雷門中のベータちゃん! ~連載版~ (もちごめさん)
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第一話 米田 佳という少女

最初の帝国戦までの流れは短編と凡そ同じになっております。
ストック分は連続更新するからゆるして…


「なあ、サッカーやろうぜ!」

 

 なんて、二語だけの台詞で突然男の子に迫られて、まともにお返事ができる女の子はいったいどれだけいるでしょう。

 

 しかもその男の子はがらがらがしゃーんと薙ぎ払うみたいに教室の戸を引き開け登場し、集まるクラスの皆さんの視線なんて意にも介さず一直線に私の席に突き進んできた挙句、机がガタンと揺れるくらいに強く手を突き言ったのです。

 彼と私は同じ雷門中の二年生ではありますが異性であり初対面で、普通であれば『初めまして』と挨拶をするところから始めるべき間柄。だというのに(・・・・・・)な非常識な態度は、おとなしい子であればきっと怯えて先生を呼んでいたに違いありません。

 

 私はそこまで気が小さくはありませんが、かといって平然としていられるほど図太くもないのです。故に、悪びれもせずに目を煌めかせて返事を待つ彼に、私、米田(よねだ) (けい)は、笑顔で首をかしげて見せました。

 

「……はい?」

 

 ちゃんと日本語で話してくれませんか、と。

 

 西日も傾き始めた下校時刻過ぎ。帰宅部の私はちょうど帰り支度を整え終え、席を立とうとしたところ。早く家に帰りたいのに通せんぼされて、ちょっとイラっとしていたのは否定しません。だから一語の中に煽りっぽく押し込めたのですが、しかし目の前の非常識の権化にはどうやら通じていないらしく、繰り返してきます。

 

「だから、サッカーやろうぜって! なあ、どうだ?」

 

「……どうだって言われましても」

 

 意味不明ですとしか返しようがありません。そもそも『サッカーやろうぜ』って、言葉が少なすぎでしょう。何を言いたいのかさっぱりです。

 

 もしかして、会話ができない感じの人なのでしょうか。であるなら、もうその真意を読み解くのは諦めて、さっさと自分の教室にお帰りいただくべきでしょう。周囲のクラスメイトの皆さんの視線も気になってきましたし、優しい優等生という私の評価のためにも、適当にあしらって追い返すのが一番です。 

 しかしそれを口に出す直前、彼が乱暴に開け放った教室の扉に、今度はよく見知った女生徒が現れました。

 

「失礼します……あ、円堂くん! やっぱりここに……。佳ちゃんには私から話すって言ったのに」

 

「あら、秋さん?」

 

 私の幼いころからの友人である、木野 秋さんでした。

 遠慮がちに教室に足を踏み入れた彼女は、男の子と同じく私とは別のクラスの生徒です。しかし他人ではなく友人であり幼馴染。あまり忙しくない時は、彼女がマネージャーをしているサッカー部の話題とかで盛り上がりつつ、一緒に下校したりもする仲です。

 その縁で、ふと思い出しました。

 

(あら? サッカー部……“円堂くん”って……ああ、なるほどです)

 

 秋さんの口から聞く機会の多い名前だったような気がします。そこからどんどん繋がって、ようやく彼の、円堂さんの『サッカーやろうぜ』の真意に理解が及びました。

 

「『サッカーやろうぜ』って、そういうことですか。円堂さん、私をサッカー部にスカウトしちゃいたいんですね」

 

 あの二語は、気持ちがはやった故の圧縮言語であったわけです。

 そしてどうやらそれは正解で、より一層テンション高く、円堂さんは私に迫って言いました。

 

「そう! そのとーり! 今どうしても部員が必要でさ、入ってくれよ、俺たちのサッカー部に!」

 

「いきなりだったから頭のおかしな人なのかって思っちゃいましたけど、よかったです。おバカはおバカでもサッカーバカの方だったんですね」

 

「え? バカ? まあ、授業の成績はあんまりだけど……?」

 

「そういう意味じゃないよ円堂くん……。もう、佳ちゃんには私から話してみるって言ったのに、勝手に一人で行っちゃうから……」

 

「いやぁ、悪い。でもようやく“部員になってくれるかも”ってやつが見つかったって思ったら、いてもたってもいられなくってさ!」

 

 秋さんも私の机までやって来て、呆れ顔で円堂さんにため息を吐きました。そしてそれに笑って謝る円堂さん。先生とかが相手なら拳骨が飛びそうな謝り方ですが、「しょうがないなぁ、もう」と困った顔で許す秋さんを見るように、こういうのはもう日常茶飯事なのでしょう。

 そしてその諦めと慣れの中には、ちょっとした甘さも混じっていました。秋さんから円堂さんの話をよく聞くのはつまるところそのせいなのですが、しかし衆人環視の中でそこに突っ込んではさすがに秋さんがかわいそうです。いじわるしたくなる気持ちは抑え込み、同じく秋さんとのおしゃべりの中、彼女がぼやいていたことを思い出して続けます。

 

「で、入部してほしいってことですけど……理由はやっぱりあの件だったりしちゃいます? 確か……帝国学園でしたっけ。すごく強い学校なんですよね? 練習試合をすることになったんだとか」

 

「ああそうなんだ。木野から聞いたのか?」

 

「あー……そういえば、この間、一緒に帰った時に愚痴っちゃってたかも……」

 

「そうそう、それです。部員が足りないんですよね?」

 

 確か現在、円堂さんを入れても七人しかいないのだとか。その人数ではそもそも試合自体ができません。

 

「そうなんだよ! だから俺、試合までに部員を集めないといけなくてさ……」

 

「でも、私を入れても八人でしょう? サッカーに必要な人数、十一人だったと思うんですけど」

 

「大丈夫! 部長として責任もって、あと三人も必ず連れて来る! どこかに一緒に戦ってくれる仲間はいるはずさ!」

 

 なんて胸を張りますが、実態はつまりノープランな模様。円堂さんは確かにサッカー部の部長で、さっきのぐいぐい来る感じからして物怖じもしなさそうですが、だからといって本当にあと三人、集められるものでしょうか。

 疑問、というか不安が残ります。だって対戦相手である帝国学園は、私でなくても知っているほどの有名校であるのです。

 

「少年サッカー界最強、なんて言われちゃってますものね、帝国学園って。対して雷門サッカー部は……お二人の前で言っちゃうのはアレですけど、すっごく弱小。勝ち目のない試合に手を貸そうって人がいるかしら」

 

「うっ……それは……」

 

 かたや最強――フットボールフロンティア、少年サッカーの全国大会において四十年近く無敗を誇っている超強豪校。対して我らが雷門は人数も足りず、大会どころか練習試合の一つもしたことがなく、挙句練習場所のグラウンドすら碌に借りられないほどの超弱小。明らかな負け戦に出たいと思う人はそういないでしょう。

 それにこの練習試合、聞く限りでは帝国側から申し込まれたものであるらしいのです。超強豪校が超弱小校に試合を申し込む目的なんて、そんなの大勝ちしてチームの調子を上げたいとか、そんな感じのことに決まっています。つまり、雷門はただ負けるだけではなく、ボッコボコにされる可能性が高いのです。

 

「……そもそも、人数も足りないのなら練習試合なんて受けないのが当然だと思うんですけど……今からでも試合をお断りしちゃったりできないんですか? 試合の日程、いつでしたっけ」

 

「……明後日」

 

「あらまあそれは……手遅れみたいですねぇ」

 

「……本当なら佳ちゃんの言う通り、こんなことになる前にお断りしたかったんだけど、雷門さんが……」

 

「雷門さん? それって雷門 夏未さんですか? うちの学校の理事長の娘さんだっていう……」

 

 時に校長先生すら顎で使うくらいの、正真正銘のお嬢様。ついオウム返しにしてしまいましたが、聞くまでもないでしょう。この学校で雷門の名字を持つのは、あの、私たちと同級生のあの子だけです。

 そしてそれ故に、秋さんが練習試合を断り損ねたその理由も、なんとなく察しがつきました。

 

「……もしかして、あの子に何か意地悪言われちゃったとか? 『理事長の言葉と思ってもらって結構です』、とかなんとか、言っちゃいそうですもんね、あの子」

 

「まあ……そうなの。うちみたいな弱小部に回す予算がもったいないから、もしこの試合に勝てないようならサッカー部を廃部にするって……」

 

 徐々に秋さんの目線が下がっていきます。つまり、そう脅されてしまったのです。そしてその言葉が脅しに留まらないことは、彼女の肩書からしてたぶん間違いないでしょう。

 秋さんと円堂さんは、そんな状況に追い込まれてしまっているのです。

 

 なるほど、と思いました。

 

「だから私が必要なんですね。……サッカー経験がある私が」

 

「ああ! 木野がサッカーが得意な友達がいるって教えてくれてさ! びっくりしたよ、今までそんな話、聞いたことなかったから!」

 

「………」

 

 一瞬で調子を取り戻した円堂さんが言うのと同時、今度は秋さんが気まずそうに私から眼を逸らしました。

 それもそのはず。私と秋さんとの間では、私が過去にサッカーをしていたこと、そしてそもそもサッカーの話題自体が、なんとなく口に出し辛い雰囲気になってしまっているのです。

 

 私がサッカーをしていたのは、ちょうど秋さんがアメリカで暮らしていた時期。なのでもちろん秋さんは私がサッカーをするところを直接見たことはなく、代わりに当時頻繁に交わしていた手紙によって、秋さんは私のサッカーの諸々を知っています。

 私がサッカーを始め、すぐにチームのエースになったことも。小さな大会でチームを優勝に導いたことも。

 そしてその後、サッカーをやめてしまったことも、覚えているでしょう。

 

 秋さんの方も現地のお友達と一緒にサッカーに熱中していたので一時期は手紙の九割八割がサッカーの話で埋め尽くされたりもしましたが、私がサッカーをやめてしまってからは一転。彼女の方も何か思うところでもあったのかサッカーの話をしなくなり――特別秘密にしてほしいとか、サッカーの話をしたくないとか、そういうことを言ったわけではありませんが、以来お互いにそれを引きずっているわけです。

 

 なので私も口にするのに少し息苦しい思いをすることになりましたが、秋さんはどうやらそれ以上であるようで、すこぶる気まずそうに口をもごもごさせた後、ようやく目が私へと向きました。

 

「あの……佳ちゃん、ごめんね? 勝手に話しちゃって……」

 

「いえ、その……別に話さないでって言ったわけでもないですし、いいですよ、そのことは。

 それよりも……そう、円堂さん。秋さんから聞いたのならわかってるとは思いますけど、私、サッカー経験があるとは言っても最後にやったのはずっと昔なんです。正直、お二人が期待するような活躍なんてできないと思うんですけど」

 

 いたたまれなさにケリを付けるべく微笑んで、次いで円堂さんへと話しを戻しました。

 実際、当時から今日までサッカーボールを蹴ったことすらありません。もしも円堂さんが過去の私の活躍を聞いて、『米田さえいれば帝国に勝てる』なんて思ったのなら、そこは認識を改めてもらわないと困ります。昔はまだしも、今の私はサッカープレイヤーとしては腕が錆びつきすぎているのです。

 

 それに、何よりもまず、最初に抱いた不安がまだ残っています。

 

「廃部がかかってるんだから必死になっちゃうのはわかりますけど……けど実際、私以外の当てはないんでしょう? おまけにさっきも言ったように、相手だってすっごく悪いのに」

 

 そもそもからしてこの話が無駄ではないかという、その点。それに対する返答をまだ聞いていません。ただまあ、想像できますが。

 そして実際、想像通りに円堂さんは私に手を差し伸べてきました。

 

「……ああ。確かに、入部してくれる奴がいるかはわからない。勝てるかもわからない。けど……頼む! 俺を信じて、一緒に戦ってくれ!」

 

「『俺を信じて』、ねぇ……」

 

 要するに、部員の件にも試合の件にも勝算はないということです。繰り返されるのはただ無根拠なだけの言葉。わかってはいましたが、やはりそれだけでした。

 そう、わかっていたのです。最初に円堂さんが苦虫を噛み潰したような顔をした時から、察しが付いていたことです。そしてそんなものを、そんな手を、私が取るはずがありません。

 

 そのはずなのに、わかっていた答えを私は尋ねました。

 心が、さっきからほのかに揺すられ続けているからです。存在しないはずの、円堂さんへの信用によって。

 一考にすら値しないと彼の手を払う理性と同時に、その根拠のない言葉を“信じてもいいかな”と、そう思っている自分もいたのです。

 

 ――たぶん、これは秋さんのせいなのでしょう。彼女から聞いた円堂さんのサッカーバカな性格、そして実績。サッカーから離れていた秋さんをマネージャーとして引き戻したのも、入学時には存在していなかったサッカー部を立ち上げたのも彼です。

 彼ならばやってくれるのでは、なんて、下校中の会話の末に私の深層心理に刷り込まれてしまったに違いありません。

 

「なんならこの試合限りの助っ人でもいいんだ! 無茶な働きも求めない! 帝国との試合が終わった後にも入部しろなんて言わない! そりゃ入部してくれるならそのほうがいいし、それだけの実力があるのにもったいないとは思うけど……でも、嫌なら無理には誘わない! 約束する! だから頼む!」

 

「……私からも、お願い佳ちゃん……! 私、サッカー部を廃部にしてしまいたくない……守るチャンスがあるのに、それを諦めてしまいたくないの……! お願い……!」

 

 円堂さんと秋さんは、そう、一緒に私へ頭を下げてきました。

 するとその背の向こうに見える、興味津々な様子でこちらを伺い見ているクラスメイトの皆さんたち。私と眼が合うと慌ててそっぽを向きますが、しかしまあ、明日のクラスが私たちの話題で持ちきりになってしまうことは明白です。もし私がここで断れば、頭を下げるお友達の頼みも断ってしまう非道な女子、だとかなんとか変な評価をされてしまったりもしてしまうかもしれません。

 それはちょっと困ります。私はこれでも成績優秀品行方正な女子生徒でやってきているのです。

 

 という、世間体の心配が、結局決め手になりました。秋さん由来の円堂さんへの信用もありますし、私も別に、やめたとはいえサッカーをすること自体に思うところがあるわけではありません。

 

「それに、他でもない秋さんのお願いですからね」

 

「け、佳ちゃん……!」

 

「じゃあ……!」

 

 助っ人でいいと言われればなおのこと、もうお断りする理由もありませんでした。

 

「わかりました。あんまり役に立たない助っ人でいいのなら、私もいいですよ。帝国学園との練習試合、出場してあげちゃいます」

 

 にっこり言ってあげると円堂さんの顔がぱあっと輝き、

 

「――やったあぁっ!!」

 

 喜びが、一気に噴き出すように爆発しました。両手を突き上げ喜ぶ雄叫びのようなその声はやかましく、至近距離で聞かされた私はちょっとくらくらしてしまうほど。秋さんは円堂さんほどではないにしろ嬉しそうに、しかしまだちょっとだけ心配そうに眉尻を下げ、それを私に向けました。

 

「……お願いした手前で聞くのも変な話だけど……佳ちゃん、ほんとにいいの? サッカーやめちゃったのに、私たちのために戦ってくれるなんて……」

 

「ええ、別にそれくらいなんでもありません。ああでも、ユニフォームとか着るものは新品のにしちゃってくださいね? さすがに人のは嫌ですから」

 

「それはもちろん。使ってない背番号のが何着かあるから大丈夫。スパイクは……私のでいいかな。最近はあんまり使ってないから、きれいだと思うけど」

 

「ならお願いしちゃってもいいですか? さすがに私が昔履いてたのはもう入らないでしょうし。というかたぶん捨てちゃってますし」

 

 まだ何か気にしているのか、念押ししてくる秋さんの声色は思っていたより沈んでいましたが、それも一時のこと。私との受け答えをするうち回復していき、その表情に純粋な笑みが戻ります。

 

「……うん、わかった。佳ちゃん、ありがとう」

 

「いえいえ」

 

 よくわかりませんが納得できたようで何よりです。そしてその期待を裏切らないためにも、期間は足りませんが少しでも練習をしておくべきでしょう。今日はまっすぐ家に帰るつもりでしたが、予定変更です。

 ボールを借りて、まずは自分の身体がどれくらいサッカーを覚えているか確かめてみることにしましょう。そう思い、言おうとしたのですがその前に、喜びを露にしていた円堂さんが勢いよく、私の手を掴んで言いました。

 

「よし! じゃあ早速練習しようぜ! グラウンドは空いてないけど、河川敷にいい場所があるんだ!」

 

「え、円堂くんっ!?」

 

 机の上の私の手をぎゅっと包み込むように握り締める円堂さんに、秋さんが一発で動揺してしまいます。若干声を裏返えらせてしまっていますが、安心してください。たぶん円堂さんにそういう(・・・・)意図はありません。

 手はすぐに離れ、円堂さんは私たちに背を向け言います。

 

「俺先に行ってるから、早く来いよ――ベータ(・・・)!」

 

 そしてあっという間に教室を出て行きました。「廊下を走るな!」と一喝する生活指導の菅田先生に平謝りする声が遠ざかっていきます。

 なので、代わりに秋さんに聞きました。

 

「……“べーた”、って、なに言っちゃってるんでしょう? 『サッカーやろうぜ』もそうですけど、ほんとうにわけがわからない人ですね」

 

「ええっと……たぶん、佳ちゃんのことなんじゃないかな。ほら、“米田(よねだ)”の字を、(ベイ)()で“ベータ”、みたいな……」

 

 ……どうやら円堂さんは国語が苦手なサッカーバカみたいです。文句と訂正をしなければと頭の中に留めつつ、私は鞄と、そして体操着を取りにロッカーへ向かいました。



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第二話 河川敷のストライカー

 秋さん共々ジャージに着替え、私たちは円堂さんの待つ河川敷までやってきました。イナズママークが光る橋のたもと、堤防の下にある公共のサッカーグラウンドです。

 学校に練習する場所がないために、いつも仕方なくそこを使っているそうです。弱小部とはかくも無常なものなのかと、ちょっぴりかわいそうに思いましたが、学校から距離があることはともかくグラウンド自体はちゃんとしたもの。七人しかいないという部員が練習するには十分すぎる広さです。なので私はてっきり、円堂さんを含めたその七人がそこで練習をしているものだと、そう思っていたのですが――。

 

 ポジションがゴールキーパーであるらしい円堂さんの練習相手たちは、いずれもいずれも小さい少年少女たちでした。

 

「ねえ秋さん、どうして円堂さんは、小学生と練習しちゃってるんでしょう」

 

「それは……他に練習相手がいないからだよ」

 

「どうしていないんでしょう。サッカー部の部員は走り込みにでも行っちゃったのかしら」

 

「それは……その……帝国なんかに勝てるわけないって、みんなやる気をなくしちゃってるからだよ……」

 

 秋さんの隣でベンチに腰掛けながら、とんでもない事態が明らかになってしまいました。つまり円堂さん以外は全員サボっているというわけです。

 

 『勝てるわけがない』と思ってしまう気持ちはわかります。帝国学園の“少年サッカー界最強”というネームバリューにはそれほどの力がありますし、むしろそれが普通の感覚でしょう。

 が、だからといってこれはないんじゃないでしょうか。せっかく決心したのにこれでは肩透かしにもほどがあります。部員六人にやる気がないのなら、私がいようが円堂さんがあと三人を集めようが、今度こそ無意味です。

 

「……円堂さん以外、もう戦う気がないのなら、私が助っ人する意味ってあります?」

 

 そんなことを、思うだけでなく口にも出してしまうくらい。

 秋さんは苦笑いしつつ、しかしまっすぐと、小学生たちのシュートを防ぎ続ける円堂さんを見つめ言います。

 

「あるよ。確かに今はみんな気持ちが落ち込んじゃってるけど、でも彼らもサッカーがやりたくてサッカー部に入部したんだもん。きっと大丈夫。それに……」

 

「……それに?」

 

「佳ちゃんがいるもの。佳ちゃんのプレーを見たら、きっとみんな勝てるかもってやる気出してくれるよ」

 

 だとしても、まず私のプレーを見せるために引きこもりの部員さんたちを部室から引っ張り出してくる必要があるわけですが。

 

「またそんな……。何回も言ってますけど、あんまり期待されちゃっても困ります。私にはブランクが何年も――」

 

「そのブランクをどうにかするための練習よ。ほら、頑張って勘を取り戻してきてね!」

 

 聞く耳もたずでサッカーボールを押し付けてくる秋さんは、きっと手紙でしか知らない私の実際のプレーが見られると高揚しているのでしょう。河川敷にやってくるまでに調子を取り戻したので、彼女のテンションもいつもより高いのです。

 そんな彼女の圧に私はそれ以上言い返すこともできず、されるがままにボールを受け取るとベンチを追い出され、円堂さんの下まで赴くことになりました。

 試合ができない可能性が高まったのに錆落としなんてする意味があるのか、という思いは出血大サービス的に秋さんに免じてひとまず呑み込み、小学生たちのプレーに集中している円堂さんに声を掛けます。

 

「あの、円堂さん。そろそろやっちゃっていいですか? 私の練習」

 

「ああ! けどちょっと待ってくれ、まこと竜介(りゅうすけ)のペアが最後なんだ!」

 

 まこさんと竜介くん、円堂さんが構えるゴール前でボールの競り合いをしている女の子と男の子のことでしょう。一対一で、見た限りまこさんが攻めで竜介くんが守り側。前者がシュートを決めるか後者がボールを奪うか、一対一の練習であるようです。

 見やれば二人ともなかなかいい動きをしています。“小学生にしては”という形容詞が付きますが。

 

「……こんな小学生相手で、円堂さん、練習になっちゃってます?」

 

 肩透かしのこともあってつい口に出てしまいました。聞こえてしまったようで、小学生二人の表情がムッとなります。

 しかし円堂さんはあくまでこの練習を楽しんでいるようで、ちらりと笑顔が返ってきました。

 

「ああ! あいつら結構やるんだぜ? まこに至っては必殺シュートまで使えるようになったんだから! ……ま、今日初めて聞いたんだけどな!」

 

 チームの紅一点であるまこさんの必殺シュート。例えばヒールリフトやエラシコなんかの技術とは違う、自身のエネルギーを使って放つ、その人にしか使えない文字通りの必殺技のことでしょう。幼くしてそれが使えるのであれば、それは確かにすごいことです。

 実際、当時の私のチームメイトには、私以外に必殺技を使える人なんていませんでした。だからこそ、私が加入後すぐでチームのエースになったわけですが。

 

 と、当時を思い返しているうち、まこさんと竜介くんの競り合いはまこさんに軍配が上がったようで、ドリブルでガンガン詰めてきます。ペナルティーエリア前までボールを持ってきて、そしてムッとしたままのその顔が、円堂さんではなく私の方に向きました。

 

「おねーさん、あたしのことバカにしてるみたいだけど……見くびらないでよね! あたしたち、これでもこのあたりじゃ敵なしなんだから! ……その証拠、見せてあげる!」

 

「あっ、まこお前、必殺技使う気かよ!? やめとけって! 使えるようになったっていっても、成功したの一回だけじゃん!」

 

 まこさんに抜き去られた竜介くんが慌てたように叫び、まこさんはギクッと身体を強張らせました。が、しかし啖呵を切った手前、もう止まれなかったのでしょう。彼女は大きくボールをけり上げました。

 

「っ! いくよ、円堂ちゃん!」

 

「よし、来いっ!」

 

 グッと腰を落とし、構える円堂さん。見据える先、ボールに続いてジャンプしたまこさんは脚を振りかぶって力を溜め、そして放ちました。

 

「【すいせいシュート】っ!!」

 

 たくさん練習したんでしょう。一度しか成功していないという割に、そこまでの動きはとても滑らかで力強いものでした。『このあたりじゃ敵なし』というのも、全く嘘ではないでしょう。将来有望です。

 ですがやはり、“小学生にしては”の形容詞は取れません。

 

「あっ――!!」

 

 ボールを蹴り抜くインパクトの瞬間、足に溜めた力をコントロールしきれていないのか、僅かに芯がブレました。それは威力だけでなくボールの軌道にも影響を及ぼし、彗星の尾を引きながら打ち放たれたボールはその結果、

 

「ッ! 危ないッ!!」

 

「佳ちゃんっ!!」

 

 ゴールの傍で見物していた、私めがけて襲い掛かってきました。

 

 円堂さんと秋さんだけでなく、他の小学生たちからも息を呑むような悲鳴の音が漏れ聞こえました。私は秋さんと同じジャージ姿で女子ですから、彼らにはただのマネージャーだと思われているのでしょう。事故を想像してしまったに違いありません。

 が、実際私は、ブランクはあれどかつてサッカーに励んでいた身。自分に向かって飛んでくるボールへの反応は、どうやら失われていなかったようでした。

 持っていたボールをわきに抛り、迎え撃つ体勢。足の角度を合わせて垂直に弾いて受け止める――はずでしたがしかし、そうなる前に円堂さん。

 

「うおおおぉぉッッ!!」

 

「きゃっ……!」

 

 ゴールポストを飛び越え、私に迫りくるシュートに飛び込んでパンチングしてみせたのです。

 並みのキーパーならとても間に合わなかっただろうスーパーセーブ。弾かれたシュートからは彗星の如き勢いが完全に失われ、私の頭上を緩い弧を描いて飛び越えていきました。

 顔から滑り込むような格好で飛び込んできた円堂さんのせいで尻餅をついてしまった私は、背後に消えるその軌跡を見送って、そこで我に返りました。円堂さんに手を伸ばし、助け起こしながら息を吐きます。

 

「随分無茶しちゃうんですね。大丈夫……ではないみたい」

 

「いやいや、俺は全然平気! それよりベータは大丈夫か?」

 

 そうなんでもなさそうに返す円堂さんの顔には、言葉に反して赤い擦り傷ができてしまっています。見やれば足にも同じような、土に汚れた傷痕。これは秋さんの救急箱が必要でしょう。

 なので呼ぼうとすると、その途中で罪悪感を噛みしめる羽目になったまこさんの謝罪が割り込んできます。

 

「あ、あの、ごめ――」

 

 私と円堂さん、二人に向けて頭を下げようとして――

 

「いてェッ!? あーくそ、骨折れたんじゃねぇのこれ!? おい誰だ、コイツ蹴ったのは!!」

 

 その時さらに、荒々しい怒声がまこさんの声を断ち切りました。

 

 背後からです。振り返ると、長身痩躯と小太りの、いかにも不良といった風体の男二人組が、サッカーボールを足蹴にして吠え立てていました。

 何があったかは明らかです。円堂さんが弾き、跳んでいってしまったボールがぶつかってしまったのでしょう。威力は完全に殺されていたので、怪我はもちろん大した痛みもあるとは思えませんが、あからさまな様子で痛がっています。

 

「っやば――っ、()てて……」

 

「え、円堂くん……! 佳ちゃん……!」

 

 円堂さんが慌てて立ち上がろうとして、すぐに顔が歪んで膝が落ちてしまいます。救急箱を手にして二重に心配そうな秋さんを見るに、私の見立てよりもけがの程度は酷いみたいです。

 そして小学生たち、とくにまこさんなんかは自分が蹴ったボールで起きたこと故に、もう半泣き状態で震えてしまっています。

 不良の相手ができるのは、私以外にいなさそうです。

 

「……ちょっとあの方たちと、お話ししちゃってきますね」

 

「佳ちゃん……」

 

「大丈夫ですよ。どうせ“不良もどき”です」

 

 大して痛くないのに小芝居をするような連中です。大したこともないでしょう。

 そしてやっぱり、頭を下げてみるとその通りでした。

 

「ごめんなさい。弾いたボールが飛んで行っちゃって……。どこか当たっちゃいましたか?」

 

「あ゛ぁ゛ん!? ごめんなさいって、テメ――あ……お、おう。いや、だいじょう……い、いやいや、頭に当たっちまったかなぁ! いてぇいてぇ!」

 

「わ、わぁ! そいつは大変っすね安井さん! 頭の怪我って、その、脳みそとかが危なくて……と、とにかくやばいっす! 重症っす! こりゃもう、責任とって優しぃーく看病してもらわないとっすねぇ!」

 

 痛みも怪我もなくてもこちらに非があることは間違いないので素直に申し訳ないふうになって言うと――たぶん女子が出て来るとは思わなかったのでしょう、不良もどきたちはちょっと動揺したそぶりを見せました。

 そしてたちまち怒りが変化し、代わりに垣間見えるのはありありとした下心。自分の容姿が整っていることは自覚していますが、ここまでストレートに欲を向けられるとさすがに気持ち悪いです。

 おかげで、僅かではありましたが存在した謝罪の気持ちは、一瞬で一片残さず消え去りました。

 

「あら、それは大変! すぐ病院に行ったほうがいいですねぇ。重症なら、素人の手当てなんかじゃどうにもなりませんもの」

 

「へへ、そんなことねェって。お前らのせいで怪我したんだからよ、お前が治すのがスジってもんだろ?」

 

「そうっすそうっす! それにあんたも、こんなくだらない玉蹴りなんてしてないで、俺たちと一緒に来た方がずっと楽しいぜぇ?」

 

 やっぱり私が行って正解でした。この分では円堂さんや秋さんが応対しても、事態は悪化しかしなかったに違いありません。事実、横目に見える円堂さんと秋さんは、サッカーを『くだらない玉蹴り』なんて言われたことにムッとなってしまっています。

 まあ私はこんなアウトロー気取りが何を言おうと気になりませんが、しかしそれはそれとして、もちろんこんなおバカさんたちとデートする気もありません。だから彼らの一人、長身痩躯が、焦れたのか私の腕を掴んで引こうとしたその瞬間、言葉がわからないらしい彼らに実力行使を決めました。

 

 彼の頭を直撃し、今はその足元に転がるサッカーボール。私を連れ去ろうとすることに夢中で見向きもされていないそれに、私はそっと足を乗せ――

 思い切り力を込めて踏みつけました。

 

「ぐべっ!?」

 

「や、安井さぁん!?」

 

 長身痩躯の顎が、サッカーボールに撥ね上げられました。

 踏みつけたことで圧の力がかかったボールが、同時に足の力の入れ方を変えたことで解放され、真上に放たれたのです。それでも普通は男の人にダメージを与えられるような威力にはなりませんが、そこは私の技術。身体がそれ(・・)を覚えていました。

 

 今回の場合、それはアッパーカットとなって、しかも長身痩躯の身体をも浮かばせてなぎ倒しました。失神したのかピクピクしつつ倒れ込み、それを見つめる小太りの方は事態が呑み込めていないのかあんぐりと口を開け唖然としています。

 ざまあみろって感じです。つい悪いものが出てしまいそうになって抑えるも、気付けば嫌味は全開になっていました。

 

「あらお可哀そう。『くだらない球蹴り』なんて言ってしまったから、ボールが怒っちゃったんでしょうか。不思議ですねぇ」

 

「な……こ、この女……!」

 

 そこでようやく、長身痩躯を伸した犯人が私だと気付いたんでしょう。小太りが肩をいからせます。が、直後落下してきたボールにびくりと身をすくめてしまいました。

 たぶん彼の兄貴分であった長身痩躯を倒してしまったそれ。小太りは弾むそれを凝視していましたが、やがて歯を食いしばり、忌々しげに足を振り上げます。

 

「くッ……この……こんなもん……ッ!」

 

 怒りに任せて蹴り飛ばそうとしたんでしょうが、それは途中で停止してしまいます。ボールがバウンドしているせいか狙いが付けられていないようで、重心もブレてふらふらです。

 啖呵を切っての素人っぷりが滑稽で、笑ってしまいそうにもなりましたが、しかし次の瞬間、小太りは奇跡的に、足にボールを当てることに成功しました。

 

「――どひぇっ」

 

 と、勢い余って尻餅をつきはしたものの、その勢いの分、絶妙にスライス回転がかかったボールは鋭い軌道を描いて空を切り――そして私にはかすりもせず、明後日の方向に飛んでいきました。

 私を狙ってくるようならボレーでお返ししてやるつもりでしたが、その必要もなさそうです。なら後方に消えていく素人のミスキックは見逃して、最後のお片づけ。のびている長身痩躯もろとも小太りも追い払ってしまいましょう。

 そのために頭の中で幾通りかの嫌味の台詞を巡らせた、その一瞬後でした。

 

「――っ!」

 

 気付きました。ボールが飛んでいったのは私の背後。小太り自身がそれを狙っていなくとも、そこには円堂さんやまこさんたちが――

 

「っ! 危ないっ!」

 

 円堂さんがまこさんたちを庇う声。私も慌てて振り返ります。

 

 その視界を、見知らぬ男子が横切りました。

 白髪のツンツン頭で鋭い目つきで私服姿の、たぶん私たちと同年代の少年です。恐らく堤防から飛び下りてきたのであろう彼の身体は、ちょうど飛ぶボールの射線上。

 危ない、と、周囲の誰もが思いました。がしかし、それは瞬時に驚愕へと変わります。

 

「ふっ――!!」

 

 彼は空中で、ボールを蹴り返してしまいました。ちょうど私がやろうとしていたボレーシュートに近いでしょうが、しかしすべてがまるで違います。落下の勢いも乗ったそれは火炎を撒き散らし、ボールは竜巻のように回転しながら来た道と全く同じ軌道を辿って私の横を突き抜けていったのです。

 

 背後で「おひゃあっ!」と小太りの間抜けな声がして、次いで長身の「ぶへっ!」という既視感のある断末魔が聞こえ、最後にまた人が倒れ込むような音が聞こえました。たぶん長身痩躯は私のアッパーカットからタイミングよく意識を取り戻し、そしてこれまたタイミングよく彼のボレーシュートを食らってしまったんでしょう。

 振り返り、それを確認しようという気は起きませんでした。なぜなら私は、頬に残る火炎竜巻の熱と、そこから伝わる威力のすごさに、今までに感じたことのない衝撃を受けていたのです。

 

(すごい威力のシュート……この白い男子、いったい……)

 

 自分以外で初めて出会った、すごいと思えるストライカー。着地した彼に小太りが「て、てめぇ……!」と馬鹿の一つ覚えみたいに口火を切り、睨み返されただけでお手本のような捨て台詞を吐いて駆け去っていく音を背に聞きながら、私はその炎のストライカーに、視線を奪われていました。

 

「あ、ありがとう! その、た、助けてくれて!」

 

「……ああ」

 

 まこさんが、未だ衝撃から抜け出せないらしくつっかかりながらストライカーさんにお礼を言いました。それにそっけないながらも柔らかく頷き返した彼は、すぐに彼女に背を向けました。

 クールぶっているのか何なのか、とにかく早々に立ち去るつもりです。そしてそれを、円堂さんは逃しませんでした。

 

「待ってくれよ! 教室では誤魔化されたけど、やっぱりお前、サッカーやってたんだろ!? なあ、豪炎寺!」

 

「………」

 

 白髪ツンツン頭さんは、豪炎寺という名前らしいです。そしてどうやら円堂さんのお知り合いだった様子。

 そして同じクラスの同級生であるそうです。しかし私はその名前を聞いたことがありません。これほどサッカーが上手くて、しかも見た目もかっこいいんですから、話題にくらいなりそうなものですが……。

 

「この前うちのクラスに来た転校生なの。木戸川中からの」

 

「ああ、そういえばそんな話もありましたね。納得しちゃいました」

 

 秋さんが耳打ちして教えてくれました。確かに豪炎寺さんの名前こそ聞きませんでしたが、転校生が来たという噂には私も覚えがあります。

 そして“木戸川”と言えば、帝国にも並ぶサッカーの名門校です。確か去年のフットボールフロンティアでも準優勝の好成績を収めていたはず。あのシュートから察するに、豪炎寺さんはチームのストライカーだったのではないでしょうか。

 

 少なくとも、そこのサッカー部員であったことは間違いないはずです。であるなら必死になって部員を探す円堂さんにとって、私以上にスカウトしたい人材のはず。

 ですが、無言で俯く豪炎寺さんを見るに、勧誘には既に暗雲が立ち込めている様子です。

 

「やっぱり木戸川のあの豪炎寺なんだよな!? 一年なのにレギュラーになって、しかもフットボールフロンティアの決勝まで行った、炎のスーパーストライカー!」

 

「……今は、違う」

 

「なら前はそうだったってことだ! だったら、今度こそ頼むよ! そのすげーキック力、俺たちに貸してくれ!」

 

「やめろ。俺はもう……サッカーはやめたんだ。お前たちの部に手を貸すつもりはない」

 

 すげなく断られてしまいました。

 円堂さんの言葉が本当なら、一年生の時からエースストライカーだった豪炎寺さん。才能はもちろんあるでしょうが、それ以上に相当の練習がなければ、その練習に打ち込めるだけの熱量がなければ、そんなポジションは得られなかったはずです。

 だからそれだけの熱量が、転校を機に消えてなくなるなんてことはそうはないと思うのですが……顔だけ振り向き、円堂さんに言い放った豪炎寺さんのその眼は確かに間違いなく、“諦め”で冷めてしまっていました。

 

「や、やめた、って……なんで。あんなすごいシュートが打てるのに、もったいないじゃないか!? やろうぜ、サッカー!」

 

「……しつこいよ、お前」

 

 いかにクールな豪炎寺さんでもさすがに少しばかりイラついてきたようで、掴まれている腕を乱暴に振りほどこうとしています。

 そして円堂さんは必死にそれに抵抗しながら、私を指さし言いました。

 

「サッカーをやめたなら、また始めればいい! ベータみたいにさ!」

 

「……なに?」

 

 抵抗が一瞬止まって、豪炎寺さんの眼までが私に向きました。

 黙って見守っていただけだったところに、いきなりの注目。何が彼の興味を引いたのか知りませんが、適当に笑顔で返しておきます。

 

「ベータもずっと昔にサッカーをやめてるんだ。けど、やめたからってずっと続けた自分の“サッカー”がなくなるわけじゃない! サッカーをやめたなら、また始めればいいんだよ!」

 

「私は別に再開した気とかないんですけど。今回限りの助っ人って、円堂さん、もしかして忘れちゃってません?」

 

 まさかどさくさに紛れて反故にする気じゃ、とちょっとだけ不安になりました。

 

「あと私の名前、ずっとベータって呼んでますけど違いますからね?」

 

 しかしそんな私の割と真剣なお話も、そして円堂さんの見当はずれな無茶苦茶理論も、豪炎寺さんを笑わせるどころかその表情を変えることすらありません。彼はただじっと、驚いた様子で私のことを見つめていて、そしていい加減見つめられることに私が恥ずかしさを覚え始めた頃、彼、豪炎寺さんはそろりそろりと暗闇の中を手探りで進むように慎重に、言いました。

 

「……お前、サッカー部じゃなかったのか? しかも、サッカーをやめた?」

 

「はい? ええ、ぜーんぶその通りです。豪炎寺さんと同じ、もうサッカーやめちゃった人ですよ」

 

「………」

 

 答えてあげるも、豪炎寺さんからそれ以上の応えはなく、代わりに何か考え込むように俯き、黙りこくってしまいました。

 信じられない、と、伏せたその眼が言っているような気がします。サッカー部でないことも昔にサッカーをやめたことも、そんなに不可解なことでしょうか。さっぱり豪炎寺さんの興味の元がわかりません。

 と、他に返せるような答えも思いつかずにいると、ようやく豪炎寺さんの顔が上がり、そして彼は再び、私へ尋ねました。

 

「なぜ、やめたんだ……? サッカーを」

 

 なぜ。正直、それを言葉にするのは困難でした。

 

 誰かからやめるように言われたとか、チームへの入団直後にエースとなったために生意気だといじめられたりとか、そういうことはありませんでした。チーム同士の仲はよかったと思います。事実、当時のことは楽しい思い出です。

 大会で優勝した時も、同じでした。みんな喜んでくれたし、私も嬉しかったし楽しかった。ですが、ある日ふと、そうじゃなくなった(・・・・・・・・・)のです。

 

「別に、変わった理由なんてないですよ。……だってほら、その頃の私って子供でしたし、子供の興味って次々移り変わるものじゃないですか」

 

 新しい玩具を買ってもらっても、すぐに別の玩具に目移りしてしまう。たぶん、そんな感じ。

 

「あれと同じで、いつの間にかサッカーを楽しいと思えなくなっちゃった(・・・・・・・・・・・・・・)。単純に、飽きちゃったんです」

 

 それだけです。つまるところ私にもよくわからない、なんとなく、の気分の延長線上。特別、説明できることはありません。

 我ながらなんだそれはというような理由ですが、他に言いようがないのです。彼がなぜ私がサッカーをやめた理由なんてものを知りたかったのか、わかりませんが、少なくともこれは彼の求めたものではないでしょう。心の中でごめんなさいと、あとしょうがないことを思い出してしまった故のため息が出ました。

 が、

 

「……? どうかしました? 私、何か変なこと言っちゃったかしら?」

 

 豪炎寺さんが、怪訝な表情をしていました。それどころか秋さんや円堂さんも目をぱちくりしています。

 みんな、“何を言っているんだ”とでも言わんばかりです。“何を下らないことを”ならまだしも、“私の言ったことが理解できない”といったふうな表情。そんな顔をされるようなことを言ったつもりはないんですが……。

 

 やがて、豪炎寺さんが声を取り戻しました。

 

「いや……」

 

 口ごもり、言葉に悩むそぶりを見せてから、ようやく彼は抽象的に言いました。

 

「……そんな奴に使える技には、見えなかったんだがな」

 

 不良たちに食らわしてあげたボールのアッパーのことを言っているのだとわかっても、その真意はいまいちわかりませんでした。



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第三話 帝国、来たる

 結局、円堂さんの勧誘が成功することはありませんでした。豪炎寺さんが立ち去った後、さらに翌日も特に何事もなく、私は二日間で適当に身体を慣らし、そして練習試合の当日を迎えることとなりました。

 

 今は空き教室で、秋さんが用意してくれた黄色と青の雷門ユニフォームに着替えている最中です。約束通りの新品らしく、特有のにおいと硬い肌触り。落ち着かない感覚がする布地に腕を通して着心地を確かめていると、戸の前で見張りをしてくれていた秋さんがため息を吐くように言いました。

 

「……うん、やっぱり似合ってるよ佳ちゃん。さすが元サッカープレイヤーって感じ。さまになってる」

 

「そうですか? まあ服に着られてるなんて言われちゃうよりはいいですけど」

 

「もう、お世辞じゃないってば。……佳ちゃんがサッカーしている姿が見られるって思うと、改めて感慨深いなぁって思っただけ」

 

 口から出た変な感想に秋さんはそんな理由を付けますが、しかし向けられる期待は嬉しい反面、私にとってはそれでもちょっとしたプレッシャー。二日間ではやはりブランクは補いきれず、今の私の能力が秋さんが脳裏に描く理想にはほど遠いことは明らかであるからです。

 そしてもう一つ、今日共に戦うチームメイトについての不安もありました。

 

「そういえば、チームのメンバーはどんな感じになっちゃってます? 円堂さん、ギリギリで残りの助っ人さんも見つかったって言ってましたけど」

 

「え、助っ人? ええっと、みんな私たちと同級生でね、名前は――」

 

 と、マネージャーの顔に戻った秋さんが教えてくれる名前は三人分、松野 空介(マックス)さん、影野 仁(かげの)さん、そして風丸 一郎太(かぜまる)さん。告げられた全員、顔を思い出すことはできますが、いずれもまともに話したことはありません。

 そして同じく聞いた、円堂さんを除く現サッカー部の六人。こちらは一年生も混ざっているので顔も知らない方もいます。どうやら昨日、円堂さんの個人練習に感化されてやる気を取り戻したという話ですが、しかし“だとしても”なのです。

 問題なのは、私は今日まで助っ人組とも現役部員組とも、一度も練習ができていないということ。それはちょっとまずいでしょう。

 

(だって今日は私、助っ人(・・・)ですし。それにフォワードじゃなくてディフェンスですし)

 

 私の本来のポジションはフォワードですが、無茶なことは求めないという約束に従ってか、円堂さんに言いつけられた後方ポジション。攻めるのではなく、守って前線にボールを送るのが仕事です。だからチームメイトがどう動くのか、実際に見るまで位置取りが何一つわからないとなるとパスを出すのも一苦労になってしまいます。

 

(私一人で、全部やれれば面倒もないんですけど……)

 

 昔みたいに(・・・・・)

 けれど腕はなまったままですし、なにより今日の私がディフェンスなのは円堂さんの好意です。結果的に有難迷惑でも無下にはできません。

 だからそれらも合わさって、ため息がつい口からも漏れ出てしまいました。

 

「ぴったり十一人、ですか。怪我しちゃわないように注意しないとですね。……まあ、帝国学園の気分次第でしょうけど」

 

「……そう、だね。帝国がどういうプレイをするのかなんて、私たちにはわからないもんね……」

 

「王者らしく正々堂々戦ってくれることに期待しちゃいましょう。何なら手を抜いてほしくもありますけど……そうなったらで円堂さん、『本気でかかってこい』とか挑発しちゃいそうですよね。身の程知らずに」

 

「……うん。大丈夫。ちゃんと見張っておくから」

 

「……秋さん、緊張しちゃってるんですか? さっきからなんだか歯切れが悪いですけど」

 

 漏れ出したため息ついでにお話しを続けていると、ふと秋さんの様子がおかしいことに気付きました。彼女の目線が、私のユニフォーム姿をほめてくれた時から動いていません。

 それになんだか、口もだんだん思い詰めたみたいに重くなっていっているような気がします。さすがの秋さんもこの大一番に落ち着かないのでしょうか。

 

「あ……う、ううん、私は大丈夫。……大丈夫、なんだけど……」

 

「……『なんだけど』?」

 

 何なのでしょう。どうせなら吐き出させるべく促すと、秋さんは躊躇うように口をつぐみ、それから意を決したように、私の目を見て言いました。

 

「佳ちゃん……やっぱり、聞いてもいい……?」

 

「ええ、どうぞ。こんな時ですし、ちゃんと答えますよ。答えられる質問であれば」

 

「佳ちゃんが……っ、佳ちゃんがサッカーをやめちゃった、本当の理由ってなに……?」

 

「……は、ぇ? 本当の理由、ですか……?」

 

 思ってもいなかった質問内容に、思わず呆けてします。だって『飽きちゃった』と、豪炎寺さんと出会ったあの時に私はちゃんと言いました。

 

 ……いえ、つまり秋さんはそれがやっぱり信じられなかったということなのでしょう。本当は何か深い理由があって、それを言いたくないために誤魔化したのだと、彼女は思っているのです。

 が、しかし実際、それは誤魔化しでも何でもない本心です。私は本当に、ただサッカーに飽きただけなのです。少なくとも、私にはそうとしか説明ができません。

 しかしそう言っても秋さんは信じられなかった様子。ならばこれ以上どう説明しようか、呆けて我に返ったのちに数秒悩みましたが、しかし何も思いつかずやがて諦め、私はなるべく丁寧に最初から語ってみせました。

 

「……まず、秋さんが円堂さんと私をスカウトに来た時、秋さんには私がサッカーすることを嫌がってるみたいに見えたのかもしれませんけど……別にそんなことないんですよ。ちょっとめんどくさいなーとは、まあ思っちゃってましたけど」

 

「……本当に?」

 

「本当です。なんならこれもいい機会だったって思ってます。サッカーをやめたといっても、別にサッカーを嫌いになったとかではないですから。……だから、サッカーに嫌な思い出があるわけじゃないんです。むしろ逆で、やってた頃はすごく楽しかった。一試合に何本もシュートを決めた時とか、今でも気持ちよかったのを覚えちゃってます」

 

「じゃあ……どうしてそんなに楽しかったサッカーをやめてしまったの……? 『飽きた』っていわれても、そんなの……。他に、本当の理由があるんじゃないの……? 私に気を遣っているのなら、そんなの気にせず――」

 

「秋さんを気遣ったとかじゃないです。本当に、ただ『飽きちゃった』だけなんです。……もしかしたら、私自身が気付いていない気持ちがあったのかもしれませんけど、少なくとも私は、そう認識しちゃってます」

 

 これだけです。と、私は言葉を切り、自分の身体をきつく抱きしめる秋さんの手に触れます。正直、なぜそこまで秋さんが気にしているのかはさっぱりですが、彼女が思い悩むようなことは本当にないのです。そのことが伝わってくれるように祈ります。

 その祈りは、ちょっと中途半端に届いてしまったようでした。秋さんの表情は眉尻を下げたまま、しかしゆっくりと頷きました。

 

「……きっと、そう。佳ちゃんも気付かないような想いがあったのよ。あんなにサッカーが大好きだったあの頃の佳ちゃんが、ただ何の理由もなしにサッカーに飽きちゃうなんてことあり得ないもん。だから……わかった。ごめんね佳ちゃん、問い詰めるみたいなことしちゃって」

 

「いいですよ。秋さんが私のこと心配してくれてるのは伝わっちゃいましたから」

 

 だからあんまり悪い気はしていません。とはいえ困っているのは事実なので、この話題はここではっきり断ち切ってしまうべく、私はそのまま佇む秋さんを追い越し、引き戸の取っ手に手を掛けました。

 

「さ、着替えも終わりましたし、早く部室に向かいましょう。秋さんの部の皆さんに紹介してください」

 

「うん、そうだね。行こう」

 

 秋さんも話題転換に同意してくれたようで、頷き、そして私は戸を開けました。

 すると、その正面。

 

「その話、詳しくお聞かせください!」

 

 手帳とペンを構える女の子が立ちふさがっていました。

 たぶんずっと待ち構えていたのでしょう。彼女は戸を開け一歩目も踏み出せずに立ち尽くすしかなくなった私と、そして秋さんに、ようやく話を聞けるとばかりに怒涛の勢いで詰め寄ってきました。

 

「先輩方、話を聞くにサッカー部のマネージャーさんと助っ人さんなんですよね!? お名前は!? 自己紹介ということは、まだ部の人とは顔合わせしていないんですか!? 女性選手ということでその視点から今の雷門について何かコメントを! ついでにそこも踏まえて帝国との戦いへの意気込みをお願いします!」

 

「ええっと……、まず、どちら様? そんなに色々知りたがるなんて、まさか帝国のスパイだったり」

 

「えっ!? い、いえいえ、スパイだなんてとんでもない!」

 

 冗談で質問攻めを断ち切ると、やたらと動揺した彼女がぶんぶん首を振り、そして一呼吸入れたのちに落ち着きを取り戻して言いました。

 

「えーっと……そう、名乗れって話ですね! 音無 春奈、新聞部の一年です! 最初はサッカー部の部室を直接取材しようと思ってたんですけど、助っ人の方がここで着替えてるって聞いて、どうせならそっちの面でも取材がしたくって!」

 

「ああ、なるほど新聞部……」

 

「はい! というわけで、どうでしょう? 帝国戦への自信は!」

 

 落ち着きを取り戻しても若干やかましい彼女、音無さんが、ペンをピシッと構えながら真剣なまなざしで私を見つめてきます。ですがその質問、答えにくいことこの上ないです。

 気まずいですけど助けを求めて秋さんを見やり、そして通じて、彼女は私と同じく引き気味になりながらも、代わって応じてくれました。

 

「自信、ね。あるかないか聞かれたら……ない、かも」

 

「やっぱり!?」

 

「……あら、そうなんです?」

 

 苦笑いの音無さんに対し、私にとって秋さんがそう言うのはちょっぴり意外でした。しかしやっぱり、彼女のそれに諦めはありません。

 

「けど、勝てるかもとも思うの。円堂くんやみんなを見てると、うちのチームでもなんとかなるんじゃないかって。だから、そういう意味でも……」

 

 言葉が区切られ、秋さんの眼が一瞬私に向きます。同時に、表情から憂いが消えました。

 

「大丈夫だと思う。うん、きっと楽しい試合になるよ」

 

「楽しい、ですか?」

 

 秋さんのその言葉は、きっと音無さんではなく私に向けられたものでした。楽しい試合、胸の中の疑心に一旦の折り合いをつけたらしい秋さんはどうであれ、私としてもそうなることを願うばかりです。

 そんなふうに私と秋さんの間では通じ合いましたが、新聞記事の素材を求める音無さんにとっては何が言いたいのかよくわからないコメントだったでしょう。小首を傾げながらメモを取った彼女は、続いてその矛先を再び私へ向けました。

 

「なるほど……。じゃあ、そっちの先輩はどうですか? 今日の試合、勝てますか? ……ああでも、チームメイトの人とは今日が初対面なんですっけ」

 

「ええ、そうなんです。ちょうど今から挨拶にと思ってたところです。他の方たちはもう部室に揃っちゃってるでしょうし、きっと私が一番最後ですね。着替えに時間かかっちゃいました」

 

「ああ確かに、サッカー部に更衣室とかありませんもんね。男の子は部室の中で着替えられるけど」

 

「まあ、予算もあんまり回ってこないから。そういうのはしかたないのよ」

 

 弱小故の不便。故の廃部がかかったこの試合。ため息交じりに言う秋さんにそのことを再認識して、プラス私も諸々の想いをいったんわきに置き、改めて覚悟を決めます。

 勝つことはできないかもしれませんが、せめて部の存続と女子更衣室設置の予算が下りるくらいには頑張ってみましょう。帝国学園相手に多少なりとも戦える姿を見せれば、雷門さんの意見をひっくり返すことも不可能ではないはずです。

 そう信じて、どうにか戦うしかありません。

 

「そういうことなので、他に質問がないならもう行っちゃっていいですか? もうすぐ帝国も来る時間ですし」

 

「ああはいもちろん! 正直もうちょっとお話お伺いしたいですけど、あんまり選手の方を引きとめられませんもん! 後はマネージャーの先輩に色々お聞きして取材します! いいですか!? いいですよね!?」

 

「う、うん。いいけど……」

 

 相変わらずぐいぐい来る音無さんは秋さんに照準を絞ってくれたようで、ひとまず安心。これから試合中まで質問攻めにあうのだろう秋さんに憐れみを感じつつ、あとちょっとだけ困った顔がかわいいなんて思いながら、私たちは顔合わせのためにサッカー部の部室へと足を向けました。

 が、行くまでもなく、その機会は向こうの方からやってきました。

 

「ひぃーっ! やっぱり無理ッス! 勘弁してほしいッスー!」

 

「え!? 壁山くん!?」

 

 秋さんが驚きの声を上げ、そして私たちもそっちに振り向きました。

 ユニフォームを着た大きな男の子が、廊下の先から泣き叫びながらこっちに向かって走ってきています。曰く壁山さん、サッカー部一年生の一人です。

 

「壁山くん、どうしたのこんなところで?」

 

「あっ、ま、マネージャー! えっと、その……か、匿ってほしいッス!」

 

「匿う? 何か悪いことでもしちゃったんですか?」

 

 そうなら匿う理由はありません。風紀委員にでも突き出すべきです。

 というのはともかくとして、秋さんに気付いて急停止し、もじもじ言った彼はサッカー部の一員。今日共に帝国学園と戦うチームメイトです。つまり昨日まで練習から逃げていた子で、何から匿ってほしいのか、言わんとすることは明らか。

 おまけに一目瞭然でもありました。壁山さんを追いかけて、同じユニフォームの集団がやってきたからです。

 

「壁山! ようやく追いついた! 帝国が怖いからって、逃げていたらなんにもならないぞ!」

 

「そうだぞ壁山! それに、逃げてばかりじゃかっこ悪いだろ!?」

 

「覚悟を決めるでやんすよ、壁山!」

 

 円堂さんと、サッカー部の面々。どうやら敵前逃亡――肝心の敵はまだやってきていませんが――をしたらしい壁山さんを鼓舞するのは、円堂さんに加えて同級生の風丸さんと、恐らく秋さんから聞いた容姿の情報から察するに、一年生の栗松さんでしょう。

 そんな三人によってやいのやいのと様々言われ、そしてそのうち、壁山さんも落ち付きを取り戻したようでした。

 

「キャプテン、みんな……お、俺こわくなっちゃって……。でも、そ、そうッスよね。わかったッス、俺、頑張るッス! やるだけやってみるッス!」

 

「よし、その意気だぞ壁山! みんなで帝国を倒すんだ!」

 

 「おー!」と、既に私を置いて一致団結している様子のチームが、ちょっと気の早い鬨の声を上げました。

 そしてその中の一人、こわもての、確か染岡さんが、仏頂面で言いました。

 

「ところで、水差すみたいで悪いんだが……円堂。木野もいるし、そろそろ聞いていいか」

 

「うん? ああ、なんだ?」

 

 円堂さんが応じました。チームメイトたちをぐるりと見渡し、染岡さんは続けます。

 

「元の部員と助っ人合わせて、ここにいるのは十人だ。一人足りねぇ。だが円堂、お前はとっておきのプレイヤーを見つけてあるから大丈夫って言ってたよな?」

 

「ああ! 合計で十一人、これで試合にはぴったりだろ!」

 

「ユニフォーム着てるが、その『とっておきのプレイヤー』ってまさか……この女子じゃねぇだろうな?」

 

 “女が俺たちのサッカーについて行けるはずがない”というような、あからさまに見くびっている風な眼と声で、染岡さんが言いました。

 

 ……まあ、実力不足じゃないかと不安に思うのは当然のことでしょう。同じように私も彼がどのくらいできる(・・・)のか知りませんし、それに女子のサッカープレイヤーは男子と比べて少数派ですから、最悪口だけの素人じゃ、と思ってしまうこと無理からぬことです。

 が、それはそれとしてムカつかないはずがありません。加えて彼の、プライドが高そうなあの感じ。見ているだけで加虐の欲求が湧いてきて、鼻っ面をへし折ってやりたくなってきます。

 そんな私の不穏を察したのか秋さんはびくりと身を固くして、もう一人、円堂さんは慌ててフォローをし始めました。

 

「い、いや、俺が言ってた助っ人は確かにこいつだよ。ベータっていうんだ」

 

「いえだから、何度も言ってますけど私の名前はベータじゃなくて――」

 

「でもほんとにすげー奴なんだよ! サッカー経験だってあるし、それに――」

 

「おいおいマジかよ円堂! うちはお前がいつも練習相手にしてるような小学生のサッカークラブじゃないんだぜ? 中学のサッカーにお遊び気分で来られちゃ困る。こんな奴、足手纏いにしかならねぇよ」

 

「ちょ、ちょっと染岡くん……!」

 

 私の訂正も無視して必死に間を取り持とうとする円堂さんの努力は、しかし通じず、鼻で笑う染岡さんに対して私の口角もにんまりと弧を描き出してしまいます。そしてもはやそれを止める手立ては私自身にもなく、加虐心は円堂さんと秋さんの配慮を丁重に押し退けて、お返しの嘲笑笑顔で彼の侮りを迎え撃ってやりました。

 

「あらやだ感じわるーい。グラウンドが使えないからって練習もしないで毎日部室でグータラしてたくせに、なに偉そうなこと言っちゃってるんですかぁ?」

 

「あ゛? なんだと……?」

 

「私の実力疑う前に、自分の実力疑ってくださいってことです。ていうか中学サッカーがどうとかいっちゃってますけど、ぶっちゃけ今のあなたたちより毎日練習してる小学生の方が上手いと思いますよ? なんなら今から教わりに行きます? あの子たちに一生懸命お願いすれば、きっとあなたでも自称サッカープレイヤーを脱却出来ちゃったりするかもしれませんし」

 

 いきなりのことだったので、私の毒が耳に入ってくるまで時間がかかってしまったのでしょう。染岡さんは一瞬呆けた顔をして、そして一瞬でそれを一変させ、こめかみに青筋を立ててがなり立てました。

 

「あ゛あ゛!? 何ほざいてやがんだ!! 自称サッカープレイヤー脱却だと!? ふざけんじゃねぇ!! 俺はガキの頃からクラブでサッカーしてたし、今はこの雷門のエースストライカーだ!!」

 

「まあエースストライカー! 子供の頃の戦績だけでよくエースだなんて名乗れちゃいますね。私だったら恥ずかしくて、とても人前でそんなこと言えませんもの」

 

「な゛っ……こ、こいつ……っ!!」

 

 昔の経験だけでエースになれるのなら、私もそう名乗って許されるでしょう。名乗りませんけど。

 ともかく、エースストライカーの価値を貶められて言葉に詰まってしまう染岡さん。ボキャブラリーのない感じのどもり方がまるでいつぞやの不良もどきみたいですが、しかしあっさり手を出したアレよりは幾らかマシなようで、怒りを堪えながら、その口の矛先が再び円堂さんに向きました。

 

「おい円堂!! すげぇ奴だか何だか知らねぇが、こんなのが仲間だなんて俺は認めねぇぞ!! ……確か十番ユニフォームをよこすなら助っ人してやるっつってた奴がいただろ!? もうこの際構わねぇ、この性悪女よりあいつのがマシだ!!」

 

 口で私に敵わないので、手を出す代わりに仲間外れを陳情することにしたようです。

 

「え、えっと、確か目金 欠流、だったっけ? そりゃ染岡たちがいいなら、手を貸してもらいたいとは思うけど……」

 

「でも、彼ってスポーツは……」

 

「あんまりだったような……」

 

 そして染岡さんが当てにしていた、というより当てにせざるを得なかった代替の人員は、半田さんとマックスさん、私のサッカーの腕を知らない二人でも、代わりになるのかと難色を示すほどの方でした。そして私も、彼のことは知っています。

 アニメとかにやたらと造詣が深い、いわゆるオタクの目立ちたがり屋さんです。

 

「……僕を、呼んだかい?」

 

 と、その時不意に()がして、皆一様にその方向に振り向きました。

 そして姿も見えてきます。道の角から、それ(・・)は現れました。

 

「ようやく僕に十番を託す決心ができたようだね! 安心したまえ。僕はこの弱小サッカー部の救世主! 君たちの心に応え、必ずや勝利に導――」

 

「あっ、おい! 来たぞ、帝国だ!」

 

「うわぁ、でっかいバス……」

 

「ふふふ……不気味な雰囲気だね……」

 

「キャプテン……壁山じゃないけど、俺も緊張してきました……」

 

 皆さん窓に張り付き、とうとう現れた帝国学園(・・・・)に釘付けになってしまいました。

 私も皆さんの後ろからその様子を見つめます。何の偶然か空に黒雲まで引き連れ現れた巨大バス。校門前で停車したそこからは親衛隊のような方たちと、そしてレッドカーペットが伸びて来て、出来上がった道をキビキビ囲むその様はまるで軍隊みたいな迫力です。

 

「あ、あの? もしもーし。み、みんなぁ……」

 

「お、出て来たぞ。あいつらが選手か?」

 

「……そうですね、資料にある顔です。ミッドフィールダーの辺見 渡にゴールキーパーの源田 幸次郎に……キャプテンの、鬼道 有人」

 

「さすが新聞部、よくご存じですね。鬼道……あのゴーグルの人?」

 

「うん、確か天才ゲームメイカーって呼ばれてる人ね。それにキーパーも、キング・オブ・ゴールキーパーの異名を持つくらいの守護神よ」

 

「へぇ、ほんとに名のある人たちなんですねぇ」

 

「キング・オブ・ゴールキーパー……くぅ! 燃えて来たぜ!」

 

 染岡さんがカーペットの上を歩く選手の集団を見つけ、音無さんがその行進をなぜか苦々しげに見つめ呟きます。私は長くサッカーから離れていたので誰それが強いということは知りませんが、しかし歩き方を見ればある程度察せられます。ブレない重心、自信に満ちた表情。確かにとても強そうです。

 そしてそれらは円堂さんにとって戦意を向上させる燃料となり、彼はチームの皆にそれを向けました。

 

「よしみんな、聞いてくれ! 俺たちは今から帝国と戦う! 正直、あの最強チームと戦うには俺たちはまだまだ弱い。練習も全然足りないし、チームの連携力だってとても及ばないと思う。けど……まだ負けるって決まったわけじゃない! みんながみんな精一杯のプレーをすれば、きっとあいつらにだって届くはずだ!」

 

 「だから」と、その熱意が染岡さんを捉え、続けられます。

 

「そのためにみんなが最大限の力を出すには、何よりまずチームを信頼しなきゃならない。染岡、ベータのことが信頼できないっていうなら、まず俺を信じてみてくれ! そして実際にその眼で見れば、お前も俺がベータをすごいって思った、その訳がわかるはずだ! そう俺は信じてる!」

 

「……信頼だの信じるだの、わけわからなくなってるぞ、円堂」

 

 呆れたふうに半笑いになって、しかしすぐに真剣へ変わった眼差しが、今度は私を見つめて言いました。

 

「だが、わかった。ベータ、お前が本物か、それとも口だけ女なのか。この続きは試合で見極めてからにしてやるよ」

 

「……ふふっ。いいですよ、けどそういうあなたも、エースストライカーらしいとこ見せてくれないと、この先ずっと“自称エースストライカー”ですからね」

 

 顔を見るたびに揶揄ってやりましょう。そういう気概も込みで受け取った染岡さんは、恐れることなく不敵に笑ってみせたのでした。

 

 そうして染岡さんへの加虐心をひとまずしまわざるを得なくなった私は、ついでに他のチームメイトの皆さんにも笑顔を振りまき、今度はその表情のまま純粋に言いました。

 

「では改めて。私、米田 佳っていいます。大昔の話ですけど、ご紹介にあずかりました通りサッカー経験がありますから、足手まといになるかもとか、そういった心配はご無用です。今回限りの助っ人なので短い間ですが、皆さんよろしくお願いします。

 あと次に私のこと“ベータ”って呼んだ人、サッカーボールでアッパーカットの刑ですから、そのつもりでいてくださいね?」

 

 純粋、もとい溜まったフラストレーションによる牽制は皆さんの心も引き締め直したようで、硬めのお返事が返って来るとともに、私たちはいよいよフィールドへと足を向けたのでした。

 

「そういえば、メガネ、お前も助っ人してくれるんだよな? 控えが一人もいなくて困ってたんだよ! よろしく頼むな!」

 

「え、円堂くん……っ!」

 

 ついでに、皆さんに気付かれなかったメガネさんには、無事十番のユニフォームが送られることとなりました。



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第四話 帝国の実力

 そうしてひとまず一致団結に成功し、私たちはグラウンドに出ました。

 顧問兼監督の冬海先生、壁山さんの敵前逃亡による棄権を恐れていたらしい彼に、お客様に失礼なことがあれば私の立場が云々とそういう意味合いの説教を受けてから、それを「そのお客様がお待ちですよ」と中断させて、とうとう円堂さんと相手のキャプテンの対面が成されます。

 そして挨拶のそのタイミング、差し出された握手の手には応えずウォーミングアップの許可を求め、そして了承された鬼道さんたち帝国学園によって、我が雷門イレブンに一斉に同じ空気が漂いました。

 

(いや、これ、やっぱり勝てませんよ)

 

 帝国学園は、ウォーミングアップの時点でさえ格が違いました。

 ボールコントロールや体捌き、連携力にシュート力まで、さすがは全国最強といった腕前で、私たちに見せつけるように繰り広げられるそれらは私でさえ震えが走るほど。チームメイトの皆さんに関しては、圧倒的な実力差に私以上の絶望感を与えられているはずです。証拠に、やる気に満ち溢れていた皆さんの顔色は目に見えて悪くなりましたし、壁山さんに至ってはおトイレを理由にまた敵前逃亡をしそうになりました。

 

 そしてそれは、当の帝国学園の狙い通りだったのでしょう。雷門の士気を狙ったウォーミングアップという名のデモンストレーションを終えた帝国キャプテン、ドレッドヘアにゴーグルの鬼道さんは、さっきは無視した握手の手をこれ見よがしに示威的に、円堂さんへと差し出しました。

 

「改めて、帝国学園の鬼道 有人だ。よろしく雷門サッカー部。いい試合にしようじゃないか」

 

「……ああ! あの帝国と戦えるなんて光栄だよ! こっちこそよろしく頼む!」

 

 差し出された手をがっちり握った円堂さんは、しかし鬼道さんたち帝国の悪意には気が付いていないようです。おバカな彼に伝わったのは帝国の圧倒的な強さだけ。驚きはしたようですが、しかも他の皆さんのようにそれに臆することなく、全部戦意の炎に変えてしまっています。

 鬼道さんたちにとってそれは、無謀な強がりと受け止められたようでした。

 

「くっ、ふふ……ハハハハハッ! 『よろしく頼む』か。全く、バカなのか? お前は」

 

「え……?」

 

「俺たちとお前たちが戦って、いい試合などできるものか。見てわからないのか? 実力の差は明らかだ」

 

「……何が言いたいんだよ」

 

「お前たちは俺たちに敵わない。手も足も出ず、完膚なきまでに敗北するんだ。お前のチームメイトたちはよくわかっているようだが?」

 

 言い、自分のチームから私たち雷門へと視線を移して鬼道さんは笑いました。現実が見えていないお前(円堂)は愚かだ、と言うように。

 間違ったことは言っていません。円堂さん以外はもうだいぶ圧倒されてしまってますし、実際に戦ってもそうなるでしょう。私もそう強く実感しました。

 しかし円堂さんはそう言われても尚、その目の炎を消しません。

 

「そんなことない! 試合が始まってもいないのに、勝敗なんてわかるもんか!」

 

「ふん、ここまでいくともはや病気だな。だが、果たしてこれが勝機のあるチームかな? 聞いた話では部員不足で半分近くが素人の助っ人。挙句。マネージャーまで出張らなければならないような在り様で」

 

 と、その眼が今度は私へと向きました。帝国のウォーミングアップを秋さんたちと一緒にベンチで見物していたせいで、制服姿の彼女たちの中で一人のユニフォームが目に付いてしまったのかもしれません。いつかの小学生や染岡さん同様、女生徒ということで私を見くびっているみたいです。

 なので三度目の微笑みで応えます。

 

「残念、私はマネージャーじゃないですよ。元ですけど、ちゃんとしたプレイヤーです。助っ人ですから、部員不足っていうのは正解ですけど」

 

「……ほう?」

 

「そうだ! それにみんなも、数合わせのメンバーなんかじゃない! 今日のためにきつい特訓にも耐えた、正真正銘のサッカープレイヤーたちだ! だから俺たちは、帝国にだって負けたりしない! 試合でそれを証明してやる……!」

 

 にやりと笑う鬼道さんを、仲間をコケにされた円堂さんが憤りと共に睨みつけます。そこにこもる敵意は鬼道さんの意識を私から引き剥がし、彼は再び円堂さんへと侮りきった物言いを口にしました。

 

「……いいだろう、どのみち俺たちのやることは変わらない。始めようか、結果の決まりきったサッカーを」

 

「望むところだ、俺たちの力を見せてやる……! やるぞ、みんな!」

 

 「おう」という返事は、さすがに校舎内でしたそれよりも落ち込んだものになりました。

 

 

 

 

 

「あら、お隣さんですね。よろしくお願いします、壁山さん」

 

「えっ、あ、はいッス。よ、よろしくお願いしますッス……」

 

 円堂さんたちは私の居ぬ間にもう全員のフォーメーションを決めていたらしく、試合開始目前となって私は言われた通りの位置に付きました。

 オーソドックスな4-4-2フラット――ディフェンダー四人にミッドフィールダーが四人、フォワードが二人の陣形で、私のポジションは左サイドバック。なので同じディフェンス仲間として壁山さんにご挨拶したのですが、彼はどうやら、未だ帝国の余興の衝撃を引きずっているようです。対面する帝国選手の余裕の笑みと、そして周囲のギャラリーにビビり散らかしているらしく、返事もどこか上の空。また逃げ出してしまうんじゃないかと心配になってくるほどでした。

 

「どれだけ怖くっても、もう後には引けませんよ? いい加減、覚悟を決めないと」

 

「そ、そうはいっても……。うう、やっぱり怖いッス。こんなにいっぱいの人に見られながら、あんな相手と試合しなきゃいけないなんて……」

 

「ふふ……そうかい? 俺は結構楽しみになってきたよ。こんなに注目されるのは初めてだから……」

 

「その度胸、ちょっとうらやましいでやんす……」

 

 同じくディフェンスの影野さんと栗松さん。意外に乗り気らしい前者はともかく、後者は壁山さんと変わらないビビりっぷりです。

 そして影野さんは私と同じく助っ人選手であり、しかし恐らく私と違ってサッカー経験は皆無な方。ディフェンスチーム四人の内、一人が素人で二人は腰が引けている状況なわけで、私の負担は多そうです。合わせてため息が出ちゃいます。

 

「そんなに気負うなよ! ここまで来たらどーんと構えて、当たって砕けろって気持ちで挑めばいいさ!」

 

「砕けちゃったら廃部になっちゃいますけどね」

 

 ゴールから飛ぶ円堂さんの励ましの声ですが、気持ちでどうにかなるなら苦労はしません。実際に砕ける可能性の方がずっと高いでしょう。

 というかまあ、普通に負ける可能性しかありません。帝国の思い通りなのはちょっと癪ですが、実際見せつけられたその力量はサボりと素人の寄せ集め集団が敵うものではありませんでしたし、加えてチーム練習もまともにできていない我がチームには碌な戦略もないのです。

 辛うじて、フォワードに据え置かれた風丸さんが陸上部出身で足が速いので、彼を軸に染岡さんにボールを繋ぐ、という、どちらかといえば指針のようなものはありますが、それもそもそも前線までボールを持っていくことが叶うか、という根本的な問題があります。素人のドリブルやパスを通してくれるほど、帝国は甘くないでしょう。

 果たしてどうなることやら。そう思いつつ、私は審判が吹き鳴らす試合開始の笛を聞きました。

 

 が、しかし、

 

「……あら、風丸さん、一人突破しちゃいましたね」

 

「パスも繋がってるでやんす! これは……もしかして俺たち、案外やれるんじゃないでやんすか!?」

 

 どういうわけか試合は私たちのペースでうまく進んでいます。帝国のブロックを抜き去り、あるいはパスの連携で追い越して、敵陣の中間を抜けたフォワードの二人はあっという間に敵のディフェンスラインまで攻め上がることに成功。さらに乗じて上がってきていたミッドフィールダーの宍戸さんにボールが渡り、絶好のセンタリングチャンスまでもを得てしまいました。

 

 染岡さんと風丸さん、どちらかが確実にシュートを打てるような状況です。栗松さんたちは『自分たちが帝国相手に戦えている』と純粋にご満悦なようですが、しかし、奇妙なことこの上ありません。想像していたよりも動けているとはいえ、弱小校たる雷門が仮にも最強の帝国とまともに戦えている、どころか圧倒と言えるほど攻め立てているなんて、そんなことが果たしてあり得るのでしょうか。

 いくらなんでもないでしょう。となればやはり、帝国が手を抜いているとしか考えようがありません。そしてその理由は、たぶんさっきのデモンストレーションと同じです。

 

(希望を見せておいて、その上からたたき潰すつもりですか……)

 

 呑気な栗松さんたちを見やって悟ります。同時にこの帝国の悪意の深さ、雷門に恨みでもあるんでしょうか。

 しかしともかく、雷門の攻勢は得点までには至らないでしょう。接待は、恐らくその手前までです。

 そんな予想は、やはり的中しました。

 

「くらえぇッ!!」

 

 ボールが渡り、気合の雄叫びと共に放たれた染岡さんのシュート。いつの間にか秋さんと音無さんの隣で実況の真似事をしていた男子生徒曰く、とても反応などできないはずだったその一撃は、

 

「ふっ、甘いなッ!!」

 

 ぱすん、と、酷くあっけなくキーパーの手に収まってしまいました。

 

「なッ……く、クソッ!!」

 

「くぅ……惜しいッス、染岡さん!」

 

「ドンマイだ染岡! でもいいシュートだったぞ!」

 

 あっさり止められてしまった渾身のシュートに歯噛みする染岡さんに、円堂さんたちが送る励ましの声。当人である染岡さんを含めて、帝国の手加減に気付いている人はいなさそうです。

 

 だから同時、帝国のフォーメーションが微妙に変わり、空いたフィールドの中央に帝国選手一人構えたことに気付いたのも、たぶん私だけでした。

 

「すぐカウンターきちゃいますよ? 中央は塞いだ方がいいと思いますけど」

 

「え? あ、はいッス!」

 

 たぶん帝国は力の顕示で堂々中央を抜き去ろうとしてくるはずです。そんな私の予想、口にした指示に、壁山さんは危機を認識することなく従おうとしました。が、その時。

 

「鬼道、次はお前たちの番だ!」

 

 キーパーからのロングパス。染岡さんたちの頭上を軽々超えてダイレクトにセンターサークルの鬼道さんまで届いたボールは、今度は私の予想を超えました。

 

「いけ」

 

「はぁッ!!」

 

 鬼道さんがすぐ隣のフォワードにパスをして、彼がそのままシュート。鋭い回転がかかったそれはガラ空きのフィールドを一瞬で突き破り、

 

「わっ!? ぐわはぁっ!!」

 

 移動させた壁山さんを吹き飛ばしてから、

 

「壁山ッ!! うおぉッ!!」

 

 なお威力を保ったまま、飛び込んだ円堂さんの手を逃れてゴールネットに突き刺さってしまいました。

 

「……ご、ゴォーーール!!」

 

 実況の方にも信じられない得点だったのでしょう。叫ぶまでに幾らか間がありました。そして実際、私にとっても驚くべき事態です。

 必殺技でもない、ただのノーマルシュート。しかもセンターサークルからの超ロングシュートなんて、普通ならそれほど怖いものではありません。しかも今回はこちらが攻め込んだ直後で中間の層は薄く、そもそもロングシュートを狙う理由もないはずでした。

 

「なのに、まさか直接ゴールを狙ってくるなんて……」

 

 普通、ドリブルで詰めてしまったほうが確実です。だからそう来るだろうと予想しましたが、しかしどうやら二つほど計算外。帝国はデモンストレーションから想像したよりもさらに強く、さらに雷門を舐め切っていたのです。

 この程度のチームならわざわざフィールドを走る必要もない、と。

 そして実際、その通りでした。吹き飛ばされてしまった壁山さんへ、ちょっと申し訳ない気持ちになります。

 

「大丈夫ですか壁山さん。ごめんなさい、中央を塞げなんて言ってしまったせいで」

 

 完璧にレベル差を見誤ってしまいました。あの場面は壁山さんに任せるべきでなく、私が自らブロックしなければいけなかったでしょう。それでも防げたかどうかはわかりませんが。

 しかし私の手を借り身を起こした壁山さんは、ものすごい勢いで首を横に振りました。

 

「い、いえいえいえ! 俺がブロックできなかったのが悪いんッス! それに……その、キャプテンの邪魔までしてしまって……」

 

「邪魔なんかじゃないさ壁山! お前が身体でシュートの威力を弱めてくれなかったら、たぶん俺、反応することもできなかった……。今の失点は、壁山に身体を張ってもらってもゴールを守れなかった俺のせいだ……!」

 

 徐々にマイナス方向へ傾いて行った壁山さんに続いて、円堂さんの面持ちも俯き気味になってしまいます。さらに壁山さんたちを心配して駆け寄ってきた他の皆さんもそれを耳にし表情が崩れ、そこからさらに負の言葉が出るまでは大した時間もかかりません。

 

「……やっぱり、無理だったんでやんすかね。俺たちなんかじゃ、帝国には……」

 

「なに弱気になってるんだよ、栗松! まだ一点取られただけじゃないか!」

 

「でも……あんな速いシュート、どうしようもないだろ。また打たれたら――」

 

「今度は止めてみせる! ……試合は始まったばっかりじゃないか! 諦めるにはまだまだ早い!」

 

 円堂さんは必死に叫んで皆さんの士気を取り戻そうとしているようですが、衝撃的なシュートを見せられた皆さんの顔色はあまり変わった様子がありません。ですが、それでもまだ“もしかしたら”という気がなくはないようで、それぞれ神妙な顔になりつつも頷きます。

 

「……そうだな、まだ試合は後半戦にすらなっちゃいない……!」

 

「ああ、その意気だ! みんな、気を引き締めていこうぜ!」

 

「そうですね、気持ちで負けたらなんとかって言いますし。頑張りましょう」

 

 そう、勝ち目がないのは最初から分かりきっていたことです。なればこそいい試合にせねばならないのですから、私も改めて気合を入れねばなりません。

 そう思った、その時でした。

 

「ふっ……『頑張る』、か。全く、帝国のシュートを見ておいてまだそんなことが言えるとは、笑いを通り越して呆れるよ、雷門」

 

「っ、鬼道……!」

 

 小ばかにしたような笑みを湛えた鬼道さんがやってきました。自身を睨みつける円堂さんをゴーグル越しに見やっています。

 しかし牙を剥けるほどの戦意を保っているのは、どうやら円堂さんだけみたいです。他の皆さんの眼には、程度はあれど怯えの色が滲んでしまっています。がしかし、それも当然。圧倒的な力の差を見せつけられたのですから、それを戦意に変えられる円堂さんの方が、端的に言っておかしいわけです。だから鬼道さんも、円堂さんに興味をひかれたのでしょう。

 と思いきや、ふと円堂さんから私へと、その視線が移って言いました。

 

「……さっきの、ディフェンダーを動かしたのは、お前だな?」

 

「はい? ええ、まあそうですけど」

 

 無駄な抵抗だったなと嘲笑うつもり――ではないようで、鬼道さんはじっと黙って私を見やった後、その口元に一瞬だけ、嘲りではない笑みを浮かべました。

 

「……()以外に期待はしていなかったが、案外楽しめるかもな」

 

「奴? 誰かお目当ての子でもいちゃったりするんです?」

 

「……ふん、お前には関係のない話さ」

 

 休み時間、余所クラスの気になるあの子の様子を見来た純情少年。みたいな感じを連想してしまって、声に喜色が入ってしまったようです。途端に鬼道さんのニヤニヤが消えてムスッとなって、それからすぐに、言葉の矛先が再び円堂さんたちへ。

 

「だがまあ、よくわかったよ。あんなシュートではお前たちの心を折るには足りないらしい。……ここからは遠慮なしだ、覚悟しろ、雷門……!」

 

「望むところだ、かかってこい!!」

 

 売り言葉に買い言葉的に、円堂さんが吠えました。その様子に、鬼道さんの顔に愉快そうな笑みが戻ります。

 

 というか『遠慮はなし』ってもしかして、あのシュートもまだ全力ではない、ということなんでしょうか。だとすれば本格的に絶望的です。気合を入れ直したばかりだというのに、試合になるかどうかすら不安になってきます。

 しかし円堂さんにはそんな心配も何もないようです。そんな彼へと、鬼道さんが去り際に一言。

 

「……全く、本当にバカだな」

 

 呟くように言い捨てて、自分のポジションへと戻っていきました。

 そしてやっぱり、再びバカ呼ばわりされた円堂さんの鼻息は荒くなりました。

 

「くそぉ……あったまきた!! 絶対目にもの見せてやる!!」

 

「ああ、俺も次は決めてやる……!! 最強だが何だか知らねぇが、ほえ面かかせてやるぜ帝国学園!!」

 

 おまけに染岡さんも同調して元気を取り戻したのか、叫んでいました。

 

 ……しかし結局、鬼道さんが言った『奴』とは、いったい誰のことだったのでしょう。茶化しはしたものの、彼が気にするほどの選手が雷門にいないことなんて明らかですし、相俟ってただ不思議です。

 そして私もその誰かさんと同様にどうやら目を付けられてしまったようなので、『遠慮はなし』も含めて今後の試合はより厳しいものになるでしょう。いよいよ頑張らないといけなくなるかもしれません。

 覚悟をしつつ、そして審判の声とともに試合は再開されました。



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第五話 どうしようもない実力差

 鬼道さんが言った『遠慮なし』とは、端的に言ってしまえばラフプレーのことでした。

 心に続いて身体をも叩き潰してやろうという意味だったのでしょう。そしてそうと決めた帝国のプレーにうちのチームが抗えるはずもなく、前半終了の笛が吹かれた時点でのスコアボードには0-20の点数――もちろん雷門が0で帝国が20です――が刻まれて、その圧倒的点差の通りに内容でも圧倒されることとなりました。

 

 這う這うの体でベンチまで戻った皆さんが、給水も忘れてへたり込んでしまうほどです。身体のあちこちに擦り傷を作った彼らは疲れ切った荒い息を吐き出して、その中で、役割故に一際激しい妨害を受け続けた風丸さんが、ギリと歯を食いしばって反対側の帝国ベンチを睨みました。

 

「くそ……好き放題やりやがって……ファール寸前のプレーばかりだぜ……。少年サッカー最強の誇りとか、奴らにはないのかよ……」

 

「さあね……それより、見てみなよ。奴ら、息一つ乱れてない。僕たちのオフェンスもディフェンスも全く通用しないし……完全に遊ばれてるみたいだね……」

 

「俺なんてもう、無茶苦茶に走らされて脚の感覚がないですよ……。はあ、やっぱり俺たちじゃ帝国に勝つなんて無理だったんだ……」

 

 地面に座り込むマックスさんがついたため息が、もじゃもじゃアフロの宍戸さんに伝染してしまったようです。さらにその弱気はたちまちチーム全体に広まって、あちこちの呼吸音が次々落胆のそれへと変わっていきます。

 だからこそ、染岡さんの嘲笑、ではなく憤りの言葉はよく通りました。

 

「……だが、こっちにだって、まだ体力が有り余ってるやつがいるだろ。 なあ、米田」

 

 彼がそう言うのは、他の皆さんがボロボロな一方、私の身体が試合開始前と全く変わらないからです。

 息は全く乱れていませんし、怪我も一切ありません。けれどそれは私が帝国のラフプレーと渡り合えていたたかそういう理由ではなく、単純に相手にされなかったせい。帝国選手たちは私の逆サイドで戦うばかりで、しかも私に専属のマークまで寄こしてくるので味方のパスすら一度も来ていません。ボールに触る機会が皆無であるために、ラフプレーを受けることがなかったのです。

 

 鬼道さんに目を付けられ(警戒され)たせいでしょう。私だけ無理矢理ゲームから隔離されていたわけですが、しかし帝国のプレーに翻弄されるばかりだった染岡さんたちはいっぱいいっぱいで、そんな私の事情など知る由もない様子。だから皆さんには私がサボっていた風にしか見えないんでしょう。染岡さんの言葉に同意するような視線が私に向くのを感じます。

 もしや鬼道さんの狙いはこれなのでしょうか。いえ、さすがにそこまで陰湿なことをする人じゃないとは思いますが、どのみちたまったものじゃありません。

 

「むぅ……そんなこと言われても困っちゃいます。だって私、ずっとマークされていたんですもん。ボールが回ってこないんだから、動きようがないじゃないですか」

 

「ふん……だとしても、だからどうしたってんだ。お前、口だけ女じゃねえってことを証明するんだろうが……! ならそんなマークくらい、振り切って見せろ。呑気に試合観戦してんじゃ、ねぇよ……!」

 

「あら。私が試合観戦なら、一点も取れていない染岡さんは何しちゃってたんでしょう? ぼんやり佇む案山子かしら? それともボコボコにされるだけのサンドバック? ……まさか、まだエースストライカーを自称しちゃったりはしませんよねぇ?」

 

「っんの、てめぇ……!」

 

「やめろよ二人とも! 仲間同士争ってる場合じゃないだろ!」

 

 染岡さんは頭に血が上って、私は半分くらい愉悦で始まった言い合いでしたが、円堂さんが割って入って止まりました。

 返す言葉がないようで、バツが悪そうに眼を逸らして黙り込む染岡さん。無力化を認めてから、私も意識を切り替え尋ねます。

 

「じゃあ肝心の試合ですけど、円堂さんはどうするつもりなんですか? もうまともな手段じゃ勝てない点差になっちゃってますけど」

 

「……まずは相手を消耗させる。走って走って走らせて、疲れさせるんだ! そして相手の動きが鈍くなったところを突く! ディフェンスもみんなで協力して攻撃するぞ!」

 

 疲れと怪我を感じさせない力強さで言って、次いでその手が私の肩を叩きました。

 

「ベータ、こんなこと頼むのは約束を破ることになるかもしれないけど……体力が残ってるのはお前しかいないんだ! 積極的に前に出て、ボールが回ってきたらガンガンシュートを打ってくれ!」

 

 圧倒的点差を前に私をディフェンスにした理由も一時呑み込む決断をしたようです。

 そこに特別反論はありません。なんならポジションチェンジしてくれてもいいくらいですが、しかもプレーも見えていない助っ人女子に戦線を託すその決断は、傍から見れば捨鉢もいいところ。希望どころかさらなる諦めを誘ってしまったようで、栗松さんが億劫そうに首を振りました。

 

「……そんなこと言っても、キャプテン……俺たちもうへとへとでやんすよ……。走って相手を消耗させるって、そもそももう碌に走れないのにどうすればいいんでやんす……?」

 

「それに米田だって、常にマークされてるんだろ……? どうやって攻撃参加させるんだ……?」

 

「仮にマークを外すなりができたとしても、米田先輩はディフェンダーでしょ……? シュートなんて……」

 

 半田さんと、一年の少林寺 歩(しょうりん)さんが続いて肩を落としてしまいました。実際、前者の問題に対して円堂さんに策はなく、マークに関しては私も碌な解決方法が思いつきません。帝国の技量は今の私を上回るものですし、正攻法で振り切るのは不可能。何かのきっかけが必要です。

 

 しかしもう一方、シュートの問題に関しては、選手たちの怪我の応急処置をして回っていた秋さんが、真っ先に否定を口にしていました。

 

「心配いらないわ、佳ちゃん元々フォワードだから。当時は一試合で何点も入れて、すごかったんだから!」

 

「……なに? お前、フォワードだったのかよ……」

 

「ええ、そうですね。今の染岡さんよりは優秀だったと思いますよ?」

 

 染岡さんが舌打ちを堪えるみたいな顔になっていました。我慢して、そしてそれから何かを言いかけたようですが、言葉になる前に審判から後半戦を開始すると声を掛けられました。

 ハーフタイムは終わりです。試合開始時より明らかに体力とモチベーションが失われたチームの面々は、しぶしぶといったふうに立ち上がります。

 そこに、円堂さんの喝が響きました。

 

「今ベータをフォワードにしても、余計に警戒されるだけだ。だからフォーメーションはこのままでいく。隙を突くんだ。……チャンスはある。勝利の女神がどちらに微笑むのかなんて、最後までやってみなくちゃわからないんだからな!」

 

 

 

 

 

 しかしそもそもが既に壊滅的な士気。円堂さんの声でも皆さんを引き締めることはできず、さらに帝国のプレーがそれに拍車を掛けました。

 

「くらえ! 【サイクロン】!!」

 

「【アースクエイク】!!」

 

「【ひゃくれつショット】!!」

 

 前半戦から続くラフプレーに、必殺技が加わり始めたのです。竜巻を起こして吹き飛ばしたり、地面を揺らして押し倒したり、あるいは幾重にも蹴りが重ねられたシュートを、ゴールではなく円堂さんにぶつけて甚振ったり。

 我がチームにそれに抗う手段はなく、なすすべなく技を食らった皆さんのダメージは、前半戦の消耗をしのぐ大きな打撃となっていました。

 

 そしてその蹂躙に、相変わらず私は巻き込まれずに済んでいます。後半戦が始まってすでに十数分、凡そ半分のチームメイトが地に倒れ伏し、残る半分も満身創痍で今にも倒れそうな有様で、私だけが無傷です。

 そうして今も、私の手が届かない場所でまた一人、必殺技に吹き飛ばされて宙を舞いました。

 

「うわあぁぁッッ!!」

 

「くッ、半田ッ!! こ、この野郎ッ……!!」

 

「駄目だ、染岡ッ!!」

 

 半田さんを吹き飛ばした帝国ディフェンダーに激昂し、突っ込む染岡さんを制しようとする風丸さん。ですが染岡さんのようなタイプが頭に血を上らせれば、声なんて届くはずもありません。

 想像通りに染岡さんは止まらず、そしてその先、帝国ディフェンダーは猪突猛進な彼を嘲笑い、その悪意を放ちました。

 

「ボールが欲しいか? やるよ」

 

「なッ……は!?」

 

 ぽん、と軽いパスが、なんと染岡さんに渡りました。反射的に身体で受けるも、敵の思いもよらぬ行動に一瞬あっけにとられる染岡さん。

 しかしその顔は次の瞬間、苦悶のそれに変わりました。

 

「【ジャッジスルー】!!」

 

「ぐああッ!!?」

 

 胴のボールごと、染岡さんを蹴り飛ばしてきたのです。

 もう本当に、いつ笛が鳴ってもおかしくないギリギリの攻撃です。しかしそれは笛が鳴らなくてもおかしくはないということでもあり、そして実際、審判はこれを見送って、染岡さんはただ地面に倒されました。

 けれど悪意はそこで止まず、苦しそうにお腹を押さえて起き上がろうとする染岡さんに、笑いながら告げました。

 

「おいおい、せっかくくれてやったのに……落とすなよッ!!」

 

 もう一度、染岡さんへのパス。しかし今度は軽いものではなく、ほとんど全力のシュートのような威力です。大ダメージを負った染岡さんが受け止められるものではありません。

 そのことは、素人である風丸さんの目にも明らかでした。

 

「染岡ぁッ!! ぐああぁッ……!!」

 

「ッ!!? 風丸!!?」

 

「なにッ!? お前……!!」

 

 驚愕する染岡さんと帝国ディフェンダーとの間に飛び込んだ風丸さんが、身を挺してそのシュートをブロックしました。おかげで風丸さんも派手に吹き飛ばされることになりましたが、染岡さんへの追撃は防がれ、弾かれたボールも帝国の思惑を外れて飛んでいきます。

 

 風丸さんの執念か、ちょうど私の目の前に。

 

「あらら、びっくり。ナイスパスです風丸さん」

 

「くッ、しまった……!!」

 

 私に付いていたマーク、眼帯の帝国選手にとってもボールの軌道は予想外のものだったようで、完全に虚を突いた状態。さっきまでのようにボールがカットされることはなく、私の足下まで届きます。が、それでも流石というべきか、彼はすぐに回り込み、私の前に立ちふさがってきました。

 

 味方はほとんどノックアウトされていてパスは出せませんし、自力で突破するしかなさそうです。果たして叶うかはわかりませんが、それでもたぶん、これが雷門にとっても最大で最後のチャンス。どうにかするしかありません。

 

「せっかく練習したんだから、成果だってみせちゃいたいですし!」

 

「ふんッ! 少し油断したが、これ以上はやらせない! 食らえ、キラー――」

 

 向かって走ってくる彼が、姿勢を低くして恐らくスライディングタックルの体勢。他の皆さんと同じく私を吹き飛ばす、必殺技でしょう。

 付け焼刃の練習量しかない私には対抗できません。どうにか避けるしか選択肢はなし。ドリブルしながら注意深く見つめ、見切ろうとしていたその時でした。

 

「待て、佐久間!」

 

「き、鬼道さん!?」

 

 不意に鬼道さんの声が響き、眼帯の、佐久間さんなる彼は思わずといったふうにその動きを止めてしまいました。おかげで私は素通りです。

 その代わり、今度は真正面にその鬼道さん。

 

「俺がやる。少々早いが、見せつけてやろう」

 

「へえ。もしかして、手ずから私を虐めたいって、ことかしら……!」

 

 だとしたらとんでもないクソヤロウです。しかし、二度目となれば私の言い口にもいくらか免疫ができるらしく、鬼道さんは僅かに眉を寄せただけで不敵に笑い、私のボールに襲い掛かってきました。

 

「私情はないさ! 俺たちは総帥の命令通りにプレーするだけだ……ッ! それに、そんな低俗なことをせずとも勝てるのでなッ!」

 

「どうでしょうね! 命令だなんて言っちゃってますけど、皆さん楽しそうですよッ……!」

 

 至近距離でボールの奪い合いをしながら、同時に口も動かします。しかし後者は互角でも、前者のサッカーの技量については、やはり今の私よりも鬼道さんの方がはるかに上。

 攻防を続け、やがて出てしまう私のぎこちない動きを、彼は見逃しませんでした。

 

「『楽しそう』? そりゃあ楽しいさ! 勝利の決まったサッカーはなッ!」

 

「ッあ!」

 

 私の足にあったボールが掬い取られ、拍子に転んでしまいます。紳士を自称したのは本当なのか怪我をしたりはしませんでしたが、最後の機会が潰えてしまったことには変わりありません。

 そして雷門に対してのとどめの一撃もが、私の横を走り抜けてきました。

 

「行け、【デスゾーン】開始!」

 

 前線に走り込んできた二人。さっきの佐久間さんを入れて三人が、私が倒れて誰も守る者の居なくなったディフェンスラインを走り抜け、円堂さんの正面へ。

 その三人へ、鬼道さんがパスを出しました。

 

「そして()を、引きずり出せ!!」

 

 またも、“()”。しかし今度も深く考えるような間はなく、それが始まりました。

 飛び出した三人が高く宙に飛び、回転して作る三角形の陣形の中央に、生み出される暗い色のエネルギー。そしてそれを帯びるサッカーボール。

 すさまじい威力が宿ったことは、もはや見るまでもありません。

 

「ッ! 円堂さん!」

 

 私の口からも思わず飛び出た声も、しかし意味はなく、その必殺シュートは放たれました。

 

「「「【デスゾーン】!!」」」

 

「ぐっ……う、おおおォォォッッ!!」

 

 円堂さんは、一瞬だけ抵抗ができました。雄叫びと共に立ち向かい、そしてその一瞬の後、自身ごとゴールに叩きつけられることになったのです。

 

 得点はこれで0-21。もはやあってないような追加点ですが、しかしその一撃で、もはや勝負は決してしまいました。

 とうとう円堂さんまでもが倒れ伏してしまったのです。立ち上がれたのは、チーム内で私だけ。壁山さんたちも染岡さんたちも、半田さんたちも全員が起き上がれないほどのダメージを負ってしまって、挙句円堂さんまでもとなれば、これはもう試合にならないどころかサッカーにすらなりません。

 

「……円堂さん、大丈夫ですか?」

 

「……あ、ああ……っく……」

 

 駆け寄って倒れる円堂さんに手を貸しますが、応えはしても【デスゾーン】なる必殺技はやはりすさまじいものだったようで、ダメージは隠しようがないほどなようです。私の肩を掴んで辛うじて立ち上がりましたが、足元すらおぼついていません。シュートどころか味方のパスすら受けられそうにないほど、円堂さんはボロボロでした。

 

 これはもう、無理でしょう。円堂さんは雷門で唯一のキーパーですから、彼が動けないとなるとゴールはほとんどフリーパス状態。フィールドには実質私一人であり、一人でどうにかしようにも私の技量は鬼道さんに敵わないことは実証済み。

 帝国と対等に戦う、ということからしてそもそも不可能に近い絵空事だったのに、壊滅状態では言わずもがな。もう、諦めるべき頃合いなのかもしれません。

 

「ふっ……無様だな。お前もそう思うだろう? 一点を取ることすらできず、結局俺の言った通りになったじゃないか」

 

「な、なにぃ……!」

 

 鬼道さんが、再び私たちを嘲笑いに来たようです。歯を食いしばって反発する円堂ですが、その様子はいかにもやせ我慢。実状的にもダメージ的にも、その口から碌な反論は出ず、鬼道さんの独壇場が続きました。

 

「見てみろよ、熱血キャプテン。もはやお前のチームは壊滅し、立っているのはそのディフェンダー一人だけだ。確かに、彼女は中々のプレイヤーだ、そこは認めよう。しかし俺たちのレベルには程遠く、そうでなくともたった一人でできることなど何もない」

 

「……こうもはっきり言われるとムカッとしちゃいますけど……まあ、そうですね」

 

 認めたくはありませんが。しかしその通り。今の私ではこの状況を打破するなんてできません。そういう面では、私も鬼道さんと同意見。

 

「キャプテンと違ってよくわかっているようで何よりだ。……そう、終わった(・・・・)んだよ、お前たちのサッカーは。俺たちに踏みつぶされて、な」

 

「お……終わりだとか、お前が勝手に決めるなよ……! 俺たちは、まだ戦える……! まだ、終わってねぇ……!!」

 

「ハハハ! そうか、『まだ終わってない』ときたか! 米田、だったか。彼女一人でまだ戦えると、そう言いたいんだなお前は! ……そんなことはあり得ないということもわからないのか、お前は」

 

 嗤い、次いで落胆に呆れたようなため息を吐く鬼道さん。そして私も完全に同意です。円堂さんがどれだけ私の力を信用してくれていても、それはただ現実が見えていないだけ。嬉しくも何ともありません。

 

「……なら仕方ない。最後の一人も、他の連中のように倒してやろう。そうしたら、さすがのお前たちも考えを改めるかな?」

 

 『さすがのお前たち(・・)』。複数形は、まさか私のことではないでしょう。だって私はもう諦め半分です。十中八九、度々鬼道さんが気にしている、“()”のこと。

 こうまで気にしているのなら、もしかしたら帝国が雷門に練習試合を挑んできた目的とは、快勝ではなくこっちなのではないでしょうか。三度目ともなればさすがにそんな気がしてきます。

 

 が、今更そんなことを考えても仕方ありません。だって私は今ちょうど、鬼道さんに『他の連中のように倒してやろう』と、ぶっ潰す宣言をされたところ。“奴”が誰なのかわかれば差し出して「許してください」と言うこともできますが、それも叶いません。後はもう、円堂さんが鬼道さんの煽りに耐えて賢明な判断を下してくれることを祈るのみ。

 棄権してくださいと、声にこそ出しませんでしたが、横目で言ってくれないかなぁと見つめていました。

 ですがボロボロな彼は、尚もまっすぐ鬼道さんを睨みつけ、

 

「俺は……仲間を、信じてる……!!」

 

 期待した言葉とは正反対の言葉を、言いました。

 

 それ自体は、さっきと何も変わらないただの無謀です。円堂さんのことですから策があるというわけでもないでしょうし、ほんとうにただの感情論、意思の発露。耳障りはいいでしょうが、現状においては「米田も俺たちみたいにボコボコにされてこい」と言ってるのも同然です。

 

 だというのに、その時目にした円堂さんの眼差しは、私が抱いた印象とは全く別のものを帯びていました。

 そして同時に、帯びていたその意思は、なぜか私の心に刺さったのです。

 

(仲間……)

 

 サッカーは十一人いないと試合をすること自体ができないスポーツです。だから当然、前のチームにも仲間はいました。昔のこと過ぎて名前どころかもう顔すら定かでありませんが、共に戦った彼ら彼女ら。円堂さんのように私のことを仲間だと言ってくれたことだって何度もあります。

 しかし今感じたものは、その時とは明らかに違うものでした。何が違うかと言われると正直わかりませんがしかし、直前まで胸の内に渦巻いていた負け戦の憂鬱は、奇妙な胸の高鳴りによって吹き消されてしまっています。

 

 秋さんのためにというのが理由の多くであった私にとってのこの試合に、何か別の感情が、湧き上がってきていました。

 

「何度だって、言ってやるさ……鬼道……!」

 

 ハッと我に返りました。いつの間にか私の介助なしに立っていた円堂さんが、疲労困憊な表情ににやりと不敵な笑みを浮かべています。

 

「お前たちがどれだけ俺たちを潰そうとしても、俺たちはその度立ち上がる……! だから、一人じゃない……! 仲間の絆がある限り、雷門魂は、終わらないんだ……ッく……!」

 

「あっ、円堂さん!」

 

 しかしそう啖呵を切るだけでも精一杯だったのでしょう。円堂さんは再びふらつき体勢を崩してしまって、私は反射的にその身体を支えます。

 そして鬼道さん。円堂さんの言葉がただの威勢だけであったことを再確認したようで、口元にお返しの笑みが浮かびました。

 

「ククク……『雷門魂』と来たか。なるほど、それは素晴らしいな。……ところで、その雷門魂とやらが一人、逃げ出してしまいそうだが……いいのか?」

 

「え……?」

 

 なんの話でしょう。と思えばすぐに、その声が聞こえました。

 

「こっ、こここ、交代!? ぼ、僕がっ!?」

 

「お願いメガネくん! 風丸くんの脚の怪我が酷いの! 彼の代わりにフォワードに……」

 

 見やればベンチ。秋さんが、肩を貸して運んできたのか風丸さんの手当てをしながら、メガネさんに頼み込んでいます。

 たぶん風丸さんは、染岡さんを庇った時のダメージが思いのほか大きかったのでしょう。苦悶の表情は声すら出せないほどのようで、傍で見ている音無さんと実況の方も心配そうです。

 ですが、その様子を眼にしたメガネさんは、義憤よりも恐怖の方が勝ってしまったようでした。

 

「い、嫌だ……こんなの、ぼ、僕……いやだあぁっ!!」

 

「め、メガネくん!?」

 

 秋さんが止める暇なく、ベンチを飛び出し駆け去っていきます。挙句に『こんなものを着ていては』とでも思ったのか、せっかくもらったはずの十番ユニフォームまで脱ぎ捨てていく始末。もう戻ってこないことが確定的な、壁山さん以上に見事な敵前逃亡っぷりでした。

 

 斯くして鬼道さんの嘲りはその実態を示し、風丸さんが抜けて十人となってしまった雷門へ、他の帝国選手たちからも大笑が響きました。

 

「ハハハ! 随分はかないものだな、雷門魂とやらは! それで、どうなんだ? これでもまだ『仲間の絆が』と抜かすつもりか? 仲間は皆倒れ、そして控えは逃げ出した。だというのに――」

 

「ああ……言うさ! まだ、終わってねぇ……!!」

 

 そして響く大笑を円堂さんの一声が吹き飛ばします。

 変わらない、その眼。尋ねてしまったのは思わずのことでした。

 

「どうして、諦めないんです? 例え皆さん起き上がれても、もう私たちは十人になっちゃったんですよ?」

 

「……だから、さっきから言ってるじゃん」

 

 応える円堂さんの声はやっぱり私の心を奇妙に疼かせて、そしてその時、合った視線によってその感情の一端が、ようやく私にわかりました。

 

「『勝利の女神がどちらに微笑むかなんて、最後までやってみなくちゃわからない』。だから今、俺が降参したら、みんなから試合を奪ってしまうことになる。それはダメだ……! サッカーは、仲間と一緒に戦うスポーツなんだから……!」

 

 なんかいいな、というふうにあやふやながらも、胸の内に渦巻くのは羨望でした。円堂さんの何もかもがまっすぐで、直接的に私へと向くその感覚。それ自体が好ましい、というような感覚。

 

 つまるところ、私は今、“楽しい”のです。

 

「それにほら、試合終了の笛が鳴るまでに諦めちゃ、もったいないだろ?」

 

「……そうかもしれませんね」

 

 飽きてしまったはずのサッカーに、久方ぶりに覚えた感覚。自覚して自然と顔が笑みの形になった、その時でした。

 

「……おい、誰だあれ? あんな奴、うちのサッカー部にいたか?」

 

 観客のざわめきが耳に届き、そして彼が、現れました。



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第六話 これが私のサッカー

「ご、豪炎寺くん!」

 

「し、知ってます私! 昨年のフットボールフロンティアで、一年生ながら炎のストライカーとまで言われた、あの……!」

 

 木野さんと音無さんのベンチを横切り現れた、白髪のツンツン頭の彼。メガネさんが脱ぎ捨てた十番のユニフォームを身に纏い、ポケットに手を突っ込んでフィールドに入ってきました。

 

「豪炎寺! 待ってたぜ、お前を!」

 

「……サッカーはもうやめた、とか言っちゃってませんでしたっけ?」

 

 とっさの軽口を口にしつつ、しかし自分で思っているよりも、私には豪炎寺さんがこの場に現れたことに対する驚きがありませんでした。理由は、これも言葉で言い表し辛いですが、しいて言うなら豪炎寺さんもまた“仲間”であるから。言った言葉とは反対に、初めて出会った時のようなことができる人がサッカー部に入らないはずがない、とでも深層心理で思っていたんでしょうか。

 わかりませんが、とにかく私はユニフォームを着た豪炎寺さんを自然と受け入れていました。

 

「来てくれると思ってたよ、豪炎寺。ちょっと遅すぎだけどな……!」

 

「………」

 

「その通りだ。待ちくたびれたぞ、豪炎寺 修也」

 

 無言で微笑む豪炎寺さんと、鬼道さん。そこで彼が言っていた()が豪炎寺さんのことであり、帝国は雷門に豪炎寺さんの実力査定をしに来たのだと悟りますが、それで何か変わるわけでもありません。声の通りの待ちかねたらしい鬼道さんが、続けて審判へと告げました。

 

「審判、豪炎寺の選手交代を認め、試合を再開しろ。ようやくお目見えのメインゲストだ」

 

「わ、わかりました。――帝国学園が認めたため、特例として選手交代を認める!」

 

 そしてフォワードに豪炎寺さんがつき、試合再開の笛が鳴りました。しかし私たち三人以外のチームメイトは死屍累々の状態。辛うじて立ち上がれてもまともにプレーできる状態でなく、そして必然、あっさりとボールは奪われてしまいます。

 

「よし……!」

 

 豪炎寺さんはそれを見て、一目散に敵陣へと走り出しました。

 

「ど、どうした豪炎寺! まさか目金と同じく敵前逃亡か!?」

 

 実況が困惑気味に叫び、観客と、そして敵味方共々同様の驚きと失望が巡っているようですが、私にはわかっています。私と豪炎寺さんしかフィールドを動けない以上、得点するにはこんな方法しかないのです。私がボールを奪い、豪炎寺さんがシュート。つまり速攻。帝国の守備をかいくぐるには、守備の準備ができる前に決めてしまうしかありません。

 問題は私が帝国からボールを奪えるかどうか、という一点です。さっきも鬼道さんに抜かれてしまったわけですし、分は悪いと言わざるをえませんが、しかしどうにかするしかありません。ディフェンダーの役目を果たす以外に選択肢はないのです。

 覚悟し、同時にさっきの戦いにはなかった高揚感を感じながら、私はドリブルで攻め上がってくる鬼道さんへ向かって走り出しました。

 

 しかし、そんなことを考えた私はその時まで、本当の意味で“サッカー”をしていなかったのです。

 

「ベータッ!!」

 

 そのことに、円堂さんの一声で気付きました。

 

「ゴールは、俺に任せろ!!」

 

 背中は任せろと、彼はそう言える(・・・)人なのです。

 

 気付いた瞬間、私は火が消えたはずの自分の内に新たな火種を投げ入れられたような、そんな激しい情動の命じるままに、迫りくる鬼道さんを追い越しました(・・・・・・・)

 

「何……!? “ベータ”、何かの暗号か? だがどちらにせよ下策だな! 行け、佐久間、洞面、寺門!」

 

「「「【デスゾーン】!!」」」

 

 再びあの、三人の合体技。円堂さんごと軽々ゴールを穿ったそれは、普通に考えて円堂さんに止められるわけがないものです。しかし、私はそのすさまじい威力を背に感じながら、それでも前に走りました。

 

 だって、円堂さんが『任せろ』と言ったから。たったそれだけですが、サッカーの“楽しさ”を教えてくれた彼を信じるには十分だったのです。

 そして彼は、私と、そして豪炎寺さんの信頼に、見事に応えてみせました。

 

「うおおおおおお!! ゴッド、ハンドオオオオォォォォ!!」

 

 絶叫と、必殺技同士がぶつかり合う衝撃。到来したそれらを受け取り、私は振り返りました。

 円堂さんが止めたそのボールを、豪炎寺さんへ繋ぐため。

 輝く大きな光の手、【ゴッドハンド】でシュートを止めた円堂さんと眼が合って、どちらともなく笑みが浮かびました。

 

「あとは任せた!! ベータ!!」

 

「だからベータじゃないんですけど……まあいいです! 任せちゃって!」

 

 円堂さんからのロングパスが、私へと繋がりました。そして目指すは前方、帝国ディフェンスの間を走り抜け、前線でパスを待つ豪炎寺さんの下。

 

「まさか、【デスゾーン】を……ッ!! ディフェンス!! 24番(ベータ)を行かせるなッ!!」

 

 まさか止められるとは思っていなかったシュートを止められ、恐らく呆然としていたんでしょう。鬼道さんの指示でようやく帝国選手たちが動き出し、私の前に立ちはだかってきました。

 しかしその動きは動揺を拭いきれていないのか、精彩を欠いています。それでも十分手ごわいですが、手ごわい止まりであるのならそれだけで重畳。勝負ができるレベルであるなら、帝国のディフェンスでも突破できます。

 いえ、できるできないでなく、しなければなりません。なにせ私も任されたのですから。

 

「円堂さんが応えられて、私が応えられないなんて――そんなの、あり得ないですもん!」

 

「っく! アースクエイ――う、うわあぁっ!?」

 

 最後の巨漢ディフェンダーを力づくで突破して、そしてとうとう――

 

「豪炎寺さん!」

 

「ああ……!!」

 

 豪炎寺さんに、パスが通りました。

 他に誰もいない、キーパーとの一対一。ボールがヒールリフトで上げられ、炎を纏った竜巻の如き回転でそれを追った豪炎寺さんが、次の瞬間、それを打ち放ちました。

 

「【ファイアトルネード】!!」

 

 河川敷で不良を倒したあのシュートの、さらに何十倍も強い威力が熱気を伴いゴールめがけて突き進んでいく光景。しかしそれがゴールネットをも貫くには、鬼道さんの指示によって準備万端に待ち構えていた壁が一枚。

 

 ――キーパーの源田もまた、必殺技にてそれを迎え撃ったのだ。

 

「俺とお前の必殺技、どちらが強いか……勝負だ!! 【パワーシールド】!!」

 

 跳躍し、右手に溜めたパワーを地面にたたきつけて生み出した衝撃波の壁と【ファイアトルネード】が、次の瞬間激突した。

 

「うおおおおぉぉぉぉ!!」

 

 飛び散る火花と光芒はせめぎ合っているようで、威力としては五分と五分か。そう見えたがしかし、キーパーの雄叫びと共にその均衡は徐々に片方へ傾き、そしてやがて決着する。

 

 防がれた。

 衝撃波の壁は夥しい数の亀裂を刻まれながらも炎の螺旋を受け止め切り、弾き飛ばしてしまったのだ。

 

「ふっ……なかなかやるな。だが、俺には及ばない。お前の負けだ、天才ストライカー」

 

 壁越しに得意げな顔で笑うゴールキーパー。しかし着地した豪炎寺はまっすぐキーパーを見やり、同じく不敵に笑って言う。

 

「ああ、そうだな。俺の負けだ。だが――」

 

「オレたち(・・)はまだ、負けてねぇぞ!!」

 

 そうしてようやく、キーパーは弾き飛ばされたボールをトラップした(オレ)を見つけたのだった。

 

 だが備える時間なんてくれてやるつもりはない。過去のオレのサッカー、その当時、何度も打ったシュートの動きを思い出す。

 高く掲げた足でボールを踏みつけ、力を浴びたそれは赤と青の二つに分裂し上空に舞い上がる。それを追って自身も跳躍。そのまま空中で身体を捻り、両足で二つのボールをオーバーヘッドキック。

 

 これがオレの、必殺シュート。

 

「【ダブルショット】ッ!!」

 

 蹴り出した二つのボールは一つに合わさり、二発分の威力を得たシュートはそのまま、すでに半壊状態にあった【パワーシールド】を軽々と突き破った。

 

 シュートの威力に引き伸ばされるゴールネット。オレと豪炎寺と円堂、そして倒れ伏すチームメイトたちが無言でそれを見つめ、そしてようやくボールが地面に転がって、大歓声が沸き上がったのはそれからだった。

 

「ゴ、ゴォーーーール!! き、奇跡ですッ!! 円堂、米田、豪炎寺の三人の力が合わさった、ミラクルゴォォォーーーールッ!! 雷門、とうとう一点を捥ぎ取りましたァーーッ!!」

 

「――ふぅ。なんだか手柄を横取りしたみたいな感じになっちゃいましたけど……まあいいですよね。私たち三人の一点です。やりましたね豪炎寺さん」

 

「……お前、一瞬だけ性格変わってなかったか?」

 

「別にどうだっていいでしょう? そんなこと。それよりもこの調子でもう一点、決めちゃいましょう!」

 

 歓声をかき分け響く実況の声の中、戦いの高揚感が治まっても尚高まり続ける身体の熱に息を吐き出します。そして私が差し出したハイタッチの手に、豪炎寺さんは訝しげな顔を得点の喜びにほころばせて応じました。

 

 点差はまだ19もありますが、ひとまずのお祝いです。互いの健闘を称える、それだけの意味でした。

 

「っ……」

 

 だから豪炎寺さんの手が私の手と打ち合う寸前でぴたりと止まった時、心にもやっとしたものが湧き出てしまうのは防ぎようがありませんでした。

 加えてその表情からは笑みが消え、代わりに出てきたはっきりとした苦悩の色。まるで私たちのその得点、私たちとのサッカーを悔いているかのようで、見てしまえば私の胸の内も一転、熱が冷えて裏切られたみたいな感覚に襲われてしまいました。

 

 せっかく盛り上がっていたのに、外されてしまったはしご。豪炎寺さんは肩を落とすように手を下ろし、何も言わずに私から眼を逸らしてしまいました。

 だから見えなかったのでしょう。もたらされた空気の冷却など無意味に感じるほどの暑苦しい歓声が、私たちへ物理的に迫ってきていました。

 

「うおおおおぉぉぉぉッ!! すごいぞベータ、豪炎寺!! お前たちは最高だぜ!!」

 

「すごいッス!! 感激ッス!! まさか帝国相手に点が取れるなんて!!」

 

「そうだ!! 米田と豪炎寺がいれば……戦えるぞ、俺たち!!」

 

 私たち以上に狂喜乱舞している円堂さんたち。得点による希望は倒れていたはずのチームメイトの皆さんまで蘇らせてしまったようで、集団はもはやタックルのような勢いです。私は寸前気付いて避けましたが、豪炎寺さんは呑み込まれてもみくちゃにされることとなってしまいました。

 

「……チッ」

 

 ただ一人、輪を外れて悔しそうに歯を食いしばっている桃色髪のストライカーさんはいますが。

 

 しかし面白くなさそうなのは彼一人ではありませんでした。

 帝国の、確か佐久間さん。シュートを止められそれがカウンターとして得点まで至ってしまった故か、帝国選手たちの中でも一際忌々しげな眼で喜ぶ雷門の集団を見つめていました。

 

「ふん、いい気なもんだな。だがたったの一点だ。そしてもう二度とあんなへまはしない……! 次こそは確実に、今度こそ奴らの心を――」

 

「いや、その必要はない」

 

 が、今にも飛び掛かりそうだった佐久間さんを、鬼道さんが制して止めました。そして彼は帝国選手たちを見回し、彼らへと告げます。

 

「総帥からの撤退命令だ。……データは十分に集まった。これ以上試合を続ける意味はない」

 

「……鬼道さん、それはつまり……」

 

「ああ。……審判、俺たちは棄権する。後は勝手にやってくれ」

 

 そうして今度は審判へ、まるで世間話をするかのようにあっさりと、鬼道さんはそんなことを言いました。

 “棄権”、つまり試合の勝敗を放棄するということ。ついさっき、逃げ出したメガネさんも同じことをしましたが、今度のそれは帝国全体。総帥とやら、恐らく監督の指示には帝国の皆さん歯向かう気はないようで、吐いた言葉が負け惜しみみたいになってしまった佐久間さんですら、何とも言えない表情になりつつも黙って頷き、共に帝国のバスへと去っていきました。

 

 ただ私の脳味噌は、その宣言にあまり追い付いていません。意味はわかれど実感はなく、理解が追い付いたのは円堂さんたちの方が先でした。

 

「……ってことは……試合終了……?」

 

「もしかして、俺たちの勝ちってこと……でやんすか!?」

 

「っっっーーー!! やったああぁぁーーっっ!!」

 

 沸き上がり、喜びがさらに大爆発。集団の中では豪炎寺さんの胴上げまでが始まったらしく、困惑顔の彼が宙に放り投げられています。

 それを眼にすることにようやく私も現実を認識できたようです。我に返って、そしてすぐさま、ある感情が沸き上がりました。

 落胆。もう試合は終わりなのか、というがっかり感。帝国学園の棄権に円堂さんたちのような喜びと、そしてそんな感情を抱いたことで、私は一つ、気付きます。

 

(私……やっぱりサッカーが好きなんですね)

 

 楽しいサッカーが終わってしまうことへの、がっかり感なのです。ずっと前に尽きてしまったはずのサッカーへのモチベーションでしたが、どうやら完全に再熱してしまったようです。

 

 なら、また始めればいい。落胆はすぐに消え去りました。

 

「ねえ、円堂さん」

 

「うん? なんだ!?」

 

 ボロボロな顔に満面の笑みを浮かべた円堂さんが振り向きます。

 ……うん、やっぱり、この人となら秋さんの言う通り、楽しいサッカーができそうです。

 

「私、またサッカーをやりたくなっちゃいました。なのでサッカー部に入部します!」

 

 いいですか、と改めて聞く必要もありませんでした。円堂さんの顔がさらにさらに、嬉しそうに笑ったからです。

 

「ああ、もちろん!! これからもよろしく頼むぜ、ベータ!!」

 

「……ああもう、ベータでいいです。とにかく皆さんも、これからよろしくお願いしますね」

 

「ホントに!? 佳ちゃん……嬉しいっ!」

 

 反対の声は、もちろん一つも上がりませんでした。いえ、やっぱり一人、染岡さんは何だか微妙な表情ですが、秋さん含めて皆さん歓迎してくれている手前、私も彼も何も言いません。

 なので続く興味はもう一人へ。皆さんの意識が私へ向いたことで胴上げから解放された豪炎寺さんへ、半分返答は確信していますが、聞きます。

 

「……私はまた始めることにしちゃいました、サッカー。あなたはどうなんです? 豪炎寺さん」

 

「……俺は……」

 

 言い淀み、続く返事を皆さん聞き逃すまいと思ったのか、一瞬で静まり返ります。が、悩んでもやはり彼の顔は後悔のままでした。

 

「サッカーは、もうやめた。だからこれも、今回限りだ」

 

「豪炎寺……」

 

 その場でユニフォームを脱いだ豪炎寺さん。そのまま去っていきますが、円堂さんは何か思うところがあるのか、一言。

 

「ありがとう」

 

 お礼だけを言いました。

 

「キャプテン、いいんですか引き止めなくて!? 米田先輩と豪炎寺先輩が揃えば、最強チームになるのに……」

 

「いいんだよ。……それに、ベータが入部してくれたんだから、これ以上を望んだら罰が当たるってもんさ」

 

 未練を残すチームメイトたちには本気か誤魔化しか、彼の性格的によくわからないことを言って首を振り、そしてスコアボード、我がチームに記された位置に数字を指さして、

 

「さあみんな、この一点が雷門の、俺たちの始まりだ! そして必ずフットボールフロンティアにも出場して、今度こそ正真正銘帝国に勝って全国一のサッカーチームになろうぜ!!」

 

 と、弱小サッカー部にはあまりに高い目標を掲げてみせました。そして彼が引っ張る雷門に、その高すぎる目標に臆する人は一人もいません。「おう!!」と、一誠に鬨の声が上がりました。

 そして私も。

 

(ほんとに、これから楽しくなりそうですね……!)

 

 皆さんに続いて、一点の人差し指を掲げました。

 

 

 

 

 

「――はい。歴史通り、雷門中学サッカー部は帝国学園サッカー部に勝利しました。第二フェーズの開始に問題はありません」

 

 円堂たちが喜びに沸く最中、誰も見ていない校舎の屋上で、人影がぽつんと一人で佇んでいた。

 会話の相手はインカムの向こう側。耳元の装置を押さえつつ、ローブで姿を隠したその人間は、下方、グラウンドを見下ろしたまま、さらに報告を続ける。

 

「円堂守との接触に加え、豪炎寺修也の入部も確認しました。すべて順調です」

 

 喜びに沸く集団の、ただ一人、ベータを見つめたまま。

 

「……円堂守のサッカーに対する反応も、設定通りに機能しているようです」

 

 そこだけに僅かな苦悩を覗かせつつも、ローブの人間は口にした。

 そして沈黙し、通信相手からの言葉を聞いた後、小さく頷く。

 

「了解しました。引き続き、経過観察を続けます」

 

 返事をして、ローブの人影はふと虚空に手を伸ばす。するとその手の中にどこからともなくサッカーボールのような球体が現れ、次の瞬間、何か操作がなされると同時にその姿が掻き消えた。

 

 まるで元から誰もいなかったかのように一瞬で屋上から人影の痕跡は消え、後にはさわやかな春風だけがそこを通り過ぎていくのだった。




ここまでが短編の焼き直し、と思ってたら文量がえらいことに…。
そしておしらせ。ラストに伏線っぽいものを張りはしましたが、おそらく回収されません。時代がアレでアレなので。クロノストーン編まで続けられればワンチャン。
そしてそしてもう一つ。連続投稿はもうちょっとだけ続くんじゃ(明日以降)


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第七話 受難の雷門サッカー部

「というわけで改めて、円堂さんは“ベータ”だなんて呼んじゃってますけど、私の名前は米田 佳。ポジションはフォワードです。助っ人じゃなくてちゃんと入部することにしちゃったので、皆さん、これからよろしくお願いしますね」

 

 帝国との試合の翌日、善は急げと早速入部届に名前を書き、晴れて私は雷門サッカー部の一員になりました。

 そのご挨拶としてにっこり笑顔で頭を下げて、ついでに円堂さんにも釘を刺しておきます。まあ彼のことですしこれでベータ呼びが解決するとは正直思いませんが、しかしとにかく私の意向ははっきり皆さんに伝わったでしょう。部員と秋さんの十三人で少々窮屈なボロの部室に、歓迎の声が響きました。

 

「米田さんが俺たちの部に……嬉しいッス! 心強いッス!」

 

「米田先輩のシュートがあれば、もしかして本当にフットボールフロンティアもいけちゃうんじゃないかな!?」

 

「ああ。あの帝国にだって通用したんだし、優勝だって夢じゃないぜ! ……まあそもそも、大会へのエントリー自体ができてないわけなんだけど」

 

「学校の許可と……お金もかかるんでやんしょ? どっちもあのお嬢様が牛耳ってるなら……ううん、どうでやんすかねぇ……」

 

「これで豪炎寺も入部してくれたら、乗り気になってくれたかもな。帝国のゴールは実際には豪炎寺と米田の二人がかりで破ったわけだし。それにほら、豪炎寺ってたしか前回の大会で準優勝したチームだったんだろ? なあ円堂、やっぱりあいつも誘えないのか?」

 

 と思い思いに私に期待して、皆さん貪欲にそこへ着地したようです。

 豪炎寺さん。準優勝の実績もある彼がいれば、確かに諸々が早く進んだでしょう。入部してくれたなら、弱小部という評価を払拭するこの上ない証明になったはずです。

 そうなっていればいかに雷門さんでも、フットボールフロンティアの参加手続き然り、サッカー部の要望をないがしろにはできない空気が作れたはずです――が、しかし生憎、そのどれもが今は絵に描いた餅です。

 

「うん、俺……やっぱりもう豪炎寺を誘おうとは思わない。なんて言うか……俺たちが無理に誘っちゃ駄目な気がするんだ。だから今のメンバーで強くなれたらって思ってさ」

 

「そうだぞお前ら! 豪炎寺豪炎寺って……あいつはもうサッカーはやらないって言ってただろ!? あいつのことなんて考えるだけ無駄だ!」

 

 豪炎寺さん本人の意思に加え、キャプテンたる円堂さんももう豪炎寺さんにちょっかいをかける気はないのです。

 加えて染岡さんも、歓迎とは程遠い敵対心を剥き出しにしています。きっと彼は豪炎寺さんの加入によって雷門のストライカーを自称する自身の立場が危うくなると感じたのでしょう。

 

 その危機感は、まあ間違いなく正しいものです。染岡さんのストライカーとしての実力は、確実に豪炎寺さんよりも下。

 そして、私よりも下なのです。

 

「それに……ベータ! お前も調子に乗るんじゃねぇぞ! 結局帝国との試合、勝ちはしたが実際のところは負けたも同然……! 21対1の完敗じゃねぇか!」

 

「……だから一点も運が良かっただけ、なんて言っちゃうつもりですか? 失礼な人ですね、ちゃんと実力です」

 

「うるせぇ! 運じゃねぇにしても、事実、条件が良かっただけじゃねぇか!」

 

「お、おい、染岡……」

 

 円堂さんも若干引き気味になるほどの、半分以上は当てつけみたいな恫喝でしたが、しかし一利ないこともありません。染岡さんが言う条件、“帝国のラフプレーを受けずに体力を温存できていたから米田はあんなプレーができたのだ”という主張は、確かに的を得ています。もしもあの時、私が染岡さんたちのように消耗してしまっていたら、帝国のディフェンダーを抜くことはできなかったかもしれません。

 なのでそういう意味で、染岡さんは私に活躍の機会を奪われたとも言えそうです。が、やっぱりそれは難癖です。

 

「へえ? じゃあ染岡さんはあの状況で決められちゃうんですか? 万全の状態だったら、帝国相手に勝てるんです?」

 

「当たり前だ! あの場面で、フィールドに立ててたのがお前じゃなく、俺だったら……!」

 

「『俺だったら』? どうなんです?」

 

「お、俺、だったら……」

 

 確実に、活躍なんてできなかったでしょう。万全の染岡さんの能力が帝国相手に通用するのなら、そもそも一番最初に打ったシュートは止められていないはずです。

 頭に血が上った染岡さんも、さすがにそのことを思い出したようでした。ぎゃんぎゃんわめいていた怒りの表情が、どんどん曇って萎んでいきます。

 そして存分に傷付けられた彼のプライドは、周囲の空気、あまりの剣幕に引き気味なチームメイトの皆さんの顔を見て、耐えられる限界を超えてしまったようでした。

 

「く……ッ!!」

 

「あっ、おい、染岡!?」

 

 慌てて止めようとする円堂さんを振り切って、部室を飛び出していってしまいました。

 

 あるいはこの場に私がいなかったら飛び出すことも、そもそも皆さんが引いてしまうほどの怒りを露にしてしまうこともなかったかもしれません。しかし豪炎寺さんはおらずとも私がいる現状、自分より優れたストライカーを実際に目の前にしてしまったせいで、たぶんたまらなくなってしまったんでしょう。

 高いプライドのせいで、自分よりも私や豪炎寺さんの方が優れているとを認められない状態です。

 

「なんだかバカみたいです。わかってるくせに」

 

 実力差、あるいは才能の差がはっきりと理解できているからこそ、彼はこの場を逃げ出したのです。であれば素直に認めて、そのストライカーへの執着も忘れてしまえばいいのに。

 そう、呆れずにはいられません。そして口にまで出てしまったそれは秋さんに聞こえてしまったようで、若干咎めるような口調が私に言います。

 

「……簡単に諦められるタイプじゃないのよ、染岡くんは」

 

「まあ、そうだなぁあいつは。それにあれだけ米田はすごいだの豪炎寺がいればだの言ってれば、そりゃ怒りもするよ」

 

 半田さんが肩をすくめ、そして円堂さんへと尋ねました。

 

「それで、どうする円堂? 米田の歓迎会どころか自己紹介だけでミーティングが終わっちまったけど」

 

「う、ううん、そうだな……俺は染岡の様子を見てくるよ。だからみんなは、今日は各自で自主練しててくれ! 帝国戦でわかった問題点とか、みんな色々あるだろ? じゃ、あと頼んだ!」

 

 そういえば半田さんと円堂さん、そして染岡さんは一年生が入部する前、部ができた当初からの部員だったと聞いたことがあります。だから同期の絆みたいなものがあるんでしょう。円堂さんは半田さんに頷いて、染岡さんを追いかけていきました。

 

 そうして部室から二人が消えて、その頃になってようやく一年生たちも半田さんの言う染岡さんの気持ちを理解したようです。気まずそうにお互い見やっています。

 

「……俺たち、後で染岡さんに謝っておいた方がいいでやんすかね……?」

 

「……かもッス。でも、大丈夫ッスかね、染岡さん。あんなに米田さんのこと目の敵にしてたら、これからのウチのチーム……」

 

「二人しかいないフォワードなのに、あんな感じじゃ……ねえ?」

 

 連携ができないならまだしも、あの様子では私と彼とでボールの奪い合いになってしまうのは目に見えています。そんな、栗松さん壁山さん、そして少林さんの心に芽生えた不安。

 ですがまあ、ぶっちゃけそこに関しては無用の心配でしょう。

 

「大丈夫です。染岡さんが協力的じゃなくっても、何なら退部しちゃっても、私のワントップで十分だと思いますよ。十分、皆さんを勝たせてあげられちゃいますから」

 

「そ、染岡さんが退部……そんなこと言えるのは頼もしいけど、考えたくないですね」

 

 ワントップ、フォワードは私一人で十分というのは半分以上は本気で言ったことだったのですが、どうやら冗談として受け止められたようです。宍戸さんが苦笑いでそう言って、それから若干私の本気具合をわかっている風な秋さんが、“染岡さんの退部”から変に話が繋がってしまう前にと、そんな様子で慌てて話題を変えに声を上げました。

 

「そ、それよりほら、早く練習を始めましょう? ……といっても、相変わらずグラウンドは借りられてないんだけど……」

 

「まあそれでもやれることはあるさ。それに帝国戦でわかった問題点といえば、まず真っ先に基礎体力のなさだろ? 走り込みにグラウンドは必要ない!」

 

 まだ入部はせずに助っ人という形ですが、風丸さんが陸上部らしく提案しました。試合で負った怪我ももう大したことはないようで、走る気満々に拳を握っています。

 そして言い示したのは学校周辺のマラソン。皆さん“うへー”という感じの顔になってしまいますが、しかしこれに関しては私も風丸さんに賛成です。

 

「そうですね、皆さん帝国戦ではそのせいで後半戦前にバテバテでしたし。それにずっとサボちゃってたんだから、やっぱり初めは基礎からでしょう」

 

「それに俺たちもサッカー始めたてだから、まず身体を作らないとね……」

 

「うん、賛成ー」

 

 円堂さんの勧誘で部員となった影野さんとマックスさん。そして私も、サッカー云々の前にまずは鈍った身体をどうにかしないといけません。

 思うに今の私の能力、体力的にもたぶんサッカーをしていた幼少期未満なのです。【ダブルショット】も昔のほうがずっと威力があった気がします。あの場面、帝国ゴールに一転ねじ込んだ時でも、【ファイアトルネード】で入れた亀裂がなければ、きっと【パワーシールド】は破れなかったでしょう。

 なので私にとって基礎の強化は急務。せめて当時の能力は取り戻さねばなりません。例え嫌だと言われても、もはや今日の、というか当分の走り込み練習は決定事項。

 

「それじゃ、早速行っちゃいましょう。とりあえず学校の周りを十週くらい。……ほら、目金さんも控えとはいえレギュラーなんですから」

 

「えっあっいや、ぼ、僕はほら、秘密兵器的な感じで、無暗に外に出すのは……!」

 

 なんてよくわからないことを言ってサボろうとする目金さんも引き連れて、日の傾き始めた外に走り出しました。

 

 

 

 

 

 宣言通りの学校周囲の十周ランニングを終えた時、空はすっかり赤く染まっていました。日が落ちる前には終えられると思っていたのですが、ちょっとペースが遅かったようです。おかげであまり疲れもなく、トレーニングになった気がしません。

 しかしそんなノロノロペースでも、おサボりサッカー部には結構ハードであったようです。

 

「ひぃ、ひぃ……き、きつかったッス……もう走れない……」

 

「は、走り込みだけで、こんなに疲れるなんて……。ほんとに俺たち、体力ない……」

 

「………」

 

「全く、情けないぞお前たち。こんなの、陸上部じゃちょっとした準備運動だぜ」

 

 汗だくで大の字に地面に横たわる壁山さんと、そして少林さん。目金さんなんて倒れて動かず、もはや死人みたいです。

 体力のなさを自覚する彼らに呆れ顔をするのは、さすが陸上部というだけあって軽く息を切らせるだけに留まった風丸さんと、そしてそれに同意するように、こちらも比較的平気そうなマックスさん。

 

「うーん……やっぱりこれが一番の課題だね。しばらくはずっと走り込みかな。……しかしそれにしても、意外だな。米田、結構平気そうじゃない」

 

 各々疲れ切った様子でへたり込んでいる皆さんから、視線が私へと向きました。

 

「そうそう、俺も思った。俺やマックスと違って、運動部に入ってたわけでもないんだろ? なのに結構走れるんだな」

 

 と、続く風丸さん。他の皆さんも声こそありませんが、荒い呼吸の同意が聞こえてきます。

 帝国戦で倒された皆さんと違い、未知数だった私の体力。案外真っ先に私がバテるのでは、と思っていた人も多いのかもしれません。

 

「ええ。昔から足には自信ありますので」

 

「佳ちゃん、小学校の頃からずっと体育の優等生だったのよ。……確か、運動会のリレー競技で、最下位から一位まで一気にごぼう抜きしちゃったこともあったっけ?」

 

「そんなこともありましたねぇ」

 

 何なら今でも、足の速さに関しては女子で一番。走り込みで計れたのは体力ですが、実際そっちだって男子にも負けてはいません。

 その証明として、ほとんど乱れていない私の息遣い。合わさって事実の信用は増し、結果それは風丸さんにライバル心みたいなものを抱かせてしまったようでした。

 

「へえ……すごいな。なあ米田、俺と勝負してみないか? 百メートルくらいで一回」

 

「いいですよ。でも……」

 

 見上げる夕暮れ空。かけっこ勝負でも何でも構いませんが、しかし今日はなしです。

 

「もうそろそろ帰らないと。それに皆さんももう動けなさそうですし、今日の練習はここまでってことにしちゃいません?」

 

「……まあ、そうね。もういい時間だし」

 

 学校の大時計を見やって、秋さんも頷きました。さらに見渡せば、他の部活動の方々も片付けの時間に入っています。

 彼ら同様、私も日が沈むまでの居残り練習なんてやりたくありません。なので今から走る気満々の様子であった風丸さんには悪いですが諦めてもらって、余計な引き止めが出て来る前にさっさと彼らに背を向けます。

 

「じゃあそういうことで、お疲れ様でした!」

 

「……わかった、また明日な」

 

「う、うん。お疲れ様」

 

「おつかれー」

 

 ボールなんかの道具を使ったわけでもないので片付けの時間はなく、部室の戸締りなんかは秋さんがやってくれるはずなので、後はいつも通り空き教室で着替えてそのまま帰宅するのみです。渋々といったふうな風丸さんと、秋さんにマックスさんへ、お別れの挨拶的に手を振ります。

 

 すっきり気持ちのいい練習の終わりの風景です。がしかし、そのわきに転がる死屍累々の現状。

 ほとんどは未だ起き上がれないまま、挨拶をする余裕すらないようです。こんな人が大多数の、雷門サッカー部。

 

(……前途多難、ですねぇ)

 

 果たして彼らが試合で役目を全うできるようになる日は来るのでしょうか。ちょっとだけ不安になりながら、私は着替えるために校舎へと向かいました。

 

 

 

 

 

 そうして通学鞄を持っての帰り道、空き教室では誰が来るかわからないので着替えは急ぎにならざるを得ず、制服が汗で引っ付いてしまって気持ち悪く感じていた頃でした。

 

(シャワー室なんて贅沢は言いませんから、やっぱりせめて更衣室くらいは欲しいです……)

 

 そんなことを考えながら渡っていた鉄橋、以前に小学生と練習をした河川敷のグラウンドをなんとなしに見下ろして、私は見覚えのある姿を見付けました。

 部室を飛び出していった染岡さんと円堂さん、二人が、どうやら居残り練習をしているようです。

 

(……よくやりますねぇ、もう時間も遅いのに)

 

 しかもやっているのが、染岡さんのシュート練習という点。円堂さんのキーパーとしての練習にもなっているので無駄とは言いませんが、しかし染岡さんの必死な顔からするに、間違いなく本人たちはシュート練習の方がメインのつもりでしょう。

 だからやっぱり、呆れと感心が合わさりため息になってしまいます。もし彼のシュートが強くなり、例えば必殺シュートを習得するまでに至ったとしても、私が点を入れる以上、それはとくべつ必要のないものです。

 しかし秋さんの言った通り、彼のプライドには“米田()にストライカーの役目を任せる”という選択肢そのものからしてないのでしょう。であれば私も、もうこれ以上何かを言うだけ無駄というもの、なのかもしれません。

 

 染岡さんが自分のシュートを私や豪炎寺さんのそれと比べて下だと落ち込む、私に言わせれば当たり前だというような声が聞こえてきましたが、無視して通り過ぎようとしました。

 が、それに対する円堂さんの声が、ふと私の心に引っ掛かったのです。

 

「諦めるな染岡! ベータのシュートがすごいからって、あいつ一人に全部任せてしまったらサッカーなんてできないぞ! そうだろう!?」

 

「ッ……!」

 

 激励の言葉でしょう。くじけかけた染岡さんを奮い立たせるための、円堂さんらしい熱血です。

 しかしその言葉の字面は、つまるところ私に頼ってはいけないということ。うがった見方をすれば、私の力では雷門サッカー部を勝たせることはできないということです。

 もちろん円堂さんにそんなことを言った気はないはずです。本当にそう思っているなら帝国との試合の時、『任せろ』なんて言うはずがありません。が――

 

「……なんか、モヤモヤします」

 

 なんだか仲間外れにでもされている気分。一度そう思ってしまうと、心の感覚はなかなか消えてくれません。我ながら繊細過ぎると思いつつも仕方なく抱えたまま、私は背後で再開された練習の音に聞こえないふりをして再び歩を進めました。

 

 その一歩目を踏み出して、ふと正面。鉄橋の端っこに、人影があったことに気が付きました。

 私と同じく下校途中らしい豪炎寺さんでした。彼もまた円堂さんたちの練習を見物していたようで、そして同時に、私の存在には気が付いていないようです。じっとグラウンドを見下ろして、きっと彼も円堂さんたちの練習風景に気を取られているのでしょう。

 

(……しかしどうしてここに……通学路、私と同じなんでしょうか?)

 

 その背に挨拶をと、私の社交性が声を掛けようとしましたが、直前、声を出せば豪炎寺さんだけでなく円堂さんたちにも見つかってしまうことに気が付きました。気付かれたところで別になんということはありませんが、変なことを考えてしまったためになんとなく気まずかったのです。

 しかし慌てて口を塞いだその直後、まるで見計らったかのようなタイミングで、豪炎寺さんが欄干から手を離しました。思わず身体が跳ねましたが、どうやら私の存在に気付いたわけではないようで、彼はそのまま私の方に背を向けて、グラウンドの反対側の土手道を歩いて行ってしまいました。

 

 橋に一人取り残された私。ちらっと見やれば円堂さんたちは何も気付くことなく練習を続けているようでとりあえずは一安心ですが、しかしそうして身体の緊張が解けたことで、今度はまた向ける先のないモヤモヤが心へと戻ってきてしまいます。

 が、ふと思い至りました。

 

「……そうだ、豪炎寺さん」

 

 行き場のない感情の発散先。入部を決めた私に対して固辞した彼が言ったその理由、『サッカーはもうやめた』の一点張りは、思えばなんだか納得しがたい話です。

 

「なら、ちゃんと答えるまで聞いちゃえばいい話ですよね」

 

 そうと決まれば思う存分詰ってやるべしです。憂さ晴らしに。

 私は豪炎寺さんを追いかけました。

 

 走っていたわけでもないので、豪炎寺さんにはすぐに追いつきました。足音に気付いたようで、振り返った彼は「お前……」と驚いた様子になって、直後すぐに私の表情を認めて渋顔になってしまいました。そんな彼に、嗜虐心を以って言います。

 

「豪炎寺さん、どうしてサッカーをやめちゃったんですか?」

 

「……なんだっていいだろう。なぜ今更そんなことを聞くんだ」

 

 一瞬立ち止まったものの、その質問に答える気はないと言わんばかりに再び歩を進める豪炎寺さん。わかっていた反応なので素直に後ろを追って歩きつつ、さらに続けて投げかけます。

 

「だって不思議です。円堂さんと染岡さんの練習、あんなに真剣に見てたじゃないですか」

 

「! ……お前も見ていたのか」

 

「ええ。私みたいにサッカーに興味がなくなったわけでもないし、それにあれだけ動けるのなら怪我とかでもないでしょう? なら、なぜ『サッカーはもうやめた』なんて言っちゃうのかしら」

 

「………」

 

 答えは完全な無視。私とは目も合わさず、黙って歩き続ける豪炎寺さんの足は徐々に速くなっていきます。それはつまり、私を振り切りたいという心の表れ。反論の言葉がないということです。

 そんな態度を見せられてしまえば、私だってもう後には引けません。というか引きたくありません。豪炎寺さんの速足は私の家から離れていくばかりなので帰宅も遅くなってしまいそうですが、もうそんなことよりこっちです。

 

 結局ひたすら豪炎寺さんの言葉を待って追いかけて、数十分も歩いてしまいました。



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第八話 豪炎寺 修也

 数十分も連れまわされて――私が勝手に豪炎寺さんについて行っているわけですが――おかげでたどり着いてしまった大通り、学校近くまで逆戻りする羽目になってしまい、夕日に代わって街頭の灯りが目立っているような時間帯。

 そんな頃になって、ようやく私は根競べに勝ちました。

 

「……はぁ。本当に、いつまでついてくる気だ米田」

 

「いつまでも。理由を話してくれるまでずっとストーキングしちゃいますよ? ……だってサッカーやめちゃった理由、私はちゃんと本心で話したのに豪炎寺さんは誤魔化したままって、そんなのずるいと思いません?」

 

「………」

 

 ぶっちゃけ本心といっても話した内容は豪炎寺さんと似たり寄ったりのあやふや理由なのですが、しかしいかにも真剣なふうに言ってやれば幾らかは攻撃力を持ってくれたようです。再び豪炎寺さんは押し黙り、歩き続けます。

 そして日が沈み切り、冷える空気と減る光量にさすがに色々と心配になってきた頃でした。

 

「……豪炎寺さん?」

 

 豪炎寺さんがふと立ち止まりました。背中にぶつかりそうでしたが踏み止まって顔を覗き込み、その視線の先を一緒になって見上げました。

 病院です。まさか私の見立て違いで本当に怪我しているのでは、と一瞬思いましたが、どうやら診察を受けに来たわけではないようです。

 

「……わかった。そこまで知りたいのなら、教える。家までついてこられたら、たまったものじゃないからな」

 

「私も豪炎寺さん家まで行かずに済んでよかったです」

 

 これ以上連れまわされていれば、時間的にも土地勘的にも家に帰れなくなってたかもしれないので。

 という言葉は呑み込んでおくことにして、私は豪炎寺さんに続いて病院の中に入りました。

 

 受付での手続きの会話を聞く限り、やはり豪炎寺さんに怪我はなく、目的はどうやらお見舞いであるようでした。そしてその名前、同じ豪炎寺の名字を持っていて、しかも受付の看護師さんの様子から豪炎寺さんもかなり頻繁にお見舞いに訪れているという感じです。さすがにこんな遅い時間で、おまけに人と一緒というのはというのは珍しかったようですが。

 ともかくそこまで知れば、入院しているのが豪炎寺さんにとってどういう人なのか、簡単に予想が付きました。

 

「……妹の夕香だ」

 

 案内された病室で眠っていたのは、小さな女の子でした。目立った傷もなく、点滴が繋がれている以外はほんとうにただ眠っているだけのように見えましたが、しかしだからこそ感じる異様な雰囲気。

 

「もうずっと、眠り続けている」

 

「それは……事故か何か、ですか?」

 

「ああ。俺が一年の頃、フットボールフロンティア決勝戦の直前に、な」

 

 それからずっと昏睡状態だということです。そんな妹を見つめる豪炎寺さんの眼は、いつかの時と同じ、深い後悔に塗れていました。

 

「試合、楽しみにしていたんだ。必ず応援に行くからかっこいいシュートを打って勝てって、笑っていた。……なのに、スタジアムに向かう道中で……」

 

「……事故に遭ったと。つまり豪炎寺さんがサッカーをしないのは、妹さんのためってことですか」

 

「ああ……。夕香が事故に遭ったのは、俺がサッカーをしていたせいだ。夕香がこれだけ苦しんでいるのに、俺だけのうのうとサッカーをするわけにはいかない……。そうだろう……?」

 

 豪炎寺さんがサッカーをしていなければ、夕香さんが応援のためにスタジアムに行くようなことはなく、事故に遭うこともなかった。彼が言っているのはそういうこと。

 確かにサッカーから遠ざかるには納得の理由でしょう。あれだけ頑ななのも、自身ではなく妹さんが関わるとなれば理解できます。それだけの、悲劇的な事件です。

 

 ですが、しかし――

 

「くだらないですね」

 

 それがサッカーをしない理由なら、私の“サッカーに飽きた”とどっこいどっこいと言わざるをえません。

 故に出てしまった一言。豪炎寺さんは一瞬私の言ったことを理解できなかったようでぽかんと呆けていましたが、すぐに我を取り戻し、理解した言葉に対して表情に怒りがせり上がってきます。

 

「お前……」

 

「ああ待ってください。『くだらない』っていっても、それは夕香さんの事故のことじゃないです。それを豪炎寺さんが“サッカーをしない理由”にしちゃってることですよ」

 

 しかし豪炎寺さんの怒りが頭まで上ってしまう前に付け加え、止めました。そもそも私は別に豪炎寺さんの事情が聞きたかったわけではないのですが、だとしても、そう思います。彼の後悔は、ただただ『くだらない』ものでしかありません。

 

「だってほら、夕香のためにって言っちゃってますけど……豪炎寺さんがサッカーをするのを一番望んでいたのは、他でもない夕香さんじゃないですか」

 

 だって第一、その“サッカーをしない理由”は理由にすらなっていないのです。

 

「ッ……!!」

 

 気付かなかった、というよりは気付きたくなかったんでしょう。息を呑み目を見張る豪炎寺さんへ、続けて私はそのことを突きつけます。

 

「いいですか? 夕香さんが事故に遭ったのは豪炎寺さんじゃなくて事故を起こした人のせいですし、自分のせいでお兄さんがサッカーをやめたと知ったら、悲しむのは夕香さんです。『自分のせいで~』なんていうのはその実、豪炎寺さんは夕香さんの事故を乗り越えられていないだけ……罪悪感から逃れるために、ただ言い訳してるだけでしょう?」

 

「言い訳……?」

 

「ええ、だから『サッカーはもうやめた』、なんじゃないんですか?」

 

 『もうやりたくない』ではないのです。やめただけであるのなら、まだどこかにサッカーをする意思はある、ということ。私のように。

 

「だからあなたはあの時、ユニフォームを着て私たちと戦った。心のどこかではサッカーがしたいって思っていたから、楽しんでたから、あんなシュートが打てたんです。そうでしょう?」

 

「サッカーが……いや、俺は……あの時……」

 

 なんだというんでしょう。そこまで自分の本心を認めたくないのか、俯き顔を反らしてしまう豪炎寺さん。

 しかし私の推察が正しい証拠は山のようにあり、見せつけた今、いつまでも見ないふりなど続くはずがありません。つまりあともう一押し、論破も目前であり、故に私は一つ切り札を切りました。

 

「私も……楽しかったんですけどね。豪炎寺さんとのサッカー」

 

 しおらしく小首をかしげる動作付きで。

 客観的にも美少女と言って差し支えない容姿の私ですから、きっと随分絵になる光景であったでしょう。豪炎寺さんもちゃんとイケメンの部類ですし。

 

 いえまあ豪炎寺さんの顔立ち等々はともかくとして、彼はこんなことを言われて「違う」と大声を出せるタイプではないはずです。なし崩し的に認めざるを得ないだろうとが策して、そして凡そその通りになりました。

 

「……楽しかった、か。そうか……」

 

 僅かに覗く笑み。これはもう認めたも同然でしょう。硬かったサッカーをしないという意志、私はそれを見事に言い負かしてやったのです。

 なのでもう、染岡さんの件の憂さ晴らしはそれで十分満足。後は適当に煽っておきます。

 

「とまあそんなこと言っちゃいましたけど、別に私はサッカー部に入れって言うつもりはないですよ?」

 

「……なんだ、そうなのか? 俺はてっきり……」

 

「ええ。ストライカーは私一人で足りちゃってますから」

 

 お前みたいなヘボはいらない。そんなふうに聞こえたら、あるいは反骨心を刺激できたかもしれません。そして巡って入部まで決意してくれるなら、走り込みでダウンしてしまうようなサッカー部が少しはマシなものになるでしょう。一ポジションでも一流選手に塗り替えれれば、レッテルと一緒に“弱小”の看板を下ろせるはずです。

 そうなればあるいは女子更衣室設置の予算くらいは、などなど雑念を抱えつつ、しかし面には出さずにニコニコ笑顔。保っていたおかげで豪炎寺さんも私の挑発を仲間同士の挑戦と捉えてくれたようで、お返しの好戦的な笑みが宿りました。

 

「ふっ……言うじゃないか。なら――」

 

 と、しかしその時、豪炎寺さんが決意表明をする前に、突然病室の戸が開きました。

 

「……修也、こんな時間にお客さんか?」

 

「っ! 父さん……」

 

 現れたのは、豪炎寺さんによく似た白衣の男性。曰く、豪炎寺さんのお父さま。

 途端に豪炎寺さんから不敵の気が失せ気まずそうになったのが気になりましたが、ひとまず意識から締め出します。

 

「初めまして。豪炎寺さん……じゃなくて、修也さんのお友達の米田です。修也さんの妹さんが入院なさっていると耳にして、お見舞いがしたくて無理矢理押しかけてしまったんです。ご迷惑でしたらごめんなさい」

 

 大事な娘さんの病室に他人を入れてしまった豪炎寺さんをフォローしつつ、先んじて頭を下げられてしまえば怒れる人など皆無です。

 豪炎寺さんの様子から厳しい方なのかなと思った故のことでしたが、どうやら非情というほどではないようで、彼はしばらく黙って私を見つめた後、静かに頷き言いました。

 

「そうか……。いや、ありがとう。私たち以外に見舞いに来る人間などいないからな。賑やかなほうが夕香も喜ぶだろう。修也共々、これからも仲良くしてやってくれると嬉しい」

 

「……はい、もちろんです」

 

 妙に歓迎されてしまいましたが、まあちょっと激しめの社交辞令でしょう。親子らしく表情の硬いお父さまに、私は笑顔で応じます。

 そしてちらりと一瞬、窓へと視線を向けました。外はもう随分暗くなっており、そろそろ家路につかなければ本格的に帰れなくなってしまうかもしれない頃合い。用事(・・)のほうも済みましたし、お暇させていただくことに決めます。

 

「……もう結構な時間になっちゃいましたね。私、そろそろ帰らなきゃ。今日は無理を言ってしまってごめんなさい、修也さん」

 

「い、いや……」

 

「待ちなさい。……こんなにも暗い中、女の子を一人で帰らせるわけにもいくまい。修也、途中まででも送ってあげなさい」

 

「いえいえ、大丈夫です。家はそこそこ近いので」

 

 たぶん私の猫かぶりに動揺しているのだろう豪炎寺さんですが、お父さまに言いつけられて気を取り戻したようです。机に立てかけられていた鞄を手に取りました。

 

「……父さんはまだ仕事があるし、どのみち俺も歩いて帰るんだ。道は幾らかは一緒だろう」

 

「んー、それもそうですね。じゃあ途中まで」

 

 少しだけもったいぶって頷いて、それから先に病室の戸へ。

 

「それでは、お邪魔しました。またね、夕香ちゃん」

 

 挨拶をしてから、戸を引き開けました。

 

 が正面、開けたスライド式扉の先にあったのは廊下の風景ではなく、松葉杖をついた一人の男の子の肩でした。

 

「きゃっ!」

 

「うわぁっ!」

 

 たぶんちょうど戸に寄りかかっていたのでしょう。男の子がバランスを崩してこちらへ傾いてきました。受け止めて、辛うじて倒れずに支えることに成功しましたがしかし、突然のことで心臓がどきどき鳴ってしまいます。

 なにせ松葉杖。脚の包帯からしても、彼は明らかに怪我人だったのです。

 

「ご、ごめんよ! 大丈夫だったかい!?」

 

「え、ええ、私は平気です。……というか、あなたの方こそ大丈夫でしたか……?」

 

「ああ、俺は大丈夫。ありがとう、支えてくれて!」

 

 顔に汗はかいていますが、どうやら怪我をした、あるいは悪化してしまったということはなさそうです。安堵に胸をなでおろしていると、背後から豪炎寺さんのお父さまが顔を出しました。

 

「君は……確かリハビリ中の子だったか。無理をして歩いては治るものも治らなくなるぞ」

 

「……すみません先生。もう少しで完治できるって思ったら、いてもたってもいられなくて……。部屋に戻ります……」

 

 察するに、病院が定めた以上にリハビリに励もうとしたのでしょう。しかしとはいえあわやという事態に遭遇し、お医者さんであるお父さまの眼光を浴びればその元気も失せたようで、私たちにも会釈をした後、彼は脚を庇いつつトボトボと去っていきました。

 

 その後姿と身の内の安堵に、私はふと思います。

 豪炎寺さんも、もしやこんな気持ちだったのではないでしょうか。いえ、彼の場合では実際に夕香さんを昏睡状態にしてしまった――少なくとも彼はそう思ってしまったわけですから、私と違って安堵なんかなかったでしょう。

 もしさっきの男の子が私のせいで足の怪我を悪化させてしまったとしたら、その時私は果たして、自分を責めずにいられるでしょうか。そう考えれば病室でのあの詰問、夕香さんの気持ちを語るなんて無責任だったかもしれません。

 しかし言ってしまったものはもはや取り消すことなどできず、私は豪炎寺さんとの家路の道中、分かれるまで少し気まずい思いをする羽目になったのでした。

 

 

 

 

 

 翌日。私はちょっとだけ気落ちを引きずりつつも昨日のように走り込みをと思っていたのですが、しかし秋さんから話があるということで、ひとまず私たちは学校ではなく河川敷のグラウンドに集合していました。

 そこには先に来ていたらしい円堂さんと染岡さんの姿がありました。昨日見たので何をしていたのかはわかりますが、しかし他の皆さんにとっては謎です。あるいは二人してサボってたのでは、なんて疑念が生じてもおかしくないので、それを言い訳にして、私はしゃべります。

 

「お疲れ様です染岡さん。今日も必殺技の特訓お疲れ様でした。あとどれくらいで完成できちゃいそうですか?」

 

「なっ……て、てめぇ、何で知ってやがんだ!?」

 

「必殺技!? 本当か染岡!?」

 

「どんな技なんスか!? 見てみたいッス!」

 

 バラされてしまったことへの怒り。困惑と混じって私へ向けられたそれですが、湧いた皆さんのおかげで押し流されてしまいました。

 そして響いた壁山さんの開示要求ですが、受けてたちまち苦い顔になってしまった染岡さんを見るに、まだ完成はしていないようです。それも当然、一日や二日で必殺技なんて編み出せるはずがありません。

 が、当然だとしても周囲の皆さんには必殺技習得の大変さなど知りえぬこと。おかげで皆さん「あっ(察し)」状態で、それを向けられる染岡さんもいたたまれなさそうです。恨みがましい視線を私に向けてきます。

 満足です。そして、そんなことよりも、です。

 

「お知らせがあるんでしょう? 染岡さんなんかより、早くそっちの話をしちゃいましょうよ」

 

「おっ、俺なんかだと!?」

 

「まあまあ染岡。実際、話をするってことでみんなを集めたわけだからさ……」

 

「そうですそうです。で、それって――」

 

 いじられ慣れて過敏に反応してしまう染岡さんを宥める円堂さんに同意を示し、染岡さん(おもちゃ)は一旦静かにさせてから、

 

「あっちの音無さんに関係してることなんですか?」

 

 秋さんの隣のもう一人の女生徒、帝国戦の時にもいた、確か新聞部であるはずの彼女へと眼を向け聞きました。

 

「そうなんです! 音無 春奈、今日から雷門サッカー部のマネージャーやりますっ! よろしくお願いしますっ!」

 

 それに対して彼女は、元気な笑顔でそう言いました。

 部員の皆さんの半分くらいは以前のように取材に来たんだろうと気にしていなかったようで、意外そうな表情。しかし私は以前から何となく、こうなりそうだなぁという気がしていました。

 なにせ帝国戦の時は帝国選手のデータをわざわざ調べ、その後もベンチで観戦するような入れ込み具合。サッカーが好きとか、そういう好悪以上の並々ならぬものすら感じられるほど、その興味の度合いは明らかに部の取材の範疇を外れたものだったのです。

 

「私、皆さんのファンになっちゃったんです! 一生懸命戦う皆さんの姿が、もうかっこよくって……! 特に米田先輩、男子の中であんな活躍ができるの、本当に尊敬です!」

 

「そう? ありがとう」

 

 相変わらず音無の名前に見合わぬ口数ですが、褒められて悪い気はしません。代わりに染岡さんの顔の不愉快度がまた上がってしまうも、もはや皆さんガン無視して話は進みます。

 

「そういうわけで、マネージャーが私と音無さんの二人になった、っていうのが一つ目のお知らせね」

 

「一つ目? 他にもあるのか?」

 

「うん、全部で三つ。ほんとに、立て続けに色々あって疲れちゃうわ」

 

 なんて風丸さんに答えながら、しかし秋さんはごきげんな様子です。どうやらどれもいいニュースである様子。

 もしかして、と思う事柄は音無さんの他にもう一つ思いつきましたが、今言っても話の腰を折るだけでしょう。空気を読んで少しの間黙っておくことにします。

 その内にニュースの二つ目と、秋さんは指を二本立てて続けました。

 

「お知らせ二つ目、なんと次の練習試合が決定しました!」

 

「し、試合でやんすか!? 夢みたいでやんす……! この間の帝国戦が初めてだったのに、こんなに早く次の試合ができるなんて……!」

 

「相手は!? 相手はどこの学校なんですか!?」

 

 慌てふためく栗松さんと少林さん。 答えたのは秋さんではなく円堂さんでした。

 

「尾刈斗中だ! ……といっても、どういうチームなのかはわからないけど……」

 

「尾刈斗中……キャプテン、私、わかります! 試合すると呪われるって、噂の学校ですよ……!」

 

「呪い……?」

 

 眉を寄せる風丸さん。校名の通りオカルトですが、とはいえ音無さんの情報にも噂以上のことは載っていないようで、詳細は不明。ビビりの壁山さん以外は半信半疑に首を傾げました。

 

「対戦相手の選手が急にお腹が痛くなったりだとか、ゴールが決まりそうになると突然突風が吹いてボールが外れてしまうとか……確かそんな感じの噂です!」

 

「突風ねぇ……偶然だろ。ハライタだって、どうせ試合前に変なものでも食べてたのさ」

 

「でっ、でもどうするんスか? 本当に呪いだったら、俺たちも……!」

 

「考えても仕方ないさ! とにかく今は試合ができることを喜ぼうぜ! それに……ニュースはまだあと一つある!」

 

 呆れる半田さんと一緒に壁山さんの怯えを払い除け、円堂さんが立てる最後の指一本。秋さんと同様にお知らせの内容を知っている彼は、その時、一層嬉しそうな顔になりました。

 それほどの喜びを生じさせる出来事。私の予想はやはり正しかったようです。

 

「みんな驚くぞ……! 来てくれ!」

 

「えっ……! ま、まさか……!」

 

「わぁ……! これで怖いものなしの最強チームだ!」

 

 円堂さんの声に河川敷の階段を下りてきた、昨日私が焚き付けた白髪ツンツン頭の姿。目にして皆さん喜びの声を上げる中、染岡さんだけが忌々しげに、その名前を呼びました。

 

「豪炎寺……っ!」

 

 言い過ぎだったと思った昨日の言葉は、しかし正しく豪炎寺さんの心を動かしていたようでした。

 現れた彼の眼は、まっすぐに私へと向いています。病室で見た後悔はもうそこになく、ただ決意の眼差し。まるでそれを表明するように、彼は堂々言いました。

 

「ベータ。俺、やるよ、サッカー」

 

「そうですか、そう決めてくれたのなら私も嬉し――あれ……? 今もしかして、ベータって言っちゃってませんでした……?」

 

 確かに豪炎寺さんの口からその文字列が聞こえたような。

 一瞬にして諸々の感動が消し飛ばされてしまいましたが、しかし当の豪炎寺さんはまるで気にした様子を見せず、次に私から円堂さんたちへ。

 

「一度はやらないと言ったが、撤回する。円堂、俺をお前のチームに入れてくれ」

 

「ああ、もちろん! 大歓迎だよ!!」

 

 円堂さんのみならず、私と染岡さん以外の部員全員から熱烈な歓迎。それで豪炎寺さんだけでなく皆さんのやる気も存分に盛り上げられたようで、そのままなし崩し的に始まってしまった練習は、昨日のそれよりずっと激しいものになりました。




豪炎寺父「息子が彼女連れてきた…?」

なお本作に恋愛要素はありません。(青春要素がないとは言わない)


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第九話 負けられない試合

 そうして連日の練習をやり遂げて、気付けば早くも尾刈斗中との練習試合当日。

 部室でのミーティングを終えた私たちは、皆で話しつつフィールドへと向かっていました。

 

「……今日のフォーメーション、4-3-3ですか。攻撃面の強化はいいですけど、やっぱり守備が不安になっちゃいますね」

 

「ああ。ミッドフィールダーを三人に減らすとなれば、当然中盤の層が薄くなる。そこを突かれると厄介だぞ、円堂」

 

「でもせっかくストライカーが三人になったんだから、活用しない手はないだろ? ……大丈夫さ! 今日のために壁山たちも必死に練習してきたし、俺だって染岡との特訓で【ゴッドハンド】を完全にものにした自信がある!」

 

「特訓、ねぇ……。じゃあまた聞いちゃいますけど、結局、染岡さんの必殺技って完成できたんですか? ずぅっと二人で居残り練習続けてたみたいですけど」

 

 という戦略についての雑談の中、ふと思い出した私はちょっと後ろを歩く染岡さんに話を振ります。

 彼の必殺技の特訓、最初にその練習風景を見たのは偶然ですし、尾刈斗戦へ向けた練習が始まった日からは一度も目にしていません。皆さん集まっての練習でもお披露目されることはなかったので、その進捗は染岡さん本人か、練習相手をしている円堂さんしか知らないわけです。

 

 故にあえて染岡さんへ質問の言葉を投げかけました。もしこれで完成していなかったら、それを自ら口にする染岡さんはいったいどんな表情を見せてくれるのでしょう。

 とそんな感じの、前回同様のちょっとした揶揄いでしたが、しかしどうやら私の期待は今度こそ外れていたようです。振り向き見やった染岡さんは全く憤った様子もなく、私と豪炎寺さんへ静かな闘志を燃やしていました。

 

「……俺はお前たちとは違う、染岡 竜吾のサッカーをするだけだ。それがすごいかどうか、知りたけりゃ黙って俺にボールをよこせばいい」

 

「あらま自信満々って感じ。ということは、ちゃんと完成させられたんですね、必殺技」

 

「当たり前だ! お前らには負けてねぇ……俺は雷門の、エースストライカーだからな……!」

 

「エースストライカーか……ふっ、言うじゃないか」

 

「お前たちがどれだけすごくても、雷門のエースストライカーの座は絶対譲らねぇ!」

 

 豪炎寺さんの不敵にも不敵で返せるその度胸。もしかしたら必殺技習得に際して考え方でも変わったのかもしれません。口にしたその単語に以前のような淀みはなく、本当に確固たる自信を付けてしまったふうな感じです。

 それとも習得した必殺技がそれほどすごいものなのか。であるなら、今日の試合くらい花を持たせてあげるのもいいかもしれません。

 そう思って、言いました。

 

「いいですね。じゃあお望み通り、今日は私、シュートは任せちゃおうかしら。豪炎寺さんもいることですし」

 

「へっ、別にいいぜ俺は。前の試合みたいにサボってても許してやるよ」

 

「おいおい、ばか言うなよ。サッカーはみんなで戦うスポーツなんだぞ?」

 

 冗談半分のやり取りを本気にしてしまったのか、やたらと真剣な目つきで割って入る円堂さん。なぜだか同じく眉を寄せている豪炎寺さん含め、ピンチになったらちゃんとやりますよと笑って流そうとした、その時でした。

 

「おしゃべりだなんて、随分余裕なのね」

 

 代わりに今度は見知らぬ女生徒――もとい、雷門 夏未さんが話に割り込んできました。

 かつて帝国学園に敗北した場合のペナルティーとしてサッカー部の廃部を要求してきた、あの人です。お付きの執事の男性と共に木陰に佇み、こちらを見て含み笑いを浮かべています。

 

 明らかに私たちを待ち構えていた格好ですし、何か悪いことでも考えていそうな表情です。私はもちろん豪炎寺さんや染岡さん、他のチームメイトの皆さんも気付くくらいのものでしたが、しかし未だに“ベータ”呼びが治らないくらいにおバカな円堂さんは気付かず、彼女に手を振っていました。

 

「お、雷門! 試合を見に来たのか?」

 

「そんなわけがないでしょう? 私はあなたたちと違って忙しいの。サッカーの観戦なんかに割く時間はないわ」

 

「……ならなんで来たんだ? まさか、また負けたら廃部、なんて言うんじゃないよな……?」

 

 恐る恐る尋ねる風丸さんが口にした質問は、円堂さん以外のみんなが雷門さんの登場に想像し、畏れた事態。斯くして彼女は――

 

「ええ、そうよ」

 

 頷きました。しかし、どうやら芸もなしにサッカー部を脅しに来たわけではないようで、全員が肩を落とす前に「ただし」と続けます。

 

「あなたたち、フットボールフロンティアに出たいのでしょう? だから負ければ廃部にするその代わりに、もしこの試合に勝利できれば出場するための手続きや費用は学校側で処理してあげる。あなたたちにとっても悪くない提案だと思うけれど?」

 

「えっ……ふ、フットボールフロンティア!?」

 

 一瞬呆け、それからその単語に飛びつく円堂さん。そういえば帝国戦の時にも出場するんだと意気込んでいましたし、相当焦がれていたんでしょう。

 対して私は彼ほど大会に思い入れがあるわけではないのでそこまでですが、全国大会に出られるというのならもちろん嬉しくはあります。そして他の皆さんの喜び具合も私より一段上。円堂さんに続いて雷門さんの言葉を認識し、一気に盛り上がりました。

 

「ほ、本当か!? 本当に俺たち、フットボールフロンティアに!?」

 

「出場できるってのか!?」

 

「ええ、二言はないわ。ただし言った通り、この試合に勝てればだけれど」

 

「勝てればフットボールフロンティア……お、音無さん! 言質! 言質取って!」

 

「は、はい取りました! しっかり! 一言一句余さず!」

 

 半田さんと染岡さん、秋さんまでもが異様な興奮具合で、それに引っ張られて音無さんまでなんだかおかしなことになっていますが、まあよしです。提案自体にはこの場の誰も文句なんてないのですから。

 

「行ける……行けますよキャプテン! 今の俺たちなら……!」

 

「もちろん、勝てるでやんすよ! 勝って、フットボールフロンティアで試合でやんす!」

 

「そうだよ! 米田さんと豪炎寺さんが揃ってるんだから、もう勝ったも同然だ!」

 

 私と豪炎寺さんの入部。私たちがいるからこそ皆さん雷門さんの提案に文句の類がなく、驕りにも似た自信を溢れさせています。しかしそれは当然のことでしょう。だって事実、このチームが負けるわけがありません。

 何しろ私がいるのですから。

 

「……ああ、だけどな、みんな――」

 

 栗松さんと少林さんの言葉に全面同意な皆さんでしたが、さすがに油断が過ぎると思ったのか、円堂さんがまた表情を真剣にして釘を刺そうと紡ぎかけた台詞。

 それに、いかにも嘲弄の混じった大人の男性の嘲り声が、突然割って入ってきたのでした。

 

「『勝ったも同然』、ときましたか。くくく……さすが豪炎寺くんに米田くん。試合が実に楽しみですねぇ」

 

「あら、あなたは……」

 

 目の下にアイブラックみたいな模様の入ったやせ型の人です。雷門さんに向き直られて、彼は気取ったふうに恭しく頭を下げました。

 

「初めまして雷門 夏未さん。尾刈斗中学サッカー部監督、地木流 灰人です。この度は我々との練習試合の申し出を受けてくださり、ありがとうございます」

 

「それはどうも。けれど私は別にサッカー部の関係者ではありませんの。ご挨拶なら私より、彼らの顧問兼監督である冬海先生になさってはいかが?」

 

「彼とはもう話をしましたよ。いやはや、サッカーの指導者としても素晴らしい先生でしたねぇ。生徒を信じてすべてを任せる、ああも生徒を信頼している方を、私は見たことがない!」

 

 実際冬海先生の放任主義は、サッカーに興味などなく渋々顧問と監督の座に付いている故の単なる放置でしかありませんが、たぶん尾刈斗の監督さんはわかって言っているのでしょう。怖いものなしに堂々皮肉を言って、それはさらに私たち、というか私と豪炎寺さんの二人だけへ向きました。

 

「あの帝国にも勝つことができたのも、その成果なんでしょうねぇ。シュートの映像を見ましたが、いやはやお見事でしたよ豪炎寺くんに米田くん。今日はぜひとも、よろしくお願いしますね」

 

「………」

 

「……ええ、こちらこそよろしくお願いします」

 

 黙り込んでしまう豪炎寺さんに代わって私が愛想を振りまきますが、しかし彼が無言になってしまった理由は私にもわかります。他のチームメイトの皆さんなんかはより一層理解できたでしょう。明らかにこの監督さんは、私と豪炎寺さん以外、眼中にありません。

 少なくともそう振舞っており、となれば当然、我がチーム内からは憤りの声が漏れ出します。

 

「……なんだよあいつ。雷門は米田や豪炎寺だけじゃない、俺たちだっているってのに……」

 

「そうですよ、まるで俺たちなんていてもいなくても関係ないみたいな……なんなんですか、あの態度……!」

 

 小声でぼそぼそと言い合う、半田さんと宍戸さん。私の背の向こうでの会話でしたが、しかし監督さんは耳聡く聞きつけ、嘲りを剥き出しにしてきました。

 

「ええ、ええ。その通りですよ。豪炎寺くんと米田くん以外の選手など、はっきり言って興味はありませんとも。私たちは豪炎寺くんと米田くんの二人と戦ってみたいから、練習試合を申し込んだんですよ?」

 

「な、なんだと……!?」

 

 簡単に皆さん燃え上がってしまったようですが、しかしその怒りと同様に、監督さんの言っていることも私にとっては理解のできる範疇です。実際帝国戦で戦力になっていたのは私と豪炎寺さんくらい。円堂さんの存在が抜けているのは若干見る眼がないなと思いますが、しかしそれ以外の評価は妥当。弱小サッカー部の“弱小”部分に警戒の必要などないでしょう。

 

 そんな簡単にわかる理屈ですから、チームメイトの皆さんの、少なくとも大多数はもちろん監督さんの台詞の根拠がわかっているはずです。がしかし、わかっていても“弱小”でくくられるのを良しとできるはずもないので、それ故にどんどん勢いが激しくなってゆく敵意の炎。ともすれば誰が監督さんにつかみかかってしまうんじゃ、というところまで怒りの声が激しくなった時でした。

 

「落ち着けみんな! 気持ちをこんなところで吐き出す必要はない。全部試合にぶつければいい!」

 

「そうだぜ。それにあんたも、仮にもサッカー部の監督なら口じゃなくサッカーで語れよ。あんたが米田や豪炎寺と戦えるって思ってるサッカー部と一緒に」

 

 表情はムッとしながらも、我らがキャプテン円堂さん。しかし彼だけでなく、ともすれば彼よりも冷めているくらいに冷静に、染岡さんが皆さんの憤りを制しました。

 あんなことを言われては彼が最も怒りそうなものですが……どうやら彼の精神的成長は中々のものであるようです。

 

「……それをぶっ倒して、俺たちの力を証明してやるよ!!! 絶対そのすかし面に吠え面かかせてやるからな!!!」

 

 やっぱりそんなことないかもしれません。というかさっきの冷静自体が怒りのあまりに一周回って、というやつだったのでしょう。いわばあれは水蒸気状態で、そこから沸点を超えたくらいにまで温度が下がると途端に怒声が表に飛び出し、それは俄然監督さんを調子付かせてしまいます。

 

「おお、怖い怖い。どうやら歓迎はしていただけないようなので、私はそろそろ失礼させていただくとしますよ。……それでは、試合を楽しみにしています、豪炎寺くん、米田くん」

 

 嘲笑と共に言い捨てて、監督さんはフィールドの向こう側、尾刈斗選手と思われる人たちが待つベンチへと去って行ってしまいました。

 そして当人がいなくなってしまえば、大人の手前諸々と我慢していた秋さんたちの枷すら解け、皆さん言いたい放題です。

 

「何よあの人! ひどい!」

 

「サイテーです! あんな人が監督だなんて!」

 

「ふんっ! 選手の程度が知れるね! もしかして、普通に戦っても俺たちには勝てないから揺さぶりに来たってことじゃないの?」

 

「そうだそうだ! 俺たちがちょっと本気を出せば、あんな奴らちょちょいのちょいでやんすよ!」

 

 挙句、そんな声まで出てくる始末。傍で聞いていた雷門さんからも、さすがに飽きれたため息が出るほどでした。

 

「……まあどうだっていいけれど、少なくとも我が校の恥になるような試合だけはしないで頂戴ね」

 

「……ああ、わかってるさ。みんなも、相手を甘く見て油断するなよ? ますますもってこの試合、負けられなくなったんだから」

 

「ふん、わかってるさ。最初っから負ける気なんてねぇから問題ねぇ。尾刈斗だか何だか知らねぇが、俺のシュートでぶち抜いてやる……!!」

 

 円堂さんに続いて染岡さんも、唸るように戦意を吐き出します。それをまとめて、円堂さんが皆さんのやる気に変えます。

 

「よし。尾刈斗に俺たち雷門サッカー部の強さ、見せつけてやろうぜ! みんな……行くぞ!!」

 

 「おう!」と二度目の、しかしより強い意志が皆さんから響きました。



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第十話 尾刈斗の呪い

「えー、僕また控え? あれだけ練習頑張ったのに……酷いと思うなぁ」

 

「逃げ出したくせに何言ってるんだか。それにフォワード四人がスタメンってのは、さすがにバランス悪すぎでしょ」

 

「そうですよ。それに控えだって、万一の時には必要になる重要な存在……ですよね、キャプテン!」

 

「ああ、頼むぞ宍戸。目金も、準備だけはしておいてくれよ? なにせ相手は呪われるって噂のチーム……何が起こるかかわからないからな!」

 

 と、控えスタートに文句を言う目金さんを、マックスさんと、同じく控えの宍戸さんと円堂さんが宥めている間に、雷門と尾刈斗の両チームのポジショニングが終わりました。

 前回と違って本来のフォワードポジションで、チームの最前線に私含めて三人、左から順に私、染岡さん、豪炎寺さんで並ぶ陣形。どうせなら隣は豪炎寺さんの方がやりやすかったと思いますが、しかし今更言っても仕方がないことでしょう。

 

 それよりも対峙する相手選手、目の模様の眼帯やらマスクやらお札やらとオカルト感満載の彼らから意味ありげな視線を向けられるせいで、なんとなく気分が落ち着きません。

 

「……もしかして呪いってこういうことだったりしませんよね?」

 

「ああ? 何言ってんだお前」

 

 いえまあもちろんわかってます。それに彼らの見た目や雰囲気がちょっとだけ不気味だろうが、今の皆さんはやる気十分。壁山さんでもビビったりはしないでしょう。

 染岡さんにももはや臆するという感情自体がないようで、私の言葉に怪訝な顔をすると、続いて切り替わり、そこに好戦的な眼光が加わりました。

 

「そんなことより、言ったこと忘れてねぇだろうな? ……完成した俺の必殺シュート、この試合で見せてやる。だから今日のボールは全部俺に回せ!」

 

「はいはいわかってますってば。そんなに心配しなくても今日の試合は譲ってあげちゃいます。うまくいってる限りは、ちゃんとパスしてあげちゃいますから。ね、豪炎寺さん」

 

「……まあ、な」

 

 さっき話していた時と違ってなんとなく歯切れが悪いですが、しかしともかく同意を得た染岡さんは幾らか機嫌がよくなったようです。怒り狂った狂犬みたいなその顔が、闘犬くらいにはマシな感じになりました。

 今日、私と豪炎寺さんの出番が訪れるのは、この顔が負け犬になった時です。自信満々の必殺シュートが如何ほどのものなのかわかるまで、染岡さんに華を持たせてあげるとしましょう。

 そんな思惑と共に、審判が試合開始の笛を吹きました。

 

 ボールは相手側からです。一度ミッドフィールダーにボールを預けてパスを回しつつジリジリ攻める、オーソドックスな立ち上がり。付き合ってこちらもゆっくりしてあげてもいいですが、しかし見やれば染岡さんはもうすでに前へ走って行ってしまっています。

 なら仕方ありません。

 

「ボール、貰っちゃいますね……っと!」

 

「なにっ!?」

 

 軽くダッシュしてパスカット。監督さんが見たという帝国との試合ではあまり走ることもありませんでしたし、私の足の速さは把握していなかったんでしょう。あっさり奪うことに成功し、そのままドリブルで持ち込みます。

 がしかし、それでも尾刈斗が私と、そして豪炎寺さんを警戒しているのは事実。抜いてもすぐにディフェンスが集まって、前を塞がれてしまいます。右を眼をやれば豪炎寺さんもマークされていますし、彼にパスもできません。

 

「まだ試合は始まったばかり……そう簡単にシュートは打たせん……」

 

「そうですか。じゃあ、別にいいです」

 

 しかし私と豪炎寺さんに警戒が集中した分、染岡さんは完全フリー。敵ゴール前までたどり着いた彼へのパスは、私が最初からそれを狙って動いたこともあって簡単に通りました。

 

「いいぞ米田! さあ、ようやくお披露目だぜ!!」

 

「クク……無駄だ、お前程度――!?」

 

 私と豪炎寺さん以外に大した選手はいないと余裕綽々であった監督さん。その指揮を受けたホッケーマスクのキーパーさんも、相対した染岡さんに対して全く歯牙にもかけずといったふうでしたが、しかしそれ一瞬のこと。

 染岡さんが高く足を振り上げ、同時に高まる“力”を正面から浴びた彼の顔からは、マスク越しにもかかわらず明らかな驚愕が見えていました。

 

「くらえぇッ!! 【ドラゴンクラッシュ】!!」

 

 青いドラゴンの突進。染岡さんの必殺シュートはその威力をいかんなく発揮して、キーパーさんを弾き飛ばしてゴールに突き刺さりました。

 

 得点の笛が鳴り、スコアボードに記録される先制点。試合開始から僅かな間での出来事に、尾刈斗からは驚愕と戦慄、そして雷門からは大きな歓声が沸きました。

 

「やった……やったな染岡!! あれがお前のシュートなのか!!」

 

「【ドラゴンクラッシュ】……すごいシュートじゃないか、染岡!!」

 

「まさかこんなに早く先制できるなんて、夢みたいです!!」

 

 半田さんを始め、風丸さんや少林さん、皆さん集まってきました。四方から褒め称えられて染岡さんも鼻高々であるらしく、珍しい笑顔までが浮かんでいます。

 と思えばその笑顔はすぐ得意げを残して消えて、さらに私と豪炎寺さんへと向きました。

 

「見たか! 米田、豪炎寺!! これが俺の必殺シュート、【ドラゴンクラッシュ】だ!!」

 

「まあ、思ってたよりはいいシュートだと思いますよ。うん、すごいすごい」

 

「へっ、これで俺はお前らなんかに負けてねぇストライカーに……いや、俺こそが雷門のエースストライカーだッ!!」

 

「……ああ、そうだな」

 

 適当なおだてでも満足するくらいにはテンションが上がってしまっているらしく、さすがの豪炎寺さんもこれには何とも言えなさそうな表情。しかし実際、どうであれ称賛に値するシュートではあるでしょう。数日でものにしたにしては素晴らしい威力です。

 

「よくやったぞ染岡!! 練習の成果、バッチリ出てたぜ!!」

 

 と、遅れて円堂さんまでもが喜びの輪に加わって、次いで拳を高らかに突き上げ、

 

「さあみんな、この調子でガンガン点取ってくぞ!!」

 

 皆さんも、ほとんど勝鬨のようにそれに応じて拳を上げました。

 私も豪炎寺さんも、それに続きました。皆さんのように楽観的ではありませんが、しかし確かに今の攻撃で測れる相手の実力からすれば、負ける要素はないように思えたのです。

 同時に私たちの出番はないだろうという、ほとんど確信。皆さんの動きが士気向上で悪くないのも鑑みて、この試合は染岡さんたちだけでも勝てるだろうと、そう思ったのでした。

 が、しかし。

 

「……なるほど確かに、どうやら私たちは雷門サッカー部を少しばかり甘く見過ぎていたようですねぇ。口だけだと思っていましたが、まさか豪炎寺くんと米田くん以外にあんなストライカーがいるとは」

 

「監督……では、もう始めるんですか?」

 

「ええ、少しばかり早いですが――てめぇら!! 奴らに地獄を見せてやれ!!」

 

 眼帯の、恐らくキャプテンであろう尾刈斗選手に応え、試合再開と同時、温和な雰囲気から唐突に豹変した監督さんの一声によって試合の展開が変わり始めました。

 

 ボールが蹴り出され、再び後ろへ。また同じ作戦かと思い追いかけますが、ボールはさらに下がって相手のディフェンスライン。そこで無駄にボールを動かし、まるで時間稼ぎか、あるいは何かのタイミングでも見極めようとしているかのようなプレーを始めます。

 

「なんだあいつら……? 監督も米田みたいに性格変わりやがったし……まさかイカレちまったんじゃないだろうな?」

 

「私みたいにって、ちょっと酷いです。私はあんな品のない感じじゃないですし、おかしくなったりもしてませんもん。それより……マックスさん、半田さん、少林さん、上がって圧かけちゃって!」

 

 染岡さんの不審がどうであれ、下がるのなら攻めるチャンスです。指示を出し、前線を上げさせます。

 その結果、想像通りに敵はディフェンス間で細かなパスを繰り返す以外に身動きが取れず、そこに染岡さんが突っ込むこととなりました。

 

「行け、染岡!!」

 

「言われるまでもねぇ!! ボール奪って、もう一点だ!!」

 

 豪炎寺さんの声にも応え、染岡さんが強烈なタックルを相手にくらわせる。そしてその後の得点まで問題なく決まるだろうと、抱いた確信からもそう思った、その瞬間でした。

 

「うおおおォォッ!!」

 

「えっ――!!?」

 

 敵ディフェンダーへ向かって行った染岡さんが、突然急カーブして私めがけてタックルしてきたのです。

 意味不明、且つ突然のことだったので私も反応が間に合わず、避けきれませんでした。

 

「きゃぁっ!!」

 

「うお――!!?」

 

 激突し、押し倒されてしまいました。寸前染岡さんも私に気付いたのか身を捻ってくれたおかげもあり、お互いに怪我はありませんでしたがしかし、あまりにびっくりです。

 そしてそれは、染岡さんの方も同じであるようでした。

 

「もう! なんなんですかいきなり! 味方に体当たりって、頭がどうかしちゃったの!?」

 

「はぁ!? 何言ってやがる、お前が俺にタックルかましてきたんだろ!? そっちこそどういうつもりだ!?」

 

 言い合って、一瞬後に熱が引き、お互いの頭に浮かぶハテナマーク。何か色々とかみ合っていない気がします。

 私の視点では染岡さんがUターンしてきて、染岡さんの視点では私が一直線に体当たり。普通に考えれば染岡さんが減刑のために嘘八百を並べていると考える場面ですが、しかしさすがにそんなセコい真似をする人ではないはずです。

 

「落ち着け二人とも! 俺の目には二人とも様子がおかしかったように見えた。 尾刈斗の奴ら、何か妙だぞ……!」

 

「妙、だと……?」

 

 眉を寄せる染岡さんに豪炎寺さんが黙って視線を動かして、そして私たちもそれを追うと、そこには彼の言った通りの光景がありました。

 

「な、何やってるのさ、半田、少林!?」

 

「あ、あれ!?」

 

「なんで……!?」

 

 驚愕するマックスさんの目の前で、敵オフェンスのマークをしているはずの半田さんと少林さんが、お互いにお互いを妨害し合っていたのです。そして寸前まで、彼らは自分のしていることに気付いていなかったようでした。豪炎寺さんが見たという、私と染岡さんのように。

 そしていつの間にかボールは雷門陣地側。仲間割れ状態となったその守備はもちろん易々突破されていて、ドリブルする尾刈斗選手たちはちょうどその時、以前の私の指示で癖でも付いたのか、少しばかり前に出ていたディフェンスの壁山さんの前でした。

 

「とっ、ととと、通さないッスよぉ!」

 

「クク……通すことになるさ。なにせお前は……もう呪われている!」

 

「ひ、ひぃっ! 呪い――って、え……?」

 

 尾刈斗選手は壁山さんに、なんとボールを抛りました。帝国のような攻撃でもなく、単なる敵へのパス。私たちの行動のせいかすっかり元のビビリに戻ってしまった壁山さんでしたが、しかしこの理解不能な行為に恐怖ごと思考が止まってしまったようです。

 しかし円堂さんの一声が響き、彼を再び動かします。

 

「壁山!! よくわからないけどチャンスだ!! 風丸にボールを回せ!!」

 

「こっちだ壁山!」

 

「きゃ、キャプテン、風丸さん……! は、はい――ッス……?」

 

 が、風丸さんの方を向いたところで足を動かすこともなくまたもその動きが固まって、直後、

 

「ぎ、ぎゃあああぁぁぁっっ!! お、俺が、もう一人――ひゅぅ……」

 

 絶叫し、そのまま気を失って倒れてしまいました。

 

「か、壁山!?」

 

「ど、どうなってんだよ、おい……!」

 

「ふふふ……【ドッペルゲンガー】、見たのかな……?」

 

 ドッペルゲンガー。確か自身と同じ姿をしていて、それを見てしまった人は死んでしまうとかいう怪談であったはずです。まさか壁山さんが本当に死んでしまったとは思いませんが、あり得ない状況であることには違いありません。

 他のディフェンスの皆さんも完全に委縮してしまったようですが、そんな彼らにも“呪い”は牙を剥きました。

 

「次はお前たちだ。【ゴーストロック】!!」

 

「うわっ、こ、今度は何だ!?」

 

「足が……!」

 

「う、動かないでやんす……!?」

 

 なんと今度は皆さん動けなくなってしまった様子。そんな状態ではもちろんディフェンスなどできるはずもなく、

 

「とどめだ! 【ファントムシュート】!!」

 

「く、くそぉ……!!」

 

 円堂さんも、せっかくマスターした【ゴッドハンド】を使うこともできません。ヒールリフトからのボレーシュートでいくつもの影に分身したボールが、あっけなくゴールに入ってしまいました。

 

「……ほんとに、おかしなことになっちゃってますねぇ」

 

 得点を知らせる審判と、今回もいる実況の方の声の中、半ば呆然と呟きます。我が身にも起こったことながら、傍から見てもさっぱり理屈がわかりません。必殺技の域すら超えている気がします。

 未知、それ故の困惑と恐怖。対抗できなかったことでさらに動揺は強まって、皆さんを呑み込んでしまったようでした。

 

「い、いったい何が起きたんですか……? まさか、これが噂の呪い……!?」

 

「バカ言ってんじゃねぇ! あるかよそんなオカルト話!」

 

 怯える少林さんに吠えるような否定を言う染岡さんですが、しかし動揺は隠しきれていません。無駄に大声なのがその証拠です。

 気絶してしまった壁山さんのこともあって不安が皆さんに伝播していき、重くなってしまう空気。ですがその壁山さんの巨体を苦労してベンチへと運んでいった円堂さんが、さっそく出番となった宍戸さんと共に出てきて、皆さんの士気を取り戻そうと声を上げました。

 

「染岡の言う通りだ。みんな何をビビってるんだよ、呪いなんてあるわけないだろ? ……さっきのだってきっと、何か仕掛けがあるんだ。まずは相手の動きをよく見て、落ち着いて対処していこう!」

 

「……ああ、その通りだ! たかが一点入れられただけ……俺が二点目入れりゃあ全部帳消しだ! 行くぞお前ら!」

 

 円堂さんが特別なのか、それとも染岡さんがチョロいのか。少なくともこの場合は後者でしょうが、とにかく元気を取り戻した染岡さんはフォワードポジションへと戻っていきました。他の皆さんも試合中にこれ以上駄弁るわけにもいかず、若干不安を引きずったまま各々のポジションへ。私と豪炎寺さんも、染岡さんの後に続きました。

 

 そうして再び笛が鳴り、私へボールが回ってきます。よこした染岡さんの眼はさっきと同様のタイミングでのパスを求めてギラついており、たぶん無視したらさっきの倍の怒声が私へ向いてしまうでしょう。

 やかましいのは勘弁です。“呪い”のせいで少しばかり嫌な予感はありましたが、呑み込んでもう一度同じように敵陣を突破して、染岡さんへとパスを送りました。

 特に何もなく繋がり、染岡さんの宣言通り追加点かと思われたのですが、

 

「行けッ!! 【ドラゴンクラッシュ】!!」

 

 しかしやっぱり、私の嫌な予感は的中しました。

 

「ククク……【ゆがむ空間】……!!」

 

「なッ……!?」

 

 打ち放った染岡さんの必殺シュートは、何やらうにょうにょと、これまた変な動きで動かす敵キーパーの手の中に、まるで吸い込まれるようにして収まってしまったのです。

 染岡さんが驚くのも当然でしょう。とても【ドラゴンクラッシュ】の威力に対抗なんてできなさそうなキャッチングでした。がしかし、事実としてシュートは、しかもあっさりと止められています。

 理屈に合いません。つまり――

 

「“呪い”、か……!!」

 

 歯を噛む豪炎寺さんの呟きと共に、やはりまた尾刈斗の攻勢が始まりました。しかも今度は最初から、

 

「【ゴーストロック】!!」

 

「うおっ!? こ、これは……!?」

 

 私たち全員へ、一度に“呪い”が振り撒かれてしまったようです。

 

「わあ、ほんとに動けなくなっちゃってますよ。すごいですね、これ」

 

「呑気に言ってる場合かよッ! くそ、これじゃどうしようも……!」

 

 足が地面にぴったりくっついてしまったみたいな新感覚でちょっとだけ感動してしまいましたが、しかし半田さんの言う通り、これではどうしようもありません。攻めるも守るもできず、ただ悠然とドリブルで進む尾刈斗選手たちを見送ることしかできません。

 ディフェンスもそれは同様。つまり予期した通りさっきと同じ展開で、やっぱりその後、審判と実況の方のゴール宣言が響き渡りました。

 逆転されて1-2。鳴り響く笛と実況の大声。同時に“呪い”も消えたようで足が自由になりますが、皆さんもはや膝を突くことしかできない様子。一気にいつかの帝国戦のような絶望感が漂い始めます。

 

「やっぱり呪いだ……俺たち呪われちゃったんですよ……!」

 

「ど、どうしよう……お祓いとか行ったほうが……」

 

「ふざけんなよ……俺は、俺のシュートが、決まらないはずはねぇんだ!!」

 

 しかし今回の場合、染岡さんの怒声がそれを押し流してしまいました。

 怒りの矛先は不甲斐ない自分でしょう。まるで言い聞かせるように叫びます。

 

「次は……次は必ず決める!! 米田、もう一回だ!!」

 

「……もう、ムキになっちゃって」

 

 あまりの気迫は皆さん黙りこんでしまうほどで、二重の意味で呆れてしまいます。皆さんを委縮させてしまう染岡さんもそうですが、なによりそれで委縮してしまう皆さんに。

 

「ああ……そうだな! 俺も次は、絶対止めてみせる!」

 

 円堂さんだけは平常運転ですが、その声もやはり無理矢理引き出した空元気にしか聞こえません。いずれにせよ、同じことを繰り返しても事態は良くならないでしょう。

 故に私は再びのキックオフでボールを受け取ると、やはり不気味なほどおかしな動きしかしてこないディフェンスを抜き、そこで方針を変えました。

 

「お手並み拝見です。豪炎寺さん!」

 

「っ……!」

 

 染岡さんではなく、豪炎寺さんにパスを出しました。

 

「なッ……!? 米田! 俺に寄こす約束だろ!?」

 

「染岡さんのシュートが通用する内は、ですよ! 止められちゃったなら選手交代です!」

 

 それにこれくらいのディフェンスであるなら、警戒されていても豪炎寺さんなら突破も可能でしょう。そう思った故のパスで、実際思った通り豪炎寺さんは見事に尾刈斗選手を抜き去って、キーパーの正面までたどり着きました。

 

「よし、行け豪炎寺!! 【ファイアトルネード】だ!!」

 

「そうだ、豪炎寺さんなら……!」

 

 遥か後ろから円堂さんの声援までが聞こえてきました。他の皆さんも期待するところは同じでしょう。染岡さんのシュートはダメでも豪炎寺さんなら、という。

 現金な限りですが順当な想いです。しかし――

 

「……豪炎寺さん……?」

 

 ボールを持ってキーパーの正面に立ったまま、豪炎寺さんはなぜかシュートを打とうとしませんでした。また同じように手を動かし構えているキーパーをじっと見つめるばかりです。

 その明らかな“呪い”を観察しているのでしょうか。しかしそんなことには気付けないほど、染岡さんは頭に血を上らせていました。

 

「寄こせ豪炎寺!! 打たないのなら、俺が打つ!!」

 

「っく……! やめろ染岡!! 確かめたいことがあるんだ!!」

 

「うるせぇッ!!」

 

 必死に奪われまいとした豪炎寺さんですが、しかしもはや豪炎寺さんも敵とみてしまっている様子な染岡さんは止まらず、ボールを奪い、三度足を大きく振り上げました。

 

「【ドラゴンクラッシュ】ッ!!」

 

 その末路は想像通り。

 

「【ゆがむ空間】……!! ククク……何度打っても、そのシュートは俺には無力……!」

 

「そん、な……っ!」

 

 止められてしまって、そこからの展開すら全く同じ。“呪い”で足を止められて、三点目を入れられると共に前半終了の笛が鳴りました。



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第十一話 本気のサッカー

「帝国戦と同じく、また皆さんヘロヘロになっちゃいましたねぇ。今度は精神的にですけど」

 

「……無理もないわ。だって呪いなんて、どう対処したらいいかわからないもの」

 

 と、秋さんが思わずため息をついてしまうほど、ベンチはどんよりしてしまっていました。

 立て続けの三点、しかもその原因が正体不明の“呪い”とあって、恐怖と無力感が皆さんを襲っているのでしょう。プレー内容で負けたのならまだ奮い立つ余地があるでしょうが、オカルトが相手では対策も何もなく、“どうしようもない”のです。

 手立てがなく、円堂さんですら思い詰めた表情になってしまうほど。しかしとはいえ他の皆さんよりは復活も早く、彼は私が向けた話題にはすぐ食いついてきました。

 

「それで、豪炎寺さん。さっき『確かめたいことがある』って言っちゃってたの、あれ何です?」

 

「っ! そうだよ豪炎寺! なんであの時【ファイアトルネード】を打ちにいかなかったんだ?」

 

「……少し気になることがあったんだ」

 

 いきなり話を振られて少しばかり面食らったようですが、豪炎寺さん神妙なふうに頷き、思考に沈んでいたその眼を私たちへと向けました。

 

「“呪い”が起こり始めたのは、最初に染岡がゴールを決めてからだろう? あの後……ベータ、お前は気付かなかったのか? 尾刈斗の監督がベンチで何かぶつぶつと呟いていた。まるで呪文でも唱えているかのように」

 

「また“ベータ”って……もう。……それでええっと、監督さんですか? 聞こえてたかもしれませんけど、気にしてませんでしたねぇ。ベンチのことなんて普通意識しませんし」

 

「……いや、そういえば聞こえた。『マーレマーレ……』だとかなんとか。そっから先は……どうだったかな、わからないけど」

 

「言われてみれば確かに、俺たちもそんな音聞こえたような……」

 

「へぇ、耳がいいんですね円堂さんも皆さんも」

 

 というか、よく意識できるな、という感じです。よほどの集中力、試合に賭ける思いがなければ、聞こえたとしても認識できはしないでしょう。常に全方位に意識のアンテナを張るなんて、とても疲れることなのですから。少なくとも、私にはそんな疲れることをする気は起こりませんでした。

 

「でも、それってほんとに呪文みたい。いよいよ呪いって感じがしちゃいません?」

 

「うっ……た、確かに」

 

 そうして聞こえたものが呪いの噂に対する補強なのが皮肉ですが、しかし豪炎寺さんの“気付き”はまだあるようで、円堂さんのような気まずげな同意ではなく、さらに私へ向く眼光までもがなぜだか鋭くなっていました。

 

「……他にも、例えば奴らの陣形だ。最初と違ってフォーメーションをやたらと頻繁に変えていただろう。そのせいでディフェンスも中途半端になっていたから、ベータ、お前も突破がしやすかったんじゃないか? ……その様子では、これも気にしていなかったみたいだが」

 

「むぅ……だって、弱い敵がさらに弱くなったって、そんなの気にならないんだもん。どっちにしろ簡単に抜けちゃうんですから、意識なんて向きません。

 っていうか、それを言うなら染岡さんのシュートはどうなんでしょう。最初は入ったのに、どうして入らなくなっちゃったんでしょうね。これも本当に呪いなのか、それとももしかして、一発でもうガス欠しちゃったりしたんですか?」

 

「ああ!? そんなわけあるか!! 全部全力で蹴ったに……くッ……決まってるだろ……!!」

 

 責められているみたいな感じが嫌で染岡さんに受け流すと、噴火した怒りが途中で尻すぼみになってしまいました。全部全力で蹴って、それで止められたと自白させられたのですからそれも当然。

 なら煽り文句は一つだけです。

 

「じゃあやっぱり、染岡さんのシュートは尾刈斗キーパーさんに通用しないってことじゃないですか。……わかっちゃってるなら、もうボール要求したりしないですよね。エースストライカーも引退しちゃいます?」

 

「……ッッ!!」

 

「おいやめろってベータ! 染岡も、落ち着け!」

 

 と円堂さんが止めに入ったその瞬間、審判から後半戦開始の声が届きました。作戦会議も中途半端で終了せざるを得ず、私も腰かけていたベンチから腰を上げます。

 

「まあ、後はなるようになるでしょう。もしかしたら染岡さんのシュートじゃだめでも豪炎寺さんのなら入るかもしれませんし」

 

「ッ!! そんなことは……!!」

 

「……結局、こうなったら試合の中で試すしかないな。シュートも“呪い”も、俺たちの全部でぶつかって答えを見つけ出すんだ! 頼むぞ、ベータも」

 

 歯を噛み砕かんばかりに食いしばって怒声を堪える染岡さんを心配そうに見やりつつ、円堂さんは次いでそれを私へと向けました。

 

 二度目の、その言葉。

 

「……はい、任されちゃいました」

 

 いつかに感じたモヤモヤの感覚が燻ったように感じましたが、呑み込み、私はしっかり頷きました。

 

 

 

 

 

 後半戦の笛が鳴り、今度は私たちのボールからスタート。ずっとしかめっ面な染岡さんから同じようにボールをパスされて、そのまま敵陣へと持っていきます。

 しかし今度のパス先は染岡さんでなく豪炎寺さん。相変わらず立ち上がりすぐには呪いもなく、さらに今までずっと染岡さんがシュートしてきたせいか豪炎寺さんのマークも薄め。これならシュートまでは持っていけるはずです。

 

「ほら、邪魔ですよ……っと!」

 

「くっ……くそ、何度も何度も……!」

 

 悪態をつく尾刈斗選手をまたあっさり追い抜いて、その先は豪炎寺さんの言っていた通り、フォーメーションがごちゃごちゃでした。確かに眼が回ってしまいそうなせわしなさですが、おかげで突破もパスも自由自在。

 

「よし、行きますよ豪炎寺さん!」

 

 目配せもして蹴り出そうとした、その瞬間でした。

 

「おい米田!! 俺に寄こせッ!!」

 

「きゃっ……! 染岡さん!?」

 

 豪炎寺さんへのパスコースを塞ぐように、染岡さんがなんと身体を寄せてきたのです。

 明らかに私からボールを奪おうとする動き。抵抗しつつ、たまらず声を上げます。

 

「ちょっと染岡さん! また“呪い”かけられちゃってますよ! 私は味方です!」

 

「呪いなんてかかってねぇ!! いいから黙ってボールを渡せ!!」

 

「は、はい!?」

 

 訳が分かりません。“呪い”じゃないというのなら、なぜ染岡さんは私を攻撃するんでしょう。状況をわかっていないんでしょうか。

 

「……まさか、まだ自分がシュートを打つとか言っちゃったりしないですよね? 【ドラゴンクラッシュ】じゃあのキーパーさんを破れないことはもうわかったはずでしょ?」

 

「うるせぇッ!! 俺は……俺のシュートが、通用しないはずがねぇんだッ!!」

 

「もう……。変なプライドはいい加減にしちゃってください。染岡さんがストライカーに拘ることに意味なんてないんだって、いつになったら理解してくれちゃうんです?」

 

 だからそうやって馬鹿みたいに必死になるのをやめて、私に任せていればいい。改めてそう言うも、しかしそれでも染岡さんは妨害をやめようとはしませんでした。むしろより苛烈になって、もうほとんど“呪い”の時と同じタックルです。

 

「意味、がッ……!! ぐ、うおおおォォォッッ!!」

 

「きゃあっ!」

 

 味方相手に激しく競り合うわけにもいかず、とうとう突き飛ばされてボールを奪われてしまいました。

 そしてそのままゴール前。馬鹿の一つ覚えみたいに大きく足を振り上げて、打ちました。

 

「【ドラゴンクラッシュ】ッッ!!」

 

「何度やっても無駄だ……! 【ゆがむ空間】!!」

 

 そしてやっぱりキーパーさんの手の中に吸い込まれ、止められてしまいました。

 自明の理、わかりきっていた結果。信じられないと言わんばかりにがっくり膝を突く染岡さん、思わずため息が出てしまいます。

 

「ほら、言わんこっちゃない……。シュートが通じなくて悔しいのはわかりますけど、もうそろそろ諦めてくれないと困っちゃいます。このままじゃ勝てなくなっちゃいますよ?」

 

「く……だが、俺はゴールを決めるために必殺シュートを完成させたんだ……! お前なんかに任せて、諦められるか……!」

 

「もう、だから――」

 

 と、もう駄々っ子みたいになってしまった染岡さんに呆れかえって首を振った、その時でした。

 

「その通りだ」

 

 自分がシュートするはずだったボールを奪われ怒り心頭の豪炎寺さん――ではなく、

 

「ベータ、お前、そろそろ本気でプレーしたらどうだ」

 

「ええ……?」

 

 なぜだか私に怒っている豪炎寺さんがそこにいました。

 

「そこは染岡さんに怒るとこだと思うんですけど。私のヘマじゃなくって、無理矢理ボール奪ってきちゃったのは染岡さんですよ?」

 

「なぜ染岡がそんなことをしたのか、わかっているのかと聞いているんだ」

 

「“なぜ”? そんなの、意地張っちゃって自分が役立たずだってことを認められていない意外に何かあります? ねえ、染岡さん?」

 

「やく、たたず……だと……!?」

 

 ああいけない、豪炎寺さんに理不尽に怒られたせいで思わずオブラートが抜けてしまいました。

 申し訳ないとは思いましたが、しかしこうなればもう止まれません。ため息交じりに、私は染岡さんへと言いました。

 

「染岡さん、いい機会だからはっきり言っちゃいますけど、私と、それから豪炎寺さんはあなたよりもずっと強いんです。必殺技を習得したのはすごいとは思いますけど、だからといって私たちと同じくらい強くなれたってことじゃない。その程度で縮まる()じゃないんです」

 

「……だから……なんだってんだ……ッ!」

 

「『なんだってんだ』って……それ、こっちのセリフです。()が理解できているのなら、どうしてそれを認めようとしないんです? どうして私に任せてくれないんです? (米田)に任せれば、少なくとも染岡さん(自分)がやるよりは勝てるかもしれないってわかってるんでしょう? ならどうしてそうしないんですか?」

 

 純粋に理解ができない部分が、それです。そしてそれは、豪炎寺さんの言う“本気ではないプレー”なのではないでしょうか。何しろ彼は悪戯に、勝利の可能性を潰しているのですから。

 

 確かに、最初にそれを許したのは私です。この試合、やる気満々な染岡さんに花を持たせてあげると言いはしましたが、しかしそれだって“うまくいってる限り”の制限付き。実際、負け越した時点で私は染岡さんに試合を任せるのをやめました。

 チームの皆さんを勝たせてあげるために、ちゃんと勝とうとしたのです。そしてそれを潰したのは、染岡さん。誰が怒られるべきなのか、“本気でプレーしてない”のは誰なのかなんて、そんなの一目瞭然でしょう。

 

「染岡さんが我が儘ばっかりしてるから、今わたしたち、負けちゃってるんです。私、何かおかしなこと言っちゃってますか?」

 

 言っていないはずです。しかし、豪炎寺さんは私の視線をまっすぐ受け止め、言いました。

 

「あの時、お前が俺に見せてくれたサッカーはそうじゃないだろう」

 

 否定の言葉。そして『あの時』とは、たぶん帝国戦の時の最後のプレーのことです。

 あのプレーが、いったいなんだというんでしょう。理解できない豪炎寺さんの迫力に、思わず一歩後ずさってしまいます。

 しかし豪炎寺さんの視線は私を捉えたまま逃がす気はなく、言葉を続けました。

 

「この試合のお前は、あの時のお前とまるで違う。だから染岡もお前にボールを託すことができないんだ。……尾刈斗の奴らの動きや呪文に気付かなかったのもそうだ。ベータ、お前はこの試合、“本気”でプレーしていない。戦略の話ではなく、心意気の話だ」

 

「……心意気? 私が試合に勝とうとしていないとでも言っちゃいたいんですか? さっきも言ったように、染岡さんさえ邪魔しなければ――」

 

「違う。お前がこの試合をどう捉えているかということだ。みんなにとってこの試合は、己の全てを出し尽くさなければ勝利できない、全身全霊をかけた戦い(・・)だが、しかしお前にとってはどうだ?」

 

「『どう』って……」

 

「遊びも同然なんじゃないのか? いざとなれば自分一人の力でも勝利できる、そんな自信があるんだからな」

 

「……まあ、そうですけど」

 

 公にされてしまった本心は、頷かないわけにはいきません。だって、それこそが私が染岡さんへ語った事実です。

 事実、なのですから、

 

「でも、ちゃんと皆さんを勝たせてあげようとしてるじゃないですか。私、勝つために戦ってます。なのにそれでも遊び(・・)だって言っちゃうんですか?」

 

 これだって事実であるはずです。しかし、豪炎寺さんは微塵も言葉に詰まることなく、言いました。

 

「お前自身はどうなんだ、ベータ。フットボールフロンティアや俺たちのことは抜きにして、お前自身は試合に……いや、勝負に勝ちたいと思っているのか(・・・・・・・・・・・・・・・)?」

 

 そしてその言葉は、私に深く突き刺さりました。

 胸の内にあったモヤモヤ、疎外感。つまり、試合に対する熱量の違い。

 私はこの試合を、フットボールフロンティアに行くための重要な試合としか捉えていませんでした。しかし染岡さんや豪炎寺さん、円堂さんたちはみんな、重要な試合であると同時に、自信の努力の成果を発揮できる、一つのサッカーの試合でもあったのです。

 

 私のそれが一つ足りていなかったから、染岡さんのような“勝つ”より先の熱意が存在していなかったのです。

 そのことに、気が付きました。

 

「“チームのために勝つ”。悪いことじゃない。だがお前のサッカーはそれだけじゃないだろう? 今日の日のために特訓だってしてきたはずだ。夕香の前でお前が言ったように、肝心なのは自分自身の想いなんだから。さあ、ベータ。この試合、どうする?」

 

 全く回りくどいですが、豪炎寺さんがこれ見よがしに戦意を燃やして言いました。対して私は一つ息を吐き、口にする答えは一つだけです。

 

「……はあ、わかりました」

 

 お説教に丸め込まれちゃったみたいで、ちょっぴり悔しくはありますが。

 

「そこまで言うのなら私の本気のプレー、見せてあげちゃいます」

 

 それに、確かに練習試合として戦うほうが楽しそうです。私はそう、決めました。

 

「染岡さんの心が折れちゃうかもしれませんけどね」

 

「はッ……上等だ。折れるもんなら折ってみやがれ……! ……確かにお前の言う通り、俺はお前たちよりも弱い。けど“今は”だ! 折れることも諦めることも、絶対にねぇ!!」

 

「その意気だ、染岡。ベータもな……!」

 

 ついでに煽り半分に染岡さんに付け加え、私と豪炎寺さんの言い合いの間に頭が冷えたのか、染岡さんが好戦的な笑みで応えてきました。

 そして一件落着にさわやかな笑みが戻る豪炎寺さん。しかしそれは一瞬ですぐに試合の真剣なそれへと戻り、視線が敵キーパーたちの方へ。

 

「……それで、お前たちはいつまでそうしているんだ?」

 

 さらに彼らが未だそこで維持する、ボールへと向きました。

 キーパーが染岡さんのシュートを止めてからそれなりに経っているにもかかわらず、ボールが前に出ていないのです。だから私たちもずっと言い合っていられたわけですが、普通に考えればそれは異様。まさか私たちのことを思って待っていてくれた、なんてわけではないでしょう。

 そして実際その通りで、パスを受けたキーパーは優しさなど欠片もないふうに低く笑って言いました。

 

「別に……俺たちにとっても願ったりだっただけだ……。おかげで、準備は整った……!」

 

「準備、だと……?」

 

 豪炎寺さんが眉を寄せ、私も何かが胸のうちで引っかかった、その時です。ようやくボールが動きました。

 

「いけ、幽谷……!」

 

「ああ! 【ゴーストロック】!!」

 

 ロングパスが放たれ、同時にまたあの“呪い”が皆さんを襲ったようです。途端にその足が止まってしまって、その中を敵キャプテンが悠々と走っていきます。

 着々とゴールに迫りくるボール。動けない円堂さんはそれを見つめて、しかしにやりと笑います。

 

「……? どうした、止められないからと開き直りでもしたのか?

 

「いいや、やっぱあいつはすげーなって思っただけさ」

 

「なに……?」

 

 首をかしげる敵キャプテンは、

 

「後ろだ、幽谷ッ!!」

 

 味方からの驚愕の声がかかった瞬間に振り返り、同時に奴のほど近くまで来ていたオレ(・・)と眼が合い、息を呑む羽目になったのだった。

 

「なっ……!! い、いつの間に!?」

 

「てめぇが呑気に歩いてる間にだよ!! オレを舐めてんじゃねぇ!!」

 

 【ゴーストロック】とかいう“呪い”は、最初に使った時もそうだったが効果範囲が前方限定。つまり攻め込む奴の後方にいたオレたちには届かない。ならば走れば追いつけるという、それだけだ。奴は間に合うはずがないがないと高を括っていたようだが、あまりに甘い。

 その甘さと突然のことによる身体の硬直も相俟って、ボールを奪うのすら簡単だ。ボールに足を出して勢いのまま押し退けると、あっけなく奴は倒れてしまった。だがさすがにキャプテンというだけあるのか、動揺は引きずったままの声だが後ろから、味方に向かって指示を飛ばしてくる。

 

「ぐわっ……! だ、だが、呪いはまだこのフィールドに残っている! お前たち、【ゴーストロック】で24番(ベータ)を止めろッ!!」

 

 そう、随分ネタが割れてきたとはいえ、未だ“呪い”は攻略できていない。ボールを奪っても、ゴールまで運ぼうとすれば何人もの敵選手に時間を取られ、“呪い”の餌食にされてしまうだろう。

 なら、それに対する正解は単純だ。

 

「“呪い”が発動する前にシュートすりゃあいいだけだ!!」

 

 ボールを踏みつけ、練習よりもずっと高くに跳んだ“本気”のシュート。

 

「【ダブルショット】!!」

 

 一直線にゴールへと飛んでいった。

 が――

 

「クク……無駄、無駄……!」

 

 こればかりは舐めているのではなく、誰しもが思うことだろう。ただの苦し紛れのシュートだと。

 なにせ、オレがボールを奪ってシュートを打ったのは自陣側の、しかもゴール近く。あまりに距離がありすぎる。

 

「そんな遠距離からシュートを打てば、その威力は削がれてカス同然……! 【ゆがむ空間】を使うどころか、届くことすら――!!?」

 

「『普通はあり得ない』ってか? 生憎、オレのシュートは“普通”じゃねぇんだよ」

 

 【ダブルショット】は、ロングシュートとして編み出した必殺シュートだ。だから遠距離から打とうが近距離から打とうが、その威力は大して変わらない。

 そのことを敵キーパーはようやく悟ったようだが、しかしそれは余りに遅すぎ、そしてそもそも意味のないことだ。奴を吹き飛ばし、いつかの帝国が打ったロングシュートをしのぐ威力で、オレのシュートはゴールネットを揺らしたのだった。

 

「ぐ、ぐわあぁぁッ!!?」

 

「ご、ゴオオォォーーールッ!! なんと米田!! 自陣から見事にゴールを叩き込みましたあぁッ!! 超ロングシュート炸裂ゥゥッッ!!」

 

「よっしゃぁ!! やっぱりすげーぜベータ!! まさかあそこからシュートできるなんてな!!」

 

「すごすぎでやんすよ米田さん!! いけるでやんすよこの試合……!! 俺たちまだ勝てるでやんす!!」

 

「もちろんです。こうなったからには絶対に勝たせちゃいます」

 

 ――と、実況の方の声と共に、円堂さんや栗松さん、チームの皆さんがみんな集まって喜びを爆発させるのに応えました。が、一部はちゃんとわかっているようで、ちゃんと深刻そうな顔になっていました。

 

「だが点数はまだ2-3。あと二点取らなきゃいけない」

 

「あと二点くらいなら米田先輩のシュートで余裕じゃないですか! 後半戦も始まったばっかりで時間もあるし! ……あれ? 皆さん何か気になることでもあるんですか?」

 

「わからないのか宍戸? 次のボールは尾刈斗からだ。いくら米田がどこからでもシュートを打てるとはいえ、まず奴らからボールを奪わなきゃならないんだぞ?」

 

 そう風丸さんが言う通り、そこが一番の問題でしょう。私に対する油断はもう一切がなくなってしまったでしょうし、ボールを持った彼らは今度こそ間違いなく、私を含めた全員に“呪い”、つまり【ゴーストロック】を仕掛けてくるでしょう。

 発動されればそれだけでもう終わり。そこはまだ全く変わっていないのです。こちらのボールになって交互に点を入れるのを繰り返すだけでは、逆転などできません。

 しかし、今ならば幾らかの対策ができます。

 

「大丈夫……と言い切れちゃうまでではさすがにないですけど、安心してください。作戦、思いついちゃったので」

 

「作戦!? どんなのだ!?」

 

 一気に食いついてくる円堂さん。私は、私と同じく気付いて、作戦も思いついているだろう豪炎寺さんに目配せをして、言いました。

 

「“準備”とやらをさせなければいいんです。ですよね、豪炎寺さん」

 

「ああ」

 

 私と彼の二人が同意見だということもあって、その作戦は皆さんに問題なく了承されました。



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第十二話 呪いを打ち破れ!

 そして試合再開。笛が鳴ると、同時に尾刈斗選手思った通り、ボールを後ろに下げました。しかも私と真反対の右サイド。おまけに帝国の時のようにマークまでが付き、これでは奪いに行くこともできません。

 そうやって私を抑えつつ時間を稼ぎ、キーパーさんの言っていた呪いの“準備”をするつもりなのでしょう。“準備”が整い【ゴーストロック】を発動させればそれだけで勝ち。私たちは何もできなくなるのですから、それは当然の選択です。

 ならばその時を待ち構える必要はありません。

 

「予想通りです……! さあ皆さん、全員攻め上がっちゃって!」

 

「「「「おうッ!!」」」」

 

「な、なにッ!?」

 

 守っていても【ゴーストロック】で容易く破られるなら、ディフェンスの皆さんが後方で守っている意味は皆無。オフェンスに関しても、今この場面で守備の意識は無用のものです。

 ならばその分、全員が攻めればいい。試合開始と同時に全員で圧をかければ敵も自陣に押し込められ、狭い空間で混沌とした事態になるでしょう。人数的にもほとんど五分五分、私と豪炎寺さんにマークがつく分、実質有利ですらあります。

 そんな状況の中では、“準備”などしている場合ではなくなるはずです。豪炎寺さんが目星をつけた“不自然な動き”はできませんし――“呪文”の方は対応できませんが、少なくとも【ゴーストロック】を使う余裕はありません。

 代わりに中間以下が完全にガラ空きになってしまいますが、そこを突いてくるのなら、むしろこちらの思惑通り。

 

24番(ベータ)……幽谷の二の舞か……!」

 

「クソッ……! みんな守れ! 攻め込むのは、奴ら全員を【ゴーストロック】にかけてからだ! 24番(ベータ)10番(豪炎寺)にボールを渡しさえしなければ、他は怖くない!」

 

 私はマークされて攻め込めませんが、しかしその分だけ後ろに意識を割くことができます。前方の混沌から誰か抜け出そうとするのなら、私がそれを刺せばいい。そうなれば【ダブルショット】で一点です。

 そんな事態は避けたい尾刈斗キャプテンさん。チームメイトに指示を出し、守りつつ機を伺う態勢をとったようです。

 

「くっ……なんだよこいつら、呪いがなくても普通にできる(・・・)じゃないか!」

 

「こっちはほとんど全員で攻めてるってのに、全然崩れないぞ……!」

 

「それだけ必死ってことですよ! 全員で守ってるから、こんなに硬い……!」

 

「構わずどんどん攻めてけ!! 後ろは俺が守るから!!」

 

 意思が統一され、がぜん固くなる彼らの守り。人数差的には私と豪炎寺さんのマークの分だけ劣っていますが、しかしキーパーとして一人後ろに残る円堂さんの応援があっても、徹底的な守りの構えは我がチームメイトたちの攻めの手をなかなか通してくれません。

 ボールを奪うことはできても私や豪炎寺さんにはパスするには厳しく、私たちもどうにかマークを押し退け前に出ようとしますがしかし、その前に尾刈斗ディフェンスが再びボールを奪い去ってしまいます。

 

 お互いに機を伺う膠着した戦いとなり、そしてお互い段々と焦れてきた、後半開始からしばらく経った時でした。

 

「オラッ!! いただきだぜ!!」

 

「くっ、しまった!」

 

 染岡さんがボールを奪いました。瞬時に私と豪炎寺さんが動いてパスを受け取ろうとしますが、やはり尾刈斗のマークが厳しく手間取ってしまいます。

 時間がかかってしまえば奪われるだけの繰り返し。故に、何度もその光景を見た染岡さんの眼が、その時一瞬、挑戦的な色を灯しました。そしてそれを後押しするように、

 

「……そうか!! 染岡!! シュートだ!!」

 

「ッ!! おうッ!!」

 

「ちょっと、円堂さん!? 染岡さんも!」

 

 突然円堂さんの声が上がり、私が止める間もなく、染岡さんは鬱憤を晴らすかのように前へ突撃していきました。

 尾刈斗選手が慌てて止めに来ますが、しかし膠着状態で鬱憤がたまっていたのは染岡さんだけではないらしく、皆さん示し合わせたように染岡さんのサポートに動き出しました。

 ワンツーで追い抜いたりディフェンスに来る選手をブロックしたりと、見事な連携。しかし危惧した通り、点差と残り時間に焦る皆さんはそれに意識を取られすぎています。

 つまりゴールに集中し、本来すべき選手への圧が薄くなってしまっているのです。

 

「【ドラゴンクラッシュ】!!」

 

「【ゆがむ空間】……!!」

 

 案の定、染岡さんのシュートは止められて、結果何が起こるかといえば私の危惧した通り。

 そして染岡さんたちも、遅れて自分たちの行為が悪手であったことに気付きました。

 

「ッ!! し、しまっ――」

 

「ようやく隙を見せたな雷門!! くらえ、【ゴーストロック】!!」

 

 染岡さんへのサポートに集中してしまったせいで、敵ディフェンダーの一人をフリーにしてしまったのです。そうして与えてしまった()は、最悪なことに致命傷。雷門の全員が注目していたゴール傍から、“呪い”が私たち全員を捉えてしまいました。

 

 途端に再びの感覚、足が動かなくなってしまいます。そしてまたもその中を悠々攻め込んでいく尾刈斗選手たち。ようやくのチャンスであるからか若干浮足立っているようですが、しかしそれも当然でしょう。円堂さんの足ももちろん縛られて、もはや得点は確実なのですから。

 

「もうっ……! 膠着状態で埒が明かないって思っちゃうのはわかりますけど……!」

 

 だったら下手に動けばこうなるということもわかってほしいものです。もとい、ものでした。

 これで点差を2-4まで広げられれば、いくら私のシュートがあるとはいえ、時間的に逆転はかなり厳しくなってしまいます。絶望的と言ってもいいでしょう。故にそんな状況を招いてしまった染岡さんたちと、何より唆した円堂さんに対する憤りが漏れ出てしまいました。

 

「大丈夫だ、任せろベータ!!」

 

 しかしなんとか身体だけで振り返った先で、当の円堂さんはそんな絶望など吹き飛ばすくらいの、堂々たる自信を示していました。

 根拠などなくとも私にそれを信じさせる、彼の言葉。

 

「わかったんだよ、“呪い”の秘密が!!」

 

「秘密だと? 俺のシュートに手も足も出なかったお前程度にわかることなどあるものか! 【ファントムシュート】!!」

 

 いくつもの影と共に蹴り出される必殺シュート。彼の言う通り動けない円堂さんでは決して止めらず、ゴールネットに突き刺さるのみであるはずのそれは、しかしシュートが放たれるのとほぼ同時。

 

「ゴロゴロゴロ――ドッカアアァァン!!!」

 

 円堂さんが吐き出した擬音の大声の直後、彼が発動させた光の手に遮られました。

 

「【ゴッドハンド】ッ!!」

 

「な、なにぃッ!?」

 

 ボールは円堂さんの手の中。止められた、というより動けない状況でどうやって必殺技をと、たぶん私含めて円堂さん以外の全員が思ったでしょう。しかしそこに思考を巡らせる前に、円堂さんからのロングパス。

 

「決めろ、ベータッ!!」

 

「ま、まずいッ!! ディフェンス!!」

 

 しかし私の周囲にさっきまで私をマークしていた尾刈斗選手はいません。抑圧されて焦れていたのは、雷門だけでなく尾刈斗もだったという事。ボールが私の下まで届いてから、慌てて奪おうと向かってきますが――

 

()せぇッ!! 【ダブルショット】!!」

 

 オレを止めるには遅すぎだ。分裂して両足のキック力を得たボールが一つになり、味方の間を駆け抜けゴールへと猛進していく。

 そして前回同様のロングシュートだが、今回の尾刈斗側にあるのは侮りではなく、ほぼ絶望。

 

「と、止めろ、鉈ッ!!」

 

「き、【キラーブレード】ッ!! ぐ……ぐわぁぁッッ!!」

 

 敵キーパーはビビりつつ“力”のブレードでボールを切りつける新たな必殺技を繰り出したが、しかし当然その程度で俺のシュートが止められるはずもない。シュートはブレードを容易く粉砕し、そのままゴールを貫いたのだった。

 

「ふぅ……これで3-3、ひとまず命は繋がったって感じですね」

 

「やったなベータ。しかし……どうして動けるようになったんだ? 円堂も……思えば俺たちもだが」

 

「そういえば……なんでなんでしょう?」

 

 一息ついて豪炎寺さんの労いと一緒に耳に聞こえたそのことに、私も遅れて気付きます。いつの間にか【ゴーストロック】で動かせなくされていた脚が動くようになっています。

 間抜けな話ですが、円堂さんの大声の方に気を取られて、今の今まで意識していませんでした。たぶん豪炎寺さんたちや、ぞろぞろと私の得点を称えに集まってきた皆さんもそうでしょう。

 ……いえ、そういうことならつまり、“呪い”が掻き消された理由なんて円堂さん以外にないのでは。

 

「……あの大声か」

 

「ああ! 豪炎寺たちも尾刈斗監督の呪文を聞いただろ? あれと、あいつらのおかしな動きだってそうだ! あれは催眠術なんだよ! 俺たちの目と耳をごわんごわんにして、暗示をかけてたんだ!」

 

「さ、催眠術!? ……なるほど、確かにそう考えれば納得できるか……」

 

「準備っていうのも、俺たちに催眠術を掛けるための時間……。五円玉を目の前で振るみたいに、監督の呪文と選手の動きをしっかり聞かせて見せる必要があったわけか。なるほどな」

 

 故に、円堂さんの大声というショック療法で解決できたというわけです。

 

 皆さんも納得の様子。なにせ出くわした事象の須らくが説明のつかない、まるで魔法の如く不可解な現象であったわけですから、下手な理屈よりもよほど信憑性があります。理解するための私たちの頭の方が騙されていたわけです。

 そして、そう(催眠術)とわかれば対策はいくらでも立ちます。

 

 試合が再開し、キックオフの笛。試合時間は残りわずかで、同点の今、互いに譲れない状況ですが、しかし追加点で突き放すはずが逆に点を決められて、しかも“呪い”を破られた尾刈斗選手たちには動揺が広がっています。

 それに対して、我が雷門の面々は今がこの試合一番の押せ押せ状態。

 

「ボールいただきでやんす!!」

 

「くっ……さ、させるかッ! 【おんりょう】!!」

 

 闇の手のようなものが地面から飛び出し、いわば【プチゴーストロック】のように栗松さんの足に巻き付いて奪われたボールを奪い返そうとしますが、

 

「ぐぅっ……こんな催眠術なんか、負けないでやんすッ!! うわあああぁッッ!!」

 

「ぐ、ぐわぁッ!!」

 

 円堂さんがしたように、栗松さんの大声によって振り払われてしまいます。

 

「呪いじゃないなら、俺たちももうビビったりしないでやんす! 宍戸ッ!!」

 

「ああ! これで俺たちのサッカーができる! 半田さん!!」

 

「米田と豪炎寺だけのチームだって言ったあの監督、見返してやる時だ!! 行け、染岡ッ!!」

 

 そして水を得た魚のような生き生きととしたプレーでどんどんパスも繋がり、染岡さんまでボールが繋がりました。しかしそれをさらに私に繋ぐことは、さすがに不可能でしょう。同じ轍は踏まないと、半分トラウマになっているのだろう尾刈斗選手のマークがぴったりと私に付いてしまっています。

 そして染岡さんの【ドラゴンクラッシュ】では敵キーパーは突破不可能。彼の【ゆがむ空間】が手の不思議な動きをトリガーにした催眠術だとしても、シュートをするにはゴールに狙いを付けなければならない以上、どうしたって視界に入ってしまうでしょう。

 そうなれば、私のように催眠術の準備が整う前にいきなり遠距離からシュートを打てるない以上、豪炎寺さんであってもゴールを決めることは困難です。

 それを豪炎寺さんに劣る染岡さんが蹴るのであれば、結果はなおのこと。それがわかり、しかし皆さんの意思が籠ったボールを託された染岡さんは、

 

「俺の……俺たちのサッカー……。今、俺ができること……!!」

 

 大きく足を振り上げ、打ちました。

 

「【ドラゴンクラッシュ】!!」

 

 ただしそれはシュートではなく、パスとして。

 

「ッ!! まさかッ!!」

 

「そうだ!! 染岡を……俺たち雷門というチームを舐めた、それがお前たちの敗因だ!! 【ファイアトルネード】ッ!!」

 

 空中に打ち上げられた【ドラゴンクラッシュ】に【ファイアトルネード】が合体し、生じた赤く燃えるドラゴンのようなシュートが、敵キーパーの技を打ち破ってゴールネットを揺らしました。

 

 と同時に試合終了のホイッスル。点数はギリギリで3-4。私たちの勝利が決まり、皆さんから「やったやった」と歓声が上がります。

 そして円堂さんもゴールからすっ飛んできて、決勝打を決めた染岡さんと豪炎寺さんに、飛び掛かるみたいに抱き着きました。

 

「やったな染岡、豪炎寺! 二人の合体シュート、すげー威力だったぜ!」

 

「名前を付けるとすれば、さしずめ【ドラゴントルネード】。いやはやお見事でしたよ」

 

 祝いの空気に便乗した目金さんが得意げに命名します。くっつけただけでちょっと安直です。

 と私は思ったのですが男の子たちの感性的には満点だったようで、円堂さんや皆さん、当人である豪炎寺さんと染岡さんたちにも好評なようです。「それいいな」と決定してしまって、そして次いで、豪炎寺さんは染岡さんに「それにしても」と言いました。

 

「正直驚いたよ、染岡。まさかお前がぶっつけ本番で連携を思いつくとはな」

 

「ふん……別に。半田も言ってただろ、あのいけすかない監督の鼻を明かしてやりたかっただけだ。……豪炎寺なら、俺のシュートにもついてこれると思ったからな」

 

 確かにあの合体シュート、【ドラゴントルネード】は、事前に練習したわけでもない即興の連携技。二人して成功させたことに関しては私もすごいとは思います。

 がしかし、

 

「皆さん忘れてるみたいですけど、今回のって結構重要な試合だったんですよ? 即興の連携とか、いきなりそんなギャンブルみたいなことしちゃうんですから、私、心臓が止まっちゃうかと思いました」

 

 勝てばフットボールフロンティア出場が叶いますが、負ければ今度こそ廃部。そんな条件であったはずです。

 全て良い方向に転がったからいいものの、例えば【ドラゴントルネード】以外にも私の指示を忘れて危うく逆転不可能にまでなりかけた時とか、一歩間違えれば負けていたかもしれない場面はたくさんあります。

 だから私はとてもじゃないですが、あんなスリリングな試合内容で喜んだりはできません。しかし口にしたため息は、勝利の喜びに沸く皆さんには全く逆の意味に聞こえたのかもしれません。

 

「重要……そうだ! これで俺たち、フットボールフロンティアに出場できるんだ!」

 

「ついに、念願のフットボールフロンティア出場でやんす! 壁山にも知らせないと!」

 

 逆に皆さんの盛り上がりに薪をくべる結果となってしまいました。ベンチで未だ気絶したままの壁山さんを起こしにかかる皆さんを眺めつつ、ちょっとうらやましい気持ちになってしまいます。気楽でいいなぁ、と。

 

 二度目のため息が出ました。が、その時、不意に視界に染岡さんが入り込んできました。

 皆さんのように壁山さんの方へは行かず、しかし眼は壁山さんの方に向けられたまま。その状態で、しかし言葉は私へと向けられました。

 

「……豪炎寺にもお前にも、エースストライカーの座を譲ったわけじゃないからな」

 

「はい?」

 

 いきなりなんですか、という間もなく、それだけ言い捨てて染岡さんは皆さんの方へ行ってしまいました。

 そして入れ替わりに、秋さん。

 

「染岡くんも佳ちゃんのことを認めてくれた、ってことなのかな」

 

「……なるほど。けれどあれこれ言った手前それが恥ずかしかったと。……ふふ、相変わらずかわいい」

 

 ちょっとは精神的に成長したかと思っていましたが、そんなこともなさそうです。揶揄い甲斐は変わらないようで一安心。

 そうしているうちに壁山さんも目覚めて雷門の勝利を知ったようで、フットボールフロンティア出場の感慨にふける中、円堂さんが拳を突き上げ叫びます。

 

「よーし、みんな! フットボールフロンティアに乗り込むぞ!!」

 

「「「「おう!!」」」」

 

 意気揚々と、皆さん声を上げて応えました。豪炎寺さんや隣の秋さん、音無さんも一緒になって拳を掲げています。となれば私一人があれこれ悩むのも馬鹿馬鹿しい話。彼らに倣って今は私もとにかく勝利を喜ぼうと、ちょっと遅れて円堂さんの音頭に応えたのでした。

 

 

 

 

 

 そうして時間も過ぎ去り、夕暮れ。意気消沈の尾刈斗さんたちを見送ってグラウンドの片付けも終わらせて、フットボールフロンティア出場の件で発案の雷門さんに相談に行った秋さんと音無さんのマネージャー二人に先んじて、私は着替えに向かっていました。

 用具入れで円堂さんたち男子陣と別れ、いつものように空き教室へ。その道中、校舎へ入ろうとしたその時に、ふと耳に声が届きます。

 

「――はい、はい。わかっています。土門 飛鳥くん……転入生ですね。わかっていますとも、ええ……」

 

(冬海先生……?)

 

 校舎の陰で、先生が何やら電話越しにペコペコ頭を下げている姿を見つけました。

 誰か偉い人と通話しているのでしょう。転入生、というからにはもしや近いうちに転校生でも来るのでしょうか。

 

「……もちろん、影山総帥のおっしゃる通りに……」

 

 電話相手の、おそらく偉い人の名前まで聞こえてくる始末。とにかく大事な話なら邪魔するのは悪いですし、第一私は冬海先生に用事はありません。聞かなかったことにするべく聞こえた名前も脳みそから追い出して、そのまま静かに校舎へと入りました。

 しかし上履きに履き替える途中、ふと記憶の隅に何か引っかかりました。

 

(あれ……? 土門 飛鳥……どこかで聞いたような気がしますけど……)

 

 どこで聞いた名前でしたっけ。頭を捻ってもそれ以上は出ては来ず、仕方なく思い出すことを諦めて、私は空き教室目指して階段を上るのでした。




連続更新はこれにて終了。続きは書きだめができた後、ある程度まとめて投稿します。それまでお気に入り登録などしてお待ちください。
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第十三話 新入部員、土門 飛鳥

「フットボールフロンティアの組み合わせ抽選会、行ってきてあげましたよ。初戦の相手は野生中です」

 

 

 と、滅多に部室には来ない冬海先生が、ミーティング中の私たちの前に現れるなりそう言いました。

 

 昨日の夜、フットボールフロンティアの開会式と予選の抽選会が行われたことは、もちろん私も把握しています。雷門さんは約束通りに参加の手続きをしてくれており、並ぶ参加校の校名の中に雷門中学の文字があったことも確認済み。名前とはいえ顧問兼監督である冬海先生は、学校の代表としてその抽選会に出席してくれていたのです。

 だから先生が私たちの最初の対戦相手を知っていることは不思議でも何でもないのですが、しかしそのことを、わざわざ自分の足で私たちの部室を訪れ報告した、というのは正直驚き。いつもの先生なら秋さんあたりにだけ伝えて後を任せるとか、つまり極力、サッカー部のためには動かない人だったのですが――

 

 ……もしかして、この間の尾刈斗戦での勝利を眼にして顧問兼監督である自覚とかやる気とか、先生に芽生えちゃったりしたんでしょうか。

 

 

「フットボールフロンティア……!! そうか、ようやく始まるんだ……っ!! それで冬海先生、野生中ってどんなチームなんですか!?」

 

「さあ? 知りたければあなたたちで勝手にやってください。……それと円堂くん、室内とはいえあまり大きな声で騒がないでください。他の先生方に変な眼で見られてしまうでしょう?」

 

 

 どうやら“もしかして”なんてことはなさそうです。自己保身第一な、いつも通りの冬海先生でした。

 しかしそんな冷たい態度も、念願かなってフットボールフロンティアを戦える、と最近ずっとハイテンションで目を輝かせている円堂さんは全く気にもしていません。情報ならば彼女だと、データ処理で既に皆さんの信頼を得ている音無さんへと、彼は質問の矛先を変えました。

 

 

「音無! お前のデータベースに野生中は――」

 

「もちろんありますよ! えーっと……大自然に鍛えられた身体能力と個人技の高さが特徴のチーム、らしいです。昨年は予選の決勝戦で、帝国学園に敗退しているみたいですね」

 

「だがその帝国は全国大会で優勝してる。そんな相手と戦えるレベルって考えると……へへっ、かなりの強敵だな。腕が鳴るぜ!」

 

 

 勝気にニヤリと笑う染岡さん。普通に考えれば初戦の相手としてはハズレもいいところですが、わかっているのかいないのか、彼にとってその情報は戦意向上の追い風となったようです。敵が強ければ強いほど、それを受けてこっちもより強く走れる、とかなんとか、そういう感じでしょう。

 まあ、我がチームの目標が大会の優勝である以上、染岡さんの感性の方が正しいのかもしれません。予選はトーナメント形式ですからどのみち強敵との戦いは避けられませんし、音無さんのパソコン画面、表示された組み合わせ表を覗き見るに、おそらく決勝の相手は帝国学園です。そこで勝たなければ本戦出場が叶わないのですから、私は皆さんの糧になるような強い相手との試合こそを歓迎すべきなのでしょう。

 

 

「とはいえ、さすがに強敵が過ぎちゃうと思うんですよねぇ。帝国戦の時みたいに、皆さんがボコボコにされちゃわないか、ちょっと心配」

 

 

 ただ単に叩きのめされてしまっては、得られるものはありません。

 そんな、煽り抜きの純粋な心配を口にしたつもりでした。が、染岡さんには純度百パーセントないつもの軽口に聞こえてしまったようです。勝気な笑みがいつもの仏頂面に戻ってしまい、忌々しげに鼻が鳴りました。

 

 

「毎回毎回、よくそんな減らず口が出てくるな……。だがいらねぇ心配だぜ。俺たちは強くなった! もう帝国に手も足も出なかったあのころとは違う! 円堂の【ゴッドハンド】、俺の【ドラゴンクラッシュ】に豪炎寺の【ファイアトルネード】と、合体技の【ドラゴントルネード】。それに……癪だが、ベータ、お前の【ダブルショット】もある! 相手は強いが帝国ほどじゃねぇんだろ? ならやれるさ、今の俺たちなら!」

 

「わたし的にはその自信がどこから湧いてくるのかって思っちゃうわけなんですけど……っていうか、染岡さん、あなたまで今、私のこと“ベータ”って――」

 

 

 呼んじゃってませんでした? と、眉を寄せて不愉快を露にしてやるはずだったのですが、しかしそんな私の“怒ってますポーズ”は、伝わる前に邪魔されてしまいました。

 それなりに重要なのに彼にはどうでもいいことと思われているようで、俯き加減に思索を巡らせていた一人、豪炎寺さんは、ふと顔を上げて元の話題への忠言を口にしました。

 

 

「いや……どうだろうな。野生中は簡単な相手じゃないぞ」

 

「豪炎寺、おまえもしかして、野生中のこと何か知ってるのか!?」

 

「ああ。以前戦ったことがあるが、奴らの身体能力、特に反射神経や瞬発力はかなりのものだ。染岡、少なくともお前が思っているよりはずっと高い」

 

「……へぇ。まさか豪炎寺、お前までベータみたいに俺たちが勝てないとでも思ってるのかよ」

 

「別に私、勝てないとまでは言ってないですけど」

 

 

 いえまあ冗談とはいえほとんど同等のことを言いはしましたが。

 しかし円堂さんと染岡さん、そして周囲の他の皆さんにも、豪炎寺さんが私と同じようなことを言ったのが意外だったようで、彼に集まる視線は凡そ困惑のそれ。そして視線を向けられた当人は、それに首を縦に振りました。

 

 

「勝てない……とは俺も言わない。だが今のままでは厳しい戦いになると思う」

 

「なんでだよ? 染岡の言う通り、こっちには必殺技だっていっぱいあるじゃないか!」

 

「だが今ある必殺技はずべて野生にも知られているだろう。俺の【ファイアトルネード】はもちろん、【ゴッドハンド】や【ダブルショット】は、俺たちが帝国に勝ったっていう情報と共に広く噂になっている」

 

「確かに……そうですね。先輩たちの必殺技、すごかったですし……それにあの帝国学園に勝ったっていうインパクト、ちょっとしたニュースになってるくらいですから」

 

 

 音無さんがパソコンの画面を見つめながら神妙なふうに頷きます。確かに、私や豪炎寺さんの活躍が有名になっていたからこそ、尾刈斗だって練習試合を申し込んできたのです。

 野生中に私たちの必殺技がバレている。故に警戒される、という理屈は理解できます。ですがしかし――

 

 

「なんだかもう、皆さん今日は色々と大げさですね。フットボールフロンティアが始まったからって、不安定にでもなっちゃってるのかしら」

 

「なに……?」

 

「染岡さんは自信を持ち過ぎ、そして豪炎寺さんは心配のし過ぎです。まるで私の【ダブルショット】が野生中に通用しないみたいな言い草ですけど、そんなことあるわけないじゃないですか。警戒されていようがいまいが、私のシュートが止められるはずないもん」

 

「ふん。ベータはどうか知らねぇが、俺の【ドラゴンクラッシュ】だってあるんだ。ビビり過ぎだぜ豪炎寺」

 

 

 その通り。慎重になるのはいいですが、しかし豪炎寺さんは悲観的過ぎます。

 

 染岡さんの【ドラゴンクラッシュ】はともかくとして、確かに私の能力や【ダブルショット】はまだまだかつての全盛期――遥か昔の幼子時代の話ですが――には程遠くはありますが、それでも戦うには十分。それは尾刈斗キーパーが【ダブルショット】を一度も止められていないことからして、客観的にも明らかです。しかも、豪炎寺さんの【ファイアトルネード】との合わせ技でしたが、私たちは帝国のゴールすら破っています。

 加えて――

 

 

「なんなら私、まだ皆さんにも見せてない必殺技が一つありますから。今ある必殺技が対策されるかもって思うなら、私、試合までにこっちを使えるように練習しちゃいましょうか?」

 

 

 【ダブルショット】に続く、私のもう一つの必殺技。もし豪炎寺さんが私の言葉を信用できないというのなら、それを使うのもいいでしょう。

 サラッと明かし、豪炎寺さんも含めて驚きの視線を受けた、その時でした。

 

 

「へえ、なにそれ初耳! どういう必殺技なんだ?」

 

「ドリブル技です。【ダブルショット】と同じように、こう、ボールに回転を――?」

 

 

 何気なしに答えかけて、その途中で気が付きました。背後からの質問の声は、思えば聞き覚えがありません。

 

 振り返ると、やっぱり見知らぬ男の子が部室の入り口からこっちを覗き込んでいました。しかも雷門サッカー部のユニフォームを着ています。

 一瞬遅れて、他の皆さんもその存在に気付いたようでした。

 

 

「おおっ! ドリブル必殺技――って、うん? 誰だ、お前?」

 

「転校生ですよ。円堂くん、君と同じ二年生です」

 

 

 代表して円堂さんが首をかしげると、その転校生さんの代わりに冬海先生が答えました。ため息交じりに続きます。

 

 

「サッカー部に入部希望だそうですよ? 全く、転入してすぐこんな弱小クラブに入りたがるなんて、おかしな子だと思いません?」

 

「まあまあ先生。……ってわけで、俺、土門 飛鳥。ピッチピチの転校生。一応ディフェンス希望ね、どうぞよろしく!」

 

「土門 飛鳥……?」

 

 

 人当たりのよさそうな笑みを作ったひょろっとした色黒の彼、土門さん。その名前を耳にした時、私の脳裏にふと何かが引っ掛かったような感じがありました。どこかで聞き覚えが……いえ、見た(・・)覚えがあるようなないような。

 私がそうやって記憶を探っているうちに、土門さんはその笑みを私たち全員から、秋さん一人へ向けました。

 

 

「秋も、久しぶり! またサッカーに関わってるんだな」

 

「うん……本当に久しぶりね、土門くん。びっくりしちゃったわ」

 

「おや、二人は知り合いだったのですか?」

 

「はい、昔、アメリカに――」

 

 

 と、土門さんと秋さんが顔見知りであったことが明かされて、その時、ようやく私は記憶の中で引っ掛かっていたものを見つけ出しました。

 

 

「ああ、そうでした! どこかで見た名前だと思ったら、土門さん、秋さんがアメリカにいた時のお友達ですよね?」

 

「え? あ、ああ、そうだけど……秋から聞いたのか?」

 

 

 いいえ、“見た”のです。子供時代に秋さんとやり取りしていた手紙の中に、彼の名前が度々登場していたのを。

 

 同じ頻度で出てくるお友達の名前が他に二人分あったのと、そして音でなく文字で知っていたために気付くのが遅れてしまいましたが、今はっきりと思い出しました。

 ですがどうやら土門さんには、私のような記憶の合致がまだ起きていない様子。秋さんや土門さんたちしか知らないような話を私が知っていることに、不思議そうな顔をしています。それを見かねてか、秋さんが言いました。

 

 

「土門くん、覚えてない? 日本にすごくサッカーの上手な友達がいるって話、したことあるでしょ?」

 

「そういえば……っ! も、もしかして、彼女が……?」

 

「うん。それがこの子、佳ちゃんよ」

 

「はい、米田 佳です。よろしくお願いしますね、土門さん」

 

「っあ、ああ……」

 

 

 にっこり微笑みかけました。そして土門さんも秋さんから聞いた私のことを思い出した様子です。

 しかし……どういう感情なのでしょうか。私を凝視して固まった土門さんは、ぎゅっと口を閉ざしてしまいました。驚きと一緒に、明らかに見える恐怖心。何に起因するかはさっぱりですが、とにかく私の存在を眼にした彼は何かに怯え、怖がっているようです。

 

 

(怖いって……私のことが?)

 

 

 いえ、そんなわけがないでしょう。だって何しろ初対面。怖がられる要素なんてないはずです。

 さっぱりわからないのでそのことは棚上げすることにして、私は土門さんの名前の気付きに関連して思い出したもう一つの話題を口に出しました。

 

 

「それにしても……なるほど。やっとすっきりしちゃいました。この前、冬海先生が電話で話してたのも、土門さんのことだったんですね」

 

「なっ……き、聞いていたのですか、あの電話を!?」

 

「え、ええ。土門さんの転入についてのお電話だったんですよね? ……ああ、大丈夫ですよ、聞こえちゃったのは土門さんの名前くらいで、個人情報とかは全く」

 

 

 やたらと焦った様子で冬海先生が詰め寄ってきますが、これもどうせ自己保身でしょう。そういう情報が自分経由で広まってしまったら処罰があるかも、なんて考えたに違いありません。

 なので早々に無視し、次いで土門さんと円堂さんへ。

 

 

「土門さん、確か……アメリカの少年リーグ、でしたっけ。そこで優勝しちゃったんでしたよね?」

 

「あ、ああ、まあ……一応……」

 

「少年リーグ!? 優勝!? マジで!? よくわからないけどすっげー!! そんな奴がウチに入ってくれてうれしいよ、土門!! フットボールフロンティア優勝目指して、一緒に頑張ろう!!」

 

 

 私の与えたエサに円堂さんが飛びついて、喜びのあまり土門さんの手を握ってぶんぶん振り回し始めました。ずっと怯えたような表情だった土門さんも面食らうほどの勢いで、彼は目を瞬かせてあっけに取られてしまったようです。

 しかしおかげで、彼は彼が登場する前の私たちの会話も思い出したようでした。

 

 

「でもさ……その、話、聞こえちゃってたんだけど、次の相手って野生中なんだろ? 俺も前の学校で戦ったことあるんだけど、豪炎寺さんと同意見。特に空中戦なんか帝国以上だからさ、だから……米田の【ダブルショット】とかも、たぶん上から抑え込まれちゃうんじゃないかな。いくら強力なシュートでも、打つ前に止められたら意味がないだろ?」

 

「ふぅん、あなたまでそう言っちゃいますか。……まあ確かに、野生のジャンプ力が本当にあなたたちが警戒するほどのものだったら、そうなることもあるかもしれませんね。でも――」

 

「だったらあれだ、ベータがドリブル技を使えるんだろ? 上から抑え込まれるなら、その前に抜いちまえばいいじゃねぇか」

 

「……言われちゃいましたけど、そうです。試合までに私がその必殺技を鍛え直せば、それでオッケーでしょ?」

 

 

 割って入ってきた染岡さんを押しやりつつ、頷きます。妨害があるというのなら、それを振り払ってフリーになってからシュートすればいいだけです。

 しかし豪炎寺さんは、それでも不満なようでした。

 

 

「どうだろうな。そううまくいくとは思えない。それよりももっと別な手段を……。そうだな、例えば――」

 

「新必殺技だ!! それも相手の高さを上回るシュート技!! そういうことだろ、豪炎寺!!」

 

 

 そこに土門さんの手を振り回したままの円堂さんが、テンションに任せて叫びました。

 狭い部室に反響して耳がキンキンするほどの大声でしたが、たじろぐ私たちなど気にもせず、彼は続けます。

 

 

「みんなで新必殺技を考えようぜ!! 【ファイアトルネード】や【ダブルショット】みたいなすげー必殺技をさ、俺たちが使えるようになったら超絶対楽しいって!!」

 

「た、確かに……! 俺もあんな必殺シュートを……!」

 

「ふふふ……打てたら、もっと目立てる……」

 

「おおお……! 想像したらがぜんやる気が出てきましたよ、キャプテン!」

 

 

 唆すと、皆さんあっさり円堂さんの提案に乗せられてしまったようでした。各々が必殺技を妄想し、そしてその中でも壁山さんが、おそらく前の尾刈斗戦で試合後すぐ気絶してしまったために碌な活躍ができなかったためか、汚名返上とばかりにやる気をみなぎらせていました。

 

 

「そうッスね!! 染岡さんに続いて、俺たちもどんどん強くならないとッス!!」

 

「おお、その意気だ壁山!! 新必殺技で、野生なんてぶっ飛ばしてやろうぜ!!」

 

 

 染岡さんにバシバシ背を叩かれていますが、しかし、です。

 皆さん、必殺技の開発を甘く見ている気がしてなりません。野生との戦いまでの期間は、少なくはありませんが決して多くもなく、一から新しい必殺技を完成させるには到底足りないと思うのです。

 それどころか、間に合わない必殺技の開発にかまけて基礎練習がおろそかにならないか、ということも心配。まだまだ皆さんの身体能力は鍛錬不足で発展途上ですし、しかも野生はその身体能力が高いというチームです。

 

 という懸念は数々あれど、やる気に満ち溢れてしまった皆さんはもう私には止められそうにありません。

 ため息を吐くと同時に、円堂さんが拳を突き上げ、

 

 

「よーし! みんな、新しい必殺技で空を制するんだ!! 早速練習するぞ!!」

 

 

 そして皆さん威勢良く、部室を飛び出していきました。



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第十四話 イナズマイレブンの秘伝書

「【キラースライド】ッ!」

 

「きゃっ! ……ああ、またやられちゃいました。すごいですねぇ土門さん、その必殺技」

 

「ああ……まあな」

 

 

 円堂さんの提案から数日、今日の私たちはいつも通りに河川敷にて練習をしていました。その中でも私と土門さんは一対一の対決のような特訓の最中。その目的は、もちろん私のドリブル技の錆び落としのためです。

 正直、なかなかに苦戦しています。【ダブルショット】以上に長らく使うことがなく、そして使う機会も少なかったために錆びつきも酷く、故に荒療治的に土門さんに協力してもらっているわけですが――彼が以前の学校で覚えたというディフェンスの必殺技、【キラースライド】なる怒涛のスライディングタックルと対決を続けることはや数日、その戦績は凡そ三対七で、未だ私の負け越し状態。土門さんのディフェンス能力が高いということもありますが、試合までにものにできるか、若干心配になってくるくらいの歩みの遅さでした。

 

 

「……ふぅ」

 

 

 がしかし、他の皆さんよりはマシでしょう。身を起こしながら周囲を見渡し、息を吐きました。

 

 “新必殺技”の開発に躍起になって特訓を続けている皆さんは、やはり私の思った通り、未だ必殺技の『ひ』の字にすら到達していないようです。宍戸さんはもじゃもじゃ頭の中にボールを隠そうとしてぽろぽろ零してばっかりですし、やる気のあった壁山さんに至ってはその場でくるくる回るだけ。少林さんと栗松さんに唯一希望が――ゴマ粒くらいの大きさですが――見えるくらいで、他はもう全くと言っていい有様です。

 

 

「あの様子じゃ、必殺技が完成する前に大会が終わっちゃいそうです」

 

「まあ……仕方ないさ。それだけ必殺技を作るっていうのは難しいんだろうし……。俺の【キラースライド】も……その、前の学校で伝統的に伝わってた技を教えてもらったってだけだしさ」

 

「うーん……そうですね。“一から”となると、そうなのかも」

 

 

 土門さんに口で応じつつ、しかしあまり実感がありません。遥か昔過ぎて正直記憶がおぼろげですが、私の場合は【ダブルショット】の習得にそこまで苦労した覚えがないのです。

 ふと思いつき、ふとやったらできた、みたいな感じだったでしょうか。とにかく、そのせいで土門さんのように皆さんに同情することはできませんでした。

 

 ……というか、その土門さん。初対面の日からずっとですが、今日もやっぱり私に対する態度がよそよそしいです。なんでそうなのかは相変わらずわかりませんが、もうそろそろいい加減にしてほしいものです。

 しかし彼が私の何かを怖がっているのなら、私の口からそれを指摘するのは逆効果でしょう。故に今日も私は何も言えず、代わりにできるだけ穏やかな笑みのまま、彼との間の話を続けました。

 

 

「でも土門さん、アメリカにいた時に必殺技とかは覚えなかったんですか? リーグ優勝したのに」

 

「あれは……その、俺じゃなくて一之瀬の奴がすごかったんだよ……」

 

「一之瀬……ええと、一之瀬 一哉さんでしたっけ。秋さんのお友達、三人いたんでしたよね。その一人で、確か“フィールドの魔術師”なんて呼ばれていたとかなんとか」

 

「……ああ、すごい奴だったよ。……俺なんかより、ずっと」

 

「へぇ、すごいんですね。なんなら彼ともう一人もうちのチームに来てくれたら、色々楽しそうなんですけど……。一之瀬さん、今どこにいらっしゃるんです?」

 

「あいつ、は……」

 

 

 なんとなしに気になっただけでした。異名が付くくらいには有名であるはずなのにこっちでは話を聞かないので、未だアメリカにいるんでしょうかと、そう思ったのですが、口にした瞬間、ただでさえ暗かった土門さんの顔色がますます暗くなってしまいました。

 聞いてはいけないことを聞いてしまったようです。あるいは一之瀬さん自体がいわゆる地雷だったのか。となればもう迂闊に動けず、私も土門さんも気まずさを感じながら黙り込むしかなくなった時でした。

 

 

「亡くなったの、一之瀬くんは」

 

「秋……」

 

 

 いつの間にやら私たちの近くまで来ていた秋さんが、静かにそう言いました。

 皆さんの特訓の記録を付けていたんでしょう。ボードを手にした彼女ですが、しかしその表情は土門さんと同様に沈んだ様子。しかしそれも無理からぬことです。

 

 

「少年リーグ優勝からしばらく経った頃に、道に飛び出した子犬を助けようとして……それで……」

 

「……そうなんですか」

 

 

 その、死という悲惨な出来事は彼女から送られてくる手紙には書かれていませんでした。しかし思い返せば突然手紙の内容に元気がなくなった時期があったように思います。

 ちょうど私もサッカーをやめた頃だったのでそのせいかと思っていたのですが、納得です。友人の死を文字になんて書きたくはなかったでしょう。

 

 ますます気まずくなってしまいましたが、しかしそれを破ったのもまた秋さんでした。悲しみは残れど、すでに振り切ったことだったのでしょう。彼女は土門さんへ、優しげな笑みを浮かべました。

 

 

「だから、土門くんがサッカーを続けてくれてたって知った時、私、ちょっと嬉しかったの。一之瀬くんのサッカーは忘れられてないんだって」

 

「忘れるわけないさ。そう……あいつのサッカーをなかったことにするなんて、そんなの……」

 

 

 その時、土門さんは一際険しい顔になりました。が、それはすぐに呑み下したようで、彼は大きく息を吐き出しました。

 

 

「っていうか、秋の方こそだよ。サッカーにまた関わってるの、やっぱり円堂がいたからなのか?」

 

「うーん……そうかも。彼、すごく楽しそうにサッカーするから。マネージャーとして支えてあげたいって思えたのかな」

 

「確かに、わかる気がする。円堂のあの感じ、一之瀬を見てるみたいだ」

 

「………」

 

 

 言葉なく微笑む秋さん。彼女らの思い出の中にはもちろん私は立ち入れませんが、しかしそうまで想われる一之瀬さんはきっととてもいい人だったのでしょう。円堂さんと似ているというのがいささか気になるところではありますが。

 と思いきや、土門さんの眼が今度は私の方を向きます。

 

 

「でも似てる似てないを言うなら、米田の方が一之瀬っぽいかな」

 

「え、私ですか?」

 

 

 一之瀬さんについての知識がわずかしかない私には、同意も否定もできません。眉を寄せる私に、私に関する恐怖心もまとめて呑み込むことに成功したらしい土門さんは、わざとらしいくらいの笑顔になりました。

 

 

「だってディフェンスもドリブルもシュートも、全部一人でできちまうだろ? 一之瀬も同じくらい万能で、だからこそ“フィールドの魔術師”って呼ばれてたわけだからさ。……まあ、シュート力に関しては米田の方が上かもね。なんてったって豪炎寺クラスなんだもん」

 

「ドリブルとシュートはともかく、ディフェンスに関しては別に得意なわけじゃないですよ? 帝国戦のあの時だって、数合わせの助っ人扱いだったからですし……っていうか、もしかして土門さん、帝国戦のことも知ってるんですか?」

 

「ああ、そりゃまあ……。音無も言ってたろ? 有名な話だからさ……。でも、そんな有名なやつがまさか秋の話でよく聞いた“佳ちゃん”だったとはなぁ、すっごい驚きだよ。あれだけ強いんだから、そりゃあスパ――っ!!」

 

「……? 土門さん?」

 

 

 せっかく饒舌だったのに、突然止まってしまいました。見る見るうちに土気色、顔色が初対面の時以上に悪くなっていきます。

 何が怖いのか、もう本当に訳がわかりませんが、幸いにもすぐに土門さんは再起動しました。

 

 

「ああっ、その……あっ! そ、そういえば、その円堂の奴はどこに行っちまったんだろうな!? 豪炎寺に風丸も、なんか探してるみたいなこと言ってた気がするんだけど!」

 

「……そういえばそうですね。練習を放り出しちゃってまで、何を探してるんでしょう」

 

 

 再起動したものの、それは痛々しいくらいの必死な空元気でした。それを咎めるのはあまりにかわいそうです。見ないふりをして乗っかります。

 それに実際、土門さんが口にした疑問は私も気になります。辺りを見回し今気づきましたが、確かに円堂さんと豪炎寺さんと風丸さん、三人の姿がフィールドにはありません。

 

 

「あ、そうそう。えっとね、そのことなんだけど――」

 

 

 と、何やら知っているらしい秋さんが言いかけた、その時でした。

 

 

「みんなー!! イナズマイレブンの秘伝書だぞー!!」

 

 

 河川敷に響き渡る、円堂さんの声。嬉しさのあまりボリュームを絞り忘れたような大声に、私を含めて皆さん全員がそっちの方を振り向きました。

 土手の上です。何か小汚いノートのようなものを、円堂さんが掲げています。元気いっぱいな彼と違って豪炎寺さんと風丸さんは疲れ切った様子で荒い息を吐いていますが、しかしとにかく、三人の探し物はそのノートであったようです。

 ……どうしてあんな小汚いノートをわざわざ探していたんでしょう。

 

 

「“イナズマイレブン”? “秘伝書”? なんですか、それ?」

 

 

 ノートそのものだけでなく、単語のいずれにも全く心当たりがありません。全くもって詳細不明です。

 

 円堂さんたちは一段飛ばしで階段を駆け下りて、最後は飛び下り着地すると同時、ノートを再び掲げ、私たちへと繰り返しました。

 

 

「だから、イナズマイレブンの秘伝書だって!! 風丸たちと手分けして、やっと見つけたんだ!! 見ろよほら、イナズマイレブンが使ってた必殺技が載ってるんだ!!」

 

「ああ、なるほど必殺技……。で、“イナズマイレブン”って?」

 

「四十年前に雷門中に存在した伝説のサッカーチーム、だそうだ。用務員の古株さんが言っていた話だが」

 

「円堂のじいさんがその監督だったんだってさ。で、その時に使ってた必殺技をそのノートに残したらしい。……これがあれば新必殺技の件、解決できるんじゃないか?」

 

 

 角が削れて丸くなったノートの表紙を、突き出すように見せつけてくる円堂さん。大興奮のあまりに若干要領を得ない彼に、豪炎寺さんと風丸さんがそう付け加えます。

 

 二人の言葉のおかげで、どうして練習を放り出してまで探しに行ったのかという疑問も氷解しました。秘伝書、つまり土門さんの【キラースライド】がそうだったように完成形がお手本としてあるのなら、一から考えるよりも習得は容易いでしょう。

 そしてそれが、本当に四十年前とはいえ伝説と言われていたサッカーチームの技であるのなら、実用性の面でもいくらか安心できます。

 

 しかし……そう、四十年前の骨董品です。

 

 

「そんなもの、よく見付けられましたね」

 

 

 そしてよく無事に保管されていたものです。感心しつつ呟いた、その時でした。

 

 

「理事長室の金庫にしまわれていたのよ。四十年間、ずっとね」

 

 

 聞き覚えのある声。そしてまたも土手上です。黒いリムジンのような車から、雷門さんが降りてきていました。

 

 同時に察します。円堂さんは彼女の助けを借りて秘伝書を見つけ出したのでしょう。曰く理事長室の金庫に仕舞われていたのなら、ただの一生徒でしかない円堂さんがそれを持ち出せるはずがありません。

 そしてそれだけ厳重に保管されていたから、四十年経っても秘伝書のノートはボロボロにならずに済んだのでしょう。とすればそんな重要な金庫をどうして雷門さんが開けてあげる気になったのか、新たな疑問が湧いてきます。

 

 

「雷門さん……私達サッカー部のこと、気に入らないんじゃなかったの?」

 

「廃部にすると言ったことを言っているのなら、私は生徒会の仕事に私情を持ち込んだりはしていません。結果を出さない部に相応の待遇を与えようとしただけよ」

 

「だからこれ(秘伝書)は今のサッカー部に対する相応の待遇、ってことですか。フットボールフロンティアへの参加、許可しちゃいましたものねぇ」

 

「……そうだけど、何よその含みのある言い方は。文句でもあるの?」

 

「いえいえ。いかにも“サッカーなんてくだらない玉蹴り”みたいに思ってそうだったのに、変わりようがちょっと面白かっただけです。興味が湧いたなら、音無さんみたいに雷門さんもウチのマネージャーになっちゃいます?」

 

 

 訝しげな秋さんに雷門さんが返したお堅い返答は、やはり私の思った通り、本心ではなく外向けの建前だったようです。煽るように言ってやると、高飛車な感じだった彼女の表情がたちまちムッとなりました。

 

 

「別にそこまで心変わりはしてないわよ。まあ少し……本当に少し、あなたたちの熱意に興味が出たのは事実だけど、けどマネージャーなんてお断りよ。あんな臭い部室になんていられないわ」

 

「男の子でいっぱいの部室のにおいを覚えてちゃってるんですか? ……なんだか変態さんみたいですねぇ」

 

「ちょっと!? 汗臭いって意味よ!?」

 

「でもしょうがないんですよ、シャワー室どころか更衣室もありませんし。問題だと思うなら雷門さん、理事長さんの権力で用立ててくれちゃいません? せめて女子更衣室、欲しいんですけど」

 

「もう……嫌いよあなた。……わかりました。検討しておきます」

 

「わあ、ほんとですか? なんでも言ってみるものですねぇ」

 

「あくまで検討するだけですからね! ……それより、今は秘伝書の方が重要なんじゃなくって? 理事長室に忍び込んで金庫をこじ開けようとするくらい、必要なものなんでしょう?」

 

 

 ねえ円堂くん、と雷門さんの眼が、嬉々として皆さんに秘伝書のノートを見せつけていた円堂さんへと向きました。

 私の嗜虐心で赤くなったままの顔は微妙に格好がついていませんが、それでもその言葉が意味することは、秋さんを慌てさせるには十分な大事です。

 

 

「り、理事長室に忍び込んで、金庫を……!? 円堂くん、またそんな危ないことしたの!?」

 

「えっ!? あ、いや……だって、イナズマイレブンの秘伝書だし……」

 

 

 私をサッカー部に勧誘しに来た時のように、我慢ができなかったと。

 しかしあの時とは事の程度が天と地です。

 

 

「ようやく学校にも認められて、部もにぎわってきたところなのに……問題になったら今度こそ廃部になっちゃうかもしれないんだよ!? 円堂くん、もうちょっと部長としての自覚を持って!」

 

「わ、悪かったよ……。でもほら、大丈夫だったろ? 雷門も『今回は見なかったことにしてあげる』って――」

 

「一応言っておくけれど、次はないっていう意味ですからね。……それにさっきも言ったけれど、大会に出場するあなたたちは学校の名誉を背負っているの。試合に勝つために必要だとはいえ、今後はこんなくだらない問題を起こさないでほしいわね」

 

 

 女子二人を前に他の皆さんも円堂さんを庇う言葉がないようで、諸々合わさりがっくり肩を落とす円堂さん。一定の反省を見せた彼は、しかし顔を引きつらせつつもなんとか笑顔を捻り出して言いました。

 

 

「そ、それよりもさ! 雷門の言う通り、今は秘伝書だよ! 今の俺たちに必要な、高さを生かした必殺シュート、バッチリ書いてあったんだ!」

 

「お、おう、そうだな。みんなの新必殺技も完成の兆しはねぇし、即戦力になる必殺技は必要だ。で、どこのページだ? 早く見せろよ」

 

「ちょっと待てよ……あった、これだ!」

 

 

 円堂さん同様若干空気に呑まれている染岡さんに急かされて、円堂さんはお目当てのページを見えやすいように広げて見せます。

 私も皆さんも、そのページに眼をやりました。そして同時に、同様の感想を持ちました。

 

 

「……なんでやんすか? この……」

 

「子供の落書きみたいな……」

 

「暗号かな……?」

 

「……いや、恐ろしく汚い字だ。前に円堂が持ってた特訓ノートもそうだったけど、円堂のじいさんは……まあ、国語の成績があんまりだったみたいなんだよ」

 

 

 読めません。解読不能な酷い文字――いえ、もはや文字とも思えない落書きだけが、そのページには描かれていました。

 風丸さん曰く日本語ではあるようですが、ここまでの悪筆であれば同じこと。誰にも読めないのであれば暗号と変わりません。

 

 

「だが円堂はそのじいさんのノートを読んで特訓し、【ゴッドハンド】を習得した。だから円堂だけはその文字が読める。そうなんだろう?」

 

「ああ。最初は何書いてあるのかわからなかったけど、少しずつ読めるようになったんだ。……じゃあ、読むぞ」

 

 

 と思いきや、どうやら円堂さんは読める様子。ならば安心と皆さん方をなでおろし、円堂さんの解読を待ちます。

 待ちますが、しかし私はもちろん皆さんも、まさかお笑いの天丼みたいなことが来るとは思ってもいませんでした。

 

 

「……『一人がビョーンと飛ぶ、もう一人がその上でバーンとなって、クルッとなってズバーン。これぞ【イナズマ落とし】の極意』、だ……!」

 

「……えっ?」

 

 

 それが、秘伝書の内容?

 一瞬訳がわかりませんでした。というか落ち着いても訳がわかりません。『びょーん』とか『ばーん』とか、それはほんとに日本語なんでしょうか。

 いえ日本語です。いわゆるオノマトペです。しかし大部分がそれで構成された文章は日本語には全く聞こえず……いえでもしかし日本語ではあるわけで……ああもう、とにかく意味不明です。

 

 

「ええっとつまり……どういう意味なんですか、それ」

 

「わからない!」

 

 

 頼みの綱の円堂さんまでもがそう言い切り、皆さんガクッと力が抜けてしまったようです。無理もありません。だってあまりに間抜けです。

 

 

「け、結局は暗号だってことですか!?」

 

「読めても意味がわからないんじゃ意味ないッス……」

 

「ていうかそれ、【イナズマ落とし】だっけ、ほんとに極意なんて書いてあるのか? 円堂、必死に探す意味あったのかよ」

 

「意味はある! サッカー一筋の人だったじいちゃんが、サッカーのことで嘘なんて書くはずがないんだ! この秘伝書には絶対【イナズマ落とし】の極意が記されてる!」

 

「うーん……ほんとにそうでやんすかねぇ……」

 

 

 自分のおじいさんが書いたものであるからでしょう。皆さんが肩を落とす中、円堂さんだけは諦めていません。しかし身内ゆえの信頼は中々他人を動かすには至らず、皆さんやはり及び腰です。

 しかし円堂さんの他にもう一人、雷門さんが言いました。

 

 

「書いてあることは別にして、その秘伝書とやらただの落書き帳でないことは確かよ。でないと金庫に入れておいたりはしないもの」

 

「それは……そうかもしれないけど……」

 

「要するに、暗号みたいなものなんでしょう? なら読み解けばいいんじゃなくって? 謎の言語でないだけ簡単よ」

 

「読み解くって……例えばどうやってです?」

 

「そうね……【イナズマ落とし】とやらは、高さを生かしたシュート技なんでしょう? なら最初の『ビョーンと飛ぶ』とかは、高くにジャンプする、みたいな意味じゃないかしら」

 

「確かに、そうかも……。ヒントがないわけじゃないのよね!」

 

 

 示された解き方。秋さんがぐっと拳にやる気を握り、そして他の皆さんも「おおっ」と眼の色を変えました。

 

 

「じゃあ最後の『ズバーン』はシュートのことか? その前の『クルッと』は……」

 

「回転ってことですかね。【ファイアトルネード】みたいにクルクルッと……」

 

「いやいや、『クルッと』でしょ? どっちかっていうと【ダブルショット】の方が近いんじゃない? オーバーヘッドキックとか」

 

「なら『その上でバーン』は、オーバーヘッドのための前動作……? 『もう一人』って言うからには二人技なんだろうし……ううん……」

 

 

 一斉に相談が始まりました。兆しが見えたことで一気にその気になったのでしょう。意味不明なのだから仕方がないと一度は諦めた皆さんですが、しかしその本心はやはり、せっかくの必殺技を諦めたくはないのです。

 

 そうして皆さん唸りながら頭を捻り、時に相談し、ゆっくりとですが解読が進みます。そうしてしばらく経った頃、とうとう豪炎寺さんが、一つの解にたどり着きました。

 

 

「『高さ』……『もう一人』……そうか、わかったぞ! つまり、こういうことじゃないかな」

 

 

 と、ハッと顔を上げた豪炎寺さんは、皆さんの視線が集まる中、ホワイトボードにペンを走らせます。

 

 

「一人が飛び、もう一人がそれを足場により高くジャンプする。そして超高度から、叩き落とすようにオーバーヘッドキック。……どうだ?」

 

「豪炎寺……そうだよ、きっとそうに違いない!!」

 

「まさに【イナズマ落とし】って感じです! 間違いないですよ!」

 

 

 キュッキュと鳴らして書いた絵図はどうやら好評なようでした。皆さんが頑張って考え込む間、一人だけボールを蹴るわけにもいかず暇だったので、そっちの面でも一安心です。

 

 そんな喜ぶ皆さんを認めてから、私は言いました。

 

 

「解読は終わりですね。じゃ、早く練習に戻りましょ。土門さんお借りしてもいいですよね」

 

 

 ドリブル技の練習の続きです。野生戦までに完成させるためには一日だって無駄にできない――と、そこまで切羽詰まっているわけでもありませんが、どのみちディフェンダー且つ入部したての土門さんが新必殺技に関わることはないでしょうし、私も、皆さんが湧くそれとは関係がありません。

 新必殺技はそもそも、私たちの既存の必殺技が野生に対策されているかもしれないから必要であるのです。新しい手札を求めてのことであるのでドリブル技を練習する私がわざわざもう一つの必殺技を覚える必要はありませんし、きっと豪炎寺さんあたりが適当でしょう。

 

 そう、私は思い込んでいたのでした。しかし私のそれがいかにまっとうな理屈だろうと、キャプテンたる円堂さんは“まっとうな理屈”なんてものを指針にして物事を判断するような人ではありません。私はそれを忘れていたのです。

 

 

「そう焦るなよ。【イナズマ落とし】は二人の連携シュートなんだからさ、まずはもう一人、ベータの土台になる奴を決めないと」

 

「……え、私の……? 待ってください。まさか【イナズマ落とし】、私にやらせるつもりだったりしちゃいます?」

 

「うん? そうだけど、嫌なのか?」

 

 

 嫌に決まってます。なんで私が、よりにもよって誰かとの連携シュートなんて覚えなくちゃならないんですか。

 

 思ってもみなかった展開で、自覚した途端に私の理屈も剥がれました。つまりこっちが私の本音。豪炎寺さんあたりが覚えた方が戦略的に有効だとか、そんなことよりも何よりも、私は誰かとの連携が必要なシュートなんて全くやる気がしないのです。

 

 だって私より弱い人(誰か)に合わせて打つシュートが、私の全力である【ダブルショット】よりも強いものになる道理がありません。

 

 時間の無駄になるだけです。が、それを言えばきっと、いえ間違いなく皆さんに私への悪感情を抱かせることになるでしょう。それは私にとって好ましいことではありません。故に、驚き反発心を抱きつつも何も言えず、その間に円堂さんが思案顔で言いました。

 

 

「悩んだんだけど、俺、やっぱりベータが【イナズマ落とし】を使えるようになるのが一番いいと思うんだ。だってオーバーヘッドキックが一番得意なのは【ダブルショット】を使うベータだろ? だったら【イナズマ落とし】を一番うまく使えるのだってベータじゃないか!」

 

「俺も同感だ。それに試合の日はそう遠くない。期限からしても、素質があるベータがやるべきだ」

 

「そう……だな。悔しいけどその通りだ。新必殺技の開発も満足にできなかった俺たちじゃ、そもそも残りの時間で習得できるかも怪しいし」

 

「……ですね。俺もやっぱり米田先輩の方がいいと思います。【ダブルショット】があれだけ強力なんだから、【イナズマ落とし】もきっとすごいシュートにできますよ!」

 

 

 なんて、円堂さんに続いて豪炎寺さんや半田さんにも建前は否定され、挙句宍戸さんから向けられる期待の眼。特訓が始まった日には自身が新必殺技を使う様を夢想して皆さん目をキラキラさせていたと記憶していますが、今現在、周囲を見回すにたぶん全員が考えを改めてしまったようです。染岡さんでさえ、その口から反対意見は出てきていません。

 私も反論の言葉を口にするわけにもいかず、であればもはや流れは止めようがありません。言葉にはできずとも私の顔には嫌そうな表情が出てしまっていたのか、円堂さんはさらに私へと続けます。

 

 

「それに……そうだ! 同じオーバーヘッドキックのシュートなんだから、【イナズマ落とし】を特訓すれば【ダブルショット】の強化にもなるんじゃないか!? ……いっちょういっせき? だろ!?」

 

「一朝一夕って、円堂くん……」

 

「それを言うなら一石二鳥でしょう。……図らずも、秘伝書の著者との血のつながりが証明されたわね」

 

「とにかく……一人ですごい威力のシュートが打てるんだから、協力すればもっとすごいシュートになる! それを糧にさらにすごいシュートに進化させれば、連携シュートももっともっとすごいシュートに進化するじゃないか!」

 

「その理屈がおかしいのは俺でもわかるぞ。円堂、秘伝書の解読で頭使い過ぎてオーバーヒートしちまったか?」

 

「い、いやそんなことは……」

 

「だが、言いたいことは俺たち皆同じだ。ベータ、尾刈斗の試合でも言ったが、お前がみんなを試合に勝たせるためにサッカーをするというのなら、まずお前自身が勝つために――」

 

「ああもう、お説教はもう十分です!」

 

 

 と、円堂さんに続いて染岡さんと、果てには豪炎寺さんのお小言まで始まりそうとなれば、さすがに私も意地を張るのは限界です。どのみち本音が言えない以上、どっちつかずな態度しか取れないのですから逃げられません。

 盛大にため息を吐いてから、私は皆さんに頷いてみせました。

 

 

「……わかりました。【イナズマ落とし】、やります。これでいいんでしょ」

 

「そうこなくっちゃ! 後はもう一人、土台になる奴だけど……やっぱり壁山だな!」

 

「えっ!? お、俺ッスか!?」

 

 

 観念した私に笑みを作る円堂さん。その彼に踏み台役に抜擢された壁山さんはまさか自分がと驚いたようですが、しかし普通に考えて彼以外に適任はいないでしょう。身体が大きくないと土台になんてなれませんし、実質一択です。

 そして当の壁山さんも、周りからの眼と元からあった新必殺技へのモチベーションもあって、すぐに覚悟を決めたようでした。

 

 

「……わかったッス! 俺、頑張るッス! 今度こそみんなの役に立ってみせるッス!」

 

「よし、その意気だ壁山! じゃあ早速、【イナズマ落とし】の特訓を始めるぞ!」

 

 

 そしてそんな円堂さんの声を皮切りに、ようやく練習が始まりました。



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第十五話 不穏な特訓

推敲の果てにかなり文字数が削れたのでちょっと短め。


 【イナズマ落とし】は、とにかく超高度からオーバーヘッドキックでシュートを放つ必殺技です。まず第一に普段以上の高所に慣れなければいけないわけで、そのための特訓として、私は空が赤く染まるまで、二人一組で組んだ腕の足場に高く放り投げられ続ける羽目になりました。

 最初はもちろん、失敗ばかりでした。足ではなくお尻で着地してしまった回数はもはや数える気にもなれないほどでしたが、しかしその甲斐あって今は大分、失敗も減りました。お尻の痛みも随分引いて、そしてちょうど十回連続、私は着地を成功させることができるまでになったのです。

 

 

「――ふっ……と。今度のはどうでした? 染岡さん、風丸さん」

 

「ああ、高さも蹴りも着地も、全部完璧だ。さすがだな、米田。まさかその日のうちにここまでの完成度にできるとは」

 

「できて当然だろ、何のためにベータが抜擢されたと思ってんだ。むしろ()せぇくらいだよ。……ったく、腕が()てぇ」

 

 

 染岡さんが私に踏まれ続けて赤くなってしまった腕にしかめっ面をしますが、出る文句もそれまで。風丸さんが認めるように、結果はしっかりと出ています。

 確かにまあ、少し時間がかかり過ぎたとは私も思わなくはないですが……致し方のないことでしょう。だって二人で放つ連携技、元より私のモチベーションは低いのです。

 

 そして一方、その片割れたる壁山さん

 

 

「ふぐっ! ふんっ! ふぬぅ……っ! だはぁっ……!」

 

 

 どしんどしんと、さっきから飛び跳ねては墜落してを繰り返している彼の特訓の目的は私の足場になるためのジャンプ力の強化なのですが、その進捗は私以上によろしくなさそうです。高さが、特訓を始めてから今まででほとんど変化していません。

 というかむしろ、記録は下がってしまっているようでした。

 

 

「ううーん……壁山くん、頑張ってはいるんだけど……」

 

「ジャンプ力を付けるどころか、段々落ちてきちゃってますね。疲れてきたせいなんでしょうけど……」

 

「う、うう……め、面目ないッス……」

 

 

 手元のボードを覗き込んで難しい顔をする秋さんと音無さん。実際の記録として評価を下された壁山さんは、大の字に倒れ伏してしゅんとなってしまいます。その身体に重りとして巻き付けた、どこから持ってきたのかわからない古タイヤのせいでちょっと間抜けです。

 挙句、弾んで転がるせいで視界も動き、私の眼差しを見てしまった彼は、途端に気まずそうに逸らされてしまいました。

 

 秋さんたちの記録ボードを見るまでもなく、彼と私の進捗の差は明らかです。当初こそ大役を仰せつかってやる気に満ち溢れていた彼ですが、特訓の辛さに加えてその大きな差を眼にし、さすがに心がくじけ気味なってきたのでしょう。ますます巨体を縮こまらせて、もごもごとボヤき出してしまいました。

 

 

「米田さんはあんなにあっさり上達したのに、俺は……。【イナズマ落とし】の相方、ほんとに俺でいいんでしょうか……」

 

「最初にもう結論出ただろ。お前とベータのタッグ、これが一番だっての」

 

「う……でも……」

 

「そうだぞ壁山。そんなに弱気になるなよ」

 

 

 腕の土汚れをめんどくさそうに払う染岡さんに続いて、円堂さんが励ましの手と言葉を壁山さんに差し出しました。そんな、倒れた巨体を引っ張り起こす彼の身体には、壁山さんと同じくタイヤの重りが付いています。

 ジャンプ力を付ける特訓を、『キーパーとしてもジャンプ力は必要だ』と共に行っていた彼ですから、その言葉は染岡さんとは違って嫌味なく染みたのでしょう。続く発破にも、壁山さんは光の戻った眼でしっかりと頷きました。

 

 

「ベータと違って壁山はディフェンダーなんだ。慣れないことをしようとすれば時間がかかるのはしょうがない! ゆっくりじっくり、時間をかけて一歩ずつ上達していけばいいさ! それまで、俺も練習に付き合うからさ!」

 

「キャプテン……! そうッスね、米田さんばっかり気にしてちゃ駄目ッスよね! 俺、頑張るッス!」

 

「ああ、お前はお前、ベータはベータだ! 体重だって全然違うんだしな!」

 

「……円堂さん、ほんとにデリカシーないですね」

 

 

 怒るというかもはや呆れるばかりですが、しかし言っていることはその通り。慣れや技術だけでなく、体型的にもこれは壁山さんにとっては困難な特訓でしょう。

 なので私も、その亀の如き歩みの進歩に関しては、何かを言うつもりはありません。野生中との試合まではまだいくらか期間がありますし、【イナズマ落とし】はそれまでに完成させさえすればいいのです。

 

 あるいは完成させることができなくても、私的には問題なしです。というかむしろそっちの方が好ましいのですが、しかし、そう思っているのはやっぱり私だけでした。

 

 

「でりかしー? おやつの話か?」

 

「……まあ円堂はともかくとして、要するに適材適所ってやつだよね。壁山には壁山にしかできないことがある。できることが違うからこそ、それが合わさった時にすごい必殺技になるんだよ、きっと」

 

「もし仮に……想像するだけでもムカつくが、ベータが二人いたとしても、壁山がいなけりゃ【イナズマ落とし】はできっこねぇんだ。野生戦は他でもねぇ、お前ら二人にかかってんだから、一々くじけてねえで気合入れろよ、壁山!」

 

「は、はいッス!」

 

 

 おバカな円堂さんを放置して、マックスさんと、次いで染岡さんが、反骨心露に激励を送っています。

 そして他の皆さんも。その眼や口の尽くが、【イナズマ落とし】への期待に満ちています。私のように、この特訓を時間の無駄と思っている人は、他にいません。

 

 だからさっきからずっと、私は居心地が悪いのです。

 

 秋さんに耳打ちされ、おそらくデリカシーの意味を教えられたのだろう円堂さんが、若干気まずそうにしながら言いました。

 

 

「よし、じゃあ練習再開だ――と言いたいところだけど、いったん休憩にしよう! 練習は大事だけど、休むのだって同じくらい大切だ!」

 

「へ、へへ、そうッスね。ありがとうございますッス、キャプテン。……よぉっし! 俺、決めたッス! 今日は夕日が沈むまでに十センチは高く飛んでみせるッス! やってやるッス!」

 

「いいぞ、その意気だ壁山!」

 

「米田の方はひと段落ついたし、俺も手伝うよ」

 

 

 染岡さんと風丸さんが壁山さんの肩を叩き、浮かべられる楽しげな苦笑い。

 私はそれに置いて行かれていて、故に無理矢理、ベンチ傍に積まれた予備のタイヤに眼をやり、冗談半分の言葉を挟みます。

 

 

「何ならタイヤの重り、もう一本増やしちゃいます? まだ余っちゃってるみたいですし」

 

「うっ……そ、それはちょっと……ジャンプどころか歩けなくなっちゃうッス……」

 

「余ってるってんなら、お前が使えばいいじゃねぇか。ジャンプ力、つければつけるほど【イナズマ落とし】も――」

 

「染岡さんと風丸さんの腕がなくなっちゃってもいいのなら、やってもいいですけど?」

 

「……さすがにそれは勘弁だな」

 

 

 そんな冗談を言いつつ、私たちは秋さんたちの下、休憩に向かいます。喉を潤したりして各々身体を休めながら、しかしやっぱり【イナズマ落とし】に対する期待はそのまま、皆さんまだまだ特訓を続ける気なようでした。普段であればもうとっくに練習終わりの時間だというのに、そのことを口に出す人は一人もいません。

 『もう今日の練習は終わりにしちゃいましょう』と、そう言いたくても言えないでいるのは私だけ。だから感じてしまう居心地の悪さ、既視感のあるモヤモヤが、私の心に生じてしまっているのでした。

 

 疎外感。熱量の差から来る仲間外れの感覚は、やっぱり気分のいいものではありません。どうすれば皆さんに私と同調を――壁山さんとわざわざ連携しなければならない【イナズマ落とし】が、【ダブルショット】の劣化版にしかならないことを、理解してもらえるのでしょう。

 

(……やっぱり、実際に見てもらうしかないんでしょうか)

 

 壁山さんとの【イナズマ落とし】を完成させて、【ダブルショット】と比べて見せる。そこまですれば、さすがに皆さんの【イナズマ落とし】への期待はなくなるはずです。

 そうすれば、私は仲間外れではなくなります。だからそれまでは我慢――と、ため息をぐっとこらえたのですが、しかし変なところで感のいい円堂さんには、何かしらの違和感となって伝わってしまったようでした。

 

 

「……? ベータ、どうかしたのか?」

 

「え? ……いえ、どうすれば壁山さんがもっと高くにジャンプできるようになるかなって、ちょっと考えちゃってただけですよ」

 

 

 びくりと竦んだ内心は押し殺し、笑みを浮かべて誤魔化します。事前の談笑からとっさに出た言い訳だったせいか、今度は違和感の類を抱かれなかったようで、円堂さんは「そうか」と頷き、二ッと笑いました。

 

 

「最初は乗り気じゃないみたいだったから心配だったけど、よかったよ。……大丈夫、壁山ならきっとやってくれるさ! だからベータ、お前も頑張ってくれよ? 壁山の役目が壁山にしかできないように、お前の役目もお前にしかできないんだから!」

 

「……はい、頑張っちゃいます。豪炎寺さんと染岡さんに合体技ができたんだから、私もできないと格好がつかないですもんね」

 

「そう! そうだよな! 仲間と一緒に力を合わせる合体必殺技って、すっげぇわくわくするもんな! ……ベータがやるべきだって言っておいてなんだけど、正直、羨ましいぜ。俺もシュートが打てたらなぁ……」

 

 

 役目とやら、前者はともかく後者の役目は豪炎寺さんでも問題ないだろう、なんて感想は空気を読んで呑み込みます。加えて豪炎寺さんと染岡さんに対しての体面なんて気にしたこともありませんでしたが、話題に出すと、どうやら円堂さんの琴線に触れてしまったようでした。

 

 めいっぱいの羨望、期待は、私と彼とでどうしようもないほど認識がズレてしまっている証拠です。

 本当に、どうしてそこまで【イナズマ落とし】に夢を見ることができるのでしょう。萎えた身体に鞭打って、勢いを付けて立ち上がります。

 

 

「じゃあ譲ってもらっちゃった分、ますます頑張らないとですね。もうそろそろ休憩も十分ですし……あら? 壁山さん、どこに行っちゃったのかしら」

 

 

 その目的は違えど、【イナズマ落とし】の早期習得はこの場の全員の総意です。『今日中に十センチは高く飛ぶ』なんて無謀なことを宣ってしまった壁山さんのためにもと、特訓を再開させるべく、周囲を見回したのですが、しかし休憩中の皆さんの中に壁山さんの巨体はありません。

 どこに行ってしまったのかと思いましたが、すぐに円堂さんが見つけて指さしてくれました。

 

 

「あ、あっちだ、橋の下。……壁山の奴、あんなところで何してるんだ……?」

 

「……日陰でも探してたんでしょうか。呼んできますね」

 

 

 壁山さんは橋の下の暗がりで、身体から外したタイヤを椅子にしていました。なぜだかこちらに背を向けていて、こちらの声も聞こえていない様子です。

 気力を蘇らせはしても、それほどに疲労が酷いのか。しかし心を鬼にして、私はそっと橋の下の日陰まで赴いて、そしてそのまま、その大きな背中に声をかけました。

 

 

「壁山さん、そろそろ特訓を――」

 

 

 再開しましょうと、そう言おうとした時でした。

 

 

「ぐふ、むふふ――ぎゃアアアアァァァァァッッッ!!? よ、米田さ――ご、ごごご、ごめんなさいッスゥゥゥッッ!!!」

 

 

 叫び、そして身体ごと数メートルも跳び上がり、彼は一直線に走り去ってしまいました。

 

 見事なダッシュ力。そして何よりジャンプ力です。なんだやればできるじゃないですかと、現実逃避気味に疲労と重りの成果に感心して、そういえば跳び上がった彼の腕の中になにやらピンク色の薄い長方形が抱えられていたなと、目に映った映像を見返した、その数秒後。

 

 

「えっ……?」

 

 

 あっけに取られて置いて行かれた私の脳味噌は、そんな声だけを漏らしました。

 



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第十六話 誰にも聞かれたくない話

 河川敷を飛び出した壁山さんは、その後も結局、戻ってくることはありませんでした。

 最も特訓をすべき人がいなくなってしまったために、なし崩し的にその日の練習も終了。『米田お前、壁山に何か変なことでも言ったのか』なんていう全くの濡れ衣な疑いを向けられたりもしながら、私たちは学校へ戻ることになりました。

 

 そして今、私は日が落ちかけな夕闇の中、家路を歩いている最中です。片付けがあるからと残った秋さんと別れて一人トボトボ進みつつ、気付けば口から大きなため息がもれてしまいます。

 

 

「はぁ……結局、なんだったんでしょう壁山さん」

 

 

 部室で着替えた男子たち曰く、壁山さんの荷物は彼らが学校に帰り着いた時には既になくなっていたそうです。つまりとっくに帰った後で、私に向けられたイジメの疑惑は未だ解けぬまま。奇行の理由もさっぱり不明な状況で、心は重たくなる一方です。

 【イナズマ落とし】に疎外感にと、もう、今日はなんだか何も上手くいきません。

 

 

「はぁ……」

 

 

 気を抜けばいくらでもため息が出ちゃいます。そのことにまたため息が出そうになる無限ループに陥りかけて、その時ふと、背後から車の音が聞こえてきていることに気が付きました。

 ここは結構狭い、どちらかといえば路地と言ったほうが正しいような通りです。ちゃんとした広い道路を走ればいいのに、とやさぐれ気分になりつつ道の端に寄ってやり過ごそうとしたのですが、しかし車の音はなぜだか徐々に減速し、やがて私の隣で停車しました。

 

 やさぐれ気分が掻き消えて警戒心が湧きました。が、それも一瞬だけで、すぐにまたまたため息に変わりました。

 黒い高級車、いわゆるリムジンの窓が開いて見えたのは、今日で随分見慣れてしまった雷門さんの顔だったのです。

 

 

「なんだ……雷門さんですか」

 

「『なんだ』って、随分な物言いね。せっかく声をかけてあげようと思ったのに」

 

「そうなんですか。それはどうも、ありがとうございます。誘拐でもされちゃうんじゃないかってびっくりしちゃいました。ほら、私ってかわいいですし」

 

「あら、そんなに心配ならいっそ送って差し上げましょうか?」

 

「遠慮しちゃいます。……それで、どういうご用なんです? 姿が見えたからっていうだけで声をかけちゃうほど、私たちって仲良くはないじゃないですか」

 

 

 車の窓から顔だけ出した雷門さんは談笑するつもりであるのかもしれませんが、今の私はとてもそんな気分にはなれません。それにそこまで仲良くもないことも本当なので言い訳にして歩き去ろうとするも、続く雷門さんの、憮然とした中に若干の心配が混ぜ込まれた声色に、思わず足が止まりました。

 

 

「……【イナズマ落とし】だったかしら。あの特訓、途中までしか見ていないけれど……気になったのよ。あなた、何か悩んでいるでしょう? あからさまに落ち込んでいるみたいだし」

 

 

 話なら聞くわよと、そう言いたいようです。読み取って、その瞬間はもう一度『遠慮しちゃいます』と繰り返しそうになりましたが、直前に踏み止まりました。

 

 雷門さんは雷門サッカー部、皆さんの事情を知っているものの、関係者ではありません。であるなら、この私の心のもやもやも、相談して許されるのではないでしょうか。

 気落ちのあまりにそんなふうに血迷って、気付けば私は「例えば、なんですけど……」と切り出していました。

 

 

「雷門さん、もし……もしもあなたが、あなた以外の全員が気に入っているものを一人だけ良く思えなかったら……どうです?」

 

「……『どう』って?」

 

「私だけ仲間外れ……みたいな感じに、なっちゃったりしません?」

 

 

 言ってから気が付きました。これでは『例えば』の前置きが全くの無意味です。改めて子供みたいな疎外感の告白が恥ずかしくなり、思わず雷門さんから顔を逸らしてしまいました。

 しかし、たぶん顔以外も赤くなっていたでしょうが、雷門さんは私の赤面から何かしら感じ取ったのか、揶揄ったりはしてきませんでした。

 彼女は少しの間、考え込むように口を閉ざし、それから静かに息を吐きました。

 

 

「……まず言っておくけれど、私はサッカーのことはよくわからないわ。だからあなたのそれ(・・)に共感することも、否定することもできません。その上でだけれど――」

 

 

 またも一呼吸。その間で私も気恥ずかしさを呑み込んで、背けた顔を元に戻します。そして、じっと微動だにしない視線の雷門さんが言いました。

 

 

「それは“仲間外れ”ではないわ。ただの意見の相違、気に病むようなことではないわね」

 

「……まあ、そうですよね」

 

 

 そりゃそうです。呑み込んだ気恥ずかしさがぶり返し、たちまち顔に溢れる、その寸前。

 

 

「けれどあなたがそれを“仲間外れ”と感じる理由も、私は理解できているつもりよ」

 

 

 続けて彼女は言いました。

 

 

「なんというか、初めてあなたたちを見た時からずっと感じていたのよ。あなたと円堂くんたちが、一緒になって何かをしていることへの……そう、違和感。全く毛色が違うのに、どうしてああも仲良くやっていられるのか。傍から見てると不思議なくらいなのよ、あなたたち」

 

「そう、なんですか……? 私と円堂さんたちが……要するに、仲間に見えないってこと……?」

 

 

 言ってしまえば敵同士。例えば雷門メンバーの中に帝国選手が一人混ざっているような、そんな感じに見えていたとでも言うんでしょうか雷門さんは。

 それはちょっと……正直、ショックです。そして私自身も雷門さんのその感想を理解できなくはありません。少なくとも、隔意は確かに感じたのですから。

 

 

「それじゃあ、私は……」

 

 

 この疎外感は、永遠にどうしようもないものだったりするのでしょうか。

 

 

「けれど実際は、あなたたちはサッカー部の仲間なんでしょう? 尾刈斗の時も、もめていたけど、結局うまく転んだじゃない」

 

 

(それは……確かに)

 

 そうです。あの時も仲間外れ、雷門さんが言うところの意見の相違が染岡さんとの間に起こりましたが、それを引きずったりはしていません。ちゃんと解決できました。

 例え傍目からは敵同士に見えていようが、私は今日まで、円堂さんたちと同じチームでやれています。

 

 

「だから要するに、私やあなたのこの感覚は大して当てにならないってこと。心配しなくても、またそのうち勝手に解消するんじゃないかしら」

 

 

 しかし、つまりそれは“私の気にしすぎ”ということ。雷門さんの口から出たのは、はっきり言ってしまえば私の欲しかったものではありません。慰めなだけの言葉です。

 

 ただ、だからこそ誠実で、気遣いの暖かさがよく感じられるものでした。

 であれば、これ以上不安を漏らして彼女を困らせるのも申し訳なくなってくるわけで、そこで私はようやく、もやもやを益体のないものと切り捨てる決心をすることができたのでした。

 

 

「……そうですよね」

 

 

 無理矢理に思考を断ち切って、私は再び彼女の車に背を向けました。

 後に残ったのは思春期の悩み相談をしたような、というかズバリそのものな羞恥心をどうにか口から追い払うべく苦心しながら、たぶんおそらく間違いなく、今度こそニヤニヤしているに違いない雷門さんへ、渋々ながらお礼を言います。

 

 

「……一応、ありがとうございます。励ましてくれて。ちょっとは気が楽になっちゃいました」

 

「そう? なら、わざわざこんな狭い道に車を行かせた甲斐があったわね」

 

 

 言った、その時でした。

 

 

「……あれ? 土門さん?」

 

 

 ふと視界に見知った顔があることに気付きました。ユニフォーム姿のままで、何か人目をはばかるようにきょろきょろとあたりを見廻しています。

 しかし私たちの存在には気が付いていないようで、彼はそのまま角の向こうに行ってしまいました。姿が見えなくなって、遅れて私の首が傾きます。

 

 

「……? 土門さん、まだランニングでもしちゃってるんでしょうか。もう遅いのに。……むぅ、ちょっと気になりますね。なので私、ちょっとお話してきます。雷門さんもまた学校で」

 

「え? ちょ、ちょっと!?」

 

 

 正直そこまで土門さんが気になったわけではありませんが、これ以上雷門さんと会話を続けていれば、せっかく断ち切った思考が元に戻ってしまいそうだったのです。だから言い訳にしてさっさと雷門さんも振り切って、私は土門さんを追って角の小道に入りました。

 

 

 傍の雑木林から差し込む西日でそこは思いのほか明るく、電信柱の陰にいた土門さんのことも、すぐに目につきました。見つけたと同時に声が出ます。

 

 故に彼の奥にもう一人、思いもよらぬ人物がそこにいたことに気付いたのは、彼へと呼び掛け手を振った、その後のことでした。

 

 

「土門さ――ん……?」

 

「よ、米田ッ!?」

 

「ッ!」

 

 

 見慣れた顔ではありませんが、はっきりと覚えています。ゴーグルにドレットヘア、帝国学園の鬼道さんが、土門さん共々驚愕に満ちた表情で私を見つめていました。

 

 それも合わさり、私の頭の中に疑問がたくさん駆け巡ります。なぜ鬼道さんがここにいて、なぜ土門さんと密会なんてして、なぜ土門さんはああも怯えた表情をしているんでしょうか。

 それらが過去の彼の言動と混ざり、そして呆然と言葉を失って数秒、私は気付きました。

 

 

「もしかして、土門さん……」

 

 

 帝国学園から送り込まれたスパイだったりするんでしょうか。

 

 元々彼は以前の学校でもサッカー部員であったと聞いています。鬼道さんとの関係があるのなら、その学校とは帝国学園なのでしょう。そして帝国自体、最初に雷門に練習試合を挑んできたのは豪炎寺さんの実力を確かめるためであり、再確認が終わったなら、今度は監視をしておきたいと思うのはおかしくない流れなんじゃないでしょうか。

 

 少なくとも、土門さんは鬼道さんたち帝国学園と通じている、というそれは、間違いのない事実です。それを裏付けるように、土門さんの怯えが罪悪感という形を帯び始め、やがて言葉に変わりました。

 

 

「米田……お、俺……っ!」

 

 

 が、それ以上の懺悔が行われる前に、

 

 

「――米田さん? 土門くんは捕まえられた?」

 

 

 通りの方から近づいてくる雷門さんの声が、土門さんの背を跳ねさせました。

 

 鬼道さんもほんの一瞬身を凍らせてしまうもすぐに我に返り、電柱の陰に身を押し込めて、その直後に雷門さんがこの小道に入ってきます。その眼に私と土門さんだけを認めた彼女は、そこで露になった黒い関係のことなど少しも気付かず、しかし私と土門さんの間に言葉を交わした痕跡が見えないことには気付いて不思議そうに首を傾げました。

 

 

「……あなたたち、何をしているの? そんな変な顔をして」

 

「えーっと……。土門さんが私に気付いていないから、こっそり近づいて脅かそうとしてたんですよ。雷門さんのせいでパァになっちゃったと思ったけど、結果的には大成功ですね」

 

 

 土門さんの怯え顔は雷門さんに驚いたためだと、咄嗟にそんな嘘をつきました。

 帝国学園のスパイである土門さんを庇う行為です。ですが彼は秋さんの幼馴染。売るような真似をするのは憚られましたし、それに土門さんの表情に罪悪感を見てしまえば尚のこと、真実を言うことはできませんでした。

 

 そんな一瞬の感情からの判断。数舜後に遅れてチームへの不義理に対する躊躇が追い付いてきましたが、しかし今更言葉は取り消せず、そして土門さんも心を決めたのか無理矢理に笑って言いました。

 

 

「あ、あっははは! 脅かそうだなんてひどいな米田! 雷門サッカー部には新人いびりの慣習でもあるのか?」

 

「……いえいえまさか、うちのサッカー部はそんな陰湿じゃありませんよ。雷門さんじゃあるまいし」

 

「ちょっと、私にだってそんな趣味はないわよ! これは……偶然よ偶然!」

 

 

 土門さんほどではありませんが動揺し、うまく言えたかわからなかった冗談ですが、雷門さんの反応を見るにきちんと笑えていたみたいです。

 それで私自身の負の思いもまとめてうやむやにすることに成功し、ついでに鬼道さんが隠れているはずの電柱からも雷門さんの意識を離せて安堵した、その時でした。

 

 

「なあなあ、今雷門サッカー部って言った? お前ら、にいちゃんのチームの選手なのか?」

 

 

 知らない子供の声でした。私たちが入ってきた通りの方から聞こえたそれに、振り返って目を向けます。

 するとやはり、そこには見知らぬ男の子――ともう一人、こっちはよく知る巨漢の男子、びっくりするくらいに青い顔をした壁山さんの姿がありました。

 

 

「よ、米田さんっ……!!」

 

「へえ、こいつが米田か! お前、にいちゃんに憧れてサッカー部に入ったんだよな!」

 

「……はい? 憧れて……?」

 

 

 『にいちゃん』というからには、男の子は壁山さんの弟さんなのでしょう。よくよく見れば、体形はともかく顔がよく似ています。

 身長的にはたぶん小学生くらい。私も小さな子の態度なんかに目くじらを立てたりはしませんが、しかしそれはそれとして理解不能です。彼の兄である壁山さんに憧れて私がサッカー部に入部した、というのはいったい何の話なんでしょう。

 

 

「あの、壁山さん、これはどういう――」

 

 

 出くわしたからにはさっきの練習中、急に声を上げて逃げたしたことについても尋ねたくありますが、まずはこっちです。今度こそ逃げられないようにと距離を詰めますが、しかし彼の下までたどり着く前に、汗が滴るほど焦りまくった壁山さんが、いかにも大慌てで弟さんの肩を掴んで声を上げました。

 

 

「さっ、サクっ! 米田さんたちのことよりも……なっ! は、早いところ家に帰るぞ! 腹減ったし、それに……ええっと……」

 

「なあお前、にいちゃんのこと好きなんだろ!?」

 

「さっ、さささ、サクぅ!?」

 

 

 建前を見つけられずに途中で勢いを失った壁山さんの静止は、弟さんを止められませんでした。その口から飛び出す、さらに突飛な理解不能の台詞。おかげで壁山さんの顔から一段と血の気が引いてしまいましたが、弟さんはそんなことに気付きもせず私へと詰め寄って、ウンウンと自慢げに続けました。

 

 

「そうだよな! だってにいちゃん、みんなを引っ張るエースストライカーなんだもん! 好きになるのも当たり前だ!」

 

「え、エースストライカー? 壁山が?」

 

 

 話がどんどんわけのわからない方向に進むせいで、様々な感情に襲われているはずの土門さんからも、とうとう唖然とした声が聞こえてきました。そしてそれは、やがて雷門さんにも。

 

 

「そうだ! にいちゃんはスゲーんだぞ! あの帝国学園に勝ってから、ようやくみんなにいちゃんのすごさがわかってきたんだな! ……今なんて、にいちゃんを中心にすっごい必殺技の特訓中なんだろ? にいちゃんの必殺技があれば、今回だって楽勝だ!」

 

「え? ……ええ、そうね……?」

 

「ああ! そっちのガリガリもサッカー部なんだろ? 大会の予選はもうすぐらしいけど、にいちゃんの足だけは引っぱるなよ!」

 

「お、おう……頑張るわ……」

 

 

 そうして土門さんの顔に引き攣った笑みが浮かぶ頃になって、ようやく壁山さんが実力行使に移りました。

 

 

「さささささ、サクっ!! そうだなっ、もうすぐ大会だなっ! だから俺、こいつらの練習を手伝ってやらないといけないんだっ! すっかり忘れてたっ! だっ、だから先にさっ、先に一人で家に帰っててくれないかっ!!?」

 

「え? う、うん、わかった。じゃあなお前ら、にいちゃんを見習ってしっかり練習しろよ!」

 

 

 壁山さんの剣幕は、さすがの弟さんにも届いたようです。言葉の通り尊敬されているようで、素直に聞き入れた彼はやはり不遜な挨拶と共に通りへと去って行きました。

 

 その頃になって、ようやく私も悟りました。弟さんの狂言の理由、それは壁山さんなんじゃないでしょうか。

 

 

「……兄の威厳を保つための虚言が、行く所まで行っちゃったって感じかしら」

 

「そ、その……その通りッス……」

 

 

 思った通りだったようです。

 

 

「あ、あの……米田さん、そのことなんッスけど……色々、内緒に……」

 

「ええ、別にあなたの弟さんに何か言う気はありませんよ。私があなたのことを好きだ、とかいう勘違いさえ訂正しておいてくれちゃえば」

 

「そ、それはもちろん! しっかり言っておくッス! それで……あの、もう一つの方も……」

 

「『もう一つ』?」

 

「あっいえ、何でもないッス!」

 

 

 小声で「バレてなかったみたいッス……よかった……」なんて、何を安堵しているのか知りませんが、とにかくこれで、彼はもう逃げだしたりすることはないでしょう。

 

 

「じゃあ威厳を保つために、明日からはちゃぁんと【イナズマ落とし】の特訓、しなくちゃですね」

 

 

 弟についた嘘を本当にする必要があるのですから。

 とにかくさっさと【イナズマ落とし】を完成させてしまうため、私はそんな脅しをかけることに成功したのでした。

 

 

 

 

 

 しかし結局、私たちは試合当日までに【イナズマ落とし】を完成させることができませんでした。

 そうなってしまった原因は、やはり壁山さん。私に脅された彼はまじめに特訓を繰り返し、やがて橋の下で見せたような十分なジャンプ力を身に着けたのですが、しかしその後、私と実際に合わせて一段目の足場になる段階になって発覚してしまったのです。彼のその、極端なくらいの高所恐怖症が。

 

 上になる私が気にでもなるのかどうしても下を見てしまい、身体がすくんでしまうのだとか。おかげで二段ジャンプするどころか私まで立っていられなくなって、もろとも墜落してしまう始末です。

 もはや【イナズマ落とし】は絶望的な状況でしょう。それ即ち、もやもやの解消も絶望的。二重の意味で憂鬱になりつつ、そしてそのまま、私たちは試合の日を迎えてしまったのでした。



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第十七話 いざ、野生中

「……なんだかとんでもない学校ね。まるでジャングルだわ」

 

「同じ地区なのに、雷門中とは全く別物ですね。環境も、それに人も」

 

「野生中の人たち、さっきから車に興味津々ですけど……まさか初めて見たとかじゃないですよね……?」

 

「さあ……でも校名の通り、その……野性的、よね」

 

 

 試合当日、会場である野生中までやって来た私たち。到着するなり見せつけられたその光景に、秋さんが存分に言葉を選び、引き気味な苦笑いを浮かべました。

 

 雷門さんの高級車が、野生中の選手さんたちに群がられてしまっているのです。屋根に上ったりフロントガラスを這いまわったりボンネットをパカパカ開け閉めしたりと、彼らはまるで未開の原始人みたいに興味津々な様子で、いつか壊してしまうんじゃないかと、他人事ながら心配に思えてくるほどでした。

 【イナズマ落とし】やらの件で既に心配事はお腹いっぱいですが、もしもの時は、あなたたちが無様を晒さないか心配だ(ツンデレ)と言って付いて来た雷門さんを宥める必要があるかもしれません。

 

 そういうこともあって、今回の私はもうすぐ試合だというのにあんまり気分が乗ってきていませんでしたが、円堂さんはもちろん安心の平常運転。大なり小なり気圧されている私たち女子陣とは真逆に、どちらかといえば野生選手さんたちのような好奇心を露に周囲のジャングルを見渡して、それから彼はやる気十分に音頭を取りました。

 

 

「……よし。みんな、準備はいいか? いよいよフットボールフロンティアの一戦目だ。気合入れていこうぜ! ……今日まで積み重ねた練習を信じて、思いっきりぶつかっていこう!」

 

 

 「おう!」と皆さんが応じる中、円堂さんの眼が最後に私と壁山さんを捉えたことに気が付きました。つまり【イナズマ落とし】の件。完成させられなかったことはきちんと報告済みであるはずですが、その眼はいかにも(・・・・)な感じです。

 

 染岡さんと豪炎寺さんが【ドラゴントルネード】を生み出した時のように、試合の中で完成させろ、みたいなことを言われている気分でした。が、練習試合ならともかく、この試合は負ければ終わりの公式戦。遊んでいる余裕があるはずもありません。

 そして壁山さんも、練習中に何度もお尻を強打させられたためにちょっとキレてしまったことが効いているのか、私たちは共々、円堂さんから眼を逸らしてしまいました。

 

 それでもせめてもの建前的に、私は壁山さんへにこりと微笑みかけました。

 

 

「まあ、頑張れるだけ頑張っちゃいましょう。壁山さんも頑張って弟さんにいいとこみせなきゃですもんね。さっきちらっと見えちゃいましたけど、弟さん、お友達と一緒に観戦に来てるみたいですし」

 

「うう……は、はいッス……! が、頑張るッス……!」

 

 

 先ほど見かけた、唯一の雷門中の応援。お友達と一緒に観戦に来たらしい壁山さんの弟さんたちを眼で示し、言います。あるいはこれで奮起して高所恐怖症も克服してくれるならそれが一番なのですが、この反応を見る限り望み薄でしょう。やはり【イナズマ落とし】は抜きでこの試合、戦うべきです。

 人知れず改めて円堂さんの視線に逆らって、私たちはジャングルの中に建てられた校舎の中を、更衣室目指して歩いて行きました。

 

 

 そしてやがて案内された部屋にたどり着き、後は分かれて着替えようと、そうなった時でした。

 

 前を歩く壁山さんの鞄から、何か冊子が落ちました。気付き、声をかけようとしましたが、しかしその時には壁山さんは男子更衣室に入り扉も閉ざされた後。さすがに女子の私が男子たちの着替えの最中に突入するわけにはいきません。

 あとで渡してあげることにしましょう。そう思い、冊子を拾い上げると――

 

 

「……わぁ」

 

 

 言葉を失いました。見た冊子の表紙は、明らかに青少年に相応しくないものだったのです。

 

 端的に言ってしまえば、それはエッチな本でした。それも表紙――“女王様と奴隷”、みたいな感じの女性と男性のイラストから察するに、なかなかにマニアックな代物です。

 さすがにこんなものを見るのは初めてで、故に思考が止まってしまったわけですが、しかし直後、我に返ります。今のこの状況、誰かに見られてしまえば変態さんは私です。

 

 咄嗟に本を鞄の中に押し込んで、周囲を確認。幸いなことに誰の姿も見えません。すでに皆さん更衣室の中です。

 ほっとして、今度は壁山さんへの軽蔑が湧いてきました。年頃の男の子がこういうものを持つことは、まあそういうものなのだろうと理解できなくもないですが、しかしどうして鞄に入れて持ってきてしまうんでしょう。

 思いつつ、しかし顔に出して変な勘繰りをされないよう、本を鞄の奥底に押し込みつつ、私は更衣室に入りました。

 

 

 

 

 

 着替え終わった敵味方の全員がフィールドに揃い、そして試合開始の笛が吹き鳴らされました。

 フォーメーションは尾刈斗戦と同じ――つまり新入部員である土門さんはベンチスタート――で、且つこちらのボールからのキックオフ。染岡さんから出されたパスボールを最初に受け取るのは私です。

 

 野生中が私の尾刈斗戦での活躍を知っているという推察が当たっているなら、彼らはまず一番にこの立ち上がりを、【ダブルショット】によるロングシュートを咎めに来るでしょう。予測はさして難しくありません。

 ならば無理にシュートを打とうとするのはリスクです。野生中が本当に危惧通りの情報通で対策をしているのか確かめるためにも、最初は様子見に徹するべき。

 そう決めて、私はボールを足元に収めたまま、警戒しつつ相手の動きを観察することを選んだのでした。

 

 ――そう、十分に警戒していたつもりだったのですが、しかし。

 野生中の身体能力は、豪炎寺さんや土門さんの言葉から私が想像していたものの、さらに上を行っていたのです。

 

 

「ッ!? ……びっくりです。随分、速いんですね……!」

 

「当然チタ! 足の速さで俺に敵うやつなんていないチタ!」

 

 

 ボールが私の元に届いたその瞬間に、もう目の前に敵フォワードが迫ってきていました。

 

 “野生の身体能力はすごい”とはいいますが、これは“すごい”なんて言葉で片付けられるようなものではありません。名前通りに野生の動物並みの反射神経と瞬発力です。

 特に私に仕掛けてきた敵フォワード、首にチーター柄のスカーフを巻いた彼の“速さ”は、間違いなく私や風丸さん以上。帝国学園と戦えるだけあってサッカー選手としての能力もかなりのもので、逃げればすぐさま追いかけてくる瞬発力と相俟って、私に不穏な手応えを感じさせるほどでした。

 

 これから抜け出すとなれば、かなりの労力が必要でしょう。グダグダの泥沼になってしまうのでは【ダブルショット】の速攻も意味はなく、であればすっぱり諦めるしかありません。

 さらにはチーターさんに塞がれているために前の二人へのパスも諦めるざるを得ず、やむを得ず、後ろのマックスさんへボールを蹴り送りました。

 

 

「マックスさん、先に前へ! この人は私が抑えておいちゃいますから!」

 

「米田……うん、任せて!」

 

 

 一瞬だけ見えた意外そうな顔に深刻の眼差しを叩きつけると、彼も現状を理解してくれたようでした。今回は尾刈斗戦のように、私にボールを渡しさえすれば得点して勝ち、という単純な図式にはなりそうにありません。

 

 皆さんを、うまく使う必要があるでしょう。マックスさんの警戒心を煽り、他の皆さんと一緒に前に出させます。

 しかしそのドリブルは、チーターさんにとっては歩いているも同然な速さ。容易く追いつき、奪い取れるボールです。つまりは撒き餌のようなもので、そこを突き、奪わせてから逆に私が奪い返す――というような筋書きを頭の中で組み立てて、身構えていたのですが。

 

 

「……? 追いかけなくていいんです? あなたの足なら絶好のチャンスなのに」

 

 

 チーターさんは、いくら待ってもマックスさんを追うそぶりを見せませんでした。

 それどころか射貫くような視線で私を捉えたまま、私の傍にぴったりとくっつきマークし続けています。もはやボールははるか遠くの敵陣地、チーターさんにとってはピンチの場面であるはずなのに、それでも一ミリも動きません。

 

 認め、そして同時に悟りました。

 

 

「チチチ……そう言って、俺が離れた瞬間にパスを受けてあの【ダブルショット】とかいう必殺技を打つつもりチタ? そうはいかないチタ!」

 

「……ああ、なるほどです」

 

 

 またしても(・・・・・)なわけです。

 帝国や尾刈斗の時と同じく、私専属のマンマーク。私にボールを渡したくないために、彼はこの試合中ずっと私に張り付いているつもりです。

 

 普通であればマークは攻撃の要であるフォワードではなく、ディフェンダーか、あるいはミッドフィールダーの役目でしょう。だというのに彼が抜擢されたのは、私が振り切れないほどのその俊敏さと、加えてフォワードというポジションが距離的に私と近いため。例えば豪炎寺さんをマークするのであればゴール前を注意すればいいだけですが、ロングシュートが使える私に対しては話が別というわけです。

 フォワードのその役目を放棄させてでも警戒を徹底することが、おそらく野生中にとって試合に勝つためのベストな選択だったのでしょう。

 

 豪炎寺さんの言っていた通り、もとい、それ以上の厳重警戒。帝国戦から数えて試合は三回目ですが、やはり今尚敵側からしてみれば、雷門サッカー部は私か、あるいは豪炎寺さんあたりを抑えておけば勝てる相手に見えているわけです。

 そして実際、それはほとんど事実でしょう。ボールを運ぶマックスさんを含め、他の皆さんはどうにか野生選手と戦えはしているものの、明らかに力負けしているようでした。

 

 

「くっ……う、うわっ、と……!」

 

「シャシャシャ! 都会の人間はひ弱ヘビ……! じっくり仕留めてやるヘビ……!」

 

 

 チーターさんに睨めつけられながらそっちを見やれば、ヘビ顔のミッドフィールダーに阻まれて、さほど前に進めていないマックスさんの様子が視界に入ります。いえ、前に進めていないどころか、ヘビさんの絡みつくようなディフェンスに今にもボールを奪われてしまいそうな有様です。

 野生中の“身体能力”はチーターさんだけを指し示すものではないということ。他の選手たちもあれと同等程度であるなら、一対一の競り合いこちらに勝ち目は皆無、マックスさんたちの能力では一人でボールを持ちこむことは不可能です。

 

 

「なら――マックスさん、一旦風丸さんへボールを下げちゃって!」

 

「えっ!? こ、こいつら相手にそんなことやるのはヤバいんじゃない!? もし奪われたらゴールまで一直線だよ!?」

 

「強引に突破できないならパスを回してくしかないですし、それくらいのリスクは仕方ないです! 細かいことは、私が指示を出しちゃいますから!」

 

 

 ヘビさんの身体能力に抗うのでいっぱいいっぱいな彼には、私の指示は“他に手がない故の分の悪い賭け”としか聞こえなかったでしょう。露骨に“何言ってるんだこいつ!?”みたいな顔になってしまいましたが、しかし身体能力でこちらが圧倒的に劣っているとわかった現在、打開の術はこれしかないように思えます。

 私が全面的に指示を出し、皆さんを動かしてやるのです。マークのせいで私がボールに関わることは難しいでしょうが、尾刈斗の時と同じように口と眼は好きに動かせます。各選手の動きを見定めてパスを通せるコースを見つけ出し、そしてそれを伝えることも、今ならまあ不可能ではないというわけです。

 

 それを知ってか知らずか、躊躇うマックスさんの背を、円堂さんが押してくれました。

 

 

「心配するなマックス! 万が一の時でも、俺がいる!」

 

「円堂……。わかった! 風丸!」

 

「ああ……っ!」

 

 

 さすがは円堂さん。出てきたキャプテンらしい言葉は、私と違って一発でマックスさんと、それから風丸さんたちまで納得させてしまいます。

 そのことに感じるちょっと複雑な気分は呑み込んで、風丸さんにパスが通るのを認めた瞬間、私は頭に作った図の通りの指示を出し始めました。

 

 

「風丸さんは影野さんへパスを! 影野さんはもうちょっと前! 半田さんと少林さんは左右に展開しちゃってください!」

 

「影野だな……! よしっ!」

 

 

 と確認ついでに復唱し、ボールを蹴り出す風丸さん。円堂さんが私を支持してくれたためでしょうか、そのボールを受けた影野さんも他の皆さんも、その後は素直に私の指示通りに動いてくれました。

 

 尾刈斗戦の時とも違う、本格的な私主導のゲームメイク。味方選手を動かして、それに伴い代わる相手の陣形を想像し、さらにその時々でボールが通る道筋を見つけるという、脳疲労の激しい作業。頭を動かす余裕ができたとはいえやっぱり私の本業はストライカーであり、そこまでこういったことが得意というわけでもなく――かといって苦手なわけでもありませんが――私も皆さんも苦戦はどうしようもありません。

 がしかし、幾度かパスカットされそうになったりシンプルにボールを奪われそうになったり、そもそもパスが失敗しかけたり、かなりの消耗と時間をかける必要はありましたが――頭がちょっと痛くなってくる頃に、ようやくそれらが報われる時がやってきました。

 

 

「豪炎寺ッ!!」

 

「ッ!」

 

 

 野生の分厚い守備をかいくぐり、ペナルティエリア近くまで上がっていた半田さんからゴールの正面、豪炎寺さんへとパスが繋がります。

 ゴールとの間にある障害はイノシシっぽいブタ鼻のキーパーさんのみ。瞬時にヒールリフトから、豪炎寺さんは必殺シュートの構えに入りました。

 

 

「ファイア――!?」

 

「コケーッ!!」

 

 

 決まるか、と期待したのですが、残念ながら横槍が入ってしまいます。背後から、ニワトリのトサカのような髪型のディフェンダーが不意に現れ、シュート直前にあったボールを蹴り飛ばしてしまいました。

 

 小柄故に、寸前まで誰も気付けませんでした。加えてそのジャンプ力。【ファイアトルネード】を打つ寸前にあった豪炎寺さんを、危惧の通り、さらに上から叩いてしまったのです。

 

 

「くっ……マジか。帝国学園以上のジャンプ力……あれを取るのかよ……!」

 

「うーん、残念です。うまくつながったと思ったんですけど……」

 

 

 驚愕の染岡さんに続いて、さすがにため息が出てしまいます。頭に疲れを感じるくらいに頑張ったのに、その成果がゼロ。肩が落ちるのはどうしようもありません。

 が、それはそれとして、ボールが奪われたのであればますますもって大ピンチ。頭を振って落胆を追い出して、大声で指示を叫びます。

 

 

「……皆さん戻って! それと、ディフェンスには複数人で当たってください! 一人じゃ絶対抜かれちゃいますから!」

 

 

 これもやはり身体能力の差から、ドリブルしてくる野生選手からボールを奪い返すには人数を使うほかありません。

 動き回らなければならなくなるのでスタミナの消耗が激しくはなりますが、しかし幸いなことに攻撃の要たるフォワードの一人、チーターさんはこんな状況だろうと私へのマークを外すつもりがないようで、おかげで野生の攻勢は控えめです。私たちの、いわゆるゾーンプレスでも、どうにか対抗することが叶うでしょう。

 

 ――と思っていた矢先に、少林さんと半田さんの二人が、ニワトリさんからパスを受け取ったサル顔の選手に、あっさり抜かれてしまいました。

 

 

「キキっ! 【モンキーターン】!!」

 

「うわっ!?」

 

「な、なんですか今の動き!?」

 

 

 名前の通り、おサルさんみたいに器用なターン。単純な必殺技ですが、さすがに二人では初見のそれに対応することは難しかったようです。

 そしてその光景を見て「ならば」と警戒を強めるのは、私の指示で戦う中でさんざん野生の強さを体験させられた皆さんであれば自然な流れ。今度はディフェンダーの四人が、おサルさんの前に立ちふさがりました。

 

 

「二人でだめなら、今度は四人だ!」

 

「これならさすがに通れないでやんしょ!」

 

「ウキッ!?」

 

 

 さしものおサルさんも怯んだようで、一瞬足が止まります。

 しかしすぐ、ちらりと横を見た眼が別の光明を見出したようでした。

 

 

「キキっ、甘いサル! ゴリラ!」

 

 

 逆サイド、つまりディフェンダーが一ヶ所に集まってしまったためにできた穴へ、センタリングが送られます。

 そしてタイミングバッチリで飛び込んできたゴリラ顔、もう一人のフォワードが、ちょうどよくそこに生えていたのか何なのか、ツタで己をスイングした勢いで、そのままシュートを放ちました。

 

 

「【ターザンキック】!!」

 

「甘いのはそっちだぜ! 【ゴッドハンド】!!」

 

 

 ですがそのシュートコースは、円堂さんの予想通りなようでした。風丸さんたち四人の壁が厳重であるからこそ、シュートが来るならそこしかないと確信して待ち構えていたのでしょう。

 十分な“溜め”の時間を使って発動させた【ゴッドハンド】のエネルギーの手のひらは、ゴリラさんのシュートをしっかりと受け止めました。

 

 

「よし! ナイスだ円堂!」

 

「へへっ、みんなのおかげだよ! どんなシュートが来たって止めてみせるぜ! そらっ、後は頼んだぞ!」

 

 

 風丸さんに自信を見せて円堂さんは彼にパスを出し、同時に眼が私に向きました。それを受け取り、もう一度頭を働かせます。

 

 

「……風丸さん、そのまま上がっちゃってください! 今なら中間は空いてます!」

 

「おう! 了解!」

 

 

 再びのパス回し。私も皆さんもいくらか慣れが生まれてきたのか、その進行は前よりもスムーズです。私にくっついて走るチーターさんも、攻め込まれる自チームの姿に苦々しげな顔になっています。

 内心で存分に歯ぎしりしていることでしょう。その顔が時折私にも向けられるところをみるに、段々と良くなる私のゲームメイクの腕前に、こいつ必殺シュートだけじゃなかったのか、と内心で悪態でもついているに違いありません。

 

 

(そうですよ、シュート以外だって、できちゃうんですから……!)

 

 

 豪炎寺さんにさっきのニワトリさんが付いているのを認め、そして私はボールを保持する半田さんへ、告げました。

 

 

「半田さん! ボールを私に!」

 

「ッ!?」

 

 

 同時に一瞬加速して前に出ます。チーターさんはさすがの俊足ですぐさま追いかけてきますが、しかし今までちょっとの駆け足をしながら指示ばかりを出していた私の、突然のボールに関わろうとする動きに、ほんの一瞬だけ反応が遅れてしまいます。半田さんのパスをカットするには間に合わず、ボールは私に届きました。

 が、しかしそれでも稼げたのは僅かな間でしかなく、半田さんのパスを足元に落とす隙にあっさり回り込まれてしまいました。身体でゴールまでの道が塞がれ、相手ゴールに近いことを除けば、一番最初、キックオフ直後の状況に逆戻り。

 

 

「俺が何のために張り付いてると思ってるチタ! この足にかけて、絶対お前にシュートは打たせないチタ!」

 

「わあ、ほんとに速いですね。すごいです。やっぱり振り払うのは無理みたい」

 

 

 それはもう認めましょう。私の足、“速さ”ではチーターさんにはかないません。

 

 なら――

 

 

「なぎ倒せばいいだけだろ!!」

 

 

 それだけだ。宙で前転し、その勢いで足元のボールを踏みつける。壁山が不甲斐ないせいで暇になってしまった分、時間を費やし練習できた、オレのもう一つの必殺技だ。

 

 

「【スピニングアッパー】!!」

 

「うっ……こ、これはチタ!? うわああぁぁッ!!?」

 

 

 いつかのエセ不良共にくらわせてやったアッパーカットのように、バック回転して跳ね上がったボールが相手を巻き込み、その勢いで弾き飛ばす。チーターはクルクル回転して吹き飛んで、そしてオレの正面が開けた。

 そうなれば、やることは一つだ。

 

 

「テメェも吹っ飛んじまえ!! 【ダブルショット】!!」

 

「ッ!! 【ワイルドクロー】!! ッ……ぐ、ぐわああぁぁッ!!」

 

 

 跳ねてオレの足元に戻ったボールを再度踏みつけ、今度はシュート。ダッシュでいくらか距離を詰めていたこともあって、イノシシキーパーの必殺技も難なく破り、ゴールへと突き刺さった。

 得点を告げる笛と、そしてやはりいる実況の男子の声が響き――

 

 そして私は、ようやく捥ぎ取った一点に胸をなでおろすのでした。

 

 

「やったぁ!! さすがです米田先輩!!」

 

「パスよこせって言われた時はびっくりしたけど、まさか必殺技でマークを吹っ飛ばすなんて!!」

 

「例の、尾刈斗戦では使いどころがなかったっていうオフェンス技か!」

 

「ええ。まだまだ調整が足りてないんですけど、どうにかできちゃいましたね。野生中が私をナメてくれちゃってたおかげです」

 

 

 私が【スピニングアッパー】という隠し玉を持っていたせいであるから結果論といえばそうですが、野生中は私を封殺したいなら、足があるからとチーターさん一人に任せるのではなく、複数人、最低でも二人以上をマークに付けるべきだったのです。

 【スピニングアッパー】はおサルさんの【モンキーターン】のように複数人を一気に抜き去ることはできませんし、二人がかりであったなら、きっと今みたいにうまくはいかなかったでしょう。あるいはチーターさんに余裕を持たせることができれば、さっきの野生の攻撃もあんなにあっさり止められるということにはならなかったかもしれません。

 

 とはいえそんな戦術ミスも、私たちからすればおいしいだけの話。反省するのは野生の人たちに任せておいて、鈍く疼く頭を押さえつつ、私は安堵の息を吐きました。

 

 

「ともかく、これで今後は楽に戦えちゃいそうですね。もう一点取るのは難しいかもですけど、この一点だけで十分です。逃げ切るだけなら簡単じゃないですか?」

 

「そ、そうッスね! キャプテンの【ゴッドハンド】も絶好調だし、それに米田さんのおかげで敵のフォワードも一人だけッス! 【イナズマ落とし】は完成させられなかったけど、これなら大丈夫……ッスよね!?」

 

 

 と、次いで壁山さんが私の方をチラチラと、恐る恐るに伺い見てきます。

 理由を付けつつ情けないことを――【イナズマ落とし】に及び腰であることを告白する彼ですが、しかしともあれ、言っていることは正論です。現状の相手は私の存在から守備方面に戦力を割かざるを得ないのですから、こちらも守りを固めてしまえば失点の恐れは限りなく小さくなるでしょう。

 一点差でも十分に逃げ切りは可能。成功したことのない【イナズマ落とし】にわざわざチャレンジする必要は皆無です。が、しかし円堂さんの眼差しは、この期に及んで試合前に見たそれと全く変わっていませんでした。

 

 

「いや、まだまだ油断はできない。後半戦にも入ってないのに守りに入っちゃだめだ。どんどん追加点を狙っていってくれ!」

 

「うぅ……」

 

 

 【イナズマ落とし】を使って。

 

 もはや隠す気もないあからさまな視線が私と壁山さんに向けられました。がしかし、壁山さんはやはりその視線に応える気がなさそうで、またも眼を逸らして気付かないふりをしています。

 

 そのせいか、その後の試合での壁山さんの動きは鈍く、そして何より、いわゆる初見殺し故に成功した今の私の得点劇が二度通じるということはなく、加えてさらに守備を固めてきた野生の戦法も相俟って、私たちは結局それからシュートチャンスを作るということもできずに一点の優位のまま前半戦を終えることとなったのでした。




エッチな本

どこかの誰かが高架下に置いて行ったお宝。
にしてはあまりに(ヘキ)が過ぎる!?


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第十八話 画期的戦略!?

 汗だくで息を乱した皆さんが、秋さんたちが用意したドリンク類に群がっています。まだ前半戦を終えたばかりであることを考えれば些か激しすぎる消耗具合ですが、しかし致し方のないことでしょう。野生中の圧倒的な身体能力に対抗するためにゾーンプレス戦術を取らざるを得ない関係上、楽なサッカーなんてできるはずもありません。

 これでもなるべく体力が残るように気を遣って指示を出したつもりですが、それも焼け石に水状態。そんな状況であるからこそ、私は円堂さんへと言いました。

 

 

「……で、どうします? これでもまだ、追加点狙っちゃいます?」

 

 

 無謀であることは、もう流石にわかっちゃったはずです。

 

 私の得点の後、作れたシュートチャンスは一つもありません。前半戦でこれならば、より消耗している後半戦で事態が好転することはないでしょうし、そしてその消耗は私たちの守備力の低下を意味します。

 ただでさえ前半戦の終わりの方、崩れた守備のおかげで円堂さんはシュートの連打をもらってしまったのですから、正当性は言わずもがなであるはずです。二つの理由が合わさって、もはや私たちには【イナズマ落とし】にチャレンジしている余裕がありません。

 

 作れっこないチャンスに夢を見るのはやめにして、後半戦は守備に全力を傾けるべきです。でなければ負けてしまいます。しかしそんな明らかなことなのに、ドリンクを呷る彼はその中身を飲み干して、変わらぬ明るい笑顔で繰り返しました。

 

 

「ああ、もちろん! このまま二点三点狙っていくぞ! 【イナズマ落とし】であいつらをびっくりさせてやってくれよ!」

 

「はぁ、はぁ……。円堂……そうは、言うけどな……」

 

「『二点三点』って、どうしたらそんなことができるんだよ。何か作戦でもなきゃ、さすがにきついぞ……」

 

 

 風丸さんはその足から、守りと攻めのつなぎにとして酷使される場面が多かったせいでしょう。一際消耗している様子の彼はぜいぜいと荒い呼吸を繰り返しながら、円堂さんへの眼差しに明らかな呆れを乗せています。そしてその後を継ぎ、半田さんが深々とため息を吐きました。

 

 円堂さん以外はきちんと現状を理解できているようで何よりです。が、その現実的な思考は円堂さんには“弱気になっている”と捉えられてしまったのかもしれません。彼は少し眉尻を下げ、励ますように二人の肩を叩きました。

 

 

「しっかりしろよ。前半戦、落ち込むような内容じゃなかったろ? ベータの指示があったからでもあるけど、俺たち、あんなにすごい野生中の奴らとちゃんと戦えてたじゃないか! 今日まで積み重ねた特訓の成果はちゃんと出てる! 追加点だってまだまだ狙えるさ!」

 

「だとしても、米田さんの一点しか取れていないってのは事実でやんしょ? 豪炎寺さんのシュートだってほんとに抑え込まれちゃったでやんすし、【イナズマ落とし】しかないってのは、その通りなんでやんすが……」

 

「打つチャンスがなぁ……。こっちもプレスで手いっぱいだし、ぶっちゃけかなりキツイよ。……壁山だって、普段は後ろで守ってるわけだしさ」

 

「そ、そうッスね! なかなか、いつ前に出ればいいのやらって感じで……や、やっぱり【イナズマ落とし】狙いは諦めるべきだと思うッス!」

 

 

 栗松さんとマックスさんが腕を組み、悩む姿に壁山さんが必死になって言いました。やっぱり彼も変わらず、【イナズマ落とし】は絶対拒否の構えです。

 

 そんな壁山さんはともかくとして、事実、壁山さんと二人で打つ連携シュートである以上、それは最初から変わらぬボトルネック。シュートチャンスが作れなかったのはそのためでもあるのですが、しかし、円堂さんの口は止まりません。

 

 

「なら……壁山、お前がフォワードに上がればいい! 豪炎寺、染岡、ベータに壁山の、四人フォワードだ!」

 

 

 今度はそんな、トンデモなことを言いだしてしまいました。

 

 ちゃんと考えて言っているんでしょうか。不安になって来ちゃいます。

 後半戦は特に守備面が心配になってくるはずだというのに、ディフェンダーの一人を前線送りにする暴挙。現状の三人フォワードでも多い方なのに、四人となればさすがにバランスが悪すぎです。

 

 一瞬を置いて、遅れて私と同様の理解に及んだ壁山さんが、眼を真ん丸にして叫びました。

 

 

「え……ええっ!? お、俺が、フォワードッスかぁ!?」

 

「ああ! 最初っからフォワードの位置にいれば、わざわざチャンスに上がってくる必要はないだろ?」

 

「で、でも、そんなことをしたらディフェンスが……」

 

「大丈夫! 何があっても、俺が絶対にゴールを守る! そしてボールをお前たちに送り続ける! 【イナズマ落とし】を完成させられるまで! なあ、これなら大丈夫だろ?」

 

「『大丈夫』って……ああもう、何を以ってそう言えるのか、やっぱり私にはさっぱりです」

 

 

 しかしめちゃくちゃでありながら、円堂さんの眼は間違いなく本気なのです。追加点狙いの作戦を曲げさせられるような余地は、そのまっすぐな眼差しにはさっぱり見つけることができません。

 

 その素振りすら見せない彼に、私ももう、諦めました。何を言っても彼の意思が変わらないのなら、私の方が折れるしかありません。

 それに……そう、考え方によってはそれも一つの手――なのかもしれません。どのみち守備不安は残ってしまうのですから、ならば攻撃的に行ったほうがいいのかも。

 おまけに、かねてからの心のもやもやもあります。どうにかするためにも、この際、多少の問題は呑み込んでしまうべきなのでしょう。

 

 

「はあ……わかりました。後半戦は皆さんにもっと働いてもらって、私と壁山さんは頑張って【イナズマ落とし】にチャレンジしちゃいます。シュートとかバンバン来るようになっちゃうと思いますけど、いいんですね? 円堂さん」

 

「ああ、もちろん! 俺も全力を尽くす! どんなシュートが来ようが、絶対にゴールは守ってみせる! ……だからみんな、ベータと壁山までボールを繋いでくれ。頼んだぞ!」

 

「そ、そんなぁキャプテン……! 米田さんまで……」

 

 

 ため息を吐き、渋々、やる気満々の円堂さんに頷きます。それを眼にした壁山さんはまるで裏切り者でも見るような眼を向けてきますが、そんなことをされてももはや逃げ場なんてありません。

 そしてトドメに染岡さんが、壁山さんと無理矢理肩を組んでその背を塞ぎました。

 

 

「ったく、勝手に言いやがって。……だが、いいぜ。どのみち逃げ腰のサッカーなんてこっちから願い下げだ。【イナズマ落とし】に賭けてやるよ! 頼んだぜ壁山!」

 

「……そうだな。やっぱり雷門のサッカーはこうでないと! よし、俺も覚悟を決めた! この試合、ぶっ倒れてでも走り続けてやる!」

 

「練習の成果を見せるでやんす!」

 

「そうだそうだ!」

 

 

 そして感化されたかのようにそれに続く皆さん。前後左右を囲まれてしまった壁山さんは、やっぱり口をつぐんで青い顔になってしまっていました。

 しかし、私に続いてそうやって壁山さんを黙らせることに成功した皆さんですが、根性だとか何とか言っても、このままでは守備力の低下が避けられないことは確かな事実。そこの部分の不安は消えず、故に私は、ふと思いつきました。

 

 

「……そうだ。円堂さんの作戦で行くなら、せっかくですし土門さんに選手交代で入ってもらっちゃいません?」

 

「……えっ!? お、オレか!?」

 

 

 控えとしてベンチで油断していた土門さんが、一瞬遅れて反応しました。彼は“入部したての自分が試合に出る機会なんてあるはずない”とかなんとか考えていたのかもしれませんが、残念ながら我がチームには選り好みをしている余裕こそがありません。

 

 

「土門さん、ディフェンス必殺技も使えますし、守備力の補強にはちょうどいいと思うんです」

 

「え!? 必殺技!? 本当なのか土門!?」

 

「あっ……え、えっと……まあ、うん……そうだけど……」

 

 

 【スピニングアッパー】の特訓相手を頼んだ時、私にそれを見せてしまったのが運の尽きです。明かしてやると、メンバーチェンジに疑いの眼を向けていた皆さんが一気に手のひらを返しました。土門さんは笑みをヒクつかせ、私と皆さんとの間でチラチラ視線を行ったり来たりさせています。

 恐らく、その内心は完全なパニックの渦中にあるのでしょう。必殺技の存在を暴露されたこともあるでしょうが、私に帝国学園のスパイであることを掴まれたあの一件がなければ、彼ならもっとスマートに対応できていたはずです。

 

 気が気でないその様子。私的にも気まずすぎて今日まで避けてきましたが、さすがにちゃんとお話の一つくらいした方がいいのかもしれません。

 そんなことを考えつつ、皆さんに群がられる土門さんを眺めていた時でした。

 

 

「……ベータ、ちょっといいか」

 

「はい? どうかしました? 豪炎寺さん」

 

 

 不意に豪炎寺さんが話しかけてきました。

 そしてその表情は、皆さんのように戦意を滾らせているわけではありません。壁山さんと似た――しかし明らかに違う……“不安”でしょうか。何やら難しそうに、眉間に皺を作っています。

 そんな顔をする理由に、当然心当たりはありません。首が傾いてしまいます。

 

 

「その……なんというか、一つ、聞いておきたいことが、ある」

 

「なんでしょう?」

 

「……ベータ、お前は――」

 

 

 やたらともったいぶって、言う、その直前。

 

 

「おい雷門、いつまで休憩してるつもりコケ」

 

 

 私の背から、戦意に満ちたニワトリさんの声が響いてきました。ハッとなって振り返ると、やはり顔を引き締めた彼が私たちを睨め付けています。

 そしてその向こう、フィールドには、もう野生中の選手たちが揃い始めていました。いつの間にやらハーフタイムは終わりかけていたようです。

 

 

「ああ、もう後半戦、始まっちゃうんですね」

 

「……よし、みんな! 後半戦も気合入れていくぞ!」

 

 

 向けられる戦意を受け流し、微笑で応じる私と、最後に改めて皆さんの気を引き締める円堂さん。皆さんがそれに応じてフィールドに向かう中、私は豪炎寺さんへ視線を戻します。

 

 

「というわけで、手短にお願いします。聞いておきたいことって?」

 

「……いや、何でもない。気にしないでくれ」

 

 

 水を差されてしまったせいか、豪炎寺さんはしゃべる気が失せてしまったようです。つまりその程度の話だということ。

 豪炎寺さんが自分から打ち切ってフィールドに向かったので、私もそれきり、豪炎寺さんの様子が変だったことも含め、記憶から追い出してしまいました。

 

 

 がしかし、豪炎寺さんのことは気にならなくなっても、さすがにソレ(・・)には目を見張らずにいられませんでした。ポジションについた私とニワトリさんは、同時に互いを睨め付けることになったのです。

 

 

「……雷門、フォワードを四人にするとか、いったいどういうつもりコケ……?」

 

「そういうあなたこそ、フォワードポジションに出てきちゃってるじゃないですか」

 

 

 ディフェンダーであるはずのニワトリさんが、チーターさんと一緒にフォワードの位置にいます。奇しくも壁山さんを前線に出した私たちと似た戦術。

 それ故に、その意図は明らかでした。

 

 

 キックオフの笛が鳴ります。と同時にチーターさんが後ろにボールを下げて、前半戦と同じように一直線に私へ距離を詰めてきました。もちろん私もマークに付かれるのを回避すべくダッシュしましたが、しかしその行く手を塞ぐ、ニワトリさん。

 つまるところ、私が恐れた二人のマンマークです。

 

 

「面倒なこと、してくれちゃうじゃないですか! 監督さんに、『お前ひとりで止めるのは無理だ』とかなんとか、言われちゃったんですか?! ねえフォワードさん!」

 

「ッく……! う、うるさいチタッ! 監督は、そんなこと……ッ!」

 

「落ち着くコケ、チーター! 挑発に乗るんじゃないコケ! ……今はただ、自分の役目に集中するんだコケ……!」

 

「……ッ! わかってるチタっ!」

 

 

 今度こそ私にシュートを打たせないための、苦肉の策。それは想像通り、チーターさんのプライドに傷を入れたようですが、残念ながらその線でどうにかするのは無理そうです。

 

 であるなら、これほど硬いガードもないでしょう。いきなり【イナズマ落とし】の作戦が厳しくなってしまいました。私の足は完全に止められて、その間に染岡さんが抜かれてしまい、ボールはあっという間に私たちの陣地側。攻め込まれてしまいました。

 立ち上がりすぐ故にミッドフィールダー揃ってのディフェンスは叶わず、一人で立ちふさがるしかない少林さんはやはり抜かれてしまいます。早速のピンチかと、皆さんも背に緊張を走らせたでしょうが、

 

 

「【キラースライド】ッ!!」

 

「シャッ!?」

 

「すっげー! いいぞ土門!」

 

 

 私の提案がズバリ刺さったようです。見事な必殺技のスライディングタックルでボールの奪取に成功した彼は円堂さんからのお褒めの言葉にぎこちない笑みを浮かべつつ、すぐにボールを上げました。

 

 

「半田……!」

 

「ナイスパスだ、土門! お前本当にやれる(・・・)んだな! ……無駄にするなよ、豪炎寺!」

 

「ああ……!」

 

 

 半田さんに渡り、そして豪炎寺さんへとボールが繋がります。驚いたのか何なのか眉を寄せて土門さんを見つめていた彼ですが、すぐに走り出しました。

 反応して野生のディフェンスが豪炎寺さんを囲むように動き出しますが、そうして注意を引くことが彼の目的です。ギリギリまで引き付け、染岡さんへパスを蹴り出します。

 

 

「チッ、【ドラゴントルネード】コケか……!」

 

「やっぱりちゃんと把握しちゃってるんですね。けど、残念ながら不正解です……っ!」

 

 

 目的はあくまで、彼らの知らない【イナズマ落とし】。ちらりと私の方を見た染岡さんはそのまま私へスルーパスを通し、そしてそれは私が最初のダッシュでチーターさんの動きを逆方向に誘導していたこともあり、繋がりました。

 

 ――そして一瞬遅れて追いついてくるチーターへ。

 

 

「もう一回食らっときな! 【スピニングアッパー】!!」

 

「うっ、ま、また……!! うわああぁぁッッ!!」

 

 

 吹っ飛ぶチーター。豪炎寺と染岡の囮も含めてこれで前は開けた。ニワトリが健在なせいで【ダブルショット】は打てないが、それも関係なしだ。

 

 

「やるぞ、壁山ッ!!」

 

「は、はいッス……!!」

 

「コケッ!? お前、何を……!?」

 

 

 オレの後を追ってきていた壁山に合図し、同時に跳躍。驚きつつニワトリも追って跳び上がるが、しかしその高さは二段ジャンプで十分超えられるものだ。

 つまり成功すれば得点できた、のだが、

 

 

「ひ、ひいいぃぃッ!!」

 

「ぐ……!! うわあッ!!」

 

 

 練習の時と同様に壁山が高さに竦み、崩れてしまう体勢。おかげでその身体を踏み台にするオレもバランスを崩し――一緒に落下してしまうのでした。

 

 おまけにやっぱり着地にも失敗し、お尻を強打してしまう始末。そんな有様に、ニワトリさんはちょっと唖然とした表情です。

 

 

「……何をやってるか知らないコケが、ボールはありがたくもらっておくコケ! さあ持ってくコケ! ワシ!」

 

「任せろワシ!」

 

 

 こぼれ玉を拾ったニワトリさんが、そのまま後ろにパス。豪炎寺さんたちのディフェンスから、鳥っぽいフードをかぶったワシさんが外れ、それを私たちの陣地へと運んでいきます。

 

 前半戦から続く、野生の攻撃パターンです。守りは硬さを保ったまま、最低限の人数で攻め上がる構図。そしてそれを、私たちが複数人で当たって止める、といういつものやつ。

 舌打ちを堪えつつ息を吐くと、壁山さんがオドオド申し訳なさそうな顔を、痛むお尻をさする私に向けてきました。失点への不安よりも、そっちの方が癪に障ります。

 

 

「はあ、もう。やっぱりこれです。壁山さんの失敗なのに、どうして私が痛い思いをしちゃってるのかしら」

 

「そ、それは、その……ご、ごめんなさいッス……」

 

「……いえ、別に謝っちゃってもらわなくてもいいんですけどね」

 

 

 私の苛立ちは正当なものだとは思いますが、しかし努めて怒声は呑み込みます。壁山さんを委縮させてしまっては、【イナズマ落とし】はいつまでたっても完成させられません。

 なのでどうにかこうにかフォローの言葉も捻り出し、倒れてしまった壁山さんに手をさし伸ばします。

 

 

「とにかく、高所恐怖症さえ克服すればいいんです。下を見ないで、空か私だけ見ていること。いいですね? もしまたボールが来たら、もう一回ですよ?」

 

「は、はいッス……」

 

 

 土門さんたちが連携してボールを取り返したのを横目に、壁山さんはその巨体を酷く縮めて頷き、私の手を握りました。



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第十九話 イナズマ落とし

全国の壁山ファンへごめんなさい。(エッチな本)


 そしてその後、有言実行の円堂さんと皆さんは何度も私たちへボールを送ってくれました。恐らく、その半分くらいは【イナズマ落とし】を打つところまで持って行けたと思います。

 ですがその全てが、やはり失敗に終わってしまいました。

 

 

「きゃうっ……! いたたた……」

 

「フッ……【イナズマ落とし】だか何だか知らないコケが、毎回タダでボールがもらえるんだからありがたい限りコケ!」

 

 

 幾度目とも知れない落下。何度も繰り返されたせいで拷問でも受けているような心地です。そしてその度に楽にボールが奪えるニワトリさんにとっては、笑いが止まらないといった状況でしょう。ニヤッと、彼は思わずといったふうに唇の端を歪めました。

 そして私たちの間抜けな有様に警戒する気が失せ始めているのかさっきよりも私から距離を離し、代わりにフォワードの本能が溢れ気味にさせているチーターさんへとパスを出しました。

 

 そこから今度はヘビさんに繋がって、野生の攻撃ターン。いつも通りのそれを見送って、背中まで響いてきた痛みに耐えつつ、次のシュートのために、倒れる壁山さんにまた手を伸ばします。

 

 

「壁山さん、ほら立って。次こそ成功させますよ」

 

「………」

 

 

 返事もなければ、とうとう指し伸ばした手も無視されてしまいました。私の台詞の棒読み感のせいでしょうか。だとしたら、心にもないことを言っているのは確かなので言い訳のしようがないのですが……。

 しかし【イナズマ落とし】のためには放置もできません。さてどうしようかと、さらに耳障りのいい台詞を考えていた、その時でした。

 

 

「AAAAAAAーーーーーーッッ!!!」

 

「……? またあの監督さんの――」

 

 

 咆哮のような指示。口にする前に、私はその内容を眼で(・・)知ることとなりました。

 

 ゴール前でディフェンスに加わっていた野生ミッドフィールダーと一部のディフェンダーが、咆哮と同時に走り出したのです。目指す先はもちろん我ら雷門のゴール。守備を固めていた彼らの、突然の攻勢です。

 

 

「っ! ああなるほど、プレスで体力消耗したところを一気に、ってことですか! 皆さん下がって!」

 

 

 度々攻めてきてたゴリラさんとかはともかく、他の人たちは体力なんて有り余ってるでしょう。さらに言うなら、時間的には後半戦ももう終盤。一気に攻めて勝ち越し、先制点から緩んだこちらの攻撃意識が再始動する前に試合を終わらせる、というような作戦だったに違いありません。

 

 負けている野生が守りを固めたその理由を今更理解しましたが、したところでそんなものはもはや無意味。できることといえば、攻め込んでいく野生選手たちを追って行った豪炎寺さんや染岡さんに続き、私も前線を下げて総出で野生の総攻撃に対抗することのみでしょう。

 つまりもちろん、壁山さんも下がらねばならない場面です。鼓舞はもはや声を出す間も惜しく、私は無理矢理にでも壁山さんを引っぱり起こそうと――したのですが、やっぱり壁山さんは全く動こうともしません。もしや怪我でもしたのかと、その不動っぷりに心配が湧いてきた時でした。

 

 

「……俺のことは構わないで、行ってくださいッス、米田さん」

 

「……どういう意味で言っちゃってるのかしら、それ」

 

 

 声色から、その質問の答えは明らかでした。だから無理矢理起こそうとした手も彼の肩から離れたのですが、しかし、だからといって認められるわけもありません。少なくとも声色ではなく、言葉でそれを聞くまでは。

 いえ、それでも納得なんてものは出てこず、代わりに呑み込んだはずの憤りがせり上がってきました。

 

 

「俺……もう、無理ッス。米田さんみたいな、サッカーの才能なんてないんッスよ……。【イナズマ落とし】も……ディフェンスだってどうせ……」

 

「今更、何言っちゃってるんですか。壁山さん、尾刈斗の時の分も頑張るってやる気出してたじゃないですか」

 

「尾刈斗……そうッス。尾刈斗と戦った時だって、俺、碌に役に立てなかったのに……っ。そんな分際で必殺技とか、できるわけがなかったんス……っ!」

 

「……もうっ、不貞腐れ方がめんどくさいですね……! 弟さんにそんな情けない姿を見せちゃってもいいんですか!?」

 

「でも……やっぱり無理ッス!」

 

 

 あの失礼な子供を出してやっても、効果がないほどの心の折れっぷりでした。

 

 確かに壁山さんに私ほどの才能なんてないでしょう。それは厳然たる事実だと、私も思います。しかしそれは彼だけでなく、この場のほぼ全員がそう。私並みの才能の持ち主なんて、精々豪炎寺さんくらいです。

 しかしそれくらいの腕前でもサッカーはできます。そして今壁山さんは、それすら放棄し蹲ってしまったのです。

 

 こうなってしまえば才能がどうこうの前に、ただ邪魔。本当に邪魔者。【イナズマ落とし】においても壁山さんは、言ってしまえばポンコツでしたが、今は妨害しているのも同然。

 

 もはや使うこともできないお邪魔虫です。

 故にムカっと来たものは止められず、顔にも出ていたと思うのですが、すぐにそこには焦りもが加わってしまいました。

 

 

「【スーパーアルマジロ】!!」

 

「くッ、キラースライ……ぐわぁッ!?」

 

「ああっ、土門さん!」

 

 

 野生の猛攻は、雷門が抑え込むには激しすぎた様子でした。既に中間は突破され、ボールは私たちのディフェンスラインの内側。そこで決死のディフェンスを試みていた土門さんですが、しかし転がる野生選手の巨体が【キラースライド】を弾き飛ばしてようです。

 ディフェンス陣はそれで壊滅。ボールは上げられ、そこにコンドルさんが突っ込むようにヘディングを放ちました。

 

 

「【コンドルダイブ】!!」

 

「まだまだっ! これくらい――!?」

 

 

 円堂さんがそのシュートに【ゴッドハンド】の構えを取りますが、寸前、私と同時に気付きます。それはシュートではなく、パス。かつての尾刈斗戦で染岡さんが【ドラゴントルネード】を編み出したあれと同じような、言うなればシュートチェイン。

 

「もらったゴリ!! 【ターザンキック】!!」

 

「っ、やば――!」

 

 

 ボールは円堂さんが守るゴールから僅かに逸れ、彼の意識の外側、ツタを伝ってターザンしてきたゴリラさんが打ちました。

 

 二つの必殺技を掛け合わせても、威力は【ゴッドハンド】を打ち破るには足りないでしょう。が、想定していた軌道を変えられたせいで、円堂さんはその【ゴッドハンド】を発動させる間がありません。

 

 決められた。私を含めて恐らく皆さんがそう思いました。

 しかし――

 

 

「――させ、るかあぁぁッッ!! 【ねっけつパンチ】!!」

 

 

 キャッチではなく、パンチング。雄叫びと共にシュートへと飛び込み、熱い炎を纏った円堂さんのパンチがボールを捉えました。

 【ゴッドハンド】よりも取り回しがきく、彼の新たな必殺技です。私たちですら知らなかったそれを野生が予期できるはずもなく、得点を確信していた彼らの顔には驚愕が飛び出しています。

 

 

「う、うそゴリ……!? まさかこれを止めるなんて……! それに、その必殺技は……!?」

 

「そうですよキャプテン! セーブは嬉しいけど……いつの間に新しいキーパー技、使えるようになってたんですか!?」

 

「へへっ、ベータがバンバン必殺技を使ってるのが羨ましくってさ、俺もこっそり特訓してたんだよ。あとは……みんなが必死に守ろうとしたボールだから、かな。絶対止めなきゃって思ったら、できたんだよ!」

 

 

 ゴリラさんに続いて栗松さん目を瞬かせましたが、そんなことを言う円堂さん。しかもどうやらその【ねっけつパンチ】とやら、言い口から察するにぶっつけ本番で完成させたもののようです。

 【イナズマ落とし】の時に彼が言ったように、試合の中で出来上がった必殺技である故にか、続く彼の言葉に、何を言っても顔を上げようとしなかった壁山さんがピクリと反応を示しました。

 

 

「……それに俺は、ベータと壁山に約束したからな。“【イナズマ落とし】を成功させるまでボールを上げ続ける”って。それまでは、何があってもゴールは譲らない!」

 

「きゃ、キャプテン……」

 

 

 大声に加えて、その熱い意志。聞こうとせずとも鼓膜に響くそれに、ようやく壁山さんが顔を上げました。

 そしてその眼には、同じく円堂さんの熱意に奮起した他の皆さんの姿が映ったはずです。

 

 

「そうだ……ボールを、壁山たちに……!」

 

「円堂に頼ってばっかりじゃだめだ……! 俺たちも、ボールを繋ぐんだっ!」

 

「壁山と、米田先輩に繋げば、【イナズマ落とし】で決めてくれます……っ!」

 

「み、みんなまで……っ!」

 

 

 先ほどあっさり突破されてしまったのが嘘だったんじゃないかと思うくらい、パスが繋がり始めました。皆さん必死で、残った体力を絞り尽くさんばかりに走り、プレス戦術で野生選手たちと競っています。

 そして徐々にではありますがボールが前へ、私たちの下へと近づいてくる光景は、またも壁山さんを刺激したようです。必死に戦う皆さんを見つめたまま、彼は呆然と呟きました。

 

 

「みんな……ど、どうして……っ! どうして、そこまで……」

 

「信じているからだ、お前たちを」

 

「あら、豪炎寺さんいつの間に」

 

 

 戻って来ていたんでしょう。座り込む壁山さんを知らぬ間に傍で見下ろしていた豪炎寺さんに首を傾げますが、しかし彼の視線は今は壁山さんのみに向いていて、その口はまっすぐ続いて言いました。

 

 

「壁山、お前が【イナズマ落とし】を諦めるってことはみんなの信頼と、あの頑張りを裏切るってことだ。……お前は本当にそれでいいのか、壁山? みんなの思いを前にして、本当にお前は立てないのか?」

 

「お、俺は……っ」

 

「……はあ。本当にめんどくさくなっちゃってますねぇ、壁山さん。いいですか? あなたはただ、下を見ずにジャンプすればいいだけです。……そうですね、私を見つめていればいいんです。それだけで皆さんの信頼に応えられちゃうんですから。ね、簡単でしょう?」

 

 

 サッカーの才能がないだとか知りませんが、そんな簡単なことくらい、壁山さんにもできるはずです。

 技術や才能といった以前の選択を私たちが迫ると同時に、壁山さんを見つめる視界の端で、ボールを保持する半田さんが野生選手の集団から抜け出る姿を認めました。あとは私たちまで一直線。絶好のシュートチャンスです。

 

 壁山さんの肩に手を掛け、再び引き起こします。彼の身体は――今度はオレの力に抗わない。立ち上がり、見せる眼差しは揺れはしても、確かに覚悟を決めていた。

 壁山はようやく、心を決められたようだった。

 

 

「行くぞ、壁山!」

 

「は、はいッス……!」

 

 

 同時に駆け出す。反応してニワトリが付いてくるが、そんなものに構っている時間はない。無視して攻め込むと、半田のパスが豪炎寺へ渡った。僅かに残った野生のディフェンダーが、豪炎寺に当たろうとオレたちの横をすり抜けるが――

 

 

「う、おおおォォォッッ!!」

 

「ぐ、ぐわあああぁぁッ!?」

 

「な、なんてタックル……ッ!!」

 

 

 豪炎寺は無理矢理押し退けたらしい。そしてオレたちがまっすぐペナルティエリア間近までたどり着くと、同じくサイドを駆け上がっていた豪炎寺から、鋭く放たれるパス。

 

 

「決めろッ!! ベータ、壁山!!」

 

「任せろッ!!」

 

「はいッス!!」

 

「何回やっても無駄コケッ!!」

 

 

 ボールが高く上げられ、同時にオレと壁山がジャンプ。それを追って跳んでくるニワトリの高さはやはりオレたちのさらに上だが、しかしこれもやはり、二段ジャンプで越えるのは余裕なはずだ。……壁山の高所恐怖症が邪魔をしさえしなければ。

 

 足場にするため眼下の壁山を見下ろせば、やはり壁山は怯えているようだった。覚悟は決まれど恐怖を消し去るには至らなかったということなのか、オレへと視線を固定しようとしているもののどうしても気になるらしく、徐々に視線が地面へと下がりつつあるのがはっきり分かる。

 下がりきって遠い大地を眼にしてしまえば、今までの失敗の繰り返しになってしまうだろう。恐らく最初で最後のチャンスに、もうそんな失敗はごめんだ。

 

 

「壁山ッ!! 下を見るんじゃねぇ!! オレから眼を離すなッ!!」

 

「よ、米田さんッ……! 俺、でも……ッ!」

 

 

 下がる視線は、しかし怒鳴っても止まらない。どうすればいいのか、不安に傾く壁山の顔を凝視したまま、脳味噌が思考を弾けさせる。

 

 その結果――私はふと、ロッカールームの鞄にしまったある物(・・・)を思い出したのでした。

 

 

「――エッチな本の件、皆さんにバラしちゃいますよ?」

 

「ひゅッ――!!!??」

 

 

 一瞬にして表情が凍り付いた壁山さんから、首を絞められたみたいな息が漏れました。

 そこからさらに一瞬後、血の気の一切が失せた顔から文字通り冷や汗が噴き出して、理解することを放棄するかのように全身までが硬直。下に向きかけた眼と身体も私を見つめて固まって、仰け反り気味だった彼の大きなお腹はちょうど仰向けで水平でした。

 

 ちょうどよく固定され、彼は完璧な土台になったのです。踏みつけ跳んだ二段ジャンプはニワトリさんを飛び越え、そしてその安定性は私のバランスを崩すこともありませんでした。

 上がったボールを追い、超高度で【ダブルショット】の要領で体勢を入れ替えて、叩き落とすようにオーバーヘッドキック。

 

 ようやく、成功させられました。

 

 

「これが――【イナズマ落とし】ですッ!!」

 

「コケェッ!!? い、イノシシッ!!」

 

「わ、ワイルドク――ああッ……!!」

 

 

 散々失敗するところばかりを見せられていたニワトリさんと、そしてキーパーのイノシシさん。そんなところにいきなり放たれた完成形の【イナズマ落とし】。イナズマを纏ってほとんど垂直に降り注ぐそれに、反応が遅れた二人は触れることすらできません。シュートはそのまま、ゴールへと突き刺さりました。

 

 鳴り響く笛と実況の方の声。ほとんど同時に未だ固まったままの壁山さんが墜落して、その一拍後に私も着地します。どうにか技を成功させたことに安堵の息を吐くと、ふとポンと肩を叩かれ、振り返って見やれば豪炎寺さん薄い笑みを浮かべていました。

 

 

「やったな、ベータ」

 

「はい、やっと決めれちゃいました。これでもう失敗して痛い思いをせずに済んじゃいますね」

 

 

 壁山さんが今のでコツか何か掴んでくれていれば、の話ですが。また同じ脅しをしてもいいですが、気まずいので正直やりたくはありません。

 

 そんな私の内なる思いが届いたのか、得点のホイッスルの後、再び甲高い笛の音がフィールドに響きました。つまり、試合終了ということ。【イナズマ落とし】の二発目はチャレンジせずに済みそうです。

 しかしその代わり、満面の笑みをたたえた円堂さんがはるばるこっちまで突っ込んできていました。

 

 

「【イナズマ落とし】、すごかったぜベータ!! やっぱりお前に任せて大正解だ!! お前もそう思うだろ!?」

 

「んー……まあ、はい。そうですね。頑張った甲斐がありました」

 

 

 2-0の点数差的にそもそも打つ必要のないシュートでしたが、終わってみれば褒められて悪い気はしません。思っていたよりもそれなりな威力も出ましたし。

 疲れ切った様子ながらも集まってきた他の皆さんからもそういう視線があったせいで、つい適当な柄も満足の台詞を口走ってしまいまいました。

 

 そして口走ってしまってから、気付きました。これはもしかしたら、今後も【イナズマ落とし】を打つことを要求される試合が来ちゃったりするんでしょうか。満足そうにうんうん頷く円堂さんを見るに、そんな気がしてなりません。

 ならば壁山さんはどうなのかと、私は仰向けに倒れ伏したままの彼に視線を移し――そこで首をかしげることになりました。

 

 

「……壁山さん、なんでそんな変な顔、しちゃってるんですか?」

 

 

 【イナズマ落とし】の時はこの世の終わりかのような状態だったのに、今はなぜか頬に血の気が増して逆に赤い顔。しかもなぜか視線を泳がせ、もじもじと身をよじっています。

 起き上がり、恐る恐るに身を寄せた彼は、小さな声で呟くように答えました。

 

 

「そ、その……よ、米田さん、俺が河川敷で拾ったエッチな本、見ちゃったんッスよね……?」

 

「……ちょっとだけですけどね」

 

 

 セクハラか何かでしょうか。壁山さんはさらに顔の熱と落ち着きのなさを増して、そして私に耳打ちしてきました。

 

 

「あの本に、その……お、女の人に踏まれて喜ぶってのがあって……お、俺、【イナズマ落とし】で米田さんに踏まれた時、そ……それを、思い出しちゃって……」

 

 

 知ってしまった、と。

 

 たぶん壁山さんは、初めての感情に混乱してしまっているんでしょう。でなければそんな痴態を私に報告なんてするわけがありません。

 男の子の暴走。これも見て見ぬふりをしてあげるべきなんでしょう。

 

 

「……えー、キモーい……」

 

 

 無理でした。しかも壁山さんが私の本音にさらに顔を赤くしてもじもじしてしまうせいで、私はしばらく彼に近寄れなくなってしまうのでした。




壁山くんはベータちゃんに「キモーい」って言ってもらうための尊い犠牲になりました。

連続更新はこれにて終了。次の更新を待たれよ。
あと誤字報告をありがとうございます。ヒロインの名前を間違える醜態を晒し続けるところでした。
あと感想ください。


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第二十話 必殺技が使いたい!

「新必殺技だ!」

 

「基本練習が大事だってことは、野生戦でイヤってほど思い知らされたんでやんすけど……」

 

「やっぱり、どうしても俺たちも使えるようになりたいんです! 特訓さえすれば、きっと俺たちも壁山みたいに、できることがあると思うんです!」

 

「必殺シュートじゃなくても、米田の【スピニングアッパー】とか土門の【キラースライド】とか、そういうオフェンスディフェンスの技とかさ、使えるようになったら結構便利だと思うんだよね!」

 

「だから今日は、基本練習よりも必殺技の開発の方を重点的にやらせてください! お願いします!」

 

 

 と、立て続けに必殺技への想いをしゃべった後、彼ら“非必殺技持ち”の皆さんは、私たち“必殺技持ち”へと揃って頭を下げました。

 

 主に円堂さんに対しての訴えでしたが、羨望に関してははっきり私たちへと向いています。おかげで土門さんは取り繕い切れていない引き攣った苦笑いを浮かべ、壁山さんは優越感かニマニマ顔です。

 そして、私は納得を以ってして彼らの願望を受け止めます。まあ、そうなっちゃうでしょうねぇ、と。

 

 

 野生戦を終えて間もなくの練習日、いざ始めようという時にいきなり皆さん揃って訴えかけてくるというのはさすがに驚きではありましたが、その願望を抱くことになった経緯に関しては、特に不思議とも思いません。

 当時、対野生中のために新必殺技を会得しようと苦労していた彼らの熱意は相当なものでしたし、円堂さんが持ってきた秘伝書から【イナズマ落とし】を私と壁山さんで特訓することが決まった後もそれは同様。実際に試合での必殺技の活躍、先の私たち三人による必殺技の数々が、その憧れを燃え上がらせる燃料にならないはずがないのです。

 

 要するに彼らの想いを纏めれば、『お前たちだけ必殺技使えてずるい!』ということです。身もふたもない要約ですが、しかし動機と理由が純真だからこそ、その懇願は無下にし辛くなっています。

 故に私は必死に脳内で言葉を選んでいたわけですが、しかし壁山さんと同様に呑気だった円堂さんが、私の脳味噌が台詞をまとめる前に、笑顔で「うん」と頷いてしまいました。

 

 

「そうだな。確かに必殺技さえ使えてれば、ずうっとゾーンプレスしなくちゃならないなんてことにもならなかったかもしれないし……。よし、じゃあ今日はみんなで必殺技の特訓だ!」

 

「ありがとう、円堂! それで俺、思ったんだけどさ……確か土門の【キラースライド】って、前にいた学校で教えてもらった必殺技なんだろ? だったら俺たちも覚えられないかな?」

 

「えっ!? その……え、えーっと……」

 

「それに、【イナズマ落とし】もそうだったけど、最初から形がわかってる必殺技の方が覚えやすい……かも、だしね。フフフ……」

 

「……ええっとぉ……」

 

 

 乗り気になってしまった円堂さんに加えて風丸さんと、珍しいことに普段は存在感の薄い影野さんも主張してきます。そしてその矛先は土門さん。引き攣った笑みが、どんどんそのぎこちなさを増してきていました。

 

 彼がこうまで挙動不審なのは、彼が帝国学園のスパイであるからです。正確にはそのことを私に知られてしまっているからであり、いつ暴露されるのかと怯えているから。それとたぶん……私たちを裏切っていることに対する罪悪感が、彼の中にしこりとなって存在しているから。

 

 そう考える私が、彼の善性を信じたいという個人的な感情に傾倒していることは、正直、否定できません。しかしこの推察は決して妄想ではないはずです。もし彼が本当にただの悪人であったなら、スパイ行為が私に露見する前、初対面の時から続くあの隔意はいったい何だというのでしょう。

 きっとあれは、幼馴染である秋さんや、その友人である私を欺かなければならないことに対する罪悪感、スパイになった事への後悔です。もちろんそれこそただの憶測で、証拠なんてないから、私は今日まで秋さんはおろか土門さん本人とも、このことについて話し合えていないわけですが。

 

 

 降り積もった思考がいつものように沈みかけていることに気付き、私はそれを断ち切り顔を上げました。しどろもどろな土門さんが助けを求めるように私の方を見ていて、それで安堵と一緒に仕方なく息を吐き、切り替えます。

 別の思考回路を再起動させ、ずっとこねくり回していた否定の台詞を言いました。

 ――もとい、言おうとしたのですが。

 

 

「だが、今は必殺技の特訓はしない方がいい。だろう、ベータ」

 

 

 豪炎寺さんに取られてしまいました。

 とはいえその通りで付け加えることも見当たらないので、私は頷くしかありません。渋々首を縦に振ると、半端な肩透かしでも気が抜けてしまった皆さんに代わって、円堂さんが首を傾げてくれました。

 

 

「なんでだよ? 河川敷ならスペースは余りまくってるし、何なら俺だって協力するぞ?」

 

「そうじゃなくって、ほら」

 

 

 円堂さんと、ついでに彼と同様わかっていない皆さんを促して、指し示したのは橋の上。そこにいる大勢の人影は、最近一気に増えてきたギャラリーです。

 しかしそれがどれだけ重大な問題なのか、円堂さんは教えてあげても尚わかっていません。

 

 

「あれがどうしたんだ?」

 

「『どうしたんだ』って……見られちゃってるじゃないですか」

 

「? いいじゃないか、練習風景くらい見せてあげても。こういうのって、ファンサービスってやつだろ?」

 

 

 なわけないじゃないですか。ちょっとした基礎練習の風景を後悔するならまだしも、必殺技を喧伝するサービスなんて、そんな頭のおかしなことはありません。

 そして何より、彼らは“ファン”なんかではないのです。

 

 

「いいですか、円堂さん。……それに皆さんも、わかってないみたいですけど――」

 

「あれは他校の偵察隊よ。あなたたちのデータを取りに来ているのよ」

 

 

 またも遮られ、堤防の上から現れたのは雷門さん。彼女は階段を下りながら、「偵察ぅ!?」と驚く皆さんに続けました。

 

 

「帝国、尾刈斗、そして野生と、弱小だったはずの我が校が強豪校に立て続けに勝利しているんだもの。他の学校が私たちを調査するのは、普通に考えて当たり前のことじゃない」

 

「……また先に言われちゃいましたけど、そういうことです。そんな環境で必殺技の特訓なんてしても、対策されちゃうのがオチでしょう? 野生戦の時みたいに」

 

 

 豪炎寺さんの【ファイアトルネード】も私の【ダブルショット】も、いずれもタイミングを掴まれて抑え込まれてしまったあの試合。皆さんは私たちよりも実力的に劣るわけですから、仮に相手が野生ほどの身体能力を持たずとも、きっと似たようなことになってしまうでしょう。

 

 時間を無駄にしている余裕は、未だ弱小部との評価が拭えない私たちにはありません。それは半田さんたちも自覚しているはずです。

 

 

「だから、やっぱり今日は基本練習です。あの偵察の人たちが飽きてくれるまでは、残念ながら必殺技の特訓はお預けですね」

 

「うぅ……それは……うぅん……」

 

「身体能力を高めれば、そのぶん必殺技でできることも広がる。しっかり基礎を身につけてから改めて挑戦すればいいさ。いや、むしろそっちの方がいい。自分の必殺技をより強力なものにしたいなら、な」

 

「それはわかってるんですけど……」

 

「どうにか、ならないですかね……? たとえばほら……誰にも見られないような場所で練習するとか!」

 

「どこにあるんだよ、そんなの」

 

「きっとどこかに使ってない倉庫だったり……なんて、都合がよすぎかぁ……」

 

 

 豪炎寺さんの正論があっても尚未練がましい半田さんたちに、風丸さんが呆れ顔で鼻を鳴らしました。そのとおり、そんな都合のいい施設が都合よく見つかるなんてこと、あるはずがありません。

 それこそ、どこかの誰かが酔狂で使われなくなった設備か何かを見つけ出し、整備でもしてくれない限りは。

 

 

「……そのことなのだけれど――」

 

 

 と、何故かニヤついた顔の雷門さんが私を見つめて何やら言いかけた、その時でした。

 

 

「ね、ねえみんな。何か、変なのが来ちゃったみたいなんだけど……」

 

 

 秋さんが言いました。彼女の視線を追って見上げると、土手の上、秋さんが乗ってきたリムジンの傍に、レーダーやら何やらが付いて物々しい雰囲気の大きなトラックが二台、現れました。並んで停車した荷台から、それぞれ男の子が降りてきます。

 

 とげウニみたいな頭の子と、もう一人、外跳ね髪の釣り目の子が、ゴーグルのようなバイザーを外して階段を下ってきました。橋上の人たちでさえこちらに来ようとはしなかったのに、すごい度胸です。

 あまりにも堂々と、自然に歩いて来たために円堂さんが反応するのも少々遅れたくらいでした。

 

 

「なっ……お、おい、勝手にグラウンドに入らないでくれよ! 今、俺たち練習中なんだ!」

 

「なら、なぜ必殺技の特訓をしない?」

 

「……なに?」

 

 

 私たちの会話が聞こえていたんでしょうか。とすれば、あのトラックの偵察装置はかなり高性能なようです。

 彼らが橋上の人たちと同類であることは明らかですが、しかし、ならばなぜ彼らはわざわざ出てきて、しかも話しかけてきたのでしょう。

 

 

「もしかして、わざわざ見学しに来てくれちゃったんですか? だとしたらごめんなさい。今日は必殺技の練習、できそうにないんです。あなたたちみたいなのが邪魔なせいで」

 

 

 円堂さんじゃあるまいし、そんなことは彼らも承知しているはずです。しかし、ウニ頭さんはまるで顔色を変えず、ロボットみたいに無感情に言いました。

 

 

「必殺技を秘匿しているのだとしたら、それは無意味だ。君たちがいくら情報を絞ろうが、もはや意味はない」

 

「へぇ、そりゃなんでだ?」

 

「君たちのデータは既に取集、解析済みだ。今更、何を画策しようが、我々には百パーセント勝てない」

 

 

 染岡さんが挑発気味に凄んで聞き返すと、平然と出てきたそんな応え。今度こそ皆さん、訳がわからないといった表情になってしまいます。

 

 

「『勝てない』? 何を言うかと思えば……。それに『収集』だの『解析』だのって、誰なんだよお前たち」

 

「わからないのか? ……ふむ、その鈍感さはデータにないな。修正しておこう」

 

「なんだかバカにしてくれちゃってるみたいですけど、そういうあなたは一つ前の質問を忘れちゃったわけじゃありませんよね? だとしたら、ちゃあんと名乗れるはずでしょう?」

 

 

 私も挑発をつけ足して、それでようやく、ほんの僅かに一瞬だけ表情を動かしたウニ頭の彼は答えました。

 

 

「……私は、御影専農中学サッカー部キャプテン、キーパーの杉森 威だ」

 

「同じく、フォワードの下鶴 改」

 

「御影専農中?」

 

 

 聞き覚えのある校名ではありません。だというのに、二人はそれだけ言って、十分だろうというふうに無機質な眼をするばかり。

 しかし数秒後、音無さんがハッとしたふうに声を上げました。

 

 

「御影専農……って、そうです! 地区予選で同じブロックの学校ですよ! つまり、私たちの次の対戦相手です!」

 

「ああ、そういえば……。トーナメント表にそんな校名、ありましたねぇ」

 

 

 言われて私も思い出します。そして、気付きました。偵察も含まれはするでしょうが、彼らの目的はもっと別です。

 

 

「……なるほどな。つまりお前ら、俺たちに喧嘩を売りに来たってことかよ。試合前に俺たちを揺さぶっておこうってわけだ」

 

 

 姑息な挑発。見かけによらずなやり口は、染岡さん共々、憤りよりも呆れが先に来るほどでした。

 しかしどうやら、少なくとも御影の二人にはそんなつもりがないようです。その無表情を僅かに歪め、不思議そうに言いました。

 

 

「なぜ我々が君たちに喧嘩なんてものを売るんだ? 喧嘩とは、同じレベルの者同士でしか成立しないものだろう」

 

「は……?」

 

「我々は解析したデータから、君たちの戦力をDマイナスと評価している。つまり、我々のはるか格下だ。そんな我々が君たちに争いを仕掛けるとすれば、それは喧嘩ではなく蹂躙、駆除とでも称するのが適当だろう」

 

「なんッ……!! か、格下だと!? それに、駆除……てめぇ、言わせておけばッ!!」

 

 

 淡々と突き付けてくる評価とやらに、染岡さんはあっさりプッツンしてしまいます。皆さんもざわめき始めました。普段なら揶揄いつつも止めてあげるのが私の役目でしょうが、しかしこんなことを言われてしまえばそんな気にもなれません。

 なんなら染岡さんのお株を奪って襟首でも締め上げてやりたいくらいでしたが、しかし憤りが行く所まで行きつく前に、キャプテンとしての責任感か、一人冷静を保っていた円堂さんが全員を制します。

 

 

「やめろ、染岡。みんなもだ」

 

「止めてくれるな円堂!! こんな奴ら、俺が追い出して――!?」

 

「自己紹介が遅れて悪い。俺、雷門サッカー部キャプテン、円堂 守だ」

 

「……杉森 威だ」

 

 

 円堂さんにとっても面白くないはずなのに、それをおくびにも出さないしかつめらしい顔で皆さんを黙らせ、彼は握手の手を差し出しました。ここに来ての堂々とした友好的な対応は杉森さんにしても意外なものだったようで、応えて握る声は先ほどよりも間が空き、少し気後れ気味に思えます。

 しかしそれでも結局握手はなされ、そこで円堂さんは初めて感情らしい感情――不敵に笑い、言いました。

 

 

「俺たちのことを格下だって言うからには、自分たちの力にすっごい自信があるんだろうけど……あんまり俺たちのこと、舐めない方がいいぜ?」

 

「……なぜだ? 我々にはデータがある。それによって再現した君たちとも既に試合をし、勝利も確認した。負ける要素など存在しない」

 

「だとしても、データはデータだ。当日に戦うのはデータじゃなくて、俺たち自身だろ? データ(過去)の俺たちに勝てたからって、リアル(現在)の俺たちに勝てるとは限らない。俺たちは毎日毎日修行を重ねて、どんどん強くなっていってるんだから!」

 

「っ……!」

 

 

 言い放たれた言葉の迫力は、ともすれば私までも呑み込まれてしまいそうなほど力強いものでした。

 

 なんというかちょっぴり剛腹ですが、彼の背中が大きく見えます。挑発如きに腹を立ててしまった自分が急に幼稚に見えてしまって、同じような衝撃だったのか、周囲からも苛立ちの気配が消えていきました。

 

 

「円堂さんって……時々格言みたいなこと言っちゃいますよね。感心しちゃいます。ほんとに時々ですけど」

 

「えっ? そ、そうかなぁ……?」

 

 

 皮肉半分で褒めてあげたら途端にふにゃりと嬉しそうに緩む顔。落差が酷くて台無し感が否めませんが、こういう親しみやすいところも円堂さんの魅力の一つでもあるわけで……。

 

 ともかく、故に純粋なサッカーへの熱意で皆を引き付ける円堂さんですが、しかしそんな熱意は、杉森さんには少々熱すぎたようでした。

 

 

「理解……不能だ」

 

「あん?」

 

「データを上回る? そんなことはあり得ない。すべての事象はデータの元、完璧にシミュレートされ、そこに間違いなどあるはずがない。……もしや、データそのものの不備を疑っているのか? であれば、それこそあり得ない話だ。帝国学園の情報収集能力は、全国で見ても群を抜いているだろう」

 

「帝国? おい、なんで今、帝国の名前が出てくるんだよ?」

 

 

 脈絡なく出てきた名前に思わず声を上げ、そしてそれに我に返る杉森さん。すっと上がった眼が半田さんを捉えると、誰にも思いもよらなかったことを、彼は答えました。

 

 

「我々が持つ君たちのデータが、帝国学園より提供されたものだからだ。君たちの試合内容、練習風景の映像、そして個人データに至るまで、全て」

 

「っ……!」

 

 

 皆さんが驚きに息を呑み、私だけが土門さんに視線を向けました。が、しかし最初に土門さんの顔にあったのは皆さんと同じ驚きの表情。それから私の視線に気付き、彼は周りにバレないように小さく、しかし必死に、青い顔を横に振りました。

 

 その情報源は自分ではない、という主張。その必死の否定を、さすがに嘘だとは思いたくありません。とはいえ情報漏洩の原因が土門さんのスパイ行為以外に考えられないというのは、私はもちろん土門さん本人にとっても正直なところです。

 だからたぶん真相は、要するに無断転用なのでしょう。土門さんが持ち出した雷門の情報が帝国ではなく御影専農のために使われるという話を、彼は聞かされていなかったのかもしれません。

 そしてこれも“たぶん”の、根拠のない憶測でしかありませんが、土門さんにとってスパイとは、精々が豪炎寺さんか、もしかしたら私に対する監視程度の意味合いでしかなかったのではないでしょうか。きっと“帝国が雷門と戦う時に少しばかり有利に立ち回れる”とか、彼にとってはそれくらいの軽い認識であったと思うのです。

 

 なんて、またも個人的な感情で想像を働かせつつ、それをこの場で口に出せるはずもない私は、ただ慄くことしかできません。しかし対して杉森さんは完全に調子を取り戻してしまったようで、見やればその顔はすっかり鉄仮面に戻っていました。

 

 

「どうやら帝国は、君たち雷門にこれ以上勝ち上がってほしくないらしい。帝国学園の総帥が直接、我々の練習を視察しに来てくださったんだ」

 

「な、なんだよそれ……! どうしてそんなことを……」

 

「俺たちがあいつらに勝っちゃったから、とか……? ほら、音無も言ってたじゃん。噂になってるとかなんとか……」

 

「え、ええ……。確かに、『帝国が一点に泣いた』とか、『実は雷門、すごいチームなんじゃ?』とか、色々ありますけど……」

 

「うぅん……だからって、あいつらがそんなことするかなぁ? 試合をする前に潰してやろうってことだろ? それって」

 

 

 確かにそこは疑問です。ボッコボコにはされたり嫌味な感じではありましたが、同時に帝国はサッカープレイヤーとしての矜持もしっかりと持ち合わせたチームでした。土門さんがそうだったように、最強とうたわれる彼らが、言ってしまえば戦いから逃げてまで勝利を求めるとは、私もとても思えません。

 しかし現実は現実。同時に、データだ解析だと言うウニ頭さんたちが、こんなくだらない嘘をつく理由も思いつきません。矛盾は、もはや私たちの頭で真相を推理することが不可能なほどでした。

 

 正解が出てこない思考がまたも積み重ねられ、ぐるぐると脳内を回り始めます。とうとう頭に鈍い痛みまで生じ始めて、思わず私は目を瞑って頭を抱えました。

 目の前の彼らの動きを、ちょうど認識できなくなった時です。

 

 

「……まあ、こんなところで考えててもしょうがないさ。それよりも、御影専農。喧嘩売りに来たんじゃないなら、お前たち結局なにしに来たんだよ? データが揃ってるってんなら、偵察でもないんだろ?」

 

 

 風丸さんが言いました。そして直後、風丸さんに怪訝を向けられた二人が、機械的に応答し――

 

 

「いわば、最終確認だ。君たちのチームにおける、唯一の不確定要素。それを確かめておくことを、総帥に勧められただけだ」

 

「ッ!? ベータ!!」

 

「え――」

 

 

 意識が正面に戻らぬうちに、円堂さんの声が響きました。反射の勢いで顔を上げると、すぐ目前。下鶴さんが、もう真正面に接近してきていました。

 

 

「【スーパースキャン】」

 

「きゃっ……!」

 

 

 そのまま突っ込んで来て、反射的に身をよじった私の傍を、まるでその動きを予測していたかのように容易くすり抜けていきます。しかも私の足元にあったボールが奪われて、拍子に転ばされてしまうおまけつきです。

 いったい何のつもりだと文句を言おうとしましたが、その前に、心なしか得意げな杉森さんの声。

 

 

「やはり、問題がないことを確認した」

 

 

 そしてさらに続けて、今度はまたも下鶴さんが動きました。くるりと背を向け、遠いゴールネットへ向き直り、そして――

 

 

「なっ……!? あれは!!」

 

「米田さんの……」

 

「【ダブルショット】!?」

 

 

 高く上げた足で、彼は思いっきりボールを踏みつけました。

 あとはもう見慣れた通り。“力”を受けてボールが二つに分裂し、高く舞い上がるそれを追って下鶴さんもジャンプ。頂点で、両足を使ってオーバーヘッドキック。

 私の【ダブルショット】を、彼は打ち放ちました。

 

 

「【ダブルショット】」

 

 

 長い軌跡を引き、ほとんどコートの三分の二を飛翔したボールが、誰もいないゴールネットを揺らしました。誰もが信じられないと言葉を失う中、着地した杉森さんと下鶴さんは、私たちに背を向け、興味を失ったかのように言い捨てます。

 

 

「目的は完了した。これでもう、この場ですべきことはない」

 

「総帥の言う通り、君たちとのサッカーは害虫駆除作業にしかならない」

 

 

 そして乗ってきたトレーラーへと乗り込み、去って行ってしまいました。

 

 その背に、彼らが吐いた台詞に対する糾弾を叫べた人はいませんでした。中々にひどいことを言われましたが、そのショック以上に目の前で起きた光景が衝撃的だったのです。

 ようやく我に返ったのは、車の音が遠ざかり、そして完全に消え去った頃でした。

 

 

「で、データを解析したとは言っていましたが、まさか必殺技までコピーしてしまうほどとは……」

 

「間違いなく、【ダブルショット】だったわ。しかもあんな遠くから……。佳ちゃん、大丈夫……?」

 

 

 心配そうな秋さん。こけてしまったのと必殺技を奪われたの、二種の心配で私のことをおずおずと覗き込んできます。

 がしかし、少なくとも必殺技に関しての衝撃は、そもそも私の中にはありません。服と手に付いた土を払って立ち上がると、私は小首を傾げながらそれを口にしました。

 

 

「全然大丈夫です。というか、皆さんびっくりしすぎじゃないですか? 必殺技をコピーされたからって、そんなの気にするほどのことじゃないと思うんですけど」

 

「は、はぁ!? どうでもいいってお前……やべぇとは思わねぇのかよ!? あんなにあっさり真似されて――」

 

 

 染岡さんがやかましくなりそうなので私はそこらに転がるボールを取り、黙らせるために蹴りました。もちろんただ蹴ったのではなく、ヒールリフト。そこから上げたボールを回転しながら追いかけて、炎を纏い、左足で蹴り抜きました。

 

 

「【ファイアトルネード】っと!」

 

「え……!?」

 

「なっ……!?」

 

 

 しかし、近い方のゴールを狙ったそのシュートは途中で失速。炎も途中で途切れ、ワンバウンドしてからゴールにぽてぽて入りました。とても豪炎寺さんの【ファイアトルネード】には及ばない完成度です。

 

 

「あらら、失敗。……でも、見ての通りです。誰かの必殺技をマネすることって、そんなに難しくないと思います。ちゃんと練習しないと威力はこんなですし、そもそも必殺技自体に個々人の向き不向きだってあると思いますけど……少なくとも、一から必殺技を創りだすよりは簡単なんじゃないかしら」

 

 

 影野さんも言っていましたが、半田さんたちが必殺技を覚えたいのならこうやって誰かの必殺技を伝授してもらうのも一つの選択肢でしょう。そう言うと、なぜか皆さん呆れ半分の顔になってしまいました。

 

 

「……たぶん、そんな簡単にやれるのは米田さんだけでやんす」

 

「なんかもう……すげえな、米田って。ほんとに」

 

 

 しみじみ言う皆さん。私、何か変なこと言ってしまったでしょうか。

 すると、雷門さんが気まずい空気に割って入ってくれました。

 

 

「こほん。いいかしら? 真似でも何でもいいけれど、必殺技を習得するには秘密の特訓場が必要だって話、さっきしてたわよね?」

 

「え? あ、ああ。そうだったな」

 

「あの人たちのせいで途切れてしまったけれど、私、その特訓場所に心当たりがあるの」

 

「へぇ、そうなんだ」

 

 

 円堂さんが応じ、頷きました。なるほど、確かにそれはいいことです。それなら半田さんたちの望みも叶って彼らも喜ぶでしょう。お手柄を上げた雷門さんは、なぜだかだんだんつまらなそうな顔になっていますが。

 

 

「……って、え? 特訓場所?」

 

 

 遅れて理解が追い付きました。

 

 

「ええそうよ。伝説のイナズマイレブンが使っていた、地下の秘密特訓場。整備もしておいてあげたから……もう、いいわ。好きに使えば」

 

 

 まるでドッキリが失敗した子供みたいにしゅんとして、雷門さんも去って行きました。

 そしてまた車の音が遠ざかり、その後。

 

 

「「「「ええぇーーーっ!!?」」」」

 

 

 遅れに遅れて、皆さん声を上げました。



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第二十一話 てるてる坊主

 以前の秘伝書の件然り、やっぱりこういうの(・・・・・)は嫌が応にも男の子の心をときめかせてしまうようです。プレイヤーとしては唯一、ちょっと理解ができない私は、そんなのお構いなしに引っ張られ、全員ですぐさま戻った学校に雷門さんの執事さんの案内で地下の秘密特訓場とやらを見つけました。そしてそのまま一緒に施設の中へと突撃することになったのです。

 

 

 出入り口の分厚い扉を潜らされると、中には様々な設備がありました。迫る車で強制的に走らせてくるコンベアや、カジノとかにありそうな巨大ルーレットホイール、挙句に凶器染みた威力のレーザー光線を乱射してくる部屋などなど。四十年前のイナズマイレブンが使っていたと雷門さんが言っていただけあってどの設備も年季が入っていましたが、雷門さんは随分力を入れて整備してくれたらしく、スイッチが入ればどれもしっかりと機能しました。

 

 同時にガチャンと、ひとりでに閉じた出入り口のタイマーロックも、もちろん整備は完璧でした。

 

 そんなこんなで分不相応かつ途中で投げ出すこともできない特訓が強制的に始まって、“どうして私は扉にロック機能が付いていることに気付かなかったのか”なんて後悔をして、それが疲れのあまりに吹き飛ぶくらいの時間が経った頃、ビーッという福音と共に、ようやく私はそれから解放されたのでした。

 

 

「こ、ここ……絶対、特訓場なんかじゃ……ないです……。牢獄です……拷問付きの……」

 

 

 死屍累々な皆さんを乗り越え扉の内側から這い出して、階段に倒れ込むようにして座り込みます。

 汗だくになりながら喘ぎ、不足気味の酸素を必死に身体と脳に送り続けながら、しかし構わず悪態をつかずにはいられませんでした。この特訓場、それくらいには無茶苦茶すぎる施設です。

 

 とりあえず、こんな施設を蘇らせてしまった雷門さんは絶対にうちのマネージャーにしてやります。雑用としてこき使ってやるのです。サッカーに関して門外漢だったとか、そんなことは知りません。

 執念でそんな八つ当たりの決意だけ抱いて気力をつなぎ止め、そして正面、他の皆さんの様子を眺めます。

 

 私の悪態に反応する元気が残っている人は、どうやらいないようです。「救急箱取ってきます!」と焦ったふうに走って行った音無さんを見るに、怪我人すら出てしまっているのでしょう。

 そしてその中でも特に消耗――を通り越して憔悴してしまっている土門さんへ、私は脳味噌まで疲れ切った身体でふと、この特訓場を欲した目的のことを思い出し、呼吸の息に乗せて呟きました。

 

 

「必殺技の、特訓も伝授も……ここじゃ、できそうにありませんね……。疲れるばっかりな、こんな特訓……もう、こりごりです……。ねえ、土門さん……」

 

「………」

 

 

 返事どころか苦笑いを作る元気すら、もう彼には残っていません。スパイの問題と罪悪感に加えて、肉体もやられてしまった彼はもう完全にグロッキー状態。辛うじて私に向いた眼には、もはや光が宿っていないふうにも見えてしまいます。

 

 しかし一方、こんな拷問然とした特訓でも、円堂さんだけは当初のやる気をまだ残していたようです。反応して持ち上がった顔には、弱々しくはありますが楽しそうな笑みが浮かんでいました。

 

 

「そう、言うなよ。伝説のイナズマイレブンと、同じ特訓を体験できたんだぜ……? 俺たちはそれを……乗り越えられた……! この経験は、確実に俺たちの力になる……!」

 

「かなり、無茶苦茶な特訓だけどな……。イナズマイレブン、これを毎日やってたのなら、確かに伝説になるだろうな……」

 

 

 乾いた笑いの風丸さん。陸上部なだけあって彼にもしゃべるだけの体力が残っていたようですが、さすがに円堂さんのように前向きでいられるほどではないようです。

 

 円堂さんがやっぱり弱々しく拳を掲げ、言いました。

 

 

「必殺技の特訓にはならなくても、基礎能力を高めるのにこれ以上の設備はない……! みんな、これから試合までの一週間、毎日ここで特訓するぞ……!」

 

 

 やっぱりというかなんというか、彼はこの拷問施設を気に入ってしまったようです。そしてそのやる気を否定できるような元気を余らせている者はこの場にはおらず、押し切られ、私たちは彼の宣言通りに毎日この拷問に囚われることとなったのでした。

 

 

 

 

 

 そんな地獄の日々が六日間も続き、今日は御影専農との試合の前日。明日に向けて体力を残すべしと、さすがに早いうちに特訓も切り上げられて、私は久しぶりに日が暮れる前に校門を出ることができました。

 

 とはいえ空は生憎の雨模様であり、真っ黒な雲と雨に覆い尽くされているせいで、お日様の光はありません。身体に満ちる疲労感の度合いだけが、この六日間で今日が一番、特訓場のタイマーロックの設定がマシであったことを教えてくれています。

 ともかく今日は帰ったら最低限のやるべきことだけ済ませてすぐに休もうと、それだけを考えて歩きながら、私は傘に打ち付ける雨音をぼんやりと聞いていたのでした。

 

 そんなふうに疲れて心ここにあらずであったから、私は行く道の先、小さな公園の傍で待ち構えていた人影に、気付くのが少し遅れてしまいました。

 

 ハッとして顔を上げた時には、もうほとんど目の前。雨の中で傘もさしていない土門さんと、そして私服姿の鬼道さんは、その時になってようやく私に声をかけてきました。

 

 

「……よぉ、米田」

 

「どうも、土門さん。それに……鬼道さんも、お久しぶりですね」

 

「………」

 

 

 私の一応の挨拶に、鬼道さんは無言の強張った表情で、まっすぐ視線だけを返してきました。そして一方、土門さんはへにゃりとした、力ない微笑で片手をひらひら振っています。

 精神と肉体の疲労に憔悴し切ってしまった顔。そこに鬼道さんがいることを考えれば、彼が何をするために雨の中で私を待っていたのかは、もはや考えるまでもありません。

 私もとうとう覚悟を決めるしかありませんでした。

 

 

「……スパイの件……ですよね?」

 

 

 こんな状況にならなければその話題を口にできない自分自身が情けなくはありますが、しかしぐっとこらえて確認すると、土門さんが小さく頷きました。とはいえ歯はきゅっと噛みしめられたままで、そこから言葉は出てきません。

 そんなふうに彼が使い物にならなくなることを、鬼道さんもわかっていたのでしょう。彼は特に土門さんを急かすでもなく、黙って前に進み出てきました。

 そして、重たい口が開かれます。

 

 

「……まず、訊きたい。お前は以前、俺と土門が接触している現場を眼にした。土門が、俺が雷門に潜り込ませた鼠だということはわかっていたはずだ。しかし……お前は今日まで、そのことを誰にも話していないらしい。それは、なぜだ?」

 

「……別に、何か企んでるとかじゃありませんよ。土門さんが裏切り者だって皆さんに知れちゃったら、彼の幼馴染の秋さんが傷ついちゃうかもしれませんから。それだけです」

 

 

 もっともな質問に素直な心情をそのまま語ります。情報漏洩を良しとするのはそれこそチームに対する裏切りなのですが、私にとってはそんなことよりも秋さんの方が重要だったのです。

 ただし裏切りの負い目もきちんとあったから、私は土門さんをここまで追い詰めることになってしまったわけですが。

 

 

「それに円堂さん曰く、いくらデータを取られようが練習してそれを上回ればいいだけらしいので」

 

 

 今尚それは直視できず、つい軽口で眼を逸らしてしまいました。もちろん鬼道さんにそんな心持ちがわかるはずもなく、代わりに別事が気になったようです。ゴーグルの奥で眼がすっと眇められ、隣の土門さんに向きました。

 

 

「幼馴染……それは初耳だな。本当なのか、土門」

 

「……ええ、そうです。アメリカにいた頃の友達の一人ですよ」

 

 

 あるいは彼女の存在がなければ、私も彼もここまで面倒なことにはならなかったでしょう。そんな想いがあるのかないのか、土門さんは黒い雨雲が広がる空を見上げて呟くように口にします。

 

 

「秋が……幼馴染が雷門にいるってことは、もちろん最初っからわかってました。彼女を騙さなきゃいけないってことも……。ただほんの少し、ちょっとしたデータを盗んで送って、帝国の勝利を確実なものにするだけだって……そんな命令だったから、俺、従ったんです」

 

 

 そして懺悔から、訴えるような眼差しを、土門さんは鬼道さんへと向けます。

 

 

「帝国でもない、他所のチームを勝たせるためだったなんて……俺、聞いてません。どうして帝国が勝つためじゃなくて、雷門を蹴落とすために、俺が流したデータが使われてるんですか……?」

 

「………」

 

 

 黙り込んでしまう鬼道さん。言葉も返せないようですが、しかし、やはりと言うべきか、きっと鬼道さんも帝国学園のこのやり方に納得なんてしていないのでしょう。こんな、サッカーですらない盤外戦術で得る勝利で、彼のサッカープレイヤーとしてのプライドが満たされるはずもありません。

 ですがそれでも、彼は渋面ながらも首を横に振りました。

 

 

「……しかし、それが総帥のご命令だ」

 

 

 私が思っていたよりも、彼の帝国学園という組織――もとい、“総帥”とやらに対する忠誠心は強かったようです。自分を納得させる言い訳を切りだすと、彼はさらにそれを積み重ね始めます。

 

 

「土門、お前は聞いていないと言うが、そもそも自分で言ったように、データは勝利のために……フットボールフロンティアでの帝国優勝のために活用されるものだろう。つまり、雷門を負かすためだ。俺たち帝国がそれをやるのも、御影専農がやるのも……データの使い方という意味では、本質的な違いはない」

 

「だとしてもッ……! ……俺にとっては、全然違うんです。俺はもうこれ以上、米田を……みんなを、裏切りたくありません……」

 

 

 俯き、感情を抑え込むように拳に力を入れる土門さんは、やがてそれを解き、まっすぐに鬼道さんへ向き直り、

 

 

「俺、やっぱりもうスパイは無理です。鬼道さんの……帝国の命令には、もう従えません」

 

 

 はっきりと決別を言いました。

 

 チームメイトを裏切りたくないという想い。最初はそんなものなかったのだとしても、野生戦での活躍で皆さんに認められ、尊敬されるようになった今は別。円堂さんたちの純粋な眼差しは、今の彼にとってはきっとたまらないものなのでしょう。

 そこに今回の帝国への不信感が追い打ちをかけた結果、転じた彼の意思は、私にスパイの件を暴露する気がなく、このままでも己のスパイ行為が露呈することはないと知れても尚、変わらずそう言えるほどに確固たるものになっていたようでした。

 

 疲れ切ってしまった彼の意思は、きっともうこれ以上、変化のしようがありません。しかしそれは鬼道さんにとって受け入れ難いようで、引き止めるような言葉が、静かに連ねられました。

 

 

「……それは、帝国を裏切るという意味か」

 

「はい、そうです」

 

「総帥は、お前を許さないだろう。もう二度と帝国には帰ってこられなくなる。わかっているのか」

 

 

 徐々に諦めが滲んでいく声色。土門さんが考えを改めることはないのだろうという理解に、土門さんはもう一度、ゆっくりと頷きました。

 

 

「……すみません、鬼道さん。でも帝国じゃなくても、俺は――」

 

 

 頑なに、土門さんがもう一度ゆっくりと頷いて、声に変えられるその言葉を前にした鬼道さんが、言う前に、とうとう僅かに傘を下げて土門さんとの視線を切りました。

 

 そして、その時でした。

 

 

「土門……!? 『帝国を裏切る』って、それ、どういうことだ……!?」

 

「っ!!?」

 

 

 ふと背後から、聞き慣れた声が雨音に混じって聞こえました。

 その姿を直視することになった土門さんと、思わずといったふうに顔を上げてしまった鬼道さんが、一瞬でびしりと固まってしまいました。

 それも当然でしょう。そして、土門さんが掠れた声で、絞り出すようにその名前を呼びました。

 

 

「え、円堂……それに……」

 

「豪炎寺さんまで……。どうしてこんなところに? 二人とも、通学路はこっちじゃないでしょう?」

 

 

 遅れて振り向くと、呆然の円堂さんに加えて豪炎寺さんまでもが佇んでいました。二人して何の用でこの道に……と一瞬首を傾げかけましたが、しかし考えてみれば理由なんてものは一つだけです。

 

 

「……土門の様子が気になってな。最近、変だったろ、あいつ」

 

 

 土門さんの憔悴は、傍から見ても明らかなほどに悪化していたのです。円堂さんという人間がいくら能天気だとしても、キャプテンとしてならば、彼はそれを見逃す人ではありません。

 そしてその気付きのせいで、豪炎寺さん共々、円堂さんは土門さんのスパイ行為という、もはや気付かなくてよかったことにまで気付いてしまったようでした。

 

 知ってしまえば、知られてしまえば、もうそれに見ないふりはできません。お互いに悟り、土門さんが、悲愴に満ちた顔で後退りました。

 

 が、下がった一歩で踏み止まりました。彼は震える腕を抑え付け、二度三度深呼吸をしてから勢い良く頭を下げました。

 

 

「悪い……! 円堂、俺……俺が、雷門のデータを外に流してたんだ……。帝国学園の、スパイだったんだよ、俺……」

 

「スパイ……土門が……。本当、なのか……?」

 

 

 信じられないと繰り返す円堂さんに、土門さんは無理矢理首を縦に振りました。「そうだ」だなんて、彼が言いたいはずはありませんが、しかしもはや変わることのない意志がそうさせて、そして彼は下を向いたまま、そこに、諦念の苦笑が挟まれました。

 

 

「……最初にスパイをやれって言われた時、きっぱり断っておけばよかったんだ。たとえその後、帝国学園を追われることになったとしても……。我が身可愛さに仲間を売って知らん顔して仲間面し続けるよりは、きっとずっとマシだ」

 

 

 そしてまた一呼吸が開いて、持ち上がった視線が私へ。

 

 

「俺はたぶん、米田がいなかったら、ずっと素知らぬ顔をし続けてたんだろうな」

 

 

 悲しそうな、吹っ切れたような顔が言いました。

 

 

「米田みたいな才能あふれるサッカープレイヤーを、汚い手を使って貶めるなんてことをしてちゃ……そんなの、一之瀬に顔向けできるわけがない。気付かせてくれたのは米田だよ。ありがとう」

 

 

 私と同じくらいにサッカーが上手かったという、秋さんと土門さんの、もう亡くなってしまったお友達。どうやらずっと彼と私を重ね合わせて見ていたらしい土門さんは、そう言って再び深々と頭を下げました。

 

 

「米田、円堂、それに豪炎寺。本当に、今まで悪かった。みんなにも伝えてくれ。……俺はもう、雷門、には……っ!」

 

「大丈夫ですよ、土門さん」

 

 

 どうせ責任を取って部をやめるとかそんな言葉をひりだそうとしたのでしょうが、傘を差し出して遮りました。ただでさえ我がチームは選手層が薄いのですから、そんな形で責任なんて取られても困るだけです。

 それに、そもそも許す許さないを決めるのは、土門さんでも私でもなく、チームのキャプテンである円堂さんです。沙汰を聞かずに逃げ去るなんて、それこそ不誠実でしょう。

 

 そして何より、円堂さんは、土門さんの想いを呑み込めないほど器量ではありません。そう、私は確信できているのです。

 

 

「……土門」

 

「………」

 

 

 円堂さんが静かに呟き、そして言いました。

 

 

「お前は、俺たち雷門の仲間だ」

 

「っ……!」

 

 

 息を呑む音。次いで私にあった確信の通りに、土門さんの眼に再び光が灯りました。

 

 

「明日の試合も、頼りにしてるぜ!」

 

「ぁ……ああ……ッ!」

 

 

 顔が、雨に濡れています。満面の笑顔の円堂さんが差し出した手を土門さんは硬く握り返し、その他に、言葉は必要ありません。

 随分長い間、私と土門さんを苦しめてきた問題は、こうして簡単に、円堂さんの手によって解決されてしまったのでした。

 

(……本当に、円堂さんって不思議な人……)

 

 普段は頼りないところだっていっぱいあるのに……というか、この間のように偵察隊をファンだと思い込んだりと、頼りないことだらけなのに、しかし、やっぱり雷門のキャプテンは円堂さんなのです。

 

 以前からあった信頼がさらに補強され、そしてそのことにもはや違和感を抱くことはなく、私はしばしの間、男の子二人の友情を眺めていました。

 

 

「ふっ……やっぱり面白い奴だな、円堂 守」

 

 

 ふと、私と同じことを思ったらしい鬼道さんの声。そういえば彼もいたんだったと思い出し、二人に代わって返します。

 

 

「それで? 土門さんの件はこうなっちゃいましたけど、これも総帥さんとやらに報告しちゃうんです?」

 

「……いや。どのみち、土門は俺が個人的に放った刺客だ。総帥も、俺がデータの提供を受けているということは知っているが、スパイが誰なのかについては興味がないご様子だった。なら報告するにしても、『情報源の一つが潰れた』とでも言うことになるだろう」

 

「鬼道さん……」

 

 

 つまり総帥さんは土門さんがスパイだとは知らず関わるそぶりもないので、放っておけば裏切りに対する制裁なんかはないだろう、ということ。その割にはさっき同じセリフで土門さんを脅していたような気がしなくもないですが、まあこの際聞かなかったことにしてあげましょう。気付かない方がいいこともあるのです。

 

 土門さんも何やら言いたげでしたが、それ以上は口をつぐみ、彼は頭だけを下げました。それに軽く手を振り、鬼道さんは私たちに背を向けます。

 

 

「ではな、雷門。わかっているだろうが御影専農は強敵だ。そしてそれはデータだけじゃない。データを基に出される指示を寸分の狂いなく実行できる統率力、お前たちがそれにどう立ち向かうのか、楽しみにしておこう」

 

「ああ! 特訓を乗り越えて強くなった俺たちの力、見せてやるよ! 御影専農にも、次の相手にも勝つ! だから帝国も、俺たちと戦うまで負けるなよ!」

 

 

 円堂さんの宣戦布告染みた言葉も余裕で受け流し、鬼道さんの背が遠ざかって――

 

 

「……?」

 

 

 しかしすぐに、立ち止まることになりました。

 



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第二十二話 悪意の襲撃

「なんだ、お前たちは」

 

 

 路地の向こうから大人の男性らしき人影が数人、ぞろぞろと現れたのが私たちにも見えました。しかもその全員、傘もさしていなければ雨合羽を着ているわけでもなく、ただ頭に奇妙な形のヘルメットをかぶっています。

 それは頭を守る用途のものにすら見えません。チカチカ光る電球だったりクルクル回るアンテナだったり真空管みたいな部品だったりがくっつけられた、いかにも怪しげなヘルメットの集団。鬼道さんが眉を顰めるのも納得なビジュアルで、付けている本人たちも奇異に思われることなど百も承知なはずなのですが、しかし。

 

 

「おい、聞いているのか――っく……!」

 

 

 鬼道さんの声を全く無視し、集団は彼を押し退けて私たちの方へと無言で歩いて来るばかり。さすがに不気味です。

 警戒心もほんのり湧いて、円堂さんを盾にして隠れようかとも思った、その時。

 集団が一斉に、ぴたっと立ち止まりました。

 

 

「……な、なんなんだ、この人たち……?」

 

「さあ……?」

 

 

 円堂さん共々怪訝に首を傾けて、そして――

 

 

『タイショウ、ヨネダ ケイ、ヲ、ハッケン。ツブセ、ツブセ……ツブセ!』

 

「えっ――!?」

 

 

 感情のない声と共に、彼らは私めがけて襲い掛かってきました。

 

 

『ショウガイ、ハイジョ。【スーパースキャン(・・・・・・・・)】!』

 

「ッ!? お、おいあんたら、何を――うおッ……!?」

 

「ベータ――うわっ!?」

 

 

 慌てて立ちふさがった土門さんと円堂さんを、いっそ鮮やかな動きで押し倒し、私へと迫ってくるいくつもの手。いつもであれば、それは避けられたはずです。私にはそれだけの能力があったはずですが、しかし――得体の知れない集団に襲われるという未知の体験が、私の身体を動かしてくれなかったのです。

 眼だけは迫りくる男性たちの手を凝視しながら、私はただその場に突っ立っていることしかできませんでした。

 

 

「豪炎寺ッ!!」

 

 

 しかし鬼道さんの大声。そして同時に鋭い回転がかかったサッカーボールが彼らのすぐ横を掠めてその体勢を崩し、ホップして上がったボールを、

 

 

「【ファイアトルネード】ッ!!」

 

 

 豪炎寺さんの必殺シュートが打ち返しました。

 

 

『ウボげッ……!?」

 

『ボハァーー!』

 

 

 などという気の抜けた悲鳴と共に、シュートが直撃した男性が吹っ飛び、他の人たちがなぎ倒されました。しかしまだ安堵するには早いらしく、直撃した一人はヘルメットも外れてピクピク痙攣し、ノックアウトされてしまったようですが、その他は折り重なって倒れた中から起き上がろうともがき始めています。

 わさわさと蠢くさまにゾワッと背に悪寒が走り、視線を外せず後退ってしまう私。その腕を、豪炎寺さんは無理矢理に引っ張りました。

 

 

「ベータ、通りまで走るぞ! 人の眼があれば、こいつらも妙なことはできないはずだ!」

 

「ここからだと、近いのは商店街だ! こっち!」

 

 

 円堂さんの声がして、直後、私はまた引っ張られて走らされていました。

 傘が手から離れて置き去りになるのを見て、それからどれくらいでしょうか。手を引かれて走らされながら、その内に私も事態への理解が追い付き始め、練習の疲れで荒くなっていく息の中、なぜだかふと、至極どうでもいいことが頭に浮かびました。

 

 

「……そう、いえばッ……。鬼道さん、あのサッカーボールッ……、どこに隠し持っちゃってたんです……ッ?」

 

「近くの公園に落ちていた忘れ物だ! というか、黙って走れ! ……円堂! 商店街とやらはあとどれくらいだ!?」

 

「もう少しッ! そこの角の……ハァッ、先だッ……!」

 

 

 円堂さんの声と同時に私の正気も戻り、そして角を曲がります。果たしてそこは円堂さんの言う通り、私もたまに買い物に来るお店が並ぶ商店街だったのですが、期待した人の目は、雨のせいかありません。

 しかし一方、あってほしくなかった人影は、しっかりとそこにありました。

 

 

「なッ……!? こいつら、先回りを――ぐぅ……ッ!!」

 

 

 ヘンテコヘルメットの集団の一部が、あろうことかそこで待ち構えていたのです。

 出会い頭に体格の勝る相手にぶつかって押し退けられてしまう鬼道さん。足が止まり、その間に後ろから追ってきていた一団にも追いつかれ、囲まれてしまいました。

 

 ピンチです。じりじりと距離を詰めてくる男たち。円堂さんたちにもどうしようもなくなって、私の背中に恐怖がまた蘇りかけたその時。

 ガラガラッと、ちょうど目の前にあったラーメン屋さんの扉が勢いよく開き、

 

 

「テメェら!! 子供に何やってんだッ!!」

 

 

 飛び出してきたいぶし銀のおじさまがヘルメット男を背負い投げして、そのままあっという間に全員を伸してしまったのです。

 

 必死に逃げることしかできなかった集団が、おじさま一人にあっけなく制圧されてしまう光景は、正直、非日常的すぎて現実感が伴ってきません。しかしともかく、ヘンテコヘルメット集団は全員道路に転がされ、沈黙しました。もう彼らに追い掛け回されることはありません。

 遅れてそのことが受け止められて、同時に去来した安堵感が、冷え切っていた頭のどこかを緩ませました。

 

 すると、ぺたんと。

 

 

「あっ、れ……?」

 

「っ! 米田!?」

 

 

 不意に足の力が抜けて、その場に尻餅をついてしまいました。

 

 焦る土門さんと同様に、私も意味があわかりません。どうして急に力が抜けてしまったのでしょう。

 

(……まさか、安心して腰が抜けちゃった? 私が?)

 

 信じ難く、そして恥ずかしすぎます。そんな無様を晒す私とは対照的に、鬼道さんは表情硬く、警戒心を保ったままおじさまに注視し続けていました。

 

 

「……あなたは、何者だ?」

 

「ん? ……ああ。俺は鬼瓦だ。一応、刑事をやっている。ほれ、手帳」

 

 

 転がるヘンテコヘルメットを拾い上げて眉をしかめるおじさま、刑事の鬼瓦さんは、一瞬怪訝な表情で振り返り、そして私たちの姿を認めると、途端におヒゲの顔を優しげに緩ませました。本物かどうかは私には判断が付きませんが警察手帳らしきものを提示して、それからしゃがんで私たちに目線を合わせます。

 私たちを見渡し、そして最後に私で止まって、彼は頭をなでるように穏やかに微笑みました。

 

 

「俺はお前さんたちの味方だよ。……怖い目に遭っちまったようだが、もう大丈夫だ。安心しな」

 

 

 子ども扱いながらもそう言って、次いで今度はラーメン屋さんの開けっ放しな戸のほうに、怒鳴るように言い放ちます。

 

 

「おいオヤジ! この子らになんかタオルとか、拭くモン貸してやってくれ! かわいそうに、雨ん中でびしょ濡れだ!」

 

「わかったから、大声で喚くな。客が逃げちまう。……お前たちもな、店の前でたむろされると迷惑だ。さっさと入んな」

 

 

 声に応じてお店の中から、小さなサングラスにバンダナと前掛けの、いかにも店主っぽいおじさまが顔を覗かせて、のれんを押し上げ促してきました。

 しかしそうは言えどもこっちのおじさまもまた見知らぬ他人。私の足が動かないのもあって躊躇いに押し黙っていると、今度は一転、彼は居心地悪そうに、どうやら鬼瓦さんに言われる前から用意をしていたらしいタオルを私へ抛り、ため息を吐きました。

 

 

「……余り物でよけりゃスープも出してやる。そんなとこに座ってたら、風邪ひくぞ」

 

 

 ぽりぽり頭を掻きつつ、おじさまはお店の中に引っ込んでいってしまいました。

 垣間見えた優しさはこっちのおじさまもまた善人であることをなんとなく理解させてくれましたが、とはいえ他の皆さんはどうなのかと、目線を上へ持ち上げます。しかし尋ねるまでもなく、円堂さんと、そして豪炎寺さんが、へたり込んでしまった私に手を差し伸ばしてくれていました。

 

 頷く彼らに導かれるまま、私は彼らの手を借りつつ立ち上がり、お店ののれんをくぐりました。

 

 

 

 

 

 そうして入ったお店の中には、他にお客さんがいませんでした。

 スープが余り物だったのはそのせいです。だから頂いた中華風のそれは出来立てで、ちびちびと飲み進めるうち雨で冷えた身体も温まり、そのうち私は落ち着きを取り戻すことができました。

 

 少なくとも、『円堂さんたちの頭を殴ったら、安堵で腰を抜かしたなんて私の醜態の記憶を消去できたりしないでしょうか』、というような野蛮な思考はもう浮かんではきません。

 頭にかぶったタオルで羞恥の顔を隠す必要もなくなって、ちょうどその頃。円堂さんが水でも飲むように一息でスープを完飲するのをサングラスの眼差しで見つめていた店主のおじさまが、息を吐き、視線を手元の仕込み作業に戻すと、世間話でもするように切り出しました。

 

 

「……それで? 大介さんの孫の坊主。あんな妙な連中に襲われて……今度はいったい何をしでかしたんだ?」

 

「何って、そんなの俺にもわからないよ。突然あいつらがやってきて、襲われたんだ」

 

 

 そして円堂さんも、緊張するそぶりもなく気安くそう答えます。物怖じしないのは彼の気性ではあるのですが、気になることがあと一つ。

 

 

「『大介さんの孫』……。おじさまと円堂さん、お知り合いだったりしちゃうんですか? 豪炎寺さん?」

 

「ああ。秘伝書の件があっただろう? あの時、秘伝書の存在と在処を教えてくれたのが、あのおやじなんだ」

 

 

 こっそり豪炎寺さんに尋ねると、そんな答えが返ってきます。なるほど、円堂さんに金庫泥棒を唆したのは彼だったようです。

 

 ちょっとだけ信用度が下がりました。が、もちろんそんなことに気付くはずもないおじさまは、要領を得ない円堂さんの返答にさらなる詳細を促します。

 

 

「『わからない』だと? 何かあるだろう、過去にお前が怒らせた相手だったとか。……どう襲われたか、最初から思い返してみろ」

 

「そんなこと言われても、正体も目的も、わからないもんはわからないって。あんな奴ら会ったこともないし……そういえば、狙いはベータだったような気がするけど……」

 

 

 まさか単なる痴漢とかストーカーとか、そういうものではないでしょう。あまりにも異質だったヘンテコヘルメットたちに円堂さんが首をひねっていると、

 

 

「……いや。少なくとも、首謀者には察しが付く」

 

 

 鬼道さんが、硬い言葉を絞り出すように言いました。

 

 

「奴らが米田に襲い掛かった時の動き……お前たちは、見覚えがあるんじゃないか……?」

 

「動き? 襲い掛かってきた時って……」

 

「っ! そうです、あれ、【スーパースキャン】……御影専農のフォワードさんが使っちゃってた必殺技です……!」

 

 

 言われるがまま思い返したくない光景を思い返して、ハッとなりました。あの当時は気付けませんでしたが、確かにあの動きは、完成度は違えど、フォワードさんに仕掛けられたそれと同じです。

 

 

「それってつまり……あいつら、御影専農の手先ってこと……?」

 

「あるいは、手先にされた(・・・)一般人、だな」

 

「鬼瓦の親父。警察への引き渡しは終わったか」

 

 

 鬼瓦さんが戸をガラガラ鳴らして入ってきました。ヘルメット集団の後始末を警察に任せてすましたらしい彼は、そのヘルメットの一つをカウンターの上に置き、その不格好に部品がくっついた表面を突っつきながら頷きました。

 

 

「ああ。それでたまたま機械に詳しい奴が来たんだが……どうやらこいつは、被った人間を電波で操る、言ってしまえば洗脳装置みたいなものらしい。……知ってるか? お前たちが次に戦う御影専農は、似たようなコンセプトの装置を運用してることで有名だ」

 

「……ということだ。この洗脳装置が御影専農のものであることは、確かだろう」

 

 

 鬼道さんも頷きます。彼がそう言うならそうなのでしょう。なぜなら、彼はその御影専農に、土門さんからもたらされたデータを提供しているのです。

 

 

「じゃあ……まさか、鬼道さん……今回の襲撃は、帝国がって、ことなんですか……!?」

 

「……わからない。少なくとも影山総帥からは、何も聞いていない」

 

 

 慄く土門さんに唸るように首を振る鬼道さん。さっきから彼の声が固かったのは、つまりはそれ(・・)です。

 絶対的に信頼している総帥さんの、明らかな悪行。そしてそれを伝えられていないことによる、忠義の揺らぎ。実際、証拠はどこにもないでしょうし、鬼道さんは恩師の悪意を認められないのです。

 少し哀れに思いました。が、その直後。

 

(……あら? “影山総帥”……って、その名前、どこかで……)

 

 聞いたような気がしたのですが、しかし思い出す前に、思考は断ち切られてしまいます。

 

 

「影山……ッ!?」

 

「なにっ!? 影山だと!?」

 

 

 私以上に強い反応を見せ、とうとうネギを刻む手が止まった店主のおじさまと、さらにより劇的だった鬼瓦さんが身を乗り出してまで叫ぶせいで、浮かびかけた直感はすぐ吹き消されてしまいました。

 

 もちろんそんなことなど知る由もない鬼瓦さんは、鬼道さんと土門さんへ、すっかり興奮した様子で詰め寄ります。

 

 

「今、影山と言ったな!? お前たち、奴の関係者なのか!?」

 

「ちょ、ちょっと! どうしたんだよ、鬼瓦さん!?」

 

 

 が、その興奮も、円堂さんに制されてすぐに止められました。彼も、私たちが大変な目に遭ったばかりだということを思い出したのでしょう。あるいはもう一歩進んで、彼のその興奮にありありと滲む影山総帥への敵意を、鬼道さんがどう感じるのか慮ったか。

 ともかく、「あ、いや……悪い」と鬼瓦さんはしどろもどろに謝って、席に腰を下ろしました。しかし彼が出鼻をくじかれ落ち着いた代わりに、今度は店主のおじさまが、深々とため息をつきました。

 

 

「……なるほど、影山か……。おい坊主、前に言ったこと、覚えてるか?」

 

「え……?」

 

 

 おじさまの眼が円堂さんへと向きました。キョトンとする彼を見つめる眼は、心なしか誰か別の人を見ているように見えましたが、しかしそれも再びのため息と共に外れ、また小気味いい作業に戻ってしまいます。

 しかしそれでも、おじさまは呟くように言いました。

 

 

「……秘伝書は、お前たちに災いをもたらす。その通りになっただろう」

 

「……どういうお話なんです?」

 

 

 『災い』だとか、思いもよらぬ抽象具合。思わず尋ねると、おじさまは少しだけ眉を寄せ、それからまたまた盛大にため息を吐きました。

 

 

「……“イナズマイレブンの悲劇”、なんて言われていてな。四十年前、当時のイナズマイレブンが乗っていたバスが事故を起こしたんだ。よりにもよって、フットボールフロンティア決勝戦の会場に向かっていた最中に。……部員たちは張ってでも会場に行こうとしたよ。だが……どこの誰かは知らないが、会場にたどり着く前にイナズマイレブンを騙った棄権の電話が大会の運営に届き……そうしてイナズマイレブンは再起不能になった。そんな話だ」

 

 

 諦念を以てしておじさまは語り、そして一呼吸の後、再び円堂さんへ。

 

 

「わかったら、もうサッカーなんぞやめることだ。碌なことにならん」

 

 

 諭すように、おじさまは言いました。

 

 円堂さんが憧れていたイナズマイレブンの、意外な顛末。それを知るおじさまからすれば、そりゃあそんなことも言いたくなるでしょう。

 しかし円堂さんは、少なくともサッカーにおいて聞き分けがいいわけではありません。

 

 

「嫌だ。俺は絶対、サッカーをやめない」

 

 

 きっぱりと、彼は真正面からそう言ってのけました。

 そんな果断な拒絶は、いやに実感の伴った悲劇を語ったおじさまからすれば思いもよらぬもの。一秒くらい唖然と口を開け、そしてその後、かぶりを振ると、おじさまはバリバリ頭を掻きむしりました。

 

 

「……わからんやつだな。懲りるということを覚えろ。また今日のような目に遭うかもしれんというのに、それでもか? 今度は助けが入るとは限らんのだぞ?」

 

「……それでも、俺はサッカーから逃げたりしない。例え何をされたって、キーパーらしくどーんと正面から受け止めてやるさ!」

 

「っ……!」

 

 

 一瞬の苦悩の後に再び言い切る円堂さんに、おじさまの眼が、今度は私に向きました。あからさまに、こいつ(円堂さん)をどうにかしてくれ、といった眼差しです。被害にあった私ならばと思ったようですが――しかし残念。円堂さんがその気であるならそれを説得する術なんて思いつきませんし、そもそも私も円堂さんと同意見なのです。

 

 

「泣き寝入りしろだなんて、そんなのムカついちゃいません?」

 

「はは……確かに。やられっぱなしは雷門の流儀じゃないな」

 

「ムカつくどうこうはともかくとして、そうだな。俺ももう、サッカーから逃げるつもりはない」

 

「………」

 

 

 土門さんに豪炎寺さんも円堂さん側に立ち、おじさまはもう呆れ顔で言葉もないようでした。

 しかし、昔はどうだったか知りませんが、これが今の雷門です。

 

 だから、ついでに言ってやりました。

 

 

「私たち、おじさまが知ってるイナズマイレブンみたいに腰抜けじゃないんです。こんなことでビビっちゃうような意気地なしじゃありませんから、安心してください」

 

 

 しかし、たぶん――いえ明らかに、余計な一言だったのでしょう。

 

 

「……なら、もう話すことはない。身体も十分温まっただろう。――とっとと出てけ!!」

 

 

 どこかがとうとうキレてしまったようで、声を荒げたおじさまに、私たちはたちまちお店を放り出されてしまいました。

 戸がぴしゃりと閉められて、再びの雨の中。警察の方たちが拾ってきてくれたのか軒先に立てかけられていた傘を、各々微妙な顔になりながら手に取ります。

 

 巻き込まれ事故に遭ってしまった鬼瓦さんだけが肩をすくめて、それから彼は原因である私たちを責める気配も微塵も出さず、代わりに神妙な顔になりました。

 

 

「……いいか、お前たち。俺も洗脳装置の件から当たってみるが……敵が次にどんな手段を取ってくるかはわからん。くれぐれも気を付けるんだぞ?」

 

「はい。……あの、今日はほんとにありがとうございました」

 

 

 忠告をもらうついでにヘルメット集団から助けてもらったことにまだお礼を言っていなかったことを思い出し、頭を下げます。鬼瓦さんは軽く手を上げて応じ、そのまま去って行きました。

 

 そして、鬼道さんも。

 

 

「……俺も、失礼する。じゃあな」

 

 

 影山総帥への信頼に入ったヒビは、やはりしっかりと存在感を発している様子です。それだけ言うと、鬼瓦さんに続いて彼も去り、ラーメン屋さんの前に残るは私たちだけ。

 とにかく、帰りましょう。まずは明日の試合に集中すべし。そういうことになって、それぞれ分かれるその間際。

 

 

「おじさん! 明日の俺たちの試合、見に来てくれよ! ……俺が言いたかったこと、きっとわかるから!」

 

 

 円堂さんはぴたりと閉まった戸に向けて、そんなことを言いました。

 

 

 

 

 

「――やはり、土門くんは裏切りましたか。総帥がおっしゃったとおり、彼にも正体を隠しておいて正解でしたね」

 

 

 ヘンテコヘルメットが入ったカバンを担ぐ冬海先生が、離れた角で私たちの様子を見つめていたことには誰も気付かず、そうしてその日の私たちの動乱は終わりを迎えたのでした。



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第二十三話 対決、御影専農

 日付が変わり、御影専農との試合当日。私たちは試合会場である御影専農中学校へと赴きました。

 前日の騒動のことは皆さんに心配をかけるだけだと秘密にしたまま、されどもこっそり警戒しつつの訪問だったのですが、拍子抜けなことに特に何もありません。更衣室への道すがらにすれ違った御影専農の選手たちとバチバチ火花を散らしたり――杉森さんや下鶴さんだけでなく他の選手たちもロボットみたいに感情が薄く、こちらが一方的に戦意を滾らせただけですが――などはありましたが、前日のような襲撃や妨害の類は一切起こらずです。

 強いて気になったことを挙げるとすれば、サッカーグラウンドの周囲に立ち並ぶ巨大なアンテナと、鬼瓦さんが言っていたモノであろうデバイスが、御影選手たちのこめかみに電極を伸ばして装着されていたことくらいなものでした。

 

 試合自体は実に健全。むしろそれは御影専農の戦術と相俟って、私には今までの戦いよりもずっと気持ちよく感じられたほどだったのです。

 

 

「――ほんとに、マークされてないって……自由に動けちゃうって、素晴らしいですね染岡さん!」

 

「あ!? 何言ってんだお前!?」

 

「何ってほら! 私、今日は誰にもマークされちゃってないんです! 帝国も尾刈斗も野生も、今までは誰かしらにずっと張り付かれちゃってたのに、今日はそれがないんです! ようやくまともにサッカーできちゃってますよ、私!」

 

 

 これまで戦ってきた学校の悉くが私を警戒しまくっていたのに対し、御影専農はそれをしてこなかったのです。散々に邪魔されてきた私にとってはそれだけで感激もの。これまでに何もなかったのもあって、心に留めておかねばならないはずの警戒心も忘れてしまえそうなくらいでした。

 が、そんな心は、窮屈なマンマークを知らない染岡さんには理解できないものだったようです。彼はしかめっ面で、吐き捨てるように鼻を鳴らしました。

 

 

「ふんっ! どうでもいいが、ベータお前、調子に乗って油断だけはするんじゃねえぞ! こいつらのサッカーの実力、噂通りに帝国並みだ!」

 

「……そんなことくらいわかってます! もう随分な間、戦っちゃってますから!」

 

 

 解放感に賛同してもらえなかったことはさておいて、染岡さんの言う通りです。私にマークを付けていないということは、それすなわちマンマークに頼らずとも私を止める算段があるということ。その算段に自信があるということに他なりません。

 

 そして実際、それは驕りでも何でもなく、試合開始から数十分の今現在で点数は0-0のまま。私は未だに一本もシュートを打てていません。

 データが云々というだけあって、まるでこちらの動きを見透かしているかのような攻撃と守備。御影専農の強さは、確かなものなのです。

 

 

「だからって、隙がないわけじゃありませんけど……っ!」

 

「なっ――うわぁッ!?」

 

 

 円堂さんも言っていたことですが、所詮データはデータ。本物とは違います。加えてデータでわかっていても対応できるかは別問題であり、とうとうその時、気を伺って仕掛けた私のスライディングタックルが相手のボールを奪い取りました。

 そしてこれまた狙い通り、奪取した位置は、少々距離があるもののゴールの真正面。周囲にはもう私を妨害できるディフェンスは一人もおらず、であれば当然、狙うは一つ。

 

 

「こっ、この状況! これは、米田の十八番が出るかァっ!?」

 

 

 今日もやっぱり叫んでいた実況さん曰く私の代名詞、ボールを踏みつけ、分裂させ、オーバーヘッドで蹴り抜く、ロングシュートを打ち放ちました。

 

 

「【ダブルショット】ッ!!」

 

「よっしゃいいぞ! これで一点頂きだ!」

 

 

 背後で早くも喜びの声を上げる半田さんですが、得点を確信するのも当然のこと。なにせ【ダブルショット】は今の今まで得点率百パーセントです。

 そして私としても、現時点では十分な手応えを、ボールを蹴り抜いた瞬間に感じました。待ちに待ったチャンスを生かし、決めてやったと、そう思ったのですが――

 

 

「――ディフェンスフォーメーション、ベータワン、発動!」

 

「了解。【ジャイアントスピン】!」

 

 

 キーパーの杉森さんが何やら引っ掛かる台詞を叫んだ直後、巨漢のディフェンダーがクルクルと回転しながらシュートの前に飛び込んできました。ブロックする気かと一瞬思いましたが、しかしそうではなく、ディフェンダーはそのまま宙を突き破るボールのすぐ隣を通過。そして巻き起こった回転の風圧によって、僅かではあるものの軌道を逸らしてみせたのです。

 

 長距離を飛ぶ私のシュートは、その分だけ軌道のずれを大きく広げることとなり、威力はそのままなれどゴールネットの端へと流されてしまいます。

 

 

「【ロケットこぶし】!」

 

 

 そして最後は杉森さんが生み出した【ゴッドハンド】にも似たエネルギーのパンチが横殴り気味にボールに命中し、完全にゴール外へ弾いてしまいました。

 

 

「う、嘘でしょ……!? 【ダブルショット】が防がれちゃうなんて……」

 

「……【ダブルショット】は、確かに我々の脅威になり得る必殺シュートだ。だがいかに強力なシュートでも、ゴールに入らなければ意味はない」

 

 

 慄くマックスさんに、背後に飛んでいくボールを眼で追いながら杉森さんが淡々と口にします。やがて相変わらず無表情な顔が戻ってくると、杉森さんはそのまま、おそらく自覚なきまま言いました。

 

 

「そして【ジャイアントスピン】は、君たちの必殺技特訓のデータを基に編みだした必殺技だ。我々の戦力強化に感謝する」

 

「こっ……この野郎……ッ!!」

 

「染岡さん、どうどう。もう【ダブルショット】をコピーされちゃってるんだから、今更でしょう?」

 

 

 宥めつつ、そういえばと、野生戦前の時に壁山さんが新必殺技の特訓と称してクルクル回っていたことを思い出します。【ジャイアントスピン】の基はたぶんあれなのでしょう。

 まさかあんなのが厄介な必殺技に化けるとは、驚きです。しかしとはいえ、致命傷というわけではありません。

 

 

「じゃあ、今度はもっと近くから打ってあげちゃいますね?」

 

 

 そうすれば、多少軌道がズレようが問題ないはずです。図星であるらしく、杉森さんが僅かに眉間に皺を寄せたのが見えました。

 

 と、そうしている間に御影専農のボールで試合再開。煽ったせいで警戒されたのか、ボールが送られたのは私の逆サイドです。

 

 

「少林さん、右から当たっちゃって! 半田さんはそのカバー! 栗松さんはフォワードにマークついて、土門さんと壁山さんは正面を塞いじゃってください!」

 

 

 急いで追いかけつつ指示も出しはしましたが、プレーに対して拙いこっち(ゲームメイク)は読まれていた、もといデータで予測されていたみたいです。味方も奮戦はしたものの、敵の進軍を止めることはできず、ボールは結局フォワードの下鶴さんに渡ってしまいました。

 

 そして彼はヒールリフトから、螺旋を描く火炎のシュートを打ち放ちました。

 

 

「【ファイアトルネード】!」

 

「なっ……!? あいつ、【ダブルショット】だけじゃなく【ファイアトルネード】までコピーを!?」

 

「【ジャイアントスピン】とか、どこまで俺たちのこと解析してるんでやんすか!?」

 

 

 炎を撒き散らすそのシュートは、確かに【ファイアトルネード】。合わせて三つもの必殺技を――うち一つは必殺技ではありませんでしたが発展までされて――コピーされたということは、皆さんにとって大きな衝撃なのでしょう。

 しかし畏れは、円堂さんまでは及びません。

 

 

「間違いなく【ファイアトルネード】……でも、豪炎寺の【ファイアトルネード】に比べたら、なんてことないっ!!」

 

 

 必殺技をコピーするのは簡単でも、その習熟度、向き不向きは別問題。いつかに私が言ったことをしっかり覚えていたらしい彼は、迫るボールを真正面から睨みつけ、

 

 

「【ゴッドハンド】ッ!!」

 

 

 必殺技でしっかりと受け止めました。

 と同時になるホイッスル。前半戦が終わり、皆さん気を抜けないまま、私たちはベンチへ引き上げることとなりました。

 

 

 

 

 

「……で? せっかく特訓場を整備してあげたっていうのに、どうしてあなたたち、ぜんぜん必殺技を使わないのよ?」

 

 

 0-0で一進一退な戦況、各々難しい顔で給水していると、それを上回るくらいの渋面を作った雷門さんが、ベンチから不機嫌そうに鼻を鳴らして言いました。

 すぐそばで秋さんと音無さんがあれこれと働いているのに、そんなこと我関せずな態度です。腕組みしてふんぞり返るほどですが、しかし無視するのもかわいそうでしょう。適当に言葉を紡いで返します。

 

 

「残念ながら、あそこは必殺技の特訓にはあんまり役立たなかったんです。ヘンテコなトレーニング設備でいっぱいでしたから」

 

「なによそれ……! じゃああの投資は無駄だったってこと?」

 

「そんなことはないと思いますよ? 基礎能力を鍛える分には十分使えちゃいましたもの」

 

「でも、肝心要の必殺技の特訓はできなかったんでしょう!? なら無駄よ無駄! ……はあ。全く、骨折り損だわ。どうして何もかもこうなっちゃうのかしらね!」

 

 

 怒った挙句にいじけてしまいました。全くもってめんどくさい。やっぱり無視してしまったほうがよかったかもしれません。

 が、もはや後の祭りです。仕方なく、ムスッとしながら頬杖を突く彼女に、次なる話題を差し向けます。

 

 

「……ところで、そもそもどうして雷門さんがベンチに陣取っちゃってるんです? 関係者以外立ち入り禁止なはずなんですけど。……もしかして、ついにマネージャーやる気になっちゃいました?」

 

「なってないわよ! ただ、特訓場の成果を近くで確かめたかっただけ。……無駄だったけれど」

 

「ま、まあまあ、夏未お嬢様……。無駄などではなかったと、米田さんも言っているじゃありませんか。お嬢様のご厚意は、サッカー部一同、心より感謝しておりますので……はい……」

 

 

 適当におしゃべりに興じるつもりで口にした意地悪に、撒き散らされる負のオーラ。どうやら冬海先生は静観していられなくなったようで、慌てて慰めの言葉を並べてくれました。

 つまり、選手交代です。究極の放任主義である先生がサッカー部一同を自称したのはそれでチャラにしてあげることにして、めんどくさくなってしまった雷門さんを先生にお任せします。

 

 そうしてため息の諸々はドリンクと一緒に呑み込んだ、その直後でした。

 

 

「なので……ここはやはり、米田さんに頑張ってもらうというのはいかがでしょう?」

 

「……え? 何のお話です?」

 

 

 いきなり先生が私を引っ張り戻してきました。聞き返しましたが、先生はこちらを全く向くことなく続けます。

 

 

「何を言おうが実際のところ0-0。夏未お嬢様のご心配ももっともなことと、私、十分に理解しております。このような不甲斐ない戦況は、必殺技の習得が叶わなかったせいだと」

 

「……? ええ、そうね……?」

 

「ですがそうではないと、米田さんならば証明できます。秘密特訓場で成した基礎能力の強化の成果、彼女ならば活躍という形で示してくれるはずです!」

 

 

 いつもであれば権力にペコペコへりくだるだけな冬海先生がなぜだかやけに饒舌です。雷門さんもそっちに眉をしかめ、ついでに周囲の皆さんも怪訝な顔になってしまうほどですが、しかしそのことを気にするそぶりもなく、先生は皆さん全員の方に向き直ります。

 

 

「というわけで皆さん、後半戦は米田さんにボールを集めるように! いいですね?」

 

 

 珍しくも、というか初めての監督らしい指示を、彼は言いました。

 

 これで「今度こそ先生に監督としての自覚が……!」なんて尊敬の念を送れる人は、さすがに我がチーム内にはいませんでした。頭でも打ったのかと思えるような変貌はむしろ周囲の困惑をより深くして、集うそんな視線に、さしもの先生の上調子も萎みつつあるようです。

 しかし、指示の内容としては間違っていないでしょう。チーム内で最も強力なシュートが私の【ダブルショット】であることは疑いようのない事実ですし、一度止められはしたものの、それだってかなりの距離から打ったロングシュートであったから。近距離で打てば今度こそ確実に得点できます。

 豪炎寺さんや、もしかしたら染岡さんでも得点することはできるでしょうが、一番確実なのは私。そういう意味で、先生の言うことには特別反論すべき点もありません。

 

 故に私も先生の奇行に困惑しつつも頷いて、それを認めた先生が調子を取り戻し、おそらく何か激励の言葉でも吐こうとしたのかにやりと笑いました。が、言葉が出ることはなく、その前に先生の携帯の着信音と、審判が後半戦の開始を告げる声が同時に響いて遮ってしまいました。

 

 

「あっ……! い、いいですか皆さん! とにかく米田さんにボールを集めるんですよ!? いいですね!?」

 

 

 偉い人からの着信だったのか、先生はびっくりするほどの速さで携帯を開くと、慌てた様子で念押しだけを言いました。そしてそのままコソコソと、屋内へと引っ込んでいってしまいます。

 

 結局、垣間見せたあの熱意はいったい何だったのでしょう。釈然としないながら、私たちもそれ以上考えているわけにもいかず、フィールドへと戻りました。



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第二十四話 御影の洗脳

 御影専農からのボールで後半戦が再開しました。そして彼らはやはりこちらの動きがわかっているかのように、的確なプレーで切り込んできます。

 そのせいで皆さんなかなか彼らの攻撃を止められませんが、しかし、前半戦終了直前に円堂さんがコピーの【ファイアトルネード】を止めてみせたせいもあり、皆さんの対抗心はむしろ燃え上がっている様子です。おかげで全力のプレーが、とうとう私の指示なしでも出始めて、その結果――

 

 

「今度こそ止めてやるッ!! うおおッ!!」

 

「ぐわっ!?」

 

「いいぞ風丸!! ナイスプレー!!」

 

「ほら早く! さっさと米田さんにパス、パス!」

 

 

 一度追い抜かされてからまた追いつき、風丸さんがボール奪取に成功しました。円堂さんが声を上げ、そして……やっぱり冬海先生も叫んでいます。

 しかもなぜだかさっきよりも必死な感じです。本当にどうしてしまったんでしょうか。

 

 今考えることではないとわかっていても、やっぱりどうしても気になってしまいます。それでもどうにか意識から締め出して、私は努めて集中して周囲に指示を出し、パスを繋げてどうにか私の下までボールを持ってこさせました。

 

 

「よし……! やってやれベータ! またしくじったら承知しねぇぞ!」

 

「わかってます! ていうか、さっきのシュートも別に何かミスしちゃったわけじゃないですし……!」

 

 

 染岡さんの乱暴な激励に言い返しつつ、今度はドリブルで走ります。ディフェンダーの一人を躱し、ペナルティーエリアのほど近く。今度のゴールまでの距離は、さっきの半分以下です。

 

 

「これなら、外れようがありませんよねッ!」

 

「……なら、試してみるといい……!」

 

 

 身構えて強気に言いつつ、キーパーの杉森さんは視線を一瞬横に向けます。その先にはこちらへ駆け寄ってくるディフェンダーが二人。またあのもにょるディフェンスフォーメーションとやらでしょうか。

 

(――関係ねぇ……全部ぶち飛ばしてやるッ!!)

 

 ディフェンダーもキーパーも、邪魔するならもろともゴールに叩き込んでやるだけだ。

 

 シュート体勢に入った今、もはや止める術はない。野生のような驚異的なジャンプ力を持っているのならともかく、気流で僅かに軌道を逸らすのが精一杯な奴らにはどうしようもないはずだ。

 それでも手があるというのなら、見せてみろ。

 

 

「くらえッ!! ダブル――」

 

 

 ボールを踏みつけ、分裂したそれを追って跳躍しようとした――その時でした。

 

 ふと視界に御影専農のベンチ、そこに腰かける、顔に大きな機械を装着した監督さんの姿が映りました。

 なぜ今、眼に付いたのか。その機械のせいで一瞬わかりませんでしたが、すぐにわかりました。膝上のノートパソコンを叩く彼が私を見ています。機械の奥から伸びた視線が私を捉え、にやりと、邪悪に笑っていたのです。

 

 言うなれば悪意の視線が、私の背中に悪寒を走らせたのでした。そしてそれを感じた、次の瞬間。

 

 

「きゃ――あうッ……!!」

 

 

 私の前に飛び出してきた二人のディフェンダーが、一緒に私にタックルしてきたのです。

 

 明らかな反則でした。普通にやっては間に合わない妨害を押し通すための、無理なプレー。避けようがなく、私は弾き飛ばされ地面を転がされてしまいます。

 

 

「ッ!! ベータッ!!」

 

 

 豪炎寺さんの悲鳴のような声をあげるのと同時に笛が鳴り、試合が止められました。周囲に皆さんの足音が集まる音と、心配する声が聞こえて、突き飛ばされたせいでクラクラしていた頭に段々と平衡感覚が戻ってきます。

 

 

「ベータ!! おい、ベータっ!! 大丈夫か!?」

 

「え、ええ……なんとか。ちょっと足が痛いかなってくらいです」

 

 

 しかしその痛みも、ほとんど気にはなりません。ペナルティー上等なタックルを二人からくらってしまったことを思えば、奇跡的な軽症でしょう。

 とはいえ、だとしても「よかった」で終わらせられる話であるわけもなく、その憤りは、次いで聞こえてきた杉森さんの声に引き金を引かれることとなりました。

 

 

「……対象、健在。ミッションは不達成。さらなる攻撃が必要と判断」

 

「な……なに、言ってやがる……ッ!! てめぇッ!!」

 

 

 一瞬、私も聞き間違えかと思ってしまうようなその言葉。染岡さんが顔を真っ赤にして怒鳴るのも当然な、故意の宣告です。

 つまり彼ら御影専農は、明確な悪意を以てして私にラフプレーを仕掛け、潰そうとしているということ。さすがに、冷たいものが背筋を伝って行きました。

 

 皆さんの怒りもそれに比例したものだったわけですが、しかし口々に飛び出る罵声は、すぐに止まりました。ゴールから走って飛んできた円堂さんが、一人前に進み出たからです。

 厳密にはその顔に、普段の彼からはとても考えられないような凝縮した憤怒が燃えていたから。杉森さんの襟首を締め上げて、円堂さんが皆さんの怒りを叫びました。

 

 

「……俺たちのデータを解析したんだろ? 俺たちなんて敵じゃないって……お前、そう言ってたじゃないか……ッ!! なのに、なんでこんなことをするんだよ!! サッカーを穢してまで、なんでお前は――っ!?」

 

 

 が、その全てを吐き出しきる直前、ハッとなって彼は言葉を切りました。そしてその一瞬後、私たちもその理由に気が付きます。

 

 

「なん……だ……? こいつら……」

 

 

 御影専農選手たちの様子が、なんだか変です。杉森さんは円堂さんの詰め寄られながらまるで無反応ですし、ディフェンダーの二人も審判さんから注意を受けているのに堪えた様子もなく、同じく無表情どこか遠くでも見つめているかのよう。

 元々機械のような感じの彼らでしたが、これでは機械そのものです。そしてその無機質な顔に、私と、円堂さんと豪炎寺さんと土門さんは、見覚えがありました。

 

 

「まさか、御影のやつら……」

 

「操られてる……!?」

 

 

 昨日の帰り道で襲い掛かってきた、ヘンテコヘルメットたち。アレと同じ理屈で、杉森さんたちは頭に装着している電極とコードの小さな装置に操られてしまっているのではないでしょうか。

 恐らく、間違っていません。前半戦が至極真っ当だったので忘れかけていましたが、ヘンテコヘルメットたちに御影専農が関わっていることはほとんど確実なのです。動機も技術も、この学校が持っていることは間違いありません。

 

 そのはず……なのですがしかし、そう結論付けられるのは、襲撃事件のことを知っている私たちだけ。土門さん絡みで黙っていたせいもあり、首を傾げる中の一人、マックスさんが、口走った豪炎寺さんと土門さんに不思議そうな顔をしました。

 

 

「え……操られてる? 豪炎寺、土門、それってどういう……」

 

「あっ……い、いや、その……」

 

「……この前、私、彼らと似たような装置を付けた人たちに襲われちゃったんです」

 

 

 仕方がありません。我に返ってしどろもどろな土門さんの姿に息を吐き、彼のスパイのことは省きつつ、手を借りながら立ち上がるついでに要点だけを説明します。すると、途端に皆さん眼の色が変わりました。

 

 

「じゃ、じゃあ、米田さんすっごく危ないじゃないですか! 試合に出てる場合じゃないですよ!」

 

「そうッス! 米田さん、早くベンチに下がったほうがいいッス! 冬海先生、選手交代をお願いするッス!」

 

 

 私が今、とてもまずい状況に置かれていることを皆さん悟ってしまったようで、少林さんに続いて壁山さんが過保護にもそうベンチへと叫びます。

 がしかし、冬海先生から返ってきたのは、何を言っているんだと言わんばかりの失笑です。

 

 

「ラフプレーの一つで何を弱気になっているんです? 当然、選手交代は許可しません。……米田さんには活躍してもらわないと困るんですよ」

 

「そ、そうじゃないんでやんす先生! そうじゃなくて、米田さんは――」

 

「ストップ。もういいです、栗松さん。皆さんも」

 

 

 心配してくれるのはありがたいですが、たぶん、時間がありません。事なかれ主義な冬海先生が下校時に起きた事件なんてものを認めるとは思えませんし、懇切丁寧に説得するにも、サッカーにタイムアウトはないのです。

 審判さんも今は大目に見てくれているようですが、ファウルの処理も終わっていますし、もういつ試合再開でもおかしくない状態。これ以上試合を止めてしまったら、今度はこっちに笛が鳴ってしまいかねません。

 

 それに実際、足の痛みはプレーできないほどではありませんし、相手がラフプレーで来るとわかった今、同じ轍を踏む気も私にはないのです。

 

 

「私が抜けちゃったら、皆さんこの試合、負けちゃいますよ?」

 

 

 だから、私に任せておけばいいのです。未だ心配そうな面持ちの皆さんにそう言って、ダメ押しにもう一つ。

 

 

「それに、あの装置が原因だってことはわかってるんですから、やりようはあると思いません?」

 

「……確かに、な」

 

 

 納得していなさそうな感じの豪炎寺さんと、そして微妙にわかっていなさそうな染岡さんに耳打ちをしてから、私たちはようやく試合を再開させました。

 

 

「よし……行くぞッ!!」

 

 

 位置に付き、フリーキックを染岡さんが蹴りました。パスの先はもちろん私。洗脳された御影専農選手たちが今だチャンスだと言わんばかりに襲い掛かってきますが、当然それは織り込み済みです。

 

 

「来るとわかってたらその程度――なんてことねぇんだよ!! 【スピニングアッパー】!!」

 

「ッ――!?」

 

 

 反則上等のチャージタックルをかまそうとしてきたディフェンダーが、オレの必殺技で吹っ飛んだ。がしかし、一人を退けれたとしても、その後には二人、三人が続いてくるのは言うまでもなく、このままやってもキリがないことは明白だ。

 であれば、もうシュートを打ちに行くしかない。いつもなら、間違いなくそうしていたであろう状況だったが、しかし。

 

 

「豪炎寺ッ!!」

 

 

 パスを出した。得点目的なら多少の無理を押して強行したかもしれないが、今回の狙いは別だ。御影の標的であるオレは、その適任ではない。

 そうして裏をかくこともできた――はずだったのだが、どうやら読まれてしまっていたらしい。豪炎寺がパスを受けるのと同時、その背後から走り込んで来ていたフォワードの下鶴が、すでにスライディングタックルの体勢に入っていたのだ。

 

 

「ッぐ……!!」

 

 

 ギリギリのところで、ファウルの笛は鳴らない。さっきオレが食らった反則プレーとさして変わらない攻撃だっただろうが、しかし、豪炎寺は耐え切った。角度を変えてボールを跳ねさせ、何とか維持した奴は、それを蹴り飛ばす。

 

 

「頼むぞ……染岡ッ!!」

 

 

 最初にオレにパスしてから、ずっと力を溜め続けていた染岡に。

 オレを潰そうと寄ってくる御影専農の奴らは、豪炎寺の執念もあってオレたちの側に集中したまま。染岡の正面は、キーパーの杉森まで完全にガラ空きだ。

 

 

「うおおおぉぉぉッ!! 【ドラゴンクラッシュ】ッ!!」

 

「――【ドラゴンクラッシュ】を確認。危険度、低。【シュートポケット】……ッ!?」

 

 

 これほどお膳立てされた渾身のシュートは、普通の試合ではまず打てないだろう。故に杉森――もとい、杉森を操るデータもその威力を見誤った。

 発動された衝撃波のバリア、【シュートポケット】は、【ドラゴンクラッシュ】を止めきれなかった。杉森本体の下まで届き、そのこめかみを掠めてクロスバーにぶち当たる。

 そして弾かれ――フィールド外へと飛んでいってしまいました。

 

 得点ならず。ですがしかし、十分です。

 

 

「……うまくいったな。よくやった、染岡」

 

「へっ。どうせならゴールにぶち込んでやるつもりだったんだがな。ちょっとズレちまった」

 

 

 杉森さんの頭についていた装置、電極とコードは、シュートに引っ掛かって捥ぎ取られ、今は芝生の上に転がっています。彼の洗脳の原因と思われる装置を外させるべく目論んだこの策は、確かに成功させることができたのです。

 装置が御影専農の皆さんをおかしくしてしまったのなら、それを取り除けばいい。全員のそれを取り除くことが難しいなら、まずはキャプテンである杉森さんを解放するのがいい。だからこのような手段を取ることに決め、その大役を、じっくりシュートの狙いを付けられる染岡さんに任せたわけなのでした。

 

 しかし……まさか一度で成功させてしまうとは。数度の施行を覚悟していただけに、ちょっと拍子抜けなくらいです。

 

 

「でも……完全フリーだったんですよ? 私だったらできて当然な状況ですし、むしろ得点できなかったって、どうなのかしら?」

 

「あ゛!? なんだと!?」

 

 

 とはいえそんな感心をそのまま言っては染岡さんを喜ばせてしまうので適当に付け足して、彼の眉間に皺を刻んでやりました。

 豪炎寺さんがやれやれと息を吐いた、その時です。

 

 

「うぅ……お、俺は、何を……?」

 

 

 杉森さんが我に返ったようでした。きょろきょろと不思議そうにあたりを見回す人間味を見るに、洗脳もどうやら解けているようです。

 そして、もしかしたら洗脳中のことも覚えていないのではないでしょうか。だとしたら話が早く済むかも。そんな期待を持ちつつ、彼にちょいちょいと手招きをしてみせました。

 

 

「杉森さん、実は――」

 

「何をしている杉森っ!! 早くヘッドギアを装着し直せ!!」

 

「え……は、はい、監督」

 

 

 しかし御影専農の監督さんの必死な声に遮られてしまいました。

 彼が皆さんを洗脳し、操っているのはもはや確定的です。とはいえその証拠はなく、私たちはさらに必死な声で対抗するしかありません。

 

 

「だめだ杉森!! お前は、いや、お前たちはその装置で操られていたんだ!!」

 

「ベータのやつを寄ってたかって潰そうとしてたんだぞ!? まさか素面でやってたわけじゃねぇだろう!?」

 

「つ、潰す……!? 我々が、ラフプレーを……!? 君たちは、いったい何を言っている!?」

 

「耳を貸すな杉森ッ!! せっかくの、私の計画が……チッ、こうなったら……!!」

 

 

 監督さんの指示に、反射的にか装置を拾い上げようとした杉森さんですが、伸びたその手は途中で止まってしまっています。やっぱり洗脳中の記憶はなかったようで、その間の意識の空白が迷いの基になっているに違いありません。

 そして監督さんはそのことを察したらしく、舌打ちをしてパソコンを操作し始めます。

 

 

「強化洗脳……発動ッ!!」

 

 

 ぶつぶつ呟き何やら打ち込んだ、その直後。

 

 

「う……うわアアァァァッッ!!」

 

「お、お前たち!?」

 

「な、なんだ!? 御影のやつら、急に苦しみだしたぞ!?」

 

 

 杉森さん以外の皆さんが、突然身体を抱えて悲鳴を上げ始めました。実に異様な光景で、おかげで杉森さんの迷いは定まってしまったようです。

 明らかな驚愕が、監督さんへと向けられました。

 

 

「か、監督!? 何を――」

 

「黙れッ!! お前たちは私の言う通りに、思うままに働いていればいいのだ!! ……リスクなど、知った事かッ!!」

 

 

 すると、やがて悲鳴が治まり、皆さんふらふらと幽鬼のように立ちあがります。その顔は苦痛のためか汗まみれであるにもかかわらず、やはり表情がありません。

 どう見ても不自然で、そしてそれは、すぐに証明されることとなりました。

 

 

 笛が鳴り、私がボールを受けるとその瞬間、やはり一斉に襲い掛かってくる御影選手たち。接触して競り合うと、変貌ははっきりと現れました。

 

 

「っ……!! こ……れっ、パワーが、段違いに……!!」

 

 

 強くなっています。体格という差はあれど、さっきまでは確かに対等だった競り合い勝負に、明らかに私が押されてしまっているのです。

 このままでは今度こそ、大ダメージを負わされてしまうかも。そんな危機感もが頭をよぎるほどで、心に焦りが生じ始めます。

 

 

「ベータ!! こっちだ!!」

 

「ッ!! 豪炎寺さん!!」

 

 

 そんな精神状態の中、聞こえた声にそっちを見やれば、豪炎寺さんがゴール前の人の塊から抜け出し、フリーになっていました。もはや活路はそこしかなく、私は押し潰されてしまいそうなディフェンスの隙間をどうにかかいくぐり、パスを蹴り出しました。

 

 

「よし、これで――」

 

「あぶねぇ、豪炎寺ッ!!」

 

 

 しかし、そのパスは通りません。

 側面から、先ほどまでは間に合いようもないほど遠くにいた御影の一人が、一瞬でその距離を詰め切り、もろに足狙いのスライディングタックルを敢行したのです。

 

 

「ッ――ぐわぁッ!!」

 

 

 その速さは、豪炎寺さんでも反応ができませんでした。派手に倒され、そしてボールは相手のものになってしまいます。

 

 またしても、あり得ない状況です。パワーだけでなくスピードも、彼らのそれはさっきまでのプレーはいったい何だったのかと思うくらい、桁違いに上昇してしまっているこの異常事態。

 それが御影専農の監督さんの仕業、つまり洗脳装置によるものであることは考えるまでもありませんが、しかしわかったところで大して意味はないでしょう。現状は、明らかに手詰まりです。

 私でも手に余るくらいに身体能力を強化されてしまった彼らを、止める術がありません。他の皆さんの洗脳は杉森さんの手を借りて解決するつもりだったのですが、こうも狂暴化されてしまえばそれも不可能。もう一度染岡さんをお膳立てする余裕なんてあるはずがありませんし、直接装置を剥ぎ取ってやるにしても、その前にあのラフプレーにやられてしまうことは確実でしょう。

 

 であれば――

 

 

「もう、ぶっ倒すしかねぇな……!!」

 

「ッ……!!」

 

 

 もはやオレたちが取れる手段はそれしかない。

 豪炎寺からボールを奪ったディフェンダーは、やはりオレを潰すことを第一の目的としているようで、都合のいいことにそのままこっちへ突っ込んでくる。オレはそれを、全力のショルダータックルで迎え撃った。

 

 

「なッ……ベータ!?」

 

「ベータ!? お前、何やってるんだよ!?」

 

「倒さなけりゃ、オレたちが痛めつけられる羽目になる!! ならその前に、こっちから潰しちまうしかねぇだろ!!」

 

 

 豪炎寺と円堂の声は非難めいていたが、これ以外に取れる手段などない。このまま何もせずにいても、怪我させられた挙句に試合にも負けるだけだ。

 

 

「フットボールフロンティアで優勝するんだろ!? だったら勝つために、こいつらをぶっ潰すしかねぇんだよ!!」

 

「ふふふ……その通りです米田さん! 皆さんも、この大会が長年の夢だったんでしょう!? だったらほら、何をしてでも勝たないと! 米田さんにシュートを打ってもらわないと!」

 

「ぐ……確かに、このままじゃ、ただやられちまうだけ……っ」

 

「やる……しか……ッ!」

 

 

 冬海は、相変わらずキモいくらいにオレの考えと同期して、声を上げている。そのせいで揺れたのか、染岡の身体にも力が入り始めているようだ。

 そして他の奴らも。御影のラフプレーに対抗するしかないことが、理解でき始めているらしい。どうにか競り合っていた敵を押し退けたオレの後に続く気配が、背に感じられた。

 

 そしてその時、それとは真逆の声が、正面から放たれた。

 

 

「違う……これは、間違っている!!」

 

 

 杉森が悲鳴を上げるように吠えた。常軌を逸した様子で自らのチームメイトに訴えかける。

 

 

「こんなことは……ラフプレーは、サッカーではない……ッ!! お前たち、正気に戻ってくれッ!!」

 

 

 しかしそんなキャプテンの懇願も、洗脳された連中には届かない。オレがブロックしてくる一人を押し倒せば、その後ろから今度は二人が露骨に狙って肘を入れてくる始末だ。

 状況が好転する気配は一向にない。その様を、御影の監督は鼻で笑った。

 

 

「バカめ……。見てみろ杉森、お前以外は全員、私の指令に従っている。……正気を失い、いつも通りに動けていないのは貴様だけだ!」

 

「そ、そんな……」

 

「もう一度、チャンスをやる。さっさとヘッドギアを装着し、今までのように私の操り人形となって雷門を潰すのだ!」

 

 

 言われ、杉森の眼が芝生に転がったままの装置に向いた。迷いを映しながらも、やがて手が伸びていく。

 厄介だ。奴が再び洗脳装置の影響下に入り、もし他の奴らのように強化されてしまえば、今の状況での得点はますます厳しくなってしまう。

 

 本当に負けてしまう。

 加速度的に増す焦燥に歯噛みした。しかし、杉森の手は装置に届く直前で握り締められ、止まった。

 

 

「……できません」

 

「……なんだと?」

 

 

 極限の選択だったのだろう。身体を震えさせながら、しかししっかりと監督を見つめ、杉森は言った。

 

 

「監督の指令を実行することは、不可能です。それでも監督が指令を変更してくださらないというのであれば、俺は……っ、この試合、もう、戦うことができません……!」

 

「な、ななんっ……!? すぎ、杉森、貴様……ッ!?」

 

 

 監督にとってその宣言は、想像だにしないものだったらしい。驚きと、そして怒りのあまりにまともに言葉も喋れていない。

 そんな監督を見限ることに決めた杉森は、次に私たちへ、弱々しげに微笑んだ。

 

 

「……このチームには、俺以外に正規のキーパーがいない。だから24番、米田 佳のあのロングシュートなら、容易く点が取れるだろう。……いや、豪炎寺 修也や染岡 竜吾のシュートでもそれは同じか。とにかく……ゴールは明け渡す。だから……」

 

 

 くしゃりと笑みが歪み、押し出すように杉森は頭を下げた。

 

 

「俺たちを……終わらせてくれ……っ」

 

「やっ、やめろ杉森ッ!! きさっ、貴様、そんな勝手なことをして、ただで済むと思っているのか!? バカなことを言うのではないッ!!」

 

 

 杉森の言葉は事実であるらしく、若干の理性を取り戻した監督が、必死の説得をし始めた。しかし恐らく、杉森が考えを変えることはないだろう。

 

(ならこれは……千載一遇のチャンス!!)

 

 勝機が見えた。杉森が諦めるというのなら、これほど都合のいいこともない。ゴールの最大の壁たるキーパーがいなくなれば、確かに得点は容易。他の連中の攻撃を躱しながらでも十分に可能だ。

 

 むしろ、普通にやるよりも楽に勝てる――と、張り詰めていた緊張感もほぐれて解けた、その時でした。



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第二十五話 サッカー魂

「――ベータッ!!!」

 

「ッ!!?」

 

 

 突然の、円堂さんの大声。おまけにその発生源は、相手のゴール近くにいる私のすぐそばです。

 私に攻撃を続ける御影選手たちを全力で押しのけて、私はその方向、背後を振り向きました。そして眼が合う、まっすぐ走って攻め込んできている、キーパーであるはずの円堂さん。なぜ前に出てきているのか、驚き、思考が止まったその瞬間、

 

 

「――あっ……!?」

 

 

 気付けば私はすれ違いざま、彼にパスを出していました。

 流れるようにボールを受け取り、そのままゴールに突き進んでいった円堂さんは、そしてそのまま打ちました。

 

 

「いくぞ杉森ッ!! どりゃあああぁぁぁっっ!!!」

 

「ッ!? なぜ、君がシュートを……っく!!」

 

 

 ダッシュの勢いが乗った、フォワードに引けを取らないほどのシュート。しかしそれでも、おそらく思ってみなかった円堂さんのシュートに反射的にキャッチングの構えを取ってしまった杉森さんは抜けませんでした。ボールは彼の両手にしっかりと捕らえられてしまいます。

 

 

「くぅぅぅっ!! さすがだな杉森! ナイスキャッチだぜ!」

 

「円堂 守……君は、なぜこんなことを……? 私は、もうこれ以上、試合をする気がないと――」

 

 

 言ったのです。だというのに、円堂さんがぶつけてきたのは微塵も陰りのない戦意。

 彼だけはまだ、“試合”を続けていたのです。

 

 

「お前がもう試合をする気がないって言うなら、そのボールを自分でゴールに投げ入れればいい。……でも、杉森、お前はそんなことできないだろ? お前のサッカー魂は、まだ諦めちゃいないんだ!」

 

「サッカー、魂……」

 

 

 そしてそれは、洗脳された御影選手たちと戦っていた私の心にも突き刺さりました。

 

 

「杉森、お前だって、サッカーが好きなんだろ? サッカーに嘘をつきたくないから、戦えないって、終わらせてくれって言ったんだろ!? そんなサッカーを愛する気持ちがあるのなら、お前だって諦めるなよ! お前が好きな、楽しいサッカーを! ボールを通して仲間と繋がる、素晴らしいスポーツをさ!」

 

「ボールを通して、繋がる……」

 

 

 楽しいサッカー。

 倒し倒されるこの“戦い”は、果たして楽しいでしょうか。

 気付いてしまえばあっという間に、勝機に湧いた興奮は消えてしまいました。

 

 そしてそれは、杉森さんにも。

 

 

「杉森はキャプテンなんだろ? だったら、もっと自分の仲間を信じてみろよ」

 

 

 踵を返し、自身のゴールへ戻っていく円堂さん。その背を、杉森さんはボールを両手に持ったまま見つめ――その眼に、それまでにはなかった猛々しい炎が灯りました。

 

 

「う、おおおぉぉぉッッ!!」

 

「ッ――!?」

 

 

 私を襲うために団子状態になっていた御影の仲間たちの間を走り抜け、杉森さんは先ほどの円堂さんのように一人ドリブルで上がっていきました。

 その破天荒な行動は、もちろん今の御影選手たちを操るデータにはない行動でしょう。攻撃の手が緩み、そして私も我に返り、試合に戻らされた頭で走り出しつつ指示を出します。

 

 

「――っ、半田さん、少林さんと一緒に対処しちゃって! 土門さんはフォロー!」

 

「……お、おう!」

 

「りょ、了解です!」

 

「……オッケー!」

 

 

 私の声で彼らも試合の緊張感を取り戻し、動きます。ドリブルで突き進む杉森さんに対して二人が指示通り立ちふさがり、そしてあえなく突破されてしまいました。

 杉森さんの技量と、そしてその目の炎の賜物でしょうか。しかし、それ以上は行けないはずです。

 

 

「悪いけど、俺たちも負けるわけにはいかないんでね……! 【キラースライド】!」

 

 

 土門さんの必殺のスライディングタックルが彼に襲い掛かります。いくらなんでもキーパーの杉森さんが躱せるものではありません。

 しかし、

 

 

(アラタ)ァッ!!」

 

「――ッ!」

 

 

 【キラースライド】に倒される直前、杉森さんはパスを出しました。洗脳され、言葉が届かないはずのフォワード、下鶴さんへ。

 

 杉森さんのデータにない行動をぎこちない動きで注視していた彼は、困惑しつつそのボールを取りました。前を向いていた身体がゆっくりと私の方へ、私を潰すために動きます。

 予想された行動の、その直前。

 

 

「思い出せ!! 俺たちが今までやってきたサッカーを!! 監督じゃない、自分たちの力で……戦うんだッ!!」

 

「……キャプ、テン……ッ!!」

 

 

 無機質な下鶴さんの表情に確かな意思が生まれ、

 

 

「行かせないでやんす――えっ!?」

 

 

 完全に不意を突いたはずの栗松さんのディフェンスを、ボールを蹴り上げ、自身もジャンプすることで躱した彼は、その着地の勢いでもう一度、まるでロケット噴射のように跳躍すると、高く上がったボールをオーバーヘッドで放ちます。

 円堂さんが守る、ゴールめがけて。

 

 

「【パトリオットシュート】ッ!!」

 

 

 そして円堂さんは、楽しそうににやりと笑いました。

 

 

「そう来なくっちゃ! でも、ゴールは簡単には割らせない!! 【ゴッドハンド】!!」

 

 

 発動するエネルギーの掌。【イナズマ落とし】のような高所から叩きつけられるようなシュートと衝突して激しい火花を散らし、震え、その結果――

 止まりました。ボールは円堂さんの手の中です。

 

 それを認めて、ほっと息を吐きました。ここで決められていたら勝利はだいぶ遠くなっていたでしょう。

 反対に、御影にとっては決められなかったことは痛恨事。しかし御影の監督さんにとっては、そんなことなど気にもならないほどの衝撃であったようでした。

 何しろ、洗脳して完璧な制御下にあるはずの下鶴さんが、『米田を潰せ』という命令を完璧に無視し、そして今、頭の電極とコードをむしり取ったのですから。

 

 

「なぜ……どうして、自力で……!? 洗脳プログラムの不具合……いや、そんなはずはないッ!!」

 

 

 かぶりを振って目を背け、監督さんは手元のパソコンをカタカタ操作し始めました。その間に、私たちの攻勢。

 

 

「よし、行くぞみんな!! 反撃だ!!」

 

「「「「おうッ!!」」」」

 

 

 円堂さんからボールが繋がって、妨害がないのをいいことにどんどん前へと運ばれていきます。そしてそれが敵陣地へ差し掛かる頃、策を講じ終えたらしく、監督さんが余裕なく笑って叫びました。

 

 

「勝つのは私だ!! お前たち、雷門を潰せ!! 二度とサッカーができないように、ダメージを与えるんだ!!」

 

 

 たぶん、また洗脳なのでしょう。監督さんが一際強くパソコンのキーボードを叩いた直後、選手たちの身体能力を無理矢理引き上げたついさっきのように、彼らからまた苦悶の声が上がります。

 しかし彼らは今度こそ、それに屈しませんでした。彼らにも届いたに違いない杉森さんの言葉が彼らの中で苦悶に抗い耐え切り、そして下鶴さんと同じように、次々と自身の洗脳装置を外して放り投げたのです。

 

 もはや監督さんの命令はありません。御影専農は自分たちの意思で、半田さんからボールを受け取った私と“試合”をするべく、走り出しています。

 

 

「し、下鶴だけでなくお前たちまで!? いったい何が起きている!? どうして私に逆らうんだお前たち!! 私の言う通りにしてさえいれば、圧倒的な……確実な勝利を手にできるのにッ!!」

 

「そんなものは本当の力じゃない!! 本物の強さはデータなどではなく、日々の努力の積み重ねによって得られるもの……!! キャプテンが、我々にそう教えてくれた!!」

 

「下鶴……!!」

 

 

 監督さんの癇癪のような悲鳴を切り飛ばした下鶴さんが、いつの間にか自陣に戻って私の前に立ちふさがっていました。ついさっきまで私たちのゴール前にいたはずなのに、とんでもないスピード――いえ、円堂さん風に言うならば、サッカー魂です。

 そんな背中を見つめる杉森さんの顔には、次の瞬間、無表情だった頃からすれば信じられないくらいの、楽しそうな笑みが作られていました。

 そしてその、試合を楽しむ笑顔の先。

 

 

「そうだ!! サッカーは誰かを傷つける道具じゃない!! 磨き上げた力をぶつけ合って、仲間(・・)と一緒に高め合う、最高のスポーツだ!!」

 

 

 円堂さんが、またしてもゴールを飛び出し走り込んで来ていました。ちらりと私に向けられる眼は、何を要求しているのか明らかです。

 内心でため息と、そして私にも笑みが浮かびました。

 

 

「もう……失敗したらひどいんですからね!」

 

 

 やっぱり私はそれに応えてパスを出してしまって、歯を見せた円堂さんが近くの豪炎寺さんを引っ張り、ボールを迎え撃つように、

 

 

「いくぞ豪炎寺!! シュートだ!!」

 

「ッ……ああ!!」

 

 

 二人一緒のボレーシュートを放ちました。

 

 

「「【イナズマ一号】!!」」

 

 

 二人の呼吸が完全に一致したそのシュートは、私に集中していた御影選手たちを蹴散らし、一直線にゴールへ。

 

 

「データにない威力……いや、それでこそだ!! 止めてみせるッ!! 【シュートポケット】!!」

 

 

 杉森さんも気合十分に立ち向かいましたが、しかし、それでもシュートは止まりません。バリアの壁を突き抜け、杉森さん本人までをとうとう押し退けて、

 

 

「ぐッ――おおおォォォッッ!!」

 

 

 ボールはゴールネットを揺らしました。

 

 無事決められた勝ち越し点。湧く私たち雷門と、悔し気で、しかし楽しそうな御影専農。

 ただ一人、御影の監督さんだけが、顔面蒼白でベンチに腰を落としていました。

 

 

「そ、そんな……馬鹿な……。私のチームが、失点……どころか、このままでは……ま、負ける……!? だっ、駄目だ、それだけは!! 勝たなければ、私は、影山総帥に――」

 

「――影山に? 何をされるというんだ?」

 

 

 と、半狂乱になりかけた監督さんの肩を、その背後からぬうっと出てきた人影が抑え込んで言いました。

 そんなのもう、とどめにならないはずがありません。ただでさえだった監督さんの顔から急速に生気が抜けていき、そして同時、円堂さんたちもその人影さんに気が付きました。

 

 

「あっ、あの時の刑事さん! えっと、確か名前は……」

 

「鬼瓦だ。全く、大した坊主だよ。……っと、今はそんなことよりも――」

 

 

 彼の掌中で哀れな子羊と化してしまった監督さんのほうが重要です。かわいそうなことに見逃してもらえなかった監督さんは、再び自身を見下ろす鬼瓦さんの鋭い目つきに、逃げられないのならと必死の言い訳を並べ始めます。

 

 

「ち、ちちち、違うんだ!! こ、これは、私じゃなくて、影山総帥が……そう、影山がやれと言ったんだ!! さ、逆らえば、私は破滅する!! だから、仕方なく――」

 

「仕方なく? ……貴様は仕方なくで、子供らに『相手の子を壊せ』なんて洗脳をしたのか!? しかも、ともすれば自分すら壊しかねないような力まで与えて!!」

 

「ひぃッ!! そ、そんな、私は……」

 

「そんなもクソもあるかッ!! 貴様は雷門だけでなく、自分の生徒すらをも手に掛けた!! ……そして、その証拠はそのパソコンにある!! 言い逃れができると思うなよ……!!」

 

 

 抑え込まれ、挙句に憤怒を正面からぶつけられ、監督さんは情けなく悲鳴を漏らすことしかできなくなってしまったようです。もちろん御影の選手たちが助けてくれるはずもなく、絶望を顔に描きながら、それでも希望を求めてあちこち眼をやります。

 そしてその時、ふと一点に、監督さんは天から伸びる蜘蛛の糸を見出したようでした。必死の形相で、その名前を呼びました。

 

 

「ふっ、冬海先生ッ!! そうだ、彼も影山の手先なんだ!! そこの米田を再起不能にするためにと、旧式の洗脳装置を持っていった!! それが失敗したから、今日の試合で米田を最優先に潰させろと言ってきたのもあいつなんだッ!!」

 

「えっ……!?」

 

 

 冬海先生の名前と共に出てきたのは、そんな予想だにしない主張。さすがに、息を呑んでしまいます。

 しかし、さすがにそんなことはあり得ません。確かに先生は良い監督とは言えませんが、それはサッカー部に興味がないから。『潰せ』なんて言うほどの悪意を持つ動機なんてあるはずがないのです。

 

 そのはずなのですが、しかし。慌てて振り返り、見やった先生の表情は、そう即断できないほどのものでした。

 

 

「なっ……何を言っているのか、私にはさっぱりですね……。御影の監督さんとは今日が初対面ですし、影山総帥なんて名前も、聞いたことも――」

 

 

 ない。そう先生が首を横に振りかけたその時、彼の声で聞こえたその単語が、表情に見えた疑念と合わさり私の記憶を呼び覚ましました。

 あれは尾刈斗戦の直後、土門さんが転校してくる旨を聞いてしまった時のこと。

 

 

「そうです……! 私、思い出しちゃいました! 冬海先生が電話で、影山総帥って人とお話ししちゃってたの、聞いたことあります!」

 

「ッ!! ……チッ……そのまま忘れていればよかったものを……ッ!!」

 

 

 冬海先生はこれがバレることを恐れて、洗脳装置で私を襲わせたのかもしれません。舌打ちは、そんなふうに聞こえました。

 そして、もう言い逃れはできません。

 

 

「御影の証言と生徒の証言。そして、お前の采配。すべてが繋がったな、冬海とやら」

 

「おじさん!!」

 

 

 バンダナとサングラス、ラーメン店主の響さんが、私たちのベンチへと現れました。鬼瓦さんと一緒に観戦に来ていたのでしょう。円堂さんも嬉しそうです。

 響さんは彼に一瞬、視線だけ向けて、そして歯を噛む冬海先生をびしりと指さし、言いました。

 

 

「貴様に、雷門の監督でいる資格はない!! さっさと去れ!!」

 

「ッ……!!」

 

 

 その剣幕に、雷門さんもが同調しました。

 

 

「どうやら、そのようですね。冬海先生、あなたのような教師は雷門中学校に相応しくありません。……どこへなりとも消えなさい! これは理事長の言葉と思ってもらって結構です!」

 

「ッ……くくく、なるほど、つまりはクビですか。そりゃあいい」

 

 

 もうどうにもならないと、冬海先生――いえ、冬海も悟ったのでしょう。喉を鳴らして低く笑い、ベンチを立つと雷門さんを見下ろして言いました。

 

 

「そこまで言うならわかりましたよ。やめてやりますとも。元より教師なんて仕事にも飽きてきたところですしね」

 

 

 そしてひけらかされた悪意の眼が、やはり、土門さんへと留まります。

 

 

「しかし、帝国学園のスパイがどうこうというのなら、彼はいいんですか? 今回、御影専農に提供された君たちのデータも、彼が盗み出したものなんですよ? ねえ――土門くん?」

 

「ッ……!」

 

 

 土門さんと、畏れていた通りにやはり秋さん。そして事情を知らない他の皆さんも息を呑んで、

 

 

「土門はお前とは違う!! お前みたいに、みんなのサッカーを何の気なしに踏みつぶすような奴じゃない!!」

 

 

 円堂さんは果断に言い切りました。その絶対的な信頼に冬海が怯むように後退ると、彼は仲間の全員を見渡して、続けて言います。

 

 

「土門は、ちゃんとこのことに向き合ってる! ずっとあいつのプレーを見てきたみんななら、そうだってわかるはずだ! 土門は、俺たち雷門の仲間だって!」

 

 

 物申す声は、もちろんありません。冬海と違って彼が練習にも試合にも一生懸命だったのは、全員が知っています。

 皆さんに届いていた信頼に土門さんは涙ぐみ、そして最後の置き土産も不発に終わった冬海は、その様子に「ハハハ……」と乾いた声で笑いました。

 

 

「……総帥にたてついたこと、後悔しても知りませんよ」

 

 

 それだけ言い捨て、彼はベンチを去って行きました。

 それに便乗して御影の監督も逃げ出そうとしましたが、冬海と違って彼には確かな物的証拠があります。鬼瓦さんはがっちり彼を掴んで逃がさず、

 

 

「話、聞かせてもらうぞ」

 

 

 と耳元で告げて、監督を引っ立てていきました。

 

 そしてそれに響さんも無言のまま続いて、その二人の背に、円堂さんが手を振りました。

 

 

「見に来てくれてありがとう、刑事さん! おじさん!」

 

「おう、楽しかったぜ!」

 

「……俺は、鬼瓦の親父に引っ張ってこられただけだ」

 

 

 鬼瓦さんは愛想よく手を振り、響さんは雷門さん(ツンデレ)みたいなことを言って行ってしまいました。

 

 これで万事が一件落着。悪はいなくなりましたが、しかしです。

 

 

「……監督がどっちもいなくなっちゃいましたけど、これ、試合、どうしちゃいます?」

 

 

 すっきりした代わりにけっこう重要な部分が歯抜けになってしまったわけですが。

 しかし、御影の皆さんはもう始末のつけ方を決めていたようで、全員が並び、杉森さんが代表して私たちに頭を下げてきました。

 

 

「今回は済まなかった、雷門。洗脳されていたとはいえ、俺たちがやってしまったことは許されるものではない。だからやはり、俺たちは責任を取って棄権を――」

 

 

 しかし円堂さんはそれも遮り、いい笑顔で手を差し出します。

 

 

「杉森たちが責任を取る必要なんてないよ。それよりも、せっかく自由になったんだからさ――」

 

 

 びっくりするほど心に響く声で、円堂さんは言いました。

 

 

「サッカー、やろうぜ!」

 

「……っ、ああ! こんどこそ、本当のサッカーを!」

 

 

 そうして私たちは最後まで戦い抜き、1-0で勝利を飾ることとなったのでした。

 勝った私たちも負けた御影専農も、皆等しく楽しかったと思える試合。

 円堂さんがいるからこそ生まれるこのサッカー。やっぱり私には真似できないそれを羨む思いを燻らせつつ、私は勝利の中、息を吐きました。




なんか御影が主人公みたいになっちゃった…。
感想ください。

一瞬杉森君が不死身の人になっちゃってました。誤字報告ありがとうございます。


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第二十六話 監督を求めて

「――つまり、俺は鬼道さんの指示で雷門中に潜入して、みんなのデータを帝国に流してたんだ……」

 

「……そっか、御影専農が私たちの必殺技をコピーできたのは、そういうわけだったのね」

 

「ああ……。みんな、改めて本当に悪かった……! その上で……虫のいい話だってことはわかってるけど……俺は、これからも雷門イレブンの一員として戦いたい……! どうか、頼む……!」

 

 

 部室内、皆さんの視線を一身に受け止めながら、土門さんは深々と頭を下げました。

 

 彼自身が願った懺悔の時間。そこで告白されたのは、私たちが認識していた必殺技のデータ流出だけではなく、個人データ戦術データ、果てはイナズマイレブンの秘伝書のことだったり――これは円堂さん以外読めないということで無意味だったようですが――と、想像以上の悪行の数々でした。

 黙っていればきっと露見することはなかったでしょうに、それでも自らの意思で曝け出したのは、彼の精一杯の誠意です。そしてそれはきちんと皆さんの心に届いたようで、御影戦での一件と合わさり、今や僅かな疑いすら消え失せてしまったようでした。

 その光景に、秋さんも胸をなでおろすことができたようです。当初は幼馴染であるが故に皆さんよりも動揺が大きく、私もそれを予期して今日まで土門さんの裏切りをひた隠しにしてきたのですが、タイミングのおかげで気持ちの整理をする余裕ができたのがよかったのでしょう。

 

 そういったふうに皆さん、土門さんの懺悔に対しておおむね好意的なのですが――しかし一人、ずっと目つきの鋭い子も存在していました。

 

 

「虫がいい話って、わかってるじゃないですか。……米田先輩が襲われたのだって、あなたたちのせいなんでしょう? 土門先輩と……鬼道 有人の……」

 

 

 お腹の奥から染み出したような深い憤りでそう言う音無さん一人だけが、やけに敵対心露でした。

 

 神妙なふうに土門さんの告白を受け止めている皆さんに対して、音無さんのこの様子。土門さんが流出させたおおよそのデータが音無さんが纏めたものだったから、とかそういう理由でムカついているのかもしれません。

 しかしどうであれ、私のせいでこれ以上土門さんが悪く言われてしまうのはあまりに居心地悪いです。申し訳なく思いつつも、思わず口を挟んでしまいました。

 

 

「アレを土門さんのせいにするのはさすがにちょっと飛躍しすぎだと思います。御影の洗脳装置を使ったのは冬海先生ですし、その御影に情報が渡ったのだって、土門さんと鬼道さんの想定外だったんですよ?」

 

「そ、それは……はい……。私もそれは、わかってます、けど……」

 

 

 被害に遭った私から擁護の言葉が出てきたのが意外だったのでしょう。音無さんは目を瞬かせた後、しどろもどろに頷きました。視線に滲ませていた敵意ごと、しゅんとなってしまいます。

 こうなれば丸め込むのも簡単です。そのつもりで、若干残った物憂げな様子ごと畳み掛けてやろうとしたのですが、しかしその時、土門さん。随分と生真面目なことに、彼はそれを制して首を横に振りました。

 

 

「やめてくれ、ベータ。どうであれ、俺がスパイなんてやらなければあんなことも起こらかなったんだ。……音無が俺のことを許せないなら、それは仕方のないことだよ」

 

「……でも、だとしても俺は、土門はもう雷門の一員だと思ってる。最初はスパイだったとしても、今はかけがえのない仲間だ! だから、俺からも頼む! みんな……土門のこと、認めてやってくれ……!」

 

 

 そうして続いて円堂さんが、土門さんと一緒に頭を下げました。

 我がチームの精神的支柱までもがそんなことをしてしまえば、その効果は絶大です。呼応して、皆さんがそれぞれしっかりと頷きます。

 

 

「……俺たちの気持ちは、御影戦で言った通りでやんすよ、キャプテン」

 

「そうそう。野生の時も今回も、土門は俺たちと一緒に戦ってくれてた。しっかりこの目に焼き付いてるよ」

 

「練習の時もそうだ。散々世話になったしさ、認めてくれだなんて、言われるまでもないよ」

 

 

 そして音無さんも。私に浴びせかけられた冷や水と合わさり冷静を取り戻したようで、申し訳なさそうな顔になっていました。

 

 

「わ、私も……その……土門さんが悪い人じゃないってことは、わかってます。ただちょっと、思うところがあって……いえ、ええっと……す、すみませんでした、個人的なことで失礼なことを言ってしまって……」

 

「いや、謝らないでくれ。……けど、ありがとう……!」

 

 

 『思うところ』とやらは謎ですが、ともかくこれで大団円。土門さんの件はこれで解決です。

 なのでここで、我慢していた指摘を一つ。

 

 

「……で、どうして土門さんまでベータ呼びになっちゃうんです?」

 

「えっ!? い、いやぁ、なんとなくそんな気分で……ほ、ほら、あだ名呼びの方が親近感だって出るだろ?」

 

「なら私も土門さんのことあだ名で呼んじゃおうかしら。うーん……雷門の土門さんで土雷門(どら〇もん)とか?」

 

「謝るからマジでやめてくれ」

 

 

 なんてしょうもないやり取りは土門さんの焦り顔で一区切りをつけ、次いで視線を円堂さんへと向けました。土門さんの懺悔も無事に済んだのだから早く今日の練習を始めましょう、という視線はたぶんちゃんと伝わって、彼は嬉しそうな顔で頷きます。

 しかしその号令をかける前に、メガネさんが鼻の眼鏡をくいっと押し上げ、口を挟んできました。

 

 

「ところで、ちょっといいかな円堂くん」

 

「うん? ああ、なんだ?」

 

「次の試合と言いますが……そもそも、監督はどうするつもりなんです? 」

 

 

 どうするも何も、雷門さんがしっかりクビを切ってくれたじゃないですか。今更冬海先生、もとい冬海が私たちに何かをしてくるとは思えません。

 

 と、なぜだか得意げなメガネさんの物言いに反射的に首をひねりそうになりましたが、寸前、気が付きました。

 というか思い出しました。

 

 

「あ……そ、そうよ円堂くん! フットボールフロンティア、確か監督がいないチームは出場できないって……!」

 

 

 秋さんが慌てた様子で言うように、そんなふうに大会規約に書かれていたいたような気がします。

 

 一度だけ流し読みした私の記憶。勘違いであったならよかったのですが、どうやらそんなことはなさそうです。秋さんに続いて雷門さんの顔色も、見やれば一気に気まずそうになっていました。

 条件反射的にニンマリ笑みが浮かんでしまいます。

 

 

「……監督不在のチームは出場不可。そういえば、そんな条項もありましたねぇ。なのに雷門さん、『あなたのような教師は雷門中学校に相応しくありません』でしたっけ、かっこいいこと言ってクビにしちゃって……」

 

「ひ、非難されるいわれはないはずよ!? だってあのまま冬海を監督に置き続けたとして、あなたたち、安心してこの先、戦えたのかしら!」

 

「安心云々の前に私たち、そもそも戦えなくなっちゃったんですけど。大会優勝の夢が潰えちゃうわけですけど。これはさすがに、責任取ってもらっちゃわないと……ですよね? ……マネージャーにして、雑用やってもらうとかどうかしら」

 

「どうして毎回毎回、私をマネージャーにしようとするのよっ!」

 

 

 そんなふうに雷門さんがいい反応を見せてくれるからです。

 プンプン怒って顔を赤くする雷門さんは、なぜ自分のその反応が私の嗜虐心を刺激するのだとわからないのでしょう。私は不思議でなりません。

 

 そんな心の声は、もしも表に出ていれば『こんな大変な時に何を面白がってるの!』なんて風に続けて怒られたりもしそうですが、しかし実際のところ、事態は秋さんや雷門さんが慄くほど、致命的なものではないでしょう。

 問題の原因が“監督の不在”にある以上、解決策なんて一つだけであるからです。

 

 

「ま、まあまあ。雷門がマネージャーになるかどうかは置いといてさ。……とにかく、監督がいないと試合に出られないんだろ? なら、新しく監督を見つければいいだけじゃないか!」

 

「そうは言っても、心当たりとかあるんですか? 私たちの周りで、監督になってくれそうな人なんて……」

 

「いや、いる。音無も見ただろう? 御影戦の時、雷門と一緒に冬海に対峙した……」

 

「そうか! あの時の、ラーメン屋のオヤジ!」

 

 

 豪炎寺さんに続き、土門さんもあの“当て”に気が付きました。音無さんたちにとってはあの時初めて出会った見知らぬおじさまでしょうが、私たちは彼がサッカーと並々ならぬ関係があることを知っています。

 

 

「言われてみれば、イナズマイレブンの秘伝書のことを教えてくれたのも、あのオヤジだったな」

 

 

 風丸さんが『そういえばそうだった』と頷きますがしかし、それだけではありません。おじさま、響木さんに関して私は一つ、かなり自信のある予想があるのです。

 “イナズマイレブンの悲劇”とやらを語るその口調。真に迫った災いの警告は、どうにも当事者にしか思えないものでした。

 

 

「あのおじさま、たぶん、例の伝説のイナズマイレブン当人だと思うんです。監督にするなら、彼、ぴったりな人材だと思いません?」

 

 

 嫌だと言われても、最悪、雷門さんと同じ調子で『あなたのせいで試合に出られなくなった』と脅したりもできますし。あらゆる面で彼が適任です。

 

 

「えっ!? おじさんが、伝説のイナズマイレブン!? ほんとに!?」

 

「じゃないかなってだけですけど、たぶんそうだと思いますよ。少なくとも、関係者ではあると思います」

 

「たとえ違っていたとしても、あの人のサッカーへの情熱は本物だと俺も思う。いいんじゃないかな、円堂」

 

「ああ! 俺、さっそくお願いしに行ってくるよ!」

 

 

 豪炎寺さんの同意もあって、円堂さんは勢いよく立ち上がりました。同時に私たちへと送られる視線は『一緒に行こうぜ』と言っているようですが、それには無視をして遮ります。おじさまのあの感じからして、大人数で赴いたって邪魔がられるだけでしょう。

 

 

「じゃあ私たちはその間、次の試合に向けて練習ですね。無駄にならないよう、頑張って説得しちゃって来てください、円堂さん、雷門さん」

 

「……ああ! 任せてくれ!」

 

「ちょっと!? なんで私まで――」

 

 

 反射的に不服そうな顔をしてくる雷門さんを、もう一度遮り押し切ります。

 

 

「責任の取り方としてこれ以上の物はないと思いますけど。それとも、やっぱりマネージャー、しちゃいます?」

 

「……だからもう、どうして――」

 

「決まりだ! 行こうぜ雷門! みんなも特訓頑張ってくれよ!」

 

「あっ、ちょっと――」

 

 

 円堂さんにまで最後までしゃべらせてもらえない雷門さんは、そのまま円堂さんに手を引かれ、部室を飛び出していきました。

 

 その様子に秋さんがモヤッとなって、副産物的に心のニヤニヤが満足できてしまいはしましたが、ともかくそれは置いておき、次いで私は円堂さんがいなくなって余計な口が入らなくなった今、提案します。

 

 

「さてそれじゃあ……今日の練習は、やっぱり河川敷でいいですよね」

 

「あ……やっぱりあの秘密特訓場ではやらないんですね」

 

 

 せっかく言葉にしなかったのに、音無さんが言っちゃいました。本当に、円堂さんがこの場にいなくてよかったです。彼ならば今の台詞でその存在を思い出し、『今日もイナズマイレブンの特訓だ!』なんて言っていたかもしれません。

 

 わたし的には、そして恐らく円堂さん以外の皆さん的にも、御影専農戦の対策として慌てる必要がなくなった今、あんな拷問まがいの特訓なんてやりたいはずがないのです。たとえ過酷な分、効果的であっても。

 だから秘密特訓場の名前が出た途端、私含めて全員が過剰反応し、一致団結することになりました。

 

 

「い、いやほら、今度こそ必殺技の特訓したいしさ!」

 

「最近、特訓場に入り浸りだったせいか、河川敷の偵察隊もいなくなってますし! ねっ!」

 

「そ、そうそう! 御影が【ジャイアントスピン】を作りだせたってことは、俺たちの努力だって間違ってないッスよ、きっと!」

 

「今度こそものにできると思うから!」

 

「え……あっ、はい! そうですね!」

 

 

 皆さんの剣幕で、幸いなことに音無さんも私たちの想いを察することが叶ったようです。まだむくれている秋さんもどうにか宥めて、私たちは河川敷へと向かいました。

 

 

 

 

 

 

 

「――いいぞ栗松、少林! 【ジャンピングサンダー】、だいぶ形になってきたんじゃねえか?」

 

「染岡さんが協力してくれたおかげですよ! これならもしかしたら、次の試合に間に合うかも!」

 

「夢じゃないでやんすよこの完成度なら!」

 

「そうですね! ……俺たちも負けてられませんよ半田さん……!」

 

「ああ! 絶対完成させてやる……!」

 

 

 御影戦で光明を見たというのは、どうやらその場をやり過ごすための嘘というわけではなかったようです。染岡さんと、時折私にもアドバイスされながら練習を繰り返していた四人の必殺技開発は、見ていた限りでも極めて順調。着実に完成へと近づいていくその成果に皆さん益々モチベーションを上げ、どんどん加速度的に上達していっているようでした。

 そしてその好調は、彼らシュート技組だけではありません。マックスさんは【クイックドロウ】、影野さんは【コイルターン】と己の必殺技に名前を付けて、その形も出来上がりつつあります。

 さらに風丸さんに至っては、しっかり技を完成させてしまっていました。

 

 

「素晴らしいダッシュ力とボールキープ力……名付けるならば、そう、【疾風ダッシュ】……! お見事です、風丸くん!」

 

「陸上部の経験が生きたな。これなら十分、必殺技として通用するはずだ」

 

「ああ……。ありがとう、メガネ、豪炎寺」

 

 

 ともすれば瞬間移動にも見えるほど速いドリブルは、メガネさんの命名と豪炎寺さんの評価も全く大げさではありません。陸上部の脚を存分に生かした、まさしく疾風のような見事な必殺技です。

 少なくとも、私たちの眼にはそう見えています。だから風丸さんの返事に豪炎寺さんたちほどの喜びがなかったのは、たぶんこういうことなのでしょう。

 

 

「やっぱり風丸さん、サイドバックとはいえディフェンダーですし……ディフェンス技も欲しいですねぇ。もうちょっと練習、頑張っちゃいます?」

 

「あー……、まあ、そうだな……。やっぱり、ディフェンス必殺技もあったほうがいいよな……」

 

 

 彼のポジション的には、どちらかといえばそっちの方が重要でしょう。マックスさんと影野さんが順調にディフェンス技を完成させつつあるので、そういうのも引っ掛かっているのかもしれません。

 

 そしてそんな焦りを抱いている人が、もう一人。皆さんの練習を見物していた壁山さんが、私たちの会話にピタリと止まり、深々とため息を吐きました。

 

 

「……そうッスよね、やっぱり。俺も……【イナズマ落とし】はシュート技ですし、別に編み出さないとだめッスよね……」

 

 

 二人して私が思った通りに肩を落としてしまいます。特に壁山さん、ディフェンダーの彼がシュート技を使えても、有効活用できる機会は確実に風丸さんのケース以下でしょう。実際、野生戦でも【イナズマ落とし】を使う時は壁山さんをフォワードにしたわけですし。

 私がずっと言い続けた問題なわけで、少なからずそれを理解していた壁山さんにはこちらの問題もしっかりと理解できた様子。場に辛気臭い空気が満ちて、ならばと私はその解決策の一部として、染岡さん同様ディフェンス技の監督役になっている土門さんを眼で示しました。

 

 

「必殺技のアイデアがないなら、二人とも土門さんに【キラースライド】教えてもらっちゃうのはどうですか? 帝国に変な顔されちゃうかもしれませんけど」

 

「ん? なになに、俺のこと呼んだ?」

 

 

 すっかり調子を取り戻し、初対面時に一瞬だけ見た軽薄な感じで反応してくる土門さん。『なになに』とか言っていたくせに全部聞こえていたらしく、「いいよ【キラースライド】教えてあげちゃうよ」とニコニコこっちにやって来ます。

 しかし風丸さんと壁山さんは、申し訳なさそうに首を横に振りました。

 

 

「いや、なんとなくなんだけど……あの必殺技、俺にはあんまり合わなさそうな気がするんだ。習得はできるかもしれないけど、ほら、ベータも言ってたろ? コピーできても、その精度や威力をどれだけあげられるかはそいつ次第って」

 

「あんなすごいスライディング、土門さんみたいにできる気がしないッス……。やっぱりこう……【イナズマ落とし】みたいに俺だからこそできる必殺技、みたいな……」

 

「その方が、結果的にいいかもな。となればやっぱり、壁山はその身体のデカさか。風丸は、スピード……」

 

「スピード……速さ……そう、風のような……」

 

 

 壁山さんに限っては合う合わない以前の問題であるようでしたが、ともかく、できるのであればそっちの方がいいことは確かです。豪炎寺さんも納得を示し、そして風丸さんはぶつぶつと連想ゲーム的に技の模索を始めます。

 壁山さんや、無下にされた土門さんも「うーん」と喉を鳴らし、乗り気なようですが、しかし、です。

 

 

「自分だけの必殺技はいいですけど……今日はもうちょっと遅いですね。今から技の開発に取り掛かるとなると、中途半端なところで終わっちゃうと思います」

 

 

 空は夕焼けで、もう間もなくいつもの練習終わりの時間です。

 

 

「そうだな。今日はもう、終わっておくか。……そういえば、円堂たちは結局戻ってこなかったな。説得が長引いてるのか……」

 

 

 それに、そう。あれから二人の音沙汰はなしです。

 監督候補の響木さんはサッカーに対して思うところがあったようですし、どうせ“イヤイヤ”してるのでしょう。そして二人は、私が思い至った脅し文句を使わなかったに違いありません。

 

 

「じゃあ一応、帰りがけに様子見に行っちゃいましょうか」

 

「……お前、余計なことを言って怒らせるなよ……?」

 

 

 怒らせたって首を縦に振らせればいいんです。不穏を感じ取ったらしい豪炎寺さんににっこり微笑みかけようとして、その時でした。

 

 

「わっ、私も行く! いいよね、佳ちゃん!?」

 

 

 秋さんがいきなり話に割って入ってきました。円堂さんと雷門さんのデートは思いのほか彼女に効いていたようで、押し切られ、結局私と豪炎寺さんと秋さんの三人で、響木さんのラーメン屋さんへ赴くこととなりました。



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第二十七話 響木の懸念

 以前よりは人通りのある商店街へと足を踏み入れた時、私は平静を保つために、こっそりと深呼吸をする必要がありました。

 冬海が差し向けた洗脳集団に襲われたのは、ほんの数日前のことです。私としてはもうそんなこと忘れ去っているつもりでしたが、商店街の風景を眼にするなりビクッとなってしまった身体のほうはそんなこともなかった様子。体温が一気に下がる感覚がしました。

 

 そして結局、そんな予期せぬ身体の反応を咄嗟に誤魔化しきることはできず、隣を歩いていた秋さんに心配そうな顔をさせてしまうのでした。

 

 

「佳ちゃん……やっぱり、戻る? 無理しなくても……」

 

「別に無理なんてしちゃってません。秋さんが気にし過ぎなだけですよ」

 

「そう……? なら、いいんだけど……」

 

「………」

 

 

 言い訳はしましたが、あんまり信用されてはいないみたいです。秋さんどころか、豪炎寺さんまでもが無言で、痛ましいようなものを見る眼で見てきます。

 実際、無理していないというのは嘘なわけで、正しい心配なのですが……いたたまれません。それを今度こそ誤魔化すために、まだ遠めですが響木さんのラーメン店の方を指さしました。

 

 

「それよりほら、あれです。例の監督さん候補のお店。……円堂さんと雷門さん、ちゃんと話し合えてるんでしょうか? なんだか静かですけど……」

 

 

 言いながら気付きました。この時間まで説得が難航しているのなら、円堂さんのことです、もっと派手に言い争っていてもおかしくないのに、その気配が全くありません。

 もしかして、行き違いになっていたりするんでしょうか。

 

 

「ああ、あれが……。こう言うのは何だけど、伝説のイナズマイレブンのお店って感じには見えないね……」

 

「そもそもほんとに伝説のイナズマイレブン当人なのかはわかりませんけどね。……ともかく、中を覗いてみましょう」

 

 

 秋さんのごもっともな感想に頷いてから、私たちはお店の傍までたどり着きました。やはり近付いてもぴったり閉じたお店の戸はしんとしており、その向こうに人の気配が感じられないくらいに静かです。

 本当に誰もいないのでしょうかと、訝しみつつ戸に手を掛けた、その時でした。

 

 

「――そんなことにはならない!! 絶対に!!」

 

 

 円堂さんの怒りの大声が、お店の中から唐突に吹き出てきました。

 さすがにびっくりして、手が戸の取っ手から弾かれるように離れます。呼吸が喉の奥に滑り落ちてちょっとむせて、それから口を覆って秋さんと豪炎寺さんと顔を見合わせます。

 しかしお店の中の言い合いは、私たちの存在に気付かなかったようです。ため息のような息づかいの後、続けられます。

 

 そして、響木さんが言いました。

 

 

「いくら否定しようが……断言する。このままでは確実に起こることだ。……あのベータという少女は、今後必ず、お前たち雷門イレブンを破壊する。悪意のあるなしに関わらず、な」

 

「っ……!」

 

 

 息が止まったような心地がしました。

 脳みそが、響木さんの言葉を直視するのを拒否しているかのようです。一瞬にして何も考えられなくなってしまい、続く彼らの声だけが耳を素通りしていきます。

 

 

「それに、影山にも眼を付けられているようじゃないか。巻き込まれれば、やはり破滅だ。……俺たちと同じ末路を辿ることになりかねん」

 

「なにぃッ!! このっ……!!」

 

「よしなさい円堂くん。……末路……それはつまり、件の“イナズマイレブンの悲劇”のことかしら。そんな昔のことがなぜ、米田さんと繋がるの?」

 

「……同じだからだ。彼女のプレーは、どこかヤツ(・・)のプレーと似ている。……お前たちとて、感じたことくらいはあるんじゃないか? 彼女と自分たちの、サッカーに対する向き合い方の違いを」

 

「それは……」

 

 

 ヒートアップしかけた円堂さんを諫め、尋ねるのは雷門さん。しかしその雷門さんも、響木さんの静かな声に反論の続きを言い淀んでしまいます。

 

 私の脳裏にも、記憶の映像が流れました。今までのモヤモヤ、疎外感、雷門イレブンでプレーしている姿が似合わないと言われた時の、あの肌寒い悲しみ。

 私も、響木さんのその指摘を否定するだけの材料が、見つけられません。

 

 

「でも……それでも、違う!! 雷門が破壊されるなんて……ベータはそんな奴じゃない!! 俺はベータを信じてる!!」

 

「それは“信じている”のではない。“眼を逸らしている”だけだ。ベータのサッカーからな。……俺に監督をやってほしいのなら、まずはそれを認めろ。認めて……そしてあの子を、チームから外せ。話はそれからだ」

 

「ッ……」

 

 

 理屈で押し込められた円堂さんが唸る声。反論が、聞こえてきません。

 途端に、私の内にはっきりとした恐れが滲み出てきました。私をチームから外せ、という、聞く限りでは交換条件。監督がいなければフットボールフロンティアに出られないという現状と合わさって、最悪の結論がちらついてなりません。

 思わず一歩、それから遠ざかるように後退り、そして――

 

 秋さんと豪炎寺さん手が、私の肩に触れました。

 

 

「嫌だッ!! 絶対にベータはチームから外さない!!」

 

 

 同時、戸の向こうで円堂さんがきっぱり拒絶を叫びます。

 

 

「たとえおじさんの言う通り、ベータが雷門を壊してしまうのだとしても……それでもベータは俺たちの仲間だ!!」

 

「……自分たちのサッカーを捨て、彼女のサッカーに呑まれるつもりか?」

 

「違う!! 雷門が壊れてしまうのなら、俺が接着剤になればいい!! 破片も全部集めてくっつけて……イナズマイレブンとは別の形になってしまうかもしれないけど、でも、それが俺たちのイナズマイレブンだ!!」

 

「円堂くん……!」

 

 

 『俺が接着剤になればいい』なんていう、なんとも子供っぽく、そして間抜けな宣言は、しかし私の胸を包み込むように温めてくれました。

 安堵が満ちて、思考能力が戻ってきます。円堂さんがそう言ってくれる限りは、きっと私は大丈夫。そうやって恐れに区切りをつけることも叶い、強張る身体から力を抜きます。

 

 それほどの円堂さんの硬い意思は、私だけでなく響木さんにもしっかりと突き刺さったようでした。一瞬、ハッとしたように鋭く息を呑む音がして、それから彼は苦笑を滲ませ言いました。

 

 

「……やはり、大介さんの孫なんだな、お前は」

 

「え……?」

 

「お前の覚悟は見た、と言ったんだ」

 

 

 いきなり何をと円堂さんは呆けてしまったようですが、私には響木さんが何を言いたいのかすぐにわかりました。

 つまり彼は、円堂さんを試した(・・・)のです。

 

 

「もし俺の条件を受け入れていたら、監督の話は断るつもりだった」

 

「それってつまり……最初から雷門の監督は引き受けるつもりだった、ってこと……!?」

 

「まあ、な。御影専農との試合を見て、坊主が大介さんと同じ(・・)だってことはわかってた。ただ……情けない話だが、なかなか踏ん切りがつかなくてな」

 

 

 だからこの“条件”に命運を託した、ということなのでしょう。少し遅れて気が付いた雷門さんが呆れ半分の驚きを零し、それを認めた響木さんは、椅子から立ち上がったような音の後、続けてさっきまでとは異なる決意のこもった声で言いました。

 

 

「だが、俺ももう腹をくくった。お前たちがサッカー界の闇に挑むというのなら、全力でサポートしてやろう。……今まで散々言った俺を監督にするのは気が進まんかもしれないが――」

 

「そんなことない!! 俺、嬉しいよおじさん……いや、響木監督! これから、よろしくお願いします!」

 

「ああ……!」

 

 

 どうやら、全てが丸く収まったようでした。響木さんを監督にする、という目的は完了です。

 なら、私たちがここにいる必要はないでしょう。

 

 

「……帰りましょっか」

 

「う、うん……そうね……」

 

 

 しかしどうやら、私の内に残る恐れの欠片は、秋さんには隠しきれなかったようでした。

 私がいずれ、雷門を破壊する。試していたとはいえ、響木さんが口にしたこの言葉は決して嘘でも冗談でもないのです。

 私はそれに背を向けて、足早にその場を去りました。幼少期にサッカーをやめた時はあんなにあっさりだったのに、今はやめたくないと、円堂さんたちと一緒にサッカーをしていたいと、強烈にそう思っている自分を持て余しながら。

 

 

「ベータ、やはり、お前は……」

 

 

 呟く豪炎寺さんの声も聞こえないふりをして、私は商店街を出るのでした。

 

 

 

 

 

 

 

「今日から雷門サッカー部の監督になった、響木 正剛だ。ビシバシ鍛えてやるから、覚悟しておけ」

 

 

 翌日、河川敷のグラウンドにやってきた響木さんはそんな挨拶の言葉を皮切りに、私たちの練習に口出しを始めました。

 新必殺技の開発に励む皆さんに、それぞれ的確な指摘やアドバイス。聞いていた限りでは全部かなり真っ当で、それは響木さんが本当に四十年前のイナズマイレブンの一員であると確信できるほどのものです。

 少なくとも、響木さんの監督としての能力は疑いようがないでしょう。皆さんにもそれは一目でわかったようで、新たな監督への反感の類はどこからも上がってくることはありませんでした。

 

 だからつまり、また私だけが疎外感を感じる羽目になっています。円堂さんの言葉があっても、(ベータ)をチームから外すべきだ、なんて言った人を目の前にして気分よく練習できるはずがありません。

 けれどそれを表に出せぬまま、私は取り繕った微笑みで、自己紹介と練習指示に次いで私へと向いた視線を受け止めることとなったのです。

 

 

「――そして、ベータ。お前の練習内容だが……」

 

「はい、何を特訓しちゃえばいいんでしょう? ドリブル? それともシュート力の強化ですか?」

 

「……お前の、御影専農でのラフプレーを見た」

 

「……そうですか」

 

 

 皆さんへの指導が済んで、とうとう私の番。思わずびくっとなってしまいましたが、辛うじて声音は平静を保てたのが幸いしたのか、そのことに気付かれた様子はありません。

 それでも心臓がバクバク鳴っている私をよそに、響木さんはサングラスの眼でじっと私の下半身を、というか足を見つめ、唸るように言いました。

 

 

「身体に大分ダメージがあっただろう。念のためだ、練習の前に病院に行って検査してもらえ」

 

「……はい、わかりました」

 

 

 特別、身体に異常なんかは感じていませんが、心臓を休ませるためにも頷きます。響木さんはそれで満足し、次いで同じサングラスの視線を豪炎寺さんへ。

 

 

「豪炎寺もだ。特に足首、スライディングタックルにやられた時、痛めていたはずだ。診てもらえ」

 

「……はい」

 

 

 私は隔意からの返事でしたが、豪炎寺さんの場合、少なからず怪我の自覚があったのでしょう。お互い嫌とは言えず、そのままグラウンドを追い出されてしまうのでした。



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第二十八話 病院の同士

 そうして私たちは豪炎寺さんのお父さまが勤めている病院へと赴き、そして想像通りの診断を受けることになりました。

 

 

「……米田くんは問題ないようだ。骨にも筋肉にも異常は見られなかったよ」

 

「ありがとうございます、先生」

 

「うむ。だが……修也、お前の足に残るダメージは無視できない。さほど酷くはないのは幸いだが……わかっているだろうな? しばらく運動は控えるように。当然、サッカーも禁止だ」

 

 

 レントゲン写真を片手に、豪炎寺さんのお父さまは粛々と告げました。足のダメージの原因は二人ともあの反則タックルなのですが、彼の診断に対して私は無傷。本当に運が良かったようです。

 しかしだからこそ、豪炎寺さんにとっては受け入れることの難しい診断だったことでしょう。大会の最中での“サッカー禁止”という無慈悲な宣告に俯き、黙ってそれを聞いていた彼でしたが、やはり理解はできても納得することは難しかったようでした。ぽつりと、往生際悪く漏らします。

 

 

「……『しばらく』って、どれくらいですか。試合までに、治りますか……?」

 

「そんなわけがないだろう。……ドクターストップだ。試合は諦めろ」

 

「でも……っ。父さん、俺、大して痛みはありません……! 状態も酷くはないのなら――」

 

「一生車椅子の生活を送りたいのか」

 

 

 我慢の限界を迎えて勢いよく噴き出した豪炎寺さんの懇願は、しかしお父さまに冷たく切って捨てられてしまいます。有無を言わさぬ迫力に豪炎寺さんはたたらを踏んでしまい、言葉に詰まっているうちに、お父さまが続けます。

 

 

「例え小さな怪我だろうが、悪化させれば取り返しのつかないことになり得る。そうなった時に後悔しても、もう遅い。お前はたかがサッカーのために足を潰す気なのか」

 

「……いえ」

 

「ならば言うことを聞いて、おとなしくしていなさい。全く……嘆かわしいな、修也。こんなことになるなら……」

 

 

 捻り出したような豪炎寺さんの返事の後、お父さまはそこまで言って、ちらと私を見やると、深々とため息を吐きました。

 

 そこで一旦会話が途切れ、沈黙の間。実際はたった数秒なのでしょうが体感では遥かに長い時間の後、お父さまはふいと視線を切りました。

 

 

「……いい機会だ。おとなしく家で医者の勉強でもしていなさい」

 

「………………はい」

 

 

 随分ためらってから豪炎寺さんは返事を返し、用意されていた松葉杖を手に席を立ちました。それに手を貸しつつ私も立ち上がり、診療室の戸を開けたのですが、しかし豪炎寺さんは退室する直前で足を止め、おずおずとお父さまのほうに振り返りました。

 

 

「試合には出ません。見届けるだけなら、いいですか……?」

 

「……勝手にしなさい」

 

 

 冷たく言い捨てるお父さまは、やっぱり豪炎寺さんの方を見ようともしません。カルテに視線を落としたままで、だというのに豪炎寺さんは律儀にも、「ありがとうございます」と頭を下げました。

 そうして今度こそ退室し、私も、この息が詰まりそうな空間を脱出することが叶ったのでした。

 

 大きく息を吐きます。

 サッカーを悪者だと言わんばかりなお父さまと、夕香ちゃんの件からそれを表立って否定できない豪炎寺さん。おまけに二人ともきりっと厳つい顔立ちなせいで、口もはさめない数十分間。精神的なものですが、正直、秘密特訓場での特訓よりも疲れちゃったかもしれません。

 

 親子の会話というものは、これほどまでに物々しいものなのでしょうか。

 私的にはもっと温かみのあるものを想像していたのですが……現実は違ったのかもしれません。いざこざがあったことを加味しても、ちょっと豪炎寺さんがかわいそうです。

 

 わかりづらいですがトボトボと、慣れない松葉杖を突いて前を歩く彼。慰めてあげたくはありましたが、かといってこういう時に何を言えばいいのかなんて私は知らず、仕方なくその場凌ぎの話題逸らしを試してみることに決めました。

 

 

「お医者様の勉強をしろって言われちゃってましたけど……もしかして豪炎寺さん、将来はお父さまの跡を継いじゃったりしちゃうんです?」

 

「……そういう、約束なんだ」

 

「へえ、約束って?」

 

「………」

 

 

 滑り出しは良さそうだったのに、黙り込んでしまいました。お父さまとの関係性からして、あんまり話したくないことだったのでしょう。失敗です。

 諦めて、次の話題に切り替えます。

 

 

「そうだ。せっかく病院来ちゃいましたし、夕香ちゃんにご挨拶しても?」

 

「いや……時間がない。思っていたよりも検査に時間がかかったからな、早く戻らないと練習に間に合わなくなるぞ」

 

「あー……そうですねぇ……」

 

 

 確かに、診療室で見た時計は危うい時間帯でした。ぶっちゃけこの際、練習なんてどうでもいいと思うのですが、ちょうど今さっきサッカー禁止令を出された豪炎寺さんの前で言えるようなことではありません。

 

 またも失敗。会話が途切れてしまいます。ならば他に何かいい感じの話題は――と、思考を巡らせ、ふと気付きました。豪炎寺さんのためにおしゃべりしようとしているのに、なんで豪炎寺さん当人に邪魔されちゃっているのでしょう。

 気付くと途端にどうでもよくなってきました。心配も反転し、もう全部無視して夕香ちゃんに告げ口してやろうかなんて気にもなってきましたが、幸いなことに、そんな考えは実行する前に掻き消されてしまいました。

 

 

「やあ、二人とも!」

 

 

 覚えのある声が、正面の廊下の奥からニコニコ手を振りやってきたのです。

 豪炎寺さんに付きまとって初めてこの病院を訪れた時、私のせいで危うく怪我を悪化させかけた、あの時の男の子でした。

 

 

「また会えてうれしいよ! 今日もお見舞い……っていうわけじゃなさそうだね。足、大丈夫かい……?」

 

 

 言葉通りに喜びを全面に押し出して来た彼でしたが、やがで豪炎寺さんの、自身と同じ松葉杖と包帯に気付き、トーンダウン。心配そうに眼を瞬かせました。

 ですがそんな純粋な心配の眼差しでも、お父さまとのいざこざで消耗してしまった豪炎寺さんの元気は戻ってきません。

 

 

「これは……」

 

 

 と、口は軋むばっかりで、代わりに私が、憂さ晴らしも兼ねてひけらかしてやりました。

 

 

「そんなに重症でもないらしいですから、大丈夫ですよ。一週間もあればしっかり完治するっていう話です。ただ豪炎寺さん、その間はおとなしくしてなさいって言われちゃって……サッカーの試合に出れなくて拗ねちゃってるんです」

 

「……おいベータ、俺は別に拗ねてなんて――」

 

 

 ようやく豪炎寺さんがこっちを見て、顔をしかめて言いました。引き出した嫌そうな顔に少しばかり溜飲が下がり、満足したその時です。

 

 

「サッカー!? 君たち、サッカーやってるのか!?」

 

 

 しゅんとなっていた男の子が、いきなり声を上げてぐわっと詰め寄ってきました。

 カランコロンと松葉杖が転がって、ハッとするも時遅く、よろめいた男の子を、私は慌てて支えます。そうやってすぐに我に返った男の子は、申し訳なさそうに松葉杖を拾い上げながら、続けます。

 

 

「ああ、ごめんよ、興奮しちゃって……。それで、どこのチームでサッカーやってるの? 大会とか、出たりしてる?」

 

「ええはい、雷門中のサッカー部で、フォワードです。私たち二人とも。それで今は、フットボールフロンティアっていう大きめの大会に出場しちゃってます」

 

「雷門……そうなんだ! いや、実は俺もサッカーをやっててさ――って、やって()か。今はこんな足だしね……」

 

 

 そう言い、杖の先で包帯に包まれた足をコンコンと突く男の子。見かけの痛々しさは豪炎寺さんと同じですが、やはり実際の怪我の程度は全く異なる様子です。

 だからこそ、彼はあれほど過敏に反応してしまったのでしょう。

 

 勢いから、彼が円堂さん並みのサッカー大好き少年であることはわかります。だというのに怪我のせいでそのサッカーができず、口惜しい思いを募らせていたところに現れたサッカープレイヤー二人。しかも大会にまで出ているのだと聞いてしまえば、普通、どんな善人でも思うところの一つや二つは出てくるはずです。

 だからそれを悲しそうな眼で抑え込んでみせた彼は、やっぱりすごくいい人で、優しい人です。となれば私にも同情心が芽生えてくるわけですが、しかし、私に何ができるわけでもありません。

 

 

「……足、治るといいですね」

 

 

 結局、そんな事しか言えませんでした。

 彼はにこりと優しげな、それでいて不安げな笑みを浮かべ、頷きました。

 

 

「……うん、ありがとう。でも、実はもうすぐ、手術があるんだ。成功すれば、またサッカーできるようになるんだ……」

 

 

 しかし失敗すれば、もう二度と……。

 語られずとも、伏せられた眼でわかりました。

 ならばそんなことを口に出すこともありません。無視して、せめて明るく微笑みます。

 

 

「ならその時は、一緒にプレーできたらいいですね。うちの部って人手不足だから、きっと大会でも戦えちゃいますよ」

 

 

 男の子がサッカー経験者であるのなら、その腕前次第では即スタメン入りだって不可能ではないでしょう。少なくともベンチはガラ空きなので、レギュラーなのは確定です。

 ということは口には出していませんから、その時男の子が見せた表情はたぶん、スタメン入りを喜ぶようなそれではありません。“一緒に”の部分が引っ掛かったのでしょうか。一瞬ハッとなって呆け、それから頬をほころばせた彼は、噛みしめるように頷きました。

 

 

「一緒に……うん、そうだね。そうなったら……いいな」

 

「なるさ。ここの医者の腕は保証する」

 

 

 豪炎寺さんが言いました。男の子の前向きに引っ張られたのか、ようやく調子を取り戻したようです。いつものさわやか笑顔でお父さまの自慢をしています。

 そして、私も。考えてみれば私たち三人、理由は違えど一度サッカーをやめてしまったプレイヤーです。そんな中、私と豪炎寺さんは戻ってくることができたのだから、きっとこの男の子だって。そんなふうに思えて、自然と笑みが浮きました。

 

 

「一層負けられなくなっちゃいましたね、大会。治ってサッカーできるようになるまで、頑張って勝ち続けなくちゃ」

 

 

 と何の気なしに口にして、それでふと思い出しました。

 

 

「そういえば……もう次の対戦相手、決まった頃でしょうか」

 

「今日の試合の勝者が、次の俺たちの対戦相手になるはずだな。尾刈斗中と……秋葉名戸学園、だったか」

 

 どちらかが、明日の私たちの対戦相手。時間的に試合はもう終わったはずで、結果もネットにあげられているはずです。

 

 

「順当に行ったら、尾刈斗ですよね。あの催眠術、タネがわからないとどうしようもないでしょうし」

 

 

 あるいは催眠術を攻略されたとしても、尾刈斗はそもそものサッカーの実力も十分にあります。秋葉名戸は名前も聞かない無名校ですし、勝ち目があるとは思えません。

 

 思えませんが、念のためです。取り出したケータイをぱかっと開いて操作して、ネットに繋ぎました。奮発して買った最新型で一応普通のものより動作は速いはずですが、それでもまだ遅い読み込みを待ちます。

 そして数秒後、『念のため』はどうやら正解だったようです。表示された試合結果は1-0。秋葉名戸の勝利、となっていました。

 

 

「あら意外。尾刈斗中、負けちゃってますよ。……秋葉名戸って、そこそこ強いみたいですね。知ってました? 豪炎寺さん」

 

「いや……聞いたことがない。初出場なんじゃないか?」

 

 

 豪炎寺さんにとっても意外なスコアであったようです。私が知らなかっただけの隠れた有名強豪校ではないのだとしたら、雷門でいう私や豪炎寺さんのように、偶然強いプレイヤーが入部してきたとか、そんな事情なのでしょうか。

 まあだとしても、特別脅威だというわけでもないでしょうが。

 

 

「辛勝って感じですし……尾刈斗よりもちょっと強いって感じでしょうか。実力だとしても運だとしても、それくらいなら問題なさそうですね。今までの二戦よりも楽に勝てちゃいそうです」

 

 

 おまけして見積もっても、尾刈斗+α程度の強さ。であるなら、苦戦の道理はありません。チームの皆さんが必殺技を習得し始めたことを考えればなおのこと、もう延々とマンマークされるような極端な戦術が嵌ってしまうこともないでしょうし、【ダブルショット】打ち放題なら楽勝です。

 という、至極真っ当なことを言ったつもりだったのですが、豪炎寺さんの眼にはやっぱりこういうことが慢心に見えてしまうのか、気付けばその顔が難し気に歪められてしまっていました。

 

 

「ベータ……。前々からだが、お前はどうしてそう仲間を――」

 

「まあまあ、自信があるのはいいことさ。だろう?」

 

 

 しかし始まりかけた公開お説教は、不穏を察したらしい男の子が遮ってくれました。

 私も進んで叱られに行く趣味はありません。それが何度もとなればなおのこと。豪炎寺さんにしゃべる隙を与えないよう、割って入ってきた男の子のセリフにうんうん頷き繋げます。

 

 

「そうですそうです。負けるかもなんて気持ちで戦ったら、勝てるものも勝てなくなっちゃいますし。それに、今までも実際、勝ち続けてこれたじゃないですか」

 

「……そうだが」

 

「でしょう? ならはい、この話おしまーい! もうそろそろ練習に戻りましょう? 時間が無くなっちゃうって、豪炎寺さんが言ったんじゃないですか」

 

「………」

 

 

 反論の言葉なし。豪炎寺さんを黙らせることに成功し、次いでとどめに一言。

 

 

「とにかく明日、雷門中の勝利のために、私、頑張っちゃいますから!」

 

 

 帰り道のお説教も牽制しておきました。

 

 

「俺も……試合を見には行けないけど、応援してるよ。頑張って、ベータ、豪炎寺」

 

「ありがとうございます。ええっと……あなたも、手術、頑張ってくださいね」

 

 

 男の子も、別れの挨拶ついでに応援の言葉をくれました。それに社交辞令的なお返しをしようとしたのですが、口にし始めてから気付きます。そういえば彼、男の子の名前を、私たちはまだ知りません。

 ついでにベータ呼びの訂正をし損ねていることも思い出したのですが、しかし、そっちの余裕は一瞬で消えました。

 

 

「ああ、そういえば、自己紹介してなかったね。俺は……一之瀬。一之瀬 一哉。……今日は楽しかったよ。俺、実は手術受けるのが少し怖かったんだけど……二人のおかげで勇気が出た。ありがとう。またね」

 

 

 そう言って、松葉杖を突き、男の子は――一之瀬さんは、去って行きました。

 

 その際に勇気がどうたらと言っていましたが、私の耳には入ってきていません。それほどに、その名前は驚きでした。

 

 一之瀬 一哉。それは、亡くなったはずの秋さんの幼馴染の名前だったはずです。

 

 

「……ベータ、どうした?」

 

「……いえ、その……いえ、何でもないです」

 

 

 豪炎寺さんが訝しげに停止した私の顔を覗き込んできましたが、無理矢理思考を再起動させ、首を振ります。

 だって落ち着いて考えてみれば、これはただ同姓同名の人がいたというだけのこと。死人が生き返るはずがありません。

 

 

「さ、私たちも行きましょう」

 

 

 むしろこれを口走れば、秋さんや土門さんをいたずらに傷付けることにもなりかねないでしょう。だから一切口にしないまま、しかしやはり奇妙な予感のような感覚を抱えつつ、私は豪炎寺さんを急かして病院を後にしました。

 

 

 

 

 

 

 

 そうして豪炎寺さん共々河川敷に戻り、残りわずかな時間、宣言通り練習に勤しもうとしたのですが――

 

 

「あれ? 皆さん、どこに行っちゃったんでしょう?」

 

 

 帰り着いた河川敷のグラウンドでは、秋さんと音無さんと雷門さん、そして響木さんが深々とため息をついているばかり。それ以外の皆さんの姿が、どこにも見えませんでした。

 

 

「ええっと……何かあったりしちゃったんです?」

 

 

 走り込みに行っているわけでないのは明白です。そんな時間ではないはずですし、呆れかえった様子の響木さんと、何より秋さんもそう。顔を赤くして、羞恥と不機嫌の間で揺れ動いているのがはっきりと見て取れます。

 ついこの間、円堂さんと雷門さんのデートが会った時にも見たような表情ですが、今回はそれではないでしょう。当の雷門さんはベンチに座って執事さんの淹れた紅茶を口にしています。

 そして彼女は私に気付くと、現状を呆れ十割の白けた目つきで教えてくれました。

 

 

「次の対戦相手が決まったのは知っていて? 秋葉名戸中っていうのだけど、何でもメイド喫茶なるところでよく目撃されるらしくって……それ以外に情報がないからって、みんな偵察に行っちゃったらしいのよ」

 

「わ、私たち、止めたんですよ!? でもメガネさんがすごい剣幕で……響木監督と雷門さんは、ちょうど監督変更の手続きがあっていなくって……」

 

 

 メイド喫茶。なるほど。

 音無さんの必死の説明で、私も呆れ十割の気分で空を仰ぎ見ることになったのでした。



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第二十九話 メイドサッカー

 とはいえ、です。

 きっとメイド喫茶とやらの良さが理解できないのは、以前の壁山さんの時同様、私が女の子だからなのでしょう。男の子的には、偵察という理由付けさえあれば練習をほっぽって行けるほど価値のあるものであり、理解できないからと突き放すのはあまり良いこととも思えません。

 それほど良いものであるのなら、気分転換的に皆さんのモチベーションを高めてもくれるはずです。であるなら、きっと悪いことではないはず。

 元気になる分には構わないだろうと、そう思い直して、私は試合の日を迎えました。

 

 しかし、そんなことはなかったのです。

 

 

「……なんだか皆さん、元気ない感じですね?」

 

 

 試合会場である秋葉名戸学園に到着したというのに、皆さん妙に雰囲気が暗い気がします。いつもだったら見慣れぬ校舎や環境に興奮してやかましいくらいなのに、皆さんさっきから一言も発さず、俯き加減でお腹をさすってばかりです。

 緊張で胃が痛いのでしょうか。もう二戦も戦ってきたのに、なぜ今更?

 

 

「どうしたお前たち。一日しかなかったが、ビシバシ扱いてやっただろう。あの時の元気はどうした。シャキッとしろ」

 

「それに今日は豪炎寺抜きで戦わなくちゃならないんだ! いつも以上の根性出さなきゃ勝てないぞ!?」

 

 

 訂正します。円堂さんは元気です。響木さんの喝に続いて声を上げました。

 がしかし、就任したばかりとはいえ監督の言葉に加え、毎回私たちの意気を引き出してしまう円堂さんを以てしても、皆さんの反応は芳しくありません。応える声もなく、億劫そうに僅かに視線を向けるだけです。

 

 こんな状態で試合ができるのかと、私まで不安になってきます。しかしそんな想いは心の中で掻き消して、ここは一つ、私がいるのだから皆さん不調でも大丈夫と、せめて心配を解してあげるべきでしょう。

 と、また豪炎寺さんのお説教が飛んできそうなことを口にしようとしたのですが、その前に真後ろ、みんな着替え終わってもう用事はないはずの更衣室から、悲鳴のような声が響きました。

 

 

「なっ、何よコレはっ!」

 

 

 雷門さんです。驚いて振り向くと、見つけた彼女の顔は愕然とした羞恥の表情をしていました。

 

 そしてその姿。いつもの制服姿ではなく、なぜだかメイドさんの恰好です。しかも頭にネコミミカチューシャまで乗せています。

 

 

「どうして、私がこんな格好を――っ!」

 

「我が校における試合では女子は全員メイド服着用、という決まりになっておりますので!」

 

「そんなバカげた決まりがあるはずないでしょう!」

 

 

 真っ赤な顔で叫ぶ雷門さんと、満足そうなニコニコ笑顔の秋葉のマネージャーと思しきメイド服姿の女子生徒さん。たぶん、彼女が雷門さんにネコミミメイドの恰好をさせたのでしょう。雷門さんが突然そういう趣味に目覚めた、とかではないようで何よりです。

 しかしそうなれば雷門さんの言う通り、“決まり”とやらの存在に疑問がいくわけですが――

 

 

「本当、みたいです。公式ページに書いてありました。『秋葉名戸学園での試合において、女生徒は必ずメイド服を着用すること』って……」

 

「なっ、そっ……はぁ!?」

 

 

 こっちもメイド服を着させられている音無さんが示したノートパソコンの画面、フットボールフロンティアのホームページには、確かに同じことが記されています。まともに二の句が継げなくなった雷門さんと同様、私もそんな滅茶苦茶な規則が存在しているなんてびっくりです。

 とはいえ、見ている分には面白くあります。そしてもう一人のメイドさん、秋さんも、着慣れない服装を案外と楽しんでいるようでした。

 

 

「まあまあ雷門さん。規則だっていうことならしょうがないし……そうだ、せっかくだし写真、撮る?」

 

「いいですねぇ。私が撮ってあげちゃいます。ほら雷門さん、音無さんも、並んで並んで」

 

「結構ですっ! あなたたちはどうだか知らないけれど、使用人の恰好なんて私は楽しくもなんともないの!」

 

「似合ってるし、細かいことはいいじゃあありませんか。かわいいですよ、雷門さん」

 

「ッッッ――!」

 

 

 ほめ殺しの揶揄いは、さしもの雷門さんも上手く返せない様子。顔をますます赤くして、なにも言えずに悶えています。嗜虐心的にかなりの大満足です。

 

 

「……最近のサッカーってのはこんなことになってるのか……」

 

「いや、さすがにこれは……」

 

 

 なんて本気なのか冗談なのかわからないことを呟く響木さんと、それにツッコむ豪炎寺さんには気付いていないふりをして、ケータイを取り出します。そのまま撮影モードへ。恥ずかしがる雷門さんを挟んでポーズをとる二人に向けて、シャッターを切りました。

 

 その直後。

 ポンと、秋葉のマネージャーさんに肩を叩かれました。

 

 

「『女子は必ずメイド服着用』、ですよ?」

 

「……えっ」

 

 

 まさか、とよぎった嫌な予感は、最悪なことに当たっていました。

 

 

「選手だろうが、例外ではありません! ふふふ……あなた中々かわいらしいお顔をしていらっしゃいますから、きっと似合いますよぉ……!」

 

「あー、ええっと……そうですね。ホームページにも、そう書いてあります!」

 

 

 音無さん曰く、逃げ道はないとのこと。

 

 

「そう、それがいいわ! せっかくの機会、ですものね。あなたも着替えさせてもらってきなさい!」

 

 

 味方(雷門さん)にも背を押され、というか死なばもろともな感じで突き飛ばされて、私は抵抗する間もなく更衣室へと引きずり込まれることになりました。

 

 

 そうしていつものユニフォームから、有無を言わさぬ手際で私はメイドの衣装を着せられてしまいました。

 フリルだらけで動きにくいことこの上ない、ドレスのような意匠です。走りでもすれば簡単に中が見えてしまいそうなほど短く、ふわふわと広がったスカート部分。グリップ力なんて欠片もなさそうな丸っこいシューズ。全部が全部、サッカーに適しているとは欠片も思えません。

 

 

「へえ? いいじゃない、似合ってるわよ米田さん?」

 

「ホント……すっごくかわいいよ、佳ちゃん!」

 

「お似合いです、先輩!」

 

 

 などと口々に褒めてくれる三人――雷門さんのは多分に皮肉が入っていますが――の言う通り、『似合っている』、『かわいい』というその点においては、私もそう思います。鏡に映る自分の姿は、元々の素材がいいのもあって完璧なまでに美少女です。小悪魔めいた雰囲気があって、とてもよく似合っています。

 

 

「ああやっぱり! 米田さんでしたっけ!? ちょっとSっぽい雰囲気あるし、似合うと思ったんですゴスロリメイド! はぁ……よだれ――もとい、ため息が出ちゃいそうです……!」

 

 

 手鏡を貸してくれていた秋葉のマネージャーさんにも、ありがとうと労いの言葉をあげていい出来栄えです。

 今がサッカーの試合前でなければ、ですが。

 

 

「そこのお兄さん! あなたもそう思うでしょう!? 男性目線の感想、聞かせてください!」

 

 

 挙句に、マネージャーさんはちょうど一人、近くにいた豪炎寺さんまで巻き込んでしまいます。そんなことを問われるなんて思ってもなかったのだろう彼は、驚いた表情の後、少し照れ臭そうに口にします。

 

 

「えっ……あ、ああ、まあ……似合ってる、と思うぞ……?」

 

「そ、それはどうも……」

 

 

 この場で褒める以外の選択肢なんてないことは理解していますが、しかしやっぱり面と向かってそんなことを言われれば、恥ずかしくなってしまいます。マネージャーさんへの感謝と文句の割合が感謝の方に傾き始めましたが――

 

(――って、そうじゃなくって!)

 

 危ういところで我に返りました。

 

 

「こんな格好でサッカーをやれと? 走れませんし、シュートだって、その……う、打てないです、こんなの……」

 

 

 特に【ダブルショット】なんて打ってしまえば、百パーセントアウトです。何が(・・)とは、ちょっと言えませんが。

 

 頭に浮かんだ恥辱の光景を、頭を振って追い出します。そして顔にまで出てきそうな羞恥を誤魔化すために、何か話題を変えるものはないかと慌てて周囲を見回して――すぐにそれを見つけました。

 

 

「そういえば……皆さんの姿が見えませんけど。どこに行っちゃったんでしょう?」

 

 

 見つけ出し、瞬時に口にしたその異変。ですが言うのと同時、豪炎寺さんや秋さんたちから明るい空気が消えうせて、さらには円堂さんと響木さんが厳しい表情になりました。

 何かはともかく、私が着替えさせられている間に事態は悪化してしまったようです。直感の通り、響木さんがため息を吐きました。

 

 

「医務室だ。さっき一斉にハライタを訴えてな。試合に出られないほどではないらしいんだが……」

 

 

 試合の内容に支障をきたすのは明らかです。

 試合開始の時刻はもう間もなくですし、病状がハライタであるなら短時間で治るものでもないでしょう。棄権という最悪は避けられても、試合中ずっとハライタと戦い続けるしかない皆さんのコンディション低下は免れ得ません。

 下手をすれば今の私と同様、走ることすらままならなくなっているかも。

 

 

「あいつら、変なものでも食ったのか?」

 

「変なものって……拾い食いとか?」

 

「いやまさか、さすがに中学生にもなってそんなことしないって」

 

 

 豪炎寺さんと秋さんが原因を想像しますが、円堂さんがあり得ないと首を振ります。そりゃそうです。いくらなんでもそんな間抜けなお話ではないでしょう。

 

 

「それに昨日、メイド喫茶で秋葉名戸の選手に色々飯とか奢ってもらうまでは、みんな普通に元気だったんだしさ。……いやまあ、俺は食べなかったけど」

 

「原因、絶対それじゃないですか」

 

 

 やっぱりそこそこ間抜けなお話だったかもしれません。そこで毒を盛られたのだと、少しくらい思わないのでしょうか。

 

 あるいは、直前に冬海のことがあったせいかもしれません。陰湿で慎重で、告発がなければ彼が犯人だと気付けなかっただろう暗躍が数日前にあったから、逆にこんな稚拙な企みを罠と認識できなかったのかも。あの時体験した、鬼瓦さんが警告してきたような悪意と比べてしまえば、今度のこれは子供の悪戯も同然です。

 その被害は甚大で、秋葉名戸が犯人だとする物的証拠がないのは同じですが。

 

 

「……仕方ないな。どのみち、このまま戦うしか道はない。幸い円堂は問題ない。守りを固めて機を伺い、じっくり攻めていけ。いいな、ベータ」

 

「……はい」

 

 

 響木さんからの直接の指示。思わず円堂さんへの呆れも忘れて身を強張らせ、返事を返します。

 『はい』と言いつつ正直シュートを打てる自信は、というか覚悟は全く定まっていませんでしたが、強張りがいい感じにそれを隠してくれたようで、響木さんが頷きます。そして続いてベンチの豪炎寺さん、固定された足の怪我を一瞬見やって、響木さんは顎に手を当てました。

 

 

「それで、出られない豪炎寺の代わりだが――」

 

 

 と、そう言いかけて、

 

 

「僕が、やりますっ……!」

 

 

 通路の奥、医務室から返ってきたメガネさんが、堂々と名乗りを上げました。

 同じく診察を終えてきた皆さん同様、青い顔でお腹を押さえているのがなんとも格好がついていませんが、その眼には並々ならぬ決意が見えます。毒を盛られた怒りのせいか、それともまた別の理由か。

 

 

「同じヲタクとして、僕は彼らと戦わなければいけない……! それに、彼らがとって来そうな戦術も察しがつきます……っ! 豪炎寺くんの代わり、やらせてください、響木監督っ……!」

 

「……いいだろう。今日はお前がスタメンだ。さあお前たち、もう間もなく試合開始だ! 気合を入れて行ってこい!」

 

 

 その決意に胸を打たれたのか、響木さんは一瞬悩むも頷いて、体調最悪な皆さんにせめてもの喝を入れると、私たちをフィールドへと送り出しました。

 

 

 

 

 

 

 

 しかしやっぱり、いざ試合が始まってみると現実は残酷なものでした。

 やる気を見せたメガネさんはもちろん、他の皆さんとおまけに私も、碌なプレーができていません。相手のディフェンスは微塵も振り切れず、ドリブルにはそもそも追いつけないような在り様。手も足も出ず、いいように弄ばれてしまっています。

 

 故に、全ての負担が円堂さん一人に伸し掛かっている状態です。完全に相手ボールな今、フォワード五人という頭の悪いフォーメーションががっちり噛み合って、さっきから好き放題にシュートを打たれまくっています。

 円堂さんの必死のセーブでまだ失点はしていませんが、前半戦半ばで既に息が上がり始め、シュートを弾き続けた手の痛みに顔をしかめるほどになっていることを鑑みれば、楽観なんてできるはずもありません。いくら円堂さんのキーパー能力が高かろうと、これではいずれゴールを割られてしまうでしょう。

 そしてそれを秋葉名戸の選手たちもわかっているのか、気持ちの悪いニタニタ顔で嗤っているのでした。

 

 それを眼にし、確信します。彼らは尾刈斗との試合でも、こういう姑息な手段を以てして勝ったのです。

 彼らのそもそものサッカーの腕前は、見る限りでは大したことはありません。私たちが万全のコンディションであったなら、苦も無く倒せていただろうと思える程度の実力です。

 照らして考えれば、正攻法では尾刈斗には絶対に勝てない程度の強さであるということで、尾刈斗が私たちと同じ目に遭ったのは火を見るよりも明らか。円堂さんたちも同様の結論に至ったのか、さっきからハライタとは別の意味合いで眉間が寄ってしまっています。

 

 一方私は、そういう“サッカーの誇りを穢す行為”に憤るような感性が薄いので時に気にはなりませんが、それは別として面白くないのは同じです。秋葉名戸がもうすでに勝った気でいるのが気に食いません。

 

(メイド服を着せられたことも含めて、後悔させてあげちゃわないと……!)

 

 そうどうにか自分を騙し、私は羞恥心を一時頭から追い出すことに成功したのでした。

 

 

「――円堂さん! 私にボールくださいっ!」

 

「べ、ベータ!?」

 

「よ、米田さん、なんでこっちに……っ!?」

 

「下がり過ぎじゃないッスか……!?」

 

 

 普段のスパイクの倍はよく滑るシューズにもようやく慣れて来て、小股走りでどうにか自陣まで戻るとアピールします。するとフォワードの私がそんなことをしていることに、円堂さんのみならず少林さんや壁山さん、全員から驚きの眼が向きました。

 フォワードらしく前線でボールを待っていろと呆れているのでしょうが、そのボールが来ないのだから仕方ががありません。

 

 

「ハライタじゃないのは私だけでしょう? 皆さん動けないのなら、私がゴールまでもっていってあげちゃいます!」

 

 

 状況を好転させるには、こうする以外にないでしょう。現実として皆さんどうしようもないのですから、文句を言わずに黙って私に任せていればいいのです。

 

 という心の声が聞こえたわけではないでしょうが、秋葉名戸のシュートをダイビングキャッチで止めた円堂さんは一瞬の逡巡の後、私へとボールを投げてくれました。

 

 

「……わかった! 頼むぞ、ベータッ!!」

 

 

 秋葉名戸のフォワードの間をきれいに通り、飛んでくるボール。しかし円堂さんの消耗とダメージはやはり大きいらしく、その狙いは少々ズレています。取れる範囲の誤差ではありますが、やはり彼も、もう限界なようです。

 

 豪炎寺さんがおらず、そして皆さんも役に立たない今、その限界をカバーできるのは私だけ。雷門の勝利は、私次第だということ。

 

(……いつも通りです。やってあげちゃいますよ……!)

 

 拳を握り、改めて覚悟を決めて、私はボールを追って逆方向に走りました。

 が、慣れてきたとはいえサッカーにはとても向かないシューズではいつも通りとはいきません。伸びたパスには辛うじて追いつくも、完全には受け止め切れずにボールが一瞬浮いてしまいます。舌打ちを堪えながら足元に収め直しましたが、その間に正面を塞がれてしまいました。

 

 確かミッドフィールダーでキャプテンの、ノベルさん、だったでしょうか。向かってくる彼に対して、一瞬考えます。突破するか、それともここでシュートを――【ダブルショット】を打つか。

 私の働き次第な試合になってしまっている以上、パスは論外。【ダブルショット】は、打てばまあ確実に得点になるでしょう。しかし――

 

 と、覚悟を決めても尚顔を出す躊躇が私の動きを止めた、その時です。大きい身体をどたどた動かして走り寄って来たノベルさんが、妙に生き生きと言いました。

 

 

「おおっ! 近くで見るとやっぱり素晴らしい! 実にメイド服がお似合いだねぇキミ! 小悪魔風味が実にマッチしているよ!」

 

「えっ……は、はい?」

 

 

 思わず気が抜けてしまいます。試合中のこの場面でこの人は何を言っているんでしょう。困惑に眼を瞬かせたその直後。

 

 

「どうだろう!? せっかくなのだしここは一つ……メイドらしく、僕に萌え萌えきゅんなご奉仕を――」

 

 

 実に気持ちの悪い、粘っこい視線が私の全身を嘗め回してきました、

 激しい悪寒が背中を駆け抜けました。

 

 

「やっ――るわけねぇだろ、そんな事っ!!」

 

「おっふぁッ!」

 

 

 ――初対面の他人だからでしょうか。かつての壁山さんの暴走よりも激しい生理的な嫌悪感に、咄嗟に身体が動いてしまいました。

 肘で無理矢理押し退ける、ファールを取られてもおかしくないプレー。幸いなことに笛はなりませんでしたが、二重の意味で背が冷えてしまいます。

 

 

「こっ、小悪魔系かと思えば暴力系! だが、ヒロインとしてのインパクトは悪くないっ! スカートが広がって、見えそうで見えない状態になってるのも実にグッドっ!」

 

 

 おまけに倒れたノベルさんがなおも興奮しながらそんなことを言うものだから、もうゾワゾワが止まりません。急いで離れようにも、走ればふわふわ揺れ動くスカートが前にも増して気になって、ドリブルはどんどん遅くなる始末。

 そして【ダブルショット】を打つ覚悟も、加速度的に萎み始めてしまっていました。

 

 実によろしくない状況です。このまま覚悟が尽きれば、今の格好で【ダブルショット】を打つ勇気は二度と湧いてこないに違いありません。それどころかボールも奪い返されて、チャンスの芽すら潰えてしまうでしょう。そうなれば、もうおしまいです。負けてしまいます。

 ならそうならないうちに、今のうちに打つしかありません。まだ“覚悟”が残っているうちに、【ダブルショット】を打つのです。

 これが最初で、最後の勝機。

 

(私が点を入れてあげないと――!!)

 

 頭の中をそれで埋めて無理矢理己を誤魔化して、私は勢いのまま、足を振り上げました。

 

 その瞬間、パシャリ、と。

 

 

「――ッッ!!?」

 

 

 カメラのシャッター音としか思えない音が鼓膜に触れて、それで容易くせり上がってきた羞恥心は、何もかもを中途半端にしてしまいました。

 

 振り上げた足は膝下止まり。踏みつけたボールは分裂もせずポーンと跳ねて、私はジャンプして追いかけることもオーバーヘッドキックすることもできず、ワンバウンドして落ちてきたそれを、いつかの不良もどきさんのように不格好に蹴ってしまったのです。

 

 当然、シュートと呼べるほどの威力なんて出ません。ボールはふわりと山なりに飛ぶだけで、ゴールどころかセンターラインにすら届かない程度の飛距離。

 しかも弧を描いて飛んだボールのちょうどその先、私がもたついている間に戻った秋葉名戸のフォワード二人に、待ち構えられてさえいました。

 

 

「! これは……運命すらもが、俺たちに悪を倒せと言っているに違いない! いくぞ、まんがか!」

 

「よ、よぉし! こぉいッ!」

 

 

 首にスカーフを巻いた秋葉選手の寸劇に、まんがかさんなるベレー帽の方がビビりながらも応えます。そんな彼を、スカーフの秋葉選手はまるでバットのように持ち、構え――

 

 

「【ド根性バット】ォッ!!」

 

 

 緩く飛んできたボールを、打ち返しました。

 今やっているのは野球ではなくサッカーのはずですが、しかしそれは紛れもなく必殺技。少なくとも、私が打った【ダブルショット】のなりぞこないよりははるかに高い威力と鋭さで、私たちのゴールへと飛んでいきます。

 

 そして円堂さんは、全く予想していなかったカウンターシュートであることに加えて消耗とダメージが合わさって、反応が遅れてしまいました。

 おまけに、反射的にか【ゴッドハンド】を構えてしまったのも不運。発動は間に合わず、ボールはゴールネットを確かに揺らしてしまったのでした。




秋葉名戸マネちゃんの台詞はほぼほぼ私の性癖です(自白)


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第三十話 堕落せしヲタクたち

「最悪です……」

 

 

 前半戦を終えハーフタイム。私は項垂れながらベンチに沈み込むほかありませんでした。

 立ち上がる気力が、今は全く湧いてきません。おかげで他の皆さんよりも三割増しで多いメイド服のフリルが潰れてぺっちゃんこになってしまっていますが、借り物なのにシワになっちゃうかも、なんて心配は全く頭の中に無く、むしろもっとボロボロになってしまえばいいと虚ろに嗤いが漏れてくるくらい、心の余裕がなくなってしまっています。

 

 そんなやさぐれ気分の私は、きっと随分手を出し辛かったでしょう。なのに音無さんと秋さんは、同じくメイド服を着せられているせいで奉仕精神が増幅でもされたのか、気遣わしげに声をかけてくれました。

 

 

「だ、大丈夫ですよ米田先輩! 元新聞部の経験からして、あのタイミングであの角度からのカメラじゃ、絶対にヤバいところは撮れてません! それどころかそもそも見えてもいないはずです! 私もずっと記録撮ってましたから、絶対です!」

 

「私たちも……その、佳ちゃんが着替えてる間に記念写真ってことで撮られたから、同じ感じなんじゃないかな?」

 

「はぁ、そうなんでしょうか……」

 

 

 言いながら、彼女たちが示したのは秋葉名戸の監督さん。選手たちと共に興奮しながらカメラを弄っている彼ですが、二人の言っていることが確かなら、最低限の――毒を盛ったりこれ見よがしなタイミングでシャッターを切ったりと、本当にギリッギリの最低限ではありますが――倫理観は持ち合わせているようです。

 

 最悪の事態だけは避けられたことは不幸中の幸い。ですがやっぱり不幸そのものが……私の失態が、なかったことになるわけではありません。

 

 

「はぁ……」

 

 

 何度目とも知れぬため息を吐きながら、私はスコアボードを見上げ、その点数を見つめました。0-1で秋葉名戸のリード。この失点をもたらしたのは、ミスプレイですらない私の無様な失態です。

 しかも『得点してやるから任せろ』的なことを言った直後のこと。着せられたメイド服のせいとはいえ、原因はその動きにくさではなく、ただ単に秋葉名戸選手の気持ち悪い視線に耐えられなかったからでしかないので、言い訳をする気にもなれません。

 

(チラ見えしちゃうかもってだけでビビって、挙句、逆に得点されちゃうなんて……情けなさ過ぎです……)

 

 しかも実際は見えてなかった、実質ただの自意識過剰だったことも、恥ずかしくてなりません。

 これがサッカーの腕前や戦術にしてやられたとかだったなら、これほどショックを受けずに済んだのに。そんな失意と羞恥と、加えて後悔までがぐかぐちゃに混ざり合ったせいで、私のショックは秋さんと音無さんを以てしてもどうにもならないほど、深いものになってしまっているのでした。

 

 私が吐いたため息に、秋さんと音無さんその深さを悟ったようでした。お手上げだという風にお互い見やり、言葉が見つからず静かに重たくなっていく場の空気。

 そんな空気感に、もう一人のメイドさん、今まで一歩離れて静観を決め込んでいた雷門さんが、我慢の限界を迎えてしまったようでした。

 

 

「ああもう! いつまでもうだうだと……そんなことで後半戦が戦えて!? しゃんとしなさい! たったの一点差なのだから、諦める理由なんてどこにもないでしょう!?」

 

 

 一言一句その通りです。がしかし、そうであっても気持ちはなんともしがたいから、こうなっているわけで。

 もう一つため息を吐いてから、私はどうにか弱々しい微笑を浮かべて言いました。

 

 

「……雷門さん、ほんと、最初に『サッカー部は廃部』って言ってた頃から随分変わっちゃいましたね。もうほんとにマネージャーみたいです」

 

「もうっ……。はぁ。この際、マネージャーでも何でもいいわ。今はメイド(使用人)の格好ですものね。……そんなことより、いいから元気を出しなさい! あの頃のことをまだ覚えているのなら、『我が校の恥になるような試合だけはしないで頂戴』と言ったことも覚えているでしょう? あなたたち、わかってるって言ったじゃない!」

 

「まあ……はい。そうですね。覚えちゃってますよ、ちゃんと……」

 

「ならそれを遂行なさい! 試合での失敗は、試合で取り返すしかないわ。そしてあなたは失敗をそのままにしておけるような人じゃない。違って?」

 

 

 違いません。この先永遠に今のショックを引きずり続けるなんて、そんなの絶対ごめんです。しかしやっぱり、どうにもならないというのが正直なところ。

 どうしても、もう一度【ダブルショット】に挑戦する勇気が持てません。厳密に言えば、あの秋葉名戸からもたらされる強烈な嫌悪感を浴びながら【ダブルショット】を打てる自信がないのです。

 思い出すだけでゾワゾワが止まらないあの視線。わざとやってるとしか思えない下心丸出しのそれですが、わかっていても生理的に無理なのです。やめてと言ってやめてくれるはずもなく、とすればもう、どうしようもありません。

 

 ――とはいえしかし、です。

 

 本当にどうしようもないと諦めてしまえば、それこそ響木さんの言った通りになってしまいます。

 つまり、『ベータは雷門を破壊してしまう』という、あの指摘。現状はまさにそれです。私が無様を晒したせいで、チームは負けかかっています。

 

 勝利に貢献しなければ――チームを勝たせられなければ(・・・・・・・・・)、私は響木さんの言う通り、チームを壊すだけのただの害悪です。

 そうなってしまうのは、嫌でした。

 

 今日までの雷門サッカー部でのサッカーが、私の内に生んだそんな想い。そしてちょうどその時、何とも間のいいことに、場の空気などものともしない円堂さんが現れ、言います。

 

 

「大丈夫だって! ミスは誰にでもある。一度の失敗で全部が駄目になるわけじゃない! ……俺も結局最後に失敗しちゃったわけだからさ、頑張って一緒に取り返そうぜ!」

 

 

 ずっとシュートに晒されてこの中で一番疲れているはずなのに、それを微塵も面に出さない元気いっぱいな声とにっこり笑顔。そこから放たれた言葉は、生まれたばかりの私の想いを力強く、一気に表層まで押し上げるほどのものでした。

 

 これが、私の退部を迫る響木さんとの問答の末に彼から飛び出た、『俺が接着剤になる』、ということなのでしょうか。嬉しくて、やっぱり円堂さんの言葉には魔法か何かがかかっているんじゃないでしょうかなんて、つられて馬鹿馬鹿しいことを考えてしまいながら、私の首は自然と頷きました。

 

 

「……そう、ですね。私が――」

 

 

 やらないと。と、覚悟の宣言をしようとしたのですが――しかし。

 それが口に出る前に、隣のベンチから豪炎寺さんが口を出してきました。

 

 

「いや……あまり無茶をするな、ベータ。フォワードはお前一人じゃないんだ」

 

 

 そして同時に私へ向けられる眼差し。彼から心配と不安が混ざったようなそれを向けられることは以前から度々ありましたが、最近はやけに頻度が多いような気がします。

 

 たぶん、怪我で試合に出られなくなったせいなのでしょう。気持ちはわからなくもなく、そして私の身を案じてくれる分には別にかまいません。むしろ嬉しくもありますが、しかしこの状況では話が別です。

 

 

「豪炎寺さん……」

 

 

 せっかく人が覚悟を決めようとしているのに、どうして水を差すようなことを言っちゃうんですか。

 空気の読めない奴だと呆れてあげる以外にありませんでした。

 

 そしてもう一度、今度こそ改めて決意の宣誓をしようとしたのですが、豪炎寺さんが見せた私への気遣いは、私ではなく彼の傍の桃色髪、染岡さんのプライドに響いてしまったようでした。

 

 

「そうだ……ベータと違って、俺はまだシュートの一本も打っちゃいねぇんだ……! 目にもの見せてやる……このままいいとこなしで終われるかよ……ッ!」

 

 

 未だハライタに苦しむ彼は、しかし額に脂汗を滲ませながらも力強く言いました。豪炎寺さんの言葉を真に受けてしまったようで、その声には硬い覚悟がはっきりと込められています。

 

 今の彼ならば後半戦、本当に私の代わりをしようとするでしょう。それが善意によるものであろうと、それは勝利に貢献する機会を私から奪うのと同義です。

 つまり、汚名返上の邪魔でした。 

 

 

「……そんな状態で、まともにシュートなんて打てちゃうんですか? 相手のゴール前までたどり着けるかも、そもそも怪しいところですけど」

 

「へっ……お前があのへっぴり腰のシュートで点を狙うよりはマシだろうよ。……それに、そう思ってるのは俺だけじゃねぇぜ。なあ、お前ら……!」

 

 

 染岡さんのその必要のないやる気を咄嗟に牽制しようとしたのですが、『へっぴり腰シュート』なんていう急所を突かれては言葉もありません。ムカムカが喉元まで込み上げてきますが、その間に彼は振り返ってチームメイトに同意を求めており、そして私も形勢不利を認めざるを得ませんでした。

 

 

「しゅ、シュートがどうこうは別として……まあ、そうだな。米田だって実力の百パーセントが出せる状態じゃないんだ。こういう時こそ、みんなで協力しないと……!」

 

「そうは言っても……皆さん、ハライタなんでしょう? さすがに体調不良よりはこの格好の方がマシなような……」

 

「大丈夫ッスよ米田さん……! 時間が経って少しは調子もよくなってきたッスから……! ……ほんとに少しだけッスけど……」

 

「でも俺たちやれます……! 後半戦は任せてください、先輩!」

 

 

 ひらひらとメイド服を示して口を挟んでみましたが、やっぱり皆さん止まりません。当人たる私の気持ちなど気にもせず、ハライタのせいで減退していたやる気を怒涛の勢いで蘇らせています。

 “体調不良もなんのその”な根性は平時であれば頼もしくも映ったのでしょうが、残念ながら私はついて行けません。おまけに一人取り残されているうちにハーフタイムも終わってしまったらしく、響木さんまでもがベンチを立ち、言いました。

 

 

「よし……お前たち、言わずもがなだろうが後半戦が勝負だ! 前半戦でいいようにやられた分、ここで返してこい! ……いいな!」

 

 

 最後に一瞬、サングラスの眼光が私に向いたような気がしましたが、確かめる気にはなれません。そもそも、元気よく「はい」と応じた皆さんのやる気がなかったとしても彼の方を見れはしなかったでしょうが、ともかく、私も渋々同じように応じて、また少し重くなってしまった腰を、勢いをつけてベンチから離しました。

 

 すると今度は、円堂さんからのキャプテンとしての一言。

 

 

「今度こそ、ゴールは俺は必ず守る! だからみんなは安心して攻撃に集中してくれ! ……秋葉名戸がどれだけ卑怯な手を使っていようが、俺たち雷門のサッカーは絶対に負けない。仲間の絆、見せてやろうぜ!」

 

 

 どうやら彼も豪炎寺さん側に回ってしまったようです。皆さんそんなに私を“害悪”にしたいのでしょうか。

 とかなんとか、今更落ち込んでいても無駄です。そう思える気概だけは残っていたようで、私はそれを抱きながら、

 

 

「その通りです! 彼らに見せつけてやりましょうっ!」

 

 

 と、『戦術に察しがつく』と言ったくせに碌な活躍ができなかったことを気にしているのか、やたら鼻息が荒いメガネさんを聞き流します。

 

 背に感じる様々な視線には無視をして、今度こそシュートを決めてやると決意を拳の中に握りしめると、ついでにメイド服のスカート部を気持ち下に押し下げてから、私は自分のポジションへと向かいました。

 

 

 

 

 

 

 

「――よしッ! いいぞ風丸! そのまま持ち込め!」

 

「ああ……っ!」

 

 

 後半戦開始から十数分、ようやく私たちにチャンスが訪れました。

 ボールを取ったのは風丸さん。せっかく練習した必殺技を繰り出す余裕こそありませんが、ハーフタイムで引き出した気力を以てしてどうにか秋葉選手の隙を突くことが叶ったようです。

 もっともその“隙”は皆さんの気力や連携が生み出したものではなく、ただ秋葉名戸の動きが鈍くなり始めたからです。恐らく卑怯な手段にかまけてまともに練習をしてこなかったが故の体力不足なのでしょうが、しかしチャンスはチャンスだと、皆さん脂汗を垂らしながらも意気揚々と風丸さんに続いてフィールドを駆けあがっていきます。

 

 とはいえ、私は例外。サッカーを楽しんでいる皆さんと違って、私の頭の中には強い得点の決意と、そして憤りばかりが溢れています。

 私たちを弱体化させても尚、後半戦まで持たないような体力しかない秋葉名戸。練習どころか体力作りも碌にしていないサッカーを舐め切っている連中に、前半戦、いいように弄ばれてしまったという事実。時間が羞恥心を落ち着かせてくれた今、腹が立って仕方ありません。

 そしてその苛立ちは、ますます強く私の背中を押してくれました。

 

 

「風丸さん! 私にボールください!」

 

「っ! ベータ、てめぇまた……ッ!」

 

 

 サイドを駆け上がってきた風丸さんに、少しだけ下がり気味に位置取って声を上げます。前線でボールをもらう気満々だった染岡さんがキレてしまいますが、知りません。一瞬だけ悩むそぶりを見せた風丸さんも、結局頷き、パスをよこしてくれました。

 

 

「……よし。米田……!」

 

「――ふっ、と……! 次こそ、決めてあげちゃいます……!」

 

 

 滑るシューズで今度こそしっかりとボールを足元に収め、見据えるは敵ゴール。一点差を守りきるために前半戦よりもぶ厚くなった守備の向こうのゴールネットを睨め付けます。

 

 【ダブルショット】は、やっぱり未だに打てる気がしません。高く足を振りかざしてボールを踏みつける、という動作はやはり何ともしがたいです。ついでに、ジャンプしなければならないというところも。

 だから狙うはノーマルシュート。眼前の守備を全て蹴散らし、直接ゴールに叩き込んでやるしかありません。この靴と恰好でも、私なら秋葉名戸くらい一人でやれるはずです。

 これからも円堂さんたちとサッカーをしたいから、私はやらなければなりません。

 

 しかし、その時。

 

 

「キリッとしたお顔もいい! 可憐だ……!」

 

「またですか……ちょっとしつこすぎちゃいませんか、あなたたち!」

 

 

 ベレー帽のまんがかさんが、後ろから追いついてきました。ハアハアと息を荒くしながら迫りくる彼はやがて私に追いついて、相も変わらず私のメイド服姿を嘗め回すように見てきます。

 

 

「実にいい……! 創作意欲が湧き出てくる……! 今度、新しい萌え漫画を描こうと思っているんだけど……モチーフにしてもいいかな! ちょっとエッチなやつだけど!」

 

「ッ――!! ぜっっったい、イヤですッ!!」

 

 

 もはや完全なるセクハラです。今度もかなりの悪寒が全身をめぐり、たぶんシャッター音以上の羞恥と生理的嫌悪感でゾワゾワと背が泡立ちました。

 

 しかしなんとか我を失わずに耐え切ります。身体を寄せてくる中途半端なタックルをすかして躱し、ダッシュを利かせて彼の射程から逃れました。

 しかし、平静を保つことに、どうやら少し集中力を注ぎ込み過ぎたようでした。

 

 

「チャーンス! いただきっ☆ 【フェイクボール】!」

 

「あっ――きゃあっ!」

 

 

 正面から突っ込んできたディフェンダーに気付くのが一瞬遅れ、そして気付いた時にはもう手遅れ。すれ違いざま、気付いた時にはドリブルしていたはずのボールがなぜかスイカに入れ替わっており、気付いた瞬間に感覚の落差から足が滑って転んでしまいました。

 

 メイド服のフリルがクッションになったらしく、痛みはあまりありません。しかし代わりに精神的ショックが私の身体を震えさせます。

 顔を上げると視界に映った二人。まんがかさんと、私から奪ったボールに得意げに足を乗せる、猫耳カチューシャと着ぐるみの猫の手のようなものを付けた秋葉名戸のディフェンダーの二人の姿は、私に二度目の失敗をしっかりと自覚させるに十分でした。せっかくのチャンスをまたふいにしてしまったと、情けないを通り越して自分で自分をひっぱたいてやりたい気持ちになります。

 しかしショックはそれだけにとどまりませんでした。

 

 

「ぶ、ぶふぉおっ!? み、みえ……」

 

 

 二人が突然鼻を膨らませ、私を見る目を血走らせました。さらにその視線がぐいっと下がり、投げ出された私の下半身、もっと言えば乱れたスカート周りに向けられているのを認めれば、彼らが何を見つけたのかわからないはずもありません。

 

 

「ひ……ぁ……っ!」

 

 

 途端、自分への憤りが吹き飛び、代わりに羞恥と嫌悪で頭がいっぱいになりました。角度的には見えてはいないはずですが、慌てて足を引いて衣装の乱れを正しても、パニックは収まる気配もなく、むしろ酷くなる一方です。

 ボールがすぐ傍にあるというのに立ち上がるどころか顔を上げることすらできず、そしてとうとう羞恥と嫌悪は許容量を超え、喉の奥から悲鳴までもがこみ上げてきました。

 

 しかし情けない金切り声が私の声帯を震わせる前に、それよりは幾分マシな勢いばかりの気合の声が、私の後方から突撃してきました。

 

 

「うわああぁぁっ!!」

 

「な――うぎゃっ!?」

 

「め、メガネさん!?」

 

 

 声に思わず顔を上げると、そこにいたのはあの二人のキモ顔ではなく、それをタックルで吹き飛ばしたメガネさんでした。

 地面に倒された二人は現実が呑み込めていないのか、ぽかんと口を開けてメガネさんを凝視しています。しかしメガネさんによるボール奪取が成功したのは、あくまで彼らが私に気を取られていたせい。ハライタで苦しそうに息を吐くメガネさんなどに本来はやられるはずはなく、故にか、すぐに我に返ったらしい彼らは、一瞬の後に唖然から一転、血涙を流さんばかりの憤怒を浮かべ、メガネさんに襲い掛かりました。

 

 

「ああっ! ファンタジーがせっかく現実になりつつあったのに……!」

 

「それを邪魔するなんて! メガネ君、キミには失望したよッ!」

 

 

 何か意味の分からない台詞が聞こえた気もしますが、それはともかく、まっすぐメガネさんめがけて突っ込んでくる二人は脅威です。さっきのボール奪取はあくまで隙を突いたからであり、ロックオンされてしまった今、メガネさんがこの攻撃を回避できるとは思えません。

 せっかく取り返したボールは、再び奪い返されてしまうでしょう。それにそもそも、メガネさんがボールを保持して敵陣に突っ込んだとしても、彼にゴールは決められません。全く無意味です。

 

 私が立ち上がらなければ、何にもなりません。

 身体に鞭を打ち、足を踏ん張ってなんとか腰を持ち上げます。

 

 

「メガネさん、パスを――」

 

 

 しかし言いかけた言葉はメガネさんの耳には届いておらず、彼はまっすぐ二人の憤怒を睨めつけ、そして怒鳴り声を上げました。

 

 

「失望はこっちの台詞です!」

 

 

 ハライタとは思えないくらい、気力に満ちた声でした。

 

 

「まさか同士がこんなことをしているなんて! 同じオタクとして、僕は悲しい!」

 

「なんだと!? 君はこの状況がどれだけ貴重かわかってないのか! こんな少年漫画のおいろけシーン的なシチュエーション、現実では滅多に……いや、都市伝説レベルでしか存在しえなかったのに……っ!」

 

「そうではありません! メイド喫茶で毒を盛ったりコスプレで人を辱めたり、こんな真似をして……ヲタクとして恥ずかしくないのかと言ってるのですッ!」

 

「っ!」

 

 気圧されたように二人の足が止まりました。言葉にも詰まったようですがそれは一瞬のことで、彼らは張り合うかのように胸を張ります。

 

 

「恥ずかしくなどない! フィギュアのためなら事前工作の一つや二つ、喜んで手を汚すさ!」

 

「フィギュアですって?」

 

「君も知っているだろう? コズミックプリティレイナのアメリカ限定バージョンだよ」

 

「フットボールフロンティア優勝校にはアメリカ遠征の特典が付く。それでアメリカに行きフィギュアをゲットするために、勝たなければいけないんだ僕たちは!」

 

 

 はっきり言って、私には理解できない動機です。

 ただ『勝ちたい』、『優勝したい』という気持ちであったなら、私も理解できたでしょう。しかし彼らが欲していたのはその副賞。しかも、限定だか何だか知りませんが、サッカーとは何の関係もないフィギュアです。

 それを手に入れるために、恐らく今までやったこともなかっただろうサッカーの大会に出場し、卑怯な手段を用いてでも優勝しようとしている彼ら。そんな労力とリスクを背負い、それを堂々と胸を張って言ってのける彼らの頭はイカレてるとしか言いようがありません。

 

 そんな感想を読み取ったわけではないでしょうが、まんがかさんが再び私の方を見て、またニタァっと笑いました。

 

 

「そのためにも、特に彼女には働いてもらっちゃ困るのさ! 他の皆と一緒にメイド喫茶に来てくれれば話は簡単だったんだけど……」

 

「来なかったんだから仕方ないね! おかげでフットボールフロンティアの規約ページをチョチョイッと弄る羽目になっちゃって大変だったよ。でもおかげでよい萌えが見れたのでヨシ!」

 

「豪炎寺がケガしてなかったら地獄になってたかもだけど」

 

 

 ……ほんとにイカレてます。『チョチョイッと弄った」なんて聞こえてきましたが、それはつまりハッキングしたってことでしょうか。だとしたら警察の案件な気がします。ドン引きです。

 さすがのメガネさんも言葉がないようで、俯き肩を震えさせていました。しかしそうでなくとも、どうしようもなかったでしょう。

 

 

「出発進行! 【マッドエクスプレス】!」

 

「っ!? うわぁっ!」

 

 

 電車ごっこのように縦に並んだディフェンス三人のタックルが、メガネさんを撥ね飛ばしてしまいました。再びボールを奪取した彼らはそのまま反転、スカートが気になって満足に動けない私も置き去りにして、前線へパスを出しました。

 味方もハライタで碌なディフェンスができず、一人、二人とパスが繋がってあっという間にゴール前。受け取った二人組のうち、またも一人がバット……ではなく、今度はゴルフのクラブのように持ち構え、掬い上げるように打ちました。

 

 

「いくぞぉ~! 【ド根性クラブ】!」

 

「きゃ、キャプテンッ!!」

 

 

 先ほどの【ド根性バット】とよく似た必殺シュート。すぐ傍で、ブロックが間に合わなかった栗松さんが苦悶の顔で叫びます。

 嫌が応にも前半戦の失点を思い起こさせるシチュエーションです。私の中にも少なからずそんな不安が駆け抜けていきましたが、しかし。

 

 

「今度は止める……ッ!! 【熱血パンチ】!!」

 

 

 しっかりと、円堂さんはゴールを守ってみせました。

 しかも使った技は【ゴッドハンド】ではなく【熱血パンチ】。わかってはいたことですが、やはり秋葉名戸のシュートには円堂さんの守りを突き崩せるほどの威力はないようです。

 

 おかげで前半戦の失態がより強調されてしまうわけですが、そんな失意は頭を振ってひとまず追い出します。今悔いていても仕方がありませんし、それに、シュートを決めれば全部がチャラです。

 円堂さんが弾いたボールを拾い、顔を歪めながらもドリブルしてくる半田さんに、今度こそと手を上げます。

 

 

「半田さん! ボールを――」 

 

「ベータ、お前はすっこんでろ……!! 今度は、俺の番だ……ッ!!」

 

 

 しかし染岡さんの怒声に遮られてしまいました。さっきのことを根に持っていたみたいです。

 そして実際、今の私は色々と引きずったままで、まだちょっとぎこちない状況。半田さんと、同じくミッドフィールダーのマックスさんと少林さんはそれを眼にして考えが一致してしまったようで、互いに頷き合い、散開。パスを繋げて、それは最終的に染岡さんへと繋がりました。

 

 私のほうに警戒と注目が向いていたこともあって、染岡さんへのディフェンスは手薄です。これならシュートまで持ち込めるかもしれませんが――しかい、どうでしょう。私情を抜きにしても、私にはその選択が正しいとは思えません。

 

 

「ハライタでまともなシュートが打てちゃうんですかね」

 

「だから黙ってろって言ってんだ……!! 打てる打てないは俺が決める……!!」

 

 

 気力はあれどハライタに侵されたその身体。ここまで走ってくるだけでも随分辛そうな様子であるのに、その状態から打つシュートがまともな威力になるはずがありません。

 たぶん染岡さんも理解はできているのでしょう。しかし必死の形相で吐き出した大声でそれを吹き飛ばし、その気迫に慌てたデュフェンスを無理矢理押し退けると、

 

 

「オ、ラァッ……!! 【ドラゴンクラッシュ】!!」

 

 

 ペナルティーエリア外からではありますが、打ちました。

 そのシュートは、やはり万全の状態と比べれば劣ったものです。いつもであれば感じられるドラゴンの如き迫力はなく、そこから二、三歩下がった一直線のノーマルシュート。例えば円堂さんであったなら、必殺技を使わずともキャッチできたであろう程度の威力しか出ていません。

 

 がしかし、それでも私が思っていたほどの弱体化ではありませんでした。たぶん秋葉名戸にとっては十分強力なシュートです。

 別に嬉しくもありませんが、これならば得点になるかもしれません。シュートの力強さと、そしてその迫力を真正面から向けられたためか、くるりと背を向けてしまった秋葉名戸のキーパーさんの姿に、そう感じてしまいました。

 

 だからつまりその感触は、思いのほか強かった染岡さんのシュートに抱いてしまった“思わず”でしかなかったのです。

 

(……? なんで、背中なんて向けて……)

 

 数舜前まで見えていたキーパーさんの表情には、恐れも諦めもなかったように思います。シュートに背を向けたのがそれらではないのなら、彼はいったいなぜそんな恰好――お尻を突き出し両手を広げ、全身で踏ん張りを利かせているのか。

 間抜けすぎて、そこまで眼にしても一瞬わかりませんでした。

 

 

「【ド根性キャッチ】ィッッ!!」

 

 

 キーパーさんはシュートを、なんとお尻で受けたのです。威力に押されてずりずり後退、もとい前退しつつも結局止めきり、彼はお尻にボールを食いこませながら、

 

 

「……キリッ」

 

 

 サムズアップのいい笑顔で、歯を光らせるのでした。

 

 そんな渾身のドヤ顔を――しかもあんな間の抜けた必殺技でシュートを止められて――向けられてしまった染岡さん。

 

 

「……あらら。すっごいお顔になっちゃってますよ、染岡さん」

 

「か……ク……の゛……ッッッ!!!」

 

 

 頭が怒りで沸騰し、そして全部水蒸気にでもなってしまったくらいの憤怒。その断片と共にお顔を真っ赤にしながら、口の端をピクピクと痙攣させています。

 

 さすがにこれを突っつく気にはなりません。こっそり離れて相手の攻撃に備えて動きます。ついでに今度こそ私がシュートを打つために指示を出そうとしたその時。

 

 

「ふぅ……ちょっとだけヒヤッとしたが、やはり豪炎寺と米田ちゃん以外は大したことないみたいだ。豪炎寺がケガしてくれたのはラッキーだったと、つくづく思うよ」

 

「全くだね。米田ちゃんはメイド服のおかげで形無しだし……ふふふ! 我々の勝利は目前だね!」

 

 

 ノベルさんとまんがかさんニヤニヤ笑う声が聞こえてきました。ムカッとして出そうとした指示が喉で止まってしまいます。

 “ちゃん”呼ばわりなのも気に食わなくありましたが、それ以上にやはりサッカーに対するその態度。私や豪炎寺さんがまともに戦えないことに喜ぶその根性と、何よりその勝利宣言。彼らの得意げな顔は染岡さんに続いて私の精神をも揺さぶってきます。

 

 浮上してくる情けなさと怒り。彼らの顔を敗北に歪ませるのは、やはり私の役目です。それができなければ、私はこのチームにいる意味(・・)がありません。

 

 一呼吸のうちに、私の中の覚悟はさらに固くなりました。気持ちを改め――だがしかし。

 

 その時、またも横やりが入ってきました。



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第三十一話 メガネの矜持とヲタク道

「本当にそう思っているのなら、僕は心底、あなたたちを軽蔑します!」

 

 

 またしても、それはメガネさんでした。

 毎回、どうしてこうもタイミングよく割って入ってくるのでしょう。まさか狙ってたりするんでしょうか。

 

 激情が肩透かしを食らって、なんだか力が抜けてしまいます。一方メガネさんは、やはり真に迫ったふうに握った拳を震わせていました。

 

 

「漫画 萌先生、野部流 来人先生……どうしてです! どうしてこんなことを良しとしているんですか! あのマジカルプリンセス シルキー・ナナを作り上げたお二人が、どうしてっ……!」

 

「『どうして』だって……? さっきも言っただろう! すべてはレイナのフィギュアのためさ! ……好きなもののためならどこへだって行くし、どんな苦労だって乗り越えられる。それが我々ヲタクだろう!?」

 

「メガネ君、キミもヲタクならわかるだろう? これはもはや我々の(サガ)だ。どうしようもないんだよ。だから……お願いだ。そこをどいてくれ」

 

「……いいえ、どきません。僕とてヲタクの一人。お二人の言いたいことは理解できます。同じ立場なら、僕も欲しいという気持ちを抑えることはできなかったでしょう」

 

「だろう? なら――」

 

「しかし、僕はそうであっても決して今のあなたたちのようなことはしない! ……さあ二人とも、米田さんを見てください!」

 

「えっ!? な、なんですかいきなり……」

 

 

 オタク話が理解できずますます力が抜けてきて、このままだと決意も流れてしまいそうだと思っていたところにまさかの指名。訳も分からず二人と、そして話が聞こえていたらしく、他の秋葉名戸の選手たちの注目までもを受ける羽目になりました。

 

 

「……うん、やはりいい。何度見ても実にいい」

「ウチのマネージャーはメイド服マニアだからね。センスも感心するほどだよ。米田ちゃんの無力化には実に好都合だった!」

 

 

 すると、やはり全身に悪寒。しかも秋葉選手全員からの気持ち悪い視線で、腰が抜けてしまいそうなほどのゾワゾワが背中を駆けあがってきます。

 

 しかしふと気付きました。気持ち悪いのは秋葉名戸の視線だけです。

 同じオタクであるはずのメガネさんには、思えば気持ち悪さを全く感じません。

 

 それは仲間だとかそういうことではなく、

 

 

「真のヲタクとは、好きなものをただ愛する者のこと。人の好きなものを悪しきように使い、悪しき目で見る者に、ヲタクを名乗る資格などありませんッ!」

 

「「「「「ッッッ!!!」」」」」

 

 

 邪な気持ちがなく、メガネさんはただひたすらに真剣で、真摯でした。

 

 メイド服然りフィギュア然り、ヲタクの“好き”に対するリスペクト。メガネさんにだけ嫌悪感を感じないのは、たぶんその差です。

 

 

「愛するものを悪しきように言われ、扱われる悲しみは、我々が一番よく知っているはずです。……今のあなたたちは、我々を嘲弄した彼らと同じ。それでも尚、この行いを誇れるのですか!? そうまでして手に入れるフィギュアに、いったい何の価値があるというのです!」

 

「くっ……それでも……それでも僕たちは、コズミックプリティレイナをゲットすると誓ったんだ! いまさら、もう止まれない……ッ!!」

 

 

 必死に訴えかけるメガネさんと、彼の言葉にハッとしたふうに息を呑み、『だとしても』と悲愴に顔を険しくする秋葉名戸の選手たち。キーパーさんからまんがかさんへと通ったパスボールに、彼はその、私たちには理解できない熱意を叩きつけました。

 

 

「僕たちのヲタク魂、止めれるものなら止めてみろッ!!」

 

 

 メガネさんへと、ほとんどシュート同然なキレのあるボールが放たれました。しかも相当な威力です。どういうわけかここにきて、先ほどの【ド根性バット】や【ド根性クラブ】をも上回っているのではと思える威力を叩き出してきたことに、一瞬私も驚いてしまって反応が遅れます。

 

 これは、とてもメガネさんが耐えられる威力ではありません。庇わなければと走り出すもメイド服の格好のせいで間に合わず、次の瞬間、ボールはメガネさんのお腹にめり込んでしまいました。

 そして威力に負けてメガネさんの身体が宙を舞う――という、私の想像では痛ましいことになるはずだったのですが、しかし。

 

 

「なっ……ど、どうして、止めて……!」

 

「愛しているからです。萌えを、そしてヲタクという生き様を……!」

 

 

 メガネさんは吹き飛ばされることなく、ボールを止めていました。全力を絞り尽くしたのかハアハアと息を切らして唖然とするまんがかさんに、優しげに微笑みながらそんなことを言っています。

 そしてそれがとどめになったようで、一斉にがっくりと膝を突く秋葉名戸選手たち。彼らを見つめる目を一瞬伏せて、それからメガネさんは猛然とドリブルを始めました。

 

 

「……おっ、おいメガネ!?」

 

「染岡君、【ドラゴンクラッシュ】です! 威力が足りずとも構いません! 僕に考えがあります!」

 

 

 目の前で繰り広げられたヲタクの世界にあっけに取られていたのは、やはり私だけではなかったようです。メガネさんの突然の攻撃態勢に染岡さんは思わずといったふうに声を上げましたが、しかし返ってきたのは思考を試合に引き戻すそんな言葉。呑み込まれる形で染岡さんは頷いて、彼を追って走り出しました。

 

 意気消沈の秋葉名戸の中、彼らはいとも容易くゴール前までたどり着きました。ディフェンスはもはや機能していませんが、しかし一人、迫りくる敵フォワードの姿に己が役目を思い出したようです。

 

 

「ッ! ま、まだなんだな! ゴールさえ守り切れれば、まだレイナは俺たちの手に……っ!」

 

「く……っ!」

 

 

 キーパーさんが息を吹き返し、チラチラお尻を見せ始めます。間抜けな光景ですが、染岡さんに怒りと、それにシュートを止められてしまったことを意識させるには十分。足のスピードが緩みました。

 しかしそこに、メガネさんからパスがもたらされ、

 

 

「僕に任せて! ……頼みましたよ、染岡君」

 

「……! ああ、やってやるぜ!!」

 

 

 染岡さんも、それらの雑念を振り払ったようでした。

 

 

「【ドラゴンクラッシュ】……ッ!!」

 

「む、無駄なんだなっ! ド根性――」

 

 

 やはりいつもよりも威力が劣るそのシュートに対し、キーパーさんがお尻を向けてさっきのキャッチ態勢を取ります。

 その瞬間を、メガネさんは狙っていたのでしょう。キーパーさんが背を向けるのと同時、彼はボールの軌道に飛び込みました。

 

 

「ふンぁっ!!」

 

 

 シュートが顔面に直撃。眼鏡の砕ける音と共に、一直線だった軌道が変わります。ゴールのど真ん中でお尻を突き出し待ち構えていたキーパーさんから大きく逸れ、ボールはゴールポストの左端へ。

 そしてそのままネットを揺らしてしまいました。

 

 キーパーさんは全く反応ができませんでした。しかし当然です。シュートコースを予測し背を向け待ち構えるあの必殺技(……必殺技?)の性質上、途中で軌道を変えられればそれに対応するのは不可能でしょう。メガネさんはそれをうまく突いたようです。

 その代償に、当人はバキバキに割れた眼鏡で「これぞ、【メガネクラッシュ】……」をうわ言を口にするような在り様となってしまいましたが、ともかく得点。今度もやっぱり来ていた実況の人が大喜びの声をあげるのが聞こえます。そして同時に、秋葉名戸の絶望の声も。

 

 

「お、終わった……。僕たちのレイナが……」

 

「……なぜ、です? まだ同点でしょう。時間も残っていじゃありませんか」

 

 

 フラフラと千鳥足になっていた眼鏡さんでしたが、頭を振って正気を取り戻し、フィールドに突っ伏す秋葉名戸の皆さんをじっと見下ろします。

 文字通りの上から目線。しかし同時に慈しむような優しげな声色に、ノベルさんが暗い顔を上げました。

 

 

「……君だってもうわかっているだろう? 我々には、フルタイムを全力で戦い抜く体力がない。正直、今でも相当ギリギリだ。ここから逆転なんて、もう無理だよ……」

 

「『好きなもののためならどんな苦労だって乗り越える』のがヲタク。そうでしょう?」

 

 

 ノベルさんだけでなく他の皆さんの顔も上がります。

 

 

「僕も本来は控えですから、あなたたちのそれを練習不足の怠慢だなどと貶せはしません。けれど……せめてヲタクとして、自分の好きなものに対しては最後まで全力でありたい。そうじゃありませんか?」

 

「っ……! メガネ君……!」

 

「さあ、やりましょう。サッカーを……!」

 

「ああ……っ! ここからは、正々堂々戦うよ! フィギュアのために!」

 

 

 ハライタにしておいて正々堂々も何もないと思いますが、彼ら的にはそれで大団円になったようです。疲れ切った様子ながらも、それぞれ気力に満ちた顔で立ち上がり、すっかり邪心が消え失せた眼を輝かせ始めました。

 

 その様子、そしてそれまでの喜劇みたいなやり取りを見て、思います。

 

(……なにこれ)

 

 と。

 

 理解のできない宗教哲学を聞かされて、結局理解ができないまま話が終わってしまった、そんな気分です。すごいのでしょうが、そのすごさは全く実感できません。結局置いてきぼりのまま全てが丸く収まってしまったことで、なんだか全てが馬鹿馬鹿しくなってきました。

 

 視線とかセクハラとか、今思えば私は彼らの何を恐れていたんでしょう。彼ら如きに何をされようと、そんなのどうでもいいことです。

 今までの羞恥や悪寒が嘘のように消え去って、後にはメイド服の動きにくさだけが残りました。

 

 

「……それじゃあ私、これ着替えちゃってもいいですか?」

 

 

 『正々堂々』のためにも。しかし秋葉名戸の皆さんと、そしてメガネさんまでもが、同じ必死の眼を向けてきます。

 

 

「ダメですそんなもったいないこと!」

 

「せめてご奉仕の約束を果たしてからっ!」

 

「いやその前に、他のマネージャーさんたちと一緒に撮影会を……!」

 

 

 さっきまでのような嫌悪感は、確かにありません。悪寒もなく、冷静に彼らの必死を眺める余裕もあるのですが……。

 

 

「そうですか」

 

 

 やっぱりキモイです。

 

 

 ――試合再開の笛が鳴ると同時に、一気にダッシュしてボールを奪い取りました。そして迷うことなく【ダブルショット】の体勢。脚を高く振り上げます。

 スカートがパッと広がって、フリルの奥から露になる黒のニーハイソックスと、その終端の一瞬の素肌。周囲で「おおおっ!!」と歓声が上がるのが聞こえますが、しかしそれで私の動きが止まることはなく、ボールを踏みつけ、共に跳び上がりました。

 

 そして体勢を入れ替え、オーバーヘッドキック。【ダブルショット】を打ち放ちました。

 

 ボールはゴールへと一直線に突き進んでいきますが、それを見つめる人は、キーパーさん含めて誰もいません。みんな私一人に視線が向いて、そしてそんな衆目の中で、着地の風にスカートが完全にその役目を放棄し、めくれ上がってしまいます。

 

 

「――やっぱり、ロリィタにはフリフリのドロワーズがマストですよね! いやぁ、我ながらいい仕事しました!」

 

 

 まだ雷門のベンチに居座っていた秋葉名戸のマネージャーさんが満足そうに頷くのを横目にしながら、服の乱れを直します。装飾過多でもはや第二のスカートも同然なドロワーズなる下履きと、メイド服そのものも整えると、周囲のキモい視線はガン無視しつつ、勝ち越し点を告げる笛を聞き届けた私は試合終了まで彼らから離れてやり過ごすのでした。




いい感じに解決しちゃったけどハライタの件はさすがに警察案件では…?
と思ったけど影山よりは優しいのでセーフ。
感想ください。

そして誤字脱字報告ありがとうございました。


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第三十二話 内側の闇

Pixivにてファンアートをいただきました。
ここにリンクを張るのは規約等々が怖いのでアレですが、
嬉しかったことは共有しておきたいと思います。ありがとうございました。


「――いい感じですね、半田さん、宍戸さん。風丸さんも、新しい必殺技、完成したって言っちゃってもいいんじゃないです?」

 

 

 無人のゴールネットから零れ落ちてプスプスと薄く煙を上げるボールを捕まえると、火傷する一歩手前くらいの熱が手のひらを焼いてきます。

 つまり彼らの必殺技はそれほどの威力にまで成長を遂げたというわけです。ずっとその特訓相手をしてきた私は、達成感と共に安堵の息を吐くことができました。

 

 マックスさんや少林さん、影野さんたちのような他の皆さんが続々と必殺技の開発に成功する中、彼ら三人は少しばかり順調とは言い難い状況にあったのです。

 それが私のアドバイスやら何やらの口出し手出しを経て、こうして実戦にも耐えうる必殺技として完成させることができたのですから、感動もひとしおのこと。乗り掛かった船的に付き合っていただけではあるものの、苦労の分だけ我が身のことのような喜びです。

 当の三人も十分に手応えを感じることができたようで、彼らも私の言葉に嬉しそうな笑顔を作っていました。

 

 

「ホントに、今まで練習相手してくれてありがとう、米田。俺たちが必殺技を完成させられたのはお前のおかげだよ」

 

「米田がアドバイスしてくれなかったら、どういう必殺技にすればいいかもわからなかったかもだしな。おんぶにだっこって感じで、ちょっと情けなくなくもあるけど」

 

「でもおかげでこんなすごい必殺技を手に入れられたじゃないですか! 秋葉名戸戦で足手まといになっちゃった分、これで名誉挽回です! 次の帝国戦は頑張りますよぉ!」

 

 

 元気もやる気もいっぱいに拳を突き上げる宍戸さん。しかし直後、「まあ俺、ベンチですけどね!」と自虐に走りだしてはそれも台無しです。

 風丸さんと半田さんが気まずげな苦笑いになってしまいますが、まあそれはともかく、メイド喫茶でハライタにされて返ってきたあの不名誉は、私としてもぜひ返上してほしいところです。アレはもはや個々人だけでなく、雷門サッカー部全体の汚点でしょう。

 

 しかし一方、私は彼らが汚点を拭えるとは――つまり順当にトーナメントを勝ち上がってきた帝国学園との試合で彼らが活躍できるとは、正直に言って思えないでいます。

 

 もちろん皆さんが活躍できるのであればそれに越したことはないのでしょうが、そんな未来はとても想像することができません。

 一度はボロボロに叩きのめされたあの帝国に、当時から比べれば格段に強くなったとはいえ元々が弱小である雷門が対等に戦えるとは思えませんし、それは必殺技があっても同じこと。試合日直前になってようやく完成した必殺技が、【キラースライド】のような長年磨かれ続けた必殺技に対抗できるでしょうか。

 

 圧倒的に熟練度が足りていません。

 とはいえ私が手を貸した完成度ゆえに、もしかしたらの可能性もなくはないのは確かです。それに、もう日がないとはいえ明日が試合日というわけではありませんし、来たる日までこのまま順調に鍛え上げることができれば、あるいは少しくらいなら期待だってできるでしょう。

 

 だからどのみちやることは一つ。その“もしかしたら”を信じて特訓あるのみです。

 足し引きで気持ちはけっきょく希望の側に傾いて、私は風丸さんたち三人の背を叩きました。

 

 

「さぁ、おしゃべりはそれくらいにして、練習を続けましょう。完成したとはいえ、必殺技を使いこなすにはまだまだかかっちゃいますから」

 

「ああ! 米田の【ダブルショット】みたいに、完璧な必殺技にしてやるぜ!」

 

 

 応じる半田さん。私を目標に定めるのは構いませんが、しかし私としては【ダブルショット】は完璧とは言い難いので何ともビミョーな心地です。最近ようやく長いブランクの分を取り戻したかなと思えるくらいであるのですが……まあこんなこと、言うだけ損でしょう。

 

 黙って、笑顔でやる気の三人に応じることにします。「じゃあまた私がボールを持つのでもう一度――」と、さっきまでと同じ練習を繰り返そうとした、その時でした。

 

 

「一段落ついたのなら、お前自身の練習をするべきじゃないか、ベータ」

 

 

 背後からの声に振り返れば、豪炎寺さんが難しい顔を私に向けていました。

 

 

「……仲間の特訓に付き合うのはいいが、自分をおろそかにしては本末転倒だろう」

 

「あー……そりゃそうだな。ただでさえ米田には世話になりっぱなしだったし……」

 

「そうですね。ここからは俺たちで何とかしますよ」

 

 

 お顔はいつも以上に硬くて威圧感すら感じられるほどですが、言ってることはまあ正論。風丸さんたちにも否定の材料なんかがあるわけもなく、ごもっともだと遠慮し始めてしまいます。

 

 けれどそれは私にとって迷惑でしかありません。私抜きでは、必殺技の形すら決まらず足踏みしていたあの頃の繰り返しにしかなり得ません。“もしかしたら”の可能性は一つもなくなってしまいます。

 それに別に、個人練習をおろそかにしている気は、私にはないのです。

 

 

「本末転倒も何も、私、ちゃんと練習しちゃってますよ? 風丸さんたちのお相手なんかは特にディフェンスの練習そのままですし……そもそも最初にウォーミングアップも兼ねて、皆さんでいつも通りの練習したじゃないですか」

 

 

 ボールタッチだったりドリブルだったりといった、いわゆる基本練習です。加えて私は日課として、【ダブルショット】や【スピニングアッパー】のレベルアップのために個人的に練習したりもしています。風丸さんたちのお相手はその後にしていることで、おサボりのいわれはありません。

 しかし豪炎寺さんはさらに眉間の皺を深くして、一言ずつ言葉を選ぶように言いました。

 

 

「……自分の能力だけでなく、仲間との連携力や……互いへの理解。そういうものを確かめる練習だって、重要だろう……?」

 

「……パス練習とかのことですか? それは確かに重要でしょうけど……」

 

 

 今は皆さん必殺技の練習中。私たちだけでなくそこかしこで似たようなことが行われている状況で、いったいどうやってパス練習なんてするつもりなのでしょうか。

 

 と、首をかしげかけ、その時ふと気付きました。というか思い出しました。

 以前、響木さんを監督にスカウトに行った円堂さんたちを迎えに行った時、聞こえてきた響木さんの『ベータは雷門イレブンを破壊する』を一緒に聞いた時。

 今、思い悩むふうな硬い表情で私を見つめている豪炎寺さんの眼は、その時のそれとよく似ている気がします。

 

 そこに気付いて、私も言葉に悩む豪炎寺さんが何を言いたいのかが理解できました。

 喉の奥に生まれた嫌なものを呑み下し、深呼吸してから口にします。

 

 

「……大丈夫です。わざわざ確かめなくても、試合になれば皆さんの動きは把握できちゃいますから。ちゃんと指示は出せますよ」

 

「……そうじゃない、ベータ。そうではなく――っ!」

 

 

 豪炎寺さんが何か言いかけますが、私はとてもこの話題を長く続ける気にはなれません。豪炎寺さんに一歩詰め寄り、言葉を遮ってから耳打ちをして終わらせます。

 

 

「――私、チームを壊したりなんてしません。ちゃんと皆さんを勝たせてみせますから。だから任せちゃってください」

 

「ベータ……」

 

 

 そのまま豪炎寺さんの横をすり抜け、彼の表情を見ないまま振り返ります。――いきなり耳打ちなんてしたせいでしょう、豪炎寺さんのツンツン頭越しに不思議そうな顔をしている風丸さんたちを見つけ、誤魔化すために「ところで」と声を張りました。

 

 

「次の対戦相手、帝国学園なわけですけど……土門さんってあれからどうなんです? 冬海のこともありますし、嫌がらせとかされちゃってたりしませんよね?」

 

「……えっ? なになに? ベータ、俺のこと呼んだ?」

 

 

 ベンチで休憩中だった土門さんへと話題を切り替えます。反応し、興味津々に近寄ってくる彼に同じことをもう一度繰り返すと、彼は「ああ」と鷹揚に頷きました。

 

 

「うん、びっくりするぐらいなんにもないよ。なんかしてくるだろうなって俺も身構えてたんだけど、全く必要なかったね」

 

「何よりです。鬼道さんが上手くやってくれちゃったってことなのかしら」

 

「かもな。最近連絡してないから、わかんないけど。……まあもし影山が何かしてきたとしても、今となっちゃ関係ないけどね。雷門のために全力で戦うだけさ!」

 

 

 言いながら若干表情が陰ったのは、裏切りをまだ気にしているせいでしょうか。しかしはっきりと言い切った土門さんは、それも“償いのために”と振り切った様子です。彼がスパイのことで悩むことは、きっともう来ないのでしょう。

 

 と、その時。その堂々たる宣言を傍のベンチで聞いていた音無さんの呟きが、偶然私の耳に入ってきました。

 

 

「……土門先輩は、逃げずにきちんと向き合ったんですね」

 

「……? 音無さん?」

 

「私も、もう逃げてばっかりじゃいられない……!」

 

 

 音無さんは深呼吸の後、静かに、しかしはっきりと呟き、意を決したような表情でフィールドへと入ってきました。

 こちらは一時中断中とはいえ、練習中のグラウンドに入るのは御法度です。マネージャーである彼女がそれをわからないはずがないのに、しかし構わず、やがて土門さんを追いかけ私たちの下までやってきてしまいました。

 ずっと土門さんを見上げたまま、彼女は言いました。

 

 

「土門先輩、『最近連絡してない』ってことは、やろうと思えば鬼道 有人と連絡を取ることはできる、ってことですよね?」

 

「え? あ、ああ。まあ、できるけど……?」

 

「呼びだしてくれませんか? 私、鬼道 有人に……お兄ちゃん(・・・・・)に、聞かなくちゃいけないことがあるんです」

 

 

 

 

 

 

 

「――来たぞ、土門。それに……円堂と米田もか」

 

「あ、ああ! 久しぶり……鬼道! ……ええっと、急に悪いな!」

 

「……別に構わない。俺も、改めて謝っておきたかったんだ。冬海のこと、すまなかった」

 

 

 ぎこちなさが隠しようもなく顔に出てしまっている円堂さんが出迎えるも、幸いなことに頭を下げる鬼道さんは疑問を抱いてはいないようでした。

 

 しかしそれは鬼道さんの言うように、冬海からくる罪の意識が前にあるから。このまま円堂さんに対応を任せていてはいずれボロに気付かれてしまうでしょう。

 私の他にもう一人、土門さんも鬼道さんを呼び出した本人として居はしますが、緊張しているのかその表情は硬く、腹芸は厳しそうです。となれば仕方なく、私が前に出るしかありません。

 

 

「そんな、謝らないでください鬼道さん。冬海のことはあなたのせいじゃないですし、そうでなくとても十分すぎるほど助けてもらっちゃいましたから。……むしろこっちの方がごめんなさい。わざわざこんなとこまで来てもらっちゃって」

 

「おい、『こんなところ』とは何だ。俺の店だぞ」

 

 

 おっといけない、口が滑っちゃいました。秘密の会合場所として待ち合わせに選んだこの場の店主、響木さんの眉が寄ってしまいます。

 しかし、場所を使わせてほしいとお願いした時にも一人のお客さんもいなかった寂れたお店なんて『こんなところ』扱いで十分です。私をいらないもの扱いした人のお店ならなおのこと。

 

 ほんの僅かに怯んでしまった心をそんなふうに言い訳して押し隠すと、しかし一方鬼道さんは紳士的に、新聞片手の響木さんにも頭を下げました。

 

 

「申し訳ありません。雷門と接触していることを総帥に知られてはまずいですから。安全に密談できる場所はここくらいなんです」

 

「ふん。俺とて、サッカーの内緒話なら何も文句はないんだがな」

 

「……? それは、どういう――」

 

 

 紙面の活字に目を走らせながら息を吐く響木さん。その、今回の呼び出しが“サッカーの内緒話”のためでないふうな言い方に鬼道さんが小首をかしげますが、しかし私は何も言えません。それ(・・)から注意を逸らすために、おしゃべりで誤魔化していたのです。

 

 そして響木さんが口にしたように、もうそれも不要。またもガラリと開いた戸から、厳しい目つきをした音無さんが現れました。

 

 

「……お兄ちゃん」

 

「ッ!!」

 

 

 途端、鬼道さんの身体がびくりと反応し、勢いよく振り返りました。その反応の強さを見るに、音無さんと鬼道さんが兄妹だというのはどうやら本当のことだったみたいです。

 鬼道さん本人も、はめられたことに気付いて私たちに非難がましい目を向けてきています。がしかし、音無さんが出口を塞いで鬼道さんを逃げられなくしているのも含めて、これらすべて音無さんの意思によるもの。私たちに非難の矛先を向けるのはお門違いです。

 

 むしろ会うためにこんな不意打ちのような真似をする必要がある兄妹とはどうなのかと、こっちが聞きたいくらいなのですが、どうやら逃げ道を塞がねばならないだけあって、鬼道さんには応える気はない様子。それどころか止まった足を再び動かし、冷たく音無さんの肩に手を掛けました。

 

 

「……どけ」

 

「っ……」

 

「……まあまあ、そんなに冷たくしなくていいじゃないですか。妹さんなんでしょう?」

 

「なあ鬼道、騙して呼びだしたのは悪かったと思ってるけど、ちょっと話くらい、な?」

 

 

 鬼道さんの突き放すような手と言葉に喉を鳴らしてしまう音無さんは、とてもじゃないですが見ていられません。挙句に彼はそのまま音無さんを押し退けお店を出て行こうとするので、円堂さん共々引き留める手は少し乱暴にならざるを得ませんでした。

 がしかし、鬼道さんは尚も頑なに、そして冷酷に、私たちまで振り払おうとしてきます。

 

 

「放せ……。これは俺たち兄妹の問題だ。お前たちには関係ない」

 

「関係ないってことはないんじゃないかしら。音無さんは私たちのマネージャーですし」

 

「それが首を突っ込んでいい理由にはならない」

 

 

 まあそれはそうなのですが。

 鬼道さんの“わからずや”の前では他に何が言えるわけでもなく、私はため息を吐くことしかできません。

 代わりに円堂さんが、我慢できずに言ってしまいました。

 

 

「そんなこと言わずにさ、話してくれよ鬼道。減るもんじゃないんだしさ。……例えばほら、なんで兄妹なのに苗字が違うんだ? 音無と鬼道って」

 

「ちょっと、円堂さん――」

 

 

 それはさすがに突っ込みすぎでしょう。やっぱりデリカシーがなさすぎです。

 

 しかし、一歩目でかなり大きく踏み出してしまった彼を諫めて挽回をと、そう考えた時でした。

 

 

「……私たち、施設育ちの孤児なんです」

 

 

 驚いたことに、音無さんが自らそう明かしました。スルーできそうにない衝撃的な事実です。

 言葉を失う私をよそに、彼女は言葉を押し出すように口にします。

 

 

「小さいころ、両親が飛行機事故で亡くなって……。だから血は繋がっているんですけど、でも、一緒の家には引き取られなかったんです。私は音無家の、お兄ちゃんは鬼道家の養子になって……それっきり」

 

「生き別れってことですか。それはまた……普通なら再会できたよかったって、喜んじゃうところですけど……」

 

 

 お互いにそんな空気でもありません。何か理由があるのは明らかですが、とはいえこれは、当人の告白以上に踏み込んではいけない話題でしょう。

 そして音無さんもそれっきり、口が重くなったようで黙り込んでしまいます。円堂さんならまたノンデリなことを言って空気をかき乱すかと思いましたが、さすがに懲りたのか気まずげな様子。響木さんは静観を貫き、土門さんは最初から役立たずなので、途端に場がシンとなりました。

 

 こういう、かける言葉が見つけられない静寂の間が一番気まずく感じるのは、誰だって同じなはずです。

 

 

「……再会などしていない」

 

「え……?」

 

 

 だからふと呟いた鬼道さんの一言には、いっそうの驚きを与えられることとなりました。

 

 否定の言葉。あんまりなそれに聞き間違いを疑いましたが、そうではないようで、彼はもう一度はっきりと繰り返しました。

 

 

「俺は、今日、春奈と会ってなどいない。……呼び出しの要件はこれだけか? なら、失礼する」

 

 

 そしてまたも無理やり出て行こうと、立ちふさがっていた円堂さんを押し退けようとする鬼道さん。どうしてそこまで頑ななのでしょうか。

 さっぱりでしたが、それでも身体は半ば自動的に、またしても鬼道さんを追って動きます。

 

 

「……もう、いいです。キャプテン、米田先輩」

 

 

 そして伸ばした手は次の瞬間、他でもない音無さんに止められることになりました。

 

 

「音無さん……」

 

「音無……」

 

 

 鬼道さんと話したい、という目的の内にある想いが、ただ久しぶりに兄と話したい、なんて軽いものであるわけないでしょうに。

 

 そう思うも応えはなく、鬼道さんは再び私たちの静止の手を払い除けると、構わず戸の取っ手に手を掛け――。

 その、開ける直前でした。

 

 

「でも……一つだけ答えて、お兄ちゃん。どうして……どうして今まで、連絡してくれなかったの……?」

 

「………」

 

「私のことが邪魔なんでしょう……? だから、あなたは何も言わずにいなくなった……! あの頃の優しかったお兄ちゃんは……もう、いない……っ」

 

「……っ」

 

 

 音無さんの涙混じりの声に鬼道さんの足が止まりました。そして彼は、何も答えません。

 

 ぽろぽろと両眼から涙を零す音無さん。長い間実の兄から顧みられなかった悲しみは兄弟のいない私には想像の難しいことですが、それでも彼女を見ていると胸を締め付けられるような心地になってしまいます。

 となるとそれをもたらした鬼道さんがとんだ冷血人間に思えてきますが、幸いなことにそこまで堕ちてはいなかったようです。肩を震わせた彼は、呟くように言いしました。

 

 

「……お前を忘れたことは、一度もない」

 

「おにい、ちゃん……」

 

 

 しかし、それも一瞬だけでした。

 

 

「だが……それでいい。俺はもう、あの頃の俺じゃない。それは事実なんだ。……だから俺とお前は、会っちゃいけない」

 

「……鬼道、それ、どういう意味なんだよ。俺、お前のことがわからない」

 

 

 円堂さんが眉を顰めます。そしてその思いは私も同じ。音無さんに対する思いがあるのなら、なぜそれを否定するのでしょう。

 返事は諦念のような微笑でした。

 

 

「理解されなくてもいい。だが、俺は勝たなきゃいけないんだ。……絶対に」

 

 

 必勝の想い。しかしそれは、初めて会った時に見た時よりもずっと弱り切ってしまっていました。

 弱々しいながらもその決心が固いのは、きっと音無さんのためです。そして諦めは、それが邪魔されてしまっているせいなのかもしれません。

 

 なんとなく理解しました。つまり、彼の誇りを穢したあいつ(・・・)のせいなのでしょう。

 

 

「『勝たなきゃいけない』か……。そんなに勝ちたいのか? まるで影山みたいだな」

 

「――ッ!! 俺は――っ、……俺は、総帥のようにはならない……!」

 

 

 帝国学園サッカー部を、恐らく支配している総帥であり、御影戦において私を潰すように仕向けた人物、影山。彼に対して並々ならぬ忠誠心があった鬼道さんでも、もはやその悪辣な性根は受け入れがたいものであるようです。

 しかしそれでも尚、長年の恩師を悪しように言うのは憚られるのか、彼は怒鳴り声を収めて唸るように言いました。

 

 

「影山総帥は……勝利に固執しすぎている。勝つためなら、卑怯な工作すらいとわないほどに。だが、それだけじゃない。あの人にとっての“勝利”は俺にとっての“勝利”とは別物だった。あの人は……本当に、勝利しか求めていない」

 

「……それって、そこまで言うほどおかしいものでしょうか。いえもちろん、人のこと潰そうとするのは異常ですけど……サッカーって結局は勝負事でしょう? 勝とうと思うのって、普通のことだと思えちゃいます」

 

「違う。そういうことじゃないんだ。総帥は……言ってしまえば、“勝利”という記号にしか興味がない。試合を重ねることによる俺たち選手の成長も、戦術の進化も、果ては四十年もの間少年サッカー界の頂に君臨し続けているという名声すら、どうでもいいようにさえ思える」

 

 

 少なくとも私にとっては、サッカーとは試合に勝ってこそのスポーツです。故につい、勝利を求めることを否定するような物言いに口が出てしまいましたが、しかしそういうお話でもないとのこと。影山が欲する勝利とは、不正でも何でもして、張り出される試合結果に“勝利”と記すだけのものであるそうです。

 

 もし本当にそうであるのなら、彼は何が楽しくてサッカー部の監督なんてやっているのでしょう。

 鬼道さんにすらわからないそれが、きっと彼の中で反意が勝った最後のきっかけであったはずです。

 

 

「俺には……あの人のサッカーは受け入れられない。偽りの勝利を、これ以上重ねられない。たとえその先に敗北があるのだとしても、この想いだけは……」

 

「鬼道……」

 

「………」

 

 

 鬼道さんはぎゅっと胸の辺りを握り締め、絞り出すように言いました。その内の葛藤はどれだけのものかは表情を見れば明らかで、円堂さんの顔も歪むほど。音無さんも何か兄の覚悟に感じるものがあったのか、黙って俯くばかりでした。

 

 そんな時、三度ガラリと戸が開きました。

 

 

「――『偽りの勝利』、か。鬼道、“勝利”に偽りも真実もないのだよ」

 

「……ッ!」

 

 

 現れたのは長髪を括った痩躯な男性。しかしお店のお客さんでないことはすぐにわかりました。黒いサングラスの下に、いかにも邪悪な笑みが浮いていたのです。

 思わず後退ってしまうほどの異様な迫力でした。目の前でそれを向けられた鬼道さんはハッとなって音無さんを背に庇い、どこか怯えたふうにその名前を押し出しました。

 

 

「影山、総帥……」

 

「っ!? この人が、影山……!」

 

 

 息を呑む円堂さん。すっかり悪感情が高まって警戒心露な彼でしたが、比べればそれも大したことはないでしょう。

 彼よりもずっと大きく、響木さんが感情を乱してしまっていました。

 

 

「影山……!! 貴様、よくもここに顔を出せたものだな!! 子供たちにあんなことをしておきながら……ッ!!」

 

「久しいな、響木。しかし、『あんなこと』? ふむ、何のことだかさっぱりだな」

 

「とぼける気か!? 貴様が冬海たちに指示し、ベータを襲わせたことはわかっているんだぞ!!」

 

「確かに、君たちが御影専農戦の前後で事件に巻き込まれたという話は聞いているが……なぜそれが私の指示だと? 証拠でもあるのかね? 証拠があるのなら、なぜ私はこうして逮捕もされずにいるのだろうな?」

 

「く……っ!!」

 

 

 椅子を倒すほど怒りを露に叫んだ響木さんに、さもわからないというふうに両手を上げて肩をすくめる影山。被害者の私すらもが前にいるというのにこうも堂々しらを切れる胆力は一周回って感心するほどですが、それ故に恐ろしさが際立ちます。

 

 この恐怖を以てして、彼は刑事の鬼瓦さんからも逃げきったのでしょうか。どうであれ彼の言う通り、彼が何の制限もなくこの場にいることが事実。響木さんも言葉に詰まってしまいます。

 そして影山は滑稽だとでも言うように鼻を鳴らし、次いで再び鬼道さんへと眼を向けました。

 

 

「鬼道、お前もくだらないデマを信じているようだが……わかるな? あまり迷惑をかけるな。お前は鬼道家の後継ぎとして、結果を出さなければならないのだから」

 

「ッ……」

 

 

 一瞬、影山の視線が音無さんに向きました。

 唇を噛む鬼道さん。彼も私も何も言えません。だから頷き、影山の元へと足を向ける彼を止めることもできませんでした。

 

 

「……はい、総帥……」

 

「結構。さっきの批判は聞かなかったことにしてやろう。それに、この場のこともな」

 

「……だったら、さっさと出て行ってくれないか。貴様のような奴に居座られちゃ迷惑だ……!」

 

「もちろん、すぐに出て行くとも。私もこのような店に長居する気はない――が、その前に、要件は済ませておくとしよう」

 

 

 しびれを切らしたように響木さんが唸ります。しかしそんな威嚇も影山にはまるで通じず、鬼道さんの肩に手を置きつつこっちを振り返ってきました。

 

 そしてその眼が、どういうわけか私へと向きました。襲撃のことが頭をよぎるも、影山の口から飛び出てきたのはもっと衝撃的な言葉でした。

 

 

「米田 佳くん。我が帝国学園サッカー部に興味はないかな?」

 

 

 同時に手が伸びてきましたが、握るも払うも、応じる余裕はとてもありません。唐突な勧誘は、あまりに予想外すぎたのです。

 

 

「何のつもりだ影山……! 冬海たちを使って彼女を潰せないとわかれば、今度は内に取り込むつもりか!? それとも揺さぶり動揺させる腹積もりか!」

 

「ただの勧誘だとも。選手の引き抜きなど、よくある話だろう? ……彼女の才能は、雷門においては腐るだけだ。私の指導の下でこそ輝く。そう感じただけだ」

 

「何をバカな……!」

 

 

 響木さんが吐き捨てるように言いました。その荒げた声で私も遅れて理解し、影山の手から自分の手を引き抜き抜くと、同時に円堂さんも我慢が利かなくなってしまったようで、お店の中に叫び声が響きます。

 

 

「ベータが、雷門では腐るだって……!? そんなことない! お前の勝つだけのサッカーで、輝ける選手なんているもんか! 俺たちには、俺たち雷門のサッカーがちゃんとある!」

 

 

 だから影山の甘言なんかに乗るわけがない。私にとってもそうです。二人のおかげで我に返り、そう、言おうとしたのですが、

 

 

「君たちはお互いのサッカーに対して、違和感を感じたことがあるはずだ」

 

 

 その瞬間、手と一緒に喉までもが固まってしまいました。

 

 

「米田くん、こう思ったことはないかね? “なぜ私は、こんなにも弱いチームメイトと戦わねばならないのだろう”と。……仲間だの信頼だの、くだらない戯言を重荷に感じたことがあるだろう」

 

「………」

 

 

 口をつぐむだけで精一杯。影山のサッカーなど理解する必要はない、すべきではないと思いつつも、理解ができてしまうのです。

 

 特別必要でない【イナズマ落とし】の習得のために壁山さんと無理矢理特訓をさせられた時も、『(ベータ)のため』とか『信じられない』とか言ってパスを出してもらえなかった時も、おバカな罠に掛けられて皆さん使い物にならなくなった時も。

 尻拭いをさせられたのは全部私。それらは確かに“重荷”です。そしてそれらは私にとって愉快なものではありませんでした。

 

 楽しいサッカーでは、ありませんでした。

 

 

「――サッカーに於いて最も重要なことは勝つことだ。雷門のような“重荷”のない(帝国)の下でなら、確実な勝利をその手にできる。少なくとも、今の環境に身を置くよりはよほどましだと思うのだが……どうかね?」

 

「確実な……勝利……」

 

 

 酷く惹かれてしまいます。彼の下なら“重荷”に邪魔されることはない。指示出しやフォローなんてことをする必要がなく、自分のことにだけ集中していればいい環境。

 円堂さんたちとのサッカー感の違いを、心のモヤモヤを感じずにサッカーに勝利できるのなら――それは楽しいのではないでしょうか。

 

 しかし――

 

 

「……ほう?」

 

 

 円堂さんが私と影山との間に立ちふさがるように身体を入れていました。おかげで我に返った私の聴覚に、円堂さんのはっきりとした宣言が響き渡ります。

 

 

「誰かを傷つけてまで手に入れる“勝利”に、意味なんてない……!」

 

「え、円堂さん……」

 

「ベータは渡さない! 今までもこれからも、ベータは俺たち雷門の仲間だ! お前の手下になんて絶対にならない!」

 

「それを決めるのは君ではなく、彼女本人の権利だろう」

 

 

 円堂さんの温かな言葉は鼻で笑い、あくまでその眼、サングラス奥の鋭い眼光は私のことを見つめています。その、どこまでも深い奈落のような眼は、気を抜けばまた呑み込まれてしまいそうでした。

 

 だからこそ湧き出した根源的恐怖心が、とうとう私に手を引かせました。円堂さんの肩越しにそれを眼にし、影山も息をついて手を引っ込めます。

 

 

「用は済んだらしいな。ならとっとと出て行け! これ以上俺の店で妙なことをしようというなら、こっちにも考えがあるぞ……!」

 

「……いいだろう。今日のところはこれで失礼するとしよう。……行くぞ、鬼道」

 

 

 響木さんの底冷えする怒気もあり、とうとう影山も諦めた様子。うつむいたままの鬼道さんを促し、一緒にお店を出て行きます。

 その背に響木さんが吐き捨てるように言いました。

 

 

「……変わっていないな、影山。四十年前から、何もかも」

 

「……帝国スタジアムで会おう」

 

 

 影山は背を向けたままそれだけ返し出て行きました。

 

 悪意は去った。のですがしかし、

 やはり私の心は拒否できても乱れたままで、円堂さんの心配にも顔を向けることができませんでした。



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第三十三話 ウォーミングアップ

「――帝国は強い。それは俺よりもお前たちの方がよく理解しているだろう。だが、お前たちは今日まで俺の特訓にも耐えぬいた。帝国と戦えるだけの実力を持ったことは俺が保証する。だからお前たち……あまり気負うんじゃないぞ? 落ち着いて、いつも通りにやればいい。いつも通りに……」

 

 

 そう言う響木さんこそが一番いつも通りでない状態に見えますが、ともかくとうとうやってきた試合当日。前回とは逆にこちらから帝国学園に赴いて、私たちはウォーミングアップに励んでいました。

 

 しかし響木さんほどでないにしろ、皆さんあまりそれに集中できてはいません。

 散漫のその原因は、ここ、帝国学園のグラウンド。今まで戦ってきた中でも飛びぬけて立派なドームスタジアムと、その大きさに見合った広さの観客席という、プロサッカーの舞台もかくやといった会場の様相のせいです。きれいな芝の上でストレッチしたりボールを転がしたりしながら皆さんの視線はチラチラと周囲を見回しており、緊張と不安に呑まれてしまっているように見えます。

 

 そのせいか、響木さんや私のように今日という日を警戒心を以って迎えることとなった人は、あまり多くはなさそうでした。

 

 もちろん、いまさら鬼道さんたちを警戒しているわけではありません。彼が率いる帝国学園サッカー部も然りです。

 が、その長、帝国学園総帥である影山は話が別。直に対面し、そのねばつく悪意を知ってしまった私たちは、警戒心を抱かずにいる事ができなくなってしまっています。

 特に私にとっては尚のこと。あの時の影山の言葉、私が仲間に“重荷”を感じていることを自覚させられ、その後に提示された彼のサッカーに惹かれてしまったという事実によって、私はより一層の警戒心、というか恐れを、心の奥深くに植え付けられてしまっているのです。

 

 私がサッカーを再開したのは、円堂さんとのサッカーが楽しかったからです。ですがしかし、彼以外の多くの仲間に対しては、そういう思いを抱いたことがありません。

 だから私が円堂さんのサッカーを、雷門のサッカー好いてはいても、気性が合っていないというのはずっと前から感じていたことで……しかし、あまり深くは考えたくないと、最近は半ば忘れかけていたことでした。

 影山はそれを私に強く自覚させ、そのさらに奥、考えたくなかったことを、無理矢理自覚させてきたのです。

 そしてさらに、彼のサッカーへの勧誘というおまけつき。それらを、あんな悪人の言葉でありながら今なお否定できないことこそが、私がこの場で息を吐けない、最も大きな要因でした。

 

 そんな私が果たして雷門に所属し続けていていいのか。本当に『雷門を破壊する』ことになってしまわないか。あるいは、やっぱりそういうモヤモヤを感じる必要のない影山のサッカーの方が、私には合っているんじゃないか。

 そういった即否定しなければいけない考えたちが、次々と頭に浮かび上がってきてしまいます。

 

(……そんなこと、ありませんって)

 

 浮かび上がるその度、ワンパターンに蓋をして思考を打ち切る、その繰り返しです。あんな奴のサッカーが円堂さんのサッカーよりも楽しいものであるはずがない、あってはならないのだと。

 

 それに、否定することができなくても、試合に勝ちさえすれば影山のサッカーが円堂さんのサッカーに劣ることを証明することはできます。

 だからとにかく試合に集中。今は帝国学園に勝つことだけを意識すべきと締めくくり、私は視線を無理矢理に、帝国選手たちのベンチの方へと向けました。

 

 そうして見やって、ふと気付きました。

 

 

「あら……? 鬼道さんが……」

 

 

 肝心の彼の姿が、そこには見えません。私たちと違ってまだアップを始めていない彼らは全員ベンチで待機していますが、ただ一人、彼だけがいないのです。

 しかも心なしか、帝国選手たちも不穏な感じにざわついている気がします。まさか以前の密会がバレてしまったことで影山に何かされてしまったんじゃ……、なんて嫌な予感が頭に浮かんできました。

 

 しかし、そっちに構ってばかりいるわけにはいきません。

 中身は違えど、不安が渦巻いているのは雷門も同じこと。帝国ばかりを見守っていることはできず、響いた壁山さんのビビり声が、すぐに私の意識を帝国から引き戻してしまいました。

 

 

「お、お客さんがいっぱい入ってきたッスよ……。あんな大勢の前でサッカーするんスか……?」

 

「そうだよ。……なんだ、ビビってるのか――って、さすがに責めるのも酷だな」

 

「さすが帝国って感じですよね。決勝戦とはいえ、本戦でもない地方予選なのにすっごい注目度……」

 

「あとは設備もな。……まあ、あいつらの強さを思えばそれも当然って感じだけど」

 

 

 成長の証かトイレに逃げ出しこそしませんでしたが、人が入りつつある観客席を震えて見上げる壁山さん。それに各々呟く皆さんも軒並み顔色はよくありません。

 当人たちにとっては十分重大なのかもしれませんが、落差でちょっと気が抜けてしまいました。

 

 

「……設備を言うなら、私たちにだって立派なのがあるじゃないですか。雷門さんが整備してくれちゃったあの牢獄が。さすがにあんなトンデモな施設は帝国も持ってないと思いますよ」

 

「牢獄でもトンデモ施設でもなく、修練場よ! イナビカリ修練場! それに『整備してくれちゃった(・・・・)』だなんて……それじゃあまるで私が悪いことをしたみたいじゃない!」

 

「ま、まあ、かなりハードだったのはそうけど……。でもそんな特訓ができたから、今こうして決勝戦に望めてるわけだし……ね……?」

 

 

 耳聡く聞きつけた雷門さんに必死のフォローをする秋さん。そんな二人の手には、準備中のドリンクのボトルが抱えられています。

 秋さんはともかく、雷門さんは普段から『雑用なんてごめんだわ』といったふうに見ているだけだったはずですが、どうやら音無さんが鬼道さんの件で腑抜けて役に立たなくなっているようで、お嬢様な彼女も手伝わざるを得なくなってしまったのでしょう。

 雷門さん本人はまだ否定しそうですが、彼女もすっかりマネージャーが板に付いてきたようです。

 

 しかしそんなことは、唯一一人、影山にもこの舞台にも全く物怖じしない染岡さんには関係のないこと。彼は鼻を鳴らし、不敵に言ってのけました。

 

 

「ふん、上等じゃねぇか。リベンジには好都合だ。……俺たちは、あの頃よりもずっと強くなった。俺や風丸みたいに必殺技を習得した奴だっていっぱいいる。恐れる必要なんて何もねぇ。それに――」

 

 

 そしてその眼は、ぶすっとしかめっ面になって私へと向きます。

 

 

「今度は最初っからベータがフォワードだからな。【ダブルショット】だって打ち放題だ。……なあ、そうだろうが」

 

 

 ついこの間メイド喫茶に行ってハライタにされたくせに、よくもそうまで堂々と対抗心を燃やせるものです。

 滑稽ですが、しかし確かにキーパーの源田さん、彼の【パワーシールド】を確実に破れるのは私くらいなものでしょう。頼るのは正しいし、当然のこと。

 以前、尾刈斗戦の時なんかは取り付く島もなく私を否定してきた彼でしたが、最近になってようやくきちんと現実が見れるようになってきたようで何よりです。

 

 しかし――。

 

 

「……はぁ。ええ、任せちゃってください。不甲斐ない染岡さんに代わって、いつもみたいにしっかり点、決めてあげちゃいますから」

 

 

 ふと零れたため息混じりに、私はクスリと笑って言ってあげました。

 

 するとたちまち、染岡さんのこめかみに青筋が浮いてきます。

 

 

「こっ、の……ッ! お前はマジで……いつまでたってもその性格、治らねぇな!」

 

「性格も何も、事実だって染岡さんもわかっちゃってるんじゃないですか? 源田さん相手に一回もいいとこありませんでしたし」

 

「だからあの時よりも強くなったって言ってんだろ! シュート力だってついてきてるし、それに今の俺には【ドラゴンクラッシュ】だってあるんだ! お前にだって負けやしねぇ!」

 

「そうです? なら……そうだ。アップがてら勝負でもしてみちゃいます? どっちの必殺シュートがより強力か」

 

 

 面白いくらいに簡単に怒ってくれる染岡さんで遊びつつ、ふとそんな余興を思いつきました。試合開始までの暇つぶしになるし染岡さんをもっとおちょくれるし、もしかしたら皆さんの緊張をほぐすこともできるかもしれません。一石三鳥です。

 真面目にアップをしていた豪炎寺さんには嫌な顔をされてしまいますが、一度火を付けられた染岡さんはもう止まりません。

 

 

「……おい、二人とも。俺たちは今から帝国と戦うんだぞ。遊んでいる場合じゃ――」

 

「遊んじゃいねぇよ! シュートのウォーミングアップだ! おい円堂、キーパー役を……って、いねぇな。どこ行ったんだあいつ」

 

「トイレじゃないか? さっき中に入ってったよ。……にしてはちょっとかかってるけど」

 

 

 フィールドの出入り口に眼をやり答えてくるのは風丸さん。私も話題に出るまで気付きませんでしたが、確かに辺りを見渡せば、円堂さんの姿がありません。

 そして曰く、妙な長トイレだそう。このドームスタジアム広いですし、迷っているだけならいいんですが――

 

(……そういえば、鬼道さんの姿もないのよね……)

 

 なんだか本格的に不穏な気がしてきました。しかし染岡さんはそんなことなどつゆ知らず、円堂さんの代わりにちょうどゴールの近くで震えていた壁山さんに目を付けました。

 

 

「円堂がいないんじゃ仕方ねぇ。壁山! ゴール前で構えてろ! お前がキーパー役だ!」

 

「えっ? あ、あの、なんの話――」

 

 

 私たちの言い争いは、緊張のあまり耳に入っていなかったのでしょう。こっちを向いて目を瞬かせていますが、しかし染岡さんはお構いなしにボールを足元に転がして、大きく足を振りかぶりました。

 

 

「見てろベータ……これが俺の、今の実力だッ!! 【ドラゴンクラッシュ】!!」

 

 

 そしてそのまま打ってしまいました。

 威力は、確かに習得したてと比べたら格段に強くなってはいるでしょう。エースはともかくストライカーを名乗るには十分です。

 

 そんなシュートが、全く自体を理解していない壁山さんめがけて一直線。彼が自身めがけて打たれたことに気付いたのは、彼の巨体にボールが激突する直前でした。

 

 

「――わ、わぁッ!!?」

 

「っ!?」」

 

 

 だからそれ(・・)を感じたのも、ほんの一瞬のことでした。

 ボールがぶつかる瞬間、びくりと強張った壁山さんの身体が、ほんの一瞬やけに大きく見えたのです。

 

 まるでぶ厚く巨大な壁がそこに現れた、というような感じで、それは当たった染岡さんのシュートも阻んで止めてしまうほど。

 しかしその一瞬ではシュートの威力が消え切らなかったのか、壁のような圧迫感が消え、シュートにお腹を殴りつけられることになってしまった壁山さんはたちまち体勢を崩してしまいました。「ふぎゃあぁッ!」と後ろに倒され、角度がズレたシュートは真上に跳ね上がります。

 

 天井まで届いたらしく、ガンッと響く鈍い音が響きました。

 普通であれば、帝国選手や観客も集まりつつある中で騒音を鳴り響かせてしまったことに、皆さん瞬時に頭が冷えていたでしょう。悪戯してごめんなさいと謝罪の言葉の一つや二つ、飛び出していておかしくない状況でしたが、反して皆さん静かです。

 息を呑んでいます。壁山さんが見せた一瞬の威容は、皆さんの頭からそんな良識をも弾き飛ばしてしまうものだったのです。

 

 

「ね、ねえ……今、なんか壁山……」

 

「あ、ああ。なんか一瞬、すごい気迫みたいな……」

 

「壁山、お前……」

 

 

 マックスさんや半田さん、シュートを防がれた染岡さんすら目を見張っています。しかし驚愕の空気も、壁山さんが身を起こすまででした。

 

 

「お、俺……もしかして、今の――」

 

 

 正確にはグラウンドに投げ出したその足の間に、天から銀に輝く何かが落ちて来るまで。

 どどどっと、芝生にいくつも突き刺さりました。

 

 

「ひ――ぎゃああぁぁッッ!!?」

 

 

 少しズレていれば壁山さんの身体に突き刺さっていたでしょう。しかもそれは、慌てて確認してみれば、手のひらほどもある大きなボルト。悲鳴も当然です。

 

 

「……でも、どうしてこんなものが天井から……?」

 

「全くだ。見かけは立派なくせに、整備もされてねぇのかこのドーム」

 

「そそそそっ、そんな冷静に言ってないで、少しは俺のことも心配してほしいッスぅ!!」

 

 

 それは他の皆さんにお任せすることにします。壁山さんの心配なんかよりも、ボルトの方がずっと重要です。

 だって影山が牛耳る帝国学園のスタジアムで起きた事件なのです。もしかしたら、嫌な予感は的中かも。そんな気がしてなりません。

 影山の暗い目が頭をよぎり、思わず身震いしてしまった――その時でした。

 

 

「おい、どうかしたのか。大声が聞こえたが……それは?」

 

 

 ハッとして顔を上げると、そこには私に真剣な目線を向ける帝国キーパーの源田さん。そして周囲に他の帝国メンバーも駆け寄ってきていました。

 壁山さんのバカでかい悲鳴はさすがに無視のしようもなかったらしく、みんな揃って心配しに来たようです。

 そしてすぐに何があったのかを察したのでしょう。私の手の中と、そして壁山さんの足元に突き刺さるボルトを見つけ、その眉間に皺が寄りました。

 

 それは以前に鬼道さんが影山の悪行を認識した時と同じ顔。彼らが鬼道さんのように影山に反意を抱いている証でした。

 であれば、私が感じた影山の悪意を一から十まで説明する必要はないでしょう。一応、彼らの疑問形にかいつまんで答えておきます。

 

 

「染岡さんがボールを天上にぶつけちゃって……そうしたらこれが降ってきたんです。……やっぱりこれ、施設が古くなってる、とかじゃありませんよね……?」

 

「……ああ。実際、こんな事件は初めてだ。それに……ボルトはどれも真新しい」

 

 

 つまり老朽化の事故ではありません。少なくともその証拠になります。

 

 

「……おい、米田。こんなことを頼むのは筋違いなのかもしれないが……それ、鬼道さんに届けてくれないか」

 

「鬼道さんに、ですか……?」

 

「俺たちに後始末させるのかよ! ……いやまあ、どうであれ壊しちまったのは俺たちだけど……」

 

 

 染岡さんに劣らぬ仏頂面で鬼道さんの名前を出したのは、眼帯の、確か佐久間さん。不承不承な雰囲気に思わずといったふうに染岡さんが反応しましたが、騒動を起こした当事者である意識はあるらしく、すぐ素直に引き下がります。

 

 しかし、そもそも後始末とかそういう話ではありません。これは明らかに鬼道さんにとって、武器になりえるもの。

 そして武器を探しているということは、鬼道さんの不在は影山に屈したが故のことではなく、影山と戦おうとしているがためであるのです。

 

 彼が帝国サッカー部の皆さんと共に影山に抗うのであれば、私ももちろん、それを後押ししましょう。私のためにも、兄を想う音無さんのためにも。

 

 

「……俺たちは影山に監視されている。迂闊に動けないんだ。だから――」

 

「わかってます。……いえ、わかりました。鬼道さんに渡せばいいんですね」

 

「ああ。スタジアムのどこかで、今もソレを探しているはずだ。……頼んだ」

 

「はい、任されちゃいました」

 

「……って、さっきから何の話してんだよ、お前ら」

 

 

 なんて、未だに帝国の皆さんの覚悟に気付けない染岡さんは放っておいて、神妙な源田さんたちに頷きます。

 次いで振り返り、いちおう皆さんにも断りを入れておくことにしました。

 

 

「というわけで、ちょっと行ってきますね。すぐに戻りますから」

 

「えっ? ちょ、おい!? だからどういうことだって!!」

 

 

 言ってしまえばクーデターです。しかしだからこそそれを大声で言うわけにもいかないので無言を返し、私は早足で広いスタジアム内へ鬼道さんの捜索に向かいました。



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第三十四話 影山に立ち向かえ!

 しかし……影山はボルトでいったい何をするつもりだったのでしょうか。

 鬼道さんを探して当てもなく通路を歩きつつ、私は手の中でそのボルトを弄びながら考えます。

 

 よからぬことをするつもりであることは間違いありません。私なんかよりよほど影山のことをわかっている鬼道さんたちがそう判断して動いているのだから、それはもう疑いようのないことなのでしょう。

 しかしその内容は、どれだけ頭を捻っても全く浮かんできませんでした。

 このボルトで何をするのか。あるいはボルトそのもので私たちを負傷させようとしたのかもしれませんが、そもそもそれでは状況が限定的すぎでしょう。ボールが天井に当たることからしてよほどのことがないとですし、それでボルトを落とせても私たちに怪我をさせられる保証はありません。実際壁山さんには当たらなかったわけですし。

 

 それに、怖気が走るほどの悪意を纏う影山がそんな稚拙な策を弄するとも思えません。

 もっと他に狙いがあるはず。例えば……負傷ではなく、私たちの戦意を削るのが目的だったりとか。ボールを高く打ち上げることに恐怖を抱かせ【ダブルショット】や【ファイアトルネード】を躊躇させるつもりだったり。

 

(……それこそしょうもなさすぎですけど)

 

 私にはそんなかわいらしい妨害くらいしか思いつけませんでした。

 

 というようなことを考えながら歩いていたせいでしょう。

 

 

「……あら? あれは――」

 

 

 通路の正面のT字路、無機質な壁の陰に隠れていた二人の姿に気付くのが遅れてしまいました。

 

 

「鬼道さん……に、あの時のおじさま……?」

 

 

 確か鬼瓦さんなる刑事さんだったでしょうか。ともかく帝国学園の関係者ではないはずの彼が、鬼道さんと何やら話し込んでいます。

 どうしてこんなところで、と不思議に思っていると、そのうちに向こうも私に気付いたようで、鬼瓦さんはきょろきょろ辺りを見回してからこっちに走り寄ってきました。

 

 

「嬢ちゃん、どうしてこんなところに……いや、いい。早くフィールドに戻りな。ウォーミングアップとか、やらなきゃならんこともあるだろう?」

 

「……いえ、念のために、米田にもきちんと話しておいた方がいいでしょう。彼女も間違いなく当事者だ」

 

「いや……確かに御影専農のことはあるが……」

 

「それだけじゃありません。つい最近、彼女は直接影山に引き抜かれかけた。影山にとって米田は、今や豪炎寺以上に脅威に見えているかもしれない。黙っているのはむしろ危険かもしれません」

 

「む……」

 

 

 よくわかりませんが、とにかく彼らの密談は影山関連のことであるようです。

 鬼瓦さんはそれに私を巻き込むことに及び腰だったようですが、鬼道さんが示した予想に苦り切った顔で頷いています。その通り、とうの昔に私も巻き込まれ済みです。

 

 

「……そうだな。わかった、話そう。実はな――」

 

 

 と、そうして語ってくれた彼ら曰く、二人はやはり影山の悪事を探っていたそうです。

 この試合で影山が動くことは二人の中で共通見解であり、共に帝国の内側から悪事の予兆を見つけ出し影山に突き付けようとしているとのこと。しかしいくら探してもそれらしきものが出てこないとのだと、鬼道さんが無念そうに唇を噛みました。

 

 

「米田の排除も勧誘も失敗したが……その程度で引き下がるはずがないんだ。あの人は勝利のためなら何でもする……! この試合でも、雷門を潰すために何かを企んでいるはずなんだ。だが……」

 

「その証拠が見つからない。俺の部下にも調べさせているが、さっぱりなんだ。どうしたものか……」

 

 

 であるなら、私は源田さんたちからの頼みを引き受けて正解だったようです。

 ボルトを二人に差し出し、笑顔を作りました。

 

 

「証拠なら、これなんてどうでしょう? さっき私たちがウォーミングアップしてた時、これが落ちてきちゃったんです」

 

「落ちてきた……?」

 

「はい。ボールが天井に当たっちゃって、そのはずみでいっぱいボトボトと」

 

 

 「ボトボトと」と二人とも繰り返し、受け取ったボルトをしばしの間、見つめていました。

 じっと見つめる眼差しの中で思考が巡り、そして私にはたどり着けなかった影山の悪意を掴み取ったようで、二人同時に目がハッと見開かれます。

 

 

「ッ! 『天に唾吐けば……』、そういうことか……!」

 

「こうしちゃいられん! すぐに部下に業者を洗わせて――」

 

 

 しかし、それが私に明かされることはありませんでした。

 鬼瓦さんが懐から無線機らしきものを取り出した、その直後。

 

 

「ッ――!!」

 

 

 通路の奥、角からちらりと見えた細長い横顔。当の影山が、こっちに向かって歩いてきたのです。

 

 慌てて三人T字路の角に身を押し込んだおかげで気付かれてはいないようですが、それも時間の問題でしょう。身を隠す場所はなく、走って逃げても音でバレてしまいます。

 

 

「くッ……せっかく尻尾を掴んだというのに……!」

 

 

 ここで鬼道さんたちが影山の企みを探っていることがバレてしまえば、きっと鬼道さんは背信者として今以上の呪縛に囚われてしまいます。そしてせっかく二人が掴んだ悪意は闇に消されてしまうでしょう。

 少なくとも状況がよくなることはありません。なら、仕方なしです。

 

 

「私が時間を稼ぎますから、その隙に二人とも逃げちゃってください。……って、今の、物語だとこの後すぐ死んじゃう人みたいですね」

 

「ッ、米田……!」

 

「大丈夫です。お二人と違って私には別にやましいことありませんもの。円堂さんを探してるってことで乗り切れます」

 

 

 トイレが長すぎるので心配になった、とか言えば疑われることはないでしょう。余計な注意を引いてしまうかもですが。それも今更です。

 そこまで理解しながら二人とも私の囮作戦に渋い顔をしていましたが、やがてそれしか方法がないことを理解し、仕方なくといったふうに頷きました。

 

 

「……すまん」

 

「感謝する。米田……!」

 

 

 足音を殺して影山とは反対方向の通路に消える二人を見送り、私も背を向けます。

 そしてさも人探しの途中であるふうにきょろきょろ辺りを見回しながら、T字路に飛び込んでやりました。

 

 緊張と不安に見舞われながらも精一杯自然に振舞ったおかげで、ともかく鬼道さんと鬼瓦さんの存在は悟られなかったようです。影山は私の姿を見つけ、怪訝そうに眉を寄せていました。

 

 

「……なぜ、君がこんなところに?」

 

「あらどうも、影山さん。……いえ、円堂さんを探してたんです。御手洗いに行ったっきり、なかなか返ってこなくって」

 

「……なるほど」

 

 

 納得してもらえた様子。追及はなく一安心です。

 しかしそれでも、彼の過去と現在に至る悪行を思えば気を抜く気には到底なれません。笑顔が固くなっていくことを自覚しつつ見つめていると、顎に手を当て何か思案していた影山が、やがて低くねっとり声で嗤いました。

 

 

「円堂 守か。君は随分と彼を買っているようだね」

 

「……ええ。頼りがいのある私たちのキャプテンですもの」

 

 

 何が面白くて嗤うのか。不気味で思わず声も硬くなってしまいます。私の当たり障りない返答も、不気味な笑みを深くするだけです。

 

 

「果たして彼はそれほどの選手かな。私には到底、頼りがいがあるとは思えないがね」

 

 

 もしかして彼は私を挑発しているのでしょうか。ムカつかせて試合で正常なプレーをできないようにしようとか、そんな妨害行為を受けているのかと、一瞬錯覚してしまいそうになります。

 

 確かにムカつかせることには成功しています。円堂さんをあしように言われて面白いことはありません。

 けれどそんな子供じみた嫌がらせで調子を乱すのは染岡さんくらいでしょう。

 

 

「総帥なんて言われてるのに、見る目がないんですね。あなたのお話、断って正解だったみたいです」

 

「ククク……見る目がない、そうかね?」

 

「ええ、そうです。なさすぎて笑っちゃいそうです」

 

 

 私の顔も彼の顔と同じようにニヤニヤと歪んでいるでしょう。しかし影山に関しては今の内。じきに鬼道さんたちがその黒い笑顔を剥ぎ取ってくれるはずです。

 

 なんてことをやっていたら、突然通路に怒声が響きました。

 

 

「影山……! 貴様、ベータに何してる!!」

 

 

 肩を怒らせ現れたのは響木さんでした。言葉少なに出て行った私を探しに来てくれたのでしょうか。

 しかし影山はちらりと一瞬目を向けただけで、響木さんに対する反応はそれきり。代わりに私へ、背後の通路奥の角を示してきました。

 

 

「円堂くんを探しているんだったね。なら、彼は向こうだ。ついさっきまで立ち話をしていたのだよ」

 

「……円堂にまで何かしたのか!? もしそうなら許さんぞ……!!」

 

「ただの立ち話だとも。……では失礼する。いい試合にしよう」

 

 

 響木さんの怒りは全く無視して、空虚な挨拶を口にしてから影山は歩みを再開させました。私の横を通り――その、すれ違いざま。

 

 

「引き抜きの返事はいつでも変えていい。待っているよ、米田くん」

 

 

 そう私に耳打ちをして、去って行きました。

 

 私が帝国に行くことなどありえません。最後の最後まで不気味なやつです。

 身体の怖気をようやくふるい落とすことが叶い、今度こそ安堵し息を吐きます。鬼道さんたちの囮としての役目も十分果たせたでしょう。言うことなしです。

 

 そういった安心材料のない響木さんは、警戒心を吐き出す代わりにひたすらに不愉快そうに息を吐いていました。

 

 

「この期に及んでまだこちらを揺さぶろうとしてくるとは……全く見下げ果てたやつだ。……平気だったか、ベータ」

 

「はい、大丈夫です。それより円堂さんの方が心配になってきちゃいました。彼を連れて早くフィールドに戻りましょう? 試合の時間もそろそろなはずですし」

 

 

 響木さんがこちらに向けてくる心配そうな眼差しは丁重にお断りし、影山が示したほうに眼を向けます。体感時間的にキックオフも近いはずと思って口にしたごまかしでしたが、実際近かったようで彼は余計な眼差しを引っ込めてくれました。

 

 しかし、影山の言った通りに角の先に立ち竦む円堂さんを見つけると、また新たな心配事が生まれてしまたのでした。

 

 

「響木監督……に、ベータも……」

 

「……円堂、影山に何か言われたのか……?」

 

 

 円堂さんの様子が何か変です。なんというか、覇気がありません。

 試合を目の前にして、いつもなら「勝つぞー!!」とうるさいくらいにやる気をみなぎらせているのに、それが微塵も感じられないのです。

 

 私のように影山に揺さぶられたのは明白でした。しかし、

 

 

「いえ……試合、お互いに頑張ろうって……。それだけです」

 

「……そうか」

 

 

 円堂さんはそれだけしか言いません。よほど口にしたくないことを言われたのかも。

 響木さんも無理に聞き出すのは逆効果と判断したのかそれ以上は何も言わず、渋々心配に蓋をすると、私たちはフィールドへと戻りました。

 

 

 

 

 

 

 

「――『試合が始まったらすぐにセンターサークルから離れろ』だァ!? 鬼道のヤツ、そんなこと言いやがったのかよ!?」

 

 

 染岡さんは片眉を吊り上げて、バカバカしいぜと吐き捨てました。

 私たちがフィールドに戻ってすぐ、詰めかけた観客の歓声を浴びながら、帝国と雷門の間で交わされた試合前の挨拶。その場でこっそりと耳打ちされた鬼道さんの言葉をそのまま告げてみたのですが、その深刻さはやはりどうにも伝わっていないようです。

 

 

「そりゃあ、米田が鬼道を信用するのはわかるし、悪い奴じゃないんだろうけど……さすがにそれは罠なんじゃないか?」

 

「御影専農の時は影山ってやつが全部裏で糸を引いてたんでやんしょ? 今度は鬼道が、そいつに脅されてるって話なんじゃないんでやんすか?」

 

 

 なんて、染岡さんに続いて風丸さんと栗松さんまでもが、疑心の眼を帝国側のベンチへ――仲間と深刻そうな雰囲気で話し合っている鬼道さんへと、向けてしまっています。

 しかしまあ、無理からぬこと。これから試合をする相手から『センターサークルから離れろ』なんて言われてしまえば疑うのも当然です。

 しかも一部を除いて皆さんが知る鬼道さんは、豪炎寺さんを引きずり出すため皆さんを痛めつけていたあの姿です。鬼道さんが私を助けてくれたとか土門さんに便宜を図ってくれたとか、そういう話を聞いて信じてはくれているものの、実際に会った途端にこうもあからさまな事態となれば信用することは難しいでしょう。

 

 ですが鬼道さんの言葉、警告は真実。彼は鬼瓦さんと共にあのボルトから、影山の悪意を読み取ったはずです。

 一瞬の密談だったのでその具体的な悪意を聞くことはできませんでしたが、間違いなくそのセンターサークルには、すぐにその場を離れなければいけない何かが起こるのです。

 だから避難は絶対なのですが、しかしその“何か”を私が説明できない以上、私は皆に「わかった」と言わせるために言葉を弄するしかありません。

 

 

「……脅されてるのだとしても、実際、ボルトが降って来たじゃないですか。キックオフ時のセンターサークルなんて絶好の狙い目ですし、警戒するに越したことはないと思いますよ?」

 

「……まあ、そうだよね。前は誰にも当たらなかったからって、今度も無事に済むとは限らないわけだし」

 

「そ、そうッス! あんなのに当たったらタンコブじゃすまないッスよ! 安全第一ッス!」

 

 

 脅したおかげでマックスさんと壁山さんを引き込むことは成功したようです。染岡さんたちも、当時は平然としていたが内心少なからぬショックはあったようで、その目がちらりと不安そうに天井に向いています。

 そこを畳み掛けるべく、私はわかりやすく自信たっぷりに不敵の笑みを浮かべ、言葉を続けてやりました。

 

 

「それに、たかがセンターサークルから離れるだけじゃないですか。もし罠で、ボールを取られちゃったとしても、その時は取り返せばいいだけです。……皆さんが帝国相手にそんなことができる自信がなくても、大丈夫です。私に任せちゃってください」

 

 

 皆さんが駄目だった時は私が代わりに始末をつければいい。いつも通りのことです。

 

 そしていつも通り、染岡さんの鼻息は荒くなりました。

 

 

「……ハッ、全く、毎回毎回ムカつくことばっか言いやがって……! 上等だ! キックオフのボールくらいくれてやる! ちょうどいいハンデだぜ!」

 

「あら頼もしい。ならそういうことで……豪炎寺さんも構いませんよね?」

 

「ああ。……というか、もともと俺は反対してない」

 

 

 染岡さんの首を縦に振らせ、次いでフォワードのもう一人、豪炎寺さんにも話を振りました。染岡さんと違って聡明な彼には、まあ確認を取る必要はなかったようですが。

 

 

「鬼道ほどの男が影山に屈するとも思っていない。だから恐らく、ベータの言う通り何かあるんだろう。警告は聞くべきだ」

 

「その通りだ! 鬼道は卑怯な嘘を吐くような奴じゃない! 俺にはわかる!」

 

「……はぁ。わかったよ」

 

 

 続いてさっきからずっと難しい顔をしていた円堂さんも、鬼道さんの側に立ってくれました。

 台詞だけ見ればわたし以上に説得力のないものでしたが、そこはやはり円堂さんが円堂さんたる所以。皆さん釈然としない様子ながらも納得するに至ったようです。

 

 

 やがて試合開始時間もやってきて、各々ポジションについた私たちは何が起こるのかと不安と緊張に包まれながらキックオフの笛を聞くことになりました。

 ですがやはり、事はその直後に起こったのです。

 

 打ち合わせ通りに急いでサークルから離れる私の目に飛び込んできたのは、ボルトの落下など比較にならないほどのとんでもない事態。影山の悪意と二度も対面し、見慣れた気になっていたのですが、それらはほんの上っ面でしかなかったことを理解せざるを得ませんでした。

 

 幾本もの巨大な鉄骨が、轟音と共に降り注いできたのです。

 

 グラウンドに突き刺さり、立ち込める土煙。ほんの数秒前まで自分たちが立っていた場所の惨状を凝視しながら、誰一人として言葉が出せません。あの場に留まっていたら確実に、死んでいたのですから。

 

 死。まさかサッカーに勝つためにそこまでのことをするなんて、いくらなんでも信じられません。

 鬼道さんはこんな人に立ち向かおうとしているのかと、同じく驚愕を見せる帝国選手たちの中、一人厳しい目で鉄骨を見つめるその姿に畏敬の念のような思いが生まれてくるほどでした。

 

 そしてふと、その眼が横を向きました。釣られて視線を辿りそっちを見やると、出入り口から鬼瓦さんが件の男、影山を引っ立ててくる姿を見つけます。

 身体に緊張が走る中、鬼瓦さんは影山を乱暴にフィールドへ突き飛ばしました。

 

 

「ッ……何とも手荒いな、鬼瓦刑事。それでよく刑事など務まるものだ」

 

「……この在り様を見て、最初に言うことがそれか!? 貴様は今、子供たちを殺しかけたんだぞ!?」

 

 

 憤怒の鬼瓦さん。しかしそれを受けても影山は尚も動じません。変わらぬ不敵を纏ったまま、スーツの汚れを払いながら立ち上がります。

 

 

「殺しかけた? 滅多なことを言うものではないよ。私がやったという証拠でもあるのかね?」

 

「――あります」

 

 

 今度は鬼道さんが声を上げました。

 気持ちを押し込めたような硬い声音で影山の正面に歩み出た彼は、挑むような眼差しを向けながら、私が手渡したボルトを突き出します。

 

 

「これが証拠です。影山総帥……あなたは天井に細工をし、試合開始と同時に雷門へ鉄骨を落とした。そうでしょう?」

 

「………」

 

「黙秘権を行使ってか? 言っとくが、とっくに裏は取れているぞ。天井のボルトが緩められているのは確認したし、その施工を請け負った業者の証言もある。……言い逃れはさせん……!」

 

 

 じっと黙り込む影山。見つめているのは証拠品のボルト、いえ、鬼道さん自身でしょうか。ともかく所業はぴたりと言い当てられてしまったようで、もう影山の顔に不敵の余裕はありません。その腕を鬼瓦さんに縛められても、彼は抵抗しませんでした。

 しかし観念したのかと言われると軽々しく頷けないほどの雰囲気を、まだ影山は纏っています。

 その様子に鬼道さんは決意したように一歩進み出て、重たい息を勢いに乗せて吐き出しました。

 

 

「……俺はもう、あなたの指示では戦いません。俺は、俺のサッカーで戦います」

 

「俺たちも、鬼道と同じ意見です!」

 

 

 鬼道さんの決別の言葉に続いて、源田さんたち帝国選手全員が決意の眼を影山に向けました。

 鬼道さんにとってそれは少なくない衝撃だったようですが、僅かに開いた口は何も発さずすぐに閉じ、再び影山に向きました。

 

 

「俺たちの……帝国のサッカーに、あなたが求める確実な勝利は必要ありません。あなたの悪行に塗れた、勝利だけのサッカーなんてもうごめんだ!」

 

「……勝手にしろ。私にももはやお前たちなど必要ない」

 

 

 影山が鼻を鳴らしました。鬼道さんの毅然な態度に負け惜しみのような言葉を吐き捨てて、そしてそこで終わり。鬼瓦さんの部下らしい人たちが走ってやって来て、影山は手錠をかけられてしまいます。

 

 

「……四十年分、洗いざらい吐いてもらうぞ……!」

 

 

 積もりに積もった怒りを滾らせる鬼瓦さん。影山はそれも手錠もさしたる抵抗も見せずに受け入れ、そしてそのまま引っ立てられていきました。

 

 肌が粟立つ感覚は止みませんが、ともかく、これで全部終わりでしょう。スタジアムにひしめく衆目の中でこんなことをされたのだから、逃げ場なんてあるはずがありません。社会的な死は確実です。

 

 そう考えるとちょっと自分たちの行いが恐ろしくもなってきますが、影山の悪意を野放しにする方がもっと恐ろしいのだから仕方がありません。それに晒され続けた鬼道さんたちにとっては尚のことでしょう。

 彼らはもうこれで、影山に怯える必要がなくなったのです。音無さんの件も、きっとこれでいい方向に向かうはず。

 そう気持ちを切り替えようと、思い詰めた表情で鬼道さんを見つめる音無さんを見やりました。

 

 ――と、その時。

 

 

「――必要なのは、ただ命令を順守する兵士のみだ」

 

 

 恐らくごく小さな呟き。しかし何の因果か私の下まで届いた声に、ハッとなって私の眼が向きます。

 ちょうど出入口の陰に消えていく影山の口元が、にやりと歪んでいるのが見えました。

 

 しかしそれも一瞬のことで、すぐに見えなくなりました。影山たちが完全にフィールドから去り、次いで聞こえた鬼道さんの声で我に返ります。

 

 

「円堂、響木監督。本当に申し訳ありませんでした。雷門をこれほどの危険にさらしてしまったんです。俺たちにこの試合を戦う資格はありません。棄権します」

 

「えっ!? 鬼道、お前なにを言うんだよ!?」

 

 

 それは私ではなく円堂さんと響木さん、雷門全員に向けた謝罪。棄権するのは道理としてはその通りです。

 しかしそれを望む人間は、私を含めて雷門には一人もいません。

 

 

「円堂。試合をするかしないか、お前が決めろ」

 

 

 豪炎寺さんが代表して皆の意思を口にします。

 認めた円堂さんは動揺を鎮めると、改めて鬼道たちに向き直りました。

 

 

「……俺たちは、サッカーをしに来たんだ。なら……決まってるだろ? やろうぜ、サッカー!」

 

「円堂……! 感謝する……!」

 

「感謝なんていらねえよ! せっかくここまで勝ち上がってきたってのに、またお情けの勝利なんてもらってられるかってんだ!」

 

 

 染岡さんが咬みつきますが、とはいえその思いは皆同じ。予選を戦う最中、あの1-21の屈辱を意識してこなかった人はいません。またあんなことになるなんて冗談じゃないです。

 

 

「悪いと思ってるってんなら、全力で来いよ帝国学園! 今度こそ真正面から倒してやる!」

 

「……わぁ、染岡さんらしからぬまともなお言葉」

 

「あ゛ぁ゛!? なんか言ったかベータ!?」

 

「どうどう。染岡、どうどう……」

 

 

 つい私も口に出てしまって、半田さんにフォローされてしまいます。

 しかしともかく彼の物言いが最後の一押しになったようで、鬼道さんの顔からようやく申し訳なさそうな表情が消え、代わりに好戦的な笑みが浮かび上がってきました。

 

 

「……わかった、いいだろう。生まれ変わった帝国のサッカー、その歴史の第一歩にしてやろう、雷門中!」

 

「ああ! 俺たちも、あの時からレベルアップしたイナズマ魂を見せてやる! 行くぞみんな!!」

 

 

 円堂さんも二ッと笑って、そうして私たちは久方ぶりに真っ当な試合をする機会を手に入れたのでした。

 

 と、そう思ったのですがしかし、影山が残したトゲがまだ一つ、円堂さんの身に食い込んでいたことに、私たちの誰も気付いていませんでした。



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第三十五話 地区大会決勝戦、開始

「――【竜巻旋風】!!」

 

「よしッ!! いいぞ少林!!」

 

 

 フィールドに突き刺さった鉄骨の撤去も終わり、とうとう始まった地区大会決勝戦。ボールを預けた少林さんは大舞台で初お披露目の必殺技を成功させて、心なしか自慢げです。

 そして彼だけでなく、他の皆さんも調子は悪くありません。様々あっての試合でしたが特に引きずっておらず、むしろ戦意高揚している様子。

 今までを振り返っても一番と言っていいくらいな最高の立ち上がりでした。

 

 しかしそれは影山から解放された帝国も同じことでした。

 そして私は皆さんのその上調子に惑乱されて、寸前まで眼を曇らせてしまっていたのです。

 

 

「よし……! 少林さん!」

 

「はい! 米田先輩!」

 

 

 パスを要求。ゴールにはまだ少し遠いですが、故にディフェンダーとの距離もあります。妨害に遭い辛い、要するに私にとってのベストポジションです。

 【ダブルショット】でまず一点と、ゴールで構える源田さんを見据えながら構えた時、私は一瞬遅れてそれに気付きました。

 

 

「――ッ!?」

 

 

 ある程度攻め込み、マークを出し抜きフリーになったと同時に声を上げたのです。だから周囲には誰もいないはず。

 なのにしかし、私に飛んでくるパスボールに誰かが割り込む気配がありました。

 

 

「っ……鬼道さん……!」

 

「御影じゃないが、その攻撃パターンは予想できたさ!」

 

「おおっと!! 鬼道が見事なパスカット!! 米田の【ダブルショット】は不発!!」

 

 

 慌てて振り返れば、ボールは鬼道さんにカットされていました。

 今回もどこからともなくやってきていた解説の男の子が言っていたように、このシチュエーションはもう私の十八番として認知されてしまっているようです。

 

(もうちょっと自重できちゃってれば、こんなことには――って、後悔してる場合じゃないです……!)

 

 中途半端に前線が伸びた状態でこれはなかなかのピンチ。それをわかっているから鬼道さんもこのタイミングで仕掛けてきたはずで――事実彼は想像通り、勝ち誇ったような声で叫びました。

 

 

「雷門のフォーメーション、スリートップの弱点だ! フォワード三人が攻め込めば、中間の守りは当然、薄くなる!」

 

「くッ……全部計算の内ってことかよ!! 下手打ったなベータ!!」

 

「むぅ……!」

 

「やってる場合か!! 戻るぞ!!」

 

 

 ピンチなのにやたらいい笑顔な染岡さんに思わずグーが出そうになりますが、豪炎寺さんの一喝のおかげで我に返り、ボールを強奪していった鬼道さんを追いかけます。

 しかしたぶん、これも全部鬼道さんの筋書き通り。私たちを十分に引き付けた上でのカウンター攻撃に、もはや私たちは追いつけません。

 

 

「【クイックドロウ】――っあ!?」

 

「無駄だ! 【イリュージョンボール】!!」

 

 

 すれ違いざまボールを奪い返そうとしたマックスさんの必殺技は、鬼道さんの三つに分裂したボールの幻惑を捉えられず、

 

 

「行け!! 寺門ッ!!」

 

 

 既に自陣に攻めんこんでいたフォワードの一人にパスが渡ってしまいました。

 

 風丸さんたちディフェンスを振り切って、そのフォワード、寺門さんは頭上にボールを蹴り上げました。

 

 

「くらえ雷門!! 【百裂ショット】!!」

 

 

 空中で回転させたボールに幾重にも繰り出される蹴り。それが無数のシュートの濁流のような迫力で放たれます。

 がしかし、それはちょうど円堂さんの正面。威力もどうやら危機感を覚えるほどのものでもありません。円堂さんなら問題なく止められるレベルのシュートです。

 

 しかし一瞬後にまた内心が逆転し、凍り付くことになりました。

 

 

「【熱血パンチ】――な……っ!?」

 

「えっ――!?」

 

 

 炎を纏ったパンチングは、シュートを弾き損ねました。芯を外れて上に跳ね、円堂さんの腕と身体までを飛び越え、そして――

 

 クロスバーに直撃し、ゴールラインのギリギリ手前に落ちました。

 円堂さんが慌てて飛びつきボールを確保。辛うじて失点は防がれます。

 

 不幸中の幸いです。普段であればそう、今度こそ胸をなでおろすところですが――しかし。

 

 その時、胸の奥に生じた何か(・・)のせいで、私は安堵を抱くことができませんでした。

 

(何なんでしょう……これ……)

 

 代わりに、心臓が疼くような感覚があります。そしてそれはあまり心地よいものではありません。

 

 いえ、そんなよくわからない感覚なんて、気にしていても仕方がありません。

 確かに今のは円堂さんのミスですが、ミスなんて誰にでもあり得ること。しかも結果的にはセーブしています。

 だから何も問題ありません。気持ちを切り替えるべきです。

 

 深呼吸で内心に生じたモノを吐き出してから、私は自陣へ走り込みました。

 今なら鬼道さんとも遠い距離。カウンターのカウンターで【ダブルショット】のチャンスです。

 

 

「円堂さん! こっちです!」

 

「あ、ああっ! 頼むぞ、ベータ!!」

 

 

 しかし、

 

 

「――ッあ!?」

 

「えっ……!?」

 

 

 円堂さんが振りかぶり、投げたボールは私から大きく外れ、なんと敵の佐久間さんに渡ってしまったのです。

 

 信じられない大暴投。しかしそれは佐久間さんにしても同様。思いもよらないパスであり、ボールを受けるも一瞬動きが固まってしまいます。

 そこにギリギリ土門さんが間に合いました。

 

 

「き、【キラースライド】ッ!!」

 

「っく……!?」

 

 

 カット成功です。勢い余ってボールを弾き飛ばしてしまい、タッチラインを割ってしまいました。

 ですが結果的にはそれで正解でしょう。相手にスローインを与えてしまいましたが、代わりに息を整える時間が生まれました。それでもとても解消しきれそうにない動揺が、私と皆さんの中に生じてしまってはいるのですが。

 

 

「キャ、キャプテン……その……大丈夫ッスか……?」

 

「……えっ? あ、ああ! 大丈夫、大丈夫!」

 

「……頼むぜ円堂。せっかくここまで勝ち進んできたってのに、腑抜けたミスされちゃ悔やんでも悔やみきれねぇ」

 

「ああ……わ、悪い……」

 

 

 空元気で応えるも、壁山さんの心配には形を保てたようですが、染岡さんの前にあっけなく崩れ去ってしまいました。

 これはいよいよもって重傷かもしれません。

 

 さっきまではそんな様子は微塵もなかったのに、突然の絶不調。それが偶然引き起こされたものでなければ、原因はやはりあの時に影山に何か言われていた件でしょうか。

 しかしその詳細は彼以外の誰にもわからぬ話。故に傍でやり取りを聞いていた風丸さんは一瞬瞑目し、そして円堂さんの代わりに勝気な笑みを浮かべました。

 

 

「……円堂の調子が悪いなら、俺たちでフォローすればいい。だろ、みんな……!」

 

「そうでやんすね……! 特訓の成果の見せどころでやんす!」

 

「助け合いの精神ってやつね! ま、仲間なんだから当然だ!」

 

 

 壁山さんや風丸さんだけでなく、ディフェンス四人全員が頷き合っています。円堂さんが不調に見舞われている以上、そこの穴は彼らで塞いでもらうほかありません。

 がしかし、それでも完全にはいかないでしょう。円堂さんの代わりがあの四人にできるはずがないのです。

 それどころか、皆さんが守備に集中したとしても不可能です。円堂さんの存在はそれほど大きいのですから。

 

 円堂さんの不調分を補えるとすれば、それは私だけ。私だけ(・・・)がフォローできる。そうでしょう。

 

 そのためには――

 

(とにかく得点、ですね……!)

 

 帝国にどれだけ点を入れられても、それを上回る点を私か稼げれば問題なしです。

 なんとしても先取点を取る。私はそう心に決めて、回収され、スローインでフィールドに投げ入れられるボールを見つめていました。

 

 

 少林さんくらい小柄な帝国選手のスローインは、予想通り、やはりゴール前のフォワード狙いでした。

 だから彼がボールを投げると同時に、そのボールをカットするため私も動いたのですが――しかし、私がそう動くこともどうやら鬼道さんに読まれていたようで、一歩踏み出したその瞬間、佐久間さんに前を遮られてしまいます。

 

 

「鬼道さんの言う通り、やっぱりお前は一番危険だな……! 行かせないぞ……!」

 

「っ……! もう! 邪魔、ですッ!!」

 

「こ、の……ッ!! ぐあッ!!」

 

 

 やむなく肩で力任せに押し退けます。笛が鳴らなかったことに安堵しつつ、どうにか空中にあったボールを奪取。

 が、稀代の天才ゲームメーカーはそこまで織り込み済みであったようです。着地した時には、既に周囲を帝国選手たちに囲まれてしまっていました。

 

 やっぱり試合のコントロール能力に関しては、彼の方が一枚も二枚も上手です。こうまで見事に対応されてしまうと、嫌でも鬼道さんの手のひらの上で弄ばれているように感じてしまいます。

 息苦しくてたまりません。

 

 徐々に焦燥と――苛立ちが、オレの心を侵し始めるのがはっきりと知覚できるほどだった。

 

 

「ベータ!! こっちだ!! パス、パス!!」

 

「――ッ!! 半田!! お前は前に走っとけ!! そこに居られても邪魔だ!! いいからオレに……任せてろッ!!」

 

 

 半田が上げる声が、それら負の感情の増大をさらに加速させた。あいつは自分の立ち位置が、自陣にも帝国選手にも近すぎることをわかっていないのだろうか。いま半田にパスしても、それは帝国選手にボールを献上するのと同じことだ。

 せめてもう少し前、声など上げずにひっそり駆け上がっていたら使ってやることもできたのだが、自らその機会を潰しているのでは世話もない。

 

 やはり仲間は役に立たない。オレがどうにか、この包囲網を単身突破するしかないのだ。

 

 

「……やはり、か」

 

「っ……? 鬼道さん?」

 

 

 舌打ちしそうになるのを堪えつつ覚悟を決めると、ふと、包囲網の外でオレを観察していた鬼道の声が耳に入った。

 何が『やはり』なのかと、身を起こす佐久間とは違って警戒心を掻き立てられたが、しかし直後、奴を意識する余裕はなくなった。

 

 

「今だ……ッ! 【キラースライド】!!」

 

「ッ!! 待て、辺見!!」

 

 

 オレを囲んでいた帝国の一人が、しびれを切らしたのか仕掛けてきた。

 鬼道たちに気を取られていたのを隙と捉えたのだろうが、それはオレにとって紛れもない光明だ。

 一瞬遅れて結末を予測したらしい鬼道が声を上げるが、もう遅い。

 

 

「その必殺技、土門のでもう見慣れてんだよ!!」

 

「なッ――!?」

 

 

 初見だったら対応できなかったかもしれないが、散々目にして体験した今となってはただのスライディングタックルよりも対処は簡単だ。ジャンプして悠々躱す。 

 そしてそのまま包囲網に開いた穴から飛び出したオレに、鬼道が焦りながらも冷静に指示を飛ばした。

 

 

「くっ……戻れみんな!! ディフェンスは圧をかけろ!!」

 

「了解!!」

 

「ハッ!! もう遅せぇんだよ!!」

 

 

 自陣に攻め込んで来ていた奴らが今更オレに追いつけるはずもないし、一人や二人のディフェンスなら十分突破できる。

 そうしたら後は【ダブルショット】で一点決めるだけだ。

 

 

「いいぞ!! ベータ、パスだ――って、おい!?」

 

「米田!! 一人で突っ込み過ぎだ!!」

 

 

 またもパス要求してくる染岡と、声を張り上げる豪炎寺は無視して突き進む。どちらにも今更ボールを預ける理由は皆無だ。

 逆に誰かに預けていたらディフェンダーで止められていただろう。だが――

 

 

「オレには通用しねぇぜ!! 【スピニングアッパー】!!」

 

「う……ぐわぁあッ!!」

 

 

 巨漢のディフェンダーを吹き飛ばす。ペナルティエリアの手前で、ゴールまでの障害はあとキーパー一人のみ。

 まだ少し距離があるが、ここらあたりで十分だろう。源田を見据え、高く足を振り上げた。

 

 一番最初の帝国戦。あの時は豪炎寺の【ファイアトルネード】に重ねる形で源田の【パワーシールド】を突破した。あの頃のオレはサッカーを再開した直後でブランクが酷く、恐らく一人ではあの衝撃波の壁を破ることはできなかっただろう。

 しかし今は違う。今日までの練習で、ブランクはもうすっかり抜けている。今のオレなら一人でだって貫ける。

 

 

「あの時みたいにブチ抜いてやるッ!! 【ダブルショット】!!」

 

 

 ボールを踏みつけ、分裂したそれを追って跳び、両足でシュートを放つ。狙いはぴったりで威力も万全、ミスはなく、得点を確信できる一撃だった。

 

 が、しかし――

 

 

「やるな、明らかに前よりもパワーアップしている……だが!! 強くなったのはお前だけじゃないッ!!」

 

 

 迫りくるシュートをまっすぐ見据えた源田の両手には、明らかに以前に見たものよりも強いチカラが集っていた。

 

 

「これが俺の最強のキーパー技――その、進化した姿だッ!! 【フルパワーシールド V2】!!」

 

「なっ……!?」

 

 

 大きく跳び、チカラを集中させた拳を地面に叩きつけることによって生まれる壁。【パワーシールド】よりもはるかに大きく、そして比べ物にならないほどの輝きを放つ障壁に、次の瞬間【ダブルショット】が激突した。

 

 せめぎ合うシュートと障壁の拮抗は、やがてシュートの方に傾き始めた。徐々にボールが衝撃波の壁に食い込み始める。

 亀裂も走り、シュートの威力と回転が少しずつ、少しずつ障壁を削り取り――そして穿った。

 

 破りはしたのだ。源田の、【パワーシールド】を上回る奥の手の必殺技を。

 だがそのチカラは、あまりに伯仲しすぎていたようだった。

 

 

「ぐぅッ……まだ、だあああぁぁぁッッ!!!」

 

 

 障壁を貫いたボールを両手で受け、威力に押されて芝の上を滑りながら、しかし源田の足は、やがてゴールラインの僅かに手前で止まった。

 

 ――私の【ダブルショット】は、止められてしまったのです。

 

 

「……ふ、防いだァッ!! 帝国キーパー源田、米田の【ダブルショット】を辛うじてセーブ!! キング・オブ・ゴールキーパーの意地を見せつけたァッ!!」

 

 

 実況さんが大盛り上がり。対して私はあまりの衝撃に声も出せませんでした。

 

 確かに、【ダブルショット】を打って点が決まらなかったのは初めてではありません。

 一度、御影専農に止められたことがありますが、しかしあれはディフェンダーとゴールキーパーの二人がかりで、しかも距離のあるロングシュートを辛うじてゴール外に逸らしただけです。

 

 目の前で起きた光景のように、一人に真正面から受け止められたのは初めてのこと。

 そして私にとっては想像することもなかった、あまりに現実味のない事態でした。

 

 

「……今度こそ、俺の勝ちだ……!! 後は頼むぞ、鬼道ッ!!」

 

「っ……!!」

 

 

 勝ち誇った顔の源田さんが大きく振りかぶってロングパスを抛り、そこでようやく私は我に返りました。

 とはいえ今度のパスは止めようもなく、私を追って帝国陣地に戻って来ていた鬼道さんにボールが渡ってしまいます。

 

 また同じ展開。皆さんの能力では鬼道さんは止められません。

 そして円堂さんも……今の彼は、きっとシュートを止められない。

 

 私の力が及ばないせいで起きる未来が頭に浮かび――そしてオレはまたしても、浮かぶ焦りを怒りで以ってしてそれを吹き飛ばした。

 

 

「ふ――ざけるんじゃねぇッ!!」

 

 

 衝動に任せて追いかける。普段であればスタミナ配分も考えるが、もはやそんなことすら意識に無かった。

 またも豪炎寺から鋭い声が響いた。

 

 

「落ち着けベータ!! 一人で突っ込むな!! 仲間を信じて、次の攻撃のために体力を温存しろ!!」

 

「『仲間を信じて』!? 信じてるからこうやって必死になってるんだろうが!! あいつらの実力じゃ鬼道は止められねぇんだよ!!」

 

 

 無理難題を押し付けるのは“信じている”とは違うだろう。

 豪炎寺とは違ってオレは、仲間の実力を理解して(・・・・)、奴らでは鬼道を止められないと信じている(・・・・・)のだ。

 

 いつものように、皆の手に負えない事態ならオレがどうにかするしかない。ならば今の状況では、こうする以外に方法などないはずだ。

 

 

「いいから、黙って見てろッ!!」

 

「ベータッ!! 帝国は、一人でどうにかできる相手じゃない!!」

 

 

 そんなことあるものか。

 豪炎寺はオレのシュートが止められてしまったことで弱気になってしまっているのかもしれないが、あんなギリギリのセーブは一度だけ。もっと近く、もっと強くシュートを放てば二度はない。

 それはディフェンスも同じこと。もはや油断や慢心の余地は消え、端から本気。であれば鬼道といえど競り負けはしない。

 

 

「もらったッ!!」

 

「ッ!!」

 

 

 全力のダッシュで、瞬きほどの間で鬼道に追いついた。奴にしても想定外の速さだったようで、一瞬背後を振り向いたゴーグル越しの目が明らかな驚愕で見開かれる。

 おかげでほんの一瞬、身体が硬直したその隙に、オレは背中にぶち当たるようにボールを奪いにかかった。

 

 しかし接触のその直前。

 

 

「――成神ッ!!」

 

 

 鬼道が寸前に他の選手へパスを出してしまった。

 

 

「なっ――クソ……ッ!!」

 

 

 さすがは帝国でキャプテンを任ぜられるだけあると言うべきか、反射的なプレーなのだろうが忌々しいほどの正確さだ。パスボールは成神なる帝国選手の足元にピタリと収まってしまう。

 しかもそれだけではなく、オレに捕捉されていると理解した途端、ゲームメーカーとしての腕前も光り出した。

 

 

「辺見、佐久間、前へ出ろ! 寺門はもっと左、ディフェンスの抑えだ! 洞面、五条は俺と来い! 広めに距離を取れ!」

 

 

 的確な指示。常に一定の距離を保つ鬼道たち三人の間でそれぞれパスが回り出し、一気にボール奪取のチャンスが消える。一度痛い目を見たからかその動きは慎重で隙が無く、しかも前に出てきたフォワードたちによって徐々に盤面を抑え込まれていった。

 

 奴らは万難を排した上で確実に点を取ろうとしているのだ。円堂の不調に奮起していた皆を恐れてか、一人残った円堂だけを狙い撃ちにするつもりらしい。

 そして、そうして放たれるシュートは、もはや防ぎようがないだろう。

 打たれる前にオレが止めるしかないが、しかしボールを奪おうにもパス回しで躱されるばかりで、焦りと疲労だけが募っていく。こちらも指示を出すも鬼道のゲームメイクの前にはその歩みを止めることができず、やがて、その時がやってきた。

 

 

「――よしッ、行け辺見!!」

 

 

 とうとう雷門の正面の守りが押し退けられてしまった。一直線に円堂まで届いた守備の穴。そこに一人走り込んでくる。

 オレがそれに反応できたのは、半分偶然だった。

 

 

「はァ……させ、るか……!!」

 

「なにッ!?」

 

 

 パス回しに走らされすぎたせいで息は切れかけだが、辛うじてパスコースを塞ぐのは間に合った。これでこいつにシュートは打てない。

 がしかし、それも焼け石に水。シュートを打てるのはこいつだけじゃない。

 

 

「くっ……ならば、佐久間ッ!!」

 

「はい!!」

 

 

 最前線でディフェンスを抑え込んでいた佐久間を呼び寄せ、ジャンプしたそいつにボールを上げる。合わせて俺もまたシュートコースを塞ごうと動いたのだが、予測に反して佐久間はシュートを打つのではなく、ヘディングでそのままボールを下に落とした。

 必殺シュートを放ったのは、そこにダイレクトで飛び込んできた鬼道だった。

 

 

「「【ツインブースト】!!」」

 

「っ……決められる……!!」

 

 

 ヘディングの威力を上乗せしたボレーシュート。威力は当然、今の円堂を破るには十分すぎるほど。

 そしてもはやオレは壁になることすらできず、余裕なくシュートを凝視する円堂が吹き飛ばされるのを覚悟する以外になかった。

 

 しかしその時、ぽっかりと開けられたゴール前の空間に、飛び出してくる大きな影が一つ。

 

 

「い、入れさせないッス!! みんなで守るって、約束したんッスから!!」

 

「か、壁山――!?」

 

 

 円堂が声を上げた。こっちの守備陣は封殺されていたはずだが、佐久間がシュートに加わったおかげで壁山だけマークが外れたのだろう。

 

 ともかく壁山はその巨体を盾にした。が、もちろんそれで止まるなら苦労しない。

 いかに身体が大きく重いとしても、帝国の必殺シュートの威力に敵うはずもない。自身と円堂もろともゴールに叩き込まれるのがオチだ。

 

 そう思ったのだが、その時後ろから、染岡の声が轟いた。

 

 

「壁山、気合だ!! あの時、俺の【ドラゴンクラッシュ】を弾いてみせた気迫を思い出せッ!!」

 

「あ、あの時の、気迫……!!」

 

 

 直後、シュートが壁山に直撃する。そしてその身体は、今度こそはっきりと、まるで大きな壁のような威容を発し、

 

 

「だあああぁぁぁッッ!!」

 

 

 なんとシュートを弾き返してしまったのだった。

 

 

「な、なんだと……ッ!?」

 

「すげー……すげーぞ壁山!!」

 

 

 驚愕する帝国と喜ぶ雷門。シュートを防いだうえにこの土壇場で新たな必殺技が誕生したのだから、どちらももっともな反応だ。

 しかし、驚いてる暇も喜んでいる暇も今はない。

 

 

「壁山、ボールをよこせッ!! 今度こそ決めてやるッ!!」

 

「――よ、米田さん……!」

 

 

 ゴールは守れても得点しなければ試合には勝てない。もう四十五分の終わりも近く、これが前半戦、先取点の最後のチャンスだ。

 しかし直後、必殺技の誕生に一役買って調子に乗った、もう一つの声。

 

 

「俺に寄こせ壁山!! 次は俺の必殺シュートの番だ!!」

 

 

 染岡だ。身の程知らずにもオレを差し置いてゴールを決めるつもりらしい。源田相手にあいつのシュートが通用するはずがないのに。

 

 だが皆、壁山の奇跡的なプレーに気が緩んでしまっていたらしい。

 あるいはオレが守備に回っていたせいで染岡の方が帝国ゴールに近かったからか、壁山はオレと染岡二人のパス要求を見比べて、最終的に染岡の方へロングパスを飛ばしてしまった。

 

 

「――クソッ!!」

 

「ひぅっ!」

 

 

 オレの悪態に背を跳ねさせ、もじもじし始める壁山は放置し、走り出す。ボールは染岡に渡ってしまったが、なら再び取り戻せばいいだけの話なのだ。

 

 疲労を押して、我ながらな速度であっという間に染岡に追いついた。

 マジかよとでも言いたげな眼をオレに向けてくる奴に、弾む息を噛み潰して叩きつけるように言う。

 

 

「はぁッ……!! 染岡、ボールをよこせッ!! お前のシュートで、源田が破れるわけねぇだろ……ッ!!」

 

「ンなこと、やってみなきゃわからねえだろ!!」

 

 

 わかっていたが反発してくる。そしてそれは滅多なことでは折れないだろう。奴の反骨心の強さが尋常でないことは、同じチームで戦ってきたオレにはよくわかる。

 文字通り嫌というほどの体験談。しかし今回に限ってはそれだけに留まらなかった。

 

 

「――お前こそ、そんなヘロヘロな有様でシュートなんて打てんのか!? ……お前こそ俺たちに任せて、おとなしくスタミナでも回復させてろ……!!」

 

「ッッ……!!」

 

 

 その労わるような台詞が鼓膜に触れた瞬間に、染岡をどう説き伏せようかという考えは頭から弾け飛んだ。

 

 

「ぐおッ……!? な、何しやがる、ベータッ!!」

 

「いいから、よこせッ!!」

 

 

 染岡にショルダーチャージをぶちかまし、無理矢理ボールを奪い取る。非難の声が聞こえてくるが、もはや知ったことではない。

 

 労わる。下に見られている。つまり――オレが雷門の足枷になってしまっている。

 

 

「そんなの……あってたまるか……ッ!!!」

 

「ッ!! ベータッ!!」

 

 

 豪炎寺の声が飛んでくる。しかしなればこそもう止まれない。

 だって雷門を壊したりしないと、そう約束したのだから。

 

 

「オレが……みんな勝たせてやる……ッ!!」

 

 

 負けることはおろか、敗因になるわけにはいかない。そうなった時、オレは本当に響木が言ったような存在になってしまう。

 ここでサッカーできなくなるのは、嫌なのだ。

 

 

「ブチ抜け……ッ!! 【ダブルショット】ッ!!」

 

 

 さっきよりも少しゴールに近い位置。必死にそこまで距離を詰め、オレは全力の【ダブルショット】を打ち放った。

 

 しかし敵ディフェンダーその射線内。オレ本体への妨害を諦めた代わりに是が非でもシュートをブロックする腹積もりであるらしい。

 そうやって立ちふさがった巨漢ディフェンダーの二人を、

 

 

「いい! 任せろ!」

 

 

 さっきのように右手にチカラの稲妻を走らせた源田が退けさせる。そして、跳んだ。

 

 

「【フルパワーシールド V2】!!」

 

 

 再び俺のシュートと障壁が激突する。

 だがその結果は、以前のそれよりも酷いものだった。

 

 

「――そん、な……っ!」

 

 

 ――弾かれてしまいました。【ダブルショット】は障壁を破れず、それどころかヒビすら入れることはなく、あっけなく防がれてしまったのです。

 スタミナを消耗しすぎたことが原因。そうわかっていても、ショックは免れ得ないものでした。

 

 

「お前のシュートは、もう俺には通用しない。……万丈、持って行け!」

 

 

 源田さんからのパスを受けたのは、さっきのディフェンダーの一人。カウンターに備えて距離を取っていたようで、ボールは悠々運ばれていきます。

 

 ショックで怯む身体にかぶりを振ってどうにか動かし、少し遅れて私もボールを追いかけます。

 が、もともとスタミナ切れに近かったところをさっきの攻めで使い果たしてしまったらしく、早歩きくらいの速度で精一杯。間に合うはずもなく、そしてディフェンス陣の皆さんが帝国の攻撃に抗えるはずもなく、いっそ面白いくらいに裏をかかれて全員抜き去られてしまいました。

 

 そして円堂さんと一対一。もとい、一対三。

 

 

「いくぞ円堂……!! 【ゴッドハンド】を破るために編み出した必殺技だ!!」

 

 

 鬼道さんの口笛で現れたペンギンたちがボールと共に蹴り出され、それをさらに、佐久間さんと辺見さんの二人が両側からボレーシュート。

 

 

「「「【皇帝ペンギン2号】!!」」」

 

 

 はるか遠くで放たれたその必殺シュートは、応じて円堂さんが繰り出した【ゴッドハンド】を食い破り、ゴールに突き刺さってしまうのでした。



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第三十六話 雷門のサッカー、私のサッカー

「――ベータ。後半戦、お前はベンチだ。いいな」

 

 

 ハーフタイム。ジンジン痛み始めた身体の節々に秋さんのアイシングを受ける私の耳に、響木さんの毅然とした声が入ってきました。

 

 まあ、彼の立場からしてそういう判断になるのが自然でしょう。皆さんからも、最初は驚きの声が上がりましたが、それも染岡さんが鼻を鳴らすだけですぐに鎮まってしまいます。

 

 

「はっ、当然じゃねえかそんな事。せっかく注意してやったのに無視してスタミナ使い尽くしたバカが、後半戦を戦えるわけがねぇ。途中でぶっ倒れるだけだろ」

 

「う、ううん……それはそうかもなんでしょうけど……」

 

 

 やはり私が抜けるのは不安、というところでしょうか。少林さんをはじめとした一部が弱気に眉を下げています。

 【ダブルショット】と【ゴッドハンド】、今まで負けなしだった必殺技が両方とも破られてしまった今、私という大きな戦力を下げるのはいかがなものかと、そんな思いが拭えないでいるのでしょう。

 

 不安、不満という点で、それは私も同じことです。疲労に痺れる身体を軋ませながらベンチを立ち上がり、響木をまっすぐに見やります。

 途端に心臓を鳴らす緊張はどうにか呑み下すと、虚勢半分で決意の言葉を口にしました。

 

 

「……秋さんたちが処置してくれましたから、身体は大丈夫です。スタミナもちゃんと回復できました。もちろん完全とはいきませんけど、それでも後半戦を戦うには十分です。今度こそ三度目の正直で得点してみせます」

 

「だから後半戦に出してくださいってか? ケッ。虫がいいとは思わねぇのかよ、ベータ。当のお前は俺たちの言葉なんて一つも聞きやしなかったじゃねぇか」

 

「……スタミナのことはさすがに私も反省しちゃってます。ガス欠の状態でシュートを打っても、あの通りだったわけですもの」

 

 

 でもそれも、染岡さんがもう少し協力的だったらちょっとくらいはマシになっていたはずです。素直にボールをよこしてくれてさえいれば、無理矢理奪い取るために走りったりして消耗する必要もありませんでした。

 だからそういう意味での反省ならしっかりとあります。教訓を生かして今度こそと、そんな決意だったのですが、しかし。

 

 

「思い違いだ、二人とも。たとえベータのスタミナに問題がなかったとしても、俺の考えに変わりはない。後半戦、ベータはベンチに下げてスタートする。これは絶対だ」

 

 

 響木さんは無常に切り捨ててしまいました。しかも、『思い違いだ』などと言う始末。それはさすがに理解ができません。

 

 

「……じゃあ、私の何が問題なんです……? 雷門で最強のシュートを持っているのは私です。あの源田さんを破って二得点挙げなくちゃいけないのに、わざわざ私を下げる意味が分かりません……!」

 

 

 監督として弱った選手を試合に出すわけにはいかない、ということならまだ理解できましたが、そうではないというのなら、何なのか。

 わからないうちには、いえ、たとえわかっても、私は引き下がるわけにはいきません。私は今度こそ点を決めなければならないのです。

 

 

「まさか本気で染岡さんのシュートで点が取れるだなんて、思っちゃってるわけじゃないでしょう? あの【フルパワーシールド V2】を破れるとすれば、私の【ダブルショット】だけです!」

 

「……同じことを繰り返すわけにはいかん。もはやこれ以上の失点は許されない状況だと言っただろう」

 

「さっきのやり方がまずかったことはわかってます! いいように走らされちゃいましたから……。けど、もうあんな失態は犯しません! 例えば帝国がシュートを打つ瞬間だけを狙い撃ちして消耗を抑えるとか……ちゃんと作戦を立てて、後半戦は戦いますから!」

 

 

 “らしくない”と、そう思われているのでしょう。周囲から奇異の眼が向くのを感じます。

 しかしどうにもならないのです。これが染岡さんとかとのやり取りであったなら憎まれ口の一つや二つくらい口にしていたでしょうが、今の響木さんの前ではそんな余裕は生まれようもありません。

 それほどに、私の中に根を張っている“雷門でサッカーをしたい”というこの気持ちは強いものだったのです。

 

 しかしそれでも、響木さんは首を横に振りました。そしてただ一言、

 

 

「……スタンドプレーに走る選手は、雷門には必要ない」

 

 

 それだけで、口からとめどなく溢れ続けた気持ちはぴたりと止まってしまいました。

 

 『雷門には必要ない』。監督から放たれたそれは、私の気持ちを真っ向から叩き伏せるもの。単語がぐるぐると頭の中を巡って滅茶苦茶にかき乱し、途端に何か、そこに繋がる回路でも焼き切れたかのように、ものを考えることができなくなります。

 

 

「監督……!」

 

 

 豪炎寺さんの硬い声も右から左へ抜けていくばかり。その後に続いたやり取りも、ほとんど私の頭に上ってくることはありませんでした。

 

 

「……少なくとも、今のベータを試合に出すわけにはいかん。わかるだろう、豪炎寺」

 

「………」

 

「いいか、お前たちも。……後半戦はフォーメーションを変えていく。ミッドフィールダーを増やして2-4-4だ。宍戸、行けるな?」

 

「えっ!? お、俺ですか!? ……は、はい、わかりました……!」

 

「よし。とにかくまずは守りを固めろ。何度も言うが、これ以上点を取られるな。……時間だ、行ってこい!」

 

 

 随分と遠慮がちな「はい」が聞こえ、徐々に皆の足音が遠ざかっていきます。それを聞きながら、私の腰がベンチに落ちました。

 

 しかし一人、なかなかその場を動こうとしなかった一人に向けて、響木さんが言いました。

 

 

「何があったのかは聞かん。だが、わかっただろう。この場にいる全員が、勝つために必死になってサッカーをしている。それを忘れるなよ……円堂」

 

「……はい」

 

 

 普段よりも元気のない、思い詰めたような声色で答えると、最後の彼もピッチへと向かって行きました。

 

 

 

 

 

 

 

「――ああっと! 雷門、果敢に攻め込むもまたも帝国ディフェンスに阻まれる! やはり米田を下げたことが攻撃力の低下を招いてしまっているのか!?」

 

 

 なんて実況の声は、しばらく経ってようやく頭に入ってくるようになりました。

 だから多少なりとも落ち着きは取り戻せたのだと思います。しかし我を失うこととなった原因の方は少しも変わらず、しかも秋さんに見透かされ、おかげで顔を上げて見えた彼女は心配そうな顔でした。

 

 

「……あの……佳ちゃん、その……」

 

「……大丈夫です。心配しないでください」

 

 

 反射的にそう応じてしまうも、それもほとんど虚勢です。

 実際は自分が今大丈夫なのかすらすらもよくわからない思考停止状態が継続し、唯一わかるのは、今フィールドで行われている後半戦、私抜きで戦う雷門をどうしても見ることができないという、それだけでした。

 

 そんな悲しみとも苦しみとも判断つかない感情から逃げ出すために、私はさらに、秋さんを安心させるためのカラッポな言葉を紡ぎ続けます。

 

 

「……響木さんの判断が間違ってないことは、私ももう理解しちゃってます。スタミナもそうですけど、失点の流れを変えるためにも、選手交代は有効ですから」

 

「違う。……何度も言わせるな。変えなければいけないのは試合の流れではなく、ベータ、お前自身だ」

 

 

 しかしせっかくの私のフォローは当の響木さんに無視されてしまいます。

 しかもちらりと視線を上げれば小さな丸サングラスの視線がじっと私に向けられていて、身体が勝手にびくりと反応しました。

 

 同時に蘇る彼の言葉。『必要ない』、『雷門を破壊する』。私はほんとに嫌われているのかもしれません。

 なら私はやっぱり雷門サッカー部を追い出されてしまうのでしょうか。そう思うともう駄目で、頭が真っ白になって喉が詰まり、窒息させられているような感覚です。

 

(でも……イヤ、なんです……! とにかく、それだけは……っ!)

 

 何も考えられない中、頭の中に残っているそれだけにしがみつくしかありませんでした。

 そしてそれを頼りに、引き攣る喉をこじ開けようとした――その時。

 

 

「――なら……どう変えればいいのか、教えてあげるべきなんじゃないですか、響木監督……!」

 

 

 私の前に秋さんがそう口にしていました。

 眉を寄せ、かわいいお顔を不信で歪めた彼女が、ベンチを立って響木さんに立ち向かっています。

 そしてため込んでいたのだろう不満を、そのまま勢いよくぶちまけてしまいました。

 

 

「佳ちゃんはサッカーが大好きです。……監督がスタンドプレーだって言うあのプレーは、彼女がその想いと同じくらい飛びぬけて高い実力を持っているから、みんなのために先陣に立ってくれているだけなんです。監督はそれを……佳ちゃんのサッカーへの想いを、『必要ない』だなんて言うんですか!? そんな簡単な言葉で切り捨てて……雷門を破壊しようとしてるのは、そんなことを言う監督の方なんじゃないですか……!?」

 

「っ! ……聞いていたのか」

 

 

 勢い余ってあの時の盗み聞きをカミングアウトしてしまう秋さん。円堂さん以外の当事者、響木さんと、それから眼は試合に向けつつも耳をそばだてていたらしい雷門さんが驚いたように息を呑む音がしましたが、秋さんは気にせず、一つだけ頷くと続けます。

 

 

「あの時、監督は“佳ちゃんを信じてる”って言った円堂くんに、“それは眼を逸らしているだけ”なんて返していましたよね。けど、佳ちゃんのサッカーから眼を逸らしているのは、監督の方だと思います……! 彼女の想いも実力も、監督はわかっていないんじゃないですか? だから、監督なのにはっきりしたアドバイスの一つもできてない……!」

 

「………」

 

「……監督には、佳ちゃんをちゃんとわかってほしいです。一度はサッカーをやめてしまった佳ちゃんが、またサッカーに夢中になることができたんだから……私、佳ちゃんが思うように楽しんでいるサッカーを、邪魔したくないんです! ……邪魔してほしくないんです……っ!」

 

 

 唸るように黙り込んでしまう響木さんに対し、秋さんはまるで心情をそのまま溢れさせたかのようでした。冷たく冷えた私の内心が、その剥き出しの想いでじんわりと温かくなっていきます。

 しかしそれも僅かな間だけのことでした。秋さんの温かな友情は、次の瞬間、すぐに覆い隠されてしまったのです。

 

 

「それは果たして、どうなのかしらね」

 

 

 雷門さんでした。冷やかなそれは、明らかに秋さんの訴えへの否定形。一瞬ぽかんとあっけにとられた様子だった秋さんも、すぐに憤りの顔に戻ってしまいます。

 

 

「思うがままに振舞うことが、必ずしも当人にとって良いこととは限らないんじゃなくって? 自分の歩く道が正しいかどうかなんて、実際に足を踏み外すまではわからないものよ」

 

「それは……そうかもしれない。けど、ならその時に手を差し伸べればいいのよ! もしも佳ちゃんが佳ちゃんのやりたいサッカーで、夏未さんの言うように足を踏み外してしまった時は、私が……私が今度こそ、必ず助けます……!」

 

 

 いやに大人っぽいことを言う雷門さんに、秋さんが必死の反発を口にします。

 やけに気持ちの入った『今度こそ』が引っ掛かりますが、ともかくそんな強い気持ちは、私のみならず雷門さんの心をも突いたようでした。

 彼女は僅かに目を見張り、それから一呼吸の後に静かに頷きました。

 

 

「……そう。けれど木野さん、あなた、わかっているかしら。米田さんもだけれど……そもそもの話、彼女は本当に思うがままにサッカーなんてできていて? 実際、今はベンチじゃない」

 

「それは……だって、監督が――」

 

「そうじゃなくって、ほら……円堂くんよ」

 

「っ……」

 

「……円堂さんがって、雷門さん、何のお話ししちゃってるんです……?」

 

 

 突然、脈絡なく出て来たその名前。私には関連性がさっぱりですが、秋さんは言葉に詰まってしまいます。それが私の首を傾けさせました。

 

 確かに円堂さんの調子は今、はっきり言って悪いでしょう。おかげで負け越し、私もスタミナ消耗することになりました。

 劣勢の原因を言うなら彼なのかもしれませんが、それは“私のサッカーに”という意味で、何か影響をもたらしたとは思えません。

 

 このチームでサッカーを続けるために、私はチームを勝利させなければなりません。それを潰そうとしているのは――私を後半戦に出さなかったのは、響木さんです。

 私に、“私のサッカー”をさせまいとしているのが響木さんであることは、疑いようがないでしょう。

 

 

「あなた、本当に今、試合に出たい? 出なければならない、と思ってはいない? 円堂くんたちみんなの代わりに一人で戦わなければならないサッカーは……本当に、あなたがやりたいサッカー(・・・・・・・・・・・・)なのかしら(・・・・・)

 

「……ッ!」

 

 

 秋さんに続いて私も息を呑む羽目になりました。

 

 “私のやりたいサッカー”とは何か。

 それは楽しいサッカーです。円堂さんとやったサッカーが楽しかったから、私は一度は飽きてやめてしまったサッカーをまた再び始め、この雷門サッカー部に入部することを決めました。

 そうして再び手に入れたサッカーを、円堂さんとの楽しいサッカーを手放したくないから、響木さんの言葉に胸の奥深くまでを貫かれてしまったのです。

 

 しかし――今はどうでしょう。

 この試合の前半戦、不調の円堂さんの分までと頑張ったサッカーに、私が惹かれた“楽しいサッカー”はあったでしょうか。

 

 ……尾刈斗戦、野生戦、御影専農戦、そして秋葉名戸戦。それらの試合を戦う中で常に背に感じることができていた“あの感覚”は、この試合の中には――

 

 

「……その答えを、他人が教えるわけにはいかん。それは己で気付かなければ意味のないことだ」

 

 

 ハッとなって、思索に沈みかけていた意識が浮上してきました。見上げると、やはり私をじっと見つめていた響木さんと眼が合います。

 しかし今度は身体が強張ることはありませんでした。

 緊張はまだあれど、さっきと違って頭は明瞭。胸の内にも恐れの類はほとんどなかったのです。

 

 その理由はたぶん、私が響木さんの……響木監督の言わんとした心情を、おぼろげながら察することができたから。

 

 

「ベータ。お前は、知らなくてはならない。これからも雷門でサッカーをしたいなら、まず雷門のサッカーを知るところから始めるべきだ。……それが、きっとお前のやりたいサッカーに繋がるだろう」

 

 

 私は円堂さんのサッカーに惹かれたと言いながら、彼のサッカーの何に自分が惹かれたのか、全くわかっていないのです。

 

 好きな食べ物は挙げられても、それが甘いのかしょっぱいのか、どんなフレーバーをしているのかがわからない、というような不思議な状態。そのどこが好きなのかと聞かれれば、味もわからないくせに“おいしいから(楽しいから)”という、矛盾した答えを出してしまっているのが今の私であるのです。

 

 だから当然、この試合にいつもの楽しさを感じられなかった理由なんて、私に理解できるはずがありません。

 しかし私は理解しなくてはなりません。その楽しさの本質を。響木監督のことだけでなく、きっと、本当の意味で“私のサッカー”をするためにも必要なのです。

 

 と、その時。

 

 

「――円堂ッ!!」

 

 

 不意にピッチから騒めきが聞こえてきます。反応した私の顔はそれまでとても直視できなかった試合の場をあっさりと捉え、そして炎渦巻くシュートが円堂さんに直撃する瞬間を目撃してしまいました。

 一瞬の困惑。シュートはぶつけただけであるようで、オウンゴールにはなってはいませんが、だとしても理解不能です。

 

 しかし頭上から、そんな異常事態の中でも酷く落ち着いた響木監督の声が言いました。

 

 

「円堂は……あいつは、とんでもないサッカーバカで、キーパーだからな。例え何度躓いても、何度でも立ち上がって必ずゴールを守る。そんなやつだ。……ベータ、お前が答えを見つけるまで、きっとあいつはお前の背中を守り続けてくれる」

 

 

 見上げると、ピッチの円堂さんたちに向いていた眼が、応じるように私へと頷きかけていました。

 

 

「だから安心して試合を楽しんで来い。そして今一度、確かめてみろ。お前の望んだサッカーというものを」

 

 

 私が望んだサッカー……。自然と視線が再び円堂さんへ向かいます。

 そこにはさっきまでの不調な彼の姿はなく、いつもの熱意で目を熱く輝かせた円堂さんが、豪炎寺さんからの“ボール”をしっかりと受け止めている姿がありました。

 

 

「……輝きを取り戻したようね、円堂くん」

 

「ハハハ……そうでないとね……! 身体張った甲斐があったってもんだよ……」

 

「……あれ? 土門さん?」

 

 

 やれやれと言わんばかりな雷門に続いて、すぐ傍で土門さんのため息が聞こえました。

 一瞬反応が遅れてしまいます。だって彼はスタメンディフェンダー。今もフィールドで戦っているはずです。

 

 と思って視線を声のする方、ベンチに座っている私からさらに下方に向けて――また一瞬、言葉を失ってしまいました。

 

 

「……どうしちゃったんです? その怪我」

 

「え……み、見てなかったのかよ? 文字通り身体を張った、俺のスーパーセーブ……うぐぐ……」

 

 

 頬のあたりが大きく晴れています。指摘の通り全く気が付きませんでしたが、たぶん顔面セーブか何かしたのでしょう。円堂さんのフォローのために。

 

 ともかく怪我の具合からして試合は無理そう。ディフェンダーが一人欠けてしまっているわけです。

 

 

「ベータ。土門の代わり、行けるな?」

 

「……私のポジション、フォワードなんですけど」

 

 

 欠けた穴、ディフェンダーに、響木監督は私を投入するつもりである様子です。控えのメガネさんはともかく、影野さんにはちょっと申し訳なく思ったりもしますが、選択肢は一つだけでした。

 

 

「……ディフェンスは嫌か?」

 

「見てるだけのサッカーなんて、ちっとも面白くありませんもん」

 

 

 体力も十分回復できました。なら嫌なんて言う理由はありません。

 一つ深呼吸をしてから、私はベンチから腰を上げました。




現実では一度控えと交代した選手は特別な場合を除いてその試合には復帰することができないルールになっていますが、超次元サッカーなので問題ありません。
そういうことです。
ゆるして。


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第三十七話 雷門サッカー

「――米田さんがディフェンスかぁ……。前の帝国戦の時以来で、なんか懐かしいッス!」

 

「私としては、もうこんなことすることはないって思っちゃってたんですけどねぇ」

 

 

 しかし何の因果か、あの時――今回限りの助っ人として出場した帝国戦と同じ、壁山さんの隣のディフェンダーポジション。彼のように呑気に『懐かしい』などとは思いませんが、目の前に敵の眼ではなく味方の背中が見えるのは、二度目とはいえ前回とは状況も舞台も違うせいか、何とも不思議な感覚で落ち着きません。

 けれどそれこそが、きっと今の私には必要なものなのでしょう。

 肯定するように、背後のすぐ近くから円堂さんの声が響きました。

 

 

「でもベータはディフェンス技術だってスゲーからな! 頼りにしてるぜ!」

 

「はい、任されちゃいました!」

 

 

 さっきまでの不調は欠片も見えない、気力に溢れた元気な声色でした。振り返ればすっかりいつも通りに戻った円堂さんの顔がニッと歯を見せ笑っています。

 その笑顔に、私は気付けば自然と笑みで返していました。

 

 前半戦のような“楽しくないサッカー”は、そこにはありません。私が惹かれた円堂さんのサッカーは、彼の復調と共に戻ってきたのでしょう。

 私や呑気な壁山さんだけでなく、他の皆さんからも前半戦から続いていた暗澹たる空気感は消え失せています。

 

 円堂さんが私のサッカーを楽しいものにしてくれている。だから尚のこと、私はそれを理解しなければならないのです。それがどれだけ私から遠いものだとしても。

 そう、改めて内で騒めく想いを噛みしめました。

 

 

「う、うわああぁぁッ!!」

 

「ッ!! マックス!!」

 

 

 と、響いた声が私の意識を試合に引き戻します。見やれば必殺技でも食らったのか、吹き飛ばされるマックスさん。そしてそのままボールを保持して突っ込んでくるのは、やはりというか、ドリブラーとしてもこの上なく優秀で厄介な彼、鬼道さんです。

 認めると同時、ほとんど反射的に私は飛び出していました。

 

 

「――皆さん周りのマークを! 彼は私が!」

 

 

 動きを読んで進行方向に立ちふさがると、ボールが足にくっついているかのような見事なドリブルもさすがに止まりました。

 そして同時に始まる足下でのボール争奪戦。私を振り切ろうと動く彼に対し、私はそのボールと足を追いかけ続けます。

 

 そんな戦いをしていると、やはりどうにも以前の帝国戦の光景が頭にちらついてしまいます。それは鬼道さんも同様だったようで、ふと苦笑気味の息づかいが間近で聞こえました。

 

 

お前(ベータ)をディフェンスに置く布陣……確か以前の試合もそうだったな! なんとも懐かしいじゃないか!」

 

「鬼道さんも、壁山さんと同じこと言っちゃうんですねぇ……! まあ試合のこと思い出しちゃったのは、私もなんですけど!」

 

「ならちょうどいい! このまま、あの時と同じ光景を再現してやろうじゃないか!」

 

「やれるものならご自由に! もうあの時みたいなへなちょこな私じゃありませんから!」

 

 

 当時は確か、競り合いはしたものの結局抜き去られてしまいました。しかしそれは、その時の私が数年のブランクを抱えていたから。数々の試合と練習特訓を経た今の私を、同じように破れると思ったら大間違いです。

 とはいえそれでも最強と名高い帝国のキャプテンからボールを奪うのはブランクを埋め戻してなお難しく、なかなか勝負はつきません。しばらく奪い奪われの膠着状態が続き、やがてそんなちまちまとしたテクニック勝負に焦れたのか、彼は無理矢理身体を押し込んできました。

 多少乱暴でも、前半戦の消耗が今だ抜けきっていない私の攻略にはそれが手っ取り早いとと考えたのでしょう。

 

 

「なるほど確かに……すっかり調子は取り戻してしまったらしいな……!」

 

「っ……調子悪かったのは、円堂さんの方なんですけど! というか鬼道さん、いいんですかこんなこと(猛烈なチャージ)しちゃって! 女の子イジメてたら、また音無さんとの関係こじれちゃいますよ!」

 

「……全く、口の減らない奴だな! だが……ッ!!」

 

 

 その力任せの選択は、どうやら正解だったようでした。

 鬼道さんも前後半と戦ってきて消耗してるでしょうが、それでも私よりはマシであるらしく、ほどなくしてボールの奪い合いは決着がついてしまいます。

 

 

「調子はともかく、体力が戻っていないのなら、恐れるに足りんッ!!」

 

「くぅッ……!!」

 

 

 かけられる圧力を支えきれず、僅かに足が滑ってしまいました。

 すぐに立て直したものの、鬼道さんにはその“僅か”で十分。切り返し、入れ替わるように横をすり抜けていく彼を、もはや私は止められません。

 

 

「米田さんだけじゃないッスよ! 俺だって――うわっ!?」

 

「無駄だ! 時間稼ぎはもう済んだ! 行け寺門!!」

 

 

 壁山さんがカバーに来てくれたようでしたがそれも実らず、捕まる前に鬼道さんは右サイドへ鋭いパスを蹴り込みました。

 彼との攻防に熱中してしまっていたせいで気付きませんでしたが、走り込んできたフォワードは完全フリー。ボールは、気付いた時には既にその人の足にピタリと収まってしまいます。

 

 慌てて止めようと走るも、距離的にもとても間に合いそうにありません。

 失態に、胸がギリと痛みました。私が防がなければならなかったのに、と。

 

 ――それもまた、きっと円堂さんのサッカーではなかったのでしょう。

 彼の声が鼓膜と頭の中に響きました。

 

 

「大丈夫だベータ!! 仲間を信じろ!!」

 

 

 『信じろ』。以前と同じで、しかし以前とは異なる言葉。

 その差異に困惑した足が思わず止まってしまい――その直後でした。

 

 

「ッ!! 寺門、後ろだ!!」

 

「な……っ!?」

 

 

 突然、焦ったふうな声が鬼道さんから上がりました。寺門さんと、そして私も反射的に言われるがまま振り向き、そして見つけます。

 風丸さんです。いかに彼の俊足でも、フリーのフォワード、寺門さんの前に立ちふさがるには遠すぎる距離ですが、彼の眼はそれでもかまわず寺門さんを捉え、胸の前にかざした手でチカラを、風を、球の形に練り上げています。

 

 見覚えのある動作でした。しかし、それも当然。それを完成させるために、私は散々練習相手を務めたのです。

 

 

「見せてやる……俺の、新必殺技!! 【エアーバレット】!!」

 

 

 作り上げた風のボールを、彼は蹴り飛ばしました。それはまっすぐ標的である寺門さんまでを貫いて、吹き飛ばしてしまいました。

 

 

「ぐわあぁぁッ!!?」

 

「くッ、寺門!!」

 

「いいぞ!! ナイスだ風丸!!」

 

「ああ……!!」

 

 

 弾かれ浮いた本物のボールは、そのまま風丸さんの足元に。彼はこころなし誇らしげな顔を円堂さんと、そして私に向けています。

 

 一方、私の頭には驚きばかりが溢れていました。

 確かに、この必殺技ならば帝国にも通用するかもしれないと思ってはいましたが、それでもこんな見事な大成功は想像の外。そしてそれが、今、このタイミングでやってのけられたことに、なぜかどうにも現実感が湧いてこないのです。

 

 とにかく、何か不思議なことが起こったような理解の及ばない心地でした。

 しかし今は試合中。攻守が入れ替わった熱気の中で呆けたのは僅かな間だけで、我に返ると私はすぐに走り出し、声を上げました。

 

 

「風丸さん! パスを――っ!!」

 

「させんッ!!」

 

 

 直後、鬼道さんが割り込んできました。さっきの好戦的とは違う焦り顔が私を睨んできます。

 

 さすがにこれではパスは期待できそうにありません。

 もしかしたら他の皆さんにパスをつないだりしてボールを前線に持ち込むことはできるかもしれませんが、そう何度も帝国相手に事がうまく進むとは思えませんし、そもそも持ち込めたとして、私以外のシュートでは源田さんを破れないのが現状。

 せっかくこっちのボールになったというのに、さっそく八方塞がりです。

 

(『恐れるに足りん』とか言っちゃってたくせに……!)

 

 なんて睨み返すも、悪いのは呆けてダッシュが遅れた私です。ならば責任もって彼を振り切るしかないと、さらなる消耗な覚悟を決めたその時。

 私の外で、事は既に動いていました。

 

 

「よし……! 頼む、栗松!!」

 

「はいでやんす!! 俺だって前の俺とは違うでやんすよ……!! 【ダッシュアクセル】!!」

 

 

 風丸さんからパスが飛び、それを受けた栗松さんが素早いドリブルで帝国選手たちの間を突破。さらに続き、またもパス。

 

 

「強くなった俺たち雷門の力、見せてやる!! 【竜巻旋風】!!」

 

「やった! いっけえ、少林!」

 

 

 少林さんに渡り、回転させたボールが生む土煙の竜巻が帝国ディフェンスを撹乱すると、やがてボールは豪炎寺さんと染岡さんが待つ最前線の一歩手前、半田さんの下まで届いてしまいました。

 

 なんという奇跡でしょうか。少し恐ろしくなってくるほどですが、しかしさすがにそれもここまででしょう。

 確かに豪炎寺さんと染岡さんはほとんどフリー状態なものの、源田さんは既に彼らを見据えてチカラを溜め始めています。二人にボールが渡ったとしても、その時には既に準備を終えているだろう【フルパワーシールド V2】を破ることはできません。

 豪炎寺さんと染岡さんの【ドラゴントルネード】が不思議パワーで格段なパワーアップを果たすとか、そんな風丸さんたちのような奇跡はこれ以上起こりえないのです。

 

(……奇跡?)

 

 ふと思い出しました。風丸さんの【エアーバレット】のように、私が練習相手を務めた半田さんと宍戸さんの連携必殺技。

 あれはシュート技です。

 

 

「いくぞ宍戸!! 特訓の成果を!!」

 

「はい!! 見せてやりましょう!!」

 

 

 半田さんがボールと共に跳び、宙で伸ばした足にボールを固定。その上から、宍戸の炎を纏った踵落としが、まるで点火するようにボールめがけて振り下ろされます。

 そうして放たれる必殺シュート。

 

 

「「【火縄バレット】!!」」

 

「なに――ッ!? クッ……!! 【パワーシールド】!!」

 

 

 思いもよらぬ面子から放たれた炎の弾丸に、源田さんは完全にタイミングを崩されてしまったようでした。溜め(・・)は足りず、出現した障壁は比較すれば二回り以上も小さいものでしかありません。

 それでもそこいらのキーパーが使う必殺技よりは格段に強力だったでしょうが、しかし僅かに、ほんの僅かに障壁の強度が足りなかったようです。

 

 光の壁を砕き、ボールはゴールネットに歪な凹凸を作ることとなったのでした。

 

 一瞬の静寂。そして轟音。得点を告げる審判のホイッスルも掻き消してしまうくらいの歓声が、観客席と、私たち雷門から吹き荒れました。

 

 

「やったぁッ!! やったぜ!!」

 

「すごいぞ半田、宍戸!! 練習よりもずっといいシュートだった!!」

 

「俺と豪炎寺の【ドラゴントルネード】に迫る必殺シュートを、まさかお前たちが打つとはなァ……。まあ、点入れたんだ! 褒めてやる!」

 

「あ、ありがとうございます染岡さん!! 皆さんも……。うぅ……お、俺、このところずっと控えだったけど……っ、頑張ってきてよかったぁっ……!!」

 

 

 感動のあまり泣き出してしまった宍戸さんと喜びを爆発させる半田さんが、皆さんにもみくちゃにされています。

 

 その光景を外から眺める私には、皆さんと違って驚きしかありません。

 奇跡に奇跡が重なって、スコアボードに記された一得点。1-1のイーブンに戻せてしまったことは、私にはあまりに信じ難い現実でした。

 

(それとも……これも、円堂さんが……?)

 

 『信じろ』という、あの言葉。

 私にはわかりません。しかしとにかく、これは奇跡であれど幻でも何でもない現実です。

 

 そしてその現実は、鬼道さんたち帝国の眼に火を付けるには十分すぎるほどのものでした。

 

 

「……すまない鬼道。油断した……ッ!」

 

「いや、俺が読み切れなかったからだ。……俺たちはどうやら、まだ雷門を甘く見ていたらしい。もう次はない……気を引き締めていくぞ!!」

 

 

 「おう!!」と響く、尋常でない気迫のこもった重低音。それは感極まっていた雷門の気も引き締めるほどでした。

 そして鬼道さんはスコアボードの上、時計を見やってもう一言。

 

 

「まだ、時間は残っている……!」

 

 

 より一層の想いが籠った声で呟きました。

 

 

 

 

 

 

 

 そこから帝国の怒涛の攻撃が始まりました。

 遮二無二に、なりふり構わず勝とうとするような全力のサッカー。雷門も呼応して士気を高め、熾烈なボールの奪い合いを繰り広げるも、それでも帝国の猛撃の前にじりじりと押されてしまうほどです。

 

 そうして互いにあっという間に体力の限界を迎え、そしていよいよPK戦が見えてきた時でした。

 とうとう帝国の猛攻に耐えきれず、前線の一角が崩れました。

 

 

「【キラースライド】ッ!! ――よし、全員攻め込めッ!!」

 

「ッ――!! 風丸さん、栗松さん、左右を塞いじゃって!! 壁山さんは9番(寺門)です!! 行かせないで!!」

 

「は、はいッス!!」

 

 

 とっさに叫んで開いた穴を塞ごうとしますが、私を含めて四人のディフェンスでは帝国の総攻撃など防ぎようがありません。皆さん確かに自分の仕事を果たしたものの、鬼道さんを含めた三人に突破されてしまいます。

 そして彼らは鬼道さんを中心にしたV字型に陣形を変えてきました。間違いなく、さっき円堂の【ゴッドハンド】を破った【皇帝ペンギン2号】とやらのフォーメーションです。

 

 その歩みは、もう止められそうにありませんでした。

 そんな状況。いつもの私であれば、間に合わないとわかっても、“私が止めなければならない”と追いかけずにはいられなかったでしょう。

 事実、状況を認識した瞬間、私の身体はマークしていた帝国選手から離れ、勢いよく背後の彼らに振り向きました。

 

 しかしその時ふと頭にさっきの“奇跡”の光景と、そしてあの言葉(『信じろ』)が蘇ってきたのです。

 

 

「――円堂さん――ッ!!」

 

 

 気付けば私はごく自然に、彼の名前を呼んでいました。

 あの時の、以前の帝国戦の時のような感覚と共に。

 

 

「ああ――! 任せろッ!!」

 

 

 私の声に円堂さんは武者震いを堪えるような、それでいてどこか嬉しそうな笑みで応えました。

 

 そんな彼へと、鬼道さんたちは放ちます。

 

 

「いくぞ円堂……これで、決めるッ!!」

 

「「【皇帝ペンギン2号】ッ!!」」

 

 

 現れるペンギンたち。鬼道さんと、佐久間さんと辺見さんのボレーで射出されたそれらがゴールへと殺到していきます。

 円堂さんは、やはり彼の最強のキーパー技、【ゴッドハンド】を繰り出しました。

 

 

「【ゴッドハンド】!! ――ぐぅ……ッ!!」

 

 

 そしてこれも思った通り、さっきの焼き直し。明らかに分が悪いようです。ペンギンたちのくちばしが大きな手のひらの指に食い込み、今にも食い破らんとしています。

 元より鬼道さん曰く、【ゴッドハンド】を破るために編み出した必殺技なのですから、万全の状態にあるそれをも打ち破れる威力であって当然です。調子が戻っても力関係は変わっていません。

 

 しかし。

 

 

「――鬼道たち帝国と、俺たち雷門の想いが詰まったボール……俺はもう、この重さから逃げたりしない……!! 俺はみんなに、最高のプレーで応えなきゃいけないんだッッ!!!」

 

 

 直後、空いていた彼の左手に、なんと右手と同じチカラが灯ったのです。

 

 

「ゴッドハンド――(ダブル)ッッ!!!」

 

 

 要するに、両手での【ゴッドハンド】。右手と左手の力が合わさって相乗効果的に膨れ上がり、そのまま巨大化した光の手のひらが、その圧力を以てしてたちまちペンギンたちを弾き飛ばしてしまいます。

 

 そんなことになってしまうほどの威力であれば、もう他に何も起こりようがありません。

 手のひらが消えた時、ボールは円堂さんの両手にがっちりと掴み取られていました。

 

 私は再び“奇跡”を、円堂さんのサッカーを、見せつけられてしまったのでした。

 

 

「「……ッ!!」」

 

 

 それでも、半田さんたちと違って特訓を重ねたわけでもない故に、代償は払わねばならなかったようでした。

 

 私と、恐らく鬼道さんが、驚く前に同時に気付きました。円堂さんから感じる気迫。ついさっきまでその身に満ち満ちていたそれが、眼に見えて減じています。

 つまり今の【ゴッドハンドW】による消耗が、思いもよらないほど大きかったということ。【ゴッドハンド】二回分どころではない気力を持っていかれてしまっているようです。

 それこそもうこれ以上、【ゴッドハンド】どころか【熱血パンチ】の一発すら打てそうにないほどに。

 

 しかしそれは、私たちが近くで円堂さんの足が僅かに震えたのを見たからわかった事でした。

 

 

「円堂、半田にパスだッ!! 早くしねぇと試合が終わっちまう!!」

 

 

 帝国ゴールへと走りながらの染岡さんの声。同じく走る半田さんへのロングパス要求は確かに道理なのでしょうが、同時にそれが悪手であることに気付いていません。

 

 

「あ、ああ……っ! 頼むぞ、半田……っ!」

 

 

 歯を食いしばって応えた円堂さんがボールを蹴り出します。しかしやはり力が入らないのか、高さがあまりありません。

 

 当然私の掣肘は間に合わず、鬼道さんはそれを迎え撃つようにジャンプしていました。

 

 

「っ!! しま――!!」

 

「くっ……! やらせない……!! 勝つのは俺たち、帝国だッ!!」

 

 

 無理矢理姿勢を変えてボールを取りに行ったせいで、軸足を痛めてしまったのでしょう。鬼道さんの顔が歪んでいます。

 しかし今そんなことを気にしている余裕なんて、彼にも私にもありません。

 

 それは差し迫ったピンチであることだけでなく、鬼道さんがとったシュート体勢のためでもありました。

 

 高く、黒い炎を纏って螺旋回転するその体勢は、雷門の誰しもが見覚えがあると同時に、それ(・・)とは全く異なる異質なものだったのです。

 

 

「あ、あれは、豪炎寺の……!!」

 

「黒い、【ファイアトルネード】……!!」

 

 

 否、

 

 

「くらえ……ッ!! 【ダークトルネード】ッ!!」

 

 

 闇の炎の竜巻が、円堂さんへと襲い掛かりました。

 

 

「円堂ッ!!」

 

「キャプテンッ!!」

 

「まだ、だあぁぁッッ!!」

 

 

 皆さんの悲鳴。応えるように円堂さんは吠え、シュートにパンチを見舞いました。しかし【熱血パンチ】ではありません。一発で足りないなら二発、それでも足りないなら三発と、重ねられる怒涛の連続パンチです。

 

 この土壇場で素晴らしいパンチング。しかし、それでも消耗を覆すには至りませんでした。

 

 

「ッ……!」

 

 

 限界の限界を超え、全力の最後の一滴を絞り尽くして打ち出したトドメのパンチ。それでも【ダークトルネード】の威力を完全には殺すことはできず、余った僅かな威力が拳をいなし、円堂さんの頭上を抜けていってしまいます。

 とうとう円堂さんの全身を飛び越え、そしてその背後、ゴールラインを超える――その、直前。

 

 

「――させ、るかッ!!」

 

 

 オレの伸ばした足が、ギリギリのところでボールを掬い上げた。

 

 足元に収め、一瞬だけ審判を見やる。……笛を鳴らす様子はない。ノーゴールだ。

 

 しかし得点の笛は吹かれないとしても、試合終了のそれはもういつ鳴ってもおかしくないだろう。

 現在の点数は1-1なのだから、勝敗はPK戦に委ねられることになる。パンチングで今度こそすべての力を使い果たしてしまった円堂では、どうあがいても勝ち目はない。かといって今から一点、攻め入りゴールに叩き込むには、とても時間が――

 

 と、歯噛みしながら正面を見やったオレは一瞬、唖然とした。

 何の偶然か、正面が帝国ゴールまで一直線にガラ空きだったのだ。

 

 キーパーの源田と眼が合う。これも“奇跡”のなせる業なのだろうか。オレは、気付けば右脚を振り上げていた。

 

 

「なっ……!? ここでだと!?」

 

 

 驚く声を意識から締め出し、オレもまた全力振り絞る。

 

 

「【ダブルショット】ッ!!」

 

 

 打ち放ったシュートは空いた空白を駆け抜ける。団子状態の前線を貫き、一直線。

 だが、鬼道たちの顔に焦りの色はない。あるのは困惑だ。

 

 

「いくら米田の【ダブルショット】だとしても、この距離では……」

 

「俺の【フルパワーシールド V2】は、絶対に破れない!」

 

 

 声は聞こえなかったが、源田はそう言ったのだろう。実際、オレのこの行動は、誰の眼にも試合終了前の悪あがきにか映らない。

 そしてそれは事実だ。オレ一人(・・)の力では、どうあがこうが得点は不可能だ。

 

 だから、声を張る。

 

 

「豪炎寺!! 染岡!!」

 

 

 果たして、それは届いた。

 

 

「ドぎついパスだなベータ!! だが面白れぇ……やってやる!! 合わせろ豪炎寺!!」

 

「お前こそ、しくじるなよ染岡!!」

 

 

 飛翔するオレのシュートに合わせ、二人がさらにシュートを重ねる、シュートチェイン。

 

 

「「【ドラゴントルネード】ッ!!」」

 

「ッ!! 絶対に、止めてみせるッ!! 【フルパワーシールド V2】!!」

 

 

 いっそうぶ厚い障壁と赤い竜が激突する。そのままでは竜には万が一の勝ち目もなかっただろうが、しかし、オレの【ダブルショット】の後押しを受けたそれは、障壁に遮られようと止まることはなかった。

 お構いなしに突き進まんと、障壁を叩き、食い破り、穿ち、そして――

 

 

「……ご、ゴオオォォォーールッ!! 雷門中、試合終了間際に勝ち越し点ッッ!!」

 

 

 ――ゴールに突き刺さるさまを、実況の男の子の声が興奮に狂ったような大声で告げました。

 

 そして直後、試合終了のホイッスルまでもが鳴り響きます。選手たちの前に、観客席ですさまじい歓声が巻き起こったのです。

 私たちがそれを実感したのは、もう数秒が過ぎた後でした。

 

 

「……勝った? 勝ったのか、俺たち……帝国に……っ!」

 

「勝ったんだよ!! 俺たちが、地区大会優勝したんだ!!」

 

「フットボールフロンティア本戦出場でやんすっ!!」

 

 

 わぁっと、観客に負けないくらいにやかましく喜びの声を上げる皆さん。最終的に得点を挙げた豪炎寺さんと染岡さんに殺到し、誰からともなく胴上げが始まっています。

 

 円堂さんもきっとその輪に加わりたかったでしょうが、さすがにその体力は限界も限界だったようです。力尽きてへにゃりとへたり込んでしまった彼に、私はいつものように軽口半分で手を差し伸べます。

 

 

「いつにもましてギリギリの試合になっちゃいましたね」

 

「ああ。……接着剤になるなんて言っておきながら、結局みんなにも迷惑かけちゃった。……なあベータ。こんな俺でも、これからもお前と一緒にサッカーしていいかな……?」

 

 

 様々な想いがこもった眼でした。

 

 確かに失望はしました。前半戦、いつどんな時も頼もしかった円堂さんからその覇気がなくなってしまったために、私はサッカーを忘れかけてしまったのですから。

 けれどもそのマイナス補って余りあるモノを、彼が見せてくれたこともまた事実。故に、私は心の声をそのまま口にすることができました。

 

 

「これからもよろしくお願いしますね、キャプテン」

 

「ああ……! こっちこそ、よろしくなベータ!」

 

 

 差し出した私の手を円堂さんが掴み、そしてそう引き起こします。近づいた顔同士で二ッと笑うと、その時ちょうど胴上げに興じていた一団がこっちまでたどり着きました。

 客席から響く雷門中コールと合わさって盛り上がり過ぎ、ヘンに興奮してしまっているようです。

 

 そんな彼らには咄嗟に円堂さんを生贄にしておいて、私はようやくそれ(・・)を噛みしめることができました。

 

(やっぱり……サッカーって楽しいです)

 

 きっとこれこそが、私の望んでいたサッカーなのです。

 

 

「負けたよ、雷門。優勝おめでとう」

 

「あっ……鬼道」

 

 

 無念そうに、しかし晴れ晴れとした顔でやってきた鬼道さんが、祝福の言葉を口にしました。

 すると反対に円堂さんの顔が僅かに曇り、胴上げから降りて言い辛そうに口にします。

 

 

「その……音無のことは……」

 

「いいんだ。……春奈も俺も、何もできない子供だったあの頃のままじゃない。自分でそう言ったのに……お前たちに負けて、初めてそれを理解できたような心地だよ。敗北にも……いや、敗北にこそ価値があるんだな」

 

「鬼道……」

 

 

 ふとベンチを見やれば、音無さんの顔にはほんのりと笑みが浮いています。彼らの確執はいつの間にか解決していたようです。

 

 よかったと心からそう思いました。孤児であった彼女たちの仲が分かたれなくて本当によかったです。

 これでもう帝国戦には心残りも残っていません。あとはもう、私も存分にこの勝利に浸るだけ。

 

 

「――えっ!? 鬼道たちも本戦に行けるのか!?」

 

「知らなかったのか? 前年度優勝校には自動的に出場枠が与えられるんだ。お前たち雷門とは別ブロックになるだろうがな」

 

「そうだったのか! もう一度お前たちと戦えるんだな! ……決勝で戦うまで、負けるなよ鬼道!」

 

「フン、当然だ。お前たちこそ覚悟しておけ。今日ここからが、俺たち帝国サッカーの始まりなのだからな!」

 

 

 試合が終わったばかりだというのにもう戦意をぶつけ合う円堂さんと鬼道さんの二人を眺めながら、私は気分よく息を吐き出したのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 観客席。群衆に紛れて試合を見守っていたその人物の姿は、明らかに周囲から浮いていた。

 

 全身と顔まで隠す目深なローブという、本来であれば警備員を呼ばれていてもおかしくない異様な様相。だがしかし、周囲の観客は全く気にも留めていないようだった。それどころか、まるでその人物のことなど見えていないかのように、ただ必死に歓声を上げるばかり。

 そしてその人物も、至近距離且つ大音量で鳴り響く歓声を気にした様子はない。

 ただじっと、手の中にあるサッカーボールを模した機械が生み出す、周囲を断絶する球状の静寂の中で、変わらず通信による報告を行っていた。

 

 

「――はい、フェーズは計画通りに進行中です。フットボールフロンティア優勝を以って、能力は規定値に達すると思われます。しかし……はい、やはり汚染があるのは明らかです。直ちに修正を……っ、……了解しました。監視を継続し、指示を待ちます」

 

 

 そしてその報告も終わり、応答が途切れる。ローブの人物はしばし目を落としたまま、次いで眼下のサッカーコート、そこで勝利を喜ぶ選手たちをじっと見つめると、やがてフッと、一瞬のうちにその姿を消してしまったのだった。




風丸くんには【火縄バレット】と合わせて【ツバメ返し】を習得してもらおうと思ってたのが寸前でドリブル技なことに気付いてやむなく【エアーバレット】に変更した、という裏話。
そして【ゴッドハンドW】もちょっと特別仕様。ゲーム的に言えばTP全消費する代わりに繰り出せる身の丈に合わない必殺技、みたいな感じです。新帝国での【皇帝ペンギン1号】よろしくマイナスに振り切れてます。よろしくお願いします。
ついでに感想もくださいお願いします。

そして誤字報告もありがとうございます。


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第三十八話 祝勝会

 帝国戦から一夜明けた今日。当日の小さな表彰式では物足りなかった皆さんは、響木監督のお店で祝勝会に明け暮れていました。

 

 

「――俺たちは、優勝したぞーーっ!!」

 

「「「「「優勝したぞーーっ!!」」」」」」

 

 

 なんて、興奮しきった円堂さんと彼に続く皆さんの勝鬨は、もう何度聞いたかもわかりません。いい加減耳が痛くなってくるほどでしたが、バカ騒ぎに飽き飽きしているのはたぶん私だけなのでしょう。勝利の喜びに沸き続ける皆さんの興奮度合いは、治まるどころかむしろ高まっていく一方です。

 そしてそれは、この場で唯一の大人である響木監督も同じ。普通であればこんなバカ騒ぎはいの一番に止めるべき立場であるというのにそれをせず、それどころか「今日は遠慮なく好きなだけ食ってけよ!」と率先して無礼講の音頭を取っている始末。

 もう呆れるばかりです。だから私も静かな食事を諦めて、おとなしく彼らのおかしなテンションを眺めながら、初めて食べる響木監督の中華料理に舌鼓を打っているのでした。

 

 ――もとい、舌鼓を打っていました(・・・・)。そのおいしさに、「しばらく通ってみちゃおうかしら」なんて考えをカロリーとの天秤にかけつつ餃子をつついていたのですが、その時ふと、視界にその姿が飛び込んできたのです。

 

 秋さんでした。しかし皆さんのようにはしゃいでいるでも、私のように観賞しているでもなく、ただ虚空を見つめてボーっとしています。握ったお箸は手元のお皿を突いたまま動かず、視線の先にはメニュー表すらありません。

 しかも呆けているだけでなく、その眼はこんな賑やかな祝勝会にあるにもかかわらず、どうにも落ち込んでいる様子。となれば放ってもおけず、ついでに元来の悪戯心も刺激された私は身体の赴くまま、こっそり静かに秋さんの隣に席を移動しました。

 

 改めて隣に座っても、彼女は気付いた様子もありませんでした。変わらずボンヤリしたまま、「ハァ……」と小さなため息を漏らしています。耳を澄まさなければ聞こえないほどのそれが断続的に続いているために、口はポカンと開きっぱなしです。

 

 それを目にして、私の悪戯心が思いつきました。

 少し前に興味本位で注文した激辛麻婆豆腐。一口目で後悔してそのままになっていたレンゲを手繰り寄せ、半開きになっているお口の中へずぽっと突っ込んであげたのです。

 

 その結果。

 

 

「むぐ――ひゃあっ!!? か、辛いっ! お水、お水っ!」

 

「わぁっ! ど、どうしたんですか先輩!? 大丈夫ですか!? お、お水ならここに……」

 

「うふふ……辛さを抑えるなら、お水よりも油分の多いスープとかがいいらしいですよ? ほら、どうぞ」

 

 

 秋さんは口を押えて跳び上がり、ついでに秋さんを挟んで向こう側の音無さんも大慌て。わけもわからず言われるままにコップにお水を注いでいました。

 が、お水では辛み成分を拡散させてしまって逆効果であるのです。それは他でもない私自身の身体で実証済み。故に、口をつぐんでもうひと悶着見守りたい考えには同情と善性が首を振り、秋さんへとお薬代わりのスープを差し出します。

 効果のほどはこれも私の身体のお墨付きで、ひったくるように器を受け取り呷った秋さんも、口の痛みは随分治まった事でしょう。

 

 ただそれでも、これは明らかなマッチポンプであるわけで……恩人である私へと向く眼は、涙を滲ませ、ぷくっと頬を膨らませてしまっていました。

 

 

「口の中、すっごい痛い……。もうっ、いきなり酷いよ佳ちゃん!」

 

「ふふ……ごめんなさい。でもだって、秋さんいかにも“イタズラしてください”って感じでボーっとしちゃってるんですもん。あんなの我慢できるわけないじゃないですか」

 

「が、我慢してよ! イタズラしてくださいって感じって、なにそれ!」

 

「イタズラはともかくとして……呆けてたのはアレ(・・)でしょう? 木野さん、帝国戦の時のこと、まだ気にしてるのね」

 

「うぐ……」

 

「ああ、せっかく言わなかったのに……」

 

 

 横から雷門さんが言ってしまいました。

 帝国戦の後半戦で私がベンチに押し込められたあの一件。秋さんが沈んでいたのは雷門さんが言うように、あの時に色々とあったせいです。だから元気付けるためにも意識させたくなかったのですが、台無しにされてしまいました。

 しかしそれでも雷門さんは悪意から口走ってしまったわけではないようで、見れば料理を口に運んでいた手が止まっていいます。表情も若干気まずそうに歪み、彼女はそのまま、秋さんへ静かに頭を下げました。

 

 

「その……私も、あの時はちょっと考えなしだったわ。今思えば、木野さんの気持ちをないがしろにし過ぎていたわよね。謝るわ、ごめんなさい。……だからそろそろ機嫌を直してほしいのだけど……」

 

「き、機嫌も何も、私、フツーだよフツー。怒っても落ち込んでもないってば!」

 

「……そうなの? 帝国戦が終わってから今日まで、ずっと沈んだ様子だったように思うのだけど……ねえ、音無さん?」

 

「えっ!? ええっと、その……は、はい……。私も、帝国戦のこと気にしてるんだろうなーとは思ってましたけど……」

 

 

 明らかな空元気を絞り出す秋さんに、「違うの?」と不思議そうに、音無さんまで巻き込む雷門さん。先輩二人の間に引きずり込まれて、音無さんが助けを求めるような眼を私に向けてきます。

 三者三様なリアクションは見ている分には面白いのですが、私とて当事者なのだからただ見守っているわけにもいきません。故に大仰にため息を吐き、呆れたふうに言いました。

 

 

「それを言うなら、音無さんだって気にしてるんじゃありません? 帝国戦、ほとんどマネージャーのお仕事できなくなっちゃってましたもん」

 

「はうっ……そ、その節は本当に申し訳なく……。あの、私は全然気付いてなかったんですけど、雷門先輩が代わりに雑用を片付けてくださったそうで……その……あ、ありがとうございます……。ご迷惑をおかけしました……」

 

「まあ私は別にいいと思いますけどね、雑用くらい。雷門さん、イヤイヤ言いながら実質もうウチのマネージャーみたいなものなんですから。ね? 許してあげちゃってくださいよ」

 

「許すも何も、そもそも怒ってないわよ私だって! 音無さんにも事情があったことくらいわかってます!」

 

「あら、そうなんです? 『理事長の娘たる私に雑用をやらせるなんて何事か!』とはならないんですね」

 

「私をなんだと思ってるのよ!」

 

「それに、秋さん。秋さんは自分が間違ってたなんて言っちゃってましたけど、私からすればあの時、秋さんが私の気持ちを認めてくれたこと、すごく嬉しくて頼もしかったんですよ? これで秋さんにまで雷門さんみたいにずけずけ言われちゃってたら、ほんとにどうにかなっちゃってたかもしれませんもん」

 

「だからっ……もうっ!」

 

「あはは……ありがとう、佳ちゃん」

 

 

 そうして半分とはいえ本音をそのまましゃべったおかげか、皆さんのやり取りに一段落を付けることができました。

 雷門さんはムスっと膨れ、その様子に堪えきれなかった音無さんが噴き出しています。肝心の秋さんの笑顔はまだちょっと空元気感がありますが、まあこれは時間が解決してくれるでしょう。

 空元気の原因――自分(秋さん)の行動が、佳ちゃん()が雷門サッカー部に馴む邪魔になっていた、という負い目を、当人たる私が全く気にしていないのですから。

 

 それに実際、秋さんがそういうスタンスであったからこそ、私は雷門さんたちの言葉と併せてより強く、自分と円堂さんたちとの間にある“サッカー”の違いを感じることができたのです。

 そしてそれ故に、帝国戦を通じてその一端くらいは掴むことができたように思います。

 

 “円堂さんのサッカー”、“雷門のサッカー”とはつまり、“力を合わせるサッカー”なのではないでしょうか。

 

 パスを重要視しがちな所や、かつて私に連携シュートである【イナズマ落とし】を習得するようにしつこく迫ってきた事も、その根本はきっと、それが他人と一緒に物事を成すことに――“力を合わせる”ことに繋がるから。たぶん間違ってはいないと思います。

 実際、円堂さんは【イナズマ落とし】の特訓をしていた私を楽しそうだと羨んでいたことがありました。当時も今もその心情にはいまいち共感できないのですが、きっと共感できるようになれば、その時彼が感じていた気持ち、“力を合わせるサッカー”の楽しさを知ることもできるのでしょう。

 

 そしてそれこそが、私がやりたいサッカーであるはずです。

 大昔にやめてしまったサッカーを再開させてしまうほどの魅力を秘めた、円堂さんのサッカー。今も以前も、それを捨てる選択肢など私にはありません。ならば“力を合わせるサッカー”も、絶対に理解しなければならない重要事項。

 となれば、そのためには――

 

(……とりあえず、次の練習は壁山さんに時間もらっちゃおうかしら)

 

 そして力を合わせる連携シュートである【イナズマ落とし】を今一度特訓し直してみるというのが、ぱっと思いつく方法です。以前はやる気半分でしか練習していなかったのですから、もしかしたら本気で取り組めば何か見えてくるかもしれません。

 

 という、そんな思考の結論を頭の隅に書き留めつつ、しかし今は祝勝会の最中。明日のことは明日考えようと思い直して、私はお箸を握り直しました。

 そして食べかけの餃子に伸ばし――たのですがしかし、お箸がカツンと硬い感触を捉えたと同時、気付きます。お皿には何も残っておらず、空っぽです。

 次いで口の中に、やたらと強く餃子の味が残っていることにも気が付きました。これはたぶん……考え事の内に自分が勝手に食べてしまった、ということなのでしょう。なんだか自分が間抜けに思えてきてしまいますが、認める他ないようです。

 

 ですが食べた感覚がないのと口に残るおいしい餃子の味のせいで、これでごちそうさまとする気にはなれませんでした。お腹はもう八分目。カロリー的にもニンニク的にもこれ以上は後々気になってしまいそうですが、やむをえません。

 

 

「あの、響木監督。餃子のおかわり、いただけちゃいますか?」

 

 

 追加注文をしました。がしかし、中華鍋を振るっていた響木監督からは、申し訳なさそうな顔が返ってきます

 

 

「悪いなベータ。餃子はついさっき、最後の分を出しちまった。売り切れだ」

 

「そうですか……残念です」

 

 

 本当に、なんとも実に残念です。餃子がおいしいからリピーターになることを考えたくらいだったのに。

 思わずため息が出てしまいます。しかしないものは仕方がありません。代わりに別の料理でも、と反射的に壁のメニュー表に眼が向きましたが、そもそもカロリー諸々を押してまで食べたかったのはあくまで餃子。ないなら代わりなんて注文する必要はありません。

 

 気付くとますますやるせない感覚に襲われて、そのせいか、気付けば私は腹いせ混じりに、今までは隔意から黙殺していたそれ(・・)を口にしていました。

 

 

「……ていうか今更ですけど、どうして響木監督まで私のこと、“ベータ”呼びしちゃってるんです? 初対面の時からずっとですよね?」

 

「ん……まあその、なんだ、意識はしてなかったんだが……。円堂の呼び方が移ったんだろうな」

 

「ふぅーん?」

 

 

 それはもちろん、感染経路はそこでしょう。私が言いたいのは、なぜ今尚それを改める気がないのか、ということです。

 そんな言外の言葉は、じーっと視線を向け続ければきちんと伝わったようでした。

 

 

「……嫌だったのなら、すまん。次からは名前で呼ぶようにするが……」

 

「あら、米田さんはあだ名呼びが気に食わないの? “ベータ”って、なかなか個性的でかわいらしいと思うのだけど」

 

 

 伝わりはしたものの、余計な人にまで聞こえてしまっていたようでした。野次馬根性丸出しな雷門さんが、頬杖をついてニヤニヤと笑っています。

 

 ここぞとばかりにさっきの仕返しに来た彼女。そっちがそのつもりであるなら是非もありません。自然と持ち上がる唇の端を以てして、私も言い返しました。

 

 

「もしかして、私だけあだ名呼びされてるのが羨ましかったりしちゃうんですか? なら、私がいい感じのを考えてあげちゃってもいいですよ。前の土雷門(どら〇もん)みたいなのを」

 

「ぶっほぁッ!? おっ、おま、ちょっとベータぁ!?」

 

「遠慮しておくわ。この際だから言ってしまうけれど、あなたのネーミングセンス、土雷門(どら〇もん)って中々酷いわよ。実際、全く定着もしなかったじゃない」

 

「ら、雷門まで! あだ名でも何でも好きに付け合えばいいけどさ、二人ともそのヤバい名前を連呼するのやめてくれない!?」

 

 

 むせつつ声を潜めながら必死に叫ぶという、器用なことをしてみせた土門さんですが、しかし彼もまた“ベータ”呼びが治らない一人。遠慮してあげる気にはなれません。

 だから放って雷門さんとの口喧嘩に花を咲かせようとしたのですが、残念ながらそれは妨げられてしまいます。その時ちょうど、円堂さんの下で上がり続けた勝利の雄叫びが一段落ついていたようで、土門さんだけでなく皆さんも、そのあだ名に反応してきたのです。

 

 

土雷門(どら〇もん)……そういえば、そんなのもあったっけ! でも土門が言うほどヤバいかなぁ? 俺は結構好きだぜ、ベータのあのセンス!」

 

「いやまあ、ヤバくはあるだろ、色々と。だがあだ名呼び自体は悪いことじゃねぇさ。仲間意識も強くなるしな。……だろ? ベータ」

 

「……そこで私に同意求めちゃうんですか。ていうか染岡さんのベータ呼び、私ずっとバカにされてるんだと思ってました。びっくりですねぇ」

 

 

 円堂さんに続いてそんなことを言う染岡さん。白々しいことこの上ないです。

 が、意外なことに染岡さん、それは案外本気の言葉だったのかもしれません。鼻で笑う私に、面白くなさそうな顔になってしまいました。

 ほんとにびっくりして言葉に詰まっていると、そこに今度は豪炎寺さんが口を挟んできます。

 

 

「仲間をバカにするようなヤツは、ここにはいない。ベータ、お前だってそうだろう?」

 

土雷門(どら〇もん)だって、ヤバいことを除けばうまく嵌ってますもんね。雷門の土門さん、ですもん。俺も、その……アリだと思います! ベータさん……!」

 

「でもその土門は気に入らないんだろ? 土雷門(どら〇もん)。本人が嫌だって言うならしょうがないし……そうだ! せっかくだし、今ベータに新しいの考えてもらおうか!」

 

「いいッスね、それ! ベータさん、土雷門(どら〇もん)みたいないかしたヤツ、一つお願いするッス!」

 

「いや、だからっ! 土雷門(どら〇もん)土雷門(どら〇もん)って連呼するのやめてって言ってんだけど!? ていうか呼び方なんて普通に“土門”でいいって!」

 

 

 さらには宍戸さんに半田さんに壁山さんにと、勝鬨のテンションを漂わせた声が次々と重なってきます。土門さんと雷門さんには不評だった土雷門(どら〇もん)は、どうやら二人以外の皆さんには好評なようです。

 

 雷門さんの『ネーミングセンスない』が実はそこそこ効いていたので嬉しくはあるのですが、しかし。

 染岡さんのことと合わせて、彼らのその台詞はやっぱり素直には受け取れません。

 どうしたって引っ掛かってしまいます。

 

 

「……私のこと“ベータ”呼びする人、なんで一気に増えちゃってるんです?」

 

 

 宍戸さんも半田さんも壁山さんも、ちゃんと“米田”って呼んでくれてたじゃないですか。

 

 という、単純な驚きや困惑だったのですが、ずっと前に色々と言ってしまったせいか、私のそれは威嚇か何かに聞こえてしまったみたいです。三人とも一斉に口が閉ざされて、目線はあらぬ方向へと泳ぎ出してしまいました、

 加えて、彼らだけでなく他の皆さん全員も。これはもしや、全員後ろ暗いところがあるということなのでしょうか。

 

 

「もちろん、染岡が言ってたみたいに仲間意識を強めるためさ!」

 

 

 しかし、やっぱり円堂さんだけは、まっすぐ私を見ていました。

 

 

「帝国戦であんなことがあっただろ? あれから俺、考えてさ、今の俺たちにはこういうの(・・・・・)が必要だと思って、みんなに話したんだ。もちろん、ベータが嫌だって言うなら、やめるけど……」

 

 

 円堂さんの首がちょっと傾きます。私の顔色を窺っているようですが、正直、それは無用の心配。円堂さんの言葉を拒否することは、私にはちょっと難しすぎるのです。

 とはいえすぐに「いいですよ」と言ってしまうのも、それはそれでどうなんだかって感じです。だから難しい顔になったまましばらく黙り込むしかなかったのですが、その時、そこを雷門さんに突かれてしまいました。

 

 

「米田さん、そこまで“ベータ”と呼ばれたくないの? なら、“ちゃん”も付けるのはどうかしら。“ベータちゃん”って。これなら少しはマシ(・・)になるんじゃないかしら?」

 

「マシって……。『“ベータ”は個性的でかわいらしい』とか言っちゃってませんでした?」

 

「言ったわね。けど、言葉の綾よ」

 

「どっちが“綾”なんだか。でも、それを言うなら雷門さんだって“ちゃん”付けでいいですよね? “夏未ちゃん”なら、土雷門(どら〇もん)みたく『ネーミングセンスがない』だなんて文句はないでしょう?」

 

「もう勘弁してくれって……」

 

 

 そろそろ元気がなくなってきた土門さんはさておいて、私はてっきりここからまた雷門さんとの応酬が始まるものだと思っていました。あのお嬢様らしく上品な雷門さんが名前の“ちゃん”付けなんて受け入れるはずがないと思っていたのです。

 だから彼女の顔にしてやったりな笑みが浮かんだのは、そこそこ大きな衝撃でした。

 

 

「いいわよ? 悪くないじゃない、“夏未ちゃん”」

 

「……あら、いいんですか。これからほんとに呼んじゃいますよ? 夏未ちゃんって」

 

「ええ。お好きになさって」

 

 

 驚いているうちに、「ただし」とさらに付け加えられます。

 

 

「敬意をもって呼ぶのなら、ですけどね。皆さんもわかってらして? 今更言うことでもないだろうけど、私は理事長の娘。私の言葉は理事長の言葉なのだから、私へ向ける言葉もまた、理事長に向けたものと意識しなさい」

 

 

 一拍置いて、してやったりな笑みが私へ、さらにニヤリと。

 

 

「それに、今日からはそこにマネージャーとしての立場も加わるのだから」

 

 

 言いました。

 ですがそれは円堂さんたちにも通っていない決定だったようで、さらに一拍の後、「ええっ!?」と驚きの声が上がりました。

 

 

「ら、雷門がマネージャー……!? あんなに嫌がってたのに、どうして!?」

 

「だって米田さんがマネージャーになれなれとうるさいんだもの。なら本当になってしまえば、そういうイジりはもう使えないじゃない? ……これからは木野さんがフィジカル面、音無さんが情報、私がデータ処理を担当するので、よろしくお願いするわ」

 

「ほ、ほんとに急ですね先輩……。でも、人手が増えるのは大歓迎です!」

 

「うん。今までも雷門さんにはいっぱいお世話になったもん。仲間になってくれるのならうれしいわ」

 

 

 そのマネージャーである音無さんと秋さんからは、おおむね好意的な反応。フットボールフロンティア本戦でこれから忙しくなるでしょうし、確かにちょうどよかったのかもしれません。

 となればやはり、雷門さんからはさらなる視線が飛んできます。

 

 

「そういうわけだから、改めて今後もよろしくね、ベータさん?」

 

 

 これはもう、本格的に嫌と言えそうにありません。

 円堂さんを初めにこうまで外堀を埋められてしまえば、きっともう何を言っても“ベータ”呼びの流れは止まることがないのでしょう。

 

 でもまあ、しかし。

 

 

「……いいですけどね」

 

 

 それが仲間の証であるのなら、悪い気もしません。そうして長らくの確執も捨て去って、祝勝会は続いていくのでした。




お正月に合わせて投稿したと思うでしょ?
偶然なんです。

そして誤字報告をありがとうございました。またひとつかしこくなれました。


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第三十九話 新たな出会い

 夕日の色が空に広がる頃、ようやく祝勝会はお開きとなりました。

 八分目だったお腹は、雷門さん――もとい夏未さんのマネージャー就任祝いとして追加された料理のせいで、もうすっかり満腹状態。若干のお腹の苦しさと油分の取り過ぎによる罪悪感には、明日からの練習のためのエネルギー補給だと言い訳をする必要がありましたが、ともかくそうして私はお店を出たのでした。

 

 そして帰り道。商店街入り口に掲げられている『雷門中、地区大会優勝おめでとう!』という、地域ぐるみの横断幕をなんとなく避けて横道へ。円堂さんたちの熱気に当てられた身体を、商店街付近の路地という状況で少しばかり乱暴に冷ましつつ、一人家路を進んでいたその時です。

 人気のあまりない静かな道だったからこそ、その声は無暗にうるさく響きました。

 

 

「あ、あのッ! ……もしかして、サッカー部の人ですか?」

 

「……ええ、そうですけど」

 

 

 声のした方に振り返ると、廃倉庫らしき大きな建物の角に女の子と見まがうほどのかわいらしい顔をした男の子が立っていました。

 

 走り寄ってくるその子には、やっぱり見覚えがありませんでした。しかし制服からするに、同じ雷門中学校の生徒ではあるようです。彼ら一般生徒にも私たちが地区大会優勝という偉業を達成したことは知られていますし、今の私は部のジャージ姿。もしかして、手ずから祝福しに来てくれたりしたんでしょうか。

 という、そんな予想をしたのですが、実際は全く的外れ。ここへたどり着く前にもずいぶん走っていたのか、彼は息せき切って言いました。

 

 

「俺、陸上部の一年で、宮坂っていいます! 今日サッカー部は、このあたりで祝勝会してるって聞きました! それで、その……俺、風丸さんと話したいことがあって……祝勝会、どこでやってるのか、教えてもらってもいいですか?」

 

「風丸さんと……? なら残念ですけど、ちょっとわからないですね。祝勝会、ちょうどさっき終わっちゃったところなので」

 

「お、終わった……? じゃあ、風丸さんは……」

 

「お家に帰ってる途中です」

 

 

 けれどもちろん、私は彼の家がどこにあるのかなんて知りません。だから返事はこれで終わり――なのですが、少し気になりました。

 風丸さんの古巣である陸上部の後輩だったという宮坂さんは、こんなに急いでいったい彼に何の用があるのでしょう。それが、よくわかりません。

 陸上部の彼が、以前はともかく今は別の部活動をしている風丸さんに、火急の用があるとは思えないのですが。

 

 

「そ、そうですか……」

 

「力になれなくてごめんなさい。……でも、宮坂さん、風丸さんに何の御用だったんです?」

 

 

 『わからない』と聞いて途端に身体の力が抜けたのかへにゃりとアスファルトの地面にへたり込んでしまった彼に、その目的に興味が湧いてしまった私は思わず尋ねてしまいます。

 そしてノロノロと視線を持ち上げた彼から、想像だにしなかった言葉を聞くことになりました。

 

 

「……サッカー部が全国行きを決めたって聞いて、いてもたってもいられなくなって……。だって、そこまで行ったならもう十分でしょう? 役目を終えたなら、もうそろそろ陸上部に戻って来てくれるんじゃないかって思って、それを聞きたくて……」

 

「陸上部に……?」

 

「はい。サッカー部も、今は部員だって足りてるんでしょう? だったら風丸さんが助っ人に入る必要も、もうないじゃないですか」

 

「え……もしかして、風丸さんって籍はまだ陸上部に置いちゃってたんです?」

 

 

 驚きです。なぜなら私はてっきり、風丸さんはもう完全にサッカー部に移籍したものと思っていたのです。

 

 いえ確かに、思い返せば彼がそう言っていたわけではありません。しかし同時に『陸上部に戻る』なんて話も一度も聞いたことがなく、私の知る雷門サッカー部には最初から風丸さんが居たことも相俟って、陸上部としての風丸さんを意識したことはありませんでした。元々帝国戦のための助っ人だったことも、言われるまで忘れてしまっていたくらいです。

 という驚きが思わずそのまま口に出てしまって、それが風丸さんの陸上部復帰を望んでいるらしい宮坂さんの表情をピシリと固まらせてしまいます。しまったと思った時にはもう遅く、風丸さんの意思を悟ってしまった彼は、愛しの先輩のそれを認めたくないあまりに、一転して私に敵意の眼を向けてきました。

 

 

「……か、風丸さんにはもう陸上部に戻る気がない、とでも言いたいんですか……!? そんなわけない! あなたたちが引き留めているんでしょう!? 風丸先輩の足が惜しいからッ!」

 

「……引き留めてなんていませんよ。それに、そうまでするほど風丸さんが絶対必要ってわけでもありませんし。宮坂さんの言う通り、部員は足りちゃってるんですから」

 

 

 本当に、別に今日風丸さんが「陸上部に戻る」と言い出しても我が部に特別問題はありません。部員が足りているのはもちろん、彼が抜けたディフェンスの穴程度なら私がちょっと気を回すだけでも塞げるでしょうし、それに敵の攻撃は何であろうと円堂さんがすべて止めてくれることでしょう。

 

 なので私たちが風丸さんを引き留めている、というのはあり得ない話なのですが、当然、勢いよく立ち上がって肩を怒らせる今の宮坂さんにそれを言っても信じてはもらえないでしょう。

 ヒートアップさせてしまったのは全くもって失敗でした。が、もちろんそれを悔いても仕方がありません。正直にため息を吐いても彼をさらに興奮させてしまうだけならば、私もそれを呑みこむしかないでしょう。

 しかし口をつぐんでも尚、宮坂さんは憤怒に震えたままでした。その怒りのボルテージは上がり続け、やがて彼はますます声を荒げます。

 

 

「じゃあ、なんで風丸さんは陸上部に戻って来てくれないんですか!? おかしいじゃないですか! あんなに一緒に……一緒に、練習したのに……っ!」

 

「うーんと……それは、サッカーが楽しいからなんじゃないでしょうか。助っ人をやめるにはちょうどいいタイミングなのにそんな話は出なかったんだから、それ以外になくないです?」

 

「そんなはずないッ! 風丸さんは優しいから、あなたたちに遠慮して言えないだけなんだ!」

 

「そ、そういうこと言われちゃうと、もう私が何言っても意味なくなっちゃう気がしちゃうんですけど……」

 

「風丸さんが……風丸さんが陸上を捨てるなんて、そんなのありえない……! サッカーなんかよりも、陸上の方が――」

 

 

 とうとう目つきまで危ない感じになってきました。遠慮もきれいさっぱりなくなって、詰め寄ってくる宮坂さんに廃倉庫まで追い詰められてしまいます。背中が倉庫の大扉にぶつかっても彼は止まらず、やがて何やら不穏な言葉までもが口から顔を覗かせてきました。

 

 そしてそれが吐き出される、その直前。

 

 

「うるせぇッ!! さっきからギャーギャーと……公道で何を騒いでいやがんだ小僧どもッ!!」

 

「きゃっ……!?」

 

 

 突然押し付けられていた倉庫の戸が開き、中から耳が痛いほど大きなおじさまの怒声が飛び出してきました。

 さらに背を押し付けていた壁が消えて尻餅をついてしまった私の頭上、声の主であるおじさまは、見やればかなり大柄で顔もこわもて。いろんな意味で怖そうななのに、そこにさらに怒り顔までもが加わってしまっています。

 

 宮坂さんも一瞬のうちに我に返って青い顔になってしまうほどで、瞬時に立ち上がった私共々、慌てて頭を下げることになりました。

 

 

「ご、ごめんなさいっ! そ、その……」

 

「部活のこと話してたらちょっとエスカレートしちゃったんです。ごめんなさい。……すぐに行きますね?」

 

 

 そしてすぐさま離脱すべく、頭下がったままの宮坂さんの手を引っ張ります。こんな見るからに危なそうな人相手に下手に許しを乞うてはお説教を誘発してしまって危険です。だから投げつけるような謝罪をして踵を返したのですが、しかしどうやらそれでも遅かったようでした。

 

 というか、私の顔とサッカー部のジャージを見られてしまった時点で、もう手遅れだったのでしょう。

 

 

「……いや、待て。そっちの嬢ちゃん、もしかしてサッカー部の子か? 雷門中の……あの帝国に勝っちまったっていう、フォワードの米田」

 

「……ええまあ、そうですけど」

 

 

 背を呼び止められ、仕方なく再びおじさまに向き直ります。声と同じくキョトンと私を見つめる顔からはそれがどういう意図なのか読み取れず、不気味です。

 しかし直後、宮坂さんの驚きの声がそれを霧散させてしまいます。

 

 

「えっ!? フォワード……って、選手ってことですよね!? 先輩、マネージャーじゃなかったんですか!?」

 

「マネージャーだぁ? んなわけねぇだろ。筋肉のつき方に重心のバランス、それにさっきお前(宮坂)を引っ張ってった時の切り返し、ちょっと見りゃ選手なことはすぐわかる」

 

「えっ……き、筋肉……? そ、そうなんですか……」

 

「おうよ! しかし……こんな、虫も殺せなさそうな子がねぇ……。エース並みにバンバン点取ってるんだって? 大したもんだなぁ」

 

 

 乾いた笑いが、おじさまの口から漏れました。

 そこにあったのは、嘲りの笑み。そしてそれはいかにもあからさまで、意味もあまりに明白でした。彼は私のような小娘が活躍できるようなレベルなのかと、中学サッカーを嗤っているのです。

 

 そしてその中にもう一つ、異なる感情も見えたような気がしましたが――しかしともかく、『筋肉で選手かどうかわかる』とかいう胡散臭い感じも含めて、なんというか、キモいです。私や円堂さんたちまでまとめてバカにされたようで腹立たしいのも含めて、相手をする気が急激に失せてきました。

 お説教を仕掛けてくる雰囲気ではありませんし、もう無理矢理にでも逃げてしまいましょう。そう決めて、精一杯の愛想笑いで言いました。

 

 

「ありがとうございます。それじゃあ、失礼しますね」

 

 

 が、しかし。

 

 

「ああ待て待て! その前によ、一つサインくれねぇか? 帝国に勝った女子選手のサインなら、もしかしたら店の宣伝になるかもしれねぇからよ!」

 

 

 と、一瞬倉庫に引っ込んだおじさまが、長い間しまわれていたことがよくわかる汚らしいサッカーボール持って出てきました。

 

 二重のイライラ。バカにするのもいい加減にしてください、という言葉はギリギリのところで抑え込み、その代わり。

 おじさまが私めがけて抛ってきた緩やかなボールを、私は思い切りボレーで返してあげました。

 

 それが文句を言うよりもマズイ行いであることに気付いたのは、その数秒後でした。

 

 

「あっ……」

 

 

 ぐらわあぁぁん、と。

 おじさまのすぐ横を貫いて倉庫内にボールが消えた直後、そんなやかましい反響音が辺りに響き、そこで私は我に返ります。

 

 やっちゃいました。倉庫を滅茶苦茶にしちゃいました。しかも気のせいでなければ小さくパンッと何かが割れるような音が聞こえた気もします。 

 もう言い訳のしようがありません。おじさまのお説教から逃げれる言葉なんて全く思いつきません。

 だからもう物理的に逃げ出すしかないと、ほんの一瞬の逡巡の後、決めた私はあまりの事態に呆然としている二人に向けて、

 

 

「あの……サインは、ごめんなさい。そういうことなので……」

 

 

 それだけ小さく口にして、その場を逃げ出したのでした。

 そして、

 

 

「――ハハッ……!」

 

 

 という、おじさまが漏らした声がにやりと好戦的に笑ったことは、もちろん私には見えませんでした。しかし次の日、私は意外にもそれを知ることになったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 ――翌日。祝勝会がお開きになった後に何かあったのか、いきなり円堂さんから「河川敷で伝説のイナズマイレブンと練習試合をするぞ!」などという連絡が飛んできました。

 

 “伝説のイナズマイレブン”。それは響木監督も在籍した、四十年前のサッカーチームのことです。伝説になるほどの強さを誇ったチームと戦えるのなら、それはまあ光栄なことなのでしょう。響木監督がいるのだから招集をかけるのも不可能ではないのでしょうし、円堂さんじゃなくても興奮するのも納得です。

 

 ただし一夜明けた私は、ちょっとそれどころではありませんでした。

 寝て目覚め、パニック気味だった頭がリセットされてようやく思い至ったのですが――昨日の廃倉庫でのあの出来事。あの場面での逃走の選択は、最悪に最悪を上塗りするが如き最悪手だったのではないでしょうか。

 

 私はあの強面のおじさまに、学校に所属部に、果ては名前までもを知られてしまっていました。ならば彼がクレームの付け先に悩むことはないでしょう。私の不祥事は間違いなく学校に伝わるはずで、それが巡り巡って私たちのフットボールフロンティアに影響を及ぼすことも、まあ至極当然の流れと言えるでしょう。

 そうなってしまったらもう、土下座でも到底足りません。あの時ちゃんと、誠心誠意謝っておけばよかったのに――と、キリキリ胃を痛ませながら、言われた通りに河川敷に訪れることになったのでした。

 

 そうして到着したそこで、私は見たのです。

 

 

「おっ! 来たな!」

 

 

 その強面のおじさまが、雷門OBのユニフォームを着て私にぶんぶん手を振っているのを。

 

 どうして彼がこんなところにいるんでしょうか。まさか直接文句を言いに来たのかと、一瞬頭が真っ白になってしまいましたが、直後にそれを打ち消す明るい声音が、ベンチ近くでたむろしている円堂さんたちから放たれました。

 

 

「よっ、ベータ! 遅かったな、お前が最後だぜ? 俺たちもイナズマイレブンの人たちも、もうみんな揃ってるぞ!」

 

「……イナズマイレブン……?」

 

「おう! ほら!」

 

 

 オウム返しに聞き返す私に、円堂さんが反対側のベンチを示します。眼をやれば、強面のおじさま以外にもおじさまがいっぱいいることに気が付きました。

 しかもその、それぞれがどこかで見た覚えのある顔。

 

 

「びっくりしたでしょ? 生活指導の菅田先生に、理髪店の髪村さん。他もみんな雷門町の人たちなの!」

 

「ウチの場寅もね。まさか彼がイナズマイレブンの一員だったなんて……今でもちょっと信じられないわ」

 

「イナズマイレブン……なんですか? あの人たちが?」

 

 

 秋さんと夏未さんの言うように、そこにいるのは思いもよらないほど身近な人たちです。菅田先生や雷門さんの執事の場寅さんなんかは特にそう。

 そんな彼らが伝説とうたわれたサッカーチーム。驚きです。

 いえ、というか――

 

 

「おじさまも、イナズマイレブンだったんですか……」

 

「おうよ! イナズマイレブンの点取り屋、“雷門のライオン”とは俺のことだ!」

 

 

 こわもてのおじさままでそうだったなんて、これはいったいどういう巡り合わせなのでしょう。

 

 

「備流田、お前、ベータと知り合いだったのか?」

 

「べーた? ……ああ、いや、昨日が初対面だ。倉庫の整理してたら色々あって、シュートぶち込まれちまってよ!」

 

「……ほう? シュートを……」

 

 

 瞬間、響木監督のサングラス越しの視線が鋭くなって、私は困惑交じりの驚愕から引き戻されました。さっきの土下座の妄想が蘇り、瞬時に謝り倒そうとしたのですが、しかしその前に強面のおじさま、備流田さん。

 

 

「ああいや、おかげで俺もいい刺激もらえたから、それは別にいいんだよ。四十年前の、あの時の気持ちをもっかい思い出せたんだからな。……ってか、謝らなきゃならねぇのはむしろ俺の方だ」

 

「え……ちょっ……!?」

 

「悪かった。あの時、サッカーを……お前らのサッカーをバカにしちまって」

 

 

 響木監督の詰問の眼を遮り、頭を下げてきました。

 

 謝ろうとしたら逆に謝られる、というおかしな事態。顔と勢いに見合わない突然の行動に、私の頭の方が間に合いません。備流田さんの後頭部を唖然と見つめる他なく、そしてその内に彼は頭を上げて、謝罪の神妙な表情に代わり、今度はにやりと不敵の笑みを浮かべ、言いました。

 

 

「侘びに、今日は試合ついでにイイモノをプレゼントしてやる。モノにできりゃあ、お前にとってもすげぇ武器になるようなものをな! 期待しとけ!」

 

 

 そして彼は響木監督共々、再びイナズマイレブンのベンチへと戻っていきました。

 その後姿を見つめて見送り、そして今まで備流田さんとのやり取りを見守っていた円堂さんが、期待感に溢れた顔で言いました。

 

 

「“イイモノ”……よくわからないけど、よかったなベータ! 伝説のイナズマイレブンのメンバーがくれるんだから、きっとすごいものに違いない!」

 

「ベータだけじゃないさ。これから俺たち、伝説のイナズマイレブンと試合するんだぜ? この経験は、きっと俺たちをもっと強くしてくれる!」

 

「ああ。胸を借りるつもりで、全力でやろう」

 

 

 風丸さんと豪炎寺さんに続いて、他の皆さんも気合十分に頷いています。

 伝説という憧れを前にしているのですから、それは当然の向上心でしょう。が、しかし。

 備流田さんと響木監督を見送っていてもう一つ気が付いたのですが、なんだか二人以外、イナズマイレブンに迫力を感じません。談笑に勤しむおじさま方にはどうにも緩い空気が漂っているようで、皆さんが期待するような強さを本当に彼らは持っているのか、ちょっと不安になってきます。

 

 ……いえ、そんなのは気のせいです。少なくとも、この試合を楽しみにしている皆さんの前で口にすることではありません。

 そうやって湧いた思いは押し込めて、私は練習試合に臨んだのでした。



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第四十話 イナズマイレブンの伝説

 がしかし思いもむなしく、嫌な予感が気のせいでなかったことはすぐに明らかとなりました。

 ちょっと足を出すだけで容易くボールを奪い取れてしまうテキトーなドリブル、単純なワンツーに手も足も出ない杜撰なディフェンス、挙句にボールをクリアしようとして逆にオウンゴールを決めてしまうような、素人と見まがうほどのヘタクソさ。

 そういうプレーの問題もさることながら、最もどうしようもないのは、そんな醜態を晒しておきながら、おじさまたちのほとんどが気にした様子もなく和やかに笑っていることです。

 

 つまりおじさまたちは、サッカーに対してまるで真剣ではありませんでした。

 これが本当に素人の集まりだったのならまだしも、彼らは四十年前最強とうたわれた伝説のイナズマイレブン。だというのに、上手いとか下手とか、そういう次元にすら、おじさんたちはいなかったのです。

 

 私たちが今まで戦ったどのチームにもあった気迫すら、微塵も感じられません。そんな腑抜けたサッカーではもちろん、備流田さんが言う“イイモノ”だってお披露目できるはずもなく。

 

 

「ぐわッ……!?」

 

「ぐっ……!」

 

 

 備流田さんと、影野さんみたいな髪型のおじさまは、恐らくその“イイモノ”を試み、派手に失敗することとなりました。

 上がったボールに左右から走り込むも、何がしたかったのかもわからないうちに正面衝突。お互い倒れ、その中間にぽてんと落ちて転がるボールがなんとも空しい感じです。

 

 イナズマイレブンとの試合に期待で胸を膨らませていた皆さんも、それを目にしてとうとう私と同じ失望感を抱いてしまったようでした。ゴールまで転がってきたボールを拾い上げる円堂さんに続き、萎んだ声が聞こえてきます。

 

 

「なんか……伝説のイナズマイレブンっていう割には、あんまり強くないでやんすね?」

 

「これなら秋葉名戸を相手にした方がまだ練習になったかもッス。キャプテン、ほんとにあの人たち、イナズマイレブンなんッスか? ただのおじさんの集まりみたいッス」

 

「イナズマイレブンだよ。間違いなく。でも……」

 

 

 さしもの円堂さんにも、この有様をフォローできる言葉なんてありません。栗松さんと壁山さんに歯切れ悪く答え、手の中のボールに眼を落としています。

 しかし円堂さんがその末に何を見出すにせよ、現実は明瞭すぎるほど明らかです。イナズマイレブンは練習試合の相手に相応しくない。精々が練習前のウォーミングアップになるかといった程度でしょう。

 

 という、ため息として出た私の内心が聞こえたわけではないはずです。距離的に聞こえたのは円堂さんたちの失意だけなはずで、だから次の瞬間響いた怒声には、きっと私は関係ありません。

 

 

「浮島ッ!! テメェ、ガキどもにあんなこと言われてんのに、見返してやろうって気にもならねぇのか!? 四十年前、控えからスタメン勝ち取ったテメェはどこに行っちまったんだ!!」

 

 

 『ガキども』。円堂さんの顔をたちまち真っ青にするほどの怒りと不満の声が、備流田さんの口から吐き出されました。

 

 しかしとはいえやっぱり、その激情の矛先は哀れな円堂さんたちに向いているわけではありません。標的は“イイモノ”のパートナーだった浮島さんなるロン毛のおじさま。備流田さんはただでさえ厳つい顔に十割増しの形相を浮かべ、彼の襟首を締め上げています。

 ただその鬼のような激情も、チームメイトだったおじさまには大して効果がない様子。くたびれた様子でため息を吐いた彼に、備流田さんの頬がピクピクと跳ねました。

 

 

「……まさか、忘れちまったわけじゃねぇだろう? アレはあんなに苦労して完成させた必殺技なんだからよ! それなのに、お前は……ッ!」

 

「……『それなのに』? なんだっていうんだ」

 

「どうして本気でやらねぇんだって聞いてんだ!! どうして手を抜く!? 浮島だけじゃねぇ、お前らもだ!! せっかくの、四十年ぶりの試合なんだぞ!? こんなんじゃ、イイモノをプレゼントしてやるなんて言った俺が馬鹿みてェじゃねぇか!!」

 

 

 浮島さんから手を離し、備流田さんが周囲のおじさまたちへと叫びます。が、彼らが何か反応を見せる前に、浮島さんは襟首を締め上げる備流田さんの手を払い、呆れたように首を振りました。

 

 

だから(・・・)だよ。……四十年前ぶりなんだぞ? 錆び付いちまってるんだ。俺たちみんな」

 

「錆びっ……なんだと……!?」

 

「俺からすれば、お前がそこまで熱くなってる事こそが不思議だよ、備流田。俺たちのサッカーは、あの時……諦めた時に、終わってしまったじゃないか」

 

「終わった……? それは、どういう……」

 

 

 浮島さんが掠れた笑いと共に口にしたそれに、皆を代表して豪炎寺さんが眉を寄せます。

 そしてそれは、おじさまたちにとっては気まずい話題である様子。たまたま豪炎寺さんの傍にいた大昔のロックバンドみたいな恰好のおじさまが、少々迷った様子を見せるも頭を掻きつつ答えてくれました。

 

 

「……『イナズマイレブンの悲劇』は知ってるらしいな。あの事件があって、俺たちイナズマイレブンは解散した。そして誰も、二度とサッカーに戻ってこなかったんだ。やろうと思えば草サッカーでだって続けることはできたろうにな。……要するに俺たちイナズマイレブンは、サッカーから逃げ出した負け犬の集まりなのさ」

 

「……そういうことだ。そんな俺たちが今更雷門サッカー部と試合して、いったい何になるっていうんだ。俺たちにもお前たちにも、何一つ得るものなんてないさ……」

 

 

 おじさまたちの談笑も消えたフィールドで、今度は声がよく通ったようでした。浮島さんが、肩をすくめて息を吐きます。

 つまり、彼以外のおじさまたちもみんな同じような想い抱えていたのでしょう。試合なんてしても意味がない。だから本気でプレーする必要もない。そんな考えが、気迫のなさに現れているのです。

 

 伝説のイナズマイレブンは、とっくの昔に死んでしまっていた。要するに、そういうことです。

 備流田さんがどれだけ声を張り上げようと、死人が生き返るはずもなし。これではやっぱり本当に、この試合は全くの無駄であるようでした。

 

 

「せっかく今日は、壁山さんと連携技の特訓しちゃおうって思ってたのに……」

 

 

 その予定を潰し、急遽設けられた試合がただ時間の浪費するだけのものになってしまったという現実。ため息が出ちゃいそうです。

 

 しかし、その時でした。

 

 

「……確かに、俺もお前たちも、サッカーから逃げた負け犬なのかもしれねぇ。そんな負け犬が今更サッカーに熱くなれねぇって思うのも、まあそれが普通なんだろう。俺もお前たちと同じように考えてたさ……つい昨日まではな!」

 

 

 備流田さんが、それまでとは明らかに異なる重たい声色を口にしました。

 

 そして、『つい昨日』。そういえばさっきも『いい刺激をもらえた』とか言っていましたが、それはもしかして廃倉庫でのあの一件のことでしょうか。

 あの出来事がどうして良い方向に受け止められたのかはさっぱりですが、しかしどちらにせよ、浮島さんには知りようのない話。訝しげに何か言いかけ、それにかぶりを振ってから、再び呆れが口に出ます。

 

 

「……なんだよ。今は違うってのか?」

 

「ああ違う! 例え俺たちがサッカーから逃げた負け犬だったとしても、サッカーへの想いまで無くしちまったわけじゃねぇんだよ! まだ枯れてねぇ……まだ燃えられる! お前らも同じなはずだ! 俺たちは、伝説のイナズマイレブンだろうッ!!」

 

「「「「「ッ……!」」」」」

 

 

 伝説のイナズマイレブン。備流田さんが勢いよく吐き出した言葉は、どうやら少なからずおじさまたちの胸を打ったようです。みんながハッとしたふうに息を呑みました。

 そこに追い打ちとでもいうように、響木監督の声がにやりと響きます。

 

 

「ふっ……懐かしいな。昔に戻ったみたいなやかましさじゃないか、備流田。だが、おかげで眼も覚めてきた頃だろう、お前たち。ならば見てみろ、俺たちの相手を。俺たちの伝説を夢に見た、子供たちの姿を!」

 

 

 他の皆さんはともかく私は別に夢に見たつもりはありませんでしたが、もちろん黙っておじさまたちの視線を受け入れます。

 

 神妙にしていると、段々とおじさまたちの眼に炎が灯っていくのがわかりました。

 

 

「彼らに無様なサッカーを見せてちゃ、イナズマイレブンの名折れだ。そうだろう? ……なら決めろ! お前たちは己のサッカーを失ったと勘違いしてしょぼくれたただのジジイか? それとも、彼らが夢見た伝説のイナズマイレブンか?」

 

「……馬鹿を言うな。誰がジジイだ」

 

「おうとも! 俺たちは……無敵のイナズマイレブン!」

 

「証明してやろうぜ! 伝説は真実だと!」

 

 

 そうしておじさまたちは、備流田さんと響木監督の手により、イナズマイレブンとしての気迫を取り戻したようでした。

 

 

 そして言葉通り、それを証明し始めます。再開した試合で彼らが見せた動きは、まさに見違えるほどのもの。テクニックはもちろん連携のうまさもさっきまでとは天と地の差で、彼らは確かに伝説に違わない強さを見せつけてきたのです。

 

 

「【ダッシュアクセル】――うわぁっ!?」

 

「ハハハッ! 甘い甘い!」

 

「いいぞお前ら! ……なんだよ、やっぱりやればできるじゃねぇか!」

 

 

 栗松さんの必殺技をも易々と破るその姿に、備流田さんが嬉しそうな声を上げました。さっきまでとはまるで違う喜色の声色。そしてそれは他のおじさまたちも同様に、返す返事の中にはもう諦念のそれはありません。

 

 

「パスをくれ、民山! ……備流田、待たせたな! 行くぞ!」

 

「おうッ! ……遅くなったが、よく見とけよベータ!」

 

 

 などとなぜかベータ呼びで、備流田さんは走り込んできた浮島さんと共に私の傍を駆け抜けていきました。同時に要望通り二人の間に飛んでいくロングパス。以前大失敗した時のように、二人の脚はそのボールへと向いています。

 しかし、今度はむしろ失敗の要素がありません。ほとんど同じ距離、スピードで同時にボールに到達し、互いの足がボールを挟み込むようにして蹴り上げます。

 

 そして浮島さんが下から、備流田さんが上から。

 

 

「これが俺たちの――【炎の風見鶏】だッ!!」

 

 

 “イイモノ”であろう必殺シュートを打ち放ちました。

 

 炎の翼を羽ばたかせ、飛翔する炎のシュート。その威容にみんな息を呑み、しかしギリギリ辛うじて我に返り、同じく必殺技で迎え撃った円堂さんでしたが、

 

 

「ッ! 【ゴッドハンド】っ……ぐわぁッ!?」

 

 

 【炎の風見鶏】は光の手のひらをも破り、ゴールに突き刺さりました。

 

 なかなかの威力です。プスプス焦げるボールを見つめ、僅かに遅れて皆さんもそれを認めると、途端にわぁっと歓声が噴き出してきます。

 

 

「す、すっげぇっ!」

 

「これがイナズマイレブンの必殺シュート……!」

 

「【炎の風見鶏】……そうだ、思い出した! それってじいちゃんの秘伝書に載ってた必殺技じゃん!」

 

「そりゃ、イナズマイレブンの秘伝書のことか? 懐かしいなぁ……。だがまあ、文字から想像するより段違いの迫力だったろ? これが俺たちの最強シュートだ!」

 

 

 勢いよく立ち上がってぱあっと顔を輝かせる円堂さん。彼や皆さんからの尊敬の眼差しに、備流田さんは自慢げに胸を張っています。

 そしてそのいい顔で、私へビシっと人差し指を向けました。

 

 

「こいつを、ベータ、お前に伝授してやる! お前ならきっと使いこなせるはずだ!」

 

 

 だから“プレゼント”だったのです。

 

 必殺技の伝授。しかもイナズマイレブンの最強シュートだというのなら、なるほど確かに立派な贈り物でしょう。正直に言ってプレゼントだのなんだのには全く興味もありませんでしたが、これなら話は別。

 今の私にとってそれは、実に都合のいいものであるからです。

 

 

「二人の力を合わせる、連携必殺技ですか……!」

 

 

 それこそまさに、円堂さんの“力を合わせるサッカー”の象徴、連携必殺シュート。今の私に必要なものでした。

 

 

「ああ! 二人の距離とスピードとタイミング、後はパワーがぴったり合わさらねぇと成功しない、超高難度の必殺技よ! だから相方は……そこの、確か豪炎寺だったか? お前が適任だな! 炎のエースストライカーなんだって?」

 

「……そう呼ばれていたことはあります」

 

 

 自称エースストライカーを認めることに過去の染岡さんをフラッシュバックさせたらしい豪炎寺さんが、曖昧に頷きます。しかし実際、このチームで私に一番近しい能力を持っているのは紛れもなく豪炎寺さんです。

 彼をパートナーにして“力を合わせられる”なら、壁山さんと【イナズマ落とし】を磨き上げるよりもよっぽど有意義なものになることでしょう。

 

 

「いいですね! 豪炎寺さん、さっそく【炎の風見鶏】、試してみちゃいましょう!」

 

「……乗り気なんだな。てっきり嫌な顔をするものだと思っていたが……」

 

「そんな顔しませんもん」

 

 

 帝国戦前の私なら、まあしていたでしょうが。

 しかし今の私は、円堂さんたちの“雷門のサッカー”がわかっていなかったあの時とは違うのです。連携必殺技が我がチームの根幹を成すものであることはわかっています。

 

 それがどうしてか(・・・・・)理解するために、訝しげに片眉を歪めた豪炎寺さんにはとりあえずそれだけ言って、私は試合へと戻りました。

 

 そして再開してほどなく、おじさまたちも手心を加えてくれたのか訪れたチャンス。豪炎寺さんと目配せして、眼に残っている備流田さんたちの動きをそのままなぞり、打ちました。

 

 

「行きますよ、豪炎寺さん!」

 

「ああ……!」

 

「「【炎の風見鶏】!!」」

 

 

 打ては、したのです。豪炎寺さんが備流田さんと全く同じ動きで上から、私は下から、同じくオーバーヘッドで同時に。見事に炎の翼を羽ばたかせるところまではうまくいったのですが、しかし。

 

 ゴールめがけて飛翔したその直後、シュートは炎と一緒にチカラを霧散させてしまいました。

 結局それは、ワンバウンドして響木監督の手にポスンとキャッチされるだけ。備流田さんたちのシュートどころか、ただのノーマルシュートにすら劣る威力にしかならなかったのです。

 

 

「……失敗、だな」

 

「ま、最初はそんなもんだろう! ガンガン練習して、ガンガン上達すればいい! 試合だってまだまだこれからだぞ!」

 

「ええ……! 頑張っちゃいましょう!」

 

 

 私も豪炎寺さんも完璧に動きを真似たはずですが、きっとどこかに見落としか何かあったのでしょう。シュートするところまではうまくできたのですから、あとはそこさえ補正できれば、今度こそうまくいくはずです。

 

 そのはずだと、最初は特に深刻には考えていませんでした。だって私が習得できない必殺技があるなんてありえません。パートナーが豪炎寺さんであるのならなおのこと。

 だから不穏を感じ始めたのは試合も終わりかけの頃、いったい何度【炎の風見鶏】を打って失敗したのか、その回数もわからなくなってしまうほどの時間が経った後でした。

 

 

「っ……また、失敗……」

 

 

 同じように威力を失い響木監督に簡単にキャッチされてしまうシュートを見ながら、つい舌打ちが漏れそうになってしまいます。

 辛うじて堪えるも、しかし備流田さんたちに何度もお手本を確認させてもらったり、傍から見ていたた皆さんにアドバイスをもらったりしながら、それでも成功の兆しどころか少しの進展もないことは事実。いら立ちはとめどなく、汗と一緒に噴き出てきます。

 それを、たぶん慮った結果でしょう。私たちまでパスを届けてくれた風丸さんが、少々遠慮がちに言いました。

 

 

「……なあベータ、ここまでうまくいかないなら、いっそのこと人を変えてみるのもいいんじゃないか……?」

 

「人を……?」

 

「ああ。別に豪炎寺やベータが悪くなくても、相性だってあるだろう? 例えば俺も、【炎の風見鶏】はもうしっかり目に焼き付いてるからさ。試してみる価値はあると思うんだ」

 

 

 だから豪炎寺さんと交代をと、そうはっきり言葉にする前に、割って入って備流田さんが大げさに首を横に振りました。

 

 

「ダメだダメだ! 【炎の風見鶏】は、スピード、ジャンプ力、それにパワーがあればあるほど強力なシュートになるんだ! そこを考えれば、この技を継承するのはベータと豪炎寺以外にありえねぇ! せっかくいいストライカーが揃ってるってのに、ここで妥協するのは俺は嫌だぞ!?」

 

「だが、それでうまくいっていないのが現状だ。威力を求めた結果成功しないんだから、ものは試しってことで、いいんじゃないか?」

 

「ひ、響木ぃ……」

 

 

 がしかし、わがままめいた主張は、響木監督に宥められて萎んでいきます。

 私としても、もうこの際パートナーが誰だろうが構いません。多少威力が落ちようが、とにかく連携必殺技を完成させられればそれでいいのです。

 私と同じ心情ではないでしょうが豪炎寺さんの顔にも特に反対意見は浮かばず、やがて味方が誰もいないことを悟った備流田さんはがっくり肩を落としました。諦めて、頷きます。

 

 

「……わかった。そんじゃあ……風丸だっけか?」

 

「はい、任せてください! パワーはともかく、スピードとジャンプ力には自信があります! 俺、陸上部ですから!」

 

 

 風丸さんは、どこか嬉しそうに拳を握って応えました。

 サイドバックとして私たちフォワードにボールを運ぶ役柄が多かったせいで、彼ももしかしたらシュート技に憧れがあったのかもしれません。ともかく、モチベーションは十分な様子。

 であるなら、もはや何の問題もないでしょう。さっさと試合も再開するべきです。

 ぜひとも陸上部としてのアドバンテージを発揮してくださいと、彼の背を急かそうとした、その時でした。

 

 

「――まだ自分を陸上部だって言うのなら……戻って来て下さいよ、風丸さんっ!」

 

 

 響いたのは、半ば裏返った必死の声音。全員が反射的に堤防の上を見上げます。

 そしてその声の主の姿を認め――真っ先に驚きの声を上げたのは、風丸さんでした。

 

 

「み、宮坂……?」

 

 

 私も覚えのあるかわいらしい顔をした褐色肌の男の子、宮坂さんでした。

 しかしその名前と顔を知るのは、私や風丸さん以外には、昨日一緒に出会った備流田さんくらい。大半の皆さんはいきなり現れた彼に『誰だあいつ』と首を傾げ、次いでそれは声を上げた風丸さんへと集まりました。

 

 

「風丸、あいつは……」

 

「あ、ああ。宮坂だよ。俺の……陸上部の、後輩だ」

 

 

 言いながら、風丸さんは宮坂さんがここに来た目的に気が付いたのでしょう。言い辛そうに口にしました。

 しかしそれは、宮坂さんの声音をさらに厳しいものにする効果しか生みません。

 

 

「……良かった、俺のこと、忘れたわけじゃなかったんですね。サッカー部で陸上部の話、したことないって聞いたから、ちょっと心配だったんです」

 

「わ、忘れるなんて、そんな事……」

 

「なら、尚のことわかりません! どうしてまだサッカー部にいるんですか? 今だって風丸さん、サッカーに夢中だった……っ。部員も集まったんだから、もうこれ以上助っ人をする必要なんかないはずなのに……!」

 

「………」

 

「……風丸さん、あなたはしばらくサッカー部の助っ人に行くって言った時、ちゃんと戻ってくるって約束してくれました。あれは本当ですよね? もう役目は果たしたんだから、陸上部に戻って来てくれるんでしょう? ……戻ってくるって、言ってくださいよ……ッ!」

 

「……宮坂、俺は……」

 

 

 しかし風丸さんはそれっきり、返す言葉を見失ってしまったようでした。口が止まり、それに宮坂さんは怒りとも悲しみともつかない表情に顔を歪めてしまいます。

 

 

「やっぱり……米田さんの言う通り、風丸さん、サッカーに取り憑かれちゃったんだ。陸上なんてどうでもいいくらいに!」

 

「違う! どうでもいいだなんてそんなこと、思ったことは一度もない! ただ俺は……。サッカーは、陸上とは違う面白さがあるんだよ。今は俺、こっちを追いかけていたいんだ……!」

 

「聞こえのいいことを言って、結局は陸上部を捨てるってことでしょう!? ……もういいです。風丸さんからこんな言葉、聞きたくなかった……っ」

 

 

 ギリギリで出てきた風丸さんの訴えも聞く耳もたず。宮坂さんは一度ぎゅっと目を瞑った後、私たちに、というか風丸さんに背を向けてしまいます。

 

 しかし――話を聞くに、宮坂さんがこうまで切羽詰まっているのは、もしかしたら私のせいなのかもしれません。私が昨日、余計に刺激してしまったせいで彼は一日悶々とすることになり、この場でサッカーする風丸さんの姿を見て、それが爆発してしまった。ということなのかもしれません。

 そう考えるとちょっと罪悪感が湧いてきました。とはいえこの問題は私とて部外者。何をすることもできず、失意を抱えて去り行く宮坂さんを見送るばかり。

 その姿が堤防の向こうに消える、その寸前。唯一声を届かせられるだろう風丸さんが、必死になって叫びました。

 

 

「宮坂ッ! 俺たちの次の試合、見に来てくれ! ……そうすればきっと、今の俺の気持ちがわかるから……!」

 

「………」

 

 

 宮坂さんから返事はありません。立ち止まり、聞いた彼はそのまま振り返ることなく、堤防の向こうへ消えてしまいました。

 果たして彼はどうするのやら。見つめながら、円堂さんが心配そうにしながら風丸さんに声をかけます。

 

 

「……俺、風丸が助っ人だってこと、すっかり忘れちゃってたよ。あの一年に悪いことしちゃったな」

 

「悪いのは俺だよ。けど……きっとあいつもわかってくれるさ。サッカーも悪いものじゃないってこと」

 

 

 そう信じることにしましょう。

 そして後は信じることしかできないのなら、今すべきは練習試合、【炎の風見鶏】の特訓です。

 

 

「……試合、再開しちゃいましょうか」

 

 

 早いところ風丸さんとのそれを試したい。そんなはやる思いをどうにか短く抑え込み、私は再び皆さんを急かすことになったのでした。

 しかし結局、私は風丸さんとの【炎の風見鶏】をも、その日に成功させることはできなかったのです。



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第四十一話 新入部員!?

「……また途中で失速か……。だが、シュートを打つまではもう完璧だ! 俺でも文句のつけようがねぇ! だから……あと少しだ! もう一回……いや、あと何回かで、きっと今度こそ【炎の風見鶏】を――」

 

「ダメです! もう何時間もぶっ続けじゃないですか! これ以上はオーバーワークです! ……試合までもう何日もないんですよ? 無茶して怪我でもしちゃったらどうするんですか!

 

 

 とうとう怒ってしまった秋さんのもっともなお言葉に、備流田さんと、そして私も、特訓の手を止めざるを得ませんでした。

 

 【炎の風見鶏】の習得を試み始めてもう三日、それだけ経ち、備流田さんがコーチもさながらつきっきりで指導してくれているにもかかわらず、私は未だにそれを成功させることができていません。

 パートナーを風丸さんに替え、しかしやっぱりうまくいかないからと豪炎寺さんに戻しても尚、最初の頃から一ミリも上達しない現状。だから成功させられない原因は私にあるのでしょうが、具体的に私の何が悪いのかはさっぱりなままです。

 ずっと昔に完成させた【ダブルショット】や【スピニングアッパー】、あるいは壁山さんの高所恐怖症が悪さをしていた【イナズマ落とし】とも全く違う状況で、結局どうすればうまくいくのかなんて何もわからず、「必殺技を真似することはそこまで難しくない」といういつかの自分の発言を悶々と思い返しながら、日を繰り返すことになってしまっていました。

 

 だからこそ、日に日に増して今やもう溢れんばかりの焦燥感は私を特訓に駆り立てていたのですが、しかし秋さんの言う通り、今無理をして試合に影響を残してしまうわけにはいきません。スタミナ枯渇でベンチに下げられてしまうのはもう勘弁です。

 だから、ちょっとだけ休憩を取ることで妥協します。

 

 

「それじゃあ、お言葉に甘えて。……五分くらい休んだら、また特訓再開しちゃいましょう」

 

「ご、五分!? え、えーっと……俺としては正直、もうちょっと欲しいところなんだが……」

 

「……同感だ。というか、昨日も練習しすぎなくらいだったんだから今日の特訓は抑えめにすると、最初に話し合ったはずだろう」

 

 

 私の妥協にドン引きな風丸さんと豪炎寺さん。共に【炎の風見鶏】の特訓をしていた彼らは、もうだいぶ限界ギリギリな様子です。

 

 

「……っていうか私、今日はもう練習終了だって言ったつもりだったんだけど。……もう。わかったわ。ただし休憩時間は十分! ちょっとじゃなくて、しっかり身体を休めること! いい?」

 

「はぁい」

 

 

 とどめに秋さんにもそう言われては仕方がありません。妥協をさらに妥協して、私たちはフィールドの脇、赤錆の浮いた汚い鉄階段をベンチ代わりに身体を休めることになりました。

 

 朽ちかけの鉄板の座り心地はあんまりよくありません。この点に関しては、いつもの河川敷が恋しくなってしまいます。しかしあそこは、今でこそ御影戦の頃のように偵察隊が押し寄せるなんてことはありませんが、やはり必殺技の特訓をするには不向きな場所。であれば総合的には、今の環境の方がマシでしょう。

 備流田さんと初めて出会った廃倉庫。その中の秘密のサッカーグラウンドを貸し出してくれた彼には、やっぱり感謝するべきです。

 

 たぶん、イナズマイレブン時代からの秘密の練習場所なんでしょう。倉庫なだけあって外からの監視はできませんし、そもそも倉庫の中なんかにグラウンドがあるだなんて、誰であっても想像できるはずがありません。

 だからここで特訓する限り、【炎の風見鶏】の情報が漏れ出す心配は皆無です。三日の内の一日、特訓の合間に出席しなければならなかったフットボールフロンティアの開会式、そこで眼にした敵チームは誰も彼も自身に満ち溢れた顔をしていましたが、必殺技をお披露目したその時には、きっと表情に驚愕を彩ることができるでしょう。……それまでに完成させることができれば、ですが。

 

 と、なかなか運動の熱が取れない身体をパタパタあおぎながら、頭の中で開会式の様子を蘇らせていると、ふと思い出しました。唯一その開会式に出席せず、先導役の女の子に一人行進させて羞恥責めにしていたあの謎の学校。

 

 

「世宇子中……でしたっけ。あの学校の情報、やっぱりまだ謎のままだったりしちゃうんです?」

 

「え? う、うん。音無さんもさっぱりだって。……いきなりどうしたの?」

 

「いえ、ただボーっとしてるのも暇なので、何かおしゃべりをと思って」

 

「暇だというなら皆の練習でも見ていればいい。お前の場合は特にな。皆に指示を出す機会も多いんだから、データが多くて困るということはないだろう」

 

 

 秋さんに続いて無粋なことを言ってくる豪炎寺さん。どうせ休憩するならおしゃべりを楽しんだっていいでしょうに。

 しかし特訓特訓と言い続けた手前、無視するのも難しいところです。仕方なくおしゃべりは諦め、他の皆さんの練習風景に眼を向けます。

 

 パス、ドリブル、ブロック、それに必殺技と、全体的にまんべんなく、皆さんしっかりと練習しています。いい仕上がりです。

 帝国戦でもその実力を発揮できたわけですし、次の試合も上手く動いてくれるでしょう。至らないところは私が指示してやればいうことなし。

 だから本当に、後は私が【炎の風見鶏】を完成させさえすれば――と、休憩で押し込めた焦燥がふと込み上げて、それを呑み下すために僅かに首を上に向けた、その時でした。

 

 

「……? あれ、もしかして……」

 

 

 たまたま向けた視線の先、少し高い位置にある窓ガラスに見えた人影。へばりつき、食い入るように皆さんの練習風景を観察している、宮坂さんがそこにいたのです。

 

 

「……どうして?」

 

 

 彼がここを訪れたことは、まあいいでしょう。風丸さんの件での確執もありますし、中に入りづらいのも納得はできます。

 でもどうしてあんなに必死に、まるで覗き魔の不審者みたいなことをしちゃっているのでしょう。

 

 

「ベータ? どうかしたのか?」

 

「あ……ええっと……」

 

 

 困惑ばかりを頭に巡らせていると、風丸さんが不思議そうに聞いてきました。ハッとして振り返り、宮坂さんのことを教えてあげようとして――しかし一瞬だけ踏み止まります。今、彼と宮坂さんを合わせてしまってよいものでしょうか。

 考えてしまいましたが、しかしすぐにかぶりを振ります。よくないのだとしても、私がそれを判断するべきではないでしょう。躊躇を捨て、窓の方を示しました。

 が、しかし。

 

 

「はい。あの、あそこに宮坂さんが……あら?」

 

「……誰もいないな」

 

 

 さっきまで彼がへばりついていた窓ガラスには、誰の姿も見えはしませんでした。

 ちょっと目を離した隙に消えてしまったようです。

 

 

「宮坂ってぇと、陸上部だっていうあの坊主か? それがあそこに……って、いるわけねぇだろあんなところに。大人でも届きやしねぇよあんな窓」

 

 

 そして私たちに釣られて眼をやった備流田さんの、呆れ声。確かに、言われてみれば窓は少しどころかかなり高く、特に長身でもない宮坂さんではとても届かないでしょう。大きめの脚立か何かがあれば届くかもしれませんが、バランスの悪い足場で“ちょっと目を離した隙”に消えてしまえるものでしょうか。

 

(……ということはつまり、私の気のせい?)

 

 いえまさか。私ははっきりと眼で見たのです。

 そういうことを主張しようとした、その時でした。

 

 

「やっと見つけたぁ! 探しましたよ、雷門サッカー部の皆さん!」

 

 

 やたらと元気のいい男のこの声――もとい、宮坂さんの声が、倉庫の扉を開け放って現れました。

 

 いきなりのことに練習の手が止まってしまう皆さんを横目に、彼はずんずん私たちの階段へとやって来て、そしてこれまた元気よく、風丸さんに笑いかけます。

 

 

「全くもう! 河川敷のグラウンドが空っぽで、どこにいるかと思いきや……まさかこんな汚い倉庫にサッカーコートがあるだなんて! 町中しらみつぶしにする羽目になりましたよ!」

 

「そ、そうか……それは、悪かったな……?」

 

 

 宮坂さんの、最後に見たそれとは全く違うテンションに、気まずくなる間もなく面食らった様子の風丸さん。

 そして私も勢いに押され、窓のことやら聞きたいことはたくさんあったのに一つも言葉が挟めません。以前の怒りと悲しみが今の彼に欠片も無い、というのもそうですが、今はそれ以上に彼の『汚い倉庫』発現。その管理者である備流田さんがこの場にいるのに、どうしてそうも簡単に貶せるのでしょう。

 他の皆さんだったならともかく、宮坂さんは私と同様、備流田さんがこの倉庫から出てきたところを見ているのだから、察しくらいつくものだと思うのですが……。

 

 それとも、意外と鈍感なのでしょうか。だとしたらこの先の人生苦労するだろうなと、益体もない呆れを思いつつも落ち着けて、未だ今の宮坂さんとの距離を掴みかねている風丸さんに代わり、話を前に進めるべく尋ねます。

 

 

「それで……随分頑張って私たちのこと探しちゃってたみたいですけど、いったいどんなご用なんです?」

 

 

 まあ風丸さんと陸上部絡みであることは間違いないでしょうが。

 しかし、笑顔の宮坂さんからは思いもよらない答えが返ってきました。

 

 

「はい! 俺、サッカー部に入部したいんです!」

 

「……さ、サッカー部に入部!?」

 

 

 思わずといったふうに、グラウンドの円堂さんから驚きの声が響きました。

 同じく騒めく皆さんと、そして私たち。だってそれは、サッカー部を『風丸さんを奪った』と敵視しているはずの宮坂さんから出てくるはずのない言葉です。

 

 

「入部ってことは……陸上部、やめるってことか……!? いいのかよ、宮坂!?」

 

「全くです。あんなに風丸さんに『陸上部に戻って』って言っちゃってたのに」

 

「えっ? あー……その、それはもういいんです! そんなことより今はサッカーがしたくって! えっと……ほら、大会で皆さん、すごい活躍だったじゃないですか! それで憧れて……だから、そういうことです!」

 

 

 理由は微妙にフワフワとしていますが、とにかく意志は固い様子。風丸さんと私からすればちょっと信じ難いですが、宮坂さんの眼は冗談を言っているふうにも見えません。

 

 

「あの時と比べたら、まるで別人だな。憧れただなんておだてられても、照れる以前に不気味でしかねぇよ」

 

「ぶ、不気味ッ!?」

 

「そんなこと言うなよ染岡! ……何はともあれ、サッカーに興味を持ってもらえたのは嬉しいよ! 入部の件なんて、こっちから頼みたいくらいさ! よろしくな、宮坂!」

 

 

 それでも疑念を消せないのは染岡さんも同様だったようですが、そんな事も円堂さんには無関係。大好きなサッカーをプレーする仲間が増えたことにお喜びな様子です。サッカーボールを片手にやってきた彼は手を差しだし、宮坂さんは染岡さんのせいか若干ビクビクしながらその手を握りました。

 

 そのビクつきは、かわいそうなことに備流田さんの大笑によってさらに増してしまいます。

 

 

「はっはっはっ! そうかそうか! よくわからんが、要するにお前もサッカー魂に火を付けられちまったわけだ! そりゃあそうだよなぁ! ベータの奴にあんなシュート見せつけられて、滾らねぇ奴なんているはずねぇよなぁ!」

 

「しゅ、シュート……? えっと、あの……はい、そうですね!」

 

 

 ビビり過ぎて頭から飛んでしまったのでしょうか。宮坂さん自身も目撃したはずなのに眼を瞬かせ、明らかにわかってない感じで頷く彼。

 備流田さんはそんな彼の肩を嬉しそうにバンバン叩き、そしてふと、何かに気付いたように真剣な眼差しを彼の脚に向けました。

 

 

「しかし……随分短期間で仕上げてきたんだな」

 

「え? ええっと……?」

 

「身体だ! 前会った時は明らか陸上選手って感じの走ることしか考えてねぇ筋肉してたのに、今や立派にストライカーのそれに変わってやがる! ……さてはベータのマネしてシュート練習しまくってたか?」

 

「えッ……えっと、は、はい! そうです!」

 

 

 何かと思えば、ただの胡散臭い筋肉診断だったようです。またビクリと身体を跳ねさせてしまった宮坂さんはどうやら真に受けてしまっているようですが、あんまり気にして話を合わせることなんてないと教えてあげるべきでしょうか。

 そんな親切心が芽生えるくらい、宮坂さんはカチコチでしたが、しかし自分で脱したようでした。備流田さんに勢いよく背を向け、皆さんめがけて叫びます。

 

 

「そ、それじゃあ早速、練習しましょう! 確か【炎の風見鶏】、でしたっけ? 俺、あれやりたいです! せっかくストライカーとして鍛えてきたんですから、イナズマイレブンの最強必殺シュートを、ぜひ!」

 

「おい待てよ! 新入りがいきなり何言ってやがるんだ! ……てかそもそも、こんなよくわからん奴を入部させるだなんて、俺は認めねえぞ! だろう?! なあベータ!」

 

 

 新たなストライカー候補の登場に、染岡さんまでビビってしまったのでしょうか。備流田さんの筋肉診断を信じている人が多いようで嘆かわしいですが、それはそれとして、染岡さんが求める同意を私は提供することができません。

 

 

「私は別にいいと思いますよ? いいじゃないですか、入部させちゃえば」

 

「はぁ!?」

 

 

 だって別に、問題はないと思うのです。

 もちろん、必死に取り繕ってまで入部を果たそうとすることには私も不穏を感じます。『私たちに憧れてた』というあの言葉もどこまで本気かわかりませんし、やっぱり陸上部をあっさり切り捨てたあの態度は不可解です。

 しかし彼が腹の奥底に企みを抱えていたとしても、それは風丸さんを陸上部に取り戻したいという、それだけ。例えば内部からサッカー部をかき乱し、廃部まで追い込んでサッカー部そのものを潰すとか、そういうあくどいことを考えている可能性もなくはないですが、そんな大それたたくらみが成功するわけがないのです。

 つい最近入ったばかりの新入部員が部の命運を握れるわけもありませんし、不祥事を起こしても、それがよほどのものでない限り本人が罰せられるだけ。何よりそんなことをすれば、当の風丸さんの信頼が地に落ちてしまいます。

 説得するにしても風丸さんは恐らくもう何を言われてもサッカーをやめることはないでしょうし、もし仮にやめたとしても部の人数は足りているのだから無問題であることは、いつかにも言った通り。あらゆる理由から、宮坂さんの入部に反対しなければならないということはありません。あるいは本当にサッカーに目覚めてくれたのなら、選手層が増えてよりよいでしょう。

 

 

「かわいい後輩が増えちゃうんですから、私的には宮坂さんの入部、賛成ですね」

 

「だよな! みんなも賛成だって! ……染岡、あんまり一年を虐めてやるなよ」

 

「……別に、虐めてるとかそんなんじゃねぇよ」

 

 

 いつの間にか部員の皆さんと決でも取っていたのか、染岡さんを宥める円堂さん。罰が悪そうに視線を逸らす彼を認めて、反対意見はすべて折れたと受け止めた宮坂さんから喜びの声が上がります。

 

 

「やったぁ! それじゃあさあさあ、“善は急げ”ですよ! 風丸さん、早く【炎の風見鶏】の特訓を――」

 

「だから図々しいって言ってんだよ一年! ……フォワード向きだか何だか知らねぇが、何日か練習しただけの素人に必殺シュートを託せるわけがねぇ」

 

 

 それはまあ、ごもっともです。案外とまともな反対理由を掲げていた染岡さんでしたが――しかし。

 

 

「つまり、実力を証明すればいいわけだ」

 

 

 その時、宮坂さんから、今までの底抜けに明るい声でもビビった声でもない、にやりと不敵に笑みを浮かべたような声が零れました。

 そして次の瞬間。

 

 

「うお――ッ!?」

 

 

 そこらに落ちていたボールを拾い、瞬時に染岡さんに向かってドリブル。染岡さんも驚きつつ反射的にブロックしようとしましたが、宮坂さんの瞬時の加速が彼を置いてきぼりにして、

 ズバンッ。と、放たれたシュートが、ゴールネットに突き刺さりました。

 

 ノーマルシュートながらひしひしと力強さを感じる、素晴らしい威力です。少なくとも、宮坂さんのサッカー選手としての能力が素人離れしていることは、もはや染岡さんも認める他ないでしょう。

 

 

「これで文句ないでしょう?」

 

「くっ……」

 

 

 実際、それを認めた彼は悔しそうに唇を噛んでいます。

 そして染岡さんをそうしてのけた宮坂さんの態度は、備流田さんの琴線に触れるものだったようでした。

 

 

「なんだ、なかなかのハングリー精神持ってたんだなお前! いいぜ、嫌いじゃねぇ! ……それに風丸の後輩ってんなら、息も合うかもしれねぇしな!」

 

「備流田さん、つまり……風丸と宮坂が?」

 

「おう! 風丸、宮坂、お前ら二人で【炎の風見鶏】やってみろ! 教えてやる! ベータはしばらく豪炎寺とだな! もうそろそろ十分経ったし、練習再開だ!」

 

 

 そうして【炎の風見鶏】の特訓に、新たに一人、加わることになったのでした。

 私と豪炎寺さん、そして風丸さんと宮坂さんのペア二組。それぞれ分かれて行われた練習は、三人で代わる代わるにやるよりもずっと効率的だったはずです。今までの閉塞を打破する一手になるかもしれないと、多少の期待はあったのですが――しかし。

 

 結局、どちらのペアも最後まで【炎の風見鶏】を成功させることはできませんでした。

 

 私たちの場合はまあある意味順当な結果なのでしょうが、期待されていた風丸さんと宮坂さんのペアもが全くの成果ナシ。完成の気配すらなかったそうです。

 曰く、期待したほど二人の息が合わなかったのだとか。陸上部の先輩後輩とはいえ、舞台がサッカーではその関係もうまく発揮できなかったのかもしれません。

 それに宮坂さんは習熟したフォワードと見紛うほどの才能を持ってはいますが、実際のサッカー歴はほぼ皆無であるはずです。サッカーの基本も知らない素人にいきなり必殺技の特訓をさせたわけなのですから、そもそもからして色々と無理があったのでしょう。

 

 ということに思い至ったのが、試合前日最後の練習の終わり際。もはや立ち返って基本練習をさせられるような時間もなく、そしてそのまま翌日、試合の日を迎えることになってしまったのです。



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第四十二話 波乱の戦国伊賀島戦

 一応、そんな宮坂さんでもベンチには入ってもらう予定でした。なにしろ雷門サッカー部の部員は、秋さんたちマネージャーを除いて十五人であり、ベンチはまだまだスカスカなのです。

 基本も連携も全くできていなくても、もしもの時の交代要員は必要不可欠。だから当然、彼もいっしょに試合に赴く――はずだったのですが、

 

 

「クソ……宮坂のやつ、まだなのか!? もう試合が始まっちまうぞ……!」

 

「……なあ風丸、ちゃんと宮坂にはベンチ入りの話、言ってあるんだよな? 忘れてた、なんてことじゃないよな……?」

 

「もちろん。昨日の練習の終わりに確かに伝えたさ。間違いない」

 

「じゃあどうして……。俺たちも、敵の戦国伊賀島中も、もうみんなグラウンドに揃ってるのに……宮坂だけがどこにもいない……!」

 

 

 今日の試合の会場、スタジアムのどこにも、宮坂さんの姿がありません。

 いつかの壁山さんや円堂さんのように会場をぶらついているというわけでもなく、本当にこの場に来てすらいないのです。

 そしてその理由も原因もさっぱり不明。おかげで私たちはお手上げ状態になってしまっているのでした。

 

 

「……やっぱり、宮坂も俺たちと一緒に行動させるべきだったんでやんすよ。一緒の電車に乗ってれば、こんなことにはならなかったはずでやんす」

 

「でも、あいつが言い出したんでしょう? 『俺は一人でスタジアムに向かうから、皆さんは皆さんで先に行ってください』って。……っていうか、そもそもどうしてそんなことを……」

 

「そりゃあ……何か原因があるとしたら、【炎の風見鶏】くらいしかないだろ。染岡にデカい口叩いたのに結局習得できなかったんだから、気まずかったんじゃないか? それか……風丸と一緒にデビュー戦を飾るつもりが、できなくてヘソ曲げた……とか」

 

「そ、それじゃあ……このまま待っててもあいつは来ないってこと……!?」

 

「道に迷ったとかじゃなくて、そもそもこっち(スタジアム)に向かってもいないってことッスか!?」

 

「ンなわけあるか! 気まずかろうがヘソ曲げてようが、あいつが試合をすっぽかすなんてことはありえねぇよ!」

 

「……染岡がそんなこと言うなんてびっくりだなぁ。いつの間に彼のこと認めたの?」

 

「認めちゃいねぇ! いねぇが……【炎の風見鶏】を完成させてやろうっていう、あいつの根性はマジだった! ……こん中の何人かは覚えがあるはずだぜ。あいつ、『みんなの必殺技から何かコツを掴めるかもしれない』って、特訓の後も俺たちの必殺技をずっと観察してたじゃねぇか! なあ、そうだろ!」

 

「……そうだね。あの時の宮坂、すごく真剣にタイミングとか、弱点とかまで質問したりしてて……すごく目立ってた」

 

「ああ。とにかく、宮坂は本気だったんだ。なのにすっぽかすなんてありえない。……それに俺、今朝も念のために電話で連絡したんだよ。その時も『念押しされなくてもちゃんと行く』って言ってたさ。……なんでかちょっとキレてたけど」

 

「しつこかったんだろ、たぶん。まあでも来るって言ってたなら、俺たちも待つしかないか……」

 

「で、その結果が今なわけだけど。彼、いったいどこで道草食っちゃってるんだろうね?」

 

 

 ――と、そんなふうに皆さん総出で頭を回しても、もちろん何が変わるわけでもありません。宮坂さんは相変わらず影も形もありませんし、入場口にも気配は皆無。ただただ時間だけが過ぎ、待ちぼうけを食らっている観客たちから「いったいいつになったら試合は始まるんだ」というざわめきが大きくなっていくだけです。

 彼のチームメイトたる私たちに向けられるそれはなかなかのプレッシャーで、理不尽です。だからそれがその要因、試合開始の予定時刻を通り過ぎ、そこに合わせてウォーミングアップで温めた身体が冷えてしまったくらいの大遅刻を現在進行形でしでかしている宮坂さんへの憤りに変わるのは、普通に考えて当然でしょう。

 

 皆さんの言葉の節々、心配の中にも、苛立ちや焦りなんかのそういう思いは確かに存在するのです。が、しかし、それでも彼を見限る声が出ないのは、やはり染岡さんが言う所の“根性”があるからなのでしょうか。

 

 私と、豪炎寺さんも【炎の風見鶏】の特訓に集中していたので知りませんでしたが、曰く皆さんの必殺技の観察なんてことをやっていたらしい彼。他人の必殺技が何の参考になるのか、私的には疑問な行動ではありますが、とにかくそれに熱意と好感を感じてしまった皆さんからすれば、何を言おうとも最初から『待つ』以外の選択肢がないのかもしれません。

 

 であるならこの問題、やはり私が口火を切るべきです。

 宮坂さんのことは諦めて試合を始めるのだと、そう言ってあげるべきでしょう。どのみち時間的に余裕がないことは明らかですし、あれこれと心配や苛立ち、焦りを口にしている皆さんも内心ではちゃんとわかっているはずです。

 必要なのはあと一歩。仲間を見捨てるようなことが言えないのなら、私が背中を押してあげる他ありません。嫌われ役を演じることにはなりますが、これ以上問題がこじれてしまうよりはいくらかマシでしょう。

 

 そう、私は皆さんの難しい顔を眺めながら決心し、いざ説得をと立ち上がった――のですがしかし。

 決断は、ほんの少し遅かったようでした。

 

 

「おい雷門、いったいいつになったら試合を始める気なんだ」

 

 

 戦国伊賀島中の選手さんです。もめる前にと思っていたのに、当人が苦情を言いに来てしまいました。

 しかも腕に巻かれた腕章を見るに、丸眉の彼はキャプテンである模様。そのいかにも不機嫌そうな眼が、ちょうど席を立ったばかりに私へと向けられてしまっています。

 

 

「……だそうですよ、円堂さん」

 

 

 チームを代表するキャプテンからの苦情なのですから、同じくキャプテンたる円堂さんが対応するべきです。

 故に素早く視線を受け流してやると――恐らく、皆さんの会話の中で一際難しい顔をしながら考え込んでいた彼は、丸眉さんの存在に気付いていなかったのでしょう。自分に移った視線にびくりとなって、慌ただしく丸眉さんに聞き返しました。

 

 

「ああ! その……えっと、ごめん。聞いてなかったんだけど……なんだって?」

 

「……だから、どうして試合を始めようとしないのかと聞いてるんだ。予定の時間からいったい何分過ぎたと思ってる? こっちはもう、いい加減に待ちくたびれたぞ」

 

「あー……それはほんとにごめん。でも、もうちょっとだけ待ってくれ。まだ一人、来てないんだ」

 

「……? 雷門は全部で十四人のチームだろう? ちゃんと十四人いるように見えるが」

 

「最近新入部員が入ったんだよ。宮坂 了っていう一年なんだけど……理由はわからないんだけど、遅れてて……」

 

「宮坂? ……ははっ。それ、マジで言ってるのか?」

 

 

 雷門のチーム構成を知っていたらしい丸眉さんはベンチに揃った私たちの人数を数えてキョトンとしていましたが、しかし宮坂さんの名前が出た途端、突然クツクツと笑い始めてしまいました。

 

 どうせこの期に及んでまだ宮坂さんを待つ選択をする円堂さんのことを、滑稽だとでも思ったのでしょう。

 私も、待つことが無駄だというのには同意見です。しかし丸眉さんが口にしたそれは私よりもずいぶん嘲弄の響きが強く、当然皆さんから――特に沸点の低い染岡さんから怒りの感情を向けられることになりました。

 

 

「相変わらず、バカみたいにお人よしなんだなぁ雷門中。だが、残念ながら宮坂は来ないよ。いくら待っても無駄、無駄。……わかったら、さっさと試合を始めようぜ?」

 

「……おちょくってんのかテメェ……!! 宮坂は来ないだのなんだの、テメェに何でわかる!! 適当なこと抜かしてんじゃねぇよ!!」

 

「わかるさ。お前よりはよっぽどな」

 

「野郎……ッ!!」

 

 

 しかし歯を剥く染岡さんの威嚇も、丸眉さんには全く効果が見られません。彼はにやにや笑いを浮かべたまま、悠然とそう返してきました。

 

 そしてその物言いは奇妙なくらいに自信満々。丸眉さんは完全なる部外者であるはずなのに、それこそまるで自分のことを語るかのような調子です。

 あまりに疑いのない断言はむしろ怪しく見えてしまうくらいなのですが、しかしまあ、おかしいということもないでしょう。怒られて済むレベルでない大遅刻っぷりからバックレを確信するのは当然でしょうし、道理です。

 それにもしハッタリだとしても、もうこの際関係ありません。どうであれ、宮坂さんは試合に来ない、という結論には変わりなく、そしてそれは私と丸眉さんの共通認識なのです。

 

 だからこそ、言い争いは時間の無駄。狂犬みたいに吠え立てる染岡さんは“おすわり”させて、とにかくこの話を先に進めてしまいましょう。

 染岡さんを制して下がらせて、そう、今度こそ切り出そうとしたのですが、しかし。

 

 今度はお年を召したおじいさまの声が、割って入って邪魔してしまったのでした。

 

 

「これ、霧隠。いつまで話し込んでおる」

 

「! 監督……いえ、こいつらが『宮坂がまだだからもう少し待ってくれ』なんて言ってるもので」

 

 

 おじいさま、戦国伊賀島の監督さんです。

 いつの間にそこにいたのか、霧隠なる名前であるらしい丸眉さんの背から肩に手を置いた彼。その霧隠さんは監督さんの叱責にイタズラが成功した子供みたいな顔をしたまま答えますが、しかしそもそも然る気なんてなかったのか監督さんは僅かに微笑んだだけで済ませ、次いでベンチの響木監督へと言いました。

 

 

「久しいのう、響木。四十年ぶりか?」

 

「……ああ。元気そうで何よりだ」

 

 

 二人とも知り合いであったようです。四十年ぶりということは、響木監督がイナズマイレブンだった時の関係なのでしょうか。

 しかし二人ともそれを懐かしむつもりはないようで、戦国伊賀島の監督さんはすぐに顔から好々爺然とした雰囲気を消し去り、ちらりと一瞬、視線を背後へ。なかなか試合を始められないせいで若干イラついているらしい審判さんを示し、続けました。

 

 

「……あと三分以内にフィールドに出なければ大会規則により試合放棄と見做す、だそうじゃ。響木、試合を始める準備をせい。でなければ棄権するか? いつかの帝国学園との試合のように」

 

「言ってくれるじゃないか……!」

 

 

 どうやらあまり仲はよろしくないようです。響木監督も素直に頷きたくはないのでしょうが、しかし試合放棄をちらつかせられてしまってはどうしようもありません。

 おかげでとうとう決心してくれたようで、私としては喜ばしいことに、苦々しげながらも私たちへと告げました。

 

 

「……やむを得ん。お前たち、このメンバーで出るぞ。宮坂の分まで、思いっきり戦って来い!」

 

「「「「「はい……!」」」」」

 

「それでよい。不戦勝など勝ったうちに入らんからのう、なによりじゃ。……ゆくぞ、霧隠」

 

 

 響木さんの号令に円堂さんたち皆さんが続き、それに満足したらしい戦国伊賀島の監督さんが好戦的な笑みを浮かべます。そして霧隠さんに声をかけると――次の瞬間、ポンッと一瞬にしてその姿を消してしまいました。

 

 そういえば、戦国伊賀島中は忍者サッカーなるもので有名であるそうです。つまり、これが忍術であるのでしょうか。

 そんなふうに慄く中、霧隠さんもまた、意地の悪そうな笑みを浮かべて言いました。

 そして――

 

 

「……じゃ。試合、お互いに頑張ろうぜ――風丸さん?」

 

「なに……?」

 

 

 霧隠さんは風丸さんをじっと見やり、そう名前を呼びました。

 

 それだけなら何ということはない挨拶です。詰め寄る染岡さんでも円堂さんでもなく、わざわざ風丸さんにフォーカスしたことは不思議ではありますが、とはいえそれくらい。

 そのはずなのですが、しかし私と、恐らく風丸さんも、同じように眉を顰めることになりました。

 奇妙な既視感。風丸さんの名を呼ぶ霧隠さんの声調に、なぜか聞き覚えがあるような気がしてしまったのです。

 ですがそれを確かめる間もなく、霧隠さんは監督さんと同じように一瞬にして姿を消してしまったのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 不可解な既視感は気になりますが、関係ないそれを試合に持ち込むわけにはいきません。私はそう切り替えて、フィールドに出るなり鳴り響いたキックオフの笛を聞くことになりました。

 

 こちらのボールから始まって、染岡さんから私に渡るパス。そのまま単身ドリブルで切り込んでいく――というのがいつもの動き出しですが、“円堂さんのサッカー”、その要を知った今回はそれをやる気はありません。

 円堂さんの、“力を合わせるサッカー”の要は“連携”。そのための【炎の風見鶏】は完成させることができませんでしたが、しかし、ならば普通のプレーでそれを成せばいいだけなのです。

 そうしない選択肢からして皆無。故に正面、中央を大胆に開けた戦国伊賀島のフォーメーションの底まで進み、鉢巻を巻いたミッドフィールダーさんと相対したその瞬間、私は一瞬、視線を背後へと向けました。

 

 眼が合うのは半田さん。意図を察して驚く彼に、私は身体を反転させてパスを蹴り出します。

 

 

「半田さん、それを持って上がっちゃってください! マックスさんと少林さんも続いて!」

 

「あ、ああ!」

 

 

 困惑しながらも頷き、指示した通りに前に詰める半田さんと、同じく続くマックスさんと少林さんのミッドフィールダー三人。普段であれば来ない内容のパスと指示に面食らってはいたものの、皆さんその動揺をすぐに収めることができたようです。

 

 そうして始まった私たち四人の攻撃は、想像していた以上にうまく機能しました。

 それは今までのような仕方なしの“連携”ではなく、やるべくしてやった“連携”だったからなのかもしれません。ともかく三人は私の指示の下、敵選手を次々躱して抜き去って、あっという間にフィールドを駆けあがっていきました。

 

 そしてたどり着いた最前線。残す障害もディフェンダーだけとなり、これならあと二度か三度の“連携”で、開始数分での先制点を決めることができるかも――と、そんなことを思った時でした。

 

 

「……! よし、行け染岡!!」

 

「おう、任せろッ!!

 

 

 たぶん、事がうまく運び過ぎたせいなのでしょう。成功体験に調子に乗ってしまったらしい半田さんは、その時、私の指示を待つことなく勝手に染岡さんへパスを出してしまったのです。

 そして当の染岡さんも、蹴り出されたボールを追って背後を向いたその顔にあったのは、あからさまな得意満面。どうやら彼らには今が絶好のシュートチャンスに見えたようです。

 

 故にそれを逃すまいとパスを出し、しかもそれが通ると確信している様子なのですが、しかし。

 残念なことにそれは早とちりです。

 

 

「ふっ……もらった!」

 

「あっ……! しまった!」

 

 

 半田さんの背後から飛び出して来た緑髪のミッドフィールダーさんが、パスに割り込みボールを奪ってしまいました。

 それは私からすれば予想の範疇、見えていた妨害だったのですが、チャンスに浮足立った二人の眼には入っていなかったのでしょう。

 

 私の指示なしで動くからそうなるのです。

 

 

「せっかく“連携”しちゃってるのに、勝手しないでくださいよ……っ!」

 

「なっ!?」

 

 

 瞬時に追いかけ、パスカットした緑髪さんから再びボールを奪い返しました。

 

 正直こんなフォロー、というか尻拭いをさせられて、もうこのまま一人で攻め込みたい気分ではありますが、しかし今回は“連携”に徹すると決めています。確保したボールを、気まずそうにしている染岡さんへとパスします。

 

 

「ほら、染岡さん! ちゃんと決めちゃってくださいね!」

 

「チッ……ああ、わかってるよ!!」

 

 

 照れ隠しみたいにそう吐き捨て、染岡さんは敵陣へと切り込んでいきました。

 その陣形は、すぐにボールを奪い返したことが奇襲のような感じになったのか、乱れ気味。おかげでディフェンダーさんたちは全員染岡さんの前に立ちふさがることもできず、望み通りシュートチャンスを得た彼はすぐにシュート体勢を取りました。

 が、しかし。

 

 

「させん! 伊賀島流忍法【影縫い】!!」

 

「おわっ!? な、なんだ!?」

 

 

 抜き去ったはずの目隠れの選手が何やら印のようなものを結んだ瞬間、背を向け立ち止まったままの彼の影だけが伸び、どういう原理か染岡さんの足を掬ってしまったようでした。

 転び、零れたボールはそのまま目隠れさんに回収されて、それでおしまい。もしかしたらとちょっとだけ期待して与えた染岡さんのチャンスは、あっけなく潰えてしまったのです。

 

 残念ですが、しかしまあ、そもそも『もしかしたら』程度の期待です。驚きはありません。仮にもフットボールフロンティア本戦に出てくるようなチーム、染岡さん一人で点を取れるほど甘くないのだと、実証が得られただけ十分でしょう。

 そしてボール奪取とほとんど同時に動き出した攻めのプレーを見るに、ディフェンスだけでなくオフェンスの面もさすがのレベルであるようでした。

 染岡さんと一緒に前に出ていた豪炎寺さんと少林さん、ドリブルする目隠れさん相手に詰めに行った二人ですが、しかしあっけなくゴボウ抜き。簡単に抜き去ってしまった上に、続いて私と対決すると見せかけてその手前、相対するギリギリまで引き付けてから、反対サイドにパスを出してしまったのです。

 

 能力に加えて判断能力も高い、その証拠。攻守合わせて私の警戒度を上げるには十分すぎる光景でした。

 

 

「ディフェンス、全員前へ! それぞれ敵のマークに付いて! マックスさんはボールに対応! 必殺技、使っていいですから、確実に止めちゃってください!」

 

「りょーかい! 任せて!」

 

「! ちッ……!」

 

 

 彼ら戦国伊賀島に私の手の届かないところで勝手されるのはあまりに危険です。ならば多少強引にでも、この場で止めてしまうべきでしょう。

 瞬時にそう決め、出した指示。ディフェンスの皆さんも総動員して攻撃陣へのパスコースを塞がせて、その上でマックスさんをけしかけてやれば、ボールを保持する鉢巻のミッドフィールダーさんは目論見通りにその足を止めてくれました。

 

 舌打ちをして、ちゃんと警戒してくれているようです。なまじ基礎の部分で勝っているだけに、唯一の不確定要素である必殺技が際立って見えるのでしょう。

 であれば、後はもうどちらに転んでも問題なしです。マックスさんがボールを奪えればそれでよし。できなくても、鉢巻さんの警戒心で私のフォローが間に合うだけの時間稼ぎができれば問題はありません。

 彼らの下に駆けながら、私はそんな思惑を頭に描いていたのです。がしかし、鉢巻さんの足が止まって数舜後。

 

 

「そのまま行け、風魔!! 【残像】で問題ない!!」

 

 

 風丸さんにマークされている霧隠さんの大声が響きました。

 

 それは普通に考えれば、警戒するあまり前に踏み出せない鉢巻さん――風魔さんへの鼓舞でしょう。『問題ない』なんて言いながら特に根拠も何もない、円堂さんがよく言うような類の言葉です。

 しかし、そうであるはずなのに……なぜなのでしょう。霧隠さんの声はどうしてか、少しばかり自信に満ち溢れすぎているような気がします。

 さっきの、宮坂さんの件での断言とほとんど同じ、“確信”です。そしてそのせいで、せっかく止まった風魔さんの足は、すぐにまた動き出してしまいました。

 

 

「承知……! 伊賀島流忍法【残像】!!」

 

「言ってくれるじゃん……! 【クイックドロウ】!!」

 

 

 霧隠さんの鼓舞――いえ、指示に一切の疑問なく従い、前に踏み出て印を結ぶ風魔さん。それに応じてマックスさんが必殺技でしかけました。

 が、結果は霧隠さんが断言した通り。すれ違いざまにボールをかすめ取ろうと動いたマックスさんの足は、なんと風魔さんをすり抜けてしまったのです。

 

 

「えっ!? な、なにこれ!? どういうこと!?」

 

「う、後ろだマックス! すり抜けたのは本人じゃない!」

 

 

 どうやら【残像】とはその名の通り、幻のようなものを生み出す必殺技だったようです。看破した半田さんの声にマックスさんが驚愕の表情を浮かべたその時にはもう、本物の風魔さんは悠々と彼を抜き去っていました。

 そして、またも響く霧隠さんの声。

 

 

「風魔、次は甲賀だ! あいつなら行ける!」

 

「委細承知!」

 

 

 今度は自信たっぷりに加えてニヤリと笑った霧隠さんに従って、風魔さんがボールを蹴り出します。その行く先は、額に手裏剣の飾りを付けた小柄なミッドフィールダー、甲賀さん。壁山さんがマークしている相手です。

 

 巨躯と矮躯。マークしている者とされている者。普通に考えて、そんな状況でパスなんて通るはずがありません。まして壁山さんには【ザ・ウォール】という必殺技もあるのだから、尚のこと。

 しかし、果たして。

 

 

「ぐっ……ぜ、絶対に取らせないッスよ! 【ザ・ウォール】!!」

 

「笑止、その程度の壁など……! 伊賀島流忍法【分身フェイント】!!」

 

「ああっ!?」

 

 

 “またも”な忍法で幻どころか三人に分身した甲賀さんは、自分で自分を踏み台にして大ジャンプ。山なりに飛んできたボールを捕まえ、そのまま壁山さんの巨体をピッタリ飛び越えてしまいました。

 

 そのまま流れは止まらず、動揺する守備陣の隙をついてマークから逃げ出してしまったらしい眼帯のフォワードさんにパスを通されてしまいます。あっという間にゴール前まで侵入されて、そしてまた、印が結ばれました。

 

 

「伊賀島流忍法【分身シュート】!!」

 

 

 【分身フェイント】同様に三人に分身し、全員でそのチカラを一つのボールに叩きつける必殺シュート。そこまでの威力は感じられませんでしたが、しかし今までのプレーで円堂さんも警戒心を掻き立てられていたのでしょう。僅かに冷や汗を浮かべながら構え、光の手のひらを繰り出します。

 

 

「【ゴッドハンド】ッ……!!」

 

 

 対決は、もちろん円堂さんの勝ち。シュートは止まり、円堂さんの手の中に納まります。

 

 安堵すべき場面です。しかし――

 

 

「残念。【爆裂パンチ】か【熱血パンチ】だったらさらに繋げられたんだがなぁ」

 

 

 霧隠さんは変わらず、ニヤニヤと笑っていたのでした。



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第四十三話 “連携”

 霧隠さんの笑みと、元である異様に的確な指示に翻弄される状況は、その後も変わることはありませんでした。

 

 皆さんが何度必殺技を使っても、その度に霧隠さんから飛ぶ指示によってあっけなく攻略されてしまうという、その繰り返し。雷門の必殺技が戦国伊賀島に打ち勝つことは一度もなく、おかげで何本もシュートを打たれることになりました。

 円堂さんの奮闘で未だ無失点に抑えられてはいますが、恐らくそれも時間の問題でしょう。そんな焦燥が前半戦ほどなくして内心に湧いてしまうほどでしたが、とにかく、一度のミスも僅かな間もない霧隠さんの完璧過ぎる(・・・・・)“読み”は、私にその現実を認めさせると共に、一つの不可解を気付かせることになったのです。

 

 

「――霧隠さん、あなた、私たちが使う必殺技がわかっちゃってるんですね」

 

「ん? ああ、そりゃそうだろう。あの帝国に二度も勝ったチームだからな、調査するのは当然じゃないか」

 

 

 相も変わらず攻め込まれている最中、霧隠さんの傍で彼の動きを牽制しながら探りを入れると、すっとぼけた顔と共に返ってきたそんな言葉。

 

 私たちのことは調査済み。それは当然、そうでしょう。彼は私たちが使う必殺技について、明らかに調べて知っています。

 ただ、しかし。

 

 

「それだけじゃないんでしょう? ……ちゃんとわかってますよ」

 

 

 その理解度は、どう考えても『調べて知った』程度では絶対にありえないほど深いのです。

 

 それがどのような必殺技であるかに加えて、発動のタイミングも動きも早さも、全てをまるで実際に体験してきたかのように的確に読み切ることなんて、普通に考えてありえません。

 だから、何かがあるはずなのです。彼が私たちの必殺技を完璧に把握している、そのカラクリ。それがわかれば、きっと現状を打破するきっかけも掴めるはず。

 

 そんな思いで精一杯のカマをかけてみたつもりなのですが、しかしやはり、返ってきたのはあの人をバカにしたようなニヤニヤ笑いだけでした。

 

 

「嘘だな。わかってないだろ、お前」

 

「……あら、どうしてそんなことわかっちゃうのかしら」

 

「わかるさ。なにしろ……俺サマは優秀な忍者だからな!」

 

 

 そんなよくわからないことを胸を張って言った後、霧隠さんのニヤニヤ笑いは私を逸れて前の方向を向きました。つられて見やると、攻め込まれている雷門陣地。必死の抵抗もむなしくディフェンスが破られて、ゴールめがけてシュートが撃ち込まれた、その瞬間でした。

 

 眼帯フォワードさんの【分身シュート】が空を貫き、それを円堂さんの【ゴッドハンド】が迎え撃って受け止める、何度見たかわからない光景が繰り返されています。またゴールを守れたことは良いものの、これでますます円堂さんの疲労が溜まってしまったことになります。

 早くどうにかしなければ。もういっそ“連携”をやめて私がディフェンスに回るべきかと、そんなことを考えた時でした。

 

 

「みんな!! 必殺技が通用しないからって、弱気になるな!! 俺たちは必殺技だけのチームじゃないだろう!? みんなで力を合わせて、チームワークで攻めるんだ!!」

 

 

 きっと私だけでなく皆さんも、必殺技が読まれまくっていることに焦燥感やら絶望感やら感じてしまっていたのでしょう。それを吹き飛ばすような、円堂さんの鼓舞、そして指令の声が私の下まで響きました。

 

 ハッとさせられました。確かにその通り、必殺技が通じないから個人プレーに逃げるなんてお門違いもいいところです。こんな状況だとしても、“連携”を使って取れる手段はまだあります。

 そう気付かされたと同時に円堂さんからボールを託された皆さんも戦意を盛り返し、私はそこに円堂さんの要望通りの指示を出しました。

 

 

「土門さん、風丸さんにパスです! 風丸さんを中心に、足でボールを運んじゃって!」

 

「オッケー! 風丸!」

 

「ああ、任せろ!」

 

 

 風丸さんの足の速さを使った作戦。必殺技がどうこうという事態になる前に速さで置き去りにしてやろうという、そんな気迫のドリブルは、今まで以上の速度を引き出すことができたようでした。

 

 風丸さんはすさまじい速さでフィールドを駆け抜けていきました。攻め込んでいたフォワードとミッドフィールダーさんたちは、誰一人として彼に追いつくことができません。なんて速さだと驚愕に眼を剥くばかりで、風丸さんの背を追うではなく正面から立ち向かえたのは、私が中央で抑えていた霧隠さんだけでした。

 しかしその彼も風丸さんなら振り払えるでしょう――と、風丸さんの思いもよらぬ速さを見て、私は思ったのですが、残念ながらそこまでうまくはいきません。

 

 

「相変わらず速いな! だが俺ほどじゃねぇ!!」

 

「っ!? こいつ……!!」

 

「今の風丸のスピードについて行ってやがるのか!?」

 

 

 私としても予想外。霧隠さんの足は風丸さんに迫るほどのものだったのです。染岡さんも驚きのようで、思わずといった声が上がっています。

 

 そして『相変わらず』だとか、またも実際に体験していたかのように言う霧隠さんは、いかにも余裕そうに口角を上げていました。その内側はどうせ変わらないニヤニヤなのでしょうが、それでも風丸さんの意地に火を付けるのは十分です。

 

 

「くっ……なら、これでどうだッ!!」

 

「おっ! やるねぇ、まだギアを上げられるのか! 確かにこれはちょっと、追いつくのは厳しくなってきたかもな」

 

 

 風丸さんのドリブル速度がさらに上がり、徐々にではあるものの、霧隠さんを引き剥がし始めました。

 が、その時。

 

 

「だが覚えときな……サッカーは“速さ”だけじゃないんだぜ! ――藤林!」

 

「ッ!! 風丸、後ろだッ!!」

 

「!?」

 

 

 半田さんが気付いて叫ぶも、もう手遅れ。声の通りに振り向いた風丸さんは、戦慄を浮かべながらそれ(・・)を見ていることしかできません。

 霧隠さんと接戦を演じながら、気付くことなく追い抜いていたのだろう敵の一人。前に出てきていた小柄なディフェンダーさん、藤林さんが、その瞬間、またも印を結んで必殺技を発動させました。

 

 

「伊賀島流忍法【影縫い】!!」

 

「ぐっ――うわぁっ!!」

 

「全く、サイドバックのくせに視野が狭いなァ風丸さんは! もらったぜ!!」

 

 

 藤林さんの【影縫い】、不意を突いて伸びてくる影を、冷静さを削がれた状態で躱せるはずもありません。風丸さんはなす術なく転ばされてしまいます。

 そんな彼を散々煽って注意を逸らしてのけた霧隠さんがしてやったりとほくそ笑んで切り返し、身体を反転。そして影に止められ、ポツンとその場に置き去りにされたボールを――

 

 ずっとそんな事態になるのを待ち構えていた私が、かすめ取りました。

 

 

「なっ――お前、まさか藤林の必殺技を読んでたのか!?」

 

 

 普通に考えて、必殺技の発動を見てから動くのでは絶対に間に合わないタイミングだったのです。霧隠さんが『あり得ない』と息を呑むのも当然でしょう。

 今までずっとイニシアチブを取られていた相手にそんな表情をさせられたのは実に爽快なのですが、しかし残念なことに、私は別に霧隠さん並みの予知染みた“読み”に覚醒したわけではありません。

 

 

「【影縫い】が来るってわかってたわけじゃないですよ! ただ、風丸さんのドリブルもいずれどこかで止められちゃうってことはわかってましたから! それを利用して“連携”したまでです!」

 

 

 奇しくも霧隠さんが言っていた通り、サッカーは速さだけではありません。だから風丸さんの足を使ったドリブル作戦もどこかで破綻することは目に見えており、故に私はずっとそれに備えて準備していたという、ただそれだけのことです。

 

 付かず離れず二人の速さに付いて行きつつ、思惑がバレないようにギリギリの距離を保つのは中々に大変でしたが、その成果はありました。ミッドフィールダーに続いてディフェンダーの一人も風丸さんが引きつけてくれた今、前方に残るディフェンスは三人だけ。それさえ抜けば、後はもうキーパーだけです。

 そう、転んだ風丸さんと唖然とする霧隠さんを追い抜かしたのですが、やはりというか、霧隠さんはすぐに我を取り戻して私の後を追ってきました。衝撃を引きずった冷や汗交じりの声色が、背中に強がりを吐きかけてきます。

 

 

「はっ……利用(・・)だあ? 酷いこと考えてるんだな、お前……! そんなもん、風丸を囮にしたも同然じゃねぇか……!」

 

「囮じゃなくって、“連携”です! 滅多なこと言わないでほしいんですけど!」

 

「そっちこそ、よく言う……!」

 

 

 そしてその強がりは、徐々にその距離を詰めてきました。これもやはり、風丸さんとの走りでエンジンがかかった霧隠さんの足は私を上回るものである様子。追いつかれるのは時間の問題でしょう。

 

 霧隠さんの“読み”のカラクリがわかっていない以上、接触は厳禁です。このまま自分でシュートを決めたいところですが、致し方なし。視線を振って、逆サイドの豪炎寺さんと染岡さんにアイコンタクトを送ります。

 シュートが決まるかどうかはわかりませんが、彼らに打ってもらうしかありません。霧隠さんの強がりの相手をしながら、追いつかれるその寸前、私はパスをしようとして――

 

 ちょうどその瞬間でした。

 

 

「そんなんだから、【炎の風見鶏】も完成させられなかったんじゃねぇの?」

 

「え――!!?」

 

 

 霧隠さんの、そんな言葉。耳元ではっきりと聞こえたそれに、私は動揺せざるを得ませんでした。

 

 霧隠さんが私たちの必殺技を把握しているのは、まあ百歩譲っていいでしょう。理解度の高さは不気味ですが、彼の考察能力がすさまじく高かったとか、そういう感じに無理矢理納得することもできます。

 ただし【炎の風見鶏】は別。秘密の倉庫グラウンドで特訓したその存在は、雷門メンバー以外には知り得ない情報であるはずなのです。

 

 『完成させられなかった』というのもそう。霧隠さんが知っているはずがない情報を、なぜか彼が持っている。意味不明で理解不能。そんな言葉がいきなり耳に叩きつけられて、思わず一瞬、私の身体は固まってしまいました。

 

 そしてその一瞬を、霧隠さんが見逃さないはずがありません。彼は私に追いつき、パスされる直前だったボールを易々と奪うとそのまま反転。勝ち誇るように言いました。

 

 

「ハハッ! ざまぁないなぁベータさん? そのマヌケさに敬意を表して……本物(・・)を見せてやるよ! ――伊賀島流蹴球戦術【偃月の陣】!!」

 

 

 その声と共に、戦国伊賀島の選手たちが陣形を変えました。霧隠さんを中心にした逆V字。槍のようなフォーメーションを取ったかと思えば、巻き上がった砂塵でそれを覆いながらそのまま突進していったのです。

 慌てて止めに行こうとする雷門メンバーですが、砂塵に弾かれ誰もその進撃を止めることができません。あっという間にゴール近くまで攻め入られ、砂塵から飛び出した霧隠さん。

 

 

「見たか! これが本物の連携だ! そして――」

 

 

 そして、跳び出てきたもう一人。鉢巻の風魔さん。

 

 

「これが本物の、イナズマイレブンの最強必殺シュートだッ!!」

 

 

 その称号と共に、二人がシュート体勢を取りました。

 高く上げたボールに左右から駆け込み、同時に蹴り上げるその動作。それは明らかに、私たちがイナズマイレブンのおじさまたちから学んだ必殺技そのものです。

 そして、その中でも霧隠さんのその動き。それが風丸さんと特訓をしていた宮坂さんのそれとピッタリ重なって、それで私はようやく今までの疑問、カラクリに確信を抱くことができました。

 とはいえそれで放たれるシュートを止められるはずもなく、

 

 

「「【炎の風見鶏】!!」」

 

「な――ぐっ……うわぁッ!!」

 

 

 円堂さんも衝撃のあまり技を出すこともできず、炎の鳥はゴールを貫いてしまったのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 その後、攻め続けられながらもどうにか点差は一点のままで抑えたものの、前半戦の間に皆さんの中から【炎の風見鶏】の衝撃が抜けることはありませんでした。

 

 無理もないことでしょう。霧隠さんのその“カラクリ”を理解した私でさえ、信じられない思いでいっぱいなのです。それをまだ理解できていない皆さんにとっては、尚のこと受け入れ難い状況であるに違いありません。

 その証拠に、ハーフタイム中のベンチは張り詰めたように静まり返っていました。

 

 

「……戦国伊賀島のやつら、なぜ【炎の風見鶏】が使えるんだ……?」

 

 

 そんな中、ショックの静寂に耐えかねたようにぽつりと漏れる、染岡さんの心底の疑問の声。それに答えたのは、私以外で恐らく唯一、霧隠さんの違和感に気付けた風丸さんでした。

 彼はすうっと息を吸い込み、絞り出すようにその名前を言いました。

 

 

「……宮坂だ」

 

「宮坂……? ああ、そういえばあいつ、前半戦が終わっても結局、来なかったな。あいつがどうかしたのか?」

 

「っ……」

 

その宮坂さんが(・・・・・・・)霧隠さんだった(・・・・・・・)ってことです。化けてたんですよ。きっと、残像とか分身とかができちゃう忍者サッカーを使って」

 

 

 ギリと悔しげに歯を食いしばってしまった風丸さんに代わり、付け加えました。

 

 つまり、私たちは敵である霧隠さんを宮坂さんだと信じ込み、雷門サッカー部の一員に加えてしまっていたのです。

 風丸さんに『陸上部に戻ってくれ』と迫っていたのは本物の宮坂さんですが、そんなことなど忘れて人が変わったように意欲的に練習をしていたのは偽物の宮坂さん――もとい、霧隠さんだったということ。皆さんが遅刻だと信じて待っていたのも、実のところ宮坂さんではなく霧隠さんだったのだから、それは彼も自信を持ってニヤニヤ笑いするでしょう。

 わかってしまえば反証もありません。宮坂さんの変わりようも、まるで(・・・)どころか実際に人が入れ替わっていたわけですし、【炎の風見鶏】の特訓で彼と風丸さんと息が合わなかったことだって頷けます。そうやって彼、宮坂さんに化けた霧隠さんは、イナズマイレブンからの【炎の風見鶏】の特訓の経験を盗み出し、自分の本来のチームに持ち帰って完成させてのけたのです。

 

 そしてそこまで明らかになれば、もう一つの疑問のほうも解消するのは簡単です。実際、事実を伝えてあげるなり皆さんハッとなって騒めき始め、やがてそれにたどり着きました。

 

 

「宮坂が……ニセモノだった……!? ってことは……」

 

「もしかして、俺たちの必殺技があいつに筒抜けなのも……?」

 

「俺たちが宮坂に……霧隠のやつに頼まれて、必殺技を見せちゃったからか……!」

 

「必殺技そのものどころか、その弱点まで自分から教えちゃったんでしょう? むべなるかなって感じです」

 

「そ、そんな……」

 

 

 自業自得。要するに、それが霧隠さんに必殺技を悉く読まれてしまった原因です。その事実は、今まで共に練習を重ねてきた宮坂さんが自分たちを騙していたという、そんなショックも手伝って、ますます肩を落とす結果となってしまったようでした。

 

 とはいえしかし、そうだと知れて喜ぶべきことも一つあります。

 

 

「おかげで後半戦の戦略が立てられちゃったじゃないですか。だからほら、皆さんそんなに落ち込まないで」

 

「……? 戦略って?」

 

「簡単です。霧隠さんの“読み”が皆さんから教えてもらって得たものなら、彼に必殺技を見せてない私と豪炎寺さんはセーフってことでしょう?」

 

「……あ、そうか!」

 

 

 そうなのです。皆さんに加えて、宮坂さんとパートナーで特訓をしていた風丸さんの必殺技は手遅れでしょうが、ずっと【炎の風見鶏】に集中していた私と豪炎寺さんの必殺技は、きっと霧隠さんには読めません。

 だから後半戦、必殺技が通用する私たちを中心にプレーすればいいのです。

 

 

「序盤と中盤はパス回しで何とか乗り切って、終盤、ディフェンス陣は私と豪炎寺さんで攻め切ります」

 

 

 そして最後は【ファイアトルネード】か、可能ならば私の【ダブルショット】を打って得点してやりましょう。

 そう、続けようとした矢先でした。

 

 

「で、こっちも【炎の風見鶏】をぶち込んでやったら完璧だな。だろ?」

 

「……はい?」

 

 

 思わず疑問符が口から出てきてしまいました。

 だってそうです。『こっちも』だなんて言っていますが、そもそも私たちの【炎の風見鶏】は未完成。『ぶち込む』も何もそもそも打てもしないのです。

 

 がしかし、【炎の風見鶏】を打つ発想すらなかった私の反応は、さも当然といったふうに同意を求めてきた染岡さんには気に食わないものでした。彼はたちまち眉間に皺を寄せ、唸るように言いました。

 

 

「お前……悔しくねぇのかよ。……【炎の風見鶏】は本来、俺たちがイナズマイレブンから託されたものだ。あいつらはそれを盗んだにすぎねぇ。なのに……っ!! あいつらだけしかわざを使えねぇんじゃ、どっちが託されたかわからねぇじゃねぇか!! そんなの……俺は我慢できねぇ!!」

 

 

 押し込められていた煮えたぎる思いが噴き出しました。そして程度はどうであれ、そんな悔しさ、対抗心は皆さんの中にもあった様子。周囲から同意の圧迫感を感じます。

 

 まあ、私もその想いがわからないわけではないのですが、

 

 

「確かに、イラっとはしちゃいますけど……でも、使えないものはどうしようもないじゃないですか」

 

 

 結局のところ、それ。【炎の風見鶏】を使えというのなら、そこをどうにかする案鳴りなんなり出してほしいところです。

 そうため息を吐いた直後。

 

 

「なら今、完成させればいいんだよ! 野生中の時の【イナズマ落とし】みたいにさ!」

 

 

 円堂さんが相変わらずな元気のいい声で言いました。それで調子に乗った染岡さんが続きます。

 

 

「そうだ!! あいつらがイナズマイレブンの特訓を元に必殺技を完成させたなら、お前たちに同じことができないはずがねぇ!!」

 

「ああ! 雷門の底力、見せてやろうぜ!」

 

「いや、そう言われても……。【イナズマ落とし】とは全然状況が違うんですから」

 

 

 【イナズマ落とし】は、言ってしまえばただの二段ジャンプ。壁山さんが動きさえしなければうまくいく必殺技でした。それと【炎の風見鶏】を並べるのは間違っているような気がしてなりません。

 そう思うも、しかしその時、二人に続いて三人目。

 

 

「どうだろうな。根本的な問題は同じだろう」

 

 

 豪炎寺さんまでもが同調の言葉を放ってきました

 

 

「……奴らの【炎の風見鶏】を見る限り、やはりボールを蹴り上げるまでは問題ない。距離、スピード、タイミング、どれもミスはないだろう。だから俺たちの【炎の風見鶏】の問題は、シュートの瞬間……俺とお前のキックを合わせる瞬間にあるのだと思う」

 

「まあ、そうでしょうね。そこまではイナズマイレブンのおじさまたちのお墨付きですし」

 

「ああ。だから……改めて聞くが、ベータ。お前……本当に俺と、力を合わせられているか……?」

 

 

 今までの特訓のおさらいのようなことを並べ立て、挙句に続いたそんな質問。真剣な表情をしながら縋るような眼で私を見つめてくる彼は、いったい何を恐れているのでしょう。

 どちらもさっぱりです。特に“連携”とは何かわかっているのか、とでも言わんばかりのその質問。今更そんなことを疑われるとは予想外にもほどがあります。

 基礎すらおぼつかないやつだと思われていることにムカッとしつつ、それを言外に大きなため息で表しながら、私は彼に当然の答えを返しました。

 

 

「一緒に特訓もしてたのに、豪炎寺さんったらそんなこともわかってくれてなかったんですね。がっかりです。……もちろん、できてるに決まってるじゃないですか。これまではともかく、今は私も“力を合わせるサッカー”をしようとしちゃってるんですから」

 

 

 だからこの試合だって“連携”に徹しています。頑張っていたのに、ミスらしいミスも犯した覚えはないのに、認められなかったみたいで悲しくなってきました。

 必殺技に関してもそうです。“連携”を疑われるほど非協力的だったわけでもなく、特訓だって意欲的にやってきたはずなのに、この言われよう。それに帝国戦の時、豪炎寺さんと染岡さんとで“力を合わせて”得点をしたこともあるはずなのですが、もしかして豪炎寺さんはあれを忘れてしまったのでしょうか。

 

 “連携”とは、誰かと一緒に何かを成すことです。手を貸し、あるいは後押しし、それができるように導いてあげること(・・・・・・・・)。私がそれをできていないと思うなら、彼こそが“連携”を理解できていないのです。

 

 

「……そうか」

 

 

 だからはっきり真正面から言い返してあげたのですが――すると一転、豪炎寺さんは悩ましげに眉尻を下げ、その厳めしいお顔までもがしゅんと萎んでしまったのです。

 

 意外なことに、私の言葉は彼を随分落ち込ませてしまったようでした。何がそこまでショックだったのかはわかりませんが、ともかく、そんな彼の姿に私の苛立ちもスッと引いてしまいます。

 たぶん豪炎寺さんも、彼なりに必死に私たちの【炎の風見鶏】が上手くいかない原因を考えてくれていたのでしょう。それを切り捨て「はい終わり」とするのは、彼の頑張りに対してちょっと不義理であるような気がしてきます。

 それに……そうです。“連携”のためにも、【炎の風見鶏】を捨て去ってしまうのはあまり良いことではないでしょう。

 罪悪感に続いてそんな言い訳まで見つけてしまえば、もうお手上げです。気付けば私の心情は「やめておけ」と諫める理性に反し、【炎の風見鶏】強行派に白旗を上げてしまっていたのでした。

 

 

「ああもう。……わかりました。成功させられるのならそれに越したことはないわけですし、やるだけやってみちゃいますよ、【炎の風見鶏】」

 

 

 正直、失敗して恥をかくだけな気しかしませんが。

 そんな思いが滲み出た渋々の了承だったのですが、しかしギリギリ及第点を得ることができたようです。染岡さんがムスッとした表情のままながら頷いて、そして円堂さんも万事解決とでも言わんばかりに「よおしっ!」と続けて言いました。

 

 

「頼んだぞ、ベータ、豪炎寺! ボールは俺たちが必ず繋いでみせるから、イナズマイレブンから受け継いだ雷門の【炎の風見鶏】、戦国伊賀島に見せつけてやってくれよな!」



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第四十四話 雷門の風見鶏

「――【スピニングアッパー】!!」

 

「うわぁッ!?」

 

 

 後半戦。ようやく使う機会が訪れた私の必殺技は、やはり思った通り、霧隠さんの“読み”の範疇にはないようでした。

 

 回転するボールに巻き込まれ、吹っ飛んでいく鉢がねマスクのディフェンダーさん。皆さんのパスでここまでボールを運んでくるのが大変だっただけに、なんともあっけない有様です。

 こんなことなら皆さんに任せたりせず最初から私一人でドリブルした方がいいような気がしてしまいますが、しかしこれも“連携”、“円堂さんのサッカー”のため。ぐっとこらえて呑み込みます。

 気持ちを切り替え、見やるは前方。ディフェンスを排除して切り開いたシュートチャンスに意識を向けます。腰を落として構える覆面のキーパーさんを視界に入れつつ、少し離れて走る豪炎寺さんへアイコンタクトを送って、同時に私はボールを互いの中央へと蹴り上げました。

 

 

「いきますよ、豪炎寺さん!」

 

「ああ!」

 

 

 お互いボールの落下地点めがけてダッシュ。同じスピード、タイミングで、降ってきたボールを再び蹴り上げて――そして打ち放ちました。

 

 

「「【炎の風見鶏】!!」」

 

 

 やるからには全力でと、そんな思いで放ったそのシュートは、今まででも飛びぬけてうまくいった会心の一発になりました。

 曰く【炎の風見鶏】において重要な、距離、スピード、タイミング、そしてパワー、ありとあらゆる面で完璧です。イナズマイレブンのおじさまたちとの特訓の成果を十全に発揮した、これぞ私が目指した必殺技そのままだと、そう自信を持って言えるほどの出来だったのです。

 

 ――つまり、ただの一度も成功しなかった特訓の延長線上にあるシュート。

 打つなり威力は立ち消えて、そのままあっけなくキーパーさんの腕の中に納まってしまったのでした。

 

 

「……これが、【炎の風見鶏】……?」

 

「はははッ! 百地、だから言っただろう? 雷門の【炎の風見鶏】は警戒するに値しないってな! こうなることは読むまでもなくわかりきってたさ!」

 

「野郎……ッ!!」

 

 

 怪訝な顔でボールを見つめるキーパーさん、百地さんに、霧隠れさんはこちらの気持ちを逆撫でするようなことを言いながら笑っています。

 おかげで染岡さんの眼なんかはいよいよ危ない雰囲気を醸し出しつつあるのですが、そんなこともお構いなし。むしろ嗜虐心が刺激されたようで、彼はもはや面と向かって煽り言葉を撒き散らしてきました。

 

 

「あれだけ特訓してこの程度なら、もうどれだけやっても雷門に【炎の風見鶏】は使えないだろう。……全く、あの備流田とかいう鬱陶しい脳筋オヤジをかわいそうだよな。雷門に継承するはずが、今や【炎の風見鶏】は敵である俺たちにしか使えない必殺技になっちまったんだから!」

 

 

 調子に乗るあまり、とうとう宮坂さんに成り代わっていたことを隠そうともしなくなった霧隠れさん。しかしプレーの面は文字通り憎たらしいほど冷静で、急いで下がろうとする私と豪炎寺さんをも置き去りにするディフェンス陣の素早いパス回しを経てボールを受け取ると、その足を生かした高速ドリブルであっという間に雷門陣地へ切り込んでいきました。

 そしてそんな彼に対し、やはり私と豪炎寺さん以外の必殺技は通じません。

 

 

「っ……止めるッ! 【キラースライド】!!」

 

「無駄無駄!! 伊賀島流忍法【残像】!! そんでもって――もう一点だ!! 風魔!!」

 

「承知……!!」

 

 

 立ちはだかった土門さんのスライディングタックルは幻影に惑わされ、またもゴール前で二人が揃ってしまいます。ならばもう、打たれないわけがありません。

 

 

「「【炎の風見鶏】!!」」

 

「入れさせるか!! 【ゴッドハンド】――ぐぅ……っ!?」

 

 

 再び放たれた炎の鳥を、円堂さんの光の手のひらが迎え撃ちます。が、【炎の風見鶏】はイナズマイレブンが誇った最強シュート。霧隠さんたちのそれも、本家と同等に近い威力を秘めていたようです。

 炎の鳥は光の手のひらを打ち砕き、そしてゴールに入ってしまいました。

 

 

「そ、そんな……」

 

「二点目、か……」

 

 

 ゴールを告げる実況の声と観客の完成がごうごうと響く中、少林さんと半田さんが呆然とゴールを見つめて呟きました。

 他の皆さんも似たような状態です。私たちの【炎の風見鶏】の失敗に加えてダメ押しの追加点も決められて、皆さん目に見えて戦意が陰ってしまっています。

 そしてそんな空気を作りだした霧隠さんは、高笑いしながら尚も嫌味な口を開いたのでした。

 

 

「ハッハッハァ!! どうだ見たか雷門中!! これが俺たち戦国伊賀島の強さだ!! 秘伝の忍術で鍛えた能力とコンビネーション、そこに今や、雷門の最強必殺シュートも加わった!! 今の俺たちに死角なし!! 無敵だぁッ!!」

 

「く……っ!」

 

 

 無敵。今の戦況からしてそれを戯言と否定できないところが特に、全くもって質の悪い台詞です。

 【炎の風見鶏】なんてその最たるものでしょう。経緯には物申したくあるものの、その完成度は間違いなく完璧。私たちと違ってイナズマイレブンの必殺技を見事に継承してのけたと、そう言えてしまうほどなのですから。

 

 だから私も、そこは認めるほかありません。その他の、身体能力やサッカー技術、コンビネーションも、まあ認めてもいいでしょう

 が、しかし。

 

 

「……『雷門最強の必殺シュート』、ねぇ」

 

 

 そこにだけは頷いてやれません。

 あの程度で『最強』だなんて、ちょっと片腹痛すぎます。そもそも【炎の風見鶏】は、あくまでイナズマイレブンの最強必殺シュート。雷門の(・・・)ではありません。

 霧隠さんが最強のシュート技を求めて雷門サッカー部に潜入してきたのなら、彼は私の【ダブルショット】こそを盗むべきだったのです。

 

 点差を二点まで広げられていよいよ後がなくなってしまった今、どうせなら――

 

 

「――思い知らせてやる……!」

 

 

 大義名分も手に入れたオレは、霧隠の伸びた鼻を叩き折ってやるべくそう心に決めたのだった。

 

 そうして試合再開のキックオフ。それまでのようにボールを後ろに託すのはやめ、オレは自らドリブルで突っ込んだ。

 

 

「どけ!! 邪魔だッ!!」

 

「ぐおっ……!? む、無念……!」

 

「なんという膂力……! こ奴、さっきまでとは別人だ!」

 

 

 敵を力づくで撥ね飛ばしながら突き進む。そうやって敵陣地の半分ほどを駆け抜けると、さすがに皆もオレがパスを出すそぶりも見せないことを訝り始めたようだった。並走する豪炎寺が、眉を顰めながらそれを口にする。

 

 

「おい、ベータ! いい加減、誰かにボールを回せ! 持ちすぎると狙われるぞ!」

 

「霧隠に必殺技を教えちまった誰か(・・)に預けるよりは、狙われてでもオレが運んだ方がマシだろ!! ……“連携”に拘り過ぎてると、勝てるものも勝てなくなるぞ!!」

 

 

 “連携”は重要だ。なぜならそれは“円堂のサッカー”の根幹を成すものだから。

 だがもうそんな贅沢を言っていられる場合ではないのだ。そういう所にまで事態は進んでしまっているのだと、彼はどうやらわかっていないらしい。いくら重要でも、負けたら何にもならないだろうに。

 

 若干呆れつつそう言い返し、であればこれもしっかり伝えておくべきなのかと、オレはさらに言葉を続けた。

 

 

「もう、【炎の風見鶏】にかまけてる暇もねぇんだ……! ここからは【ダブルショット】で点を取りに行く! 何ならお前の【ファイアトルネード】でもいい! とにかく今この状況でまともにプレーできるのはオレたちだけなんだから、二人だけでやるんだよ! それに……“皆と”じゃないにしろ、それだって“連携”だろう!?」

 

 

 機能不全な皆の分まで戦うのだ。ある意味それも“力を合わせるサッカー”だろう。

 だから――と、差し出した視線は、しかし。

 

 

「ベータ……! 違う、そうじゃない……! それは――」

 

「ハッ! なんだ、【炎の風見鶏】はもう見せちゃくれねぇのか? 無様すぎて面白かったのにさ!」

 

 

 霧隠に遮られた。

 

 その時一瞬、どこか悲しげに歪んだ豪炎寺の顔が見えた気がしたが、しかしそれも突然その間に飛び出して来た嘲弄の顔に取って代わられた。挙句そのままショルダーチャージまで仕掛けられれば、オレもそっちに意識を向けざるを得ない。

 細身なくせに壁山かと思うくらいの体幹で押してくる奴の攻撃をどうにかいなしつつ、吐き捨てた。

 

 

「チッ……ウゼェなお前……!! フォワードはフォワードらしく、前でつっ立ってればいいものを……!!」

 

「それをお前が言うのか? さっきから一人で爆走してるくせに! ……だがまあ、その足の速さは褒めてやるよ! まさか俺や風丸の他にも、ここまで走れるやつがいるとは思わなかった!」

 

「そうかよ! 宮坂のやつの前で走ってなくてよかったぜ!!」

 

「へっ……!」

 

 

 オレの台詞に、奴はかつて宮坂として染岡に実力を見せつけた時と同じ笑みを浮かべた。

 しかしもちろん、オレが染岡のように打ち負かされるはずがない。奴の足のギアが上がり、それに追い抜かれないように必死にならざるを得ないような状況だが、だとしてもこのボールの奪い合い、勝つのはオレだ。

 なぜなら、奴もそう言った通り、

 

 

「サッカーは足だけじゃねぇんだよ!!」

 

「ッ!」

 

 

 奴の足に食い下がりつつ、仕掛けたフェイントが見事に決まった。惑わされた奴の足はオレの進行方向と反対を向く。そしてそのまま、振り切った。

 

 そうしてオレが勝ち取り、霧隠がムダにしたのは一歩分の間。普通であればごく小さなアドバンテージだが、互いの速さが相俟って、生まれた彼我の距離はずっと大きなものとなる。少なくとも、オレがゴールにたどり着く前に霧隠が追い付くことはないだろう。

 厄介なスプリンターこれで排除できた。後はディフェンスを破るのみだ。他の面子なら必殺技を対策されて終わりだが、オレの【スピニングアッパー】相手にそれはできない。

 故に得点を幻視した――その時でした。

 

 

「――ベータッ!! お前囲まれてるぞ!!」

 

「え――っ!?」

 

 

 切迫した染岡さんの声。そのあまりに言われるがまま左右を見やって、すぐに気付きました。

 

 どうやら私は霧隠さんの相手に夢中になり過ぎてしまっていたようです。

 前半戦に見た【偃月の陣】、その上下反転したV字型の陣形が、いつの間にか私の周囲を取り囲んでいます。脱出はもちろん、人の壁のせいで誰かにパスを出すこともできそうにありません。誘導されいるとわかっていても、ドリブルを続ける他ない状況。

 

 

「『サッカーは足だけじゃない』。自分の言葉を俺が忘れると思ったか? ……お前はもう、【鶴翼の陣】の術中だ!」

 

 

 霧隠さんは最初から、これを狙っていたのでしょう。陣形の末端に加わっていた彼は変わらず得意げに宣言し、そしてその言葉の通り、私はもはやされるがままになるしかありませんでした。

 

 そうしてたどり着いたのは、巨漢のディフェンダー二人組の正面。彼らの足は私を認めるなり振り上げられて、そしてそのまま力強く地面を踏みつけました。

 

 

「「伊賀島流忍法【四股踏み】!!」」

 

「うっ……きゃあっ!」

 

 

 撒き散らされた衝撃波に、私はその場に踏み止まることができません。あえなく吹き飛ばされてしまい、そして同様に吹き飛んだボールは、腹立たしくも霧隠さんの下へ。彼はそれを足元に収めると、倒された私を見下ろしながら嘲るように鼻を鳴らしました。

 

 

「たった一人で俺たちを相手しようとか、片腹痛いんだよ。わかったら、お前はそこで黙って見てればいい。俺たちがまたお前たちのゴールをたたき割るさまをなぁ!」

 

「この……ッ!! させるかよ!!」

 

 

 言い捨て、霧隠さんがドリブルで走り出しました。染岡さんが「行かせるものか」と追いかけますが、足的にも技術的にもやはり劣勢。

 

 

「ふざけやがって……ッ!! 人の必殺技をパクっただけの分際で、調子に乗ってんじゃねぇぞッ……!!」

 

「言ってくれるなァ、染岡さん? じゃ、またその期待に応えてやるよ! 【炎の風見鶏】じゃない、俺本来の必殺シュートを見せてやる! ……だからあんたもすっこんでろ! 伊賀島流蹴球戦術【偃月の陣】!!」

 

「なっ……クソ、また……ッ!!」

 

 

 意図したものなのかはともかく重ねられた挑発も霧隠さんを勢い付かせるだけにしかななず、挙句、私を止めた【鶴翼の陣】がそのまま転じ、再び生まれた砂塵の槍が染岡さんを弾き飛ばしました。

 相変わらず、私たちにそれに抗う術はありません。染岡さんに続いて立ち向かったミッドフィールダー陣も一蹴されて、以前と同じようにあっという間に自陣にまで入り込まれてしまいます。

 

 それはもう止めようがなく、故にディフェンスの皆さんはその後に照準を絞っていたようでした。

 つまり敵がシュートを撃つため砂塵から出てくるその瞬間、そこで仕掛けてボールを止めようとしているのです。

 そのために皆さんゴール前に集まって身構えていましたが、しかし、そんな誰でも思いつくような【偃月の陣】への対策を、霧隠さんたち戦国伊賀島が想定していないはずがありません。

 

 

「風魔!」

 

「承知! 伊賀島流忍法【くもの糸】!!」

 

「うわっ!? な、なんだ!?」

 

「足が……っ!」

 

「ベトベトして、動けないでやんす!?」

 

 

 砂塵から飛び出してきたのは霧隠さんではなく風魔さん。皆さんの正面に飛び出して来た彼が手のひらを地面に突いた途端、放射線状に広がった“クモの巣”が途端に皆さんの足を絡め取ってしまいました。

 

 そうして今度こそ砂塵が解けて消え、ボールを持った霧隠さんが姿を現すも、皆さんもうその場から動けません。

 ただし一人、その制限の範囲外。風丸さんがその足でギリギリ広がる蜘蛛の巣から逃げ切ったようではありますが、

 

 

「さすがだな、風丸。【くもの糸】から逃れるとは思わなかった。だが……そこまで離れてしまえば、どのみちもう俺の邪魔はできねぇ!」

 

「くっ……!!」

 

 

 【くもの糸】から逃げ切ったということは、それすなわち霧隠さんたちが立つゴール前から遠ざかってしまったということ。シュートの瞬間を叩くという当初の作戦が瓦解してしまったことに違いはありません。

 故に、残るゴールの守り手は円堂さんのみ。その背後のゴールめがけて、霧隠さんは悠々とシュートを打ちました。

 

 

「さあ……お望み通り、これが俺の必殺シュートだ!! 伊賀島流忍法【つちだるま】!!」

 

 

 それは一見すれば地面を転がるグラウンダーシュートのようなものでしたが、しかしもちろん違います。力強い回転がやがてグラウンドの芝生と土まで巻き込んで、そして霧隠さんが腕を振るうと同時、その土砂の殻からチカラを蓄えたボールが飛び出し円堂さんに襲い掛かったのです。

 

 自信満々に打つだけあって、かなりの威力を秘めたシュートでした。あるいはこれも【炎の風見鶏】と同様に円堂さんの【ゴッドハンド】を破ってしまうんじゃないかと、そんな予感がするくらい。

 円堂さん当人も、迫るシュートにそう感じるほどの圧力を見たようで、遠目からでもわかるくらいにその顔が険しくなりました。それでも彼は覚悟を決め、構え、【ゴッドハンド】で迎え撃とうと――した、その時。

 

 

「え……!?」

 

「な、なにッ!?」

 

 

 突然横合いから飛来した風の弾丸(・・・・)が、ゴールに迫るシュートを撃ち抜いたのです。

 

 それはシュートを完全に止めることこそできませんでしたが、それでもその威力の大半を削り取ったようでした。

 それでは【ゴッドハンド】はおろか、円堂さんの普通のキャッチすらをも破れません。ボールはそのまま円堂さんの手に捕まって、そして止まってしまいます。

 

 驚きです。風の弾丸が実質的にシュートを止めてしまったことはもちろんですが、何よりそれは、私も円堂さんも霧隠さんも、みんながよく知る彼の必殺技であったのです。

 

 

「すっげぇ……!! いいぞ、風丸!!」

 

「今のは、【エアーバレット】……!? バカな!? シュートに直接ぶつけるなんて、そんな使い方、聞いてないぞ!?」

 

「当然だろ。だって今、初めて試したんだからな! ……宮坂、いや、霧隠! お前が俺たちの必殺技把握しているっていうのなら、俺たちはそのさらに上を行くだけだ! 俺たちの必殺技は読めても、進化までは読めないだろう!」

 

 

 それはそうでしょう。進化だなんて、そんなもの読めるはずがありません。私だって予想外なのです。

 

 しかし驚いてばかりはいられません。ボールを取り戻したなら、今度はこっちの攻撃ターン。早いところ得点を決めないと。そろそろ後半戦の残り時間も心もとなくなってきているのです。

 故に頭を振って驚きの余韻を振り払うと、私はすぐに指示を叫びました。

 

 

「円堂さん、早く私にパスしちゃってください! 今ならほとんどフリーです!」

 

「ッ!! しまった……!!」

 

 

 何しろ【偃月の陣】、八人も並んでゴールを攻めた直後です。フィールドはからっぽで、私の前にはディフェンス二人と、後はキーパーさんが立ちふさがるのみ。さっきボールを奪われた【鶴翼の陣】の心配もありませんし、間違いなく今は特大の大チャンスなのです。

 

 

「ああ!! 頼んだぞ、ベータ!!」

 

 

 霧隠れさんたちの頭上を飛び越えたボールが、直接私の下まで届きます。振り返りざまトラップしてそれを受け止め、そのままゴールめがけてドリブルを開始。誰にも邪魔されることのないがら空きのフィールドを駆け抜けて、「止めろッ!!」と半ば裏返った霧隠れさんの指示に意を決した表情で飛び出してきたディフェンダーさん二人を、【スピニングアッパー】で抜き去りました。

 そうして残る障害は、キーパーさんただ一人。覆面ながら冷や汗をかいているのが見て取れるほど怯える彼。その姿を、【ダブルショット】の射程に捉えた――その時です。

 

 

「ベータ……!! 【炎の風見鶏】だ!!」

 

「っ……またその話ですか!? あれだけ言ってあげちゃったのに、ちょっとしつこすぎですよ豪炎寺さん!!」

 

 

 豪炎寺さんが、そう叫んで私を追いかけてきました。

 ついさっきそれ(【炎の風見鶏】)はダメだと説明したばかりだというのに、今日の豪炎寺さんは物忘れが激しいようです。

 

 キーパーさんと一対一の状況。これほどの大チャンス、【ダブルショット】を撃てばそれだけで得点できるような場面で、どうして【炎の風見鶏】を撃つギャンブルをしなければならないのでしょう。

 いえ、今まで一度も成功していないのだから、それはもうギャンブルですらありません。チャンスの散財です。豪炎寺さんはそんなことをやれと言っているのです。

 

 

「私たちの【炎の風見鶏】は失敗作なんです……!! 【イナズマ落とし】の時みたいに土壇場で完成する、なんてことは起こらないんですよ!!」

 

「そんなことはない!!」

 

 

 どう考えても今更成功なんてありえません。なのに見つめ返した豪炎寺さんの眼は本気も本気。であればもう無視するしかなく、視線を切り、私は【ダブルショット】のシュート体勢に入りました。

 しかし。キーパーさんを見据えてシュートを打つための一歩を踏みしめたのですが、

 

 

「ベータ、【炎の風見鶏】を使えないお前が、どうして失敗作だと断じれる!? ……お前はそれを知っているわけじゃない、ただ失敗することを恐れている(・・・・・・・・・・・・)だけだ!!」

 

「っ……!!」

 

 

 そんなことを大声で言われては、シュートの意思も止まらざるを得ませんでした。

 

 『恐れている』、ええ、そうです。認めましょう。打ってもムダだとかそれ以前に、私はもうこれ以上失敗したくないのです。

 ストライカーとして、何度もゴールに失敗するさまを皆さんに見られたくありません。点を取って皆さんを勝たせることこそが、私の、ストライカーの役割ですから。

 【炎の風見鶏】の件で皆さんを裏切った挙句、点すら取れずに皆さんを負けさせてしまったとなれば――円堂さんたちは、果たしてそんな私のことをどう思うでしょう。私はそれが怖いのです。

 

 ――でもしかし、やっぱり。私は円堂さんと、彼と同じ場所でサッカーがしたい。進歩のない特訓の日々に心の底へと沈め、そして今、豪炎寺さんによって無理矢理引きずり出されたその気持ちを再び抑え込むことは、私にはできませんでした。

 

 

「……ああもうっ!! わかりました!! いきますよ、豪炎寺さんっ!!」

 

「! ああ!!」

 

 

 やけくそに言い放ち、私は私と豪炎寺さんの中間にボールを蹴り上げました。

 そうして始まる、【炎の風見鶏】の前動作。落下地点に走り込み、豪炎寺さんと同時に再び蹴り上げたボールを僅かな揺らぎも見逃さないよう見つめながら、ずっと続けた特訓の毎日を思い出します。

 

 何度も試み失敗し、その度に「次こそは」と決意した、あの想い。

 

(――今日こそ、今度こそ……ッ!!)

 

 より一層強くして、打ちました。

 

 

「「【炎の風見鶏】ッッ!!」」

 

 

 放たれ、羽ばたく炎の鳥。飛翔したそれはゴールめがけて飛んでいき、そして――



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第四十五話 ベータの役目

 ――ガンッ

 

 私たちの炎の鳥は狙いを大きく逸れ、ゴールポストに直撃しました。

 

 ゴールネットには掠りもせずに、跳ね返ってフィールドに転がっていくボール。その行く先を追うことも、私にはできません。強い決意の分、より強い失望感が全身の熱をすうっと奪っていきました。

 そんな中、霧隠さんの笑声も、元の色を取り戻しながら言いました。

 

 

「は……はははッ! 焦って損したぜ……結局、また失敗しただけかよ! ……ベータの言う通り諦めてれば点取れたかもしれねえのになぁ豪炎寺。まあでも、これで思い知ったろ。【炎の風見鶏】は、お前たちには使えねぇ!」

 

「――いいや、まだだッ!!」

 

 

 そして、霧隠さんの正論に勢いよく重ねられたのは風丸さんの声。見やれば彼はゴールポストに弾かれ飛んでいったボールの回収に成功したようで、私と違って欠片も衰えのない熱意が私を射抜き、続けます。

 

 

「失敗したなら、もう一度やればいい! ベータと豪炎寺なら、いつかは絶対【炎の風見鶏】を完成させられる! だから諦めるな!」

 

 

 そして私へ向けられるパス。霧隠さんたち戦国伊賀島選手たちが慌てて妨害に入ろうとしますが、しかしそれもすぐに止められます。

 

 

「っ! させるか! みんな、風丸とベータを……なにっ!?」

 

「行かせないよ!」

 

「ベータたちの、俺たちの【炎の風見鶏】の邪魔は」

 

「させません!」

 

 

 雷門ミッドフィールダー三人組が、その動きを阻みました。

 そして霧隠さん当人も。

 

 

「そういうこった! お前こそ、そこで黙って見てろ!」

 

「ッ……!!」

 

 

 染岡さんに立ちふさがれ、風丸さんのパスは守られたコースをそのまま素通り。まっすぐ私の下までたどり着きます。

 

 ――しかし。

 やはり、足で受け止めたそんなボールの感触も、もはや私の気力を掻き立てるものではありませんでした。

 

 むしろ皆さんにお膳立てされればされるほど重くなる責任感は、私の自信をも押し潰す重圧にしかなりません。ただでさえ今さっきの失敗で尽きかけていたそれには十分なトドメとなって、やがて完全に消え去ってしまいます。

 

 私はもう、【炎の風見鶏】を打てません。チャレンジする気も、一かけらすらありません。

 けれど今、私の足元にあるボールは、【炎の風見鶏】を期待して皆さんが繋いでくれたもの。これで【ダブルショット】を打つことも、同じくできません。

 ならば私はどうすればいいのでしょうか。わからず、ボールを持ったまま、私はその場から動くことができませんでした。

 

 こんなことになるくらいなら、【炎の風見鶏】に手なんて出さなければよかった。そう思ってしまいます。

 “連携”に眼がくらんだりしなければ、「その必殺技自体に興味はない」とちゃんと言ってさえいれば、備流田さんもわかってくれたはずなのです。私に継承させることは諦めて、私以外の誰かが受け継ぐことになったはず。

 

 そうだったなら、今のこの状況も、その誰か(・・)が――。

 

 

「誰か、が……」

 

 

 ふと、思いつきました。

 

 

「――お前程度に、止められてたまるかぁッ!!」

 

「ぐ……うおっ!?」

 

 

 その時。どうやら染岡さんのブロックは風丸さんのパスを通す間しか持たなかったらしく、脱出した霧隠さんが私の正面に回り込んできました。立ち止まったままの私に一瞬訝しげに眉を傾けてから、しかし好機だと、私たちの攻勢を断ち切るために襲い掛かってきます。

 いつものニヤニヤ笑みの中に“必死”を混ぜて、がなり立ててきました。

 

 

「打たせるかよ……【ダブルショット】を使う気なんだろ!? この目で見ることこそできなかったが、雷門がそれで何度もゴールぶち破ってきたってことは知ってるんだ!! 元より一番の危険人物、警戒しないわけがねえだろッ!!」

 

 

 しかしその大声は、ほとんど私の耳には入ってきませんでした。

 

 思考を埋めていたのはついさっきの“思い付き”です。

 炎の鳥に変えて羽ばたかせてやらねばならないこのボール。私にはできませんが、他の誰かにならできるはず。

 そして私は【炎の風見鶏】という名の連携シュートを打つことはできなくても、誰かに打たせるために“連携”することはできるのです。

 

 私の代わりに打つ誰か(・・)。そこへの道筋は、見えていました。

 

 

「――風丸さんっ、豪炎寺さん……!!」

 

「!?」

 

 

 呼ばれた名前に風丸さんが目を見張りました。が、私の意図、そして心情は、どうやら伝わったようです。そしてそれはもう一人、豪炎寺さんにも伝わって、同時に前へ走り出す二人。

 その突然の行動に霧隠さんは一瞬気を取られ、生まれた僅かなその隙に、私は身体をねじ込みます。

 

 

「ッ!? お前、何をする気――」

 

「二人とも、やっちゃってくださいっ……!!」

 

 

 言葉は続きません。私が【ダブルショット】を打つ気だと思い込んでいた彼は、私が上げたパスを唖然と見送るばかり。

 そうしてボールは、その落下地点に走り込んできた二人、風丸さんと豪炎寺さんの下に届きました。

 

 そう。私は二人と数えきれないくらい【炎の風見鶏】の特訓をしてきましたが、思えばこの二人の組み合わせは今まで一度もやったことがなかったのです。

 なぜ今まで試してこなかったのでしょう。私のパスのその結果は、思わずそうため息を吐きたくなるようなものでした。

 

 

「いくぞ戦国伊賀島!! これが俺たちの、雷門の【炎の風見鶏】だッ!!」

 

 

 少し胸が苦しくなってしまうくらいに。それは霧隠さんたちの炎の鳥よりも大きく、力強く、完璧でした。

 

 

「「【炎の風見鶏】ッ!!」」

 

「ッッ!!? い、伊賀島流忍法【つむじ】ッ……!!」

 

 

 驚愕に息を呑んだ覆面のキーパーさんが腕を振って竜巻を生み出し対抗しますが、それは炎の鳥を止めるにはあまりに貧弱。ほんの僅かに勢いを削ぐこともできず、シュートはゴールに吸い込まれていきました。

 

 鳴り響く得点のホイッスル。ようやくの一点と【炎の風見鶏】の成功に、皆さん風丸さんと豪炎寺さんに群がり歓声を上げています。

 私はそれを傍から見つめ、故に傍の霧隠さんの呆然とした呟きも聞こえました。

 

 

「バカな……雷門が、【炎の風見鶏】を……? あんな無様な失敗を繰り返したチームが……俺たちよりも、強力な……ッッ!! そんなの、あり得ないッッ!!」

 

 

 そしてやがてその呆然は、怒りと焦燥が入り混じった混乱に繋がってしまったようでした。

 

 キックオフしてボールが動き出すと、それはプレーにも表れました。

 私たちの必殺技を容易く攻略してしまう、彼の指示。私たちの動きを読む余裕が混乱で消え失せてしまったようで、それを信用しきって頼りきっていた戦国伊賀島選手たちの動きは見事にバラバラ。必殺技も使いたい放題で、今までの鬱憤を晴らさんと奮起した皆さんの活躍によって、私の手を必要とすることもなく守備を突破できてしまいました。

 

 そうしてまたも風丸さんと豪炎寺さんの二人にボールが渡り、後はまた繰り返し。

 

 

「「【炎の風見鶏】!!」」

 

「う、うわあああぁぁぁっ!!」

 

 

 二点目が叩き込まれました。

 

 

「ぐ……クソッ……クソォッ!! どうして、こんな、立て続けに……ッ!!」

 

「落ち着け、霧隠!! とにかく、落ち着くんだ!! ……二点取られたが、まだ同点だ。落ち着いて今まで通りのプレーをすれば、まだ盛り返せる……!!」

 

「ッ――!! ああッ……!! わかってる……!!」

 

 

 しかし二点目の代償に、霧隠さんは僅かに正気を取り戻してしまったようでした。今度のボールは中々奪い取ることができず、【偃月の陣】の体勢を取られて攻め込まれてしまいます。

 ゴール前も戦国伊賀島総出でディフェンスを抑えられ、今度は彼らが円堂さんと一対一。

 

 

「【炎の風見鶏】は俺たちの必殺シュートだ……!! 俺たちの方が、強いんだッ!! 思い知れ、雷門ッ!!」

 

「「【炎の風見鶏】ッ!!」」

 

 

 並々ならぬ気迫と共に、霧隠さんたちは炎の鳥を放ちました。

 対して、円堂さん。

 

 

「みんなの力で、やっと同点まで戻したんだ。ここでこれ以上、点はやれないッ!! 【ゴッドハンドW】!!」

 

 

 巨大な手のひらで立ち向かいました。

 それは円堂さんが使える中で、消耗というリスクはあれど最も信頼に足る必殺キーパー技。炎の鳥が打ち破った【ゴッドハンド】をも超えるその技が真正面から迎え撃ち、光と炎の欠片たち撒き散らします。

 しかしそんな一進一退は、やがて光のほうに傾きました。炎が弱まり、薄れ、そして消え――シュートは円堂さんの手の中に収まることになったのです。

 

 

「そん、な……っ」

 

「ぜぇ、ぜぇ……っ、後は、頼む……! ベータっ……!」

 

 

 頽れる霧隠さん。荒い息を吐きながら円堂さんからのパスが届き、私はスコアボード上の時計を見やります。

 残り時間はもう僅か。そして周囲を見やれば豪炎寺さんも風丸さんも後ろで攻め込んで来ていた戦国伊賀島選手たちに邪魔され前に出れそうにありません。

 シュートが打てるのは、勝ち越し点を挙げられるのは私だけです。ならば、打たねばなりません。

 

 ――せめて、一点。

 

 

「【ダブルショット】ッ!!」

 

 

 多少距離はありましたが、【炎の風見鶏】で立て続けに二点を取られて戦意を挫かれてしまったキーパーさんに止められるシュートではありません。怯え顔で伸ばされた手を跳ねのけて、ボールはゴールに入りました。

 

 同時に試合終了。ホイッスルと歓声とわめきたてる実況さん。全部が混ざり合ってもはや騒音同然なやかましさの中、私は安堵に息を吐きました。

 

 “力を合わせるサッカー”、その要の連携シュートは結局理解できませんでしたが、しかしそれでも私の居場所はまだこのチームにあるのです。それを確かめることができた安堵の中、私は勝利を喜び合う皆さんの輪に混じるため、そこへ足を向けたのでした。

 

 

 

 

 

 

 

「――あれ、宮坂さん……?」

 

「あ……ベータさん、どうも……」

 

 

 試合が終わり、一足早くに着替え終わってホールで皆さんを待っていると、少しバツが悪そうな顔をした褐色の男の子が現れました。

 

 一瞬霧隠さんの悪戯を考えてしまいましたが、意外にも潔かった彼とは試合終了後に握手までしたのです。もうあんなことはしないでしょう。

 それにそもそも本物の宮坂さんだって、風丸さんとの約束で試合に来ると言ってはいたのです。今思えばあれば観戦しに行くという意味だったのでしょうが、とにかくこの場にいることに不自然はありません。

 だから警戒心は消し、その代わり、まずはベータ呼びを指摘することにします。

 

 

「前は訂正し損ねちゃいましたけど、ベータじゃなくて米田です、私の名前」

 

「えっ……ま、まあ、そうですよね。皆さんそう呼んでたから、つい……」

 

「……やっぱりちゃんと止めた方がいいのかしら」

 

 

 以前の祝勝会であだ名呼びを認めてしまったわけですが、外にまで影響してしまうのなら考えを改めるべきなのかもしれません。

 その場合、また雷門さんに何か言われてしまいそうですが。

 

 

「まあとにかく……わざわざこんなことに来ちゃったのは、やっぱり風丸さんがお目当てだったりしちゃいます?」

 

「はい……いえ、俺、風丸さんだけじゃなくて、米田さんや他の皆さんにも謝りたくって……」

 

「へぇ、私たちにも?」

 

 ならばここで聞いてあげるべきでしょう。暇ですし。

 微笑んで促すと、彼は意を決し、頭を下げて口にし始めました。

 

 

「……サッカー部が風丸さんを無理矢理引き留めてるんだって疑ってしまったこと、謝ります。ごめんなさい。……俺、サッカーなんてつまらないスポーツだって思ってました。ボールなんかけるよりも、陸上で走ってた方がずっと楽しいはずだって。でも、今日試合を見てて、違うって気付きました。サッカーにはサッカーの、サッカーだから存在する面白さってものがあるんですね」

 

「ああ。陸上は個人競技だけど、サッカーは団体戦、チームで戦うスポーツだからな」

 

 

 と、応えたのは風丸さんでした。タイミングのいいことに彼も帰り支度を終えたらしく、スポーツバッグを肩にかけて優しい顔になっています。

 

 

「宮坂……俺、陸上が好きだ。その気持ちに変わりはない。……でも今は――」

 

「大丈夫です。その先はもう、言わなくて。わかっちゃいましたから、今はあのフィールドが、風丸さんの走る場所だって」

 

 

 宮坂さんはいきなりの登場を果たした風丸さんにさして驚くことなく、彼の言葉を遮ります。頷いて、そして眼を見てまっすぐに言いました。

 

 

「きっと優勝してくださいね! 俺、応援してますから!」

 

「……ありがとう、宮坂」

 

 

 風丸さんも頷きます。色々とありましたが、ともあれ先輩後輩の仲は元通りになったようで何よりです。

 そして応援されたからには、風丸さんも一層強く励まなければならないでしょう。もちろん、私も。

 

 

「優勝には、確かあと三勝でしたっけ。頑張らないとですね。これからもどんどん敵は強くなっちゃうはずですし」

 

「大丈夫。勝てるさ、俺たちなら」

 

 

 この試合を戦い、勝ったことによりさらに強くなった必勝と、それ以上の想いの決意。“円堂さんのサッカー”に近付くことはできませんでしたが、それでも(・・・・)と、無理矢理納得に落とし込んで口にします。

 

 

「もちろん……次の試合も私、バッチリ得点決めちゃいますよ」

 

 

 宮坂さんに見守られながら、そう誓いを新たにするのでした。

 

 

 

 

 

 

 

「――夏未さん……? どうかしたの……?」

 

「……ぱ……パパ、が……っ」

 

 

 故にその頃、私が後にした更衣室で大変なことが起こっていることを、私は知る由もなかったのです。




あけましておめでとうございました。
本年もよろしくお願い申し上げます。
あと感想くださいともお願い申し上げます。


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