になんの反応も返さないアンジーに焦れたロックハートが畳みかけるように声をかけた。

 

 瞬間、アンジーが弾かれたように顔を上げた。

 

 

 

「ああっ! 帰ってちょうだい!」

 

「帰る? 僕たちがですか? ご冗談を!」

 

「……違うな、この気配は──!」

 

 

 

 芝居がかった大袈裟な身振り手振りで不満を口にするロックハートだったが、アンジーの視線は彼を通り越して窓の外に注がれていた。怯えながら指をパチンと鳴らしたアンジーの姿は空間の捩れと共に音を立てて掻き消えた。

 

 菊は、肌の表面が焼け付くような、強大な魔力を感じ取っていた。火の属性を感じる気配。この気配の持ち主と、彼女は一度合間見えたことがあった。

 

 

 

 彼女はすぐさま非力な依頼主を床に倒した。「なにを!」と文句を垂れている鈍感な男に、菊は窓の外を視線で示した。

 

 

 

「──ードラゴン……?」

 

 

 

 黄金の、冴え冴えとした瞳孔が、縦に細長く裂けてこちらを覗いていた。窓越しに中を覗くぎょろりとした眼球は、それだけで人間の頭ほどはあった。赤く澄み渡るような赤い鱗は火の粉を放ち、その体躯は屋敷とほぼ同じだけの大きさだ。全体的にがっしりとした体格のそのドラゴンは、近代では滅多に見ない、古の、力ある竜であった。

 

 

 

「目を合わせるな、ロクハート。今は気配を断つ式でこちらが見えていないが、それも目が合うまでだ」

 

「あ、あああ……き、キク!」

 

「よしよし、静かにしておれ」

 

 

 

 怯えるロックハートを宥めつつ、念の為懐に忍ばせていた札を使い気配を極限まで薄める菊。

 

 一分経ったのか、はたまた一時間か。

 

 部屋の中を舐め回すように目を動かしていたドラゴンは、やがて踵を返して屋敷の庭から飛び去っていった。影が見えなくなるまでその姿を追っていた菊がようやく腰を上げた。ロックハートも漠々と主張する己の心臓に手を当てて息を整える。

 

 

 

「はは……事実は小説よりも奇なり、とはいうが……」

 

「ド、ドドドドドラゴン!? あんな強大な生き物は他で見たことがないぞ……一体どれほどの年月を生きているんだ……」

 

「少なくとも、君が今まで飲んできた酒の年齢を全て足しても足りないだろうさ」

 

「笑えない冗談だな……」

 

 

 

 気配が完全に遠ざかったことを確認してから、菊はロックハートに肩を貸して暖炉の前の椅子まで移動させた。顔色が紙のように白いロックハートを見て『魔法力に当てられたか……』と母国語でつぶやく。改めて部屋を見回す。ロックハートを庇った際に落とした紅茶が絨毯に赤黒いシミを作っていた。

 

 菊は目を瞑り気配を手繰り寄せると、屋敷の廊下に向かって温かいコーヒーとミルクを一杯ずつ注文した。

 

 しばらくして、おずおずと顔色を伺うように女が背を丸めながら壁をすり抜けて部屋へ入ってきた。手元には湯気が上がる小花柄のカップが二つ浮かんでいる。アンジーは「ごめんなさいね」と子犬のように濡れた目でつぶやきながら、菊にミルクとコーヒーを手渡した。

 

 菊は「どうも」とだけ言い、ゴツゴツとした指を空中で円を書くように回した。すると、小花柄のカップから浮かんだ黒と白の液体が宙で混ざり合い、簡単にカフェオレを錬成した。等分にカップに戻ったカフェオレ。表面に向けてさらに指を向けると、指先から砂糖がぽろぽろと落ちていった。大さじ二杯ほど注いだところで、菊はロックハートへ青い小花の描かれたカップを手渡す。ロックハートは自分好みの甘いカフェオレに少し元気が戻ったようであった。一口含んでから、砂糖が溶けていなかったのだろう、顔を顰めて指先から指先から小さな火を起こしてカップの下から砂糖を溶かした。

 

 依頼主の頬に血色が戻ったのを見て、菊はアンジーに向き直った。

 

 

 

「さて、ミス・アンジー。何が起こっているのか教えてくださるか」

 

「……飲み物を飲み終わったら、今日のところはお引き取りください」

 

 

 

 アンジーは頑なに口を開こうとしなかったが、菊はすでに彼女の心に触れていた。

 

 菊の故郷 日本では、他人に真名を握られることは死を意味する。彼の国では、真名を知られると彼我に縁がつながる。それを利用すれば、心を垣間見ることなど容易く行えるのだ。この術の恐ろしさは、開心術とは異なり当事者に発動を悟られない点である。自然と記憶を思い起こすような感覚で記憶を見られてしまうため、日本の魔法族は不用意に名を明かさないことが多い。事実、菊も本名を周囲に伝えていない。親しい友であるロックハートにさえ教えていない用心深さは、日本の魔法族ならではのものだろう。

 

 

 

 菊は、アンジーの心から流れてくる景色を見た。

 

 

 

 かつて、この地には魔法族と非魔法族が入り混じって暮らしていた。この地の統治者はこの屋敷の主である純血の魔法族であった。

 

 ある時、アンジーは魔法族の子息と恋に落ちた。聡明な、美しい碧眼の青年だった。

 

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

 

 かつての庭は今よりずっと美しかった。

 

 よく手入れのされた芝生は短く刈りそろえられていて、裸足でかけてもちっとも痛くなかったのを覚えているわ。果実のなった木や、小さな花を咲かせる低木は蜘蛛の巣ひとつかかってなかったし、小鳥の家族が仮住まいをしていたの。葡萄棚のトンネルは木漏れ日が煌めいて、彼と私はよくそこを通っていたわ。

 

 

 

「アンジー!」

 

 

 

 ああ、彼の声がする。もう、忘れかけてしまった、彼の声。

 

 木の影からそっと伺えば、ハチミツ色の柔らかな髪を振り乱した彼がいた。

 

 

 

「アンジー!」

 

 

 

 探しているわ。私のことを、探している。

 

 温かい光を灯していた碧眼に浮かぶのは、焦りと、疑念。

 

 

 

「アンジー!」

 

 

 

 でも、ダメよ。もう、“視えて”しまったから。

 

 進行を妨げる魔力の嵐に体が傷ついてもなお、彼は前進をやめない。

 

 

 

「アンジー……」

 

 

 

 本当にごめんなさい。

 

 わたし、あなたに傷ついてほしくないの。

 

 わたし、悲しみたくないの。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 60年前の夏、村は廃村と化した。



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2,古の竜

ロックハートくんって可能性の塊だと思う。みんなすこれ……


竜に睨まれてから、ロックハートはすっかり気勢を失っていた。

 

あれほど冒険譚に焦がれていたのに、今では砂糖を摂取しないと動こうとしない。仕方なく、菊はロックハートに砂糖入りのドリンクを与えてどうにか動かしていた。彼からの依頼は「問題解決」であるからして、この屋敷に起こっている問題を取り除くことが急務と言えた。

 

 村の一角を間借りして簡易的な拠点をつくり、早三日。未だ進展はないが、フィールドワークに勤しむ菊は村の随所で先の古竜の物と思しき痕跡を目にしていた。色々とパーツが集まってきたのでそろそろ依頼主殿に目覚めてもらいたいのが正直なところであった。

 

 菊は抜け殻のようなロックハートにネコチャンマグカップを差し出した。もちろん、中は甘いミルクティーである。

 

 

 

「ああ、ありがとう…」

 

「しっかりしろ、ロクハート。いつまでも腑抜けているでない」

 

「ッ!!!!?」

 

 

 

 淡い色のミルクティーに口をつけた瞬間、ロックハートの全身を悍ましいほどの痛みが駆け抜けた。このまま死んでしまうのでは、と痛みに朦朧とする意識の片隅で思った途端、体の不調は消え、精神的な不安も一切なくなった。これほどまでに心身に影響を与える術は一つしかない。あのイカれた日本の魔術師が使う、気つけの術だ。ロックハートは手のひらにネコチャンマグカップを握りしめながら菊に食ってかかったが、正論パンチのカウンターを受けて撃沈した。菊は目だけでロックハートの体から抜けていく黒いモヤを追いながら口を開いた。

 

 

 

「それでロクハートよ、聞きたいことがある」

 

「…なんだい?」

 

「バンシーとはどのような生き物なのか、また竜の習性についてだ」

 

「そんなこと、魔法族の常識だろう?」

 

「あいにく、私は日本の魔法族だ。こちらのことには疎い」

 

 

 

 ブスくれていたロックハートは、菊に頼られたことで気を良くし、身振り手振りを交えてバンシーについて説明し始めた。

 

 曰く、顔は緑色で骸骨のようで、髪は長い。大きな嘆きの声をだすことで知られているが、理由は不明。名家には専属のバンシーがいるらしいが、噂話の域を出ない。等々、ロックハートはバンシーについてかなり詳しく調べてきたようだが、全て確証がない。

 

 また、竜に関しては一般に情報が出ることはあまりないので有名な話しか知らないが、と前置きの末に唯一知っている情報として「綺麗なものが好き」とだけ言った。

 

 

 

「綺麗なものか…たしかに、日本の蛟(みずち)も黄金や見目が美しい人間を好んで集めていたという話をよく聞く」

 

「ほぉ!こちらのドラゴンと似ているのだな!」

 

「そうだな…よし、ロクハート」

 

「おお?」

 

 

 

ーーおそらく、この村がこうなったのはあの竜が原因だ。

 

 

 

 ロックハートは、菊の言葉を聞いて理解できないような顔を晒した。一拍、二拍と置いて「まさか」という顔をした。

 

 ロックハートにはわかっていた。この血気盛んな異国の友がこんな時に何を言うのか。わかっても尚信じたくなくて、必死に自分に言い聞かせた。「ドラゴンを退治するなんて言わないよな」と。

 

 

 

「あの竜を退治しよう」

 

「何を言ってるんだキミは!!!」

 

 

 

 正気じゃない!と震えながら叫ぶ、と言う器用な真似をするロックハートに構わず、菊は話を続ける。

 

 

 

「して、作戦なんだが…」

 

「僕の話を聞いてくれ?そんな危ないことやめよう!?僕はただの物書きなんだ…戦力には到底ならないよ…?」

 

「うむ、それで大丈夫だ。ロクハート君には戦力として期待はしておらん。だが、花形の役を用意しておるぞ?」

 

「ーーえ?花形?」

 

 

 

 食い付いた。菊は内心笑いながら、この単純な男を乗せるために言葉を募らせていく。

 

 

 

「そうとも、花形。スターとも言う。それともロクハート君はこの呼び方の方がお好みかな?」

 

 

 

ーー作戦の主役。

 

 

 

 

 

ーー主役!

 

 

 

 途端、ロックハートの脳内に稲妻のようにかける幻想。

 

 『あんなにも強い竜を倒したハンサムなロックハート様!』

 

 『あんたこそ最強の男だ!』

 

 『魔法大臣も夢じゃない!』

 

 

 

「はははは…そんな、よしてくれ、僕はそんな…はは…」

 

「ーーよし、かかった」

 

「よぅし!菊よ!主役の座、このギルデロイ・ロックハート様が引き受けてしんぜよう!万事任せたまえ!」

 

「そうこなくてはな!早速、下準備をしよう!」

 

「おう!」

 

 

 

 まんまと菊に乗せられたロックハートは、上機嫌そうに笑った。

 

 菊も、上機嫌そうに笑っていた。

 

 菊はロックハートを拠点内の椅子に座らせると、彼の後ろに立った。

 

 

 

「まずは洗顔だ」

 

「わかった!」

 

「次はスキンケアをするぞ」

 

「わかった!」

 

「散髪と髭剃りだ」

 

「わかっ…まて、なんだその姿勢は…剣に手を掛けて何をするつもりだ!?」

 

「舞台化粧だ」

 

「…主役には華がないとな!」

 

「最後にこの服に着替えてくれ」

 

「なんとも豪華な服だな…僕にふさわしい!」

 

 

 

 終始の煽てられて菊が言うところの”下準備”を終えたロックハートの姿は、先ほどとは一変していた。

 

 輝く黄金色の髪は緩やかなウェーブを描いて顎先あたりに切り揃えられている。不摂生な生活からかさついていた肌は潤いを湛え、透き通るように白く、髭も剃られて清潔感がある。さりげない化粧のおかげで黒いクマはなくなり、瞳には光が戻っていた。服装も見窄らしいボロ布から一転、白装束に金の装飾が施された儀式用の服へと着替えていた。動くたびに微かになる手首の鈴は、大きな挙動ゆえ耳障りになってすぐ取り外したが。

 

 

 

 浮浪者のようだった男は菊の手によって、太陽の化身が如く溌剌とした美を湛える青年へと変貌を遂げた。

 

 ロックハートは鏡の中の自分を見て一瞬驚いたように目を見開くも、すぐに菊を振り返ってウィンクをした。星でも飛んできそうなそれに、菊はイマジナリー星を払うように手を振った。ロックハートは少し悲しんだ。

 

 

 

「では出発しよう」

 

「……待て、竜の元へ行くのか?明らかに装備不足ではないか?」

 

「いや、違う。目的地は先日の屋敷だ」

 

「屋敷?なぜ屋敷に行くんだ?あそこには武器なんてなかったと思うが…」

 

 

 

 疑問で溢れているロックハートに、菊は最低限の知識だけを教える。これもひとえに、小心者のロックハートがこの場から逃げ出さぬように。

 

 

 

「ーーアンジーにも協力してもらおうじゃないか」

 

 

 

 

 

 

 村の奥にある屋敷を再び訪れた二人は、何度家に声をかけても返事がないことを不審に思いながらも、無理に入るわけにはいかず、その場で呼びかけ続けていた。

 

 

 

「ごめんください!」

 

「すみません!!! お嬢さん!!!!」

 

「う〜む、出てこんなぁ」

 

「これは想定外だ…まさか作戦の一歩目から躓いてしまうなんて!僕が主役作戦が…」

 

 

 

 何度目かの呼びかけにも無言が帰ってきたため、二人は顔を見合わせた。

 

 「強行突破」の四文字が脳裏をチラつく。いやいや、それは最終手段だ。それをしたら関係が悪くなり、作戦にも影響を及ぼしかねない。菊は必死に内なる己と戦っていた。ロックハートはなおも諦めずに屋敷向けて大声を張っている。

 

 その時、脳内をアンジーの声が駆け抜けた。

 

 

 

『ふたりとも帰って! 今日はダメなの!』

 

「返事が返ってきたぞ! お嬢さん、お願いです!開けてください!!!!」

 

 

 

 喜びながら先ほどよりも大きな声で叫ぶロックハートを尻目に、菊は首を傾げた。「今日はダメ」?今日でなければいいような言い方に引っ掛かりを覚えながらも、菊はロックハートをせっついた。

 

 

 

「ほれ、もう少しで出てくるぞ」

 

「ああ! お嬢さん!!僕です!!ギルデロイ・ロックハートです!!開けてください!!!」

 

『やめて、帰ってちょうだい! 危ないわ!』

 

「危ない…?」

 

 

 

 菊はアンジーの言葉に考え込んだ。前回アンジーが似たような反応を示した時、何が起きた?菊にはアンジーが人を忌避するような質でないことはとっくに察しがついていた。ともすれば、彼女の「危ない」という言葉は、文字どおり我々への警告?

 

 

 

 その時、菊の肌を焦げ付くような魔法力が焼いた。

 

 

 

「ーーッ!ふせろ、ギルッ!!」

 

「何、をッーー!!ド、ドドドラゴン!!!??」

 

 

 

 ロックハートを突き飛ばした菊は、先ほどまで立っていた場所が業火に焼かれるのを見て背筋を冷たいものが走った。あのブレスに飲み込まれればひとたまりもないだろう。

 

油断。その一言に尽きた。日本にいた頃であれば、難なく感知できたはずのそれに後手に回ってしまうのは、旧友と会えたことによる気の緩み以外の何者でもなかった。

 

 再び相見えたドラゴンに驚愕するロックハートを背に庇い、菊は腰に差した刀の鯉口を切った。

 

 油断なくドラゴンを見据える菊。ドラゴンは火花を纏う赤い鱗を擦り合わせながら、大きく空へ咆哮した。

 

 

 

「シィーーーッ!!」

 

 

 

 刹那、弾かれたように飛び出した菊は、地面スレスレまで体勢を低くしてドラゴンへと駆けた。

 

 そして、一歩強く踏み込むと高く跳躍。

 

 空に咆哮するドラゴンの無防備な首元目掛け、研ぎ澄ました一太刀を刻み込んだ。

 

 吹き出す血飛沫。

 

 菊は刀で切り付けた反動を利用して空中で一回転。ロックハートの側へ降り立った。

 

 

 

 初めて目の当たりにする菊の戦闘に、目を丸くするロックハート。菊の戦い方は欧州では珍しい武器を用いたもので、魔法に頼るイギリス魔法界で育ってきたロックハートにとってはまさに小説に登場しそうなほどに常識離れした、身軽な動作であった。

 

 呆然とするロックハートを抱えた菊は、屋敷の扉を蹴破ると中にいたアンジーに依頼主を放った。当然アンジーが成人男性を受け止められるはずもなく、ロックハートは強かに尻を打つ。菊はそれも見届けずに急いでドラゴンの方へと身を翻した。

 

 

 

 

 

 喉を切り裂かれたドラゴンは、怒り狂っていた。

 

 

 

 生き物としての格が違うはずが、この身を傷つける力を持つ矮小な人間。

 

 

 

 ドラゴンは怒り狂いながらも、熟考していた。

 

 

 

 どうすれば、安全を脅かす小さな生物を消すことができるか。

 

 

 

 ドラゴンは熟考の末に、彼女の守るものに目をつけた。

 

 

 

 

 

ーー即ち、ロックハートを狙うことにした。

 

 

 

 ドラゴンは菊が避けると分かっていて、炎のブレスを吐いた。切り裂かれた傷が内側からブレスで焼かれ、激痛が走る。しかし、ドラゴンに後はない。今までに経験したことがない”痛み”に耐えながら、案の定菊が炎を避けて飛び退くところを視界に入れた。

 

 

 

GURRRRRR‼︎

 

「!!」

 

 

 

 ドラゴンはその巨躯からは想像できないほどに俊敏な動きで屋敷の入り口に近づくと、尻尾で入口を薙ぎ払った。パラパラと白いペンキの塗られた木屑が宙を舞う。見通しが広くなった玄関口で尻餅をつくロックハートを、ドラゴンの黄金の双眼で見据えた。瞬間、殺意で満ちていたドラゴンの心に動揺が走った。

 

 

 

ーーなんて美しいんだ

 

 

 

 ドラゴンは、古来より美しいものを好む。美しい財宝、美しい花、そして美しい人間。

 

 見てみよ、眼前で怯える人間を。黄金のような鬣、知性に満ちた瞳、精悍ながらも甘い顔立ちで、ウム、悪くない。服装だって、どこの意匠か、オリエンタルな雰囲気の豪華絢爛な服ではないか。随所に飾られた黄金が輝いているが、そんなものが目に入らぬほどに、ドラゴンはこの怯えている人間を気に入った。

 

 

 

 ドラゴンは力加減に細心の注意を払い、ロックハートを文字どうり手中に収めた。

 

 満足げな鼻息を漏らしたドラゴンの耳に、鋭く息を吸う音が聞こえた。

 

 

 

ーーあの女だ!

 

 

 

 恐怖の感情が戻ってきたドラゴンは慌てて羽を羽ばたかせた。

 

 そうはさせまいと追い縋る菊だったが、ドラゴンはあっという間に上空へ飛び去ってしまった。あの強大な炎の気配もすぐに消えてしまう。

 

 

 

 深いため息を吐いて刀を鞘に納めた菊は、大破した玄関で座り込むアンジーの元へ歩を進めた。

 




菊はロックハートを「ロクハート」と呼ぶのは訛っていたのと、からかい半分。心の中では「ギル」と呼んでいるので咄嗟の時にはこの呼び名で呼んでいる。気恥ずかしくて今更変えられないけど……という裏設定


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3,作戦開始

 あの後、壊れてしまった玄関口に修復呪文(レパロ)をかけて応急処置をした菊は、呆然と座り込んでいたアンジーを応接間の椅子まで誘導した。焦点が合わず、精神的なダメージを受けている様子だったので、落ち着かせてやろうとお得意のミルクティーを用意してやった。

 アンジーはその上品そうな姿には似つかわしくない安物のネコチャンマグカップを両手に持ち、ちびちびと唇をつけながら椅子に座っている。菊はアンジーが落ち着くのを待ってから話を切り出した。

 

「ミス・アンジー。我が雇い主殿を取り戻すために協力していただきたい」

 

「……ええ、今回は本当に申し訳ないことをしたわ」

 

 アンジーは肩にかかっていた苔色のケープの端を軽く握りながら、ことの顛末を話し始めた。

 

「ここにかつて暮らしていた魔法族の死が”視えた”の」

 

 ”視る”……視覚系の異能か? 

 日本には混ざりモノが多いため、必然的に特殊な力を持つ魔法族が少なからず存在する。先祖が何と交わったかによって能力の方向性も変わってくるが、視覚を司る能力は数ある異能の中でも最上級に貴重で尊ばれるものだ。

 菊は内心でアンジーの情報を整理しながら質問を重ねていく。

 

「それは、千里眼や予知のような異能か?」

 

「そうね……似たようなものよ」

 

「キミは、妖怪なのだろうか」

 

 妖怪。こちらの言い方で言うと魔法生物か。

 

「妖怪……ね。昔はここいらにも河童がいたわ。彼のような存在を”妖怪”と呼ぶのであれば、答えはNoよ」

 

 

 ──私はバンシー。

 

 

 

 

 青々とした芝生が生い茂る手入れの行き届いた庭には、小さな東屋があった。遊び疲れて疲れている彼を初めて連れていったのは、彼がまだ言葉も満足に話せない時だった。それからもう10年は経っているのだから、人間の成長ははやいものだ。

 

「アンジー! 君はアンジーだ!」

 

 ハチミツのように甘やかな髪の少年が、はにかみながらわたしに声をかける。

 

 アンジー、アンジー、アンジー。

 

 名を忘れたわたしでもわかる。

 アンジー。

 これこそがわたしの名前だと。

 

「わたしは、アンジー」

 

「そうだよ! 君はアンジー!!」

 

 小さな腕をわたしの背に回し、全身を使って抱擁される。彼の子供特有の温かさを感じながら、わたしはしあわせな気持ちに満たされた。

 でも、足りない。

 

 何かが足りないの。

 

 

 

 

「アンジー、かわいい服を買ってきたんだ……君に、着て欲しくって」

 

「ありがとうございます、坊ちゃん」

 

「……もう、名前では呼んでくれないの?」

 

 この頃、坊ちゃんの様子がおかしい。わたしなんかに流行り物の洋服やお菓子を下さる。それが偶にであればそういうこともあるか、と納得出来る。しかし、彼は週に2、3度はお土産をくださる。そして、対価に名を呼ばれたがり、断ると子犬のような顔でこちらを見てくるのが常であった。

 

 

 

 わたしは、いつの間にか彼に……

 

 

 

 

 夕暮れ刻。

 赤に沈んだ庭の片隅で、坊ちゃんはわたしの手を両手で包み込み、叫んだ。夕暮れの陽に照らされて真っ赤に染まった坊ちゃんの、碧い瞳が真っ直ぐにわたしを見つめていた。

 

「アンジー! 君が好きだ!」

 

「坊ちゃん……」

 

 その姿が、あまりにもいじらしくて。愛らしくて。

 つい、わたしは彼の手を取ってしまった。

 

 取って、しまったのです。

 

 

 

 ・

 

 

 

 晴れた日は一緒に昼食をとったわ。芝生の上にハンカチーフ敷いて、彼はわたしに笑いかけるの。

 

「アンジー! 昼餉はあそこで食べよう!」

 

「はい!」

 

 

 ・

 

 

 彼が落ち込んだ日は側に寄り添って慰めた。彼の悲しみが少しでも早く言えますように、と祈りながら。

 

「アンジー、今日は父上に怒られたんだ……」

 

「坊ちゃん……ご当主さまもきっとわかってくれますよ」

 

 

 

 ・

 

 

「アンジー……」

 

「……だめです、坊ちゃん。もう手遅れです……逃げましょう」

 

「だめだ。僕が、役目を果たさないと……」

 

 あの日、彼はみんなのために──

 だから、わたしは……

 

 

 

 

 

 ──私はバンシー。

 

 魔法族の一族に親族の死を知らせる、かつての魔法族。

 

 思いもよらぬ言葉に、菊は目を丸くした。

 

 かつての魔法族……つまり、死後未練のある強い魔力の魔法族が雪女になってしまうような類の話だろうか。

 菊は脳内で複数の伝説を思い起こす。そして頭の片隅でロックハートの推測が合っていたことに意外性を感じながらも、事前の情報とはあまりにもかけ離れた事実に彼の詰めの甘さを再認識した。やはり、あいつはダメダメだ。

 太陽に雲がかかり、光源がない屋敷の部屋は一気に暗くなる。

 

「あのドラゴンに、私の仕える一族が襲われて壊滅する場面を見たわ。本来ならスルーしなければいけないことだったけれど、その時、どうしても守りたい人がいたの」

 

「それで、タブーを犯して一族を追い出したわけか」

 

「ええ……正確に言うとタブースレスレ、といったところかしら。当事者に理由が知られなければセーフなのよ」

 

 アンジーは引き攣った笑みを浮かべた。タブーすれすれ、とはいったものの、それはほとんどタブーなのだろう。先に述べた雪女の例でも、家族に自分が元は魔法族であったことを伝えた瞬間、体が溶けてしまったと言う話が残っている。魔法族から魔法生物へ転化したものが、その正体を伝えることには大変な代償が伴うのだろうか。

 アンジーはそのすれすれをついて家族を死の運命から逃したという。それは、大層なことだ。偉大な功績だ。家につく生き物としては最上級の出来栄えだ。

 

 だが──

 

「一族を国外へ逃がせたのだったら、なぜキミは今もここに立っているんだ。もうここに”意味”はないだろう?」

 

「……約束が、あるの」

 

 菊は目を細めた。心当たりがあったからだ。脳裏にアンジーの心から読み取った男性の姿を浮かべながら、菊はアンジーに問いかけた。アンジーはその問いに、懐かしそうに、愛おしそうに目を瞑った。肩にかけた苔色のケープをかけ直したアンジーはその燃えるような赤い瞳を開いて菊をしっかりと見据えた。

 

「約束を果たすためには、あの竜が邪魔なの」

 

「奇遇だな、私もあの蜥蜴をぶちのめさないといけないんだ」

 

「ふふ……そうね、でしたら力を貸してくださる?」

 

 片や約束を果たすため、片や友を取り戻すため。

 魔法生物と東洋のサムライは、手を取り合った。

 

「もちろんだとも、レディ。私が剣となろう」

 

「でしたら、わたしが目になります」

 

 目指すは南西の火山。

 秘匿されし、火竜の巣だ。

 

 

 

 

 廃村より南西に位置する活火山の内部、マグマの火に照らされた洞窟の中に黄金が山積みになっていた。古い黄金の硬貨や宝石の装飾品が山になったそこに、ロックハートは放られていた。

 

「ああ、食べないでくれ!」

 

 みっともなく命乞いをするロックハートだったが、菊に磨かれた美貌は衰えることなくそこにあった。そのおかげで命拾いしているのだが、そのことを彼は知らない。 ロックハートは金貨の山にしがみつきながら叫び続けていた。かれこれ半刻はこの調子で泣き叫んでいる。

 

 悠久を生きる火竜は洞窟の出口側を陣取り、岩肌に寝そべりながら横目でロックハートを眺めていた。

 

「うわああああ!!! 頼む、命だけは!!」

 

 見目が麗しく、キラキラとしていて実にドラゴン好みの男だ。

 ドラゴンはみっともなく泣き喚くロックハートを──それでも崩れない美しさに感嘆しながら──宥めることにした。食べものを与えておけばとりあえずは大人しくなるだろう。そう思い至ったドラゴンは久しぶりに狩りに出かけることにした。幸いなことに、洞窟の入口は断崖絶壁。この人間は空を飛べないようだし、逆らう気概もないだろう。ロックハートの反応や気配からおおよその実力差をわかっていたドラゴンは安心して狩りに出かけていった。

 

 ドラゴンの羽ばたく音が聞こえなくなったのを確認して、ロックハートは涙の跡がついた輝く美貌を醜悪に歪めた。

 

 金だ! 金だ! 黄金だ! 

 

 根は小心者のロックハート。貧困に喘いでいる限界作家は、唐突に目の前にぶら下げられた金銀財宝の虜になった。もはや自分の命などは二の次で、どうすればあの狡猾なドラゴンを出し抜いて財宝を手に入れることができるのか、そればかりを考えていた。

 そして、好機は訪れた。

 

 最大の障害であるドラゴンの外出にロックハートは歓喜に沸いた。羽ばたきが聞こえなくなったのを見計らって懐に隠し持っていた杖を取り出すと、腰元にぶら下がっていた白い絹の小袋に検知不可能拡大魔法をかけた。

 

「ふ、ふははは……はははは! これで大金持ちだ!」

 

「なーにが大金持ちだ。それは置いてけ」

 

 高笑いの瞬間、天井から聞こえる声。ロックハートの笑みが凍りついた。おそるおそる上を見上げると、何かの生き物を象った白い紙の上から黒衣を纏った侍 菊と屋敷の管理人 アンジーがロックハートを見下ろしていた。ロックハートは親に怒られた幼子のように首をすくめた。そして、今回も菊に命を預けることを決めたのだった。

 

 学生時代も彼女の立てた悪戯作戦は、大筋に身を委ねていれば後は菊が臨機応変にサポートをして、最終的には必ず良い方向へと転がっていた。その経験から、今回もなんとかしてくれると彼女に命を託すことにしたのだ。ここで菊のいうことに従わないと、あまり良い結果にならないことはこれまでの経験から知っていた。それに、彼女は自分に誓っていた。「必ず守り抜く」と。東洋の小さなサムライは命に代えても必ず約束を守ることを、ロックハートは知っていた。

 

 しかし、それとこれとは話が別だ。麗しの貧乏作家は一縷の望みをかけてサムライに妥協案を訴えかけた。

 

「──!! そんな殺生なぁ……一掴みだけ! ね!」

 

「だめだ、ほれ、さっさと行くぞ」

 

「ぐぅ……絶対小説に盛り込んでやる……ッ!」

 

 菊は捨てセリフを吐いたロックハートを気にせず、手を差し出す。ロックハートも慣れたように菊の手を掴んだ。辺りの気温は火山というだけ合って高温で、互いの肌がじっとりと汗ばんでいるのを感じた。見た目にそぐわぬ筋力であっという間に上に引き上げられたロックハートは一度深いため息を吐いた。

 

「……して、なぜここにお嬢さんが?」

 

「彼女と私は戦友なのだよ」

 

「ふふふ……そうですね、ともに戦う運命共同体です」

 

「……?」

 

 うふふあははと笑い合うふたりに、ロックハートは女はわからんなぁと独りごちた。気を取り直して、ロックハートを救出した一行は無事に火山を脱出して──

 

 

 

 

 

 

 

 ──いなかった。

 

 ロックハートをはじめから囮として扱っていた菊は、ドラゴンが自分のモノを奪われた時どのような反応をするのか、おおよその見当がついていた。ああいう手合いは所有欲が強い。奪われたことに気がついたらさぞかし癇癪を起こすだろう。それこそが最大の勝機、最大の隙。アンジーの予知を頼りに、菊はその時を待つ。

 

『来ます!』

 

「ロックハート、頼んだぞ」

 

「主役に任せておけ!!」

 

 遠くに聞こえる羽ばたき。

 ドラゴンが、帰ってきた。

 

 

 

 

 ドラゴンは上機嫌に尻尾を振りながら、獲物を抱えて巣へと降り立った。久しぶりの狩りだったので少し手こずったが結果は上々。火山からほど近い場所にある森林で丸々と太った雌鹿を一頭を仕留めた。もう何頭かを仕留めてその場で食い尽くしたドラゴンは、大ぶりの短剣ほどはある大きな鉤爪に獲物を引っ掛けて揚々と火山口にある洞窟へと戻ってきた。

 

 さて、あの美しい人間に餌を与えよう。さすれば泣き止むに違いない。さすればさらに美しくなるに違いない。

 

 ドラゴンはその黄金の眼をぎょろぎょろと動かした。

 

 ──姿がない

 

 ドラゴンは床にそっと獲物を横たえてから、洞窟の奥へと進む。

 

 ──いない? 

 

 金貨の山を回り込んでも、あの黄金は見つからない

 

 ──どこへ

 

 

 

 その時、ドラゴンの鼻腔に嗅いだ覚えのある香りがした。

 汗と、香の香り。

 

 

 ──!!! 

 

 

 

 気づいた時には、時すでに遅し。

 

 

 

 

 

 

 

「チェストォ──ーッ!!」

 

 GRAAAAAAA !!!! 

 

 鮮烈な痛みが、ドラゴンの胸元に走った。

 たまらず叫ぶドラゴンに、気配絶ちの式を用いて潜伏していた菊はすぐさま追撃を行う。ドラゴンの血が滴る刀を一度鋭く振って払った菊は、懐から氷結の式を手に出した。

 その数、5枚

 術者の体液をつけることで発動する式に、指の腹を食い破って血の一文字を切った。白い和紙の中央に引かれた赤い一本線は染み込むように紙の中へ溶けていく。それを菊が宙に投げると、浮きながらドラゴンを囲うように移動した。それも見届けずに菊は再び刀を鞘に収め、鯉口を切る。切り付けられた胸を押さえながらゆっくりと起き上がるドラゴンを下から見据える菊の脳内にアンジーの声が響く。

 

『右によけて! 次は左!』

 

 未来視による予知に従い、菊はドラゴンのブレスを紙一重で避けていく。何度も痛みを与えられて怒るドラゴンは、感情に合わせて広がる火花をより一層噴出させた。鱗の表面に絶え間なく散る火花で、洞窟内は断続的に照らされている。

 菊はドラゴンが口内にブレスをためる一瞬の隙をついて、刀を振りかぶった。既に塞がりかけている喉元の傷を狙って振るった刀はドラゴンに間一髪弾かれてしまう。ズレた軌道をそのまま利用して鋒(切っ先)を返し、再び一閃。

 剣先はドラゴンの傷を擦り、血が再び噴き出した。

 痛みに堪えながらも正確に菊を狙って尻尾を一薙。アンジーの予知のおかげで菊は余裕をもって宙に飛び上がった。

 再び吐かれたブレスを転がって避けた菊は、服についた土埃を軽く叩くと、ドラゴンの方を向いてニヤリと笑った。

 

「寒いのは好きか?」

 

 ドラゴンを囲んでいた五枚の式が青い光を放ち、足元から氷が噴出する。活火山特有の高温はみるみる内に下降して行き、洞窟内に霜が降りた。火花を放っていた竜の体にもすっかり雪が積もり、動きが鈍くなっていく。変温動物ならではの弱点だ。「所詮トカゲよ」と菊が口の中で呟く。菊は再び刀を握ると、力強く地を蹴って飛び上がった。風で一つにまとめた黒髪が背でたなびく。

 

 両手で柄を掴み、ドラゴンの額に突き立てんとしたその時。

 

 ドラゴンが大きな瞳に愉悦の色を湛えてこちらを見返していた。

 

 菊の背に冷たいものが走る。

 

 ──やられた

 

 菊の目には顎門を開き、魔力を喉奥に溜めるドラゴンの姿がいやにゆっくりと見えた。

 たらり、とこめかみを流れる汗。

 

 脳内では、アンジーが叫び声を上げていた。

 

 GAAAAAAAAA !!!!! 

 

「ッグゥ────!!」

 

 瞬く間に炎のブレスに飲み込まれた菊に、アンジーは動揺を隠せなかった。ドラゴンのブレスは魔力を含んでいるため、通常の炎耐性魔法は効果がない。しかも、このドラゴンは古より生きる知性ある生き物。そんな力あるもののブレスだ。いくら菊が強かろうと、アンジーには彼女の生存は絶望的に思えた。

 火山口上空で白い折り紙の鶴に乗り、待機していたアンジーは涙をこぼしながらロックハートに叫んだ。

 

『ロックハートさんっ!! キクさんが、ドラゴンのブレスに……!!』

 

「何?! クソ、僕の出番か?!」

 

『ロ、ロックハートさん!』

 

 菊がブレスに飲み込まれたと聞いたロックハートは乗っていた箒の先を真下に向けた。かつて彼が乗りこなしていた、現役時代の箒だ。握るのもまたがるのも久しぶりだったが、練習したことはそうそう忘れない。軽く杖を振って風除けの呪文をかけることで視界を確保すると、ロックハートは学生時代の腕前を存分に披露した。立ち上る黒煙を切り裂き、マグマの滝をくぐり抜け、繊細に、時に豪快に箒の先を動かす。そして彼は、半ば突っ込むようにドラゴンの住処たる洞窟の中へと舞い戻った。

 

 ドラゴンは奥を向きながら炎を吐き続けており、菊の姿は未だ見えない。ロックハートは腹の底から声を出した。

 

「ドラゴンよ! 僕が相手だ!」

 

 ドラゴンは歓喜した。取り逃した獲物が、まんまと帰ってきたことに。ニンマリと不気味な笑みを浮かべると、菊に向かって吐き続けていたブレスを止めてロックハートへ向き直った。

 乗ってきた箒に跨ったままドラゴンに杖を向けるロックハートは、勢いのまま杖を振り上げた。

 

「ステューピファイッ!!」

 

 杖の先からヒョロヒョロと頼りなく飛んでいった赤い光線は、ドラゴンの体に触れる前に掻き消えた。火竜の纏う魔力層に弾かれてしまったのだ。小馬鹿にしたように鼻を鳴らすドラゴンを見て、ロックハートは顔色を変えた。彼は根が小心者なのである。元来、このように強大で生き物としての格が違うようなモノと進んで対峙しようとは決して思わない。むしろ真っ先に逃げ出す人種だ。

 

 しかし、彼はここにいる。

 

 それはひとえに金に目が眩んだから。その一言に尽きる。ドラゴンを倒すことで得られる名声も捨て難い。ロックハートは真剣に、この竜を打ち倒そうと思って、この場へと戻ってきたのだ。

 

 顔面蒼白。汗をびっしりとかき、震える腕を振り上げて。

 

 彼は再び呪文を唱えた。

 

「す、ステューピファイッ!!!」

 

 真っ直ぐ勢いよく飛んでいった光線は、やはりドラゴンの表皮に届くほどの威力は持ち合わせていないようだった。先ほどよりはマシだが、宙で消失している。ドラゴンは再びバカにしたように鼻を鳴らした。

 

「ステューピファイッ!!!!」

 

 再び光る杖先。その光の色は、青。呪文はドラゴンを通り越して、向こう側の壁に衝突。霧散した。またか、と呆れた様子のドラゴンだったが、ふと違和感を覚えた。

 

 ロックハートの、恐怖と安心の入り混じった表情に。

 

 洞窟内の気温が急激に上昇していくことに。

 

 自分の本能が叫ぶ、危険信号に。

 

「吹っ飛べ!!!!」

 

 ──おんなの、こえ。

 

 

 

 振り向いた先には、瓦礫の中で立つ菊の姿。ふらふらと立ち上がる姿はまさに満身創痍。しかし、菊の瞳は決して死ぬことなく、勝利への飽くなき渇望を秘めている。

 たらりと流れた鼻血をそのままに、菊は顕になった左掌をドラゴンへ向けた。 焦げついた服から覗く、鈍く光る鋼鉄の左腕から巨大な光線が放たれる。

 反動で壁に叩きつけられた菊だったが、ドラゴンに放たれた極大の光柱は瞬時に彼の右肩を穿った。

 痛みに耐えかねたように叫ぶドラゴンの体にはもう火花は散っていない。魔力の装甲も一緒に消え失せたのだろう。菊は箒にまたがるロックハートに叫んだ。

 

 

 

「ギル!!」

 

「まかせろ!」

 

 

 

 ひらりと白い服をなびかせて地に降り立ったロックハートは、豪奢な金髪の合間からドラゴンを睨め付けた。そして、手に握っていたスラリとした杖を振り上げると、ドラゴンに向けて呪文を放った。

 ドラゴンはロックハートが放ってきた魔法を考えた上で、彼を無視した。脅威度は確実にロックハートよりも菊の方が高い。ドラゴンは自らの硬い装甲に風穴を開けた菊に対して最大級の警戒を持って立ち上がった。

 

「ステューピファイッ!! 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──なんてね」

 

 

 

 サクラの杖先からこぼれ落ちるように優しい色の光がドラゴンへ向かい飛んでいく。菊と相対するドラゴンはロックハートの呪文をモロに浴びると、一度、二度と体を前後に揺らして地に倒れ伏した。




お気に入り・しおり・評価ありがとうございます!!!


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4,作戦完了

こんな捏造だらけの自己満小説読んでくれてありがとナス!
か、感想もくれてええんやで……(欲望)


 洞窟に菊の式神──折り鶴型の乗り物──に乗って登場したアンジーは、ロックハートの手を借りて式神から飛び降りた。マグマの近くということもあって地上よりも高い気温の洞窟内で、アンジーは苔色のケープを肩から外した。簡単に畳んで片手にかけると、その場で菊に向き直り、深々と頭を下げた。

 

「この度は、本当にありがとう……!」

 

 アンジーの心の中は、感謝の念で満ちていた。彼女がこの地で独り、ドラゴンと戦い続けて60年が経っていた。追い払うことしかできなかったあの強大なドラゴンは、菊の手によって小さな(たま)に変えられてしまった。一人で成し得なかったことが、一人の武人のおかげで──いや、二人の魔法使いの手で成し遂げられたのだ。アンジーは二人に深い感謝を抱いていた。それこそ、抱えきれないほどに。この大きな恩を、どうやって返そうか。アンジーには到底その手段が思いつかないほどに、深い恩であった。

 

 菊はそんなアンジーを見て静かに首を振った。

 

「いや。キミは宣言通り、私の目となった。キミも共に戦ったんだ、礼を言う必要はない。むしろ感謝をすべきはこちらの方だ。雇い主が迷惑をかけた」

 

「え?」

 

 菊はまっすぐにアンジーの目を見て、そして頭を下げた。パサリと黒い長髪が肩を叩く。ロックハートは「え、迷惑? 礼はいらない……?」と菊の言葉を信じられない様子で反復している。アンジーは目を瞬かせると、ゆっくりと微笑み、言葉を重ねた。

 

「それでも……それでもです。ありがとう、あなたのおかげで、ようやく約束を果たせる……」

 

 約束。

 

 アンジーが、守りたかった男と交わした約束。

 

 60年の時を経てようやく果たせそうだと、アンジーは胸中で彼との約束について思いを馳せる。それに切り込むように、菊が鋭く言葉を発した。

 

「その事についてだが、キミに話がある」

 

「話……? なんでしょうか」

 

 心底不思議そうな顔で見返すアンジー。菊は傷ついた体を気にするそぶりも見せず、スタスタと洞窟の奥──高く積み上げられた金貨の方へと歩いて行く。後ろからロックハートが、さらに後ろからアンジーが追随する。菊が歩みを止めたのは金貨の山で隠れた影の部分であった。初めに追いついたロックハートは、険しい顔をする菊の隣に並び立って、そして呆然と口を開けた。

 

「これは……?」

 

 そこはぐつぐつとマグマが煮えたぎる火山の奥底からほど近い、壁にできた横穴のさらに奥、金貨の山の裏側。天井には崩落でもしたのか小さな穴が空いていて、そこが光源の一つとなってぼんやりと岩肌を照らしていた。マグマから吹き上がる熱風は金貨の山に遮られて幾分か和らいでいて、小さな穴から入り込む涼やかな空気そして、一筋の赤い光がまるでスポットライトのように照らす先には、なんとも古めかしい気配があった。

 

「……!」

 

「なんと! 見覚えがあるのかい?」

 

 ”それ”を見た瞬間、アンジーは目を見開いた。

 

 光の輪の中央で、片膝を地についたシルバーアーマーが、両手で掴んだ剣の柄に頭を預けるような風体で項垂れていた。近頃ではめっきり見ない、いわゆる実践用の甲冑だ。そよそよと頭上で揺れるサンダーバードの風切り羽根は年月を経てすっかり色褪せていて、胸に刻まれた 葡萄蔦に(ぶどうのつた)に囲まれるサンダーバードの意匠はひどく黒ずんでいる。シルバー特有の輝きは失われ、石の彫刻のようにそこにただずんでいた。

 

 片膝をつくフルアーマーの手に握られた、古い力を感じる剣に目を細める菊。地に深く刺さった剣先は、縫い止めるように黒い()()()を貫いていた。

 

「──坊ちゃん!」

 

 アンジーは手にかけていたケープを放り出して、弾かれたようにアーマーに駆け寄る。眼前で(ひざまず)き、震える指先でそっと兜を開けると、その場で顔を覆って泣き崩れた。ロックハートは肩を震わすアンジーの肩にそっと白い上着をかけて慰めるように背を撫でる。それに構わず、菊はアーマーの顔の部分──アンジーが持ち上げたそこを覗き込む。

 

 そこには、人の顔があった。彫りの深い欧州特有の顔立ちは雪のように白く、金の混じった赤毛が幾筋か額で揺れる。固く閉ざされた瞳は開かれることがなく、閉ざされた厚めの唇はすっかり乾き切っていた。

 

一見、精巧に作られた彫像のようにも見える顔に、菊は見覚えがあった。アンジーの記憶の中で垣間見た、あの偉丈夫だ。

 

 先ほどよりも強い()()を目の端で追いながら、菊はロックハートに慰められているアンジーに向き直る。

 

「あー、その、知り合いだったりする?」

 

「──あの日逃げたはずなのに……なぜこんなところに……っ!」

 

「この剣からは呪いの気配がする。私の故郷に伝わる、国家特有の呪法だ。剣の先を見てみろ」

 

「? 何もないじゃあないか。こんな時にふざけるもんじゃないよ、菊」

 

「ロックハートに才がないのはとっくにわかっている。こちらの魔法族のほとんどは才能がない。──だが君なら、すでに魔法族の枠を超えた君なら。それ、視えるのではないか?」

 

 アンジーは柘榴(ザクロ)のような死の色でじっ……と菊を見つめた。えも言われぬ人外の気迫が菊の身体を打ち叩く。静かに瞬きをして、そして菊は背後で気圧されたロックハートを振り返った。白い装束を着たままにそこでひっくり返っている姿に貸し与えた服を綺麗な状態で回収することを心の隅で諦めて。剣だこの目立つ硬くて小さな象牙色の手が白魚のような大きな手を掴む。見た目以上の力で勢いよく立ち上がったロックハートはたたらを踏みながらも何とか立ち上がると、白い服ゆえに目立つ土汚れが気になったのか、裾など目につく範囲の衣服に杖を先を向けて清めていく。

 

 感情の昂りとともに溢れる魔法力に照らされて、あたりは燃えるような赤に染まっていた。パチパチと火花が散るような音が耳に届く。

 

「君には、これがどう見える」

 

「……」

 

「気づいていないようだから言うが、君の気配は初めて相見えた時からただの魔法生物のようには感じられなかった。ほんの少しの違和感が常に付き纏っていた。──()()()()んだ、君の魔法力は」

 

「……」

 

 菊がアンジーに招かれた屋敷の中で感じた違和感。それは、魔法生物にしては性質の趣が異なる存在に対して抱いたものだった。家庭を守る存在、魔法族に奉仕する生物にしては、攻撃的な魔法力をしている、と。

 

 そして今、感情の昂りに合わせてアンジーの体から立ち上る”()()()()()”魔法力は現実世界にもその性質が可視化されるほどに、大きなうねりとなってその場を支配していた。パチパチとなる火花は、熱を感じる炎の気配は、先ほどまで対峙していた強大な生き物を彷彿とさせる。今や小柄な少女の深緑は炎に覆い隠され、火の気配を滾らせる姿にロックハートは瞠目した。

 

「目が……」

 

 ガーネットのように真紅の輝くを放っていたアンジーの瞳は炎に覆い隠された一瞬のうちに、まるで爬虫類のように冴えざえとした金色に変化した。ロックハートはあまりにも既視感のあるそれに、唇を戦慄かせながら指を刺して後ずさった。

 

「ド、ドドドラゴン!!!??」

 

「うるさい」

 

 一刀両断。嗜められたロックハートは即座に反応し、菊に詰め寄る。信じられないと言うように頭を振りながら、大袈裟なまでの身振り手振りでその驚きを伝えようと必死の形相だ。

 

「うるさい!!? キク!! ドラゴンの目だぞ?! ゴーストの類いか?!」

 

「黙っていろ」

 

「ゥキィ──ッ!!」

 

 何を言っても響かない様子に、ロックハートは先ほどまでの恐怖を忘れたように顔を赤くして叫んだ。

 

 一方、菊はロックハートの戯言を受け流しながら”目”を凝らしていた。炎を滾らせるアンジーは、バンシーというよりはむしろ怒れる炎の精霊のようであった。

 

「……GURRR」

 

「オイオイオイ、キク?! どうしちゃったのこのヒト!! やっぱりゴーストか?! ゴーストだろ!」

 

 だらんと弛緩した四肢が、操り人形のように不自然に持ち上がる。右腕が上がり、左腕が上がり、低い体勢を取ってこちらに顔だけを向ける。アンジーはまるで獣のような姿勢でこちらの出方をジ……、と見つめていた。警戒心も露わにこちらを見つめるアンジーの姿を観察していた菊は、使い物にならなくなった左腕を乱暴に引き抜くとその場に放る。鋼鉄の左腕は鈍い音を立てて重鈍にその場に横たわった。

 

 菊はその場で右腕を腰に差した刀にかけ、鯉口を切る。親指でそっと持ち上げるように軽く握り込むと、強く踏み込んで飛び込む。

 

 炎に飲まれたアンジーは、その黄金の瞳を菊に向けながら握り込んだ拳を地に打ちつけた。それと連動するように地から噴き出す炎柱を、菊は俊敏な動きで避けながらどんどん近づいていく。

 

 次第に近づくアンジーの姿。深緑の長髪は炎のように燃え上がり、体全体を炎のような魔法力が覆っている。縦長に裂けた瞳孔が、黄金のような冷たい瞳が、若干の恐怖心と怒りを湛えてこちらを見据えていた。パチパチと弾ける火花で視界が点滅する。菊は静かに深呼吸をし、そして再び”()”を凝らした。

 

 そのチロチロと空を舐める炎の、その影。不自然に伸びたその先には地に突き刺さった古い剣が──

 

「シィ──ッ!」

 

「GAAAA‼︎」

 

 狙い澄ました一撃は、アンジーの横を通り過ぎて固い地面に振り下ろされた。途端、つんざくような悲鳴が洞窟内に木霊する。「うお、なんだこれは……」とロックハートが悲鳴を上げた。古い剣が縫い付けるように地に差し留めていた”影”が、才能のない彼にも見えるほどに力を露わにしているのだ。急激に上がった魔力濃度のせいで心なしか呼吸も苦しい。今や洞窟内は()()に近いほどにその魔法力を滾らせていた。

 

 アンジーに繋がっていた”()”は、菊の一太刀によって断ち切られ、まるでミミズのようにうねり蠢いた。体から吹き出していた炎の気配はたちまち消え失せ、ひどく疲れた様子の女が一人その場に蹲った。

菊は振り抜いた刀を鞘に納めながらアンジーの横を通り過ぎると剣の元まで歩みを進める。

 

「この剣にかけられた呪いは、かのドラゴンの魂の切れ端をこの地に差し留めていた。矮小(わいしょう)な人の身ながらこのような偉業を果たすとは、なんと豪気な男だ……」

 

 剣の前でしゃがみ込み、検分していた菊はやがて感嘆した様子でそう呟いた。地中深くに差し込まれた剣は先程まで濃密に放っていた呪いの気配がなく、何の変哲もない古びた武器そのものだ。その剣を支えに片膝をつく男──坊ちゃんの着込む甲冑にそっと手を触れると指先に青白い粉が付着した。魔法力を帯びたそれに、菊は見覚えがあった。

 

「魂をってことは……さっきの影みたいな気持ちの悪いやつは、ドラゴンの魂とでもいうのか?」

 

「そうとも、友よ。その通りだ。この男は、人の身でありながら一人で強大なドラゴンに挑んだのだろう。見ろ、何人たりとも傷つけられないと謳われるアダマンタイト製の魔法甲冑がこんなにも抉られている。想像するに、壮絶な戦いが起きたのだろうな……」

 

 アダマンタイト──それは300年ほど前まで採掘報告のあった、魔法力を帯びた鉱石である。ほかのどの鉱石よりも頑強であり、ドラゴンの顎にも耐えうるという逸話が残っている。当時から非常に高価であり、それを全身に使った甲冑となると、非常に稀なものと言えるだろう。かく言う菊も、その生涯で目にしたことのあるアダマンタイトは純正ではなく、ほかの鉱石と混ぜてあるものである。その知名度は魔法族に限らず、非魔法族の間でも架空の鉱物として取り上げられることがあるほどだ。

 

 どちらにせよ、この男が着込む甲冑は片田舎の魔法族が所持していたとは思えないほどに貴重で、頑強な、戦闘に特化したものなのである。

そんな硬い甲冑を抉るほどの攻撃を受けて尚、この男はここにいる。

この洞窟で、このドラゴンの住処で、彼の者の魂を縫いとどめている。

 

 ──なんと言う武勇か

 

 菊は、日ノ本の武士は、戦いに従事するものの端くれとして、異国の戦士に深い敬意を抱いた。日ノ本の魔法族に流れる戦士の血筋が、あの強大な生き物にひとりで立ち向かったことに、そして目的を果たしたことに感服したのだ。

 そして、菊は”()”を凝らして、”()”を澄ませて──そしてひとつ頷いた。

 

「──想いはまだ、ここに残留している」

 

「……ぇ?」

 

「体は溢れんばかりの魔法力に支えられて、まだ保たれているが時期に尽き果てるだろう。だが彼の想いは、彼の言葉は、いまだここに──」

 

 アンジーの目が、柘榴(ザクロ)色の瞳が溢れんばかりに見開かれた。

 

 菊は望洋(ぼうよう)の眼でこちらを見返すアンジーにニコリと笑みを向けて勇猛なる無名の騎士に向き直った。甲冑の指をそっと剥がして剣の柄に手をかける。そしてグリップ部分を強く握ると、そっと大地から引き抜いた。楔がなくなり、この地に縫い留められていたドラゴンの魂が宙に飛び出す。右往左往と宙を飛び交った末に、呆けた顔をしているロックハートの方へと飛んでいく。「なんで僕の方に……!」と慌てて逃げるロックハートの背後から、正確にいうと腰元の白いポーチの中へ黒いモヤの塊が吸い込まれていった。

 

 一方で菊は魔法力を剣に供給しながら、甲冑のそばに佇んでいた。体内からぐんぐんと失われる熱に涼しい顔で耐えながらアンジーを見据える。不安と悲壮、期待が複雑に混じった色でアンジーは地面に座り込む。体感で半分以上の熱──魔法力──が失われた時、ようやく剣に変化が現れた。

 青白い幻想的な光が剣から溢れ出て洞窟内を照らす。あるところまで光が強くなった時、”()()”は現れた。

 

『アンジーは怒るかな』

 

「坊ちゃん……!」

 

 洞窟の中でぼんやりと浮かぶ人のシルエットは徐々に明確な形を成し、やがてひとりの青年の姿を模った。地に座り込んだ赤毛の青年がは荒く息を吐いて目を固く瞑っている。周りには崩れた岩。どうやら不自然に洞窟内に空いた穴は彼が原因らしい。青年はぽつりと呟く。

 

『どうかアンジーが無事でありますように』

 

 哀しみと恐怖、そして愛に満ちた顔で前を向く。土と血で汚れた顔で上を向く。天に空いた穴から注ぐ太陽の光を浴びて、青空を仰ぎ見る。晒された喉仏は産毛に汗が細かく付き、一本一本がキラキラと光っていて、まだ彼が生きているのだとその生命の力強さを伝えていた。身に纏うアダマンタイト製の比類なき頑健な鎧は既に破損し、だらんと下に下がった指先から内部で溜まった血がポタポタと滴っていた。見るからに満身創痍である。

傍には抜き身の剣が落ちていて、一戦を交えた直後であるのは容易に見て取れた。

 

 青年はふうふうと荒い息を吐きながらぎこちない動きで腕を上げると、窮屈そうに指を首元にかけて金属のチェーンに通されたロケットペンダントを首元から乱暴に引き抜いた。そして血で赤く染まる右手で握り込んだロケットペンダントを額に当てて、哀しそうに、それでいてどこか幸せそうに口を開く。

 

『僕の愛するヒト、どうか幸せに』

 

「──ああ、あぁ、どうして……」

 

 思わず、アンジーは地に座り込んだまま幻想に手を伸ばした。白磁の肌をツウと涙が伝う。烟るような金糸のまつ毛の奥から熱を持った何かが、やるせない気持ちと共に溢れ出る。ガーネットのようなぱっちりとした瞳から次々に溢れ出る涙をそのままに、彼女は顔を悲しげに歪めた。

 

 ──助けたはずの彼。

 

 ──逃げたはずの彼。

 

 

 

 ──……拒んだはずの、彼。

 

「どうして……どうしてあなたは、こんなわたしに……あなたの手を払ったわたしを……!」

 

 岩肌に座り込んだアンジーは青年の意図を知って耐えきれずに慟哭する。逃げたと思っていた。助かったと思っていた。幸せを、願っていた。自分が犠牲になることで、あのドラゴンはきっと彼を追わないと思っていたから。わたしは彼を隠す呪いを込めて、代わりの指標となる彼の魔法力を帯びた指輪を屋敷の奥へと隠した。

 

あたかも、坊ちゃんがまだそこにいるかのように。屋敷を襲っては消えるドラゴンを不審に思ったこともある。まるで”タイムリミット”があるかのように慌てて火山の方へ飛び去る姿を、60年もの間、わたしは見送り続けてきた。

 

 ──ひとえに彼の無事を祈って。

 

 だが、彼が60年前に、すでにここで力尽きていたとしたら。

 

 アンジーは不意に、鳩尾(みぞおち)の奥にどす黒い()()()がぐるぐると渦巻いているような、胸の奥で眠っていたものが鎌首をもたげたような、そんな感覚に襲われた。彼女の眦から絶え間なく涙が流れ、瞬きもせずに洗い息を吐いて座り込む青年を見つめている。青年は額に当てていたロケットペンダントを力無く放す。カラン、カランと甲高い音を立てて、彼らの思い出は暗闇の中に転がっていった。

 

 青年は血に塗れた左手で乱暴にフェイスメイルの全面を閉じると、傍らに落ちていた剣に手を伸ばす。音が鳴るほどに強くグリップを握りしめ、膝に手を置いて、必死に立ち上がった。眼前に鋒が揺れる。彼の想いに呼応する形で揺れ、立ち上る魔力が剣に収束していく。

 

『もし、次の世があれば、僕は君に逢いにいく──』

 

 おぼつかない足が地を蹴ったその瞬間、菊は魔力の供給をやめた。それは、彼女自身の魔力量と疲労が度外視できないラインに達したことも理由の一つだが、それ以上にアンジーの精神状態を考慮してのそれだった。

 宙で掻き消える青年の残滓にそっと手を伸ばすアンジー。その背後から珍しく空気を読んで静かにしていたロックハートがゆっくりと、気まずげに歩み寄ってきた。放り出されたアンジーのケープを手元で畳みながら、涙を流す彼女の横に並ぶ。

 

「あー、その……なんだ、君のボーイフレンドは最後まで君のことばかり話していて……いい、人だったんだな」

 

「おまえってやつは本当に……ハァ」

 

「何だ! 最後まで言ってみろ!」

 

「デリカシーがないな」

 

「……すまない」

 

 ロックハートのデリカシーのなさは共に過ごした数年間で身に染みるほどに理解している。それでも溢れた小言に、多少は自覚があるのか、彼はその大きな肩幅を少しでも縮めようと身をすくめた。

 

 アンジーは泣き腫らした赤い目で菊とロックハートのやりとりをしばらく眺めていた。話がひと段落する頃には少し気分が良くなったようで、会話の応酬に笑みを口端に乗せながらロックハートの手にあるケープを受け取った。

 

「……もう大丈夫なのか?」

 

 徐に立ち上がったアンジーがふらつくのを片手で支えながら、心配そうにロックハートが問いかける。奴は心底自分が好きで、他人のことなどどうでもよくて、性格も良くなくて。どうしようもない奴だけれど、根はいい奴なのだ。菊はロックハートのそんな善良な根本の性質を気に入っている。

 

「ええ。……まだ心の整理はついていないけれど、まずはここを出たいわ」

 

「すまないが、彼の身体はここに置いていく」

 

「……そう」

 

「案じるな。彼の魂はすでにここにない」

 

 菊は菊なりにアンジーのことを励まそうとしているが、あまり効果が見られずにロックハートが天を仰いだ。慣れないことをするから、と。人に寄り添うことをしない菊がアンジーの心の(わだかま)りをほぐすなんて、土台無理な話だったんだとロックハートは胸中でつぶやいた。

 

 

 いつしか崩落した天井の穴から差し込んでいた光は消え、辺りはすっかり闇に覆われていた。




しおり・お気に入り・評価ありがとう( ◜ω◝ )
何度も見てはニマニマしてます!
今日から17時投稿!


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5,月明かりの下で

朝起きたら日間ランキングに載っていたのですが……幻覚?!
嘘です、読んでくださった皆様ありがとうございます評価してくださった皆様ありがとうございます感想くださった皆様ありがとうございますしおりお気に入りしてくださった皆様ありがとうございますココスキも見てますありがとうございます!!!!


 剥き出しの岩肌を白い光が時折照らす日没後の洞窟内。

 

 ルーモスを杖先に、あるいは光る折り鶴を近くに侍らせながら、疲労困憊の魔法使いたちは汗を滴らせ、蒸し暑い洞窟内を彷徨っていた。

 元の道を引き返すことが体力的に難しいと判断した彼らは、外部に通じる道があると信じて捜索を続けていた。断崖絶壁マグマ直結の出入口から出るにも、天井に空いた穴から出るにも魔法力に余力がないのが事実だった。

 

 作戦があったとはいえ、悠久を生きる力あるドラゴンとの戦いは体力以外にも様々な部分を消耗させていた。

 

 菊は左の義腕と魔力を。

 ロックハートはそもそも作戦を知らされておらず、自ら柔軟に対応しなければいけなかったプレッシャーと魔法を当てるための繊細な魔力操作から精神を。

 そしてアンジーは千里眼を多用したことによる脳の過労。

 

 もはや彼らには箒で真っ直ぐに飛ぶことや式神を飛ばす力を出すことさえ叶わなかった。

 

 そもそも彼らがいる洞窟は火山の奥底にあるマグマから数十メートル上にある横穴である。果たしてこんな場所に外部と通じる道があるのだろうか。必死に壁を叩いて回るロックハートを尻目に、菊は顎先から滴る汗を乱暴に袖で拭いながら思わずぼやいた。

 

「どれだけ見ても岩肌があるだけじゃないか……」

 

「そもそも出口なんて存在するのか? 私は大人しくここで休んだほうがいいと思いますよ……」

 

 顔を顰めた菊に遠方から投げやりに応えたロックハートも、すっかり疲労に満ちた顔つきだ。貸し与えた白装束はすっかり土で汚れ、裾に至っては擦り切れている。彼の手元を照らす杖先の白色が、装束にうすらと銀糸の刺繍を浮かび上がらせた。

 

 菊の魔力は限界に近かった。日本魔法界でも屈指の魔力量を誇った彼女であっても、奥の手である義腕からの光線(ビーム)やドラゴンとの戦い、操られたアンジーとの戦いと、さらには過去の想いの具現化までを一手におこなった。

 

 その結果が全身に擦り傷や火傷がつき、破れた黒い袴の合間から白い包帯がチラリとのぞく有様だ。近傍の光る式神も出すのに苦労するほどに、彼女の体は限界に近かった。それに加えて洞窟内は異様な蒸し暑さに満ちている。ガリガリと精神が削られていく音が聞こえるようだった。

 

「アンジー……落ち込むのはわかるが、少しは協力してくれないか? このままでは一晩はここに足止めだ」

 

 疲れ切ったという表情を隠そうともせずに、菊はその場に座り込んでアンジーに声をかけた。アンジーは青年の幻想が消えてから、虚無を抱えた顔をして下を向いているばかり。洞窟探索にもはなから参加していなかった。初めはロックハートに宥められて黙っていたが、体力も限界に近い菊には余裕がなかった。

 今まで声をかけられても反応を示さなかったアンジーが、不意に立ち上がった。そしてよろよろと歩き出すと、洞窟の奥に鎮座する金貨の山へと近づいていった。

 

「……知っている気がします」

 

「何?!」

 

「私は……ええ、金貨の山の中にある魔法陣からここに来たことがある」

 

 アンジーがぼんやりとした瞳のまま放った言葉に藁にもすがる気持ちで飛びついたロックハートが目の前に聳える金貨の山を猛烈な勢いで崩し始めた。腰元の検知不可能拡大呪文をかけた袋の口を開きながら、体全体を使い泳ぐように金貨を捌いていく。その姿はまさに「金の亡者」そのもので、遠くから見ていた菊は思わず顔を顰めた。そして喉の奥で「みっともないな……」という言葉を飲み込んだ。彼のハートの脆さは共に過ごしていて何度も実感している。その分立ち直ると強いが、面倒臭いという思い出の方が強い。女学生に振られた時のロックハートは特に。思い出したくもない思い出を振り払い、菊も片腕ながらロックハートの手助けに入った。

 

 二人で協力した事で、巨大な山は瞬く間に小さくなっていった。そして洞窟の床が露出すると、ロックハートが指を指して歓声を上げた。

 

「何か光ってるぞ!」

 

「……確かにこれは魔法陣だ。薄らと魔法力を感じる」

 

 ここ掘れワンワン。ロックハートは最後の一枚の金貨にそっと接吻をしてから大事そうに袋に仕舞い込んだ。アンジーは幾分か気分が落ち着いたようで、しっかりとした足取りで金貨の下に隠されていた魔法陣を覗き込んだ。

 

「これは……見たことのない形のものだな。ホグワーツで見たものよりも簡素に感じるが」

 

「ふむ」

 

 洞窟に刻まれていたのは、いわゆる五芒星の魔法陣だった。菊は見覚えのある構成陣に目を細めた。彼の地から遠く離れたこの土地には、不思議なことに陰陽師の痕跡が多い。そう、不自然なまでに。菊は黒く脈打つ魔法陣をじっくりと観察した上で、やはりそれが実家に伝わる方術であることを確信した。

 

「これは出口の魔法陣だ。ここからは出られない」

 

「出られないだって!? どうにか、どうにか弄れないのか? イカれたジャパンの魔法族の力を見せてくれよ!」

 

「いや、実は魔法より剣を振るう方が得意でな……」

 

「はぁ〜〜〜!! 菊はサムライですから、剣を振るうことで全てを解決してきたのでしょうね! どうか疲れ切ったワタクシ共に()()()で解決してくれるところを見せてくれませんかねぇ?!」

 

 つまらない人間性を露見させる男を無視して、菊はその場に片足をついた。そして魔法陣に四隅に書かれた梵字を眺める。魔法陣は中央に一つ大きなものと、その四方に小さな魔法陣が置いてある五重魔法陣であった。それぞれに『道』『出口』『座標』『保護』が刻まれ、中央の大きな五芒星の周りには『転移』を表す呪文が(うごめ)いていた。菊は全てに目を通すと頷いて振り返った。

 

「この魔法陣は我が一族に伝わる構成をしている。おぼろげに、かつて学んだ記憶では魔法陣は規定の文字を書き入れた後、その効果が反転しないように楔を入れて固定するのが決まりだ」

 

「つまり……」

 

「解決するぞ、()()()で」

 

「すみませんでした」

 

「フン……」

 

 流石に不愉快であったらしいロックハートの煽りに謝罪を入れさせた菊は呆れたように鼻を鳴らした。そして懐から何も書かれていない状態の短冊を取り出すと、服から滴る血に指を浸して何かを書き始めた。古来より、血は最高効率の魔力伝導媒体である。つまり、最も手っ取り早い魔法の使い方なのである。梵字(ぼんじ)で『反転』とが書かれたそれを、菊はアンジーに手渡した。

 

「ロクハートは肝心なところで失敗するからな、キミに託す。私が楔を断ち切るから、小さな魔法陣が揺らめいたら投げ入れてくれ」

 

「わたしでいいのかしら……」

 

「ああ、投げ入れるだけでいい。では、頼んだ」

 

 背後から投げかけられた「おい、キミの私に対する評価について話があるぞ……オイ!」という声を丸っと無視して、菊は残った右腕を左腰に差した刀の柄に伸ばした。しっかりと5本の指で握り込み、腰を深く落として水平に鞘を引き抜いていく。

 

 ──刀の極意とは、そのワザにある。

 力任せに叩きつければ物を切れるわけではない。磨き上げられたその薄い刀身が真価を発揮するのは、引き切る際である。叩きつけるのではない。刀身を対象に真っ直ぐ、垂直に、引くように切るのだ。脇を締め、腰を深く落とし、全身の筋肉を使って。菊は黒く光る魔法陣の楔である陣同士が重なった部分に狙いを定めた。その幅約3ミリ。魔法族ながら侍として修練を積んできた菊の一太刀は空気を切り裂くような、()()()()()()特有の乾いた音を立てて、目標に寸分の狂いもなく吸い込まれるように落ちていった。

 

「──今!」

 

「っ、はい!」

 

 パリン、とガラスが割れるような音がしたかと思うと、目の前にあった五重の魔法陣はゆっくりと歪んでいく。黒い脈動は失われ、噛み合っていた歯車が崩れるかのように左右上下に魔法陣が浮かぶ。そこに菊の鋭い一声が場を切り裂いた。弾かれたように肩を上げて、アンジーは渡された短冊を魔法陣の方へ思い切り投げつける。

 

 次の瞬間、ただの紙だったそれは釘のような形に姿を変えた。そして宙を猛烈な勢いで飛び、菊が切り裂いたそこに突き刺さった。それだけで浮かびかけていた魔法陣たちは再び床に縫い付けられた。楔から溢れ出る大量の『反転』の文字が『出口』の魔法陣を上から書き換えていくと、その五芒星は白い光を放ちながら畳を返したように裏返る。そこに脈動するのは『入り口』の文字。黒い光を放っていた魔法陣は、一瞬で白に塗り変わっていた。

 

「……なんとかなったな」

 

「なんとかなった、だって? キミというやつは、いつも行き当たりばったりで無茶ばかりで……」

 

「おしゃべりが過ぎるぞ、ロクハート。黙って魔法陣に飛び乗れ。もう直始動する」

 

「ッ、クソ! あとで覚えとくんだな!」

 

 魔法陣に足をつけた菊に続いて、ぶつぶつと文句を言いながらロックハートが白い光のなかへ進む。後ろ髪引かれるようにその場から動かないアンジーに、菊は普段のキザでうざったいロックハートの真似をしながら歯を見せて手を伸ばした。

 

「ほら、お嬢さん。お手をどうぞ」

 

「……フフ、ありがとう。異国の騎士さま」

 

 ようやく笑みを浮かべてくれた、とロックハートは人知れず胸を撫で下ろした。女系家族の長男として二人の姉を持つ彼は、その中で特別扱いをされながらも、女性は笑っているべきという想いが常にあった。……自分よりは優先度が下がるが、それでもそう思っていた。それだけに、最愛の人を失ったアンジーを心配し、気にかけ続けてきた。その彼女がようやく見せた微笑みに、ロックハートは肩の荷が降りたような気持ちになった。

 アンジーが魔法陣の中にいることをしっかりと見届けた菊は、その場で柏手を二度打った。

 

 魔法陣が鮮烈な光を放つ。

 

 

一拍。

 

 

「!」

 

「こ、れは!」

 

「……ふぅ、入り口、だな」

 

 柏手が打たれるたびに強くなった光に思わず目を瞑った二人は、一瞬の浮遊感の後外気が涼しく変化していることに気がついた。先ほどまでのねっとりとした熱気はどこへやら、すっかり冷え込んだスコットランドの夜に身震いをしながら一歩外へ踏み出す。

 

 そこは、洞窟と同じく岩肌が顕になった細い一本道であった。魔法陣の光が消え失せる前に魔法力に余裕があるロックハートが杖を振るって光よ(ルーモス)を唱えた。杖先に浮かぶ白色が辺りを鮮烈に照らす。自分でも明るすぎたと思ったのか、何か言われる前に彼は「おっと、失礼」と光量を下げた。安定の魔法の下手さに思わずジト目になる菊を置いてロックハートは意気揚々と先陣を切った。と、言っても出口の光は目の前にあるのだが。

 

 洞窟の入り口は月の光がスポットライトのように当てられる、少し開けた場所にあった。

 少し歩けば雑木林にぶつかるような森の真ん中で、火山の麓に近いような位置である。

 

 初めに月光の下へ飛び出したのはロックハートであった。青白い月光を浴びて、彼の髪がキラキラと光を透過して輝く。土埃に汚れていながらも、白い装束は裾に刺繍された銀の糸たちが感情に合わせて溢れた魔法力によって動いていて、それを身に纏っている彼の姿はまるで異国の踊り子のように華美な物であった。

 

「外だ! 今回も生きている、私は生きてここにいるぞ! ありがとう私の幸運!」

「全く、騒がしいやつだな」

「……」

 

 歓喜に踊り出すロックハートを呆れたような視線で見つめながら、菊も後に続く。高めに結われた黒髪が月の下で濡れたように艶めいた。ところどころ破れた黒い袴から仮固定した義腕の冷たい光が覗く。腰元に差した刀が歩くのに合わせて音を立てて揺れていた。菊はゆっくりと歩きながら、やがてロックハートの隣に並び立った。

 

 そんな二人を見ながら、アンジーは縫い止められたように洞窟の影から光の下へ出れずにいた。

 

 守り続けていた、そのつもりだった坊ちゃんの遺骸を山中に置き去りにしてしまったという罪悪感とやるせない気持ちでいっぱいで。60年間足止めしかできなかった無力な自分の、戦い敗れた坊ちゃんの無念を晴らしてくれた彼らに対する複雑な感情がアンジーの足を止めてしまっていた。

 

 そんなアンジーに気付いてか気づかずか、先に進んでいたロックハートが振り返って大きく手を振った。菊も振り返って微笑みながら片手を小さく上げる。月の光に包まれた二人の姿に、アンジーの脳裏には別の影がぼんやりと浮かんだ。

 

「お父様、お母様……」

 

 無意識のうちに頬を温かいものが伝う。なぜだろうか。胸の奥底から湧き出る懐かしい気持ちに戸惑いながらも呆然と二人を見つめ続けた。

 

「おーい!! 寒いですし、早く帰りません?」

 

「お前は自分の欲望に忠実過ぎるぞ……」

 

「──フフ。はい、今行きます!」

 

 あまりにも自然体の彼らに、アンジーは心の中でナニカが吹っ切れたような気持ちになった。

 溢れた雫をぐしぐしと袖で拭いてから、微笑んで大きく返事をした。洞窟の影から月の光の中へ出ると冷たい外気が頬を撫でる。二人の隣に追いつくと、アンジーは息を整えてから声を上げた。

 

「──」

 

 上げようと、した。

 

 落ち着けたはずの気持ちは、中々どうして、素直に終われてくれないようだ。じわじわと込み上げる涙で視界は瞬く間にぼやけ、夜空に浮かぶ無数の光が焦点も合わずに散乱していた。嗚呼、嗚呼。どうして、彼だったのだろう。どうして、私だったのだろう。もう二人の顔も見えない。なんとか溢れるそれを止めようと天を仰ぐと、涙で星が大きく歪んで見えた。

 

「……大丈夫か?」

 

 いつの間にか、菊がアンジーの側に佇んでいた。遠慮したように声をかける彼女の声に、異国の地出身なのだということをまざまざと感じた。だけどその一歩引いた距離感が、むしろ心地よかった。アンジーは肩を振るわせながら、声も上げずに泣いた。

 

 ──彼と過ごした、遠い日々。もう彼の声も、顔もうまく思い浮かばなかったけれど、それでも。

 

「……愛していたの。彼が遠くに行ってしまって、あやふやで、曖昧で。それでも……それでも!」

 

「わかってるよ、わかってる。大丈夫だ。全て終わった」

 

 

「──それでも、私は彼を、愛していたの!!」

 

 身分が違う。年齢が違う。性格が違う。種族も違う。

 

 それでも、アンジーは彼を。坊ちゃんを、この地の領主たるミカ・古き森の木立(ビータサロ)を、確かに愛していた。

 

「愛していた。私のすべてだった……」

 

「……」

 

「でも、もう彼に会えないのね」

 

「……いや、それは違う」

 

 空虚な気持ちが胸の奥底を渦巻く。アンジーの中に再び黒い思考が支配し始めた時、思考を切り裂くように菊の声が響いた。

 

「彼の魂はあの場にはすでになかった。つまり、()に行ったんだ」

 

「次? 次って……」

 

「我が国では輪廻(りんね)という。死んだ後、人は次の体に生まれ変わる」

 

 菊の見たところでは、あの青年の魂はひとかけらも残ってはいなかった。

 残っていたのは残留意思、()()()()だけだ。

 

 亡骸に宿る膨大な魔法力のお陰で維持こそされていたが、本来ならば見られないイレギュラーだ。長年あの洞窟にいたドラゴンの魔法力が染み付いた、あの場限りの()()。それこそが彼らの前に姿を見せた青年の幻想の正体であった。あの場にない魂がどこに行ったのか、選択肢は必然的に少なくなってくるだろう。普通に考えれば輪廻(りんね)の輪に乗ったと考えるのが一般的だが、或いは──

 

「そう……彼は救われたのでしょうか?」

 

「それを決めるのは我々ではない。ただ一つわたしから言えることがあるとすれば……死人に口なし、だ」

 

「ん〜ん、キクゥ? 傷心のお嬢さんにもう少しわかりやすくいったらどうだい?」

 

「……あー、そうだな……あの青年が内心何を考えていたのか、真相は定かではない。彼が何を想って死んだのか明白ではないか?」

 

「!」

 

 彼は最後に『もし、次の世があれば、僕は君に逢いにいく──』と口にした。その言葉が(まこと)だとすれば、アンジーは再び待たなければならない。いつの日か彼が再び帰ってくるのを、屋敷を維持しながら、また、ひとりで……。

 

 それでも、アンジーは憑き物が落ちたように軽快な気持ちになった。洞窟から真っ直ぐに、ふたりの隣を通り過ぎて森の中へと進んで行く。残されたロックハートは肩をすくめ、軽やかなステップを踏みながらアンジーの後に続いた。森のさざめきの中に調子がはずれたホグワーツ校歌が聞こえる。菊は振り返って洞窟に『封』の護符(ふういん)を投げると、「よし」と頷いて後を追う。

 

 一行は屋敷までの道すがら、木々の合間に見える満点の空を眺めながら歩いた。




しおり・お気に入り・高評価ありがとう!!!
感想ありがとう!!
就活の励みになってます!

前回初めての感想頂いて喜び舞い踊ったのも束の間、お祈りメール襲来に感情ジェットコースターでござる

……もっと感想くれていいよ!!!(クソデカボイス)


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6,彼の遺したもの

感想いただきましてありがとうございました!とても嬉しい…ウレシイ…ウッウッ…
評価いただい方、お気に入りしてくださった方、ありがとうございます〜!!!!

真実の愛ぱわー、やー


 スコットランドの森は、霧が立ち込める。湿気が多いのと、気温が低いためだ。

 森の中を進む一行は肌にまとわりつく湿気に漠然とした不快感を抱いていた。

 

「ここから星がよく見えるな」

 

 ロックハートの声が木々の合間に吸い込まれていった。都会で飲んだくれていた彼が、最後に素面で星を見たのはもう随分と昔のことだった。

 そう、確か最後に星を見たのはホグワーツ在学中のことだ。選択授業の一つである天文学は教師が耄碌していて楽単だとの噂を聞き選択したのだ。深夜の星観察の時間は、よく菊と二人で組んだものだ。ただ、ロックハートは専らレポートをまとめる担当をしていたので、彼が直に星を眺めることは少なかったが。

 ……それに占星術は決して、断じて楽単科目などではなかった。深夜の講義は天文台で行われるのだが、そこがまあ寒いこと。ロックハートはかじかんで震える手を必死に動かして毎回最低三枚以上の羊皮紙に星座の動きとそこからわかる考察を書いていた。彼は今もなお、楽単と嘯いたグリフィンドール寮の先輩を許していなかった。

 

 閑話休題

 

 濃紺の天蓋が月と星の河によって煌々としていた。

 これも都会では見ることができない絶景だ。

 

「それにしても、今思えば不思議に思うことがあるんだが」

 

 洞窟を出てからずっと、腕を組んで考え込んでいた菊が唐突に言葉を発した。その声に一行の足は止まった。黒々とした大木に囲まれたそこで、菊はぼんやりと月光で淡く輪郭を浮かび上がらせていた。

 

「あの赤毛の青年は、魔法使いだろう? どうして杖ではなく剣で戦っていたんだ? 今は中世ではないぞ」

 

 確かに、菊の幻影で映し出された姿は魔法使いというよりはむしろ騎士に近いものがあった。

 

 まだ魔法使いと非魔法使い(マグル)が共存していた頃、魔法使いは杖だけでなく、剣を用いたという。騎士として爵位を戴いたものも少なくない。かの高名なゴドリック・グリフィンドールも、その肖像画はどこか騎士然としたものだ。その手にはゴブリンが鍛えたという伝説の剣(グリフィンドールの剣)が握られており、甲冑はアダマンタイト製。

 そこからもかつての魔法使いの流行が窺えるだろう。

 

 しかし、それは昔の話だ。現代で杖以外の道具を用いる魔法使いはそう多くないだろう。とりわけ、スコットランド(ここ)では。

 

「……それはおかしいな。魔法使いにとって、杖は重要なものだ。とりわけ田舎の純血ともあればな」

 

 菊の言葉を受け、先頭を意気揚々と歩いていたロックハートも立ち止まる。

 

「田舎の純血は嫁ぎ先が限定されるから、奴らの魔法力は濃密かつ濃厚だ。そう、煮詰めたジャムのようにね!」

 

「御託はいい」

 

「……ンン、話を続けよう。魔法力が高いからか、奴らは大抵の場合一族で一つの杖を受け継いでいく。歴代の所有者の魔法力に晒され続けた杖は、ある時根本から性質が変化する。まるで所有者一族のためだけにある専用の魔法具かのように」

 

「付喪神のようなものか?……であれば、やはり彼が杖を持っていなかったのはおかしい」

 

 疑問が深まるばかりの話し合いはアンジーの小さなくしゃみによって断ち切られた。ロックハートが「Bless you(お大事に)」と手を挙げる。アンジーは腕にかけたままの苔色のケープを肩に羽織った。スコットランドの夜は底冷えする。それに加えて彼らは火山の中で暑さに慣れきっていたのでその寒さも一押しだ。人間の体とは不思議なもので、寒さを認識した途端に身体中が震え始める。一行は足早に森を抜けた。

 

 森を抜けたそこからは黒鉄の柵に覆われた屋敷の裏庭が見えた。粗末な物置小屋と生え放題の蔦が生い茂った壁には合間に扉が見える。アンジーが安堵の息を吐き、思わず柵に駆け寄った。その瞬間、パチンと何かが弾けるような音が村中に響き渡った。菊が瞬時に刀に手をかけて前に出る。

 

「後ろへ!」

 

「一体何なんだ!?」

 

「……何もなさそうですね?」

 

 鷹のように鋭い目で周囲に目を配るが一向に変化が起きない。何の恥じらいもなく女性2人の後ろへ飛び込んだロックハートが菊の後ろから「それにしても、あの音に似ていたな」と顔を出す。

 

「なんの音でしょう?」

 

「プロテゴが割れたときに似た音ですよ。あとはシャボン玉とか?」

 

 その条件に、菊は大きな心当たりがあった。日本では最も尊い技とされ、現代に至るまで日本史上で数度しか実施例がない魔法。大抵は親と子の間に生まれる絆を、想いを起点として行われる。様々な経験を積んできた菊も、たった一度、それが発動した瞬間を見たことがあるだけだ。奇跡(あい)の魔法は、特徴として役目を果たした後に泡が弾けるように消えてしまうことが挙げられるという。菊は実家でその記述を見た。あれはそう、確か歴代の当主が書く日誌の中だったはずだ。それも数代前の当主なので、おそらく最後に日本で確認されたのは数百年単位で昔のことだろう。菊は神妙な顔で手を下ろした。

 

「あ、星が……」

 

 菊に庇われた状態で、アンジーがつぶやいた。彼女の視線は星空に向けられている。つられるかのようにロックハートも視線を向けて「アッ」と驚嘆とも感嘆とも取れるような声を上げた。菊も視線を上げて、そして目を見開く。

 

 紺青の矢空に無数に輝いていた星々が、大きくぼやけて雪のように降ってきた。まるで摩天楼のような光たちはポウポウと淡い光を纏いながら村中に降り注いでいる。菊はそっとふしくれだった手を落ちてきた星に伸ばし、優しく手の中に包み込んだ。瞬間、身体中を幸福感が駆け抜けた。それは電気というには優しく、感情というには激しすぎた。菊は一度強く目をつむり、光を胸に当てる。

 

「まさかこの目でお目にかかれるとは……!」

 

「知っているのか?!」

 

「愛だ、アンジー。あの赤毛の坊やから、君への深い愛だよ」

 

 愛とは、最古の魔法だ。魔法族・非魔法族関係なく万人が抱き得る尊い感情だ。犠牲を伴うこの魔法を成立させるには、死の間際に強い思いを抱く必要がある。

 人は死の間際に、他人のことを思いやることができるだろうか。

 答えは、困難。その一言に尽きる。そもそも極限に近い、危機の迫ったときにのみ発動するのだ。現代ではその条件自体が難しいと言える。

 それ故に、愛は最も尊い魔法なのである。

 それ故に、愛は最も困難な魔法なのである。

 そんな魔法が、アンジーが村に足を踏み入れた瞬間、まるで待っていたかのように消えていく。それが意味することはひとつ。

 

「あ、ぅ……ウソ……!」

 

「嘘ではない。彼の愛が、君ごと村を守っていた。そしてドラゴンの消滅と君の帰還が魔法を終わりに導いている。彼は役目を果たしたんだ」

 

 アンジーの目が星の光でピカリとした。湿った赤い瞳にはみるみるうちに涙が溜まり、まろい白肌は真っ赤に染まっていた。菊は空から溢れる光をひとつ摘んで涙を堪える彼女へそっと飛ばした。

 

「そして、愛の魔法も役目を終わりかけている。キミの手で終わらせてあげるんだ」

 

「終わらせるって……」

 

「キク! いくらなんでもお嬢さんにそんな──」

 

「黙っていろ、これは彼女自身の問題だ」

 

 絶句するアンジーに菊は「キミも魔法に連なる者ならば、知っているだろう?」と無表情のまま言った。ロックハートは再び笑顔を失ったアンジーを庇う。菊はピシャリとロックハートを切り捨てると、アンジーに向かい合った。

 

「魂の一部が村に囚われている。還さねばならない」

 

 菊の言葉に、アンジーはケープを握りしめた。肩を上下させ、周囲を浮かぶ星を見る。強張った表情で、いかにも辛そうに。

 

「──彼の、魂が?」

 

「そうとも。キミの手で、ほら」

 

 人の心が微妙にわからないとロックハートに評される菊は躊躇いなく彼女の背を押す。アンジーはしばらくの間、星の降り注ぐ夜闇の中でぽつねんと立ち尽くしていた。金髪赤眼の美少女は、壮絶な顔色で、星降る夜に覚悟を決めた。

 

 ──愛する人の最後を。

 

 アンジーは指を一つ鳴らす。それだけで良かったはずなのに、体は無意識に動いた。まるで杖を振り上げるような動作をして、そして、その小さな口から思わずといった風に言葉が口から溢れた。

 

 

「……っ、フィニート!!」

 

 

 瓦解する”愛”の中で、三人は天を見上げた。紺青の空を大地から立ち上る黄金の粒子が照らす。その様のなんたる美しいことか。

 

 ロックハートは寒がっていたことも忘れ、空から降り注ぐ星のような光に触れ、大地から湧き出る光を浴びながら心地よさげな顔をした。”愛”の魔法に秘められた温かい感情が彼らの体を包み込む。

 

 アンジーはポタポタと涙をこぼしながら、”愛”の中に佇んでいた。

 彼からの大きな、純粋な想いの奔流が、今ままで村を守ってくれていたのかと。彼の言葉が何度も脳裏をよぎる。

 ああ、彼は本当に、私を愛してくれていたのだと。種族も年齢も超越した愛は本当にあったのだと。顔を手で覆って涙を流す。

 

 ごめんなさい、わたしはどうしてあなたを助けられなかったのでしょうか。あなたの危機に駆けつけられないなんて……あの日、約束したのに、それすらも守れなかった。悔やむ心が矢継ぎ早にアンジーの心を傷つけた。後悔とは、後に悔やむから後悔と呼ぶのだ。

 

 不意に、アンジーの頬を温かいものが覆った。

 

「ほら、泣かないで?」

 

 アンジーが、ロックハートが、菊が目を見開く。

 

 洞窟の中で見たあの青年が、膝をついてアンジーの目尻を親指の腹で優しくなぞっていた。彼の──ミカ・ビータサロの輪郭は黄金の光にぼやけ、この邂逅が胡蝶の夢にすぎない事をまざまざと突きつけてくる。「信じられない、こんなこと……」とロックハートがつぶやいたのが、菊にはやけにはっきりと聞こえた。菊の知る限り、このような光景は見たことがなかった。とうに転生した筈の魂の持ち主が、カケラだけ残ったそれを頼りに現世に干渉するなんて! こんな状況、奇跡の他に言い表せない。

 

 固唾を飲んで見守る二人を背に、アンジーはまっすぐにミカを見つめていた。坊ちゃんの姿、坊ちゃんの声。記憶のぼやけた彼じゃない、想いが顕現した過去の彼でもない。対面してこそわかる。直の彼との対話は、そう、”生きて”いた。

 

「坊ちゃん……? 何で──」

 

「アンジーのこと、ずっと見ていたよ。……よく、頑張ったね」

 

 燐光が強く彼の姿を巻き込む。黄金の光が、彼の赤毛をキラキラと輝かせている。ミカは慈しむような色を湛えながら、アンジーの頭をそっと撫でた。そしてゆっくりと腕を広げると、彼女の小さな体を腕の中に閉じ込めた。アンジーは目を大きく見開き、そして安心した幼な子のような表情でゆっくりと閉じた。頬を温かい半透明の胸板にすり寄せて、最後の抱擁を体に刷り込んだ。

 

「僕からの最後のプレゼント、ちゃんと持っていてくれたんだね」

 

 ミカが優しげに微笑んだ。彼の視線の先にはアンジーが羽織る苔色のケープがあった。彼女は幼なげな笑みを浮かべ、小さく何度も頷く。彼は少しイタズラな顔で、まるで幼い弟が姉に悪戯を打ち明けるかのような顔で、口を開いた。

 

「実は、そのケープはね」

 

「ケープ?」

 

「──僕の杖なんだよ?」

 

「え?」

 

 ああ、なるほど。

 菊は内心で全てがつながったような気がした。全て説明がつくのだ。ミカが戦いの際に杖を持っていなかったことも、アンジーの魔力が底上げされていた理由も、全て。全てはあのケープに依拠していたのだ。あの、()()()()()使()()()()杖に。

 

 アンジーは怒ったような、でもどこか嬉しそうな顔でミカの腕をつねった。

 正真正銘、これが最後の、対面。

 離れるのが名残惜しいと、二人は体を寄せ合って空を見上げた。

 

「ご覧よ、空を。僕の魂が還ろうとしているんだ」

 

 天に吸い込まれる黄金の光を、降り注ぐ星の光を見つめながら、ミカは何気なしに言った。

 

「還るって……」

 

「ハハ、そんな悲しい顔しないで!」

 

 思わず縋るような顔で端正な顔を見上げるアンジーに、明るく笑い飛ばしたミカは顔を耳元に寄せて囁いた。

 

「……僕たち、案外直ぐ会えるかもね」

 

「それって……!」

 

 弾かれたように体を離したアンジーは、その時はじめてミカの体がだんだんと透けていることに気がついた。タイムリミットが迫っていた。

 

「そんな……ようやく会えたっていうのに、もうお別れなのか?!」

 

「静かに、()()()ハートって名前の通り岩のように口を噤んでいろ」

 

 ミカは凛々しい眉を緩く下げて目を愛しげに細めた。アンジーの柔い頬に大きな手をそっと当てて、そしてその額に自らの額をコツリと当てた。

 

「ほら、お別れだよ。……最後にキミの顔が見ることができるなんて、僕は幸せ者だ」

 

「……わたしも、わたしも幸せだったわ。魔法族ですらないわたしを愛してくれて、守ってくれてありがとう。ミカ、わたしの太陽……さようなら」

 

()()()、僕の愛しい()()

 

 そう言うや否や、ミカの体はほろほろと光と同化して消えてしまった。崩れ落ち、光の本流を掴もうとするアンジーに菊とロックハートが駆け寄る。三人は光が全て消えるまで、そこに立ち尽くしていた。

 

 

 その日、スコットランドでは数多の彗星が夜空を駆け抜けた。

 

 目にした者たちは魔法族・非魔法族(マグル)問わず、皆不思議と温かな感情を抱いたという。

 

 




<約束 こぼれ話>
 ──約束は、あの日。彼との別れの日に交わしました。

 あの日。
 あの夏の日。
 わたしは”視て”しまったのです。
 彼が、わたしの愛する家族が、暴虐なドラゴンに蹂躙されるのを。


 そよそよと風が東屋の中に座るわたしの頬を撫でる。夏ながら涼しげな風だ。青々とした芝生は風に揺れ、綿のような雲が青空を流れていく。時折顔を出す庭小人たちが庭師に見つかっては追い払われていた。

 平和。その一言に尽きた。

 わたしは久しぶりに取れた坊ちゃんとの時間を楽しむために、心を落ち着かせるように一つ深呼吸をした。坊ちゃんはというと当主就任のための教育が始まって忙しくしていた。彼の美貌は年を経るごとにますます磨かれ、今や勇猛な獅子の如き迫力の美丈夫になっていた。彼はうんざりしたように鼻息を漏らすと、ハチミツ色の長髪を乱雑に後ろに撫で付けて私の隣に腰掛けた。

「ようやく時間を取れたよ……はぁ、引き継ぎだか何だか知らないけど、一族のしきたりなんてもっと幼い頃から教えてくれればよかったのに……」

「あらあら……坊ちゃんは少しお疲れのようですね」

 絹で織られた光沢のあるシャツの適当に袖を捲ると、彼はわたしの膝に頭を乗せるようにしてベンチに横たわった。腰の杖ホルダーを机の上に放ると、拗ねたように声をあげる。

「坊ちゃんはもうやめてよ……」

「ふふ、冗談ですよ。─ミカさま、お疲れ様です」

 ミカ坊ちゃんは大変頑張っていらっしゃる。使用人は皆、知っている。

 最近急に体調を崩された御当主さまの後を継ぐため、急遽盛り込まれた後継修行とも言うべきそれ。魔法や礼儀作法、一族の歴史や剣術まで、彼は実に多くのことに真摯に取り組み、そして成果を出している。先日行われた近辺の魔法族同士の交流会でも立派に挨拶してまわられたと、同行した執事に聞いた。そんな彼が勝ち取った本日の休憩日は、彼が剣術の師範から一本取った褒美であった。

「うん……ねぇ、アンジー。役目って何だろうね」

「役目、ですか」

「ああ、歴史を習う中で耳にしたんだ。僕たち一族がこの地を収めている理由は、僕たちにしかできないある役目があるからだって」

 理由なんて考えたこともなかった。それほどまでに当たり前で、昔から続いていたから。わたしがバンシーになってもう何百年経ったのだろう。もしかしたら、生前のわたしは何か知っていたのかもしれないけれど、バンシーとなったわたしは何も覚えていなかった。

「一族にしかできない、となると魔法絡みですか」

「──わからないんだ。そこの記述は数百年前の当主が書いた日記に書いてあったんだけど、風化してそこだけ読めなくて……アンジーは何か知ってる?」

「……申し訳ありません、お力になれず」

「そっか……ううん、もう少し自分で探してみるよ」

 日に照らされて、彼の伏せられたまつ毛が光る。わたしは坊ちゃんに「お茶が冷めますよ」と促し、姿勢を正させた。渋々起き上がった坊ちゃんが紅茶に口をつけたその時、わたしの脳裏を鋭い痛みが劈く。


 ──轟々と炎が上がる屋敷は崩れ落ち、美しかった庭も荒れ果ててしまう。屋敷の至る所で一族の人間が倒れ伏し、その目が開くことは二度とない。そして、愛を交わした、彼も──


「アンジー? 大丈夫かい?」

「──いけない、このままでは……」

「アンジー……?」

 わたしの役目は魔法族の死を親族に伝えること。そのために備わった能力の一つ”予知”によって、彼が、ミカ坊ちゃんが無惨にも食い殺されるところを”視て”しまった。基本的に、予言は口外禁止。”視た”以上、その対象は自ずとその結末へと進んでいく。例外はただ一つ。

 ──わたしが、動かなければ

 何と罵られようと、嫌われようと、そしてわたしが消えようとも。
わたしはわたしが愛した家族を、守らねば。

 予言視は、その予言を口外しなかった未来を示している。わたしたちバンシーが家族の死に泣くのは、それが見えていながら理に逆らわず、死を見届けたことによる罪悪感に由来する。確かに家族の死は悲しい。しかし、愛する人の死は、耐え難いほどに辛く、悲しみに満ちていた。

 だからこそ動こう。

 未来を変えるために。





 その日、屋敷は騒然としていた。従順だったはずの魔法生物が、突如として屋敷から一族を追い出してしまったのだ。ポイポイと無造作に投げ捨てられる人間と魔法道具、家財道具たち。まるでポートキーに触れたかのような、時空を超えた時特有の体が捻じ曲がるような感覚が一族を襲う。そしてその酔いから覚める前に、アンジーは屋敷の防御装置を利用して周囲に魔力の壁を作り、中に進めないようにしてしまった。一族のものは皆一様にアンジーを罵倒した。

「恥知らず」「裏切り者」「下等生物」

 寝たきりのご当主さまを支えるミカ坊ちゃんの妹君が、仲の良かった執事の青年が、庭師の老人が、顔を真っ赤にしてアンジーに石を投げつける。よくしてやったのになぜ、と。

 愛していた一族は、アンジーに酷い罵声を浴びせながらこの地を去っていった。
 アンジーは屋敷に背を向ける家族の姿を見て、胸中でつぶやいた。どうか幸せに、と。アンジーはわかっていた。村を治めていた地方貴族の魔法族が、誰に助けを求められると言うのだろうか。彼らは亡命先で、辛い生活を送るだろう。今までのような暮らしはできず、食い扶持に困ることさえあるかもしれない。

 それでも、アンジーは家族に生きていて欲しかった。確実な死よりも、不安定な未来へ、家族を押し出すことを決めたのだ。

 しかし彼は。彼だけは、理由を察していた。アンジーが一族の不利益になるようなことは決してしないと、彼は確信していた。

 信頼していた。

 信じきっていた。

 だからこそ、アンジーが何のためにそうしたのか。彼は知ろうとした。何日も何日も、何週間も屋敷に通い詰めた。獅子の如く悠然とした彼の姿は、日に日に薄汚れていった。


 それでも、アンジーは彼に真実を打ち明けることはなかった。


 そして運命の日は訪れる。

 その日は一年を通じて肌寒い村にそぐわぬ灼熱の日だった。ジリジリと太陽の日差しが肌を焦がす。手入れをされなくなって幾週間。すっかり生え放題になった雑草が、彼との思い出を覆い尽くしていた。丘の上に聳える巨木が、藤棚のトンネルが、白磁の東屋が、魔力に誘われた蔦に飲み込まれてしまった。それに気が回らぬほど、わたしは日に日に強まる魔力の圧に焦燥感を抱いていた。
 その日も坊ちゃんは当たり前のようにわたしの前に現れた。「アンジー!」といつものように叫ぶ彼に、しかしわたしは何も返せずにいた。

 ──目覚めた! 

 わたしは全身を何か大きなもので押さえつけられているような感覚と共に、鳩尾のあたりで魔力がざわめくのを感じた。不思議な既視感。金縛りにあったかのようにその場に縫い留められ、坊ちゃんの心配する声が耳を上擦る。我に帰った時には、もう遅かった。

「──ッ、ミカ坊ちゃん、お逃げくださいまし!」

「な、これは……!!」

 屋敷を大きな影が覆った。あたりに何か焦げたような香りが充満する。

 そのドラゴンはそれまで見たどのドラゴンよりも強大で、荘厳で、そして恐ろしかった。本能の奥底から揺すられるような威圧感がアンジーを襲う。パチパチと表皮で弾ける火花が、黄金の眼が、肌を焦がすような火の気配が、一介のバンシーである身には恐ろしく感じた。

 ドラゴンは大きく翼をはためかせると、屋敷のそばにあったマグルの家を押しつぶすように地に降り立った。村の人間も、管理者たる魔法族がいないとなるとここにいる必要がないため早々にこの地から離れていた。そして、ドラゴンもそれをわかっているのだろう。

 冴え冴えとした黄金の瞳は真っ直ぐに屋敷に、その前にいるミカ坊ちゃんに注がれていた。

「わたしが相手です!」」

「あ、アンジー! だめだ、キミが犠牲になる必要はない!」

 ドラゴンの視線を遮るように坊ちゃんの前に躍り出たわたしに、彼は必死の形相で叫ぶ。

「いいえ、坊ちゃん。あなたは逃げるべきです。生きる資格のある人間なのです! ここでみすみす死んではいけません!」

「アンジー!」

 わたしは知っていた。
──彼の言っていた使命とは何かを。

 わたしは知っていた。
──生命の儚さを。

 わたしは、知っていた。



──一族の使命が、このドラゴンを鎮めるための、”人身御供”だということを。

「行って! ──わたしの愛したヒト」

「──ッ!」

 わたしの浮かべた笑みに、彼は悔しそうに顔を歪めた。そして、一度ためらうように瞳を揺らすと、わたしを見て決意を固めたように頷き、ドラゴンとは反対の方向にある森の中へとかけていった。わたしはドラゴンの足止めのため、わずかしかない魔力を駆使して幻を見せ続けた。

 どこへ駆けていったのか。ともかく、彼は──アンジーの愛した男は、ドラゴンに食い殺されることなく安全になったのだと。そう思い、安堵した。

 アンジーの”視た”決別はついぞ訪れなかったのだと。



 彼女はかつて、自らも同じであったことも忘れ、満足そうに微笑んだ。


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7,エピローグ

鋭意執筆中のロックハート氏はアンジーの管理する屋敷に留まり、世話をされながら本を書き上げましたとさ。


 世にも美しい夜を超えてから少し後。

 執筆活動に励むと意気込む依頼主と屋敷を守っていくことを決めたアンジーに別れを告げた菊は草原にいた。黒い袴の上から麻のローブを被り、ガラガラと回る大きな車輪の少し前をゆったりと歩く。

 畦道(あぜみち)が続く丘をひたすら登る。旅は、腹を空かせた野獣の襲撃以外は、極めて平穏なものだった。

 

「お嬢ちゃん! よろしくな!」

 

「ああ、任せてくれ。これでも腕には自信がある」

 

「そりゃあ心強い! もうすぐ盗賊が彷徨いてる一本道に出るからな、あの時みたいに頼むぜ?」

 

 彼女は用心棒をしながら、壊れた義手を修理できる職人がいる街を目指していた。依頼人ギルデロイ・ ロックハートからもらえた依頼料は正直雀の涙。義手どころか一食分にもならない額だった。

 自分で提示しといてなんだが、少なすぎやしないか? 

 結構頑張ったぞ、私。

 

 そんなこんなで素寒貧(すかんぴん)な彼女は、現在魔法道具専門の旅商人に依頼され、用心棒を務めていた。馬車を引く大きな馬──おそらく魔法生物だが、動物に詳しくない菊には皆目見当も付かない──はとても気性が優しく、その大きさが見掛け倒しと知ったのはつい先日のこと。

 

 ゴブリン製の短剣を商品にしていたらしい商人が街中でゴブリンに襲撃を受けていた際に手助けしたのだが、その際に馬車の影に隠れて出てこなかったのだ。その事件がきっかけで用心棒にと依頼された。

 渡りに船と次の街まで同行することになったので、人助けは我が身を救う事を実感した。

 

 不意に周囲に警戒しながら歩いている菊の鼻を()()()()がくすぐった。

 

「海が近いな」

 

「よくわかるな! ここからすぐ近くだ。……願くば、小鬼(ゴブリン)どもが襲ってきませんように!」

 

 馬車の上から叫ぶように祈る商人の願いも虚しく、パチンと何かが破裂するような音と共に黒装束に身を包み、首元に鈍く光る揃いの輪をつけた小鬼(ゴブリン)たちが、少なくとも5人以上、馬車を取り囲むように現れた。姿表しか。

 現れて即座に鈍く光るものが宙を切り裂く。菊は咄嗟に刀を抜き、商人に向かって放たれた短剣を弾いた。固いもの同士がぶつかる甲高い音が平穏な荒野を切り裂く。

 

「何奴……と言っても、無駄か」

 

 摺り足で前に躍り出た菊が声を張り上げる。小鬼(ゴブリン)たちは弾かれた短剣に動揺した様子で目を見開く。

 

「じょ、嬢ちゃん! 出番だ!!」

 

 背後でプロテゴを張りながらこちらを伺う商人に、情けないお調子者の旧友の姿を幻視しながら、菊は片手で刀を構えた。微風が彼女の左袖を揺らす。ドラゴンとの戦いで破損した義手は代わりがないままだ。だが、この程度の相手であれば片手で十分。

 小鬼(ゴブリン)たちが固唾を飲んでこちらを伺っているのが気配で伝わってきた。やはり戦闘のプロ、というわけではなさそうだ。菊は現代もなお武芸を磨き続ける侍の血を引く者として、素人相手に力を振るうことにゲンナリとした。しながらも、彼女はキリ、とした面持ちで刀を握り込むと冷たい声色で話し始める。

 

「……お前たちに恨みはないが、この侍 菊之丞、1度受けた依頼は完遂するのが流儀でね」

 

 示し合わせたかのように一斉に飛びかかってくる小鬼(ゴブリン)たちに、菊は静かに息を吸い込むと腰を低く落とし、鋭い眼光で眼前の敵を睨め付けた。

 

 一太刀。

 

 彼女はたった一つの動作を以て、3体もの小鬼(ゴブリン)の体を切り伏せた。象牙色のまろい肌にどす黒い血がピッと飛び散る。斬り損ねたゴブリンの突進を身を捻って後方へ()退(ずさ)ることで回避する。血が滴る刀身を素早く振るい、血を飛ばした菊は再び刀を構える。すっかり怯えた気配の小鬼(ゴブリン)は、1人、また1人と現れた時のように音を立てて虚空へ消えていく。

 

 気配がすっかりなくなったことを確認し、構えを解いた菊は血溜まりに沈む小鬼(ゴブリン)に向かって一言つぶやいた。

 

「──切り捨て御免」

 

 

 ・

 

 

 イギリス、ダイヤゴン横丁、フローリッシュ・アンド・ブロッツ書店

 

 イギリスの冬は底冷えする寒さで、この時期になるとめっきり人出が少なくなるのはマグルも魔法族も同じ。防寒着を着込んだとしてもダイヤゴン横丁の店はみな閑古鳥か鳴いているのが常であった。そんな横丁の真ん中辺りに位置する古き良き書店では、寒さを打ち消すような姦しい声が響いていた。

 

 店内の隅に設置された豪勢な一枚板の机には、ひとりの優男がニコニコとしながら差し出される本に羽ペンでサインを書いていた。真っ白な歯を見せつける笑みをかけられた、藤色のドレスを着込んだ夫人は頬を少女のように赤らめながら言い募った。

 

「あのっ! 応援しています!」

 

「これはこれは、ありがとうございますマダム! これからの私の活躍にも乞うご期待あれ!」

 

 金のウェーブした髪を軽く後ろで束ねた、青空の瞳を持つ男。やけにキラキラとした男は、古臭い書店にはそぐわないと言ってもいいだろう。スカイブルーの鮮やかなマントを着込んだ男はいかにも高価そうな造りの本のページを1枚捲ってサインをし始めた。インクは特製の品でライラック色。

 

 いかにもキザっぽい筆致で手早く名前を書くと、素早く立ち上がって藤色の夫人の隣に並んだ。すると素早い動きで小柄な魔法使いがカメラを手に飛んできた。

 

「日刊預言者新聞です! 今話題の小説についてですが、実体験なのでしょうか?」

 

 カメラで並び立つ姿をおさめながら、日刊預言者新聞の記者は質問を投げかけた。夫人は鮮烈なフラッシュに目を瞬かせながらも、頬を染めて台を降りる。

 

 残された男──ギルデロイ・ロックハートは歯を見せるように笑うと、ウインクを一つした。

 

「もちろんですとも! なんといっても、私は冒険家でね! 闇の魔法生物には含蓄があるのですよ。今回の話で目玉になるのはこの私がドラゴンを──」

 

 ペラペラと口を止めず、話続けるロックハート。彼の手には、一冊の本が燦然と輝いていた。本には大きくロックハートのハンサムな写真と共に、こう刻まれていた。

 

 

 ──『Break with a Banshee.(バンシーとの決別)

 

 

 これは、ある魔法生物の”愛”と”決別”の物語である──

 

 

 -END-




完走! まだ一章だけど!
ロックハート氏は本を何冊出してると思う?
なんと!7冊!一応構想は練ってるけど書けるかな……書きたいな……(現在2章半ば執筆中)
菊ちゃんのお家事情についても考えてはいるし、ホグワーツ編も書きたいですね

ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
また次の章で会いましょう!


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Gadding with Ghouls.-グールとの散策-
0,プロローグ


ロックハート氏の呪文の使えなさに磨きがかかった第二章、始まります。


 ベネチアの朝は格別だ。

 水路の涼やかな音色を聴きながら食べる朝食はもはや芸術と言ってもいい。

 

 水路側に突き出したベランダで寛ぎながら、ひと仕事を終えたばかりの流浪の用心棒──菊は淹れたての緑茶を一口啜った。

 

 ()()()()()()()()()()秘匿されたアパートメントは、ベネチアの景観を守るためか白を基調とした石造りの建物で非常に美しい。日本ではまずお目にかかれない光景に菊はうっとりと瞳を閉じた。

 

 街角で音楽を奏でる人々の即興セッションが耳に届く。数ヶ月前までの冒険が嘘みたいに平穏な朝だった。

 

 先日、かつての学友──ギルデロイ・ロックハートからの依頼を受けたが、彼からの報酬は正直労力に見合うものではなかった。

 

 依頼の中で失った魔法仕掛けの義腕の修理代はべらぼうに高く、その技術を持った職人も限られている。

 菊が休暇がてらベネチアに留まっているのは、日本出身の魔法道具職人に義腕を見てもらうためであった。

 

 彼女はいくつかの仕事をこなしながらベネチアを目指したため、この地に辿り着いたのは昨晩のことである。

 

 サービスの朝食を出してもらい、持ち込んだ緑茶を淹れて朝の水路を楽しんでいたのだが、その景色の美しいことときたらない。

 

 菊はすでにベネチアの街並みを気に入っていた。

 彼女はすっかり食べ慣れたスクランブルエッグとベーコンを急拵えでつけた式神製の腕でつつく。せっかく淹れた緑茶と取り合わせがあまり良くなかったことに若干の後悔を抱きながら、菊は最後の一欠けを嚥下した。

 

 その時、部屋の扉が乱暴に叩かれる音が響いた。どこか焦っているようなノックは、昔見た闇金の取り立て業者のような圧を持っていた。

 

 外からうすらと聞こえる「アロホロラ! あれ? 呪文が違ったかな……」と言う陽気な声に、菊はうんざりしたような顔で沈黙魔法(シンレンシオ)をかける。が、それも直ぐに意味をなさなくなった。

 

 解錠呪文(アロホモラ)をすっかりオブリビエイトした()()は、美しい彫刻が彫られた木の扉を魔法で吹っ飛ばした。

 

 若草色のローブを身に纏うやけにキラキラした男──ギルデロイ・ロックハートは部屋の中に散乱した木片を無視し、土足で部屋の中に踏み込んだ。しばしキョロキョロと部屋の中を見渡し、バルコニーから外を眺めている菊の姿に目を止めると途端に花がほころぶような笑みを浮かべた。

 

「キク! いやあ、先日はお世話になったよ! キミのおかげで書籍は我が人生最高の売れ行きだ!」

 

 ツカツカと近くに寄られても、彼自身にかけられた沈黙魔法(シンレンシオ)に遮られて声は届いていない。菊は視界に入っているはずのロックハートを最大限無視しながら、緑茶の入った湯呑みを煽った。

 

「ベネチアの水路はいつ見ても見事だなぁ……」

 

「色々と振り回されたが今は水に流そうじゃないか! 僕がここに来たのには大きな理由がある」

 

「久しぶりの休暇だ……いや、人生修行の連続なんだがな、息抜きも大事」

 

「そう! かねてより構想を練っていた次回作についてなのだが」

 

「んー、緑茶にはやはりどら焼きだな」

 

「っておい! 聞いてるのか?!」

 

 ようやく声が届いていないことに気がついたロックハートはハッとした表情で菊に詰め寄る。無視できないレベルでの接近に、パーソナルスペースが広めの菊は露骨に嫌な顔をして渋々振り向いた。

 

「……ああ、居たのか。久しいな、ロクハート」

 

「まさか……僕の言葉を何も聞いていなかったな?!」

 

 ロックハートは顔に「信じられません」と浮かべながら、菊の両肩を掴んで揺すった。咄嗟に湯呑みを置いた菊はされるがままだ。彼女の朝食の皿が屋敷しもべの呪文によってパチンと音を立てて消える。その音に我に帰ったロックハートは肩から手を離すと、コホンとわざとらしく咳き込んだ。

 

「ごちゃごちゃ喋るな。用件を言え、用件を」

 

「あー、そうだな……そう。つまり、僕は()()()の護衛依頼をしにきたんだ」

 

 ()()()。今、彼は()()()と言ったか。菊は呆れたように眉間を指で揉んだ。つい先日書籍を出版したばかりだろうに、この男はもう()を見ているらしい。

 

  この作家先生は見てくれからして随分と変わった。薄汚い髭面の浮浪者もどきは、キラキラしいの優男に変化していた。前回会った時よりも学生時代の栄光を随分と取り戻しているようで、菊としてはこちらの方が見慣れた姿である。菊はロックハートの濡れた子犬のようなブルーの瞳に見つめられ、やがてため息をついた。

 

「……今回はマケないぞ。義腕の修理代で素寒貧(すかんぴん)なんだ」

 

「! ああ、もちろんだ友よ! 今僕の懐は印税で暖かいからな! 任せてくれ!」

 

「返事だけは一丁前なやつだ……はぁ、義腕が帰ってくるまで数日ある。その間は待ってもらうぞ」

 

 思えば、菊は学生時代からロックハートの頼みを断れたことなどなかった。周囲を巻き込む力だけは人一倍ある男に、菊は諦めたような顔をして向かいの席を勧めた。

 

 ロックハートがニコニコとして座ったのを見ながら指を一振りして式神にコーヒーを淹れるように指示を出す。背後で人型の薄紙がカサカサと動き出した音を聞きながら、菊は頬杖をついて向かいに座る男の顔を見つめた。

 

 

 物語がまた1ページ、進むような。そんな気配がした。

 

 

 ロックハートはすっかり晴れ渡った青空色の瞳をキラキラと輝かせながら手を差し出す。菊がそれに応じようと手を上げかけた瞬間、壊れた扉の方から声がかかった。

 

「あの、お客様? これは一体……」

 

「アッ、これは申し訳ない! なぁに、すぐに直しますから! エーット、レパオ! ……レパラ?」

 

「……先行き不安だ」

 

 




半分まで書き終わったので尻叩きのため投稿です。
不定期更新でゆる〜く行きますので気長にお付き合いください。


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1,メインストリートと翁

ヴェネツィアが出てきたのは完全に趣味です。旅行行きたいなぁ……


 ヴェネツィアの水路は複雑怪奇である。

 

 町中に張り巡らされた狭い水路は、場所によってゴンドラがすれ違うこともできないほどでであった。あるいは小さな歩行者用の橋がかかっていたり、そこから柵が下りていてゴンドラの道を塞いでいたりする。ともかく、ヴェネツィアという街は徒歩で移動するにも船で移動するにも非常に入り組んでいて、外部の人間には不親切な設計なのである。そんな街にも当然魔法族は存在していて、彼らは一見行き止まりのような場所に入り口を設けることで非魔法族と共存していた。

 

 一行はアパートメントを修理した後、魔法族の足として貸し出される水棲の魔法生物──セイレーンにボートを引いてもらい、水路を移動した。セイレーンは水中に棲家を持つ魔法生物で、美しい髪を生やした水中人(マーピープル)だ。ロックハートは初めて引き合わされた際に静かに「マーピープルだ……」と呟いて威嚇されていた。

 ホグワーツの湖に生息している水中人(マーピープル)は灰色の肌に深緑の髪を持つ、まさしく魚にワカメが引っ付いたレベルの容貌をしている。似たような姿ではあるが、ヴェネツィアの水中人はセイレーンという名に誇りを持っているらしい。彼らの言語であるマーミッシュ語でセイレーンは髪の美しさが特徴だということをホテル従業員経由で熱弁された。失言大王のロックハートに肘鉄をお見舞いした菊はセイレーンに「頼む」とだけいうと、さっさとアパートメントから出て船に乗り込んだ。ロックハートがげっそりとした顔でセイレーンの熱弁から解放されたのは、それからしばらく経ってからだった。

 

 ゴンドラに取り付けられた紐を体のハーネスに結びつけている金髪のセイレーンが歌いながら船を引く。セイレーンに限らず、水中人は歌うことが好きである。彼らの歌は微弱な魔法力を帯びているため、魔法耐性の低いものにとっては十分にそれが作用する。ヴェネツィアの魔法省に正式な形で雇用されているセイレーンたちは皆この特性を利用して認識阻害を行いつつ、魔法族の足として働いているのだ。彼らは労働の対価として安全な住処と十分な食事を与えられている。

 

 魔法省と魔法生物が共存する街、それが魔法界上でのヴェネツィアの立ち位置であった。

 

 右へ左へと複雑な道のりを曲がっていく。ようやく菊がセイレーンに停止を呼びかけた頃には、ロックハートはすでに元きた道も覚えていない程であった。菊は水路の途中にある一軒の家の前で立ち止まった。

 

 家の下には蔦を形取った鉄格子の取り付けられた水路が奥へと続いている。菊はそこを指差しながら振り返った。

 

「ここだ」

 

「ここって……行き止まりだぞ?」

 

 ロックハートが怪訝な顔で見つめ返す。菊はロックハートの世間知らずぶりを鼻で笑うと、セイレーンに「この先へ」と声をかけた。

 それを聞いてゆっくりと進路を壁に向けた水中人に慌てた様子のロックハートが船の座席で飛び上がった。

 

「壁! 壁だぞ?! 何考えてるんだ!」

 

「騒がしいやつだ……ほら、ちゃんと捕まっていないと落ちるぞ」

 

 非難を物ともせず、菊は忠告まで返してひたと前を見据えた。

 セイレーンがとぷ、と静かに水路に沈む。その瞬間、ゴンドラは水飛沫を上げながら猛烈な勢いで壁へ進んだ。

 「うわっ」とロックハートが顔を腕で覆うように身構える。しかし、彼の耳に飛び込んできたのは鈍い衝突音ではなく、喧騒であった。

 

 思わず目を開けた彼の視界に飛び込んできたのは、巨大な水路とその脇に連なる鮮やかな露店、そして怪しげな格好をした魔法族の姿であった。色とりどりの髪を靡かせてセイレーンたちがボートを引き、上に乗る魔法族たちはその大半が豪華なマスクを顔に装着している。露店では洋服から魔法薬の材料、果ては魔法生物の売買まで行われていた。

 煉瓦造りの屋根に囲まれたその通りは若干の薄暗さはあれどイギリス魔法界のダイアゴン横丁と同等かそれ以上の活気に満ちていた。

 

「こ、ここは……」

 

「ヴェネツィアのメインストリート。ヴェネツィアの魔法族の心臓とも言える商店街だ。曰く、なんでも揃うらしい」

 

「らしい?」

 

「ああ、アパートメント入り口に観光冊子が置いてあってだな」

 

「なるほど……」

 

 ふたりはゴシックな雰囲気の街に圧倒されつつも、船を進めていく。

 物珍しいものを見つけるたびにロックハートが「ワオ、見てくれ……あの黄金の首飾り……僕にぴったりだと思わないかい?」「キクゥ! 見てくれ、あの帽子が欲しい! あの羽飾り、きっと素晴らしい品に違いない!」などと騒ぎ立てるのだが、菊はその一切を無視してセイレーンにある角で曲がるように指示を出した。

 

 一つ通りを抜けるだけで場の印象は大きく変わった。大きな一本水路は露店が出ているのみだったが、角を曲がると建物が壁のように聳え立っている。もともと薄暗かったが、人気がなくなったことで本来の不気味さを感じるような嫌な静寂が辺りを支配していた。

 

 そんな道に怯えて露骨に口数が減ったロックハートにしめしめと思いつつ、菊は曲がってから五軒目にある煉瓦造りの家の前で止まるように合図した。徐々に減速し、支持した場所できっかり停止した船は、いかにもヴェネツィアといった風体の家の前で緩やかな波に揺られている。家は細く縦長な建物であった。赤茶色の煉瓦屋根は他と同様だが、露呈した基礎に水草の跡がついた壁は年代を感じさせる。側面には小さな水車が回っており、家の中での何かしらの動力になっているだろうことが窺えた。

 菊は家の側面に設置された小さな船着場に船を寄せると、縄を支柱にくくりつけた。高さ一メートル少しはあるだろうか。存外高いそれに「水でも抜いたのか?」と思いながら、床板をノックした。

 

 コンコンと湿った板と骨がぶつかり合う少し鈍い音が静かな通りに響く。ロックハートは思わず生唾を飲んだ。一拍、二拍と空いて、唐突に煉瓦が左右に捲れ、内側から木製の板が二枚に現れた。両開きの引き戸(ふすま)のようなそれを菊は慣れた様子で開けると、振り返って「セイレーン、君は少し待っていてくれ」と声をかけた。その反応も待たず小さな船着場へ飛び上がる。菊が船底を蹴った影響で船がぐらりと強く揺れた。ロックハートはぐらつくゴンドラの上で踏ん張りながら立ち上がると、必死の形相でささくれが目立つ床板へ飛びついた。

 

 少々不恰好に船着場へ這い上がったロックハートは、ぴっちりと締められた両開きの引き戸(ふすま)に手をかけ、そして首を傾げた。開かない。「ふんぬ!」と力を込めても動く気配がない。ロックハートはコートごと腕まくりをすると肩から両開きの引き戸(ふすま)に突進をした。

 

「ファッ?!」 

 

 ぶつかる直前にかき消えた両開きの引き戸(ふすま)に驚く暇もなく、ロックハートは頬を床に擦り付けることとなった。頬骨をぶつけた時特有の顔の骨が歪んだと錯覚するような痛みが遅れて襲ってくる。しかし、その感覚もすぐに忘れた。痛みに苦しむ彼は瞳を開いてまず若草色の植物を織って作られた床に驚いた。異国情緒あふれるオリエンタルな匂いの床──畳に頬をつけながら視線だけで菊を探す。部屋の中には八枚の畳が敷かれていて、それ以外は基礎の石部分が露見している。なんの仕切りもないその部屋の中で、菊は存外近くに立っていた。普段から愛用している黒に近い藍色の袴と腰に差した刀が木製の作業台の奥にちらと覗く。ロックハートは勢いよく立ち上がって菊の方へと近づいた。

 

「なんだ、キミもきたのか」

 

「……ツレか」

 

 果たして、そこにいたのは普段と変わらぬ様子の菊と一人の小柄な老人であった。

 アジア系の顔立ちをした白髪頭の気難しそうな老人は歯車のついた椅子──車いすに座っていた。ロックハートは持ち前の絶妙に空気読めなさを発揮して老人にずいっと近づくと、両手を握り込むと激しく上下に振って挨拶をした。

 

「おお! 貴方が我が相棒の腕を直してくれたという職人ですね! いやあ、噂はかねがね! ……あ、私のサインも要りますよね! 最近本を出版しましてね、当然知っているとは思いますが……そうだ、サイン入りの本をプレゼントするとしましょう! なあに、遠慮はいりませんとも!」

 

 ロックハートの猛烈な勢いに気押されたように老人は本を受け取る。

 苔色の豪華な装丁をした大きな本だ。

 中央にはニッカリと笑みを浮かべて決めているロックハートが──一周回ってダサいような姿で──写真の中を動き回っていて、その上に装飾文字で『Break with Banshee』(バンシーとの決別)と刻印されている。

 

 老人は眉間の皺をより深くしながら、腕の中の本を作業台の隅へ放った。

 

「ああ、知っているとも。ロックハートくん。なんでも、自信過剰の自惚れ屋で、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()らしいな。おかげでここ数ヶ月はお前の顔ばかり出てくる……」

 

 口を開けば棘ばかり飛んでくる。ロックハートは咄嗟に阿呆の顔をして老人が言った内容を忘れ去ろうとした。彼お得意の忘却術はセルフでも有効らしい。老人は本をぞんざいに押しのけると、テーブルの下の引き出しを開けて麻布に包まれた物体を机の上に置いた。

 

「義腕の件だが、直せるところは直しておいた。ただ、手のひらに格納されていた仕掛けがどうも理解できなくてな……」

 

「普通の動作ができれば構わないさ」

 

「それについては保証しよう。あとは、そうだな……ベネチアに伝わる()()を指先に仕込んでおいた」

 

 菊はビームを失った代わりに魔法薬を得た。

 老人は元来義腕に備わっている魔法力伝達に伴う擬似的神経伝達と、指先という小さな空間を利用した物質格納を両立させたということだ。これはビームを打てるようになるのとは別のベクトルで超絶的な技巧である。

 老人は指を立てるとじっとりとした声色で滔々と語り始めた。

 

「いいか、中指に幸運薬、人差し指に暗殺用の遅効性の毒薬、親指にその解毒薬が入っている。ここぞという時に使うといい」

 

「ああ、感謝します」

 

 菊は埃除けの布を剥がすと、義腕を肩に装着した。広がっていく感覚と可動域に、そっとつなげたばかりの手を握り込んでは開いてを数度繰り返した。前回は強引に、半ば引きちぎるような形でもいだため、接続するための神経回路がぐちゃぐちゃだと旅の途中で出会った闇癒者に怒られたことを思い出す。

 元はと言えばロックハートの依頼のせいだ、と不意に湧き上がってきた苛立ちをポケッとした顔で突っ立ていたロックハートの脇腹をつねることで発散する。「いで、イデデデデ!! なにを?!」と騒ぐロックハートを尻目に、老人に対して一礼をした。

 

「急な訪問だったのにも関わらず、完璧に近い状態まで直してくれたこと、感謝します」

 

「いや、気にせんでくれ。──実家関係で何かあれば、この毒でイチコロだからな」

 

「──。……はい、有り難く」

 

 老人の声色は心配する響きを伴って菊の心を打った。

 老人は今でこそ歩けないが、かつては武闘派として名が知れていた。世界中の戦場を腕一本で渡り歩いていたという話は、幼い時分の菊がお気に入りの話だ。老人はその足を失って以降、日本へ戻ると高度な魔法道具技術を会得するために齢50過ぎにして職人に弟子入りをした。師として老人を導いた職人は菊の実家お抱えの職人であったため、彼我に深い縁が生まれたのだ。その後老人はヴェネツィア出身の老婦人と恋に落ち、居を移した。

 老人とはそれっきり、なんのやりとりもしていなかった。

 

 1()0()()()()()()()というのに、老人は愛も変わらず菊に心を砕いてくれる。

 もう、あの頃の幼い自分ではないというのに。深くなった目元の皺に流れた年月を感じた。だが、老人の手のひらはあの頃のまま。分厚く、ゴツゴツとしていて、それでいて()()()

 

 菊は老人の皺々とした手を握り込むと額にそっと当てた。

 

「貴方は変わりませんね」

 

「歳をとると人は簡単には変わらんものよ」

 

「……正直、覚えてくださっているとは思いませんでした」

 

「忘れるものか、あの寂しがりがこんなに立派になるとは思わなんだ」

 

 老人は不器用に眦を下げた。そして菊の肩を軽く叩くと、顔を上げてロックハートを睨め付けた。

 つねられた腹の贅肉を必死にさすりながら訳のわからぬ異国語の会話を聞き流していたロックハートは、鋭い老人の眼光に菊とどこかに通った部分を感じて背を振るわせる。

 

「で、この男はなんだ? まさか菊の──」

 

「「それはあり得ません」」

 

 ふたりの否定は綺麗に揃っていた。

 

「こんな男を選ぶぐらいなら」

 

「そうです! いや、そういう意味じゃないんだが……アー、その、私とキクの関係は一言で言うと、依頼人と請負人です。やましいことなんて、考えるだけでも恐ろしい……!!」

 

「それはそれで失礼だぞ」

 

 ロックハートは菊の方を向かないように体ごとそっぽ向きながら、老人に尋ねた。

 

「実は私、次回作の取材にこの地を訪れたのですがね……何かご存知ないですか? グールの群れについて」

 

 老人は、菊の肩を触診しながら片眉をぴくりとあげた。

 

「……グールについて心当たりはないが、イングランドの東北部にあるダラム郡という街であれば、何かわかるやもしれん。ワシの知り合いで情報屋をやっているゴブリンがその街を根城にしている。ワシの名を出せばすぐ情報を教えてくれるだろう」

 

「イングランド……イングランドか。キクゥ! 早速行くぞ!」

 

 ヴェネツィアからイングランドまではいくつかのポートキーを経由していくか、マグルの移動手段を利用する必要があった。ロックハートは脳内でいくつかのポートキー業者を思い浮かべながら出口へと向かう。生憎、彼が知り得る業者はどいつもこいつもがめつい拝金主義者であり、散々金を毟られた思い出しかないのだが。

 

 ロックハートは一度老人を振り返ると、白い歯を見せてハンサムにはにかんで見せた。

 

「ありがとうご老人!」

 

「佐々木でいい。ロックハートくん……菊を頼んだ」

 

 ロックハートは隙のない菊の新たな側面を見たようで、どこか浮ついた声色で「任せてくれ、ササキ!」と叫んだ。

 若草色の背中を見つめていた老人──佐々木は背後から菊の不満に満ちた、どこか不貞腐れたような声を浴びた。

 

「どちらかというと私があいつを助けているんだがな……」

 

「はは、頼ると言うのは何も力に限らぬよ。ワシから見て、彼はすでに君の”心”を支えているようだったからな」

 

「……分かりかねます」

 

 隣に並んだ菊の黒髪が頭頂部で緩く揺れる。子供のような拗ねた表情を浮かべる菊は佐々木にとってとても見慣れた姿。幼かった時と変わらないものであった。

 

 菊の言葉に佐々木が返答しようと口を開いた瞬間、水に大きなものが落ちる音が部屋の中に響いた。それに伴うように「うわああああ!!! 冷たい!!!」と男の悲鳴とセイレーンがマーミッシュ語で怒りの感情を伴った言葉が上がる。菊はため息を吐くと佐々木を振り返りもせずに家の外へと駆けていった。

 

 船着場の縁で踏ん張り、ロックハートに手を差し伸べる姿に、佐々木は脳裏に自らが参加した戦争での思い出を淡く思い浮かべた。

 

 

「……救いのない戦いにおいて、底抜けに明るい愉快な者は周囲の”()”を助ける。ああ言うのは今時稀有だぞ、菊」




みなさんはヴェネツィアって発音出来ますか?私はできません。ベネチアです。
マープルピーって映画版だとアッ…だけど、設定読むと各地でセイレーンやらマーメイドやらと名前が違うらしいので、姿も少し違うと解釈(ポケモンで言うところのリージョンフォーム)。


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2,ダラムの町

見てくださった皆様、評価くださった皆様、そして何より感想をくれた皆様!!!!!ありがとうですわ!!!!!誤字報告も大変助かっておりますわ!!!!!!!!
今回は日常(?)回ですわよ!!!!
お腹すいた……


 6日。

 イングランド東北部ダラム郡に到着するまでにかかった日数である。菊とロックハートは3回のポートキー移動を経て、ようやくイングランドの地を踏んだ。

 

 ロックハートはヴェネツィアまでポートキー1本で来たというが、菊が見たところ相当にぼったくられていた。救いようがないカモである。

 菊はロックハートに行きで使用したポートキーよりも、複数経由して行く方が安上がりだと説明をして、魔法省より正当な認可を受けているポートキー業者を利用することにした。

 

 創業ウン百年の老舗ポートキー業者 ブルーブーツ、通称BBは世界各国に展開している良心的な価格のポートキー業者である。

 総じて青色のブーツをポートキーとしている彼らの元にたどり着くには、街中にある魔法使いのエリアを探す必要がある。大抵は非魔法族から隠された空間、ヴェネツィアで言うと水路の途中に入口が隠された水の商店街がそれにあたる。中で青い看板の靴屋を探し、店員に青いブーツを注文する事でポートキーを利用することが出来るのである。このBBは魔法省の人間など公務員のみ知っている業者であり、先の戦争でこの情報を知った時、菊はお上の優遇を察した。

 

 閑話休題

 

 そうして、菊とロックハートは3つ目のポートキーを踏み、無事にダラム郡へとたどり着いたのであった。

 

 ロックハートはダラムの町に足を踏み入れた途端、顔を顰めて頭を空気の膜で覆った。

 あたりは排気ガスが充満しており、油と金属の独特な匂いが熱気とともに辺りを覆い尽くしていた。

 

 菊は無言で懐から札を取り出すと親指の腹を食い破り、紙の中央に円を描いて宙へ放る。ロックハートは見慣れたように「マグルから隠れるのは大変だな」とぼやいて強烈な肘鉄をもらう。

 菊は不用心なロックハートと共に過ごすうちに、マグルからの認識が曖昧になる術を何度も使うはめになっていた。

 

「ここがダラム……なんというか、典型的な工場の下町と言った風情だなぁ」

 

「さっさとゴブリンの情報屋を探すぞ。ここはあまりにも空気が悪い。ゴブリンという生き物は大抵暗い半地下を好むからな……」

 

 一行はゴブリンの情報屋が潜む酒場を探すため、小さな街を何周も練り歩いた。文字通り、()()()()()()()()()()()。大聖堂、城、急勾配の坂道や穴熊の巣のような市場まで何回も見て周り、時に魔法を使って痕跡を探した。

 

 しかし、彼らは一切魔法の痕跡を見つけることができぬまま夜を迎えることとなった。原因は明らかだった。魔法族とゴブリンの使う魔法力は()()()()()()()()()()()()のだ。日本生まれ日本育ちの菊はそれを全く考慮ぜず、闇雲に表の町を観光する結果となった。ロックハートはイギリス生まれの魔法族ではあるが、イギリスの魔法族とは得てして魔法生物を格下に見ている。そのため、下等生物の魔法が自分たちとは違うことに一片の興味さえ抱いてこなかったのである。つまり、二人がゴブリンの隠遁術を見破れる可能性は、万に一つもなかったというわけだ。

 菊は疲れ果てた様子で足を引きずるロックハートを振り返った。

 

「夜は魔物の時間だ。今日はここまでにしよう」

 

「はぁ……早く休もう……宿はどこだ…… ……? まさか、野宿……?」

 

「宿とまで上等なものではないが、我が別邸にご案内しよう」

 

「ホォ、別邸! さすがキク! ……で、どうやっていくんだ?」

 

 頭を疑問符でいっぱいにしたロックハートに、菊は指を一つ立てて静かに口を開いた。

 

「凪いだ水が必要だ」

 

 曰く、日本に伝わる”水鏡”という術を利用して別邸まで移動するという。

ロックハートは正直な男である。顔にデカデカと「信じられません」と浮かべながら菊を見つめた。それを見た菊は朗々とその理屈を説明し始めた。

 

 ”水鏡”とは、凪状態にある水面に映るものの配置に着目した術である。同時刻、同じ場所に同じ物が配置されていることで、世界の認識が歪み、水面同士が繋がるというのだ。水面は大きくても小さくてもいいが、物が重要らしい。”太陽”か”月”の魔法力を基盤に、魔法力を帯びた物を水面に配置することでそれらの魔法力を利用して門が開く。そのため、術者が支払わねばならない魔法力量は比較的少ないという。

 そこまでを一息に説明して、そして呆けた面に鼻をフンと鳴らした。

 

「私の別邸には風除けの結界が敷かれた池があってな。南に鳳凰の風切り羽、北に千年松の枝が見える。その通りに物を設置して、あとはこちらの水面が凪ぐのを待つ。簡単だろう?」

 

 菊は街中から()()()()小さな壺に水を貯めながら語りかけた。ロックハートは「つまり、水が静まるのを待てばいいということか?」と腹が立つようなドヤ顔で胸を張った。そしていそいそと若草色の外套を脱ぐと、バリケードのようにツボを囲って風から守ろうとグルグルとまわり始めた。

 水面が静まりそうになっては隙間風が吹き、残念そうな声をあげるロックハートに、菊が冷たい声色で声をかけた。

 

「君、頑張っているところ申し訳ないのだけれどね。それだと羽と枝が水面に映らないぞ」

「キク……それ、早く言ってくれよぉ……」

 

 無駄に動いたじゃないかとプンスコしている優男を尻目に、菊は素早く物を配置すると壺の中を覗き込んで配置の微調整を始めた。ちまちまとミリ単位で角度を変える姿に、手持ち無沙汰な様子のロックハートはジャパンのオンミョウジはクレイジーだと改めて思った。

 

 それから少ししてようやく調整が終わった菊は壺の四方に()()()でガリガリと円を描き始めた。ロックハートは見覚えのあるそれに目を細め、右上を向き、頭を傾げ、そして思い出した。壺の周りに描かれるそれはイングランドの洞窟内で見た魔法陣と似たような文字だったが、円は一つしかなくて小さく、より簡素な印象だ。

 感心した様子で見ていたロックハートだったが、菊が円に文字を描き始めてようやく「いやそれ杖だから!」と声を上げた。

 

「風、止、凪と隠……うむ、多分これで動くはず……」

 

「たぶん?! ……うお、光が!」

 

 

 菊が親指から一滴の血を魔法陣に流した瞬間、壺の周りの風は止み、水面のさざなみがゆっくりと平静になっていく。

 

 術の発動条件は整った。

 

 水面がにわかに白い光を放ちロックハートの目を焼く。菊は顔を庇うように腕を交差して立ち尽くすロックハートの腰に腕を回すと、水面に飛び込むように小さな壺の口へと飛んだ。一際強く光が辺りを照らす。思わず「うおおおおおお?!」と叫び硬直するロックハートの声は、一瞬の間を置いて光と共に消え失せた。その場に残ったのは土作りの小さな壺と地面に刺さった炎色の風切り羽、そして松の枝だけだった。

 

 ・

 

 日本は瀬戸内海に聳える岩山──その中で一際大きな岩には、拡張魔法や隠蔽魔法などさまざまな魔法が複雑に、かつ大規模に施されている。非魔法族からはただの岩に見えるその岩は、一度中に立ち入れば日本庭園が広がっていた。日本の陰陽師 頭取たる土御門家が各地に作った隠れ家の一つである。

 静寂に包まれた枯山水の奥で、清らかな水を湛えた小池が眩い光を放つ。同調するように鳳凰の風切り羽と大きな松の木も控えめに輝く。清閑な空気を破るようにふたつの水飛沫が上がった。

 

「んガァ! ゴホッ……冷たい」

「この術唯一の欠点がこれだ」

「身体中びしょ濡れ……疲れた体に鞭を打って、その結果がこれかい? ジャパンのおもてなしは最高だね」

「そういうな。何、屋敷に足を踏み入れた瞬間にその水気は全て飛ぶように式を組み込んでいるから問題なかろう」

 

 池の中に現れた小柄な東洋人と金髪の美丈夫は服から水が滴るほどに強かに水面に浸かっていた。かろうじて踏ん張った結果足袋と裾が濡れただけの菊と比べ、ロックハートは池の中に尻餅をつく形で現れたため彼の機嫌はすこぶる悪かった。イギリス流の嫌味もなんのその、菊の一言を聞いた瞬間ニコッとしながらいそいそと池から這い出る。後に続いた菊はそのまま枯山水を突っ切ると縁側で履物を脱ぎ捨てた。家の中で靴を脱ぐという習慣がないイギリス人は、それを見て学生時代の彼女の部屋事情について思い出していた。

 

 彼らが学生時代、菊は日本からの留学生ということで特別措置を取られていた。完全個室という待遇で迎え入れられたのだ。そして、彼女は入学初日にその部屋を純日本家が如く改造した。流石に間取りは変わっていなかったが、壁紙は砂を塗ったようなものになり、床は素足で歩くためにすっ活り踏み固められた絨毯を撤去してフローリングが剥き出しになっていた。しかし、彼女の部屋には砂埃ひとつたりとも落ちておらず、菊は一時は病的な潔癖症を疑われていたのだ。完全個室を利用して、ロックハートは度たび彼女の部屋に押しかけては自分の素晴らしさを知らしめるための作戦会議を行なっていた。

 

 閑話休題

 

 平屋の豪勢な日本家屋は聞くところによると平安時代から改装・増築を繰り返してきたという。今となってはまるで迷宮のようにあちこちがつながり入り組んでいる。そんな屋敷の縁側に足をかけたロックハートは瞬時に乾き切った己の体を見下ろし、不思議そうな声色で「こんなにも便利な魔法を、なぜホグワーツは教えてくれなかったんだ?」と呟く。菊は長い足を片方だけ乗せてフリーズする美男子を尻目に「建築素材レベルで組み込まれた術式だからじゃないか? 知らないが」と適当なことを言いながら迷いのない足取りで廊下を進む。置いてかれまいと慌てた様子で靴を脱ぎ捨て、先をゆく長い黒髪が揺れる背を追った。

 

「お〜い、兄者! 兄者はおらぬか!」

 

 磨き上げられたカバザクラ材の硬さを足裏に直に感じる慣れなさにドギマギとしながら、虚空に声を張り上げる菊の後ろで億劫そうに口を開けた。

 

「……誰もいないじゃないか」

「兄者が留守なんて珍しいな……キミを紹介したかったのだが、仕方あるまい」

 

 菊の兄者、兄弟か? 

 ロックハートは今まで微塵も興味を抱かなかった故に知らない彼女の家族構成が、今更気になった。胸中で湧き上がった感情に任せ、「兄弟がいたのか」と聞いた。答えは、「居候」だった。ボブ(ロックハート)は訝しんだ。普通、そんな男を”兄”とは言わんだろうに。

 

「居候? そんな奴を()と呼んでいるのか?」

「私の従兄弟で、剣術の兄弟子だ」

「フゥン……サムライか。それにしても、年下のお前の家に住み着くなんて、鬼婆(グール)みたいな男だな」

 

 ヨーロッパ魔法界において、鬼婆(グール)は気づいたら家に住み着いて悪さをする迷惑な存在として知られている。それを知らない菊は不思議そうな顔をしつつ、とりわけ興味を抱かなかったのかスルーして、入り組んだ廊下を進んでいく。ようやく辿り着いた部屋は、ロックハートには他の部屋との違いが全くわからなかったが、広いということはわかった。

 

 青々と艶めく畳から香る独特の匂いに慣れない様子でそわそわとしながら部屋に入っていく男。キョロキョロと机ひとつない部屋の中を見渡す様はまるで初めて人に飼われた子犬のようだ。

 

「今日のところは風呂に浸かってゆっくりと体を休めるといい」

 

「あ、ああ……てっきり今日は野宿かと思ったから、ありがたいな。ところで飯は? ベットはないのか?」

 

「……夕餉は式神が運んでくるから部屋で待っていればいい。布団は敷布団でそこの襖に入ってるが、それも式神が世話をするからな」

 

 投げやりな説明に「出た、シキガミ! ところでシキガミって何?」とホグワーツ時代から抱いている疑問を内心爆発させながら、顔だけは神妙に頷いてみせた。それに満足そうに頷いた菊はそのまま扉を閉めた。

 異国情緒あふれる部屋に一人取り残されたロックハートは遠ざかる足音を聞きながら床に倒れ込んだ。

 

「ッハァ〜〜〜〜疲れた! ……グゥ」

 

 長いため息と共に意識を落としたロックハート。その端正な青白い顔に、音もなく影が落ちた。

 

 音もなく白い顔布を当てた女──シキガミに敷布団にぶち込まれたロックハートが、翌朝いつの間にか完璧にセッティングされた布団に入っていたことに、恐怖のあまり叫び出したことはいうまでもない。

 

 

 ・

 

 

 翌朝、屋敷に響き渡る男の悲鳴に駆けつけた菊は、彼の肝の細さに呆れながら式神を紹介していた。

 

 顔に白い布をした風貌はロックハートにとって”()()”すぎて恐怖を抱いた。彼にとって、今まで目にした”式神”は、ホグワーツの部屋を片付けていた紙製の小さな人形と、移動用の大きな鶴の2種類だった。前日菊に”式神”と言われた時、ロックハートはてっきり小さな紙切れが世話をすると思い込んでいた。そんな紙切れに何ができる。そう思っていたロックハートが目にしたのは、明らかに肉体を持った存在。

 起床してすぐに枕元に膝をつき、こちら伺っている顔の伺えない女を目にしたロックハートが悲鳴をあげたのも仕方のないことだろう。

 

「これはキミの専属”式神”として式を組んだ。キミのために動くから、自分の好き嫌いを教え込むとどんどん良い動きをするぞ」

 

「……ああ」

 

「よし、これで問題あるまい。すぐ朝餉(あさげ)にしよう」

 

「……ああ」

 

 明らかに元気のないロックハートをスルーしながら手を2度叩く。音もなく襖が開き、2人の白い布面をした男性型式神がお盆を持ちながらそれぞれの前に朱塗りの銘々膳と料理を配膳していく。手前で湯気を上げる山盛りの白米は艶やかで、味噌汁・鮭の焼き魚・漬物と手前味噌の小鉢が隙間を埋めるように並べられる。夕食を食べ損ねたロックハートは立ち上る香ばしい焼き魚の油の匂いに生唾を飲み込んだ。

 

「懐かしいな……」

 

「そういえば、キミはホグワーツでも私の部屋に来ては飯を集っていたな」

 

「イギリスの飯はクソだ」

 

 ロックハートはペンだこのある大きな両手を合わせて「イタダキマス」と呟くと、手前に置かれた箸を手に白米を口に入れた。数年のブランクはあったが、箸の腕は落ちていないようだった。ほのかに甘い、粘り気のあるライスはイギリスで食べるパラパラとしたタイ米とはまた違う旨さがある。噛めば噛むほどに甘い米粒を嚥下したロックハートは、衝動に任せて鮭の身に箸を入れた。紅色の身が油を滴らせながら持ち上がる。ロックハートはそれを白米の上に一度バウンドさせてから口に入れた。ほどよい塩味に体が白米を求める。欲望に従い、大口で白米を口に運んだロックハートは体から疲労が抜けていくのを実感した。

 

「旨い……」

 

「ハハ、キミはいつも美味しそうに飯を食べるな」

 

 顔をしわくちゃにしながらしみじみと呟いたロックハートはそのまま次の一口を頬張る。菊は漬物をボリボリと頬張りながら、式神を手で呼び寄せた。意図を察した式神がスス、と近づき、巻物を手渡す。巻物をひらいて文字を目で追う菊は、しばらく目を伏せ、ごくりと漬物を飲み込むとロックハートに語りかけた。

 

「ロクハート、情報屋の居場所が掴めたぞ」

 

「ング、……何? 一体どうやって?!」

 

 口いっぱいに詰め込んだ米粒を必死に嚥下してロックハートが吠える。昨夜、足が棒になるまで町中を何周もした彼は自分が見つけられなかった情報屋の居場所を一夜で見つけられたことに納得できない様子だ。菊は目の前の銘々膳を横に退けると、巻物を広げてみせた。

 

「……?」

 

「昨夜、屋敷から密偵に長けた式神を何体か街に放ったんだが、そのうちの一体が見つけ出した情報だ」

 

 みみずがのたうち回ったような文字にハテナを浮かべるロックハートに、菊は構わず事情を話す。菊の言葉に合わせて、膳を持ってきた式神たちが軽く会釈をした。どうやら、密偵に長けた式神とはこれのことらしい。ロックハートは後半に筆で描かれた地図に目を凝らした。

 

「我々が昨日痕跡を発見できなかった理由はただひとつ」

 

「? 一体なんです?」

 

「お前のせいだよ、ロクハート」

 

「……!? な、なんですって?」

 

 菊の小さな口から放たれた衝撃の言葉に、ロックハートは大袈裟すぎるほどに仰け反った。即座に戻ってきた彼は、身を乗り出して問い詰めた。「あ〜あ」とめんどくさい色を隠さずに菊が顔を背ける。男性型の式神たちは主人に詰め寄るロックハートの肩を掴み、一度引き離して落ち着かせた。

 

「……それで? 何が僕のせいなんだい?」

 

「キミ、色んな意味で有名らしいじゃないか」

 

 ロックハートは自身の著書『Break with a Banshee』を発売後、宣伝のために方々のマスコミに自分を売り込んだ。初めはきちんと宣伝をしていたのだが、いつしか自己顕示欲が勝り、自分の情報を露呈し始めた。それからは、まあ、ひどいものだった。自分の話ばかりで本には全く触れない彼の姿に喜んだのは彼をもっと知りたいファンだけだった。本はいいのに、作者は嫌い。そんな魔法族が増えた結果、彼は業界から嫌われるようになってしまったのだ。

 そのことは、ベネチアまで旅をしていた菊も知っていた。何せ、手に入る新聞全てに彼の大見出し記事があるのだから。

 

「どうせ低迷した人気回復のために、早く次回作をって魂胆だろう?」

 

「んん! ……いやぁ」

 

「それにしてもスパンが短い。書き上げて数ヶ月だろう! 私の腕も治ったばかりだというのに、本当にキミってやつは学生時代から何も変わってないな! いい意味でも、悪い意味でも!」

 

「……すまない」

 

 すっかりしょぼくれた様子の彼にフン、と鼻を鳴らす。菊は彼の頭頂部を見ながら、巻物の解説を始めた。慌てて顔を上げたロックハートは菊の説明に必死に耳を傾けた。

 

 曰く、昨夜魔法使いがいなくなったことで潜んでいたゴブリンたちの活動が活発化したらしい。式神たちはゴブリンが「成金野郎」についての悪口を言っているところを聞いたそうだ。見つけたゴブリンたちは、皆同じところで姿を消したという。

 その場所こそが──

 

「大聖堂ゥ? なんでまたそんなところに……」

 

「ああ、ダラム有数の建築物だし、昨日も当然訪れた。が」

 

「が?」

 

「お前がいたからな。全力で隠していたらしい」

 

「なんなんだ、その理由……」

 

 

 

 

「それに奴らと我々では、そもそも使っている魔法が違うそうじゃないか」

 

「……知らないものは知らないから、無知は恥じゃない! 知ろうとしない姿勢が恥なんだ!」

 

「いばっていうことじゃないぞ、キミ」

 

 思わず脱力したようにその場に倒れ込むロックハート。菊は保温魔法がかけられ、未だ湯気を立てている味噌汁に口をつけた。うん、うまい。柔らかく煮込まれたカブを噛み締めれば、じゅわりと汁が溢れ出る。朱塗りされた茶碗に口をつけて味噌汁を一気に飲み干した菊は巻物の後半に記された平面図を指差した。

 

「大聖堂と言っても入り口は中ではない。下だ」

 

 




捏造オンパレード回。
耐えきれず、日本に少しお邪魔しました……
ロックハート氏は原作でも1作目出版の際メディア露出大杉〜って話があったと思うので要素あります。


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3, 小鬼の情報屋

誤字報告大変助かります。感謝!
そう言えば先日ようやくファンタビ3を見ました。大人の魔法使いたちがガチで戦ってるの、カッコよすぎですね……


 ダラムの朝は早い。下町が工場で構成されているため、従業員たちが出勤するためだ。

 皆一様に朝のツナギを纏い、同じ時間に列挙して工場に出勤する光景は壮観だ。

 

「ワオ、見てみろキク。労働者たちだぞ」

 

「──悪趣味だな。キミみたいな遊んでるだけの男よりはよっぽど真っ当な生き方だと思うが」

 

「……今のは傷ついたよ。謝罪を要求する」

 

「事実だ」

 

 普段通りの軽口の応酬が湯気を上げるコーヒーカップの上を飛び交う。

 川縁のテラスでコーヒーを楽しむ2人は、何もただ遊んでいるのではない。鷹のように鋭い菊の目が労働者に紛れて移動するそれを捉えたのは、それからすぐのことだった。

 

「ロクハート、いたぞ」

 

「ようやくか。……ハハハ、全くわからん」

 

 菊はコーヒーをグイ、と飲み干すと俊敏な身のこなしで立ち上がり、席を後にした。残されたロックハートはゆっくりとため息を吐き、「これだから東洋人は……」と首を振る。

 白く塗られたガーデンチェアから立ち上がった彼は、自分が飲み干したからのコーヒーマグの下にお札を数枚挟んでから菊を追いかけた。

 

 そんな悠長なことをしていたロックハートが追いついた時には、菊はすでにゴブリンを捕えおおせていた。

 

 労働者が渡っていた小さな橋の下で、壁に叩けつけられた醜悪な顔の小鬼が口端に血を滲ませながら威勢よく菊に食ってかかっていた。

 

 いかにも意地の悪そうな顔つきの小鬼は、人間のような背広を纏い、しかし足首には()()()がついていて足幅を制限されているのが見てとれた。

 鋭い牙を剥き出しにして「テメェ、この町でゴブリン(わし)に手を出してタダで済むと思ってんのか?!」と叫ぶゴブリンの頬を鋼鉄の拳で振り抜いた菊は、感情の読めない顔で凄んで見せた。

 

「最後のチャンスだ。吐け、お前らのボスはどこだ」

 

「い、言わんぞ……」

 

「そうか、残念だ」

 

 色良い返事をもらえなくて腹に据えかねたらしい。菊は喉元を掴み上げていた手を離す。

 宙で放されたゴブリンは地面に倒れ込み、喉を押さえながら咳き込んだ。

 

 ゴブリンのしゃがれた咳が橋の下で虚しく反響していた。

 

 かわいそうに。思わず同情したロックハートは菊の方をチラ、と伺い、目を疑った。

 

 菊は、刀に手をかけていた。

 

 何年も共にいたロックハートにはわかる。

 

「ほ、本気だ……!」

 

 倒れ込んだゴブリンは慄いていた。

 涙で滲む視界でとらえたのは、武器に手をかける乱暴な女の姿。

 女の強さは尋常ではなく、魔法を使う暇もなく腕を拘束された。まるで我々が魔法を使うための挙動を把握しているかのように、的確に。

 

 それになんだあの禍々しい剣は。ゴブリンは、己が小鬼(ゴブリン)生200余年でいくつもの()()()()を目にしてきた。いくつもの剣を鍛え上げてきた。それでも、こんなにも()()ことに特化した剣は今まで目にしたことがなかった。鞘に収まっていても伝わってくる()()()()()()に、戦場上がりのゴブリンは柄もなく怯えていた。

 

 一閃。

 

 ロックハートにしてみれば菊が構えたと思ったら、次の瞬間には刀を鞘に収めていたようにしか見えなかった。

 思わず「何を……」と口に出して、そして驚愕した。

 

 地に伏せながら咳き込んでいたゴブリンの、足幅を制限していた鉄の足輪を切り捨てたのだ。

 

「!?」

 

「ここでお前を切り伏せることも容易い。容易いが、()()()の顔を立てて見逃してやる」

 

 石畳に乾いた音を立てて跳ねた銀の足輪に、ゴブリンは驚愕したように目を見開いた。

 

「キッ、貴様! どうやってこれを……!」

 

「? 私に斬れないものは()()ない。そうだな……流石に海は切れないぞ」

 

「これが何かわかっていての言動か、小娘!」

 

 信じられないものを見た。そんな顔つきで、今までにない勢いで菊に飛びかかった小鬼は、流れるように地面に叩きつけられた。一瞬息を詰めた小鬼は「っ、礼は言わんぞ!」と叫ぶと、指を一つ鳴らしてその場から消え失せた。

 

 唯一の手がかりが消えたことに慌てふためくロックハートは若草色のローブをバタバタとさせながら狭い通路を右往左往とする。その肩を軽く叩いた菊は、口端を釣り上げながら()()を指差した。

 

「ハハ、素直じゃないな」

 

「……? アッ!」

 

 地面には太陽の光によって落ちた橋の影と、その上で仁王立ちする小柄な人形の影があった。

 

 

 

 2人が橋に上がった時にはすでに彼の姿はなく、風に靡く羊皮紙が銀色の腕輪を重しにして端に置かれているのみだった。

 羊皮紙にはひどく神経質そうな細く角張った文字が右上りで刻まれている。英語が読めない菊に代わり、ロックハートはそれを読み上げた。

 

 羊皮紙には、現代よりも古めかしい言い回しで、こう刻まれていた。

 

 

「──? 読めないな……?」

 

「……そうか」

 

 疑問符で頭がいっぱいだ、と言わんばかりのアホ面を晒す作家様に思わず眉間を揉む。

 菊は残るもう一方の手がかりに手を伸ばした。ツルリとした銀製の腕輪だ。継ぎ目ひとつなく、内側に見事な細工彫刻が施されている。

 

「なにかの建物みたいだな……」

 

 菊がつぶやく。内側に描かれていたのは、大聖堂とおぼしき建物と、その下に広がる森林。森林の中ではゴブリンたちが地面の下で盃を交わしている様子がありありと描かれていた。

 

 ゴブリンは穴掘りが好き、とは聞くが地下に居を構えるとは、さすがに思いつきもしなかった。そも、一般的な知性ある魔法生物は人間の住処に溶け込むような形で居を構えることが多い。

 イギリスはグリンゴッツ魔法銀行で働くゴブリンたちがその筆頭だろう。

 

「表の紋章は特徴的じゃないかい?」

 

「……なるほど、佐々木の爺様のツテとはこの事か!」

 

 銀の腕輪の表面にはっきりと刻印された紋章は、角の生えた()()()と牙の生えた()()()、その下でゴブリンがナニカを支えている様子を描いたものだった。

 

 菊は興奮した様子で腕輪を掲げた。

 

「いくぞ、ロクハート!」

 

「え、どこに?!」

 

 困惑しきりのロックハートに、いたずらっ子の様な顔で菊が叫んだ。

 

「──情報屋を問い詰めに、だ!」

 

 

 ・

 

 

 イングランド東北部ダラム郡ダラム大聖堂地下

 

 静謐な大聖堂から地下深く、魔法で隔絶されたそこは、まさにゴブリンの根城であった。

 

 薄暗い完全地下のそこは壁一面が煉瓦で補強され、等間隔に吊るされた蝋燭が火をゆらめかせている。

 深みのあるダークウッド製のカウンターでシェイカーを振るうゴブリンからブルーキュラソーベースのカクテル ブルーハワイを手渡された細身な女ゴブリンが、青色のスパンコールを煌めかせながら一息に飲み干す。

 

 室内には所狭しとラウンド型の木テーブルが置かれ、それぞれにそれぞれにゴブリンたちが3〜4人程度頭を突き合わせては何かを話し合っている。

 禿頭がひしめくそこに流れるのはしっとりとしたジャズ音楽。銀の足枷をつけた一団がそれぞれの楽器を壁の端で演奏していた。

 

 そんな空間の最奥にある紫のビロードで区切られた半個室のような場所で、トレンチコートを着込んだゴブリンが傍に座る大柄なゴブリンにしゃがれた声をかけた。

 

「ボス、収集係のティムが逃げ出したそうです」

 

「……フゥ」

 

 スーツを盛り上げるほどの筋骨隆々。

 細長い指全てに大ぶりの宝石をはめたそのゴブリンは、葉巻を肺の深くまで吸い込んだ。ぽ、と軽く息を開けて有毒な煙を宙へ放つ。

 白煙が滲むように宙に解けていくのを見ながら、大柄なゴブリンは芯のある、しかしどこか調子の外れた声でささやいた。

 

「オイオイ、わかっているだろ? あいつの足に()()ついてるか。 笑えねェ冗談はよせ」

 

「冗談であれば良かったんですがね……どうも、奴の足輪を斬り落とした人間がいるようでして」

 

「?! オイ、オイオイオイ! 手前さん、自分が何を言ってるか理解してンのか? アレはワシら小鬼(ゴブリン)が鍛えた、()()()()()だぞ? おまけに()()()()()()()()()()()強度も上がってる。()()()()()()()()()で鱗の硬度を吸収したアレを、ただの人間が切り落としたダァ? 冗談も休み休み言うんだなァ!」

 

 ゴブリン製の銀細工は世界的に高値で取引される。

 汚れを落とさずともその品質が保たれる性質は彼ら独自の魔法を使った鋳造に秘密があるという。さらに驚くべきは、自らを強化するものを取り込み、成長する点だ。かのゴドリック・グリフィンドールの剣もゴブリン製だと聞く。

 彼は立ち塞がるもの全てを剣で斬り捨て、魔法で撃ち倒し、その果てにホグワーツ魔法魔術学校を同志3人と設立するに至った。

 

 このことからもわかる通り、ゴブリンの鋳造技術は遥か昔から魔法界で認知されるほどに高度だ。さらにはドラゴンの鱗という並大抵の力では傷つけることしかできない物質を吸収させたそれを、どうして切り落とすことができると考えよう。

 

 不機嫌な面持ちを隠そうともせず、ダラムのボス──ゴルゴフはその葉巻の火種を大理石のテーブルに擦り付けた。

 

「いいかァ? そんなことができる人間なんざ、この世にそうはいねェ……!」

 

「そりゃあそうですが、実際にブツがありましてね」

 

 トレンチコートから出た細長い指を一度パチン、と鳴らしたゴブリン。大理石のテーブルの中央に音を立てて、虚空から両断された銀の足枷が落下した。

 乾いた音が一瞬静まり返った半個室に響く。

 ジリジリと葉巻の火種が遠い喧騒に巻かれて主張していた。

 

「コイツぁ──」

 

 目を見開いたダルゴフが指の腹で断面をそっと撫でる。

 何のとっかかりもざらつきもない。

 迷いにない一太刀で切られた断面はつるりとしていて、まるで何か他の宝石のように美しい光沢を放っていた。

 

 驚きと既視感にダルゴフが口を開いた瞬間、入り口から爆発したような音が響いた。

 

「頼もう!!」

 

「キ、キク?! 何してくれ──ああ、もう!」

 

「道場破りをするときの礼儀だと教わった」

 

「ドウジョウヤブリ?! 何のことだかわからないが、絶対にそれ間違っているぞ!」

 

 ゴブリンの根城に押しかけた2人の魔法族──菊とロックハートは堂々たる出立ちで入り口に佇んでいた。

 

 小さな足の形に陥没した鉄の扉はひしゃげてゴブリンたちの上にのしかかっている。2人は悠々と、あるいは人の影にその体を押し込めながら、岩肌をくり抜いただけの階段を下りていく。

 

 降りてすぐの場所にあるカウンター。その中で固まるシェイカーを持ったゴブリンに目を留めたロックハートは「ファイア・ウイスキーはあるかな?」と厚顔無恥に要求をしている。

 

 菊は恥しかない友人を見なかったことにして声を張り上げた。

 

「ここのボスにお眼通り願いたい!」

 

 彼女の覇気に満ちた声が地下空間に反響した。

 

 それに応えるようにゴルゴフが2mはありそうな巨漢を屈めながらビロードの仕切りを捲った。小粒ながら鋭い瞳孔がきゅ、と収縮し、菊を捉える。

 

「──ワシの城に何の用だァ、小娘」

 

「ボス!」

 

 威圧感のある、調子の外れた声。ゴルゴフの登場に静まり返っていたゴブリンたちは一斉に騒ぎだした。ファイア・ウイスキーを飲んでいるロックハートだけが、それに脅えていた。

 

「グールの群れを探している。なんでも、魔法族を攫っているとかいう、知性あるグールの群れだ」

 

 通常、グールに知性はない。

 生ける屍としてただそこを彷徨うだけで、ほとんどは無害だ。……時たま動くものを襲うこともあるが。それでも、魔法族であれば十分対処出来る危険度の存在である。

 

 バッシングに喘いでいたロックハートは、()()()から噂話を聞いた。曰く、魔法族をも襲い、攫ってしまうグールの群れがいる、と。魔法族たちはそれに大層困っていて、解決すればヒーローだ、と。

 

 ゴルゴフは太い喉の奥を震わせながら、猫撫で声で囁く。

 

「──あァ、知っているとも。ワシらは情報を集めることに特化した組織だ、知らぬ事などない」

 

 噂がついに現実味を帯び始めた。

 ロックハートは興奮と恐怖が入り交じった表情でカウンターの腰掛けから身を乗り出した。……もちろん、片手にファイア・ウイスキーの瓶を持って。

 

 ゴルゴフの言葉に菊は喜色を浮かべながら声を上げた。

 

「では──」

 

「──だが、駄目だ。貴様らにやる情報は、一欠片として、存在しない!」

 

「!」

 

 ──ゴルゴフは、怒っていた。

 

 ゴブリンの創った銀製品は魔法界随一の品質を誇る。彼は昔馴染みの中で、組織から抜けようとする反抗的な者に特性の枷を付けた。高価なドラゴンの鱗を惜しみなく費やし、幾重にも魔法を重ねてかけて、ようやく出来たそれ。

 

 ティムは、かつてのゴルゴフにとって右腕に等しい存在であった。長いゴブリン生の中で、何度助けられたか分からないほどに、彼らは共に居た。血の繋がりはなかったが、共に駆け抜けた。

 

 ──「兄弟、ワシはもう着いて行けない……!」

 

 忘れもしない。

 別れ告げてきたティムの顔を。

 懇願する仲間たちの目を。

 

 弱い立場にいたゴブリンたちを率い、育て、一角の情報屋集団として地位を確立した魔法戦争時代。所属していた組織が解体してからも仲間を解放せず、自分の周りに縛り付けた。

 

 それは、仲間への執着でもあり、失う事への恐れであった。

 

 ──故に、ゴルゴフは怒っていた。

 

 

 ──尊敬していた組織の双頭が失踪した時よりも。

 

 ──戦場で拷問を受けた時よりも。

 

 ──兄弟が自分を裏切るようなことを言った時よりも。

 

 

 ずっと、怒っていた。

 

 

「小娘ェ……! 貴様らがティムの足枷を外す手助けをしたことはとうに割れている!! 許すまじ……我が兄弟を引き裂いたことォ!」

 

「キ、キク!?」

 

 ついに、ゴルゴフは腹の中に蓄えていた激情を露呈させた。青筋が浮かぶ眉間が、血管が浮き上がる二の腕が、その怒りを物語っている。

 ゴルゴフは激情に任せ、丸太のように太い腕を壁に叩きつけた。傍観していたロックハートが悲鳴じみた声を上げる。

 

 ゴルゴフの激情に合わせて、ゴブリンたちが一斉に立ち上がった。手にはそれぞれの得物──大振りのナイフや銃など、いずれも銀製だ──を構え、菊とロックハートに狙いを定めている。

 

「ヒィ! どうか私の命だけはご勘弁を!」

 

「なんだこいつのプライドの無さは……」

 

「フハハ!! 油断した、な……すみません嘘です」

 

 菊はすこぶる冷静だった。

 

 頬が歪むほどに銃口を突きつけられたロックハートのように取り乱すでもなく、数多の武器に囲まれた状態で、ただそこに立っていた。

 そして一度ため息を吐き、刀にかけていた手を下ろした。

 

「紹介を受けてここにきた。聞き覚えがあるだろう? ──()()()、という名に」

 

()()()

 

 その名を聞いたゴブリンたちは、表情の読めない顔ながら驚愕した様に見えた。ざわざわと空気が揺れる。

 

「──ササキィ? 今、ササキと言ったか?」

 

 不機嫌そうな、唸るような声が部屋を支配した。トレンチコートを着込んだゴブリンが「ボス、落ち着いて──」と声をかけるも、ゴルゴフは聞く耳を持たない。

 丸太の様な腕を振り抜いて周囲のゴブリンを吹き飛ばすと、しわくちゃの顔をぐい、と菊に近づけた。

 

 ヤニで黄ばんだ目がぎょろりと動く。そして菊の腰に差さる大小二振りの刀に目を止めると、短く吐き捨てた。

 

「出て行け」

 

 ゴルゴフは先ほどとは一転、気勢を失った様子で座り込んだ。

 ジャケットの内ポケットから葉巻を取り出すと、宝石だらけの指を一度鳴らし、葉巻の先に火を起こす。ジリジリと火種が葉巻を焼く音がする。ゴルゴフは肺の奥底まで煙を吸い込み、天井に向かって吐き出した。

 

 菊はその様子をじ、と見つめていた。

 

「……行くぞ、ロクハート」

 

「え? でも情報はまだ──」

 

「他をあたる」

 

「それにファイア・ウイスキーも飲みきれてないし……」

 

「このたわけが! 行くぞ!」

 

 菊は踵を返し、涙を流しながら「僕のウイスキーが〜〜!」と瓶に手を伸ばすロックハートの襟元を掴んで引き摺りながらゴブリンの根城を後にした。

 

 

 

 すっかり喧騒を取り戻した酒場の奥でゴルゴフはソファに腰を下ろした。

 徐に胸ポケットから葉巻を取り出すと、長い指先から火が浮き上がり、ジジ……と葉が燃える音と共に葉巻の煙を深く吸い込む。

 宙に煙の輪を浮かべながら、憎悪と憧憬の織り混じった声色でつぶやいた。

 

 

「──生きていたか、裏切り者め」




ゴブリン:人型の魔法生物。高い知性と技術力を持ち、独自の術で作り出す銀製品は高値で取引される。魔法族とは長年に渡り恨みを抱いており、たびたび争いが起きている。
ホグレガ解禁までもう少しや……!(プレステ4民)


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4, 展開

就活ゥ? しらねぇな!!!!! 小説たのしい!!!!!!


 ダラム大聖堂側の森

 

 菊はロックハートの襟を掴み、引き摺りながらダラム大聖堂側の森の中を突き進んでいた。

 川の水面が朝日に反射して眩く煌めいている。普段は心安らかに聞こえる小鳥の囀りがやけに煩わしく思えた。

 

 麗らかな朝の森林で、踵を泥まみれにしたロックハートが呑気な声を上げた。

 

「ンン〜〜〜もう離してくれてもいいんですがね」

 

「……ああ」

 

「? 機嫌が悪そうな言いようだな?」

 

 菊に全体重を預けたまま顔に疑問符をうかべる。

 迂闊な言葉に手を離され、そのまま美しい若草色のローブが泥に汚れた。

 ロックハートは起き上がりもせず、白い頬に泥が着いたまま訳知り顔で口を開いた。

 

「はは〜ん、分かったぞ? さては僕だけファイア・ウイスキーを飲んだから怒っているんだな? そう怒るな! 印税でぽっかぽかの僕が何本でも奢ってやろう!」

 

「……はあ、違う。全然違う。全く、掠りもしていない。……酒は貰う」

 

 菊の言葉にロックハートはまるで向日葵が綻ぶような笑みを浮かべた。

 彼の端正な顔に見合わぬ鼻にシワが寄った無垢な笑顔に、菊は毒気を抜かれたような顔をして手を差し伸べた。

 

「ン〜、ありがとうございます!」

 

「その”ン〜”ってやつやめろ。腹が立つ」

 

「んな?! 何を言う! 金持ちの余裕ぶった男はみんなこう言うんだ!」

 

「ひどい偏見を見た……」

 

 ロックハートは桜の杖を手に取ると、手首を軽くスナップさせるようにして服に清めよ(スコージファイ)をかけた。

 まるでチョコレートがたっぷりかかったドーナツのような装いが、数瞬の後には鮮やかな若草色を取り戻す。

 ロックハートは満足気にうなずくと──まともに魔法が使えていることに驚きを隠せない菊を尻目に──杖を腰元の杖ホルダーに収納した。

 

「さて、振り出しに戻った訳だが……これからどうしようか」

 

「! ……!! ……?!」

 

「いやはや! 驚きすぎですよ、お嬢さん?」

 

「……ああ、すまない。正直ドラゴンと出くわした時よりも驚いたが、大丈夫だ」

 

 菊は簡単な修復呪文(レパロ)さえ満足に使えなかった彼の様を思い出しながら、驚愕を胸の奥底へと仕舞った。この調子で驚いていては身が持つまい。

 改めてロックハートはごほん、と咳ばらいをした。

 

「それで、何か宛はあるのか? あのおじいさんはゴブリンについての話しかしていなかったが……」

 

「……その前に、仕事だ。私の後ろから離れるなよ?」

 

「! わ、わわわ分かった!」

 

 慌てて背後に回った鮮やかな男を庇うように菊が鋭い眼光を周囲へ放ち。腰元の刀に手をかけた。

 

 ザワザワと木々が囁き合っている中で一陣の強い風が吹く。

 

 木々のさざめきに紛れるように、地面に伏した木の枝がポキリと折れた。

 

 一閃。

 

「──シィッ!」

 

「ぐ、ぎゃあ!」

 

 地面に落ちた小柄な影──ゴブリンが脚を庇うように蠢く。

 傍には刃が()()()小さな剣が何本も散乱しており、明確な殺意をもって襲いかかってきたことが伺えた。

 

 目を固くつむりしゃがみこんでいるロックハートを守るように菊は鋼鉄の左腕で乱暴に、しかし正確に飛来した短剣を地面に振り払った。

 金属同士がぶつかる甲高い音と共に火花が平穏な森に散る。柔らかい草を押しつぶした短剣は、その刀身が()()()と怪しげな光を放っていた。

 

 菊は視界の端で義腕を確認する。太陽の光に反射していくつかの刀傷が見えた。

 

「チッ、流石に小鬼製の刃物じゃあ傷が付くか。新調したばかりだのに、まったく癪に触る奴らだ」

 

「す、ステイステイ! 流石に殺しはまずいぞ?! ……テリトリーの外ならまだしも」

 

 凶悪な顔で殺意を漲らせる菊と常識的なことを言っているようで言っていないロックハートのやりとりを隙と見たのか、2人のゴブリンが挟み込むように襲いかかってきた。

 

 短剣をほとんど同時に投げつけるとそれに追随する形でナタのような形の剣を構えながら駆けるゴブリンたち。

 

 短剣を刀で振り払えば、生じた隙を突いて脇をやられる。

 かといって、これを避ければロックハートへの直撃は免れない。

 

 では、どうするか。

 

 ──簡単だ。全部、斬ればいい。

 

 菊は瞬時に足を肩幅に開き、腰を落とした。

 左右からまっすぐに飛んでくる短剣を刀を8の字に振り下ろし、刃の腹で撫で上げるように軌道を斬り落とす。

 力の向きを逸らされた短剣がロックハートの足元に勢いよく突き刺さる。

 

 菊は間髪入れずに鋒を切り返し、刀を振り上げた。

 

 飛びかかり剣を振り上げるゴブリン。

 

 菊は避けるでもなく、右側のゴブリンの懐へ勢いよく飛び込んでいった。

 

 予想だにしていなかった挙動に思わず目を見開くゴブリンに向かい、獣のような獰猛な笑みを浮かべて刀を瞬時に握り直し、下から振り上げる。

 

「ッガァ!」

 

「次ィ!」

 

 剣を握っていた方の腕を切り飛ばされ、小さく悲鳴を上げながら地に崩れ落ちるゴブリン。

 

 菊は全身に返り血がつくのも厭わず、まるでバレリーナのように片足を軸にターンをしてみせた。

 

 ぐるり。

 

 残されたゴブリンは血に濡れたサムライに、思わず喉の奥が引き攣るような音を出した。

 

 しかし、すでに退路はない。

 

 一度振り上げた剣は元に戻せないのだから。

 

 菊はターンした遠心力を乗せて、鋼鉄の拳で思い切りゴブリンの顔を振り抜いた。いっそ気持ちのいいほどの吹っ飛び方で茂みの向こう側へ消えていったゴブリンに菊は満足げに鼻息を鳴らした。

 

 さあ次はどいつだ、と興奮し瞳孔が引き絞られた目を見開きながらあたりを伺うも、ゴブリンたちからの攻撃は止み、こちらを伺う視線だけが飛び交っていた。

 

 キョロキョロ。

 

 周囲を何度か見まわし、戦意がすっかり怯えに変わってしまっていることを敏感に感じ取った菊は能面のような表情が抜け落ちた顔をした。

 

「彼我の実力差はもう分かっただろう。 何、殺してはいないさ。仲間を連れて即刻立ち去れ!」

 

「……」

 

 返事はなかった。

 

 一瞬と静寂の後、気配が遠ざかっていくことを確認した菊は腕を抑えるゴブリンに向き直った。

 

 呻き声を上げながらも命乞いをするでもなく、ただ痛みに耐える彼に、猛烈な()()()があった。

 

 考え事をするように視線を宙へ向けた瞬間、地に伏していたゴブリンの気配が消失した。

 姿くらましだ。

 もとより深追いもトドメもさすつもりのなかった菊は、それを逃しながらも記憶を辿った。

 

「いやぁ、危なかった! それにしても、ゴブリンが魔法族に刃を向けるなんて……魔法省が知ればタダでは置かないだろうに」

 

「……奴ら、見覚えがある。ヴェネツィアまでの道中、護衛対象を襲ってきたヤツらだ 」

 

 ずっと守られていたのにも関わらず、元気爛漫な様子でひょこりと立ち上がったロックハートは、そのまま菊と肩を組んだ。

 されるがままの菊をいいことにそのまま考え事さえ始める彼。菊はようやく引っ張り出した記憶の話をし始めた。

 

 

 あれは菊がロックハートと別れて少し後のことだ。

 街中──といっても、魔法族のために秘匿された場所だが──でゴブリンの奇襲を受けた魔法道具専門の旅商人を手助けした。

 菊は成り行きでベネチアの近くまで護衛を受けることになった。

 

 その道中で襲いかかってきた刺客こそ、目の前にいるゴブリンたちと似た格好の者達だったのである。

 

 奴らは身の丈に合わせた背広に銀製の首輪を揃ってつけていた。

 

「何?! それではまるで、あのアサシンたちがキクの客のようじゃないか!」

 

「人聞きが悪いやつだな……このゴブリンたちが先程の情報屋集団と絡んでいるのは間違いない。

 

 ──問題は目的だ」

 

「目的ィ?」

 

 フクロウのように限界まで首を傾げるロックハート。

 菊は子供に説明するような、優しい口調で語り始めた。

 

「いいか? ゴブリンという種族は滅多なことでは武力行使に踏み切らない。奴らは魔法界での()()()()()()()を理解しているからな」

 

「そうだな……?」

 

「それに加えて理由が見つからない」

 

 ゴブリンが魔法族に並々ならぬ敵愾心を抱いていることは日本魔法族である菊も肌で感じていた。なにせ、ホグワーツ近くにあるグリンゴッツ魔法銀行の職員たちは信じられないほどに無愛想で人を小馬鹿にしたような態度だったのだから。

 

 菊は言葉が十分にわからない分、語調から伝わる相手の感情には人一倍敏感であった。

 

 利口なゴブリンがわざわざ武力行使をする理由。

 

 

 ゴブリン製の業物か? 

 

 ──否、そうであればとっくにイギリス魔法界はゴブリンによって荒らされ尽くしているだろう。

 

 

 何か恨みでも買ったか? 

 

 ──ロックハートのことは簡易炎上男故なんとも言えないが、少なくとも私の心当たりは先日の護衛で返り討ちにした程度だ。だが、これでは弱い。

 

 

 そう言えば、佐々木の爺様の名前を聞いた途端に態度が急変したような……

 

 

「──一体、ヤツらは何を欲しがっているんだ?」

 

 

 その時、緩んでいた緊張の糸が一気に張り詰めた。

 

 何某の気配を感じた菊はさりげなくロックハートを射線上から庇うように立ち、振り向きざまに刀を向けた。

 

「 何奴ッ!」

 

 鋭く飛んだ声に反応して、少し離れたところに生える低木の中から子供ぐらいの影が飛び出す。

 

 その影は菊から離れた場所でしゃがみこむとしゃがれた声で喚き始めた。

 

「やめい! わしだ、わし! 小娘、その物騒なモンを仕舞え!」

 

「──!」

 

 橋の下で恐喝したゴブリン(ほかのアテ)が、目の前に姿を現したのであった。

 

 

 ・

 

 

 朝。

 

 木漏れ日が降り注ぐ川辺の森は、小鳥たちのさえずりさえ聞こえぬほどに異様な静けさに包まれていた。

 風に擦れる葉音がざわざわとささやきあっている少し不気味な森の奥で、しゃがれた声が響いていた。

 

 木漏れ日から外れた大岩の上に腰かけたひとりのゴブリンが表情の読めぬ顔で口を開く。

 

「わしはティムという。ゴルゴフの……元右腕だ」

 

「……右腕には見えなかったが?」

 

 菊がティムと出会った際、彼の足には銀の足枷が揺れていた。

 

()()()()()()()()()を持つ菊は、その足枷が()()のように見えた。

 猛烈な執着の色が足枷から立ち上る煙のように彼の体にまとわりついていた。

 

 ティムは意地悪な翁によく似た声色で菊に語りかけた。

 

「いいか小娘、わしらの中にも派閥がある。ゴルゴフをはじめ鷹派のゴブリンが実権を握り、わしら鳩派の自由を奪った上に──」

 

「あ、そういうのはいいんで。グールの群れについて知っていることがあれば、よろしく頼みます!」

 

「……小童がァ!」

 

 空気も読まず、あるいは他人の気持ちを慮らず。

 ロックハートは相変わらずの鈍感さを以てティムの話を断ち切った。

 

 当然、瞬間湯沸かし器の如く顔を赤くして激昂するティムだったが、すぐに頭を振ると冷静さを取り戻した。そのアンガーマネジメントはまさに年の功。怒りで視界が曇りにくそうな、ゴブリンの理知的な性格をしているようであった。

 

 ティムは一つ、細長い指を立てた。

 

「……あァ、知っているとも。何せ、わしはあの時まさにその情報を持ち帰っている最中だったのだからな」

 

「! 情報源!」

 

 瞬時に盛り上がったロックハートを尻目に、ティムは少し考え込むと、神妙かつ愉悦を隠しきれない面持ちで口を開いた。

 

「して、小娘。貴様、何故に奴らに襲われていたんだ? 情報代を踏み倒したり、ゴルゴフの横面を殴りでもしたか?」

 

「否。私はただ、紹介者の名を出しただけだ」

 

「紹介者ァ? わしらの組織は秘密裏に活動してきた、()()()()の情報屋だぞ? そんな数寄者、そういるわけがねぇ。

 

 ──貴様ら、一体どいつの差し金だ?」

 

 場の緊張が一気に高まった。

 小柄な体格ながらティムの放つ殺気は重厚で、菊は思わず刀に手をかける。

 

 彼ら小鬼の寿命は知らないが、噂では百年単位で生きながらえる個体もいると聞く。人間とは成長速度が異なるのであろう。

 情報屋でありながら全身に傷跡を抱くこの小鬼も、その生涯の一部を争いの場で過ごしたのだろう。

 

 現代ではすっかり感じることのない剥き出しの殺意に菊は距離をおき、慣れていないロックハートに至っては声を出すこともできずその場にへたり込んでいた。

 

 プレッシャーに乾く唇を軽く舌で湿らせる。

 菊は刀から手を外さずに、堂々とした声で言い放った。

 

「此度の紹介は我が師 佐々木 源二郎によるものである」

 

()()() ()()()()

 

 菊の剣術の師範たる彼の名を聞いたティムは、顔中のシワを引き伸ばして驚愕の色を見せた。

 

 今、小娘はササキ、ササキと言ったか。

 

 ティムの脳裏に浮かぶは在りし日の佐々木 源二郎の背。

 

 人間にしては小柄で、温和そうな顔つきで、物腰も柔らか。

 

 東洋の出ながら、卓越した剣の技術で幾度も助けられた。

 

 庇われた。

 

 救われた。

 

 最後に会ったのは、もう四半世紀は前になるだろう。

 

 

 ──彼の顔はどのようなものであっただろうか。

 

 

 かつて焦がれていた侍の顔を、ティムはもう思い出せない。

 それでも尚、ティムは彼の人に恩義を抱いていた。

 

 いつか彼が助けを求めたら、なにに代えても手助けをしようと。

 

 

「……師弟揃って人助けとは、東洋のサムライは揃いも揃ってイカれてやがる」

 

 ティムは小さく呟くと、勢いよく顔を上げた。

 

 そして刀に手をかける菊と怯えるロックハートに小鬼らしくない柔和な笑みを浮かべて手を差し出した。

 

「全く、また借りができちまった。よければ手伝うぜ? ──グール狩り」

 

「! 小鬼の協力者とは、なんてネタになるてんか……頼もしいことだろうか!」

 

 菊に差し出された真っ白で細長い爪指の、小鬼の掌。

 それに応えようとした菊を遮って、泥まみれのコートを翻しながら、いつにないテンションのロックハートががっしりと握手を交わした。

 上下に掌を振りながらニコニコとしている男を少し気味悪そうに見やりながらティムが応える。

 

 

 

 ここから、ロックハートの旅は急速な進展を見せたのであった。




 ティムをはじめとするゴブリンたちはグリンゴッツ魔法銀行で働いているようなエリートではなく、叩き上げの粗暴な輩ですので、口調もそれに従って荒めになっています。
 前章最終話のゴブリン再登場の巻〜!


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5, ロックハートの危機

明日からホグレガ解禁!わーい!


 ティムに導かれ、一行の姿はダラム近郊の荒野にあった。

 大きな岩がゴロゴロと転がり、その周りに申し訳なさげに雑草の類が生い茂る不毛の土地。お気に入りの鮮やかな若草色のコートを砂埃から守るため、麻の布で覆い不機嫌なロックハートは噛み付くようにティムに吠えた。

 

「あとどれぐらいで目的地に……もう足が棒のようだ!」

 

「もうすぐだ」

 

「またそれか!!」

 

 この問答は、先ほどから何度も繰り返されている。

 ロックハートは空を仰ぎ見た。田舎特有の鮮やかな満点の星空が、暗雲に掛かって見えなくなっている。月の光さえ遮られた荒野は文字通り暗闇に包まれていた。

 

 一行はティムの持つ松明と菊の浮かべた仄かに光る折り鶴のみを光源に、暴風の中を進んでいた。

 

 朝に街を出てからこれまでの間歩き詰めであった3人の中で、初めに限界を迎えたのは、言わずもがな、作家先生であった。彼は唐突にその場に倒れ込むと、外聞を気にせず、まるで幼子のように足をばたつかせて喚き始めた。

 

「もう! 一歩も! 歩けない!!」

 

「……」

 

「そんな引いた顔で見ないでやってくれ。こういうやつなんだ」

 

「……そ、そうか」

 

 今までに見たどの人間よりも情けないロックハートの痴態に、ティムは少し顔を引き攣らせながらも大岩のそばで休憩することを決めた。

 その声に豪奢な金髪を暴風でボロボロにされたロックハートが歓喜の雄叫びを上げた。いの一番に大岩のそばへかけていくいい歳の大人の後を、2人はゆったりとした歩みで追いかけた。

 

 大岩は近くで見ると複数の岩が組み合わさって構成されていた。頂点を貫くように大木が根ざしており、暗闇の中でも暴風に吹かれて擦れる葉の音が耳に届く。

 

 菊はぼんやりとした心地で岩の頂点に見え隠れする大木の緑を見上げた。包み込まれるような、大きな気配がする。決して不快なものではなく、大地のようにそこにあるのが当然であるかのような、そんな気配が。

 

 気づけば暴風は雨を交え、冷たさを帯びて菊の体を包んでいた。

 

「おーい! ティムが飯を作ると言っているぞ! 菊も早く来い!」

 

 暴風雨に負けず、大きすぎる声が耳を貫く。菊は雨から顔を守るように麻の外套を目深に引き下げると急足で大岩へと向かった。

 

 

 2人は岩の割れ目のような洞穴で焚火を囲んでいた。パチパチと火花が爆ぜては薄暗い岩肌を照らしている。菊は滴が滴る麻の外套を脱ぎ去ると、紺色の袴姿で大きく伸びをした。

 

「ん……これだけで疲れるとは、鈍ったかな」

 

「ハハ、菊が鈍っているなら僕はなんだ? 赤ちゃんか何かかな?」

 

「あながち間違いでもない」

 

「ふぇ……」

 

 焚き火の上で鍋の上で細長い指で円を描くような仕草で魔法を使い、中身をかき混ぜるティム。その側で暖を取っているロックハートが疲労を滲ませながらも軽妙な声色で冗談を飛ばした。

 菊は彼の腕にびしょ濡れの外套を落とすと、文句も言わずに杖を一振りして乾かしてみせる。そのまま菊の袴にも同様の魔法をかけると、腰元の豪華絢爛な杖ホルダーに桜の杖をしまい込んだ。

 

 菊はすっかり乾いた服にニコリと笑い「いつもすまないな」と礼を返した。

 彼女はホグワーツ魔法魔術学校を中退したことで、初歩的な西洋式魔法を苦手としているのである。

 

「ほれ、簡素なもんだが食わないよりゃマシだ」

 

「ありがたい」

 

「ええ、簡素な食事でも喜んでいただきますよ!」

 

「……」

 

 ティムが一つ指を鳴らすと3つアルミ製の深皿が乾いた音を立てて現れた。そこに宙に浮かべたミネストローネを等分していく。

 ロックハートは焚き火で炙っていたバケットを魔法で切りながら菊の手元へと送り出した。

 菊は宙を泳ぐようにパン切れが連続して飛んできたのを見もせずに受け取ると、保存食として外套の内側にぶら下げてあった燻製肉を薄く切り、パンの上に乗せてはロックハートが広げたプレートの上に積み上げていく。

 

 均等に食事が配膳される。ティムは彼ら小鬼の神に祈りを捧げ、菊は簡素に手を合わせて頭を下げた。

 それを横目にロックハートがスープを啜った。

 

 彼に祈る神はいないので。

 

「! 美味しい! 暖かいミネストローネと塩味の強い肉が疲れた体に染み渡りますねぇ!」

 

「それはそれは……()()()食事が口にあったようで何よりだ」

 

 目を輝かせて賞賛の声を上げるロックハートに丁度祈りを終えたティムが嫌味っぽい口調で言った。食事中は黙って集中するタイプの菊はバケットをちぎっては口に入れている。

 

 焚き火を絶やさぬように途中で拾い集めていた小枝──無論ロックハートによって乾燥魔法をかけられている──を足しながら、ティムが口を開いた。

 

「グールの群れが最後に目撃された場所がこの荒野だった」

 

「魔法使いを襲うほど強力なグールの群れがここに……」

 

 改めて口にすると、なんだかそれが恐ろしいものだと思えてくる。

 一般的な魔法使いであれば難なく退けることができるグールは、事実そこまで危険度の高い生き物ではない。知性なきグールが、徒党を組んで魔法族を襲う。少しでも魔法生物に理解のあるものであればどれほど異常なことはすぐにわかる。

 

 ロックハートは期待と若干の不安で背筋を震わせた。

 

「それで? ここからどれほどで着くんですか?」

 

「わからん」

 

「わからんって……そんな!」

 

 そっけない言葉に体をのけぞらせる。ティムは気難しそうな顔のまま、ちぎったパンを口に放り入れた。

 

「不寝番はどうする? 我が依頼人はもう限界そうだが……」

 

 食事を終えた菊が食器に清潔呪文(スコージファイ)をかけながらそういった。複数人での野営に慣れている彼女はテキパキと準備を進めていく。失礼な、とでもいいたげにロックハートが吠えた。

 

「何だとぅ?! まだまだ全然! いけ、る……グゥ」

 

「ほらな? これで私かお前かになったわけだが、正直命を預けるにはまだ信用できん。ここは私が不寝番を務めようと思うがどうだろうか」

 

「わしは構わん」

 

 異論はなかった。食事を終えた瞬間に綺麗な寝落ちを見せたロックハートを適当に寝袋に放り込むと、菊は刀を手元に置きながら膝を立てて壁に寄りかかった。

 

 目を瞑り、精神を研ぎ澄ます。岩肌に打ちつける雨粒と、遠くで岩が転がる音。小さな生き物たちが息を潜めて体を寄せ合い、熱を分け合っている。

 

 そのうちロックハートの寝言に混じり、ティムの寝息が聞こえてくる。

 

 野営特有の穏やかな時間。

 

 菊は2日連続で歩き通しのロックハートに若干の申し訳なさを抱きつつ、ため息をついた。眠気こそないものの、体と頭は疲労を訴えている。

 

 菊は深く呼吸を吸い込み、ゆっくりと吐いた。脳に酸素が届き、じんわりと暖かな感覚が体全体に巡る。

 

 

 

 雨はまだ止む気配がない。

 

 菊はふと、指が動かないことに気がついた。

 

「……?」

 

 意識が急速に遠のいていく。

 

 最後に感じたのはどこか甘い匂いと、大きな複数の振動──

 

 

 ・

 

 

 ぽたり。

 

 ぽたり。

 

「……ん?」

 

 ロックハートは顔に滴る水にけぶる睫毛を何度か震わせた。ゆっくりと瞳を開くと、寝る前と何ら変わらぬ岩肌──いや、すこし薄暗い気もする──が視界いっぱいに広がった。

 

 次に、鼻を突くような刺激臭が届いた。涙腺が刺激され涙目になる。ロックハートはぼやける視界を必死に彷徨わせた。

 

 眼前には岩と岩とウゴウゴと蠢く灰色の壁と、それから岩。

 

 ──壁? 

 

 いや、これは壁と言うよりも……!! 

 

「グ、グール!!!」

 

 ロックハートは文字通りその場で飛び上がった。

 

 咄嗟に腰元に手をやるも、そこにあるはずの杖ホルダーがない。スカスカと何度か手をやってようやく気づく。

 

「これって結構やばくないか?」

 

 呆けるロックハートに、蠢く壁は一気に形成を崩して襲いかかった。「あぁぁぁぁあ!!」と情けない声を上げながら逃げようとするロックハートだったが、グールたちの足は存外早かった。

 

 ぱしり。

 

 乾いた音を立てて、グールの灰色で土に汚れた手がロックハートの若草色のコートに爪を立てた。

 

「ヒィッ! お助けェ!!」

 

 薄暗くてどこまで続いているのかも分からぬ洞窟の中を走って逃げようとすること自体無謀であった。

 ロックハートはまち針で縫い止められたようにその場を空走る。

 

 ひび割れた灰色の指がゆっくりとロックハートの体を掴む。思わず倒れ込んだロックハートに覆い被さるようグール。

 

 ロックハートは思わずその顔をまじまじと見た。

 

 白濁とした瞳は飛び出ており、温度のないおちくぼんだ肌にはうすらと金の産毛が生え揃っている。歯はまばらで息はなく、確かにそれが()()()()()()のだということをまじまじと感じさせた。

 

「おぇ……なんて不細工なんだ……!」

 

 ロックハートはその醜悪さに思わずえずいた。

 

 それに反応するかのように、知性がないはずのグールは雄叫びを上げてロックハートに殴りかかった。当然押さえつけられている彼に避ける術はない。遠心力ののった強烈な拳が百合の花弁のようにきめ細かな頬にのめり込んだ。

 

 頭ごと脳を揺さぶられるような感覚。

 

 ロックハートは膜を張ったサファイアのような瞳を必死に動かし、打開策を探った。

 

 今持っているものはなんだ。

 

 ロックハートは手探りで何か武器になるものを探した。

 

 杖は──ない。

 

 ナイフは──ない。

 

 本は──だめだ、ササキに上げてしまった。

 

 何か、何かないのか?! 

 

 焦りに駆られるロックハートの顔に影が落ちる。

 グールが再び拳を振り上げていた。

 

「!!」

 

 反射的に硬く目を瞑るロックハートは、腰元のポーチが()()()()()()()()()()()に気が付かなかった。

 

 A"a"a"a"a"a"a"a"!! 

 

「……? え?」

 

 濁った悲鳴に思わず目を開けたロックハートは、自身を押さえつけていたグールが炎に巻かれているのを見て、呆けた顔をした。白い顔を轟々と燃え上がる火柱が照らす。

 

「な、何が……ヒッ!」

 

 仲間の炎上に静止していたグールたちだったが、一転、雄叫びを上げながらロックハートに殺到していく。立ち尽くしたまま炎に巻かれ苦しむグールを少々の憎しみを込めて蹴飛ばすと、慌てて立ち上がって駆け出す。

 

 火事場の馬鹿力か。「うおおおおおおお!!!」と猛烈な雄叫びと共に圧倒的な健脚で差を広げる(コーナーで差をつけろ!)ロックハートだったが、職業柄体力がないことが災いした。徐々に縮まる彼我の距離に内心で運動を決意しながら血走った目を走らせる。

 

「ココだァ!」

 

 岩に紛れるように佇む鉄格子の嵌め込まれた両開きの鉄扉に目を止めたロックハートは勢いを落とさず扉を蹴破った。即座に扉に向き直り体を押し付けて押さえ込む。奴らもすぐに追いついたようで、特有の腐乱臭が漂うと共にガンガンと扉に体当たりをし始める。扉には鍵の役割を果たす(かんぬき)が中程で折れた状態でぶら下がっていた。扉を蹴破った時に折れたのだろうか。ロックハートは因果応報に半泣きになりながら扉をくっつけるための呪文ーー施錠呪文(コロポータス)を唱えた。しかし、うまく魔法力がまとまらず、効果がうまく発揮されない。

 

 そも、杖なしに魔法を使うことは非常に困難である。アフリカ系の魔法族のように特訓を積み、精神力を高めているのならまだしも、道具に頼ってきた西洋魔法族(ロックハート)が怯え切った極限状態で無杖魔法を使えるかというと、その確率は著しく低くなるだろう。

 

 杖とは、魔法を使う上での方向性の指標である。だからこそ、魔法力を帯びた魔法伝達率の高い素材を使うことが多い。杖以外の形状でもそれは同様である。

 

 例えば大杖(ワンド)は魔法力を帯びた石や生きたままの木を素材にする。イギリス魔法界が誇る偉大なる魔法使い マーリンも大杖(ワンド)を好んで使ったという。

 

 あるいは錫杖。魔法力を音に乗せて広めるという意味で魔法力の伝達性が高い形態であった。──どちらも携帯性の悪さや作り手の不足からすっかり廃れてしまったが。

 

 ともかく、杖というものは魔法族にとって魔法を使う上で発動や指針を補助するものである。

 

 現代に生きる魔法族の中で、杖なしに魔法を使えるものはさして多くない。

 つまりは西洋で生まれ育った、それも20そこそこの若者が杖なしに魔法を使おうとすること自体無謀なことであった。

 

 それでも、ロックハートは諦めない。

 

 彼自身、自分の魔法の下手さは理解している。

 

 それでも最後まで足掻こうとする、その心の強さだけは、目的を必ず遂げようとする()()()だけは本物であった。ホグワーツ魔法魔術学校入学時、組み分け帽子は彼に大いなる知恵と偉大なる機知の素質を見出していた。彼にはその才能があった。選びこそしなかったが、彼の中には確かに()()()()()()()()()が眠っていたのである。

 

 彼は施錠呪文(コロポータス)を唱えた。

 

 失敗しても諦めずに、何度も何度も。

 

 そのいずれもが見当違いの方向へ飛んでいくか、そもそも発動しなかった。それでも少しずつコツを掴んでいるようで、少しずつ狙いを定め呪文を放つ。だんだんと扉がくっつき始めたことが手応えとして感じられた。

 

 

「あ、そういえばいいものがあったな」

 

 ロックハートは不意に思い出した。自身が持つあるものの存在に。

 

 彼は腰元のポーチを片手でかき混ぜ、目当てのものを取り出した。

 

肥大呪文(エンゴージオ)!」

 

 みるみる大きくなる銀製の茶漉しを扉の(かんぬき)のように取っ手に差し込むと、恐る恐る体を扉から離した。

 

 時折、体当たりをされて揺れるものの、扉は分厚い板で出来ているし、茶漉しも曲がる気配がない。

 

 ひとまずは安心だ、としゃがみ込んでため息を吐いたロックハートは、そこで殴られた頬の痛みを思い出した。

 

「イテテ……久しぶりに手ひどく殴られたな」

 

 ジンジンと熱をもつ頬に冷え切った手の甲を当てながらロックハートは目を瞑った。

 

「……これからどうしよう」

 

「どうするんだい?」

 

 独り言に返事が返ってきたことに、ロックハートは声も出せないほどに怯え、瞑った目を開くことができなくなった。

 その間に何某の艶のある低めの声が距離を詰めてくる。

 

「それで? こんなジメジメで薄汚い場所にいるお兄さんはこれからどこにいくんだい?」

 

 耳元で囁く声に思わず目を開けたロックハートは、眼前に広がる青白い顔に絹を裂いたような悲鳴をあげた。

 

 

 ・

 

 

「──っ!」

 

 菊は目を大きく見開き、その場を飛び起きた。

 

 纏めておいてある荷物は綺麗なままそこにある。焚き火も燃え尽きた炭がぷすぷすと黒煙を上げている。

 

 ティムの被った薄汚いぼろ布も、最後に見たとおりの場所で上下している。

 

 全ては何事も無かったかのようにそこにあった。

 

 ──ロックハートを除いて。

 

「ックソ!」

 

 ロックハートを放り込んだはずの寝袋だけが、綺麗にその場からなくなっていた。

 

 菊は呑気に眠りこけるティムを半ば蹴飛ばす勢いで叩き起こし、怒鳴りつけるように吠えた。

 

「今すぐッ! あいつの居場所をッ! 探してこいッ!!」




ロックハート氏は原作の中でハットストール(組み分け困難者)と記述があります。スリザリンとレイブンクローで迷われたそうで……確かに、原作の彼にも素質が垣間見えますね。


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6,脱出の巻

ここすきありがとうございます!
書けない時に見ては励まされています。アリガトウ……モットクレテモイイヨ……?

2023/05/12 日刊ランキング20位ありがとうございます( ◜ω◝ )


 荒野の地下に打ち捨てられた炭坑の、極めて地表に近い洞窟。その一角で2人の男が向き合って座っていた。

 

 1人はまるで太陽のような男。豊かな金髪をかき揚げにし、後ろで小さく若草色のリボンでひとつ纏めに縛っている。白百合のようにきめ細やかな肌に似つかわぬ赤黒い痣を浮かべながら、涙の跡が残る顔で岩に腰掛けている。華美なフリルの開襟シャツと同色で刺繍がされているブラウンのパンツ姿でボロボロになったお気に入りのコートを膝の上で畳んでいた。

 ──我らがお騒がせ作家 ギルデロイ・ロックハートである。

 

 ロックハートの向かいに腰掛けている彼は、まるで月夜のような青年であった。夜を溶かしたような艶のある黒髪が一筋青白いシャープな頬にかかり、赤色の瞳が形の良いアーモンド型に収まっている。薄い体をシンプルながら品のある黒のスリーピースに押し込めた彼は、やけに紅い小ぶりな口を開いた。

 

「それで、どんな経緯でここに来たんだい?」

 

「いやそれがまた酷いもんでね……仲間と一緒に眠ったはずが、起きたら別の場所で死んだお友達とグッスリで! うう、思い出しただけで恐ろしい!」

 

 身震いするロックハートは口を大きく開けては、切れてカサブタになった口の端を「イタタ……」と抑えている。見かねた青年は絹のハンカチーフを指を指揮者のように一振りすることで生み出した水に浸し、軽く絞って傷口に当ててやる。ぐ、と近くなった距離に慌てもせず──ヒント:彼の顔面偏差値=家族──今度は控えめに口を開いた。

 

「それで、あー、名前をお聞きしても?」

 

「おっと私としたことが、自己紹介がまだだったね。

 

 ──私はトロカー、しがない旅人さ」

 

「これはどうも。で、Mr.トロカーはここで何を?」

 

 怪しく光る青年──トロカーの縦に裂けた瞳孔を気に留めず、ロックハートは呑気に言った。ロックハートからの質問に瞳を三日月のように歪めると囁くような声色で答えた。

 

「うーん、マ、簡単に言えば人探しをしている最中なんだけどね?」

 

「人探しィ?」

 

「そうさ。もう長いこと会えてない、大事な人を探しているんだ」

 

 迷子になった幼子のような途方に暮れた声に、ロックハートは思わず顔を見上げた。

 

 彼の彫刻のような、完成された顔立ちは人が良さそうな表情を浮かべている。しかし、その伏せられた睫毛の奥には幾重にも渦巻くものがあった。悲哀、憧憬、疑問、懐古。さまざまな思いの色が浮かんで消え、美しい跡を残していく。小説家という性分か、ロックハートは無意識のうちにそれをひとつの型にはめて呼び表すのは無粋だと感じた。

 しかし、瞳の奥に抱える鮮烈なそれ以上に、声色は訴えていた。

 

「私の親友だ。何者にも変え難い、大事な親友……」

 

 ──会いたい、と。

 

 親友。

 朧げな菊の後ろ姿がロックハートの脳裏に浮かぶ。

 たった数年の交友だった。出身は異国で、言葉も文化も違っていた。性格も行動も得意なことも正反対。再会も数年ぶりだった。それでも、昨日別れたばかりのように、何の気負いもなく会話できたのは。自分の命運を託すことができたのは、キクだったからだ。

 鼻持ちならない自己愛に溢れた少年を受け入れて寄り添ってくれた彼女は、交わった線こそ短かったものの、ロックハートの中では愛すべき親友に位置付けられているのである。

 身内に入れたものには甘い(※本人談)ロックハートは衝動に突き動かされたように立ち上がり拳を握った。

 

「ここを出たら力になろう! この偉大なる大作家 ギルデロイ・ロックハートが!」

 

「ああ、それはありがたい」

 

 やる気に満ちた声が閉ざされた地下空間に反響する。キラキラと決意に満ちた顔をしていたロックハートだったが、何かが脳裏をよぎったようで、すぐ絶望した顔で俯いた。

 

「……アッ」

 

「急にどうしたんだい?」

 

「護衛に雇った友人がいるという話はしただろう?」

 

 経緯を軽く聞いていたトロカーはロックハートからの問いに緩く頷いてみせた。

 

「ああ、聞いたとも。 取材の際に助けてくれる、強くておっかなくて口うるさい小柄な女性、だろう?」

 

 トロカーは聞いたことを少しマイルドな表現で答えた。それに元気よく肯定したロックハートは、すぐに顔色を曇らせた。顎に手をやり、考え込む姿勢を見せる。彼の心には「やばい」の2文字がリフレインしていた。

 

「──ああ! そう言ったのは僕だが、聞かれたらまずいなぁ……」

 

 彼は気づいていなかった。

 音もなく消滅した天井と、そこから降り立った黒い影に。

 トロカーは微笑みを浮かべたまま、半歩後ろへ下がった。

 

「聞かれたら、なんだ?」

 

「だから、菊に聞かれたらボコボコにされ……る……」

 

 やけに聞き覚えのある声に、肩におかれた小さくも硬い手のひらに、ロックハートの顔が一瞬で青ざめた。だらだらと汗をかきながら震えが止まらない体を無理やり後ろへ向ける。ぎこちなく口端をあげて、無表情の菊に手を上げた。

 

「や、ヤァ……来てたのか、キク……」

 

「……」

 

「あー、その、随分と早かったな! いやぁ、助かったよ! さすが僕の親友!」

 

「……」

 

 何を言っても返事はない。話すごとに鋭くなっていく菊の眼差しに、ロックハートは内心で「視線まで攻撃力高いとは……」と思いながら、降参と言った風に首を左右に振った。

 

 そして顔をキリ、と真剣そうに作ると芝居かかったような、しかし不自然ではない口調で菊に語りかけた。

 

「助かった、ありがとう。我が友よ」

 

「毎度その手には乗らんぞ? ──だがまあ、悪い気はせんな」

 

「だろゥ?! あ、すみません」

 

 変わり身の早い男である。

 顔はいかにも女ウケのする豪奢な美青年だのに話すと途端にその軽薄さが強調されるのだから、在学時の彼は()()()()と、ある意味真っ当な評価を下されていた。しかし、彼は同世代からの不人気と同時にマダムキラーとの異名も持っていた。自分の顔の良さを理解しているのだ。幼少の頃からとりわけ母親に贔屓されて育った彼は、尊大な自尊心を抱えながらも甘え上手な男に育った。愛嬌のあるハンサムな顔立ちの若い男が真剣な面持ちで囁いてくると、マダムたちは分かっていてもおだてられてしまう。

 そんな幼少からの悪しき習慣は菊との交友で幾度も顔を出した。

 怒られそうになると度々飛び出てくるそれに、菊はうんざりとしながらも悪い気はせず、つい有耶無耶にしてしまう。まるで悪いことをしても腹を見せれば許されると信じてやまない大型犬のようなそれに、つい甘やかしてしまうのだ。

 

 菊は表情を切り替えると壁の方へ視線を向けた。

 

「それで、この陰気臭い男は?」

 

「あれ、分かるんだ?」

 

 菊の呼び掛けに答えるように影がゆらり、と揺らめいた。波紋を広げるように波打つ影は瞬きの間に人の形となって菊の前に姿を現した。

 闇夜のような青年は手を胸の前に当てて膝を軽く曲げた。古き宮廷の礼儀作法だ。最も、菊にはそれが宮廷作法だなんて検討も付かないのだけれど。

 

「 私はトロカー、ただのトロカー。しばしの間よろしく頼むよ!」

 

「……またやかましいのが増えた。なんだコイツは、ロクハート! また妙なやつを拾ったな?」

 

 ニコニコと音が聞こえそうなほど胡散臭い笑みに菊は顔を顰めた。

 そも、こんなに()()()()を漂わせている輩とホイホイお近づきになっているロックハートは危機感が死んでいる。菊は自分の丁寧すぎる尻拭いがロックハートの危機感を殺す一助になったとは気づきもせず、内心でぼやいた。

 

「妙な真似をしたらただじゃおかぬ」

 

 眼光鋭く。菊は刀をいつでも抜けるように、手のひらを太ももに添えた状態でトロカーを見据えた。それに悠然と微笑みを湛えた顔で答える青年は、真っ白な指先を紅い唇に添えて囁くように口を開いた。

 

「んーと、菊ちゃんは侍なのかな? それとも陰陽師?」

 

「っ! 貴様……何を知っている!」

 

 人外じみた壮絶な美貌から飛び出してきた明確な日本語の発音に菊は文字通り飛び上がった。ロックハートのような音をなぞっただけの発音ではない。はっきりと形を知っている者の発音であった。

 菊は毛を逆立てた猫のように体全体を怒らせ、刀をギチギチと握り込む。トロカーは降参、とでも言うように両手を軽くあげて小首を傾げた。

 

「いーや? ただ、その刀に見覚えがあったからさ」

 

「……」

 

「そう警戒しないで。その刀、鬼斬丸だろう?」

 

 鬼斬丸──かつて、日本には鬼を斬った逸話を持つ刀が何振りも存在していた。それらは鬼の血を吸い、逸話を纏い、刀としての格を自ら鍛え上げていく。性質としてはゴブリンの銀製品と似ているかもしれない。ただ、最大の特徴は使われ方によっては妖刀にも神刀にも転がる非常に曖昧で無垢な存在である点だろう。

 菊が所有する太刀は何人もの手を渡る度に鬼を斬り、人を斬り、怨念を斬った。菊のように魔法を斬ることもあった。

 つまり、彼女の刀は陰陽師の世界で鍛えられた刀であり、表でその存在を知るものはいないのである。

 

 それを、この男はいとも簡単に言い当てた。

 

「──お前は一体……」

 

 菊が疑問を言いかけたその時、後方から何かが弾けるような音と共に岩が崩れる音が轟いた。ロックハート作の簡易バリケードが突破されたのだ。灰色の体が雪崩のように入り込む。

 

「そんな……グールが!!」

 

「阿呆! 誰がどう見たって、死霊だろう!」

 

「な、なんだって?!」

 

 ハゲ散らかした金髪と落ち窪んだ皮膚、仄かな腐敗臭と俊敏な動作。そしてなにより、グールよりはまともな知性。

 ──それは、闇の魔法使いに操られた死霊にほかならない。

 

 一気にきな臭くなってきたぞ、と眉間に皺を寄せる菊の結論にロックハートは納得したような訳知り顔で「フーン」と頷いた。その間にもグール、もとい死霊の群れは3人を包囲するように部屋へなだれ込んでくる。トロカーは指の先をピクリと痙攣させた。

 

「とりあえず、ここを出ない?」

 

「ああ、そうするのが1番だ! 早くこの薄暗くて気味の悪い場所から抜け出そう!」

 

「……雇い主様の仰せのままに」

 

 トロカーとロックハートの連携に押し負けた菊は、拗ねたように顔を背けた。

 菊は刀に手をかけると、ぽそり、「入口を切り拓く」と呟いた。それに応えるようにトロカーが「では、私は出口を作っておこう」と歌うように言った。2人は目を合わせることも無く、各々の使命を全うするために背合わせになった。

 

「ええ、ええ。それはいいですな! ……それで、僕は何をすれば?」

 

「いざ、参る!」

 

「こういった作業は久しぶりなんだけどなあ」

 

「僕は?!」

 

 菊は刀を振り、引き、突き、一騎当千の戦いぶりであった。

 彼女が冷涼な波紋の刀を振るう毎に死霊は斬り飛ばされ、スペースがジリジリと拓かれている。

 物理攻撃が意味をなさない相手であっても、菊の繰り出す一太刀は魔法力ごと斬り裂く。

 

 トロカーは彼のもてる魔法力を使い、菊がぶち空けた天井の風穴に向かって土を盛り上げ、階段を作っていた。

 ものを作る魔法、と聞くと簡単なように思えるがそこに用いられるコマンドは複雑怪奇。ホグワーツ魔法魔術学校の1年生が使おうと思うならば、彼らは少なくとも5つの基礎呪文を組み合わせなければならないだろう。

 それを杖もなく、呪文もなく、()()()()()で行使するトロカーの業は見た目以上に高度で超絶技巧なのである。

 

 一方で取り残されたロックハートと言うと、絶体絶命の危機に陥っていた。

 覚えているだろうか。彼は今、杖を持っていない。

 ただでさえ魔法が苦手な男が杖も武器もなしにどう抵抗ができようか。

 無理だ。

 それゆえにハンサムな男は美しい身なりを振り解き、必死の形相で死霊に抵抗しているのである。時折、間を縫うように飛んでくる菊の正確無比な斬撃に助けられながら、無意識に周囲の死霊を一手に受け持ち、トロカーを守るように立ち回っていた。

 

「陰気男! 数が多すぎる! もう保たんぞ!」

 

「あと1分耐えて!」

 

「──上等!」

 

 死霊の合間に聞こえる「うわーん」という情けない声を一切無視して菊が叫ぶ。

 天井の穴から帰ってきた答えに好戦的な笑みを浮かべた東洋の戦闘民族は疲労を笑みで押し殺しながら刀を振り上げた。

 

A"a"a"a"a"a"!!! 

 

「ッ!!」

 

 死んだ声帯を無理やり震わせたような不愉快な雄叫びが洞窟内に響く。菊の眼前で叫んだのは他の死霊とは格が違う存在。

 ほのかに青ざめた肌にきっちりと着込んだ燕尾服、艶のない金髪を後ろに撫でつけた男は、きちんと人の形を留めていた。死霊というには意思があり、人というには沈鬱であった。

 

 菊は抱いた違和感、その一切を捨て、無心で刀を振り上げた。

 

 刀は落ちるように、吸い込まれるように男の(くび)を切り落とした。ぼと、と重いものが落ちる音が耳に届く。しかし、その断面から血は流れておらず、体全体がぴくぴくと動いていた。

 やはり不死者(アンデッド)

 日本をはじめアジア圏では珍しくもないそれは、それぞれの弱点となるものを用いなければ倒すことが出来ない些か面倒な相手である。

 

 菊は地に落ちた頭を遠くへ蹴飛ばすことで時間を稼ぐと、トロカーの方を振り返った。天井に空けた大穴に続く、急拵えとは思えない精巧な螺旋状の石階段に「無駄に凝っているな……まさか、これでもう1分と言ったんじゃあないだろうな」と思いながらロックハートを回収するために首だけで左右を見渡した。

 

「引き揚げるぞ! ……ロクハート?」

 

 10畳ほどしかない洞窟の一室に溢れんばかりの死霊の頭が蠢き、今もなお扉から傾れ込むように増えている。

 菊の周囲は刀を振り回しても当たるものがいない程度に空いているが、そのほかは悲惨なものであった。

 トロワーは菊よりも奥で作業をしているためそこまでではないが、ロックハートはもはやその姿が見えないほどにたかられて生気を吸われていた。

 

 こんもりとした灰色の山にずんずんと突き進んだ菊は躊躇なく手を中に突っ込む。

 中から腕を掴まれて掘り出されたロックハートは顔色が紙のように白く、白い華美なフリルシャツがズタズタに引き裂かれ、哀れな精神弱者のような沈鬱な面持ちで立ち上がった。

 

「だ、大丈夫か? 歩けるか?」

 

「……行こう」

 

 近寄る死霊を片手間に切り捨てながら珍しく心配を滲ませた声色で声をかけた菊に、ロックハートは何事もなかったかのような面持ちで、触れてほしくない雰囲気を醸し出しながら、歩き出した。

 つま先を引き摺るような歩き方で進むロックハートは、乱れ切った金髪や機能を失い最早肩にかかっているだけのように見えるドレスシャツも相まって、ゾンビのような風体である。死霊たちも生気をすっかり失い、乱れ切ったロックハートを同類と思っているのか、菊には手を出すもののロックハートのことは素通りだ。

 トロカーはずりずりと歩いてくるロックハートの変わり果てた姿に声が出ないほど腹を抱えた。ひゅうひゅうと隙間風のような掠れた音が紅い口元から溢れる。

 

「……ッ! ……は、ハハ!」

 

「ロクハートを笑うんじゃあない、陰険」

 

「ハハハハ! 無理だ、先に行ってくれ! ハハハ!」

 

「性悪め」

 

 動きが鈍いロックハートを担ぎ上げた小柄な侍は、トロカーの作り上げた石階段を軽い身のこなしでひょいひょいと登っていく。

 

 2人の魔法使いがいなくなった洞窟には、男の止まぬ笑い声が響き渡っていた。




難産でしたが、読んでくれる皆様に感謝です。ストック切れたので次回も間隔空きます。
……ホグワーツレガシーにハマってたわけではないですよ? 本当ですよ??

改訂:2023/05/11 トロワー → トロカー 名前を変更しました。


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7,赤い瞳のその人は

ランキング入りが嬉しくて書きました(多分後で書き直す)。ありがとうございます( ´▽`)ノ
ここすきも…ウッウッ…お気に入り…ウレシイ……誤字報告…タスカル……


 ロックハートを担ぎ、階段から外に出てきた菊は頭上で燦然と輝く太陽を全身に浴びて伸びをした。

 時は昼頃だろうか。埃っぽい洞窟の中で暴れ回ったのだ。汗と埃で不快な気持ちを抱いていた。菊は担いでいたロックハートを傍に落とすと、穴を覗き込んだ。

 吸い込まれるような暗闇の奥で、トロカーが手を振っているのがかすかに見えた。

 

「何をしておる、早く上がってこい!」

 

「いやあ、うん、行きたいんだけどね? 何せ私は長いこと洞窟暮らしをしていたものだから、いきなり太陽の光の元に身を晒せば、この瞳を閉じざるを得ないだろうと思ってねえ」

 

 なるほど、利口なやつだ。

 

 菊は闇に目が慣れきる前に地上に戻ったものの、長期滞在をしているならば太陽光の刺激で視覚が塞がれるのは必然。そう慣れば奇襲に対処することも難しくなる。完全に味方とは言えない間柄だからこそ、菊はトロカーの警戒に理解を示した。

 彼女は穴を降りる直前に横に放っておいた麻のローブを手繰り寄せた。

 

「死霊にやられる前にさっさと来い。……ローブでよければ貸してやる」

 

「やったあ、今行くよ!」

 

 なんとも現金な男だ。隣でぴくりともしない優男にどこはかとなく似た匂いを感じながら、菊は穴の中に手を伸ばした。

 

 じわと闇が溶け出すように伸ばされた生白い手をそっと掴み、一気に引き上げる。半ば飛ぶような勢いで飛び出てきたトロカーに上からローブをかぶせてやる。「んぶ」と息を詰めたトロカーには目もくれず、菊は地面でくしゃくしゃになっているロックハートを覗き込んだ。

 

「立てるか?」

 

「むり」

 

「ハハ、随分とやられたな。学生の時ほどでは無いが」

 

「思い出させないでくれ……」

 

 菊は笑いながら意識が朦朧としている様子のロックハートを引き上げて肩を貸す。身長差もあって少々不恰好だが、ロックハートは脚を持て余しながらもなんとか体を動かした。

 

 学生時代、ロックハートはおば様キラーと呼ばれていた。おば様たちからの絶大な人気を集めた結果、菊が出会った時には汽車の降車時に揉みくちゃにされていた。彼にとって一種のトラウマ的な勢いのそれは、出来れば思い出したくない記憶である。

 

 菊が首を伸ばして周囲を軽く見渡すと、荒野の至る所に大小様々な岩が点在していた。菊は手近にある大岩の陰へ身を押し込めた。太陽の光が遮られるだけで体感温度は随分と変わるものだ。僅かな清涼感を体全体で享受しながら、菊はゆっくりとため息を吐いた。

 

 ロックハートは岩陰に入った直後、崩れ落ちるようにして気を失った。慌てて抱え直した菊は服越しに伝わる熱のなさにゾッとした。死霊に吸われた魔法力・精神力は相当なものであったらしい。ロックハートのいつもとは違う衰弱し切った顔つきを見て、菊は彼の体をそっと地面に横たえた。回収していた彼のローブを上からかけてやる。僅かに開く乾いた唇にアグアメンティで生み出した水を近づけると、無意識下ではあるが少しずつ喉仏を上下させた。

 

 砂漠での脱水症状は洒落にならない危険を孕んでいる。菊は幼い頃に佐々木のじいさまから聞き齧った砂漠の話・注意事項を思い起こしていた。

 

 それから少し遅れてトロカーがはふはふと荒い息を漏らしながら岩陰へ転がり込んだ。菊は彼の方をチラ、と横目で見るとロックハートが横たわる隣であぐらをかき、軽く目を瞑る。

 

 菊の醸し出す警戒に満ちた刺々しい気配がトロカーの疲れ切った精神をチクチクと刺激する。杖も呪文もなしに造形魔法を使ったトロカーはすっかり元の元気さを失っており、回復に努めようとこちらもローブを頭まで被り目を閉じた。まるで芋虫のように閉じこもる美青年に、菊もチクチクとした気配をおさめる。

 足元で申し訳程度に生えた草が熱風に煽られてふうふうと揺れていた。

 

 

 ロックハートが目を覚したのは日が暮れようかという時であった。

 太陽は地平線に呑まれ、大地を赤く染め上げている。真っ黒な影が背を伸ばしてこちらを覗こうとしている、そんな荒野の真ん中でロックハートは大きく伸びをして起き上がった。

 

「うーん、なんだか悪夢を見ていたような……」

 

「目が覚めたか! どうだ、体に変なところはないか?」

 

「あ、ああ……どうしたんだ、キク?」

 

 菊はパチリと目を開けた。

 いつにない勢いに圧倒されるロックハートは脳内に疑問符を浮かべながらどうにか頷く。さきほどの衰弱し切った姿とは打って変わり、元気そうな様子に菊は小さく安堵のため息を漏らした。そわそわとするロックハートだったが、目の前に迫る黒い瞳が一瞬で剣呑な色を帯びたのを目の当たりにして怯えたような引き攣った声を上げた。

 

 菊は先ほどまで心配を重ねていた姿とは一転、鞭のような鋭い声を発した。

 

「……報告」

 

 パチン。

 破裂音と共に現れたティムは菊の後ろ姿を見上げた。顔を見ずとも伝わる不機嫌な雰囲気を敏感に感じ取ったティムは瞳孔だけの黒い瞳を弓のように引き絞り、口元を歪ませた。アンバランスに長い腕を大袈裟に組むと鼻を鳴らす。

 

「は、何を怒ってるんだ小娘。わしはプロとして十分な情報を集めてきたぞ」

 

「御託も言い訳もいい。一体、どこのどいつが、私の友を傷つけんとした?」

 

 菊にとって、最も重要な情報がそれだった。

 

 友を傷つけようとした不届きものには徹底的な報復を。侍の名に賭けて、菊は自分に楯突くものに容赦しないと誓った。同時に、仲間を傷つけるものも。

 

 菊はティムを振りかえらない。それでもその背中は雄弁に語っていた。

 

「敵は不明だが、死霊についていくつか情報が集まった。まったく、今朝の今だからな! このような短時間でここまで情報が集まるのも、わしのおかげと──」

 

「御託はいい」

 

「っ、さすがササキの弟子……不機嫌な顔もそっくりだ」

 

 ──親友(ロックハート)を傷つけたものへの仇討ちを。

 

 菊はすっかり怯えた様子のロックハートに向かい合うように座り込んだ。杖先からチョロチョロと溢れる水を口に含み、乾き切った喉を潤す。「あ、僕にも少し」と乞食をするロックハートに親鳥のように上から水を落としながら、菊はティムに圧をかけた。

 

「──死霊共には共通点がある。飛び回って聞き込みをしたから、裏は取れておる」

 

 それは法の対象外である小鬼(ゴブリン)らしい、グレーゾーンな方法での情報収集だった。

 

 魔法使いがグールに襲われて消息を絶ったとの報告は、ここ10年間で50件にも及ぶ。ティムはその半数以上の家族へ訪問し、聞き取りを行なった。アメリカ魔法省の官僚やイギリスの半純血、果てはマグルにまで、彼は半日かけて各地を飛び回った。年老いた今ではすこし身にこたえる作業だったが、戦場での緊張に比べれば屁でもなかった。

 

 ティムが見つけた共通点はこうだった。

 

「金髪で美形で──」

(ロクハート?)

 

「自尊心が高くて──」

(ロクハートだな……)

 

「気障っぽい感じの──」

(完全一致)

 

「──貴族然とした身なりの魔法使いだそうだ」

 

 ティムの報告が終わった時、場には沈黙が横たわっていた。

 ダラダラと汗を垂らすロックハートに白い目を向けた菊は、心底呆れたという表情を隠そうともせず、優しげな声で語りかけた。

 

「ロクハート……何か心当たりがあるなら早めに言った方が身のためだぞ」

 

「とんだ濡れ衣だ!」

 

 ロックハートは思わず、といった風に吠えた。彼からすれば濡れ衣もいいところだった。

 

 そも、彼は前作の悪評を新作の発刊を以て払おうと画策しているものの、その悪評は作品に対するものではなく、作者に対するものだ。やっかみ(だと本人は思っている)は有名人につきものなのだと、割り切ってはいても傷つかないわけではない。

 

 ロックハートは学生ではないとはいえまだ20代。決して大人とはいえない不安定な精神状態からも、彼が一部から上がる誹謗中傷に耐えられるわけがなかった。

 天性の圧倒的ポジティブさで見て見ぬふりをしていたが、それでも心の端っこの方では分かっていた。

 

 誹謗中傷は、自分の行動のせいだと。

 

 それでもやめられなかったのは幼少期からの養育環境にあるのか、はたまた内に抱く自己顕示欲のせいか。

 

 ともかく、彼は自分の悪い所は思いつけども、グールに襲われる理由に思い当たる節はなかった。そもそも、グールの群れについて──本当は死霊だったが──知ったのは……誰からの情報だったか、解決すればヒーローになれると聞いたために情報を集めはじめたのだ。そんな最近知ったような集団に追われる覚えなどロックハートには1ミリもなかった。

 

「ン……あれ? ひとり増えた?」

 

 その時、ローブにくるまっていた芋虫が羽化し、絶世の美青年が顔を覗かせた。「ふぁ〜あ」と伸びをする彼は、艶のある黒髪を片手でかき混ぜながら大きく口を開けた。やけに鋭い犬歯の合間に赤い舌がちろ、と覗く。ロックハートは何故かドギマギとした心地で目を逸らした。

 

「起きたか、ねぼすけ。今、情報を整理していたところだ。この小鬼(ゴブリン)は死霊についての情報を……?」

 

 菊はトロカーに経緯を説明する中で、ふとティムが呆然とした顔で黙りこくっていることに気がついた。

 

 ティムはしわくちゃの顔をいっぱいに広げ、黒目の瞳孔をきゅ、と引き絞った。人よりも長い尖った耳が僅かに上下し、物言いたげに口をはくはくと開いては拳を握る。

 

 菊はただ事ではないティムの様子に口を噤む。経験上、こういった時に首を突っ込んでも碌なことにならないのは身に染みてわかっていた。そっと気配を希薄にして空気になろうとする菊の目の前で、ティムは鋭い人外の歯を覗かせた。

 

「あ、あなたは……!」

 

「ン?」

 

「忘れるはずがない──我らが指導者! ずっと、ずっとお探ししておりました……!」

 

 ロックハートは、菊は、ティムの発した言葉を初め、理解できなかった。

 指導者? 

 この男が、小鬼(ゴブリン)の情報屋を導くものだというのか? 

 混乱を極めた頭を抱えながら、ロックハートが恐る恐る「トロカーは、小鬼(ゴブリン)、なのか?」と聞くと、トロカーは美しい相貌を崩さず綺麗に笑って見せた。

 

「私が? 小鬼(ゴブリン)? は、ハハ、ハハハ! 笑わせないでくれ、私が小鬼(ゴブリン)に見えるのかい!」

 

 呵呵と笑う姿にカッと頬を赤くしたロックハートは誤魔化すように「どッ、どうせ僕は見る目がない間抜けだ! 存分に笑え!」と勢いよく言った。思わず力の抜けるやり取りを背景に、ふと前面に戻ってきた菊は腕を組んだままトロカーをじ、と見つめた。

 

小鬼(ゴブリン)ではないにしろ、キミは少なくともヒトではない。そうだろう?」

 

「!?」

 

 ぶっきらぼうながら確信を得たような言葉にロックハートは青ざめた顔でトロカーをゆっくりと仰ぎ見た。

 暗闇に浮かぶ面のような顔の中で、瞳の瞳孔がゆっくりと縦に裂けていく。血のように残虐な色を帯びた、赤い瞳だ。思わず息を呑むロックハートにトロカーはいっそ妖しげな顔つきで手を振った。「安心しておくれ、友よ。私は男には興味がない」そう言ってトロカーは流し目を菊に向けた。意味深なそれに思わず眉間に力を入れる菊を盾にするようにロックハートがカサカサと地面を這う。

 

 トロカーは膝を軽く曲げ、右手を胸に当てて芝居っぽく言った。

 

「侍のお嬢さんはお気づきかもしれないけれど、今一度自己紹介をしようか」

 

 

 ──私はトロカー。吸血鬼のトロカーだ。

 

 吸血鬼。

 その言葉を聞いた時、ロックハートはいっそ気絶したいと頭を抱え、菊は自分の疑問が解決したことを悟った。

 

 闇の気配を漂わせていたのは、そもそも人間ではなく闇の血族だったから。

 陽の光が眩い地表に出ることを嫌がっていたのは、太陽に弱いという吸血鬼の特性があったから

 

 そも、吸血鬼とはその名の通り血を吸い上げることで力を得て生き長らえる、闇に生きし知性ある不死者である。古来より人間を襲う吸血鬼は恐れられ、恐怖の支配者として長年君臨していた。

 今ではすっかり落ちぶれてしまったが、それでも彼らの権威は、恐怖は未だなくなってはいない。

 

 日本に吸血鬼はいない。そのため、ロックハートとは違いその恐ろしさを知らない菊は物怖じもせず、寧ろ脅すように刀の鯉口を鳴らした。

 

「吸血鬼か……そんな男が、何故ここに?」

 

「事情はそこの人間くんに話したんだけど……そうだね、一言でいえば人探しだね」

 

 今にも飛び掛りそうな菊に臆することもなく、トロカーは変わらぬ調子で飄々と答えた。正気に戻ったロックハートが事情を説明する。──約束をしたことも。

 菊は日本魔法界で生まれ育った。それ故に、こと約束には警戒しろと、ロックハートに口酸っぱく言い含めてきた。それがどうだ。お気楽な奴は気安く約束を設けてきたという。それも闇の一族と! 菊は怒りのあまり、表情をストンと無くして後ろで震えるロックハートを振り返った。

 

「後で話がある」

 

「ハイ」

 

 恐怖に震える襤褸(ボロ)を纏う男から目を離した菊は正面で愉快そうな面持ちをしているトロカーの目をまっすぐと見据えた。

 目が合った時特有の、ピンと線が張るような感覚が両者に走る。その感覚にトロカーは少し驚いたように血のように赤い瞳を見開いた。

 

「君()、私の瞳を見据えるか……」

 

「──?」

 

 トロカーは吸血鬼だ。

 吸血鬼は人間が持たない特殊な技能をいくつか身につけている。蝙蝠に変身したり、銀が苦手であったり、あるいは魅了の瞳を持っている。

 トロカーが吸血鬼だと知っても尚目を合わせる者は、彼の生涯で菊が2()()()であった。

 

 脳裏を過ぎる、黒袴の小柄な男。トロカーは懐かしい思い出に恍として目を閉じると、歌うように話し始めた。

 

「──少し、昔話をしよう。人に話すのは久しいが、大切な記憶だ。

 ……はじまりは50年前、ある戦場で私たちは出会ったんだ。

 

 

 

 運命という言葉を信じたのはこれが初めてだった。




次は過去回ですね。飽きてきたので気分転換に……|・`ω・)明日投稿予定す。ちなみに2章で1番面白い(書いてて)です。
ちなみに本命企業のES締切が明日までです明日は教習所の卒検とバイトで時間がありませんおわた0(:3 )〜 _('、3」 ∠ )_


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8,「アイツそんな風に言ってたんだ……」

気分転換効きすぎて2時間で書けちゃった……ウソ……
過去回ですので不要な方は随時読み飛ばしてください(´∀`)17時投稿なんてまやかしに過ぎない……


 1920年代 ヨーロッパ魔法界 とある野営地

 

「ちょいと、お前さん」

 

 マグルで流行の細巻きタバコ(キャメル)を浅く吸い込みながら、簡易拠点の入り口で鉢合った人間はそう言った。

 

「淋しいからさ、こっちへ来てよ。ア、そういうんじゃあないんだけど……そう、こんな月が綺麗な夜にひとりでいるなんて、何だか不気味だろう?」

 

 普段なら人間の戯れ言だと切って捨てるだろう言葉に、しかしその時はどうしてか断る気になれなかった。気分が良かったのだろう。満月の夜は闇の生物たちが魔力を浴びると相場が決まっているのだから。

 

 ここじやゃあ邪魔になる、と人間は就寝用のテントが立ち並ぶ一角の更に奥へ私を誘った。粗末な木の柵と、今はもう空っぽの木箱がテーブルのように置いてある。人間はちょうど良い高さに打ち直された木の柵に肘をかけながら、ラクダのシルエットが刻まれた缶を胸ポケットから覗かせて「一本吸うか? ン?」とウインクをした。そんな人間に辟易としながらも、無言で立ち並び、雲がかかった満月を見上げた。

 

 吸血鬼の身を得てはや数百年。命を狙う若い魔法使いにも、退屈な故郷での暮らしにも、何もかもに無味乾燥な思いを抱きいていたあの時とは違い、私は充実した日々を送っている、と思う。

 

 白魚の指を一振りして虚空から緑かかった瓶とワイングラスを呼び出し、手で注ぐ。トクトクと赤い液体が抜けていくと同時に酸味のあるアルコール臭がツンと香りたった。

 

「お、ワインたァ豪勢な野郎だ」

 

「君も呑むかい? 1882年製──屋敷しもべ妖精醸造ワインだ。満月の夜にしか出さないとっておきさ」

 

「屋敷しもべ妖精ェ?」

 

「マ、とにかく美味しくて貴重なお酒ということだよ。それでどうなんだい?」

 

「そうかそうか、旨い酒ときちゃァ断れねェな。ご相伴に預かるとしよう」

 

 人間は吸っていた紙タバコを握りつぶすと合せ襟の合間から懐をゴソゴソと漁り、独特な艶のある赤い器を取り出した。浅い造りのそれは、おそらくアジア圏のものであろう。器の中で金色の魚が文字通り泳いでおり、まるで小さな池を見ているかのようだった。

 

 ニッカリと笑いながら器を差し出す無精髭の男にワインボトルを傾けながら伺うように顔を見ると、人間は私の目をまっすぐに見据えて礼を言った。

 

 嗚呼、愚か。

 愚かにもこの人間は私の、吸血鬼の目を見据えて感謝の言葉を述べた。

 

 この男も、私の正体を知ったらきっと……

 

「おい! 溢れる溢れる、っと」

 

「ぁ、ああ、すまない」

 

 真紅のワインが並々と揺れる。水面に映る月は雲がかかり、全体を見ることが叶わないことが残念であった。ふと、私は満月が見えない苛立ちを晴らすべく、いたずら心に任せ、人間に鋭い犬歯を見せるように笑いかけた。

 

「?」疑問符を顔いっぱいに浮かべながら器を傾ける人間に、私も思わず口を閉じた。

 

 ──こいつは何も分かっていない! 

 

 吸血鬼としてのプライドがそれを許さなかった。私は湧き上がる感情のまま、口を開いた。

 

「私は吸血鬼だ」

 

「それが?」

 

「……私の瞳は魅了の瞳だ。目が合ったものは皆私の下僕になり、最後には狂う」

 

「俺の故郷じゃ在り来りな能力だな」

 

「ッ皆、私のことを畏れる……畏れ、敬え人間!」

 

 私の中のナニカが暴走していた。

 

 吸血鬼として数百年歳を重ねてきた私が、感情を露わにするなど、異常事態でなくてなんと呼ぶ。半ばパニックになりながらも胸の内に巣食うドロドロとしたナニカに押しつぶされそうになった私に、人間はす、と手を伸ばした。

 

 何かを掴むような仕草で虚空を何度か混ぜっかえすように手を動かす。

 

「なにを……」

 

「んー? いやあ、吸血鬼にもヒトの心があるって事だなあ、と」

 

「ヒトの心? 何を言って──」

 

 そこで人間は我に返った様な、なにか不味いことをしたような顔をした。そして手元の酒を一気に煽ると「ごっそさん!」と叫んでテントの合間へ消えていった。私は暫く呆然としてそこに佇んでいたけれど、ふと、何だか気持ちが軽くなっているような気がした。

 

 嗚呼、良い満月だ。

 

 

 ・

 

 

 その日も、戦場は地獄の淵に立っているように情勢が二転三転していた。

 

「味方の一軍が裏切った! トマホークのヤツら、敵に通じてたんだ!」数年前に拾ったゴブリンとトロールの混血児が叫ぶ。確かこいつは諜報部隊に所属していたはず。そんな小鬼が言うんだ。この情報はホンモノ。

 

 トロカーは先日少しの邂逅をしただけの人間を思い、そっと目を伏せた。

 

 たしか、あの人間もトマホーク所属だったはず。情報部のゴブリンが調べたんだ、相違はない。ならば、私に近づいたのもきっと……

 

「指導者 トロカー! 裏切り者には死を!」

 

「血をもって、贖え! 贖え! 贖え!!」

 

 ゴブリンたちの、人狼たちの、我が部隊の足踏みが身体を打ち鳴らす。ふるふると理性とは別のナニカが体の芯をカッと熱くさせた。トロカーは湧き上がる熱を抑えもせず、普段は見せない犬歯を剥き出しにして叫び声を上げた。

 

「第一部隊は共に!」

 

「応ッ!!」

 

 裏切られたという思いがグルグルと渦巻く。

 これだから人間は信用ならぬのだ。

 これだから、他人を信じてはいけないのだ。

 

 傷つく心に蓋をして、トロカーは戦場を駆け抜けた。

 

 報告をした大柄な小鬼が先駆け、その後をトロカーをはじめ黒装束の人狼たちが走る、走る、走る。野を超え、飛び交う赤い光線を潜り抜け、彼らは裏切り者に鉄槌を下すべく猛烈な勢いで突き進んだ。

 

 ふと、トロカーの鼻先を甘美な匂いが擽った。

 

「──血?」

 

 

 

「ここです、指導者 トロカー……」

 

 ゴブリンが案内した先は赤、赤、赤。

 森の中を切り拓き、作られた補給地点。物資が納まっている木箱が乱雑に並ぶそこは、今や一変していた。足が切り飛ばされたもの、腕がないもの、……首が無いモノ。そこに屯しているはずだった魔法使いの一団は、私たちが手を下す前に壊滅していた。

 

 赤の中央で佇む男は返り血の付いた頬をくっ、と上げて手を挙げた。

 

「よォ、吸血鬼のあんちゃん……申し訳ねェが、今は取り込み中でね……」

 

 私の脳裏からこびり付いて離れない男がそこにいた。

 細長い剣を握る異国の男に、後ろに控える人狼たちが毛を逆立てて警戒をし始めたのが背中越しにも分かる。私は手を挙げて静止を指示すると、意識してゆったりと歩み寄った。

 

「ああ、先の満月夜ぶりだね。奇遇なことに、私たちの目的も()()なんだけれど……」

 

「此奴らは仲間を裏切って敵に内通していた。だから斬った。俺の道から外れた、外道の輩だ」

 

「うん、調べは着いているよ。私たちはその制裁を加えに来たんだけれど……もう用は済んでいるようだね」

 

「スマンな、吸血鬼のあんちゃん」

 

 話してみると、男は存外理性的であった。知り合いのような振る舞いに困惑を滲ませる人狼たちと先導のゴブリンに現場の回収を命じながら男を促して補給地点から外れた。血に飢えた人狼たちには申し訳ないが、その憂さは戦場で晴らしてもらうとしよう。

 

 聞けば、男は東洋の島国から武者修行に来たそうだ。故郷での道理に従って、自己利益ばかりを求めた者たちを、元は仲間と言えど容赦せず……ということらしい。

 

 私は男に「仲間殺しはご法度だが、これからどうするんだい?」と問う。男は手の甲で顔の返り血を拭いながら空を見上げた。

 

「ン〜ン、所属部隊も壊しちまったからなァ……これがホントの一匹狼!」

 

「一匹の狼? ……いや、意味は伝わる。仲間がいないなら、私のところに来ないか?」

 

「! お前さん……」

 

 勧誘の言葉は、正直反射的に出た。言葉を練る暇もなく飛び出た本心からのソレに、男は驚いたように目を見開いた。

 

 魔法使いの社会において、仲間殺しはご法度。それは少数派であることに対する仲間意識の高さであったり、あるいは人を殺す魔法を使う際の難易度や魔法界特有のモラルに依拠する。1万人にひとりの割合で生まれる魔法使いたちの、自分を守るための方策。

 それを道理を逸れた、ただそれだけの理由で処分を下したこの男は、欧州の魔法使いとはまた違ったモラルを持っている。私はその自由さが、自己確立性が、どうしようもなく欲しかった。

 

「仲間殺しはご法度。だが、こいつらは仲間じゃあない。我々にとって、裏切り者は敵だ」

 

「……ハハ、違ェ無いな! こっちでそんなこと言われたのは初めてだ!」

 

 男は、ニッカリと笑った。

 初めてであった時と同じ、あの笑い方。

 人を殺したことに何の後ろめたさも抱いていない、明るすぎる笑みだ。

 

 私は男に手を差し出した。

 男は私の手を握った。

 

 分厚い手だった。マメのある、武器を振るうものの手。

 

「私は吸血鬼 トロカー。多種族混合部隊を率いる、まァお偉いさんだね」

 

「これから世話になる」

 

「……これからは共に歩もう、人間の猛者よ」

 

 退屈だった毎日が、再び色づくような、そんな予感がした。

 

 

 ・

 

 それから人間は私の隣を走り続けた。

 

 私は不死者だから走り続けることができる。丈夫な脚がある。丈夫な肺がある。だが、人間、お前はどうだ? 我ら血族とは比べるまでもなく脆弱で、短命で、儚いお前。

 

 

 何度も助けられた。

 

「トロカー! しゃがめェ!!」

「ッ、と……危ないじゃあないか!」

「ハハ、お前なら避けられるだろ?」

「……信頼し過ぎないでくれ」

 

 

 何度も、助けられた。

 

「死ね! 吸血鬼!!」

「シィ──ッ!!!」

「ッガ」

「ッぶねェ〜! ア、大丈夫か?!」

「助かったよ」

 

 

 なんども、たすけられた。

 

「指導者 トロカー! わしらのことは気にせずやってください!!」

「うるせぇゴブリン! オラ、こいつを助けたいだろ? ン? 異種族の旗印さんよォ!」

「……ッ」

「なら大人しくクビを差し出……せ……」

「ワハハ、我が抜刀術は目に見えまい! ア、大丈夫か? ゴブリンの小僧」

「小僧?! わしはお前よりは年上だぞ、小童ァ!」

「……よかった」

 

 

 ──どうして、こうなってしまったのだろう。

 

 ある夏の日、人間は姿を消した。

 その頃には傭兵としての出番無く、血の気の多い人狼たちは力を持て余していた。新顔も多く、戦場を知らない若造が増えた。

 そんな中、人間は、私の右腕は姿を消してしまった。

 壮年期に差し掛かった彼は、人生の全てを捧げた戦場を捨てたのだ。

 

 ゴブリンは荒れた。奴は裏切ったのだと、裏切り者には制裁をと、声高らかに叫びを上げた。

 

 人狼は悲しんだ。迫害されるそ存在である自分たちを真っ直ぐに見つめてくれる稀有な存在を失ったことに悲しんだ。彼らの多くは元人間。彼が部隊を去った理由を悟っていた。

 

 トロカーは悩んだ。悩んで、考えて、思考して。そして、部隊の解散を決めた。以前のように迫害が酷い訳では無い。武力が必要とされるわけでもない。こうして、一世紀続いた異種族の駆け込み寺は消滅したのである。

 

 自由の身になった私は、人間を探しに旅に出ることにした。

 

 それはそれは、長い旅だ。

 

 

 ・

 

 

「──私は人を探す旅をしている。名を佐々木と言う、私の……親友だ」

 

 

 

 

 そう話を結んだトロカーは、ゆっくりと伏せていた睫毛を震わせた。人間は、彼にとって友に、親友になっていた。再び合間みえたい。私を見て欲しい。吸血鬼でも指導者でもなく、私のことを。

 

 

 

 話を聞き終えた菊は、紅潮した顔で呟いた。

 

「貴殿が、じい様の話に聞いていたあの……血吸蝙蝠男! あ、握手をお願いしても……?!」

 

「エ?」

 




ここからタイトルに戻る。
今回も捏造マシマシマシマシです。


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9, 御伽話の住人

描きたいシーンには未だ届かず。菊ちゃんがんばえ!


 

「──ボス、蝙蝠が地上へ出たそうです」

 

「何?」

 

「どうやら先の二人組が関わっているようで……洞窟から地上に出ているとの報告が」

 

「……まだササキに執着を向けてンのか」

 

 忠実なる右腕にして血を分けた息子トーレンの報告を受け、大柄のゴブリン ゴルゴフは眉を寄せた。

 

 ダラム郡は地下深くにある小鬼専門の情報屋基地、その最奥で情報屋の名にふわしい伝達速度で回る知らせを聞き取った。

 

 ゴルゴフはかつて蝙蝠──トロカーの部下であった。

 ゴブリンとトロールの混血として造られた彼は迫害の末に多種族編成の傭兵集団に流れ着いた。指導者と拝まれるトロカーに憧憬を抱いていた中で、彼は、彼らはササキという1人の男と出会った。

 

 一風変わった薄い剣と黒い袴を身に纏った、剛気で寛大で、敵に回せば赤い血に塗れながら1人どこまでも前進するような、人間よりも自分たちに近い精神構造の男だった。男は皆、強いモノに憧れる。それは指導者トロカーに対してもそうであったし、尋常ならざる強さを持つササキに対しても同様だった。

 

 ゴルゴフは幼い自分からトロカーの部下であった。

 長い間共にいた。

 だからこそわかった。

 

 わかって、しまった。

 

 ──トロカーがササキに覗かせる、異常な執着の色に。

 

 ゴルゴフはトロカーを敬愛していた。それと同様に、異国の武者のことも尊敬していた。軽口を叩きながらも、いつか自分も彼のような高みに至りたいと、そう切望していた。

 

 だからこそ失望した。

 

 自分たちを、トロカーを裏切ったササキに。

 そんなササキを諦めきれず、自分たちを捨てたトロカーに、どうしようもなく失望した。

 

 長く共にあった自分たちよりも、ぽっと出の人間に付くなんて。納得の色を見せ、離脱したかつての仲間たちも多くは寿命を迎えた。今われらの他に残っているのは、人狼の子犬ぐらいか。あの子犬ももうどれほどの齢になったか……。

 

 ゴルゴフは小さく浮かんだ哀愁を、小さな目に燃ゆる怒りの炎に焚べた。

 

「あの小娘はササキの弟子だ。ササキと引き合わされては敵わん」

 

「──では」

 

「行こう、かつての指導者の元へ」

 

 

 ・

 

 

 吸血鬼──それは闇の生き物。文字通り血を吸うことで絶大な力を発揮する、夜の支配者。よく史実ではうら若き乙女の血を好むとされるが、それはかつて医学が発達しきっていない中で抱かれた神秘性に依拠する魔法力の発露、つまり未知のものに対する無意識の信仰が乙女の血という概念そのものに魔法力を付与したのである。

 

 何はともあれ、乙女の血を飲んだ吸血鬼は絶大無比なる力を手に入れることができるのである(一時的なブースト)。

 

「──つまり、血を飲ませろと?」

 

「菊ちゃん、私はあのうざったい死霊どもをリセットしたいんだ。わかるだろう?」

 

 求められたまま握手をしている最中の出来事だった。

 トロカーは菊の小さくも硬い手を万力のような力で締め上げた。そのまま近くへ引き寄せ、要求したのが「菊の血液」。

 

 それを聞いてロックハートは飛び上がった。なけなしの勇気を集めて叫ぶ。

 

「そっ、それはいけないと思いますが!?」

 

「なんなら君の血でもいいけれど?」

 

 トロカーは闇夜を纏う様にくるりとその場で回ると、その姿を少女に変えて見せた。

 

 青白く小ぶりな顔の中に端正で大きなパーツがあるべきところに嵌り、ツンと尖った小さな鼻と真っ赤な唇が一際目を惹く。黒い髪は金色に変わり黒い絹のリボンで高い位置で二つに結ばれている。

 

 見た目にそぐわぬ老獪で妖艶な笑みを浮かべる口元にのぞく真っ白な鋭い牙に、ロックハートは顔を真っ青にして首を横に振った。

 

「い、いや、僕は遠慮するよ……ただ! 菊もだめだ!」

 

 悲しいかな、裏返った彼の声に身を傾けるものはおらず、妙に肝の座った菊は怯えもせずに眼前の赤い瞳をしっかりと見返した。縦に裂けた人外のそれがゆっくりと愉悦の色を帯びる。

 

「ほうら、早くしないと溢れてくるぞ?」

 

 他人事のように微笑むトロカーに疑問の声を上げようとした時だった。

 

 ドン、と大きな地響きとともに土埃が舞う。血を這うような怨嗟の声が荒野に響き渡った。

 

 ──死霊が地下から這い出てきたのだ。

 

 時は夜の入り口、日は暮れたばかりで夜明けは程遠い。

 わらわらと巣を攻撃された蟻のように次々に這い出る死霊たちにロックハートは引き攣った笑みを浮かべた。生の気配を感じ取りこちらへ殺到する死霊の大群に、菊はトロカーの腕を振り払った。

 

 一歩飛び退いて懐から札を取り出すと、親指の腹を食い破って一本の横線を描く。

 青い仄光を放つ札を地面に叩きつけると、札が崩れて半透明のドームが形成された。ロックハートを守るための防御壁だ。

 

 ロックハートに「援護を頼む!」と言うや否や、菊は刀を握りしめて死霊へ飛びかかった。

 

 物理は無効とはいえ、一度戦った相手だ。菊はすでにコツを掴んでいた。

 

 死霊の体はゴーストのようなエネルギー体ではなく、媒体とする何かをもとに構築されていることを、先の短い戦いの中で理解していた。

 菊は先祖より継いだ”目”をよく凝らし、不自然なそこを断ち切ることで死霊を消滅させた。

 

 時折飛んでくる赤い光──おそらく失神魔法だろうが、それにしても線が細すぎる──を避けながら目の前の死霊をひたすらに切り伏せていく。

 

 鋭く薄い刀身で死霊の胸あたりをまとめて一薙にし、消えるのを確認せずに隣の頭をかち割るように振り下ろす。その間に近づいてきた死霊に蹴りを入れて距離を取ろうとして──空振り。体勢を崩した菊に触れる死霊たちの腕が体の中の温かいものを抜き取っていく。

 

 ──しまった、実体がないのだったか……! 

 

 菊は全力で周囲を一薙し、周囲の魔法力ごと振り払った。吹き飛ぶように菊の周囲に半径一メートルほどの空間が空き、そしてすぐに死霊の海に溺れた。今朝から体を休めていない菊は想定以上に持ってかれた熱に危機感を抱きながらも右腕に触れる。

 

 ググ、と鈍い駆動音が響いたと思うと、脈打つように赤い光が鋼鉄の右腕全体を巡る。

 

「穿てェ!」

 

 火の古き龍が溜め込んだ芳醇な魔法力を蓄える火龍の鱗を根源に、死霊を消滅させるほどの極大光線が地平線を貫いた。

 

 網膜を焼くような、昼と見間違うほどの高エネルギーに飲み込まれたものは皆同じ末路を辿った。菊の周りを取り囲んでいた死霊たちはおおよそ100、否、それ以上が消滅したものの進みは止まらない。ワラワラと湧水のように増える死霊たちは足音もなく空いた隙間を埋めながら近づいてくる。

 

「ロクハート!!」

 

「素面でこんな無謀なことをするハメになるとは思いもよらなかったよ!」

 

「つべこべ言わんでさっさと使える呪文使え! 何も貢献してないではないか!」

 

「しっ、失礼だなぁ!」

 

 菊は自身の体力が確実に削られていることを感じていた。

 

 それでも着実に周囲の包囲網を削っていく菊だったが、最前列で手を伸ばしてくる死霊に振り下ろした一太刀は、瞬く間に青ざめた手のひらに握り込まれた。

 

 青い手の持ち主は燕尾服を着込んだ男。菊が洞窟の中で頸部を斬り飛ばした、あの人外であった。理性の灯った昏い碧眼で菊を見つめる男に、菊は刀を引き戻そうと力を込めて──驚愕した。

 刀はぴくりとも動かなかった。

 

 菊をはじめとする日本魔法界に生きる侍はその身体能力の高さを誇る、陰陽師とは全く性質の異なる存在である。

 陰陽師が魔法陣や札を用いる遠距離攻撃を主としているとすると、侍は陰陽師よりも少ない魔法力の全てを身体に巡らせることで常人以上の身体能力を発揮する超近接型。

 

 両者の血を引く菊は、陰陽師の血筋から継いだ豊かな魔法力と、侍の血筋から継いだ身体能力と剣術を用いているものの、どちらも極めるには至っていない。つまり、本国での彼女は凡才に過ぎない。それでも常時回している魔法力により、身体能力は常人のそれをはるかに上回る。

 

 そんな菊の抵抗を、目の前の男は無意味としているのだ。

 

 菊は背筋を走る悪寒に逆らわず鬼斬刀を手放して後ろへ飛び退った。

 

 一瞬空いて元の手首の位置を手刀が過ぎる。その風を切る音の凄まじさたるや。菊は顔をサッと青ざめた。もし手を離すのを一瞬でも躊躇していたら、良くて骨折、悪くて切断されていたであろう。

 

「おや、あれには見覚えがあるよ。不死を与えられた贋作の吸血鬼だ」

 

「な、何、後天性? やややや、やはり吸血鬼に噛まれると……?!」

 

「……ふふ、さあ?」

 

 結界の中で会話する二人を背に、菊は懐の短剣を眼前で構える。兄者に仕える忍びに教わった苦無の構え方を必死の思い起こしながら防御に努める。

 

 ドン、と地面が深く抉れた低い音と共に飛び出した男──トロカー曰く贋作の吸血鬼──は残像を残しながら瞬きの間に眼前で腕を振り上げていた。

 

 咄嗟に短剣で男の振り上げた腕の内側、腱の部分を的確に切り付けるも、軌道が、ブレない……! 

 

「────ッ!」

 

 強烈な打撃は鞭のような遠心力をもって菊の右肩を下から打ち上げた。

 咄嗟に腕を縮めて防御に徹するも、偽物の腕を巡る擬似神経がその痛みを即座に脳へ伝達する。

 一瞬視界がチカ、と明滅するそれを精神力で堪える。

 

 軽く宙に浮くような形になった菊は、敵にとって、格好の的だ。

 

 

 気がつけば、菊は青空を見上げていた。

 

 

「──?」

 

 

 身体中を流れる血潮の音がごおごおと聞こえる。遠くで聞こえる誰かの叫び声はまるで水の中で聞いたような聞き取りにくさで、菊は思わず眉間に皺を寄せた。

 

 

「──」

 

 

 一拍置いて、自身が仰向けに倒れていることを認知した。身体中の痛みに顔を顰めながら、なんとか手をついて上体を起こす。ギシギシと鳴る右肩に、義腕の関節が緩んでいることを察した。

 

 

「た────! うーろ──だ!!」

 

 

 古傷が開いている。どくどくと熱を持つ火傷跡を拳で殴りつける。ここで動かないでいつ動く。立たねばならない、立つんだ、立たないと──

 

 

「──立てッ!!! 菊之丞!!!」

 

 ぼんやりとした心地の菊は、耳を貫いたロックハートの声に弾かれるように顔を上げた。

 

 眼前には振り上がった青白い腕。

 

 まだ、間に合う。

 

 菊は鋼鉄の腕を持ち上げた。

 鞭のような腕は今度こそ菊の右腕を捥ぎ、遠くへ弾き飛ばした。ニタニタと笑う男の顔に、先ほどの意趣返しをされたのだと悟る。再度持ち上げられた腕を視界に入れながら、どうにか回避しようと腰を上げようとするが動かない。ちら、と見れば死霊が──否、これはグールか! グールたちが地中から腕を突き出して菊の足首を握り込んでいた。

 

 ──抜かった! 

 

 男を睨め付けたまま、菊は自身に振り下ろされる瞬間を待った。

 

「それは困るよ、彼女は先約があるんだ」

 

 それを片手で難なく受け止めたのは、背後で傍観していたはずのトロカーだった。

 

 少女の姿のまま、トロカーは美しい顔に汗ひとつかかず、男に手首を的確に握り込んでいる。菊はその間に「アクシオ!」と叫ぶと、手元に引き寄せられた刀を構え、足元に目にも止まらぬ速さで斬撃を放つ。一つひとつが糸の目を縫うような正確さで菊の動きを阻害する箇所を切り飛ばした。半ば振り払うように強引に飛び退ると、鬼斬刀を片手で構える。

 

 白刃が月光に照らされてきらりと輝いた。

 

「おい吸血鬼……私の血を飲めば、状況を打破できると誓えるかッ!」

 

 菊の投げやりとも取れる言葉に、トロカーは口端を上げた。

 

「もちろんだとも、約束しよう。我々の血族は約束は守る」

 

 トロカーの言葉はまさに甘言だった。打破し難い現状を変えることができる、唯一の希望にも思えた。菊の強さは一対一で真価を発揮するものであり、一対多の先頭は不得手とするところ。ロックハートは対抗するように遠方から声を張り上げた。

 

「キク、耳を貸すんじゃない!!」

 

「……乗った」

 

 菊は苦虫を噛み潰した顔つきで小さく呟いた。片手で周囲を牽制するように刀を振るいながら移動し続ける彼女に、ロックハートは今度こそ悲鳴のような声を上げる。

 

「キク! キミは吸血鬼の恐ろしさを知らないから……そんなことしちゃあだめだ! 逆らえなくなるぞ!」

 

「──逆らえなくなることなど、()()()()()

 

 菊は自嘲したように呟くと、徐に刀を握り込んで横に振り抜いた。手の内側にできた傷からぼたぼたと鮮血が滴る。

 

 それに即座に反応したトロカーは影に潜るように男の前から消えたかと思うと、菊の正面に現れてそっと腕を上に持ち上げた。「嗚呼勿体無い」と言いながら菊の肌を流れる赤をうっとりと見つめる。

 何年振りかの乙女の生き血、それも魔法力をふんだんに含んだそれの甘く芳醇な香りにトロカーは全身を震わせた。

 

「さあ飲むが良い血吸蝙蝠男! 名に違わぬ能力で敵を屠って見せろ!」

 

「──ハハ、侍とは真、思い切りがあって良い!」

 

 男気のある菊の言葉に愉快そうに含み笑いをしたトロカーは袖が捲れて露わになった菊の柔肌を流れる赤にそっと舌を伸ばした。んぐんぐと小さな喉を鳴らして赤を飲み込むトロカーは、数年振りの甘露に思わず顔を赤らめた。全身に回る魔法力と生気に乾いた喉が潤う。

 

 菊は男の姿よりはマシだ、と自分に言い聞かせながら人外の美貌を持った少女の姿を、幼い頃の憧れ──血吸蝙蝠男(御伽話の住人)を見つめていた。

 

 

 その間にも敵は押し寄せてくる。

 

 

 燕尾服姿の男だけでなく、死霊に混じってグールの姿もあった。皆何かに操られたように殺到する様はひどく不自然で、奇妙で、たったひとりの意思に従って動いているような、そんな気配がした。

 

 しかし、それも皆無力。

 

 音に聞こえし異国の古強者──血を吸い、蝙蝠に化ける、常闇の王の御前では。

 

「──!!!」

 

 ロックハートは、菊は目を見開いてその光景を見つめた。

 荒野に落ちた闇夜の影に、ズブズブと沈んで行く死霊のぐ軍勢。逃れようと上空へ飛ぶ輩には影から伸びた蔦のようなナニカが引き戻すように絡まり付き、実体が無いはずの死霊を地面に引きずり込む。

 その中央で佇むトロカーの姿は、先程とは著しく変化していた。

 

 黒い闇が湯気のように立ちのぼる少女の姿のトロカーは、縦に裂けた、まるで爬虫類のような瞳で辺りを見澄ましている。

 

「あれは……」

 

 菊は眉間に皺を寄せながら唸った。

 トロカーの纏うソレは、彼の異能とは全く違う性質であった。

 

 其れはかつて菊が見た、()()()()。何か強大なものとひっつきかけ、その縁を利用して力を吸い取っている常人離れした手法だ。この地を訪れた際にも感じた”()”の気配が濃くなっていることから、おそらく奴がつながっている相手はそれに類する生物だろう。

 

 後方で守られているロックハートは、トロカーの様子を繁々と見つめ、その瞳を見て叫んだ。

 

「ド、ドドドラゴン!!!??」

 

 その姿は先日の戦いの最中、アンジーが乗っ取られた状態とあまりにも類似していた。ドラゴンの魂を被り、自らを強化するために使いこなすトロカーは闇を操り、敵を打ち滅ぼす。かつて佐々木の爺様に何度もねだった寝物語の一節を思い浮かべ、菊はその光景を目に焼き付けた。

 

 闇の荒野に沈んで行く敵の軍勢と、それを指揮するひとりの少女の、神話の様な光景を。

 

 

 単純作業の様なそれが終わったのはそれからすぐのことであった。トロカーは闇を一箇所に集めると、そのまま握りつぶして後には何も残さない。何もなかったかの様に見える平穏な夜に、月に照らされた青白い顔の美少女はその場で闇を纏うように回ると青年の姿をとって立ちすくむロックハートに近づいた。青白い光を放つ結界の前まで歩みを進めたところで、菊が庇う様に立ち塞がった。

 

「あなたは、一介の吸血鬼なんぞではない」

 

 それは、確信を持った響きであった。菊は警戒心に満ちた瞳で、油断なくトロカーを見据えた。対するトロカーは降参、とでも言う様に手首から先をふらふらと揺らして敵意がないことを主張する。

 

「もうわかっているなら聞くのは野暮だよ、お嬢さん?」

 

 甘やかな声の中にさりげなく込められた鋭い棘に菊は思わず口をつぐんだ。

 

「ほら、こいつらは召喚陣からドンドン湧き出ているんだ。地上が一掃された今にうちに探しに行くといいよ」

 

「……っ、いくぞ、ロクハート!」

 

「エーット、ボクはここで帰りを待ってようかなぁ〜なんて……ハハ、ハ、冗談だよ!」

 

 菊は聞きたいことをグッと堪え、宙で指を一文字に切ることで結界を解除した。安全地帯が消えたことで渋々足を踏み出したロックハートを引き連れ、脱出した穴の側まで歩み寄った。

 中を覗き込むロックハートは拍子抜けしたように「なあんだ、何もいないじゃないか」と呟く。背後を振り返ると、遠くの岩にもたれかかった玲瓏な青年がニコリ、と笑っていた。

 

 菊はなんとなく憧憬と実態の落差を知ったような、がっかりした気分を抱えながら目を瞑り、神経を尖研ぎ澄ました。

 

 音も、死霊特有の厭な気配もない。

 

「先に行くから3歩後をついて来い」

 

「任せてください! こういうのが一番得意なんですからね、ボク」

 

 菊は「それは頼もしいな」と感情の一切こもらないセリフを言い捨て、足を穴の中に続く美しい階段に乗せた。

 

 2人が洞窟の中に戻って行ったのを見届けたトロカーはゆっくりと目を瞑ると、そのまま地面に倒れこみ、闇の中に紛れて溶ける。

 

 夜の荒野に乾いた風と小さな虫の音だけが響いていた。

 

 

 ・

 

 

 沈黙と警戒に満ちた洞窟探索は、なかなかに難航の色を見せていた。入り組んで同じような構造の洞窟内は軽く岩肌を削り印をつけているため迷っていることないのだが、それでも気が滅入って仕方がない。そも、ロックハートがいなくなってから休まず探し続けていた菊と死霊に生気や魔法力を吸われ、連日長距離の移動をし続けてきたロックハートは疲れ果てていた。それに加えて現状何も見つかっていないのだから、だんだんと気が緩んでくるのも無理はない。

 

 ロックハートは妙に明るい声色で声を上げた。

 

「そういえば、思い出したことがあるんだ! 例の心当たりの話なんだけど……」

 

「ああ……襲われる心当たりはないとはっきり言いきっていたな。作家先生は何を思い出したのか、それとも思いついたのか」

 

「失礼だなあ……ンン、まあ聞いてくれ。トロカーのやつがいないうちに話すが、おそらくヤツが黒幕に違いない」

 

 ロックハートの突拍子もない言葉に菊は一瞬何を言っているのか理解できなかった。

 

「……なんだと?」

 

「僕はかつて、あまりの極貧生活に耐えかねてとある先輩を頼り、仕事を紹介してもらったことがある。日刊預言者新聞の片隅を埋めるコラムの執筆さ。初めて受けた依頼は吸血鬼のウワサに関するもので、僕は喜んで書いた。その内容が……その、若干問題だったみたいで」

 

「ひどい内容でも書いたんだな」

 

「マ、まァそうなるかな……ウン」

 

 項垂れながら心当たりを話し終えたロックハートに、菊は黙って歩を進めていた。ロックハートは処分を待つ罪人のような心持ちで付き従っていたが、直ぐに耐えきれなくなって捲し立てるように話し始めた。

 

「な、なにも悪意があった訳じゃあないよ? ただ面白い内容を追求した結果、少し侮辱的な内容になってしまっただけで……そうさ、僕が悪いんじゃない。 悪いのは編集者の方さ! エンタメ性を追求したコラムを、との依頼だったから僕なりに工夫してだね……あの、キク? もしかしてここが目的の?」

 

 聞いてもいないことをペラペラと話しているうちに、菊は目的の場所を探し当てていた。一掃されたグールや死霊たちがウジャウジャとしている方へ向かえば、自ずとそこが発生源になる。2人は捜索を始めてかれこれ数十分は蒸し暑い地下空間を彷徨っていた。

 

 グールや死霊たちが湧き出るそこは、一見ただの岩肌のような場所にあった。よくよく目を凝らせばうっすらと魔法で偽装されていることがわかる様な、些細な違和感程度の高度な隠蔽をされた入り口を抜けた先。少し開けたそこに大きな五芒星が()()()()を放ちながら佇んでいた。幾重にも魔法陣が組み合わさったその中央にはサクラの杖が突き刺さり、それを起点に作動している様であった。

 

 菊たちの見ている最中にも死霊たちが半透明の体を捻りながら魔法陣の上に現れる。それを無言で切り捨てながら、菊は険しい顔をした。

 

「ロクハートよ、この魔法陣、どうにも見覚えがないか?」

 

 ロックハートは何度も悩み、唸り、絞り出すように答えた。

 

「エ? 見覚え? 見覚えと言ったって……ウーン、あ、待ってくれ、もう少しで思い出せそうなんだ……あとこれくらいで思い出せるから! エーット……」

 

「──火山の洞窟に敷いてあっただろう? 忘れたか? 我が血筋に伝わる方術だ」

 

「……ああ! あれですか、ハイハイ、思い出しましたよ!」

 

 数ヶ月前、泣き女(バンシー)と共に赴いた火龍退治、その住処たる火山の中で2人が目にした魔法陣と、眼前の魔法陣は、どう言うわけか似ていた。

 

「どうにもきな臭いな……」

 

「ホラ! ()()()()()剣でグワッとやっちゃってください!」

 

 深刻そうに考え込む菊にロックハートが妙に明るい口調で声をかけた。それもそうだと納得した菊は「ちょいと待て」と言ってその場にしゃがみ込み、魔法陣に用いられている梵字を解読しようと見つめ始めた。魔法陣には楔のように梵字が埋め込まれ、複雑に文字同士の影響力を鑑みた重ね方がされる。それを安全に解除、基破壊しようとする際も、それに沿った方法で上から順に破壊する必要がある。

 今回の魔法陣は大きな五芒星を中心に、その外側に三つの魔法陣が展開されていおり、重なるところはない。『召喚』を中心に、『再生』『死』『増幅』を刻み込まれた魔法陣が大きな三角形を形取っていた。

 

()()()で、な!」

 

「まだ引きずってる! その節はすみません!」

 

 菊は楔となる箇所、即ち中央に立つ杖を弾き飛ばすように切りつけた。空気を裂くような、乾いた音を立てて狙い通りの場所に、杖と魔法陣の接着点に寸分の狂いもなく、吸い込まれるように流れていく。バチバチと魔法陣が一瞬の抵抗を見せるも、魔法をいくつも喰らってきた鬼斬刀には叶わなかった。ガラスが割れるような繊細で甲高い音が響いたかと思うと、魔法陣は次第に崩れ始めた。新しく召喚された死霊が声無き悲鳴を上げながら魔法陣と共に薄れていき、最後には空気に溶けるように消え失せた。

 後に残ったのは中央に立っていた()()()()()だけだった。

 

 繊細な魔法力の操作に疲労を見せる菊は空気に染み込むように広がった魔法力にパッと顔を上げる。

 

「良くぞ邪魔立てする輩を排除してくれたね、お嬢さん」

 

 玲瓏な声が、地下空間に木霊した。




前回の投稿からだいぶ時間が空きました……就活忙しすぎ(言い訳)
季節もすっかり変わりまして、最近は雨ばかりですな。私は雨の日は死ぬほど体調が悪いので薬漬け生活を送っております。皆様も体調にお気をつけください。


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10,これにて終幕!

二次創作って好きの煮凝りだなぁと思う今日この頃。


 再び階段を使って地表へ顔を出すとあたりは暗闇に包まれ、空の朧月が優しく全てを照らしていた。トロカーの声は、二人を洞窟の外へと誘った。

 

 小さな生命たちの囁きの中案内に従ってたどり着いたのは、初日に訪れた大岩の洞窟の裏手であった。

 

「ここって……」

 

 驚くロックハートの白い頬を月光の冷たい光がぼんやりと照らす。限界まで見開かれた彼の瞳には、この世のものとは思えぬ壮大な光景を映していた。

 

 

 ──初めに目に飛び込んでくるものは巨木だ。岩に囲われたそこで、頭が突き出るほどに大きい時代物の木。ロックハートが3人並んでもなお足りないほどに太い幹を伝い下へ下へと視線を動かしていくと、根元でトロカーがこちらに手を振っていた。

 

 何よりも衝撃的で、非現実的なのはトロカーのさらに後ろ。

 

 ──大きな竜の骸が、大木を抱いてそこに眠り伏せていた。

 

「ああ、お嬢さん! ようこそ、私の()()()()()へ!」

 

 芝居がかった様子で両手を広げながらトロカーが声をあげる。その赤い瞳にはただひとり、菊だけが映っていた。

 

 菊はそっと辺りに目配せをした。

 龍の骸の下に、空間は日本魔法界で主流とされる属性概念五行のひとつ、土の属性に満ちていた。

 ここを訪れた際に感じた土の気配はこれか、と腑に落ちる。

 

「さあさあ、もっと寄ってくれ! そして私を()()んだ!」

 

 妙に熱の篭った声だった。

 菊の能力を、人よりも()()()()()()を知っている声だった。

 

()を開く。

 

 視界が切り替わる。

 

 ロックハートから立ちのぼる黒い()()──これは人の欲望を始めとする悪い気が可視化されたものである。これが多すぎると人間は欲望に忠実になり、過剰な行動を取りはじめるのだが、その辺は菊がきちんと管理していた。先日祓ったばかりなのも関わらず既にそこらの人よりも多いモヤに思わずジト目になった。

 狼狽えるロックハートの、体にかかる大地色──辺りに満ちた土の元素である。通常はここまで濃く見えるほどにはならないのだが……

 

 そして中央に坐すトロカーの胸の辺りで光る()()()に、菊は思わず目を細めた。眩い光のそれには、膨大な魔法力が渦巻いていた。

 

「魂と接続したのか」

 

「まあ、そうとも言えるかな」

 

「なんと愚かな……あぁ、魂が絡んでおる……うわあ……」

 

「え? うわあって言った? キクゥ? どういう事?? ねぇどういう事なの??」

 

 この地に満ちる魔力は()()()から、まるで木の根っこのように四方八方へ伸びている。その中央で雁字搦めになっている小さな魂──それこそがトロカーのものだろう。菊は驚嘆した。何がどうしてこうなったんだ! 上手く取り出すには相当骨を折ることになるだろう。例えるなら……そう、毛糸がぐちゃぐちゃに絡まった状態、或いは久しぶりに取りだしたネックレスのチェーンが嘘みたいに塊を作っていたときの、これを少しづつ解すのか……という感情に似ている。実際はそれより遥かに面倒臭いのだが。

 

「邪魔立てする輩を打ち払ってくれたお嬢さんには教えてあげよう! そして私を助けてくれ!」

 

 胸を張るトロカーは大きな声で情けないことを言った。あからさまに嫌な顔をする菊を、ロックハートが肘でつつく。善意のそれが何倍にもなって返ってきたことで地に沈むロックハートに鼻を鳴らし、菊は言った。

 

「答えは否。助けたくないし、そもそも利益がない」

 

「なんと! 日本人は皆親切だと聞いていたが、私の覚え間違いだったか!」

 

「なんとでも言うがいい」

 

 取り付く島もない、とはこのことだ。菊は顔を背ける勢いでトロカーの言葉を拒む。ロックハートも同情した様子ながら聞くには逆らえない様子で右往左往している。しかし、その弱気な態度は次の一言で一変した。

 

「何、報酬は弾むよ! どうか頼まれてはくれないか」

 

「──キクゥ!! 君に人の心はないのか?! 人助けは世のため人のため、金のため……と、ともかく彼を助けた方が良いと、僕は思うけれど!!」

 

「……阿呆め」

 

 なんて頭の軽い男なんだ。菊は頭を抱えた。

 そんな様子など気にもかけず、ロックハートは目的には一直線だ。脇目も振らず、菊に向かって大人ぶった駄々をかます。その様はまさにおもちゃコーナーでおもちゃをねだる子供さながら。

 

「……と、言ってもこれは菊ちゃんにも利と義があるんだよ?」

 

「なんだと?」

 

「この魂に絡んでいるものはこの地の守護を司っているのさ」

 

 曰く、彼に絡む強大な魂の持ち主は背後の巨竜であったと言う。この地を300年以上前に支配していた魔法使いの村の、守護竜として崇拝されていた、と。

 

「それで、どうしてこう(魂がこんがらがった)なったんだ?」

 

 菊は話を聞いた上で、さらに追求した。トロカーは呑気そうな笑みを浮かべながらなんでもないことのように語る。

 

()()()()()()()としては優秀だったんだよねぇ」

 

 ……。

 

「……つまり、こう言うことか? 君は自分の魔法力を補助する際にこの竜の魂を使っていて? それが原因で魂が絡め取られたと?」

 

「マア、そう言うことだよ」

 

「阿呆だ……! こやつ、ロクハートに負けず劣らずの阿呆だ……!!」

 

 今度こそ、菊は頭を抱え、天を仰いだ。いくら仰いでも月は静かに光るだけで助けてなんてくれなかったけれど。

 菊は深く、深く呼吸を吸うと、精神を宥めるように細く長く吐いた。

 

「──それで? 貴方を助けたとして我らになんの利があると?」

 

 トロカーを三日月のように口端を鋭く釣り上げた。

 

「この地を守護していた竜の魂をもってこの地の魔法陣は封じられてきたのさ。つまり」

 

「あの魔法陣が動いていたのはトロカー氏がこの地を動いたからと? なんと言うことだ……」

 

 ロックハートは大袈裟に嘆いた様子を見せた。トロカーを軽く肩をすくめながら「マ、()()()()()()()()()()()()()()」と言う。菊がそれに疑問を抱いた時だった。それまで緩やかだったトロカーの表情が一転、冷たく冴えざえとした。そして真っ赤な口をひかえめに開くと、犬歯を覗かせながら「ほら、もう限界だ」と言った。

 

 ドンッ──!! 

 

 言い終わるや否や、大地を揺るがすほどの突き上げるような衝撃が一行を襲った。混乱するロックハートがわあわあと叫びながら走り回る。菊はずい、とトロカーに近づくと切れ長の目を見開いた。

 

「何をした」

 

()()、何も」

 

 飄々とした態度を崩さないトロカーに菊は苛立った様子で腕を組んだ。永きを生きる吸血鬼は、どうしてこうも地に足をつけていないのか。菊は神経を尖らせずとも感じる無数の気配にチ、と舌打ちをした。踵を返して外へ出ようとする菊に、ロックハートはおずおずと声を上げた。

 

「あ、あのう……彼の魂の件(金蔓)は……」

 

 この期に及んでロックハートは金に惑わされていた。ここまで人間らしい人間もそうはおるまい。菊は苛立ちながらも抜刀し、トロカーの方へ歩みを進める。

 骨の真ん中で寛ぐように宙に腰かけるトロカーは、眼前に立つ小柄な東洋人の、その刀を見てニッコリと笑った。場にそぐわぬ笑顔に菊は気味の悪さを感じながら刀を顔の横で構えた。

 

「多少乱暴だが、吸血鬼なら大丈夫だろう」

 

「ああ、助かるよ! なにせこの地を少し離れるだけで死霊がもうワサワサと出てくるものだからウンザリしていたんだ!」

 

 welcome! と言わんばかりに手を広げ全身を弛緩させたトロカー。菊はその胸の中央に光る緑の光を抉り出すように、神速の速さで刀を突き出した。

 僅かに飛散する血飛沫にロックハートが肩をはねあげる。僅かな呻き声の後、トロカーはケロッとした顔で立ち上がった。全身を点検するように動かすトロカーを尻目に、菊はその手に握る緑の珠──ドラゴンの魂を握り込む。

 

 途端に脳裏に流れてきたのは、この魂の持つ記憶だろうか。音声はなく、映画フィルムのような、コマ送りの記録だった。

 

 

 ・

 

 グールと死霊の大群が荒野に佇む小さな村を飲み込まんとしている。

 

 炭鉱のすぐ隣だ。

 

 必死に抗う村人たちからは様々な色の閃光が飛び出す。

 

 魔法使いの村なのだろう。

 

 しかし多勢に無勢。防御塀を乗り越えて雪崩込む大群に、彼らは背を合わせて結界を作り出した。

 

 中で身を寄せる村人たちの、その中でも一際豪華な装飾に身を包んだ若者が立ち上がる。

 

 何かを説くような動作に、村人たちは怒鳴り声で返す。

 

 しばらく俯いていた若者は、決意に満ちたような顔で杖先を()()()()()向けた。

 

 

 ・

 

 ドラゴンの持つ人間の記録に、菊は目を数度瞬かせた。音声がないだけ負担が少ないのだが、それでも疲労した身体には酷なものだ。よろめきそうになるのを踏みとどまって、菊は顔を上げた。持っているだけで記憶が流れるような力あるモノなんて、持っているだけで倒れてしまう。

 

 菊は少し考えて、手中の魂をロックハートに託す。奴は()()だ。力あるこれを持ったとしても、なんら影響を受けないだろうとの考えだった。

 

「いいか? これはドラゴンの魂だ。この地を平定するために必要な重要なものだ。私がほかの魔法陣を破壊するまでの間、君はここで魂を守っていて欲しい。死霊を少しでも抑えてくれ」

 

 ──此度の作戦は君が()だ、ロクハート! 

 

 菊の言葉は覿面だった。ロックハートはその青空のような瞳に情熱の炎を灯し、拳を月夜に突き上げた。

 

「ああ! ああ! 任せてくれ! この偉大なる作家 ギルデロイ・ロックハート様が命にかえても守り抜いて見せよう!」

 

 多分自分の命の危機に陥ったら考えるまでもなく保身に走るだろう男の宣言に、菊はニンマリと悪辣な笑みを浮かべた。

 

「私は託し、君は応えた。ハハハ! あとは頼んだぞ、ロクハート君!」

 

 口約束は最も初歩的な魔法契約だ。

 日本ではメジャーなそれは、外国であっても効力はきちんと発揮する。ロックハートは何度もこれを結び、土壇場で破ろうとしては数々の裁きを受けてきたのだが、どうやら彼は学ばないらしい。何度も説明し、忠告し、体験したはずのロックハートが簡単に引っかかったことに、菊は少し残念な気持ちを抱いた。

 

 愕然とした顔で佇むロックハートに後を託し、菊は疲労を押し殺してその場を後にした。

 

 月夜の元、一陣の生温い風が吹き荒ぶ。

 

 眼前に広がるのは先程とは比にならないほどの死霊の軍勢。グールはいないようだが、燕尾服の金髪頭が幾つか点在しているのが見て取れた。

 

 菊は大岩の頂上で目を瞑る。

 

 精神を尖らせる。

 

 気配を拾う。

 

 ──嗚呼、彼処か。

 

「菊ちゃんは魔法陣を破壊することを優先しておくれ。足止めは私がする」

 

 ゆっくりと目を開いた菊の隣に音もなく立つトロカーが、一見冷たそうに見える端正な顔を優しく緩めた。()()()()()。長命種は得てして人間を対等に見ていない。仮初の慈愛に満ちた声色に、菊は眼下を睨めつけながら言った。

 

「……魂との接続を強引に剥がしたんだ。その身に大した魔法力は残っていないはずだが?」

 

 言外に戦力外と言われたトロカーは一瞬表情を落とした。能面のような顔からは不思議な凄みを感じる。それでも尚こちらを見ない菊に、トロカーは自嘲の色を浮かべた。

 

「ハハ、私は不死者だ。かつては()()()()とも呼ばれた男だ。……あまり見くびるな、ニンゲンよ」

 

 見た目にそぐわぬ老獪な笑みだった。

 

 夜明け前の生温い風が吹き荒ぶ。

 

 最後の一踏ん張りだ、と菊は自らの両頬を強く打った。

 

「頼むぞ、吸血鬼」

 

 ──背ェ、頼んだぜ? 相棒! 

 

 こちらを振り返らずそのまま飛び降りていった小娘の背に、かつての()を見た。

 

 トロカーは一瞬目を見開くも、すぐに上機嫌そうな顔持ちでクツクツと喉の奥を転がした。遠くに死霊の軍勢の中を駆け抜ける小さな頭が見える。トロカーは闇に溶け込むように姿を消し、瞬きの間に地上へと移動していた。影の中を移動できる、彼の異能である。傍には最小限の動作で敵を切り伏せ、道を切り開くこと、その一点に集中する菊の姿。

 

 トロカーは柘榴色の瞳を細め、眼前に迫る軍勢を見据えた。

 

「早めに頼むよ……菊ちゃん!」

 

 トロカーはぼやくように言葉を舌の上で転がすと、まるでジャングルの肉食獣のようなしなやかさで目の前の敵に飛びかかった。菊から気を逸らすようにあえて大立ち回りだ。影絵のようにその真っ黒な姿を次々に変えていく。

 

 オオカミが、コウモリが、ピューマが、眼前に迫るヒトガタの首元を狙い澄まして飛びかかる。核を噛み砕いたと思えば大きな体を使って複数をまとめて薙ぎ払う。

 一人で獅子奮迅の戦いぶりを見せるトロカーだが、魔法力がほとんど残っていない彼は持ち前の身体能力で戦っていた。

 

「血吸蝙蝠男!」

 

「それ言いにくくない?」

 

「隙間をこじ開けてくれ、この下だ!」

 

 菊の言葉に一瞬目を見開いた漆黒の獣は、すぐにその身を巨大なものへと変えてみせた。

 

 ゴツゴツとした表皮は岩山のように隆起し、太く短い手足はずっしりと大地を掴む。大きさはおおよそウクライナ産のアイアンベリー種(全長8メートル、体重6トン)よりも巨大な体躯で、しかし現在認められるドラゴンとは異なる翼の皮膜を持たぬ、()()()()()()の体の構造をしたドラゴン。そんな姿に変貌を遂げたトロカーは菊の周囲を体を一回転させることで尾を鞭のようにしならせて空間をこじ開けた。菊は若干残った周囲の死霊たちを度外視してよくよく目を凝らした。

 

 ほのかに立ち上る魔法力は赤く、先刻見たものと類似していた。

 

「さあさ、ご覧じよ!」

 

 菊はココと決めて刀を地面に深く突き刺す。

 

「これにて幕引き」

 

 踏み固められた地面とは思えぬほど滑らかに地中に入っていった刀は、やがて地中で駆動していた魔法陣に触れた。

 

「終幕、だ……?」

 

 ガラスが割れるような繊細な高音が響いたかと思うと、地中からキラキラと魔力の残滓が漂ってくる。

 

「──? これで終わりかい?」

 

「いや、ううむ。もう一つあるか?」

 

 気配は未だ止まず、勢いこそ弱まったものの依然として敵の数は膨大であった。トロカーはみるみるうちに体をしぼめ、その体躯を維持できない様子でたたらを踏んだ。

 

「ここが踏ん張りどころか……もうほんとに限界が近いから頼むよ?!」

 

「……」

 

 トロカーの言葉に菊は頬を赤らめながら返事もせず刀を手に駆け出した。

 

 

 ・

 

 

 一時は大きく敵の数を減らしたものの、数の波に押され、トロカーの姿はすっかり埋もれていた。体を殴打され、噛みつかれ、それでも痛覚を無視して体を動かす。

 

 ふと、目の前に青白い拳が迫っていた。

 

 気がつくと、トロカーは天を仰いでいた。一拍遅れて鎖骨の辺りに鈍痛、呼吸が苦しいような痛みを認識。見れば、軍勢の中でも特異的な金髪の燕尾服を纏った男が二人、構えを解いてゆったりと歩いていた。瞳には理性の色。

 

「〜〜〜ッ、効くなァ!」

 

 そして拳には鈍く光る金属が縫い付けられたグローブが、トロカーの血を滴らせながら存在を主張していた。

 

()だ。

 

 吸血鬼の弱点は銀とされるが、実際は一概にそうとも言えない。小鬼製の銀で、かつ特定の素材を吸収させたものに限る。一般には秘匿された弱点をピンポイントで知り得る存在に、トロカーはある心当たりがあった。

 

「ハァ。オマエ、()の眷属だね? とうとう本腰入れてきたってわけか……」

 

 顔も朧げな弟の飽くなき野心は、トロカーの永きに渡る吸血鬼生において幾度も襲いかかってきた。毒牙にかかりかけては間一髪でそれを逃れてきたものの、今回は直接的な生命の危機で、これまでよりも危険度が跳ね上がっていることを肌で感じた。()()()()()()()を漏らすとは夢にも思わなんだ。巡り巡って自らの首をも締める可能性のあるそれを一介の眷属に与えるなんて、トロカーにとって目から鱗の大転変であった。

 

 激しい痛みに抗っていたトロカーだったが、ついには押し潰されるように地面に倒されてしまう。

 

 どうしてこんなに頑張っているのか、耐えているのか。

 

 トロカーは自分でも理解しえぬ焦燥と使命感(仲間を守らんとする長としての心持)に突き動かされるようにして、無念の咆哮を上げた。

 

 

 

 

 

「──第一陣、放てェ!!」

 

 土煙が上がる行進の地響きを貫くように、荒野に爆発音が連続して響いた。

 パタパタと広範囲の死霊が、グールが倒れていく。核となる箇所が的確に割られている。

 

 トロカーはその懐かしい声に、勢いよく顔を上げた。

 

 硝煙の匂いが風下に流れていく。

 

「──第二陣、放てェ!!」

 

 それぞれが魔法銀の防具に身を包み、魔法界では滅多に目にしない特殊な銃を持って陣形を組む小鬼(ゴブリン)の一団。

 

 その先頭で指揮を取るように声を張り上げる一際大柄な小鬼(ゴブリン)は、目を見開くトロカーとゆっくりと目を合わせた。

 

「オイオイオイ、元がつけども()()()()()()! 無様に地面に転がってちゃあ、わしらに示しがつかないでしょう! なァ、お前らァ!」

 

「! ゴルゴフ……」

 

「さっさと立って昔みたいに指揮をとってくださいよォ、()()!」

 

 大柄な小鬼(ゴブリン)──ゴルゴフはゆっくりと口の端を釣り上げ、鋭く尖った歯を剥き出しにした。

 

 その不器用な笑みを見て、トロカーは懐かしくも哀しい想いを抱く。

 

 メラメラと燃え上がる心のままに、トロカーは影に潜るようにその場から消え、一瞬のうちにゴルゴフの隣に立っていた。

 

 ──嗚呼、懐かしい。

 

「菊ちゃんの歩みを止めるな! 彼女なら、魔法陣を、壊せる!」

 

「!! ──援護しろ!」

 

「委細承知」

 

 大将の号令を受けて、一段の右翼が矢印のような陣形で強引に突き進む。

 

 少し離れた位置で刀を振るう菊のもとへ、銀製の年季の入った防具を身に纏った老小鬼(ゴブリン)が駆け付けた。

 最小限の動きで刀を振り上げ、振り下ろし、体への負担を無視して強引に進む菊を守るように、様々な武器を携えた歴戦の小鬼(ゴブリン)たちが展開する。

 

 ぐんと加速する行進速度の中で、菊は隣を駆ける老齢の小鬼(ゴブリン)に目をやった。

 

「仲直りしたのか?」

 

「一時休戦ってヤツだ」

 

 ニヒルに笑うティムは兜を片手で下ろすと空気穴越しにくぐもった雄叫びをあげた。

 

 それに合わせるように周囲の小鬼(ゴブリン)たちも雄叫びを上げる。

 

 雰囲気は一気に戦場の空気に変貌していた。

 

 後方で乾いた音が幾度も響く。

 

 迷いもせず駆けている菊は脳内に描いた地図から()()()()()を導き出していた。

 今まで破壊した魔法陣は深さこそ違えども、配置されていた場所はドラゴンの骨があった大岩を中心に等しい距離に配置されていた。ともすると、他に存在する魔法陣の位置も自ずと察しがつくというもの。

 菊は脳内の考察と微かに感じる独特な魔法力を頼りに戦場を縫うように進んでいるというわけであった。

 

 グールから噴き出る血を全身に浴びた菊が袴を翻して駆ける、駆ける、駆ける。すれ違いざまに的確に刀を振う菊は、そのまま8の字を描くように刀を切り返す。

 赤に染まった後ろ姿に、ティムはかつての戦場で見た赤き鬼を幻視した。

 

 ──嗚呼、やはり、貴方こそが赤き鬼と畏れられた侍の後継……! 

 

 消滅の憂き目にあった死霊あるいはグールの数が数十、数百、数千は下らないほど進んだ頃、菊の歩みがようやく止まった。

 

 すぐそばを着いていた小鬼(ゴブリン)たちも周囲を押し退けながら空間を確保する。初めは二十五人いたはずの一段はその数を幾分か減らし、十七人で縮小した陣形を保っていた。

 負傷して動けぬ者を庇いながら高速移動を実現できたのはひとえに彼らの魔法技巧の上手さ故。

 

 負傷したものを内側に庇いながら、彼らは互いが見えるように人の柵を展開した。

 

「ここにあるんだな?」

 

 確信を含んだティムの声に、菊は緩慢に頷いた。

 

「ああ……」

 

 息を切らし、顎下から滴る大粒の汗を手の甲で拭いながら地面を爪先でトントンと叩く。

 

 ちょうど岩が埋まっているのか、他とは少し趣の異なる鈍い音がする。

 

 菊は自身の消耗具合が想像以上であることに、これ以上のごまかしが効かないことを悟った。

 残存の魔法力では多く見積もっても魔法陣を一つ壊した後に2、3度の魔法を使うことしかできまい。

 

 ──失うことは、怖いことだ。

 

 菊の脳裏に浮かぶのは、連れ去られたロックハートの姿。

 

 ──これ以上、失ってたまるものか。

 

 深く、深く息を吸う。

 

 細い糸を吐くように、ゆっくりと、細く、長く息を吐く。

 

 酸素が回る時のじんわりとした熱に、菊は今まで自分が緊張していたのだとようやく気がついた。

 

「大丈夫か」

 

「問題ない……この岩を地表に露出させて欲しい。私の体力では時間がかかろう」

 

「応とも、細けェ仕事はは古代から小鬼族(ゴブリン)のお家芸よ!」

 

 打ち払う人員からふたり小鬼(ゴブリン)が抜けてきて、座り込む菊の前で手際よく石の周りを掘り進めていった。人間以上の腕力を誇る彼らにとって、土を掘ることは朝飯前なのであろう。菊は少しの間、自身の体力を回復することに努めて息を大きく吸い込んだ。

 

 岩の全貌が見えたのは、それからすぐのことであった。

 

「コイツは、翡翠か」

 

「勾玉……私の故郷でよく使われる魔石だ」

 

 土の中から現れた巨大な岩に赤く脈打つ魔法陣、ここまではこれまでと変わらない。異なっているのはその周りであった。

 

 ──岩には、翡翠でできた勾玉が埋め込まれていた。

 

 勾玉とは日本に限らず、東洋で貴重品として扱われる重要な石である。古くより祭祀で重用されてきたというその石は、稀に()()()()()()()()がある。

 大岩に刻印された魔法陣は、さらにその外縁に埋め込まれた三つの勾玉の放つ魔法力と混ざり合い、発見を難しくしていた。

 

 幼い頃、家で学んだその技法。

 自然の持つ魔法力と自らの方術を混ぜ込むことで存在感を薄めてしまう生家の秘術。お家騒動の最中である現在では()()()()()として相手勢力を削ぐ手助けをしているため、便利でもあり、嫌われてもいるそれ。

 

 菊は再びあいまみえた()()()()()()に目をゆっくりと細める。不愉快。その一言に尽きた。

 

「──叩っ斬る」

 

「なんだか知らんがやる気十分だな……おいテメェら、もう少し踏ん張れい!!」

 

 応ッ! と小鬼(ゴブリン)たちが気合を入れていることを尻目に、菊は八相の構えをとる。

 

 顔の横に並ぶ白刃が菊の据わった瞳をきらりと反射した。

 

 シィ──ッ!! 

 

 鋭く吐かれた長い息と共に、狙いを研ぎ澄ました切先が楔である魔法陣の重なる数ミリを貫いた。

 

 ジジ……と勾玉が切先に抵抗するように音を放つも、徐々に沈んでいく剣先はやがて魔法陣に触れた。パリン、とガラスが割れるような繊細な音と共に赤い脈光が失われ燐光が舞う。

 

 菊は残心の構えを解かずしばらくの間警戒をし続けた。

 

「やったのか……?」

 

 負傷した仲間を背後に庇っていた小鬼(ゴブリン)が恐る恐る声を上げた。今まで戦っていた死霊が、グールが、軍勢全てがその動きを止めていた。

 

「これにて本当の終幕!」

 

 菊は曇りひとつない刀を中で振るうと、ゆっくりと鞘に収めながら晴々とした顔で言った。

 

 

 ・

 

 

 さて、時は少し遡って大岩の中に取り残された──基、ドラゴンの魂たる珠を守っているロックハートはというと

 

「ヒィ! また変な音がする!!」

 

 怯えていた。

 

 尋常ではない地響きが絶え間なく体を揺らしたかと思えば、得体の知れない音が連続して響く。この時ゴルゴフ率いる一団が戦場に参戦していたことはロックハートに走り得ぬことであった。

 

 すっかり怯えた顔の彼は手中で光る緑の珠を一度見て目を瞑る。

 

「ああ、なんでこんなことに……!」

 

 そも、元々の彼の目的である取材旅行でここまでの災難に巻き込まれたことこそが最大のイレギュラー。彼はただ、少しばかり友人の力を借りて謎を解き明かし、少しばかり手を加えた冒険譚を世に広めて失墜した栄誉を取り戻したかっただけなのだ。

 

 しかし、ここで得たものは何か。

 ──痛みと傷。あとなんか光る珠。

 

 それに対して失ったものは多い。

 ──綺麗な顔に体力、それに何より杖! まさか杖を無くすなんて! 

 

 すっかり打ちのめされた様子のロックハートはため息を吐きながら手持ち無沙汰に珠を眺めた。

 

「……ンン?」

 

 その時(菊が最後の魔法陣を破壊した)、ロックハートは何かに吸い込まれるような感覚を覚えた。パシパシと目を瞬かせる。気がつくとロックハートは先ほどまでいた岩の洞窟ではなく、一昔前のドラマにあるような素朴で古風な村の広場に立っていた。

 キョロキョロと忙しなく周りを見回すと、村人らしき人々が素朴な杖を手に何やら頭を突き合わせて話し合っているようだった。

 ロックハートは持ち前の呑気さを全面に出して声をかけた。

 

「あのう、すみませんがここはどこでしょうか」

 

 ロックハートの声には反応もせず、彼らは剣呑な雰囲気で話をしている。やれ「戦う」だのやれ「逃げよう」などと物騒な言葉にロックハートは冷や汗がつつとこめかみを流れるような心持ちで後ずさった。

 よくよく見ればどうにもおかしい。

 まず、自分の声になんの反応も示さないこと。それに話の内容も、建物の様式も、人々の服装も、何もかもが異質だ。

 

「……ヒッ! グ、グールがこんなに……!」

 

 少し離れた場所で土埃を上げながら駆けるグールの一団が目に入り、ロックハートは悲鳴をあげた。普段であればなんの支障もない、さして危険でもないそれらも数が揃うとこうも恐ろしいのか。

 

「結界はそう持たんぞ!」

 

 遠くの方で誰かが叫ぶ。どうやら複数の魔法使いで結界を張っているらしい。よく見れば半円状に半透明の膜が張っているのが見えた。徐々に狭まっていくそれは、しまいには四方八方をグールに囲まれるまでになった。村人たちがさまざまな色の閃光を杖先から飛ばし、必死に抗戦している間にも、村人同士の話は白熱していく。

 

「こうなれば我々も長くは持つまい……逃げよう」

 

「いや! 逃げるなんぞ魔法族の名折れだ。戦おう! 皆で力を合わせれば勝てる!」

 

「我々が滅ぶほうが早い! 逃げれるものから逃げるべきだ!」

 

 二つに分かれた議論を遮るように、一際豪華な衣装を身にまとった青年が立ち上がった。白を基調としたシンプルな一枚布に赤や緑など鮮やかな刺繍や当て布が施され、金の装飾を纏う青年だ。他の村人とは人種が異なるように見えるが、服装から見るに特権階級なのだろうか。

 ロックハートが考え込む間に青年は静かな声で言った。

 

「やはり()()()にお願いする他ないでしょう」

 

 村人たちはその言葉が聞こえなかったかのように杖を振り上げる。

 青年は再び口を開いた。

 

「我らの命を捧げるんだ! これまで()()()()()()()()()()()、その身、その血、その魂をかの神竜に捧げればきっと……」

 

 青年の声を遮るように、伸ばし放題の髭をリボンで結んだ男が杖を振るいながら怒鳴りつけた。

 

「俺たちゃ、死ぬのはごめんだ! なんのための()()()だ! 誰のおかげで飯を食えてると思ってるんだ! そんなに言うならお前で勝手に死んでろ!」

 

「しかし、我らは選ばれし魔法族! 私たちがこいつらを止めなくて誰が止めると言うんです! ここを引けば、下の街に住む非魔法族たちはなんの抵抗もできずに一団に加わることでしょう!」

 

「それがどうした! より価値がある俺たちが生き延びるべき、選ばれた人間なんだ! 非魔法族が死んだところでなんの問題もないだろう! ……それともなんだ、街に嫁いでいった妹が心配か?」

 

「! そ、それとこれとは話が……!」

 

「これで話は終わりだ! さっさと手伝え、穀潰しの()()()が!」

 

 ロックハートの目の前での応酬は、保守的な魔法族にとっても攻撃的すぎる内容であった。

 それに青年の一族を”()”と言ったか? あまりにも前時代的すぎる、時代遅れの概念にロックハートは愕然とした面持ちでそこに佇んでいた。

 

 一方的に話を打ち切られた青年は黙りこくって俯いていたが、少ししてキッと顔を上げた。

 

 決意に満ちた、据わった瞳にロックハートは息をのんだ。彼の経験上、若者がこの手の顔をしている時は大概青臭すぎる思い出突き進み、最後には後悔するような結末をもたらすことを知っていた。

 

 ゆっくりと持ち上げられた杖は、グールではなく怒鳴り声をあげていた()()()()()()に向いていた。

 

 そこからは早いものだった。

 

 内側からも外側からも攻められた村人たちはあっという間に血の池に沈んだ。その中央で青年は跪き、天を仰ぐ。

 あまりにも凄惨な光景に胃の中を逆さにするロックハートは、ふと大きな影が地上を覆ったことに気がついた。恐る恐る顔を上げて、彼は悲鳴をあげた。

 

 そこにいたのはあまりにも巨大なドラゴンであった。翼はなく、体長は8メートルはあるだろうか。岩のように隆起した表皮の鱗は鈍く光、小さい瞳で悠然と跪く青年を見下ろしていた。

 

「我らが神竜よ、呼びかけに応じていただき感謝いたします。私たちの命を捧げます。この身、この血、この魂の全てを貴方さまに捧げます。ですので、どうか、どうか──」

 

 ──敵の軍勢を抑え、私の妹だけでもお助けください。

 

 顔を上げずに、青年は声を振るわせた。

 

「私にただ一人残った、大切な家族、なのです……どうか、どうかお願いします……どうか……!」

 

 巨大な山のようなドラゴンはジ、と青年を見下ろしていたが、不意にその大きな体を屈めた。そして青年を大きすぎる舌で舐め上げると、短い首を上げて歩き出した。体が浮くような地響きの中、ドラゴンが向かう先にある岩にロックハートは驚きの声をあげた。

 

 ──あの骸は、この竜のものだったのか。

 

 青年はしばらく堪えきれないといった様子で嗚咽を漏らしていたが、頬を涙で濡らしたまま微笑んだ。そして杖先を自らの首元に当てて、静かにつぶやいた。

 

切断呪文(ディフィンド)

 

 ドサ、と言う音を背後にロックハートは半泣きで嘔吐跡の残る口元を袖で拭った。

 

 ──ああ、本当にどうしてこんな目に……! 

 

 遠くの方で身の毛のよだつような咆哮とメキメキと何かが避けるような音が響く。ちら、と目をやると岩の奥に風に揺れる木の葉が見えた。それに合わせるように村人たちの体から半透明の()()()が浮き出ていく。

 

 それは、死霊であった。

 

 グールに混じっていた死霊の正体を図らずも知ってしまったロックハートは恐怖心から勢いよく顔を伏せた。

 

 ──キク、助けてくれ……キクゥ!! 

 

 嘆きながらも顔を伏せていたロックハートの耳に、静かな声が届いた。

 

「ありがとう」

 

 驚いて顔を上げると、まっさらな服に身を包んだ青年がこちらをしっかりと見つめていた。

 

「君のおかげで私は、いや、私たちは還ることが出来る」

 

「エ! いやあ、その……」

 

「君に最大の幸福が在らんことを、名も知らぬ御方」

 

 青年の言葉に呼応するようにロックハートが握り込んでいた緑色の珠が青年との間にひとりでに浮かび上がった。ピカピカと点滅する珠を見た青年は優しく微笑んだ。

 

「神竜様とご一緒ならば、きっと願いが叶いますよ」

 

 

 遠のく意識の中で、青年が同じ色の肌の老婆(いもうと)と手を繋いで歩き出すのが見えた。

 

 

「僕の、願い……」

 

 

 ・

 

 

「──ロ……ハ……起……ろ」

 

 夢を、見ていた。

 衝撃的で、酷く凄惨で、そして誰かに感謝されたような、そんな夢を。

 

「──ロック……ト……きろ!」

 

 いい気分で終わったような、そんな夢だ。

 それを遮るように、ノイズが響く。

 

「いい加減起きろ、阿呆!!」

 

「イダッ! な、なんです?! ア、僕の頭を叩いたな?! もう、今度という今度は許さん!!」

 

「ハイハイ、どうせ”大作家の脳が〜”とかほざくんだろう? もう聞き飽きたわ!」

 

 吐き捨てるようにいうきくに食ってかかったロックハートだったが、徐々に瞳を潤ませると感極まったように菊に手を広げて飛びかかった。

 

「き、キク〜〜!! ヘブッ」

 

「なんだ、気色が悪い……!」

 

「ひ、ひどい……でも無事でよかった、友よ」

 

「フ、フン! お前をここまで運ぶのは骨が折れたぞ。報酬は弾んでもらうからな! ああ、今回は腕が無事でよかった……」

 

 わちゃわちゃする二人のすぐそばで、ゴルゴフ率いる小鬼(ゴブリン)の一団とトロカーは久しぶりの邂逅を遂げていた。ポツリ、ポツリと滲み出るように言葉が飛び交う。

 決定的な話題を避けて当たり障りのない話を続ける二人に耐えかねたティムは腕を組んで声をかける。

 トロカーが驚愕の声を上げたのは、それからすぐのことであった。

 

 

「私が佐々木を見つけることができなかったのは、つまりお前たちのせいという訳か!」

 

「アー、すまねェ。まさか誤解だったとは思わなんだ」

 

 ゴルゴフはトロカーがボスの座を降りた理由を”ササキ”だと考えてきた。それ故にトロカー脱退に伴う組織の瓦解を裏切りと捉え、組織の御法度を犯した者として徹底的に彼の動向を妨害してきた。しかし、真実は異なる。

 

 ──組織瓦解の最大の要因は、()()()()()()()()()()()であった。

 

 これを知ったゴルゴフは大きな手のひらを額に当ててため息を吐いた。

 

「それで、()()()の居場所は知っているかい?」

 

「──いいや、残念ながら()()()()なァ」

 

「──そうかい」

 

 感情の読めない顔のトロカーはふと空を見上げた。

 

 

 ──夜明けだ。

 

 

「我ら吸血鬼一族は日輪を畏れる。黎明を、夜明けを畏れるのだ」

 

 トロカーの声はまるで舞台役者のように、その場にいるすべての存在から注目を集めた。

 彼はその陶器然とした右手を腹に添え、左手を横方向へ水平に伸ばした。そして右足を引くと、小さく腰をかがめる。それは見事なまでに堂に入ったbow and scrape.(男性の儀礼的御辞儀)であった。

 

 

「さらばだ、昼の友よ。また会う日まで、御免!」

 

 

 トロカーの姿はその言葉と共に闇に消え、入れ替わるように陽光が大地を照らした。

 

 朝だ。

 いつもとなんら変わらぬ、至って普通の朝日。

 

 しかし、荒野に在る者たちにとってはどこか特別なものに見える朝日であった。

 




明日エピローグ投稿予定です( ◜ω◝ )


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11,エピローグ

小説スキーさん、海洋竹林さん、kakukaku789さん、Lucille Felixさん、瑞雲さん (さん)
○ルシエ監督さん、感想ありがとうございました!
金兵衛さん、マサンナナイさん、赤い羊さん、HARUMINNさん、ソーシローさん、remkさん、誤字報告ありがとうございました!


 

 イタリア、北東部ヴェネツィア、マーメイド通り

 

その日は茹だるような暑さだった。水の都といえども夏は暑い。通りを過ぎる魔法使いたちはローブを脱ぎ捨てた半袖である。

 ヴェネツィアは魔法族のメインストリートである大通、通称 マーメイド通り。

 

 普段から活気に満ちた市場に連なるその通りでは、マーメイドと呼ばれるたちが牽引する木製のゴンドラが行き交う商店街。カーニバルや特別な日にはヴェネツィアンマスクや仮装をした魔法族で通りが埋まるそこは、平常時においてヴェネチアに住む魔法族が主要客であり、観光目的の魔法族は滅多に見られなかった。ましてや一本奥まった通りに至っては特別な日であっても人がいないような静かな場所だ。

 

 そんな閑静な通りの一角で、茹だるような暑さを打ち消すような楽しげな声が響いていた。

 

 大きく付け足された船着場と、異国情緒溢れる様式の室内との間に設けられた石製の机で、ひとりの優男がニコニコとしながら差し出される本に羽ペンでサインを書いていた。サインを書いては本の持ち主の隣に寄り添うように、サンダーバードの羽が一際目立つ品の良さそうな帽子を胸に当てて時折ポーズをとり、写真を撮っている。そのファンサービスの良さは、その場の熱狂的な空気も頷ける気前の良さだ。

 

 後ろで眼光鋭く集まる客を睥睨する小柄な東洋人の女に怯みもせず、そばかすの目立つ少年は尊敬の眼差しで焦茶色に金色の装飾が施された本を差し出した。

 

「あ、あのっ! どうやったらそんなに強くなれますか!」

 

「これはこれは、ありがとう少年! そうですねぇ……私が思うに、強くなるためにはまずお友達を大切にすることですね」

 

 金のウェーブした髪を後ろに撫で付けた、快晴の瞳を持つ男。やけにキラキラとした男は、閑静な路地裏の一角にはそぐわないと言ってもいいだろう。パープルの上品なマントを着込んだ男はいかにも高価そうな造りの本のページを1枚捲ってサインをし始めた。インクは特製の品でライラック色。いかにもキザっぽい筆致で手早く名前を書くと、ゆったりと立ち上がって少年の肩を抱いた。

 

馴染みの小柄な魔法使いがカメラを手に、俊敏な動きで飛んできてフラッシュを焚く。

 

「日刊預言者新聞です! 新刊の話は三週間の失踪期間に体験されたということですが、特に印象に残っているのシーンはありますか?」

 

 カメラで並び立つ姿をおさめながら、日刊預言者新聞の記者は質問を投げかけた。よく日に焼けた少年は鮮烈なフラッシュに目を瞬かせながらも、台を降りて友人と思しき少年に駆け寄る。

 残された男──ギルデロイ・ロックハートは歯を見せるように笑うと、ウインクを一つした。

 

「そうですね……第一章でも書いたとおり、私はグールの一団に誘拐されてしまいまして──」

 

 形の良い歯を見せつけるように笑いながら流れるように話続けるロックハート。彼の手には、一冊の本が燦然と輝いていた。本には大きくロックハートの勇敢そうな写真と共に、こう刻まれていた。

 

 

 ──『Gadding with ghouls』(グールとの散策)

 

 

 これは、とある男たちの”友情”の物語である──

 

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

 

 狭い道だった。

 人がすれ違うのにも苦労するような、細くて長いあぜ道。

 傷心の黒紳士は日光を黒い蝙蝠傘で遮りながら、鬱々と歩を進めていた。

 

 向かいから背筋のピンと張った老人がしっかりとした足取りで歩いて来るのが見え、黒紳士──トロカーはそっと道を外れて待つ。すれ違いざまに軽く会釈をされたので、トロカーはぼんやりとした気持ちのまま帽子を軽く持ち上げた。ふわりとムスクのような香りが鼻腔をくすぐる。

 

「ちょいと、お前さん」

 

 どこかで会ったような、懐かしい香りだった。トロカーは薄れる記憶を必死に捲りながら歩みを止めた。

 

「どうしたんだい、ご老体」

 

 黒い蝙蝠傘の下から相対する老人を見る。

 

 いかにも職人と言った様相である。足が悪いのか補助用の杖をつきながらも毅然とした出立でこちらを見据えていた。厳格そうな表情は、柘榴色と淡褐色の瞳が互いを認めた瞬間に悪戯っ子のようにきらめいた。

 彼は懐から緩慢な動きで時代遅れの細巻きのタバコ(キャメル)箱を取り出して、手慣れたようにそこを叩き、飛び出した一本を掴んだ。

 

「一本吸うか? ン?」

 

 

 その台詞、その香り、その表情。

 

 

「! ──ハハ、今回はいただくとしよう。そういう君も、ワインはどうだい?」

 

 トロカーの脳裏で、別れ際に告げられた異国の言葉がぼんやりと浮かんだ。

 

 

 

 ──どうせ互いの身は錆刀 切るに切られぬ腐れ縁。

 

 

 

 再び始めよう。

 人間と吸血鬼の、全てが異なる我らの、特別な冒険譚を!

 

-END-

 




ここまでお付き合いいただき、誠にありがとうございます。
就職活動の最中(明日面接ありゅ…)気が狂って書き始めた本作ですが、構想の4分の1ほどの位置まで前進しました。完結まではまだまだ時間がかかると思いますが、ゆっくりと進んで参ります。
これからも菊ちゃんとロックハートの旅にお付き合いいただければ幸いです。


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