聖園ミカの弱くてニューゲーム (Red_stone)
しおりを挟む

第1話 始まりの日

 

 

 丸テーブルのスタンドの上には富を象徴するかのような高級店のスイーツが並んでいる。そして、紅茶も上等なものを専属のメイドが手ずから淹れたものである。

 セレブ感溢れる、狙いすぎとも言えるだけの高級な雰囲気のお茶会がそこにあった。座るのは二人の貴人。

 

「あは☆。ナギちゃんとお茶会するのは久しぶりだね。ちょっと前までは毎日のようにやっていたのにね?」

 

 聖園ミカ、宇宙のようなヘイロー(天輪)を頭の上に浮かべ、腰から白い翼を生やした少女。その天使のような翼にはところせましとアクセサリーが飾られている。

 ニヤニヤとからかう様な笑みを浮かべているが、目の奥には警戒の光と剣呑と宿っている。

 

「久しぶり、というほどのことでもないでしょう。42時間前にもミカさんとご一緒させてもらいましたから」

 

 ニヤニヤと笑いを浮かべるミカの前に居るのは桐藤ナギサだ。やはり翼の生えた、しかし頭の上のヘイローは普通寄りの穏やかな銀髪の美少女だ。羽には特に飾り物はついていない。

 優雅に笑顔を浮かべながら、その瞳に油断はない。心の奥まで覗き込むような深淵を宿す瞳で彼女を見つめる。

 

「セイアちゃんが居た頃は毎日やってたよね。まあ、前から体調不良で来れないことが多かったけど……とうとう三つ目の席を出すのもやめちゃったんだね」

「――そうですね。来れない方の席を出しておいても、意味がありませんから……」

 

 気まずい空気が満ちる。セイアが居た頃は喧嘩のようになることはあっても、こんな居たたまれなくなるようなことはなかった。

 あの時から、歯車は狂い出していたことをミカは自覚する。それでも止まれないから、笑顔の裏で二人は己の目的に向かって邁進する。

 

(それも、全ては私のせい。私が、あんなことをしてしまったから。……だからこそ、止まるわけにはいかない。ナギちゃんが忙しくしているうちに”計画”を進めないとね。お茶会があると私の行動が縛られるけど、逆にそれはナギちゃんを縛れるということでもある。ナギちゃんの現状を、ちゃんと聞かせてもらわきゃね)

 

 ミカは内心暗いものを抱えながらも、表情は努めて明るくする。それが元からのロール(役割)で、計画を進めるためにも必要なことだから。

 ナギサの疑心暗鬼が向かない内に、できることはしておかないといけない。

 

「そういえば一昨日ぶりだったね。最近ナギちゃんが忙しいせいでケーキを食べれてなかったから嬉しいよ☆」

「私のお茶会はあなたにタダでスイーツを食べさせるためにあるのではありませんよ。ミカさん」

 

「あはは。でも、スイーツ食べすぎると体重に響いちゃうからね。ナギちゃんは大丈夫? 忙しいからって夜中に紅茶とケーキを食べたりしてない? そういうの、乙女にとっては一番の敵なんだよ」

「あなたに心配されることではありません。そもそもいくら私でも夜中にスイーツを頂くことなどありません。我慢できなくなって夜中にコンビニにプリンを買いに行くような、自己管理ができないあなたとは違うんですよ、ミカさん」

 

「ちょっと、ナギちゃん! なんで知ってるの? 誰にも内緒にしてたのに」

「……本当にやっていたのですか? まあ、あなたならやりそうですが」

 

 鎌をかけられた、とミカは唖然として、すぐに頬を膨らませる。

 

「むう、ナギちゃんってば要らないことばかり鋭いんだから。そんなんだから腹黒紅茶なんて呼ばれちゃうんだよ。やーい、ナギちゃんの腹黒おデブー☆」

「ミカさん、あまり妙なことばかり言っていると……その口にロールケーキをぶち込みますよ」

 

 ごごご、と黒い圧力が立ち上った。慣れているミカはこわーいなんて言いながら圧力を受け流して、紅茶を一口飲んで仕切りなおそうとカップを持ち上げる。

 

「――ッ!」

 

 目を見開く。何かが、来た。

 

「痛……ッ!」

 

 頭を押さえる。カップを取り落して、ガシャンとテーブルの上に破片と紅茶が広がって。そう、それはまるで血のように鮮やかな赤がテーブルの上に広がった。

 

「あぐ……うっ!」

 

 頭に流れ込んできたそれはまるで暴力だった。知らないはずの記憶が流れ込んでくる。頭が痛む。……それは未来の記憶。

 

 失敗を取り返そうとして、しかしその選択すらも失敗に他ならず――その果てには”魔女”と呼ばれ、ティーパーティーからも放逐される悪夢のような未来。

 自らの過ちは親友と思っていたナギサの命すらも脅かし、全てを失った結果として憎しみに囚われた自分はかつて親近感を覚えたサオリを殺そう/殺されようと彼女を追跡した。

 

 けれど、その間違いの物語の最後にも救いはあった。全部の選択肢を間違えて、悪い結果が積み重なった最後の最後――”先生”が来て、私たちを救ってくれた。

 あの人が居たからセイアちゃんは帰ってきた。あの人が育てた補習授業部の絆が、ナギちゃんを魔の手から救ってくれた。あの人が、歴史の闇に消えた影に潜む怪物を討伐した。

 黒幕……サオリと『アリウススクワッド』を使ってキヴォトスを相手に何かをしようとしていた悪意の根源。トリニティがトリニティになるための生贄として消費されたアリウス分校。その長年に渡る憎悪すらも塗り潰し、己が手足として利用した”真の敵”。彼女すらも先生は倒したのだ。

 

「――ナギ……ちゃん。私は……」

 

 その”未来”を知って、ミカは倒れた。

 

「ミカさん!?」

 

 ガタン、と立ち上がり倒れた彼女に駆け寄る。飛び散った紅茶で制服が汚れるのも構わず抱き上げて呼吸を確認する。

 

「ミカさん、生きてますか? まさか、紅茶に毒が? でも、カップも茶葉にも何かを仕込めるような隙は残してないはず。……誰か! 誰か来なさい!」

 

 とりあえず、息はしている。青い顔をしているが、毒を飲んだ様子でもない。命に別状はなさそうだと、安心して。

 

(何が起きたのでしょう? セイアさんを殺した敵がミカさんまで手にかけた? けれど、謎の敵に対しては警戒していたはずなのに!)

 

「ナギサ様! どうされましたか? ……ミカ様?」

 

 扉の前に待機させておいた子が駆け付けた。特に心配している様子もないのが腹が立つ。むしろ、とうとうやっちゃったのかという目をしている。

 確かに理由はある。ここでミカを毒殺すればホストは永遠にナギサのもの……まあ、そんな短慮が実際にうまくいくはずもないが。

 

「すぐにミカさんを保健室に運びなさい! 私もそこで待機します。テーブルの上にあるものはカップごと廃棄なさい」

「は! 承知しました!」

 

 ドタバタと、忙しい足音が聞こえる。命令を忠実に果たしているのだろう。指示は出した。ミカの頭を膝の上に乗せて、心配そうに寝顔を見つめる。

 

 

 

 そして、保健室で2時間ミカの寝顔を身ながら過ごしたナギサ。そこにいた救護騎士団に診察を頼んだが……幸い、眠っているだけと診断された。

 ナギサは目線をミカの苦しそうな寝顔から離さずに私兵と会話をする。

 

「私のカップと茶葉に毒は仕込まれてはいなかったということですか?」

「はい、巡回はつつがなく実行されていました。また、不審者が居たということもなく……あの、誰かが触れたということはないかと」

 

 会話中に、ミカが目を覚ます。きょろきょろと辺りを見渡して、きょとんとした顔でアホなことを言う。

 

「ううん。あれ、ここ保健室?」

 

 ぽややんと口元に指を当てて周囲を見まわしているミカ。なんて警戒心のない、と殺意が生まれたがナギサは努めて冷静な顔を保つ。

 

「はい、覚えていますか? あなたは私とお茶会をしている最中に倒れたのですよ」

「あれま。うん、大丈夫だよ。ナギちゃんが心配しているようなことはないよ。ちょっと寝不足だったみたい☆ 今は元気だよ」

 

 ベッドから身を起こして、ぐいぐいと身体を伸ばしているミカ。それを見る限り、どこにも悪そうな様子はない。

 元気そうな様子にナギサは一安心する。

 

「ですが、今は何ともないとしても気絶するのは大事ですよ。何か病気かもしれませんし、ここは一度ゆっくりと休んだらどうですか?」

「セイアちゃんみたいに?」

 

 軽いウィンクをしながら、冗談を言うときの顔で言った。

 

「――ッ!」

 

 ナギサの表情が険しくなる。”それ”は冗談で済む言葉ではなかった。それこそ、ナギサの一派がこれを口実に暗殺ないしは投獄でも狙っているような言い分だ。

 こんなことを言われてしまったら、どうしようもない。

 

「ううん、ちょっとね。とある少女漫画を読んでたら夢中になって徹夜しちゃったんだ☆ もう、ナギちゃんのお話がつまらないから寝ちゃったよ」

「……ミカさん。あなたは。……いえ、これ以上隙を見せる気はないということでしょうね。ええ、その方が良いでしょう。あなたは少し疲れて眠ってしまっただけ。そういうことにしましょう。あなたも、良いですね」

 

 ナギサが怖い表情をしながら、脅迫さながらに……実際に脅迫なのだが居合わせた救護騎士団のメンバーに圧をかける。

 

「は、はい! 私はミカさんが眠いと言うのでベッドをお貸ししただけです!」

 

 ビシリと気を付けしながら返した。

 

「では、夜も遅いことですし寮に戻りましょうか」

「そうだね。今日はごめんね☆ ナギちゃんの長い話を聞けなくて残念だったよ。ばいばーい」

 

 おどけて、分かれて帰る。

 

「ミカさん……私は、あなたを殺させはしません」

 

 本人は聞こえないだろうと思って呟いた言葉が聞こえてしまった。

 

「あはは。ナギちゃんは本当に純粋で優しいね。私に、そんな価値があるはずないのに……」

 

 思い出したのとは違う。なのに、思い出したという感覚だった。未来を知る――それは古今東西の権力者が望むことで、セイアの権力を担保していたのもその力だった。

 けど、セイアはその力を誇ったことはなかった。いつも厄介な力だとぼやいていた。未来を知った今、その言葉が実感として分かった。

 

「セイアちゃんは凄いね。嫌味ばっかりで、話していると殴りたくなってくるけど、本当に殴ったら死んじゃいそうな虚弱なセイアちゃん。あなたは未来を知っていても、あんなに笑っていられたんだね。ねえ、セイアちゃん。私はどうしたらいいのかなあ」

 

 ミカは力なく宙を見つめながら、しかし手元ではモモトークを素早く動かしていく。傘下の生徒を使って情報収集をする。

 牢獄の中に居た時とは違って、まだ権力は持っている。全てを諦めるくらいなら、始めから動いてなんかいない。まだ、手はある。諦めるなんてことはしない。

 

「――先生。全てを解決してくれたあなたなら、何とかしてくれるのかなあ?」

 

 すぐに答えが返ってくる。配下に先生を探させた。

 前からシャーレという組織には目を付けていた。連邦生徒会長が遺した、権威はあるが中身(武力)のない豪華な箱/組織。その権威を利用できないかと思って。

 だから、ミカがそれを探すのは不自然ではない。秘密裏に情報を入手して、今日も秘密裏に最新情報を入手しただけの話。それは重要度を上げただけ、誰かに悟られるヘマはしていないはずだ。

 

「……え?」

 

 だが、予想もしてない答えが返ってきた。

 

「行方不明……? うそ……」

 

 先生はシャーレに着任してから数日、着々と連邦生徒会のお膝元で半分便利屋のように名前を上げていた。

 そして、アビドスに向かうと報告書を上げてから、その消息を絶った。今日を入れて2日間目だ、なのに続きのニュースがないのだ。

 

「うそ……うそ……うそだよ。なんで? 私、未来を思い出しただけじゃない。先生が悪いことになるような、そんなこと一つもしてないはずなのに」

 

 手が震える。吐き気がする。絶望感でめまいがする。

 

 もっとも……それは単に”覚えていない”というだけだった。思い出した未来はミカの記憶だ。ゆえに、そんなことがあったことを知らなければ思い出せるはずもない。

 アビドスに向かった当日から報告書が三日間分途切れている、それはミカが知らないだけで史実でも同じだ。

 ただ、それを分からないミカがパニックに陥っているだけの話だった。

 

「だめ……! だめだめだめ。先生が居ないとどうなるの? セイアちゃんの意識は戻ってこない。ナギちゃんだって、補習授業部がないと命が……!」

 

 泣きそうになりながらスマホを操作する。報告書を調べるだけじゃない、配下を使って直接先生の足取りを調べさせる。

 どうか生きていて、と祈りながら報告を待つ。何かがあればネットに情報が乗るはずだ。それを人海戦術で調べる。

 

「――」

 

 けれど、返ってくる報告は”見つからない”とばかり。まさか現地にまで調査員を派遣するわけにはいかない。そんなことは『ティーパーティー』の、仮にホストであっても無理だろう。少なくとも、根回しのために一日は時間が要る。

 

「……先生!」

 

 だから、ミカは居ても立っても居られずに飛び出した。最後に目撃証言のあったアビドスの駅に向かった。

 夜中にも関わらず、捜索を開始する。ただ、先生が居ないとハッピーエンドにはたどり着けないから。

 

 





 先生が数日遭難していたのを2日間に変えたのは、4,5日アビドスで失踪して心配するのは当然だから。ここはキヴォトスだから、例えばユウカあたりの先生ラブ勢でも2日は「迎えに行ってあげなきゃ」で命の心配はしないと思います。
 モモトークあたりの精神がボロボロになったミカが未来の記憶と一緒にインストールしたから哀れにも涙目で慌てふためいているわけですね。味方になった瞬間雑魚になるRPGあるあるのデバフはありませんが、弱くなったミカはちょっとしたことでネガティブになり過呼吸になって倒れてしまいます。
 ミカの泣き顔は本当に可愛いですね。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第2話 先生との出会い

 

 

 先生が失踪しているとの報告を受け、ミカはたまらず自ら探しに出た。未来の記憶を知ったはいいが、有効活用なんて出来はしない。それどころか感情に振り回されて判断力まで鈍る有様だ。

 そもそも精神的に疲弊して自分から何か行動を起こすような勇気も持てないような様になりはてた。だから、とにかく先生に会いに行くことしか考えられない。

 

「――ミカ様、外出許可証は持ってませんよね? ……それと、送迎は教職員の仕事ではないのですが」

 

 今は車の中だ。誰が誰やら見分けのつかない機械頭のスーツ教員を捕まえて駅に向かわせている。実は電車を使った方が速いかもしれないが、さすがにそれはできない。

 まだ『ティーパーティー』の一員だ。公共の移動手段を使えば襲撃の標的になるし、教員を黙ってタクシーにさせる程度の権力はあるからそちらの方が話が早い。

 なお、教員どもの頭では本当に『ティーパーティー』に電車など使わせてはマズいなどとは分からない。ただ保身で頭が一杯な彼らは電車が爆破されても「わー、どうしよう」程度の頭しかないのだ。

 

「なに? 私のお願いが聞けないの? ふーん。そうなんだ……あなたの名前、覚えておいた方が良い?」

 

 ミカはスマホを高速で操作しながら低い声で脅しをかける。教員は役に立たないが、扱い方なら知っている。

 権威に膝を屈し、上位者に唾を吐く彼らの生態など学習済だ。どうせ、何もできない奴らなのだ。そういうことを念頭に置くなら有効活用できる。

 

「い、いえ」

 

 彼は慌てて前を向いて運転に集中する。まあ、キヴォトスでは銃撃戦が毎日のように起こる。そして、連邦生徒会長が失踪した今やクラクションを鳴らしただけでも銃弾が飛んでくるレベルにまで治安は悪化している。そして、ここは既に治安の良いトリニティ自治区の外だ。

 この車は彼の私物だから、慎重に運転しなければならない。目立てば撃たれる可能性は低いので、できるだけ静かにゆっくり進んでいる。

 

「ねえ、遅くない? いつ着くの?」

「は、はい! 申し訳ありません、スピードを上げます!」

 

 さすがに遅すぎた。夜中とはいえ、これでは日が昇ってしまう。ミカはチラリと外を眺めてスピードを確認するとまたスマホに戻る。

 準備すべきことはいくらでもある。そもそも未来を見たからと言って、今更変えられないこともある。その辺については報告を読んだり指示を飛ばす必要があるのだ。

 

「――ここ、が」

 

 そして、アビドスに着いて愕然としてしまった。車から降り立つと砂の感触がした。駅まで砂に覆われて、まるで廃墟だ。

 

「で、では私はこれで失礼します。明日の授業、遅れないでくださいね……それでは」

 

 教員はミカが降りるのを確認するや否や車を発進させて帰ってしまう。生徒をこんな場所に置いて行ってしまうのに微塵もためらいがなかった。

 

「アビドス……滅びかけた自治区」

 

 だが、ミカには彼のことを気にかける余裕もない。心は、未来を思い出した時から限界だった。これからの未来を知り、先生が居れば何とかなると信じて探したけれど、その先生はアビドスに向かった挙句に失踪していて。

 

「まるでゴーストタウンだね。こんなところに人が住んでいるのかな?」

 

 あたりを見渡しても砂と廃墟しか目に入らない。全てが終わった破滅の未来、それはミカの行く末を暗示しているようで。

 心が暗く重く沈み込む。目から光が消える。

 

「ねえ、先生。先生は――どうして、こんなところに?」

 

 知っている。アビドスの対策委員会に依頼されたからだ。先生は生徒を助けるためなら何でもするから。

 ミカのときも、補習授業部のことをお願いして……そこから助けてもらった。

 そういう人だ。先生は助けを求める生徒を放っておかないから、こんなところまで来た。それを止めることなんて、誰にもできない。

 

「でも、でも……こんなものを……!」

 

 ただ、先生は聖人であっても、奇跡を起こす人じゃない。いくらなんでも、目の前の光景を何とかするのは無理だろう。知った未来でも、アビドスについての環境改善なんてどうにもなっていなかったはずだ。

 それなら、先に自分を……トリニティを助けてくれても良いだろうと思う。思ってしまう。

 

「先生……! 先生、私のところに来てよ。私、とっても困ってるんだから。校舎がなくなるだけのアビドスなんかとは違って……!」

 

 視界が歪む。涙がこぼれそうになる。あんな最悪の未来を知ってしまって、先生に縋るしかなくて。

 でも、先生はどこにもいない。

 

「先生、どこ? 助けて。私を、助けてよ……」

 

 ふらふらと歩き出す。砂に埋もれた広大な大地。だが、キヴォトスの人間であれば一日で踏破可能だし、キヴォトスの外の人でも二日くらいで死にはしない。……状況にもよるが。

 

「……先生。先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生――」

 

 幽鬼のようにアビドス本校の方角に向かいながら彼の姿を探し求める。夜中であろうと星明かりがある。彼を、絶対に見つけなきゃ……と。

 

「居ない……?」

 

 そして夜が明け、日が昇っても……彼の姿はどこにも見えなかった。心は折れていた。セイアとナギサのためにと絞り出した気力すらも底をついて。

 とうとう、その場にへたり込んでしまう。綺麗だった学生服に砂がこびりつく。夜中の探索のせいですでに服はボロボロだった。

 

「どこにも居ないよう。私の……先生(救い)が……ッ!」

 

 ぽろぽろと、涙が溢れてしまう。精神的な面だけでなく体力的にも限界だ。気絶したときに2時間ほど寝ていたとはいえ、そこから徹夜でこの廃墟を探し回り、さらには水分を一滴も口にしていない。

 出発するときに考えつかなくて、そもそも今も精神的に追い詰められて自分が喉が渇いていることすらも自覚していない現状だ。

 気付いていなくても喉も乾いたしお腹も減った。全てが限界だった。もう一歩も前に進めない、そんな行き止まり(デッドエンド)

 

「私が……私が悪いのかなあ? セイアちゃんを襲撃しろって言ったのは私だもん。ホストになろうとナギちゃんの投獄を狙って、それを利用されたのも私だったね。サオリを追って、先生にも迷惑かけて……」

 

 過去と未来の話がごっちゃになっている。それだけ限界なのだ。

 そして、どこからともなく聞こえる「魔女め」という怒声。お前なんか死んでしまえと、ありもしない声が聞こえてくる。

 ……いや、それは未来でミカが聞いた声だった。

 

「やっぱり、私は厄病神なのかなあ? 私なんか、居ない方が良いのかなあ? いっそ、ここで私が死んじゃえば皆幸せになれるかな。黒幕は気がかりだけど、利用された馬鹿な私さえ居なければナギちゃんがどうにかしてくれるかな。先生は、居ないけど」

 

 もうここで死んでしまった方が良いかとミカは涙を落とす。だって、それが一番いいだろう。自分の存在がものごとを悪い方向に転がしていた。

 消えれば、少なくとも悪くなる要因を一つ潰せる。それはとても合理的じゃないかと、皮肉気に微笑んで。

 

「そんなの、嫌だよ。……たすけてよ」

 

 けれど、それは嫌だった。あんなことをしてしまった自分だけど、それでも幸せになりたいのだ。

 セイアちゃんにあんなことをして、ナギちゃんにたくさん迷惑をかけてしまったけど……それでも、三人で笑い合える未来が欲しかった。

 改めて恥知らずと思ってしまうけど、それが本心。

 

 ――けど、もう頑張れない。

 

「大丈夫?」

 

 懐かしい声が聞こえた。本来であれば未来で知ることになるはずの声。

 だけどそれは、困惑を含んだ、けれど精一杯相手を安心させようとする、先生の――未来でも聞いたことのない声だった。

 

「……え?」

「私が来たからもう大丈夫。安心して」

 

 目の前に立っていたのは、”先生”だった。懐かしく感じるのと同時に安心と他に熱い感情を覚える。

 それは未来の記憶なんかじゃない、”今”の感情。未来の記憶に振り回されてのことではなく、自分の本心。

 

「君のことを助けてあげる、お姫様」

 

 暖かい手に頭を撫でられて――そう、この時ミカは恋に堕ちたのだ。

 

 

 





 未来を知って堕ちるのは電波系だと思ったので、ミカにはナデポされてもらいました。
 昼行燈でお花畑に見せても、実際に頭の中では計算してる為政者だと思います。だから電波系ではない、と。
 これで未来を知ったからでなくて、本当に好きになりました。その好きになった先生が傷ついたら、どんな顔を見せてくれるんでしょうね?




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第3話 アビドスとの邂逅

 

 

 ミカは夜が明けるまで先生を探し回った。必死に、自分のためだけでなく親友を助けるためだと信じて。……なのに、朝まで探したのに、(救い)は居なかった。

 全ての希望を失って泣いてしまったミカは、そこで先生と出会った。そして、頭を撫でてもらった。

 

「ほら、立って。かわいい服が砂だらけじゃないか」

 

 彼はミカの手を取って立ち上がらせて、パンパンと砂を払う。

 

「……あう。先生、少し恥ずかしいよ」

 

 そんなミカは顔を赤くして身を縮こまらせる。手を握ってしまったし。今は顔が近くて、服に触られている。

 少し恥ずかしいが、それでも抵抗はしない。

 

「ええと、それでどうしたのかな? もしかして、私を探しに来てくれたのかな」

「あ! えと……その……」

 

 衝動的にこんなところまで来てしまっただけで、何も考えてはいなかった。何を相談していいのかすらわからない。

 というか、そもそも未来のことを話していいのかさえ、何も考えていなかった。とにかく探し出さなければ、と。そしていざ先生が目の前に居るこの状況……何をしていいか分からなくなってしまった。

 

「君は『トリニティ』の子だね。お嬢様学校なんだったね。うん、本当にお姫様みたいなかわいい子だ。ほら、落ち着いて話してくれるかな」

「あう……あうあうあう」

 

 目線を合わせて、ゆっくりとしゃべられてしまうと――顔が真っ赤になって今度は別の意味で何も考えられなかった。

 顔が、顔が近い……!

 

「ふふ、君のような子にも知ってもらえていると先生は……嬉し……」

 

 ガクリ、と膝を着いた。

 

「先生!? どうしたの?」

 

 ミカが急いで彼を抱き上げると……ぐぅーと大きくお腹の音が鳴った。

 

「……ごめん。そういえば昨日から何も食べてなくて。アビドスの広さを舐めていたよ……」

 

 安心したような、肩透かしのようなそんな気分になってしまって。ミカのお腹からも腹の虫が鳴った。

 

「あっ……」

 

 お腹を押さえて今度は違う意味で顔を真っ赤にした。何も食べずに夜通し先生を探し回っていたので、当然のことではあるのだが。

 ボーイミーツガールの素敵な一瞬が、ギャグに変わった瞬間だった。

 

「ええと、大丈夫?」

 

 そして、そこに自転車に乗る少女が通りかかった。灰色の狼耳を生やした、銀髪の少女。ミカのお姫様のようなきらびやか美しさと対比した、スポーツマンとしての美しさだ。

 ……もっとも、それはスポーツよりも過激な運動(銀行強盗)のために鍛え上げた肉体美なのだが。

 

「ちょっと待ってね。はい、これ。エナジードリンク」

 

 お腹を鳴らす二人に一本の水筒を差し出す。こうして接する分には、シロコは良い人だった。ただ、嗜好が犯罪寄りなだけで。

 

「ライディング用なんだけど……今はそれぐらいしか持ってなくて。でも、お腹の足しにはなると思う」

「へ? あ、うん……ありがと。先生、飲める?」

 

 ミカは受け取り、先生の口元へ甲斐甲斐しく運ぶ。

 

「あ……それ……」

「あれ? 何かあった?」

 

 間接キスに気付いたシロコがわずかに頬を染めるけど、ミカは気付かない。後で気付いて怖い顔をするのだが。

 

「……ううん、何でもない。……気にしないで」

 

「んぐ……んぐ……ぷはあ。生き返ったよ、ありがとね。ええと、君は?」

「ん? 私は、砂狼シロコ」

 

 無表情で返す彼女は銀髪で狼耳を生やした少女。とても愛らしい外見だが、キヴォトスでは獣耳が生えた生徒は割とよく居る。

 そもそもミカにだって翼が生えている。キヴォトスはそういうものだから、誰も気にしない。

 

「で、君の名前も聞いてもいいかな?」

「あ……はい! 私の名前は聖園ミカだよ☆ よろしくね」

 

 顔を真っ赤にして残った分を飲めば間接キスになるのかと悶々していたミカは名前を聞かれて誤魔化すように慌てて名乗った。ポーズも決めた。

 

「ん。それ、全部飲んじゃっていいよ。見た感じ、男の人は連邦生徒会から来た大人の人みたいだけど……お疲れ様。学校に用があって来たの?」

「ああ、そうなんだよ。いやあ、まいったまいった。お金は持って来たんだけど、使える場所がどこにもないとは思わなかったよ」

 

「ああ、ここは元々そういうところだから。食べ物がある店なんか、とっくに無くなってるよ」

「ははは……うん、そのようだ。しっかり下調べしないとキヴォトスでは遭難するんだね。いやあ、大人になっても学ばなきゃいけないことばかりだなあ」

 

「下調べ……ここの近くにはうちの学校しかないけど……もしかして……『アビドス』に行くの?」

「ははは、ここが『アビドス』だろう? まあ、私は学校に用があって来たんだけれども」

 

「そっか。久しぶりのお客様だ」

 

 シロコはひたすらクールに振舞っている。それでも、アビドスの学校に用があると聞いて感慨深げにしていた。

 

「ああ、私は『シャーレ』から来た先生だ。アビドス対策委員会から支援要請を受けて来たんだよ」

 

 先ほどまでお腹を空かせてミカに抱えられていたとは思えない、さわやかな笑みを浮かべている。

 

(支援要請? 頼りにはならなそうな人……)

 

 シロコは悪人には見えないけど、役に立ちそうもないとそんなことを思った。実際、ヘイローもなく銃の一発で死んでしまう脆弱な身体だ。

 暴力と言う意味では、隣に居る少女の方がよほどと警戒する。

 

「――ふぅん」

 

 そして、警戒している彼女はなぜかあげた水筒を睨みつけていた。顔を赤くしている。あ、口を付けた。

 どことなくコミカルな彼女だが……

 

(けれど、彼女が来ている制服は『トリニティ』のもの。キヴォトスの三大学園の一つ、お嬢様学校がアビドスに何の用があって?)

 

 だが、警戒の目を向けても意に介してもいない。強者なのか、それとも何も考えていないのかとシロコは訝しむ。

 

「ああ、ミカは私に相談があって来てくれたんだ」

 

 先生はあいかわらずふわふわと気の抜けた笑みを浮かべていて、そんな彼を見ているうちにシロコとしても気が抜けてしまう。

 目的が分からない彼女に関しても、まあよいかと。

 

「ただ、ミカの用は後回しにさせてもらっても良いかな? アビドスで話を聞くことになってしまうけど」

「あ……はい」

 

 いきなり顔を真正面で見たミカは何を言っているのかも分からず頷いてしまう。……恋した乙女は弱かった。

 時間ができたとかではなく、間接キスと先生の近い顔で頭がいっぱいなポンコツだった。

 

「さて、できれば……それに乗っけてくれるとありがたいな」

「えっと、これ一人乗りだから……でも、外の人だと学校までは遠いかな……」

 

 決め顔で情けないことを言う先生と、困惑するシロコ。絵面としては女子高生に言い寄る情けない大人だった。

 

「背負ってくれないかな?」

 

 更に情けないことを言うが、先生は更に決め顔を決める。横のミカはときめいてしまった。

 

「まあ、その方がいいか……あ。待って」

 

 そこでシロコの頬にはっきりと朱が差す。

 

「えっと……さっきまでロードバイクに乗ってたから……そこまで汗だくってわけじゃないけど、その……」

 

 しどろもどろ。さすがに華の女子高生、汗の匂いをかがれるのは気恥ずかしいらしい。

 

「普段は学校のシャワー室を使うの。予備の服もそこにあるし……」

 

 そっと横を向く。先生は回り込んで、真正面から顔を見て首を横に振る。とても真剣だ、内容は馬鹿馬鹿しいが。

 

「え? 気にしないでって?」

「ああ。君のように素敵な女性のならば私は大歓迎だよ。とても良い匂いに決まっているからね」

 

「え、そんな。むしろいい匂いがするって……?」

「当然だとも」

 

 自信満々に頷く先生。詐欺の才能があった。

 

「……うーん。ちょ、ちょっとよくわからないけど……気にならないなら、まあいいか。それじゃしっかり捕まってて」

 

 そして、シロコは先生を背に乗せて自転車を漕ぐ。いや、しばりつけてと言うべきか。何かあったときに落とすのが嫌だから紐で先生の身体を自分にしばりつけた。

 だいぶ特殊なプレイみたいになっているが、当の先生は……ふんふんと鼻息うるさく少女のかぐわしい香りを堪能していた。

 

「ねえ、先生。落ちないように縛り付けておいたけど、大丈夫? 苦しくない? 鼻息が荒いよ」

「いや、大丈夫だよ。これは――そう、ちょっと大きく息を吸いたい気分なんだ」

 

「ん……じゃあ、いい」

 

 疾走するシロコと、横を走るミカ。

 

(お嬢様学校でも、こんなに走れる人が居るんだ。でも、歯ぎしりしてるのは何故? なんか殺気が……)

 

「ねえ、先生。縛られて不快じゃない? 良ければ私がおんぶしてあげるよ☆」

 

 走りながらピコーンと音がしそうなポーズをする。じめっとした視線が頷け頷け頷けと訴えかけていて、先生は少し顔を青くしてしまった。

 

「いや、ちょっと遠慮しておこうかな。先生は弱いから耐えられるか心配なんだ」

 

 キヴォトス人ならではの身体能力で原付並みのスピードで自転車をかっ飛ばすシロコと、走ってそれに追いつくミカ。

 砂の上だから、走っている方は滅茶苦茶にアクロバットな動きをしているのだ。あんなのの背にのせられたらがっくんがっくん頭の座っていない赤子のように揺らされてしまう。

 ちなみに、これでもシロコは揺らさないように速度を抑えているのだからまた。

 

「もうすぐ着くよ。私たちのアビドスに」

「うおっ。……むぐっ! がふっ」

 

 シロコが情感たっぷりに呟く。なお、自転車のジェットコースターは先生の少ないHPを削っていたが。

 そして、そのせいで女子高生の匂いを楽しむよりもパンチドランカーの心配をする羽目になっているのだが。

 

「……ふうん。ここがアビドス本校かあ☆ うん、中も砂だらけだね。掃除してないの?」

 

 ミカの第一声がこれである。

 

「そんな余裕があればね……」

 

 シロコは目を反らした。

 

「ああ、ここに対策委員会の子達が居るんだね」

 

 ちなみに先生は縛り付けたままである。荷物のようにシロコに括りつけられて、ピクリとも動かない。

 当のシロコはどこ吹く風で自転車から降りる。代われ代われとミカから殺気が叩きつけられているが、クールな彼女は表情の一つも動かさない。

 

 そんなこんなで、先生とミカはアビドスに入っていく。

 

 





 ちなみにこの先生はループしていません。その会話を仕込みましたが、ちょっと会話が怪しかったかなと思います。
 まあ原作のセリフを挿入したせいで怪しくなっているところもけっこうありますが。




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第4話 アビドス本校

 

 

 シロコと出会い、アビドス本校まで連れてきてもらった先生とミカ。そこで残りのアビドスのメンバーと出会うことになる。

 他のメンバーは先に登校していた。彼女たちは最後に登校したシロコに声をかけようとするが、まず背負っている先生を見て驚いた。

 

「おはよう。シロコせんぱ……い?」

「うわっ!? 何っ!? そのおんぶしてるの誰!?」

「わあ、シロコちゃんが大人を拉致してきました!」

 

 そして、先生が縛り付けられているのを見て騒ぎ出した。客人など久しく見ないし、よりにもよって学校に来ることなど想像していない。

 観光地は……まあ一応はあるのだが、学校はそうではない。拉致を疑うのは仕方のないことであった。しかも、彼はピクリとも動かないのだから。

 

「拉致!? もしかして死体!? シロコ先輩がついに犯罪に手を……!!」

「みんな落ち着いて、速やかに死体を隠す場所を探すわよ! 体育倉庫にシャベルとツルハシがあるから、それを……」

 

 きゃあきゃあ喚いて、ついにはスコップを手にする。まあ、アビドスも昔はともかく今は砂漠の自治区。――どこかに埋めてしまえば死体も見つからない。

 

 まあ、友人が犯罪を犯したのなら一緒に隠そうと言うのは美しい友情と言えるかもしれないが。

 

「……」 

 

 当のシロコは憮然とした顔で縛っていた先生を床に下ろす。ぐえっ、と音が出た。

 さすがに一目で犯罪を疑われるのは心外だった。なお、普段の己の言動は振り返らない。清廉潔白な人間だと信じているのだ、自分だけは。

 

「いや……普通に生きてる大人だから。うちの学校に用があるんだって」

 

 やれやれ、と言いそうな呆れ顔。狼耳はぺたんと伏せられていた。

 

「えっ? 死体じゃ、なかったんですか……?」

「拉致したんじゃなくて、お客さん?」

「そうみたい……」

 

 ひそひそと話していたが、ノノミが先んじて先生を介抱しようと近づく。……が。その時を狙っていた者が動き出す。

 

「先生、大丈夫? 膝枕してあげようか☆」

 

 ぱっとミカが動いて先生を抱きしめ、さり気に自分のものだと主張する。

 

「拉致したんじゃなくて、お客さん?」

「そうみたい……でも……カップル……なのかな……?」

 

 胡乱気に二人を見てひそひそと話し出す。

 

「……ん。二人は初対面だったからカップルじゃない。それに、先生は膝の上より私の背中で匂いを嗅ぐ方がお気に入り」

 

 シロコが水を差す。

 

「ちょっと聞き捨てならないかな? 先生は負担を減らそうと背負われるより自転車を選んだだけだよ。ね、先生? 私のふとももの感触を感じる方が好きだよね? あいつの細くて硬い背中よりも」

「……ふ」

 

 鼻で笑うシロコ。

 いや、私が心配していたのは自分の身なのだけどと苦笑する先生。なお、この先生はミカの膝の上で香りを堪能している。甲乙は付けられないな、との感想は胸の中に秘めておく。

 

「その反応はなにかな? ねえ、無視って酷くない? 正妻の余裕って感じ。感じ悪い。ちょっとだけ怒っちゃうよ」

「イイ女に必要なのは、胸の大きさよりも度量の大きさ」

 

「あはははは☆ 私、結構我慢強い方だと思ってたんだけどなあ。シロコちゃん、無口なのにお話がうまいね……?」

「ん……先生、私の事を頼ってくれていい」

 

 バチバチと、二人の間で火花が散った。

 

「うわあ……女の戦いね。シロコ先輩の意外な一面を見ちゃったかも」

「取り合ってるのが浮浪者みたいな男の人だけど……そんな甲斐性のある方には見えませんが……」

 

 セリカとアヤネがひそひそ話をしている。

 

 まあ、仕方ないかと先生が立ち上がる。ミカの膝の上から離れるのは残念だが、しっかりと味わって記憶した。

 

「やあ、みんなこんにちは!」

 

 ぴょんとバネ仕掛けのように立ち上がってニコニコと笑いかける。その姿にはミカの膝枕ででれでれしていた面影など欠片も見えない。

 

「わあ、びっくりしました。お客様がいらっしゃるなんて、とっても久しぶりですね」

「そ、それもそうですね……でも来客の予定ってありましたっけ……」

 

「『シャーレ』の顧問先生です。よろしくね」

 

 疑問の声に、名札を掲げながら答える。そして、タブレット端末を弄ると空中から補給物資が転送されてきた。

 

「……え、ええっ!? まさか!?」

「連邦捜査部『シャーレ』の先生!? 補給物資まで!」

 

 まさか、と喜びながらも疑う二人。

 

「わあ。支援要請が受理されたのですね! 良かったですね、アヤネちゃん!」

 

 そしてノノミがぽんと手を打つ。

 

「はい! 弾薬や補給品の援助が受けられました。凄い事ですよ」

「あ、早くホシノ先輩にも知らせてあげないと……あれ? ホシノ先輩は?」

「委員長は隣の部屋で寝てるよ。私、起こしてくる」

 

 そして、セリカが部屋から出て行った。その瞬間。

 

 銃撃の音が響いた。そして、たたき割られた窓が割れて砕け落ちる音が連続する。アビドス、いやキヴォトスでは世紀末なこの様相はいつものことであった。

 もっとも強い人間に喧嘩を売る度胸のある不良は中々いないが、そういう意味ではアビドスは”弱い”。

 

「じゅ、銃声!?」

 

 ノノミがおっとりとした顔を青くした。

 

「!!」

 

 シロコが背中の銃を手に、叩き割られた窓からそっと敵を覗く。

 

「ひゃーっははははは!」

「攻撃、攻撃だ! 奴らは既に弾薬の補給を絶たれている! 襲撃せよ!! 学校を占領するのだ!!」

 

 下手人の声がここにまで届く。訓練されているようには見えない、ただの銃を持った素人だ。どこでも売っている何の変哲もない銃を掲げてげらげら笑っている。

 

「わわっ! 武装集団が学校に接近しています!カタカタヘルメット団のようです!」

「あいつら……!! 性懲りもなく!」

 

 忌々し気な声を吐く。そしてすぐに追加メンバーを連れてきたセリカが合流する。

 

「ホシノ先輩を連れてきたよ! 先輩! 寝ぼけてないで、起きて!」

「むにゃ……まだ起きる時間じゃないよー」

 

 彼女に抱えられているのは小学生にも間違えられそうな女の子だった。金と蒼のオッドアイ、どことなく神秘的な雰囲気を纏う彼女だが、年相応? にお昼寝をしたそうに眠たげなまなこをこすっている。

 

「ホシノ先輩! ヘルメット団が再び襲撃を! こちらの方はシャーレの先生です」

「ありゃーそりゃ大変だね……あ、先生? よろしくー、むにゃ」

 

 ホシノと呼ばれたオッドアイの少女はやはりふにゃふにゃの声で、重そうにショットガンを抱えた。

 

「先輩、しっかりして! 出動だよ! 装備持って! 学校を守らないと!」

「ふああー……むにゃ。おちおち昼寝もできないじゃないかー、ヘルメット団めー。……て、え? なに、どういうこと」

 

 がくがくと肩を揺らされて目を開けさせられたホシノ。起きてミカを見つけると驚愕の表情に変わる。す、と目を細めヘルメット団よりも彼女のことを警戒する。

 本当の敵はこちらだ、とでもいうような雰囲気の変化。だが、地獄の底から響いたような怨嗟の声の前に誰も気付かなかった。

 

「あいつら、よくも……! 先生は外の人なんだよ? 傷ついたら、死んじゃったらどうしてくれるの? ねえ、なんでそんなことも分からないのかな。馬鹿なのかな」

 

 膝枕をしていたミカは先生を押し倒して自分の身体を盾にしていた。幸い窓ガラスからも離れていたので、攻撃などミカ本人にすらかすってもいないのだが。

 ……そんなことは関係がない。先生(救い)を奪おうとするのなら決して許さない。それだけ。

 

「どこの誰だか知らない。ゲヘナかどうかも関係ない」

 

 アビドスメンバーはその異様な気配に押されて一歩下がる。

 

「先生、ここに隠れていて? 私が、先生の敵を全部やっつけてくるから」

 

 胸に抱えた先生の頭をそっと地面に下ろして、幽鬼のように立ち上がる。その禍々しい空気を前に誰も何も言えない。いや。

 

「ミカ、これを付けておいて」

「……? うん」

 

 先生はいつもどおりの恐怖など感じていないかのようなへらへらした笑顔を浮かべている。彼から投げ渡されたイヤホン型のヘッドセットをミカは耳に着ける。

 これで彼の声は聞こえるし、ミカの声は彼に届く。

 

「行ってくるね、先生」

「うん、気を付けて」

 

 窓に足をかけ、そのまま飛ぶ。墜落する。

 

「ちょ、ここ2階……!」

 

 心配した声は誰のものだったか。

 

「――」

 

 ミカは微笑すら浮かべながら、背の羽を広げて優雅に着地する。舞い降りる羽根、美しい金の瞳が開かれる。

 ――断罪の瞳だ。

 

「え? 天使……」

「天使……『トリニティ』か?」

 

 ヘルメット団は呆気にとられる。絵画のように美しい情景、しかもそれは全く予想もしていなかった。

 トリニティが来るなんてことはありえない。アビドスに救援なんて来ることはないのに、それがトリニティなどどんな冗談だ。

 

「は! だが、好都合だ! テメエら、あいつをぶちのめせ! ふん捕まえちまえ!」

「応よ! その制服、コスプレじゃなけりゃ身代金をたっぷりむしり取れるぜ」

「そうと決まれば、やっちまうしかねえよなあ!?」

 

 動きが止まったのもわずか。相手を獲物だと勘違いして下卑た冷笑を浮かべる。撃ちまくって気絶させてやると各々の銃を構えて。

 

「……あは。あなたたちの言うことはいつも変わらないね? ゲヘナと同じ、ただ無秩序に破壊を楽しみ、誰かに迷惑をかけることだけを考えるクズども。生かす価値もないけれど、駆除するにも手間がかかるから生かされてるだけなのに」

 

 そこで初めて彼女たちはミカの目を見た。それは、害虫を処分する行政官の視線。およそ人間を見るものではない瞳。

 

「人里に入った害獣は処分される。”先生”に手を出そうとしたあなたたちは――連邦矯正局すら生温い」

「……ひ!」

 

 誰かが小さく悲鳴を上げた。

 

「だから――掃除してあげる」

 

 ミカが銃を上げる。それはトリニティの一般的な正式サブマシンガン、その銃種の特徴は威力が低い代わりに面での制圧が可能になる連射だ。

 喰らっても耐えて数で押せばボコボコにできると、ヘルメット団は覚悟を決める。狙われた運の悪いやつが倒れようとも知らない。そいつを囮に攻撃してやろうと。

 

「……」

 

 銃声が連続する。それがサブマシンガンの特徴、手数が多い代わりに威力が低い。……そう、”低い”はずだった。

 

「――っがは!」

「ぎゃん! ……」

 

 運の悪い二人は声も上げられずに吹き飛ばされた。

 

「……は? 嘘だろ」

「おい、なんで即二人も落ちてんだよ……!」

 

 ヘルメット団は飛んで行った二人を見る。耐えて反撃を仕掛けるつもりが……こんなに簡単にぶっ飛ばされると、無理だ。

 誰かが(デコイ)で、誰かが倒す。所詮はヘルメット団、戦術などという高等なものは扱えない。

 もはや”いつものやり方”は崩壊した。この敵を倒す方法など、ない。

 

「ひぃ! やってられっか!」

「誰だよ、トリニティは世間知らずのお嬢様学校とか言ったの!? ゴリラじゃねえか!」

 

 敵に向けて上げた銃をそのまま腕で抱え込んで逃げ出す者が続出する。

 

「あは。ゴミは景観に悪いし、転がってるのもイケナイことだよねえ?」

 

 その背中を狙って撃った。そいつは吹っ飛んで行ってピクピクと痙攣していた。

 

「おい……どうすんだよ、これ」

「だ、だれか……」

 

 攻撃しても敵わない。だが、逃げたところで背中を撃たれる。にっちもさっちも行かなくなったヘルメット団は、絶望して手に持った銃を取り落としてしまう。

 

「あれ、観念したんだ? ちょっと意外かも。ゴミにも学習能力があったんだね……」

 

 戦意を失ったヘルメット団を抹殺しようと、光のない目で銃を向けるミカ。

 

〈駄目だよ。戻っておいで、ミカ〉

 

 イヤホンから聞こえた声。この上なく愛しい、先生の声だった。

 

「せ、先生? でも、こいつらは先生の居るところを撃ったんだよ。すぐに始末するから、少しだけ待ってて」

〈……ミカ〉

 

「うう……分かったよ」

 

 聞こえてきた声に肩を落とすミカ。だが逃げ足だけは速いヘルメット団は、ミカが先生に気を取られた瞬間にすでに仲間を連れて撤退済だった。

 何よりも大切なはずの銃を捨ててまでの逃走劇なのだから、恐怖は髄まで染み込んでいるに違いない。

 

「あは、先生。私の戦いはどうだった? こう見えても、私結構強いんだ☆」

 

 後ろを振り向いてわざとお茶らけた笑みをこぼすミカ。あまりにも強すぎるその姿には、アビドスメンバーもドン引きだった。

 

「うへ。そんなに強いなんて、すごいね。やっぱりそれだけ強くないといけないのかな? ねえ、キヴォトス最大規模の『トリニティ』を支配する『ティーパーティー』の人は」

 

 ホシノが軽やかに着地する。だが、既に臨戦態勢。銃は上に向けているとはいえ照準を合わせれば撃てる。

 表情こそ笑っているが目が笑っていない。怪しい態度を取れば撃つと、その目が言っていた。

 

「ううん……私、けっこう有名みたいだね。でも、信じて欲しいなあ。私もトリニティも、アビドスなんて田舎校に用なんてないよ?」

「……」

 

 戦いが始まりそうな緊迫した雰囲気。アビドスメンバーも、ホシノに協力した方が良いのかと躊躇いながらも銃は手にしている。

 

「待って。二人とも落ち着いて」

 

「……先生! なんで……!」

「うへ。いや、本当になんでシロコちゃんに運ばれてるのさ」

 

「ああ、いや。だって私が二階から飛び降りたら怪我をしてしまうから」

 

 先生はシロコにお姫様抱っこされていた。

 

「ん。先生の顔に免じて銃を収めると良い」

「ああ、ミカは『シャーレ』の所属だ。私に付いてきてくれただけだよ」

 

 シロコはなぜかドヤ顔をしている。そして先生は生徒をかばうかっこいいセリフを、お姫様抱っこされたまま話しているものだから……実に恰好がついていなかった。

 

「ねえ、先生が二階から飛び下りると怪我をするから仕方ないけど。でも、なんでまだお姫様抱っこしているの?」

「……あ、うん。シロコ、そろそろ下ろしてくれると」

「仕方ない」

 

 ホシノは目の前にあるよくわからない攻防を眺めて、嘆息して。

 

「まあ、今のところは信用しておいてあげる」

 

 





 ミカの俺tueeeでした。まあ、三章ラスボス? 主人公? が第1ステージで手間取るわけないよね、と言う。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第5話 逆撃

 

 

 ホシノとミカは一応の和解を終えた後に教室に戻った。

 ちなみに窓はノノミが直しておいた。集めてスイッチ一つで元通りのナノテクだ。いつでもどこでも窓が割れるキヴォトスならではの、ミレニアムで生まれた超技術によるものである。

 

「いやぁー。まさか勝っちゃうなんてね。ヘルメット団もかなりの覚悟で仕掛けてきたみたいだったけど」

「まさか勝っちゃうなんて、じゃありませんよ、ホシノ先輩……ミカさんが何とかしてくれただけじゃないですか……」

 

 ホシノの抜き身の刃のような雰囲気は消え失せ、今は眠たげな子供そのもののあどけない顔で机に突っ伏している。

 横のアヤネが遠慮がちにゆらゆら揺らしているが、むしろ心地良さそうにしていて起きそうにない。

 

「ミカさんは凄かったね、それに先生も一言でミカさんを止めちゃいましたし」

「これが大人の力……凄い量の資源と装備、それに狂犬のあやし方まで」

「今まで寂しかったんだね、シロコちゃん。パパが帰ってきてくれたおかげで、ママはぐっすり眠れまちゅ」

 

 わいのわいのと楽しそうにしている。ミカも私は狂犬じゃないよお、うえーんと先生に甘えられてご満悦だった。

 

「いやいや、変な冗談はやめて! 先生困っちゃうじゃん! それに委員長はその辺でしょっちゅう寝てるでしょ!」

「そうそう、先生もかわいそうでしょう」

「あはは……少し遅れちゃいましたけど、改めてご挨拶します。先生」

 

 改めて、アヤネが先生の前に出る。ちなみにミカは空気を読んで先生の隣におしとやかに座っている。

 

「私たちはアビドス対策委員会です。私は委員会で書記とオペレーターを担当している1年のアヤネ……」

 

 エルフ耳のメガネっ子が自分を指差した。

 

「で、こちらは同じく1年のセリカ」

「どうも」

 

 猫耳のツンツン少女を手で指し示す。

 

「2年のノノミ先輩とシロコ先輩」

「よろしくお願いします、先生~」

 

 胸の大きい女の子がゆるふわな笑顔を向ける。なお、先生はその大きな胸を見ていた。

 

「背中に乗せてあげて匂いを嗅がれたのが私。あ、別にマウントを取ってるわけじゃない」

 

 ふふん、と狼耳少女はミカにしとやかな笑みを向ける。

 

「ふざけてるのかな? 先生はね――」

「そして!! こちらは委員長の、3年のホシノ先輩です」

「いやぁ~よろしく、先生ー」

 

 乙女の戦いが再燃しそうになったところは強引に打ち切られた。紹介されたホシノがとまどいがちに頭をかく。

 桃色の髪がふわりと舞う。だいぶ子供のような見た目だが、疲れ切った感じが年不相応なアンバランスな魅力を醸し出している。

 

「ご覧になった通り、わが校は現在危機にさらされています……そのため『シャーレ』に支援を要請しました。先生がいなかったら、さっきの人たちに学校を乗っ取られてしまったかもしれませんし、感謝してもしきれません……」

 

 そこでようやく本題を話せる空気になった。

 

「うん、助けになれたのなら良かったよ。ところで、対策委員会とは何かな?」

 

 先生が人を安心させる笑みで先を促す。随所でギャグのような変態のような姿を晒す先生だが、こういうところでは実に如才ない。

 

「ご説明します。対策委員会とは、このアビドスを蘇えらせるために有志が集った部活です」

「うんうん! 全校生徒で構成される、校内唯一の部活なのです! 全校生徒といっても、私たち5人だけなんですけどね」

「他の生徒は転校したり、学校を退学したりして町を出て行った」

「学校がこのありさまだから、学園都市の住民もほとんどいなくなってカタカタヘルメット団みたいな三流のチンピラに学校を襲われてる始末なの」

「現状、私達だけじゃ学校を守り切るのが難しい。在校生として恥ずかしい限りだけど……」

「シャーレの補給がなければ万事休すでした」

「だねー。補給品も底をついてたし、さすがに覚悟したね。なかなかいいタイミングに現れてくれたよ、先生」

 

 とはいえ、本題に入っても少女たちは姦しい。先生は優しげな眼で彼女たちを見ていた。

 

「そういうわけで、私にちょっとした作戦があるのだ~」

 

 ホシノが起き上がり、ゆるゆるな声で話す。

 

「えっ! ホシノ先輩が!?」

 

 セリカが驚いた声を出すと、ホシノは子供のようにぶすっと唇を突き出した。それはとても子供らしくて愛らしい姿で、先生もつられて笑顔になってしまう。

 

「いやぁ~その反応はいくら私でも、ちょーっと傷ついちゃうかなー。おじさんだって、たまにはちゃんとやるのさー」

「にゃはは、ホシノちゃんは好戦的だねえ。ま、私が散らしておいたゴミは本隊にも戻らずどこかに逃げるだろうから、攻め時と言えばそうかなあ」

 

「そうそう、このままならヘルメット団は数日もすればまた攻撃してくるはず。ここんとこずっとそういうサイクルが続いているからね~」

「おやおや、まあサルは仲間がイモを洗ってるのを見て真似するけど。ゴミは知能が猿以下だからチンピラだもんね? 虫みたいにどこにでも湧いてくる」

 

「うへ。そこまでは言わないけどさ~。このタイミングでこっちから仕掛けて、奴らの前哨基地を襲撃しちゃおうかなって。今こそ奴らが一番消耗しているだろうからさー」

「うんうん、害虫は巣から駆除しないとね☆ あいつらの巣はここから近いのかな?」

 

 3年が悪い笑みを浮かべて相談する中で、シロコがいいところを取る。

 

「ん。ヘルメット団の前哨基地はここから30㎞ほど。……今から襲撃しよう」

「そうだね。私もそれがいいと思うよ」

 

「よっしゃ、先生のお墨付きももらったことだし、この勢いでいっちょやっちゃいますかー」

「善は急げ、ってことだね」

「おお~。それでは、しゅっぱつー」

 

 手を上げて、それぞれ足を進める。

 

「じゃあ、先生は私の背中に乗る?」

「駄目だよ、シロコちゃん。それは『シャーレ』の、私がやるべきことだよ」

 

 またもや女の戦いが再発しかけたところを。

 

「それはミカさんにお願いしたいかな~。やっぱりヘルメット団の退治は私たちがやるべきことだからね」

「ホシノ先輩……」

 

「ま、そういうことね。あんたはこっちよ、シロコ」

「はい。では、ミカさんには先生のおんぶと護衛をお願いしますねー」

 

 ニコニコ顔でミカが先生を背中に乗せる。

 

「……すまない。皆に付いて行けない先生で本当にすまない」

 

 先生が頭を下げる。なお、背負われている状態でそれをやるものだから深くミカに抱き着くような形になるが。

 

「ひゃっ♡ 先生、大胆だね」

 

 ミカはくすぐったそうにしている。言い出しっぺになったホシノはうへ、と舌を出した。

 

「みなさん、出発! してください!!」

 

 アヤネが吠えた。

 

 

 

 そして、走ること1時間弱。

 

「うえ。……うっぷ」

 

 先生がグロッキーになっていた。

 

「大丈夫? 私の膝枕で休む?」

「いや、砂漠の真ん中で休んでいるわけにもいかないよ。敵の前線基地もすぐ近くだからね」

 

「じゃあ、先生はミカさんとここで待っててね~。おじさんたちはヘルメット団にカチコミだ~」

「待って、ホシノ。私が指揮を取る。アヤネも、それでいいね」

 

〈はい。オペレーターとして先生の指示に従います。ドローンの操作は私がやりますので〉

「うん、私の持ち込んだドローンもそんなに柔ではないけど……壊したらミレニアムのみんなに怒られてしまうからね」

 

 校舎に残してきたアヤネの声が届く。アヤネの回線を使って戦闘を開始する。

 

〈では、みなさん。アビドス出撃です!〉

「「「「おおー!」」」」

 

 駆け出していく。先生は影になっている場所に座り込んで、タブレット端末『シッテムの箱』を開く。

 

「さて、やっていこうか」

「うん。先生ならできるよ」

 

 ドローン回線に割り込み、情報を吸い上げる。そして画面には味方の位置、敵の位置が表示される。

 

〈ホシノ、シロコ。右から接近して見張りを攻撃。すぐに仕留めるよ〉

「了解」

「ん」

 

 二人は即座に行動、流れるように見張りの意識を刈り取った。

 

〈扉を蹴り破って手榴弾を投擲。ノノミ、5秒後に前に出てミニガン斉射。目につくものから片っ端に〉

 

 行動は迅速に。もともとアビドスメンバーは連携がとれている。そこに先生の指揮まで加われば、もはやヘルメット団に抵抗する術などない。

 好き勝手にやられたヘルメット団の生き残りがそれぞれ反撃を開始するが……

 

〈ホシノ、敵はノノミの斉射が途切れてからの反撃を狙ってるよ。弾切れの隙に、前に出て敵を牽制〉

〈シロコ、セリカ。ホシノが敵の気を引き付けているうちに一人ずつ対処して。ノノミは次の攻撃を準備。撃たなくていいよ〉

〈――うん、順調だ。敵も浮足立っている、今のうちに数を減らしておこう〉

 

 そして、轟音を伴って敵の切り札が現れる。壁を破壊しながら現れたのは……戦車。その装甲の威容は常のアビドスメンバーならば撤退するほどであるが。

 

「戦車!? 奴ら、そんなものまで……!」

「でも、屋内ならそこまで脅威ではないはず」

「――ッあいつら、撃ってきた!?」

 

 回線を通して生徒たちの戸惑う声が聞こえてくる。チンピラが持つにはあまりにも強力すぎる兵器。

 だが、それをチンピラが持っていたところで扱えるはずもない。潰し方はいくらでもある。

 

〈みんな、落ち着いて。目の前のことを一つずつ対処していこう〉

 

 回線から聞こえてくる先生の声で落ち着きを取り戻す。それは不思議な響きだった。配下を狂奔させることを将の才と呼ぶのなれば、それこそ王の器と呼ぶのだろう。

 

〈うん、ノノミのミニガンを撃ち続ければいつか壊せるかな。なら、まずは随伴から始末しよう。ホシノ、セリカ〉

 

「りょうか~い。セリカちゃん、おじさんが前に行くからどんどん撃っちゃって」

「ホシノ先輩も気を付けて!」

 

〈さて、注意が逸れた。ノノミ、お願い〉

 

「はい! どんどん撃っちゃいます」

 

 銃弾が戦車を叩く凄まじい轟音が響いてきた。たまらず中のヘルメット団は外に出てきてしまう。

 訓練を受けているのであれば冷静に反撃できたかもしれないが、ただのチンピラだ。冷静な対応ができるはずもなく。

 

〈おや、出てきたか。中に籠るならそのまま破壊してしまおうかと思ってたけど。ノノミ、射撃をやめて〉

 

「はい!」

「うへ。先生、出てきた奴らは仕留めたよ。戦車も無傷ってわけではないけど……足にはなるね」

 

 外に出てきた瞬間にホシノに狩られて転がった。

 

〈うん、ありがとう。では、残党を掃討しようか。まずは左の部屋に隠れている子から無力化して行こう〉

 

「ふふん! 先生が居ると不用意に反撃とか喰らわなくていいわね。さあ、どんどん狩って行きましょう!」

「セリカちゃん、先生が敵の動きを把握してくれてるとはいっても、一人で先に進まないでね。パパは迷子が出ないか心配です~」

「あはは。じゃあ、ママが付いて行ってあげますね?」

 

「ホシノ先輩、ノノミ先輩! ふざけてないでください!」

「うへ、怒られちった」

 

〈ヘルメット団、逃げ出してるようです。先生、どうですか?〉

〈室内に居て逃げられなくなった子達が残ってるだけだね。悪いけど、気絶させて縛っておこうか〉

 

「あ~。まだ仕事が残ってる……おじさんはもうくたくただよ~」

「じゃあ私がぶちのめしてやるわよ!」

 

 セリカが元気に走っていく。潰走したヘルメット団に士気など残っているはずもなく、簡単に捕まえて転がしておいた。

 とはいえ、捕らえておいても仕方ないので、先生が説教して野生に帰すことになる。ここはアビドス、まともな警察機構なんて残っていないから賞金首くらいでないと意味がない。

 

 喜んでいるところに先生とミカが来る。

 

「うん、皆よくやってくれたね。じゃあ戦利品を確保しようか。そこの戦車に乗せれば持って帰れるだろう。……走るくらいなら、何とかなるんじゃないかな」

「ん、私は運転できるけどさすがに整備までは無理。それにこれ砂漠仕様じゃないし。うちの戦力にはあまりならないかも」

 

「砂漠仕様じゃないものを、このアビドスでどうしようってつもりだったのよ。ってか、この装備も異常じゃない? こんな豪華な装備。というか思ったんだけど、ヘルメット団も多すぎない?」

「うんうん、それはちょっと私も思ったかな。私が蹴散らした奴らがここに戻って来てるはずないし。ヘルメット団と言っても、一つの組織じゃなくてチンピラがヘルメット被って名乗ってるだけ。連合じゃないんだよ。こんなに集まるかな?」

 

「うへ。じゃあ別の学校区でも見ないほどのヘルメット団の出現率ってわけ? うわ、面倒~。おじさん、いやんなってきちゃう」

「学校が欲しいからって集まるような数じゃないわよ……」

 

「皆、推理も良いけど今は戦利品を持ち帰ろう。もったいないけど、ここの施設は使えないように壊しておこうか」

「「はい!」」

 

 パン、と手を叩いた注目を集めた先生が先の行動を促すとそれぞれ行動を始めた。積める分の物資は戦車に乗せ、余った分は燃やして始末する。

 あとはシロコがここにあった火薬を使って発電機を爆破、もしまた別のヘルメット団が来た時用にトラップも仕掛けた。

 

「さて、みんな。忘れ物はないかな? 家に帰るまでが遠足だからね」

「は~い。ちゃんと確認しました、先生」

「はい! ハンカチも忘れてないよ☆」

 

 みんなでアビドスに帰った。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第6話 一旦解散

 

 そして、皆でアヤネの待っているアビドス本校に帰ってきた。

 

「みなさん、戦闘お疲れ様でした! 見事にヘルメット団の拠点を壊滅してくれましたね!」

「アヤネちゃんも、オペレーターお疲れ」

「火急の事案だったカタカタヘルメット団の件が片付きましたね。これで一息付けそうです」

 

 アビドスの皆は手をたたいて喜び合う。

 

「そうだね。これでやっと、重要な問題に集中できる」

 

 シロコがクールに言い放ったところで、空気が沈みかける。できれば目を逸らしたい問題だったからだ。

 

「うん! 先生のおかげだね、これで心置きなく全力で借金返済に取り掛かれるわ!」

 

 セリカが焦って言ったところで、自分の失言に気付いてヤベって顔をする。

 

「借金返済って?」

 

 先生がいつものゆるゆるな顔で聞く。この声を聴くだけで安心してしまうような魔性の声だ。

 

「……あ、わわっ!」

「いいんじゃない、セリカちゃん。隠すようなことじゃあるまいし」

 

 その魔性の声で顔を赤くしたセリカをホシノがとりなす。

 

「かといって、わざわざ話すようなことでもないでしょ!」

「先生は信頼してもいいと思う」

 

 シロコが純粋な瞳で発言する。何も考えていなさそうだが、狼耳ならではの嗅覚とかがあるのだろうか。

 どちらかというと、後ろめたいところを見抜く観察眼の方か。怪しい人間は怪しい人間を知ると言うから。

 

「この問題に耳を傾けてくれる大人は、先生くらいしかいないじゃーん?」

 

 対して、ホシノはニヤニヤと笑っている。からかっている……ように”見せて”はいるが、その真意には疑いを隠している。

 借金など調べればわかること。そして調べられていないとも思っていない。ホシノは『シャーレ』が、この問題にどう介入する気なのかを問いている。ここに来た以上、不干渉はありえない。いや、ヘルメット団は壊滅させたんで失礼すると言えばそれが不干渉だが。

 

「この学校の問題は、ずっと私達だけでどうにかしてきたじゃん! なのに今更、大人が首を突っ込んでくるなんて……私は、認めない!」

 

 セリカが思わずと言った様子で拳を握り締め、瞼に涙を一杯にためて走り去った。

 

「私、様子を見てきます」

 

 ノノミが申し訳なさそうに手を合わせてから、走り去ったセリカを追いかける。常であればホシノも追いかけたかもしれないけど、先輩として果たすべき役割があった。

 『シャーレ』という外部組織に対して、『アビドス対策委員会』はどう対応するべきかを探る必要がある。

 

「えーと、簡単に説明すると……この学校、借金があるんだー。まあ、ありふれた話だけどさ」

 

 常の気だるげな声の裏に真意を隠して話を続ける。

 

「でも問題はその金額で……9億円ぐらいあるんだよねー」

「9億6235万円、です。アビドス……いえ、私達『対策委員会』が返済しなくてはならない金額です」

 

 二人してため息を吐いた。

 

「これが返済できないと、学校は銀行の手に渡り、廃校手続きを取らざるを得なくなります。ですが、実際に完済できる可能性は0%に近く……殆どの生徒はあきらめて、この学校と街を捨てて、去ってしまいました」

 

 しゅん、と肩を落とすアヤネの肩をシロコが叩く。思いは同じ、一緒に解決していこうと。

 

「そして私達だけが残った」

 

 シロコに勇気をもらってアヤネは話を続ける。直視したくない現実の話を。

 

「数十年前、この学校の郊外にある砂漠で、砂嵐が起きたのです。この地域では以前から頻繁に砂嵐が起きていたのですが、その時の砂嵐は想像を絶する規模のものでした」

「学区の至る所が砂に埋もれ、砂嵐が去ってからも砂がたまり続けてしまい。その自然災害を克服するために、我が校は多額の資金を投入せざるを得ませんでした……」

「しかしこのような片田舎の学校に、巨額の融資をしてくれる銀行はなかなか見つからず……」

 

「結局、悪徳金融業者に頼るしかなかった」

 

「しかし砂嵐はそのあとも、毎年さらに巨大な規模で発生し……学校の努力もむなしく、学区の状況は手が付けられないほど悪化の一途をたどりました……」

「そしてついに、アビドスの半分以上が砂に呑まれて砂漠と化し、借金はみるみる膨れ上がっていったのです……」

 

「「……」」

 

 沈黙。

 

「私たちの力だけでは、毎月の利息を返済するのに精一杯で……弾薬も補給品も、底をついてしまっています」

 

 やり切った、とアヤネが息をつく。

 

「セリカがあそこまで神経質になっているのは、これまで誰もこの問題にまともに向き合わなかったから。話を聞いてくれたのは……先生、あなたが初めて」

 

 シロコがよくやったとアヤネの頭を撫でる。

 

「……まあ、そういうつまらない話だよ」

 

 ホシノが嘆息して締めた。眠たげな瞳で先生のことを観察していた。ミカに関してはいい。『トリニティ』の内部事情は知らないが、あれで先生のことを利用しているのだとしたら大した役者だ。

 だから今は、ただ先生の付属品として見ておけばいい。信用はする、だがそれは先生の一言で簡単に銃を向ける紙一重のものだ。心からの信頼などできない。

 ――ゆえに、その先生こそがキーだ。

 

「対策委員会を見捨てて戻るなんてことはしない」

 

 先生は真顔で言い切った。

 救うべき生徒へ、そして眠たげな瞳に疑いを隠すホシノに向かって、はっきりと決意するように。

 

「へえ、先生も変わり者だねー。こんな面倒なことに自分から首を突っ込もうなんて」

 

 だはあ、と息を吐く。これで演技なのだとしたら先生こそが一番の役者なのかなと思って。ただ、まあ……この場は頼っても良さそうだと。

 

「ううん。話を聞かせてもらったけどさ。……ねえ、えっと。――いや、そういうのは言わない方がいいのかな」

「ああ、うん。分かってるよ、そんなの現実的じゃないって、自分でも分かってる。でも、それでも諦められないんだよ」

 

「そう? ……そういうもの? でも、後悔する前にやめた方がいいよ。ただ一緒に居たいだけなら、別の学校でも大丈夫でしょ?」

「あはは……そう言う訳にはいかないんだよねー。これがさ」

 

「ああ、退学になるとヘルメット団以下のチンピラですらない不法滞在者になっちゃうもんね。だけど、大丈夫だよ。ホシノちゃんは知ってるみたいだけど、私はけっこう偉いんだから。みんなのこと、『トリニティ』に入れてあげる」

 

 ミカはぽんと手を叩いて、それがいいと笑顔を見せる。

 

「そうすれば、みんなで一緒に居れるよ? 離れ離れにならなくて済むし、危ないことだってしなくていい」

 

 その言葉に、ホシノはどう返そうかと悩んで……それは、ただ好意を示してくれた相手を傷つけないためのもので。首を縦に振る選択肢はなかった。

 

「……うへ。それは駄目。それだと、結局私たちは『トリニティ』になっちゃう。それに、守るべきはこの”学校”だから」

 

 ミカは、むむむ、と眉をひそめる。

 

「別にアビドスを捨てろなんて言わないよ、この建物も残しておけばいいじゃない。うちで対策委員会を続ければいいよ。まあ、予算は付けられないけど、借金を返す今の状況よりよほどマシでしょ? まあ、少し手伝ってもらうこともあるかもしれないけどチンピラの相手とバイト漬けよりは良いと思うけどな」

「私たちに借りを作ってミカさんの派閥の戦力にすればそっちにも得がある。むしろそういうことがあった方が信用できるし、純粋な善意からの申し出だとも思うけど――私たちは『アビドス』だから、その選択肢にはすがれない」

 

 す、と目を細める二人。どちらにも譲れない大切なものがある。互いを尊重すれば、そこで引く大人の対応が取れたのかもしれないけど。

 それでも、大切なものを譲れはしないからこその子供だ。

 

「この『アビドス』は砂嵐に襲われてる。好転する見込みは、ない。……無責任な人は明日には砂嵐が止むかもしれないと言うこともあるけれど、責任を持つならそんなことは言えない。誰にもどうしようもない状況だから、このアビドスは砂に覆われているのでしょう? もし借金を返せたとしても、アビドスに未来はない」

「未来がない、そんなことは認めない。『アビドス』は対策委員会で何とかする。確かに有効な手立てなんて何もないよ? 借金返済どころかヘルメット団に追い詰められてこの様。だから借金の元になった砂漠化への対抗手段なんてあるはずないけど。でも、私たちはここを出ない」

 

「理解できないなあ。もはや学ぶことすらできない学び舎に何の意味があるのかな? そういう意味では、あなたたちは”生徒”ではないよね。この砂漠化はミレニアム(アビドス最高の技術)でもどうしようもないよ。少なくとも、現時点では」

「うん、『アビドス』はもう学び舎ではなくなってる。自治区すらもコントロールできず、ただ砂漠に変わりつつある現状を脱することができない。ミレニアムにも解決法はない。でもね、ここがアビドスで、ここから離れたら私たちは『対策委員会』ではなくなってしまうんだ」

 

「生徒だから学業を頑張れなんて言わないよ。そっちはどうでもいい。お金を稼ぐために色々やって、不幸を背負いこんで……それで――誰かが死んじゃったらどうするの? 一番大切なものはそれでしょう? ねえ、”二人目が出ない”なんて誰が保証してくれるの?」

「……ッ! 聖園ミカ! それをどこで聞いた!?」

 

 ホシノが今までの柔らかな態度から急変、抜き身のナイフのような視線でミカに喰いかかる。

 ミカはその急変に驚き、まあ私のせいだしと少しだけ目をそらす。

 

「『アビドス』の生徒会長が行方不明としか私は知らないよ。適当なことを言ったの。ごめんなさい」

「……そう、か。……うへ。ごめんね、ミカさん。急に怖い顔しちゃって。痣は付いてない? 救急箱、取ってこようか」

 

 つう、とミカの目から涙が溢れた。

 

「ごめんなさい」

「……え?」

 

 様子がおかしい、とホシノは訝しむ。怖かった? まさか、ヘルメット団を相手にあそこまで大立ち回りを見せた彼女は、この程度は柳と受け流せるはずだ。銃すら抜いていなかったのに、ただ襟首を掴んだだけで。

 

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。私に偉いこと言う資格なんてないのに。結局、私は間違うばかりでみんなに迷惑をかけるだけなのに。……魔女が、あなたたちのことを悪し様に言うなんて。……ごめんなさい」

「ちょ……待って。ミカさん、そんなにショックだった? いやはや、おじさん土下座でも足を舐めるでも何でもするから泣き止んでくれると嬉しいなって……」

 

 ぽろぽろと涙を流すミカの前でホシノは右往左往する。アヤネは見てはいけないものを見てしまったような気がしてあわあわしていた。

 

「ミカは魔女なんかじゃないよ。私は君のことを信用している」

 

 先生が、ミカの頭を優しく撫でる。

 

「……先生?」

「大丈夫、私が君を魔女になんかさせない。ほら、ここにサインを」

 

「え……うん」

 

 さり気に差し出された『シャーレ』への加入書類を前に、ミカは何も読まずにサインをする。

 ホシノはこれ悪徳商法のやり方じゃね? と思ったが飲み込んだ。先生がやれば精神状態に関係なくミカはサインすると思ったから。

 

「よし。では――土下座も足舐めも先生に任せてくれ! 安心と実績から来る熟練の技を見せて上げよう!」

 

 力強く、少し変態なことを宣言した。

 

「あはは。ありがとう、先生。少し元気が出たよ。セリカちゃんは戻ってこないのかな? まあ、私もこれで失礼するね。さすがに明日も学校を休むのはマズいし。やりたいこともあるしね」

「そうか。私が送っていこう」

 

「そっかー。じゃあ、おじさんはここから見送るね。すぴー」

「ホシノ先輩! 言ったそばから寝ないでください!」

 

「じゃあね、ホシノちゃん、アヤネちゃん。セリカちゃんとノノミちゃんにも宜しく言っておいて。また来るから!」

「私はミカを駅まで送ったら帰ってくるから」

 

 そして、二人は外に出る。

 

「あ☆ ラーメン屋発見! 先生、お腹空いてない?」

「そういえば、襲撃に出る前に携帯食料を口にしただけだったね。寄って行こうか」

 

「うーん。じゃあ、先生は可愛い生徒におごってくれる?」

「もちろん、いいよ。好きなものを頼んで」

 

「何の臆面もなくそう言われちゃうと、ちょっと照れちゃうな」

「ミカは私の可愛い生徒だからね」

 

「……わーお。先生って人たらしって言われない?」

 

 そんなこんなで、先生にラーメンを奢ってもらったミカだった。

 

 

 





感想頂けると嬉しいです!



ミカ「BDが教室に置いてあった、なんてウソだよ。騙されて一人で来ちゃったね、先生?」

【挿絵表示】


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第7話 正義実現委員会にカチコミ

 

 

 そして、次の日。三日ぶりに授業に出たミカは、放課後に正義実現委員会を訪ねていた。

 

「やっほー。ツルギちゃん居るー?」

 

 正義実現委員会はトリニティを代表する組織の一つであり、使っている部室は一室どころか建物一棟を拠点としている規模である。

 風格溢れる厳粛な雰囲気の建築物だ。しかし鍵がかかってないからと、ミカは勝手にドアを開けて中に入っていく。

 

「ちょ、ちょっと困ります。ミカ様」

「いくらティーパーティーと言っても、あんまり勝手は……!」

 

 中に居た風紀委員たちは敵意のない不法侵入者などそうないため、面食らって一体どこの誰だと銃を手にして顔を確認して……相手に気付くと青い顔になった。

 強い弱い以前に掴みかかるわけにはいかないお偉いさんだから、とにかくついて行って説得するしかないのだが……

 

「えー。別にいいじゃーん。別に部外者立ち入り禁止ってわけじゃないでしょ? 入部希望者とかは普通に通すじゃん。それに、入っちゃいけない場所には行かないよ。ほら、例えばさ、押収品保管庫とかには……うん。入らない……よ」

 

 足を止めた。

 

「……ミカ様?」

「とにかく、ツルギ先輩は今は席を外しております。とにかく、今は帰って後でお呼び下されば――」

 

 ここがチャンスとついてきた二人はまくしたてるが、ミカは聞いていない。立ち尽くして……

 

「ミカ様? どうかしたのですか?」

 

 颯爽と現れたのは正義実現委員会のNo2、羽川ハスミである。暴力的とさえ言えるプロポーション、そして大きな黒羽を揺らしながらやってくる。

 

「あは☆。実は用があったのはあなたなんだよね、ハスミちゃん。でも、そうすると心配性な人たちが居るからさ。もちろんゲヘナ襲撃のお誘いじゃないよ、残念だけど」

「そうですか、何事にも優先順位がありますし、それは現実的ではありませんからね。まさかミカ様にご理解いただいていたとは、喜ばしい限りです」

 

「だよね。正義の実現より前に、広いトリニティで犯罪者を取り締まることを考えなきゃだよねえ?」

「ええ、まったく。治安の乱れ具合が酷くて私どもも忙しくしておりますので」

 

 息を吐くように嫌味の応酬を交わす。まあ、これこそトリニティ名物だろう。考えなきゃ、と為政者が警察機構に言うならそれは”もう少しちゃんとしてくれないかな”と言うも同然だ。しかもそれに政府批判で返すし。

 

「まあ、そういうのはいいんだよ。というか、聞いてない? 私が何してるか興味なかったりするのかな。ねえ、ハスミちゃん」

「……何のことです? 警護の依頼はナギサ様から来ていますが、あなたからのは拝見したことはないはずですが。正義実現委員会がミカ様のご予定を把握することなど……」

 

「ああ、違う違う。正義実現委員会のことじゃないんだよ……ううん、ここで言ってもいいのかなあ?」

「どうぞ。あなた以外に部外者が居ないことは確認してありますから、ご自由にお話しください。うちは『ティーパーティー』のような秘密主義ではありませんから」

 

「え? ここでどうぞとか言っちゃう? お茶もお菓子もないのに?」

「…………はぁ。すみませんが、あなたたちには紅茶とお菓子の用意をお願いします。ミカ様はこちらにどうぞ」

 

「ありがと☆」

 

 そして、正義実現委員会の応接室に通される。

 

「……『ティーパーティー』で出されるものと違って、ペットボトルから注いだだけの冷たい紅茶と市販品の洋菓子ですが。よろしければどうぞ」

「ありがと。でもペットボトルは私もよく飲むけど、お菓子に合わせるには甘すぎない?」

 

「文句があるなら飲まなくても構いませんよ」

「やだなあ、ちょっとした冗談じゃない。うん、おいしいよ」

 

 洋菓子を一口で口に放り込む。少しはしたない動作で、ナギサあたりが見れば目くじらを立てるだろうが……その辺が自然体であるのもミカの不思議な魅力だ。

 

「……そうそう、私がここに来たのは『シャーレ』のことだよ」

「ああ、報告書をご覧になったのですか? 先生の指揮は素晴らしかった。それに、信頼できる大人とは彼のような人を言うのでしょう。彼ならば、連邦生徒会をも変えてくれるかもしれないと思うくらいには。少なくとも、サンクトゥムタワーが復活し、行政機能が回復したのは先生のおかげでした」

 

「あは。うん、そうだよ。先生はすごいよね。先生なら任せられる。愚かで利権のことしか頭にない連邦生徒会の連中も、先生がいるから呑気に生徒会ごっこなんてできてる。先生が居れば、解決できない問題なんてないから……!」

「――ミカ様?」

 

 ハスミは訝しる。さすがに反応がおかしい。確かに先生には妙な魅力があって、ミレニアムの会計もくらりと来ていたほどだった。

 けれど……さすがに、これは異常では?

 

「あ、ごめんごめん。先生のことだったよね。ハスミちゃんは連邦生徒会で先生に会ったんだよね。うらやましいなあ」

「……いえ、その口ぶりからすると後にミカ様もお会いになったのでは? なんというか、その……伝聞で聞いたような口調では」

 

「うん、一昨日からトリニティを抜け出して会いに行っちゃった☆ てへ」

「――ッ! ミカ様、そんな危ない真似はおやめください! 誰か止めなかったのですか!? 連邦生徒会のお膝元、D.U.にも何があるか……!」

 

「ん? D.U.じゃないよ。えへへ、ハスミちゃんは先生のことを把握してないんだね。先生は今、アビドスに居るよ。あと、誰も……って言うか、そこらへんに居る教師を捕まえて車を出させたかな」

「アビドス? なぜそんな辺鄙な場所へ。……いえ、先生なら困った生徒を助けに行くこともあるでしょう。と、いうか! アビドスならばD.U.より危険ではありませんか! 滅びに瀕し、生徒会の治世も崩壊寸前! どこで不良生徒に襲われるか分かったものではありませんよ!」

 

 めくじらを立てる。それはそうだろう。日本の総理大臣がアフガンにでも単身旅行に行くようなものだ。

 助かったのは奇跡に近い……というより、ミカがチンピラを叩きのめすという政治家らしからぬ強さを持っていただけなのだが。

 

「あは、ダイジョブダイジョブ。私、これでもけっこう強いんだよ」

「……いえ、ナギサ様より強いのは存じておりますが。……はぁ。まったく、ご自身の立場をお考え下さい」

 

「あは。危険なところに出向くなって言われても、私の習性みたいなものだから変えられないかなあ」

「もういいです。まあ、あなたにはあなたなりの伝手とかがあるのでしょうね。で、今日お越しになったのは私に先生について聞くためですか? 報告書には上げましたが、何か確認事項でも?」

 

 ハスミは、この人は縛り付けて『ティーパーティー』の部室にでも置いておいた方がよいのではないかと考えながら話を聞く。

 ナギサも大いに頷くことだろう。とはいえ、正義実現委員会がそれをする義理もないのだが。

 

「あー。いや、そういうわけでも……あるのかな? ちょっと心配で来てみただけだし。心配は外れたけど、でもむしろ当たってくれた方が良かったかなあ」

「……? 何を言っているのですか、あなた」

 

「あはは。ハスミちゃんは先生を信頼してるけど、それ以上ではなさそうだなって」

「ええ、まあ。……まさか」

 

「……ううん。それは違うよ。違うの。……だって、私には先生を好きになる資格なんて……」

「ミカ様?」

 

「あ、違う違う。うん……ハスミちゃんは……違うか……でも……トリニティには」

「……ミカ様」

 

 話の流れが分からない。支離滅裂だ。ハイテンションだと思ったら次の瞬間にはよどんだ雰囲気になる。

 

「キヒ。ヒャッハ――――!」

 

 バタン、と扉が開け放たれた。

 

「ツルギですか。扉を開けて入ってきたのは偉いですが、今は接客中で……」

 

 ハスミは呆れた目を向ける。まあ、壁を壊して入ってきて破片がミカに当たったらと思うと少し胃が痛くなってくるが、今日は扉を開けて入ってきたからノーカンだ。

 

「あれ、ツルギちゃんも来たんだ。お仕事、終わった?」

「いひっ! きひゃひゃひゃひゃひゃ!」

 

「うん? 人間の言葉をしゃべれない子かな? コンコン、クゥーン。クンクン」

「きひゃっ! は、破壊、破壊してやるぅぅ――ッ!」

 

 ハスミの背中に隠れた。

 

「うーん。嫌われちゃったかな? じゃあ、先生の活躍の話を聞きたかったけどまた今度にしようか。またね、ハスミちゃん」

「ええ、ペットボトルと市販のお菓子で良ければまた振舞いますよ」

 

「ヒヒ。キヒヒヒヒ――!」

「ツルギも、またね、と」

 

「……ッ! うん。またね、今度はちゃんと話そうね、ツルギちゃん! コンコンコン!」

 

 ミカは元気いっぱいに手を振って、ツルギはハスミの後で小さく手を振り返した。ハスミはやれやれと嘆息するのだった。

 

 

 ミカのあれは狐の鳴き真似でした。猫にしようかと思いましたが、ティーパーティーに猫耳がいなかったので。ちなみに決して怪盗の方ではありません。

 

 





感想求めたらくれたのでうれしかったです。もっと来てくれると更に嬉しくなります。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第8話 深夜のひそひそ話

 

 

 正義実現委員会を訪れた日の夜、ミカは自室のベッドの上でスマホを手にしていた。

 

「おはよう☆ これからお仕事の時間? 見回りは暇でしょ? おしゃべりしない?」

 

 モモトークで煽りとしか思えない言葉を送りつけていた。

 

「こんばんは。ミカさんはおやすみの時間じゃなーい? 目にクマを作って人前に立ってもいいのかなー?」

 

 送り付けられた先はホシノだった。

 彼女はアビドスメンバーにも告げずに、一人で深夜の見回りを実行していた。人気も失せた砂漠地帯だが、更に夜と来れば悪いことをやりたい放題だから。

 まあ、被害者が少ない分大したことにはならないが、それでもやるのとやらないのでは大違いだ。……それに、人が居ない分だけ音がよく響く。ただのチンピラでは、アビドス本校の近くでは悪さを働けない。

 

「ちょっと用事を済ませた後にお昼寝しちゃって目が冴えちゃってさ。お昼寝って気持ちいいよね。私の秘密の場所、ホシノちゃんにも紹介してあげよっか?」

「うへ、トリニティに行くことがあったらお願いしようかな。行けたら行けたで、みんな、ショッピングとかに夢中になりそう。おじさんにはついていけないよー」

 

「あは。ホシノちゃん、私と同い年でしょ。でもホシノちゃんはとってもかわいいし、着せ替えのし甲斐がありそう。奢ってあげるから、一度どう?」

「……トリニティこわい。トリニティこわい。おじさんは、絶対そんな魔窟には近づきませんよ」

 

「あはは。人の都市を魔境みたいに言わないでよ」

 

 そこで一旦会話は途切れる。

 

「ありゃ、アイスブレイクは終わりかな? 何か真面目な話をしようと思ってたり?」

「昨日の夜、セリカちゃんがさらわれちゃった。助けに行くため昼間起きてたから、眠くってさ」

 

 があん、と頭を殴られたような心地がした。セリカちゃんのことは心配かと言えば、どうでもいいというのが本音だった。

 というか、アビドスはそんな環境だろう。だからトリニティに入るかと聞いたのだ。

 

 ぞくりとするような悪寒。氷柱を背中に差し込まれたかのようなおぞましい恐怖は、それが理由じゃない。

 理由は……

 

「せんせ」

「先生は無事だよ」

 

 震える手でタップができない。やっとのことで3文字だけ送って。……答えが返ってきた。

 ほっとして――ため息を吐いて。そこで気付いた。

 

「なんで私の聞くことが分かったの? 見てからタップする速度じゃなかったよね」

「だって、ミカさんの考えることはわかりやすいもの。先生は、浚われた生徒をそのままにしておける人じゃないしねー」

 

「……うん、そうだね。あは、そんな分かりやすいかな?」

「うへ。隠すつもりあったの?」

 

「あはは……」

「うん。まあ、ガールズト-クはこれくらいにしておいて。セリカちゃんを助けたときに撃破したヘルメット団でちょっと見つけてさ……」

 

「うん? 変なのでも混じってた? 有名な子とか?」

「生徒じゃなくて戦車。あいつら、Flak41を持ってたんだ。対空砲を喰らったセリカちゃん、戦闘後は保健室でおねんねしてたよ」

 

「Flak41? そんな大層なものをヘルメット団ごときが持ってたの? それとも動けば儲けものの中古をバリケード代わりに?」

「いやいや、うちのセリカちゃんが対空砲喰らったって言ったでしょ。完品で、ちゃんと動いたよ。撃破しちゃったから乗って帰れもしなかったけど」

 

「そっか。あんなの食らわされたんだねえ、セリカちゃん大丈夫? ま、私だったら弾を殴り返したけど☆」

「うへ。ご冗談を。ま、明日にはまた元気な姿を見せてくれるよ。で、その戦車だけどさ……気にならない?」

 

「ううん……ま、出所はブラックマーケットかな? たぶん違法武器でしょ。まともな整備ができるかはともかく、1日2日くらい動かすだけならどうにでもできるだろうからね。お金さえあれば」

「……それ、詳しく聞かせてもらえる? おじさんもアビドスの外にはあまり詳しくなくてさ。アヤネちゃんに調べてもらってるけど、こりゃ始めからミカさんに聞いておけば良かったかな」

 

「ま、今からでも知らせてあげて。違法武器を取引するならあそこだから、色々と情報が落ちてるんじゃないかな」

「おじさんにもう一声ちょうだい」

 

「あは、ホシノちゃんの頼みなら仕方ないね。でも、私もそれ以上のことは知らないよ。連邦生徒会長が失踪してから違法武器の流通が2000%増加したって話だし。……ブラックマーケットはとっても広いゴミ捨て場、ゴミが出て来たなら十中八九そこだけど、そこから特定するのは大変だと思うよ」

「ううん……ま、そこから先はアヤネちゃんにお任せかな? おじさんにはもうネットだの最新テクだのよく分からないよー」

 

「うん、それでいいんじゃないかな」

「ま、これでチンピラがアビドスを狙ってくる理由もわかるかもしれないし、ふんばりどころかなー。おじさんはお昼寝してるけど!」

 

「……夜の巡回のために?」

「ミカさんってば、それは言わない約束ー。じゃ、おやすみ。夜更かしするのは悪い生徒だよ」

 

 そこでモモトークが止まってホシノは少し焦る。地雷を踏んだかと。

 

「――私は悪い子だし。それに……」

 

 それだけ返事が返ってくる。本当に地雷を踏んでいたらしい。

 

「うへ。ま、そっちはそっちでがんばって。チンピラの件が解決すれば後はアビドスの問題、先生もトリニティに行く余裕が出るはずだから」

 

 返して……やっぱり返事は返ってこない。

 

「じゃ、じゃーね。ミカさんも先生に会いに来るならチンピラとかに気を付けてね!」

 

 終了した。スマホをしまって巡回に行ってしまったのだろう。まあ、耳を澄ませた上で画面を注視していたながら作業。逃げたといった方が正しい。

 

 ミカも、スマホをしまう。

 

「……どうしよう」

 

 ”先生がトリニティに行く”。それを聞いて思考が止まった。先生がトリニティに来てくれる、それは嬉しい。

 どちらにせよ補習授業部のためには呼ばなければならない。そうでなければアズサが『平和の象徴』になれない。彼女の心を開くためには必要なことだ。

 

「――だけど」

 

 そう、だけど。思い出すのは未来の記憶。あの時に思い出した未来の一片。とても苦しくて、涙が出てしまうけど……それを思い出さない訳にはいかない。

 それに、あれは誤解だった。セイアちゃんは私のことを許してくれると知ってはいても。

 

「ミカ……君のせいだ。君が……先生を連れてきてしまったせいで……」

 

 そう言った。

 

「セイアちゃんは、私を許してくれる。今は、ミネちゃんが守ってくれてる。生きてる、生きてる……!」

 

 言葉に出さなければ心が砕けてしまいそうだけど、折れてはいられない。

 

「先生が……でも、先生でも……」

 

 先生が来てくれれば、セイアもナギサも救われる。そのはずだ。だけど……アビドスは先生が来てくれるだけでは”何とかなって”はいない。

 砂嵐は相変わらず襲ってきている。チンピラも相変わらず襲ってきている。撃退できているだけだ。

 

「先生にも……限界は……ある……!」

 

 そうだ、本当に何でもできるわけじゃない。凄い力を持っているけど、できないことだってある”大人”だ。

 彼を、トリニティに呼べば。”本来”より早く呼び寄せれば?

 

「駄目……! セイアちゃんは先生をトリニティに呼んではいけないって言ってた。そういうわけにも行かないけど、早めるわけには行かない」

 

 断腸の思いだが、それは仕方ないことだった。未来を知ってしまうと、歴史を変えるというのはとんでもない決断力が必要になる。

 何か悪いことが起こるかもと、及び腰になってしまう。ただでさえ、間違えて間違えての繰り返しだったのだ。自分の判断に自信が持てるわけがない。

 

「先生が早めに来てしまえば、それだけ”彼女”に先生を狙うチャンスが増える。あの時、でなければ……!」

 

「うん。先生を呼ぶのは補習授業部の時で。そうじゃなきゃいけない。本当の敵は錠前サオリじゃない。サオリを操る”彼女”――あいつを倒すためには、記憶通りに計画を進めないと……!」

 

 血を吐くような思いだった。そんなことはしたくない。そして、ミカはしたいことをして生きているような人生だった。

 セイアを殺してからは歯車が狂ったけれど……そこは共通した部分だった。でも、それは捨てなきゃいけない。

 

「……魔女、かあ。うん、やっぱり私は魔女なのかもしれないね。これは償いの機会かもしれないけど、やり直しじゃないんだ。――セイアちゃん、ナギちゃん。ごめんね。でも、後で絶対、先生が助けてくれるから……!」

 

 ぽろぽろと涙がこぼれる。歴史通りにものごとを進める、それはどんなにか心が痛いだろう。セイアを探す行動もしているが、それもやめなければならない。

 会うのは、記憶をなぞったあの時にやらないと。

 

 目を覚まさないとしても、ただ一目でも会いたかった。でも……

 

「そんなことも許されないんだね。……そうだね、サオリ。私たちは厄病神で、大切だったはずの人を不幸にしてばかりで。――それでも、死んでほしくないから戦うんでしょう? ねえ、サオリ」

 

 泣きはらした目は真っ赤になってる。鏡を見れば魔女の顔が拝めるだろう。だが、やると決めた。

 大切な人のために、何をしてでも歴史通りに進める。必ず、ナギサとセイアを救うために。

 

 かすかにひっかかることがある。そう、あれはセイアが言っていた。

 

「未来を知る、というのは呪いの一種に等しい。予言者は言ってみれば運命の奴隷なのだ。そのようになるべきが未来であるのだから、当然かもしれんだね。殉教者のごとく痛みを背負ってなお茨の道を歩まねばならぬと、その者は知っているのだ。その苦悩はいかほどか、殴れば全てが解決すると思っている君には分かるまい……なあ、ミカ」

 

 一つ、嘆息して。

 

「相変わらず、セイアちゃんはよくわからないことを言うよね。でも、大好きだよ……必ず助けてあげる。……だから、私のことを許してね……!」

 

 覚悟は決めた。後は、実行していくだけだ。

 

 





 セリカのメイン回はありません! ブルーアーカイブはキャラがいっぱい居るにもかかわらずキャラが立っていて良いですが、さすがにSSではごちゃごちゃしすぎるので存在感を消します。
 ホシノと、あと一人くらいノノミを(恋の)ライバルキャラとしても良いかと思いましたが、ノノミは口調の☆が被ってる……! そういうわけで、ノノミもぽい。
 信頼できない大人から、頼れる大人の人になって思いをよせるホシノ。そして対するは自己主張が激しい癖にすぐ私なんかがと言い出すミカ。たぶんこのミカは浮気しても、私なんかに構ってくれるだけで私は幸せだから……と口では言いつつ悲しい顔をするんですね。そして、キス一つで機嫌を直してくれる安い女。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第9話 対策委員会定例会議

 

 

 そして、次の日。ミカはまあトリニティに呼ばなければセーフだからと自分を誤魔化して、また先生に会いに行っていた。

 実のところ、ベアトリーチェの支配領域であるカタコンベにさえ近づけばければ碌な情報収集手段もなさそうなので問題なさそうではあるのだが……もちろんミカはそのような事情を何一つ知らない。ただの出たとこ勝負だった。

 

「それでは、アビドス対策委員会の定例会議を始めます。本日は先生にもお越しいただいたので、いつもより真面目な議論が出来ると思うのですが……」

 

 そんな紙一重の事情を知るはずもないアビドスメンバー。オペレーターのアヤネが真面目腐って宣言する。

 今日は教室の一室を片づけて、会議をすることにしたのだった。

 

「うんうん。話を聞いてるフリは得意だよ」

「は~い」

「もちろん」

「何よ、いつもは不真面目みたいじゃない」

「うへ、よろしくねー、先生」

「よろしく」

 

「ちょっと待ってください。今、変なのが入りませんでしたか?」

「そんなことないよ、アヤネちゃん。みんな真面目に聞いてるから、先進めて?」

 

 いけしゃあしゃあと言うミカ。もちろんフリとか言ったのは彼女だ。

 

「あなたです、聖園ミカさん。フリじゃなくてちゃんと聞いてくださいね! と、いうか『トリニティ』の生徒会の一員じゃないんですか? できるお嬢様、優雅に紅茶をたしなむイメージは……」

「あはー。そういうのはお腹の中が真っ黒なナギちゃんのお仕事かな~?」

 

「まったくもう、早速議題に入ります。本日は、私たちにとって非常に重要な問題……学校の負債をどう返済するかについて、具体的な方法を議論します。ご意見のある方は挙手をお願いします!」

 

 無視してバンと机を叩きながら、議事を開始した。

 

「おやおや、アイスブレイクもなし? もうちょっと事前の情報確認とか、背景の共有とかさー」

「はい! はい!」

 

「おや、セリカちゃんご意見? はい、どうぞ」

「あのさ、まず名字で呼ぶの、やめない? ぎこちないんだけど。あと、なんでミカさんが進行奪ったの」

「セ、セリカちゃん……でも、せっかく会議だし……あとミカさんはおとなしくしておいてください」

 

「いいじゃーん、おカターい感じで。それに今日は珍しく、先生もいるんだし」

「珍しくというより、初めて」

「ですよね! なんだか委員会っぽくてイイと思いまーす」

「はんたい、はんたーい! あまりお固い感じだと意見が出にくいと思いまーす!」

 

「とにかく! 対策委員会の会計担当としては、現在我が校の財政状況は破産の寸前としか言いようがないわっ!」

 

 またうるさくなってきたのを今度はセリカがバンと机を叩いて黙らせた。一瞬沈黙が支配した。

 

「このままじゃ廃校だよ! みんな、わかってるよね?」

 

 じろりと、ねめつけるように眺めまわす。なお、ミカは何も動じずに頬杖をついていた。借りにもお嬢様学校のトリニティ生がすることではないし、トリニティに夢を持つ生徒が見たら膝から崩れ落ちそうだ。

 なお、あいにくと一昨日ヘルメット団を圧倒したことからアビドスメンバーは彼女をお嬢様というカテゴリーから外していた。

 

「うん。まあねー」

「毎月の返済額は、利息だけで788万円! 私たちも頑張って稼いではいるけど、正直利息の返済も追いつかない」

「いやぁー。何度聞いてもすごい借金☆ まあ、砂嵐がやむなら借金でしのげば後でどうにでもなったんだろうけどさ」

 

「これまで通り、指名手配犯を捕まえたり、苦情を解決したり、ボランティアするだけじゃ限界があるわ。このままじゃ、らちが明かないってこと! 何かこう、でっかく一発狙わないと!」

「おやおや、セリカちゃんは大きく出るね。トリニティでも800万円はお安いお金じゃないよ? でっかくって言っても、何かあるかな?」

 

「そう、これこれ! 見てよ、ミカさん。街で配ってたチラシ!」

「ほほー? ええっと……ゲルマニウム麦飯石ブレスレットであなたも一攫千金……ねえ……?」

 

「そうっ! ほら、みんなも! これでガッポガッポ稼ごうよ!」

 

 あまり良い反応ではないが、見ていないのか調子に乗ってしゃべりだす。

 

「この間、街で声をかけられて、説明会に連れて行ってもらったの。運気を上げるゲルマニウムブレスレットってのを売ってるんだって! これね、身に着けるだけで運気が上がるんだって! で、これを周りの3人に売れば……」

 

 そこで、始めて誰も何も言わないでいるのに気付いた。ミカに至っては、紙飛行機にしてゴミ箱に向けて飛ばしている。

 

「みんな、どうしたの? そして、ミカさん。それゴミじゃないから!」

「却下ー。というか、そのチラシはゴミでしょ」

 

 机の上に伸びていたホシノが言った。

 

「えー? なんで、どうして!?」

「セリカちゃん……それ、マルチ商法だから……」

「儲かるわけない」

「うん、ゴミだね☆」

 

「へっ!? そっ、そうなの? 私、2個も買っちゃったんだけど!?」

「セリカちゃん、騙されちゃいましたね。可愛いです」

「……ッ!」

 

「まったく、セリカちゃんは世間知らずだねー。気を付けないと、悪い大人に騙されて、人生取り返しのつかないことになっちゃうかもよー」

「そうそう、一日100万円稼げる仕事があるって言われて夜のお仕事に連れてかれちゃいそう。セリカちゃん、自分の身体は大切にしてね?」

「そ、そんなあ……そんな風に見えなかったのに……せっかくお昼抜いて貯めたお金で買ったのに……」

 

「大丈夫ですよセリカちゃん。お昼、一緒に食べましょう? 私がご馳走しますから。あと、悪い虫は私が追い払ってあげちゃいますから」

「ぐすっ……ノノミ先輩……」

 

 ノノミにすがりつく。美しい友情と見るかもしれないが、それを見るアヤネの目は冷めきっていた。

 

「こほん。他に意見のある方……?」

 

 ホシノが机の上に伸びたまま手だけ上に挙げる。

 

「はいはーい、ホシノちゃんの意見だね? これこそ先輩って言う凄いのを聞かせて欲しいなあ」

「うむうむ。えっへん。我が校の一番の問題は、全校生徒がここにいる数人だけってことなんだよねー」

 

 やっと起きて、腕を胸の前で組む。やたらと偉ぶったおじさんの声真似をしながら話し出す。

 

「生徒の数イコール学校の力。トリニティやゲヘナみたいに、生徒数を桁違いに増やせれば、毎月のお金だけでもかなりの金額になるはず―。だからまずは生徒の数を増やさないとねー。まずはそこからかなー。そうすれば議員も輩出できるし、連邦生徒会での発言権も与えられるしね」

 

「おや、良い着眼点。さすがは3年だね、先見の明がある。でも、どうするのかな? 砂しかないアビドスに、新入生が来てくれるような理由は用意できる?」

 

「簡単だよー、他行のスクールバスを拉致ればオッケー!」

「ほほう」

 

「登校中のスクールバスをジャックして、うちの学校への転入学書類にハンコを押さないとバスから降りれないようにするのー。うへ~、これで生徒数がグンと増えること間違いなーし!」

「それ、興味深いね。ターゲットはトリニティ? それともゲヘナ? ミレニアム? 狙いをどこに定めるかによって、戦略を変える必要があるかも」

 

 俄然やる気に満ち溢れた表情になったシロコが、待ちきれないと言った風に参加してきた。

 ここまで乗り気で来られると、ホシノの方も困ってしまう。目をせわしなく左右に振りながらしどろもどろに先を続ける。

 

「お? えーっと、うーん……そうだなあ、トリ……じゃなくてゲヘナにしよーっと!」

「ゲヘナ? いいね! ゲヘナ生はテロ以外頭にない犯罪者集団だけど、卒業まで檻に閉じ込めておくなら関係ないもんね」

「そうだね。ミカさん、分かってる。自由にしたらすぐに転校しちゃうから……」

 

「他校の風紀委員が黙ってませんよ」

 

 ホシノ、ミカ、シロコの会話に飽きれかえった声でアヤネが突っ込んだ。

 

「うへ~やっぱそうだよねー?」

「ゲヘナが相手なら、別に何しても……」

 

 てへ、と舌を出すホシノ。そしていじいじと指を弄って残念がるミカ。

 

「いい考えがある」

 

 ちなみにシロコはめげなかった。

 

「はい、2年の砂狼さん」

 

 ここでやっとアヤネが自分で指名できたので、嬉しそうな顔をする。

 

「銀行を襲うの」

「はいっ!?」

 

 が、すぐに驚愕に置き換わった。

 

「確実かつ簡単な方法。ターゲットも選定済み。市街地にある第一中央銀行。金庫の位置、警備員の動線、現金輸送車の走行ルートは事前に把握しておいたから」

「さっきから見てたのはそれですか!?」

 

「5分で1億は稼げる。はい、覆面も準備しておいた」

 

 どや顔をする。そして、その顔は自分で用意した覆面によって隠れた。こころなしか覆面から飛び出た狼耳はピコピコと機嫌良さげに揺れていた。

 

「却下、却下ー!」

「銀行強盗はいけません!」

「あはー。シロコちゃんってば大胆なんだから。でも、そんなことすると本当に連邦矯正局送りだよ?」

 

「……」

 

 ふい、と横を向いた。狼耳が抗議するようにピンと立った。

 

「そんなふくれっ面をしてもダメです、シロコ先輩!」

「あのー。はい、次は私が!」

 

「いいよ、ノノミちゃん。連邦矯正局送りにならない程度のグレーゾーンでお願いね☆」

「犯罪と詐欺は抜きでご意見をお願いしますね……」

 

 疲れ切ってしまったアヤネだった。そして、もちろん議事は奪られた。

 

「はい! 犯罪でもマルチ商法でもない、とってもクリーンかつ確実な方法があります! アイドルです! スクールアイドル!」

 

「却下」

 

 勘弁してよ、という声でホシノが反対する。

 

「なんで? ホシノ先輩なら、特定のマニアに大ウケしそうなのに」

「うへーこんな貧相な体が好きとか言っちゃう輩なんて、人間としてダメっしょー。ないわー、ないない」

「小さくてかわいい子が好きって生徒もトリニティに居るよ? 愛でるだけならいいんじゃない?」

 

「トリニティ……そんな爛れた!? タイが曲がっていてよ、お姉さま――とか!?」

「いやあ、まあ歪んでたら友達なら直してあげるかなあ。人に見られると陰口言われるし。付き合ってる子とかの噂は……私は、あまり聞かないかな……」

「うそでしょ!? だって、トリニティってキヴォトスいちのお嬢様学校で、花園で、犯罪とかも縁遠くて、ふわふわの女の子たちが毎日……」

 

「……ねえ、セリカちゃん。私、トリニティの生徒会長の一人なんだけどな」

「ミカさんがトリニティの代表者……そんなぁ」

 

「セリカちゃん、その言葉の意味を教えてもらってもいいかな?」

「夢が……現実に潰された……」

 

「セリカちゃん!?」

 

 本題から外れて漫才をやっているセリカとミカから外れて、賛成意見も貰えなかったノノミはうなだれていた。

 

「決めポーズも考えておいたのに……ね、ほら。水着美少女団のクリスティーナで~す♧ とか」

「「……」」

 

 帰ってきたのはアヤネとホシノの冷たい視線だった。先生はぐっと親指を立てていた。

 

「先生……!」

 

 感極まって先生に抱きつこうとするノノミをアヤネが抑える。

 

「まったく。まともな意見が出てこないじゃないですか。どうしましょう?」

「最後の決定は先生に任せちゃおうー。大丈夫だよー。先生が選んだものなら、間違いないって」

「うんうん。先生なら間違いないない。さあ、どどーんと発表しちゃって」

 

 ミカとホシノの三年コンビが先生を指差す。仕方ないかと、アヤネも先生の方を見る。

 

「……」

 

 無音が満ちる。いつのまにか横で落ち込んでいたセリカも固唾をのんで先生の方を見ている。

 

「よし、アイドルグループ結成だ! 私がプロデューサーになる!」

 

 男らしく宣言した。

 

「わーい。私の意見が採用されました!」

「あはははー! よし、決まりー! それじゃあ出発だー」

「これでいいでしょ、アヤネ?」

「フリフリの衣装着て踊るのかー。ちょっと恥ずかしいけど、やっちゃうぞー」

「……」

 

 わちゃわちゃと、またうるさくなってくる。なお、シロコはまだ手作りの覆面を名残惜しそうに見つめていたが。

 

「いいわけないじゃないですかー!」

 

 ぶるぶる震えていたアヤネがとうとう噴火した。

 

「出たー! アヤネちゃんのちゃぶ台返しー!」

 

 と、いうわけでこの議論は意味がなくなった。まあ、アビドスの現状を救う手だけなど簡単に見つかるはずもなし。

 

 きゃあきゃあ言う横で、ホシノが先生にだけ聞こえるひそひそ声で話す。

 

「……ミカさん。よく話に付き合ってくれたけど、実は自分から意見を出してなかったね。これはどういうことかな?」

「うん、ミカにも事情があるだろうから。そっとしておいてあげて」

 

「そっか。ま、アビドスとしてもトリニティの生徒会長さんが出した意見で救われて―、みたいな話は望んでないからいいけど」

「ごめんね」

 

「別に先生の謝ることじゃないでしょ。チンピラの件だけでも早く解決しないとね。先生が、ちゃんと他の生徒の面倒を見れるように」

「そうだね、それは本当に早めに何とかしなくちゃいけないね……」

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第10話 便利屋との邂逅

 

 

 バイトがあると、セリカは一足先に帰ってしまった。そして残りのメンバーは好き勝手に過ごしていた。

 その中で、ノノミの膝の上でお昼寝していたホシノが唐突に言う。

 

「うへ。ねえ、みんなー、お腹空いてない?」

 

 皆して顎を手にして考える。実のところ、お腹はそんなに空いていない。行きたいかと言えば、別にそんなことはないのだが。

 

「うん? 早くない? 夕ご飯の時間はまだだよ」

「いや~。お昼寝してたらお昼ご飯食べ逃してさ。セリカちゃんをからかいがてら、どうかな」

 

 ニヤニヤと笑っている。ミカはキュピーンと悪戯気に口の端を上げた。

 

「お? いいねいいね。そういうことなら私も乗った!」

 

 けらけらと笑う。悪ノリには全力だった。

 

「ねえ、先生。どうにかしてください。先生でしょ」

 

 アヤネがため息を吐きながら、先生の脇腹を突く。からかうために行くなんてセリカちゃんが可哀そうと、先生から諫めてくれることを期待して。

 

「……ふむ。よし、行こう!」

 

 ずっこけた。

 

 

 そして、アビドス近くの飲食店へやってきた一行。ホシノは勝手知ったる我が家のごとく暖簾をくぐる。

 

「いらっしゃいませ! 柴関ラーメンです!」

「うへ~。6人だよ、やっぱここだと思った」

 

「おやおや、セリカちゃん。可愛い格好だねえ」

「ミカさん、ここのラーメンはおいしい」

 

「実は前に先生と一緒に来たから知ってるけど。シロコちゃん、他に言うことないの?」

「……?」

 

 同じくニヤニヤ笑いのミカ。シロコの方はしれっとホシノについて行く。

 

「どうも。その服、似合ってるよ」

 

 先生も苦笑を浮かべながら入っていく。

 

「せっ、先生まで……やっぱストーカー!?」

「うへ、先生は悪くないよー。セリカちゃんのバイト先と言えば、やっぱここしかないじゃん? だから来てみたの」

 

 うへへ、と口元を隠して笑ってるホシノにセリカはぷんすか怒り始めて、すぐに恥ずかしくなって顔を赤らめる。

 

「ホシノ先輩かっ。……うう」

「アビドスの生徒さんか。セリカちゃん、おしゃべりはそれぐらいにして、注文受けてくれな」

 

「あ、うう……はい、大将。それでは、広い席にご案内します……こちらへどうぞ……」

 

 大きなテーブルに通された。

 

「はい、先生はこちらへ! 私の隣、空いてます!」

 

 さっとホシノを奥に押し込んで一人分のスペースを作ったノノミが手招きする。

 

「……ん、私の隣も空いてる」

 

 シロコが逆側に座り澄ました顔をするが、頭上の狼耳はぴこぴこ揺れていた。さあさあ、来て来てと言外に示している。

 

「ほい! 空いてるのは私の隣だね? 先生、どうぞ!」

 

 そしてすかさずミカがシロコを奥に押し込み、手招きした。

 

「ミカさん……力強い……! 抵抗できない……!」

 

 ぎりぎりとシロコが押し出そうとするものの、山のごとく動かないミカ。どれだけ力を込めても、びくともしない。

 

「さ、先生♡」

「ぐ……先生は……私の隣に座るべき……!」

 

 無表情なシロコが顔を真っ赤にして力を込めるが……悲しいかな、ミカの表情は小動きもしていない。

 

「……はぁ。そんなに先生の隣に座りたいなら、間に座ってもらえばいいじゃないですか。ノノミ先輩、失礼しますね」

「はい、どうぞ。アヤネちゃん」

 

 ため息を吐いたアヤネ。シロコとミカは顔を見合わせて。

 

「……ま、仕方ないか」

「ん……妥協する」

 

 そんなこんなで、先生はシロコとミカの間に収まるのだった。そして、セリカが注文を取りにやってくる。

 騒ぎが聞こえていたので、呆れた顔をしている。

 

「って、狭すぎ! シロコ先輩、ミカさん! そんなにくっついてたら先生が窮屈でしょ! もっとこっちに寄って! 私はちゃんと6人テーブル案内にしたのに、何だって一人席に3人無理やり押し込むようなことになってるのよ!?」

「いや、私は平気。ね、先生?」

「ねー?」

 

 シロコとミカが先生に身を寄せている。いかがわしい店にしか見えないその光景にセリカは顔を真っ赤にしていた。

 実情としては女子高生の柔らかさよりも壁に押しつぶされそうな圧迫感を感じていたが、先生はそれでも幸せそうにしている。……顔は青いけど。

 

「も、もういいでしょ! ご注文は!?」

「ご注文はお決まりですか。でしょー? セリカちゃーん、お客様には笑顔で親切に接客しなくちゃー?」

 

 そして、けらけらと笑うホシノから予測しなかった攻撃が来て、更に顔を真っ赤にする。

 

「あうう……ご、ご注文はお決まりですか……?」

「私はチャーシュー麺をお願いします!」

「私は……どうしようかな。ラーメンなんて食べると太っちゃうー。私もチャーシュー麺で!」

「私は塩」

「えっと……私は味噌で……」

「私はねー、特製味噌ラーメン! 炙りチャーシュートッピングで! 先生も遠慮しないで、ジャンジャン頼んでねー。この店、めちゃくちゃ美味しんだよー! アビドス名物、柴関ラーメン!」

 

「……ところで、みんなお金は大丈夫なの? もしかして、またノノミ先輩におごってもらうつもり?」

「はい、私はそれでも大丈夫ですよ。このカードなら、限度額までまだ余裕ありますし」

「私もカードなら持ってるよー?」

 

「いやいや、ご馳走になるわけにはいかないよー。きっと先生がおごってくれるはず。だよね、先生?」

 

 先生が逃げようとするが、ぎゅっと抱きついてくる二人を振り払う様な気にはなれない。逃げ出せない。

 

「え?初耳だって? あはは、今聞いたからいいでしょ!」

 

 足りるかな、と財布の中身を見る先生。その手からホシノがぱっと取り上げる。見つけたカードを上に掲げて。

 

「うへ~大人のカードがあるじゃん。これは出番だねー! 先生としては、カワイイ生徒たちの空腹を満たしてやれる絶好のチャンスじゃーん?」

 

 ニヤニヤ笑っている。一方で先生は顔が青くなっている。

 

「……先生、大丈夫? あの、これで払って?」

 

 ミカがそっと先生に耳打ちし、1万円を握らせようとするが。

 

「それには及ばないよ、ミカ。生徒に奢ってあげるのは先生の本懐だとも。おいしく食べてくれるなら、先生は満足だよ」

 

 柔和な笑みを浮かべてミカの頭を撫でる。そうするとミカは真っ赤になって何も言えなくなる。

 なお財布を持つ手が震えていたので、恰好は付かなかった。

 

 

 そして、各々が頼んだメニューを食べていると、新しい客が入ってきた。

 

「ここで一番安いメニューって、お、おいくらですか?」

「一番安いのは……570円の柴関ラーメンです! 看板メニューなんで、おいしいですよ!」

 

「あ、ありがとうございます!」

「えへへっ、やっと見つかった、600円以下のメニュー!」

「ふふふ。ほら、何事にも解決策はあるのよ。全部想定内だわ」

「そ、そうでしたか、さすが社長、何でもご存じですね……」

 

「4名様ですか? お席にご案内しますね」

「んーん、どうせ一杯しか頼まないし大丈夫」

 

「いえいえ、せっかくだからお席にどうぞ」

「おー、親切な店員さんだね! ありがとう、それじゃあお言葉に甘えて。あ、わがままのついでに箸は4膳でよろしく。優しいバイトちゃん」

 

「えっ! まさか、一杯を四人で分け合うつもり?」

「ご、ご、ごめんなさいっ。貧乏ですみません!! お金がなくてすみません!!」

 

「あ、い、いや……! その、別にそう謝らなくても……」

「いいえ! お金がないのは首がないのも同じ! 生きる資格なんてないんです! 虫けらにも劣る存在なのです! 虫けら以下で済みません……!」

「はあ……ちょっと声デカいよ、ハルカ。周りに迷惑……」

「そんな! お金がないのは罪じゃないよ! 胸を張って!」

「ぶっちゃけ、忘れたんでしょ? ねえ、アルちゃん。夕飯代取っておくの、忘れたんでしょ?」

「……ふふふ」

 

 馬鹿をやっている。中心のアルも一目見るだけなら有能な女社長に見えるかもしれないけど、会話を聞けばポンコツなのがすぐに分かる。

 よく見ると首筋に汗をかいているし、唇も少し震えている。ただの強がりなのは明白だった。

 

「待っててください! 店長に相談してきます!」

 

 どう見てもポンコツチームにしか見えず、お金も持っていないと。その苦労を想像して涙ぐんだセリカは、ぐいっと溢れる涙を袖で拭いてさっと店の奥に引っ込んでしまった。

 そして、待つこと5分ばかり。

 

「はい、お待たせいたしました! お暑いのでお気をつけて!」

 

 そして、どんとバカでかいラーメンを持ってきた。こんなもの女の子に持てるか、というレベルだが……まあキヴォトスでは普通だ。

 サイズ感は滅多にお目にかかれないレベルである。キヴォトスの人でも中々食べきれない。

 

「ひぇっ、何これ!? ラーメン、超大盛じゃん!」

「ざっと、10人前はあるね」

「こ、これはオーダーミスなのでは? こんなの食べるお金、ありませんよう……」

 

「いやいや、これで合ってますって。580円の柴関ラーメン並! ですよね、大将?」

「ああ、ちょっと手元が狂って量が増えちまったんだ。気にしないでくれ」

 

 ニヒルに言い放つ店長。犬の顔だが、輝いていた。

 

「大将もああ言ってるんだから、遠慮しないで! それじゃ、ごゆっくりどうぞー!」

 

 それだけ言い残すと、ぶんぶんと手を振って奥に引っ込んだ。

 

「う、うわあ……」

「よくわかんないけど、ラッキー! いっただきまーす!」

「ふふふ、さすがにこれは想定外だったけど、厚意に甘えて、ありがたく頂かないとね」

「食べよっ!」

 

 彼女たちはそれぞれラーメンを口にして。

 

「お、おいしいっ!」

「なかなかイケるじゃん? こんな辺鄙な場所なのに、このクオリティなんて」

「やー。ゲヘナ出てから色々な事があったけど、こんないい場所なんてねー」

 

「あはは。ゲヘナはやっぱり大変だねー。食べるものも食べれない、なんて。本当に……かわいそう」

 

 けらけらと上機嫌に笑うミカが声をかけた。

 

「うぐぐ……これも風紀委員会のせいよ! 風紀委員会さえ居なかったら……!」

 

 アルがぐぐぐ、と悔しそうに顔をゆがめた。

 

「って、あ……! その服、『トリニティ』の……! トリニティが何の用よ」

「うん? 特に用はないんだけどねー。ほら、食べるものも食べれないとか哀れでさ? なんだったら食べ物を恵んであげようかなって。まあ、おかわりは要らないのかな」

 

「……ッ! 要らないわよ、私たちは孤高のアウトロー『便利屋68』! たとえ風紀委員会に故郷を追われようとも、決して生き様は曲げないわ!」

「わあ☆ カッコいいね。間違った教えから逃れ、孤高を貫くアウトロー。あこがれちゃうぅ!」

 

「ふふふ、『トリニティ』にもアウトローの良さを分かってくれる人が居るのね。私の名前は陸八魔アル、あなたの名前を聞かせてくれるかしら?」

「私の名前は聖園ミカって言うの。よろしくね、アルちゃん!」

 

「ええ、よろしく。ミカちゃん!」

「ミカ……ちゃん?」

 

「え? いや、あの……失礼だったかしら……」

「ううん、嬉しいよ。あなたはゲヘナだけど、友達になれるかも。あなたなら、トリニティに来てもやっていけそう」

 

「そう……でも、残念だけど私たちは私たちの生き様を貫くわ。『便利屋68』はどんな圧力にも屈しない。『ゲヘナ』からどんな追撃があろうと切り抜けてやるわ」

「ひゅー。便利屋68、ヤッバいね。カブキモノだー」

 

 なぜか一瞬で意気投合してしまったミカとアル。なお、他の便利屋68はと言うと。

 

「ねえ、『トリニティ』ってヤバくない? なんかアルちゃん、仲良くなってるけど」

「マズいなんてものじゃない。聖園ミカ、偽称でなければ『ティーパーティー』だ」

「トリニティ、それもティーパーティーって……敵ですか!? 爆破しますか?」

「今はやめておいた方がいいんじゃない? アルちゃん嬉しそうに話してるし」

「そもそも、うちがティーパーティーに敵対する状況がまずい。このまま何事もなく終わってくれれば……!」

「え? ダメですか? 敵なのに、爆破しちゃダメですか?」

 

 ほんわかした二人とは別に緊迫の空気が流れていた。

 

「このラーメン、おいしいでしょう?」

「およ、あっちのミカちゃんのお仲間? まあ、ラーメンは最高だね」

 

 その残りのメンバーにアビドスが話しかける。

 

「このラーメンは本当に最高なんです。わざわざ遠くから足を運ぶくらい」

「うんうん、わかるー。このラーメンめっちゃおいしいよね。こんな辺鄙なところにあるのがもったいないくらい」

 

 メインはムツキが相手する。なお、カヨコは胃が痛くてラーメンの味どころでなかったりするのだが。

 

「その制服、ゲヘナ? 遠くから来たんだね」

「ふふーん。かわいいでしょ? 私たちの改造制服! やー、旅先でいろんな人と会うのも人生の醍醐味だねー」

 

 そんなこんなで、仲良く話して別れたのだった。

 

 

 





 ミカはゲヘナを嫌いですが、作者の中のテンプレとしては”差別主義者は手のひらがドリル”です。一言前に差別発言をしても、都合が悪くなれば覚えてなかったり、または君は特別だからなどと言い出す。まあ、自分に都合の良いのは大人の特権かもしれませんが、政治屋の素質でもありますからね。
 根柢の差別感情は変わっていません。ただ、一時アルとそのお仲間を除外対象にカテゴリしただけです。……後に、その判断を後悔することになりますが。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第11話 恩知らずの血戦

 

 そして、ラーメンを食べ終わって解散する。

 

「いやーゴチでした。先生ー」

「ごちそうさまでした」

「うん、お陰様でお腹いっぱい」

「ごちそうさま。いやあ、人のおごりで食べるご飯は格別だねー☆」

 

 先生が女子に囲まれて肩を叩かれたり寄り添われたりしているが、楽しむよりも前に寂しくなった財布を見て顔を青くしている。

 

「早く出てって! 二度とこないで! 仕事の邪魔だから!」

 

 そんな先生を、セリカが後からバシンと叩く。顔を真っ赤にしていた。

 

「また来るねー」

「あ、あはは……セリカちゃん、また明日ね……」

 

 ミカがけたけたと笑いながら言い、アヤネがそんなミカを睨みつけながら小さく手を振る。

 

「ホント嫌い! みんな死んじゃえー!!」

 

 怒鳴るセリカだが。

 

「あはは、元気そうで何よりだー」

 

 ホシノに頭を撫でられてぐぅぅ、と小さくうめいていた。

 

 

 そして、便利屋68ともお別れだ。少しおしゃべりしただけで何か仲良くなってしまった。アビドスとミカに敵だと気付く余地はないが、便利屋社長のアルも全く気付いていない。

 

「それじゃ、気を付けてね!」

「お仕事、上手くいきますように!」

 

「うん、ありがと。機会があったら、またラーメンを食べに来るよ。あなたたちも学校の復興、頑張ってねー! 応援してるからー! がんばれー♡」

 

 アビドスがムツキに手を振り、ムツキも手を振り返す。

 そして、ミカはアルとニヒルな笑みを浮かべて無駄にハードボイルド的な雰囲気を醸し出す。……ムツキが見たら大笑いしそうだが。

 

「運命に抗い、仲間を救う――お互い頑張ろうね」

「……ふふ。ええ、当然よ。どんな困難が待っていようとも、仲間と一緒なら越えられる。どんな敵だって怖くないわ」

 

 がっしりと硬く握手していた。

 

 そして、別れてアビドスに戻る。

 

「……あ、私まで校舎に戻ること無かったかも。みんな、この後どうする? 予定がないなら、私はトリニティに帰ろっかなぁ」

 

 んー、と頬に手をあてて皆を見ると苦笑が返ってくる。まあ、何かしようにも……ということだ。バイトがあるものはそれぞれ準備していたし、シロコ辺りは賞金首のリストを見ていたが……

 

「ま、そうだねー。ミカさんは帰っても良いかもねー。というか、日中にこっちに来ることはないんじゃない? トリニティにはまだ授業があるんでしょー」

「あはは、ホシノちゃん。それは私を甘く見てない? 授業なんて代返してもらえばいいし、そもそもBDで聞かなくても教科書に書いてあるから読んだ方が早いじゃない」

 

「ぴーぴすー」

 

 ホシノは変な口笛を吹いた。

 

「あらあら、ホシノ先輩吹けていませんよ。そういえば成績って……」

「うぐぐっ……! セリカちゃんが居ないから分が悪い。……シロコちゃんはおじさんの味方でしょ?」

 

「ん。私はホシノ先輩の味方だけど……暗記は得意。BDで見るより字で見た方が覚えやすいのは同意する」

「ぐぬぬぅ……シロコちゃんまで……優等生の雰囲気を……?」

 

「いや、私は暗記以外だめだし……」

「というか、ホシノ先輩もそこまで頭が悪いわけでは……。シロコちゃんと違って暗記ものが苦手ですよね。苦手というか、ホシノ先輩は別に物覚えが悪いわけではないので勉強すれば……」

 

「はいはーい! この話、ここでおしまい! なんでおじさんが集中砲火うけてるのさー」

 

 あはは、と笑いが起こった。

 

 -ターン-

 

 そして、そこに打ち込まれる一発の銃声。

 

「先生!」

 

 まっさきにミカが先生を押し倒して、自分の身を盾にする。

 

「……敵の姿が見えない。アヤネちゃん!」

「確認しています。……校舎より南15㎞地点付近で大規模な兵力を確認! 方角が違いますね、スナイパーの場所を調べます」

 

 その隙にシロコとアヤネが素早く状況を確認する。

 

「まさか、ヘルメット団が?」

「ち、違います! ヘルメット団ではありません! これは……傭兵です! おそらく日雇いの傭兵!」

「でも、多分一発目の銃弾は違う。傭兵はこんな犠牲になるような真似はしない。このスナイパーは無視できないよ」

 

「へえー、傭兵かあ。結構高いはずだけど。でも、シロコちゃんのスナイパーは別って言うのは当たってるかも。もしかしたら雇い主かもね」

「傭兵を相手にしている間に横から狙われるのは危険。潰さないといけないけど……これは誘ってるようにしか思えない。どう相手する?」

 

 よどみなく戦力分析を行う。ヘルメット団の危機に晒され続けたことでどんな治安の悪い場所よりも経験値を積んだことで得た、傭兵よりも強力なチームの絆だ。

 

「これ以上接近されるのは危険です! 先生、出勤命令を!」

「出勤だー!」

 

 そして、アヤネと先生が号令をかける。すぐに別チームの居所を探る。

 

「傭兵と異なる方角に集団を確認できました! 先ほどの狙撃をしてきたチ-ムです」

「え……あれ……ラーメン屋さんの……?」

 

 見えた顔は見知ったものだった。スナイパーと言えど、挑発のために出てきたから顔を見せなければ始まらない。

 

「ぐ、ぐぐっ……」

 

 なぜか苦しそうな顔をしているアル。とはいえ、そんな事情は知ったことではなく……

 

「誰かと思えばあんたたちだったのね!! ラーメンも無料で特盛にしてあげたのに、この恩知らず!!」

「あははは、その件はありがと。それはそれ、これはこれ。こっちも仕事でさ」

「残念だけど、公私はハッキリ区別しないと。受けた仕事はきっちりこなす」

「……なるほど。その仕事っていうのが、便利屋だったんだ」

「もう! 学生なら、他にもっと健全なアルバイトがあるでしょう? それなのに便利屋だなんて!」

「ちょっ、アルバイトじゃないわ! れっきとしたビジネスなの! 肩書だってあるんだから!  私は社長! あっちが室長で、こっちが課長……」

「はあ……社長。ここでそういう風に言っちゃうと、余計薄っぺらさが際立つ……」

「誰の差し金? ……いや、答えるわけないか。力尽くで口を割らせるしか」

 

 アビドスと便利屋で言葉の応酬が始まっている。

 

「ねえ――アルちゃん。それが、アルちゃんの”意志を貫く”ってこと?」

 

 地獄の怨嗟のような声が響いた。アビドスメンバーはビビって前を開ける。

 

「……え? ええと。……そうね。ふふふ、それはもちろん企業秘密よ?」

 

 アルもビビって目を泳がせている。目が座っていてめちゃくちゃ怖い。

 

「アビドスを襲っても何も得るものはない。こんな借金だけの、総生徒数5名のアビドスから奪えるものなんてないものね。校舎を奪うにしても、使い道の一つもない。どこかの誰かさんの狗でもなければ、ね。ねえ、私の言っていること間違っている?」

「え? いやあ……私たちは便利屋68! 金を貰えばなんでもする、法律と規律に縛られないハードボイルドなアウトロー! あなたたちの高校が欲しいって依頼があったのよ。そう、あくまで依頼よ。アウトローは狗じゃないの!」

 

「そう。……それは、きっと大人からの依頼だよね? 企業かな。どこかの生徒会がここに興味を持ってるって話も聞かないもん。大人に言われるがまま、何でもする。……それがあなたのアウトローってことなんだ。そう、あなたはそうなんだ」

「――何を言っているのかしら?」

 

 ぼそぼそと呟くような声。ミカの掴んだSMGからぎりぎりと音が聞こえてくる。

 

「……あなたのくだらない夢を潰してあげる。そんなにゲヘナが嫌なら連邦矯正局へ入れてあげるから……!」

 

 バっと窓を乗り越えて駆け出した。

 

「ミカさん……!?」

「みなさん、落ち着いてください。別の方向から傭兵が突入してきます。こちらの対処も考えないと! ……先生!?」

 

「そうだね。便利屋はミカに任せようか。アビドスメンバーは傭兵を殲滅、すぐにミカの援護に回るよ!」

 

「「「「はい!」」」」

 

 アビドスは迫りくる傭兵団との戦端を開く。

 

 そして、ミカは。

 

「――強い、けど。強さじゃ大人には勝てないのに……」

 

 狙撃銃の一撃が飛んでくる中を、”耐えればいい”の根性論で進んでいく。かわすのではない、防ぐのでもない。ただ……耐えて進む。

 

「なんで当たってるのに走ってるのよ!? 本当に生徒会長!? ヒナとかと同種の人間じゃないのよ、あれは!」

「社長は狙撃に集中して。体力が削れてないわけじゃない。罠に嵌めて、攻撃を続ければいつかは勝てる。さすがに風紀委員長より強いことはないはずだから」

「とはいっても、トリニティの生徒会の中じゃぶっちぎりって話でしょー? 行けるの?」

「それはお前とハルカ次第だ、今のところ作戦は想定内……」

「お、私が仕掛けた爆弾踏むねー」

 

「……ん?」

 

 カチリと音がした。爆発――衝撃と爆炎がまき散らされる。ただのヘルメット団ならばこれで仕留められる。 

 だが、相手は雑魚ではないのだから。

 

「で? この程度で私を止められると思ったの? 私を止めようと思ったら――あと100倍は持ってこないとね☆」

 

 鬼のような攻撃的な笑みを浮かべながら歩を進める。まったくダメージが入っているとは思えない姿だ。

 

「社長、今がチャンス……!」

「――ハルカ、やりなさい!」

 

 カヨコがアルに囁き、アルが叫ぶ。

 

「はい。や、やります……」

 

 ボタンを押した。瞬間。

 

「……ッ! まさか――」

 

 轟音、衝撃。崩れた建物をあっけなく粉砕するほどの爆圧が全てを蹂躙する。

 

「あはははは! どうよ、見なさい! 全ては作戦通り! カヨコの立てた作戦に穴はないわ!」

 

 更地になった場所を指差し、高笑いするアル。あれほどの爆弾、ちょっとやそっとの力自慢ではイチコロ。でなくても、動けなくなるだけのダメージはあるはずだと。

 

「そうだね。……さすがに、ちょっと痛かったかな☆」

 

 埋もれた砂から姿を表したミカ――服は多少擦り切れているとはいえ、眼の光は更に剣呑さを増している。

 その足を進める。爆炎の中を歩いてくる様はまるで地獄の行進だ。

 

「……う、うそっ! 作戦は完璧に決まったはずなのに」

「あは! さっき100倍って私は言ったよねえ。これ、絶対100倍より少ないよねえ!?」

 

 そして駆け出すミカ。もはや万策尽きた、残りの爆薬などあれば使いどころは先の一撃。カヨコの作戦は間違っていない。

 ただ、全ての火力を用いてもミカを止めることは叶わなかったというだけだ。

 

「――うそ。あれに耐えられるのなんて、それこそヒナくらいのはず。作戦は、完璧に機能したのに……!」

「……」

 

「逃げよう、社長。傭兵もアビドスを押し切れてない、不利に傾けば逃げ出すはず。今は……」

「……」

 

「社長? どうしたの、社長?」

「あははー。カヨコちゃん、アルちゃん白目向いて気絶しちゃってるよー。面白―い」

 

 反応のないアルは白目を剥いて気絶していた。それだけの衝撃だったということだろう。カヨコも気絶して済むのならそうしたい。

 だが、今は気楽に気絶していていいような状況ではない。

 

「面白い事なんてない。このままじゃ聖園ミカに全員ぶちのめされて連邦矯正局送りだよ。『ゲヘナ』に返す、なんてするわけない……!」

 

 焦るカヨコ。白目を向いて気絶したアル。面白がるムツキ。ハルカはおろおろしてるだけで何もできない。

 

「あはっ! どうしたのかな? 攻撃がやんじゃったよ」

 

 そして、ミカが便利屋の隠れていた建物まで到着する。

 

「くっ……! 社長、早く起きて! 階段を上ってくる前に逃げるよ!」

「……」

「ああ、もう……!」

「カヨコちゃん。これは手遅れかなー?」

 

 ガン、と音がする。下の方から、ガンガンと音が連続する。

 

「これ……何の音……?」

 

 それはコンクリを殴り壊す音。ガン、と言う音の後にタッと軽い足音が聞こえる。そう、ミカが建物の外壁を壊して足場を作り、昇っていく音だった。

 

「――まさか!」

 

 ガシャン、とガラスが壊れる音が響いた。何かが便利屋が仮拠点にしていた部屋に入っていた。

 それはもちろん。

 

「……ねえ、どうしたのカヨコちゃん。そんな……魔女でも見たような顔しちゃって」

 

 怪しく微笑むミカ。ただの力技で外壁を上り、窓を殴り壊して入ってきた。

 

「……ッ!」

 

 銃を向けようとして。

 

「――遅い」

 

 その前にミカのSMGが火を噴いた。

 

「かはっ……」

 

 カヨコが沈む。

 

「あはっ。抵抗なしってのも、つまんないよねー」

 

 ムツキが銃を構えようとする。勝てるわけがないのは知っている。とはいえ、降参など性に合わないから。

 

「遊びでやってるの?」

 

 無慈悲に撃たれ、崩れ落ちた。

 

「……ひ」

 

 ハルカは目に一杯の涙を貯めて自分に向けられた銃を見て――

 

〈ミカ、帰っておいで〉

 

 通信機から先生の声が響く。

 地雷の存在は知らされた上で踏んだし、爆弾の方は爆発する前に隠れた。食らっても耐えられる自信はあったけど、先生の指示に従った。

 

「でも、先生! この子たちはここで矯正局送りにしないと、いつか酷いことに……!」

〈……ミカ〉

 

「う……先生。分かったよ、先生は生徒の自由を縛ることはしないもんね」

〈うん、分かってくれてうれしいよ。ミカ〉

 

「先生が嬉しいのなら……」

 

 そっと銃を下ろす。

 

「……アルちゃん」

 

「アルちゃん、まだ気絶してるんだ。ねえハルカちゃん、後で伝えておいてね。遊びはもうおしまいにしなさい。そうしないと、いつか本当に大切なものを失うからって」

「――ひ、ぴい!」

 

 とうのハルカは自分の銃を大切そうに抱きしめながら高速で首を上下させる。

 

「じゃあね、あなたたちは仲間を大事に思ってるんだよね? なら、大切にしないといけないよ」

 

 自嘲するように呟いて、戻っていく。

 

「そういえば、先生。傭兵の方はどうなったの? ま、セリカちゃん抜きでも皆が負けるとは思わないけどさ」

〈定時だからって帰っちゃった。みんな怪我もしてないよ、大丈夫〉

 

「ありゃ、じゃあ被害は私が砂まみれになったことくらいかー。アビドスにシャワーってあったっけ。……先生、覗く?」

〈それはもちろん覗――かないです。絶対に覗かないんでその目はやめてくださいアヤネ様〉

 

 そこまでは拾えないけど、アヤネのため息が聞こえるような気がしてミカは少しだけ笑ってしまった。

 

 





ミカ「ゲヘナは、先生に二度と近づかないでね?」

【挿絵表示】




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第12話 トリニティの闇

 

 

 夜、ミカはトリニティに帰る。

 

 記憶が戻る以前からもミカは暗躍を続けていた。もちろん、連日アビドスに行くような表だって行う様なバカな真似はしていなかったけど。

 --誰にも知られず計画を練り、様々な深謀遠慮を張り巡らしながら表の行事にも手を抜かない。それはずっと続けてきたことだ。

 

 ”表”の中でも顔出しが必要な、場所と時間をとられるようなものは『ホスト』のナギサにおはちが回ってくるのもある。

 実態のところミカは一派閥の長でしかなく、トリニティの顔はナギサだから裏で動く時間的余裕があった。

 暗躍は最近のことではないから、まだ破綻していない。トリニティを1日中留守にするなんてことをしているために、色々ほころびだしてはいるけれど。

 

 ただし表舞台に立つ機会が少ないとはいえ、一種の”偉い人”であるのは事実であり……ゆえに、ただ”偉い”というだけでやっかみを受けるのは間違いない。

 そのことは人類の歴史が証明しているだろう。

 

 それに、最近誰にも知られずの外出も多いとなればもう――そこから導き出される結論が”叩ける”ということでもおかしくない。

 派閥としての立場はともかく、一般人まで行くと……ミカの旗色は悪くなりだしていた。

 

 

 

 次の日の朝、少女たちが登校する風景の中で、こそこそと悪だくみをする少女たちの姿がある。

 

「……ねえ、聞いた? ミカ様のあの噂、広まってるわね」

「よく言うわね、あんたが言い出したことじゃない」

 

 ケタケタと、悪意たっぷりに会話をかわす少女たち。政治的には何も力を持たず、ティーパーティーの一員として政治に参加するでもないただの一般トリニティ生だ。

 少し時事に興味があって、落ち目の政党を叩くのが趣味なだけだけの取るに足らない生徒でしかない。だからこそ、面白おかしくゴシップを話せる。……人前で。

 

「そう? でも、連日だって話じゃない。あれとか利いてきてるのかな?」

「不幸の手紙をミカ様の下駄箱に入れるとか? そんなんやってるの、うちらだけじゃないじゃん。いつもたくさん入ってるっしょ」

 

「えー。じゃあ、外出で何かあったのかな? うちらは許可がないとできないのに、ほんとミカ様ってばズルいわよねえ」

「そうそう、ちょっと綺麗な顔してるからってお高く止まっちゃって。毎晩泣いてるってあれ、もしかして大人の男の人に振られたからとか?」

 

「あはは! 振られ女ってこと? いい気味ね! 最高だわ! 相手の人って調べられるかなあ? 噂を流してやろうよ!」

「あは! それいい! きっと、みんな夢中になるわ」

 

 彼女らは権力に唾吐き、そして有名人のゴシップを面白おかしく噂する。

 何の責任もない立場から好き勝手なことだけ言ってればいいというのは気持ちよくて、まさに麻薬のような甘美さだろう。

 

 そう、本当に”何の責任もない”のなら。

 

 当たり前だろう、発言には責任が伴うと言うのは。権力者のそればかり取り上げられるが、何の立場もない一般人でも吐いた言葉には責任が伴うのは当然のことだ。

 否、責任が伴うというのとは違う。そもそも政治家が責任を取ったかと言われれば、歴史を見渡しても実例は少数だろう。責任とは”取らされるもの”、”取り立てられるもの”であるのだ。

 

「水音カゲさん、それと光花サユさんっすね? ナギサ様があなた方をお呼びっす。ついて来ていただけないっすかね」

 

 正義実現委員会が彼女たちを呼び止めた。

 ナギサが彼女たちを使って呼び出しをするのはよくあることだ。そして、トリニティでは彼女のお茶会に参加するというのは一種のステータスである。

 

「ま、まさか……」

「ナギサ様が、私たちに声を……! 夢じゃないわよね?」

 

 きゃらきゃらと喜び合う少女たち。それもそうだろう、それは友達にいくらでも自慢できるほどのステータスなのだ。

 --本当に、”お茶会”に呼ばれたのであれば、だが。

 

「では、こちらです。付いてきてくださいっす」

 

 正義実現委員会、イチカはくるりと振りむいて彼女たちを案内する。背を向けて見えなくなった顔で、ただ気楽についてくる彼女たちへ嘲笑を浮かべながら。

 

「わあ、本当にナギサ様にお呼ばれしたんだ」

「たくさん頑張ってきたかいがあったね!」

 

 スキップでもしそうな顔でついていく。その呑気な顔は、これからの栄達を疑ってもいなかった。

 

「――」

 

 イチカは無言で先導する。そして、ナギサの待つお茶会の場所までたどりつく。

 

「ナギサ様はここでお待ちっす。武器は私がお預かりするっす」

 

 二人は何も考えずに。

 

「はい。間違っても傷なんて付けないでくださいね」

「どうぞ、大切に持っててくださいね」

 

 お茶会に呼ばれたと勘違いしている二人は傲慢そのものと言った様子で銃を手渡す。まるで今後は自分が正義実現委員会が命令する立場になると言わんばかりだ。

 いかにナギサがトリニティのトップであれど、キヴォトスでは無礼にあたる武器の取り上げまで行ったことに何の疑問も抱かずに。

 

「あはは……はい、確かにお預かりしましたっす」

 

 これは、さすがにイチカの方も苦笑した。

 

「では――どうぞ」

 

 扉を開ける。二人が入る。

 

「お待たせいたしました、ナギサ様。この度はご招待下さり……ッ!」

 

 入った瞬間に息が止まる。確かにそこにナギサは居た。豪奢な椅子に座り、優雅に紅茶を嗜んでいる。

 だが、目の前の壮麗なティーテーブルの上には何も乗っていなかった。彼女らに供されるはずの紅茶も、スイーツも。

 

「ちょ……! 何やってんの、急に立ち止まらないで! ご招待ありがとうございます、ナギサ……様?」

 

 二人目も、入ってくるなり目を剥いた。

 これは――これは、間違っても”お茶会”などではなく。

 

「どうしました、お二方。お席にどうぞっす」

 

 後から入ってきたイチカが即座に扉を閉め鍵をかけた。促され、ロボットのようにぎこちなく席に着く。

 椅子も、見るからにぼろぼろで普段なら座りたくもない有様だ。

 ――ただ、沈黙が場を支配する。

 

「あの……」

 

 耐えきれずに声を挙げた二人組の片方。ナギサが手で声を遮る。優雅に紅茶を一口、口に含んだ。嚥下する。

 

「――さて、お二方をお呼びしたのは他でもありません。実はミカさんに関する不審な噂を聞いてしまいまして。あなた方にも調査に協力していただきたいと思ったのですよ」

 

 そして、ナギサは始めてその冷え切った瞳で彼女たちを見る。

 

「……ひ」

「なん……で」

 

 歓迎されているとは思えない雰囲気。周りを銃を所持した正義実現委員会に囲まれ、その視線は刺々しい。

 ナギサに関しても、常と変わらぬ柔らかな笑みを浮かべているが……しかし忘れてはならない。この何もないテーブルとボロの椅子を用意したのは彼女である。

 

「ああ、申し訳ありません。飲み物がなくては話すのは辛いですよね。気が利かなくて申し訳ありません」

「い、いえ――そのようなことは決して」

「は、はい」

 

 そして、正義実現委員会が彼女たちにカップを用意する。

 そう、水の入った紅茶用のカップを。それは厳かな雰囲気のアンティークだが、それだけに水が入っていると違和感が大きい。

 

「実はですね、ミカさんがよく外出をされているとのことで。元から自由奔放な方ですが、最近は前にも増して……」

 

 ふう、とため息を吐く。対する彼女たちはナギサの一々が気になって、つい口をすべらせる。

 

「はい。よく外出されているのは事実です。今日も、授業にも出ずにどこかへ――」

「そうですか。ミカさんにも困ったものですね。以前にもあったことですが……ですが、最近は……なんだか……知っていることはございませんか?」

 

「え? えっと……最近……ミカ様が夜に泣いているって言う……」

「へえ? どういうことでしょうか? ミカさんが悩んでいるなどと、私も聞いたことはありませんが」

 

「なんでも、男に会いに行っている……とか? 分かりませんが、ミカ様がすすり泣きをしているって――カゲが」

「ちょっと!? 私のせいにしないでよ!」

 

「あなたは、ミカさんが泣いているのを聞いたことがあると?」

「……ええと。……はい、そうです。でも盗聴とかじゃなくて、ただ耳を澄まして――」

 

「そう……ですか」

 

 ナギサがまたため息を吐く。居たたまれなくなったのか、少女は更に先を続ける。

 

「でも……ですが! 私たちは、ナギサ様の味方です!」

「ほう。味方……ですか? あなた方が……」

 

 立ち上がり、熱く語る。言葉を話すごとにナギサの目が釣りあがっていくのに、気付きもせずに。

 

「はい! ミカ様さえ居なくなれば『ホスト』の座は永久にナギサ様のものです! あの女が弱っている今がチャンスなんです!」

「今が……チャンス、ですか……? それはどういった……?」

 

「カゲと一緒に、毎日あの女へ不幸の手紙を入れてやりました! それに色々な噂を流してやりました! あのスカした顔を歪ませてやりましょう! 今しかありません!」

「……ほう」

 

 反応がない、心なしか睨まれている気さえする。

 

「あ……あの……」

「あなたは、どうにも我が『トリニティ』の生徒としては愛が不足しているように感じます」

 

「へ……? あの……あ、愛?」

「不幸の手紙などを送り、他人を呪うことの何が楽しいのでしょうか? 愛を満たすことこそ、至上の喜びであるというのに」

 

 嘆息する。

 

「あの……ナギサ様? 不幸の手紙くらいナギサ様の下駄箱にも入ってましたが……」

「……? どういうことでしょうか。報告は受けていませんが」

 

 イチカが耳打ちする。

 

「いや、ゴミが入ってるけどどうしましょうって聞いた時、ゴミはゴミ箱へって言われたんで。毎朝聞く必要もないっすよね。不幸の手紙くらいで牢送りにしてたら正義実現委員会の牢屋に収まりきらないっす」

「――なるほど。これは、近いうちにでも生徒たちには愛のなんたるかを説く必要がありそうですね。ですが、あなた方は……」

 

 ナギサはじろりと彼女たちを睨みつける。

 

「……ひ。はいっ!」

「は……はい、何でしょうか?」

 

 少女たちは気が気ではない。目の前で最高権力者が青筋を立てているのだ。どうしてこうなった? と自問するが……一体何を間違ったのか。

 記憶をさらって見ても、心当たりが何もない。

 

「あなた方はとても、とても愛が不足しています。愛とは巡り、帰るもの。あなた方のような存在が居ては、愛がゴミ箱に落ちてくだらないものへと変わってしまう」

「うう……」

「ひ……」

 

 言っていることの意味は分からない。というか、聞いている正義実現委員会もナギサが何を言っているかは分からない。

 ただし、平たく言えば彼女たちを牢に繋いでしまえということであり、その意見には同意できる。

 

「皆さん、彼女たちを愛染学習室へ。そこで愛を学んでいただきましょう」

 

 きらーん、と音がしそうなまぶしい笑みを浮かべた。

 

「はい、承知しましたっす。では、お二方……ご案内するっす。あなたたちがこれから過ごしていくことになる教室を」

「……ひっ。私たちを閉じ込めるつもり……?」

「そんな、横暴よ! 私たちを犯罪者みたいに! ティーパーティーの権力の濫用だわ!」

 

「いえいえ、勘違いなさらないでください。私はただ、あなた方にトリニティに相応しい教養と所作を身に着けていただきたいだけですので。大丈夫ですよ、人に与えるだけの愛を学べばすぐにでも出れますから」

「……ま、その愛ってやつは私にも分かんないっすから。普通は一生出れない気がするっすけど……」

 

「……イチカさん?」

「何でもないっす。いやあ、愛は素晴らしいですねー。ほら、二人ともあまりわがまま言わないでほしいっす」

 

「こ――こうなったら!」

「や、やる? やっちゃう?」

 

 二人、手を背後に伸ばして――

 

「二人とも、お探しの品はこれっすか? ご安心ください、愛とやらを学んで教室から出られれば返却されるっす。それまでは正義実現委員会の方で大切に保管させてもらうっす」

 

「さ、最初からそのつもりで! 卑怯者!」

「そうよ! こんな汚い真似をしてるから、ティーパーティーってのは……!」

 

「まあまあ、これ以上は口を開くだけ損っすっよ。ほら、あちらをご覧くださいお客様」

 

「何よ! このティーパーティーの手先め! 正義実現委員会なんて言っても……!」

「ま、待って。銃が……」

 

 一人の少女が指で明後日の方向を指差す。その先では、正義実現委員会が銃を構えていた。暴れるようならいつでも撃てるぞ、と。

 部屋に入る前に武器は取り上げられていた。すでに詰んでいたのだ。

 

 おとなしく正義実現委員会に連れていかれる二人をナギサは見送る。

 

「……それにしても、あなたは何をやっているのですか。ミカさん、自由奔放でいつも楽しそうにしていたあなたが……今はまるで笑顔を貼り付けるように。――あなたは、自分がちゃんと笑えていないことに気付いているのでしょうか?」

 

 





 愛染学習室は適当に作りました。正義実現委員会にも牢屋はありましたが、トリニティの性質上、牢屋がここだけとは思えません。
 そう言う訳で、ナギサの所属する分派が持つ牢屋を適当に名づけたという次第です

 彼女たちの今後ですが、おそらく洗脳されるか、ずっとそこに居るかの二択になるでしょう。厄介者に対するレッテル付け、反政府主義者を拘束しておくためのものですね。たぶんガチの犯罪者は正義実現委員会の方で捕らえておくものだと思います。
 まあ、ティーパーティーの権威が失墜すればシスターフッドあたりが助けてくれるでしょう。ちなみに、名前はAIに作ってもらいました。権天使を元ネタにという呪文でミカが出てきたのは驚きました。さすがに採用する訳がないですが。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第13話 ブラックマーケットへ

 

 

 便利屋との戦いが終わって次の日。トラブルのあった次の日くらいはゆっくりしたいものだが、アビドスを取り巻く状況はそうも言ってはいられない。

 

「……お待たせしました。変動金利等を諸々適用し、利息は788万3250円ですね。全て現金でお支払いいただきました、以上となります」

 

 アヤネは早起きして利息分のお金を引き渡していた。チンピラとの抗争の上にこれではやってられないが、しかし学校を守るためには必要なことだから是非もない。

 

「カイザーローンとお取引いただき、毎度ありがとうございます。来月もよろしくお願いいたします」

 

 そして、金を受け取った銀行員は何事もなく帰って行った。まあ、モメれば銀行にもアビドスにも損しかないので変なトラブルを起こさないのは当然ではあるのだが。

 

「「……」」

 

 揃っていたアビドスの面々は厳つい現金輸送車を恨めしい表情で見送る。今月はなんとかなったとは言え、青春を犠牲にしてアビドスを守っている。やりがいはあるとはいえ、感情まで納得できはしない。

 まだ遊びたい盛りの子供だ。しかし、子供だからこそアビドスを諦めきれないというせめぎ合い。

 

「はぁ、今月も何とか乗り切ったねー」

「……完済まであとどれくらい?」

「309年返済なので……今までの分を入れると……」

「言わなくていいわよ、正確な数字で言われるとさらにストレス溜まりそう……どうせ死ぬまで完済できないんだし! 計算してもムダでしょ!」

「……」

 

 一瞬燃えかけたが、冷たい現実が冷や水をぶっかけた。

 

「ところで、カイザーローンはなぜ現金でしか受け付けないのでしょうね? わざわざ現金輸送車まで手配して……」

 

 ノノミは以前から思っていた疑念をぶつけてみる。現金よりもカード、でなくとも振り込みの方が良い。

 いくらアビドスが廃校寸前とはいえ、政治機構を司るのはこちらだ。払った払ってないの水掛け論になったらアビドスの方が有利。連邦生徒会のデータに残る振り込みなら、そんな心配は要らないはずだった。

 

「……」

 

 その横で表情のない瞳で現金輸送車を見る狼耳少女が一人。

 

「シロコ先輩、あの車は襲っちゃダメだよ」

「うん、わかってる」

「計画もしちゃダメ!」

「うん……」

 

 シロコは悲しい目になった。狼耳も叱られた犬のようにペタンと垂れている。

 

「ま、とりあえず先に解決するべきは、目の前の問題の方でしょ。とにかく教室に戻ろうー」

 

 ホシノは背伸びしてシロコの頭をポンポン撫でて慰める。

 

「おっはよー。みんな、どうしたの? 暗い顔しちゃってー」

「あ、ミカさん。今日も来たんですか?」

 

 そして、そこにミカも合流する。ほぼ毎日トリニティに通い詰めている。とはいえ、先生がアビドスと会ってから4日目のことではあるのだが。

 

「ひっどーい。私はお邪魔ものってわけ?」

「あ、い、いえ。そんなことはありません。でも、トリニティの生徒会さんがそんな連日アビドスに来ていいのかなって」

 

「ダイジョブダイジョブ。いいかな、アヤネちゃん。……権力ってのはね、濫用するためにあるんだよ」

「……ミ、ミカさん!?」

「ミカ、あまり危ない真似はやめてね。私のために来てくれるのだろうけど、それでミカにとって悪いことになってしまったら元も子もないんだから」

 

「あはは……先生ならそう言ってくれるよね。でも……先生が居ないとダメなこともあるから……」

「まだ、話してはくれないかい?」

 

 目に暗い影が宿るミカ。隠し事、闇――そういうのはホシノあたりも持っていて、一々聞き出して傷口を抉るような真似は皆しない。

 ただ、先生はそういうものを関係なしに踏み込んでくる。

 

「――ごめんなさい、先生。まだ、その時期じゃないの」

「そう。じゃあ、ミカが話してくれるのを待つことにするよ」

 

 気にしないで、と先生がミカの頭をポンポンと撫でる。

 

「うん。本当に……ごめんなさい。私が……私が、足らないばかりに」

「ミカは頑張ってるよ。私が保証する」

 

 頭を撫でられて真っ赤になるミカ。微笑ましいものを見る目で、アビドスメンバーは教室まで戻った。

 なお、先生の手をミカから引きはがそうとするシロコはホシノが止めていた。

 

 

 

「全員揃ったようなので始めます。まずは、2つの事案についてお話したいと思います。最初に、昨晩の襲撃の件です」

 

 そして、会議を始める。状況を整理するのだ、今はまだ戦うべき敵についてすら分かっていないから。

 

「私たちを襲ったのは『便利屋68』という部活です。『ゲヘナ』では、かなり危険で素行の悪い生徒たちとして知られています。便利屋とは頼まれたことは何でもこなすサービス業者で……部活のリーダーの名前はアルさん。彼女の下に3人の部員がいて、それぞれ室長、課長、平社員の肩書があるとのことです」

「いやぁー。本格的だねー」

「社長さんだったんですね。すごいです!」

 

「いえ、あくまでも自称なので……それで今はアビドスのどこかのエリアに入り込んでいるようです。今朝も会いましたし……」

「ゲヘナ学園では、起業が許可されているの?」

 

「それはないと思いますが……勝手に起業したのではないでしょうか」

「あら……校則違反ってことですね。悪い子たちには見えませんでしたが……」

 

「いえ、それが今までかなり非行の限りを尽くしたようで、ゲヘナでも問題児扱いされているようです」

 

「――」

 

 アヤネはちらりとミカを見た。とてもつまらなさそうに頬杖をついていた。これはこの話は続けない方が良いな、と思ってホシノの方を見る。

 

「……」

 

 ぶんぶん手を振って”先に進めて”と伝えていた。一つホシノに向かって頷き、息を吸い込んで、話を切り替える。

 

「そんな危険な組織が私たちの学校を狙っているのです! もっと気を引き締めないといけません!」

 

 バンと机を叩いた。

 

「次に来たら、とっ捕まえて取り調べでも何でもしてやるわよ」

「はい、機会があればぜひ……」

 

 気楽に言ってのけるセリカに、ぎらりと目を光らせるアヤネ。私怨丸出しだった。なお、今朝のことをミカに話してけしかけてやろうかと腹黒いことも考えている。……が、この様子を見るとどう爆発するか分からないので保留しておく。

 

「ところでアヤネちゃん、何かあったの? 並々ならぬ恨みを感じるんだけど……」

「……特に何も。いえ、この話は終わりました! 続きまして、セリカちゃんを襲ったヘルメット団の黒幕についてです!」

 

「先日の戦闘で手に入れた戦略兵器の破片を分析した結果……現在は取引されていない型番だということが判明しました」

「もう生産してないってこと? そんなの、どうやって手に入れたのさー」

 

「生産が中止された型番を手に入れる方法は……キヴォトスでは『ブラックマーケット』しかありません」

「ブラックマーケット……とっても危ない場所じゃないですか」

 

 そこは簡単な場所ではない。そこらでチンピラを倒したとて、その程度で自慢できるわけがない危険地帯だ。

 そこらのものかげがイキったチンピラが蔓延る影とすれば、そこは権謀術策と暴力が渦巻く闇。学校が本気を出せば駆逐できるが、それは裏を返せば敵対するためには軍隊が必要という証左でもある。

 

「そうです。あそこでは中退、休学、退学……様々な理由で学校をやめた生徒たちが集団を形成しており、連邦生徒会の許可を得ていない否認可の部活もたくさん活動していると聞きました。そして、ミカさんからも違法武器の出所は大体そこだと情報をもらいました」

 

 ちらりとミカの様子を伺う。便利屋の話をしていたときは酷くつまらなさそうな顔をしていたものだが、なんだか機嫌が直っている。

 

「うんうん、もっと私を頼ってー。と、言いたいところだけど……さすがに私も分かることは少ないんだよねえ。ブラックマーケットとトリニティは表立って関係はないし。調べるにしても、ちょっと理由がないと……先生がやれって言うなら、やるよ?」

「無理しないで。ここに来るだけでも大分苦しいでしょう?」

 

「先生に会いに行くっていうのが苦しいってことはないけど。……まあ、ちょっと大変ではあるけど」

 

 頬を染めるミカ。

 ちなみにアビドスは、”まあ先生に会いに来るためだったらなんでもするよね、ミカさん”と思っていた。聞けることは聞くが、アビドスのために無理してくれとまで言うつもりはないのだ。

 

「まあ、分かることだけで問題ありませんが……。その名前をミカさんから聞いて私も調べてみたのですが、実態が何も掴めてなくて……」

「って言うか、連邦生徒会は何やってんのよ。学校をやめた生徒たちが集まって? 違法武器が出回って? 否認可の部活もあるですって? なんで潰さないのよ、そこ」

 

「ううん……それやって一番困るのはアビドスじゃないかなあ?」

「はあ!? ちょっと、ミカさん。なんで悪者がとっちめられた結果私たちが困ることになるのよ? 話がおかしいんじゃない」

 

 立ち上がりガン、と机を叩く。気の弱い生徒なら悲鳴でも上げそうだが、そこはミカだ。セリカに気圧されることなどなく、マイペースにいつもの気楽な笑みで返す。

 まあまあ、とホシノが取りなす。

 

「うへ~、セリカちゃんは純真だねえ。潰せるのは場所であって、人じゃない。矯正局も無限に犯罪者を閉じ込めておけるわけじゃない。場所が無くなったら……まあ、その脱出先はうちを始めとする自治区が機能してないところだろうね」

「なっ……! それじゃ、対策委員会の力不足が悪いみたいじゃない。……言いたいことは分かったけど」

 

 苦笑するホシノ。セリカは納得できないとばかりにどっかと椅子に座ってそっぽを向く。

 

「まあまあ、セリカちゃん。分かってくれたなら嬉しいよ。うん、ちゃんと考えるようになっちゃってまあ」

「それどういう――

「うん、まあそういうわけで……私の親友の言葉を借りるなら、ブラックマーケットはゴミ捨て場なんだよ。普通の逮捕では対応しきれない不良生徒のたまり場にして、そこに目を付けた企業の実験場」

 

「ええ、企業の介入も確認できています。むしろブラックマーケットを支配するのは生徒よりも企業なのかもしれません。企業が統治を行う、キヴォトスでは異例の土地……」

「ま、自治区が機能してない場所だとままあることだけどね☆ で、アヤネちゃん。肝心の調査結果はどうだったの?」

 

「……調査結果は。……調査結果は、ですね?」

 

 アヤネはつつつ、と目をそらす。

 

「うんうん。せっかく私がブラックマーケットのことを教えてあげたんだから、何か分かったんだよねえ」

 

 ニヤニヤと笑ってアヤネの逸らした目を覗き込む。いじめっ子の顔だ。

 

「調査結果は……何の成果も! 得られませんでした!!」

 

 ぐぬぬ、と歯を剥きだして逆切れした。まあ、これはからかう表情を隠さないミカが悪い。

 

「ま、そりゃ分からないよねえ。あそこはちゃんとした取引をやってるわけでもなし。外から調べるのも、そりゃ限界があるよ」

 

 たはは、からかいすぎたかと頭をかく。

 

「よし、じゃあ決まりだねー。ブラックマーケットに行って調べてみよう。意外な手掛かりがあるかもしれないしね」

 

 ホシノがまとめた。

 

「おおー。それじゃ、犯罪都市へと出発だー」

「ん。……先生、私のことを頼ってくれていい。私が守る」

 

「ちょっと、シロコちゃん! 先生を守るのは私だよ!」

「……ふ」

 

「あ、鼻で笑った! ぐぎぎぎぎぎ……!」

「正妻の余裕」

 

 やっぱりシロコとミカが争っていた。

 

「あはは。あまり慕ってもらえるようなことをした覚えもないのだけどね。……ともかく、アビドス、シャーレ。ブラックマーケットに出動!」

 

 先生が苦笑して、改めて号令をかけた。

 

「「「おお!」」」

 

 みんなで、ブラックマーケットに突入する。

 

 

 





ミカ「さあ、ブラックマーケットに突撃だよ☆ 張り切って行こ―」

【挿絵表示】


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第14話 ヒフミ登場

 

 

 ミカが先頭を切って廃墟にしか見えない土地へと侵入する。そこは自治の及ばないブラックマーケット、キヴォトスの中でも異常な”闇”を体現した場所。

 

「さあ、皆。ブラックマーケットに突入だよ☆」

 

 そして、アビドス一行+ミカ+先生で突入する。電車を乗り継ぎ、更に走って中心街の外れを更に奥へと進めば、廃墟のようなそこがあった。

 まさに明と暗、文明的なビル街の向こう側と、バラック(ボロ小屋)が立ち並ぶブラックマーケットは境界がくっきり別れている。だが、そのブラックマーケットにも近代的なビルは複数存在する。サラダボウルのようなごちゃついた街。これが。

 

「ここがブラックマーケット……」

「わあ。すっごい賑わってますね?」

 

 いざ目にしてみると、感嘆するしかない。

 見れば、アビドスよりもよほど発展しているのではなかろうか。まあ死にゆく街と後ろ暗い犯罪街を比べても仕方のないことかもしれないけど。

 

「本当に。小さな市場を想像していたけど、街ひとつぐらいの規模だなんて。連邦生徒会の手が及ばないエリアが、ここまで巨大化してるとは思わなかった」

「うへ~、普段私たちはアビドスにばっかりいるからねー。学区外は結構変な場所が多いんだよ-」

 

 セリカが忌々し気に呟くと、ホシノが思うところがありそうなことを言う。

 

「ホシノ先輩、ここに来たことあるの?」

「いんや~、私も初めてだねー。でも他の学区には、へんちくりんなものがたくさんあるんだってさー。ちょーデカい水族館もあるんだって。アクアリウムっていうの! 今度行ってみたいなー。うへ、魚……お刺身……」

 

 けだるげな顔が嬉しそうにゆるんでくる。魚がよほど好きなのだろうと、まあふわふわで可愛いらしい顔である。

 ブラックマーケットには似合わないけれど。

 

「よくわかんないけど、アクアリウムってそういうのじゃないような……」

「というかホシノちゃん、そういうのとはまた別だよ。そっちはテーマパーク、こっちは犯罪都市。ゴミ箱とおもちゃ箱は、同じ箱でも違うもの」

 

〈そうです、ミカさんの言う通りです。皆さん、油断しないでください。そこは違法な武器や兵器が取引される場所です。何が起こるかわからないですよ〉

「うん、アヤネちゃんの言う通り、気を引き締めて行こう。失うものがないゴミは強いからね。……でも、私はもっと強いから安心してね、先生♡」

 

 言葉とは裏腹に先生に抱きつくミカ。まあ、いざというとき盾代わりになるためという側面は無いことも無いだろうけど。

 単純にそういうチャンスを見逃す彼女ではないということをアビドスは知っている。

 

「うん……でもね、ミカ。動きづらいから抱きつくのはやめてほしいかなって……」

「ん。先生に迷惑かけちゃダメ」

 

 そっと逆サイドの腕を取るシロコである。

 

「ねえ、なんでシロコも腕をロックしにかかるのかな?」

「そうだよ、シロコちゃんはどいて。いざと言うときに両側から引っ張ったら先生が千切れちゃうでしょ」

「ん、その通り。だからミカさんが離すべき」

 

「「んぐぐぐぐ……」」

 

 そして、先生を挟んで睨み合う。

 

「はい、そこまで。いくらブラックマーケットでも銃弾が飛び交ってる訳じゃないみたいだし、そんなボディガードは要らないよ」

「そう、ホシノの言う通り! だから先生は離してほしいなって」

 

「うへ。まあ、先生がどうしてもと言うならおじさんが抱きついて守って上げるけど」

「いやあ、今は大丈夫かなあ!」

 

 先生は冷や汗を流していた。

 

「ん……ホシノ先輩がそういうなら……」

「むぅ。まあ、ホシノちゃんが言うことも間違いではないかな……」

 

 しぶしぶ先生の腕を開放する二人。

 

「まあ、前途多難だけど――とりあえず、武器を売ってるところを探しに行こうか。あまり情報はないから、泥臭くなるのが面倒だけど、ね」

 

 それぞれ気楽に返事をして、足を進める。とにかく、今日は違法武器について調べに来たのだ。

 アビドスメンバーに更にミカまで加わるとおしゃべりの輪が広がってどうしようもなくなる。女三人寄れば姦しい、というわけでもないだろうけど。

 

 

 そして、ブラックマーケットを端から見ていくわけだけど。

 

「ねー。これ、目的のブツって見つかるぅ? そもそも武器屋も見えないんだけど!」

〈まあまあ、ミカさん。まだ30分しか歩いてませんよ〉

 

 さっそくミカがぶーぶー言い出した。

 

「うへ。30分歩いても外周をちょっと回っただけって、おじさん嫌になっちゃうよ。誰か地図持ってないー?」

「ホシノちゃん、そんなのあったらこんなに苦労してないよ。私も今すっごく欲しくなったけど」

 

「……先生、シャーレの権限でどうにかならない?」

「いやあ、皆には悪いけど流石にどうにもできないかなあ。ブラックマーケットは連邦生徒会の管轄外だし、外側からの権力ではねえ」

 

〈ううん、とりあえずいったん小休止しますか? 何かあったら私が……きゃあっ!?〉

 

 30分歩いたが、特に目ぼしいものもなく。目的のものは見つかるのかと、徒労感を感じてきたころ。

 出し抜けに悲鳴が響いてきた。

 

「銃声だ」

 

 シロコの目が鋭く光る。

 いかにブラックマーケットとはいえ、これまで銃声は聞こえてこなかった。室内や遠くならともかく、はっきりと銃弾の跳ねる音まで聞こえてきたのは侵入以降で初だ。

 

「待て!」

 

 そして、見知らぬ女の怒鳴り声。この調子の声は十中八九チンピラだ。

 

「う、うわああ! まずっ、まずいですー!! つ、ついてこないでくださいー!!」

 

 また響くが、こちらは大人しそうな声。なんというか、安心できそうな人のよさそうな声だ。思わず助けたくなってしまうくらいには。

 

「そうは行くか!」

 

 だが、彼女をチンピラが追いかける。遠目に姿が見えたが、やはりチンピラ。どこにでも湧くようなスケバンだ。

 

「あれ……あの制服は……」

 

 ノノミが逃げる彼女の制服に気付く。それは横に居るミカと同じ制服、つまりトリニティの制服だ。

 

「わわわっ、そこどいてくださいー!!」

 

 そして、必死に逃げる彼女は目の前の障害物に気を払うこともできず人にぶつかってしまう。

 

「い、いたた……ご、ごめんなさい!」

「大丈夫?」

 

 そっとシロコが聞く。回避できないはずもないが、危ないと思って受け止めた。

 

「なわけないか、追われてるみたいだし」

「そ……それが……」

 

「何だおまえらは。どけ! アタシたちはそこのトリニティの生徒に用がある」

「あ、あうう……わ、私の方は特に用はないのですけど……」

 

 そして、追いついてきたチンピラ3人。高圧的に脅しをかける。この銃が見えないのかと、揺らしてガチャリと音を鳴らした。

 

「トリニティの生徒。あなたたち、おじょ……お嬢様学校に何か用があるの?」

 

 一瞬とある人を思い浮かべて口をつぐんだシロコだが、その本人に睨みつけられてそのままセリフを続けた。

 

「そう、そしてキヴォトスで一番金を持ってる学校でもある! だから拉致って身代金をたんまり頂こうってわけさ!」

「拉致って交渉! なかなかの財テクだろう? くくくくっ」

「どうだ、おまえらも興味があるなら計画に乗るか? 身代金の分け前は……ん?」

 

 そして誘いをかけるチンピラども。人数差を考えたのか、それとも単純にノノミの持つバカでかいミニガン(機関銃)に恐れをなしたのか。

 --とはいえ、最後の三人目は気付いた。

 

「おい、てめ……」

 

 そのミニガンが、躊躇なく自分たちに向けられていると。そして逡巡の時間すらなく、強力な火力が火を噴いた。

 

「悪人は懲らしめないとです!」

「「「うぎゃあっ!」」」

 

 愛銃を持ち上げ、敵を苦も無く殲滅したノノミ。先に声をかけるような慈悲を持ち合わせないのが、まあアビドスらしいと言えばらしいのか。

 

「うん」

 

 この結果は予想済だったのか、シロコは愛銃に手をかけることもなく追われていた彼女を持ち上げて立たせてやる。

 

「あ……えっ? えっ?」

 

 そのまま周りを見渡す彼女。動かなくなったチンピラ三人が目に入る。

 

「あ、ありがとうございました。みなさんがいなかったら、学園に迷惑をかけちゃうところでした……」

 

 深々と頭を下げた。育ちの良い子らしく、礼儀が良い。

 

「それに、こっそり抜け出して来たので、何か問題を起こしたら……あうう……想像しただけでも……」

 

 そして、少し青い顔をする。実際、さっきのは危なかった。こんな場所に来なくても攫われるトリニティ生は居るのだが、彼女たちは正義実現委員会に助け出されてトラウマになった。

 

「というか……あれ? ヒフミちゃん? なんでこんなところに来たの?」

「あ、ミカさん。もしかして知り合……」

 

「ミカ様!?」

 

 ヒフミが目を剥いて叫ぶ。シロコを放って目の前に前までやってくる。

 

「な……なんでこんなところに!? ここはキヴォトスでも屈指の危険地帯、『ブラックマーケット』ですよ! 犯罪が横行するこんな場所に、トリニティ生が足を踏み入れてはいけません!」

「あははー。ま、ちょっと事情が……」

 

 ミカの肩を掴んでがっくんがっくん揺らしながら叫ぶ。

 まあ、普通のトリニティ生だったら絶対にできないことだが……ナギサの偏愛もあり、『ティーパーティー』への距離感はバグっている節もある。

 

「事情なんて関係ありません! ミカ様、もしかして面白そうだからって理由でこんな場所に来ていませんよね!? 何かあったのなら、連邦生徒会に……あの方たちで無理なら正義実現委員会を派遣するべきです!」

「ええと……ね。ヒフミちゃん、一旦胸に手を当ててみて」

 

 そっとヒフミを押し返し、真剣に問いかける。

 

「え? あ……はい」

「それで今、ヒフミちゃんが言ったことを思い返して?」

 

「はい。……間違ったことは言ってないと思いますけど。ナギサ様に知らせれば雷が落ちますよ」

 

 効果がなかったこと、あとナギサに知られた場合を想像してミカはため息を吐く。

 

「うん、ナギちゃんに言うのは勘弁してね。私のこともそうだけど……ヒフミちゃんがこんな場所に来たと知ったら卒倒しちゃうと思うし、ね」

 

 しぃ、と悪戯気に口に指を当てる。

 

「え……えと。ナギサ様に知られるのは……私も……その」

「うん、これは私とヒフミちゃんだけの秘密にしようね。それと、ヒフミちゃんはなんでブラックマーケットに来たのかな? 私は強いけど、ヒフミちゃんは弱いからチンピラがたくさんかかってきたら負けちゃうでしょ? さっきも、たったの3人相手に逃げてたのに」

 

「あ……あはは……それはですね……実は、探し物がありまして」

「探し物。……それって、お金で解決できないもの?」

 

「もう販売されていないので買うこともできないものなのですが、ブラックマーケットではひそかに取引されているらしくて……」

「販売されてない……」

 

 んー、と考えるミカを横目にアビドスメンバーが好き勝手言い出す。

 

「もしかして……戦車?」

「もしくは違法な火器?」

「化学兵器とかですか?」

 

 とんでもない野次を言い出した。ヒフミは違います違いますと首を左右にぶんぶん振る。

 

「えっ!? い、いいえ、違うんです! ……えっとですね、ペロロ様の限定グッズなんです」

「ペロ……え、限定? 何?」

 

 ミカの頭をハテナが占める。ヒフミとは、ナギサの知り合いということで会ったことがあるが友達の友達という関係でしかない。しかも、そういった可愛い系は専門外である。

 

「はい! これです。ペロロ様とアイス屋さんがコラボした、限定のぬいぐるみ!」

 

 そしてヒフミが自満気な表情で、変な鳥のバッグから、小さくて変な鳥のぬいぐるみを取り出した。

 それは手のひらサイズの、口にアイスクリームを突っ込まれたにわとりだった。おぼれて白目を剥いているようにしか見えないそれは、ミカにはお世辞にも可愛いとは思えなかった。

 

「限定生産で100体しか作られていないグッズなんですよ。ね? 可愛いでしょう?」

「……」

 

 そういうもの? とミカは後ろの面々に無言で問いかけるが、帰ってきたのは沈黙だった。とりあえず自分がおかしいわけではないらしいと知って安心する。

 

「わあ。モモフレンズですね! 私も大好きです! ペロロちゃん可愛いですよねえ! 私はミスター・ニコライが好きなんです」

 

 だが、ノノミだけが反応する。

 

「分かります! ニコライさんも哲学的なところがカッコよくて。最近出たニコライさんの本『善悪の彼方』も買いましたよ! それも初版で!」

 

 ノノミと二人でよくわからないことを早口でしゃべりだした。オタクというものは同類が見つかると嬉しいものなのかな、とミカは一歩引いた。

 

「……いやぁー何の話だか、おじさんにはさっぱりだなー」

「ホシノ先輩はこういうファンシー系にはまったく興味ないでしょ」

「ふむ、最近の若いやつにはついていけん」

「歳の差、ほぼないじゃん……」

 

 そして、アビドスメンバーも横目で呆れたように見ながら雑談する。

 

「というわけで、グッズを買いに来たのですが、先ほどの人たちに絡まれて……みなさんがいなかったら今頃どうなっていたことやら。本当にありがとうございました」

 

 ヒフミが話を切り上げて、改めてお礼を言った。

 

「……ところで、ミカ様とアビドスのみなさんは、なぜこちらへ? あの、ミカ様は帰られた方が……」

「あはは。私も同じようなものだよ、探し物があってきたの」

 

「そう。今は生産されていなくて手に入れにくいものなんだけど、ここにあるって話を聞いて」

 

 シロコが口の端に笑みを浮かべながら引き継いだ。

 

「そうなんですか、似たような感じなんですね。ミカ様をどうこうしようとする方々でないらしくて安心しましたが、あの……どうしてミカ様はアビドスと?」

「ふふ……これはやんごとない事情があるんだよ。ヒフミちゃん。そう、これは語るも涙、聞くも涙な――」

 

〈皆さん、大変です! ミカさんの与太話を聞いてる場合ではありません! 四方から武装した人たちが向かってきています!〉

 

「嘘ぉっ!?」

「ミカさんのが与太話なのも、敵も本当! 迎撃準備! いつものフォーメーションで!」

 

 ホシノが前に出た。同時にミカが先生を連れて後ろに下がる。

 もはや慣れたものである。アビドスが縦横無尽に暴れつつ、ミカは先生を守るポジションにつく。先生の指示があるからこそ活きるコンビネーションだ。

 

「あいつらだ!!」

「よくもやってくれたな! 痛い目に合わせてやるぜ!」

 

 そして走ってきた敵が見えてくる。先ほどのような突発戦ではない。敵は数をそろえて、こちらを潰すつもりで来ている。

 先のが喧嘩ならば、これは戦争だ。アビドスでもあった、などとは言ってはいけない。あれはあれで普通に戦争レベルだ。今回も。

 

〈先ほど撃退したチンピラの仲間のようです! 完全に敵対モードです!〉

「ん。望むところ」

「まったく、なんでこんなのばかり絡んでくるんだろうね? 私達、何か悪いことした?」

 

 無表情な顔でやる気満々なシロコと、馬鹿の相手は疲れるよと言わんばかりのミカ。まさに歴戦と言った感じで風格が出ている。

 

「ん。ミカさんは学校をサボってる」

「シロコちゃんだって授業を受けてないくせに!」

 

「……本当に良い点取ってるか、疑問」

「言ったね。後でテストの点を見せてあげる、吠え面かかせてあげるから!」

〈シロコちゃん、ミカさん。敵に集中してください〉

 

 わちゃわちゃとしゃべる彼女たち。だが、そのポジションに乱れはない。連携具合に不足はない、ごちゃごちゃとただ走ってくるチンピラどもとは大違い。

 

〈愚痴は後にして……応戦しましょう、皆さん!〉

 

 そして、戦争が始まる。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第15話 ブラックマーケット内の抗争

 

 

 アビドス襲撃の黒幕を探るため、違法武器の情報を探りにブラックマーケットに来ていた一行は偶然からヒフミと出会った。

 彼女を人質に身代金を強請ろうとしたチンピラを撃退したのはいいものの、今度は仲間を引き連れてお礼回りにやってきた。

 

「あいつらだ!!」

「よくもやってくれたな! 痛い目に合わせてやるぜ!」

 

 先の遭遇戦と違い、敵の数は見えるだけでも10人以上。しかも、後続が居ることは間違いない。

 ゆえに本格的な戦闘になる。

 不安の顔を隠せないヒフミ。けれど好戦的な笑みを浮かべて銃を構えるアビドスメンバーと、そして不敵に見守る姿勢のミカ。

 

「さあ、みんな――行くよ!」

 

 まずはホシノが飛び出す。アビドスメンバーの絆は固い、連携は流々と一個の生物のように。無謬の連携が、衝突の圧力を増大させる。

 

〈3時方向の敵を撃って〉

「了解!」

 

 そして、後方でミカに守られた先生が指示を出す。

 

「ッぎゃんっ!」

 

 そのチンピラは一撃で沈んだ。油断があればそこから刈り取られる、撃たれる覚悟がなければ人は案外脆いものだ。

 そして、一番前が倒れたことで敵に動揺が走り、ひと時手に持った銃を撃つことを忘れさせる。その一瞬の動揺こそが値千金。

 

「てめ……!」

「くたばれェっ!」

 

 そして、数瞬の後にホシノに銃弾が放たれるが――

 

「ととっ。痛たたっ! セリカちゃん、シロコちゃーん」

 

 撃たれる覚悟さえあれば、一撃で沈みなどしない。更に言えばホシノの役割はタンク、そういう役割なのだからちょっとやそっとで倒せない。

 

「こっちにも敵が居るって忘れるんじゃないわよ!」

「ん。隙だらけ」

 

 そして、二人の銃撃に晒されて一人二人と沈んでいく。一発二発で倒せなくても、何発も打ち込めば倒せるのは互いに同じ。

 それはホシノも同じことだが、ヘイトを稼いだ後はすぐにものかげに隠れている。それで防御しきれるわけではないが、当たる数が減れば十分耐えられる。

 

「ぐぐぐ……! てめえら、硬いチビは無視してあっちの二人を沈めろ!」

「ああ!」

「やってやらあ!」

 

 だが、策と練度の不足は数で補うのがチンピラである。倒れた仲間を踏み越えて、セリカとシロコにしゃにむに撃ちまくる。

 

「おっとと、おじさんを忘れてもらっちゃ困るねー」

 

 横から銃撃が走る。いくら覚悟を決めた気になろうと横から撃てば脆いもの。なにせ、このチンピラに連携などないのだから。

 

「ちぃ……! とにかく、一人でも潰せ!」

 

 だが、それを無視してセリカとシロコを狙うチンピラたち。まだ数の上ではチンピラどもが上なのだ。

 

「そして、増援はまだ居るんだよぉ!」

 

 また、敵の増援が届いた。4人倒せて、増援は10人……敵は合計で16人。これだけの数が居れば、いくら硬かろうと適当に撃ちまくるだけでホシノすらも倒せる。

 --撃てたなら、の話だが。

 

〈うん、待ってたよ。ノノミ、お願い〉

「はい! 全弾はっしゃー!」

 

 そのタイミングでノノミのミニガンが火を噴いた。火薬の音が連続する。凄まじいまでの撃音と煙、まさに制圧兵器だ。火力が違う。

 

「ぐわあっ!」

「ぎゃああっ!」

 

 吹き飛んでいくチンピラたち。到着のタイミングを狙われた。プロではないのだ、前の方で圧力をかけていたホシノ、セリカ、シロコの三人以外のことは頭から飛んでいる。そして、そこを補うブレインも居ない。

 

「ぐぐぐ……! だが、まだだ!」

 

 だが、立ち上がろうとする。チンピラを張っているだけあって、さすがに根性がある。一斉射では倒し切れなかったのだ。

 

「でも、次がなければ意味がない。終わりだよ」

 

 チンピラは自分に突き付けられた銃口を見る。ノノミの一斉射のタイミングで隠れ、そして終わる瞬間を見切って突進していた。

 

「ま、待て! こうさ――」

「おやすみ」

 

 ホシノは容赦なく意識を刈り取った。

 

「セリカちゃん、シロコちゃん。残りは?」

「ん。始末した」

「こっちにも意識が残ってる奴はいないわ! 縛っておく?」

 

「んー、それは……」

 

 銃撃の音が響く。かなり遠くから撃たれたらしく、有効打ではない。だが。

 

「増援を片づけてからかなー?」

「まったく、数ばかり多くて嫌になるわね!」

「……数、多すぎるかも」

 

 目の前には20人以上が走ってくる光景があった。第3陣のご到着だ。

 

 

 そして、第3陣が来る前の第2陣を壊滅する少し前に。

 

「じゃ、私たちはここで先生を守ろうかな。まあ、指示はくれると思うけどヒフミちゃんは敵が来たら撃っておけば良いから」

 

 ものかげあたりに先生と隠れる。建物の中に避難することはしない、建物ごと攻撃されるのが怖いし身動きも取れなくなる。

 射線が通りにくい場所で警戒しておく方が逆に安全だ。

 

「あの、ミカ様? その……近くないですか? 先生と」

「え? だって、先生は外の人なんだよ。銃弾の一発で致命傷なんだから、ちゃんと守ってあげなきゃ」

 

 ミカがぎゅっと先生に抱きつく。ボディガードというか、むしろ盾代わりのつもりなのかもしれないが。

 

「いやいや、男の人に抱きつくなんてはしたないですよ。あの、あまりに奔放じゃ……それとも、先生とミカ様はそういうご関係で……?」

「違うからね!」

「……うん、違うの……先生は生徒みんなに優しいから……」

 

 その答えを聞いて意気消沈するミカ。うわあ、と見てはいけないものを見てしまった気になるヒフミ。

 

「ええ!? それじゃ……ええと……え!?」

「集中してよ、ヒフミちゃん。今は戦闘中だよ、私たちは万が一にでも先生を失うわけにはいかないの」

 

「あ……はい! 分かりました!」

 

 銃を構え、敵の方を見る。が……

 

「あれ? 先生、なんかしゃべってましたけど……もうチンピラさんは誰一人起き上がってこないですね。みなさん、さすがです!」

「ううん、ヒフミちゃん。まだ来るよ――向こう!」

 

 そして、銃撃が連続する音。第3陣の到着だった。

 

「うええ!? これ、さすがにアビドスさんたちもマズくないでしょうか!」

「うん、こっちがやられるとは思わないけど、こんな風に撃ちながら突撃されたら結構なダメージを貰っちゃう。……ここは、私も前に行こうかな。――先生?」

 

 第3陣、突撃思考は相変わらずだが、こうされると不意を突いての先制ができない。正攻法で、それだけに破りにくい戦法だ。

 

「いや、ここはヒフミにお願いしようかな」

「……はいっ!? 私に――ですか?」

 

「何かないかな? あの子たちの注意をそらせれば、ホシノとノノミが何とかしてくれるから」

「注意を……逸らす。……分かりました!」

 

 たたた、と走っていく。

 

「えっ!? ヒフミちゃん、何しに来たの?」

「増援なら、ミカさんの方が……」

〈みんな、ヒフミが彼女たちの注意を逸らしてくれる。その隙に突撃してくれるかな〉

 

 走ってきたヒフミに驚くが、先生の声を聞いて納得する。

 

「ここで皆さんのお役に立つには、ペロロ様に縋るしかありません。ペロロ様はみんなを助けてくれる……!」

 

 決意を決めた様子のヒフミがバッグを手に取り、チンピラ達に向かい――

 

「なんか怖いこと言ってる!」

「いやあ、信仰の自由ってやつ? おじさんにはちょっと分からないかなー」

 

 野次を無視し、ヒフミは手を組み、祈りを捧げ……

 

「さあ、ペロロ様の――え? あれ? どこぉ?」

 

 バッグを開けて、探り出す。見つからないのか、慌てて中身を適当に投げている。その様子に、アビドスは不安が頭を横切る。

 

「ちょっと、何かやるなら早くしてよ! 敵が来てるってば!」

「ええと……これは……先生?」

 

 そして、やっと見つけ――円盤を投げる。

 

「ペロロ様! お願いします!」

 

 そして転ぶ。勢いあまって、ずざざと音がしそうな転び具合。スカートの中身まで見えそうな――

 

「ミカ、パ……戦闘が見えない!」

「ヒフミちゃん、早く隠して!」

 

「きゃああっ!」

 

 転んだまま、バっとめくれたスカートを押さえた。

 その先では白目をむいて舌を突き出した鳥人形が踊り狂っていた。チンピラ達はいきなり出てきたそれに驚いて銃を撃つ。

 

「よし、キモいのが出てそっちを攻撃してるわ! 今のうちにぶっ潰してやる!」

「中々特殊な奇跡の発現具合だねー。あのぬいぐるみ? 映像? が実体化してるよー。ま、気を取られている今が攻撃をしかけるチャンスだねー」

 

 中々に使えるものが出て、逆に驚いた。敵の隙を付けるなら上出来、容赦なく攻撃体勢に入る。

 

「ユニット起動、ターゲット設定完了……!」

 

 シロコが先にドローンで攻撃を仕掛ける。

 

「獲物は譲らないわ、よ!」

「お、シロコちゃんがお先か。まけてられないねー」

 

 ペロロに気を取られ、そちらに攻撃してしまうチンピラ達はアビドスの攻撃に対応できない。

 これでは何人居ようが、人の壁にしかならない。一枚一枚剝がされていく。

 

「くそ! キモ人形にかまうな! あいつらをやれ!」

「おお!」

「相手はたったの3人だ!」

 

 反撃を開始する、がもはや勢いは失った。ここから逆転しようにも……

 

「ち! 痛かったじゃねえか!」

「なんか目が虚ろだし、舌垂らしてるし目を離したら呪われそうなんだけど!」

 

 出現の際の衝撃波を食らったメンバーはまだペロロ人形に向かって攻撃を続けている。目の前のそれに気を取られて、仲間がやられていくのにすら気付いていない。

 

「はん! あんたたちが厄介だったのは、まともな撃ち合いだとこっちにもケガ人が出るからよ! 突撃の勢いを止められたチンピラなんて怖くも何ともないわ!」

「うんうん、後はこうやって消耗を抑えながら一人づつ始末していけばいいだけの話だねー」

 

「くっそ! ただでやられるものか! お前ら、最後に根性見せろ! 行くぞぉ!」

 

 そして、せめて刺し違えようと特攻を選ぶ彼女たちだが。

 

「残念、あなたたちは一人忘れてる。勢いを止められた時点であなたたちは終わり、あとは仕上げのために調整するだけ」

「はい! では、再びのお仕置きの時間ですよー」

 

 突撃した3人の後ろ、4人目のノノミがミニガンを構えていた。先生が、この一撃を通すために敵を削るための指示を出していた。

 --反撃の術は、もはやない。ミカのように食らいながら反撃できたならばともかく、倒れても意識を失わずに銃を構えなおそうとする程度なら。

 

「無駄だよ」

 

 先生が先読みして、銃の狙いを定める前に意識を断つ。いとも簡単に、敵の大軍を倒してしまった。

 

「――先生」

 

 ホシノが注意を呼びかける。真っ先に気付いたのが一番前に出ていたホシノだった。

 

〈敵の増援がとうちゃ……え? 後退しています! だけど、このままでは……〉

 

 第4陣、だが状況を見ると踵を返して逃げていった。第3陣が交戦しているところに援軍としてやってきたのだろうが、その第3陣が先に壊滅させられていた。

 だが、チンピラがこのままで引き下がるはずもなく。

 

「仲間を呼ぶつもり? いくらでも相手してあげる」

 

 セリカがパシンと拳を打ち付ける。まだ消耗は少ない。いくらでも来いと好戦的な笑みを浮かべた。

 

「ま、待ってください! それ以上戦っちゃダメです!」

 

 やっと起き上がったヒフミがストップをかける。

 

〈おや、どうしてかな? あの程度はいくら来ても相手にならないけど〉

 

 後方で先生を守っているミカが通信で話に参加する。

 

「ミ、ミカ様……あまり学園外で騒ぎを起こすようなことは……。特に、ブラックマーケットで騒ぎを起こしたら、ここを管理している治安機関に見つかってしまうかもしれません! あうう……そうなったら本当に大ごとです……まずはこの場から離れて……ミカ様だけは見つからないように……」

 

〈ふむ……わかった。ここのことはヒフミちゃんのほうが詳しいだろうから、従おう。そういうことでいいよね、先生?〉

〈うん、ここは引いておこう。この戦いに、あまり意味はないしね〉

 

「ちぇっ、運のいいやつらめ!」

 

 セリカが舌打ちする。

 

「こっちです!」

 

 ヒフミが走って皆を先導する。なお、先生は遅いのでミカが背負った。

 

「ここまで来れば大丈夫でしょう」

 

 適当な広場まで走ってきた。

 

「ねえ、ヒフミちゃんさ。ここを危険な場所だって思ってるんだよね??」

「えっ? と、当然ですよ、ミカ様。連邦生徒会の手が及ばない場所の一つですから。ブラックマーケットだけでも、学園数個分の規模に匹敵しますし、決して無視はできないかと……」

 

 ちらちらとミカの上を見ながらヒフミが答える。ミカはまだ先生を下ろしてなかったから、そのたびに目が合う。

 

「それに様々な『企業』が、この場所で違法な事柄を巡って利権争いをしていると聞きました。それだけじゃありません。ここ専用の金融機関や治安機関があるほどですから……」

 

 メチャクチャ気になるが、アビドスメンバーを見ると特にこれを気にしている様子はない。なぜかシロコはミカに掴みかかって片手で止められていたけど。

 

「銀行や警察があるってこと……!? そ、それってもちろん、認可されていない違法な団体だよね!?」

「え……? あ、はい……そうです」

 

 許せない、みたいに言っているが目の前の異様な光景には何も思っていなさそうなセリカにヒフミは戦慄を覚えた。

 

「スケールが桁違いですね」

「中でも特に治安機関は、とにかく避けるのが一番です……騒ぎを起こしたら、まずは身を潜めるべきです……」

 

 これが普通なのかな? え? 本当に? と頭の中でハテナが舞い踊るが、こわいので言及はできなかった。

 

「ふ~ん。ヒフミちゃん、ここのことに意外と詳しいんだねー」

 

 未だに先生を背負い、シロコを片手で止めている異様な恰好のミカが怪しい笑みを浮かべている。

 

「あうっ! えっ? ええっ! そ、そうですか? 危険な場所なので、事前調査をしっかりしたせいでしょうか……」

 

「よし、決めたー」

 

 そして、ミカとアイコンタクトを交わし、同じように怪しい笑みを浮かべたホシノ。ミカとホシノに見つめられ、戸惑うしかないヒフミ。

 

「……?」

 

「助けてあげたお礼にー」

「私たちの探し物が手に入るまで一緒に行動してもらうねー♪」

 

「え? ええっ? えええっ!?」

 

 助けを求めるように、他のメンバーを見るが。

 

「わあ、いいアイデアですね!」

「ま、気楽に考えてよ。案内をお願いしたいだけだからさ。もちろん、ヒフミさんが良ければ、だけど」

 

 助けは来なかった。

 

「あ、あうう……そうですね。ミカ様を放っておくわけにはいかないですし」

 

 ジト目でミカを見つめる。なお、ミカはその視線の意味を理解していないのでため息を吐く。そして、未だに先生を背に乗せているのは何なのだと。

 

「私なんかでお役に立てるか分かりませんが……アビドスのみなさんにはお世話になりましたし、喜んで引き受けます」

 

 気を取り直すように拳を握り締め、やる気を出す。

 

「うんうん、じゃあこのまま行こっか☆」

「……ミカさんは、いい加減に先生を下ろすべき……!」

「そうだね、そろそろ下ろしてくれると……」

 

「先生がそう言うなら……」

 

 しぶしぶ下ろした。

 

「あの……ヒフミちゃん? ああいうのって、トリニティでは普通だったり?」

 

 セリカが恐る恐る聞いてくる。

 

「いいえ! 違いますからね! ミカ様はトリニティでも奔放な方なんです。普通なのは私みたいな平凡な人のことを言うんです……」

「あ……そうなんだ……」

 

 そしてヒフミの聞こえないところでひそひそ話をする。

 

「あの人形を実体化させるって相当よね……?」

「うん、とんでもない偏愛が必要になるはずー。うへ、ヒフミちゃんも普通の良い子に見えたけど『トリニティ』ってことかー」

 

 幸か不幸か、ヒフミには聞こえていなかった。

 

「……? はい、そうなんです」

 

 誤解が生まれた瞬間だった。

 

 





 本当にそうだったらハナコは幸せだったでしょうね。解釈違いに限定グッズ奪い合いとかで赤冬以上に治安が悪化しそうですが。

 感想頂けると嬉しいです!




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第16話 出勤! 覆面水着団

 

 

 そして、チンピラを退けた一行は元々の目的、違法武器の情報を求めてブラックマーケットをさ迷っていた。

 武器屋を調べて、情報はないと聞いて次へ。今度は、その違法武器が珍しいものと分かるだけの情報が出たため手ごたえはある。見つけさえすれば情報はたどれると、張り切って探すものの。

 

「ねえー、飽きたー。情報どこー?」

 

 真っ先にミカが不満を漏らす。

 

「はあ……しんど」

「もう数時間は歩きましたよね……」

 

 さすがに見つからなすぎた。こうも歩くと、やる気以前に普通に疲れてくる。アビドスメンバーはハードワークはいつものことだし、ヒフミもペロロを探し求めて数時間歩くのはザラなのでどうこうなることもないが。

 

「これはさすがに、おじさんも参っちゃうなー]

「えっ……ホシノさんはおいくつなのですか……?」

 

 ホシノがだはあ、とため息を吐く。あまりにも年寄り臭いその姿にヒフミは目を剥いた。

 

「ほぼ同年代っ!」

 

 すぱーん、とセリカが突っ込みを入れる。

 

「あら! あそこにたい焼き屋さんが!」

「え? たい焼き? いいねいいね、ちょっと休憩しようよ! 甘いもの♪ 甘いもの♪」

 

 ノノミがちょうどよく見つけた。それを聞くと、即座にミカが騒ぎ出す。

 

「あそこでちょっと一休みしましょうか? たい焼き、私がご馳走します!」

「えっ!? ノノミ先輩、またカード使うの!?」

「先生の『大人のカード』もあるよ~」

 

「ううん、私が食べたいからいいんですよ。皆で食べましょう、ねっ?」

「あ、ああ、あの。私とミカ様の分は、私が出しましょうか?」

 

「いえいえ、ヒフミちゃんもここで待っててください。案内してくれたお礼なので、遠慮しないでください」

 

「そうそう、遠慮することないよ。ノノミちゃん、お金持ちなんだから」

「ミカ様……少しは遠慮を……」

 

「じゃ、行ってきますねー」

 

 そして、まいど、とたっぷりと焼きたてのたい焼きを持って帰ってくる。

 さすがに何時間も歩いているとお腹が空いてくる。大歓迎で受け取り、それぞれたい焼きをほおばった。

 

「いやー、ありがとねー。はむ、うん、おいしい! 安ものだけど、空腹が最大の調味料ってね」

「ミカ様、そんな言い方は……。あ、ありがとうございます。おいしいです」

 

 なぜかヒフミがミカの世話係みたいになっている。

 

「おいしい!」

「いやぁ、ちょうど甘いモノが欲しかったところだったんだー」

「あはは……いただきます」

「ん……先生も」

「いただきます」

 

 アビドスはアビドスで先生と一緒にパクついている。今回はシロコが先生へあーんしている。

 

「アヤネちゃんには、戻ったらちゃんとご馳走しますね。私達だけでごめんなさい」

〈あはは。大丈夫ですよ、ノノミ先輩。私はここでお菓子とかつまんでますし〉

 

 おしゃべりしながら、たい焼きを食べるのどかな時間が流れた。違法武器が溢れ、チンピラがどこにでも居るブラックマーケットとは思えないゆるふわな時間。

 皆がたい焼きに舌包みを打ち、落ち着いた雰囲気になるとヒフミが切り出す。

 

「ここまで情報がないなんてありえません……妙ですね。お探しの戦車の情報……絶対どこかにあるはずなのに、探しても探しても出てきません……」

「やっぱり異常かな? この広いブラックマーケットで、あれを売った店を特定するとなると……まあ元から大変だったと思うけどね」

 

 先生が先を促す。

 

「販売ルート、保管記録……どこかで繋がってるはずなんです。仕入れなどがありますから、お店を1軒1軒調べる必要はない。……すべて何者かが意図的に隠しているような、そんな気がします」

「隠している……それは気軽にできるものかな?」

 

「いくらここを牛耳ってる企業でも、ここまで徹底してブラックマーケットを統制することは不可能なはずですね……」

「そんなに異常かな? 秘密主義の企業は割とあると思うけど」

 

「異常というよりかは……ふつうここまでやりますか? という感じですね……。ここに集まってる企業は、ある意味開き直って悪さをしていますから、逆に変に隠したりしないんです」

「え? 隠さなくていいの?」

 

「例えば、あそこのビル。あれがブラックマーケットに名をはせる闇銀行です」

「……闇銀行?」

 

「ブラックマーケットで最も大きな銀行の一つです。聞いた話だと、キヴォトスで行われる犯罪の15%の盗品があそこに流されているそうです……横領、強盗、誘拐などなど、様々な犯罪によって獲得した財貨が、違法な武器や兵器に変えられてまた別の犯罪に使われる……そんな悪循環が続いているのです」

「大変だね」

 

「そんなの、銀行が犯罪をあおっているようなものじゃない!」

 

 セリカが憤懣やるかたないと言った様子で口を挟む。

 

「その通りです。まさに銀行も犯罪組織なのです」

 

 その答えにセリカは絶句する。

 

「ひどい! 連邦生徒会は一体何やってんの!?」

「理由はいろいろあるんだろうけどねー、どこもそれなりの事情があるだろうからさ」

「ま、あいつらに頼ろうってのが元々の間違いかもね。それに、後ろ暗い事ってのはどこにでもあるものだよ」

 

「現実は、思った以上に汚れてるんだよね……アビドスばかりに気を取られすぎて、外のことをあまりにも知らなさ過ぎたかも……。おじさんが、もう少し」

 

 ホシノが暗い顔をする。

 

〈お取込み中失礼します! そちらに武装した集団が接近中!〉

「「「!!」」」

 

 全員が警戒して銃を手に取る。

 

〈気付かれた様子はありませんが……まずは身を潜めた方が良いと思います……〉

「そうだね。あそこらへんのものかげが良さそうかな……」

 

 そして、見つからないように隠れる一行。潜みながら、やってくる集団を見る。車両とそれを囲む歩兵たち。――チンピラとはレベルが違う。

 

「う、うわあっ!? あれは、マーケットガードです!」

 

 ヒフミが小声で叫ぶという微妙な技を披露する。

 

「マ-ケットガードって?」

「先ほどお話しした、ここの治安機関でも最上位の組織です! 急いでここを離れましょう!」

 

「ちょおっと待ってくれないかな、ヒフミちゃん。おじさん、なんだかあれに見覚えがあるんだよなー」

「ええと……パトロールですかね? 何かを護衛しているようですが……」

 

「トラックを護送してる……現金輸送車だよ。あれを守ってるんだ」

「え……現金輸送車に見覚えが? あれ……あっちの方向は……闇銀行の方ですね?」

 

「あ! あ! 見てください……あの人!」

「うん? どうしたの、セリカちゃん。あの人……? あ、あれ!? あいつは毎月うちに来て利息を受け取ってた、あの銀行員!」

 

「えっ!? ええっ……?」

 

 目まぐるしい会話にヒフミはついていけない。

 

「ううん……どゆこと?」

 

 こっくり首をかしげてミカが聞く。

 

〈ほ、本当ですね! 車もカイザーローンのものです! 今日の午前内に、利息を支払ったときのあの車と同じようですが……なぜ、それがブラックマーケットに……!?〉

 

 解説半分、驚き半分で、アヤネが言う。

 

「か、カイザーローンですか!?」

「ヒフミちゃん、知ってるのー?」

 

「カイザーローンと言えば……かの有名なカイザーコーポレーションが運営する高利金融業者です……」

「うへ。有名な……? そこって、マズいところなのー?」

 

「あ、いえ……カイザーグループ自体は犯罪を起こしてはいません……しかし合法と違法の間のグレーゾーンで上手く振舞っている多角化企業で……カイザーは私達トリニティの区画にもかなり進出しているのですが、生徒たちへの悪影響を考慮し『ティーパーティー』でも目を光らせてます」

「『ティーパーティー』……え、でもトリニティの生徒会と言っても……それは、その、ミカさんの……」

 

「はい、ミカ様もティーパーティーの一番偉い人の一人です。あ、なんですかその顔は。言いたいことは分かりますが、本当に偉い人なんですよ! それにナギサ様はきちんと色々な仕事を……」

「――ヒフミちゃん? 私だって、ちゃんとお仕事はやってるんだけどな……?」

 

「ひ……ひゃい! と、ところで皆さんの借金とはもしかして……アビドスはカイザーローンから融資を……?」

「借りたのは私達じゃないんですけどね……」

「話すと長くなるんだよねー。アヤネちゃん、さっき入ってった現金輸送車の走行ルート、調べられる?」

 

〈少々お待ちください。……。……ダメですね。全てのデータをオフラインで管理しているようです。全然ヒットしません〉

「だろうねー」

「ま、そりゃそう」

 

「そういえば、いつも返済は現金だけでしたよね。それはつまり……」

「私たちが支払った現金が、ブラックマーケットの闇銀行に流れていた……?」

 

「じゃあ何? 私たちはブラックマーケットに、犯罪資金を提供してたってこと!?」

 

 セリカは忌々しそうに地団太を踏んだ。

 

「「「……」」」

 

 誰もがその憤りには答えられず、走っていく現金輸送車を恨みの籠った視線で見送る。

 

〈ま、まだそうハッキリとは……証拠も足りませんし。あの輸送車の動線を把握するまでは……〉

 

 一応、アヤネが注意を促しておく。

 

「うん、みんな落ち着いて。疑いが濃厚でも、確定じゃない。確定されてない以上、慎重に動かないとこっちが犯罪者になってしまうからね」

「ううむ。先生の言うことはもっともだけど、このまま見逃す理由にはならないよねー。さてさて、どうしたらいいのかな……」

 

「あ! さっきサインしてた集金確認の書類……それを見れば証拠になりませんか?」

 

 ヒフミが良い考えを思い浮かべた、みたいな感じでぽんと手を叩いた。

 

「さすが」

「おお、そりゃナイスアイデアだねー、ヒフミちゃん」

「うんうん、さすがはナギちゃんと仲が良いだけあるね。それに大した度胸だよ☆」

 

 けらけらとあくどい笑みを浮かべるお三方。だが、ヒフミは苦笑する。

 

「あはは……でも考えてみたら、書類はもう銀行の中ですし……無理ですね。ブラックマーケットでも最も強固なセキュリティを誇る銀行の中となると……それにあれだけの数のマーケットガードが目を光らせてますし」

 

 苦笑して、しかし三人の顔を見て悪い予感を覚えた。

 

「それ以外に輸送車の集金ルートを確認する方法は……ええっと……うーん……」

 

 悪い予感がして何かないと探るか、悲しいかな。大した考えは出てこない。

 

「うん、他に方法はないよ」

「そうそう、ヒフミちゃんのアイデアで行こう!」

 

 にっこりと笑ったミカとホシノ。

 

「えっ?」

 

 嫌な予感が止まらなくて他のメンバーに助けを求めるが。

 

「ホシノ先輩、ここは例の方法しか」

「あっはっは、あれか。あれなんだよねえー」

「ふふ、例のあれだよ」

 

 当てになりそうもない様子だ。

 

「ええっ? えっ? あの……何か……すごい悪だくみが……」

 

 どんどん不安になってくる。何をさせられてしまうのだろうか。

 

「あ……!! そうですね、あの方法なら!」

「何? どういうこと? ……まさか、あれ? まさか、私が思ってるあの方法じゃないよね?」

 

 そして、残りの二人もその方法に思い当たったようだ。その反応は、ヒフミに更なる悪い予感を感じさせるものでしかないのだが。

 

「……」

「う、嘘っ!? 本気で!?」

 

「……あ、あのう。全然話が見えないんですけど……”あの方法”って何ですか?」

 

 びくびくと、怯えながら聞いてみる。

 

「残された方法はたったひとつ」

 

 シロコはさっと覆面を被った。お手製のそれは、執念すら感じさせる出来である。

 

「――銀行を襲う」

 

 言い切った。

 

「はいっ!?」

 

 目を剥く。嫌な予感は止まらなかったけど、いざ聞いてしまうと予想の斜め上のとんでもない手段だった。

 

「だよねー、そういう展開になるよねー」

「あはは、銀行強盗なんて始めてだなー」

 

「はいいいっ!!??」

 

 白目を剥いて気絶したくなった。

 

「わあ。そしたら悪い銀行をやっつけるとしましょう!」

「はあ……マジで? マジなんだよね……?」

「ふぅ……それなら……とことんまでやるしかないか!!」

〈……。……はあ、了解です。こうなったら止めても聞く耳持たないでしょうし……どうにかなる、はず……〉

 

 覆面をかぶっていないメンバーまで、続々と覆面を被りだした。

 

「えええっ!!?? ちょ、ちょっと待ってください!」

 

 こうなってはもう慌てふためくしかない。

 

「あ、うあ……? あわわ……?」

 

 止めようと、しかしわたわたと手を動かして……口から出てくるのは言葉にならない声だ。

 

「ねえ、ヒフミちゃん。言い出したのはヒフミちゃんなんだから、覚悟を決めるしかないよ☆」

 

 悪戯気に舌を出すミカ。

 

「ミ……ミカ様!? そんな……バレたらどうするんですか? トリニティの威信に傷がついてしまいますよ! お願いだから、自分の立場を分かってくださいぃ」

「にゃはは。相手は悪い人だから大丈夫だよー。先生の指示だしねー」

 

「ごめん、ヒフミ。あなたの分の覆面は準備が無い」

「うへー、ってことは、バレたら全部トリニティのせいだって言うしかないねー」

 

「ええっ!? そ、そんな……覆面……何で……えっと、だから……あ、あう……」

 

 目を白黒させてバッグの中身をごそごそ探り出す。まあ、覆面なんてものがあるはずがないのだが。

 

「それでは可哀そうすぎます。ヒフミちゃん、とりあえずこれでもどうぞ」

「たい焼きの紙袋? おお! それなら大丈夫そうー!」

 

「え? ちょ、ちょっと待ってください、みなさん……」

 

 慌てふためいているうちに、ノノミに紙袋をかぶせられてしまった。

 

「あ、あうう……あうう……」

「ん……ここをこうして。はい、番号も振りました。ヒフミちゃんは5番です」

 

 そして、被っている紙袋にマジックで番号を書かれてしまう。どんどん後戻りできなくなっていく。

 

「見た目はラスボス級じゃない? 悪の根源だねー、親分だねー」

 

「わ、私もご一緒するんですか? 闇銀行の襲撃に……?」

「さっき約束したじゃーん? ヒフミちゃん、今日は私達と一緒に行動するって」

 

「う、うああ……わ、私、もう生徒会の人たちに合わせる顔がありません……」

「大丈夫! 私も居るよ!」

 

「ミカ様が一緒なのが一番心配なんですぅー!」

 

 あはは、と笑いが起こる。

 

「それじゃあ先生。例のセリフを」

 

 シロコが先生を促す。

 

「銀行を襲うよ!」

 

 先生が宙に拳を突き出し、皆が拳を振り上げた。

 

〈ふぅ……では、覆面水着団。出撃しましょうか!〉

 

 モニターの向こうで0の覆面を被ったアヤネが宣言した。

 

「あ、ところでミカさんはどうするのー?」

「私は隠れて動くよ。覆面もないしね。先生の護衛は必要だし、そういう役どころが一人居た方がいいでしょ」

 

「うへ。おっけ。ま、おじさんはシロコちゃんを補佐してればいっか。一番銀行強盗を分かってるのが彼女だしね。顔を見られないようにね」

「当然☆ 私を誰だと思ってるの?」

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第17話 銀行強盗

 

 

 そして、一行は客の振りをして銀行内部へ入り込む。扉を蹴破ったりはしない、事前に人通りの途絶えたタイミングを狙ったとはいえ、外から見て異常が分かると騒ぎが起こる。

 強盗は手早く、騒ぎは最小限にというのが鉄則だ。無駄な時間の1秒が正否を分けることは皆が知っている。

 

「……」

「……」

 

 寡黙に敵の位置を確認しながら位置に着く。外のミカから合図が来たのを確認して用意する。そのとたん、ぶつんと音がして……

 

「な、何事ですか? 停電!?」

「い、一体だれが!? パソコンの電源も落ちてるじゃないか!」

 

 停電に誰もが慌てふためく。そこから覆面を被り、姿を偽装して――即座に敵の殲滅を目指して確認していた方向に銃口を向ける。

 薄明りを元に微修正して、ためらいもなく撃ち放つ。

 

「うわっ! ああああっ!」

「うわああっ!」

 

 マーケットガードは抵抗もできずに銃撃に倒れた。暗視装置を持っていたとしても、着ける前に倒されてしまえば意味はない。

 停電した時点で敵襲を覚悟しなければ、こんな風にあっけなくやられるのみだ。実のところ、アビドスを傭兵の視点で見ればこれほど練度の高い部隊はない。

 

「銃声っ!? なっ、何が起きて……うああっ!」

 

 悲鳴が上がる。銀行に居た陸八魔アルの目の前で、明かりがついた。覆面水着団が、その姿を現したのだ。

 客と店員が頼るべきマーケットガードは地に沈んでいる。護衛だったはずの彼らは、しかし何の役にも立ちはしない。

 

「全員その場に伏せなさい! 持っている武器はすべて捨てて!」

「言うこと聞かないと、痛い目にあいますよー」

 

 顔を覆面で隠したセリカとノノミはぐるりと銃口を四方に向けながら威嚇する。

 

「あ、あはは……みなさん、ケガしちゃいけないので……伏せてくださいね……」

 

 そして、ヒフミが申し訳なさそうにしながら、やっぱり銃口は客側に向けられている。良い警官、悪い警官の心理術ではないだろうが……大人しくしておいた方が良さそうだと客は床に伏せ始める。

 こういう場合、悪戯に連射してくるから撃ったり逃げたりした方が正解という場合も多い。無抵抗で撃たれるくらいなら、一か八かに賭けるところだった。それを未然に防いだのはさすがヒフミの人徳というべきか。

 一方で、銀行の人間はというと。

 

「ぎ、銀行強盗!?」

「非常事態発生! 非常事態発生!」

 

 驚くアルの眼前で、銀行審査官が恨みと警報の声を上げている。ブラックマーケットで銀行を襲撃するなどとんでもないことだ。

 そして、これが成功すればマズいのは審査官たちである。具体的には出世どころか職がなくなるのだ。

 いつもは威勢が良いのにこういうときだけ大人しい客たちを口汚く罵りながらも、緊急ボタンを殴り壊す勢いで連打する。

 

「うへ~無駄無駄ー。外部に通報される警備システムの電源は落としちゃったからねー」

「ひ、ひいっ!」

 

 だが、目の前の銃の恐ろしさには敵わない。そもそもキヴォトスで”未来”を考えることのできる大人がどれだけいるか。

 彼も、全てを投げ出して地に伏せる。銀行強盗の成功を許せば、後でどんな目に会うかなど考える余裕もなく。

 

「ほら、そこ!! 伏せてってば! 下手に動くとあの世行きだよ!?」

「みなさん、お願いだからジッとしててください……あうう……」

 

 そして、全員がそんなだから制圧に成功する。決死で歯向かう気概があれば、もしくは後で死ぬような目に合うのだからと勇気を振り絞るような頭脳があれば違ったかもしれないが。

 結局はそこらへんに居る”大人たち”のレベルなど、この程度。綿密な下準備があれば銀行強盗でも成功するのだ。……なお、計画を用意したのはシロコだが。

 

「うへ~。ここまでは計画通り! 次のステップに進もうー! リーダーのファウストさん! 指示を願う!」

 

 ガシャンとわざと大きくストックの音を響かせて、威圧するように声を張り上げた。

 

「えっ⁉ えっ!? ファウストって、わ、私ですか? リーダーですか? 私が!?」

「リーダーです! ボスです! ちなみに私は……覆面水着団のクリスティーナだお♧」

「うわ、何それ! いつから覆面水着団なんて名前になったの!? それにダサすぎだし!」

 

 とたんにわちゃわちゃしだしていつもの空気感になる。なんだこれは、とヒフミが紙袋の奥でジト目を向ける。

 

「……」

「うへ、ファウストさんは怒ると怖いんだよー? 言うこと聞かないと怒られるぞー?」

 

 はあ、とため息をつく。

 

「あう……リーダーになっちゃいました……これじゃあ、ティーパーティーの名の泥を塗る羽目に……いえ……止められなかったのがそもそもの……」

 

 肩を落とすヒフミに、好機と思ったのか一人の銀行員が銃を向けて。

 

〈ヒフミちゃん、今は集中して〉

 

 通信でミカの声が届くと、同時にカウンターごと爆散した。あまりの威力の前に木っ端みじんである。

 その有様でも手加減はしたのか、銃を手に取った彼だけはぼろぼろの状態で生きたまま転がっているけど。

 

「ひぃぃっ! 今のはどこから?」

「はい、振り向かなーい。撃たれたいー?」

 

 そちらの方向を見ようとする銀行員をホシノが威圧して黙らせる。

 

「監視カメラの死角、警備員の動線、銀行内の構造、すべて頭に入ってる。無駄な抵抗はしないこと」

 

 そして、シロコが選んだ一人に銃を突き付ける。銀行強盗の下準備として人間観察の目を磨いた。

 臆病で反撃しないやつ、札を入れる隙に発信器を入れることなど考えもつかないようなビビリをターゲットにするのだ。

 

「さあ、そこのあなた、このバッグに入れて。少し前に到着した現金輸送車の……」

「わっ、分かりました! なんでも差し上げます! 現金でも、債権でも、金塊でも、いくらでも持ってってくださいっ!」

 

 ただ、ビビリすぎた。銃に怯えて、それが札か債権かも分からずに渡したバッグに適当に詰めて行く。止める隙もない。

 

「そ、そうじゃなくて……集金記録を……」

「どっ、どうぞ! これでもかと詰めました! どうか命だけは!!!」

 

 言われて、近くにあった集金記録も詰める。

 

「あ……う、うーん……」

 

 これでいいのかな、と少し疑問には思う。とはいえ、目的のものは手に入ったはずと……長居できないからと躊躇うが。

 

「あの、シロ……い、いや、ブルー先輩! ブツは手に入った?」

「あ、う、うん。確保した」

 

 声がかかってはしょうがない。とにかく、目的は達成したのだ。1秒でも早くこの場を離れることが成功のカギというのはシロコが一番わかっている。

 

「それじゃ逃げるよー! 全員撤収!」

「アディオ~ス♧」

「け、ケガ人はいないようですし……すみませんでした、さよならっ!!」

 

 そして、全員が素早く退いて行く。

 

「や、やつらを捕らえろ!! 道路を封鎖!! マーケットガードに通報だ! ……一人も逃すな!」

 

 そして、全員の姿が見えなくなったことを確認すると怒鳴って復讐の炎を燃やしているのは管理職の銀行員だ。

 がらがらと音を立てて崩れていく今後の出世を考えないようにしつつ、恨みを晴らそうと暴走する。

 

「こうなれば……最後の手段だ。轢き潰してやるぞ、小娘どもが! ブラックマーケット最大の銀行、その秘密兵器を見るがいい!」

 

 それは巨大な戦闘ロボット、両手にガトリングガンを構えた殺戮機械である。

 キヴォトス人ならではの頑丈さを考えれば殺すまではいかないにしても、チンピラを壊滅させるだけなら簡単なほどの――強力な兵器だ。

 

「ふぅん☆ こんなおもちゃまで用意してたんだね。ブラックマーケットってのは」

〈ミカ、無理はしないでね〉

 

 だが、それも予想済だ。そんなものを隠せる場所など、先生なら見れば分かる。そして、企業が頼るのはいつだって強力な兵器だった。

 先生はここで初めて彼ら(企業)を相手にしたわけではない。だからやり口など簡単に想像が付いた。

 

「何を言ってるのかな、先生。私が結構強いってことは分かってくれたと思うんだけどなあ」

〈ミカが強いことと、心配しないことは別だよ。君は私の大事な生徒だから〉

 

「先生♡ うん、できるだけ怪我しないように――手早く片付けるから待っててね」

〈いいや、いつも通りに一緒に戦おう〉

 

 巨大なガトリング砲を前に、ミカはSMGを構える。あのような巨大な兵器に比べれば、そんなものは爪楊枝にも見えてしまうが……

 

「――」

 

 モノ言わぬ殺りく兵器は目の前のものに敵意を向ける。邪魔をする者は全て壊し尽くす最終兵器だ。

 目の前のちっぽけな少女に照準を向けた。

 

「あは。神秘も通らない、でかいだけの兵器で私に勝てるとは思わないでね」

〈ミカ、来るよ。避けて、3,2,1――〉

 

「今っ!」

 

 ガトリングが火を吹くが、そこには既にミカはいない。一般的なチンピラならともかく、ミカがタイミングも読み切った上での行動は機械では追いきれない。

 

「――」

 

 だが、兵器に動揺などない。ターゲットが消えたのなら探す。プログラム通りに目の前の全てを薙ぎ払いながら、移動したミカに照準を合わせようとして。

 

〈撃ちながら振り向くと危ないと、教えてあげよう〉

「あは、デク人形なんてこの程度ね。誘爆して吹き飛んじゃえ☆」

 

 ガトリング砲に銃弾を叩き込む。フレームは歪み、それでも撃とうとするものだから弾が詰まって破裂する。

 ……数秒後、本体に格納された弾薬にまで火が点いた。

 

「あは。たーまやー☆」

〈汚い花火だ。ミカも早く戻っておいで〉

 

 原形もとどめず爆散していく最終兵器。無事だった銀行まで残骸が降り注いで破壊されていく。

 

「はーい」

 

 そして爆炎を背に走り出すミカ。みんなと合流する。

 

「はひー、息苦しい。もう脱いでいいよね?」

「のんびりしてらんないよー、急げ急げ。追手がすぐ来るだろうからー」

「できるだけ早く離れないと……まもなく道路が封鎖されるはずです……」

「ご心配なく。万全の準備を整えておきましたから♧」

「ミカさんも来た。こっち、急いで」

 

 シロコはきりっとした表情を浮かべているようだが覆面をまだ取っていない。

 

「あの、シロコ先輩……覆面脱がないの? 邪魔じゃない?」

「天職を感じちゃったって言うか、もう魂の一部みたいなものになっちゃって、脱ぎたくないんじゃなーい?」

「シロコ先輩はアビドスに来て正解だわ……他の学校だったら、ものすごい事をやらかしてたかも……」

「そ、そうかな……」

 

 やっと脱いだ。狼耳をぺたんと垂らして不満そうだ。

 

〈封鎖地点を突破。この先は安全です〉

 

 そして、もう少し走ることいくらか。安全地帯までたどり着いた。

 

「あは。本当に銀行強盗しちゃったよ、私たち」

「シロコちゃん、集金記録の書類はちゃんと持ってるよね?」

 

「う、うん……バッグの中に」

 

 おずおずとシロコはバッグを差し出す。ホシノはこの態度を不審に思いながら中身を確認する。

 

「……へ? なんじゃこりゃ!? カバンの中に……札束が……!?」

「ち、違う……目当ての書類はちゃんとある。このお金は、銀行の人が勝手に勘違いして入れただけで……」

 

「どれどれ……うへ、軽く1億はあるね。本当に5分で1億稼いじゃったよー」

「あはは、すごいねー。これでアビドスの借金も一息付けるんじゃない??」

 

「んむ……それはそうなんだけど……シロコちゃんはどう思う?」

「自分の意見を述べるまでもない、ホシノ先輩が反対するだろうから」

 

「おや? シロコちゃん、それってどういうこと? というか、ホシノちゃんも反対するなら始めから自分で言ってよ……」

「あはは、それもそうかも。でも、さすがはシロコちゃん。私のこと、わかってるねー。私たちに必要なのは書類だけ。お金じゃない。今回のは悪人の犯罪資金だからいいとして、次はどうする? その次は?」

 

「……どうすればいいんだろうね、ヒフミちゃん?」

「ええ!? いきなり振らないでくださいよ、ミカ様! でも……犯罪者を襲うなら別にいいんじゃないですか。犯罪者を倒すのは良いことですし」

 

「あは。それもそうかも。でも、こんな方法に慣れちゃうと……ゆくゆくは、きっと平気で同じことをするようになるよ。相手が犯罪者かどうかも確かめもせずに」

 

「それは……そうかもしれませんね。ホシノさんのおっしゃっていることは多分……正しいです。でも……関係ない私だって、もったいないって思いますけど」

「けれど、この先またピンチになった時……仕方ないよねとか言いながら、やっちゃいけないことに手を出すと思う。そんなことになるくらいなら、こんなお金は要らないんだ」

 

「ん、前に先輩が言っていたことだったね。覚えてるよ」

「うへ~、このおじさんとしては、カワイイ後輩がそうなっちゃうのはイヤだからさー。そうやって学校を守ったって、何の意味があるのさ」

 

 ため息を吐く。ヒフミはそんなものかと納得半分とまどい半分だった。

 

「こんな方法を使うくらいなら、最初からノノミちゃんが持ってる凛然と輝くゴールドカードに頼ってたはず―」

 

「ノノミさん……に? 何とかできる方法が……」

「ヒフミちゃん、そのことは前に私が話したから……いいんだよ」

 

 少し重い雰囲気になる。これは解決できない類の問題だ。そもそも、それだけ解決したところで元の精強だったアビドスは帰ってこないのだ。

 砂漠化が回復するなんて奇跡、どこにもないのだから。

 

「うへ。そういうこと。だから、このバッグは置いてくよ。頂くのは必要な書類だけね。これは委員長としての命令だよー」

 

 そういって締めた。

 

「あは……仕方ないですよね。このバッグは、私が適当に処分します」

「うん、お願いねノノミちゃん」

 

〈待ってください、何者かが接近しています〉

 

 アヤネの緊迫した声が届く。

 

「……!! 追手のマーケットガード!?」

〈い、いえ。敵意はない様子です〉

 

 シロコが陰に向かって銃撃しようとするのをアヤネが止める。

 

「はあ、ふう……ま、待って!!」

 

 来たのは見覚えのある少女、陸八魔アル。ミカからは極寒の視線が突き刺さるが気にしていないようだ。

 

「お、落ち着いて。私は敵じゃないから……」

 

 ぜいぜいと息を整えながら話を続ける。

 

「あ、あの……大したことじゃないんだけど。銀行の襲撃、見せてもらったわ……ブラックマーケットの銀行をものの5分で攻略して見事に撤収……あなたたち、稀に見るアウトローっぷりだったわ」

 

「正直、凄く衝撃的だったというか、このご時世にあんな大胆なことができるなんて……感動的というか。わ、私も頑張るわ! 法律や規則に縛られない、本当の意味での自由な魂! そんなアウトローになりたいから!」

 

「そ、そういうことだから……な、名前を教えて! その、組織っていうか、チーム名とかあるでしょ? 正式な名称じゃなくていいから……私が今日の雄姿を心に深く刻んでおけるように!!」

 

 まるでヒーローショーを前にした子供だ。数人は絶対零度の視線で見つめているが、先生はわかるわかると頷いていた。

 ミカは、見ていられないのか姿を消していた。

 

「はいっ! おっしゃることは、よーくわかりましたっ!」

 

 そして、温かい視線筆頭のノノミがアルの手を取る。

 

「私たちは、人呼んで……覆面水着団!」

「覆面水着団!? や、ヤバい……! 超クール!! カッコ良すぎるわ!!」

 

「うへ~本来スクール水着に覆面が正装なんだけどね、ちょっと緊急だったもんで、今日は覆面だけなんだー」

「そうなんです! 普段はアイドルとして活動してて、夜になると悪人を倒す正義の怪盗に変身するんです! そして私はクリスティーナだお♧」

 

 悪ノリするホシノに、ノノミも更にヒートアップする。

 

「だ、だお♧……!? きゃ、キャラも立ってる……!?」

 

 そして、アルも興奮して頬も紅潮する。観客としては申し分ないだろう。

 

「うへ、目には目を、歯には歯を。無慈悲に、孤高に、我が道のごとく魔境を行く。これが私らのモットーだよ!!」

「な。なんですってー!!」

 

「それじゃあこの辺で。アディオス~」

「行こう! 夕日に向かって!」

〈夕日、まだですけど……〉

 

 アヤネの呆れた声は誰にも届かない。

 

「よし! 我が道のごとく魔境を……その言葉、魂に刻むわ! 私も頑張る!」

 

 アルのきらきらとした目に見送られながら、みんなで走った。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第18話 ヒフミとの友情

 

 そして、途中で変なトラブルがあったものの、無事にアビドスにまで帰ってこれた。アビドス組と先生が深刻な顔を突き合わせる中、ミカとヒフミは少し離れた場所で会話する。

 片方はアビドスとしての大事な話、そしてもう片方はトリニティとしての大事な話だ。ちょうどよい、なんてふざけたことも言えないけれど。

 

「やーん、皆から見えないところまで連れてきて何のつもり? もしかして私、告白されちゃうのかなー。やー、困っちゃうなぁ」

「あはは……ミカ様、それは冗談のつもりですか?」

 

 ヒフミはジト目でミカのことを見つめる。頬を膨らませて怒ってますよとアピールするが、ナギサでなくてもまあ可愛いだけである。

 

「ううん……冗談が通じない。ヒフミちゃんはナギちゃんのお相手だもんね、告白するならそっちだったよね……」

「ナギサ様とは仲良くさせてもらっていますが、そういう関係ではないですよ……」

 

 どこまで冗談を言う気ですか、と肩を落とす。

 

「あ、そうだ。私のことはミカでいいし、ナギちゃんのこともナギサちゃんって呼んでいいよ? 私が許してあげる」

「ミカ様に許されても……それに、一応は先輩ですし呼び捨てもちょっと……」

 

 がーん、とわざとらしく落ち込んで見せるミカにヒフミは苦笑を返す。こういうのはコミカルだ、元々がお調子者な性格もあるのだろう。

 

「酷いなあ、ヒフミちゃん。ま、それはいいや。――私とお話ししたかったんでしょ。用件は、まあ想像はつくけど、何かな?」

「……はい。ミカ様にちゃんと聞いておかないといけないと思って」

 

「うん」

 

 真剣な顔をしているヒフミに、これ以上はからかえないかなと真顔になる。

 彼女は時折酷く落ち込んだ洒落にならない様子を見せる。偉い人には色々あるのかと、少し心配になってしまうほどに。

 とはいえ、言うことは言わないとミカのためにならないから。

 

「ミカ様は、何のためにアビドスに来たんですか? それは、ミカ様でなければ駄目なことですか?」

「……あは。ううん、私じゃなきゃダメってことも、ないかなあ。でも、ほら――ヒフミちゃんだって、その……ペロ……? なんとかのアイテムを手に入れる時に、他の人に任せたりしないでしょ?」

 

 少し悩んで、しかし真剣に言葉を返す。からかっている雰囲気はない。

 

「ペロロ様です! モモフレンズのマスコットキャラクター、その中でも主役なんですよ! 見てください、この凛々しいお目々と立派なお舌を! どうですか、魅力的ではありませんか!?」

「いやあ……魅力的……ううん……魅力。ちょっと私には分からない魅力かなあって。ナギちゃんは気に入ってるの? それ」

 

 ミカは真剣に話そうと思った直後にこれで、本気で戸惑った顔になった。

 

「……うう。ナギサ様にもペロロ様の魅力は分かっていただけなくて……こんなにかわいらしいお顔をしているのに、なぜ?」

「えと……ヒフミちゃん、話を本題に戻してもらっていいかな」

 

「あ、そうでした。ミカ様がアビドスに来て色々やってるという話でした。危ないのでやめてください」

「あうっ! 話を戻したら直球で来ちゃった。でも……それもねえ。ちょっと言いたくないけど、あまり任せられるような人も居なくてさ」

 

「――先生のことを放っておけませんか?」

「な、なんのことでしょうか?」

 

 ミカはそっぽを向く。その顔は真っ赤になっていた。

 

「ミカ様、口調が変わってますよ。あれで隠してるつもりがあったんですか? まあ、キヴォトスでは教師と生徒の恋愛は禁止されていませんけど……でも、危ないですよ。私みたいな一般人と違って、ミカ様には立場があるんですから」

「ううん……ヒフミちゃんが一般人かどうかはともかく反論できない……うう。どうしよ。生徒会長が先生に惹かれて、って――うん、本当は駄目なことだしね」

 

 ミカはため息を吐く。

 他の、ゲヘナみたいな生徒会が生徒会をしていないところだったら問題なかったかもしれない。

 これは単純に、政治的な話。男に入れ込んで政治を放り出してしまうのは駄目だろう。それに、傍から見ればそんな奴は自治区をも傾けかねない愚者だ。その末路は男もろともに排除されるのがお決まりである。

 ヒフミはそこまで分かっていないだろうけど、なんとなくは予想がついているから言っている。

 

「分かってるなら……」

「でもね、ヒフミちゃん。先生を失うわけにはいかないの。先生を失ったら、ティーパーティーに未来はない。ナギサちゃんも、セイアちゃんも……ううん、キヴォトスそのものが危なくなる」

 

「は……? えええ!? い、いや……ミカ様、なんでそんなことに!? 確かに先生はすごい人でしたが、そんなすごいことなんて……」

「あはは。先生一人の力じゃないよ、皆で頑張って、みたいな話。でも、必要な要素の一つなんだ。だから、私は先生を守るの。連邦生徒会の役目かもしれないけど、あいつらじゃ何もできないし……ごめんね、こんなことしか言えなくて。……でも、本当のことなの。……信じて、って言っても私なんて信用ならないかな……」

 

 ミカは耐えきれなくなって目をそらす。魔女と呼ばれ、石を投げられた。そんな自分の言葉など、誰にも届かないと思っているのだ。

 ヒフミの目を見れないのも怖いからだ。非難する目など見たら立ち上がれなくなってしまう。

 

「いえ、信じます」

「……え?」

 

 手に温かさを感じた。ヒフミが、震える手を握りしめた。

 

「私にはミカ様のことも、先生のことも分かりません。でも、ミカ様が頑張っていることは分かります。誰かのためにそんなに必死になって……。始めはミカ様は自由奔放だから、何も考えてないのかと思ってました。けれど、全てを覚悟して、必死に頑張ってたんですね」

「……ヒフミちゃん。……私、怒っていいのか感動すればいいのか分からないよ。でも、本当に信じちゃっていいの? 私、けっこう悪い子だよ? ヒフミちゃんのこと、騙そうとしているのかもしれないよ」

 

「ミカ様は良い人です。友達のために頑張る人が悪い人なわけがありません。私は平凡で、何の力もないかもしれませんが、それでもミカ様のためにできることがあるなら何でもします。だから、そんな悲しそうな顔をしないで」

「――ヒフミ、ちゃん。私……私は……!」

 

 ぽろぽろと涙が流れる。その言葉だけで救われた気になったから。

 

「はい、ちゃんと聞きますから……」

「うう……じゃあ、私のことをミカちゃんって……呼んでくれる?」

 

「はい、ミカちゃん」

「……じゃあ、ナギちゃんのこともナギサちゃんって」

 

「はい」

「このまま、手を握っていてもいい?」

 

「もちろんです、ミカちゃん」

「……あうう」

 

 暖かさに縋りつくように、手を握りしめた。

 

 

 そして、少し経つと。

 

「ええと……ミカさん達の方も話は終わったかなー?」

 

 実は泣き声が聞こえて気まずかったホシノ。まあ、悪いことにはなってないようだから突っ込む気もないが。

 

「あはは、ごめんね。お待たせしちゃって。そっちの方も結論が出た?」

 

 ミカがいつものお気楽な笑顔を顔に貼り付けて対応する。もっとも、その右手はずっとヒフミの手を握っていたけれど。

 

「うん。じゃ、説明するね。……アヤネちゃんが」

「はい! って、私がですか!? ホシノ先輩がやればいいじゃないですか」

 

「うへ。おじさんはしゃべりすぎて喉が枯れちゃってね。アヤネちゃんの美声を聞かせてよ」

「枯れてませんし、面倒なことを押し付けただけでしょうに。……私の方から説明します。先生も、間違っていることがあったらおっしゃってください」

 

「まず、借金返済の利子としてアビドスが納めた現金ですが……これはカタカタヘルメット団に任務補助金として渡されていました」

「おやまあ、それってチンピラの背後に居たのはカイザーローンってことじゃん」

 

 けらけらと笑ういつもの調子のミカだ。なお、実際にその通りなので怒れないアヤネはぐぬぬと怒りに顔を歪ませている。

 

「はい、そうなります。しかしチンピラの襲撃によって学校が破産したら、貸し付けたお金が回収できません。よって、銀行単独の仕業じゃなさそうだという見解が出ました。カイザーコーポレーション本社の息がかかってる可能性が考えられます」

 

「そうだね。現状としてはカイザーコーポレーションが、何らかの理由でアビドスを潰したがってる、としか分かっていない」

 

 先生が情報をまとめた。

 

「ふぅん、先生にも企業がアビドスを狙う理由はわからない?」

「うん。みんなに聞いたけど、アビドスに特別なものは何も無いって言うし」

 

「企業の自由にできる自治区が欲しい……なんてことも、別にアビドスじゃなくてもいいわけだしね。崩壊間近の自治区で、もっと与しやすい場所は他にもある。そっちに手を出した方が簡単で、ここにこだわる理由にならないね」

 

 分からないね、とミカと先生の間で話す。あわよくばミカなら、という期待はアビドスも先生も持っていたが、なしのつぶてだ。

 まあ、未来の記憶を持っていても何もかも知っているわけではないのだ。細かいこと、他にもトリニティ以外のことなど、とんと分からない。

 

「まあねー。そういうわけで、黒幕の正体は見当がついたけど目的がさっぱりってわけ。もっと何か手段があればなー」

 

 あーあ、とホシノが天を仰ぐ。

 

「では、私がその報告書をティーパーティーに上げます! まだ詳しいことは明らかになっていませんが……これはカイザーコーポレーションが、犯罪者や反社会勢力と何かしら関連があるという事実上の証拠になりえるので! それと、アビドスさんの現在の状況についても……」

「ヒフミちゃん? ティーパーティーというか、私はもう知ってるけど……」

 

 意気揚々のヒフミに、ミカが苦笑でつっこんだ。

 

「あうあう。でも、これは証拠じゃないですか? これがあれば連邦生徒会に知らせて取り締まってもらうことや、それが無理でも調べるくらいは……」

「うん、ヒフミちゃんは純真でよい子だねー。でも世の中、そんなに甘くないからさ。ミカさんとしては好意でやってくれても、『トリニティ』という学校としてそれだけでは済まないこともある」

「そうだね。私が動くにも理由は要るし、連邦生徒会に知らせてもねー。どうせあいつらカイザーコーポレーションから賄賂もらってるよ。もらってなくても、寄付金とかあるし税金とかまで言及すると……」

 

「あうう……政治って難しいです。連邦生徒会も、正義の味方じゃ無くて行政機関でしかないってことでしょうか……」

「でも……みなさん、悲観的に考えすぎなのではないでしょうか? 連邦生徒会も、ちゃんと仕事してくれるかもしれませんし……」

 

 ノノミがヒフミに助け舟を出した。どちらかというと、助け舟というよりヒフミのような考え方をしているということだが。

 

「うへ~私は他人の行為を素直に受け取れない、汚れたおじさんになっちゃってねー。”万が一”ってことをスルーしたから、アビドスはこの有様になっちゃったんだよー」

「いや、連邦生徒会が動くのはないよ。絶対ない」

 

 3年コンビが実感の籠ったセリフで論破した。これは本当に経験論なので、反論する隙もない。

 空気が凍った。

 

「……。では……えっと……。本当に……一日でいろんな出来事がありましたね」

 

 冷や汗を一筋垂らしながらもアヤネが強引に話題を変える。

 

「そうだね、すごく楽しかった」

 

 きらきらとした笑顔を浮かべているシロコ。狼耳は機嫌良さげにピコピコと揺れっぱなしだった。

 

「あ、あはははは……私も楽しかったです」

 

 苦笑するヒフミ。けれど、その裏には充実感があった。

 

「いやぁー、ファウストちゃん。お世話になったね」

「そ、その呼び方はやめてください」

 

「よっ、覆面水着団のリーダーちゃん! ファウスト様!」

「ミカちゃんまでやめてください!」

 

「と、とにかく……これからも大変だと思いますが、頑張ってくださいね。応援してます。それでは……みなさん、またお会いしましょう。ミカちゃん、私たちは帰りましょう」

「ん……みんな、お疲れさま。明日改めて集まろう」

 

「解散~」

 

 そして、ヒフミとミカは手をつないでトリニティへと帰っていく。

 

 





 ミカの精神が回復した? 逆に考えるんだ、ここで回復しなければ折れていたくらい削れていたんだと。 
 ナギちゃんもミカのことを考えて色々してましたが、本人には全く伝わってないですからね。面白おかしく噂してる人を二人ばかりブタ箱に入れても焼け石に水という……




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第19話 思い出の品

 

 

 優雅な建物が立ち並ぶお嬢様学校(トリニティ)。そこは広大な敷地には美しい庭園が広がり、花々の香りが漂う艶やかな花園だ。

 白亜の建物は優雅な装飾で飾られ、豪華なシャンデリアが輝きを放つ。生徒たちは美しい制服に身を包み、上品な笑顔を浮かべて歩く。

 教室では知識の探求が行われ、ピアノの音色が響き渡る音楽室では才能が開花する。学食では美味しい料理が供され、賑やかなおしゃべりが交わされる。生徒たちは教養やエチケットを学び、将来への夢を抱きながら日々を過ごす。お嬢様学校は知性と品位が重んじられ、女性たちが成長し、社会で輝くための基盤が築かれる場所である。

 

 の、だが――

 

 表もあれば裏もある。たしかにトリニティは外部からは”そのように”認識されている、キヴォトスの中でも屈指のお嬢様学校だと。

 だが、きらびやかなイメージなど見せかけだけで、中身の方は……

 

「――」

 

 ミカがコツコツと靴音を立てて歩いて行く。最近は学区外に行っているが、トリニティで授業を受けることもある。それに仕事もあるから戻らない訳にはいかない。

 だから、こうして皆の前に姿を見せることもある。本当はずっと先生のところに居たいが、仕方がないのだ。

 

「――くすくす。なに、あれ?」

「アレだけがみすぼらしいのね。ミカ様もなんてものを身に着けているのかしら」

 

 嘲笑のさざめきが広がる。ミカの背中の後に広がる優雅な翼――キヴォトスの中では珍しくはない。ヘイロー(光輪)は学生なら持っている。そして、翼以外にも猫耳だったり狼耳だったりが生えている生徒も居る。

 ミカのそれ()は、中でももっともきらびやかなものの一つだ。その純白の羽は神々しささえ感じられ……そう、天使の翼などは神輿にするにはこの上ないだろう。

 その、荘厳な翼を汚すもの。美しく飾り立てられたアクセサリーの数々に、ゴミが混ざっている。

 --いや、ゴミというのは言い過ぎだろう。いかにも子供っぽい、安物のプラスチックのそれが一つだけミカの翼に付いている。どれだけ美しいものであろうと、一つゴミが混ざってしまえば……

 

「子供の玩具? まさか、ティーパーティーともあろうものが、お金がない……なんてわけはないわよねえ」

「恥ずかしくなっちゃうわよね。あんなもの付けるくらいなら、裸の方がよほどマシというもの」

 

 けらけらと嗤い合う少女たち。お嬢様が優雅に紅茶を飲んでいるようなイメージのトリニティ、しかし権力に近いところにまで潜り込めばこの有様だった。

 他人を貶し、貶めて満足感を得る。誰かを蹴落とすことでしか団結できない。ただただ誰かの足を引っ張ることだけを延々と続けていて……

 

「――」

 

 ミカは聞こえているのにも関わらず、無言で足を進める。先生と一緒に居るにも、ただ我儘ばかりではいけない。手順をこなして、仕事を終わらせなければ彼の下へは行けない。全てを捨てて、などするには遅すぎた。

 嘲りの声にもただ耐えて、茨の道を進む。その果てに、親友が助かることを願って。

 

「……ミカさん?」

 

 そして、会いたくない顔に会った。ナギサ――助けたいと思った親友。今も生きていてくれることに安心する。でも、騙しているのだから今は会うのが辛い。

 彼女にも翼は生えている。アクセサリーで飾る必要なんてないくらい立派で、綺麗な白い翼が。

 

「……ナギちゃん。おはよう、じゃあね」

 

 ミカは一言だけ残して立ち去ろうとする。ナギサは向こうから歩いてきた。なら、目的地は別なのだから立ち止まって話す必要もない。

 

「――ミカさん。もしかして体の具合が悪いのですか?」

「なに? そんなことないよ。私、忙しいから後にして……」

 

 そんな心配そうな顔をしないでほしい、と思う。私にはそんな資格はないのだから、と顔を逸らす。彼女の表情を見てられない。

 

「いえ、あなたが軽口の一つも叩かないなんて、そんなこと。……本当に体調は大丈夫ですか? 保健室に……」

「心配なんて要らない。放っておいて」

 

 彼女の横を通り抜けようとして――

 

「おや? ミカさん、そのアクセサリーは」

「……ッ!」

 

 ミカは思わず”それ”を手で隠す。

 

「ああ、それですね。ナギサ様。まったくみすぼらしいアクセサリー! それを買うような人など、お里が知れますわよねえ」

「ええ、トリニティの生徒会長ともあろう者がみっともない。あんなもの、すぐに捨ててしまうべきです!」

 

 くすくすと嗤いながら見ていた生徒が指を差す。今声を上げた彼女たちはナギサの派閥に属する者だった。ミカは仕事で来ているのだから、ティーパーティー所縁の者が多いのは当たり前だ。

 そして、敵対とまではいかなくともティーパーティーの三大派閥はそれぞれで対立している。そのような言葉を投げかけるのに躊躇いはない。

 

「……ああ、それを無くしていなかったのですね!」

 

 ニコニコとナギサが手を合わせる。

 嗤っていた者達は悪い予感がして顔を青ざめさせた。

 

「――これは」

 

 ミカは気まずそうに顔を伏せた。

 

「私が初めてあげた誕生日プレゼントですわね。懐かしいです。壊れたから捨てたと聞いていましたが……あら? よく見れば修復した後が。あらあら、直すならもうちょっとちゃんとしなくては……」

「あ……う……」

 

「そうそう。セイアさんはハンカチを上げていましたね。あ、それも持っていらっしゃるようですね。汚れたから捨てたとおっしゃっていましたが……大切に持っているんじゃありませんか」

「……うう」

 

 ミカはポケットからはみ出た擦り切れたハンカチを奥にしまい込む。眼は泳ぎっぱなしで、動作もぎこちない。

 口から生まれてきたみたいなおしゃべりも、今は鳴りを潜めてしまっている。

 

「私も、ミカさんから貰ったティーカップは大切に保管してありますわ。どうですか? 正式なお茶会ではなく、家で少しおしゃべりでもしませんこと?」

「――私は、そういうのじゃないから!」

 

 ミカは走って逃げた。

 

「……ミカさん。本当に、辛そうな顔。あなたは一体何をしていらっしゃるんですの?」

 

 悲痛に顔を歪めるナギサ。敵が分かれば権力に任せてでも粉砕して見せよう。彼女を悩ませるものがあれば、そんなものは根こそぎ取り除いてしまいたいのに。

 

「やはり、エデン条約は必要ですね。彼女のことに集中するためにも、ゲヘナのことなど片づけてしまわねば……!」

 

 ナギサは決意を固める。セイアを害した敵、ミカが心を砕いているのはそれに違いない。

 エデン条約はゲヘナに協力というよりも、見ないふりを約束するものだ。ゲヘナが騒ぎを起こし、それを発端に風紀委員会と正義実現委員会が相争う。彼らもメンツがあるから、犯罪者を自分が捕らえるのだと小競り合いばかり。――そんなものは無駄だ。

 条約さえあれば、メンツの問題で争うことはなくなる。犯罪者を逮捕すればそれでよくなる。少なくとも、『風紀委員会』は敵ではなくなる。味方では、なくとも。

 

 ――多少の戦力の供出と引き換えに、内政に集中できるようになる。内政でなくても、どこかに居るらしい”敵”に。

 エデン条約など、ナギサにとってはそれだけのものだ。仕事を減らすための仕事……だというのに。

 

「……ミカさん、頑張りすぎるのは身体に毒ですよ。そんな泥臭いものは、私が全て引き受けようと思ったのに」

 

 ナギサに時間はない。エデン条約の締結、そしてどこかの敵への対処。

 そもそも本命は敵への対処だったはずなのに、エデン条約にかかりきりになって敵のことを調べることさえおぼつかない。

 

「――」

 

 足早にこの場を去った。

 

 

 そして、残されたのは青い顔色をした二人。みすぼらしいアクセサリーだのと悪口を言っていたその二人だ。

 

「そういえば、あのアクセサリー。ナギサ様がミカ様にプレゼントしたものだって言ってらしたわね」

「ええ、ええ。子供の身では自由になるお金は少ないけれど、センスの良いものでしたね」

 

 先ほどとは手のひらを返したような言動を取るティーパーティーの生徒達。自分たちが先ほどどう思ったのかなど忘れている。

 彼女たち二人は、ナギサの前でナギサのプレゼントに対し悪口を言った。ならば、結論は一つだろう。

 

「はい。安かろうとものを大切に使えるのはとても良いことですわね」

「ナギサ様の思い出の品、ということであれば……むしろ高価なだけの品物など、逆に庶民根性がにじみ出て……」

 

 せせら嗤う声が響く。

 ミカを嗤っていた声は、ナギサが潰した。では、陰口が消えるかと言えばそんなことにはならない。

 また別のターゲットを見つけるだけだ。そう、このように。

 

「――」

「――」

 

 悪意ばかりが覗く。トリニティは長く続いたキヴォトス最大規模の学校、強大な力を受け継いでいけばやがて腐る。

 ならば、ここは腐りはてた汚泥と言えるかもしれない。少なくとも、そこには陰口と妬み、そして誹りしかないのだから。

 

 





 ミカはアビドスに居る時の方が幸せそう。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第20話 決別と憎しみ

 

 

 そして、次の日。仕事のない便利屋はラーメンを食べに来ていた。とある銀行強盗団が現金の入ったバッグを落としていったから。

 ……甘い誘惑には勝てなかったという訳だ。

 

「来たあ! いただきまーす!」

「ひ、ひとりにつき一杯……こんなに贅沢してもいいんですか?」

 

 そんな事情を知る由もない店主はバイトでもしてきたのだろうと深く考えずにその最高の腕を振るう。

 

「アビドスさんとこのお友達だろう。替え玉が欲しけりゃ言いな」

 

「……!?」

「こんなに美味しいのにお客さんがいないなんて」

「場所が悪いんじゃない? 廃校寸前の学校の近くだし」

「まあ、美味しいからいいけど。それじゃ、いただ……」

 

 そのラーメンの美味しさは良く知っている。香しい匂いに誘われるように、そのアツアツのラーメンを一気にかき込んで…… 

 

「……じゃない」

 

 ただ、アルだけがぷるぷるしている。

 

「友達なんかじゃないわよぉ――――!!」

 

 どん、とテーブルを叩いた。ただしラーメンがこぼれないように慎重に。

 

「わわっ」

「わかった!! 何が引っかかってたのかわかったわ! 問題はこの店、この店よっ!!」

 

「どゆこと!?」

「私たちは仕事しにこのあたりに来てるの! ハードボイルドに!! アウトローっぽく!! なのに何なのよ、この店は! お腹いっぱい食べられるし!! あったかくて親切で! 話しかけてくれて、和気あいあいで、ほんわかしたこの雰囲気! --ここにいると、みんな仲良しになっちゃう気がするのよ!!」

 

「それに何か問題ある?」

「ダメでしょ!! メチャクチャでグダグダよ! 私が一人前の悪党になるには、こんな店は要らないのよっ!! 私に必要なのは冷酷さと無慈悲さと非情さなの! こんなほっこり感じゃない!!」

 

「いや、それは考えすぎなんじゃ……」

「……それって……こんなお店はぶっ壊してしまおうってことですよね、アル様?」

 

 アルのいつもの我儘。だけど、ハルカに瞳に危険な光が宿った。

 

「……へ?」

「良かった、ついにアル様のお力になれます」

 

 ごそごそと怪しいスイッチを取り出して。

 

「ハルカ、ちょ、ちょっと待っ……」

「起爆装置? なんでそれを……」

 

 アルは慌てふためきながら声をかけ、そしてカヨコが胡乱気な表情でスイッチを奪おうとした瞬間。

 

「……。……へ!?」

 

 アルはそのスイッチが押し込まれる瞬間を見る。と、同時に。

 

「おっはよー、大将☆ 今やってる? また先生と来ちゃった」

 

 聞き覚えのある声が、暖簾を潜って――

 

「全て私が消しちゃいます!」

 

 その瞬間、凄まじい衝撃と爆音が地を揺るがした。爆圧が全てを粉砕し、大将の店すらも瓦礫と化し――

 

「……ええ?」

 

 店が粉々に吹き飛んだこの惨状。これ、私のせいかとアルが白目を剥く。

 

「めちゃくちゃだね。……ラーメンも吹き飛んじゃった」

 

 さすがにムツキさえ呆然とするような状況。

 

「ゴホン、ゴホン……う、うわああ……」

「アルちゃん……マジで? マジでぶっ潰しちゃったの?」

 

「え……え?」

「情にほだされるからって、あんなに優しくしてくれたラーメン屋さんを吹っ飛ばしたの? やるじゃーん!?」

 

 すぐに気を取り直してアルをからかい始める。そういうのも悪くないというのは本心から思っている。

 ただ、言われる側のアルはただ顔を青くするだけだ。

 

「これぞまさに、血も涙もない大悪党! そんじょそこらのザコには到底できない鬼畜の所業! 悪人中の悪人じゃん!」

「う? う……あ」

 

 アルの顔が真っ青になったり真っ赤になったり。状況を受け入れられてはいない。状況を分かってくるだけ、自分がそんな極悪人だなどという事態の理解を脳が拒む。

 

「これがハードボイルドなアウトローってやつだね!! すごいよ、アルちゃん! 見直したよ!」

「へ……あ……? ……あ、あははははは! とっ、当然でしょう! 冷酷無比! 情け無用! 金さえもらえればなんでもオッケー! それがうちのモットーよ!!」

 

 ただ、それを認めれば実行者のハルカに罪を押し付けてしまう。全て自分のしたことにして飲み込むしかないと――いつも通りに無理して高笑いを上げる。

 

「さっき……声。誰だ?」

 

 ただ、カヨコだけが状況を確認しようと動く。先ほど聞いたあの声が想像通りなら、マズいことになる。

 

「あ……あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”っ!」

 

 耳を塞ぎたくなるような悲痛と絶望に満ちた声が耳を打った。それは、カヨコが想像した最悪の状況そのものだ。

 

「なんで……先生。血が、止まらない……? ねえ、起きてよ先生。腕も飛んでない。頭の傷だって大したことは無いはずなのに。……なんで、血が止まらないの?」

 

 ミカが幽鬼のような青ざめた表情で、擦り切れたハンカチで先生の血を拭うけれど――血はとめどなく流れ出て、ミカのスカートを赤く濡らす。

 

「――先……生……ッ!」

 

 カヨコが目を剥く。これが恐れていた最悪だ、誤解か何か知らないがミカは便利屋に敵意を持っていた。

 それが今や、この惨状では……! 幸運にも死んではいない。だが、それで許してくれる相手かと言えば。

 

「あ……ッ!」

 

 ただミカの嗚咽が響く中で、カツンと音がする。ミカの翼に飾っていたアクセサリーの一つ、安物のそれが壊れて落ちた。

 それがトリガーだった。今、確かにミカの心が砕けて……

 

「……なんで、こうなっちゃうのかなあ」

 

 ミカが先生を優しく地面に下ろす。見る限り致命傷ではない、額の傷もじきに血が止まるだろうとカヨコは当たりを付ける。

 だが、今のミカは話が通じるようには見えない。

 

「私はやっぱり魔女なのかなあ。居るだけで、皆が傷ついていく……!」

 

 ゆらりと、倒れかけたような不気味な動作で便利屋を視界に収める。ばさりと垂れさがった髪の向こう側から、ミカの殺意に満ちた眼が覗く。

 

「――社長、皆! 下がれ、この女……ヤバイ!」

「魔女、なら……呪いをかけないといけないね。そうだよ。ただただ殺意と不幸をふりまくのが、”魔女”なのだから――」

 

 ハルカに向けられた銃口。スイッチを持っているハルカが犯人だと、ぐちゃぐちゃになって訳が分からなくなった頭のどこか冷静な部分が弾き出した。

 

「皆、上だ! 奴から奇跡が溢れて、昇って行ってる!」

 

 奇跡、それはキヴォトスの人間が持つ不思議な力だ。銃とは本来汎用性こそが肝なのだが、このキヴォトスでは同じ銃でも撃つ人間によって威力が変わるなど常識だ。そして銃で撃たれても痛いで済むのも、それ(奇跡)の作用。

 威力や範囲の向上、更には仲間の回復などオーソドックスなタイプが多い。が、稀にヒフミのように特殊な能力を顕現させる場合がある。ミカも、特殊なタイプだ。それも”殲滅”に特化した……

 

「――堕ちろ」

 

 引き金を引き絞ると同時に現れた隕石が、彼女たちへ着弾する。

 

「……阿呆か、なんだこの”奇跡”!?」

「――痛そ」

 

 かわせない、迎撃もできない。原始的な速度と重量が、彼女たちと既に壊れた店を更に蹂躙する。破壊の嵐が吹き荒れた。

 便利屋4人、こんな原始的な暴力の前には対抗策も何もない。

 

「……が、は!」

 

 カヨコが血の混じる唾を吐き捨てる。一瞬意識が途切れた。まともに立ち上がることもできないほどのダメージをもらった。

 ふざけるな、と思う。これではまるで風紀委員長、ヒナと同レベルだ。実質的にただ一人でゲヘナ(無政府国家)に風紀という枷を嵌めている彼女。それと、同じだけの戦力。生徒会長の癖に。

 

「――奴は?」

 

 油断すれば眼が閉じる。眠りに引き込まれる。それだけの大けがを負っている。けれど寝ているわけにはいかないのだ。聖園ミカのあの眼は、ただごとではなかった。

 

「ねえ、アルちゃん。アルちゃんはアウトローに憧れてたんだよねえ? そしてゲヘナという軛から離れ、アウトローになったつもりでいる。ゲヘナを出たことは正しいよ。でもさ、あなたはまだゲヘナなんだよねえ」

 

 歩いて行く。やけに大きく聞こえるその足音は、しかしアルを目指してはいなかった。

 

「――アル! 起きろ! アル!」

 

 目的を察したカヨコは血相を変えて叫ぶ。いつもの役職名(お遊び)など、頭から吹き飛んでしまった。

 

「そう、今のあなたたちは”ゲヘナの”便利屋。まだ戻れるところがあるし、何も失ってもいないよね。だから、踏み込めないんだね? 誰かを踏みにじることに慣れなくて、失敗ばっかり……その有様は、アウトローどころかナード(臆病者)だよ」

「アル! いつもみたいに白目を向くな! 仲間を失うぞ!」

 

 叫ぶが……アルは目を閉じている。あの一撃で便利屋は壊滅した。カヨコだって無理して叫んでいるだけで、立ち上がろうとした足は萎えて腕はぷるぷると震えている。

 

「あ……うあ……!」

 

 アルが目を開ける。今だけは白目をむいて気絶することは許さないと自分に喝を入れる。今、この瞬間だけはそんな気楽な真似は許されないのだ。

 なぜなら、ミカが気を失っているハルカの元へ歩を進めている。殺気だった様子、その末路を想像するのは容易い。

 

「アルちゃん。あなたたちが失敗ばかりの理由を教えてあげる。失敗してもいいって思ってるからだよ。絶対に許せない敵が居るなら、そんな甘えたことは言えないはずなのにね。それが『アウトロー』ってことなんじゃないかな?」

「……違う。そんなはずない。ハルカを……ハルカを殺さないで……!」

 

 そして、ミカは倒れ伏したハルカに銃を向ける。

 

「言えば分かってくれる、なんて思うからこんなことになったんじゃないかな? 取り返しのつかない状況っていうのが、この世にはあるんだよ。アウトローを名乗るなら、不条理とかそういうのは履修済でないと」

「――っやらせない! 私の仲間は……絶対に殺させなんてしない!」

 

 アルは全ての力を振り絞る。隕石の一撃ですでに身体はガタガタだ。起き上がることすら、全身が悲鳴を上げて泣きそうになる。

 けれど、気力で限界を凌駕する。体中が痛いし、視界もふらふらするけれど……今動けなかったら、絶対に後悔するから。

 

「そんなふらふらな身体じゃ、何もできないよ。大人しくそこでハルカちゃんが殺されるところを見てるといい」

「させ……るかァ!」

 

 いつもはペンのように軽い銃。だけど、今はどんな鉄塊よりも重い。腕が震える。手が砕けそう。

 ……ばらばらになっても構わない。ただ、仲間を救うためならば。

 

「があああああ! あぐっ……! 痛ぅ。こっちも言われっぱなしって訳じゃないのよ! 仲間を失うのがアウトローなんて、そんなことを認めるわけにいかないのよ! 聖園、ミカァ!」

 

 衝撃で内臓を痛めた、激痛が身体を走り抜けて頭のどこかが断線する音が聞こえた。それでも、今この場で白目をむいてハイオシマイなんて訳には行かないから。

 そう(白目に)なってしまったら、次に目が覚めるのはハルカの亡骸の横でだと思うから。

 --絶対に手放さないと誓った仲間を守るため、痛みぐらい我慢できなくてどうするとアルは口の端から血を垂らしながら目の前の敵を睨みつける。

 

「……ッ! まだ、動けたんだ。でも、無駄だよ!」

 

 だが、現実は非常だ。ミカが銃を向けてアルを撃つ。ただそれだけで吹き飛んで動けない。

 限界を突破した? ならば攻撃を叩き込むだけだ。血肉は鉄で出来てはいない。生身の肉体は壊れたらそのままだから。

 

「がはっ!」

 

 瓦礫になった壁に叩き込まれ、それでオシマイだ。瓦礫から脱け出そうとした手はピクリとも動かない。

 

「……さすがにそれは洒落になってないと思うんだよね」

「いくら貴様がティーパーティーで、私たちが不良生徒と言えど――勧告で済むレベルではないぞ……!」

 

 ムツキとカヨコが痛む身体を押してミカへと襲い掛かる。

 

「あは☆ そんな精彩を欠いた動きで私を倒せると思ってるのだとしたら、よほど都合のいい頭をしてるんだね。それに、ほら――撃っていいの?」

 

 ミカがハルカの髪を掴み、前に晒す。そのまま撃てば仲間に当たる。二人に虫の息のハルカにとどめをさすような真似ができるはずもなく……

 

「な……ッ! 卑怯者!」

「そこまでするか!? 聖園ミカァ!」

 

「――相手が自分の気持ちよくなるよう戦ってくれると思うなんて、あなたたちはよほど幼稚なお花畑なのね。確かに便利屋はゲヘナの中でも疑いようもなく上位層。けど、所詮は”子供”の範囲……!」

 

 ハルカを盾にしたまま銃を撃つ。二人とも、瓦礫に叩き込まれた。

 

「あ……え?」

 

 やっと、ハルカが目を覚ます。

 

「おはよう、ハルカちゃん。そしてさようなら。便利屋はきっと、ずっとあなたのことを覚えていてくれるよ。そうなることで、アウトローらしく一本の筋が入る。『復讐』と言う、願いを叶えるために何でもする……そんな本当のアウトローに」

「うえ……え……?」

 

 まだハルカは分からない。目を覚ましたと言えど、ダメージが甚大だ。そもそも隕石は彼女に向かって堕ちた。他の三人はあくまで余波だ。

 ……何を言われても、理解などできないようなぼろぼろの有様である。

 

「やめなさい!」

 

 ダン、と銃声が響くがそれはどこかに外れた。アルが再び起き上がった、が――その身体はとっくに限界を振り切っていた。

 

「そこで見てて、アルちゃん。そして覚えておくといいよ、この魔女の顔を……!」

 

 ミカはハルカの脳天へ銃口を当てて……

 

「やめ……!」

「ハルカ……!」

「まって……!」

 

 便利屋の三人は意識を失っていないけど、しかしもはやその腕に力は一かけらも残っていない。

 引き金が引かれようとした、その時。

 

「――敵が居たぞ! 『ティーパーティー』だ!」

 

 第三者の声がした。同時に迫撃砲がミカに叩き込まれる。

 

「今……だ!」

 

 ぐらりとよろめいたミカ、その手からハルカが滑り落ちる。そこをカヨコが奪取する。

 

「何が……!?」

 

 ミカは邪魔をした者達を探す。

 

 

 





ミカ「先生……なんで倒れてるの? トマトジュースこぼしちゃダメだよ……?」

【挿絵表示】


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第21話 風紀委員会の参戦

先生が傷ついて絶望するミカのイラスト

【挿絵表示】



 

 

 便利屋はちょっとした行き違いから大将の店を爆破してしまった。

 それは疑いようもなく悪いことで、学区外犯罪であるのだから矯正局送りになっても仕方のない犯罪だろう。

 実のところ爆破騒ぎなんてキヴォトスではいつでもどこかで起こっているものでしかないから、おとがめなしではなくとも逮捕の手間を惜しむことはあるかもしれない。

 

 けれど、重要なのはそれではない。

 

「そこで見てて、アルちゃん。そして覚えておくといいよ、この魔女の顔を……!」

 

 ミカはハルカの脳天へ銃口を当てた。

 便利屋の三人は意識を失っていないけど、しかしもはやその腕に力は一かけらも残っていない。

 引き金が引かれようとした、その時。

 

「――敵が居たぞ! 『ティーパーティー』だ!」

 

 50㎜迫撃砲が叩き込まれ、その隙に便利屋はカヨコを奪取した。そして、それを実行した風紀委員会は更なる火力を投入する。

 

「こんな場所に居るとはな、『ティーパーティー』! お前、便利屋ともども問答無用でまとめて叩き潰してやる!」

「ま、待って……イオリ。……なんで、聖園ミカがこの場に……というか、攻撃しちゃ……」

 

 もっとも、イケイケドンドンと攻撃しまくっているイオリとは裏腹にチナツは止めようとしているが。

 混乱のただなか、それも相手が憎きティーパーティーとあれば部下も攻撃の手を止めるはずがない。混沌は更に加速する。

 誰も望んでいないはずの戦線が拡大する。

 

「よくもやってくれたね。先生の居る場所に、砲撃なんて……?」

 

 ミカが真っ先にするのは先生の確認だ。血を流して気を失っていた。砲弾が流れ弾で周辺を破壊するだけでも生き埋めになってしまう。

 それでなくても、外から攻撃されるのであれば先生の救出は急務だ。

 

「先生は? 先生は、どこ――」

 

 けれど、置いておいた場所に先生がいない。目を覚ましたはずがない、先生ならここで逃げることはしないから。

 打ち込まれる砲弾を意に介さずに先生の姿を探し求める。

 

「――あんたたち、先生を離しなさい!」

 

 聞こえてきたのはセリカの声。アビドスメンバーもまたここに来ていた。そして、便利屋メンバーはハルカとともに先生もかついで逃げ出そうとしていた。

 先生も連れていくとはなんと義理に溢れたことだろう。先生を気にせず風紀委員会とやり合ってほしい腹黒い計算もあったけれど。

 

「じゃあ、返す!」

 

 人を投げ渡す音がミカにまで聞こえてきた。まあ、便利屋にとっては先生を確保しておくうまみもない。

 知り合いだから人質にしたくないし、抱えて逃げるほど余裕があるわけでもない。

 

「みんな! みんなは行って! 先生をお願い!」

 

 ミカは来てくれたアビドスメンバーに向かって叫ぶ。アビドスは信用している、先生を任すことに否やはない。

 

「ミカさん! これどういう状況!? なんでや便利屋が……あと、あっちの物騒なのは何!?」

「――セリカちゃん、聞いたことはない? ゲヘナの風紀委員会だよ。何の用か知らないけど、先生の居るここに砲撃してきた……! 早く逃げて!」

 

 混乱する状況の中、イオリが歩を進めてきた。

 

「いやいや、私も先生が居るなんて知らなかったぞ。私たちはただ便利屋を掴まえに来ただけだ。……けれど、『ティーパーティー』が居るんなら仕方ないよな? ぬがっ」

 

 まるでチンピラみたいに威嚇しながら近づいてくるイオリは、チナツに撃たれて頭をさする。

 

「いえ……元々の狙いは先生……と、いうことでもなく。そちらに居る方々はアビドスでしょうか? 先生を病院に連れて行くならどうぞ。ゲヘナで看病しようと思っていたのですが――まあ、そういう話をしている場合でもないようなので」

 

 ふぅ、とため息を吐きながらチナツが話し出す。さっきの銃弾は黙っていろとの意味だ。まあ、そんな真似までするのだから内心はまったく穏やかではないのだが。

 

「あは。便利屋なんて木っ端、こんな大部隊でどうかする意味もないでしょ。でも、うん……条約賛成派ならアレが目障りなのは分かるけどね。本当の狙いは先生だね?」

 

 ミカが殺気を隠さずにチナツの下まで歩いて行く。

 

「ええ。狙いは先生でした。『ティーパーティー』が狙う、連邦生徒会肝入りの『連邦捜査部シャーレ』。権限だけを持つ、中身のない豪華な箱。利用方法によってはとんでもないことができますからね。先生を狙う勢力から保護してあげたかったのです」

「潔いね。まあ、こんな状況になってるなら誤魔化しても意味ないかな? しっちゃかめっちゃかの状況、別にあなたたちも先生のことを殺したかったわけじゃない。私が居るから、少し巡り合わせが悪くなってしまっただけ」

 

「……? いえ、あなたが居て話がややこしくなったことは事実ですが……さて、ここは互いに見なかったことにしませんか。先生のことも力尽くは諦めます」

「見なかったこと? まあ、これは確かにどっちにも都合が悪いよね。私はホストじゃないし、大義名分もなしに勝手に風紀委員会との戦線を開くわけにもいかないもの。それが一番良いのは分かるよ」

 

「そうですね。あなたは条約反対派と聞いていますが、ここは学区外です。勝手に戦闘を起こしては、聖園様にとっても都合が悪いでしょう。まあ、こちらとしても便利屋だけ掴まえておけば名目は立ちますし」

「……でも、駄目」

 

 ずっと下を見て表情を見せなかったミカが、きゅうと唇の端を吊り上げた。攻撃のためだけの、狂った笑み。

 ものみな全て壊れてしまえと、狂気を宿して濁った瞳。

 

「……聖園様?」

「先生を怪我させたハルカちゃんは殺す。そして、倒れた先生のところに砲弾を打ち込んだあなたたちも許さない……!」

 

 ミカの殺気が弾けた。

 

「チナツ、どけ! こいつは私が!」

「イオリ、待ちなさ……!」

 

 イオリのライフルがミカの腹を撃ちぬいた。だが、ただ強いから耐えて――

 

「空崎ヒナでもないのに、私と勝負になると思っているの?」

 

 ミカのSMGに打ち抜かれてイオリは地面に転がった。絶望的なまでの戦力差、多少強い程度ではミカの相手にはならないのだ。

 

「……イオリ!」

「次は、あなた。便利屋は逃げたけど、風紀委員会を潰してからゆっくりと探すことにする」

 

 イオリを瞬殺したミカはチナツへ銃を向けた。

 

「……くっ! ひゃあああ!」

 

 隠れて逃げた。

 

「深追いは……危険かな? それに指揮官は別みたいだし――おっと☆」

 

 飛んできた砲弾を殴り飛ばした。

 

「ひぃっ! なんで50㎜迫撃砲が通用しないの?」

「くそっ。だが、相手も人間だ! 撃ちまくれ!」

「ちょっとちょっと! 『ティーパーティー』って、あんなに強いの?」

 

 騒がしい風紀委員会の部隊。一端の部隊だ、弱いはずがない。砲撃の精度も良い、チンピラとは比べ物にならない正式の軍隊だ。

 迫撃砲を撃ち続けていた彼女たちに、ミカは目を向ける。

 

「あはは。こんなんで私を止めようなんて甘い甘い……」

 

 銃声がして迫撃砲が止まった。一流であっても、それは決して上位陣ではない。治安の乱れたアビドスの政治機構、対策委員会にはただの一流程度では敵わない。

 

「ミカさん! 先生は向こうで応急手当中! ノノミ先輩が診てくれてる! 事情は知らないけど、アビドスで好き勝手やってくれたわね。こいつら!」

「でも、こんなことしてていいのかな……?」

 

 アビドスメンバーが横から近づき、迫撃砲の部隊を仕留めたのだ。だが、シロコの様子がおかしい。

 とはいえ、今の状況で気にかける余裕があるわけもなく。

 

「シロコ先輩、そっちは後で考えればいいでしょ! まずはこいつらをぶっ潰してからよ!」

「うん。ゲヘナの奴らは叩かないと……ね。そうしないと先生が危ないから」

 

 ミカは先に進む。

 

「……き、来た……!」

「反撃しないと……!」

 

 風紀委員会にとっては全てが予想外。だが、兵隊の仕事は上の考えをどうこうすることではなく戦うことにある。そして、アビドスにはもともと戦いに来たのだ。

 まあ、その相手が予想外すぎるのだが……しかし、手元に武器があって敵がこっちに向かってくるのだから迎撃するまでだった。

 

「あは……便利屋も、風紀委員会も――全部私が潰してあげる!」

 

 ミカが縦横無尽に暴れまわる。しかも……

 

「ん。そこには地雷を設置しておいた」

「アビドスに来といて私たちを忘れるんじゃないわよ!」

 

 ミカに火力を集中するとシロコとセリナが後ろから刺してくる。ミカが強すぎるのに加え、シロコとセリカも部隊単位で相手しないと厳しい。

 ミカに集中すれば隙を突かれ、しかし先にアビドスを抑えようとすればミカの正面突破を許してしまう。単純に、相手の総合力が風紀委員会を上回っている。

 

「ふふ。ふふふふふ……」

 

 それを見て、全てを仕組んだ女は笑っていた。

 

「ちょっと、アコ! どうするのですか、これ! 先生の心配はたぶん要らないでしょうけど、どう始末を付けるつもりですか!?」

 

 チナツが隠れて通信機に怒鳴りつける。いや、全てはミカがここにいたことから歯車が狂ったのだが……しかし、コイツの命令でこうなっていることは事実。

 心神喪失していられても困る。確かに笑うしかない状況かもしれないけど。

 

「進捗がよくないですね。先生を保護したという報告はまだですか。まったくアビドスも自治体もどきのくせによく抵抗するものです……」

「アコ! 現実逃避はやめなさい! 私たちが戦っているのは聖園ミカです! こんなことになってエデン条約に傷を付けることになれば……!」

 

「ふふふ……ですが、関係ありません。12時の方向、それから6時の方向……3時、9時……風紀委員会には、まだ兵力が残っているのですよ……!」

「聖園ミカを制圧するつもりですか!? まあ、向こう側もそうまでしないと止まらなさそうですが。……そうだ、便利屋はどうなりましたか?」

 

「私は、シャーレと衝突するという最悪のシチュエーションも想定していました。ええ、きっかけは、ティーパーティーでした。シャーレに関する報告書を手に入れてる……と。そんな話が、情報部が上がってきて」

「アコ? 誰に説明を始めているのですか? アコ? 便利屋は逃したのですね? この混乱では仕方ないとはいえ、後でどう言い訳しましょうかね……!」

 

「当初は私もシャーレとは一体何なのか、全く知りませんでしたが……ティーパーティーが知っている情報となれば、私たちも知る必要があります。連邦生徒会長が残した正体不明の組織……大人の遠征が担当している、超法規的な部活。どう考えても怪しい匂いがしますよね」

「…………アコ?」

 

「とても危険な不確定要素。エデン条約にも、どんな影響を及ぼすのか分かったものではありません。ですからせめて条約が無事締結されるまでは、私たちの庇護下に先生をお迎えするために。ついでに、居合わせた不良生徒たちも処理したうえで……といった形で」

「アコ、いい加減正気を取り戻してください。アコ? って、指揮はどうしたのですか!? 6時、9時……部隊がどんどん溶けていきます! 聖園ミカ、これほどまでとは。……それにアビドスも厄介ですね。どちらかだけであれば、どうにもでもできたものを……!」

 

 チナツはほぞを噛む。

 確かにアビドスとミカは相性がいいのだろう。協力して風紀委員会を倒している。とはいえ、別にツーカーというわけでもなんでもなく……

 相手の戦力がこちらを上回った結果としてやられているだけだ。難しいことは何もない。ただ聖園ミカというジョーカーが居ることを予想できなかった、それが敗北の原因。

 

「まあいいでしょう。それでは--風紀委員会、攻撃を開始します。対策委員会と便利屋を制圧して、先生を安全に確保してください」

「虎の子まで出すつもりですか!? いいえ、こうなってはもはや引くこともできませんね……私も行きますよ、アコ」

 

 敗北必死のこの状況。後はもはや更なる強力な部隊を引っ張り出す以外にない。もはや何でも使わなければならない状況だ。そして対するミカとシロコ、セリカも攻撃の手を緩める気などない。

 戦争と言えるだけの争いに、更なる火力を注ごうとしたその瞬間。

 

「やめて!」

 

 先生の大声が、全員の動きを止めた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第22話 騒動の終わり

 

 

 便利屋が先生を殺しかけ、そしてミカは切れて便利屋のハルカを殺そうとしたが邪魔が入った。風紀委員会が横入りし、風紀委員会とミカが戦う泥沼の戦いへと落ちて行った。

 風紀委員会は参加したシロコとセリカの存在もあり、追い詰められて虎の子の部隊まで刈りだす有様だ。こうなればもう、どちらかの手が血に染まるまで止まらない。そんな時に。

 

「やめて!」

 

 ノノミに肩を貸してもらった先生が大声を出す。驚いて振り返ってみれば、大声を出して傷に響いたのかしかめ面をしている。

 

「まったく、油断した。”事故”か、情けない限りだ……!」

 

 忌々し気に呟く。こういうのは他人に甘く、自分には厳しいタイプだ。先生も、色々生徒に甘くなることはあれど、ことに自分ではこういった失態を許せるタイプではない。

 

「……先生? 生きてる?」

「うん。私は生きてるよ、ミカ」

 

 ミカはぽろぽろと涙を流す。あれで死んでないのは確認した。けれど、あのまま死んでしまうのではないかと言う不安がずっと心に残っていた。

 自分なんかが護衛に居たせいで、先生を不幸に巻き込んでしまったらとずっと心配していた。

 

「良かった。なら――残りはあいつらを潰すだけだね☆」

 

 安心した。だから風紀委員会を潰す。最初から何も変わらない。向こうだって言っていた、敵だから潰すのだ。

 ……ゲヘナだから、それ以外に戦う理由など要らないから。

 

「駄目だよ、ミカ。それ以上戦うことは許さない」

「……ッ! でも、先生に傷を負わせたのもゲヘナで、こいつらもゲヘナで……私の敵で!」

 

「便利屋はもう逃げて行ったみたいだけど?」

「探し出して殺すよ。こいつらの後に……ね」

 

「ミカ! 殺すなんて、冗談でも言ってはいけないよ」

「……でも! でも、こいつらは……先生を……!」

 

 腕をぶんぶん振って駄々をこねる。実際のところ、ミカは一杯いっぱいで精神の均衡すら危うい。

 何をやっていいかわからなくて、やらなきゃいけないことがあるはずなのに……先生の隣が心地よくて、護衛と言い訳してそこに居続けた。

 

「いえ……最初から先生を傷つけようなんて気はありませんよ」

 

 疲れた様子のチナツが姿を見せた。

 

「ほら、アコも姿を見せなさい」

「ぐぐ……風紀委員会をここまで追い詰めるとは流石ですね、聖園ミカ。ですが、風紀委員会には奥の手が残っていることをお忘れなく」

 

 通信で映るアコは忌々しそうにしている。問題は倒せるか以前に戦ったことがマズいのだが。とてつもない失態だ……認識することを頭が拒んでいる。

 エデン条約の起案前だったらお手柄かもしれないが、実のところ聖園ミカを捕らえても風紀委員会としては何もうれしくないのだ。

 

「うん、こんばんはチナツ。はじめましてだね、アコ」

 

「――ゲヘナの火宮チナツと天雨アコ……ッ! 映像の方はともかく、よく私の前に姿を表したわね」

「……さすがに隠れたままでは誠意がないでしょう。アコはともかく、私はただゲヘナの平穏を望んでいるだけです」

 

 穏やかに挨拶を交わす先生とは裏腹に、烈火のごとく怒りを叩きつけるミカ。先生に止められてさえいなければ、撃っていた。

 

「……平穏? ゲヘナが? 戦闘、略奪――破壊しかしない、できない角付きの野蛮人どもが? ……笑わせないで」

「いや……まあ、取り締まる側としてその見解にはあまり反論できませんが。しかし、この瓦礫の街並みを生み出したのはあなたでは? そちらの正義実現委員会の委員長も壁を破壊して移動する方ですし。……どちらが野蛮人でしょうね」

 

「ぐっ……! ……でも。あなたたちを消して、全てをなかったことにすれば……!」

「いえ、それはさすがに無理がありますよ。こちらとしても、これ以上の戦闘は勘弁してもらいたいのですがね。便利屋も逃げてしまい、大義名分を用意するのも手間がかかるので……」

 

「ええ! まだ風紀委員会は負けておりません! 愚かにも出しゃばったチナツが倒されたところで、まだ奥の手は残っているのですよ! --こんな、自治区近くの戦闘で風紀委員会が遅れを取る訳には……!」

「――アコ、やめてくれるかな?」

 

 口出しするアコを先生が黙らせた。先生とチナツは戦いたくないで意見が一致している。アコに至ってはどうにでもなれと言わんばかりに破れかぶれだ。

 

「ふん。『シャーレ』の言うことに従う筋合いなどありません。ここまで被害を出したのです。もはや聖園ミカの首級をもって贖うしか……!」

「あは。今までの戦いで分からなかったかなあ。風紀委員会なんて、空崎ヒナさえ居なければこの程度だよ。私一人でも殲滅できる」

 

「アコ、やめなさい」

「ミカ、少し口を閉じていて」

 

 保護者二人が咎めるが、暴走特急は止まらない。

 

「確かに委員会の最大戦力はヒナ委員長です。ですが、風紀委員会とはそれだけではありません。強力な火器で武装した仲間がまだ残っています! それに聖園ミカ、あれだけ戦い続けたあなたに残弾はそれほど残っていないでしょう?」

「へえ☆ 弾が残っていなければ私を倒せるなんて。すごい勘違いね、頭の中にハッピーセットでも詰まってる?」

 

 ヒートアップは止められない。

 

「ふふふ、準備は万全ですから。今までの戦いで分析は完了しました。弱点は把握済みです。次の攻撃で仕留めてあげます」

「仕留める? 残弾が少ないなんて……そんなの、こうすればいいだけじゃない」

 

 ミカが隣の瓦礫に手を伸ばす。風紀委員会との抗争は近辺を廃墟に帰していた。あろうことか、その瓦礫を持ち上げる。

 それを見た奥の手の部隊の者達は恐れおののく。

 

「嘘でしょ? バカでかい瓦礫を持ち上げるなんて、どんな腕の太さしてるの……?」

「何キロあるんだ? あんなの喰らったらシールドじゃ防ぎきれない……!」

「というか、喰らうことなんて想像もしたくないわよ……!」

 

 明らかに命の危険を感じるレベルだった。たったの三人を相手にいいようにやられて、それでも相手が三人だから補給がない弱点を付けるかと思えばこれだ。

 顔は青くなり、士気も崩壊した。もはや趨勢は決した。……蹂躙劇が始まる。

 

「なっ……! なんて……馬鹿力……!」

「ミカ! だめ! それを下ろしなさい!」

 

「駄目だよ、先生。私は悪い子だもの。先生の言うことなんて――」

 

 ズシン、とミカが一歩を踏み出す。女子高生にあるまじき怪獣のような一歩。瓦礫はそれだけ重く、ゆえに喰らえばただでは済まないと見てわかる。

 そこに、乱入者が来る。

 

「それは洒落にならないわね」

 

 機関銃の一撃が瓦礫を砕いた。バラバラと砕け散った破片が舞う。

 

「ん? 別に壊れたら取り換えるだけだけど……誰かな?」

 

 ぎろりと睨みつけるミカ。乱入者は意に介さず映像に向かって話しかける。

 

「アコ」

「え? ひ、ひ、ヒナ委員長!? い、い、委員長がどうしてこんな時間に……?」

 

 アコはビシリと姿勢を正す。土下座でもしそうな勢いだが、それをやると報告できないので逆にもっと怒られてしまう。

 

「アコ、何をやっているの?」

「わ、私ですか? 私は……そ、その……えっと……風紀委員会のメンバーとパトロールをですね……。そ、それより委員長はどうしてこんな場所に……別の場所に出張中だったのでは?」

 

 しごろもどろ、しかも眼が泳ぎ回っている。まああれだ、叱られるのを回避したくてバカみたいな言い訳をしようと支離滅裂なことを口走っている。

 

「さっき帰ってきた」

「そ、そうでしたか……! その、私、今すぐ迅速に処理しなくてはいけない用事がありまして……よ、用事が終わればまた改めて顔を出すので……なんて……」

 

「迅速な処理……? 何かあるの? 他の学園の自治区で、委員会のメンバーを独断で運用しないといけないことを放って?」

「え? そ、その……それは……」

 

「……アコ。この状況、きちんと説明してもらう」

 

 ヒナは一言で切り捨てる。

 

「え、えっと……委員長、全て説明いたします」

「……いや、もういい。だいたい把握した。察するにゲヘナにとっての不安要素の確認及び排除。そういう政治的な活動の一環ってところね」

 

 シロコとセリカ、次にミカへと目を向ける。ミカに目を向けたまままた口を開く。

 

「でもアコ、私たちは風紀委員会であって、生徒会じゃない。シャーレ、ティーパーティー、それに連邦生徒会長。そういうのは『万魔殿』のタヌキたちにでも任せておけばいい。詳しい話は帰ってから。通信を切って校舎で謹慎していなさい、アコ」

「……はい」

 

 それは多分に政治的な内容を含んだ話だ。普段は政治的な駆け引きをしていなくても、エデン条約を推進しているのは風紀委員会なのだから。

 

「――ごめんなさい」

 

 そしてヒナはミカに向けて頭を下げた。

 

「……な。え? ええ――」

 

 トリガーに指をかけたまま話が終わるのを待っていたミカは虚を突かれて瞠目する。銃が手から滑り落ちるのを、慌ててキャッチした。

 それほどの衝撃だった。まさか、風紀委員会の委員長が頭を下げるなど想像だにしていなかった。

 

「委員長! そいつはトリニティだ! トリニティなんかに頭を下げないでくれ!」

 

 目を覚ましたイオリが叫ぶ。

 

「そうです。頭を下げるのであれば私が! ヒナ委員長が、そんな……トリニティに頭を下げるなんて……!」

 

 アコもあわあわしていた。

 

「どういうこと? ゲヘナが私に頭を下げるなんて信じられない。何か企んでいるんじゃ……」

「いいえ、そんなことはない。それに、私が謝っているのは『ティーパーティー』の聖園ミカにじゃない。『シャーレ』の聖園ミカに謝罪している。……あなたの大事な先生を傷つけたこと、ごめんなさい」

 

「……いや、先生を傷つけたのは便利屋のはずで」

「なんにしてもヒナ委員長が謝ることじゃ……」

 

「許してくれるまで、こうしている」

 

 外野の意見など黙殺して、ヒナは頭を下げ続ける。

 

「ミカ、許してあげることはできないかな? 間違ったことがあっても、謝ってやり直せばいい。一度の間違いで全てが終わりなんて悲しいことを言わないで」

「……先生。でも……! でも、私には……一度間違えば、それで全てが終わって……!」

 

 ノノミに支えられてミカの下まで来た先生はとあるものをミカに渡す。

 

「はい。終わりじゃないよ、過ちは取り返すことができるんだから」

「これ……ナギちゃんから貰った……! 先生、持っていてくれたんだ」

 

 壊れたはずのアクセサリー。でも、割れた二つが揃っているのだから直すことはできる。ミカは銃を手放して、それを大事にハンカチに包む。

 

「……空崎ヒナ。――分かったよ、元々先生を傷つけたのはハルカちゃんだもの。それに、ちゃんと謝罪されて、それでも許さないなんて……性根がゲヘナより腐ってるってことになっちゃうしね」

「ありがとう。私も戦うためにここに来たわけじゃないから……イオリ、チナツ。撤収準備、帰るよ」

 

「えっ!?」

「帰るんですか!?」

 

 驚く二人を無視して進める。

 

「先生、それとアビドス対策委員会。今後、ゲヘナの風紀委員会がここに無断で侵入することはないと約束する。どうか許してほしい」

「うん。帰り道、気を付けてね」

 

「先生も、ちゃんと病院に行ってくださいね」

「あはは。耳が痛い。うん、頭を打ってるかもしれないしね。さすがにこの後で行くよ」

 

「ええ、そうしてちょうだい」

 

 満足げに頷いて、帰る一瞬に声を潜めて内緒話をする。

 

「聖園ミカ、あなたに直接伝えておきたいことがある。これは直接言っておいた方がいいと思って。……カイザーコーポレーションのこと、知ってる?」

「うん。まあ多少は」

 

「そう。……これはまだ万魔殿も、ティーパーティーも知らない情報だけど。あなたには知らせておいた方がいいかもしれない」

「大盤振る舞いだね。ゲヘナらしくないよ」

 

「そうね、そうかもしれない。アビドスの捨てられた砂漠……あそこで、カイザーコーポレーションが何かを企んでるわ」

「アビドスの砂漠で……? 世界征服とか頭の涌いたことを言ってたのは知ってるけど、そこに何かあるの?」

 

「そこまでは知らない。本当なら、『シャーレ』に教える義理はないのだけど。……一応、ね。そうだ、先生またね。あなたとも一緒に会えると嬉しいわ」

「うん。私、あなたとなら仲良くなれそうだよ。ヒナちゃん。ゲヘナを辞めたくなったらいつでもトリニティにおいで」

 

「ふふ、考えておくわ。……けれど、私には見捨てられない子たちが居るから」

「そっか、残念。でも分かるよ、私にも守らなきゃいけない人が居るから」

 

 とん、と軽く拳を合わせて帰って行ったその瞬間に。

 

「……エデン条約に気を付けて。大切な人を奪われないように」

 

 ミカは、ヒナにだけ聞こえるように呟いた。

 

「さ、先生は早く病院に……先生? どこに行ったの?」

 

 後ろを見ると……先生は消えていた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第23話 すれ違う茶会

 

 

 風紀委員会とミカとの戦争は、空崎ヒナが頭を下げたことで収束した。先生は無事で、壊れたアクセサリーも帰ってきた。

 --そして、全てはなかったことになった。

 

 それが一番だ。三方良しどころか、全員が損を飲み込む選択で、では第4者の便利屋も得したかと言えばそうではない。爆破をうやむやにできたことは得かもしれないが、それもマイナスをどうにかするものでプラス方向に傾いたわけではない。

 

 あまり感情では納得しづらいが、しかし我儘を言ったところでしょうもないリアルだった。因縁をふっかけて喧嘩したいわけじゃないのだ。

 なかったことにするというのは、賢い選択肢であることは間違いないから。

 

「……先生?」

 

 そう、話はこれでおしまい。ハッピーエンドには遠く、徒労感だけが空気を支配するが話はついた。全て終わったはず……なのに、見れば先生が居ない。

 

「ミカさん、先生はやることがあるとおっしゃってそっちに……」

 

 先生を診ていたノノミがおずおずと瓦礫の奥の方を指差した。

 

「ノノミちゃん!? 先生は怪我してるんだよ! ちゃんと見てないと――」

「そうだよ、ノノミ先輩! いくらおおらかだって、今の先生を勝手に出歩かせるなんてありえないじゃない……!」

 

「で、でもねセリカちゃん。止めようとしたのよ? 先生がやることがあるっておっしゃってそっちの方に進んで行くのを追いかけたんだけど……」

「あっち!? ……居ない?」

 

 崩れかけた道、だが歩ける。そんな一本道で、先生の足では遠くには行けないはず……なのに足音は聞こえてこない。

 どこにも見つからない。忽然と消え失せていた。

 

「――だ、だめですよ。私もそこに入って行ったのを見て掴まえようとしましたけど、失敗しましたから」

「ど、どういうこと!? 幽霊みたいに消えちゃったとでも?」

 

「あう……はい。その通りです……」

「そんな……」

 

「ううん。きっと大丈夫」

 

 ぎりぎりと歯を食いしばっているミカが保証するが、それはそんな人を安心させるような顔ではなかった。むしろ、自分に言い聞かせているだけの……

 

「……ミカさん」

「ミカさん、でも……!」

 

「いいえ、セリカちゃん。先生は大丈夫ですよ」

「……ノノミ先輩!? なんで……? 先生は頭を打って血を流してたんだよ。先生は外の人なんでしょ、ちゃんと診てもらわなきゃ……ノノミ先輩?」

 

 指を唇に当ててほほ笑んでいるノノミは、冷や汗がほおを伝わっていて――明らかに無理していた。

 

「はい。ミカさん、先生は大丈夫です。血は確かに止まっていました。派手に出ていただけで大した傷ではありません。それに、ふらついている様子や気持ちが悪いといった様子も見受けられませんでした。……先生は大丈夫ですよ」

 

 大丈夫、という言葉を繰り返す。心配していないわけじゃない。今すぐ先生を連れ戻して説教して病院にブチ込みたい。

 だけど、今はミカのことを気遣っている。先生よりも、今のミカの方がよほど顔色が悪いのだ。

 

「先生は、やることが多いから。……ホシノちゃんが居ないね、どこに居るか知ってる? ううん、知らないよね」

「――ミカさん、ホシノ先輩の居場所を知ってるの!?」

「セリカちゃん、今は……!」

 

「ごめんね、知らない。でも、ホシノちゃんに何かがあったのなら先生が放っておくはずがないから。そういう人なんだ、先生は。自分のことなんて、いつでも後回しで……」

「ええ、そうですね。先生はそういう方でした。でも、大丈夫ですよ。先生はやることが終わればひょっこりと顔を出してくれます。そういう人だって、ミカさんが一番分かっているでしょう?」

 

「そうだね、ノノミちゃん。私は一度トリニティに帰るよ」

「はい、先生が帰って来たら連絡差し上げます。ミカさんも、先生を見かけたら一報くださいね」

 

「うん。ノノミちゃんの方は……」

 

『アビドスはアビドスでやることがあります』

「アヤネちゃん、どうしたの?」

 

『風紀委員会が気になることを言っていました。だから、ホシノ先輩のことは先生が何とかしてくれると信じて私たちはそちらを調べます』

「うん、そうだね。やれることがあるなら、やらないといけませんね」

 

 アビドスはアビドスでやることができた。だって、先生はいつも先生だから。たくさん心配しても無駄になるのだ。だから。

 

「――アヤネちゃん、ノノミちゃん。頑張ってね。ホシノちゃんのことも、絶対に大丈夫だから」

 

 ミカも、無理すれば笑みを浮かべられるくらいには気を取り直した。

 

「ええ、ミカさんもあまり思いつめないでくださいね」

「あのカイザーコーポレーションが何かをしてるならぶっ潰さないとだからね! ミカさんも手伝ってくれるよね」

 

「あは。セリカちゃん、喧嘩っ早いね。うん、その時は手伝ってあげる。……またね」

 

「ええ、また!」

「はい、また会いましょうミカさん」

『今度は通信ではなく顔を合わせて話しましょう!』

 

 それで、ミカはトリニティに帰る。だが、制服はずたぼろだ。正義実現委員会なら勲章かもしれないが、生徒会はそうではないだろう。

 

 ということで、いくつか用意してあるセーフハウスによってシャワーを浴びて制服も変えた。

 

 外面だけ取り繕ってトリニティに足を踏み入れる。思えば、こういうことばかり。外見ばかりを取り繕って、本心を見せないようにしたのはいつからだっただろう?

 

「――ミカ様、ナギサ様がお呼びです。ついて来ていただけますか?」

「ああ、あなた……誰だっけ? まあ、いいや。ナギちゃんが呼んでる……ねえ。心配性だなあ、何か耳に入っちゃったかな。何か聞いてる?」

 

 ミカはくすくす笑う。いつものごとく仏頂面で、個性を押し殺したティーパーティーの生徒。それがなぜだかとてもおかしい。

 その彼女は情緒のおかしなミカを気にせずに話を進める。

 

「いえ、私は何も」

「あっそ。付いて行ってあげる。今日はどこでお茶会をやってるの?」

 

「ああ、いえ……今日はナギサ様のご実家に、ということでした」

「……? ナギちゃんのお家。あまり使っていなかったはずだけど。ああ、あなたに聞いても何も分からないよね。場所は知ってるけど、ついてくる?」

 

「ナギサ様からはお連れするよう仰せつかっておりますので」

「大仰だなあ。でも、こんなふうに連行されると手土産の一つも買えないじゃん?」

 

「お茶も、お菓子もナギサ様が用意してくださっているので必要ありません」

「いやいや……そういうのは気持ちがだね?」

 

「買い物や着替えを理由に逃げるかもしれないので見張っているように、とも承っております」

「――今日のナギちゃん、なんだか余裕がないね。これは何言っても無駄そう。じゃあ、さっさと済ませよっか」

 

 くるんと後ろを向いて歩いて行く。

 

「……ミカ様、ナギサ様の家はその方角ではありませんが」

「え、知らないの? 今日はシャンゼリゼ通りでパレードがあるんだよ。ちょっとだけでも見ておきたいじゃん」

 

「まあ、多少の遠回りなら構いませんが」

「というか、遅いぞー? そんな歩き方じゃナギちゃんの家に着くまでに日が暮れちゃうぞ」

 

「いえ、そこまで距離は離れておりませんので」

「……はあ。話しづらい」

 

 そして、寄り道して時間をかけて……ナギサの待つ家に着く。

 

「あなたも来るの?」

「いえ、私はご案内を仰せつかっただけなので」

 

 案内役は帰って行った。

 おちゃらけた物言いで誤魔化しているが、実はミカは本当に心からナギサに会いたくなかった。特にわざわざ付けていたアクセサリーを壊してしまった今は。

 

「どうぞ、お入りください。ミカさん」

 

 入口でインターホンを押すのを躊躇っていると向こうから声がかかってきた。観念して門を開ける。

 向こう側には豪邸が見えるが、まあ本邸には居ないだろう。ナギサのことだから庭に居るはずとスルーして生垣の方へ進む。そこらへんは勝手知ったるなんとやらだ。

 

「――昨日ぶり、ナギちゃん」

「はい、昨日少し顔を合わせたきりですね。ミカさん」

 

 椅子に座り、紅茶を優雅に嗜むその姿。……だが、ミカはそれがナギサにとって限界を示していると知っている。本来のナギサなら会いに来た相手を無視するみたいに紅茶を飲まない。そもそも立って出迎えるのが礼儀だ。

 そこを外すのだから、なるほど本調子から外れている。

 

「失礼するね、ナギちゃん」

「はい、どうぞ」

 

 しかし、まあ……そんなことをされてミカが黙っているはずもない。喧嘩する理由が出来たとばかりにマシンガントークで迎撃するはずが……ただおしとやかに椅子を引いて座る。

 どちらとも、本来の姿からはかけ離れた姿だ。

 

「……」

「……」

 

 押し黙る。こんなことはなかった。最近、ずっとこうだ。本当に大切に思い合っているはずなのに、いざこうして顔を合わせると辛くなってしまう。

 

「あ、御免なさい。紅茶をどうぞ」

「……あ、ありがと。ええと、今日は何の用で呼び出されたのかな? ナギちゃん」

 

 その問いで、また互いに押し黙る。ミカは紅茶を呑んで誤魔化そうとするが、味がしなかった。

 

「……本日、アビドスでゲヘナの風紀委員会が騒ぎを起こしたそうです。どうも”なかったことに”となったようですが。――何かご存じではないですか、ミカさん」

「うん? 確かに騒ぎがあったね。対策委員会と、何かやりあってたよ。曲がりなりにも自治区として運営してるし、そのほかにも賞金稼ぎとかしてるみたいだし……」

 

 疑いと、当たり障りのない話で方向性を逸らす二人。

 

「いつからこうなってしまったのでしょう。昔は、三人の間に隠し事なんてなかったはずなのに……今はこうして、上滑りするような会話ばかり」

「……ナギちゃん。……ごめんね。全部、私がバカだから……私が……魔女……だから……」

 

「「……」」

 

 また、腹の奥底が重くなるような沈黙が落ちる。ナギサがぽつりと囁いた。

 

「無事に帰ってきてくれて良かった。どうして、これだけのことが言えないのでしょう」

「……ナギちゃん、何か言った?」

 

「いえ、何も言ってはおりませんよ」

「そっか。そうだよね。……ナギちゃんが、私を心配してくれるなんて」

 

「ミカさん。ミカさんは……何をしているのですか?」

「何を……って。昔から私は考えなしにそこらへんで遊んでいた子だったでしょ? 『シャーレ』の先生って面白そうな人を見つけたからつきまとってるだけ」

 

「先生……ですか。ミカさんがそこまで慕うということであれば、トリニティの大人とは違うのでしょうね。ええ、報告書からでも違うというのは分かりますよ」

「そうなの! 先生はすごいんだよ! 先生はとっても優しくて、恰好良くて、私の王子様で――」

 

「ミカさん、あまり興奮するものではありません。トリニティの生徒会長らしく淑女であることを忘れてはいけません」

「……あ、ごめんね」

 

「ですが、そこまでの方ならいずれトリニティにお呼びすることも考えておいた方が――」

「だめッ!」

 

「み、ミカさん? どうかしましたか? ……以前も、先生をトリニティにお呼びするのは嫌がっていましたね」

「あ、ごめんなさい。でも、今は駄目なの。時期が来るまで、トリニティに先生を呼んじゃダメ……」

 

「……言えない事情ですか?」

「うん。どう伝えていいかも、分からないし……」

 

「そうですか。では、言えるようになったら話してください。……おや、昨日付けていたアクセサリー。あれは……」

「……う。ああ――」

 

 ミカは酷く怯えた表情になる。ナギサは訝しんで手を伸ばそうとする。

 

「ミカさん、どうしました? 顔色が悪いですよ」

「――ッ! あんなの! あんなの捨てちゃった! ダサくて、安っぽくて――とてもトリニティの淑女が付けているようなものじゃない! もう要らなかったんだ!」

 

 叫んで、逃げるように飛び出してしまった。

 

「……ミカさん? これは」

 

 逃げたミカの席を見ると、古ぼけたハンカチが落ちていた。中に大事そうに包まれていたのは、壊れたアクセサリー。今まさに話していた、そのアクセサリーだった。

 

「ミカさん、このカップはミカさんに貰ったものなんですよ? 気づいていなかったようですが」

 

 ふう、とため息を吐く。

 

「やはり、ミカさんは私よりも敵の正体に近づいている。いつもは憎たらしいほどに自信満々なミカさんがあそこまで憔悴するような敵。……当然ですね、何せそいつはセイアさんを殺した相手なのですから」

 

 目を伏せる。一筋縄でいく相手ではないのだろう。彼女の強さは知っている。”個”ではどうしようもなかったのだろう。そして、正義実現委員会を動かしても駄目なのだろう。

 それほどの相手なのだ。

 

「どうぞ、安心してください。ミカさん」

 

 そのハンカチとアクセサリーを大事そうに握りしめる。

 

「必ずや私がエデン条約を成立させ、その敵を倒しましょう」

 

 声を落として、呟く。

 

「……例え私の命が失われようとも」

 

 

 

 そして、帰ったミカは。

 

「……ないっ! ない、ない、ない……! ナギちゃんのアクセサリーは? セイアちゃんのハンカチは? なんで、ないのぉ? 着替えた時、絶対にポケットに入れたはずなのに……!」

 

 ナギサが拾ったそれを探し求めていた。

 

「あは。……うん、そうなんだね。結局はそうなる運命だったんだ。ここに残して置いたら燃え堕ちる。だから肌身離さず持っていようと、そう思ったのに……結局は無くなってしまうんだ」

 

 目からぽろぽろと涙が零れ落ちる。だけど、それでも守ると誓った人が居るから。

 

「――でも、いいの。私は先生がお姫様だって言ってくれただけで救われてる。私はナギちゃんとセイアちゃんを助けるんだ……! 私の”何”を代償にしてでも……!」

 

 ミカはその道を突き進むだけだ。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第24話 陰謀未満の苦し紛れ

 

 

 そして、次の日にミカはアビドスまでやってくる。先生が帰って来ると信じて。そして、実際に先生は帰ってきた。

 

「ごめんね、心配かけちゃったかな? ちょっと病院に寄ってたら時間が取られちゃって」

 

 先生が無事であることはモモトークで夜に発信されていた。とはいえ、本当に無事であると確認出来たら気が抜ける。

 

「先生……本当にもう、心配かけて……!」

「それに病院に行ったのも用事とやらが終わってからですよね? まったく、自分の身体を大切にしてください」

 

 アビドスの面々は涙もろく先生の帰りを待ちかねていた。その横にホシノも居れば、と思ったが……そうでもなくても何かは掴んできてくれたのだろうと信じている。

 

「――先生。本当に良かった。生きててくれて……!」

 

 ミカが抱きついてわんわん泣き始めた。

 

「あはは。ごめんね、心配かけちゃったね」

 

 優しく頭を撫でて子供のようにあやす。しばし、温かな雰囲気が広がった。

 

「……さて、本題に行こうか。ミカも、私に力を貸してほしい」

「うん、先生のためなら」

 

 一つ頷いて。

 

「アヤネ、何か掴んだことがあるんだよね?」

「あ、はい! その通りです。風紀委員会の方が話していたことの一部が気になって調べました」

 

 アヤネは興奮している。それだけ凄まじい発見だ。

 

「うん。何がきっかけ?」

「自治区近くの戦闘で、と彼女は言いました。おかしいですよね? ここはアビドスなのに、まるで放棄地帯で戦闘しているみたいじゃないですか。――だから、調べました」

 

「そっか。よく調べてくれたね」

「はい、衝撃の事実です……! 皆さん、まずはこれを見てください! 直近までの取引が記録されてる、アビドス自治区の土地の台帳……『地籍図』と呼ばれるものです」

 

「地図……土地の所有者を確認できる書類だね……? でも書類なんて見なくても、アビドスの土地は当然アビドス高校の所有ではないかな?」

「私もそう思っていました。けれど、そうではなかったのです。セリカちゃん」

「午前中にお見舞いに行った時に、大将から話を聞いたの。柴関ラーメンが入っている建物はもちろんのこと、このアビドス自治区のほとんどが……私たちの学校が所有していることに、なっていないって」

 

「アビドス自治区がアビドスの所有じゃない。であれば、現在の所有者は当然……」

「カイザーコンストラクション……そう書かれています」

 

「……酷い自作自演を見せられた気分になるね」

 

 空気が沈み込んだ。今まで必死に努力してきたことは、結局は汚い大人の手のひらの上でしかなかったのだから。

 

「……すでに砂漠になってしまった、本来のアビドス高校本館と、その周辺数千万坪の荒れ地。そしてまだ砂漠化が進んでいない、市内の建物や土地まで……。所有権がまだわたっていないのは、今は本館として使っているこの校舎と、周辺の一部の地域だけでした……」

「コンストラクションが独自にやったこと……でもないよね?」

 

「カイザーコンストラクションはカイザーコーポレーションの系列です。アビドスの自治区を、カイザーコーポレーションが所有しているんです。ただ主導しただけ、コンストラクションが潰れてもどうにもなりません」

「正当な取引である以上、証文を焼いても無駄だね。真似事でしかなかったブラックマーケットの銀行と同じようにはいかない」

 

「とはいえ、おかしいですよね。学校の自治区の土地を取引だなんて、普通は出来るはずがないです。一体誰がこんなことをしたのかという疑問が残りますが」

 

 そこで黙って聞いていたミカが口を挟む。

 

「そんなの、前の生徒会に決まってるじゃん。ホシノちゃんなら知ってるんじゃない? いや、知らないかも……? トリニティすら先輩から秘密を聞いてないなんてよくあることだから、アビドスなんて……ね。でも学校の資産の議決権は生徒会にあるのは事実。それが可能なのは普通に考えて、その学校の生徒会だけ」

「……はい、その通りです。取引の主体は、アビドスの前生徒会でした。ミカさんの推測は、正しいと思います」

 

「ううん……だけど、アビドスの生徒会はもう2年前に無くなったはずじゃなかったかな?」

 

 来る前に調べた知識の使いどころ、と先生が口を挟む。

 

「はい。ですので、生徒会が無くなってからは、取引は行われていません」

「うん。これはもう決まりだね。前の生徒会が売り払っちゃって、時期的にホシノちゃんも特に聞いてなかったんじゃない?」

 

「何をやってんのよ、その生徒会の奴らは!! 学校の土地を売る? それもカイザーコーポレーションなんかに!? 学校の主体は生徒でしょ!? どうしてそんなこと……ッ!!」

「こんな大事に、ずっと私たちは気付かないまま……」

「……それぞれの学校の自治区は、学校のもの。余りにも当たり前の常識です。当たり前すぎて、借金の方にばかり気を取られて、気付くことが出来ませんでした。私が、もう少し早く気づいていたら……」

 

 暗く沈み込む。そして、こんなときいつも明るく励ましてくれた人のことを思い出す。

 

「こんなとき、ホシノ先輩がいてくれたらなんて言ってたかな?」

「……ホシノ先輩は怠け者だし、色々とはぐらかしてばっかりだけど、大事な瞬間には絶対に誰よりも前に立ってる」

 

「そうだったね、いつも絶対に先陣を切る」

「ホシノ先輩はいろいろとダメなところもあるけど、尊敬はしてる」

 

 今もホシノは行方不明だ。気まずい雰囲気が漂う。

 

「……では、どうして前の生徒会は、カイザーコーポレーションにアビドスの土地を売ったんでしょうか?」

 

 パン、と手を打ってアヤネが話を変える。

 

「実は裏で手を組んでたとか」

「別に私はアビドスの生徒会じゃないけど。でも、ちゃんと学校のためを思って色々と頑張ってた人たちだったんじゃないかな? 多分、最初は借金を返そうとして……って感じなんだろうね~」

「借金のために学校を売る……か。でも、ありがとうミカさん。顔も知らないけど、私たちの先輩を信じてくれて。ちょっと嬉しかった」

 

「……別に、あなたたちのためじゃない。でも、たくさん頑張ったのに結果が出ないからって裏切りを疑われるのは可哀そうだから」

「はい、私もそう思います。当時すでに学校の借金は、かなり膨れ上がった状態でした。ただ、それでもこのアビドスの土地に高値がつくはずもなく。少なくとも借金自体を減らすには至らなかった。それで、繰り返し土地を売ってしまう負の循環になってしまったのでしょう」

 

「……何それ、なんかおかしくない? 最初からどうしようもないって言うか……」

 

 もごもごと、セリカは独特の嗅覚で話のおかしな部分を見つけ出す。

 

「……そういう手口も、あるよね」

 

 先生が、顎に手を当てて考える。大人の視点で……というより、先生は企業を敵視しているふしがあるから。もしくは生徒の方に肩入れしすぎている。

 

「え? どういうこと?」

「アビドスは、悪質な罠に嵌められたのかもしれない」

 

「え? え?」

「あ~……。なるほど、そっか」

「……アビドスにお金を貸したのも、カイザーコーポレーション。カイザーローンが、学校の手に負えないぐらいのお金を貸して、利子だけでも払ってもらうために土地を売るように仕向ける――というような、罠」

 

「はい。きっと甘言を弄したのでしょう。……これでアビドス自治区そのものが、ゆっくりとカイザーコーポレーションのものになる」

「元々、そういう計算だったのかもしれないね」

 

「アビドスにお金を貸した時点で、こうなるように全てを……」

「だいぶ前から計画してた罠だったのかもね。それこそ、何十年も前から……。それくらい、規模の大きな計画だったのかも」

 

 企業による自作自演だったというのが先生の推理。ただ、ミカだけが疑問を持つ。

 

「それはなくない? それ、逆にカイザーコーポレーションを信じていないと成立しない推理だよ?」

「おや? どういうことかな、ミカ」

 

 反論された先生はすごく嬉しそうな顔をする。まあ、イエスマンでないところがミカの良いところであり悪いところでもある。

 

「お金を貸した時点でこうなることを予測していた……ってことはさ、原因不明の砂嵐がずっと続くことを知っていたってことだし。それを抜いても、ここまで赤字を垂れ流してそんな不健全な企業活動ができる? そして何より、砂漠化をどうにかしなきゃ不毛な土地を手に入れても利益にならないよ?」

「……うん。ミカの言うことはもっともだね? だけど、カイザーコーポレーションにどうにかできる手段があるとは考えられないかな?」

 

「そんな超技術はないよ。砂漠化がカイザーコーポレーションが引き起こしたものだったら……とちょっと考えたけど、さすがにそれを見逃すほど連邦生徒会長とSRTは甘くない。失踪するよりも随分と前の話だからね」

「そっか。でも……それは懸念を晴らすには至らない。というか、逆だよね? 全てがカイザーコーポレーションの思惑通りであれば手の打ちようがない。けれど、これらが全て次善の策でしかないとすれば」

 

「学校の借金、このアビドスが陥っている状況、そして私たちが先生と一緒に見つけ出してきたいくつかの糸口。全てが繋がりました。全ては苦し紛れの策。垂れ流した大赤字を少しでも取り戻すために……!」

「カイザーコーポレーションはまだ手に入れていない”最後の土地”であるこの学校を奪うために、ヘルメット団を雇用していた……! 不毛の土地だけ手に入れたところで、生徒会の権限が手に入るわけじゃない。けれど、学校そのものを手に入れれば!」

 

「カイザーコーポレーションの狙いはお金ではなく土地だった、という結論で良いと思います!」

 

「……ここで、ヒナちゃんから聞いたことが活きてくるね」

「ミカ、何を聞いたの?」

 

「アビドス砂漠……そこでカイザーが何かしているんだって。大赤字を取り戻すために大企業が縋るほどの”何か”がそこにある」

 

「あはっ! なら話は早いじゃない。実際に行ってみればいいじゃん! 何がなんだかわからないけど、この目で直接確かめた方が早いのよ!」

 

 セリカが拳をパンと打ち合わせた。

 

「ただ――御免ね。ホシノはそこには居ないんだ」

 

 先生が驚きの事実を口にする。

 

「え!? ど、どういうこと? 何で先生が知って……?」

「用事、だよね。それを調べてから病院に行ったんだ。ホシノちゃんはどこに囚われているの?」

 

 ミカが慌てず先を促す。

 

「――砂に埋もれたアビドス本校。そこに彼女は居る」

 

 ずうん、と空気が重くなる。

 

 攻めるべきは二つ。アビドス本校とアビドス砂漠。そこはカイザーの本陣、どちらにしても今まで相手にしたのとは比べ物にならないはずの敵が居るはずだ。

 

「ふふっ。なら……話は早いね」

「……ミカ? まさか」

 

 不敵に笑うミカ。

 

「アビドス砂漠は私が制圧する。何をやってるか知らないけど、滅茶苦茶にしてやれば邪魔できるし陽動にもなるから一石二鳥だね☆」

 

「み、ミカさん!? いや、いくらなんでも一人で挑むなんて無謀すぎます! 少し落ち着いてください!」

「アヤネちゃん。私は落ち着いてるよ。うん、ちょっと後で夜明けまで一人で戦わなきゃいけなくなりそうな予感があったし……いい予行演習じゃん?」

 

「いや、予行演習とかそういうのじゃなくて……敵はカイザーですよ!?」

「ミカ。できるんだね?」

 

 慌てふためくアビドスの面々と、冷静な先生。先生は私を信じてくれると、場違いなのは分かっていてもミカは笑みをこぼしてしまう。

 

「……先生。うん、犠牲になるつもりじゃない。大丈夫だよ。こう見えても、私はすっごく強いんだから」

「そっか。そっちは任せたよ。私は……アビドスの皆とホシノを助けに行く」

 

「うん。先生も気を付けて」

「ああ。ミカも無理をしては駄目だよ」

 

 しばし、抱き合って――

 

「行こう、アビドス本校へ」

 

「行くよ、アビドス砂漠に」

 

 カイザーという大勢力を相手に、二正面作戦が始まった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第25話 陰謀の果て

 

 

 そして、ミカはアビドス砂漠にたどり着いた。

 

「……なに、これ?」

 

 ずっと代り映えのない砂漠を歩いていたはずが、いきなり軍事基地が見えてきた。まずもってありえない光景だ。

 --いや、理由があるのなら軍事施設も建てるのだろうけど。ヒナのことを信じていない訳ではなかったが、実際に目にするとやはり驚きが先に立つ。

 

「アヤネちゃんにはここに地下資源は無いって聞いてる。……でも、これは明らかに開発現場。あちこちに飛んでいたドローンも、正気を失ったオートマタも人避けのためだったのね……!」

 

 それをするだけの理由は分からない。……だけど、これはそれをするだけの理由がある。ミカはいくらカイザーでもさしたる理由もなしに軍事基地を建てられないのは知っている。

 あそこは”企業”だ。冷静どころか冷血に利益だけを追い求める”大人”の組織。であれば、無駄遣いなど許されない。

 ああするだけの理由があるはずなのだ。それだけの金をつぎ込む理由が、そこにある。

 

「さて……と。ここで暴れれば大ごとだね。噂のFOX小隊に追いかけられてしまうかも。……まあ、ここで発掘している”もの”を公表できればだけどね」

 

 くすりと笑う。カイザーは前からとても気に食わなかった。支配者気取りで何にでも口を出してくる。

 ただ大きい企業だからとインフラを握ったつもりになって。結局、生徒会がなければ犯罪も抑えられないくせに。

 

「あは。あははははは! 滅茶苦茶にしてあげる。こんな辺境で悪だくみなんてするから、お金が無くなるんだよ。いっつもいっつも金金金と、馬鹿の一つ覚えみたいにさあ――」

 

 なら、ここで潰しておくのもいい薬だろう。

 どんな企みだか知らないが、どうせ悪いものに決まっているのだから。実力行使に否やはない。

 そう、聖徒会と戦ういい演習だ。ミカはその辺の主人公とは違う。先に起こることが分かっているならば、先に対策を講じて練習もしておく。たかがカイザーの部隊ごときにやられるようでは、無限に湧き出るそれを夜を徹して叩き続けるなどできはしないと断じている。

 

「ガラクタにしてあげる」

 

 銃を構える。狙いは定めた、覚悟は決めた。あとは身体を動かすだけ。身体を動かすのは得意なのだ。

 

「ああ……そういえば、正体を隠しておく必要があったんだったね。トリニティに逆恨みなんてされたらナギちゃんに迷惑がかかっちゃうもの」

 

 ケープを脱いで白い制服を着る。それなりに防弾性能があって動きやすい市販のコスプレ用品だ。

 最初からこうなると知って来ているのだから、準備くらいはしておく。弾薬も、たっぷりと持ってきた。

 

「……そういえば、7囚人だかに怪盗だのが居たんだっけ。罪、押し付けちゃおうかな☆」

 

 けらけらと笑って、警備兵の前に飛び出した。

 

「――誰だ!?」

「ここは私有地だ! さっさと出ていけ!」

 

 怒鳴りつける声に対して、ミカは銃弾で返す。

 

「私は怪盗。あなたたちが大事にしているものを奪いに来たよん☆」

 

 まあ、実はミカもその怪盗とやらを特に知っているわけではないのだが――

 

「まさか、7囚人……慈愛の怪盗か? だが、あれが盗むのは美術品のはず……」

「し……知っているのか?」

 

 しかし、まあこの見張りも中途半端にしか知らないのだ。知らない方はついでとばかりに蹴りとばしておく。

 

「おや、私のことを知っているんだ? そう、私は慈愛の怪盗。こういうのが表に出ないのは……公表できると思う? あれの正体も、あなたたちの失策も」

 

 仮面の奥でフフフと笑う。多分、かなりサマになっているはずだ。

 

「馬鹿な……ただの怪盗ごときが、カイザーPMCに立てつこうというのか?」

「し、知ってるなら何とかしてくれ……がくり」

 

 コントのような一幕は須臾に過ぎ去った。

 

「じゃ、あなたもおやすみ」

 

 怪盗を知っているそいつも銃で打ち抜かれて倒れた。

 

「さあ、どんどん行くよ!」

 

 門を蹴り開けて、銃弾をバラ撒いた。死屍累々の有様が広がった。が――さすがに傭兵。それで全滅することなどない。

 

「くそっ! 侵入者だ。撃て撃て撃て撃て!」

「メーデー! メーデー! 本部、応援よこせ!」

 

 向かってくる女に向けて弾幕を張りつつ、応援の要請を行う。

 

「あは! 遅い遅い! ゲヘナの風紀委員会は襲撃を受けたら即応するよ! 悠長にお電話なんて、お行儀の良いお利口さんでも相手にしてるつもり!?」

 

 だが、ミカは弾幕を耐えて前に進み敵を撃破する。多少のダメージを受けても前に進んだ方が結局は負傷が少ないのだ。

 即席のバリケードごと粉砕してやれば、立ち上がれる敵などもういないのだから。

 

「さて。こういうゲリラ戦では敵の武器を使うのが重要なんだっけ。あまり良くない銃だなあ。握りつぶしちゃいそう。まあ、これは適当に使えばいっか」

 

 自分の銃を背中に背負い、奪った二丁のライフルを構える。

 

「くそっ。第3キャンプの連中がやられてる!」

「仇を討て。撃ちまくれ!」

 

 そして、また集団がやってくる。

 

「敵の武器を奪って使う。聖徒会と戦っていたときはやってたけど……さて。どこまで行けるかな?」

 

 二丁拳銃で碌に狙いも付けずに撃ちまくる。さらに奪った手榴弾と弾薬をまとめて蹴り上げて敵本隊に叩き込む。

 もはやワンマンアーミーどころか火薬庫を叩きつけるような脳筋思想だ。

 敵の武器は使えたらラッキー、適当に使い捨てる。自分の武器はあくまで惜しむ。その両面を成立させることがコツと、あのときの戦いで思いついた。ならば、今度は実戦練習だ。

 

「くそっ! 俺たちの武器を使いやがって……!」

「だが、慣れていない武器でどこまで戦えるかな!?」

 

 強い敵が弾幕の中を潜り抜けてきた。しかも――

 

「うわ!? ジャムった!」

 

 給弾不良……弾はあるのに出てこない。こういうのは乱暴に扱うと暴発するから本来は丁寧に処置しないといけないのだが。

 

「我々の武器を奪って使ったツケが来たな! カイザーに逆らったことを後悔しながら死ねぃ!」

 

 敵が、近くまで来ている。ミカの異常な耐久力と言えど、近くから攻撃を喰らえば相応にダメージが入る。

 

「あは☆ なら――殴る!」

 

 ロボットの装甲がひしゃげるほどの一撃を叩き込んだ。更に暴発、彼の頭部に致命的な被害を与えながら、その脅威はミカにすら迫る。

 

「よっと!」

 

 ぶんと腕を振ると衝撃ごと叩き飛ばした。

 

「あと、手榴弾はいくらでもあるよ。まったく、こんなに弾薬を揃えて何を相手するつもりだったんだか!」

 

 また箱に詰まった手榴弾を蹴り上げる。バラバラと降り注ぎ――そこに別の銃でしゃにむに弾丸を叩き込んでやると敵部隊が壊滅した。

 

 

 そのころ、カイザーでは。

 

「――どうなっている!? 何が……何が起こっているというのだ!」

 

 カイザー理事が激高していた。カイザーにとって一番重要なアビドス砂漠の基地が7囚人、慈愛の怪盗に襲われているという事態。しかも、SRTとか7囚人全員であろうと相手取れるようにと用意したはずの部隊はどんどん溶けていく。

 敵は明らかにゲリラ戦の妙手の動きだった。まさか正義実現委員会や風紀委員会といった最強格でもなし、止められるほどの戦力を配置したはずだった。

 

「それに、アビドス自治区を制圧する部隊も次々とやられています! 先生とアビドスだけではありません! 他の自治区から増援が……!」

「対策委員会……! ずっと奴らが目障りだった。これまで、ありとあらゆる手段を講じてきた……それでも滅びかけの学校に最後まで残り、しつこく粘って、どうにか借金を返済しようとして!」

 

「カイザー理事……どうしますか!? 対策委員会の奴ら、アビドス本校に向かっています。これでは、『黒服』との契約が……!」

「あれほど懲らしめたのに、徹底的に苦しめたのに、毎日毎日楽しそうに!! 奴らのせいで、計画がっ!!! 私の計画があぁぁっ!!!!」

 

 激高して拳を机に叩きつけた。酷い音がして机が粉砕された。

 

「か、カイザー理事……」

「はぁ……ふぅ――。元々対策委員会は潰す手はずになっていた。そうだな?」

 

「は……はい。部隊は用意しています。ですが、予想外の増援が……」

「トリニティか? だが、トリニティだけならどうにかなる戦力だったはずだ。東から呼び寄せておいた兵力が奴らに足止めされたとしても、北からの進軍する手筈となっている部隊がいただろう」

 

「そ……それがゲヘナの風紀委員会も参戦しています。たったの三人ですが……しかし、北からの部隊が押しとどめられています」

「全軍をもってしても打ち破れ! 対デカグラマトン大隊も呼び寄せろ!!」

 

 切れて叫んだ。

 

「ここは貴様に任せる。黒服との契約を果たせ! できなければ、もはや貴様にカイザーの居場所はないと思え!」

「……では、カイザー理事は」

 

「私はアビドス砂漠へ発つ! そこにはカイザーの悲願が眠っているのだ!」

 

 ヘリでミカの戦う場所へ移動する。ホシノのことについては、部下に任せる。とにもかくにも、カイザーの悲願のためにはアビドス砂漠の施設を守らねばならないのだ。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第26話 理事の意地

 

 

 

 黒服との契約、アビドス本校の守護を部下に任せた理事はヘリで砂漠へ出発し即座にたどり着いた。

 そう、そこは世界征服への悲願をかけた場所。誰にも奪わせないためにどこよりも厳重な警戒網を置き、誰が相手でも撃退できるようにと金に糸目を付けず建てた前線基地であった。

 その前線基地が、今は至る所から煙が上がり、空から見ても分かるくらいに崩壊していた。中心はまだ無事、悲願そのものが挫けたわけではないが許しがたい。それに、このままでは下手人がいつ中心にたどりつくかも分からない。

 ただ、その下手人は壁を蹴り破って移動するため見つけやすい。土煙を上げながら移動するそれを見つけた理事は腹の底から怒りの咆哮をとどろかせた。

 

「そこかああああああ!」

 

 激高とともにヘリから飛び降りる。落ちるのは一瞬、その中で渾身の力を拳に集中する。全力全開の一撃を叩き込むのだ。

 

「……ッ!?」

 

 とんでもない気迫を感じたミカは弾かれたように上を向き――迫りくる拳を見る。これを喰らうとマズい! そう感じて飛びのいた。

 

「ぬおおおおおおお!」

 

 重い音がして地面が砕けた。ミカが見てきた中でも上位に位置するその力……凄まじい気迫も相まって、あの”敵”の切り札――聖徒会の上位個体バルバラを思い起こす。

 

「――ふん。ここに盗みに来たものがあるらしいな」

「そうだよ。慈愛の怪盗だからね、色々と盗み……」

 

 ミカは冷や汗をかきつつ、ジョークを混ぜる。

 

「嘘を吐くな」

「……ッ! 何を――」

 

 あまりの堂々とした態度にミカが動揺する。倒せない相手だとは思っていない。だが、気は抜けない。

 

「慈愛の怪盗には獣人の耳が生えている。そして翼もない。貴様は誰だ? 慈愛の怪盗など……見たこともないのだろうが」

「あは、バレちゃったか。まあ7囚人なら罪を押し付けても今さらかなって」

 

 だから、話はおのずと上滑りする。本心を見せずに、牽制ばかりを交わす言葉に真実などない。

 

「なるほど。あくまで正体は隠すということか。ゲヘナ、トリニティに続きアドビスに協力する第3の勢力か。……だが、そこまでしてアビドスに尽くす価値があるのかね?」

「どういうこと? 私は気に入らないから騒ぎに乗じてカイザーの大切なものをぶち壊そうと思っただけだよ。ほら、なんか向こうでお祭り騒ぎが起きてるじゃん。そっちに行かなくていいのかな」

 

「やはり、何も分かっていないな。我々が確保したアレの価値を。この基地の内部も知らないからただ暴れているだけなのだろう? ……まるで捨て駒だな」

「捨て駒? 私、強いから正面から全部こじ開けようと思っただけだよ。これは慈愛の怪盗さんのやり方とは違うらしいけど」

 

「誰が正面から押し入ってただ暴れるような仕事を請け負う? そんなことをするのはただの馬鹿だ。深く入るにつれ敵に囲まれ、体力が尽き――それで終わりだ。何を吹きこまれたか知らんが、そいつらはただ貴様を利用しているだけだよ」

「……利用。利用、かあ」

 

 ミカは少し考える。こいつはどうも誤解している。ミカのことをエージェントか傭兵だのと思っているのだろう。

 まあ、そう思うならその感想も仕方がない。”何を”調べたいのかも分からずに派遣され、ただ騒ぎを起こしている。馬鹿げた任務だ。

 けれど……まあ、ミカは喧嘩を売りに来ただけだ。それも正体を隠して。

 

「ああ、認めよう。貴様は強い。このカイザーの前線基地をここまで破壊したのは貴様がはじめてだ。あのFOX小隊ですら、ここまでのことは出来んだろう。ああ、貴様の力を認めてやろうではないか。貴様の提示された額の10倍は出してやる」

「は? 私を雇いたいって本気? ここでのことを水に流すって?」

 

 しかも、雇われていることを理事は疑っていない。そこは仕方ない、友情だ何だと以前にそんな世界観には生きていない。

 世界の全ては会社の上下関係に通じる。上か下かだ。

 --もっとも、その意味ではミカは上に当たり……”雇う”方だから、どう転んでも彼の勘違いでしかないのが笑えて来る。

 

「そうだ、貴様の力があれば心強い。被害総額を考えても、貴様の存在でお釣りがくる。カイザーに忠誠を誓え。そうすれば富も名誉も思いのままだ。我々とともにキヴォトスを支配しないかね?」

 

 まるで魔王のようなことを言い出したカイザー理事。鷹揚にその手を差し出した。

 その手を握れば、カイザーに迎え入れられるのだろう。向こうは営利団体、未来の権益のためなら誰とでも手を組む。まあ、生徒会長の地位はそれにしても高すぎるけど。

 

「あは。でも、ごめんね。私、機械油の匂いってダメなの」

 

 ミカはその手を打ち払って拒否した。

 

「……小娘が。下手に出れば付け上がりおって。ならば、その選択を後悔させてやる!」

「ううん、あなたの思っていることは違うよ。だって、私はお金を貰ってここに居るわけじゃない」

 

「金じゃない……!? ならば何故ここに居る? 破壊の快楽に酔うだけの賊か!? そのような浅ましい破壊魔に、カイザーが膝を屈するわけにはいかぬのだ!」

「違う! 私は――大切な友達を守るために、ここに居る!」

 

 理事の機械腕とミカの銃がつばぜり合う。すさまじいパワーだ。ミカと一瞬でも力比べできるだけの出力は、PMCの誰にもなかった。

 

「友達だと!? 下らん、そんなものは幻想だ! 幼稚な勘違いだ! 実態のあるものは金以外に――ない!」

「お金で――友達が救えるものか!?」

 

 鍔迫り合いは交差し、互いに距離を取った。これもPMCとは違う。壁に叩きつければ終わっていた。それが出来ないのは、単純に相手の全身機械の出力が高いということ。

 

「幻想に浸るならば、勘違いにでも酔っているがいい! 我々の悲願の邪魔はさせんぞ!」

「うるさい! 私は……友達を救うためなら何でもすると決めた!」

 

 ミカは銃を撃ち放つ。

 

「チィィィィィィ……!」

 

 煙を噴き出す剛腕が全ての銃弾を弾く。レベルが違う。これが本当の強敵、だが――生徒ならばそれだけの力をもった者も居ないわけではなかった。

 それこそ正義実現委員会なら、ミカの一斉射を拳でなくてもダメージなしで切り抜ける手段を持つ者はいる。

 

「壮大なばかりで、中身の詰まってない空想論もここまで。沈みなさい、カイザー理事……!」

 

 最後のトリガーを絞る。奇跡を空中に放射していた、引き絞った瞬間に”それ”は実体化する。

 --隕石が。

 

「な!? 馬鹿な、この規模の奇跡を扱うか!」

「これで、終わりィいいいいい!」

 

 理事が自分を狙う隕石を注視する。速く、重い――まさか、あれが幻覚などではないことはひりつく肌の感覚から分かる。

 部下であれば、誰一人耐えられぬ凄まじい攻撃だった。だが――

 

「私は! 悲願を達成するため……! どこまでも我が財産を投入して自らを強化してきたのだ! 隕石ごとき――殴り返してくれるわ!」

 

 首にかかったネクタイを引きちぎる。バツンとスーツが破れて隆起した機械が凄まじい排気を伴いながらエンジンの回転数を上げていく。

 

「ぬぅうううううううん! 砕けよ……『鉄拳(アイゼンファウスト)粉砕(ツェアマーレン)』!!」

 

 言葉通り、隕石を殴って破壊してしまった。

 

「嘘……」

「いいや、現実だ」

 

 奇跡の使用でミカの動きが止まった。あれだけの威力を放つには、技後の硬直という代償が必要だった。

 あまり自由意志の無かった聖徒会が相手ならそれも問題がなかった。だが……

 

「……ぐっ!」

「子供は大人には勝てない。その真理を刻みつけろォ! 『鉄拳(アイゼンファウスト)紫電(ブリッツ)』!!」

 

 その2秒は理事にとっては十分すぎた。恨み、憎しみを十二分に籠めた渾身の鋼の拳……その一撃がミカの腹にめり込んだ。

 

「っが……は――」

 

 意識が途切れる。口の端が切れて出血する。そのまま瓦礫の中に叩き込まれる。

 

「お前はよく頑張った……が、ここで終わりだ。もはや仲間になれとは言わん。ここで始末を付ける」

「ねえ……カイザー理事。私は……どうすれば良かったのかなあ。支配したくて、親友を裏切って。あなたたちの世界征服よりは小さいかもしれないけど、私の世界は征服できるはずだった。でも、本当は……欲しいのは世界なんかじゃなくて、親友だったよ……!」

 

 瓦礫に埋もれたミカは身動きができない。流れた血と相まって絶望的な雰囲気が漂う。

 いや、できなさそうに見える。扉ではなく壁から出入りができる彼女がその気になれば粉砕できるのだが。

 

「そうか、貴様はどこかの自治区を支配する寸前までたどりついたか。だが臆病風に吹かれたと。実にくだらん質問だ。何をしたとしても、権力で言うことを聞かせればいいだけの話だ。親友とやらも、金で従わせればいい」

「駄目だよ。死んじゃったら、もう会えないんだよ。私は失いたくなかった。本当に失いたくなかったのに。……なんで、ああなっちゃったんだろう」

 

「計画が上手く行かないことはよくあることだ。だが、そんなものは後で挽回すればいい。過程ばかりにこだわるのはガキらしい拘りでしかない。結果さえ出れば良いのだ。そう、権力さえ掴めば――何とでもなる」

「……権力。でも、一番偉いのは確かなのに、彼女はとても苦しそうだった。権力だけじゃ、解決しないことだってあるんだよ」

 

「いいや、権力さえあればどうにでもなる。全てを支配する”恐怖”さえあればな……! 一番が最大とは限らない。他人が引き釣り落とせる程度の一位であれば、まあ楽しくもないだろう」

「恐怖……! 恐怖で、ゆるぎなき一位を? 彼女は、十分な恐怖の器ではなかった……。ゆるぎなき頂点を手にするには……!」

 

「話過ぎたな。では、死ね」

「……まだ、だよ!」

 

 近づいた理事が拳を振り下ろす一瞬、先にミカが瓦礫の中で身を反転。自身が埋もれた瓦礫の鋭い箇所に削られようと意にも介せずに蹴りを放った。

 理事の足が折れる。だが、あまりの硬さに蹴ったミカの足も傷ついた。

 

「チィ――」

「痛い……でもね、こんなのより親友を失ったときの心の方が……痛い!」

 

 だが、理事はロボット。痛みなど感じないのだ。もう一度拳を握って、満身の力を籠めて打ち下ろす。

 

「小娘ェ! 勝つのは私だ!」

 

 その一撃は、確かにミカの顔面を捉えて――鼻血を噴き出したミカの美貌は今や見る影もなくなった。

 ……それでも。それでも、譲れないものがあるから。

 

「それでも、私は……救いが欲しいんだ! 恐怖が全てを支配するというのなら、私が――勝つ!」

 

 ぐらりと揺れた視界。けれど我慢して殴られた腕を掴む。技も何もなく、ただの腕力でその機械の腕をひねってちぎり折った。

 

「ぐが――こ、この……!」

「倒す……! 倒す!!」

 

 そのまま理事を後方に押し込み――押し倒す。どちらも限界が近い。片足が折れて、片腕がちぎれてなお立つ理事も……その美貌を血に染めて歯を食いしばるミカも。

 

「まっ……!」

「私が――私が恐怖に……!」

 

 理事が命乞いをする……その一瞬前に、肘で全ての力を籠めて彼の身体を瓦礫に叩き落とす。

 ミカも必死だ。そこまでさせた理事は強かったが……

 

「が――あっ!」

 

 右胸部までが完全に破壊された。理事の眼から光が消える。強かった理事も、こうなっては抵抗する術などない。機械油が血のように滴った。

 

「はぁ。……はあ……」

 

 ……決着が付いた。

 ミカが立ち上がる。周りに立ち並ぶはPMCの部隊。理事とミカの戦いについてこれず、遠巻きに眺めていた。

 理事を倒した強者に立ち向かおうという者は存在せず、モーセのように人波が割れた。

 

「--そっか。そういうことか。大人ってすごいんだねえ。”恐怖”か。恐怖があれば支配できる。それが、大人のやり方なら……私にも出来ると、そう思うから」

 

 虚ろな笑いを浮かべたミカはきびすを返す。PMCは頭を上げずミカを通した。そして、その後ろでは理事を救出しようと必死の救護が行われていた。

 

 

 





 理事をここまで盛ったのは私くらいでしょう。ミカと政治で語り合って欲しかったのですが、雑魚だと倒して終わりなので……
 ここで倒して収監された理事がキヴォトスの危機で司法取引で協力してくれたら熱いですね。実際はカイザー内部で”処理”されてしまうでしょうが。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第27話 アビドス騒動の終わり、そして

 

 

 ボロボロになったミカは、その足で今やなじみの深くなってしまったアビドスへ足を運ぶ。ホシノが捕らえられていたアビドス本校は、やはり砂漠に埋もれて終わった場所でしかない。合流するとしたらそこじゃないから。

 短い期間なのにやけに馴染んでしまったその教室へと足を踏み入れ、先にホシノを取り戻して帰ってきたメンバーと合流する。

 

「「「――おかえり、ミカさん」」」

「うん、ただいま。とは言っても、私はトリニティなんだけど……」

 

 そして、みんなが笑顔で出迎えてくれた。ミカはちょっと照れくさくなって横を向く。

 

「よくがんばってくれたね、ミカ」

「……うん」

 

 そっちを向くと、先生も……頭を撫でて褒めてくれた。ただそれだけで全てが報われた気になる。

 血を流して、痛い思いまでして――カイザーと戦ったことも。このためだけにあったとしても、それでいいと思えた。

 

「あはは……ミカさんもおじさんを助けるために頑張ってくれたんだってね。うへ。……その、ありがと――」

 

 照れたように、目を逸らしながら頬をかいているホシノ。けれど、ミカは目を細めてカツカツと彼女のところまで歩いていく。

 先生に褒められただけで全てが報われた。けれど、それはそれとしてはっきりとさせておかないといけないことがあるから。

 

「あの……ミカさん?」

 

 疑問符を浮かべるホシノの頬を、パアン、と音も高らかに平手で張った。

 

「……あ」

 

 赤くなった頬、ぽかんとした表情を浮かべたホシノにミカはぐいと顔を近づける。そう、ミカは怒っていた。

 ホシノの事情など知る由もない。友達とは思ってるけど、そこまで教えてもらってはいないのだ。けれど、同じ3年生で、そして同じく生徒会だから分かることもある。

 

「二度とあの子たちを悲しませるようなことをしないで。責任を放棄して逃げ出すなんて……そんなことは許さない」

 

 ふざけた様子など微塵もない。逃がさないとでも言うように目線を合わせて言い切った。ホシノはその烈火に燃える視線を真っ向から受け止める。

 悪いことは分かっている。いや、まさに今自覚したから。

 

「――うん、そうだね。思い返してみたら、そういうことだった。自己犠牲なんて格好付けて、でも私は逃げたかっただけだったんだ。おじさんがやったことは、ただそれだけだった。……逃げ出した先に、良い事なんてあるはずないのに」

 

 熱を持った頬を確かめるように撫でる。罰の象徴だと思えば、それも心地よい。少なくとも、覚悟は刻み込めたと思うから。

 

「正しく在らねばならない、そう思ってた。けれどあれはやりたくないことから逃げて、全てを捨てただけ。うん、おじさんのそれ(退学届け)はそういうものだった。先生も、おじさんを叱ってくれなかったからね……」

 

 そっと、顔を横に向ける。シロコに、ノノミに、アヤネに、セリカに向けて言う。「ただいま」は言った。でも、こっちはまだだった。

 そう、裏切ってしまったんだ。だから、謝らないといけない。

 

「みんな、ごめんなさい。一緒に居ることを諦めてしまって。だから、おじさんは誓うよ。二度とみんなを置いてどこかに行ったりしない」

「……うん。当たり前だよ。例え逃げ出しても、絶対に何度でも連れ戻すんだから」

 

 シロコが返し、皆がうんうんと頷いている。先生は良い光景だなあ、と言わんばかりに涙がちょちょぎれている。

 

「でも、ミカさんには謝らないよ。お礼の方はもう言ったしね」

「うん。それでいいよ。……私に、偉い事を言う資格なんてなかったから。ごめ……」

 

「だめ」

 

 唇に指を当ててその先の言葉を封じる。恒例の、何かのトリガーが引かれたとたんダークに落ちるミカにストップをかけた。

 

「ミカさんだって、たくさん悩みがあるんだね。何もできない自分なんて消えてしまえばいいって思う気持ちも分かる。おじさんとミカさんは同じだよ。でもね、ミカさんはそんなおじさんを叱ってくれたんだから――」

「……ホシノちゃん? でも、私がやっていたのは所詮私のためで。先生に頼るばかりな私は……」

 

「だから、困ったときは頼まれなくても勝手に助ける。間違ったことをしてしまったら一緒に過ちを取り返してあげる。謝らなくていいんだよ、お礼を言ってくれれば。……アビドスはもう、あなたの味方だから。……ね、ミカちゃん」

「ホシノちゃん……! いいの? 私、とっても面倒な女だよ? 裏切るかもしれない。皆のことを利用するかもしれないんだよ」

 

「利用じゃないよ、どんなことだって頼ってくれていい。だって、私たちは友達なんだから」

「……」

 

 他の皆を見る。それぞれ温かく受け入れていた。

 

「今までのこと、色々とありがとう。これからも助けたり、助けられたりしながら行こう。学校が違っても、心は一緒だから」

「うん、ありがとう」

 

 ミカが頷く。

 

「――さて! ミカさんはちょっとこっちに来てください。治療をしちゃいましょう。あ、先生は覗いちゃダメですよ?」

「あはは。それは遠慮しておくよ」

「ええ。先生なら……見られても……いいよ?」

 

 ぼろぼろになった制服、お腹の部分をぺらりとめくる。しこたま殴りつけられたはずのそこには傷一つ残っていない。

 まぶしい真白なお腹が曝け出されそうになる。

 

「えっちなのはだめ」

 

 シロコが後ろから先生の目を塞ぐ。

 

「ええと……シロコちゃん? それってお腹を見せるより逆にえっちでは?」

「? ノノミ先輩、どういうこと」

 

「ええと……シロコちゃんのお胸が先生の背中にですね」

「それが何の問題?」

 

「ちょっとシロコちゃん! そんなことするなら私だって……!」

「はい、ミカさんはこっちで大人しく治療を受けましょうね。まあ、ミカさんはもうほとんど治ってるみたいですが」

「今さらながらとんでもない治癒力よね。ホシノ先輩も一応生徒会だったって話だし、これ生徒会って強い人じゃなきゃなれないの?」

 

「あはは、それは違うよセリカちゃん。私やホシノちゃんが特別なだけ。ナギちゃんは普通の女の子だし、セイアちゃんなんてちょっと小突いたら死んじゃいそうなくらい病弱で……」

「はい、またいつか話してくださいね。これから、いくらでも時間はありますから」

 

 優しく治療するノノミ。そして、少々の雑談を交えて。

 

「――さて! これで本当に一息付けましたね。終わったって感じです。状況を少し整理しましょうか!」

 

 パンとアヤネが手を打ちつける。解説したがる癖でもあるのか、意気揚々としている。

 

「うん、お願いできるかな。いやあ、まとめてくれるとシャーレの報告書に書くときにそのまま使えるから楽でいいね」

「あはは。先生がそういうところをサボらないでほしいですが、まあいいでしょう」

 

 アヤネは嘆息してそのまま続ける。ボードに情報を書き込んでいく。

 

「元々は『ヘルメット団』等の不良の襲撃に悩んでいた私たちアビドスが、『シャーレ』に救援を依頼しました。そして、先生はミカさんを連れて来てくださいました」

「あれは衝撃だったよねえ。先生は行き倒れてるし、なんか薄汚れた学校に来たかと思えば不良の襲撃に合うは。てんやわんやだったよ」

 

「はい、そんな困った状態にありましたが――その全ては『カイザー』がアビドスに借金を貸し付け、それが焦げているから土地を奪おうと画策したものから始まっていました!」

「アビドス砂漠で何かしていたみたいだけど。ま、あれだけやっつければ当分は下手なこともできないでしょ。こっちでも随分とこっぴどくやられたみたいだし」

 

 けらけらとミカが笑う。まあ、実のところはカイザーの目論見なんて何一つ分かってないのだが……まあ、そこは流してしまって良いだろう。

 

「ホシノ先輩に人体実験を施そうとしていた施設を襲撃し、守ろうとしたカイザーの軍隊にもかなりの被害を与えました! もはや『カイザー』にはアビドスをどうにかできるほどの戦力は残っていません! 何やらアビドスの借金に不法な利息を付けようとしていたようですが、それもバレて法律上の最低限利息に変更されました!」

「カイザー本体までぶっ潰せばアビドスの借金もなかったことにできたけど、向こうも大企業だからそこまでやると他の自治区から横やりが入るしね。でも、もう少しダメージを与えられればなー」

 

「はい。アビドスの問題が全て解決したわけではありませんが……不良を操っていたカイザーに打撃を与え、ホシノ先輩も取り戻しました。これ以上を望めば罰が当たってしまうでしょう。おおよそ、最良の結果を掴めたと言えます」

「うん。これ以上は他の自治区も巻き込んだ戦争になっちゃうもんね。互いに手打ちにするなら申し分のない条件かな。……先生も、誇らしいんじゃない?」

 

「ううん……私としてはもやもやが残る結果だけれどね。結局、アビドスの借金は残ってしまったわけだし。ただ、皆の助けになれたようで良かったよ。後は私に任せて欲しいな」

「はい。『カイザー』のことは先生にお任せします。アビドスはこれから落ち着いて借金返済について考えることができます。本当に、ありがとうございました! 先生、ミカさん」

 

「うん。また困ったことがあればいつでも相談してね」

「あは、じゃあサボりがてらまた顔を見に来てあげるよ」

 

 これで、本当に終わりだ。まあ、それは物語であったらの話。実際にはこの後も人生が続いている。

 全ての問題が解決されたわけではない。アビドスの借金はなくなっていないし、ミカにしたって”敵”への対策は何一つとして進んでいない。ただ、アビドス編が終わっても誰一人死んでいないと、ただそれだけ。

 

「うへ。いつでも来てくれていいけど、遅いとおじさんたちがトリニティに行くのが先かもね? 色々と良いお店もあるって話だし」

「いいですね。トリニティのマーケットには一度行ってみたかったんです」

「ん。……そう言う訳だから、案内をお願いね。ミカさん。みんな、都会とか馴染みがなくて迷子になるかもしれないから」

「シロコちゃーん、おじさん迷子になるほどボケてないよー。あと、シロコちゃんこそ都会なんて馴染みがないでしょーに」

「私はロードバイクで慣れてるから道を覚えるのは得意」

 

「――そうだね、歓迎するよ」

 

 けれど、得たものはあったのだ。アビドスとの絆、先生と仲良くなれたこと。無駄だったはずがない。だって、心がこんなにも温かくなるのだから。

 

 また、雑談に花が咲いて。

 

「いや、もうこんな時間か。私はシャーレにもどって報告書を書かないといけないから、ここで失礼するね」

「じゃあ、私も出ようかな。あまり遅くなっちゃいけないしね」

 

 外が暗くなってきたから、二人は立ち上がる。さよならする、その気になればまたいつでも会えるのだから。

 

「じゃあ、また。ミカさん、先生」

「「「またね」」」

 

「うん。またね、みんな」

「あは、ありがとね。みんな……ずっと友達だよ☆」

 

 また次の約束をして別れて、しばし二人で歩く。

 

「ねえ、ミカ。まだ話せない?」

「………………うん。ごめんね、先生」

 

「いいよ、その時を待ってる」

「次は、『ミレニアム』の子達を助けてあげて。それがきっと、先生のためにもなる」

 

「ミカ?」

「ううん。こっちも詳しいことなんて分からない。でも、ミレニアムは先生の力が必要だし……先生も、ミレニアムの力が必要になるはず。……だから」

 

「うん、そうだね。君も、そういうことを言うんだね」

「君も?」

 

「私なら同じ選択をするはずだからと、託してくれた人が居た。ミカは……死ぬ気ではないよね?」

「うん……先生の言っている人のことは知らない。でもね、私は欲張りなんだ。どうしても、友達と……そして私が笑っていられる未来を諦められない。死にたくなんてないよ」

 

「なら、どうしようもなくなったら私に頼っておいで。大丈夫、先生が必ず何とかするよ」

「……先生、ありがと。そう言ってくれるから、がんばれる。きっと、先生さえ居てくれれば最後はハッピーエンドになるんだから……!」

 

 二人はそっと寄り添って帰り道を歩いて行く。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第28話 ナギサの罠

 

 

 そして、ミカはトリニティに帰ってきた。治療を受けて傷痕は隠れているし、ぼろぼろになった制服は複数用意してあるセーフハウスの一つで着替えてきた。

 ここまでのダメージを受けたのは初めてだが、暗躍と言えばこれまでに何度もやってきたことだ。何の問題もないはずだった。

 

「――おや。なんでこんな薄暗い通りにナギちゃんが居るのかなあ?」

 

 身を隠しながら帰る、その途中の道にナギサが机とティーセットを広げていなければ。明らかに待ち構えられていた。

 周りには武装したティーパーティーの構成員。一見して罠にかかったと分かる。後ろを向いて逃げ出すのは、そこは対策済だろう。敵が目の前に居る数だけなんてことはありえない、伏兵が居るはずだ。

 

「それはこちらのセリフです。ミカさん……『ティーパーティー』のホスト、その一人がトリニティを出て何をしているのです?」

「うん? そりゃあ、『カイザー』の吠え顔を見るのにちょうどいい位置取りをね? 物見遊山くらい許してよ。ナギちゃんなんて、ホント色々とやってたみたいじゃん。戦車まで出したみたいだね?」

 

 ミカはからかうような笑顔を浮かべながら、裏で必死に頭を動かす。

 アビドスに関わりがあることなんて調べれば分かる。そして、あの騒ぎは知っているというかナギサは戦力を供出しているから当事者の範疇だ。アビドス砂漠を強襲したことは知られていないだろうが、アビドス本校の決戦場近くに居なかったとするには逆に不自然。

 誤魔化すために、煙に撒くための物言いを心がける。

 

「はい。シャーレに貸しを作って置くのも悪くないと思いまして。それに、あの方々も少し調子に乗っていたのでここらがお灸を据える良い機会でしょう。ですが……あなたが現地に赴くことまではありません。物見遊山でも、ミカさんの立場であれば色眼鏡で見られてしまうものですからね」

「あはは。私が糸を引いてたみたいにでっちあげられるって? 心配しなくても、そんなへまはしないよ。トリニティの子たちは私の姿を見てないし、なんなら私の名前も知らないかもね。繋がりを気取られるようなことはない。実際さ、今日の私がどこに居たのかナギちゃんだって知らないでしょ。アビドスの”どこか”以上は調べられない」

 

 互いにまくしたてるような早口で一気に主張を語っていく。それは、政治活動で身についた言葉遣いだ。

 相手の意見を押しつぶすための論法である。歩み寄りではなく、潰して自派の権益を通すための嫌な言い方。友達相手にするものではないと自覚して、けれどついついそうなってしまう。

 

「……そうですね。ミカさんはいつもいつも目立っていて、居ないとどこに居るのだろうと思ってしまいますが……しかし昔から身を隠すと決めたときは、その足取りを追えませんでしたね」

「そう。ナギちゃんは昔からかくれんぼに弱かったもんね。すぐに負けちゃって、セイアちゃんが私のことを探すのが定番。私は隠れるのも探すのも上手だからそれ以外は勝負にならなかった」

 

「昔の話です。それに、今は個人の話など関係ありません。あなたが今日どこに居たか分からないならば、この後でゆっくり聞けばいいだけです」

「ゆっくり聞けば……ねえ。ナギちゃんのロールケーキは美味しいけど、やっぱりこんな薄暗い場所でのお茶会はごめんかな。というか、なんか変な匂いしない? こんな場所、せっかくの紅茶が台無しになってない?」

 

 顔の前でわざとらしくぶんぶん手を振る。まあ、ただの寂れた裏通りだ。治安のよいトリニティでも、ここは裏道だ。

 その分、捨てられた薬莢の匂いだとか想像もしたくない染みとかから漂ってくる匂いがある。まあ、異臭である。紅茶の香りなど台無しだ。

 

「……まあ、ミカさんをお待ちするのに時間がかかると思ったので。もちろん別のところでお話を伺いますよ。ここはお茶会の場に相応しくありませんからね」

「お話を……ねえ? ナギちゃん、気付いてる? ナギちゃんって普段はそんなに紅茶を飲まないよね。いや、1杯2杯ならともかくさ。それは何杯めかな、飲みすぎだよ。何をそんなに緊張しているのかな」

 

「緊張などしておりませんよ。ただ、少し手持無沙汰だっただけです。こんな場所では仕事もできませんから」

「あはは。こんなところで待ってるなんて、あいかわらずおバカさんだなあ。ナギちゃんは偉いんだから、どこかの機会で私を呼び出せばいいのに」

 

 ナギサが目を細める。表面を撫でるような探り合いは終わり。本音を聞かせて欲しい、とミカのことを睨みつける。

 ……怖い顔をしたい訳ではないのに、そうなってしまう。

 

「ミカさん。……ミカさんは、何をしていらっしゃるのでしょうか?」

「何を? いつもと変わらないよ。その辺をほっつき歩いて面白いものを探してるだけ」

 

「――そこまで、ゲヘナが憎いですか?」

「は? ナギちゃん、何を……?」

 

 ミカが怪訝な顔をする。けれど、すぐに気付く。やはり表立って動きすぎた。少しは気を付けていたけれど、疑心暗鬼を招くには十分すぎるほどミカは動いている。

 

「『正義実現委員会』と接触しましたね。それも、ゲヘナ嫌いで有名な羽川ハスミさんと。委員会室では具体的な話をしておられませんでしたが、”次”を約束したそうではないですか」

「それは……でも、違うよ。ハスミちゃんとは別に、ゲヘナのことを話してたわけじゃ……」

 

「そして、『シャーレ』。ハスミさんはシャーレに所属していました。そして、あなたも参加した。……とても興味深い組織です。連邦生徒会より強力な権力を持ちながらも、しかし武力を持たない張り子の虎」

「……あ。違う。違うんだよ、ナギちゃん。先生は……先生とのことは、そういうことじゃ……」

 

「シャーレの権力と正義実現委員会の力があれば、ゲヘナに戦争を仕掛けることも可能でしょう。そして、シャーレの力を余すことなくゲヘナ攻略に用いるためには――第三者を使うのが良い。『アビドス』……滅びゆくだけの田舎校としては慮外の力を持っているようですよ」

「それも違うよ! アビドスの皆とは、そんな関係じゃない! 私は……!」

 

「まあ、懸念があるとすればゲヘナもシャーレには注目していることですね。……ええ、ですがシャーレの引き込みに成功さえすれば、戦争の準備は整っていると言ってよい。あなたとツルギさんがツートップを張り、正義実現委員会が制圧、アビドスが遊撃部隊を担えば倒せない敵など存在しないでしょう」

「………………」

 

 ミカは黙ってしまう。違うと主張したいが……確かにその案には抗いがたい魅力を感じる。戦争ならばトリニティの生徒も傷つくが、今ナギサの考えて見せた作戦ならば負傷者は最低限で済む。

 さして苦労せずにゲヘナを潰せてしまう。例えゲヘナのテロリストどもが団結しようと踏み潰せるだけの戦力になった。

 

 まあ、最終的にはあの先生がOKを出すわけがないので机上の空論に過ぎないのだが。……とはいえ、先生に会ったことの無いナギサでは分からない。

 そこで必ず失敗するが、その前提さえ無視すれば成功確実に思える作戦だ。

 

「――ですが、エデン条約がある。私が進めている条約さえ締結されれば、戦争をする必要などありません。何も、あなたが矢面に立つ必要なんてないのですよ」

「……ナギちゃんには分からないよ」

 

 吐き捨てるような言葉を放つ。

 どうしてこうなってしまったのだろうとミカは目を伏せる。子供の頃は何一つ隠し事もなく、心が通じ合っていた。

 でも、今はどうだ?

 

 何一つ心は通じ合わず、建前と猜疑だけで上滑りするだけの会話。こんな睨み合うみたいなことは、昔はなかった。

 

「ミカさん、あなたは疲れているのですよ。だから、少しの間だけ休憩してください。……その間に私が全てを終わらせます」

 

 ナギサの目は優しい。だけど、目を伏せるミカからは見えていない。

 

「あは。休憩? 私は大丈夫だよ、必要ない。セイアちゃんと一緒にしないで! そもそも疲れてるのはナギちゃんなんだよ。だって、こんなの……爆笑ものじゃん?」

「――爆笑、とは。私、ギャグを言ったようなつもりはありませんが」

 

 ミカは弾かれたように笑う。まるで……魔女のように。

 

「あっはははははは! これがギャグでなくてなんなのさ!? まさか、本当に私が”お疲れ”なんて思ってる? ティーパーティーの子たちを連れてくるとして、数が足りないよ。2倍か3倍、近くに待機させているとして……それで私を倒せると思うとかさ」

「……待機、ですか? いえ、これで全員ですよ。友人と話すためだけにそんなにたくさん動員するわけにも参りませんから」

 

「へえ? じゃあ――たかが8人ぽっちで私を”ご休憩”させるつもり? いやあ、確かに休憩は必要かもね。お腹がよじれて痛くなっちゃったよ」

「ああ、それも勘違いです」

 

 カチャリ、と空になったティーカップを置く。ナギサが立ち上がる。

 

「……はあ? じゃあ、どうしようって言うの? むしろ、ここでナギちゃんを”ご休憩”させれば、エデン条約は白紙になる。これは、わざわざ私に機会を提供するようなものじゃん」

「いえ――ミカさんの相手は私一人です。私だけで十分です」

 

 ふわりと白い羽根を広げる。覚悟を決めた目でミカを見つける。……その目をミカははっきりとは睨み返せないけど、つまらなそうに舌打ちする。

 

「あは☆ それは笑えない冗談だなあ。ナギちゃん、喧嘩で私に勝ったことなんてないでしょ? なのに、ここで何をしようと言うの? そんな、ちっぽけな銃で……!」

「いいえ、今のあなたなら私一人で倒せます。気付いておられないのですか? ――ひどい顔をしていますよ」

 

 ミカはその目で見られることに耐えられなくなって無意識に下を向く。戦いにおいて相手を見ないなんて致命的だが、それでも何とかなるだけの実力差があった。

 

「……ッ! もういい! その大言壮語、後悔するんだね!」

「――後悔、ですか。いいえ、あの時のようなことを二度と起こさせないために私は……!」

 

 戦端は切って落とされた。

 

 ミカはSMGを構えようとグリップを握る。セーフハウスで銃弾は補給してきた。2倍や3倍では足りないと言ったのはただの事実。止めたければ剣先ツルギを連れてくるか、あと100倍の人数は持ってこい。

 

 けれど。

 

(……撃つ? 私が……ナギちゃんを? 撃ってどうなるの? また、セイアちゃんみたいに……!?)

 

 ミカは気付いていないけど、顔は真っ白を通り越して蒼白になっている。息の音がうるさい、誰だと思って……それが自分の息遣いだと気付いていない。

 

 そして、ナギサの方もふとともに吊るしたホルスターに収められた愛用の拳銃を引き抜こうとするが。

 

(撃つ。……私が、ミカさんを? 私は……私は、ただミカさんを守りたかっただけなのに。その私がなによりも守りたかったミカさんを撃つ……なんて)

 

 動きが止まる。実戦であれば致命的だが、本来なら数mの距離など一歩で詰められるミカは過呼吸でまともに走れていない。よろよろと歩くように足を踏み出した状態で。

 

(私の銃は不埒者を撃退するもの。ミカさんを撃退……撃退なんて。そんなことができるわけない。なら……!)

 

「――ッ! 覚悟なさい、ミカさん。そのかわいらしくてやかましい口を塞いでやりますから……!」

 

 掴んだのは拳銃、ではなくお茶うけに用意されていたロールケーキ。わしづかみにされたそれは、前と後ろから白いクリームをはみ出しつつナギサの手に収まる。

 

「……は?」

 

 SMGを握って、目の前の相手を打てば終わり。なのに、いくら願っても手は動いてくれない。

 そんなミカに、ロールケーキをわしづかみにして走ってくるナギサの衝撃的な姿が目に入る。

 

「そんな顔をしておいて、何が”私は大丈夫”ですか……!」

「……待って、ナギちゃん。何を……もがっ!」

 

 長くてさらさらのクリーム色の髪を振り乱して、しとやかな白い羽根を振り回して――フォームも滅茶苦茶に走ってきたナギサは、ミカの口に握ったロールケーキを突っ込んだ。

 

「これで、喧嘩は……私の3敗……1勝です!」

 

 あまりの衝撃の前に目を回したミカは、そのまま倒れてしまった。気のせいか、倒れる前よりも穏やかな顔をしていた……

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第29話 優しい監獄

 

 

 そして、ミカはベッドの上で目を覚ます。

 

「……負けた?」

 

 ロールケーキを口に突っ込まれて気絶するとか、記憶から削除したい黒歴史確定だ。どんな負け方なのだ、あれは。

 言い訳をしたいけど、聞いてくれる人がいるわけもない。

 

「――」

 

 何秒か虚空を見つめて、自分の中でなかったことにする。

おのれカイザー理事、ナギちゃんの前で気絶するようなダメージをよくもぶちこんでくれたと八つ当たりして今後のことを考える。

 いや、そのとき既に完治していたが。

 

「うん。まあ最終的には予想の範疇かな。あのナギちゃんが実力行使するとは思わなかったけど、捕縛されたときのための準備はある。”前”は……うん、あの時も失敗からだったっけ」

 

 とりあえず切り替えることにした。前回はアリウスによるナギサ襲撃についていって負けたから牢獄に囚われた。時系列的にはもっと後。

 ただ、今回はかなり表立って動いていたし先生との関わりもある。前と同じになるはずと何も考えていなかったわけじゃない。この牢獄は”前”のとは違う場所だけど、仕込みはしてある。

 

「というか、これ……偉い人用の奴じゃない? ツルギちゃん用……もとい、強い人を閉じ込めておくためのじゃないよね。まったく、ナギちゃんも何を考えているんだか」

 

 壁をこんこんと叩く。音が厚い、ちゃんとした防音が入っている分硬いがそれだけ。これなら苦労せず破れそうだ。

 

「――」

 

 まず、扉を開けてみるが案の定鍵が掛けてある。中でも外でも鍵がなければ開けられないタイプだ。

 まだ蹴り開けるような時じゃない。次は部屋を調べて監視カメラがあるか調べる。

 

「……ないね。けど、見破りやすいカメラと違って音ならどうにでもなる。私でも見逃すことはあるよね。……ねえ、”ヒナちゃん”?」

 

 深刻そうに呟いた名は意味ありげだ。そして、それはもちろん意味ありげなだけだ。特に何かの意味を籠めた訳じゃない。

 けれど、ミカを知る者にとっては大ごとだ。ゲヘナの風紀委員長をちゃん付けで呼ぶなど、それは天地がひっくり返ったよりも驚くべきことだろう。

 

「…………うん、何の反応もない。誰も聞いてないね。ま、誰か聞いてるなら私が起きた時点で誰か来てるだろうしね」

 

 とりあえず部屋に仕掛けられたものはないと結論を出した。ならば……後は闇の中で動くだけだ。

 牢獄に閉じ込められることは予想していた。だから、準備はしてあるのだ。

 

「机から扉と逆方向に3……4歩。ここだね」

 

 何の変哲もないタイル、そこに爪をひっかける。別に大した力は必要ない、すでに切れ込みが入っているのだ。

 ひっくり返すと、くり抜かれた中にスマホが入っている。もちろん裏工作の賜物だ。

 

「うん。気付かれてないね、ちゃんとある」

 

 スマホ一個あれば何とでもなる。まあ、ティーパーティーの権力を剥奪されればできることは少なくなるが……

 ネットにアクセスすると情報が目に入る。権力は失われていないことは確認できた。一通り目を通して、更に情報を集めるように指示を出しておく。

 

「……さてさて。あまり問題はないかな? ナギちゃんも甘いよねえ。部屋に閉じ込めるだけで私の動きを縛ろうと思うなんて。ちょっと部屋を見てみようかな」

 

 1時間ほどかけてとりあえずやるべきことを終えたミカは、一旦おちついて部屋の中を見まわしてみる。

 物音を隠すために付けておいたテレビ、その向こう側にはガラスの机とふかふかのソファがある。他にも高級で洒落たダイニングテーブル。ちょっと軋むが、しかしまあ普通に高級品の域に入るベッドもある。天井にはシャンデリアがつり下がっている。それと白いオフィスデスクが壁に向かっている。

 一言で言えば、そこはただの高級ホテルだった。ただ、鍵が内側にはないのだけが違う。

 

「ま、少しは休ませてもらおうか……な? え?」

 

 何気なく目を向けたオフィスデスクの上、そこに古ぼけたハンカチとちゃちなアクセサリーが置いてあった。

 価値などなさそうな安っぽいそれ。だけど、ミカにとっては何よりも大事だったはずの。

 

「これ……ナギちゃんとセイアちゃんからもらった……! 良かった、私のところに戻ってきてくれた……!」

 

 走り寄り、それをかき抱いて大切に抱きしめる。失くしてしまったと思っていた。それが返ってきたのだから。

 

「……誰か、来た」

 

 涙を拭って、扉の方を見る。さすがのミカにも足音で主を判別するような忍者みたいなスキルはない。

 取り澄ました顔をして、ダイニングテーブルに座っておく。テレビも消しておいた。

 

「おや、もう起きていましたか。もっと寝ていても良いのですよ」

 

 扉を開けたのはくすりとほほ笑んだナギサだった。

 

「……ナギちゃん。何の用? 私を笑いに来たの?」

「思ったよりもミカさんが元気そうで安心しました。……笑うなんてことしませんよ。何か不足なものはありませんか?」

 

 楚々とした動作で、ナギサはミカの向かいに座る。護衛は居ない、舐めているのかとミカは目を吊り上げる。

 

「あは。ナギちゃんもお優しいことだね。スマホを奪ったくらいで私を何とかできると思った? それだけじゃ私を止めることなんて」

「……え?」

 

 ナギサが心底不思議そうな顔をする。ミカは不穏なものを感じた。いや、悪い予感と言うか……恥をかきそうな。

 

「起きた時、スマホを持ってなかったから。それに、スマホを取り上げられた上にここに閉じ込められれば何にもできない……普通はね」

「いえ……ミカさんのスマホなら……そこに」

 

 言い訳のように早口でまくしたてるミカに、ナギサはオフィステーブルを指差した。

 

「え?」

「あら? 私のアクセサリとセイアさんのハンカチがありませんね。そちらしか目に入りませんでしたか?」

 

「……あ」

 

 顔が赤くなっていくのが分かる。スマホはハンカチがあった場所のすぐ横に置いてあった。

 つまり、テーブルの上を確認したことはバレていて。自分のスマホにも気付かないほど夢中になったのを悟られた。嬉し泣きしたのも、取り繕って隠せたと思ったのに。

 

「ふふ。初めてのプレゼントは特別なものですよね」

 

 ナギサはティーカップを取り出して並べていく。

 

「何それ? 安っぽいカップ、ナギちゃんの趣味じゃないよね」

「ふふ。あなたから貰ったものですよ。まあ、そこもご愛嬌と言うことで。今日はこれを使いましょう」

 

 ふわりと優し気な笑みを浮かべて、ポッドのある場所に向かう。ミカを運び込む時にセットされていたのか、お湯は既に沸いている。

 

「ナギちゃん自ら淹れてくれるの? 最近は、あまりそういう機会もなかったね」

「ええ。連邦生徒会長の失踪以降、キヴォトスが荒れて……私もこんなにゆっくりと時間を使うこともできませんでしたから」

 

「今はいいの? 私なんかに構ってる場合じゃなくない?」

「そんなことはありませんよ。一番大切なのは、あなたと居る時間ですから」

 

「……ッ! それ、殺し文句? 私って、もしかして口説かれちゃってるのかな?」

「な……ッ! そ、そんなことする訳ないでしょう! あつっ!」

 

 動揺したナギサの指にお湯がかかる。

 

「もう、何やってるの。ナギちゃんってば、そそっかしいなあ」

 

 敵意に近い表情を浮かべていたミカだが、だんだんほだされて昔のような緩やかな雰囲気になっていた。

 お湯がかかったナギサの手を取って、口に含む。

 

「……ミ、ミカさん?」

「あは。このくらいならツバつけとけば治るよ。大した傷じゃない。……あ、でものこるような傷は駄目だよ。ナギちゃんがお嫁に行けなくなっちゃうからね」

 

「何の話ですか、もう。ミカさんは席についていてください」

「うん、そうするね」

 

 カチャカチャと、ナギサが紅茶を準備する音が響く。ある種、のんびりとした空気は二人の間には久しくなかったものだ。

 

「ねえ、ナギちゃん。私があげたカップ、三つあったよね」

「ええ、三組のカップです。もちろん持ってきていますよ」

 

「じゃあ、セイアちゃんの分も用意してあげてくれないかな?」

「ですが、セイアさんはもう。……いえ、分かりました。セイアさんの分も用意しましょう」

 

「うん、ありがと」

 

 そうして、三つの席と三つのカップが用意された。

 

 そして、改まってみると。

 

「……」

「……」

 

 沈黙が降りる。けれど、嫌な沈黙ではない。まだ確執は埋まっていない。ミカはナギサに何も話していないし、ナギサだって何かを解決できた訳ではない。

 何も変わっていないのに……

 

「こうやって、穏やかな時間を過ごすことは久しくなかった気がします」

「そうだね……ナギちゃんも私も、とっても忙しかったからね。それに、各派閥のホストとしての責務もある。昔と同じように、なんてできない」

 

「はい。こんなふうに二人切りになることなんてできませんでしたし」

「二人だから……か。ナギちゃんは私をどうするつもりなの?」

 

「どうもしませんよ。今まで通り、ホストの仕事を全うされてください」

「でも、私ここから出れないよね?」

 

「はい。ミカさんはここで安全にゆっくりと休んでいただければと」

「……仕事はするんだよね」

 

「ええ、何日も仕事を休まれてやり方を忘れたなんて言われても困るので」

「ナギちゃんのおにー」

 

「お勉強もしっかりとするんですよ」

「ひー。おに! あくま!」

 

「ふふ、なんとでも言ってください。ミカさんの頭が悪くないのは知っています。ですが、ちゃんと勉強をしなければホストに相応しい成績を修められませんからね」

「……はぁ。仕方ないなあ」

 

 一通りじゃれ合った後、ミカはナギサと目を合わせる。

 

「ねえ、ナギちゃん。何も聞かないの?」

「話してくれるなら聞きます。……話していただけるまで、待ちますよ」

 

「優しいね、ナギちゃんは」

「ミカさんと付き合うなら、これくらいでなくてはいけませんからね」

 

 くすくすと、からかうような笑みを浮かべる。邪気のない、こんな顔は久しく浮かべていなかったものだ。

 その顔を見て、ミカはなんだか安心してしまう。

 

「……」

「ミカさん? こういうときは軽口の一つも返していただきませんと……」

 

「……ごめんなさい、ナギちゃん。……全部、私のせいなの」

「――」

 

 神妙にミカの話を聞く。ミカが暴走を始めた日、未来の記憶を見たあの日にミカは取り乱してナギサに謝った。

 今度は、しっかりと正気を保ってのことだ。あれでは、謝っただなんて言えないから。

 

「うっ。ううう……」

「大丈夫ですよ、ミカさん。私は怒っていません。ミカさんが迷惑をかけるのはいつものことですから」

 

「酷いよ、ナギちゃん……今はまだ、何も言えない。でもね、大丈夫だよ。今日のは、ただのまねっこ。でも――いつかまた、三人でお茶会をできるようにするから」

「……はい。楽しみに待っています」

 

 そっと目を伏せて、俯いて涙を流すミカの頭を撫でた。

 

 暫しと言うには少しだけ長い時間それを続けて、ナギサは仕事があるからと帰って行った。

 そして、ミカは泣きはらした赤い目で3つ目の席を睨みつける。

 

 そこには何も感じない。だけど、そこにはセイアが居る。そういうことにしたから。冷めてしまった紅茶の水面が僅かに揺れた。

 ――まっすぐに見て、話しかける。

 

「ねえ、セイアちゃん。第5の古則〈楽園に辿り着きし者の真実を、証明することはできるのか〉――昔、あなたが教えてくれたこと。答えの出ない問いがあったね」

 

 その瞳には意思がある。たとえ傷つこうと、そして何を犠牲にしようと突き進もうとする”意思”が。

 けれど、ミカは最初から何も変わってなどいなかった。貫こうとする意思がある、セイアを殺してしまったと思ったときには暴走してしまったけど。けれど、ひと時も立ち止まってなどいなかった。

 

「私が答えてあげる。そう、ここが楽園だよ。証明? そんなもの簡単だよ。私はこんな場所(牢獄)は簡単に出れる。でね、ほっぺたを真っ赤に腫らした子がこう言ってくれるの」

 

 す、と目を細めた。挑むように、託宣のように口にする。

 

「『はい、ミカ様。ここが楽園です』――ってね☆」

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第30話…… 蠢く闇

 

 

 ミカが閉じ込められた牢獄は、豪華なホテルそのものと言った場所が示すように――”外から侵入させない”ための造りだった。

 未来にて閉じ込められたのは、それとは逆の”誰も脱出できない”牢獄だった。だから、簡単に不埒者が侵入して中の人間を叩きのめすなんてことができた。

 この場所では全てが逆だ。虎を逃がさないため、ではなく蟻一匹の侵入も許さないという設計思想。加えてティーパーティー傘下の生徒が1日中見張っているため、隙のない地下壕だった。

 

「――助けは要るか? 聖園ミカ」

 

 だが、鉄壁のはずの牢屋で侵入者が話しかける。

 いくら虎を捕らえるための特別製の檻であろうと、ミカはへし折って脱出した。ならば、闇に潜む者の中でも上澄みの実力を持つ者であればこの地下壕にも侵入できるのだ。

 

「……その声、錠前サオリだね。見つかるようなヘマはしてないよね? 足跡一つ残しただけでも全てがご破算だよ」

 

 ミカはふかふかのベッドに寝転がったまま、小声で答える。まあ、実際に生活は充実しているのだ。

 冗談半分で言った最新式のヘアドライヤーも、駅前の有名店のケーキも頼めば持ってきてくれる。それになにより、ここに居れば毎日ナギサが訪ねてくれる。

 実はかなり満喫していた。が、悪だくみをやめればそのナギサが居なくなってしまう。

 

「その様子だと心配は要らなそうだな。いや、違うか。絆された……ことがあれば」

「……vanitas vanitatum. et omnia vanitas.あなたたちの言葉だったよね? 全ては虚しいものだよ。忘れちゃった?」

 

「ふむ……まあいい。まだやる気はあるようで何よりだ。……だが」

「だが? 思わせぶりはやめなよ。何か文句でもある?」

 

 互いに剣を突き付け合ったような会話。だが、それで良いと扉越しに対峙する二人は思っている。

 背中も合わせず、目線すらも合わせず……ただ利用し合う関係だ。

 

「弾薬の供給量が規定に届いていない。遊びばかりに気を取られてこちらをおろそかにしてもらっては困るな」

「規定って。それはそっちの事情でしょ? それに、代わりに補給品の方を大目にあげてるじゃない」

 

「……それは感謝している。だが、弾薬が必要量に届いていないのは事実だ」

「必要量? それって何に必要な量? クーデターを起こして、ナギサちゃんをここに押し込めるには別に今まで渡した分で十分だよね」

 

「それは作戦が上手くいった場合に限る。正義実現委員会やその他の勢力と衝突することを考えれば、明らかに不足だ」

「そんなの、私がティーパーティーの権力を使って何とかするよ。大体さ、正義実現委員会をどうにかするつもりなの? トリニティの正式な戦力だよ、潰されちゃ困る。何を考えてるかわからない『シスターフッド』や『救護騎士団』ならともかくね」

 

「……では、『シスターフッド』と『救護騎士団』が動いた場合はどうする?」

「渡しただけの弾薬で勝てないなら、あなたたちなんて要らないよ。ねえ、そんな弱い子達なら、新しいトリニティの正規軍になってもらっても意味がないんじゃないかなあ」

 

「お前の懸念ももっともだ。アリウスがそれらと相対したときにはしっかりと撃破して見せよう。だが、それでも……弾薬に余裕が欲しい。例えばティーパーティーに従わない自警団が第三者として参戦して我々が負けたら、それはお前も困るだろう」

「……ま、そうかもね。でも勘弁してほしいかな」

 

「勘弁?」

「いやさ、私が派手に遊んでることに対して文句があるのは分かるけどさ。あの疑り深いナギちゃんがエデン条約を前にして目を光らせているんだよ? 飢えたこともないお花畑のナギちゃんじゃ、食料なんていくら無くなろうが気にしない。もしかしたら戦うためには食べ物が必要なんて意識もないかもね」

 

「……続けろ」

「まだ分からないかなあ? 食べ物くらい、いくら盗られようが気にしない。被害金額としてはそれほどでもないし、私個人で動かせるお金も使ってるからね。……けれど、武器弾薬は別って言ってるの」

 

「だが、やり様はあるはずだ。そもそも連邦生徒会長が失踪してから違法武器の流通は2000%上昇している。桐藤ナギサが関与しない武器など、いくらでも転がっているはずだ」

「……トリニティの”外”ならね。なに、私に自分でブラックマーケットに行って買い物して来れば良かったのにって言ってる? あは、ざーんねん。私、牢屋暮らしになったからお外に出れないの」

 

「それも選択肢の一つだ。我儘を言うな、聖園ミカ。弾薬を既定の量流してもらわないと困るのは互いに同じだ。できることがあるなら私も協力しよう」

「協力……ねえ? 分かってる? ナギちゃんが警戒する理由。武器、弾薬の流れを神経質なまでにチェックするのってさあ――元をたどればあなたたちのせいでしょ。私は、セイアちゃんを殺せなんて言ってない」

 

「……」

「……」

 

 ねばつくような沈黙が降りる。それは、ミカが一度も言ったことのない恨み言だった。

 

「ヴァニ……」

「分かってる。あなたたちに何も決めることができないことくらい。〇〇〇番地にある廃屋、そこに行って」

 

「なに……?」

「お金が置いてある。ブラックマーケットで買い足せば、足りないにしてもご主人様の機嫌は取れると思うよ。分かってないかもしれないから言うけど、同じ店で大量に買っちゃだめだよ。手分けして、少しづつ買い込むこと。……あとは、たい焼きでも買うといいよ」

 

「協力、感謝する。買い込める弾薬の量にもよるだろうが、言い訳にはなるだろう……だが、お前は何を言っているんだ? たい焼きを買うことに意味があるとは思えない」

「銃弾を買い込むだけ買って姿を消すなんて、そこらのチンピラでもありえないよ。周囲に溶け込むことは大切だからね。スクワッドの皆で買い食いをするくらいで丁度いいんだよ。それとも、一人で済まそうと思ってた? それ、めちゃくちゃ怪しんでくださいって言ってるようなものだよ」

 

「……よくわからないが、忠告には従おう。アリウスは足跡を残すわけにはいかないからな。それで周囲に紛れ込めるなら、たいやきなど安いものだ」

「うん。そうしておいて」

 

「では、私はこれで失礼する」

「待って」

 

「……何だ? 手短かに頼む。見回りはあまり扉に近づかないが、あと数分で扉を視認できる位置に来る」

「長い話じゃないよ。その廃屋に弾丸を置いておいたから、受け取って」

 

「弾丸? なにか特殊なものか? なぜそのようなものを私に渡す?」

「誰かを傷つけるためのものじゃない。むしろ逆……撃つと血のりが広がって殺したみたいになる弾。殺したように見せかけるための弾丸だよ」

 

「……ただの弾丸ではキヴォトスの人間は殺せない。逆に不自然だと思うが?」

「それでも……あなたが誰かを殺すときには思い出して。その人は、本当に殺さなきゃいけない人なのかを」

 

「意味が分からんが……気にはとめておこう。協力者の言だからな。……少なくとも、お前の支援でアリウスの者たちは飢えることはなくなった。そこには感謝している」

 

 それだけ言うと、気配が消えた。

 

「……もう。そんなこと言われたら、憎めなくなっちゃうよ」

 

 ミカの目から涙が一筋零れ落ちた。

 

「けれど、あなたは私と同じなんだよ。聖園ミカは呪いを振りまく魔女で、錠前サオリは仲間を苦しめるだけの厄病神。そこに違いはない。――けれど、あなたはまだ落ちていない」

 

 きゅう、と唇の端が釣りあがる。誰にも見られていないのに、悪い笑みでも浮かべていないとやりきれない。

 

「私も落ちる。あなたも堕ちる。正直、私には”条件”なんて何一つ分からないんだよ。あなたのご主人様の正体すらも分からない。けれど、手順を踏めば……あなたと先生をあいつの元にまで連れて行けば条件は達成される。そのために仲良く堕ちましょう」

 

「――堕ちた場所でも、力尽くで救いを掴むことはできるから。それが望んだことではなくても……けれど、私たちが本当に望んだのはきっと――大切な友達の笑顔のはずだから」

 

 そうだ、”記憶”ではそいつのことは分からなくても先生がきちんと倒していた。そしてもう一つ、理事との対話で掴んだ心理。

 仮初に願った間違った野望ではなく、本当に大事なものを掴むため――ミカは動く。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第31話 ナギサの揺れる心

 

 

 そして、ナギサは今まで以上に心を決めて政務に励んでいた。

 

(――ミカさん、あなたの想いは受け取りました。また……3人でお茶会をしたいと言ってくれたこと、嬉しかったです。……けれど、もうセイアさんは居ないのです。あなたも、それは知っているはず)

 

 まさに鬼気迫る、と言った様子で机に向かっている。彼女のやることには誰も口を挟めない。強権をもってエデン条約の実現に向かって諸々を進めていく。

 

(だから……あなたにホストの座が渡る前に私が全て整えて差し上げましょう。エデン条約の成立、さらには”敵”を倒すことまで。セイアさんを殺した、その敵を倒さなければあなたに安寧は訪れない)

 

 ゆえに、ナギサは自らが悪とそしられようとも全てを完遂することを決めていた。ミカもそういう気質があるが、やはり幼馴染では似たところも出てくるのだろう。

 鬼気迫る様子で、他のティーパーティー傘下もナギサには口出しできない。どれだけの軋轢を生もうと一顧だにしない。それさえ終わったならば、自分の結末がどうなろうと文句はない。

 

「――少し、よろしいでしょうか?」

 

 そこに、無理やり入ってくる影が一つ。いや、更に後ろに幽鬼のようにのっそりと蠢いて続く影が続く。

 正義実現委員会の羽川ハスミと剣先ツルギだった。特にツルギは凶悪な気配を撒き散らして、まるで死神だ。

 

「今は忙しくて。後にして頂けると……」

「そういう訳には行きません」

 

 目線もくれずに書類に没頭するナギサに構わずに進んでいく。どうにか止めようとする護衛を無理やり押しのけてナギサの机の前に来る。

 

「……」

 

 それでもなおナギサは書類仕事を続けている。

 

「いい加減にしてください。いつもあなたはそうです。秘密主義で……人を信用しない。一人で全てを進め、他人の事情など斟酌しない」

「……」

 

 ナギサが書いていた書類をひったくる。そこで初めてナギサはハスミの方を見た。

 

「ですが、今回ばかりはそうもいきません。……ミカさんをどうするおつもりですか?」

「……ミカさん、を。どうする……とは?」

 

 睨みつけるハスミに対して、ナギサの方は顔色一つ変えずに冷たく睨み返している。

 立場はナギサの方が上だ。……けれど、ここで実力行使に出られたらナギサはどうしようもない。この場に居る護衛など、ハスミ一人すら倒せない。

 

(ですが、正義実現委員会は”敵”ではないでしょう。スパイの存在こそ考慮する必要がありますが、この二人がその気になれば私の始末など容易いですし。見逃していただけだったとしても、今その優位を捨てる理由はない)

 

 ナギサは冷徹に計算する。けれど、ミカの名前を出されたときに少しだけ顔色を変えてしまったのは、本人も気付いていない。

 

「とぼけないでください。あなたはミカさんを幽閉している。確かに彼女はあなたが推し進めているエデン条約にとって都合が悪い存在かもしれません。けれど、その機に乗じて彼女に何かをする気なら許しません」

 

 虚偽は許さないとばかりにぐい、と顔を近づける。

 ついぞなかった正義実現委員会とティーパーティーの衝突が起こりかけている。自分たちは治安を維持する側だと自らを戒めていた正義実現委員会が、政治に干渉する形になっても構わないと――今、敵意を向けている。

 

「……ハスミさん。なぜあなたがそこまでするのですか? これはティーパーティー内部の問題です」

「こちらの問題だから干渉するなと、ナギサさんはいつもそればかりです。……ですが、それは友人を見捨てる理由にはなりません」

 

「友人……ですか? 失礼ながら、あなたとミカさんは一度会っただけでは? それ以外の顔合わせという意味では、私の方がよほど回数は多いと思いますが」

「回数など関係ありません。あの人は良い人だと思います。……ツルギも、そこは同意見です」

「……あはあ」

 

 凶悪な笑みを浮かべて宙を見ているツルギに、ナギサはちょっと引いた。ここで襲われることはないだろうと理屈では分かっていても、ちょっと怖かった。

 そもそも、覚悟を決めたと言っても決めた気になっているだけだ。その時になれば、自分はきっと泣きわめいて命乞いをするのだろうと思っている。逆にぶちのめしてやるなどと言う様な武闘派ではないと自分が一番知っている。

 

「そうですか。ですがハスミさん、エデン条約についておっしゃっていましたが……あなたこそエデン条約は都合が悪いのではないですか? あなたたちを繋ぐものがあるとすれば、それは……」

「いえ、ミカさんにはエデン条約については何も伺っていませんよ。私たちが話していたのは『シャーレ』について、です。それに、先生はエデン条約を歓迎するでしょうから」

 

 シャーレの名を聞いて、ナギサは無自覚に瞳を吊り上げる。先生については、それほど快く思っていない。

 ミカがことあるごとに嬉しそうに話すのを嫉妬している、なんて認められるはずもないけれど。

 

「『シャーレ』……! ミカさんがおっしゃっていた先生とやらですが。あの方はそれほどの存在だと?」

「あ、いえ……私から見てもミカさんは先生に関しては行き過ぎた気持ちを持っていらっしゃると思いますが。ですが、先生はミカさんの気持ちを悪いようにはしませんよ。失恋くらいは、するかもしれませんが」

 

「なるほど。では、ツルギさんも同意見でしょうか? なにせ、あなたも会ったことはおありのようですから」

「――イヒヒヒヒ」

 

 なんで地獄の底から響くような声を上げたのかは分からないが、ナギサはツルギのことは放っておくことにした。

 

「なるほど。私からの観点では、トリニティの外の人間をそこまで信用するのも危険なように思いますが。……しかし、連邦生徒会長の指名した人物でしたね。なるほど、それだけの影響力を持つ人物ですか」

「ナギサさんの危惧するようなことはありません。先生は、トリニティに不利益をもたらす方ではありませんから」

 

「それはキヴォトスの、と言うことでは? 確かにあの連邦生徒会などよりもよほど信頼できるのでしょう。ですが、”みんな”のためになることが……トリニティのためになるとは限りませんので」

「先生は生徒みんなのために動いてくれます。あの方は信頼できる大人です。あなたのように、私利私欲のために動くような……!」

 

「――そう見えるかもしれませんね。なるほど、ハスミさんの気持ちは理解しました。ミカさんのことを心配しているのですね。それは先生に言われて……ということでしょうか?」

「いいえ、これは私の意思です。確かに先生もミカさんに連絡が取れなくて心配していたようですが」

 

「……連絡が、付かない?」

 

 ナギサは眉を潜めた。

 

「あなたの仕業ではないのですか? 彼女を幽閉して、誰にも会わせないように……などと」

 

 そして、これにはハスミも困惑する。普通は幽閉と通信手段の途絶はセットだ。というか、連絡が取れる状態ならなぜ幽閉しておくのかと疑問になる。

 

「はい。今は皆さんに彼女に会うのは遠慮してもらっています。ですが、連絡は付くはずですよ。スマホは返しましたし、通信制限もかけていません」

 

 互いにきょとんとした顔で、少し雰囲気が和らいだ。

 

「……では、なぜ先生はミカさんと連絡が付かないのでしょうか?」

「ミカさんが先生に愛想を尽かして着信拒否しているとかでは? ミカさんは大分きまぐれな方ですし。それか……いえ、なんでもありません」

 

「それか? 何か心当たりがあるのですか?」

「私はミカさんの友人ですし、彼女の性格も分かっていますから多少は想像が付くこともあります。先生のことについては、少し私の方でも話してみましょうか」

 

 のらりくらりと相手の質問をかわすナギサ。ミカがご執心の先生のことについては語気が荒くなるけど、それ以外では暖簾に腕押しだ。

 

「――あなたでは埒が開きません。ミカさんに直接会わせてください」

「ミカさんと? 連絡を取れば、別に直接顔を会わせる必要はないのでは?」

 

「私が直接会いたいのです。それではダメですか?」

「ミカさんは疲れているようですし、今はあまり人と会わせたくはないのですよ」

 

「疲れている……それは、もしかして――セイアさんと同じように」

「――ッ!」

 

 その名前を出したとたんに、ナギサはハスミのことを睨みつける。

 

「……」

「……」

 

 どちらも譲らないとばかりに睨み合いを続ける。基本、こういう場合は正実の方が引いていた。当たり前だ、立場として偉いのはティーパーティーなのだから。

 けれど、今回に限っては譲らない。友のために、そして自分の信じる正義のために。

 

「ぎひ」

 

 ツルギがひとつ笑い声を上げて服の中からショットガンを取り出す。2丁拳銃スタイル――だが、移動時などは一本しか持ってなかった。

 つまり、それは臨戦態勢になったということである。

 

「ツルギ委員長、ここはナギサ様の執務室です。お控えください!」

 

 傍で立っていた護衛がツルギに向けて銃を構える。そう、これは正しい行いだ。ここで悪いのは、こんな行動を取るツルギの方だ。”法”に、そして政府に逆らうに等しい行為だ。

 けれど、ハスミは止めもせずに静かにナギサを睨みつけている。

 

「やめてください。あなたは少し席を外してください」

「……ッ! ですが、ナギサ様!」

 

 そして、ナギサはそれを咎めず護衛に退席を促した。

 

「二度は言いません。良いですね?」

「……承知致しました。何かあればすぐに突入しますので」

 

 人払いを終えたナギサは席を立つ。机を回って、ハスミと目を合わせる。

 

「ミカさんとのこと、通話ではいけませんか? ハスミさんなら、ミカさんも出ていただけると思いますよ。なんなら、私の方からかけましょう」

「それは駄目です。通話なんて、いくらでも誤魔化せますから」

 

「……信用されていませんね」

「あなたの普段の行動を考えれば当然では? それに、最近は――」

 

 ナギサは宙に向けられたままの2丁のショットガンを見ながら考える。

 

(この方たちをミカさんに会わせても良いのでしょうか? ですが、状況証拠としてはこの二人はほぼ白。それに、ミカさんの護衛はティーパーティーでまかなえないから、正義実現委員会の力を借りない訳にはいかない)

 

(――そもそも、スパイがティーパーティーの中に居ないとも限らない。ミカさんの護衛は正義実現委員会とティーパーティーのローテーションで回して互いを監視させるしかない。それを考えれば、ミカさんに会わせないというのはデメリットばかりの選択ですね)

 

(あの護衛も、ツルギさんが相手では私が逃げる時間を稼ぐこともできなかったでしょう。正義実現委員会の方々の私に対する印象はよくないですが……その分ミカさんの株が上がっているように見えますね。都合は良いですが、少し癪ですね)

 

 一つ頷いて、そこで諸々の感情を飲み込んでいつもの胡散臭い笑みを作る。

 

「ええ、分かりました。ミカさんに会わせましょう」

「……本当に?」

 

「嘘を吐く理由がありますか? 私も同行しますので、すぐに行くとしましょうか」

「――嫌に決断が早いですね? いつもは後回しにするのに」

 

「いえいえ、やるべきことはすぐに取り掛かりませんとね?」

 

(――なんて。”この機会に”と不届きものが現れないように、ということですが。情報が漏れては4人での会談が利用されるかもしれません。それなら、即決で行ってすぐに終わらせた方が良い。”敵”に付け入られるような隙は、減らすにこしたことがないのですから)

 

 全ては”敵”に対抗するため。結局はエデン条約もそのための手段であり、未来の仕事を減らす仕事でしかない。

 ミカを殺させないと、決めたのだから。そのために全てを捧げると決めたからナギサは果断に動く。

 

「あなたがそのつもりなら都合がいいです。では、私の後ろをついてきてください。ナギサさん」

「場所は分かりますか?」

 

「警護しているのは正義実現委員会なので、場所は聞いています。鍵は持っていませんが」

「そうですか。鍵は私が持っています。行きましょうか」

 

 三人で歩き出した。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第32話 話し合い

 

 

 そして、三人はミカの部屋に直行する。牢獄にふさわしいいかつい石の通路を抜け、幾人が声をかける中に顔パスで通り抜ける。

 まあ、顔パスしていいのかという疑問もあるだろうが正義実現委員会の委員長と副委員長、顔が分からない奴が居ればそれこそそいつがスパイだ。

 何かのイベントが起こるわけもなく、3人は扉の前にたどり着く。

 

「ミカさん、今よろしいでしょうか? 入りますよ」

「あれっ!? ナギちゃん、今日は早いね! あっ! ちょっと待って! 今、レースが……! ああっ、抜かれそう……!」

 

 部屋の中からは慌てた声が帰ってきた。そして漏れ聞こえてくる何かのBGM。

 

「はい……? 抜かれる……とは、何が?」

「いや、今は良いところだから……! ちょっと。ちょっとだけ待ってて……!」

 

 焦ったような声が牢獄の中から聞こえてくる。中はホテルだが、外はまんまシステマティックな監獄である。

 まあ、効率的に監視業務を行おうとしたらそうなるのだが。そこは色々と事情のある貴人を守るための監獄、そのための建造物だ。

 ただし、中に入れられた本人は至って気楽なようなのがどうにも肩透かしの気分を味合わされる。

 

「……? まあ、いいです。入りますからね」

「え……待って、今いいとこ……! あ、負けちゃった」

 

 部屋に入ると、ミカは寝転がりながら真剣な様子で自分のスマホを見つめていた。

 

「いや……何をしているのですか?」

 

 ナギサが怖い顔をして聞いた。つかつかとベッドの隣まで靴音を立てながら歩いて行く。

 

「え? いやあ、まだナギちゃんは来ないと思ってたし……ちょっとね?」

 

 ミカは自分のスマホをすすっと後ろ手に隠した。少しはみ出ているのでバレバレだ。

 もちろん、計算づくでのことだが。そこに隠せば普通に見つかるのを分かってやっている。なにせ、本当に操作していたスマホはベッド脇の隠しポケットに入れた。ちょっと部屋を探索したくらいでは見つけられない隠し場所だ。

 前の世界でもナギサが殺されないように実行部隊を前線で見張るような馬鹿な真似さえしなければちゃんと黒幕をやれていた女だ。裏での動き方くらいは知っている。

 

「……これは、クラブ・ふわりん? なにか、かわいらしい動物さん? が泣いているようですが」

「あっあっ、返してよう。ナギちゃーん」

 

 ナギサは後ろ手から少しだけ突き出ているスマホを奪って画面を見る。ソシャゲというものくらいは分かるが、こういった知識には疎い。

 忙しくて手を出せない、ということで興味もなかった。

 

「ああ、クラブ・ふわりん。私も触ったことがありますよ」

「……きひひひひひっ!」

 

 くすくすと笑うハスミと、狂気的な笑みを浮かべるツルギ。ツルギに至ってはまるで動物の解体シーンでも見た猟奇殺人鬼のような笑みだった。

 

「おや? 有名なのですか?」

「ハスミちゃんはともかくツルギちゃんまでやってるとは思わなかったよ」

 

 ツルギのことは、ナギサは長い付き合いで気にしない処世術を身に着けている。ミカに至っては普通に接している。

 まあ、ヤバい上に強いというのが人付き合い上の問題で、ミカは強さでは同格と言う自負があるからという関係もあってうまくやれるのだろうが。

 

「えっ? ミカさん、今ツルギさんが何をおっしゃっていたか分かったのですか?」

「え? 頷いてたし今のは分かりやすくない?」

 

「いえ……ツルギさんはいつも意味不明な動作をしていらっしゃいますので」

「まあ、そこは適当に? 別にちょっとくらい間違っても気にしなければ問題ないし」

 

「政治の世界では僅かなニュアンスの違いが致命的になるのですよ? ミカさんはホストのお一人としての自覚が薄いようですね。……それに、いきなり訪れた私も悪かったですが、ベッドの上で寝転がってゲームなどどういう了見ですか? まったく、はしたない」

「え? いやあ、みんなやってない? だって、ほら……わざわざ部屋を明るくして椅子にお行儀よく座ってとか面倒臭いし」

 

「ミカさん? そのようなだらしない生活は態度に出ます。常にピンと背筋を張って、いつ人に見られても恥ずかしくないような礼節をですね」

「うえ? なんか面倒な説教モードに入っちゃったなあ」

 

「ミカさん、よく聞いてください。大体ですね、ミカさんはいつもそうです。ホスト足るもの、どのようなときにでも誇りを持って気高く……常に周囲の目を気にして……」

「うるっさーい! ナギちゃんは私のママなの!? そんな口うるさくしないでもいいじゃない! 私は200連で引いたくるくるちゃんを育てたいの!」

 

「200連? ミカさん、またそんなものにお金を使って! ガチャなんて、そんなものはただのデータでしょう。もっと価値あるものに投資をですね」

「ふんだ、ナギちゃんのは紅茶とかケーキ? それだって食べれば無くなっちゃうじゃん!」

 

「むっ!? ミカさん、この際だから言わせてもらいますと――」

 

 まるで親子みたいな口論を、至近距離で睨み合いながら続けている。とはいえ、険悪さなんてない。

 そう、本当に仲が良くて……

 

「あはははははははっ!」

 

 ハスミは笑ってしまった。

 

「……ハ、ハスミさん? 少し、お恥ずかしいところを見せてしまいましたね」

「もう、ナギちゃんのせいだよお。客が居る前でこんなこと……」

 

「私のせいと言うつもりですか? 大体、ミカさんは……」

「あーあーあー。聞こえなーい☆」

 

 またもや再燃しかけるのを。

 

「お二人、本当に仲が良いんですね」

「「ツルギさん(ちゃん)がしゃべった!?」」

 

 ツルギが止めたのだった。

 

「あー。くるくるちゃんに構うのは後にしようかな。ほら、ナギちゃん。紅茶を準備してよ。私はロールケーキを用意しておくから」

「ロールケーキは冷蔵庫に入っているものを取り出すだけですよね? ……いえ、まあ良いです。ミカさんに良い茶葉を台無しにされたくないですから」

 

「ひどい! 私だってパックの紅茶くらいは作れるよ」

「ここに置かせてもらったのは上等な茶葉ですので。私の方で淹れましょう。お二人はどうぞ椅子にお座りください」

 

「……ふふ、では遠慮なく」

「きひ。いひひひひっ!」

 

 ハスミとツルギが座って、二人を待つ。

 

「はい、どーぞ。ナギちゃんが選んだやつだから、おいしいよ。紅茶が入るまではあと5分くらいかな?」

「ええ、少しだけお待ちください」

 

 ミカが皿に乗せたロールケーキを四つ、机の上に並べる。ナギサは別の机で紅茶を淹れている。

 

「……ええと、それで今日は何の御用かな?」

 

 ミカが話を切り出した。

 

「ミカさんがナギサさんに幽閉されたと聞いて、心配で。最近は物騒な話も聞きますから」

「ま、そーだね。連邦生徒会長が消えて治安の悪化も目に見えて、それに乗じてカイザーも何かやってるみたいだし。……裏の勢力も動き出し始めてる。いやあ、本当に物騒な話ばかりだね?」

 

「――裏の勢力? ゲヘナとは別件と言うことですよね。そして、カイザーでもない。以前にお会いした時も思いましたが……ミカさん、あなたは何をご存じなのですか? 先生が見ているものより、広いものを見つめているようにも思います」

「……それは、私も聞きたかったことです。前も聞かせてはもらえませんでしたので」

 

 ナギサが紅茶をそれぞれの前に置いて自身も席に座る。

 

「ううん、まだ早いよ。それに、私なんかが話したところで……セイアちゃんでもないし……」

 

 す、とミカの瞳からハイライトが消えていく。ナギサはもちろん、ハスミやツルギだってミカとは長い付き合いだ。政治的に対立しかねない関係であっても、顔見知りであるのは間違いない。

 いつも自信満々なミカがこうなるとは、と改めて二人は空恐ろしいものを感じてしまう。けれど――ミカを助けてあげたいと思う。例え敵がどれだけ強大でも、友のために戦うのが正義実現委員会なのだから。

 

「大丈夫ですよ、ミカさん。私がなんとかします。あなたは心配せずにホストの仕事やお勉強に精を出せば良いのですよ」

「……ナギちゃん。……私、勉強キライ……」

 

 けれど、真っ先にミカを慰めたのはナギサだった。慣れている、というのもあるだろうが――でも、きっとそれは一番に想っているからということで。

 震えるミカの手を取ったナギサの手。その上に二人は優しく手を置く。

 

「ミカさん、私は正義実現委員会です。泣いている人を助けるのがお仕事です。ですから、遠慮なく私達を頼ってください」

「……うん。ミカさんのために、私も戦うから」

「ハスミちゃん、ツルギちゃん。――ありがとう。うん、二人が手伝ってくれるなら百人力だ。……ねえ、二人とも。私のことはミカちゃんでいいよ。同じ三年生でしょ?」

 

 ハスミとツルギは柔らかい笑みを浮かべている。その手はとても温かいと、ミカは感じる。

 

「あまり人をちゃん付けでは呼ばないので気恥ずかしいですが……宜しくお願いしますね、ミカちゃん」

「……ん、私もがんばる。ミカちゃん」

 

「こうなると、私が疎外感を感じてしまいますね」

「なら、ナギちゃんも私をミカちゃんって呼べばいいんだよ。ほら、呼んでみて」

 

 泣いているような、笑っているようなヘンテコな顔でミカはナギサをからかう。変な風に飛び火したナギサは顔を真っ赤にする。

 まるで公開処刑だ。まあ、悪い気はしないけれど。

 

「あの……それこそ気恥ずかしいというか。キャラではないと言うか。……それに、こんなに見られてしまうと」

「あは。照れてるナギちゃんも可愛いね。でも、ほら……私はミカちゃんって呼ばれたいな☆ ほかならぬナギちゃんには」

 

「……うう――。あ、後で……という訳には……」

「ナギちゃん、逃げられない」

「うふふ。ツルギもこう言っています。後に回すほど恥ずかしくなってきますよ」

 

「うぐぐ……! た、助けは……」

「ふふん。そんなものはないよ、観念することだね、ナギちゃん」

「はい。助けなんて来ませんよ。だから観念してください、ナギちゃん」

 

「うう……ミカ……ちゃん」

「え? なに? きこえなーい。人の名前を呼ぶときははっきり発音しないと失礼だって、いつもナギちゃんが言ってるじゃない」

 

「ぐぐ……! いい加減にしなさい。あまり人をからかうものではないですよ、ミカちゃん!」

「あはっ。ナギちゃんが私のこと、ミカちゃんって呼んでくれた。嬉しいなあ」

 

「……まったく、もう――。せっかくの紅茶がぬるくなってしまいます。ロールケーキもどうぞ」

 

 顔を真っ赤にしたナギサが紅茶を勧める。しばし、皆で舌鼓を打った。

 

 

 女の子らしく取り留めのない雑談をして、少しだけ沈黙が降りた。

 

「……ミカちゃんは、すごいですね」

「ナギちゃん、どうしたの? いつも私のこと叱ってばかりなのに」

 

「はい。確かにミカちゃんは考えなしで、お勉強も嫌いで、思ったことはすぐに実行してしまう癖に後でずっと後悔するような人です。……でも、ミカちゃんが居なければティーパーティーと正義実現委員会がこうして一緒に紅茶を楽しむこともありませんでした」

「……ええ、そうですね。私たちも、ミカちゃんの人柄に惹かれました。奔放なところがある方とは知っていましたが、けれど誰かのために頑張る方と分かりました」

「いひっ。私にも話しかけてくれたし。ミカちゃん、優しい」

 

「うえ? そ、そんな褒め殺しにされると……照れちゃうな」

「けれど、あなたはトリニティに迫る”敵”のことを知っているのでしょう?」

 

 す、と空気が冷える。何とも皮肉なことだが……やはり各派閥が手を取り合うのは”敵”に対抗するためだ。

 ミカが敵に対抗するための行動、それが互いの仲を取り持つ発端となった。そして、その敵はとても強大だ。ここに居る面子でもそれだけしかわからないことが恐ろしさをより増している。何せ、ミカも口を開かないし。

 

「……」

 

 無言で首肯するミカ。そして、ナギサは横で優しく首肯する。

 

「心配しないでください。その時が来れば、一緒に戦いましょう。私たちは、あなたのことを否定したりはしません。信じています」

「……ん」

 

 そして、ハスミも安心させるように優しく微笑む。

 この時ばかりはツルギもいつもの凶悪な微笑ではなく、柔らかい笑みを浮かべている。とても希少だ。

 

「ハスミちゃんとツルギちゃんまで。私のことを褒めても何も出ないよ?」

「いいえ。得難い友を一人……いいえ、二人も得ることができましたから」

 

「……ハスミちゃん。そのセリフ、ちょっと臭くない?」

「あら? そうですかね」

 

 くすりと笑い合った。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第33話 夢の中のセイア

 

 セイアは無限の予知夢の中に囚われ、そこが過去か未来かも分からずに時間の中をたゆたっていた。それを例えるなら白昼夢、セイアは幽霊のようにそこに居る。

 元々知りえていた未来ではミカが自分を殺してしまったと思い悩んだ末に暴走し、けれどナギサのことだけは切り捨てられずに敗北した結果として牢獄に囚われた。ミカはそのような失敗の運命が決まっていたのだ。そして、その未来ではキヴォトスは”外から来るもの”によって滅ぼされる。

 だが、”今見ている未来”はそれとは別の未来だった。――あり得ないことだ。セイアは未来が変化したのを見たことがない。

 そして、それを成し遂げた要因(ファクター)として考えられるのは。

 

「ミカ。君は自分勝手だ。あんまり何も考えていない上に衝動的で、欲張りで、時に自傷的な……そんな君のことが、私はあまり好きではなかったかもしれない」

 

 未来を変えたならば、それはミカしかいない。

 過去も、未来も、自分の見知ったミカであったはずだった。けれど、今見ているミカはその見知ったと思っている彼女とは違う。

 いや、心が変わったわけではない。罪の大きさを知り、けれど取り返せるはずだとあがいている彼女の行動に違和感はない。だが、明らかに彼女は未来を知った上で行動していた。

 

「これは……一体、どういうことなのだろうね?」

 

 それがセイアの知っていたはずの”未来”が変化していた理由だろう。未来へ至る道筋は一つ……のはずなのだが、他の要因の影響を受けたことで別のルートへずれている。

 知ることは影響を与えることに繋がる。変えられないはずの未来が変わったのは事実。……で、あろうとも。

 

「――それでも、未来は決まっている。運命からは決して逃げられない。だというのに、君は一体何をやっているのだ……ミカ」

 

 今さら生き方は変えられない。未来視は絶対だ。

 ミカだけが浮いた駒のように未来から外れている。彼女はそんなところに居るはずがないところで活動していた。

 それは運命に反抗している……のだが、それですらただの蟷螂之斧に過ぎない。ミカが運命に勝てるなどと、セイアは思わない。

 

「ミカ、君は未来を見たのだね? 通常この年齢で新たな奇跡を得るようなことはないが、あり得ないことと切って捨てることはできそうにない。私と顔を会わせていた頃の君に予知能力などなかった。君はどうせ、能力を隠しておけるような子でもない」

 

 ”大筋”は変わらなかった。多少盤上に差異はあれど、誤差の範疇内。結果としては違いがない。

 ただ、それは未来が強固であることの他にも理由はある。

 

「……だが、常に見ている訳ではないね? 私はそこ(未来)に囚われて眠っていることが多かった。君にその様子はないし……最初の方針を一貫させている。君は、間違いなく最初に見た単一のそれ(未来)に心を囚われている」

 

 ふう、とため息を吐く。その瞬間に場面が変わった。

 セイアが立っている場所は、ミカが囚われた牢獄の中。適当にスマホのゲームを起動しながら、隠し持っていたスマホで色々と裏工作を進めているところだった。

 ミカがセイアをみつけられるはずはない。あくまでこれは、セイアが未来視で見た光景でしかないのだ。

 

 未来視に囚われたセイアの言葉は誰にも届かない。前から兆候はあったが、セイアがずっと一人言を言っているのはその影響もある。

 誰とも話せないから、一人で話している。……けれど、今度ばかりは話しかける。やっぱり通じないと、分かっていたけども。

 

「しかし、君も知っているはずだ。その言葉を――『Vanitas vanitatum et omnia vanitas.』、全ては無為に帰する。定められた未来は変わらない。キヴォトスの滅亡は避けられない」

 

 語りかけても、ミカは変わらず裏工作に精を出している。当然だ、セイアの言葉が聞こえていないのだから。

 

「……ミカ」

 

 そっと、彼女に触れようとするけど――場面が切り替わった。

 

 

 

「別の時間か。場所は同じだな、変わらずミカはここに居るのか」

 

 ベッドから消えたミカの姿を探そうとして、人の気配を感じた。そちらを見てみれば。

 

「剣先ツルギに羽川ハスミだと……? これは、一体どういうことだね。正義実現委員会がミカを裁きに来たわけでもなさそうだ。もっとも、そうだとしても私がミカにしてやれることは何もないが」

 

 自嘲するかのように口の端を歪め、成り行きを見守る。

 

「おや、ナギサも居るのか。それなら安心だ。……紅茶? 牢獄でなにか秘密の話し合いかね。まあ、もとより”ここ”はそのために誂えられた牢獄だろうがね。しかし、君たちが何を話し合うことがあるのかね。全ては今さらだ」

 

 ただ、会話はセイアの思わぬ方向へ飛んで行った。派閥の暗闘、言葉にナイフを仕込んで斬り合うそれではなく、互いを認め合うような――まるで”友”のように。

 セイアは自分でも気付かないうちに眉をひそめている。

 

「なぜ君たちはそんなに仲が良さそうなのかね? 正義実現委員会とティーパーティーは組織として相容れることはない。ティーパーティーは三つの派閥から成った組織、均衡を崩せば禍いが起こる」

 

 ナギサを睨みつける。

 

「それが分からぬ君ではないはずだ、ナギサ。まあ、ミカは分かっているか怪しいものだがね。しかし、止めるのは君の役目であったはずだが……」

 

 そこまで言って、首を振る。自嘲したように苦笑を形作る。

 

「いや、他ならぬ私が言えることではないか。均衡が崩れるということであるなら、それこそ今さらだ。私が眠りについて、サンクトゥス派は弱った。……私を口実に逆転を、クーデターを起こそうと画策している輩も居るだろう。まあ、結局はミカ一人に潰される程度の戦力では――臥薪嘗胆の例に倣って潜伏するしかないがね」

 

 ティーパーティーは政治を担当し、正義実現委員会は武力を担当している。その中でティーパーティーの1派閥が軍部に近づけば残りの2派閥で先んじて叩くか……2派閥で近づいたなら、残りの1派閥を叩くかだ。どちらにせよ、血を見なければ抗争は終わらない。

 今の状況では、弱ったサンクトゥスを再起不能なまでに叩きのめすのが堅実なところではあろう。まあ、今のサンクトゥスは叩き潰す必要すらないと言えば……その通りだろうと、その派閥の長は思った。

 

「……」

 

 そして、会話を聞くにつれてまなじりが吊りあがっていく。

 

「いや……なぜに君たちはそんなに仲が良いのだ? これでは……トリニティ成立より政争を続けてきた私たちが馬鹿みたいではないか」

 

 これは、かなり面白くなかった。トリニティの歴史は暗闘の歴史と言って良い。それが、こんなにあっさりと矛を収められてしまっては。

 さらに言えば、現在ここに居る派閥――パテルのナギサ、フィリウスのミカ、そして正義実現委員会の剣先ツルギ。この三者が寄れば今までのトリニティを覆す、新たな絶対の”トリニティ”が出来上がる。

 現状の救護騎士団とシスターフッドがいくら他から戦力をかき集めようが対抗できない戦力が出来上がり、その先は恐怖政治になるだろう。

 

「……いや、そういうことではないのだね。そんな利己的なことで集まったわけではない。全ては君の人徳とでも言ったものか。君の人柄が、派閥を超えた絆を作った。……ナギサとも、真に友情を結びなおせたのだね。――ミカ」

 

 韜晦する。ミカはそんなことのために頑張ってきたのではないことは、未来視で多くを見てきた自分は知っている。

 ただ、彼女はナギサを助けるために必死だった。だからこそ、ナギサは心を開き、ツルギとハスミも友情を交わせた。

 

「そう、この光景は君が頑張った成果に他ならない。……でもね、ミカ。そこまで頑張っても全ては無駄だ。あの光がキヴォトスを壊す。君が見た”彼女”など、所詮は狂言回しに過ぎない。その狂言回しごときを倒すのに正義実現委員会の力を使ってどうする気かな。真の破滅に対抗するために全校の生徒会長と友誼を結ぶ気かい? そんなことは不可能だし、そしてそれができたとしても意味はない」

 

 けれど、セイアは深くため息を吐くのみ。

 目の前の光景に感動と、軽い嫉妬を覚えはしても絶望は変わらない。全ては滅びの光の中に消える、その結論に変わりはない。

 

「……しかし、本当に羨ましいものだね。私たちも、昔はそのようにあどけない笑みを浮かべていたものだ。いつのまにか政争の中で関係が変わってしまったがね」

 

 また、場面が切り替わる。

 

 

 

 次はミカとナギサが向かい合っている。けれど、三つ目の椅子は空席だった。二人の話を聞いているうちに吊りあがったまなじりが下がってくる。

 

「……ッ!? 私の席だと言うのかね」

 

 その席は自分のために用意されたものだった。紅茶もある。セイアは嗅ぐことも、飲むこともできないけれど。

 

「だが、誘われたのなら立っているのも無礼と言うものだね」

 

 ふわりと微笑んで、未来視の光景ではものを動かせないため子供が隙間にもぐりこむように不格好に椅子に座った。

 まあ、色々と大きかったらつっかかって乗れなかっただろう。

 

「ああ、君達は私のことを忘れていなかったのだね」

 

 紅茶に手をかけて、飲むふりをする。

 

「――次は、この紅茶を味わいたいものだ」

 

 無意識に独り言ちて、はっと気付く。

 

「ふ、私としたことが……まだ未練があったのか」

 

 ため息を吐いた。

 

「……だが、しかし全てが無為に帰するならば努力に何の意味があるのだろうか。友情など、一時の手慰みに過ぎない。キヴォトス第5の古則にあるように――」

 

 また、場面が切り替わる。ミカはベッドに座ってセイアを睨みつけている。いや、ミカにはセイアは見えない。それは、ただ虚空を睨みつけているに過ぎない。

 

「ねえ、セイアちゃん。第5の古則〈楽園に辿り着きし者の真実を、証明することはできるのか〉――昔、あなたが教えてくれたこと。答えのない問いがあったね」

 

 その瞳には意思があった。たとえ傷つこうと、そして何を犠牲にしようと突き進もうとする”意思”が。

 その瞳が、セイアを見つめている。

 

「私が答えてあげる。そう、ここが楽園だよ。証明? そんなもの簡単だよ。私はこんな場所(牢獄)は簡単に出れる。でね、ほっぺたを真っ赤に腫らした子がこう言ってくれるの」

 

 す、と目を細めた。挑むように、託宣のように口にする。

 

「『はい、ミカ様。ここが楽園です』――ってね☆」

「……なに!? ミカ、君は……答えのない問いに暴力で回答しようというのかね? 君らしい頭まで筋肉でできたような答えだが……うむ、しかしそれも一つの答えか。……私は君のことを、まだあまり知らなかったのだね」

 

 目の前のミカはどうだと言わんばかりに胸を張っている。セイアは負けたと言うように手を上にあげてひらひら振った。

 

「言葉……か。だが、罪の裁きにおいては自白は確たる証拠にはならない。言葉の価値などその程度だ。実のところ、”それ(言葉)”は証明足るに相応しくないのだよ。今君が言ったように、たやすく真実を捻じ曲げられてしまうから」

 

「しかし、言葉には魔力がある。言葉とは、それそのものだけで未来を決定してしまう。それも、どういうわけか”不幸”の属性に偏って。それは人間の生まれ持った性質かもしれんがね、そういう意味では私は性悪説を推すよ。人は邪悪に生まれつき、その生(学園生活)において”善”を知るのだ。混沌のゲヘナと対抗する我が学園には相応しいだろう、彼らは生まれ堕ちたまま何も学ばず……ゆえに悪である」

 

「だからこそ、私は予言者としてみだりに魔力を使わないように自分を戒めてきた。不用意な発言一つで不幸が生まれると知っていたからだ。すれ違いが起きても、不幸が起きなければそれでいいと考えていた。……だが、それは逃げだったのだな。本心を隠し、言葉を飾る者を誰が信用するだろうか」

 

「勝手な願いと分かっている。だが、それでも私は――また、君たちと友情を結びなおしたい。かつて確かにあったはずのそれを取り戻したいのだ。本心で、君らと向き合いたい。素直な言葉を伝えるという、昔はできていたはずのことをやり直したい」

 

「不快で、不愉快で、忌まわしく、眉を顰めるような……相手を疑い、前提を疑い、思い込みを疑い、真実を疑う様な……悲しくて、苦しくて、憂鬱になるような……それでいて、ただただ後味だけが苦い……そんな話の真ん中におかれていたとしても、心まで間違う訳ではないのだから」

 

 一度ミカにしっかりと目線を合わせて、頷いた。彼女には何も見えないことは知っていても、決意を表明しておきたかった。

 

「君に許しを。そして、私もまた許されるために……私は――見果てぬ”夢”から”今”に戻る!」

 

 つかつかと小さな歩幅で牢獄の扉に向かう。扉を蹴り開けようと、その小さな足を振り上げた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第34話 ヒフミ、突撃します

 

 

 そして、次の日。ナギサはやはり書類仕事をしていた。

 当初喧嘩腰だった正義実現委員会との話は予想外の方向へ吹っ飛んでいき、そして大団円を迎えた。ナギサも、そしてミカも大いに救われるような結果だった。

 それはそれとして、仕事が消える訳ではない。そもそもティーパーティーと正義実現委員会の間が改善されたかと言えばそうではない。結局それは組織の問題で、ボスだからと言って下の人間たちの気持ちを変えられる訳ではないのだ。

 

「――」

 

 そう言う訳で、ナギサは人でも殺しそうな様子から一転、穏やかな雰囲気で仕事を続けていた。

 流石と言えばいいのかは分からないが、仕事のスピードは変わっていない。感情に左右されないという意味では、組織の長としては素晴らしい素質なのだろうけど。

 

「ナギサ様、表にナギサ様に会わせろと――その、一般生徒が押しかけてきていますが。あの……銃を抜きかねない勢いですが、まだ撃ってはいません」

「そうですか。一応誰か聞いておきましょうか」

 

 ナギサは報告を聞いても眉一つ動かさずに書類仕事を続けている。

 

「はい。……その、2年の阿慈谷ヒフミですので一応ナギサ様のお耳に入れておいた方が良いかと」

「……ヒフミさんが? 何の御用でしょう」

 

 そして、ヒフミの名を聞いたとたんに手が止まった。いそいそと手にしていた書類を片づける。

 

「どうしましょうか。追い返しますか?」

「いえ、会いましょう。通してください。あなたはヒフミさんを通した後は退出していただいてかまいません」

 

「はい、承知いたしました」

 

 彼女が扉の方まで歩いて行って扉を開ける。待ちきれないとばかりにヒフミはドアを押し開けて、扉を開けた彼女は入れ替わりで出て行って扉の前に立つ。

 

「――おひさしぶり、というほどでもありませんか。カイザーとのこと以来ですね、ヒフミさん。今日はどのような御用……で……?」

 

 つかつかと歩み寄って来たヒフミはナギサの机をバンと叩く。

 

「どういうことですか!? なんでミカちゃんを捕まえているんですか!? ミカちゃんは何も悪い事なんてしていないんです! 出してあげてください」

 

 入るや否や、激高してまくしたてた。

 

「うえっ? え? えっ? ミカちゃ……え?」

 

 そして、対するナギサは混乱の最中だった。まずもってヒフミの言い分を理解するどころか、なぜミカのことをちゃん付けで呼んでいるのか。

 

「ひどいです! ナギサ様は無実の罪で人を牢獄に入れるような人じゃないと信じてたのに! どうしてこんな凶行を……こんなことまでしてしまうなんて。一体、ナギサ様に何が……」

 

 涙ながらに訴えるヒフミ。放心中で何も聞こえていないナギサ。

 なお、外の護衛には声が届いているのだが。けれど彼女はナギサ様は無実の罪でも政敵を投獄するし、割とエゲつない手を使うのはいつものことだけど。などと思っていた。

 

「……は。……はい?」

「あっ? 聞こえていませんか? ナギサ様、本当に一体どうされたのですか。以前のあなたはこんな風ではありませんでした。あの頃の優しいナギサ様の心を取り戻してください」

 

「……あの、ヒフミさん。最初から……詳しく……」

 

 目をぱちくりさせたナギサが訴えて、ようやくヒートアップが収まるヒフミ。

 

「はい。近頃、ミカちゃんの姿が見えないんです。そうしたら、噂ではナギサ様に幽閉されたと……」

「――ミカちゃん!? ヒフミさん、あなたとミカさんの間に何があったというのですか? あなたとミカさんには特に交流はなかったですが」

 

「……えと。あはは。ちょっと奇遇で偶然にもアビドスで会ったんです。そこで話す機会があって仲良くさせてもらったんです」

「そんな……それにしても一回か二回会ったくらいで……」

 

「時間は関係ないです。ミカちゃんはとっても良い人だと分かったので」

「いえ……それでは、私が悪い人だと……? いえ、そのように言われているのも知っていますが……他ならぬヒフミさんにそう思われていたとは……」

 

「あ、いえ! 違います! ナギサ様を悪い人だと思っていたわけではないんです。でも、偉い人だからあまり無礼なことは言ってはいけないかと思って……」

「ミカさんはどうなのですか?」

 

「えと……ミカちゃんなら、まあいいかなって。あ……悪い意味じゃないんですよ。親しみやすいと言いますか……」

「……親しみやすい。確かにその点では私はミカさんに勝てませんし、私が堅物なのは自覚もありますが。それでも……いえ、悪い人と思われるくらいならいっそ……」

 

 落ち込むナギサにあわあわと慌てるヒフミ。問いただす気で来たのに、何か関係のないことでいきなり気落ちされては牙も向けられない。

 

「でも、だからこそ驚いたんです。ナギサ様がミカちゃんを幽閉したこと。きっと、誤解があったんです。ミカちゃんは色々破天荒な人ですけど、悪い人じゃありません。閉じ込めなきゃいけないだなんて、そんなことはないと思うんです」

 

 ヒフミはふわりと微笑んだ。

 一度はナギサのことを疑いはしたが、しかし話してみて自分の知っているナギサだと言うことが確認できた。

 ミカが悪い人な訳がない。友達のためにあんなに頑張れる人が閉じ込められなくてはいけない理由なんてないはずだ。

 ナギサなら分かってくれる、そう信じているから。

 

「……ヒフミさん。ありがとうございます、私とミカさんを信じてくださって。――ですが、ミカさんを出すわけにはいきません」

 

 だから、その言葉に衝撃を受けた。

 

「何でですか!? ミカちゃんを疑っているんですか? ミカちゃんは――」

「いいえ、守るためです」

 

 ナギサは立ち上がって、ヒフミの手を取る。そっと、耳元に呟く。怪しげな雰囲気に顔を赤らめたヒフミだが、耳に入ってきた言葉に身体をこわばらせた。

 

「ミカさんを狙う敵が居ます。彼女の身を守るためには、あそこが最も都合が良かったのです」

「……え!? そんな、敵って。でも正義実現委員会の方が守ってくれるんじゃ……」

 

「それは無理です。正義実現委員会はあくまで犯罪者を処罰し治安を守る組織。ティーパーティーの目すら欺く敵が相手では、出し抜かれてしまう。ええ、当然ですね。今私たちが直面している敵はテロリストや企業を操れるほどの相手でしょうから」

「――ッ!」

 

 ヒフミはただただ声を失った。

 誰にも言えないことだが、ヒフミはブラックマーケット……犯罪者の中でもその蟲毒で生き残ったヤバい場所でペロログッズ集めをしている。

 彼らも十分恐ろしい相手だが、それらと比べてすら”格が違う”と言うのだから。

 

「ヒフミさん、あなたも気を付けてください。あなたがミカさんと親しいと知られれば、何らかの手が打たれる可能性がありますので」

「……そんな。そんなのって。……そうだ、先生に相談すれば!」

 

「先生……ミカさんと親しいというシャーレの方ですか。ですが、ミカさんは今は頼れないとおっしゃっていました」

「え? でも……ミカちゃんは先生のこと、すっごく信頼してたはずで」

 

「何かの事情があるのでしょう。私にすら話していただけませんが。ミカさんの幽閉は必要な事です。……ですが、ヒフミさんなら特別にミカさんに会わせてあげても」

「あ……いえ。大丈夫です」

 

「そう……ですか?」

「ミカちゃんが無事で安心しました。ごめんなさい、ナギサ様。いきなり訪ねてしまって。こんな……喧嘩腰みたいに」

 

「いえ、気にしないでください」

「では。また機会がありましたらお茶会にでも招いてください」

 

「あ……はい。分かりました。では、ごきげんよう」

「はい! ごきげんよう、です。ナギサ様!」

 

 ヒフミは嵐のように帰って行った。

 

「帰りましたね。あの……よろしかったのでしょうか?」

 

 護衛が戻ってきてナギサに伺いをたてる。

 

「はい。大丈夫ですよ。……それと、新しい紅茶をお願いできますか」

「承知しました。すぐにお持ちします」

 

 ナギサは書類仕事を再開した。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第35話 噂のナギサ

 

 そして、ナギサは廊下を歩いていた。仕事が忙しいからと言って、書類仕事ばかりではない。直接足を向ける必要がある仕事もある。

 今は放課後で、年頃の女の子らしくそこここでおしゃべりの声が響く中をナギサとその一団は足早に通り過ぎていく。

 

(先生の尽力があっても未だ収まり切らないキヴォトスの混乱。そして、エデン条約調印前の諸作業……仕事は尽きませんね。ですが、ミカさんとのお茶会の時間を減らしたくはありませんし。ええ、頑張るしかないでしょう)

 

(――それに、ツルギさんとハスミさんが協力してくれます。直接力になっていただけることはありませんが。トリニティの派閥間の溝は簡単には埋まらない。けれど、あの方たちが積極的に動いてくれるだけでも助かります。その活動がホストへの追い風になってくれるから)

 

 ナギサはとても忙しい。だけど、何気ない一言を聞いて足が止まってしまう。

 

「ねえ、聞いた聞いた? ナギサ様とミカ様の噂!」

「ナギサ様? ええと……誰だっけ。聞いたことがあるような……」

 

 どこにでも居るような普通の女の子。政治とは何も関係のない一般のトリニティ生が友達同士できゃらきゃらと噂話をしていた。

 それはどこでも見られる光景だが……まさか自分のことが噂されるとは、とナギサは驚く。それも、こんな楽しそうに自分の名前が出されるなんて、と。

 いつもナギサの噂話は怨嗟だの嫉妬だのテロだのと一緒にある碌でもないものしかなかった。まあ、それがキヴォトスとしての標準的なクオリティなのだが。

 何やら幸せそうに話しているそれに、どうしても興味が涌いてしまう。

 

「遅れてるわねえ、今トリニティはその噂で持ちきりなのよ。ティーパーティーのナギサ様とミカ様!」

「ああ、うちのお偉方というわけですか。……でも、偉い人が何しても私たちに関係がないのではなくて?」

 

 そう、偉い人。偉い人の名前をこんなにも嬉し気にささやかれるのはトリニティでも前例のない事だろう。

 いったいどういうことだ、とナギサは興味を引かれて盗み聞きしてしまう。

 

「ああ、違う違う! 政治とかどうでもいいの! これは年頃の女の子なら絶対に聞いておかなくてはならないことよ!」

「……はあ? その、偉い人が何をしたと……」

 

 ナギサは完全に立ち止まった。護衛が声をかけても反応せずに、なぜだかその噂の続きが気にかかって耳を傾けてしまう。

 

(私とミカさんの噂。まさか『フィリウス』が『パテル』すらも潰してホストを独占する……みたいな噂が出ることは覚悟していましたが違うようですね。では、何を噂することがあるのでしょう?)

 

「ナギサ様とミカ様の熱愛の噂よ!」

「……ッ! 詳しく聞かせて頂戴!」

 

 どことなく熱に浮かされたような少女たちの会話が耳を打つ。いつでもどこでも、少女たちは恋の噂に熱中するものだ。その熱量はすさまじい。

 

(……はあ!? 私と……ミカさんの熱愛? そんな噂が……どうして?)

 

 とはいえ、”張本人”としては心穏やかでは居られない。

 いつもの悪意とともにささやかれる噂であれば黙殺すれば良かった。それがトリニティで政治に関わる者としての心得だ。

 だが、まさか――自分とミカの熱愛騒動の噂などが囁かれようとは。予想外のこの事態にナギサの思考は停止した。

 

「そうよ。ナギサ様はフィリウス派のトップ、そしてミカ様はパテル派のトップ。本来であれば、想いを通じ合わせるなど決して許される関係ではないの」

「ええ、そうよね。よくわからないけど、そのフィリなんとかと、なんとかは長年戦ってきたのよね。トリニティは昔から派閥争いが酷かったって聞くもの。でも、別れ別れにされても想いは残るものよね。だって、恋は障害が大きいほど燃え上がるものだもの!」

 

「ええ。お二方の間には二つの派閥というとても……とても大きな溝があったわ。更には生徒会の派閥のうち最後の三つ目であるサンクトゥス派が二人の仲を引き裂こうと暗躍し、そして正義実現委員会でさえもその恋を許しはしないわ」

「そうでしょうね。偉い方って、何かとても怪しいもの。トリニティを裏から支配しようと日夜暗躍する幾多の勢力。……誰も二人の恋を認めてあげないのね」

 

 うるうると目に涙を貯めながら噂話をする少女たち。だが、ナギサとしてはその話には無限に突っ込みどころがあった。

 単なる噂話とはいえ、それでも事実と違いすぎると。

 

(いえ……サンクトゥスはもう空中分解しかけていて暗躍なんて出来ませんし、正義実現委員会が何か私を阻んだこともないのですが。……もしかしてアレですか? ミカさんと4人でお茶会したときに、多少強引に部屋に入ってこられましたがそれを言っているのでしょうか)

 

 ナギサは苦笑する。いつのまにか完全にその噂話に聞き入ってしまっていた。

 

「そう、どれだけの壁があろうとも……! どれだけ強い恋敵が居ようとも、私はあなたを諦めない。……ミカ!」

「そんな……まだ他にも敵が居たのですね」

 

 その彼女たちはなにやら悦に入ったように演技し出した。当事者のナギサとしては、そんなセリフをしゃべった覚えは一切ないが。

 演技している彼女はくるりと方向を入れ替える。どうやら次はミカのセリフのつもりらしい。

 

「でも……駄目よ。私には……私には心に決めた人が居るの!」

「そんな……! ナギサ様はこんなにもミカ様のことを愛しているのに。ミカ様にはその心が伝わってないなんて」

 

 ナギサはついに噴き出した。ここで飛び出して話を中断させることなどできない。近くにあった壁を掴んで、その二人を凝視する。

 

(……な――心に決めた人とは誰ですか!? 誰が、そんなミカさんの心を掴んだなんて……!)

 

「私には……私の心には先生が居るの。だから、あなたの想いは受け取れないわ……ごめんなさい、ナギサ」

「先生……近頃噂で持ちきりの彼ね。失踪した連邦生徒会長の代わりにさっそうとサンクトゥムタワーのコントロールを取り戻してキヴォトスを救った英雄。そして数々の不良を撃退し、時には不良とも組んで公権力と戦い、ついには田舎とはいえ自治区一つを救って見せたという……!」

 

(先生!? そうか、そういうことですか……! 確かに、ミカさんは先生を信じています。過剰に! 信じすぎている、依存していると言っても過言ではないほどに……!)

 

 二人を睨みつけるが、伝わるはずがない。というか、ナギサは物陰に隠れてこの話を聞いている。

 

「そう。あなたでは先生の代わりにはならないの」

「……では、ナギサ様は!? ナギサ様は失恋を受け入れられたのでしょうか!?」

 

(なっ!? 失恋だなんて、そんな。確かにミカさんに相応しい方か調査しようとは思いましたが。それに私は負けたわけでは……)

 

 そして、彼女はまたくるりと位置を入れ替える。次はナギサのセリフだ。

 

「それでも、諦められないのです。あなたが私の想いを受け入れられないのなら。……ミカ、無理やりでもあなたを私のものにします!」

「……きゃあっ!」

 

 そして、彼女は聞き入っている友達を押し倒す……振りをする。軽く抱きしめて、次のセリフを口にする。

 

「私には、あなたが居ないと駄目なのです。あなたが私のもとを離れて先生の下へ行ってしまうくらいなら……!」

「何を……何をしようというのですか? ナギサ」

 

 そして、付き合う彼女も演劇のようにセリフを口にする。

 

(待って。ちょっと待ってください。いえ、確かに私はミカさんを牢獄に入れましたが……そんなつもりでは……)

 

 見ているナギサは自分のことのようで気が気ではない。いや、実際に自分について妄想で好き勝手言われてしまっているのだが。

 

「あなたをずっと私のものにするために……あなたを閉じ込めます。先生になど、決して会わせません。あなたが会うのは、私だけでいい……!」

「……ナギサ。そこまで、私のことを」

 

 そして、二人はキスをする……ふりをした。

 

「――ッ!」

 

 たたた、とナギサは走り出した。もう見ていられなかった。いや、あの二人はコイバナに夢中になるあまり演技していただけで実際には恋人でもなんでもないからその先なんてないけれど。

 

「……ちょ。ちょっとお待ちください、ナギサ様!」

 

 護衛は慌ててナギサを追いかけた。

 

 





 原作とは別の形でナギサの脳を破壊したかった!
 感想くれると嬉しいです!



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第36話 ナギサの疑い

 

 

 そして、ナギサが熱愛を噂された日の夜。ミカとは毎日お茶会をしているから、今日とてミカの部屋に行かざるを得ない。

 まあ、忙しいからと断ることもできるが……それはなんだか嫌だった。

 

「……」

 

 ナギサは憂鬱気に自分で淹れた紅茶を口にする。憂いに満ちたその顔は絵になるが、まあミカにはそんなものは通じない。

 心配に思うのをおくびにも出さずに、少し嫌味な笑顔を浮かべてトークする。

 

「んー。なんか、今日の紅茶はちょっと渋くない? 茶葉は同じものだし、変な保管もしていないし。ええと……これはあれだね、カップを温めるの忘れたんじゃないかな」

「……ええ。そうだったかもしれません」

 

 ミカに茶化されてもナギサは心ここにあらずで紅茶を口にする。味など分かっていない様子だ。

 

「むむー。ナギちゃんが私を無視するよー。こんなこと……まあいつものことだけどさ。でも、自分の失敗を黙殺するのはよくないと思うな。失敗はちゃんと受け止めなきゃ先に進めないよ? 偉い人に意見できる子もそういないんだから。それこそ紅茶と言ってコーヒーを飲ませても指摘できる子なんてあまり居ないんだからね。私は試したから知ってる」

「はい。ええ、ミカさんのおっしゃることももっともかと」

 

 完全に聞いていないその様子にミカは子供っぽく頬を膨らませる。

 

「ぶーぶー。ナギちゃん、前は私のことをミカちゃんって呼んでくれたのに。一度近づいてくれたナギちゃんの心がまた離れた気がするよ。ううん、諦めちゃダメよミカ。ナギちゃんの冷たい心も、寄り添ってあげれば氷が溶けていくんだから。だから、ね。もう一度ミカちゃんって呼んでよ。この紅茶も我慢して飲んであげるからさ」

「ああ、もう! うるさいですね。人が深刻に悩んでいるのに横でペチャクチャペチャクチャと! そんなに口を開くのを我慢できないのだったら、その小さくて愛らしい口を、私の唇で塞いであげましょうか!?」

 

 空気を読まずにしゃべり続けていたミカに向かって、小さく怒鳴るナギサ。けれど、さっきまで考えていたのは他ならない彼女との熱愛の噂である。

 つい、唇を奪うと……そんな言葉がぽろりと出た。

 

「え……あう。えっと……」

 

 ミカは意味が分からない、とぽかんとした後たっぷり5秒はその言葉の意味を考えて。そして、意味が分かると赤面した。

 かばうように自分の唇を塞いで、しかし逃げようとも抵抗しようともせず椅子に座っている。

 

「あ……! い、いえ。これは……その」

 

 ナギサもまた顔を真っ赤にしてそっぽを向く。押せば行けそうな雰囲気ではあるが、ナギサだってそこまで思いきれない。

 そもそも恋人になりたいと思ったこともないはずなのに。

 

「あの。えっと……ナギちゃん。私ね、好きな人が居るの」

「うぐっ! そ、それはもしかして」

 

「あはは。分かりやすいってよく言われるよ、先生のこと。でもね、勘違いしないでほしいのは私はナギちゃんが嫌いなわけじゃないの。ううん、違うね」

「違う?」

 

 ミカはかばうように口に置いていた掌をどける。そして、身体から力を抜く。抵抗なんてしないよ、と。

 

「ナギちゃんがしたいなら、いいよ」

「私が……そうしたいなら?」

 

「うん。ナギちゃんは、私にしたいことをなんでもしていい。キスでもいいし、裸に剝いて何をするにしても……私は受け入れるから」

「な……なあっ!?」

 

「――」

 

 ミカが目を閉じる。本当に、なんでもしてよいと。まあ、ミカの腕力ならどうにでもやり返せるが、抵抗する気があるならこんな真似はしない女だ。

 

「ま、まったくもう。ミカちゃんは何を考えているんですか? そんな、女同士なんてことはしません」

「そう? 別にえっちなことでも、あるいは殴ったり撃ったりでも好きにしてくれてよかったのに」

 

 ふふ、と今度はミカが憂鬱そうに笑った。

 

「なんでもしてくれると言うなら、勉強してください。あと、書類仕事」

「かふっ。べ、勉強と書類仕事だけは勘弁。もう十分すぎるほどやったようー」

 

 ナギサの方から茶化すと、いつもの空気になった。安心できる雰囲気で、どちらからともなくやわらかい笑みをこぼす。

 

「ふふ。まあ、ミカちゃんはそういう人ですからね」

「ナギちゃんは鬼だね」

 

「あなたを次期ホストに相応しい人にするため、私は鬼になることも辞しません」

「うう……藪蛇ぃ」

 

 ミカが肩を落とす。そして、どちらからともなく笑いだして。

 

 

「ふう。ですが、悩んでいたのは本当ですよ?」

「どうかな? ナギちゃんってたまに変なこと考え込むから」

 

「おほん。……これはあなたにも関係があることです」

「およ。無理やりシリアスな雰囲気に切り替えたね。まあ付き合ってあげよう。なんの話かな」

 

 ナギサが深刻そうな顔を作る。まあ、身もふたもないことを言うミカに青筋が浮かびかけているけれど。

 よっぽど口を塞いでやりたいが我慢する。キス、なんてできるわけもないし。

 

「あなたにも無関係のことではありません。……最近のトリニティは何かおかしいと感じませんか?」

「……おや。なんのことかな」

 

「とぼける気ですか?」

「というか、連邦生徒会長が居なくなってカイザーも元気に悪だくみしてる。この状況で変なことが起こらないわけないよ。うちはキヴォトス最大級のマンモス校、トリニティだよ。信用できるものがあるとすれば、正義実現委員会くらいじゃないかな。それとも、ナギちゃんはパテル派を信用してる?」

 

「それは……まあ、反論はできませんね」

「でしょ? どいつもこいつも悪だくみばかり。シスターフッドなんて信用するわけがないし、救護騎士団だって怪しいものだよ」

 

「……話を逸らさないでください。それでも、と言う話ですよ。ミカさんがおっしゃられたのはいつもの陰謀です。トリニティに、もしくはティーパーティーに害を成そうとするならば対応は必要ですから」

「ふむん。まあ、続けて?」

 

「始めはエデン条約の反対派がキヴォトス全土の波乱に乗じて過激になっただけだと思っていました。そんな勢力は条約さえ成れば解散するような些末事と切り捨てていました」

「ま、実はエデン条約については私も言いたいことはあったしね。でも、ま――飲み込めないほどじゃない。旗印もない反対派なんて潰せるでしょ? 今はツルギちゃんとハスミちゃんとも仲良くしてる。背中を刺される心配がないから動きやすいもん」

 

 ミカは思ってもいないことを言ってナギサを煙に巻こうとする。なにせ、ナギサが感じ取ったきな臭い感じはミカ当人の暗躍に他ならない。

 それも全ては当人で抑えれば良い話だった。何も未来を変える必要はない。結末のそのあとを少し変えればいい。

 そうすれば、ナギサは馬鹿なミカのために権力を失って救護騎士団だのシスターフッドだのに悩まされる――その未来を変えられる。

 ――ハッピーエンドまでの道筋はすでに描いている。ナギサには、何も知らせる必要はない。

 

「ええ、そう思っていました」

「……? どういうことなの」

 

「まさか、気付いていないとでも? ミカちゃんが戦っている敵はそんなものではないのでしょう。私ではその尻尾を掴むことも出来ていませんが」

「――ッ! それは……でも、そんなことはナギちゃんは気にしなくていいんだよ。全部、私のせいだから……」

 

 ミカは目をそらす。彼女とセイアを傷つけたこと、それは自分の罪だから。敵と戦うことは自分の役目だと思っているから。

 

「そんなことは言わないでください。そもそも、ミカちゃんがやらかして私が後始末をするのはいつものことでしょう。……叱ってくれるセイアさんが、今は居なくても」

「……それは。でも……でも、最後には……」

 

 ナギサは震えるミカの手を取る。

 

「私は、必ずあなたの敵を倒します。まだ何も出来ていませんが、けれどあなたが安心して日々を送れるように」

「――違うよ、ナギちゃん。私は……私は、ナギちゃんのことを……」

 

「ええ、不安に思うのも当然です。……トリニティには既にスパイがもぐりこんでいる。その方を捕まえないと、いいえ黒幕をどうにかしない限りあなたに安息は訪れないのでしょう」

「それは……それは、そうかもしれない。あいつを……倒さないと。だけどね、スパイって言っても……それは。違うんだよナギちゃん。そんなことをしては……」

 

 言葉がつっかえつっかえのミカ。とうとうえづくように言葉が出てこなくなる。

 

「大丈夫ですよ、ミカちゃん。私がついています」

「……ナギちゃん」

 

 ナギサが席を立ち、そっとミカを包み込む。そして、そのままベッドに倒れこんでミカの頭を抱きしめながら髪を撫でる。

 

「私がスパイを見つけ出します。そして必ずや、その裏に居る者まで処理しましょう。そう、最悪の手段を使ってでも……!」

「ナギちゃん!? 違う、違うんだよ。私は、ナギちゃんにそんなことをしてほしいわけじゃない。罪人は私一人で」

 

 ぎゅう、とミカの頭をその胸に包み込んでその先を言わせない。

 

「大丈夫、大丈夫ですよ、ミカちゃん。全て、私の方でどうにかしてあげます。あなたは、次のホストとして相応しくあることだけ考えていれば良いですから」

「……違うの。私が本当に欲しいのは、ナギちゃんとセイアちゃんが笑っていられる未来。本当は権力なんて要らなかったはずなのに」

 

「はい。はい、分かってますよ。スパイの候補は3人まで絞れています。正義実現委員会の人質の候補も見つけていますが……それは考える必要があるでしょう」

「……コハルちゃんのこと?」

 

「ご存じでしたか?」

「とても良い子だよ。それに、ヒフミちゃんも、アズサちゃんも。ハナコちゃんは……よくわからないけど、それでもトリニティを壊そうとしているわけじゃない」

 

「――それでも、私はトリニティを守るために彼女達を犠牲にします」

「そう。そうだよね、あの子たちは悪くない。だけど……そうしないといけないんだね」

 

 ナギサはミカの頭を撫で続ける。少しは救われてほしいと、そう思って。

 

「ミカちゃん? どうしましたか」

「でも、悪いのは全部私だよ。私の……せいで。私のせいで全部が狂った。みんなが苦しい思いをする。ナギちゃん、ヒフミちゃん、コハルちゃん。……それとアズサちゃんにハナコちゃんも」

 

「ミカちゃん。そんな一人で気負わないでください」

「……ナギちゃん。先生を、シャーレを使えば手続きを飛ばして退学にできる。もしもの時は、もろともに」

 

「……良いのですか? 先生に迷惑をかけてしまうことになります。それに、彼女たちも……」

「それでも、必要なことだから」

 

「そうですか。では、その通りに。先生をトリニティに呼んでも良いのですね」

「うん。そろそろ時期だから」

 

「……時期、ですか。思えばセイアさんはよくそのようなことを言っていましたね。未来予知の奇跡があるからこそ、過去のように未来を語っていました」

「そうだね。懐かしいね。セイアちゃんはいつでも皮肉気で、でも間違ったことは言わなかった」

 

「私は……必ずあなたを守ります。ミカちゃん」

「私は、絶対にあなたを後悔なんてさせない。ナギちゃん」

 

 ミカからもぎゅっと抱き返して。

 

「「――」」

 

 しばしの間、互いの体温を感じていた。

 

「それでは、私はそろそろ失礼することにしましょう。お勉強、ちゃんとするのですよ」

「あはは。落ちこぼれないくらいは、ね」

 

「まったく、ミカちゃんは仕方ないですね。では、また明日」

「また明日、ナギちゃん。……ふふっ」

 

「どうしました?」

「また明日。なんてことはない言葉だけど。とても嬉しい言葉だなって」

 

「そうですか。では、もう一度言いますか?」

「ううん。1日に1回でいいよ。それ以上は、意味がないから」

 

「では、おやすみなさい」

「おやすみ、ナギちゃん」

 

 名残惜しく、けれど別れていった。

 

 

 

 そして、見回りをしていたティーパーティの女の子は目撃してしまう。ナギサの出てきた扉の隙間から、部屋の中を。

 いや、見られてまずいものが置いてあるわけがない。

 

 ――見たのはベッドだった。

 そう。ナギサが入ってきたときにはきれいに整えられていたはずのそれが、乱れていた。何をしていたのか、想像を働かせるには十分なほどにしわくちゃになったベッドを見てしまったのだ。

 

 

 





感想くれると嬉しいです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第37話 先生とナギサ

 

 そして、幾日か経つとナギサは先生をトリニティへ呼び出していた。

 

「今日は呼んでくれてありがとう」

 

 お茶会へと招かれた先生は、気さくにナギサに話しかける。周りには正義実現委員会の子たちが居て銃口を上空に向けているが、そこは気にしない。

 そういう仕事をやっているのだから、無理に席に着けと言ったりもしない。ただ、ナギサのことを柔和な笑みで見つめるだけだ。

 

 権力者、という意味では先生にとって警戒に足る相手だ。生徒を無条件で信じるのは先生として当然と思っていても、生徒が無垢だとは思っていない。

 真の意味で無垢ならばそれは幼児のままで精神年齢が止まっているということであり、治療すべき精神の病質でさえある。

 信じることと、相手が腹黒いものを抱えていることは、先生の中では両立する。

 

「こんにちは、先生。こうしてお会いするのは初めてですね。ティーパーティーのホスト、桐藤ナギサと申します。噂では〈尊敬〉という言葉が合うかどうかについては、意見が割れているようですが」

「ははは、耳が痛い。君のことはミカからもよく聞いていたよ。とても優しくて綺麗な人だってね」

 

「……ッ! そんなこと、私には直接言ってくれないのに。……ごほん。実は、ミカちゃん……いえ、失礼しました。ミカさんからは、あまり先生のことは聞いておりませんでしたので」

 

 そして、一方でナギサの方はというと……これは自分で気付かないうちに対抗心をむき出しにしていた。

 ミカちゃんと言ったのもそれ。自分の方が仲が良いのだとアピールしたかった。

 

「そっか。ミカは私のことをとても助けてくれたからね。呼んでくれたのは丁度良かった、恩返しがしたいと思ってたんだ」

「そう言っていただけるのはありがたいですね。ミカさんはそそっかしいところがありますから、ご迷惑をおかけしていないか心配でした」

 

「はは、私みたいな大人から見れば元気なことはとても微笑ましいよ。あるいは、そればかりであれば良かったのかもしれないけど」

「はい。ミカさんはとてもとても悩んでいて、毎日そればかり考えてしまっているようですね。仕事の最中も、ケーキを食べるときだって……」

 

 先生の笑みはますます柔和になっていく一方で、ナギサの目はどんどん吊り上がっていった。

 大人の余裕……みたいに見える。実際にはミカを取ってしまう先生にナギサが嫉妬して、しかし先生は暖簾に腕押しみたいな。いや、先生としてはミカとナギサの仲が良いのは歓迎することだし、その先に進んでもやはり歓迎したいとは思うけれど。

 もはや近所のお兄さんと、友達を取られたくない女の子みたいな構図になってしまっている。理解はできても、納得はできないような。

 

「うん。前はよく会いに来てくれたし、とってもモモトークをくれたものだけどね。最近はあまりくれないんだ。他に夢中になれるものができたのかも、と思ったけど」

「それは……それは、先生には関係のないことです」

 

 ナギサはミカの話を打ち切る。

 いつまでもそんなことばかり話していられない。ミカからはあまり話を聞けなかったけど、それでもこれから話す話は必要なことであることは自分でも検討した事実だ。

 シャーレを利用し、スパイの動きを縛った上で特定して追放する企みを実行しなくてはいけない。そのために一旦ミカのことは棚に上げるしかない、トリニティにとっての今後のために。

 

「……ミカの話は終わりかな」

「はい。トリニティの話をしましょう」

 

 お願いするよ、と先生は目の前の紅茶を一口飲んで聞く体制に入る。

 

「昔……『トリニティ総合学園』が生まれる前、各分派の代表たちが紛争を解決するためにティーパーティーを開いたことから、この歴史は始まりました」

 

「 ……それらの三つの学園の代表を筆頭にティーパーティーを開き、和平への流れが生み出されたのです。その後から、トリニティの生徒会は『ティーパーティー』という通称で呼ばれるようになり各派閥の代表たちが順番に『ホスト』を務めています」

 

「そして、先生には釈迦に説法でしょうが……このキヴォトスでは様々な陰謀と戦乱が渦巻いています。このトリニティとて例外では居られません。我々を、引いてはトリニティを破壊しようとする勢力が居ることは確実です。異論はありませんよね、先生?」

 

 問われた先生は悲しいことだけどね、と頷いた。

 

「その中でも、強力な力を持つ敵がいるようです。私たちに存在すら気取らせることもなく暗躍する敵が、確かにトリニティの中に潜り込んでいるのです。彼女を放置すれば、ミカさんも危ない目に会ってしまう……」

「……それは、生徒のことを疑っているのかい?」

 

「この資料をご覧ください、先生」

「……」

 

 ナギサは問いに答えずに用意していた資料を差し出す。先生は、睨みつけるようにその資料を見た。

 

「もちろん、本来はここトリニティにも落第、停学、退学などに関する校則が存在します。ただ、手続きが長く面倒でして、たくさんの確認と議論を経なければなりません。ゲヘナとは違って、我々は手続きを重要視しますので」

「……」

 

「そこまでする必要があるのか、とお考えでしょうか? ですが、そもそも、補習授業部は……生徒を退学させるために、作ったものですから」

「……」

 

 しかし……先生は怒りの表情を浮かべている。それは、自分に向けた怒りだった。権力をこのような使い方をしなければならないほどにナギサが追い詰められていることが分かってしまうから。

 

「……生徒を疑うことを嫌っているのですね。ミカさんから聞いた通りです」

「私に何をしろと言うのかな?」

 

 先生は表情を消してナギサと向き合う。

 

「3名まで候補を絞りました。……その中から裏切り者を見つけ、追放しなければトリニティに災厄が降りかかるでしょう。いえ、それだけではすまないのでしょうね。ゆえに尋問してでも情報を吐かせる必要があるのです。……はい、4人目の下江コハルだけは例外ですが」

「どういうことかな?」

 

「我々は長年ゲヘナと争ってきました。正義実現委員会は治安維持を担当いただいているかけがえのない戦力ですが、それだけに裏切られた際のダメージは大きくなってしまう。なので、彼女には人質になってもらうことにしました」

「……ッ!」

 

 先生が睨みつけても、ナギサは涼しい顔をしている。お前の感慨など一顧だにしないと、態度で示すように。

 

「ですが、他の方については妥当な疑惑ですよ。ハナコさんは、本来誰よりも優秀な才能を持っていたにもかかわらず、今はわざと試験で本気を出していません。何を企んでいるのか、全く理解できない状態です」

「アズサさんは、そもそも存在自体が色々と怪しいところばかりです。それに、他の生徒たちと何度も暴力事件を起こしている、統制不能な存在ですし」

「ヒフミさん、は……私は、ヒフミさんのことをとても大切に思っています。ですが……あの子の正体が実は、恐ろしい犯罪集団のリーダーである、という情報がありました。ああいうのが、一番怖い。私を利用して、ミカちゃんを狙っているようなことがあれば……」

 

「それでも、私は生徒を信じている」

 

 睨み合い、言葉のナイフを交わすように二人は会話を続ける。

 

「……ヒフミさんについて、先生は書類をよくご覧になっていましたね。彼女がどうかしましたか?」

「いや、何も。ただ、ミカはヒフミについて何か言っていなかったかな?」

 

「何も、言ってはいませんでしたよ」

「――そう。ミカも、このことを知っているんだね」

 

「あっ! いえ、別に鎌をかけずとも聞かれたら答えますよ。ミカさんもこのことについては承知済です。何しろ、先生に頼ろうと言ったのは彼女なのですから」

「そっか。頼ってもらえるのはうれしいね。……うん、補習授業部のことは引き受けさせてもらうよ」

 

「では、裏切者を……」

「いや、そんなものは探さない。私に任せるからには、私のやり方で対応させてもらうよ」

 

「……先生。先生、事態はそんな生易しいものではないのです。ミカさんがあれほどまでに怯えているのですよ。中途半端な対応では、敵への対処などできない……!」

「それでも、私は生徒のことを信じているから」

 

「そうですか。先生のことを伝聞で知ったような気になっていましたが。……先生は、本当に先生なんですね」

「褒められているのかな?」

 

 ため息を吐くナギサ。逆に先生は褒められているのを疑っていないあっけらかんとした笑顔だ。

 

「分かりました、よろしくお願いします。先生のやりたいようにやるのが、結局は一番良い結果にたどり着くのかもしれません。ですが、私は私のやり方を変えません。この道を進むと決めましたから」

「……ナギサ。君は、なんだか諦めてしまっているように見えるよ。周りが見えなくなっている。助けてくれる人は、いくらでも居るんだ。私だって」

 

「いいえ、必要ありません。……ですが、一つだけ頼まれてください」

「何を? いや、駄目だ。ナギサ、君は負うべきではない責任を引き受けようとしている」

 

 ふう、と顔に影を落とすナギサ。そして、先生は察したのか彼女を引き留めようとする。

 

「私にもしものことがあれば、ミカちゃんのことをよろしくお願いします。先生なら、託すことができますから」

「……ナギサ。君は」

 

 先生は初めて苦り切った顔になった。生徒を助けるのは当たり前……だが、力が足りないことだってもちろんある。

 助けなければいけないのに、信用が足りない。それは『シャーレ』にはそれだけの力がないのだと切り捨てられること。それが……一番辛い。

 

「今日はありがとうございました。補習授業部、それと個人的なお願いのこと。有意義な話し合いができたと思います」

「ナギサ、私は補習授業部を救って見せるよ。そして、君とミカのことも……必ず助ける。それが大人の責任だから」

 

 ナギサは聞こえなかったふりをして、先に扉から出てしまう。もう話すことはないと言う、明確な先生への拒絶だった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第38話 補習授業部の始まり

 

 

 そして、ナギサはヒフミを呼んだ。いつものお茶会などではなく――彼女を補習授業部に入れるという通達のために。

 

「こんにちは、ヒフミさん。昨日ぶりですね」

「はい、ナギサ様。あの……私に何か御用ですかね? ええと……その、補習授業部と言うのは……」

 

 ヒフミは縮こまっている。それはそうだ、ペロロ様のライブのために試験をぶっちしたのが、この『補習授業部』に入れられた理由なのだ。

 恐縮と言うか……まあ、怒られるだろう。普通に。

 

「もともと、トリニティはミッション系の――学びを尊び、日々の暮らしを主に感謝しながら慎ましく生きる学校です。粗暴で自由気ままで、机に着くこともできないようなお馬鹿さんの居場所はありません」

「……ひうっ。いえ……違いますよ? ナギサ様。私はちゃんと試験を受ければ普通の点数は取れますよ。でもですね……あの……ペロロ様のライブが……」

 

 ヒフミは視線を床にやりながらもじもじと言い訳を試みるも、ナギサは聞いてくれない。

 

「試験で不合格を繰り返す、落第を逃れられそうにない、助け合うこともできないような方は……みなさん一緒に、退学していただくしかないのです」

「あうう……あの。そうですね、ちゃんと勉強しますし、追試は受けますから……」

 

 慌てるヒフミに、ナギサは重苦しく首を振る。その様子に、さすがにヒフミも不審に思う。

 なにか……とんでもないことになったかもしれない、と。

 

「ですが、ヒフミさん。実際のところは点数などどうでもよいのです。試験未実施で0点であったあなたを含めて、トリニティにふさわしくないほどの低得点を叩き出した方ばかりですが……まあ、結局は個人の問題です」

「え……? ナギサ様、何を言ってるのですか? てっきり、テストを放り出したことへのお説教だとばかり……」

 

 ヒフミはちらちらと扉を見る。とても、逃げ出したかった。だが、ナギサを前にしては逃げ出せば状況が悪くなるばかりなのは知っている。

 

「今、トリニティにはティーパーティーに害をなそうとする裏切り者が居るのです。私は、その候補を閉じ込めようと思います。ヒフミさん……補習授業部にいる裏切り者を、探していただけませんか?」

「えっ、えぇっ……!?」

 

 ナギサは虚空を睨みつけるように怖い顔をしている。

 彼女から出た青天の霹靂のような言葉に、ヒフミは胸を切り裂かれたような痛みさえ感じて胸を押さえる。

 裏切り者、なんて――自分みたいな普通の人が相手にするようなものじゃないと顔を真っ青にしてしまう。とても無理だと思う。きっと、見つけても返り討ちに会ってしまう。

 

「ヒフミさん。彼女たちの情報を集め、できる限り早く『裏切り者』を見つけていただけませんか。ヒフミさんはそのために、補習授業部に入るんです」

「その、どうして私が、そんな……裏切り者を……だなんて」

 

「――どうして、ですか。その答えはヒフミさんが、シャーレとつながっていたから、ですね。第三勢力である『シャーレの先生』が一緒にいる限り、裏切り者はむやみに動くことができません。あなたは都合が良かったんです」

「……え? 先生が?」

 

「そう……あえて言うならばゴミが、ゴミ箱から飛び出さないための蓋のようなもの……でしょうか」

「ゴミ箱?」

 

 一瞬、ナギサが怖い顔をする。敵を倒すために犠牲を厭わない、そんな覚悟の決まった顔だ。

 怖がらせてしまったことに気付いたのか、すぐに表情を消した。

 

「失礼しました、忘れてください。今のは独り言です。それに、その裏切り者は……おそらくゴミ程度では済まないのでしょう。とにかく――」

「ナギサ様、私は、そのような――」

 

 ヒフミはふるふると首を振る。そんな恐ろしいことはできなかった。裏切り者をみつけるような大立ち回りも、そもそも疑うことですらしたくないのだ。

 普通の女の子の私が出来ることではない、と。

 

「他に選択肢はないのです。それにやむを得なかったとはいえ、失敗してしまった場合はヒフミさんも同じことになってしまうのですよ……?」

「みんな、同じ学校の生徒じゃないですか……誰が裏切り者なのかを探れだなんて、そんな、そんなこと……」

 

 無表情のナギサに見つめられて、ヒフミはとうとう涙を浮かべてしまう。

 

「ミカちゃんも、犠牲になるかもしれないのですよ?」

「え? ミカちゃんが、どうして――」

 

「当然の話でしょう? 私を倒したところで、まだティーパーティーにはミカちゃんが居る。ティーパーティーを打倒するには、私を含めて彼女まで始末する必要があります。……間違いなく、ターゲットの一人と断言できます」

「そんな……ミカちゃんが。いえ、そもそもナギサ様も……? でも。……でも、やっぱり誰かを疑うなんて……私には」

 

 ヒフミはナギサの無表情の顔を見る。いつもは優し気に微笑むその顔に、何も感情を映していない。それは、彼女も怖いのかもしれないと思い直す。

 ナギサの言ったことは、自分のヘイローもまた砕かれることを視野に入れている。防ぐために先制攻撃をする、それが補習授業部であるのだと。

 

「ヒフミさん。ミカちゃんはこの”敵”のことを恐れています。たまに泣いていること……知っているでしょう?」

「――ッ!」

 

 ヒフミは息を飲んだ。あの自信家で、けど変なところで落ち込んでしまうミカ。情緒不安定なあの調子が、その敵によってもたらされたものであるのなら。

 

「私は……私は、どのような手を使っても、必ずその敵を倒します。例え、あなたを裏切るようなことになっても」

「……ナギサ様」

 

 固い覚悟を決めたナギサのことを見る。先生であれば、もっと周りを頼るべきだなどと言うかもしれないが……ヒフミは、ただ呆気に取られるだけだ。

 

「話は終わりです。ヒフミさんは他のお三方を探すとよいでしょう。試験までたくさん勉強すれば、あるいは一度で合格できるかもしれませんね。もっともスパイさえ見つけ出せば、その心配も不要になりますが」

「ナギサ様。それでも、私はスパイなんて……」

 

「……話は終わりと言ったはずです。退出してよろしいですよ」

「はい。分かりました、ナギサ様……」

 

 とぼとぼと帰って行ったヒフミ。けれど、帰り道で補習授業部の仲間に会って――変な子ではあるけど、悪い人ではないと確信した。

 この人たちと一緒に、合格するんだと決心した。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第39話 失敗と始まり

 

 

 1週間の部活時間での補習の結果、劣等生たちは以下の得点を得た。

 

〇ヒフミ:72点

〇アズサ:32点

〇コハル:11点

〇ハナコ:4点

 

 --補習授業部には〈補習合宿〉が決定された。

 

 先生もこれぞ我が本懐とばかりに必死に補習を行ったものだが……残念ながら結果はともなわなかった。

 ペロロ様のライブにかまけて試験をサボったヒフミだけは合格したが、しかし補習授業部の本質はそこにはない。誰かが失敗した時点で、全員の合宿は決定されるから。

 他にもアズサは頑張ったが、そもそも学ぶ方法すらも知らないのだから一朝一夕で挽回できはしない。それは長い時間をかけて培っていくものだ。やる気で何とかできるものではない。

 そして、コハルとハナコ……この時点では心を開くはずもなかった。

 

 ゆえに始まった合宿。先生監視の下、本校から遠ざけられた。

 古い施設を利用した長丁場を前に、彼女たちは掃除を決定した。使用されずに放置されて埃の溜まったその施設を1日を使ってピカピカに磨き上げた。

 それは、学力を上げるという表の目的には関係ない。裏の目的にしたって、ヒフミも裏切り者を見つけるために提案したわけでもない。

 それは、ただ互いに気分よく過ごせるようにという気遣いだった。

 

 一生懸命掃除をして、そして明日から始まる勉強合宿のためにプールで遊んで英気を養う。……普通の女の子みたいに。

 

 

 今は、彼女たちは掃除を終えて遊んでいるのだ。

 先生は微笑まし気に、もしくは掃除で疲れて気だるげに、ものかげからその様子を見守っていた。

 そこに声がかかる。

 

「水着の女の子、眼福ってところかな☆ でも、私ならトリニティ指定のやつじゃなくて気合入れたのを見てもらいたい所だけど。ごめんね、さすがに水着じゃ町中を歩けないしさ」

「……ミカ!」

 

 そこには幽閉されたはずのミカが居た。普通の制服姿で悪戯気に舌を出している。いや、変な恰好をしてもらっても先生も困るけれど。

 

「あは。ナギちゃんに私のこと問い詰めたらしいね。先生、私のこと大好きすぎて困っちゃーう」

「うん。ミカのためならいくらでも骨を折るよ。ミカは大切な私の生徒だからね」

 

 からかいの言葉をかけると直球の言葉が返ってきたものだから、ミカは顔を赤らめてしまう。

 でも、まだ負けないと言葉を続ける。赤面を隠すように、からかうような笑みで言い返して……

 

「……あう。そういうことを真顔で言われると照れちゃうな。でも、ここは生徒よりもっと近い関係になりたいって怒るところかな?」

「それでも、君のことはずっと心配していたよ」

 

 即座に撃沈された。表情を繕う余裕もなく、真っ赤な顔でうつむいてしまう。

 

「わーお。そう直球で言われると。……うん、嬉しいかな。先生に心配してもらえて」

「そうだね。じゃあ、お説教をしようか?」

 

 イイ雰囲気になったと思った直後に、気迫のあるにっこり笑顔ですごまれてミカの笑顔が凍る。

 

「……あれ?」

「当然だろう? 大人を心配させたんだ。……それに、まだ全てを明かす気はないんだろう?」

 

「うん、そう」

 

 ミカは悲し気に俯いた。先生は大人の笑みで見守るだけだ。神妙に、先生のお説教を聞く。

 

 

 

 

「――それで、今日は大丈夫だった? 一人で出てくるなんて、ナギサが心配するよ」

「ふふ、大丈夫。先生、気付かないんだ? 遠くからマシロちゃんとハスミちゃんが見てるの。仕掛けるようならここで潰してしまった方が安全て言って、ナギちゃんを騙したの」

 

 ひょい、と向こう側を指差す。まあ先生には見えていないのだがそこにミカの護衛が居る。さすがにナギサも、護衛もなしにミカの外出を認めはしない。

 

「そう。ミカはここで敵が来るとは考えていないんだね」

「そんな単純な相手なら苦労はしないもの。それに、手札はあるからここで切る方がもったいないんだよ。……裏切り者が一人で私に勝つなんて、そもそも無理だし」

 

 ミカは先生と話す。この会話で、ミカはまだナギサに話していないことがあることまで知られてしまうが。

 それでも構わなかった。未来の記憶でも、先生には致命的なところまで話していたことだし。

 

「裏切り者。……ナギサから頼まれたやつだね。探す気はなかったけど、ミカはその子のことで頼み事があるんだね」

「うん。補習授業部の中に居る裏切り者。その子はね……白洲アズサちゃん。どうかな? 予想してた?」

 

「アズサ。そっか。彼女……か」

「え……?」

 

 ミカは驚く。なにせ、あの先生が虚空を睨みつけている。こんなのは、記憶にはなかった。

 ――怒っている。

 

「あの子は、トリニティの子ではないね?」

「あ……うん、知ってたんだ? あの子、実はトリニティに最初からいたわけじゃないんだ。ずいぶん前にトリニティから別れた、いわゆる分派……『アリウス分校』出身の生徒なの」

 

「アリウス分校……ね。聞いたこともないけれど」

「うーん、よく考えると〈生徒〉って呼んで良いのか分からないんだけどね。何かを学ぶということが無い生徒のことを、生徒って呼べるのかな?」

 

「そう。それでか……」

「え? 先生、本当にどうしたの。」

 

 記憶との齟齬にミカが焦り始める。実際、自分のしたこと、していることが正しいのか分からない現状……明らかに記憶と違う事態が起こっている。

 こんなに怒ったことなんて――いや、自分が人を殺すと言ったときはこんな感じだったっけと訝しむ。

 

「アズサは。アズサは要領の良い子だ、学習意欲もある。ミカもあの子の成績を知っているだろう? けどね……まともに授業を受けていたら、あんな点数は取らない」

「えと……まともにトリニティの授業を受けてきたコハルちゃんはどうなるのかな? 似たような点数だよ」

 

「コハルは思い込みが激しくて、しかもそそっかしいところがあるからね。まあ、先生として婉曲な表現をするなら――とても教えがいのある生徒だということだね」

「あはは。まあ、コハルちゃんはそういう子だしねえ……そこらへん、私は苦労しなくてもそれなり以上にできちゃったから、あまり苦労してないけど」

 

「そんなことないよ。ミカはティーパーティーに相応しくなれるように頑張っているじゃないか」

「あはは。先生に言ってもらえると嬉しいな。でも……うん、そっか。分かっちゃうか。さすがは先生」

 

 そうだよ、と呟いてミカはふわりと羽根を広げて先生の前に出て上目遣いに覗き込む。語りかける。

 自分たちとは違う世界に住む住人のことを。

 

「トリニティにはね。毎日毎日、紛争ばっかりの時代があったんだって」

「そこで、もうこれ以上戦いを続けるんじゃなくて、仲良くしようっていう約束をすることになったの」

「私たちはもう戦わなくて良い、一つの学園になろう……そんな話をしたのが、いわゆる『第一回公会議』。その会議を経て生まれたのが、私たちの居る『トリニティ総合学園』」

 

 くるりと回転して、皮肉気に笑いかける。神秘的な子って思ってくれたら嬉しいなと思って。

 

「でも、最後まで反対していた学校があったの。それが『アリウス分校』。そのアリウスは連合を作ることに猛烈に反対して……最終的には、争いにつながっちゃったの」

「連合になって強大な力を持つようになったトリニティ総合学園は、その大きな力でアリウスを徹底的に弾圧し始めた」

「――アリウスは潰された。トリニティの自治区から追放されて、今は……詳細は分からないけど、キヴォトスのどこかに隠れているみたい」

 

 先生は長い話を聞いて、重苦しく頷く。

 

「そのアリウス分校の末裔……それが」

「それが白洲アズサ。潰されたアリウスの係累――トリニティとゲヘナを恨み、連邦生徒会の助けすら拒絶した孤児。この子たちはまだ、戦争の中で生きている……学びの意味すら知らない、憎悪に囚われた遺児だよ」

 

 締めくくった。アリウスと言うのは、そういうものなのだと。救いはなく、救いを求めることもせず……ただ戦争に生きる子達を憐れむようにミカは目を伏せた。

 そう、戦争に生きたのでは勉強など、できるはずもないのだ。

 

「……なるほどね。それで、か」

「怒った?」

 

 先生は話を聞く間、ずっと彼方を睨みつけていた。それもあってミカはいつも以上にお茶らけていたのだけど。

 

「怒っているよ。自分の不甲斐なさに」

「なんで? 確かにあの子たちはかわいそうな子だよ。でも、先生は第一回公会議の時は生まれてもなかったでしょ? 何を責任を感じることがあるの」

 

「それでも……生徒を助けるのは大人の役目だから」

「……偉いね、先生は。生徒みんなを助けようとするんだね。私なんて、助けたいのは二人だけ。……ううん、二人と――四人かな」

 

 ミカは眩しいものを見るような瞳でプールの方を眺める。先生はそんなミカの頭を撫でてあげた。

 

 ――優しい時間が流れる。

 

「それで、ミカのお願いは?」

「あ、うん。言わなくても問題なさそうだけど、アズサちゃんを守ってほしいの」

 

 てへ、と舌を出す。

 

「うん、任せて」

「あはは、先生は優しいね。何でも言うことを聞いてくれそう」

 

「聞けるお願いなら、全力で叶えるよ。大切な生徒のお願いだからね」

「……先生」

 

 ちなみに、監視しているマシロとハスミは私たちは何を見せられているのだろうと思っている。

 読唇術なんて技術もないから話も聞けない。ミカのメス顔を延々と見つめるしかない。

 ……しかも、ナギサから裏切り者の危険性は聞かされているから集中力を切らすこともできないのだ。

 

「先生、お願いね。でも、きっと先生なら何も問題ないよ。アズサちゃんだけじゃない、コハルちゃんも、ヒフミちゃんも……ハナコちゃんだって。築いた絆は、とても大きな力になるから」

「――それこそ、お願いされるまでもないよ。必ず君の願いを叶えてみせるよ、私のお姫様」

 

 今度こそ……ミカは何も言えなくなった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第40話 復活のセイア

 

 

 セイアは無限に広がる予知夢の世界をさ迷っていた。滅びが決まっている以上は全ては無為と、流れに身を任せて眠り続けていたのだ。

 だが、そこで見てしまった。

 

 ――未来を変えるため、傷つきながらも戦うミカを。ぼろぼろになった心を抱えながらも先生とともに戦い、ついには周囲の人間と和解した。

 正義実現委員会のツルギにハスミとすら、友誼を結んでみせた。そして、壊れかけていたナギサとの親交を結びなおした。それは壊れかけていた絆を繋ぐ行為。

 

 たとえいつか壊れるものだとしても、セイアはその絆を羨ましく思った。

 

「君に許しを。そして、私もまた許されるために……私は――見果てぬ”夢”から”今”に戻る!」

 

 ゆえに、セイアは夢から目覚めて滅びの決まった現在(いま)に踏み出すことを選んだ。

 予知夢の世界では人や物に干渉することはできない。それでも、目覚めるために扉を思い切り蹴りあげようと――

 

「……ッ!」

 

 足に衝撃が来ると思った瞬間、目の前に光が溢れた。バ、と布団が持ち上がって――しかし弱々しい蹴りでは布団は宙に浮かぶこともなく身体の上に落ちた。

 そこでようやくセイアは自分がベッドの上に居ることを自覚する。

 

「むぅ……げほっ。ごほっ!」

 

 シーツの中でせき込んだ。寝相のような形でシーツを蹴り上げたのだが、弱った身体にはそれだけの動作でも負担だった。

 分かっていたことだが、やはり忌々しいと顔をゆがめた。

 

「……ぐぐぐ。まさか、これほどまでに体力が落ちていようとはね。だが、まあ仕方あるまい。これだけの期間を飲食もせずに寝ていたのだから。病人のような、どころか今の私は真実重病人であるのだろうね」

 

 ごほごほとせきこみながら、セイアは重そうにその小さな身体を起こす。

 世話はされていたようだ。が、人間の身体は動くようにできている。眠り続ければ、その分弱くなる。ガタが来る。

 

「ああ、辛いね。今までの私であれば、世話を侍従に任せて自ら動こうとはしなかっただろう。この身体を動かすことの、なんと重いことか。まるで鉛でも入っているような心地だが、実際はこの身体は軽すぎるのだろうね。痩せ細っている、というレベルで済めばよいが。そういえば栄養失調状態では固形物を食べるのも禁物だったか」

 

 ぐちぐちと自らの身体に向かって恨み言を吐きつつも、ずりずりとその小さな手を動かして身体をベッドの外へと導いていく。

 端正な顔に汗を浮かべて、一生懸命に立ち上がろうと。

 

「とはいえ、この萎えた腕ではベッドの外に出た段階で顔を床に叩きつけるのが関の山だろう。さすがに私も、ベッドから外に出ようとして密室事件を作る気はない。それではミステリーによくある、不可能犯罪に見える殺人事件はただの自殺だったという凡百なストーリーになってしまう。慎重に、足から降りなくては……」

 

 ベッドの端についたら、足を下ろす。……けれど、その小さな足は床を踏めなかった。身長が足りない。

 不満げにぷらぷらと足を揺らす。

 

「床に足がつかないか。いち、にの……よっと。うむむ」

 

 ぴょんとベッドから飛び降りた勢いで立ち上がろうとするけれど、自らの体重を支えきれずにべったりと床に伏せてしまう。

 

「……辛いものだね。己の力が足りないというのは」

 

 かっこう付けた物言いで、立ち上がることさえできないほど衰えた身体を茶化しつつ。うつぶせの状態からこてんと転がって上を向く。

 

「この天井……『サンクトゥス分派』の所有する建物ではないな。ここは、そうか――ミネ団長の隠れ家か。なるほど、彼女が私をかくまってくれたのだな」

 

 天井を見上げるその様はまるで子供が遊んでいるようであったが、呟いている内容は予言者に相応しい。

 そもそも自分の身柄がどこにかくまわれているかも知らないのに、ものの10秒で状況を把握してしまったのだから。

 

「この隠れ家の場所、そしてミカが幽閉された場所も知っている。そこへ行けばナギサも飛んでくるだろう。まあ、その前に誰かに見つかってどうにかされてしまう可能性の方が高いのだろうがね」

 

 ころんと転がったセイアは、大儀そうに身体を起こす。

 ミカを見てその光に感化されたとはいえ、セイアの厭世気質は血肉に根付いて個性と化している。それは一朝一夕に変革されたりなどしない。それが、自らの人生を生きる人と言うものだろう。

 

「だが……それが歩みを止める理由になるものか……!」

 

 萎えた足は、自らの体重を支えることもできずにまたもこてんと転がる。そもそも何日絶食しているのか考えたくもない。

 身体を動かすことさえ禁じるべき重病人に他ならない。身体を動かすだけで死ぬ危険があるのは大げさでも何でもない事実だった。

 

「それでも……私は、君と……君たちと! ミカ、ナギサ……!」

 

 ずりずりと、扉に向けて這いずっていく。地理は完璧だ、このミネ団長の隠れ家の構造からミカの牢獄までのルートは全て知っている。

 けれど、問題はこの身体だった。道筋を知っていようと、這いずることですら精一杯なこの身体ではそこに着くことなどできやしないのは分かり切っている。

 それを、世間一般では無駄な努力と呼ぶのだという自覚はある。

 

「だが、それでも……君は諦めないのだろう? ならば、私も……真の友人となるために、諦観などと言う安寧に浸かってなどいられるものか……!」

 

 だが、そんなことは理由にはならないと。それで諦めることはもうやめたのだと、一歩一歩扉に近づいて行く。

 

 その中で、扉が向こう側から開く。

 

「……セイアさん!? 起きたのですか。いえ、どこに行こうと?」

 

 その声の主は、もちろんミネだ。彼女は自身の勢力からも身を隠して、セイアをかくまっている。

 まあ、その理由は『救護騎士団』が騎士団と名がついていても本質は救護員、戦闘ができるのはミネだけだから。守るならば、他の団員など不要と――戦力的な面から決断を下した。

 他には、どれだけ隠れ潜むのか分からない逃避行に他人を付き合わせるのは悪いと自責したのか。

 

 実のところ、それはうまい手段とも言えない点がある。ともかく、ミネ団長には一度思い込んだら他人の言うことを聞かない悪癖があった。

 

「ミネ団長か。そうか、ここは君の隠れ家だったな。……だが、行かせてほしい。私には、必ず行かねばならないところがあるのだ」

「……セイアさん。行くところ、とは」

 

 ミネは神妙にセイアの顔を見つめる。

 錯乱しているわけではない。本当に、そうしなければならないと決意して行動に及んでいると判断した。

 ならば無視することなどできようはずもない。今のセイアの身体は絶対安静にしなければ死の危険もあるのだが、そこはそれ。

 患者であろうと、その意思を無視するのは『救護』ではないのだ。

 

「私はミカに会わねばならない。いや、会いたいんだ。ミカと……そしてナギサと。かつてはあったはずの友情を取り戻すため。許すために、許されるために」

「――まさか、セイアさんの口からそのような言葉が聞けるとは思いませんでした」

 

 ミネは苦しみながらも這い続けるセイアをそっと抱え上げ、優しく背に乗せた。背にのせられたセイアは目をパチクリとさせている。

 まあ、予言者として畏れられたセイアだ。いかに子供みたいな体つきでも、子供みたいに抱え上げられた覚えなどとんとない。

 

「……ミネ団長?」

「あなた方の友情に感動しました。そのような状態でありながらも友の下へ向かいたいと。――ええ。大事な人に会いたいという願いを叶えられずして、何が『救護』でしょうか!」

 

「ミネ団長、君の救護とやらはよくわからないが。しかし、私は私の力でミカの下まで行かねば意味が……」

「捕まっていてください、セイアさん。一刻も早くあなたをミカさんへ届けるため……走ります!」

 

「……ミネ団長? 運ぶなら、もう少し文明的な手段を選んでもらえると助かるのだが――」

 

 ミネは、疾走を開始した。

 

 

 

 そして、書類仕事をしていたナギサにその報告が届く。

 

「ナギサ様、大変です! 行方不明だった『救護騎士団』のミネ団長が、病気療養中のセイア様を背負って市街を爆走しているとのこと!」

「………………は?」

 

 ナギサの思考は停止した。報告された内容、それのどこを取っても意味がワカラナイ。この人は日本語をしゃべっているのだろうか、という気すらしてしまう。

 

「だから、今まさにミネ団長がセイア様を背負って走っているんです。セイア様を下ろすよう説得が続けられていますが、聞く耳も持ってくれません! あの救護狂い、『救護騎士団』の団長は!」

「はあ。……ミネ団長が――セイアさんを。ミネ団長がセイアさんを背負って走っている!? どういうことですか!?」

 

 一拍貯めて吟味して、ようやく意味が掴めた……と思いきや、予想外過ぎてどこから驚けばいいのかもわからない。

 今ばかりはナギサも常の優雅さを保っていられずに、口をあんぐりと開けている。

 

「はい。行方不明だったミネ団長が姿を見せたのも驚きですが……セイア様の病状も心配です。ヘイローは確認できますので、意識はあるようなので少しは安心できるでしょうが」

「セイアさんにヘイローがあるのですか!?」

 

 目を剥いて叫ぶナギサに、報告に来た彼女は少し驚いた。ただ、こんな報告を聞けばそんなことをあるかと流して返答を返す。

 

「……? ええ、はい。そのように報告が届いています。まあ、いつ気絶して消えるものか分かったものではありませんが」

「そうですか、良かった。……いえ、それにしても意味が分からない状況ですが。とりあえず、セイアさんは生きていたのですね。ところで、ミネ団長はどこへ向かっているのですか?」

 

 ほっと――華やぐような笑みをこぼす。そして、すぐにいつもの冷徹なホスト桐藤ナギサの顔に戻す。

 

「それは……あ、報告が来ています。ミカ様の牢獄に向かっている……と言いますか、交戦を開始したと」

「交戦!? セイアさんに弾丸が当たったらどうするのですか! 攻撃を禁止しなさい!」

 

「あ、はい。さすがに攻撃することもできないので、ティーパーティーの兵員も正義実現委員会も壁になっていますが……吹き飛ばされているようですね」

「それなら良いのですが。……いえ、良くはありませんが」

 

「その――どうしましょう??」

「私も行きます。それとツルギ委員長にも現地で合流できるよう連絡をお願いします」

 

 ナギサが立ち上がった。

 





 感想頂けると嬉しいです!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第41話 ティーパーティー復活

 

 

 ミネ団長がセイアを連れて疾走している最中、ミカはベッドの上で予備のスマホを使って裏の作業を進めていた。

 外の音は完全防音なので伝わってこない。そこは偉い人用の牢獄のお約束だ。それをいいことに、いつもと同じように暗躍を進めている。

 

「――なに?」

 

 出し抜けに表用のスマホに通信が来た。……ミネがもうそこまで来ているのだ。何も聞こえてこないが、護衛の子達はわりと一杯一杯だった。

 通話ボタンを押すと、大慌ての声が飛んでくる。

 

「ミカ様! 大変です! ミネ団長がセイア様を連れて襲撃に!」

「……は?」

 

 やはり、意味が分からない。セイアが生きていることは知っている、もっともその姿を確認できていないので半信半疑のところもある。ミネが匿っていたことも聞いた。

 だけど、その言葉はやはり理解が難しい。いや、普通に考えればありえないことだ。病人を背負って走り出すなど、そんな……まともな医療知識を持った人間のすることではない。

 

「あ、駄目です! 反撃をしてはいけません! セイア様に当たる!」

「――ッ!」

 

 反撃を諫める怒鳴り声が聞こえてきて、居ても立ってもいられずにドアを開ける。

 ナギサしか持っていない鍵を使わなければ外からも内からも開けられない仕様だが、ミカのパワーの前には鍵など意味がなかった。

 呆気なく、鍵などかかっていなかったと見間違う様に鍵は破壊された。

 

「……あ」

 

 扉を開けたミカとセイアの目が合う。

 そして、その後ろでは殴り飛ばされた護衛の面々が地面に深々と突き刺さっていた。誰に顧みられることもなく、びくびくと震えている。

 

「――ミカ。まったく、因果なことだ。この悲しくて、苦しくて、憂鬱になるような……それでいて、ただただ後味だけが苦い。そんな話の中で、このコメディタッチな再会は場違いかもしれないね」

 

 セイアは青くなった顔に苦笑を乗せて、いつものように小難しい話をする。お茶目にウィンクをして見せた。

 重病人を背中に乗せて疾走した元凶は、そっとセイアをミカの前に下ろして横に立つ。

 

「セイアちゃん。……良かった。私の……私のせいで。……ごめんね」

 

 苦し気に涙を浮かべるミカは、セイアの前に跪いて――拒否されないのを確認するようにおどおどと……壊れものを触るように抱きしめた。

 

「そうか。……そうだね。先に言われてしまったか。相手を疑い、前提を疑い、思い込みを疑い、真実を疑う様な物語の中で――君は、素直に謝ることができた。異なる(しがらみ)に囚われる中で間違いを認めるのは、とても難しいことだと言うのにね。きっと、私たちにはそれが足りなかったのだろう」

 

 セイアは照れながらも満更ではなさそうだ。ミカを受け入れて、ぽんぽんと背中を叩く。

 

「……あはは。セイアちゃん、難しいことばっかでよく分かんない。でも、大好き!」

「ああ、私も。愚かで直情的で、時には自らすら傷付ける君だが……嫌いではないよ」

 

「まったく、セイアちゃんったら素直じゃないんだから! ほらっ!」

「うむむ……ミカ、私は病人なのだからあまり抱きつかれると苦し……」

 

 ニコニコと抱き合うミカとセイア。その様子を見守る周りの人間も微笑まし気だ。

 まあ、「ナギ×ミカも良いけれど、セイ×ミカも捨てがたいわね。いえ、これは三角関係……!? ミカ総受けの誘い受け。なんて恐ろしい方」などと呟くのがよりにもよってティーパーティーに居るので、もう終わりかもしれない。

 

「セイアさんがここに来ていると連絡を受けました! どういうことですか!?」

 

 息を切らせて到着したナギサが目の前の光景に目を剥いた。

 

「あ、ナギちゃん! ナギちゃんも大好きだよ!」

「なっ!? そ、そういうことは聞いていません、ミカちゃん! 私はセイアさんのことを確認しに……というか、扉壊しましたね!」

 

「こんな場所にミカを閉じ込めるからそうなるのだ。あんなドアでは障子紙と変わらんことくらい、君とて重々承知のことだろう」

「ぐっ! この物言い……確かにセイアさんなのですね。……セイアさん、良かった」

 

 状況はよくわからない。けれど、死んだはずのセイアは確かに生きているのだと実感できて安心した。

 今ではほとんど見ることのなくなった柔らかい笑みを浮かべている。

 

 そして、また部外者がやってくる。これではおちおち情報封鎖もできやしない。いかにティーパーティーと言えど、隠しきれない。

 

「……あの! ミネ団長が見つかったと聞いて」

「あなたは……えっと、誰だっけ?」

 

「救護騎士団の鷲見セリナです。行方不明だったうちの団長がお邪魔していると聞きまして」

「はい、私はここに居ますよ」

 

 すっと出てくるミネ。いや、ずっと隣で見守っていたのだが。私は正しいことをしていますと言わんばかりの自信満々な顔をしている。

 

「あっ、団長。あの……この惨状は団長が?」

「はい」

 

 断言した。

 

「あわわ。患者がたくさん。……救護を始めます!」

 

 どこからともなく現れたセリナだが、蹴散らされた護衛達を治療していく。団長が壊して騎士団が治す――いつもの光景だった。

 

「キヒヒ。到着、敵はどこだ……!?」

 

 そして、ツルギまでが現れてこの惨状を目にして――目が点になった。

 

「やれやれ、場が荒れてきたね。ミカが関わるとこうなってしまうのか」

「いや……私のせいじゃないよね? 今回悪いのはミネちゃんだと思うけど」

 

 いつものごとく厭世的な苦笑を浮かべるセイア、そして引き合いに出されたミカは自分のせいじゃないもんとぶーたれる。

 

「まあ、ミネさんはいつもこうですし」

「キヒッ?」

 

 ナギサとツルギはミネの突拍子のない行動には慣れている。ため息一つで感情を押し殺すのは……悲しいことだが習慣になってしまった。

 

「ツルギちゃんも、銃はしまっていいよ。こんなに戦力が揃ってるところに突っ込んでくる馬鹿は居ないでしょ」

「とはいえ、こんな場所では落ち着いて話も出来ませんね。どこか、都合の良いところに行きましょうか」

 

「そう? じゃ、ナギちゃんお願い」

「私ですか? いえ、ミカさんに任せても不安ですしいいのですが。では、さっそく移動しましょうか」

 

 

 

 そして、ミカがセイアをお姫様抱っこしてナギサの隠れ家の一つにやってきた。まさかセイアに歩かせるなどと自殺行為をさせることなどできない。

 

「では、話を始めましょうか」

 

 各々席に着く。ティーパーティーのホストが三人、正義実現委員会の委員長、そして救護騎士団の団長。――凄まじい顔ぶれである。

 ナギサが自らハーブティーを淹れて配った。

 

「その前に私から勧告があります。セイアさんはこれまで寝たきりでした。ハーブティーくらいはともかく、医療的観点からクッキーなどの固形物を口にすることは認められません」

「そうかね。救護騎士団の言葉だ、従っておこう。これくらいは大丈夫かな?」

 

 セイアは苦笑を浮かべて配られたカップを持ち上げる。……手は重さに耐えきれずにぷるぷるしていた。

 

「一杯をゆっくり飲んでください。水でも大量に飲むと負担になりますので」

「了解した」

 

 大儀そうにカップを持ち上げて、わずかに口に含む。香りを楽しんで、ゆっくりと味わう。ふう、と優し気に微笑んだ。

 

「おやおや、大変そうだね。セイアちゃん? そんなに辛いなら、口移ししてあげよっか?」

「不要だ。ミカ、いつから君はそんな……」

 

 けらけらと笑うミカに、信じられないようなものを見るかのようなセイア。そして、ナギサはミカの言葉に目をきりきりと吊り上げて。

 

「ミカちゃん!? 口移しとはどういうことですか!? そんな破廉恥なこと私は認めません!」

 

「あれれ、ナギちゃんもしてほしいの?」

「おやおや、どうやら妙な三角関係に巻き込まれてしまったようだね。きっと、病床の身で力もない私は抵抗もできずに色々なことをされてしまうのだろう。唇を許したり、一緒にお風呂など……身体を好きにされてしまうのだね」

 

「――ミカちゃん!」

「いや、言ったの私じゃないし!」

 

 ミネ団長がごほんと咳払いをした。空気が凍る。

 

「患者を興奮させることは許しません」

 

 それは、純粋に医療的な観点からの言葉だ。そもそも話すことすら負担なセイアに、心拍数が高くなるようなことは謹んで欲しいとの言葉であるが。

 

「……興奮って。ミネちゃんもそういうことを言うんだね。……あははっ!」

「興奮……興奮なんて、そんな」

 

 くすくすと笑うミカ、そして猶更顔を真っ赤にしてしまったナギサがミネを信じられないようなものを見る目で見ている。

 

「? 何を言ってるのでしょうか」

「キヒ……そもそも、なぜミネ団長がセイアさんを背負っていたんだ?」

 

 3人が何を話しているのか分からないミネとツルギ。実は常識人なツルギは、初めて会議の場としてまともな発言をする。

 

「あ! それです、ツルギさん。ミネ団長、なぜセイアさんを? セイアさんは……ヘイローを破壊されたはずです。家も、爆破されて」

 

 そして、ふざけた話しは終わり。これからは、トリニティの秘密会議だ。

 

「ヘイローを!?」

「あ、ツルギちゃんは知らなかったね。ティーパーティーの中でも上層部しか知らない情報だよ。……ミネ団長は、どうやって知ったのかな。――ううん、違うね。助けてくれたんだね。ティーパーティーにも、秘密にして」

 

「その通りです、ミカさん。私は爆破されたセイアさんの邸宅の中で、気絶している彼女を見つけました。私は彼女が生きていることを隠すため、私自身も姿を隠してセイアさんをかくまったのです。そのうちに彼女が病床にあるとの噂が流布されました。……ツルギ委員長は、爆破の件もご存じないようですね。これもティーパーティーの隠ぺい体質ですか」

「あはは。まあ、言い訳はできないね。セイアちゃんの死を隠すために病床の噂を流したのはティーパーティーだもんね。それで、セイアちゃんを狙った犯人が私かナギちゃんって疑われても仕方ない状況なわけだ」

 

「はい、ですので私が外に出ることはありませんでした。誰がセイアさんを狙ったのかも分からない状況で、セイアさんも目覚めていませんでしたので。必要な措置だったと思っています」

「……はい、その通りですね。セイアさんを匿ってくれたことにはお礼を言います。それで、なぜトリニティの市道を走るようなことになったのでしょう?」

 

「はい、ナギサさん。それは救護のためです」

「……救護、と?」

 

 ナギサの鋭い目がミネに向く。そして、他の三人もミネを見つめる。

 

「はい」

「え? それで終わりですか?」

 

「ナギサ、私が頼んだのだよ。いや、頼んでいないが。いずれにせよ、私がミカに会いたいと言った願いを彼女が叶えてくれたのだよ」

 

 セイアはやれやれと補足する。まあ、ミネの言動はまったく予想も付かないものではあるが、この会議においてはミネの言動に対する理解は必ずしも必須ではない。

 意味が分からない行動でも、まあ事実だからと流して次の議題に移るべきだ。

 

「そうですか。そういうことなら、まあ。……あまり良くないことですが、いつものことと言えば――これが、いつものことでしたね」

 

 ナギサはため息を吐く。まあ、とりあえずの状況は把握した。

 

 セイアが生きていた……これは喜ばしいことだ。おそらく、”黒幕”もこれは予想外のはずだ。

 だが、それだけに今後のことは重要になる。ホストの中でも一番邪魔なのがセイアで、ゆえに狙われたはずなのだ。まあ、予知の力が邪魔だったのだろう。

 次の暗殺は近いと覚悟しなければならない。

 

「――ミネ団長。これ以降はティーパーティー内部の話となります。席を外していただけますか?」

「そのような隠ぺい体質が、この結果を生んだのではないですか? セイアさんが本当に死んでしまうことのないように、私はティーパーティーの内部事情にも干渉する必要があると感じています」

 

 ミネの瞳はまっすぐだ。まっすぐに――ティーパーティーへの不信感を宿らせている。こうも直球にお前が怪しいと言われれば、二の句も紡げない。

 

「直球ですね。ティーパーティーを信じてください……とは言えませんね。では、正義実現委員会を信じていただけませんか?」

「キヒッ?」

 

 というわけで、ナギサは会議の内容を理解しているかも怪しいツルギに振る。哀れにも振り回されている最近だが、ナギサは元々ホストとして辣腕を振るっていた。

 これくらいはやってのけるだけの政治敵手腕は有している。

 

「ツルギさんにはこのまま参加してもらいます。これで、どうでしょうか?」

「ツルギ委員長を……ですか。そうですね、彼女の正義を愛する心は知っています。ツルギさんが居れば、ティーパーティーの方も間違いを犯すことはないでしょう。では、私はセイアさんを受け入れる保健室の用意をしておきます」

 

 重々しく頷いて退出した。

 

「お願いします、ミネ団長」

 

 その彼女を見送り、ナギサは4人となった秘密会議を再開する。

 

「では、始めましょう」

「……まずは、現実を確認するとしよう」

 

 セイアが、予言者のごとく宣言する。部外者の居ない、裏そのものがむき出しとなった秘密会議だ。

 4人の眼光が鋭く光る。

 

「トリニティを貶めようとしている者。このトリニティの破壊を企む裏切り者を、ナギサは探していたね」

 

 セイアが各位を見渡した。ツルギとナギサはしっかりと見返したが、ミカは罪人のように俯いた。

 

「……その裏切り者は君だね、ミカ」

 

 糾弾した。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第42話 裏切りの末路

 

 

 ティーパーティーの最後のホスト、百合園セイアが目を覚ました。

 救護騎士団団長、蒼森ミネを排除してホスト三人と正義実現委員会、委員長剣先ツルギの四人で秘密会議を実施する。

 その中で、セイアはミカの裏切りを糾弾する。

 

「裏切り者は君だね、ミカ」

 

 セイアは静かにミカを見つめる。ナギサとツルギが心配そうに見つめる中、ミカは椅子にかけたSMGをテーブルの上に置いた。

 抵抗する気はないよ、とばかりに空になった手を振る。

 

「そうだよ、誤魔化しなんて利かないよね。セイアちゃんを襲わせたのは……私。そう――全部、私のせいだったの。私がトリニティの裏切り者で、魔女だよ」

 

 俯いて、苦しそうな顔になる。お茶らけてしまおうと思ったのも一瞬、そんなカラ元気すら出ない。やはり、心の傷が響いている。

 魔女め、と幻聴が聞こえてくる。心が、痛い……

 

「……君一人のせいでは――」

 

 責めるつもりはなかったのか、セイアは苦々し気な表情を浮かべる。実際、そんな顔をさせるつもりなどなかった。

 必要だから話をした。やはり、現実では分かり合えないのかと悲しい顔をする。

 

「そんなことがあるはずがありません!」

 

 バン、とナギサがテーブルを叩く。普段の清楚をかなぐり捨てた狼狽、どれだけ動揺しているのか目に見える。

 ……顔が、真っ青になっている。

 

「トリニティに不穏な影が近寄っているのは察知していました。スパイを見つけるため、いいえ見つけなくても処分できるように補習授業部を作りました。内側だけではありません、トリニティの外……各勢力が裏に居ることも考えて準備を進めて来ました。……なのに、どうしてあなたが!」

「……ごめんね、ナギちゃん。私が悪かったの。――私が、あんなことをしなければ」

 

 責める――ということもなく、ただただお通夜のような雰囲気になっている。ただただ暗く、各々に自分を責める自責の中……

 

(ええと……これは、どういうことなんでしょう?)

 

 ツルギはひたすら首を傾げていた。

 いや、ティーパーティーの生臭い話はそういうのもあるくらいで、正義実現委員会としては関わってはいないのだ。

 委員会としては治安維持と外部勢力からトリニティを守ることさえできていればいいし、それが仕事だ。政治関連はティーパーティーに任せて現場仕事ばかりをしていた。

 数少ないそういう仕事もハスミに任せきりにしていたし。

 

「私は、君のせいだとは思っていないよ。悪いというならば、それぞれが悪かった。いや、本当に”悪い”のは彼女のことだろう。ミカの純真な心を操り、〈ヘイローを壊す方法〉を編み出した――」

「彼女? それは、誰のことですかセイアさん。いえ、ミカさんはご存じなのですね」

 

 ナギサは殺しかねない瞳でセイアのことを睨みつける。セイアのことが憎いわけではない。この状況を仕組んだ黒幕、そいつのことを。

 

「……彼女。そっか、彼女か。思い出したよ――マダムとも、呼ばれていたね」

「彼女は『ゲマトリア』という勢力の一員だ。あいにくと、私でさえ名称以上のことは知らないが。そして、そのマダムとやらは生徒ではなく……『大人』なのだろうね」

 

 ミカとセイアがある種疲れたような雰囲気でそれのことを話に上げる。それだけに強大……否、”厄介”で”手ごわい”相手だ。

 

「『大人』、か。うん、矛盾はないね。生徒会長に類する存在かとも思ったけど、それとも違う様子だった。言われてみれば、なんで気付かなかったかなあ。そっか、カイザー理事と同じ……」

「いいや。あいにくと私はカイザー理事のことは知悉するわけではないが、同じではないだろう。少なくとも、彼とは違って大立ち回りを得意とするわけではないようだ――だが『大人』としての手腕ならば、比べるまでもなかろう」

 

 ミカとセイアが睨み合うように話を進める。あいまいな相手のことだ、黒幕と……その存在があることは分かる。けれど、何も見当は付いていないのだ。

 

「……お二人は何のことを話しているのですか? そのマダムとやらが”黒幕”なのですか? ならば、トリニティの全兵力をもってしてそいつを潰してしまえば良いのではないですか」

 

 だからこそ、ナギサはそんな案を出す。

 トリニティはキヴォトスでも最も規模の大きい学区の一つ。そして、その三人の生徒会長が目標を定めたのなら、どんな敵でも叩き潰せるはずと。

 

「あは、ナギちゃん脳筋だ。……そうできれば良かったんだけどね。私も会話から伺い知るだけだった、マダムの居場所は誰も知らない。本社ビルと周辺施設を虱潰しにすれば傾くカイザーごときとは格の違う、『大人のやり方』をする敵だよ」

「更に絶望的な事実を重ねるようだが、彼女たちの本領は武装ではなく神秘にあると推測される。強力な兵器など、ツルギやミカの前では恐れるには足りないが――むしろ、そのツルギやミカの持つ力の本質に近いところに、ゲマトリアの本領はある。無論、脳筋と言う意味ではないよ。私の持つ予知と同じような、神秘の恩恵……奴らはそれを利用するのだ」

 

「分かった……とは言えませんが。お二人がそこまで言うとなれば、そのマダムとやらは一筋縄では行かない相手なのでしょうね」

「だが、ミカは倒す手段を知っているのだろう? いい機会だ、ナギサにも教えておきたまえ。君が未来を知っていることを」

 

 セイアは簡単にミカが未来を知ったことを指摘する。セイアにとっては、それはほぼ100%の推論だ。

 言い当てられたミカは苦笑する。そういうところで勝てる気はしない。

 

「――セイアちゃん。それも予知?」

「その通りだね。私の予知の中で、君だけが決定された未来から外れた行動を取っていた」

 

「予知? ミカちゃんが? え? ミカちゃんの頭で?」

「むかっ。セイアちゃん、ナギちゃんが私のこといじめるーっ! 私、馬鹿じゃないもん!」

 

「確かにミカの頭では予知を詰め込んでもトコロテンのように出ていくだけかもしれんがね。ともかくも、これからのことを聞かせたまえ。そして、君がどうしたいのかも」

 

 ミカは、ため息を吐いて一気にカップを空にする。

 

「始めから話さなきゃいけないよね。うん、そういうのかなり苦手だけど、分かりやすく話せるよう頑張るね☆ 特にツルギちゃんが寝ないように!」

「……ッ!」

 

 碌に話についてこれないツルギは、ぶんぶん首を振った。

 

「始まりは、『アリウス分校』のこと。袂を分けた仲間だったのに、ちょっとした意見の違いで迫害されて今も苦しんでいる。助けてあげられないかなって……そう思った」

「なるほど。あれか」

「ええ、あれですね。思い出しました」

 

「だから、二人には内緒でアリウス分校を探したんだ。それでね、秘密に付き合いを持ったの。そんなときさ、セイアちゃんが……ほら、うるさかったから。ちょっとした襲撃事件を企てたんだよね」

「ふむ。まあそういう考えなしがミカで、私の悪癖がそうさせてしまったのだね。それで派遣されたのが、白洲アズサというわけか」

「白洲アズサ!? やはり彼女が裏切り者……!」

 

 いきなり聞き覚えのある名前が出てきたナギサは驚いた。とはいえ、そう……言ってしまえば”再利用”は当然のことだ。

 自爆テロではないのだから、もう一度使えるのだ。

 

「落ち着きたまえ、ナギサ。短慮はいけない。そもそも裏切るためにトリニティに入ったのだから、表返ったということになるね。落ち着かないと、ミカのようになってしまうよ」

「あはは。セイアちゃん、本当に容赦ないことを言うよね。殴りたくなってきちゃった☆」

 

「白洲アズサには確かに私を殺す任務を下されたが、実際のところでは相談に来たのだよ。だから私は私の身柄がミネ団長に渡るように手配し、殺害現場に見えるように偽装工作の手段も預けた。彼女はアリウスの尖兵ではない。彼女は――”何”かな?」

 

 セイアは目を細める。

 状況は分かる。未来も知っている。……だが、君の望みは何かとミカに問いかける。

 

「アズサちゃんは、和解の象徴だよ。あの子がここで楽しく暮らせれば、アリウスの子でも戦争を忘れて幸せになれることが証明できる。……私が望み、錠前サオリが選んだ――希望の種」

 

 ミカはそっと答える。大事なものを抱きしめるように。

 

「なるほど。では、ミカちゃんは白洲アズサを和解の象徴として育てるために補習授業部を作ったのですね。……私がスパイを疑って一か所に集めた結果が、回り巡って絆を育てたことになったとは驚きですね。ヒフミさんが居てくれたからですかね」

「あは、ナギちゃん。ヒフミちゃんのこと大好き過ぎない? まあ、ちらっと見た限りヒフミちゃんが皆のことを引っ張ってくれてできた絆なのは間違いないみたいだけど」

 

「君たちが阿慈谷ヒフミに抱く偏愛や信頼は想像を絶するものがあるようだ。これは、うかうかしていると三人目の枠が盗られてしまいそうだね。まあ、対策は追々考えるとして……話が逸れたね。マダムへの対策会議を続けよう」

「うん。あ、これは話しておいた方が良いと思うんだけど私の予知は……そうだね。ゲームで言うと周回前って表現が近いかな。前はこうやった。今回は――行動を変えたら、その分世界が変わってしまう。だから私は補習授業部でうまくいった未来を、変えたくないんだ」

 

 ミカはそっと目を伏せる。

 未来予知の力、それは便利なものではない。一度体験したことを過去に戻ってきたようなものなのだ。

 何をどうすれば未来が変わるか、そもそも何をしなければ未来が変わらないかも知らないのである。あまりにも不安定な未来だ。

 

「まあ、白洲アズサについてはそこまで心配することもないだろう。補習授業部と先生に任せれば、十二分に役目を果たせるようになるはずだ。――重要なのは、その先だ」

 

 とはいえ、未来についてはセイアが一家言ある。セイアがミカから情報を吸い上げる形でどんどん会議は進んでいく。

 

「そうだね、セイアちゃん。私の動機はそんなもの。そして、私を利用したマダムは――エデン条約を利用して『アリウススクワッド』にトリニティとゲヘナを潰させようとしていたよ。ミサイルを打ち込まれたりもして……色々省くけど、ヒフミちゃんの尽力もあってそこは跳ね返した」

「ヒフミさんが危険な真似を!? どういうことですか、ミカちゃん!」

 

「いや……ナギちゃん、相変わらずだね。でも、アビドスを協力者として引き込んだくらいかな? そっちでは私とアビドスの関わりなんてないから、ヒフミちゃんが居なければ参戦する理由もなかったし。ただ、別に正義実現委員会と風紀委員会は一旦撤退に成功してツルギちゃんもヒナちゃんも回復してたから――実は、居なくても何とかなったかも。もちろん和解の象徴にはなれなくなっちゃうけど」

 

 ううん、と唸る。

 ここらへんはミカは参加していないから仕方がない。未来予知などと言っても、セイアとは違って知っていることしか知らないのだ。

 そして、実はヒフミが居なければその目論見が砂上の楼閣のように崩れ去ってしまう可能性があることも知らない。

 

「まあ、『アリウス分校』の戦力を考えれば両校のうちの一校を相手にすることもできない程度の弱小勢力だろう。地に潜もうが……所詮は敗北者に変わりない。『ゲマトリア』の力が無ければ、ヘルメット団にも劣る兵力でしかないよ」

「そうだね。何かよくわからない力で戦力を確保してたよ。『複製』(ミメシス)……『ユスティナ聖徒会』の幽霊? みたいな兵力が無限に出るんだよね。その力だけじゃ飽き足らず、『アリウススクワッド』のアツコを利用して何かを得ようとしてた。そうそう、その”何かを得る”ってのが、マダムの目的かな」

 

「なるほど。色々と明らかになったようだね。マダムはエデン条約をキーとして『ゲマトリア』の力でミメシスとやらを創造した。『アリウススクワッド』はその力を手にしたけれど、結局は両校の戦力の前に敗北した。けれど、マダムの真の目的は生贄を用いて更なる力を得ることだったと。もちろん先生に挫かれたのだろう?」

「あ、うん。そう、その通り。先生が負けるわけないからね」

 

 そこだけは顔が明るく輝くミカ。先生のことを信頼している。……ナギサは影でほぞをかんだ。

 

「ふむ、知ってはいたがミカは先生を信じ切っているようだね。マダム討伐戦の、先生に付いていた戦力の方はいかほどかね?」

「ええと……アリウススクワッドだけでマダムを倒してた。私が、ええと”ここは私に任せて先に行け”ってやってたし、ナギちゃんもトリニティ中の兵力をかき集めてアリウスを制圧してたから横やりは防いだけど――それだけかな」

 

「なるほど、マダムの戦闘力は先生とアリウススクワッドだけで対処可能。だが、無限の兵力の対処方法も考えておく必要がある……か。ミカ、その先の未来は知っているかね?」

「その先? アリウススクワッドは解散して、アリウス分校の子達は連邦生徒会からも逃げ惑ってる。私も退学になりかけたけど、先生と、それとナギちゃんセイアちゃんに助けてもらっちゃった」

 

「ああ、いや――そういうことではないんだ。マダムを倒しても、キヴォトスは滅びるという話だよ」

 

 セイアはあっさりと滅びの未来を宣言する。変えようのない、破滅を。呆気にとられるミカとナギサにこんこんと語りかける。

 

「……え?」

「天より飛来するものにキヴォトスは滅ぼされる。それは決まった未来だ、マダムのような狂言回しを倒したとしても絶望的な未来は変えられない。――それでも、滅ぶまでの時間に価値はあると思ったから私はここに居る」

 

「セイアちゃん……」

「セイアさん。また暗い予言を……ですが、あなたが言うということは本当に起こることなのでしょう」

 

 三者三様に天を仰ぐ。何を言っているか分からないツルギは必死に眠気と戦っていた。

 

「それは……きっと私が悪いんだよ。私が馬鹿だったから、マダムは私の行動を利用して――きっと、何かがトリガーになってしまったんだね。私さえ居なければ……マダムの野望は始まってさえ――」

 

 ミカは暗い目で俯いた。けれど、続く言葉がある。罰を求めて殻の内側に閉じこもってしまった”前”とは違う。

 ちゃんと『友達』に助けを求めることができるのだから。

 

「そんな私だけど……二人と一緒に居たい。許してほしい! なんでもするから、二人の言うこと聞くから! 私をお姫様扱いしてほしい!」

 

 だから、ここでは折れない。

 たくさん助けてもらった。心の傷は塞がってはいないけど。まだ血を流しているけれど、一緒に居たいと思えるから。

 

「私はあなたのことを一度も責めたりなどしていません。私は、あなたのことを必ず守ります――ミカちゃん」

「もとより、君一人で負うべき咎ではない。……三人で、取り返していこう」

 

 二人は、そっとミカの手を握る。

 

「……うん。ありがとう」

 

 ミカは花が咲くような笑顔を浮かべた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第43話 ティーパーティー会議

 

 

 3人+ツルギの秘密会議でミカは全ての罪を告白した。ナギサとセイアはミカの罪を許し、そしてツルギは話が見えていなかったが許す雰囲気だったので特に口を挟まなかった。

 セイアが口を開く。

 

「さて、大まかな話は聞けたね。我々の目的は”マダムを倒すこと”で良いだろう。そして、そのためにはミカの知る未来をできるだけ変えないことが必要だ。けれど、ミカの罪を内々で処理できるだけの権力を保持することも必要だね」

 

「ええ。ですが、ツルギさんが居る以上はそこまで難しいことではないでしょう」

「キヒッ!?」

 

 いきなりナギサに自分の名前を呼ばれて驚くツルギ。何が何だか分からないが、とりあえず重々しく頷いておいた。

 とりあえず正義実現委員会さえ引き込んでおけばどうにかなるという目論見だ。トリニティの治安を維持しているのは彼女たちなのだから。

 

「――やる気は十分のようですね。トリニティの敵を倒すことも、アリウスの保護も正義実現委員会の理念に沿いますから。ことによると、救護騎士団やシスターフッドに頭を下げる必要もなくなるかもしれません」

「むしろ、そこが我々の変えるべき”些末な未来”だろうね。まあ、そこは私の働き次第かな。私が目覚めている分、他に頼ることもないのだ。借りを作らなければ、ティーパーティーの権力弱体化も防げる」

 

 ナギサとセイアが話を進めていく。裏取引に関するなら、ミカの手腕など軽く上回るのがこの二人だ。

 もちろん、ミカはミカで暗躍と実力行使という持ち味はあるけれど。しかし、頭では敵わないのは認めているから聞き役になっている。ものの、口を挟まなければいけないことがある。

 

「そのことなんだけど、補習授業部の第二回試験……ナギちゃんはあの子たちをゲヘナ領地で吹き飛ばすことを考えてるよね?」

「な……なぜそれを!? いえ、予知があったのですね」

 

 ナギサはギクリと背筋を震わせる。”準備”を誰かに知られるようなヘマはしてないはず、と思いきや予知があれば仕方ない。

 どんなに隠したとしても知られてしまうから予知はズルい。もちろん、証拠にはならないが。

 

「吹き飛ばす? ゲヘナで? ナギサ、君は何を考えているのだ?」

 

 セイアがナギサを横目で見る。何を馬鹿なことを、とその目に書いてあった。しかも、呆れたといわんばかりにわざとらしく大きなため息を吐いている。

 

「……いえ。ちょっと、試験の場所をゲヘナに指定して、裏から手を回して爆破されるような仕掛けを。――あの、爆弾は私には関係ないものなので、そこからは辿れないようにはなっているんですよ……?」

 

 ナギサは気まずくなったのか、目を逸らして机の下で手をもじもじし始めた。言われて気付いたが、まあとんでもないことだ。

 自分の頭がどれほど茹っていたか自覚した。

 

「ナギサ、聡明な君なら敢えて言う必要はあるまいね?」

「はい、やめます。私の指示で正義実現委員会の人間をゲヘナに派遣するのはどう考えてもマズいことでしたね。いえ、今のコハルさんの所属はそこではありませんが……特攻のためのアリバイ工作でしかないですね、はい」

 

 ナギサはうなだれた。これは自分の責だ。しかも、思い返せばなぜそんなことをしたかも分からない愚行なのだから。

 

「うん。それだけは止めてもらわなきゃならなかった。前も、まあなぜか先生も無事だったみたいだけど。でも、偶然に頼る訳には行かないもの」

「ああ、先生は外の人間ですものね。爆発に巻き込まれて怪我しては大変ですね。……ええ、止めますのでこの話はおしまいにしてください!」

 

 やけくそとばかりにナギサは大きな声を出す。ミカの方は、ただ先生が心配なだけだけれど。

 

「うん、わざわざゲヘナで何かを起こす必要はないよね。でもね、爆破でなくても何かのテコ入れは必要だと思うの。……補習授業部の絆を結ぶための試練が」

「ミカちゃん……もしかして、またあなたが傷を背負うつもりですか?」

 

 暗く瞳を落としたミカに、ナギサは食らいつく。テーブルから身を乗り出して、ミカの落とした視線を真正面から見返して。

 

「ゲヘナでの戦闘、荒事の経験値は……まあどうでもいい。本当に必要なのは――絶望を乗り越えた絆。窮地を与える必要がある、敵がいないといけないんだ。だから、まあ私が試験用紙を燃やしてしまえばいいかと思ってた」

「いえ……ミカちゃんの部屋には鍵がかかっているはずですけど。ああ、いえ、どうにかできる算段があるのでしょうね」

 

 ナギサが呆れたようにため息を吐く。ミカを閉じ込めておいた牢獄のカギはナギサしか持っていないが……今日ミカに壊された。

 

「しかしまあ――それでも予知との齟齬が出ることは確かだね。試験中に燃やされるか、試験の後に燃やされるか。それでは心持ちが幾分か違ってしまうだろう」

「むむ。じゃあ、セイアちゃんには何か策があるの? 先生が危険なことは駄目だよ」

 

 セイアが予知との違いを指摘して、ミカが口を尖らせる。未来を変えていいのか……予知をする人間には永遠の命題だろう。

 変えたい未来を変えなければ意味はない、しかし大筋は一致させなければ未来が読めなくなるジレンマだ。

 

「書き込んだ瞬間に燃えるような仕掛けを施しておけば良いだろう。こちらで用意した試験用紙と、不正防止とでも言って仕掛け済の筆記具を使わせれば容易いことだ。キヴォトスの人間なら燃える紙を握っても火傷もしないだろうからね」

「……あ、そんな手があったんだ。いや……でも……」

 

「ミカ、あえて苦しむことはないのだよ。それで済むのだから、それで良い」

「そう? でも……ううん、セイアちゃんが言うなら、そうなんだね」

 

 セイアが生きていてミカの気持ちも軽くなったのか、微笑する。心からこぼれてしまった自然な笑みは、今まではナギサにもほとんど見せていなかった。

 

「では、そのように準備を進めましょう。試験範囲を前日の深夜に変更してしまおうと思っていたのですが、こちらは実行しても問題ありませんね?」

「うん。そこは予知通りだから問題ないよ」

 

 こくりと頷き合う。第2回の方はそれでいい。そして、本命の第3回。これに落ちれば補習授業部は全員退学……だからこそ、”何か”がある。

 それを、ミカは知っている。

 

「では、第3回の方はどうしますか? マダムが仕掛けて来るとしたらそこでしょう。白洲アズサが退学になる前に”使う”はず。試験に合格するなどと思わないでしょうからね。――奴は、何を仕掛けて来ますか」

「……ナギちゃんの暗殺を。ちなみにセイアちゃんは寝てたからね、このイベントは不参加だったよ」

 

 いつ、何を仕掛けてくるか全部わかるのだから予知は反則だろう。いつ襲撃されるか分からないから政府側は不利なのだが、分かっていればその分の戦力を置いておけば何とでもできる。

 

「なるほど。ですが、正義実現委員会の護衛があるはずでは?」

「だってナギちゃん、疑心暗鬼で頭がおかしくなってたもん。補習授業部を目の敵にして、自分の護衛戦力まで減らしてたし。それに、残りの正義実現委員会と他の勢力には私から戒厳令を出しておいたから」

 

 からかうような笑み。よくやったでしょ? と、言わんばかりだが……まあ未来の自分はそれにやられてしまったのだから、ナギサはため息を吐くしかない。

 もう少し何とかならなかったのかと、未来の自分に言いたくなる。けれど、少しだけ反論を。

 

「……まあ、私がミカちゃんを疑うことはありませんからね。それで、私はどのようにして助かりましたか?」

「補習授業部が前もって攫った――助けたよ。それに『シスターフッド』が協力した」

 

「仕掛け人は浦和ハナコだね? それに、君もその場に居たようだ。ナギサの命を守るために監視として出張ったかね? 黒幕としての利点を投げ捨てる行為、よくよく愚かな真似をするものだ」

「あは、セイアちゃん名探偵だね。可愛い名探偵ちゃんには何も言い返せなくなっちゃうよ。ちなみにけっこう破れかぶれでね。そこでセイアちゃんが生きてることを知ったから、”頑張るのはもういいや”って思っちゃった」

 

「……なるほどね。まあ、直情的な君らしい。だが、”今回”は私たちが君にもういいやなどとは思わせんよ」

「はい。私が、絶対に、そんなことはさせません。ミカちゃんは思いつめたら退学になっても構わないとまで思い詰めてしまうでしょうから。ティーパーティーのコントロールが利かない状況なら、諮問会はホストの権力をもってしても止められない。ふてくされて欠席する様が目に浮かびます」

 

「……ナギちゃん。もしかしてナギちゃんも予知したの?」

「まさか。ミカちゃんが分かりやすいだけですよ」

 

 ナギサのからかう様な笑み。沈み込んだ会議の雰囲気の中では清涼剤のような一幕だ。

 

「ミカの分かりやすさなど、議論するまでもあるまいがね。もっとも、この世の中に”ちゃんと考える”ということが可能な者がどれほど居るかは分からんがね」

「……セイアちゃん」

 

「さて、補習授業部の方はそれで良いだろう。ナギサの襲撃については予知をなぞり、しかしミカの責についてはティーパーティーの内々で済ませるだけだ。我々が曲げるべき未来はそう多くないのだから」

「……そうですね。その様に私も準備を進めましょう。構いませんね、ツルギさん」

「キヒ。はい、問題ありません」

 

(問題ない……って何が問題ないのだろう?)

 

 と、ツルギは考えて……後でハスミに相談することに決めた。

 

「あ、ツルギちゃん。このこと、ハスミちゃん以外には話さないでね。それと、先生にも伝わらないように。……これは、トリニティの問題だからね」

「あ、はい」

 

 ツルギとミカのやり取りを見てくすりと笑ったセイアは、背もたれに身を預ける。

 

「だが……さすがに疲れてしまったよ。ミネ団長の背中で運ばれたと思ったら、すぐ後にこの会議だ。舌を回すのにもくたびれてしまった」

「――あは。セイアちゃん、ずっと寝てたんでしょ? それであれだけしゃべれるんだから、セイアちゃんって感じだね。予知だと……舌を回すこともできてなかったけど☆」

 

「気力の問題だろうね。病は気からとはよく言ったものだ」

「ぷぷっ。病は気からなんて自分で言っちゃうなんて……! それに、セイアちゃんの調子が悪いのは、そんな理由だけじゃないと思うなあ」

 

 ニヤニヤと笑いながら、手をわきわきさせてセイアの方に近寄ってくる。セイアの方は猫でも放るようにしっしと手を振っている。

 

「なんだね、ミカ? 君ごときに笑われるような覚えはないのだがね」

「いや、セイアちゃん。寒くない? そんな脇も背中もがばっと開いた服なんて着ちゃってさ。誰に見せてるの? 病弱なのにその恰好はどうかと思うよ。温めてあげる」

 

 ひょいと、セイアを抱き上げた。

 

「む。この高尚なファッションはゴリラには理解できなかったようだね。だが……ああ、久しく忘れていたが人の体温は心地よいものだな」

「あはは☆ 私で良かったらいくらでも」

 

「では、ナギサ。君も来るかい? そんな顔をして、痴情のもつれで刺されてはたまらないからね」

「なっ!? 私がどんな顔をしたというのですか、セイアさん?」

 

「ふむ、自覚はないのか。だが、君のことだ。ミカのやかましい口にロールケーキを詰めたがる悪癖があったが、まさかロールケーキの代わりに口で塞ぐなどするまいね?」

「な……ッ! あ……! その……」

 

 ぱくぱくと、口を開けて何も反論できなくなった。その様子を見て、セイアは目を剥いた。

 

「……なに? ナギサ、君は本当にやったのかね?」

「やってません! 未遂です!」

 

「なるほど。日和ったか」

「そ、ナギちゃん奥手なんだから☆」

 

 そして、なぜか被害者であるはずのミカにまでからかわれる始末だった。

 

「なに、私は病弱でこの有様だ。そして、上手くいってもミカの権力は元通りとはならんだろうよ。つまり、君が最高権力者で……我々のことなど好きにできてしまうという訳だ」

「うう……私とセイアちゃんの身体、ナギちゃんに好き勝手されちゃうんだね。抵抗することも許されずにあんなことやこんなことを……」

 

 セイアとミカがよよよ、と泣き崩れる真似をして抱き合った。まるで権力者に手籠めにされるのを慰め合っているような弱弱しい姿だった。

 

「――やりません!」

 

 叫んだ。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第44話 薄暗闇の少年兵

 

 

 ティーパーティーの極秘会議の後、ミカとセイアは救護騎士団が用意した場所に移動した。

 セイアは治療が必要で、そして重要人物を二人守るなら集めてしまった方が都合が良いのだ。そもそも、そのうちの一人はミサイルすら殴り返せそうなゴリラなのだから護衛戦力としても数えられるし。

 

 夜になった。

 セイアは簡単な検査を受けた後に少量の水を口にして眠ってしまった。いきなり固形物など食べてしまえば死ぬ危険性もある重病の身なのだ。

 だから、まあミカは暇だ。病人でもないから、眠くない。とはいえ、この屋敷を出ることも許されていない。

 

 ミカは、新鮮な空気を吸うためにベランダに出る。無論、それで監視が途切れるはずもない。そもそも身を隠せばその時点でナギサに連絡が行く監視対象なのは相変わらずなのだから。

 --そうでなければならない。監視を外して敵に違和感を気取られるわけにもいかないのだ。未来を変えないために、色々配慮が必要なこともある。

 

「……来たね、サオリ」

 

 ミカは誰にも聞こえない程度の声で呟いた。そして、侵入者……サオリもまた特殊な発声法でミカにだけ聞こえるように返す。

 

「百合園セイアが生きていたらしいな。……そこに居ると」

「そう、ここに居る」

 

 ぞっとするような、押し殺した冷たい声を出す。不良などではない、キヴォトスの闇を体現したかのような静かに殺気を振りまく怪物同士の対話である。

 

「貴様がやる気を失う様なことがないかを確認しに来たのだが、その必要はなかったようだな」

「あは☆ 何をふざけたこと言ってるの。私にあんな恥ずかしい真似までさせておいて、今さら逃げるのなんて許さないよ」

 

「……しかし、ミカ。お前はそれで――」

「ナギちゃんはおバカさんだから、お涙頂戴の適当な演技をしとけば騙せる。セイアちゃん襲撃事件の真犯人が私だとバレれば大変なことになるからね。やったのはアズサちゃんだけどさ。それにセイアちゃんは色々と知っていることがあるけどさ、予言が証拠になるわけないじゃん。どうせ人を説得するのが苦手な子だし」

 

「いや、私が言いたいのはそういうことではなく……」

「なに? まさか笑いすぎて腹が痛いとか言い出さないよね? そんなにお腹が痛いなら、優しくお腹を押さえてあげようか?」

 

 押し殺した声で怒気をばらまく。

 泣いてセイアに縋ったのが演技だと、そしてあれは屈辱だったと殊更に示すように。今の怒った演技こそ過剰かもしれないが、サオリにそれを見抜くだけの目もない。

 ただ、続行の意思を確認してこいと命令されて、そして確認したのだから任務は終わったと――それだけしか考えていない。

 ……多少は、罪悪感を抱えてはいるものの。

 

「そうか。お前がそれでいいのなら、それでよい。……続けるのだな?」

「当たり前じゃん。セイアちゃんが復活しても何も変わらない。セイアちゃんの任期はあまり残ってなくて、あの様子じゃナギちゃんがホストを代行するのは変わらないね。だからこそ、ナギちゃんを抑えないとホストとして権力を好き勝手できないじゃん? ――何も状況は変わってない」

 

 けらけらとミカは嗤う。権力を手にするために全てを踏みにじる愚か者の仮面を被るために。

 

「そうか、お前はまだ囚われているのだな。――良いだろう、そちらの方が我々にとっても都合が良い」

「あは。アリウスは私を利用して、私はアリウスを利用する。私は権力をこの手に掴むため。あなたたちは地上の生活を謳歌するため。……そして、共にゲヘナを潰すの。最初から、そういうことだったでしょう?」

 

「――そうだったな」

「で、用件は私を笑いに来ただけ?」

 

「ああ、悪かったな。作戦は予定通りに準備中だ、私は帰る」

「……待ってよ、サオリちゃん。私だけ笑われるのは不公平だと思わないかな」

 

 ミカがニタリと笑いをこぼす。そう、それはまるで魔女のような。

 

「好きに聞け。答えるかは知らんが」

 

 サオリも警戒する。とはいえ、実際の所では立場はミカの方が上だ。へそを曲げられてはたまったものではない。

 問いに答えるくらいならいくらでも。……答えられないこと、否――知らないことも多いけれど。

 

「アズサちゃんさ、無駄に頑張っているみたいだね? 補習授業部なんてものに入れられちゃってさ。疑いはかかってるけど、確定じゃないからね。勉強すればトリニティに残れるだとか――そんなわけないのに、頑張ってるみたいだよ。ほら……推薦者としてどう思うのか、ちょっと聞かせてくれないかな?」

「……スパイとして、学園に残ろうという努力は当然だろう。そもそも、疑われたことこそが未熟な証だ。挽回しなければ未来はない」

 

「うん? サオリちゃんはアズサちゃんが追放されてしまえばいいと思ってる? トリニティから放り出されて、どこかへと流れて……さ」

「そんなことはない。あいつが作戦の要であることは変わらない。もっとも、アリウスとしてはアズサが失敗しても問題ないほどの戦力は用意してあるが」

 

「あは、違う違う。作戦の心配じゃないよ。ねえ……トリニティから放り出される、そんなことがあると思う? 放逐の際、何が起きても不思議ではないんだよ。ブラックマーケットに行ったはずなのに、後でそこを探しても居なかった――とか」

「……そんなことがあるのか?」

 

 わずかにサオリの声に怯えが混ざる。仲間を失うこと、それはサオリにとっては最悪の事態だ。それを防ぐため、それだけを防ぐために今までの全てがあった。

 ミカの言葉は、サオリの鉄面皮を崩すには十分な威力があった。明らかに、アズサの謀殺を示唆している。

 

「あは、面白い顔が見れた。これでお相子だね?」

「だが、我々が失敗すればお前も失脚する。アズサと何も変わらぬ未来になってもおかしくないのだぞ」

 

「だから、恥ずかしげもなく泣き真似までしたんじゃん」

「……頼むぞ」

 

 それだけを言い残してサオリは姿を消した。

 

「逃げられちゃった☆ ま、釣れたことには釣れたし。これでいいかな。あとは……特に仕事もないし、セイアちゃんと一緒に先生に話しに行こーっと」

 

 先ほどまでの怖い笑みを捨てて、へらへらとセイアの元まで走っていく。

 

 

 そして、セイアは起きてしまったのか狸寝入りを決めていた。ミカはベッド脇に優しく腰を下ろして先生との通話を繋ぐ。

 狸寝入りがバレていると観念したのか、セイアが口を開く。

 

「ミカか、遊びに来たのかね。私はもう疲れたのでもう一度寝たいのだが」

「そんなこと言わないでよ。一緒に先生と話そうよー」

 

 通話がつながる。

 

「ミカ? こんばんは」

 

 ミカが手際よくテレビ通話に変える。

 

「先生、こんばんは! 夜遅くに電話しちゃってごめんね、忙しかった?」

「いや、大丈夫だよ。仕事中だったからね。……減らないんだ、書類。怖いよね……」

 

 ミカ、はテレビに映るのは私とばかりに画面に近寄る。先生は苦笑を返す……が、すぐにトラウマを思い出して青い顔で震え始めた。

 

「うんうん、分かるー。これ私がやるの? って量が机の上にあったかと思えば、失礼しますなんて言っておかわりが持って来られるんだよね」

「ぐはっ。ト……トラウマが……。やめて、リンちゃん。もう机の上が倒壊しそうなの……」

 

 聞こえてくる先生の声が本当に泣き声になってしまった。

 

「あはは。これ以上は私も自分の傷を抉るようなものだから、この辺でやめとこっか。……今日はね、どうしても先生に話しておきたいことがあって電話したの」

「うん。聞かせて」

 

 ミカは表情を真剣なものに変える。先生も、つられて居住まいを正した。

 

「先生にこの子を紹介したかったの。……私の、親友だよ!」

 

 ずい、とスマホをセイアに向ける。小さなセイアの顔が大きく映った。びっくりして眉を震わせる。

 

「――」

 

 先生は息を呑んだ。何も調べないほど鈍感じゃない。先生として何も知らないふりをすることはあれど、それは不公平を無くすためだったりする。

 今、まさに呆気にとられた。だって、彼女はトリニティで病床に伏せっているはずで……しかし、入院先の情報はどこにもない”行方不明”なのだから。

 

「はじめまして、になるのかな? それとも、久しぶりと言うことになるのだろうか。実を言うと私は君と初めて会った気がしないのだよ。夢の中で会った――ということはないかな」

「いや。初めましてだと思うけど?」

 

「あはは、セイアちゃん。下手なナンパみたい。あ、先生。この子は百合園セイアちゃんって言うの。仲良くしてあげて?」

 

 黙れミカと、小さくうなってからセイアは続ける。

 

「初めまして、であるのなら――この問いを投げかけさせてもらいたい」

「うん。答えられることなら」

 

 セイアは目を細めて、先生の真意を覗くように彼の顔を見つめる。目と目が合う、まるで深淵を覗き込むように。

 

「キヴォトスの『7つの古則』はご存じかい?」

「その五つ目は、正に『楽園』に関する質問だったね。〈楽園に辿り着きし者の真実を、証明することはできるのか〉」

「他の古則もそうであるように、少々理解に困る言葉の羅列だ。ただ、一つの解釈としては、これを〈楽園の存在証明に対するパラドックス〉であると見ることができる。もし楽園と言うものが存在するのならば、そこに辿り着いた者は、至上の満足と喜びを抱くが故に、永遠に楽園の外に出ることはない」

「もし楽園の外に出たのであれば、つまりそこは真の悦楽を得られるような〈本当の楽園〉ではなかったということだ。であるならば、楽園に到達した者が、楽園の外で観測されることはない。存在を補足されうるはずがない、存在しない者の真実を証明することはできるのか?」

 

 問いを終えた。先生は話が終わったことを確認してから、ううんと頭上を仰いだ。

 

「とても難しい問い……というより、哲学かな?」

「そうとも言える。つまるところ……この五つ目の古則は、始めから証明することができないことに関する〈不可解な問い〉なのだよ」

 

「うん。楽園の外で観測されることはないと言いながら、存在を証明せよと言っている。これは明らかに矛盾だね。観測できない存在証明は、ただの仮説だよ」

「そう、仮説。しかしここで同時に、思うことがある。証明できない真実は無価値だろうか? この冷笑にも近い文章を通じて、何か真に問いたいことがあるのではないだろうか?」

 

 セイアは苦しくなってきたのか、胸元を掴む。ミカが心配そうに抱き寄せた。顔を歪めながらも、更に問う。

 ――否、懇願する。

 

「もしかしたらこれから始まる話は、君のような者には適さない、似つかわしくない話かもしれない。不快で、不愉快で、忌まわしく、眉を顰めるような……」

 

 苦しそうに息をする。血の気が引いて真っ青になっている。

 

「相手を疑い、前提を疑い、思い込みを疑い、真実を疑う様な……」

 

 今のセイアが重病人であることは変わらない。そもそも長期間寝たきりであるというのは、それそのものが病気である。そして、セイアが目覚めて半日では回復の時間が足りない。

 

「悲しくて、苦しくて、憂鬱になるような……それでいて、ただただ後味だけが苦い……そんな話だ。しかし同時に、まぎれもない真実の話でもある。どうか背を向けず、目を背けず……最後のその時まで、しっかり見ていてほしい」

 

 それでも、訴える。それが、破滅の未来を予知しても今此処にあることを選んだセイアの責任であると思うから。

 たとえ全てが無駄になるとしても。この世の全てが光に閉ざされ消える”虚しいもの”であったとしても。

 

「ミカと、ナギサと、私。残酷で胸の悪くなるような残酷劇(グランギニョル)の中でも、確かに友情はあったのだと――証明してほしい」

 

 絆を紡ぐことは無駄ではないと信じるから。

 

「もちろんだよ、セイア」

 

 だからこそ、先生は力強く頷いた。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第45話 第二次試験前のひと時

 

 ミカが、ティーカップから上品に紅茶を口に含む。ゆっくりとその香りを楽しんでから、嚥下する。

 

「――ううん、何か変な感じだね? 別に報告なんてメールで一言で済むのに、わざわざお茶会までして……なんてさ」

 

 くすり、と悪戯気に笑う。

 くすぐったそうな、けれど皮肉気な顔に隠そうとしても喜色が隠し切れていないその笑顔。所在なさげにクッキーをつまむ。

 

「まあ、その報告とて聞くまでもあるまいが。マダムがそれほど気を回せるような性質なら、ミメシスなどと言う戦力を必要とはするまいからね」

「別に口実など必要ないでしょう。……友人、なのですから――集まるのに理由は要りません。そうでしょう?」

 

 こちらは堂の入った皮肉顔を見せるセイア。そして、柔らかな笑みを浮かべているナギサ。

 3人だけの、気負いもないお茶会だ。セイアの療養に使っている救護騎士団所有の屋敷の一つに集まった。護衛の兼ね合いもあって、ミカもそこに住んでいるから。

 これは、放課後になってナギサが訪ねてきてのお茶会だった。

 

「あはは。なんか分かってるぽいね?」

 

 ミカがかりかりと頭の後ろをかく。全てを支配する”絶対者”などと、マダムのことをそうとまで思っていたわけだが。

 しかし、ちゃんと考えてみれば”そう”なるために準備をしているのが彼女だ。そして、その道筋を考えればいくつも失敗をしていた。

 ――彼女の思い通りにならずに激高していた。その有様は、とてもではないが絶対者などと呼べるほど完全でもなければ周到ですらない。

 

「錠前サオリはただの兵隊に過ぎない。彼女が違和感を抱いたとしても、まともに取り合う様な者ではなかろうね……マダムは」

「そもそも、目的は高位存在になるための儀式なのでしょう? よく分かりませんが、ゲヘナとトリニティの壊滅は余興に過ぎません。結局、ミカちゃんの進退などどちらでも良い……後でいくらでも取り返せるのですから」

 

 敵は、どうしようもないほど強いわけではない。けれど、決して油断できる相手ではないのも事実だろう。

 それに、彼女の目的を果たさせるわけにもいかない。それで”どうなる”かも分からなくても、敵の目的を挫くのは当然の結論だろう。

 そして、アリウスは必ずしもマダムの味方ではない。利用されていても、忠誠を誓っているわけではないのだから。

 

「うーん。言い出したの私だけど、話変えない? サオリちゃんはマダムには何も言わないよ、意見できる関係じゃない。だからさ、マダムのことは騙せたと思うよ。どっちでもいい、っていうのもあるかもしれないけどさ」

 

 ミカがぶすっと頬を膨らませる。言い出したのは自分なのに、つまらない話はやめようと全身で主張していた。

 

「……やれやれ、君は仕方ないな。だが、我々の作戦は滞りなく遂行されていると言うことで、それ以上議論する必要もないかもしれないね」

 

 セイアが苦笑する。仕方ないな、と微笑ましいものを見る目でミカを見る。とはいえ、ナギサには話すことが残っていたようでそのことを口に出す。

 

「そう言えば、補習授業部の皆さんは合宿所を抜けてちょっと暴れたそうですね」

「どういうこと? ……そういえば、前回も何かを聞いたような覚えがあるような……ないような……」

 

 ミカはうむむ、と唸る。

 せっかくの未来予知だが、こういう取りこぼしもよくあった。セイアとは違って、十分に生かせていない印象なのはこういうところからだ。

 

「ミカちゃんの記憶力は、あまり信用できないですねえ。ですが、まあ本当に大したこともありません。……ヒフミさんにも怪我はありませんし。ゲヘナのおバカさんがちょっと暴れたのを、シャーレの先生と一緒に鎮圧してくれたとのことです」

「ああ、シャーレの先生が対処したということにすればエデン条約への悪影響が防げるからね。補習授業部の戦力にも不足はなかったようだ。問題児だけあって、武力と言う意味でも一般生徒とは一線を画すようだね」

 

「――ふうん。ま、何とかなったなら良かったよ」

「そうだね、これも補習授業部の絆を深めるエピソードの一つに過ぎない。我々が無理に介入しなくても、運命は決まっているのだから」

 

 ふう、と誰かがため息を吐いた。運命と戦うと言うのは、あまりにも茫漠的で不透明だ。勝てばいい、なんて単純なものではない。変わったこと、変わっていないこと、そこまで気を向ければ果てしのない仮定に溢れている。

 セイアが話を変える。これ以上考えてもドツボにはまるだけ。それなら、考えない方がマシでさえあるのだ。

 

「そうだ。ゼリーでもどうかね? お茶うけの一つも用意せずにお茶会に参加するのもどうかと思ったので、買ってきてもらったのだよ」

 

 そして、色とりどりのフィルムに包まれたゼリー状のお菓子を差し出した。自分を世話してくれる救護騎士団に頼んで買ってきてもらったものだ。

 そう、それはオブラートに包まれたアレだった。田舎のおばあちゃん家ででもよく見るような……

 

「あはは。セイアちゃん、いつものそれ? 砂糖塗れで冷たくもない、滅茶苦茶甘ったるいゼリーの奴じゃん。私、それ食感がキライなんだよね」

「それ、甘すぎて……あまり紅茶に合わなくて。私も、ちょっと」

 

 けらけら笑って自分から遠ざけるミカと、ちょっと申し訳ない顔をしつつ同じようにするナギサ。

 

「……食べやすくていいじゃないか。――行方不明だった分、無駄に貯金が溜まっていたので今回は極上ものを購入してみたのだが……」

 

 セイアは、少し悲しそうな顔をした。

 

「ふふん。今日はね、私もお茶うけを用意したんだよ!」

 

 きらん、とミカが笑顔を見せてすかさずセイアが突っ込んだ。

 

「私が購入を頼んでいたのを見て、自分もやると言い出しただけだがね」

「もう、セイアちゃん。そういうのは黙っててよ! それに、私はセイアちゃんと違って今どきのセンスを持ってますから」

 

 からかうセイアを優しく押しのけつつ、指を鳴らす。はいはい、今から持って来ますよ。と外から声がかかる。

 救護騎士団の子だった。ティーパーティの護衛と、救護騎士団の治療班。複数勢力を常駐させて互いを監視させるのはナギサの手腕だった。

 

「――若い子のことは、良くわからないな」

「セイアさんも私と同じ三年生でしょう? まあ、老成した雰囲気を持っているとは思いますが……そう捨てたものではないですよ」

 

「……む。君はミカのことをミカちゃんと呼ぶのに、私のことはセイアちゃんとは呼んでくれないのかい?」

「な!? い、いや……あなたそんなキャラではないでしょう?」

 

 急にそんなことを言われて顔を真っ赤にするナギサ。言い慣れてきて普通にミカちゃんなどと呼んでも、指摘されれば恥ずかしさがぶり返してしまうのだ。

 

「ナギサ。私はミカを見てこう思ったのだ。……こんな風に何も考えられずに気楽に居られれば、幸福だろうと」

「――セイアちゃん。何か酷いこと言ってない?」

 

 ミカが目を細めて突っ込むが、セイアの方はどこ吹く風だ。

 

「ゆえに、殻に閉じこもるのはもうやめにしようと思ったのだ。未来にただ絶望するのではなく、今を楽しもうと思えた。素直に……余計な(しがらみ)に縛られるのをやめて、本当の友達となりたいと思ったから」

 

 セイアが真摯にナギサを見つめる。見つめられたナギサは顔を真っ赤にしたまま……目を左右に走らせて。

 ただ、救いが見つかることはないけれど。……しかし、ナギサは自分でそれを見出した。これでもトリニティの支配者である。

 

「……ふふ。私ばかりがそのように呼ぶのは、本当の友達関係などではないと思いませんか?」

「――なに? それは、どういう……ッ! そういうことか、ナギサ……!」

 

 考えを読んだのか、セイアの顔にも朱が差した。

 

「なになに? なんか面白い頭脳戦が始まってる? あはは、セイアちゃんもナギサちゃんもがんばれー♡」

 

 けらけらと、ミカが面白そうに笑う。

 横で救護騎士団の子から箱を受け取った。その子は何か難しい意味深な話をしているのだろうか、自分は聞かない方が良いのではないか……などと思った。実際はおバカな話しかしてないのに。

 

「はい。あなたも私のことをナギサちゃんと呼ばなければ、それは本当の友達などではないでしょう?」

「待て待て。呼び捨ては十分に親しい関係と呼べるのではなかろうか? 苗字ではなく、下の名前を呼んでいるのだから」

 

「今の子は、親しい間柄でもさん付けで呼ぶことは多いですよ。ティーパーティー所属であれば、なおさらに。けれど……本当に親密な関係ならば、ちゃん付けするのではないでしょうか?」

「……ぐぐ。だが、ナギサ。君とて、私のことをセイアちゃんと呼ばなくてはいけないのだぞ……?」

 

「ええ、セイア……ちゃん。私はミカちゃんで多少慣れているのです。さあ、次はあなたの番ですよ、セイアちゃん」

 

 ふふん、とナギサがちょっと照れの残る勝ち誇った顔を見せる。むむむ、とセイアはほぞを噛んだ。

 

「ふふん。今はナギサちゃん有利かな。ほら、セイアちゃんも早くナギちゃんのことをちゃん付けで呼んであげないと」

 

 笑っているミカが、自分で用意したケーキを皿に乗せる。二人の争いを横目に着々と準備を進めていく。ひょい、と二つのフォークをケーキの箱の中に隠しておく。

 

「……むぅ。これは――呼ばねば、おさまりが付かなさそうだね」

「ふふふ、観念しなさい。セイアちゃん? 私はいくらでも呼べますよ」

 

「ならば、耳をかっぽじって聞くがいい。……ナギちゃん。ミカちゃん」

 

 消え入りそうな声で、顔を真っ赤にして――けれど、確かにそう呼んだ。

 

「はい」

「はーい。セイアちゃん、よくできました。あーん☆」

 

 満足そうに頷くナギサ。そして、ミカの方は、ケーキにフォークを突き刺してセイアの口元に持っていく。

 切り分けられた真っ白なショートケーキが、宙に浮かんでいる。

 

「……ミカちゃん。いくら弱っているとはいえ、私はもう自分でものを食べれるのだが。……む、フォークが見当たらない?」

「仲がいい女の子は、あーんくらいは普通にやるんだよ? それとも……私が差し出す食べ物は信用ならない?」

 

 そして、油断すると来るミカの自虐。ふとした瞬間にネガティブモードに突入してしまう。

 これはやるしかないと、セイアは観念した。

 

「私のキャラではないが。……しかし、私は自らのキャラを脱却すると決意したのだったな。良いだろう。……フォークを動かしてくれるなよ、ミカちゃん」

「まだまだ回復しきってないセイアちゃんにそんなことしないよ。ほら、あーん」

 

「……うむ。あーん」

 

 パク、とそれを食べる。セイアの口元に真っ白なクリームが着いた。小さな舌でぺろりと舐めとった。

 その様子を、ミカとナギサは微笑まし気に見守る。

 

「しかし。ケーキは……なんというか、柔らかすぎてな」

「そうですか? 私はケーキの方が好ましいですが」

 

「じゃあ、次はナギちゃん。はい、どーぞ☆ あーん」

「わ、私もですか? あー……んッ!?」

 

 照れた顔のナギサが、あーんをしようとして――不意にフォークが引かれて、宙を噛むカツンと音が響いた。

 

「うん、さすが私の選んだ奴。おいし☆」

「くふふ。見事に引っかかってしまったな、ナギちゃん」

 

 これみよがしにケーキを食べるミカと、溜飲が下がってニヤリと笑うセイア。ナギサは顔を真っ赤にして――

 

「そんなにケーキが食べたければ、全部私があーんしてあげましょうか? ねえ、ミカちゃん。どうやらミカちゃんは三つもケーキを用意してくださったようですしね……!」

 

 ミカからフォークを奪い、ずんと残ったケーキ本体に突き立てて丸ごと持ち上げる。それを、ミカの口に押し付けようとして――

 

「きゃう……! そんなに怒らないでよ、ナギちゃん。ちょっとした冗談じゃん。ケーキ三つも食べたら太っちゃうよ」

 

 ミカは必死に止める。さすがにそんなに口が大きくないから、食べきれずに顔も服もクリームでべとべとになってしまうだろう。

 というか、ケーキ3個も食べられない。ただでさえ最近は行動を制限されて運動できていないのに。

 

「……はあ。まったくミカちゃんは仕方のない子ですね。はい、あーん」

 

 ナギサも落ち着いて、改めてケーキを切り分けて一口分を差し出す。

 

「あーん。はむっ。……って、あれ? なんで私が食べてるの? 私、これ二口目じゃなかったかな」

「ああ、そういえば。というか、フォークは1本しかないのでしょうか……」

 

「ならば、私がやってやろう。うむ、こういうのも良い経験だろうさ」

 

 セイアがさっとミカからフォークを奪い、ナギサに向かってケーキの一片を差し出す。

 

「はい、セイアちゃん。……ん。おや、本当に美味しいケーキですね」

「私が変なケーキでも買ってきたと思ってるの?」

 

「では、次はミカちゃんだな。ほら、あーん」

「あーん。……あ、ショートケーキ無くなっちゃったね」

 

「残りはチョコレートケーキとチーズケーキだね。ふむ、あつらえたようなラインナップだね」

「いや、ショートケーキだけにするより選べた方がいいかなって思っただけなんだけど」

 

「ふふ。3つのケーキを、三人で、一つのフォークを使って食べるのも中々得難い体験ですね。……そういえば、以前ツルギさんに愛を学んでもらおうと放課後スイーツ部に参加してもらったのですが、彼女もこういった経験をしたのでしょうか?」

「さすがに体験入部じゃそこまで仲良くならなくない? まあ、そのスイーツ部? が、スイーツを食べるだけの仲良しサークルで、その子達同士なら機会なんていくらでもあるだろうけど」

 

「――仲良し、か。うむ……私たちは、今とても仲良くなってるね。こんなもの、ただただ太るだけの、何の意義もない経験だが。しかし、悪くないと思ってしまうのは何故なのだろうね」

「ふふ。いつも難しいことばかり言ってるのに、こんなに簡単なことも分からないの? セイアちゃん」

 

「では、何だと言うのかね?」

「友達だから。無駄に騒ぐだけでも楽しいんだよ」

「――友達、ですからね」

 

「ミカちゃん、ナギちゃん。……ふふ、いつの間にかこう呼ぶのがしっくり来てしまった気がするよ」

「それでいいんですよ、セイアちゃん」

「うんうん。次はチーズケーキね。はい、セイアちゃん。あーん」

 

「うん。あーん」

 

 そして、三人は雑談を交えつつ一つのフォークで3つのケーキを食べ終わった。そして、解散する。

 

 片づけをする救護騎士団の子はこう思った。

 

(ティーパーティー、ホストの桐藤ナギサ様……! フォークは三つ用意したのに、一つしか使った痕跡がない。一体、どんなプレイを……?)

 

 





 一応トリニティで一番偉い三人だけど、現ホストのナギサ様と落ち目の二人だから仕方ないよね。ミカは牢獄に閉じ込められたけど牢屋を壊したので、今度は救護騎士団の病院代わりの建物に閉じ込められている哀れな籠の鳥だからね。風評被害も仕方ないね。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第46話 第二次試験

 

 

 そして、やってきた第二次試験の前夜……補習授業部の4人は不安を抑えきれずに先生の部屋に押しかけていた。

 

「うふふ♡ みんな、先生の部屋に集まっちゃいましたね」

「……ええと、私としてはちゃんと寝て欲しいのだけどね。せっかくの頑張りが寝不足で実力を出せなかったらもったいないでしょう?」

 

 中でも楽し気にしているのがハナコだ。まあ、実際にテストに関する不安などない。どんなテストであろうと満点を取れるだけの自信はある。

 四人も女子高生もいるぜ、ぐへへ。などと言い出さないというくらいは先生を信用しているし、仲間内で集まって夜更かしと言うのも楽しい。

 だが、逆に自信のない者も居る。明日のテストが不安で、欠片も余裕がなくて楽しむどころではなくなって震えている。

 

「ううう……赤点とったら退学なんて。足引っ張っちゃったらどうしよう……!」

 

 いつもは元気よくハナコに突っ込みを入れるコハルだが、今ばかりはいつもの元気が失われていた。

 実際に、赤点を取る可能性があるのは自分とアズサ。けれど、アズサの方が地頭が良いのはこれまでの合宿で分かっている。

 つまりは、まあ――合否は自分にかかっていると言っても過言ではないのを理解してしまっているわけで。

 

「問題ない、コハルはたくさん勉強を頑張った。一緒に合格しよう」

「アズサ……でも、不合格だったら……」

 

 コハルの肩に手をやる、むふんと気合十分な様子のアズサ。こいつだって不合格になる可能性があるくらいの模擬テストの点数だったのに、どうしてこんなに自信満々なの? と思った。

 

「大丈夫ですよ、コハルちゃん。まだチャンスは2回あります。今回が駄目でも次があります。リラックスして挑みましょう? 私はコハルちゃんは出来る子だって、信じてます!」

「ヒフミ……」

 

 もう片方の肩に手をやるヒフミ。柔らかな笑みに救われる。

 そうだ、補習授業部の皆はこれで落ちたからと言って虐めるような人じゃない。だからこそ、逆に奮起しなければと思い立つ。

 

「そうだ、ともに合格してペロロ博士のぬいぐるみを貰うんだ」

「はい! 頑張りましょう!」

 

 とはいえ、こいつらのペロロだかなんだかのキモイぬいぐるみへの情熱は理解出来ないのだが……

 とはいえ、不安になっていても仕方ない。勝負は明日なのだから。

 

「そうね! やる前から不安になったってしょうがない! やるからには――」

「……あっ!」

 

 気合を入れようとしたいいところに、ハナコの声が邪魔をした。

 

「なによ、ハナコ。あんたがそんな声を上げるなんて珍しいこともあったものね」

「……ハナコ? 何かあった?」

 

 先生が、不安そうに声をかける。そして、ハナコは負けず劣らずの固い表情で弄っていたスマホの画面を見せる。

 

「試験範囲と時間、さらに合格点の変更……それに、試験会場が変えられています」

「――」

 

 先生が、一瞬訳が分からないという表情を浮かべる。

 

「なんですって――――ッ!!」

 

 真っ先に爆発したのはコハルだった。

 

「あわわ。どうしましょう……ええと、場所は……ブラックマーケットの近く、トリニティの中でも外周に近いところにありますね。――けっこう遠いです」

 

 ヒフミも冷静ではいられず、あわあわと慌てながら何度もその試験要綱を眺める。嘘であってくれと思っても、その画面が変わることはない。

 

「え? このバラック、ブラックマーケットだったのですか。治安が悪く整備もされていない地区と聞いていましたが、そんな裏事情があったのですね」

「ど……どうすんのよ!? そんな呑気にしてる場合じゃないでしょ! そんな……こんな遠いところ、間に合わないわよ!」

 

 コハルが叫ぶ。普通に考えれば、もうどうしようもない。

 こんなことをされてしまえば、まともに戦う方がバカというものだ。なにがあろうが決してひっくり返らない権力というもの。

 ただの一般人では逆らうこともできやしない。それが権力と言うものだ。

 

「それに試験範囲の変更も……です。ハナコちゃんは大丈夫でしょうけど。これは、私も危ないかもしれません」

「だが、諦める理由にはならない。まだ試験までは時間がある。ここで足を止めはしない。今は、一刻も早く出発すべきだ」

 

 だが、それでもアズサは諦めない。

 相手が権力者で、決して勝てるような相手ではなくても……それは諦める理由にはならないと。

 結果が見えていても、反抗すべきだ。それが生きるということなのだから、と。

 

「はい、そうですね。では――走りましょうか♡」

 

 ゆえに――補習授業部は疾走する。

 

 車も戦車も、持ってないのだから足を使う以外に方法はないのだ。

 

 

 

「大丈夫ですか♡ 先生」

 

 そして、早々にバテた先生をヒフミが背負って走っている。ハナコはくすくすと怪しい笑みで見守っている。

 

「ごふっ。こひゅー。……大丈夫だったら良かったんだけどね」

「無理しないでください、先生。ペロロ様バッグ、結構ものを入れちゃってて。重いので、先生くらい背負っても大丈夫です。ハナコちゃんの方は大丈夫ですか?」

 

「問題ありませんよ。……ふふ、ヒフミちゃんの香りを感じますね」

「何言ってんのよ! ダメ!エッチなのは禁止!死刑! それは私が持つわ!」

 

 代わりにヒフミのペロロ様バッグをハナコが持ってあげていたのだが、コハルが奪うようにひったくった。

 ちなみに先生を背負うことはハナコが提案したのだが、コハルの反対でヒフミが背負うことになったのだった。

 

「……みんな、止まってくれ」

 

 先行していたアズサが鋭く声をかける。

 

「どうかしましたか?」

「ヘルメット団がたむろしている。迂回するか?」

 

 アズサは自ら索敵を買って出て、そしてその役割を果たした。敵を見つけた。……見つけてしまった。

 相手に見つかってしまうよりは良いのだが、しかし敵が居ること自体がマズイ状況だ。

 

「このルートは大丈夫だったはずなのですが……これは、ねこちゃんの手管でしょうかね」

「誰よ、それ。そもそもヘルメット団なんてぶっ飛ばして進めばいいじゃない。10秒で終わらせてやるわ」

 

 息まくコハル。自信過剰ではない、そこらのチンピラなど簡単に制圧できるだけの実力は持っている。

 --けれど。

 

「コハルちゃん……他にも敵が居る可能性が高いんですよ。ヘルメット団は群れる習性がありますから」

「万が一見つかっちゃったら騒ぎになっちゃいますもんね。騒ぎに巻き込まれたら試験会場に辿り着けなくなっちゃうかもしれません」

 

 敵が見えるだけとは限らない。というよりも、ハナコとヒフミは他にもヘルメット団が居ることを確信している。

 それは音を聞いたとかではなく、ただの確信であり体験談だ。

 

「あそこに居る敵を処理したとしても、警戒しつつ進んで行くのでは時間がかかる。戦闘を避けるためには大きく迂回する必要がある」

 

 とはいえ、ヘルメット団の集団を回避するためには大きな回り道をする必要がある。そちらの選択肢でも、試験開始に間に合わなくなる可能性がある。

 

「ああ、もう! 分かったわよ。簡単には行かないんでしょう。どうするのよ?」

「……先生が指示していただけませんか?」

 

 ヒフミが、先生に任せる。

 

「私が?」

 

「私も、それでいいと思います」

「先生の指示に従う。指示をくれ」

 

 そして、ハナコもアズサも頷く。コハルは、ついさっき任せると言ったばかりだ。先生は一つ頷いて。

 

「分かった。じゃあ、突破しようか。……大丈夫、向こうにも地の利はない。だよね? ハナコ」

「そのはずです。向こうの方で自警団の活動が活発になって追い出されてきたヘルメット団です。ここを根城にしている訳じゃありません」

 

「――よし。やろう」

 

 先生がす、と目を細める。接続開始、と小さく呟いた。

 

「まずはアズサ、あの二人を処理してしまおう」

「了解」

 

 アズサは音もなく忍び寄り、1発ずつで気絶させた。耐久力と言っても、それは気力と関連がある。

 逃げてきて、ここは静かだから安心だと油断したところに一撃だ。ただのヘルメット団に耐えきれるはずがない。

 

「さあ、進んでいこう……!」

 

 そして進んでいく先生と、付いて行く4人。この世界で先生だけは銃弾の一発で死にかねないかよわい存在だ。

 なのに、誰よりも堂々と歩を進める。それはまるで、私を討てる者などいないと主張せんばかりだ。

 

「……ハナコ、2時方向に3人居る。頼めるかな?」

「はい♡ 問題ありませんよ」

 

 そして、アズサより先に敵を言い当てては補習授業部の各員が確実に処理していく。

 そもそも、そこに居るのは自警団に追い出されたヘルメット団。

 ――史実で会った、一般的なゲヘナ生徒とはものが違う。実力もなければ、戦意もない。そんなものでは相手にならなかった。

 

 軽快に進んで、しかし――試験会場まではあと一歩のところで。

 

「あいつら……邪魔すぎない!?」

 

 コハルが毒付いた。会場は広場の先にある。だが、その広場は開けていて……しかもヘルメット団がたむろしていた。

 酒ではあるまいが、思い思いに飲み物を持って管を巻いている。時間は明け方、一番油断する時間帯とも言うが、しかし起きだしているのがかなりの人数居るのだ。

 

「これは……強行突破しかありませんかね」

「問題ない。私が前に出る」

 

「みんな、待って。ここはヒフミにお願いするよ」

 

 血気盛んな3人に、先生は少し落ち着くように言う。そして、大抜擢されたヒフミは慌ててしまう。

 戦闘などとは程遠い、普通の女の子だと思っているのだ。……自分だけは。

 

「えっ!? 私ですか? 私みたいな普通の子にあれだけの人数を倒してしまう力はないですよ……!」

「倒す必要はないよ。少し注意が逸れてくれれば、それでいい」

 

「注意を?」

「ヒフミの奇跡で、あの辺りにペロロ人形を出してくれないかな。その子に騒いでもらっている内に通り抜けよう」

 

「だが……大丈夫なのか? ヒフミを疑う訳ではないが、敵に気付かれれば一斉放火を喰らう恐れがある」

「まあ、先生の言うことですから大丈夫でしょう。ヒフミちゃん、お願いしますね」

「うう……本当に頼むわよ。ヒフミ」

 

 4人から願われてしまったヒフミはやる気を燃やす。

 

「確かに私には自信がありません。しかし、ペロロ様なら大丈夫です! さあ――お願いします、ペロロ様! その華麗なるダンスであの人たちの目を釘付けです!」

 

 ヒフミがディスクを投げ、踊るペロロ人形が出現、ミュージックがかかる。それに紛れて、補習授業部は試験会場へと向かっていく。

 

 ――突破した。見事、試験開始時間までに間に合ったのだ。

 

 

 





 はぁ、はぁと――切羽詰まった息の音。だが、それを聞いている者はいない。本人であるミカも、自身の呼吸の音を聞いていない。
 そんな余裕がない。瞳は濁り切って、照明も落とした中で僅かなランプを頼りにその回答用紙を眺める。

「……これが、皆の第二次試験の回答用紙なんだよね」

 ふらふらと不安げに揺れる瞳で、その紙を見る。第二次試験――突破するための補習授業部の努力は伝え聞いている。
 いや、そんなものを聞かなくてもあの子達ならサボったりしないことは知っている。誰か一人でも落ちれば諸共に追放、だからどこまでも必死に食らいついたはず。
 ……そういう子達なのだ。自分のためよりも、誰かのために必死になれる優しい子達だ。

「――」

 願うように、祈るように採点する。……そんなことをしたとて無意味と知っているけど。なぜなら、未来を変えるわけにはいかないのだから。
 そのためにミカはここに居るのだから。結論なんて変わらない無駄なことを、ミカはする。

「……みんな、合格。……なんで?」

 その結果はあってはならないものだった。補習授業部が第二次試験で合格……そうなれば、後の展開が予想の付かなくなる。
 いや、最初から結論は一つだった。テストは燃やされる運命、その予知を変える訳にはいかないのだから。

「なんで……? なんで……?」

 もう一度始めから採点しなおしてみた。結果は同じ。当たり前だ。1年用のテストでミカが間違うことなどありえない。
 そもそも、定期試験ほどキチンとしたものではない。問題数も限られているたかが小テストだ。

「ごめん……ごめんね……」

 泣きながら、その回答用紙に火を付ける。ヒフミも、コハルも大切な人だと思っている。もちろん、アズサとハナコだって傷つけていいと思ってるわけじゃない。
 そんな人の頑張りを無に帰すようなこと、そんな酷いことはやってはいけないと分かっている。

 --けれど、これから先の未来を想えばやめてしまう訳にはいかない。先生がマダムを倒す、その未来にたどり着くために。

「――ごめんね」

 聞かせるわけにはいかない。けれど、罪悪感に耐え切れなくて……ミカはただただ許しを乞うた。
 その手の中で、回答用紙は燃え尽きて灰となる。


 セイアちゃんが勝手なことをしてやりたかったルートに進めなかったので、ここで供養しておきます。
 ゲヘナ行きを阻止して普通にテストさせたので、無理やり落とすためのルートでした。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第47話 第二次試験本番

 

 

 指定されたのはとある教室。長年放置されたそこは埃まみれで気持ち悪くなってしまうが、ちゃんとした掃除をするだけの時間はない。

 適当に払って、指定された席に着く。……空気が悪い。

 

「ねえ、こんなところで試験なんかできるの……? いつもはテスト時間中は教員が不正行為を監視してるけど。もちろん、居なくても不正なんかしないけど!」

「そうですね、コハルちゃん。監視している方が居ないからと不正をでっちあげるような真似はしないと思いたいですけれど」

 

「それ以前に試験用紙はどうするのでしょうか? 用紙がなければ試験も何もないのですけど」

「ヒフミ、コレじゃないか?」

 

 アズサが教室の隅に立てかけられたそれを指差す。まあ、爆弾みたいな形をしていて、アズサはずっと警戒していた。

 もしかしたら爆破していたかもしれない。下手に触れて起爆させるリスクを取るよりも、爆破してしまった方がずっと安全だ。

 それをしないのは、試験に合格したいとアズサも思っているから。

 

「……うん。スイッチとかはなさそうだね」

 

 先生が警戒心もなくそれにべたべたと触れる。

 

「なっ!? やめるんだ、先生。調べるなら私がやる」

「ううん。開けるのは無理っぽいけれど」

 

 アズサがそれから先生を引き離す。先生は苦笑いしてアズサが色々と弄る様子を見ていた。

 

「……試験開始の時間まで、あと三分」

 

 ぽつりと、ハナコが呟いた。その瞬間。

 

「――ッ!」

 

 カシュン、と軽やかな音を立ててそれが開く。爆弾ではなく、カプセルだった。まず目に入るのは電子時計。

 映る数字は静止している。それはタイムリミット、試験の終わりまでの時間を示すもの。

 

「ふふっ……」

 

 そして、そのカプセルから笑い声が聞こえてきた。聞き覚えのある声……彼女たちを補習授業部に落とした、ティーパーティーホスト、桐藤ナギサの声であった。

 落ち着いた、しかし含みのある声は馬鹿にしているのかと言いたくなるくらいには憎たらしい。

 

「恨みの声が聞こえてきますね。まあこれは録画映像なので、リアルタイムには聞こえないのですが。ですので、今の私に話しかけても無意味ですよ」

 

 そして、立体映像が映し出された。優雅に紅茶を持ったナギサの姿だ。

 先生は、何とも言えない様子でそれを見る。彼女が追い詰められて何もかも信用できなくなっているのは知っている。

 けれど、セイアが無事だったのを知って一息付けたはずだったのに。と、先生は少し悲しくなった。

 

「それでは約束の時間までに試験を終えて、戻ってきてくださいね」

 

 完璧な笑顔。けれど、一切の親しみのない余所行きの笑顔は人の敵意をかき立てる。誰かが、ギリと歯を食いしばった。

 そして、そう思われることも計算済みなのだろう。ナギサという少女は。

 

「一応引き続きモニタリングさせていただいておりますので、そのことをお忘れなく……では、幸運を祈りますね、『補習授業部』のみなさん」

 

 まったく幸運を祈っているとは思えない声色で、そう締めくくった。そもそも試験会場と範囲、合格点まで変えて合格を阻んだのは彼女なのに。

 どの口で言えるのか、ということを平気で口にする。しかも、何も知らない人間から見れば何の裏も含んでいないような顔で。

 

「――どうか、”お気をつけて”」

 

 皮肉、と受け取り睨みつける面々。けれど、ハナコだけはその裏の何かを感じ取った。そのカプセルを睨みつける。

 爆薬……とは思うがそれらしいものは見えない。それに、そんな直接的な手には出ないだろうという確信もある。

 

「みんな、落ち着いて席に座って。今は試験のことだけ考えよう。試験用紙があったから、配るね」

 

 不承不承と、四人は席に着く。ここで何を言ったって無駄。一緒に文句を言い合うにも、試験開始までには時間がないのだ。

 それで不正認定されて不合格になるほど悔しいこともない。……カプセルをよく見れば、カメラらしきレンズも見えるし。

 

「おや? 筆記具も用意してくれているね。不正防止にこれを使ってくださいってことなんだって。……ここに来るまでに落としてても安心だね」

「「「「……」」」」

 

 呑気なことを言う先生に、いやいやそんなこと……と言う視線が集中する。とはいえ、自分が持ってきたやつを使うなということなら、と大人しく先生から鉛筆を受け取る。

 

「――」

 

 ハナコだけは、受け取った鉛筆を親の敵のように睨みつけていた。

 

 そして、試験開始の時間が来た。

 

「この任務を達成し、ペロロ博士を……!」

「やってやるわよ! 私は正義実現委員会のエリートなんだから!」

「みんなで、合格を……」

 

 真っ先にテスト用紙を手に取り、最初に名前を記入する。問題文を見るより先に、まずやることはそれだろう。

 後でやろうと思って忘れれば0点だ。

 

 けれど――

 

「なっ!?」

「きゃあっ!」

「熱いです!?」

 

 書き込んだ、その瞬間に燃え上がるテスト用紙。炎を消そうと叩いても、それは紙だ。すぐに燃え尽きてしまって跡形もない。

 

「そ、そんな……」

 

 誰かが、嗚咽する声。

 

「そういうことですか……!」

 

 ハナコが、鉛筆を用紙に突き立てる。そして、やはり燃え上がった。

 

「回答用紙には……油かなにかが染み込ませてあって、鉛筆と触れた瞬間に燃え上がるような仕込みがされていたのですね」

「どういうことよ、ヒフミ!? そんな、それじゃあ始めから合格させる気なんてなかったってことじゃない!」

 

「それは……」

「ぐすっ……無理、絶対無理よ……ここまですっごい頑張ったのに、これ以上なんて……頑張ったもん……でもこれ以上は、私にはもう無理……私、バカなのに……無理だって……うぅっ……」

 

 とうとうコハルが泣き出してしまった。この絶望的な状況、もう一度頑張れと言っても無理だろう。

 そもそも実力を発揮する舞台そのものを壊す暴挙だった。努力がどうのと言うレベルじゃない。

 

「コハルちゃん……」

「もう終わりよ! こんなの、どうしようもないわ! 私たちはトリニティから追い出されるのよ! 正義実行委員会には――二度と戻れない……!」

 

「あの……えと、どう声をかけていいか」

「アンタには分からないわよ! アンタはペロロだかのキモい人形が居ればそれでいいでしょうけど、私は――ッ!」

 

 震えて、何が何やら分からなくなってしまっているコハル。ヒフミがどうにか落ち着かせようとするけれど。

 

「皆、油断するな。まだ終わっていない」

「なによ、アズサ! 何が終わっていないのよ! アンタも私も、もう終わりだって――」

 

 アズサは、ずっとカプセルを睨みつけている。

 

「伏せろ! 先生、危ない!」

 

 机を蹴り倒しながら、先生に飛びついた。胸とか諸々が押し付けられるのにも関わらず、全身で先生を床に倒して抱え込む。

 チチチ、と音が聞こえた。

 

「……桐藤ナギサ。いえ、ねこちゃんが思いつく手ではありません。この悪辣な策は、まさか百合園セイアですか。眠り続けていた彼女が、何の目的をもって動き出したのですか……!」

 

 ギリリ、とハナコがほぞを噛む。

 

「カプセルが……」

 

 アズサの様子を不審に思ったヒフミが視線の先を辿る。その先にあるカプセル、そこが赤く点滅する。

 ――爆発する、とそう思った。

 

「……ッ!」

「ぐっ! 先生……!」

「きゃあっ!」

 

 充満する黒煙、爆音――天地がひっくり返ってしまうような衝撃が走り抜けた。

 

「なんだ……? 爆発ではないのか?」

 

 先生を組み倒したアズサが不審そうにカプセルの様子を確認する。カプセルが燃えていた。証拠隠滅、ということだろうが。

 なお、まだアズサは先生と密着している。

 

「なに? なんだったの?」

 

 ひっくり返ってしまったコハルが身体を起こす。幸運だったのは、アズサに組み倒された先生が、露わになってしまったコハルのパンツを見なかったことだろうか。

 ただ、黒煙をもろに喰らった上半身は真っ黒に染まっている。それはアズサも同じだった。

 

「……あはは。みなさん、怪我はないみたいですね。良かったです」

 

 爆発の直前に机の下に潜り込んでいだヒフミはあまり汚れていない。本当の爆発ではなくて、ただ煙と爆発音を轟かせただけ。

 もっとも、その隙に証拠品は灰になったけども。まあ、それをするにも他にも方法があるはずで、これは馬鹿にされたようなものだった。

 

「――みんな、立ち上がってください」

 

 爆発の瞬間から今まで仁王立ちだったハナコが静かな怒りを燃やしていた。

 

「ハ、ハナコちゃん……怒りました?」

「いえいえ、そんなことはありませんよ。ヒフミちゃん。ただ、ここまで騒ぎが起きてしまったのなら外のヘルメット団の方々が来てしまうかもしれませんし」

 

「そ、そうですね。いつまでもここに居るわけには行きませんからね。コハルちゃん、立てますか?」

「うう……大丈夫よ。憂さ晴らしに外のヘルメット団なんかやっつけてやるわ!」

 

「その意気です。しかし、汚れてしまいましたね。ちょっと待っててください、着替えてきますので♡」

「は? なんでアンタ、試験会場に着替えなんか持ち込んでるのよ。って、いない……いや、あいつなら先生の居る前で着替えかねないからいいんだけど。……って、アズサ! アンタ、いつまで先生に引っ付いているのよ! ダメ! エッチなのは禁止! 死刑!」

 

「エッチ? 玩具で油断させて次に本命を仕込むのは常道だ。まだカプセルの安全性が保証された訳じゃない。警戒は解けない」

「もうそんなの燃え尽きてるわよ! 先生もいつまでアズサを抱きしめてるのよ!?」

 

「いやいや、私は抱きしめている訳じゃなくてね?」

「言い訳するな! さっさと離れなさい! 死刑!」

 

「アズサちゃん、先生を離してください。ここから出ましょう。ハナコちゃんも……すぐ戻ってくると思うのですけど」

「はい♡ 今戻りました。行きましょう」

 

 そして、戻ってきたハナコは……

 

「なんで水着なのよ!? エッチなのは死刑!」

「いえいえ、考えて見てもください。いかにもどこかを爆破してきましたみたいに埃に塗れているよりは……プール帰りの方が、不審ではないんじゃないでしょうか」

 

「う……確かに、制服は凄い汚れちゃってるけど。って! プール帰りだからって、水着を着ている訳がないでしょ!」

「あはは。まあ、確かにトリニティでは見ないかもしれませんね」

 

「おや。ヒフミちゃん、まるでトリニティの外では水着で外を歩く集団が居るみたいな話ぶりですね」

 

 雑談に花を咲かせた当たりで、銃弾が飛び込んで来た。

 

「居たぞ、建物の中で花火しやがったバカだ!」

「潰せ!」

 

 外にたむろしていたヘルメット団が、爆発音を聞きつけて人影に向かって撃っているのだ。

 

「……まあ、なんにせよ――強行突破と行こうか。合宿所に帰ろう」

 

 先生がため息を吐きつつ、殲滅を宣言した。

 

「「「「――はい」」」」

 

 補習授業部は、ヘルメット団との戦闘に入る。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第48話 お菓子作りの一幕

 

 

 補習授業部の第二回試験にて、ナギサに陥れられて試験用紙は紛失(焼失)――試験は不合格になってしまった。

 失意に沈む彼女たちをよそに、ティーパーティーの三人は何の意味もなく集まった。

 

「ふむ。これがエプロンというものかね。汚れたら新しい服に着替えればいいだけだと思うが」

「セイアさん、普通はそんな簡単に服を取り替えたりはしないものですよ。エプロンだけなら洗濯も簡単ですし」

「あはは、ナギちゃんったら庶民っぽーい。一度着た服は捨てればいいんだよー?」

 

 きゃいきゃいとやかましくしながら、けれど仲の良い女の子らしく距離はとても近い。機嫌良さそうにうろちょろと動くミカは、頬と頬が触れあいそうになるほど近くまで顔を寄せたりしている。

 ナギサは少し戸惑いながら、セイアはうっとおしそうに……けれど遠ざけたりはしない。受け入れている。

 

「ミカちゃん、それは誰の真似ですか? ものは大事にしなさい。まったく……」

「しかし、まあ――我々にとっては菓子などわざわざ自分で作ることなどするまいよ。いや、一般生徒だって一々菓子を作ることも自炊することもないからね」

 

「確かにお菓子作りは趣味の一貫と言えますが……。というか、何故セイアさんは突然お菓子作りをしたいなどと言い出したのですか?」

「そこはまあ、あれだ。私も友達らしいことをしてみたい時もある」

 

 ふふ、とセイアが意味深な笑みを浮かべる。まあ、こんなものに意味深も何もないものだけど。

 

「セイアちゃん。何か変に積極的だね? 変なものでも食べた?」

「さて。君の手ずからケーキを食べさせてもらったことはあったが」

 

「……ふふ。こんな時でも。いえ、先に待つ未来に至る前にやりたいことはやっておいた方が良いのでしょうね」

「そういうことだ、ナギちゃん。我々はマダムに対して徹底的に対抗しなければならない。……が、それだけに心を囚われていては戻ってきた意味がない。私は、君たちと友達らしいことをしたかったから」

 

 そっとミカが抱きしめて、ナギサも続く。

 とはいえ、この二人が気付いていないこと。”やってみたかった”という理由は、それは嘘ではない。

 しかし、それ以上にこの二人は補習授業部に仕掛けた罠を気に病んでいることが分かっていた。気分転換が必要だと、そう思ったからこんな仕込みをした。

 

「――では、始めて行きましょう。作るのはフルーツタルトで良かったですね?」

「ああ、君に従おう。ナギちゃん先生」

 

 重々しく頷くセイア。まるでどこかの教授にでもするような格式ばった一礼をする。

 

「……それは、敬われているのかからかわれているのか分かりませんね」

「ちゃんと教えてね? ナギちゃんせんせ☆」

 

 ミカの方はぺろりと舌を出してウインクした。

 

「ミカちゃんは馬鹿にしていますね?」

「うわわっ。落ち着いてよー。なんで私ばっかり!」

 

「セイアちゃんはいつも無表情なので、本気か冗談なのか分からないんですよ!」

「なにっ!?」

 

「ああ、うん。それはそう」

「ミカちゃん……君まで。うう……今までのミステリアスでセクシーな私のイメージはどこへ行ってしまったのだろう……?」

 

 ぐすん、とセイアが泣き真似をする。確かに目を引く容姿で、彼女が美しいのは間違いないだろう。

 けれど、セクシーなどと言われてしまうと。

 

「セクシー……?」

「ううん。……その壁が?」

 

 ナギサは遠慮がちに、ミカは無遠慮にセイアの胸を見る。まあ、ノースリーブどころか袖が抉れているような格好だ。

 もしかすると横の胸が少し見えてしまうくらいのハレンチな恰好と言えて。けれど、遠慮がちに主張するその膨らみは慎ましくて。

 

「ミカちゃん……表に出ると良い。その無駄な脂肪の塊をえぐり取ってくれよう」

「やあん☆ こわーい。セイアちゃんが虐めるよー」

 

 青筋を浮かべるセイアの眼力を前に、ナギサの後ろに隠れた。

 

「……はあ。ミカちゃんが居るといつまで経っても本題にたどり着きません」

 

「え? これ、私のせい? むしろ、セイアちゃんが色々ひっかきまわしてるせいだと思うんだけど」

「さて。こういう会話も無駄ではあるが、好ましいものではある。私が乗ったという要素も少なからずはあるかもしれないね」

 

「さて」

 

 ナギサは全てを無視して机の上に材料を取り出して行く。

 

「フルーツタルトですが、まずは生地を作っていきます。実はお菓子作りには体力が必要な工程がいくつかあるので、今日はミカちゃんを頼りにさせていただきましょうか」

「ええー。私、かよわい女の子だよ? そんな、力が強いだなんて……」

「ミカちゃんの腕力には到底及ばないとはいえ、病床の身ながら私も手伝おう。せっかくだしね」

 

 無限にしゃべりそうな二人をやっぱり無視して、ナギサは砂糖とバターをボウルに入れる。

 

「あれ? バターって溶かすものじゃないの?」

「いいえ、そうしてしまうとうまく生地に混ざらないんです。では、さっそくですがミカちゃん。お願いしますね」

 

 ミカがボウルを受け取り、混ぜようとする――が、混ぜるよりも先に泡立て器の方が歪んでくる。

 バターが、堅い。

 

「え? あ、うん。ね、なんか堅くない? これ、混ざるの?」

「実はですね、溶かすまでは行かなくても常温で置いて柔らかくするものなのですが……私もここには来たばかりで準備が間に合いませんでした。宜しくお願いしますね☆」

 

「うむむむむ……!」

 

 それでも無理やり力を入れていくと、バターが潰れて砂糖と混ざっていく。3分もすればちゃんと混ざって、ミカは肩で息をしていた。

 

「おお、凄いですね。いつもなら諦めて10分ほど待っているんですが」

「……ナギちゃん?」

 

 ジト目のミカを無視して、ナギサは次の工程に移っていく。

 

「はい、ありがとうございます。ミカちゃん。次は卵黄を加えていい具合に混ぜ合わせます。……こんな感じですね。次はセイアちゃんにお任せしましょうか」

「うむ。なんでも任せてくれたまえ」

 

「では、こちらが小麦粉とアーモンドパウダーです。こちらを加えて混ぜ合わせてください」

「了解した。しかし、混ぜ合わせてばかりだね。溶かして一気に作業を終わらせてしまえばいいものを。いや、仕上がりに差が出るのだったね」

 

 次はセイアが用意された粉を入れてぐるぐると混ぜて行く。冷たいバターと違い、弱い力でも作業可能だ。

 まるで子供に手伝ってもらっているみたいで、見ているナギサとしては微笑している。

 

「ナギちゃん? 何を笑っているのだね。……これくらいで十分だろうか。粉っぽさはなくなってきたが」

「まだまだです。一塊になるまで混ぜ合わせてください」

 

「なるほど。菓子職人と言うのはいつもこんな大変な思いをしているのだね。まあ、キヴォトスに流通する菓子の殆どは機械によるオートメーションだと思うが」

「けれど、一流とされるところではどこも手作業で作っていますよ。はい、貸してください。……いい感じですね。これは冷蔵庫で1時間ほど寝かせます」

 

「1時間!? 映画を見終わっちゃうよ!」

「いえ……映画は基本90分から120分程度かと思いますが」

 

「ううむ。本当に手間がかかるものだね。趣味としては良いのかもしれないが……」

「だから菓子職人は尊敬されるのですよ。とても大変な仕事ですから」

 

 その後、雑談に花を咲かせているとすぐに1時間が経った。

 

「では、生地を伸ばして型に敷き詰めましょう。ここは私がやりましょうか。やり慣れていないと生地を破いてしまいますしね。……と」

 

 テキパキと、美しく型に敷き詰めていく。慣れた動きによどみはない。

 

「では、フォークで適当に穴を開けてください、セイアちゃん。ミカちゃんに任せると机ごと突き破ってしまいますからね」

「ひどくない!? できないとは言わないけど!」

「ふむ。責任重大だね……」

 

「では、セイアちゃんが作業をしてくれている間にカスタードクリームを作りましょう。材料はここにあるので、順番に加えながら混ぜて行きます」

「おっけー。生地の時とおんなじだね。ええと……右からかな?」

 

 ミカが真剣に材料を混ぜ合わせていく。

 

「何をしているのかね?」

「ああ、セイアちゃんも穴あけは終わりましたか? それではオーブンで焼いて行きましょうか」

 

「了解だ」

 

「はい、ナギちゃん。終わったよ」

「では、こしながら鍋に入れましょう。セイアちゃんの方は、オーブンを余熱しておいてください」

 

「ああ、何度かな?」

「180℃でお願いします」

 

「ナギちゃん、入れ終わったよ」

「では、カスタードクリームには火を入れます。焦げ付かないようにかき混ぜてくださいね。ここは、後でセイアちゃんと交代ですね」

 

「はーい」

「甘い、良い香りがしてきたな」

 

 しばし、三人でかき混ぜられるカスタードクリームの様子を眺めているとぽーんと音がする。

 

「余熱が完了したようですね。セイアちゃん、一緒に生地を入れましょうか」

「もちろんだ」

 

 うきうきとミトンを手に嵌めるセイアの様子を見ていると、ナギサも笑顔になる。オーブンに入れた。

 

「ねえー。つまんなーい。いつまでかき混ぜたらいいのー? もう完成してなーい?」

「ああ、まだですよ。ミカちゃん。交代しましょうか、セイアちゃん」

 

「良いとも、ナギちゃん先生」

「あ、それ。まだ続いてたんですね」

 

 そして――タルトは焼き上がり、クリームも完成する。

 

「さて、後は盛り付けだけです。ここからが重要ですよ。もちろん、今までの工程もいい加減にしていいものではありませんが」

「ふふん、なら私にお任せ! センスなら自信があるよ」

「……仕方ない。私はクリームの方を担当しようか」

 

「では、セイアちゃんはクリームの方ですね。敷き詰めていってください」

「うむ」

 

 そろそろと少しずつ、少しすつ塗り広げていって――面倒になったのか一気にどっさりと乗せてペタペタと広げていく。

 

「あはは。まあ、そんなやり方でも問題ありませんが。もう少しクリームを乗せても大丈夫です」

「そうか。こんなところかね?」

 

「はい。では、綺麗に均してしていきましょう」

「うむ。……完成したぞ。では、次はミカちゃんの番だな」

 

「はいはーい。飾りつけはミカちゃんにお任せ☆ イチゴとー、マスカットとー、オレンジもいいアクセントになるね」

 

 ひょいひょいと適当に乗っけているように見えて、すぐに美しい模様が完成していく。そこらへんのセンスは流石と言えるほどだ。

 

「やっぱりミカちゃんはこういうの得意ですね」

「そうだね。私のセンスはいささか古臭いらしいから」

 

 皮肉だが、ミカは気付かない。

 

「あは、大丈夫だよ。セイアちゃん。セイアちゃんが回復したらショッピングモールでお買い物とか行こうね」

「……うむ。ならばそこで私の最先端のセンスを見せてあげよう」

 

 けらけらと笑うミカに、セイアは挑戦的な笑みを返す。

 

「ショッピングですか。行けるといいですね、本当に」

「うん。……行きたいなあ」

 

 雰囲気が暗くなった。この気分転換は、やはり現実逃避と紙一重だ。強大な敵と、そして対抗するために侵した罪。

 そこまでしても、望んだ未来にたどり着けるかは分からない。予知で見た未来は失敗していた。だから、こうして頑張っている。

 

「行きたいではなく、そうするのだろう? 私たちの手で」

 

 けれど、そのために戦っているのだからと。絶望してなど居られない。

 

「そうだね! みんなで――生き残ろう」

 

 楽しい団らんの時。失わないために、決意を新たに。ミカの辿った未来では、きっと……そういうことも出来なくなっていたと思うから。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第49話 動き出すアリウス

 

 

 第2回試験、謀略によってテストを受けることさえ出来なかった補習授業部の面々。試験問題を見てすらいなくても、試験範囲も変更されていたということで更なる壁も存在する。

 そんなダブルコンボを決められては、絶望して諦めることも仕方ないと言える。勝つ道筋を考えるどころではないだろう。なぜなら敵はその勝利条件そのものを好きに変えられる。けれど、彼女たちは諦めなかった。

 

 ――次こそは、と拡大された試験範囲にも立ち向かった。そうして準備万端で試験に向かう、その前夜のこと。

 アズサが、自分こそが裏切り者なのだと告白する。自分こそは桐藤ナギサを殺害するためにトリニティに送り込まれたスパイであるのだと。

 

 けれど、それが全てではない。

 

 主であるアリウス分校すらも裏切って、桐藤ナギサを守る決意をしたから。「全てが虚しいものであろうとも、反抗するのをやめる理由にはならない」という信念のため。

 ……誰もが笑って暮らせる世界が欲しかった。夢物語だけど、桐藤ナギサの殺害を許せばそれが遠のくことは確実だから。

 ゆえにこそアズサは母校にすら逆らうのだ。

 例え自分一人でも、桐藤ナギサの殺害を狙うアリウスの部隊と戦い抜くのだと啖呵を切った。試験を受けられなくてすまない、とも。

 

「はい。私は……一緒に過ごしてきたアズサちゃんのことを信じます」

 

 ヒフミは迷わずアズサの手を取る。そこで迷わないのがヒフミの良いところだ。ハナコとコハルも、銃を手に取る。

 アズサのことを知っている。不器用で、トラップを仕掛けることに余念がなくて、どこに居ても野生動物のように周囲を警戒している危うい娘。けれど、本当は優しい子なのだと分かっている。

 

「では……指示を。先生」

「うん。補習授業部……出動!」

 

 ゆえに、補習授業部は一丸となってアリウスと戦うために駆けていく。

 

「さて、まずは二手に分かれようか。先遣隊が来ているはずだから、まずは目を潰そう。それと、ナギサには避難してもらわないといけないね」

「では、ナギサちゃんを連れてくるのは私に任せてください♡ アズサちゃんと行ってきますね」

 

「私が? だが、仕掛けたトラップを把握している私が戦線に加わった方が良いのではないだろうか」

「いえいえ。トリニティのことを知っている私と、トラップを仕掛けたアズサちゃんならどんなところからでも先生たちと合流できますから」

 

 ハナコはやはり頭が切れる。最善の作戦を即座に組み立てた。

 

「そういうことなら、了解した」

 

 こくりと頷くアズサ。

 

「では、こちらは任せてください。コハルちゃんと先生とで、すぐにやっつけちゃいますから」

「ふん。この正義実現委員会エリートのコハル様に任せておきなさい!」

 

 コハルとヒフミが揃って力こぶを作るポーズをする。外見はかわいらしい少女でも、戦う力を持っている。

 それに先生まで居れば100人力だ。

 

「ふふ、ではそちらはお願いしますね」

 

 ヒフミとコハルは先生とともに先遣隊を撃滅することになった。ハナコとアズサは隠れてナギサの隠れ家へと向かう。

 手薄になった警備をかいくぐって、ナギサの居る屋根裏部屋に侵入する。

 

「……お待ちしておりました。ハナコさん、アズサさん」

 

 そして、対するナギサは……優雅に紅茶を嗜んでいた。予測不可能な事態、エデン条約を前にして心穏やかでは居られない状況であるはずなのに。

 裏切り者と目を付けていた二人と安全地帯であるはずの隠れ家で顔を合わせて、そんな危機的状況に冷静で居られるような人ではないのに。

 

「慌てないんですね」

「知っているのでしょう? 私の隠れ家と、そしてこの秘密の部屋も。ここで待っていれば、来てくれるとのことでしたので」

 

 睨みつけるハナコと、どこ吹く風で取り合わないナギサ。支配者の仮面は崩れない。ただまあ、他人に弱みを見せないという悪癖であるのかもしれないけど。

 

「ことでした? ――やはりセイアさんですか。救護騎士団に匿われていた彼女、ミネ団長に背負われて市街を爆走したそうですね」

「え……ええ。やはり、有名になってしまっていますね」

 

 初めて苦々し気な顔を見せる。自分のことではないが……まあやはり外聞は悪い。トリニティの支配者は神秘と機密のヴェールに覆われてなければならないはずだった。

 それが、あんな大爆走などして噂の種になってしまえば面目が立たない。

 

「その人が無事だったのなら、それで良いのではないですか? ナギサちゃんは彼女が殺されたと思って疑心暗鬼になっていました。でも、もう良いでしょう? セイアさんを頼ってまで私達を陥れようとする理由がまだありますか?」

「……さて。ですが、セイアさんが生きて居ようとも――このトリニティに裏切り者が居ることには変わりがないのではないですか?」

 

「そうかもしれません。……ですが、本当にここまでする必要がありましたか? 特にヒフミさんのこと、あなたはずっと気にかけていたではないですか。彼女との友情を裏切ってまで、こんなことをする必要がありますか?」

「――それでも、こうする必要があったのです。ヒフミさんは……はい。私にとって大事な人であるのは変わりません。それでも……”未来”のために。私は、彼女であろうとも切り捨てることを厭わない」

 

 ハナコの目が細くなる。

 キレる人間と言うのは、こういうのが怖い。感情が爆発しても叫び声を上げるなどという愚かなことはせず、静かに相手の急所を見ている。

 話をしている余裕はないと目で訴えるアズサのことをジェスチャーで止める。あと少しで”終わる”からと。

 

「そういうことですか。だから、ヒフミさんはこちらに来なかったんですね」

「……え? だって、そういう未来のはずじゃ」

 

 あの苦々し気な顔でさえ仮面だ。支配者も、常に微笑んでいるわけにはいかない。苦渋を舐める、程度の顔を見せる場面というものはあるものだ。先のように。

 けれど、その仮面にヒビが入る。ナギサの素顔が、わずかに覗いた。

 

「セイアさんの予知ですか。けれど、人の行動には理由があるものですよ。あの子はこう言ってましたよ。「あはは……そっちはハナコちゃんにお任せします。まあ……機会があれば、顔を合わせることもあるでしょうから」って」

「――ッ!」

 

 ナギサはヒフミのことを知っている。常識人に見えても凄い行動力をもっている彼女は、”機会があれば”など言わない。 

 やろうと思ったら行動するのだ。だからこそ、あればなんて言うのは――そんなことをする気はないと言うことで。

 

 それを一言で表すなら、「もう顔も見たくない」ということだった。

 

「あ。ああ――」

 

 ナギサは呆然とした顔で、涙を流すことすら忘れて――

 

「……」

 

 アズサが無言で頭に向かって銃を連射した。

 

「近距離で5.56㎜弾を丸々一弾倉分当てたから、1時間くらいはこのまま気を失っているはず。……行こう」

「はい、そうですね。先生に合流することにしましょうか」

 

 彼女の身柄を隠した後は、爆薬の音がする方へ向かっていく。校舎にしかけた無数のトラップにアリウス分校の本隊が引っかかっている。

 突破されそうな部分は先生の指揮の下、モグラ叩きを続けている状況だ。

 

 そして、トラップに悪戦苦闘している他のアリウスを見つけた。部隊長クラスはトラップにひっかかっても簡単には気絶しないのだ。

 部下を盾にしてでも強引に罠を突破しようとしている。

 

「――」

 

 そこを、ハナコと二人で強襲する。

 

「誰だ!?」

「スパイです! スパイが裏切りました!」

 

 バタバタと倒れていく部下たち。アリウス……というより”軍”の強みは連携にある。ミカやヒナ、そういったトップ層の例外を除けば囲んで叩くのが正義で、それをするためのあらゆることが戦術だ。

 つまり、部下が居なければ戦力は半減どころではない。罠によって部隊の多くが気絶してしまった状況では、軍はその実力を殆ど発揮できない。

 

「……そう。裏切り、それ以上でも以下でもない」

 

 アズサは右往左往するアリウスの者達を次々と片づけていく。いくら数で勝ろうと、トラップにあって混乱した上にそこから強襲を受けたのでは対抗手段もない。

 体制を立て直すまでは、やられるがままだ。アズサとハナコは草刈りのごとくアリウスを片づけていく。

 

「ッ!? どういうことだ」

「目標は私が先に貰った」

 

 そして、アズサは真実を告げる。それが事実であれば、アリウスにとってはかなりマズイことになっている。

 任務達成が困難になった状況は、今はまず不利な状況を脱するところから始めなくては行けない現状すらも忘れさせる。

 また、体勢を整えることが遠くなった。一秒ごとに、味方が減る中で数秒の遅れは致命的でさえある。

 

「な、何故だ! どうしてそんなことを……!」

「早く終わらせて、試験を受けなきゃいけないから」

 

「……は?」

「ちなみにもう正義実現委員会に報告は届いてる、逃げるなら今のうち。――気にすることはない。作戦が失敗する未来はもう決まっているのだから」

 

「ほざけ。ブラフに決まっている。情報が正しければ、正義実現委員会が動くはずが――」

 

 撃った。これで、この隊の撃滅は完了。先生と合流するために走って向かう。

 

 

 

 無数のトラップで遅滞戦法を取り、そして突出した部隊へは先生の指揮の下に撃滅する補習授業部の戦法。そもそも部自体に強力な戦力が揃っている。

 アズサもアリウスの中では頭一つ抜けている。そしてコハルも、トップ層ではなくとも戦闘を主とする勢力の傘下だ。ハナコも荒事に慣れて居なくても、その持ち前の頭があれば戦闘など朝飯前。

 最後のヒフミはと言うと、言うまでもない。人畜無害に見えて、ブラックマーケットという魔境を闊歩しているアウトローだ。むしろ、最も活躍したのが彼女かもしれない。

 

 少なくない犠牲どころか、アリウスはほとんど壊滅寸前までに追い詰められた。だが、それでも戦力を残した部隊が前進する。

 仲間を犠牲にしつつ、補習授業部を袋小路……とある校舎にまで追い詰めた。

 

「こちらです! ターゲットを連れたまま、こちらの建物に入っていくのを見ました!」

「なるほど……ここに陣地を築いたということか、白洲アズサめ」

 

 だが、袋小路と分かっていてここに隠れたということは当然……この建物の中はトラップが満載されているということを示す。それは火を見るより明らかだったが、ここで退却する選択肢などない。

 アリウスは獣の顎の中だろうが、前に進まなくてはならない。そうしなければ未来はないと、そのような教育を受けている。任務を遂行するための犠牲を悼むようなことは教わっていない。

 

「中に通じる入口は二つのみ! 片方はバリケードで塞がれています!」

「開いている入口は一つか……いや、そっちは罠だ。塞がれたバリケードを爆破して、そちらから侵入せよ!」

 

 一糸乱れぬとまでは行かないけれど、統率の取れた動きで攻め込むアリウスの残兵。この練度と数であれば、まさか隙をついて別のところから逃げることも許されない。

 敵を確実に追い詰めているはずと、ほくそ笑む。

 

「……騒ぎになりそうですが?」

「いい。ちょうど、増援部隊も到着するはずだ。こうなってはもはやトリニティとの全面抗争も想定した方が良い。……しかし」

 

「弾薬、足りますか? 聖園ミカは食料はくれても、弾薬の方は満足には……」

「間に合わせるしかない。できる限り早急にターゲットを回収し、消耗を防ぐ!」

 

 だが、アリウスもまた切羽詰まっている。罠によって予想以上に人員を削られ、しかも弾薬だって満足には準備できていない状況だ。

 とはいえ、やはり任務を放り出すことも考えられない。……進む以外にないのだ。

 

「――行くぞ!」

 

 どおん、とバリケードを爆破して踏み込んだ。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第50話 袋小路の補習授業部

 

 

 桐藤ナギサを抱えたままの補習授業部を、とある校舎にまで追い詰めたアリウス。もはや敵は袋小路だと、二つある入口のうちバリケードの方を爆破して侵入することにした。

 

「突入!」

 

 そして、開いた入口から侵入していく。けれど、そこに唐突にかけられる声がある。それはアリウスにとって聞き覚えのある声だった。

 

「だと思った」

「なぁっ!?」

 

 直後、踏み込んだ場所が爆破される。バリケードを爆破して押し入ることを想定された罠だった。

 行動が読まれていた。片方の入口を開けておいたことすら罠のうちであったのだ。

 

「ぐうっ!」

 

 最初に突入した何人かはまともに爆圧を喰らって気絶した。

 

「くっ! 退くな退くな! 罠さえ突破すれば、数で勝るこちらが優位なのだ!」

 

 そして、倒れた仲間をも踏み越えて迫るアリウスという過去の亡霊たち。もしくは、利用される哀れな子供か。

 まだ戦意は失われていない。こんな罠などよりもよほど恐ろしいものがあるのだから。

 

 他方、増援側は。

 

「ぐわっ!」

「ま、まさか――クレイモア!?」

 

 開いている方から攻めてきた彼女たちも罠にやられていた。増援側はそちらの方から侵入するのもアズサの想定内だ。

 むしろ、逃げ道を塞ぐため手分けして全ての入口から追い詰めていくのは刈る側としては当然の戦法だから読めないはずもない。

 結局、どちらの道にも罠は仕掛けられていたということだった。

 

 

 

 だが、先に侵入したアリウスは仲間の犠牲と根性で罠に耐えながら進む。罠によって混乱する部下達。だが、無慈悲にもその屍を踏み越えて進むのだ。

 

「よくもここまで追い詰めてくれたな、裏切り者め。貴様のせいでここまで戦力を失った。覚悟はできているのだろうな?」

「……」

 

 アズサはその声に答えない。戦いの前に、軽く銃を見てチェックしている。

 

「なるほど、大分減りましたねアズサちゃん」

 

 くすくすと笑うハナコを前に、アリウスの指揮官は激高しかける。だが、冷静になれと己に言い聞かせる。

 ここでキレれば向こうの思うつぼだと、つとめて冷静に問いかける。

 

「このまま行けば行き止まりか。ターゲットはどこだ?」

「隠した」

 

「早めに吐いた方がいい。増援が到着している。貴様らの抵抗は無意味だ」

「……増援?」

 

「ああ、それも部隊単位でな!」

「増援か。……『スクワッド』はどうした?」

 

「スクワッドが来るまでもないさ。それにどうやら、他にやることがあるみたいでね」

「なら問題ない」

 

 さっとアズサとハナコが身をひるがえす。……逃げた。

 

「その先には体育館しかないことは把握済だ! そして、これ以上トラップがないこともな! 逃がすか、追え!」

 

 そして追い詰められた補習授業部。残りの二人も、そこに居た。

 

「なるほど。逃亡ではなく待ち伏せだったか。……だが、たった四人で私たち相手に、何分耐えられると思っているのだ!?」

「その通り、もう退路はない。お前たちは逃げられない」

 

 静かに声を発するアズサ。

 

「ですね、一先ず仕上げと行きましょうか♡」

「待ってたよ」

 

 そして、満を持して声をかける先生。体育館の上の方に佇んでいる。流れ弾はあまり来ないかもしれないが、あまりにも不用心な姿だ。

 撃てば当たる、そんな場所で――先生は悲しそうにアリウスを見つめていた。

 

「ご存じの通り、『シャーレ』の先生です」

「待ってた。指示を」

 

「じゃあ補習授業部、行こう」

 

 その声を皮切りに、全員が銃を構えた。

 

 ――激突する。

 

「ほざけ! お嬢様学校の劣等生、そしてシャーレの先生とやらごときに、数は減ったとはいえアリウスの軍が負けるものか!」

 

 指揮官が思い切り睨みつける。犠牲を払って罠を食い破った。そして、この体育館にまで補習授業部を追い詰めたのだ。

 退路はない? そんなことがあるわけがない。後方はがら空き、いくらでも撤退できるし――後から援軍だって到着する。

 そう、たったの四人を相手に軍が負けるはずがないのだと。

 

「それはどうかな? 確かにお前たちは戦争のプロで、補習授業部は素人なのだろう。……だが、私たちは大切なことを知っている!」

「裏切り者め! 大切なことだと!? そんなものが、銃の握り方以外にあるものか!」

 

「……悲しい人です。戦うこと以外に何もないなんて」

「そうよ。信念があるから戦えるの! ただ言われるがままに戦うだけ――それで勝てるなんて思わないで!」

 

 ヒフミ、そしてコハルが哀れみさえ交えながら、敵対しているはずの彼女たちを見る。彼女たちの境遇は、少しだけどアズサから聞いた。

 彼女たちだって、アズサと同じだった。そのように育てられて、それ以外を知らなかった。勉強のことも、おいしいお店も、おしゃれの仕方も……何も知らない哀れな子供。

 

「馬鹿め! だからこそ――負けんと言っている! そんなものは余計なものだ! 戦争には不要な不純物! でなければ、なぜ我々は……あんな場所で、飢えてまで……! 負けるものか!」

「指揮官、増援はもうすぐ到着します! 攻撃命令を!」

 

「ああ、奴らを叩きのめせ! 殺してしまえ! 我々こそがキヴォトスで唯一の、ヘイローを壊す方法を身に着けた最強の軍隊なのだ。素人に負けることなど……認められるか!」

「了解、戦闘を開始します」

 

「アズサ」

 

 そっと先生が呟いた。即座に反応してアズサが戦闘を開始すると言った彼女を撃つ。機先を制された。

 

「だが、一人倒されたところで……! アリウスは、貴様たちなど簡単に飲み込めるだけの戦力がある! ひるむな、撃て!」

「うん、みんな少し下がって」

 

 トラップに疲弊したアリウスの兵は、指揮官の怒りはさておいてぼろぼろだ。応援が来るという心の支えがなければ立っていることすら出来ないだろう。

 照準が滅茶苦茶で、まぐれ当たり以外は壁を叩いた。

 

「さあ、行くわよ!」

 

 掛け声とともに、コハルが手榴弾を投げる。

 

「うわああっ!」

「きゃあっ!」

 

 爆発。アリウスは右往左往して攻撃の手が緩まった。その瞬間を、アズサは逃さない。前に出て、ばったばったとなぎ倒して行く。

 

「……おのれ! 裏切り者がああああ!」

 

 指揮官は自ら前に出てアズサに向かって撃ちまくる。

 

「ぐっ! 避けきれない……!」

「貴様はトラップ戦法が本領! この距離の撃ち合いでは負けん! 決して!」

 

「アズサちゃん!」

「指揮官の邪魔はさせない!」

 

 駆け寄ろうとするヒフミだが、銃弾に遮られてそちらに行けない。それはハナコも同じ状況だった。

 

「ならば――私がお前を倒す!」

「倒されるものか! 貴様だけは! この裏切り者がァ!」

 

 撃つ撃つ撃つ。両者ともにキヴォトスの住人、5発や10発撃たれた程度で気絶したりしない。真正面から覚悟を決めて撃ち合っているのであればなお更に。

 指揮官の撃つ銃弾はアズサの身体を捉えるが、アズサの放った銃弾も指揮官の身体に撃ち込まれていく。

 もはや根性勝負の局面に陥っていた。

 

「ぐ……ぐぐぐ――ッ」

「は……やはりそんなものか、裏切り者め! 貴様には覚悟が足りん! 真の軍人と言うものがどういうものかを見せてやろう!」

 

「だが、それでも私は諦めない!」

「ならば、その奢りを抱えて暗闇に沈め! 貴様の後で、大事な仲間とやらも地獄に送ってくれる!」

 

 膝から崩れ落ちたアズサに、指揮官は銃弾を更に撃ち込む。ここからの逆転劇はない。……外部からの介入がなければ。

 

「アズサ、回復するわ!」

「……コハル、ありがとう。回復完了だ!」

 

 そう、補習授業部の言った大事なもの。信じられる仲間。――誰かを頼るという気持ち。それは、ただの軍人として育てられたアリウスにはないものだった。

 

「なんだと……ここで回復だとォ!?」

「そうだ、仲間が居るから……私は負けない!」

 

 立ち上がり、銃を撃ち放つ。指揮官も応戦するけれど、受けたダメージが回復していない。動きが鈍い。

 その勝利の要因は、信用できる『仲間』が居たことで。指揮官は、部下を信用してなければ逆でも同様だった。

 

「だ、誰か……こいつを、撃て!」

 

 震える腕。もう銃弾がアズサに当たらない。だから、部下にコイツを撃てと命じた。……でも。

 

「――む、無理だ。こいつら、強い……!」

「うわああっ!」

 

 しかし、応える声は悲鳴ばかり。手伝うどころか、むしろ助けてくれと言わんばかりの声だった。

 状況は補習授業部が優勢だった。

 

「これで、終わりだ!」

「……白洲アズサ。この――裏切り者めええええ!」

 

 恨みの言葉を叫び、銃弾に倒れた。

 

 

 そして勝ち取った休憩時間。だが、指揮官の言ったことは嘘ではない。それは増援が到着するまでの、僅かな時間でしかない。

 

「……何か食べましょうか」

 

 集まって、ヒフミが背中のペロロバッグを下ろしてごそごそやりだした。

 

「え? そんなのまで入ってるの。道理で重いはずよね」

「ふふ。ありがとうございます、ヒフミさん」

 

 夜通し戦い通しで、この休憩時間に空腹を思い出した。今なら何でもおいしく頂けそうな気分だった。

 

「では、どうぞ! ペロロ様がコラボしたペロロレインボーサイダー。それにペロロ様のイラストがついているグルーシリアル、グリッチベリーエクスプロージョン味です!」

 

 が――笑顔で差し出されたそれは、空腹でも食べたくならないような色とフレーバー名をしていた。

 いや……まあ目に眩しいその色はゲヘナ辺りでは売れるのだろうか?

 

「ええと……これ、食べれるの?」

「あはは。……個性的な名前ですね?」

 

「おお! なんとかわいい……!」

「え……? かわいい……?」

「……やっぱり個性的なセンスですね♡」

 

「そうです、とってもかわいらしいでしょう。アズサちゃん! 袋は保存しますので、綺麗に開けてくださいね」

「うう……私では破いてしまうかもしれん。ヒフミ、頼めるか?」

 

「はい、どうぞ! 皆さんも」

 

「――うん。あ、食べれないこともないね」

 

 真っ先に先生が、エグいピンク色をしているシリアルを掴んで食べた。意外そうな顔をしている。

 怖いもの見たさだったが意外と食べられる。

 

「え? 先生、舌は大丈夫?」

「はは、酷いな。まあ私はもうちょっと甘さ控えめが好みだけど、それでも舌が痺れるほどの甘さじゃないからね。サイダーも貰おうかな。……う、こっちも甘い。いや、飲めないほどじゃないけど」

 

「ええと……」

「大丈夫ですよ、コハルちゃん。私も食べられましたから。……まあ、改めて自分で購入しようとは思いませんが」

 

 戦々恐々とするコハルに、ハナコが優しく声をかける。もはやアリウスよりもそれらを恐れているような表情だった。

 

「――皆、今のうちに飲み物と食べ物を補給するんだ。敵の応援が来る前に」

 

 そして、僅かな休憩時間を堪能した補習授業部は敵の増援を迎えるのだった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第51話 真の”裏切り者”

 

 

 アリウスの部隊を倒した。……だが、増援がすぐにやってくる。もう足音が聞こえてくる。

 

「さて、後は正義実現委員会の部隊がここに到着するまでの間、時間を稼ぐだけですが……」

「あ、ハスミ先輩には連絡しておいた! すぐに来てくれるはず」

 

「はい、ありがとうございます♡ 定時連絡もあるでしょうし、もうナギサさんと連絡が付かなくなったことは気付いているはず。動き出すまで、そう時間はかからないでしょう」

「だが、敵はもうすぐそこだぞ」

 

「あとは、早く来てくれることを願うばかりですが……」

 

 また、爆破の音がする。罠が、強引に突破された。増員が、この体育館にまで踏み込んできた。

 

「来たな……」

 

 アズサが音のした方を鋭く睨みつける。

 

「数が多い、大隊単位だ。多分、アリウスの半数近くが……」

「あうぅ…… こ、これだけたくさんの方が、平然とトリニティの敷地内に……!?」

 

 アズサ、そしてヒフミも驚愕する。それだけの数だった。これまでに倒した多数のアリウス。合計すれば、トリニティとの全面戦争もかくやという有様だ。

 ――なのに、実際にはトリニティの他組織との衝突もなくここまで入ってこれたのだから。

 

「まだ、正義実現委員会が動く気配はない……?」

 

 そして、ハナコも。これだけの騒ぎで彼女たちが介入しない理由はないというのに到着しないことを訝しむ。

 もしや、自分が思っている以上の事態が存在するかもしれないと。

 

 出し抜けに、壁が破壊される轟音が響いた。横入りする声がする。

 

「――それは仕方ないよ」

 

 コツコツと、崩れる壁の中から靴音も高らかに姿を表す。

 

「まあ簡単に言うと、黒幕登場☆ってところかな?」

 

 小馬鹿にしたように指を振り、嘲るようにニヤリと笑う。ふわりと桃色の髪が夢のように舞った。

 壊した体育館の退廃的な情景と合わせて、絵画にでもなりそうなゴシックな雰囲気だ。

 

「……ミカ?」

「久しぶり……でもないかな、先生。ちょっと前に通話したもんね? でも、直接会ったのは結構前だよね。うん、やっぱり久しぶりな気がするよ」

 

 先生が、ミカのことを鋭く見つめる。

 

「これは、どういうことかな?」

「正義実現委員会は動かないよ。私があらためて待機命令を出したから。今日は静かだったよね? 邪魔になりそうなものはあらかじめ片づけておいたもの」

 

 月光が照らす中を、舞台のワンシーンのように歩いて行く。……アリウスの先頭に。

 

「ナギちゃんを襲うのに邪魔をされたら――かなわないもんね?」

 

 ふふふ、と唇を吊り上げる。

 

「ミカ……本当に君が……!」

「そう――私が本当の、『トリニティの裏切り者』……『魔女』」

 

 演技なら決まった、そう思う様な場面で……しかし。やはりシリアスな場面は壊される。神の手……否、それは人の手で。

 

「聖園ミカ……!」

 

 なんということか、アリウスがミカに銃を向ける。

 

「……は?」

 

 ミカも、ぽかんと口を開ける。補習授業部の面々も呆気にとられる。まあ、レッドウィンターじゃあるまいし。

 黒幕気取りで姿を表したら実行部隊にす巻にされるとか、普通にギャグでしかないだろう。

 

「聖園ミカ……なぜ我々の分隊を攻撃した?」

「そんなの、邪魔だったからに決まってるじゃない。迎えを寄こせなんて言ってないよ? なのに、重武装で来るからさあ――」

 

 とはいえ、アリウスだ。ギャグでやっている訳がない。それには正当な理由がある。もちろん、それはアリウスにとって正当ということで他人から見たら筋違いであろうとも。間違っていても、筋は通っている。

 

「……百合園セイアのヘイローの破壊は、お前にとっても都合が良いはずだった」

 

 つまり、「迎えを寄こせ」なんてのはただの皮肉で――ミカと一緒に館に住んでいる百合園セイアを暗殺するための部隊を片づけたというだけの話だった。

 もちろん、ミカもナギサに劣るとはいえ口は回る。”正当な理由”なんて、いくらでも用意できる。セイアを殺されたくないなんて本当のことは言わずに。

 

「それで救護騎士団を相手取るの? その次は正義実現委員会? ううん。ちょっとあなたたちのことを信じすぎちゃったかも」

「……どういう意味だ?」

 

「だって、あなたたちの頭ってアズサちゃんより悪いんでしょ? トリニティじゃ落第以下だ。補習授業部じゃなくても、あの成績じゃ普通に退学案件だよ。困るんだよねえ、足し算引き算くらいは知っておいてくれないとさあ」

「……我々を愚弄するか? それにアリウスとうまくやっていく気がないということであれば。貴様ごと始末するまで」

 

「へえ? なら……聞き分けの悪い頭の悪いワンちゃんには、ちょっと躾が必要そうだなあ」

 

 なぜか――アリウスとミカが激突する。

 

 ミカ本人すらも、どうしてこうなった? と思いながら。ただ、まあ……ここで頭を下げたくもないし。自分が間違っていることをしているとも思わない。

 誰がこの方向を誘導したのかも考えることなく、蜜月だったはずの黒幕とヴィランが潰し合うのだ。

 

 そう、理由は簡単なことだった。ミカが救護騎士団の館を出る前にセイアからかけられた一言。「ああ。おそらく邪魔な者達が来ていると思うから、ついでに片づけておいてくれないかな?」との言葉が未来を操ったのだとは、ミカは知らない。

 

「アリウスの全員に告ぐ。聖園ミカを撃退し、桐藤ナギサのヘイローを壊せ」

「あは☆ 私を撃退? できるの? 『スクワッド』も居ない、装備も劣悪――アリウスにきちんとした後詰めが居ないのは知ってるんだよ。他ならぬ支援者だからさ、私は……!」

 

 互いに銃が火を吹いた。だが、なぎ倒されていくのは一方的にアリウスの方だった。それを見たアズサがいぶかしむ。

 

「おかしい。……流石に弱すぎる」

「でも、あの人達が持ってる銃、あまり整備されてないですし古そうですよ」

 

 補習授業部が端で先生の下に集まって会話をする。何だか、いきなり蚊帳の外に放り出されてしまった気分だ。

 いや、次はお前たちだとは言われているし、逃げ道も塞がれているのだが。

 

「それでも、だ。手加減してる……?」

「それに、ミカちゃんはすっごく強いですからねえ」

 

「そんな呑気にしてていいの? あの人も狙いは桐藤ナギサなんでしょ? そうだ、あの人が開けた穴から逃げられないかな」

「やめておいた方がいいと思います。気付かれたら両方から狙い撃ちですよ♡」

 

「うん。それに……ミカは本当は優しい子のはずなのに」

「それでも、敵対するのなら倒すしかない」

 

 そして――銃撃戦が5分を越えるころには、全てのアリウスは沈黙していた。ミカが、ただ一人で全てを倒してしまった。

 倒れ伏した無数のアリウスの上に、ミカは立っている。

 

「なんて強さ……!」

「ティーパーティーの中でも、場違いなほどに強いとは聞いていましたが……」

 

 ミカは、改めて補習授業部に向き直る。バツが悪そうに苦笑している。

 

「あはは。待たせてゴメンね。……ううん。支援者ごときが考えることじゃないとはいえ、もうちょっと教育に力を入れてもらうべきだったかな? ね、アズサちゃん」

「……アリウスでは、”彼女”の言葉が全てだ」

 

「あはは。ああ、うん。そうだよねえ……」

 

 アウサの言葉に、ミカはカリカリと頭をかいた。

 

「ミカ……! なぜ、こんなことを? 君がナギサを襲う理由なんて無いはずだ!」

 

 先生が、厳しい顔で問い詰める。

 

「んー? 聞きたい? 先生にそう言われたら仕方ないなあ」

 

 気を取り直したように、悪い笑みで答える。

 

「それはね……ゲヘナが嫌いだからだよ。私は本当に、心から……心の底からゲヘナが嫌いなの」

 

 す、と目を細める。それは本気の嫌悪だ。

 

「ゲヘナのあんな、角が生えた奴らなんかと平和条約だなんて、冗談にもほどがあると思わない? 考えるだけゾッとしちゃうよ」

「……ミカ、そんなことはないよ。ゲヘナの子とも、和解はできるはずだ。君は、アリウスと和解したいと――そう言ったはずじゃないか」

 

「あはは。ゲヘナと和解なんか、絶対裏切られるに決まってるじゃんね? 背中を見せたらすぐに刺されるよ? そんなこと、させるわけにはいかない」

「そんなにゲヘナを信用できないかい? アリウスのことは?」

 

「アリウスだって元々はトリニティの一員。先生には前も言った通り、この子たちもゲヘナに対する憎しみはすごいよ、私たちに勝るとも劣らない。むしろこの子たちこそ、純度の高い憎しみを持ってるとすら言えるかもしれない。――だから手を差し出したの。志を共にして、ゲヘナと平和条約を結ぼうとする悪党達をやっつけない? って」

「――」

 

「ティーパーティーのホスト桐藤ナギサには正義実現委員会がいるから、次期ティーパーティーのホスト聖園ミカにはアリウスがつく。これはそういう取引、和解へのステップアップ的な?」

「全ては、ティーパーティーのホストになるため?」

 

「そう。ナギちゃんはセイアちゃんの代わりにホストに立っていた。ずるいじゃんね? あの子を”殺した”のは私と……アズサちゃんなのに。ね、その辺りどう思う? あなたさえ居なければ、こんなねじくれた結末にはならなかった……かもね☆」

「咎は受ける。だが……私はエデン条約を守ると決めた。桐藤ナギサは渡さない」

 

「おやおや。じゃあ先生は聞くまでもないけれど、他の子はどうだろう。……コハルちゃんはどうかな? ナギちゃんを渡してくれれば、補習授業部のことは無かったことにしてあげるよ。トリニティじゃ黒い経歴を一つ二つ消すのなんてよくあること。それにあんな無茶苦茶、いくらでも穴はあるもんね」

 

 けらけらと笑って、コハルへと矛先を向ける。……裏切らないか、と。こちらの側に、悪党に付かないかと。

 

「ふざけないで! 私は正義実現委員会の下江コハルだ! 落ちこぼれでも、頭が悪くても! 絶対に仲間は裏切らない!」

「あは。良い気概だね? でも――それを通すだけの実力はあるのかな?」

 

 はねのけるコハル。ミカは、次の娘に目を向ける。

 

「ハナコちゃんは? 私についてくれれば、トリニティのNo2にしてあげるよ。嫌いな子なんて、みんな追放できちゃう権力をあげる。……どう?」

「うふふ、ふざけないでください。そういうのが嫌だから、私はあなたたちから離れました。あなたは――私の大嫌いなトリニティそのものです」

 

 そして、ハナコもまたにべもなくその手をはねのける。次は、ヒフミに。少しだけ、縋るような視線が混ざる。

 

「なら、ヒフミちゃんはどう? 私との仲じゃんね? 一緒について来てくれない?」

「――ミカちゃん。あなたが特別なところのない私に手を伸ばしてくれるなら、その手を取ってあげたいと思います。でも、本当のミカちゃんはそれを望んでる訳じゃないと思うから。……今は、その手を取れません」

 

 ヒフミは、優しく拒否する。

 

「ミカ。みんな、君を嫌ってる訳じゃない。こんなことをする訳があるんだろう? 話してくれないかな? そうすれば、皆で君を助けてあげられる」

 

 先生が、逆にミカに対して手を伸ばそうとする。

 

「……あは。まったくもう、先生には敵わないなあ。本当に、優しいんだから」

 

 ふふ、と笑って――けれど、銃を握りしめる。

 

「でも、駄目なんだ。勇者が魔女に手を差し伸べて、一緒に笑って終わりなんて安易なストーリーじゃないの。そんなおままごとじゃ、この残酷で胸の悪くなるような残酷劇(グランギニョル)に対抗できる力は育たない」

「――ミカ?」

 

 瞳に炎を燃やす。明らかに、暴走の前兆だ。辿りつくところもわからずに爆走する暴走特急の箍が外れる。

 アリウスの軍を簡単に倒してしまった力が、補習授業部に向けられる。

 

「あは! 私の大嫌いなゲヘナを潰すため――ナギちゃんにはお寝んねしててもらわなきゃいけないんだよ!」

 

 次はお前たちだと狙いを定めた、その瞬間に爆発音が響く。また別の方向から、この体育館に侵入する勢力があった。

 

 

 





  セイアが生きていた時点でアリウスとの決裂は確定してました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第52話 シスターフッド参戦

 

 

 ミカは組んでいたはずのアリウスを倒し、そして裏切りを持ちかけたものの拒否されてしまった補習授業部へその牙を向ける。

 そこに、介入する勢力が来た。

 

「けほっ、今日も平和と安寧が、みなさんと共にありますように……けほっ」

「す、すみません、お邪魔します……」

 

 シスターフッドが、爆破して道を開けつつその姿を表した。

 

「『シスターフッド』、これまでの慣習に反することではありますが……『ティーパーティー』の内紛に、介入させていただきます」

 

 シスター服を着て銃を構えた集団が、リーダーに率いられてやってきた。そのリーダーが、その深紅の瞳でミカを真正面から見据える。

 

「歌住サクラコ……! 決して動かないはずの『シスターフッド』を動かしたなんてね! まったく、ハナコちゃんは何を差し出したのかな?」

「ティーパーティーの聖園ミカさん。他のティーパーティーメンバーへの傷害教唆及び傷害未遂で、あなたの身柄を確保します」

 

 踵を返したミカがサクラコを睨み返す。そして、サクラコは返礼に銃を向ける。

 

「……まったくもう。ティーパーティーの言うことを聞かないなんて、困っちゃうよ。確かに命令権はないけれど、それでも好き勝手して良いってことじゃないと思うんだけどな」

「シスターフッドに与えられた特別な権力は、ティーパーティーが暴走したときに止めるためにあるものだと思っております。……しかし我々も無為に人を傷つけることは望みません。降伏してください、聖園ミカさん」

 

「あは、ちょっとムカついちゃうな。そもそも――ユスティナの後継なんかに悪だくみとか裏取引とかを糾弾される筋合いってなくない? あんなものがバラまかれることになるのに……さ!」

「シスターフッドはそのような物騒な組織ではありませんよ。どこにでもいる、ただの善良な生徒がボランティアをしているだけの場所です。ただ、前身となったユスティナ聖徒会の関係で、ある種の特別な地位を頂いてはおりますが」

 

「ある種の? 特別な地位? 先生にも秘密にしていることがあるくせに! 正義の味方気取りが笑わせる!」

「……なっ!? それを、どこで――」

 

 ミカが敵意を濃くする。一触即発の一秒前、迎撃するためにシスターフッドの全員が銃をミカに向ける。

 

「ティーパーティーにすら制御できない秘密組織、その力を今ここで見てあげる! 秘密を守るだけの力もないなら、ここで潰れてしまうがいい!」

 

 ミカが、突進する。

 

「な……!? みなさん、迎撃を!」

 

 サクラコが驚愕して、配下に撃つように命じる。その瞬間にミカは飛ぶ。全てのシスターフッドを飛び越えて逆側に着地する。

 

「……これで、あなたたちに逃げ道はない」

「それがどうしたと? あなたこそ、そちらから走り去ったとしても『シスターフッド』の追跡から逃れられるとは思いませんよう」

 

「あっは! 逃げる? 私が? 馬鹿な勘違いだね――正してあげる! 所詮はシスターフッドなんて言っても、私一人で潰せる程度の、脆い組織だってことを分からせてあげるから!」

「舐めないでください! この数を相手に、一人ではどうしようもないでしょう!?」

 

 振り向いたシスターフッド達がトリガーを引く。幾多の銃弾がミカに当たる。

 

「さあ――星の呼び声を聞きなさい……!」

 

 銃弾を浴びるミカの神秘が高まっていく。そして、それは暴力的なまでに空へ駆けのぼっていく。ハナコが叫んだ。

 

「危ない……! 上から来ます!」

「もう遅い!」

 

 隕石が、シスターフッド中央に炸裂。軒並み吹き飛ばした。

 

「うわあっ!」

「きゃああっ!」

 

 だが、前に立っていてミカが飛び越しため後方に位置することになってしまったサクラコは無事だ。攻撃範囲から外れていた。

 反撃準備を整えるよう、号令をかける。

 

「体勢を立て直しなさい! 身体を起こせる者は聖園さんへの対処を!」

「遅いって言ったでしょう? サクラコちゃん!」

 

 取り巻きを撃破した隙にサクラコに急接近、こうなっては味方も簡単には撃てない。乱戦だ、下手をすれば――外せばサクラコや味方に当たる。

 

「な……!? こんな、多勢に無勢の状況に慣れて……?」

「あは! どうしようねえ、サクラコちゃん! 撃てば味方に当たる! 避けても味方に当たるよ!」

 

 サクラコはむやみに撃てはしない。狙いを付けて2発か3発あてる間に、10発は貰っている。

 しかも、その銃弾はやたらと痛い。そして、一人であるミカは滅茶苦茶に連射できる。

 

「ぐ……くぅっ! こんな、シスターフッドの主力部隊を相手に、ティーパーティーがたったの一人で対抗するというのですか?」

「それだけあなたたちが弱いということ。こんなもので、未来の絶望に打ち勝てるつもり? この魔女すら止められずに……!」

 

 サクラコの視界が点滅する。ダメージを貰いすぎた。破れかぶれと紙一重の突撃戦法、だがミカの実力がそれを可能にしていた。

 ただ強いだけの一人を前に、シスターフッドそのものが敗れ去る。

 

「……そんな。そんなことはさせません! たとえ、犠牲を払ってでも……桐藤さんと補習授業部のみなさんを守るために……!」

 

 だから、何をしてでもと銃を捨ててミカに飛びつこうとする。動きを止めて、自分ごと撃たせて止めるために。

 

「残念、あなたはもう――終わりだよ」

 

 けれどミカには通じない。アビドスに関わった。先生とともに、問題を解決した。――風紀委員会と、カイザーと戦った。

 それだけの戦闘経験、そして未来の宿敵を倒すための覚悟がミカにはある。

 照準を付けるまでもなく、飛びつこうとするその額の先に銃口をねじ込んでトリガーを引いた。

 

「……ごめんね、サクラコちゃん」

 

 す、と一瞬だけ目を伏せる。その隙に――

 

「サクラコ様の犠牲を無駄にするわけには行きません!」

「その身をもって策を示してくれたのですから!」

 

 他のシスターフッドがミカに飛びついてきた。5人、6人――身動きの一つも出来ない、人の身体で出来た牢獄。

 これで相手を留めている内に倒せと、リーダーの作戦を引き継いだ。

 

「ごめんなさい、後で治療しますから……!」

「どうか、平穏がありますように……!」

「神よ、哀れみたまえ……!」

 

 そして叩き込まれる集中砲火。動きを止めるための壁が盾になるとも、ミカに耐えきれるはずがないと――彼女たちは確信する。

 撃ち終わった。硝煙の煙がこの場を満たす。……数秒をかけて、ゆっくりと霧が晴れていく。

 

「あは☆ 少しだけ……痛かったかな」

 

 飛びついた彼女たちの身体が宙に浮いた。ばん、と飛んでいく。ごろごろと、ボールのように転がっていく。

 ミカはボロボロの身になりながらも、まだその瞳に光を失っていない。暗い――どろどろとした目で周囲を睥睨する。

 

「……ひ」

 

 誰かが悲鳴を上げた。

 

「じゃ、さよなら☆ 力のない秘密組織……!」

 

 残った者を、サブマシンガンが薙ぎ払った。

 

 

 

 そして、ミカは改めて先生の前に立つ。

 

「あは、待たせちゃったかな。ごめんね。ナギちゃんはどこかな? 案内してくれると嬉しいな」

 

 そして、にっこりと笑って補習授業部に笑いかけた。

 

「……それでも、私たちの結論は変わりません。ナギサさんは、あなたには渡しません」

「正気かな、ハナコちゃん。あなたたちの頼りの綱のシスターフッドは私が倒しちゃったよ。なのに……それでも立ち向かおうと言うの?」

 

 絶体絶命の状況を己の腕力のみで切り抜けてしまったミカ。その力の前にはナギサを引き渡すしかない、ように思えるがそんなことはしない。

 

「ふふ♡ 確かにシスターフッドの皆さんは私たち補習授業部よりも強いかもしれません。ですが、お忘れですか? 私たちには先生だって付いています」

「――ふうん。先生に頼りっぱなしなんだ? まあ、私も人のこと言えないかもしれないけど」

 

「それに、シスターフッドの方々が付けた傷は浅くありませんよ。私には、あなたが立っているのもやっとに見えますが」

「あは☆ それはどうかなあ。私はまだまだ元気いっぱいだけど?」

 

 蛇のような腹の探り合い。ミカは、自分でも頭ではハナコに及ばないのは理解している。けれど、それをひっくり返すのが『恐怖』であるのだから。

 

「……ミカちゃん」

「ヒフミ……ちゃん。うん、あなたも私に銃を向けるんだ? でもさ、私が強いのはヒフミちゃんが一番知ってるんじゃないかなあ」

 

 一瞬、ヒフミを見る目が変わりかけたものの魔女としての自分を取り戻す。もうこうなったら走り抜けるしかない。

 いや、自分でももう何をやっているのか分からなくなっているけれど。

 

「話を聞いてもらうために、一度倒す必要があるのなら――私は銃を手に取ります! 覚悟してください、ミカちゃん!」

「あはっ! 来なよ、補習授業部! 未来に抗う力があるのなら!」

 

 ミカにとっては三連戦。とはいえ、補習授業部だってアリウスに対して罠による遅滞戦法からの連戦を潜りぬけてきた。

 消耗しているのは互いに同じ。

 

「いくらティーパーティーだからって、誰かを傷つけていいわけじゃないわ! 正義実現委員会として、あなたを逮捕します!」

 

 コハルが手榴弾を投げる。

 

「へえ! 補習授業部が偉そうに。……それに、この程度の威力じゃ私を倒せない!」

 

 ミカが投げられた手榴弾も構わずに突っ込む。敵が集団なら潜り込むことで同士撃ちを誘発、射撃を躊躇わせる先も使った戦法だ。

 ただ強いミカなら、それが一番強い。特別な戦法など必要ない、ただ猪のように突っ込めば敵は壊滅する。

 

「ふふっ。みなさん、ちゃんと…受け止めてくださいね!」

 

 だが、その戦法は先も見た。あえて散会することもせずに、ハナコは自らの神秘で回復のフィールドを張る。

 ミカにとっても戦域を移すことは容易ではない。相手の回復を阻害することは難しい。

 

「なら、一撃で倒すだけ……!」

「そう簡単には行かない!」

 

 アズサが前に出る。撃って、撃たれて――だが。

 

「ああ、もう鬱陶しい! うろちょろと……!」

 

 アズサはコハルとスイッチする。しかも、目を離した瞬間にハナコの回復に加えてコハルまで回復してくる。

 本当に一撃でなければ倒せない。ミカは、一撃と言っても近づいて一瞬のうちに何発も撃ち込んで倒すスタイルだ。だから、このように連携されては倒し切れなかった。

 

「――準備が出来ました。行きます!」

「ヒフミちゃんか! あの鳥を出す気だね! そんなもの、すぐに潰してあげるよ!」

 

 そして、ペロロ人形の出現。敵の気を引き付ける効果があるのは知っている。ならば、無理に逆らうのではなく、すぐに消し飛ばすまで。

 そう、決めたのだが。

 

「……」

 

 一瞬だけ、躊躇した。いや、それを使い捨てているのは知っているのだ。けれど、ヒフミが大好きなものをゴミのように消し飛ばすなんて。

 トリガーを引く指が固まった、その一瞬に。

 

「全てが虚しいものだとしても……諦める理由にはならない! 『intulit mortem』……!」

 

 アズサが渾身の神秘を籠めた強力な攻撃をミカに叩き込む。吹き飛ぶほどの一撃のはずが、ミカはただその脚力と腹筋でその場に踏みとどまる。

 

「かはっ……! 痛い……けれど、こんなもので!」

「ならば、何度でも撃ち込むまで!」

 

 たじろいだミカ、だがすぐに敵に向けて足を踏み出す。そして、対するアズサももう一度銃弾を叩き込もうと銃口を向ける。

 

「させない……!」

 

 向けられた銃を蹴り上げる。彼我の位置は至近距離、もはや逃げられない。あとは気絶するまで銃弾を叩き込めば終わりだと笑う。

 けれど、銃を弾き飛ばされたアズサに浮かんでいるのはやってやったという笑み。

 

「――これは桐藤ナギサの銃。これで、お前を……!」

 

 銃を蹴り飛ばされることを読んで、懐からハンドガンを取り出していた。それはナギサを気絶させたときに奪っておいた銃。

 それは万が一目覚めても背後から撃たれないための処置だったが……

 

「そっか。ナギちゃんの銃か……なら、しょうがないね」

 

 ふ、と微笑を受けて――ミカはその銃弾を受け入れた。

 

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 

 アズサは息を切らせていた。綱渡りだった、何かが一つ違っていたらこちらの方が全滅させられていた。

 

「みんな、よくやったね」

 

 先生が声をかける。

 

「ああ、もうアリウスの増援もない。これで終わったはずだ」

「終わり……か。そうだったらいいのだけど」

 

 先生の顔に影が差す。すぐにその表情を消す。

 

「……先生?」

 

 いぶかしむアズサに答えを返すことなく、コハルへ話しかける。

 

「コハル、悪いけど……ミカを治療してあげてくれるかな?」

「ええっ? でも、この人はこのまま正義実現委員会に引き渡すはずじゃ……それに、そこでも治療を受けられるはずですよ。私なんかがやるより……」

 

「お願い」

「……うう。先生のお願いなら仕方ないわね」

 

 先生ってば私が居ないとしょうがないんだから、と少し浮かれた声で呟いて。ハナコがにやにやと声をかける。

 

「え? 先生のお願いなら何でも聞いてくれるって言いました?」

「ハナコ! あんたはいつもいつも人の話を捻じ曲げて! なんでもするなんて言ってない! エッチなのは死刑!」

 

 条件反射のように噛みついた。が、やはりハナコの方が一枚上手で。

 

「あら? 私はエッチなお願いとは一言も言ってないのですが……」

「あっ……! ……もう! 私は治療の方を進めるから!」

 

 喧々囂々と、いつもの補習授業部が戻ってきた。とにかく、これで終わったのだ。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第53話 第3次試験

 

 

 ナギサを殺害しようとするアリウスを止めに来た補習授業部は、何の因果かミカと戦闘になり、そして倒した。

 しばし、負傷者の救護をしていると。

 

「正義実現委員会、到着しました。……もう、全てが終わってしまっているようですね」

 

 そこに姿を現したのは。

 

「――ハスミ先輩! 来てくれたんですか」

「はい。……力になれなくて、申し訳ありません」

 

 大きな羽を小さく縮こませた羽川ハスミだった。ミカによって戒厳令を出されて外に出れなかった正義実現委員会が、今到着した。

 動かないアリウスの者達を次々と捕らえていく。

 

 そして、他にもやってきた者がいる。

 

「……それでは、これから『救護』を始めます」

「ミネ団長まで?」

 

 ハナコが僅かに眉をひそめた。とはいえ、ミカはセイアとともに救護騎士団の治療施設に軟禁されていた。

 ミカが脱獄したのだから、彼女たちが出てくるのも当然の話しではあった。

 

「……あ、あの!」

 

 ミネ団長と、羽川ハスミ。トリニティの中でも最上層、かつ過激派に属する者達だ。少なくとも、その武力を聞かないことはない。

 その二人に、ヒフミは意を決して話しかける。

 

「なんですか? 阿慈谷ヒフミさん」

「え? 羽川さん、私のことを知っているのですか?」

 

「はい。……ナギサさんから少しばかり」

「そ、そうなのですか。って、あの! ちょっと待ってください!」

 

 しかし、ミネ団長はどこ吹く風とミカを担ぎあげていた。うぐっ、と呻き声が上がる。この分ならすぐに意識が戻ってきそうで、どれだけタフなのだと言う話だが。

 

「ミカちゃんは……その、悪いことはしたかもしれませんけど。でも、それは捕まえなきゃいけないほどの罪じゃないと思うんです! えと……あのアリウスの人を倒したのもミカちゃんですし、いえシスターフッドの方々を倒してしまったのもミカちゃんですけど。でも、その……あの……」

 

 頑張ってかばっている。まあ、理屈としては滅茶苦茶だ。想いは伝わってくるにしろ、それ以外は伝わらない。

 

「私からもお願いするよ。ミカは、悪い子じゃない。だから――」

 

 先生もヒフミの横で頭を下げる。これから正義実現委員会に連行され、牢獄に閉じ込められて諮問会にかけられる。

 ”前回”ではそうなった。今回も、結果を見ればそうならなければおかしいくらいだ。

 

 アリウスをトリニティに引き込み、あらゆる組織に戒厳令を出して自由に行動させた。その目的は桐藤ナギサを襲い、ホストの地位を手に入れること以外に考えられない。

 それだけのことはしていた。……それは分かっているけど、補習授業部はそんなことのために戦った訳ではなかった。

 

「ありがとうございます、ヒフミさん」

「……羽川さん? あの、ミカちゃんは捕まらないですよね?」

 

「ええ、そもそも私たちはミカさんを捕らえに来たわけではありませんから」

「――それは、どういうことですか? ミネさん?」

 

 ハナコが問いかける。それは、これまでのトリニティでは考えられないことだ。罪に罰を、なんて……権力構造の前では虚しくなる言葉だけど。

 だが、だからこそ――負け犬を叩くのは権力者の嗜みだ。

 ここでミカを叩かないのは考えられない。それは、トリニティの道理から外れる行いだ。

 

 ゆえにこそ、その常識外れには目の前の正義実現委員会も一枚噛んでいることは間違いない。

 そこまで一瞬で看破したからこそ、救護騎士団にも声をかけた。

 

「私はただ病室を脱け出して怪我を拵えた患者を連れ戻しに来ただけです」

「……なっ!? それは、どういうことでしょう。――いえ、それすらもセイアさんの仕組んだこと……?」

 

 そして、その答えは救護騎士団すらも納得済みの結論だと言うことで……そこまでとは思っていなかった。

 そもそもハナコは、セイアにだってこんな芸当が可能だとは思っていない。

 

 頭の良いハナコだからこそ分かる、トリニティを支配する文化から外れた出来事だった。

 

「他の救護騎士団にはここで気絶している方々の治療をしてもらいます。それで良いですね、先生?」

「うん。とても助かるよ、ありがとう」

 

「さて、私は早く帰ります。セイアさんもミカさんのことを心配していましたので」

「あのセイアさんが……?」

 

「はい。いつもの無表情な顔でしたが私には分かります。あれは友人が心配で、しかし動けないからと自分を律している顔でした」

「そ、そうですか……」

 

 本当にそうか? と思ったがハナコは口にしなかった。だって、ミネ団長はものすごく思い込みの強い性質だし。

 なにより何かを言おうにも。ミカに罰を、などと叫ぼうとは思わないのだから言えることがない。

 

「それで良いんですよね。……アズサちゃん、コハルちゃん」

「何のことだ? 聖園ミカもかなりのダメージが溜まっているだろう、治療が必要だ。アリウス、シスターフッド、私たちと三連戦をしたのだから」

「そ、そうね。早くちゃんとした治療をしてあげないとマズイわよね」

 

 あくまでミカの心配をする二人の言葉に、ハナコは思わず笑みを漏らす。

 

「……これは、本当にトリニティが変わる時が来たのかもしれませんね♡」

 

 そうしてこの場を正義実現委員会と救護騎士団に任せて外に出る。

 

 

 

 外はすでに日が昇っていた。朝の風が心地よくて伸びをする。……考えてみれば、昨夜からずっと籠って戦っていたのだ。

 

「やっと終わった。って感じがしますねえ」

「何を言ってるのヒフミ、ここからがスタートだ」

 

 はぁぁ、と気の抜けたため息を漏らしたヒフミに、アズサが鋭い声をかける。見れば、銃を背負いなおしている。

 ……気合を入れている。

 

「……はい?」

「あ……」

 

 気の抜けた声のヒフミと、唖然としたコハルの声。

 

「そうでした。試験が……」

「……忘れてた」

 

 二人とも、疲れ切った声だった。

 

「現在時刻は午前7時50分。試験会場まで1時間で着かないと、走ろう」

 

 そして、アズサだけは元気だ。この日のためにずっと寝る間も惜しんで罠を仕掛けて、誰よりも厳しい戦いを最前線で戦い抜いたのに。

 誰よりも疲れているはずなのに、希望の未来に向かって一直線と言った輝いている瞳をしている。

 

「えぇっ……!? 走るんですか!? 待ってくださいアズサちゃん早っ! ここから走って着く距離ですか!?」

 

 ヒフミが戦々恐々と悲鳴を漏らす。疲れ切っているのに、あと1時間の全力疾走? そんなものには耐えられる気がしない。

 

「うーん、全力で走ればギリギリでしょうか? さあヒフミちゃん、コハルちゃん! ファイトです!」

 

 ハナコも走り出す。ずっと難しい顔をしていたのに、今はいつも通りの笑顔だ。

 

「うぅっ……歩くだけでも足痛いのに。あと1時間も……」

「ど、どうして最後の最後までこんなことに……!」

 

 観念したコハルとヒフミも走り出す。どうにも締まらない最後だった。けれど、試験に間に合わなかったら、それは喜劇どころか悲劇にすらならない片手落ちだろう。

 心臓が口から出そうなどと思いつつ、走り切ったのだった。

 

 

 

「はぁっ、はぁっ……もう無理……」

「や、やっと到着しましたね」

 

 すでに死にそうなコハル、そして息を切らせているヒフミ。ハナコもさすがにいつもの余裕はなくて、アズサはコハルの背中をさすってやっていた。

 

「お待ちしておりました、補習授業部の皆さん。……こちらへどうぞ」

 

 そして、待っていた正義実現委員会の人が校舎の扉を開ける。試験会場に案内する。どうにか開始時刻に間に合ったのだ。

 

「これが、最後の試験だね」

 

 四人が席に座り、先生が教壇に立つ。用意された試験用紙を配る。もはや妙な仕込みなどない。

 後は、純粋な実力勝負になる。泣いても笑っても、これが最後。

 

 ――このテストを乗り切れるかは、己の学力で決まる。

 

「うん、どんな結果であれ、これで全てが決まる」

「そうですね」

「あうぅ……」

 

「ここまで色々ありましたね」

「気持ちは分かる。けど、感傷に浸るのは最後にしよう」

 

 四人は、試験用紙の裏面を目をそらさずに見つめている。諦めの声は出ない。絶対に合格してやるんだと、気炎を燃やしていた。

 

「はい、そうですね。……とにかく、私たちの努力の成果をしっかり発揮しましょう」

「うん、最後まで諦めない」

 

 そして、時刻が来る。

 

「では、第3次試験――始め!」

 

 先生の声と同時に、四人は試験用紙をめくった。

 

 ---

 

 そして、試験の時間が終わる。

 

「うん、今回は私に採点の許可が与えられているんだ。だから、ここで採点してしまうね」

「……はい。お願いします、先生」

 

 カリカリと、赤ペンの音が走る。……補習授業部なんて言っても、それは期末テストではなくて小テストだ。

 すぐに採点も終わる。四人が祈るように見つめる先で、先生が口を開く。

 

「では――発表するね」

 

「阿慈谷ヒフミ……よく頑張ったね、94点だ。君なら出来ると思っていたよ」

「……先生! ありがとうございます! でも、私だけ合格しても意味がないですから」

 

 花が咲いたような笑みを浮かべて、一瞬でまた不安げに戻る。自分が足を引っ張らなかったのは良かったが、まだ結果は分からない。

 

「白洲アズサ。君は皆よりもずっと遅れたスタートだった。でも、よく頑張って学んだね。97点だ」

「先生。それに、ハナコ、ヒフミ、コハルも……教えてくれてありがとう。きっと、皆と一緒じゃなかったら諦めてたと思う」

 

 無表情ながら、ここに居る全員が分かる。とても喜んでいる。

 

「下江コハル、君はそそっかしいところがあったり早とちりするところがあったけど。でも、やればできる子だと信じていたよ、91点だ」

「はい! ありがとうございます! ……本当に、良かったぁ。私が皆の足を引っ張っちゃったらどうしようかと思って……ぐすっ」

 

 安心して泣き出してしまった。凄まじい不安があったのだろう。

 

「浦和ハナコ、100点だ。最初からそうあってくれればと思うけどね」

「うふふ♡ まあ、終わり良ければすべて良しと言うじゃありませんか」

 

 対して、ハナコはずっといつもの笑みを浮かべていた。セイアではあるまいし、皆の学力は知っていてもケアレスミスで落ちることもありえたのに。

 

「……とにかく、皆合格だ。おめでとう」

「「「「わあい!」」」」

 

 この時ばかりは、皆で跳び上がって喜んだ。

 

「その喜びよう、合格できたようですね。良かったです。私も嬉しいですよ」

「……ハスミ先輩!? どうして」

 

 ハスミが、荷物とともに入ってきた。

 

「とある方が皆さんに差し入れをくださったので。私もご相伴して構いませんか?」

 

 ラッピングされた箱を置く。

 

「はい。もちろんです。……ええと、机をくっつけましょうか」

「そうですね、私も手伝います」

 

 そして、皆でがちゃがちゃと机を合わせる。

 

「ハスミ先輩。差し入れって何ですか?」

「フルーツタルトと、良い茶葉を頂いています。分けましょうか」

 

 ハスミが自分で用意した道具を使って手早く紅茶を淹れる。そして、切り分けたタルトを配る。

 皆で、祝いにと贈られたそれに舌を打つ。

 

「おいしい!」

「フルーツもたっぷりで、凄い高級品じゃない?」

 

「……いえ、これは手作りですね。良いものを使っていますが、クリームは少し混ぜすぎで、タルト生地の水分抜きの方は不十分ですね。少し舌触りが悪くなってしまっています」

「とっても語りますね♡ ハスミさん。そういえば茶葉を集めるのが趣味ともお聞きしましたが」

 

「え、ええ。あくまで紅茶に合わせるものとしてですが、スイーツも嗜みますので。……ですが、これは作った方の想いが籠っていておいしいですね」

「ええ、とてもおいしいです」

 

 人と言うのは現金なもので。

 合格した嬉しさと、このおいしいフルーツタルトがあれば――振り返ってみれば良いものだったとさえ思えてくるから不思議なものだ。

 

「……でも、これで終わりなのもちょっと寂しいかも」

「コハルちゃん。……補習がそんなに恋しいのですね」

 

「補習じゃないわよ! でも、正義実現委員会に戻ったら皆に会えないのかなって思ったら急に……」

「会えないなんてことありませんよ、コハルちゃん。いつだって集まれます。同じ学校に通っているんですから」

 

「そうだ。いくらでも手段はある」

「はい。なんなら私たちが正義実現委員会の押収室を訪ねても良いですし」

 

「ええ、皆さんならいつでも歓迎しますよ」

 

「ほら、ハスミさんもそう言ってくれています」

「もう……訪ねるのはいいけど、でも、捕まるような真似はしないでよ。特にハナコ! あとアズサも心配ね」

 

「あらあら、心外ですね。私はいつも自分の心に正直であろうとしているだけですのに」

「捕まらなければ問題ない」

 

「ハナコ!? アズサ!?」

「……あはは。また波乱が起きそうですね」

 

 そんなこんなで、騒がしい補習授業部は未来を歩んでいく。希望に満ち溢れた道を――

 

 

 

「先生、気を付けてください。まだ終わっていません」

「……ハナコ」

 

 先生だけに聞こえるよう、小声で話す。

 

「ティーパーティー、正義実現委員会、救護騎士団。三つの組織が手を組むなど前代未聞です。そうしなければ対抗できないだけの、何かが裏に潜んでいるんです」

「分かっている。……そうじゃないと、ミカはあんなことしないよ」

 

「私は、先生にはとても感謝しているんです。皆だって。……だから、何かあったら声をかけてください。助けに行きますので」

「ありがとう。きっと……力を借りるのはそう遠い未来じゃないと思う」

 

「……くれぐれも身体に気を付けて。先生は、銃弾の一発で死んでしまうのですから」

 

 未来の絶望は、まだ始まってもいない。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第54話 パラドックスの寓話

 

 

 セイアとミカは変わらず救護騎士団所有の建物に閉じ込められていた。特別待遇の病室だ、他の人間を入れては警護の手間が増えるという事情もあるけど。

 補習授業部を含むこの件は機密として一般には公開していない。けれど、ミカが犯人だったのは救護騎士団は知っている。そして、逮捕までしなくともこの騒動で牙を折ったという認識――だが解決とは行かない。

 たとえミカを牢獄に閉じ込めたところで、セイアの危機は変わらない。なぜなら彼女を狙う黒幕は未だに健在、アリウスの尖兵を倒したところでその勢力を削れたなどとは誰も思っていない。そもそも、これでアリウスが終わったなどと思える訳もない。生徒会長に類する存在だって姿を表していないのだから。

 

「……ふっ。ふっ。ふっ」

 

 ゆえに、まあ――セイアとミカが同じ病室に居るのもまあ当然の帰結である。どちらも特に反対しなかったというのは前提だが、治療する側としても警護する側の事情としてもそちらの方が楽だからだ。

 もちろん、ミカとて病人だ。身体の怪我などすぐ治るが、トラウマはそう簡単には癒えない。どころか、折れて曲がった自らの心とうまく付き合っていく必要がある。

 その意味では、ゆっくり静養すれば治るセイアの方がまだ軽症と言える。……それに、ミカは生徒会長の座を追われなかった。それこそ、被害意識の強く疑り深い大統領などどんな悪夢だ。早急に治療の要がある。

 ……まあ、そんな危ない王様はどこにでも居るけれど。現に、ミカは今腕立て伏せをしている。

 次の戦いに備えるのは未来を知る者として当然だが、まあそれをはたから見れば――誰かに襲われるかもしれないという妄想に囚われてるから鍛えているのだと、そんなふうに見られてしまうことだろう。……実際、ミネ団長はそのように診断を下している。

 だからまあ――ミカが病室を出る日は、セイアのそれより遠いのかもしれない。

 

「ミカ。……いや、ミカちゃん。――煩いのだが。世の中には女の子の汗に興奮する変態が居るそうだが、あいにくと私はそうではないのでね。君の汗など嗅ぎたくないのだよ」

 

 そして、ベッドの上にちょこんと座りながら読書をしているセイアは呆れた目で床の上で腕立て伏せをしているミカを見る。

 はあ、とため息をついている。心の底から、「こいつ、はあはあうっせえな」と思っている。

 

「ええー? でもさ、こんな場所にずっと閉じ込められて運動も出来ないとお腹ぷにぷにしちゃわない? ……あ、セイアちゃんはまだ鶏ガラか」

「――失礼なことを言うものではないよ。確かに救護騎士団の治療を受けて私の魅惑のぼでーは増々磨きがかかっているが。しかし、痩せすぎなきらいのある今の身体でも、十分な魅力は所持していると自負しているよ」

 

「ううん? ほんと? ま、女の子だったら痩せすぎくらいが理想な身体なものだけどねー。でも、私はそう思ってないから。倒れそうなくらい痩せ細った身体で、一体何を誇るんだろうね」

「ふむ。まあ、世の女子どもの痩せ信仰にもの申したいことがあるのは私も同じだね。つい最近はこの私も彼女達が憧れるような身体だったが、それは1年寝たきりだったからだよ。ちゃんと食事をして戻している」

 

「もうちょっと戻した方がいいんじゃない?」

「そうだね、私もそのつもりだよ。だが、今のままでも十二分だと主張したい。……ふふ、先生に誘惑をかけてしまおうかな」

 

 ニヤリと笑ってしなを作って見せる。ノースリーブの上にケープを羽織っているミカもけっこう露出は高いが……実は露出度と言うならセイアはピカ一だ。

 眩しい背中を惜しまずに晒している。そこだけ見れば水着でもないような露出度であった。

 

「――あはは、面白い冗談だね。先生は生徒がアタックをかけても優しく断るよ。守るべき者とそういう関係になる人じゃない」

 

 ミカからすん、と表情が抜け落ちた。あ、まず。と思ってセイアは流すことにした。

 

「そうかね。ま、一度話しただけの私では分からぬことも多いだろう。経歴を見て、そして実際に話して信用できる人物とは分かった。……が、やはり一度話しただけ。きちんと顔を合わせた訳でもないのだからね」

「……先生。トリニティに呼んでも大丈夫かな? まだ危ないかな」

 

「状況は何も変わっていない。会うなら、我々の方から足を動かす必要があるだろう。まあ、そんなことは過去に何度も会議で話した通りだね。……ところで、いつそれをやめるのかな?」

「それ? なんか私、しちゃった?」

 

「うむ。やっているね……今も」

「今……いま?」

 

 ミカがこくりと首を傾げる。ずっと腕立て伏せをやめずに。そう、会話している最中も扇風機のごとく繰り返して風を起こしていた。

 セイアはずっと顔をしかめていた。

 

「その腕立て伏せをやめなさい、と私は言っているのだよ。ゴリラに人の会話を理解してもらうのがこんなに難しいと思わなかった」

「そうなんだ、ゴリラと会話するのは大変そうだね。でも、運動をやめるのはなあ。セイアちゃんは鶏ガラを脱したところだからいいかもしれないけど、私はこれ以上太れないんだよ。お肉ついて重くなってる場合でもないしね」

 

 腕立て伏せをやめないし、しかも皮肉が通じていないミカにセイアはため息をこぼす。

 

「ふむ。……君はアキレスと亀のパラドックスを知っているかね?」

「亀? もしかして、ウサギと亀の話かな」

 

 うるさいミカの前で読書をするのを諦めたのか、セイアはパタンと本を閉じて横に置く。ミカの方はまだ腕立て伏せをしているけれど。

 

「それも示唆的な話だね。ところで、君はウサギと亀の話をどれだけ知っているかな?」

「え? 知ってるも何も、馬鹿なウサギがサボって負けたってだけの話でしょ? かけっこしたけど、油断して昼寝したら寝坊して負けちゃったって言う。馬鹿だよねー、敗者を完膚なきまでに叩き潰してこそ……勝者というものでしょう?」

 

「敗者に慈悲を与えるという油断ほど恐ろしいことはない。為政者側としては確かに教訓となりえるね。けれど、この話は別バージョンとして亀がウサギを殺して勝ってしまう話もあるんだ」

「……は? ウサギの方が強いでしょ。どうやって勝つの?」

 

 興味を引いたのか、床の上にそのまま女の子座りをしてセイアと目を合わせる。セイアもくすりと笑って話を続ける。

 

「親戚とかに手伝ってもらって、コース中の各点で本人のように振舞ったのだ。焦ったウサギは急ぎすぎて心臓麻痺を起こしてしまったそうだよ。まあ、実際にはうまく行くわけがないのだが寓話だしね。小さな力を結集して大きな敵を倒す、なんとも夢のある話だと思わないかな?」

「……夢、ねえ。それ、私が話したのとどこが違うの? ウサギは馬鹿だから勝者の座から転落した。ただそれだけじゃない。負けた側は悲惨だよ、死ななくてもね」

 

「ふむ。それもまた道理だね。結局、ウサギが間抜けだから負けたのだと。騙されたことにしたって、まずは何かしらのイカサマだと疑うべきだ。焦って焦って――それは、とてもではないが勝者のあるべき姿ではないね」

「で。結局、セイアちゃんは何が言いたかったの?」

 

「ああ、そうだ。こちらはどうでもいい。敗者は間抜けで視野狭窄だから負けるのだと、そんなことを言い聞かせても無駄だからね」

「……それ、私のこと? まあ、確かに視野狭窄は私の十八番かもしれないけど」

 

「そうだね、ミカちゃんのことでもある。けれど、私のことでもあるのさ。きっと、ナギちゃんも。追い詰められれば誰だって視野狭窄になり、そして間抜けとしか言いようのない最期を辿る。とはいえ――幸い、今は窮地ではないがね」

「そうだといいけどね」

 

「なに、こうして無駄話をする余裕があるのだ。まったくもって問題はない。ところで、アキレスと亀の話だったね」

「ああ、そういえば。何だったの、それ」

 

「今回は同時にヨーイドンではなく、アキレスと言う名の男が走って亀に追いつく話だ。アキレスと言う男が走り出したのは、まだ亀まで距離がある時だ。アキレスが亀の10倍のスピードで走ったとして、亀もまた走っているのだよ」

「走ってるの? 歩いてるんじゃない?」

 

「そんなのはどっちでも良いことだ。アキレスが10m走ったとしたら、亀も1m歩いていると言ったね。ここでだ、細分化して考えてみよう。アキレスが走るが、亀も歩く。そう、それをどんなに細かく刻もうとも」

「細かく? 大股で走るのから、ちょこちょこ走りでとか?」

 

「黙りたまえ。アキレスが1mならば、亀は0.1m。そして0.1mに刻もうが亀は0.01m進んでいるね……どこまで細かくしても変わらない。アキレスがどれだけ距離を刻もうとも、亀もまた進んでいる。これでは、どこまで刻んでも永久に追いつくことはない。なぜなら、彼が走るときには亀もまた歩いているのだから。これがアキレスと亀のパラドックス。どれだけの速さを誇ろうとも、亀に決して追いつけない男の話だよ」

「……ふうん」

 

 語り終えたセイアに、ミカは胡乱気な視線を返している。

 

「何か、言いたいことがありそうだね?」

「いや、それって詭弁じゃん。論点をずらして変な方向に持って行ったから結論も変になってる。アキレスとか言う奴がやりたいのって”追いつくこと”だったかな? ”追い越す”んでしょ。さっさと追い抜けば、その話って終わるじゃん」

 

「……くく。やはりミカちゃんは面白いな。全てを力づくで突破するか。まあ、こういうのを嗅覚が利くというのかな。確かに、そこの前提条件を入れ替えることで人をペテンにかけている。そういう見方もできるだろう」

「まあ、”追いつく”ことが本当にできるのかって話なら議論の余地はあると思うけど。本当に同時に同じ地点に立ててるの? それを証明できるのかって言う」

 

「だが、その取り留めのない茫漠さこそがこの話の題材だろう。詐欺師のペテンではなく、未来の話と考えてみれば?」

「……未来? 未来視のこと?」

 

「そう。我々の見た未来は本当に未来のことなのか。未来とはどれだけ近づいても到達できないもの。この話はそれを寓話にしたものではなかろうか」

「いや、まあ……未来視の未来を変えるって、じゃあ見たのって未来じゃないじゃんとか思ったりするけど」

 

「古来より、人は寓話になぞらえて教訓や問いを残した。ここで、アキレスが問題にしているのは亀に追いつけないということではない。獲物を得たいのならば罠にかければいいだけの話だ、追いかける必要はない。彼は、届きそうだけど手を伸ばしても触れられないものについて未来に問いかけたのではなかろうか」

「――ううん、面倒なことを考える人だね。でも、それって重要? 目に見えないもの、数えられないものに価値はあるのかな? 私たちは現実の世界に生きているのだもの」

 

「目に見えないもの、数えられないものの存在価値を問うのかね? だが、世間で言う”見えるけど見えないもの”の代表格は『友情』らしいよ」

「ウソだよ。会った回数とか、話した回数とか。定義は色々かもしれないけど、数えられるよそれは」

 

「……友情は、虚構ではなく実在のものと?」

「光だって触れないし、あと学生の身では学力とかかな? ものとして見れたり触れなくても、ちゃんと”ある”ものだから」

 

「ははは! なるほど、確かにあるとも! まったく、君には驚かされてばかりだ。いや、だからこそ私は本当に君と友達になりたいと思ったのだったな」

「うん。私とセイアちゃんは友達だからね! じゃ、話は終わったみたいだし私は運動を再開しようかな」

 

 そしてまた、ミカが腕立て伏せを始める。のを、セイアは止める。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第55話 何も起こらない三人集結

 

 

 病室に閉じ込められたミカが運動をしようとするが、静かに本を読みたいセイアとしてはたまらない。

 これはもう本を読むのを諦めて話で意識を逸らそうとしたら、話が終わると同時にまた運動を始めようとしたミカ。

 

「待ちたまえ、この狭い……狭くないかもしれないが、病室で暴れるのは勘弁願おう。……そうだね、他の手段で痩せてもらうとしようか」

「他の? って」

 

 セイアはやれやれ、という顔を作っているが実はワクワクしているのにミカは気付く。まあ、もう少しすればナギちゃんも来るだろうし三人で遊びたいのだろうと内心ほっこりする。

 

「実際は運動では脂肪はそれほど燃焼しないよ。まあ、運動も出来ないクラスの肥満児であればそれから始める必要があるのだがね。幸い君はそうではない。ゆえに、ただ運動をするよりもカロリーを使うには――頭を使うのだよ」

「頭? お勉強はもうたくさんなんだけど。ナギちゃんが一杯宿題を寄こすし、静養中のセイアちゃんと違って私は政治のお仕事もさせられてるんだよ」

 

「気にするな、そろそろ私の方にも仕事が降ってくるはずだ。まあ、時間があるうちにできるだけ趣味の読書を楽しんでおきたかったのだがね。筋肉馬鹿が風を起こしている中ではそれもままならない。というわけで、トランプをしよう」

「トランプ? なんで?」

 

「腕を動かすより頭を動かした方が痩せられる……と私は説明したつもりだったのだがね」

「へえ、そうなんだ。じゃ、二人でやるやつの定番と言えば。スピードでもやる?」

 

 けらけらと笑うミカに対して、セイアは降参とでも言うように両手をひらひら振る。

 

「――それでは反射神経の勝負になってしまうだろう、このか弱い私ではゴリラに勝てるわけないし……そもそもそれは頭を使う勝負ではないだろう」

「ええ? でも、ほらこっちを出したら相手に有利になっちゃうとか。相手が気付かないうちにこっちを出しとこうとか、色々あるじゃん?」

 

「そこも含めて反射神経では? しかし、スピードが高速思考の訓練となるのか。……いや、やはり私が不利だな。やめよう」

「あれれー? セイアちゃん、逃げちゃう? 速さでは私には敵わないのかなー?」

 

「ふ、なんとでも言うがいい。私に負ける趣味はない。頭を使う勝負と言えば、ポーカーだな。ポーカーをしよう」

「ポーカーねえ。それ、未来が見えるセイアちゃんが有利じゃない?」

 

 セイアは正気かコイツという目でミカを見る。

 

「私の未来視を何だと思っているのだね? そんな馬券を予想できるような便利なものではないよ。ゆえに、これは頭の勝負だ」

「あはは。でも、ポーカーは本当に頭の勝負かな? ね、大丈夫? 私、けっこう運の良い方だよ」

 

「ふん。運など、確率の偏りが見せる幻想に過ぎない。結局は頭の良い方が勝つのだよ」

「さて、それはどうかな。ところで、トランプとか言い出すからには、もちろんセイアちゃんが持ってるんだよね」

 

「なければ言わないよ。さあ、やろうか」

「ちょっと待って。私が切る。セイアちゃんが何かしないとも限らないし」

 

「そんなことはしないよ。まあ、出来ないとは言わないけれど。――良いとも。君が不正をしようとも、私は見落とさないからね」

「ふふん。言ってなさい」

 

 セイアがミカにトランプを放り、ミカはそのトランプをシャッフルする。そして、カードを配る。

 

「……ふむ」

「おや、良くない顔かな?」

 

 くすくすと笑うミカに対し、セイアはいつもの仏頂面。とはいえ、二人はいつもこんな感じだから、表情で配られたカードを見通せはしないけど。

 じゃんけんをして、ミカが勝つ。

 

「ふふん。ジャンケンも、ポーカーも運が良い方が勝つじゃんね。さて、私は……うん。これが来る気がする!」

 

 1枚だけ残して総とっかえ。来た手札を見てニヤリと笑う。……が。

 

「ふむ。期待していたカードは来なかったようだね。君は嘘の笑いをするとき、まぶたが二度ぴくぴくと動く」

「……うそっ!」

 

 パッとまぶたを抑える。その仕草を見て、セイアはニヤリと笑う。

 

「うむ、嘘だが……間抜けは見つかったようだね」

「うぐぐっ……! やられた。でも、手札運まで良いとは限らない……! どうせ、セイアちゃんだってカス札でしょ」

 

「さて……では、私は三枚交換させてもらおうかな」

 

 引いた手札を見ても表情を変えないポーカーフェイス。だが、確実に相手にプレッシャーを与えている。

 

「そういえば、これ何回で終わり?」

「一般的なポーカーの手札交換数は二回だから、それで良いのではないかね?」

 

「オッケ。じゃ、これで終わりね。では、次は――うん。君に決めた!」

 

 そして、また4枚を交換するミカ。セイアはちらりと捨て札を確認する。前回も、捨て札は確認していた。

 

「ふむ。君はあまりに情緒的だね。まあ、君らしい打ち方と言える。……私も、私らしく確率を信じることにしよう」

 

 そして、セイアも前と同じく3枚を捨てた。そして、わずかに笑む。

 

「キングのワンペアだ。適当にやっていれば揃わないか、それかワンペアが限界だ。……12以下のワンペアでは君の負けだ」

「あはは、ご高説どうも。……でもね、こういうのって信じる者が勝つものなんだよ。……4の、スリーカードだよ」

 

「なにっ……!」

「あはは。私の勝ちだね」

 

「ぐ……だが、こんなものは外れ値に過ぎない。勝負を重ねれば、勝つのは私だ」

「ふふん。セイアちゃんに自分を信じ切ることができるかな?」

 

 悔しがるセイアに、勝ち誇るミカ。そのほんわかとした雰囲気に、一人の女の子が入ってくる。

 

「……こんばんは、ミカちゃん、セイアちゃん。何をやっておられるのですか?」

 

 仕事を途中で切り上げたナギサが遊びに来た。悲しいかな、終わらせるには物量が多すぎた。

 それでも、息抜きをしなければ生きている意味もない。

 

「ふふ、ポーカーだよ。今ね、私が勝ったところ」

「ナギちゃん、君もここに座りたまえ。さあ、二回目の勝負だ」

 

 なにやら燃え上がっている様子。何をやっているのだとため息を吐きそうになるが、これはこれで面白そうと思いなおす。

 きっと、失敗した未来の自分たちに足りなかったのはこういう時間だと思うから。

 

「ええ。良いでしょう。何やらセイアさんは理屈だのを言っておられるようですが……一発屋のお二人とは違って、私はこの手腕でトリニティを治めて来たのだと見せつけてあげましょう」

 

 ふわりと笑って自信気なナギサ。対等な条件の勝負であれば自分が勝つと。確かにミカとセイアにはあまりにも目立つ特色がある。

 過激派としてのミカ、神秘としてのセイア。特別さ、という点では確実にナギサは劣るが――だからこそ、もっとも実力があるのは自分だと。悪く言えば地味な中で、それでも生徒会長の地位にあるのだから。

 

「……ふむ。まあ、大した反論は出来ないね。特に私は未来視などという不確定なものでこの地位に来てしまったから。まあ、それでも負けるのは気に食わないから本気でやらせてもらおう」

「ううん。まあ、腕力と……あとは過激思想がうまい具合に絡まり合って得た地位だから、あまり反論は出来ない。ま、負けるつもりもないけどね☆」

 

 そして、その後は白熱した試合が続く。

 

「ふ、私はこうなることを予想していた。運の良い悪いなど、所詮は一過性なのだよ」

 

 一発逆転を思い描いて、逆に良い役を揃えられない二人を下すセイア。

 

「あはは。やっぱり私って運がいいね☆ 来るって語りかけてたんだよ、この子が」

 

 そして、ミカはというと勘がいい。見事に良い役を揃えて勝利を掴む。そして、そればかりではない。

 

「――ふふ。今回も、私の勝ちのようだね」

 

 と、口八丁で場をかき乱す。1枚だけを交換して二人の焦りを誘って見事にカス手で勝利を収めたり。

 

 ただのポーカーでも、トリニティのトップに立つ者である。確率計算、そして他人を欺く手練手管。

 全ての陰謀を使い尽くして――

 

「さて、勝利数は……え? ちょっと、待って」

「ふむ。君の数え方はおそらく合っているよ。――まさかまさかというところだ。しかし、まあ考えてみれば結果は当然だったのかな」

 

 ミカは指折り数えて青ざめていく。え? もしかして、勝ち星の数が一番少ないのは私なのかと。

 そして、セイアが勝者を知らせる。

 

 それは、決して華々しくなかった。観戦している者が居れば、間違いなくミカにMVPをあげていた。

 場をかき乱し、口で相手の動揺を誘う戦法は見事だった。セイアだって健闘していた。けれど、最後に勝利を収めたのはこの女。

 

「ふふふ。私の面目躍如と言ったところですね」

 

 満足げに微笑むナギサ。勝ち誇っている顔をしているのも当然だろう。地味な勝ち星を重ねていき、最終的な勝者になったのだから。

 

「あーあ。ナギちゃんの勝ちかー。ま、最後に勝つのはナギちゃんだよねー」

「私の確率計算など所詮は付け焼刃か。さすがだね、ナギちゃん」

 

「ふふ。……頭も使ったことですし、紅茶とお菓子を頂きましょうか」

 

 そして、三人はテーブルについて舌鼓を打った。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第56話 三勢力会議

 

 

 そして、明日。ミカとセイアは、ミネ団長とともに極秘の会議室に着く。

 

「……さて、顛末をお話しましょうか」

 

 そこにはラウンドテーブルが置いてある。

 ナギサの隣にはミカとセイアが陣取り、少し離れたところに救護騎士団のミネ団長と2,3人、また離れて正義実現委員会のツルギとハスミが座る。

 3勢力が、3すくみのように対峙する。

 

「一つ、質問です。先生はこちらへいらっしゃいますか?」

 

 ミネ団長がまず立って声を上げた。まあ、内容はアレだが。

 

「あまりトリニティのことで先生の手をわずらわせるのも気が引けますので、呼んではおりません。ただし、この会議の内容は極秘の手段で先生に伝えることは約束します」

「極秘の手段とは?」

 

「口頭で。それ以上のことは申せません」

「了解しました。ならば良いでしょう」

 

 引き下がって椅子に座りなおした。

 

「ツルギさんは何かありますか?」

 

 ナギサはおとなしく座っているツルギに声をかける。

 

「まず、正義実現委員会からは謝罪を」

 

 奇声を発するいつもとかけ離れた姿だった。まあ、それだけ責任を感じていると示す意味もある。

 本当はまともな子なのだ。ただ、奇声を発して敵をビビらせる戦闘スタイルと生来の挙動不審が嫌な具合に噛み合った結果として人に避けられているだけで。

 

「……はい。では今回みなさんを呼び出した件について、正義実現委員会から報告をお願いします」

「分かりました。ツルギは口下手なので、私の方から説明させていただきます」

 

 ハスミが立ち上がる。

 

「ミカさんの手引きによりアリウス分校がトリニティに侵入、しかし補習授業部とミカさんに撃退されました。このときアリウスが使っていた経路は今もって判明していません。また、この騒動で投獄した数百名のアリウス生ですが――逃げられました。申し訳ありません」

 

 頭を下げる。今回のは連邦生徒会に送ったわけではない。トリニティの内部で取り調べを行うために拘束していた。

 まあ、担当したのが正義実現委員会と言うことであまり酷いこともできず、牢も足らないような有様だったのだが。

 

「それは、私の判断ミスでもあります。あれだけの数を管理することは大変だったでしょう。それに、彼女たちも酷い教育を受けていました。一朝一夕で考え方を変えさせることなど、誰にできないはずです」

 

 ナギサも苦い顔をしている。

 実のところ、この結果は予想していた。正義実現委員会に拷問など出来るはずもなく、アリウスの教育を考えれば上層部を売らせることなど望み薄だ。

 そして、数。それだけの生徒を捕らえておける能力がないのは分かっていた。別に捕虜を養えるだけの食料がないわけではないのだが、管理となるともう圧倒的に人手が足りていない。

 脱走を許したのは、半ば確信犯でもある。戦力としては『ユスティナ』に比べればものの役にも立たない。閉じ込めておくだけ、トリニティはその分のリリースを無駄に消耗し続ける。むしろ逃がした方がマシという冷酷な計算。

 

 ただ、困ることもあった。

 ナギサは苦々しい表情で言葉を続ける。

 

「外部からの助けが来ることも予想はしていたのですが、相手が上手でした。ティーパーティーの方で別に投獄したリーダー格の生徒にも脱走を許しています」

 

 一般兵であれば、むしろ逃げられた方が良かった。どうせ盤上を動かすには力の足りない駒だ、マダムにとっても無いよりマシ程度の駒に違いない。

 だが、情報は欲しかった。その意味で、リーダー格を逃がしたのは痛手だった。十数名のリーダー格、それをティーパーティーと正義実現委員会で分けて投獄していたのだが。見事にしてやられたと言う訳だ。

 

「はは。流石だねえ、『アリウススクワッド』は隠密行動もお手のものってわけだ」

「……ミカさん。何か情報をお持ちでしたら、話していただけないでしょうか?」

 

「ま、私が知らなくて誰が知ってるのって話だし。ただ……そんなに詳しい訳じゃない。私は生徒会のようなものって思ってたけど、実際はどうかなあ。もしかしたら、噂に聞くミレニアムサイエンススクールの特殊部隊に近いものかもしれない。とにかく強くて、外交――いや私の相手だけど。を、していた子達が居るの。その子達が今回出てこなかったからには、まあアリウスも本気ってわけじゃなかった」

「本気でなかったのは、その『アリウススクワッド』が捕らえたアリウス生を取り返すのを計算に入れていたから、ということですか?」

 

「そう考えるのが妥当じゃないかな。別にアズサちゃんに聞くまでもなく、地図なら私がサオリちゃんにあげたもの。それに、サオリちゃんならトリニティを出歩くのも難しくない。というか、顔写真もないでしょ? いえーい☆って写メろうとしたら危うくスマホを叩き壊されるところだったよー」

「分かっていたことですが、ミカさんも大分無茶をしますね。話を聞く限り、アリウスと言う学園は撮影機器を取り出しただけで叩きのめされても文句の言えないような場所のようですが」

 

「ふふん、この私を叩きのめせるかな?」

「いえ……まあ、実際にアリウス総軍の半分を叩き潰したのがミカさんなので、なんとも言えないところではありますが」

 

「ま、人相とデータについては後で送るよ。ナギちゃんが」

「あ……はあ。よろしくお願いします」

 

 なんとも言えない雰囲気になって話が止まる。ティーパーティーが先に知っているのは当然のこと。ナギサが送るのは……まあサボったのか職務の領分の問題かは分からないけど。

 そして正義実現委員会としても自分の失敗談だ。広げたい話ではないが、犯人についてはどんな情報も欲しい痛し痒し。

 

「今回来ていただいたのはこの件になります」

 

 ナギサが静かにまとめる。

 

「アリウス分校のトリニティ中心部への襲撃――それは、ティーパーティーと正義実現委員会が仕込んだ『中に引き込んで倒す』と言う作戦だった。しかし、これは誰にも語られないのが望ましい。それも、捕虜にした生徒も闇に消えたというのなら都合が良い……そんな話に”したい”のです」

 

 続ける。政治家としての冷酷な顔で、真実を捻じ曲げ都合の良いように流布するのとだと。

 

「ええ、リーダー格の生徒の身柄は握っておきたかったというのはありますが、しかしこれも別に致命的ではない。我々にとって、事態はそう悪い方向に転んではいません。真実をこの面子の心の内にとどめておくことは可能です」

 

「この襲撃が誰が計画したのか、ましてや何のために主導したのかを――トリニティの一般生徒に知られることさえなければ良いのです。しかし、ここに居る方には真実を知る権利があるでしょう」

 

 そう、締めくくった。

 独断専行、秘密主義。ティーパーティーの中で完結し、他の勢力を顧みない……それが従来のトリニティの慣習であった。

 が、ミカを助けるために協力してもらった。ゆえに、彼女たちにだけは真実は包み隠さず話しておこうと、そういうことだ。

 

「では、ミネ団長。あなたからは何かありますか?」

「いえ、特に。アリウスの者達も怪我は完治していたので、救護の必要は無いと判断しました」

 

 その言葉を聞いて、ミネ団長が連れて来た救護騎士団の者以外は皆「問題になるのはそこじゃないはずなんだけどなあ」と思った。

 ただ、まあそれは外部勢力から口出しできることでもなく。

 

「……で、ではツルギさん。正義実現委員会からは、何かありますか?」

「キヒッ!?」

「では、一つよろしいでしょうか。議事録を先生にも渡すということなので、聞いておきたいのです」

 

 動揺するツルギに代わってハスミが声を上げた。

 

「先生に関する質問でしょうかね。何でしょうか?」

「いえ、特にそうした質問ではないのですが一応。トリニティの勢力には、この三者以外にももう一つ欠かせない組織があるはずです。それをこの場に参加させない理由を話していただけませんか。それと、後の処理についても詳細が知りたいのです」

 

「あはは。詳細と言われても……ねえ。ハスミちゃんが知ってるのと同じだよ? 向こうには壊した壁の修理代を請求して、ちゃんとお支払いを確認してそれで終わり。なんかあいつらは自分を権力の監視者とか言ってたけど、別に私たちの方にはお招きしなきゃいけない理由はないからねえ」

「それに、何か私たちに苦言を言い渡そうにも……ね。結局は『シスターフッド』はミカ一人に負けている。止められたならば、それは責任追及の声も出ようものだが――負けては、ねえ。それで何かを言おうものなら、恥知らずということになるだろうねえ」

 

 水を得た魚のようにミカとセイアがこき下ろす。まあ、ティーパーティーとして見るなら邪魔な奴ら以外の感想はありえない。

 と、言うか……ここまでは目の前の2勢力にも話していないが、マダムの当てにする戦力は『ユスティナ聖徒会』、彼女たちの前身だ。無論、過去の亡霊、なんらかの形で利用されているだけなのは分かるが。

 まあ、手心を加える気にはならない。

 

「ま、まあそうですね。このトリニティを守る方は他にも自警団の方など大勢いらっしゃいますが、全員呼ぶことは出来ませんものね。……ご回答、ありがとうございます」

 

 鼻白んだハスミ。まあ予想以上に当たりが強かった。が、まあ呼ばないことについては納得できる。

 自分たちはミカを助けるために首を突っ込んだ。ただ、トリニティの秘密主義はそう簡単に変わるものではないと分かり切っていた。別にここでシスターフッドを仲間に入れろと、そこまで肩入れするつもりはない。

 

「ただ、シスターフッドまで撃退したことについては苦情を貰うこともありますが――それもいつものことですし。ティーパーティーがやったことについて、文句を言うことを生きがいにしていらっしゃる方も少なくありませんから」

 

 そして、ナギサもにっこりと素敵な笑顔を浮かべながら毒づいた。

 

「……それは、正義実現委員会の仕事をしていても時々感じます。ですが、トリニティの一般生徒の大多数はそんな方ではないので」

 

 えへんと、変な空気になったハスミが話を変える。共感できるが、愚痴大会にしたいわけじゃない。

 

「そういえば」

 

 ミネ団長が口を開く。皆が警戒する。

 

「補習授業部の皆さんが合格したらしいですね。おめでとうございます」

 

「あ、はい。ありがとう……ございます?」

 

 ナギサがこれ自分が言っていいのかなと返答を返す。

 

「ありがとうございます。うちのコハルも無事に合格出来て喜んでいました」

 

 ハスミは機嫌よく返す。

 

「皆さんについて、今後については?」

 

 ミネ団長はナギサを睨みつける。相手のことを一切信用していない目だった。

 

「特には何も。もう終わったことです、彼女たちにはこれ以上の迷惑はかけられません。まあ、シスターフッドは浦和ハナコさんに接触しているようですが」

「……何をしているのでしょうか? 何かあるのなら、救護の必要があります。ティーパーティーも、シスターフッドも、一般生徒が関われば不幸にしかなりません」

 

「まあ、耳の痛い言葉ですね。ただ、ハナコさんの方もシスターフッドと密約を交わしていたようですし。なにより他のお三方ならともかく、ハナコさんは自分でなんとか出来る方だと思います。……本当に必要であれば、私か正義実現委員会を頼るでしょうし」

「――調査をする必要がありますね」

 

 悲しいかな、シスターフッドをかばう人間はここには居なかった。きっと、ミネ団長は聖堂にでもお話(殴り込み)に行くつもりなのだろう。

 助ける義理はないと、全員が見捨てることにした。

 

「それでは、これで本日の会議を終わります。ミカさん、後で先生に伝える内容をまとめましょう」

「うん、オッケー」

 

 三々五々解散して帰って行く。ミカとセイアはミネ団長が連れて来た救護騎士団の子と今の家に帰り、ナギサも同行する。

 ツルギとハスミも、別の方向へ解散して仕事に戻って行く。

 

 ミネ団長はどこかへと走り去っていった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第57話 秘密会談

 

 

 そして、夜。ナギサはミカとセイアの部屋に来ていた。頻繁に泊っているので、良からぬ噂になったりもするのだがあずかり知らぬは本人だけだった。

 

「……ところで、エデン条約締結の日について話さなくて良かったのでしょうか。もう時間がありませんよ」

 

 ナギサが不安をこぼす。トリニティで一番偉いとはいえ、年若い女の子だ。表情を取り繕う術を心得ていても、内心はそうもいかない。

 

「でも、無理だよ。先生は出席するよ。『締結式に出ると撃たれちゃうから欠席してって言ったらやめてくれる?』って聞いたら、無理だって言ってたもん」

「……ミカちゃん。なんか、すごい直球に聞きましたね。まあ、先生は未来など知らないでしょうが」

 

 はあ、とため息を吐く。まあ、先生はそういうお人だと知っている。トリニティとゲヘナの和平、その歴史的事件の前に多少の危険など気にする人じゃない。

 なにせ、生徒同士の大規模な争いが一つ収まると言った出来事だ。そのための力を惜しむなどありえない。

 

「しかしね、ナギちゃん。では周囲を説得するかと言うと、これは我々にとって都合が悪いのだよ。締結式が取りやめられることになれば、マダムを倒せなくなる恐れがある。……締結式は『ユスティナ聖徒会』顕現のために必要な儀式である可能性が高いが、しかしこれを取りこぼすこともできない」

「うん。セイアちゃんの言うことは正しいと思うよ。元々、未来はセイアちゃんの領域だもんね。まあ、私は変えることも思いつかなかったけど」

 

 これは何度も相談したこと。だが、やはり未来視の不確定さが出た。未来の出来事を観測しても、正しいルートが分かるわけではない。

 間違っていそうでも、何がきっかけで最悪に転ぶか分からないから出来るだけ見た未来と同じにしたいのだ。……やりたいのは未来を変えることだと言うのに。

 

「未来を知っているとは――やはり、なんとももどかしいものですね。なんでも好き勝手にやれるように思えて、制約ばかりでにっちもさっちも行かないことばかりです」

「ふふふ。私の普段の悩みを思い知ったかね? なにやら素晴らしい力のように言う者も多いが、実際にその力を宿す身としてはこんな力は要らなかったとすら思えてくるぞ」

 

「……でも、私は未来を知ったおかげでナギちゃんとセイアちゃんと仲直りできたから」

「そうだね。それは、良い力の使い道だったのだと思うよ」

 

「使い道?」

 

 きょとん、とミカが聞き返した。必死でやってきて、でも今があるのは皆がうまいことやってくれたからとしか思えない。

 それを、使い道など。

 

「ああ、君はその力を悪いようにも使えた。君が自分のためにその知識を使うのであれば、私が目覚める理由はなかった。ナギサも、うまいこと騙してその手にかけることもできただろう。……私たち三人で、今こうしていられるのは君のおかげなんだよ」

「そうです、ミカちゃん。確かにミカちゃんは悪いことをしたかもしれないですけど、謝れば済むことです。その、マダムとか言うのさえ居なかったなら。だから、そいつを倒しましょう。先生も、皆も私たちの手で守るのです」

 

「そうだね。うん……ツルギちゃんとハスミちゃんも手伝ってくれる。絶対に、良い未来に到達するために」

 

 決意を新たに。三人が頷き合った。

 

「しかしだね。ミカちゃん、君はどれだけのことを先生に伝えている?」

「あまり話せてはないよ。だって、条件も揃わずにトリニティに来ちゃったら先生が危ないじゃんね? カタコンベが奴らの根城……これだけ知っていても、どうしようもないでしょ」

 

「まあ、その通りですね。カタコンベ全域を戦闘対象に指定した軍事作戦など前代未聞です。それに、なにかやろうとすればシスターフッドをはじめとした保守派の勢力がうるさくなります」

「ああ、やはり最後は先生に頼らざるを得ない。そのためには未来を一つずつ進めていくことが肝要だ。すでに私たちは二つの未来を変えてしまった。私の目覚めと、ミカの投獄。実を言うと、マダムにとって都合が悪いのは私の復活だろうがね」

 

「……そういえば、大丈夫なんですか? セイアちゃん、ミカちゃんの話では何かの神秘? だとかによって魂だとかを牢獄に囚われたという話が」

「まあ、私の気持ちに区切りがついたのが切っ掛けなのか、最近はあまり予知が発動していない。だが、やはり夢で何者かの意思を感じることがある。……悪い状況ではないが、油断は出来ないね」

 

「うん、本当に気を付けて。何か酷いことをされて……後遺症がどうとか? 私には教えてもらえなかったけど、危ない事になったみたい」

「君のせいではないとはいえ、情報が曖昧だね。まあ、できるだけ気を付けよう。私にとっても、時間が消えるのは何よりも苦痛だからね」

 

「では……やはり襲撃について先生に知らせるべきでは? 正義実現委員会にも……」

「いや、先生に話すのはやめておこう。それに、彼女たちだってミカちゃんの不用意な発言で薄々勘づいている。これ以上は締結式中止のリスクが大きいと判断するよ。正義実現委員会には、式の前に話せばいい」

 

「ですが……」

「ミカちゃんが錠前サオリに渡した弾丸のこともある。流れ弾は……先生のことだから、おそらく問題はないよ」

 

「彼女、信用できるのですか?」

「白洲アズサを育てたのは彼女だと言う。彼女のことを信じたい。それに、彼女を救いたいのだろう? ミカちゃん」

 

「……うん。あの子は、私と同じ。鏡映しだから、幸せになってほしい。それが、私も幸せになれるという証だから」

「ならば、このまま行くべきだ。未来は絶対のモノ、感情一つで不用意に変えるべきではない」

 

 そして、議論の末はいつも同じ結論。未来は、変えるべきではないと。

 

 

 

「では、ゲヘナの方はどうなっていますか?」

 

 ナギサが話を変える。

 

「ゲヘナ? ゲヘナがどうかしたの?」

「話を聞いていますよ。ミカちゃんは風紀委員会の空崎ヒナさんと会話をしたのでしょう? 悪い関係ではないのでは」

 

 うぐっ、とミカが痛いところを突かれたような顔をする。ヒナについては複雑な気持ちがある。

 だから、それは悪い気持ちではない。なぜなら、ミカがゲヘナに抱くのは悪感情。好ましい、という気持ちでなければ複雑にはならない。

 

「……そうだね。ヒナちゃんはいい子だったよ」

「おやまあ! ミカちゃんがゲヘナの子をそう言うのは初めてではありませんか!?」

 

 ナギサが嬉しそうにミカの顔を覗き込む。ゲヘナとの平和条約を進めたのはナギサ、メリットとデメリットを秤にかけた選択とは言え、互いに許し合えるのなら悪い気がしない。

 それも、過激派トップのミカが。

 

「ま、そうね。ヒナちゃんはゲヘナとは違うから。あのゲヘナで無法者に風紀と言う枷を嵌めている。――信用できるとは、思っているよ」

「ならば、締結式の前に少し話しておいてはどうだね」

 

 そして、セイアが会話を提案する。話をするのは大切なことだ。なぜなら、ミカはそうやって未来を変えてきたのだと信じているから。

 

「話す? 話してどうかなることがあるとは思えないけど」

「君らしくないな。君は未来を知って以降、体当たりでものごとを変えてきたじゃないか。アビドスに単身乗り込み、正義実現委員会と真正面から対話し――ならば、このタイミングでもう一度彼女と話してみても良いと思うね」

 

「ううん。まあ、話しても良いけどさ。……どうするの? さすがにティーパーティーから直電かけても出なくない? というか、直通とか機密でしょ。こっちから電話かけるにしてもハードルが高いよ」

「なに、問題ない。少し君の手法を真似してね。多少の裏工作、そして数撃ちゃ当たるというやり方。百のうち一つでも、届きさえすれば問題ない。これが君のやり方の一つだっただろう」

 

 ニヤリと笑ったセイアは電話をかける。少し話して満足げに頷いて電話を切る。また電話をかけて――三人の中央に置く。

 かけた先には、誰も知らない電話番号が表示されていた。

 

 

 

 風紀委員会、空崎ヒナはいつものようにゲヘナの見回りをしていた。エデン条約締結が近かろうが関係なく騒いで銃撃戦をやらかす不良どもを制圧する代り映えのない日常だ。

 いつもやっていることだ。ただエデン条約と言う差し迫る脅威があるためか、いつにもまして件数が多い。

 このままではまた日が暮れても終わらないな、と内心憂鬱になっている。

 

「あれ、委員長。こいつの携帯が鳴っていますね」

 

 ついてきた風紀委員会の子が、倒れた不良の横で鳴っているスマホを指差す。そこには獅志香 モモという名前が表示されていた。

 

「うるさいですね。撃ち壊しておきますか?」

「駄目よ。せめて電源を切るくらいにしておきなさい」

 

 ヒナが、そのスマホを拾って――その手を止めた。

 

「委員長、どうしました? 握りつぶすんですか?」

「そんなことしないわ。……聖園ミカ」

 

「聖園ミカ? ティーパーティーですか? でも、いきなりなんで」

「アナグラムよ」

 

 そう言って、通話ボタンを押して電話に出る。

 

「……私よ」

 

 声を抑えて口火を切った。

 

「やっほー。私、私。聖園ミカだよ。久しぶりだね、覚えていてくれたかな? あ、挨拶はこんばんはの時間だね。でも、ごきげんようはないよね。今は電話大丈夫? 寝る前だったりしない?」

「問題ないわ、仕事中よ」

 

 風紀委員会の子をジェスチャーで遠くにやって、誰にも話を聞かれない場所へ移動する。ミカはその間もぺらぺらとおしゃべりしている。

 

「そっかそっか。ヒナちゃんは大変だねー。ゲヘナなんて他人の迷惑を顧みないおバカさんばかりで大変でしょ? ま、かくいうトリニティも形式ばった書類書類で色々と大変だったりするけど!」

「そう。あなたも仕事を頑張っているのね」

 

「でさでさ、今日はエデン条約について……あ、その前に紹介しておかないと。今スピーカーモードで話してるの。あと、これを考えたのも別の子でさ。まず主犯の百合園セイアちゃん」

「どうも。君とは一度顔を会わせたことがあったかな? ご壮健のようで何よりだ」

 

「恢復したという話を聞いたわ。おめでとう、身体には気を付けて」

 

「それと、こっちはけっこう会ってると思うんだけど。桐藤ナギサちゃん、紹介するまでもなかったかな?」

「お久しぶりです、空崎さん。私たちで進めてきたエデン条約の締結も目前となりましたね」

 

「久しぶりね、桐藤さん。ええ、エデン条約が無事に締結できるように私も努力するわ」

「――そのことなんだけどさ。驚かないで聞いてね。当日、巡航ミサイルを撃ち込まれてパアになっちゃうんだ」

 

「……は?」

 

 その場に風紀委員会の子が居たら驚いていただろう。委員長の呆気にとられた顔など見たことが無いに違いない。

 それこそ、万魔殿当たりが期待を下回る馬鹿をやったのを見る呆れ顔なら機会は何度もあっただろうけど。

 

「いやさあ、信じられないかもしれないけど――あなたのところの情報部、セイアちゃんの力は知ってるよね?」

「眉唾ものと一笑に付すことは出来ないわね。キヴォトスの神秘は何でも有りだもの。……つまり、エデン条約の崩壊を予知したの?」

 

「実はコトがコトで正義実現委員会にも話せてないんだけどねー。でも、ヒナちゃんがこれを知ったところでどうしようもないし」

「そうね。情報源が百合園セイアだなどと話せば笑いものになること間違いないわね。現場で対応する以外にないわ」

 

「そういうわけで、当日はお願いね? なんかよくわからない敵が襲ってくるけど、先生を守ってね」

「……言われるまでもないけれど。ねえ、先生には出席してもらわなきゃいけないの? せめてあの人にだけは下がっていてもらえば」

 

「ヒナちゃんから言ってもいいけど。でも無駄だと思うなー。私も言ったから分かるじゃんね。ヒナちゃんだってさ、先生の性格はそれなりに知ってるんじゃない?」

「そうね、先生はそういう人ね。その時に万魔殿はどうなるのか聞いても?」

 

「飛行船で脱出するけど撃墜されるね。でも、あれ? なんで逃げられたんだろ。ナギちゃんなんて聖堂でずっと気絶してるのに」

「それについては私の方でも調査しておく。教えてくれてありがとう」

 

「あはは、役に立ったんなら良かったよ。救急医学部の子に、素早く動けるよう前もって準備してもらって。こっちも、救護騎士団の子達には用意して貰っておく」

「了解したわ。準備しておく」

 

 迷いのない言葉。もちろん何でも出来はしないから、苦い表情は浮かべるけど。けれど、ミカの言葉を信じて行動しようとしているのが伝わってくる。

 

「……ねえ、ヒナちゃん。疑わないの? トリニティとゲヘナはまだ戦争状態。敵をそんなに信用するものじゃないと思うよ」

「ミカ、そして桐藤さんは声を聞けば本人と分かるわ。そして私は、あなたたち二人のことを信用している。特にミカは、先生のことについて嘘を言う人じゃないわ。これでもし襲撃が無かったとしても、私は事前の準備がそれを予防したのだと思う」

 

 その言葉は真摯だった。ウソ偽りなく、ヒナはミカのことを信じている。”信じられる人”なのだと、そう思っているのだ。

 

「あはは。本当にヒナちゃんはゲヘナらしくないなあ。本当に良い子なんだから。尊敬しちゃうくらいに」

「ミカ、あなたも。陰謀渦巻くトリニティには相応しくないくらいに純真で、真摯ね。トリニティらしい口数の多さは欠点だけど」

 

「ううん。でも、これは私の個性だし。アイスブレイクを挟んだ方が相手の口もすべりやすくなるじゃんね?」

 

 釘を刺されてもミカの軽口には蓋を出来ない。立て板に水のごとく話し続けるミカを無視して、ナギサへと話しかける。

 

「桐藤さん、あなたもどうか気を付けて。私やミカと違い、あなたは弱い。自分の身を守ることを優先して欲しいわ」

「ありがとうございます、空崎さん。そうですね、私が前線に居ても役に立たなさそうですし。コトが起こればすぐに下がって後方から皆さんのことを援護します」

 

「……ああ、そうだ。これも伝えておかねばなるまいね。おそらく、敵の狙いは先生だ。まあ、ミサイルなどを撃ち込めば条約は破壊できたも同然だ。それならば、もはやナギサごときでは無く先生を狙うのが一番だ。彼こそキヴォトスで最も重要な人と言っても過言ではないからね」

「百合園さん。ええ、そのとおりね。筋は通っているわ。元々、一番危険なのが外の人な先生なのも確かだし。肝に銘じておくわね」

 

「ああ、頼むよ。二番目が居るとしたら私だが、さすがに相変わらずドクターストップ状態なので、現場には行けないのだ」

「さすがの私も病人に向かって盾になれと言うほど鬼じゃないわ。ゆっくり休んで頂戴。情報を貰えただけで十分よ」

 

 通信記録すら残せない秘密会議。ティーパーティーと風紀委員会のありえざるはずだった会議はこうして終わる。

 

「では、最善を尽くしましょう。空崎さんも、私たちも」

「ええ。先生を失うわけにはいかないものね」

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第58話 エデン条約調印前

 

 

 そして、ついにやってきたエデン条約調印の日。調印の場となる歴史ある古聖堂『通功の古聖堂』にはものものしく正義実現委員会と風紀委員会が張り込み、更には記者に見物人が詰めかけていた。

 

 中でも、正義実現委員会副委員長のハスミはと言うと。

 

『はい? 倉庫の戦車が盗まれた? 鮮やかすぎる手腕? 慣れている? それで、追跡は振り切られたのですか?』

『その通りです。気付いた時には侵入されて、一目散に逃げていきました。一介のチンピラではない、かなりの手練れだと思われます』

 

『この忙しい日に……! 他の被害は?』

『ありません。追撃しますか?』

 

『いえ、追撃の必要はありません。それよりも、何があっても対応できるように正義実現委員会の本拠地を空けないように。私とツルギは古聖堂から動けませんが、留守を狙われることもあります』

『はい、分かっています。どこかの勢力が隙を狙っている可能性もあるんですよね、言われた通り、警戒してます』

 

『そういうことです。臨機応変な対応をお願いしますよ。……あなたのことは信頼していますから』

『ハスミ副委員長にそう言ってもらえるとは光栄です! 奮迅の勢いで警戒します!』

 

 電話を切る。

 

「……ふう。あの子ももう少し肩肘の力を抜いて仕事ができるようになると、後を任せられるのですけど」

「大変そうですね、ハスミさん。お忙しいところでしたか?」

 

 そこに、ティーパーティーを連れたナギサが話しかける。後に控える者達は心なしか穏やかな顔をしている。……穏健派だ。

 それは過激派がトリニティ内でパテル分派が所有する建物の一つに集まっているからだった。現在はナギサがホストであるのだから、対外的にもこれからの予定としてもそうならない理由がない。

 ……いや、ここに来てもらえばという意見もあるだろうが、やはり対外的なことを考えればその選択肢はナギサにもミカにもないのだ。ゆえに、古聖堂に居るティーパーティーはナギサ一人である。

 

「これはこれは、ナギサさん。お伝えいただければ伺いましたのに」

「少しくらい会場を歩いて見て回ろうかと思いまして。まあ、壊れるのですけど地理勘を養っておけば何かの役には立つかな、と」

 

 なんでもないことのように、その秘密をナギサが口にする。ハスミはすぐに察して顔を近づけ、さらに小声で話す。

 

「……ゲヘナが?」

「いえ、アリウスの方です。正しくはアリウスを操る者、マダムが古聖堂にミサイルを落とします」

 

 緊迫感を持って、未来の襲撃について話す。疑うことはない、その程度の関係性ではない。しっかりと、信頼を築いていったのだから。

 

「セイアさんの予知? ならば、事前に先生に避難を」

「ええ、情報源はそうです。けれど、先生は退きませんよ。ミカさんが冗談めかして言ってしまいました。それに代わりになる連邦生徒会の役員が来ていませんから、先生は動けません」

 

 ふう、とため息を吐く。

 実際の所では先生を個人的に信頼していて、そして彼とて権力を所持している。が……母体の連邦生徒会を信用しているかといえば話は別。

 さもありなんと、期待もしていなかった。ここを”他”に任せるなど先生はしない。

 

「そうでした。先生はそういう方でした。……私以外には誰に?」

「ティーパーティー内では共有済です。古聖堂が破壊された後、ミカさんがパテル分派を率いて突入する予定になっています。また救護騎士団にも”お願い”して、コトが起こった後にはすぐに野戦病院を設置できるように準備してもらっています」

 

「シスターフッドには? 今日の調印式には彼女たちも参加することになっています」

「不自然ではない程度に襲撃の可能性だけ伝えてあります。そして、風紀委員長の空崎ヒナさんには全てを伝えています」

 

「……風紀委員長に」

 

 ハスミが眉を潜める。確かにゲヘナでも例外的に空崎ヒナは信用のおける相手なのは知っている……だが、それでもトリニティである自分よりも優先されたという事実は面白くなかった。

 

「怒らないでください。ティーパーティーとしても調印式は重要なんです、中止の可能性を残すわけには行かなかった」

「……まあ、風紀委員がその情報を手に入れてもどうしようもないでしょうしね。一応、それで納得しておきます」

 

「はい。私は事件終結時まで気絶していたそうですが、とにかく頑張って起きます。正義実現委員会はとにかく先生を守ってください。ヒナさんも警戒してくれるとは思いますが」

「――そうですね。先生は外の世界の人ですもの。予知ではどうなっていましたか?」

 

「奇跡的に瓦礫がつっかえ棒になって無事だったと」

「少し安心しました。……いえ、何が起こるかわからないので油断しては駄目ですね。会場にミサイルを打ち込まれると。――敵の第二の手は?」

 

「『スクワッド』の投入、そして『聖徒会』の顕現」

「スクワッドについてはデータを頂きました。……しかし、聖徒会? なんですか、それは」

 

「特異現象の一つ、としか言いようがありません。予知ではその詳細まで分かるわけではありませんから。戦力としてはヘルメット団として上澄み程度に留まりますが、ご注意を。奴らは亡霊のように無限に現れます」

「……無限の戦力ですか。権力者なら誰でも欲しいやつですね。一体一体がそれほど強くないにしても、数で対抗されれば厄介です」

 

「しかし、拮抗状態にまで持っていけば先生がなんとかして頂けます。ゆえに、第1目標は『先生を無事に逃がすこと』、第2目標は『古聖堂からの撤退』――この二つを短期目標として立て直しを図ります」

「少し思いましたが、コトが起こる前からここまでの作戦を立てられてしまうなんてすごいものですね。セイアさんの命が狙われた理由が分かってしまったかもしれません」

 

「それはまあ、セイアさんもまず狙われるとしたら自分の命だと言っていましたからね。まあ、今回は古聖堂に来ませんが」

「そうですね、救護騎士団に守られているなら安心です。スクワッドも油断できない相手ですが……」

 

 ひそひそ話をしているところに、声がかかる。

 

「何の話をしているのかしら? 私も話に入れて頂戴」

 

 一人で歩いていた風紀委員長だった。彼女もエデン条約の立役者の一人、対外的には生徒会の護衛だ。

 ここを歩いているのも当然と言える。

 

「ヒナさん。大したことではありませんよ。調印式の後もよろしくお願いしますと、少し話をしていただけです」

「そう、”後”ね。ええ、私からもお願いするわ」

 

 含みを持たせた会話。どちらも秘密組織と言う点では同じようなものだ。――上位者が情報を掌握していればいい、コントロールすればいいと身内にすら沈黙を保つのだ。

 ゆえに、このような上滑りするかのような会話が生まれる。秘密を徒に広げることはしない。

 

「――はい。言うまでもありませんが、くれぐれもご注意も」

 

 ナギサが厳かに頷く。

 本来なら、こんなことをしなくても皆に話して皆で解決すればいいと思われるかもしれない。

 ナギサならティーパーティーが、ハスミなら正義実現委員会が、ヒナなら風紀委員会が、それぞれ信じてくれるかもしれないが……

 

 ここで口を開くようなものなら、キヴォトスは”こう”なってはいなかっただろう。

 

「……あ、ヒナ。さっきぶりだね。ナギサとハスミもこんにちは。ツルギにはヒナと一緒に助けてもらってしまったよ」

 

 そして、散歩していた先生が口を挟んでくる。見届け人と言う、ある意味ではナギサと同クラスに重要な人物である。

 むしろ、重鎮クラスが居る場所に居てもらうべき人だった。

 

「こんにちは、先生。うちのミカが何かご迷惑をかけていないといいのですけど」

「あはは。よく着信が来るけどかわいいものだよ。ああ、それとなんか……ここが爆破されるとか聞いたけど」

 

 そのキヴォトスの”現在”を打ち破れるのは先生しかいない。

 

 ――重鎮のみに留めておくべき襲撃を、あっさりと口にしてしまった。

 

「せ、先生!? そんな……あの、襲撃の証拠なんて掴めてないですし」

 

 ナギサが驚いてつい口をすべらせてた。まあ、条件反射で誤魔化すのも彼女にとって都合が悪い状況ではあるのだけど。

 

「ふぅん。ミカが少しほのめかす……ほのめかすのでいいのかな? 言っていたけど、ヒナも知っていたのかな」

「……ええ、そうね。その可能性のことは聞いてる」

 

 ざわめきだす周囲のお付きたち。まさか、ここまで入ってこれる人材にスマホでうっかり漏らしてしまう様な間抜けは居ないけども。

 それぞれ自分のボスの反応を見て、嘘ではないのだと驚愕して隣の人と囁き合う。

 

「うん、やっぱりか。まあ、正直私としてはキヴォトスに来てからはこんなんばっかかと思うのだけど。今回はちょっと規模が大きそうかな?」

「不明である……ということを念頭に置いてもらいたいのですが。強力な兵器を使用される可能性が高いと聞き及んでいます。さらに、それだけではないとも」

 

 ナギサが代表して答える。まあ、ここは議場にほど近い。目の前のメンバーなら、明かしてもそれほど困ったことにはならないだろうと思って。

 

「……はぁ。それはそれは。皆も気を付けてね、あまり怪我をしないように」

「いえ、それは先生こそ。先生は外の人なのですから」

 

「ま、私なら大丈夫さ。……しかしまあ、歴史的な転換点だからこそ仕掛けてきそうな心当たりがあって困ったな。まったく、忌々しい」

「……先生?」

 

 吐き捨てるような嫌悪の言葉。しかし、その名残をすぐに消して先生は笑顔を浮かべる。

 

「まあ、なんにせよ。自分のできることをしっかりやるしかないからね。……皆が頑張ってくれてるのは知ってる。だから、取り返しのつかない傷が残らないようにだけ気を付けて欲しい」

 

「分かりました。……先生こそ、たった一発の銃弾でも治らない傷痕が残るのですからご自愛くださいませ」

「ははは。ま、問題ないさ」

 

 自分の負傷についてはどこまでものらりくらりとかわす先生。自らの身の脆さを理解していないのかとナギサが目を吊り上げる。

 

「……先生!」

「大丈夫よ、ナギサさん」

 

「ヒナさん?」

「先生のことは私とツルギさんで守るわ。だから、あなたは敵への対処を考えて」

 

「分かりました。ともに戦いましょう、ヒナさん。ミカちゃんもすぐに駆け付けてくれます」

「ええ、キヴォトスを守るために」

 

 これこそトリニティとゲヘナが手を取り合った歴史的事実というものかもしれない。

 

 けれど、皮肉なことに――それは『強大な敵』に対抗するためのものでしかない。敵が消えればいがみ合うような、そんな関係でしかなくてもおかしくない。

 

 だが、そうやって共に手を取り戦ったと言う事実があれば……いつか真の友情が築けるようになるかもしれない。

 そんな夢想を現実にするために戦うのだと、信じられるから戦える。

 

「……そろそろ時間だ。皆、行こう」

 

 それこそ、その議場ですらまた別の戦場でしかないのかもしれなくても。

 

 各々の信念を胸に、しっかりと床を踏みしめて歩いて行くのだ。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第59話 調印式の強襲

 

 

 そして、暗雲の中にある調印式はつつがなく進んでいく。

 

 だが、進むにつれて空気が張り詰めていく。まるで空気が水にでも変わったかのようにねばついている。

 それほどまでの緊迫感の中、先生が中心となって議事をまとめている。

 

 先生が中心なのはあれだ。ゲヘナとトリニティの和平条約なのにどちらかがしゃしゃり出る訳には行かず、そしてここに居る連邦生徒会所属で権限を持っているのが先生だけだからと言う話。

 何にしても、危険だからと安易に休めない立場に先生はあったわけだが。

 

「……ッ!」

 

 ことあるごとにまるで敵でも睨みつけるような視線を万魔殿に注いでいたヒナだが、息を飲んだ。

 いつの間にかその目を盗んでそのメンバーが消えていたのだ。

 

 注意していたのに、と歯噛みするがそういうことだけは抜け目がないことは知っている。今は反省よりも敵のことを考えるべきと、全神経を会場の外に向ける。

 

 ――何も聞こえない。そもそも会場の外は群衆でごった返して五月蠅い。そもそもを言えば、音が先に届くようなのろまなミサイルであれば防空兵器が自動で迎撃する。

 何もわからない、だが勘は警鐘を鳴らしている。たとえそれが、襲撃の予知を聞いたための先入観であったとしても。

 

「――全員伏せなさい! ミサイルが来るわ!」

 

 その勘を信じて、行動を起こす。

 

「えっ?」

 

 先生は自分に掴みかかってくるヒナに驚いて手に持った資料を取り下ろす。

 

「ツルギ、ナギサさんは私が!」

「キヒャ、承知した! 全員、耐ショック体勢!」

 

 ハスミとツルギは即座に行動を起こす。ハスミはナギサをかばって押し倒す。そして、ツルギは先生の下へ駆け出す。

 位置関係上、ヒナよりも遅れるが。

 

「へっ? え?」

 

 とはいえ、大半の兵はボスの言うことについて来れていない。疑問符を浮かべて、上を見る。

 そこは天井で、何かを見通すことはできない。そもそも、それの速度を考えれば肉眼で捉えることは出来ない。

 

「……ッ!」

 

 ナギサはというと、荒事には慣れていない。だが、ミサイルが来ても気絶するものかと気合を入れた。

 

 ――直後。

 

〈ドオオオオオン!〉

 

「うわっ!」

「が――」

「あああ……!」

 

 連続する悲鳴。それすらもかき消すような轟音、直後に左右どころか上下すらも分からなくなるような衝撃が襲ってくる――

 

 そして姿を表す下手人。

 

「トリニティ、そしてゲヘナよ……これまでの長きにわたる我らの憎悪、その負債を払ってもらおうか」

 

 崩れ落ちた古聖堂に侵入し、目的の達成を狙う。

 

「我々アリウスが楽園の名の下に……」

 

 サオリが、先生の命を狙って古聖堂の瓦礫に足をかけたのだ。

 

 それを見上げるハスミ。

 

「……『アリウススクワッド』、到着が早すぎます」

「ぐ。……うぐぐ。おそらく、こちらの戦力を上方修正したのでしょう。初動を叩かなければ、逆に叩かれるのは自分達なのだから――」

 

 そして、かばわれたナギサは頭痛のする頭を抑えながら体を起こす。頭だけではなく、全身が痛かった。

 だが、耐えた。気絶する無様なことにはなっていない。ここで気絶すれば、大切な友人に累が及ぶのだから。

 

「ギヒッ! ギャハハハハ――! テメエさえ倒せば終わりだァ!」

 

 ツルギが自分の上の瓦礫を跳ね飛ばし、服の中から取り出したショットガンを敵に向ける。

 この状況、見間違えるはずがない。奴が敵だと、攻撃を仕掛ける。

 

「剣先ツルギ、生きていたか。お前だけならともかく、羽川ハスミに……桐藤ナギサまでとはな。……いや、ハスミは動けんようだがな」

「死ィねェェ!」

 

 御託を並べる敵には速攻に限ると、ツルギは高速で駆け抜ける。

 

「――ゆえに、計画を修正しよう。ここで倒せば同じこと……!」

「いひひひひひひひ……あぁぉ!!」

 

 至近距離でショットガンを撃ち放つツルギ。そして、サオリはそれを回避しつつアサルトライフルで対抗する。

 

「はぁっ!」

「きききッ!」

 

 どちらも一角の実力者、短時間では決着が着かない。……が。

 

「全てはただ虚しいのみ。お前も虚しく死んでいくのだ……何も成せずにな!」

 

 サオリは倒れたナギサを狙う。ハスミも、ダメージで動けない。

 

「な……あッ! クソが!」

 

 ツルギはそれを無視できない。そして、先の戦闘で一瞬で倒すことはできない実力者だと悟った。

 ならば、もう盾になるしかない。

 

「下らん奢りのせいで死にゆくのだ、貴様らは……!」

 

 渾身の奇跡を込めて、庇ったツルギに弾丸を叩き込んだ。

 

「ぎゃぉう! ぬう!」

 

 だが、ツルギとて正義実現委員長。ただでやられるはずもなく、お返しにショットガンを叩き込んだ。

 

「ぅぁぁぁぁぁぁ……」

 

 倒れこむツルギ。

 

「……チ。予想外に手間取った。あのミサイルも、触れ込みほどの威力があったわけではなかったか。だが、ここで桐藤ナギサも始末してしまえば計画通り」

「……この、立ち去りなさい賊め!」

 

 ナギサがハスミを押しのけて、自分のハンドガンで発砲する。無礼者を手打ちにして来た銃だ、狙いを間違えるはずがない。

 

「よくもツルギを。ですが、そちらの傷も相応に深いはず。ならば……」

 

 さらに、ハスミも銃を構えている。回復したわけではないが、銃を撃つくらいはできるようになった。

 そして、ツルギもなすすべもなく敗れたわけではない。ダメージは深いはずだと、敵の表情から読み取った。

 

「ぐぐぐ……! だが、アリウスの憎悪を舐めるなよ。多少の痛みなど知ったことか。我々を地の底へと押しやったトリニティへの復讐の時が来たのだ! 必ずや貴様らを始末せんがため、全てを準備したのだ。こんなところで止まるものか! ……そう」

 

 ツルギとの一騎打ちは相打ちに近いものだった。そもそもツルギは時間稼ぎさえできれば良かった、不利な状況を破るための賭けだった。

 一撃で倒せるなら、一撃で倒されることだってある。

 

「ここで、終わることなどあるものか!」

 

 深い憎悪。決意。意思の力が肉体を超越する。気合で倒れるのを耐えているから銃を構えるのもおぼつかない。だが、ここで終わりなど許されないから。

 

 その叫びに呼応するように。

 

「え? なんなんですか、それは……」

「嘘。なぜ聖徒会が? まだ、時間はあったはず」

 

 錠前サオリの背後に無数の亡霊……『ユスティナ聖徒会』が現れた。この戦力差は圧倒的だった。

 ミサイルを打ち込まれた直後、この場で意識を失わなかったのはツルギ、ハスミ、ナギサの三者だけだったのに。

 

「くくく……くははははは!」

 

 サオリが、嗤う。

 

「……我々はトリニティに代わり、この『通功の古聖堂』で条約に調印した。私たち『アリウススクワッド』が、楽園の名の下に条約を守護する新たな武力集団……! 『エデン条約機構』になったのだ」

「ッ!?」

 

 理解不能な論理を前に、ハスミは瞠目する。そして、ナギサは静かにほぞをかんだ。

 

「これは元々、私たちの義務だった。本来ならば第一回公会議の時点で、私たちが行使すべき当然の権利。だがそれを、トリニティが踏みにじった。私たちの紛争の原因、すなわち〈鎮圧対象〉として定義し、徹底的に弾圧をおこなった」

 

「……これからは『アリウススクワッド』がエデン条約機構としての権限を行使し、〈鎮圧対象〉を定義しなおす」

 

「――ゲヘナ、そしてトリニティ。この両校こそエデン条約に反する紛争要素であり、排除すべき鎮圧対象だ」

「それは、つまり……」

 

「トリニティとゲヘナを、キヴォトスから消し去る。文字通りにな。貴様らは第一回公会議以降、数百年にわたって積み上げられてきた恨み……私たちの憎悪を確認することになるだろう」

 

 サオリは無数の戦力を従え、トリニティを傲岸に見下ろして宣言した。

 

 

 

 その少し前。

 

 ヒナは、先生をかばって衝撃をまともに受けたが気を失ってはいなかった。

 

「まだ、体は動く。先生は、気絶しているようね。けれど外傷は……ない。私も、思ったより痛くない、これなら戦える」

 

 ちょうど支柱になるように瓦礫が挟まって奇跡的に無事であった。すぐに這い出そうと、上に被さって蓋をしている瓦礫に手をかける。

 とはいえ、思ったほどではなくてもダメージはある。それに、瓦礫も重い。

 

「ぐぐぐ……」

「大丈夫ですか? すぐに、持ち上げますね。神よ、私に力強い腕を与えてくださったことに感謝します……!」

 

 そうしていると、すぐに助けが来て瓦礫がどかされた。

 

「あなたは?」

「私はトリニティ、シスターフッドの若葉ヒナタです……あっ!? 先生!」

 

「大丈夫、怪我はしていない。あなたは戦える? 戦えるなら、他の人を助けて。戦えないなら、逃げなさい」

「へっ!? えっと、それはどういう……」

 

 おろおろと慌てて無意味に手を上下させるヒナタ。そこに、背後の方から声がかかる。

 

「すみませんね……えへへっ」

 

 へらへら笑いながら、真剣さを感じられない口調で嘯く彼女。槌永ヒヨリ、スクワッドのメンバーの一人だった。

 

「あ、あなたを先に行かせないように言われてるので……すみませんが、これも命令でして……」

「どきなさい」

 

 そんな彼女に、ヒナは己の銃を向けて威嚇する。

 

「やっぱり、辛い事ばっかりですねえ……」

 

 目を伏せて、しかし率いたアリウスの兵とともに戦闘を開始するのだった。

 

 が――

 

「それでどうにかできるとも? 所詮は敗残兵、ミカ一人に破れる程度でしかない。あなた達の戦闘力は、トリニティの資料で見た……!」

 

 ヒナがマシンガンを掃射する。それだけで消し飛んでいくアリウスの尖兵。なぎ倒してできた空白地帯を、ヒナは先生を背負って通っていく。

 

「なっ!? これほどだなんて聞いてませんよ。それに、特に怪我もしてない? ……はあ。こんなのを足止めしろとか無理に決まってるじゃないですか。辛いですねえ」

 

 ネガティブなことを口にしつつ、しかし彼女だけは最低限銃弾をかわしつつ避けられないものは耐えて反撃を返している。

 

「なるほど。これが噂の『スクワッド』……けれど、私を止めたいのなら錠前サオリでも連れて来ることね」

「あはは……耐えても痛いばかりで。やっぱり人生って、苦し――」

 

 そしてヒナはヒヨリに狙いを定める。有象無象を虱潰しにする必要はないが、司令塔は潰しておきたい。

 

「終わりよ。……ッ!?」

 

 意識を刈り取るはずだった弾丸は、ヒヨリの前に現れた何かによって受け止められた。”それ”は倒せない訳ではない。

 その弾丸は確かにそいつらを倒していたのだから。

 

「あはは。向こうは成功したようですね。お仕事は、苦しいですが……人生は元々全てが苦しいので、大丈夫です」

 

 けれど、いきなり現れた増援の『聖徒会』は無限に増殖する。何体かを倒そうとも、夢幻のごとくいくらでも復活してくるのだ。

 ヒナはぎり、と歯を食いしばった。

 

「無限に増えるこの戦力を前にしては、いかに最強と名高きヒナさんでも打つ手がないでしょう。へへ、先生を置いて行ってくださいな」

「……ふざけないで。私は、最後まで戦うわ」

 

 眼前に広がる無数の聖徒会の亡霊たち。敵の言った通りに無限なのだとしたら、打つ手はない。

 いや……自分ひとりなら、どうにかなったかもしれない。

 

 だが、今ここでヒナが果たすべき仕事は――先生を無事に逃がすこと。文字通りに無数の相手を前に、脆い先生を抱えて前線を突破しなくてはならない。

 それは、どこにも希望を見出せない難事だった。

 

「……ひええ。そんな、どうしましょう」

 

 後ろに居るヒナタも、手を貸すことすら出来ずに見ているだけ。盾になると言っても、この数が相手なら邪魔になるだけ。

 では敵を倒すなどと言っても、多すぎてどこからやっていいものやら。

 

「ヒナタさん、手伝ってくれるかしら?」

「え? えと……私にできることなら」

 

「奴らを突破するわ」

「ええ!? で、でも――」

 

「先生を逃がすために、突破しなくてはならないの」

 

 それが絶望的と知っていても、ヒナは前を向く。無理、不可能だなんて道理など知ったことではない。

 ……ただ”やる”のだと。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第60話 行き詰まりのミカ

 

 

 エデン条約がつつがなく進んでいた頃、ミカは自分の分派……パテル派の人間とともに派閥が所有する建物に居た。

 この大ごとの当日にあっては、ミカと言えど病室で閉じこもる訳にはいかない。

 

 何の因果か、ミカは未だに首長の座にある。まあ、セイアとナギサとで調整した結果であるのだが。

 

 しかし、首長の座にあるのだから自らの分派を見る責任があるのだった。

 

「ミカ様、エデン条約など間違っています!」

「角の生えた奴らと手を取るなどありえません!」

「――今すぐにでも会場に突入して奴らをぶちのめしましょう!」

 

 つまり、こいつらを抑えておく必要があるのだ。それはセイアやナギサとは関係ない、過激派であるパテル分派のボスとしてのお仕事だった。

 

「……はあ。んじゃ、一人で行く?」

 

 そして、ミカは喧嘩腰で応える。実のところ、首長の座に着けたのはこういうところを買われてのことでもある。

 誰であろうが物怖じせず、自分の意見を通す。一言で言えば自分勝手だが、実力も相まってそれは”強いボス”の姿そのものだ。

 まあ、外に向けている分にはいいけども、いざ自分……部下に向けられてはたまらないというのも人情だけど。

 

「えっ!? い、いや。だって、こいつが……」

「いや、言い出したのアンタじゃん」

「いやいや、お強いミカ様が居ないと! ミカ様とならゲヘナとついでにフィリウス分派の奴らもぶっ飛ばせます!」

 

 だからこそ、一人一人に水を向けてやれば躊躇う。こいつらに自分一人で敵に立ち向かう度胸などないのだ。

 それがあるから、ミカは首長に選ばれた。裏を返せば、”それ”を持つ者はティーパーティーにすら殆ど居ない。

 まあ、例外としてどこまでも敵を求める狂人はいるけども。

 

「行きたいなら一人で行けばいいよ。流石の私もフィリウス分派と正面きって戦争するつもりはないよ? いや、ナギちゃんと仲が良いってのもあるけどさ……今回は、私たちの負けだよ。エデン条約は調印される。ここで手のひらを返せばキヴォトスにおけるトリニティという学園自体の信頼が失われるって分からない?」

「「「「……」」」」

 

 空気が落ち込む。要するにここに居るパテル分派はロビー活動で負けたのだ。すでにエデン条約の締結は決まったこと。

 これを覆すのは、そう。

 

「それはトリニティがゲヘナなんかと同じ、約束を守れない学園だと言うことを証明する事実になる。それはいけないよねえ? 私たちは、契約を守るという不文律を遥か昔から受け継いでいるのだから」

「分かりました……こうなれば、いっそのことゲヘナが裏切ってくれればいいのに」

 

 だからこそ、大半の過激派はそこまで言われては矛を収めるしかなかった。戦争を起こす責任を受け持つ度胸などないのだ。

 

「そんなこと関係ありません! ゲヘナに良い人などいません。全て殲滅するべきです!」

 

 中々にイカれたことを言う人間も居るが、そんな奴はミカを含めて周囲の人間も無視している。

 

「……そう。それだよ」

「はい?」

 

 くすくすとミカが笑う。我が意を得たりと言うように。

 

「いや、ゲヘナだけじゃないね。トリニティを狙う敵はいくらでも居る。……過激派のうちでなくても、ナギちゃんだって心当たりを上げてもらえば両手両足の指を使っても足りないはずだからね」

「はい。ゲヘナが襲撃した折りには!」

 

「いや。だから、ゲヘナだけじゃないって……」

 

 ため息を吐くが、まああまり悪いことでもない。エデン条約の破壊は確定されている。ゆえに、その連絡を聞いたと同時に救援に向かうのだ。

 

「――ま、やる気があるのはいいことかな?」

 

 結局、戦うことには違いない。あの亡霊のようなあれを、味方と見間違えるはずもないのだから。

 

 そして……ミカはパテル分派とともに息を潜めてその時を待つ。

 

 

 

 爆発音と衝撃が伝わってきた。待ちに待った、とは言わないけどその時のために準備してきた。

 ゆえに、行動する時が来た。

 

「皆、聞いて!」

 

 壇上で、己の銃を掲げる。

 

「中継器が破壊された。そして、ここまで衝撃が伝わってきた。……これはエデン条約が何者かに破壊されたことを示す」

 

 全員の視線が集中する中、ミカは雄々しく語りかける。

 

「私たちはゲヘナとは違う! トリニティは同胞を見捨てない! 今、古聖堂に居るフィリウス分派、そして正義実現委員会とシスターフッドは危機に陥っている。あれだけの爆発、正義実現委員長ですら予断は許されない!」

 

 だん、と銃床を机に叩きつける。

 

「パテル分派! 今こそ我らが誇りを行動に移すとき! 古聖堂で苦しんでいる同胞を救いに行くのよ! さあ――私に続け!」

 

 ミカが跳び、全員を飛び越えて着地して扉を開ける。その先で、目にした光景は。

 

「ふっふっふ……ここで会ったが百年目!」

「ようやくおでましだな! 待っていたぞ、ティーパーティー!」

 

 目にした二人。ミカに続いたパテル分派の仲間も目にして戦慄する。

 

「なんだと……!? 鬼怒川カスミ、悪名高き温泉開発部がなぜ……ッ! そして、お前は……誰だ?」

「ちょっとおお! 私は『便利屋68』、社長の陸八魔アルよ! 悪いけど、依頼によってあなた達の邪魔をさせてもらうわ!」

 

 おーほっほと高笑いするのは、いつぞやにミカが撃退した便利屋だった。あわや大切な仲間を殺されてしまうところまで行ったのだが……反省は、していなかったらしい。

 

「あら? アルちゃんじゃない。お久しぶりね」

 

 ミカが笑みを見せる。歪んだ――殺意と後悔とをないまぜにした凶悪な顔で。

 

「ひっ! え? なに……」

「お久しぶりだから、殺すね? 安心して、皆一緒なら寂しくないよ」

 

 一歩を、踏み出す。

 

「ハーッハッハッ! なにやら便利屋とはただならぬ因縁があるようだな、聖園ミカ! だが、私たちとしてもせっかくの温泉開発の機会だからな!」

 

 温泉開発部部長は高らかに笑う。まあ、予想外の事情もあるがそれも一興。何よりも、依頼されたのは足止めだった。

 ゆえに、囮が居るのなら都合が良い。

 

「は? えと万魔殿から依頼って話じゃ……あッ!」

 

 そして、ミカの殺気にビビっているアルは口から秘密をこぼした。

 

「ゲヘナだ! 会場を襲った奴らの別動隊だ! 潰せ!」

「そうだ! 温泉開発部なんてテロリストの筆頭じゃんか! 横のよくわからん奴も一緒に潰してしまえ!」

 

 そして、混迷はますます加速する。追いついたパテル分派が温泉開発部と戦端を開く。過激派がこの状況にあって攻撃をためらうはずがない。

 

「トリニティの奴らが来たぞ、撃ち返せ!」

「倒せ倒せー!」

 

 周囲に散らばった温泉開発部も、手慣れた様子で銃を撃ち返していく。さすがに名の通ったテロリスト。

 簡単に倒せるわけがない。どころか、必然的に武闘派が集まるパテル派でも油断すれば倒されてしまう。

 

「さあ、今回の現場はここだ! やってみようじゃないか」

 

 高らかに笑い、部員を操る鬼怒川カスミ。その手腕は流々――勢いに乗るパテル派を分断し、罠に引き込み打倒する。

 

「うわあん! どうしてこうなるのー!」

 

 そして泣きわめくアル。ミカの怒涛の攻撃の前に、意識を保つのに精一杯だ。

 

「どうして覚悟もなく再び戦場に足を踏み入れたの? お友達ごっこをしたいのなら、ゲヘナで大人しくしていれば良かったのに……ね!」

 

 誰よりも速く、誰よりも力強く最前線で銃を撃ち放つミカ。狙いは便利屋、誰か一人の足を止めて――そのあとは常軌を逸した火力を叩き込み続ける目算だ。

 だが、温泉開発部でも実力が下の方であれば銃撃戦に巻き込まれるだけでも倒れていく。

 

 前線がミカ一人にかき回された恰好になった。さらに、戦意十分で好戦的なパテル分派がミカへの誤射すら厭わずに突撃してくるとあれば。

 

「な……なんで、私にばっかりこう殺意高いのよおお!」

「大切な人を危険に晒して、へらへらして……! そういうところが嫌い!」

 

 ミカは凶暴な獣のごとく暴れまわる。

 

「なんか並々ならぬ逆恨みを感じるけど、キヴォトスじゃこんなものだと思うけどね」

「あははっ! ああ、うん。ちょっとこれは笑ってられる状況でもないかなあ?」

 

 その余波だけで温泉開発部の部員が蹴散らされているのだから笑えない。便利屋も、4人揃って初めてミカへのデコイになれるという始末。

 

「行けッ! 行けー!」

「ゲヘナの奴らに天罰を!」

 

 恨み骨髄とばかりに襲い掛かるパテル分派。分派としての構成上、攻撃に偏重しすぎている。

 だが、敵が足止めを狙っている現状――戦略で分析すれば敵側の方が不利だ。

 

 けれど、ここで稼いだ一分一秒が敵側の目的でもある。即座に撃退しないといけないのに、敵はそれを許してくれるほど弱くない。

 

 そして、5分ほどが経過した。

 

「……はあ。――逃げられた」

 

 ミカがため息を吐く。死屍累々と言った光景だが、パテル派の戦力はまだ残っている。まだ戦闘は可能だと、古聖堂の方角を睨みつける。

 

「ミカ様、追撃は?」

「追撃はなし。温泉開発部は甘い相手じゃない。むしろ、こっちが罠にかけられることになるかも……」

 

「ですが、ゲヘナは根まで殲滅しなければ!」

「今はトリニティの同胞を助けに行くのが先よ。敵の狙いは足止めだった、古聖堂では今まさに同胞が危機に陥っていることの証明! 一刻も早く駆け付けるの!」

 

 過激派などやる人間の好きな言葉は”同胞”だ。民族の誇りとか、敵対の歴史とか、そういうものに執着する傾向がある。それは歴史を紐解けば一目瞭然だ。

 ゆえにミカの言葉は効果覿面、我こそが助けるのだと温泉開発部のことも忘れて意気揚々と駆け出していく。

 この程度の人心掌握術はミカだって持っている。

 

 扇動を一通り終えた後で、仕留められなかった苛立ちをため息とともに吐き出す。そして、先を行く部下よりも速く走り出す。

 通常では20分はかかる道のりでも、ミカならば半分以下で踏破できる。

 

「……なッ!?」

 

 それが、普通の道だったのなら。そう、ミカが踏んだ場所には地雷が埋まっていた。

 

「きゃあっ!」

「うわっ!」

 

 そして、それはパテル分派の面々も同じことだった。行く手を阻む無数の地雷、簡単には突破できない。

 

「温泉開発部ね。味な真似をしてくれるじゃんね……!」

「ミ、ミカ様?」

 

 いや、突破することも不可能ではない。だが、時間を取られるのは確実でもあり。……この場では、その一分一秒が致命傷になりかねなかった。

 

「遠回りも、安全な道を確かめる時間もない! このまま突破する! 強行突破だ! 負傷者は後方へ! ついて来れる者はついて来なさい!」

 

 ミカは地雷原の道も恐れずに踏破する。

 

 そして、過激派なんてものは度胸がなければできやしない。ボスの後に続けと奮起する。

 

「そうだ、同胞を助けろ! ミカ様に続け!」

「おお! 角付きなんかが仕掛けた罠を恐れるものか! 進め進めェ!」

 

 地雷原を踏んで通り抜けるという暴挙を臆面もなく敢行する。だがしかし、近いはずの古聖堂が遠い。

 ……温泉開発部は、撃退されながらも仕事を果たしたのだ。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第61話 慮外の一手

 

 

 予知、というのは脆いものだ。

 

 ”それ”の強みは情報というよりも強制力にあるのは一目瞭然だろう。例えば敵が走っている姿を見れば、そこに穴でも掘っておけば蓋をしなくても落ちてくれる。殴り合いでストレートを打たれるのが見えたなら、見え見えのカウンターで迎え撃てばいい。

 

 ただ、それが出来ないのであれば。

 

 ――生き埋めになる危険を冒してでもアツコを先行させて『聖徒会』の顕現を早める。ミカには温泉開発部と便利屋を当てる。そういった”対策”を許してしまう程度にランクが低いのなら。

 このように、”予知をもとにした行動”へ更に対処をするならば……予知は覆せてしまう。これは能力の強度の問題だ。

 

 結論、ミカの見た未来……『予知』が弱かったゆえに隙があった。そして、錠前サオリは出来る限りを尽くして対抗したということだ。

 ティーパーティーが行った予知の対処を上回って、逆に窮地に追い込んだと言える。

 

「思い知れ、我々アリウスの恨みを」

 

 動けないハスミとナギサに向かって、無数の聖徒会が銃を向ける。サオリは無表情の裏に歓喜を隠しきれていない。

 それだけの綱渡りをして得られた結果こそが、この勝利だった。

 

「貴様らを始末した次は、先生を処理する。その男は計画の一番の支障になりそうだと、彼女は言っていたからな。――いや、もう終わっているかな」

 

 サオリは口に嘲笑を貼り付けている。私が勝ったのだと、誇るように。

 

「いかに空崎ヒナと言えど、無数の聖徒会から先生を守ることなど出来はしない。会場から逃げる時間もなかったことだしな。……絶望の時はすぐそこだ」

 

 嗜虐の笑みとともに、腕を振り下ろそうと手を掲げる。それが降ろされたとき、聖徒会が動く。全てが終わる。

 

「ナギサさん……!」

「ぐ……! ミカさんはまだ来ないのですか。誰か、戦える者は……!」

 

 ハスミも、ナギサも、歯を食いしばって悔しさに震えること以外できない。そう、これはただ……戦略の面でアリウスがトリニティを打ち破ったと、それだけの話。

 古聖堂の戦力はミサイルを受けて戦闘不能の現在、絶対的な戦力差はどうすることだってできやしない。

 

「撃……なにッ!?」

 

 いざ振り下ろさんとしたその時、サオリの場所に砲弾が着弾した。

 

「がはっ! ば、馬鹿な! どこの馬鹿が、この古聖堂を砲撃した!?」

 

 聖徒会が盾になったことでサオリは無傷だ。だが、無限に増殖すると言えど――今この”一瞬”ではサオリに付き従う大半が消えた。

 そう……ハスミも、ナギサも、倒されなかった。

 

 そして、その一瞬があれば。

 

「――補習授業部、参上です! 助けに来ました、ナギサちゃん!」

 

 瓦礫を踏み越え、この二人の盾になれる。鉄の装甲、無骨な機械――それはまごうことなき戦車だった。

 聖徒会と言えど、それを壊すとなればそう簡単には行かないのだ。

 

「……ヒフミさん? なぜ」

「当然です、友達ですから! さあ、手を!」

 

 ヒフミがハッチから顔を出して手を差し伸べる。戸惑うナギサは、僅かに後悔を浮かべるけれど。

 

「――ええ! ありがとう。あんなことをしたのに、私を友達と呼んでくれて」

 

 ナギサが、その自嘲の笑みを消して手を取った。

 

「良くわからないですけど、あの変なのをぶっとばせばいいんですね!」

 

 ヒフミは、過去などは大したことではないとでも言うように――血気盛んに目の前の化け物どもを指差した。

 ここはキヴォトス。聖徒会しかりミメシスしかり、そこらへんを歩けば化け物の一つくらいには遭遇しているさ。

 

「はい! ですが、操る者を倒さなければ消えません。私が指示します。照準――『アリウススクワッド』の錠前サオリ!」

 

 ナギサはまなじりに浮かんだ涙を拭い、毅然と指示を下す。

 

「りょ、了解です!」

「――」

 

 そして、コハルとアズサが慣れた仕草で砲弾をセットする。さすがはトリニティ、その程度であれば学生なら必修項目だ。

 

「照準、よし。です♡」

 

 そしてハナコが微調整――その知性は相手の嫌がる箇所を見通す。少し宙に浮かせるように撃てば、聖徒会が盾になるためには組体操でもするしかない。

 無限の戦力を持っていても、一瞬に限れば有限であるとの弱点を見抜いていた。

 

「撃ちなさい!」

 

 そしてナギサの号令の下に撃ち放たれる砲弾。それは着実にサオリを追い詰める。

 

「おのれ……! おのれおのれおのれ! どこで計算を間違えた? 桐藤ナギサ、奴の手は封じていた。ならば――浦和ハナコか? 貴様さえ居なければ、計画は!」

「おやおや、買いかぶられているみたいですね。ねえ、ナギサさん。私はずっとあなたに謝りたかった。……あの時、酷いことを言ってごめんなさい」

 

「……ハナコさん。いえ、それは疑心暗鬼に陥った私の過ちでした」

「謝らないでください。そのことは謝っていただきましたから、もう終わったことなんです。だから、私のこともこれで終わりにしてほしいんです」

 

「――」

「私と、お友達になっていただけませんか? ナギサさん」

 

「はい、もちろんです」

 

 新たに紡がれる絆。戦車は次々と砲火を放つ。

 

「下らん……! この世の全て、所詮は虚しいもの! 心も、絆も! 全ては塵と消えゆく定めにあるのだ! そんな虚しきもので――この私を倒せるものか! 虚無……誰もそこからは逃れられない!」

 

 だが、聖徒会を盾にするサオリは倒せない。忌々し気に呪いを口にしているが、戦車では頭を抑えることはできても一向にダメージを与えられていない。

 

「違いますよ、サオリさん♡ この状況は私の力じゃない。確信はあれど確証はないから、私は一歩を踏み出せなかった。謝るのが怖かった。きっと、あなたは状況が動くまで私は身動きできないと思っていたことでしょう。その通りです……あなたを追い詰めたのは、とある少女の勇気。私に手を差し伸べてくれた――普通の女の子が出してくれた”勇気”」

 

 訥々と語りかける。それは伝わらないと分かっているけれど。それでも、自慢したいものだった。

 この胸の内に絆がある。だから立ち向かえるのだと、宣言したい。

 

「勇気? 勇気と言ったか? そんなものが何になる……! そして、貴様らは自分が有利と思ったか? 勝てると勘違いしたか? その戦車があれば戦力は逆転できたなどと夢想を夢見たのか⁉ 虚しい! その勘違いはただただ虚しいのだ!」

 

 サオリは激高する。射殺す勢いでその戦車を睨みつけた。殴りかかりかねないほどの憤怒、しかし状況は見誤らない。

 聖徒会は無限。その無尽蔵の戦力をもって敵を叩き潰すための方策を練る。

 

「すでに楽園の名を冠する条約はスクワッドのものとなった。定義しなおした鎮圧対象の戦力が増えたならば、機構は更なる戦力をもって対抗するのみ。貴様らがどれだけ湧いて出ようがただただ虚しい! もとから貴様らに、勝ち目などありはしない!」

 

 その言葉を証明するかのように、聖徒会は限りなく姿を表す。砲火によって消された数の、さらに倍が出現していた。

 

「……けれど、押し切れてはいない」

 

 ナギサが鋭く切り込んだ。速攻を決めたサオリだが、この期に及んでもナギサを詰め切れていない。

 その結果として、気絶していた正義実現委員会が起きだして聖徒会と交戦を開始していた。

 

「それがどうした? 確かに予定より遅れるが、貴様らを一人として逃がしはしない」

「出来ますか? 長い間、とは言わなくてもそれなりに戦いました。そろそろミサイルによって気絶していた方たちが起きてきますよ。……なによりも、ミカちゃんの足止めがそんなに長い間持つとお思いですか?」

 

「貴様こそ、聖園ミカを待ったところで無駄と知れ。どれだけ戦力が増えようが、聖徒会はそれに呼応して増えるだけ。ああ、そうだ。そもそも、起きるのはトリニティの人間だけかな? 貴様らのエデン条約は奪われた。ならば――彼らは味方ではあるまい」

「――ならば、こうしましょう」

 

 ナギサが戦車のハッチから姿を晒す。スピーカーを手に、叫ぶ。

 

〈この会場に居る全ての人間よ! 風紀の綱紀を、正義の志を心に秘める者達よ! 私はティーパーティーの桐藤ナギサです! 今こそ、告発を行いましょう! そして私は戦う! キヴォトスの闇――特異現象によって人々を苦しめる悪と!〉

 

 演説をぶちかます。前線での鼓舞はどちらかと言うとミカの得意技だが、ナギサとて出来ないわけがない。

 ……敵に悪のレッテルを嵌めて皆で殴る。戦争の歴史こそを国家と呼ぶならば、使い古された手段に過ぎない。

 トリニティの王の一人として、堂々とその姿を衆目に晒すのはしかし効果的だった。

 

「……チ。させるか!」

 

 聖徒会ではそれに対抗できない。そんな高度な状況判断ができるものではない。サオリはただ攪乱のみを命じ、本人が暗殺を狙うが。

 

「けっへっへ……げへへへへ……」

 

 狙い澄ました射撃が近づくことを許さない。サオリは動けた、ならばツルギだって動けるようになるさ。

 息が詰まるような攻防、多数の勢力が会するだけあって状況が二転三転する。

 

「正義実現委員長、もう動けるようになったか……!」

 

 ツルギに思惑を阻まれて舌打ちをするサオリを後目に、ナギサは朗々と演説を続ける。銃弾が当たるかもなどと微塵も思っていないような、堂々とした姿だ。

 

〈敵は遥か昔の亡霊、歴史の中に消えたトリニティの遺物――『アリウス』! その目的は復讐、自らを捨てたトリニティ、そしてゲヘナを打ち滅ぼすこと。迫る脅威の前に、過去の遺恨は関係ありません。今この場だけは隣に居る者と力を合わせるのです。……仲間を守るため!〉

 

 元々トリニティの人間は権威主義だ。未来(原作)にて指揮系統が滅茶苦茶になり各自の勝手な判断の下にゲヘナと散発的な戦闘を始めたのは、3つの頭の全てが機能停止するという異常事態から端を発した。

 逆に、今この場では3つの頭が健在だ。しかも、ナギサが前線に立って指示をしているのだからこれ以上ない。今のトリニティに、勝手を許す余地などない。

 

〈心ある者よ! 私とともに戦うのです! 敵は特異現象、『ユスティナ聖徒会』。過去の亡霊が、墓の下に眠る者共を引き連れてやってきた。……撃退するのです! 翼持つ者も、角持つ者も、生者として過去の闇を晴らすために共に立ち上がりなさい!〉

 

 その演説はとても”分かりやすい”。要するに、敵は目の前の顔色の悪いゾンビ軍団。今はゲヘナよりもそちらを相手にしろとそういうことだ。

 そして、ナギサはニヤリと笑って手に持ったスピーカーを思い切り投げる。

 

「……なにッ!?」

 

 その方向を目視したサオリは、ツルギとの戦闘中であるのも忘れて驚愕する。マズイ事態が起こっている。

 

〈そのとおりね。過去の遺恨を呑み込んで、共に戦いましょう……!〉

 

 傷だらけのヒナが、そのスピーカーを受け取って応えた。ゆえに、ここにトリニティと風紀委員との結束が成立した。

 ここに居たゲヘナの勢力は二つ、万魔殿と風紀委員。しかし万魔殿が逃げ出している今、説得するのは風紀委員だけで良い。残っている奴が居ても誤差で、少数であれば多勢に呑み込まれるのみだ。

 

「まさか……まだ先生の暗殺を成し遂げていなかったか!?」

 

 サオリが睨みつける先は、先生をかつぐヒナタ。八面六臂の活躍で傷を負いながらも先生をここまで守り切ったのはヒナだった。

 

「さあ――どうやら、形勢逆転のようですね」

「ほざけ、桐藤ナギサ! いくら形勢が逆転しようと関係がない! 聖徒会は、貴様らが結束するほどに数を増やす! 敵を叩き潰せるだけの軍勢となってな!」

 

 忌々し気に睨みつけるサオリだが……聖徒会はその数をみるみるうちに増やしていく。そう、どこまでも――

 

「敵が7、地面が3……よくもそれだけ増えたものですね」

 

 ナギサがため息を吐く。風紀委員とトリニティの共同戦線はよほど脅威と映ったらしい。

 発砲音が遠くから聞こえてくるが、怒号は聞こえてこない。とりあえずの共同戦線はうまく行っているようだ。ゆえに、ナギサは次の手を打つ。

 

「ヒナタさん、こちらへ! 先生を戦車の中へお連れください。その後に後退し、救護騎士団と合流――この戦車を最終防衛ラインと築きます!」

「……はい!」

 

 走っていくヒナタ。

 

「へへ。さすがに任務失敗はマズイので……死んでください。はあ、もう失敗扱いなんでしょうね。世の中は辛い事ばかりですね」

 

 ごった返すほどの軍勢を引きつれたヒヨリが追いかけつつ号令を下すが――

 

「油断はしない。最後まで先生を守り切る」

 

 傷だらけのヒナが、しかし強大な火力をもって聖徒会を制圧する。まさになぎ倒すといった風情が良く似合う機関銃の掃射、これこそゲヘナの無秩序にあって風紀の軛を嵌める者。最強と名高き者の一人。

 

「それだけの力を使って、防御力も落ちて……こちらの攻撃も当たっているはずなのに!」

「残念ね。私は、最後まで仕事を果たすだけよ」

 

 キヴォトスの人間はその力に大小はあれど、無限ということはありえない。使えば使うだけ、削られれば削られるだけ負荷が増えていく。

 ――そして、いつかは折れる。それが道理だ。

 

 ヒナは、倒れなければおかしいほどの力を使って。その上で馬鹿みたいに攻撃も喰らっていたのに。

 しかし、まだ立っている。どこまで、とヒヨリは不条理を嘆く。

 

「風紀委員がヒナ委員長だけなどと言わせるなよ! 私たちも居るのだと教えてやれ!」

「「「応!」」」

 

 さらに起きだした風紀委員も合流してきた。

 ヒヨリとしてはここで緊張の糸が切れて欲しいところだが、まあ空崎ヒナにそんな期待をするほど楽観的ではない。

 

「……ああ、これ失敗ですかね」

 

 自分の暗澹たる未来を想像しながらも、手は止めずに攻撃を行う。

 

「目標が逃げる……? スクワッドに任務失敗など許されない! ここまで準備してきたのだ! これほどの戦力を揃えたのだ! なのに、取り逃がすことなどあるものか!」

 

 忌々し気に顔を歪めたサオリが地団太を踏む。そこに、ハナコが追い打ちをかける。

 

「いいえ、これで終わりです♡ 確かにあなたはゲヘナとトリニティに手を組ませるほどの脅威だった。けれど、始めからこのような事態にさせないためにナギサさんを狙ったのでしょう?」

「虚しい! その思い上がり、はなはだしい! スクワッドの、エデン条約の戦力がこれだけと思ったか? 出てこい、アンブロシウスゥゥゥゥゥゥ!」

 

 サオリが叫ぶ。と、同時に立ち上がるのっぺりとした影。……それはもうどこからどう見ても人とは呼べない巨大な異形だった。

 殉教者をかたどったような化け物が、その巨大な手を振り上げた。

 

 でかいと言うのは単純に怖い。それに見合うだけの強さがあるのだから、一般兵などでは時間稼ぎにすらなりはしない。

 ただその強大な力に蹴散らされるのみであるはずだった。

 

「――あは。誰か忘れてない? ねえ、それは酷くないかな? 誰があなたたちのことを手伝ってあげたと思ってるのかな?」

 

 そこに、声が乱入した。

 

「ここから先は通行止めだよ。その化け物は通さない」

 

 堕ちる隕石、巨大な異形が倒れこんだ。――地雷原を抜けて、ミカが来た。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第62話 動乱と混乱

 

 

 非常事態に当たって手を組んだトリニティのナギサと風紀委員。だが、対するサオリはそれすらも壊せと奥の手であるアンブロシウスを繰り出した。

 切り札に相応しい異形の怪物は、しかし突如降ってきた隕石により座礁した。

 

「あは。真打登場ってね☆ お待たせ、ナギちゃん」

 

 颯爽と、ミカが登場した。服の至る所が焼け焦げて、血すら流れる有様は満身創痍。ゲヘナの温泉開発部が設置した地雷原を駆け抜けてきたのだ、並大抵の道筋ではなかった。

 だが、その足は微塵の震えもなく、目はまっすぐにサオリを見ていた。

 

「……聖園、ミカ。貴様までもが到着したか。ああ、貴様はよほど強いのだろう。恐ろしいのだろう。ただの一人で我々『アリウス』の元まで侵入したその手腕、大胆さは驚愕に値するとも」

 

 サオリも、睨み返す。

 その強さは知っている。伊達に共犯者をやっていたわけではない。セイアが生きていた、その次点で決裂は避けられなかったのだと弁えてはいるけれど。

 

 予想出来ていたとしても、足元からガラガラと崩れ落ちたような心地だ。アンブロシウスは最大戦力、それに対抗できる戦力があるならば。

 もはやマダムから下された任務を達成できる芽などない。あの女に待つような根気などない。ここで果たさねばならないのに。現状、先生を殺しうる手はない。

 ……けれど、口から出るのは強がりばかりだ。弱音を吐けば食い物にされる、そういう人生を送ってきた。

 

「だが関係ない。それでアンブロシウスを倒したつもりか? 何度でも言おう、貴様らには最初から勝ち目など存在していない。命に代えて先のを100発ほど撃てば倒せるかもな? だが、倒したところで復活するのさ。そう、全ては虚しいものなのだから」

 

 負けられない理由がある。守りたい人が居る、守るためなら何人犠牲にしても構わないと誓ったからここに居る。

 そう、この任務を阻む敵は――彼女の命を狙う賊も同然。大切な人の命を守るためなら、誰かを殺すのもやむなしだと走り続けるのだ。

 

「……Vanitas vanitatum et omnia vanitas.これはあなた達の言葉だったね。全ては虚しいもの。でも、本当の意味はどうかな? たとえいつか壊れる砂上の楼閣だとしても、築いたものには価値がある。結末が死であるとしても、その絆はちゃんとあったんだよ。……サオリ、あなたにも」

 

 ミカが悲しそうな顔で訴えかける。今はどんな言葉をかけたところで無駄なのだと分かっている。

 この状況で主犯を取り逃がすことなど、出来るはずがない。ただ利用されているだけなのだとしても、状況を進める以外に手はない。ティーパーティーとして、サオリを”潰す”手を打つ義務がある。

 

「――虚しい! Vanitas vanitatum et omnia vanitas.! 恨みは消えない! 憎悪の炎は揺らがない! トリニティも、ゲヘナも! 全て叩き潰すのみ! この無限の聖徒会が貴様らには見えんのか!?」

 

 現に、ミカが到着した後も戦闘は続いている。この戦力を前に、トリニティと風紀委員会の連合軍はまったく攻め切れていなかった。

 奴らを前に殲滅戦は無理だと、ナギサが救助に舵を切っているのもあるけれど。

 

 実際問題、これは弾丸が尽きればそこで壊滅する儚い拮抗だった。

 

「君は、本当にそれらが憎いのかな?」

 

 凛とした声が響く。それは”大人”の声。先生がミサイルの衝撃から立ち直って、現場に足を踏み入れた。

 

「……先生!? 駄目だよ、今は危ない!」

「いいんだ、ミカ。大丈夫」

 

 心配するミカをよそに、先生はサオリに向かって歩いて行く。

 

「ああ、やっと君の顔が見れた。いや、書類作業のせいかな? 実は目がボヤけてそんなにはっきり見えていないんだけど。……年かな」

「シャーレの先生。撃たれれば終わりの脆い『外の人間』が、なぜ戦場を出歩ける? しかし、好都合だ――今ここで貴様を殺せば、任務を一つ達成できる」

 

 サオリが、ゆっくりと先生に銃を向ける。ミカが飛び出そうとするけど、先生本人が手で止める。

 ミカは助けを求めるようにヒナを見るけど、彼女は膝をついていた。一度安全地帯に送り届けられたと安心して、力が抜けていた。

 

「焦っているね。けれど、それはおかしいんだ。そんなことを思うはずがない」

「……貴様に心配されるいわれはない。だが、それは不思議なことか? 私が言うのもおかしいが、アンブロシウスが聖園ミカに足止めされるなら取りこぼしが出るのはもはや確定した未来だろう。本当ならば、お前を含めてな」

 

 理解できないものを見るサオリの目。まあ、撃たれれば本当に死んでしまう先生が鉄火場を出歩けるのは不思議だろう。

 キヴォトスの人間は死を忌避するもの。なのに、先生は自分のそれをどうでもよいと思っているようにしか見えない。

 

「いや、私は大人だからね。……それで、君の話だけど。伝え聞く話によれば君はトリニティに潜入しただろ? あと、万魔殿とも繋がりがあるのかな」

「――聖園ミカに聞いたか。そして、百合園セイアの予知と合わせて考えれば導き出せる結論だな。それがどうした?」

 

 明言しないものの認めた。トリニティへの潜入任務、そして万魔殿との繋がり。まあ、飛行船を贈って、更にはそちらを通して温泉開発部と便利屋に足止めを依頼していたのはもはや隠してもしょうがないけど。

 

「それはありえないんだ。君が本当に憎いと思っているなら、周囲に溶け込む潜入任務なんて出来ない。四方八方、誰彼構わず発砲していないとおかしいよ」

「……ッ! ふん、敵地でバカスカ撃つ馬鹿がどこに居る? 私はそのような間抜けではないと自負している」

 

「それは間抜けだからじゃないんだ。それだけ恨んでいるから、自分の心をコントロールできないというだけの話なんだ。だから、君のそれは自分の中で処理できる程度の恨みでしかないよ。それで、本当に人を殺せるとは思えない。だって、”殺す”のは大変なことだよ。それこそ、狂うほどに憎くないと出来やしない」

「さっきから何なんだ、お前は! 説教でもしているのか⁉ 人を殺そうとして御免なさいと泣き叫べば満足か!」

 

 サオリが激高する。撃たれれば死ぬ人間の癖に、撃ってみろと挑発しているのかと思えてきたほどだ。

 お前の目の前のこれがおもちゃだと思っているのかと、これみよがしに銃を振って見せる。

 

「いいや、その憎しみは君の感情ではない。誰かがそれを君に植え付けたんだ。利用するために、食い物にするために。……それは、きっと”大人”なのだろうね。ゆえに、私はそいつのことが許せない。そして、君の助けになれればいいと思っているよ――サオリ」

「……銃を向けている相手に何を馬鹿なことを! 貴様の頭はとんだお花畑だな! その様な思考で生きていけるほどに、『外』は甘っちょろい世界だと言うことか!」

 

 叫ぶ。それは、威嚇するように。

 

「なら、サオリ。なぜ撃たないんだい? 殺す殺すと言っておきながら、君は引き金に指をかけていない。君はまだ救える……引き返せるんだ。私の手を取って、一緒に――」

「――うるさい!」

 

 パン、と渇いた音が響いた。

 

「……先生!?」

 

 ミカの悲鳴が響いた。

 

「うぐ……サオリ。やはり、君は――」

 

 くぐもった声。先生は、真っ赤に染まった腹を抑える。

 

「撤退! 撤退します! ……ヒフミさん!」

「はい、ナギサ様! クルセイダーちゃん、全速前進!」

 

 倒れ行く先生を助けるため、戦車で瓦礫をなぎ倒しながら駆け付ける。聖徒会は動かない、散発的に連合軍の相手をするのみ。

 相手も、なぜか混乱している。今なら、先生を確保できる。

 

「ハナコちゃん、ちょっと後を頼みます! Uターンで!」

「はい。……コハルちゃん、次弾装填できます?」

「え? えっと。ハナコ、今アズサが……」

「無理そうですか? まあ、仕方ありませんね。後土産は諦めましょうか」

 

「ヒフミさん、先生を!」

「大丈夫です、確保しました。すぐに発進してください!」

 

 呆然とするサオリの鼻先をUターンした補習授業部は、戦車の中に先生を連れ込んで猛然と駆けていく。

 

 

 

「任務は成功したの……?」

 

 そして、それを大分後方で見守るミサキ。地下での役目があるアツコを除けば、スクワッドはこれで最後。

 もっとも、その最後の戦力ですらも。

 

「くっ…リーダー、しっかりしてよ。このままじゃ、押し込まれる……!」

「余所見ですか? 聖徒会がどれだけ増殖しようとも、司令塔の数には限りがあります。あなたさえ抑えておけば、ナギサさんがなんとかしてくれます……!」

 

 ハスミ率いる正義実現委員会を相手するのが精一杯だった。いや、正義実現委員会だけではない。

 

「サクラコ様は未だ起きませんが……ここで『シスターフッド』が退くわけには参りません。皆さん、かの怪異を退けてください!」

 

 自らも銃を撃ちつつ、聖徒会の戦力を削り続けるシスターフッドの伊落マリー。いくらでも増殖するから敵を倒しても無駄……などということなどない。

 時間を稼げば、他の人が誰かを助けられる。聖徒会が居る限り救助活動もおぼつかないのだから、これは重要な意味を持っている。

 

「すべての方に、救いを! この世が、少しでも平和でありますように……今は銃を手に取り怪異を撃退するのです!」

 

 相手が怪異であるのだから、シスターフッドが躊躇う理由もない。ここも、ナギサの演説が効いている。

 それに、前はミカ一人に負けて屈辱に枕を濡らし肩の狭い思いをした。

 

「怪異を倒せ!」

「シスターフッドの意地を見せろ!」

 

 ゆえにこそ、今回こそはと奮起するのだ。危険を冒してでもここで目立てば、それだけシスターフッドの復権は近くなる。

 

「ふふ、苦い顔ですね――ミサキさん。先生の安否を確認するためにも、あなたはここで確保します」

「……やってみろ。全部無意味、最初から分かっていたこと。無限の戦力を前に、人は立ち続けることはできない。あなた達に聖徒会は越えられない」

 

 とはいえ、無限の戦力はやはり厄介だ。ハスミでは、雑魚を蹴散らして指揮官を狙う様なことなどできない。

 じりじりと押しているが、しかし逆に言えば崩れる時は一気に瓦解するとハスミは自覚していた。

 

「ええ、確かに倒し切ることは出来ない。……ですが、勘違いしていませんか? 聖徒会は無敵でも、あなたが無敵になった訳じゃない。それらに指示を与えるために、現場に居る必要があるのでしょう。ミサキさん、あなたは逃げられない」

「逃げられないのはあんたたち。いや、この場では逃げることもできるか。けれど、今逃げたところで――後で虱潰しにするだけ。何も変わらない、全ては虚無に帰るだけ」

 

「だからこそ、ここで潰すのですよ。シスターフッド! 協力してください! これから正義実現委員会の総力を持って『アリウススクワッド』の戒野ミサキを倒します!」

「……人を撃つのは心苦しいですが、仕方ありません。祈りを……そして、安らぎがあらんことを」

 

 正義実現委員会副委員長、そしてシスターフッドがミサキに狙いを定めた。それこそシスターフッドの一部は必死に手柄を求め、肉を切らせてでも手柄首、指揮官を狙うほどに奮起した。

 

「スクワッド? ナギサ様が言っていた黒幕か!」

「今度こそ倒して復権を!」

「奴を倒せ! 撃て!」

 

 憎悪すら感じるシスターフッドの戦意が立ち上る。人は追い詰められれば本性を出すと言うが。まあ、前回の一件はよほど堪えたらしい。

 

「塵は塵に帰るもの。――人間が、エデン条約と言う機構そのものに逆らうことなど出来るものか!」

 

 だが、ミサキもまた無限の聖徒会戦力で応えるのだ。

 

 

 

 最前線から僅かに離れた場所で、ヒナは膝から崩れ落ちた。

 

「……そんな、先生が」

「ええと……先生、大丈夫でしょうか」

 

 ヒナタも居るのだが、ヒナの目には入っていない。

 

「おや、これはこれは。うまいことヒナさんが無効化できたようです。さすがはうちのリーダーですね。えへへ……ただ、私もサボっていると怒られるので。さあ、やっちゃってください」

 

 そしてヒヨリ率いる聖徒会が力の抜け落ちたヒナを狙う。風紀委員も居るが、聖徒会の猛攻に撃退されてしまった。

 

「さ……させません!」

 

 ヒナタが反撃するが……

 

「ん? あなた一人でどうしようって言うんですか。シスターフッドの若葉ヒナタさん。ただ力が強いだけの一生徒が、ヒナさんを守れるとでも?」

 

 けらけらと嘲笑うヒヨリ。風向きが変わったからと、調子に乗っている。

 

「いいえ、守ってくれました」

 

 横から弾丸の掃射が聖徒会を一掃する。すぐに復活するが、その一瞬で彼女たちはヒナ達の下まで駆け付けた。

 

「……あなたは」

「ありがとう、ヒナタさん。委員長を守ってくれて。……だから、今は一緒に目の前の敵に立ち向かいましょう。秩序のために」

 

 起きた風紀委員メンバーがヒナを守るためにやってきた。

 

「ゲヘナ、風紀委員――火宮チナツ……! それに、そんなに部員まで引き連れて。はあ、やっぱりいいことなんて一つもないですね」

 

「委員長に……そして先生にも、これ以上手出しはさせません!」

「信仰のため、秩序のため。私も、もうひと踏ん張りです! 共に手を取り合って戦いましょう!」

 

 ここに、もう一つトリニティとゲヘナの手の取り合いが。ただ一心に、誰かを守るために戦うのだ。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第63話 脱出

 

 

 

「……私が、殺した?」

 

 呆然と、自分の手を見るサオリ。

 感情が整理しきれていない。人を殺すための教えを受けたと言っても、学習と実行はまるで別物なのだ。

 ただ、それ以前に……

 

「なぜ、私は……ッ!」

 

 撃ったのは、”ミカから渡された銃弾”だった。血のり弾、それで殺せるはずもないのは分かり切っている。

 ……なのに、収まらない手の震え。これは、任務を失敗した故か、それともと心の迷宮に陥りかけて。

 

 そこに、拡声器でナギサの声が響いてくる。

 

「みなさん、先生は生きています! 命に別状はありません! これより撤退します! 各員は負傷者の保護を最優先にお願いします! 後方の負傷者は救護騎士団とゲヘナの救急医療部が搬出済です!」

 

 その声に、サオリは”安心”した。

 そして、復活する強がり。動揺はまだ残っているが、心の奥底に押し込める。仮面を被るのは得意だから。

 憎悪をもって追撃をする役割(ロール)を果たさなければ。攻撃しなければ、やられるのは自分たち『スクワッド』の方なのだ。

 

「それがどうした⁉ 立ち上がれ、アンブロシウス。死にぞこないの先生ともども桐藤ナギサを葬ってしまえ!」

 

 頭では高速で計算が回る。理解不能な心の動き、もうそれは横に置いておこう。先生が生きていたとしても、すぐにマダムに伝わる訳ではない。

 というか、任務の成功よりも――この場をどうするかと考えなければならない状況だったはずだ。状況はマシになったが、まだ窮地に転落する可能性は残っている。

 

 起き上がるトリニティと風紀委員ども、ナギサの演説によって共同戦線を組まれたのだからもう最悪の事態まで考慮に入っていた。

 スクワッドメンバーを捕らえられ、拷問でもされて制御権に乱れでも作られてしまえば……それはもう任務成功どころの事態ではなかったのだ。聖徒会を動かせず、今度はこちらが人海戦術で磨り潰される詰みまで持っていかれる。

 

 それを考えれば、今は上々。スクワッドは誰も堕ちていない。

 ここで先生がのこのこと出てきて撃たれてくれたものだから、敵は泡を食って撤退しようとしている状況。

 ナギサは撤退撤退と連呼している。

 ならば好都合。後は追いすぎないのと、どれだけ追い打ちがかけられるかだけ考えていればいい。そう、最悪からは脱することができた。

 

「あは☆ させないって言ってるでしょ⁉」

 

 縦横無尽に動くミカが、アンブロシウスを滅多打ちにする。どうやら温泉開発部と便利屋は残弾を減らすことは出来なかったらしい。

 ……が、相手の手を一つ潰した。今この場で脅威なのは、聖徒会を無視してスクワッドメンバーに強襲をかけられる”強者”だ。

 

「聖徒会よ、逃げる敵を追いかけよ!」

 

 先生の乗る戦車を撃破するのは無理だ。そもそも簡単に破壊できないし、全速力で逃げるそれを追いかけても追いつけない。

 ならば、敵の戦力を少しでも削るのが効率が良い。犠牲が最も多いのは撤退戦で、敵は自らそれを選んでくれた。

 

「……キヒャ!」

 

 そして、死角からサオリを狙うツルギも。

 

「そう来るのは読めていた! がっ!」

 

 聖徒会を盾にする。盾を抜かれて一撃喰らわされたのは流石だが、いくらなんでも減衰した一撃で倒れるわけがない。

 

「そして、それは罠だ!」

「なに!? 私を中心に円陣を?」

 

 先生を撃たれた焦りもあったのか、ツルギは酷く不用心だった。そこは、すでに獣を刈るための罠が仕掛けられていた。

 無数の銃口、否。砲口に囲まれている。

 

「委員長であれば教える必要もないかな? それらの兵種は何かを」

「――グレネード、榴弾兵? まさか!」

 

 威力は高いが、爆弾を打ち出す性質上直線に仲間が並んでいてはとても使えないはずの武装。というか、こんな密集地帯で使う武器ですらない。

 だが、仲間の損害を度外視できる聖徒会ならば。

 

「ぬるい貴様らには思い付きもしまい! 仲間さえ犠牲にするのがアリウスの戦法だと知るがいい! 諸共に消えろ!」

「……ヒヒャ」

 

 ならば、その前にいくらか倒してダメージを軽減しようとショットガンを抜き放つ。だが、それより前に銃火が撃った。

 サオリの銃が、聖徒会を。

 

 ショットガンが火を噴く前に、爆弾が起爆する。

 

「ハハハハハハ! どうだ、生きた爆弾の味は!? 同士討ち覚悟の十字砲火でさえお前を倒し切れまい。だが、私は諸共に消えろと言ったぞ」

「――」

 

 ドサリと倒れるツルギ。砲撃体勢に入る前に、まさか仲間を撃って爆弾代わりにするとは思わなかった。

 あれは特異現象だと頭で分かっていても、それを前提にした戦術にまで対応できない。

 

「……ツルギ! くっ……! すみません、シスターフッド。我々はツルギの救援に参ります!」

「あっ、ハスミさん。けれど、シスターフッド単独では……ッ!」

 

 他の場所で戦っていた正義実現委員会が委員長の救護に向かう。これで、戒野ミサキの捕縛も難しくなった。

 

「少し騒がしいね。もう少し静かにしてくれると嬉しい」

 

 その彼女は淡々と聖徒会を操っている。一人でも多く、倒せるように。ただ機械のように撃ち続ける。

 

「だが、正義実現委員会が抜けたところで関係ない! シスターフッドで手柄を独り占めだ!」

「スクワッドを倒せ!」

「奴さえ倒せば、私たちは!」

 

 シスターフッドはまだやる気だが……

 

「駄目です、皆さん! ナギサ様の指示は撤退です。ここは退きます!」

「ですが!」

 

「これ以上犠牲を増やしてはなりません。仲間が帰ってこないことになっては遅いのです」

「ぐぐぐ……分かりました」

 

 指令役のマリーは元から温厚な性格で、突っ込めるような人じゃない。それに、シスターフッドと言えどナギサの発言は大きな意味を持つ。

 こう毅然と言われてしまえば、撤退する以外に選択肢はなかった。

 

 

 そして、ヒヨリと戦う風紀委員も。

 

「ヒナ委員長は確保済。……ここで無理をする必要はありませんか」

「へへっ。悲しいですねえ、苦しいですねえ。ゲヘナの誇る風紀員も、所詮はヒナさんが居ないと何も出来ないんですから」

 

 戦線は膠着状態、風紀委員もヒナタも防衛を選んでいるのだから当然の結末だ。ヒナに攻撃は届かないが、逆にヒヨリに向けて攻撃することもできない状況。

 そんなだから、撤退することに異論はない。

 

「聖徒会がなければ何も出来ないのはそちらも同じ。ならば解析して攻略するだけ、データは得ました。そして、委員長を亡き者にする千載一遇のチャンスを逃したのはあなた達です」

「それはどうでしょうか? 果たしてヒナさんは再び立ち上がることができるでしょうかね? あと、聖徒会を舐めすぎでは?」

 

「挑発には乗りません。ヒナタさん、撤退しますよ」

「は、はいっ! では、とっておきのグレネードランチャーを!」

 

 ヒナタがグレネードで敵を一掃、その隙に逃げ出した。

 

 

 そして、戦車の中では。

 

「……ふう」

 

 先生があっさりと身を起こす。どこも痛くなっているようには見えない。撃たれたのが嘘のように元気一杯だった。

 

「え? 先生、撃たれても大丈夫だったんですか?」

 

 ぽかん、と呆気に取られてヒフミが聞く。外の人が脆いというのは常識だから。

 

「ああ、いや。これは秘密にしてもらえる? ナギサも、私は入院しておいた方が良いよね?」

 

 あっけらかんと、ナギサにそんなことを聞いてしまう。

 

「そうですね。そうしてもらえるとありがたいです。血気盛んな方が突撃して行かれても困りますので……まあ、意識不明当たりが妥当でしょう。夜ごろに起きてください」

「うん、分かった。私はこのままトリニティに運び込まれるのかな?」

 

「はい、今さらゲヘナを頼るのも意味が通りませんし。トリニティでも最上級の病室を手配しましょう」

「スイートルームだったら嬉しいけど、病室ではね……あと、請求書が怖いかも」

 

「まさか、先生に請求するようなことは致しませんよ。ティーパーティが勝手に予算を使えないようになったならともかく……」

「ああ、それは助かる」

 

「しかし、やはり意外でした。……いえ。ミカちゃんの言葉通りの方ならば、このような選択も納得でした。キヴォトスでは類を見ない『大人』の方、先生。……あなたが撃たれたのを切っ掛けにスムーズに撤退へ移行できましたが、あなたが助けたかったものはもう一つあるのでしょう?」

「あはは。それは言わない約束と言うものだよ、ナギサ」

 

 先生は苦笑する。それは、端的に先生はこの戦争を収めるために撃たれたということを意味する。

 あのまま行っていれば、スクワッドの誰かに致命傷を与えるまで連合軍は止まらない。戦争は、始めることよりも止めることの方が困難であるから。

 そして、スクワッドメンバー拿捕のためにはやはりトリニティや風紀委員会からも多くの犠牲者が出ただろう。

 根本的な解決ではなく、一時的な誤魔化しに過ぎなくても。少なくとも、この場では死者を出さずに止めてしまった事実。

 

 撃たれたら死ぬのに、自分が撃たれるのを何も怖がらずに。……そう、ミカが血のり弾を渡していることまでは知っていても、サオリとは初対面なのに。

 信頼する要素など何一つないのに、こんなことまでしてしまった。

 

「……大変よ、アズサが居ないの!」

 

 先生とナギサが政治を織り交ぜた話をしている横で、コハルはずっとアズサを探していた。戦闘の中途、先生が撃たれた混乱のあたりから見かけていない。

 

「アズサさんはアリウスの関係者です。もしかして、その『アリウススクワッド』とも……?」

「はい、ハナコさんのご賢察の通りです。そうですね、アズサさんは正式にアリウスから離脱したわけではない。そう、準スクワッドとも言うべき籍がまだ残っているはずです」

 

「ナギサさん、それはどういうことですか? アズサさんから聞き出したことですか?」

「いいえ、尋問の類は行っていませんよ。ハナコさんはミカちゃんのことを舐めすぎてはいませんか? あれでも、目端の利く子です。それに、あそこは戦争しかない兵士の国。アズサさんはトリニティの学習についてこれませんでしたが、付いて行こうとする努力が出来るだけでもアリウスでは相当の上澄みですよ。なぜなら、アリウスは”学ぶ”場所ではありませんから」

 

「なるほど。ナギサさんの説明には筋が通っています。しかし、そういうことであれば……」

「アズサさんは錠前サオリに会いに行ったのでしょう。何をする気かは私には分かりませんが……ただ、帰るためではないのでしょう。それはあなた達の方がよく分かっているのでは?」

 

「……ッ! すぐに追いかけなくては」

「駄目です」

 

「ナギサさん⁉」

「錠前サオリはトラップのプロです。不用意に追えば罠に嵌ることになる。あなた達が危険です。そしてアズサさんはそれを望まないでしょう」

 

「それでも、何か出来ることが……」

「ハナコ、落ち着いて」

 

「……先生?」

「アズサも子供じゃない。何か必要なことがあれば連絡をくれるよ。それを待てばいい」

 

「でも、先生。アズサちゃんはとても意地っ張りで、どこまでもひたむきなんです。ハナコちゃんだけじゃなくて、私も心配してるんです」

「わ、私も! 私も心配してるわよ!」

 

「大丈夫。アズサを信じよう」

 

 そういうことで、真っ先に撤退する。先生が負傷したと情報を流している以上はちんたらしていられないのだ。

 次の瞬間、ナギサの携帯に連絡が来る。

 

「ねえ、ナギちゃん⁉ さっきから連絡かけまくってるのに出てくれないの何で⁉ 先生は無事? あれ、大本営発表じゃないよね?」

 

 受けたとたんにがなり立ててきた。後ろの方からまだ戦えるだの、ゲヘナの顔面を横から殴りつけろだのと声が聞こえてくる。

 それにミカはうっさいと怒鳴り返していた。パテル分派はなるほど過激派らしい言動だった。

 

「ああ、ミカちゃんですか。ええ、大丈夫ですよ。あれは血のり弾だったみたいですから」

「そっか。良かった」

 

 ほっとした声。未来を予知しているとは思えないうろたえっぷりだが、まあ未来の形なんてころころ変わっている。

 色々と仕込んだりはしていても、それで安心できるほど肝も座っていなかった。

 

「ミカちゃんも撤退していますか?」

「うん。アンブロシウスも引っ込んだからね。あと、スクワッドも全員消えてる。残りは雑魚だよ、私の出番はないかな」

 

「そうですか。ただまあ、ここで古聖堂を攻め落としても良いことはありませんし……このまま撤退で良いでしょう。おっと、セイアさんからも電話ですね。スピーカーにして皆で話しましょうか」

 

「ああ、状況は既定通りに推移しているようだね? 実に喜ばしいことだ。一緒に居るのは補習授業部かな。この結果を得られたのも君たちのおかげだ、礼を言おう。まさかゲヘナを頼るとは思わなかったものでね、端的に言えば窮地だった。しかし、まあ本当にそんなことをするとはね……クク」

「セイアさん、何か面白そうですね。確かに先生のおかげもあって上々の結果とは言えますが。……いえ、それはアリウスの今後のことですか?」

 

「そう。ありがとう、セイアが彼女たちのことを考えてくれて嬉しいよ」

「先生、それはどうだろうね? 私は予言者、錠前サオリの矛盾を皮肉っているだけかもしれないよ」

 

「へ? どゆこと?」

 

 ハナコ以外の補習授業部が疑問符を浮かべる中、ミカが聞いた。

 

「ああ、先生の演説の通りだ。錠前サオリの憎悪も大したことはなかったという証明さ。だから君の足止めのためにゲヘナを頼った。その行いが、実は自らの信仰に反するとも気付かずにね」

「アリウスの生徒は間違ったことを教えられている。君たちが隣人を愛せと教えられたのと同様に、彼女たちは隣人を憎めと教えられた。助かろうとしていない人は救えないからね、錠前サオリのその行動はアリウス生が間違った教えに気付くための大きな切っ掛けになりえるんだ」

 

「まあ、そういうことだね。錠前サオリは別にゲヘナを倒すために戦っているわけでもないということだ」

「……君たちは、その正体を知っているのかな?」

 

「いいや、分からない。だが、その存在は認知している。先生も気を付けたまえ、とは言うまでもないかな」

「忠告はありがたく受け取っておくよ」

 

「でも、行動を慎んだりしないでしょ」

「ははは、ミカには敵わないな」

 

 撤退する戦車の中で、笑い声が咲いた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第64話 家族の絆

 

 

 古聖堂での戦闘が収束した後、サオリ達スクワッドは廃墟の一室で息を潜めていた。もちろん、無作為に選んでなどいない。

 ここは事前に選出しておいた潜入ポイントの一つ。トリニティとゲヘナ、二つの国が相手とはいえ、そう簡単には見つけられない場所だ。そして、人海戦術で見つけ出される前に移動する手筈になっている。

 

「……リーダー、大丈夫?」

 

 ミサキがどうでもよさそうに聞く。とはいえ、普段それほど口を利かない彼女のこと。それだけサオリの状況が危ういことを示している。

 先生を撃った精神ダメージ、は気取られないようにしているけれど。それ以前に、戦闘による肉体的な目に見えるダメージだけでも相当だ。

 もっとも危うい役どころを担当し、総大将ながらに最前線に居た。

 

 正義実現委員長と刺し違える形で撃退し、更に補習授業部の戦車まで相手していた。更に更に、そこから休みなく戦い続けていたのだ。

 ――ゆえに、消耗が目に余るのも当然と言えた。

 

「問題ない。それより、気を抜くなよ」

「……なんで? ここは安全だっていう話じゃなかったっけ」

 

「ここまで計算外が連続するのであれば。……もしここで、あいつが来れば致命傷になりえる」

「あいつ?」

 

 計画は計画通りには行かなかった。いや、結果良ければ全て良しと言うならば――先生を撃ったのが実弾であれば計画通りだったかもしれない。

 それにしても、補習授業部の介入のせいで敵に立て直しの時間を与えてしまった。こちらのダメージと疲労は重く、逆に敵には予定していたほどの損害を与えられていない。

 

「とはいえ、まだ誤差の範囲だ。そう、これからのことを予定通りに進めれば……任務を達成できるだろう」

「……リーダー、もしかして傷が」

 

「問題ない、まだ動けるし頭もはっきりしている。ヒヨリ、隠しておいた物資は……」

「はいはい、今持っていきますよ……と。あれ?」

 

 ごそごそと家探し、というか事前に準備した物資を取りに行っているヒヨリが不審な声を上げる。

 自分が置いておいたはずのものに、なんだか違和感がある。

 

「ヒヨリ!」

「……っわ! きゃあ――」

 

 爆発した。もちろん、ヒヨリのミスなどではありえない。この場所を、スクワッドが来る以前に掴んだ者が居る。

 そんな者が居るとすれば……

 

「ここにはトラップを仕掛けておいた。逃がさないよ」

 

 スクワッドの思考を読める人間は、元々スクワッドでもあった白洲アズサを置いて他に居ない。

 

「ここでお前が出てくるのか」

「まさか姿を現すとはね……そのまま逃げ出しても良かったのに」

 

 忌々し気に見るサオリとミサキ。普通であれば、遅れを取る気はない。だが、今はそれほどの疲労を抱えていて、更にここで負傷しても後で致命的になりかねない。

 スクワッドはトリニティとゲヘナを相手に戦争を仕掛けた。悠長に休んでいる暇などありはしないのだ。

 とはいえ、ミカではないのだ。予想した通りにあの暴力の化身が来れば全てがぺちゃんこにへし潰されたが、目の前の敵はたかがネズミ一匹……

 

「えへへ、お久しぶりですね……」

 

 トラップにひっかかったヒヨリはと言うと、気弱な笑みで銃を抱えている。攻撃されたことには何の感慨も抱いていない。むしろ、攻撃するのは気が引けるが、それでも命令されたら撃つと――それは思考停止した兵士の様子だ。

 

「ああ、本当に久しぶりだ。私は、あなたたちがここまでのことを出来るとは思っていなかった」

「ふん、愚かだな。『機構』に『条約』、付け入る隙はいくらでもあったのは一目瞭然だろう」

 

「……そう、それだ。私たちに出来るのは、こんなことくらいのはずだっただろう?」

「きゃんっ!」

 

 ヒヨリが撃たれて倒れる。

 

「ヒヨリ!? 狙撃か……しかも、狙撃手を先に狙うということは!」

「――残念だが、それも外れだ」

 

 サオリ達が即座にものかげに隠れる。それが、アズサが誘導した動きだとも気付かずに。

 ずん、と腹に重くのしかかるような音が響いた。直後に地響き――建物そのものが壊れていく。

 

「……」

「姫!? 分かった、任せる」

 

 アツコは倒れたヒヨリを連れて脱出。そして、サオリとミサキも命からがら建物の崩壊から脱するが――

 

「ミサキ、そこは踏むな!」

 

 サオリの警告も遅く、ミサキは地雷を踏んでノックダウンした。アツコはヒヨリを抱えているため行動不能、この場では後はサオリのみ。

 

「……戦闘に突入する」

「愚かな!」

 

 4対1だったものを、トラップを用いて1対1に追い込んだ。アズサは立て直す暇を与えず急襲し、サオリは受けて立つ。

 

「「――ッ!」」

 

 銃種は奇しくも同じ、アサルトライフル。いや、生い立ちを考えるのであれば同じであって不思議はない。

 サオリは飛び退いてかわした後に銃弾を放つが、アズサも鏡映しの同じ動きで飛び退いてかわす。

 

「……まだだ。行くぞ!」

「アズサ――その程度でこの私を倒せる気か!?」

 

 やはり動きはともに同じ。障害物を壁に見立てたパルクールで縦横無尽に疾走しつつ銃弾をばらまいて敵の体力を削る戦法だ。

 しかし、同じ戦法で1対1ならば経験が勝る方が勝利するのが当然である。アズサの決意は尊いかもしれないが、体は血肉でできている。師弟の絶対的な差は埋まらない。

 

「はぁ、はぁ、はぁ……」

「……相変わらず未熟だ」

 

 アズサは膝を着き、サオリは油断なく敵の急所を狙っている。これがただの勝負であれば、サオリに1本が入っていた。

 

「何も考えずに突撃とは、正気かアズサ? お前の特技はゲリラ戦、その中で相手の隙を突くことだ。それを自覚しているだろうに、私と正面から戦って勝てると思ったのか?」

「ぐっ、うぅ……! サオリ……この状況、何が目的だ……!」

 

 膝を着いたまま、アズサは問いただす。確かにこんな行動に出てもおかしくないだけの動機はあった。

 だが、アズサは何も知らなかった。古聖堂、聖徒会――あんな”特異現象”など聞いたこともない。

 いや、もしかしたら動機ですらも。なぜなら予言者が見抜いたように……アズサだってサオリの憎悪がただの建前なのだと知っていた。ゆえに思うのは一つ、利用されているはずなのだ。

 

 特異現象を使っている立場ではなく、ただ踊らされているのだと言う確信を確かめに来た。

 

「……ミサキ、残りの時間は?」

「あと5分ぐらい。そろそろ状況を把握して、両学園の予備兵力が到達することだと思う」

 

「十分だな……姫、ヒヨリを起こしておいてくれ」

 

「お前がわざわざ来てくれて、手間が省けた」

「……」

 

 種明かし、とでも言うようにサオリは皮肉な笑みを見せる。ただの敵を前に冥途の土産などと無駄な時間を取る女ではない。

 サオリはサオリで、アズサには想うところが大きい。無視できないほどに。

 

「お前の裏切りによって、多少計画にずれは生じたが……まあ誤差の範疇だ。ミカはあらゆる意味で危険因子だったが、幸いにもあのバカは調印式を止めなかった。危険分子はナギサが残っているが、まあ時間が利するのは我々だ。無限の戦力で磨り潰してやるさ」

 

「シスターフッドまで一気に処理できたことは、まあ予想外の成果だったな。……何が起きているのか、教えてやろう。私たちは『エデン条約』を奪い去った」

「……」

 

 アズサは、まるで宇宙人の話を聞いているような顔だ。意味が分からないというより、それはどんな漫画の話だとでも言いたげな。

 

「条約が締結される古聖堂に巡航ミサイルをねじ込み、邪魔者たちを片付けた、そして条約の内容を捻じ曲げたのさ。理解できない、という顔だな」

 

 そんなアズサを、サオリは小ばかにしたように笑う。スクワッドの仲間が、口々に補足をする。

 

「…………アズサ、忘れた? 私たちには『トリニティ』としての資格がある」

 

「この条約は『第一回公会議』の再現。あの時までは各派閥がそれぞれ権力を持っていた。そして公会議当日全ての派閥が集まって新たなトリニティとなった……ただし私たちアリウスを除いて」

 

「だから私たちは何も変わっていない。まだ形式としては、権限を持っている。トリニティとゲヘナの間で紛争が起きた時、『エデン条約機構』がそこに介入し、紛争を解決する。これがエデン条約。ただそこに、エデン条約機構はアリウススクワッドが担うと書き添えた。ただそれだけ」

 

「そ、それだけでは大して、意味がないようにも思えますが……戒律は本物なので、複製(ミメシス)できれば……」

 

「『ユスティナ聖徒会』。戒律の守護者にして、トリニティの伝説的な武力集団。正確にはその複製だが、戒律を守護する存在だ。すなわち、私たち『ETO』を助けることになる。トリニティとゲヘナの敵対行為は、神聖なる戒律への違反行為。つまり紛争の原因であり、鎮圧対象だ」

 

 三人の話を全て聞いて、アズサは天を仰ぐ。まさに宇宙人の論理といった意味の通らない話ばかりだが、分かる場所だけを繋げれば見えてくるものもある。

 それは、サオリの狙いだ。そして、摩訶不思議な論理も、顕現のために条件を満たす必要があったということだから無視して良い。

 

「……ようやく理解した。この襲撃は単に各学園の首脳部を狙ったものでもなければ、事態を混乱させるためのものでもない。エデン条約の書き換え……それによって、あの不可思議な兵力を確保することが目的だったのか……」

 

 アズサは4人を睨みつける。なんてことをしたのだと。

 

 そう、それはアズサにとって許せないことだ。無限の戦力、それで起こるのは終わりのない戦争。

 ――かつてのアリウスで見た光景がキヴォトス中に広がる。手に残るは銃のみ、皆が飢え果てる地獄の窯だ。

 

「……」

「やめておけ、姫。今は無駄だ。あいつの意地を折るのはそう簡単じゃない……前々からそうだろう? ……その意地を、思いを、すぐ傍で煽る存在がいたんだろうな」

 

「この世界の真実を隠し、事実を歪めて、嘘を教える……そんな悪い大人が。まあ、その先生も既に片づけた。だから後はもうゆっくり教えなおせば良い」

「……っ!」

 

 アズサが、息を呑んだ。許せなかった、先生と補習授業部を汚されるような気がして。

 

「……トリニティでは楽しそうだったな。あの生活は楽しかったか? 好きな人たちと一緒にいること、お前を理解してくれる人たちと一緒にいることは」

 

「……虚しいな。思い出せ。お前を理解して受け入れてくれるのは、私たちだけだ。ここがお前の居場所だ」

 

「お前はその真実から目をそらし、甘い嘘に目がくらんだ。そしてその弱さが、お前をこうして敗北させている。……私たちを止めたいか?」

 

「ならば私のヘイローを破壊してみろ、白洲アズサ」

「……!」

 

 サオリは自らの銃で、自分のヘイローを指し示す。

 

「条約の主体である私たちが存在する限り、この戒律は永続していくだろう。ヘイローを壊しでもしない限りはな」

 

「今のお前に足りないのは殺意だ……しかし、お前にそんなことができるか? あのセイア暗殺の任務からも逃げたお前が」

「……カルネアデスの船」

 

 ぽつりと呟く。それは以前にセイアと話した時の話題。

 アドバイスを与えた責任として、もう一度話す機会を作ってくれた。セイアは、まだ病室の住人とは言え行動できるのだから。

 

「は? カルネアデス、だと? 古則の一つか。だが、聞いたことはないな」

「かの予言者が教えてくれた、昔の人が残した問いだ。修理して、繕って――その果てにオリジナルの一片すらも無くした”それ”は、果たしてカルネアデスの船と呼べるのだろうか?」

 

「感傷だな。名前などどうでもいい、道具はただ役目を果たせれば……それでいい。それだけでいい」

「いいや、それは違うさ。違うと、教えてくれた。全て入れ替わって、別物に成り果てようとそれはカルネアデスだ。なぜなら、思い出は裏切らないから。最後に虚無へ帰るものだとしても、それがあったという事実は消えない」

 

「だからなんだと? ああ、トリニティはあったさ。だが、私たちが無に帰してやろう。別物になる余地など微塵も残さず粉々にしてやる。ああ、セイア暗殺の失敗の尻ぬぐいも私がしてやろう。なに、トリニティを更地にすれば奴も終わりだ」

「分からないか? 例え目を覆いたくなる悲惨な結末になったとしても、私が補習授業部で過ごした日々は嘘にはならない。消えることはないんだ」

 

「私たちを騙そうとしてまで、綺麗な場所に残ろうとする……そんなお前には、トリニティを守るなど無理だよ。貴様の大切な三人も始末してやる。思い出が消えずとも、未来を虐殺することはできるのだから」

「違う! 嘘にならないのは、あなただ! 私はあなたを止めなければならない……けれど、それで過去が否定される訳じゃないんだ。――サオリ姉さん!」

 

 それは、アリウスの日々は無くならないという宣言。アズサは確かにトリニティに居る、けれど、昔の日々を消し去りはしない。

 敵になったとしても、家族の絆が断ち切られることはないと。

 

「……ッ!?」

 

 姉さんと呼ばれて、サオリの銃口が一瞬ブレた。

 

「おおおおお!」

 

 その隙を狙って、アズサが撃つ。

 

「ぐっ! だが、貴様ごときにやられる私ではない! いい加減に諦めてしまえ!」

 

 まともに当たるが、サオリは気合で耐えて反撃を返す。

 

「諦めるものか! 私は、私たちのような子供が二度と生まれないように……! 姉さんこそ、銃弾程度で私が止まると思っているのか! 私が、誰に育てられたと思ってる!?」

「――アズサァァ!」

 

 このままではやられると見たアズサは、銃撃に当たりながらも踵を返す。これ以上は他の三人まで参戦しかねない。

 けれど、逃げる途中で取り落としてしまったものがある。

 

「また逃げる気か、アズサ!?」

 

 サオリが追いかけようとするが、キャタピラの音が聞こえてくる。虱潰しに捜索されるのは読めていたが、タイミングが悪い。

 しかも戦車だ、ここで戦いたい相手ではなかった。

 

「リーダー、ティーパーティー傘下の砲撃部隊みたい。予想より早かった」

 

 ミサキの声に、サオリが足を止めてぬいぐるみだけ拾う。

 

「そうだ、追いかける必要はない。これがある限り、あいつは戻ってくる」

「それは……」

 

「カルネアデス……いや、大事な大事な友達の証だ。継ぎ接ぎして修理しようにも、本体が無ければどうしようもないだろうからな」

「……リーダー」

 

「――ん? なにか、音が」

 

 手に持つぬいぐるみに違和感を感じたサオリが、ナイフを取り出してそれの腹を裂いてみる。

 本来なら綿しか見えないはずだが、そこには見覚えのある爆弾が詰まっていた。

 

「……ッ!」

 

 その直後、爆発した。

 

「アズサ……」

「……」

 

 サオリは血を流しながら、傷ついたアツコを抱えている。爆発の直前にアツコが庇って、爆発の盾になった。

 

「よくも、よくも姫を……! 絶対に許さない……!」

 

 血涙を流しながら、誓いを立てた。

 

「お前にそんなことができるか!! 私たちの怒りに、憎しみに、恨みに! 耐えられるとでも思うのか!!」

 

 必ずや、姫の傷の代償をお前に払わせてやると――月夜に吠えた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第65話 再起

 

 

 単身スクワッドの隠れ家に乗り込み、そして爆破したアズサは今……

 

「うう……ううう……ッ!」

 

 膝を抱えて泣いていた。ついに人殺しになってしまったという慟哭。そして、もう戻れないという悲しみ。

 自分は、あの優しい人達と関わってはいけない類の人間に堕したのだと。

 

「――」

 

 だが、自らの内で声が響く。

 

(まだ終わってはいない。ここで折れてはいけない)

 

 前へ前へと促す声。そう、まだ成し遂げたわけではないのだと。

 

「……終わっていなかったと言うのか」

 

 遠くから聞こえてくる戦車の音。それは聖徒会がまだ消えていないことを示す。サオリを殺せば止まると、本人から聞いた。

 そして、あの状況で嘘を吐ける人じゃない。つまり、生きている。

 

「ならば、動かなくては」

 

 殺すと決意するのは凄まじい覚悟がいる。そして、仕損じたからにはまた始めから決心はやり直しだ。

 むしろ、一度目の決意より熱量が必要かもしれない。けれど、アズサは立ち上がるのだ。

 

 昔、サオリに助けてもらった。恩を返すだなんて、口が裂けても言えやしない。けれど、助けてもらったことには感謝している。

 だからこそ、”人を助けるため”に行動する。損得なく人を助けたあの人のように……あの人を裏切ってでも。

 

「……百合園セイア」

 

 スマホから電話をかける。

 

「ああ、君か。その様子だと仕損じてしまったようだね?」

「起爆したのは確認した」

 

「ふむ。通常の兵器であれば使用期限を考えるがね。試作の最新兵器だと、1年ももたないこともあるかもしれない。それかもしや、前提条件でもあったのか」

「……」

 

「あれは百合園セイアのヘイローを壊す爆弾だったということかもね? 錠前サオリのためのチューニングがあるのかもしれない。いや、解析なんて出来なかったからあてずっぽうだけど」

「セイア、確認させてくれ。サオリは生きているのだな?」

 

「それを誰かの口から聞きたかったのかね? トリニティではまだ彼女を追い続けているよ。それと、とある場所の爆発痕には影も形もなかったことは教えておこう」

「……そうか」

 

 重苦しく黙りこくった。

 

「さて、君はまだやるかね? 実は残った装備弾薬は少ないと見ているのだが、どうだろうか。今日、君は補習授業部の皆と一緒に助けに来てくれたが事前の戦闘準備をする暇はなかったはずだ」

「それでもやる。諦めの良さを教わった覚えはない」

 

「……君の姉同然の人かね? しかし、彼女は無策で突入しろと言っていたかな」

「関係ない。それに、施しを受けたくて連絡した訳じゃない」

 

「教えた場所に補習授業部が居ては困るから、かな?」

「――あなたは、以前にカルネアデスの船について話してくれた」

 

「うん? ああ、話す機会があったときに話題にしたね。全ての構成材料が丸々入れ替わったとして、それは果たして以前と同じものであるのかどうか。私は、思い出が失われることはないと言った」

「それは修理だけではないはずだ。改造することだってある。……エンジンをもっとパワーの出るものに変える。塗料を塗り替えて耐久力を上げる。居住性を上げるために部屋を改造することだってあるかもしれない」

 

「確かにそうだね。修復やダウングレードのことばかり考えていたが、性能を上げることだってある。それを、前と同じく呼ぶか、それともカルネアデスの船Ⅱと呼ぶかはその人の思い入れ次第であろうと思うがね」

「それは、本当に良くなったのだろうか?」

 

「ふむ。と言うと?」

「エンジンのパワーを上げたばっかりに、船体に負荷がかかって折れる。他には部屋を改造したらそこから浸水が始まった。良くしたつもりが改悪だったことはよくある。……良くなっているのだろうか? 前と――アリウスが弾圧された数百年前と、そして今は」

 

「少なくとも、錠前サオリの野望が達成されればその数百年前よりもよほど状況が悪くなるのは間違いがないね。キヴォトス中が戦火に呑み込まれて、人々は飢えながら暴徒に怯えて暮らすようになる」

「では、今は? 野望はまだ達成されていない、地獄になっていない今の話だ。現代と比べて数百年前の方が良かったようなことがあれば……私は、何のために戦っているのだろう」

 

「以前は私は問いかけるのみだった。だが、今は回答者になるとしよう。私は私で、友でありたいと願う人が居るから戦っているのだから。……良くなっているとも。数百年前だと? そんな石器時代よりも今の文明社会の方が良いに決まっている。私はかよわいからクーラーの効いた部屋以外では過ごせないんだ」

「……セイア、身も蓋もない言葉だな。それに、さすがに石器時代は数百年前よりももっと大昔なのは私だって知ってるぞ」

 

「だが、事実だ。人は機械を捨てられない。それにだ、コンビニあたりでは毎日大量の弁当が棄てられているが……それは、裏を返せば棄てられるほど食料が余っているのだよ。確かに飢える人が居る事実は認めざるを得ないがね。しかしこれだけ棄てられているのだから、もうちょっと頑張れば――もっとたくさん棄てて、だが飢える人だって食べられるようになるのではないかな? まあ、実際には宗教など複雑な事情が絡んでくるのも事実だが」

「なるほど。ああ、その通りだと思う。実際、私は多くの教育を受けたが実際の数百年前など知らない。だけど、きっと現代の方が飢える人は少ないのだろう。さらに発展すれば餓死する子供なんて居なくなるはず、特殊な事情を除いて。……ああ、私はそのために戦うのだと、再確認できた」

 

「……まあ、その未来が残っていればの話だがね」

「セイア?」

 

「なんでもない。しかし、やはり君は一人で戦うのだね? 君が望めば、精鋭を集めた突入部隊にねじ込むことだって出来るのだよ」

「すまない。これは、家族の手で送ってやりたいと思う私の我儘だから」

 

「なに、気にすることはない。皆、自分の我儘で動いている。きっと――本当に、誰かのために動けるとしたらそれはミカちゃんだけなのかもしれない」

「それと、先生も」

 

「……くく、それもそうか。なんのかの言って、私はまだ先生のことをよく知らないらしい。この件が片付けば、ちゃんと話してみたいものだ」

「話せるさ。――私がそうする」

 

「何を言っても覚悟は揺らがないようだね。せめて、君のヘイローが失われることが無いように祈ろう」

「……それに意味はない。私に帰る場所はないのだから。刺し違えてでも、キヴォトスに平和をもたらすだけだ。その後は、なにもない」

 

「アズ……」

 

 答えは聞かずに通信を断った。

 

「――」

 

 通信を終えた後に見えたのは、大量の着信履歴。それは、補習授業部から来たもの。先生のも、入っている。

 

「私は、もう戻れないから……!」

 

 スマホを地面に叩きつけようとして、しかし出来ずにある番号に指をかける。

 

 

 

 そして、トリニティでは会議が行われていた。

 

「――さて、皆様集まっていただきありがとうございます」

 

 ナギサが集めた作戦会議の総本山。トリニティに存在する幾多の組織が説明を求めたり、抗議したりしていたがナギサは全て無視してこの場に来ていた。

 

 集めたのは正義実現委員会、救護騎士団、シスターフッド。ここにミカのパテル分派と、セイアのサンクトゥス分派で6つの勢力だ。

 トリニティの行く末を決める権利を持つのはここであるのだと、内外に示していた。

 

「古聖堂での戦闘は終了、負傷者の収容も完了しました。ああ、先生も無事です。もしもの時を考えて医務室に居てもらっていますが、実際には入院の必要もありません」

 

 現状を総括、あと先生についてはかなりセンシティブなので公表されていることをもう一度言う。

 トリニティの性質上大本営発表と疑われることは避けられないが、さすがにこの場では嘘は言わないから二度目は必要だった。

 

「もし古聖堂から敵が攻めよせてきたときの防衛は、暫定的に正義実現委員会に担当してもらっています。今は各々、次の戦闘開始に向けて準備をしていただいているものと思っています」

 

 ナギサが朗々と話し、各勢力の長は無言で首を縦に振って答える。戦争は一旦膠着状態になった。ならば数時間程度で次の戦争準備の一つも整えられなければ、キヴォトスで大組織などやっていられない。

 

「では、現状を確認していきましょう。古聖堂の戦闘にて確認できたアリウススクワッドは3名。錠前サオリ、戒野ミサキ、槌永ヒヨリ。最後の秤アツコの姿は確認できませんでしたが、ミカさん?」

「ううん……それはツルギちゃんに聞いた方が良くない? 私が知ってる情報は皆知ってるでしょ」

 

 唯一知らなかったシスターフッドも、古聖堂から引き上げた後に資料は貰えていた。まああ、今も苦い顔はしているけれど。

 

「それでは、私から。現状、秤アツコはスクワッドの3名と行動をともにしているとの目撃情報がありました。何かしらの役割を終えたのでしょう」

「あの特異現象を操るための条件に必要だったのかな? ま、それももう終わったっぽいね。それでも、トリニティは滅んでない。――ふふん、希望は見えてきたね。ハスミちゃん」

 

「ええ、ミカさん。特異現象を操るためにも条件がある。自らは姿を隠し、古聖堂で湧いた戦力をそのままトリニティに差し向ければ壊滅は必死……なのにしていないということは、できないということ他ならない」

「――それについてはシスターフッドから報告が。ナギサ様から”依頼”を受けて偵察を行いました」

 

 サクラコが意味深な笑みを浮かべて口を挟む。その口調からは裏取引しか読み取れないが、まあ手柄に困っているシスターフッドに危険な役どころをお願いしただけだった。

 

「一団で古聖堂で戦闘を開始すると特異現象が湧きましたが、撤退してみたところ追いかけては来ませんでした。その時にスクワッドの姿は確認できておりません。なお、トリニティの方角へ撤退することもしておりませんので」

「誘因は難しいですが、逆に古聖堂から出るのも難しいか条件があるのでしょう。少なくとも、スクワッドは居る必要があるのでしょうね」

 

「じゃ、こういうことだね? ナギちゃん。あいつらが来る時はスクワッドが指示を下しているはず。だから特異現象を乗り越えて直接潰す必要があるわけだ」

「それに関してですが、ミカさん。奴らの切り札、アンブロシウスとやらの戦力についてはどうでしたか?」

 

「ああ、あの時は私が相手してたもんね。……うん、手強いよ。あいつは私かツルギちゃんが相手した方が良いと思う。でも、時間稼ぎなら一人で十分」

「それほどですか。幸いにも、まだ時間はあります。それに、トリニティの歴史でここまでの連携が出来ていたこともないでしょう。力を合わせれば、必ず――」

 

「遅い」

 

 ダン、とミネ団長が拳を振り下ろした。

 

「救護対象が目の前に居るのです! すぐに向かわなくてどうしますか!?」

「ああ、いえ。ミネ団長。その……スクワッドは目下捜索中で、こちらが見つけるか敵が攻めてくるかが先かの話をしているのですが」

 

「まだ行方不明者が居ます! 即座に古聖堂を制圧するべきです!」

「ええと……それは難しいかと。あの、攻めると特異現象が現れるので周囲から見張っている状況でして」

 

「シスターフッドは救護騎士団に賛成します。確かにトリニティ本部の守りを薄くすることはできないとはいえ、戦力を派遣することはできるはずです」

「いえ、正義実現委員会は反対です。こちらの弾が要救助者を傷つけることになっては本末転倒、あまり戦闘行為を前提に考えるのは……」

 

 紛糾する議論、決まらない結論。とはいえ、戦闘という方針は変わらない。ボスたちがここで口論を繰り広げている間、下の者は淡々と準備を進めている。

 

 そして、隙を伺ってミカ、ナギサ、セイアは一度議場を出た。

 

「……まったく、面倒なものだね。こんな会議は徒労だと言うのに」

「あはは。待ってれば先生が解決してくれるもんね。予知で知ってるのは変な気分だなあ」

 

「セイアちゃん、ミカちゃん。しっかりやってくださいよ。確かにこの会議は徒労かもしれませんが、この会議を開いたと言う意味は持ちます。というか、やらなかったらティーパーティー失格ですよ。ゲヘナの羽沼会長じゃないんですから」

「うげ。あんなのと一緒にされるのは勘弁」

 

「ああ、そういえばアズサが錠前サオリと戦闘を行ったようだ」

「……どういうこと?」

 

「私を睨みつけないでくれ、ミカちゃん。彼女はそういう人間だろう? ああ、彼女については私の方が良く知っているのか」

「だね。予知でも、今でもあんまり話してないもん」

 

「ヘイロー破壊爆弾は効果を発揮しなかったようだ。だが、彼女はもう一度挑むようだ。おそらく、これが……」

「おや? ヒフミちゃんから着信?」

 

 ミカはセイアの話を聞かずに電話に出る。話を終えると、悪戯っぽくニヤリと笑う。

 

「皆、私は行ってくるね」

「……まったく、もうちょっと政治のことを考えてください。授業の早引きではないんですよ」

「だが、必要なことではあるだろう。君が変われたのは、彼女のおかげでもあるのだろうから」

 

「――じゃ、あとよろしく!」

 

 ミカは走り出し、ナギサとセイアはため息を吐いた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第66話 決着

 

 

 走り出したのはいいものの、ミカはうるさい声に気付く。

 

「ん? あれ、どうしたの。こんなに集まっちゃってさ」

 

 パテル分派で見た顔と、あとは見たこともない顔。いや、実は分派でも結構覚えていない顔はあるけど、制服が違うから見てわかる。

 

「――おお、ミカ様!」

「そこに居ましたか!」

 

 なにか騒ぎ出した。

 

「特異現象だのなんだの言っていますが、ゲヘナの奴らが悪いに決まってます!」

「そうだそうだ、ゲヘナが悪い!」

「なのにティーパーティーも正義実現委員会もゲヘナに派兵しない!」

 

 言っていることは文句のオンパレード。まあ、ミカだってこういうものを利用してティーパーティーのホストに成り上がったのではないかと指摘されればぐうの音も出ないけど。

 

「ミカ様! 今こそ私たちの旗印に!」

「いけすかないゲヘナの奴らをぶっ潰すのです!」

「倒せ! 倒せ! ゲヘナを倒せ!」

 

 ゲヘナに対する憎しみのシュプレヒコール。自分もこんなんだったのかと思うと、ミカとしてもため息が出てくる。

 ゲヘナが嫌いなのは仕方ない、自分もそうだ。

 

 --だが、これは。

 

「だから何? やりたければやればいいじゃん。別に今の状況って宣戦布告なんて要らないよね? そもそもナギちゃんを飛び越えて宣戦布告って何? って話だし」

「あのような平和主義者の言葉など関係ありません! ゲヘナさえ攻め滅ぼしてしまえば、奴だって我々を無下には出来ません!」

 

「いや、我々って何さ。私を入れないでよ。好きにすればいいじゃん。誰かに命令されないと憎むことすら出来ないの?」

「「「……」」」

 

 あまりに鋭い言葉に、群衆は言葉を失った。

 

「あのさあ、暴れたいなら暴れれば? ゲヘナはそうしてる。あなたたちは誰かに命令してもらいたがってるけど、それ責任取りたくないってだけじゃん。自分は言われただけ、やらされただけって……ゲヘナでもそんな言い訳しないと思うな」

「――ふざけるな!」

 

 激発した言葉、そして銃撃が撃たれる。

 

「おっと」

 

 ミカはひらりとかわした。

 

「私たちがゲヘナと同等……いや、それ以下だと!? ティーパーティーだからと言って、そんな侮辱を人にして許されると思うな!」

「そうだ! 聖園ミカを引き吊り落とせ!」

「あの魔女を磔にしてしまえ!」

 

 だが、激高する群衆はもはやミカを戦闘の対象として戦闘が始まる雰囲気だ。

 

「ああ――なんか凄いことになっちゃった。でも、ごめんね。用事があって、あなたたちに構ってあげる時間はないの。じゃあねっ!」

 

 パルクールじみた動きで門の上をつたって駆け抜けていってしまった。怒りに燃える群衆はそこに取り残される。

 

 

 

 そして、聞いていた場所に向かって走る。声が聞こえてくる。どうやら、間に合ったらしい。

 

「なんだ、お前は?」

「普通の、トリニティの生徒です」

 

 膝を着いたアズサに銃を向けるサオリ。そして、そのサオリは乱入した一人の少女を誰何している。

 

「確かに私は普通で、何のとりえもない生徒です。でも!! アズサちゃんは一つ、大きな間違いをしています!!!」

 

 だが、問いかけられたヒフミはアズサに向かって言葉を紡ぐ。

 

「今ここで、私の本当の姿をお見せします!!! 私の正体、それは……『覆面水着団』のリーダー、ファウストです!!」

 

 バっと6の番号が書かれた紙袋を被った。

 

「え?」

 

 アズサは呆気に取られた顔でヒフミを見る。なんだ、そのおふざけはと。

 

「見てください、この恐ろしさ! アズサちゃんと並んだって、全然見劣りしないほど不気味でしょう! こっちの方が恐ろしくて怖いという人だっているはずです!」

「ひ、ヒフミ……? ヒフミ、いったい何を――」

 

「だからっ!」

 

 戸惑うアズサに、ヒフミは必死に声をかける。

 

「だから私たちは、違う世界に居るなんてことはありません。同じです! 隣にだっていられます!」

 

「だから世界が違うだなんて、一緒にいられないだんて……そんなことを言わないでください!」

 

「拒絶されても、すぐ近くに行って見せます! 私は……! 私は、アズサちゃんの傍に居ます! こうやって、すぐ触れるところに……!」

 

 万感の思いを込めて、言い放った。

 

「ヒフミ……でも、私のためにそんな嘘を言ってくれたところで……」

 

 だが、アズサは目を伏せる。全て嘘だと、そんなことは疑うまでもない。確かに思い込んだら一直線なきらいはあるけれど、まさかブラックマーケットに侵入するような危険人物なはずがない。

 ヘイローを壊したような人間未満が辿るお似合いの末路、闇が凝るごみ捨て場。ヒフミは、そんなブラックマーケットのブの字も知らないはずだから。

 

「誰が嘘だって!?」

 

 けれど、後から響いたのは知らない声。トリニティのそれとは違う、しかし鉄火場を知る者の声だ。

 それだけで強者と分かる自負の裏付けがあると分かる。

 

 --アビドス対策委員会。ヒフミと、そしてミカが紡いで来た絆。

 

「目には目を、歯には歯を。無慈悲に、孤高に、我が道のごとく魔境を行く」

「ん、それが私たちのモットー」

「普段はアイドルとして活動してますが、夜になると悪人を倒す副業をしてるグループなんです♧」

「別にそれ私たちのモットーじゃないから!? あと変な設定付けないで!」

「覆面水着団のリーダーであるファウストさんのご命令で、集合しました!」

 

 がやがやと騒がしくお茶らける声。

 だが、それははったりなどではなく――キヴォトス屈指の危険人物である錠前サオリの前でそれをしても問題ないほどの強者達であった。

 

「なーにうちのリーダーを泣かせようとしてるのかな~? ねえ、そこの君たち? どこの誰だか知らないけど、知らないよ? うちのファウストさんは怒ると怖いんだから」

「何せファウストちゃんは最終的に、カイザーコーポレーションの幹部を倒しちゃったようなものなんですよ」

「ブラックマーケットの銀行だって襲える。朝飯前みたいに」

「それにこの間なんて、カイザーPMCを砲撃で吹っ飛ばしたんだからね!」

「そうだよ、恐ろしいんだよ~? 生きて動く災いと言っても過言じゃないし、暗黒街を支配するボスみたいなものなんだから!」

「うん、それがファウスト」

「ファウスト! ファウスト!! ファウスト!!!」

 

 アズサはぽかんと口を開けた。いや、確かに彼女たちは実力者なのだろう。だが、アズサの知る強者とは言わずと知れた錠前サオリに、正義実現委員長やシスターフッドを襲うミカ。

 シリアスの極みだったそれらと比べて、空気感が違いすぎる。

 

「――ッ!」

 

 ヒフミは恥ずかしくなったのか、紙袋を取ってしまった。

 

「知ったことか。無限に増殖する『ユスティナ聖徒会』の前では等しく無意味! 無為に砕け散るがいい、アンブロシウス!」

 

 アンブロシウスが巨大な手をアビドス対策委員会に伸ばす。けれど、相対する面々は恐怖に顔を歪めることもなく、なんてこともないように振り下ろされる手を見る。

 攻撃どころか、防御すらしない。そんなことをする必要などないと言わんばかりに。

 

「――おっと、忘れられちゃ困るな。伝説のNo7は、その姿を見せてないんだから」

 

 そして、ミカがその腕を撃ち落とした。

 

「聖園ミカだと!? ここで来るのか! このおふざけ集団は、貴様が主ということか!」

「いやいや、ボスはヒフミちゃ……ファウストだって言ったでしょ」

「ミカちゃん!? なんで言い直したんですか!」

 

「っは! ……むしろ好都合だ。アズサだけではなく、この場の全員に知らせてやれ」

 

 アビドス対策委員会はターゲットではないが、見れば強者とは知れる。だが、古聖堂の時よりは与しやすしと笑みを浮かべる。

 なにせ、ウザかった聖園ミカがここに居る。正義実現委員会と合流される前に潰せるのは望外の幸運だ。

 

「この世界の真実を……殺意と憎しみに満ちたこの世界で、あらゆる努力は無駄なのだと。あがこうと何の意味もない、全ては無駄なのだということを!」

「それでも、私は……!」 

 

 力のない少女。ヒフミは今この場にいる人間の中では、場違いと呼べるほどに弱い。だから、ただの一般人と自称している。

 けれど、これだけの戦力が集まったのはヒフミだからで――ヒフミでなければ、こうはなっていなかった。

 

「アズサちゃんが人殺しになるのは嫌です。そんな苦しくて憂鬱な話、私は好きじゃないんです!」

 

「私には、好きなものがあります。平凡で、大した個性も無い私ですが、ゆずれません」

 

「苦しいことがあっても……誰もが最後が笑顔になれるような……そんなハッピーエンドが、私は好きなんです」

 

「私たちが決めるんです。終わりになんてさせません。私たちの物語……私たちの、青春の物語を!」

 

 宣言した。それと同時に、重苦しい雨の中に温かな光が差す。

 

「天候が……」

「気象の操作……いや、これは……?」

「き、奇跡、ですか……?」

「奇跡なんてない! 何これ……! まさか、戒律が……?」

 

 戸惑うアリウススクワッド。そんな特異現象など知らない。それどころか、自分が手にしていたはずの特異現象まで様子がおかしくなっている。

 

「ここに宣言する。私たちが、新しいエデン条約機構」

 

 そして、先生が言葉を紡ぐ。

 

 シャーレが連邦生徒会長を代行する。そう解釈できるように捻じ曲げた理屈は、トリニティやアビドスには分からない。

 

 だけど、先生が居てくれれば何とかなると――それだけは信じられる。

 

「アリウスと、同じ……条約の主体であるゲヘナ、ティーパーティー、正義実現委員会、そして風紀委員会たちが集まって……かつて古聖堂があった廃墟で……」

 

 サオリが、呆然と先生を見つめる。起きた事象、その理解を脳が拒んでいる。理解できるが、したくない。

 それは、自分の手駒が奪われたということ。……勝ち目が消え失せたという事実。

 

「条約の発起人である連邦生徒会長の代わりに、先生が……楽園の名を冠する約束を、再現した……?」

「……」

 

 先生は、ただ優しくサオリを見返している。

 

「契約を曲解し、歪曲し、望み通りの結果を捏造する……大人のやり方には大人のやり方で、か」

 

 だが、対するサオリは同情かと吐き捨てる。そんなものは要らない、叩き返してやると。

 

「っ、知ったことか!!!! ハッピーエンドだと!? ふざけるな! そんな言葉で、世界が変わるとでも!? それだけでこの憎しみが、不信の世界が変わるとでもいうつもりか!? 何を夢のような話を……!」

「生徒たちの夢を……その実現を助けるのは、大人の義務だから。私は生徒たちが願う夢を信じて、それを支える。生徒たち自身が心から願う夢を」

 

「その様な夢など、全て壊してくれる! この冷たい現実で、絶望のうちに儚く消え果てよ! 立ち上がれ、アンブロシスゥゥゥ!」

 

 サオリは無為と分かってもその憎悪に身を任せる。勝ち目などないと頭の冷静な部分が囁いているが、怒りの業火が脳を焼くのだ。

 この炎をとどめておくことなどできはしない。

 

「……皆、頼むよ」

 

 先生が、悲し気に受けて立つ。生徒たちが、号令の下に集合する。

 

「「「――はい」」」

 

 戦闘を開始する。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第67話 新しい道

 

 

 

 単身スクワッドに再度戦いを挑んだアズサは敗れた。けれど、ヒフミが補習授業部と覆面水着団を引き連れて助けに来た。

 そして、先生が条約を結びなおすことで聖徒会は機能不全に陥った。望みが断たれたと知ったサオリは、しかしアンブロシウスを繰り出す。

 

「全て壊せ! アンブロシウス! この場を亡骸で埋めつくせ! ヘイローの一つも残すな!」

 

 立ち上がる巨大な異形。強力な個体であるのは確かだが……

 

「そおりゃ☆」

「ちょっと早すぎるよーミカさん、おじさん合わせるのも大変だってえ」

 

 キヴォトス有数の強者二人が力を合わせれば、もう攻撃することだって許されない。勝てるわけがなかった。

 

「先輩がサボってるだけでしょ。こんな奴、私たちだけで倒せるわよ!」

「ん。動きが鈍い、でかいだけのカモ」

 

 さらに、他のアビドスも攻撃している。

 

『みなさん、弱点を見つけました。情報を転送します』

 

 ミカとアビドスに文字通り削られて、もはや敵を倒すどころではないアンブロシウス。更に、居場所がバレたために正義実現委員会と風紀委員が近づいてくる。

 仲違いに一縷の望みを託そうにも、前回の戦闘時点ですでに共闘していた。馬鹿な万魔殿の勢力ならばやりようがあったかもしれないが、そもそも万魔殿に派遣できるほどの戦力はない。

 

「くっ……!」

 

 アンブロシウスが絶望的な戦いを続けている横で、サオリは踵を返して走り出す。

 

「リーダー……」

「サオリさん……」

 

「もうユスティナ聖徒会はまともに動作してない。ETOが二つになった時点で、戒律は意味をなくしつつある……」

「残った聖徒会も、アンブロジウスも、もう……」

 

「手札が無いね……私たちの負けだ」

 

 付いて行ってる三人だが、しかしもう状況を覆せないのは分かっている。暗い顔で、訥々と呟くように話している。

 

「サオリ……もう諦めて」

 

 そこに、アズサが追いかけてきた。そもそも聖徒会をまともに使えない時点で逃げられるはずがない。

 100mかそこら走ったとして、そこで正義実現委員か風紀委員に制圧されるだけだ。

 

 だから、これは悪あがきなのはサオリも分かっていた。

 

「ふざけるなっ!!」

 

 だが、納得できない思いがある。マグマのように沸き立つ激情、先生の言った意味が分かった。

 ああ、こんなものを抱えていては潜入任務などできるはずがない。

 

 後に続かないと知ってなお、その顔に銃弾を叩き込んでやりたくて我慢が出来ない。

 

「どうして、どうしてお前だけ……!! 私たちは一緒に苦しんだ、絶望した! この灰色の世界に! 全てが虚しいこの世界で、お前だけが意味を持つのか!」

「……それは違う。私は、サオリ姉さんが居てくれたから」

 

「お前だけがそんな、青空の下に残るのか! 全て否定してやる! お前がトリニティで学んだこと、経験したこと、気付いたこと! 全て、その全てを!!」

 

 激高し、アズサに憎悪の目を向けるサオリ。

 

「いえ、そんなことはできません」

「私たちが合格したのも、そこまで頑張ったのも、無かったことにはならない!」

 

 ハナコとコハル、アズサが築いた新たな絆。二人がそっとアズサの肩に手を置く。それが勇気になれば良いと願って。

 

「……たとえ虚しくても、私はそこからまたあがいてみせる。サオリ姉さん……私は、もう負けない」

「――」

 

 毅然と言い放ったアズサは、サオリに手を伸ばす。

 

「一緒に罪を償おう。もう遅い、なんてことはないはずだから」

 

 ハナコとコハル、ヒフミはうんうんと頷いている。

 

「そんなことが出来れば……!」

 

 だが、サオリはその手を振り払って走り去って行くのだった。

 

 

 そして、事後になって姿を表したセイアが偉そうに言う。

 

「私たちは皆、進まねばならない。その宿題をずっと背負いながら、それでもこの闇の中を……ただ、その先を目指して」

「……ですね」

 

 ナギサも一緒に来た。アンブロシウスを片づけたミカも合流する。

 

「うん、それはすごく同感……だけど、相変わらず難しい事ばっかり。セイアちゃん、だから友達が居ないんでしょ? ちょっとは自覚してる?」

「……まずミカちゃんにはそのよく鳴りそうな頭に、教養と品格を入れてもらった方がよさそうだね?」

 

「あの、お二人とも……」

 

 ナギサが頭を抱えた。その横に先生が姿を見せる。

 

「あ、先生。ええ、分かっております。伝達は済ませました。ヒナさんも納得してくれました」

「ありがとう。あの子達にも、新しい道はあるはずだから」

 

 特異現象を失って無害になったスクワッドは逃がす。前もって伝えておいたことだ。それはお願いであって、裏取引の類ではないけれど。

 まあ、借りは借りなのだからと先生は思っている。一方で、ナギサの方は少しでも恩返しが出来たでしょうかと考えている。

 なお、ミカあたりは先生が間違っているはずないと、特に何も考えていないのだが。

 

「先生が、サオリ達を救ってくれたのか?」

「どうかな、アズサ。これが救いになるかどうかは私には分からない。けれど、ここで捕らえられても良い事にはならないからね」

 

「ありがとう。今は難しくても、きっと――いつか手を取り合える日が来ると思うから」

「そうだね。そんな日が来るように、私も努力するよ」

 

 また家族になれる日が来ればいいと願うアズサ。過去の絆は嘘ではない、けれどまた紡げるならその方が良い。

 諦めてしまえば楽だろうけど、諦めるなんて知らないから。

 

 

「……行ってしまったわね」

 

 ヒナはスクワッドが去って行った方向を感慨深く見やる。主犯は逃がしたと言っても、今回の件で万魔殿へのカードは多数手に入れた。

 文句を言ってきても、冷たくつっかえして問題ない。総じて、ゲヘナの風紀委員会としては得るものは大きかった。

 

「おや、ヒナちゃん。おひさ」

「ええ、お久しぶりね。ミカさん」

 

「風紀委員会としては思うところがあったり?」

「ないと言えば嘘になるわ。でも、先生の判断を信じたいと思ったの。あなたも、同じでしょう? ナギサさんあたりは借りを作れたと喜んでそうだけど」

 

「あはは。まあ、ナギちゃんはねえ……」

「ちょっと待ってください。人をそんな妖怪みたいに言わないでください。先生にはたくさんお世話になっているんですから……」

「ははは。まあ、鬼の目にも涙と言うではないか。ナギちゃんにも純粋に人を想うときはあるのだろうさ」

 

「……セイアちゃん?」

「あはは、ナギちゃん怖いお顔ー。くすくすくす……」

 

「ティーパーティーは、いつの間にそんなに仲が良くなったのかしら? まあ、良い事ではあるのでしょうけど」

「まあ、これもミカちゃんのおかげでしょうか。……それと、ヒフミさんの」

 

「阿慈谷ヒフミ? そうね、まさか噂が真実だと思わなかった」

「え? ちょっと待ってください。あれ? 噂って……え? あれ?」

 

 ナギサが頭を抱え始める。ナギサが補習授業部の面々を疑ったのは全て誤解だったはずだ。

 いや、アズサはアリウスのスパイで、ハナコはわざと落第を取っていたけれど。

 ヒフミに関しては、事実無根の噂のはずだ。そう、悪名高きブラックマーケットを徘徊する水着姿の強盗犯などであるはずがない。

 

「あはは。ナギちゃん、何言ってるの? ヒフミちゃんがそんなまさか、ブラックマーケットとか行くわけないじゃん。ね、何考えてるの?」

「あ……そうですよね。ええ、ヒフミさんがそんな危険な場所に出入りしているはずがないですね」

 

「――あの、桐藤さん?」

「まあまあ、ヒナちゃん。そっとしておいてあげなよ。……うん、これで一旦終わりかな」

 

 胡乱な目をするヒナをよそに、ミカが思いっきり伸びをする。

 

「そうね、終わり。……一旦?」

「サオリのことじゃないよ。あんな特異現象をただの一生徒が扱えると思う? いやまあ、そういう例もあるかもしれないけど、ゲヘナでもプロファイルは済んでるんじゃないかな」

 

「錠前サオリは優秀な兵士。ゲリラ戦の妙手であっても、研究者ではない……」

「ま、次があっても今回みたいな大ごとにはならないよ。ねえ、ヒナちゃん――改めて、お茶会でもどうかな?」

 

「……お茶会? 私はあまり暇ではないのだけど」

「でも、会話を重ねることで見えてくるものだってあるじゃん? トリニティとゲヘナが一つになる日なんて永久に来ない。けれど、理解できることだってあると思うよ」

 

「そうね。――ええ、その時はご一緒させてもらうわ」

「ってことだから、ナギちゃん。美味しい紅茶をお願いね。セイアちゃんにはお菓子を持ってきてもらおうかな」

 

「では、君はどうするのかな?」

「え? 私はほら。もう誘ったから。残りの仕事はツルギちゃんとハスミちゃんに声をかけに行くくらいかな」

 

「君は……はあ。では、ミネ団長と歌住サクラコにも声をかけてきたまえ」

「ええ。ちょっぴり苦手かなあ、なんて」

 

「話せば見えてくることがあると、君がさっき言ったばかりだろう?」

「ああ、もう! 分かったよ、来なくても私に文句言わないでね」

 

「――騒がしいお茶会になりそうね」

 

 つかの間の平穏の中で、ヒナは空を見上げた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

10万PV記念 IFストーリー:逃げられなかった先生

 

 

 それは最善と呼べる結果ではなかった。『ゲマトリア』のベアトリーチェが起こした事件、その全容さえ未だ捉え切れていないが――それでも生徒達の尽力もあって最悪の事態は免れたと言える。

 

 しかし、失われたものもある。

 

 聖園ミカはトリニティ生徒会長、『ホスト』の座を失った。桐藤ナギサは無事だが、ミカを助けるために生徒会『ティーパーティー』の権威を切り売りせざるを得なかった。百合園セイアもまた、命こそ助かっているもののその傷痕は深い。

 エデン条約は白紙と帰り、トリニティの屋台骨そのものが揺らいでいるような惨状こそが現状だ。

 

『じゃじゃーん☆ついにっ』

『登!』

『場!』

『というわけで……学園生活、再スタートだよ!』

『そういうことだから。先生、改めてよろしくね☆☆☆』

 

 先生も苦慮する雲行きの悪い状況の中。そんなモモトークから、”彼女”と再会した。

 

 ……聖園ミカ。トリニティにて、アリウスの遺恨を巡る事件。宿敵であるゲマトリア、ベアトリーチェが起こした”戦争”――その主犯として扱われた少女。黒幕であるベアトリーチェは姿を消した、ゆえに責任を取らされる人間が”別に”選ばれた。選ばれてしまった。

 要するに貧乏くじ、それを押し付けられたのがミカだ。彼女の軽率な行動もあったとはいえ、その行動は善意からのものであったと先生は知っている。ベアトリーチェの”悪意”が全てを捻じ曲げた結果、大人が取らなかった責任が彼女に回ってきた。

 

 彼女に課せられた幾つもの罰。資産を縛り、時間を縛る。彼女はそれを自分の罰だからと受け入れ、先生はその罰に付き合った。

 壊された学校指定品の数々を購入するお金が無ければ代わりに払ったし、300時間の奉仕活動も僅かと言えど手伝った。

 受け入れると決めた罰は完遂しなければ意味がない。けれど、見捨てることはできなかった。

 

 何回も会って。そして、幾つものモモトークを交わす中。

 

『先生』

『ちゃんとシャーレに帰れた? その……明日って、忙しいよね……?』

『予定が詰まってて……』

『やっぱりそうだよね』

『分かった☆ おやすみ!』

『ううん。向かうからちょっと待っててね』

 

 罰そのものを無くしてしまうのは、実は可能だった。シャーレの権力を用いてトリニティに内政干渉すればいい、何よりミカの親友である桐藤ナギサは影響力を失いつつあるとはいえまだ『ホスト』。外部干渉があれば横紙破りだってできただろう。

 けれど、生徒は何もできない子供ではない。責任の取り方を決めたのなら、それに寄り添うべきだろうと考えている。――その行為は生徒の成長を妨げると、自重した。

 

 彼女の学園生活は辛いものになっている。

 桐藤ナギサは滅多なことではミカに接触できない。要注意人物は見張られているものだが、権力者だって警護のために守らなければならない事情がある。自由な行動が許されないという意味ではどちらも同じことで、その二人が会うことはどちらのためにもならない。

 ミカは、味方がいない中でキヴォトスを生きていかなければならない。四六時中どこかで発砲音が響くこの世界で、自分に”悪意”がないと証明し続けなればならない。

 

 ただ、会えないと言えども味方は居るのだと――教えてあげないと人は忘れてしまうものだから。

 それを教えるために、先生はミカの元へ赴く。

 

「こんばんは、ミカ。いきなり電話をかけてしまってごめんね」

「……ううん! そんなことない! 私、時間だけはあるから。でも、昨日のモモトークは先生忙しいって」

 

 かけた電話にはすぐに出た。やはり寂しがっていたらしい。いつも強気に振舞っているミカだが、中身は繊細だ。まあ、繊細ゆえか暴走することもあるけれど。

 部屋の中で電話を抱えてかけていいのか悩んでいる様が、簡単に目に浮かんでくる。

 

「うん。だから、時間を縫って電話だけでもね。今日は大丈夫だった?」

「――うん。先生の声を聞けたもの。……大丈夫だよ☆ 先生が、そばに居てくれるから」

 

「そう、良かった。おっと、呼ばれているようだ。……また書類の不備かな」

「あはは☆ 先生、がんばって。みんな、ルールにはうるさいけど中身には興味がないからね。身体が覚えるまで手を動かせば居眠りしてても出来るようになるよ。実体験☆」

 

「……書類の中身はちゃんと見た方が良いと思うな」

「ふふっ、そうかも。ま、そんなお仕事からはもう開放されたけどね。じゃあ、お邪魔したら悪いから切るね。先生、おやすみなさい。……おやすみなさいできるといいね?」

 

「ミカはちゃんと寝ないといけないよ。私は大人だから、少しくらいは無茶できるからね。……おやすみ、ミカ」

「うん。また……あ……ううん、もし時間があれば……」

 

「また明日。電話だけかもしれないけど」

「……あ。うん! また明日! 声だけでも聞かせてね! ありがとう、先生!」

 

 電話の最後には、とても嬉しそうな声を聞かせてくれた。きっと花が咲くような笑顔なのだろうと、先生も口の端に笑みを浮かべた。

 

 

 そして、また別の日。

 

『☆』

『先』

『生』

『☆』

 

 という、改行が入りまくりのモモトークが着いた。

 

『どうしたの?』

 

 ミカはとても強がりだ。だから、悩んでいる時は逆に高圧的に出るか――それとも、徹底的にふざけて見せるかのどちらかだ。 

 そして、これは後者だと先生は判断する。

 

『あれ。タイミング間違えちゃった? もしかして、めんどくさい女になっちゃった? ちょっとショック……』

『まあ、それでもいいんだけど☆ 先生今日はどうかな? やっぱ忙しい?』

『ちょっと忙しいけど……夕方には落ち着くと思う』

『へー……夕方? じゃあ、ちょっとだけ時間貰える?』

『何かあったの?』

『んー、そういうわけじゃないんだけど……』

『そっか。分かった、あとで寄るね』

 

 そう残して、仕事にひと段落が着いたら向かおうと決意した。の、だが……

 

「遅れてしまったね。ミカは時間、大丈夫?」

 

 シャーレの仕事は多い。まあ、しなくていい仕事まで引き受けていることもあるけれど。それでもミカを待たせてしまったのは事実。

 彼女は、正門の前で手持無沙汰にしていた。

 

「私は今すっごい暇してるし、大丈夫大丈夫」

「そう、良かった。それで、今日は」

 

「……ほんと、大したことじゃないんだけど。よかったらお茶とかどうかなーって! でも今日は休日だから……お店が早く閉まっちゃうんだよね」

 

 早口でまくしたてている。どこか慌てているように見える様は、やはり限界なのだろう。年頃の女の子が全ての責任を被せられて、逃げ場もない。

 それでも誰かの目に触れる場所で弱みを曝け出すことは出来なくて、けれど自分を取り繕うのにも限界が来ている。

 

「もうだいぶ遅い時間だし、開いてる店もないと思うし……」

「せっかく来てくれたのに、どうしようね……先生の時間を奪うのも申し訳ないし、やっぱりシャーレに帰る? 先生、忙しいもんね」

「それに、私みたいなのと一緒に居たら、色々と噂されちゃいそうだし……」

 

 ちらりと先生の方を見る。

 

「ううん。そんなことは気にしないで」

「うぅっ……うん」

 

 できるだけ彼女の心に負荷をかけないようにと、言葉を選ぶ。この子には少しだけ休憩が必要だ。

 

「ちょっと休憩できるところ探す?」

「休憩できるところ……あっ、私の部屋とかどうかな?」

 

「ミカの部屋?」

「ん?」

 

 顔を歪めた先生に、ミカはしまったと顔を作る。

 

「あっ! 変な意味じゃないよ! 部屋って言っても、寮の一部の空間と言うか……今日はお休みの日だから、門限も遅いんだ」

「貰いもののロールケーキと紅茶があるんだけど……ロールケーキはちょっと飽きちゃって……このままだと駄目になっちゃうかもしれなくて……!」

「あ! 先生が持って帰って食べてもいいよ! 捨てるよりはマシだからさ!」

 

 あわあわと手を振りながら、言い訳を並べていく。

 

 先生としては、まあ部屋に招いてくれるのは光栄だが人に見られたらヤバいと言う気持ちはもちろんある。

 というか、そんな顔を見てミカは慌てているのだから。

 

 けれど、ここで突き放すという選択肢はできそうもない。手を振るのをやめて心細そうに指を弄っているさまは、まるで親に怒られるのを待つ子供のようだ。

 

「じゃあ、ちょっと部屋に寄ってケーキを頂いてくね」

 

 だから、まあ――ここで彼女を放り出すことは出来なかった。それに、まあ……知られて困ることが増えても今さらだったりする。

 ナギサと初めて会ったときには、尊敬できる方? と枕詞に疑問符を付けられてしまったほどだし。

 

「うん! あんまり長居は出来ないけど……」

 

 ミカは明らかにほっとした顔になる。きっと、こちらが素顔なのだろう。無邪気で人懐こい純粋無垢なお姫様だ。

 それが、政治の世界に巻き込まれるうちに真意を探らせない道化の仮面を身に着けてしまった。それは成長ではあるけれど、ひと時でも仮面を外す機会をあげないと壊れてしまう。

 

「じゃ、行こっか! こっちこっち!」

 

 やはり彼女はすぐに道化の仮面を被りなおすのだ。

 

 

「着いたー!」

「ここってもしかして、屋根裏部屋……!?」

 

 着いたのは、ぼろぼろの部屋だった。まあ、安心できる要素があるとすれば寮そのものがぼろぼろで、綺麗にするためにはかなり手をいれなければならないことだろう。

 引っ越し直後ということも考えれば、まあ理不尽を強いられているわけではない。他の子も似たようなもので、一人ではないのだから。

 

 まあ、屋根裏なのは監視のしやすさの意味も含むのだろうけど。

 

「そうだね……屋根裏……」

 

 ミカは周りを見渡す。それは、まるで何かを待つような顔。瞳にわずかな恐怖が混ざっているのを、先生は見逃さなかった。

 

「うーん。そろそろ……」

 

 道化の仮面が外れかけているが、しかし残っているそれで無理やり笑みを形作る。あの時の、自らを黒幕と宣言した時のように。

 

「そろそろ?」

 

 先生は、猛烈に悪い予感を感じて背筋に冷や汗が流れた。

 

「それでは点呼を行います!」

「!?!?」

 

 そして屋根裏まで響いてくる声。そういうものがあるということは、もちろん先生も知っている。

 とはいえ、やはり普段シャーレに住んでいることもあって意識できなかった。それに、ミカはさっき門限までまだ時間があると言っていた。

 

「現時点をもって正門を閉鎖! および、各生徒は自室の前で待機するように! 点呼は上の階から行います!」

「先生、たいへーん! 寮長がこっちに向かってきてる!」

 

 ミカはお茶らけた笑みを浮かべている。……けれど、今の彼女では仮面を維持することなどとてもではないができない。

 全てを失って弱くなった。今の彼女は、以前の彼女ではない。折れたけど、折れていない振りをしているだけだ。

 

「ミ、ミカ!?」

「とりあえず、部屋に入って毛布被ってて! 女子寮に入ったのがバレたらマズいでしょ?」

 

「っ……えっ、うん!?」

 

 まあ、そんなことを考えても今の状況が改善するわけではない。他の子の声が聞こえてきた時点で脱出路は確認済。悲しいことに、そんなものはなかった。

 だから部屋の扉を開けて中に入る。部屋の中は予想していた通りに殺風景だ。あの時に私物は燃やされたのだから。とはいえ、ロッカーくらいはないと困るのだけど。

 ……あいにくと、服はオープンハンガーにかけられている。隠れられそうな場所はない。

 

「ミカ様、なんだか騒がしい様ですが……いかがされましたか?」

「え? どうかしたの?」

「その……声が聞こえたような……」

「あははっ☆ 何言ってるの? 気のせいじゃない?」

「少しよろしいでしょうか。部屋の中を確認しても?」

「ホント信用されてないなぁ私……別にいいよ、好きにすれば」

「では失礼」

 

 そして、もう一人の声の主が部屋の中に入ってくる。先生は観念してベッドの中に入って布団をひっかぶった。

 

「ふむ……気のせいか……?」

 

 かつかつと靴音も高らかに入ってきた彼女は、オープンハンガーの方をじっくりと見ている。

 わざと物音を立てながら探索する。……バレバレのベッドに、決して視線を向けずに。

 

「あまり騒がしくしないようお願いします、ミカ様。この建物は古いため、声が良く通りますので」

 

 そして、出て行った。一つ、釘を差して。

 

「では、ごゆっくり」

「はーい、お疲れ様☆」

 

 ミカは出ていく彼女を見下ろし、先生の隠れるベッドの横に腰を下ろす。自分でも意外という顔でいけしゃあしゃあとほざく。

 

「……うわぁ、うまくいっちゃったね? 先生、もう大丈夫。出てきていいよ」

「ミカ……これは一体……!?」

 

 布団を剥ぎ取ってミカに詰め寄る。まあ、二人は同じベッドの上に居る。起き上がれば詰めるまでもなく目の前だ。

 

「しー」

 

 嫣然と、微笑んだ。満足そうなその笑みは煽情的で、先生は思わず喉を鳴らしてしまう。

 

「……先生は、騙されたんだよ。どうしようね? もう、朝までここに居るしかないよ。こーんな簡単に私を信じちゃうなんて先生ってばホント。あれほど「私を信じないで」って言ったのに」

「ッ!?」

 

 微笑する彼女はとても無防備で、彼女を滅茶苦茶にしてやりたいという情欲が湧き上がって来そうで。

 

「ん? ここで騒いだらみんなにバレちゃうよ? いいの? ……私は、別にいいけど」

「……」

 

 ふう、とため息を一つだけ吐いて感情を飲み込んだ。

 

「……あ、あれ? もしかして、怒った? 私が問題児だってことくらい、先生だって知ってたでしょ?」

「流石にこれはやりすぎだよ……どうしてこんな事を?」

 

 先生も、微笑を浮かべる。それはニュートラルの表情で、いわば余所行きの顔だ。それを向けられたミカは酷く動揺する。

 瞳が揺れて、瞼に涙が溢れそうになる。

 

「……その」

 

 瞳を不安に揺らし、自分の身体を抱きしめながら、だたどしく言い繕う。……反省は、十分にしているらしい。

 

「困らせたかったんじゃないの。先生に嫌われるのはヤダ。でも、ちょっとだけ。ほんのちょっとでいいから」

 

 揺れる瞳で、ただ先生を見つめる。……縋るように。

 

「――先生と一緒に居たかったの」

「そう」

 

「……え?」

 

 頭を撫でてあげると、ミカは瞠目した。

 

「なんで?」

「寂しかったんでしょう? もちろん褒めている訳ではないよ。私は体罰なんてしない。怒るのであれば相手に分かってもらえるように論理的にやらないとね。けっこう怖いものだよ、ミカも怖かったでしょ」

 

「……うん。怒られるより、辛いね。でもさ、こんなことすると味をしめて繰り返すんじゃないかって思わない?」

「そんな必要はないよ。私はミカのことを見ているから。イタズラして困らせなくても、君の相手くらいいくらでもするよ」

 

「あはっ。じゃあ、毎日ずっと一緒に居て欲しい……かな」

「――それは無理かなあ。私も仕事があるから……」

 

「だよね。でも、そっか。イタズラする必要なんてなかったんだ。……でもさ、先生。一晩中一緒に居てくれるのは、イタズラしたからだよね?」

「調子に乗らない。説教までする必要はないと思ってたけど、必要だったかな」

 

「あまりうるさくすると、さっきのあの子が戻ってきちゃうよ」

「寂しくなくなった?」

 

「……ヤダ。もうちょっとだけ、私の頭を撫でて欲しい」

「うん」

 

 暫し、静かにミカの頭を撫で続けた。

 

「あの、ね。先生」

 

 だから、決定的な間違いはこの時だったのかもしれない。もしくは、一人で生きていけるようになんて言っても毎日電話をかけていたことであるのかも。

 社会は人の繋がりによって出来るものと甘やかしたが、結果を見れば一度切り離す荒療治が必要だったのかもしれない。

 

「……なに、お姫様?」

「先生に抱きついていい? へんなことはしないよ。ただ、先生の温かさを感じていたいの」

 

 幼子のように、親鳥の跡をついていく雛のような純粋な瞳を向けている。だから大丈夫だと、先生は思ってしまった。

 

「いいよ。でも、さすがにこれは今日だけだよ」

「……うん。ありがと」

 

 布団を跳ね飛ばした先生は、ベッドの上にあぐらをかいて座っている。ミカは、そっとベッドの上に膝をついてそろそろと熱いものでも触れるかのように先生の肩に手を乗せる。

 

「うん」

「……」

 

 不安そうに、視線で確認を取ってから肩を手で掴む。そろそろと、自分の身体を先生に近づけて。

 

「いいよ、心配しないで」

「……先生」

 

 先生は、腕を回して近づくミカの頭を撫でてやる。ふわ、と安心して微笑む。

 

「はい」

「……ん、先生。温かいね」

 

 ぎゅ、と抱き合った。

 

 そこで、先生は気付く。ミカは親に会えた子供のような安心した顔をしているが……無邪気にすりよせるその身体は子供ではない。

 

 柔らかい双丘をダイレクトに感じて、先生は一度離れてもらおうかと思うけど……しかし、こんな顔をするミカを突き放すことなど出来はしない。

 そして、良い匂いが香ってきた。先生なのに夜に生徒のベッドに隠れていたマズ過ぎる事態の前に嗅覚なんて働いていなかったが、抱きしめてしまうとさすがに暴力的なまでに脳を揺らす。

 

「――せんせ?」

 

 何かを感じ取ったのか、怪訝そうに先生を見上げる。しかし、この温かさを手放したくないのか更に身体を押し付ける形になっている。

 

「いや、なんでもないよ」

 

 なんでもないわけはないのだが。しかし、先生として――それ以前に人としてこんな顔をした女の子に手を出すなど出来る訳がない。

 強靭な精神力で全てを押し殺す。

 

「そっか。……うん。温かいねえ」

「そうだね。人の温もりだね」

 

「――セイアちゃん、あの通りの子だから抱きついたりすると怒るんだけど。でも、他の子より体温が高いんだよね」

「……うん」

 

「もう、二度と感じることは出来ないと思ってた。……ナギちゃんは逆だったね。あの子体温低いんだよ。でも、手が冷たい人は心が温かいって言うよね。私は、自分からそれを遠くにやろうとしてた」

「……うん」

 

「無くならなくて良かった。……もう二度と会えないかもしれないけど。それでも、失われなかった。先生のおかげだよ」

「違うよ。補修授業部の皆、それにナギサやセイア。何よりも、君だって頑張っただろう?」

 

「私は、頑張れたのかな? 私は、ただ悪いことをしていただけの魔女……なのかも」

「ミカは魔女じゃない。それに、間違ってもやり直すことはできるよ」

 

「そうかな?」

「そうだよ」

 

 震えるミカの身体を一晩中抱きしめてあげた。そして、正門が開いた頃、誰にも気づかれないよう寮を出てシャーレに戻った。

 

『先生、無事帰れたんだよね?』

『……帰れたけど、怒ってるよ』

『……うん。イタズラが過ぎたよね……ごめんなさい』

 

 そのモモトークで、話を終えた。

 

 





 今更10万記念PVでした。18禁になりますが、AIで作ったエロ同人をPixivに投降してみたので、18歳以上でしたら見てみてください。
https://www.pixiv.net/artworks/116395305



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

10万PV記念 IFストーリー:逃げられなかった先生②

 

 そして、またある日。先生はトリニティの教員から相談を受けていた。

 

「現在ミカさんは校内で暴力沙汰を起こしたため、反省部屋で謹慎中です」

「暴力沙汰ですか?」

 

 先生は柔和な笑みで相手をする。そもそも目の前の彼を同僚などとも思っていない。そいつの立場こそ教員であるが、その本質は用務員と変わらない。

 生徒を導くこともなければ、何かの責任を取りもしない。ただ決められたことを、決められた通りに作業して給料を頂く作業従事者だ。

 

「はい。別の生徒さんに手を上げたようで」

「一体何があったんですか!?」

 

「詳しくは私も分かりませんが……今日のプールの授業で、ミカさんが見学していたんです」

「……見学?」

 

「そうです。それも、授業が終わるころにやってきて、プールサイドで見学をするわけでもなく、あちこち歩き回っていたようで……」

 

「ミカさんの授業態度にも問題はありました。そのことに不満をいだいた何人かの生徒が抗議をしたようです。そうしたらミカさんが彼女たちに手を上げて……」

「……」

 

「幸い、その生徒さんは大事に至りませんでしたし、ミカさんも自ら謹慎を望んだので、そこで話は終わりましたが……」

「今のミカさんの立場のこともありますし、ちょっと状況が複雑でして……あまり大事にならないといいのですが……」

「それで……その、ミカさんをシャーレの先生にお願いできればと」

 

 困ったように言うそれは、まあ先生にとっても慣れたものだ。ことトリニティにおいて、教員が決められることなど何もないのだから。

 とりあえず仲裁して、問題が鎮火するまでひたすら誤魔化す以外の選択肢はない。少なくとも、そこに居る”大人”には。

 

「……分かりました」

「ありがとうございます! では私は用事があるので、失礼いたします」

 

 その教員はそそくさと引き上げていった。その無責任で生徒を突き放した態度は、実はどこの学園としても変わりはしないのを先生は知っている。

 

「……」

 

 去っていく背中を冷たく一瞥して立ち上がる。

 

 謹慎中のミカの身柄を引き継ぐことになった。無言で開放された彼女を連れて、早足で移動する。まあ、ミカのことだからむしろ遅いくらいの速度だろう。 

 しかし、心の方は別である。先生の歩く速度くらい知っている。怒っているのかも、と貼り付けた笑みの裏に恐怖を押し殺している。

 

「あはは……また、こんな風になっちゃった。ガッカリした……? でも、知ってるもんね。私が不良生徒な事」

 

 瞳が不安げに揺れる。

 

「放っておいたら揉め事ばっか起こす……そんな問題児なんだから。迷惑ばっか、かけちゃってるし……そろそろ――」

 

 教員の目も届かなくなったかと、先生は後ろを振り向く。思った通りに、泣きそうなミカの顔が見えた。

 急いで人気のない場所まで足を運んだとはいえ、往来で弱った姿を見せるほどにショックを受けているのだ。

 

「水着なくしたの?」

「わたし……せ、先生に買ってもらった水着、だった、のに――」

 

 心当たりを聞くと、ミカの目から涙がこぼれた。

 

「先生……ごめんね。先生が買ってくれた水着、ダメになっちゃった……まあ、当然だよね……今まで私、散々酷い事ばっかしてきたから……私が『いい子』だったら、こんなことなってないもんね」

 

 ミカが身に着けた道化の仮面。それは政治家としての武器にして心を守る鎧だったが、粉々に打ち砕かれていた。

 それほどまでに弱り果てたミカの姿を見て、先生は悲しくなる。見守ると決めたことを後悔しそうになるほどに。

 

「でも今回は……本当に、頑張ったのに……なのに……うまくいかなかったなあ……」

 

 韜晦するように呟いて、涙がこぼれた。これは、本当に限界らしい。

 

「ごめんなさい……私、いつも先生の好意を台無しにしちゃうね……この水着で泳ぐの、楽しみだったのに……」

 

「……やっぱ、私には無理なんだねー」

 

 空を仰ぐ。泣きわめくことはない。ただ無気力に虚ろな瞳を空へ向けている。

 

「何をしたって、もう取り戻せないんだ……」

「ミカ、今日は時間ある?」

 

 だから、先生はその震える手を取った。

 

「……えっ? 時間……? う、うん。まだ門限までは全然あるけど……」

「じゃあ、水泳の授業しに行こっか」

 

「えっ?」

 

 迷いに揺れるミカを連れて購入した店まで行ってズタズタにされた水着を直してもらった。準備完了と、また他の場所に連れ出していく。

 

「せ、先生……どこに向かってるの? こっちは教室じゃないけど……」

「そうだね」

 

「水泳の授業、だよね……何をするのかは分かんないけどさ……あと今の時間は、どこも開いてないはず――」

「いい場所があるんだ」

 

 そう行って連れて行った場所はいつかの館。使われていない旧校舎だった場所。新しい絆が育まれた場所。

 

「ここは……そっか……そういえば、ここがあったね」

「思い出の場所、だよね?」

 

 そこは補習授業部が力を合わせて青春を送っていた場所。そして、それと同時にミカが秘密を打ち明けてくれた場所でもある。

 その思い出があったから、ミカは悪い方向に振り切れることはなかった。まだ救いを求めることが出来ていた。

 

「……うん。長い間放ったらかされて、手入れもされず汚れたままだった……ほんと、手の施しようがないくらいにめちゃくちゃだったのに――」

 

 ミカは掃除を手伝ったわけではない。誰にも知られずに先生と会うために侵入しただけの場所だけど。

 それでも、想い出深い場所には変わりがない。

 

 お姫様と、言ってくれた場所だから。

 

「今はこんなに綺麗に生まれ変わってる」

「うん、水着もそうだよね。他も、同じだと思うよ」

 

 この場所は一度寂れて人が離れた。それでも、かつての美しい姿をもう一度取り戻すことができたのだ。そこは、そういう場所だ。

 

「で、今から先生と水泳の授業?」

 

 ミカはくすりと微笑む。道化の仮面は人と付き合うための装いでもある。仮面を被るのは別に悪い事ではない。元より女は服と化粧で着飾るものだ。

 それを取り戻すことができたのなら、大丈夫だ。

 

「こんな深夜の……しかも人目のない場所で二人きり……? 大丈夫? バレたらヤバいんじゃない?」

「あっ! そ、そっか」

 

 先生は、また悪い状況なのに気付く。前回、寮の部屋に押し込まれたのに同じ間違いを犯していた。

 しかも今回は、自分から。

 

「ま、私はいいんだけど☆ 着替えてくるから待ってて!」

「ま、待ってミカ!?」

 

 と言うけど、ミカは待たない。ささっと着替えてきた。

 

「じゃじゃ~ん☆」

 

 時折子供のような顔を見せるけど、やはり身体は大人の魅力を十分に備えている。……それは、一晩中抱きしめていたから先生も十二分に知っていることだけど。

 

「見て、先生! ちょっとキツいけど、すっかり元通り! どうどう? 似合う? 学校指定の水着でもいいカンジ?」

 

 ニコニコと笑うミカは、ぐいぐいと近づいてくる。

 

「ねぇねぇ??」

 

 あの夜で距離感がバグったのか、水着なのにも関わらずキスできる距離から――更に近づいて先生の胸に豊かな双丘が触れそうになって。

 

「えっと……ミカさん、ちょっと……近すぎます」

 

 一歩、退いた。

 

「あははっ! なに、女子生徒の水着姿だよ? 逃げるなんて、傷ついちゃうなぁ」

 

 小悪魔のように笑って、今の自分の姿をもう一度見直して……

 

「……」

 

 我に返ったように顔を真っ赤にしてプールに飛び込んでしまった。水音が響く。

 

「うわぁ……冷静に考えたら、めちゃくちゃ恥ずかしくなっちゃった……」

「ミカは考えるより先に身体が動くタイプだったよね」

 

 くすりと微笑んだ先生がプールサイドから水に揺蕩っているミカを見下ろす。

 

「あははっ☆ うん。根っこはそう簡単には変わらないみたい。先生も入る? すっごい気持ちいいよ☆」

「いや……水着持ってきてないし」

 

 ふわりと笑うミカに、先生は苦笑を返した。

 

「ええ~。あっ!」

 

 そして、唐突に悪戯を思いついたような顔をした。

 

「……ミカ」

「あうっ! あ、足が……」

 

 足を抱えてぶくぶくと沈んでいく。

 

「ミカッ!?」

 

 上着を脱いで、ついでにタブレットもその上に置いて飛び込んだ。水の中でも動けるような経験はある。なんでもはできないが、先生は出来ることの幅が広い。

 

「……あは。来てくれちゃうんだ」

 

 水の中で身動きしないミカを抱えて水面に顔を出すと、ミカはくすくす笑っている。嘘だったのを隠そうともしていない。

 まあ先生も9割嘘と分かっていたけど。けれど、1割以下でも本当の可能性があるなら躊躇わなかった。

 怒りもせず、とりあえずため息を一つ吐く。

 

「その様子だと、水を飲んでないか聞く必要はなさそうかな?」

「うん、心配してくれてありがと☆」

 

 溺れていたわけでもないのに、ミカは先生に抱きついたままだ。ちょうど水中でお姫様抱っこをするような恰好になっている。

 

「ね、先生。水の中、気持ちいい?」

「Yシャツが肌に張り付いて気持ちが悪いかな」

 

「あは。やっぱりプールには水着だよね」

「……ミカ」

 

 抱きかかえられたミカは降りようとしないどころか、先生に腕を回す。豊かな双丘が触れる。

 方や水着、そして上着を脱いで水に張り付いたYシャツだと前よりもよっぽど感触がダイレクトに感じられて。

 

「……ん? 先生、もしかして興奮しちゃった☆」

「本当に怒るよ」

 

 先生はぽい、とミカを放る。ミカは水中で向きを変えて先生に手を差し出す。

 

「あはは☆ じゃあ、先生。泳ぎ方を教えてよ」

「ミカは泳げそうだけど」

 

「ううん。私、全然泳げないよ。バタ足のやり方から手取り足取り教えて欲しいな? 足の動き方を教える時に少しくらいお尻に触っても怒らないからさ」

「触らないからね? まったく。じゃあ、私の手を握って」

 

「うん」

「じゃ、バタ足してみて」

 

「ええ~。先生、教え方が適当すぎない? こんな感じかな~~」

 

 バッタンバッタン変に足を突き出していた。溺れているのか、それとも水鉄砲を足でやろうとしているのか分からない妙な動きだった。

 

「仕方ないな。プールサイドの方に捕まって」

「……うん」

 

 そのまま手を引いてプールサイドのヘリを掴まえさせる。そしてミカのほっそりとした足を手に取って、バタ足のやり方を直接伝える。

 

「ほら。こんな風に足を振って。まず一回」

「あ、うん……こう、かな?」

 

「もう少し、ここを……こう」

「こう?」

 

「うん、じゃあもう片方」

「うん。……うん?」

 

「分からなくなった? じゃあ、逆側に行くから」

「え……っと。……あの、うん」

 

「こういう感じ。やってみて」

「はい。……こう?」

 

「もう少し……足を早く」

「ええと――こんな感じ?」

 

「うんうん。じゃあ、両足でやってみようか」

「うん……」

 

 そうして泳ぎ方をちゃんと教えてあげた。

 

 二人でプールサイドに腰をかける。先生はすでにYシャツから下着までぐしょぐしょで、もう濡れるのは諦めてしまった。

 ミカは嬉しそうに先生の横に座って、抱きついてしまおうと少し横にずれるが先生は丁度その分横にずれる。

 

「あはは。けっこうガッツリ教えてもらっちゃったね。こんなことになるとは思ってなかったよ」

「うん。まあちゃんと泳げるに越したことはないよ。授業以外で使うことはないかもしれないけど、もしかしたら命に関わることがあるかもしれないからね」

 

「乗ってた飛行船が撃墜されて湖の上に投げ出されたりとか?」

「嫌な……事件だったね」

 

 先生が顔を伏せる。どうやら飛行船を撃墜された思い出があるらしい。

 

「――あ、ごめんなさい。先生が相手だと洒落になってなかったね」

「いや、死者は出なかったからまあね?」

 

「先生は……遠くに行ったりしないよね?」

 

 不安になったのか、そっと抱きついてくる。からかうのではなく、不安から人の体温を求めるのであれば先生も断れはしない。

 抱きつくまでなら、好きにさせることにした。

 

 まあ、腕に感じる感触は極力気にしないことにして。

 

「ねえ、先生……ずっと私のそばに居てくれる?」

「やっぱり、ずっとは難しいね」

 

 ミカは先生のことを縋るように見る。純粋とはかけ離れた、どろどろとした情念が魔女の窯のように煮立って混沌と化している。

 きっと、先生は失敗したのだろう。

 

 ……そもそも、思い上がりだったのかもしれない。

 

 純粋で人のことを想える、けれど暴走しがちなミカが。銃弾と悪意ばかりが飛び交うキヴォトスで”更生する”などと。

 更に言えば、更生するというのは戦地にとってはカモになる――つまり弱くなるのと同義であるわけで。

 現実と夢想を取り違えた結果が、今先生に捨てられたくないと縋るこの子なのかもしれない。

 

「――ごめんなさい。こんなこと、絶対に駄目だって分かってるけど。先生の信頼を裏切ることだけど」

「ミカ……ッ! やめなさい……!」

 

 ミカはそっと先生の顔に手をかける。唇を近づける。瞳はずっと不安に揺れていて、今にも泣き出しそうだ。

 とてもではないが襲っている人間の表情とは思えない。

 

「でも、私悪い子だから。先生は何度でも引っかかるよね。こんなに力も弱いのに、簡単に騙されて――私は心配だよ?」

「……ッ!?」

 

 ニヤリと笑おうとして唇の端を上げて……けれど、笑うのに失敗してぎこちなく口の端をひくつかせる。

 さすがに先生も衝撃を受けた。ミカがこうなったのは自分の選択の結果だと歯噛みする。それはシャーレの権力を使ったら変えられていたから。元より先生は、責任を他人に求めなどしないのだから。

 

「大丈夫だよ、優しくしてあげるから――」

「……むぐっ!」

 

 ミカはそのまま唇を塞ぐ。ついばむようなフレンチキス。それを何度も何度も。先生は観念してそれを受け入れる。

 それはおそらく、失敗した自分の責任だろうから。

 

「先生……」

「ミカ。あの――」

 

「聞かないよ、お説教なんて」

「いや、足音……」

 

「ッ!?」

 

 バっと彼方を振り返る。「誰か居るのか」と怒鳴る声が聞こえてきた。それは警備員の声だった。

 まあ、声をかけられた犯罪者のすることなど一つだ。そして、被害者=先生も逃げて誤魔化すのは常習犯だ。

 

「ヤバッ!」

「逃げよう!」

 

 ミカの拘束が緩んだすきに脱出した先生は、ミカの手を引いてそこを脱出した。

 

 

『先生、ちゃんとうまく逃げ切れた?』

『に、逃げてないよ。急いでシャーレに帰宅しただけだよ』

『あははっ、そうだね。実は今日、寮の門限過ぎちゃってて……あと一回門限破ったら、危ないかも』

『え!? まだまだ時間あるって……』

『それはウソ☆ 実はその時にはもう門限過ぎてたの』

『ミカ、嘘ついたの!?』

『そっ! まーた悪い子に騙されちゃって、なんてね☆ でも……嫌いにならないでね。あ、消灯時間! スマホしまわないと』

『ミカ!?』

『じゃあ、おやすみ先生! あと……いつもありがとね』

『おやすみ、また明日』

 

 手のかかる生徒はまだまだ目が離せそうにないと先生は苦笑して、ふと自分の唇を指でなぞってみた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第68話 みんなでお茶会

 

 

 そして、日を改めてお茶会が始まった。

 

 ミカの人徳のおかげか、声をかけた全員が集まった。まあ、トリニティの性質を考えれば出席を蹴るのは相当怖いのも事実だけど。

 しかし、簡単に断れたはずの空崎ヒナは火宮チナツを連れてここに姿を表した。

 

 互いのことを知っていれば。ちゃんと話していれば。――争いが起こるはずがなかった、だなんておためごかしの綺麗ごとと知っている。

 けれど、理解し合うのは無駄じゃないと、ミカを見てそう思った。

 

 トリニティだって、そうそうたるメンバーである。

 シスターフッドからは歌住サクラコと伊落マリーが、正義実現委員会は剣先ツルギと羽川ハスミ、救護騎士団からは鷲見セリナと朝顔ハナエが来た。

 さらには補習授業部の面々も来ている。

 

 無礼講で立場は忘れて楽しんでほしいということにしても補習授業部は少し悪目立ちしているけれど、拒絶しようと言う者はここには居ない。

 こんな会話があって、ここに来る羽目になったのだ。

 

 

「――こんにちは、補習授業部の皆様。丁度良かったです」

「ナギサさん? ……探していたの間違いでは?」

 

 ナギサはハナコの毒をスルーして用件を話す。

 

「声だけはかけておかないといけないと思ったのです。あの場ではヒフミさんを中心に新しいエデン条約が成りましたから。……いえ、私も理屈を理解できた訳じゃないですけど。ですが、一番の功労者を無視することはできなせん」

「……え、ええ。いえ、私はアズサちゃんを追いかけただけで。そんな大したことはしてないですよう」

 

「いえいえ。あなたの勇気のおかげであの場の想いが一つになったと言っても過言ではないのです。まあ、多分に政治的な場になるのは確定していますのでこれは断ってもらってよいのですが」

「ええと。用件は何でしょうか? ナギサちゃん」

 

 ヒフミは、私的な場ではちゃん付けで呼ぶようになっていた。まあ、ミカに関してはいつでもどこでもミカちゃん呼びだが。

 

「ゲヘナのヒナさんも招いて、あの場のメンバーでお茶会を開きます。せっかく力を合わせられたのですから、その場限りでおしまいにしてしまうのはあまりにも寂しいでしょう? そういうわけで、ヒフミさんにもお声をおかけしています」

「そうなんですか。えっと、どれだけの方が参加するのですか?」

 

「基本的に責任者に類する方に出席いただくので、各勢力から二人ほど。ティーパーティーからは3人で出ますが」

「それじゃ……」

 

「いえいえ、補習授業部が出席するのであれば皆さんでおいでください。まあ、普段お見かけすることのないメンバーなので心もとないようであれば、出席を断っていただいても全く問題ありません」

「――ええと」

 

 ヒフミは他のメンバーを振り返る。どうしようか、と。まあ、ハナコは疑わし気な目を向けてはいるのだが。

 

「……おや、コハル。ナギサさんも。ああ、あのお茶会に出席するのですか?」

「え? ハスミ様。あの……えっと」

 

「これからも正義実現委員会を続けるのであれば出会うことになる方達です。決してその経験は無駄にはならないでしょう。がんばってくださいね」

「あ……え、えと」

 

 肩に手を置かれてもう逃げられないなと、仲間に助けを求めるけど。

 

「あ、ハナコさん!」

 

 一番頼りになりそうなハナコが他の人に掴まっていた。

 

「あなたもお茶会に出てくれるんですね! 良かった、心強いです。どういうわけか、サクラコ様に指名を受けてしまって。ハナコさんも一緒なら安心しました」

「え……ええと。いや、マリーちゃん。私はその……まだ引き受けたわけでは」

 

「ええ!? でも、特異現象の収束には補習授業部の皆様がとても活躍してくれたと聞きました。十分資格はお持ちなのでは」

「それはそうなのですが……いや。えっと……」

 

 ハナコも旗色が悪そうだった。仕組んだか、とナギサを睨みつけるがどこ吹く風で何のことでしょうかと見返している。

 

「ううん……コハルちゃんとハナコちゃん、出席するみたいですね」

「ヒフミ、私はどうすればいい? 会場を爆破するか?」

 

「アズサちゃん!? 絶対にしちゃ駄目ですからね。まあ、コハルちゃんだけで行かせるのも可哀そうですし。一緒に行きましょうか」

「了解した。コハルの護衛任務を実行する」

 

「それでは補習授業部の皆様も出席と。承知しました。当日はよろしくお願いしますね」

 

 ニッコリと笑って、ナギサは帰って行った。

 

 というわけで、補習授業部もここに居る。実際、とんでもないメンバーだ。トリニティを代表する表の顔が全て揃っている。

 ここに居る者がそうすると決めて、トリニティでそうならないことなどない。

 

「今日はお集まりいただき、ありがとうございます」

「ねーねー、ナギちゃん。せっかくの無礼講なのにお堅くない? 今日はお日柄の挨拶とかいいじゃんね」

 

「……ミカさん。儀礼を抜きにすると言っても、最低限の礼を失するのはトリニティ生として相応しいとは――」

「今日は集まってくれてありがとね。とっても嬉しいよ。まあ、それぞれ頭が痛くなる事情なんて山ほど抱えてるだろうけど――今日はそれを抜きにして話そ?」

 

 かしましいナギサとミカ。けれど、それは勢力を隔てた諍いよりも、もっと気楽な友達の掛け合いみたい雰囲気だ。

 

「そういうことだ。事情があれば人を疑うことはあるだろう。だが、我々は決して”悪い人”ではないのだと、交流を通して分かり合っていければ良いと思っている。そのような先入観で人を疑っては悪循環の袋小路に嵌ってしまうから。ねえ、先生」

 

 少し離れたところに先生が座っている。一人、先に菓子に舌鼓を打っていた。

 

「これ、滅茶苦茶おいしいね。いやあ、糖分補給用のコンビニスイーツとは一味も二味も違って役得だなあ。……え? 私? あ、そうだね。オホンオホン。これから先がどうなるかは分からない。争いがあるかもしれない、失敗してしまうことだってあるだろう。それでも、君たちが他人を信じてくれればよいと、そう願っているよ」

「……先生」

 

 ナギサは感動すればよいのか苦笑すれば良いのか分からない微妙な顔をした。とはいえ、いいことは言っているし場の緊張感もほぐれた。

 

「そうね。誰かを悪と決めつけるのは悪いことなのでしょう。ゲヘナとトリニティの戦乱の歴史は無かったことにはならない。それでも、目の前の人をただの悪鬼だと決めつけないように――人柄を知るのは良い事でしょう」

 

 ヒナも柔らかく微笑んでいる。紅茶を一口含む。

 

「……とても美味しいわ。これは、ナギサさんが?」

「ええ。私が選んで、ハスミさんに淹れてもらいました」

 

「正義実現委員、副委員長……あなたが?」

「はい。実は私、スイーツが好きなのですが紅茶にも一家言ありまして」

 

「……そう、とても美味しい紅茶を淹れられるのね。知らなかったわ」

「そして、スイーツの方は私から歌住サクラコにお願いしたものだ。どうやら彼女はスイーツには詳しいようでね。まあ、誰かの言によれば私のセンスは古臭いらしいから」

 

「サクラコ様が!?」

 

 これに一番驚いていたのはマリーだった。

 

「ふふ。親しい仲でも、知らないことは意外とあるのね。……ええ、スイーツもとても美味しいわ。来てよかった。ね、チナツもそう思うでしょう?」

「そうですね。言ってはなんですが、まさかトリニティでこんなに穏やかに過ごす日が来るなど夢にも思っていませんでした」

 

 互いの勢力は違っても秩序を維持しようと志を同じくする者達だ。穏やかな時間が流れる。

 

「そして、今日は目玉を用意してきました。特別にシェフに用意させたものです」

 

 ナギサが合図をすると、二人がたりでそれを持ってくる。テーブルの中央へ置く。目玉に相応しい巨大なそれの蓋が開かれる。

 

「これこそ――」

「ペロロ様!?」

 

 はしゃいだヒフミの声。微動だにせず身を縮こませているコハルの横で、借りてきた猫のようにおとなしくしていた彼女が身を乗り出して目を輝かせる。

 そう、それはペロロの姿を象った1mほどの巨大なケーキだった。

 

「そう、ペロロ様……え?」

「すごい! こんなものまで用意してくださったなんて! わああ!」

 

 戸惑うナギサは、まあ下手人の予想は着くがヒフミがこんなに喜んでくれるならまあいいかと矛を収める。

 ヒフミは先ほどまでの様子が嘘のように大興奮でペロロケーキの周りを回っている。

 

「こんなものまで。……トリニティってすごいのね」

「ふっふーん。見直しちゃった?」

 

「そうね、ミカさん。ああ、いえ。あなたを見ていると納得できる気がするわ。……いけないわね。色眼鏡で見るのは良くないと、学んだはずなのに」

「ちょっと気を付けて変われるなら、争いなんて起こらないよ。それでも、小さな一歩でも踏み出せば世界が変わることがある。そこで誰かと出会うことがあればね」

 

「――そうね。悪い人もたくさん居る。けれど、それは良い人が居ない訳ではないのだもの」

「うん。誰とも手を繋げない、それほど悲しいことはないからね」

 

「でも、あれ……いいの?」

「え? ああ、なんかヒフミちゃんが大変なことになってる。……うん、ここはナギちゃんに任せておこうかな」

 

 ヒナとミカがシリアスに話をする中、ヒフミは。

 

「あ。あああ……!」

「あの、やっぱりやめておきますか? 別にこのまま冷凍保存することもできますし」

 

 解体されるペロロケーキの前で滂沱の涙を流していた。

 

「いえ! これはケーキなのです。ならば、食べなくてはペロロ様に失礼なのです! そして、私がペロロ様を食べなくてどうするのですか!?」

「そ……そうですか。あの、やりにくいとは思いますができるだけ綺麗にカットしていただけると」

 

 カットする職人も戸惑っている。トリニティも、悪い噂があればすぐに伝わると言う意味で、職人生命が呆気なく終わったりする。

 ナギサを前に、心臓が破裂しそうなほどに不安を鳴らしていた。

 

「――ううう。これがペロロ様。変わり果てた姿になってしまって……!」

 

 そして、切り分けられた一つがヒフミに差し出される。

 

「ヒフミ、どうしたんだ? うまいぞ」

 

 アズサは普通に食べている。

 

「はい。そうですね。ペロロ様を心して味あわねば……!」

 

 曰く言い難い光景が広がっている。まあ、ペロロがからんだ瞬間に中心に来たのはヒフミらしいと言えるかもしれない。

 

「ああ、良かった。きっと、これは君が頑張ったおかげだよ、ミカ」

 

 先生は、その様子を少し離れて見ている。あくまで中心は生徒たちだから、自分と話しているのは良くないとその存在感を消している。

 

「それだけじゃない。みんなで頑張ったから、この結果がある。トリニティの各組織の垣根、そしてトリニティとゲヘナの確執。それらを乗り越えて――」

 

 眩しそうな瞳でそれらを見つめる。

 

「だからこそ、お前たちの好きにはさせない……ゲマトリア」

 

 真の敵へ向けて、決戦の誓いを新たにした。

 

 

 





モチベーションが尽きたので、一旦止めます。マダムと決着を付ける終章を描く気はあるので、いつかまた……


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第69話 ミカとアズサの初デート

 

 

 トリニティの大通り、きらびやかでゴミの一つも落ちていない……その”金のかかった”美しい街並みを一人の少女が歩いている。

 

「……ふふっ」

 

 綺麗な羽根を背中に生やした誰もが振り向くような美少女は、ミカだった。とはいえ一人きりで、それも自嘲の笑みを浮かべて皮肉気な様子……

 それでも、その影のある笑みが更に魅力を引き立てていた。

 

「――ミカ様よ」

「今日もお美しいわ」

 

 ほう、と目を細めて見送るトリニティの女学生たち。ただ、まあ……その視線は美しさへの賛美ではなく、もちろん権力者への媚びでもなく――

 

「今日はナギサ様とは一緒ではないのかしら」

「きっとヒフミ様のところへ向かう途中なのよ」

「そうかしらね。きっとナギサ様のところから逃げて、でも先生には会えないからあんな憂鬱気な瞳をしていらっしゃるに違いないわ」

 

 ……三者三様の妄想の種になっていた。さすがに昨日まではトリニティ全土を揺るがしたエデン条約の崩壊とそれを皮切りにした戦争が世間の噂を席巻していたものだが。

 しかし、ここはキヴォトス。

 1日も経てば荒事への興味など薄れ、元から方々で噂されていたミカの恋愛模様の噂が盛り返してきた。

 

 ミカの恋のお相手は果たして誰か。先生と恋仲になってしまったり? それともナギサが横恋慕して牢獄に閉じ込められてしまう? いや、ミカもナギサもヒフミのことが好きで取り合っているのだと。

 ――それはもう、好き勝手なことを言われていた。

 

「まさか、この時期に私が表を歩くことがあるだなんてね……」

 

 だが、ミカにとっては馬耳東風。どうでもよいモブがどんな噂をしていたところで知ったことではない。

 さすがに、魔女と蔑まれるのは精神に来るのだけど――だからこそ、自分が表を歩いているのはおかしかった。過去に見た未来の記憶では、今は牢獄に囚われているはずで。そして、さすがに魔女と詰られるのに散歩するほどの精神力もない。

 

「ん?」

 

 ミカがここを歩いているのは実際暇だったからだ。エデン条約を主導したのはナギサだから、彼女にはたくさんの仕事がある。その面倒な書類仕事を手伝う気がなかったから、手伝わされる前に逃げてきたのだ。

 そして、良い暇つぶしの相手を見つけた。

 

「おやおや、アズサちゃん。こんなところで珍しいね☆ なんて、私が言うのも変な話かな」

「……聖園、ミカ」

 

 パチクリと目を見開いた彼女は白洲アズサ。関係はあるが、殆ど面識もない相手だ。しかし、積もる話はある。

 

「うんうん、その羽根の飾りも可愛いね。アドバイスした甲斐があるってものだよ。ただ、まあその腕章ってどうなの? いや、たとえシスターフッドでも知ってるのは相当深く足を突っ込んでる子だけだけどさ」

「――ダメだっただろうか?」

 

 アズサは想像もしていなかったと肩をビクリと揺らして、上目遣いに聞く。まあ可愛らしい仕草だが、さすがに通用するはずもなく。

 

「潜入するのに外さないのは、ないなーって思うよ。でも、今はもうアズサちゃんはトリニティの仲間って認められてるし、そのままでいいじゃないかな」

「そうか」

 

 ほっとしたように息を吐いた。外すべきと、まあ考えてもいなかったのだが――それは姉達との絆の証だった。常に身に着けていたいものだった。

 いや、潜入するのに元の所属を示すものをでかでかと腕に括りつけておくのは馬鹿なことだと、今気付いたけども。

 

「アズサちゃんとは、あまり話をしていなかったよね」

「ああ。あなたの対応はサオリ姉さんがやっていた」

 

 バレたらまずい関係。まあ、エデン条約の関係でアズサの関係は一変している。何かあればシスターフッドと正義実現委員会が庇うのは間違いないけれど。

 だが、アズサは偽造書類を使った不正転入者で、そしてミカはそれを手引きした主犯――間違っても表で口に出せる関係性ではない。

 

「うんうん、だから話してみたいと思ってたんだ。時間があるならデートしない?」

「デート? すまないが私は女性には興味がない」

 

「ノリが悪いなあ。私とアズサちゃんの仲でしょ? ちょっとおしゃれなカフェに行くくらい付き合ってくれない?」

「カフェくらいなら同行しよう」

 

 ミカはニヤニヤとした表情から憮然としたものに変わり、更にはクスクス笑うと百面相をしているが、アズサはずっと真面目くさって仏頂面をしていた。

 そんな微妙に噛み合わない二人が手を繋ぐこともなく連れだって歩き出す。

 

 

 そして、その内に回りの妄想はヒートアップしていた。

 

「誰、あの子? ミカ様とナギサ様の間に挟まるつもり?」

「いえ……あの子は。ええ、補習授業部の人間ね」

 

「知ってるの、雷電?」

「私は雷電じゃないわ。ナギサ様の特別な計らいで作られたという補習授業部、それはヒフミ様が部長ということだわ。つまり」

 

「……ッ! ナギサ様が作った、ヒフミ様の部活?」

「そう。おそらく、あれは――ヒフミ様の策!」

 

「ヒフミ様の策? そう、あなたはミカヒフ派の人間と言うことね」

「違うわ、私はヒフミカ派よ」

 

「――。そうね。そちらは宗派違いよね。では、彼女は」

「ヒフミ様がミカ様のことを調査するために送り込んだエージェント」

 

「そんな……! いいえ、でもナギサ様はミカ様の幼馴染。ちょっと調べたくらいではアドバンテージは覆らないはず」

「それはどうかしら? けれど、そう。あなたはミカナギ派ということ」

 

「ナギミカ派ですわ。間違わないでくださいまし」

「あら、申し訳ありません。では、私たちも――」

 

「ええ、そっと影から見守りましょ……っ!?」

「えっ? きゃああっ!」

 

 周りの覗き見していた女学生たちと一緒に銃撃で倒されてしまった。死屍累々と転がる。

 

「何が……?」

 

「監視を確認、排除完了」

 

 お嬢様の出歯亀根性からの視線など、アズサにとってはお見通しだ。そして、まあ事件にはことかかないアズサのこと。 

 先制攻撃で全員を沈めてしまった。

 

「おやま。まああれだけガン付けてたら撃たれても文句言えないよねえ。それにしてもアズサちゃんって、けっこう手が早いんだ。びっくりしちゃったよ」

「実力が低い相手でも任務の障害になりえる。暗がりで襲い掛かって来られた場合に、万一があった。事前に鎮圧すべきだ。……あなたの強さは知っているが、しかし万一がないことはないだろう」

 

「……いや。そういうのじゃないと思うよ? 妄想してるだけの害のない子たちだったと思うけどな」

「妄想? それは、脳内で倒し方のシミュレートを行っていたのだろうか」

 

「あはは。それも違うねえ」

「……そうか。悪いことをしてしまったようだ」

 

「ま、保健室に連絡しておけばいいでしょ」

「了解した。連絡を実施する」

 

 ミカは、アズサの連絡が終わったのを見て歩き出す。

 

「聖園ミカ、どこへ?」

「カフェ。言ったでしょ? あと、フルネームで呼ばれるのはちょっと嫌かな」

 

「ミカ……さん」

「うんうん。ついてきて、アズサちゃん。かわいい後輩のためだものね、奢ってあげるよ」

 

「私たちは、ずっとミカさんのお世話になった。……だが、私は」

「あまりこういうところで話すことでもないでしょ。さ、行こ」

 

「分かった」

 

 そして、ミカの行きつけの店に入っていく。どこかの豪邸と見間違いそうな店構え、しかも門を通ってから庭園をお付きと一緒に歩いて行く。

 

「アズサちゃん、ためらわないね」

「何がだろうが?」

 

「いやあ、ここってけっこうものものしいからさ。普通の子って、入り辛いって思うものだよ。たぶんヒフミちゃんなら無理やり押し込まないと入ってくれないんじゃないかな」

「……? 爆破する際に特別障害になりそうなものは見当たらないが」

 

「あはは! ま、アズサちゃんにはまだ分からないか。ここのは本当に美味しいから、楽しみにしててね」

「了解した」

 

 席に着く。そこは広い個室で、何を話しても問題ない場所だった。トリニティにはこういう高級な店がいくつもある。

 ここで話したことは誰にも漏れない。そういう店だ。

 

「一つ、聞かせてもらってもいいかな? アズサちゃんは、トリニティに来れて良かった?」

「ミカさんには感謝している。あなたのおかげで姉さんを止められた」

 

「……止められた、か」

「――ミカさん?」

 

 ミカの顔に影が落ちる。未来を知るミカには分かっている。まだ終わりではないのだと。黒幕を倒さなければ全ては無意味、けれど補習授業部にそんなことを聞かせるわけにはいかない。

 

「うん、あなたは知らなかったんだね?」

「手段が手に入れば行動に出てもおかしくはないと思っていた。だが、姉さんが使った”手段”、あんなものアリウスには存在しなかったはずだ」

 

「……ふうん」

「ミカさん? 私を、疑っているのか」

 

「いやいや、そんなことはないよ。ううん、なんて言えばいいのかな? 私はアズサちゃんよりもうちょっとだけ知ってることがあるの。ま、ヒフミちゃんにも聞かせられないことをアズサちゃんに言える訳もないけど。うん、セイアちゃんは知ってるよ」

「それは、あの不可解な言葉、そして技術の――」

 

「だから、アズサちゃんには聞かせられない。聞かせられるのはまあ……サオリちゃん達がまだトリニティに近いブラックマーケットに潜伏してることくらいかな?」

「姉さんが! なぜ……」

 

 聞きたかったことは聞けた。やはり彼女は、サオリも含めて――利用されただけで何も知らない。

 ”悪い”のはマダムと呼ばれたあの女だけ。それを知れれば他に用はないとばかりにミカは話をそらす。

 

「さあ? でも、トリニティに近いから監視しなきゃいけないんだよね。いっそのこと遠く離れてくれたら手が回らなくなるのに。言っておくけど、会いに行っちゃダメだよ。ブラックマーケットに行くなんて、とんでもない不良生徒なんだから」

「――そうだな」

 

「あ、ケーキが来たね。召し上がれ」

「いただきます」

 

 アズサは運ばれてきたケーキにフォークをブスリと突き刺して、一個丸々持ち上げて端からかじる。

 まるでハリネズミのように警戒していたその顔が、ぱっと笑顔になる。

 

「うまい!」

「あは。良かった」

 

 アズサはそのままぱくぱくと食べきってしまって、横の紅茶を飲む。カップを持ち上げて、一杯分を全て飲み切ってしまった。

 

「おお! こっちもうまいな。こんなおいしい紅茶は飲んだことが無い」

「ええと……すごい豪快な食べ方だね? ま、別にいいや。私もやってみよーっと☆」

 

 ミカはケラケラ笑って、自分も豪快にケーキにフォークを突き刺して端からかじっていく。

 

「うん……」

 

 アズサは悲しそうな顔で空になった皿を見る。まあ、こんなところを使う人間がケーキをバクリと喰らうはずがない。

 それは、1皿と一杯で終わりだ。

 

「あはは。とっても気に入ってくれたようで嬉しいよ☆ じゃ、他のも持ってきてもらおうか」

「……ありがとう」

 

 そして、二人はケーキと紅茶をたっぷり愉しんで帰路に着く。

 

 

 

「今日はアズサちゃんと色々お話できて良かったよ。うん、少し――安心した。私たちは、あなたにとても大きなものを背負わせてしまったから」

 

 ミカは自嘲する。私たち? それは、私とナギちゃんとセイアちゃんのことだっただろうか? それとも、私とサオリか。……その答えは出そうにはないけど。

 それでも、彼女はトリニティとアリウスの架け橋として順調に歩んでいっている。思惑は当たり、利用価値は増している。そんな、後ろ暗いことを自嘲しながら考える。

 

「……ありがとう」

 

 アズサが頭を下げる。腰を直角にまげて、最大限に気持ちを伝えるために。

 

「あはは。別にいいよ。ま、お高いお店でバクバク食べるとお会計も怖い事になっちゃうけどねー。別に経費とかで落とせるし」

「それもあるけど、違うんだ」

 

「……?」

「ミカさんのおかげでみんなが飢えることがなくなった。色々と思惑があったのは分かっている。だけど、あなたが来てくれてから道端でヘイローの消えた人を見ることがなくなった……から」

 

「でも、私は」

「私は知らないことばかりだ。けれど、何があってもこの気持ちが変わることはないと思うから」

 

「……そっか。うん。そうだね――こんな私でも、出来たことはあったんだ」

「だがら、あなたに謝罪したかった。あなたの、好意を利用して……」

 

「そこから先は言っちゃダメだよ。悪い奴が居るんだ。だから、アズサちゃんは悪くない」

「……ミカさん。それは」

 

「お口にチャックだよ? 大丈夫、トリニティは強いから」

「ならば、私も」

 

「アズサちゃんは他にやることがあるでしょ? 補習授業部の皆と、さ」

「ミカさん……!」

 

「ちゃんと見ておかなきゃダメだよ。大切な人だと思っていても、少し目を離しただけでああなってしまうから」

 

 ミカがすっと指を差す。

 

「何が!?」

 

 アズサが臨戦態勢でミカが指差した方向に銃口を向ける。……だが、その先には何もない。

 

「ミカさん? 一体、何が……」

 

 その方向から目を離さず、警戒を緩めずに問うのだが。

 

「――」

 

 答えは返ってこない。

 

「ミカさん?」

 

 銃口を下げずにチラリとミカの様子を伺うと。

 

「居ない?」

 

 影も形もなく消え去っていた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第70話 ナギサと黄金ペロロ怪盗事件

 

 

『17:30 正門前に集合!』

 

 とだけ書かれたヒフミからのモモトークによって補習授業部の面々が集められた。とはいえ。

 

「あのね、ヒフミ。私は正義実現委員会のエリートなんだから、いきなり呼ばれたって絶対来れるって訳じゃないのよ?」

「まあまあ、せっかくのお誘いじゃありませんか♡ それとも、約束していた殿方でもいらっしゃるのでしょうか」

 

「何が殿方よ! 変な想像してんじゃないわよ! エッチなのは死刑!」

 

 などとやかましく、まあ歓迎ムードという訳でもない。かしましいが、それもまあ青春と言うものだろう。

 コハルもこう言っていても、嫌な顔はしていない。

 

「確かに急だったかもしれません。ですが、黄金ペロロ像の一般開放が今日の18時から始まるのです。これは見逃せませんよ!」

「黄金ペロロ? まさか、それはアニメ72話の――」

 

 目を輝かすヒフミに向かって、アズサが意味深に頷く。

 

「ええ、愛と勇気で覚醒したあのシーンのペロロ様に違いありません! これを見逃すことなどできるわけがないのですから!」

「確かに、重要な任務だ……!」

 

 集められた面子の中でアズサだけは目を輝かせている。ハナコは呆れムード、コハルは少し怒っているけれど。

 

「いや、黄金ペロロって何よ。というか、あの鳥が覚醒したところで何すんのよ? モモフレってバトルものだっけ。ねえ、ハナコ」

「ええと……アニメは見たことないのですけど。あれは日常もので、バトルシーンはなかったと思いますが」

 

「まあ、ヒフミがペロロとやらに暴走するのは今に始まったことじゃないけど」

「でも、4人で一緒に見に行くのは悪い気はしないでしょう♡」

 

「……嫌ってわけじゃないわよ」

「うふふ、素直じゃありませんね。こう、下のお口みたいにぱっくりと……」

 

「口があるのは顔だけよ! この変態!」

 

「ハナコちゃんとコハルちゃんは相変わらず仲がいいですね。ですが、時間的に今でもギリギリなのですぐに出発しましょう!」

「いや、別に急がなくても閉館時間には余裕じゃないの?」

 

「いいえ! 開放時間より前に着かないと見学者が押しかけて見れなくなるかもしれません! さあ、行きますよ!」

「あんたがそう言って客で満杯だったことなんてないじゃない。って、早! おいてかないでよ!」

 

 そして、補習授業部は黄金ペロロ像を一般開放しているというとあるモールに出向くのだった。

 

 

 

「着きました。おお、あの中に黄金ペロロ像があるのですね!」

 

 モールの2階にある広場の中、そのど真ん中にシートで覆われた像が鎮座している。それこそが黄金ペロロ像に違いないとヒフミは目を輝かせた。

 

 冷やかし程度の見物客がちらほら居る中、影で言い争う姿があった。

 

「――。だからですね、ティーパーティとしては、しっかりと義務が果たされているかを確認する必要があるわけですので、ご理解いただければと」

「はいはい、もちろん分かっておりますとも。ですが、今は少し忙しいので。そうだ、そんなに気になるならナギサ様も見ていかれてはどうでしょうか」

 

「いえ、私は像には興味がないので。黄金の取り扱いがですね」

「ええ、ええ。そこはもちろん慎重に取り扱っておりますとも!」

 

「……ナギサ様?」

 

 知った声を聞いたハナコが振り向くと、ナギサと目があった。

 

「おや、補習授業部の皆さま」

「ご学友の方ですか? では、ゆっくりとどうぞ。私は準備がありますので」

 

「あ、ちょっと!」

 

 ナギサと話していた男は逃げるように去っていく。犬の獣人だったが、なるほどと思えるような逃げ具合だった。

 

「お仕事、大変そうですね」

「ええ。エデン条約の混乱でチャンスと見たか、色々と動き出す企業が多くてですね……。皆さんは、ああ。黄金ペロロ像、でしたか」

 

「はい、ヒフミさんですね♡」

「……このまま失礼しようかと思っていたのですが、それなら少しだけヒフミさんと一緒に見て行きましょうか」

 

「おや? ナギサ様! ナギサ様も黄金ペロロ像を見に来たのですか? ここが一番いい場所です。どうぞ!」

「ありがとうございます」

 

 ナギサがヒフミの隣に立つ。その後ろには護衛の正義実現委員会が油断なく立っている。

 

「ですが、おかしいですね。18時は過ぎているはずなのですが……」

 

 いつまでたっても外されない覆いに焦れてきたころ、向こうでさっきの男の悲鳴が聞こえてきた。

 

「な、なんだと!? 怪盗だと!」

 

 その言葉を聞いた5人は彼に向かって歩いて行く。

 

「なにが起こったのでしょうか?」

 

 ナギサが聞く。

 

「い、いえ。あの……どこぞの怪盗から予告が届いたのです。そ、そういえばナギサ様は帰られないので? お忙しいと思いますが」

「あなたが心配する必要はありませんので。それで、どのように対応するおつもりですか?」

 

「いえ。私どもが雇った護衛が居ますので、ナギサ様もご安心を」

「そうですか。ところで公開は取りやめたので?」

 

「ああ、はい……今公開しますとも。おい、おまえら! さっさとカバーを取らないか!」

「「「はいっ!」」」

 

 部下の者達が走って行ってカバーをひっぺがす。ヒフミはすぐに走って行って、最前列でその姿を拝む。

 

「お、おおおおお……! お?」

 

 それは全身が黄金で出来たペロロ。光り輝くその姿は威容に満ちている。しかも、手乗りなんぞしゃらくさいサイズじゃない。

 着ぐるみ相当のでかさ。それほどの黄金、もはやそれは一財産などというレベルではない。であれば、盗もうとするのも納得だ。

 だが、それを見たヒフミの顔はみるみる曇っていく。

 

「あの、どうかしましたか?」

「ナギサ様、気付かないのですか?」

 

「え? あの――見た限り、ちゃんと黄金だとは思いますが……?」

「これは黄金ペロロ様ではありません! あれは仲間の想いを継いだ姿! スカルマン博士の仮面の欠片とビッグブラザーの羽根がどこにもないのです! これでは、ただの黄金で作ったペロロ様です」

 

「はあ……まあ、確かに普通のペロロの像……です……ね? あの、違いが分かります?」

「ええと、アズサちゃんは分かってるみたいですね」

 

 ハナコに聞いても分からないらしい。中々にディープな世界の話なようだ。

 

「……ッ! ナギサ様、敵襲です」

 

 背後の護衛が耳打ちする。そのうちに銃撃の音が聞こえてきた。

 

「会長、これはその怪盗とやらですか?」

「おそらく雇われた傭兵でしょうな。まあ、ご安心ください。そんな奴らなどすぐにうちの者が蹴散らしますよ。それに、黒幕の怪盗とやらもね」

 

「……そうですか。お手並み拝見といきましょう――どうしました?」

「ナギサ様、避難を。突破されます」

 

 やかましい足音が聞こえてくる、護衛は簡単に倒されてしまったらしい。

 

「ご自慢の護衛だったはずでは? 補習授業部の皆さん、ここは帰りましょう。私たちが関わることでは……」

「いいえ」

 

「ヒフミさん?」

「ナギサ様は危ないのでお帰りください。ですが、補習授業部はここでペロロ様を守ります! 怪盗などに盗まれてなるものですか!」

 

 むん、と気合を入れるヒフミ。

 

「え!? 私たちがその鳥の像を守るの?」

「らしいですね♡」

 

「さあ補修授業部、出動なのです!」

「ああ、ペロロ様を盗もうとする不埒者を成敗しよう」

 

 4人が、足音の主に目を向ける。

 

「なんだ、てめえら。俺たちは泣く子も黙るヘルメット団! ここを守る護衛どもなんてひとひねりで潰してやったんだぜ!?」

「――そうか。だが、我々もアリウスの兵隊を相手取ったことがある。彼女たちと比べれば、お前たちなど素人同然だ。……コハル!」

「分かってるわよ!」

 

 姿を表したヘルメット団の鼻先に手榴弾を投げた。

 

「なっ!? こんな場所で……! ぐわっ」

 

 破裂――先頭に居た奴が倒れた。

 

「だが、数はこっちのが上だ! たかが四人ぽっちで!」

「数は戦闘の優位を保証しない。突撃の勢いを潰された時点で貴様らは烏合の衆だ」

 

 手榴弾の爆発に紛れてアズサが突進していた。倒れた敵を踏みつけにして、至近距離から銃撃する。

 

「がはっ! ば、馬鹿な――お前も手榴弾に巻き込まれたはず!」

「コハルの手榴弾は特別だからな」

 

 この奇跡は敵にダメージを、味方に回復を与える。別にアズサに回復すべきダメージはなかったが、これで相手の隙を突ける。

 

「ちっ! 他の奴らからも銃撃が!」

「くそっ! バリケードで届かねえ!」

 

 アズサにかき回されてさらに後衛から銃撃を喰らっては、ヘルメット団はまともに反撃すらもできやしない。

 

「ぐはっ!」

「ぎゃあっ!」

 

 ばたばたと倒れていくヘルメット団。だが、彼女たちはそれでもキヴォトスで生き抜いてきた不良達だ。それがこの程度で終わるはずもなく。

 

「舐めるな! 元から数はこっちが上なんだ。落ち着いて対処すりゃ、てめえらなんざ……!」

「ならば、ペロロ様の御威光を見るがよいのです!」

 

 ヒフミがディスクを投げた。地面に接地すると同時に鳴り響く音楽、現れるキショい鳥が舞い踊る。

 

「な――なんだ、こりゃ!?」

「こいつ、やべえぞ!?」

 

 そのペロロには挑発効果がある。その衝動に抗えずにペロロに銃撃を加えるが、それは無駄。貴重な反撃の機会が潰された。

 

「さあ、終わりだ……!」

 

 アズサが自らの銃に奇跡を集中、残った冷静な奴を片づけようと銃口を向けて――

 

「……ッ!?」

 

 突然に暗闇が降りた。これでは銃を撃てない。だが、向こうも戸惑っているようで反撃も来ない。

 

「ヒフミ!」

「一度戻ってください、アズサちゃん。もしかしたら、暗闇に乗じるのが怪盗の狙いなのかも……!」

 

「警戒を……」

 

 そのうちに、それが起こる。どおん、と腹に響くような音が響いて天地が裏返る。……床が崩落した。

 

「っぐ。何が起きたのですか? ……ヒフミさん!」

 

 天井のヒビからわずかに太陽光が覗く。僅かな光で見ると、広場が崩落して1階に落ちていた。

 ナギサは護衛を振り切ってヒフミに呼びかける。こちらは像を守る義理もないと、像から離れていたから無事だった。

 

「ヒフミさん!? 大丈夫ですか、ヒフミさん!」

「ナギサ様、私は無事です! コハルちゃんとハナコちゃんも大丈夫です。アズサちゃんは!?」

「私も問題ない、ヒフミ。だが、敵は混乱に乗じて逃げたようだ」

 

「……まあ、問題ないでしょう。ですが――」

 

 ナギサと同じく物陰に隠れていたおかげで崩落に巻き込まれなかった会長が穴を覗いて悲鳴をあげる。

 

「うわああああ! わ、私の……私の黄金がああああああ!」

 

 そう、黄金ペロロ像は影も形も無くなっていたのだった。

 

「これは……まさか、怪盗にやられたとでも言うのでしょうか」

 

 ナギサが顎に手をやる。

 不審な箇所と言うのは、実はいくらでもあった。というか、だからこそ圧力を与えるために会長に顔を見せに来たのだ。

 

「なんてことだ。……なんということが起こってしまったのだ! これは問題では? もはやトリニティで、このような大事件が発生してしまうとは!」

「そうですね。正義実現委員会に連絡を。もし本当に黄金が盗まれてしまったのだったら、検問にひっかかるでしょう」

 

「そちらの方々には対応いただけないので? いえ、対応はしていただけませんでしたな……! このように、儂の黄金ペロロ像は盗まれてしまったのですから」

「彼女たちは私の護衛です。それに、警護依頼などしておられなかったようですが?」

 

 ナギサは会長の恨み言などどこ吹く風だった。

 

「ヒフミさん。後はこれから来る正義実現委員会の方々に任せましょう。良いようにしていただけるはずですから」

「いいえ」

 

「……ヒフミさん?」

「ペロロ様が盗まれたこの事件、この私が解決してます。……そう、名探偵ペロロ様の名にかけて!」

 

「名探偵ペロロとは……なんでしょう?」

「名探偵は現場百篇! 必ず手がかりが残っているはずなのです!」

 

「え? でも、逃げた犯人を追わなきゃいけないんじゃないの? あのバカでかいペロロ像持ってんなら、どうせすぐ見つかるでしょ」

「ええ、ええ! すぐにでも犯人を追ってもらわなければ!」

 

「いえいえ、そちらの方はきっと正義実現委員会の方々がやってくれますよ♡ ね、ナギサさん」

「まあ、そうでしょう。今は他に大事件が起きていたりもしませんしね」

 

「だが……!」

 

 会長は口の中でけしからんだの何だのと罵詈雑言を噛みつぶしている。まあ、あれだけの黄金はとてつもない金額になる。

 ナギサは知っているが、落ち目であるこの会長にとってはそれこそ自分の命運を左右するほどの額だ。

 

「……これは」

 

 ヒフミが、瓦礫の中で何かを手に取って見つめている。それは何の変哲もない瓦礫にしか見えなかったが。

 

「30分ください。真犯人を解き明かして見せるのです!」

「なんだと!? 馬鹿な、犯人はもう外に逃げているじゃないか!」

 

「いいえ、犯人は――この中に居ます!」

「な……なんだとォ!? だが、犯人はもう逃げただろう。馬鹿なことを言ってないで……」

 

「いえいえ、ヒフミさんにお任せしましょう」

「ナギサ様! あなたに何の権限があって……!」

 

「むしろあなたにヒフミさんに犯人捜索を命じる権限の方がないでしょう。それに、容疑者を一つの場に集めておくのはあなたにも都合の良いことではないでしょうか? ええ、事件を解決してもらっては困るということがなければ――ね」

「……ぐっ! 好きにしろ!」

 

 

 

 そして、その時間が経った。会長の護衛、そしてナギサの護衛も含めるとその人数はそれなりになる。

 その前で、ヒフミは口を開く。

 

「この事件の犯人は――会長さんなのです!」

「な、なんだと!? どういう了見で言っているのだ、貴様! というか、推理を話せ推理を! 名探偵じゃなかったのか」

 

「そうですか。ですが、推理の必要などありません。証拠があるのですから」

「証拠!? 馬鹿な、あれは跡形もなく消し飛ばしたはず! ……ハッ!」

 

「怪盗はまず電気系統に仕込みをし、ヘルメット団との戦闘中に明かりを絶った。そしてペロロ様がいらっしゃる床を爆破し、1階で手に入れてそのまま逃げた。そのように私たちは勘違いしていました。ですが、ペロロ様は誘拐されていなかった。そう、あの爆破で木っ端みじんに吹き飛ばされたのです! ああ、なんというおぞましい所業を!」

「なっ! そ、それでは私が犯人みたいではないか。証拠はあるのか、証拠は!」

 

「最初からそう言っているのです。そして、証拠は――アズサちゃん!」

「ああ」

 

 アズサが背負ってきたもの、それはぼろぼろに欠けたペロロ像だった。それこそコンクリートで作ったものを壊して継ぎ接ぎにしたような黄金ペロロ像とは似ても似つかぬ有様。

 けれど、同じものと言われたら納得できるくらいには修復されている。

 

「あの黄金はメッキだったのです。それが爆破の衝撃で粉々になってしまっただけだったのです。その欠片を集めたのが、これです」

「会長さん、あなたの目的は保険金ですね? あれだけの量の黄金であれば、掛けた額は相当になります。とはいえ、あまりご上手にはできていなかったようですけれど。現に、ティーパーティーにも目を付けられていた。想像ですが、黄金の入手ルートが辿れなかったことから疑いを持ったのでしょう。あれだけの量の黄金がぽっと出てきたら当然でもありますが」

 

 ヒフミの推理をハナコが補強する。まあ、ハナコの登場など会長には完全に予想外だろう。それこそトリニティで一二を争う頭脳だ。

 

「……ぐ。ぐぐぐぐ……!」

 

 会長は、人を殺しそうな瞳でヒフミを睨みつける。うまく行くはずだった。忙しいナギサはちょっと顔を出して帰って、こんなに居残るはずがなかった。残っても本人は無事で済んだから、首の皮は繋がったと思った。

 なぜならティーパーティーが関わる醜聞はもみ消されるのが世の常だから。保険会社は特に捜査をすることなく保険金を払って事件を終わらせにかかると思っていたのに。

 

「ああ、やはりそういうことですか」

「ナギサ様はお気づきでいらっしゃったので?」

 

「だって、そこの彼は特に手続きをしていなかったもので。家に所持していた黄金と言えども色々と必要なことがありますし、外から仕入れたのだったら足取りを辿れます。0から出たのであれば、まあそういうことになるでしょう」

「……な、なんだと」

 

 会長が手で顔を覆い、崩れ落ちる。泣き始めた。

 

「そんな。そんなことがあるか。私は……私はやり直すのだ。莫大な保険金を手に入れれば会社を立て直せる。それが――こんな学生どもにしてやられて全てを奪われるなど……!」

「あなたの間抜けな作戦はどうせ成功しなかったと思いますが」

 

 ふい、とナギサは顔を背ける。どうせこんなことだろうと思っていた。そもそもナギサのような人間にとっては芸術など投資先でしかない。それも、黄金であればなおさらに。

 膨大な黄金を用意する理由は、投資か詐欺の二択だろう。

 

「……殺せ! こいつらを始末しろ! 口さえ封じてしまえば!」

「怒っているのはこちらなのです。詐欺にペロロ様を利用し、挙句の果てにはこんな姿にしてしまうなど――この私が成敗するのです!」

 

 銃を手に取った会長を、ヒフミが先に撃った。

 

「ぐはっ」

 

 会長が崩れ落ちる。

 ちなみに会長の護衛達は座って次の職場の相談をしていた。立ち上がりもしていない。

 

「事件解決ですね。正義実現委員会に連絡してこの方を拘束してもらいましょう。……お互い、妙な事件に巻き込まれてしまいましたね。みなさん、お怪我はありませんか?」

「はい、大丈夫です。ナギサ様の方も、大丈夫みたいですね」

 

「――そろそろ良い時間ですね。どうですか? 一緒に夕食でも」

「はい、喜んで」

 

 





感想いただけると嬉しいです。

ナギサ様が人気ですね。色々と弱っていて儚げな美少女、しかもお茶目なところまであれば(人気的に)最強になるのも納得でした。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第71話 蠢く闇

 

 

 トリニティを支配する三人は、集まってトランプをやっていた。

 

「んー。セイアちゃん、そろそろ具合は良くなってきた?」

「……さて、ね」

 

 セイアはまだ外を自由に出歩けるまで回復していない。どころか、一時期よりも顔色が悪くなっているように見える。

 ミカも、ナギサも少し心配していた。救護騎士団も原因が何も分からないというのだから、余計に。

 とはいえ療養のために静養させるのはセイア自身が反対する。そもそもセイアが起きているのは、こういう何気ない時を過ごすためなのだから。

 

「しかし、それは悪手ではないかな、ミカちゃん」

「ふうん。仕込みは失敗かな。……ま――そっちは、ね」

 

 だから、ミカは遠慮なくセイアを叩き潰すように複数の策を平行に張り巡らせるのだが――セイアはその策をかいくぐって鋭く切り込んでくる。

 具合が悪くても、頭までは劣化していない。

 

「そうですね。では、私はこちらを」

「あーッ! もう、隠し通せると思ったのになー。……? セイアちゃん」 

 

 舐めた瞬間にエグいやり方で急所を取りに来るミカ、しかしセイアも対抗できる手段を有している。

 

「ふふ。ですがお二人とも。熱くなって私のことをお忘れではないですか?」

 

 そして大人しそうに見えるが一番油断できないのがナギサだ。ミカのように派手ではなく、セイアのように華麗でもない。

 なのに最後には勝っている。それがナギサの手腕だ。

 

 そんないつもの風景で遊びに興じていた。の、だが。

 

「……ぐっ」

 

 セイアは顔を歪めて心臓のあたりを掴む。

 

「セイアちゃんっ!」

「どうしました!? あなたを害すものなど、ここには入って来られないはずなのに!」

 

 倒れこみそうになるセイアを二人で支える。

 常に救護騎士団の健康診断を受けていて健康面に問題はない。それに、ここは救護騎士団の館で正義実現委員会の護衛もあるのに。

 敵の力は、それすら凌ぐのだと――二人は戦慄する。

 

「終わり……はは。あれ……忘れ……な……シスター……古聖堂」

「うん、分かるよ。古聖堂で見た”技術”、私たちに理解不可能なそれがあれば護衛なんて意味がない」

「では――やはり、これはマダムが!」

 

 前とは違って、セイアの言葉に悲観的になりはしない。前と違って、くだらないことも含めてたくさんたくさん話していた。

 絆はあるのだと、信じられるから。

 

「滅び……動き……」

「マダムがキヴォトスを滅ぼす儀式の準備を始めたんだね。でも、大丈夫――まだ時間はあるはず」

 

 セイアの震える手を取り、目を合わせた。ナギサも、同じようにもう片方の手を取ってセイアを見つめている。

 

「ミカ……君が……君の、ために……」

「うん。取り乱したりなんてしない。だからセイアちゃんも頑張って。死なないでね。――私も頑張るから」

 

 ゲホゲホとセイアが咳き込み、血を吐いた。けれど目に力は失っていない。これだけは言わなくてはならないと、ナギサに顔を向ける。

 

「ナギサ……ミカを……頼む」

「はい。私がミカちゃんを一人になんてさせません」

 

「――」

 

 ふ、と笑ってセイアが意識を失った。

 

「――誰か、セイアちゃんを運んでください!」

 

 セイアを抱きかかえるナギサを後目に、ミカは一人立ち上がる。肩を怒らせて、殺気が立ち上っている。

 ……明らかに、暴走していた。

 

「ナギちゃん、後をお願い。私は――」

「待ってください、ミカちゃん。もしやアリウスに突撃するつもりですか?」

 

「だって、セイアちゃんが倒れたのはあいつのせいに決まって……!」

「それは私たちの持つ唯一のアドバンテージです。今使ってしまったら、私たちの未来にたどり着けなくなります。そもそも、彼女が今もアリウスの玉座に居るとの確信が? もし居たとしても、そこで待っているような方ですか?」

 

 暴走するミカを論理で止める。直情的な面があるが、馬鹿なわけではない。それが今後を考えると致命的な事だと理解できるだけの頭はある。

 やはり感情的には納得できないけれど。

 

「……ッ! それは、そう……かもしれないけど」

「ティーパーティによる錠前サオリの監視は続いています。それは、裏を返せばマダムの計画は始まっていないということ。……セイアちゃんは彼女にとって脅威です。まずはそちらを対処してから計画を始めるというのは想定通りでしょう。そして、それは未来でも同じだった」

 

「分かってる。これは計画通り。こうなることも織り込み済みだった。想定済だった……セイアちゃんだって、あいつの手を感じてた! 恐れてた!」

「暴走するな、冷静にナギサの言うことを聞け。と、そう言われていたじゃないですか――忘れましたか?」

 

「――ッ! 分かった。頭を冷やしてくる。”通路”は使わないから、それでいいでしょ?」

 

 ミカはぶんぶんと頭を振ると、それでも耐えきれないとばかりに足を踏み鳴らす。それでも、理性は戻ってきた。

 

「そうですね。あなたの気が済むならそれで。……ただ、正義実現委員会の監視を振り切らないことは約束してください」

「うん。我慢する」

 

「……いい子ですね。セイアちゃんのことは私に任せてください」

「お願いね」

 

 ミカはあてどなく走り出した。ただ焦燥に突き動かされて走り出さざるを得ないのだ。こんなもの、私には手段はありませんと言って回るのと同じことなのに。

 

「――」

 

 だが、身体の内に湧き上がる熱を抑えきれない。これが何の意味もないことを、自身すらも理解しながら走っている。

 まあ、それも何も益がないわけではない。少なくとも、それを見たマダムは溜飲を下げて油断するだろう。何もできないということを見せつけるのが目的などと妙なことになっているが、ミカは止まらなかった。

 

 

 

 その裏で蠢く闇がある。キヴォトスに存在する闇は、マダムただ一人ではないのだから。いや、それは闇ではなくただの薄暗闇かもしれない。

 不良でなくとも、銃撃戦くらい誰でも経験することだ。徒党を組んで気に入らない奴を襲撃することを狙う集団だって居る。実のところ、常に銃弾の音が絶えないキヴォトスを外の感性で見るなら地獄だろう。

 

「……くそっ! 聖園ミカ、調子に乗りやがって……!」

 

 たむろしていた彼女たち。だが、不良と言うにはあまりにも所作が優雅に過ぎた。それもそのはず、彼女たちはティーパーティーの一員だった。

 ミカに言い負かされて苦渋を飲んだ人間の一人で、だからこそ今のティーパーティには戻れない。区切りは3つだが、しかしその内にも無数に派閥が別れているのだ。

 ゆえにこそ、現ホストに対立する勢力も居るわけなのだが――今はホストが三人だけで連合を組んでしまったようなものだ。ホストに着く主流派の権力が強すぎて、傍流が木っ端だ。

 

「あいつ、トリニティの裏切り者じゃなかったのかよ!」

「それがどうして……今も我が物顔でティーパーティーのホストに!」

「……ナギサ様と裏取引したに違いないわ。魂を売ってでも地位を確保しようとしてるのよ、あの魔女!」

「トリニティである誇りはどこに行ったのよ! エデン条約は無くなったけど、でも今もゲヘナとの戦線が開いてないじゃない」

 

 口々に万の文句が飛び出てくるが、それが矛盾だらけなのは本人達は気付いていない。この集団が何かを達成したとして、次の瞬間には空中分解するのが目に見えている。

 そう、彼女たちはただ聖園ミカが気に入らないというだけで寄り集まった烏合の衆。あの時に言われた言葉に我慢が出来ないから愚痴を言い合っているだけだ。ただそれだけの理由で徒党を組んでいる。

 実は、機会さえなければここでこうして愚痴大会するだけで満足なのかもしれなかったが――不幸にも手段を手に入れてしまう。

 

「――あなたたち、力が欲しくはないですか?」

 

 そこに、声をかける者が居る。利用しようとする、闇が。

 

「あなた、誰? 大人? もしかして、企業の――」

「はい、”黒服”と呼ばれております。どうぞお見知りおきを」

 

 スーツをビシっと決めた、しかし人間ではない彼が管を巻くティーパーティの負け犬どもに声をかけた。

 そいつは慇懃に頭を下げて相手の様子を伺う。

 

「何の用? 私たちは、別にあんたに用なんて……」

「企業、とおっしゃいましたね。ええ、そのようなものと捉えていただいてけっこう。なにせ私は営業に来たのですから。皆様には、強い武器がご入用かと思いましてね」

 

 矢継ぎ早に言葉を出す。それも相手の言葉を潰すのではなく、相手の言うことをよく聞いて。

 それを一言で言えば、上手い営業トークだ。

 

「……強い武器。それは、聖園ミカを倒せる武器?」

「さて? 正直に言わせてもらいますが、さすがにそこまでは保証できません。ただ、トリニティの中でも最強とも言われる彼女であっても――直撃させれば大きなダメージを与えられることは保証できます。わざわざ紹介に伺ったのです、それだけの威力はありますとも」

 

 彼女は高校生で負け犬とは言えども……それでもトリニティなんぞで政治家をしているのだ。

 ただ営業トークがうまい程度で丸めこまれるようなことはない。その効果を理解した上で、猜疑の視線を黒服に送る。

 

「へえ。で、裏とかあんじゃないの? だって、そんな強い武器ならあんたのところで使えばいいじゃない。ほら、企業の所属なんでしょアナタ」

「ハハハ、開発したはいいものの扱い辛くなってしまったものでしてねえ。企業で使うには、ちょっと都合が悪いのですよ。なので、皆様に高く売りつけられればと」

 

「あはは! 言うわね。ねえ、そこまで言うからには性能は保証してくれるんでしょうね」

「もちろん、カタログスペックは保証しますよ。私は取引というものを大切にしています。決して嘘を吐くことなどございません」

 

「いいわ。買ってあげる。契約書を寄こしなさい。……って、値段がすごいわね」

「特別仕様ですから」

 

「作ったのはいいものの、使い道がなかったポンコツでしょ。……ま、あの魔女に対抗するためには仕方ないか」

「お買い上げいただき、ありがとうございます」

 

「じゃ、私の住所はここだから送っておいて」

「承りました」

 

 黒服は慇懃に客を見送り、含み笑いを漏らす。

 

「実証されない証明に意味はない。いえ、この場合は証明を行うための模索になるのでしょうか。要は企画倒れでは困るのですよ。……マダム、あなたは先生のことを舐めている。そしてトリニティ、桐藤ナギサ――彼女が動かせる戦力は少なくない」

 

「ですので、ここは少しばかり場を整えてあげましょう。動く前に潰されてしまうのは、私たちにとっても本意ではありませんので。どうか、『崇高』の影だけでも拝ませてくれることを心より願っておりますよ」

 

 『ゲマトリア』も動く。彼らは探求者、見知らぬ誰かの命を薪と積み上げてでも”それ”に手をかけることだけが望みであるのだから。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第72話 破滅の始まり

 

 

 キヴォトスの中でも最大規模を誇るトリニティですら糸口すらも掴めない闇。その名前すらも秘された『ゲマトリア』、その集会が開かれている。

 

「――さて、首尾はどうですかな? マダム」

「あなた達に公開する必要などありません。忘れましたか? 私たちは同じ研究テーマを持ちますが、本質的には競合です。敵にむざむざと情報を渡すとお思いで?」

 

 四人の異形、人外が話している。和やか、とまでは行かずとも敵意を剥き出しにすることはない。

 踏み込めば噛むと威嚇するように3人を睥睨する、マダムと呼ばれた彼女を除いては。

 

「ですが、この場は情報交換のためにあるものでしょう。なにより、我らは同じく長年研究を続けながらも手が届いていない。――もはや、自分がどうのと言う段階は過ぎ去ったとも言えます」

「ならば、黙って見ていなさい。協力する振りをして私から成果をかすめ取ろうなどと考えぬことですよ、黒服」

 

「かすめ取るなどとめっそうもない。まさかマダムを相手にそのような真似はできませんよ。あなたの手腕は素晴らしい。国家を手に入れたのは、私たちの中であなただけだ」

「――黒服のアビドスは惜しかったがな。もちろん揶揄ではないぞ」

「ふん。くだらない。それで、何を言いたいのです? 黒服」

 

「ククッ……お気になさらず。たしかに惜しかったですが――あの先生の存在は私の計算に入ってなかったので。ですが、マダム、先生についてどうお考えか聞いても?」

「『シャーレ』、あの者のことですね。みなさん、相当に気になっているようで」

「そういうこった!」

 

 会議の流れをぶった切って写真の中で背を向けている男が大声を出す。

 

「いいえ。あの者とは対敵してはいけません。むしろ私たちの仲間に引き入れた方が良いでしょう」

「私としても大変気に入っている。あの者は、私たちの理解者になってくれるかもしれない」

「私はまだ判断を保留していますが……もしベアトリーチェのように私たちの一員になってくれるなら……」

 

 マダム以外の3人は先生に関して好意を示している。だが、マダムの目は冷え冷えと殺気をたたえている。

 

「愚かで怠惰な思考ですね。『シャーレ』の先生は必ず排除しなくてはなりません」

 

 マダムは威圧を籠めて他の三人を睥睨する。

 

「「「……」」」

 

 反応は、特にない。好意的でもないが。

 

「説明が必要なようですね。ええ、せっかくなので少し説明しましょうか。まず聖園ミカ、彼女は私に多くのアイデアをもたらしました。太古の威厳の確保、予知夢の大天使の処分……珍しい技術を提供してくれたゴルコンダに感謝します」

「そういうこった!」

「私はテクストを提供しただけで、それを形にしたのはマダムですよ。それに、むしろその技術がマダムの足を引っ張っていませんでしたか?」

 

「ええ……ですが、生贄の身体にあらかじめ植えておいた防御システムのおかげで助かりました。感謝します、黒服」

「……クックックッ。無名の司祭たちの技術が役に立ってよかったです」

 

「そして、最後のインスピレーションが先生のこと。アリウスを支配したのは都合が良かったからで、子供達の怒りや憎悪などは私にとってはどうでもいいこと。ですが、先生の活躍をこの目で見てしまった」

 

 す、と目を細める。無数の目を。

 

「……アレが介入すると、私が持っているすべての意味が変わってしまいます。あの者は危険です」

「「……」」

 

 黙りこくるゲマトリア。『先生』の存在、いや個性は彼らにとっても無視できないものであるらしい。

 遠くからそれを見ているセイアの背に冷や汗が流れた。

 

「そこで気付いたのです。私の計画を果たすためには、真っ先に『先生』を消さなければならないことに」

「まさにアンタゴニスト(敵対者)ですね」

「ふむ……」

 

 始末しなければならないと主張するマダムに対し、他の三人は及び腰なのは間違いがない。

 

「私の決定が気に入らないようですが――どうせ私たちは各々の目的を追及するだけの存在。あなた方に私を妨害する権利はないでしょう」

「……ええ。そのような権利はありません。思うままになさってください、ベアトリーチェ」

 

「……」

「しかし、目的くらいは教えてくれてもいいのでは?」

 

「祭壇を用意しています。あなたのように契約をするつもりはないですが」

「ほう、契約の代わりに儀式ですか……本来その二つは変わらないと考えることもできますが。それを実行する上で、先生の存在が必ず邪魔になると?」

 

「ええ、そうです。既に手は打ってあります。『スクワッド』が先生を処理してくれることでしょう」

「なるほど、スクワッドですか」

 

「廃棄しようとしていた消耗品ですが、先生を殺せば許す機会を与えると伝えました。彼女たちにとっては断ることができない提案ですから」

 

 得意げに自らの策略の一部を明かすマダム。そして、唐突に部屋の一画を睨みつける。

 

「――ああ、ネズミが罠にかかってくれていたようですね。間に合わないかと思っていましたが、しかし丁度いい」

 

「……!!」

「ここに? ここには我々以外誰も……」

 

 即座に目線を走らせるゲマトリア達。だが、他に何の存在も感じ取れない。しかし、実際にそこを見ているセイアにとっては肝が冷えるような体験だ。

 

「少々話し過ぎたようです。私はこれで帰るとします」

 

 

 

 そして、マダムは祭壇の場所までやってきた。駒を動かし始めた、儀式の時はもうすぐだ。

 『スクワッド』が先生の始末に成功しようが失敗しようが……それすらどうでもいい。どうせ、この場所にまで侵入できるはずなどないのだから。

 既に成功は約束されたものだとほくそ笑む。

 

「……さて、予言の大天使……いえ、百合園セイア」

 

 手こずらせてくれた敵に蔑みの笑みを向ける。マダムにはガンガンと蹴りつける音が響いていた。

 どうにか逃げようと必死になって……しかし、それが出来ないという証だ。注目が向けられたセイアはしゃべりだす。

 

「何かね、私たちの敵よ。しかし、やはり愚かなことをするものだ。よりにもよって『スクワッド』を――先生に道案内を寄こしてやるなど、ね。いつものように隠れていたなら見つからなかっただろうに」

 

 周囲には見えない壁があって脱出できない。無理やりにこんなところまで連れてこられてしまった。

 だが、不安な顔を見せてやる義理はない。

 そう、ミカもナギサも戦っていると断言できる。ならば、ここで相応しい表情は――余裕の笑みだ。難しいことはない、なぜなら助けは来ると信じているから。

 

「ふむ。……絶望していると思ったのですが、その顔はどういうことでしょう。いえ、単なる強がりですね。夢の中だと思って油断していた事実は変わらない」

「ここが祭壇とやらだね、マダム」

 

「ええ。他のゲマトリアも訪れたことのない秘境です。光栄に思いなさい」

「なるほど。身に余る光栄だとでも言えばいいかね? ッ! なんだ……あれは……一体……!?」

 

 不吉な予感を感じたセイアが振り向く。祭壇のステンドグラスの更に向こう側に、何かがある。意思とも違う、何かエネルギーのようなもの。

 胸の内にじわりじわりと染み込むような不安が広がってくる。それだけの、おぞましい存在感があった。姿も、音もない。なのに、ただ伝わってくる存在感だけでこれだ。

 

「――ッ! 囚われた少女? 秤アツコ、彼女は。まさか、アレを呼ぶための生贄とでも……?」

「なるほど。やはりあなたを殺す判断は間違っていなかった。だが、やはり白洲アズサでは足りなかったということですね。あなたならば彼女を手玉に取ることは赤子の手をひねるよりも容易かったことでしょう。どいつもこいつも取るに足らぬ間抜けばかり。結局、役に立ったのはミメシスか……」

 

「は。忘れたか、マダムよ。アズサは自らの意思で私と歩むことを決めた。ミメシスは錠前サオリの策と秤アツコの献身がなければ掴めなかった。――私は弱いが、『スクワッド』は強いぞ」

「あれらに期待するのですか? しかし、ならばむしろ安心というもの。その『スクワッド』が先生を殺すのですから」

 

「くくく。なるほど、まさに浅慮だな。それで成功したことがいくつあった? マダム、あなたにできることなど憎悪を利用して対立を煽ることくらいだ。人を頼るばかりだな」

「――ッ! この状況でよく減らず口を叩けますね。私があなたに何も出来ないとでも?」

 

 ガン、と何かを蹴った。それと同時にセイアは見えない壁に叩きつけられる。不可視の鳥かごだ、セイアは逃げられない。

 

「ぐっ! はは、こんなことしか出来ないのかね……マダム。ゲマトリアについて聞けば、一人は契約を、一人はテクストを、一人は記号を――それぞれ専門があるようだ。だが、そういえば、マダムよ。あなたはそれは黒服の猿真似……」

「小賢しい挑発を」

 

 もう一度蹴る。

 

「ぐっ!」

「口しか出せない哀れな小鳥が、何をいい気になっているのか……!」

 

 蹴る。蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る――

 

「ううっ……ぐ――」

「確かに殺すことまでは難しい。ですが、この程度は簡単なことなのですよ」

 

 セイアはぼろぼろになって鳥かごに倒れ伏せた。だが、薄汚れてもその顔に浮かんでいるのは嘲笑。

 お前など先生の敵ではないと、マダムなど恐れていない。

 

「くははっ! やはりあなたに出来るのはこの程度だ、マダム! 分かっているのだろう? これが物語なら、あなた程度に務まるのはラスボスでもなければ黒幕でもない。……ただ踊るだけの哀れなピエロに過ぎない。ああ、本当の『生贄』は彼女などではなく――」

「よくもそれだけ口が回る」

 

 最期にもう一度蹴りつけてから、セイアをその手で掴む。

 

「――ならば、あなたに『崇高』を見せてあげましょう。あれこそが我々が望むもの。誰も感知しえない窮極にして、全てを統べる絶対であるのです。……そのような高位存在になるために、私は」

「マダム……あなたは何を」

 

 ここで初めて、セイアに恐怖がよぎる。マダムに何も出来なくても、ステンドグラスの向こうにあるものは恐ろしい。

 あれだけはダメだ。身体が拒否反応を起こしている。

 

「見せてあげると言ったでしょう? まあ、もっとも――それに晒された生徒は反転し『恐怖』に堕ちる。それは、おそらく生命の終わり……!」

「――やめろ。私は……ッ!」

 

 身体を震えさせるセイア。マダムはいい気になってその首根っこを掴んだまま歩いて行く。

 

「今さら後悔しましたか? ですが遅い。それはもう、あなたを認識した。絶望とともに、どこまでも堕ちて行くがいい。予言の大天使よ、もうその不愉快な顔を見ることもないでしょう」

「嫌……だ。ミカちゃん……ナギちゃん……!」

 

「安心なさい。きっと、それだけ大切に思っているなら反転してもまた会えるでしょう。……執着していた者を殺すためにね!」

「うあ。……ああああ!」

 

 セイアはステンドグラスの向こう側――虚空に放り出された。そして、そこに棲む”それ”を観測した。

 恐怖に、塗り潰されて……

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。