静寂の物語 (トラロック)
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Femina mobilior ventis.
01 灰髪の忌み子


 その女は次代の英雄を作ろうとし、数多の冒険者と死闘を交え、敗北の後に死を迎えた。

 想いを託し未練を断ち切れたかと言えば否である。

 その身が病に冒されていなければ――

 後悔しても後の祭りではある。しかし、この世には『絶対』という不可思議な概念が存在する。

 例えば『絶対に無い』と言い切れない。

 例えば『絶対に在る』とも言い切れない。

 証明する事が非常に難しいが大抵は『言った者勝ち』になってしまう事も(しばしば)

 もし、死した後に転生する事があるとすれば――それを証明することは出来ないが――女は何を望むだろうか。いや、彼女だけではないけれど。

 平和な世か。それとも愛すべき妹との幸せな生活だろうか。

 分岐する人生の内、自分に都合のいい選択肢を選びがちだが全ての正当を引き当てる事は奇跡であり、そんなものは存在しないと()()()()()

 なぜならば――

 

 願望は無限大。

 

 女はそれを知るからこそ人生に後悔を覚えるのではなく覚悟を決めたのだ。そうでなけば前に進めない。

 黙って待つより勝ち取る事を選ぶ。生前の彼女はとても我儘であり孤高の女王であった。

 因果がもし気紛れを起こすとするならば――果たしてどのような形を表すだろうか。

 『もし』など所詮、妄想の類である。それこそ願望の一部と言ってもいいくらいに。

 全てを否定することは出来ないが女の居た世界には『神』が身近に居た。ならば死して天に昇ろうとする魂に機会を与えたら――それはどんな変化を(もたら)すだろうか。

 神為(じんい)的に操作された場合、それを知れば間違いなく激怒する事受け合いだ。

 時には神も手違い(うっかり)を犯す。神自身がそれを認めている世界があったら――

 もし、第二の人生を歩む機会が――偶然の産物かどうかは証明できないが――女に与えられたら。

 それは祝福か呪いのどちらと取られるだろうか。

 かくして女はとある国のとある領地にて産声を上げた。その子は()()()()()()()()脆弱な身体を与えられた為に高貴な魂が風前の灯火となる。

 才能と引き換えに多くを失ってきた女はまたしても試練を突き付けられた形となった。だが、生前と同じ(宿痾)かと問われれば――やはり否と答える。

 世界が女に優しくないのであれば、こちらからも優しくする必要は無い。

 才禍の怪物はまだ何も成していないのだから。

 これは気紛れに転生した孤高の令嬢(女王)の物語――【静寂の物語(シレンティウム・ヒストリア)】――

 

invictus

 

 死の記憶と共に物心ついた時は寝たきりの生活だった。

 物静かで不気味な子だと実の親から言われた。

 愛情の欠片も無い冷徹な人間――それが生後間もない赤子が抱いた両親の感想である。

 不自由な身体と精神構造が災いしたのか、誕生初期からある程度の認識を持っていたはずだが途中から覚えが無くなった。

 気が付けば一年、二年と過ぎていた。

 はっきりと記憶に残っているのは自分の名前とある程度の固有名詞。

 聞き慣れない単語が混じっていたが赤子はそういうものかと納得し、耳から入る情報をどん欲に吸収していった。――正しくはそれくらいしか出来なかった。

 病弱な身体ゆえか言葉は出ず、思い出したように咳をする。胸が苦しく、排泄もままならない。

 食事などは親ではなく雇われの女中と思われる女達の仕事だった。

 

(双子の内の片方が死産……)

 

 赤子がそれを知ったのは随分と後になってからだった。

 名前を付けられる事無く死んだ妹か弟――

 血を分けた肉親の死は少なからず(こた)える。それが例え実の親だったとしても。

 何も出来ない。ベッドに括りつけられたかのような生活を続けて三年目。

 少しずつ言葉を話せるようになったが相変わらず虚弱な体質のせいで一人ではまともに歩けない。

 気が付けば親の姿を見なくなった。女中というかメイドの噂話によれば王都に居るという。

 

(一部のメイドは読み書きができないとか)

 

 親が居なくても書庫があるので子供にも理解できる本を読み聞かせてもらった。

 あまりに不自由な暮らしなので自分が乳幼児であることにも気にならない。夜泣きはしないがお漏らしはいくつになっても恥ずかしいものだ、と一人ごちる。

 そんな暮らしも四年目に入ってから少しずつ変わり始めた。

 一番の変化は体調だろうか。

 メイド達は割りと献身的に面倒を見てくれたので部屋を歩き回ったり、だっこの形で屋敷の中を案内してくれた。

 この家は『クラネル家』の屋敷だという。――一応、貴族らしい。

 ゆえに赤子だった自分の名前である『アルフィア・クラネル』も違和感なく受け入れられた。

 どうしてアルフィア(生前と同じ名前)なのかは分からないが神の介入を――少しだけ――疑った。

 我が家は辺境伯という爵位を持つ貴族で領地は国境付近ということは理解した。

 外にはまだ出た事はないがモンスターの脅威があり、一部の人間は魔法を使えるらしい。

 

(……両親の髪は金髪らしいが私は灰色……。この国では黒やそれに近い色合いの人間は忌み嫌われているという)

 

 髪色は魔法の属性が影響し、一概に悪とは言えないが恐怖の象徴となっている。その主な原因が『魔王』だという。

 黒髪は闇属性を操る魔王が由来だとか。

 全ての黒髪が魔王というわけではないが人々が畏れる色だというのは昔から言われていた。

 灰色は何属性なのかと質問すれば分からないと答えてきた。

 

(……魔法適性を調べる道具がどこかにあるらしいが家には無いと……)

 

 時が経つにつれて知識が蓄積していく。

 五歳になる頃には家庭教師を雇い入れ、基礎的な勉強と並行し自分でも本を読めるようになってきた。

 虚弱体質ゆえか剣術はそれほど上達しなかったが貴族としての振る舞いはすんなりと覚えられた。

 色々と出来るようになれば欲が出るもの。今一番欲しいものは――妹だろうか。

 アルフィア嬢の家族は両親を除けば屋敷内に居る世話係達ばかり。

 つまり一人っ子だ。

 

invictus

 

 バルシャイン王国に生まれたアルフィア・クラネルはメイド達から見れば大人しく、とても聡明な娘だった。

 我儘は言わず、熱心に勉学に励み、よく言えば手間が掛からない。悪い点をあげるとすれば――可愛げが無い。子供らしくないともいえる。

 当初は灰色の髪を気味悪がっていたようだが仕事として割り切ってくれたようだ。今も忌避感を抱いているのか、という点は興味が無かったので無視している。

 貴族令嬢としては間違っていないのかもしれないが愛想良くして欲しいと思われている節がある。

 両親は彼女の誕生から未だに王都に行ったまま戻ってこず、領地は代官が取り仕切っていた。

 辺境の領地ゆえにモンスター討伐を生業とする者や護衛の騎士の数は多いが住民の現状は幼い彼女の耳には入ってこない。メイド達から危機的状況の気配を感じない。

 街や村の状況を知りたいと思っても赴くことが出来ない現状においてアルフィアに出来る事は元気になる事くらい。

 

(……肺炎の類か……。この地の医療では軽い病でも幼子にとっては命に係わるようだ)

 

 当初危惧していた宿痾の影響下と思われたが薬で治る程度の病だったらしい。――治る気配は一向に無いけれど。

 虚弱体質の子供にとって病の代償は関係なく脅威なのだが今となっては()()()()と思わざるを得ない。

 乳幼児の死亡率も高く、貴族の家だとしても例外ではない。

 六歳になる前に屋敷の書籍を百冊ほど読み切り、基礎知識も充分に蓄えた。基本的なテーブルマナーと国の歴史も習熟済み。後は実戦くらいか。

 領主が不在でも領地が経営できるのは充分な税収が見込めるからだと家庭教師が言った。

 クラネル辺境伯領は豊富な食料生産地にして『ダンジョン』をいくつか所有する都合で冒険者達の稼ぎにも貢献しているとか。

 この国におけるダンジョンはモンスターの住む場所であり各地に点在している。

 地上にもモンスターは居るのだが住民に被害が及ばないように各地の騎士団や勇気ある者達が駆逐している。

 モンスターの種類は様々で倒すと珍しいアイテム(ドロップ品)を落とす事があり、それを買い取る店もある。

 その中で一番重要な事柄は『魔王』だ。

 この国では魔王なる存在の脅威に備えている。今の段階ではそのくらいしか分からない。人なのかモンスターなのか。

 

(魔王を除けばこの国は割りと平和とみていいのか? モンスターやダンジョンがあるというのに)

 

 外の世界に出て自分の目で確認しない限りはどうしようもない問題なのかもしれない。

 クラネル領には広大な森と山、いくつかの鉱山があり、その中にいくつかダンジョンがある。

 一攫千金を狙う者や護衛騎士の鍛錬の場となったり、それなりに活気があるとか。

 しかし、世の喧騒を知らず――アルフィアは深層の令嬢のような暮らしを続けていた。

 

invictus

 

 七歳になる頃、ようやくにして屋敷の外に出る事が出来るようになった。護衛やメイドの同行があるものの家の外の景色は室内で見るより新鮮だった。

 大きな街の一角にあるかと思われたが意外と広い空き地に驚いた。聞けば未開拓の地が広がっているという。

 喧騒から逃れる為なのか住民の反乱を防ぐ目的なのか。

 それらを差し置いても空気が綺麗な世界だとアルフィアは思った。

 肉体年齢は幼いが精神年齢は三〇代を超える。前世の記憶を保持しているとはいえ傍目から見れば充分子供らしく振舞えている。それと貴族らしくするための言葉使いが大人びている為に精神年齢を気にしなくて済んでいるとも言える。だから、今のアルフィアはとても――

 

 自然体で生活出来ていた。

 

 灰色の髪が風に(なび)く。

 最近になって両目が色違いであることに気付いた。緑色と灰色。――生前と容姿が似ている。

 色違いだからと言っても特に目が痛くなる事はないが普段から瞼を閉じたままで過ごす。

 視力に問題は無く、これは彼女のクセのようなもの。

 遠くに居る者からすれば糸目だとか薄目としか見えないので騒ぎにはならないと予想する。現にメイド達は普段のアルフィアの姿に慣れているから指摘する者は殆ど居ない。

 

(……そういえば私の父上と母上なる存在の名前は何といったか……)

 

 見舞いにも来ないし、七歳の誕生日にも姿を現さない。それでメイド達の給金はどうしているのかと思ったが代官が連絡を取っているので問題は無いらしい。

 今すぐ必要な事柄ではないのですぐに脳内から追い出す。今は(もっぱ)ら身体を動かす事と街や村の様子に興味があった。もちろんモンスターも。

 騎士が使うような剣は無理でもナイフのような小剣ならば幼子でも扱える。鍛錬の時は木剣だが。

 それと一番はやはり『魔法』だ。

 火や水などの属性魔法が主流だがアルフィアの得意とするものは別にある。光りとも闇とも違う。

 折角外に出られたのだからまだしばらくは魔法の事を考えなくて良いかも、とは思うものの自分の能力を把握するのは基本的にして重要である事もまた間違いない。

 ただ、それがとても煩わしい事を彼女は知っている。

 

(澄んだ空気に失礼だ。私はこの自然を大切にしたい)

 

 側に居ない妹に見せてやりたいとも――

 微笑む彼女()はもはや幻想や妄想の(たぐい)と化している。それはとても――寂しかった。

 

invictus

 

 八歳の時に近隣の村に行った。取り立てて貧しさは無く、九歳の時に訪れた領都の街並みは活気にあふれていた。

 自分の領地の住民を馬車の中から眺めつつ不安要素をつい探してしまうのは貴族令嬢の宿命なのか、と思わないでもない。

 貧困や飢餓、モンスターの脅威に疫病、諸外国からの侵略など。国であるからには避けては通れない問題がある。それらを幼い子供の内から考えるのは貴族としての務めなのか、それとも呪いなのか。アルフィアは自虐的に笑う。

 

「こちらのアルフィアお嬢様の為にドレスを仕立てて下さい」

 

 貴族は物を買う時、御用商人を呼びつけて値段を見ずに買い物するらしい。だが、邸宅が辺境にあり、折角だからと店に直接行った方が手間もかからないとアルフィアが提言するとメイドは表情少なめに従ってくれて今に至る。

 唐突に店にやってきた貴族に対し、店主は小さな令嬢に平身低頭に畏れ敬い続けた。

 領主の娘と言えどぞんざいに扱えず、ただただ只管(ひたすら)に言われたことを遂行するのみ。それが互いの立場であった。

 

「こちらは無理を言っているのだ。無理のない範囲で急ぎ頼むぞ。色は黒がいいのだが……」

「黒い色ですと……、喪服のように……」

「……ああ。それでいい。無ければ灰色でも構わん。私の好きな色だからな」

「いけません、お嬢様。黒は忌み嫌われる色。艶やかで色彩豊かな色になさいませ」

 

 さすがにメイドも苦言を呈する。

 分かった上で言っているのだから、とアルフィアは店主に顔を向ける。ただし、相手側は盲目の少女のように映っているので何色でも構わないか、と内心では思っていた。

 一般的な貴族の令息令嬢達は華美な服装を好む。それなのにアルフィアが要望するのは地味なものか喪服のような色合いばかり。作る側にとっては割りと困る案件だった。

 

(かといって赤だの黄色だのは着たくないな……。白はパーティに着るには明るすぎるし……)

 

 外出着はメイド達が選び、今正に華美な服装を着せられて辟易したばかりだ。

 頭には大きなリボンが装着されている。

 不愛想な(かんばせ)から見れば似合っているとは言えないがメイド達が喜んでいたので閉口したまでだ。

 癖のない髪質の為か質素な服装にすれば町民と大差が無い。

 宝石が散りばめられたアクセサリーも注文するようだが資金面がどうなっているのか不安になる。今のところ相手の言い値で取引が成立している。

 子供だから帳簿を見せられないのかもしれないがいずれ当主を引き継ぐ時、想定以上の赤字が出ないことを祈るばかりだ。

 

invictus

 

 週の半分は自宅療養――勉学も含む――に当て、他の日は自己鍛錬に費やす。

 外出は月に一度か二度ほど。買い物でもない限りは街に行かない。

 農村に赴くと畑の様子から問題があるようには見えないがモンスターの襲撃がたまにあるらしい事を聞く。

 アルフィアは領主の娘であり長女だが権限はそれほどない。意見は聞けるが騎士団や護衛を自分の裁量で動かすのは難しい。

 

(ろくでもない親であれば早々に片付けるに越したことはないが……。本当に我が領地はどうなっているのか、ちゃんと調べなければならないな)

 

 折角の第二の人生だ、とアルフィアは新たな目標を得てご満悦であった。

 そして、十歳になると他の貴族からの招待が増えた。

 仲の良い貴族との交流も令嬢としての務めらしいが親の意見が聞けない状態で誰と親しくすればいいのか――

 世話係の執事(ゾラ)に聞けばそれなりの情報が得られるが全く知らない相手ばかりで眉根が寄る。

 

(毎度思うがメイド長の名前がクソアーヌというのは一般的なのか?)

 

 この国の言葉では問題ないのかもしれないが、何となく不穏な気配がする。

 人の名前にケチを付けても仕方が無いのだが――

 おそらく単語的には女性らしさが――あると信じたいとアルフィアは思った。

 自分の名前もこの国では実はとんでもない意味ではないかと疑ったが、今のところ誰からも指摘されない。

 

(それよりもデビュタントをうちの領地で出来るのか?)

 

 貴族令嬢が一定の年齢に達したら他の貴族を招いてパーティを開催する。その最もたるイベントを両親不在で開催できるとは思えない。それともこの時ばかりは帰ってくるのか、アルフィアには何の連絡もないので窺い知れない。

 辺境の地に態々(わざわざ)来る奇特な貴族に覚えも無いし、と。

 招待状を送っていない為、結局開催することが出来ないと知ったのは後日だ。代わりに隣領に赴く事になった。どうやら我が家は娘を大々的に宣伝する気は無いようだ。灰色の髪で忌み子扱いしているのだから当然と言えるが――個人的には楽しみにしていた。

 仮にも産みの親だ。子供を愛しているのでは、と今更ながら淡い期待を抱いたものだが貴族ではその常識が通用しないらしい。

 別に珍しくもない事ですよ、とメイドと執事に苦笑いされながら言われれば何も言えなくなる。

 この国の何処かにあるというドルクネス家も同様ですよ、と知らない貴族で例えられたが同情の念すら浮かばない。

 

(親の愛情を得られない子供はろくな育ち方をしないぞ。……だからこその忌み子なのかもしれないが……。私はどうすればいいのだろうか)

 

 煮え切らない思いを抱いたところで王都に乗り込む意欲があるわけでもなく――

 態々(わざわざ)招待してくれた貴族家の催しに参加してみた。思っていたほど灰色の髪の子は嫌われていないようだと知ったのは僥倖だ。完全な黒髪だと駄目らしい。

 それほど魔王は潜在的な恐怖の象徴なのだろう。

 パーティに参加したものの大人たちの会話が多く、子供達は壁際に追いやられる始末。

 政治的な会話ができるかと言われれば否だ。初対面が多すぎる。

 何人かの令息令嬢と挨拶程度の会話を交わすのが精々だった。途中、体調を崩す事があった以外は概ね順調と言えるが。

 

 煩わしい雑音共め。

 

 心身共に成長し、成熟もある程度済んだ頃に抱くのは言い知れない怒りであった。

 転生直後から大人しく過ごせていたのに今頃になって感情的になるのは肉体と精神がようやく符合、または一致してきたのか。それは分からないが子供らしくしなくていい年頃になった為のものだと理解する。

 今までがおかしかった。

 多くのメイド達に世話をされる令嬢の生活は子供の内では充分かもしれないが大人になりつつある人間にとっては毒のようなもの。

 精神の成熟は避けられないが自身にとってはとっくに過ぎ去ったものだとばかり思っていた。だが、実際は違っていた。

 幼き身体にはそれ相応の精神が宿り、その振る舞いに気付かなかっただけだ。

 

(もしこれが人生をやり直す事だというのであれば甘んじて享受しよう。……難しく考えなければ存外悪い物でもない)

 

 見た目は十代の子供だ。黙っていたって成長する。

 時の齟齬など今すぐ合わせる必要など――

 

invictus

 

 無為にも等しい時間を過ごせば十一歳。

 かといってこのまま行けばあっさりと老後になる。

 生き急いだ人生を歩んだためか、けっこう勿体ない時間の使い方をしていると思い始めた。

 鍛錬は可能な限り続けているがもっと領民に目を向けるべきかと思い、街や村に赴く回数を増やしてみた。体調管理も疎かにしない。

 時々、鼻血や吐血する事がある以外は健康と言える。

 この身体は生前より軽い病に冒されているらしいが医者の(げん)によれば快方に向かっているとか。――それを素直に信じられるわけはないが。

 自由に動けるうちに魔法の修練も始める。執事に勉強のための魔法書を強請(ねだ)り、何冊か手に入れてもらった。

 王都の図書館に行けばもっと多くを借りられるらしいが行く予定が無いので仕方が無い。

 借りに行くとすれば馬車移動に結構な日数を費やされる。もちろん帰りも同様だ。

 

(この世界では神の介在は無く、先天的に魔法を使用するようだ。……だが、レベルだの経験値の取得方法がよく分からん。それに個人のステイタスを見る方法が一般的ではないのも……)

 

 今まで分かっている事は属性魔法がある事とレベルが数字で表されること。

 モンスターを倒せばいずれレベルアップする事は分かっているが必要討伐数は不明。

 アルフィアの知るレベルの概念が違っている事に()()()驚いた。

 街に行けば戦闘に役立つアイテムを購入できるらしい。強請(ねだ)れば買ってもらえるかもしれないがひ弱な令嬢という事になっているのでメイド達にあまり無理は言えない。

 クラネル領にあるダンジョンは四属性に適したものが三つほど。

 知られているダンジョンはとても深く最下層に向かえる者は王国全土でも一握りだとか。

 

(人類の脅威には違いないが王国全土にあるダンジョンは結構多い。魔王が居ると思われる場所は知られていない……)

 

 誕生から十年ほど経過しているが魔王やモンスターの脅威について我が家ではあまり聞かれないし、街や村も平和そのものと言っても過言ではない。

 他国の情勢も入って来ないので本当に平和なのかは分からないけれど。

 貴族令嬢として自分に出来る事は――今のところ無いと言わざるを得ない。

 

「クソアーヌ」

「はい、アルフィアお嬢様」

 

 メイド長の名前も十年経てば慣れたもの。本人も特に気にしていないようだ。

 彼女達の機嫌を損ねてしまうと料理に毒を入れかねない。そんなことをうっすらと思いつつ鍛錬用の庭に出る事を告げる。

 メイド長は呼び鈴(ハンドベル)でメイド達を呼び、アルフィアの着替えを始める。

 何をするにもメイドの手を借りる。それが貴族令嬢としての正しい在り方――

 護衛を数人引き連れて庭に出た後、何をするかと言えば魔法の鍛錬だ。

 それぞれの資質に合った魔法を扱う事が出来る、と本には記されていたが正確な事は分からない。

 適性が無ければ発現しない。至極わかりやすい理屈だ。

 

(私には四属性と光と闇の才能が無いらしい。この国では無能と同義だ。だが……、それ以外の才能について記された本があればまた違った状況になるのだろうな)

 

 体内の魔力がどうたらと小難しい記述が書かれていても実際に出来るかは運次第。そんなことでいいのかと疑問を覚える。

 虚弱と言われたが今日まで生きてこられたことをまずは感謝する。神や宗教についてはまだ不勉強ではあるが居ない事はあるまい、と。

 空は僅かに曇り。太陽が少し陰っていた。

 地方という土地柄か、空気は街より澄んでいる、気がする。

 

(魔法は基本的に短文。小難しくなく、才能があれば容易く扱われる。……その点で言えば私の知る魔法とは随分と違う事が分かる。……果たして私の場合はどうなることやら)

 

 胸に手を当て、大きく呼吸する。それを何度か繰り返す。

 感覚的に理解できることがある。他人に理屈を説明する事はおそらく相当難しい。

 才能という一言で済ます方が簡単なのかもしれない、と思うと苦笑が漏れる。

 

「……ああ。生を受けし我が身は生誕を祝福せねばならないようだ。だが、私はかつて貴様(自分を構成する全て)を憎んだ。今度はどうだ?」

 

 空に向かって呪文を詠唱するように、高らかに高説を垂れる。

 近くで待機しているメイドや護衛達は突然始まった演劇じみた光景に戸惑いを覚える。またはお嬢様がついに乱心した、などという声も。

 そんな喧噪(雑音)もアルフィアは許した。今はとても気分がいい、という理由で。

 

「天に座す神々よ。私はここだぞ。新たな試練か? それとも罪業ゆえの所業か? だが、全て許そう。私はとても寛容である。……もし、言葉を交わしたいのであればいつでも歓迎しよう。そして……、願わくば祝福せよ。この地に封じた事を後悔させないことを誓おうではないか。……だから、我が願いを聞き届けよ。なあに、それほど大それたものではない」

 

 大演説を繰り広げる小さな女の子。

 歳若い筈なのに老成した佇まいは見た目にそぐわぬ狡猾さを幻視させる。

 灰色の髪の令嬢は一つ大きく息を吐いた。胸は苦しくない。

 閉じていた目蓋を開く。

 彼女の望みは愛する妹。ついでとばかりに弟でも構わないと小さく付け加える。

 地位と名誉、宝飾類よりも家族を願った。

 無理を承知で吐露した。叶わなくても恨みはしない。これはただの願望だから。

 

invictus

 

 慎ましく生活した反動での他愛無い戯言。

 それでも願ったことは否定しない。滅多に見せない本心に嘘をつきたくなかった。

 周りの者達が騒然とする中、気を取り直す。

 軽く手を振る。脚を可能な限り上げる。何も無い後方に拳を向ける。

 日々の鍛錬の成果か、筋肉が悲鳴を上げない。しっかりと成長している事が分かった。

 

(……もういいか。過去を振り返る事をやめよう。もう十年も過ぎてしまった)

 

 世界の終末の脅威は形を変えたものの充分な平和を謳歌させてもらった。

 であれば、改めて前を向いてもいい頃合いなのではないか、と。

 胸に手を当てて(まぶた)を閉じる。

 

 さあ、産声を挙げよ、其は混迷(雑音)を振り払う(はふり)の鐘楼――

 

 (こと)の葉は力なり――

 と、辺境伯令嬢アルフィアは胸の内で告げた。

 これから紡ぐのは新生を果たした祝詞(のりと)――新たな門出の魔法(産声)なり。

 

福音(ゴスペル)

 

 生前の自分が最も得意とした超短文詠唱。しかしてその効果は――

 彼女の身体を中心に外へと広がるように――半径十メートルほど――風の結界のようなものが形成された。

 ただし、広がりはほんの一瞬。次の瞬間には辺りに響き渡るような音の衝撃が吹き荒れ、魔法の効果範囲内に居たメイドや護衛達が吹き飛ばされていく。

 例えるならば硬質なものに金属の武器を叩きつけた時に発生する音そのものが凶器となって身体に打ち付けてくる様なもの。

 彼女の近くに行けば行く程生傷は裂傷となり、より傷が深くなっていく。

 今回は充分な距離を取ったが無事では済まなかったようだ。

 

(……む。加減が難しいな)

 

 魔法の資質を持たない者には分からないがアルフィアの視界には魔力の残滓がどのようになっているのか分かる。ゆえにそれらを使う事も出来るが、今回は魔法の効果だけで満足する事にした。

 相変わらず騒々しい魔法だと苦笑を滲ませつつ身体の内で発生させた()()()()()()()にて後始末する。

 ある程度の効果は確認できた。後は能力をどこまで伸ばせて、どういう使い道があるのか模索する。

 範囲魔法なので周りに人が居ると被害が甚大になってしまう。使いどころを誤るわけにはいかない。

 

invictus

 

 勉学と鍛錬と読書と視察を続けている内に十二歳となった。その間に出来た友達はほぼ居ない。

 各地の貴族から招待こそされるが話題が何も無いので適当に飲み食いして帰るだけになってしまった。

 それもこれも両親が未だに帰ってこないからだ。

 領地の運営方針がまるで分らない。どうしたいのか、何をすればいいのか。

 可能であれば裁量権を貰いたいとも、この頃思うようになった。折角、領地があるのだから活用しない手はない。

 

「肝心の両親が王都で何をしているのかさっぱり分からない。もう十二年だ」

 

 自室に執事のゾラとメイド長のクソアーヌを呼びつけて愚痴を零す(ぼやいた)

 二人を咎めようとは思わないが不満は蓄積する。

 分かっている事は彼ら(両親)が武官で顔が殆ど思い出せない事だ。いや、そもそも顔を見たのかさえはっきりしない。

 生存すらあやふやだ。

 成り済ませるほど貴族社会は甘くない筈なので代官が嘘を報告しているとも思えないし思っていない。だが、帳簿の誤魔化しは想定内だ。

 

「旦那様は軍務を担っておいでなので……」

「諸外国とモンスター対策だろう? こんなに長期間向かわねばならないものか? 一人娘を放置して」

 

 向かった先は王都の筈だ。国境沿いにずっと足止めというのも考えられない。

 灰色の髪の娘に会いたくない一心で別に邸宅を用意してそこに住んでいる可能性が浮かんだ。

 辺境伯の地位からすればいくつかの別邸があってもおかしくない。

 

(親としての愛情を受けない子供は心が病むぞ。……私は前世の記憶があるからまだマシだが……)

 

 居たら居たで煩わしいか、と思えば納得しそうになる。

 何にしても直接顔を見たり会話を交わす程度はしておかなければ今後の生活で色々と問題が出るのでは、と苦言を呈する。

 それと給金についてちゃんと貰っているのか尋ねた。娘であるアルフィアの個人資産は毎月のお小遣いだけだ。当然、それで従者たちの給金に当てられるわけがない。

 

「きちんといただいております」

「誰から?」

「代官を通じて、でございます」

 

 他の貴族もそうだが領地経営は代官でも務まる。ゆえに貴族本人が年中遊び回っても成り立つ仕組みであるらしい。

 もちろん、豊富な財源があれば問題ない。財源が無ければ廃れて王家に没収――領地を――される。

 

(よその貴族家と婚姻してしまえば私が当主にならずとも済むし……。貴族社会としてはありふれた制度なのかもしれない。だが、私個人としてはもう少しなんとかしてもらいたい)

 

 少なくとも両親は娘の為にかかりつけの医者を呼んでくれる。愛情が全く無いわけではない、と信じたい。

 煮え切らない気持ちを抱きつつ十三歳になるまでにモンスター討伐を(おこな)いつつ領地経営についての勉強も始めた。前々から興味があったので本腰を入れる事にした。

 広大ゆえに杜撰(ずさん)が目立つかと思ったが元々人口がそれほど多くないので未開拓地が六割ほどあり、領地の大きさの割に納める税は想定よりも少なく済んでいた。

 とはいえ――ずっとそんな調子でいいはずが無い。何処かで意識改革をしなければ破綻してしまう。

 過度な期待を抱かず胡坐(あぐら)をかかない。アルフィアは見た目以上に成熟した令嬢として一歩踏み出した。

 

invictus

 

 何度か寝込むことがある以外は順調に成長し、辺境地にもかかわらず聡明な令嬢として各貴族に認知され始めた。

 大きなことを成したわけではないが領民には慕われている。

 次期当主()()として。

 この国は男尊女卑というわけではなく女性でも活躍の場がある。男女差別よりも属性差別の方が根強いと言っても過言ではない。主に髪の色が大きい。

 ある時期に代官を呼びつけて帳簿を出せと威圧を込めて告げ、現在の領地の現状に真剣に取り組むことにした。裁量権は当然無視した。

 

(穀物の生産量は安定している。飢饉に対する備えはどうなっているんだ? 軍備にかかる金も少し大きいな)

 

 問題があれば現地を視察する事も(いと)わず。

 広大な空き地を見て少し動揺した以外は順調だ。代官が思いのほかしっかり仕事をしていたことも分かった。

 残りはメイド達の待遇改善だが一人娘しか居ないので人数を増やすことは出来ないし、減らすのも得策ではない。

 それと貴族はとにかく無駄が多い。一度しか着ないドレスや宝飾品の数が増える一方で困る。それらは可能な限り処分する事にした。

 食事は質素である。これは元々からそうだったので保留だ。

 

 両親は意外と倹約家だった。

 

 貴族社会から見たら、の話しだが。

 娘にかける金額以外は目立った浪費が見つからない。本当に何をしているのか疑問だ。

 自領の意外性に驚きつつ気が付けば十五歳になった。時がこんなに早く過ぎ去ると老後も間もなくと思っても過言ではない。

 この国では成人に相当する年齢となったわけだが、それを祝う為か手紙が届いた。

 宛名にクラネルとあったが最初誰だか分からなかった。

 

(……両親の名前か。生きていた事を喜ぶべきか、それとも名前を(かた)る別人と見るべきか)

 

 両親の字にてんで覚えが無い。真偽は執事や代官に任せて内容を確認すれば学園入学の案内というか命令だった。

 一方的なので、いずれ婚約者の釣書(つりしょ)でも送ってくるのだろう。

 貴族の令息令嬢は十五歳になると王都にある王立学園に通わなくてはならないらしい。

 

「王立学園では主に戦闘に関する勉強が中心となります」

 

 市民に武器を持たせるのではなく貴族が率先して国を守る形か。

 騎士団や護衛は近隣のモンスター対策だというのは理解しても令嬢は、と思ったところで後方支援ならあり得るかと納得する。

 年頃の娘となったのだから入学自体は(やぶさ)かではない。

 王立学園には学生寮があり、そこから三年間通う事になる。それと従者を連れていけるというのでメイド長の指名によりキトリーが選ばれた。

 アルフィア専属の主治医は同行できないが王都には優秀な医療従事者が居るとの事なので現地調達する事になった。

 

(学生服や細々としたものを除けば行くだけだな)

 

 今まで領地の視察で馬車移動に問題は無かったが王都までとなると更に数日かかってしまう。

 体調に不安が無いわけではないが自分が学生として振舞う事に違和感がある。だが、子供の成りとして見ればおかしくはない。

 若返った、と思えは気は楽だが老成した精神では素直に受け止められない。

 もどかしく思う間もなく周りは(せわ)しなく彼女の入学準備に奔走し、気が付けば馬車に乗せられて出発を果たしていた。

 手慣れた従者に驚きつつ、ままならない人生に深くため息をつく。けれども、その表情は態度とは裏腹に何処か楽しげであった。

 



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02 レベル測定

 バルシャイン王国の王立学園は各地の貴族令息令嬢が十五歳になると三年間通わなければならない所である。

 勉学よりも戦闘に力を入れているのはこの国が勇者と聖女によって興されたことに起因する。

 成り行きで貴族令嬢となったアルフィア・クラネルは特に興味を覚えなかったが両親の命令なので仕方なく――という否定的な気持ちは無く、知らない国の事を知る良い機会だと前向きに考えて通う事を決意した。

 病弱の身の上なので主治医を用意しなければならないのだが、細々とした手続きは執事のゾラとメイド長のクソアーヌに任せた。

 問題があるとすれば数日にも渡る馬車移動だ。寝台用の一台を余分に追加しなければならない事に少なからず心を痛める。無駄な支出で申し訳ない、と。

 領民の納める税が潤沢なお陰で薬が切れる事は無いそうだ。

 道中モンスターではない野盗などに遭遇する事も無く、順調だった。ただ、馬車の揺れを軽減する為に学園に到着するまで十日ほどかかってしまった。

 護衛の兵士たちの食事代などを尋ねると資金は潤沢です、としか答えない。――我が領地は意外と裕福なのか、と首を傾げる。

 

「……この調子では夏季休暇に戻る事も難しそうだな」

「お嬢様の為ですもの」

 

 と、応えたのはメイドのキトリー。

 歳若い平民の娘だ。見た目と性格は平凡だが着付けの手際は素晴らしい。

 目的地である学園に到着してすぐに手続きに入る。学生寮に荷物を運び込み、長旅の疲れを癒すべくアルフィアは早速寝込んだ。その間にキトリーは王都の街に出向き主治医を探す。

 数日は何人か侍従が待機しておりアルフィアを一人で放置する事は無い。

 余裕をもって王都に到着したが手続きや新たな人選やらで入学式まで時間がひっ迫してきた。

 学生服の採寸と常備薬の用意。それと途中で具合が悪くなってもいいように学園側に病状を伝え、いつでも量に戻れるよう手配する。ここまでアルフィアは何もせず彼らに任せていた。

 

(貴族令嬢という立場だが自分で何もしないというのは暇だな。ここには図書があるようだから、これからじっくりと時間を潰すこととしよう)

 

 今度の人生ではまだ目標と呼べるものが見つかっていない。怠惰な生活を甘受しているが、いずれは領地経営に勤しむ所存だ。

 かつて冒険者として名を馳せていたが平和な世の中に居る自分は酷く場違いな気がした。

 楽な生活ではあるが何もしない、というのは存外退屈を覚える。

 

invictus

 

 体調を整えて入学式に臨む日がやってきた。

 まずは一通りの挨拶から。その後で各人のレベルを測定する流れとなっている。

 虚弱体質のアルフィアはいつでも退席できるように壁際にメイドのキトリーが控えていた。

 ざっと居並ぶ学生を見ると灰色や黒は僅かしか無い。他は魔法の属性に見合った色合いで――やはり黒髪は忌避されているらしく、恐れの混じった目で該当する学生を見ていた。

 髪の色を除けば他と変わらない人間達の筈なのだが――アルフィアも黒髪の生徒を見た時は心臓が止まるかと思った。

 それは黒い靄の塊に見えたからだ。身体から闇のオーラを放っているとしか思えず、顔も判別が出来ない。

 誰もがその者を見ているので自分にしか見えない化け物ではなく生物ではあるらしい。

 

(……なんと禍々しい波動だ。あれが闇属性の生徒か。……適性が無い者が見たら普通の生徒に見えるのだろうな)

 

 魔法の心得があるアルフィアから見ても闇属性の生徒は容易に視認できなかった。それとも自分も周りからはあの(たぐい)のように見られているのかもしれない。

 そうと知らなければモンスターと思って攻撃していた可能性がある。

 生徒の席に座ったので同期なんだろうけれど、凄い世界に来てしまったと少し後悔を覚えた。

 その間も式は淡々と進んでいく。

 生徒達は学園でモンスターと戦う意義を学び国を支える精神を養う。

 この国では貴族が前に出て市民を守り、国を守る盾のような役割を担っている。各地にあるダンジョンの攻略も貴族の役目の一つ。

 

(貴族なら平民をこき使う気がするのだが……。どこか不自然だな。冒険者に置き換えればそれほど変でもないか……)

 

 国の仕組みがそうなっているのであれば従うしかない。特に貴族は王命に従うのが義務のようなもの。

 自分の両親も王命に従い何らかの仕事に従事していると信じたい。そういえば、と王都に居るのだから探してみようか、と。

 学園長の長い話しが終わり、生徒達のレベル測定が始まる。

 遠目で見た感じ、水晶の特殊な魔道具に触れると個人のレベルが分かる仕組みらしい。

 

(【経験値(エクセリア)】による『アビリティ』の数値が分からないからレベルの基準が今一つ理解できなかったが……。果たして……)

 

 長時間待たされた事で胸が少し痛みだした。長生きしたいが、戦闘より健康に気を使うべきか、今度の人生設計についても学ぼうと決意する。

 そして、生徒たちの名前が呼ばれ、次々とレベルが発表される。

 ほぼ一桁。それが普通かと思っているとアルフィアの番になった。

 立ち上がり壇上に向かう。まだ意識は保てている。

 

(この世界ではレベル7程度はそれほど強い部類ではないらしい)

 

 覇気のない生徒がレベル5ということは相当低い数値という意味だ。

 水晶に触れると一瞬光った。自分の目から見てもそれだけだった。

 

「クラネル辺境伯家長女、アルフィア・クラネル。レベル7」

(……そんなものか。そんなものなのだろうな)

 

 特に感慨深くも無く、可もなく不可もなく。ただ、辺境伯というところで一部の生徒が騒ぎ出した。内容までは聞き取れないがいい噂であってほしい、と願った。

 長く拘束されたのでそろそろ気分が悪くなってきた。

 レベルの報告以外、特に何も言われなかったので自分の席に戻る。その間も次々と生徒達のレベルが測定され、ついに闇の化身が呼ばれた。

 それは女だった。姿が確認できないので怪しんだが、魔法の才能が無い者から見れば中身がちゃんと見えるのだろう。少し羨ましい、と。

 彼女が壇上に上がり、水晶に手を置くと一瞬だけ激しい光りが講堂内を照らした。

 

「ドルクネス伯爵家長女、ユミエラ・ドルクネス。レベル……99!?」

 

 この時、悪いタイミングが重なったのか、胸の痛みとレベルの驚きで血を吐いた。

 吐血癖があるのでいつもの事だが、何度か咳き込み、レベル99という部分が真なのかどうか耳を疑ったりと混乱が極まった。

 魔道具の誤作動かと騒然となるが、世の中には凄い人物も居たものだと感心した。不思議と嫌悪感は湧かない。

 アルフィアの異常に気付いた生徒が騒いだのでキトリーがすぐさま駆け付け、中途退場を余儀なくされた。

 

invictus

 

 午後は王都から連れてきた主治医に診てもらい、二日ほど休むことになった。

 長旅の疲れもあったのだろう。この少女の身体はひ弱で壊れやすい。大事に扱わなければ、と自身を労わるように抱き締める。

 後日、メイドからユミエラ・ドルクネスのレベル99の続報について聞いた。どうやら間違いないそうで、生徒達からインチキ呼ばわりされているとか。

 測定装置がそう判断したのだから合っているのか間違っているのか個人で調べられればいいのに、と思いながら今後の事を考える。

 アルフィアのレベル7というのは生徒達の中では高い方らしい。レベル99の後だとありがたみが無くてがっかりした。

 大事を取って三日間休学した後、初登校に臨んだ。事前に学園側には病弱の為に一日いっぱいの学業は難しくメイドの同伴が必要な事を伝えてある。

 吐血で汚れた制服を取り換えて真新しい制服に袖を通す。このような事があると思い、結構な数の制服を用意していた。

 午前は座学、午後は実技。

 

(キトリーに薬湯を探させよう)

 

 テーブルマナーの一環として貴族は大抵紅茶を嗜む。だが、肺の病持ちであるアルフィアは薬の方が安心する。

 王都にもクラネル家の邸宅がある。キトリー一人では心許ないのでその邸宅から応援を呼ぶことを許可しておいた。

 最初は調子を見る為に一日いっぱいの授業を受けてみる事にして寮を出て学園に向かう。

 若返った心境は十五年も経つと薄れるものと思っていたが若者に交じると新鮮な空気に期待が高まり、悪くないと思えた。

 そこかしこで挨拶を交わす生徒の姿があるが灰色の髪は警戒されるのか、誰も挨拶してこない。それはそれで構わないのだが陰口を叩かれるのは気分が悪い。

 周りを見渡すと黒、または灰色の髪の生徒は自分を含めて片手の指で足りるほど。

 彼らの目から見ても黒い靄(ユミエラ・ドルクネス)と同じく何らかの姿に見えているのだろうか、と疑問を覚える。

 居心地は悪いが授業が始まれば生徒の視線も教師に向く筈だ、と。

 午前の座学では遅れてきたアルフィアの挨拶を済ませた後、何も言及されず授業が始まった。――内容は一言で言えばつまらない。調子に乗って教わる内容の全てを学んでしまったらしい。目新しさが無い。

 これは教師が悪いわけではなく、退屈を持てはやした自分の責任だ。

 

(ならば午後の実技に期待しよう。午前は無理に出なくてもいいだろう)

 

 昼休憩までぼんやりした後、キトリーを伴い食堂に向かう。

 この学園には食堂があり、専属の料理人が作っている。自領の邸宅でも領の自室でも一人で食べる食事は味気ない。特に()()()が居ない生活というのは存外、生きる糧をすり減らす。

 

invictus

 

 時折ふらつきキトリーに支えられながら食堂に向かうと多くの学生達の姿が見えた。

 メニュー表があり、カウンターで注文し、出来上がったら学生自身がテーブルまで持って行くようだ。中には従者に運ばせている者も居る。

 まずは空いている席を確保し、テーブルの上にあるメニュー表を眺める。ここから注文する者はおらず、自ら出向く必要があるようだ。

 

「サンドイッチとパンケーキになさいますか?」

「それとホットコーヒー、ミルクを添えて」

「了解いたしました」

 

 育ち盛りの若者らしく腹に溜まる物を食べたいところだが、体力面が著しく低下しているので軽食が精々だ。

 スープだけというのも味気ない。

 無理して食べずとも部屋で夜食を用意してもらえばいい。そう考えながらキトリーの後姿を見送った。

 周りに居るのはほぼ貴族の子息たち。顔なじみが無く、パーティーに行った時に会ったかどうかさえ定かではない。

 そもそも貴族社会の振舞い方がよく分からない。親からは何も学べなかった。

 

(……十五年。私は何もしてこなかったな)

 

 平和な領地でぬくぬくと療養していた。病弱な令嬢だからどうしようもないのだが――

 それにもまして夢も希望も抱けなかったような気がした。

 せっかくの第二の人生だというのに。

 黄昏ていると黒い靄の塊が見えた。相変わらず凄まじい見た目をしている。他の生徒は人間の姿をしているのに。――キトリーに自分の見た目を尋ねたがちゃんと人間の姿に見えており、黒い奴は黒髪の女生徒だと答えた。

 自分の目がおかしくなったのか、他の生徒を見てもやはり黒い奴だけは姿がぼやけたまま。

 見た目こそ奇異だが授業の時や今も特別問題を起こしているわけではない。言いがかりをつけられることはあるようだが。

 

(いや待て。あれは何なんだ?)

 

 と、他の生徒に尋ねても要領を得ないだろう。

 奴の名はユミエラ・ドルクネス。女生徒でレベル99の異端児。圧倒的な存在感を醸し出す。

 瞼を開けたら目が潰れるのではないかと思い、遠くから窺う事しかできない。

 『才能の権化』などと言われていたアルフィアが『隻眼の黒竜』以外に恐怖を抱かせる相手がこの世に存在するとは、と驚いた。

 

「お待たせしました」

 

 と、キトリーの声を聞くと現実に戻ってきたようで安心する。このメイドが居なければ何度倒れていた事か。

 黒い塊に気を取られていると昼食が食べられないので、出来るだけ視界に入れないようにサンドイッチに手を付ける。

 普通においしい。生きているからこそ味わえる。それを今更ながら思い出す。

 現実逃避気味なのは自覚しているが、どうしようもない。また誰に言いがかりをつけられているようだが、関わると血を吐きそうなのでキトリーの顔で癒しを得る。

 

「キトリーも食べていいのだぞ」

 

 貴族の食事の食べ残しを平民に下げ渡しとして与える風習があるが自分の裁量で彼女に注文を許可してある。

 一応、アルフィアが食べたのを確認してから口にするようだが――

 それほど多くは無いが全部食べられたことに満足する。

 

invictus

 

 体調を窺いつつ午後の授業に臨む。

 武器の扱い方や魔法の指導。実際に野外に出てモンスターを倒す訓練をするようだ。

 大半の貴族は戦うよりパーティ類が大好きな生き物だ。自らを着飾ったり友達を増やして派閥を形成したりする。

 魔王の脅威がある国の貴族として武器も嗜まなければならないのだが、大半が剣を持たずに育ったようで、訓練風景も実に長閑(のどか)なものだった。

 男子はその中で武器を振り回し、強さをアピールする。

 

「では、二人一組になって模擬戦を始めて下さい」

 

 木剣をもってまずは戦え、といきなり言われた。

 自領で訓練している事が前提のようだ。アルフィアは親から何も言われていなかったのでお抱えの騎士からも訓練の手ほどきを受けた事が無い。無くても別に困らないが、知ろうと目線で考えると無茶苦茶な事を言われた気がした。

 メイドのキトリーが安全な場所で待機していたが何かあればすぐに駆け付けるように言ってある。何をするにも彼女の存在は大きい。

 

「まずはレベル99の君から」

 

 指導員から指名を受けた黒い靄が開けた場所に歩み寄る。

 木剣が張り付いているようにしか見えない。

 相手をする者は名乗りを上げろと言われたのでアルフィアが手を上げた。

 早めに相手の力量を計り、場合によれば即座に医務室に撤退する事も視野に入れる。

 

「アルフィア君。無理しないようにな」

「はい」

「では、両者、構えて」

 

 アルフィアは木剣を下段に構え、黒い塊はどういう構えなのか分からないが剣は持っているようだ。

 一応、女性ということだが近くに居るとより圧力が分かる。明らかに属性魔力が強すぎる。周りの反応からもこういう風に見えているのは自分だけのようだ。

 開始の合図と共に身構える。まずは相手の出方を窺う。

 

(……ん? 即座に来ないのか。人物像がはっきりしないから攻めにくい)

 

 軽く木剣を回すように下から振り上げ、一歩前に出る。ユミエラは一歩引き下がった。

 こちらの動きが見えているようだ。であればもう少し攻め込んでみる。

 刺突から振り上げ、振り下ろし。黒い靄にはかすりもしない。

 単なる剣術では勝てないかもしれない。明らかに相手には余裕がある。それにもまして病弱だった身体のせいか、非常に疲れやすい。

 振り抜くように、けれど力を入れず。大振りの攻撃もユミエラは余裕をもって躱した。

 

(……駄目だ。生前のような動きが取れない。……それにしても何だ、この黒い靄は……)

 

 お遊戯のような動きに辟易しつつ果敢に攻め立てるもユミエラには何一つ通用しなかった。

 自分の動きが想定以上に遅く(ぬる)い。勢いが無いのがよく分かってしまう。

 生前より弱体化している。魔法こそ使えるが、威力は低く魔力もきっと少なくなっている事だろう、と。

 ここから挽回する事は無理だとして能力を上げるにはレベルアップしかない。では、それをどうやって(おこな)うか、だ。

 僅かな思索の間隙(かんげき)を縫ってユミエラの剣が(ひらめ)き、アルフィアの突き出した腕が半ばからポキリと折れ曲がった。そして、皮膚から骨が飛び出て、血が噴き出す。

 

(……ん? 腕が……折れた?)

「お、お嬢様っ!?」

「……あ。……ご、ごめんなさい、今治します。ヒール

魂の平静(アタラクシア)

「?」

 

 治癒魔法が消えた事にユミエラは首を傾げた。

 アルフィアは精神年齢こそ高いが意外と子供っぽいところがある。つまり、嫌がらせだ。

 怪我の痛みは甚大ではあるが耐えられない事は無い。その記憶を持つ彼女にとって懐かしいものではあるが、それでもやっぱりやせ我慢の域を出ず、涙目になってしまった。

 普通の貴族令嬢であれば泣き叫んで無様に転がるところだ。だが、アルフィアは平静を装い、反撃の糸口を模索していた。勝てないまでも一撃くらいは、と。

 のこのこ近づいてきたユミエラの服らしきものを無事な方の手で掴む。そうなればもう避けられまい、と考えて頭突きを敢行した。

 

「……やめてください」

 

 迫りくる頭をユミエラは思わず振り払った。

 彼女はこの時、意識していれば決してしなかった加減を間違えてしまった。

 スパンと乾いた音と共に何かが飛んでいった。

 ユミエラの服を掴む手はそのままに目の前で唐突に赤い血しぶきが発生した。そこで彼女(ユミエラ)は致命的なミスを犯したことに気付いた。

 レベル99の尋常ならざる攻撃はレベル7程度の女学生にとって致死率がとても高くなる。例えそれが蠅を振り払う程度の仕草だったとしても――

 周りから悲鳴が上がった。キトリーはあまりの事に卒倒した。いや、他の生徒も同様に。

 

(……あ、ヤベ……)

 

 うっかり同級生の首を弾き飛ばしてしまった。

 レベル99になったせいか、結構な惨劇にも耐えられ、首なし死体が目の前にあっても取り乱すことなく、思考はとても穏やかだった。

 まだ間に合うかな、と呑気に思いつつ即座に転がって行った首を拾い、戻るまでに数秒もかからなかった。――飛んでいった先に樹木や岩があれば当たって粉々に爆散していたかもしれない。

 元の位置に首を合わせて治療魔法を唱えた。先ほど無効化されたがまた通じなかったら立派な殺人犯として捕縛されるか、学園を退学させられてしまう。それは何となく嫌だったので、少し本気を出す事にした。

 闇属性でも治療魔法が使える。ただし、回復する時の絵面がとても気持ち悪いことを除けば他の属性の治療魔法と大差が無い。

 

invictus

 

 アルフィアの首元の肉が盛り上がり、何とも不快な音を轟かせながら修復が始まった。

 ここまで酷い怪我を治した経験は無く、ユミエラにとっても初めての事だった。腕なら再生させた経験があるが。

 ついでに()()()腕も治しておく。

 周りはユミエラを恐れて近づけず、言葉もかけられない。

 アルフィア以外には普通の黒髪の女学生に見えるが今は返り血でより近づきがたい様相となっていた。

 

(もう少し魔力を込めてみようか)

 

 闇属性魔法を習得してから使い方を模索してきたが魔力を込めれば威力が上がる。至極、単純な法則だった。

 強くなりすぎてここ最近は本気が出せなくなった。理由は目の前の結果を見れば語るべくもない。

 見た目の悪さを除けば闇も一つの属性に過ぎず、他の魔法と大差が無い。

 首の修復が済み、腕も傷痕一つない綺麗な肌になった。飛び散った血はどうしようもないが――

 後は息を吹き返す事を祈るのみ。ここで迂闊に胸を叩けば肺か心臓が潰れてそのままお陀仏になるかもしれないのでしない。

 

(前と後ろは間違っていないな。……ここは保健室に運ぶべきか)

 

 心音を確かめようと頭をアルフィアの胸に乗せる時、襟首を掴まれた。咄嗟に払おうとしたが惨劇を繰り返すまい、と強い意志で押しとどめた。

 強靭な意志力を発揮したアルフィアが身体を震わせながら立ち上がろうとした。

 

「なべるぶぁ……」

 

 口から血の混じった様々な物を吐き出しながら叫ぼうとし、そのまま意識を失って倒れ込んだ。――吐瀉物は目の前のユミエラにかかってしまった。どうしてか身体が動かず、避けられなかった。

 突如息を吹き返した彼女にユミエラは茫然となった。

 今まで出会ったことが無い強者の気配を確かに感じた。レベル99である自分が思わず、後ずさりしてしまったほどに。

 単に怒られ慣れていなかっただけかもしれないが。

 アルフィアが一旦復活したことで周りも我に返り、すぐさま彼女を保健室に運び込み、取り残されたユミエラは着替えの為に一人で寮に帰る事になった。

 剣術の授業は当然、中止。魔法の授業は別の場所だが続けられる気がせず、結局中止となった。

 翌日、メイドのキトリーに世話を受けつつ授業が、というよりユミエラがどうなったのか尋ねた。

 

「今、彼女の退学の手続きが進められております」

「……何故だ?」

「えっ? お嬢様を殺害……しようとしたじゃありませんか。誰の目に見てもあの方は危険です」

 

 怒り心頭のキトリーには相当な現場に見えたのだろう。斬琉ながら首だけになっている時は既に意識が無くて何が起きているのか伺い知れなかった。

 本当に一瞬の事だった。重さが無くなり、意識もほとんど残っていなかったのではないか、と。

 それを魔法一つで現世に押し留めたのだからユミエラの能力はかなり高い事が窺える。

 息を吹き返したからよかったものの折角転生したのにこんなところで死ぬのは間抜けだ、と自分の情けなさに腹を立てた。

 

「お前の意見は尤もだ。だが、あれほどの逸材を腐らせるのは勿体ない。私が強くなるにはユミエラが必要だ」

「……お嬢様は馬鹿です。私がどれだけ心配した事か……。治ったからよかったものの」

 

 屋敷に居たメイドは誰もが自分に親身になって接してくれた。親が育児放棄しているのだから手を抜いてもおかしくない。

 執事もメイド長も今から考えればアルフィアに恩など無いだろうに。逆に洗脳教育を施して財産をふんだくるくらいしても良さそうなものだ。

 ――信じられないが両親はそれほど信頼されている人物なのだろうか、と今更ながら思った。

 

invictus

 

 首に包帯を巻き、学園は念のために三日ほど休学する旨を伝えた。

 キトリーの機嫌を直さなければならないし、故郷で待つ執事達に無事も伝えなければならない。まさかとは思うが私設軍を率いてドルクネス領に押しかけるのではないか、と危惧してしまった。

 黙って休んでいるのも退屈なのでメイドが席を外している間、筋力を鍛えるトレーニングをしたり、発声練習に励んだ。

 お陰様で声帯に異常は無く、皮膚を突き破った腕の怪我も綺麗に治っていた。

 

(この世界の魔法は凄いな。……代わりに私はとても惨めになった。もっと精進せねば……)

 

 この世に生を受けて十五年。少し怠惰な生活を送り過ぎた。

 座学より実戦に重きを置かなければならないと決意する。その為にはレベルを上げる方法を学ぶのが早道だ。

 まずはじっくりと寮で静養し、次への活力を養う。

 二日後の午後に黒い靄が面会に来たがキトリーが追い払ってしまった。事後報告で知った時、呼び戻せと言う暇が無かった。代わりに次に来た時は入れるように強めに指示した。

 三日目は何故か学園長が急に辞任し、新しい学園長が就任した。詳しい事はキトリーも分からないようだった。

 休養期間にクラスではユミエラを巡って色々と問題が勃発していたらしい。人伝なので正確な事はキトリーも分からないらしいが、凄惨な事件は起きていないそうだ。

 

「お嬢様。クラスメイトの皆様からお見舞いの花束を戴きました。窓辺に飾っておきますね」

「……ああ。……綺麗な花が多いな」

「後で種を購入してお屋敷の庭で育ててみましょうか?」

 

 ならば、庭師に種を送っておけと伝えた。

 植物に関して注目してきたのは主に薬効成分だ。観賞用として見る事は今まで無かった気がする、と。

 虚弱な我が身を憂い、心に余裕が無かったせいかもしれない。子供の内から静養してきて自由な活動は今までしてきただろうか、と今更ながら自問する。

 

(……そうだ)

 

 親からの愛情は無く。不自由な静養生活。無為な時間を過ごしてきた。

 これらの何処に子供らしさがあったのか。

 興味もない貴族のパーティに参加し、結局得るものなど何もなかったというのに。

 いや、キトリーのような親身になってくれる従者が居た。領民が居た。何も無いわけではない。

 

「卒業したら領地を発展させる手伝いがしたいな」

「モンスターの脅威はどうなさいますか?」

「もちろん、撃滅する。戦いは好きではないが苦手というほどでもない」

 

 目標が無いよりあった方が生きる活力になる。

 半身()が居れば、と願わずにはいられない。

 充分に休息した後、学園に向けて歩み出した。

 

invictus

 

 治療魔法の効果か、呼吸が随分と楽になった。一応、首元には包帯を巻いている。

 意識が朦朧とするような事は勘弁願いたいが、折角の人生を容易に終わらせたくない。

 新しい制服に袖を通し、寮を出て学園にある自分のクラスまで特に引き留められるような事は無く、陰口も聞こえてこない。

 今日は午後の授業に間に合うように遅れて出発した。座学は今のところ必要ないと判断した為だ。

 席に着いてから心配したクラスメイト達が駆け寄り、労いの言葉をかけてくる。それに対し、丁寧に返礼していく。

 (くだん)のユミエラ・ドルクネスは一早く食堂に行っており教室にはいなかった。

 

(……私も食堂に行こうか。若者が集まると自分も若返ったような気になる。……実際、若い肉体だが)

 

 友人を作る気が無かったのでクラスメイトの大半は覚えが無く、顔と名前が全く一致しない。三年も経てば顔も見なくなる相手だ、と思っていたせいかもしれない。

 少しは彼らの事を気に掛けるべきか、と反省する。

 教室を出て従者(メイド)のキトリーと合流し、ゆっくりとした足取りで食堂に向かった。首の調子は頗る良く、痛みも無い。

 たかが三日程度で完治するわけが無いのだが驚異的な魔法の力に今更ながら驚く。

 食堂に到着すると目立つ黒い靄が視界に映る。無理して話したい相手ではないがまずは空いている席に座り、昼食を取ることにした。

 

「温かいスープがいいな」

「畏まりました」

 

 キトリーの分の注文もしてくるように言いつけ、他の生徒達の様子を窺う。

 灰色の髪は黒髪と同様に目立つ存在だ。アルフィアがどこに居ても注目される。

 今回は剣術の授業で凄惨な事件が発生した。そのせいでより悪目立ちしてしまったわけだが、忌避から安心へと彼らの表情が変化していた。

 まだ入学して数日程度だが印象が悪いままというのは気分が悪い。

 

(表だって接触してくる者はいないか。貴族なら人脈作りに色々と接触があると思ったのだが……)

 

 そもそも自分から寄らないのに人様の都合に頼るのもおかしな話しだ、と思わないでもない。

 クラネル家として接触を求めたい相手や派閥の情報がそもそも無い。キトリーもその辺りの事は知らないようだし、指令書でも来ればそれなりに頑張るところだが。

 少し悩んでいるとキトリーが食事を持ってきた。考える事はたくさんあるが、まずは生きている事に感謝する所からだ。

 



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03 ユミエラ・ドルクネス

 王都の学園に入学して間もなく死にかけたアルフィア・クラネルは首の調子を窺いながらスープを飲む。まともな食事を摂るのが少し()()()()

 精神年齢こそ高いが外見は十五の小娘。最近は年相応に振舞おうと心掛けている。

 折角の第二の人生だ。前世はあくまで知識を引き出す手段とする。

 

「……ところで私の小遣いはどうなっている? 聞きそびれていたが……」

「私が預かっております。……色々ありまして報告が遅れて申し訳ありません」

 

 実家のクラネル領からメイドを含めて月ごとの小遣いが送られる事になっているらしい。ただ、服飾代は別に支給されるのだとか。

 学園に居る限り自分で使う機会が無いのでメイド任せになるが、身銭を切るほど切迫していては目も当てられない。

 贅沢をする気は無いが今の自分は貴族だ。何に金がかかるか分かったものではない。余計な出費が無いに越したことはない。

 

「……親が何も教えてくれないから私が色々と気を回さないといけない。……本当に父上と母上は本当に実在しているのか、心配になってくるな」

 

 クラネル辺境伯の地位は()()学園側にも認知されているので居ない筈はないが見えない相手となると不安ばかりが募る。

 十五歳で一人娘のアルフィアとしては一家団欒を希望したい。これでも家族を大切にする方だ。

 

(……それとクラスメイトの顔と名前を全く覚えられない。唯一がユミエラ・ドルクネスだ)

 

 他にも有名どころが居た気がするが、ユミエラの存在感が凄すぎて記憶に留められなかった。

 今も遠く離れた席で食事を摂っているのだが――近づき難い雰囲気はアルフィアも感じていた。

 黒髪がどうとかいう問題ではない。何なんだ、あれは。という感想ばかり。

 キトリーと共に悶々と唸っていると(くだん)の黒い靄の化身たるユミエラが近づいてきた。すぐにキトリーが間に立ち塞がった。

 

「……あの、殺しかけてごめんなさい」

(……いや、誰が見ても殺人ですよ!)

 

 キトリーは怒りの形相でユミエラを睨んだ。

 存在感は凄いが声はとても控えめだ。おどろおどろしい声色ではなく普通の女性のものだった。

 もし、靄が無ければ頭を下げている様子が伺えるのだろうが、どんな仕草なのか全く分からない。

 

(……首が飛んだと聞いたが。一瞬の事だったし、あまり覚えていない)

 

 腕が折れた事は覚えている。傷跡が綺麗さっぱり無くなっていたので夢でも見ていたのか、と疑ったものだ。

 首は僅かな違和感がある程度。

 本当なら笑って済ませられるような事ではないが、こうして無事に生きているだけで満足だった。だが、罰は必要なのだろう。これでも辺境伯の令嬢だ。貴族として何か言わなければならない――気がするのだが何を言えばいいのか何も思いつかない。

 親から貴族らしさを学ばなかったし、あくまで家庭教師や書物の知識だけだ。

 

(首を飛ばしておいて過ぎた事と言うのは無理があるな。……私自身も良く分からん)

「……謝罪は受け入れよう。……で、それで終わりにするには都合が悪いな」

「……ん」

「レベル99の秘密を教えてもらおうか。……私も鍛錬は欠かさなかったが、同い年でその強さはどうにも信じがたい」

 

 病弱な事もあり、隔離生活の様な毎日だったが鍛錬自体は出来た。それでもレベル99に比べると赤子と竜ほどの差がある。

 かつて強さに自身があったアルフィアからすれば受け入れがたい屈辱だった。

 

「……そんな事でいいのなら」

 

 と、黒い靄は対面の席に座り、レベル上げについて語り出した。メイドのキトリーに飲み物の追加を頼んでおいた。

 ユミエラは幼い時から魔法の練習とモンスターの討伐を繰り返し、自領にある闇属性のダンジョンに籠って只管(ひたすら)モンスターと戦っていた。

 モンスターを倒した時に出るドロップ品を売って有効なアイテムを購入したりしてきた、と熱意を込めて語った。

 

(……『成長の護符』と『魔物呼びの笛』……、そんなものがあるのか。深窓の令嬢では真似できない所業の数々だな。うちの領地にも冒険者に必要なアイテムの売店とかあるのか?)

 

 特殊なアイテムを使用しているとはいえレベル上げの基本はモンスター退治。それもダンジョンの中が効率が良いとか。――『周回』という単語がいまいち理解できなかったけれど。

 

invictus

 

 『成長の護符』は獲得経験値が二倍になり、『魔物呼びの笛』はその名の通りモンスターを誘き寄せるアイテムだ。

 肺病の治療に専念していたアルフィアはその辺りの知識が無く、自由闊達に動けるユミエラが羨ましくなった。

 本人の並々ならぬ努力がレベル99へと至らせたことは理解した。

 

「……本題だが……。お前の身体を覆う黒い靄みたいなのはなんだ? どうにかできないのか? 顔が全く見えなくて人間かどうかすら判断がつかん」

「?」

 

 ユミエラは小首をかしげる。

 詳しく説明すると自分の身体が黒い靄に包まれているとは分からなかったらしい。どうやら、本人にも見えていない。

 属性の相性によって見えるがどうか変わるようだ。似たような事をクラスメイトのアリシア・エンライトも言っていたという。彼女(アリシア)は光属性だとか。

 

「……なんとか頑張ってみる」

 

 平坦な喋り方だがキトリーから見ると全くの無表情に見えるそうだ。

 腰にかかるほどの黒髪に黒目。

 アシリアはピンクブロンドの美しい髪だが庶民の出で、希少な光魔法の使い手という事で特別に入学の許可が降りた。

 戻ってきたキトリーがアルフィアとユミエラに飲み物を勧める。ただ、機嫌は治らないまま。

 

(私も光属性の一種か? 回復魔法は使えそうにないが……)

 

 何気なく黒い靄に触れると痺れる感覚があった。属性によって反発を受けているような感じだ。

 肌に感じるほどユミエラの属性が強すぎるのだろうと推測する。

 ユミエラの話しを聞いていると数人の男子生徒が近づいてきた。どれも同じクラスの生徒達だ。だが、数回しか授業に出ていないアルフィアは彼らの事が全く分からなかった。

 

(……そういえば、この人ゲームに出てなかった筈だ)

 

 ユミエラはアルフィアを見て()()()()()()事に疑問を抱いた。

 この世界についてある程度の知識を持つユミエラもまた転生者だ。

 ここは『乙女ゲーム』の『光の魔法と勇者様』の世界そのものであると目覚めたばかりの彼女は早々に理解した。そして、それゆえに攻略法も熟知しており、レベル上げに邁進した。

 元々やり込みが好きで珍しいアイテムがあれば役に立たなくとも手に入れたくなるコレクター気質だった。

 ゲームに出てくる主要な人物についての知識もあるが、アルフィアの事は全く記憶にない。

 先に名が出たアリシアが本来の主人公(ヒロイン)で攻略対象と共に魔王を倒すのが目的だ。

 このゲームでのユミエラは悪役令嬢でヒロインの敵として登場し、後の隠しシナリオにおいては裏ボスとして主人公たちの前に立ちはだかる。――もちろん、それを分かった上でユミエラは行動してきた。

 

invictus

 

 アルフィアの側に来た、というよりユミエラに会いに来たと言った方が正確か。

 現れた人物たちは正にゲームでの攻略対象達だ。

 一人は赤い髪のウィリアム・アレス。勇者パーティでは剣士だった。

 もう一人は四属性を操る魔法使いで眼鏡をかけた青髪のオズワルド・グリムザード。

 三人目はバルシャイン王国第二王子で金髪のエドウィン・バルシャイン。

 

(……なんだこいつら)

 

 アルフィアの印象では小生意気な若造が現われた、だった。見るからに覇気が無く、上から見る目が気に入らなかった。

 ユミエラは普通に挨拶したようだが殿下と聞いて胡散臭そうな顔でエドウィンを見る。

 前世であれば軽く撫でただけで逃げ帰りそうなほど強そうには見えなかった。今は弱体化しているので今のアルフィアでは勝てない可能性があるが。

 

「アルフィア嬢に何をする気だ」

 

 いきなり敵意むき出しで金髪のエドウィンは言い放つ。

 レベル上げの話しをしていたせいか、アルフィアからすれば唐突にやってきての言いがかり。何をするも何も見て分からないのか、小僧と言いそうになった。

 確かに見た目は黒い靄だ。近づくとよく分からないが気分が悪い。――それだけの存在なのだ。戦闘では尋常ならざる力を行使したが。

 

「……えっと、見てわかりませんか? 女の子同士の会話ですよ」

(……女の子? ……ああ、確かに今の私は()()()女学生だったな)

 

 前世の記憶を保持しているので実年齢に実感が湧かないがこの世界に生まれて十五年ほどの貴族令嬢だった、と今更ながら思い至る。

 出会いこそかなりぶっ飛んだものだったが――と和やかな雰囲気になりそうだが、アルフィアは思い出す。

 腕をへし折り、首を吹き飛ばす危険人物がすぐ目の前に居る事を。

 

「………」

(……普通の女の子、ではないな)

 

 少し眉根を寄せてユミエラを見据える。

 男子三人による言いがかりで周りの生徒達も陰口を囁きだす。黒髪を忌避しているだけあり、聞くに堪えない。中には灰色の髪についても言及していた。

 ただ、ユミエラが闇属性の魔法使いなのは事実だがアルフィアは違うはずだ、と。

 そもそも何属性に当たるのか、本人もよく分かっていない。

 そこで言い合いをしている間で手を上げてみた。

 

「むっ? ど、どうしたアルフィア嬢」

「魔法の属性を調べるにはどうすればいい? 私は自分の属性が良く分かっていない。教科書にも類似の魔法が記載されていないようで」

 

 魔法の属性は火、水、風、土の基本四属性に光と闇を加えた六属性が知られている。それ以外というのは学生には知られていない。

 自宅にあった魔法書を読んで色々と試したが基本属性はほぼ扱えなかった。レベルが低い事もあったかもしれない。

 これから午後の魔法の実技で習うのかもしれないが一応、尋ねてみた。

 

「適性があるかどうかは実際に魔法を使えばいい」

(……なんだ、その頭の悪い答えは)

「魔法はイメージです。適性があれば何らかの形で出ますよ」

(魔法の属性について尋ねた筈だが……。どうして私が魔法を使えない事になっている?)

 

 と、ユミエラが言いいアルフィアは首を傾げた。

 とにかく、魔法を出してからが本番ということか。全く役に立たない答えに辟易する。

 それとは別に黒い靄がユミエラで固定されて平気になってきた。――気持ち的にだが。

 

「……そりよりお嬢様。スープしか召し上がっておりません」

「……すまないな。あまり食欲が湧かないんだ」

 

 結構な出血を伴ったので肉料理を食べた方がいいのは分かっている。だが、食指が動かない。

 病弱だったこともあり、薬こそ飲んでいるが食事量は元々多くない。

 キトリーがアルフィアの体調を(おもんぱか)り、少々強引にエドウィン達に退席する旨を伝えた。

 

invictus

 

 魔法の実習は参加したかったが体調が万全とは言えないし、キトリーが涙目で見つめて来るので見学ならと提案したが首を横に振られた。

 アルフィアは意識をすぐに失ったので実感はないが、相当ひどい現場を目撃してしまった彼女(キトリー)からすれば数か月ほどの休学してもらいたい気持ちかあった。

 家族のように親身になってくれるメイドのキトリーの(げん)はさすがに無視できるものではなかったので折れる事にした。

 学園生活はまだ続くので焦る必要は無いか、と寮の自室に戻って手厚い看病を受けた。

 首の包帯は三日ほどで取り、薬と食事による療養の後に再登校に臨んだ。その間、実家に居る執事達に向けて手紙を送ったり食料や急な誘いを受けてもいいように新しいドレスの案を送ったりと充実した生活を送った。

 数日振りの学園だが大きな動きは無く、普段通り――灰色の髪を忌避する動きはいつも通り――に教室に向かった。途中、通りすがりに頬をぶたれた。

 

「?」

「貴女はエド様に相応しくない!」

 

 と、捨て台詞を吐いて去っていく女子生徒は別の教室に入った。

 今のやり取りでより一層陰口と蔑む視線が増えた。

 メイドのキトリーは授業終わりの食堂で落ち合う事になっていたので今は居ない。

 

「貴女がユミエラ・ドルクネスさんね」

 

 背後からそのような声が聞こえた。しかし、肝心のユミエラの姿は無い。

 無視して教室に向かおうとすると背後から肩を掴まれた。

 どうやら声をかけたのは自分(アルフィア)であり、ユミエラだと思われている。

 

(……今日は一体全体何なんだ?)

 

 属性差別が貴族の中で根強く蔓延っている事は理解していた。招待されるパーティでも割と疎外感があった。それでも直接的な行動に出るのは滅多に居ない。

 自領の民衆しか知らないが彼らは領主の娘ということで割り合い好ましいと思ってくれているようだ。――不満が出ないように気を配ってきたけれど全く無いとは言わない。

 人違いだが一応振り向いておく。すると、そこには腰に手を当てて自慢に満ちた貴族令嬢――というか学園には庶民のアリシアを除いて貴族令息令嬢しか居ない――が居た。

 金色の長髪を見事に巻いた貴族然とした彼女はバルシャイン王国における過激派の筆頭ヒルローズ侯爵の令嬢エレノーラという。

 有名人らしいがアルフィアは知らない。

 

「今すぐエドウィン様から手を引きなさい」

(……第二王子の事か。自分の事じゃないのに……、自分の事だとしても腹が立つ)

 

 人が下手――大人しくしていればつけ上がるのが貴族のやり方か、理不尽に対してアルフィアはそれ相応の対処をしてきた。それは転生後の今は控えていたというのに。

 いくら学生とはいえ笑ってすますほど人が出来ていない。

 ゆえに孤高の女王は一言告げる。

 

 黙れ。

 

 それは人の口から出るには底冷えのする冷淡な物言いだった。

 レベルこそ低いが人生経験は()()()長い。ヒルローズの三倍ほどだが。

 

「口を閉じろ。そして、沈黙の(ぼく)となれ。貴様らの煩わしい雑音は(すこぶ)る気に障る」

 

 一色触発の緊張感が現場を支配する。

 しかし、タイミングよく予鈴が成り、駆け足で掛ける生徒の姿が見えた。

 話す事は無いとアルフィアは(きびす)を返し、教室に向かった。

 一方的に立ち去った彼女の後姿をエレノーラはキラキラした目で見つめた。

 

invictus

 

 教室に入ったアルフィアはまっすぐ黒い靄が座る席に向かった。

 今日も彼女は欠席せずに(たたず)んでいた。――全体像がはっきりしないがちゃんと座っていると思われる。

 

「……お前、私に何か言わなければならない事は無いか?」

 

 いつもの目蓋を閉じた(かんばせ)に玲瓏たる声色でユミエラに話しかけた。

 彼女は一度、アルフィアを見た後、ゆっくりと顔を逸らす。

 その後、教師が来てもアルフィアは立ち去らず彼女が答えるまで立ち続けた。

 

「アルフィア・クラネル。席に着きなさい」

「……少し黙れ」

 

 振り向かずアルフィアは淡々とした口調で言った。

 レベル99の彼女はこちらの攻撃を全て躱すほど身体能力が高い。それでも抵抗するならば周りを巻き添えにしてでも口を開かせる所存だ。

 相手が強かろうと関係ない。

 

(……どうしよう。つい咄嗟に偽名を名乗ったことがバレている)

 

 エドウィンが何かと食って掛かる現場を見た女生徒達から付き合っているだの婚約しているだのの噂が広まり、それらを追い払うために自分はユミエラではないと言ってしまった。その時名乗った名がアルフィアだ。

 そして、今日――おそらく本人が何かしら言われたのだと推測できる。というか頬が赤いので誰かに叩かれたのかもしれない。

 レベル99の視力と聴力は既に常人の域を遥かに超えている。

 ユミエラと声を掛けられたのならば犯人は自ずと限定される。何という推理力、とユミエラは下らない事を考えていた。

 時間が止まった空間に一人の救い主が現われた。金髪のエドウィンだ。

 

「席に着くんだ、アルフィア嬢」

「………」

 

 チラリとエドウィンを見てユミエラに視線を戻した後、軽く嘆息してから第二王子の席に向かった。

 彼の隣には取り巻きの一人である赤い髪のウィリアムが居たが『退()け』とただ一言告げて別の席に移動してもらった。

 空いた席に当然のようにアルフィアは座り、隣りのエドウィンに顔を向ける。

 教室内が静寂に包まれた。

 

「き、君の席は向こうでは?」

「私はユミエラ・ドルクネス。第二王子エドウィンの婚約者、なのだろう。ここに座って何か問題でもあるのか?」

 

 今の言葉で本物のユミエラの机が突然粉々になった。どうやら頭突きで破壊したらしい。

 婚約者発言で女生徒の一部が黄色い悲鳴。残りは本当の悲鳴を上げる。

 戸惑うエドウィンの腕に自分の腕を絡め、授業を始めて下さい、と割合丁寧な物言いで告げた。

 

「……あ、いや。婚約者は君ではないと思うのだが……」

「王命ならば従うのが貴族の義務だ。私としては不本意だが、そういうことならば私、ユミエラに拒否する権利はない」

「……王命も無いのだが……」

 

 アルフィアは精神年齢が高い分、学生であるエドウィンと腕組し、自身の発育した胸が彼の腕に押し付けても問題ない。

 好きでもなければ嫌いでもない。これはただの嫌がらせだ。その為なら身体を張る事も辞さないだけ。

 

invictus

 

 机が無くなったユミエラは黙ってアルフィアの前に赴き、その場で平伏して敗北宣言した。私が悪うございました、と素直さを見せる。

 頭でも踏めば溜飲が下がるかと思ったが子供のしたことにいちいち、と思ったところで自分が小娘だと気づいた。だが、足は動かさなかった。

 ユミエラが第二王子と婚約者になっている事については全く知らないが、とばっちりを受ける方としては腹立たしい限りだ。

 エドウィンから離れてユミエラの頭を軽く拳で殴ってから自分の席に着いた。言葉はあえてかけなかった。何だか下らない事で腹を立てたので馬鹿らしくなった。

 教室の中が静まったがアルフィアが戻った事で教師は咳払いし、ユミエラに自分の席に戻るように言いつける。無くした机はユミエラの闇属性魔法により代替品が創造された。

 穏やかに午前の座学を終えた後、アルフィアは食堂に向かった。

 

(……そうだ、キトリーに護符とか買えないか聞かなければ……)

 

 それとレベル上げに必要なダンジョンについての知識も、だ。

 ユミエラからレベル上げに思考を切り替え、食堂に向かうとキトリーの元気な声が聞こえてきた。

 席を確保してくれた彼女の下に向かい、いくつか注文を任せた。

 食欲はまだ戻らないが軽食程度は食べられる。

 

「お嬢様、こちら薬湯をお試しください」

「……寮で出せばよかっただろうに」

「昼食にお飲み頂きたかったので」

 

 独特の濁りと草の匂いが漂ってきた。

 複数の薬草を煮詰めて飲みやすくしたものだが、味気ない薬よりは口当たりも良く美味しい。先ほどまでの不満が解消されていくようだ。

 それと肉を挟んだサンドイッチを差し出してきた。

 気が利くメイドに感謝しつつ忘れないうちにアイテムについて要望しておいた。余程高額であれば無理して手に入れる必要は無いと告げて。

 今日は魔法の実技があるので、少し楽しみにしていた。また生徒同士で戦え、というものでもないかぎり大丈夫の筈だと期待しながら。

 昼食を終えた後、アルフィアと生徒達は野外に出て訓練場を目指す。念のためにキトリーにも付いてきてもらった。――前回が酷い内容だったので彼女を寮に置くのは得策ではない。

 魔法の授業は基本的に生徒達に魔法を使わせるだけ。

 理屈など無視している所が実に手抜きっぽい。

 もう少し専門的な知識を学ぶものと思っていただけに酷く失望した。実戦を通じて学ぶとしても学業としてどうなのか、と。

 少なくとも前世では魔法が発現すると使い方を神から学ぶ。それ後は冒険者の次第だが、いきなりやれと言うのは冒険者の方だ。

 

(どの生徒も射出型だな。範囲型の魔法は見当たらない)

 

 モンスターを倒す属性魔法だからか、大抵の生徒は(てのひら)から発射する。

 癒しの魔法は相手に触れるか近くに居る必要がある。ユミエラもその例に漏れず。

 モンスター相手には有効かもしれないが直線的で隙が多い。

 (まと)を前に一向に魔法を使わないアルフィアを不思議に思ったのか、担当教師の魔導士が駆け寄ってきた。

 今日はそれぞれ見た目に分かりやすい格好をしている。魔法なら魔導士。剣術であれば軽戦士の。

 

「私の魔法は範囲魔法だから周りを巻き込む。だから、どうしたものかと……」

「……なるほど。一応、魔法は使えるのですね。なら、的を移動させましょう」

 

 教師は護衛騎士に的の移動を命じた。力仕事はだいたい彼らに任せる。ここに居るのはアリシアを除けば貴族ばかり。

 他の生徒を巻き込まない位置に移動させられた的に改めて向き合う。

 基本の四属性とは違う魔法の使い手はバルシャイン王国でも知られていない。アルフィアも属性について知りたいと思っていたのにおざなりにされて少し不満だった。

 

(……ああ。子供らの前で披露するような魔法ではなかったな。……本来、私達の魔法はモンスターや敵に向けて放つものだ。……決して見世物ではない)

 

 神より賜りし魔法の技術は冒険者のもの。その研鑽も己で磨かねばならず、大勢の生徒の前と共に、というのは経験が無かった。決して悪いわけではない。

 気恥ずかしいだけだ。本当に童心に帰ったかのように。

 

「……ああ、そうだ。忘れていた。お前達、耳は守っておけ。私の魔法はとても……煩わしいぞ?」

 

 宣言してすぐに放つわけではなく、一応彼らの安全確認をした。

 自分で耳を守る仕草を見せて、守れた者には頷きを。無視した者には何もせず。

 それから超短文詠唱であり、この世界でも行使できた魔法を披露する。

 

福音(ゴスペル)

 

 音響による広範囲攻撃魔法が放たれた。

 風が舞うように凶悪な音の凶器が無差別に荒れ狂う。

 耳を守っていた生徒はその様子が良く見え、言いつけを守らなかった者は唐突の大音響に悶え苦しむ。

 対人戦においてこの魔法はかなり効果を表すが無機物に対しては純粋な破壊行為しか(おこな)えない。――それでも攻撃力としては結構高い方だが。

 今はレベルが低いせいで頑強な(まと)にかすり傷しか付けられなかった。

 

(……ついでだ。これも試しておこう)

炸響(ルギオ)

 

 通常は魔法を行使した後に『魔素(まそ)』が舞い散る。それを爆散鍵(スペルキー)を用いて霧散させる。

 アルフィアはこの魔素を追加の爆撃に利用する事が出来る。

 この世界に魔法がある事から豊富な魔力、または魔素が大気に満ちているところからもしやと思ったまでだ。――魔素の全てを爆弾に変えるわけではないから生徒達に危害が及ばないように意識して調節してある。

 アルフィアの二度目の行使により、的の周囲に小さな爆発が生じた。今の自分にはそれくらいが精々のようだったが一応、満足した。

 



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04 静寂の舞踏

 灰髪の女学生アルフィア・クラネルの魔法は教師陣から見ても異質だった。今まで見た事も無い属性に戸惑いを覚える。

 闇属性のようなおどろおどろしさは無く、見た目は風に近いが光とも違う。何とも判断しづらかった。

 周りが静寂に包まれている時、彼女はレベルが低い為か、酷く疲れを覚えて額から脂汗を垂らした。

 自分の感覚では魔力(マインド)を多く消費したため、十回も使えないようだと――体感的に――思って何とも情けない状態に苦笑が漏れる。

 メイドのキトリーがタオルを持ってやってきた。

 

「凄い汗でございますね、お嬢様」

「……この魔法は思いのほか疲れるようだ。何とも燃費が悪い」

 

 日陰まで移動し、休憩に入る。

 魔法を披露したのでこれ以上は無理だとキトリーに伝えさせた。

 前世の今時分のころを思い出すともう少し我慢強かった気がした。といってもその時は最愛の(メーテリア)が居た。

 

(……今世に最愛は存在せず。私の頑張りも今一つとなっている。……何とも不甲斐ないな)

 

 普段から閉じていた目蓋を開け、緑と灰色の色違いの瞳で空を見上げる。

 冒険者ではない今の自分は強者という程ではないということか、と。

 常に戦いのある日々ではない。魔王という驚異こそあるようだが――十五年の平安は良くも悪くも心地よかった。

 

(お嬢様の顔色が……。早めに早退させませんと)

 

 快方に向かっている筈なのにアルフィアの活動時間はあまり芳しくない。

 元々学業に専念できる身体ではないのかもしれない、とキトリーは心配を募らせる。

 尊大で乱暴者というわけではなく、メイドや領地の心配をしてくれる心優しいお嬢様だ。

 寮に戻ってもクラネル領をどう発展させようか日々勉強している事を知っている。

 学生らしく剣と魔法に興味を持ち、無茶な行動に出るかと心配していたが思いのほか大人しく過ごしている事に最初は驚いたものだ。

 音の魔法を披露したことで他の生徒や教師陣が興味を持ったようだが、一先(ひとま)ずアルフィアを休ませるために――キトリーの独断で――早退させることにした。

 

invictus

 

 一日を置いて体調が落ち着いたアルフィアは登校する事にした。キトリーとしてはもう少しだけ休んで欲しいと思っていたが彼女の意志を尊重した。

 どの道、今日休もうが明日にしようが大して変わらないと言われてしまったので。

 あまりに心配してくるキトリーの為に午前の座学を欠席し、午後の課外授業に出る事にした。元々魔物との戦闘を目的としていたので、こればかりは出たいと強めに言った。

 

「休んでばかりでは強くなれん。それに身体能力を上げるにはレベルアップは欠かせない」

「……そうなのでしょうけれど……」

「それより手配させたアイテムは手に入りそうか?」

「冒険者組合というものに人を遣りましたので数日中には返事が来るかと」

 

 メイドの返事に満足し、アルフィアは食堂に向かった。

 廊下を歩いていると先日の偽ユミエラ騒動は起こらず、そのまま食堂の席に着く事が出来た。結局のところ、あれ(人違い騒動)はいったい何だったのか、とアルフィアは首を傾げた。

 前世の十五歳当時、妹の為に必死で冒険者業に務めていた日々を思い出す。

 血反吐を吐きながら敵対派閥との抗争とダンジョン深層への挑戦を繰り返していた。確かに強くなったが嬉しさはどこかに無くしてしまった。

 

(……そうだ。特効薬も無く、すり減る命の灯火に私の心は酷く荒んでいた)

 

 唯一の光明は妹に子が出来た事だ。成長を見る事は叶わなかったが、暗黒にも等しい心に光りがあるとすればそれだけだった。

 たった一点の希望が前を歩く原動力となった。

 けれども、今世は何もない。妹も()()()も。代わりにキトリー達や領民が彼女の新しい光りの種だ。

 

「……やはり食指が動かんな」

 

 軽めの料理を頼もうとしたが食欲が湧かない。

 無理にでも食べなければ衰弱するだけ。これはもう拒食症と変わらない。

 前世でもそうだったが生きる事に意味が無いと何事にも懸命になれない。だが、今世は違うはずだ。

 アルフィアは目の前に何も無いテーブルを見つめたままため息をつく。

 他の生徒はさっさと朝食を食べ終えて教師に向かっているというのに。

 

(空腹を感じているが意欲が湧かない悪循環……。せめてスープでも頼みたいところだが……)

 

 このままでは王立学園に居られるのもあとわずかな気がする。であれば――もう少し好きにしても構わないだろう。

 余命の事は置いといても今の自分は学生だ。その本分は学びであるわけだが、学生としての楽しみはそれだけではない。

 病気という枷があるものの比較的自由である事は確かだ。

 そうと知れれば行動は早い方がいい。

 そう思い立って教室に向かおうとしたが極度の空腹により眩暈(めまい)を起こして倒れ込む。

 医務室送りになった後は薬湯を飲まされたことで一応、空腹は免れた。

 食事は無理でも薬ならば受け入れられるようだ。何ともままならぬ身体だ、と呆れる。

 

(冒険者ではない私はこんなものかもしれない)

 

 不思議と納得できた。

 その後、メイドによって寮に戻された。もはや授業を受ける事もままならず、自主退学の手続きを取った方が周りに迷惑がかからないのではないか、と。

 そんなことを思うほど学生でいる意味を見失う。

 それもこれも姿を見せない両親のせいだ、と恨み言の一つも言ってやりたくなるというもの。

 

invictus

 

 キトリーお手製の食事を堪能しつつ数日程休学し、登校を開始した。

 頻繁に休むので授業にもついていけなくなるかと思ったが、心配したクラスメイトがノートを持ってきてくれた。

 彼女達と親しくなったわけではない、と思っていたが自分以外はそうでもないらしい。

 この国の学術レベルを知るには学びを修めるしかない。それを諦めれば何もする事が無くなる。それはとても勿体ない。

 気持ちを新たに教室向けて歩いていると複数の男子生徒の姿が見えた。

 

(……そういえば今日は絡まれないな)

 

 男子に言い寄られる事は無いが女学生からはよく思われていないことは知っていた。

 キトリーの(げん)によれば黒に近い髪色を持つ者だからだそうだ。

 バルシャイン王国についてまだ理解が及ばない事があるらしい、と思いつつため息をつく。そんな彼女の背中を心配してついてきたキトリーが(さす)る。

 通りすがる男子生徒は金髪の第二王子のエドウィン・バルシャイン。他の女生徒のように騒ぎ立てず軽く一礼する。これは単に顔見知り程度の認識での挨拶だ。

 相手方は王子だけ軽く手を上げたがお付きの二人――ウィリアム・アレスとオズワルド・グリムザード――は機嫌悪そうにしただけだった。

 礼を解いて手の甲を上にし、(おもむろ)に突き出す。

 

「軽く私と踊ってくれないか?」

(……こんなところで!? なぜ、ダンスを……というか廊下で……)

 

 そうアルフィアから言われた第二王子は少々面食らったが淑女からの誘いを無下にするわけにはいかないと思い、彼女の手を取る。

 お付きの二人は何か言いたそうだったが王子の決断に苦虫を噛み潰したような顔のまま黙った。――キトリーも彼女(アルフィア)の突然の行動に驚いたものの黙って壁の花になる。自分は平民で彼らは貴族。言葉一つで首が飛ぶこともある。

 舞踏(ダンス)といっても荒々しいものではなく、軽く回る程度。

 五分も経たずに踊るのをやめ、互いに一礼する。

 

(……アルフィア嬢のダンスは可もなく不可もなく……。近づいて何かを囁くような不純も無かった)

 

 現場が学園内の廊下でなければ華やかだっただろう。

 そのまま立ち去るのかとエドウィンは思ったがアルフィアは顔を上げたまま少しの間、黙っていた。――両の目蓋が閉じたままなので立ったまま寝ているように見えなくもない。

 病弱で欠席の多い女学生。それ以外は目立った事は無いが良くない噂が付いて回っている事は承知していた。

 殆どが黒髪の女学生(ユミエラ・ドルクネス)についてだが。

 

「……度々で申し訳ない。厚かましいお願いではあるが、どうか聞き届けてほしい」

 

 居住まいを正したアルフィアは平身低頭の態度でエドウィンに言った。

 多くの女学生から愛の告白などを受ける事がある彼らにとってまたか、という事態かと勘ぐった。

 前回は唐突に婚約者だと(のたま)ったが、あれはユミエラに対する嫌がらせである事は場の雰囲気からも理解できた。だが、今回はどうなのか、とエドウィン達は戸惑った。

 

「改めて……。私はクラネル辺境伯が娘アルフィア。この度は無礼を承知で第二王子にお願いしたき儀がございます」

 

 至極丁寧に紡がれる言葉は傲慢なものではなく、貴族淑女としての柔らかさがあった。

 少し興味があったのでエドウィンは無下にせず、言葉を続けさせた。本来、格上の相手の言葉が無い限り隠したから発言すべきものではない。しかし、ここは身分を問わない学園だ。アルフィアの(げん)()()()()()()()()であれば問題は無いが内容によっては罰せられてもおかしくない。

 内容は消息不明の様な存在になっているクラネル辺境伯の動向について。

 十五年も音信不通となっている事態に流石のエドウィンも気の毒に思えた。

 

(連絡しようにも音信不通となれば心配もしよう。しかもこちらからの接触を拒んでいるとか)

 

 病弱なアルフィアは気軽に王都に向かう事もままならず今まで難儀していた、という事を掻い摘んで説明した。キトリーも補足するように言葉を差し挟む。

 王都に居るであろう貴族の動向を探るには上位貴族に尋ねた方が分かりやすいのも頷ける。なにより貴族の知り合いが居ないアルフィアには頼れる手段が殆ど無い。

 ダンスに関して、ふと踊りたくなっただけと言った。

 

invictus

 

 言うべきことを述べた後、どうするかはエドウィンに委ねてアルフィアはあっさりと引き下がる。

 要望というよりは愚痴に近い。無理にどうこうする気も無く第二王子達から離れた。

 メイドのキトリーは気にしていたがアルフィアが何も言わないのであれば黙っているほかない。

 

(……他の貴族の伝手が無い今、世間話程度が関の山でしょう)

(折角覚えたダンスを披露出来て良かった。……パーティ会場ではなく廊下だったが……)

 

 深刻そうな雰囲気になったがアルフィアの頭の中では言うべきことを伝えた為、気持ち的にすっきりしたようだ。

 元々両親については半ば諦めていた。学園を卒業するなり退学なりした時点でもう他人と思うと決めていた。

 そうであるならば自分のやりたいことを追求してみるのも楽しみと言える。折角の第二の人生だから。

 だからといって浮かれた気分になって踊り出すほど心はまだ若くない。見た目には少女なのだが。

 

(……浮かれても良い年だったな。しかし、心はまだ老齢したまま……。何とも勿体ない)

 

 殺伐とした冒険者家業ではなくごく普通の少年少女。貴族という階級社会の一員ではあるものの荒んだ心では希望も何もあったものではない。

 メイドのキトリーにしても領地を任せている家令達や領民の為にも令嬢としての振る舞いを今一度学ぶのも悪くない、と思えてきた。

 魔王の復活という驚異こそあるようだが世間的にはあまり逼迫(ひっぱく)していない。

 

「お嬢様。午後の授業はお休みになられた方がよろしいのでは?」

「……いや」

 

 魔物討伐の授業はどうしても出たかった。その為に午前の授業を取り止めて保健室で過ごす事にする。もはや一日をまともに過ごすことなど出来ないと理解していた。

 無理をしているようだが休める時はしっかりと休むアルフィアにキトリーは僅かばかり安堵する。

 小さなころから病弱であった貴族令嬢のわりに下々の事を気に掛け、決して我儘な態度を見せない。――貴族らしくないと思われているが従者たちからすれば手のかからない子供に見えた。

 要領も決して悪くない。

 難点は虚弱である事と食が細いところだ。

 

(体力は減る一方……。でも、ご学友との交流も無視できない)

 

 アルフィアを保健室に連れて行き休ませた。

 体力が無い為か、すぐに寝入ってしまう。

 楽な仕事かと言われれば――他人から見ればそう見えてもおかしくないくらい楽である。しかし、それに胡坐を好くメイドはクラネル領には殆ど居ないし、キトリーの記憶の中でも手抜きをしている仲間の姿は思い当たらない。

 楽だからこそ競争率が激しく、手抜きをしようものなら容赦なく解雇される。いくらアルフィアが大人しくても執事やメイド長の目は誤魔化せない。

 付き添いも苛烈な競争に勝ったからこそ得られた仕事だ。そう易々と渡しはしない。このことに関してアルフィアは特に関わっていないがご機嫌取りはあまり得策ではないとキトリーは学んでいた。

 

invictus

 

 午後の授業が始まる少し前にキトリーに起こされたアルフィアは自身の体調を()()確認した。

 派手な吐血をする事があるが体調としては悪くない、という判断を下す。

 第二の人生にしては先が思いやられる。

 

(……平和だ。常に敵対派閥と争っていた時代が懐かしく感じるほどに)

 

 血の気は多い方ではない彼女は静かな時を好む。そして、それが今正に訪れている事に気づくまでしばしの時を要した。

 喧騒は無く、学生達の賑やかな声が微かに聞こえる。

 灰髪の少女は閉じた目蓋から手を伸ばしても掴めなかった至福を得た。だが、満たされない。

 彼女の隣には何も無いから。

 

「……ここが私の部屋だったら楽なのにな」

「消毒液の匂いの中での生活はちょっと……」

 

 苦笑を滲ませるキトリーに冗談だ、とアルフィアは微笑みかける。

 素早く身支度を整えた後、そのまま校外に向かう。

 着替えは必要なく、武器等も現地で支給される。

 王立学園の敷地は広く、森と山があるためか魔物をおびき寄せる事も出来るという。

 魔物との戦闘はほぼ集団戦。

 前衛と光栄を複数人用いて一匹の魔物を滅多打ちにする。

 

(生徒達の怯え具合から彼らは戦闘に不慣れなようだ)

 

 経験を積んでレベルアップする為には複数人での戦闘は非効率過ぎる、と考えるのは黒髪の女生徒ユミエラ・ドルクネス。

 アルフィアはレベルアップ自体が未だによく理解できていない。――前世の記憶では強い魔物を倒したり偉業を成せば格段に強くなるのだが、この世界では同じことが出来ないようだ。

 何となくだが魔物を倒して経験を得ていけば自然とレベルが上がる、ということは教わっている。であれば強そうな魔物を複数人で倒しても大して経験値は得られない筈だ。そうでなければ強者が多く居ない理由にならない。

 ゲーム的な思考が出来ないアルフィアとは違いユミエラは()()()()()()()()を誰よりも理解している。

 

「……効率が悪い」

 

 ため息交じりにユミエラは呟く。それをアルフィアは小耳に挟んだが言葉を掛けなかった。いちいち反応する必要がなかっただけだ。

 支給された剣の調子を見つつ魔物が自分に襲い掛かってくるのを待っていた。

 教師は無暗に近づくと危ないから遠距離からの攻撃を推奨しているが経験を得る為には近づくほかない。

 彼らを襲う魔物は黒い狼の様な存在で倒すと身体が掻き消えて魔石を落とす。

 

(数が少ないから私の分が来ないな)

 

 アルフィアは剣を持ったまま佇むことになった。範囲魔法を扱うので支援もしずらい。

 少し退屈していると何処からともなく笛の音が聞こえた。そして、魔物が大量に襲ってくるから気を付けろ、と警戒を促す声が轟いた。

 その言葉の通りに森から今までは散発的だった魔物が数を増して現れる。

 生徒達は恐怖に(おのの)きながら戦闘に臨む。アルフィアも飛び掛かってくる分を攻撃するが彼らほどの危機感は抱かなかった。

 力こそ弱体化しているが別に怖がるほどの脅威とは思えなかった。この世界の基準でレベル7程度でも充分に戦えているし、それほど後れを取っていない事に安心した。

 

invictus

 

 ()()()騒動があったものの授業は滞りなく進み、軽傷者を除けば死者は出なかった。

 怪我をすればすぐに回復ポーションが与えられ、重傷者はユミエラの回復魔法で事なきを得る。

 過保護過ぎる内容だとアルフィアは感じたが概ね()()した。

 そして、何度か魔物を呼び寄せた笛こそ『魔物呼びの笛』というアイテムであると知れた。

 

「……はっ。もっと吹き鳴らせ。強くなるには……」

 

 少し興奮したアルフィアは眩暈を覚えて倒れ込んだ。

 気付いたユミエラが配給されたポーションを持ってきて彼女に飲ませる。

 外傷は無く、病気に効くかどうかは考えに無かったが少し経つとアルフィアの呼吸が治まったので安心した。

 生徒達の増強も大事だが病弱なアルフィアに無理をさせる事も出来ない。――彼女のメイドの怒り顔を思い出して自重する事に決めた。

 魔物の気配が治まった後、まずアルフィアを木陰に運んでおく。

 

(他の生徒と違い、彼女は随分と好戦的だった。……嫌いじゃないぜ)

 

 と、一人で不敵な笑みを浮かべるユミエラだった。

 一部を除けば大混乱だった授業が終わり、アルフィアは女性教師に支えられて保健室行きになった。もはや自室や教室より滞在時間が長くなったのでは、と思われる程に。

 学園では生徒達に魔物を倒させる授業があるがやる気を出しているのは病弱なアルフィアを除けばユミエラだけであった。

 保健室の(あるじ)の様なアルフィアは午後の授業にやる気を出し、心配する生徒や教師が顔を青くする様が見られるようになった。

 

「他が怖がるなら魔物は私達だけで倒せば良かろう」

 

 そう主張するも他の生徒達の為にならないと教師が異を唱える。側に居たユミエラもたくさん魔物を倒したくて退屈を覚えていたのでアルフィアの意見には賛成だった。

 大多数は恐怖におののいているのでアルフィアの要望は容易く却下されることになる。

 レベルアップにしろ、強くなるには魔物との戦闘を経験しなければならない。その点について教師達はあまり重要視していないようだ。

 安全に無理なく魔物と戦いましょう。――そんなことで本当に強くなれるとは到底思えないし、学生達は魔物の脅威から人々を守る事の筈だ。

 

(……このやる気の感じられない空気感は何なのだ? ごく一部の生徒だけ強ければいい、という考えなのか?)

 

 煮え切らない授業に早くもアルフィアは疑問を抱いた。

 そんなのんびりした調子のまま気が付けば夏休みになっていた。勉学にしろ、魔法や魔物討伐にしろ、王立学園で充実した生活というのはついぞ経験できなかったように思われる。特にアルフィアにとっては。

 休み期間中、他の生徒達は実家に帰省する者が多くアルフィアもそうする予定だった。

 メイドのキトリーが機敏に機敏に動き回る様子を眺めつつクラネル領の事に思いを馳せる。

 

(辺境伯領は外国勢力や魔物との戦いにおいて危険度の高い場所の筈だ。それなのに何の報告も来なかったな。守護騎士団が優秀なのか、私に気を使っているのか)

 

 生まれてこの方、危機的状況は病気のみ。驚異ではあるが今すぐどうこうするものではないのが普通なのかもしれない。

 とにかく、実家に帰って従者たちの様子を見て――おそらく半分以上は静養する事になる。

 とても大事に扱われる事は元冒険者であるアルフィアにとって退屈以外の何ものでもない。平和である事が望ましいのは理解している。

 

invictus

 

 帰省したアルフィアは両親の居ない自宅でたくさんの従者に出迎えられた。久しく見ていなかった者達の元気そうな表情にひとまず安堵する。

 メイド長のクソアーヌと対面し、改めて名前について軽く唸る。――どうしても気になって仕方がない。

 家長の居ない執務室に赴き、領地の様子について大雑把な報告を受けてた後、山積みの書類に目を通す。といってもほんの数枚だけだが。

 その後は浴槽に連れていかれて就寝を促され、お抱え医師に着こまれて数日程療養生活を強いられる。

 後日改めて領内事情について従者たちと言葉を交わす。それと頼んでいたアイテム類が届いたので受け取る。

 

「国境最前線なのに随分と平和なのだな。……この報告が間違っていなければ、だが」

「そうですね。境界線の向こうに外国勢力が陣地を構築している、というような報告もありませんし、村落の襲撃報告もありません」

「大なり小なり魔物との遭遇はあるようですが、この辺りには強い魔物が居ないのかもしれませんね」

 

 魔王が居るのに平和でいる事に疑問を覚えるが何も被害が無い、と言われればそうかとしか言いようがない。

 領主代理の様なアルフィアに出来る事はある程度の命令だけだ。率先して戦いに赴く事は執事達に止められてしまうし、弱い自分は(かえ)って足手まといだ。

 辺境伯当主が不在でも娘のアルフィアが代理領主として書類にサインする事に支障が無いらしい。ただ、これが正しい事なのか判断できないのが問題だった。

 

(判を勝手に押していいものか? 貴族の知り合いが居ないと駄目だな)

 

 黒髪で忌み嫌われているユミエラ・ドルクネス以外では第二王子くらいしか面識がない。他の生徒とは何故か触れ合ってこなかった事を今更ながら思い出す。

 その後、体調を考慮し、無理のない範囲で過ごした。残念なことがあるとすれば領内の視察が出来ない事だ。領主代理とはいえ領民と触れ合えないのは(いささ)か残念であった。

 天気が良い日は庭に出て軽く鍛練し、自領に存在するダンジョンに向かう計画()()話し合った。

 自室の窓から外の景色に顔を向けて、比較的穏やかな日常を過ごせているな、と。

 毎日のように騒動が起きても困るが、平和である事は悪いものではない。

 

(こうしてのんびり過ごしていると時間が物凄い速さで過ぎていく。夏休みもあっという間だろうな)

 

 もう少し健康的であれば自領の視察に赴くのだが呼吸が苦しくで外出もままならない。

 不自由な生活に嫌気を刺して三日ほど過ぎた頃、突如ユミエラ・ドルクネスが訪れた。近くを通りかかったので寄ってみた、という言い分で。

 追い返すのも可哀そうなのだがキトリーが敵認定しているので機嫌が物凄い悪い。

 学友という事でまずは客間に案内して適当に持て成しておけ、と従者たちに命令しておいた。代理とはいえアルフィアがクラネル領の代表者だ。一度命令すれば従者は従うほかない。

 来客用の服に着替えるのは手間だし身体に負担がかかるので寝間着姿のまま移動する。これには従者達も意見は言わなかった。

 

「お邪魔しています」

 

 貴族としての最低限の挨拶を述べるユミエラの姿は黒い靄に覆われていた。相も変わらない姿に安心感さえ感じるほど。

 お互いが椅子に座ったところで軽食が運ばれた。

 

「立ち寄っただけだと聞いたが……、良ければ街も見ていくといい」

「うん、そうする」

 

 話すほどの話題は無かったがまずはユミエラの用件を聞く事にした。とはいえ、大した用はないようで込み入った話しは無かった。

 別の伝手で(ドラゴン)退治に赴いて戦利品を手に入れたらしい。

 魔獣が居る事は知っているが(ドラゴン)については初耳だった。

 アルフィアにとっては因縁の相手でもあるが――弱体化した今となってはどうする事も出来ない。

 

「貴女が病気なのは聞いていたけど……、重いのだろうか?」

「そうだな。肺病だそうだ。生まれた時から(わずら)っていて外出もままならない」

 

 特効薬といえる物は無く、空気の綺麗な場所で静養するのが精々だと言った。

 病気を癒す魔法でもあればいいのに、と呟いた。

 レベル99であるユミエラとて病気を癒す魔法は習得していない。

 

「薬が駄目なら病巣を丸ごと消し去ってから癒しの魔法で治すくらいか? そんな事が出来れば、だが」

「……う~ん。やってみましょうか?」

(強引な方法なら出来るかもしれない。もげた首すら繋げた私だ。頑張れば出来るかも)

 

 必要な魔法はすぐに思い浮かんだ。ただ、周りに控えている従者達が物凄い形相で睨んでいるのが気になる程度――

 最初こそ血生臭い出会いだったが敵対せずにいるのはアルフィアの優しさだろうか。黒髪に対する忌避感も無い。

 同じクラスメートやアリシア・エンライトは未だに怖がっている。

 

invictus

 

 病を癒すと言っても方法が血生臭い事はユミエラも()()()()感じていたし、従者達の様子からも安易に人前で披露する者ではないと思った。

 間違いなく怒られる。

 人から嫌われることが多いから慣れたものだと思っていてもやはり気持ちとしては嫌われたくないし怒られたくない。

 

(裏ボスだけど好感度上げたい)

 

 それと最近友達と呼べる存在が出来た。――アルフィア以外で。

 そういえば、とユミエラは思う。友達の家に遊びに来たのは今回が初めてではないだろうか、と。

 今度、ドルクネス領に誘ってみようかな、と思いはしたが病弱ゆえに移動が難しい事に気付いた。ならば、なんとか元気になってもらわねばまるいと強く思う。

 

「病巣を消し去るとしてもやっぱり血が飛び散ると思います。私の魔法は……その……見た目がグロくなるので」

「……何となく予想は出来るが……。どの道、長く生きられるとは思っていない」

(それでも十五ほど生きられたのは奇跡ではないだろうか)

(局所的に『ブラックホール』を発生させてすぐに『ヒール』をかければ……)

 

 まずは邸宅自慢の浴槽に向かう。

 ユミエラより(くらい)が高い為か、ドルクネス伯爵邸より豪華で広かった。

 装飾こそ派手さはないが貴族らしい造りに感動した。だが、アルフィアはここを従者達に使わせて自分は自室のこじんまりとした浴槽を使っている。理由は単純に広すぎると思ったからだ。

 移動範囲が狭い彼女は邸宅の殆どを従者に開放している。それこそ好きに使え、と。

 

(アルフィア嬢は痩せ型体型だけど凄くスタイルがいい。灰色の髪だけどパトリックとの繋がりはないみたいだし)

 

 身体をバスタオルで巻いたアルフィアを見て感心した。――浴槽の中に入る為にユミエラも裸になった。あと念のためにメイド達も控えている。

 大量のMP(マジックポイント)を消費すると思われるので回復薬やポーションの用意をさせた。ただ、MP(マジックポイント)についてアルフィアは小首を傾げた。なんだそれは、と。

 ゲームの知識があるユミエラは知っていたがアルフィアは専門用語に理解が無いようだった。ゆえにこの世界特有のNPC(ノン・プレイヤー・キャラクター)ではないか、と。

 『乙女ゲーム』の『光の魔法と勇者様』を散々やり込んだユミエラもクラネル領やアルフィアという名前在り(ネームド)キャラクターの存在は初耳だった。であればやはり自分と同じく転生者ではないかと思うのだが、全く正体が分からなかった。少なくともアリシアは転生者ではなかった。

 

(私は『ヒカユウ』の知識があるけど彼女は全くの素人のようだ。しかも病弱令嬢。こんなキャラクターはやっぱり私の知識には無いな) 

 

 それとクラネル領が本当に実在している事も驚きだった。少なくともここは広大な森の一部だったと記憶している。もちろん魔物が住む人跡未踏の地だった。

 ちゃんと物流が発達、発展しており、王国の歴史にも記載されている。――教科書に明記してあった。

 余計な雑念に囚われている内に用意が整った。

 

(……魔法を使ったらおっぱいが消えそう。ちゃんと治るかな?)

 

 腕一本の再生は確認済みだ。だから、頑張れば出来ない事は無い、と思う。

 ユミエラとて失敗は怖い。レベル99とて気持ち的には普通の少女だ。表情筋が死んでいても何の感情も無いわけではない。

 ゲームの中のユミエラというキャラクターの仕様だから仕方がないと言い聞かせている。

 従者に止められる事を危惧したのでアルフィアに人払いを頼んだ。自分が言えば絶対にメイド達は移動しない。こればかりは確定事項と諦めたので。

 

invictus

 

 アルフィアの言葉に渋々従ったメイド達は浴室から退出する。元気な姿になるよう祈っていてくれと彼女の言葉を聞いて、まるで今生の別れのようになってしまった。

 一応ユミエラも全力を尽くします、と言っておいたが睨まれた。

 まずポーション類が魔法に巻き込まれないようにバッグに詰め込んで腰に巻き付けておいた。

 アルフィアには硬い良し繋いで仰向けに寝転がってもらった。それとタオルを取る。

 他人の裸体にしばし赤面しつつ。――魔法を使ったらタオルは吸い込まるのではなかろうか、という事実に気付いてより恥ずかしくなってきた。ただ、寝ているアルフィアは大人しかった。

 

「胸を大きく削ることになると思いますし、たぶん相当痛いです」

「……ああ。覚悟しておこう」

 

 まずは布巾を噛んでもらい、後は耐えてもらうだけだ。

 イメージは出来ている。実際に使えばどうなるかが問題だ。しかも他人の身体だ。失敗も想定しなければならない。

 頭が吸い込まれたらアウト。即死してもアウト。

 レベル99の本領を発揮してもらわなければ自身は単に貴族令嬢を殺した殺人犯になってしまう。――そうなっても国外逃亡するだけの自信はあるが、後味が悪いのは嫌だなと思った。

 

(基本的に魔法はイメージでどうにかなる。強弱も範囲も。局所的に小さく出来た魔法があるからきっと大丈夫)

 

 自身に出来ると言い聞かせつつ何度も深呼吸を繰り返す。

 他人を救うための魔法は実のところ持ち合わせていない。それは光属性のキャラクターの役目だと思っていた。

 ユミエラは闇属性のみ。傷を治す魔法こそあるが万能には程遠い。しかし、大抵の傷は治してきた。

 両手を開いたり閉じたりしつつ軽く魔法の練習をしてみた。

 一瞬で出したり消したりは出来ないようだが数秒であれば問題は無いと自信がついた。

 

(……肺は大体この辺り。魔物を倒すのは得意だけど医療となると……レベル99でも自信が持てない。最悪、病気が治らない事も想定しなければ)

 

 ふと自分の胸とアルフィアの胸を比べてしまった。

 巨乳というほどではないが形のいいおっぱいが目の前にある。つい悪戯心が騒ぎ出し、触りたくなるものの強靭な精神力にて自制する。

 それにしても自分の胸は慎ましやかで寂しいな、と思わないでもない。――あくまで個人の見解だ。

 

「では、気をしっかり持っていてください。……ブラックホール

 

 アルフィアの胸部付近に黒い靄の塊のようなものが発生した。

 範囲内にある物質を吸い込む闇属性の魔法である。

 頭が吸い込まれないように注意していると骨が砕ける音が聞こえてきた。

 聴力も抜群に良いユミエラは彼女の身体が粉々になる様に眉を寄せて顔を(しか)めた。

 吸い込みを防ぐために彼女の頭を掴み、すぐに治癒魔法を唱える。

 ほんの一瞬とはいえ人間の身体が修復不可能なほど崩れる様はユミエラとて吐き気を覚えるほど。というより元々現代人であった彼女は人体の損壊に慣れていない。平気そうな顔をしているけれど内心では慌てていた。

 

(魔法を使う前からグロい。自分でやったこととはいえ内臓がここまで見えている状態はちょっと……。ちゃんと再生しますように、再生しますように)

 

 心臓が損壊しているし、即死も危惧したが魔法は今のところ順調に効果を発揮している。

 少し時間がかかっているように感じるのは自分が焦っている証拠だ。少なくとも一般生徒に比べれば早い方と言える。

 浴室の床に大きな穴が開き、血も結構飛び散っている。再生の都合で腕が余計に増えていたりしたが本体は形を戻ししあった。

 思った以上に消費した魔力を補いつつ治癒魔法に全力を尽くした。

 

invictus

 

 体感時間では三十分から一時間ほど。実際には数分程度かもしれないがアルフィアの身体はきちんと元の形を取り戻した。

 意識の回復に時間がかかるとしても――問題があるとすれば病気が治ったかどうかが分からない所だ。

 あくまで病巣を削り取っただけで完治したかどうかは専門家に任せるしかない。

 

(ちゃんとおっぱいも復元できた。……さすがレベル99。失敗したらどうしようかと思ったけれど……。……本当に良かった)

 

 壊れた浴槽については謝るしかない。弁償したくても手持ちがない。最悪、アルフィアの下で働く事も覚悟しておこうと決めた。

 後は飛び散った血をどうやって洗い流そうか、悩む。

 人体が完成してから心臓が動いているかどうか確かめてから従者を呼んで対応してもらう事にした。事前に色々と説明したはずだが現場の惨状に何人かのメイドが悲鳴を上げた。

 どの道、隠しようがない。大きな音も鳴った筈だし。

 

「病気については分かりませんが最善を尽くしました」

「……お嬢様の命令が無ければ捕縛命令が出せたのに」

(……貴族令嬢を殺しかけたのだから仕方がない。でも、故意とはいえ依頼を受けてやったのだから文句を言われる筋合いはない)

「みんな、今回はお嬢様の指示によって(おこな)われた事です。逆恨みはおやめなさい」

 

 と、メイド長が手を叩きながら周りに控えていた従者たちに言った。

 ついで壊れた浴槽の修理の為に業者の手配も(おこな)う。そんな様子を見てアルフィアが彼らに愛されている事を知り、羨ましくなった。

 ユミエラは黒髪で闇属性の魔法を扱う事で身内にも嫌われていた。灰色の髪もあまりいい印象を与えないらしいがクラネル領では世間の風潮とは違っているようだ。

 それとユミエラに客室が与えられ、改めて食事が振舞われた。アルフィアの意識が戻るまで軟禁させてもらう事を伝えられたが大人しく従う事を約束した。元より自分も彼女(アルフィア)の無事を確かめたかった。

 一人になった時、肺病の事を考えた。

 手術が難しく特効薬も無さそう、という事は何となく理解した。今回の事で丸ごと病巣を消したから再発は無い筈だが、転移するような病気であれば今すぐでなくともいずれまた再発可能性がある。その時はまた消せばいいのかもしれない。

 元より魔法という超常の力で強引に消し去ったり再生させたのだからきっと大丈夫のはずだ。治癒魔法が病気も復活させるようなものでないかぎり――

 実のところ病気を癒すには光魔法が有効であることをさっき思い出した。ただ、その使い手(アリシア)のレベルはまだ低くアルフィアの病気を治す事は難しい、と思えた。

 

「健康な身体で育った私は運がいいんだろうな」

(しかも裏ボスだし。……嫌われるのは……)

 

 ゲームのユミエラ・ドルクネスは悪役令嬢だ。嫌われ役のキャラクターなのは本人も理解している。今はストーリー展開を変えて平和に過ごそうと活動していた。レベル99という事をすっかり失念して平和的な生活が脅かされているけれど、当人は至って平和主義な人物であると思っている。

 折角の異世界――ゲームの中だが――転生なのだから楽しみたい、と。

 その後、宿泊する事になり翌朝にはアルフィアの意識が戻ったと連絡を受けた。

 



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