鳳凰院凶真と沙耶の唄 (folland)
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プロローグ

カルネアデスの板というものがある。

船が難破し、乗組員が漂流した。その一人が壊れた船の板につかまった。

そして後から板につかまりに来たもう一人を、捕まっている板では二人分を支えきれないと考え突き飛ばしてしまう。

自分のために他人を犠牲にする行為は罪に問われるか否か。

 

俺はどうするだろうか。

 

また、ある漫画でもカルネアデスの板の話が出ていた。

その漫画の主人公は、自分がその状況になったら二人とも助かる方法を考えると言っていた。

 

俺もそうしたのだ。

 

幼いころからの幼馴染。大切な存在。

いざとなったら頼れる天才少女。愛しい存在。

 

天秤で測ることなどできはしない。

もし、どちらかではなく、第三の方法があるなら誰でもその方法を選択する。

 

そして、俺には第三の方法を探す時間を得る力があった。

 

タイムリープ。

 

繰り返す永遠の時間の中で、ひたすら第三の方法を模索していたのだった。

 

 

 

「明日もまたタイムリープマシンをいじって終わるの?」

 

紅莉栖が少し疲れたような声で俺に問いかける。

実際、俺も疲れていた。

 

「それしか方法はないのだ。お前にタイムリープしてもらうつもりもない。それに」

 

「……やめましょ。この話、何度したかわからないわ」

 

俺も紅莉栖もその議論は語りつくしていた。

特に俺は何倍も同じ議論を過去の紅莉栖としていたのだった。

 

第三の方法。

まゆりも紅莉栖も、確実に救う方法。

α世界線でもなくβ世界線でもなく、二人ともが生きていられる世界線。

 

今いるα世界線では8月17日にまゆりが死んでしまう。

まゆりがSERN襲撃とは関係なく、8月17日に死ぬことは何度も経験した。

そう何度も。

 

β世界線に行くと7月28日に紅莉栖が死んでいることが確定している世界になってしまう。

紅莉栖が血溜りの中横たわっているのを俺が観測してしまっている。

 

 

双方の悲劇を回避するための方法を俺と過去の紅莉栖は一つ考えていた。

タイムリープマシンの48時間前までしか飛べない制約を解消すること。

 

今はなぜか48時間までしか時を遡れないが、もしその制約を解消出来れば、7月28日以前へ戻れる。

7月28日以前でIBN5100を使ってβ世界線に移れば紅莉栖の死の日に飛べる。

そこで、紅莉栖の死を止めればいい。

 

ただ、それも確実な方法ではない。

アトラクタフィールドに阻まれ、『紅莉栖の死』が確定した世界へと収束してしまうかもしれない

 

そのために、7月28日までにタイムリープを再作成する。

紅莉栖が死ぬβ世界戦ではタイムリープマシンが作られていない。

だが、電話レンジ(仮)はあるので、そこからの改良の手順さえ覚えてしまえばいいのだ。

間違って紅莉栖が死んだままになってしまっては……意味がない。

 

 

つまり、やることは二つ。

 

・電話レンジ(仮)からタイムリープマシン作成をできる知識を得る

・タイムリープマシンの48時間制限の解除

 

一つ目については、現状ほぼクリアしている。

実際に紅莉栖の監修の元では4日ほどかかったが自力での作成に成功している。

あとはタイムリープマシンの48時間制限の解除だけだ。

 

問題は二つ目だ。

 

これは実際は紅莉栖にタイムリープしてもらってタイムリープマシンの制約解消を目指してもらう手もある。

だが、俺はそれを許せない。

過去は自分では変えたくないという紅莉栖の意思も尊重したい。

なにより、これは俺の招いた失態の報いだと思っている。

俺がやらなけばいけないのだ。

人に背負わせるつもりはなかった。

 

だからこうして何回も、何十回も、もしかしたら何百回もタイムリープしているのだ。

 

だがそれでも、制約の解消に至っていない。

いまだ、わずかな進展すらなく足踏みをしていた。

 

「それじゃ……私はホテルに帰るから……」

 

「ああ……」

 

口だけを動かし紅莉栖に返事を返す。

俺が、俺だけしか二人を救えない。なのに、いまだに何のめども立たない。

そのことが俺を盲目にしていた。

ただタイムリープマシンを弄るだけのからくり人形となっていた。

 

 

 

 

 

不意に携帯の音楽。反射的に着信相手を見る。

『助手』

紅莉栖か……と落胆してしまった。

未来からの俺がこの現状を打破してくれるかもしれないと一瞬思ったのだ。

未だ鳴り続ける携帯をしぶしぶとる。

 

「ねぇ!まゆりが死んじゃったの!もしかしてあんたは知ってたわけ!?そうなんでしょ!?」

 

「あぁ……そうだったな」

 

そうだった。すっかり忘れていた。

今日はまゆりが死ぬ日だ。

時間間隔が曖昧になっている。

紅莉栖にも説明をし忘れていたかな。

 

「そうだったなって……あんた、まゆりが死んだのよ!?どうしちゃっ」

 

プツリ

 

通話を終了し、そのまま着信拒否にする。

面倒だった。

今はタイムリープマシンの調査に没頭したかった。

この後通夜やら葬儀やらで色々大変になるだろう。

それすら、面倒くさい。

 

 

俺は静かなラボの中でタイムリープマシンを研究し続けた。

 

 

 

 

 

時間がわからない。今、何時だ?

日付感覚もない。

まゆりが死んでから何日たっただろうか。

あのあと紅莉栖やらダルやらが来て何かをわめいていったが、どうでもよかった。

 

ただ、進展が何もないことが悔しい。

同じ場所をぐるぐるとまわっているような閉塞感。

 

しかし、そろそろタイムリープをした方がいいだろうか。

そんなことを考えていた矢先。

 

バン

 

乱暴に扉を開ける音。

バタバタという複数の足跡。

振り向けば、もう何度と目にしたかわからない光景があった。

ポロシャツやアロハシャツで銃を持った男たち。

黒いライダースーツに身を包んだ、陰気な女。

桐生萌郁。

 

SERNの、ラウンダーの襲撃だった。

 

今日だったか?

考えてみて、そういえばまゆりの死後に長い間タイムリープをしなかったのは初めてかもしれないと思い至る。

 

「両手を上げて」

 

萌郁が銃をこちらに向ける。

おとなしく従う。

 

「あなたには付いてきてもらう。牧瀬紅莉栖、橋田至はすでに確保済み」

 

そういえば鈴羽はもう過去にいってしまっている。

まずいんじゃないか?

 

「抵抗するなら、殺す」

 

段々と頭に血液が巡ってくる。

これは、まずい。

なんとかして状況を打開しなければ……。

 

「その前に、確認したいことがある」

 

今俺はタイムリープマシンを背にしている形である。

42型ブラウン管も実験のために運よく点灯済み。

時間設定も48時間目一杯してある。

あとはヘッドセットをつけて動かすだけ。

なんとか時間を稼がなければ。

けど、どうやって?

 

「このタイムリープマシンもお前らが回収するのか?タイムマシンのために、俺たちを?」

 

チャンスを見つけるため、どうでもいいことで時間を繋ぐ。

考えろ。考えるんだ。

 

「そう。タイムマシンの研究のため、あなたたちを連れて……」

 

「岡部!!!」

 

ふいに紅莉栖の声が開け放っていた窓から聞こえる。

紅莉栖?捕えられていたはずでは?

 

「っ……」

 

萌郁が目線を後ろに向ける。

男たちも階段の音から、今にも上がってくるであろう紅莉栖に対し身構えている。

ここだ。

 

瞬時にモアッドスネークを取り作動させる。

 

「うおっ」

 

「なんだ!!」

 

「岡部!?無事!?」

 

タイミングが良かったようで萌香と男たちは混乱しているようだ。

 

「タイムリープする!!!」

 

紅莉栖に向け叫び、ヘッドセットをつける。

あとは携帯で電話するだけ……

 

パン パン

 

腹部に激痛。

撃たれたか。

意外に冷静な思考のまま携帯を操作する。

痛みはドーパミンが紛らわせてくれているらしい。

そのまま通話ボタンを押す。

バチバチと放電現象が発生する。

跳べる。

 

パン パン ガチャン

 

左耳に激痛。

またか。

そう思い左耳に手を当ててみると、ヘッドセットの壊れた感触がある。

 

壊れた?

 

そして放電現象もいつもと何かが違う。

 

まさかさっきの俺の腹に当たった弾も、そのままタイムリープマシンにあたって。

 

マズイ。

だがいまさら止められない。

跳ぶしかない。

 

「うおおおおおおおおおおお!!!」

 

 

 

自らの迂闊な行動に後悔しながら、俺は48時間前へと跳んで行った。

 

 

 

 



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01

チョrット置かkべ、(ちょっと岡部、)唖何tとか逗イッタら動なの?(何とか言ったらどうなの?)

 

ひどく耳障りな奴らの声がする。

相変わらず、ここは地獄のようだ。

 

オカ燐、すkし顔ぃ蛾ろが悪いヨぉ(オカリン、少し顔色が悪いよぉ)

 

「なんでもない。大丈夫だ」

 

気持ちの悪い肉塊に苛立ちながら答える。

 

グロテスクな光景に様変わりしたラボの中で、俺は一人孤独だった。

窓の外に目を向けても、その様相は変わらず、肉塊と汚濁にまみれた地獄絵図が続く。

 

 

原因は間違いなくあの襲撃があったときのタイムリープだろう。

 

ヘッドセットとタイムリープマシンの損傷。

それによりタイムリープが一部失敗してこのような事態に陥ったのだろう。

 

人が肉塊に見え、声が気味の悪い不協和音になり、世界が地獄絵図に見える。

 

御曽ぁk、(おそらく)快と不快のky区が彩r宅てmンてる。(快と不快の感覚が逆転してる)mtr田qt、語句タンジュんイってだkど(もちろん、極単純に言ってだけど)

 

とは過去の紅莉栖の言である。

もちろん、気味の悪い声で、だが。

 

しかし確かに、とも感じる。

それは以前にはグロテスクに感じたものであろう写真や映像に安らぎを覚えるからだ。

 

オカ燐、(オカリン)なnデ遜nキモチわる泡wと見てrうん?、(なんでそんな気持ち悪いサイト見てるん?)

 

と、大きな肉塊であるダルに言われ気づいた。

 

PCで現状を調べるついでに気になった癒されるサイトを巡回していた時だった。

 

 

そしてもちろん治療法を探ろうとした。

そこいらの病院にも行ったし、紅莉栖にも協力してもらいMRI検査なども行った。

 

結果は、『異状なし』。

 

タブん、n王の記憶域nいじょ鵜区ftg、(多分、脳の記憶域に異常があって)快と不快お記憶が逆転シ照るじゃナ化しら(快不快の記憶が逆転してるんじゃないかしら)

 

「どうすればいい」

 

…現jォウは、対処リョウhouシカ無ィワnエ(現状は、対処療法しかないわね)

 

気味の悪い声に耐えながら、紅莉栖に問いかける。

 

「対処療法、とは?」

 

フカnぁ感情を一だ物nい耐シて(不快な感情を抱く事物に対して)体制を持つoUにtesし筒ナラしてぃく、(耐性を持つように少しずつ慣らしていく)トrうマノ治療と」おnあjね(トラウマの治療法と同じね)

 

「そう、か…」

 

つまり、この状態に慣れていくほかないということか。

この地獄のような世界を普通のものとして認識できるまで耐える、ということ。

 

気の遠くなるような話だ。

 

 

こうして俺の目標にタイムリープの制約解消に加え、俺の頭を治療する方法を模索することが増えた。

 

そのどちらも幾度のタイムリープの中でも全くめどすら立たない。

それでも俺は二人を救う方法を模索し続けるしかないのだ。

 

 

 

 

「しかし……少しは慣れたといっても、やはり精神的に来るものがある……」

 

誰もいないラボの中。

極力まわりのグロテスクな様子を目に入れないために薄暗くした開発室で、俺は呻いた。

 

タイムリープマシンもご多聞に漏れずにグロテスクだった。

一応パーツパーツの区別などは付けられるが、長時間見続けるのは辛い。

 

何よりラボメンとの会話でさえ苦痛であった。

 

はじめの頃は地獄となった世界線へと迷い込んでしまったと思い、恐慌状態になっていたものだ。

泣き叫び、地獄となったこの世界から逃げ回ろうとしていた。

どこにも逃げ場などなかったが……。

 

「少し……休憩するか」

 

作業を中断し、パソコンの前へと向かう。

こうなってからの俺は一つの癒しを見つけていた。

 

パソコンを立ち上げ、あるサイトへと飛ぶ。

 

そのサイトは画像掲示板だ。少々特殊な画像の、だが。

 

「俺にとっての唯一の癒しだな……」

 

殺人、戦争、猟奇、狂気。

恐らくそういったものだろう。

俺には全く逆のことに感じる画像たち。

癒し、慈愛、安心、神聖。

そういったものをここだけは許される。

 

 

「あぁ……やはりこういうのがいいな……」

 

お気に入りは中東などの戦争区域や少し前でここらで起きていたニュージェネ事件の遺体の画像などだ。

緑溢れる心安らぐ景色。

見たことのないみずみずしい果実。

バラバラになった肉塊は不思議と綺麗なものになるのだった。

 

様々な画像をカテゴリごとに順に見ていく。

と、そこで奇妙なカテゴリを見つける。

 

『捕食事件』

 

心惹かれるタイトルだった。

しかし、こんなものあっただろうか?

何十回に及ぶタイムリープの中でこのサイトを幾度も巡回してきた。

しかし、こんなタイトルのカテゴリはなかったように思う。

それとも俺の記憶能力も段々と壊れてきたのだろうか。

 

訝しみながら画像を表示する。

 

「これは……」

 

散乱した肉塊であったもの。

まるで食い散らかされたかのように、そこここに散らばっている。

事件前はグロテスクであっただろう家も、肉塊の体液によって緑色に彩られているようだ。

そして、それは複数の家にわたっているようだった。

 

やはり、こんな画像は目にしたことがない。

タイムリープによって世界線がずれたのか?

そもそも俺がこんな状態になる前と後でも世界線がずれていたか覚えていない。

ダイバージェンスメーターの細かな数値も覚えていない。

案外、ダイバージェンスメーターの表示桁以下の世界線が変わっているのかもしれない。

 

そんなことを考えながら『捕食事件』の画像についてのレスを読んでいく。

 

「マジヤバいこれ」

「てかこれどこで起こってんの?日本っぽいけど」

「この画像って警察のじゃなくて野次馬がとったやつなんだっけ」

「なんか動物に食い散らかされたっぽいな」

「まだ解決してないんだっけ?『捕食事件』」

「たしか東京のどっかだった 詳しくはココ」

 

場所についてのリンクがあったので辿ってみる。

どうやら事件の場所はここからそれほど離れていないようだった。

実際に見てみたいが、事件現場として封鎖されているだろう。

細かな場所も画像と現場を見比べながら調べるしかなさそうであるし。

 

そう思いながら画像を見返していて、ふと気づく。

 

「これは……女の子……?」

 

画像の隅、ソファーの下あたりに白い服を着た女の子がいるように見える。

女の子?

人?

馬鹿な。

 

激しい動悸がする。

知らずつばを飲み込む。

 

俺は人が人に見えないはずだ。肉塊にしか見えないはずだ。

しかし、何度見返してもそう見える。

薄暗くてはっきりとはしないが、どう見ても人の形をしている。

 

馬鹿な。

なんで。

 

別の画像を見てみると、そこかしこに女の子がいる。

かなり見にくく、よく見ないと気づけないようだ。

こういう画像をよく見るのなんて俺ぐらいなのだろう。

 

俺だけが気づけた?

ならまだ見つかっていない?

本当はどんな姿をしているのか?

なんでこんなところに?

この女の子が肉塊を食べたのだろうか?

 

様々な疑問が頭をよぎるが、しかしある一つの思考がその疑問を打ち消していった。

 

会ってみたい。

 

画面から目を離し、時計を確認する。

今は夕方。電車も動いている。

 

俺は立ち上がり、身支度を始めた。

 

人がいる。

人に会える。

 

俺は高揚感に包まれていた。

この地獄のような世界で、やっと人に会うことができるかもしれない。

 

行っても会えるかどうかなどわからない。

しかし、動かずにはいられなかった。

 

気味の悪い肉塊となったラボメン達。

地獄のような様相になってしまったこの世界。

 

もはや何のためにもがいているかもわからなくなっていた。

そこに一筋の希望が舞い降りた。

 

人がいる。

人に会える。

 

携帯に例の画像たちを送り、再度場所を確認する。

現場周辺を探索しよう。

彼女の痕跡だけでも見つけられれば、或いは…。

 

ラボから出るときには、俺は紅莉栖やまゆりのことなど忘れ、名前も知らない女の子で一杯になっていた。

 

 

 



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02

電車は端的に言うなら、地獄だった。

不快な臭い、不快な声、不快な肉塊ども。

しかしそんな苦痛もあの少女に会えるかもしれないということが俺を奮い立たせていた。

 

電車に揺られ、乗り換え、また揺られ…。

付いた駅からしばらく歩くと件の事件現場である家へと着いた。

 

警察が張ったのであろう立ち入り禁止の黄色いテープが張り巡らされている家。

外側からでは緑色が少しも見えない。

周りも人がおらず、閑散としている。

警察が情報規制をしているせいだろうか。

 

周りをぐるりとまわってみたが、流石に少女の姿のかけらもない。

中に入ってみたいが、さすがに警察に見咎められるだろう。

仕方がないので他の事件現場の家へとまわることにした。

 

 

「収穫なし……か……」

 

臓器のような赤黒いもので覆われたベンチへと腰を下ろす。

結局どの家も立ち入り禁止のテープが張り巡らされていた。

事件発生の順に回ったが、少女の姿はどこにもない。

その痕跡を探そうにも方法がない。

聞き込みでもしようと思ったが、そもそもこの少女が『少女』であるかも怪しいのだ。

グロテスクな写真を見せながら謎の存在について聞いてまわりなどしたら、そのまま黄色い車に連れて行かれそうである。

 

そのまま公園であろう場所でボーっと考え事をしていると。

 

チラリと、白い何かが目の端に映った。

 

ガバリと体を起こして、その白を目で追う。

その白は公園の奥へと姿を消した。

まさか。

 

「おい!待ってくれ!」

 

あわてて立ち上がり、公園の奥へと走る。

 

あれは、例の少女ではないか?

そもそも俺は白いものなどほとんど目にしたことはない。

この地獄の世界で、綺麗なものなど目にかかれないのだ。

そうだ。

間違いない。

あの少女だ。

 

奇妙な形をした遊具であろうものや腐肉がまとわりついた木々を横目に、ひたすら走る。

チラチラと白い布が見え隠れする。

あの少女だ。人だ。

 

「頼む!!待ってくれ!!」

 

ゼイゼイと息が切れる。

貧弱な体が苛立たしい。

彼女はかなりの身体能力を持っているようで、白い服がどんどん遠くへと離れていってしまう。

 

「はぁ……はぁ……くそっ……」

 

結局、公園の出口についた時には彼女を完全に見失ってしまった。

 

 

彼女はなぜ逃げたのだろうか。

未だに上がっている息を整えつつ、ゆっくり公園内へと戻る。

 

いや、逃げるのも当然か。

彼女はおそらく『捕食事件』の犯人だ。

警察などから追われる立場にあるのだろう。

そもそも、人の形をしていないかもしれない。

普通の人間から驚かれ、避けるようにしているのかもしれない。

 

しかし、それならお手上げだ。

彼女が俺に会ってくれる理由などないだろう。

そもそも接触することができない。

彼女は人を避けるだろう。

あの『捕食事件』が風化しない限り。

 

まてよ。

『捕食事件』はいつに起こった?

 

あることに気付き、俺は携帯を操作し『捕食事件』の発生日時を調べた。

 

事件確認:8月12日 早朝

死亡推定時刻:8月11日 夜

 

これだ。

俺は天に感謝した。

タイムリープでの跳躍最大日時は8月11日の14時ごろ。

タイムリープで最大跳躍し、事件の家に来れば彼女と直接会うことができる。

 

自然と動悸が早くなる。

 

彼女に会える。

人に会える。

 

俺はラボへの帰路を急いだ。

 

 

唖~ォカ燐、ぉか画リn♪(あ~オカリン、おかえりん♪)

 

ラボを開けると肉塊が不快な声で俺を出迎えた。

まゆりだ。

 

「……ああ」

 

そっけない返答になってしまうが、しょうがいない。

まゆりはまゆりだが、不快でグロテスクな肉塊なのだ。

 

椅子に座っておそらく編み物をしているまゆりの前を通り過ぎ、開発室へと入る。

タイムリープの準備をするのだ。

 

「……ォカ燐(オカリン)

 

少し心配げな声でまゆりが俺に呼びかける。

 

「……なんだまゆり。俺は今忙しいのだが」

 

正確にはタイムリープをするので急ごうがゆっくりしようが時間はあまり関係ないのだが。

単純に、煩わしかった。

 

「……ぉカ燐は、ぉカ燐だよnえ?」(オカリンは、オカリンだよね?)

 

ふと、手が止まる。

 

ぉか燐はサぃ禁、ガn張りス云ギ輝美他で(オカリンは最近、頑張りすぎてるみたいで)スこsi新ぃ派いナノ出す(少し心配なのです)

 

「……俺は大丈夫だ。何も、問題などない」

 

そう、たかだか周りの景色が変わって見えるだけだ。

俺自身は何も変わってはいない。

 

muう理、シナぃ出ね(ムリ、しないでね)

 

「……ああ」

 

準備を終え、ヘッドセットを準備する。

 

もう何回目になるかわからない8月11日へと跳ぶため電話レンジ(仮)を作動させる。

 

携帯電話で電話レンジ(仮)への電話をする。

 

バチバチと紫電の放電現象が起きる。

 

ふと、まゆりの顔を盗み見た。

 

 

 

 

 

グロテスクなただの肉塊だった。

 

 

 



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03

8月11日。

 

またこの日、この時間に戻ってきた。

 

今までは、この終わることのないループの始まりの日に嫌気がさしていたものだが、今は違う。

 

携帯を開き、時間を確認する。

14時27分。

 

『捕食事件』の現場まではおよそ1時間半ほど。

事件が起こるのが夕方だったはずなので、ちょうどいいだろう。

 

ソファーの上、PC前の椅子、開発室にそれぞれ肉塊がうごめいている。

 

 

俺は誰にも悟られないように静かにラボを後にした。

 

 

「ここか……」

 

『捕食事件』の最初の事件現場である家へとたどり着いた。

 

時刻はまだ夕方に差し掛かろうかという時だ。

 

中には誰かがいる気配がする。

捕食される肉塊たちだろう。

 

しばらく逡巡した後、家から少し離れた自動販売機の横に腰を落ち着ける。

 

さて、どうやって彼女に会おうか。

 

彼女は人に会うのを避けていた。家の周りをうろついていたら逆に会えなくなってしまうのではないだろうか。

いやしかし、人を避けるようになったのは警察から追われてからでは?

ただ、彼女の姿のこともある。

特に事件前後になにがしかを発見したという噂もない。

やはり、捕食直後に現場で会うのが一番だろう。

事件も翌朝まで発覚しなかったのであれば、誰かに見とがめられる心配もない。

 

そうと決まれば後は待つだけ。

 

心の高まりから喉が渇いたが、自動販売機から何かを買うのはためらわれた。

以前、ドクペらしきものを飲んでみたが、それはもうひどいものだった。

汚水を強烈な炭酸でブレンドしたような。

即座に吐き出し、二度と飲まないと決めた。

また、ただの水でもそれなりに不快な味わいなのだ。

 

喉の渇きよりも精神の安定を取り、ただひたすら家を注視する作業に戻った。

 

 

 

 

「……っ……」

 

ん?

今人の声が聞こえたような。

人の声。

 

気づき、思わずに立ち上がる。

 

人だ。

彼女だ。

 

駆け出したくなる欲求を抑え、周りを確認してみる。

 

肉塊はいない。

どこからか見られている心配もない。

 

それでも慎重を期して何気ない風を装いながら玄関まで足を進める。

 

玄関の前。

ドアノブに手をかけ、ゆっくりと回す。

 

鍵はかかっていない。

 

鼓動が早くなる。

呼吸が荒くなりそうになるが、平静を装うため我慢する。

 

 

「……失礼します」

 

バタン、と中から大きな音がした後、何も聞こえなくなった。

 

声を掛けたのは失敗だったろうか。

ただ無言で入って、いきなり殺されてはたまったものではない。

 

殺される。

不意に、今まで殺されてしまうことを考えていなかったことに気付く。

だが、そんなもの。

彼女に殺されるのだったら、それもいいかもしれない。

この地獄の世界が終わるのだ。彼女の手で。

 

そんなことを思いながら足を進める。

 

「あのー……すみません」

 

トタ、トタと自分の足音だけが静かに響く。

無音の家。

それは生物の生活音が全くない、死んだ空間だからだろうか。

 

彼女も気配を押し殺してこちらの様子をうかがっているのかもしれない。

 

つばを飲み込み、少し大きな声で相手に呼びかける。

 

「俺はあなたに危害を加えるつもりはありません」

 

ピクリと、身じろぎするような気配があった気がする。

もうひと押ししよう。

 

「俺は、あなたと話がしたい。人と……話してみたいんだ」

 

右奥から、またも物音がした。

右奥はリビングだろうか、そちらのドアをゆっくり開ける。

 

開いてすぐ、緑の液体と不思議な果実が目に入る。

初めて直接見た。恐らく、ここの住人の死体だろう。

 

きれいなものだ。

 

なるべく踏まないようにして歩を進める。

するとソファーの奥から人影がでてきた。

 

それは紛うことなき『人』だった。

 

「あなたは……私に乱暴しない?」

 

鈴のなるような涼やかな声。

腰まで伸ばした美しい髪。

天使が顕現したような神々しい顔で。

不安げにこちらを見上げていた。

 

「あ……ああ……俺はそんな野蛮なことはしない」

 

見とれたせいで少し戸惑ってしまった。

気恥ずかしい。

 

「ただ……俺は話がしたかったんだ……唯一、人に見える君と」

 

真っ直ぐ彼女の目を見て告げる。

心からの声だった。

俺はただ純粋に、それだけを願ってここに来たのだから。

 

「怖く……ないの……?これ……あたしがやったんだよ……?」

 

「いいや、まったく。肉塊がいくら壊れようが知ったこっちゃないな」

 

彼女はひどくおびえた様子だった。

それがかわいそうに思えて、なるべくこちらの心情が伝わるよう明るい声で答える。

 

「それに怖いどころか、その……かわいいと思うぞ」

 

さらに一言付け加える。

 

すると彼女は驚いたように目を見開きこちらを見る。

何となく恥ずかしくなって、目をそらしてしまった。

 

かっこつけたセリフをあまりいうものじゃないな。

 

「なんか君って……変わってるね」

 

彼女はそういってはにかんだ。

俺も自然と笑みがこぼれる。

 

緑色の静かな空間の中、俺と彼女は微笑み合った。

 

「あーところで……君は名前はあるのか?」

 

「もちろん!でも、名前を尋ねるときはまず自分から、だったっけ?」

 

「そうだったな……俺は鳳凰い……いや、岡部倫太郎だ」

 

あやうくクセで真名のほうで名乗るところだった。

しかし、クセとは。

人に名乗ることなど何百日以来だというのに。

 

「おかべ……りんたろう……うん、覚えた!あたしはねぇ、沙耶っていうんだ!」

 

「沙耶……沙耶か……いい名前だな」

 

「倫太郎もかわいくていいと思うな♪」

 

「かわいいってのはよしてくれ」

 

微笑み顔で俺をからかう沙耶に苦笑気味で答える。

 

心の氷が解けていくような感覚がする。

こういう日常を、俺は求めていたのだ。

 

「あー……しかし、ここはお話をするにはあんまりいい場所じゃないようだが」

 

「そうだねー。ここの人たち殺しちゃったから、警察がきちゃうね」

 

なんでもないことのように俺と彼女は話をする。

実際、肉塊がいくつか散乱しているだけなのでどうってことはない。

少し、面倒なだけだ。

 

「じゃあね、ここの近くに空き家があるからそこで落ち合わない?あたしの隠れ家なんだ」

 

「いいな。そうしよう。ああ、落ち合うのはここの人たちを食べた後でいいからな?」

 

そういうと彼女は再び驚いた顔を見せる。

そしてにっこりと微笑み、答える。

 

「ありがとう、倫太郎。優しいね」

 

「……どうってことない」

 

やはり気恥ずかしくなって顔をそむけてしまう。

彼女の笑顔はどうにも毒気を抜かれるというかなんというか。

 

とにかく、胸の奥がこそばゆくなる。

 

彼女に空き家までの道を聞いて、その屋根裏で待機することにした。

 

「待っててね、倫太郎♪」

 

「ああ、待ってるよ沙耶」

 

家から出て空き家に向かう。

 

その道中で俺は、沙耶の捕食シーンを夢想していた。

きっと緑の果実で口を濡らし、可愛らしく食べていることだろう。

 

味の評価を聞いてから、俺も口にしてみるのもいいかもしれないと考えていた。

 

 

 

 

 

 

 



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04

「それじゃあ倫太郎は、そのタイムリープの失敗のせいで世界が変な風に見えるようになっちゃったんだ」

 

「そういうことだな」

 

空き家となっている家の屋根裏部屋に沙耶と二人で話をした。

 

沙耶からは出自のことを。

人とは違う生物のこと。自分の父が死んでしまったこと。

居つく場所もなく放浪し、孤独に過ごしてきたこと。

 

「そうか……父だけが頼りで、その父も死んでしまって一人だったんだな……」

 

「本当はもっと家で常識とか知識とか教えてもらうつもりだったんだけどね……」

 

人目を避けて過ごしてきたが、ある日我慢できずに人に会った。

するとその人が自分のことを化け物呼ばわりし襲ってきた。

反撃し殺した後、その死体がおいしそうに見えて、食べたらおいしかった。

そこに俺が来たという。

 

「結局あの死体は全員食べたのか?」

 

「うん♪おなかペコペコだったから、一杯食べちゃった」

 

少し照れながら言う。

乙女の恥じらいといったところか。

 

 

対して俺は頭がこうなるまでのことを話した。

ラボのこと。Dメールとタイムリープマシンのこと。

まゆりを助けること。紅莉栖も助けたいこと。

タイムリープに失敗し、感じる世界が変わってしまったこと。

 

「助けたい人がいるんだね……」

 

「そうだ……だがその助けたい人すら肉塊にしか見えないしな……」

 

とめどなく、話した。

 

「大変、だったんだね……」

 

「お互いに、だろ?」

 

心配そうな顔を向けてくる沙耶に、明るく返す。

沙耶は俺の言葉に首肯し、笑顔を向ける。

 

「大変なもの仲間だね」

 

「そうだな」

 

重くならずにあくまでも明るく振舞ってくれる沙耶に心を救われた。

 

「じゃあさ、あたしにそのラボ?ってところのこと、教えて。あたし、倫太郎のこともっと知りたい」

 

「いいぞ。そのかわり沙耶のことももっと教えてくれ」

 

「もちろん!」

 

「さて、何から知りたいのだ?」

 

そういうと沙耶は首をかしげながら考え始める。

そのしぐさも愛らしい。

 

「じゃあさ、ラボって元々何するところなの?今までに何かを作ってたりするの?」

 

「ふっふっふ。聞かれたからには答えねばなるまい」

 

久々に厨二病のスイッチを入れてみる。

おもむろに立ち上がり、白衣をはためかせる。

 

「ラボの正式名称は未来ガジェット研究所。そして何を隠そうその目的は、世界を混沌へと導くガジェットを日夜研究開発することである!」

 

上を向き、振りかぶって決めポーズを決める。

 

「この鳳凰院凶真とその仲間たちが世界を影で操る支配構造を破壊し、必ずや世界に混沌をもたらして見せよう!」

 

決まった。

 

「えっと……?」

 

沙耶の困惑気な声が聞こえる。精一杯眉をゆがませてこちらを凝視している。

 

「まぁ…つまり単なるお気楽サークルで、何か面白いものをひたすら開発するところだ」

 

そういって普通に座る。

 

「へぇ~そうなんだ」

 

沙耶は決めポーズのことなど特につっこみもせず普通に聞いている。

それが逆に恥ずかしい。

もう精神的にも厨二病モードが恥ずかしくなってしまったな……。

 

「じゃあ今までどんなものを作ったの?」

 

「ああ、携帯電話に写真で入っているから一つ一つ説明してやろう」

 

そういって携帯でガジェットの写真を探す。

 

それから俺と沙耶はガジェットやラボのことを話し続けた。

 

 

 

 

 

 

「ん?もうこんな時間か」

 

携帯で時間を確認すると、そろそろ夜も更けている時間となっていた。

 

「時間がたつの早いね」

 

「楽しい時間は過ぎるのが早く感じる。ある意味相対性理論だな」

 

「相対性理論って?」

 

「今度教えてやろう。流石にそろそろ帰らねば」

 

ここは空き家であり、不法侵入だ。

一夜をここで明かすのはさすがにまずいだろう。

 

ずっと固い床に座っていたため、体もかなりこっている。

伸びをして体をほぐすと、節々に鈍い痛みが走る。

 

「沙耶ももう疲れたろう。できるならラボででも休んでもらいたいが……」

 

「ん~電車乗るのも大変そうだし、ラボにいつ人が来るかもわからないんなら、やめとく」

 

「そうか……そうだな」

 

「そのかわり、またここに来て。夕方くらいにはここに戻るようにするから」

 

「わかった」

 

俺はラボに戻ってタイムリープマシンの調査だな。

しかし、沙耶は昼間は何をするのだろう。

 

ただ、わざわざ聞くのも野暮なのでやめておいた。

言わないということは、言う必要がないということだろう。

 

 

帰りの電車の中で沙耶のことを考えていた。

沙耶。

この地球とは異なる場所から来たもの。

孤独な少女。

 

父以外に人と話したことがなかったのだろう。

色々と常識も知らなそうであったし、俺と話しているだけでも楽しそうだった。

 

明日も、明後日も話せればいい。

この地獄のような世界で、彼女のそばだけが安らげる。

 

 

 

そうして幾日か。

俺と沙耶は空き家の屋根裏部屋で話をすることが日課になっていた。

 

 

「それで……タイムリープマシンの調子はどうなの?」

 

「ああ……芳しくないな……」

 

沙耶は俺の目的について心配してくれている。

だが最近俺はタイムリープマシンにあまり集中できなくなってきていた。

 

もともと足踏みしている状態だった。

たかだか数日真面目にやらずともそんなに変わりはしない。

 

「あたしも何か手伝えたらいいんだけど……」

 

「無理は言わんぞ。俺にはこうして話をしてくれるだけでありがたい」

 

沙耶に外を出歩かせたり、ラボに案内したりするのは難しいだろう。

うちのラボメンですら沙耶にどういう反応するかもわからん。

沙耶が化け物呼ばわりされているところなど見たくもない。

 

「しかし、沙耶に難しいことがわかるのか?」

 

「あ、今馬鹿にしたでしょ。あたしは常識とかはないけどパパには頭がいいって褒められたんだから」

 

「お前の父はT大学の教授だったか。なら本当に頭がいいのだろうな、俺なんかよりよっぽど」

 

T大学と言えば、あのT大学だ。

俺の通っている大学に比べたら天と地の差だろう。

 

「倫太郎、自分を卑下するのもよくないよ。倫太郎ががんばってるのは伝わってくるんだから。弱気になったらだめだよ」

 

「……ありがとう、沙耶」

 

沙耶は両手に握り拳を作り、ファイトのポーズで応援してくれる。

自然と笑みがこぼれる。

 

沙耶は純真だ。

弱気の虫も沙耶といると消えてなくなる。

 

「まぁ天才少女である紅莉栖ですらわかってないんだからな。相当難しい問題だということだ」

 

紅莉栖の名前の部分で、沙耶が反応した。

 

「……その紅莉栖って人が倫太郎の助けたい人の一人なんだっけ」

 

「そうだ。あとはまゆりだな。こちらは天然のぽややんとした女の子だ」

 

以前にも沙耶には話した。

俺がもがく理由。

大切な存在。

 

「ただ、世界がこうなってからはあまりまともに話してはいないけどな……」

 

「ふーん……そうなんだ……」

 

沙耶は手を顎に当て何かを考え始めた。

俺は沙耶を待つことにした。

 

 

しばらくして、沙耶は何かを決意したかのような目でこちらを見上げた。

 

「倫太郎……倫太郎は……大切な人たちが……その……変な風に見えるのは、いやだよね……?」

 

「それは……」

 

俺が口を開くと、途端に沙耶は心配そうな顔で俺を見つめてくる。なんだろう。

ただ、俺には答えは一つしかない。

 

「そうだな……元の世界の見え方でないのは少々、いやかなり堪える。……元の世界が恋しいな」

 

「でも……じゃああたしは……」

 

そういって顔を下に向ける。

沙耶が何を考えているかはわからない。

ただ、俺のことについて真剣に考えてくれているのはわかる。

それだけで、単純にうれしかった。

 

「うん……そうだね……やっぱり……」

 

ぶつぶつと小さく何かを漏らした後、俺に満面の笑みを向ける。

 

「うん、倫太郎!きっと大丈夫!そのうち解決するよ!」

 

「え?あ、ああ」

 

何とも漠然とした言いように少し呆気にとられる。

何が大丈夫なのだろうか。

沙耶は何かをする気なのだろうか。

 

ただ、考えてみてもよくわからない。

はっきり言わないというのは、きっとサプライズか何かを考えているのだろう。

 

「……そうだな、きっと大丈夫だ」

 

そういって微笑みかけると沙耶も嬉しそうに微笑んだ。

 

そうだ、きっと何とかなる。

根拠も何もないが、沙耶といるだけで俺は何でもできる気がした。

 

 

沙耶はもうすでに俺の精神的な支柱となっているのだった。

 

 



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05

昼間のじっとりとした熱気に包まれたラボの中。

俺はいつものようにタイムリープマシンをいじっていた。

 

周りにグロテスクな肉塊もいないし気味の悪い不快な声もしない。

今、ラボメンは皆コミケに行っているのだった。

 

ダルやまゆりだけでなく、紅莉栖も二人についていく形でコミケに行っている。

 

しばらくタイムリープマシンを弄った後、ふと時間を確認する。

 

もうすぐ夕方に差し掛かろうかという時間。

 

「もうこんな時間か……」

 

最近は沙耶の家に行く時間が段々と早まっていた。

やはり楽しい時間はできるだけ長くしたいのだった。

 

夕方になれば沙耶も家に帰ってくるのでそのあたりに沙耶の家に行くのだ。

 

すぐに支度をし、駅へと向かった。

 

 

電車は地獄だが、沙耶のためなら耐えられる。

吐き気を我慢しながら電車に揺られた。

 

 

「沙耶……?」

 

空き家につき屋根裏部屋へと足を進めるが、いつもと違って気配がない。

隠れいるのだろうか。

 

「おーい沙耶ー?」

 

そのまま屋根裏部屋への階段を上る。

怪談から顔をだし、屋根裏部屋を見渡す。

 

どこにもいない。

 

「……沙耶?」

 

いやな想像が頭を駆け巡る。

 

まさか誰かにここがばれた?

いや、それならそいつの死体が残っているだけだ。沙耶がいない理由にはならない。

沙耶がどこかに行った?

いったいなぜ?そしてどこに?

まさか俺のことが嫌いになったのだろうか?

 

混乱する頭でそこいらを見渡していると、紙が落ちているのを見つけた。

これは?

 

拾って見てみる。

ノートの切れ端のようで丁寧に破ってある。

 

そこにはこう書かれていた。

 

 

――――――

 

倫太郎へ

 

あたしは今外へ出かけています。

驚かせちゃってごめんね?

 

実は倫太郎にプレゼントをしようと思ったの。

焦らなくていいから、ラボに来て。

あたしはそこにいます。

 

倫太郎の喜ぶ顔が見れるといいな。

 

沙耶より

 

――――――

 

読んだ後、ひとまず安堵した。

さらわれたわけでも、愛想をつかされたわけでもなかった。

沙耶のやつめ。驚かせるな。

 

しかし、ラボとは。

外にでて人に会うのもダメだしラボメンとも接触するのはまずいのではないだろうか。

そもそも、プレゼントとはなんだろうか。

ラボで沙耶が見繕えるものなどそうないと思うのだが。

 

不思議に思うが、行ってみないことにはわからない。

焦らずにラボに来いと書いてあるので、ゆっくりラボに戻るとするか。

ここですることも特にない。

 

トンボ帰りとなるが、沙耶がプレゼントを用意し待ってることを思えば別段苦でもない。

 

 

沙耶が何を用意しているかを楽しみにしながら、帰りの電車へと乗った。

 

 

 

 

 

日がちょうど沈んだ頃、ラボの前へと着いた。

人の気配はしない。

中で沙耶が待っているのだろうか。ラボメンはいるのだろうか。

 

少し緊張しながら、おもむろにノックをする。

 

しばらくして、返事があった。

 

「倫太郎!入って入って!」

 

沙耶の声だ。

ドアののぞき穴を確認したのだろう。

俺以外は入れないようにうまくしているのだろうか。

 

そう考えながら、ドアを開ける。

 

ラボの中は薄暗い。

窓にもなぜかカーテンがしてある。沙耶がつけたのだろうか。

 

その沙耶は開発室前に佇んでいる。満面の笑みを浮かべながら。

 

「……ただいま、沙耶」

 

「ふふっ。おかえり、倫太郎♪」

 

なんとなく、ただいまという言葉を使ったら、沙耶もそれに乗ってくれた。

そのやり取りが面白くて、二人して少し笑う。

 

「沙耶はラボに来るのは初めてだけどな。どうだ、うちのラボは」

 

「ごちゃごちゃしてちょっと狭いけど、倫太郎がここにいるんだなーって気がして、なんか居心地がいい」

 

「よくわからんが、それはよかった」

 

俺にとっては今のラボは臓器や肉片に彩られた不快な場所である。

しかしそんなことも、沙耶がいるだけで安心できる場所のように思えてくる。

 

「それで、わざわざ俺を往復させてどんなプレゼントを用意したんだ?」

 

「あ、電車の件はごめんなさい。どうしても驚かせたくて……」

 

「いや、気にするな。沙耶がプレゼントしてくれることの方がうれしい」

 

「えへへ、ありがと♪」

 

沙耶はいちいちかわいい。

少し喋るだけで日々感じる不快感が拭い取られる。

 

「それでね、プレゼントなんだけど……」

 

そう言って開発室を覗き込む沙耶。

 

「開発室に用意してるのか?」

 

「うん。準備できるか不安だったけど、大丈夫だったからよかった~」

 

そういって再びこちらを見る沙耶。

 

「心の準備はいい?」

 

「ああ、いいぞ」

 

「それじゃ、じゃ~ん!」

 

開発室の仕切りが開けられた。

 

 

 

そこには全裸で横たわっているまゆりがいた。

 

 

 

 

まゆり。

 

人の形をした。

 

肉塊でない。

 

まゆり。

 

透き通る白い肌をした。

 

すんなりと伸びた手足を持つ。

 

不快さもグロテスクさもない。

 

美しい。

 

 

「……ぁ……ぅあ……」

 

その形のいい唇からは言葉ではない声がこぼれている。

 

 

人間のまゆりがいる。

 

「ま……ゆり……こ、これは……?」

 

「驚いた?すごいでしょ~!」

 

沙耶は満面の笑みでこちらに語りかける。

 

「倫太郎の大切な人をちゃんと人間に見えるように調節したの!ちょっと苦労したけどね

 

 最初はやっぱりあたしのことを化け物~って言ってきたけど、調節するうちに静かになったよ!

 

 ただ、お話はできなくなっちゃったけど、時間をかけたら喋れるようになるから」

 

まゆりの目は光がなく虚空を見つめている。

両手足も満足に動かせないようで、もぞもぞと不規則に動かしている。

 

「まゆり……?」

 

近寄って、その頬に手を添えてみる。

 

あたたかく、柔らかで。

 

しばらくぶりに、俺はまゆりに触れることができた。

 

「まゆり……」

 

くしゃくしゃの黒髪を、そっとなでつける。

癖があるがしなやかな潤いを持った髪。

指をするりと抜けていく。

 

「……ぉ……あぃ……」

 

再び言葉にならない音が口からこぼれる。

優しい声。

人間の声。

まゆりの声。

 

 

 

俺はただひたすら、まゆりの存在を確かめ続けた。

 

 

 

「沙耶……」

 

しばらくまゆりに触れた後、立ち上がる。

 

「なに、倫太郎?」

 

振り返り、おもむろに沙耶を抱きしめる

 

「きゃっ」

 

白いワンピースが翻る。

柔らかな体躯の感触がある。

涼やかな匂いがする。沙耶の匂い。

 

「沙耶……ありがとう……」

 

万感の思いを込め、沙耶に言う。

 

「ありがとう……ありがとう……」

 

地獄だった。

孤独だった。

 

それを沙耶が癒してくれた。

沙耶がまゆりを戻してくれた。

 

久方ぶりに大切な人のぬくもりに触れた。

それがたまらなく、嬉しかった。

 

「うん……辛かったんだね……もう大丈夫だよ…」

 

「ああ…」

 

優しく抱きしめ返してくれる沙耶。

その言葉も聖母のようで。

 

 

俺は気づけば涙を流していた。

 

 

 

 

 

ひとしきり泣いた後、俺はまゆりに向き合う。

 

「さすがに、着るものがないのはかわいそうだな」

 

そういって白衣を着せた。

ただそれでも裸に白衣である。

何か着せるものを考えねばならないだろう。

 

「服か……それもあたしがどうにかするよ」

 

頼もしい限りである。

 

「まゆり……すまんが今は我慢してくれ」

 

「……ぉあ……ぃ……」

 

虚空を見つめたまゆりは聞こえているのかどうかわからない。

それでも辛そうではないので、きっと大丈夫だろう。

 

「さて……ところで沙耶、他のラボメンはどうするんだ?」

 

すると沙耶は思案顔でこちらに問いかける。

 

「ん~倫太郎はやっぱりみんな一緒にいたほうがいいよね」

 

「そうだな」

 

「ならみんなも調節しよう!けど一気に来られてもまずいから、一人一人地道にやらなきゃ」

 

「さすがに多人数だと沙耶でも無理か」

 

「一対一しか無理だし、あたしは基本的に不意打ちだしね」

 

 

ならばなんとかラボに呼び出して、不意打ちできる状況にせねばいけないか。

 

 

「あと、まゆりは今後はちゃんと話せるようになるのだな?」

 

「それはもちろん!今はただ新しい体に慣れてないだけだよ」

 

「慣れてない?」

 

「そう。体の構造を一から作り変えたからね。赤ちゃんと似たような感じ。そのうちちゃんと喋れるようになるよ」

 

「それならよかった。まぁどうせタイムリープするのなら、今はまだそこまで気にしなくていいか」

 

「うん、そうだね。あ、倫太郎!タイムリープするときは一緒だからね!」

 

「それはもちろんだ」

 

タイムリープに関しては沙耶と一緒にすることに決めていた。

ラボにはどうやって連れ込めばいいか悩んでいたが、その心配もなさそうだ。

 

これで、ラボの居心地もよくなるだろう。

 

「本当に……沙耶には感謝しきれないな」

 

「えへへ」

 

嬉しそうにする沙耶。

頭をなでると、さらに撫でるのを要求するように頭を寄せてくる。

 

苦笑しながら俺は頭をなで続ける。

 

 

ガチャ

 

ドアの開く音。

 

 

 

 

チョrット置かkべ、(ちょっと岡部)イぃ帯こトgAヤマほdおAル(言いたいことが山ほどあるん)……得ッ(えっ)…」

 

D推したン牧セしSい(どしたん牧瀬氏)……宇あっ(うあっ)!」

 

ドウ始端デsuか(どうしたんですか)?……緋っ(ひっ)……」

 

 

 

 

肉塊のラボメン達だった。

 

 

 



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ひとつの終わり

ラボに入ってきたラボメン達は一様に驚きに身を固めていた。

 

沙耶とまゆりの姿形を見たからだろうか。

 

 

「イやァァァァああああああああ!!!」

 

 

耳煩わしい不快な悲鳴が部屋に響いた。

 

「落ち着け!紅莉栖!」

 

「倫太郎!!危ないよ!!」

 

「イやァァァあああ!!!おkあ辺かラハナれnあさい(岡部から離れなさい)!!コnぉ化けMOノ(この化け物)!!!」

 

「ウワあああァァアァ!!!!」

 

「ヒっ……あ……アァ…」

 

叫ぶもの。狂乱するもの。呆然とするもの。

ラボに狂騒の渦が巻き起こる。

 

こんなはずではなかった。

もっとうまくやるはずだった。

 

こう騒ぎになっては人が集まってくるのではないか。

もう上手くやれないのだろうか。

やはり沙耶の存在は受け入れられないのか。

 

様々な考えがぐるぐると廻り、どう動けばいいのかわからずにいた。

 

なんとか紅莉栖を落ち着けようと再び声を掛けようとした時だった。

 

 

ドカドカと階段を上る喧しい足音。

複数。

 

まずい、早くも不審に思った人が様子を見に来たのか?

 

バン

 

乱暴に開け放たれる扉。

 

そこには複数の大きな肉塊たち。

全員が銃のようなものを構えている。

 

ラウンダー?

ばかな。

早すぎる。

なぜこのタイミングで?

来るのはまゆりが死んだ以降では?

世界線が変わった?タイムリープのせいか?

どうやって切り抜ける?

どうする?

 

時が止まった部屋の中で瞬間的に思考がまわる。

しかし、それも一人の声でかき乱される。

 

「ナ……ほ、ホn当ニBa家もノダ(ほ、本当に化け物だ)!!!ウ唖ァぁぁぁあああアア!!!!」

 

その声と共に男の中の何人かが銃を構える。

 

その射線上には、沙耶とまゆり。

 

おい。

待て。

やめろ。

銃を向けるな。

やめろ。

 

また、失うのか。

俺は。

また。

大切な人を。

俺は。

やめろ。

 

「やめろおおおおおおお!!!!!!!」

 

銃の発射音。

俺は沙耶とまゆりをかばう。

 

ガチャガチャとモノが壊れる音がする。

部屋中に乱射しているのか、そこらじゅうで派手な音がする。

 

激痛。

目の前が真っ赤に染まる。

時間がスローに流れる。

体に力が入らなくなり、膝をつく。

 

撃たれた。

いや、俺のことなどどうでもいい。

 

二人は……?

 

「オい!!やメろ!!モう十ブんDあロう(もう十分だろう)

 

肉塊の一方が言う。

ずいぶん落ち着いているな。何か聞かされていたのだろうか。

紅莉栖たちも銃の乱射のせいで、おとなしくなったようだ。

 

そんなことを頭の片隅に置きながら、何とか体をねじり後ろに振り向こうとする。

 

「沙耶……まゆり……」

 

「マ……まユりッテ……真さカ……」

 

紅莉栖が何か言っているが、そんなことはどうでもいい。

 

沙耶は。

まゆりは。

 

 

 

振り向いたそこには、真っ赤な花が咲いていた。

沙耶が。

まゆりが。

目を虚空に向け、体から赤い血を流しながら。

生気を感じさせないさまで横たわっていた。

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!」

 

慟哭する。

声が内から出てくるのを止められない。

 

なぜだ。

なぜこんなことに……!!!

世界はなぜこんな未来を選択させるんだ……!!!

なぜ俺は大切な人を失わなければならないんだ……!!!

 

二人の体に近づく。

二人は並んでその体を地面に投げ出している。

 

ふと、沙耶の方は微かに息をしているのがわかる。

生きている!!!

 

「沙耶!!!」

 

「ぁ……ごめん……倫太郎……あたし……一緒に……いけないみたい……」

 

「あきらめるな沙耶!!!タイムリープマシンがあれば、こんな傷!!!」

 

そうだ、タイムリープマシンがあれば。

今すぐに飛べれば、傷など関係なくなる。

 

そう思い、タイムリープマシンに目をやる。

そこらじゅうに穴が開き、かなり破損している。

 

壊れている。壊された。

これでは使えない。

使えない?

タイムリープできない。

沙耶が死ぬ。

死ぬ?

馬鹿な……。

 

「そんな……馬鹿な……!!!」

 

「ごめんね……倫太郎……あたし……もっと倫太郎が生きやすい世界を……作れたのに……」

 

「そんなこと!!……俺は……俺は、お前がいてくれるだけでよかったのに……」

 

「ねぇ……倫太郎……ぁ……あたし……」

 

「なんだ、沙耶?」

 

一言も漏らすまいと、俺は耳を傾ける。

 

「あたし……倫太郎を……」

 

「ん?」

 

「……ぁ……………」

 

沙耶はわずかに口をこわばらせた後、笑みを作った。

 

「……沙耶?」

 

そのまま目を閉じる。

口は笑みを作ったまま、動かなくなった。

 

「……沙耶……?」

 

動かない。

微笑みをたたえたまま。

静かに眠るように。

 

 

死んだ。

 

 

沙耶は死んだ。

最後の言葉も残せず、逝った。

笑顔を浮かべて。

 

 

殺された。

 

 

「……なぜ……なぜなんだ……!!!」

 

 

なぜ大切な人が奪われる。

なぜ世界はこんなに残酷なんだ…。

なぜ…。

 

 

「あああああああああああああ!!!」

 

 

まゆりも沙耶も奪われた。

タイムリープマシンも壊された。

 

今からタイムリープマシンを直せるか?

48時間以内に直せるだろうか?

SERNがそんなことを許すだろうか?

 

もうやり直しはできない。

全て失った。

全て奪われた。

 

 

そうだ。すべて失った。

希望は絶たれた。

この世界は……。

こんな世界など……。

 

 

 

 

リョウ手ヲ唖げTe(両手を上げて)

 

 

ボソボソとした喋り方の不快な声が聞こえる。

 

振り向くと、スレンダーな肉塊がそこにあった。

 

どうせ、桐生萌郁だろう。

またラウンダーを連れて襲撃に来たのだ。

 

それがなぜ今だったのかなどはどうでもいい。

俺は気づいたのだ。

 

 

言われた通りに手を上げながら考える。

 

 

そう、気づいた。

この世界は狂っている。

 

俺の大切な人を何度も殺し、大切な人の犠牲を強いる。

こんな世界はおかしいのだ。

 

地獄のような世界。グロテスクな肉塊たち。

その中で救いを求めれば、その唯一の救いすら奪われる。

 

この世界は、狂っている。

 

 

ならばどうすればいいか。

 

 

「桐生萌郁よ……お前は一つ、間違いを犯した……」

 

間違い。

それは正されるためにある。

 

この世界は間違っている。

ならば、正さなければいけない。

 

沙耶が望んだような正しい世界。

世界を影で操る支配構造を破壊し、秩序だった世界を作る。

 

 

「お前は……俺と牧瀬紅莉栖と橋田至……三人の確保と……タイムリープマシンの回収が目的なのではないか?」

 

 

見ていると吐き気を催すような肉塊が身じろぎする。

図星だったようだ。

当然だな。俺は”知っている”のだから。

 

そうだ。

こんな気色の悪い肉塊や地獄のような世界も間違っているのだ。

すべて世界が間違っている。

沙耶を、まゆりを殺す世界など……間違っている。

 

 

綺麗なもので満たせば、沙耶も喜ぶだろうか。

 

 

 

「タイムリープマシンを、作り直す必要があるな。萌郁よ」

 

 

俺は一計を案じた。

タイムリープマシンなら何百回としたかわからないループの中で何度も組みなおしている。

理論も大体は頭の中に入っている。

問題ない。

 

 

「本来ならタイムリープマシンも無傷で回収する必要があった。だがお前たちの失態で壊してしまった。これで任務完了と言えるか?」

 

 

萌郁の、恐らく目のようなものがわずかに見開かれる。

銃を持つ手も震えている。

萌郁が「FB」のためにSERNにつき従っているのも”知っている”。

 

 

「FBは、失望するだろうな。そしてお前を捨てるだろう」

 

たっぷりと嫌みの含んだ声で萌香を崖に突き落とす。

 

 

「……ソんな…コトは……FBは……sおnナコとは……シなィ……」

 

「いいや、する。お前を捨てる」

 

 

役者を演じる。とびきりマッドな悪役を。

 

 

「見放すだろうな。見捨てるだろうな。興味をなくし、ゴミのようにお前を捨てるだろうな。

 

 きっとそうだ。間違いなくそうだ。絶対にそうなる。必ずそうなる。お前は虫けらのように、捨てられるだろう」

 

「………………」

 

萌郁は顔を下に向け、想像力を働かせていることだろう。

FBに捨てられること。その後の自分。

 

FBに捨てらることが”死ぬほど”嫌なことも、知っているさ。

 

 

「捨てられたく、ないだろう?」

 

 

心を揺さぶり、希望に誘う。そして、協力させる。

 

 

 

「俺に考えがある」

 

 

俺は決心した。

 

 

この世界は狂っている。

だから全ての肉塊を殺し尽くし、綺麗なもので世界を満たして正しい世界を作ればいい。

 

 

まゆりも沙耶も、もういない。

ならば綺麗で正しい世界を作ることが、俺にできる最後の二人へのはなむけなのだ。

 

 

SERNも300人委員会も全て俺の支配下に置く。

汚らしい肉塊どもを潰しつくす。

汚物にまみれたこの世界を、綺麗で正常なものへと生まれ変わらせる。

 

 

世界を正常へと導くのだ。

 

そうだ。俺は。

 

 

 

 

 

―――鳳凰院凶真だ。

 

 

 

 

 




ひとつの結末です

もう一つの結末も後日投稿します


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※05

別ルートです


今日も沙耶の元へと足を運ぶ。

 

沙耶と会って話をして以来、夕方に沙耶の家に出向くのが日課となっていた。

 

この世界で唯一の人間。

俺を理解し、支えてくれる少女。

 

Dメールのことやタイムリープのことなども話した。

俺の弱音や愚痴なども嫌な顔をせず聞いてくれる。

 

宇宙から来た存在。

孤独な少女。

 

俺と話すときはとても楽しそうにしている。

逆に帰るときは寂しそうな眼をしている。

俺なんかが力になれることはたかが知れているが。

俺と話すことで寂しさが紛らわせるならいくらでも話そう。

 

 

そんなことをつらつらと考えていたら、沙耶のいる空き家へと着いた。

 

 

 

 

夕暮れの中、空き家に入る。

人気のないリビングを通り過ぎ、2階へ。

そのまま屋根裏部屋への階段を上がろうとする。

そのとき、携帯の着信音が鳴った。

 

誰からか確認してみると、知らないメールアドレス。

 

不審に思い、内容を見てみる。

 

 

―――

 

件名:沙耶だよ♪

 

おかえり、倫太郎!

 

―――

 

沙耶からだった。どうやら俺が付くと同時にメールを送ったらしい。

 

「ただいま沙耶、メール見たぞ」

 

そう声を掛けながら階段を上る。

 

「倫太郎、ちゃんと打ててた?」

 

「ああ、バッチリだ」

 

沙耶はニコニコしながら屋根裏部屋の地べたに座っていた。

 

この携帯電話は沙耶が自分で入手したものだ。

タイムリープのためにも自分の携帯がいるということになったが、俺が買うより沙耶が自分で手に入れるほうが早いといったのだ。

 

何かしら非合法の方法で手に入れたのだろうか。

まぁ手に入ったのならとやかくは言わない。

どうせそのうちタイムリープをすることになるのだし。

 

「しかし手に入れたばかりだというのに、もうしっかりメールを打てるのだな」

 

「えへへ、練習したからね」

 

花が咲いたような笑顔をこちらに向ける沙耶。

俺までなんとなく嬉しくなってくる。

 

「もうDメールでもタイムリープでもなんでも来いだよ」

 

サムズアップをして陽気に言う沙耶。

 

「Dメールを使ったら世界線が変わって今の沙耶の記憶が保てなくなる。タイムリープも俺の携帯電話を使えばいいだろう」

 

Dメールに関しては、使うつもりもない。

エシュロンに捕捉されたDメールを消去しても、その後にDメールがあったら同じことだ。

 

それに世界線が変われば、今の沙耶と別れることになる。

タイムリープの48時間制約を解放できたら世界線を移動するが……それまではせめて一緒にいたかった。

 

また、タイムリープに関しては俺の携帯電話を使うつもりだった。

 

「俺と沙耶が出会った日に俺がタイムリープをして、そのあと俺の携帯電話を沙耶に渡せばいい」

 

俺はタイムリープのために自分への電話は必ず自分で取る。

タイムリープした後は、その後に沙耶がタイムリープすることを知っているので携帯電話を沙耶に渡せばいい。

 

「む~。わかってるけど、自分の携帯が持てたことがうれしかったの!」

 

「そうだな。これで沙耶の声がいつでも聞けるわけだしな」

 

「いつでも電話でもメールでもしてきていいんだからね」

 

「ああ、わかった」

 

そういって、沙耶は俺の左手を握ってきた。

 

柔らかな感触がする。

 

守りたい。

一緒にいたい。

 

俺は沙耶に微笑みかける。

沙耶も俺に微笑んでくれる。

 

そうして俺と沙耶は、他愛無い話をしだすのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「それで……タイムリープマシンの調子はどうなの?」

 

「ああ……芳しくないな……」

 

沙耶は俺の目的について心配してくれている。

だが、相変わらずタイムリープマシンの調査はうまくいかない。

 

まゆりを、紅莉栖を。2人を助けたい気持ちは今でも変わらない。

だがその気持ちだけでは現状は如何ともしがたかった。

 

一歩も前に進めない。

沙耶といない時の俺は、その焦燥感で自分の身を焦がされていたのだった。

 

「無理……しないほうがいいよ……。できないことは、できないって言ってもいいんだよ……」

 

心配そうな目でこちらを見上げてくる沙耶。

沙耶の右手がこちらを優しく握ってくる。

 

「心遣いはありがたい……。けど、それでも、俺はやらなきゃいけないんだ……」

 

救いたい。あの二人を。

 

その死を何度も見てきたまゆり。俺の大切な幼馴染。

俺を何度も助けてくれた紅莉栖。俺の愛しい人。

 

地獄の世界に放り込まれてもその気持ちは変わっていない。

それだけが今の俺の存在意義だからだ。

 

「沙耶には感謝している……。でも俺は、諦めるつもりはない……!!」

 

そうだ、諦めてはいけない。

今までどれだけの思い出を犠牲にしてきたのか。

どれだけ傲慢なふるまいをしてきたのか。

 

沙耶には救われた。

一時は生きている意味すら見失いかけた。

正気を失いかけた。

 

だが、俺は。

償わなければならない。

報いを受けなければならない。

そして……俺が背負ってきたものをなかったことにしてはいけないのだ。

 

「倫太郎……」

 

儚げな声。

沙耶はうつむき、なにがしかを考えているようだ。

 

「倫太郎に……聞きたいことがあるの……」

 

ポツリと、こぼれるように紡がれた言葉。

 

「なんだ? 何でも聞いていいぞ」

 

その様子が気になり、なるだけ優しい声を出す。

沙耶はうつむいたままだ。

口だけぼそぼそと動かしている。

どんなことを聞きたいのだろうか。

 

俺は急かすことなく静かに待った。

 

 

しばらくして、沙耶は何かを決意したかのような目でこちらを見上げた。

 

「倫太郎……倫太郎は……大切な人たちが……その……変な風に見えるのは、いやだよね……?」

 

「それは……」

 

俺が口を開くと、途端に沙耶は心配そうな顔で俺を見つめてくる。なんだろう。

 

沙耶の考える本当のところがわからないが、俺は俺の思うところを口にした。

 

「たしかに……今の、人が肉塊に見え、世界が地獄のように見えるのは……正直かなり堪える」

 

そこで俺は口を止める。

沙耶は続きを促すように俺を見ている。

 

少し、間をおいて俺は宙を見ながら続きを答えた。

 

「だが、ラボメンは……俺にとっての大切な人は……変わらず大切だ。どんな姿であっても、だ」

 

そう言って沙耶の方に向き直る。

 

「もちろん、沙耶も大切だからな」

 

そう言って左手で、沙耶の右手を優しく握る。

 

「……うん、ありがとう」

 

そういって顔を下に向ける。

沙耶が何を考えているかはわからない。

ただ、俺のことについて真剣に考えてくれているのはわかる。

それだけで、単純にうれしかった。

 

「じゃああたしは……うん……そうだね……やっぱり……」

 

ぶつぶつと小さく何かを漏らした後、俺に満面の笑みを向ける。

 

「うん、倫太郎!きっと大丈夫!そのうち解決するよ!」

 

「え?あ、ああ」

 

何とも漠然とした言いように少し呆気にとられる。

何が大丈夫なのだろうか。

沙耶は何かをする気なのだろうか。

 

ただ、考えてみてもよくわからない。

だが沙耶は俺を応援してくれている。それは間違いなくいえることだった。

根拠がなくとも、何とかなる。そう信じさせてくれる強い言葉だった。

 

「……そうだな、きっと大丈夫だ」

 

そういって微笑みかけると沙耶も嬉しそうに微笑んだ。

 

そうだ、きっと何とかなる。

根拠も何もないが、沙耶といるだけで俺は何でもできる気がした。

 

きっと、まゆりも紅莉栖も救うことができる。

 

そうして、すべてが解決したら、沙耶をラボメンに迎えよう。

きっとどうにかなる。何とかなるさ。

 

 

俺は呑気にそんなことを考えていた。

 



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※06

昼間のじっとりとした熱気に包まれたラボの中。

俺はいつものようにタイムリープマシンをいじっていた。

 

周りにラボメンはいない。

今、ラボメンは皆コミケに行っているのだった。

 

ダルやまゆりだけでなく、紅莉栖も二人についていく形でコミケに行っている。

 

 

しばらくタイムリープマシンを弄った後、ふと時間を確認する。

 

もうすぐ夕方に差し掛かろうかという時間。

 

「もうこんな時間か……」

 

最近は時計を見ると沙耶と会う時間のことを気にしてしまう。

やはり楽しい時間のことについてはよく考えてしまうのだった。

 

夕方になれば沙耶も家に帰ってくる。

少し時間が前後するようなら沙耶がメールを入れることになっている。

まぁ大体は俺が屋根裏部屋に上がる直前にお帰りメールを送ってくるだけなのだが。

 

すぐに支度をし、駅へと向かった。

 

 

電車は地獄だが、沙耶のためなら耐えられる。

吐き気を我慢しながら電車に揺られた。

 

 

「沙耶……?」

 

空き家につき屋根裏部屋へと足を進めるが、いつもと違って気配がない。

隠れているのだろうか。

 

「おーい沙耶ー?」

 

そのまま屋根裏部屋への階段を上る。

階段から顔をだし、屋根裏部屋を見渡す。

 

どこにもいない。

 

「……沙耶?」

 

いやな想像が頭を駆け巡る。

 

まさか誰かにここがばれた?

いや、それならそいつの死体が残っているだけだ。沙耶がいない理由にはならない。

沙耶がどこかに行った?

いったいなぜ?そしてどこに?

メールもないのはなぜだろう?

 

混乱する頭でそこいらを見渡していると、紙が落ちているのを見つけた。

これは?

 

拾って見てみる。

ノートの切れ端のようで丁寧に破ってある。

 

そこにはこう書かれていた。

 

 

――――――

 

倫太郎へ

 

あたしは今外へ出かけています。

驚かせちゃってごめんね?

 

実は倫太郎にプレゼントをしようと思ったの。

焦らなくていいから、ラボに来て。

あたしはそこにいます。

 

倫太郎の喜ぶ顔が見れるといいな。

 

沙耶より

 

――――――

 

 

読んだ後、ひとまず安堵した。

さらわれたわけでも、愛想をつかれたわけでもなかった。

沙耶のやつめ。驚かせるな。

 

しかし、ラボとは。

外にでて人に会うのもダメだしラボメンとも接触するのはまずいのではないだろうか。

そもそも、プレゼントとはなんだろうか。

ラボで沙耶が見繕えるものなどそうないと思うのだが。

そもそもメールではなくわざわざ置手紙なのも謎だ。

プレゼントをラボで用意するために時間でも稼いでいたのだろうか。

 

不思議に思うが、行ってみないことにはわからない。

焦らずにラボに来いと書いてあるので、ゆっくりラボに戻るとするか。

ここですることも特にない。

 

トンボ帰りとなるが、沙耶がプレゼントを用意し待ってることを思えば別段苦でもない。

 

 

沙耶が何を用意しているかを楽しみにしながら、帰りの電車へと乗った。

 

 

 

ちょうど日が暮れてしまった時間帯。

俺はラボの階下へとついた。

窓からは部屋の電気がこもれ出ている。

どうやら中に誰かいるようだ。

ラボメンがいなければいいが。

 

不安に思いながらラボへと繋がる階段を上る。

暗く狭く、腐臭がするような階段は死刑台への段差のようだ。

 

ドアまでついた。ドアも臓器が潰れたようなおぞましいデザインをしている。

少し緊張しながらドアをノックし声を掛けた。

 

「俺だ」

 

「あ、倫太郎?入ってきて」

 

中から沙耶の声が聞こえた。

遠慮なく入ることにする。

 

「沙耶、ただいま」

 

「ふふっ、おかえり倫太郎」

 

中では沙耶が白いワンピースの上に白衣を着ながら佇んでいた。

 

「どう?似合う?」

 

沙耶はくるりと一回りしてから俺の表情をうかがう。

 

「ああ、すごく似合っている」

 

思った通りのことを口にした。

 

「えへへ、こうしてるとあたしもラボメンになったみたいだね」

 

「その恰好を見せるのがプレゼントなのか?」

 

「違うよ。プレゼントはまた別」

 

そういって沙耶は少し暗い表情をする。

とたんになぜだが不安が掻き立てられる。

 

「プレゼント…だよな?」

 

「そう、プレゼント。あたしが倫太郎にプレゼントするの」

 

そういって足を開発室へと向ける。

俺もついていく。

 

「ここに座って。今からプレゼントするから」

 

そういって開発室のパイプ椅子を俺に向ける。

 

「……よくわからんが、わかった」

 

とりあえず促されるままパイプ椅子に身を預ける。

ギショリ、と特有の気色の悪い音を立てて椅子がきしむ。

 

「はい、じゃあ目を瞑って。今から説明するから」

 

「……わかった」

 

言うことを聞かなければ話も進まないだろう。

沙耶の言う通りに目を閉じた。

 

目を閉じれば視界は黒に染まる。

気色の悪いラボの光景も感じずに済む。

屋根裏部屋の時も、もっぱら目を閉じ沙耶の声だけ聴くようにしていた。

俺たちが話をするときはいつもそうではあったのだが。

 

「……なんだか緊張するぞ」

 

いつもとは違い、ラボで沙耶と二人っきりだ。

沙耶が何をプレゼントするかもよくわからないし、自然と体がこわばる。

 

「緊張しなくてもいいよ。ん~でも何から説明しようかな」

 

沙耶の透明感のある声が俺の耳を通る。

プレゼントに説明というのがわからないが。

 

しばらく待って、再び沙耶の声が聞こえた。

 

「よく聞いてね……。あたし、今の倫太郎の頭を元に戻せるの」

 

「ほ、本当か?!」

 

「うん、本当だよ。昼間に色んな人で試したから、たぶん治せる」

 

衝撃だった。

この頭が直せる。

この地獄だった様相も、肉塊になったラボメンも、耳障りだったノイズがかった声も。

全て治る。治せる。

 

「そ、それじゃあ……」

 

「そう、倫太郎が見てる地獄みたいな世界も、人が肉塊に見えるのも全部治せる」

 

なんということだ。

今まで苦しんできた。この汚濁にまみれた世界から、元の世界に戻せる。

 

「す、すごいぞ沙耶!!」

 

「でもね、そうしたらあたしの正体、ばれちゃうの」

 

「あ……」

 

沙耶は震える声で言う。

 

人が肉塊に見えること、声が歪んだ不快なものに聞こえること。

普通の人がそう見える俺がなぜ沙耶だけ人に見えるのか。

俺が元に戻った時、沙耶はどう見えるのか。

 

人に『化け物』と呼ばれる容姿。

人を避けて生きてきた沙耶。

肉塊を、いや人を捕食する沙耶。

 

いったいどんな生物だというのか。

元に戻った時、俺はどんな目で沙耶を見るのだろうか。

 

 

 

……いや。

 

 

「……そんなことはどうでもいい!!沙耶は沙耶だ!!」

 

「……ありがとう、倫太郎。倫太郎ならそういってくれるって信じてた」

 

「沙耶……」

 

「でも、その前に話しておきたいことがあるの」

 

沙耶は真剣な声で俺に話す。

 

「話しておきたいこと?」

 

「うん……」

 

沙耶は、言いよどんでいるようだった。

 

「どんなことでも受け止める。沙耶は俺の大切な人だ。何があろうと」

 

「……うん、ありがとう」

 

そういうと決心したのか、沙耶は話し始めた。

 

「倫太郎はね、この先絶対に幸せになれない」

 

ん?

 

「どういうことだ?」

 

「椎名まゆりはね、この世界線でも絶対死ぬの。アトラクタフィールドの収束によって」

 

「そして倫太郎はその死に耐えられず鳳凰院凶真としてSERNや300人委員会を支配する」

 

「そうやって、世界をディストピアに陥れる」

 

 

沙耶はとつとつと話す。

いや、待て。

なぜそんなことが言える。

俺がSERNや300人委員会を牛耳る?

 

「そんな馬鹿な……」

 

「信じられない?」

 

「いや、しかし……」

 

あまりに唐突すぎた。

まゆりは死ぬ。それは以前からわかっていたこと。

しかしなぜそれ以降の俺の様子がわかるのだ?

 

「実はね……未来のあたしがDメールで色々なことを教えてくれたの」

 

「Dメール……だと……?」

 

「もちろん36文字以上の長文のDメールだよ。未来のあたしが改造したみたい。すごいよね」

 

まるで他人事のように話す沙耶。

そして未来の沙耶が教えてくれたことについて語り始めた。

 

まゆりが死に、岡部倫太郎は鳳凰院凶真としてディストピアを構成する。

これは確定事項らしい。

 

逆に沙耶に関しては不確定らしい。

沙耶は世界線のぶれにより生きていたり死んでいたりすると。

 

そして未来の沙耶曰く『倫太郎が本当に幸せになれる世界線がある』という。

 

この世界線では岡部倫太郎は幸せになれない。

たとえ頭を治してもまゆりの死に苦しみ、世界を支配しディストピアを構築するという。

 

だから別の世界線へと行く必要があると。

 

「しかし……β世界線でも紅莉栖は死ぬぞ」

 

「うん。でもね……そこから『倫太郎が本当に幸せになれる世界線』へと行けるみたいなの」

 

「そんなことができるのか?!いったいどうやって!!」

 

「それは……話しても意味がないの」

 

意味がない?

話せないでもなく意味がないとはどういうことなのだろう?

 

「それは……どういうことだ?」

 

「倫太郎にはね……これまでのことを忘れてもらうから。タイムリープマシンの作り方を学ぶまでのこと。頭がこうなってからの記憶。……それから、あたしのこと」

 

「わ……忘れる?」

 

沙耶の言っている意味が分からない。

どういうことだ。

これまでのことを忘れる?沙耶のことを忘れる?

いったいどういう意味で言っているかが、まるで理解できない。

 

「……なんで忘れる必要がある?」

 

「余計な知識が蓄積されているから、それが世界線へと影響を及ぼしてる。『幸せになれる世界線』に行くルートが阻害されるの」

 

「な……なぜそんなことがわかる!!」

 

「……未来のあたしを、信じられない?」

 

「そんなことは……」

 

ない、と言い切れない自分がいる。

 

頭が治るという。『幸せになれる世界線』へといけるという。

 

それが、今までのことを忘れる?沙耶のことも全部?

何かの陰謀のような気がしてならない。

 

「……沙耶は、信じるのか」

 

問いかける。

 

「あたしは、信じるよ。未来のあたしも、あたしだったから。倫太郎に幸せになって欲しいって思ってたから」

 

沙耶は静かに答えた。

真っ直ぐな声。

何者にも揺らがせないような芯の通った声。

沙耶は未来からのメールに信じさせられるようななにがしかを見たのだろうか?

 

「本当に信頼できるメールなんだな?SERNの罠などではなく」

 

「SERNだったら、そもそもこんな遠回りなことしないと思うよ。それに、あたししか知らないことも書いてあったし……」

 

やはり沙耶は、沙耶からのメールであることを信頼する根拠はあるらしい。

だが、これまでのことを忘れるんだぞ?

俺が頭を治し、尚且つ沙耶のことを忘れてしまったら、これから沙耶と会うことなんてなくなってしまう。

今後、運よく俺が沙耶と出会っても、沙耶のことを化け物呼ばわりしてしまうかもしれない。

いや、きっとしてしまうのだろう。

そんなこと……考えたくもない。

 

「沙耶は……忘れられていいのか?!今までのことも、全部なかったことになるんだぞ!!」

 

「……あたしは、それでもいいよ」

 

「俺は沙耶のことを全部忘れて、次に会った時には沙耶のことを化け物扱いするかもしれないんだぞ!!」

 

「……倫太郎が幸せにならないほうが、嫌」

 

 

胸を突かれた。

あまりに真っ直ぐな言葉に。

 

沙耶はひたすら俺の幸せを願ってくれている。

だが、俺はそんな沙耶に何もしてやれない。

 

「俺が忘れたら、『幸せになれる世界線』へいっても、沙耶に会えないではないか……!!」

 

「あたしは、それでもいい。倫太郎は?」

 

「俺は……俺は……」

 

なぜ突然そんなことを言い出す。

俺は沙耶と二人で話すだけで、幸せなのに。

 

頭を治す。まゆりと紅莉栖を救う。

それだって大切だ。

だが、沙耶だって大切な存在なのだ。

それなのに……なぜ。

 

「沙耶!!」

 

堪らず目を開け立ち上がろうとする。

 

だが、動かない。

 

「な……沙耶!!お前!!」

 

体が椅子に固定されている。

立ち上がることも振り向くこともできない。

 

「ごめんね……あたしはもう決めたから……」

 

悲しそうな顔でこちら側に姿を現す沙耶。

 

「……俺はお前に、そんな悲しそうな顔をさせたくない……」

 

わずかにも体を動かすこともできず、ただ沙耶の顔を見つめ続けることしかできない。

 

「それでも……あたしは……」

 

そう言って俺の背後へと体を移す。

頭に手が添えられる。

 

「今から倫太郎の頭を治して、記憶も消すね?体を固定したのは、何かの拍子で元のあたしの姿を見られたら嫌っていうのもあるの」

 

照れを隠すような言葉に、自然と頬が緩む。

 

「俺は沙耶のどんな姿も気にしないと言っているだろうが」

 

「あたしが気にするの。乙女心なの」

 

「ずいぶんと強引な乙女だ」

 

皮肉気に話すと、沙耶もつられて笑う。

 

この時間も、なかったことになるのか。

そう思って、自分が今までしてきた行為を思い出す。

 

今までのラボメン達も、きっと今の俺のような思いをしてきたのだ。

沙耶を責める権利など、どこにもない。

 

「倫太郎、そろそろ本格的に始めるから、眠らせるね。出来たらあたしがタイムリープさせる。起きたらβ世界線へ行ってね」

 

「その記憶は忘れないのか?」

 

「『β世界線へ行く』って思いを無意識に植えつけておくから大丈夫だよ」

 

「なんでもできるんだな、沙耶は」

 

「すごいでしょ?」

 

「ああ、すごいな沙耶は……」

 

話していると、だんだんと体の感覚が無くなり、意識がぼんやりとしてきた。

もうすぐ沙耶のことを忘れるのだろう。

『幸せになれる世界線』に行くのだ。

 

今までの苦しみも忘れて、頭がおかしくなったことも忘れて。

沙耶の出会いも、笑顔も、話声も、柔らかな体躯も。

 

全部忘れて。

 

「なんで……忘れなきゃならない……!!俺は……!!」

 

涙声で叫ぶように喋る。

きっと俺の顔はくしゃくしゃになっているだろう。

 

なぜ俺は大切なものをいつも失うのか。

なぜ沙耶のことだけ忘れなければいけないのか。

 

みんなの思い出を犠牲に進んできたことの報いなのか。

これが世界の選択なのか。

 

なんで世界はこんなに残酷なんだ…!!!

 

「ごめんね、倫太郎……」

 

「……謝るな……お前のおかげで…俺は幸せになれるんだろう……?」

 

「うん……あたしが保証する……」

 

「なら……俺は……絶対に幸せになる!!沙耶が正しいことを証明してみせる!!」

 

「うん……うん……」

 

沙耶も涙声になっている。

 

俺は『幸せになれる世界線』へと行くという。

ならば幸せにならなければ嘘だ。

まゆりを救い、紅莉栖を救い。

ラボメン達とただ日常を過ごすのだ。

 

沙耶とのことを忘れてしまっても。

俺は…沙耶が信じたことを、証明しなければならない。

 

沙耶が自分を犠牲にしてまで示すものを、俺はなんとしても手に入れる。

 

だんだんと意識が遠ざかっていく。

体の感覚が消えていく。

 

沙耶が遠くなっていく。

この世界が遠くなっていく。

 

白い光に包まれるように。

深い水底へ落ちていくように。

 

頭が霞がかっていき。

 

 

 

俺は意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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※もうひとつの終わり

「フゥーハッハッハッハ!!やはり天は俺に味方しているようだな!!!」

 

「いや女に荷物を持たせるとか最低なのだが……病み上がりってのも、もう通用しないんじゃないの?」

 

「トゥットゥルー♪まゆしぃも負けてしまったのです」

 

「牧瀬氏もまゆ氏も運が悪いのだぜ」

 

「少なくとも橋田は持て」

 

俺たちは今秋葉原に来ていた。

何を隠そう俺の『退院から一ヶ月たったのです祝い』(命名:まゆり)のための買い出しだ。

 

そしてジャンケンをして負けたものが荷物を持つというやつだ。

敗者に男も女も関係ないのだ。

 

「しかしようやっと涼しくなったな。これで秋葉のカオス度も和らぐ」

 

今は10月。

あの激動の夏から2カ月がたとうとしている。

 

7月28日に紅莉栖を救い、8月21日に戻ってきてそのまま入院。

退院まで一カ月ほどかかった。

 

退院直後に紅莉栖に会い、そのままラボメンに誘った。

最初の頃はおとなしかった紅莉栖も今ではふてぶてしい態度をとるようになった。

 

うむ。いいことだ。

 

SERNやラウンダー達がどうなっているかはわからない。

未来はどうなるかわからない。

 

これでいい。

未来は不確定だからこそ、希望が持てるのだ。

 

 

 

だが。

 

何かを忘れてしまっている気がする。

ぽっかりと胸のところに穴が開いているような感覚。

 

リーディングシュタイナーを持つ俺が、世界に記憶を書き換えられるなんてことはないはずなのだが……。

いったい何なのだろう。

 

物思いにふけりながらボーっと人の渦をかき分けていると。

 

ふいに。白いワンピースが目の端に映った。

 

「っ……!!」

 

白いワンピース。

見たことがない。

だが。

 

なんだ。

わからない。

でも。

 

思わず走り出す。

 

「岡部!?」

 

白いワンピースはすぐに人ごみの中に消えた。

見失ってしまう。

 

白くひらめくものを追って人ごみをかき分ける。

どこにいった。

 

1人、2人とかき分けるが、あまりに人が多い。

白いワンピースも見失ってしまった。

 

当たりを見回しても、もう見つけられなかった。

 

「……はぁ……」

 

「どうしたの岡部? ていうか荷物持ってる女の子を走らせるな……」

 

息を切らせながら紅莉栖がやってくる。

 

「何か……何か忘れている気がするんだ……」

 

「はぁ? 何かって何?」

 

「……なんだろうな……」

 

胸に渦巻く寂寥感が、いったい何かもわからない。

何かを、忘れてしまった。

大切な何かだった気がする。

忘れたくない何かだった気がする。

何も覚えていないが、ただ、その思いだけが胸に残っている。

 

「……いきましょ、岡部」

 

優しい紅莉栖の声。

 

促されるまま。歩き始めた。

 

 

 

 

 

何か。何かを忘れてしまった。

ただ俺は今、幸せだった。

 

 

 




これにて完結です。

ここまで読んでいただきありがとうございました。


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