魔法少女かずみ?ナノカ ~the Badend story~ (唐揚ちきん)
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〈第一章 あきらの章〉
プロローグ 歪んだ少年とトランク少女


 電車から降りて、駅のホームから出た俺は(やかま)しい駅前の雑踏を少し歩く。

 群馬県の中部という片田舎に属するこのあすなろ市だがここの近くの都市と含めて開発が為されているおかげで緑はそう多くない。むしろ、列挙するビルやお洒落な西洋風の建物で覆われていて一見すると日本には見えないくらいだ。

 この近くの見滝原市や風見野市なんかもそんな感じの街並みらしい。いつまで欧州化する気なんだか……文明開化乙ってなもんだ。

 横断歩道の近くの建物に背を預け、携帯電話でパパに連絡を入れた。

 

「もっしもーし。あ、パパ。あきら君、無事にあすなろ市に着いたよー!」

 

 しかし、愛するパパから届いたのは辛辣な台詞だった。

 

『……金も住む場所も与えたはずだ。もう私たちに関わらないでくれ』

 

「ヒドーイ。それが大事な大事な一人息子に掛ける言葉なのかよ?」

 

 愛情が感じられな過ぎて、グレちゃいそうだぜ、俺。

 

『お前のせいで! お前のせいで理恵は今も精神病院に入院しているんだぞ!? それついては何も感じないのか!?』 

 

 急に声を荒げるパパ。きっとママが心配で情緒不安定なんだろう。それか更年期障害なんだろう、きっと。

 でも、よくないなぁ。そんな風にしてると血圧上がって寿命が短くなってしまうというのに。

 俺は家族思いの優しい息子なので、パパを落ち着かせるべく、穏やかな言葉を掛ける。

 

「ありゃ、ママはちょっと豆腐メンタル過ぎただけだって。ほら、ママって責任感が強くて背負い過ぎるところがあったし。だから、俺が友達にちょーっと悪戯(・・)したことを知っただけで寝込んじまったんだよ」

 

『悪戯だと……? ふざけるな! お前がやったのは自殺の強要だ!! ……クラスメイトを十四人も自殺に追い込んでおいて何でそんな事が言えるんだ……』

 

「のんのん。正確には十三人だよ。最後の子は自殺未遂で済んでるから。まあ、あれじゃあ、脳に確実に障害が出るから社会的には死んだも同然かなー? でも、命があるだけ幸せだよね!」

 

 人の命とは尊いものなのだ。例え、ベッドから起き上がれず、トイレに一人で行くことすらできない、奇声を発するだけの人生だとしても、生きているだけで素晴らしいのである。

 俺が人の命を賛美する発言をすると、パパの怒鳴り声は止み、今度は逆に声が(しぼ)んでいく。

 からかいすぎたかもしれないな。しかし、自重はしない!

 めげない、懲りない、自嘲しない。それが俺、一樹あきらの人生哲学なのだ。

 

『お前なんか……産まなければよかった……』

 

 パパは反抗期に入った子供に親がよく言う台詞ベスト10に入る台詞を吐く。

 ならば、俺もそれに対するベストな台詞をパパに送らざるを得ない。

 

「いや、それは十四年前にコンドーム付けずにキモチイイことしたパパとママの責任じゃね? 避妊は大事だよ、避妊は。次はちゃんと付けてママとHしなよ。…………ありゃ?」

 

 俺がそこまで言うと携帯の通話を切られた。

 ツーツーと無機質な音が耳に届いてくるだけだ。

 液晶の画面を数秒見た後、俺は呆れて溜め息を吐くと携帯電話をポケットにしまう。

 まったく、あんな安っぽい挑発で切れるとはパパもまだまだお子ちゃまだな。大体、俺が死に追いやった人間は中学ではまだ十ちょっとなだけで、小学校の時を合わせれば四十を越す。

 散々今までやってきたのに今更何かを感じる訳ないだろう。そのくらいでピーピー喚くなんて、それでも俺の親か。あー情けないったらありゃしない。

 自分があんなちんけで詰まらん男の精子の一つだったかと思うと泣けてくる。

 腕を組んで、己の悲劇的な過去を哀れんでいると、視界の端の方から一人の男が走ってくるのが見えた。

 男は片手には大きなトランク、もう片方の手には携帯を握って電話しながら走っている。

 その顔は焦りと緊張で強張っている。よっぽど大事な電話の内容なのだろう。

 しかし、まあ……走り電話とは行儀がよくない。

 俺はモラルに厳しい真面目君なのでそういうマナーのなっていない行いが許せないのだ!

 すっと男の足元に足を引っ掛ける。

 走っていた男は電話に集中していたせいで、面白いほど簡単にずっこけた。

 加速していた勢いが止まらず、地面を擦りながら前へと大きく飛び出した。驚愕に彩られたその横顔は自分に起きたことをまだ正確に認識できていないのだろう。

 男は投げ出された。前方にある横断歩道のど真ん中へと。

 きっと男の今日のアンラッキーカラーは赤だな。なぜなら、俺の着ているシャツの色も、信号の色は赤で――そして何より赤い大型のトラックが男の真横から迫っていたから。

 重たく、鈍く、くぐもった音がその場に響いた。それは水気の含んだものを思い切り叩きつけたような音だった。

 

「やっぱ、アンタのアンラッキーカラーは赤で決まりだな」

 

 男を占めている大半の色は赤だった。

 もっとも、潰れて(ひしゃ)げ、踏み潰された虫の死骸のような肉の塊を『男』と表現していいのか分からないが。表現の哲学者のソシュール先生でも困惑するだろう。

 赤いトラックは男を跳ね飛ばした後、ガードレールをぶち破り、街路樹と熱烈なキッスをかましていた。運転席も思い切り歪んで潰れていたため、運転手も天に召されたご様子。

 数秒の沈黙の後、(せき)を切ったかのように有象無象の阿鼻叫喚がBGMとして大音量で流れ出す。

 駅にも近いせいでその煩さは並大抵ではない。ちょっとしたサイレンのようでもあった。

 俺はそれを聞きながら、「大丈夫っすかー?」と白々しさ満点の台詞を吐いて、肉塊にジョブチェンジした男の傍に行く。

 道路を走っていた車は皆全て止まっており、そのせいで後方では更なる玉突き事故を起こして、順調にCO2の排出源である車を運転手の息の根ごと止めていた。地球温暖化防止まで起こしてしまうとは……俺は天使か。

 傍に近寄ると、当然の如く男はご臨終していた。逆にこれで生きていたらゾンビだしな。 そんなバイオ・ハザードな展開もなく、俺の興味も失せて始めていた時、男の手の中に携帯電話がしっかりと握り締められていることに気が付いた。

 どれだけ大事な電話だったのやら。ワーカーホリックだったんじゃないのか、こいつ。むしろ、俺がこの世から解き放ってやったことで救われたんじゃないだろうか。

 やはり俺は醜い現世から救われない魂を救済する天使だったのか。また俺の正しさが証明されてしまった。アイアム ジャスティス。俺こそ正義。

 

『……も……しも……きこえ……』

 

「うん? まだ通話状態になってやがる。流石日本製、強度が違いますな」

 

 男の死体に蹴りを入れて、その手から携帯電話を奪い取る。液晶画面に大きな(ひび)こそ入っていたが、未だにきちんと己の機能を果たしている通信機器ちゃんに俺は耳に当てる。

 

「もしもし? どちらさま?」

 

『……その声は立花ではない!? お前は誰だ? 立花はどこへ行った!?』

 

 ボイスチェンジャーで加工された声で捲くし立てるように電話の向こうの人物は喋る。

 どうやら真っ当な相手ではないことが簡単に予想できた。そして「立花」というのは恐らくは俺の足元にあるお肉のことだろう。

 それにしても、こんな怪しげな奴とつるんでいる立花(故人)もろくな人間ではないと思う。やはり死んで当然の男だった。そんな奴を死なせた俺は間違いなく天使! 今後は『天使少年☆エンジェルあきら』と名乗ろう。

 

「俺はエンジェルあきらだ。あきらたん、もしくはアッキーと呼んでくれ。あと、それからこの電話をしていた男は死んだ」

 

『死んだ!? ど、どういう事だ!?』

 

「イイ奴だったよ……よく知らんけど。お袋さんには立派な死に様だったと伝えてやってくれ……」

 

『ふざけてるのか、お前!? それなら……トランクは!? トランクはどうなった!?』

 

「トランクー? 取り合えず、この辺には……」

 

 立花の死体は流石にトランクまでは握り締めていない。十中八九、飛んで行ったか、トラックに潰されたはずだ。

 無駄だと思ったが、視線を彷徨(さまよ)わせていると、傍の歩道に転がっているトランクが目に入った。

 

「あった。歩道の方に転がってる」

 

『歩道? 何が起きたのか、さっぱり分からないが、そのトランクだけは確保しておいてくれ』

 

「えー。俺は無関係な一般ピーポーなんですけど? ていうか、命令とか何様? アンタ、小学校の通信簿に『偉そうにしていては皆嫌われるのでもっと(へりくだ)りましょう』って書かれていたクチだろ?」

 

『そんな事書かれていた訳ないだろう! ……頼む。お願いだ。……トランクを回収してくれ』

 

 電話相手は地味に突っ込みをこなしながら俺に頼んでくる。フッ、ようやく立場を弁えたか、このボンクラめ。最初からそう言っていればいいものを。

 

「分かったよ、ボンクラ。ちょっと待ってろ」

 

『ボ、ボンクラ!?』

 

 血液と肉片が混じった血だまりを、ピチピチ・チャプチャプ・ランランラーンと歩いて向こう側の歩道に向かう。

 トランクは大きく凹んでいるが、頑丈に出来ているのか破損している部分は見られなかった。

 トランクの前まで来た俺はそれを持ち上げようと取っ手を触ろうとする。

 

『扱いには気を付けてくれ。その中に入っているのは……時限式の爆弾なんだ』

 

 ……は? 爆弾? 取り扱いに気を付けろ?

 おい。それってもう手遅れなんじゃないのか? トラックに跳ね飛ばされるんですけど、このトランクちゃん。

 冷や汗がたらりと流れる俺の目の前でトランクがバンと開かれた。スローモーショーンで映るその光景を見る俺はふっと思った。

 ――これ死ぬんじゃね、と。

 脳内を光速で走馬灯が駆け巡る。映像は俺のクラスメイトに言葉を投げかけられたシーンが主たるものだった。

 

『何で、何で裏切ったんだ……あきら。信じていたのに……!』

 

『どうしてあきら君!? 私たち、あんなに愛し合ってたのに。こんな事するなんて』

 

『あきらあああああ! 呪ってやる!! お前だけは死んでもうらみ続けてやる!!』

 

『……地獄に落ちろ、あきら』

 

『何度生まれ変わってもあきら君への憎しみだけは忘れないから……』

 

 皆、俺に自殺に追い込まれた間抜けどもの恨み言ばかりだった。俺のことを大切な仲間だと、親友や恋人だと言ってくれた阿呆な玩具ども。

 くっ……皆。俺……アンタらと違って天使だから、天国行くんだ。だから、アンタらの居る地獄には落ちないよ。

 

『ふざけんな、てめえ!!』

 

『そーよ! 地獄に行くのはあんたの方よ』

 

『何が天使だ! お前みたいな邪悪な悪魔が何をほざいてるんだ!』

 

『死ね! 死ね! 死ねぇ!』

 

 走馬灯の亡者どもがまるで文句を言うように悪鬼の形相でがなり立てる。あれ、これって走馬灯じゃなくね? 実際にどこかと繋がってるの?

 そんなコント染みたやり取りを内心でやっているが、トランクの中から飛び出たのは爆発ではなく、人間の叫び声だった。

 

「いったーーーーーーい!!」

 

 長い長い黒髪を振り乱し、桃から生まれた時の桃太郎のように開いたトランクから飛び出してくる。

 その少女は……桃太郎と同じように素っ裸だった。

 だだ一つ違うのは性別が女の子で、身体つきが俺と同じ中学生くらいだということ。

 おっぱいも小振りながら、美しいピンク色の頂点を誇っている。パンツすら穿()いていない下も一本の毛根もないツルツルピカピカなものだった。

 

「……グッドです」

 

 親指を上に向けて真顔でサムズアップをする。

 爆弾ではないことが分かって安堵したのと、裸の女の子が出てきたことにより、混乱の極みにあったが、俺は取り合えず、自分の欲望に即した反応をした。

 少女は俺に気付き、そして、その視線の意味にも気が付くと絶叫を上げた。

 

「きゃああああああああ!」

 

 そして、俺に向かって突撃してくる。向こうも相当に混乱しているらしい。

 幼い頃に合気道を習っていた俺は即座に対応して、携帯電話を持っていない方の手で彼女の腕を掴むと相手の勢いを利用して後方へと大きくぶん投げた。

 

「ぎゃあ!」

 

 潰れた悲鳴を上げて、全裸の少女はアスファルトに舗装された歩道を転がる。

 いきなり、襲い掛かってくるとは……さては野犬にでも育てられていたのだろう。教育テレビで狼に育てられた少女というのを見たことがある。多分、あれだ。

 

『おい! 何か悲鳴のようなものが聞こえたぞ!? 爆弾はちゃんと見つかったのか!?』

 

 持っていた携帯電話から声が上がる。

 俺は耳に再び、携帯電話を当てて、転がる少女の尻を眺めながら逆に尋ねた。

 

「お宅の爆弾は……黒髪ロングで裸の狼少女なのか?」

 

『は? 何を言っているんだ、お前』

 

 返ってきた返答は俺の予想通りのものだった。爆弾というのは比喩表現で女の子を誘拐していた訳ではないらしい。

 

「いや、それならいいんだ。じゃあ、また後で連絡する」

 

『お、おい!? そもそもお前は誰な……』

 

 一方的に通話を切断し、歩道に転がる全裸の少女と道路の惨状を見回す。

 そして、近付いてくる救急車のサイレンの音を聞きながら、静かに笑う。

 この街に来てよかった。

 面白いことが起きる予感を感じながら、俺は悦に浸る。

 ああ、きっと楽しいことが俺を待っている。

 どうか、この俺を飽きさせないでくれよ、あすなろ市……。

 

 

【挿絵表示】

 




前に投稿していた話と流れを大分変えてみました。
今回は前作の主人公とは違い、コミカルだけど邪悪な性格の主人公を描いて行きたいと思っています。

ちなみに原作の立花宗一郎さんはあきらのせいで特に見せ場もなく死にました。今回の作風を端的に表すための最初の犠牲です。

裏設定のようなものですが、前作の物語と時間軸的にリンクしているので、前作主人公が見滝原市に越してきた日と同じ日の話になっております。


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第一話 食べ物を粗末にしない悪人

「いや~、それにしても酷いもんだね。いくら大規模な事故(・・)が起きたからつって、裸の女の子がトランクに詰め直されて運ばれているというのに誰も気が付かないとは……。どうなっちゃうんだろうね、日本の明日は」

 

 目の前の俺に警戒心()き出しの少女に向けてそう問いかける。

 

「……わたしを誘拐しておいてよくそんな事が言えるね」

 

 裸ではなく、俺が渡したジャージを着ていた。受け取るのに大分躊躇したが全裸でいるよりはマシという結論に至ったようだ。

 あれから俺は投げ飛ばされて気絶していたこの黒髪の少女を再び、トランクに詰め込んでその場を後にした。血液で靴が濡れている大きなトランクを抱えた俺は結構目立つはずなのだが、それ以上にあの駅前の横断歩道の近くは騒ぎが大きかったせいで誰も俺に目を留めるものは居なかった。

 公園を探して、そこで靴を可能な限り血を落とすとパパが借りたマンションへと向かった。

 管理人に挨拶をして部屋の鍵をもらうと、先に届けて入れてもらっていたダンボール箱がごったがいしている自室にようやく到着できた。

 俺はやかんとインスタントコーヒーの袋をダンボール箱から取り出すと、インスタントコーヒーの粉を直接やかんにぶっち込んでお湯を沸かしていた。

 そして、マグカップをダンボール箱から探し始めた時にようやくトランクのことを思い出し、今に至るという訳だ。

 

「コーヒー飲む? ブラックだけど」

 

「いらない!」

 

 マグカップにコーヒーを注ぎながら尋ねると、少女はぷいっと顔を背けて断った。

 しかし、直後に「グ~」という腹の虫の鳴き声が少女の方から聞こえてくる。

 

「インスタント麺か、カップ麺でいいなら作れるよ。ほら、ちょうど熱々のお湯もある」

 

「それで作ったらコーヒーの味になっちゃうでしょ!?」

 

 コーヒーの入ったやかんを揺らすと、少女は俺に切れのいい突っ込みを入れる。

 なかなか堂に入った突っ込みだった。もう少し鍛えればM1も夢じゃないな。

 俺はそう思いながら、カップ麺『マキシマム鶏がら醤油ラーメン』を食料品が入っているダンボールから出してコーヒーを注ぐ。

 

「……わたし、絶対に食べないからね!」

 

「俺が食うから腹減ったんだよ」

 

 三分後、コーヒーフレーバーに包まれた『マキシマム鶏がら醤油ラーメン』をほうばる哀れな少女が居た。

 所詮、何を言っても食欲には勝てない浅ましい少女である。同じ人間として恥ずかしいぜ。

 

「おいしい?」

 

「うう……まずいよぉ」

 

 まあ、そうだろうな。俺だったら絶対に食べたくないもん、そんなコーヒー臭いラーメン。

 涙目になりながらも麺を(すす)り、挙句の果てにコーヒーのスープまで飲み干した。

 

「ご、ご馳走様……」

 

「よくそんなもの最後まで食えるね。頭おかしいんじゃないの?」

 

 俺は気持ちの悪いものを見る目で少女を見ると、むっとした目付きで俺を睨む。

 

「食べ物を粗末に扱ったやつは本当の悪人なんだよ。生きてエンドマークは迎えられないの!」

 

「ほーう。じゃあ、俺はやっぱり善人だわ」

 

 背中に背負っていたナップザックから牛めし弁当を取り出して、パクパクと食べ始める。家に帰ってから食べようと思って駅の中で買ったものだ。

 うめえ。まったりとしたタレに漬け込まれた牛肉とご飯とが絵も言われぬハーモニーを醸し出す。

 うーん。人の惨めな死に様を見た後の飯はなおさら旨い。やっぱ、最高のスパイスは他人の不幸だな。

 

「あ~~!! ず、ずるい。自分だけそんな美味しそうなの食べて」

 

「知らねぇよ。アンタが聞かなかったのが悪い。あー、牛飯うまいんじゃ~」

 

「ちょ、ちょっと分けてくれない?」

 

 少女は意地汚くも俺の牛飯弁当に手を伸ばそうとしてくるので、箸で迎撃する。

 そして、冷めた目で見つめながら、弁当を持って後退した。

 

「息がコーヒー臭いんで近寄らないでください。飯がまずくなる」

 

「あなたが食べさせたんでしょ!?」

 

「俺は作っただけで、別にアンタに食べてくれとは言ってないぞ」

 

「ひどい。ひどすぎる……」

 

 勝手に食べておいて何を言ってるんだ、こいつは。まったく(しつけ)がなってない。親の顔が見てみたいところだ。

 弁当を食べ終えて、マグカップのコーヒー啜り、一息吐くと少女の方に向き直る。

 いい加減、名前も分からないと不便極まりないので、少女に俺は尋ねた。

 

「で、アンタの名前は?」

 

 すると、今まで普通に会話をしていたのに途端に思い出したように表情を硬くした。

 

「誘拐犯に教える名前はないよ」

 

「誘拐犯は俺じゃねぇよ。アンタを(さら)って来た奴は死んだ。第一身代金目的なら名前を知らない訳ないし、外国に売り飛ばす気ならわざわざこんなところに連れてきたりする理由ないだろ?」

 

 まあ、あの電話の相手の話もトランクにこの少女が入っていることを知らない様子だったから、あの立花って奴がどこかで爆弾の入ったトランクと間違えてしまったというところだろう。

 なら、こいつを攫おうとした奴も別に居ると考えるのが無難だ。

 身の潔癖を証明した俺だったが、目の前の少女は俺への疑念はまだ晴れていないようだった。

 

「あなた、目が濁ってる……すごく嫌な感じがする」

 

「おいおい。目がどうとか言って文句付けるとかどこのヤクザだよ。ほら、食べ物を粗末に扱うのは悪人なんだろ?」

 

 俺は空になった弁当箱を見せびらかす。

 

「この通り、飯粒一つ綺麗に食ってる。こんなに飯を大切に扱える俺が善人じゃないとでも?」

 

「…………かずみ。苗字は分からない記憶喪失みたい」

 

 しばらく、俺の顔を睨んでいたものの自分の理論のせいか、結局は名前を教えてくれた。

 けれど、記憶喪失だって? 嘘臭いことこの上ないな。

 さっきに悪人は食べ物を粗末にする理論とかは記憶じゃないのか?

 何ともまあ、都合の良い設定だが、どうも嘘を吐いている様子はない。少なくとも表情筋の変化や瞳孔の動き具合では読み取れない。

 これ以上は今問いただしても無駄な気がしたので記憶喪失についての言及はしなかった。

 

「ほお。かずみちゃんか……ありきたりな名前だね。面白みがない」

 

「なら、そういうあなたの名前は!?」

 

 名前を馬鹿にされて憤慨するかずみちゃんは膨れっ面で俺の名前を聞いてくる。

 

「俺? 俺はあきら。一樹あきらだ。あきらたん。アッキー。またはあきあきって呼んでくれ」

 

「あきらの方がありきたりな名前じゃない!」

 

「人の名前、馬鹿にするとか……最っ低だな、かずみちゃん。そういうの人としてどうかと思うわ」

 

「あきらが最初に馬鹿にしたんでしょ!?」」

 

 アホなやり取りを交わしていると、ポケットに入っている携帯電話が鳴り響く。俺のではなく、立花の方の携帯電話だった。

 一指し指を口元に当てて、かずみちゃんに黙ってくれるようにジェスチャーで伝えて、俺は電話に出た。

 

『オマエノ持ッテイッタトランクヲ渡セ。30分後BUY‐LOTノベンチマデ持ッテコイ。コナケレバ警察ニオマエガ人ヲ殺シタコトヲバラス』

 

 そう言った後、一方的に通話が切れた。最初のボイスチェンジャーとは違い、今流行のボーカロイドの音声を繋ぎ合わせたような音声だった。

 どうやら、最初の奴とはまた違う相手のようだ。とすると、立花にトランクを取り違えられた間抜けな奴だろうな。

 だが、それにしても……。

 

「身に覚えがあり過ぎて分かんないなぁ」

 

 まあ、直接的にやった訳じゃないから法では裁けないと思うし、俺まだ十四だから少年法も余裕で適応されるので、正直警察はそこまで怖くない。

 俺の自殺強要をこんな形で告発する根性のある人間はもう『居なくなって』いるので、この『人を殺した』という部分は多分立花のことだ。

 だとしたら、あの時に足を引っ掛けていたことを見たということだろう。

 なんだ。あんなの偶然、足を出したら立花がすっ転んで飛び出しただけだと言えば、それでお終いだ。例え、映像があっても殺意の証拠とするには難しい。

 ますます、電話の奴の言うとおりにする理由がなくなった。

 でも、取りあえずはかずみちゃんにも伝えておくか。

 

「何か、かずみちゃんを誘拐した人がBUY‐LOTって場所にかずみちゃんを入れたトランクを持って来いってさ」

 

「……全部、聞こえてた……あきらが人を殺したっていうのも……」

 

 すっとさっきとはまったく違う冷徹な視線を俺に向ける。今までの馬鹿な雰囲気とは一変して硬質な空気を纏っている。

 まるで人間ではない。もっと別な「何か」のような寒々しい瞳。

 俺はそれを見て――平然と流した。

 

「ああ、うん。そうなんだ。で、どうする? BUY‐LOTっていうとこ行く? 俺は今日越してきたばかりだから場所知らんけど、記憶喪失ならかずみちゃんも分からないんじゃね?」

 

 しかし、かずみちゃんの口から出たのは俺の疑問への返答ではなく、その前の話の続きだった。

 

「やっぱり、あきらは悪い人だったんだね」

 

「は? 何言ってるの? 穢れなき天使の俺に向かって。大体、死んだは立花って奴で、そのおかげでかずみちゃんは助かったんだよ?」

 

 俺が居なかったらあの立花という男に連れ去られていたのだ。誘拐目的ではないとしても時限爆弾を運ぶような危険人物に裸の少女がお持ち帰りされればどうなったかなんて考えるまでもない。

 組んず解れつのガチレイプ劇場が開幕されていたはずだ。……何それ、超見たい。どっかのAVでそういうのないかな? 

 脳内で出てきたエロい妄想に想いを馳せていると、かずみちゃんは同情を滲ませた声で吐き捨てる。

 

「違う。悪いとかそういうんじゃなくて、あきらは壊れてる。……人の命を奪ったりしても何も感じてないのがその証拠だよ」

 

「ていうか、そんなことより行くのかどうするのかは決めたの?」

 

 非常にどうでもいい些末(さまつ)事をまた流して、結論を促すがかずみちゃんは悲しそうな表情を浮かべただけで答えない。

 

「…………コーヒーのカップ麺、食べさせてくれてありがとう。まずかったけどお腹空いてたのは治まった」

 

 すっと立ち上がるとかずみちゃんはそう言って空のトランクを持って、出て行こうとする。

 

「一人で行くつもりなの? 水臭いな、俺とかずみちゃんの仲じゃん。どーんと頼りなよ」

 

 時間にして一時間もない間だったが、無意味になれなれしくそう言って笑いかける。

 かずみちゃんはそれに対して、拒絶の意思を込めた表情で俺を睨み付けた。

 

「……ごめん。もうあきらとは一緒に居たくない。あ、でもこの服……」

 

 ドアを開けて出て行こうとした途中でかずみちゃんは、自分が俺のジャージを着ていることに気が付いて足を止める。そのまま脱ごうとチャックに手を掛けたので、俺はそれを止めて、手をひらひらと横に振った。

 

「いいよ。持ってきなって。たかだか、ジャージの一枚くらい餞別代わりにやるよ。あと、素足で外出るのはきついだろ? サンダルもおまけで付けてやる」

 

 靴類が詰め込まれたダンボール箱を見つけて、中からサンダルを探し出して、それをかずみちゃんへ放り投げた。

 大きさは合わないだろうが、靴よりはまだマシなはずだ。

 

「……。あきらって頭はおかしいけど、時々優しくもあるんだね」

 

「優しいよ、そりゃ。だって俺、天使だもん」

 

 にっこりと笑顔を浮かべてやると、かずみちゃんは複雑そうな表情で眉を下げた。

 色んな感情が渦巻いているようで最後に何か俺に言おうとしたが、躊躇った後に部屋のドアを開けて出て行った。

 

「じゃあね。さよなら、あきら」

 

 ドア越しで別れの挨拶が小さく聞こえた。

 その後に閉まる玄関のドアの音がして、サンダルのペタペタと軽快な足音が遠退いていく。

 行ってしまったか。

 どうにも嫌われてしまったようだ。気難しい年頃なんだろうな。

 俺は携帯電話を操作してあすなろ市のBUY‐LOTを検索する。

 

「とか言いつつも俺も行く気満々なのでした。あー、ショッピングモールのことだったのか。場所もわりと近くだし」

 

 わざわざ俺が行く理由はぶっちゃけるとあまりないのだが、せっかくここまで来て、俺だけ除け者とか許されない。

 俺が主役。俺こそが世界の要。この世は俺を中心に回っているのだ。

 玩具専用のダンボール箱からスケートボードを取り出す。黒い板に銀色で『Crazy』と達筆気味の書体で描かれている。俺の相棒、クレイジー・(アキラ)・スペシャルちゃんだ。ちなみに文字は俺がペイントした。

 こいつで行こう。この街での一番最初の『お祭り』にはそれなりに楽しみたいからな。

 俺はクレイジー・A・スペシャルを担いで玄関から飛び出して、外へ出る。当然、鍵は掛けておく。泥棒に入られると困るからね!

 

「さて、そんじゃ……はしゃぎますか!!」

 




一話目ですがまだ全然話が進みません。次の話まで待っていて下さい。


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第二話 ダイナミックご来店

 BUY-LOT。公式ホームページサイトによると、あすなろ市で最もナウでヤングでポピュラーなショッピングモールらしい。

 取り合えず、この紹介文を載せた奴とそれを許可した奴はその素敵なセンスの責任を取って一刻も早く死んでほしいところだ。

 俺はそのショッピングセンターの正面玄関からクレイジー・A・スペシャルに乗ってダイナミックご来店を果たす。

 

「そいやあああああ!!」

 

 自動ドアの感度は良好のようで、俺は足止めを食らうことなく店内に入ることができた。まるで店が俺の来店を待ち望んでいたようだ。

 クレイジー・A・スペシャルに乗ったまま、無駄に広い中央のスペースまで滑っていくと、立花の携帯電話のコール音が鳴り響く。

 

「もしもし?」

 

 電話に出るとさっきの合成音声が聞こえた。

 

『トランクハドウシタ?』

 

「あれ? まだ来てないんだ。俺の方が先に着いちまったか、参ったぜ!」

 

 流石、俺のクレイジー・A・スペシャル。女の子の足など簡単に追い抜いてしまった。

 ドヤ顔で自分のスケートボードの速さに満足していると、電話の相手はそれに不満を持ったのか、しばらく無言、いや無音声になる。

 

『…………』

 

「安心しろよ。すぐに来るって」

 

『ソコノベンチノ裏を見ロ』

 

 今度は急に話を変えて、そんなことを言ってくる。俺はそこで何かきな臭いものを感じたが、俺はそれに素直に従う。

 

「ベンチの裏~、エッチな本で俺にあんのか? ……あー、こりゃ何だ?」

 

 そこのベンチの裏に白い布を被された大きな長方形の物体が置いてある。

 君子危うきに近寄らず。しかし、俺は君子ではなく、エンターテイナーであるためにあえて、その物体に近寄って布を取り去る。

 

「うん? こりゃあ……かずみちゃんが入ってたトランク?」

 

 いや、デザインこそまったく同じだが、凹みや傷がない。とすれば、立花が取り間違えた爆弾が入った方のトランクか。

 

『ソノトランクヲ開ケロ』

 

 何だ、こいつ。俺を爆弾で殺す気か? 俺がこのトランクの中身を知らないとでも思っているのか?

 だが、そんな時、こちらの方に近付いてくる三人の女の子が居た。

 その中の一人はかずみちゃんでトランクを持ってこちらに向かって来る。その後ろの二人の少女は当然ながら知らない顔だ。

 片方は紺色のロングストレートヘアの知的な顔立ちの少女。もう片方はオレンジ色のボブカットの活発そうな顔立ちの少女だ。

 

「あきらっ! 何でここに来たの?」

 

 驚くかずみちゃんに俺はにこやかに返す。

 

「君が心配で来てしまったんだぜ、ベイべー」

 

 人差し指を銃のように突き出して、かずみちゃんに向かって撃つ真似をする。

 正直に言うなら、ただ単純に面白半分だけど、それよりこっちの言い分の方が良い男っぽいでそう言った。

 

「うわ!馬鹿なんじゃないの、こいつ」

 

 オレンジ色ボブカットの少女が俺の格好いい台詞を聞いて失礼なことを言う。

 はっきり言って俺の方がこいつよりも頭がいい自身がある。俺はろくに勉強もしなくても去年全国一斉学力テストでトップ10に入ったレベルの学力だし、IQテストでも140の数値を叩き出したほどだ。

 

「この彼がかずみの事を保護してくれた人なの?」

 

 紺色のロングストレートの少女の方は冷静にかずみちゃんに俺の事を尋ねている。

 これはこれで反応として寂しい気がする。もっと俺に食いついて来てくれないと。

 三人とも何か仲が良さそうだったら多分かずみちゃんの友達なんだろう。

 

「うん。そうだけど……ってあきら、そのトランクは?」

 

「あー……」

 

 トランクを開いて、中のものを三人に見せる。

 中にはバスケットボールほどのサイズの球体が入っており、丸っこい大きなボタンと縦長タイマーのような画面が付いていた。

 

「時限爆弾、らしい」

 

「「「……はぁ!?」」」

 

 まったく同じようなリアクションをする三人。本当に仲が良いようで大変宜しい。

 

「その通りよ」

 

 声と共にスーツ姿の女性が俺らの前に姿を現した。

 その後ろには武装した警官隊が十人ほど控えている。

 

「警察よ。動かないで」

 

 見りゃ分かるわ、そんなこと。

 内心で突っ込みながら冷めた目で見ていると、刑事らしき女性は俺に話しかけてきた。

 

「一樹あきら君ね」

 

 まさか、自分の名前を呼ばれるなんて思わなかった俺は少しだけ驚いたが、多分電話の相手が俺のことをリークしたのだろう。

 

「えー……あれは悲しい事故と言いますか」

 

「あなたがこのショッピングモールを爆破しようとしていることはわかっている。少しでも抵抗すれば――あなたを撃つ」

 

 そう言って、拳銃を取り出して俺にその銃口を向けた。

 ……おい、待てや。まるで意味が分からんぞ。

 ていうか、銃を中学生に向けるな。少年法ってこの街じゃ適応されないのかよ。

 しかし、残念ながら刑事さんの顔は真剣(マジ)だし、その後ろの警官隊もそれを止めようとしない。

 

「ちょ、ちょ、ちょ。あの俺、中坊っすよ? ショッピングモール爆破とか意味分からないんですけど?」

 

「あなたは立花宗一郎という人物に唆されて、このショッピングモールを爆破するように頼まれた。その爆弾のことを知っていたのが何よりの証拠よ」

 

 ん? いや、待て、この刑事の発言おかしいぞ。そもそもこの街に来て数時間しか経っていないのに何で俺の名前を把握している?

 怖い顔をして睨む刑事さんのその言葉を聞いて俺は不信に思い、問い返す。

 

「それを言うなら、何で刑事さんもこのトランクに爆弾が入ってること知ってたんですか? それに加えて警官隊まで配備とか……準備が良すぎじゃないですか?」

 

 まるでここで誰かを待ち伏せしていたようなその周到振りがおかしすぎた。

 

「それはここで立花が爆破計画を企てていることを知って、張り込んでいたからよ。君みたいな中学生がその役目を受け継いでいたなんて知ったのはさっきだったけれどね」

 

 いや、それだけじゃないはずだ。ここに来るのは立花のはずだったのだから、俺の名前まで知っているのはおかしい。ひょっとしてあの合成音声の奴とグルか。ただ何かが引っ掛かる。

 ひょっとして、ひょっとすると……。

 俺は自分の中の直感に従い、ボケットの中を弄り、立花の携帯電話の通話記録から上から三番目の電話番号にリダイアルする。

 

「動くなと言ったはずよ!」

 

 その瞬間、電話のコール音がその場に鳴り響く。

 音源は目の前の刑事だ。

 

「なっ……」

 

「ああ、やっぱり、刑事さんが最初の電話相手だったのか」

 

「ちっ」

 

 俺が全てを察するや否や、舌打ちをした刑事さんは拳銃の引き金を引こうとする。

 それを見越していた俺は持っていた時限爆弾を後ろのかずみちゃんたちの方へに投げ、クレイジー・A・スペシャルの裏面を構えた。

 このクレイジー・A・スペシャル、簡易的な鈍器にもなるように裏面には鉄板を仕込んである。備えあれば、憂いなし。

 放たれた弾丸は弾かれて、兆弾する。

 

「おいおい、危ないぜ、刑事さん。アンタ、小学校の通信簿に『頭が悪く隠しごとが下手なので犯罪は止めましょう』って書かれてんじゃないの? なあ、『ボンクラ』」

 

「クソッ……」

 

 俺の挑発に刑事は血相を変えて銃を構え直そうとするが、後ろの警官がそれを止めた。

 

「おい、何やってんだ。相手はまだ子供なんだぞ!?」

 

「怪しい動きをしたから撃ったのよ!」

 

 正直、「もっと早く止めろよ、この税金の無駄遣いども」と思ったが、あの脳みその足らない杜撰刑事に連れて来られるような人員じゃろくなものじゃないなと考えて諦めた。

 その時、後ろから「あーーーー!!」と大きな声が上がる。

 振り返ると、かずみちゃんが青い顔で俺を見る。

 

「受け取った時、押しちゃった……」

 

 タイマーの画面には数字が表示されて、もの凄い速さでその数字は減っている。

 

「ちょっ!」

 

 後ろに三人が居たからキャッチしてもらえるだろうと思い、顔も向けずに爆弾を投げたのだが、それが裏目に出たようだった。

 慌ててかずみちゃんの手から爆弾を取ると最初の状態で三分程度しかなかったようで、残り時間は一分を切っていた。

 この爆弾の規模がどのくらいか分からないが、ちらりと横目で見た刑事の恐怖に歪んだ表情から察するにもう手遅れくさいことが分かった。

 あ、やばい。今度こそ死んだか、これ?

 死の一文字が脳裏にちらついた瞬間、祈るように手を握り締めていたかずみちゃんの耳の鈴の形をしたイヤリングがリンリンと鳴り出した。

 周囲の空間をその音色が包み込む。

 

「!! カオル!」

 

 その音色に何か気付いたような紺色のロングストレートヘアの少女は俺の手にある爆弾を弾いた。

 

「おまっ!」

 

 弾かれた爆弾は移動していたオレンジ色のボブカットの少女の方へ飛び、それを胸でリフティングするように受け止める。

 

「ナイスパス、海香」

 

 そして、受け止めたボールを今度はサッカーボールのように吹き抜けの天井になっている方へと蹴り上げた。

 どうでもいいことだが、この時の二人の台詞により、オレンジ色の方の少女は「カオル」で紺色の方の少女は名前が「海香」だと判明した。本当に、クソどうでもいい。

 打ち上げられた爆弾は回転しながら、飛んでいき、そしてポンと小さな音をさせて弾けた。

 

「……は!?」

 

「え!?」

 

 俺は呆然し、かずみちゃんは驚愕した。

 なぜなら、爆弾が破裂して出てきたものは爆発ではなく、星やハートマークの紙吹雪だったからだ。

 爆弾じゃなくて、くす球だったのか。

 俺はそう思い、刑事の方を見たがまるで彼女はあり得ないものを見たかのような顔になっていた。

 その顔から見るにあれは本物の爆弾だったのだろう。と、するなら……あの電話の奴にすり替えられたと考えるのが妥当だ。

 しかし、俺の直感はそれにノーと言っていた。

 俺の中の第六感は……本物が玩具に変わったのだと囁いている。何の確証もない、アホのような勘だが、俺の勘は今まで一度も外れたことがない。

 ならば、かずみちゃんの鈴のイヤリングの音色が魔法でも起こしたとでも言うのだろうか?

 俺はかずみちゃんを見る。しかし、かずみちゃんの視線は刑事の方を向いていた。

 俺もつられてそちらを見ると、警官隊のほとんどは刑事に対して、「いたずらかよ」「これだから女の捜査は……」などと文句を言いながら撤収していく。それに渋い表情を浮かべて刑事は立ち尽くしている。

 

「あの爆弾……刑事さんが作ったものだよ」

 

 ぼそりと呟いたかずみちゃんの言葉に刑事が弾かれたように振り向いた。

 

「俺もかずみちゃんのいう通りだと思う。っていうか、刑事さんが言ってた立花と連絡して奴が刑事さん本人だから間違いなく、犯人だろうな」

 

 俺の追撃の発言に刑事は表情を歪ませた。

 しかし、こちらに何か言う前にさきほど刑事の凶行を止めた警官隊の一人に肩を掴まれて連れて行かれた。

 爆弾は玩具ということになったが、中学生目掛けて発砲したことは始末書じゃ済まないだろう。下手をするとクビだわな。

 

「本当に済みませんでした。謝って済まされる事ではありませんが……」

 

「本当ですよ。まったく! 俺は殺されかけたんですよ? だから、近頃の警察は税金の無駄遣いって言われるんですよ。市民の血税で買った弾丸を市民に向けて撃つとは信じられませんね」

 

 警官隊の人は丁寧にお詫びの言葉を述べたが、俺は警察が嫌いなのでここぞとばかりに貶しまくった。

 刑事の方も頭こそ下げているもののこちらに対しての罪悪感は感じれない。それどころか薄っすらと俺とかずみちゃんを見上げるように睨んでいた。

 

「何ですか? その目は。申し開きがあるなら聞かせてくださいよ!」

 

「……いえ、本当にすみません。後日、ちゃんとしたお詫びをさせて頂きます」

 

「あー、じゃあ、そうですね。こちらのかずみちゃんを攫った誘拐犯について調べてください」

 

 かずみちゃんに記憶がないことや誘拐されかけていたことを話し、それについて全力を持って調べてもらうように刑事に頼んだ。

 だが、俺はこの刑事が誘拐犯と接触していることには気が付いているのでこの話は自体には意味がない。

 しいて理由をあげるなら。

 

「お願いしますね。名誉挽回してくださいよ、()刑事さん」

 

 にやっと笑って刑事を見つめる。

 その顔には屈辱と憎悪に燃えていた。

 ――単に喧嘩を売るための行為だ。

 こんな下らない事件を巻き起こしたのは恐らくは手柄欲しさといったところだ。妙にプライドが高く、自意識が過剰、けれど迂闊(うかつ)で間抜けなこの女なら確実に俺に復讐しようとするはず。

 俺はそれを迎え撃って踏み躙ってやるつもりだった。

 俺がショッピングモールから出て行く時も刑事は頭を下げて姿勢でこちらを睨み付けていた。




今回はあまりうまく書けなかったです。原作から弄ろうとした結果、ちょっと変な感じになってしまいました。


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第三話 友愛体質

「いやー。ほんと大変な目に合ったぜ」

 

「それ半分くらい自業自得なんじゃないの?」

 

 オレンジ色のボブカットの少女改め、カオルちゃんが俺に悪戯っぽい笑顔を見せてそう言ってきた。

 

「確かに俺がわざわざ来たせいでもあるけど、まさかあんなことになるとは神様でも分かんないって。俺は平和を愛する一般ピーポーなのにさ」

 

「スケーボーの裏に鉄板を仕込んでいるような人がよくそんな事言えるわね」

 

 ポットと紅茶のティーカップをテーブルに運んで来た紺色のストレートロングヘアの少女改め、海香ちゃんも俺に冷めた目で突っ込む。

 酷い。寄って集って俺をイジめるのね! 俺が可愛いからって、そんなことするなんて!

 俺は味方を欲して俺の椅子の傍のソファに座っているかずみちゃんに助けを求める。

 

「助けてかずみちゃん。意地悪な継母と義姉が俺をイジめるの!」

 

「誰が姉だよ!」

 

「ちょっとカオル。それじゃ、私が継母なの!?」

 

 和気藹々(わきあいあい)と仲良くふざけ合っていた俺たちを他所にかずみちゃんは俺を睨み付ける。

 その瞳には不信感と恐怖とがない交ぜになっているのが分かった。

 

「……何であきらがここに居るの? それに二人ともいつそんなに仲良くなったの……?」

 

 かずみちゃんが「ここ」と言いい表した場所は、かずみちゃんとカオルちゃんと海香ちゃんが三人だけで暮らしているこの豪邸のことだ。

 何でも三人は帰国子女で、両親はそれぞれ海外勤務をしているので女の子三人で暮らしているらしい。

 だが、この今俺が居る豪邸は海香ちゃんがベストセラー作家として大成してお金を得て、維持しているとのこと。……どこの漫画の設定だ、そりゃ。

 カオルちゃんの方もショッピングモールでのシュートを決めたことから、分かっていたが女子サッカーをしていてプロに目を付けられているほどの実力だと言う。……お前も漫画のキャラかよ。

 

 あのショッピングモールの事件の後、俺はかずみちゃんは疲れていたのか、ぐっすりとその場で眠りこけてしまった。

 ジェントルマンな俺は彼女を背負って、この家まで送っていくと二人からかずみちゃんが誘拐されかけていたことを聞かせてほしいと頼まれ、ここで二人と話をして親交を深め合っていたという訳だ。

 かずみちゃんが俺のマンションから出て行った時に二人は探していたかずみちゃんと合流したのだそうだ。かずみちゃんは昨日行方不明になったばかりでまさか記憶喪失になっていたとは二人とも知らなかったようでめちゃくちゃ驚いたらしい。

 かずみちゃんは二人の記憶を完全に忘れていたので、三人が仲良く写っている写真を見せて事なきを得たそうだ。

 

「俺ってほら、イケメンだし、天使のように優しいから誰とでもすぐ仲良くなっちまうんだよ」

 

 俺はかずみちゃんに答えながら、入れてもらった紅茶を啜った。

 

「この芳醇(ほうじゅん)な味わい……ダージリンだな」

 

「全然違うわ。アッサムよ」

 

 自信満々な表情で紅茶の種類を言ってみたが、海香ちゃんに即座に否定された。……すごいへこむわ。

 カオルちゃんはそれがツボに入ったようで一人で爆笑していた。

 

「カオルも海香もおかしいよ……何でそんな簡単にあきらを受け入れちゃってるの?」

 

 俺の環境順応能力の高さに恐怖を覚えたらしく、怯えの混じった顔を向けるかずみちゃん。自分が寝ている間に友達が人を殺したことのある奴とこんなに仲良くなっていたらそうもなるわな。

 

「安心しろって。かずみちゃんだって、俺の大事な友達だから。それにしても焼きもちなんてかーわいい!」

 

 椅子から降りて、ソファに近付いてかずみちゃんの隣に座った。

 俺はにやにやと笑みを浮かべて、その頬を触ろうと手を伸ばした。白魚のような指先が俺の手に触れようとする。

 かずみちゃんはそれを拒絶の意思を持って振り払った。

 

「わたしはあなたの事が怖いよ。平然と人の傍に近付いて来るのに何を考えてるのか、少しも分からない。今だって笑ってるけど……何か違う」

 

「違う? 何がだよ? 俺はただ可愛い女の子を口説こうとしてるだけだぜ? 下心100%さ」

 

 怖い目で俺を睨んでくるかずみちゃんにおどけて答える。

 さっきの刑事の件といい、どうやらこの子は感覚が鋭いらしい。そういう子は嫌いじゃないな。

 これはなかなか楽しい遊び相手になってくれそうだ。

 知らず知らずの内に舌なめずりをしている自分がいた。

 

「こら、あきら。かずみにセクハラすんなよ」

 

 言葉と一緒に後ろからカオルちゃんに頭を軽く小突かれる。

 

「いたっ! 何すんのさ?」

 

「今、かずみにセクハラして引かれてたでしょ? 嫌がられてるから止めなよ」

 

 文句を言うとカオルは意地の悪い笑顔で俺にそう言ってきた。

 この子には今のやり取りがそう見えたようだ。明るく元気な分、少し鈍いと見える。

 そこら辺は俺にここまで心を許している時点でお察しだが。

 

「えー、健全な男としての対応しただけなのに……」

 

 僅かに抗議をしつつ、俺はかずみちゃんから離れてソファから立ち上がった。

 

「ごめんな、かずみちゃん。ちょっと悪乗りしちまった。記憶喪失だってのに悪かった」

 

 片手で拝むようにして、ウインクをしながら謝る。

 かずみちゃんは俺に不信感を覗かせたまま、抱きしめたクッションに顔半分を埋めた。

 完全に信用していない様子だったが、ここで俺への不信を喚き立てるほど愚かではないようで少しだけ安心した。

 そんな短絡的な人間はつまらないからな。

 

「じゃあ、俺は可愛い女の子三人とも仲良くなれたし、そろそろ帰るよ。引越しして来たばっかだから荷物をダンボール箱から出さなきゃいけないし」

 

「あら、そうなの。残念ね、これからもっとディープな小説談義をしようと思っていたのに」

 

 俺が帰ろうとすると海香ちゃんは少し残念そうな顔をした。

 こう見えて俺は読書家でもあるため、小説家である彼女とは馬が合った。カオルちゃんや記憶を失う前のかずみちゃんとはなかなかそう言った話ができなかったようで趣味の話相手に飢えてたらしく、好きな小説や作家についての話題を出すと面白いくらい熱く語ってくれた。

 

「ベストセラー作家様とは知識の量じゃ比べ物にならないって。あ、そうだ。せっかくだからメアドと番号、交換しようぜ」

 

 自分の携帯電話を取り出して見せると、二人は快く俺とメールアドレスと携帯番号を教えてくれた。

 無用心極まりない。年頃の携帯電話の番号がどれくらい価値があるものか理解できてないらしい。

 そんなことをしていると、俺らが今居るリビングにある固定電話が鳴り出した。固定電話に一番近かったカオルちゃんが電話に出る。

 

「ああ。あの時の女刑事さんですか」

 

 どうやら電話相手はあの刑事だったらしい。この家に電話ということは誘拐犯についての話だろうか。

 だが、奴と刑事はグルのためにその電話は無意味だ。

 

「え? かずみを攫った誘拐犯の事について何か分かった? はい。ええ、そうですね。あきらも今、家に居ますけど……あ、はい。分かりました」

 

 俺の方をちらちら見ていたカオルちゃんは電話を切って、こちらに話しかけてくる。

 

「刑事さんがせっかくだからあきらにも来てほしいってさ」

 

「俺も?」

 

「うん。できたら三人で来てほしいって。あきらにはお詫びもしたそうだよ」

 

「三人? かずみちゃんは来なくていいのか?」

 

「記憶喪失の子を外に連れ出すのは良くないって言ってたよ。まあ、昨日の今日で行方不明だったからね。心配するのも分かるよ」

 

 それは妙だな。普通ならかずみちゃんが当事者なんだから、俺はともかく彼女を呼ばないのはおかしい。

 さらに俺がそこに居るかとわざわざ確認したのも引っ掛かる。

 まるでかずみちゃんを一人にしたいような…………ああ。なるほど、そういうことか。

 刑事の企みが読めた。あの刑事が短慮すぎるのか、それとも俺が天才すぎるのか。

 多分、両方だろうな。

 

「いや、俺はこの家に二人が帰って来るまでここで待ってるよ。ていうか、記憶喪失の女の子、一人置いてとく訳にもいかないだろ? まだ誘拐犯も捕まってないんだし」

 

 むしろ、客観的に見れば、今日出会ったばかりの男を記憶喪失の女の子と一緒にしておく方が問題なのだが、俺にすっかり心を開いてしまった二人はあっさりと許諾した。

 

「分かった。じゃあ、留守番お願いね。……かずみに手を出したら承知しないよ」

 

「戻って来てかずみが傷物になっていたら、去勢するからね」

 

「しないしない。俺だって分別は弁えてるって。だから、番犬役安心して任せたんだろ?」

 

 二人の酷い言いようもさらりと受け流し、俺はにこにこ手を振って玄関先で見送った。

 当のかずみちゃんは二人の異様な俺の信頼っぷりに怯えて固まっている。

 玄関の扉が閉まって、数秒間。俺とかずみちゃんはお互い無言で扉の方に顔を向けたまま、玄関先に(たたず)んでいた。

 先に沈黙を破ったのは俺の方からだった。

 

「かずみちゃん。一つ言っておくわ」

 

「な、何?」

 

 俺に警戒してかずみちゃんは僅かに声を揺らした。微妙に距離を取り、いつでも逃げられるように構えている。

 

「刑事さんの狙いは多分、アンタだ」

 

「え?」

 

「かずみちゃんをわざと一人にして殺すつもりだ。それが終わったら今度は俺だろうけど」

 

「……爆弾魔の正体を知ってるから、だね」

 

「理解が早くて助かるねー。きっと、その内ここにやって来るぜ」

 

 俺やあの二人を呼び出したのはこの家に来てかずみちゃんを口封じするためだ。その後は居なくなったかずみちゃんを探すためにとか言って俺を呼び出すつもりなのかもしれない。

 どっちにしても杜撰アンド間抜けな計画だ。死体処理の方法によほど自信でもあるのか分からないが、あんなのが警察やっていると思うと世も末だと思う。

 かずみちゃんは俺の話を聞いて真面目な顔を作っていたが、その途中で聞き覚えのある大きな腹の虫の鳴き声を響かせた。

 

「……お腹空いた」

 

「そうだな。もう夕飯の時間だからな。ピザでも取る?」

 

 能天気な俺たちは目先の危険よりも空腹の方が重要だった。

 

 

 

 記憶喪失って何だろう?

 俺はテーブルに座った状態で本気でそう悩んでいた。

 キッチンからはリズミカルな包丁の音と鍋がぐつぐつと茹る音が聞こえてくる。

 次第に鼻腔に美味しそうな匂いが運ばれて来て、一層空腹感を煽ってきた。 

 俺は無心でレタスを引きちぎり、プチトマトをパックから取り出してサラダを作っている。

 メインの料理を作っているのは――。

 

「お待たせ。美味しくできたよ」

 

 全ての記憶を失っているはずのかずみちゃんだった。

 ……おかしなくないか、これ? 記憶がないのに料理って作れちゃうもんなの?

 テーブルへやって来た皿にはビーフストロガノフとライスが乗っている。とても旨そうだった。

 うん。記憶がどうとはどうでもいいよね。重要なのは目の前にある料理が旨そうかどうかだ。

 

「記憶喪失でも料理ができる子、万歳」

 

「……何言ってるの?」

 

 俺は戸惑っているかずみちゃんを無視して、スプーンを掴み、ビーフストロガノフへと魔の手を伸ばした。

 いざ、食事タイム! 食わせて頂くぜ。

 その時、「ピーンポーン」とインターホンのチャイム音が鳴った。

 俺とかずみちゃんはそれを聞いて顔を合わせる。

 そして、聞こえなかった振りをして、スプーンでビーフストロガノフを掬う。

 

「こら!」

 

 ぽかりと頭を殴られて、スプーンを取り上げられる。ああ、俺のビーフストロガノフ……。

 仕方がないので諦めて席から立ち、壁に取り付けられているインターホンの画面を見る。 やはりというか、当然というか、そこにはあの刑事の姿が映し出されていた。

 

「やっぱ来たよ。どうする?」

 

「家に上げるよ」

 

「マジかよ……。無視しようぜ。そして、夜明けまで待ち惚けさせようぜ」

 

 俺の素晴らしき提案を華麗に無視して、かずみちゃんは玄関の方へ向かい、刑事を家へと迎え入れた。

 自分の命を狙う刺客を見す見す中へ引き入れるとはなかなか剛毅な女の子だ。気に入った。家に来て俺をファックする権利をやろう。

 

 俺たちに目的を勘付かれているとも知らない刑事は「海香ちゃんたちとは入れ違いになっちゃったみたいね」と白々しく言っていたが、俺に気付いて僅かに表情を歪めた。

 

「あきら君……あなたも一緒に行ったんじゃなかったの……?」

 

「いやー、それが留守番頼まれちゃいまして。でも、良かったっすわ。こうやって残ってたおかげで入れ違い(・・・・)にならなくて」

 

「……そうね。本当によかったわ」

 

 爽やかな笑みを浮かべてやると、対照的に刑事は苦虫を潰したような顔になる。

 これで俺に計画を邪魔されるのは二度目になるのでさぞや鬱憤が溜まっていることだろう。ざまあみろ。

 

「ささ、刑事さん。今、ちょうど俺ら飯時だったんすよ。刑事さんもご一緒にどうですか?」

 

 刑事をテーブルの方へ案内する。かずみちゃんもそれに黙ったまま付いてきた。

 三人が席に着くと、湯気の立つビーフストロガノフを口に入れる。濃厚なスープがご飯と絡んで食欲をそそる。

 旨い。本当に絶品と言ってもいいくらいの味だ。腹が減っていることを差し引いても、今まで食べた料理の中でトップ10には食い込んでくる旨さだ。刑事ですら「おいしい」と小さく言葉を漏らしているほどだった。

 そんな料理に舌鼓(したづつみ)を打っていると刑事が俺に謝罪し出した。

 正面に座っている刑事に目を留め、俺とかずみちゃんは一時食事を中断する。

 

「あきら君、今日は本当にごめんなさいね。あの時は爆弾の事もあって焦っていたから、発砲してしまって」

 

「気にしないでくださいよ。それだけ範囲の広い爆弾を作ったんでしょ? だったら、慌てるのも無理ないっすよ」

 

 ぴしりと今までの和やかな空気に皹が入る。

 しかし、刑事はなおも取り繕うと笑みを浮かべようと無駄な努力をする。

 

「やだ……私が爆弾を作ったっていうの? かずみちゃんもそう言っていたけど、二人ともよほど私を悪者に仕立て上げたいみたいね」

 

「そう。だから試したの」

 

 刑事の言葉に返したのは俺ではなく、かずみちゃんだった。

 なので俺は彼女に後は任せて一人黙々と食事を再開した。ああ、ビーフストロガノフおいしいんじゃ~。

 

「私たちが食べてるこれ、『アクトウワカルガノフ』っていう食べた人の善悪が分かる料理なの」

 

「……何を馬鹿な事を」

 

 二人が話している中、俺は料理を食べ終えて、キッチンへ行って鍋から勝手におかわりをした。

 そして、何食わぬ顔でテーブルへ戻り、シリアスな雰囲気を無視して食べ始める。

 

「じゃあ、どうして刑事さんはあんな早く現場に来たの? どうしてあきらを撃ち殺そうとしたの? どうして海香とカオルをおびき出したの?」

 

「……」

 

 刑事はスプーンを持ったまま、硬直したように俯く姿勢で固まった。

 かずみちゃんは追撃の台詞をさらに与える。

 

「あれ、もう食べないの? 正体がばれちゃうから?」

 

 意外に鬼畜な一面に俺はちょっと興奮しながらもスプーンを動かす。こういう女の子に責められるのもアリだな。刑事が羨ましい。 

 

「黙りなさい……」

 

「本当は刑事さんが手柄を立てるために爆弾を作って、立花って人に押し付けた。でも、それをあきらが台無しにしちゃったから、今度はあきらに罪を擦り付けた」

 

「うるさい――」

 

 刑事はかずみちゃんを黙らせようと叫ぶが、笑顔を浮かべて喋り続ける。

 探偵のように淡々と話すかずみちゃんは決定的な結論を述べた。

 

「それをわたしたちに勘付かれたから会いにきたんでしょ? ――殺すために」

 

「黙れって言ってるでしょう!!」

 

 思い切りテーブルに手を叩き付けた刑事は、ビーフストロガノフを床に落とした。皿が割れる嫌な音が聞こえ、ひっくり返ったビーフストロガノフは床を汚した。

 もったいない事するな。もったいないお化けに襲われても知らんぞ。

 そう思いながら、自分の皿からスプーンを静かに口に入れる。

 

「魔法の料理なんて、ふざけるのは止めなさい!」

 

 誰も魔法とは言ってないだろう。この刑事、メンヘラか?

 かずみちゃんは一瞬だけひっくり返った皿を見て、酷く冷たい目をした後、また柔らかな笑顔をする。

 この落差がかずみちゃんの魅力だな。

 

「流石刑事さん。それはただのビーフストロガノフだよ。でも残念。証明されちゃった。――あなたが悪人だってこと」

 

 刑事はかずみちゃんから滲み出す凄みに当てられてか、言い当てられたことによる精神的ダメージを受けててか、顔から汗を垂らしている。

 笑顔を嘘のように消したかずみちゃんは怖い顔で刑事を糾弾する。

 

「物語の中ではね、御飯を粗末にあつかう奴は生きてエンドロールを迎えることはできない――本当の悪人なんだよ!」

 

 その理屈でいくとおかわりまでした俺は善人の中の善人、(スーパー)善人ってことでいいのか?

 金髪になって髪が逆立った自分の姿を想像していると、刑事はテーブルに乗っていたナイフを掴み、身を乗り出してかずみちゃんを刺そうとする。

 

「食事中にはしゃがないで下さりませんか? お客様」

 

 テーブルの下に隠してあったクレイジー・A・スペシャルを取り出して、刑事の側頭部を思い切り殴り付けた。

 鉄板の仕込んである裏面でフルスイングしたので、気持ちいいほどの手応えを感じた。

 

「うがっ」

 

 かずみちゃんばかりに意識が行っていたせいで、俺からの攻撃をもろに受けて吹き飛んだ。その際に近くにあった固定電話を巻き込み、床に勢いよく叩き付けられてしまった。……やばい。壊したかもしれない。

 クレイジー・A・スペシャルを肩に担ぎ、空いた手でビーフストロガノフを口に運びながら、倒れた刑事を見る。

 あれだけ頭にもろに食らったら普通の人間は立つことすら出来ないのだが……。

 

「かずみちゃんの言う通りよ。女が警察でのし上がるにはね、手柄が要るの。立花がBUY-LOTの経営者に騙されて店と土地を奪われて、復讐に駆られ、爆弾を求めている情報を教えてくれた優しい人が居たの。私はそれに乗っかった……そこのあきら君に台無しにされちゃったけどね」

 

 まるでゾンビのようにぬるりと仰向けの体勢から不自然な動きで立ち上がる。どういう背筋してるんだ、この刑事。ぜひともその無駄な筋力を生かして筋肉番付にでも出ていてほしいところだ。 

 

「ベラベラとよく喋るな。火曜サスペンス劇場か、アンタは」

 

 とは言え、立花にそんな悲しい過去があったとは……やはり現世と関わりを絶ってあげたのは正解だったな。

 それにしても情報提供者がいるのか……電話のあいつのことか?

 俺がそれを聞く前に刑事はまた口を開く。

 

「情報だけじゃないわ。そいつは力をくれた。……決して証拠を残さず、人を殺す事のできる力をね」

 

 一瞬、厨ニ病でも発症したのかと蔑みかけたが、次第に刑事の身体に起こる異変に気付き、目を見開いた。

 シルエットが歪み、身体のパーツが人間から遠退いていく。まるでホラー系のクレイアニメのワンシーンのようだった。

 

「う……嘘~~~~~~!?」

 

 俺の傍に居たかずみちゃんはその異様な光景に涙目で絶叫した。

 俺たちの前に姿を見せたのは――三メートルを越す巨大なカマキリの化け物だった。

 ……近頃の女刑事はイジめすぎると、カマキリになるのか。知らなかった。




次には魔法少女が出る予定なので安心してください。
それにしても、思ったより原作沿いの構成になってしまいました。次第にあきら君のせいで原作から解離していくはずなのでしばらくお待ち下さい。


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第四話 魔法少女と邪悪なドラゴン

 巨大なカマキリの化け物が目の前に居る。数秒前まであの愚かで間抜けな女刑事だった存在だ。

 頭部の形状には人間だった時の名残が残っており、複眼ではない哺乳類の眼球のままで、目の付き方もやや斜め気味だが、ちゃんと前を向いている。

 頂頭部からは馬鹿みたいに大きな触覚が兎の耳のように飛び出ており、それが昆虫らしさを必死で演出しているように見えて滑稽だった。

 よく観察すれば六本の足の最上段の一対は鎌だが、中段の一対は普通に人間の手と同じ構造で、下段の部分はハイヒールになっていた。

 全体的に生物感を残しているが、どちらかというと生々しいカマキリというよりはデフォルメされた感じが強い。

 カマキリの化け物と化した刑事はその大きな鎌を、冷静に観察していた俺目掛けて振るって来る。

 

「ちっ……訳が分からないぜ」

 

 俺はとっさにクレイジー・A・スペシャルを楯にして防ごうとした。

 だが、容易くまるでナイフでバターでも切るように俺のクレイジー・A・スペシャルは中央からすっぱりと斜めに切断され、上半分の『Crazy』のペイントの「Cr」と書かれた方が無残にも床を転がった。

 残った下半分は中に仕込んであった鉄板が見事な断面を俺に見せてくる。

 

「俺のクレイジー・A・スペシャルがぁ……!!」

 

 ただでさえ高いスケートボード俺専用に改造したせいで、金額に換算すれば五万以上の損害だった。

 しかし、お気に入りの玩具だったので金銭的ダメージよりも精神的にショックだった。

 悲しんでいる俺の腕をかずみちゃんが掴んで引っ張ってくる。

 

「ぼーっとしないで、あきら! このままじゃ、わたしたち二人ともあの化け物に殺されちゃう!」

 

 俺が突っ立て居た場所に先ほど振り抜いた鎌とは逆側の鎌が振り下ろされ、床に大きな穴を開けた。

 それを見て正気に返ると、俺はかずみちゃんにお礼を言う。

 

「ありがとう、かずみちゃん。ここを無事に切り抜けれたら結婚しよう!」

 

「記憶ないからよく分かんないけど、それ言ったら死んじゃうやつじゃないの!?」

 

 無駄に死亡フラグを立ててみた。男として一度は言ってみたかった台詞なので結構満足した。

 だが、馬鹿なことを言っていると終いには本当に死んでしまうので、カマキリの化け物から距離を取りつつも真面目にどうするべきか頭を回す。

 なぜ奴は化け物に変わった?

 どういう原理に基づいた肉体変化だ?

 『力』をもらったって言っていたが、それをくれた奴は何者だ?

 ポケットから突如として鳴り響く携帯電話のコール音が思考を遮断する。

 クレイジー・A・スペシャルの残骸を未練たらしく小脇に抱えた状態で、かずみちゃんに手に掴まれている手を離してもらい、携帯電話を取り出した。

 

「くっ……この大事な時に! はい! もしもし! 一樹ですけどっ!?」

 

『あきら? どうしたの、声を荒げて。家の電話に掛けたんだけど繋がらないんだけど、何かあった?』

 

 相手を確認せずに電話に出たが、電話の向こうの声はカオルちゃんだった。

 

「あの女刑事に殺されそうになってんの!!」

 

『はぁっ? 確かに刑事さん来なかったけど……かずみは無事なの!?』

 

「かずみちゃんは……」

 

 一応無事と言おうとしたところで、カマキリの化け物が床から引っこ抜かれた鎌の側面部分でかずみちゃんを殴り飛ばす。

 窓際のガラスをぶち破り、かずみちゃんは脇腹辺りに衝撃を食らっ様子で庭へと吹き飛んでいく。

 

「庭に吹き飛ばされたわ」

 

『はぁ!? ちょっとま……』

 

「じゃあ、立て込んでるから切るな」

 

 通話を一方的に切り、カマキリの化け物の方を向く。

 カマキリの化け物はとにかく、かずみちゃんの方から殺すことに決めたようで庭へと出て行った。

 あれ? これは俺だけなら玄関から逃げられるんじゃね?

 カマキリの化け物の注意がかずみちゃんに向いている今の状況ならそれは十分に可能だ。

 だが、こんな面白い状況で逃げるのも(しゃく)に触れる。

 何より、俺を無視するというのが気に食わない。俺は無視されるのが一番嫌いなのだ。

 

「主役は俺だぞ! この虫けらが!!」

 

 クレイジー・A・スペシャルの残骸を外へ放り投げると、庭へ出てかずみちゃんを襲うカマキリの化け物の背に助走を付けて、飛び蹴りをかます。

 

【挿絵表示】

 

「おらあっ!!」

 

 カマキリの化け物の身体は存外硬く、手応えはほとんどと言っていいほどなかった。 

 

『ぐ、邪魔だああああ!!』

 

 不快な雑音の混じったような声を上げて、背中を蹴った俺を鎌で切りかかるが、鎌のリーチが長すぎたせいでほぼゼロ距離に居る俺にはうまく当たらなかった。

 しかし、俺の全力の蹴りも注意を逸らす程度にしかならないとなると、倒す手段は見つからない。

 バク転して後ろへと逃げ、距離を取りながら、先に飛ばされたかずみちゃんに近付く。

 

「大丈夫? 生きてる? 生命保険入ってる?」

 

 直接鎌の刃で切られた訳ではないため、切り傷はないが腹に鎌の側面で殴られたせいで腹を押さえて苦悶の表情をしている。

 なぜか、彼女の耳に付いた鈴のイヤリングがリンリンと音を鳴らしていた。

 

「どうしたの? そんな風鈴みたくリンリン音出してる場合じゃないって」

 

「うう……何これ、頭の中に映像が」

 

 今度は腹部ではなく、頭を押さえ出したかずみちゃんにどうしたものかと思案する。

 だが、あの昆虫刑事はそんな暇すら待ってはくれない。

 

『耳障りだ……耳障りだあああああああ!!』

 

 カマキリの化け物はこちらに向かって突進をしかけてくる。仕方なく、俺はかずみちゃんを諦めて、即座に回避した。

 かずみちゃんを中段の手で掴み上げると、耳に付いた鈴のイアリングの奏でる音がそれほど気に食わないのか、引きちぎろうとした。

 

「は……な……せ……」

 

 必死に抵抗するが腕力の差が如実に表れ、為す術もなくイヤリングを掴まれる。

 

「汚い手で触るんじゃない!!」

 

 獰猛な獣ように顔を歪めてかずみちゃんは叫びを上げた。一際大きく鈴の音が鳴り響く。

 そして、かずみちゃんの格好が俺の上げたジャージから、瞬時に別の衣装に変わっていた。

 黒い魔女のようなとんがり帽子に、首筋や胸元、腰回りが露出したコスプレ衣装のような格好。それに十字架のような杖を握っている。不思議とそれが酷く似合っていた。

 衣装の変わったかずみちゃんはカマキリの化け物の腹を蹴り飛ばして離れると、自分の格好が様変わりしていることに気付いた。

 

「お? お? なにこれ、なにこれ!? かーーわ~~い!!」

 

 能天気に喜びを見せ、その場をくるくると回る。

 カマキリの化け物はそれが気に入らなかったようでかずみちゃんに声を上げながら接近する。

 

『ふざけるなぁ!!』

 

 その意見には同意したいが、カマキリの化け物に変身する刑事も同じくらいふざけていると思う。

 取り合えず、俺はやることもないので完全に観戦モードへと突入していた。テーブルの上にあるビーフストロガノフを取ってこようかとわりと本気で考えていた。

 カマキリの化け物は振り上げた鎌を振り下ろす。

 

『死ね!』

 

「いやーーーーン!!」

 

 情けない台詞とは裏腹に持っていた十字架の杖で鎌を平然と受け止めた。

 うまく力の流れを利用して受け流し、鎌を逸らして転がした。相手の力を利用して体勢を崩させるのは合気道に通ずるところがある。

 素人の受け流しとは思えない。棒術の心得でもあったのだろうか。

 転げたカマキリの化け物は再び、体勢を立て直すと今度はその口を開いて、かずみちゃんに噛み付こうする。

 

『かあああああ!!』

 

 意外にも人間と同じ歯の並び方をしているのに俺は少し感動を覚えた。それにしても歯並びいいな、カマキリ刑事。

 

「身体が覚えてる……感じる、この(たかぶ)りは……」

 

 迎え撃つかずみちゃんは十字架の杖の先を向ける。

 

「今だッ!!」

 

 十字架の杖から眩い光が湧き上がり、前方へと噴き出した。

 避けられない距離で吹き荒れる光の波がカマキリの化け物を軽々と飛ばした。

 

『ぎゃああああああああああ!!』

 

 喧しい悲鳴を上げて、後ろにごろごろと飛ばされると身体から煙を出してカマキリの化け物は倒れた。

 煙が晴れた後は、元の刑事が仰向けに倒れていた。

 あれでやられるのか。殺されかけたからその危険さが身に染みて分かるが、このシーンだけ見るとあまり脅威には見えない。

 

「あきら。わたし、魔法が使えるみたい」

 

 あっさりとカマキリの化け物を刑事に戻したかずみちゃんは振り返るとそう伝えてきた。

 

「みたいだな」

 

「何それ。もっと驚かないの?」

 

 俺の反応が平坦過ぎたせいで不満そうにする。

 

「刑事がカマキリになる世の中だぜ? そりゃかずみちゃんが魔法少女にもなるさ」

 

 そうあっけらかんと答えるとかずみちゃんも思い出したように倒れた刑事を見た。自分のことで頭が一杯だったらしく一時忘れかけたようだ。

 俺は刑事の方へ近付くとすぐ傍に何か小さなものが落ちていることに気付いた。

 手に取ってみると、下から曲がった針の生えた楕円形の物体だった。植物の種子を模した変わったデザインの装飾品にも見える。

 刑事がカマキリの化け物に変身したのと関係があるのだろうか。取り合えず、そっとポケットの中に回収した。

 

「かずみーー!」

 

「無事なのーー!?」

 

 カオルちゃんと海香ちゃんの声が外からこちらに向かう足音と共に聞こえる。どうやら、あの電話の後すぐに家へ向かっていたようだ。

 

「カオル! 海香!!」

 

 かずみちゃんは二人の声を聞くと嬉しそうに向かって走って行ってしまった。

 

「……チッ」

 

 小さな舌打ちの音が聞こえ、俺は聞こえた方角を向くと屋根の上に金髪のツインテールの少女が居た。

 暗かったせいもあるが、帽子を目深に被っているせいで顔はよく見えない。だが、ミニスカートから覗くピンクと白のストライプのニーソックスは大変眼福だった。

 そのツインテールの少女は俺の視線が合う。

 ……こいつだ。こいつが刑事に力を与えた『情報提供者』だ。そして、かずみちゃんを攫った誘拐犯でもある。

 ほんの僅かな間見つめあった後、ツインテールの少女は俺に背を向けて去って行った。

 俺は彼女の消えた屋根の上をしばらく眺めた後、庭に転がった刑事を見た。

 

 

 

 かずみちゃんたちとは別れも告げずに、俺はこっそりと刑事を負ぶって連れ帰った。

 流石に気絶した成人した女性を背負って、見つからないように帰るのは至難の業だったが、体力や筋力に自信のあるおかげでどうにかなった。丈夫に産んでくれたママには感謝だ。

 意識を未だ取り戻していない刑事を浴室に運び、手足をロープで縛る。

 口には猿轡(さるぐつわ)を嵌め込んだ後に頬を思い切り引っ叩いた。ちなみに猿轡というのはギャグボールとも言われ、主に用途はエロ目的で使われるグッツである。

 

「ッ!! ……むぐ!?」

 

 衝撃により意識を覚醒させた刑事は自分の状況を知り、混乱したように暴れ出す。

 しかし、身体は手足はしっかりと縛り付けてあるので芋虫のように身体(よじ)るだけで何もできなかった。

 

「おはよう。刑事さん」

 

「むぐ……ふぐ……!?」

 

「何言ってんのか全然分かんない。日本語で頼むわ」

 

 刑事は俺を確認すると放してくれと言うように頼む目をしたが、伝わらなかった振りをして薄く笑った。

 か弱い子供を殺しかけるようなしょうもない人間のクズのくせに自分が酷い目に会うのは怖いと見える。

 俺は刑事に分かりやすいようにこれから行うことの概容を説明した。

 

「刑事さん。これから、俺は刑事さんにいくつか質問をする。イエスかノーで答えられる簡単な質問だ。イエスなら首を縦に振って、ノーなら首を横に振ってくれ。ちゃんと答えてくれなかった場合はペナルティがある。……分かった?」

 

 刑事は俺の話を聞いていないようで「逃がしてくれ」とばかりにもがく。本当にこの刑事は頭が悪い。この年齢で刑事になっているのだからキャリア組なのだろうが、こんなのがエリートだとは思えない。

 

「駄目だよ、刑事さん。ちゃんと答えてくれなきゃ。じゃあ、ペナルティね?」

 

 俺は猿轡の中央のボール部分を外した。口にはボールの外側の輪っかだけが残り、『穴』ができる。

 本来の使い方はここに男の象徴を突っ込むのだが、俺は風呂場の蛇口に接続したホースを取り出して、『穴』に奥まで差し込んだ。

 そして、蛇口のレバーを(ひね)ると、ホースを通って大量の水が刑事の口の中に流れ込んで行く。

 

「ほご……ふが……」

 

 雪崩れ込んでくる水が刑事の顔を膨らませて、頬袋の餌を詰め込んだハムスターのような顔になる。鼻や唇の端から水が漏れ出し、目からは涙を流して苦しんでいる。

 縛られた足を床に叩き付けて、もがき苦しむ刑事。滑稽極まりない姿に俺は笑いをこぼす。

 もう少し見ていたいが死なれたら、困るので蛇口のレバーを閉めてホースを抜いた。

 

「今体感してもらったとおり、俺の言うことを守らないとホースを『ちゅぱる』ことになる。どうする? ちゃんと答える気になった?」

 

 水を飲み込み過ぎたせいで泣きながら、ぐったりした様子で(むせ)ている。

 ちゃんと俺の話を聞いているのだろうか?

 

「ちゅぱりたい?」

 

 ホース片手に尋ねると、突如勢いよく首を振った。一応は話は聞いているらしい。

 良かった良かった。流石に今水を流し込んだら確実に死ぬからな。

 

「じゃあ、最初の質問。刑事さんがあの化け物変身した力ってのはこれ?」

 

 ポケットからさっき回収した楕円形の装飾品を見せる。

 刑事は目を見開いた後、早く答えないとペナルティをされると気付き、急いで頷いた。

 なるほどなるほど。やっぱり、そうか。

 

「二問目の質問。これをくれた奴の名前、連絡先等のこと知ってる?」

 

 首を横に振る。

 くれた相手のことはよく知らないらしい。まあ、この刑事はそれほど信用されていなかったのは何となく分かっていたので、この答えは予想していた。

 

「三問目。これの使い方は分かる?」

 

 今度は首を縦に振る。

 本命の質問だったので内心でガッツポーズを決めた。

 これだよ。この質問の答えを待ち望んでいたのだよ。

 猿轡を外して、俺は刑事に聞いた。

 

「第四問目。なら、これはどうやって使うんだ? 言葉で教えてくれ」

 

 押し黙った後に刑事は静かに答えた。

 

「……額にそれを押し当てるんだ。私はそうあいつにしてもらった」

 

「嘘だったら、ちゅぱらせるからな?」

 

「嘘なんて吐かない! ……だから、もう私を解放してくれ」

 

 水をたらふく飲まされたせいで心が折れているのだろう。もう、俺に逆らう気は微塵も感じられない。

 それなら、信じてもやってもいいだろう。

 俺は言われた通りに額に楕円形の装飾品を押し合えてた。

 すると、ずるりと頭の中に吸い込まれるようにそれは消えていった。

 突然、心の中に何か不可思議な感情が押し寄せてくる。怒り、憎しみ、悲しみ、嘆きその他諸々の負の感情が流れ込み――そして。

 俺の身体が形状を変え始める。

 両手はびっしりと鱗に覆われ、鋭く伸びたカギ爪が生え出す。

 

「ひぃ……ッ!!」

 

 刑事は自分のことを棚に上げて、俺の異形化に悲鳴を上げる。

 俺はそれを無視して風呂場の正面にある大きな鏡で自分の姿を見た。

 そこに映ったのは真っ黒い鱗の鎧に覆われた竜だった。口元には鮫のように鋭い牙が並んでいる。背中には蝙蝠のような大きな翼まで生えていた。

 

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 ドラゴンか。確か、キリスト教的世界観では蛇は悪魔の象徴であり、霊的存在を意味する翼が加わることで、天使の対としての悪魔を意味する。

 そして、堕ちた天使、ルシファーの象徴でもある。うむ。天使である俺の精神とは真逆の見た目だ。

 だが、力が手に入ったのだから、贅沢は言ってられない。

 

『それじゃ、刑事さん。最後の質問だ』

 

 元の俺の美しい声とは思えない、低く歪な声が喉から出る。

 

「な、何……?」

 

 俺から少しでも離れたいのか、身体を震わせてながらも這い蹲って逃げようとする。

 

『用済みのアンタを俺はどうしようと思ってるか分かる?』

 

「そ、そんな……い、いや……助け……」

 

『いただきまーす』

 

 竜の姿になった俺は自分の口を大きく開いて、目の前の『餌』に齧り付く。

 くぐもった悲鳴は口の中で途絶え、浴室には小枝の折れるような音と汁気の多いガムを噛むような音だけが響いた。

 肉はもちろん骨までも簡単に噛み千切れ、少々物足りなさを感じながら、俺は初めて人肉を食す。

 最後まで食べた感想は人間って、食べるには不向きな生き物だということだった。

 しかし、欠片も残さずに綺麗に食べきった俺はきっと『御飯を粗末に扱わない、生きてエンドロールを迎えることができる本物の善人』なのだろう。

 

『あすなろ市。良い街だ。好きになっちまったよ』

 

 俺はこれから起こる出来事に胸を躍らせて、楽しげに笑った。




ようやく原作一話が終わりました。
主人公のあきらもようやく力を手に入れて、物語は面白くなっていくでしょう。

『怪物に襲われ、魔法に触れ、不思議な力を手に入れた』と書くと、あきら君がまるで王道ものの主人公みたいに聞こえますね。


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第五話 歪んだ理由と新たな少女

 ある日、気付いた時から空しかった。

 俺は自分が満ち足りた人間だと六歳の時に知った。

 由緒正しき昔からの財閥の当主でとても頼りになるパパ、元映画女優で惜しみない愛を注いでくれた美人のママ。

 欲しいものはよほどおかしなものでもない限り、湯水のように与えられた。漫画も玩具もゲームも一言欲しいと言えば、次の日には当然のように部屋に置いてあった。

 有名人やスポーツ選手に会いたいと言えば、数日も経たずに本人が会いに来てくれた。

 行きたい場所を言えば、長期の休みには必ず連れて行ってくれた。

 客観的に言えば、俺ほど物質的、精神的双方において恵まれた人間は居ないとさえ思う。

 ――だから。

 だから、俺は人生に空しさを覚えた。

 俺は何かを願った瞬間にはそれが意図も容易く叶ってしまう。

 これは無理だろうと、思ったことは一度もなかった。

 許され、認められ、与えられた。

 俺の中で「願いごと」とは単なる頼みのようなもので、「夢」とは親に言えば叶ってしまう用件でしかなかった。

 俺はずっと飽き飽きしていた。世界のつまらなさに。

 空っぽで、薄っぺらくて、軽い、俺の満たされ過ぎた日常に。

 そんな時に一人の少年と話をした。名前はよく覚えていない。……確か、ゆうきまことだか、ゆうたまさおだか地味な名前をしていた。

 幼稚園次第からの知り合いだったが、母親が亡くなっていたことが原因で虐められていた。階段から突き落とされたり、虫の死骸を給食に入れられていたところを何度目撃したことがあった。

 他のクラスメイトも問題を表沙汰にしたくない日和見な教師にも見放され、鬱屈とした生活を送っていた彼だが、ある時驚くほど楽しそうな顔をして学校に来た。

 気になった俺がそれを尋ねると、彼は仲良くなった子猫のことをとても嬉しそうに話してくれた。

 それを聞いた俺は、少し考えた後にそのことをイジめっ子たちに教え、唆して、殺させた。

 黒いビニール袋に詰め込まれて、サッカーボールのように蹴られ、|なぶり殺させたのを覚えている。

 理由はなかった。強いて挙げるなら、大切なものを奪われた彼の顔が見たいという欲求くらいだ。

 『大切なもの』が存在しない俺に、失うことでその価値の重さを見せてもらいたかった。

 殺して顔中に画鋲を突き刺した子猫を彼の靴箱に詰め込んだ後、イジめっ子たちと隠れて彼がそれを確認するまで待った。

 彼は靴箱に入ったそれを見て、彼はとびっきりの絶望に満ちた表情を見せてくれた。

 俺はその時初めて心の底から笑った。

 生まれて初めて『楽しさ』を知った。

 飽き飽きした世界に光が満ちた。

 希望が見えた。

 彼は絶叫を上げて、傍に居たイジめっ子の一人に飛びかかり、拳で滅多打ちにした。俺と一緒に笑っていたそいつが涙と鼻血を垂らしながら助けを求めるのもまた最高に笑えた。

 他人を絶望に突き落とすのも、苦悶に歪んで命乞いをする顔を見るのも楽しくて楽しくて仕方がなかった。

 それが俺の原体験。最初に味わった幸福の記憶。

 その時に俺は自分の幸せがどこにあるのかを知ったのだ。

 俺に幸せを教えてくれた彼はその後引っ越してしまったので、今どこで生きているのか知らないが、もしも出会えたら感謝の言葉を述べたい。

 彼が居なかったら俺は空虚な人生を歩んでいただろうから。

 その後、小学校、中学校に上がりながら、仲良くなった友達を精神的に追い詰めて死なせて行った。

 しかし、あの時ほど興奮は何人死なせても得られなかった。俺は無駄に人を死なせる度にまた飽きていった。

 親にわざと自分のやったことをバラしたのも、隠れて人を死に追いやることに飽きていたからだ。

 あすなろ市に来たのも言わば暇潰しの一環だった。世界に対して何の期待もしていなかった。

 それが一昨日までの話。

 けれど、昨日からは違う。なぜなら愉快なこの街で面白そうな出来事に巻き込まれたからだ。

 

 

 浴びていたシャワーを止めて、俺は浴室から出た。

 爽やかな朝のシャワーが俺の心に溜まった汚れを洗い流してくれた。新鮮な気持ちで今日が送れそうだ。

 髪の毛をバスタオルで拭いていると、リビングに置いてある携帯電話が鳴り響いた。

 俺はパンツも穿()かずにリビングに行き、通話ボタンを押して耳に押し当てた。

 

「もしもし。一樹ですけど? ちなみに今ノーパンです」

 

『聞きたくないわよ! そんな事!? ……あきら、昨日急に居なくなったって、かずみが言ってたけどどうしたの?』

 

 電話の相手はカオルちゃんだった。

 昨日、刑事から情報を聞き出すために、勝手に帰ったことで心配させてしまったようだ。

 

「ああ。何かあの刑事さんが目を覚まして、逃げ出しやがってさ。俺は急いでそれを追いかけたんだけど、途中で逃げられちまった……」

 

『その刑事さん、化け物に変わって襲い掛かってきたんでしょ? あきらも危ないことするなー』

 

 かずみちゃんから詳しい説明を聞いたようでカオルちゃんは大体のことは把握しているようだ。

 しかし、人が化け物に変わるなんて突拍子もないことをよく信じられたな。かずみちゃんが魔法を使えることから信憑性を得たのか?

 ……それとも最初から『知っていた』のか?

 

「何で見てもない化け物の話を簡単に信じてくれんの? 普通だったら笑い話になると思うんだけど。まさか、魔法を使ったかずみちゃんのことといい、何か詳しいこと知ってたりする?」

 

『……あきらには言っちゃってもいいか、信用できるし。実は私や海香も魔法少女なんだ』

 

 カオルちゃんが教えてくれたのは摩訶不思議ファンタジーな話だった。

 この世界には魔法少女をスカウトする妖精が居て、その妖精と契約した少女は魔法少女は魔力の源、『ソウルジェム』を生み出す。

 妖精との契約というのは、一つだけ何でも願いを叶えてくれる代わりに魔女という化け物と戦う使命を果たすこと。

 魔女は呪いの力で人を絶望に追い込み、人を食らうことで成長していく恐ろしい化け物。余談だが時折、嘆きの種(グリーフシード)という魔女の残した思念の塊を落とすそうだ。

 呪いを(はら)い、人々を救う力を与えられたのが、魔法少女の『魔法』という希望の力。

 正義の魔法少女は日夜人々のために悪の魔女と戦い続ける。

 何ともまあ日曜の幼児向けアニメの設定のような話だ。スーパーヒーロータイムの後番組かな?

 ともあれ、何となくは分かった。

 ソウルジェムというのはかずみちゃんのあの鈴のイヤリングのようなもので、魔女というのはあのカマキリの化け物みたいなものらしい。

 そして、俺が手に入れたあの装飾品がグリーフシードという訳か。

 その理論で行くと俺ももう魔女に当たる訳なのだが、男なのに魔女っていうのは流石にないだろう。『魔物』とでも言った方がいいな。

 

「ふーん。魔法少女っていうのは必ずしも正義の味方な訳?」

 

 俺は屋根の上に立っていた金髪のツインテール少女を思い出す。あれは魔女ではなく、かずみちゃんと同じような『魔法少女』だと思う。

 

『願い事だけ叶えてもらって好き勝手に生きてる奴も居るとは思うけど、大体の連中は魔女と戦ってるよ』

 

「ほう。カオルちゃんや海香ちゃんも?」

 

『当たり前でしょ!』

 

 元気よく答えが返ってくる。

 自信と誇りに満ち溢れている声だ。

 

「なら、――記憶を失う前のかずみちゃんも?」

 

『……当たり前でしょ』

 

 さっきと同じ言葉なのに後ろ暗いものが含まれているように感じ取った。

 答える前に僅かに時間が掛かったこともあり、何やら隠しことがあるようだ。

 

「そっか。じゃあ頑張れ、正義の魔法少女! まだかずみちゃんも記憶戻ってないんだろ? 無理しないようサポートしてやりなよ」

 

 俺はあえて明るくそう言って、それ以上は何も聞かなかった。

 これ以上は何か答えてくれないだろうし、ここで踏み込み過ぎて機嫌を悪くさせるのも得策ではない。

 ここはあくまでも優しく聞かずに応援してやるのがベストだ。

 

『ありがとね、あきら』

 

「あきら、何でお礼言われてるのか分かんなーい!」

 

『あはは。……また時々電話してもいい?』

 

「寝てる時じゃなければいつでも大歓迎。というか、時間ができたらまた遊びに行かせてもらうよ」

 

『良かった。あんなことがあったからもう関わりたくないって言われるかと思った』

 

 心に人に言えないものを抱えている女の子は付け入るのは容易い。欲しいものを欲しいだけ与えてやれば、発情した雌犬のように尻尾を振って懐いてくる。

 明るく振舞っていたカオルちゃんはどこかそこに空元気感を感じた。海香ちゃんもそうまるであえてクールな自分を演じているように見えた。

 『明るく元気な女の子』、『冷静で知的な女の子』、一見真逆に見える二人だが、根本的には何かを押し隠し、自分を誤魔化して、気取られぬよう分かり易い個性を演じている。

 隠している相手はかずみちゃんだろう。彼女の記憶喪失のことも恐らく何か知っているはずだ。

 

「何かあったら、遠慮なく相談しなよ。部外者だから話せるってこと、結構あるぜ?」

 

『アンタ、私の事口説(くど)いてるでしょ』

 

「ちっ、ばれたか。もう少しで『あきら、素敵! 抱いて!』ってなったのに」

 

『なるか馬鹿!』

 

 そんな話をした後、俺は通話を終えて携帯電話をテーブルに置いた。

 パンツを穿きながら、俺は今後のことを思案する。

 カオルちゃんは俺に完全に心を許してる。海香ちゃんはもうちょっと踏み込む必要があるが、あと一歩と言ったところだ。

 秘密を抱えた人間は、人に飢えている。自分を許してくれる人を。

 他人精神依存するような脆弱な女の子たち。可愛くって堪らないぜ。弄び甲斐があるってもんだ。

 ユーズドのジーンズに荒らしく『Fack me』と書かれたTシャツを着て、チャック式のパーカーを羽織る。

 ポケットに財布と自分の携帯電話、そして、立花の携帯電話を入れると俺は外へ出かけた。

 街を適当にぶらつくと、ふいに奇妙な感覚に襲われた。

 頭の中でノイズが走るようなような感覚。

 これは何だ?

 まるで古いラジオの電波のチューニングが合わずに雑音ばかり垂れ流しているようだ。

 

「電波……チューニング……」

 

 ひょっとして俺の中のグリーフシードが何かの波長を受信しかけているのか。だとしたら、頭の中で波長を合わせれば、どこかに繋がるのかもしれない。

 目を瞑り、意識を集中させる。

 次第に頭の中のノイズが少しずつ、明瞭な音声に変わっていく。

 

『……キタナイ』

 

 まず最初に聞こえたのはそんな言葉だった。

 

『キタナイ……イタイ……ナイテル……』

 

 歪で不快なこの声にものを俺は知っている。あの時のカマキリの化け物になった刑事の声だ。

 間違いない。これは魔女の声だ。しかも、そう遠くではない。

 俺はその声が大きくなるように足早に走り出す。

 頭の中の声が大きくなればなるほど、肌にも不穏な気配が纏わり付いてくる。

 そして、路地裏へと誘い込まれるように俺が入って行くと、頭の中で聞こえていた魔女の声が肉声で聞こえてきた。

 薄暗い路地裏の床にぐったりと人が数人、うつ伏せで倒れている。その誰もが身なりからして中高生くらいの女性だった。

 

「何じゃ、こりゃ?」

 

 俺の声に反応してなのか、むくりと生気のない動きで女性たちは立ち上がる。

 その顔には真っ黒い半透明の液体がべったりと貼り付けられていた。

 魔女ではない。それほど強い力はこいつらからは感じられなかった。

 魔女の眷属(けんぞく)のようなものとでも言えばいいのか。大した相手には見えない。

 それらが一斉に俺に向かって襲い掛かってくる。その数、五人。話にならない人数だ。

 俺は一番近くに接近してきた女性の手を掴んで捻り上げ、向かってきた勢いを殺さず、傍のもう一人に投げつける。

 知能が低いようでかわすことも受け止めることもせずに、傍の一人は飛ばされた奴と正面衝突。

 折り重なるように倒れて、動かなくなった。二人撃破。

 次にやって来た二人は俺を挟み撃ちにしようと両脇から同時に向かってくる。だが、甘すぎる。

 ほぼ同時に左右から伸ばされたそいつらの腕の片方を俺はそれぞれ交差させた自分の手で掴み取る。

 俺の右手が左から来た女性の腕を掴み、俺の左手が右から来た女性の手を掴んで、掴んだ相手方の腕を引き寄せつつ、俺は僅かに後ろに下がった。

 引き寄せられた女性たちはお互いの頭を勢いよくぶつけ合い、両者ノックアウト。さらに二人撃破。

 残った最後の一人はその間隙を突いて、飛び掛かって来ってくる。

 なかなか良い線言っているが、雑すぎる戦法だ。もうちょっと捻りを加えてもらいたい。

 俺は身体を逸らして飛び掛かる女性の手首を難なく掴むと、もう反対側の腕で顔面に肘鉄を食らわせた。

 手を離した後、見る間に女性は崩れ落ちた。最後の一人撃破。

 全員が倒れると、女性たちの顔面に貼り付いた液体がこぼれ落ちるようにして取れた。

 どうやら、貼り付いていた液体が魔女の手のもので、素体は普通の人間だったようだ。

 肘鉄を食らった女性は鼻血を垂らし、頭突きし合った二人はタンコブ、正面衝突した二人は身体に青痣(あおあざ)ができた程度の外傷で済んでいる。

 俺はそいつらを放っておいて、路地裏の奥に進むとやはりというか魔女が居た。

 頭部だけが異常に肥大化した芋虫の上に巨大な手のひらだけを持った人間が突き刺さっているような不細工な見た目だ。

 

『キタナイ……イタイ……ナイテル……ガングロ……』

 

「い……いや……」

 

 見れば、逃げ場のない壁際に一人の女の子が襲われている。

 ガングロメイクのあまり可愛くない少女だ。タイプじゃない上に、恩を売っても得がなさそうなので無視を決め込んだ。

 魔女が居るということはあのツインテールの魔法少女が傍に居るかもしれない。

 俺はガングロ少女の悲鳴を聞きながら、周囲を注意深く見回した。

 ――居た!

 あのツインテールの魔法少女が路地裏に面したビルの屋上から、魔女を上から眺めている。

 会いたかったぜ、ハニー!

 俺は身体を異形化させて、黒い竜の姿に変貌すると翼を羽ばたかせ、ビルの屋上へと飛び上がった。

 ビルの屋上に着くと目立つと面倒なので、人間の姿に戻り、ツインテールの魔法少女に近付いた。

 

「お前は……確か、かずみたちと一緒にいた……」

 

「俺はあきら。一樹あきら。生まれながらのエンターテイナーさ。また会えたな、お嬢さん」

 

 対峙した彼女は臆することもなく、俺をまじまじと見つめる。

 そして、ゆっくりと口を開いた。

 

「魔女モドキか? どこでその力を手に入れた? アタシはお前なんかに悪意の実(イーブルナッツ)をくれてやった覚えないぞ……」

 

 魔女モドキ? 確かに俺は女ではないから『魔女』と表現するのは変だが、「モドキ」と表現するのはおかしい。

 それに『イーブルナッツ』っていうのは何だ? 俺の身体を変化させたものを言っているならグリーフシードと言うはずだ。

 ふーむ、俺の知らない情報をこいつは知っているようだ。

 

「この力はあのポンコツ刑事から奪ったもんだ。あいつにこの力をあげたのはやっぱりアンタで正解みたいだな。てことは、俺を()めてくれた電話の相手か?」

 

「仕返しにでも来たのか? ふっ、ならいい。返り討ちに……」

 

 二挺の銃をその手に出現させ、臨戦態勢を取るツインテールの少女を俺は手で制した。

 

「待て待て。俺はそんなことをするともりでアンタに会いに来た訳じゃない。過去のことはもう水に流そう」

 

「……なら、何が目的なんだ?」

 

 (いぶ)しむ彼女は銃で肩を叩きながら、俺に尋ねる。

 銃口こそ向けてはいないが、俺が変な行動に出たらいつでも攻撃できるように僅かも気を弛めてはいない。

 

「何簡単なことさ。俺と友達になってよ」

 

「…………は?」

 

 呆気に取られたその表情はそこらに居る女子中学生と大して変わらないものだった。

 




昨日の敵は今日の友。それが一樹あきらの生き方。
一番の邪悪な敵は彼なのですけど。


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第六話 一番汚いのは誰か

「お前、頭おかしいのか?」

 

 金髪のツインテールの魔法少女は俺にそう吐き捨てた。

 冷ややかな目付きはそのシャープな顔立ちに合っていて、マゾヒズムなら諸手を挙げて喜ぶ代物だった。もっとも、俺はイジめられるよりイジめる方が好きなのでそれほど興奮しなかった。

 つまり、ちょっとは興奮した。

 

「いんや、これでも大真面目だぜ?」

 

 軽く笑いながら、友好的に握手を求めて手を差し出す。

 彼女はそれを胡散臭そうな目で見つめているだけで、俺の手を一向に握ってくれる様子はない。

 俺は手を差し出した状態でツインテールの魔法少女を観察する。

 彼女の格好は『魔法少女』なんてファンシーな単語からは想像もつかないほど扇情的だった。

 まず、胸元は辛うじて乳房が隠れているほど覆っている衣服は少なく、上の方はほとんど露出している。逆に首元は生地で隠されていて鎖骨の辺りは見えない。腕回りだけ独立した袖が付いていて手首のところの袖口だけが妙に広くなっていた。

 思わず、隠す場所の優先順位間違ってませんかと聞きたくなる。

 乳房を隠している布は下に一直線に続いておへそを覆っているが、それ以外の脇腹や背中はまる見えになっている。

 スカートも非常に短く、すらっと伸びる白とピンクのストライプの二ーソックスは脚線美が素晴らしい。

 硬派で生真面目な俺でも鼻の下伸びてしまうくらいエロい。思春期の男の子には持って来いオカズになること請け合いだ。

 

「そんな鼻の下伸ばして、どこが大真面目なんだ!」

 

 ツインテールの魔法少女は瞳をカッと見開いて怒気を露にする。いやらしい目で見られたのが不快のようで銃を握った状態で胸元付近を交差して隠す。

 俺は握手を待ちわびていた右手の人差し指を、びしりとツインテールの魔法少女の胸元に突き付けた。

 

「アンタの格好がエロ過ぎるから悪いんだ。俺の股間によくない。罰としてえっちなことを要求する!」

 

 

 二挺の拳銃の銃口が俺に「こんにちは」をする。あ、これはこれは礼儀正しい拳銃さんですね。

 持ち主の方もそれくらい礼儀作法を弁えてほしいもんだ。

 

「だから、俺は敵じゃないって言ってるだろうが。なぜそれが分からん?」

 

「さっきとは違う意味で信用できないからだ! 馬鹿!!」

 

 顔を赤くして怒る彼女にやれやれと肩を(すく)める。さっきからずっと話が進みやしない。もっと、俺は建設的な会話がしたいというのに。

 

「とにかく、こっちは名前名乗ったんだから、そっちも名乗れよ。銃なんか構えてちゃ話にならない。はい、自己紹介タイム開始ー。お嬢さんお名前は?」

 

「……ユウリだ」

 

 勢いに巻かれて不本意そうに名前を語るツインテールの魔法少女改め、ユウリちゃん。

 銃口も一時的に下げ、これで満足かとばかりに俺を睨む。

 反抗的だが、愚かではないようで一安心する。

 

「ふーん。ユウリにゃんね。可愛い名前だ」

 

「『にゃん』って何だよ、『にゃん』て」

 

「名前をより可愛くする敬称だよ。知らないの? 遅っれてるー」

 

「お前な……」

 

 いかんいかん。ふざけてる場合じゃない。

 弄りやすい相手のなので、ついからいかけて話が脱線しようになるが、こんなアホな話をするためにここまで来た訳ではない。

 こほん、と咳払いすると表情を引き締め、俺は真面目に話を始める。

 

「ユウリちゃん、アンタはかずみちゃんを狙ってる。間違いない?」

 

「……だったら何だ。邪魔しようっていうのか?」

 

 ユウリちゃんの雰囲気が剣呑なものに変わる。さっきまでの弄られっぷりが嘘のようだ。

 こういう奴の方が分かり易くていい。下手ににこやかな相手の方が本意を読むのが難しいからだ。

 

「そんなことしない。むしろ手伝ってやるって言ってんだ」

 

「は? どういう事だ? お前は」

 

「あきらだ。ユウリちゃん」

 

「……あきらはかずみと一緒に居ただろ? あいつの味方じゃないのか?」

 

 怪訝そうに俺を見るユウリちゃんに、逆に首を傾げた。

 こいつの言ってることは短絡的だ。物事を一面からしか見られていない。

 まったくもって哀れだ。

 

「一緒に居れば友達なのか? 傍に居るだけで絶対に味方か? ……違うだろ?」

 

「信用できない。アタシから情報を聞き出してあいつらにバラすつもりじゃないのか?」

 

「ユウリちゃん。俺の目を見ろ。お前と同じ瞳をしてるだろ?」

 

 ゆったりと警戒させない足取りでユウリちゃんのすぐ目の前まで近付き、握っている拳銃に指先でそっと撫でた。

 視線を合わせて、微笑みながら瞳の奥を覗き込む。

 ユウリちゃんの瞳は俺と同じように歪んだ欲望を光らせていた。周りを、下手をすれば自分まで焼き尽くしてしまう破滅の光だ。

 

「壊したい。砕きたい。弄びたい。破壊衝動がアンタの中でギラギラしてる。俺もそうだ。そういう純粋な思いが渦巻いてる」

 

「…………」

 

「分かるだろ? 同類なんだ、俺たちは。破壊と陵辱を演出する料理人なんだよ」

 

 あの刑事や今のこのビルの下で人を襲わせる魔女を作り出したのはこの女の子だ。

 つまりは人の命よりも自分の目的を優先している。俺と同じものを持っている証拠だ。

 言葉なく、ユウリちゃんの目が俺に答える。

 『イエス』――だと。

 俺は浮かべた笑みを殊更大きくした。

 

「もう一度、言おう。俺と友達になってよ」

 

 

 *

 

 

「なるほどね」

 

 俺の中の欲望を信用してくれたユウリちゃんは『イーブルナッツ』と『魔女モドキ』のことを教えてくれた。

 まず、イーブルナッツというのはグリーフシードの偽者、言うなれば擬似グリーフシードとのことだ。

 本来のグリーフシードは人を魔女にはしないものらしい。だから、形状こそ似ているがイーブルナッツはグリーフシードとは性質は別物のようだ。

 次に魔女モドキとはこのイーブルナッツにより異形化した人間のことで、あの刑事やビルの下で現在進行中で人を襲っている人の上半身が生えた芋虫、そして今の俺みたいな奴らのことだ。

 ユウリちゃん自体、イーブルナッツの性能は分かっていないので人体実験をしてテストしてるのだと言う。

 

「で、そのイーブルナッツで何がしたい訳? 魔女モドキ軍団を作ろうって様子じゃないみたいだけど」

 

 俺がそう聞くとユウリちゃんは苦笑した。

 

「まさか。魔女モドキ程度で奴ら……プレイアデス聖団を倒せるとは思ってないよ」

 

 プレイアデス星団……おうし座の散開星団のことだが、そのことについて言っている訳ではないことは理解できた。

 

「お星様の話じゃないんだな?」

 

「かずみを含めた七人の魔法少女のチームの事だよ」

 

 七人。かずみちゃん、カオルちゃん、海香ちゃんの他に四人も居るのか。随分と大所帯だな。魔法少女はいつから戦隊ものになったんだ?

 

「じゃ、何のために魔女モドキのテストなんかしてるんだよ?」

 

「あいつらの前でかずみを魔女に変えてやるのさ。そのために今、こうやって……チッ、あいつらだ」

 

「どしたの?」

 

 下に居る魔女モドキを眺めたユウリちゃんは舌打ちを一つした。俺も彼女の見ているものを見ようとすると、眼下にはかずみちゃんとカオルちゃんたちが魔法少女になって魔女モドキと交戦していた。

 カオルちゃんの方はフード付きの銅部分だけオレンジ色のタイツのような格好で、太腿(ふともも)から下が肌を剥き出しにしている。

 海香ちゃんの方は胸に十字架のマークが付いている修道女に似た格好をしていた。なぜだか眼鏡が装備されている。

 こちらは他の魔法少女に比べ露出部分がない。強いて挙げるならミニスカートくらいだが、それもニーソックスの鉄壁で肌が隠されている。むう、エロさが足りない。

 かずみちゃんは昨日と同じ露出の多い魔女っ子のコスプレみたいな格好だ。こちらはエロさが際立ち、大変宜しい!

 身を乗り出して気付かれないように身体を引いて見ていると、海香ちゃんは持っていた分厚い本から光の球を出現させた。

 その光の球がカオルちゃんの方へ飛んで行く。

 カオルちゃんが球を胸で一旦受け止めて、弾ませた拍子にそれを思い切り蹴る。

 

「パラ・ディ・キャノーネ!!」

 

 謎の技名と共に蹴られた光の球は芋虫に似た魔女モドキに直撃した。芋虫に付属した女性の上半身が「ごぶ!?」と悲鳴を上げたのがシュールだった。

 

「はい、ごめんよ」

 

 次にカオルちゃんは芋虫の魔女モドキの背中に回り込み、女性の上半身部分から生えた大きな手を掴み、動きを封じた。

 海香ちゃんは分厚い本の内側をかざし、これまた技名を叫ぶ。

 

「イクス・フィーレ!」

 

 芋虫の魔女モドキから文字が生まれ、開かれた白紙のページに貼り付いていく。

 書かれた文字は『キタナイ』、『イタイ』、『ガングロ』など、さっき魔女モドキが喋っていた言葉ばかりだ。

 恐らく、魔法で魔女モドキのことを読み取っているのだろう。

 そうして、眺めているとかずみちゃんは跳び上がり、昨日の刑事を吹き飛ばした光の奔流を放とうとする。

 

「ちちんぷりん! ……」

 

 しかし、昨日と同じように目を瞑って溜めて放とうとしているため、直線上に海香ちゃんが居ることに気付いていない。

 このままでは直撃コースだ。海香ちゃんはさくっと皮までこんがり焼けることだろう。

 

「! まだ早い!」

 

 カオルちゃんの制止も空しく、かずみちゃんの攻撃が放たれた。

 

「えい――!! ……海香!?」

 

 撃ってから気付いたかずみちゃんだが、光の波は止まらない。

 海香ちゃんはご臨終――とはならず、カオルちゃんがとっさにタックルして海香ちゃんごと避けることに成功した。

 あらまあ、残念。友達の女の子が無残な焼死体になるのも見たかったんだけどな。

 芋虫の魔女モドキはその隙に大きな手のひらで地面を押すようにして、上空へ飛び上がる。カエルのように跳ね上がるとそのままどこかへ逃げてしまった。

 

「カオルー!! 海香ー!! ごめんなさい。わたし、記憶どおり動いたのに……」

 

「これくらい平気だよ。いきなり『以前の』かずみの本領発揮とは行かないよ。気にしないの」

 

 カオルちゃんたちに駆け寄るかずみちゃんは申し訳なさそうに謝罪するが、カオルちゃんはそれを微笑んで許した。

 だが、かずみちゃんはカオルちゃんの一言が余計だったようで傷付いた表情をする。

 

「……そう。わたしは『以前の』かずみじゃない」

 

「かずみ……あなたの調子も考えず、勝手に動いていたこっちに非があるわ。だから気にしないで」

 

「友達に攻撃をしかけたわたしの気がすまないよ!」

 

 気遣わしげにかずみちゃんを見るは海香ちゃんも慰めの言葉を掛けるが、それも逆効果。こういう時はどちらか一人くらいは素直に失敗を責めた方がいいのに。

 全然、セオリーを分かっていない。こいつらは本当に昔からの友達なんだろうか?

 しかし、そんなことも気にせず、海香ちゃんとカオルちゃんは小さく笑うと、お互いに片手を上げた。

 

「じゃあ」

 

「おしおきね」

 

 二人の後ろから「HAIR SALON 『SEA FRAGRANCE』」と書かれた看板の付いた巨大な建物が出現する。

 俺はあまりの唐突ぶりに「おう……」と僅かに声を漏らした。これも魔法の力で作ったものなのか。

 二人はかずみちゃんを連れて建物内に入って行った。ヘアサロンと書いてあるくらいだから(みそぎ)として髪でも切るつもりなのだろう。

 俺は目を離すと、ユウリちゃんの方を向く。

 

「何で攻撃しなかったんだ? あの子ら隙だらけだったじゃん」

 

「駄目だ。ここで殺したってアタシの気が済まない。あいつらは心をへし折って絶望させて殺さないと駄目なんだ……」

 

 憎々しげに建物内に入って行った三人を血走った瞳で睨み付けて、ユウリちゃんは吐き捨てた。

 プレイアデス聖団とやらにはよほど個人的な恨みがあるらしい。

 どういうものか気になるが、今はそれは後回しだ。

 

「ふーん。じゃあ、あの魔女モドキのところへ行こっか」

 

「お前には分かったのか?」

 

「海香ちゃんたちが作り出したヘアサロンを見て、ピンと来たわ。俺がボコった女たち……思い返せば髪が痛んでた気がする」

 

 ママが元女優だったせいか、小学校時代は髪の手入れは丁寧にしてもらっていたので、俺は痛んだ髪とそうでない髪の違いが一目で分かようになっていた。あの時はそれほど気にする要因ではなかったから注目しなかったが、思い返せば皆、髪質が良くなかった。

 さらに魔女モドキが言っていた「ガングロ」だの「キタナイ」だのは恐らく化粧のことだ。

 

「あの魔女モドキの元の人間は……エステティシャンと見た!」

 

 俺はドヤ顔で推理をユウリちゃんに披露する。どうだ、穴のないこの名推理は。

 天才中学生探偵ここに現る! ちゃらら~ら~ ららら~らら ららら~らら~ と某少年探偵の解決シーンBGMが俺の脳内に響き渡る。

 

「間違ってる。あの魔女モドキになった奴は単なる化粧品の販売員だ」

 

「ネクストアキラズヒーント!?」

 

 あっさりと自信があった推理は外れて、俺は地面に膝を突く。

 化粧品の販売員なんてショボい職業思い付かないよ。だって俺、上流家庭の生まれなんだもん。

 ブルジョア的思考が俺の根幹にあるからどうしても庶民派の答えには辿り着かない。

 

「まあ、それはそれとして、魔女モドキのところ行こうぜ?」

 

 すくっと立ち上がって何もなかったようにそう言うと、ユウリちゃんは呆れた表情を浮かべた。

 

「立ち直り早いな、お前……」

 

 

 **

 

 

 ユウリちゃんと一緒に来たのは、『GOODS』という化粧品店の傍にあるビルの屋上だった。

 そこには茶髪のポニーテールの女性が悲しそうな顔で長蛇の行列ができている『GOODS』を見下ろしていた。彼女の手には「GUNGROW」というファンデーションのケースを握っていた。

 ……ガングロウ? ネーミングセンス皆無だな。商品開発担当者出て来いってレベルだ。

 

「こんなもの使うから……肌が泣くのよ!!」

 

 女性は持っていた「GUNGROW」を力の限り握り潰す。

 まあ、俺もそんなふざけた商品名のものがあったら問答無用で握り潰すと思うので共感できる。

 俺は何気なく女性の近くへと歩いて言った。

 

「あら? 君は……男の子なのに綺麗な肌ね。髪も潤ってる」

 

 俺に気が付くと、肌と髪の質を褒めてにこりと柔らかに笑った。

 俺も彼女に友好的に微笑み返した。

 

「お褒めに預かり光栄DEATH(デス)!」

 

 ――右手の肘までを部分的に異形化させ、彼女の額に突き刺しながら。

 悲鳴さえも上げる暇も与えず、前頭部を陥没させて、寄り掛かっていた屋上の手すりから下へと落ちて行った。

 

「あきら! お前、何を!?」

 

「あいつは役に立たない。さっきもかずみちゃんがドジらなかったら負けてたしな」

 

 俺の手のひらには頭蓋骨(ずがいこつ)の破片とと脳みそと血液の混合物が乗っている。その混合物の中には、イーブルナッツが光を反射して鈍く輝いていた。

 

「イーブルナッツの無駄遣いだ。俺がもっとユウリちゃんの力になってくれる魔女モドキ……いや、『魔物』を見つけてきてやるよ」

 

 そう言って笑いかけると、ユウリちゃんは理解したとばかりに背を向けて、階段の方へ歩き出した。

 海香ちゃんたちもいずれ、ここに辿り着くかもしれないから早めに退散しよう。俺はユウリちゃんを追い、その場を後にする。

 最後に下に落ちた化粧品の販売員だという女性の死体を一瞥した。

 頭から落下して、醜く潰れ、辛うじて人の形を保っているだけの肉塊と化したそれに俺は一言投げかける。

 

「アンタのが汚いよ」

 

 『GOODS』に並んでいた客が大騒ぎしている声を聞きながら、俺はビルの階段を下りて行った。

 




ここまで読んで下さった読者さんに今回オリジナルキャラクターの応募を行わせて頂きます。
魔女モドキ・魔物になってあきら君と一緒に暴れてくれる邪悪なキャラをお待ちしています。応募しているキャラクター数は2~3人程度です。
『活動報告』の方にその応募する場所を作るのでもし良かったら書き込んで行って下さい。


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トラペジウム征団結成編
第七話 欲望渦巻く箱庭


今回は応募して頂いたキャラクターが二人ほど出ます。


 中学校!

 そこは少年少女を閉じ込める狭き檻。

 中学校!

 そこは大人たちに役に立たない知識を教え込まれる洗脳空間。

 中学校!

 そこは子供たちから純粋な心を取り上げる横暴な世界。

 そう、まさに中学校とは小学校から出てきたばかりの子供をに理不尽を流し込む邪悪な場所なのである。

 とまあ、そんな感じに憤りながら、俺はここ、市立南あすなろ中学校へ転校して来た訳だ。

 理由は二つ。

 一つは義務教育は一応しておかないとまずいから。二つ目は素質のありそうな奴を見つけて仲間に引き込むためだ。

 中学校という抑圧された空間なら大きな『欲望(のぞみ)』を抱いて苦しんでいる人間も多い。そういう可哀想な人に力をお裾分けしてあげようという俺の優しい試みだ。やだ、俺ったら天使すぎ!

 教室のデザインは斬新極まるもので、何と教室の壁がガラス張りになっている。生徒は動物園の動物と同じなので見世物にしようという校長の教育理念が伝わってくる。……いつか殺そう。

 現在、教室の外で男性の担任教師が中に入ってきてくれと言うまで待たされている訳だ。

 教室内で他人の佐々岡先生がホームルームを始めた。

 

「今日は皆に大事な話がある。心して聞くように」

 

 転校生である俺についてのことだろう。そう思った数秒後佐々岡先生の口から出たのは以下のことだった。

 

「男子! シュークリームを皿に出さないような女性とは付き合うんじゃないぞ! そして女子! 銀紙があるから手づかみでいいなんて女性になるんじゃない! ……先生が言いたいのはそれだけだ……うう……」

 

 意味不明の助言をし始め、終いには(すす)り泣く声すら聞こえてきた。

 どうやら、女に振られたことを嘆いているらしい。一瞬、中に入ってぶん殴ってやろうかと本気で思った。

 仕事を優先しろや、社会人。

 

「そりゃそうと転校生を紹介しますね」

 

「そっちが後回しかよ!」

 

「じゃあ、一樹君。入ってくれ」

 

 そうかと思えば突如、けろりと復活し、転校生の話をする。クラスの中の誰かがそれに鋭く突っ込みを入れた。

 俺はそのやり取りを聞いて、手前のドアを開き、教室内へと入って行く。

 表情を消して静謐な雰囲気を身に纏わせた俺は教壇の隣に立ち、冷淡な目で生徒を眺める。

 その中で見知った顔を二つ見つけた。海香ちゃんとカオルちゃんだ。

 

「え……?」

 

「嘘……まさか」

 

 教室に来る前に職員室で佐々岡の机にあったクラス名簿から名前を見つけていたので、俺の方はまったく動じなかったが、向こうの方は驚いたようで二人とも目を丸くしていた。

 

「はい、それじゃあ自己紹介いってみようか」

 

「一樹あきらです。よろしくお願いします」

 

 クールに挨拶を決めた後、カオルちゃんと海香ちゃんたちと視線を合わせて無言でいると、佐々岡が困惑したように俺を見つめている。扱いづらい無口な生徒と誤解したようでホワイトボードに『一樹あき』まで書いて止まっていた。いい気味だ、訳の分からない話で出鼻を挫いた罰だ。

 

「えぇと……一樹君?」

 

 俺は佐々岡からホワイトボード用のペンを奪って、『ら』の文字をきゅっと書き足した。

 それから佐々岡がおずおずと指定した席へと黙って座った。二人も含めたクラスメイトは俺の冷めた対応に釘付けになっていた。

 これでクラスメイトの印象は冷めた人間という印象を与えることができた。下手に明るくいくと周りに纏わり付かれて身動きが取りづらくなるので、こうやって近寄りがたい第一印象を取ることでそれを防ぐ。

 完璧だ。これで俺は無愛想な転校生として認識されたはずだ。

 

 *

 

 ホームルームが終わると、俺の予想に反し、クラスメイトが俺の席に蟻のように群がって来た。

 寄って来たのは女子ばかりだった。盲点だったと言える。俺は、俺が美形であることにもうちょっと計算に入れておくべきだった。

 この街で会った女の子はわりと淡白な子ばかりだったのですっかり自分が持てることを忘れていた。

 

「一樹君って、前はどこの学校だったの?」

 

 名前も知らない女子Aが俺に話しかけてくる。地味な顔立ちの女の子だ。特筆する部分がまるでない。

 しかし、俺はそんな女の子の質問にもちゃんと答える。我ながらいい奴だ。

 

「東京の、ミッション系の学校だよ」

 

 その学校のせいで宗教の知識が同い年の奴らよりも豊富だ。聖書の一説を(そら)んじてみせることもできる。

 さらりと答えると、矢継ぎ早に次の質問が飛んできた。

 

「前は、部活とかやってた? 運動系? 文化系?」

 

「サッカーを少々。あとは軽音楽」

 

 感心したような声と黄色い歓声が沸いた。サッカーとか軽音楽は部活として、なかなか女受けする部類だ。俺としては何であんなものに打ち込めるのかさっぱり理解できないが。

 

「すっごいきれいな髪だよね。シャンプーは何使ってるの?」

 

「源氏堂の『リゲル』」

 

 一樹財閥の系列会社の源氏堂の売れ筋商品だ。ママが愛用していたシャンプーなので、必然的に俺もよく使うことになり、慣れ親しんでいる。

 他にも二三個つまらない質問に答えると俺も嫌気が差してきて、中断させてもらった。

 

「ごめん。何だか緊張しすぎたみたいで、ちょっと、気分が。保健室に行かせて貰えるか?」

 

 無表情のままで少し頭を押さえて、具合が悪そうな真似をする。

 何の面白みのもない質問の応酬で本気でユーモア欠乏症に(かか)りそうだ。

 

「え?あ、じゃあたしが案内してあげる」

 

 来んなや。

 

「あたしも行く行く」

 

 お前も来んなや。

 

 ユニークさ皆無の平凡な女子連中に引っ付かれそうになり、ゆっくりと俺はフラストレーションを溜めていく。

 

「いや、おかまいなく。係の人にお願いするから」

 

 当然、係の人など知らないので海香ちゃん辺りに助けてもらおうとしたところ、無駄に気を利かせてくれた女子Aは保険係の奴を呼んだ。

 

「じゃ、氷室君だね。おーい、氷室くーん。転校生の一樹君が気分悪いってー」

 

 余計なことをしてくれた女子Aを軽く睨むと何を勘違いしたのか、頭を掻いて照れた顔をした。

 

「いや、いいって。これもクラスメイトとしての当然の義務だし……」

 

 この手の反応はよく知っている。俺の顔惹かれ、好意を持った奴の反応だ。

 こういう手合いが一番鬱陶しい上に、壊しても月並みな反応しかしないので好きではない。

 あとで校舎裏にこっそりと呼び出して処理してしまおうかと半ば本気で考えていた時、後ろからやって来た人間に気付いた。

 

「やあ、一樹君。初めまして」

 

 品が良さそうな優男が俺に朗らかな笑顔を浮かべ、近付いてくる。

 金髪碧眼という絵に描いたような外人ような見た目だが、日本語は流暢(りゅうちょう)なので一応日本人だろう。

 

「ボクが保険係の氷室(ひむろ)(ゆう)です。これから宜しくね」

 

 まあ、そこそこ顔立ちは整っているが俺ほどじゃあないな。ただ、その爽やかな表情の目の奥に俺やユウリちゃんと同じ秘めた欲望の輝きが微かに輝いているのを俺は見逃さなかった。

 こいつもこいつで『社交的な人間』に擬態している外れ者だ。同じようなものを持っているから分かる。

 心の奥底で弾けてしまいそうな欲求持ちながら、普通の仮面を被っている。

 氷室を値踏みしてから、冷静な表情で俺は言う。

 

「じゃ、連れてって貰えるか? 保健室」

 

「あはは。クールな人だね、君は。いいよ。こっちだ」

 

 相変わらずの朗らかな笑み。だが、俺にはそれが作り物にしか見えなかった。

 転校早々、なかなか期待できそうな奴に出会えるとはついている。俺は彼に従って教室の外に出た。

 

 **

 

 氷室の案内により、俺は保健室へと向かっていた。教室に居た海香ちゃんたちは男同士で交友を深めなさいとばかりに無視された。

 俺が自分たちに黙って転校してきたと思い、機嫌を悪くしたようだ。よほど信用されていたようで笑みがこぼれる。

 しかし、周囲の教室も当然の如く、ガラス張りなので俺らのことをじろじろと不躾に見てくる輩が多い。

 エンターテイナーの俺としては手でも振ってやりたいところだが、学校では人を寄せ付けないキャラで行くつもりなので自重した。

 そうして歩いていると、俺たちは校舎を繋ぐ渡り廊下まで来た。唐突に黙って俺の少し前を歩いていた氷室が俺に声を掻けて来る。

 

「ごめんね。みんな悪気はないんだけど、転校生なんて珍しいから、はしゃいじゃってるんだ」

 

「そうみたいだな。でも、あそこまではしゃがれるとは思ってなかったが」

 

 何のための近寄りがたい奴アピールだったのか、もう分からない。これなら、最初から普段の性格で通しても変わらなかった。

 

「そんな緊張しなくていいよ、クラスメイトなんだから。ボクの事は気軽に悠って呼んでよ」

 

 爽やかな善人臭のする顔でそう言うが、俺にはこいつの人間性が何となく感じ取れるので無意味だった。

 こいつは多分、人を死に追いやったことのある人間だ。俺と同じ加害者側の人間の臭いがする。

 

「だから、ボクも『あきら君』って呼んでいいかな?」

 

 俺はそれに答えず、動かしていた足を止め、氷室の化けの皮を剥がすために一つ質問をする。

 

「氷室悠。アンタは自分の人生が、貴いと思う? 家族や友達を、大切にしてる?」

 

「え? それはもちろん大切……だよ。家族も、友達のみんなも。大好きで、とっても大事な人達だよ」

 

 一瞬だけ呆けた後、また笑みを取り繕って聞こえの良い台詞を並べた。

 もしも、それを十人が聞いたら九人くらいは素直に氷室の言葉を受け取るだろう。それくらいその言葉には真摯な響きがあった。

 しかし、俺は再度問い返す。

 

「本当に?」

 

「本当だよ。嘘な訳ないよ」

 

「なら、そんな大事な人たちを傷付けてみたいと思ったことはない?」

 

 氷室の口元がぴくりと僅かに引きつった。

 俺はそれを見逃さない。続けるようにして問いを投げつける。

 

「別に悪意を持っている訳でもなく、愛するが故に自分の手で壊してみたいと思ったことは? 大切な人たちの笑顔でなく、泣き顔を見たいと心から思ったことは?」

 

「……何で、分かるの?」

 

 浮かべていた朗らかな笑顔が砕け散り、その中から這い出して来たのは自分を理解してくれる存在への驚愕だった。

 震える唇を押さえ、愕然とする氷室に俺はそっと笑いかけた。

 

「着いて来いよ。お前が見たがっている世界を見せてやる」

 

 俺は彼を抜いて渡り廊下を進み出す。その後ろを驚きから覚めていない氷室は朧気(おぼろげ)な足取りで着いて来た。

 

「あ、そうそう」

 

「な、何?」

 

 くるりと振り返り、氷室の方に向き直る。

 

「俺のことはあきらでいいぜ? 俺はアンタのことを『ひむひむ』と呼ばせてもらう」

 

「え? ひむひむ? あ、氷室だからか……ってちょっと待って。どこ行くの? 保健室はそっちじゃないよ?」

 

 自分のあだ名に納得した氷室改めひむひむを連れ、俺は階段の方へ行った。階段を下り、外に出る。渡り廊下を渡った先の別棟となり、保健室やその他移動教室となっていて、教室棟からは離れている。

 そして、それ故に生徒や教師は授業中には近付かない。

 絶好のイジめポイントと言える。かく言う俺も前の学校では同じような場所で暴力を振るっていたこともある。

 ミッション系の学校だったから教会の裏手などでよくはしゃいだものだ。聖なる場所の裏での暴力行為はなかなかに背徳的な気分がしたのを覚えている。

 過去の記憶を思い馳せていると、傍で痛みに苦しむ声とそれを嘲笑う声、そして、暴力を振るった時に出る打撃音が聞こえてきた。

 

「やっぱり居た」

 

 陰湿なイジめの現場には三人くらいの男子が一人の男子を取り囲んで蹴手繰(けたぐ)っていた。やられている方は頭を両手で覆い、身体を亀のように丸めて痛みを耐えている。

 その顔には痛みよりも悔しさよりも、無気力さが表れていて涙すら滲んでいない。暴力を加えられることに慣れてしまっていると言った様子だ。

 

「あれは……見たことない人たちだ。三年生かな? あんなに殴ったり、殴られたり……少し羨ましいよ。暴力は美しい……」

 

 後ろから来たひむひむがさらっと変態チックなことを呟く。その顔に爽やかさはなく、どこか恍惚(こうこつ)としている。

 本性を表すとなかなかユニークな男だ。似非爽やか少年よりは見ていて面白い。

 それでは消えても誰も困らなさそうな人たちに『実演』を手伝ってもらいましょうか。

 俺は彼らに軽やかな足取りで近付いて行く。

 

「こらこら、亀をイジめてはいけませんよ」

 

「あ゛!? 何だ、テメーは!?」

 

 テンプレートな頭の悪い台詞に俺は若干感動しつつ、名前を名乗る。

 

「浦島太郎だよ。知らない? 亀を助けたばっかりに竜宮場に連れて行かれて、玉手箱テロに合って老化させられる哀れな主人公だよ」

 

「はあ!? 頭おかしいのか? テメー!」

 

 これまた台本でもあるかのようにありきたりな右ストレートを放ってくる不良A。それに追随する不良B・C。

 本当に馬鹿だな。大変宜しい。

 この程度の雑魚なら素手で簡単に(さば)けるのだが、今回の趣旨に逸れるので合気道は使わない。

 代わりに使うのは俺の中のイーブルナッツだ。

 俺は即座に姿を変形させて、三メートルほどの黒い竜になる。

 

「な、何だ……!?」

 

 一番近くに居た不良Aを口の中に放り込み、コンマ二秒ほどで嚥下(えんげ)する。それを見て呆然とした不良Bも仲良く同じ場所に送ってあげた。

 

「ば、ばけも……!?」

 

 最後に一人だけ逃げようとした薄情な不良Cを長い尻尾で絡め取り、同じく丸呑みした。この間約三十秒。人食い選手権とかあれば優勝を狙えるな。

 人間に戻り、制服のポケットから出した白いハンカチで口を拭う。

 

「な……何が、起きたんだ……?」

 

 地面に(ひざまず)いているイジめられっ子に俺は手を差し伸べる。

 

「大丈夫か? アンタの名前は?」

 

「え? 僕は(あさひ)たいち……」

 

 くすんだ黒髪に目の下に隈がる不健康そうな顔色の中学生はそう名乗る。見た目からして、こいつもさっきの不良と同じで一つ上の先輩なのだろう。

 竜の姿に一度変貌した俺を驚いてはいるが、怖がってはいない。非現実過ぎて理解が追いついていないのかと思ったがそうでない。

 彼の両目はしっかりと俺の姿を捉えている。その前は夢と現実の区別が付いている正気の目をしていた。

 これはなかなかの掘り出し物かもしれない。顔には出さず、内心でほくそ笑んだ。

 

「アンタ、俺と一緒に化け物になる気はある?」

 

「……僕も。僕も君みたいになれるの……?」

 

「ああ。なれるさ」

 

 俺はにやりと笑って言う。

 その言葉に縋るように旭先輩は俺の手を掴み取った。彼の頬には暴力を浴びていた時には一滴も流さなかった涙が伝っている。

 その涙はイジめから解放された安堵から来る涙ではなく、新しい可能性を提示された喜び涙に映った。

 

「凄い……凄いよ、あきら君!!」

 

 興奮した面持ちでひむひむが俺に駆け寄る。

 一応、怯えて逃げ出す可能性も考えていたのだが、そんなことは考えるだけ損だったようだ。ちなみに逃げていたら、不良さんたちと一緒に俺のお腹の中にボッシュートしてもらう予定だった。

 

「あれ何? ドラゴン? 凄いな~。でも、一つだけ残念なのは血が見れなかった事だよ!」

 

「ここで撒き散らしたら後片付けが面倒だろ?」

 

 ハイテンションのひむひむは俺の言葉など耳に貸さず、自分の高説を垂れ流す。

 目は爛々(らんらん)と輝き、口元からは(よだれ)まで漏れている。正気の様子ではない。

 

「やっぱり何と言っても一番重要なのは血だよ! 与え合う痛みと愛を表すのは血液なんだ! 美しい物語はどれだけ大量の血が流されたかによって決まるんだよ!!」

 

「うるせえ!」

 

 俺はひむひむの顔面を力の限り殴り飛ばした。

 ちょうど穴を狙ったので、いい感じに綺麗な鼻筋へ拳が叩き込まれる。

 

「おぐッ!?」

 

 その場にひっくり帰ったひむひむの鼻の穴からは彼の大好きな真っ赤な鮮血が噴き出していた。

 俺は手についた返り血を拭って、倒れたひむひむに言ってやる。

 

「ほら、大好きな血が出たぞ。喜べよ」

 

「ほ、本当だ。ボクの血が……愛が流れ出している。フ、フフフ……」

 

 自分の鼻血を手で掬って、悦に浸ったように喜んでいる。

 おいおい。こいつ、真性の変態さんだよ。

 こいつが保険係になった理由は、多分クラスメイトの出血を見るためだったのだろう。

 まあ、そのくらい弾けてる奴の方が見ていて面白いのも事実だ。

 

「ほれ! これが力の元だ」

 

 俺はポケットからイーブルナッツをひむひむの額に向けて投げ込んだ。

 このイーブルナッツは化粧品の販売員から奪ったものだ。奪う時に血がべっとりと張り付いていたので血液大好きのひむひむ君にはちょうどいいだろう。

 すぐにイーブルナッツの効果が出始め、仰向けの彼の姿がぐにゃりと歪んで、骨格が変形していく。

 

「すごい……これがあきら君と同じ力……」

 

 変貌し終えると流石に本人も冷静になったようで自分の身体を見回す。

 ひむひむは巨大なコウモリの姿へと変わっていた。色は目と同じ紺碧の皮膚で覆われている。

 

「旭先輩にも、はい!」

 

 傍でひむひむがコウモリになっている光景を見て、羨望の眼差しをしていた旭先輩にもイーブルナッツを渡した。

 こちらはユウリちゃんにもらって来た誰にも使っていない新品のものだ。俺やひむひむと違ってお古ではない。

 

「ありがとう。これがあれば僕も変われるんだね?」

 

 旭先輩はイーブルナッツをまるで宝石のように大事そうに眺めた。それほどまでに自分に変革をもたらす力に渇望していたのだろう。

 俺やひむひむ以上にイーブルナッツを欲していた人間とも言える。

 俺は彼にそっと微笑み、自分の口元に一指し指を置いた。

 

「その代わり……クラスの皆には内緒だぜ?」

 

 こくりと頷く旭先輩の目はもう無気力とは程遠いぎらついた欲望の光に満ちていた。

 




愛の戦士さんが送ってくださった、ひむひむこと「氷室悠」君。
ネオ麦茶さんが送ってくださった、「旭たいち」君。

私なりにオリジナルキャラを描いて見ましたがどうだったでしょうか?
喜んで頂けたら幸いです。
次回はもう一人の応募キャラが出る予定です。

ちなみにあきらのクールな演技はアニメでのほむらのオマージュです。
まあ、読んだ人は大体分かったとは思いますが。


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第八話 最後のプレイヤー

前回までのアキライブ!

あすなろ市にある伝統校、市立あすなろ中学校は統廃合の危機に瀕していた。
学校の危機に、2年生の一樹あきらを中心とした4人の男子生徒が立ち上がる。
俺たちの大好きな学校を守るために、俺たちができること……。それは、アイドルになること!
アイドルになって学校を世に広く宣伝し、入学者を増やそう!
ここから、彼らの「みんなで叶える物語」( スクールアイドルプロジェクト)が始まった!


 さて、二名も新たな尖兵をスカウトした訳だが、ユウリちゃんからもらったイーブルナッツはあと一つ残っている。

 戦うことになる相手は七人居るのだからこちらとしても、俺を合わせて四人は魔物が必要だ。

 俺はひとまず、旭先輩と別れ、ひむひむを連れて教室へと戻った。今の時間帯では皆授業に出ているだろうし、何より教室に居る海香ちゃんたちに不審に思われてるのは避けたい。

 信頼していた友人が実は自分たちを狙う悪の手先でしたという落ちは、サプライズ有ってのことだ。裏切りとは信用を重ねてからするのが望ましい。

 

 教室に戻ると既に一時間目の授業は始まっており、担当の教師にじろりと白い目で睨まれた。

 年齢はそこそこ行っている三十歳後半の神経質そうな男性だ。不機嫌そうなその表情は遅刻してきた俺たちを異物のように見ているのが分かった。

 

「すみません、柳先生。彼、転校したてで緊張していたようでボクが保健室に連れて行ってたんです」

 

 ひむひむが申し訳なさそうに頭を下げて謝罪する。俺も一応頭を下げた。

 柳というらしい教師は「座れ」と小さく、命じるとホワイトボードに向き直り、授業を再開する。

 何ともまあ感じの悪い教師だ。ホワイトボードに書いてある事柄から柳が数学であることが分かる。

 数学教師は大抵感じが悪い。俺の前の学校でも数学の教師は生徒から嫌われていた。『数学教師=悪』。これ、テスト出ます。

 俺は自分の席に座って、机の横に掛けてあった学生鞄から教科書とノートと筆記用具を取り出す。

 せっかく、学校に来たのだから真面目に授業でも受けようかと思った矢先、柳が俺に声を指した。

 

「遅れて来た転校生。前に来て、この問題を解いてみろ」

 

 授業に遅刻されたのがそこまで気に入らなかったのか、柳はホワイトボードに書かれた数学の問題をペンで叩く。

 俺はまだ教科書も開いておらず、やっている内容すら完全に把握していない状態にも関わらず、だ。

 喧嘩売っているのか? この陰険教師が。

 僅かに苛立ちを持ったが、俺はそれを表には出さず、冷淡な表情で教壇の方へ向かうと二秒ほどその問いを眺め、ホワイトボードに途中式と解を書き込んでいく。

 この問題はやったことがなかったが、この問いに必要な公式は知っているのでそれを使い、その場で計算しながら書き込んだ。

 俺は柳を一瞥すると、渋い顔で「……正解だ」と呟いた。

 この程度の問題で俺をやり込めようなど十年早い。俺を苦しませたかったら、フェルマーの最終定理くらいは持って来いという話だ。

 

「座っていいですか? 緊張してるんで」

 

「ッ! ……ああ。早く座れ」

 

 嫌みったらしくそう言ってやると舌打ちをして、俺を席に座らせた。ざまあみろ、陰険教師。

 意気揚々と席に戻ると、カオルちゃんが良くやったと親指を立ててくれているのが見えた。他のクラスメイトも嬉しそうな顔をしているのがちらほらと見受けられる。やはり俺だけではなく、クラスの連中からの受けもすこぶる悪いらしい。

 数学の授業が終わるとまたもクラスメイトが俺の席に群がる。今度は男子も多い。

 

「いやー。俺、柳嫌いだっただんだよ。よくやってくれたな」

 

「ホントホント。あの野郎、わざと解けない問題引っ張り出して来るからな。マジうぜえよ」

 

 肩を叩かれたり、感謝の言葉を述べられたりと一躍人気者になってしまった。何をやっても目立ってしまうのは俺が天性の主役だからだろうか。

 しかし、悪い気はしない。もっと俺を褒めろ。(たた)えろ。(あが)(たてまつ)れ。

 クールな表情にお調子者の意識を潜めて笑っていたら、その人ごみを掻き分けて、カオルちゃんと海香ちゃんがやって来た。

 

「やるねー、あきら」

 

「私もあの先生は嫌いだったから溜飲が下がったわ」

 

「二人ともようやく話しかけてくれたな。俺寂しかったぜ?」

 

 俺の元に近付いて来てくれた二人に笑いかける。周りの女子は彼女たちを睨むが二人は一顧だにしない。

 やはり凡百の女の子と雰囲気が違う。湧き上がる華々しさがある。

 

「場所、変えよっか。ここじゃ、色々煩いし」

 

 教室から二人を連れ出して、階段の踊り場まで移動する。廊下もガラス張りなので人目がつきにくい場所というとここくらいしかなかった。

 そこへ行くとすぐに不満そうにカオルちゃんは俺に尋ねてくる。

 

「それであきらは何で転校の事黙ってたのさ?」

 

「別に黙ってた訳じゃないよ。まさか、同じクラスだと知ったのは今日だったし」

 

 言い訳をすると、今度は海香ちゃんが鋭く突っ込んでくる。

 

「でも、私たちがあすなろ中の制服を着ていた事は見ていたんだから、同じ学校だって事は分かっていたいたのよね?」

 

「……驚かせたかったんだ。二人の驚く顔が見たくてさ。怒らせちまったなら、謝るよ」

 

 しょんぼりと俯いて、カオルちゃんたちに謝る。柳の時よりもよほど誠意のある謝罪だ。

 二人は顔を見合わせると、すぐに表情を綻ばせた。そこまで本気で怒っていた訳ではなく、少し拗ねていただけだったようだ。

 

「うそうそ。そんなに怒ってないって」

 

「ただ、連絡がなかったのが気に食わなかっただけよ」

 

「何だ。俺は怒らせたのかと思って凄いびびったよ。こう見えて繊細なんだから、そういうの止めてくれよな」

 

 和やかに談笑しつつ、俺は二人が心を開いてくれていることを再確認する。

 たった一日程度しか付き合いのない人間をここまで信用させるとは流石は俺だ。前の学校の奴らも自殺に追い込まれる寸前まで俺のことを心底信頼してたのを思い出す。

 まったく、どいつもこいつも俺を信用し過ぎだ。自分の前に居る男が自分を殺そうと企んでいるのを気付かない。

 俺に猜疑心を持っているかずみちゃんでさえも、俺と行動を共にしている内に俺に心を許していた。

 自ら壊してくださいと懇願してくる玩具のようだ。心優しい俺としてはそんなお願いを聞かずにはいられない。

 

「まあ、これからは同じクラスなんだし何かと宜しく頼むわ」

 

「転校初日であそこまでできるあなたに助けなんているとは思えないけど?」

 

「ていうか、あのクールな演技は何? 私は笑いそうになったわ」

 

 海香ちゃんは慎みのある小さな笑み、カオルちゃんは快活な大きな笑みを浮かべる。俺はそれに頭を掻きながら苦笑いをする。

 

「おいおい、手厳しいね。緊張してたんだよ、緊張」

 

 二人からはほぼ同時に「似合わない」と言われ、俺も結構へこんだ。演技としてはなかなか良い線言っていたと思ったが、素の俺を知っている人間からするとお笑い沙汰だったらしい。

 授業間の小休みが終わり、俺は二人と一緒に戻ろうとする。

 するとカオルちゃんが右の肩、海香じゃんが左の肩に手を置いた。俺はそれに驚いて一瞬立ち止まる。

 

「「こちらこそ、これから宜しく!」」

 

 そう言って、ふっと先に教室に戻って行ってしまった。

 思った以上に気に入られているようだ。本当に同年齢の奴には持てるな、俺。

 この性格のおかげで昔からちょっとでも同世代の人間と話すと、やたらと好かれるところがある。カリスマ性というか、人気者体質というか、どうにも人を惹きつける体質なのだ。

 

 俺は教室に帰って来ると、待ち構えていたようにひむひむが話しかけて来た。

 

「あきら君って勉強もできるし、可愛い女の子にも持てるんだね。その上、特別な力まで持ってるなんてまるでヒーローみたいだ」

 

「可愛い女の子って、カオルちゃんと海香ちゃんのことか?」

 

「そうそう。牧カオルさんと御崎(みさき)海香さんだよ。あの二人クラスでも人気なんだよ?」

 

 何となくそれは分かる。魔法少女になったからなのか、それとも天性のものなのかは知らないが、二人ともスター性のようなものを持っている。

 そして、自分がそういう存在であることも自覚して動いている節がある。そういう人間は総じて人気が出るものと相場が決まっている。

 ……そう言えば二人の苗字ってそんなだったな。普段名前だけで女の子を呼ぶから苗字まで気にしないが、ちゃんと覚えていた方がいいな。

 

「……ひむひむ。あの二人には気を付けろ。『俺たち』の敵になる女の子たちだ」

 

 ぼそっと耳打ちしてやると、ひむひむの表情が瞬時に変わる。

 普段は隠している恍惚な変態性のある顔だ。

 

「……じゃあ、いづれは二人の血をぶち撒けてもいいって事かな?」

 

 俺と同じく小声で返す。声を潜めるとより一層変質者のように見えて、思わず一歩後ずさる。予想以上のやばさだ。俺と出会う前はどうやってその頭のおかしさを隠し通していたのか聞きたいレベルだ。

 俺はそれに引き気味で小さく頷いた。

 

「ただし、俺がいいと言ったらな」

 

 ひむひむと別れ、チャイムの音を聞きながら席に着席して、俺は二時限目の授業を受ける。

 二時限目は英語の授業で担当教員は佐々岡だった。それだけで真面目に授業を受ける気が霧散した。教科書も出さずに窓の外をずっと眺めていると、佐々岡は俺に気が付いたようだが困った顔をするだけで注意をしなかったので無視した。

 その後もつまらない午前の授業が続き、昼食もカオルちゃんたちとさらりと食べ、午後の授業はシエスタをして潰した。

 あっさりと放課後になると俺はひむひむを連れて、三階の三年生の教室へ行くと帰り支度をしていた旭先輩を捕獲する。

 

「パイセーン! ちょっと俺らと遊びに来てください」

 

「えーと、確か……あきら、君」

 

 旭先輩は俺の名前を覚えていた。ちゃんと名乗ってはいなかったが、ひむひむが俺の名前を呼んでいたから、しっかりと頭に刻んでいたようだ。うむうむ、結構。

 俺とひむひむは旭先輩の両脇から手を入れて掴み、がっちり固定してそのまま連行する。

 

「ちょ、ちょっと!」

 

「レッツゴー、トゥギャザー」

 

 ひむひむもよく分かっていないようだったが、この場のノリだけは把握して、俺と同じように旭先輩を引きずっていく。

 旭先輩も戸惑ってはいるものの、抵抗する気はないらしく、されるがままの体勢でいた。

 俺のナビゲートにより、辿り着いたのはあすなろ中の外にある建物の一つ、『格技場』。

 学校のホームページで見たが、この学校は柔道部、剣道部、相撲部などの武道系の部活はここで交代してそれぞれの活動をしているのだという。

 俺は元々ここに目をつけていた。武道を習っている人間の中には人を傷付けることを目的に参加している奴も少なくない。

 さぞや、素晴らしい『戦力』になってくれることだろう。

 

「で、面白そうだから、あきら君に言われるがままにここへ来たけど……何しようとしてるの?」

 

 今まで何も聞かずに付き従ってくれたひむひむがついに尋ねてくる。俺はそれに四文字で答えた。

 

「スカウト」

 

「ああ、ボクらと同じように魔物になる人間をスカウトしに来たんだね?」

 

「頭がいい奴は話が早くて助かるわ。もう一人、仲間が増えたらこれからのやる『ゲーム』について話してやるよ」

 

 ひむひむは俺側の人間だから、すぐさま得心が行ったと理解してくれたが、旭先輩はまだよく分かっておらず首を傾げている。

 まあ、直接見てもらって理解してもらえばそれでいい。

 ともかく旭先輩を解放して、俺たち三人は格技場の中へと足を踏み入れた。

 中へ入ると、汗臭い臭いが鼻先に吸い込まれ、不快な気分にさせられる。そして、俺たちの視界には半裸の男同士が汗まみれでぶつかり合っている地獄絵図のような光景が飛び込んできた。

 彼らは上半身は何も纏っておらず、肥えた肉体を惜しげもなく見せびらかしていた。股間には申し訳程度にふんどしに似たものが付いているのみ。正直、生で見せられると精神的に込み上げてくるものがある。

 そう。それは相撲。マワシ一つ着けただけの肥満体の男どもが肌をぶつけ合う日本古来からあるスポーツだ!

 この時間帯はどうやら相撲部が格技場を貸し切っているようだった。

 うーん。どちらかと言えば、剣道部か、柔道部を狙っていたのだが、この際贅沢は言ってられない。高望みをしているといつまで経ってもプレイヤーが集められず、ゲームが始められないからだ。

 俺らが道場の入り口付近で見回していると、それに気付いた相撲部員の一人が近寄って来た。

 

「お前ら、何だ?」

 

「入部希望者でーす。今回は見学させてもらいに来ましたー」

 

 前もって考えていた台詞を吐いた。

 こうして入部希望を装えば、部活動である以上、快く中に入れて見学させてもらえるはずだ。もっとも、お目当ての人間さえ見つけて、こちらに引き込めばここに来ることもないだろうから、本気で入部する気などさらさらないが。

 

「ええ!? ……むぐ」

 

 事態が飲み込めていない旭先輩は声を上げたが、傍にいたひむひむが口を手で塞ぎ、黙らせた。グッジョブだ、ひむひむ。あとで鼻血を流させてやろう。

 俺が入部希望者だというと相撲部員は思ったとおり、快く招き入れてくれた。

 

「おう、そうかそうか。なら、入ってみて行け。俺は相撲部の部長の山田だ」

 

 山田部長に連れられ、俺たちは靴下を脱ぐように指示された後、道場の奥に入って行く。固定された床板が外されて砂が多少付いた地面が剥き出しになっていて、中に丸い綱が大きく円を描いている。

 これが土俵という奴か。初めてみたが、中学校ながら結構本格的だ。

 

「今、二年に稽古付けてたんだが……おい! 力道! またお前か!? 何勝手にへばってんだ、立てっ!!」

 

 比較的に親切に話していた山田部長が急に表情を変えて、怒気を立て声を荒げた。

 土俵に立っている力道と呼ばれた少年は叱咤され、青痣(あおあざ)だらけの身体を辛うじて持ち上げた。

 相撲部にはおおよそ似つかわしくない細い身体だったが、一応は最低限の運動部に属している程度の筋肉は付いている。それでも俺よりも貧弱な体型だ。

 

「そんなんだからお前はいつまでも経っても弱いままなんだよ! 親御さんたちに恥ずかしいと思わないのか!?」

 

 山田部長の声に動かされ、気合のこもった声を上げた力道は稽古相手に向かって張り手を撃ち出すが、体格差があり過ぎてびくともしない。

 相撲相手はへらへらと笑みを浮かべている。その落差が必死になっている力道がなおのこと滑稽に映った。

 

「聞かねえよ! そんなへなちょこの突っ張り! 突っ張りっていうのはこうやんだ!!」

 

 相手の張り手が腕を引いた力道にカウンターぎみに入る。

 くぐもった呻き声を上げて、土俵から外へと押し出され、力道は後頭部から地面に倒れ込んだ。

 頭を押さえ、悶え転がる力道に駆け寄った山田部長は助け起こしてやるのかと思いきや、平手打ちを食らわせた。

 

「馬鹿野郎! 見学者も居るのに見っともない真似見せやがって!! お前にはまた扱きだ!」

 

 力道はその理不尽な扱いに文句も言わず、よろめきながら立つと土俵へと戻って行く。その後ろ頭にはいくつもタンコブが出来て、凸凹に盛り上がっていた。

 他の部員はそれを嘲りの目で見て、声こそ上げてはいないが笑いものにしていた。

 ひむひむは内出血は興味が湧かないのか平然とした表情で見下ろし、旭先輩は数時間前までの自分を被ったのか我がことのように顔を(しか)めた。

 

「あの部員いつもこうなんですか?」

 

 俺が『いつもこういう扱いを受けているのか』という意味合いで尋ねたところ、山田部長は勘違いしたらしく、溜め息を吐いて教えてくれた。

 

「ああ。あいつは二年の力道鬼太郎(おにたろう)って名前なんだが、どうにも名前負けしたへっぽこ野郎で入部した時からまるで成長がない。特別に扱いてやってるんだが、いつまで経っても弱いまんまだ」

 

 俺の発言を『いつもあんなに弱いのか』と取り違えた山田部長は相撲部始まって以来のヘタレだと懇切丁寧に力道について話してくれた。

 一人だけあれほどボロボロにされているのに皆誰もそれについて異議を唱えるものもおらず、まるで本人も当然のようにその仕打ちを受け入れている。

 なるほど。集団心理が働いて、この状況がイジめ以外の何物でもないことに気が付いていないのか。

 そうでなければ、まだ部外者である俺たちにここまで詳細に語りはしないだろう。

 この相撲部において、力道鬼太郎という少年はサンドバックのようなものらしい。

 実に面白くない。

 狭い空間で本人すらも肯定されているイジめ。そこにカタルシスはなく、欲望の情動もない。

 物言わないぬいぐるみを殴り続けているようなものだ。

 ここに加虐者は居ない。居るのはサンドバックに稽古をする真面目なスポーツマンだけだ。

 少なくても、ここに俺のゲームに参加させたいプレイヤーは一人も居なかった。

 もう帰ろうとひむひむたちの方をちらりと振り返る。

 すると、旭先輩が力道が居る土俵へと歩いて行った。

 

「……ねえ。君、辛くないの?」

 

 とても静かな声で旭先輩は力道に問いかけた。その声に含まれたものは義憤だろう。恐らくは自分と同じ、(しいた)げられているものへの共感もあるはずだ。

 抑えきれない感情を無理に締め上げた故にとても静かで穏やかな声。

 俺はそれを聞いて小さく笑った。これから起きるエンターテイメントの予感を感じ取ったからだ。

 

「え? あんたは……誰?」

 

 力道はこちらのことなどまったく気付いておらず、旭先輩が目の前に近付いたことでようやくその存在に気が付いた様子だ。

 

「答えてくれ。当たり前のように傷付けられて辛くないのか? 悔しくはない? 悲しくはならない?」

 

「……全部、俺が弱いせいだから……」

 

「じゃあ、強くなれば変わる? 力があれば自分が今居る場所が間違ってるって思えるようになる?」

 

「それは……俺が強くなれば分かるかもしれないけど」

 

 二人の問答はここに居る全ての存在を無視して、行われている。

 似た人間でありながら、力を手に入れた人間とそうでない人間の会話。旭先輩にとっては少し前までの自分に対して尋ねているようなものなのだろう。

 

「おい。勝手に土俵に入ってもらっちゃ……」

 

「まあまあ。もうちょっと待っててやってください、山田部長。彼らにとっては大切な話なんですから」

 

 旭先輩を土俵から出させようと咎める山田部長が二人の傍に行こうとするが、俺はそれを止めた。

 山田部長は憮然とした表情を俺に向けたが、少しだけ待ってくれる様子だった。力道以外の人間にはそこそこ寛大なようだ。

 きっと外側の人間から見れば、善人の部類と判断させているのかもしれない。

 再び、会話している二人を視線を移すと旭先輩は制服のポケットに片手を突っ込んでいた。

 

「じゃあ、見せてあげる。力があれば虐げられていることが間違っていたって……諦めて無気力で受け入れていたことが愚かだったって分かるから」

 

「え……?」

 

 ポケットから取り出された手にはイーブルナッツが握られていた。

 旭先輩はそれを額まで持って来て、思い切り押し付ける。

 姿が歪み、肥大化し、旭先輩の抱えていた欲望に対応した形に変わっていく。

 

『これが力を持った人間の姿だよ。力道君』

 

 そこに居たのは黄土色の巨大な針鼠。一本一本が五十センチほどの長さの針を剣山のように蓄えている。

 驚く力道を余所に針鼠の魔物と化した旭先輩は背中の大針を弾けたように打ち出した。 

 

「何だ、こ……」

 

 大針は俺とひむひむ、力道を除いた全ての人間に降り注ぐ。

 山田部長は顔と胴体に満遍なく、大針で串刺しにされた。人間サボテンとなった山田部長は地面に崩れ落ち、血液で真っ赤な水溜まりを作った。

 

「おお!! これだよ、これ! やっぱり人間のフィナーレは鮮血で飾られていないと駄目だね!」

 

 キラキラと幼児のように喜ぶひむひむに俺はげんなりしつつ、周囲を見回した。

 人間サボテンがごろんごろんと樽のように転がっている。生きている人間は俺を含めて三人しか居ない。相撲部の部員は皆肥えていたため、体型までも樽っぽかった。

 相撲部の部員を殺した旭先輩を見つめて、立ち竦んでいる。

 その目には欲望の輝きは垣間見えていた。

 旭先輩の行いが歩くサンドバックに『ゲーム』に参加するプレイヤーとして資質が宿らせたようだ。

 俺は彼の傍まで近寄って顔を覗きこむ。

 

「やあ、可哀想なシンデレラ」

 

 俺をその目に捉えると力道は状況の説明を求めてくる。

 

「あ、あんたは誰だ!? 今の起きたことについて知っているのか!? 知ってるんなら何が起きたのか教えてくれ!?」

 

「まあ、待てよ。俺は可哀想なシンデレラに魔法を掛けてあげる優しい優しい魔法使いさ」

 

「は? シンデレラ……? 魔法使い……?」

 

 比喩的な俺の言葉に目を白黒させて混乱する力道に微笑んで、胸ポケットに入れて置いた最後のイーブルナッツを取り出して見せた。

 

「力が欲しくはない? 誰にも虐げられない力が」

 

「それ……」

 

 イーブルナッツを見た後、針鼠になった旭先輩を一瞥する。これが魔物への変身アイテムだということは一度見て、理解しているようだった。

 

「く、くれ……! 俺も欲しい! 力が欲しい!!」

 

 その懇願する言葉を聞き届け、俺は力動の額にイーブルナッツを押し込んだ。

 

「おめでとう。これでアンタも加虐者の側に立つ権利を与えられた。期待してるよ、リッキー」

 

 プレイヤーは揃い、ようやくゲームの仕度を始められる。

 俺は異形に変貌する力道を見ながら、頬の端を一際大きく吊り上げた。

 

「さあ、ゲームの説明をしようか」

 




今回登場した力道鬼太郎君は中沢さんの応募キャラクターです。
私なりに描いてみましたが、どうでしょうか? 満足して頂けたら幸いです。
さて、あきら君率いる魔物四体が勢揃いしました。これで次の回辺りから、魔法少女とのバトルが始めると思います。
ようやく書きたい話が書けそうですが、次回はちょっと遅くなります。
しばらくお待ち下さい! 


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第九話 トラペジウム征団

前回までのソードアキラ・オンラインのあらすじ
2022年、世界初のVRMMORPG《ソードアキラ・オンライン》(SAO)の正式サービスが開始され、約1万人のユーザーは完全なる仮想空間を謳歌していた。
しかし、ゲームマスターにしてSAO開発者である天才プログラマー兼あすなろ中学校教師、佐々岡司郎がプレイヤー達の前に現れ、非情な宣言をする。SAOからの自発的ログアウトは不可能であること、SAOの舞台《浮遊城アキラクラッド》の最上部第100層のボスを倒してゲームをクリアすることだけがこの世界から脱出する唯一の方法であること、そしてこの世界で死亡した場合は、現実世界のプレイヤー自身が本当に死亡するということを……。
プレイヤーの一人である少年一樹あきらは、絶望的なデスゲームをクリアすべく、戦う決意をして旅立つ。それから一か月が経過し、2000人のプレイヤーが死亡するも、ベータテスト経験者たちでさえ第1層を突破できずにいた。βテスト経験者たちへの非難を自分一人に向けるため、チート紛いなβテスト経験者『ビーター』の汚名を自ら名乗り、ひたすら最前線で戦うあきらは、同じく攻略組として戦い続ける少女かずみと出会う。


「まず俺たちが手に入れた力についてだが、これはイーブルナッツという魔法のアイテムを人体に取り込んだからだ。こいつは俺の協力者からもらったもので残りストックはもうほとんどないから無くすなよ?」

 

 錆びた鉄のような強烈な鼻に()く血の臭いが漂う格技場で俺は演説をするように滔々(とうとう)と語る。

 聞き入るは黄土色の針鼠、紺碧の蝙蝠(こうもり)、そして――朱色の二本の角を額から生やした熊の三体の魔物。

 それぞれ旭先輩、ひむひむ、力道改めリッキーだ。三人とも人の姿から解放されて絵も言われぬ快感を味わっている。

 ひむひむは器用にも天井に逆さまでぶら下がって、コウモリに成り切っていた。奴め、さては形から入るタイプの人間だな。

 

「だ・がっ、俺たちからこの力を奪おうとする存在が居る。それが『魔法少女』と呼ばれる少女共だ。奴らは自らを正義と称し、この力を悪と定義して始末しようとしてやがる。まったくもって俺たちにとってはこれ以上にない迷惑な連中だ!」

 

 両手を大きく開き、俺は預言者の如く大仰に叫んだ。

 呼応するように魔物たちは低く唸る。それらしいことを言いながら、魔法少女たちへの負の感情を煽っていく。

 それらをゆっくり見回し、重々しく頷く。

 

「これから俺の話す『ゲーム』はその魔法少女を狩っていくハンティングだ。標的は『プレイアデス聖団』という七名の魔法少女のチーム。ここいら仕切ってる大物たちらしい。俺たちの目的は奴らを皆殺しにして得るべき幸せを享受すること!」

 

 ぐっと片手を掲げて、俺も人の形を捨て去り、黒い竜へと変貌した。

 蛍光灯の光を浴びて黒光りする鱗の生えた腕を伸ばして、彼らに宣言するように言った。

 

『これより、俺たちは奴らを苦痛の底に突き落として始末する! お前ら!! 準備はいいか!?』

 

『任せてよ。女の子を傷付けるのは大得意なのさ』

 

 ひむひむは甲高い声で笑い、羽根を広げて自信気にそう答える。

 

『……正義を自称する人間は、たまには虐げられている人間の痛みや苦しみを味わってみるべきだと思う』

 

 旭先輩は目を細めて独り言を呟くように吐き捨てる。

 

『せっかく力を手に入れたんだ。手放して溜まるかよ』

 

 リッキーはその爪の生えた拳を握り、もう片方の手にひらに打ち付けた。

 三者三様だが、皆俺のゲームに参加してくれる気のようだ。直々に目を付けた甲斐があったというものだ。

 それじゃあ、手始めに行わなければいけないことが一つ……。

 

『取り合えず証拠隠滅~』

 

 大きく開かれた口から吐き出された紅蓮の火炎が、黒く固まり始めていた血で汚されている格技場を灼熱の楽園と変えて行く。

 血生臭さは物が焼ける焦げ臭さに掻き消され、密閉された空間は炎と煙に包まれた。

 

『うわっ! あっつぅ!! いきなり何するのさ、あきら君!?』

 

『これから毎日格技場を焼こうぜ?』

 

 火の粉が舞い散り、天井に居たひむひむが悲鳴混じりに文句を言う。

 しかし、気にしないのが俺クオリティ。こちとら静岡生まれの東京育ち、火事と喧嘩は江戸っ子として欠かせない。

 

『俺の荷物と着替えまだ奥の部屋に置いてあんのに!?』

 

 壁に伝わる炎が奥の着替え場所まで届き、めらめらと燃え盛る。

 鬼のような姿の巨大な熊になった癖にみみっちいことでショックを受けるリッキー。こいつは意外と萌えキャラの素養があるな。

 

『いいじゃん。リッキー嫌な記憶と共にこの際全部パーっと燃やしちまえよ、ぱーっとさあ』

 

『……というかそろそろ、僕らも出ないとまずくない? 一酸化炭素も充満してるし、柱も焼け落ちそうなんだけど……』

 

 旭先輩の言う通り、煙ももうもうと立ち込めている上、格技場を支えている支柱も大部分を炎に侵食されていた。

 一番処理したかった人間サボテンと化した相撲部員は誰が誰だか分からないほど燃えて、炭化している。

 そろそろ、潮時か。

 俺はさらにもう一度炎を吐いた後、全員とも比較的に火炎を吹き付けなかった裏口の扉をぶち破りながら飛び出した。

 皆も俺に続いて次々に飛び出してくる。

 それを一旦見届けると、格技場の裏に繋がる林へと飛んで行く。

 

『こんなめちゃくちゃな奴に俺は着いてきてしまったのか……』

 

『ははっ、そう言うなよ、リッキー。俺たちはもう常識の向こう側に居るんだぜ?』

 

 リッキーはその熊面を歪ませて悲しそうに言う。そのごつい顔でそういう表情を浮かべるとかなり面白い。加えて、サンドバックで居た時よりもずっと活き活きとしている。

 林の中まで来ると俺たちは変身を解き、人間の姿に戻った。

 火の手が上がる格技場は今も元気に燃え盛っているだろうが、校庭にも部活で残っている生徒が居たからすぐに消防車を呼ぶはずだ。

 

「いや~。よく燃えたな」

 

「過激だね、あきら君は。でも、そういうところが面白くて着いて来たんだけどね」

 

 他人事のようにそういう俺にひむひむは苦笑いを浮かべる。

 旭先輩は俺に申し訳なさそうに頭を下げた。

 

「僕が先走ってしまったからこうなったんだよね……ごめん、あきら君」

 

 俺は彼の肩にポンと手を置く。

 

「気にすんなよ、旭先輩。()りたい時に()るのが一番気持ちいいもんだ。それを我慢させんのは酷ってもんだろ?」

 

「あきら君……ありがとう」

 

 俺に自分の行いを肯定されたからか、目の下に隈のあるくたびれた顔に喜色が付く。典型的なイジめられっ子という人種は自分を否定され続けてきたような人間なので、肯定されると驚くほど喜ぶ。旭先輩も例外ではなかったらしい。

 

「なーに、俺と旭先輩は仲間なんだから感謝なんていらないぜ。……うーん、そうだな、じゃあ、先輩にも友好の証にあだ名進呈しよう」

 

「あだ名?」

 

 尋ねる旭先輩にひむひむが傍にやって来て教えた。

 

「僕は氷室だからひむひむ、力道君はリッキー。それぞれあだ名をあきら君が付けてくれているんです」

 

「おい、待て。さっきから気になってたけど何で俺もうあだ名付いてんだよ? そして、何で浸透してるんだよ?」

 

「煩い、リッキー。気が散るからちょっと黙ってろ」

 

「何んだこの理不尽!?」

 

 俺が煩いことを咎めるとリッキーは愕然として叫んだ。まったく、さっきから煩い奴だ。

 鬱陶しく下らないことでリッキーが文句を言って騒ぐせいで集中できず、いいあだ名が浮かんで来ない。

 しかし、まあ、さっきまで相撲部で当然のようにイジめられていた人間が理不尽を口にできるようになるとは……。どうやらイーブルナッツの与える力とは精神にも作用するようだ。

 

「旭……アサヒ……サヒ……。うん、旭先輩のあだ名は『サヒさん』で決まりだ。改めてこれから宜しくサヒさん」

 

 俺が熟考の末にあだ名を命名してあげると、旭先輩改めサヒさんは嬉しそうに目元を弛めた。

 

「サヒ……か。あだ名なんて嫌がらせで付けられた事しかなかったからちょっと嬉しいな……」

 

「あ、分かります。こうやって友達につけてもらうと嬉しいですよね」

 

 誰にでも社交的な性質らしく、ひむひむはサヒさんにも気さくに話しかける。サヒさんの方もそれが嫌ではないようで心地良さそうにしている。

 一方、リッキーの方はまだ俺の付けたあだ名が不満なようでぶつくさと文句を言っている。

 

「リッキーって、夢の国のネズミみたいじゃねえか……」

 

「何が気に食わないんだよ。リッキーベア」

 

「誰がリッキーベアだよ!」

 

「ハハッ、キミのことだよ。ハハッ」

 

 甲高い声で某ネズミの真似をして、リッキーに答える。

 何か言い返そうとしたが、あまり口は立つ方ではないようで、ぐぬぬと悔しそうな表情で堪えた。

 どこまでも弄り易いなキャラをしている。なかなか楽しいがそれよりもそろそろ移動した方がいいだろう。貴重な時間をここで潰すのはもったいない。

 俺は皆を連れて、自宅へと向かった。転校初日にして遅めの帰宅だ。

 流石の俺でも放課後に放火後テロタイムするとは思いもしなかったので致し方ない。

 

 *

 

 自宅のマンションの部屋前に付くと俺は鍵を使わずにドアノブを回す。

 思った通り鍵はされていなかった。

 とはいえ、俺が鍵を掛け忘れた訳でも、空き巣に入られた訳でもない。

 その理由はソファに腰掛けて、テレビを見ながら(くつろ)いでいる女の子、ユウリちゃんだ。

 彼女は俺たちの方へ顔を向けると、品定めをするように眼球を動かした。連れて来たひむひむたちが使えそうか判断しているようだ。

 

「あの子が俺たちの協力者のユウリちゃん。魔法少女だけど味方だ」

 

「お前らが使えなさそうならアタシは容赦なく切り捨てるつもりだけどな」

 

 ユウリちゃんは冷徹な表情で連れない台詞を吐いた。

 その態度に少しむっとしたのか、リッキーがひむひむとサヒさんを押し退けて前に出た。

 力を得たせいで好戦的になっているリッキーはユウリちゃんを見て、憤慨して、言い放つ。

 

「いきなり知らない相手に切り捨てるだの言われたくないんだが? 何ならここで力を見せてもいいぞ?」

 

 ユウリちゃんは相変わらず冷めた目をしていたが、ゆっくりとソファから立ち上がる。

 あ、こいつ、何か攻撃撃ってくる気だわ。

 そう勘付いた俺はそっと脇に逸れた。リッキーがユウリちゃんの直線上に立つことになる。

 瞬時にユウリちゃんはカジュアルな服装から魔法少女の衣装に変身して、手に二挺の拳銃を召喚する。

 そして、即座にリッキーに銃口を向けて引き金を引く。

 当然、このままならば、リッキーの身体に二発のの銃弾がめり込むのだが――。

 

『しゃらくさい!』

 

 角の生えた朱色の熊に変貌したリッキーはそれを大きな手で、蚊でも潰すように二発とも同時に両手で叩き潰した。

 手を払うと、潰れてペシャンコになった元銃弾がゴミのように床に落ちる。

 ユウリちゃんとリッキーは睨みあい、緊迫した空気が俺の家に流れた。

 その緊迫した空気を打ち破ったのは他でもない俺だった。

 

「リッキー。部屋汚したな? 後でちゃんと掃除しろよ」

 

『いや、そう言う空気じゃなかっただろ!?』

 

 巨体を揺らして突っ込む赤い熊さん。実にシュールで可愛い。鬼のようなその見た目からは想像も付かない律儀さはもうギャグとにしか見えない。

 

「ぷっ、あははは。あきら、お前の連れて来た奴はなかなか面白いな」

 

 顔を上げて笑うユウリちゃんにリッキーは怒り出しそうになる。しかし、彼女の姿があられもないことに気付くと違う意味で必死に目を逸らし始めた。

 

「だろ? スカウトした三人の中でも随一の萌えキャラだ」

 

『だ、誰が萌えキャラだ、誰が!』

 

「力道君。突っ込むだけドツボに嵌っているよ、君」

 

 ひむひむが呆れたようにリッキーの背中に手を置いてそう言った。

 サヒさんの方はリッキーよりも女の子の露出に免疫がないようで、顔を両手で覆っている。だが、地味に指先からちらちらと見ている辺り、むっつりスケベだった。

 

「俺を含め、プレイアデス聖団を狩るための四体の魔物の猟師……そうだな。チーム名は『トラペジウム征団』とでもしようか」

 

「トラペジウム?」

 

 俺がチーム名を決めると、ユウリちゃんは聞き返す。

 それに俺ではなく、ひむひむが代わりに答えた。

 

「オリオン大星雲の星生成領域で生まれた比較的若い星による星団から名付けたんだね。なるほどね、ギリシャ神話でプレイアデスの姉妹を追い掛け回した狩人オリオンから命名したのか。憎いネーミングセンスだね」

 

 インテリ然とした面構えに合ったように、わりと博識なようだ。

 俺はひむひむに首肯して後を引き継ぐ。

 

「オリオン大星雲の中心部には、四重星の台形を描く、非常に若い星からなる散開星団がある。それがトラペジウム星団だ。俺たちにぴったりだろ?」

 

 サヒさんもリッキーも気に入ってくれたようで悪くない名前だと小さく呟いていた。

 本当は『あすなろ・ホーリー・カルテット』と悩んだが、こちらにして正解だった。

 いや、本当になぜ悩んだのかと思うくらいダサいな。ふっと脳内にどこからか電波が届いてしまった。

 さて、名前も決まったことだし、ユウリちゃんを合わせて本題に移るとしよう。

 俺は一つ咳払いをして、皆に話し始める。

 

「そんじゃ、本題に入ろうか。結成して早速だけどこれからプレアデス聖団の内の三人が居る家に襲撃をかけようと思いまーす。反対意見のある人ー?」

 

「随分といきなりだな。勝算はあるのか?」

 

 俺の話し方があまりに軽かったせいもあり、ユウリちゃんは懐疑的な視線を浴びせてくる。

 それを見て、人間の姿に戻ったリッキーが挑発する。

 

「……何だ、びびってんのか? 魔法少女ってのも案外大したことないんじゃないのか?」

 

 さっき笑われたことを根に持ってか少しばかり意地の悪い笑みをしている。早く手に入れた力を使って暴れたいということもあってか、リッキーは非常に乗り気なようだ。

 

「調子に乗るなよ。魔女モドキ風情が……」

 

 ユウリちゃんの方も煽り耐性ゼロのようで剣呑な雰囲気になりかけたが、ひむひむが二人の間に割って入り、(なだ)める。

 

「まあまあ。ここで仲違いしても得をするのはプレアデス聖団って人たちだけだよ。力道君もユウリさんもここはひとまず落ち着いて。ね?」

 

 爽やかな笑みで場を仲裁するひむひむは、血で興奮する変態野郎には見えない。一見、変態に見えない真性の変態が一番恐ろしいと思う。

 

「そーそー。喧嘩はよくないよー。で、ユウリちゃんは反対なの?」

 

「馬鹿言うなよ。アタシが狙っていたのはかずみなんだ。乗るに決まってるだろ」

 

「なら、いいな。サヒさんはどう?」

 

 何も言わずに黙っていたサヒさんにも賛同を求める。

 彼は自分のことは聞かれるとは思っていなかったようで少しだけ狼狽した様子を見せた。

 

「……え? 僕? それはもちろんやるよ……!」

 

 やる気がなかった訳でも、反論がある訳でもなく、ただ自分の意見がそれほど影響しないものだと思って発言しなかったみたいだ。内気な人間には有りがちなスタンスだ。

 

「反対者ゼロ。じゃ、全員賛成ってことでいいな? それじゃ、御崎邸宅にレッツゴー」

 

 俺はトラペジウム征団の仲間とユウリちゃんを率いて、かずみちゃんたちの居る御崎邸宅に足を運ぶ。

 手始めに彼女たちを傷付けて、遊ぶとしよう。

 ああ、待ち遠しい。彼女たちをどんな風に弄くろうかと考えただけでワクワクが止まらない。

 愛しい女の子に会いにデートに行くようなそんな気分だ。

 




結局、バトルは次の回になってしまいました。
あきら君の愉快な仲間たちのキャラをもう少しだけ描きたかったのでこうなりました。
あんまり性格の掴めないキャラが戦っていても面白く感じられないと思ったので、仕方がない措置として理解して下さるとありがたいです。


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閑話 キャラクター紹介

今回は輸入銘木さんから、立ち絵をもらったので軽いキャラ紹介をしてみました。
そう言った事が嫌いな方は目を通さなくても構いません。



~トラペジウム征団・キャラ紹介~

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 ・一樹(かずき)あきら

 

 あすなろ中学校に通う十四歳の中学二年生。野性的だが顔立ちは整っていて、常に悪戯っぽい笑みを浮かべている。

 この物語の主人公であり、救えない邪悪。彼が居ないだけで世界は確実に平和になるだろう。

 性格は快活で誰にでも気さくに話しかけ、その人懐っこい気質と楽しげな雰囲気で飲み込み、信用させてしまう天性の人誑しの資質を持つ。

 しかし、その本性は度の越えた自己中心的性格で、自分が世界の中心に居ると本気で思っている無邪気で残酷な子供そのもの。

 

 あすなろ市に来る前は周囲の人間を自殺に追い込んだり、事故に見せかけて殺害したりを度々繰り返してきた。

 先天的に頭が良く、加えて演技が上手いせいで誰も彼を疑うことはなかったが、あまりにも誰も気付いてくれなかったためにわざわざ両親だけ自分がクラスメイトを自殺に追いやる映像を動画にして見せたところ、母親は精神を病み、父親はあきらを恐怖し、彼をあすなろ市に放逐した。

 このような残酷になった理由や原因は特になく、しいてあげるなら生まれ育った環境があまりにも恵まれ過ぎていたために他者の命を弄ぶことでしか快楽を感じられなくなったことくらいである。

 

 殺害をする理由もまちまちで、時には態度が気に食わない相手を手に掛けることもあれば、特に意味もなく目に付いた相手を殺すことや、気に入った相手を弄くり回して命を奪うこともある。

 自分以外の人間は全て玩具として考えている節があり、基本的には本当に大した意味もなくその場のノリで人を殺す真性のサイコパス。

 一応善悪の区分や分別は理解しているが、それを自分に適応させるつもりが欠片もないところが彼の最も恐ろしいところと言えるだろう。

 

 あすなろ市で魔法少女の存在を知り、魔法に興味を持ち、紆余曲折を経て、その力の一端である『悪意の実(イーブルナッツ)』を得た。

 イーブルナッツの力を使い、黒い竜の姿になることができる。

 コードネームはイタリア語で竜を表す『ドラーゴ』。

 

***

 

 

【挿絵表示】

 

 ・氷室悠(ひむろゆう)(通称・ひむひむ)

 

 あすなろ中学校にて、あきらが目を付けた邪悪な人間の一人。

 あきらと同じクラスの保健委員で爽やかな笑顔の似合う美少年。帰化したイギリス人の父譲りの金髪碧眼が特徴。

 だが、その本性は人間の血液が噴き出る様や女性の悲鳴を嗜好品とする倒錯者。保健委員をしているのも比較的に血を見る機会が多いからという歪んだ理由からである。

 学校ではまともな『ふり』をして日常生活を送っていたが、内心では誰にも理解されない自分の本質を隠すことを苦痛に感じていた。

 あきらにそれを見抜かれ、自分の欲望を満たす機会をくれたことに心から感謝しているため、トラペジウム征団の中で一番あきらの行動に同調している。

 

 家族構成は母親と双子の妹のみで、父親は既に他界している。

 歪んだ理由は彼の容姿が亡くなった父親に非常に似ていたために、夫の死を受け入れず心を病んだ母親に虐待じみた可愛がりを受けていたことが原因。

 母親の異常な愛情がストレスとなり、双子の妹に暴力を振るうことで平静を保っていた。

 その過程で『真実の愛』とは即ち、可愛がることではなく、『傷付けること』と定義し、その際に出る流血こそが愛の証だという狂気の哲学に辿り着いてしまった。

 ちなみに母親と妹は彼の『真実の愛』という名の拷問に掛けられて廃人化している。

 

 あきらからイーブルナッツをもらい、彼と同じくプレイアデス聖団を狩る狩人(プレイヤー)になり、魔法少女を苦しめることにゲームに参加した。

 イーブルナッツにより、藍色の巨大な蝙蝠の姿になることができる。

 コードネームはイタリア語で吸血蝙蝠を表す『ヴァンピーロ』。

 

***

 

 

【挿絵表示】

 

 ・(あさひ)たいち(通称・サヒさん)

 

 不気味で不健康そうな顔色の中学生三年生。あきらたちより一歳年上でトラペジウム征団の中で一番年長者にあたる。

 身体の弱さと覇気のなさから学校では一年の頃からイジメグループの標的にされ、家でも酒癖の悪い父親に暴力を受けており、教師や親戚に訴えても相手にされなかったので改善を諦めて閉鎖的で無気力になった。

 だが、あきらがイジメグループをあっさりと殺害したおかげで自分の身の回りにあった理不尽は暴力で踏み躙れるということを知り、トラペジウム征団の一味になった。

 友人が一人も居なかったせいで閉鎖的な性格をしているが、自分に新たな世界を教えてくれたあきらには感謝と敬意を持っている。

 

 今まで何もできずに我慢している多かったので、相撲部を皆殺しにするなど衝動的に行動してしまうところがある。いつ暴発するか分からないという意味ではトラペジウム征団の中で一番危険な人物と言える。

 また、力道鬼太郎には自分と同じよう虐げられてきた経験から親近感を覚えている。

 力を持った魔法少女を一方的に悪と決め付けて命を奪うが、結局はそれは強い人間への僻みや、弱かった自分の劣等感から来るものだと本人は気付いていない。

 

 あきらからイーブルナッツをもらい、その力で黄土色の巨大な針鼠の姿になることができる。

 コードネームはイタリア語で針鼠を表す『ポルコスピーノ』。

  

***

 

 

【挿絵表示】

 

 ・力道鬼太郎(りきどうおにたろう)

 

 元・あすなろ中学校相撲部の二年生。

 身体は運動部所属としてはかなり細いが、氷室悠や旭たいちなどの比べれば十分筋肉がある体格をしている。

 相撲部屋の生まれで、強くなるように鬼太郎という名前をつけられたが、生まれた時から体が弱く、小さい頃から、名前負けした奴としていじめられていた。

 中学に上がってからは、相撲部に入部し強くなるために努力を重ねてきたが、成果は出ずに周りからも都合の良い、サンドバックとして扱われた。

 物心付いてからはずっと劣等感に悩まされ、心を殺して物の様に扱われることに慣れていたが、あきらたちとの出会いにより、徐々に活動的な人間になっていった。

 トラペジウム征団の中で誰よりも『力』に固執しており、あきらから力をもらってからは率先して暴れまわるようになった。

 あきらには時々、からかわれていたりするが実は意外とそれが悪くないと感じている。

 笑いものか、かませ犬としてしか他人に見てもらえなかったため、何だかんだで自分を認めてくれているあきらには友情を持っている。

 

 あきらからもらったイーブルナッツにより、朱色の二本の角の生えた熊の姿になることができる。

 コードネームはイタリア語で熊を表す『オルソ』。

 

 




実はキャラというのは作中で描いて分かってもらうものと考えていたためにあまり好きではなかったのですが、今回は立ち絵紹介のためにやってみました。
ちゃんと作中でキャラは描いていくつもりなので心配されている方は安心してください。

追伸
やはり立ち絵があると想像力が増しますね。私はこの中ではリッキーが一番デザインがいいなと思いました。


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第十話 最高のスパイス

前回までのアキラノ・ワールド

群馬県にある市立あすなろ中学校に通う少年旭たいちは、不健康なくたびれた顔と内向的な性格から、幼少期の頃よりいじめや嘲りの対象となり、辛い日々を送っていた。
いじめは中学に入学してからも収まらず、たいちはままならない現実を呪いながら学内ローカルネットの片隅に設置されているスカッシュゲームのスコアを伸ばすだけの日々を送っていた。
そんなある日、たいちは副生徒会長を務め周囲から羨望の眼差しを受ける美貌の下級生下衆雪姫・一樹あきらから謎めいた言葉を告げられる。

「もっと先へ――『邪悪』したくはないか、先輩」

戸惑いながらも下衆雪姫の誘いに応じたたいちは、有線直結通信で謎のアプリケーションソフト「ブレイン・バースト」をインストールされる。それはニューロリンカーの量子接続に作用し、思考を一千倍に邪悪にするという驚くべきアプリケーションだった。

こうして、ブレイン・バーストのプレイヤー「バーストリンカー」になったハルユキは、デュエルアバター「オーカー・ヘッジホッグ」を操り、もう一つの世界である「邪悪世界(アキラノ・ワールド)」で繰り広げられる戦いに身を投じてゆく。


 日が落ちて数刻、街灯が点き始めた夜の街を見下ろして俺は風を全身で浴びていた。

 実に清々しい気分だ。溜めていた精液を盛大にオナニーしながら、人通りのある通行路へぶち撒けたような爽快感がある。

 実際に試したことはないが、きっとそれと同じぐらい気持ちいいはずだ、多分。

 黒い竜の姿になった俺は翼をはためかせて、かずみちゃんたちが三人で暮らしている目的地の御崎邸の上空へとやって来ていた。背中にはユウリちゃんとサヒさんが乗っている。

 傍には紺碧の蝙蝠になったひむひむが後ろ脚でリッキーを掴んで俺と同じように飛んでいた。

 余談だが、俺が格技場ごと着替えの制服を燃やしてしまったせいで、リッキーは今までマワシだけしか身に着けていなかった。とんだ変態露出野郎である。

 今は俺の服を貸してあげているので、ようやく露出狂の汚名を返上できていた。

 

『準備はいいですか? サヒさん、いや……ポルコスピーノ』

 

 これから魔物態になった時は、かずみちゃんたちの前で本名で呼び合う訳にもいかなくなるからトラペジウム征団の皆にはコードネームを付けてもらっていた。

 サヒさんはイタリア語で針鼠という意味の『ポルコスピーノ』。

 ひむひむは吸血蝙蝠という意味の『ヴァンピーロ』。

 リッキーは熊という意味の『オルソ』。

 そして、俺が竜という意味の『ドラーゴ』。

 何でイタリア語なのかと問われれば、カオルちゃんと海香ちゃんが技名をイタリア語で付けていたのでそれに合わせてみた。まあ、あえて言うなら彼女たちに対する皮肉みたいなものだ。

 

「うん、いいよ。ちょっと怖いけど……ワクワクするね。あき……じゃなかった、ドラーゴ」

 

 首だけ曲げた俺の横目には不健康そうな顔には生気に満ちた笑顔が見えた。

 サヒさんは今から行う襲撃に対して興奮しているようだ。結構結構。真っ当に人としての道を踏み外してくれているようで俺としては大変嬉しい。

 俺の背からぴょんと飛び降りて、真下にある御崎邸へと急速に落下していく。

 風圧に身を委ね、身体を大の字に広げたサヒさんは急降下しながら黄土色の針鼠の魔物へと変化していった。

 

『ヴァンピーロ、そろそろ……』

 

『任せて、ドラーゴ君。―――――――――――――――。』

 

 俺の合図の声に合わせてひむひむは顎を大きく開いて、喉を振るわせる。その瞬間、周囲から一切の音が消失した。

 無音の中、サヒさんは空中でくるりと身体を丸めて棘だらけの球体へとなると、そのまま位置エネルギーをその身に宿し、真下に広がる豪邸の屋根に大きな風穴を開けた。

 屋根をぶち破った穴からは屋根の破片と共に凶悪な剣山の球体が突入していくのがありありと見えた。

 しかし、その際に聞こえるはずの轟音はまったくと言っていいほど聞こえなかった。これはひむひむのおかげだ。

 蝙蝠になった彼が発する超音波は一時的に音を消すことができるのだと言う便利なもの。

 サヒさんが落下する直前に放った超音波はその衝撃音を完全にシャットアウトしていた。

 もしも周りに隣家があるならば、巨大な物体が落下した時点で警察に通報が通るのだが、御崎邸は住宅街から離れた位置にあるため、隣接する民家はない。

 豪邸なんぞに住んでいるからこういう目に合うのだ。三人とも、もっと地域の人たちとコミュニケーションを取るべきだったな。

 御崎邸では音もなく、屋根を破壊してきた針鼠の襲来にてんやわんやしていることだろう。ようやく聞こえ始めてきた声に耳を済ませてそう言った。

 サヒさんが無事、突入し終えたのを見ていると、ひむひむに肩を掴んでもらっているリッキーが不敵な表情で言った。

 

「それじゃ、次は俺だな。ヴァンピーロ頼むぞ」

 

 変態マワシ男、もとい、リッキーはひむひむにそう頼む。

 それを受けて、ひむひむはこくりと頷いた。

 

『分かった。ちょうどポルコスピーノさんの真上に落とせばいいんだね?』

 

「俺が串刺しになるだろ!?」

 

『駄目なのかい!?』

 

「何驚いてんだよ、お前!? 当たり前だろッ!」

 

 ボケとツッコミの応酬を繰り広げていたひむひむとリッキーだったが、俺の背中に居るユウリちゃんが早くしろと冷めた目で睨んでいたため、茶番を終了させた。

 ひむひむもリッキーの弄り方が分かってきたようだ。あとで花丸をあげよう。

 ひむひむは掴んでいたリッキーを離すと、サヒさんと同じように重力に従って落下して行った。

 朱色の熊に変貌して、サヒさんが落ちた地点より少しずれて、屋根を突き破る。その際にひむひむの発した超音波でまた周囲が無音になった。

 音が回復すると俺はユウリちゃんを背に乗せたまま、ひむひむと一緒に下へとゆっくりと降りて行く。

 

『さーて、それじゃ、俺らも楽しむとしますか』

 

『乙女の血をこの目で見られると思うと……ボクもう想像しただけで果てちゃいそうだよ』

 

 にやにやと牙を剥き出して笑う俺と、気色の悪い舌なめずりをするひむひむに呆れたように溜め息を吐いた後、低い声でユウリちゃんが言った。

 

「言っとくけど、かずみはアタシの獲物だからね。……邪魔したらお前らでも容赦しないよ」

 

『分かってるよ、そんくらい。なー、ヴァンピーロ』

 

『うんうん。ボクたちだって理性のない獣じゃないんだから。ねー、ドラーゴ君』

 

 信用できないと言わんばかりのじっとりした目を向けられながらも、トラペジウム征団社交性ある組の俺らは愛想笑いを浮かべた。

 納得はできていないが仕方ないといった風に俺の背から降りたユウリちゃんは窓の方から家の中へと侵入して行った。

 かずみちゃんの部屋に向かったのだろう。騒ぎに乗じてまた攫っていくつもりらしい。どんだけあの子に執着しているのやら。

 まあ、そんなことは置いておいて、俺らは俺らで楽しむとしますかね。

 俺はサヒさんが空けた穴から、ひむひむはリッキーが空けた穴からそれぞれ中へと入って行った。

 穴は双方ともに二階はもちろん、一階の床にまで続いていて、滅茶苦茶になったリビングがその無残な様を見せていた。

 そこでは魔法少女になった海香ちゃんがサヒさんと、カオルちゃんがリッキーと対峙していた。

 ちょうど海香ちゃんとカオルちゃんは背中合わせに二人、いや二体に挟まれている。

 

「どういう事!? 魔女が二体も……私たちを狙って来たっていうの!?」

 

「しかもこの前に取り逃した奴でもかずみを殺そうとした女刑事さんでもない……はっ!? 海香! ここは私に任せてかずみの方に行って!!」

 

 カオルちゃんは海香ちゃんに中高生なら人生で一度は言いたくなる台詞、『ここは自分に任せて先に行け』を言っていた。

 友達を安否を確認するために一人で敵を迎え撃つ。何と熱い展開。胸が沸き立つぅ!

 

「でも、それじゃカオルが……」

 

 カオルちゃんを気遣う海香ちゃんに、彼女はウインクを一つした。

 

「心配しないでよ。私が頑丈なの知ってるでしょ?」

 

 痺れる台詞だ。実に格好がいい。だが、無意味だ。

 なぜなら、敵は二体ではなく、四体に増えるから。

 

『浸ってるところ悪いんだけど、俺らも混ぜてくんない?』

 

『仲間外れは悲しいからね』

 

 ドラマチックなやり取りをしている二人の前に俺とひむひむはぬらりと姿を現す。そして、すぐに四方から囲むように陣形を組み、二人を逃がさないように構えた。

 

「なっ、魔女が四体に!」

 

「これじゃ、かずみのところに行けない……!」

 

『俺たちを倒してから行けばいいだろ? お姫様の元に向かうにはいつだって魔物を倒さないといけないもんだぜ?』

 

 からかい混じりの口調でそう言うと、好戦的なカオルちゃんはそれに乗って来てくれた。

 怒りのこもった笑みを浮かべて俺の方を獰猛な視線を投げ掛ける。

 

「ああ、そう。じゃあ、遠慮なく……海香!」

 

 俺に向かって飛びかかって来るかと思いきや、海香ちゃんに声を掛けた。

 海香ちゃんは手に持っていた分厚い魔導書のような本を開いて掲げる。

 そうすると、カオルちゃんの頭上に万年筆を数本円を描くように並べたような模様の魔法陣が浮き上がった。

 前に見た魔法とは違うようで俺は警戒しながら、サヒさんに号令を飛ばす。

 

『ポルコスピーノ! 奴の動きを止めろ!』

 

 声に合わせてすぐさま、大針がカオルちゃんを串刺しにしようとサヒさんの背中から放たれる。しかし、それも間に合わない。

 

「ロッソ……」

 

 跳んで魔法陣を潜り抜けたカオルちゃんは――。

 

「ファンタズマッ!!」

 

 ――何と四人に分身した。

 またもイタリア語と共にそれぞれ四方に別れて俺たちに飛び蹴りを放つ。流線型の見事なフォームでなおかつキレのある蹴りだ。

 事実、ひむひむとリッキー、避けることもできずに腹部に直撃した。この中では一番体重の軽いひむひむは吹き飛ばされて壁に激突する。リッキーの方は身体を仰け反らしただけで済んだがかなりモロに食らったようだ。

 針で覆われている針鼠のサヒさんは身体ではなく、顔面を蹴り付けられて(ひる)んでいる。

 俺はと言うと、即座に尻尾を俺の方に飛んでくるカオルちゃんの足に巻きつけて地面に叩き付けた。その際に表情を僅かに歪めたことから、このカオルちゃんが本体だと気付いた。

 当たりか。きっと俺の日頃の行いがいいからだろう。

 その隙に海香ちゃんがひむひむが抜けたところから、するりと抜け出す。上手い連携だ。ちゃんとカオルちゃんとの意思疎通が取れている。

 だが、まだ甘い。

 俺は尻尾で絡め取ったカオルちゃんを離脱しようとする海香ちゃんに投げ付ける。

 

「!? 海香、避けて!!」

 

「え!?」

 

 脇目を振らずに走り出したせいでとっさの判断が追い着かず、カオルちゃんとぶつかり床を転がる海香ちゃん。

 駄目だねぇ。お友達なんだからちゃんと受け止めてあげないと。

 体勢を立て直す前の二人に向かって、火炎の息吹を吹き付ける。

 

「くッ……」

 

 小さく海香ちゃんの声が聞こえた。

 炎を吐きながら、横目でカオルちゃんの分身がどうなった確認する。

 リッキーはその強靭な両腕で分身の一人を握り潰している。

 

『こんの、クソ女がぁ!!』

 

 腹を蹴られたのがよほど頭に来たようで目を見開いて強暴な顔を見せていた。元の優しい森のクマさんに戻ってほしいところだ。

 

『…………』

 

 サヒさんの方も無言ながら、静かにキレているようで床に倒れ込んだ分身に針を降り注いでいる。

 吹き飛ばされたひむひむは無事復帰して自分を蹴り飛ばした分身の肩に噛み付いている。だが、分身は血液を流してくれないので不満そうに顔を(しか)めていた。

 皆、それぞれ分身を倒して消滅させると、俺は炎を吐くのを止め、魔法少女の二人が上手にこんがり焼けているのか確かめる。

 

「はあはあ……」

 

 火炎が収まるとそこには周囲を光のバリアのようなもので覆っている海香ちゃんが見えた。その右手には魔導書が掲げられている。

 彼女の後ろにはカオルちゃんが肩膝を突いて座っていた。

 丸焦げになる前に海香ちゃんが炎を防ぐ魔法を使ったらしい。

 

『やるじゃない』

 

 それでこそ、殺し甲斐があるというもの。これで燃え尽きてたらそれこそ興醒めだ。

 にんまりと笑う俺の脇にひむひむたちが立つ。

 

『ドラーゴ。ここは俺にやらせてくれよ! あのオレンジ髪の女、サンドバックにしてやる……』

 

 怒気を隠さずに俺に頼むリッキーに俺は少し考えた後、許可を出した。

 本当は俺が可愛がってあげたかったのだが、ここは素直に譲ってあげるのが大人だ。

 

『分かった。じゃあ、あのオレンジ髪の魔法少女はオルソとヴァンピーロが、あっちの紺色の髪の魔法少女は俺とポルコスピーノが担当ってことで』

 

 頷くや否や、各々が目の前の獲物に飛びかかる。

 リッキーがその大きな腕を振るい、張られたバリアをガラス細工のように砕くと海香ちゃんは悲鳴を上げた。

 こうまであっさりとバリアを突破されるとは思っていなかったようで、瞬時の反応が遅れたカオルちゃんの頭を掴み、壁際に投げ飛ばす。

 

『さっきの蹴りは痛かったぞ、この(アマ)!』

 

「うるさい。この熊公め」

 

 身体を捻って空中で体勢を変え、壁を蹴ってカオルちゃんは逆にリッキーの元へと跳ね返ってくる。

 飛んで火に入る夏の虫とばかりに拳を弓のように引き絞るリッキーだったが、それを予想しないほど魔法少女は甘くはなかった。

 

「カピターノ・ポテンザ!」

 

 両腕をクロスさせるようにリッキーへ向けるとその腕を肘から鋼のグローブに変化させる。

 リッキーの拳に付いた頑強なカギ爪と鋼のグローブが衝突して、鈍い衝撃音が響いた。

 ダメージがより大きかったのは……。

 

『ぐおおお……俺の爪がぁ!!』

 

 リッキーの方だった。

 カギ爪がへし折れて、黒い体液をだらだらと流している。硬度の高さならカオルちゃんの方が上だったようだ。

 しかし、カオルちゃんの方も全力の拳を受けて、今度こそ壁に叩き付けられた。勢いが強すぎたせいか、背中が壁にめり込んでいる。

 

「がふっ……」

 

 床に膝を突いて咳き込んだ後、何ごともなかったかのように立ち上がり、挑発的にリッキーを睨み付けて、鼻で笑った。

 

「力自慢のわりにはそこまで大した事ないんだね、あんた」

 

 だが、カオルちゃんは一つ失念している。相手はリッキーだけだはないことを。

 リッキーがカオルちゃんを投げ飛ばすのと同時に天井に張り付いて、機会を(うかが)っていたひむひむが致命的に油断したその背中へと飛びか掛かった。

 

「なっ……!」

 

『ボクをお忘れかな、お嬢さん』

 

 絡み付くように抱き突いて、首筋にその長い牙を突き立てる。深々と皮膚を突き破って牙は陶器のように白い肌から赤い血を流させる。

 

『う~ん。乙女の血はやはり美しく……そして何より(かぐわ)しい。これだよ、ボクが求めていたものは!』

 

 血液を吸い出しながら、器用にも喋るひむひむ。ちゅぱちゅぱと微妙に汚い音を立てながら実にご満悦の様子だった。

 クラスメイトの血を啜って興奮する変態男子中学生とは業が深い。こいつが日本の明日を背負っていくと思うと未来はお先真っ暗だ。

 

「カオル!!」

 

 お友達の大ピンチに駆け寄ろうとする海香ちゃんの行く手を俺とサヒさんが阻む。

 

『おっと、お嬢ちゃんの相手は俺たちだ。無視しちゃ嫌だぜ?』

 

 歯噛みしつつも、海香ちゃんは魔導書を開いて応戦しようとする。流石は魔法少女、戦意は衰えていないようで安心した。

 サヒさんは針を飛ばすことだけでは倒せないと悟り、今度は身体を丸めて、針の大玉となり、まっすぐに転がって行く。

 

「今度は押し潰す気? ……お生憎様(あいにくさま)、私だって後方支援しかできない訳じゃないのよ」 

 

 海香ちゃんは攻撃方法が変わったことに戸惑うが、すぐに魔導書を槍状に変化させ、転がる剣山の塊を受け止める。

 しかし、それは悪手だ。素直に避けるか、またはその槍で往なせばよかったものを。

 

『ポルコスピーノ、……フィナーレだ』

 

 俺の合図に従い、丸めた背中に生やした針を全て前方に向けた。海香ちゃんは何が起ころうとしているのか察して、急激に青ざめ、離脱を試みるがもう致命的に遅すぎた。

 サヒさんは超近距離で大針の一斉射撃を撃ち出す。

 苦痛の針の弾丸は修道服に似た海香ちゃんの衣装を抉り、その下の肉すらも削り取っていった。

 彼女たち風に言うのなら、差し詰め『最後の針(アクーレオ・フィナーレ)』とでも言ったところか。

 

「あっっぐうっ……!!」

 

 掛けていた眼鏡が砕けて、床にぽとりと落ちた。

 海香ちゃんの左目には深々と針が突き刺さっていて、非常に痛ましい様を露呈していた。

 俺はあまりにもそれが可哀想なので……。

 

『うりゃ!』

 

 カギ爪を突っ込んで、もう片方の目も抉り取ってあげた。

 

「あ゛あ゛――!!」

 

 今まで聞いたことのない濁った声で叫びをあげて、自身の血で汚れた床を転げて悶える。

 その度に身体に突き刺さった針がさらに深く皮膚へ沈んでいく。

 何という悪循環。これぞ、悪循環の理。

 

『喧しい!』

 

 比較的針の刺さっていない頭を踏みつけて黙らせる。

 女の子がそんなにはしたない声を出してはいけません。レディたるもの悲鳴もお上品にいかないと。

 

「海香からその汚い足を退けろぉぉ!」

 

 カオルちゃんが怒り狂って、背中に貼り付いたひむひむに肘鉄を食らわせてこちらに駆けて来る。顔に見事に肘が入り、牙を折られてぐらりと身体を揺らす。その顔には「これはこれで」というマゾヒズムが見え隠れしていて、実はあまりダメージにはなっていないようだ。

 しかし、怒りに燃える彼女の脇腹を長く伸びた二本の何かが刺し貫いた。

 

『何、シカトしてんだよ! お前ぇ!!』

 

 それはリッキーの額から伸びた二本の角だった。脇腹に刺さったそれは明らかに内臓までも届いていた。

 

「クソっ、お前に構って――られないんだよ!」

 

 脇腹を貫いている角を掴み、カオルちゃんは力を込めて握り締める。手が震えるほどの力で握られた角はミシミシと音を立て、握り潰された。

 いくら魔法少女とはいえ、女の子の握力で握り潰されると思わなかったリッキーはしばし唖然とする。

 そこがリッキーの最大のミスだった。

 意識の間隙を突かれたリッキーにカオルちゃんの渾身の蹴りが炸裂する。

 

『うごぉぉ!?』

 

 その巨体をくの字に曲げ、壁を壊しながら後ろへと倒れ込む。

 でかい図体して情けないと言いたいところだが、俺もカオルちゃんの頑張りにはびっくりしたので彼のことをとやかくは言えない。

 俺は動かなくなった海香ちゃんをもう一度踏み付けてから、それをサヒさんに任せて、カオルちゃんの方へ飛びかかる。

 

『いいねぇ、お友達の危機に友情パワーでも目覚めちまったのかなぁ!?』

 

「お前ぇ!!」

 

 地面を踏み切って加速したカオルちゃんは俺にも飛び蹴りをかまそうとする。

 タイミング、角度、スピード、技のキレ、何を取っても今まで最高の蹴りだが、如何せんワンパターンだ。

 予測できた攻撃に脅威はない。

 俺はそれを大口を開けて待ち構える。

 衝撃と共に口内へと押し入り、激痛を味わいながら、文字通り蹴りを食らわせられた。

 

『良い蹴りだわ、本当に』

 

 歯の幾本かは欠けてしまったが、しっかりと挟み込んだ下顎と上顎で彼女の足を噛み締める。

 

「あっづ!! 離せぇ!」

 

 自分からプレゼントしておいて離せとは酷い話だ。俺はもらったものは大抵壊して返すと決めている。今回もそのスタンスを通させてもらう。

 引き抜こうとするカオルちゃんの足を骨ごとチョコスティックのように食いちぎる。

 形容できない悲鳴をあげて床へ落ちたカオルちゃんの右足は、膝から下が歯型と共に消失していた。

 涙をこぼす彼女の顔には痛み以上に絶望の色が濃く出ている。もう大好きなサッカーができなくなってしまったからだ。

 小説家の海香ちゃんは目玉を失い、サッカー少女のカオルちゃんは利き足を失う。

 なんて可哀想な二人なんだ。

 哀れ極まりない。

 こんな救いのないことがあっていいのか。

 俺は彼女たちに同情の目を向けて、口の中のお肉を噛み締める。

 いやー、本当に悲鳴と苦痛の嘆きは最高のスパイスだぜ。

 




今回はちょっとバトルを書きました。一人称だと周りの俯瞰が難しいです。
ウチの下衆雪姫の人間性は本当に最悪の人間ですね。


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第十一話 キャプテンあきら

前回までの『とある外道の有害図書』

超能力が科学によって解明された世界。能力開発を時間割り(カリキュラム)に組み込む巨大な学園都市・あすなろ市。その街に住む中学生・力道鬼太郎のもとに、漆黒のブラザーが現れた。彼は有害図書(アキラックス)と名乗り、魔法少女に追われていると語る。こうして力道鬼太郎は、外道の邪悪の交差する世界へと足を踏み入れてゆく。


『サッカーしようぜ! 俺はエースストライカー。そんでお前、ボールな』

 

 壁の破片が散らばる床の上に転がるカオルちゃんのお腹に俺は蹴りを入れる。右足を膝下から食いちぎられた彼女は移動することもできず、竜になっている俺の爪先をその柔らかい肌で受け止めた。

 

「っがぅ……!!」

 

 血の混じったゲロを吐き出しながら、惨めに弾んで歪な放物線を描き、床に情熱的なキスをした。

 身体を硬化させる魔法を持っていたはずだが、大事な利き足がもげてすぐには使えない様子だ。精神的にも肉体的にも大きな傷を負ってしまい、魔法に集中ができないと見える。

 なので、俺はここぞとばかりにカオルちゃんを蹴た繰り回す。

 それはもう、小学校の帰り道で小石を蹴って家まで戻る遊びのように蹴って、蹴って、蹴って、また蹴って、飽きるまで蹴り続けた。

 次第にカオルちゃんは陸に上げられて放置された魚のようにぐったりと生気がなくなっていく。

 駄目だなぁ。新鮮さが売りだろ、魔法少女は。ピッチピチだから、大きいお友達は下半身をスタンダップさせて踊るんだよ。まったくもって、なってない。

 光がなくなりかけた目を見ながら、蹴り続ける俺は気分が萎えてくるのを感じた。

 これでは面白みに欠けるので、一旦、足を止めて、大好きなお友達の元へ放ってあげる。

 地面に倒れ伏して十秒くらいは意識が朦朧していたカオルちゃんだったが、ようやく目の前で寝ている大針でズタボロにされた海香ちゃんだと気が付くと守るように顔を抱きしめた。

 

「う、みか、大丈夫、か……?」

 

「カオルの、方……は?」

 

「私は、頑丈だけ、が取り得だか、ら……」

 

 目玉が両方とも潰れた海香ちゃんに自分の心配はさせまいと健気に振舞おうとするカオルちゃん。しかし、俺に蹴られていたせいでうまく喋ることができず、言葉を吐き出すたびに苦しげな吐息を漏らしているので無意味だった。

 いや、意味はあるのか。こんなに私頑張ってますよアピールというクソの足しにもならない意味が。

 

『いいね。血に塗れてお互いを気遣うその姿……ふつくしい。実に芸術的だよ』

 

 肘鉄を食らい、押し退けられたひむひむが羽根を動かしてこちらへと飛んで来た。その後ろからは重たげな足取りでリッキーも続いている。

 二人とも俺がカオルちゃんサッカーを楽しんでいる間にやっと再起したみたいだ。

 

『クッソ……。思いっきり蹴りやがって』

 

 お腹を押さえて痛そうに顔を歪めるリッキーはかなり情けなく目に映る。半ばからぽっきりと折られた角がその惨めさにさらに拍車を掛けていた。

 ひむひむ組は頼りにならないな。俺とサヒさんはきっちり海香ちゃんを戦闘不能に追い込んだというのにこの子たちと来たら。

 何が「ふつくしい」だ、ボケが。自分の任された相手くらいしっかり潰せと言いたい。

 

『さてと、じゃあ……どう料理しますかね? 皆の衆』

 

『はい、ドラーゴ先生。ボク、生け作りが良いと思います』

 

 ひむひむが皮膜の付いた手を上げて、ぴょんぴょんと跳ねる。

 こいつは取り合えず、生きた状態で血飛沫を見たいだけだと改めて確認できた。

 

『俺はミンチがいいと思う』

 

『僕は串に刺すのが……』

 

 リッキーもサヒさんも自分が得意の料理方法を提示してくる。気持ちは分かるが、それだとありきたりでつまらない。

 彼女たちが一番精神的にクル方法はないものか……。

 そう思考を働かせると俺の脳中で天使が囁いた。

 ――あきら君あきら君、彼女たちはお互いを大切に思い合ってるんだよ。

 知ってるよ。そんなことは百も承知だ。今更それがどうしたって言うんだよ。

 ――だったら、二人とももっとくっ付けてあげないと可哀想だよ。

 くっ付ける……?

 天使の囁きの意味が分からず、海香ちゃんとカオルちゃんを眺める。

 そして、天使の言葉の意味に気が付いた。

 俺はにんまりとほくそ笑むと、即座にそれを実行に移す。

 カオルちゃんの腕をむんずと掴み上げ、言葉も発させずに海香ちゃんへと思い切り押し付けた。

 

「……あ……」

 

 即ち、身体中にサヒさんの大針を受けたサボテン状態の海香ちゃんにカオルちゃんが覆い被さる。

 海香ちゃんの白い衣装から生えた針がカオルちゃんのオレンジと白の衣装にまで突き刺さった。そのせいで海香ちゃんの針もまた彼女の皮膚に深く埋まる。

 そして、その上でカオルちゃんの背中に足を乗せる。

 

「いっ……」

 

 二人の顔が同時に歪む。

 大好きなお友達同士で抱き合うなんて幸せもんだね、カオルちゃん、海香ちゃん。

 焼けちゃうぜ、お二人さん。

 しかし、これではまだ足りない。一工夫が必要だ。

 故に俺はカオルちゃんに踏み付けて、耳元に顔を聞こえるように近付けて言う。

 

『なあ、オレンジちゃん。そのままじゃ、アンタの身体にも針が刺さっちまうぜ?』

 

「な、にを……」

 

『でも、アンタには身体の一部を鋼に変える魔法があっただろ。あれを使えばいい。そうすりゃ、針は刺さらない。ま、お友達の子はもっと苦しむことになるけどな』

 

 代わりに下の海香ちゃんの身体により針が深く沈み込むことになるが、それは仕方のないことだ。自分の身を守るためには時には友を犠牲にしなければならないこともある。

 

「ふざ、けんなっ!」

 

 カオルちゃんは俺に殺意を籠めた眼光を向ける。

 まあ、この程度のことで裏切るほど脆弱な関係性ではないことはさっきのやり取りを見れば分かる。

 なので、俺は足を退け、漬物石を召喚した。

 

『オルソ、さっきの雪辱を晴らさせてやる。こいつらを踏め』

 

 この中で最も体重の重いリッキーをカオルちゃんの上に乗せることで二人を一層密着させてやろうという俺の粋な計らいである。

 

『はっ、なるほど。いいぜ』

 

 リッキーも俺の優しい心遣いが理解できたようでその巨体をカオルちゃんの華奢(きゃしゃ)な身体の上に両足で飛び乗った。

 これでカオルちゃんにはどんなに軽く見積もっても彼女の六、七倍はある大熊が全体重を乗せて圧し掛かる。さらに下に居る針のムシロとなった海香ちゃんとさらに密着し、ずぶずぶと針がカオルちゃんにも突き刺さる。

 めりめりと軋む音が聞こえてくるが、果たしてそれは床の音だけなのか。

 調子に乗ったリッキーはカオルちゃんの背中で足踏みする。

 

『ははは。いい気分だぜ。さっきはよくも蹴りをくれたな、おい』

 

「うっず……!! カ、カピターノ・ポテンザ……」

 

 カオルちゃんは魔法で背面を全て鋼に変えて、真下に居る海香ちゃんを庇うように四つん這いになる。だが、右足は膝下がなくなっているため、床に接した切り口からは出血量が急激に増えた。

 ひむひむは興奮して彼女の足元に行き、滲み出た血液を長い舌でぺろぺろと舐め取り始めた。俺以上のマイペースさにちょっと尊敬の念を抱きそうになる。

 しかし、背中を鋼にしてとしてもそれでリッキーの重量に耐えることは不可能だ。質量の差があまりにも違い過ぎている。

 現に少しずつカオルちゃんの身体は少しずつ、沈み込んでいる。せめて、全身を鋼に変えれば針による傷は防げるだろうが、それをすれば海香ちゃんの針はさらに肉の中に潜り込んで行く。

 死への時間をほんの僅かに先延ばしにするしかない行動しか取れない。それは苦痛を味わう時間を延長しているのと同意だった。

 しばらく二人の無意味な頑張りを見て、心を癒していた俺だったが、流石にそろそろ飽きが来てしまった。

 遊びは終わりにして、二人とも殺すかなんて考え始めていた時、少し離れた場所の天井が崩れて何かが落ちて来た。

 落ちて来たのはユウリちゃんだった。大きな魔女のような帽子が取れないように片手で押さえつけている。

 

「お前ら、まだ遊んでいたのか。こっちはもう終わったぞ」

 

 ユウリちゃんは俺たちを見付けるとそう言って、片手に持ったものを見せ付ける。

 そこにはかずみちゃんが捕まえられていた。その髪は前に見た時と違い、ショートカットになっている。やはり髪を切っていたようだ。

 気絶しているのか微動だせずに頭を掴まれてうな垂れている。

 

『じゃ、そろそろ撤収しますかね。オルソ、退いてやれ』

 

 リッキーにそう命令すると不満そうな顔で俺に反対する。

 

『だがよ、まだこいつ死んでないぞ』

 

『殺しちまったら、他のプレイアデス聖団にその黒髪の魔法少女が連れ去られたことを伝えられないだろ? 伝言役として生かせって言ってんの。オルソだって、他の魔法少女の首を捻じ切りたいだろ?』

 

 少々不服そうにしていたが、力をあげた俺に義理を感じてか渋々とカオルちゃんから降りた。

 ようやく、言葉通り重荷から解放されたカオルちゃんは虚ろな目でかずみちゃんを見て呟く。

 

「か、ずみ……」

 

 自分の無力感からその瞳からは涙が滲んでいる。目の前の大切な友達が攫われようとしているのに立ち上がることさえできない己を恥じているように見えた。

 そして、そんな彼女の後ろで床に染みた血液をまだ舐め続けているひむひむ。奴の辞書に『自重』という二文字は載っていないようだ。俺もないけど。

 

「残りのプレイアデスにも伝えな。かずみを返してほしければ明日の夜の0時にあすなろドームへ来いってな。このユウリ様がお前らにいいものを見せてやる」

 

 そう言って、嘲笑をカオルちゃんと海香ちゃんに向けると落ちて来た穴へと舞い上がりどこかへ消えて行った。

 

『提供は俺たち、魔物の集団『トラペジウム征団』でーす。魔女じゃなくて魔物ですよー。お間違えのないように』

 

 俺はリッキーの肩を掴んで、ひむひむはサヒさんを回収して、それぞれが空けた穴から飛び去っていく。

 魔物状態のリッキーは非常に重かったが、人間の姿を見られるのは避けたかったのでそのまま空を飛んだ。

 ひむひむも針だらけのサヒさんを持つのに四苦八苦しながらも、最終的に前足だけを掴んで飛んでいた。

 先に飛んで行ったユウリちゃんはどうしているのだろうと目を配ると、赤い薄っすらと発光する巨大な牡牛に乗って飛んでいた。その牡牛の背中には気絶したかずみちゃんも縛られて乗せられていた。

 

『その牛は?』

 

 俺が尋ねるとユウリちゃんはやたら上機嫌で答えた。

 

「ああ、こいつはコルノ・フォルテ。アタシの魔法で生み出した牛だよ。っくく、それにしてもあいつらの顔は見ものだったな」

 

 カオルちゃんと海香ちゃんたちの惨めな姿を見て、気分が高揚している様子だ。相当、あの二人、いやプレイアデスの魔法少女に憎しみがあるらしい。

 どんな因縁があるのか後で聞かせてもらいたいが、今は後回しだ。

 今はすぐに解散して、カオルちゃんたちのところに戻って、どうなっているのか確認したい。

 俺は学校裏の林に到着してリッキーを降ろすと、人間の姿に戻り、さっさと自分だけ御崎邸に舞い戻る。

 

「俺はちょっと二人の様子見てくるわ。あとはユウリちゃんと宜しくやっておいて」

 

『え、ちょっと……』

 

 ひむひむが制止しようと声をかけるが、俺は颯爽と走り出し、皆を置いてその場から去って行く。

 道中のバスの車内でカオルちゃんに電話をかけるが、当然の如く通話に出てくれない。もっともこれは理由作りのための工作なので電話で話がしたい訳ではない。

 重要なのは電話をかけて、相手が出てくれなかったという事実。

 これで「電話にも出てくれなかったから、直接家に訪ねてきた」という言い訳が成立する。

 何の脈絡もなく、この時間帯に現れたら流石に不自然だからな。

 

 *

 

 御崎邸まで辿り着くと、そのボロボロに崩れた外観に目を奪われることもなく、さっさと砕けた壁の穴から侵入すると未だ倒れたままだった二人に近付いて身体を揺する。

 見るからに満身創痍だったが、どういう訳か、流れ出る出血は止まっていた。これも魔法少女だからなのだろうか。

 

「おい! 大丈夫か!? カオルちゃん、海香ちゃん! 何があったんだ!!」

 

 白々しく状況の把握できていない友人を装い、二人に声をかける。

 先に反応したのは下に居た海香ちゃんの方だった。

 

「あ、あきら……? どうしてあなたが……」

 

「カオルちゃんにさ、明日の時間割聞こうと思ったんだけど出てくれなくて……それであの女刑事さんのこと、思い出してさ。それで心配で見に来たんだ。そしたら、家がめちゃくちゃになってて、二人は大怪我してるし、訳が分かんねえよ……」

 

 如何にも「私混乱してます」と言わんばかりにたどたどしい口調で説明する俺。心配そうに顔を歪めて、涙腺を器用に操り、涙まで流してやった。

 そんな俺の様子から、目の見えない状態の海香ちゃんはある程度信用してくれたのか、あるいは疑う余裕すらないのか、素直に助けを求めた。

 

「とりかく、カオルを……カオルを私から剥がして」

 

「わ、分かった」

 

 俺はカオルちゃんを海香ちゃんから引き剥がした。身体のあちこちの骨が折れ、海香ちゃんに密着していたせいで彼女の身体にはいくつもの刺し傷が点々としていた。

 しかし、魔法少女にはやはり一定の治癒能力があるようで、出血やむなしと思っていた傷からは血は流れず、それどころか、ゆっくりと塞がり始めている。

 これなら、手足のもう一本でももぎ取ってもよかったかなと少しだけ後悔した。

 カオルちゃんをソファに寝かせて、足の断面図を治り始めているか確認した。しかし、流石に引きちぎられた部分までは再生しないようで出血が止まっていただけだった。

 胸に手を当てると、出血多量で死んでもおかしくないほど血を流したはずの彼女の心臓はちゃんと脈動していた。顔は少し白くなっていたが、命には別状はないようだ。

 この分なら、次はもっといたぶって遊べるだろう。俺は海香ちゃんに言われた場所から救急箱を取ってきて、カオルちゃんの右足を覆った。

 

「次は何をすればいいんだ……」

 

「……ペンチを持ってきて。向こうの部屋の工具箱に入ってるから」

 

 なるほど。針を一本一本俺に抜かせる算段か。普通ならまず大量出血で死ぬのだろうが、こいつら魔法少女は自然治癒力が人間とは思えない速度で起こるので何とかなりそうだ。

 俺が工具箱を発見して、持って行くと、思った通り、俺に針を抜くように頼んできた。

 まあ、できなくもないが、一応まともな常識人らしく拒否してみる。

 

「で、できるわけないだろ!? 俺は普通の中学生なんだ! 出血多量で死んじまうぞ!? 病院で何とかしてもらった方が……」

 

「あきら……カオルが話したって言っていたから知っていると思うけど、私たちは魔法少女なの。身体の作りも普通の人間とは違うわ。病院には行けないの。だから、お願い」

 

「分かった……可能な限りなんとかしてみる」

 

 俺が覚悟を決めた振りをして、針の刺さっている海香ちゃんの手を握る。

 まるで王道漫画の正統派主人公のようだ。すっごい馬鹿みたい。自分でやっていて笑えてくる。

 半笑いを浮かべた俺に目の潰れている海香ちゃんは感動したように「……ありがとう」と呟くように答えたのがまたさらに笑えた。

 確かに普通の中学生ならこんなグロテスクなものを見せられたら、たかだか二日程度の付き合いの奴なんて見捨てて逃げるだろう。

 ここまで親切にしてくれる男子中学生など、百人中一人居るか居ないかだ。

 そう考えると俺は優しい。まさに天使だ。

 俺は壮大な自画自賛をしながら、ペンチで針を抜いていく。

 

「ん……ぐ……」

 

 大きな針を抜かれる度に呻き声を出しそうになっているが、俺が躊躇しないように健気に抑えている。

 それがまた色っぽく聞こえて、スケベな気持ちになってくる。

 ふふふ、いいぞ。俺にもっとその声を聞かせてくれ。

 針ではなく、違うものまで抜きそうなる俺は海香ちゃんが目が見えないのをいいことにひっそりと楽しんだ。

 だいたい三百本くらいの数の針を抜き終わると、三時間ほど経っていた。

 中でも目に刺さった針を抜くのが一番難しく、眼球に深く突き刺さっているために房水という透明な液体が針に垂れてきて、ペンチが何度もすべりそうになった。

 この時に上げられた苦悶の声が今夜一番のエロボイスだったのは言うまでもない。

 




自分で散々な酷いことしておいて、素知らぬ顔で戻ってくるあきら君マジ下衆野郎です。
一体どういう神経しているのか、わりと本当に気になりますね。


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第十二話 魔法少女いらっしゃい

前回までの『ボクは理解者が少ない』

あすなろ中学二年生の氷室悠は、三ヵ月前に転校してきたものの、ハーフで金髪という風貌で誤解されやすいために、友達が全然できなかった。ある日、邪悪な性格と殺人癖のせいで孤立していた一樹あきらとひょんなことから知り合い、肉塊作りを目的とした「殺人部」を結成。入部希望者が続々と集まってくる。しかし、部員の一人が考案したゲームが波乱を起こし……。


 プレイアデス聖団。

 七人の魔法少女からなる集団でこのあすなろ市で一番勢力を持っているらしい。

 要するに『とってもつお~い女の子』たちなのだが、正直そこまで大した相手とは思えない。

 現在その内、二人戦闘不能、一人拉致。涙が出るほど惨敗。数の上ではこちらが二倍だったから仕方がないとは言え、見っともないことこの上ない結果だ。

 個々の面子が強いというよりは、連携やチームワークが要なのだと思うが……まあ、それは追々調べてみよう。

 

 海香ちゃんは盲目状態でありながら携帯電話を指先の感覚だけで操作して、その残りの四人を半壊した御崎邸へと呼んでいた。

 現れた四人はそれぞれ特徴のある女の子たちだった。

 リーダー格っぽいのキリッとした背の高いショートカット白髪の眼鏡の子、その隣にふわふわした薄ピンク髪の長い幼い顔の子、柔和なそうな表情を浮かべたパーマ掛かった赤髪の子、前髪だけ一房飛び出した下の方で二つ分けのクリーム色のツインテールの子。

 皆、海香ちゃんたちと同じく平均水準以上に可愛い顔立ちの女の子たちばかりだ。魔法少女と契約する妖精とやらは美少女だけを狙っている疑惑が俺の中で浮上した。

 

「かずみが攫われたっていうのは本当か!?」

 

 来て開口一番に白髪ショートの子が言った言葉はそれだった。

 半壊した邸宅やボロボロの二人の心配よりもかずみちゃんを心配する台詞が出るとは意外だった。彼女にとって一番重要度の高いことはかずみちゃんのようだ。

 

「ちょっとサキちゃん! まずは二人の身体を気遣ってあげるべきじゃないの?」

 

 良心的な台詞を言ったのは赤髪のパーマの子。サキと呼ばれた白髪ショートを咎める物言いになかなかの常識人らしさを感じた。

 

「二人とも喧嘩しないで。まずは海香たちからここで何があったのかを話を聞いてからにしようよ。……そこの君の事も聞かせてほしいし」

 

 クリームツインテールの子は(いさか)いを始めそうな二人を宥めながら、俺を一瞥した冷静そうな落ち着き払った態度に俺はこいつが一番手強い相手だと直感する。

 まず最初に殺しておかなければいけないのは七人の中でこの少女だ。

 そう思いながらも、俺は少し現状が把握できていないお馬鹿さんのような演技を開始した。

 

「なあ、アンタら、海香ちゃんたちと同じ魔法少女なんだろ……? だったら、二人の怪我を魔法で治してやってくれよ! カオルちゃんは足ちぎれてて出血量が多かったみたいで顔色も悪くて目を覚まさないし、海香ちゃんは全身針穴だらけでおまけに両目が潰れてるんだ!」

 

 取り合えず、一番手近な位置にいたふわふわピンク髪の子の肩を掴んで揺する。

 彼女は俺を不快そうに見ながら、拳で俺の顔を殴る。

 

「いきなりボクの身体に触るな! この変態が! ていうか、誰だよ!?」

 

 暴力的で思慮に欠ける見た目どおり幼い挙動。短絡的な思考は恐らく、精神の未熟さの表れだ。精神的にはこいつが一番扱いやすそうだ。

 魔法のことはまだ分からないが、こいつはプレイアデスの『穴』だ。扱いやすいということは同時に壊しやすいということと同義だ。

 内心でマークを付けて、俺は殴られた顔を擦る。

 

「いってぇ!! いきなり殴るとか酷いぞ、アンタ」

 

 涙目で見つめると、ふんっと鼻を鳴らしてそっぽを向く。うんうん、実にテンプレートなお子ちゃまタイプだ。

 自分の人間像が大体合っていることに満足すると、話が通じやすそうな赤髪パーマの子に視線を移した。

 

「と、とにかく、俺のことよりも二人をどうにかしてやれないのか?」

 

「ちょっと待ってて。……べえちゃーん。出てきてべえちゃーん」

 

 赤髪パーマの子は「べえちゃん」という何者かを呼ぶと穴の開いた天井から一匹の獣が降りてきた。

 それは黒い身体に顔だけ白い猫に似た小動物だった。長い尻尾と首元から生える二本の触腕のような部位が特徴的だった。

 これが魔法少女の『妖精』という奴だろうか。思っていたのよりも可愛い見た目で僅かに驚いた。

 

「べえちゃん。海香ちゃんたちのソウルジェムを浄化してあげて」

 

「おう、任せろ。掃除の時間だぜ、二人とも」

 

 声変わり前の少年のような声を発して、床に倒れこんでいる海香ちゃんとソファで横たわるカオルちゃんの傍に寄っていく。

 海香ちゃんは自分の手のひらに自分の髪と同じ色の宝石のようなものを乗せている。カオルちゃんの方もクリーム色のツインテールの子が太ももに付いている装飾品を外して、色違いの宝石を出現させた。

 猫似の妖精はそれを見届けるとくるりと宙で一回転する。

 すると、その身体はくるくると高速で回転しながら宙に留まり、黒い小さな竜巻のなると、二つの宝石から黒い濁った光を吸い込んでいった。

 まるでそれはブラックホールのように二つの宝石から黒い光を吸い終えると、回転を止めて元の小動物の姿に戻り、床に降り立った。

 

「大分、消耗してたみたいだが、これで綺麗になったはずだ」

 

 にやりと意外に歯の鋭い口元を見せて妖精は笑う。

 こうやって魔力は回復させる訳か、まるで便利なアイテムみたいだな。この生き物を殺せば魔法少女との戦闘はずっと簡単になりそうだ。

 俺がそんなことを考えて見ていると、ソファの上のカオルちゃんが小さく呻いた。

 立ち上がって駆け寄り、彼女の身体に触れる。

 

「カオルちゃん、意識が戻ったのか!? 俺だ、あきらだ。分かるか?」

 

「あ、きら……? どうしてここに……」

 

「明日の時間割電話で聞こうとしたら、全然出ないから胸騒ぎがして駆けつけたんだよ。でも、意識が戻って本当によかった!」

 

 薄目を開けたばかりのカオルちゃん俺は涙を流しながら、抱きついて頬擦りをする。

 意識がはっきりしてきた彼女は恥ずかしそうに俺を突き放そうするが、俺が泣いていることに気付くと照れたような表情で頭を撫でて来た。

 自分を散々痛めつけた相手とも知らずに心を許すカオルちゃんは素直に笑えた。

 

「ごめん。心配かけたみたいだね……」

 

 しばらく俺にされるがまま抱きつかれているとハッと気付いた顔になり、尋ねてくる。

 

「そ、そうだ!? かずみは? かずみはどこに?」

 

 俺が視線を逸らし、悲しそうに首を振る。

 その仕草でかずみちゃんがここには居ないことを知ると身体にある怪我のことも忘れ、無理に立ち上がろうとした。

 それを止めようと声を掛ける前に目に包帯を巻きつけた海香ちゃんが制止の言葉を口にする。

 

「カオル……今のあなたじゃ、立ち上がることもできないわ」

 

 辛辣なその台詞の意味することを察したカオルちゃんは自分の足を見つめた。右の膝下から醜い断面図を晒すその足では一人で立つことさえままならない。

 内心でほくそ笑む俺だったが、次の海香ちゃんの言葉でそれが吹き飛ばされた。

 

「まあ、魔力は回復できたから、五日もしない内に修復できると思うけど」

 

「え!? この怪我治るの?」

 

 超重大なことをさらりと聞かされ、俺は目を丸くして驚愕した。

 それらしく、治してくれとは吐いてみたが、本気でこの重症が完治するとは欠片も想像していなかった。

 

「魔法少女はソウルジェムさえ無事なら怪我くらい簡単に治せるんだ。逆にそれが壊されてしまえば簡単に死ぬんだけど」

 

 答えたのはクリーム色のツインテールの子だった。

 ぼんやりとしたやる気のなさそうな表情で告げられた新たな情報を俺は脳内で咀嚼(そしゃく)する。

 あの宝石さえ無事なら魔法少女は死なないだと? そんなことはユウリちゃんは一言も教えてくれなかった。

 俺のことを完全に信用していなかったからだろう。寝首を掻かれないために黙っていたという訳だ。

 嫌な子だな、ユウリちゃん。仲間ならお尻の穴まできちんと見せてくれないと。

 重大な秘密を隠していたことに僅かな殺意がちらついたが、それをこの場では見せることなく笑顔を浮かべた。

 

「じゃ、じゃあ、海香ちゃんの目も治るってこと?」

 

「まあね。魔法少女はそれほど柔じゃないよ」

 

 俺が彼女たちのために喜びの笑みを浮かべたことで好感を抱かれたらしく、クリーム色のツインテールの子も小さく口元を弛めた。

 

「よかった~。カオルちゃんはサッカーができるようになるし、海香ちゃんも小説を書いたり、読んだりできるようになるってことだろ? すげえ安心したわ」

 

「あきらは……私たちの事が怖くないの? 傷が簡単に治るなんて普通じゃないでしょう?」

 

 海香ちゃんが俺にそう聞くが、俺はあっけらかんと答えた。

 

「魔法少女ってのは普通じゃないんだろ? 別にいいじゃん。二人が大好きなことが元通りできるようになるんだから最高だろ」

 

 それにどれだけ乱暴に扱っても大丈夫ってお墨付きをもらったのだ。嬉しくない訳がない。どのくらいのダメージでも治るのか早く試したいくらいだ。

 五寸刻みでバラバラにしても修復が可能なのだろうか。引きちぎった部位は腐るのか腐らないのか。考えるだけで夢が広がり、心が躍る。

 

「あきらって変わってるけど……良い奴だね」

 

 カオルちゃんが俺にそう言って優しく微笑んだ。

 俺もつられて嬉しくなる。ああ、この子の(はらわた)を引きずり出して縄跳びがしたい。

 苦悶の叫びをBGMに涙の顔を観賞しながら、スポーツに励みたくて堪らない。

 パンツの中で我慢汁を垂らしながら、どうにか欲望を抑え込む。

 遊びたい。ここの底から楽しみたい。今すぐにでも絶頂しながら体感したい。

 でも、駄目だ。サプライズはもっと関係を深めて、信頼感情を強くしてからにしないといけない。

 

 *

 

「かずみちゃんが攫われたって話だけど、俺はまだ無事だと思う」

 

 簡単な自己紹介と情報共有が終わった後に俺はそう切り出した。

 白髪ショートの浅海サキちゃんとふわふわピンク髪の若葉みらいちゃんがそれに対して反論してきた。

 

「何でそう思うんだ、魔法少女でもないお前に」

 

「そーだそーだ。部外者はすっこんでろよ」

 

 この二人はとりわけ俺のことを嫌っているようで、先ほどからやたらと冷たかった。

 サキちゃんは排他的でよく知らない相手には心を許さず、みらいちゃんの方は単純に精神が幼い故に人嫌いが激しいようで俺を目の敵にしてくる。

 まあ、そういう奴らほど一度壁を破れば、アホみたいに信用してくれるのだが、それには少し時間が掛かりそうだ。

 

「攫われたってことは目的があるはずだ。しかも一度じゃなく二度もある。すぐに危害を加えるっていうのは考えられない。明日の零時に場所を指定して集めていることから察するにその時までかずみちゃんは安全だと思う」

 

「でも、その攫っていった魔法少女と四体の魔女はカオルちゃんたちをこれだけ痛めつけたのよ? かずみちゃんを丁重に扱ってくれているとは思えないわ」

 

 赤髪のパーマの宇佐木里美ちゃんは俺の答えに難色を示す。

 確かに二人の現状を見れば、かずみちゃんの身柄が殺されないまでも無事かどうかは疑問に思える。

 少々乱暴に扱ったからな、ユウリちゃんの奴。髪とか掴んでいたし。

 ちょっと口ごもっていると、海香ちゃんが口を挟んだ。

 

「かずみの事ももちろん気になるけど……私はあのユウリって魔法少女も気になるわ。私たちプレイアデス聖団に対して尋常じゃない怒りを持っていた」

 

 それをカオルちゃんが次いで話す。

 

「あの魔女ども、いや、『魔物』って名乗った奴らもおかしいよ。明らかに人の言葉を理解してたし、魔法少女に付き従ってたってのも、複数で行動してたのも、結界を張らなかったのも既存の魔女とは全然違う」

 

 俺はそれに少し気になってカオルちゃんたちに聞いた。

 

「結界って何だ?」

 

「……魔女は普通の人には見えない結界を張ってそこに人間を引き込んで食べる」

 

 面倒くさそうにサキちゃんが俺の疑問に答えてくれた。無愛想だが、案外面倒見が良いのかもしれない。

 にこっとお礼に笑顔を振り撒くが、顔を背かれてしまった。隣にいたみらいちゃんはなぜか俺に舌を出して嫌そうな顔をしてくる。

 

「そんな事も知らないでよくこの会話に参加できるね」

 

「いや、俺が会った魔女……カマキリの魔女になった刑事は結界なんてもの張らなかったし」

 

 ヒントのつもりでそう呟くと、今まで黙っていたクリーム色のツインテールの神那(かんな)ニコちゃんが真っ先に飛びついてきた。

 

「待って。その言い方じゃ人間が魔女になったようだけどどういう事?」

 

「? どういうことも何もその通りだよ。俺とかずみちゃんの前で女刑事は魔女になった。あとそれにあいつも人の言葉を喋ってたし……あれ? それが普通じゃないのかよ?」

 

 魔女がどういうメカニズムで生まれるのかは知らないが、人間が魔女になることはないらしい。だから、あえてヒントを与えた。

 まあ、海香ちゃんたちもとっくに教えているんだが、話題に上げてくれないので仕方なく自分で話した訳だ。

 彼女たちは目を合わせ、俺の言葉をさらに聞く。

 俺はそれに大人しく答えてやった。もちろん、全部話すほど愚かじゃない。必要な部分だけを切り取って教える。

 目の前でカマキリの化け物になった刑事がかずみちゃんを狙っていたこと、刑事には協力者が居たと言っていたこと。

 そして、その二つのことから、かずみちゃんを狙っていた魔法少女は魔女……否、魔物を作り出すことができるのではないかという推察も加えておいた。

 

「というのが海香ちゃんたちの話を聞いて俺が思った推測なんだけど……」

 

「人間を魔物に作り変える魔法を使う魔法少女か……」

 

「あきらの話の通りなら、ユウリとかいう魔法少女はいくらでも手下を作り出せるって事ね。ぞっとするわ」

 

 ニコちゃんと海香ちゃんが俺の説明を聞いてそう残す。

 推測で十分考えられる範囲のみを伝えたおかげで、俺を疑う者は一人も居なかった。

 俺のことを気に食わなさそうにしているみらいちゃんですらそれをしない。それどころか、少しは頭が回るんだなと見直してくれたようだった。

 

「というか、そのユウリって魔法少女に恨まれる心当たりとかないのか? 家を調べて襲撃してくるなんて相当だぜ?」

 

 ユウリちゃんがプレイアデスの面々に拘っていた理由が聞けるだろうと少し期待していたのだが、皆顔を見合わせるだけで語りだそうとはしなかった。

 

「ユウリなんて魔法少女は知らないわ。顔をもよく見えなかったし」

 

「ふ~ん。じゃあ、逆恨みなのかもな」

 

 知らないだって? あれだけ憎悪の炎を燃やしていたユウリちゃんがただの逆恨みとは到底思えない。確実に何かしらの因縁があるはずだ。

 問題は彼女たちはそれを覚えていないということだ。

 仕方ない。ユウリちゃんの方から聞かせてもらうとしよう。

 

 **

 

 俺はカオルちゃんたちにかずみちゃんのことを無事助けてくれるよう頼んだ後、俺は御崎邸から出て行った。

 最低限の顔を合わせもできたことだし、何となくだが人物像も把握できた。

 何よりソウルジェムさえ無事なら、魔法少女が死なないという重要な情報も知ることができた。

 かずみちゃんがどうなっているのかも知りたいし、何よりユウリちゃんの確執も気になる。

 明日はトラペジウム征団で深夜のパーティの手筈を決めた後に、ユウリちゃんとデートをしよう。

 ゆっくりと彼女のことを教えてもらうことでより関係を深めていきたいところだ。

 ……何せ、ここまで重要なことを秘密にさせるくらいの仲でしかないのだから。

 




今回はあきらがプレイアデス聖団の残りの面子と邂逅した話でした。
この回は基本的に話は進展しませんが、これがないとキャラの名前が出ないままで話が進んでしまうので書きました。
皆さんは誰が好きですか? 私はべえちゃんです。


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第十三話 愚かなピエロ

前回までの『ゲスクールD×D』

俺、一樹あきらは、年齢=彼女いない歴の中学2年生。
そんな俺に彼女ができた!友よすまん、俺は一足早く大人の階段を上がる!
―はずだったのに、なんで俺は彼女に殺されてるんだ!?
まだなーんにもしていないのに、この世は神も仏もないのか!?
そんな俺を救ったのは学校一の美少女、飛鳥ユウリ先輩。
神でも仏でもなく魔法少女だという彼女の口から、衝撃の事実。

「お前は魔物として転生したの。アタシのために働きなさい!」

先輩のおっぱいとご褒美につられた、俺の下僕魔物としての人生はこうして幕を開けるのだった。
勢いと煩悩のみで贈る、学園ラブコメバトルファンタジー開幕。



 温かい日差しに包まれながら、俺は腕に付いた時計を眺める。

 デジタルな数字盤が指し示す時間は待ち合わせの時刻。

 今日、俺は一人の女の子とデートをする約束を取り付けておいた。

 身嗜みの最終チェックのために持って来ていた手鏡をそっと取り出して、折りたたみ式の(くし)で髪を()かす。

 まだ、かな……? 早く来てくれないかな?

 もじもじとしながら、遊園地の前で俺は彼女を待つ。可愛い。天使のような可憐さだ。

 ああ、もう、こんなプリティでキュアキュアしている男子を待たせておくなんて、本当に人が悪いぜ。

 自分の可愛さに自惚れていると、お相手の女の子が酷く面倒くさそうな表情で現れた。

 服装は袖の長い黒のセーターにミニスカート、首元に巻かれたマフラーと帽子が似合っている。いつも露出の多い格好をしていたから、布地が多少多いだけで清楚なイメージに見える。

 

「もう! 普通なら、待ち合わせの時間前に着いてるのが常識だぞ! あきら君、激おこぷんぷん丸!」

 

「ぶち殺したくなるから、そのキャラ止めろ」

 

 ゴミを見るような目で俺を恫喝する彼女の名前はユウリちゃん。謎多き、金髪ツインテールの魔法少女。

 シャープで整った顔立ちに獰猛さと冷酷さと狂気を兼ね備えた、一押しの美少女だ。

 

「まあ、時間通りには来てくれて嬉しいぜ。ユウリちゃんてば、連れないからさー」

 

「……あまり時間は掛けたくないからさっさとしてほしいんだけど? あいつらに任せたとは言え、かずみが目を覚まして脱走する可能性だってあるんだから」

 

 ユウリちゃんは本当にかずみちゃんのことばかりで、俺の相手なんかしてられないと言った表情だ。冷たい。ほんまに氷のような子やでぇ。

 そんな彼女の態度を一貫して、無視して俺は彼女の手を握って、遊園地の受付へと走り出す。

 

「今日は魔法少女とかそういうの全部、忘れて楽しもう。な?」

 

「おい、ちょっとあきら、いきなり引っ張るな、馬鹿」

 

 いきなり腕を引っ張られて、少し当惑しているユウリちゃんを余所に俺は既に買っていたチケットを受付のお姉さんに見せて、園内へと入っていく。

 ラビーランド。このあすなろ市でもっとも大きなテーマパークだ。

 キャッチコッピーは『夢と希望溢れる素敵なウサギの国』。ネットで見たがウサギのマスコットの目がやたらとでかいのに中の黒目が小さいせいで全然可愛くないのが印象的だった。こんな不細工なマスコットを考えたデザイナーもデザイナーだが、それを許容した遊園地側もアホだと思う。

 園内には大きな中世ヨーロッパの大きな城がデンとそびえ立っていて、その近くにジェットコースターや観覧車などが散見している。

 このあすなろ市はどこまで中世ヨーロッパ的外観に拘る気なんだか分からない。ここまでくると一種のコンプレックスみたいで面白いとも言えなくないけど。

 

 最初はメリーゴランドで乗り込み、軽快な音楽と共に動き出すウサギの形の乗り物に乗って遊んだ。ユウリちゃんはむすっとした顔のままで楽しそうじゃなかったので、降りた後にラビーちゃんマスクとか言う目の焦点合っていないウサギのお面を買ってあげた。本人はかなり嫌そうにしながらも、押せ押せのテンションで頼むと、被らないまでも縁日のように頭にずらして着けてくれる。

 案外、押しに弱い女の子なのだなと何となく、思った。

 その後、コーヒーカップに二人で乗って、くるくると回っていると、ずっとだんまりを決め込んでいたユウリちゃんがようやくその重い口を開いた。

 

「一体、何が目的なんだ?」

 

「目的って……デートの目的なんて楽しむこと以外にないじゃん。何言ってんの、ユウリちゃん?」

 

 コーヒーカップの中心にあるハンドルを回して、回転の速度を上げる。

 周りの景色の動くスピードが少しだけ、上がっていく。

 

「アタシは正直、あきらが何を考えているのか分からない。この大事な時にわざわざ遊園地に呼び出すなんて、意図が不明すぎる」

 

 不審な眼差しに俺は苦笑いを浮かべた。

 

「それだよ、それ。そういう不信感持たれちまってるとこを何とかしたいの。俺ら、いわゆる運命共同体な訳だろ? もっと、お互いのこと知り合うべきだと思うんだよね」

 

 俺もユウリちゃんもお互いについての情報が少なすぎる。

 ここらで彼女の過去をはっきり知っておきたい。争いの中心に立ったのにその争いの背景さえ知らないなんて茶番そのものだ。

 俺は物事の中心地でありたい。何もかも知った上で暴れまわってムチャクチャにしたいのだ。

 ユウリちゃんの瞳を覗き込む。

 

「聞かせてくれ。プレイアデス聖団を恨むその理由を。じゃないと今度のモチベーションに関わるぜ?」

 

 俺の顔をしばらくじっと見つめた後、ユウリちゃんは一息吐いてから、ぽつりぽつりと語り出す。

 話は一人の少女のことから始まった。

 

杏里(あんり)あいりという少女が居た。その子は大病に冒されて、もって三ヶ月の命だった。それを知ったあいりは自暴自棄になり、親友の女の子、飛鳥ユウリに泣き喚いた」

 

 ユウリ……? なぜ、そこで『アタシ』ではなく、名前で言ったんだ?

 そんな疑問を感じたが、ここで話をぶった切るのも空気が読めないのでそのまま、黙って聞く。

 

「そんなあいりを見捨てる事なく、ユウリはこう言ってくれた。『あんたが生きたいと思うなら、アタシはどんな手を使ってでもあんたを助ける』って。あいりにこの夢色のお守りを渡して、ユウリはあいりの病室を後にした」

 

 ユウリちゃんはそう言いながら、デザートスプーンを(かたど)ったペンダントを服の中から取り出した。

 大した値打ちもなさそうなちょっとアクセサリーだ。シンプルで実に安っぽい。

 しかし、会話の仕方がどうにも妙だ。まるで自分と話の中に出てくるユウリちゃんが別人にような話し方だ。

 

「間もなく、あいりの病気は完治した。二人は喜び合ったわ。その時は最高に幸せだったから。……でも、それからが悲劇の始まりだった」

 

 今まで気分よく話していたユウリちゃんの顔が一変して険しくなる。

 俺はそれを見ながらも、コーヒーカップのハンドルをゆっくりと回し続ける。

 

「あいりが学校に通えるまでになった頃、料理上手なユウリはあすなろドームで行われる料理のコンクールに出場した。あれよあれよと言う間に決勝戦にまで勝ち進んだユウリはそこで会場から姿を消した。当然、あいりは心配して、ユウリを探しにあすなろドームの外を歩き回ったわ」

 

 そこで一度話を区切り、夢色のお守りという名のペンダントを凝視した。

 

「歩き回っていたあいりは見知らぬ空間に迷い込んだ。見たこともないおかしな場所に……そこであいりは『化け物』と出合った。フォークと注射器をモチーフにしたような不思議な姿だったわ。そして、その『化け物』を即座に倒したのがプレイアデスだった……」

 

 ユウリちゃんは夢色のお守りをぎゅっと握り締めて、憤怒の形相で話を続ける。

 そこから先はそうでもしないと耐えられないというように激情を抑え付けるような声だった。

 

「……プレイアデスは『化け物』をあっという間に倒した。助けられたと思ったあいりは奴らにお礼を言ったわ。『助けてくれてありがとうございました』ってね。『化け物』が消えた後、不思議な空間から解放されたあいりは……そこでユウリのペンダントを見つけた」

 

 そこからとうとう抑えきれなくなった声で叫ぶように荒々しく話し出す。

 

「訳が分からずに困惑したあいりの前に妖精が現れた! そいつが教えてくれた! あのプレイアデスに倒された『化け物』がっ……ユウリだったという事を!! それから、ユウリがあいりの、()の病気を治す事を対価に魔法少女になった事を!」

 

 そこから先はかなり感情が入り混じりどうにもちぐはぐな喋り方だったが、話を要約するとこの話に出てきた『ユウリ』という少女は魔法少女となって魔女と戦うかたわら、難病を患う子供を治療していたが、それに無理が祟ってプレイアデス聖団の前で魔女になり、倒されたということらしい。

 そして、親友の『ユウリ』を殺した奴らにお礼まで言ったあいりはその悔しさと憎しみから、その場で妖精と契約して魔法少女になった。

 その願いが『自分をユウリにしてくれ』というもの。『ユウリ』として、プレイアデス聖団に復讐するためにユウリの姿を手に入れた。

 つまり、今まで話に出てきたあいりこそが、今俺の前に居るユウリちゃんで、本物の『ユウリ』は魔女になり、プレイアデス聖団の面子にぶっ殺されたということだ。

 俺らが魔女モドキだと言われた時から、モドキではない魔女が居るとは思っていたが、まさか魔法少女の成れの果てとは……。

 無理が祟ったとかいう話だったが、恐らくは魔力の使いすぎによる結果だろう。

 ジュゥべえとかいう妖精が魔力を回復させているみたいだったが、それをしないと自分たちが狩っている化け物に成り下がるという訳か。笑える話だ。超ウケる。

 爆笑しそうになったが、元あいりことユウリちゃんが確実に切れること受け合いなので自重した。

 代わりに、実に共感しましたーボロ泣きでございますーといった感じに悲しそうな表情を作り、ユウリちゃんを気遣う発言をする。

 

「そっか、そんな辛い過去を隠していたんだな。もっと、早く言ってくれりゃよかったのに。前よりももっと積極的に力を貸すぜ、『ユウリちゃん』」

 

「意外だな……。あきらなら、馬鹿しいとでも吐き捨てるかと思ったけど」

 

 少しだけ驚いたようにユウリちゃんは俺を見る。その眼差しはいつもよりも優しかった。

 こんなありがちな台詞吐いただけで、俺の心象が若干上がったらしい。粋がってはしゃいでいた割りに内心では理解を欲していたようだ。

 過去を吐露したせいか、底の浅さと精神の弱さが垣間見える。

 

「当たり前だろ? 親友を殺されたら誰だって憎むぜ。俺たちで正義の味方気取りの虐殺者に鉄槌を下してやろう!」

 

 俺はユウリちゃんに力強く、宣言した。

 

「……ああ。一人残らず殺して、ユウリの敵は必ず取ってやる」

 

 それに呼応するように彼女は瞳に狂気の色を滲ませる。

 実に扱いやすい女の子だ。自分に取って心地よい言葉を吐く相手は一番信用ならないというのに。

 はっきり言えば、今の話だって単なる逆恨みにしか過ぎない。代替案も出せずに文句を言う様は無知な幼子そのもの。

 大義名分にもならないクソを掴んで印籠のように得意になってやがる。こんな奴に恨まれたプレイアデス聖団の皆には同情するな。

 だが、まあ、取り合えず、今ここですべきは……。

 

「ジェットコースターに乗ろう。今夜の零時までずっと張り詰めてちゃ疲れちまうぞ?」

 

 ラビーランドで思い切り遊ぶことだ。

 俺はコーヒーカップを止めて、ユウリちゃんの手を引いてジェットコースターの方へ駆けて行く。

 俺に秘密を話し、己の理論を肯定してやったおかげでユウリちゃんはさっきよりも素直に着いて来てくれた。心なしか微笑みさえ浮かべている。

 

「あきら。お前って……よく分かんない男だな……」

 

「そう? 俺は思う様に生きているだけだと思ってるけど」

 

 ――アンタがチョロくて単純なだけだよ、ユウリちゃん。

 そう心の奥で呟いた。

 

 *

 

 日が暮れるまでアトラクションに乗って楽しんだ俺とユウリちゃんは、最後に観覧車に乗っていた。

 赤い夕日は高いところから見ると絶景でロマンチックに映った。

 ユウリちゃんは窓の外のその光景を遠い眺めていた。

 

「本物のユウリちゃんにも見せてあげたかったな、この夕日」

 

 俺がそう言うと驚きに満ちた目で振り向いた。

 内心で考えているだろうと思ったことを言葉にしたら大正解だったようだ。

 

「ああ……あいつらさえ居なかったらこの遊園地も来たかもな」

 

 すっかり俺に信用を置いた様子のユウリちゃんは、素直に頷いて俯いた。

 俺はそんな彼女を見て、少し趣向を変えた悪戯を一つ思い付く。

 何気ない口調でユウリちゃんに語りかける。

 

「なあ、俺はミッション系の中学校に通ってたんだけどさ。そこでキリスト教についてちょっと勉強してちょっと思ったことがあるんだ」

 

 意図の見えない発言にユウリちゃんは怪訝そうに顔を上げた。

 戸惑いの顔だが、俺はそれに構わず喋り続ける。

 

「イエス・キリストを本当の意味で殺したのは誰なのかって。金貨三十枚でイエスを売った弟子のユダか、イエスを捕らえた大祭司カイアファか、イエスを陥れるよう仕向けたガリラヤのユダヤ人領主ヘロデ・アンティパスか、イエスを殺すように叫んだユダヤの群衆か、イエスをその手で処刑した兵士ロンギヌスか……ユウリちゃんは誰だと思う?」

 

「知らないよ。キリスト教なんて興味もないからな。最終的に殺した兵士じゃないのか?」

 

 憮然と答える彼女に俺は首を横に振った。

 

「俺の見解は違う。イエス・キリストを殺したのは後の世のキリスト教徒だと思ってる。だってそうだろ? 隣人を愛せと、己の敵を愛せと言った人間の教徒を名乗る連中が散々異端だのなんだのって人を大量に殺したんだぜ? 魔女狩りとか、まさにそうだ」

 

「何だ? プレイアデスの事を例えてるのか?」

 

 魔女狩りのところからユウリちゃんはプレイアデス聖団を連想したようでそんな風に尋ねてくる。

 だが、俺はそれにも首を横に振って答えた。

 

「違う違う。ただ、イエス・キリストの代行者のような顔をしながら、彼の絶対にしそうにないことをするキリスト教徒は本当の意味でイエス・キリストを汚名で塗り潰して殺してしまったんじゃないかと思っただけだよ」

 

「結局何が言いたいんだ、あきらは」

 

 やはり理解できないように首を傾げたユウリちゃんに俺は笑った。

 その愚かさと傲慢さに賞賛と憐憫を籠めて、にんまりした笑顔を作る。

 ここまでの皮肉を言われて、気付かないのは一種の才能と呼べるかもしれない。

 

「あはは。俺、物知りだろって自慢したかったんだよ。そんだけ」

 

「嫌味な奴だな」

 

「いや、悪かったよ」

 

 少し不機嫌になった彼女に俺は謝りながらも、内心で爆笑し続けていた。

 これほど滑稽な物語なんてそうそう見られるようなものじゃない。

 難病に苦しむ子供を助けてきた少女の面と名前を使いながら、やろうとしていることは逆恨みの殺人行為。

 本物のユウリという少女が積み上げていたものにクソを塗りたくって素晴らしいとほざいている訳だ。

 最高のピエロだな。あまりにも滑稽すぎて返って愛らしく思えてくるほどだ。

 せいぜい、惨めに壊れて砕けるところまで見せてもらうとするか。

 取り返しの付かなくなったところで、指差して自分がやってきたことがどれほど愚かな所業か懇切丁寧に教えてやろう。

 




散々ユウリ(あいり)のディスりすぎてアンチに見えていますが、これはあきら君が酷いからこうなっているだけ、作者としては貶めているつもりはないのですが……。

まあ、存在自体が邪悪な彼が人のこと言えるとは思えませんが、彼は究極のエゴイストなので逆に突き抜けていますのでもはや意味がないのでしょう。


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第十四話 ご注文はスイカですか?

前回まで『ゲスな使い魔』

平凡な中学生・一樹あきらはある日突然、異世界アスナロに召喚されてしまう。彼をこの世界に召喚したのは、アスナロ魔法学院の生徒でありながらサディスティックな魔法少女「サドのユウリ」こと、飛鳥ユウリだった。
失敗とはいえ、召喚の儀式によって呼び出されたあきらは、「使い魔」としてルイズと契約のキスを交わす。すると、あきらの左手には使い魔の証である契約のルーンが浮かび上がった。こうして、ユウリと「犬」扱いされるあきらとの奇妙な同居生活と冒険が始まった。


 あしなろ市にある最大のスタジアム、あすなろドーム。

 野球はもちろん、この市内で行われる大規模なコンクールやコンテストなどは基本にここで開催されると言われる超エキサイティングな場所。

 だが、名前が安直すぎる。この街の人間はどいつもこいつもネーミングセンスが欠如しているらしい。

 現在、午前0時0分。プレイアデス聖団との約束の時間ぴったりの時刻だ。ちなみに真面目に巡回をしていた警備員の皆さんは新鮮なお肉へと転職をしてもらった。ハローワーク入らずだね。

 俺を含んだトラペジウム征団は魔法により、スタジアムの真下に隠されていたのだが、予定していた時刻になった瞬間、空間がエレベーターのように動き、スタジアムに競り上がっていく。

 中心には台座があり、そこには縛り付けられたかずみちゃんが座っている。

 その周りには魔物化した俺、リッキー、サヒさんが護衛するように囲っていた。

 俺たちの立つ場所が観客席を見下ろすほどの高さを得ると、浮上し続けていた足場は停止する。

 そこから見える観客席にはサキちゃん、みらいちゃん、里美ちゃん、ニコちゃんの四人。流石に一日では魔法少女と言えども再起可能にはならず、カオルちゃんと海香ちゃんの姿は見えない。もしかしたら、伏兵として潜んでいるのかもしれないが、片方は失明状態、片方は足が負傷しているため、できることは高が知れている。

 プレイアデスの四人は俺たち、いや捕まえられているかずみちゃんの方を見るが、今日のアイドルは俺たちでもかずみちゃんでもない。

 

「ようこそ、イーブルキッチンへ! プレイアデス」

 

 ドームの後ろにある巨大な画面にユウリちゃんがどアップで映る。

 皮肉げな笑顔で嘲笑するようにプレイアデスの面子を歓迎した。

 そして、画面から這い出すようにせり出した足場へと飛び降りる。『リング』の貞子を彷彿とさせる演出だが、さっきわざわざ姿を変えられる魔法で画面に化けていたことを見ている俺としてはご苦労様としか言えない。

 仲良くなって分かったことだが、ユウリちゃんて結構アホなところが多い。そもそも一度かずみちゃんを攫おうとした時にトランクを間違えたくらいドジな女の子だったりするし。

 舞台へ降り立ったユウリちゃんはスタジアムのスポットライトが彼女に当たる。ちなみに照明を当てているのはひむひむだ。何でも演劇部だったらしく、照明器具の扱いには心得があるとのこと。

 

「かずみ!」

 

「かずみちゃん!」

 

 サキちゃんと里美ちゃんが台座に座ったかずみちゃんに呼びかけながら、こちらに跳んで来ようとするが舞台の端の不可視の壁に阻まれる。

 

「ぐあああ!」

 

 その壁に触れた瞬間、二人は電流でも走ったかのように苦痛に満ちた呻き声をあげた。後ろから来たみらいちゃんやニコちゃんに抱き留められて、真下へとどうにか着地した。

 ユウリちゃんが前以て張っていた結界のような魔法だ。この魔法の壁は外側から内側に入ることはできないが、内側からは自由に外側に出られるという便利な構造になっている。ユウリちゃんてば本当に多彩な魔法少女である。

 台座に居るかずみちゃんはその光景を見つめながら、ぽつりと呟く。

 

「え? だ、誰なの……」

 

『ですよねー』

 

 記憶喪失になったことを誰一人考慮していないせいで、かずみちゃんからすれば見たこともない少女が自分の名前を呼びながら突っ込んで来ているに過ぎない。

 せめて、カオルちゃんか海香ちゃんが居れば自分の仲間だと認識できたかもしれないが、彼女たちは今のところ不在だ。

 

『黒髪ちゃん黒髪ちゃん。あの子たち、アンタの仲間らしいよ』

 

 親切にちょんちょんと指を差して教えてあげると、かずみちゃんは俺を訝しげに見つめた。

 そういえば、攫う時はユウリちゃん一人でやらせたし、その後の警備も他の奴らに任せっ放しだったから、こうやって魔物形態で顔をつき合わせるのは初めてだった。

 

「……あなた、普通に喋れるんだね」

 

『見た目で差別しちゃ嫌だなァ? お嬢ちゃん。こう見えても知的なんだ、俺』

 

「その人を食ったような態度……何か見覚えが……」

 

 俺のことに何か気付きかけたかずみちゃんに俺は少しだけ嬉しくなる。姿がここまで変わっても態度で感じ取ってくれるなんて親でも無理な話だ。

 にも関わらず、かずみちゃんは今の俺から『一樹あきら』を連想しようとしている。

 見た目ではなく、その本質を理解してくれている証拠だ。

 しかし、その時誰かさんの馬鹿みたいに大きな笑い声が響き渡った。

 

「あはっあはははははははははは、うふ! いい気味ね、プレイアデス!」

 

 かずみちゃんの注意は俺からその笑い声の主であるユウリちゃんに移る。

 鬱陶しい奴に思えてきたな、あの子。底の知れた今じゃただのピエロにしか見えないし、せいぜい派手に壊れて俺を楽しませてほしいところだ。

 

「ここは悪魔の調理場。今宵はこのアタシ、魔法少女ユウリがお前たちに取って置きの料理を振る舞ってやる。今日の食材はこのイーブル・ナッツと――魔法少女かずみ!」

 

 ユウリちゃんは指に挟んだイーブル・ナッツを高らかに掲げ、プレイアデスの皆さんに見せる。

 そして、にやりといやらしい笑みを浮かべ、そのイーブル・ナッツをかずみちゃんへと向けた。

 

「作り方は簡単、このイーブル・ナッツ額に埋め込み、アブラ・カダーブラ……ここに居るこいつらと同じように立派な化け物へと早代わり……どうだ? 見てみたいだろう?」

 

 かずみちゃんは俺やリッキー、サヒさんを見て怯えた顔を浮かべる。言葉にはしなくても、こんな姿にはされたくないという嫌悪感が伝わってきた。

 舞台の下に居るプレイアデスの面々もぞっとした顔で思い留まるようにユウリちゃんに叫ぶ。

 

「やめろ、ユウリ! そんな事をして何になる!」

 

「そうだ! やめろ! かずみを返せ!」

 

「あなたは私たちに何の恨みがあるの!?」

 

「私たちにはあなたにここまでされる事をした覚えはないけど?」

 

 その言葉を聞いて、ユウリちゃんは顔から全ての表情を消し去った。いや、恐らくは怒りが臨界点を突破して思考が真っ白になっているのだろう。

 舞台から飛び降りて、プレイアデス聖団の皆を直接殺しに行こうとするが、それを俺が掴んで止めた。

 

「……っ!」

 

 凄まじい形相で俺を睨むが、それに気にせず俺はユウリちゃんを宥める。

 

『おいおい。料理人が調理場から出て行っちまったら駄目だろ? ギャラリーはこっちに任せてくれよ。オルソ、ポルコスピーノ、それからヴァンピーロ。行くぞ!』

 

 俺が二人に呼びかけると、待ってましたとばかりにリッキーとサヒさんは舞台から飛び降りる。さらに上の方からスタンバイしていたひむひむが翼をはためかせながら降下してきた。

 それを見送ってから、俺も二人に続いて下に降りようとした。

 

「待て……」

 

 すると、それをユウリちゃんが止める。

 振り返えると、彼女は被っている魔女っ子の帽子を少しだけ目深にして、俺に呟いた。

 

「さっきはどうかしてた。……ありがと」

 

 表情は見えないが、照れていることは十分伝わってきた。

 まったく、ちょっと過去話に共感示しただけでここまで心を許すとは……復讐者なんて名乗ったところで大したことのない子だ。

 だが、俺はそれに優しく答えた。

 

『どういたしまして。復讐、頑張りなよ』

 

 そう言うとすっと顔を背けて、翼を広げて舞台の下へと舞い降りた。

 下では既にひむひむたちはプレイアデス聖団と睨み合いをしている。

 そこにちょうど俺が混じることで数としては四対四の形が出来上がる。合コンみたいでちょっと心が躍った。

 

『さて、プレイアデス聖団の皆さん。俺たちはトラペジウム征団というもんだ。とりあえず、今はユウリちゃんとは協力関係にあるから、彼女の邪魔はさせないぜ? そちら二人ほど欠員がしてるみたいだけど……あのオレンジ髪と黒髪の魔法少女はどうしてる?』

 

「カオルと海香をあれだけ痛めつけたのはお前らか……かずみを返せ!」

 

 サキちゃんが俺に怒気と共に襲い掛かってくる。この女、クールなのは見た目だけで中身はただの狂犬みたいだ。

 乗馬鞭のような武器を俺に向けて振るうが、どうにも動きが読みやすい。

 

『行儀なってないなァ。それじゃ、淑女には程遠いぜ!』

 

 俺は少し様子を見るために、口を開いて軽く火炎の息吹を吹きかける。

 炎が波状になって彼女を包もうとするが、それを乗馬鞭で払い除けて進む。

 

「舐めるなよ!」

 

 雷のようなものを乗馬鞭に纏わせて、炎を切り裂くように突っ込んでくる。

 電撃を武器に纏わせることができるようだ。だが、何とも動きの方は相変わらず、まっすぐ過ぎる。馬鹿にしているのか、それともこいつが単にイノシシ女なのか……かずみちゃんが人質に取られているとはいえ、軽率だ。

 しかし、何だか分からないが、その意気や良し。俺も炎の中の彼女に付き合い、そちらへと向かって飛んだ。

 炎は俺にも纏わり付くが、身体中にびっしりと生えた鱗が高熱から俺を守ってくれるおかげで実質無害だった。

 正面から迫るサキちゃんを鋭い鉤爪で引き裂いてやろうと手を振るう。

 サキちゃんはそれを身体を捻ることでどうにかかわすが、腕を掠めたせいで持っていた乗馬鞭を炎の海に落としてしまった。

 

『大事な武器は飛んでちまったなァ?』

 

 俺は好機とばかりに笑みを深めて追撃しようとして、違和感を捉えた。

 この状況でサキちゃんの口元が笑っていたのだ。

 咄嗟(とっさ)に周囲に気を配ると、俺の斜め後方から火炎の波の中から何かが跳ね上がるのに気付いた。

 死角から顔を狙って振るわれるそれは先ほどサキちゃんが落とした乗馬鞭。纏われている電撃は今も健在でバチバチと音を立てている。

 手から離れても遠隔操作で操れるのか!?

 眼球を潰すような軌道で襲い掛かる乗馬鞭を俺は辛うじて尻尾でそれを弾いた。鱗に覆われている尻尾は僅かに痺れを感じただけに済んだが、もしもあのまま気付かずに顔を狙われていたなら、眼球が潰れていたかもしれない。

 弾かれた乗馬鞭はなおも宙に浮かび上がり、俺と対峙する。

 当のサキちゃんは舞台の側面を駆け上がり、かずみちゃんの方に向かおうとしていた。

 遠隔操作できる乗馬鞭をわざと落として油断させ、不意を突き、自分はかずみちゃんの救出しに行こうという魂胆だったようだ。

 単なる猪ではなかったみたいだが、戦いよりも人質救出に向かうのは愚策だな。こんな遠隔操作できる鞭は流石に驚いたが、所詮は一発芸。

 二度目をやるほど俺は甘くはないぜ?

 複雑な軌道を描き、翻弄しようと乗馬鞭が襲い掛かるが、何のことはない。

 見慣れれば、動きは手に握られていた時よりも読みやすい。

 乗馬鞭の追撃を避けながら、舞台を駆け登るサキちゃんの傍まで飛びながらにじり寄る。俺の接近に驚いて振り返るがもう遅い。

 そのすらりとした背中に爪を立ててやるよ!

 真っ黒い黒曜石のような鉤爪がサキちゃんの背中を抉るように引き裂く。

 

「くっ……!」

 

 小豆色の軍服に似た衣装がばっくりと裂けて、内側から鮮血が吹き出し、俺の腕を赤く汚した。

 

「サキィ!? ボクのサキを傷つけやがってぇぇえ! 『ラ・べスティア』ァァァ!』

 

 リッキーが相手をしているみらいちゃんが激昂して、俺に向けて大量のテディベアを召喚する。ぞろぞろとテディベアどもが群がるアリのように寄って来た。

 翼を羽ばたいて、蹴散らすがまた体勢を立て直すと俺に向かって行進を始める。

 

『生憎とお人形遊びは好きじゃないんだよ!』

 

 火炎を吹きかけて燃やそうとするが、みらいちゃんはさらにキレた顔で呪文を叫ぶ。

 

「だったらぁ! 『ラ・べスティア・リファーレ』ッ!」

 

 テディベアたちが一斉に固まり合い、固体同士を融合しあって、一匹の巨大なテディベアへと姿を変えた。さらにみらいちゃん自身が走ってきてそのテディベアの頭の上に飛び乗る。

 俺と同サイズのテディベアにこれまた驚く。魔法少女って多彩!

 だが、目には目を熊には熊を。

 

『悟飯! オメエの出番だ!』

 

『誰が悟飯だ!』

 

 俺のボケに返しつつもリッキーは巨大テディベアを脇から突き飛ばす。

 相撲でいうところの「ブチカマシ」という奴だ。リッキーを無視して俺に攻撃しようとしていたみらいちゃんは乗っていたテディベアごと吹っ飛ばされる。

 

『お前の相手は俺だよ! 無視すんな、ぬいぐるみのガキ!』

 

「クソが! 雑魚は引っ込んでろ!」

 

 巨大な大剣を出現させて、みらいちゃんはリッキーを真っ二つに切ろうとする。

 しかし――。

 

『貧弱ななりして、そんな得物使ってんじゃねぇ!』

 

 純粋な筋力で言えば、トラペジウム征団でトップのリッキーはその大剣を白刃取りで受け止める。

 

『オラァ!』

 

 そして、その強靭な腕力で大剣をこなごなにへし折った。

 サキちゃんを傷付けられて理性を失っていたみらいちゃんもこれには肝が冷えたようで表情に怯えが浮き出る。

 すぐさま、残っていた剣の柄を投げ捨て、自分を巨大なテディベアに回収させてからリッキーと睨み合う。

 うんうん。あっちはあっちで対処できそうだ。他のメンバーも同じく一人づつ、魔法少女にマンツーマンで対応している。

 ひむひむやサヒさんの方も少し気になるが、俺は引き続きサキちゃんの相手をしよう。

 こうしている間にも背中の傷を無視してサキちゃんはかずみちゃんの元へと向かっていた。どれだけかずみちゃんが心配なのやら。

 俺の周りをハエのように飛び回って攻撃してくる電撃が付与された乗馬鞭を見やり、グリップ部分を狙って尻尾で絡め取る。

 思った通り、グリップ部分には電気が通ってないらしく、痺れることはなかった。

 

『落し物だぜ? お嬢ちゃん』

 

 再び、空を飛んで距離を詰め、愚かにもまた俺に向けている背中の傷口目掛けて乗馬鞭の先を押し込む。

 

「うづッああああああああ!」

 

 サキちゃんの悲鳴が上がる。

 付与されていた電気は霧散して、青白く発光していた乗馬鞭は元の黒色に戻った。

 けれど、俺はそんなことは気にも留めずに、乗馬鞭を押し込み続ける。平べったく、柔らかいために真っ直ぐに突っ込み続けるのは難しかったが、尻尾の筋肉を駆使して捻じ込んでいく。肉がひしゃげて血液が染み出し、黒い鞭を赤く変えた。

 

『大事なものは奥の奥に入れてやれておかないと、悪い人に取られちまうぞ?』

 

「ッ、返しにきた事を後悔するといい!」

 

 背中に手を回して、半ば背中に埋まった乗馬鞭を掴んで引き抜く。

 

「うぐぅ……!」

 

 押し込まれていた肉が無理やり引きずられて、血をだらだらと流している。爪で引き裂いた傷はさらに広がり、真っ赤な断面図と露呈していた。

 だが、それと同時に俺の尻尾が絡んでいるグリップ部分が伸びて俺の身体を縛るように巻きついていく。

 

「武器を返しに来るとは間抜けだな!」

 

『おう。俺はサービス精神旺盛だからな。もう一つおまけをしてやるよ』

 

 俺は縛られたまま、翼を動かして上空へと飛び上がる。乗馬鞭の先を握っているサキちゃんも強制的に空の旅に参加させられることになる。

 

「なッ、貴様。何を!?」

 

『人質の魔法少女が心配なんだろ? 特等席から見せてやる』

 

 舞台の上の方がよく見えるように高く飛び、椅子に縛り付けられたかずみちゃんをサキちゃんに見させてあげる。親切な俺はまさに空飛ぶ天使と言えるだろう。

 当のかずみちゃんはちょうど額にイーブルナッツを押し込まれている最中だった。

 

「メインデッシュ! マキガ・アラビアータの完成だ!」

 

 ユウリちゃんは邪悪に歪んだ笑みを浮かべて、指先で摘まんでいたイーブルナッツがかずみちゃんの頭の中へと吸い込まれていった。

 その瞬間にかずみちゃんの瞳が限界まで見開かれ、瞳孔の形状が人のものとは思えない形に変化する。縛り続けていた椅子の拘束を引きちぎり、呆けた表情で天を仰いだ。

 

『おお。ナイスタイミングだったな。大好きなお友達が化け物に変わる姿を眺められるな』

 

「かずみィィィ!!」

 

 サキちゃんは乗馬鞭から手を離して、舞台を覆う不可視の壁にへばり付くように飛び降りた。

 身体をその壁に焼かれながらも、いじましく涙混じりに壁を殴打する。

 ああ、何と感動的なシーンなんだ。記憶を失い、自分のことも分からない友を助けるために身体を傷付ける。

 俺はそんな彼女に心打たれて、かずみちゃんの元に行かせてあげるために不可視の壁を砕いてあげることにした。

 空中で一度離れてから加速しつつ、爪の生えた大きな足が不可視の壁を打ち砕く。サキちゃんの身体ごと。

 悲鳴さえ上げる暇もなく、ガラスのように砕け散った障壁とともにサキちゃんの身体が舞台の上に転がった。

 

『感動のご対面だ。ほら、嬉しいだろ?』

 

 雑巾のように前のめりで倒れたサキちゃんは天を仰いだかずみちゃんを見上げる。

 かずみちゃんはそんな彼女をゆっくりと見るために顔を動かした。

 

「か、かずみ……?」

 

 ぎょろりとサキちゃんを見つめたかずみちゃんの瞳は対極図のような形状をしていた。

 無造作に振り上げた彼女の手には十字架を模した杖があり――。

 それを容赦なくサキちゃんへと振り下ろした。

 例えるなら、それはスイカ割りのようだった。

 何がどうなったかなんてわざわざ口に出すほうが野暮だと思えるほど、当たり前の結果がそこにはあった。

 




今回は前編みたいな扱いです。続きはもうちょっと待っていてください。


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第十五話 プレイアデス聖団VSトラペジウム征団

前回のあらすじ

地味な高校生の一樹あきらは、ある日連続一家殺人事件に巻き込まれて殺されてしまうが、その直前に出会ったネクロマンサーの少女・ユウリの力によりゾンビとして蘇ったうえ、魔法の世界から来たというかずみからは魔装少女に任命される。さらにそこへ現れた吸血忍者のサキも加わり、彼女たち3人と同居することになった。


~旭たいち視点~

 

 

 ああ。本当に腹立たしい。

 目の前をチョロチョロと動き回る『魔法少女』への苛立ちが収まらない。

 飛行機乗りが付けるような飛空帽子にゴーグルをつけたやる気のなさそうな無表情の女。

 名前はあきら君から聞いて知っている。確か神那(かんな)ニコとか言う奴だ。あきら君曰く一番油断のならない魔法少女なのだそうだ。

 

「ほっ……! はっ……!」

 

 僕が背中から撃ち出す大針を身体を捻り、軽快にかわしつつ、攻撃を仕掛けてくる。

 

「プロルン・ガーレ」

 

 親指を除いた計八本の指が小型のミサイルへと変化して僕目掛けて飛来する。向こうは自分の身体の一部を別の物質に変化させる魔法を使うようだ。

 すぐになくなった指を再び生やして、次々に飛ばしてくるので厄介だ。

 魔物化して皮膚が頑強になった今の僕には大したダメージにはならないものの小賢しい事この上ない。

 何より、一方的に攻撃される度にクラスメイトに殴られていた事を思い出し、不快な気持ちにさせられる。

 平然として、焦り一つ滲ませない顔が堪らなく許せない。

 そう女子はいつもそうやって、僕が苦しんでいる時も素知らぬ顔で居る。

 蔑まれるよりも、笑われるよりも、その無関心が一番憎らしい。惨めに虐めれていた僕をまるで路傍の石ころのように扱うその無関心が――殺したいほど目障りだ。

 僕は射出する針の矢の量をさらに増やして、指ミサイルを撃ち落としながら、神那ニコへの攻撃を続ける。

 しかし、僕の背中から撃ち出される針の矢が止まる。

 魔力を使って大針を補充せずに飛ばしていたから、全ての針を撃ち尽くしてしまったのだ。

 

「隙が、できたね」

 

 それを見計らったように手のバールのような杖を召喚し、針の鎧がなくなった僕へと振り下ろす。

 僕を守る針の生成には後数十秒は必要だ。とてもこの攻撃には間に合わない。

 さらに魔物化しているせいで図体の大きくなった針鼠の僕の身体は鈍重で、それを避ける事はできない。

 このままなら、剥き出しの脆弱な皮膚をバールのような杖は鋭く抉り取るだろう。

 

『しまっ……!』

 

 僅かだが、神那ニコの無気力そうな顔にダウナー系の笑みが浮かぶ。

 

『と――言うと思ったよねぇ!』

 

 己の勝利を確信した神那ニコの身体に突如、大量の針の矢が突き刺さる。

 

「っ……!?」

 

 神那ニコの背後から飛んで来た一回り小さな針は、狙い済ましたように彼女を四方八方から刺し貫いた。

 何が起きたか理解していない馬鹿面を拝みながら、僕はにんまりと笑った。

 僕だって、考えなしに針の矢を撃っていた訳じゃない。途中から大針の中に一回り小さな針を仕込んで飛ばしておいた。

 あすなろドームの床や壁に突き刺さったその大針の中から、逆方向に一回り小さな針の矢を射出させるためだ。

 背中の大針を補充しなかったのもそのため。素早いこいつに確実に針を当てる布石。

 針の矢の角度と発射するタイミングを計算して、見事に攻撃を食らわせてやれた。

 学校の勉強で数学だけが得意だったけど、まさかこんな形で役に立つとは思わなかった。

 

『……避けるのが得意なだけで大した事なかったね』

 

 こんな奴が一番手強そうなんて、あきら君の買い被りだ。いや、僕の方が一枚上手だったのかな?

 何にせよ、これで僕も少しはあきら君の仲間としての役目を果たせて良かった。後はこいつのソウルジェムを砕けば完全に息の根を止められる。

 背中の針を生成して補充しながら、針のムシロになった神那ニコを見ていると、その身体が見る見る内に崩れ落ちた。

 

『なっ……?』

 

「そーんな事だろうと思った」

 

 泥で作った人形のように崩れて原型をなくした神那ニコに驚愕する僕の背後から、飄々とした声が聞こえた。

 すぐさま、大量の針の矢撃ち出し、身体を回して振り返るが、そこにあったのも崩れた泥人形。

 

『まさか、途中で入れ替わって……』

 

 罠に嵌っていたのは僕の方だったと気付いた時には奴の魔法が僕の頭上から響く。

 

「レンデレ・オ・ロンペルロ」

 

 見上げたそこにはあの憎たらしい無気力な神那ニコの顔があった。

 直後、垂直に振る黄緑色の光が僕の視界を覆った。

 

 

~氷室悠視点~

 

 

 参ったね……。

 本当に……本当にイイ。凄くイイ! 凄く凄くイイ!!

 ボクは蝙蝠(こうもり)の魔物と化した身体で低空飛行しながら、標的を追い回している。

 標的の名はあきら君によると宇佐木里美(うさぎさとみ)というらしい。赤いパーマの掛かった髪に猫耳を生やしている魔法少女だ。

 

「ひっ……や、やめて、来ないで!」

 

 彼女の恐れを隠さない泣き顔に僕は興奮していた。ボクが付けてあげた傷跡から血を流しながら少しでも距離を取ろうとしている。

 やはり泣き顔はイイ。実に素晴らしいものだ。前に皆で襲撃した時の魔法少女の二人は気丈すぎてつまらなかった。

 こういう怯えて泣き喚く女の子は傷付け甲斐がある。まるで心の壊れる前のボクの妹のようだ。

 あきら君に着いて来て本当によかった。か弱い女の子を堂々と鳴かせて、痛めつけて、あげられるなんて夢のようだ。

 

『イイよ、君。その泣き顔、凄くボク好みだ。すぐにその身体を君の髪と同じ真っ赤に染め上げてあげるから、ねぇぇぇ!?』

 

 ボクは翼を一旦閉じ、再び大きく開いてそこから小さな蝙蝠を複数生み出した。そして、その蝙蝠たちに彼女を襲わせる。

 さらに怯えて悲鳴をあげてくれるかと期待してのプレゼントだったが、それを見るとキッと表情を固めて足を止め、猫の頭の付いたステッキを突き出す。

 

「ファ、ファンタズマ・ビービリオ!」

 

 その呪文が聞こえると、ボクの作り出した蝙蝠たちは動きを一度止め、反転してボクへと向かって飛んで来た。

 そして、あろう事か産みの親であるボクに鋭い牙で噛み付いて、吸血を始めた。

 

『え!? ど、どういう事!?』

 

「やっちゃって、コウモリさん」

 

 ボクの命令を無視し、叛逆してきた蝙蝠たちに混乱するが、蝙蝠たちが宇佐木里美の猫のステッキに合わせて動いている事に気付いた。

 そうか、この子の魔法は敵を操る能力があるのか。

 

『じゃあ、もういいや。役立たずの君らは戻って』

 

 ボクは身体に纏わりつき、血を吸ってくる親不孝な蝙蝠たちを吸収する。

 蝙蝠たちは生まれた時と同じように翼の皮膚に帰っていった。

 血を吸うのは好きだけど、吸われるのは嫌いだ。

 

「あ、ああ……」

 

 他には攻撃に使える魔法はないのか、ボクが蝙蝠たちを回収すると宇佐木里美は逃げ腰に戻ってしまう。

 

「みらいちゃん! ニコちゃん! 助けて!!」

 

『お友達の二人もボクの仲間と交戦中だよ? 君は周りの状況も分からないほど馬鹿なの?』

 

 立ち止まった宇佐木里美と距離を詰め、囁くように教えてあげる。

 ステッキを振り回して、ボクに当てようとするがあまりにも腰が入っていないため、楽々と避けられた。

 相手がこの子でよかった。きっと、この子はプレイアデス聖団の中で一番弱いのだろう。

 トラペジウム征団の中で一番弱いこのボクが、まさかここまで攻勢に出る事ができるとは思っていなかった。

 

『じゃあ、君の血を飲ませてもらうね』

 

「い、いやぁ!?」

 

 薄紫色のワンピースのような衣装の襟元にボクは躊躇なく齧り付く。尖った牙を突き立てて、ジュースをストローで啜るように味見をする。

 牙を通して、流れ込むのは鉄臭いとろみのある真っ赤な液体。

 剥き出しになっている白い肩に噛み口から、たらりと血が流れ出るのが視覚的もボクを興奮させる。

 

『んんーー!! さ、さいっこおおおおおおおおおー! イイよ! 凄くイイ! 君は最高にイイ魔法少女だよおおおおおおおおおお!!』

 

「ひいっ、痛いぃ! 血を吸わないでぇ!!」

 

 宇佐木里美の涙と苦悶の叫びがボクの精神を更なる高みへと導いてくれる。

 視覚も、聴覚も、味覚も共にボクの求めていたものを最高品質で流し込んでくれる。

 まさに絶頂! エクスタシー!! 至上の悦楽!!! 

 脳みそが蕩けるくらいの快楽に見舞われ、有頂天へと舞い上がる。

 だから、聞き逃してしまった。

 その呪文が呟かれるのを。

 

「ファンタズマ……ビービリオ」

 

 身体の自由が一瞬にして奪われる。

 意識はあるのに身体だけが勝手に動き出し、宇佐木里美を噛んでいた牙を引き抜いてしまう。

 

『あ、あれ?』

 

 涙を流している宇佐木里美は恐怖に震えているものの、その瞳だけは暗い輝きに満ちていた。

 ボクはこの光景に見覚えがあった。それは壊れる前の妹がボクの暴力に対して泣き喚いた後に切れて反撃してきた時の光景だ。

 

「ゆ、許さない……アナタ、なんか。アナタなんかぁ!」

 

 ステッキの上部に付いているデフォルメされていた猫の顔が凶悪な形相に変わり、その口を大きく開いた。

 それに合わせて、ボクの顎が自分の腕に突如齧り付いた。

 

『んぐっ!?』

 

 当然、腕には強烈な痛みが広がり、赤ではなく黒い血液が漏れ出す。

 だが、ボクの顎は力を弱めるどころか、その牙をさらに深く突きたてる。

 味覚にはドブ水のような吐き気を催す味が広がった。

 ああ、痛い。まずい。臭い。どうせなら、ボクの血も美味しければよかったのに。

 激痛には耐えられても、この臭みのある魔物化した自分の血だけは耐えられない。

 せっかく、胃に送り込んだ芳醇(ほうじゅん)な血液まで嘔吐してしまいそうだ。

 魔法少女を……侮りすぎた。

 喉奥から競りあがってくる酸味のある胃液を舌の上に感じながら、ボクは自分の迂闊さに後悔をした。

 

 

~力道鬼太郎視点~

 

 

『オッラ! どうしたよぉ、チビガキ! もうこれで終いか?』

 

 俺は魔法少女のチビ……確か、若葉みらいとかいう名前の奴をボコっていた。

 ご大層な物言いのわりに俺にコテンパンにやられて、反撃さえもできやしない。

 

「くっ……お前なんか相手にしてる暇なんかないのにぃぃぃ!」

 

 俺の挑発で激昂した若葉みらいは、さっき突き飛ばした巨大なテディベアを再び動かして、差し向けてくる。

 また、それかと思いながらも俺は巨大テディベアの突進を真正面から腰を落として受け止めた。

 衝撃が身体に伝わり、踏み締めた脚が勢いで後退させられる。

 だが、熊の魔物になった俺はそんな下手くそなブチカマシじゃ倒れない。

 ……なんせ、もっとひどい扱きにあっていたからな。

 唸り声を上げて襲い掛かるデカブツの腰に両手で掴み、重心を一気に脇へと持って行き、上手に投げ飛ばす。

 投げ飛ばされた巨大テディベアは綺麗に弧を描き、俺の真横へと転がった。

 昔からずっとやって見たかった、決まり手――上手投げ。

 四つ相撲の王道とするこの技を俺は今まで決めた事が一度もなかった。

 筋力のないひ弱な身体では投げ技すらもできずに、いいように突き飛ばされるだけだったが、今では違う。

 あきらからもらったこの力のおかげで俺は強くなった。

 もう惨めなサンドバッグ、力道鬼太郎なんかじゃない。

 オルソ。あきらが付けてくれた強者としての俺の名前……暴れ熊のオルソだ。

 ――『悟飯! オメエの出番だ!』

 馬鹿馬鹿しい事だとは自分でも分かる。でも、あいつは……あきらは俺を頼りにしてくれた。

 親にも失望されていた俺にふざけてでも出番だと言ってくれた。

 それが嬉しくて堪らない。

 俺は初めて、誰かに必要とされたんだ。

 だったら……その期待に応えなくちゃないらないだろ!

 起き上がろうとする巨大テディベアを思い切り踏み付けて、若葉みらいを睨む。

 

『てめえはドラーゴたちの元には行かせねぇ。俺がここで始末してやるよっ!』

 

 右腕に力を込め、それを握る。

 手のひらの先に自分の中のエネルギーが集まっていくのが感じられた。

 このエネルギー……あきらは魔力とか言っていたものは俺たちの意識によってある程度、自由に扱えるものらしい。

 なら、それを球体状にして飛ばして、目の前のチビを消し去ってやる。

 対する若葉みらいも手に持っていた杖を大剣に変化させて構えた。

 あの大剣の強度はどのくらいかはさっき砕いた時に分かっている。どのくらいの力を加えれば折る事ができるか知っている。

 今、手に握られた魔力の塊なら、あの大剣ごと若葉みらいをゴミに変えられるはずだ。

 

「ボクの邪魔を……するなあああああああああ!!」

 

 大きく振りかぶりながら、若葉みらいは飛び上がる。

 その重くて巨大な武器で俺を真っ二つに切り裂くつもりのようだ。

 こいつで決めてやる!

 俺は魔力の球を空中に居る若葉みらいに食らわせてやろうと、振り上げた瞬間――。

 

『ぬぁあ!?』

 

 足の下で踏み潰されていた巨大なテディベアが、小さなテディベアに分裂して、俺の身体に貼り付いてきた。

 

『クソッ、この! 放しやがれ!!』

 

 身体中に貼り付いたテディベアの群れに埋め尽くされて、動きが阻まれる。

 あすなろドーム内のライトに照らされた中で若葉みらいのピンク色の大剣が(きらめ)いた。

 

「消え失せろおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉッ!!」

 

 キンキンに響くその叫び声と共に避けられない斬撃が纏わり付いたテディベアごと俺の身体を切り裂く。

 右肩の辺りから左脇腹まで刃が深く食い込み、黒い血液が宙に舞った。

 かなりの深手……いや、これは致命傷か……?

 痛みや苦しみの前に、ただ淡々と脳裏に死の一文字が過ぎった。

 だが、それがどうした。

 

『それがぁ、どおしたああああああああああああぁぁぁぁッ!!』

 

 あきらは俺にこいつを任せてくれた。こいつを倒すのは俺の役目だ。

 たかだか、身体を斬られたくらいで揺らいでいいもんじゃない!

 叫ぶと同時に、俺は額に生えた二本の角を一瞬の長く伸ばした。

 

「かはっ……」

 

 大剣を振り下ろした若葉みらいの胸を俺の真っ赤な角が抉った。

 口元から血を吐き出す若葉みらいを見て、俺はにやりと薄く笑った。

 これなら例え、俺がこのまま朽ち果てたとしてもあきらの邪魔できないはずだ。。

 なあ、あきら……。

 俺はお前の期待に応えられたか?

 花丸くれとは言わないから、せめて三角くらいは寄越してくれよな。

 

 

 *****

 

 

『あーあー。脳みそ、からし明太子みたいになってんぞ? 大丈夫か、これ』

 

 俺は頭蓋骨をかち割られたサキちゃんを見て、客観的描写を口に出した。

 被っていたベレー帽は既にどこかに飛んでいき、かずみちゃんの十字架を模した杖にべっどりと赤い血を付着させていた。

 正直生きているとは到底思えない状態だが、魔法少女はソウルジェムさえ無事ならば不死身なそうなのでこんなんでも生きてるらしい。まあ、グロさ的に女の子としては終わっている気はするが。

 

『ぎ、ぐ、がああああああぁぁ!!』

 

 そして、サキちゃんの頭をジャストミートしてくださった名誉あるかち割りガールのかずみちゃんはイーブルナッツの影響で絶賛暴走中で何やら意味不明な叫び声をあげている模様。

 うんうん、元気があって大変よろしい。女の子はそのくらい活発な方が男の子に持てるよ!

 竜の姿で腕組みをして、俺は頷いているとこちらを視認したお目々がアレなかずみちゃんは有無を言わさず、飛びかかってきた。

 ……やだ。この子怖い。これだから最近の中学生はキレやすいって言われるんだよ。

 袈裟懸けに振るわれた十字架を模した杖が俺にも到達しようという時、俺とかずみちゃんの間に一人の少女が割って入る。

 

「お前の相手はアタシだよ!」

 

 颯爽と出てきたその少女は片手に持った拳銃の側面でかずみちゃんの杖を受け止める。

 

『俺の嫁ユウリたんキターーーーーーーー!』

 

 金髪ツインテールのいかにもテンプレツンデレっぽい容姿をした少女の名前はユウリちゃん。本名杏里(あんり)あいりちゃん。

 かずみちゃんの十字架を模した杖を拳銃で弾いて振り払うと、俺に振り返って怒り出した。

 

「だ、れ、が、お前の嫁だ! ボケが!」

 

 衝撃の事実! ユウリたんは俺の嫁ではなかったらしい! 凄くどうでもいい!

 

『ほら、馬鹿なこと言って余所見してると足元救われるよ?』

 

 何一々反応してるのこいつ的な冷めた眼差しを向けると、かなり釈然としない表情をしながらも無言でかずみちゃんに向き直る。

 かずみちゃんは、ぎゃおぎゃお言いながら、無鉄砲に突っ込んで来た。

 俺はというと戦いの方はユウリちゃんに任せて、イーブルキッチンの舞台の上で転がっているサキちゃんを掴んで拾っていた。

 

『おーい。大丈夫ー? 起きないとその明太子みたいになってる脳みそをパスタと()えて食べちまうぞ?』

 

「…………」

 

『え? マジでいいの!? 無言の肯定として受け取るよ?』

 

「…………」

 

 再三、サキちゃんに尋ねるが、彼女は俺に何も言わず青白い顔で虚空を見上げている。

 その胡乱な瞳を眺め、俺は彼女の意思を汲むべく優しく頷いた。

 

『よっし! ユウリちゃん、パスタどこにある?』

 

「ある訳ないだろっ!? 馬鹿か、お前は!?」

 

 かずみちゃんの攻撃をかわしつつ、俺の方に振り向いて叫ぶ。

 ……何だよ。イーブルキッチンとか自分で言っていたくせにパスタもないのかよ。ガッカリだな。

 

『キッチン名乗るなら、パスタの一袋くらい置いとけよ。マジガッカリだわ』

 

「皮肉で名付けただけで別に本気で料理作る気なんてないんだよ! ……クッ」

 

 一々俺とアホなやり取りをしていたせいで地味に苦戦し始めたユウリちゃん。

 さらに茶々を入れて楽しもうとした俺だったが、手に持ってぶらぶらさせていたサキちゃんの身体がぴくりと動いたことに気付き、悪ふざけを止める。

 よくよく見れば、かき混ぜられた納豆のようにグチャグチャになっていた頭蓋の内容物が次第に原型を整え始めていた。

 魔法少女って凄い……俺は本当にそう思った。

 

『ぎゃん!?』

 

 俺が魔法少女の生態に寺生まれのTさんストーリーに登場する語り部並みのトーンで驚いていると、暴走したかずみちゃんがいつの間に這い蹲っていた。

 ユウリちゃんが強いのか、かずみちゃんが弱いのか、あるいは両方か分からないが決着は着いたようだ。

 

「かず、み……ぃ」

 

 未だに脳チラをかましてくれているサキちゃんがか細い声でかずみちゃんの名前を呼んだ。

 流石の俺もゴキブリ以上の生命力に気持ち悪さを覚えて、かずみちゃんが倒れている方にぶん投げる。

 

『うわ、マジで生きてるのかよ……まるでゾンビだな。アンブレラ社呼んで来い』

 

 オリンピックのアイススケートの選手もかくやというレベルの空中スピンを見せ付けながら、サキちゃんはイーブルキッチンの舞台の上で投げ出された。

 そんなボロ雑巾以下の扱いを受けてなお、サキちゃんは這いながら健気にもかずみちゃんの傍に寄り添う。

 

「か、ずみぃ……」

 

「うッ……、あなたは、誰?」

 

 サキちゃんに手を添えられたかずみちゃんは痛め付けられたショックのおかげか、正気を取り戻して彼女に問いかけた。

 かずみちゃんは記憶喪失だから、サキちゃんのことは当然覚えていないようで、感動の名場面にはならなかった。もっとも、本当に記憶を失う前のかずみちゃんがサキちゃんと面識があったのかは俺は知らないが。

 何にせよ一つ確実な関係性があるとしたら、「今さっき、頭かち割られた被害者」ってことくらいだ。

 しかし、サキちゃんはそんなことに気にした様子はなく、ただ優しくかずみちゃんを抱き締める。

 

「だい、じょう……ぶ。君がわた、しの事を忘れ……ても私、は忘れない……から……」

 

『その子ね、アンタを助けに来てくれた仲間の魔法少女らしいよ?』

 

 少し不憫に思えてきたので、俺はサキちゃんに助け舟を出してあげる。

 何て優しいんだ、俺。やはり天使か。いや、もはや大天使! 大天使アキラエル降臨!!

 

「私の、仲間?」

 

『イエース』

 

 意識が朦朧としているのか、かずみちゃんは明らかに敵側の俺に尋ねてくる。無下にする理由もないので頷きながら肯定した。

 

「そっか。もう覚えてないけど、あなたも海香やカオルみたいに私の仲間なんだね。助けに来てくれてありがとう」

 

「かず、みぃ……」

 

 感極まってサキちゃんは涙を流してかずみちゃんに縋り付く。かずみちゃんもそれに対して抱擁を返した。

 良かったね。あれだけ気が触れたように「かずみかずみ」と連呼していたのが報われたな。

 二人が組んず解れつの桃色ガチレズフィールドを展開しつつあった時、それを見ていたユウリちゃんが唐突に弾けたみたいに笑い声を上げた。

 

「仲間? 仲間だって? あはっ、あははははははははははははははっはははははははははは!!」

 

 『仲間』というフレーズが大変つぼったようでユウリちゃんは徹夜三日目くらいのハイテンションで大爆笑をする。お笑いバラエティのサクラとしてやっていけそうなほどの見事な笑い声だった。

 

「お前ら、本当に都合がいいな! アタシの事は……このユウリの事は簡単に殺したくせに!」

 

 狂気の笑みから一転、激情に満ちた形相で地べたに横たわる二人に二挺の拳銃をかざす。

 そこでようやく、サキちゃんはユウリちゃんの顔を視認して、驚きに満ちた表情を浮かべた。

 

「その、顔……そん、な馬鹿な……」

 

「殺した奴が出てきて驚いたって顔してるな……そうだよ。アタシはお前たちに復讐するために帰ってきたんだ! プレイアデス!!」

 

 女の子がしてはいけない領域の顔芸を晒して、ユウリちゃんはかずみちゃんの頭へ目掛けて弾丸を放つ。

 俺はそれを「この子、テンションたっかいなぁ。頭おかしいんじゃないの?」とぼんやり思いながら見届けていた。

 




随分期間が空いてしまいました。
今回はあきら君以外のトラペジウム征団の面々を書いてみました。
魔法少女側も強いんだよという事を描くために最終的に負けているのはご愛嬌。
これで普通に勝ってしまったら、物語が終わってしまうので……。
でも、書いていて一番楽しいのはあきら君でした。


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第十六話 ゲスドラ

前回のあらすじ
群馬市立あすなろ中学校に通う一樹あきらは、性根が腐っていることと友達がいないこと以外は高スペックな中学二年生だが、中学入学時に交通事故に遭ったせいもあり中学でも友達が出来ず、その結果友達を作ることを諦めて「ぼっち」を極めようとしていた。妙な屁理屈をこねて、ぼっちな中学生活を謳歌しつつリア充を嫌い呪っていたあきらだったが、生活指導担当の教師・立花宗一郎に目をつけられ、「奉仕部」に無理矢理入部させられる。「奉仕部」は、生徒の問題を解決する手助けをする部であり、宗一郎による紹介によって生徒が送り込まれて来るところだった。そこであきらは、校内一の才女として知られる御崎海香と出会う。


 かずみちゃんの脳天に風穴を開ける軌道で放たれた弾丸は、彼女を傷付けることはなかった。

 と言っても、弾丸が「俺は可愛い女の子は傷付けない主義なのさ」とハードボイルド気味に逸れてくれた訳では当然ない。

 イーブルキッチンへのボール状の魔力がサキちゃんが突っ込んできた結界の穴から現れ、かずみちゃんへ迫る弾丸を横から消し飛ばしたからだ。

 

「かずみ、サキ!」

 

「二人とも無事なの!?」

 

 少しして二人の魔法少女がイーブルキッチンに踏み込んで来た。

 一人は両目に包帯を巻いた修道女のような衣装を着た黒髪眼鏡の少女と、もう一人は片足が脹脛(ふくらはぎ)の辺りから消失した松葉杖を突いているオレンジボブカットの少女。

 自宅で安静中のはずの海香ちゃんに、カオルちゃんだ。

 二人の様子から見て、まだ完治していないにも関わらず、ここ――あすなろドームまでやって来たらしい。

 大人しく寝てればいいのに、なかなかどうして友達思いの子たちだな。

 今の魔法は、前にビルの上からこっそりと覗いていた時に使っていた……確か『パラ・ディ・キャノーネ』とかいう恥ずかしい技名の合体魔法だ。

 あれは海香ちゃんが作り出したボール状の魔力をカオルちゃんが蹴り飛ばす技だったが、今回は片足のハンデを松葉杖で補って放ったようだ。そう言えば、以前に見た時よりも威力は弱く見える。

 

「チッ……! 仲良くズタボロにされに来るのが好きなんだな、プレイアデス!」

 

 舌打ちをした後、ユウリちゃんは憎々しげにカオルちゃんたちを睨み付ける。

 対峙するカオルちゃんはユウリちゃんの顔を見て、サキちゃんと同じく、昔殺した魔法少女と瓜二つだということに気付いたようで、目を見開いて驚いている。

 

「そんな……だってあの子は……あの時にあすなろドームの裏で……」

 

 そのカオルちゃんの言葉で盲目状態の海香ちゃんも誰だか気付いたようで、表情を強張らせる。

 何気に意外と覚えてもらえていたようで、本物の飛鳥ユウリちゃんとしても嬉しいんじゃないか、多分。

 かずみちゃんを殺せずに苛立っていたユウリちゃんだったが、二人の顔色に気分がよくなったみたいで、また意地の悪い笑みを浮かべ、かずみちゃんへ饒舌に話し出す。

 

「教えてやる、かずみ。こいつらはね」

 

 硬直したカオルちゃんたちに指し示すように銃口を突き付けながら喋るユウリちゃん。

 

「だま、れ……」

 

 かずみちゃんをかき抱くようにしているサキちゃんはその話を止めさせようと制止を訴える。

 しかし、そう言われて素直に黙る道理はなく、ユウリちゃんは笑みの黒さを濃くさせて唇を動かす。

 

「一度私を……」

 

「黙れえぇぇぇぇぇ!!」

 

 サキちゃんの叫びを掻き消すように一際大きく言った。

 

「殺したんだッ!!」

 

 それは罪の糾弾。被害者が加害者に向けて放つ、言葉の暴力。

 ユウリちゃんの言葉の意味を脳が理解を阻んでいるのか、かずみちゃんは顔を引きつらせて「え…・・・?」と疑問を漏らした。

 サキちゃんを含んだプレイアデスの三人はもはや止めることもせずに、俯いて唇を噛んだり、虚ろな視線を宙に撒く。

 

「かずみ。お前のお仲間の魔法少女は揃いも揃って、同じ魔法少女を殺す悪魔の集団なんだよ。そいつも……」

 

 サキちゃんを銃口で指す。

 

「そいつも……」

 

 反対側の拳銃でカオルちゃんを指す。

 

「そいつも……」

 

 スライドさせて、海香ちゃんを指す。

 そして、顎をしゃくって後ろを指し示した。

 

「下で戦っているお前の仲間は全員救いようのない人殺しの屑共だ!」

 

「魔法少女を……人を、殺……」

 

 呆然として呟きを漏らすかずみちゃんにユウリちゃんは声高に語る。

 

「こいつらはアタシの一番大切なものを……奪った! だからね、アタシはこいつらの一番大事なモノを……あんたを! 殺すの!!」

 

 ばっと拳銃をかずみちゃんに向ける。

 硬直から返ったカオルちゃんたちがそれを阻もうとするが、彼女たちを俺は尻尾を思い切り振り殴り、かずみちゃんたちとは十分離れた位置まで弾き飛ばした。

 

「くッ……!」

 

「きゃあッ!!」

 

『追加で来た魔法少女は俺に任せて、ユウリちゃんはその黒髪ショートと死に損ないを料理しなよ』

 

 ユウリちゃんにウインクを一つして、そう言うと彼女を頷いた。

 俺は弾き飛ばした二人に接近しようとした移動した時、背中に小さな言葉が掛かった。

 

「……ありがとう」

 

『どういたしまして』

 

 俺はそれに返事を返して、カオルちゃんたちの方へと飛んだ。

 アンタも、アンタで十分チョロいね、ユウリちゃん……いや、あいりちゃん。会って間もない俺をそこまで信用しちまうなんて愚の極みだぜ? まあ、まだ裏切る予定はないけどな。

 

「クソッ、またお前か!?」

 

『ああ、また俺だ。よろしくな、二人とも』

 

 悪態を吐くカオルちゃんの前に降り立つと、皮肉を込めた挨拶を送り、にやりと笑う。

 とっさに海香ちゃんが魔法でバリアを張ったのか、さほどダメージは食らっていない様子だ。失明している状態で俺の攻撃に合わせるなんて、驚くべき危機察知能力だと言える。

 だが、前の戦闘の疲労やダメージは完全には回復できていないせいか、俺の火炎の息を防ぐほどだったバリアは弱体化していて、もう既に砕けていた。

 

『それじゃあ、前の遊びの続きをしようぜ?』

 

「遊びなら一人でやっていてほしいものね」

 

「……同感」

 

『そんな邪険にすんなよ。鳴いちゃうぜ……こんな風になァ!』

 

 喉奥から燃え盛る火炎を二人に噴きかける。

 流石にまたバリアを張り直すほどの余力はなかったようで、カオルちゃんが海香ちゃんを抱き締めながら、真横に跳んで回避する。

 見上げた反応速度だが、その結果カオルちゃんの手放した松葉杖は跡形もなく燃え尽きてしまった。

 視界ゼロの海香ちゃんに、機動力ゼロのカオルちゃん。

 お互いにお互いを守り合ったのが原因でどんどん劣勢に追い込まれている。友情パワーなんてものはフィクションの中だけの産物だ。ここぞと言う時には足枷にしかなりゃしない。

 このまま、炎で燃やし尽くすのも可能と言えば、可能だが、それじゃあいくらなんでも芸がなさ過ぎる。

 ここはエンターテイメント性を重視した方針を採らないと。

 得物の前で舌なめずりもできないような臆病者は、エンターテイナー失格だぜ。

 

「クソッ……何なんだよ、お前は!?」

 

『あれ? 昨日、自己紹介しなかったっけ? まあ、いいや。俺はドラーゴ。トラペジウム征団の魔物の一体だ。今は義理と人情に従ってユウリちゃんの味方をやってる。ヨロピクゥ~☆』

 

 あきら君特製のエンジェルスマイルで可愛さアピールをしつつ、挨拶をする。

 しかし、海香ちゃんはシリアスな雰囲気を保って、重々しく表情のままだ。

 

「貴方たちの目的は……私たちプレイアデス聖団を殺す事?」

 

 突っ込みはなしか。寂しいなぁ……。

 

『俺としては殺して楽しいなら殺すし。生かして玩具した方が楽しそうなら生かすぜ?』

 

「完全にあのユウリって魔法少女の手下って訳じゃないのね?」

 

『まぁな。でも、一応ユウリちゃんには借りがあるから協力してるけど』

 

 とは言え、ユウリちゃんもここいらが華だしな。後はつまらなく朽ちていくだけだろうし、あそこまで心を許してくれたユウリちゃんを背中から斬りかかるってのも案外オツだ。

 海香ちゃんはカオルちゃんを支えながら、そんな俺に言う。

 

「だったら、あの子を救うためにも協力しなさい。これだけ魔力を行使している彼女のソウルジェムは限界が近いわ」

 

『ためにも(・・)って言ったな。じゃあ、アンタらの本当の狙いは何だ? まさか、自分たちを殺そうとしてる奴に塩を送ろうって訳じゃあないだろ?』

 

「…………」

 

 聞いてはみたものの何となく察しは付いたが、確証を得るためにカマを掛ける。

 

『ユウリちゃんがまた魔女になられたら困るもんなァ?』

 

「……知っていて、アンタ……!」

 

 短慮なカオルが馬鹿正直に乗ってくれた。激昂して睨む彼女の顔を見て確信する。

 思った通り、イーブルナッツから作られるモドキとは違う、『天然』の魔女とは魔法少女のなれの果てだった。

 本物の飛鳥ユウリが魔女になり、プレイアデス聖団に狩られたのはむしろ当然という訳だ。

 だって、魔法少女とは結果的に共食いをする存在なんだから。

 魔法少女は魔女になり、他の魔法少女は魔女を狩る。そして、その別の魔法少女も魔女になればまた別の魔法少女に狩られる。

 なかなかどうして、愉快な関係じゃないか、おい。

 

『笑える存在だな。魔法少女って奴は』

 

「く、言わせておけば!」

 

『うん。よし、協力しよう。どうすればいい?』

 

「え!?」

 

「……本気なの?」

 

 魔法少女を嘲笑う俺が協力してくれるとは思っていなかったらしく、二人とも驚愕した声を漏らす。

 そんな彼女たちに俺は大きく手を広げてオーバーなリアクションをした。

 

『おいおい。持ちかけたのはそっちだろ? こっちとしてもユウリちゃんが魔女になられるのは嫌だしな』

 

「それは……」

 

 躊躇いがちに悩む海香ちゃんにカオルちゃんが信じられないものを見る目で叫ぶ。

 

「海香! まさかコイツを信用する気!? 私たちの家に強襲した奴なんだよ!?」

 

 まったくもってその通りだ。特にカオルちゃんは俺に足を食いちぎられている。素直に信用するにはどう考えたって溝が深すぎる。

 だが、海香ちゃんは決断した声で俺に言い放った。

 

「分かったわ。なら、ここは一時的に協力関係を結びましょう」

 

「海香っ!?」

 

「カオル。今は手段を選んでいる場合じゃないわ。それとも……かずみにも見せるつもりなの?」

 

「っ!?」

 

『まあ、そういうことだな。カオルちゃんだっけ? これからは仲間だ。気安くドラちゃんって呼んでくれや!』

 

 ダンディかつセクシーにウィンクを一つ決める。

 カオルちゃんは心底嫌そうな顔を俺に向けた。可愛いなぁ。チューしてやりたい。

 

「……なら、これから私が言う事をよく聞いて」

 

『イエスマム』

 

 

 ***

 

~ユウリ視点~

 

 身体が重い。意識が遮断されそうだ。

 きっと魔力を使いすぎたせいだろう。自分のソウルジェムが濁ってるのが見なくても分かった。

 けれど、構わない。ここでかずみを殺せば、プレイアデスに復讐できる。ユウリの仇を討てる。

 それだけが目的だった。それ以外の事なんか考えた事もなかった。

 両手に握った銃口をかずみに向ける。

 プレイアデスの真実を知ったかずみは呆然とした顔で倒れている。

 

「や、めろ……」

 

 頭の割れたサキがかずみを覆うように庇うが、それでも関係ない。

 私の魔法『イル・トリアンゴロ』なら床ごと足元の二人を纏めて爆殺できる。

 

「イル……」

 

 足元に三角形を繋げ合わせた魔方陣が発現する。

 これでこいつらをあの世に送り、ユウリのための復讐を完遂させられる。

 

「トリア……」

 

『おーっと、そいつは待ってくれ、ユウリちゃん』

 

 いきなり、アタシの身体が宙に浮かんだ。何が起きたのかと見回すとアタシを竜の姿になったあきらが後ろから抱きかかえて飛んでいる。

 その背中には海香とカオルが張り付くように掴まっていた

 それを見た瞬間、自分の心の中が急激にざわめくのを感じる。

 

「なっ、何のつもりだ、お前!? まさか、ここまで来て……!」

 

 復讐を邪魔する気なのか。

 さっき、アタシの敵討ちを肯定してくれたあきらが舌の根も乾かない内に裏切るのか。

 怒りではなく、失望が心に過ぎった。

 あんなに信じていたのに……。そう思った自分にあきらに対してどれだけ信頼を抱いていたのか思い知る。

 誰も信じず、ただ復讐のみに生きていたはずなのに、出会って三日も経っていないこんな奴に心を許していた自分に気付かされた。

 

『俺はただユウリちゃんには魔女になって死んでほしくないだけだよ』

 

「何を言って……」

 

 あきらはアタシの言葉を無視しして、後ろのカオルの名前を呼んだ。

 

『カオルちゃん! 早く!』

 

「アンタが命令しないで! ……トッコ・デル・マーレ!」

 

 カオルがアタシの身体に手を伸ばして肌に触れると、指先が体内に侵入してくる。

 痛みにもがこうとするがあきらに取り押さえられて動きが制限されているアタシには何もできない。

 ようやくカオルが手を引き抜くとその手にはアタシのソウルジェムが握られていた。

 

「そ、それは……アタシの」

 

「ジュゥべえ、浄化をお願い!」

 

『わかってらい!!』

 

 海香がそう叫ぶと修道女の帽子からするりと契約の妖精・ジュゥべえが飛び出す。

 空中に躍り出ると前転をするように回転を始め、黒い渦へと姿を変えて、アタシのソウルジェムから穢れを吸い出していく。

 

「やめろぉ!」

 

 魔法で生み出した銃・リベンジャーでジュゥべえを撃ち抜こうとするが、それはあきらの尻尾が阻まれた。

 

「この、裏切り者がぁ!」

 

『まあ、そう喚くなって』

 

 あきらはジュゥべえによって浄化されたソウルジェムを尻尾を動かし、すぐさまジュゥべえを弾き飛ばして奪い取る。

 

『ぎゃん!』

 

「ジュゥべえ!」

 

『アンタらももうご苦労様』

 

「なっ……!」

 

 長い首で海香たちに振り返ったあきらは灼熱の炎を二人に吹き掛ける。

 海香はバリアを張りつつ、カオルが海香を抱いて床に飛び降りたおかげで致命傷は免れたが、二人とも焼け焦げた跡があった。

 

「やっぱり、アンタ協力するつもりなんかなかったんじゃない」

 

『何言ってんだよ。協力しただろ? だから、ユウリちゃんの魔女化は防げた。そして、一時休戦は目的を達成できた時点で既に終了。これからはまた敵同士って訳だ。……何か、おかしいとこある?』

 

 悪びれたところもなく、そう言うとあきらは手に入れたソウルジェムをアタシに返した。その表面には穢れが消えていた。身体はまだダルいままだったがこれで穢れは浄化されたみたいだ。

 何だ。アタシを裏切った訳じゃなかったんだ……。

 知らない内に安堵感が込み上げてきた自分を振り払うためにぶんぶんと首を振る。しっかりしろ、こんなふざけた奴をどれだけ信用する気なんだアタシは。

 だが、アタシを抱えたあきらはそんな様子には目もくれず、翼をはためかせた状態で視線を倒れているかずみに向けていた。

 そして、アタシを抱き締めている腕伸ばし、かずみに覆い被さっているサキを掴み上げる。

 

『そうだな。今日はそこそこ暴れたからこれくらいで許してやるか』

 

「な、にを」

 

 サキの言葉は最後まで告げられる事はなかった。

 大きく開いたあきらの口の中に本人ごと飲み込まれて行ったからだ。

 

「サ……サキ?」

 

 床にうつ伏せの姿勢で這い蹲るかずみ。それを横目にバキボキと木の枝が何本もへし折れる音と柔らかい何かが潰れるような音が交互にした後、あきらは長い舌の先を見せる。

 その上にはサキのものだと思われるソウルジェムが乗っかっていた。

 

「やめろぉ! やめろよ!」

 

「カオルっ! サキに何が起きたの!? ねぇ」

 

 カオルは焦った顔で立ち上がろうとするが片足がないせいで無様にこける。目の見えない海香はとっさに何が起きたのか分からないようでカオルに尋ねている。

 あきらはそれに視線すら向けずにかずみだけを見つめ、舌の上で飴玉のようにサキのソウルジェムを弄んだ。

 事態をまだ呑み込めていないかずみの前で粉々に噛み砕く。ソウルジェムの欠片すら食べ終えたあきらは口の周りを舐めた。

 

『いやァ、旨かったぜ、アンタのお友達』

 

「うそ、うそ……こん、なのうそだよおおおおおおおおぉぉぉぉ!!」

 

 絶望に嘆くかずみを見て、アタシの欲望が少しだけ満たされたのを感じた。

 空気を震わす哄笑が唇から流れ出す。

 

「あはははははははははははははは! ざまあみろ! 何が友達だ! 人殺しには御似合いの末路じゃないか」

 

 何もできずに無力に喚くかずみ、そして海香とカオルもだ。

 御互いに惨めに地面に転がったまま、指を咥えて見ている事しかできなかった。

 最高だ。最高に笑える。こいつらにはぴったりだ。

 だが、そんなアタシに水を差すようにあきらが落ち着いた声で言う。

 

『ご満悦なとこ悪いんだけど、そろそろ晩餐会は御開きだ』

 

「はあ!? ちょっと楽しいのはこれからだって……」

 

『まあまあ。生きてればまた、もう一回遊べるドン!」

 

 筐体(きょうたい)の太鼓ゲームのリトライ時のような台詞を吐いたあきらは翼をはためかせて、結界の割れ目から外に飛びだした。

 

『あー、やっぱひむひむたち負けてるかー。流石に一筋縄ではいかないか』

 

 あきらと同じように下を見るとトラペジウム征団の奴らは皆、魔物の姿から人の姿へと戻っていた。

 対するプレイアデスの連中は多少傷付いているが、まだ戦意が残っている。

 

『ユウリちゃん。あいつらとイーブルナッツの回収頼める?』

 

「あきら、アタシはまだ……」

 

『お・ね・が・い』

 

 甘えるような声に低い声に背筋がぞくりとさせられる。

 何だが馬鹿馬鹿しくなり、殺意や狂気が削がれていくのが分かった。

 しかも、こいつはそれを多分分かった上でやっているのだから性質が悪い。

 

「気持ち悪い声だすな。……分かったよ。『コルノ・フォルテ』!」

 

 赤い牡牛が空中に召喚されると、下に倒れているトラペジウムの面子を回収に向かわせた。

 それを見送ったあきらはプレイアデスの意識を逸らすためにドーム全体に炎を撒き散らす。

 ニコや宇佐美は燃え盛る客席に気を取られている内に、炎に紛れたコルが三人を背中に背負って戻ってきた。

 口には三つそれぞれのイーブルナッツが咥えられている。

 

『おー。コルさんさっすがー』

 

「ぶも!」

 

「アタシを褒めろ、アタシを」

 

 何故かアタシよりもコルを褒めるあきらに、それを喜んでいるコルに怒りが湧いた。

 下らない事で(いさか)いをするのはユウリが生きていた頃以来だ。

 そう思うとユウリに申し訳なく思う反面、あきらとのやり取りが楽しくなっている自分が居た。

 

『まあ、とにかく逃げるぞ。三人も人背負ってるけど、コルさんももっとスピード出せる?』

 

「ぶも!」

 

 楽勝だと言うかのようにあきらに頷くコル。いつになく、感情豊かなのはアタシがあきらと居る事に楽しさを感じているせいだろうか。

 ……そう言えば、男の人に抱き締められるのは人生で初めてかもしれない。もっとも、竜の姿じゃ色気も何もないけれど。

 




これにて、プレイアデスとの全面対決は一旦終わりです。
サキを失ったプレイアデス聖団、そして、敗北を味わったトラペジウム征団。お互いに痛み分けといった様子で次の話へと移行していきます。


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第十七話 グッバイ マイフレンド

前回までのあらすじ

色々あって、トラペジウム征団は逃げました。
 



 プレイアデス聖団から辛くも逃れてきた我らトラペジウム征団及び魔法少女ユウリちゃんは俺のマンションへと返って来た。

 段ボール箱のいくつか残るリビングの中でひむひむたちをコルさんからの背中から降ろして寝かせる。ちなみに俺もドラゴンの姿から人の姿に戻っていた。

 ユウリちゃんはダルそうにソファに寄り掛かって、恨みがましい目で俺を見ている。

 

「せっかく、あと少しでプレイアデスの連中を皆殺しにできるチャンスだったのに……」

 

「まーだそんなこと言ってる。一度で簡単に終わらせようとするのは悪い癖だぜ、ユウリちゃん」

 

 あと少しだったのはアンタの魔女化だけだって話だ。後先考えずに突っ走るのはこの子の頭の足りなさを如実に表している。

 クールに見えて、熱くなり易いアホの子だ。まあ、そんなところが愚かで裏切り甲斐があるってモンだけど。

 

「復讐ったって、結局のところ自分がスッキリして気持ち良くなるための手段なんだから、もっと丁寧にやらないと。あのまま、皆殺しにしても誰もユウリちゃんを殺したことを後悔しちゃくれないぜ?」

 

「むう……」

 

 反論はないようで、ユウリちゃんはむくれてそっぽを向く。

 初対面に比べると態度が驚くほど軟化しているのが分かる。もう俺に対して全幅の信頼を置いているらしい。

 どうして、俺みたいな人間を信用しちゃうのかさっぱり分からない。理解者ぶって近付けばこの手の悲劇のヒロインちゃんはほいほい言うことを聞いてくれることは経験上よく知ってはいるんだけども。

 さて、脳みそ足りないお姫サマは一旦置いておいて、ばんたんきゅーしてるトラペジウムの皆様の方を見る。

 プレイアデス聖団の魔法少女にやられた彼らは表情に苦悶こそ残しているが、身体的外傷は特にない。

 カマキリの魔女モドキになった女刑事もかずみちゃんの攻撃を受けた後は人間の姿に戻るだけで、身体に怪我のようなものはなかった。多分、魔女モドキや魔物の状態で負った傷は人間態の時には残らないみたいだ。

 三人の身体を触ったり、関節の可動範囲を調べたりして遊んでいると、ひむひむが目を覚ました。

 

「ん……ここは?」

 

「気が付いたみたいだな、ひむひむ」

 

 軽く挨拶すると状況を確認できたひむひむは上半身を起こして、俺に話しかける。

 

「ああ、あきら君。……そうか、確かボクは宇佐木里美にやられて……」

 

「顔を見られちまった?」

 

 そう聞くとひむひむはこくり重々しい顔で頷く。普段、明るく笑っている奴だから深刻そうな表情をすると殊更暗く見えた。

 どういう風に負けたのか、何が敗因だったのかを聞くと、何のことはない。全てひむひむが趣味に走りすぎた結果、油断して返り討ちにあっただけという間抜けな話だった。

 

「あははは。そりゃ、ひむひむが悪いって。弱そうに見えても向こうの方がずっと戦闘経験豊富なんだから」

 

「もう! 笑い事じゃないよ。自分のクソ不味い血を飲まされて悶絶したんだよ?」

 

 俺の反応に憤慨するひむひむは自分が噛んだ腕の部分を服を捲って見せてくる。

 そこには歯形らしき痕跡はなく、そこらの女の子以上に色白の美しい肌が広がっていた。

 ひむひむの話によると、里美ちゃんは動物を操る魔法を使うのだと言う。案外、誰よりも厄介な魔法かもしれない。ただ聞いた限りだと射程距離が短いようなので、遠距離からの攻撃ならそこまで苦戦はしないはずだ。

 そこで、俺は話を急に変えてひむひむに家族のことを聞いた。

 

「そう言えば、ひむひむって家族構成どうなってんの? 家で一緒に住んでる?」

 

「え? 急に家族の話? 母親と双子の妹が居るけど今は二人とも精神病院だよ。まあ、原因はボクが虐め過ぎたからなんだけど」

 

 怪訝そうな顔をしつつも、ひむひむは少し照れたように頭を掻きながら俺にそう話した。

 そうかそうか。家族は二人とも精神病院に居るのか。と、なるとひむひむは今、一人暮らしをしている訳ね。

 

「あ、ひょっとしてボクの住所が割れてるかもしれないって話? 確かにそうなると家族が狙われるのは必然だよね……」

 

 腕組みをして、そう漏らすひむひむは思考を俺から外して考え込む。弄くり回して精神ぶち壊したらしい癖にそれなりに家族に愛着を持っているようだ。

 だが、俺の懸念事項はちょっとそれとは違う。

 俺が知りたかったのはひむひむの家族が俺の存在を知っているかどうかだ。家族と暮らしているのなら、俺のことを話していても不思議じゃないが、離れてくらしているなら話は別だ。

 

「ひむひむぅ~」

 

 俺は使い慣れてきた彼の渾名を気軽に呼んだ。

 

「え? 何? あきらく……」

 

 何気なく、俺の方を向いたひむひむは最後まで俺を呼ぶことができなかった。

 なぜなら部分的に魔物化させた俺の右手が彼の胸に深々と突き刺さっているからだ。

 言葉の代わりにごぽりと血の塊を吐き出すひむひむ。その両目は信じられないものを見るかのように大きく見開かれていた。

 「どうしてこんなことをするの?」という疑問が視線だけで伝わってくる。

 

「ひむひむはさー、俺のクラスメイトだから面がバレちまったからには、俺にまで繋がる危険性があるんだわ。だから、悪いけどさっさと死んでくれ、な?」

 

 理由を丁寧に教えてあげたにも関わらず、ひむひむの形相は鬼のように怒りに満ちたものに変貌する。

 彼の瞳に含まれた色は真っ黒の憎悪。裏切られた怒りを俺に真っ直ぐ突き刺す。

 せめて、リッキーと同じく違うクラスだったらまだ誤魔化しは聞いたのだが、同じクラスで且つ仲良く話しているのをカオルちゃんたちに見られてしまっている以上はこのまま生きてもらっているのはまずい。

 まあ、でもそこそこ信頼していたのにポカしたペナルティも含んでいる訳だから、全てが全て理不尽でもない。

 

「あ゛ぎ……らぁ……」

 

「里美ちゃんの情報ありがとな、ひむひむ。例え、死んでも仲間だ。トラペジウム征団の絆は永久に不滅なんだぜ☆」

 

 可愛くウィンクすると刺し貫いた手の先をグッと握り締める。

 柔らかく弾力のある何がぐちゃりと潰れた感触がして、拳の間から液体とちぎれた一部がはみ出すのを感じた。

 実のところ、一番俺に近いものを感じていたから期待はそれなりに掛けていたのだが、こうなってしまっては仕方ない。

 ひむひむは糸の切れた操り人形の如く、俺の胸に倒れ込んで来る。おう……駄目だぜ、ひむひむ。俺たち男同士じゃないかぁ。

 ぐったりと俺に寄りかかるひむひむは人間ではなく、肉でできたオブジェと化していた。血液大好きっ子のひむひむには最高のラストだったと言えるだろう。

 きっと生きていたら「ありがとう、あきら君! 君は最高の友達だよ!!」と高らかに宣言してくれること間違いナッシングだ。

 盟友ひむひむと抱き合いながら男同士の友情を感じあっていたが、ソファからの熱い眼差しに気が付いて、振り返る。

 

「何? ユウリちゃん? ひょっとしてこういうの見てホモとか騒ぎ出す女子なの? 女の子って男が互いに友情を感じ合ってるだけで、ホモネタに走りたがるから困るんだよね~」

 

 やれやれと言った風に俺がそう言うが、ユウリちゃんは引きつった顔で俺を見るばかりだ。

 数秒後、ようやく言葉が出てきたらしく震える唇で俺に喋りかける。

 

「殺したのか……仲間だったんじゃない、のか?」

 

「仲間だよ? トラペジムの四つ星に懸けて俺たちは仲間さ」

 

「じゃあ、何で?」

 

「いや、さっき言ってたじゃん? 聞いてなかったのか? こいつが顔バレしちまったから生きてると俺も危ないって」

 

「それ、だけで殺したのか?」

 

 愕然とした表情でユウリちゃんは馬鹿みたいに何度も俺へ尋ねる。

 『それだけって』、割りと重要な気がするんですがそれは。まあ、バレたらバレたで面白どうなんだけど、正体は自分で明かしたいものだしな。

 

「……お前、正気じゃないぞ」

 

「ほい。鏡」

 

 特大ブーメラン発言をかましてくれるユウリちゃんに段ボールから血で汚れていない方の手で、手鏡を取り出して見せてあげる。

 というより、今の今までこの子は自分のことをまともだと認識していたのか? もしそうなら、厚顔無恥ってレベルじゃねぇ。

 ユウリちゃんとコントを繰り広げていると、サヒさんやリッキーも気が付いたようでもぞもぞと起き上がって来た。

 それと同時に俺は両目から涙を流し始める。

 

「うっ……くっう……何でなんだよ、畜生!」

 

「はぁ!?」

 

 突然の涙に驚き、奇声を上げるユウリちゃんだったが今はアンタには構ってられない。

 泣き喚きながら、血に濡れたひむひむに気付いた二人は慌てて俺に問いかける。

 

「どうしたんだ、それ!」

 

「ひ、氷室君が……血に塗れて……」

 

 涙と鼻水で汚れた顔で二人の方を向くと俺は喉から搾り出すような声で答えた。

 

「……ひむひむはプレイアデス聖団に殺されちまった」

 

「!?」

 

 声にならない声を上げてユウリちゃんは硬直する。俺は彼女を華麗にスルーしてサヒさんたちに情報を伝えた。

 

「俺たちはプレイアデス聖団に負けて、敗走している途中、後ろから魔法を受けたんだ……俺もユウリちゃんもボロボロで、サヒさんたちは気絶しててもう駄目だって思った時……ひむひむが俺たちを庇って……」

 

「そんな……氷室君が僕たちを」

 

「馬鹿野郎……! 一人で無駄に格好付けやがって」

 

 サヒさんは悲痛な目で顔を押さえ、リッキーは床に拳を打ち付けた。あ、床痛むんでそれやめてください。

 二秒ほどで捻り出した感動のストーリーを二人に如何にも辛そうに聞かせると、一ミリも疑うことなく信じてくれた。

 

「……プレイアデスのクソ女どもぉ!! 氷室の命を奪いやがって……絶対に許せねぇ!」

 

「氷室君の仇は必ず取ろう……」

 

「サヒさん……リッキー……。ああ、もちろんだぜ! ひむひむの分も戦い抜こう」

 

 心臓を抉られたひむひむの手を掴み、三人はプレイアデス聖団への再戦を誓い合った。

 感動に目を潤ませて円陣を組む俺たちを信じられないものを眺める目でユウリちゃんは見ている。やっぱ、こういう熱い男の友情は女の子には分かんないもんかね?

 

【挿絵表示】

 

 *

 

 サヒさんたちに回収したイーブルナッツを再び返した後、ユウリちゃんの警護の下に二人を自宅まで送り届けた。俺はその間、ひむひむの死体はモグモグして処理してカーペットに染みてしまった血液を通販で買った『クリーニングパワーZ』という怪しげな洗剤で擦って綺麗にしていた。

 まったくもう、ひむひむったらいくら血が大好きだからって俺の家まで汚さないで欲しいぜ。

 最悪、新しいカーペットに取り替えようかなと思っていたが、思いの外『クリーニングパワーZ』の洗浄力が高く、それほど時間も経っていないことが幸いして見事汚れを撃滅できた。

 手に付いたひむひむの返り血をシャワーで洗い落として、一息吐いてソファに転がっていると、ユウリちゃんが帰って来た。

 

「おっす。お疲れ」

 

「……お前、本当にとんでもない奴だな。さっきの演技を見て確信した」

 

「母親は元ハリウッド女優でね。演技の程はプロ級だよん」

 

 適当に返しながら、指先でひむひむのものだったイーブルナッツを弄ぶ。

 トラペジム征団には新しいメンバーが必要だ。ひむひむは趣味に走りすぎたから、今度はそれなりに節度を保てる奴がいい。加えて、俺と接点がないなら、なお良しだ。

 そんなことを考えながら、イーブルナッツを上へ軽く投げると、ユウリちゃんがそれを掻っ攫った。

 

「何すんの、ユウリちゃん?」

 

 手を伸ばして『返してくれ』とジェスチャーするが、ユウリちゃんは顔を俯かせてイーブルナッツを握り締めるだけで返却してくれそうにない。

 

「……アタシに優しくしてくれたのも……」

 

 もの凄い聞き取りづらい小声でぼそりとユウリちゃんは呟いた。

 

「え? 何、聞こえないよ? 最後まできっちり言って」

 

 聞き返すと、今度はめちゃくちゃ大きな声で俺に叫ぶ。

 

「アタシに優しくしたのも演技かって聞いてるんだ!!」

 

「うぐぅ」

 

 あまりの声量に耳を押さえて身体を丸まった。指で突付かれた団子虫如く、間接を折り畳み、縮こまる。

 しかし、そんな様子は意にも解さず、ソファに仰向けで丸まる俺にユウリちゃんは乗りかかる。

 

「どうなんだ? 答えろ、あきら。答えによっては……」

 

 瞳が剣呑に光る。答えによっては俺を殺すつもりだ。

 それでいい。飼い犬は少しくらい乱暴にじゃれ付いてくるのがちょうどいい。

 耳から離した手でユウリちゃんの頬に当てる。それから、ゆっくりとした手付きで俺の顔に静かに近付けていく。

 唇の先をタコ型宇宙人のように尖らせて、

 

「むちゅ~」

 

「ぎゃああああ!」

 

「おぶっ……!?」

 

 フックの利いた拳で頬を殴られる。

 いいパンチ持ってやがる。俺と一緒に世界目指そうぜ。

 ユウリちゃんは俺から飛び退いて、警戒した猫の耳のようにツインテール逆立たせる。

 

「何するんだ、お前は!?」

 

「いや、ちゅーして俺の気持ちを伝えようかって」

 

 揉み上げの髪を人差し指に絡めて、もじもじと流し目を送る。足も地味に女の子座りをする。

 

「い、要るか、ばか!」

 

 ユウリちゃんは俺にイーブルナッツを投げ付けると、そそくさと家から去って行く。

 初心な子だ。男を知らないに違いない。……ちなみに俺も女を知らない。

 殺人経験があるって意味で言えば、とうの昔に童貞捨ててるんだがな。

 それはさて置き、新たな仲間はどんな奴にしようか。

 笑みを浮かべて、ぺろりと手の中のイーブルナッツを舐める。

 

「うげっ……!」

 

 格好つけて舐めたものの、あまりの不味さに即行で口をゆすぎに流しへと走った。

 




大事な仲間の一人氷室悠を失って傷心のあきら。
そんな彼の前に旅の獅子村三郎が現れる。
彼はあきらが元ハリウッド女優、川村理恵の息子だと知ると、自分と演技の技量で勝負したいと言い出すが……。

次回『ライオン劇場』

お楽しみに。


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双樹あやせ襲来編
第十八話 ライオン劇場 前編


今回は前編と後編を分けさせて頂きます。


 ……どうしたもんかなぁ。

 俺は内心でぼやきながら学校をサボり、街の中を徘徊していた。

 理由は失われたトラペジウムの四つ星の一つ、征団の欠番を埋めるための人材探しだ。

 学校を休んだのは、向こうで探すと俺も繋がりが見えてしまうし、何よりバリエーションが少なすぎるからだ。カオルちゃんたちも流石にサキちゃんが死んだ次の日に登校できるほどイカした精神構造していないだろうから、学校に行く意味合いがほとんどない。

 あすなろ市をぶらついて、見込みのありそうな奴を捕まえたいところだが、平日の昼間ということもあって、街には会社員ぐらいしか目に付かない。

 補導されたらどうしよう言い訳しようかと小心者の俺は青空を見上げて歩く。

 それにしても、何て綺麗な青空なんだ。まるで俺の澄んだ心のようじゃないか! ああ、世界は美しい!!

 テンションを上げるために、無理やり空の青さに感動する。

 大変頭の悪い元気の上げ方をしながら俺は曲がり角を曲がった。すると、そこで誰かとぶつかる。

 

「あうっ……」

 

 幸い、俺の方が身体が大きかったので、ぶつかった相手はコンクリートの地面に尻餅を突く。

 これで相手がトーストを加えた美少女転校生なら、恋愛フラグはビンビン丸なのだが、残念ながら転んだ相手は男だった。

 俺よりも一つか、二つくらい年下の童顔の少年。隣には手荷物と(おぼ)しき、大き目のダッフルバッグが落ちている。

 旅行か何かの帰りかだろうか、少なくとも学校を早退してきた訳ではなさそうだ。

 

「おっと。悪かったな。余所見してた」

 

 座り込んだままの少年に俺は笑顔で手を差し伸べた。

 だが、少年は俺の顔を引きつった表情で見つめ、固まっている。よく観察すると頬に冷や汗も掻いていた。

 

【挿絵表示】

 

 どうかしたんだ? 俺の顔に何か付いているのか? ……いや、そういう反応じゃあない。これは気付いた時の反応だ。

 自分には到底理解できないものが存在していることを知ってしまった時の反応。

 

「……凄い」

 

 ぽつりと少年は俺に見惚れたように呟きを漏らす。

 その瞳は金銀財宝を意図せずに掘り当ててしまったような、そんな眼差しを俺へ投げ掛けていた。

 

「ドス黒い闇……それなのにとても生き生きとしてる。邪悪そのものだ」

 

 恍惚の表情で中二病テイストの暴言を俺に放ってくる。何、この子。ぶっ飛ばしても()かですか?

 この全世界のエンジェルたる俺に向かって邪悪とか、バチカン市国が黙っちゃいないよ? 法王サマ大激怒だよ?

 

「あのっ、貴方の名前を教えてもらってもいいですか?」

 

「名前……ワールド・オブ・エンジェルこと一樹あきらだけど」

 

「あきらさんって言うんですね!? オレは獅子村(ししむら)三郎って言います!」

 

「はあ」

 

 何だこいつ。何の脈絡もなく、自己紹介を始めてきやがった。

 ホモか? ホモガキなのか? ひょっとして俺のキュートなお尻は今狙われているのか!?

 貞操の危機に内心でガタガタ震えていると俺の差し出した手を取って、少年改め獅子村は起き上がる。

 恐怖心を振り払って、俺に獅子村と対峙する。

 

「オレは将来、最高の舞台を作るために演技を磨く旅をしているんですけど、あきらさんみたいな本物の邪悪を体現している人初めて見ました! ぜひとも、オレに邪悪の演技を指導してくれませんか!?」

 

 獅子村はキラキラした目で俺にそう捲くし立ててくる。

 無駄に熱い情熱に圧倒されつつも、俺はそれに答えた。

 

「獅子村君って言ったっけ? 俺は邪悪なんかじゃなく、心清らかな男だからそんな指導はできないよ」

 

「またまた~。そんな事言って邪険にしないで下さいよ。オレには分かるんです! あきらさんが生粋の悪だという事が!! 今まで旅をしながら色んな人を見てきたオレが言うんだから間違いありませんって」

 

 朗らかな笑みの癖に言ってくることが酷すぎる。誰が生粋の悪だ。俺の半分は優しさでできているというのに。……自分への。

 

「大体、演技の指導っていうけど、演技は他人に指導されて得るんじゃなくて、見て覚えるモンなんだよ。技は盗むくらいじゃないと」

 

 俺だってママから直接習った訳じゃなく、映像媒体から表情、声の抑揚を見て自然と覚えていったのだ。

 指導なんて一度たりとも受けたことすらない。

 

「はい! だから、しばらく近くで観察させてほしいんです」

 

 その辺は獅子村も理解しているようで、直接的な指導は期待していない様子だった。

 だが、俺のことを誤解している相手に付きまとわれているのも、嫌気が差す。ここはサクっと断ろう。

 

「獅子村君が言う邪悪っていうのはさ、実は俺の演技なんだよ。アンタが俺の演技に騙されて本質を見えていないだけなんだ」

 

「いや、そんな訳ないですよ。ずっと人を観察してきたオレが……」

 

 あり得ないと首を振る獅子村に説得力のある一言を放り渡す。

 

「だって、俺はあの『川村理恵』の息子だから」

 

「!? 川村理恵って十数年くらい前にアカデミー賞主演女優賞を受賞した初の日本人女優の……」

 

 ママの名前を出すのは些か反則かもしれなかったが、演技の道をかじっていたものには絶大な効果を及ぼすはずだ。

 ちゃんとした場所で学んでいる奴はもちろん、こいつのように独学で学んでいる奴にだって効く。

 

「まあ、あれだ。血統のなせる業って奴だ。アンタの言う邪悪さって言うのは天才にしかできない演技な訳だ。だから、諦めてくれ」

 

 ひらひらと手を振って、その場から立ち去ろうとするが後ろから強い力で肩を掴まれた。

 顔だけで一瞥すると、獅子村がもの凄い形相で俺を見つめている。その目は怒りに満ちていた。

 

「雑種には雑種なりの意地があるんです……」

 

 何気なく言った一言がどうやら地雷踏んでしまったらしい。

 すうっと一呼吸した後、獅子村は敵愾心全開で俺に宣言する。

 

「あきらさん! オレと演技で勝負してください!!」

 

 こうして、なぜか俺と獅子村の勝負の火蓋が切って落とされた。

 まあ、面白そうなので付き合ってやろう。

 

 *

 

 獅子村の提案で俺たちは近くの駅の前まで移動した。何でもギャラリーは多ければ多いほどいいだとか。そういう発想がにわか臭いんだけどな。

 指定された場所に着くと獅子村は俺に言った。

 

「それじゃあ、あきらさん。まずあなたがお題を決めてください。オレはそのお題に従って演技します」

 

 ルールとしては、互いにお題に沿って演技をして、どちらの演技が上かを決める形式のようだ。シンプルで味気がないようにも思えるが、取りあえずはそれでいいか。

 

「それはいいんだけど演技の評価もお互いに付けんの?」

 

「演技の程はここに居る通行人たちに決めてもらいます。演技というのはやはり他人を信じ込ませるものですから、どちらがより多くの人を騙せたかで勝敗を決めましょう」

 

 なるほどなるほど。それが理由で駅前まで連れて来たということか。……まあ、それ以外にギャラリーを気にする理由もないけど。

 それじゃ、獅子村に適当なお題でもやらせるかね。

 

「じゃあ、ちょうどあそこに銀行もあることだし、強盗の演技でもしてくれ」

 

「見くびってもらっちゃ困りますよ、あきらさん。オレはね、犯罪者の演技のためにいくつか犯罪に手を染めた事もあるんです。銀行強盗なんて楽勝ですよ!」

 

 自信そうな顔で獅子村はダッフルバッグから銃と覆面を取り出して、悠々と駅前の大きな銀行の中へと足を踏み入れていった。

 

「おい! テメエら、強盗だぁ! 銀行にある有り金全部このバッグに入れろ! さもなきゃ撃ち殺すぞぉ!!」

 

 ガラス張りの壁から中をその様を眺めていると、獅子村が侵入して叫んだ。

 すると、ほんの数十秒くらいで二人の警備員が出てきて奴の両方の腕を掴み、グレイ型の宇宙人風に取り押さえられた後、足を引きずりながら奥の部屋に連行されて行く。

 その間獅子村は俺に向けてずっとドヤ顔を超然と晒していた。……真性のアホの子だな、あいつ。

 お腹が空いてきたので、俺は駅の裏手にあったラーメン屋に入り、『極上とんこつタンタン麺』を注文して席に座った。

 しばらくして注文した極上とんこつタンタン麺が来たので、俺はそれを静かに(すす)っていると、店に荒い息を吐きなら獅子村が来店する。

 

「や、やりましたよ、オレ……」

 

「ちょっとラーメン食ってるから待って」

 

 極上とんこつタンタン麺の麺を啜り、スープを飲む。旨い。辛いだけではなく、豚骨のこってりとした味が……。

 

「というか、何でこんなとこでラーメン食ってんですか!?」

 

 お店に迷惑な絶叫を撒き散らした獅子村はラーメン屋の兄ちゃんに睨まれるが、気にした様子もなく、俺の方に近寄って来る。止めてくれ、知り合いだと思われるだろうが。

 しばらく、完全に無視していたらラーメン屋の兄ちゃんが入り口の外に追い出してくれた。

 兄ちゃんに感謝しながら、二十分くらい時間を掛けて完食をした後、金を支払って店を出る。

 

「何で勝手に帰ったんですか!? あの後、オレ凄い追いかけられたんですよ」

 

 店の脇で待っていた獅子村が待っていた。恨みがましい目で俺を睨んでいる。

 

「あれ、逃げ切れたのかよ。意外に凄いな」

 

「とにかく、これでオレの番は終わりましたよ。次はあきらさんの番です」

 

 そう言って、人さし指を俺に向ける。

 生意気な子だな。よほど自分の演技に自信があるようだ。

 しょうがないので、俺はその自信を圧し折ってあげることにする。

 

「で、俺も銀行強盗やればいいのか?」

 

「いえ、強盗なんて邪悪なあきらさんには簡単すぎます。そうですね……」

 

 獅子村は俯いて少しの間考え込み、そして何か思い付いたように顔を上げた。

 

「あきらさんにはヒーローを演じてもらいます!」

 

「ヒーロー?」

 

「そうです。あきらさんの滲み出る邪悪さが演技だと言うのなら、格好いいヒーローを演じてみてください」

 

 俺が聞き返すと獅子村は鷹揚に頷く。

 随分とまあ抽象的なお題だ。銀行強盗よりも難しい。

 怪人役でも出てきてくれれば話は別なんだが、リアルでヒーローって言われてもいまいちピンと来ない。

 

「あれあれ? できないんですか?」

 

 獅子村は助走をつけて殴り飛ばしたくなる嫌らしい笑みを浮かべている。これも演技なら大したものだろうが、多分これは素だ。

 俺はそんな奴に内心殺意を込めて見ていると、視界の端で何か鈍く点滅して光るものが突き刺さっているのを発見した。

 一見イーブルナッツかと思ったが、遠目から見ても若干形状が違う。

 上下の両端から棘が生えた幾何学的な模様の付いた黒い球体。まるで発芽した球根のようにも見える。

 いや、逆だ。これがイーブルナッツと違う天然もの。グリーフシードだ。

 

「何、余所見してるんですか?」

 

 獅子村も俺の目線が明らかに自分からずれているを見て、気になったみたいだ。

 

「あれ? 何か刺さってますね」

 

 獅子村はすすっと喋りながら移動して、鈍く点滅する何かが突き刺さる壁の前に行く。

 その壁はシャッターの閉まった空き店舗らしき店のものだった。外装からして元飲食店だったのが何となく感じ取れた。

 俺もその壁の前に立つと、点滅する速度が次第に速くなっていることに気付いた。

 これはやばくないかと思った瞬間にそれは大きく鈍い暗色の光りを放つ。

 

「うわっ……!」

 

「くっ……」

 

 周囲に光と共に大きく空間が展開され、一瞬にして世界を俺たちから切り離した。

 次の瞬間、俺たちが居たのは空き店舗の壁の前ではなく、薄闇色の背景に彩られた不思議な場所だった。

 摩訶不思議な展開過ぎるおかげで、俺は逆に冷静になれて、すぐにこれがカオルちゃんたちから聞いた魔女の結界だということを察する。

 獅子村の方も根は相当図太いらしく、訳の分からないことが起きたというのにそれほど取り乱してはいなかった。

 むしろ、興味津々といった具合に周囲を見回している。この子は意外に見込みはありそうだ。

 ただ、ここが魔女の結界内だとするなら、確か使い魔とかいう奴が居るとか言う話だったはずだ。

 そう考えた俺の期待に応えるように床や上から何やら形容詞しずらい幼女の落書きのような生き物がたくさん這い出てくる。強いて言うならデフォルメされたクラゲだ

 

「うわ、何かよく分からないもの出て来た! 凄い!」

 

 驚いているのか感心しているのか分からない叫びを上げた獅子村へとそれらは襲い掛かる。

 流石に自分に危害が加えられそうになるのは怖いようで、さっきまでの余裕を消して顔を覆う。

 

「うわあああ! く、来るな!!」

 

 ちょうどよく敵が現れてくれたので、俺は先ほどのお題をこなすため、ヒーローらしく無駄なポーズを取る。

 そして、お決まりの台詞を上げた。

 

「変……身!!」

 

 台詞と共に姿を竜の姿に変貌させて、間髪入れずにクラゲの使い魔を火炎で焼き払う。

 妙に甲高い断末魔を上げて、一ダース近い使い魔の群れは消し炭へと変わっていった。本来なら焦げ臭さがしてもおかしくないのだが、魔力でできた存在だからか臭いはまったくしない。

 

『無事か!? 少年!』

 

 昭和の変身ヒーローみたいな口調で獅子村に安否を尋ねる。

 

「黒い、ドラゴン……? 本当にあきらさんなんですか? あと少年って……」

 

『こっちの方がヒーローっぽいだろ?』

 

「いや、見た目とか声とかモロ悪役なんですが」

 

 助けてあげたと言うのに礼の一つもしないどころか、真顔で突っ込みを入れてきやがった。

 ……ラーメンのチャーシューの演技を死ぬまでやらせてやろうか、このガキめ。

 




今回、登場した獅子村三郎君はぶらっくまんさんの考えてくれたオリジナルキャラクターです。
さて、彼は次回まで生き残っているのか。答えは後編で。

※魔法少女が出ていないというタイトル詐欺が発生しました。申し訳ございません。


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第十九話 ライオン劇場 後編

これがかずみ?ナノカの今年最後の更新です。
前編のままだとキリが悪いので無理して書きました。


『襲われそうだったお前を助けてやっただろ? ヒーローじゃん』

 

「いや、人を助けるからヒーローというのは少し安直過ぎますって。もっとこう深みがないと」

 

 魔女の結界内の中、獅子村は竜の姿の俺にまったく物怖じせずに駄目出しをしてくる。

 自分が死に掛けたことなど大したことでもないかのように頭から抹消したらしい。そんなにも死体役を希望しているのか。

 このまま、このイラッと来るお子ちゃまを「ピチャピチャの刑(俗名・ミンチ)」に科してやりたいのは山々だがそれをした場合、俺はヒーローが演じられないという(そし)りを受けることになる。それでは試合に勝って勝負に負けるようなものだ。この俺のプライドが許さない。

 とにかく、ここの魔女を可能な限りヒーローチックに倒した後、獅子村に負けを認めさせ、然るべき刑罰に処そうじゃあないか。

 

『まあ、とりあえずこの結界の中に居る魔女ってのを倒さないと俺たちは帰れない訳だ。それまでは俺が責任持ってきっちり守ってやるよ』

 

 ……その後は、一体『どう』なっちまうのか分からないがな。

 

「お、今のはちょっとオレ的にポイント高いです」

 

 いや、そもそも基準決めるのは俺たちじゃなくて、駅前に居た通行人だろ。あれ? ということはこいつが演技も結局自己申告な訳だし、通行人が居ないこの状態ではそもそも無意味なんじゃね?

 一瞬、ここでミートボールを製造しようか迷ったが、それはこいつに俺の演技を見せつけて心をへし折ってからでも遅くない。

 

『じゃあ、背中に乗んな』

 

「御言葉に甘えさせてもらいますね。よっと」

 

 獅子村を背中に乗せて、俺は結界内を飛び上がる。黒い翼が空気を裂き、羽ばたき出した。

 結界内には天井があるために飛んで逃げるということは不可能だが、ちまちま歩くよりは魔女を見つけやすい。

 全体から見ると、この結界の中は絵本に出てくるような海の底みたいに見えた。巨大な珊瑚や海草のようなものが至るところから生えている。そして、何故かやたら背の高い鳥居がところどころに起立していた。きっと浦島太郎に出てくる海の中を具現がすればこうなるだろうって外観だ。

 だが、ざっと下を見降ろす限り、魔女らしき影は見つからなかった。それどころか、使い魔も見当たらない。

 

「あきらさん! 何か天井から生えてきてます!」

 

 いきなり、俺の背中に居た獅子村は顔を上げて叫んだ。

 連れられるように俺もそちらを向くと、天井からクラゲの使い魔が這い出してきている。

 

『ギャハハハ!』

 

 陽気な笑い声を上げて口を開いているものの無表情のそれらは不気味な印象を俺たちに与える。近付いて来ようものならさっきと同じく火炎の息で炭火にしてやろうと思ったが、どうにも様子がおかしい。

 

『ギャハハハハハハハハ!!』

 

 クラゲの使い魔たちはぐにゃりと伸び上がるとその身体を一つに纏め上げ、横長の魚の胴体をくっ付けたデフォルメされたクラゲ頭、いや赤ん坊の被る帽子ような化け物へと変化する。

 魔物の姿になった俺の三倍はあるその巨体を見て、何となく思った。

 使い魔が集合して魔女になったのではなく、魔女が分散して使い魔のように見えていたのでは、と。

 なぜそう思ったのかと思考がその理由を探ろうとした時――頭の中で映像が流れた。

 

 *

 

『食べられちゃえばいいじゃん。だって、死にたいんでしょう?』

 

 黒い魔女っ子帽子と長いローブ、そして十字架を模した杖を携えた魔法少女がそう冷たく言い放つ。

 その姿と声は俺がこの街で初めて出会った少女、かずみちゃんのものだった。

 

『それとも……デッド・オア・アライブ?』

 

 映像の中のかずみちゃんは魔女っ子の帽子から黒いショットガンを投げ落とし、俺にそれを拾わせる。

 いや、拾ったのは俺じゃない。この映像の視点人物だ。

 さっき見た小さな使い魔が絡まり、今俺の前にいる大きな魔女の姿になった。

 かずみちゃんはそれに少し驚いた様子で呟く。

 

『あらっ? 使い魔じゃなく、魔女だったか』

 

 視点人物はさっき見たのと同じ姿の魔女と相対している。すぐ目の前に居るのは薄ピンク色のふんわりした髪の少女……こいつはみらいちゃんか? 底の厚い眼鏡を掛けていて今よりも随分野暮ったく見える。

 そのみらいちゃんもまた視点人物と同じ、黒いショットガンを構えており、それを襲い掛かるクラゲの魔女へと放った。

 視点人物とみらいちゃん以外にも銃を撃った誰かが三人ほど居たようで計五発の弾丸がクラゲの魔女を貫く。

 身体に穴の開いたクラゲの魔女はそこから空気が抜けたように萎んで、干からびた。

 

『やっ……』

 

 歓声に似た呟きが傍であがった。思う様、死亡フラグだ。

 クラゲの上のベールのような帽子の顔が垂れていた触腕の一つを加え、空気を入れると、魔女は膨らみ、元通りの姿になる。

 そして不気味な笑みをこちらに向けた。

 

『ギャハッ』

 

『うわああああっ』

 

 視点人物を含めた少女たちの絶叫が上がり、手に持ったショットガンの引き金を引くがもう弾は出なかった。代わりにガチガチと無機物の奏でる不快な音だけが響く。

 

『ちくしょう……』

 

 クラゲの魔女は大きな口を広げて、視点人物を食らおうと――。

 

 **

 

「何ぼうっとしてるんですか!?」

 

 獅子村の声で俺は意識は戻ってくる。

 奇しくも俺の視界に入ってきたものは映像の中とまったく同じ魔女の口だった。

 俺たちを食らわんと牙の生え揃った大口を開き、眼前へと迫って来る。

 

『クソがもっと早く言えや! ボケ!』

 

「あ、ヒーローポイント-1! 正統派ヒーローは暴言を吐きません!!」

 

 このボケナス君はこんな状況だというのに俺の演技に対して、批評を欠かさない。こいつを魔女の口の中にぶん投げてやろうかと思ったが、それは敗北宣言なのでやめた。

 八つ当たりとばかりに鉤爪の生えた手を迫り来るクラゲの魔女の顎に突き刺して、相手の勢いを殺さずに魔女の身体を切り裂きながら下を潜り抜ける。

 

『おっらあ!!』

 

『ギャバハァ!!』

 

 クラゲの魔女は俺の鉤爪に切り裂かれて、顎の下から五本の傷が縦に広がった。

 悲鳴を上げて、胸から空気を排出しながら、魔女は細く萎んでいく。

 

「やったか!?」

 

『おい、馬鹿やめろ』

 

 目を輝かせて、あえてお約束どおりにフラグを立てる獅子村を睨むが、恐怖など既に消し飛ばして、ファンタジーものの演劇の登場人物になりきっているらしく、一向に意に介さない。

 獅子村の立てた「やってないフラグ」のせいという訳でもなく、さっき脳内で見た映像と同じように頭部の帽子に付いた顔が触手の一本に空気を入れることで復活を果たす。

 映像の中といい、今のといい、群集の魔女のだからか、一撃で殺しつくさない限りはこうやって簡単に再生を繰り返すようだ。

 だが、俺には炎がある。こいつで直火焼きにしてやるよ。

 クラゲの魔女へ俺は口から高温の火炎を吐き出した。

 しかし、魔女の方も待ってましたとばかりに、大きく開いた口から溢れんばかりの水を噴射する。

 水と炎が空中でぶつかり合うと、俺の炎を押し返すように勢いを増す。

 

「頑張れ負けるな! ダークアイズブラックドラゴン!!」

 

 背中に乗っているボケナスのテンションがやたら腹立つ。ぶち殺してやりたい。誰の目が闇だコラ。俺の目はいつだって光で溢れているんだよ!

 馬鹿を無視して火炎を放ち続けるが、炎では水には勝てない。なぜなら炎タイプに水は効果抜群だからだ。

 畜生め、どうして炎タイプは昔からこう不遇なんだよ!

 

「……あきらさん、今違う事考えてません?」

 

 エスパータイプか、お前。それなら、テレポートでポケモンセンターに戻ってレポートをしなお――。

 その時、また頭が(うず)き、映像がちらつく始める。

 ここでまたトリップしたら、確実に目の前が真っ白になること間違いなしだ。

 そこで俺は炎を吐きながら、獅子村に話しかける。

 

『獅子村……いや、サブ』

 

「何ですか?」

 

『君に決めたァ!』

 

「な、何を!?」

 

 俺は手の中から隠し持っていたイーブルナッツを取り出して、俺の背中から顔を出しているサブの額に突っ込む。

 肉体を魔物へと変貌していくその最中、俺は尻尾でサブの身体を掴み、水を噴き続けるクラゲの魔女へとぶん投げた。

 身体を大きく変形し続けるサブと激突したクラゲの魔女は大きく吹き飛び、サブ共々地面へと落下していく。

 

『ひ、ヒーローのやる事じゃなぁぁぁぁいー!!』

 

 黄緑色のライオンの姿へとなって落ちていくサブとクラゲの魔女を見送りながら、俺の視界は先ほどの映像に変わっていった。

 

 ***

 

 こちらを食い殺そうと襲い掛かってくるクラゲの魔女を前に視点人物は絶望の叫びを上げた。

 だが、その時、誰かの叱咤(しった)する声がその場に轟く。

 

『あきらめるな!!』

 

 大きく開かれた魔女の口にはつっかえ棒のように十字架の杖が挟まっている。そして、こちらを向いて語りかけてくるのはかずみちゃんだった。

 

『生きようとする限り、人は絶望なんてしない。希望はあるんだよ! 絶対にあるからっ!!』

 

 青臭い子供が好みそうな台詞を言うと右手を掲げて叫ぶ。

 

『例えばこんな――リーミティ・エステルティーニ!!』

 

 呪文と共にクラゲの魔女の口の中に縦に挟まった十字架の杖が眩く光、魔女の身体は光に消し飛ばされるように消滅する。

 かずみちゃんは魔女が居た場所に落ちていたものを拾う。それは俺が見たものと同じ、思い出した。確か名前はグリーフシードだ。

 

『お前は一体……』

 

 呆然とした声を出し、視点人物がそのかずみちゃんを見つめる。かずみちゃんの大きく黒い瞳に映っていたのは尻餅を突いている白いショートカットに眼鏡を掛けた少女、サキちゃんだった。

 そこで俺はこの映像が誰のものか、初めて気付いた。

 これはサキちゃんの記憶の映像だ。なぜこんなものを見ているのかそのメカニズムはよく分からないが、恐らくは俺が彼女のソウルジェムを砕いて食べたことが原因と見て間違いないだろう。

 とすると、この映像に映るかずみちゃんは記憶を失う前の――。

 

『私? 私は和沙(かずさ)ミチル』

 

 え? 待て。今、この目の前の少女は何と名乗った?

 和沙ミチル? かずみちゃんじゃないのか?

 もし、この記憶が正しいのなら、なぜかずみちゃんに本名を教えない? そして、なぜ誰も彼女を本名で呼ばない?

 俺はプレイアデス聖団の魔法少女たちとかずみちゃんの間に知られてはいけない秘密があることを確信した。

 そして、そのすぐ後、俺の意識はまた現実へと戻っていく。

 

 ****

 

 記憶の世界から戻ってきた俺はすぐに上空から下を見下ろすと、黄緑色のライオンとクラゲの魔女が激しい戦闘を繰り広げているのが見えた。

 黄緑色のライオンの魔物ことサブは俊敏に動き、食らい付こうとするクラゲの魔女を巧みにかわしている。それでいて、たびたび反撃とばかりに噛み付き、クラゲの魔女の一部を噛み千切っていた。

 ただ、向こうとしては大したダメージにはなっていないようで、見た目は激しいながら実質防戦一方と言ったところだった。

 俺は地面に滑空して下りていき、クラゲの魔女の横腹に位置エネルギーのこもった蹴りをお見舞いする。

 

『グッ、ギャアア!!』

 

 悲鳴を上げて突き飛ばされ、地面を転がったクラゲの魔女を尻目にサブを心配する発言をした。

 

『無事か、少年! もう、俺が来たからには安心だぞ』

 

『デジャブ!? いや、酷すぎますよあきらさん! いきなりこんな姿に変えられるわ、戦わされるわで最悪です』

 

『まあ、そう言うなよ。こっちも色々事情があったんだ。回想シーンとか』

 

 そうは言いつつも、さほど怒っているように見えないのは怪物に変わり、怪物と戦うという稀有な体験ができたからだろう。これで新しく怪物の演技ができるぞなんて考えているのが何となく伝わってくる。

 もう少し、こいつに戦ってもらってもよかったのだが、調べなくてはいけない用件ができた。ちゃっちゃと片付けて、そちらの方に取り掛かりたい。

 起き上がって俺を睨みつけるクラゲの魔女は再び、大口を開けて水流を噴き付けてくる。

 炎ではさっきの二の舞だ。斬撃は効かない。尻尾で弾いても特出してダメージは与えられないだろう。

 

『なあ、サブ。ヒーローっていうのはさ、回想シーンを挟むと強くなるって知ってるか?』

 

『はあ。まあ。そういう演出はよくありますね』

 

 俺の質問の意図が分からず、ライオン顔で首を傾げるサブ。

 それにさらに質問を足す。

 

『なら、新技で敵に止めを刺すってのはヒーローの演出としてどうよ?』

 

『それはポイント高いですけどって……あきらさん! 水流が!!』

 

 差し迫る水流にサブが慌てた声を上げる。さっきは映像のことに気が行って気付かなかったが、クラゲの魔女が吐く水には潮の香りが漂っていた。

 この海の中を模した結界、くらげのような見た目から察して、奴の吐く水は海水と断定していいだろう。

 そして、この俺の中にはサキちゃんの記憶を閲覧したせいなのか分からないが、自分の中に新たな力が渦巻いているのを感じられた。

 ソウルジェムを食った俺はサキちゃんの記憶を手に入れた。もう少し時間を掛ければ、恐らくはサキちゃんが経験した記憶をもっと見られるようになるかもしれない。

 だが、果たして俺が手に入れたのは記憶だけだろうか?

 

『あきらさん! 身体の色が白くなってますよ!?』

 

 サブの言うとおり、俺の漆黒の鱗は瞬時にその色を変え、打って変わって純白に変わっていく。

 クラゲの魔女の海水の鉄砲水が俺を穿(うが)とうと押し寄せるのを眺めながら、大きく口を開けた。

 そこから流れ出るのは炎ではなく、真っ白い電撃の波だった。

 塩分の含まれた海水は電気をよく通す。俺の吐き出した雷はクラゲの魔女の噴射している水ごと魔女の身体まで届いた。

 一瞬。本当に瞬き一つの間にクラゲの魔女は消し飛んだ。まるでサキちゃんの記憶の中と同じように。

 

『まるで……ヒーローのようだ……』

 

 雷の光に照らされたサブがそう漏らした。

 クラゲの魔女が倒されると、結界は解けるように消滅した。

 後に残されたのはあのグリーフシードだけだった。すぐに人間の姿に戻った俺とサブはそれを拾う。

 カオルちゃんはグリーフシードのことを魔女の残留思念なんて言っていたが、とんでもない。

 これは卵だ。魔女が生まれる邪悪な卵。そして、孵化させれば何度でも魔女を呼び出せる魔法の卵だ。

 なるほどなるほど。これに比べりゃ確かに俺たち魔物は「モドキ」止まりだ。

 いや、それにしても魔法少女がなる以外で魔女を作る方法があるなんて……。

 そう思いかけた瞬間に気が付いた。このグリーフシードがイーブルナッツよりも似たものがあることに。

 ――ソウルジェム。そう、あの宝石にも似ている。

 魔法少女は魔女になる。魔法少女の本体はソウルジェム。そして、魔女が生まれるグリーフシード。

 つまりこれも、魔法少女の成れの果てという奴だ。

 今日はいい日だ。たくさんの収穫があった。学校を休んだ甲斐があったというもんだ。

 そして、何より『和沙ミチル』。

 ああ。本当にこの街は俺を飽きさせない。

 最高だ。愛している。だから、たっぷり遊び尽くしてやらないと。

 魔女も、魔法少女も皆俺に使い倒されるためにある玩具なのだから。

 

「くくく、あははははははは!」

 

「でも、やぱり邪悪だわ、この人」

 

 楽しさのあまり大笑いをする俺の横でサブがそう呟いた。

 




あきら君、ライジングフォーム登場。
獅子村君の魔物態がお披露目回なのに、それよりも目立つ自己主張の激しい主人公……。

活動報告にて、ヒロインアンケートやってます。


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第二十話 歪む未来と優しい少年

前回までの『一樹あきらは魔物である』

時は神世紀300年。一樹あきらはあすなろ中学校に通う中学2年生。所属する部活の「魔物部」で、大親友の氷室悠、魔物部部長の旭たいち、力道鬼太郎の4人で人々の役に立つため、さまざまな校外活動に励む毎日を送っていた。しかしそんな平穏な日常は、携帯電話から突如発せられたアラームとともに唐突に終わりを告げる。魔女が作る結界の中で、たいちから魔物部設立の真実と魔女に迫る危機を聞いたあきらたちは、魔女を、そして人類を守るため、魔女の魔物として未知なる敵・魔法少女に立ち向かう。


~若葉みらい視点~

 

 

「お前のせいだ! お前のせいでボクのサキが! サキがぁ!!」

 

 目の前でうな垂れるかずみの胸倉をボクは掴んで締め上げた。

 ボクらプレイアデス聖団は火の手の上がるあすなろドームから脱出し、海香の家まで命からがら逃げ延びた。……たった一人の魔法少女を除いて。

 サキは、死んだ。死んでしまった。こいつを、かずみを助けようとしたせいで……!

 かずみはボクから顔を背けて、暗く沈んだ顔で俯いてぼそりと呟く。

 

「ごめんなさい……」

 

「ふさけるな! 謝ったってサキは帰って来ないんだよ!!」

 

「ごめんなさい……」

 

 かずみはボクに目を合わせようともせず、ただ謝罪を繰り返す。

 まるでテディベアに向けて怒っているようなそんな手応えのない会話。

 それがさらにボクの怒りを加速させていく。

 

「さっきから、ずっとそればっかり……! 本当にサキに対して申し訳ないと思ってないんだろ!?」

 

 怒りに任せて、かずみを後ろの壁に叩きつける。背中に壁が当たり、咳き込みながらもかずみはもう一度同じ言葉を繰り返した。

 

「ごめ、んな、さい……」

 

 その台詞を聞いた時、自分の中の何かが切れた。こいつは絶対にサキを死なせた責任を軽く考えている。

 

「お前がぁ!!」

 

 ボクは感情に従って拳を振り上げて、かずみの顔を殴り飛ばそうとして――。

 

「もう、やめなよ。みらい」

 

 後ろに居たニコにその手を掴まれた。

 いつもふざけているニコが真面目な顔でボクを見つめている。

 その雰囲気に気圧されて、血の昇っていた頭が冷えた。けれど、ボクの中の荒れ狂う感情は決して消えた訳ではなかった。

 

「放せ!!」

 

 ニコの手を振り払って叫んだ。

 ボクの手首をすぐに手放したニコは諭すように語り掛けてくる。

 

「みらい。サキはかずみを守って死んだ。でも、それはかずみのせいじゃない。私ら全員の責任だ」

 

「そうよ。かずみにだけ背負わせるのはおかしいわ」

 

 その言葉を海香が追随した。その海香に身体を支えられているカオルも頷いた。

 

「アタシもそこに居たのに何もできなかった……責めるのなら、アタシを責めてよ」

 

「ああ、そうだ。お前らが居たのにあの竜の魔物に騙されて」

 

 かずみの胸倉から手を外して、海香とカオルに詰め寄って責めようとした時、ボクの一番近くに居た里美が大声を上げた。

 

「もう! やめてよ!!」

 

 驚いて、皆が里美の方に顔を一斉に向ける。

 里美は泣いていた。顔を押さえ、声を上げて泣き喚いていた。

 

「皆で仲違いなんてやめましょうよ!? 今はそんな事を言い合ったって……」

 

「そんな事……? 里美、今そんな事って言った? サキが死んだのをそんな事って言ったのか!?」

 

 鎮火されかけた怒りが再び、里美の無神経な言い方によって呼び起こされる。

 里美はようやくそれで自分の最低な失言をした事に気付いて口を押さえたが、もう遅かった。

 こいつらはサキの死を軽く思っている。これ以上、会話をしていると本当に誰か殺してしまいそうになる。

 ボクは海香たちを置いて、一人で海香の家の玄関から飛び出した。

 後ろから呼び止める声が掛かったが、そんな事は構っていられない。

 限界だった。サキがボクを置いて死んだ事実も、それに傷付いた素振りを見せない薄情な仲間にも――そして何よりサキを犠牲にして生き残ったかずみに耐えられそうになかった。

 ビルからビルへと飛び移り、少しでも海香の家から遠ざかろうとボクは足掻く。

 そんな事をしても、サキが居ないという過去は変わりはしないのに。

 それでも、身体を動かしていないと悔しくて、悲しくて、泣き出してしまいそうになる。

 サキ……ああ、サキ……どうして、どうして、かずみなんかのために命を落としてしまったんだ。身体ごと食われてしまったら、もうどうにもならない。元に戻せない!

 何であんな――『ミチル(・・・)』の偽者なんかのためなんかに。

 

 *

 

 住宅街を飛び越し郊外にまで着いた頃には既に、夜は明けていた。

 絶望のせいか、それともまだ魔物どもとの戦いの傷が癒えていないせいか、酷く頭がぼうっとする。

 身体が重い。気持ちが悪い。ああ、サキ辛いよ。助けてよ。

 どこに行けば会える。離れたくないよ。どうすれば、サキは戻ってきてくれる? ……ボクのサキ。サキサキサキサキサキ。

 そうだ。あそこだ。あそこに行けば、サキは居る。ボクを待っていてくれている。

 鉛のように重い足を引きずりながら、ボクは歩き出す。そこにサキが居る事を信じて、ひたすらに歩んだ。

 歩いて、歩いて、ずっと歩き通して、辿り着いた場所はあすなろ市の海浜。

 そこにある浜辺の東屋。

 ボクとサキだけの思い出の場所。

 綺麗な景色のわりに人気のないそこはサキが読書をする時に使っていた。そして、ボクはそんなサキの隣で彼女の横顔を見つめるのは大好きだった。

 太陽は真上に昇り、あの時と同じように辺りを照らしている。砂浜に足を踏み入れたボクは東屋を目指して進む。

 サキの姿を探して、ただただ進む。

 親からはぐれた子供のようにひたすら、前へと――。

 その時、ボクの瞳に東屋のベンチに一人で座っている人影が飛び込んできた。

 

「サキ! サキィっ!!」

 

 サキだ。やっぱり、サキはここに居た。ボクを待っていてくれたんだ。

 すぐ行くから、今すぐ傍に行くから、どこにも行かないで!

 身体の重さが嘘のように消え、ボクは駆けた。愛しいサキの元へと走り寄る。

 ベンチに座るサキに後ろから抱き締めた。

 もう二度と離さないように強く、強く抱き着く。

 

「おおう。随分と情熱的だなぁ。渚のビーナスかな?」

 

 声がした。サキとは似ても似つかない男の声。

 くるりと振り向いたそいつは昨日の夜、海香の家で見た奴だった。

 

「って、みらいちゃんじゃん。どうしたの? 海水浴にでも来たのか?」

 

 確か、名前は一樹あきらとか言っていた気がする。

 けれど、そんな事はどうでもいい。『サキじゃなかった』、それだけが重要だ。

 一度に湧き上がった希望が再び萎えた。膝から崩れ落ちたボクはそのまま東屋の床に涙をこぼす。

 

「うっ……ううっ……」

 

「え? 何で泣いてんの!? ワッツ?」

 

 あきらは膝を突いて泣いているボクを抱き上げて、ベンチに座らせた。

 もしも、これが普段だったのなら、「ボクに触れるな」と跳ね除けていたけれど、今のボクにはその程度の元気さえなかった。

 

「ほ~ら、泣かない泣かない。女の子は笑顔が一番だって」

 

 幼い子供をあやすようにあきらはボクの頭を撫でる。本来ならサキ以外に髪を触られるのは嫌で堪らないはずなのに、ボクは素直にされるがままになっていた。

 理由はそのあきらの手付きがどことなく、サキに似ていたからだ。

 しばらく、そうやって慰められていると少しずつ心に冷静さが戻ってくる。

 そうして、自分が男に密着しているという状況を自覚できるまで思考が回復すると、ボクはあきらを突き飛ばした。

 

「い、いつまでボクの髪に触れているつもりだ!」

 

「おうふ! 何すんの? せっかく、優しくしてあげてるのに……」

 

 突き飛ばされたあきらはベンチの上からずり落ちて、背中を床に打ち付けて文句を言う。

 若干、悪い事をしたなと思ったが、あまりに平然と立ち上がってベンチに座り直す挙動を見て、謝罪のタイミングを失った。

 代わりに出たのは、減らず口だった。

 

「泣いているからってベタベタしてくるお前が悪い!」

 

「えー? そりゃ、横暴じゃなーい?」

 

「横暴じゃなーい!」

 

 ふざけたような軽薄な返しにボクは声をあげてそう答えた。

 すると、あきらは怒るどころか、楽しそうに笑った。

 

「何だ、元気出てきたみたいだな」

 

「え?」

 

 言われて、頭の中をひしめいていた暗く濁った感情が大分すっきりしている事に気が付いた。

 サキが死んだ事にあれだけ絶望していたというのに、今ではそれが表に出てきていなかった。悲しさがなくなった訳じゃないのに、不思議と涙は出て来ない。

 身体の鉛のような重さも今では感じ取れなくなっていた。

 

「あははは。みらいちゃんって面白いな。まるで愉快が歩いているみたいだ」

 

 ボクを見て、陽気に笑うあきら。

 そのあきらの台詞にボクは聞き覚えがあった。『愉快が歩いているよう』、サキもかつてボクの事をそう評していた。

 

「みらいちゃんって友達多いだろ? 何か分かるよ」

 

「そんな事ない! ボクには友達は居なかった。サキたちと出会うまでは……」

 

 首を振って答えたボクの心の中には懐かしさが込み上げている。これと似た会話を前にここでサキとしたからだ。

 

「学校の皆はボクが『ボク』って言うのが気持ち悪いって、避けてた」

 

 そう。昔はボクは友達が一人も居ない根暗な女の子で、テディベアを作ってそんな自分を慰めていた。

 でも、サキが言ってくれた言葉のおかげで自分の一人称が好きになれた。

 それと同じ言葉を期待しているのか、あきらにも同じ問いかけをしてしまう。

 

「あきらだって……変だと思うだろ?」

 

「ああ、変だな。そんなことを変だと思うなんて変だ!」

 

 あきらの言葉に胸の中に得体の知れない温かさが駆け抜けた。

 同じだ! やっぱり、サキと同じ答えだ!

 もしかして、あきらも――。

 震えそうになるのをぐっと堪えて、ボクはあきらに尋ねる。

 

「ひょっとして……ひょっとしてあきらも子供の頃、『ボク』だった?」

 

 あきらはびっくりしたような顔でボクの顔を見ると、恥ずかしそうに片手で頭の後ろを掻いた。

 

「何で分かったんだ? ……まあ、色々あって今は『俺』にしてるけど、時々無性に『ボク』って言いたくなる時があったりするんだ。だから、みらいちゃんが『ボク』って言っているのを聞いていると――」

 

「昔の自分を見ているようで、嬉しくなる……」

 

「スゲェ。大当たり。ひょっとしてみらいちゃんの魔法で俺の心を読んだ?」

 

 あきらが言い終わる前にボクは彼の言葉の先を言い当てた。

 本当にサキと同じだ。細かいところは違うけれど、サキがボクに言ってくれた事と同じ。

 また、涙が目に滲む。でも、今回の涙は前に流れたものと違ってとても温かかった。

 

「えー? また泣いてるの!? もしかして花粉症!?」

 

 あきらがボクの頭を撫で回して慌てた風に聞いてくる。今度は前と違って、それが嫌ではなくなっていた。

 嬉しい。本当に嬉しい。どうしてこんなにも嬉しいのかボクにも分からなかったけれど、おかしな事に絶望は知らない内に掻き消えていた。

 泣きやんだ後、ボクはあきらにあった事をすべて話していた。

 そうする事が正しいと何故か確信めいたものを感じていた。

 黙ってボクが話し終えるのを待っていたあきらは、ボクに言う。

 

「そっか。サキちゃん、殺されちまったのか……そりゃ、みらいちゃん辛いな。大切な友達だったんだろ?」

 

「……うん。誰よりも仲がよかったのはサキだけだった」

 

 薄情な仲間よりもよっぽどボクの心情を理解してくれるあきらにボクはこくりと頷いた。

 やっぱり、あきらはサキと同じでボクの味方をしてくれた。あきらに話してよかった。

 

「それにしても、いくら何でも皆酷いな。涙の一つも見せないなんて」

 

「うん。あいつらは薄情なんだ……」

 

「特にかずみちゃんが酷い。本当にサキちゃんの事を思っていたらもっとちゃんとした言葉を返してくれるはずだろうに」

 

「そう! そうなんだよ!」

 

 本当にあきらはボクの思っている事にピンポイントで同意してくれる。それが心地よくて、会話が弾んだ。

 

「話を聞いた限りじゃ、記憶喪失のかずみちゃんにとっては知らない人が勝手に庇って勝手に死んだぐらいにしか思ってなさそうだな。かずみちゃんにはどうでもよかったんじゃないか、サキちゃんのことが」

 

 そうだ。あいつはサキの犠牲の上にのうのうと生きているくせに、その事に責任を感じていない。最低の存在。あんなの魔法少女じゃない、ただの魔女だ。人の形をした化け物。

 

「何か、かずみちゃんって人間っぽくないところあるよな。そういう思いやりに欠けてるとことか。そこがちょっと、怖いわ」

 

「そうなんだ……かずみは実は人間じゃないんだ! あいつは……」

 

 ボクがあきらにかずみの秘密を話そうとしたその瞬間、鋭い声がボクらに飛んできた。

 

「――みらい!!」

 

 振り返れば、そこにはニコが立っていた。

 タレ目気味な瞳を吊り上げて、これ以上にないくらい怒気を湛えた彼女はボクに静かに聞いてくる。

 

「……部外者に何を教えようとした?」

 

「ボクは」

 

「何を言おうとした!?」

 

「ひっ……」

 

 掴みかかろうとするようににじり寄って来たニコから、ボクを守るようにしてあきらが立ち塞がる。

 初めて見るあきらの背中はとても頼り甲斐があって、気圧されたボクはその背に張り付いた。

 あきらはニコに軽く微笑みかけてながら、落ち着いた口調で喋り出す。

 

「ニコちゃんさ、みらいちゃんを迎えに来たのはいいけど、怒鳴って脅かすのは駄目だろ? 色々、込み合った話に首を突っ込んだのは俺だ。文句は俺に言ってくれよ。みらいちゃんは俺の質問に答えてくれてただけなんだから」

 

「部外者にボロボロ話すのはみらいの……」

 

「おいおい。俺はただの人間だけど、部外者じゃない。少なくともみらいちゃんの友達な訳」

 

「……詭弁だね」

 

「そうか? 俺はこの世の真理だと思うぜ。世の中、友達より深い関係は……ごめん。ちょっとあるわ」

 

 緊迫した雰囲気があきらのその冗談のせいでぶち壊しになる。対峙しているニコも呆れ気味な表情でこっちを見ている。

 あきらは恥ずかしげに頭を掻いた後、急に真面目な顔になってニコに視線を投げ掛ける。

 

「まあ、何にせよ、みらいちゃんを怒んないでくれよ。大切な友達が死んで心が参ってたんだ。口の一つも軽くなるさ」

 

「分かったよ。じゃあ、みらいは連れて返らせてもらうけどそれはいい?」

 

「そりゃ、俺じゃなくて、みらいちゃんに聞くべきだろ? ……みらいちゃん、どうする? このまま、ニコちゃんと浜辺で追いかけっこするってのでもいいけど」

 

 ボクの方を向いてこのまま、一緒に逃げてもいいと遠回しに言ってくる。

 そのおかげで逆に勇気が湧いてきて、ボクはその嬉しい申し出に首を横に振った。

 

「ううん。大丈夫。ボクはニコと一緒に戻るよ。話聞いてくれてありがとう、あきら」

 

「それでいいなら、俺はいいけど……何かあったらまた話してよ。メアドと番号教えとくから」

 

 あきらは携帯電話の番号とメールアドレスを交換してくれた。ニコはそんなボクらを複雑そな顔で見ていたが、それについては文句は言えないようで口を(つぐ)んでいた。

 帰り際に手を振った後、ボクはニコに連れられてあきらと別れた。

 一抹の寂しさが滲んだが、それを顔には出さず、胸にひっそりと仕舞い込んだ。

 

「随分とあきらに心を許していたようだけどどういう心境の変化? みらいは男嫌いだっただろう?」

 

「……ニコには関係ないだろ」

 

「まあ、それはいいけど。かずみの秘密を気安くばらそうとするなら、みらいでも容赦しないよ?」

 

「分かってる」

 

 お互いに顔を合わせず、言葉をそれだけ交わして、海香の家まで帰って行く。

 さっきの事を謝りもせず、小言ばかり言うこいつらとあきらのどちらがボクの仲間なのか分からなくなってくる。

 ボクの心の中には既に親切に話を聞いてくれたあきらの事が占めていてた。

 

 ****

 

 

 いやー。魔法少女ってこんなチョロい奴らばかりなのか。

 あまりにも楽勝過ぎて笑えてくる。もう本当に『プレイアデス聖団の絆(笑)』だな。

 障子よりも薄い女の子の友情に俺はさっきから込み上げてくる笑いを噛み殺していた。

 みらいちゃんは予想通り、見た目も中身もお子様過ぎて話していて背徳感が感じられる有様だ。

 ちょっと、サルベージできたサキちゃんの記憶から台詞を引用してやれば、意図も容易く懐いてくれた。

 こうもあっさり、思い通りのなると返ってつまらなさえ感じてくる。

 サキちゃんに懐いてたみらいちゃんがこの思い出の場所に来るのは想定していたとは言え、本当に来ると笑えてきてしょうがない。

 どこまで単純な思考構造しているのだか。首から上に付いているのはオツムじゃなくて、オムツなんじゃないのか。

 とはいえ、ニコちゃんの邪魔が入ったのはちょっと残念だった。

 俺は確かにサキちゃんのソウルジェムを食ったことで、サキちゃんの記憶を手に入れたが、閲覧できる内容は表層上のものばかりで『和沙ミチル』のような重要なものはまだ見ることができなかった。

 恐らくは、サキちゃんにとって思い出したくない記憶、もしくはそう簡単に引き出すことが躊躇(ためら)われるほど大事な記憶なのだろう。

 悔しいが、それをサルベージするには記憶を思い出させる切欠が必要だ。

 そのためにみらいちゃんから情報を搾り出そうとここで待っていた。仮に来なくてもサキちゃんにとって大切な場所だったこの浜辺の東屋に居れば何らかの刺激になるだろうと踏んだのだ。

 せめて、後一言くらい引き出せれば良かったのだが……。

 

「凄いですね。流石は天下の元大女優・『川村理恵』の息子。普段の邪悪さを欠片も見せない優しく頼り甲斐のある少年の演技でした。思わず、見惚れてしまいました」

 

 浜辺の岩陰に隠れていた獅子村三郎ことサブがひょっこりと顔を出す。

 感激したように瞳をキラキラさせて近付いてきたが、俺はそれを雑に追い払う。

 

「まだ俺に付き纏ってたのかよ。連絡先はさっき聞いたから、こっちが呼び出すまでどっかに行ってろ。しっしっ。ハウスハウス」

 

「そう、冷たい事言わないでくださいよ。オレ、流れ者なので今晩泊まるところもないんですから」

 

「俺んちには泊めないぞ。そうだ、この東屋で寝れば? 取り合えず、屋根はあるし」

 

 名案とばかりにサブに言ったが、手を振って拒否された。

 流石に東屋は嫌なのかと思いきや、却下した理由は他にあった。

 

「ぜひ、あきらさんの傍に置いて演技を見せてくださいよ」

 

 サブは俺の手を握って、爽やかに笑う。正直、男にベタベタされるのは嫌なので即行で振り払った。

 

「嫌だよ。キモいなぁ。俺の魅惑のボディに触れていいのは可愛い女の子だけって相場が決まってるの! 憲法にも『一樹あきらの身体に密着していいのは美少女のみ』と記載されてるの! よって、お前は触んな!」

 

「じゃあ、女の子の演技しますから! うふ、あたし、サブ子。優しくしてね……ごふぁ!」

 

 躊躇なく放たれた俺の右ストレートにより、サブの身体は砂浜を転がった。

 寝転がるサブに蹴りを入れて、海の方へと寄せていく。

 

「やめて。波が、波が顔に、うぶふ……」

 

「『サブ、海へ帰るの巻』」

 

「本か何かのタイトルっぽくしないで! 顔に潮がぁ……おぶっ」

 

 年下虐めも飽きたので適当なところで許してやると、口に入った海水を吐き出した。

 やっぱり虐めるのなら美少女だよな。こんなガキを弄ったところで俺の繊細なハートの琴線には触れやしない。

 

「それで、あきらさん」

 

「あ? 家なら泊めないぜ?」

 

「いや、本当に子供の時、一人称『ボク』だったんですか?」

 

「んな訳ないじゃん。俺は昔から『俺』だよ。俺イズ俺だよ? 一人称ボクとかぶりっ子過ぎだろ」

 

「やっぱ、この人酷いなぁ。流石邪悪」

 

 そこで非難するどころか、岩陰に戻ってバッグからメモ帳に嬉々として書き込むあたり、こいつの倫理観は死んでる。

 うむ、気に入った。海香ちゃんの家に行って、みらいちゃんをファックして来ていいぞ。俺は責任を一切取らないが。

 

 




故・サキ「みらいぃ! そいつの言葉に耳を傾けちゃ駄目だぁ!!」

あきら「大丈夫大丈夫。みらいちゃんは俺がちゃんと面倒見てあげるから☆
あははははははは」

死人すらもきっちり利用するそれがあきらクォリティー。
この物語に魔法少女を導く少年は居ない。居るのは玩具のように魔法少女で遊ぶ最悪の下衆のみである。

サヒさん「今何かディスられて気がする……」


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第二十一話 うるさい! そんなことよりおっぱいだ!!

前回のあらすじ

前回を読んでくれ!


 グリーフシード。嘆きの種。魔女の卵。

 そして、これは恐らく魔法少女の成れの果て。

 俺は手に入れたグリーフシードを上着のポケットの中で弄びながら、待ち合わせの喫茶店で暇を潰していた。

 待っているのはユウリちゃんだ。下手に家に来させると、プレイアデス聖団の皆さんに俺の正体がバレかねない。

 ネタバラシは最後に最後でバラすのが楽しいのだ。こんなつまらないところで台無しにするつもりはない。

 ユウリちゃんには変装してくるよう言い含めてあるので大丈夫だと思うが、ちょっと不安でもある。

 あの子は意外とドジで間の抜けたところがあるから、下手くそな変装してなければいいが。

 そわそわしてプリティに俺が待っていると、自動ドアを開き、俺の座席の脇に一人の少女が来た。

 

「お待たせ、あきら」

 

 そこに居たのはクリーム色の短髪の女の子だった。頭頂部の髪が一房ほどピョコンと立っているのが特徴的だ。

 

「え? 誰? ナンパ? 嫌だな、俺はどこに言っても持ててしまう。イケメンは辛いぜ」

 

「馬鹿か、お前」

 

 冷めた侮蔑が混じった視線と口調で俺を(なじ)るその少女は俺の知る露出系魔法少女にそっくりだった。そこでようやく俺は彼女の正体に気付く。

 

「ユウリにゃん! ユウリにゃんなの!?」

 

「その呼び方やめろ。それとこっちの姿の時は、あいりって呼んで」

 

 あいり。その名前は確かユウリちゃんの本当の名前だ。

 だと、するとその顔も元の自分のものなのだろう。しかし、どうやって顔を変えたのかさっぱり分からない。

 顔の骨格から既にいつものユウリちゃんとは別物だ。ルパン三世も真っ青なレベルでの変装に俺は舌を巻いていると、それを察したユウリちゃんはふふんと自慢げな顔をする。

 

「アタシは魔法で姿を変える事ができるんだ。この顔は昔の自分のものだけど、誰の顔にも変えられる」

 

 途轍もなく、便利な魔法に俺は内心でユウリちゃんの評価を「ドジキチ魔法少女」から「使える魔法少女」へと格上げした。

 というか、そんなものがあるならもっと早く教えろやボケって感じだ。

 

「へえ。だったら、こうプレイアデス聖団の内の誰かと入れ替わってじわじわと内部分裂とかさせられるじゃん」

 

「そんなまだるっこしい事できるか。それに短時間ならまだしも長い間あいつらと一緒に居るなんて耐えられる訳がない」

 

 顔を変えたユウリちゃんは俺の前の席に座ると、そう吐き捨ててメニューを開いた。

 俺からすれば宝の持ち腐れ以外の何物でもないのだが、ユウリちゃん的にはそういった小細工は嫌なようだ。

 上がっていたユウリちゃん株が下落を始め、「微妙に使えなくもない魔法少女」の称号で落ち着いた。

 そんなことは知らない彼女はウェイトレスにジャンボチョコパフェとフルーツシフォンケーキをちょっと楽しげに注文していた。

 一昨日のあすなろドームでの一件から俺への信頼が強くなったようで遊園地でデートした時よりもフランクな反応を示している。

 

「それで、アタシをわざわざ呼び出したのはどういう了見?」

 

「まずはこれを見てくれ。……こいつをどう思う?」

 

 ポケットからグリーフシードを取り出してテーブルの上に置く。

 ノリの良い奴なら、ここで「すごく……大きいです……」と返すのがマナーなのだが……。

 

「グリーフシード!? あきら、お前これをどこで?」

 

 ユウリちゃんはネットスラングには詳しくないようでさらりと流した。すごく……悲しいです。

 仕方ないので俺は昨日あったことを掻い摘んで話した。サブと魔女のことについてはそれほど反応を示さなかったが、サキちゃんの記憶の一部を見たということにはかなり食い付いてくる。

 

「浅海サキの記憶!? それは……ユウリの事とかは!?」

 

 ここで言うユウリはユウリちゃんの友達の飛鳥ユウリの方のことだ。

 飛鳥ユウリが魔女になり、それをプレイアデス聖団が殺した時の記憶。それについては確実に聞かれるだろうと思っていたので、俺はあらかじめそこの記憶を重点的に探っておいた。

 俺はサキちゃんの記憶から、ピンク色のナースキャップにマフラーを付けたフェミニンな格好の飛鳥ユウリが魔女になっていく光景を見た。

 彼女の左肩に付いた緑色のソウルジェムが濁り、砕けていき、注射器をモチーフにした魔女の姿になったこと。

 ジュゥべえたち妖精は魔法少女が魔女になる時に出るエネルギーを求めて『魔法少女システム』なる、回りくどい作業をしていること。

 そして、それを知った海香ちゃんたちは魔法でジュゥべえの記憶を書き換え、自分たちのために働かせるようにしたこと。

 それら全てをユウリちゃんに語って聞かせる。

 話している最中にパフェとケーキが届いたが、ユウリちゃんはそれに手を付けず、黙々と俺の話に耳を傾けていた。

 ジャンボパフェに乗ったチョコレートアイスが溶け出すまで、聞き終えた時、彼女の瞳は憎悪の炎で燃えていた。

 唇を噛み締め、テーブルに拳を叩きつける。上のアイスが溶けかけていたため、パフェはバランスを崩し、テーブルから通路側の床へと倒れて中身をこぼした。

 慌てて駆けつけてくれたウェイトレスがパフェを片付ける姿には目もくれず、ユウリちゃんは怒りに身体を震わせていた。

 

「やっぱり、あいつら全部知った上で、ユウリを……!」

 

「そうみたいだな。それでプレイアデスの皆さん、新しいことまで始めたんだ」

 

「新しい、事だと?」

 

 気が触れそうなくらいに憎しみを押さえ、両目をかっと見開いた顔で俺に聞く。

 俺は軽く頷いて、それに答えた。

 

「『魔法少女システム』の否定」

 

 こいつは俺も見ていた驚きを禁じえなかった。

 飛鳥ユウリのことから芋蔓式に発掘できたのは、プレイアデス聖団の涙ぐましい戦いだった。

 あすなろ市の工業地帯にひっそりと佇む・テディベア博物館『アンジェリカベアーズ』。これはみらいちゃんが魔法少女の願いごとによって生まれたものなのだが、魔法少女の魔力を起動スイッチとして地下に行ける。

 地下にあるのは、魔法少女の肉体とソウルジェムを切り離し、休眠状態にして保管するその名も『レイゾウコ』。

 いやー、ぷかぷか円筒形の水槽の中に裸の女の子が浮いている映像を見た時は、もうヘブン状態だった。最高のおかずになりました。大変ごっつあんです。

 

「でねでね、下の毛まで見えで……」

 

「いいから話を続けろ。それと……そういうの、見るな」

 

 なぜかむかっとしているユウリちゃん。さては焼き餅を焼いているな。可愛い奴め。

 しかし、話を遮るも無駄なので普通に喋り続ける。

 魔法少女の肉体が入った『ケース』が置いてある部屋の中央にソウルジェムを纏めて置いてある台座があって、そこでソウルジェムを休止させていた。

 

「そんで魔女を減らすために魔法少女狩りをして、その『レイゾウコ』ってとこに押し込んでるらしいね」

 

「偽善者気取りのプレイアデスらしい。汚らしい行為だな」

 

「まあ、飛鳥ユウリの件から必死で考えたことだからな」

 

 それとユウリちゃんには言わなかったが、実は嘘を吐いた。

 一つは飛鳥ユウリが魔女になる前から、サキちゃんは魔法少女が魔女になることを知っていた。最初にプレイアデス聖団が目撃した魔女なった魔法少女は――和沙ミチル。かずみとまったく同じ外見を持つ女の子。

 飛鳥ユウリのことから掘り返せた記憶は芋づる式に和沙ミチルへと繋がっていた。ジュゥべえを逆に利用し始めたのはその時が最初だ。

 だが、そこからの記憶の映像はまるで規制でもかかったように見ることができなかった。

 きっとそれが和沙ミチルとかずみちゃんの関係の秘密だ。それほどまでにこの記憶はサキちゃんにとって思い出したくない記憶だったのだろう

 この記憶を見るにはもっともっと、呼び起こすための刺激が必要だ。

 もしくは他のプレイアデス聖団のソウルジェムを食べて、見られない記憶を補完するか。

 そうだ。ソウルジェムで思い出した。

 俺はユウリちゃんに一つお願いをする。

 

「ねえ、あいりちゃん。ソウルジェム見せてよ」

 

「? まあ、いいけど……ほら」

 

 あっさりと自分の命とも言えるソウルジェムを俺に渡す。つくづくアホな子だ。どんだけ俺に対する信用厚いんだよ。

 俺は彼女からピンク色のソウルジェムを受け取り、テーブルの上のグリーフシードと見比べた。

 やはり似ている。ソウルジェムの表面が削れたら、グリーフシードそのものになる。

 二つをくっ付けてみると、ソウルジェムの表層が膜のように割れた。

 

「え? ええー!?」

 

 薄い膜の下は黒く濁ったソウルジェムが顔を出す。

 目を丸くしている俺とユウリちゃんの前でその濁りがまるでグリーフシードに吸い込まれるようにして、ソウルジェムが輝きを取り戻していく。

 グリーフシードが濁りを吸い取った後には綺麗にソウルジェムが光っていた。

 

「これ……」

 

「そうだな、つまりは――」

 

 俺とユウリちゃんは揃って同じ台詞を吐いた。

 

「「ジュゥべえの浄化は完璧じゃない」」

 

 いや、もっと根本的にジュゥべえはソウルジェムを濁らせることを目的としていた訳だから、本来浄化は奴の役割じゃなかったはずだ。

 こちらのグリーフシードによって、ソウルジェムを浄化することが正攻法だったのだ。

 

「ねえ、このグリーフシードの浄化機能ってあいりちゃんは知ってた?」

 

「いや、こんな事アタシは知らなかった……」

 

 ジュゥべえが教えなかったのか。それとも――。

 考え込むユウリちゃんはにやりと笑う。

 

「アタシのソウルジェムと同じように、プレイアデスの屑共も表面上を綺麗にして魔女化の爆弾を抱えている訳か。傑作だな。偽善者顔をしたあいつらにはピッタリだ!」

 

 確かにそれは正しい推察だ。

 プレイアデス聖団の魔法少女はジュゥべえの浄化を完璧なものだと考えているようだったが、綺麗になっているのは見た目だけで濁りは――魔女化の危険性を孕み続けている。

 ちょっと押せば、きっと簡単に地獄が作り出せるだろう。

 

 *

 

 まあ、それは後の楽しみにするとして、俺はユウリちゃんと一緒にテーブルに置かれたケーキを食べた。ちなみに会計は俺が全部払った。財布はさほど傷まなかったのはパパがたくさんお金を振り込んでくれるからだ。パパ、マジ感謝。

 その後、喫茶店から出て、俺たちはある場所へと向かう。

 

「アンジェリカベアーズとかいう博物館に行くんだな?」

 

「残念。それはもう少し後。今向かうのは――精神病院だ」

 

「……もうあきらの精神はそんなところに行っても無駄だと思うぞ?」

 

「違うって! 何その哀れむような顔! 心外なんですけど!!」

 

 哀れみに満ちた顔のユウリちゃんに俺はひむひむに忘れ形見の妹が居ることを歩きながら話した。どこの病院に居るのかまでは知らなかったが、取り合えずはこの街で一番大きな精神病院を訪ねることにしていたのだ。

 理由は特にない。それどころか、行くことにはデメリットしかないのだが、あいつの妹がどうしているのか気になったのだ。友達の妹を気にするなんてやっぱり俺は天使だな。

 

 あすなろ精神病院という大きな私立の精神病院まで俺たちは来た。

 受付で氷室という名前の患者が入院しているのか尋ねると、『氷室美羽』という十四歳の女の子が入院していることが分かった。

 そこで適当な偽名を使い、ひむひむの妹と面会を申し込んだのだが、話の分からない受付のナースは俺たちをひむひむの妹を会わせてくれようとしない。

 

「なぜ、俺たちを美羽ちゃんと会わせてくれないんですか!? 彼女の兄に頼まれて俺たちはここまで来たんですよ!!」

 

「いえ、当病院ではアポイントメントない方はご家族の方以外はご遠慮させてもらっているんです。それに何より氷室さんは心が不安定で面会ができる状況ではありません。今日のところはお引取りください」

 

「俺は彼女の許婚(いいなずけ)なんですよ!? 家族も同然! 何が問題なんですか!?」

 

「!!?」

 

 即行で思いついた嘘を吐くと、隣に居たユウリちゃんは凄まじく驚いていた。

 それには一切構わずに、嘘に塗れた駄々を散々捏ねまくっていると、俺に後ろから声が掛かった。

 

「あの、もしかして氷室さんのお知り合いの方ですか?」

 

 俺の後ろには電動の車椅子に乗った女の子が居た。

 腰まで届く黄色のウェーブ髪とピンク色の瞳を持ったその少女は無機物特有の光沢を持った両手両足をしていた。

 それは義肢だった。手足の付け根の辺りから四肢が全て金属でできているようだ。

 俺は彼女を見て、一瞬言葉を失った。

 

「あ、ひょっとして驚かれましたか? わたくしの手足を見ると皆さんそういう反応示すんです」

 

「……おっぱい」

 

「はい?」

 

「おっぱいでっけぇ!?」

 

 その義肢の少女の胸は俺が見た中でトップクラスの大きさを誇っていた。里美ちゃんの胸も大変大きかったが、こちらはそれ以上かもしれない。

 あまりのおっぱいの大きさに戦慄を覚えていると、いきなり側頭部に痛みが走る。

 

「痛っ……」

 

「この、スケベ馬鹿が!」

 

 ユウリちゃんに思い切り拳で殴られたようだ。

 いきなり人に向かって暴力を振るうなんて、信じられない。他人に暴力を振るのは人間として最低の行いだ。

 俺はユウリちゃんを睨み付けるが、彼女はフンと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。

 ユウリちゃん、あいりちゃんの姿になっても胸は小さいから地味に胸に対してコンプレックスを持っているみたいだ。

 義肢の少女はそんなやり取りを見て、クスクスと口元を押さえ上品に笑った。

 

「面白い方たちですね。申し送れました、わたくし、二条院愛子と申します」

 

 義肢の少女改め、愛子ちゃんはそう名乗った。

 

「俺は吉田かずき。こっちは杏里あいり。愛子ちゃんは美羽ちゃんのこと知ってるの?」

 

「ええ。よく存知上げております。わたくしは時々、患者さんたちと交流取っているので」

 

 愛子ちゃんのその言い方に俺は違和感を感じた。「他の患者さん」なら分かるが、「患者さん」だけだとまるで自分は患者ではないように聞こえる。

 ひょっとしてこの子は患者ではなく、病院側の人間なのか。

 

「愛子ちゃんて病院の関係者なのか?」

 

「そうですね。関係者というほどではありませんが、父がここの院長をやっているので患者さんと交流しているに過ぎません」

 

 それを聞いて俺は日頃の行いの良さが人生を決めるのだと確信した。

 権力とは即ち、無理を押し通す力。彼女に頼めば、ひむひむの妹に会うのも難しいことではない。

 

「そうなのか!? なら、愛子ちゃん。俺たちを美羽ちゃんに会わせてくれないか? 俺は美羽ちゃんの許婚で、こっちのあいりちゃんは美羽ちゃんの大親友なんだ。頼むよ」

 

 俺はそう愛子ちゃんに両手を擦り合わせてお願いした。

 彼女は少し考え込むような素振りを見せた後、快く頷いてくれる。

 

「分かりました。確かに今氷室さんは不安定な時期ですが、大切な知り合いとお会いすれば彼女にもプラスに働くでしょう」

 

 こうして、俺たちは権力という後ろ盾を通して、ひむひむの妹に会わせてもらえることになった。あれだけ鉄壁のお断りオーラを放っていた受付もそれには逆らえず、病室の場所を教えてくれた。

 精神病院とあったから、てっきり鉄格子なんかあるのかと思っていたが、中身はホテルのような清潔感のある空間になっている。

 電動の車椅子が先導して動く様はとてもSFチックな印象を俺に与えた。

 愛子ちゃん曰く義肢を動かせば、普通の人のようにも動けるらしいのだが、バッテリーを非常に食うため、運動をする時以外は車椅子に乗っているのだそうだ。

 とある一つの部屋の前まで来た愛子は車椅子を止め、振り返って俺たちに言った。

 

「ここです。この部屋が氷室美羽さんの病室です」

 

 ネームプレートのようなものないその扉を勝手に開けると、俺はその中へとずかずか入っていく。

 

「あ、ちょっとお待ちを」

 

 愛子ちゃんの制止を無視し、病室の中に足を踏み入れた俺はリクライニングさせたベッドに寝そべる少女を見つける。

 俺が入っていたことにもしばらく気付かず、嵌め殺しの窓の外を眺めていた彼女はふと何気なくこちらを向いた。

 

「誰……あなた?」

 

 その顔立ちはひむひむに似ていたが、彼女が持つ雰囲気があまりにも違いすぎてとても双子の妹には見えなかった。

 綺麗な金髪だっただろう髪はところどころ白髪が混じってマーブル模様のようだった。整えていないその斑の髪は長く毛先も寝癖でボサボサになっている。

 双眸(そうぼう)の碧眼には活力がなく、ぼんやりとしていた。死んだ魚の方がまだ生き生きとしているだろう。

 瞳が大きい童顔にも関わらず、その表情はあまりにも疲れ果てていて実年齢よりも老けて見える。

 

「アンタのお兄ちゃんのお友達さ」

 

「あれの友達? じゃあ、あなたもまともじゃないのね」

 

「いや、俺はまともだよ? ていうかあんな変態血液フェチ野郎と一緒にすんな」

 

 ひむひむに虐めれて心を病んだと聞いていたが、美羽ちゃんは兄のことに恐怖も怒りも感じていない様子だった。

 白髪混じりの金髪を掻き上げる彼女はもはや、兄のことなど興味すらないように見える。

 

「それで? わざわざそのお友達がわたしを訪ねてきた理由は?」

 

「アンタのお兄ちゃんね、ちょっと不慮の事故で死んじまったんだよ。今日はそれを伝えに来た」

 

 後ろで愛子ちゃんが俺の言葉に難色を示したが、ユウリちゃんがそれを押し留める。

 美羽ちゃんはその生気のない碧眼で俺をじっと観察すると、「そう」と一言だけ言うと再び、窓の外を眺め始める。

 

「それだけ? 何か他にないのかよ? 身内が死んだだぜ? あ、それとも俺のことを疑ってる?」

 

「別にあなたを疑っている訳じゃないわ。あれが死んだのが嘘でも本当でももうわたしには何の関係もないだけよ。……どうでもいいわ。世界の全ての何もかもが」

 

「ほう。面白いな、美羽ちゃん」

 

 退廃的な雰囲気を醸し出す美羽ちゃんは静かで儚く映った。

 何より兄と違って知性的だ。気まぐれで訪ねたわりに面白い人間と出会えた。

 

「じゃあ、俺はどう? 俺もどうでもいい?」

 

「あったばかりの相手にどうもこうも……」

 

 ベッドに近付いた俺は美羽ちゃんの白い病院服に手を突っ込んだ。

 身体を硬く強張らせた彼女は瞳を大きくさせて驚いた。光の瞳には感情が宿る。

 美羽ちゃんのブラの下を剥がし、その裏にあった膨らみかけの胸を揉む。

 

「い、いやっ……」

 

 ドンと俺を突き飛ばし、胸元を隠すようにして睨む美羽ちゃんの瞳は涙ぐんでいた。

 それを見て、下卑た視線共に嘲笑う。

 

「何だ。世界の全てと大きく出たくせにおっぱい揉まれりゃうろたえるのか?」

 

 笑っていると背中に凄まじい衝撃を受けて、吹き飛ばされた。

 

「な、な、な、何やってるんだ、お前は!?」

 

 どうやらユウリちゃんに蹴り飛ばされたらしい。床をごろごろと無様に転がって壁に激突して止まった。非常に痛かった。

 顔を真っ赤にして怒るユウリちゃんの後ろで心配そうに車椅子で近寄る愛子ちゃんが見えた。

 

「だ、大丈夫ですか? 氷室さん!? ごめんなさい、あんな人だとは思わずに……」

 

「ううっ……」

 

 涙目で悔しそうな表情をした美羽ちゃんは愛子ちゃんに抱きつき、横目で俺を睨んでいた。

 さっきのクールに振る舞っていた人間とは思えないほどの取り乱しっぷりだ。

 

「ふっ……ずばりBカップと見た」

 

「うるさいっ、ばか!」

 

 病室内に美羽ちゃんの俺に向けた罵声が轟いた。

 




皆さんがやたら渇望していたキャラ、氷室美羽を登場させました。
ちなみに今回登場した二条院愛子はゆぅKさんが考えてくれた読者応募キャラです。
初登場でしたが、美羽にインパクトを持っていかれてしまった感が否めません。


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第二十二話 なかなかできる事じゃないよ

前回までの『アキラがKILL』
重税に苦しむ寂れた村に生まれ育った少女剣士アイリは帝都軍の兵士となって出世し村を潤そうと、親友の少女ユウリと共に帝都への旅に出るが、道中、三人は夜盗の襲撃によって離れ離れになる。
辛くも一人で帝都に辿り着いたあいりだったが、その日のうちに童顔の少年サブロウによって路銀を全て騙し取られてしまう。有り金の全てを騙し取られて途方に暮れるアイリだったが、通りすがりの貴族の少女カズミに助けられる。
帝都でカズミの護衛として働くことになったアイリは、同僚の護衛より、現在の帝国が腐敗していること、帝都の治安が乱れていたり自分の村に課せられた重税がその一端であること、そしてその原因が大臣であることを知らされると共に、帝都の富裕層や重役を狙う殺し屋集団『トラペジウム』の存在を知る。

ある日の夜半、ただならぬ殺気で目を覚ましたアイリは、窓の向こうに殺し屋集団トラペジウムを見る。アイリが「同僚の護衛に加勢してトラペウムと戦うか」「それとも家人の元に駆けつけて彼らを守るべきか」と悩んだ一瞬の間に、同僚の護衛はトラペジウムによって全て始末されてしまう。きびすを返し、急ぎカズミの元に駆けつけたアイリの前に立ちはだかったのはトラペジウムの剣客アキラと、帝都に辿り着いたその日に彼から路銀を騙し取った童顔の少年サブロウだった。
カズミを斬ろうとするアキラに対し「罪もない女の子を殺すのか」と立ちはだかり、刃を交えるアイリ。アキラはそんなアイリ諸共に標的を斬ろうとするが、サブロウはそんなアキラを「その少年には借りがある」と静止し、アイリに残酷な真実を突きつける。

カズミとその家族の正体は、夢を見て帝都にやってきたものの路頭に迷った田舎者たちに善意を施す素振りの裏で、実はそんな田舎者たちを相手に残虐な実験や拷問を繰り返して嬲り殺すことを楽しんでいるサディスト一家だったのだ。
そしてその犠牲者の中には、道中で離れ離れになったアイリの親友ユウリの姿も。
帝都の影に潜む真実を知って忘我するアイリ。そんな彼を他所にアキラがその刃をカズミに斬りつけようとするが、その寸前アイリは自らの剣をカズミに振るい、彼女を一刀両断にしてみせる。
憎い相手とは言え一遍の迷いもなくカズミを斬り殺したアイリを気に入ったサブロウは、彼をトラペジウムのアジトに強引に連れ帰る。
かくしてアイリは帝都の腐敗を正すため、その原因たる帝都の要人暗殺を掲げる殺し屋集団トラペジウムの一員となった。

アキラ「特に意味もなく、葬る。有無を言わさず、葬る。善人だろうと構わず葬る」

アイリ「こいつもう嫌……」


 昨日の夜、ユウリちゃんと別れて自宅に帰った俺は寝る前にある重要なことに気が付いてしまった。

 俺は昨日も一昨日も学校に行っていない。初日以外、二日連続で自主休校をしている訳だ。

 二日間の間、俺は学校に通うことも、バイトに精を出すこともなく、女の子たちと楽しく遊び呆けていた。

 その姿はまさに遊び人。プー太郎。ニート。非生産者にして消費者……ハイパー社会不適合者。

 つまり、このままだと――俺は駄目人間になってしまう!

 

「学校行かなきゃ!」

 

 かくして、社会を担う次世代の若者の使命として、俺は中学校に登校することを決めたのだった。

 

 次の日の朝、携帯の目覚ましアラームによって起床した俺はシャワーを浴び、浴室でビブラートで歌声を奏でた。

 

「オウ、イエス! オウ、イエス! ルァーッラララ~!!」

 

 シャワーで身体を綺麗にして脱衣所に出るとタオルで身体を拭き、全裸の格好のままで引っ越す前に買い溜めして置いたカップ麺を啜った後、南あすなろ中学指定の制服に身を包んで我が新たな校舎へと通学する。

 爽やかな風が吹き、洗い立ての髪を撫でる。日の光が鮮やかに俺を照らす。

 そんな中、コンビニで買った週刊少年チャンピオンを読み(ふけ)り、二ノ宮金次郎の如く通学路を歩む。

 

「お! 今回のグラビアの子、良い尻してんなぁ!! 畜生! ムラムラしてきたぜ!」

 

 その雄姿はどこに出しても恥ずかしくない勤勉な学生そのものだった。

 まじまじと水着姿を観察して、チャンピオンのついでに買ったからファミチキに齧り付く。

 ふと、そう言えばノートと教科書と筆記用具の入った鞄を家に置いてきてしまったことを思い出したが、取りに戻るのがあまりにもかったるかったので諦めた。

 勉強に必要なのは意欲であり、勉強用具など必要ないのだ。

 ああ。俺はなんて真面目な中学生なんだろう。全国の不良や不登校児にこの勤勉さを分けてやりたいくらいだぜ。

 

 *

 

 学校に着き、何気なく校庭を見回すと前に燃やした格技場の建物が見るも無残に焼け残っていた。あれから二日も立っているせいか、それに注目する生徒はほとんど居らず、皆靴箱に向かって歩いている。

 相撲部がほぼ全員、焼け死んだのだから昨日くらいには黙祷式でもやったのだろうが、この無関心さが現代の中学生らしい。

 俺は靴を上履きに履き替えると自分の教室へと向かう。

 相変わらず、ガラス張りの教室は腹の立つくらい透けていた。どうせなら、女子の制服を透けさせればいいものを、と思わずには居られない。

 教室内に入ると、クラスの女子たちが公園の鳩のように俺に群がってきた。

 

「一樹君、転校初日からずっと休んでたけど、何かあったの?」

 

「身体の具合が悪くなったせい?」

 

「何か保健委員の氷室君も居ないみたいだから、困った事があったら遠慮なく私たちに言ってね」

 

 それぞれ皆、俺に心配の台詞を掛けてくれる。これはこの子たちが心優しい女の子だからではなく、単に顔の良い俺に下心を持っているからだ。

 この手の手合には慣れているので、そつなくお礼を言って切り抜ける。

 

「ありがとう。でも、平気だから気にしないで」

 

 学校ではクールなキャラで通っているので、その設定を壊さない程度にさらりとそう言って自分の席に座った。

 それを見た彼女たちは格好良いだのクールだのと黄色い声を上げて俺を眺めてくる。

 うむうむ。女の子からの好意を向けられるのはなかなか気持ちがいい。もっと俺を褒めろ、称えろ、崇め奉れ。

 無表情を貫きながら、内心で調子に乗り、チャンピオンのページを捲る。

 すると、こちらを見ている女子たちがこそこそと小声で会話をし始めた。

 

「あ、一樹君漫画雑誌読んでる」

 

「どんな漫画だろうね? 私も読めば共通の話題ができるのに」

 

「一樹君、物静かだから漫画読んでても絵になるよね」

 

「透明な教室の中で他人の目も気にせず黙々と漫画雑誌を読む。なかなかできる事じゃないよ」

 

 耳だけで聞いていると明らかに最後の女子、俺のことを馬鹿にしているように聞こえるが気のせいか。

 俺は試しに制服のポケットから缶コーヒーを取り出してプルタブを上げる。

 

「缶コーヒー好きなのかな? 苦いの嫌いだけどあたしもあとで同じ種類の奴の飲んでみよ」

 

「あれはBOSSの微糖だから、英子でも飲める奴だと思うよ」

 

「ホームルームまで数分なのにコーヒーを飲む。なかなかできる事じゃないよ」

 

 やっぱり最後の奴、俺のこと馬鹿にしてやがる。ていうか、気に入ってるのかそのフレーズ。

 チャンピオンから視線をずらして、その女子グループへと目をやる。そこには銀髪のくすんだ青色の目をした女子がこちらを見ていた。

 黙っていれば神聖な雰囲気さえ感じられる彫の深い顔立ちは日本人には見えない。幼稚園の時から飽きるほどヨーロッパ諸国に海外旅行をしている俺には分かる。あれは美羽ちゃんとは違ってハーフではなく、完全に純血の外人だ。

 女の子にしては背が高く、周りの女子に比べて骨格がしっかりして見える。それらはゲルマン系特有の身体付き、恐らくはドイツ人だ。

 女子グループは俺は自分たちに目を向けたことに気付いて、恥ずかしげに頬を染めたが、その少女だけは無表情な顔で俺を見返していた。

 他の女子と違い、俺に異性としての魅力を感じていない顔だったが、興味自体は持っているようで不思議そうに見つめてくる。

 

「そこの銀髪の子。アンタ、名前は?」

 

「私の名前はフランツィスカ。フランツィスカ・コルネリア。フランでいいよ」

 

 抑揚を欠いたトーンの声は棒読みのように耳に届いた。

 どこかミステリアスさを醸し出すその少女に俺はほんの少し興味が湧いた。

 

「よろしく、フランちゃん。俺は一樹あきらだ」

 

「ん。よろしく、一樹君。こんなに女子が居るのに、私だけに自己紹介するなんてなかなかできる事じゃないよ」

 

 その後、フランちゃんは彼女が予想した通りに周りに居た女子に「なぜフランだけ」と文句を言われていた。しかし、本人はそれに対して何も感じていないように振る舞っていた。

 そうかと言って、無視する訳でもなく、他の女子と会話をしている辺り、コミュニケーション能力はそれなりにあるようだ。

 俺はホームルームチャイムが鳴るまでカオルちゃんたちがもしかしたら来るかもと僅かに期待していたが、どちらもとうとう登校して来なかった。

 怪我が完治していないままで来ても無駄に質問責めにされるだけ出し、何よりサキちゃんが死んだばかりなので学校に来る気力がないのだろう。

 ちょっと虐め過ぎたなぁ、と若干後悔した。

 

 **

 

 退屈過ぎる午後の授業が終わり、昼飯時になる。

 三時限目の数学の時間、俺を目の敵にした担当教師が散々問題を俺一人に出してきたせいで疲れた。全部問いに答えて、なおかつ、教師の問題の式が微妙に間違っているところを指摘してやると仕舞いにはに向こうも心が折れたようで何も言わなくなった。

 購買部で惣菜パンを買った後、俺は屋上でサヒさんやリッキーに非通知で電話をかけた。

 一応、面相が割れたことは理解しているようで二人とも一昨日から学校には来ておらず、家に篭っているらしい。

 両親が何も言わないのかと聞いたところ、既に二人とも殺して死体をちゃんと跡形も残さず処理したと帰ってきた。

 

「で? 親は旨かったか?」

 

『クソ不味かった。人肉なんて食えたもんじゃないな』

 

「だよなー。豚とか牛ってマジ偉大だわー」

 

 順調に人としての倫理観を捨てつつあるリッキー。サヒさんもそうらしいのだが、元々両親とは不仲だったために殺害を躊躇(ためら)う理由はなかったのだそうだ。

 両親を愛する心優しい俺には到底できない諸行だ。ていうか、二人とも今後の生活どうするつもりなんだ。もっと上手に親を使い潰せよと思わずにはいられなかった。

 

「ああ、それとサヒさんにはもう言ったけど、ひむひむの代わり見つけたから、今度紹介するわ」

 

『はあっ!? 聞いてないぞ! 俺はあいつの変わりなんて認めないからな!? 氷室は俺たちのために命を張ってくれたんだ! そう簡単に新しいメンバーなんて認められるか!』

 

 いや、お前ひむひむと出会って三日も経ってないだろ。ぶっちゃけ、大した仲じゃない。

 完璧に自分の命を守ってくれたひむひむのことを美化している。親を食い殺すような非人間のくせにこういうところで自己陶酔に浸るのだからお笑い沙汰だ。

 だが、俺は人身掌握のプロ。駄々を捏ねる同級生の扱いなんてちょちょいのちょいである。

 

「……なあ、リッキー。聞いてくれ」

 

『何だよ。急に改まって』

 

「俺さ、ひむひむの双子の妹に会ったよ」

 

『!?』

 

 電話の向こうで息を飲む声が聞こえた。

 いきなり、遺族の話をされるとは思わなかったようだ。

 俺はその反応を聞き、してやったりの顔で続ける。もちろん、声には哀愁を漂わせるのを忘れない。

 

「名前は氷室美羽って言うんだけど……精神病院に入院してた。心の病気を患ってたらしい」

 

『…………それで』

 

「ひむひむの方は美羽ちゃんのこと大切にしてたらしく、毎日とは言えなくても頻繁に花持って見舞いに来ていたんだってさ。自分のことさえ嫌ってヒステリックに喚く妹のために、わざわざ精神病院まで通ってな」

 

 ちなみにこれは本当の話だ。美羽ちゃんの病室に行く前に愛子ちゃんが話してくれた。

 もっとも、美羽ちゃんの方はそれを拒んでいたのは至極当然だ。

 何せ、自分の心を虐めて傷つけたのは他ならないひむひむなのだから嫌われていない方がおかしい。

 

「もう、美羽ちゃんの病室にひむひむが持ってきた花は飾られない。妹想いのお兄ちゃんは……居ないからな」

 

『あいつ……。そんな事抱えて』

 

 湿った声が受話口から聞こえる。

 うんうん。扱いやすくて楽だわ、この子。

 

「一刻も早く、戦力整えて仇取ってやるのがせめてもの(とむら)い。俺は病室の窓をぼんやりと眺める美羽ちゃんを見てそう思った。それを話したらサヒさんも同じ気持ちだって。……リッキー、お前はどうだ?」

 

『…………分かった。あきら。俺が間違ってた。その新しい奴と一緒に氷室の仇を討とう!』

 

「分かってくれたか! ありがとうな、リッキー」

 

『よせよ。礼なんてお前らしくもない。俺たち、トラペジウム征団は――仲間なんだから』

 

 少し照れた声でリッキーはそう言った。感極まるようなその台詞に俺は満足そうに肯定する。 

 

「ああ。そうだな、じゃあ、詳しいことは後で話す。じゃあ、切るぞ」

 

 通話を切ると、携帯電話をポケットしまって一息吐く。

 ホンマモンのアホですわ。どうして、あんな安っぽい台詞に(ほだ)されてしまうのかさっぱり理解できない。

 まあ、扱い易いので俺としては便利でいいが、本人はもう少しくらい頭を使って考えて方がいいと思う。

 屋上のベンチの上に寝転がって、伸びをしていると俺の耳に階段を上る足音が聞こえてきた。一歩一歩、まるで自らを自己主張するように響く上履きの音は次第に大きくなっていく。

 そして、その足音の主は屋上のドアを開こうとドアノブを回す。

 俺は即座に両手でブリッヂの姿勢を取ると、ベンチからバク宙してドアの前まで飛んだ。ピタリとドアの数センチ前で華麗な着地を決めるとドアノブを掴み、回りかけた方の反対方向に回した。

 悠々とドアを開こうとした足音の主は、ドアが開かないことに若干焦ったようで何度も向こう側でノブを弄るが俺がそれを阻む。

 そこでようやく、ドアノブを逆側に回されていることに気付いた相手は静かな怒りの混じった声で言う。

 

「……開けて」

 

「やだピー」

 

「…………」

   

「嘘だよ。開けるよ」

 

 嫌がらせは俺のライフワークだが、膠着状態で話が進まないのも詰まらないので仕方なく、ドアノブから手を離す。

 屋上のドアから出てきたのはさっきのフランちゃんだった。実は声で気付いていたが、どんな反応を示すか気になったので気付いていない振りをしていた。

 

「……何であんな事したの?」

 

「意味なんてある訳ないだろ。アリの巣に水を注ぐのと同じで、何となくでするようなもんだ」

 

 相手のペースを乱して、遊ぶために俺は無意味にフランちゃんを挑発する。

 もう散々からかいまくったので、その相貌から湧き上がる神聖な雰囲気はとうの昔に霧散していた。

 無表情を浮かべているがじとっとした恨みがましい目でフランちゃんは俺を睨んだ。

 それを無視して俺はベンチに座ると、自分の隣の場所を軽く手で叩く。

 

「苦しゅうない、近こう寄れ」

 

「…………」

 

 公家風の喋り方で隣に座るように言うと、フランちゃんは無言でそれに従った。

 何かこの喋り方が気に入ったので俺はそのままの口調で話す。気分的には白粉を塗りたくった白い顔に丸っこいマロ眉毛を描いた顔になっていた。

 

「して、この度は何用でおじゃるか?」

 

「……ひょっとして、私喧嘩売られてる?」

 

 そろそろ本格的にフランちゃんが切れそうだったので、普通の口調に戻した。

 

「そんで、何で屋上にまで来たの?」

 

「貴方が似てると思ったからよ」

 

「ジョニー・〇ップに?」

 

「違う」

 

「じゃあ、トム・ク〇ーズ?」

 

「……違う」

 

「あ、分かった。キアヌ・リー……」

 

「…………」

 

「……すんません。調子扱きました」

 

 殺意のこもった眼差しを受け、俺はようやく自重する。

 フランちゃんは脱線した話を戻すべく、真面目な顔になり、シリアスな空気を作り始めた。

 そういう、「真面目なお話します」的な雰囲気が嫌いな俺はここで唐突に全裸になり、裸踊りを始めてやろうかと半ば本気で思ったが流石にフランちゃんが色んな意味で可哀想なので止めた。

 

「私は人を殺した事がある」

 

「うわー、犯罪経歴自慢厨がいますよー! お回りさーん」

 

「殺人が社会で許されない事は知っている。でも、私はそれが我慢できなかった」

 

「とうとう無視ですか。そうですか」

 

「人が呼吸しなければ生きていけないように、私には殺人(コレ)がなければ生きていけない」

 

「アンタ、あれだろ。昨日の夜『月姫』の漫画でも読んだだろ。もしくは初期の西尾作品を」

 

 明らかに中二病を発症された方の発言に俺は呆れた。

 いや、確かに俺たちは中学二年生だけど、でもそういうのはせめて黒歴史用のノートでも作って自分一人で楽しんでくださいな。そして、数年後それを読んでクッションに顔を埋めて足をバタバタさせるといい。少しはマシな人間になれるだろう。

 しかし、フランちゃんはそんな俺ににんまりと頬を引いて笑った。

 

「私、生まれも育ちもドイツだったんだけど、何故で今日本に居ると思う?」

 

「普通に留学しに来たんだろ?」

 

「正解は、人を殺す幸せを平和な日本人に教えるため」

 

「フランちゃん、あすなろ精神病院って知ってる? 俺そこの院長の娘さんと知り合いだから紹介してあげようか? 二条院愛子っていう、おっぱいの大きな両手両足が義肢の子なんだけど」

 

 可哀想な子を見るまで、昨日知り合ったばかりの精神病院と愛子ちゃんの話をし始めた俺だが、その瞬間第六感が囁き、その場から後ろに飛び退く。

 一瞬前まで俺の首があったところに銀色の一閃が弧を描いた。

 それは折り畳みナイフの刃が光に反射した光の線だった。

 

「オイオイ。学校に勉強と関係ないもの持ってきちゃいけないってママに教えてもらわなかったのかよ?」

 

「やっぱり、貴方は私と同じ人種の人間。恐怖がなく、狂気に満ちている」

 

 気の触れたようなマジキチスマイルを浮かべ、折り畳みナイフを開閉させながらフランちゃんは喋った。

 マックで可愛い店員を見つけると思わずスマイルを注文してしまう俺だが、イカれた笑顔は頼まれたって要らない。

 あの時、ドアノブを放さなければよかった。恋愛シュミレーションゲームで選択肢をミスった気分だ。

 

「ふふふ。でも、貴方にはこんなチンケな得物じゃ駄目。あやせからプレゼントしてもらったものを使うね」

 

 あやせ……? 人名か?

 フランちゃんが口に出した名前が妙に気にかかった。

 だが、そんなものは彼女がポケットから取り出した物体を見て、消し飛ぶ。

 鈍く黒光りするそれは――イーブルナッツだった。

 

「なっ!? それ、どこで!」

 

「あれ? これ、知ってるんだ。……なかなかできる事じゃないね」

 

 手に持ったイーブルナッツをフランちゃんは自分の額に押し込んだ。

 彼女の身体がグニャグニャと歪み、粘土のように変形していく。俺は自分たち以外にイーブルナッツを持つ存在に出会ったことで気が動転して防げなかった。

 見る間に変わっていくフランちゃんの姿は少女の原型を僅かも残していない異形に変わった。

 それは鷹だった。刃物の羽根を持つ、鋼で作られたかのようなくすんだ銀色の大鷹。頭部に残っているポニーテールが辛うじてフランちゃんの面影を保っている。

 

『うん。あやせの言ってたとおり、力が(みなぎ)るね』

 

 (くちばし)から流れ出る声は酷く不快感を催す高い声だった。合成加工した声のキーを無理やり上げたようなそんな異音。

 フランちゃんは翼をはためかせて、屋上でホバリングするように羽ばたいている。

 

「よかったぜ……」

 

 俺はそう呟いた。

 もしこの学校にカオルちゃんや海香ちゃんが居たら、俺は魔物の姿になるのを躊躇していただろう。

 なぜなら、折角隠してきた正体がつまらないところで暴露しかねないからだ。

 丹精込めて騙しているのが、水の泡になっていたからだ。

 俺は己の身体を黒い竜に変えて、銀の鷹と化したフランちゃんの前に立ち向かう。

 それを見たフランちゃんは器用に瞳を大きくさせ、そして、嘴の端を歪めて笑った。

 

『一樹君、やっぱり私と貴方は同じ瞳をしている。同じ思想を持った存在……』

 

『いいや、違うね』

 

 俺はフランちゃんの台詞を遮って否定した。

 

『俺は殺すのが好きなんじゃない――命を踏み躙るのが好きなんだ!』

 

 中二病患者の妄言と聞き流していれば、ふざけたことを言いやがって。

 こいつと俺は全然違う。何もかもが違う。どれくらい違うかというとちくわとチクワブくらい違う。

 

『いいか? よく聞け、ギンピカ。「殺す」、なんてのは物事のおまけみたいなもんだ。肝心なのはそこじゃない。必死で生きていた人間の思いや感情……それらを台無しにする時にカタルシスってのが生まれるんだ。

 人が呼吸しなければ生きていけないように、私には殺人(コレ)がなければ生きていけない? 何だ、そりゃ? そんなものに快楽はない。

 楽しいから殺すんだ。嬉しいから殺すんだ。気分がよくなるから殺すんだ。やらくてもこまらないけどやるんだ。それがいいんだよ』

 

 フランちゃんのその性分を扱き下ろして、嘲笑った。

 殺人なんてものは所詮は嗜好品。何となく、気分が乗った時にするものだ。

 それを呼吸のようにしなくてはならないのは単なる中毒。肉体が強要されてやっているだけ。

 やらされている行為からは真の愉悦は生まれない。そこに悦びはないからだ。

 余分であるが故に楽しいのだ。必要不可欠ではないからこそ、(たしな)むことに意味がある。

 

『だからな、一緒にすんなよ。中毒者』

 

 冷めた目でそう言い放つと、フランちゃんは空へと舞い上がり、俺に目掛けて鋭い刃の集合体のような鋼の翼を振るう。

 

『そう……分かった。貴方は同族なんかじゃない。私の……敵だ!』

 

 空気を引き裂き、凄まじい速度共に突っ込んで来る。

 その速さは俺を容易く超えるだろう。このまま、避けきることさえ難しい。

 もしも、直撃を受ければ魔物化した俺の強固な皮膚を両断するかもしれない。

 だが、その速さは――光の速さほどではない。

 鱗の色を黒から白に変え、俺は口から白い雷を解き放つ。

 こちらへと近付くよりも早く、俺の電撃の波がフランちゃんを襲った。

 

『アグゥァ――ッ!』

 

 結果として、雷撃へと飛び込んだ聞くに堪えない甲高い叫び声を上げ、フランちゃんは翼の軌道を曲げてしまう。

 

『場所変えようか? なぁっ!?』

 

 未だ電気が残留しているフランちゃんの尾羽を掴み、学校の裏にある林へと投げ飛ばす。

 その際に尖った羽根が何本が手に突き刺さるが、やむを得なかった。

 投げ飛ばされたフランちゃんは木々をその刃の翼で切り落としながら、落ちていく。

 俺もそちらへと飛んでいくと、木々の切れ間からダーツのように刃の羽根が俺へと放たれた。

 

『クガァア――!!』

 

 想像以上に頑強な肉体をしているようで林の中で体勢を立て直していたようだ。

 それを片翼にモロにくらい、今度は俺の方が体勢を崩すはめになる。

 即座に跳ね上がるように林から飛び出して来たフランちゃんは俺の首を切り落とそうと刃の翼を広げて接近する。

 今度はさっきのような小細工を許さない真下からの軌道。

 多少揺らいでも確実に俺の首を斬り落とす構えだ。

 ならば、俺も違う手を講じなくてはならない。

 振り上げられるギロチンの如き刃に俺は噛み付いた。

 牙が幾本も砕け、黒い体液が林へと流れ落ちる。おかげで減速してきたが、フランちゃんは俺の顎を上下に切り分けようとさらに鋼の翼を押し込んできた。

 口の端が切れて、鋭い刃が頬肉を切り落とそうと食い込んでくる。このままなら俺の頭で顎のラインから横に真っ二つだ。

 しかし、俺だって無策でこんな暴挙に出た訳ではない。

 鱗の色を白から黒へと戻し、鋼の翼を噛んだ状態で炎の吐息を噴き付ける。

 急激に当てられた高熱で鋼の翼はその形状を歪めていく。フランちゃんは翼が溶け始めたことで俺ごと林へと落ちていった。

 口を閉じたまま、炎を吐いた代償はでかかった。口内に逆流した熱のダメージが思いの他大きく、俺は竜の姿から人の姿へと戻っていた。

 だが、それはフランちゃんも同様で炎の熱を近距離で浴び、翼を溶かした彼女も銀色の大鷹から少女になっていた。

 

「がっふ……お互い、人間に戻っちまったがこのままやるかい?」

 

「ぐぅづぅっ……あ、当たり前。貴方は殺、す……」

 

 ふらふらの身体を引きずりながら、折り畳みナイフを取り出して俺へと向ける。

 俺も林に落ちていた大き目の石を拾って構えた。

 『ナイフVS石』という見た目的に恐ろしいほどショボい激戦の火蓋が切り落とされようとしていた。

 

「待って待って、お二人さん」

 

 そんな俺たちの戦いを邪魔するように、甘ったるい声と共に女の子が降ってくる。

 ブラウンのポニーテールに真っ白いドレスを着た少女だった。両手で小さめのジュエルケースのような箱を持っている。

 

「あやせ……邪魔、しないで。これは私の戦い……だから」

 

「そうもいかないわ。あなたに何のためにイーブルナッツをあげたと思ってるの? フラン。あなたの仕事は私の手伝いでしょう?」

 

 フランちゃんが呼んだことから見て、この子が件のあやせのようだ。

 その見た目からしてまず間違いなく、魔法少女だと思われる。

 

「そうだけど、今は……」

 

「フラン……私、そういうワガママ、スキくないなあ?」

 

 にこやかに笑っているが、それは恫喝だった。

 逆らえばどうなるか分かっているのかという言外の脅し以外の何物でもない。

 フランちゃんは渋々といった素振りでナイフを仕舞う。俺はまだ何も言われていないのでこのまま、石で殴りつけることは可能だが、その場合確実にあやせちゃんに殺されるので諦めた。

 俺も石を放ると、あやせちゃんは満足げに頷く。

 

「よかった。こんなところで『ジェム摘み(ピック・ジェム)』の手駒を減らしたくはないもの」

 

 その言葉に俺はぴくりと反応をする。

 

「ピック・ジェム? それはまさか……」

 

「ああ。あなたもイーブルナッツで変身したってことはあいつからもらったんだと思うけど、それなら魔法少女のことくらい知ってるでしょう? 私が集めているのはこーれ」

 

 そう言って持っていた小箱の蓋をずらすと、そこには無数のソウルジェムが詰まっていた。

 やはりそういうことか。つまり、あやせちゃんの言うピック・ジェムとはソウルジェムを集めること。

 即ち、――魔法少女狩り。

 

「集めてるんだあ、ソウルジェム。こんなキレイな宝石他にないよね。だって、生命の輝きなんだもん! ……まあ、魔女モドキのあなたには関係ないけれど、私たちの邪魔はしないようにね」

 

 小箱の蓋を閉めると、あやせちゃんはフランちゃんに着いて来るように言って、俺の前から消えた。

 

「私をここまで怒らせるなんて、なかなかできる事じゃないよ」

 

 フランちゃんは俺を悔しそうに睨んだ後、そう一言だけ言い残してあやせちゃんの元へと歩いていった。

 ひとまず、命の危機が去ったことを実感する。

 あの状況下、やろうと思えばあやせちゃんは俺を殺せた。

 だが、そうしなかった。

 確証はないが、恐らくその答えは俺の後ろに付いている存在を勘違いしたからだと思う。

 あやせちゃんが言っていた『あいつ』。それは多分ユウリちゃんのことではない。断言できる。あの子はそんなことできるほど賢くない。

 となると、ユウリちゃんもまたもらったのだ。そのイーブルナッツを作る黒幕から。

 なかなか、複雑になってきたな、オイ。もう、プレイアデス聖団だけに構ってる場合じゃないかもしれない。

 取り合えずはユウリちゃんがあやせちゃんに狙われなければいいのだが。

 俺は彼女のピンク色に輝くソウルジェムを思い出す。

 昨日ユウリちゃんのソウルジェム綺麗になったばかりなんだよなぁ……。

 




これが今年最初の話です。(本当は去年最後の話にする予定でした……)

今回出たフランツィスカ・コルネリアは有栖さんが応募してくださったキャラです。


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第二十三話 信じる心

前回までの『fate/stay nanoka』

日本のとある地方都市「あすなろ市」に数十年に一度現れるとされる、持ち主のあらゆる願いを叶える「聖杯」。七人の魔術師(マスター)は七騎の魔法少女(サーヴァント)と契約し、聖杯を巡る抗争「聖杯戦争」に臨む。聖杯を手にできるのはただ一組、ゆえに彼らは最後の一組となるまで互いに殺し合う。

十年前に起きたあすなろ大災害の生き残りにして、半人前の魔術師として暮らしてきた少年・一樹あきらは偶然にもサーヴァント戦を目撃したことから、聖杯戦争に巻き込まれ、そのさなかサーヴァントの一人・ユウリを召喚する。亡き養父・一樹敏也のような「悪の権化」になりたいと願うあきらは、無関係な一般人の犠牲者を増やすために聖杯戦争に参加することを決意する。

あきら「俺は悪の権化になりたいんだ……。皆を気まぐれで皆殺しにするような、そういう奴になりたいんだよ」

ユウリ「……自害したい」



「ていう訳でー、サブは他トラペジウム団員二名と合流して自己紹介くれや」

 

 今日はサブを他のメンバーに紹介してやる日だったのだが、やっぱり面倒になったので一人で勝手に行ってもらうことに予定を変更した。サブ君ももう十三歳、そのくらい一人でできるだろう。

 ぶっちゃけるとマジ面倒くさい。

 

『ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいよ。ていう訳とか言われても、オレはその人たちがどこに居るのか知らないんですが……』

 

「聞かれなかったからな」

 

 何を当たり前なことを言っているんだこいつは。

 携帯電話を耳に当てた方とは逆の手で反対側の耳穴を穿(ほじ)る。

 サブの困り声が俺の鼓膜を打つ。

 

『いや、聞かれなかったからって……。大体、トラペジウム征団って何なんですか? オレ、それすら聞いてないですけど』

 

「聞かれなかったからな」

 

 再度、同じ台詞を放つと、サブは黙り込んだ。げんなりとした雰囲気が電話越しでも伝わってくる。

 

『……もういいですよ。じゃあ、どこにその人たちが居るのか教えてください』

 

「イーブルナッツの波長を追え。体内にイーブルナッツが入った奴同士なら集中すれば相手の位置くらいは大体分かるだろ」

 

『それすら自分で調べろと!?』

 

 何なんだこの人ー!?、と悲痛な叫びをあげるサブだったが、俺の視界にある女の子の姿が飛び込んできたために興味は電話からそちらに向いていた。

 オレンジ色のボブカットの活発スポーツ魔法少女、カオルちゃんである。

 少し前まで右膝がしたがなくなっていたが、トカゲの尻尾の如くにょきにょき生えてきたようで今では完治していた。本当に魔法少女って人間じゃないなぁ。

 眺めている俺を向こうも発見してくれたらしく、こちらに手を振って近付いて来る。

 

「んじゃ、切るわ」

 

『え、ちょっ、ま……』

 

 電話の向こうで何か言おうとしたサブに俺は無常にも通話を一方的に切った。慈悲はない。

 この程度のことをしてくれないようなら奴に価値はない。今日中に合流できていないようなら明日の朝にカルパッチョにして、食べてしまおう。

 ちなみに、サブへは俺が非通知で通話しているため、俺の連絡先は向こうは知らない。

 俺は携帯電話を上着のポケットに仕舞うと、元気よくカオルちゃんに挨拶する。

 

「おっはよう! カオルちゃん。奇遇だな、街中で会うなんて」

 

「おはよう、あきら。電話してたみたいだけど切っちゃっていいの?」

 

「いいのいいの。超どうでもいい内容の電話だから。カオルちゃんとの会話に比べたら、ゴミみたいな内容だよ」

 

 調子の良い事言うなーとカオルちゃんは呆れつつも、そう言われて悪い気はしないようで喜んでいる。

 俺としても男と話しているよりも可愛い女の子と話している方が楽しいので、幸せな気分がいい。

 

「そんでどこに行こうとしてたんだ? 俺も一緒に行って良い?」

 

「いいけど、向かってるとこ精神病院だよ? それでも来たい?」

 

「行く行く。カオルちゃんと一緒なら病院でもホテルでもドンと来いだぜ」

 

 二つ返事で俺はカオルちゃんに付いて行くことにした。あやせちゃんにユウリちゃんが狙われかねない危険な状況とか、早くトラペジム征団を再編するとかそんなことはどうだっていい。

 十四歳の男子中学生としては女の子とのデートの方が大事。これは鉄則である。

 

「ちょっとあきら、手を繋がないでよ」

 

「ええー? いいじゃんいいじゃん」

 

 強引にカオルちゃんの手を取り、指先を絡め合う。男ならば、少しくらい押しの強いコミュニケーションを取るべし。肉食系男子としては押して駄目でも押し倒すのが流儀である。

 しなやかでいて柔らかい指の間に自分の指を捻じ込み、手を握る。彼女の体温の温かさが僅かに俺の手のひらを伝わってくる。

 

「もう……強引だな」

 

「へへへ。役得役得」

 

 道中何気なく、カオルちゃんに精神病院へ行く理由を聞くと、同じサッカー部の部員が入院しているのでお見舞いしに来たらしい。

 聞けばその子は、前にカオルちゃんに選手生命を奪いかけるほどの怪我を負わせてしまって、それが原因で部内で虐めに合い、自殺未遂をしてしまった部員なのだそうだ。

 名前は三波(みなみ)つかさちゃん。自殺未遂のせいで意識不明になったそうなのだが、カオルちゃんが魔法少女になる契約時の願いで一命を取り留めた。

 だが、心の方までは完治はしておらず、今は精神病院で療養中とのこと。

 それを聞き、俺は感想を彼女に漏らした。

 

「優しいな、カオルちゃんは」

 

「え?」

 

「だって、自分に怪我させた奴のためにここまで献身的になれる奴、そうはいないぜ?」

 

「……そうでもないよ。私がこうやって病院に通うのも自分の心を埋めるためだと思ってる。みらいが話したって言ってたから言うけど、サキが死んだから逃げたいだけなんだよ。だから……」

 

 だから私はそんなに良い奴じゃない。俯いてカオルちゃんはそう言う。

 

「……えい」

 

 俺は一旦歩みを止めると、繋いでいた手を離してカオルちゃんの右足の太ももを撫でた。

 

「ひゃあっ! な、何すんのさ、あきら」

 

 可愛らしい声を上げて、足を引っ込めるカオルちゃん。これがもしユウリちゃんだったら間違いなく切れの良い蹴りが俺の顔面を抉ったことだろう。

 

「今見舞いに行くのは現実逃避、みたいに言うけどそれは違うだろ? かずみちゃんの記憶喪失の件とか、訳わかんない魔物のせいで足怪我してるから行けなかったんじゃねーの?」

 

 自分のせいで足を怪我させてしまったと罪悪感を抱いている相手の見舞いに、足を負傷したまま行くわけにもいかないだろうし、サキちゃんが死んだこととは今以外にタイミングがなかったという話だろう。

 

「それもあるけどさ、でもやっぱり私はつかさの事を利用してるだけのような気がして」

 

「いいじゃん、利用しても。それが相手のためにもなってるならWIN-WINな関係だろ? だったらどーんと構えてなって」

 

 立ち上がった俺はカオルちゃんの背に手を回して、気安く叩いた。

 最初は暗かった彼女の表情も俺があっけらかんと笑いかけるとつられるように微笑む。

 本来、明るい女の子なのもあるが、こうやって他人に肯定の言葉をかけてもらえることを内心ずっと待っていたのだろう。

 元気溌剌な瞳が戻ってくると、悪戯っぽく頬の端を上げた。

 

「それはそうと私の生足触るなんてスケベだね、あきらは」

 

「そうだぜ? 俺はドスケベだからな、お尻とか胸も触っちまうぜ~」

 

 そんな感じで元気になったカオルちゃんとイチャコラしながら病院まで歩いて行った。

 今度はカオルちゃんの方から俺の手を握ってきてくれる。やはり俺の持てっぷりは留まるところを知らないらしい。

 

 ***

 

「あれ? 何か病院、おかしくない?」

 

「ですなぁ」

 

 現在時刻は午前十時。土曜ということで前に来た時よりも人が居るはずなのだが、病院一階の中は閑散としている。

 というより、患者はまだしも受付の人まで居ないというのは流石におかしい。この状況は異常と言わざるを得ない。

 そう言えば、この病院には美羽ちゃんが入院していたなと思い出したところで、俺は天井に違和感を覚えた。

 天井の壁が蠢いているように見える。いや、蠢いているのは天井に張り付いた同色の何かだ。

 それに気が付いた瞬間、ぼたりといくつかの物体が落ちてきた。

 

「あ、アリ……?」

 

 それは巨大なアリだった。クリーム色の姿に執事服の上だけを纏ったデフォルメした見た目のアリ。

 魔女の使い魔をすぐに連想するが、だとするならここは既に結界内になっていなければおかしい。

 だが、ここは人こそ居ないまでも病院の中の様相は変わっていない。前に見たような突拍子もないような場所には見えない。

 俺の冷静な分析を余所に降ってきた執事服のアリたちは俺に襲い掛かってくる。

 

「ってこれまずっ……」

 

「あきら、退いて! 『カピターノ・ポテンザ』!」

 

 俺を庇うように躍り出たカオルちゃんは魔法少女の衣装に変わっていた。フードの付いたぴったりの上着に太ももがばっちり見えるオレンジ色のタイツに似た格好だ。

 彼女は魔法で銀色に硬質化させた右足で飛び蹴りを執事服のアリに食らわせた。

 大顎が砕かれ、黒い体液を流しながら吹き飛んでいくアリたち。その様子から一体一体はさほど強くないことが分かる。

 しかし、問題はその数だ。一匹二匹どころの話ではない皆天井に張り付いて動き回っていたから目に付かなかったが、一階のこのフロアだけでも四、五十匹は居るだろう。

 さらに病院という広大な空間を考えると、膨大な数のアリの使い魔がひしめいていることは想像に難くない。

 すぐさま、入ってきた自動ドアを見やるが、まるで出口を塞ぐかのようにアリが落ちてきている。どうやら逃がしてくれる気はないらしい。

 カオルちゃんに襲ってくるアリを撃退してもらいつつ、俺は周囲の様子を探る。

 すると、俺は執事服のアリに混じってメイド服を着ているアリが居ることに気が付いた。

 執事服のアリはメイド服のアリに寄ると、その手足を急にもぎ始める。最初は仲間割れかと思ったが、そうではなかった。執事服のアリはメイド服のアリの手足を全てちぎるといきなり交尾をし始めた。

 その様はレイプを比喩している戯画のように思えてちょっとだけ興奮した。本来、アリや蜂の兵隊には生殖能力はないはずなのだが、こいつらにはちゃんとあるようだ。

 だが、そんな余裕はすぐに霧散する。

 メイド服のアリが尻の先からボロボロと卵を産み落としていったからだ。

 数秒でその卵は孵り、成体へと成長した幼虫は執事服のアリへと姿を変える。まさにあっと言う間に数を増やし、正面玄関を占領した。

 

「カオルちゃん。こいつら、繁殖力があるぞ!」

 

「分かってる。ちっ……ごめん。あきらだけでも逃がそうと思ったけど無理みたい」

 

「気にすんなって」

 

 険しい顔でカオルちゃんは唇を噛む。彼女の魔法ではこの状況では打破は難しいようだ。

 前に戦った限りではカオルちゃん単体では身体を硬化させて戦うタイプのようだし、制圧力は期待するだけ無駄だろう。

 俺が竜になって焼き払えば、こんな雑魚など瞬殺できるが状況が状況のため変身できない。

 

「とりあえず、上の階に上がって窓からでも逃げよう!」

 

「それしかないか。分かった、あきらは私から離れないようにして」

 

 一階で増え続けるアリの使い魔をあとに、俺たちは階段を駆け上がる。階段にも執事服のアリが何匹か這っていたがそれはカオルちゃんが蹴散らして上に進んだ。

 

「ねえ、カオルちゃん。カオルちゃんの友達のつかさって子大丈夫なのか?」

 

「…………」

 

「まずはその子の病室に行こうぜ? もしかしたらまだ助けを求めてるかもしれないし」

 

 浮かない顔をするカオルちゃんに俺は提案しながら付いていく。この惨状から望みは薄いと考えているのだろう。

 まあ、十中八九死んでいると見ていい。だが、カオルちゃんがそれを確認して絶望してくれるなら少々危険を冒してでも、お友達の死体を突きつけてやりたい。

 

「ちょっと脱出が遅れちゃうけど、それでもいい?」

 

 申し訳なさそうに言うカオルちゃんの背中を俺は頷く代わりに叩いた。

 ありがとうとお礼を言った後、四階まで二人で駆け上がり、つかさちゃんの病室まで向かう。道中のアリを蹴散らすカオルちゃんのすぐ傍で俺は違和感を感じ取っていた。

 おかしい。ここには何かが足りない。あるべきはずの何かが致命的に欠けているのだ。

 それが分からないまま、つかさちゃんの病室まで来てしまう。

 病室のドアを蹴破り、侵入していくカオルちゃんの後ろから俺は続け様に入っていくとそこで違和感の正体に気が付いた。

 ――血だ。血液の臭いがこの病院からしないのだ。

 あんな化け物が跋扈(ばっこ)しているにも関わらず、死体はおろか血痕すら一つも見当たらない。 

 どう考えてもおかしい。アリの顎の形状からして人間を丸呑みは不可能だ。母体のような存在の元に捕まえて運んでいる可能性も否めないが抵抗して死んだ人間の形跡がなさ過ぎる。

 

「つかさ! どこに居るの!! 私よ、カオルよ?」

 

 カオルちゃんは病室の中でそう叫ぶ。

 すると、その声に反応したように一匹のメイド服を着たアリがベッドの上から降りてきた。

 

『カ……ル……』

 

「っ……こんなところにまで」

 

 珍しく手足のちぎれられていないメイド服のアリの頭蓋にカオルちゃんは硬化した足で踵落しを叩き込む。

 頭部が砕けて、黒い液体を垂らしながらも、よろよろとした足取りでメイド服のアリはカオルちゃんへと近付いていく。

 

『……オ……ル……カ、オ……』

 

「つかさをどこへやった! この使い魔!」

 

 硬化した足の裏をスパイク状にして、反対側の足を軸足にし、華麗に回し蹴りをメイド服のアリの腹部に入れる。

 メイド服の下の甲殻が割れて、そこから真っ二つに砕けたアリの上半身が床に転がった。

 

「カオルちゃん。俺の推測が正しければ、そのアリの使い魔――つかさちゃんだよ」

 

 カオルちゃんがきっちり止めを刺すところまで見終えた後、俺は無常にそう言い放った。

 振り向いた彼女の顔が信じられないものを見るように変わる。

 

「……は? 何を言ってるの、あきら……人間が使い魔になる訳が……」

 

「絶対にないって訳じゃないんだろ? 大体、この状況がおかしいってことにカオルちゃんだって気が付いてんじゃねーの?」

 

 大量に使い魔だけが溢れ返る病院。結界を作っていない魔女。人も死体も悲鳴すらもないこの状況。

 そして、さっきの攻撃しなかった使い魔。

 

「カオルちゃんの名前を呼ぼうとしてたんじゃね? 『それ』」

 

 俺が顎で指し示すその先には生臭い体液で床を汚すアリの使い魔が転がっている。

 

「そんな訳だって……人間は使い魔にはならない……」

 

 引きつった笑みに震える声。それはもはや否定ではなく、そうであってほしいという願望だった。

 感情は拒絶しつつも、理性ではその可能性を受け入れようとしている証でもある。

 そこに俺は追い討ちをかけるべく、さらに喋る。

 

「でも、この病室、ちゃんと鍵掛かってただろ? 外からこじ開けられた形跡ないぞ? 女の子の食われた形跡もない。なのに、一匹だけ居る使い魔」

 

「そんな……」

 

「認めろよ、カオルちゃん。じゃなきゃ、逆に説明が付かないぜ? そいつはアンタのお友達だったものだよ」

 

 この病院に居る使い魔のほとんどはこの病院の患者だろう。つまりはさっきまでカオルちゃんが殺して回っていたのも人間という訳だ。

 もちろん、全部が全部そうだとは言わない。ある程度は交尾によって生まれた奴も居るだろう。

 

「これが……つかさ?」

 

「まあ、多分だけどな」

 

 目を見開いて、カオルちゃんが震える手でメイド服のアリの死骸を拾おうとすると、ぼろりと乾燥した土塊のように崩れ落ちる。

 俺はそれをにやにやとした笑みで見守る。

 イイね。友達を殺してしまったことに衝撃を覚える女の子ってのは。

 魔法少女を狩ってまで、魔女にさせないようにしているカオルちゃんには結構辛いんじゃないのかな。

 

「つかさは普通の、普通の女の子だった……あり得ないよ。だって普通の女の子だったんだ」

 

 魔女になった魔法少女を殺したりしているのだから、今更そこまで気にしなくてもいいんじゃないと思うが、だからこそ、ただの人間だった相手まで手に掛けるのは返ってダメージがあるのかもしれない。

 

「カオルちゃん……」

 

 俺はそんな彼女の後ろから抱き締めた。

 優しく、慈しむように、慰めの抱擁で包んでやる。

 

「普通の人間でも化け物になることだったあるさ」

 

「あきら……でも」

 

『――こんな風になァ』

 

「……え?」

 

 振り返った彼女は俺の顔を見て硬直する。

 俺の顔は既に人間のそれではなく、首から上を竜に変貌させ、楽しそうに笑っていた。

 

『トッコ・デル・マーレ(物理)』

 

 かつて、カオルちゃんがユウリちゃんにやって見せたソウルジェムを抜き取る魔法。

 俺はそれを物理的にやってみた。

 要するに身体に身に付いているソウルジェムを周りに付いている肉ごと抉り取ったのだ。

 左足の膝の数センチ上に付いているオレンジの宝石を魔物化した手で躊躇なく引きちぎる。

 

「がっ……!?」

 

 とっさに俺を突き飛ばすが、驚き戸惑っているせいでバランスを崩し、床に尻餅を突く。

 あまりにも驚きすぎて、顔からは血の気が引き、真っ白くなっている。カオルちゃんは魔法少女の格好から女の子らしいパーカーとホットパンツの姿へと変わった。

 顔だけではなく、身体全体を黒い竜に変えた俺は両手を広げて、カオルちゃんを見下ろした。

 見開きすぎた両目は皿のようになっており、瞳孔までが小刻みに揺れている。意識的なのか無意識的なのか、嫌々をするようにカオルちゃんは首を横に振っていた。

 

「え、ど、どうして……お前が!?」

 

『ん?』

 

 あっさりと正体を現してあげたのにも関わらず、カオルちゃんは意味の分からないことを言う。

 

「あきらといつから入れ返った!? 本物のあきらは、どこへやった!?」

 

 致命的なまでに勘違いをしている様子だ。奪われたソウルジェムよりも俺の心配をしているあたり、冷静な判断力を失っている。

 

『カオルちゃん。俺だよ、俺が一樹あきらなの』

 

「う、嘘を吐くな! お前があきらな訳ないだろ!? あきらは馬鹿だけど良い奴で、魔法少女の事も受け入れてくれて……」

 

 どうして俺に裏切られる人間というのはどいつもこいつもここまで妄信的なのだろうか。

 呆れを通り越して、軽く感動さえ覚えそうだ。

 

『それがおかしいってまず思えよ。アンタら普通の人間から見たら“化け物”だぜ? 当たり前に受け入れる奴なんかいねーよ』

 

 信じるというのは、疑った上でようやく可能になるものだ。疑いもせず信じるというのはただのアホのやることだ。

 

「じゃあ、全部……全部嘘だったの!?」

 

『そうだよ。アンタみたいに何かを隠している奴は、無償の優しさに飢えてるからな。ちょっと優しくすれば子犬のように懐いてくる。いやぁ、簡単だったぜ? 間抜けな魔法少女ちゃんたちを懐柔するのは』

 

「うそ、だ……」

 

『そうそう。み~んな、嘘。ありがとうな、馬鹿で居てくれて』

 

 呆然とした瞳の死んだ顔を浮かべ、カオルちゃんは俺を見上げている。

 その瞳に映るのはとても愉快そうに笑う竜の姿だった。

 俺は手に持ったオレンジ色のソウルジェムを口の中に投げ入れる。

 飴玉を噛み砕くような感触を少し繰り返した後、ごくりと砕いたジェムを嚥下(えんげ)した。

 その瞬間、目の前のカオルちゃんの身体がゴムでできた人形のように不自然な動きで崩れ落ちる。

 ガラスのようになった彼女の瞳は涙で濡れて、部屋に差し込む光を反射してオレンジ色に輝いていた。

 




時間もなく、それほど元気もないですが、気合を入れるために合えて更新してみました。
裏切りシーンが思ったよりも盛り上がらず残念ですが、そろそろ魔法少女を減らしていかないと収拾が付かなくなるので、カオルちゃんには退場してもらいました。


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第二十四話 裸の女王様

前回までの『IA-インフィニット・アキラトス-』

女性にしか反応しない世界最強の兵器「インフィニット・アキラトス(IA)」の出現後、男女の社会的パワーバランスが一変し、女尊男卑が当たり前になってしまった時代。
主人公の一樹あきらは自身が受ける高校の試験会場と間違ってIA操縦者育成学校「IA学園」の試験会場のIAを起動させてしまい、IS学園に入学させられる。
「世界で唯一IAを使える男」である彼はIS学園の生徒たちにとっては興味の的。さまざまな出会いや再会を通し、あきらの前途多難な日常が始まる。

あきら「もう持て過ぎて困るわー。女の子食べ放題!」

サキ「おい、一樹。カオルたちが居ないんだがどこかに心辺りはないか?」

あきら「ひあないへ……もぐもぐ」



 カオルちゃんの身体をモグモグした後、俺は病院の探索を再開する。別に特別、彼女を殺す必要はこれっぽっちもなかったのだが、ノリで裏切って殺しちまった。アキルドは嬉しくなると、つい()っちゃうんだ。らんらんるー!

 しかしまあ、邪魔者が居なくなったことで遠慮なく魔物態で闊歩できるので楽といえば楽だ。しばらくは炎でアリを「汚物は消毒だー」と焼き払っていたが、この病院が魔女の結界内でないことを思い出し、火炎放射の乱発は止めた。

 このままだと普通に病院を全焼しかねない。それはそれでありだが、この惨状を引き起こした奴の顔を拝んでおきたいところだ。

 飽きるまで眺めた後、病院と一緒に大炎上させてやろう。これから毎日、病院を焼こうぜってな感じで。

 

『じゃあ、早速試させてもらいますかね』

 

 手に入れたばかりのカオルちゃんの力を顕現する。黒かった鱗は鮮やかなオレンジ色へと代わり、さらにそれを鋼のように硬化させた。

 カオルちゃんが使っていた肉体硬化の魔法。俺はそれを全身にかけて、じっと立ち止まる。

 群がるアリたちは大顎で噛み付いてこようとするが、硬化した鱗に立てられた顎は逆に砕ける結果に終わった。

 それを横目に俺は意識を集中させて、病院内でイーブルナッツの波長を探す。

 ――見つけた。やはりこれは魔女モドキの仕業だったようだ。

 このフロアのずっと上……恐らくは屋上。ラスボスは大体地下か、屋上に居るものだとドラクエで学んだ俺に死角はなかった。

 波長の先に向けて身体を屈ませて、硬質化した翼を鎧のように巻きつけた。

 そして、コマのように身体を回転させ始める。纏わり付いてきたアリたちは吹き飛ばされ、壁に激突して床に転がった。

 

『食らえ! ダイナミック……ショートカットォォォ!!』

 

 鋼と化した自らの身体をドリルの如く回し、跳び上がって天井をぶち抜く。

 回転しながら突き進む俺はさながら、ロケットのように上へ上へと上がって行った。

 病院に穴を開けつつ、ひたすらに魔女モドキへと邁進し続ける俺だったが、数十回ほど天井をぶち抜いていると唐突に天井がなくなった。

 代わりに青い空と白い雲が目の前に広がっている。どうやらミスター・ドリラーになりきっている間に屋上まで到達できたらしい。

 

『はあー、何と清々しい空なんだー』

 

 さっきまでアリがごった返す狭苦しい病棟の中に居たから余計に開けた場所が心地よく感じられた。

 俺は硬化した身体を解き、鱗の色を元の黒に戻して一息吐いた。やはりデフォルトのこの状態が一番落ち着く。それに何よりオレンジという色があまり好きではない。そう言えば、小学校一年の頃のお友達はオレンジ色のハンカチを持っていたなとふと思い出した。

 そんな空の美しさと過去に想いを馳せる詩人の俺に誰かが声をかけてきた。

 

「あら、あなたは……」

 

『ん?』

 

 そこに居たのは見覚えのある黒髪ポニーテールの女の子、双樹あやせちゃんだった。

 床から屋上に来るなんてなかなかできる事じゃないよ、とか言ってきそうなあのドイツ人は今回は居なかった。

 代わりに十数メートル離れた先には手足のないピンク色の髪の少女が大きなベッドに鎮座するように存在している。

 二条院愛子ちゃん、この病院の院長の一人娘だ。付けていた義肢はなく、服の袖だけが風に揺られている。

 そのソファを支えているのは執事服の数匹のアリの使い魔。下の階に居た奴らとは違い身体が大きく至るところが角ばって鎧のように見える。何より、その背中には(はね)が付いている。

 その様は正にお嬢様に(かしず)く、執事然としていた。

 そして、愛子ちゃんが座るベッドにもう一人の少女が蹲っている。ひむひむの妹の美羽ちゃんだ。

 悠然と微笑を浮かべている愛子に比べて、美羽ちゃんの方は怯えるようにベッドにしがみ付き震えていた。

 表情も病室で出会った時と違い、恐怖で顔を歪ませている。

 

「もう……もう何が起きてるっていうの!? 愛子! どうして……?」

 

 悲痛な顔で愛子ちゃんに話しかけるが、彼女はベッドを支えているアリたちを慈しむような目で見つめるだけで美羽ちゃんの方を向こうともしない。

 俺は取り合えず、今ある情報を元に現在一番会話の成り立ちそうなあやせちゃんに訪ねた。

 

『えっと、見た感じ愛子ちゃん……あのピンク色髪のの手足のない子が魔女モドキってことでOK?』

 

「うんうん。そうだよ」

 

 のんびりとした口調であやせちゃんはそう答える。

 明確な目的があってこの惨状を作り出したというよりは偶然こうなったといった様子だ。

 

『何かすっごいどうでも良さそうっすね』

 

「私はただ手駒作りのために闇を抱えてそうな女の子にイーブルナッツを使ってるだけだから」

 

 顎に人差し指を当ててふと思い出したように目線を上に向けた。

 

「それにしても人間を使い魔にできるなんて驚きだったよ。魔女モドキには普通の魔女にない特性をもってるみたいね」

 

 魔法少女が来るかなって待ってたけど来たのは君じゃしょうがないね、と言うとあやせちゃんは病院のフェンスの上に立った。

 そして、軽く俺に手を振ってそこから飛び降りて返ろうとする。

 

『ちょっと待って。まだいくつか質問にさせてくれよ』

 

「ん? 何かな?」

 

 彼女を呼び止めて俺は気になっていることを尋ねた。

 

『あやせちゃんてこの街の外の魔法少女なんだよね?』

 

「そうだけど、それがどうしたの?」

 

『じゃあ、これって何に使うか、分かる?』

 

 俺はグリーフシードを取り出し、あやせちゃんに見せる。

 すると、彼女は当たり前のように答えた。

 

「グリーフシード……? そんなのソウルジェムを浄化する以外に使い道ないでしょ」

 

 当然のようなその口ぶりは俺はある一つの確信を抱いかせるのには十分なものだった。

 ならば、もう一つの質問を続けて投げかける。

 

『ふーん、そうなのか。でも、ソウルジェムの浄化っていうのは魔法少女と契約した妖精がやってくれるものじゃないのか?』

 

「魔法少女と契約した妖精って、『キュゥべえ』の事でしょ? あいつらにはそんな事できないよ」

 

 その言い方は複数居る魔法少女と契約した妖精に個々の名前が付いているというよりも、妖精そのものが『キュゥべえ』というように聞こえる。

 それを確かめるためにもう一つだけあやせちゃんに尋ねた。 

 

『キュゥべえって妖精の名前? この街にはジュゥべえって言う名前の奴しか居ないみたいだけど』

 

「ジュゥべえ? 何それ? 魔法少女と契約するのはキュゥべえっていう白いマスコットだけじゃないの?」

 

 きょとんとした顔で逆にこっちが聞き返されてしまう。

 そこで俺はこの街の魔法少女だけがおかしいのだと理解した。

 あすなろ市限定で魔法少女内で情報操作が行われている。ジュゥべえという妖精もあやせちゃんの話からこの街にしかいないということだろう。

 

『最後に質問。イーブルナッツをあやせちゃんにくれたのはどんな奴?』

 

「よくは知らない。顔はフードを付けてたからよく分からなかったけど、身体つきや声からしてあれは女の子ね」

 

 それじゃあ情報代としてあの魔女モドキの後片付けお願いね、とだけ言うとあやせちゃんは病院の屋上から飛んでさっさと飛び去ってしまった。

 俺以上に自由人だ。もしも、俺が魔法少女のソウルジェムをついさっき噛み砕いたところだと言ったらどんな顔をしていただろうか。

 まあ、そんなことはひとまず置いておくとして、魔女モドキの処理を俺に任せたということは愛子ちゃんはあやせじゃんの手駒としては落第したようだ。

 個人の趣味というより、制御するのが面倒な能力だから捨てたというのが正解だろう。

 俺はあやせちゃんが去っていたフェンスから、愛子ちゃんと美羽ちゃんの方に視線を移す。

 

『おーい。愛子ちゃーん?』

 

 人語を喋る黒い竜にようやく気付いた二人の少女の反応は正反対だった。

 美羽ちゃんの方はヒッと怯えた声を出し、さらに恐怖の感情を強めた。世界がどうなってもいいとか(うそぶ)いていたのはどうやら口だけだったらしい。美羽ちゃんにはぜひ『口だけ番長』の称号を進呈しよう。

 対する愛子ちゃんの方は少し驚いたように目を僅かに大きくすると、ごく自然な調子で俺に問いかけた。

 

「どなたでしょうか? わたくし、爬虫類に知り合いは居なかったと思いますが」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 それを見て、まともそうに見える人間こそ一番まともじゃないなと心底思った。俺? 俺はまともだよ? まともと言う名の天使だよ?

 まあ、そんなことはどうでもいいとして、愛子ちゃんの前で人間の姿へと戻った。

 

「ほら、俺だよ俺」

 

 いつものハンサムな俺に戻った俺を見て、愛子ちゃんはほんの僅かに視線の温度を下げた。

 

「……ああ。吉田さん、でしたっけ?」

 

「そうそう。吉田かずき――ってのは実は偽名で本名は一樹あきらって言うんだ。ヨロピク」

 

 改めて本名を名乗り、自己紹介をする。

 理由は特にないが、しいて言うなら、相手が死に際に偽名を叫んで絶命すると気分が萎えるからだ。

 

「それでは一樹さんとお呼びした方がいいですね。それであなたは何しに当病院に? ……もしかして、また氷室さんに面会にいらっしゃったのですか?」

 

「いや、今回は友達の付き添いで……」

 

「やはり氷室さん目的でいらっしゃったのですね」

 

「え、何言って……」

 

「氷室さんを陵辱して、犯して、そして、わたくしのように子供を産ませるために訪れたのですね」

 

 何を言ってるんだこの子。頭がイカれているのか? イーブルナッツの影響か、それとも元来壊れていたのか、今にしてみればどちらでも同じなので関係ないと言えばそれまでだが。

 表情は笑っていながら、その瞳だけは怒りに満ちたように輝いている。

 口から垂れ流される言葉は会話ではなく、ただの独り言でしかなかった。

 

「ああ、駄目です。それは駄目です。氷室さんはずっと子供でなくてはいけません。母親に何かさせませんよ? だって、理不尽じゃないですか? わたくしは子供を産めないのに彼女だけ赤ちゃんを産むなんて」

 

「アンタ、精神病院行った方がいいんじゃね? あ、ここが精神病院か」

 

 俺の切れの良いノリ突っ込みすら無視して、愛子ちゃんは病んだ独り言を延々と吐き出し続ける。

 

「でも、わたくしには今はこんなに子供がいます。可愛い可愛いわたくしの子供たち。ずっと母親になる事が夢だったんです。手足をもがれて、子宮を駄目にされたあの日から」

 

 もうこいつは完膚なきまでに壊れていた。人と会話をする最低限のコミュニケーション能力すら持ち合わせていない。

 本物の気違いと化した愛子ちゃんは傍でベッドにしがみ付く美羽ちゃんに頬を擦り付ける。

 とても愛しそうに、そして同時にとても妬ましげに。

 

「氷室さん。わたくしは出会った頃からあなたが羨ましかった。親しげに話しかける時もずっと内心煮えくり返るほど嫉妬していました」

 

「愛子……? 嘘でしょ? 分からないよ、もう」

 

「でも、同時に安心していた。この子は壊れたまま母にならないまま、『女』にならないまま、ずっと子供でいてくれるんだと」

 

「そんな、だって愛子だけはわたしに優しくしてくれたのに……」

 

「子供でいてくれれば、優しくしていましたよ。けれど、一樹さんが病室であなたの胸を触った時、『女』としての声を上げた。あの時、分かったんです。この子もいずれ、男に抱かれ、子供を産むのだと。それが悔しくて堪らなかった。妬ましくて壊れてしまいそうになるほどに」

 

「いや、アンタもう壊れてるじゃん」

 

 美羽ちゃんと二人だけの世界に入り込み、俺を無視してごちゃごちゃ喋り出したので、自己主張を兼ねて突っ込みを入れた。

 もう何か、愛子ちゃんが真性の気違いだというのはよく分かったので、ここらで始末させてもらおう。俺が好きなのは真面目に頑張っている奴の生き様を台無しにすることであって、頭のおかしい馬鹿と戯れていても楽しくも何ともない。

 身体を黒い竜へと変貌させると、向こうもこっちの戦闘準備に気が付いたようで肉体を魔女モドキへと変えていく。

 それはピンク色のデフォルメされた女王アリのようだった。ただし、背中の(はね)は引き千切れてボロボロになっており、手足は一本残らず生えていなかった。大よそ、身動きの取れるような姿ではない。

 

『何じゃそら? 手足もないし、飛べそうもない。そんなに殺してほしいのかよ?』

 

 俺はベッドごと火炎の息吹を噴き付ける。美羽ちゃんもまとめてこんがり肉になるが、しょうがない。必要な犠牲だ。美羽は犠牲になったのだ。犠牲の犠牲にな。

 

『わたくしたちを守りなさい、我が子たち!』

 

 ベッドを支えていた翅付きの執事アリが俺の炎から愛子ちゃんを守るように這い出てくる。

 騎士の如くその身を盾にして愛子ちゃん、その後ろに居る美羽ちゃんを守り抜く。身体を赤銅色に変え、炎に焼かれながらも母を守るその姿は大変心に来るものがあった。

 だが、十数匹居た翅付きアリはその半数を消し炭にし、残った七匹も翅や脚を焼かれている。

 

『子供を盾にするなんて酷いママだな。児童虐待だせっ!』

 

 弱ったアリどもを尻尾で一掃すると、どこからともなく女王を守るように次のアリが湧いてきた。

 見れば、俺が開けた穴から下にしたアリたちが這い上がって来ている。

 

『鬱陶しいなァ。やられ役の戦闘員はさっさと燃えとけ!』

 

 一度空へと舞い上がり、宙から穴の周辺ごと最大火力の炎でアリを焼き払い、使い魔を処理をする。

 もがきながら、焚き火にくべられた紙くずみたいに火の海に沈んでいく執事服やメイド服のアリたち。

 化け物となってしまった人間を聖なる炎で浄化する様はまさに天使の所業と言えるだろう。きっとこんな心優しい俺に殺されるアリたちもさぞ本望に違いない。

 自分の慈悲深さにうっとりと自画自賛していた俺の耳に無数の羽音が届いた。

 状況を理解する前に火の海から翅の付いたアリが数十匹飛び出してくる。今度は執事服ではなく、黄色の甲冑のような姿をしていた。

 また焼き払ってやろうと火炎放射をするが、アリたちの身体は燃えることなく、俺に向かって突き進んでくる。もはやアリというよりもクワガタに近い顔をした騎士アリたちは大顎を開き、俺を噛み千切ろうとする。

 すぐさま、これは不味いと判断し、俺は鱗の色をオレンジに変え、身体を硬化させる。

 寸でのところで、騎士アリたちの攻撃を弾くことに成功するが、空中でバランスを崩し、旋回して体勢を立て直す。

 強度を増したおかげでほとんどダメージを負わなかったものの、このアーマーモードでなければ鎧ごと食いちぎられた可能性が高い。

 

『その子たちには炎は効きませんよ。新しく産んだ優秀な子供たちですから』

 

 下を一瞥するとベッドに寝そべる愛子ちゃんが新たに卵を産んでいる。女の子が産卵していると聞くと大変卑猥だが、見た目がアリでは興奮もできやしない。擬人化しろや、オイ。

 だが、良いことを教えてもらった。

 再び、俺に突撃を仕掛けてくる騎士アリたちに向けて大きな口を開く。

 

『だから、炎は効かないと言ったでしょう? 馬鹿の一つ覚えですね』

 

『い~や。今度は炎じゃないぜ? 親思いの可愛い子供たちはビリビリ君をあげよう』

 

 鱗の色をオレンジから白へと変える。

 そして、近距離まで近付いてきた騎士アリの大群に雷のプレゼントを受け渡した。

 俺の喉を通して吐き出された真っ白い電撃の大津波は容易く、騎士アリたちを一匹一匹と撃ち落していく。

 頑強な鎧は稲妻の槍に突き刺され、砕け散り、屋上にその無残な死骸を晒す。

 

『そ、んな……なら、電気も通さない子供たちを……』

 

 炎に耐性のあるアリの次は電気に耐性のあるアリを産もうと愛子ちゃんは産卵の準備に入る。

 しかし、もう遅い。さっき、新しいアリを産む余裕があったのは、俺が下から湧き出てくるアリに構っていたからだ。

 今の愛子ちゃんには時間稼ぎをしてくれる下僕も、自らを守ってくれる騎士もいない。

 まさに丸裸。裸の王様ならぬ、裸の女王様と言ったところだな。

 さらに俺の雷は光の速さで飛ぶ。愛子ちゃんに次の一手を打つ暇など与えない。

 収束され、範囲を抑えた代わりに威力を底上げした一筋の光が愛子ちゃんを穿つ。

 

『あ、ああああああああああああああ――』

 

 ベッドの上から転がり落ちて、屋上の床を抉りながらふき飛ばされる愛子ちゃん。ジュール熱で溶かされた金網にめり込み、その姿を少女へと変えていた。

 アリの死骸の燃えカス塗れの屋上に俺は降り立つと、愛子ちゃんの前に落ちているイーブルナッツを拾う。

 

「せっか、く……子供を産めるようになった、のに……」

 

「知らんがな」

 

 ぼそりと呟かれた台詞に律儀に答えた後、視線をベッドの方へ向けた。

 愛子ちゃんが居た辺りは溶けて、変形していたが、範囲を一点に収束したおかげでその他の部分は以外にも綺麗だった。

 そこに乗っていた美羽ちゃんもまた無傷でこちらを呆然と見つめている。

 

「おいで、美羽ちゃん」

 

 俺が手招きすると、正気と狂気の中間あたりにいるような無表情の彼女は言うとおりに歩いていてきた。炭化したまだ熱の残るアリの死骸を踏み鳴らして近付いてくる。あまりにも現実離れした状況に思考が麻痺して痛覚が正常に働いていないのだろう。

 美羽ちゃんが隣まで来ると、俺は愛子ちゃんを指差して言う。

 

「ねえ、美羽ちゃん。この愛子ちゃん――どうしたい?」

 

「な、にを……」

 

「愛子ちゃんには話しかけてないから黙ってろ」

 

「うぐっ……!」

 

 話に入ってこようとする愛子ちゃんに蹴りを入れて黙らせると、再び美羽ちゃんに尋ねる。

 

「話聞いた限りじゃさ、この子、美羽ちゃんを騙して弄んでたみたいじゃん? ムカつかない? まるでペットみたいに可愛がって、それでこんな仕打ちをしたんだぜ? ……殺してやりたいとは思わないか?」

 

 開かれた瞳はぼんやりと愛子ちゃんを眺めていた。何を考えているのか、外からは一切分からない。

 だが、やがて美羽ちゃんは愛子ちゃんへと近付いた。すぐ目の前まで来ると彼女の目をじっと覗き込む。

 

「氷室、さん……わたくし、たち、と、友達よね……? ほら、看護士さんも、お医者さんも、誰もが見離していたあなたを、ここまで元気にしたのはわたくしだった、でしょう……? 氷室さんだけ子供にしなかったのは友情を感じていたから、なの」

 

 力を持っていた時は女王のように振る舞っていたくせに、いざそれを剥ぎ取れると見苦しくも命乞いを始める。まったく持って度し難い女の子だ。

 美羽ちゃんは愛子ちゃんの頬へ無言で手を伸ばす。

 

「わ、分かってくれると、思ってたわ」

 

 差し出された手が許しの証だと思って安心していた愛子ちゃんは笑顔を浮かべる。

 

「仲直りしましょう、氷室さ……ぐっ」

 

 しかし、次の瞬間にはその手は愛子ちゃんの首をきゅっと掴んだ。

 もう片方の手も使い、両手でその首を締め上げる。

 美羽ちゃんの目には煮えるような怒りも、氷のような冷酷さもなく、何の温度も感じられない無感動だけがあった。

 むしろ、首を絞められた愛子ちゃんの方が憎悪に満ちた瞳を美羽ちゃんに向けて叫ぶ。

 

「ぐぇ……わだぐじがいながったら……だれにもあいでにじてもらえながっだぐぜに……」

 

「そうね」

 

 そこでようやく美羽ちゃんが口を利いた。

 

「どうでもいいながら、あなたの事は大切な友達だと思ってた。内心で優しくされる事に癒されていた。でも、分かった。――やっぱり世界は滅ぶべきだったのよ」

 

 首を振り、涎と涙を垂らしながら、もがいていた愛子ちゃんだがすぐに動かなくなった。

 美羽ちゃんは左胸に手をやって完全に生命活動を停止したことを確認すると、まるで下らないものを見るような視線を愛子ちゃんだったものに向けた。

 

「ありがとう、愛子。あなたのおかげで理解できた。こんな世界、何もかも壊してあげなきゃ駄目だって事に」

 

 俺はそのできの良い友情の物語をにやつきながら見ていた。随分と思い切りがいい子だ。兄貴よりも筋がいい。

 美羽ちゃんは俺の方に振り向き、そして、尋ねた。

 

「あなたなら、こんな世界を滅ぼしてくれる?」

 

「さあな。けど、遊び飽きたら、何だって俺は壊してきた。物も人も、な」

 

「もし、何もかも壊してくれるっていうなら、わたしはあなたの奴隷になる。何だって言う事を聞く」

 

 ――だから、この世界を滅ぼして。

 病室で自分の世界に浸り、この世をどうでもいいと言っていたあの惰弱な女の子はそこにはいなかった。

 居るのは、この世の全てを滅ぼしたいと心から願う小さな破壊者。

 俺はそれに笑ってこう答えた。

 

「なら、これから敬語くらい使えるようにしとけよ。みうきち」

 

 手の中にあったイーブルナッツを美羽ちゃん、改め俺の奴隷みうきちの額に押し込んだ。

 




あきら君に奴隷ができました。本当にハーレム俺TUEEE系主人公ですね。
次回は同時刻にトラペジウム征団が合流できたのかを書きます。あきら君はちょっとお休みですね。

次回『魔法少女だせよ、ゴラ! タイトル詐欺か? 調子くれってと低評価付けっぞ、あ゛~ん(仮)』にご期待ください。


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第二十五話 裏切りのS

~獅子村三郎視点~

 

 

 一樹あきら。

 色々な場所を旅していたオレだったが、あそこまでめちゃくちゃな事を言う人間には初めて会った。

 ちょうど、オレの一つ年上の十四歳で、話術や演技力に長けた中学生。

 何より、あの伝説的ハリウッド女優、川島理恵の一人息子なのだと本人は言っていた。

 一目合った時の感想は邪悪そのものが人の皮を被って日常に顕在しているような、ドラマの中の登場人物のように思えた。

 無邪気に虫の脚をちぎって喜ぶような幼児をそのまま、大きくしたような制御されていない邪悪。それはまるで黒々と輝く宝石のようにオレの目には映ってしまった。

 その結果が、不思議な力を与えられ、顔も知らない仲間と合流しろという荒唐無稽な今の状況……正直に言って興奮していた。

 あきらさんと出会ってから、世界全体が彼を中心とした巨大な劇のように感じられていた。その舞台でオレは端役の役割をもらい、こうしてその役割をこなす為に動いている。

 不思議で、わくわくするこの感覚は多分今のオレの知っている語彙では到底表しきれない。

 そんな想いを胸に言われた通りのノルマをこなすべく、オレは街中を歩き回っていた。

 あきらさんからはイーブルナッツの波長を追えとしか言われてないため、どこに仲間が居るのかすら分からない。無茶振りもいいとこだ。

 だが、このままオレがその人たちに合えないままだと確実にあきらさんに殺されかねない。

 あの人はマジでやる。短い付き合いだがオレには分かる。あきらさんは人を殺せる種類の人間だ。しかも、まともな理由もなく、サクッとやるタイプだ。

 仕方がないので駄目元で自分の中にあるイーブルナッツとかいう人を怪物に変える物体に意識を集中させる。

 こんなので絶対成功するはずないだろと思いつつも、それ以外にヒントがない。

 適当な建物の壁に寄りかかって目を瞑り、じっとしていると不意に何かの反応を捉えた。

 

「うっそ!? マジで?」

 

 潜水艦のソナーになったような気分でその反応の場所を特定する。

 すると、思ったよりも大分近い位置からその反応が出ている事に気付いた。

 案外、あきらさんの言った事は的を得ていたのかもと思い、すぐにその場所へと走っていく。

 三分もしないで付いた場所は路地裏だった。薄暗く、狭いその路地裏に誰かが立っているのが薄っすらと見える。

 銀色の髪のポニーテールの女の子の後ろ姿だ。あの人があきらさんの言っていた仲間に違いない。

 そう思って近付いていくと、急激に鉄錆びの臭いがオレの鼻に飛び込んでくる。

 血だ。よくよく見ればあたり一面の壁は、ジャムかケチャップでも撒き散らされたかのように赤い。

 

「貴方――誰?」

 

 周りに一瞬気を取られていたオレの首元に折り畳みナイフが突きつけられていた。

 同時に知らない間に急接近していた銀髪の女の子が鋭い眼光を向けている。

 猛禽類を思わせる彼女の瞳はとても正常な人間とは思えなかった。

 

「えっと……あなたの仲間、です」

 

「仲間……?」

 

 オレが答えると眼光は鋭さを押さえ、不思議そうに首を傾げる。あ、ちょっと可愛いかも。

 

「ほら、事前に何か伝えられてませんでしたか?」

 

 流石のあきらさんも向こうに何の告知もしてない訳はないはずだ。

 そう思って尋ねると、銀髪の女の子は少し考え込むような顔をした後、何か思い出したみたいでしきりに頷いた。

 

「ああ、そう言えばピックジェムのために新しい駒を捜すとか言ってたような……」

 

「それですそれ。その駒がオレです!」

 

 駒というのがあきらさんらしいなと思いつつ、早く仲間だと認定してもらわないと殺されそうなので急いで肯定した。

 『ピックジェム』という単語はさっぱり分からなかったが、きっと碌でもない事だろう。

 とにかく、首筋に突き付けられたナイフの刃を収めてもらうと、オレは自己紹介をした。

 

「オレは獅子村三郎。あの人にはサブとかいう渾名で呼ばれてます」

 

「ふーん。そんなダサい渾名で満足するなんてなかなかできる事じゃないよ。私はフランツィスカ・コルネリア。フランでいいよ」

 

 何か無表情でディスられたが取りあえずは仲間と認識されたようだ。

 フランさんはオレから視線を離すとさっさと路地裏から出ていて行ってしまう。

 あまりのマイペースさにあきらさん似たものを覚え、辟易しつつも、仕方ないのでそれに着いて行く。

 二、三人後ろで事切れた死体が転がっていたが、面倒なので無視した。殺したのオレじゃないし。

 適当に殺人現場から遠ざかった後にオレはフランさんに話しかける。

 

「何であそこで人殺してたんですか?」

 

「サブは呼吸する人に『何で息をするの』と聞くの?」

 

「聞きませんね」

 

「それと同じ。そうしないと私は生きていけないからするの。分かった?」

 

「はあ、何となくは」

 

 フランさんは相当頭がおかしいという事だけは分かった。人を殺す事が呼吸と同じなんて、狂ってる……狂人の演技のためにメモっとこ。

 メモ帳に『狂人を演じる上で参考になりそうな事』という項目を作り、そこにフランさんの事を書き込んでいると、今度はフランさんの方から質問してきた。

 

「サブはどうしてあの子の勧誘に乗ったの?」

 

 あやせ、という名前にさっぱり覚えがなかったが、ニュアンス的にはオレを仲間に誘った人のようなのであきらさんの事だろう。あの人、偽名とか普通に名乗りそうだし。

 

「こう、半ば成り行きですかね。あの人、自分の都合しか考えないんで無理やり仲間にされたというか」

 

「あの子は結構強引だからその気持ちは分かる。私も最初は似たようなものだったから」

 

「フランさんもですか。ムチャクチャな事言い出す人ですもんね」

 

 フランさんもあきらさんには大分、困らせられているらしい。一気に彼女との心の距離が縮まった気がする。

 でも、とフランさんは付け加えた。

 

「そこが良いところでもあるんだけど……」

 

 頬を僅かに朱に染めてそう呟く。

 うげ、この人、あの邪悪そのもののあきらさんに気があるのかよ……。確かに演技の先輩としては尊敬できるけど、オレが女でもあきらさんだけは絶対に嫌だ。

 シリアルキラーと邪悪生命体、ある意味お似合いと言えばお似合いだな。

 

「まあ、サブもアジトに案内するよ」

 

「お願いします」

 

 オレはフランさんに連れられて、アジトなる場所へと足を運んだ。

 

 

~力道鬼太郎視点~

 

 

 遅い。どれだけ時間掛けてんだ、新入りの奴は。

 俺は流石にイライラとしてきて、机を指でトントン叩いていた。

 彼これ、三時間以上もファミレスで旭さんと一緒に待っているのだが一向に来る気配がない。

 来たらまずはそいつの顔に張り手を入れてやらなきゃ気が済まない。

 

「力道君……ちょっとイライラしすぎじゃないかな?」

 

「旭さんが気が長いだけっすよ。三時間っすよ、三時間! これがイライラせずに居られますか!?」

 

 旭さんは俺を宥めようとするが、俺はついつい声を荒げてしまう。

 時間にルーズな奴は昔から大嫌いだ。相撲をやっていたせいか、手段行動を乱すような人間がどうにも許せなかった。

 

「ああ! もう!! 何で俺たちがこんな待たされなきゃいけねぇんだ!!」

 

 グラスの底を思い切り、テーブルに叩き付けて叫ぶ。

 すると、後ろの座席の奴らが敷居から顔を出して、俺たちに文句を付けて来た。

 

「お前、公共の場で大騒ぎするなよ! マナーも守れないのか?」

 

「あ、すまね……お前!」

 

 非は俺にあるのでここは謝るべきだが、それよりもその文句を付けて来た奴の顔に見覚えがあった。

 そいつはピンク色のふわふわとした髪の幼い顔の少女。忘れもしないこの間の一戦で命を取り合った魔法少女、若葉みらいだった。

 硬直して目を見開くが、向こうは魔物化が解けた俺の顔を見ていなかったのか、まったく気付いた素振りは見せない。

 驚いた俺を怪訝そうな顔で見ているだけだった。

 だが、俺の方は奴の顔を見ただけで怒りが込み上げてきた。

 ――こいつらが俺たちを庇った氷室を殺しやがった。

 

「おい! 聞いてるのか? 大きな声で叫ぶな」

 

「……殺し…・・・!」

 

 脳に血が上り、ここで魔物化してやろうと拳を振り上げるが、それが途中で止まる。

 目だけ後ろに向けると、旭さんが俺の手首をぐっと掴んでいた。

 旭さんは無言で首を横に振る。ここは戦うべきじゃないというように強い視線を向ける。

 よく見れば若葉みらいの肩から見える向かい席には宇佐美里美が居た。そして、その隣には御崎海香も座っている。

 そして、この三人が居るという事は残りの魔法少女三人も居る可能性が高い。

 二対六なら悔しいが俺たちに勝ち目はないだろう。正体がばれる前に早くここから逃げる方が正しい。

 

「……すまなかった。申し訳ねえ」

 

 他の魔法少女に顔を見られないよう、すばやく頭を下げ、謝罪した。

 本来なら今すぐにでも殺してやりたいところだが、あきらも新入りもいない今争うのは馬鹿だ。

 

「それでいいんだよ。次からもうするなよ」

 

 唇を噛み締め、俺は煮えたぎる怒りを喉の奥へと呑み込んだ。

 いずれ、この手で殺してやると胸に誓い、席から旭さんと一緒に逃げるように立ち上がり、会計を済ませた後店から出た。

 こちらを見ていたのが、若葉みらいだけだったので向こうには気付かれなかったようだ。

 ファミレスから遠ざかり、公園まで来ると俺たちは黙ってベンチに座り込んだ。

 悔しさに耐え切れず、俺は旭さんに皮肉混じりの台詞を吐いた。

 

「それにしても旭さんは冷静っすね。流石は先輩……」

 

 隣へ顔を向けた俺は途中で言葉を(つぐ)んだ。

 旭さんの拳は握り締められすぎて真っ白にうっ血していた。唇は噛みすぎて血が滴っている。

 

「……冷静なんかじゃないよ」

 

 激情を無理やり押さえ込んだその声は胸に響いた。

 

「僕だってあいつらが憎かったよ……今すぐあの店に戻って串刺しにしたいくらいさ……でも、それじゃきっとあいつらには勝てない……」

 

 俺は勘違いしていた。旭さんは俺以上に怒り狂っていながら、それを堪えていたのだ。

 前に少し話を聞いた時、旭さんは友達が一人もおらず、ずっと昔から虐められて過ごしてきたのだと言っていた。

 自分を仲間と呼んでくれるトラペジウム征団の皆に感謝しているとも。

 

「僕があの時、力に魅せられて好き勝手に暴れずにいたら氷室君は助かったかもしれない……だから、もう僕は間違えない……征団の皆は絶対に死なせない!」

 

 そうか。ずっとこの人は自責の念に囚われていたのか。

 だから、氷室の代わりのメンバーを受け入れた。氷室の死を無駄にしないために。

 

「僕はこんなでも、君らより年上で、先輩だから……」

 

「旭さん、俺が間違ってたっす。すいませんでした」

 

 頭を下げて、旭さんに謝った。この人は俺なんかよりもずっと強い。

 悔しさを押し殺して、行動できる人だ。

 手のひらを旭さんにぐっと突き出した。

 

「絶対にあいつらに勝ちましょう! 氷室の分まで」

 

「力道君……。うん、勝とう、絶対!」

 

 旭さんはそれに驚いた顔を見せたが、すぐに俺の手を握ってくれた。

 俺よりも細く、小さな手のひら。けれど、紛れもなくそれは『先輩』の手だった。

 この日、俺たちは改めて仲間としての想いを強めのだった。

 

 

~獅子村三郎~

 

 

 やっべえ、この人。多分、あきらさんの言ってた仲間の人じゃない。

 俺は心の奥で冷や汗を垂らしながら、命の危機をひしひしと感じていた。

 アジトと言う名の廃ビルの一室でフランさんと会話を繰り返す内に、向こうのトップがあきらさんじゃない事に気が付いてしまった。

 時折、フランさんが口に出す『あやせ』という名前や、『彼女』という三人称からして絶対にあきらさんの事じゃない。

 近くの電柱からこっそり電気を拝借しているらしく、持ち込まれたテレビを見ているフランさんの横で借りてきた猫のように俺は大人しく正座をしていた。

 液晶画面の中には速報ニュースが流れ、あすなろ市の精神病院がまるまる全焼したとかいう話題が出ていたがそんな事は頭に入ってこなかった。

 今、頭にあるのはどうやってばれずにこの場所から逃げるかに尽きる。しかしこの体験も重要な経験になるなと妙に冷静な役者としての思考が顔を出してきて、思考を遮ってくるのが鬱陶しい。

 そんなこんなで二、三時間が経過していた頃、ふいにビルの窓の外に何かが跳ねるように電柱の上を飛んで近付いてくるのが見えた。

 次第に大きくなるシルエットはどうも女の子の形をしている。数十秒後、オレのすぐ前の開いた窓からダイナミックに侵入してきてきたそれは想像通り女の子だった。髪は黒髪のポニーテールで、ドレスを纏って優雅に微笑んでいる。

 

「あやせ。お帰り」

 

 フランさんはそれに一切動じる事なく、出迎えたの挨拶を送る。

 この女の子がフランさんを従える件のあやせさんらしい。

 

「ただいま、フラン。あら、こっちはどなた?」

 

 あやせさんがオレを指差し、フランさんに尋ねる。

 フランさんはそれを聞いて、オレの話と食い違いに首を傾げた。

 

「え? あやせがスカウトしてきた新しい駒じゃないの?」

 

「違うけど? っていうか、基本的に私は女の子しかスカウトしないし」

 

「じゃあ、こいつ――誰?」

 

 二人は冷酷な視線をオレに集中させた。急激に部屋の温度が低下したかのように感じ、身体の芯から震えそうになる。

 発言や行動をミスすれば間違いなく、オレはここで殺されてしまうだろう。

 しかし、ここが正念場だ。ここを切り抜けてこそ、本物の役者と言える。

 小さく息を吐き出すと、一瞬で心を切り替えて演技に移る。

 オレはいかにも大物そうな大仰な仕草をしながら、あやせさんに話しかけた。

 

「あやせさん。オレはあなたをサポートするようにある御方から命を受けてやってきた者です」

 

 言っている事はもちろん、デタラメ。内心、自分でもある御方ってどの方だよと突込みが抑えられない。

 

「ある方? ひょっとして……イーブルナッツを私にくれたあいつ?」

 

 居るのかよ、ある御方。超ラッキーだよ、オレ。きっと演技の神様が「ここで死ぬべき定めではない」と囁いているに違いない。

 

「そう! その通り!! あの方です。フランさんには説明が難しいので(たばか)ってしまう結果になってしまいました。申し訳ありません」

 

 ぺこりとお辞儀をした後、さらに話を続ける。

 

「ですが、オレはあなた方の味方だ。あの方があやせさんの味方をする限りはオレは忠実な下僕になりますよ?」

 

 姿を人からライオンに変えると、足を折り曲げて座り、(かしず)くポーズを取った。

 実力のありそうだが、あえて従うという意思を見せている演出だ。

 フランさんは騙してしまったせいか、あまり好意的ではない目で見ていたが、あやせさんの方はオレを見る目が良い方に変わっていた。

 

「ふふ、ならこれからは馬車馬のように使ってあげる」

 

『お任せあれ、マドモアゼル。喜んであなたの馬車を引きましょう。ただし、馬ではなくライオンですが』

 

 不敵な笑みを浮かべてオレはあやせさんに頭を垂れた。

 我ながら圧巻の演技力と言えるだろう。今までで最高の演技だとさえ思う。

 これでどうにか、あやせさんに取り入り、一旦はピンチを凌げた。

 でも、あきらさんに知られたら間違いなく、殺されるだろうなぁ……。いや、もうこうなればあやせさんたちにあきらさんを倒してもらおう。

 それがいい。最善の策だ。だが、もし失敗したらその時は………………死ぬしかないじゃない!! 




時間がないというのに、サークルでのオリジナル小説が思いつかなかったので気晴らしで書いてしまいました。
せっかく、応募してもらったオリキャラにもスポットを当てようと思い、今回の話にしました。
これである程度、各陣営の戦力がバラけたとも思います。

流石に次の話はしばらく後です。気長にお待ちください。


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第二十六話 道端会議

 信じる。信用する。信頼する。

 いい言葉だ。感動的だ。だが、ほとんどの人間はその言葉の意味を履き違えていると、俺は思う。

 信じるということは、数ある情報の中から自分が知識と知恵で選択し、確信することだ。

 ところが、大多数の人間は自分の身近な人が言ったことを無条件で受け入れて、それを信じることだと勘違いしている。

 親が、教師が、友達が、好きな人がこういったからそうなんだと確かめもせずに飲み込んでしまう。

 まさにアホ。ど阿呆。出されたものをそのまま、口にする幼児。いや、赤ん坊以下だ。

 でも、同時に騙す側からしたら非常に都合がいいことでもある。

 

 俺は海香ちゃんの家に向かっていた。これから、一つペテンに掛けてあげようと思ったからだ。

 隣を歩く一人の少女に俺は声を掛ける。

 

「準備はいいか? 『カオル』ちゃん」

 

「……言われなくとも分かってる」

 

 顔を横に向けた先には、昨日俺が骨も残さず完食したはずのオレンジ色のショートカット少女の顔があった。

 表情はやや嫌そうだが、それは紛れもなく牧カオルそっくりだった。

 

「そんな顔すんなよ。可愛い顔が台無しだゾ☆」

 

 ぶりっ子スマイルでウインクする俺に『カオル』ちゃんは不愉快だとでも言いたげに棘のある視線を寄越した。

 

「プレイアデスの奴の顔している今、褒められても嬉しくない」

 

 そう。この『カオル』ちゃんは当然ながら本物ではない。死んだ人間が蘇るなんてことはありえない。……まあ、本物に似せたクローンなら作れるらしいがそれは置いておく。

 

「ふーん。じゃあ、いつもなら俺に褒められると嬉しくなるんだ。ユウリちゃんったら、キャッワイイー! 好きになっちゃいそう!」

 

「ば、馬鹿! そういう意味で言ったんじゃ……」

 

 からかうと頬を赤くしてぷんすこ怒り出すカオルちゃんフェイスのユウリちゃん。字面にすると何だかややこしいな。ひとまずは、『カオル』ちゃんとでもしておこう。

 俺が本物のカオルちゃんを食い殺して、精神病院をまるまる一棟焼き払った後、俺はふとこのことを利用できないかと考えた。

 かずみちゃんたちは確実にカオルちゃんが死亡したことを知らない。そして、こちらには都合よく変装の魔法を持った魔法少女が居る。

 これはスパイとして潜入させざるを得ないだろう。

 特にそれで何をしたいという訳でもないが、寝込みを襲わせるも良し、ここぞと言う時に裏切らせて良しとくればそうしない理由はない。

 題して、『信じていたカオルちゃんが偽者だったなんて作戦』。

 とっても面白うそうでわくわくする作戦なのだが、当の『カオル』ちゃんは乗り気じゃない様子だった。

 

「でもさ、何でそんな嫌がるんだよ。相手の懐に入れば()りたい放題じゃん?」

 

「あんなクズどもと輪の中に入るだなんて考えただけでも虫唾が走るんだよ。プレイアデスはユウリを殺したことさえも覚えていない人殺しの魔法少女どもだ……」

 

 『カオル』ちゃんは飛鳥ユウリ……普段、顔借りている死んだ親友の命を奪ったプレイアデス聖団に深い憎しみを吐き出す。

 その時の状況を聞いた俺からすれば、正直残当な処置だと思うが、それでも感情的に許せないようだ。さっぱり理解できない。

 この子もプレイアデス聖団の皆も、トラペジウム征団の仲間も――たかだか友達が死んだくらいでよくもまあ感情的になるのか訳が分からん。

 その友達は別に自分の生まれ変わりでもなんでもないのに、どうしてそこまで拘れるんだ?

 そいつが死んだら自分の心臓が強制的に止まるとかなら分かるが、別に死んだところで結局のところ何一つ変わりはしないだろうに。

 友達が必要なら、またいくらでも作ればいい。にも関わらず、死んでからも固執するなんてアホとしかいいようがないね。

 

「まあ、飛鳥ユウリちゃんの復讐を果たしたいなら、きっちり演じきってよ。どうやるかは散々打ち合わせしただろ?」

 

「……本当にやるのか。わかったよ。やってやる!」

 

「ようし。その意気その意気」

 

 流石の俺もぶっつけ本番でかずみちゃんの中に放り込むほど鬼ではない。ある程度はカオルちゃんの所作や好きな物を俺の知る限り叩き込んでおいた。

 そのせいで、みうきちのことはリッキーやサヒさんに押し付ける形になってしまったが、その甲斐あって『カオル』ちゃんは及第点くらいの真似はこなせるようにはなった。

 後は俺がそれとなく誤魔化しつつ、自然な感じで昨日から連絡しなかった理由などを話してやれば、どうにかなるだろう。

 そんな感じでふわふわした計画を楽観的に考えながら海香ちゃん宅を目指していた俺たちだったが、その途中の道でばったりとかずみちゃんに出くわした。彼女の後ろにはニコちゃんも居る。

 

「あきら……と、カオル!! 昨日から帰って来なかったから心配してたんだよ!?」

 

 『カオル』ちゃんを視界に収めると、かずみちゃんは主人を見つけた仔犬のように彼女の胸にタックルをかます勢いで飛び込んでくる。

 とっさのことで避け切れなかった『カオル』ちゃんはすっ転びながらかずみちゃんに押し倒された。

 

「わっ、つぅ!? いった……何、するんだ!?」

 

 若干、素が出掛かっている『カオル』ちゃんは本物よりも柄悪く切れ掛かるが、かずみちゃんは気にした風もなく、泣きそうな顔で頬を擦り付けてくる。

 

「心配した……本当に心配したんだから!」

 

 彼女に対しては悪感情しか持っていない『カオル』ちゃんだが、その反応には少しばかり罪悪感が刺激されたのか意外にも素直に謝った。

 

「わる……ごめん。心配掛けて」

 

 居心地の悪そうな顔を見るに親友とのやりとりでも思い出しているのかもしれない。その程度では憎悪は揺らがないだろうが、復讐者を語るわりにはなんとも甘っちょろい。

 まあ、こんなつまらないところでボロを出されるなんて御免なので助け舟を出すか。

 

「まあまあ。そう怒らないでやってよ。かずみちゃん。『カオル』ちゃんにも事情があったんだからさ」

 

「どういう理由か聞かせてもらってもいいかな?」

 

 かずみちゃんではなく、傍らに立っていたニコちゃんの方が先に俺の言葉に反応した。

 彼女の方もかずみちゃんに付き合って、『カオル』ちゃんを探してたと見てまず間違いない様子だ。

 

「ああ。実は昨日、精神病院に『カオル』ちゃんのサッカークラブの友達のお見舞いに付き合ったんだけど……」

 

 そこから話したのは適度に嘘と事実を織り交ぜた、巧妙な作り話だった。

 まず、カオルちゃんに付き合ってサッカークラブの子のお見舞いをしに行ったという部分は、家を出る時に本物が話していた可能性があったため、そのまま改変せずに伝えた。

 

「その病院で黒い竜の魔物に襲われたんだ……。そこで俺は『カオル』ちゃんに守ってもらったんだけど病院が全焼して……『カオル』ちゃんの友達はその時に」

 

 患者も病院スタッフも全員アリの魔物となって死んだが、俺が病院ごと燃やしたおかげで証拠となるものは全て隠滅した。何よりニュースや新聞記事にもなったので証言としては申し分ないだろう。

 それに加えて……。

 

「それ、……本当なの……カオル」

 

「そうだよ。私の大事な親友はもうどうやっても帰って来ない……何をどうやっても! あいつに全部奪われた!」

 

 同情した素振りで尋ねるかずみちゃんに『カオル』ちゃんは暗く、濁った憤りを言葉に滲ませた。

 実際に親友を奪われた経験のある『カオル』ちゃんに演技をしやすいようなシナリオにしてあげることで、上手いこと誤魔化すことができる。

 あまり言及されたくない事柄故にかずみちゃんたちもおいそれと深く聞き出すことはしないだろうし、何よりいつものカオルちゃんと雰囲気が違うことの説明にもなる。

 ていうか、『カオル』ちゃんたら演技じゃなくて素で発言している気もするが、今はそれでも大丈夫なので放っておく。

 

「てな訳でさ、色々あって『カオル』ちゃんは家に泊ったんだ。サキちゃんの件もあったし、ちょっと本格的に精神が参っちゃってたし、そのまま家に帰せる状態じゃなかったからな」

 

「カオルが病院にお見舞いに行ったら、あのドラゴンに遭遇する……ちょっと出来すぎな気もするけど」

 

 なかなかに鋭い発言をニコちゃんは呟くが、流石に仲間を疑うような真似はしないようでそれ以上は口にしなかった。

 かずみちゃんも『カオル』ちゃんを気遣うために何か言おうとするが、言葉が見つからないようで結局無言で見つめるだけに留まっていた。

 当の『カオル』ちゃんは辛気臭い表情を崩さず、足元を睨むように視線を落としている。

 予想通りの反応で俺としては少々物足りなく感じていた。一応、ありとあらゆる質問についての返答を考えていたのだが、使う機会がなさそうで残念だ。

 俺は場を切り替えるように、あえて軽い調子で手を叩きながら喋り出す。

 

「ほらほら。あんま暗い顔しなさんなって、三人とも。道端で美少女が雁首揃えてお通夜面してたって何にもならないだろ? 取り合えず、海香ちゃん家行こうぜ」

 

「あ、海香や里美もカオルを探し回ってたんだった。見つかったって教えてあげないと」

 

 俺の言葉でかずみちゃんが携帯電話をポケットから取り出そうとする。

 

「その必要はないよ。ちゃんと私が連絡しといた」

 

 手に持ったスマートフォンを軽く揺らしてニコちゃんがそう応えた。

 多分、話を聞きながらもメールで連絡をしていたのだろう。報・連・相をきっちり押さえているあたり有能さが伺える。抜け目ない子だわ。

 

「まあ、とにかくカオルの無事も確認できたし、一先ずは帰ろうか」

 

「賛成ー。何か、お腹空いちゃったから、ちょっと早いけど昼飯作ってよ。かずみちゃん」

 

「あきらまで来る必要はないと思うんだけど……」

 

「まあまあ、固いこと言わずにさあ」

 

 ニコちゃんの提案に従って、俺たちは動き出そうとしたその時、傍で聞き覚えのある声が耳に入ってきた。

 

「あら、噂のプレイアデスさんたちに会いに来たらまたあなたに会うなんて」

 

 黒いポニーテールの薄ら笑いを浮かべた少女、あやせちゃんが俺の後ろから現れた。

 正直、いつかはかち合うとは思っていたものの、これはあまりよくないタイミングだ。

 おまけに彼女の後ろには――。

 

「こうも出会うなんてなかなか起こる事じゃないよ」

 

 ドイツからいらっしゃった変な口癖の殺人中毒者、そして――。

 

「……これは行幸、かなぁ?」

 

 リッキーたちから聞いていた『結局来なかったトラペジウム追加メンバー』だったサブが何故かそこに居た。

 取り合えずは俺が今脳裏に思い浮かんだことは、ピンチとか俺の正体がばれるとかではなく、この裏切り者だけはどうにかして抹殺しようという算段だった。

 何故なら、わざわざこのライオンくんは刺身になりに出向いてくれたのだから。

 




今回はちょっと忙しかったので比較的短めです。というか、次回へ続く形になりました。

何と言うか、本当に前作とは真逆の思考をしている主人公ですね。

政夫「友達は庇護者」

あきら「友達は玩具」

語感だけなら似てなくもないですが。


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第二十七話 下水道のスフィンクス

前回までの真面目なあらすじ

カオルを殺し、替え玉としてユウリを魔法で変身させ、かずみたちに差し向けようとするが、そこに突然、あやせたちが現れる。
そこには行方を眩ませていた獅子村三郎の姿もあり、あきらはそれにキレていた。



 今の感情を表すなら、ムカ着火インフェルノオォォォォを超え、激オコスティックファイナリアリティぷんぷんドリーム状態だった。

 捜していたサボり魔がのこのこ目の前に現れただけでも殺意マシマシなのに、さらに裏切り者として登場してくれやがった。これほど、俺を怒らせたのは今まで居なかった。多分、居なかった。仮に居たかもしれないけど、何だかんだ精神を追い込んで自殺させたと思う。

 まあ、過去のことは置いといて、さてはて、どうやってこの野郎を血祭りにあげてやろうか。

 俺はサブを睨み、暴虐の限りを尽くしてぶち殺そうかと値踏みをしていると、そのサブの隣に居た二人のポニーテール少女の内、片方が俺に語り掛けてくる。

 

「こんなに都合よく会えるなんて嬉しい。運命を感じるね」

 

 銀髪の方のポニーテール、ドイツから遥々やって来た殺人ジャンキーことフランちゃんが嬉しそうに舌なめずりをして笑った。

 以前、学校で殺し合った時に引き分けだったのが気に入らないらしく、まだ俺を殺そうと狙っている様子だ。正直、俺としては今こいつに構っている暇はないので関わりたくない。

 

「だぁめ。フラン、わたしたちが何のために来たのか忘れてない?」

 

 それを制するように黒髪のポニーテールの方の少女、あやせちゃんはポンとフランちゃんの頭に手を乗せた。

 

「でも、あやせ……」

 

「フラン。私、聞き分けのない子、スキくないなぁ?」

 

 フランちゃんは口を尖らせ、抗議を目で訴えるが笑みを(たた)えたあやせちゃんはそれを黙らせた。

 有無を言わせないその態度に、さしものフランちゃんも不本意ながら頷いた。

 あのキチガイの権化のような彼女が、ペットのように大人しくなるのは絶対的な力関係が結ばれているせいか、はたまた女同士の友情とか言ううすら寒いもののせいか。どっちにしろ、碌なモンじゃなさそうだ。

 

「と、言う訳で。私たちは『ジェム摘み(ピックジェム)』に来たの。あなたとやり合うつもりはないわ。だから、その後ろの魔法少女三人譲ってくれる?」

 

 俺の後ろに居るかずみちゃん、ニコちゃん、『カオル』ちゃんの三人を指さしてそう言う。

 サブはそれについては聞かされてなかったのか、「えっ?」と驚きの呟きを漏らした。裏切ったはいいが、相変わらず上司には説明されずに右往左往しているようだ。

 どうする?

 ここで俺は何もせずに、彼女たちを差し出せば俺には興味のないあやせちゃんは手を出して来ないだろう。だが、後ろの『カオル』ちゃんはユウリちゃんが魔法で化けているものだし、何より、ここでそれを許せば計画していた絶望の宴が全部オジャンになってしまう。

 かと言って、ここで俺がドラゴン形態になって戦闘しても、それは同じ結果になる。

 ここを切り抜けるのは第一として、魔物としての正体を明かさず、ユウリちゃんの変装を守り、裏切り者を抹殺する。この難題を解決しなければ俺のお楽しみがなくなっちまう。

 目の端で後ろの三人を見ると、かずみちゃんはともかくとしてニコちゃんが俺に疑わしげな目を向けているのが分かった。

 『なぜ、貴方は他の魔法少女らしき人物と面識があるのか』。そう視線が訴えている。

 これ以上、ここに居ても俺への信用が薄れる結果になる。そうすれば俺と共に一晩一緒に居た『カオル』ちゃんまでに疑問の目が当たる。

 そうなっちまえば、ユウリちゃんの魔法による変装も暴かれかねない。

 俺は覚悟を決め、かずみちゃんたちの方を振り返り、口を開いた。

 

「かずみちゃん、ニコちゃん、『カオル』ちゃん。あちらの彼女たちは魔法少女でなおかつ、アンタらのソウルジェムを狙ってる。だから……」

 

 すっと、しゃがんで足元にある『ソレ』の隙間に指を入れる。

 両方の指で『ソレ』をがっちりと掴むと、力を入れて持ち上げた。

 

「早く逃げろっ‼」

 

 叫びながら振り返り、あやせちゃんの方の持ち上げた『ソレ』……マンホールの蓋をぶん投げた。

 遠心力を込めて投げたマンホールの蓋はフリスビーのよう回り、あやせちゃん目掛けて飛んでいく。

 それに対し、あやせちゃんは冷めた瞳で見つめるだけで、動こうともしなかった。

 そして、鈍い音を立て、マンホールの蓋は地面に落ちた。――真っ二つに切り落とされて。

 彼女の脇には銀色の刃の翼を持った巨大な鷹が一羽、存在していた。

 フランちゃんの魔物形態……鋼の鷹だ。

 

「……あなた、スキくないなぁ」

 

 怒気を込めて呟くあやせちゃんは白のドレス姿になっていた。左肩が露出 ソウルジェムは左胸の肌が出てるとこについていてヒョウタンみたいな形をしている。

 

「なっ、魔物!?」

 

「驚いている暇なんてないぞ、いいから早く逃げろ!」

 

「普通の人間の貴方を置いていける訳が……」

 

「いいから! もう、俺は誰かが死ぬところなんか見たくないんだよ! 『カオル』ちゃん、二人を連れて早く遠くへ」

 

「あきら……あなた……」

 

 『カオル』ちゃんも知らない魔物の出現に驚いて声を上げるが、俺は善人ロールをしながらも三人を逃げるよう叫ぶ。俺を嫌っていたかずみちゃんや、若干の疑いの目を向けていたニコちゃんまでも俺を本気で心配しているのがちょっと笑えた。

 事情を知っている『カオル』ちゃんだけは、「何言ってんだ、お前」と言う目で見ていたが、すぐに二人の手を引き、走って行った。

 

 ふっ。行ったか。どーよ、この俺の機転の利かし振り。これで熱い熱血少年を演じることで、なぜか他の魔法少女との面識があることをうやむやにしつつ、三人をここから退場させることに成功した訳だ。

 そして、残された俺は魔法少女の衣装になったあやせちゃんに睨み付けられるという状況。

 

「……何のつもり? 私と敵対してまで何がしたいの?」

 

「いやねぇ。俺が先に目を付けた獲物に手を出すのはご法度だろって話だよ」

 

「そう。あなたもあの子たちのジェムが欲しいってことね」

 

「まあ、それもあるんだが、一番欲しいのは絶望に満ちた悲痛な女の子の顔さ」

 

 ソウルジェムなんぞ、手段にしか過ぎない。目的は信頼を裏切られ、絶望し、ゴミのように死んでいくあの子たちの表情。それを想像するだけで歓喜が止まらない。

 あやせちゃんは蔑むような瞳を俺に向けると、腰に付けた鞘に収められている剣を抜いた。

 西洋風のサーベル状の剣が俺に切っ先を向く。

 

「『アヴィーソ・デルスティオーネ!』」

 

 イタリア語と共に剣先から炎の塊が数個現れ、俺に向かって飛んで来る。

 

「わぁお! 危ねぇな、おいっと……」

 

 それを足元のマンホールの穴に飛び込むことでかわし、その代償に俺は下水道へと落ちていく。

 足だけを魔物化させて、難なく着地し、上を見上げるとあやせちゃんの不愉快そうな表情が見えた。

 

「どうする? その綺麗なドレスを汚してまで汚い下水道まで降りてきて、追いかけっこでもするかい?」

 

 にやりと笑って彼女を挑発する。

 俺が下水道まで逃げた理由は三つある。一つは当然、攻撃を避けるため。

 二つ目はここでなら魔物化しても人目に付かないため。

 そして、三つ目がこれだ。

 

「そんな汚いところ、頼まれたっていく訳ないじゃない。服が汚れちゃう」

 

 さして知り合って長くはないが、あやせちゃんの性格上、わざわざこんなところに降りて来ないと踏んだ。そして、上からの攻撃なら来る向きが把握できる上に見えない位置に逃げることは容易だ。

 

「私とフランはあなたなんかと遊んであげるほど暇じゃないの。……三郎、追いかけっこがしたいみたいだから、あなたが相手をしてあげて」

 

『な、彼の相手なら私が!』

 

「下水道の中ではあなたは満足に翼は活かせない。……それを狙って下に逃げたみたいだし」

 

 忌々しそうに穴の上から俺を見下ろすあやせちゃん。流石にフランちゃんを差し向けるほど馬鹿ではないようで安心した。

 そう、これで三体一という不利な状況を一気に一対一にまで戻すのが真の目的だ。

 あやせちゃんとフランちゃんは再び、かずみちゃんたちを追うことになるが、それはまあどうでもいい。

 今頃は残りの魔法少女と連絡を取ってるだろうし、追いつかれてもニコちゃんあたりがどうにかするだろう。

 今一番しなければならないこと、それはもちろん……。

 

「降りて来いよ、サブ。先輩がきつーいきつーいお灸を据えてやるよ」

 

 引きつった顔で穴を覗き込む裏切り者の粛清に他ならないのだから。

 奴は逡巡していた様子だったが、女子二人の剣幕に気圧され、下水道へと飛び降りる。

 それを見届けたあやせちゃんはフランちゃんに乗って、『ジェム摘み(ピックジェム)』を再開するために去って行った。

 邪魔者は消えた。後はもう思うがままに暴れるだけだな。

 

「えーと、あきらさん。こうなったのにはそれなりに深い訳がありまして……」

 

 言い訳と言う名の命乞いを始めかけたサブを俺は遮って、話し出す。

 

「いやー。うん、サブ。お前が誰について、何を企んでとかはもうぶっちゃけどうでもいいんだよ。ただ、ムカついただけで。そんで俺をムカつかせた奴は基本的に死ぬか、死ぬより酷い目に合うんだ」

 

 こいつの裏切り行為に涙ちょちょぎれるような理由があろうとそんなものは知らない。

 俺を裏切るという行為が純粋に気に喰わなかった。

 だから、殺す。そこにこれ以上の会話は要らない。

 本格的に俺が殺意の波動に目覚めていることを理解したサブは媚びたような笑みを消して、俺に言った。

 

「そうですか。まあ、そうだろうとは思いましたけど……でもいいんですか? この狭い下水道で戦うのが不利なのは巨大な竜の魔物のあきらさんの方ですよ」

 

 言葉を言い終わるや否や、サブは姿を緑のライオンへと変貌させる。

 

『まさか、人間ままで僕に勝てるとは思ってないですよね?』

 

 若干、自分が有利な状況だから調子に乗ってやがる。

 グリンピースみてぇな色してるくせに、俺のことを舐めて掛かるとはいい度胸だ。

 

「サブ、お前さ……自分があと僅かな命だって理解してる?」

 

 俺の言葉にサブは答えなかった。その代わり、下水道の足場の上を俺目掛け、まっすぐに突進してくる。

 数秒で距離を詰め、その大きな顎を開き、鋭く並んだ牙を俺に振り立てようとする、その瞬間。

 俺は肉体を変質させ、身体の部位を魔物化し、上に僅かに跳ねた。

 

『は、ここで竜になれば翼のせいで身動きが……』

 

『ああ、だから竜にはならねぇよ、()にはな』

 

 滞空したまま、真下に居る緑のライオンへと体重を掛けた踵落としを喰らわせた。

 竜の姿よりも軽く、人間よりは頑強な黒い鱗に覆われた足はサブの頭蓋に重たい一撃をかます。

 

『があ……っ!?』

 

 翼は要らない。邪魔なだけだ。

 鉤爪も要らない。長さは余計だ。

 大きさも要らない。人間サイズで十分過ぎる。

 俺は竜の姿にはならなかった。全身を魔力で変質させたが、身体の大きさはほとんど変えず、強化した。

 身体の一部だけを魔物化させる方法の応用だ。今の俺は魔物形態と人間形態の中間、いわば『魔人形態』となっていた。

 サブを蹴りつけた反動をうまく利用し、後ろへと着地を決める。

 

『どうしたよ、サブ。まだ一発蹴り、入れただけだぜ?』

 

『っ……油断してましたよ、抜け目ないですね』

 

 頭を振るって、サブはすぐに態勢を整えると先ほど用心深く俺を見据える。

 この魔人形態では、当然ながら魔物の時よりも威力が出ない。移動力の代わりに体重や筋力、その多諸々ものが竜の姿よりも劣っているから仕方ないことだが、一撃で仕留めるのは無理そうだ。

 だが、問題はない。なぶり殺しが俺の趣味だ!

 先に駆けたのは俺の方、それに反応し、サブは頑丈な爪の生えた前足を振り上げた。

 

 ――かかった!

 

 俺はその振り上げた前足を両手で掴むと、前へ引っ張りながら合気道の要領でライオンの巨体をひっくり返す。

 まさか、技術で来るとは思わなかったようで目玉を丸くさせ、あっさりとサブは足場の上で腹を見せることとなった。

 鱗で覆われた足でその無防備な腹を踏んだ。力を込め、思い切り、何度も何度も踏みつける。

 肉体の強度が遥かに強靭になった魔物とはいえ、身体の部位による弱点はある。そこを魔力で筋力が強化した足で思い切り踏めば無傷ではいられはしない。

 

『がうっ‼』

 

『あはっあはははははははははははっ! ざまあねぇな、おい。腹見せて服従のポーズの練習かなぁ?』

 

『くっ、この……!』

 

 挑発的に顔を歪めると、サブは身体を捻り、俺を弾くようにして起き上がる。体重差は五倍以上あるだろうから、当たれば痛かったろうが、俺は身体が触れる前にさっと身を引いて避けた。

 サブは俺へ鋭い眼光を向けて、喋り出した。

 怒りに身を任せて、飛び掛かって来るかと身構えていたが、意外に冷静さを保っているようだ。

 

『あきらさん。あなたは確かに、いい役者だ。恵まれた血筋のおかげか、さっきの上での演技もとても上手だった……』

 

『は? どうしたんだよ、また命乞いか?』

 

 急に場違いな賞賛に俺は疑問を抱いた。反撃の糸口を探っている可能性もあるが、それにしては落ち着き払っているのが妙だった。

 

『いいや違います。これから、オレがそのあきらさんを演じて見せると言ったらどうします?』

 

 意味が分からん。俺を演じる? サブが?

 発言の意味が理解できずに俺は、サブを見返していると、ライオンの顔がぐにゃりと歪んだ。

 そして、次の瞬間そこにあったのは俺の顔だった。

 鬣の中央にこの俺そっくりの顔が出来の悪いコラージュ画像のように鎮座している。

 それは人面の獅子。それはエジプトに伝わる怪物、スフィンクスのように俺の目には映った。

 

『これがオレの魔物としての能力。もちろん、ただ顔を真似ただけじゃありません。オレの力は模した相手の心の闇を読むことができるんです!』

 

 俺と同じ顔をしたスフィンクスが笑みを浮かべる。それは俺が獲物を眺める時にするものと非常に似ていた。

 なるほどな。こいつ、今まで自分の力を俺に隠してやがったってことか。そして、それが相手の隠していたことや弱みを暴き立てる能力だと。

 なかなかにえげつない能力だ。精神攻撃に特化した力と言えるだろう。

 

『それで?』

 

『それで、って? これからあきらさんはオレに心の奥底に隠していたものを演じられるんですよ?』

 

『やってみろよ。採点してやる』

 

 サブはそれを挑発と受け取ったのか、僅かに怒りを見せた後、俺の演技へと入った。

 

「俺は一樹あきら。俺は前の学校で十数名のクラスメイトを精神的に追い詰めて、自殺させた」

 

 声や表情においても完璧に俺をトレースしている。緑のライオンの身体にくっ付いているのが若干シュールだが、それさえ除けば立体映像でも見ている気分にさせられる。

 

「この街に引っ越してきて、今度は直接を手を下した。化け物になり、何人も人を食い殺してきた。今も女の子たちを騙し、取り入り、絶望させ、殺そうとしている」

 

『ほうほう。それでそれで』

 

「だから俺は……!?」

 

 滑らかに声の抑揚の付け方まで完璧だったサブが突然、硬直したように動きを止めた。

 俺は咎めるように、先を促す。

 

『ほら、続きを言えよ』

 

「……俺はまったく罪悪感なんて、感じていない。世界は俺のために回っている。いや、俺が世界を回している。俺を楽しませるために壊れて、喜ばせるのは当然だ。全人類は俺の玩具なんだから……潰れろ、砕けろ、音を立てて楽しませろ」

 

『ほう。なかなか精度の高い能力だな、そこまで見えるのか』

 

 僅かばかり、サブの能力の精度に感心すると、目の前の顔が再び、ライオンのそれへと戻っていく。

 震える声で、ぽつりとライオンは呟いた。

 

『狂ってる……ここまでの事をしておいて本当に心の底から罪の意識も感じていないなんて……オレだって演技のために犯罪をした事があった。でも、ここまで何も感じなかった訳じゃない……邪悪なんてものじゃないこれはもうただの……』

 

『失礼な言われようだな』

 

 俺ほど正常な人間がこの世に居る訳がない。俺こそがこの狂った世界の中で光り輝く真の光なのだ。

 狂っているとか、おはようとこんにちはの次くらいによく言われる気が、それは俺を理解できない矮小な奴らが悪い。

 だが、もういい。こいつの演技は上手いが、それだけだ。情熱がない。人を騙したいという情熱が足りない。

 

『もういいわ。お前……』

 

 呆然としているサブに俺は即座に近付き、身体の下の潜り込むように屈み、指先の爪を鋭く伸ばした。

 魔力により、伸びた鉤爪はライオンの筋肉を抉り、骨の隙間を通り抜け、心臓を一突きする。

 くぐもった声と共にライオンは赤い液体を口から漏らす。

 

『スフィンクスの次はマーライオンかよ。多彩だな、役者さん』

 

 生卵を橋で潰して、広げるように、爪の先に触れている中身(・・)をぐちゃぐちゃに掻き混ぜる。

 緑のマーライオンの吐き出す赤い水が量を増した。

 ぐらりとその重心が崩れたかと思うと、サブは人間の姿へと戻っていた。そのすぐ近くにはイーブルナッツが落ちている。

 俺はそれを拾ってしまうと、残ったサブの遺体を持ち上げた。

 

『おやまあ、死体の演技は上手じゃないか。死体男優賞があればノミネートされるぞ?』

 

 賞の代わりに栄えある獅子村三郎君を讃えるために俺は最大の名誉を与えることにした。

 最大の名誉、それは俺の血肉となって、この一樹あきら君の一部になること。

 

『よかったなぁ、サブ。本当におめでとさん』

 

 血抜きをしておいたお肉は今までよりもおいしくなっていた。役者としては二流だったが、お肉としては一流だったのがせめてもの救いだろう。

 




ようやく、続きを掛けました。
サブ君の能力は相手の心の闇を暴き出し、それを演じて見せる事で精神を抉る能力だったのですが、あきらが闇しかない人格だったので効果はゼロでした。
魔法少女相手だったら、かなり強力だったのですが、やっぱりキチガイって強いですね。


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第二十八話 美しい羽

昨日に引き続き、続けてもう一話投稿です。


~旭たいち視点~

 

 

 僕には苦手なものがたくさんある。単語だけでも上げれば原稿用紙を百枚用意しても足りないくらいだ。

 その中でも最たるものは……女の子だ。

 この世で一番憎んでいるものと言い換えてもいい。それくらいに苦手で、嫌いなものだ。

 あの、時折こちらをちらちら見てさもクスクスと漏らす女子特有の陰湿で不快な笑い声や、人目を憚らず大きな声で下らない話を仲間内で話す声。

 思い出しただけで胃の中がむかむかしてきそうになる。

 そんな僕が、だ。何の因果か分からないけれど、女の子と一緒に洋服店で服を選んでいた。

 

「……えっと、あのー……氷室さん?」

 

「美羽でいいですよ、旭さん。あなた、私の一個上でしょ?」

 

 素っ気なく、視線さえ振り返らずに言う病院服を着た少女の名前は氷室美羽。あの氷室君の双子の妹らしい。

 言われてみれば目元や口元なんかは彼とそっくりだが、僕にも友好的で気さくな氷室君と違い彼女は他人に無関心な雰囲気を放っているため、受ける印象が大分違った。

 

「あー、じゃあ、美羽……さん」

 

 流石に呼び捨てにはできなかったので敬称を付ける。

 

「はい。何でしょうか?」

 

「これって、僕たち居るの……?」

 

「あきらからあなたたちと一緒に居るよう命令されましたので。旭さんもあきらにそう命令されたんじゃないんですか?」

 

 さも当然のようにそう言われ、僕は頭を抱える。

 彼女の言うとおり、僕と力道君はほんの一時間ほど前に美羽さんを紹介され、彼女の面倒を見るように頼まれていた。

 最初こそ僕は難色を示したものの、命の恩人である氷室君の妹ということもあって渋々ながら了承するはめになった。

 と言うのも彼女が長らく入院していた病院が炎上、おまけに保護者はおらず、唯一の肉親だった氷室くんは死亡済みという状況なのでそのままでは暮らしていくのは無理だと僕も思ったからだ。

 厳正なる審査(ジャンケン)の結果、美羽さんは力道君の家に居候してもらう事になっているので僕としては非常に楽だが、生理用品や服などの購入に付き合わされている。

 その力道君はトイレに行ってしまったので、僕はこの気まずい空間に一人取り残されていた。

 

「まあね。……できれば早く決めてほしいんだけど」

 

 女物の洋服売り場に一人佇むこの状況は苦痛以外の何者でもないし、何より店員がいちいち声を掛けてくるのが不快で堪らない。

 お金の方は僕があきら君から預かっているので僕に負担が来る事がないというのが唯一の救いだが、支払いと荷物持ちをしなきればならないから帰る訳にもいかない。

 

「はいはい。じゃあ、これとこれにしましょう。せっかくなので着て帰りますね」

 

「……早くしてね」

 

 洋服を何着か持って、美羽さんは更衣室へと向かって行った。

入れ違いにトイレから力道君が戻って来る。ちょっとばかり遅かったのを見るに大きい方だったのかもしれない。

 

「いや、旭先輩すんません。美羽の相手、任せきりで」

 

「生理現象なんだから仕方ないよ。それより、君はあの子とよく一緒に暮らす気になれるね。ボクだったら一日も持たないよ」

 

 ため息交じりでそう伝えると、力道君も苦笑いを浮かべて答えた。

 

「いや、まあ、俺も同年代の女子と一緒に暮らすとか無理だと思ったんですけど、あいつは俺にも基本的には無関心で、何ていうかある意味女子らしくないんで何とか」

 

 女子嫌いのボクにはよく分からない思考だ。ボクなら、無関心だろうとどうしても意識してしまうだろう。

 過去の嫌な記憶がどうしても女子を意識させてしまう。どれだけ嫌いでも無視なんかできそうにない。

 視線を彼から外し、ガラス張りになっている店の外に目を向ける。

 すると、その先にも別の女子が目に留まった。それは見覚えのある顔。

 プレイアデス聖団の魔法少女たちの……若葉みらいと宇佐木里美、それにもう一人、確か名前は御崎海香とかいう女だ。

 何をしているんだ、一体?

 何かを探しているように三人ともきょろきょろと顔を動かしているのが見える。誰か探しているのか?

 それからすぐに御崎海香に電話がかかって来たらしく、携帯を取り出して耳に当てて二、三言会話をしてから他二人に何かを言っている。

 どことなくほっと胸を撫で下ろしている事から誰かを探していてそれが見つかった、とかだろうか。

 まあ、何にせよ、あいつらがここに居るというのはボクらにとって危険だ。

 

「……力道君。プレイアデスのメンバーが外に居る。美羽さんを連れて鉢合わせしないように出て行こう」

 

 美羽さんにとっては兄の命を奪った奴らだ。できるだけ合わせなようにしないと。

 力道君もボクと同じような事を思ってくれたようで頷いて、更衣室で着替えている美羽さんを呼びに行く。

 本当に女子と言うのは忌々しい。嫌でも目に留まる。ただ、今回だけはそれが役になったけど。

 

 ***

 

~御崎海香視点~

 

 

「ニコから電話があったわ。カオル、見つかったって」

 

 昨日家に帰って来なかったから心配して、プレイアデス聖団全員で探していたけれど、まさかあきらの家に泊めてもらっていたなんて、せめて私には一言連絡してほしかった。

 それを二人に伝えるとみらいは怒気を隠さずに言った。

 

「……別にボクは心配なんてしてなかったけど、カオルはあきらのところで遊んでたの!?」

 

「まあまあ、みらいちゃん。そう怒らないで。カオルが無事でよかったじゃない」

 

 里美が宥めるが、怒りは収まらないようで、ふんとそっぽを向いた。

 何だかんだでみらいはカオルの事を一番心配していたのは彼女だ。サキの事もあり、また仲間が死んでしまうのを恐れているのだろう。

 私はちらりと脇にある店を見てから、みらいに優しく話しかける。

 

「じゃあ、みらい。洋服でも買ってあげるから機嫌治してくれないかしら?」

 

「……服?」

 

「そう、ちょっとオシャレすればむしゃくしゃした気分もどこかに飛んでっちゃうわ、きっと」

 

 ちょうど、すぐ傍に洋服屋もある事なので、私は彼女に服を買う事を促す。里美もそれに賛成して微笑んだ。

 みらいも考えるようなそぶりをした後、頷いて同意してくれる。

 

「そう、だね。なら、お言葉に甘えようかな」

 

 私たちは連れ立ってその服屋に足を踏み入れようとした。

 そこで、男の子二人に連れられて、店から出て来る女の子の顔が目に入る。金髪の髪に、青い目の西洋人形のような顔立ちの少女。

 

 

【挿絵表示】

 

 どこか見覚えのある気がした。覇気がなく、暗い表情をしているが、どこかで彼女に似た誰かを……。

 ――氷室君だ。

 私たちのクラスメイトで保健委員をしていた男の子。そして……私たちを襲ったコウモリの魔物の正体だった少年。あの時、私は目を潰されていたから、直接見た訳ではないが、カオルから聞いた情報ではドラーゴと名乗る黒い竜の魔物の配下……トラぺジウム征団の一体。

 その彼と顔立ちがそっくりなのだ。

 脇に居る二人の男の子と共にこの場から去って行こうとする彼女を私は呼び止めた。

 

「待って。そこの金髪の貴女」

 

「わたしに、何か用ですか?」

 

 彼女が振り返る。ぼんやりとした無関心そうな碧眼が私に向いた。

 隣に居た男の子は何やら慌てた様子で、彼女に早く行くように促したが、足を止めて私をじっと見返している。

 そんな彼女に私は一つ端的に尋ねた。

 

「貴女、ひょっとして氷室悠さんのご家族?」

 

「それは、生物学上わたしの兄にあたる人物です」

 

「お、おい!?」

 

「美羽さん!」

 

 慌てる二人とは対照的に、美羽と呼ばれた少女はつまらなそうな視線を私に向けてそう言う。

 その二人の少年も、よくよく見れば、ニコから聞いていた魔物の正体の少年たちの特徴と合致する。

 少女に比べれば、目立たなかったが、こうやってじっくりと顔を合わせれば、間違いなく話に聞いたトラぺジウムの一員だと分かった。

 

「二人とも。少なくともこの二人……トラぺジウム征団の、魔物よ!」

 

 後ろに居た二人にそう言ってから、私は魔法少女の姿へと変身する。

 二人も私の言葉に驚きの顔を見せた後、同じように変身し臨戦態勢を取った。

 氷室美羽の両隣に居た二人も、一瞬だけ歯噛みをした後に赤い角の生えた熊の魔物と、黄土色の巨大な針鼠の魔物へと変貌した。

 

『チッ、こうなりゃヤケだ。ここで氷室の弔い合戦してやるよ!』

 

『数の上では不利だけど、やるしかないようだね』

 

 少女を守るように背にして魔物二体が前に出る。

 弔い合戦……氷室君は確かこの二人と一緒にドラ―ゴに回収されて、結局は逃げ延びたはず。

 あの戦いの後に死んだ? 彼らの言う弔いの意味合いが掴めなかった。

 しかし、仲間を奪われたのはこちらも同じだ。

 大剣を生み出し大声でみらいが叫ぶ。

 

「サキの命を奪ったお前らがどの口で‼」

 

 大きく跳躍して、熊の魔物へと振りかぶった大剣を振り下した。

 しかし、熊の魔物はその剣を両腕で白刃取りで受け止める。

 

『知るかよ! そんな事ぉ!』

 

 針鼠の魔物は無防備になったみらいに針の弾丸を飛ばした。

 

「しまっ……」

 

「任せて」

 

 私は手に持った魔導書を開くと、みらいと針の弾丸の対角線上に立ち、バリアの魔法を使う。

 針の弾丸はその壁に弾かれ、四方に散った。そして、近くにあった店のガラスを砕き、その中に居る一般人に刺さった。

 騒ぎを聞きつけて、近寄くに来ていた人たちに被弾する。

 阿鼻叫喚が鼓膜を叩いた。

 失念していた。ここは平日の街中なのだ。人が居て、当然だ。

 ここで戦えば、それに巻き込んでしまう事は考えればすぐに分かる事。

 

「大丈夫よ、海香ちゃん。『ファンタズマ・ビスビーリオ』。皆、早くここから離れて」

 

 里美が人を操る魔法で、集まってきた人たちや周囲のお店に居た人たちを支配し、この場から強制的に立ち退かせる。

 この場に里美が居てくれてよかった。もしも、このままなら多くの人が巻き込まれて命を落としていたかもしれない。

 早く、この魔物を倒してしまわないと。

 魔導書を開き、解析の魔法で奴らの弱点を調べようとしたその時。

 いつの間にか黄色の、細かい粉状の何かが周囲を漂っている事に目が行った。

 これは、何だ――その疑問を持つ前に肺に激痛が走った。

 急激にやって来た苦しさに耐え切れず、私は膝を突く。見れば、みらいや魔物たちまでも同じようにもがき苦しんでいる。

 一体、何が起きたというのか。

 上を見上げると大きな何かがまた羽ばたいているのが視界に映る。

 それは大きな『()』だった。

 美しい虹色の羽を持つその蛾は、黄色の鱗粉を雪のように降らせていた。

 

「新手の、魔……物……?」

 

 黄色の鱗粉は強い毒性を持っているのか、身体の中身が溶け出すような酷い激痛が私を蝕む。

 一体、あの蛾の魔物はどこから現れたというのか。

 そこで私はようやく、先ほどまで近くにいた氷室美羽の姿がない事に気付く。

 里美の魔法で居なくなったのかと思ったが、恐らくそうではないのだろう。

 今、宙を舞い、毒の鱗粉をまき散らしているあの蛾の魔物こそが彼女なのだ。

 生臭い赤い液体が口の端から零れた。

 この毒の鱗粉を解析して、解毒しなければ、私たちはここで死ぬ。

 それが分かっているのに、身体が痺れ、指先がうまく動かない。

 意識が遠退きそうになる。視界が揺れ、世界が横に映る。

 重心が取れずに倒れ伏したのだと理解するのに数秒かかった。

 真上では美しい羽が光に反射して輝くのが見える。

 

「だれ、か……」

 

 虹色の羽は羽ばたき、鱗粉を落とし続ける。

 美しく、そして、恐ろしい羽が……。

 




美羽ちゃんの魔物形態は蛾になりました。
何か、女の子の魔物形態って虫系ばかりですね。逆に男の子は哺乳類ばかり。
一人何故か、爬虫類がおりますが。


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第二十九話 炎と氷の魔法少女

 血抜きをして味が引き締まったサブを齧っていた俺は、上半身を喰いちぎったところで、ふとそう言えば美羽ちゃんたちのことをサヒさんたちに任せ切りにしていたことを思い出した。

 面白そうだからと拾ってきたが、途中で面倒臭くなって丸投げしてしまったが、どうしているんだろうか。……まあ、どうでもいいか。死んでても良し、生きてても良しだな。

 サブの死体を食べ終えた後、腹ごなしにかずみちゃんたちを探しに行こうと思い立って、下水道から外へと出て行く。マンホールまでの梯子で上がるのは思ったよりも疲れて、地上に出た後大きく伸びをした。

 

「うーん……っと。さてはて、かずみちゃんたちはどこまで逃げたのかね~」

 

 怒りをすっきりさせたおかげで、るんるん気分でスキップしながらかずみちゃんたちが逃げた方角を進むが、流石に多少時間が過ぎたせいで既に近くにはいないようだ。

 再び、魔物形態になり、上空から探すかと思い、物陰で竜の姿になり、翼を広げて空へと飛びあがった。

 大通りの方でも何かが起きているのか騒がしかったが、それよりもかずみちゃんたちの方が気になったので一旦無視して彼女たちを探す。

 しばらく近くを空から見下ろしていると、前にユウリちゃんと言った遊園地・ラビーランドが視界に入った。

 ただ前と違って様子がおかしい。開園しているのに人の気配がない。というよりも、何か別の空間に侵食されているような、途轍もない違和感があった。

 近付いてみれば、そこではかずみちゃんたちが銀色の鷹に乗ったあやせちゃんと戦っているのが見える。どうやら、魔力で疑似的な結界を張っているらしく、音が外まで漏れていなかった。

 よっし! まずは突っ込んでから考えよう‼

 取りあえずはノリと勢いで戦闘を繰り広げている間に俺も突撃を敢行(かんこう)することにした。

 魔力でできた半透明な皮膜をぶち破り、宙を舞っているフランちゃんに火炎の息吹を噴き付ける。

 

「フラン、避けて!」

 

『っ!?』

 

「かずみ! 上!!」

 

 フランちゃんの背に乗るあやせちゃんはその攻撃に気付き、とっさに回避を促した。当たれば、鋼も融解する炎は斜めに軌道を逸らした銀色の鷹の脇のコンクリートの地面を焼く。

 近くに居たかずみちゃんもニコちゃんに言われ、バックステップでそれをかわした。

 当然、この程度は避けると確信していた俺はさほど気にもせず、戦いの中心に割って入る。

 

『仲間外れはよくないぜぇ? 乱交パーティなら俺も混ぜてくれないと』

 

「お前は!?」

 

「ドラ―ゴ……!」

 

 ニコちゃんとかずみちゃんは唐突にダイナミックエントリーした俺を睨み、怨嗟の色をその目に宿す。

 あすなろドームでサキちゃんを頭からムシャムシャ、モグモグ、ランランルーしたことをまだ根に持っているらしい。過去に囚われた哀れな子たちだ。俺のように過去などすっぱり忘れて常に未来を見据えるような人間を見習ってもらいたいモンだ。

 一方、皆とやや離れたところに『カオル』ちゃんは俺を見ている。本物のカオルちゃんの魔法までは真似できないから、友達を失ったばかりで戦えないとか理由を付けて戦闘には参加していない様子だった。

 悪くない選択だと薄く笑い、俺はさらに戦場を搔き乱すべく、プレイアデス聖団のお二人に向けて喋る。

 

『よお、かずみちゃ~ん、ニコちゃ~ん。苦戦してるようじゃんか。力を貸そうか?』

 

「誰があなたなんかに……!?」

 

「ちょっと待って。お前はこいつらの仲間じゃないの?」

 

 怒りを露わにするかずみちゃんと違い、ニコちゃんは俺の言葉に反応して尋ねる。

 こういうところが侮れない。まあ、この場合はそっちの方が楽でいいけどな。

 

『そうだぜ。俺とそっちの可愛子ちゃんは無関係。で、どうする? 怨敵の俺と組んでそいつらを倒すか、それとも俺と一緒に戦って勝つか……何やら足手まといも居るようだし』

 

 『カオル』ちゃんを見て嘲笑うと、かずみちゃんは怒り出して十字架型の杖を俺に向けようとするが、ニコちゃんがそれを視線で制した。

 

「……分かった。今回は協力しよう」

 

「ニコ!?」

 

「ここはまず、あっちの魔法少女を倒す方が先決だよ。まあ、信じられるかどうかは疑問だけど」

 

 賢いニッコニッコニーは俺と組むことを選ぶが、流石に全面的信用はできないようで懐疑的な視線を寄こす。

 俺としては、そろそろあやせちゃんやフランちゃんは邪魔なので、そろそろ始末したかったところ。ここでは素直に協力の意志を見せつけよう。

 羽ばたいていた俺は地面に降り立ち、膝を折り曲げ、背を二人に見せる。

 

『交渉成立だな。乗りな、お二人さん。あっちと同じように空中戦がしやすくなるぜ?』

 

「…………」

 

 それでも疑わしげな眼差しを向けたかずみちゃんだが、鋼の翼の鷹が再び近付いてくるのを見ると、唇を噛み締め、俺の背に飛び乗った。ニコちゃんもそれに続く。

 

『んじゃあ、俺たちの友情パワー見せてやりますか!』

 

「それ以上、ふざけた事を言うようならあなたから先に落とすよ……」

 

 かずみちゃんが野獣の如き眼光でマジ切れしているので俺も自重し、向かってくるあやせ&フランペアに備え、空中へと上昇する。背中に乗せた相手を挑発するほど俺だって馬鹿じゃない。

 敵さんの方を見ると、あやせちゃんは俺に凄絶な笑みを浮かべ、吐き出すように呟いた。

 

「あなた……本当にスキくない。本気で潰してあげる。――『ルカ』、行くよ」

 

 すると、彼女の表情が急に凛々しいものに変わり、声色も変化した。

 

「御意。承知致しました、『あやせ』」

 

 独り言と言い切るにはあまりにも大きな差異があった。俺の中のシックスセンスが叫ぶ、こいつはデンジャーだと。

 油断せず、火炎放射で牽制(けんせい)する攻撃を放つ。さっき見たあやせちゃんの魔法は炎だった。シンプルな威力だけなら俺の方が上だ。同時に放てば俺が勝つ。

 (ほとばし)った火炎の息吹は彼女たちを覆う――瞬間、俺とフランちゃんの対角線上にある狭間の空間が突如として大爆発を起こす。

 衝撃と爆風に煽られ、俺は吹き飛び、背中の二人もバランスを崩して、落ちかけるが尻尾を巻きつけて引き釣り上げた。

 俺に助けられたのが気に入らなかったのか、少し不機嫌な顔をするかずみちゃんだが今はそんなことに注意を払っておく暇はない。

 空中で態勢を立て直し、鋼の鷹の姿を探すと向こうもグラつきながらも空中に留まっていた。

 しかし、その背にはあやせちゃんの姿はない。落ちたのかと下を向いた時、ニコちゃんの声が耳を撃つ。

 

「上だ!」

 

 その言葉を信じ、右翼を傾けて緊急回避を取る。俺がさっきまで居た場所にはサーベルを振り下ろしていたあやせちゃんの姿が見えた。

 その姿は白いドレスから赤いドレスに変わっており、右肩が露出し、ソウルジェムは右胸の肌が出てるとこについてる。

髪止めはマジシャンの杖みたいな物に変わり、首にはリボン巻いてる、腹には着物っぽい帯を付けており、さっきまでのあやせちゃんとは正反対のような格好だ。

 

「奇襲成らず……かわされましたか」

 

 静寂な風鈴のような声には子供っぽさはなく、淡々とした口調は上品さがあった。

 即座に俺の背中の二人が、それぞれの魔法を飛ばすが、彼女はそれらをサーベルを使って弾き、知らぬ間に真下に来ていたフランちゃんの背に着地した。

 明らかに前とは雰囲気が異なるあやせちゃんに俺は問いかける。

 

『口調も姿も変えて、イメチェンしたのかい? あやせちゃん』

 

「私は双樹ルカ。あやせに(あら)ず――『カーゾ・フレッド』」

 

 そう言って、炎ではなく、巨大な氷柱を剣より放った。それを距離を取りつつ避け、爆発の正体を理解する。

 水蒸気爆発……。超高温の魔力の炎に当たり、あの氷の魔法が瞬時に水、というか水蒸気になった結果、瞬間的に蒸発による体積の増大が起こり、大爆発を引き起こしたのだ。……魔力で作られたものがちゃんと物理的法則に従うのはよく分からないが、多分それに似た現象が起きたとみていいはず。

 

『なあ、カズミン、ニコニー。ソウルジェムを交換すれば、魔法少女って別の魔法使うことできんの?』

 

「……いや、そんな事はできない、はず。あと、その呼び方止めて」

 

 ニコちゃんが言うにはそう言ったことはできないらしい。魔法少女狩って、ソウルジェムを回収しているプレイアデスの皆さんが言うなら間違いないだろう。多分、あやせちゃん、いや……ルカちゃんが特別なようだ。

 しかしまあ、こうなってしまえば、無闇にやたらに炎を撃ち出すのは悪手でしかない。俺の方もフォームチェンジしておくとしよう。

 

『カラーチェンジができるのはアンタだけじゃないんだぜ?』

 

 俺はその身体を覆う鱗を黒から白へと変色させる。口元から吐き出される息吹は炎から雷になり、鋼の鷹へと光速で飛ぶ。

 刃で構成されている鷹は、避雷針の如く、雷撃を集めてしまう。

 飄々としていたルカちゃんの鉄面皮に初めて(ひび)が入る。そう、フランちゃんは戦った時に色を変えたので知っていたが、あやせちゃんはこれを知らない。

 あやせちゃんが来た時には戦いの途中、俺のカラーは白から黒に……稲妻から炎に戻してからだ。そして、あやせちゃんが知らないことはルカちゃんも知らないと踏んでいた。

 答えはビンゴ。即座にフランちゃんから離れようとするも光の速さには追い付かず、電撃をその身に受けた。

 

「うっ……ぐう‼」

 

『さあ、お二人さん。今の内にレッツ・追撃! 追い込んでー追い込んでー!』

 

「う、うん。『リーミティ・エステールニ』!」

 

「まあ、卑怯とは言わないよ。『プロルンガーレ』」

 

 若干、その戦法の汚さに引いたのか、微妙な顔をしつつ、追撃の魔法を彼女たちに撃ち放つ。

 かずみちゃんがレーザー光線のような魔法を、ニコちゃんが自身の指を四本ずつ小型ミサイルに変える魔法をルカちゃんたちに喰らわせた。

 三人の連係プレイにより彼女たちは煙幕を上げて地面へと落ちていく。

 

『流石、プレイアデス聖団の魔法少女! 追い打ちを掛けることに容赦がない! そこに痺れる、憧れるぅ~! よっ、あすなろ市一の外道少女‼』

 

「あとで覚えてて」

 

『ごめんちゃい』

 

「まだ、やってないみたいだぞ。気をつけて!」

 

 煙幕が晴れると、ところどころに穴の開いたボロボロのドレス姿のルカちゃんが憤怒の形相で真下から睨み付けている。フランちゃんも流石は俺と引き分けた相手だけあり、多少傷付いてはいたが、まだ魔女モドキの形態を保っている。

 

『しぶといなー。さっさと死んでくれよ』

 

 翼を羽ばたかせて、飽き飽きとした顔でルカちゃんを見るが、彼女には敗北した雰囲気はなく、何やら奥の手を残しているっぽい。

 

「ここまでやるとは思っていませんでした。――それでは見せてあげましょう。私たちの本気を」

 

 そう告げた彼女は二つのソウルジェムを掲げる……前に尻尾でかずみちゃんを掴み、下方に投げ飛ばした。

 

『そうはさせるか! 喰らえ、かずみちゃんインパクト!』

 

「え!? ちょっ!? うわあああああぁぁ」

 

「な、かずみ!」

 

 かずみちゃんは位置エネルギーを持って真下――ルカちゃんへと目掛けて落下していく。

 俺の行動に驚きの声を上げながらも、落下の衝撃を和らげるため、その十字架の杖を構えてレーザー光線の如き魔法を撃ち出した。 

 

『あやせ、ルカ! 危ない‼』

 

 両翼を広げ、ルカちゃんをかばうが、近距離で且つ傷付いた身体では『リーミティ・エステールニ』を受けきれずにその身を焼かれた。

 銀の鷹は元の少女に戻り。イーブルナッツを身体から落として、ぐったりと倒れ込んだ。

 

「フラン!」

 

『油断大敵だぜ、ベィビィ?』

 

「しまっ……!?」

 

 フランちゃんが翼を広げてくれたおかげで、ルカちゃんの視界が完全に遮られた。その僅かな隙に加速して俺は彼女の後ろに回り込んでいた。

 背中に居たニコちゃんが飛び付いてソウルジェムを奪う魔法『トッコ・デルマーレ』で、片方の……あやせちゃんのソウルジェムを奪い、俺はもう片方のルカちゃんのソウルジェムを腕ごと喰いちぎって略奪した。

 薄紅色のソウルジェムを飴玉のように舌先で転がし、ガリッと噛み砕く。

 

『ジェム摘みなんて言ってたけど、自分が摘まれる気分はどうよ?』

 

 片手のちぎれた死体を蔑み、笑みを浮かべてフランちゃん共々胃袋に収めようと近寄った。

 そこで急に周りの地面が溶けてから(うごめ)き、鎖が生まれて俺を拘束した。ダウナーな笑みでニコちゃんがバールのような杖を突き出して、俺に言う。

 これがニコちゃんの魔法。

 鎖が魔力から生まれたのではなく、地面を鎖に再構成させたところや指をミサイルに変えたりするのを見るに、錬金術のように何かを別に変えることができるっぽいな。

 

「それじゃあ、今度はお前が摘まれる番だねー」

 

『えー、裏切るのかよ。俺たち、一緒に戦った仲じゃん。もはやフレンドだろォ?』

 

「……あなたはサキを私たちの仲間の命を奪った」

 

 かずみちゃんもまた十字架の杖を構え、俺に向ける。万事休す、絶体絶命。大ピンチ!

 クソッ、どうしようもない。せっかくここまで頑張って来たのに……これじゃあ、もうお終いだ。

 そこで仕方なく、俺は諦めることにした。

 

『分かったよ。残念だが、仕方ない』

 

「一応、一時的とはいえ、協力した相手だ。痛みはなく、一瞬で……」

 

 苦渋の選択だが、他に方法もなく、諦めた。

 プレイアデス聖団を裏切りの絶望に落とすプランを。

 

『カオルちゃん、やれ』

 

 敵を倒したこともあり、俺に集中力を切らしていたニコちゃんの後ろに居た『カオル』ちゃんにそう言った。

 二丁拳銃を構えた『カオル』ちゃんは心底嬉しそうな顔で俺の命令に従い、引き金を引く。

 ニコちゃんが振り向くよりも、かずみちゃんが異変に察知するよりも早く、撃ち出された弾丸は彼女を穿った。

 『カオル』ちゃんの顔がくにゃりと歪んで解け、その下から邪悪に笑うユウリちゃんの顔が現れる。

 

「な……まさか、魔法で化けて」

 

 俺を拘束していた鎖が消えるその時に尻尾でニコちゃんを弾いた。彼女の手から離れたあやせちゃんのソウルジェムを伸ばした舌先でキャッチし、これまた砕く。

 

「ようやく、お前らを踏みにじって殺せるかと思うと気分がいいな。ご機嫌いかかが、プレイアデス」

 

 倒れたニコちゃん。銃を構えて笑うユウリちゃん。驚愕するかずみちゃん。そして、めっちゃ落ち込んでる俺。

 その場の状況は一変し、かずみちゃんたちの優勢は崩れた。そして俺もショックで崩れた。

 チキショウ……カオルちゃんの偽物を入れて、プレイアデス聖団を内側から崩壊させる楽しい計画がご破算だ。せっかく、楽しみにしていたのに……。

 すっかり落ち込んだ俺は仰向けに倒れたニコちゃんを一瞥する。

 

『うん? 何だ?』

 

 そこで違和感に気が付いた。ニコちゃんの身体が若干浮いているのだ。

 『カオル』ちゃんがユウリちゃんだったということに衝撃を受けているかずみちゃんや、憎いプレイアデスの一人を傷付けてすっかりご満悦なユウリちゃんはそれに気付いていない。

 ニコちゃんの『濁り一つない』ソウルジェムが宙に浮いた。そこで二人も異変を認める。

 

「おい、これは……」

 

「ニコのソウルジェムが!」

 

 浮いているソウルジェムの()が剥げた。

 その下からどす黒く握り切ったソウルジェムが現れ、砕け散る。奥から現れたのは『グリーフシード』。

 思い出した。ユウリちゃんのソウルジェムをグリーフシードで浄化した時に知ったんだった。ソウルジェムを浄化する方法。ジュゥべえでソウルジェム浄化は本来の方法ではないこと。

 そして、あれから何が産まれるのかも……。

 

 宙に浮かぶグリーフシード、魔女の卵は孵化する。

 空間が歪み、本物の結界が周囲を覆い、俺たちの眼前には結界の主が顕現した。

 そこには、顔のないマネキンの上半身をひたすら巨大にしたような、魔女が居た。

 

 へぇ~、魔女ってこういう風に生まれるんだ。参考になったわ。ニコちゃんサンクス。

 俺は内心で貴重な映像を見せてくれたニコちゃんに感謝した。




あやせとルカの最後の切り札はその目を浴びることなく、倒されてしまいました。
変身の最中に攻撃の手を弛めるほど、あきら君は紳士ではないのです。

ようやく、魔女化を描けて安心しています。あきら君が居ると魔法少女は魔女になる前に食い殺されてしまうので、なかなか魔女になる魔法少女を書くことができませんでした。


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第三十話 針鼠の意地

~旭たいち視点~

 

 

 何が……何が起きたんだ。

 分からない。ただ、急に苦しくなり、意識が(おぼろ)げになった。魔物形態にも関わらず、高熱でも出したかのように身体中が痛くて堪らない。

 ふらふらする頭でとにかく現状を把握しようと視界を見回す。

 すると、粉が。黄色い輝く粉がパラパラと光に反射して上から落ちてくるのが見えた。

 これだ。この粉がボクを苦しめている原因だ。その粉が落ちてくる方、つまりは上空を見上げる。

 そこには虹色の羽、いや翅を持つ巨大な毒蛾が飛び回っていた。なぜだか一目でその毒蛾の正体が分かる。

 あれは美羽さんだ。彼女が魔物になった姿なんだ。

 口の端から垂れる唾液交じりの血を吐き出し、隣に居た力道君を探すと彼も血を吐き倒れ伏していた。

 前方にはあの三人の魔法少女たちも同じように地面に横たわっているのが映る。

 今起きている状況を完全にボクは把握する。魔物になった美羽さんがボクたちまで巻き込んだ範囲攻撃により、両陣営共々大打撃を受けたようだった。

 美羽さんに少しばかり思うところはあるが、彼女は最愛の兄、氷室君の仇を討ちたかったと考えればこの行動も許す事ができる。

 そう、まずはボクたちを庇って死んだ氷室悠君の無念を晴らす事が先決だ。

 彼の命を奪った最も憎い魔法少女、宇佐木里美を殺す。

 奴の姿を捉えると、ボクは背中の無数の針を射出するべく狙いを付ける。本来ならこんな事をせずとも照準が合うのだが、今は美羽さんの毒鱗粉のせいで身体のバランスがうまく取れないために、時間が掛かってしまう。

 ようやく、狙いが定まった瞬間、宇佐木里美の身体が浮き上がった。

 意識を取り戻したのかとも思ったが、どうにもそういう訳ではない様子だった。

 奴の薄紫色のソウルジェムが身体のさらに上まで昇っていく。

 やがて数メートル上がったところで静止すると、外皮が剥げ落ちるように色の付いた部分が砕け、中からどす黒い溝川のような色を見せた。

 外観はイーブルナッツに似ていたが、装飾はより複雑で気味の悪さを周囲に漏れ出させるような形状をしている。

 その黒いイーブルナッツモドキから、ホイッスルのような頭で胴体は檻になっているような化け物が生まれた。

 昔、テレビで見た猛獣使いを戯画したような、不可思議な見た目をしている。

 その怪物が出現したと同時にボクたちが居る空間が変化して、あすなろ市の一角だった場所は不思議な、悪夢じみた空間と化す。

 

『これは……?』

 

 ホイッスルの音が響き渡り、怪物が鞭を振るう。そうすると、歪な空間からどこからともなく、デフォルメされた猫に似た怪物が這い出てくる。

 それは次第に数を増し、視界の端からどんとんと近付いて来た。

 ……これはきっと、ボクたち魔物に似たけれど、決定的に違う何かだ。

 即座にボクは背中の針を飛ばして一匹一匹撃退していく。幸いな事にそれほどこの猫の怪物は強くはなかった。

 

『う、くっ、離れろ。私に近付よらないで!』

 

 美羽さんの声が聞こえ、射撃を中断し、ボクは上を見上げた。宙空では蛾の魔物になった美羽さんが空間の天井から這い出た猫の怪物に襲われていた。

 その美しい虹色の羽を爪で引き裂かれて、苦しんでいる。

 

『美羽さん! 離れろ、猫ども!』

 

 美羽さんを攻撃する猫の怪物に向け、無数の針を飛ばし、彼女に組み付く奴らを打ち落とす。猫の怪物は身体や額を針で撃ち抜かれ、ぼとぼとと地面に落ちていった。

 傷付けられた美羽さんは蛾から女の子の姿に戻り、空中から落下する。

 いけない! でも、針鼠の魔物のボクでは彼女を無事に受け止める事は不可能だ。

 隣で倒れている力道君に叫ぶ。

 

『力道君! 起きて! 美羽さんを‼』

 

 こんなにも大きな声が出るのかと思うほどの叫びが喉から出た。びくりと赤い角の生えた熊の姿の力道君はどうにか気付き、何も言わずに落ちていく美羽さんに駆けていく。

 四足歩行の全力疾走する彼は驚くほどの速度で落下予測地点まで来ると美羽さんを難なく抱き留めた。

 よかった。

 そう安心したのも束の間、猫の怪物たちは彼ら目掛けて押し寄せる。

 ボクはそれを防ぐべく、彼らの周りの猫の怪物を優先的に針の弾丸で穿つ。

 

『力道君、美羽さんを連れてここから逃げるんだ!』

 

 叫んだボクの後方から新たな猫の怪物が爪を振るい、針の抜け落ちた背中を抉った。久しく感じる鋭い痛みが身体に走る。

 美羽さんが散布した毒の鱗粉はボクの針の再生速度までも妨げているようで、撃てば撃つほど身体を守る針は減っていく。

 

『馬鹿野郎! 旭先輩を置いて逃げられるかよ! 氷室だって俺は……』

 

 馬鹿だな、力動君は。でも、自分を本気で心配してくれる人が居るのは心から嬉しかった。

 いつも虐められ、嫌われ、疎まれ続けたボクの事など今まで誰一人気に掛けてくれる人なんて居なかったから。

 だからこそ、彼を助けたいと思う。

 短い間だったが、生まれて初めてできた気を許せる友達にボクは言う。

 

『先輩命令だよ、力動君。ここで君まで戦えば、誰が美羽さんを守るの? 誰がドラ―ゴに今の状況を伝えるの?』

 

『旭先輩……』

 

 魔法少女の一人が魔物のような姿になった事も含め、ドラ―ゴ……あきら君に報告する必要がある。それに……。

 魔物化した力道君の腕の中に居る美羽さんに目を向ける。

 氷室君の忘れ形見である彼女を守らなくてはいけない。ボクを命懸けで助けてくれた彼に報いるためにも、ここはボク一人で解決する場面だ。

 身体を猫の怪物に刻まれながら、人間の姿に戻らないように意識を強く保ち、力道君が逃げるための血路を開く。

 

『行け! 行くんだ、「オルソ」‼ トラぺジウム征団のオルソ‼』

 

 

『分かった……アンタの事は絶対に忘れねえよ、トラぺジウム征団の「ポルコスピーノ」』

 

 お互いにあきら君が付けてくれた魔物としての名前で呼び合い、そして、別れを告げた。

 ポルコスピーノ。全てを傷付け、串刺しにする針鼠。誰も逃がしはしない、針の山。

 にやりとボクらしくない不敵な笑みを浮かべ、残り全部の針の弾丸を猛獣使いの怪物に向けて、射出する。

 虐められっ子の旭たいちとして死ぬんじゃない。ボクは仲間を守る誇り高いポルコスピーノとして死ぬんだ。

 恐怖はない。胸にあるのは覚悟と誇り。

 命を籠めた無数の針は、猛獣使いの怪物の中心にある檻のような部分が壊れる。中に居たウサギのような生き物が怯えた表情でボクを見ている。

 ――お前が本体か。

 

『死ね。これがボクの……トラぺジウム征団、針のポルコスピーノの一撃だ!』

 

 最後に口の中に隠し持っていた血に塗れた太い針を飛ばした。

 逃げ出そうとするウサギの頭部を外す事なく、捉えた針は奴の頭蓋を打ち砕く。

 同時に周囲の変な空間は掻き消える。いつの間にか、身体を刻む猫の怪物もさっきの余波で消し飛んでいた。

 身体から力が抜けていくのが分かる。毒の鱗粉のせいか、それとも猫の怪物の攻撃か……あるいは両方か。

 どちらにせよ、ボクは死ぬ。もう助からない。

 霞んだ目に映るのは、死んだ宇佐木里美の死体だった。

 仇は討ったよ……氷室君。これで君に報いる事はできただろうか?

 そして、ごめん。あきら君、力をくれたのに最後まで役に立つ事ができなかった。

 力道君、君に後のすべてを託す。駄目な先輩で申し訳ないけど……許してほしい。

 頭がぼうっとする。視界が暗くなり、意識が遠退く。けれど、ボクの心はどこか温く感じた。

 

 

 ***

 

 

~御崎海香視点~

 

 

 ここはどこだろうか。飛びかける思考を纏め、私は記憶を手繰り寄せる。

 羽。虹色の羽。黄色の鱗粉。蛾の魔物。

 断続的ながら単語を組み合わせ、何が起きたのかを思い出した。私は確か、あの毒蛾の魔物の鱗粉で意識を飛ばしてしまったのだ。

 そこまで思い出して、私は自分の身体が何かに運ばれている事に気が付く。

 目を向ければ、私を大量のテディベアが持ち上げて、運んでくれている。このテディベアはみらいの魔法「ラ・ベスディア」だ。

 とすれば、私を助けてくれたのは……。

 首を動かして、隣を見れば同じようにテディベアに持ち上げられているみらいの姿が映る。

 

「あ……海香……気が付いた?」

 

 顔色が悪く、運ばれるみらいは私の目が覚めた事を認め、話しかけてくる。

 

「私たちは、一体どうなったの?」

 

「どうもこうもないよ。……あの変な蛾の粉でボクらはやられて、里美は……」

 

 そこで口ごもるみらいに、私は里美の姿がない事に気付く。

 最悪の想像が脳裏を過るが、それでも聞かない訳にはいかない。私は恐る恐る、みらいに問う。

 

「……里美はどうなったの?」

 

「魔女に、なった……。それでトラぺジムの奴らを襲ってる隙にボクはどうにか魔法で海香だけ連れて……」

 

 想定していた最悪のさらに上の、最悪に眩暈がした。だが、弱音を吐く前にここではみらいに感謝を言う方が先だ。

 

「そう。……とにかく、みらい、助かったわ。ありがとう」

 

「うん」

 

 力なく頷く彼女に掛ける言葉は見つからない。こういう時、カオルかニコなんかが居てくれたら少しは気の利いた事を言ってくれるのに。

 今は彼女たちと合流して、魔女になった里美とトラぺジムの魔物を倒さないといけない。

 気を強く持ち、みらいに聞いた。

 

「どこに向かってるの?」

 

「アンジェリカベアーズ博物館」

 

 彼女はそれに短く、答える。

 『アンジェリカベアーズ博物館』。それはみらいが所有しているテディベアの博物館だ。そして、そこにはもう一つの、プレイアデス聖団にとって欠かせない場所でもある。

 そこで一旦、身を落ち着けて身体をジュゥべえにソウルジェムを回復させるのがベストだ。

 そうこうしている間に博物館が見えてくると、門の前にジュゥべえの姿があった。

 

『手ひどくやられたみてえだな。それじゃあ、さっそくソウルジェムを浄化してやるよ』

 

「お願いね、ジュゥべえ」

 

『おうよ。任せな』

 

 そう言ってくるりと身体を回し、円を描くと私たちのソウルジェムの穢れを吸い込んでくれる。まるでブラックホールのようになったジュゥべえはいつものように穢れを浄化する。

 ソウルジェムは当然のように濁り一つなく、綺麗に浄化された。

 カオルと合流したと言っていたニコたちに電話を掛けようとしたところ、それをみらいに遮られた。

 自分のソウルジェムを持つと、みらいは何かを悩んだようにしてから、覚悟を決めたように私に言う。

 

「海香には言っておかないといけない事がある……」

 

「何の事?」

 

 問い返すと彼女は少し言いづらそうにしてから答えた。

 

「サキがボクらに隠そうとしていたものが、この博物館の『レイトウコ』の近くに隠してある」

 

「『レイトウコ』に?」

 

 行こうと彼女に促され、疑問を抱えながらも私は彼女の後ろを歩いて行く。

 博物館の中央の部屋。そこにある魔法陣にソウルジェムをかざすと、私たちはこの建物の地下、『レイトウコ』に行く。

 ずらりと並んだ水槽に入っているモノを横目で見た後、みらいの背を追った。

 

「ここだよ」

 

 何もない部屋の壁を指差したみらいはソウルジェムを向ける。そこを魔法少女となり、無理やり、大剣で壁を砕く。

 

「ちょっと、みらい!」

 

 何をしているのと、問う前にそこに居た少女たちの姿を見て、絶句した。

 なぜ、彼女たちがここに居る。確か、彼女たちはサキが……。

 そこまで考えてから、みらいの言っていた意味を理解する。サキの隠していた事、それは彼女たちの事だったのだ。

 私の知る少女と瓜二つの顔をした少女がずらりと十二人並んで私とみらいを見つめている。

 かずみと同じ、『彼女』そっくりの少女たち。

 傍らのみらいの瞳が私に無言で問いかける。

 ――この子たちをどうするのか、と。

 




次回はまたあきら視点に戻ります。話が同時並行なので少し、読むのが大変かも知れませんがご容赦ください。


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第三十一話 魔女はランチ

今回ちょっと短めです。


『いや~、ブッサイクだね、魔女って』

 

 ニコちゃんだった魔女を間近で見た俺の感想はその一言に尽きた。ていうか、他に感じるものがない。

 やっぱり、魔法少女の内に殺してやるのが正しいことだと改めて確信したくらいのモンだ。

 こんなドブスになる前に、美しい魔法少女として殺してあげる俺って、本当に天使だ。いや、この慈悲深さはもはや神だ。俺、イズ、ゴッド。

 そうか。俺が神なのか。何か、納得だわ。これぞ、真理。

 

『かずみちゃん、ユウリちゃん。俺、神だったみたい。俺のケツにキスすれば天国連れてってやるよ!』

 

「死ね」

 

 呆然としているかずみちゃんはガン無視。ユウリちゃんは人に言ってはいけない台詞ナンバー1の台詞を吐く。あ、でも、俺神だからいいのか。

 アホなことをいい感じに考えていると、ニコちゃんだった魔女、マネキンの魔女はその先が刃になった腕を俺たちに振るってくる。

 

『危ないな、オイ』

 

 空を飛んで避けるが、俺よりも傍に居たかずみちゃんはもろに喰らって弾き飛ばされた。

 床に倒れて気絶したフランちゃんと死体と化したルカちゃんは真っ二つになり、地面の赤い染みへとジョブチェンジする。あー、もったいない。食べ物を粗末にしやがって。

 ユウリちゃんも距離を取りつつ、二丁拳銃で攻撃する。魔女は刃の腕をクロスさせて、それを防いだ。

 向こうさんは攻撃したからか、はたまた別の理由か、ユウリちゃんを狙って接合している床ごと動いて襲い掛かる。

 やれやれだな、まったく。

 ユウリちゃんを援護すべく、俺がマネキンの魔女に近寄る前に何者かが魔女に飛び付く。それは先ほど弾き飛ばされたかずみちゃんだった。

 魔女となった友達を助けようとしているハートフルな展開かと思えば、ぎらぎらと獣じみた眼光でマネキンの魔女の肩に噛み付いている。

 前になった時と同じように彼女の中に埋め込まれたイーブルナッツが暴走し、バーサーカー状態になっている様子だ。

 

「ガアアアアアアアアアアアアアアアア!」

 

 口からは尖った牙が生え、手足が獣のような姿に変化し、毛むくじゃらになったその四肢から巨大な爪が伸びている。まさに魔物といった風情だ。妙に良い子ちゃんぶったいつものかずみちゃんより、こっちの方が魅力的に映る。

 

『んじゃ、俺の方も。ガアアアアアアアアアアアアア‼』

 

 俺もまたかずみちゃんに負けないように大きな口を開き、長く頑丈な牙をマネキンの魔女へと突き立てた。痛みを感じたらしく、魔女は口もないに不快な絶叫を発声させる。

 炎や雷は便利だが、やっぱり近接武器で戦うのが一番気持ちいい。

 魔女の頭部を嚙みちぎると俺と、肩の肉を削ぎ落すかずみちゃん。組み付いてしまえば腕の刃しかないマネキンの魔女は脅威ではなかった。

 俺に当たらないように気を付けたユウリちゃんの援護射撃が飛ぶ。

 勝敗が着くまでには時間はあまり掛からなかった。

 俺とかずみちゃんのランチと化したマネキンの魔女は朽ち果て、少しまた少しと胃袋へと消えていく。

 旨くはなかったが、敵を喰らって飲み下すという行為には程よく甘美に感じられる。

 マネキンの魔女が消滅するとすぐに張られていた結界が消え、俺たちはラビーランドへと戻って来た。

 遊園地の地面には目を瞑り、動かないニコちゃんの死体が転がっている。

 ……ニコちゃん。アンタの活躍は忘れないぜ。

 二秒ほど感傷に浸った後、さあ、頭から齧ろうかと大口を開くが、それをかずみちゃんに邪魔される。

 

「ギッ、ガアアアアアアアアアアアアアアアア‼」

 

『何おう。こっちだって。グガアアアアアアアアアアアアアアア‼』

 

「張り合うな、馬鹿」

 

 威嚇対決を繰り広げていた俺の頭をユウリちゃんが拳銃のグリップで殴る。

 野性に戻っていた心が常識を取り戻し、ちょっとだけ照れて、頭を鉤爪で掻いた。

 

『へへっ』

 

「ドラゴンの顔で、はにかむな。気持ち悪い」

 

 冷めた顔で再び、駄目出しを喰らう俺。どないせーちゅうんや。

 ボケも程々にしてかずみちゃんの方を向く。未だにバーサーカーモードが続いたままで、今にも襲い掛からんとこちらを凝視していた。

 あらやだ、この子。まだ理性帰ってきてない。

 

『どうどう、落ち着け。じゃあ、ニコちゃんのお肉はかずみちゃんが食べていいから』

 

 大人しく、ニコちゃんの死体を食べる権利を譲るがまったく聞いた様子がない。

 ユウリちゃんの方を向くと、銃口を構えて、打ち殺そうとしている姿が視界に入った。

 わお。こっちの子は理性がない子にも容赦ない。

 

『駄目だよ、ユウリちゃん』

 

「止めるな、こいつは……」

 

『動物保護団体に怒られちまうよ』

 

「何の心配してんだよ、お前は!」

 

 俺に突っ込みを入れて、意識が逸れたのを見計らい、野獣と化したかずみちゃんが飛び掛かる。

 そっと避けると俺の斜め後ろに居たユウリちゃんが押し倒された。成り行きを見ているとユウリちゃんに乗り、長い爪を刺そうとする。

 ユウリちゃんは二丁の拳銃でそれをうまいこと防いでいるが、筋力が拮抗しているのか、お互いにプルプルと腕が震えているのが何か笑えた。

 

『どうしたの、百合展開? 百合展開なの? 女同士の愛芽生えちまったん?』

 

「馬鹿言ってないで助けろ!」

 

 切れ気味で俺にそう怒鳴った後、ユウリちゃんは上に乗っているかずみちゃんとの隙間に膝蹴りを食い込ませて、彼女の腹に一撃決める。

 グウと小さく(うめ)いて離れた。何だ、助ける必要ないじゃん。

 だが、そろそろこのじゃれ合いも飽きてきたし、ここらでかずみちゃんも処理してしまおうかと動くが、その前に一人の少女が登場した。

 ニット帽を被った二つ別けの黄緑色の髪の女の子。見覚えがある気がする。ふと下に転がっているニコちゃんの死体を見る。

 同じ顔だ……あれ、ニコちゃんが二人?

 

『ひょっとして、イッコちゃん?』

 

 指を差すして尋ねると、暫定イッコちゃんは複雑な表情した後、俺に言った。

 

「そっちは魔法少女の願いで作った私のコピーだよ。私が本物の神那ニコさ」

 

 イッコちゃん改め、真のニコちゃんが転がっている偽ニコちゃんの顔を触ると浮かんでいた顔がふっと消えた。

 

「……選手交代」

 

 そう小さく呟くと陰のある笑みを浮かべる。

 ニコちゃんが死んでないと分かったかずみちゃんは少しずつ、獣のような手足が戻り、元の彼女へと変わっていく。

 

「ニ、コ……無事だったの?」

 

「うん。心配してくれてありがと。かずみ」

 

 二人は感動の再開をする、めでたしめでたし――とは当然問屋が卸さない。

 伸ばした尻尾で気を抜いていたかずみちゃんを吹き飛ばす。鈍く呻いて、彼女は園内の壁に叩き付けれた。

 

「かずみ!」

 

『戦場で気ィ抜いちゃあいかんでしょ? かずみちゃ~ん』

 

 それを避けつつ、壁に頭を打ち付けたかずみちゃんの方へと走るが、ユウリちゃんの方も間発入れずに銃弾をニコちゃんへと撃ち鳴らし、牽制した。

 これで戦いは振り出しに戻っただけ。また、戦いの火蓋が切って落とされる。

 そこに新たな乱入者がやって来る。ラビーランドの人気は侮れないぜ、本当に。

 入場ゲートからエントリーしてきたのは現れたのは、ボロボロになった角の生えた赤い熊の魔物、我らがリッキーだ。口にはみうキチを咥えている。

 

『どったの、オルソ? そんな熊面ぶら下げて』

 

『ドラ―ゴ……ポルコスピーノがやられた。魔法少女の一人、宇佐木里美が化け物に……』

 

 そこまで言い終えた後、身体からイーブルナッツを落とす。熊の魔物はたちまち少年の姿になって、みうキチと共に地面へぶっ倒れた。

 

『……ああ、大体分かったわ』

 

 通りの方で何か起きていると思ったが、あっちもあっちでドンパチやっていたらしい。現状の戦力などもあるし、これ以上魔女になられてお楽しみを減らされたくはない。

 ここは残念だが、一旦出直しとしよう。

 

『ユウリちゃん、撤収』

 

「なっ、こいつらを追い詰めるチャンス……」

 

『ここで魔女になりたいのかよ? アンタも結構魔力使っただろ?』

 

 文句を言う彼女を眼差しで黙らせると、かずみちゃんたちにも情報のお裾分けをしてあげる。

 

『アンタの別のお友達、魔女になったとさ。嘘かどうか、自分の目でチェックだ!』

 

 相手の反応を待たず、落ちているリッキーとみうキチを両手に掴む。ついでに転がっていたリッキーのイーブルナッツと偽ニコちゃんのグリーフシードも回収し、上空へと舞い上がった。

 ユウリちゃんは思い切り舌打ちをしてから、牛の使い魔を作り出す魔法「コルノ・フォルテ」を使って、空中まで飛んでくる。

 俺はそれを確認してから、ユウリちゃんたちと愛する自宅へと帰って行った。

 

 




あやせ編が終わり、次からはまたあきら君のほのぼの悪巧みが始まります。


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正義の魔物登場編
第三十二話 蠍の騎士


今回、新キャラ登場回です。


~赤司大火視点~

 

 

 物心ついてからまず最初に感じたのは、怒りだった。

 幼き頃より、俺はずっと思っていた。この世界は総じて汚な過ぎる。

 私利私欲のため、他者を踏みにじる存在の何と多い事。己の一時の快楽のため、弱者をなぶる輩の何と多い事。

 赦せない。断じて赦してはならない。

 この世にはそのような悪を裁く正義がなくてはならないのだ。

 

 しかし、次に感じたのは無力感。

 どれだけこの世に憤りを感じようとも俺にできる事は高が知れている。

 所詮は子供戯言に過ぎない。せいぜい、自分の目の前で行われている暴力を止めるくらいが限界だ。

 だが、それすらも力がなければ成り立たない事だった。

 故に俺は必死になって格闘技を習い、心身を鍛え上げ、ひたすらに眼前に怒る暴虐を止めるために己を研磨し続けた。

 そうして、数年過ごし、できあがったのが赤司(あかし)大火(たいか)という人間だった。

 

 母校、あすなろ中学での格技場の放火による相撲部員の焼失死。同場所で校舎で上空で目撃されたという巨大な竜と鷹の化け物。二条院精神病院での大火災。そして、二日前に起きた大通りの謎の大量死。

 異常だった。いくら何でもこの街でおかしな事が起こり過ぎている。

 高校生の俺ですら、このあすなろ市で起きている異常に気が付いているというのに警察が何も反応しないのはいくら何でもあり得ない。

 こんなにも何の罪もないの人間が不自然に死んでいるというのに……。

 警察に憤りを感じながらも俺もまた街が何かに襲われている事に何もできずにいた。

 

 高校を自主的に休み、俺は今起きている事を少しでも知ろうと街中を練り歩く。すると、近くで井戸端会議のように、大通りで起きた話をしている主婦らしき中年女性たちを見かけた。

 盗み聞きをしようとした訳ではないが、大きな声で噂話をしているため、傍を歩けば嫌でも耳に届いてくる。

 

「怖いわねぇ、あの大通りの事件」「何でも有毒ガス漏れ出てとかいう話だったわね」

 

「それがね、あのすぐ後に大通りに言った人が言うにはあの事件のすぐ後に大きな赤い角の生えた熊みたいな化け物を見たとか」

「ええ? そんな映画じゃあるまいし、そんな怪物が居たら警察だって黙ってないでしょ?」

 

「それもそうね。でも、私の息子も空を飛ぶ、大きな竜を見たとか」

 

 熊の化け物……? それに竜や鷹の化け物の他にも同じような怪物が何体も存在しているというのか。

 話を聞かせてもらおうと俺は主婦たちに軽く挨拶を交わしてから、知っている情報を聞かせてもらった。

 彼女らの話によれば、空を飛ぶ竜や鷹などが度々、あすなろ市上空で目撃されているとの事だった。どうして、それを警察などに報告しないのかと尋ねれば、信用してもらえず、また見つけてもすぐに見失ってしまうとの事だった。

 顔には出さなかったが、内心で市民の通報をまともに取り合わない警察に怒りを感じた。

 その時、奥の通りでフードを目深に被った人影が俺を見ているのに気が付く。俺がその人物へ焦点を合わせると、フードの人物は通り方へ走り去った。

 

「待て!」

 

 思わず、声を上げてその人物を追う。話を聞かせてもらっていた主婦たちは驚いたように俺を見たが、今はそんな事は気にしてはいられなかった。

 何故、逃げたのかは理由は定かではない。しかし、俺には奴がこの一連の事件を何か知っているのではないかという根拠のない確信があった。

 フードの人物は俺をどこかに誘導しているように一定の間隔を取りつつ、逃げて行く。

 それを理解しても、俺は奴を追う以上の選択肢はなかった。

 ただ、ひたすらに生まれ育ったこの街で起きている異常を知りたい。そして、できる事なら無辜の人々をこれ以上死なせたくはないという意志だけが俺を突き動かしていた。

 走り、走り、息が切れるまで走り続けた俺の前でフードの人物は足を止めた。

 俺も相手に習い、足を止めると荒くなった呼吸を整えた。

 この人物はどれだけ体力があるのだろう。普段走り込みを日課にしている俺ですら息が上がってしまうほどの距離を駆け抜けておいて呼吸をまったく乱した様子がない。

 背を向けていたフードの人物は俺の方に向き直ると、ゆっくりと話しかけて来た。

 

「お前はどうして、この街で起きている事を調べている?」

 

 低い声をしていたが、それは女の声だった。こうやって相対してみれば、背格好も俺より小さく中学生くらい見える。

 しかし、その声音に乗った意思やフードの奥の暗がりから見える眼光は決して馬鹿にできる類ではなかった。

 武道を嗜む俺には分かる。舐めて掛かれば痛い目を見る。そういう相手だ。

 恥かしいが、本心からの言葉を口にする。

 

「……この街を守りたい。訳の分からない化け物が理由で人が死ぬのを防ぎたい」

 

 青臭く、幼稚な内容だと自分でも思う。けれど、それが偽りなき、俺の本心だった。

 俺の言葉を聞いたフードの人物は数瞬だけ無言になり、その後堪え切れないという風に笑い声を漏らした。

 

「あははは。本気だ。本気で言っているんだね、お前」 

 

 分かってはいたが、流石に面と向かって笑われると羞恥の情が広がり、かあっと頬が熱くなるのを感じた。

 だが、嘘と詰られず、信じられた事は俺にとって意外だった。

 

「信じてくれるのか?」

 

「ああ、うん。まあ、ね。それでこの街で起きてる事……時折目撃されている怪物について知りたいんだったか?」

 

「やはり知っているんだな」

 

 フードの人物は頷き、語り出した。

 曰く、このあすなろ市で暴れている化け物は『魔女モドキ』あるいは『魔物』と呼ばれる存在なのだと言う。

 『魔物』は人間がイーブルナッツという不可思議な魔法の道具で異形化した姿であり、中でも取り分けて、危険で多くの人の命を奪っているのが黒の竜の魔物『ドラ―ゴ』。そいつは気まぐれで人を殺しては喰らい、殺戮を楽しんでいるらしい。

 そういう魔物と見えないところで戦っているのが魔法少女という存在なのだが、ドラ―ゴは手下の魔物や奴に協力する裏切り者の魔法少女のせいで惨敗を期し、街を守護する事ができずにいる。

 それがこのところ、街で起きている事件の真相だと彼女は言った。

 下らない冗談のような話だったが、本気で騙すつもりならば、もっとまともな嘘を吐くだろう。それに竜や角の生えた熊の化け物のような非日常的な存在が居るのだ。魔法少女くらい居てもそれほどおかしいとは思わない。

 

「何故、お前はそんな事を知っている? そして、それを俺に話すんだ?」

 

「そうだね……私も『魔法少女』だからと言ったら?」

 

 フードの人物を俺は()めつ(すが)めつ見る。そして、一言。

 

「地味なんだな。魔法少女って言うからにはもっとこう……ひらひらでふわふわしたファンシーな格好しているものだと思っていた」

 

 真面目な感想を述べると、またもフードの人物改め『魔法少女』はおかしそうに笑った。

 意外と彼女は笑い上戸なのかもしれない。

 とにもかくにも、情報をくれたのだから、感謝を述べねばならない。

 

「ありがとう。君のおかげで事件の事が分かった。感謝する」

 

 深々とお辞儀をすると彼女は笑うのを止めて、俺の下げた頭へと見下ろしている様子だった。

 身体を九十度折り曲げた状態で顔だけ上げると、フードの奥の瞳は冷たく光っている。

 

「……私の言った事を信じるのか?」

 

「嘘を吐くならもっと信憑性(しんぴょうせい)のある物言いをするだろう? 先ほどの話は意図的に情報を省いたような言い回しだった」

 

 嘘は言っていないが、知っている真実をまだまだ隠している気がする。あくまで勘ではあるが、俺の勘はこういう時大抵当たるのだ。

 『魔法少女』は少し驚いたような雰囲気を出したが、元の冷徹さを取り戻し、静かに問いただしてきた。

 

「それが分かるなら、何でここで引き下がった。もっと情報を引き出すようにするのが普通だろう?」

 

「……俺が知りたい事は大体聞けた。それに言いたくない事を無理やり、聞き出すのは俺の主義に反する」

 

 教えてくれるなら聞きたいとは思うが、隠している事を暴き出すのは、嫌いなのだ。隠しているという事は人に聞かれたくない事だ。無理強いをしてまで、それを聞く出すのは俺が目指すべき正しさではない。

 ましてや、女子にそれを強いるなど言語道断だ。

 

「それに俺は口下手でな、そういった話術は得意ではない。女子と話すのもクラスの連絡事項くらいだ」

 

「く、くく……あはははは。本当にお前、素直だね」

 

「あー、嘘が嫌いな性分なんだ。放っておけ」

 

 散々、大笑いした後、『魔法少女』はフードの奥の目尻を拭って、ようやく笑みを止めた。

 そして、俺に尋ねた。

 

「お前、名前は?」

 

赤司(あかし)大火(たいか)。『赤』を『司』る『大』きな『火』と書いて赤司大火と読む」

 

「じゃあ、タイカ。笑わせてくれたお礼にこれをあげる」

 

 無造作に彼女から手渡されたそれは黒い装飾のある手のひらに乗る程度のオブジェだった。

 それを顔に近付けて眺めるが、何に使うものなのかさっぱり分からない。ただ、どこか嫌な雰囲気を醸し出している事だけが感じ取れた。

 

「何だ、これは」

 

「イーブルナッツ」

 

「話に出てきた魔物に変身するアイテムじゃないか!?」

 

 何気なく、答える『魔法少女』に俺は突っ込みを入れた。平然ととんでもないものを手渡すなと言いたい。

 恐る恐る、端の方を爪で摘まみ、じっと様子を見るが持っているだけでは危険はないようだった。

 

「それを使えば、魔物と戦う戦闘能力を得られるよ」

 

「だが、魔物になってしまうのだろう?」

 

「怖いの?」

 

「ああ。怖い」

 

 首肯すると「正直だ」と言い、『魔法少女』は口元を弛めた。

 顔の下半分だけしか見えないが、彼女の顔立ちはなかなかに整っているのが分かった。

 

「でも、それなしでドラ―ゴと相対してお前に何かできる?」

 

 正論だ。敵はどう軽く見積もっても、生身のままで勝てる相手ではない。

 しかし、同時に倫理の教科書の何ページかに乗っていたニーチェというドイツの哲学者の言葉を思い出す。

 『怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ』。

 俺は今、深淵の一端を覗こうとしている。ならば、深淵もまた俺を見返すだろう。だが、ニーチェは同じページでこうも言っていた『一段深く考える人は、自分がどんな行動をしどんな判断をしようと、いつも間違っているということを知っている』。

 ここで考えていても恐らく、どのような行動を取ろうとも正解は見つからない。考え過ぎても、何も為せなくなるだけだ。

 俺は覚悟を決めて、『魔法少女』に言う。

 

「俺はこのイーブルナッツを使おうと思う。そこで君に頼みたい。もし、俺が身も心も魔物になってしまったら、誰かを傷付ける前に殺してほしい」

 

 彼女は『魔法少女』だ。魔物と戦う存在の一員だと言うのなら、それなりに力を持っているだろう。

 ならば、最悪俺が化け物になってしまった時は彼女に倒してもらえばいい。

 

「頼まれてくれるか?」

 

「……お前は本当にどうしようもないくらい愚直なんだね。自分がそんな事をする必要がどこにある、お前に力があるならお前が魔物を倒せ――そう言ってもいいだろうに」

 

「誰かに何かを望むのは、自分で行動してからだろう」

 

 自分で何もしようとしない奴が、誰かに文句を言う権利など在りはしない。

 それに加え、俺は俺の手でこの街を脅かす存在を退治したいと思っている。こちらはただの我がままだ。

 子供のような幼稚な我がまま。

 だが、俺を支えている信念めいた感情。

 

「いいよ。聞いてあげる。約束しよう」

 

 『魔法少女』は俺にそう答えた。

 有り難い。これで最悪の場合はどうにかなるだろう。

 この少女は俺にすべての真実を伝えてはいない。しかし、この言葉だけは嘘偽りのない本心からの言葉のような響きを持っていた。

 

「感謝する。それで、どう使うんだ?」

 

「額に近付ければ勝手にイーブルナッツが身体に吸収される。それでお前は魔物になれるよ」

 

「了解した」

 

「……何で使い方を知っているのか聞かないの?」

 

「聞かない。約束してくれたからな」

 

「調子狂うな……」

 

 フードの奥の顔を押えた後に『魔法少女』は俺に答えた。

 そのイーブルナッツというものを作り出したのは自分であると、この状況の元凶は自分であると、素直に俺に話してくれた。

 ドラ―ゴという強大過ぎる存在が生まれたのは予想外だったが、魔物を生み出したのは自分だと。

 言ってから、失敗したという風に頭を押さえる。

 それを見て、俺は確信する。彼女は確かに間違った事をしたかもしれない。ひょっとすれば現在も間違った事を続けているのかもしれない。

 だが、決して邪悪という訳ではない。

 

「名前を教えてくれないか?」

 

「ここでまで話してしまったら、隠す意味もないか。……カンナ。私の名前はカンナ」

 

「そうか。カンナか。女性の名前の良し悪しは分からないが、綺麗な名前だな」

 

「……………」

 

「じゃあ、カンナ。約束は守ってくれ」

 

「なっ、タイカ……」

 

 俺は自分の額にイーブルナッツを近付けた。額からするりとそれが頭の中に入っていく。

 異物感がして、不快さが込み上げるが、どうにかそれを堪える。

 身体の奥で何かが揺れた。中心から末端に掛けて、その何かは広がっていった。

 気が付けば、俺の身体が白い鎧の如き、甲殻に包まれている。世界史の教科書で見た西洋の甲冑に似ていた。

 両手は甲殻類のような強靭な見た目の鋏に変わっている。

 最初は海老(エビ)か、(カニ)の魔物になったのかと思ったが、違う。

 これは……。

 

(サソリ)……」

 

 カンナの声に首肯する。

 腰のすぐ上からは長く巨大な蛇腹のように節のある尾が付いており、その先には棘状になっている。

 そう、彼女の言う通り、これは蠍だ。

 俺は蠍を無理やり、人型に変形させたような姿になっていた。

 意識ははっきりとしている。これであすなろ市で人を襲う魔物と戦う事ができる。

 

 ――ドラ―ゴ。これ以上、このあすなろ市をお前の好きにはさせない。

 

 




明らかにこの小説に場違いなキャラが現れました。
赤司大火。彼は今までの魔物と違い、正義と信念を持って魔物へと姿を変えました。
見た目的にも、性質的にも仮面ライダーに近い、存在です。

……主人公って誰でしたっけ?


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第三十三話 暴れ熊の咆哮 前編

長引いてしまうので前編と後編に分けます。


~力道鬼太郎視点~

 

 

 俺は弱い。どうしようもないくらい弱過ぎる。

 二日前のあの戦闘でも俺は、ただ旭先輩に言われるがまま逃げただけだった。

 あれから、自分の家に戻る事もできないほどボロボロだった俺は美羽と一緒にあきらの家の一室に泊めてもらっている。

 魔法少女のユウリの魔力を受けて、肉体の傷は大分完治したが、へし折れた心の方は簡単には戻らない。

 氷室の時も、今回も俺は何もできずに見殺しにしてしまったんだ。

 ……俺はどうしてこんなにも弱いんだ。イーブルナッツを握り締めて、わざわざ二人で相談に乗ってくれているあきらに弱音を吐く。

 

「あきら……俺は弱い。どうしようもなく」

 

「うん。知ってる。リッキーが弱いのはもう分かってるから」

 

 俺の泣き言を聞いたあきらはそれをにべもなく一蹴した。

 何を当たり前の事を言っているんだと言いたげな声に、酷い虚脱感が広がった。

 そうか。俺は期待なんかされてなかったんだな。

 魔物としての力をもらい、トラぺジウム征団に一員だと言われ、舞い上がっていた。

 俺はあの相撲部に居た時と何一つ変わらない。ただの……ただの『サンドバッグ』だ。

 俺の心を見透かしたようにあきらは意地の悪い笑みを浮かべた。

 

「強くなりたいか? 自分がどうなろうとも。ひむひむやサヒさんのためにも」

 

「当たり前だろっ! 何だってする。今更、戸惑う理由なんてねえよ‼」

 

 もう俺にはトラぺジウム征団として、戦う以外に何も要らない。ここだけが俺が、俺であれる場所なんだ。

 それが俺を仲間と呼んでくれたあいつらへの恩返しだ。

 親だって殺した。魔法少女だって今度こそ止めを刺してみせる。他にも命令があれば何十人だって殺す。

 強く叫び、あきらへと己の持てる限りの思いを乗せた視線を向けた。

 

「リッキーならそう言ってくれると思ってたぜ。流石は恐れを知らぬトラぺジウムの暴れ熊」

 

 満足そうに目を細めて、近くにあったテーブルの上にイーブルナッツを二つ置いた。

 あきらはそれらを指で弾いて、話し出す。

 

「このイーブルナッツは一つで、人間の肉体を魔物に変質させるほどのエネルギーを秘めている。そこで二つ、三つと身体にイーブルナッツを取り込めば、体内への当然エネルギーは増える。早い話が強くなれる訳だ。……ただし」

 

 一旦、言葉を区切り、俺を見ながらトントンと俺の額を叩いてくる。

 

「イーブルナッツ一つ分で精神にも影響が出る。負の感情が増幅されたり、隠していた思いが暴発したりする。三つも入れれば精神が壊れるかもな」

 

 それでもいいのかと言外にあきらは俺に告げた。

 馬鹿な事だ。そんな事、俺が怯えるとでも思ったのかよ。

 俺が怖いのは、氷室や旭先輩の意志を継げなくなる事だけだ。誰かに殴られるだけのサンドバッグに戻る事だ。

 無言でテーブルの上の二つのイーブルナッツを掴み取る。

 だが、俺の意志に反してイーブルナッツを掴んだ両手は震えていた。今ある自分がなくなる事を怖がっているかのように。 

 

「……今すぐ使えとは言わないぜ。おかしくなる前にやっておきたい事の一つもあるだろ? よーく、外で考えて来いよ」

 

 それを見られて、おまけに気まで遣われて、俺は俺が恥ずかしくなった。

 居た堪れず、逃げ出すようにあきらの家から出て行こうとする。

 その際に廊下に居た美羽と衝突してしまった。俺よりも体重の軽い、美羽はそのせいで尻餅を突く。

 

「……力道」

 

 生気のない無表情の顔は何を考えているか分からない。だが、今の俺には美羽が俺を憐れんでいる氷室の顔がダブって見え、返事もできずに走り去った。

 その後ろに居たユウリにも何も言わず、俺は靴も履かずに玄関の外へと逃げるように這い出た。

 

 

~氷室美羽視点~

 

 

 何なんの、あれ。いきなり、ぶつかっておいて、謝りもせず出て行くなんて。

 僅かにむっとしたが、走って追いかけてまで文句を言う気は起きなかった。廊下の先のリビングに入るとあきらが漫画をソファーの上で寝っ転がっている。

 

「あきら」

 

「何、みうキチ」

 

 ヘンテコな渾名で呼ばれたが、もう何を言っても基本的に無駄だと知っているので無視して続ける。

 

「力道、出て行けど何かあったの?」

 

 あきらは読んでいる漫画の単行本から、顔を上げる事なく、わたしに答えた。

 

「力がほしいって言うから、イーブルナッツ追加で二個上げたら、ビビッて逃げた」

 

 要領を得ない返しにわたしは首を傾げた。

 イーブルナッツの事は知っている。愛子ちゃんや旭さん、あきら……そしてわたしの頭の中にも埋まっている人間を化け物に返る力を持った魔法の道具だ。

 事実、わたしもそれで蛾の化け物になり、旭さんたちや魔法少女と呼ばれる連中ごと大通りに居た人間を殺し尽した。

 あの時の得も言われぬ感覚は今も心に残っている。血を吐き、もがき苦しみ、死んでいく人たちを空から見下ろすのは絶景だった。

 これこそ、わたしが望む『破滅のあるべき姿』だと思った。

 魔法少女の一人が化け物になったせいで台無しになったが、それでもあの一瞬だけは我を忘れるくらいに楽しかった。

 そのせいで旭さんが死んだけれど、それはどうでもいい。わたしが望むのは世界の破滅だ。

 誰が死のうと興味なんてない。わたしは世界が滅びる瞬間を見るためだけにあきらに着いて来たのだから。

 

 思考が深みにはまり、会話をそっちのけでぼうっとし出した頃、リビングの扉から少し遅れてユウリが来る。

 声が聞こえていたのか、ユウリはあきらに尋ねた。

 

「イーブルナッツを二つも与えたって……そこまであいつに期待してるのか?」

 

「いや、全然」

 

 漫画のページを捲りながら、あきらは首を横に振った。

 声からしてもまるで興味が無さそうに聞こえるあたり、本気で言っているのだと思う。

 

「もうイーブルナッツも、新しい手下も要らなくなったから、くれてやったんだ。リッキーが使わずにいても、魔法少女に回収されても、使って発狂しても良し」

 

「どこまでも酷いな……」

 

 ユウリが呆れた風にあきらを見たが、それを平然と流すユウリもまた外道だ。わたしもそれに何か思うところがないので人の事は言えないけど。

 わたしはリビングの扉を見る。気にする訳ではないが、助けてくれた力道にお礼の一つでも言ってあげればよかったかと思った。

 

「お、そろそろ時間だな」

 

 声に反応して振り返るとあきらが漫画をテーブルの上に置いて、ソファーから降りて立ち上がった。

 その様子からどこかに出かけようとしているらしい。

 ユウリもそれに気付いて、あきらに聞いた。

 

「ん? あきら、どこかに行くの?」

 

「ああ。ちょっと女の子に誘われてテディベア博物館にな。まあ、所謂デートって奴だ」

 

 あきらの台詞を聞いて、不機嫌そうな顔をしかめるユウリ。まさかこの人、あきらにそういう感情抱いているのだろうか。だとしたら、信じられないくらいに趣味が悪い。

 ユウリに対してあきらはにやりと笑うと、軽く頭を叩いてからかう。

 

「あー、ユウリちゃん。ひょっとして嫉妬してるのかなー?」

 

「馬鹿か。……そこはプレイアデスの『レイトウコ』とかいうのがある場所なんだろ?」

 

「よく覚えてたね。まあ、そういうのも含めてお話、してくれんじゃねぇの? 取りあえず、段々と俺みたいな部外者にもガードが緩くなってるっぽくてな」

 

 よく分からないが、あきらが何かを企んでいる事は分かった。恐らく、今日はまた魔法少女が死ぬのだろう。

 見に行きたいが、誘われない以上着いて行かせてはくれないだろう。

 そんなわたしの様子を察してか、あきらはわたしに言った。

 

「美羽ちゃん。今日はお留守番してろよ。ユウリお姉ちゃんに遊んでもらえ。そんじゃな」

 

 一方的にそう言ってからリビングから出て行ってしまった。

 残されたわたしは奴隷らしく、あきらの言うとおりにユウリに聞いた。

 

「……らしいので今日、よろしく。ユウリお姉ちゃん」

 

「その呼び方止めろ」

 

 嫌そうにユウリは眉を(ひそ)めた。

 

 

~赤司大火視点~

 

 

 俺は魔物姿を再び、人の姿に戻すとカンナと別れ、ドラ―ゴの所在を探す。

 この街で何が起きたのかも知り、それに対抗する手段も得た。後は己の為すべき事を行うだけだ。

 最後にイーブルナッツを取り込んで、魔物としての力を得た人間は同じように体内にイーブルナッツを入れた人間を反応を捉える事ができると教えてくれた。

 つまりは俺がドラ―ゴや奴の部下の傍に近付けば見つけられるという事らしい。

 つくづく、このイーブルナッツというものは便利にできている。

 とは言え、そこまで簡単に発見できるほど近付くにはそれなりに難しいだろう。

 再び、街中を捜索し、反応があれば接触するしかない。迂遠(うえん)的だが俺がこうやっているだけで理不尽な殺戮を防げるなら安い話だ。

 

 人通りの多い場所から、路地裏に掛けて俺は街を歩き回る。

 予想通り、そう簡単には見つからず、ニ、三時間の時間が過ぎようとしていていた。

 落胆はない。むしろ、あれから二日でまた新たな犠牲者が出る事の方が恐ろしい。もう少し見回りをしてから、今日は一旦帰るべきか。

 そう決めた直後、俺の身体の中で反応が起きる。不快で、俺の知る言葉では表せないようなそんな反応。

 これがイーブルナッツの反応かと思った瞬間、近くの人通りの無さそうな路地裏から物音を鈍い響いた。

 その物音には聞き覚えがある。殴られた人間が壁に叩き付けられた音だ。

 喧嘩の仲裁や暴力沙汰を何度か止めた事のある俺には聞きなじみのある衝撃音。耳を澄ませば、押し殺した悲鳴のようなものまで聞こえてくる。

 ……不良同士の喧嘩でも起きているのか。

 急いで俺は音がした方へと駆け寄る。

 近寄ると、そこには倒れた男が数人、壁に寄りかかっている様子が見えた。顔が抉られた者、身体が逆方向にへし折られた者、あるいは人の形を保っていないほど潰された者……。

 一目で死んでいるのが分かるほどの損壊状態だった。

 その奥で一人の男性の頭を壁に何度も叩き付けている赤い熊の化け物の姿が認められた。

 額から日本の角を生やし、両の目を血走らせて執拗なまでに男性の頭を壁にぶつけるその様は昔話に出てくるような『鬼』のようだった。

 魔物だ。こいつが二日前の事件に関わった赤い熊の魔物。

 

「やめろ! その人から手を放せ!」

 

 俺は死体の立て掛けられた壁の前を通り、赤熊の魔物の前に躍り出た。

 赤熊の魔物、『鬼熊』とでも呼称すべき存在は俺の言葉に反応してか動きを一旦止めて、こちらを睨む。

 低重な息を吐き出すと、掴んでいた男性を放り投げた。急いでそれを抱き留めるが、頭部が(ひしゃ)げて肉が削れた後頭部からは骨が見えている。

 力なく、ゴム人形のように俺の腕の中で垂れ下がる男性は既に息絶えていた。

 

 ――怒りを、感じた。

 

 半開きになり、血で汚された彼の目をそっと閉ざして、壁際に寝かせる。

 そして、鬼熊の方へ向き直ると静かに問いを投げた。

 

「……何故、こんな酷い事をしている?」

 

『ああ? ……イーブルナッツの反応、お前も魔物か。誰にイーブルナッツをもら……』

 

「質問をしているのは俺だ!」

 

 怒気を抑えられず、鬼熊を睨み付け叫んだ。

 それに鬼熊は押し黙った後、つまらなそうに歪な声で吐き捨てた。

 

『肩がぶつかったから謝れとか文句付けてきやがったから、サンドバッグにしてやったんだよ。何だよ、お前。まさか、こいつらの知り合いか?』

 

「いや、知らない。この人たちが誰なのか、どういう人間だったのかも俺は知らない。ただな……どういう人間だろうとここでこんな風に殺されていいはずがない」

 

 俺は思う。

 この殺された人たちは善良な人間ではなかったのかもしれない。

 だが、彼らがこんな方法で殺されるほどの悪人だったとも思わなかった。

 こんなにも理不尽で、一方的な虐殺など誰であろうとも受けていい訳がないのだ。

 目の前の鬼熊は笑う。心底馬鹿馬鹿しそうに声を上げて、醜く笑う。

 

『あはははは。何だよそりゃあ、正義の味方にでもなったつもりか? 馬っ鹿じゃねえの?』

 

「そうだな、その正義の味方にしては遅すぎた」

 

 周囲に倒れた数人の男性たちの死体。俺がもっと早くここに来ていれば全員救えたのかもしれないと思うと、己の未熟さに腹が立つ。

 しかし、ならばこれ以上、こいつの暴虐を赦すつもりは毛頭ない。

 

「ここでお前は俺が倒す」

 

 宣言する。ここで殺された人たちのためにも俺はこの鬼熊を倒すと。

 

『……俺に勝てるとでも思ってるのか、お前……いくら何でも舐めてんじゃねえよ!』

 

 堪忍袋の緒が切れたように、鬼熊は俺を目掛けて鋭く、強靭な腕を振り下ろす。

 成人男性の何倍もの太さを誇る腕に付いた、長い爪が大気を切り裂いて、俺へと迫った。

 俺は頭の中に埋め込まれたイーブルナッツの力で肉体を変貌させ、その爪を受け止めた。

 鋏上になった左手は爪を挟んで横に捻じるように受け流し、その勢いを殺さずに身体を直進。

 下段から上段に振り上げた右足を標的の顎の下を目掛けて振り上げる。

 

『ガゥッ!? ッてめえ!』

 

 完全にカウンターの蹴りが人体の急所の一つである喉元に決まるが、鬼熊はよろけた程度に留まっている。

 耐久力は見た目以上にあるようだ。侮っていた訳ではないが、恐らく人間の状態のままなら確実に聞かなかっただろう。

 

『弱い者虐めをしているから見掛け倒しかと思ったら、想像以上に手強いな』

 

 白い蠍の魔物の姿になった俺は距離を取るべく、後ろへと跳ぶ。

 身体能力は上がり、軽く跳ねたつもりだが二メートルほど跳ねてしまった。

 

『クソがッ! 次で潰してやる』

 

 首を軽く振った鬼熊は俺へと突進してくると今度は爪ではなく、手のひらを向けて打ち込んでくる。中国拳法の『発勁(はっけい)』かと思ったが違う。

 一撃で仕留めに掛からず、もう反対の手も同じように手のひらを同じように繰り出そうと予備動作をしている。

 これは――相撲の『突っ張り』か。

 気付いた俺に連続の張り手が津波のように押し寄せる。手を広げて指を下に向けた形で下からやや上向きに胸を突き飛ばすように突いてくる。

 両手を使い、下から上に回すように繰り出すその突っ張りの連打は俺の身体を押し上げ、弾き飛ばした。

 

『ぐッ……!』

 

 背中から地面に落下するが、受け身を取って転がりつつ、立ち上がる。数秒前に俺が倒れた場所には巨大な足が踏み下ろされていた。

 即座に避けなければ、あの巨体による踏み付けを喰らっていただろう。

 

『驚いたな』

 

『俺の強さにか?』

 

『ああ。それもだが、武道を使ってくるは思っていなかった』

 

 魔物というくらいだから、その異形化した肉体による特性で攻めてくると思えば、鬼熊は相撲の技で攻めてきた。力押しに見えるものの、先ほどの突っ張りは素人めに見ても付け焼刃ではなく、しっかりとした基礎ができている。

 間違いなく、相撲経験者と見ていい。そう結論付けて、俺はあすなろ中学校で格技場全焼事件を思い出す。

 あの突然に焼け落ちた格技場にて焼け死んだのは、相撲部の人間だったと聞いた。

 もしやと思い、俺は鬼熊へと尋ねた。

 

『ひょっとして、お前はあすなろ中の相撲部の関係者だったのか?』

 

『な、それをどこで知った!?』

 

 別段カマを掛けたつもりで言ったのではないが、あからさまに動揺する鬼熊に俺は確信する。こいつは相撲部関係者……恐らくは部員。ならば、中学生か。 

 

『それならば、なおさら、お前の蛮行を止めねばならないな』

 

 ――母校の出身の先輩として。そして、ほんの一、二年だけだが人生の先輩として。

 俺は再び、構えて鬼熊に向き直った。

 




次回、赤司君とリッキーの熱いバトル回です。
蠍の騎士と鬼熊の魔物……魔法少女が出て来ないですね。
そして、赤司君の主人公力が高すぎて困ります。


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第三十四話 暴れ熊の咆哮 後編

~力道鬼太郎視点~

 

 

 何だ。この野郎は……。

 真っ白い西洋の鎧にも見える姿。両手に蟹みたいな鋏と背中に長い鋭く尖った長い尻尾を持っている魔物。赤く光るその二つの眼光はまるで俺を恐れていない。

 動きは俊敏でかつ、精確に俺の急所を狙い、蹴りや鋏の拳を見舞ってくる。

 強い。純粋に強い。魔物としての強さだけじゃない、武道を極めたかのような空手の技がこいつの強さを裏打ちしている。

 最初の内こそ、相撲の技で翻弄できたが次第に俺の手数を読み切り、攻撃を当てる事さえ難しくなってきた。

 そして、何よりも厄介なのがこの蠍の騎士の攻撃だ。数か所、最初に打ち込んだ打撃点を外す事なく、同じ場所へと追撃をかましてくる。

 頑強が取り柄の俺の魔物形態だが、同じ場所を狙い、ダメージを蓄積させられれば、それすらも意味がなくなっていく。

 

『動きが鈍くなってきたな。もうお(しま)いか』

 

 魔物化してなお、凛と澄んだ色を響かせる蠍の騎士の声。俺とは違う、明確な覚悟と信念を持っているのが聞いているだけで分かる。

 

『クソがッ! 殺してやる、殺してやる!』

 

 悔しい。腹立たしい。許せない。脳味噌が煮立つような劣等感が俺の心に広がっていく。

 俺たちを外から客観視すれば、でかい事をほざいていた敵役が正義のヒーローに押されている姿に見えると思った。

 ああ、俺たちはトラぺジウム征団は確かに正しくねえよ。己の快楽のために弱い奴らを踏みにじって傷付けている。

 だけど、それがどうした。暴力の何が悪い。弱い者虐めの何がいけないんだ。

 俺はそれを甘んじてきた。弱いから、劣っているから虐められても仕方ないんだって考えていた。

 だからこそ、強くなった今は俺が暴力を振るう番だとそう思ったんだ。

 それがどうだ?

 ようやく戦った奴らには一勝もできず、自分を信じてくれる仲間は俺を庇って先に死に、渡された力にビビッて逃げ、挙句がムカつく正義のヒーローに劣勢を強いられている。

 どれだけ情けない醜態さらせば、済むんだ俺は。

 自分への怒りを溜め込みながら、それでも俺は身体を低くし、潜り込んでくる蠍の騎士へと前に出ながら掴みかかる。

 相手の前に行こうとする力を利用して相手の腕や肩を正面から手前に引き、相手を倒す『引き落とし』だ。

 こいつで押し倒してしまえば、体重差で勝る俺の勝ち!

 だが、奴は自分の腰から生えた尻尾を俺の顔面を穿とうと、突き刺してきた。

 飛んで来るその尾に意識を取られて、無様に顔を庇おうとした俺の手からするりと逃げ(おお)せる蠍の騎士。

 あれはフェイントだと理解した時には最初に当てられた首元に回し蹴りが放たれる。

 

『ぐへぇッ……!』

 

 何度めかのその蹴りは俺の身体をついに地面へと沈めた。

 意識はあった。だが、立ち上がったとしても蓄積されたダメージにより、また膝を突く事になるのは目に見えていた。

 何より、この蠍の騎士に勝つ自分を想像する事ができなかった。

 負けている。何もかもが、敗北している。

 

『お前の負けだ。選べ、トドメを刺されて死ぬか。それとも魔物化を止めてイーブルナッツを差し出すか』

 

 俺を見下ろす蠍の騎士。そこに弱者を(なじ)(いや)らしさはない。

 高潔に降伏を促すその姿を見れば、俺が素直にイーブルナッツを渡せば命だけは助けてくれるかもしれない。

 だが、そうするくらいなら……。

 氷室の楽しげな顔が浮かんだ。

 そうするくらいなら……。

 旭先輩の頼りない笑みが浮かんだ。

 そう、するくらい、なら……。

 最後にあきらの俺をからかう顔が浮かんだ。

 俺は――俺である事を喜んで捨てる!

 

『ドラ―ゴ。俺は……俺はああああ‼』

 

 手の甲に隠し持っていた二つのイーブルナッツを頭部に押し込んだ。

 

『身体に取り込んだイーブルナッツの他に二つも持っていたのか!?』

 

 仮面のような顔の蠍の騎士が驚いた声を上げた。少しだけざまあみろと溜飲が降りた。

 それが力道鬼太郎としての最後の思考だった。

 身体中から凄まじい力が溢れ出すのが分かる。次第に意識は黒くなり、自分の意識が遠退いてくる。

 ああ、これで……これ、デ。

 こロせルはず、ダ。

 黒い光が凡てを包んだ。

 

 

~赤司大火視点~

 

 

 目の前で二つのイーブルナッツを取り込んだ鬼熊はその巨体を覆い尽くすほどの黒い光で包まれた。

 見えない風圧が俺の身体を押し退けて、奴から遠ざける。思わず両手で顔を覆うがそれでも風圧と光は鬼熊を中心に発生し続けている。

 一体、何が起きたというのだ。

 急にぴたりと風圧と黒い光が止み、俺は庇っていた目をそちらに向ける。

 そこには鬼熊が俺の方を向いて立っていた。

 いや、もはや鬼熊という呼称は奴には合わないだろう。

 眼前に立つ、その魔物は蝙蝠(こうもり)のような両翼を生やし、身体中を太く大きな針で覆っていた。

 絵画に出てくる悪魔のような、それ以外には例えられない醜悪な外観。鬼熊よりも二回り近く巨大な姿。

 

『赤い、悪魔……』

 

『――――――――――――!』

 

 そう俺が呼ぶと赤い悪魔は口を広げ、喉を鳴らした。

 世界から音が消えた。平衡感覚すらも異常をきたし膝を突く。

 鼓膜がおかしくなったのかと思ったが、それは違うと俺の直感が囁いた。

 無音の中、赤い悪魔は蝙蝠のような翼を羽ばたかせ、飛び上がる。

 何をするつもりだと見え上げた時、奴の狙いを理解した。

 身体から飛び出している無数の針が俺に向けて放たれる。数十、下手をすれば数百かもしれない針は俺の装甲を破り、身体を抉るように突き刺さる。

 衝撃に受け身も取れずに吹き飛ばされ、俺は路地沿い壁にめり込んだ。

 呻き声をあげるが、それすらも音とならずに消え失せる。

 明らかに強くなっている。これほどの力を隠し持っていたのかと顔を上げるが、赤い悪魔は優勢による喜びは認められない。

 獣のように口の端からは涎を垂らし、白目を向いてこちらを睨むその姿に知性は微塵も感じられなかった。

 理性……いや、人格を犠牲に力を得たのか……。

 愚かだと思う反面、自分もああなっていたかと思うと僅かな憐れみを抱く。

 だが、奴は何としてでも俺が始末しなければならない。もう、降伏など勧めたりはしない。

 心まで魔物に落ちたのならば殺す。倒すのではなく――殺す。

 奴が空を飛んだ以上、目撃されるのは確実。それだけならいいが、奴を見に人が集まれば先ほどの比ではない人が命を落としてしまう。

 早めに決着を着けなければ……。

 先の一撃で大きな傷害を受けたが、それでも魔物形態は解除されていない。

 壁にめり込んだ身体を引き抜くと、即座に身体を構える。空を羽ばたく赤い悪魔は俺を睨み、第二射の針の弾丸を向けていた。今度は狙いを定めて確実に俺をサボテンに変えるつもりなのだろう。

 これを喰らえば、次こそは致命傷に至る。しかし、俺には空を飛ぶ能力はない。

 万事休すとはまさにこの事だ。

 身体や周囲の壁に刺さった十数センチはある針の弾丸。容易く俺の装甲すら貫くこの針は先ほどの一撃でコンクリートさえも穿ち、地面にも転がっている。

 それを見て、俺はひらめく。だが、頭に描いたそれは策とも言えない無謀なものだった。

 ……一か八かに掛けてみるか。

 落ちていた針の一本を鋏で拾うと、掴んだまま身体を捻り、渾身の力で赤い悪魔の左翼目掛けて投げ飛ばす。

 遠心力を乗せた針はその勢いを殺さずに真っ直ぐに飛び、奴の左翼に突き刺さった。

 その衝撃で重心がブレて俺に狙いを定めていた針の弾丸がずれ、俺の傍の壁を砕き、穿つ。

 場所を移動するのならば今だ!

 即座に壁沿いの十五メートルくらいの建造物に跳び乗り、突起を足場にして再び跳ね上がる。音がなく、三半規管がおかしいせいで平衡能力に異常もあったが、どうにか屋上まで上った。

 対峙する赤い悪魔との距離が縮まった。向こうは攻撃手段を変え、身体中を針で覆い尽くすと今度は飛ばすのではなく、その状態で突撃をしてくる。

 空を舞う剣山は俺を串刺しにしようと、下降して重力と位置エネルギーを乗せた突進を見舞おうとした。

 知性による行動ではなく、野性の本能めいた戦い方だ。それ故に直線的過ぎる。

 俺は尻尾で屋上を床を叩き、跳ね上がり、上にかわす。

 そして、これは避けの一手であり、攻めの一手でもあった。

 空中で重心を取り、右足に尻尾を撒き付けて、槍の如く変貌させる。

 俺の真下を飛行する赤い悪魔の針と針の隙間。その間隙に俺は一撃を打ち込む。

 ――砕け散れ、赤い悪魔!

 落下する俺の位置エネルギーを籠め、尾の先の針が赤い悪魔に放たれた。

 

『ギッ、ガアアアアアアアアアアアアアアアア‼』

 

 無音の空間を切り裂くような叫びが周囲に轟く。

 突き刺さった尾の巻かれた右足から、黒い光が流れ出し、膨れ上がった赤い悪魔はその身を破裂させた。

 消し飛んだ光の中で三つのイーブルナッツが転がり落ちる。

 後に残ったのは三つのイーブルナッツと、うつ伏せになった中学生らしき少年。まだ幼いその少年に近付くと彼は泡立つ音と共に血の塊を吐いて、瞳孔の開いた眼をしている事が分かった。

 

 ……死んだのか。

 

 俺は魔物の姿のまま、落ちたイーブルナッツを鋏で摘まみ上げる。

 恐らくは三つのイーブルナッツが彼に必要以上の負荷を掛けていた事が原因だろう。俺の蹴りにより、彼の中のイーブルナッツのエネルギーが暴発……そして。

 

 ――いや、言い訳などするべきではない。俺が殺したのだ。

 

 後悔はない。手加減などして勝てる相手ではなかった。

 もし同じ事がもう一度起こったとしても俺は再び、同じ行動を取るだろう。

 己の鋏で三つのイーブルナッツを思い切り握り潰す。中から染み出す黒い靄はまるで狼煙のように上がるとやがて消えた。

 魔物の姿から人に戻ると、倒れている少年を静かに抱き起こす。

 俺よりも年下であろう彼は虚空を見上げたまま、その一生を終えていた。

 胸の中でまた怒りの炎が燃えた。

 最後に彼を突き動かしたのは何なのかは分からない。

 

 ただそれがドラ―ゴという存在なのだとしたら、俺は奴を絶対に許しはしない。

 ――必ず、奴をこの手で討つ。




これでトラぺジウム征団初期メンバーはあきら君を除いて散りました。残るあきら君は何を思うのか。
きっと、全然気にしてませんね……。

ちなみにハイパーオルソことリッキー最終形態は、ひむひむの魔物形態である蝙蝠の羽とサヒさんの魔物形態である針鼠の針が生えています。
これは、リッキーが二人の力を貸してほしいと念じて、イーブルナッツを取り込んだからだったりします。


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第三十五話 博物館と少女の記憶

 大きな博物館『アンジェリカベアーズ』。

 あすなろ市の工業地帯にひっそりと佇む、テディベア専門の博物館。誰が得するんだと言いたくなるこの博物館はプレイアデス聖団の一人、若葉みらいちゃんが所有している施設だ。

 個人で持っていていいものなのかは知らないが、客を呼び込むための場所でないことは確かだろう。

 俺はその館の前まで来ると、海香ちゃんとみらいちゃん、それからかずみちゃんが待っているのが見えた。

 ニコちゃんの姿が見えないのが少し気に掛かったので、挨拶をしながら尋ねた。

 

「よう。三人とも可愛いねぇ。ニコちゃんたちは今日は来ないの?」

 

 『たち』と付けたのは、俺がカオルちゃんと里美ちゃんが既に死んだことを知らない設定だからだ。俺と別れた後、カオルちゃんはユウリちゃんが化けていたことを明かしたので俺は見事に騙されていたことになっている。

 里美ちゃんが魔女化して死んだことも俺は誰にも聞かされていないので、同じく知らない扱いになっていた。

 カオルちゃんは俺の家に泊まっていたという話で通していたので、ある程度は問い詰められるかと思ったが、彼女たちはそれについては触れずに軽く挨拶を返した。

 

「こんにちは、あきら」

 

「随分と元気そうだね、かずみから聞いた話じゃ、魔物らしき奴からかずみたちを逃がしたって話だったのに」

 

「あの後は大丈夫だったの?」

 

 そういや、そんなこともあったな。俺はかずみちゃんたちを逃がすために、あやせちゃんたちに喧嘩を売った後、サブに追いかけられた。

 普通にさっくり息の根止めてから、三時のオヤツにしてやったせいで忘れていた。

 ここはそれなりに話でも合わせておくべきだろうな。

 

「そうなんだよ。俺はあの後、あの男の方を引き付けてから下水道に降りて逃げきったんだけど、そのせいで服が汚れて臭くなっちまってさ。そっちの方は大丈夫だったのか?」

 

 さもあり得そうな展開を言うと、海香ちゃんやみらいちゃんは感心したように目を見開き、かずみちゃんは複雑そうに俯いた。

 

「魔法少女と鷹の魔物の二人に追われて、そこにドラ―ゴも加わって……色々あったよ。それにカオルはユウリが化けていた偽物だった」

 

「マジかよ。じゃあ、本物のカオルちゃんは……?」

 

「まだ見つかってないけど……」

 

 口篭(くちご)もってしまったかずみちゃんの後を海香ちゃんが代わりに次いで言う。

 

「ユウリやドラ―ゴの手に掛かった、という可能性が高いわ。無事なら姿を現しているはずだもの……」

 

 暗い目をしているが、諦めや達観した様子が散見された。里美ちゃんが魔女化して死んだこともあって、それほど落ち込んではいられないのだろう。

 そこで俺は白々しく、他の魔法少女たちのことも聞く。

 

「じゃあ、まさか……ニコちゃんたちが居ないのも?」

 

「ニコは無事だよ。今は出掛けている。里美の方は……」

 

「そう、だったのか。でも、他の皆が無事でよかった」

 

 改めて彼女たちの方を見て、俺は安堵したように穏やかな表情を見せる。それに応じて三人の子たちも小さく笑みを返してくれた。

 ここでだらだら安い悲しみを見せつけられても時間の無駄だ。さっくり本題に入らせてもらおう。

 

「それで、今日は俺を何で呼んだんだ? 何か聞いてほしいこととか?」

 

「それは……私も知らない。ただ、海香とみらいがあきらと私に知ってもらいたい事があるって」

 

 海香ちゃんとみらいちゃんの方に視線のみで尋ねるが、二人はここで話をする気はないらしく、博物館の中に入るよう促した。

 

「詳しい事は中で話すわ。かずみにはもちろん、あきらにも知ってほしい事だから」

 

「ボクもそう思う。あきらは……もう部外者じゃないし」

 

「お、友達だって言ってくれるんだな、嬉しいぞ。みらいちゃん」

 

「う、うるさい! 早く行くよ」

 

 若干、みらいちゃんが照れてスタスタと先に行ってしまう。それを見て、海香ちゃんやかずみちゃんは少しだけおかしそうに笑った。

 

「お、二人ともいい笑顔。辛いことがあってもその笑顔、忘れちゃ駄目だぜ?」

 

 二人を勇気付けて、俺はみらいちゃんを追いかけて館内に入っていく。

 中に入ると案外薄暗く、ますます持って人呼ぶ場所ではないと感じた。その中でずらりと並んだテディベアは可愛いというより、不気味でちょっとホラー映画のセットのようにも映る。

 奥まで一人で進むみらいちゃんを俺たちは追いつつ、通路を進むと開けた一際場所に出た。

 そこにみらいちゃんが自分のソウルジェムをかざすと、魔法陣が浮かび上がる。

 

「取りあえず、この魔法陣に乗って」

 

「何なに? 悪魔でも呼び出すの? デビルサマナーみらいちゃんなの?」

 

「大丈夫よ。そんなに危ないものじゃないから」

 

 海香ちゃんが俺のジョークに真面目に返した。ネタにそういう風に返されるとちょっと悲しい。

 仕方なく、俺は魔法陣に乗ると残る二人も同じようにその場所を踏む。

 周囲の光景が一瞬にして変わり、エレベーターで下に降りるような僅かな浮遊感を感じた後、さっきのテディベアが並ぶ博物館から奇妙な空間へと出た。

 

「おおう。ここはどこだ?」

 

 本当は既に知っている。喰ったサキちゃんとカオルちゃんのソウルジェムから記憶を掘り起こし、この場所に関する情報を手に入れていた。

 

「ここは『レイトウコ』。魔法少女の眠る場所……」

 

 左右の壁際にはぷかぷか裸の女の子が浮いている円筒形の水槽が並んでいる。その中央には台座が設置しており、複数のソウルジェムが置かれていた。

 記憶で見たと同じ光景なので特筆する点はない。強いて言うなら、どのソウルジェムもやや濁っているからあやせちゃんが生きていたら不満を言うだろうなと思った。

 

「これは……」

 

 ショックを受けたようにかずみちゃんが言葉を失う。

 あすなろドームでユウリちゃんが言っていたことを思い出しているのか。その顔は蒼白になっている。

 俺はかずみちゃんの疑問を代わりに海香ちゃんに尋ねてあげた。

 

「死んでるのかよ? この子たち」

 

「生きてる、って言っていい状態なのかしらね? 彼女たちは、私たちがソウルジェムを取り上げ機能を停止させた魔法少女たちの抜け殻」

 

 早い話が魔法少女狩りだ。魔女を増やさないためとはいえ、よくもまあ、こうまで続けたなと感心する話だ。

 俺としては既に知っていた話だが、かずみちゃんにはそこそこ衝撃の真実だったらしく、言葉をなくして聞いていたがやがてか細く呟く。

 

「本当に魔法少女を狩っていたの……? 目的は……目的は何!?」

 

「矛盾に満ちた魔法少女システムの否定」

 

 そこから彼女が語り出したプレイアデス聖団の活動についてだ。

 魔法少女が魔法を使い続ければソウルジェムはやがて濁り、魔女を産む。だから、そうなる前に魔法少女とソウルジェムを分離させ、一時的に凍結させる。

 知っている話に飽き飽きしてあくびが出そうになるのを堪え、俺はシリアスな表情を保ち、そのまま黙って聞いている。

 唐突にかずみちゃんが叫ぶ。

 

「ソウルジェムって何なの!? 何で、ソウルジェムが魔女を産むの!?」

 

「それは……」

 

『魔法少女の本体さ』

 

 海香ちゃんの代わりにジュゥべえがふらりと物陰から現れて答えた。

 ギザギザした歯を見せて笑ったような顔を見せるジュゥべえは説明役を彼女から奪い、そのまま話を続ける。

 曰く、ソウルジェムは魔力の源たる『魂』だそうだ。それを効率的に運用するために身体から抜き、ジェムという形に結晶させる。

 

『それがオイラの役目って訳だ』

 

「じゃあ……魂を抜かれた身体は」

 

 抜け殻だろうなぁ。それか戦うための道具ってところだ。

 それから、身体の方はソウルジェムを破壊されない限りは何度でも修復できるとか、ソウルジェムが肉体を制御できるのは百メートルが限界とかも話されたが、特に目新しい話ではなかったので聞き流した。

 魔法少女はその気になれば、痛覚も消して戦うことができるらしいが、プレイアデス聖団の子たちはあえて痛みを消さずに戦っているらしい。マゾである。魔法少女ならぬ、マゾ少女だった模様。

 

「この魔法陣はソウルジェムと肉体を分離し、彼女たちを魔女にさせないように……人間であり続けるために」

 

「そして、ジェムを完全に浄化して、ボクたち魔法少女を人間に戻す方法を見つけるために」

 

『それがこのお嬢さんたちの魔法少女に対する否定って奴さ』

 

 話を聞き終えた俺は魔法少女も大変で可哀想な存在だなと心底感じた。あんまりにも可哀想だから、魔女になる前にぶち殺してあげないとならない。

 哀れな化け物になる運命の女の子に死の救済を与える俺はなんて慈悲深いんだろう。自分の優しさに泣けて来た。

 

「辛かったな……二人とも」

 

「ちょ、あきら! そういうのはいいって」

 

「……強引ね。でも、貴方ならそう言ってくれると思った」

 

 ひしっと海香ちゃんとみらいちゃんをぎゅっと抱きしめてあげる。

 みらいちゃんは照れて怒るが、二人とも満更でもない様子だった。

 理由は分かる。こいつらは自分の境遇を誰かに知ってもらいたかったのだ。

 こういう風に優しい言葉をかけて、少しでも慰めてほしかったのだ。

 それを互いに抑えていたのが、人数が減って歯止めが利かなくなり、その結果が俺のような部外者まで情報を漏洩してしまったということ。

 サキちゃんあたりが居たら、俺に教えようとは思わなかっただろう。ニコちゃんは止めなかったのだろうか。

 ひたすら、哀れで愚かで可愛い子たちだ。魔女になる前に美味しく頂いてやるからな。

 俺たちが絆を深め合うハグをしていると、空気の読めないかずみちゃんは深刻な表情で尋ねてくる。

 

「魔法少女と魔女の関係、皆はいつ知ったの……?」

 

 その質問に二人の顔に影が差す。もう、空気の読めない子だ。そんなどうだっていいじゃないか。

 皆まとめて俺が皆殺しにしてやれば、魔女にならずにプレイアデスの魔法少女はハッピー。俺も気持ちよく虐殺ができてハッピー。win-winな関係になれるというのに。

 再度、空気の読めない子ことかずみちゃんは問いかける。

 

「魔女になるのが分かってて契約する子なんていないよね? 一体何が……」

 

 海香ちゃんが俺から離れてかずみちゃんの前に立つ。そして、お互いの額をくっつけ合わせた。

 驚くかずみちゃんに彼女は答える。

 

「それを伝えるために貴女の記憶を取り戻す。……それからあきらにも同じ記憶を見てほしいの」

 

 海香ちゃんが俺も同じように額に付けるように促した。サキちゃんとカオルちゃんの記憶からある程度のことは引き出していたので、正直な話どっちでもよかったが素直に応じた。

 俺が顔を近付けるとかずみちゃんと海香ちゃんは頬を赤らめた。みらいちゃんはそんな俺の尻を抓る。モテる男は辛いぜ。

 そんなこんなで俺はかずみちゃんの記憶の世界に意識を飛ばすこととなった。

 

 ***

 

 目の前が一瞬、ちかちかと点滅し、かずみちゃん以外が自殺をしようとしている場面が視界に映る。

 まあ、大体見知った内容なのである程度は流し見で意識を飛ばしていく。

 海香ちゃんは小説を売り込みに行って、アイドルのゴーストライターにされたり、カオルちゃんはサッカークラブで足を怪我させた子がそのせいで自殺未遂をしたりと、しばし面白みに欠ける内容が分かった。

 ちなみにどうでもいいのだが、その自殺未遂をしようとした女の子は、前に二条院精神病院でアリの魔物になって死んだ子だった。

 他にも里美ちゃんが自分の飼っていた猫が管理不行き届きで死んだり、みらいちゃんがボッチで嫌われ者だったり、幼いニコちゃんが拳銃で遊んでいて友達を撃ち殺してしまったり、サキちゃんの友達が車の衝突事故で死んだりとかずみちゃんの記憶なのに他の子の絶望シーンが織り込まれている。

 皆、絶望して魔女の結界に誘い込まれたという展開なのだろうが、明らかに絶望の理由に差があり過ぎるだろ、これ。みらいちゃんに至ってはしょうもなさ過ぎて逆に言葉を失ったわ。

 その後は自殺しようとしたところをかずみちゃんに助けられ、結構スパルタな叱咤を受けて、魔女から助けてもらう件はサキちゃんの記憶とほぼ同じだった。

 

 何だかんだで皆仲良くなり、今度こそかずみちゃんが魔法少女になった光景がようやく見られた。

 省略すれば、留学中にかずみちゃんのババアが危篤になり帰って来たところを魔女に襲われるが金髪ドリル頭のボインの魔法少女に命を助けられる。家に帰るが既にババアは時既に遅く意識不明、なんか口調の違うジュゥべえと「ババアが死ぬ前に意識を取り戻させる」という願いと引き換えに魔法少女になるというエピソードだった。

 それで皆傷を舐め合って仲良しこよしになって、深く考えもせずに六人ともジュゥべえと契約して魔法少女になり、プレイアデス聖団を結成。

 ウキウキ気分だったプレイアデスの皆さんは、ユウリちゃんのお友達……飛鳥ユウリが魔女になるのを目撃して、魔法少女の秘密を知る。そして、切れた海香ちゃんがその口調の変なジュゥべえの記憶を魔法で改変して、現在のジュゥべえとこの『レイトウコ』を作った。

 

 ***

 

 そこで俺の意識が戻り、同時にかずみちゃんも現実の世界に帰ってきた。

 微妙なラインだが、収穫はあった。この記憶を知ったことでサキちゃんやカオルちゃんの記憶からさらなる情報を得ることができるかもしれない。

 だが、一つ前に見たサキちゃんの記憶と食い違う点があった。

 ――和沙ミチル。

 サキちゃんの記憶ではかずみちゃんのことを皆呼んでいたが、今見せられた映像ではかずみちゃんと誰もが呼んでいた。

 この記憶は果たして本物なのか。それともサキちゃんの記憶が間違っていたのか。

 思考の中に入りかけた俺を呼び戻したのはかずみちゃんの声だった。

 

「思い出した……魔法少女狩りはユウリのことがあったからなんだね。ウッ……!」

 

「かずみ!」

 

 急に苦しみだしたかずみちゃんに俺たちは目を向けると、一瞬彼女の瞳孔が太極図のように変わる。

 魔女化するのかと身構えたが、彼女はふらりと倒れそうになるだけでそうはならなかった。

 海香ちゃんは、かずみちゃんを受け止めると俺とみらいちゃんに言った。

 

「かずみは疲れてるみたいだから、先に帰るわね」

 

 かずみちゃんに肩を貸して帰ろうとする海香ちゃん。俺は彼女の背中に声を掛ける。

 

「海香ちゃん」

 

「何かしら、あきら」

 

 振り向かずに返事をする彼女に俺は一つだけ問いを投げかけた。

 

「俺にこの秘密を聞かせてよかったのか?」

 

「……ニコは怒るかもしれないわね。でも、それでも聞いてほしかった。プレイアデス(わたしたちじゃない)誰かに……例え、嫌われることになっても」

 

「嫌わねぇよ。もっと早く話してくれればよかったとすら思ってる」

 

「……ありがとう、あきら」

 

 感謝を述べた海香ちゃんの頬からは透明な雫が流れたように見えた。

 そのまま、二人が出て行くのを見送った後、俺はみらいちゃんの方に顔を向ける。

 

「みらいちゃんもありがとな。俺にこう言う秘密明かすのって結構勇気があっただろ? よく決心してくれたな」

 

 そう笑いかけて言うとみらいちゃんはそっぽを向いてぶっきら棒に返した。

 

「あきらは……ボクの友達、だから」

 

「え? 何だって? 聞こえない。もっと大きな声で」

 

「何でもないよ!」

 

「あきらはボクの友達の後が聞こえなかった」

 

「全部聞いてるじゃないか!?」

 

 からかって遊ぶとみらいちゃんは元気に怒る。そうだ、それでいい。

 魔女になってから殺してもつまらない。こういう風に幸せを感じる可愛い女の子を踏みにじって殺すのが楽しいのだから。

 




ようやく、出した情報を回収し始めることが出来てきました。
次回ももちろん、和沙ミチルの謎を追う展開で進みます。赤司は当分お休みであきら君パートが書けるので楽しいです。

もっとも忙しいのであまり執筆時間は取れないのですが……。


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第三十六話 楽しき茶番と素敵な玩具

二話連続投稿です。


 海香ちゃんたちに引き続き、ジュゥべえまでもが去って行った後も俺はその場に残っていた。

 『レイトウコ』の中にて、みらいちゃんと共に他愛もない話を続けていると、彼女はやや唐突気味に話題を替えてくる。

 その顔には真面目そうな表情が浮かんでおり、何かの冗談を言う雰囲気ではなかった。

 

「あのさ、あきら……聞いてほしい事があるんだけど」

 

「何さ、みらいちゃん。急に改まって」

 

 俺がそう言うと彼女は少し言い辛そうに言葉を紡いだ。

 

「前にかずみが人間じゃないって話したの覚えてる?」

 

「ああ。あれね」

 

 覚えている。あの時はみらいちゃんを懐柔して情報を聞き出そうとしたのだが、割って入ってきたニコちゃんに邪魔をされて最後まで聞くことができなかった話だ。

 その続きが聞けるというならぜひともここで聞いておきたい。

 本当はあきらに話していいことじゃないのかもと前置きしてからみらいちゃんは話し出してくれた。みらいちゃんは口が軽くて素敵だなぁと半ば、本気で思う。

 

「かずみは私たちプレイアデス聖団が作った――人工の魔法少女なんだ。着いて来て」

 

 いまいちよく反応に困る発言をして、彼女は俺を連れ、『レイトウコ』の奥へ歩いて行く。少し進むと、水槽と水槽の間の壁に亀裂があった。

 そこの亀裂を潜り、みらいちゃんは入っていく。俺も彼女と同じようにその空間に入ると暗がりに人が何人か佇んでいるのが見えた。

 みらいちゃんは自分のソウルジェムをかざすと、そこから出る光がその部屋を照らし出す。

 中に居たのは十二人の少女。それもかずみちゃんとそっくり同じ顔をしている。 魔法少女の格好をした彼女たちは黙って俺とみらいちゃんを眺めていた。

 

「彼女たちはかずみの『ミチル』の出来損ない」

 

「ミチル……それって誰?」

 

 サキちゃんやカオルちゃんの記憶にもかずみちゃんはそう呼ばれていたが、どれだけ記憶を(まさぐ)ってもそこだけは分からなかった。

 まるで二人がそこだけは知られまいとしているように閲覧できない記憶。

 

「和沙ミチル。ボクたち、プレイアデス聖団の本当のリーダー……だった」

 

 悲しげに俯く、みらいちゃんの頭を軽く撫でた。普段なら、照れて嫌がるその行動も彼女は黙って受け入れる。いや、それどころか甘えるように頭を俺の方へ寄せる。

 

「……さっきのかずみの記憶は嘘があるんだ」

 

 そこから語り始められたのは真実の過去。

 和沙ミチルの正体であり、『かずみ』という名の意味だった。

 『かずみ』とうのは和沙ミチルの渾名だったそうだ。和沙のカズにミチルのミで、かずみ。

 彼女は皆に好かれる優しい女の子。

 だが、彼女は死んだ。魔女になって死んだ。

 みらいちゃんの唇は彼女に似合わず、饒舌に過去を吐き出す。胸に詰まっていた泥を出すように、苦しそうに、辛そうに。

 

「だから、皆の力を合わせて生き返らせようとした。……ミチルの死体に魔女の肉を詰め込んでクローンを造った」

 

 魔女の肉詰め、マレフィカ・ファルス。それがかずみの正体だとみらいちゃんは言う。

 和沙ミチルを除く、プレイアデスのメンバーがそれぞれの魔法を組み合せて彼女の蘇生を試みた。しかし、結果は失敗。

 姿形は和沙ミチルを模倣することができても、必ず魔女と戦えば暴走を始める始末。

 魔女化した記憶が引き金になっていると思った彼女たちは、十三番目のミチルにはあえて、記憶を植え付けずに生み出した。

 それが俺の知るかずみちゃんだ。

 悲しいかな。それもイーブルナッツを植え付けられたせいか。そもそも魔女の肉で作るクローン事態に無理があったのか。

 ともあれ、今回のかずみちゃんもみらいちゃんにとってはただの失敗作なのだと彼女は言った。

 

「アレはミチルじゃない。アレはボクたちのミチルじゃない。こんな人の形をした魔女はボクたちのミチルな訳がない。……サキもこんなもののせいで……」

 

「みらいちゃん、大丈夫。大丈夫」

 

 精神が不安定になるみらいちゃんを俺は優しく撫でて、宥めすかせた。

 これでは魔女になってしまう。こんなつまらないところでそんな風に死なれては俺は楽しめない。

 ソウルジェムを使えば、魔力を回復してやることもできるが、それほどみらいちゃんには愛着もない。

 だから、俺のために動いて死んでもらおう。

 

「みらいちゃんは悪くない。悪いのはかずみちゃんだ。いつ魔女になってみらいちゃんを襲うか分からない。それにアレのせいでプレイアデスの皆は死んじまった。みらいちゃんの親友のサキちゃんだって……」

 

「そう。そうだよ。かずみさえ、アレさえ居なければ……アレを、あの魔女が居なければサキも死ぬ事にはならなかったんだ……」

 

 転がり落ちるのは簡単だった。もともと、かずみに対する不信感やサキちゃんの死の遠因になったことが腹に据えかねていたのだろう。

 俺が誘導するまでもなく、みらいちゃんはその結論に辿り着いた。

 

「かずみを殺さなきゃ……。だよね、あきら」

 

「ああ、みらいちゃんは正しいよ。大切な友達の顔をしている化け物なんて気持ち悪いだけだモンな」

 

 俺は最後にそう嘯いた。その一言がスイッチになったのだろう。

 彼女は魔法少女の姿になると、かずみちゃんの失敗作に向けて巨大な大剣を生み出し、そして。

 ――斬った。

 

「死ね。魔女!」

 

 ――裂いた。

 

「消えろ、偽物!」

 

 ――殺した。

 

「お前らなんか、居なくなれ!」

 

 動かないのか、動けないのか。

 かずみちゃんの顔をした彼女たちは素直にみらいちゃんの手に掛かり、一人ひとり死んでいく。

 無感情なその瞳に映るのは何なのか。答えることなく、黒い体液を飛ばしながら、惨殺される。

 俺はそれをにやにやと笑って眺めていた。

 最後のかずみちゃんモドキの瞳が俺の視線と合う。

 

 ――バケモノ。

 

 そう確かに呟いて、みらいちゃんに切り裂かれて消えた。

 俺は本物の化け物から見ても化け物らしい。俺のような神の如き、高次元的存在は下等なクローンから見れば化け物なのだろう。

 ならば、神のような俺は無知なる子羊を導いてやらないと。

 魔女になる前に遊んで壊して楽しませろよ、魔法少女。

 一仕事終え、返り血を浴びたみらいちゃんを連れて、今度はかずみちゃんを殺させに俺は地上へと戻る。

 

「あきら」

 

「何、みらいちゃん」

 

「君が居てくれてよかった」

 

「気にするなよ。俺たち、友達だろ?」

 

「うん。そうだね」

 

 俺の口車に乗せられ、哀れな魔法少女は笑った。

 愚かで可愛いみらいちゃんはきっと自分を肯定してくれる存在なら誰でもよかったのだろう。

 本当にどうしようもないくらい馬鹿な子。でも、俺が役立ててあげるからね!

 

 テディベア博物館を出てから、みらいちゃんを連れて俺は海香ちゃんの家に行く。

 玄関のチャイムを押すと、海香ちゃんが出て来た。

 俺を心から信頼してくれているおかげで彼女は簡単に俺を家に上げてくれる。

 

「かずみちゃんは大丈夫?」

 

「今、上の部屋で寝てるわ」

 

「そっか。ニコちゃんは居ないの?」

 

 紅茶を俺とみらいちゃんに()れてくれた彼女にお礼を言って俺は口を付けた。温かなですっきりとした味が口の中に広がる。

 

「いいえ。一人でどこかに行くなんてしてほしくないのだけれど……」

 

「仕方ないさ。危ないから皆でずっと一緒に居る訳にもいかないだろ? 魔法少女狩りもしないといけないんだし」

 

 俺は自然な様子でニコちゃんが居ないことを聞き出し、さり気ない動作でみらいちゃんに目配せする。

 彼女はこくりと頷くとティーカップを置いて、席を立った。

 

「ボク、ちょっとお手洗いに行って来る」

 

「女の子なんだから、あまり言わなくていいわよ」

 

 みらいちゃんが席を外した後、彼女は二階に上がり、そして、かずみちゃんを手に掛けるだろう。

 俺はそれに協力するために悟られないよう、海香ちゃんとの会話を続ける。

 何の話をしてもいいが、なるべく長引く話がいいな。

 せっかく、過去が分かったのだからそこから攻めていくとするか。

 

「海香ちゃん、魔法少女になる時の願いごとって『才能を認めてくれて「大事にしてくれる」編集者に出会うこと』だったよな?」

 

 かずみの過去で見せてくれた光景では確かそう言っていた。

 

「ええ。それが私の願い」

 

「じゃあ、その願いで出会った編集者さんてどんな人? 俺よりもイケメン?」

 

 そう聞くと彼女はくすりと小さく笑って答えた。

 

「女性の方よ。とても私に良くしてくれるの」

 

「へぇー。男じゃなくてよかった」

 

「男性だったら何か問題があったの?」

 

「だって……恋敵が大人の男性だったら勝ち目がないじゃん」

 

 俺は海香ちゃんの手にそっと自分の手を添える。少し期待するような流し目で彼女を見つめた。

 しばし、驚いたような顔をした海香ちゃんは急に頬を赤く染めると、ばっと俺の手から自分の手を逃がす。

 その際にティーカップに当たり、中の紅茶がテーブルを汚した。

 

「……な、なにを言って」

 

「ああ。海香ちゃん、零れてる零れてる」

 

 指を差して言うと、広がってテーブルクロスに染み込む紅茶にようやく気付き、それを拭おうとする。しかし、動揺しているらしく、明らかにハンカチのようなもので拭いてるので紅茶による浸食を防げない。

 

「あ、あきらが馬鹿な事言うから」

 

「俺はそれなりに真面目だぜ?」

 

 本格的に口説きに入ろうと、顔を近付ける。より一層顔を赤らめる彼女だが、嫌がる素振りは見せない。

 思った通り、海香ちゃんは俺に気があるご様子。女の子ばかりと付き合っているから、男に対しての免疫がまるでない。

 そっと頬に手を添える。テーブルクロスをハンカチで拭う手は既に止まっている。

 

「海香ちゃんは俺のこと、嫌いか?」

 

「そうじゃないけど……」

 

 目を逸らし、煮え切らない態度を取る彼女に俺は再度問う。

 

「じゃあさ、今海香ちゃんにキスしたら……怒る?」

 

 海香ちゃんは答えない。それが無言の肯定だと俺には分かった。

 自分の唇を彼女の唇に近付ける……寸前に二階から絶叫が響く。

 

「ガアアアアアアアアアアアアアアアア‼」

 

 これは、かずみちゃんの叫び声だ。みらいちゃんめ、しくじったのか。

 俺はまるで驚いたような顔で海香ちゃんを見つめる。

 

「二階で何かあったみたいだ!」

 

「かずみに何が」

 

「取りあえず二階に向かおう!」

 

 俺は海香ちゃんと一緒に二階に上がるとそこでは獣のように牙を剥き出しにしたかずみちゃんがみらいちゃんと戦っていた。

 無数のテディベアを召喚する魔法「ラ・ベスティア」を使い、かずみちゃんを拘束した後にみらいちゃんは大剣を振るう。

 必殺の一撃。

 だが、彼女もまた同じように。

 

「ラ・ベスディアアアアアアアアアアア‼」

 

 無数のテディベアを生み出し、みらいちゃんを襲わせた。

 

「なっ……これは! ボクの……」

 

 みらいちゃんはあの時に言っていた。「プレイアデス聖団の魔法を合わせてかずみちゃんを造った」と。

 だとするなら、かずみちゃんはプレイアデス聖団の魔法を使えるのではないのだろうか。

 俺のその想像に答えるようにかずみちゃんはその右腕を鋼のように変え、みらいちゃんの大剣を打ち砕く。

 それはカオルちゃんの肉体硬化の魔法「カピターノ・ポテンザ」だ。

 

「この魔女めぇぇ!」

 

「ガ、アアアアアアアアアアアアアアアア!」

 

「やめて、かずみっ‼」

 

 海香ちゃんの叫びも空しく、かずみちゃんの拳はみらいちゃんの首元にあるハート型に変形した薄桃色のソウルジェムを掴み取り、握り潰す。

 その迷いのなさたるや、俺も感心するほどだった。もはや、今のかずみちゃんに理性は残されていない様子だ。

 主を失ったテディベアは溶けるように消え、抜け殻と化したみらいちゃんの身体を硬化した足で何度も何度も踏み砕く。

 潰れたトマトのようにジョブチェンジしたみらいちゃんに満足したのか、そこでやっとかずみちゃんは正気に戻った。

 

「わ、私……嘘。嘘嘘嘘……みらいを殺しちゃった……」

 

 そんなモン、見りゃ分かるよと言いたかったが、シリアスさは保たなければいけない。

 俺はおずおずと彼女に切り出した。

 

「か、かずみちゃん……アンタ……本当にかずみちゃんなのか!?」

 

 その言葉に反応したのはかずみちゃんだけではなく、海香ちゃんもだった。

 怯えるような瞳で俺を、そして、海香ちゃんを見る。

 

「みらいは言ってた……私、プレイアデスに作られた魔法少女だって……ミチルって子の偽物だって……」

 

「かずみ。それは……それ、は」

 

 答えられない海香ちゃんにかずみちゃんは泣きそうな顔で言った。

 

「……本当、なんだ。私、人間じゃ、ないんだ……」

 

 ぼろぼろと堪えられなくなったように涙を流し、かずみちゃんは窓ガラスを砕いて、二階の窓から飛び出していく。

 俺と海香ちゃんは彼女の名前を呼びながら窓の外を見るが、かずみちゃんの姿は空中で消える。

 

「……瞬間移動。サキの魔法を使ったんだ……」

 

 え、サキちゃん。瞬間移動の魔法使えたの? 初耳なんだけど。

 じゃあ、俺も使えるじゃん、その魔法。今度、ドラ―ゴ状態の時に使おう。

 思わぬ話に心躍るも俺は深刻そうな演技を崩さず、海香ちゃんの隣で彼女の肩を抱いた。

 

「何で……何でこんな事に……」

 

「とにかく、ニコちゃんにも連絡しよう。……みらいちゃんのことも」

 

 俺は内心大爆笑しながら、この茶番を心から楽しんだ。

 さてさて、かずみちゃんはどうなるのだろうか。ちゃんと最後まで俺を楽しませろよ、愉快な玩具たち。

 

 




駆け足気味ですが、原作四巻の半分くらいの話を終えました。
これから、物語はクライマックスへと向かうでしょう。最近、ニ話に一人は登場キャラが死んでいる気がしますが、原作も似たようなペースなのでこれでよしとします。

次回は赤司が登場します。微妙に人気があるようなので、それなりに頑張って描きたいと思います。


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第三十七話 彷徨える魔法少女

また、投稿してしまいました。
やはり筆が乗っている時には書いてしまうものですね……。


~かずみ視点~

 

 

 

 私は誰? 私は何?

 和沙ミチルなんて知らない。私はかずみだ!

 作り物なんかじゃない。私は人間だ!

 だって、だって、だって。

 それを認めたら、私独りぼっちじゃないか。

 身体が震える。涙が止まらない。どこへ行けばいいのか分からないのに、歩き続ける。

 行く当てもない逃避行。どこに行けば逃げ切れるのか。どこに行けば救われるのか。

 助けてよ。誰か、助けて。――私を助けて。

 でも、その言葉は声にならない。言ったところで、誰が私を助けてくれると言うのだろう。

 みらいを殺してしまった私を助けてくれる人なんて、どこにも居ない。

 人ですらない。ヒトモドキの受け入れてくれる人なんて誰も居ない。

 

「でも、悲しいよ……辛いよ……」

 

 泣き言が漏れ、私は道端にしゃがみ込む。足元を見れば、私は裸足だった。

 アスファルトの破片が突き刺さり、足の皮が剥がれて血が垂れている。人間ではないのに流れる血は赤いのかと下らない事を思った。

 ポツリと冷たい雫が私の頬に当たる。

 見上げればいつの間にか、空は曇り、すぐに雨が降り出してきた。

 私の心を表しているような空に悲しくなって、涙がまた染み出してくる。

 ――誰か、私を助けて。

 心が割れそうなくらいに強い想いと共に泣き出してしまう。

 

「おい、そこの君」

 

「……え?」

 

 声を掛けられて振り返ると、そこには高校生くらいの男の子が立っていた。傘も持たずに雨に濡れている。

 顔立ちは凛々しく、堂々とした佇まいの彼は私に尋ねてきた。

 

「大丈夫か? 蹲って泣いているようだが……何か困り事か?」

 

 しゃがみ込んでいる私に向かって、手を差し伸べてきた彼は事もなく、こう言った。

 

「俺で良ければ、助けになるぞ?」

 

 当たり前のように、気負う事なく、私にそう言ったのだ。

 目頭が熱くなり、また涙が頬を伝う。さっきまでの涙とは違う、温かな涙だった。

 

「さらに泣いてしまった。俺のせいか? 顔が怖かったか、態度が威圧的だったのか。とにかく、すまん」

 

 頭を下げた彼に今度はおかしさが込み上げて、少しだけ気分が軽くなった。

 泣きながら笑う私にその人は困惑した風に謝罪を繰り返す。雨に濡れるのも気にせず、私を落ち着かせようと悩んだ挙句、いきなり私を持ち上げた。

 

「わっ……」

 

 膝の後ろと背中に手を回すお姫様抱っこだ。中学生くらいの私を意図も容易く抱き上げた彼は、赤ん坊をあやす様に揺する。

 

「こうすると俺は小さい頃泣き止んだとお袋は言っていた。だが、そうだな。雨の中でやるべきではなかったと今確信した」

 

「お兄さん……ひょっとした馬鹿なの?」

 

 真面目な顔でおかしな事をする彼に私は失礼な発言をしてしまう。けれど、気分を害した様子も見せず、彼はこう返した。

 

「よく言われる。俺は頭が悪い」

 

「でも、優しい人だね」

 

「それもよく言われる」

 

「……正直だね」

 

 悪い人じゃない。そう直感で思った。

 あきらと違って表情が硬いし、少し言葉足らずな部分があるけど、この人は優しい人なのだろう。

 その時、「ぐう」と小さな音がした。私のお腹がなる音だった。

 

「何だ腹が減って泣いていたのか」

 

「いや、それだけじゃないけど……」

 

「俺の家は洋食屋だ。飯くらい出してもらえる」

 

「えっと……それどういう意味?」

 

 いまいち要領を得ない彼は私をお姫様抱っこしたまま、スタスタと歩き出した。

 同時に私の問いに彼は答える。

 

「とにかく、家へ来い。ここだと雨で濡れるからな」

 

 不思議な人だなと思う反面、この人ちょっと大丈夫かなと不安になる。悪い人ではないけれど、かなり不器用な人なんだろう。

 彼が私を連れてくれた場所は小さめの洋食店で看板には『洋食店・アンタレス』と書かれていた。

 そのお店の玄関を足を使って器用に開けると、彼は私を抱えたままお店に入って行く。

 

「お袋、今帰った」

 

「この馬鹿たれ大火!」

 

 店の奥恰幅(かっぷく)のよい割烹着を着た中年の女性が現れたかと思うと、お玉で彼の頭をパカンと叩いた。

 叩かれた彼は微動だせず、女性に文句を言う。

 

「お袋よ。帰って来た息子にお帰りの声もなく、罵声と共に調理用具で頭部を叩くのは如何なものだろうか」

 

 しかし、女性というか、彼のお母さんらしい人は怒りを鎮めず、再び彼の頭をお玉で叩く。

 

「何言ってんだい! 高校もサボった上に店の手伝いもせずにブラブラ遊び呆けた馬鹿息子が……ってその子、どうしたんだい?」

 

 抱き上げられている私にようやく気が付いた彼のお母さんは驚いた顔をした後、すぐに疑わしい目を彼に向けた。

 

「攫ってきたんじゃなかろうね?」

 

「お袋は俺をそんな人間に育てたのか?」

 

「質問には、はいか、いいえで答えなって躾けたつもりなんだけど」

 

「答えはいいえだ」

 

「なら良し」

 

 ……凄い親子だな。

 会話の受け答えなんか聞いていておかしい気がしたけれど、それにどう突っ込めばいいのか分からないかったので黙って事の成り行きを見ていた。

 タイカという名前らしい彼は私の事を話そうとしたのか、口を開くがすぐに何かに気が付き、私の顔を覗き込む。

 

「そういえば、まだ君の名前を聞いていなかったな。というか俺の自己紹介もまだだった。俺は赤司大火という、君は?」

 

「かずみ。私はかずみ」

 

 私も私でタイミングが掴めず、名乗れなかったのでそこで初めてお互いに自己紹介をかわす。

 タイカのお母さんは怪訝そうな目でタイカを睨む。

 

「大火。あんた、名前も知らない子を抱きかかえて来たのかい?」

 

「そうなるな」

 

「一人息子が犯罪者になるなんて、死んだ旦那に合わす顔がないよ……」

 

「待て待て、お袋。自然な動作で警察に通報しようとするのは止めろ! 俺はただ、腹を空かせて泣いていたこの子を抱えて来ただけで何もやましい事はないぞ!」

 

「犯罪者は皆そう言うんだよ」

 

 奥にある固定電話から通報しようとするお母さんを急いで止めようとするタイカ。このまま放っておくと本気で通報しかねないので、私も彼を擁護する。

 

「えっと、タイカの言ってることは本当です。私、道端で泣いているのをタイカが助けてくれて」

 

「おやまあ、そうなのかい」

 

 私がそういうと110のダイアルを押しかけていた手が止まり、タイカのお母さんはこちらを見る。

 タイカは「明らかに対応が違う……」と渋い顔をしていたが、誘拐犯にされずに済んだ事を安心している様子だった。

 私がお腹を空かせていると知ると、タイカのお母さんは今すぐ何か作ってあげるからと厨房の方に向かった。

 そこでタイカはようやく、私を座席の一つに降ろして、自分も向かい側に座る。

 

「お袋、俺にも何か作ってくれ」

 

「自分でやんなー!」

 

「扱いが違うぞ、お袋よ……」

 

 しょんぼりとしたタイカは溜息を吐いた後、私の方に向き直った。

 母親と話していた時とは違う、間の抜けた感じのする表情ではなく、最初に合った時のような引き締まった顔をしていた。

 無言で私の事を眺めていた彼だったが、やがて口を開いた。

 

「なあ、かずみ」

 

 ……どうしてあそこで泣いていたのか、聞かれる。

 そう思った私は返せる答えを持たず、俯くがタイカが言った事はまったく別の事だった。

 

「髪が濡れて寒いだろう?」

 

「……え?」

 

 思いがけない言葉に呆然とした。だけど、彼は勝手に何かを納得してから席を立ち、店の奥から大きめのタオルを持ってきてくれた。

 そして、それを私に向けて差し出す。

 なぜこの人は、私について聞かないのだろうかと疑問を覚えていると、いつまでもタオルを受け取ろうとしない私に(ごう)を煮やしたようで勝手に私の頭を拭き始めた。

 

「ちょっと……タイカ」

 

「髪は女の命だと聞く。ショートカットだからと言って、油断しているとすぐに痛むぞ」

 

 ごしごしと力強く濡れた髪を拭いてくれるタイカに私は、カオルの事を思い出す。彼女はお風呂上がりの私の髪を乾かしてくれた。

 でも、居なくなってしまった。もう帰って来ない。そして、私も海香の家には帰れない。

 

「タイカ……」

 

「何だ?」

 

 髪を拭き終えた彼は湿ったタオルを剥がし、テーブルの小脇に置いた。

 私を見て、ちょっと自分の仕事に満足げな顔をしている。

 

「私の事、聞かないの? どこから来たとか、何で泣いていたのかとか」

 

「聞いてほしいのなら聞く。だが、話したくない事を詮索する趣味はない」

 

 きっぱりと男らしく言い切るその姿に私は、強い憧れと格好良さを感じた。まるで、テレビに出てくる正義のヒーローのような、そういう心に強さを持った人だ。

 掴みどころのないあきらとは違う、明け透けでどこまでも真っ直ぐな男の子。

 彼をただぼんやりと眺めていると、タイカのお母さんが料理を作って持って来てくれた。

 

「はい。かずみちゃんだったっけ。お待ちどう様」

 

「ありがとう。タイカのお母さん」

 

「おばちゃんでいいよ、おばちゃんで」

 

 優しく微笑むとおばちゃんは優しげな顔で私を撫でた。

 温かくて、優しい手のひらが頭に触れる。もしも、私が本当の人間だったなら、こんな風なお母さんが居たのかもしれない。

 

「おばちゃん、俺の分は?」

 

「ぶっ飛ばされたいか、クソガキ」

 

 タイカがおばちゃんをそう呼ぶと鬼神のような顔で彼を睨んだ。

 面白い人だ。タイカもおばちゃんもこんなに温かい人たちが同じ街に住んでいるなんて、今まで知らなかった。

 魔法少女として、街を守るために戦おうと思っていた癖に私はこの街に住む人たちの事を全然知ろうとしなかったんだ。

 

「ほら、かずみちゃん。冷めちゃう前に召し上がれ」

 

「うん、頂きます!」

 

 出て来た料理はチキンのトマト煮とスパニッシュオムレツ、それにカルボナーラのパスタがお皿に乗っていた。

 どれも美味しくて、空腹だった私のお腹を満たして幸せにしてくれる。

 

「美味しい」

 

「そうかい。そりゃ、よかった」

 

「お袋、俺には……」

 

「学校と店の手伝いをサボって遊んでたアンタに食わせるもんはないよ」

 

「おう……」

 

 おばちゃんが厨房に戻っていた後、料理を食べている私をタイカはじっと見ていた。

 口の端からは(よだれ)が垂れている。精悍(せいかん)な顔つきに似合わない、はしたなさにちょっと苦笑する。

 私がお皿を一つ差し出して、彼に聞いた。

 

「タイカも食べる?」

 

「いや、確かにお袋の言った事も一理ある。理由があったとはいえ、無断で高校を休み、店の手伝いをサボった俺は罰せられるべきだろう」

 

 タイカは人に優しいのに自分には厳しいらしい。でも、口元から涎を流して私の料理を凝視しているので、やはり身体までは律しきれていない様子だった。

 お腹を空かせているのに、おばちゃんもちょっと酷い気がする。

 そう思っていた時に店の奥から、料理の乗ったお盆を持っておばちゃんが現れた。

 

「タイカ。あんたは泣いてたかずみちゃんをここまで連れて来たんだったね」

 

「ああ、そうだが」

 

「じゃあ、そのご褒美に特別に今日の店の手伝いをサボった事許してあげるよ」

 

 おばちゃんはそのお盆をタイカの前に置いてくれた。乗っていた料理は私よりもかなり量が多かった。

 何だかんだで、おばちゃんもタイカの事を大切に思っているのだろう。

 

「お袋、ありがとう! では、早速頂かせてもらう」

 

 テーブルに乗っていたフォークを手に取ると、豪快に料理を掻き込み始めた。私なんかよりもよっぽどお腹が空いていたようで、五分も経たずにぺろりと平らげてしまった。

 

「旨かったぞ」

 

「なら、皿は自分で洗いな。かずみちゃんはもちろん、いいからね」

 

 そう言っておばちゃんはまた厨房へと引っ込んでいく。

 タイカもお盆を持って、それに続いた。私に向けて、振り返るとゆっくり食べろと言って、去った。

 私も料理を綺麗に残さず、食べ終えるとお皿の乗ったお盆を持って、厨房に行く。

 おばちゃんとタイカだけでお店を切り盛りしているのか、それとも他の従業員は今日は来ないだけなのか分からなかったが、そこには二人しかいなかった。

 

「お、いい食べっぷりだね。かずみちゃん。お皿はそこに置いてくれればいいから」

 

「いえ、私もお皿洗い手伝わせてください」

 

 頭を下げて頼み込むとおばちゃんは困った風に私を見た後、それじゃあ自分のお皿だけと言って、やらせてくれた。

 タイカの隣に並んで皿を洗い始めると、彼は私の方を見て、優しく笑った。

 硬い表情のタイカが浮かべた笑顔はおばちゃんのものによく似ている。やっぱり、親子なんだなと改めて思った。

 その後、おばちゃんにお願いして、お客さんが使った食器もタイカと一緒に洗うのを手伝わせてもらった。

 

「ありがとね、かずみちゃん。店の手伝いなんてさせちゃって」

 

「いいんです。ご飯、食べさせてもらったし……それに」

 

 優しさをもらった。この二人が居なかったら、私の心は今も凍てついたようになっていた。

 魔女に、化け物になる前に、こんな幸せな体験をさせてもらった事は感謝しても、し足りない。

 早く、ここから出て行かないと。

 私はまたいつ魔女になってもおかしくないんだから。

 

「……ありがとうございました」

 

 そう言いながら、私は店の玄関から立ち去ろうとする。

 

「そういえば、お袋」

 

 すると、突然タイカが何かを思い出したようにおばちゃんに話し出した。

 

「確か、住み込みで店の手伝いのバイトを探していたな」

 

「……ああ、そうだったねぇ。すっかり忘れていたよ。誰か居ないもんかね、皿洗いが上手で元気のいい子」

 

 おばちゃんもそれに合わせてとぼけた調子でそんな事を言い出す。

 じわりと目頭が熱くなる。あれだけ泣いたのにまだ零れる涙があるなんて。

 

「住み込みで働いてくれる子なんて今時なかなか居ないだろう?」

 

「すぐに現れてくれるといいんだけどねぇ」

 

 二人は同時に私の方へ顔を向けた。

 もう、堪えられない。抑えられない想いが雫になって瞳を濡らした。

 

「……私、ここに居ていいんですか?」

 

 震える声で尋ねた私に二人は同時に頷いた。

 優しい顔で私を見ながら。

 

「かずみ、これからよろしく頼む」

 

 私には居場所ができた。

 ミチルの代わりとしてじゃない、『かずみ』としての初めての居場所が。

 




赤司とかずみが出会い、物語に幅ができてきたように感じます。
しかし、我らが邪悪な主人公の魔の手から逃げ切れるのか。
それでは次回に期待してください。


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第三十八話 兄妹の絆

またもや連日投稿。一応、これでしばらくは打ち止めのつもりです。


~赤司大火視点~

 

 

 

 かずみという少女が家に来て一週間が過ぎた。

 名前以外何も分からないが、取り合えず、いい子だという事はこの一週間で分かったので良しとしている。

 何故、彼女を拾ってきたのかと問われれば、彼女が困っていたからとしか言いようがない。

 ならば、浮浪者は何故同じように施しをしないのかと返されるかもしれないが、それについては自分よりも幼い相手だったからと答えさせてもらう。

 かずみは元々、人懐っこい性格をしていて、料理にも造詣があり、俺よりも店の役に立っている。すっかりこの店の看板娘として馴染んでしまい、彼女目当てで来る客もいるほどだ。

 俺としても先輩風を吹かせるつもりはなかったが、流石に仕事のほとんどが後から来たかずみの方が上となると恥ずかしい限りだ。

 家でも洗濯、掃除といった家事も俺よりも上手いので立つ瀬がない。

 

「タイカー、お風呂沸いたよー」

 

「ああ。いや、かずみが先に入っていいぞ」

 

 俺は日課のランニングと称して、ドラ―ゴやその部下の魔物が現れないか、見回りをしていたのでそれなりに汗を掻いている。少なくても俺の後に入れば湯船が汚れる事請け合いだ。

 正確な年齢は知らないが、年頃の女子ならばそういった事には敏感だろう。

 しかし、かずみは俺の配慮を知ってか知らずか、首を横に振った。

 

「私、居候なんだから、一番風呂なんて駄目だよ」

 

「ならお袋に……」

 

「おばちゃんは後でいいってさ」

 

 それはお袋も最初にかずみが入らせようと思ったのではなかろうか。

 ただ、どれだけ彼女に言っても『居候』という点だけは主張するため、話が平行線になる。

 この一週間どれだけ俺とお袋が言おうともそこだけはかずみは頑として譲ろうとはしなかった。

 俺たちとかずみの間に張られた見えない壁があるようで、少しだけ悲しく感じていた。

 

「なあ、かずみ。俺はお前の事をもう家族だと思っている。お袋だって同じだ。期間は短いがそれだけ俺たちはお前の事をそう思っている」

 

「家族……」

 

 彼女はそれを聞いて、複雑そうに俯いた。

 かずみは身の上を隠している事が負い目になっているのかもしれない。

 だが、それは俺たちが聞く事ではなく、彼女が自分から話そうとしない限りは始まらないだろう。

 故に俺は聞かない。お袋も聞かない。今はそれでいい。

 まだ俯くかずみに力強く、俺は宣言する

 

「かずみ、俺たちは家族だ。お前はそう思ってなかったのかもしれないが、俺とお袋は勝手にそう思っている。馬鹿だからな」

 

「くす……何それ。じゃあ、タイカは私のお兄ちゃんなの?」

 

 彼女の顔がいつものように人懐っこい笑顔に戻る。

 俺はそれを見て大真面目に言った。

 

「ああ。兄貴でも兄上でも好きに呼べ」

 

「そっか。うん、分かった」

 

 かずみはようやく変な遠慮を止めて俺たちの輪の中に入って来てくれたのだろう。

 お互いにお互いが(かしこ)まっていても返って、不和をもたらしてしまう事もあるのだ。

 うんうんと頷いていると、凄まじい発言が彼女の口から飛び出した。

 

「じゃあ、タイカ。一緒にお風呂入ろう」

 

「……何故、その結論に至ったんだ。プロセスを教えてくれ」

 

「タイカは家族。家族なら、お風呂に一緒に入っても問題ない」

 

「いや、異性の家族と一緒に入浴するのはある一定の年齢までだぞ?」

 

「お兄ちゃんなら平気平気。背中を流してあげるよ」

 

 「問題ナッシーング」とかずみは危ない精神回路のスイッチでも入ってしまったように、俺を風呂場まで引っ張って行こうとする。

 断ろうと思ったが、それでは直前までの言動に矛盾が生じる。家族だと言ったのは俺の方なのだ。ここで異性として見ているという発言は頂けないだろう。

 

「お風呂、お風呂、おっふっろ!」

 

 無邪気に喜んでいるかずみにやはり無理だとは言えず、かつてないほどに追い詰められた俺はそのまま、脱衣所にまで連れて来られてしまった。

 

「流石にここで着替えるのはやめろ」

 

「なんで? 中では結局、裸なんだよ?」

 

「バスタオルを巻いてくれ。それが一緒に入浴する条件だ」

 

 渋々とした様子だったが、素直に要求を受け入れてくれたかずみは俺の後ろで服を脱いで、バスタオルを巻いているようだった。絹ヅレの音が耳に響き、少しだけやましい感情が顔をもたげたが、それを意志の力で捻じ伏せる。

 全裸になり、腰に手拭いを巻き付けた俺は振り返らずに「先に入るぞ」と言ってから、風呂場に入っていった。

 身体に冷水を掛けて、雑念を振り払う。かずみは家族だ。例え、肌を露出していようとも邪な思いを感じる道理がない。

 

「入るよー」

 

 軽い声と共に入ってきたかずみは辛うじて、胸や足の付け根などの際どい部分は隠れていたものの、肩から鎖骨にかけての線やしなやかな太腿(ふともも)が惜しげもなく露わになっていた。

 俺は蛇口を捻り、無言で頭から冷水を被る。その飛沫がかずみにも跳ね、彼女は小さく驚いた声を上げた。

 

「わあっ! 冷たいよ、タイカ。何でお湯使わないの?」

 

「ああ……間違えた。そう、間違えたのだ」

 

 動揺するな俺。これは修行だ。己を律する修行に他ならない。

 内心で心を無にするために般若心経を読経し始めたが、かずみはそんな事はお構いなしに俺に湯船のお湯を掛けると、濡らした手拭いにボディソープを塗り込み、泡立てていく。

 十分に泡立つとそれで俺の背中を擦り始める。手拭い越しに小さな手で俺の背中を感触が伝わってくる。

 ――ああ。これはやばい。何かがやばい。

 ひたすらに心の奥で般若心経の読経を続ける。無心になれ、邪心を懐くな。

 そこで不意にかずみが手を休めずに、俺へ尋ねた。

 

「タイカはさ。何で私に優しくしてくるの?」

 

 読経を止め、俺はその問いに少し悩んだ後、こう答えた。

 

「それはかずみが良い奴だからだ」

 

「じゃあ、……私が悪い奴なら助けなかった?」

 

 難しい質問だ。俺は確かに悪い奴は嫌いだ。

 だが、そういう人間が困っていても手を貸さないかと言われれば、答えは否だ。

 

「場合による。そいつが改心できそうな奴ならば俺は助ける」

 

「タイカは正義のヒーローみたいなんだね」

 

 どこか羨むようなその声に俺は首を横に振った。

 俺はそんな格好いい人間ではない。単なるわがままな子供なだけだ。

 

「俺はな、かずみ。昔、親父を強盗に殺されたんだ」

 

「え?」

 

 あれはまだ俺が小学生だった頃の事。

 夜遅くに物音がして、俺は目が覚めた。

 物音が方に歩いていけば、厨房で食材の仕込みをしていた親父が倒れていた。

 その横には刃物を持った男が血走った目でこちらを見ていた。その男は強盗だった。

 男は俺にも刃物を向けて走ってきたが、起きてきたお袋が物を投げて助けてくれた。

 厨房の窓から男は逃げたが、その後、警察に捕まったと聞かされた。

 悲しさよりも、不条理を感じた。

 親父の葬式の日、いつも気丈にしていたお袋の涙を初めて見た。

 それを目の当たりにして、俺の中に怒りの炎が灯った。

 その時に思ったのだ。

 もしも正義のヒーローが居たならば、親父は死ななかったのではないかと。

 もしも正義のヒーローが居たならば、お袋は葬式で涙を流す事などなかったのではないかと。

 だが、そんな都合のいい存在は居なかった。

 ならばこそ、俺が守ればいい。俺が救えばいい。正義のヒーローが居ないのならば代わりに俺がそれを為せばいい。

 その時に誰にも涙など流させるものかと心に決めたのだ。

 

「だから、俺は正義のヒーローではない。そういう存在が居てほしいと願うただのわがままな子供なんだ」

 

 そこまで語り終えた時、下手糞な昔話を聞かせてしまったと己の失態に気付き、後ろを見るとかずみは泣いていた。俺の背に抱き着くようにして、涙を零している。

 女の涙は見たくない。泣いている女を見ると、いつも心が締め付けられるような痛みを感じる。

 

「すまん。少し過去など語るべきではなかった」

 

「ううん。そんな事ないよ。やっぱりタイカは凄い……正義のヒーローだよ」

 

「いや、俺は」

 

「私の事、助けてくれたよね」

 

 だから、正義のヒーローだとかずみは言った。

 特別な力のあるなしではなく、誰かのために何かできる人間がヒーローなのだと。

 俺の中にその言葉は深く染み込んでいった。

 

 

 ***

 

 

 色々あったが、無事二人での入浴が終わると、お互いに背を向けて着替えの服を身に纏い、居間へと行く。

 犬か猫のように首を振るだけで、ちゃんと髪を乾かさないかずみをバスタオルで拭いてやる。

 

「くすぐったいよ、タイカ」

 

「物臭な妹の髪を拭いてやるのも兄の務めだ」

 

 居間で椅子に座ったかずみを後ろから、タオルとドライヤーで乾かしてやると、彼女は振り向いてまた微笑んだ。

 共に風呂に入ったおかげか、前と違ってかなり甘えてくるようになっていた。

 いい傾向だと思う。お袋にもこの事を話してやろう。いや、流石に一緒に入浴した事は咎められるだろう。

 そんな事を考えていると、居間の窓の外に蛾が一匹留まっていた。

 虹色の羽を持つ、この辺りでは見た事ない種類の蛾だった。

 その時、蛾から声が聞こえた気がした。

 ――『見つけた』、と。

 同時に頭の中で強い反応が響いた。これはあの前に鬼熊が暴れているのを察知した時と同じもの。

 即ち、魔物が接近したという反応だ。

 危機感を感じる前に黄色の粉が窓の外を舞った。

 

「がはっ……」

 

 強烈な苦しみが喉の奥から湧き上る。気が付けば、既に部屋の中にも黄色の粉が入ってきていた。

 体内を焼くような激痛に耐えられずに、膝を突いた。

 これは――毒か!

 気が遠くなりそうな苦痛の中で、俺はかずみを見る。

 彼女もまた苦しそうにしているが、よろめいている程度で俺よりも軽度に映った。

 個人差があるのかもしれない。ならば、彼女の方が軽度なのは行幸だった。

 

「か、ずみ……息を止め、逃げ、ろ……」

 

 声と共に鉄臭い液体が喉から這い上がる。それを吐き出して、彼女に逃げるように伝えた。

 かずみは首を横に振って俺を背負おうとするが、それを睨んで止めさせる。

 ここで二人とも死ぬくらいなら、俺はかずみを殴ってでも逃がすつもりだった。

 その想いが通じたようでかずみは泣きそうな顔をしながら、扉を開けて走っていく。

 ……そうだ。それでいい。

 俺は意識が飛びそうになるのを堪えて、イーブルナッツの力を使い、辛うじて蠍の魔物へと姿を変えた。

 苦しい事には変わりないが、それでも人間の時よりは多少軽くなる。

 ……お袋の事も心配だ。

 窓から這い出て、庭の方へ回るとと屋根の上には虹色の羽を持つ蛾の魔物が黄色の粉を撒き散らしながら羽ばたいている。その隣には赤い牛に乗ったかずみと同じくらいの女子が宙に浮いていた。

 

『お前らは……!』

 

『ああ、あなた魔物だったんだ。どうするユウリ?』

 

「そっちは好きにしなよ。アタシはかずみを殺す」

 

 こいつらはカンナが言っていたドラ―ゴの部下の魔物と奴に協力する魔法少女だろう。

 何故、かずみの命を狙っているのかは知らないが、こいつらの好きにさせるつもりはない。

 

『ふざけるな。お前らの好きにさせるつもりはない』

 

「勝手に言ってろ。美羽、ここは任せる」

 

 そう言って魔法少女は中空に浮かぶ牛ごと、店側の方へと向かって行く。

 俺もそちらに向かおうとするが、それを蛾の魔物が阻もうと屋根から降りてきた。

 

『あなたは通さない』

 

 女のような口調をする蛾の魔物は俺にそう言って虹色の羽から今度は黒い鱗粉を飛ばす。

 黒い鱗粉が俺の身体に接触した瞬間、激しい爆発が起こり、後方へ吹き飛ばされた。

 

『がっ、これは……』

 

 毒だけはなく、爆薬のような鱗粉も放てるようだ。黄色い粉は毒で、黒い粉が爆薬。複数の鱗粉を使い分ける事でこの魔物は攻撃するようだ。

 

『退け! 今はお前に構っている暇はない』

 

『あなたになくても、わたしにはある』

 

『何?』

 

 蛾の魔物は命令されたからという理由では説明ができないほどの憎悪を俺に向けている。

 人間の面影のある顔からは堪え切れないという具合に黄色の複眼が点滅をしていた。

 

『わたしは妹に優しい兄なんて認めない。そんな都合のいい存在なんて居る訳ない。だから、あなたが殺したいほど許せない』

 

 理屈はほとんど理解できなかったが、どうにも蛾の魔物は「兄」という存在を憎悪しているよう俺にはに思えた。俺とかずみのやり取りを見て抱えていた感情を爆発させてしまったのかもしれない。

 恐らく奴にも兄が居て、何か鬱屈とする背景が奴にもあったのだろう。だが、それを慮っている暇はない。

 かずみやお袋を助けにいくためにも速攻で倒す必要がある。

 

『そうか。だが、今の俺は優しい兄ではない。……怒りに満ちた蠍だ』

 

 怒りを感じているのは相手だけではないのだ。

 俺の大切な家族を危険に晒す敵を許すほど、俺は甘い男ではない。

 




今まで蔑ろだった美羽ちゃんにようやくスポットライトが当たります。多分。


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第三十九話 守れぬ誓い

何故こうも更新してしまうのでしょう。私にも分かりません。


~氷室美羽視点~

 

 

 

 一週間くらい前、あきらの家で『大乱闘スマッシュブラザーズ』でユウリと一緒に遊んでいた時、ユウリに携帯電話に一通が届いた。

 ユウリがメールを読んでいる隙に彼女の使っていたリンクをわたしが操るネスで倒すと、急に彼女は立ち上がってわたしを見た。

 ゲーム画面を止めずに放置してメールを読み始めたユウリに非があると思ったが、現実で大乱闘されるとまずわたしが負けるので許しを請う。

 

「ごめんなさい。メール読んでる間に倒しました」

 

「そんな事はどうでもいい。あきらから朗報が入った」

 

 朗報と首を傾げたわたしにユウリは話し出した。

 話を要約すると、あきらとユウリが敵対している『プレイアデス聖団』という魔法少女の集団が内部で分裂して、かずみという名前の魔法少女が、一人行方を眩ませたらしい。

 そして、その捜索をユウリに一任するとの事。かずみの処遇はユウリに任せると書いてあったのだという。

 正直、どうでもいい話だと感じたが、やけにユウリが楽しそうなので多分わたしも駆り出されるのだと理解した。

 

「美羽。今日はお前、わたしの言う事を聞けとあきらに命令されていたよな?」

 

 ほら、来た。これだ。何だかんだで人遣いが荒い、女の子だと思う。

 さっきまでゲームをしていたのも、ユウリがやりたがっていたからだったし、何かとわがままなところがある。

 あきらに振り回される事が、多かったから同じ事をわたしにして鬱憤を晴らしているのだろう。

 でも、仕方ない。あきらが世界を壊してくれると約束した限り、わたしは彼の命令を何でも聞く。わがままな魔法少女に従えと命令されたならばそうするだけだ。

 

「わかってるよ、ユウリ。それでわたしは何をすればいいの?」

 

「そうだな……お前の兄は確か、自分の分身を使い魔として、情報を集める事ができた気がする。お前もそれ、できる?」

 

 兄の話題が出た瞬間にわたしの顔が強張る。その単語はできれば一生聞きたくない言葉だった。

 だけど、ここでできないと言えば、『アレ』より自分が劣っているように思えて殊更不愉快だったので、蛾の魔物の姿になって試してみる。

 意識を集中させ、虹色の羽から、自分の分身である小さな蛾を生まれさせた。

 やってみると意外に簡単で、数十匹の蛾たちはわたしの意志に従って、視界や音などを共有する事ができた。

 どこで手に入れたのか、かずみの写真を携帯電話から見せてもらい、その子を探すためにわたしの分身たちを街に放った。

 

 そして、一週間後の今日。

 ようやく、探していたかずみを見つけた。

 分身を通して、初めて彼女を見た時、わたしの中で憎悪が芽生えた。

 見えた光景は仲睦まじい兄と妹のような、吐き気を催す光景だったからだ。

 兄を慕う妹のようなかずみと、それに優しく接する兄のような少年の姿。思わず、毒の鱗粉を窓から流し込んでしまうほどに憎しみが燃え上がった。

 あんなものは存在しない。優しい兄など居ないのだ。

 『兄』という存在は理不尽で、不条理で、危害しか加えて来ないおぞましい生き物なのだ。

 わたしは知っている『兄』は、愛と称してわたしを殴り、刃物で何度も傷付けてきた。やめてとどれだけ嫌がっても暴力をひたすらに与えてきた。

 笑いながら、とても楽しそうに……。

 それが『兄』だ。妹に優しさだと与える存在が、妹を甘やかそうとする存在が『兄』な訳がない。

 だからこそ、わたしは目の前に立つこの蠍の騎士のような魔物が許せない。

 殺したいほど憎い。

 

『散々、苦しんだ末に殺してあげる』

 

 わたしは羽ばたき、鱗粉を蠍の騎士に振り撒いた。

 今度は緑の鱗粉が周囲を覆った。

 

『緑の粉? だが、関係ない』

 

 振り降ろされたのは蠍の騎士による鋏の拳。大きな甲殻類にも似たその鋏が直撃すれば、魔物状態でも頑丈な装甲を持たないわたしは簡単にやられてしまう。

 けれど、わたしを狙った彼の鋏はわたしには当たらず、空を切る。

 

『なっ、当たらない!?』

 

 それどころか、無様にも勢いを殺せずに庭を転がった。白い美しいその鎧のような身体を土で汚す。

 緑の鱗粉は生き物の感覚を狂わせる惑わしの粉だ。五感だけでなく、平衡感覚も、距離感も掴めなくなる。

 感覚が狂った蠍の騎士はまるでシャドーボクシングをするように何もない空間を殴っては、道化のようにこけては倒れてを繰り返す。

 そこにわたしは黒い鱗粉を飛ばす。

 馬鹿みたいに虚空に殴りかかろうとする蠍の騎士に黒い鱗粉が付着すると、一瞬にして爆発を起こす。

 

『がっ、く……』

 

 爆風で吹き飛び、庭を囲う塀に打つかって、苦悶の声を漏らした。

 いい気味だ。惨めで見っともない。情けなさの塊。

 

『ばっかみたい』

 

 しばらく振りに自分が笑っているのを感じた。楽しい。この都合のいい妹が見た妄想のような『兄』を壊せばもっと気分が良くなるだろう。

 今度は黄色の鱗粉をパラパラと撒いてあげる。

 吹き飛んだ蠍の騎士にそれが掛かると、縦に割れた仮面の口元のような部分から赤い血を吐き出した。

 

『ごはっ、ごほっ……がっ……』

 

 やはり毒の鱗粉がわたしには合っている。他の鱗粉も嫌いではないが、この粉が一番わたしの思い描く『破滅』を体現してくれるのだ。

 魔物状態である彼には即死はしないだろうが、今はそれが返ってよかった。

 

『兄なんてものはこんな風に無様に苦しんで死んでいくものなの。優しくなんてない。温かくなんかない。ただただ、惨めに死んでいくのが正しいの』

 

 ああ。大嫌いな『アレ』もこうやって殺してやればよかった。そうすれば今よりも晴れ晴れしい気分になったのに。

 まあ、いいよ。これでこいつももう終わり……。

 

『……それが、お前の言う兄なのか』

 

 ゆらりと蠍の騎士が立ち上がる。

 口から血を吐き、今も息絶え絶えにも関わらず、ボロボロの身体で起き上がってきた。

 

『この後の及んで、まだ悪足掻きするの?』

 

 鬱陶しい。もう風前の(ともしび)なのに、未だに格好付けようとするその姿に苛立ちを覚えた。

 ごみはごみらしく、さっさと散ってほしい。不快で不快で堪らない。

 

『……言わせて、もら……えれば、お前の、いう……それは、兄など、では……ない。兄、とは……妹を……』

 

 今にも崩れ落ちそうな蠍の騎士は私に向かって吠える。

 

『妹を、守る存在だ!』

 

 

~赤司大火視点~

 

 

 

 叫びと共に俺は蛾の魔物へと走り出す。

 だが、緑の鱗粉を散らし、奴はまた俺を惑わそうとしている。

 ならば、庭に巻かれた粉を吹き飛ばして、除去すればいい!

 俺は後ろから生えた尻尾を振り上げ、円を描くように高速で回し始めた。

 遠心力を得て、さらなる加速を付けた俺の尻尾は空気と共に緑の鱗粉を吹き飛ばしていく。

 要するに換気をすれば空気乗っている鱗粉は俺には届かずに、周囲から取り除かれる。

 もっと早くにこの方法に気が付けば、よかったのだろうが如何せん俺は頭が悪く、知恵が回らない。ここまで追い詰められなければ考え付かなかった。

 身体は毒の鱗粉による手傷が残っており、もう魔物状態を保っていられるのは二分程度が限界だ。

 この反撃を逃せば、俺は奴に殺され、死ぬ事になるだろう。

 ――だが、かずみを、お袋を、家族を守るなら、この一撃に賭ける他ない。

 

『くっ……まだ余力があったなんて』

 

 羽ばたき、空へと逃げようとする蛾の魔物。この状況で空に逃げられれば俺に為す術はない。

 

『おおぉぉぉ! ……ぜりゃあぁぁ‼』

 

 尾を振るのを止め、足と尾の三本をバネにして飛び上がりつつある奴に、最後の力を振り絞って一撃を放つ。

 跳ねた右足を高く上げ、そこに螺旋状に尻尾を絡ませる『螺旋蹴り(スパイラル・キック)』を蛾の中心部に撃ち出した。

 赤い悪魔さえも倒した俺の蹴りは見事に蛾の腹に差し込まれるように突き刺さる。

 

『がぁっ、そんな、まだ……』

 

 すべての力を使い切った俺は蠍の魔物から人の姿へと戻り、血反吐を吐きながら地面に叩き付けられた。

 俺と同じく、人間に戻った蛾の魔物は白髪混じりの金髪の中学生くらいの少女へと姿を変えている。

 地面に落ちた衝撃で身体の骨を何本か折ってしまったのだろう。歪な形で仰向けに倒れた状態で、頭の端から血を垂らして俺を睨んでいた。

 血の味がする口内を感じながら、力の入らぬ身体に鞭を打ち、どうにかして立ち上がる。

 すると、血の混じった咳を交えながら、怨嗟に濡れる眼差しで少女は俺に言った。

 

「あなた、は確かに、強い……でも、それだけ……あなたには……何にも守れない」

 

 眼光だけ人が殺せそうなほどの呪いを籠めた目を閉じた。そして、残念そうに呟きを漏らす。

 

「世界の、破滅……見たかったな……でも、あいつ、なら……やってくれ、る」

 

 そう最後に言い残して、彼女は目を閉じた。

 恐るべき、強敵だった。鬼熊と違い、(から)め手に徹したその戦い方は一歩間違えれば確実に負けていた。

 その少女が言った『世界の破滅』という単語だけが妙に意識が遠退きそうになる思考にこびり付く。もしかするとドラ―ゴの狙いは俺の想像を遥かに凌駕するものなのかもしれない。

 俺は彼女の足元に落ちているイーブルナッツを取りあえず回収すると、急いで店側の方に回るために走り出した。

 一刻も早く家族の元に駆けつけなければ――。

 家の外壁を伝い、どうにかこうにか歩き出すと、小さく火花が弾ける音が耳に響いた。

 目を凝らせば、店側の方から火の手が上がっている。

 しばし呆然とし掛けたが、状況を把握する。洋食屋『アンタレス』が燃えているのだ。

 

「かずみ! お袋! どこだ、どこに居る‼」

 

 血を吐きながらも、気合と根気で走り出し、ようやく店の方まで回ると先ほど見た魔法少女がかずみの首を掴み、持ち上げていた。彼女の足元にはお袋が転がるように倒れている。

 

「ああ。お前、美羽を倒したのか……あいつが言ってた通り、トラぺジウムの奴は使えないな」

 

「お前ぇぇ! かずみをはなせ‼」

 

 威勢よく叫んだはいいが、身体に限界が来て、とうとう膝から崩れ落ちる。それでも視線だけは魔法少女を捉えて離さない。

 

「一応、言っておくとこの店を燃やしたのはアタシじゃなくて、こいつだからな」

 

「かずみにそんな力がある訳……」

 

 そう言いかけた瞬間、魔法少女に首を捕まれているかずみの姿が歪み、魔女のような帽子を被り、瞳孔が太極図のように割れた異形の顔となった。

 牙を剥き出しにして、魔法少女の手を喰らい付き、拘束から逃れた。

 

「ちっ、魔女め。メールで教えられたとおり、人間じゃないんだってな!」

 

 魔法少女が反対側の手で持っていた銃で、かずみを穿つ。

 

「かずみ!」

 

 だが、撃たれた部分は僅かに黒い液体を垂らした程度で再び、塞がると手足を鉤爪状に変形させてかずみは魔法少女へと飛び掛かる。

 見ているものが信じられなかった。かずみが……人間ではない?

 今まで見てきたドラ―ゴの手下のようにイーブルナッツで操られているのか?

 

「かずみ! 俺だ、大火だ! 俺が分かるか、かずみ‼」

 

 声を張り上げ、彼女に叫ぶとかずみは異形の瞳から、いつもの愛らしい瞳に戻る。

 俺の方を向いて、驚いたように目を見開いていた。

 

「タイカ? ……嘘、嘘嘘嘘、私……私、見られた。こんな醜い姿を、タイカに……」

 

 俺が何かを口にするよりも早く、かずみは脱兎の如く、後ろを向いてこの場から飛び上がって逃げて行く。

 それを見て、魔法少女も舌打ちをして、銃弾をかずみに向けて撃ちながら、赤い牛の背に乗って追いかけて行った。

 取り残された俺は、今はお袋の安否を確認しようと這い蹲りながら、お袋の元に近付いて行く。

 

「お袋! 一体何が……」

 

 そこまで口に出して、俺は思わず口を(つぐ)んだ。胸から血を流している。

 呼吸を辛うじてしているものの、一目で重傷だと分かる出血量だった。

 俺が来た事に気が付くと、お袋は弱弱しく笑った。

 

「大火、お前は無事みたいだね……よかった」

 

「良くないだろう! お袋が、こんな……」

 

 蛾の魔物の少女の声が俺の中で再び反響する。

 『あなたには何も守れない』。その通りだ。俺は守りたかった家族を守り切る事ができなかった。

 魔物としての力を手に入れてからも、勝つ事はできても誰も守れていなかった。

 俺は正義のヒーローなどではなかったのだ。

 己の不甲斐なさに言葉を詰まらせて、泣きそうになる俺をお袋は叱咤する。

 

「馬鹿たれ。男が簡単に泣くんじゃないよ、まったく……」

 

 いつもと変わらない強気なお袋に俺は、さらに辛くなり、涙腺から雫を流した。

 それをお袋は指先で優しく拭ってくれる。

 

「かずみちゃん……厄介な事情持ってるみたいだね……」

 

 そうだ。かずみだ。

 かずみの事をお袋に伝えないと。

 

「お袋、かずみは……」

 

「大火……」

 

 俺の台詞を遮り、お袋は言った。

 

「あの子、守っておやり……お前は、お兄ちゃんなんだろ……」

 

「お袋……」

 

 あの時、話していた事をお袋は陰から聞いていたのだろうか。それとも俺とまったく同じ事をずっと思っていたのだろうか。

 どちらにしても同じだ。俺はその言葉に頷いた。

 

「ああ。勿論(もちろん)だ」

 

「それなら、こんなババアに構ってんじゃないよ」

 

 弱弱しい身体でどこにそんな力を隠してと思うほどの力で額を叩かれた。

 お袋らしい激励の仕方だ。俺はこくりとそれに頷いて答えた。

 満足げな顔でお袋は笑い、やがて目を閉じた。

 誰かが呼んでくれた消防車がサイレンを鳴らしながら、近付いてくる。

 こうしては居られない。ここでグズグズしている事こそ、お袋への侮辱だ。

 俺は行く。家族を助けるために。

 




これで一旦は赤司サイドの話は終わります。
次はお待ちかね、あきらサイドのお話です。さあ、いよいよ持って登場キャラが減ってきました。
邪悪なドラゴンは何を起こすのか。次回をお楽しみに!


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第四十話 燃ゆる校舎と解ける謎 前編

「海香ちゃーん。昼飯食おうぜ」

 

 四時限目の授業が終わり昼休みが来ると俺はいつも同じように海香ちゃんを誘って昼食を取る。これが一週間前からのお互いの約束事のようになっていた。

 彼女は俺がそういうと顔を(ほころ)ばせて、学生鞄から包みを二つ取り出した。

 片方はもちろん、海香ちゃんの分、そして、もう片方は俺の分の弁当だ。

 

「ええ。また屋上でいいかしら」

 

「OK」

 

 親指を立てて元気に答えた後、仲良く俺たちは校舎の屋上に上がる。

 それから屋上にあるベンチに座ってからランチタイムだ。澄み渡る青空にはほわほわと綿飴のような浮き雲が漂っていた。

 包みをほどき、弁当箱をご開帳すると、俺の好物のローストビーフが顔を出す。

 

「わー。俺、海香ちゃんが作ってくれたローストビーフ好きなんだよね。マジで嬉しいぜ」

 

「そう言ってくれると思っていれたのよ」

 

 俺の言葉に海香ちゃんは無邪気に喜んでくれる。彼女は本当にこの一週間で完全に俺に依存するようになっていた。

 仲間を失ってから辛うじて残っていた芯のようなものが折れて、かずみちゃんのことを探すどころか俺にべったりと付き従っている。おまけに和沙ミチルがどう死んだのか、かずみちゃんをどう『製造』したかについてのこともみらいちゃんよりも詳細に教えてくれた。

 大切な友達だの、プレイアデスの絆だのはもはや海香ちゃんの中ではもはや俺という存在以下のものに成り下がっているようだ。

 ある意味において御崎海香という魔法少女は度重なる仲間の喪失……いや、共犯者の消滅により、壊れてしまったのだろう。一週間傍で過ごして分かったことだが、元々、そんなに強い心を持っていた少女ではないのだ。

 ただ和沙ミチルに対する恩とプレイアデス聖団という共犯者が居たからこそ、辛うじて体裁を保っていたものが一気に瓦解したに過ぎない。

 恐らくは彼女一人ならば、和沙ミチルを生き返らせようなどとは考えても、実行しようとは思わなかったとすら思う。いや、魔女になるという現実を逃避するためにかずみちゃんを造り出したと考える方が自然だな。

 それくらいに海香ちゃんは弱い子だった。

 そうでなければ、今子犬のように俺に懐き、甘えていられるはずがない。

 賢いけれど、心の弱い女の子。それが海香ちゃん。

 俺は笑った。

 

「あははっ」

 

 表に出すのは優しく明るい爽やかな笑顔。だが、内心では嘲りの哄笑が溢れ返っていた。

 なんて脆い絆なんだ。俺の作った即席のトラぺジウム征団とどっこいどっこいじゃねぇか。

 そういや、イーブルナッツをくれてやったリッキーを最近見かけないが、暴走して死んだのかな?

 ローストビーフを齧りながら、飽きていた玩具の一人を思い出す。俺としてはもしそうであっても、さほど思うところはない。

 元は気まぐれで作った下僕だ。死のうが、消えようが俺の心は一向に痛まない。

 だが、暴走して死んだにしては街での事件になってないのが気になった。もしかすると、誰かに倒されたのだろうか。

 そうだとすれば、一体誰に?

 海香ちゃんは俺とずっと一緒に居るから除外できる。最近、あまり御崎邸に顔を出さないニコちゃんだろうか。それともあやせちゃんみたいに他所からやって来た新手の魔法少女か。

 もしくは……とうとう表舞台に出てきた『黒幕』だろうか。

 俺の見立てではその可能性が一番高いと見ていた。ユウリちゃんやあやせちゃんにイーブルナッツを与えた張本人にして、ある意味で大きな企みをしている第三者。

 食べたソウルジェムから引き出したあやせちゃんの記憶では、フードを目深に被っていて顔は分からなかったが、声と身体つきでその人物が少女であることだけは確認できた。

 暫定的だが、イーブルナッツを生み出せる魔法を持つ、魔法少女として考えていいだろう。

 魔法少女の魔法は妖精に願ったことに応じたものが与えられるという話だが、一体どんな願いをすればイーブルナッツの製造の魔法になるんだが。

 一通り弁当の中身を食べ終えて、最後に残しておいた串刺しのウズラの卵を見つめて、思考を巡らす。

 魔女の卵、グリーフシード。イーブルナッツはこれを参考にして……。

 そこまで考えてから、俺は一つの疑問が芽生えた。

 

「海香ちゃん。魔女ってさ。ソウルジェムが濁ってなるものなんだよな?」

 

 唐突な暗い話題を振られた彼女は露骨に嫌な表情を見せたが、頷いて答えてくれた。

 

「……ええ。そうよ。魔女はソウルジェム……魔法少女の魂の成れの果て」

 

「だよな。それじゃあ、魔女になったってことは魔法少女だったってことになるよな?」

 

「そう、なるけれど……あきら、何が言いたいの?」

 

 怪訝そうな海香ちゃんに返事を返さず、俺の中で高速に思考が収束していく。

 ラビーランドでの一戦で最初に居た方のニコちゃんはソウルジェムが砕け、魔女になった。後から出てきた方のニコちゃんは彼女を魔法少女の願いで作ったコピーだと言って、倒れている彼女の顔を消した。

 だから、普通に最初の方が偽物だと思っていたのだが、その考え方がそもそも間違っていたのではないか。

 何を思ってコピーの自分を願ったかは知らないが、コピーが魔法少女としての力を得ているだけならまだ納得できるが、魔女にまでなるのは流石におかしい。そこまでいけば本物と偽物違いは何かという話になる。

 だが、最初のニコちゃんが偽物という訳ではなく、後から出てきた方と別個体の魔法少女だったとしたら、辻褄(つじつま)が合う。

 大体、そうでなければいつから入れ替わっていたという話だしな。

 最初のニコちゃんが、今までの俺が知っている『神那ニコ』であり、後から現れた方は別の魔法少女……つまるところ、偽物だったのだ。

 ユウリちゃんと同じように姿を変える魔法か、はたまた別の魔法なのかは分からないが、ともかくラビーランド戦以降のニコちゃんは偽りの存在、ニコちゃんならぬニセちゃんだと考えていい。

 確証はないが、ほぼ間違いないと思う。

 なら、今度はニセちゃんとは何者なのかという新たな疑問が生まれる訳だが……。

 

「そうか。ニセちゃんが黒幕なのか」

 

「え、あきら? 話が全然見えないのだけれど……」

 

 俺の漏らした言葉の意味を理解できずに首を傾げる海香ちゃん。それを無視してウズラの卵に齧り付く。

 堕落した海香ちゃんに対して、仲間として何のアプローチをして来ない点でおかしいと思うべきだった。

 彼女こそがイーブルナッツを作り、ユウリちゃんやあやせちゃんに流した人物だ。

 凄まじい勢いで俺の頭脳は回転し、疑問の答えを弾き出していった。

 彼女が介入してきた理由とは何か。イーブルナッツによる『魔物・魔女モドキ製造』の実験?

 違う。恐らくそれは手段だ。実験だけならリスクを冒して表舞台に出る必要はない。

 プレイアデス聖団の壊滅? 確かにそれはあるだろう。ユウリちゃんたちはいずれもプレイアデスのメンバーを襲った点から見て、間違いはない。

 ただそれだとやはり表舞台に出てきた理由には……。

 そこまで考えて、最初にニセちゃんが最初に現れてきた時の状況を思い出した。

 あの時、俺はかずみちゃんを殺そうとした時、颯爽とニセちゃんは登場した。

 理解した。ニセちゃんが表舞台に出てきた目的、それは――。

 

「狙いはかずみちゃんだったのか」

 

 弁当の中身を米粒一つ残さず平らげた俺は箸を置いて、空を仰いだ。

 完全にニセちゃんの目論見を俺は看破した。気分はなかなかに爽快で歌でも歌いたい気分になった。

 

「さっきから何の事を言っているの?」

 

 海香ちゃんがとうとう俺に問いかけてくる。もはや、この子には何の価値も感じない。

 俺の意のままに操作してかずみちゃんを殺させようかと思ったが、それももう飽きた。そろそろかずみちゃんを探させているユウリちゃんとも合流したいし、ここらが潮時だ。

 プレイアデスの魔法少女の皆さんの役割は終わった。既に事件の中心から外れた海香ちゃんはさっさと退場してもらおう。

 俺は海香ちゃんの顔を覗き込んで、何気ない調子で話し出す。

 

「海香ちゃん。俺さ、実は隠してたことあるんだけど聞いてくんない?」

 

「隠していた事……?」

 

「うん、そう。実はサキちゃん殺したの、俺なんだ。てへっ」

 

 舌を出してお茶目にカミングアウトする。

 理解が及ばないという風に彼女の表情が凍り付き、呆然と俺への視線を垂れ流す。

 何を言っているの、あきら――そう海香ちゃんは心底思っていることだろう。

 

「それからね、カオルちゃんを殺したのも、みらいちゃんにかずみちゃんを殺させようとしたのも俺だよ」

 

「あき……ら……何、を……言っているの?」

 

「嫌だな、海香ちゃん。ここまで言ってもまだ分からないの? それとも分からない振りしてるだけかな?」

 

 海香ちゃんは俺が甘やかしすぎたせいでとことんお馬鹿さんになってしまったご様子。出会った頃はまだ賢さがあったのだが、恋と言うのは恐ろしいな。

 愚かな少女に俺はこれ以上にないほど分かりやすく、一言ですべてを伝えた。

 

『俺がドラ―ゴだよ』

 

 一瞬にして俺は魔物状態へ肉体を変化させ、黒い竜となり、海香ちゃんの眼の前にその姿を惜しげもなく晒した。

 

「い、や……いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁー‼」

 

 常に落ち着き払った海香ちゃんとは思えないほどの絶叫が彼女の口から(ほとば)る。

 絹を裂くような悲鳴とはまさにこのこと。この悲鳴を聞くためだけに必要以上に優しく振る舞っていたのだ。

 ああ、最高だ! 高く積み上がった積み木をこの手で壊すような、地面に張っている凍った大きな水溜まりを踏み砕くようなそんなカタルシスが俺の魂を震えさせる。

 

『きんもぢいいいィィィィー‼ 極上の絶望の悲鳴、どうもありがとーございまァす』

 

 これだよな、やっぱ。思い切り人の心を踏みにじった時、心底俺は幸せを体感できる。

 最後まで大事に取っておいてよかった。本当にそう思わせる一時(ひととき)

 

「許さない……私たちをどこまでも愚弄した貴方を、私は絶対に許さない!」

 

 涙を頬から流して怒気を露わにする海香ちゃんは指に嵌った指輪をソウルジェムに変えて、魔法少女に変身する。

 中央に十字架のある、白いシスター服喪のような衣装。眼鏡をかけたその顔の額には菱形になった海色のソウルジェムが光った。

 俺は彼女の台詞を聞き、弾けるような嘲笑を送った。

 

『あははははははははは。「私たち」? 私たちと来たモンだ。仲間のことなんざ早々に忘れて色ボケしてたアンタが。あはははははは。どこまで笑わせてくれれば気が済むんだよ』

 

「だ、黙れぇぇ!」

 

 手に持っていた魔導書のような分厚い本を開くと、読むこともできないような文字が掛かれたページを見せた。

 光の球がいくつも現れて俺目掛けて飛んで来る。前に見たカオルちゃんとの合体技『パラ・ディ・キャノーネ』の時に使った光球だ。

 ただ、カオルちゃんが蹴ったものではないからか、速度は簡単に見切れてしまう程度のものだった。

 羽ばたいて、避けると光球は俺にかすることさえなく、屋上から飛んで行ってしまう。

 

『一人じゃ何もできないのかよ? 海香ちゃん、情けないなァ』

 

 俺が馬鹿にすると、いつぞやのサキちゃんのように逆上し、さらなる魔法を叩き込んでくる。

 

「黙れ黙れ黙れっ、『ピエトラディ・トゥオーノ』」

 

 本から浮かび上がった万年筆を円状に並べたような魔法陣が宙に浮かび上がり、そこから雷撃が落ちてくる。

 雷の魔法……サキちゃんのものか。一瞬にしてこちらもサキちゃんの力を使い、白い鱗へと身体を変化させた。

 

『……なるほど。他人の魔法をその本に記憶させて使えるのか』

 

 多少はダメージは受けたが、サキちゃんの力を使ったおかげでその雷の魔法に対する耐性があがったようで、大した痛手にはならなかった。

 

「なっ……、そうか、サキのソウルジェムを食べたから」

 

『ご明察。その魔法は俺にはほとんど聞かないぜ?』

 

 そして今度はこっちの手番だ。

 俺は口から雷の奔流を吐き出し、海香ちゃんを襲わせる。

 流れ出した稲妻の閃光はまっすぐに彼女目掛けて飛んで行った。

 

「くっ……」

 

 即座に魔法で自分を半球状のバリアを張り、攻撃を防ぐがすぐにそれは砕け散った。

 直撃は免れたようだが、雷対決では俺の方に軍配が上がったようだ。

 

『さて、どうする? 今度は誰の技を使ってくるんだい、海香ちゃ~ん?』

 

「……『ロッソ・ファンタズマ』!」

 

 再び、万年筆ようなの魔法陣が現れて、彼女がそれを潜ると七人に分身して、それぞれが俺から(きびす)を返して散り散りに逃げて行く。

 自分の分身を出した時は挑発に乗るかと思いきや、そのまま俺を翻弄しつつ、この場から逃げ出す算段の様子だ。腐ってもプレイアデス聖団の参謀、引き時を弁えている。

 だが、フェンスを乗り越えて屋上から逃げようとした三人を雷撃の息吹で一掃し、俺の脇をすり抜けようとしたニ人をそれぞれ両手の鉤爪で串刺しにし、尻尾を振るって一人の頭部を弾き飛ばした。

 攻撃を喰らった海香ちゃんはどれも幻影だったらしく、煙のように消えてしまう。どれも外れだったようだ。

 最後に残った本物は屋上の扉まで辿り着き、そこからまんまと逃げられた。

 

『やるねェ、だ・け・ど俺にはこれがあるんだぜ?』

 

 最近知ったサキちゃんの魔法の一つ、『瞬間移動』。

 俺は屋上の真ん中から、屋上に続く階段の踊り場までその力を使って移動する。

 一瞬で階段を駆け下りていた海香ちゃんにご対面すると彼女は恐怖に引きつった表情を見せてくれた。

 そのまま、柔らかそうな身体に噛り付いてやろうと顔を伸ばすが、寸でのところでガクンのその場に縫い付けられたように身体が進まなかった。

 足元を見れば、両足が踊り場の床にめり込んでいた。瞬間移動した時に座標位置が悪かったらしく、足が床に埋もれてしまったらしい。

 

『チッ、意外に使い勝手悪いな。この魔法、なんか疲れるし』

 

 この瞬間移動の魔法は体力を削るというデメリットがあるようだった。これなら飛んで追いかけた方が早かったかもしれない。

 俺のこの間抜けなミスを見逃さず、海香ちゃんは脇を通り抜けて走って行った。

 この中学校から脱出して、ニセちゃんと合流するつもりだろう。そうなったら、そうなったで海香ちゃん的には助からない気がするが、ニセちゃんがニコちゃんの偽物なのを彼女はまだ知らない。

 床を壊して、すぐに海香ちゃんを追いかけるがその途中に生徒と遭遇した。

 

「うわあああああああ、ド、ドラゴン!?」

 

『うるさい。死ね』

 

 身体を黒の鱗に戻して、火炎を吐いて炭へと変えた。

 こうしてはいられないが、学校内だと騒ぎや何やらが起きて面倒だ。俺は火炎を振り撒きながら、海香ちゃんを追いかけて下へ下へと降りて行く。

 途中で途中で、教室や廊下に居る生徒や教師ごと燃やし尽して、進んで行った。

 悲鳴を上げる暇さえも与えず、無力な彼らは炭へとジョブチェンジを果たしていく。

 そういえば、ここの校長はいつか必ず殺すと誓ったことを思い出す。理由はもう忘れたが、海香ちゃんのついでに殺さないと。

 市立あすなろ中学校の校舎は俺がきっちりと灰燼に帰してやろう。そう思いながら、俺は窓や壁をことごとく燃やし続けた。

 

 




名探偵あきらにより、物語の謎が解決されていきます。物凄い速さで。
ちなみにかずみはこの時間帯は、まだ大火やおばちゃんとの幸福な時間を育んでいる頃です。


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第四十一話 燃ゆる校舎と解ける謎 後編

前後編を続けて投稿しました。

追記

最期の部分を少し修正しました。


『燃ーえろよ、燃えろー! 校舎ーよ、燃えろー! 真っ赤な炎を上げてェー!』

 

 速攻で作った歌を歌いながら、俺はあすなろ中学校を燃やしながら、海香ちゃんを追いかける。誰かが鳴らしたか分からない非常ベルの音をBGMにして俺は楽しげにメロディーと共に炎の息吹を吐いた。

 一応、彼女の背中を見失わない程度の距離を保ちながら、ありとあらゆる障害物に炎を振りかけて、四階建ての校舎を駆け下りて行く。

 

「くっ……」

 

 一般人が焼き焦げて死んでいくのは魔法少女としては見過ごせないのか、同じ学校の生徒の命が奪われていくのが精神的に来るのか、それともその両方なのか、海香ちゃんは辛そうな顔で俺から逃げ続けている。

 それまた一興という感じで俺は大勢の生徒を虐殺を繰り返す。時たま、うまく外まで逃げ出した生徒を窓から見つけては白い鱗に変化させ、稲妻の息吹を飛ばして殺人数を増やしていった。

 この学校に居る人間は一人も外に逃がすつもりはない。消防車が駆けつけるまでにはすべてを完膚なきまでに燃やしておきたいところだ。

 一階まで来ると校長らしき年老いたおっさんが居たので宣言通りに直接鉤爪で臓物を繰り付いて殺した。

 

「おっばぁ……」

 

 喉から凄まじい量の血を流し、眼球が零れんばかりに見開き、床を転がる。

 溜飲が下がったせいで、その間隙に海香ちゃんが熱で割れた窓から飛び出したことに一瞬、気が付かなかった。

 遊び過ぎたと後悔して、窓の外を見るが魔法少女である彼女の足は速く、校門のすぐ傍まで突き進んでいる。

 だが、彼女はそこで蹲り、修道服に似た魔法少女の姿からあすなろ中の制服に戻った。

 どういう考えかと思ったが、すぐに理解したソウルジェムの限界が来たのだ。

 俺は窓の付いた壁を燃やして崩すと、そこを破壊しながら中学校から這い出した。

 翼を羽ばたかせて、倒れた海香ちゃんに近付くとそのすぐ傍に外側の上澄みが剥がれて、黒く濁った様相を呈した彼女のソウルジェムが落ちていた。

 

「ど、どうして!? ジェムの浄化が……」

 

『それはだなァ、ジュゥべえのジェム浄化システムが』

 

 親切にも説明しようとしてあげた時、件のジュゥべえがひらりとやって来て、俺の台詞を遮った。

 

『海香、ジェムを浄化させるぞ!』

 

「お願い、ジュゥべえ……」

 

 このシステム浄化が不完全であることを既に知っている俺からすれば、凄まじく無駄な行為と言わざると得なかった。

 空中で回転してソウルジェムの穢れを吸い出そうとしたジュゥべえはいつものように浄化をしようとして、異常を来たしたように止まった。

 

『!?』

 

「どうしたの、ジュゥべえ!?」

 

 浄化をせずに地面に着地したジュゥべえはその身体をグズグズと崩壊させていく。その様子は砂で作った城が何かの拍子で崩れて落ちていくのによく似ていた。

 

『分かんねえ……オイラニモ、ヨ……ク、ワカラ……ナ』

 

 片言になった言葉を吐きながら、徐々にその体積を削っていくジュゥべえ。

 海香ちゃんはそいつの名前を大声で呼んだ。

 

「ジュゥべえ!?」

 

 対するジュゥべえの返答は意外にもあっさりしたものだった。

 

『海、香……チャオ……』

 

 別れの台詞を最後に、ジュゥべえが完全に消滅するとそこに残されたのはボロボロに壊れたグリーフシードが二つほど残っていた。

 多少なりともソウルジェムを浄化できていたのはそのグリーフシードのおかげだったようだ。

 現状をまったく把握できていない海香ちゃんを哀れに思い、俺は丁寧な説明を再開してあげた。

 

『海香ちゃん。そのジュゥべえによるソウルジェムの浄化方法は正攻法じゃないらしいんだわ。アンタらが浄化してくれたユウリちゃんのソウルジェムもそういう風に外側しか綺麗になってなかった。ちゃんと綺麗にするには……』

 

「グリー、フシード……」

 

 俺の言葉の後を引き継ぐように彼女はぽつりと回答を口にする。

 正解を知っている、というよりも、たった今思い出したような口ぶりに俺は首を傾げた。

 

『まるでちょうど今思い出したみたいな言い方だな。忘れてたのか?』

 

「……そうね。今まで忘れていたわ。何もかもを……」

 

 上を向いて憎々しげに語る海香ちゃんにつられて何気なく、空を見上げるとさっきまではなかったあまりにも巨大な海香ちゃんの魔法陣が浮かんでいた。

 ところどころに罅が入っているその魔法陣は俺が視認したとほぼ同時に砕け散って消えてしまった。

 

「そうよ。全部、思い出した。私たちを魔法少女にしたのは妖精なんかじゃない……地球を食い物にする生命体――インキュベーター!」

 

 インキュベーターだか、ピンクローターだかの名前を呼んだ瞬間、トンと軽い音がして俺たちの傍に白いジュゥべえが降り立っていた。

 ジュゥべえよりもシンプルなそれはトコトコと近寄ってくると海香ちゃんに話しかけた。

 

『久しぶりだね、御崎海香』

 

「キュゥべえ……!」

 

 その呼び方は前にあやせちゃんから聞いていた。魔法少女と契約する白いマスコット。

 これがそのキュゥべえと言われる生き物なのだろう。

 

『えい』

 

 何気なく、面構えが気に食わなかったので、尻尾で思い切り潰した。猫耳の付いた饅頭のようなその頭はひしゃげて、中から赤い血を流して死んだ。

 思わせぶりな登場しやがって、俺がまるでおまけみたいになっちまっただろうが。

 念入りにビタンビタンと潰してペースト状にしてから海香ちゃんとの会話に戻る。

 

『ごめんね。横入りが入っちまって』

 

『代わりはいくらでもあるけど、無意味に潰されるのは困るんだよね』

 

 殺したはずのキュゥべえがさも当たり前のように俺に話しかけた。

 見れば、当たり前のようにどこからともなくやって来た別のキュゥべえが白いペースト状のキュゥべえの死骸をはぐはぐと食べていた。

 

『こ、こいつ……自分の仲間を食べていやがる。なんて酷い生き物なんだ……』

 

『それは君が言える台詞じゃないと思うよ。一樹あきら』

 

 俺のことを知っているような言葉に俺は聞き返す。

 

『俺を知ってんのか? ストーカーなのか?』

 

『ボクはずっとこの街に居たからね。君たちはそれに気が付かなかっただけで、実はすぐ傍で観察していたんだよ』

 

『やっぱり、ストーカーじゃねぇか。謝れよ、人のプライバシーを侵害しやがって』

 

『御崎海香。記憶を思い出した君なら、ボクの言っている意味が分かるだろう』

 

 切れ気味で返すと途端にキュゥべえは俺から、海香ちゃんへと会話の相手を変更した。この変態マスコット野郎め……。俺のちょっとエッチな行為に興奮していたに違いない。

 話題を振られた海香ちゃんは俺以上の憎しみの視線をキュゥべえに向けた。

 

「誰もお前を完全に認識できないようにこの街に魔法を掛けた……これ以上、魔法少女を生まないために……。そして、私たちもお前を記憶から完全に消した」

 

『そう。そして、神那ニコはグリーフシードをプログラム化し、手に入れたボクたちの肉体と掛け合わせることで浄化システムを作った』

 

 ジュゥべえが残したボロボロのグリーフシードの残骸を弄りながら饒舌に変態マスコットは語る。

 可愛さアピールのつもりなんだろうか。俺の百倍可愛いわ、ボケが。

 

『これはボクの仮定だけど君たちの誤算はインキュベーターの肉体を利用した事にあるんじゃないかな? 故にソウルジェムは浄化されず、表面処理を施されるに留まった。ボクらインキュベーターは「希望が絶望に相転移する際に発生するエネルギーを回収する」ために存在していると言っても過言じゃない。その本能が「グリーフシードなしのジェム浄化」を許す訳が……』

 

 最後まで言わせずに苛立った俺はキュゥべえ……いや、ピンクローターを燃やした。

 (やかま)しい。ぽっと出の癖にだらだら話しやがって、せっかくの俺のお楽しみを邪魔するんじゃない。

 

『次出たらお前の心が折れるまで殲滅するからな。取りあえず、今はどっか行っとけ』

 

『訳が分からないよ、一樹あき……』

 

 即座に次が現れたが、即座に燃やすと流石に俺に何を言っても無駄と理解したようで一旦現れなくなった。

 それでいい。弁えろ、変態マスコット。お前の出番はない。

 咳払いをしてから海香ちゃんに向き直り、俺は話を始めた。

 

『海香ちゃん……それでどうする? このままだと魔女になっちまうぜ?』

 

「あなたに関係ないわ。インキュベーターを喜ばすのは(しゃく)だけど」

 

 忌々しそうに言う海香ちゃんは俺よりもあの珍獣の方が許せないらしい。何と言えばいいのかよく分からないが、この立場を持っていかれた感覚は非常に切なく感じる。

 おかげで色んな謎が一気に解明されたが、その代わりに俺のテンションは若干下がった。

 しかし、俺はめげない男。ここから巻き返していく所存だ!

 

『じゃーん。これグリーフシードォ!』

 

 クラゲの魔女のグリーフシードはユウリちゃんにあげてしまったが、魔女になったニコちゃんが落としたグリーフシードはまだ手元に置いていた。

 それをこれ見よがしに海香ちゃんに見せつける。

 

『ねぇ、欲しい? これ、欲しい? 欲しいに決まってんだ。ねえ、海香ちゃん?』

 

 口は真一文字に引き締められているが、彼女の瞳は雄弁に訴えていた。「それ」が欲しいと、魔女になどなりたくないと。

 だが、俺がそれを渡す訳がないと確信しているから、そう口には出さない。

 口にすれば、俺を喜ばせるだけだから。

 だからこそ――。

 

『うんうん、言わなくても分かるぜ。 欲しいんだな。それじゃあ、海香ちゃんのソウルジェムを浄化してあげまーす』

 

 落ちている濁ったソウルジェムを拾うと、俺はそれに手持ちのグリーフシードを押し当てる。

 ほとんど黒になりかけていた彼女のソウルジェムから、濁りがグリーフシードに吸い込まれていき、綺麗だった海色の宝石が輝きを取り戻す。

 俺の行動の理由が分からないと言った具合に両目を見開き、俺を見つめた。

 

「どう、して……貴方が……?」

 

「決まっているだろ? 海香ちゃん」

 

 俺は姿を黒い竜から人間の姿へと戻して、手の上に乗せた彼女のソウルジェムを見せる。

 笑顔を浮かべて、俺は海香ちゃんに優しい眼差しを向けた。

 

「あきら……もしかして、イーブルナッツの影響でおかしくなっていただけで、本当は……」

 

『海香ちゃんの絶望に満ちた顔が見たいからでーす』

 

 再び、人間の姿から魔物形態に移行し、侮蔑の滲んだ嘲笑を彼女へと見せつける。

 彼女の表情が大きく歪んだ。

 海香ちゃんに差し込んでいた希望の光が、より強大な絶望に包まれる。

 

『そうだぜ、海香ちゃん。――その顔が見たかったんだ』

 

 俺は彼女の浄化されたソウルジェムを口の中に入れると噛み砕いた。

 それはそれは甘美な味わいだった。絶望の表情を俺に向けたまま、海香ちゃんの瞳から光が消える。

 今も火の手を上げて燃え盛る校舎を背景に俺は高らかに笑った後、もはや用途のなくなったグリーフシードを指で弾いた。

 

『せっかく、希望が絶望に相転移する瞬間だったのに君の行動は理解できないよ。一樹あきら』

 

『だって、魔女になったらお前が喜ぶんだろ? なら絶対にさせねぇよ』

 

 海香ちゃんと会話が終わった途端に、またもやどこからかピンクローターが現れて、表情の変わらないマスコット顔で俺に非難の声を浴びせた。

 こいつが何で絶望が希望に変わった時のエネルギーとやら求めてるかは知らないが、俺がこいつの思い通りになってやる理由が存在しない。

 

『全ては、この宇宙の寿命を伸ばすためなんだ。あきら、君はエントロピーっていう言葉を知ってるかい?』

 

『知らん』

『簡単に例えると、焚き火で得られる熱エネルギーは、木を育てる労力と釣り合わないってことさ』

 

『うるさい。俺に講釈を垂れるな、ゴミが』

 

 炎の息吹で焼失させると、次に現れたピンクローターは俺に説明をするのを諦めて、捨て台詞を逃げて行った。

 

『君に何を言っても無駄なようだね。これ以上、無意味に潰される前に帰るとする……』

 

 言い終える前に燃やすと、もう目の前に現れなくなった。ようやく、俺の目の前に出てくることの意味を理解したようだ。学習能力のない奴め、個の概念がなかろうとこれだけ無駄に殺されないと分からないのか。

 

『愚かな生き物だな、ピンクローターとやらは』

 

 そう吐き捨てると、俺は消防の人間が来る前に校舎の前に飛び上がり、口を大きく開く。

 ほぼないだろうが、生き残りが居ると不愉快なので、この校舎を完全に消滅させようと決めていた。

 まだ試したことのない、あやせちゃんとルカちゃんの魔法を見てみる機会だと思い、彼女たちのソウルジェムの力を引き出す。まずはルカちゃんの力をと、鱗の色を変えようとした。

 だが、鱗の色は白と赤のマーブル模様となる。浮かぶ力は二つ、ルカちゃんだけでなく、あやせちゃんの魔法が俺の中で浮上してくるのが分かった。

 

『なるほどな、俺の中でソウルジェムが一つに混ざったのか。こりゃあ、いい』

 

 あの時は見ることなく、トドメを刺したが、あやせちゃんたちが使おうとした奥の手。

 彼女たちの記憶をサルベージした俺はその技を知っている。

 俺の開いた口から湧き出すのは灼熱の炎と冷凍の息吹。超高熱と絶対冷度が渦を巻いて吹き荒れる。

 流れ出したその相反する息吹は合わせ技は、校舎を触れた場所から消滅させていく。

 後に残ったのは抉れたような荒れ地と、原形を留めていない建物の残骸のみ。

 

『あははははははははははは。こいつは想像以上だぜ』

 

 あらゆるものを消し飛ばす熱と冷気の息吹は想定していたよりも遥かに凶悪な威力を俺に見せてくれた。

 もう怖いものなど存在しない。この力なら、ニセちゃんやかずみちゃんでも簡単に消し飛ばしてしまえる。

 次第に近くなる消防車のサイレンを聞いた俺は、今度は海香ちゃんの魔法を行使することにした。

 即ち、記憶操作の魔法。

 鱗の色を海色に変えると、青空に巨大な魔法陣を描き出す。

 この街に植え付けるものは二つ、『市立あすなろ中学校の校舎は地下にあった戦時中の不発弾の暴発により、数年前に消し飛んだ』という記憶と『あすなろ中学校の校舎に類する資料を認識をできなる』という現象。

 これで少なくともこの街の住人はたった今起きたあすなろ中学校の校舎の消滅は誰にも認識できなくなる。

 やって来た消防団の人間は、自分がなぜこの場所に来てしまったのかさえ、分からないだろう。

 最強の攻撃力と、記憶と認識を操作する能力。

 俺は洒落や冗談ではなく、もう名実ともに神と呼べる存在になった。

 だったら、後にやることは一つだ。

 神たる俺はやがて魔女になる哀れな魔法少女たちに……天罰を与えてやろう。

 




これで今まで出されていたうやむやな事は全部出し終えました。
後は山場であるバトルとドラマパートだけです。

魔法少女は残り三名、魔物は残り二名。
これで正義の魔物登場編は終わりです。

次回からは『絶望の宴編』が始まります。お楽しみに。


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絶望の宴編
第四十二話 集結する者たち


やはり盛り上がって来ているので、嫌でも執筆してしまいます。


~ユウリ視点~

 

 

 

 ユウリ……必ず復讐を果たしてやるからな。

 記憶の中の親友にアタシはそう言って、かずみを追い続けている。

 夜の街並みを見下ろしながら、コルと共に空を駆け抜けた。だが、一向に距離は縮まらない。

 苛立つ感情を抑え、手にした二丁の拳銃を撃ち鳴らす。弾丸は確かにかずみの背中を捉え、食い込んだ。

 黒い絵の具のような血を流しながらも、奴はまったくスピードを緩めない。

 それどころか、穿たれた弾痕はすぐに黒の血で固められて、傷跡さえも残さずに治ってしまう。

 治癒じゃない……これは再生だ。

 生き物の『回復』というより、機械か何かの『改修』。

 魔法というにはあまりにおぞましいそれは、見ているこちらの嫌悪感を煽る。

 

「化け物め……」

 

 そう吐き捨てると、こちらの攻撃には無反応だったかずみは一瞬だけ反応した。

 それを目の当たりにしたアタシは薄く笑った。こいつは物理的なダメージよりも、『化け物』と呼ばれる方が傷付くらしい。

 人間モドキがまったく、お笑いだ。あきらが居たら大爆笑しているところだろう。

 

「知ってるぞ。お前、プレイアデスに造られた魔法少女なんだって?」

 

 かずみを追う速度を緩めずにアタシは侮蔑と嘲りの籠った言葉を投げつけてやる。

 

「人間でもない癖に人間ぶりやがって……気持ちワルいな!」

 

「っ……」

 

 あからさまに傷付きましたという顔に虫唾(むしず)が走った。プレイアデスの人形風情が、一丁前に悲しんでいるのが腹立たしい。

 こいつを造ったプレイアデスにも同等の怒りが湧く。

 

「アタシからは友達を奪っておいて、自分たちは死んだ友達のクローン作って幸せって……ふざけるんじゃない!」

 

 殺してやる。ゴミ屑のように踏みにじって、プレイアデスの大切にしていたこいつを完膚なきまでにぶち壊してやる。

 無言でコルにかずみへ突進攻撃を命令する。

 しかし、かずみはその攻撃を避けようともする事なく、獣じみた腕から生えた鉤爪でコルを切り裂いた。

 

『ブモォォォ!!』

 

 一声(いなな)いた後、コルは魔力の粒子となって、消滅する。

 

「……あなたに何が分かるの? 偽物だって明かされて、家族って言ってくれた人にも化け物だって知られた、私の気持ちが少しでもあなたに分かるの!?」

 

 かずみは動きを止めてアタシに向き直り、憤りの籠った叫ぶをぶつけてくれる。

 知った事じゃない、そんな事。屑ども大切な人形の気持ちなんて理解したくもない。

 ただ一つ分かるのは、宙空で静止してくれたこの馬鹿はアタシにとっていい(まと)になったという事だけだ。

 撃ち出した弾丸はかずみの獣のような手足に当たると、リング状に変わってそれぞれ呪縛になって拘束する。

 

「こんな拘束……!」

 

 すぐにそのリング状の呪縛を魔力を籠めて、打ち砕く。

 けれど、それは囮に過ぎない。僅かに意識と時間を浪費させられればそれでよかった。

 本命はその隙に生み出したかずみの左右上下の空間に浮かび上がる四つの魔法陣。

 

「ぶっ壊れろ! プレイアデスの人形! 『イル・トリアンゴロ』」

 

 魔方陣を出現させ大爆発させる魔法『イル・トリアンゴロ』。アタシが持つ最大威力の魔法だ。

 あきらからもらったグリーフシードを使い、魔力を完全に回復させているこの魔法は前の時よりも遥かに強力になっている。

 それを四方向から同時に爆発させた。膨れ上がった魔力がかずみの至近距離で吹き荒れる。

 凄まじい煙が空を覆うように発生し、そして、霧散した。

 煙が晴れると文字通り、ぐしゃぐしゃに消し飛んだかずみの死体が宙から落ちて、地面に転がっていた。

 

「やった! やったぞ、ユウリ! アタシが復讐を取ってやったぞ‼」

 

 勝利の快感が胸を焦がす。喜色に溢れたアタシはすぐにボロ屑になったかずみの死体の元に降り立つ。

 下に広がっていたのは少し大きめの広場だった。石畳で舗装されたその場所の真ん中でぽつりとかずみだった残骸が落ちていた。

 惨めな姿になったそれはより一層、甘美な余韻を与えてくれる。

 

「ざまあないな、プレイアデスの人形! あはははははははははは、……は?」

 

 だが、その喜びはすぐに掻き消えた。なぜならかずみの死体がポンと小さな音を立てて、本物の人形に変わっていたからだ。

 そのデフォルメされた人形はかずみとは似ても似つかない。似ているのはプレイアデスの――神那ニコだった。

 まさかと思い、振り返った視線の先にはパーカーを着込んだ神那ニコが佇んでいる。その手には小さくなったかずみが入っている円筒形の水槽が握られていた。

 

「なるほどな。お人形を取り戻しに来たのか、プレイアデス……!」

 

 不敵な笑みを浮かべる神那ニコはアタシにその不快そうな目を向けた。

 

「その呼び方は止めてくれない。お馬鹿なユウリちゃん」

 

 かずみを人形と呼ばれたのが、そんなに腹立たしかったのか神那ニコの声は静かだが怒りが滲んでいる。

 プレイアデスの魔法少女どもは、本当にお友達ごっこが大好きな奴らだ。

 アタシはなおも馬鹿にした調子で奴に言う。

 

「そんなに大事なのか、その人形が? そこに居るのも失敗作なんだろ?」

 

「どこまで聞いたのかは知らないけど、いい加減にしろよ。この道化が! 『コネクト』」

 

 笑みを消した神那ニコは吐き捨ててると、鋭く魔法を口にした。

 言葉のすぐ後、アタシの背後から使い慣れた魔法の牛であるコルが出現する。

 

『ブルルルゥゥゥ!!』

 

「馬鹿な、何でお前が‼」

 

 一瞬の戸惑いにより、回避する事もままならず、コルの突進を受けて神那ニコのすぐ足元まで吹き飛ばされる。

 どういう事だ? たった今受けた魔法はアタシのコル……『コルノ・フォルテ』に他ならない。

 

「なんで、お前がコルを使える……?」

 

「なあ、ユウリ。お前さ、今私が着ているパーカー見覚えない?」

 

 神那ニコは質問には答えず、代わりにまったく関係のない事を尋ねてきた。発言の意味が分からず、アタシは問い返す。

 

「何を言って……」

 

「ほら。こうすれば分かりやすい」

 

 パーカーのフードを被り、倒れているアタシを覗き込むように顔を近付ける。

 間違いなくその見た目には覚えがあった。それはアタシにイーブルナッツを渡した奴の外見とまったく同じだった。

 

「お前だったのか……」

 

「そうだよ。お馬鹿なユウリちゃん」

 

 かずみの入った水槽を小脇に挟むと、手をアタシの額に伸ばす。

 その手に握られていたのは、イーブルナッツだった。それを弄びながら神那ニコは語り出す。

 

「お前は私の計画の役に立ってくれたよ。まあ、ドジで間抜けだったけど。ただ、一つ……一樹あきらという必要以上に強大な化け物を生み出した事を除いて」

 

「あきらの事まで知っているのか……、クソッ、手足が」

 

 いつの間にか、リング状の呪縛がアタシの手足を拘束するように付けられていた。

 これもコルと同じ、アタシが使う固有の魔法だ。御崎海香のように魔法を解析してコピーするならば、理屈は分かるが、少なくとも今までに使った魔法を解析された覚えはない。

 

「あの化け物を生んだ責任はお前自身で取ってもらう事にするよ」

 

「や、やめろ! それを近付けるな!」

 

 イーブルナッツを握った奴の腕がアタシの額に伸ばされる。

 それを使われれば、普通の人間ならまだしも魔法少女であるアタシが受ければどうなるかくらい想像が付いた。

 魔女になってしまう。モドキではない、本物の魔女に。

 

「さようなら、魔法少女ユウリ。そして……」

 

 伸ばされた腕。目の前に突き出されたイーブルナッツ。

 最後にアタシが脳裏に描いたのは親友の姿ではなく、――あの憎たらしい外道の顔だった。

 

『させねぇよ』

 

 そんな声と共にアタシの身体は地面から宙へと浮かび上がる。気が付けばアタシは大きな鉤爪の生えた腕の中に居た。

 漆黒の鱗がびっしりと生えた硬く冷たいこの腕の持ち主をアタシは知っている。

 

「っ、遅いぞ。馬鹿あきら!」

 

『ご機嫌斜めだねェ、俺のお姫様は』

 

 黒い竜の魔物にして、プレイアデスを半壊させた邪悪なアタシの協力者、一樹あきらだ。

 黒い翼を羽ばたかせながら、あきらは眼下に居る神那ニコに笑いかけた。

 

『いや、こうやってちゃんと話すのは初めてになるのかな、ニセちゃん』

 

「……お前はもう、気付いたんだったな。漆黒の邪竜、一樹あきら」

 

『いやん。そんな中二病的な二つ名要らねぇよ。だって俺はもう「(ゴッド)」だから』

 

「あきらのセンスは小学生みたいだな……」

 

 呆れた風にそう呟くと、ガーンと漫画のような効果音を口で言って、落ち込む真似をする。どこまでもふざけた奴だ。

 だが、こいつの登場によってアタシは一時危機から脱した。感謝を言うつもりにはならないが、少しくらい褒めてやってもいいだろう。

 

「まあ、その……よく来たな。褒めてやる」

 

『距離を保ちながら途中から見てたからな』

 

「前言撤回。もっと早く助けに入れ、ボケナス!」

 

 ……この腐れドラゴンに少しでも感謝を感じたアタシが愚かだった。こいつはこういう奴だ。一応は味方だが、全面的に下衆の極みみたいな存在だ。

 しかし、まあ、これでこっちが優勢に回れる。

 神那ニコめ、このアタシを利用した事を後悔させてやろう。

 

 

 ***

 

 

~赤司大火視点~

 

 

 

 あれから覚悟を決めたのはいいが、俺の身体は既に限界に達していた。

 蛾の魔物が死んだせいか、多少肉体を蝕む毒は弱まりどうにか立って歩けるまでにはなったが、それが俺の精一杯だった。

 意識は依然として、朧で気を抜けばその場で倒れて眠ってしまいそうだ。

 その状態で空を駆けるかずみを追うとなると、なかなかに絶望的と言わざるを得ない。

 だが、俺はお袋と約束だけを支えにかずみを探して、歩き続ける。

 横断歩道を渡り、アスファルトの道を進み、時折空を見上げて彼女の姿を探すが、映るのは夜空に星ばかり、中でもオリオン座は憎らしいほど綺麗に見えた。

 

「どこに居るんだ、かずみ……」

 

 零れた呟きは俺のものとは思えないほど弱弱しく、情けないものだった。

 しかし、それは今の俺の状況を(かんが)みれば致し方ないことだろう。

 たった一人の肉親だったお袋を失い、住んでいた家は燃え、新しくできた『妹』は怪物のような異形に変わり、去って行った。

 これで元気に満ちていたら、それはただの狂人だ。

 いや、駄目だと首を振って、惰弱な考えを頭から追い出す。

 こんな考えではかずみを取り戻す事などできはしない。

 

「かずみは、俺の家族だ。だから、絶対に取り戻してみせる!」

 

 そうだ。これでいい。これこそが赤司大火という男の声だ。

 挫けかけた己の意志を、再び繋ぎ止めて、俺は一歩一歩踏みしめるように足を動かした。

 

『赤司大火』

 

 その時、頭の中で響くような高い声が聞こえてくる。

 周りを見回すが、俺に話しかけたらしき人物は見当たらない。

 幻聴かと思い、そのまま歩を進めようとして、気付いた。足元に白い猫のような生き物が居る。

 

『やあ、赤司大火。初めましてだね』

 

「あ、初めまして、赤司大火だ」

 

 丁寧に挨拶をしてくるので俺もそれに倣って挨拶を返す。その時に猫が喋っているという事実と、今さっき聞こえた声の持ち主が彼だと理解した。

 驚きはあまりない。先ほど起きた事件に比べれば、猫が喋ろうが喋るまいが些細な事だ。

 

「お前は……?」

 

『ボクの名前はキュゥべえ。君はかずみという少女を探しているようだね?』

 

 キュゥべえと名乗る猫は一発で俺の目的を看破する。

 俺の事を知っているような口ぶりといい、どこかで俺を観察していたのかもしれない。

 しかし、そんな事は重要ではなかった。

 

「ああ、そうだ。かずみの居場所を知っているのか?」

 

『知っているよ。ボクには魔法少女たちの居所を特定する力があるからね』

 

「頼む。俺を彼女の元まで連れて行ってくれないか?」

 

 正体の分からぬ動物だろうが、こいつもまた俺に嘘を吐いている雰囲気はなかった。

 見た目や気配からは感情を読み取る事はできなかったが、情報のない今は信用する他ない。

 キュゥべえは二つ返事で俺に応じてくれた。

 

『構わないよ。元々、それが目的で君に接触したんだ』

 

「俺に?」

 

 真っ赤なガラス玉のようなその目から、当然彼の目的など分かりようがない。

 平坦な口調でキュゥべえは俺に言う。

 

『一樹あきらと同じ、ただの人間の身で特別な力を振るう君が、その力を持って魔法少女たちにどんな影響を及ぼすのか見てみたい』

 

「一樹、あきら……?」

 

 その人名は俺にとって聞き覚えがないものだったが、「俺と同じ力」と言えば、イーブルナッツによるものと考えていいだろう。

 もしかすると、その一樹あきらという人物こそ俺が追いかけていた……。

 俺の疑問に一足早く、キュゥべえは答えた。

 

『君からすれば、ドラ―ゴと言った方が分かりやすいだろうね』

 

 やはり、そうなのか。

 一樹あきらという奴こそが、街で暴れ、俺の家族を襲った連中のトップ、ドラ―ゴなのだな。

 しかし、今はそれよりもかずみの方が心配だ。

 倒すべき敵の本名を心に刻み、俺はキュゥべえに頼んだ。

 

「とにかく、今はかずみの元へ案内してくれ」

 

 奴を倒すのはかずみを取り戻したその後で十分だ。

 キュゥべえは俺を先導して、先を進んで行く。俺は彼を見失わないように続いていった。

 




あと六話程度でこの物語を完結させる予定です。

次回は、登場人物たちは一堂に会する事になるでしょう。
ハルマゲドンの時は近い……。


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第四十三話 聖なる叫び

大分、疲れてきましたが、日を跨がずに連続投稿しました……。


 夜空を背景に飛ぶ俺はユウリちゃんの手足を縛る拘束を鉤爪で壊しながら、下の広場に居るニセちゃんに尋ねる。

 

『答え合わせと行こうか。ニセちゃん』

 

「その呼び方は止めろ!」

 

 クールなニコちゃんと違い、案外熱くなりやすいタイプらしいニセちゃんは『コルノ・フォルテ』の魔法で生み出した飛行能力を持つ赤い牛を俺へと差し向けた。

 鳴き声を轟かせ、地面から浮かび、俺に目掛けて突撃してくるコルノ・フォルテ。

 

『こんな魔法で俺に何かできるとでも思ってた?』

 

 尻尾で襲い来るそれを巻き付けて捕縛すると、その状態で締め上げる。魔力でできた存在にも関わらず、苦しそうな声をあげた。

 

『ふん』

 

 尻尾が巻き付いた部分が食い込み、スレンダーなくびれを作るとアルミ缶のように潰れて、粒子状の魔力になって消えた。

 

『クソみたいな魔法だな』

 

「それはアタシに喧嘩を売ったって認識でいいんだな、あきら」

 

 拘束から解放されたユウリちゃんが俺の顎に拳銃を押し当てて、目の笑ってない笑顔で言う。

 そういや、元々この魔法はユウリちゃんのものだった。適当に謝って許してもらい、俺は再度ニセちゃんに尋ねる。

 

『で、ニセちゃん。アンタの狙いはかずみちゃんだってのは分かったんだが、何でかずみちゃんに固執するのかは分からなかった。そこんとこ、教えてくれや』

 

「それは私がかずみと同じ、合成魔法少女だからだよ」

 

 ニセちゃんの口から語られたのは俺も知らない新情報だった。

 彼女が言うには、アメリカのカリフォルニア州で起きたとある事故がすべての発端だったそうだ。

 銃社会のアメリカでは時々ある、銃の暴発事故。カウボーイごっこをしていた子供たちのちょっとした過失。

 

「死者二名、負傷者一名。生き残った娘の名は(ひじり)カンナ。そしてトリガーを引いた少女の名も……聖カンナ」

 

 ――カンナは幼いながらに罪を背負い、笑顔を捨てた。贖罪の祈りを捧げ続けた。

 ――彼女はもしも……と考えた。あの時の事故がなければ、自分はどんなに幸せで、楽しい人生があったのか。

 (うた)うように語るニセちゃんの口ぶりはさっきの激昂した態度とは打って変わて落ち着いている。

 ――カンナは『if』の自分を作り出し、その世界を夢見た。現実の自分と、空想の自分。二人合わせて一人の子、『ニコ』となった。

 ――そして、彼女は魔法少女の対価として、ニコは架空の自分を現実のモノに変え、『聖カンナ』の名を譲った。

 そこまで語り終えると目を伏せるように、ニセちゃんは薄く笑った。

 

「聖、カンナ……それがお前か?」

 

 ユウリちゃんがそう聞くとニセちゃんは軽く頷いた。

 

「日本に引っ越していた私は幸せに暮らしていた。友達も居た。家族も居た。でも、ある日気付いちゃった――それが作り物だと」

 

 プレイアデス聖団として魔女と戦っていたニコちゃんの姿を見つけて、すべてを知ったのだと言う。

 そこから芋蔓式に、両親が過去の事から遠ざけるためにカリフォルニアから家族が逃げるように日本に来た事や魔法少女の事に関しても知ったのだと。

 

『どうやってそこまで知ったんだ? 魔法少女のことまでは知りようがないだろ?』

 

「それは聞いたからね」

 

『誰に?』

 

 俺の質問にニセちゃんが答える間もなく、広場へ現れた闖入者がそれに回答する。

 

『ボクがそれを彼女に伝えたからね』

 

 すべてを知ってましたとばかりに話に割り込み、図々しくも存在感をアピールするその無作法な闖入者はピンクローター。

 そして、初めて見る高校生くらいの男だった。

 

「今の話がカンナ、お前の過去なのか?」

 

 ニセちゃんの知り合いらしきその男は彼女の顔を見てそう言った後、その腕に抱える水槽の中身に気が付いたように叫ぶ。

 

「その水槽の中に居るのは……かずみ!?」

 

 どうやらかずみちゃんとも面識があるらしい。

 誰なんだ、こいつ。というか、いつから聞いてたんだよ。

 内心で突っ込みを入れるが、話が途中で止まってしまったのはちょっと頂けない。

 石畳の上に着陸すると、抱きかかえていたユウリちゃんを降ろして、男を睨む。

 

『オイ、ぽっと出のアンタ。少し黙ってろ』

 

「お前は……そうか。お前がドラ―ゴ――一樹あきらか!」

 

 俺のことまで知っているようだが、まったく以って見覚えのないので返答に困る。マジで誰なんだよ……。

 困惑する俺を余所にニセちゃんはその男の名前を呼んだ。

 

「来たんだ、タイカ……かずみを取り返しに」

 

『マジでそいつ誰だよ? 俺たちの空間に入って来ないでくれますかね、新キャラさん』

 

 ニセちゃんとしてはその男のことを知っているからいいだろうが、俺からすればポカンとするしかない。

 急に湧き出しとして、重要人物っぽい言動をされても困るだけだ。

 俺に尋ねられてか、その男は名乗りを上げる。

 

「俺の名は赤司大火。お前の悪行を知り、打倒すべく追っていた者だ!」

 

『はあ……そうなんだ』

 

 だから何としか思えないような、自己紹介だった。

 何と言うか、凄く白けてしまった。あまりにも空気の読めない赤司とかいうアホのせいで、俺のテンションはガタ落ちする。

 

『じゃ、死ね!』

 

 広場の入口に届くほどの火炎の息吹を口から吐き出す。

 灼熱の炎はお寒い邪魔者を燃やし尽くす――はずだった。

 だが、その炎を切り裂き、現れたのは蠍をモチーフにした怪人のような『魔物』だった。

 多少焼け焦げたように黒く(すす)けていたが、白い鎧のような身体に鋏の腕と長い尻尾を腰から生やしている。

 夜の広場に赤く光る二つの眼光が俺を射抜くように睨む。

 

『……いきなり、炎を吐いてくるとは思わなかったぞ』

 

『チッ、お前も魔物か』

 

 よく考えればニセちゃんがイーブルナッツを作り出したのだから、魔物としての力を得ていても何らおかしくない。

 鬱陶しい。非常に鬱陶しい。こういう奴、俺は嫌いなんだよな。ついつい、殺したくなる。

 

『じゃあ、ちょっと黙ってろ。ニセちゃん、続けて続けて』

 

 横目でニセちゃんを見て、話の続きを促す。せっかく、すべてが明らかになろうとしているっていうのに無駄な横槍が入ってしまった。

 

「……ああ。私はキュゥべえからすべてを聞き、自分がニコの魔法少女の対価だと知った」

 

 話をまた始め出したニセちゃんの話で、俺の推理が一部外れていたことを知った。ニセちゃんが魔法少女の契約による対価だということは嘘ではなかったようだ。

 少し恥ずかしい気分になったが、ニセちゃんが黒幕だという部分は外れていなかったので良しとする。

 

「ふざけていると思った。自分があの子の作った『設定』で生かされている人形で、なおかつそれを私が幸せだと感じていただなんて……だからキュゥべえに『相手に気付かれず、接続する力』を願って契約したんだよ。……ニコを観察して破滅の瞬間をこの目に焼き付けるために」

 

『人の心があれば契約できるからね、人間(・・)じゃなくてもね』

 

 ニセちゃんの話にピンクローターが補足するようにそう付け加えた。

 聞いた限りは、俺が思った以上に魔法少女というシステムは雑にできているようだ。……人の心って抽象的にも程があるだろ。

 

「おかげでニコの記憶も苦しみも、プレイアデスの計画も全部分かった。合成魔法少女(わたしのなかま)を造るって聞いた時は手を叩いて喜んだよ」

 

 言葉の通り、嬉しそうに水槽に入ったかずみちゃんに頬擦りした。小さくなって中に入っているかずみちゃんはさっきまで気絶したように動かなかったが、意識を取り戻したかのように目を開けている。

 それに気付いているのかいないのか、ニセちゃんはすぐに憎しみの籠った無表情に変わった。

 

「でも同時に、身勝手なプレイアデスへの憎悪も生まれた。だから、これを作ったのさ」

 

 イーブルナッツを軽く上に放って、俺たちに見せつける。

 

「海香の分析魔法と、ニコの生成の魔法に接続してね。簡単に作れたよ。後は馬鹿な魔法少女に使わせた」

 

 ユウリちゃんをイーブルナッツの先で指して、思い切り馬鹿にした視線を送る。

 彼女はそれに怒り、ニセちゃんに飛び掛かろうとするが、俺はそれを睨み付けて制した。今、邪魔をしたらこの事件の真相が最後まで聞けなくなってしまう。

 

「あきら。お前には感謝してる。まさかプレイアデスを皆殺しにしてくれるとは思わなかった。けど、かずみまで殺そうとするお前はもう危険な障害物でしかない」

 

『それで、俺にもイーブルナッツを……』

 

「強い義憤と正義感を持ったタイカはあきらにぶつけるには丁度よかった……かずみを拾って仲良くなるとまでは想像しなかったけどね」

 

 ようやく、このバルタン星人モドキがニセちゃんやかずみちゃんと面識があったことに納得がいった。それと最初にユウリちゃんがかずみちゃんを強奪したのことにも。

 多分、本当は後からニセちゃんが回収しようと思ってのことだったのだろう。それがこのドジッ子魔法少女は俺の鞄と間違えたといった具合で失敗に終わったのだ。

 俺のことを知っているのも、彼女の魔法で気付かない内に接続して見ていたと考えるのが自然だ。

 

『それでかずみちゃんを手に入れて何がしたいんだよ?』

 

 俺の問いに待ってましたとばかりに、楽しそうな笑みを作り、かずみちゃんの入った水槽を眺めて、言った。

 

「私はね。『ホンモノ』になりたい。人間がホンモノで、合成魔法少女がニセモノだというのなら、人間が滅んで私たちが新人類になればいい」

 

 着ていたパーカーが、黒い帽子と肩口と首元の見える同色の特殊の衣装に変わる。

 これがニセちゃんの魔法少女としての衣装なのだろう。ニコちゃんとは似ても似つかないその格好だった。

 

人間(ヒューマン)と似て非なる新人類。名付けるなら――ヒュアデス! プレイアデスの異母姉妹の名こそ、私たちにふさわしい‼」

 

『いや、新人類って無理だろ。アンタら魔法少女はいつかは魔女になるんだからあっという間に歴史が終わるぞ』

 

 ピンクローターも俺の意見に同意して、ニセちゃんに突っ込む。

 

『一樹あきらの言う通りだよ、カンナ。合成魔法少女とはいえ、魔女になるのは変わらない』

 

 このストーキングマスコットと同じ意見だというのは嫌な気持ちになったが、こいつが生み出したシステムである以上はこいつの方がニセちゃんより正しいはずだ。

 だが、彼女はその言葉を予想していたようで、不敵な表情で帽子を取るとそこに詰まったソウルジェムが擦れ合い音を立てた。

 

「そのための魔女なら、魔法少女の数だけある。プレイアデスは最後にいい土産を残してくれた」

 

 その大量のソウルジェムを見て、ピンと来る。『レイトウコ』にあったジェムを全部持ってきたのだ。

 確かにそれだけあれば、多少は持つかもしれないが……。

 

『それでも、人間が居なくなったら、魔法少女が生まれくなって、最終的にグリーフシード足りなくならね?』

 

 容赦のなく、追撃を掛けるとニセちゃんは笑みを止めて俺を睨んだ。

 それ以上のことを言わないということはつまり、俺の発言は図星を突いたご様子。

 オイオイ、それじゃあ、ユウリちゃんのこと笑えないだろ。

 

「一樹あきら。お前にはもう退場してもらうよ」

 

『なあ、誤魔化してんだろ? 新人類とか言いながら、後のない自分を誤魔化してんだろ? なあなあなあなあ?』

 

 追い打ちを掛けてあげるとニセちゃんの不敵な笑みは破れ、内側にあった激情は簡単に露わになる。

 裏から隠れてこそこそしていただけで、こいつもこいつで黒幕というには器が小さかったようだ。

 まあ、それもいい。知りたいことは全部分かった。

 ヒュアデス? 新人類? いいじゃないか。実に結構。

 人類を守るために立ち塞がる俺はやっぱり神だ。慈悲深く、愛と優しさに溢れている。

 

『全人類は俺の玩具だ。俺が全力で守り切ってやるぜェ!』

 

 高らかに俺の叫びが夜の広場に響き渡った。

 




ようやく、全員集結して、バトルが始まる一歩手前まで来ました。
次回からはバトル多めになりそうです。


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第四十四話 力への渇望

『そういう訳で死ねやあああああああ!』

 

 サクッとニセちゃんを始末するべく、火炎を浴びせかけようとする。

 だが、それを邪魔しようとバルタン野郎が走って割り込み、彼女の代わりに俺の炎をその身に浴びた。

 

『ぐっ……』

 

 火炎をその両腕の鋏で炎を切り裂き、火の粉を散らす。さっきも同じことをしていたが、近距離で見てその方法を知った。

 このバルタン野郎は二つの鋏を高速で振り、力任せで火炎を払い除けているのだ。

 耐熱性のある肉体はもちろん、それ以上に炎と炎の隙間に空気の溝が生まれるほどの速さで鋏を振らなければ、この現象は起こせないだろう。

 

『オイ、このバルタン野郎。人類を滅ぼそうとしている奴に手を貸そうってか?』

 

『そんな事は俺がさせない。それに今の炎が当たればかずみまでもが危険だった』

 

 火炎の息吹を一旦止めて非難してやると、バルタン野郎は俺の言葉を否定した。

 確かに今の攻撃なら水槽の中のかずみちゃんをも巻き込んで燃え上がっていたと思う。

 だが、そこに何の問題があるんだ?

 俺からすれば、かずみちゃんを生かしておく理由がない。

 こいつだって、かずみちゃんの一緒に居た時間なんぞどう多めに見積もっても一週間程度、そこまで必死に庇うような間柄になるには時間が足りな過ぎる。

 

『ああ、頭が悪いんだな、お前』

 

『何とでも言え』

 

 嘲笑う俺にバルタン野郎は素っ気なく答える。

 本当に頭が悪い。少なくても今のニセちゃんに背を向けるなんて愚行をするのは愚かとしか言いようがない。

 

「タイカ。本当にありがとう。お前にイーブルナッツを与えてよかった。『コネクト』」

 

 ニセちゃんの手元から鎖にも似た長い線が生まれて、バルタン野郎の背中に突き刺さる。

 

『カンナ!? 何を……』

 

「私のコネクトはただ相手の心を覗き見るためだけの魔法じゃない。繋いだモノを操る事だってできる。こんな風にね!」

 

 まるでそれは糸で吊られた操り人形のようだった。コネクトの線で繋がれたバルタン野郎は、恐らく自分の意志とは別に俺へと襲い掛かかってくる。

 その証拠に戸惑いの声が奴から漏れていた。

 

『何だ!? 身体が勝手にっ……』

 

 心底愚かな奴だ。あの場合でも背中なんか見せないでおけばよかったものを。

 まあ、雑魚魔物が一匹増えたところで俺の()るべきことは変わらない。

 

『出しゃばりアホ野郎はさっさと退場しろ』

 

 振り上げた鉤爪を、バルタン野郎の目掛けて袈裟斬りに振り下ろす。五本の刃は鈍い光を放ち、風切り音を奏でた。

 しかし、俺の鉤爪は奴を切り裂くことなく、途中で停止する。

 バルタン野郎がその両の鋏を交差させ、それを受け止めたからだ。

 

『……カンナ。例え、君に身体を操られなくとも俺はこうしていただろう』

 

 奴は俺ではなく、自分の背後に居るニセちゃんに語り掛けた。

 

『何故なら、俺は……俺は正義のヒーローだからだ!』

 

 そう叫んだバルタン野郎の肩越しから見えるニセちゃんの顔は歪んだ。

 辛そうであり、悲しげであり、そして、何かを抑え付けるようなそういう表情。

 

「……っ!」

 

『カンナの過去を知って、何をしようとしているのかは分かった。だがな、俺にはカンナの本心が未だに分からない。君は今はそれで幸せなのか?』

 

 悲劇のヒロインのような顔を浮かべたニセちゃんは一瞬だけ何か言いたげに口を開いたが、すぐに唇を噛み締めて黙る。

 ……何だこの茶番。クソだな。

 寒々しいヒロイックなやり取りに俺は気分が悪くなる。

 

『ユウリちゃん。このバルタン野郎は俺が潰すことにするから、ニセちゃんを攻撃して』

 

「言われなくとも、やってやる!」

 

 俺の背後に居たユウリちゃんに命令して、ニセちゃんを先に攻撃させる。

 二丁拳銃を構えた彼女は俺の肩を蹴って上空に跳ぶと、弾丸の雨をニセちゃんへと降らせた。

 

「……しまっ……、『コネクト』」

 

 バルタン野郎の言葉に揺れ動かされていた彼女だが、即座に帽子の中に入れてあるソウルジェムに片手から魔力の線を伸ばして魔法の盾を生み出す。

 ユウリちゃんの時といい、バルタン野郎の時といい、あの『コネクト』という魔法には繋がった魔物を操ったり、繋げたソウルジェムが持つ固有の魔法を使うことができるようだ。

 確かに便利だが、それは自分自身では大した攻撃手段は持っていないということの裏返し。なら、俺の魔法少女には勝てないだろう。

 

「まだまだぁ!」

 

 ユウリちゃんがリング状のアクセサリを四つほど投げると、そのアクセサリがアサルトライフル変えて一斉掃射する。

 さっきの比ではない速度と速さの弾丸がニセちゃんを襲う。生み出された魔法の盾はその猛撃に耐え切れず、砕けた。

 

「クソッ……」

 

 とっさに後ろへ跳んで避けるが、その時に水槽に弾丸が当たり、ガラスが割れて、中のかずみが外気に触れる。

 

「かずみ!?」

 

 外に出たかずみちゃんは元の大きさに戻って、ぶち撒かれた液体と共に石畳に転がった。

 彼女の身体には不可思議な蔦のような紋様が浮かび上がっている。

 ……あの不思議な紋様は何だ?

 俺のその疑問にピンクローターが興味深そうに彼女に近付き、言った。

 

『かずみは魔女の肉を詰め込んだ合成魔法少女。厳密には魔法少女ではないから、魔女化のプロセスが普通の魔法少女とは違うようだね』

 

 そういえば、かずみちゃんはピンクローターの作った魔法少女システムとは起源が違ったプレイアデス聖団製の魔法少女だった。

 だから、その身体も抜け殻ではなく、魔女化による影響を受ける訳か。

 

『かずみ……っ!?』

 

『おっと、向かって来ておいて、どこに行くつもりだよ』

 

 構えを解き、かずみちゃんの方へ駆け寄ろうとしたバルタン野郎を尻尾で打ち付ける。

 この雑魚は俺が始末してやる。こういう自分に酔った正義感馬鹿というのは俺が一番嫌いな人種だ。

 己の分というのを弁えていない。端役の分際で自分は凄い存在だと勘違いしてやがる、救いようのない屑。

 

『楽に死ねると思うなよ、脇役くん』

 

 俺は身体の鱗を黒から、オレンジに変える。呼び出す魔法は、カオルちゃんの肉体硬化の魔法。

 瞬時に肉体を鋼の如き強度にすると、バルタン野郎に鉤爪ではなく、パンチをお見舞いした。

 

『ちょっとだけ本気出してやるよ。……ちょっとだけ、だけどな!』

 

『ごほっ……!』

 

 鋏のガードを越え、白い鎧のような腹に俺の右拳が抉り込む。強度で勝る一撃は奴の身体に吸い込まれるように食い込んで、その堅牢な外殻に罅を入れた。

 揺れる奴の身体に追撃の尻尾が遠心力を得て振るわれる。それを向こうも蠍の尾で防ごうとしたが、勢いの乗った俺の尻尾は受け止められず、防いだ蠍の尾ごと腹部に叩き付けられた。

 

『がぁ……!』

 

 崩れ落ちるその直前に屈み、残しておいた左拳が奴の顎を捉えた。

 メキリ、と低い音が聞こえ、地面に落ちかけていた身体が再び、舞い上がる。

 

『こいつがホントの昇龍拳、なんつって』

 

 悲鳴も発することもできず、浮かんだバルタン野郎は無様に落下し、仰向けで間抜けなその脆弱さを周囲に見せ付けた。

 格好付けた弱者を倒すのはどうしてこんなにも気持ちがいいのだろう。誰か、この感情を研究して発表してくれないだろうか。

 

「タイカ!?」

 

 名を呼んだのはかずみちゃんか、ニセちゃんか、それとも両者か。どれにしても、無様に伸びて、天を仰いでいるこの雑魚には届かない。

 倒れたバルタン野郎を何度も何度も踏み付けながら、ユウリちゃんに命じる。

 

『俺の方はもう終わる。そっちも早めに終わらせてよ』

 

「任せろ。すぐに二人とも消し炭に……」

 

 そこでユウリちゃんは何かに気が付いたように言葉を止め、周囲を見回す。

 

『どしたー?』

 

「魔女の気配がする。 ……! あきら、あそこを見ろ!」

 

 言われてユウリちゃんの目線の先に首を動かせば、そこにはグリーフシード数本が突き立てられていた。そのどれもが孵化寸前の明滅している状態になっている。

 その場所はさっきまでニセちゃんが居た場所。

 ――そういうことか。理解ができた。

 俺は踏み付けているバルタン野郎を睨む。この雑魚はただの眼眩ましで、魔女の孵化を待つための時間稼ぎに過ぎなかった。

 俺が調子に乗って、こいつと戯れている隙に濁りの多かったソウルジェムをグリーフシードに変えたのだ。

 やられたと思ったその時には、夜の広場は魔女の結界に包まれる。

 (きら)びやかで幻想的な、歪な世界が俺たちを囲うように発生した。

 その変わりゆく景色の中で僅かに見える天井に、辛うじて差し込む外へかずみちゃんを抱いたニセちゃんが飛んで逃げて行くのが見えた。

 黒い蔦の紋様はさっきよりも彼女の身体を覆っており、刻々と取り返しの付かなくなる様子が見て取れる。

 

『ユウリちゃん! 俺たちも行くぞ‼』

 

「ったく、逃げ足の速い奴らだ!」

 

 俺の背に素早くユウリちゃんが飛び乗ったのを確認すると、俺もまた結界の隙間から闇夜へと飛び立った。

 結界の中に仰向けで転がるバルタン野郎は放って置いても、この結界の中で生まれた魔女どもに食い殺されて死ぬだろう。

 どの道、多少頑丈なのが取り柄の雑魚でしかない。あの程度の魔物ならダース単位で現れても脅威にすらならない。

 それよりも、目的はニセちゃんだ。俺を出し抜くとはなかなかの狡猾さ。相手に取って不足ない。

 夜空を飛び、先に逃げた彼女たちを俺は追った。

 

 

 

~赤司大火視点~

 

 

 ……完敗だった。

 圧倒的な速さと、硬度と、威力を持った連撃は魔物状態の俺の肉体を完膚なきまでに叩き伏せた。

 強盗事件から空手を習っていたが、こうまで敗北を味わったのは今日が初めてだった。

 自惚れがあったのは事実だ。

 鬼熊や蛾の魔物を倒し、俺は自分が強くなったと勘違いしていた。

 己と比べものにならないほどの力量差を持った相手のことを考えていなかったのだ。

 努力や創意工夫で、どうにかなるなどお笑いだ。一樹あきらという黒竜の魔物、奴は恐らくまだ力の片鱗しか見せていない。

 それでこの様だ。話にならない。これで正義のヒーローなどよくも恥ずかしげもなく名乗れたものだ。

 自嘲する俺の身体に力が入らなかった。毒を受けた時とは違う、心が折れた故の脱力。

 

『dlnfvlvlgvljnlljeurv』

 

『x,fvsrjvk/s;ogititig』

 

『kk.k;;vvr;o;oteugnb;』

 

 倒れた俺を囲うように化け物が現れた。

 巨大なティーポットとティーカップを合わせたようなもの、首から黒い靄を出しているドレスのようなもの、腕のないぬいぐるみのようなもの。

 どれもが今まで見た魔物と違い、完全に人間らしさを持たない、幼児の落書きのような様相を呈していた。

 

『あれは君が戦って来た魔女モドキとは違う。正真正銘の魔女だよ』

 

 少し離れたところにいるキュゥべえがそう言った。

 そうか。あれがあきらやカンナが話していた魔女という存在なのか。

 魔法少女がなってしまうという、魔女。言われてみれば彼女たちが、どこか悲しい存在に映った。

 正体が分かったところで、俺は動けない。肉体もだが、それよりも心がへし折れているからだ。

 何も言わない俺にキュゥべえは何かを咥えて、持ってきた。

 それはイーブルナッツ。恐らくはカンナが握っていたものだろう。

 

『赤司大火。君はこのままだと魔女に食べられて死んでしまうよ?』

 

『……だろうな』

 

 お袋との約束を忘れた訳ではない。かずみを助けたいとも思う。カンナの行動も俺には疑問が残ったままだ。

 だが、俺があの黒い魔物に勝利する光景が想像できない。

 頭の中で響くのはあの少女の『あなたには何も守れない』という言葉だけ。

 そう、俺には何も……。

 

『一樹あきらなら、きっとかずみたちを倒し、筆舌に尽くし難い惨たらしい方法で彼女たちを殺すだろうね』

 

『…………』

 

 その想像は容易だった。あの邪悪をもっとも最悪な形で固めたような存在なら、キュゥべえの言う通り彼女たちを残酷に殺すはずだ。

 

『君はそれでもいいのかい? 何も為せないまま、ここで死んでも。かずみたちが一樹あきらに殺されても』

 

『良い訳がない……! だが、俺に何ができる!?』

 

 魔女たちが俺を囲む輪を縮めた。距離が近付く。彼女たちが俺の傍まで訪れた時が俺の死だ。

 しかし、俺は動かない。立ち上がれない。

 あの時の俺は手も足も出せなかった。全力で挑んで、手を抜かれた相手に負けたのだ。

 

『君は強くなる方法を知っているはずだよ、赤司大火』

 

 キュゥべえの言葉に俺は鬼熊の事を思い出す。

 彼は自分のイーブルナッツの他に二つのイーブルナッツを取り込み、新たな力を獲得していた。

 今、俺は既に取り込んでいるものの他に蛾の魔物から手に入れたイーブルナッツを一つ持っている。

 そして、キュゥべえが加えているイーブルナッツを合わせれば、三つになる。

 だが、それをすればあの時の鬼熊のように心が消滅し、文字通りただの化け物に成り下がるだろう。

 

『暴走するのが怖いのかい?』

 

 確実に化け物になるとなれば、当然忌避感はある。

 それに人の心を失った俺が、かずみやカンナに会ったとしても彼女を傷付けない保証がない。

 意味はあるのか。心を代償に得た、その力に……。

 魔女たちが俺とキュゥべえに差し迫る。もはや、逃げる事は叶わない。

 

『君はかずみの――ヒーローではなかったのかい?』

 

 そうだ……。かずみは言っていた。特別な力のあるなしではなく、誰かのために何かできる人間がヒーローなのだと。

 ――では、誰かを守るために何もしない俺は何者なのか?

 ――どうせ勝てないと戦う事さえ放棄した俺は何者なのか?

 魔女たちの攻撃が俺たちに飛ぶ。

 ――俺は……俺は……。

 キュゥべえからイーブルナッツをむしり取るように引ったくり、持っていたもう一つのイーブルナッツと纏めて額に己の押し込んだ。

 自分の中で凄まじい悪意の暴風が吹き荒れる。俺の心が削れ、砕かれ、消滅していくのが分かる。

 かずみは俺はお前の――。

 

 

 

~キュゥべえ視点~

 

 

 イーブルナッツ。悪意の実。

 聖カンナによって造られたグリーフシードをモデルにした道具。人をその魔力で変質させ、魔女に似た存在を作り出すもの。

 

『これがその力か……何度見ても興味深いね』

 

 赤司大火という少年はそれを三つ、自分の肉体に取り込んだ。その魔力は並みの魔女の持つそれを超えるだろう。

 かつて、力道鬼太郎という少年も同じ行動を取ったが、彼はその膨大な魔力に耐え切れず、赤司大火の攻撃で暴発する結果に終わった。

 だが、赤司大火の場合はどうだろう。

 巨大な蠍のような下半身から、西洋の騎士のような上半身が生えるその巨体は十メートルを優に越している。

 濁ったソウルジェムのように黒くなった装甲は魔女の攻撃を受けても、傷一つ付かなかった。

 下半身の蠍の巨大な鋏で、魔女を捕捉し、上半身の鋏で細かく引きちぎってその肉を()む。

 

『アギイイイイイィィィィーー‼』

 

 真っ赤に光る二つの複眼はもはや、正気を保っていないのだろう。

 魔女を喰らうその姿はまさに醜悪な魔物そのものだった。

 複数居た魔女は彼に平らげれて、最後の一匹となっていた。その最後の魔女もたった今、彼の体内へと消えていく。

 結界は晴れて、夜のあすなろ市が顔を出した。

 複数の節のある足を動かし、赤司大火だった魔物は広場の入口を破壊しながら、外へと出て行く。

 かずみの事さえ、覚えているか分からないが、食欲を満たすために同じ魔物である一樹あきらを追うだろう。

 

『もう人の心は残っていないようだけど、邪魔な一樹あきらを殺してくれるならボクに関係のない事だ』

 

 蠍の魔物を見送ると、ボクもまたこの街で起きる魔法少女たちの結末を見に広場から去った。

 




主人公ならば覚醒していたかもしれませんが、ここがサブキャラたる赤司の限界なのでしょうか……。
やはり主役はあきら君で決まりですね!


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第四十五話 弓を射るもの

 俺は夜のあすなろ市に翼を広げ、空を舞う。俺の鱗は既にオレンジから黒に戻っていた。

 屋根やビルを飛び交い逃げるニセちゃんとは最初距離が三十メートルは空いていたにも、関わらず数分経たずにその半分ほどに縮まっていた。

 俺の飛行速度が速いというのが一番の理由だが、かずみちゃんを小脇に挟んでの逃避は明らかに彼女の速度を下げている。

 

『オラオラ。どうしたよォ、新人類さん。そんなにトロいと燃えちまうぜ?』

 

 放射ではなく、球状にした火炎をニ、三発彼女たちの背中に吐き出す。

 真っ赤な火球が背後から迫るが、それをニセちゃんは『コネクト』を使い、盾の魔法を生み出してどうにか防ぐ。

 速さを落とさないようにしているため、通常よりも威力の低い攻撃だが、それでも今の彼女には受けるだけで精一杯といった様子だ。

 声が聞こえるくらいまで近くに寄ると、ニセちゃんは悪態を吐いて脇に抱えたかずみちゃんに言う。 

 

「クソッ……。見ろ、かずみ! これが……こんな奴らが人間なのに私たちがニセモノなんて間違ってるだろう? こんな世界間違っていると思うだろう?」

 

 俺を「これ」呼ばわりしてかずみちゃんを必死に説得しようとしているようだが、かずみちゃんは首を横に振って否定した。

 

「酷い人間は居る。どうしようもない邪悪な人も……でも私は知ってる。この世界には優しくて、温かい人が居るのを! そんな人が居る世界を壊してまで私はホンモノになんかなりたくない!」

 

「タイカの事か……。だけど、あいつが共感してくれるか!? 自分が作り物だと気付いた絶望を! 理解してくれるのか!? 自分の記憶が偽りでしかないと知った失望を!」

 

 両目を見開き、ニセちゃんは叫ぶ。

 しかし、かずみちゃんはまたも首を横に振った。

 

「でも、思いやってはくれた。私の事も、カンナの事も」

 

「……っ、黙れ!」

 

 その言葉に言い負かされ、ニセちゃんは誤魔化す様に声を荒げた。

 こういう綺麗事が跋扈(ばっこ)する雰囲気は嫌いだ。何を浸ってるのかと言ってやりたい。

 だが、そのおかげで――距離は詰められたので許してやろう。

 

「! カンナ、後ろ!?」

 

「くっ……が!」

 

 首を伸ばしてニセちゃんの右肩に齧り付く。白く綺麗な肩に牙を食い込ませて、肉を骨ごと嚙みちぎった。

 本当は右腕ごと嚙み切るつもりだったが、かずみちゃんが途中で教えたせいで肩肉のみを喰らうに終わる。

 バランスを崩したところで背中に乗っていたユウリちゃんが二丁拳銃で彼女の頭と腹を撃ち抜いた。穿たれた穴から鮮血を滴らせ、ニセちゃんはビルの谷間に落下していく。

 

「カンナ! ……わああああ」

 

 すぐに彼女に手を伸ばそうとするかずみちゃんは魔法少女の衣装ではなく、普通の格好に戻っている。

 魔力が尽きて、魔法を使える状態ではなかったことを失念していたようで、ニセちゃんと同じように重力に従い、真下へと落ちていった。

 

『こいつはおまけだ!』

 

 最後に火球を落下していくニセちゃん目掛けて撃ち込む。

 腹部に着弾したその火球は彼女の服を焦がしながら、さらなる落下へ勢いと与えた。

 暗くてよく見えなかったが、苦悶の叫びも聞こえなかったことから察するに今の炎で死んだのかもしれない。

 それの傍で落ちていくかずみちゃんにもついでに火球の追撃を加えようとしたその時、背中のユウリちゃんが俺に声を掛けた。

 

「おい、あきら。何か下が騒がしいぞ?」

 

『俺たちの姿が見られたんじゃね? いくら黒い鱗で夜闇に紛れてもここまでドンパチやってれば目撃者くらい出るさ』

 

 たとえ、マスコミに写真を取られたとしても、海香ちゃんの記憶操作の魔法が使える俺には怖いものではない。

 だが、言われて気付いたが、どうにも下の道路で蠢く人々の流れがおかしい。まるで、何かから逃げているようなその動きは俺たちを目撃したというよりも……。

 

「あきら、後ろから何か大きなものが来る!」

 

 結界から魔女か使い魔でも這い出したのかと首を捻って後ろを見れば、遠くの方で黒光りする十メートルの動く物体が視界に映った。

 その姿は巨大な蠍に鎧を着込んだ騎士の上半身を付け足したような、異様な見た目の化け物。

 俺はそれによく似た存在の知識を持っている。

 パピルサグ。メソポタミアのギルガメシュ叙事詩やエヌマ・エリシュに登場する、蠍の尾を持つ半人半馬の合成獣。ケンタウルスの元の原形なったとも言われる化け物だ。

 

『まさか、あれは……バルタン野郎か!?』

 

 凄まじい速度で下半身の大蠍の節足でこちらに向かって前進してくる。障害となるガードレールや自動販売機、電信柱すらその鋏で打ち砕き、進むそれは俺を狙っているように思えた。

 

「イーブルナッツで強化したみたいだな。どうする、あきら?」

 

『慌てることじゃない。奴は強化したみたいだが、所詮は地を這う節足類。空を飛べる俺には……』

 

「尻尾から何か撃って来たぞ!」

 

 余裕を見せた俺に何かが恐るべき速さで飛来物が飛んで来る。ユウリちゃんの声に俺が避けると、風圧だけでバランスを崩しかけた。

 俺の前方にあった巨大なあすなろタワーと呼ばれる鉄塔にぶつかると大爆発を起こし、傾いだあすなろタワーはへし折れて傍の建物を潰す。

 さあーっと顔から血の気が引いていった。もしも今の一撃が当たっていたら魔物状態の俺を貫通していた可能性すらある。

 俺は思い出す。パピルサグの元となった『パビルサグ』というメソポタミア神話に伝わる都市神のことを。

 『パビルサグ』……その名は「射手」の意味するのだ。

 

「逃げるぞ、あきら!」

 

『言われなくとも!』

 

 俺はなるべく、大きなビルやマンション、大規模施設を挟みんであの漆黒のパピルサグから距離を取って飛行する。

 あれはやばい。洒落にならないくらいにやばい。

 ついさっきまで追う者だった俺たちは、追われる者となった。

 漆黒のパピルサグは建物を砕き、駐車してある車を踏み潰して俺へと距離を縮めて行進してくる。その間も尾から放たれるミサイルの如き矢は俺を撃ち落とそうと放たれた。

 矢を放ち、襲い来る奴に久しく感じていなかった恐怖が生まれる。

 

「嫌だ」「死にたくない」「化け物が来る」「警察はまだか、自衛隊はまだか」「おかーさーん、おかーさーん」

 

 地上では多くの人間が嘆き、恐れ(おのの)き、死んでいく。

 交通法など当然守らないパピルサグの行進に巻き込まれ、歩道を歩いていた人間はもちろん車に乗っていた人間も圧死する。マンションやビルをその爆発する尾の矢で風穴を開けて叫ぶその姿はもはや恐怖の象徴になっていた。

 

『アギイイイイイイイイイイイイィィィィィィーー‼』

 

 ギチギチと不気味な音を立てて、耳障りな声を上げる漆黒のパピルサグ。

 俺はあのバルタン野郎にトドメを刺して置かなかった自分に心底後悔をした。時間を遡れるなら、あの瞬間に戻りたいくらいだ。

 せめて姿を透過させる魔法があったならと、内心で無い物ねだりまでしている。

 

「大丈夫なのか!?」

 

『だいじょうばない!』

 

 少しでも、少しでも奴から離れたい。

 俺の中では人生で初めて感じる焦りという感情があった。

 

「あきら!」

 

『何!? 今、色々考えてる、ん……』

 

 通り過ぎていた左手側のマンションの端から、ぬっと長い尻尾が見えた。

 危険信号が脳内で発せられたその時には、尾から矢が射出された後だった。

 とっさの判断で身体を捻って直撃を避けるが、矢は爆砕して俺の右翼を消し飛ばす。

 

『があァ……!?』

 

「あきらー!」

 

 背に乗っていたユウリちゃんもまたその衝撃で吹き飛んでいく。片翼を失った俺は体重が重かったせいでその場に落下するに留まった。

 火に耐性のある黒い鱗でこの威力。想像よりも驚異的と言わざるを得ない。

 どうにか着地して、体勢を立て直すが、漆黒のパピルサグは俺の目の前まで迫っていた。

 この野郎……調子に乗りやがって……。

 逃げられないのなら、最大火力で消し飛ばしてやる。

 俺は鱗の色を赤と白のマーブルに変化させた。俺が持つ最強の威力を誇る魔法の息吹で(ほふ)る。

 口から湧き出る超高熱と超低温の合わせ技、氷炎の渦が喉から吹き荒れた。

 

『死に腐れ、蠍野郎ォォォー‼』

 

『アギイイイイイイイイイイイイィィィ!』

 

 パピルサグも尾から爆砕する矢を放ち、俺の氷炎の渦にぶち当てる。

 すべてを消し飛ばす最強の一撃と、パピルサグの最悪の矢が俺と奴の対角線上の中心で激突した。

 その瞬間、音が消え、魔力の光が飽和して辺りを包み込む。

 光が消えた時には俺は吹き飛ばされ、ビルにその身体を埋めていた。周囲の建物は先ほどの激突地点を中心に円状に消し飛び、瓦礫の破片の破片のみを申し訳程度に残している。

 

『がふっ……』

 

 俺の口から墨汁のような血が漏れ出た。

 今までの戦いでは受けたことのないレベルの大打撃を受けている。魔物状態で呼吸さえも辛くなるほどボロボロになるなんて想像もしていなかった。

 前を見ると、尾が引きちぎれたパピルサグが居る。俺と同じようにその身体は傷付いていたが、それでも完全に消滅には至らなかった様子だ。

 痛み分け、という言葉が今の惨状を表している。

 

『アギィ……』

 

 いや、向こうの方がダメージは低かったようだ。

 重たそうな巨体を節のある足で持ち上げると、俺へとゆっくりと迫って来る。

 逃げなければと、身体をビルの壁から這い出て飛ぼうとするが、片翼を奪われたことを思い出し、魔人状態に身体を退化させ、走って逃走する。

 ボロボロになった俺は死にもの狂いで恥も外聞もなく、逃げ出す。身体を人間台まで小さくし、小回りが利く魔人状態になった俺は、ダメージで動きが大幅に鈍重になったパピルサグから距離を離すことに成功した。

 どこかで体力を整えなければ、確実にあの化け物に殺されてしまう。

 俺は休める場所を探して、夜の街を駆け抜けた。

 逃げて、逃げて、身体の限界が来るまで走り続けた俺はとうとう膝を突く。

 前のめりに倒れるように手を突いて、荒くなった息を整えるが俺は、自分がいつの間にか魔人状態から人間の姿に戻っていることに気が付いた。

 心臓の脈動音が煩い。息が切れて、苦しくて仕方がない。

 やばかった……。あれは本当にやばかった。冗談抜きで死を覚悟したくらいだ。

 

「あきら! 大丈夫か!?」

 

 顔を上げると、額から血を垂らしたユウリちゃんが傍に急いで走り寄るのが見える。パピルサグの矢の余波で吹き飛ばされた彼女も多少傷を負っているが無事だったみたいだ。

 

「ユウリちゃん……」

 

「どうした!? 立ち上がれないくらいの怪我でもしてるのか!?」

 

 心配して俺を覗き込むユウリちゃんに俺は感極まって抱きしめた。

 

「お、おい!? あきら……」

 

「よかった。本当にユウリちゃんが生きていてくれてよかった」

 

「どうした急に。お前らしくもない」

 

 俺の突然の抱擁に驚きながらも、それに応じて背中に手を回してくれる。ユウリちゃんの甘い香りが俺の鼻に届いた。

 彼女が残っていてくれて安心した。これで傷付いた俺の身体を癒すことができる。

 

「ユウリちゃん。アンタは俺にとって最高の――非常食だぜ?」

 

「えっ……?」

 

 俺の言葉の意味が分からなかったのだろう。そして、最期まで彼女はその言葉を理解することはなかった。

 ユウリちゃんの臍の上辺りに付いているソウルジェムごと一口で魔物化した俺が喰いちぎったからだ。

 肉や骨と一緒に竜の顎に含んだソウルジェムを噛み砕く。

 枯れ果てていた魔力が一気に回復していく感覚が分かる。力が(みなぎ)ってくるというのはこういうことを言うのだ。

 

『ん~……ごちそうさまでした』

 

 ユウリちゃんを生かしておいたおかげで、どうにか魔力を完全に回復できた。価値のない子にも使い道というのはあるようで何よりだ。

 

 

~聖カンナ視点~

 

 

 目を薄っすらと開くと、そこは電灯が並んだ見慣れない天井があった。

 確か私はあの時、あきらに右肩を噛み切られて、その後炎の球を身体に受け、ビルの谷間に落下したはず……。 

 そうだ。そして、真下に落ちて行き、意識を飛ばしたのだ。

 そこまで思い出して、私は上体を起こして周りを見回す。

 

「うぐっ……」

 

 激痛が右肩と腹部に走る。呻き声を上げるとやはり記憶の通りに怪我をしていた。

 なら、どうやって私は助かったのか。

 その答えは私の目の前にあった。

 

「かずみ……お前が私を助けてくれたのか?」

 

 身体中に蔦のような紋様が浮かぶ彼女は酷く疲れたように座り込み、私に弱弱しく笑いかけた。

 

「……うん。結構大変だった。何とか魔法少女に変身して、空中でカンナを捕まえて、窓からビルの中に突っ込んだの……」

 

 よくよく見れば周りの床には割れたガラスが散乱している。

 よっぽど切羽詰まった状況だったのが、それだけでも見て取れた。

 

「うぐ……」

 

「かずみ!」

 

 彼女の身体を蝕む紋様は完全に彼女を覆い尽くし、白かった肌を黒く染め上げていた。

 ただでさえでも限界が近かったのに、私を助けるために魔力を使ったのが、原因だ。

 どうして、そんな事をしたのか分からない。私の理想を拒絶したかずみが、わざわざ身を削ってまで私を助ける必要なんてないはずだ。

 

「どうして……?」

 

「私もさ……自分がニセモノだって分かった時は悲しかった。あの時にタイカに出会わなかったら、魔女になるまで暴れていたかもしれない。だから、カンナの憤り、すごく分かるんだ……」

 

「……っ」

 

 その言葉は、私が求めていた共感と理解が籠っていた。この言葉が聞きたくて私はこの戦いを始めたのかもしれないとさえ思った。

 けれど、かずみはその言葉を零した後、ぐらりと後ろへ倒れる。

 

「かずみ……!」

 

「あは……もう、限界みたい……」

 

 辛くて苦しいだろうに必死で笑みを浮かべる彼女はとても痛々しい。

 グリーフシードさえ、あればかずみを助けられるが、手持ちにはソウルジェムしかない。このソウルジェムを孵化さえて、それから生まれた魔女を倒すにはあまりにも時間と体力が足りなかった。

 

「クソッ、クソッ、クソッ!」

 

 泣きたくなるほど今の私は無力だった。たった一人の同類を助ける事さえできやしない。

 かずみの頬に手を伸ばす。手のひらから感じる熱は極端に低くなっていた。

 指先が彼女の左耳に付いていた鈴のイヤリングに触れる。りん、と小さく音を立てて、澄んだ音色を響かせた。

 その時、そのイヤリングがぽろりと溶けるように落ちると、中から黒い球体を落とした。

 

「……これは、グリーフシード……!」

 

 そうだ、確か。この鈴のイヤリングはサキがかずみに捧げるために『和沙ミチル』のグリーフシードを入れておいたものだった。

 何という幸運だろう。プレイアデスの連中には憎悪しか感じていなかったが、今だけは心から感謝してやってもいい。

 落ちたそれをひったくると、無我夢中でかずみのソウルジェムに押し当てて、穢れを吸い取る。

 

「うう……あれ?」

 

 かずみの身体を蝕んでいた紋様は消え、元の彼女の白い肌が服の端から確認できた。

 私は嬉しさと安堵のあまり、彼女を思い切り抱き寄せる。

 

「かずみ! よかった!」

 

「……カンナ、くすぐったいよ」

 

 そこまでしておいて、ハッと我に返り、かずみから距離を取る。

 何を慣れ合っているんだ、私は。こいつは私と新たな世界よりも、この世界を選んだのだ。

 同類でありながら、私を拒んだ相手なのだ。心を許していい訳がない。

 だが、当のかずみは私の考えなど分かった素振りを見せず、まるで友達に言うように私に言った。

 

「そうだ、カンナ。タイカを助けに戻らないと。早くしないとタイカが魔女に食べられちゃう」

 

 脳裏にあの笑ってしまうくらい真っ直ぐな男の顔が浮かぶ。何か切なくなるような感情が胸を焼きそうになるが、それを振り払うようにその顔を消した。

 あいつは人間だ。私たち、ニセモノとは違う。『ホンモノ』だ。あんな奴が死のうと知った事ではない。

 

『彼なら大丈夫さ』

 

 いつの間にか近くの床にキュゥべえが居た。落としていた和沙ミチルのグリーフシードを尻尾を動かして器用に投げると、背中のハッチのような場所にそれを投げ込んだ。

 

『きゅっぷい……赤司大火ならイーブルナッツを三つ取り込み、巨大な魔女モドキとなって街に来ているよ』

 

「そんな……!?」

 

 その窓からも見えるはずだ、とキュゥべえの言葉を聞くや否や、かずみは割れた窓ガラスを気にせずにそこから外を見る。

 私も彼女に続き、割れた窓の外を見ると巨大な蠍の騎兵のような化け物が街並みを壊しているのが視界に映った。

 あれがタイカなのか……。街を守りたいと愚直に語った男の末路だとでもいうのか……。

 ビルを壊し、住宅を踏みにじる破壊の権化のような蠍の騎兵は赤司大火という人間が願ったものと真逆の行為を行っている。

 心の奥で誰かが叫ぶ。違う、あんな姿はタイカではないと。

 

「酷い……。何でタイカが街を……」

 

 顔を絶望に歪めたかずみはキュゥべえに尋ねると、当たり前の事のように奴は(うそぶ)いた。

 

『イーブルナッツの副作用により心を無くしてしまったようだね。残念だけど、ああなってしまったら倒す他にないだろう』

 

「そんなのって、あんまりだよ……」

 

 泣き出しそうになるかずみに私は無言で掴みかかる。

 驚いた顔した彼女に私は叫んだ。

 

「泣き言を言うくらいなら、タイカを助ける事を考えろ!」

 

 何だ、これは。本当に私が言っている言葉なのか?

 人間など滅ぼせばいいと心から思っていたのではなかったのか?

 だが、止まらない。口から湧き出るこの想いを止める事などできるはずがない。

 

「力を貸せ、かずみ! 私たちでタイカを元に戻す!」

 

 自分で言って、自分で聞いて、そして、自分で気付いた。

 ……ああ、そうか。これが私にとっての『ホンモノ』なのか。

 思い出すのはあいつと交わした約束のこと。

 『もし、俺が身も心も魔物になってしまったら、誰かを傷付ける前に殺してほしい』――そう愚直なあいつは言っていた。

 あの約束は守れなかった。だから、最後まで守らない。

 

『無駄だよ。赤司大火の心は完全に消滅した。もう、元に戻す方法なんてないよ』

 

「うるさい、黙れっ! お前がタイカの何を知っている!?」

 

 あいつは馬鹿で、真っ直ぐで、どうしようもなく、正義の味方のような奴なのだ。

 裏切って、利用しようとした私に、それで幸せなのかと尋ねるくらいに……馬鹿で優しいのだ。

 

「絶対にあいつは戻って来る!」

 

『それなら、ボクは何も言わないよ』

 

 キュゥべえはそう言って、窓の外へ飛び去って行く。

 かずみを見ると、どこか勇気付けれたように私を見ていた。少し決まりが悪くなり、視線を逸らす。

 

「そう、だよね……タイカの心が消える訳ないよね」

 

「分かったなら、かずみも早く来い!」

 

 それには答えず、私も下まで降りるために窓から飛び立つ。

 確証がある訳ではない。でも、私の魔法、『コネクト』を使えば、タイカの心に繋がる事ができる。

 あいつの心が少しでも残っているなら、可能性はきっとあるはずだ。

 ――タイカ、お前は絶対に私が戻してやる……。

 微かな希望を胸に私はかずみと共に、蠍の騎兵となったタイカの元まで駆けて行く。

 




パワーアップした赤司、強いですね。初めて出てきた、あきら君の脅威となる存在です。
そして、本来のラスボスであるカンナが味方側についたという異常事態。
この結果が果たして次回はどう転がるのかは見物です。 

あきら君「ユウリちゃんはヒロイン(非常食)!」


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第四十六話 オリオンの黎明

~聖カンナ視点~

 

 

 

 途轍もない力が爆発した跡のような円状の破壊地点に黒い蠍の騎兵のような化け物は居た。

 近寄ってみれば、その黒い装甲には無数の罅が入り、下半身の尻尾に至っては途中で溶け落ちたようにちぎれている。恐らくは一樹あきらとの戦闘による損傷と見るのが正しいだろう。

 

『アギィィィ!』

 

 その傷付いた身体を(いたわ)る事もせず、何かを探すかのように大きな鋏を振るってまだ辛うじて形を残していた建物を砕いていく。

 私とかずみが近付くと、蠍の騎兵はこちらへ赤く光る複眼を向けた。

 少しでもタイカとしての反応を期待していたが、奴は唸り声を上げて有無を言わせず、襲い掛かって来る。

 

『アギギギィッ‼』

 

「タイカ、私だよ。かずみ。あなたが家族だって言ってくれたかずみだよ!」

 

 かずみが私の前に出て、奴の巨大な鋏をその十字架を模した杖で、受け止める。

 拮抗したのは僅かな数瞬、その後には押え切れなくなり、彼女は私の後ろまで弾き飛ばされた。瓦礫に埋もれて、勢いを止めるが、その威力は凄まじく彼女のむせ返る音が聞こえる。

 けれど、私はそこでかずみの方には行かず、彼女が作ってくれた隙に『コネクト』の線を手のひらから伸ばし、蠍の騎兵に打ち込む。

 繋がった瞬間、流れ込んできたのは凄まじい悪意。吐き気のするような破壊衝動と、嗜虐心、嘲笑……ありとあらゆる他者を冒涜する悪意の感情が蠍の騎兵を通して私に入ってくる。

 

「タイカ。これが……今、お前が感じているもの、なのか……」

 

 本来ならば、『コネクト』は相手に気取られずに使うことのできる魔法だ。わざわざ、こうやって真正面から使用するなど愚の骨頂。

 だが、私はあえて、奴を前にして、コネクトを使う。

 ――タイカに直接呼びかけるために。

 

「確かにこれは最悪だ……! 普通の人間なら狂って心が壊れるのも無理はない! でも、お前は赤司大火だろう!? この街を守ると豪語し、義憤に燃えて魔女モドキに立ち塞がるような馬鹿だろう!? この程度の悪意に負けてるんじゃない!」

 

 私は知っている。この男がどれだけ馬鹿なのかを、この男がどれだけ愚直なのかを。

 最初にコネクトをかけたのはタイカが街でこの事件について調べていた時。一樹あきらにぶつける、都合のいい手駒になるかと目を付けていた。

 しかし、こいつと来たら、内心と言葉がまったく同じで思わず、笑ってしまったのをよく覚えている。

 それが原因で要らない事までべらべらと饒舌に語ってしまった。

 

「私がイーブルナッツを作ったのが原因だと言ったのに、イーブルナッツを使って魔物になった。おまけに私を責めるどころか、心を失ったら殺してほしいだなんて頼んできた」

 

 どれだけ、馬鹿なんだお前は。すべての原因に文句の一つも言わずに、本心から私を信じるなんてどうかしてる。

 でも、それがタイカなんだ。

 抑え付けるように制御しているのに、蠍の騎兵はそれに抵抗して巨大な鋏をゆっくりとだが動かして、私を叩き潰そうとする。

 

「さっせない‼」

 

 それを瓦礫の山から這い出てきたかずみが杖を片手で防いでくれた。

 蠍の騎兵の攻撃は彼女に任せて、私はタイカの呼びかけだけに専念する。

 

「タイカ! お前は熊の魔物と遭遇した時の事を覚えているか。お前はあの時に見ず知らず奴のために心を痛めて戦った」

 

 あの時もお前は人の命が奪われた事に怒りを感じながらも、これ以上の犠牲者を出さないために己の力を振るった。自分の誇示するためではなく、街の安寧を守るために戦っていたのだ。

 

『アギィイイィィ‼』

 

 蠍の騎兵はかずみをその大鋏で捕まえ、ギリギリと万力のように挟み潰そうとする。

 かずみはそれに苦しみながらも、十字架状の杖を使い、辛うじて閃光の魔法『リミーティ・エステールニ』を放つ。

 通常の魔女を一撃で消し飛ばすほどの威力のそれを受けた蠍の騎兵は、巨体を仰け反らせる事さえしなかった。しかし、衝撃で僅かに弛んだ大鋏からかずみは脱出し、地面に着地する。

 魔女さえ従える私の『コネクト』に抵抗し、かずみの必殺の『リミーティ・エステールニ』さえ大した攻撃にならない奴は最強の魔物と呼んでも差し支えない。

 だけど、私には分かる。

 

「あの時のお前の方が何倍も強かった! そんな力に振り回されている今のタイカよりもずっとずっと強かった!」

 

 タイカの強さは正しさを失わない事だ。力に呑まれず、確固とした正義を持って戦えるところだ。

 断じて今の悪意と憎悪に支配されたお前よりも弱かったとは思わない。

 

「戻れ! 戻れ……戻ってよ……タイカぁ!」

 

『アギィアアアアアギィイィィィィィィー‼』

 

 出鱈目に振るわれた大鋏の乱舞が私を捉える。一瞬でかずみも私もその重たい一撃を避けられずに()ね上げられる。無様に荒れ果てたアスファルトの地面にうつ伏せに叩き付けられた。

 

「がぁ……っづ……」

 

 それでもコネクトだけは絶対に解除しない。衝撃による激痛とダメージで放しそうになる魔力の線を、私は決して手放さないように意識を引き締める。

 額が割れて、血が目の中に入る。魔力で塞がりかけていた腹に受けた傷も今の一撃で完全に開き、血液を涙のように流し始めた。

 駄目だ、コネクトで流れ込む悪意が邪魔で未だにタイカの心と繋がれない。もしかするとキュゥべえの言っていたように本当にそんなものは消滅してしまったのかもしれない。

 それでも私はタイカに呼びかける。思いの丈をぶつけ続ける。無駄かもしれない足掻きを止めない。

 

「本当は、本当はかずみをお前が拾ってからの事も見ていたんだ。お前とかずみがどうやってこの一週間過ごして来たのかをコネクトでずっと見ていた」

 

 すぐに破綻すると思った。かずみの中の人間への不信が強まる結果になるだろうと高を括っていた。

 でも、その結果は私の予想を超えるものだった。

 かずみは帰るべき場所を見つけ、人間への信頼を取り戻し、自分だけのホンモノを手に入れる事になった。

 ……いや、違う。それはただの客観的な意見だ。私が感じたのはそこではない。

 

「かずみが羨ましかった。私と違って誰かの代わりじゃなく、自分だけを必要としてくれる場所を手に入れたかずみが心から羨ましかった」

 

 違う。これもまだ、本心じゃない。私の本当に感じたものはもっとずっとシンプルであまりにも普通なもの。

 誰もが一度は感じるような、ニセモノもホンモノも関係ない想い。

 蠍の騎兵が立ち上がる事もできない私の頭部を目掛け、掲げられた大鋏を振り下ろす。

 

「私は……いつの間にかタイカの事が好きになっていたんだ! 合成魔法少女の苦しみだとか、プレイアデスへの復讐だとか……そういうものも忘れてしまうくらいにお前に心奪われていた!」

 

 だから、ユウリたちが手を出すまでかずみをそのままにしておいた。

 見ていたかったから。お前が幸せそうに微笑むのを。例えそれが自分に向けられたものでないとしても。

 

「私はお前の真っ直ぐで優しい心を見続けていたかった!」

 

 頭を捉えた大鋏が眼前まで迫る。かずみは私とは真逆の方向に吹き飛ばされて帰って来ない。

 コネクトから手を離さなかった私にはそれを回避する手段もない。

 これで死ぬのか、私は。

 後悔はあるとするなら、それはタイカを、恋した男を救ってやれなかった事だけ。

 ああ。何だ、私はもう世界を壊す気も、合成魔法少女が新人類に成り代わる事も、どうでもよくなっていたのか。

 お前に会えた事で、絶望と憎しみしかなかった心はとっくの昔に満たされていたのか……。

 

「約束勝手に破ってごめん、タイカ……」

 

 目を瞑って、観念して迫り来る自分の死を受け止める。

 だが。

 

「……あれ?」

 

 私は待っていても死は訪れなかった。

 目を開くと、目と鼻の先で停止している巨大な黒い鋏が見える。

 同時にコネクトを通して、私の名を呼ぶ声が脳裏に響いた。

 ――カンナ。

 

「タイ、カ……?」

 

 その聞き覚えのある声は紛れもなく、あいつの声だった。

 ――ありがとう。お前の言葉……。

 

「しっかり俺に届いたぞ」

 

 黒い蠍の騎兵の身体が一瞬でガラスのように粉々になって砕けた。

 飛び散った黒の装甲の破片はより小さくなって散り、千々に分かれて、煙となって消えていく。

 絵画のようなその光景の中心に私の恋する男は立っていた。

 

「タイカ……元に、元に戻ったのか!?」

 

「お前のおかげだ、カンナ。悪意の暴風の中で消されそうな俺を導いてくれた」

 

 凛々しく顔を引き結んでいるタイカには珍しい、優しげな微笑みを浮かべている。

 目尻が熱くなり、泣きそうになる自分を誤魔化して、私は叫んだ。

 

「馬鹿! 気付いていたならもっと早く反応しろ!」

 

「すまん。最初の頃はお前の声を頼りに自分を保つ事が精一杯だった。しっかりと意識が覚醒してきたのは……カンナの熱い告白の辺りで……」

 

 照れた風にそういうタイカに急激に、私の中で恥ずかしさが渦巻いた。

 どうして、ああも赤裸々に好意を語ってしまったのだろう。今更になって己の叫んだ言葉を思い出す。

 とても普段の自分が言うような台詞ではない。あまりの羞恥心で脳髄が焦げ付きそうになった。

 

「……あそこまで熱烈に好意を述べられたのは初めての経験だ」

 

「やめろぉぉ‼」

 

「『私はお前の真っ直ぐで優しい心を見続けていたかった!』。……カンナの俺への愛が伝わってきた」

 

「口に出すなぁっ! 忘れろ! 今すぐにでも記憶から消せ‼」

 

「いや、この記憶は例え死んでも忘れない」

 

「いっそ、もう私を殺せぇぇー‼」

 

 両手で顔を押さえると、驚くほど頬が熱かった。鏡を見なくても私の顔は真っ赤に染まっている事が容易に想像できる。

 真顔で、愛だの口にするタイカの存在がなおの事、私の羞恥を煽る。からかっている訳でなく、本心から言っているのがコネクトを通じて伝わるから余計に性質(たち)が悪い。

 しばらく、顔を隠して黙っていると、指の隙間からタイカは周囲を見渡し、拳を振るえるほど握り締め、確認するように尋ねた。

 

「……この惨状は俺が引き起こした事なのだな?」

 

「違う。タイカ、これはお前が望んでやった事じゃ……!」

 

「――違わない!」

 

 この真面目な男がこれだけの事を起こして、平然としていられるはずがなかった。沈痛な面持ちで顔を歪めた。

 罪悪感に苛まれたこいつにはどれだけの慰めの言葉を掛けても無駄だと私は知っていたはずなのに、下らない事を口にしてしまった。

 

「何一つ、違わない……これは俺がやったんだ。俺が、やった事なんだ……」

 

「タイカ……」

 

 何も言えずに辛そうな顔を見ている事しかできない私自身に口惜しさを感じた。せめて、共に過ごしたかずみならもっとましな行動をしてくれるかもしれない。

 そう思って、先ほど弾き飛ばされたかずみの姿を横目で探すと、彼女は既に私のすぐ脇まで来ていた。

 

「タイカを元に戻すことができたんだね。お手柄だよ、カンナ!」

 

「ああ。でも、私には今のあいつに言葉をかけてやる事がない。かずみ、代わりに何か言葉を掛けてあげてくれない?」

 

 私はそう言って、かずみに目を向けると妙な事に気が付いた。

 黒い露出の高い魔法少女の衣装を身に纏った彼女は私以上の猛攻を受けていたのにも関わらず、どこも怪我をしていなかった。

 それどころか、砂埃で汚れた形跡すら見取れない。

 おかしいと感じたその時、かずみの遥か後ろの瓦礫の山からボロボロに傷付いたもう一人のかずみが現れた。

 

「カンナ、そいつは偽物だよ!」

 

『いや、アンタら二人はそもそもがニセモノだろ?』

 

 一瞬で私の傍に居た方のかずみはマゼンダカラーの鱗を持つ、竜の姿に変わる。

 これはユウリの変身魔法……!

 驚きと身体に残った傷のせいで私は動けなかった。

 奴の開けた大きな口が視界を覆う。鋭角な白い牙が並んだその口が私が最後に見た景色だった。

 

 

~かずみ視点~

 

 

 

 少し離れた先に居たカンナの頭が一瞬でなくなった。大きな顎に嚙みちぎられて、この世界から消滅した。

 呆然としている私を余所にカンナの身体が、ハンバーガーか何かように歯型状に上から消えていく。

 タイカも私と同じようすぐ目の前で起きた惨劇に言葉もなく、硬直している。

 

『あー。ニセちゃんたら抜け目なく首のうなじにフェイクのソウルジェムを持っていやがったな。まあ、全身食べちまえば変わらないんだが。それにしても凄い量のソウルジェムだぜ』

 

 足の先まで食い尽くした後、竜の魔物、あきらはカンナが隠し持っていたソウルジェムを一つ残らず、頬張った。バリバリとまるで飴玉を噛み砕くような気安さで、魔法少女の魂を身体の中に取り込んでいく。

 また、大切な仲間が一人、この化け物によって奪われた。その理不尽をようやく理解して、ボロボロの身体を怒りで動かす。

 杖を振り上げて、最大魔力を籠めた魔法の閃光をあきらへと撃ち出す。

 

「よくも……カンナを……! 『リミーティ・エステールニ』‼」

 

 身体に残った魔力を練り上げた私の最大魔法は鱗の色を変えたあきらの火炎に意図も容易く掻き消された。

 前に見た炎よりも段違いになった火炎は閃光を押し返し、私の身体を飲み込む。

 

「あっ、があああ……!」

 

 身体に纏わりついてくるかのようなうねる炎は私の身体を焼き焦がした。魔力による耐性すらもはや意味をなさない。

 魔法少女の衣装は溶けるように消え、焦げ付いた肌は炭になって剥がれ落ちる。

 

「……カンナだけではなく、かずみまでもむざむざ目の前で殺させるものか!」

 

 私と同じようにカンナの死に激昂し、人間状態のままで、タイカはあきらに掴みかかる。だが、長い尾で簡単に払い除けられて地面を転がった。

 あきらは飽きたように炎を吐き出すのを止めると、焼け焦げた私を見下すように笑う。

 

『悪い悪い。別にかずみちゃんを燃やし尽くそうとした訳じゃないんだ。ただ、アンタの魔法を打ち消そうとしたら、ついうっかり、加減を間違えちまってなァ……』

 

 冗談や挑発ではなく、きっと本気で言っている。

 それくらいにあきらが発している魔力の波動は桁違いだった。「ついうっかり」で燃やし尽くす事ができるほどに、私とあきらには魔力量の絶対的差があった。

 息も絶え絶えの私にあきらは怯えさせるためにわざとゆっくりと近付いてくる。

 

「やめろ……かずみにまで、手を出すなぁっ!」

 

 立ち上がったタイカがコンクリート片を掴み、あきらの身体をそれで打つ。けれど、砕けたのはコンクリート片の方だった。

 魔力による防壁か、鱗には傷どころか汚れすら付着していない。

 

『いてぇじゃねぇの、お兄ちゃん。そういや、さっきは散々やってくれたなァ?』

 

 矛先が私からタイカに変わる。駄目だ、今のタイカにはあきらの攻撃を避ける事も不可能なのだ。

 だけど、タイカはそれを恐れず、私を守るように立ち塞がった。その背中には微塵の恐れも感じさせない。

 

「……それで俺が怯えるとでも思ったのか? 弱い物虐めしかできない奴の姿だな……」

 

「駄目! 早く逃げて、タイカ。何のためにカンナも命を懸けてタイカを助けたと思ってるの!?」

 

「すまんな、かずみ。だが、カンナは俺にこういう馬鹿なんだ」

 

 視線だけを僅かに向けて私に謝った後、あきらに拳を構えて睨み付けた。

 私の家族はどこまで馬鹿なら済むんだろう。これではカンナがあまりにも浮かばれない。

 

「来い。一樹あきら!」

 

『そうか、そうか。これじゃあ、絶望が足りないか。なら、もっと良いものを見せてやるよ』

 

 対するあきらはその挑発に乗るどころか、少し考える素振りを見せた後、翼を羽ばたかせて空中に舞い上がる。

 そして、辛うじてその姿が確認できるほどに高く夜空に飛び上がると、声を張り上げて話しかけた。

 

『ニセちゃんから手に入れた魔法、コネクトの真の力をあの子に変わって見せてやるよ。俺の中の全ソウルジェムの魔法を繋げて、同時に魔法の力を引き出してな!』

 

 その台詞を吐いた後にあきらの身体が凄まじい輝きを放つ。目を瞑っても、遮る事のできない光は太陽を思わせた。

 

「何だ、この光は……!」

 

「眩しい……」

 

 光がやがて緩やかにその光量を下げると、夜の空に煌々(こうこう)と光を放つ巨大な何かが浮かんでいる。

 あまりにも大きすぎるそれは一目では全貌を把握する事ができず、何なのかしばらく分からなかった。

 

「十二枚の……翼……。黄金の、巨竜……」

 

 タイカの呟き通り、その光を放つ巨大なそれは六対で十二の翼を持つ、黄金色の巨大な竜だった。

 大きさはどう小さく見積もっても、五十メートルはある。その巨体を十二枚のこれまた巨大な翼を羽ばたかせる事で夜空に浮かんでいた。

 神々しく、神聖な黄金の竜は夜の瓦礫に満ちた街に舞い降りた天使のように私の瞳に映る。

 美しいその優雅な羽ばたきを常に行いながら、黄金の竜は私たちに言葉を放った。

 

『これが今の俺の姿だ。どうだ? まだ、弱い者虐めしかできないように映るか?』

 

 

 無理だと私の心が囁く。

 勝てる勝てないではない。この存在に逆らってはいけない、そう感じた。

 目の前に居るのはもう、あきらであって、あきらではない。

 魔物と呼べる次元を超越した神のような存在……。

 瓦礫の脇からするりと姿を現したキュゥべえが私の思いを代弁した。

 

『あれはもう魔物と呼ぶには強大過ぎるね。そうだね……魔女すら喰らう最悪の存在、「魔王」とでも呼ぶのが相応しいだろう』

 

 魔王。その言葉を聞いて、私は海香から教えてもらったプレイアデスの七姉妹に纏わるギリシャ神話を思い出す。

 プレイアデスの七姉妹は常に追い回した狩人の逸話。

 星座となっても、諦めずに彼女たち七姉妹を追い続けた執念深い獰猛な狩人。

 その名は――。

 

「……オリオン」

 

 今、光り輝くあの魔王が狩人オリオンと重なった。

 私の漏らした言葉にキュゥべえは反応する。

 

『そうか、なるほど狩人オリオンか。プレイアデスの魔法少女を追い回しその手に掛けた彼にはぴったりだ。なら、彼に敬意を表してこう呼ぼう』

 

 ――魔王、『オリオンの黎明(れいめい)』。

 キュゥべえは夜闇を裂いて、朝陽のように輝くあの竜にそう名を付けた。

 

 




この物語も残すところ、あと二話となりました。
夜闇を照らす最凶の魔王『オリオンの黎明』となったあきら君。果たしてかずみと大火に逆転の目はあるのでしょうか?

……もはや、ラスボス以外の何者でもないですね。


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第四十七話 最後に残った希望

~かずみ視点~

 

 

 

 こんなの勝てない。どうしようもないよ……。

 頭上に広がる黄金の竜に絶望の思考が広がる。焼け焦げた身体から力が抜け落ちた。

 

「かずみ! しっかりしろ!」

 

 タイカがとっさに私を抱き留めてくれるが、それでも心を蝕む圧倒的な絶望は強まるばかりだ。

 オリオンの黎明は空から私たちを見下ろしている。その金色に光る目には加虐の色が浮かんでいた。どう私たちを殺そうか楽しそうに考えているのが分かる。

 まるで神のように、気分次第で人の生き死にを定めているようだった。きっと生き残っているこの街のすべての人間はこの魔王の存在に心折られている事だろう。

 

『かずみ、このままだとあすなろ市はオリオンの黎明に破壊されるだろう。けれど、君にはチャンスがある。ボクと契約して魔法少女となるチャンスがね』

 

 キュゥべえのその言葉に私はまだ自分のソウルジェムが生まれてもいない事を思い出す。

 私が持っているこのジェムはプレイアデスの皆が作ったものであり、私自身の魂ではないのだ。

 

「そう、か。私がキュゥべえと契約すれば」

 

『君は本当の意味で魔法少女となれる。魂――心さえあれば契約は可能だからね』

 

 契約して魔法少女になれば、私はあの魔王、オリオンの黎明になったあきらに勝てるのだろうか。

 悩む私を支えるタイカは悔しそうに言葉を吐き出した。

 

「クソッ、俺には何もできないのか!」

 

『タイカ。君にはこれがあるだろう』

 

 尻尾を使って、何かをタイカの方に放り投げた。

 私を支えたまま、彼は手を伸ばしてそれを掴み取った。

 

「これは……イーブルナッツ……」

 

『君の身体から出た時に他の二つのイーブルナッツは壊れて消えてしまったけれど、何故かその一つだけは原形を留めていた。ひょっとしたら聖カンナが魔力で特別なコーティングでもしていたんじゃないかな?』

 

 カンナは、タイカに特別な思いを懐いていた。だから、きっと最初にイーブルナッツを渡した時に何かしらの祈りを籠めていたのかもしれない。

 もう本人に聞く事はできないけれど、絶対にそうだと私には思えた。

 

「だが、俺は……。いや、そうだな。俺にはこれしかないのだろう」

 

「大丈夫なの、タイカ? またおかしくなっちゃうんじゃ……」

 

 あの巨大な蠍の化け物に変わってしまったらと思うと不安になる。

 だけど、そんな私の不安を払拭(ふっしょく)するために、タイカは力強く口元を吊り上げて答えた。

 

「ああ。もうあんな失態は冒さない。これ一つだけなら抑え込める……火力不足は否めないがな」

 

 タイカがそういうのなら大丈夫なのだろう。

 それよりも、オリオンの黎明が慢心している間に早く契約して魔法少女にならないと。

 私はタイカの腕から離れて、まっすぐ自分の足で立つとキュゥべえにお願いした。

 

「私と契約して、キュゥべえ」

 

『魔女になるのを知りながらボクと契約しようと言うんだね』

 

 その脅すような言葉は私には聞かない。どうせ、このままでも魔女化の危険性は孕んでいる。

 何より、空で笑いながら私たちを見下すあの魔王に面白半分で命を奪われるくらいなら魔女になった方がずっとましだ。

 

「なるよ。私を魔法少女にして!」

 

『かずみ――君はどんな祈りでソウルジェムを輝かせるのかい?』

 

 魔法少女の願い事。私の祈り。それはたった一つだ。

 タイカと暮らした時から思ってた、心から叶えたかった願い。

 

「私を――本物の人間にして」

 

「かずみ、それは……!」

 

 タイカの考えている事は分かる。私が作られた存在だろうと、本物の人間だろうと関係ないと思っているはずだ。

 でも、違う。私の願いはこの身体に劣等感を懐いているからじゃない。

 キュゥべえもまた、私の思いを理解できずに質問をしてくる。

 

『人間になっても、その直後に君は魔法少女として、その肉体から切り離されるだけだよ? あまりにも無意味な願いだ』

 

 それに首を横に振って私は答える。

 これは決して無意味な願いなんかじゃない。

 

「皆の魔法や魔女の力を借りずに、自分の足で明日を踏み出すために、私は私だけの身体が必要なの!」

 

 この願いは私に取ってのけじめだ。死んでいったプレイアデス聖団の皆とカンナへのけじめ。

 和沙ミチルのクローンじゃなく、たった一人のかずみとして生きると言う宣言なのだ。

 

「さあ、私の願いを叶えてよ! キュゥべえ‼」

 

 私の胸にキュゥべえの耳から伸びた触腕が深く差し込まれる。身体の中に差し込まれたそれは私の心を引きずり出して、形にした。

 ソウルジェムという宝石の形に。

 私の魂の結晶であるそれは眩い輝きを放ち、私の手元に現れる。

 

『契約は成立だ。君の祈りはエントロピーを凌駕した。さあ、その新しい力を解き放ってごらん――魔法少女かずみ』

 

 キュゥべえに言われなくてもそのつもりだ。

 ソウルジェムの魔力を解き放つと、私の身体をその温かな光が包み込む。

 魔法少女の衣装が黒から白に。露出が多かった服は、肌を見せないような可愛らしい服に変わる。

 短かった髪は、前の私のように、足首まで長く伸びた。代わりに帽子は小さくなり、マントは消え失せる。

 黒の十字架のような杖は、四方向に突起が突き出た白い杖になっていた。

 

『凄い力を感じる。この魔法少女はアタリ(・・・)だ』

 

 キュゥべえが言うように前とは比べものにならないほどの魔力が身体を流れている。

 これが私の、魂の力……。

 杖を持つ手に力を込め、反対の手を開閉させて自分の感覚を掴む。魂と肉体は切り離されたというのは感覚的は伝わって来ない。

 今の私なら、オリオンの黎明と戦えるはずだ。

 

「俺も一緒に戦うぞ、かずみ!」

 

 タイカがイーブルナッツを額に押し込んで、人の姿から魔物へと変身する。

 だが、タイカが変身した姿は、前に広場で見た蠍の怪人のような姿ではなかった。

 

『‼ これはどういう事だ……?』

 

 全身は銀色に彩られ、蠍の意匠を残しつつも前よりも遥かに騎士のような鎧に変わっている。両手は鋏ではなく、手甲を付けた五本指になっていた。

 腰から生えていた節のある尻尾は消滅し、代わりに彼の右手には縦に引き延ばした蠍を模した一振りの大剣と鏡のような光を反射する円形の盾が握られている。

 まさに誰が見ても分かる、正義の騎士を具現化したような格好だった。前の悪の怪人みたいな姿よりも、ヒーローらしくて彼に似合っている。

 

『かずみの魔法の力で、君の中のイーブルナッツもバージョンアップしたんだ』

 

『言われてみれば、身体に漲る力が段違いだ』

 

 キュゥべえの言う通り、タイカもまたパワーアップを果たしたようだ。嬉しい誤算だけれど、これでオリオンの黎明と十分に戦える。

 上空を見上げるとオリオンの黎明はその十二枚の翼から、金色の光の竜を生み出しているところだった。

 

『ようやく、死ぬ準備は整ったのか? あんまり暇だったからちょっと分身を作って遊んでたところだ』

 

 行け、とオリオンの黎明が命じると、夜空から光の竜たちが群れを成して飛んで来る。

 星のような輝きを放つ、光の竜の群れは本体のように嘲りに満ちた笑い声を飛ばして、私たちへと襲い掛かってきた。

 一体一体が、とても強い魔力を持った存在だと一目見るだけで分かる。

 

『かずみ、今度こそ俺はお前を守る!』

 

 高く飛び上がったタイカは蠍の大剣を振りかざし、光の竜たちを迎え討つ。

 輝く鉤爪を振るう光の竜よりも早く振るわれた彼の刃は、一撃で三体もの竜を切り裂き、光る粒子へと帰した。

 頼りになる騎士に私は自分の役割を果たそうと魔法を使って、空への道を作り出す。

 

「『スカーラ・ア・パラディーゾ』!」

 

 オリオンの黎明が浮かぶ夜空への架け橋を生み出し、私はその魔法の橋を杖を携え、駆けあがって行く。

 私を襲おうと光の竜が寄って来るが、それをタイカが大剣で一体一体斬り伏せていった。

 護衛のタイカに守られながら、私は最悪の魔法の元へと突き進む。走る私に合わせて常に伸び続ける魔法の橋はオリオンの黎明の眼前まで届いていた。

 光の竜はタイカの剣に散らされて、前方に障害はない。今、このチャンスに乗じて、私は最大級の魔法を勢いを消さずに撃ち出す。

 

「『メテオーラ・アッサルト』!」

 

 魔法の力を身に纏い、オリオンの黎明へと流星のような突撃を浴びせ掛かった。

 これで……これでオリオンの黎明を、あきらを――倒せる!

 確信に近いその想いを胸に掲げる私を、金色の眼光は捉える。

 突如、その瞳は嘲るように細まった。

 ――その程度が全力なのか、と言うように。

 

「……っ!」

 

 金色の、狩人の名を冠する魔王は羽虫でも払うようにその腕を横に振るう。敵意も何もない、本当に宙に浮かぶゴミでも遠ざけるような緩慢な動作。

 黄金に輝く鱗で覆われた竜の巨腕は魔力の矢となった私と衝突する。

 たったそれだけで、私の必殺の魔法は軽々と敗れ去った。

 

「……ぁ……」

 

 視界が真っ白になる。身体に受けた衝撃はあまりにも桁違いで、思い上がっていた私の希望を打ち砕く。

 タイカが私の名前を叫ぶように呼んだ気がしたが、それすらも朧になって遠ざかっていった。

 吹き飛ばされたと理解した時には、また視界が暗転する。再び、気が付いた時には私は硬い場所に横たわっていた。

 生暖かい液体が額からゆっくりとと垂れてくる。

 ……何だろう、これ。雨、かな? でも、温かいし、ぬるぬるしてる。

 鼻の辺りまで流れてきた液体は真っ赤な色をしていた。混濁した意識が、その垂れてくる液体の正体を理解させる。

 赤く、どろりとしたそれは、私の血だった。

 

 

 *****

 

 

 強い。強すぎるぞ、俺。まさに神。まさしく、ゴッド。なおかつグッド!

 前とは違い、今度こそ正真正銘、神と言わざるを得ない強さを獲得した。

 魔力を纏って突撃してきたかずみちゃんを、軽く小突いただけで、数百メートルもすっ飛ばしてしまった。

 そのまま、ビルを一つ二つ突き抜けて、ドーナッツタワーを作った後、ようやく勢いを止めて瓦礫の上でバタンキューと伸びている。

 かずみちゃんの方もピンクローターと契約して強くなったように見えたが、それでも俺に傷を付けるには至らなかったらしい。

 もっとも、俺もあえて、かずみちゃんがパワーアップするのを待っていた訳ではない。

 理由は当然に別にある。

 俺はこのあすなろ市全体に半球状のバリアを張っていたのだ。

 手に入れた魔法を複合させて、『このあすなろ市から誰も出られない。そして、外からは侵入できない』という認識を刷り込み、なおかつ外部からはこの街が平和であるように錯覚させ、完全に外部からの介入をシャットアウトした。

 人工衛星でさえもこの街の異変を察知することはできない。完璧なクローズドサークルという訳だ。

 じっくりとこの街を破壊し尽したかったのと、かずみちゃんが街から逃げるのを阻止するためだが、結果としてはあまり必要あるものではなかった気がする。

 

『貴様! よくもかずみをおおおおおぉぉぉ‼』  

 

『ん? ああ、お前も居たなァ、そういや』

 

 アホみたいに叫びながら、歯向かってくる銀色の騎士に目を留める。

 名前は赤司大火とか言ったが、こいつには「バルタン野郎」で十分だ。両手が鋏ではなくなったせいでバルタン星人らしさは皆無だが、何となく名前で呼ぶ気にはなれない。

 かずみちゃんの契約のおこぼれで、多少見た目が変わった様子だが、パピルサグだった時に比べればどう見ても弱体化していた。

 しかし、せっかくここまで這い上がって来てくれたのだから、遊んでやるのが筋だろう。

 銀色の西洋騎士のようになったバルタン野郎は、蠍の尾を引き延ばしたような奇妙な形の大剣を俺に向けて振り下ろしてくる。

 どこまでも愚かな奴め。光の竜を倒して、自分が強くなったと勘違いしている。

 あれは元々、簡単に倒せるように弱く作ったものだ。そこらの魔女と比べれば遥かに上とはいえ、一体一体がソウルジェムを吸収する前の素体の俺と同程度の強さでしかない。

 

『今や天使を超え、神と化したこの俺に剣を向けるとは……裁きの雷をプレゼントしてやるぜ』

 

 十二の翼から、その翼の数と同じだけ極大の雷を生成して、奴に飛ばす。

 白い矛にも見えるその雷は的となったバルタン野郎に、突き刺さると眩い電気を散らした。

 受けた稲妻のあまりの電流に耐え切れず、身体の端から火花を散らし、奴は絶叫を上げながら、地上へと落ちて行く。

 

『ぁ、があああああああぁぁぁっ‼』

 

 落下したバルタン野郎は銀色の鎧を黒焦げにして、糸の切れた操り人形のようにおかしな体勢で崩れ落ちた。

 ブスブスと煙を立てて転がるバルタン野郎は、よくよく見ると、稲妻の熱のせいで肩や膝などの部分が一部溶けてして変形までしている。

 軟弱な奴だ。せめて啖呵を切ったなら、この雷もご自慢の剣で斬り裂いてみせろ。

 

『熱かったか? そいつは悪いことをしたなァ。じゃあ、お詫びに冷ましてやろう』

 

 今度は翼から冷気を放つ氷柱を生成して、地上に次々と打ち込んでいく。

 氷柱が接した場所から、地面が凍結を始め、十秒後には辺り一面氷河期のように凍り付いた。生き残っていた人間たちも、逃げ惑うその姿のまま、氷の人形となって床に縫い留められている。

 ボロ雑巾の親戚となっていたバルタン野郎は、不自然な形に倒れた状態でその身を氷の中に閉じ込められて、愉快なオブジェと化していた。

 あまりにも無様な姿はこのまま、大英博物館に寄贈してやりたいくらいに笑える。

 だが、こいつには散々怯えさせられた。まだまだ、この程度で俺の溜飲は下がらない。

 

『オイオイ。眠っちまったのか。駄目だぜ、授業中に居眠りとは……先生は悲しいぞ、バルタン君』

 

 十二の翼から魔力を固めた刃を何本も生み出して、凍ったバルタン野郎に向けて一斉射する。

 一撃で魔女の首を容易く()ねる威力の鋭い刃は、冬眠している季節外れのお馬鹿さんを氷ごと刻んでいった。

 刃が氷を削り、抉り、切り落として、氷の大地を解体していく。マグロのように冷凍したまま、バラバラにしてなれば少しは俺の気も済むというものだ。

 しかし、威力は低いとは言うものの、奴もまた頑強な装甲を持っているようで周りの氷は粉々になるが、バルタン野郎まで一緒に砕けるということはなく、その身を削りならも原形を残していた。

 

『お、耐えるじゃないか、バルタン君。先生は嬉しいぞ』

 

『だ、まれ……悪党』

 

『お? 意識が戻ったのか。なかなか打たれ強いじゃん』

 

 ふざけて言った独り言のつもりだったのだが、バルタン野郎はそれに返す。

 声は震えているが、それは寒さによるもので、奴自身からは怯えは感じ取れなかった。兜の隙間からは闘気に満ちた赤い目が俺を睨んでいる。

 ……この状況でまだ心が折れていねぇのか。

 勇気というより力の差を理解してない、蛮勇にしか見えなかった。電撃と凍結で脳が駄目になったと考えた方がまだ自然だ。

 だが、俺には分かった。

 ――こいつはまだ俺に勝つ気でいやがる。

 これだけ追い詰められて、攻撃を当てることすら叶わないにも関わらずに。

 気に食わない。心底、このこいつの存在が気に食わない。

 この野郎はただ殺すだけでは足りない。絶望の果てに殺し尽さないと俺の気が晴れない。

 どうすればいいのか、と僅かに悩み、俺はにやりと笑って思い付く。この野郎の心を完膚なきまでに折る方法を。

 

『よし、よし。うん、分かった。お前には分からせてやる必要があるな』

 

『なに、を……言って……』

 

 俺の言葉の意味を理解していないバルタン野郎に俺は丁寧に説明をしてやった。

 

『お前の大好きなかずみちゃんをこの世から一瞬で消してやるよ。でも、俺は優しいからな。三分だけ時間をくれてやる。かずみちゃんを守りたいならちゃんと守ってみせろよ?』

 

 口を大きく開いて、魔力をそこに溜め始める。

 十二枚の翼に流れる力をすべてを集結させ、最大の息吹を放つ準備をしていく。

 

『まさ、か……貴様……くっ、かずみっ!』

 

 俺がこれから行おうとしていることが分かったらしく、バルタン野郎は満身創痍の身体を必死で動かして、吹き飛んでいったかずみちゃんの方へ駆けて行く。

 それでいい。必死になって、何よりも大切なものを守れ。その上で何もできずに眺めることしかできない己の無力さを噛み締めろ。

 圧倒的な力の差による絶望と後悔に打ちひしがれたお前を、笑いながら食い殺してやろう。

 引きずるような足取りで、かずみちゃんの方へ向かうバルタン野郎を見つめて、俺はほくそ笑んだ。

 




とうとうここまで来ました。
最悪の魔王に立ち向かう魔法少女と騎士。
だが、圧倒的な力の前には為す術はなく、魔法少女かずみは絶体絶命の窮地に陥る。
赤司は彼女を守り抜く事ができるのか。
次回『朝が終わり夜が来る』

次で最終回です。



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第四十八話 朝が終わり夜が来る

~赤司大火視点~

 

 

 

 先の雷の熱で融解して歪み、絶対零度の氷に冷却され、酷く(いびつ)に固まった俺の肉体は思うように動いてはくれない。

 足腰の関節は潰れている箇所があり、胸や首回りは抉れるように細まって、正常な呼吸さえも阻んでいる。

 だが、それを無視して俺は駆ける。そうでなければ、奴に……黄金の竜となった一樹あきらにかずみの命を奪われるからだ。

 真っ直ぐに走る事も困難だったが、時間に猶予はなく、片足を引きずるように必死で進む。

 ようやく、かずみが飛ばされた辺りまで辿り着くと、俺は大きな声で彼女の名前を呼んだ。

 

『かずみ! どこだ、どこに居る!?』

 

「タイ、カ……無事だったん、だね?」

 

 かずみはビルの破片を枕にして、息も絶え絶えに俺に返答をする。

 瓦礫に埋もれながらも、額から流れた血で顔を汚して、健気に俺に微笑みかけるかずみに俺は悔しさを覚えた。

 何故、俺はこの子にここまでの怪我を許したのだ。守ると誓っておきながらこの体たらく、お袋が生きていれば張り倒されても文句は言えない。

 剣と盾を放り出し、駆け寄ってすぐに抱きしめる。包帯でもあれば今すぐ巻いてあげたいが、現状はそれどころではない。急いでここから離れなければ、あの魔王によってこの場所ごと消し飛ばされてしまう。

 

『早くここから逃げるぞ。奴の一撃が来る前に……』

 

 かずみを抱きかかえて、逃げようとするその瞬間無情にも、時間切れを伝える嘲笑の声が耳に届く。

 

『残念、三分経過でーす。さあ、塵に帰る準備はできたかな? まあ、できてなくても殺すけどな』

 

 振り返り、見上げた空にはオリオンの黎明の大きく開いた口からは黄金色の光の粒子が漏れ出している。

 牙から漏れて宙を舞うその僅かな粒子すら、莫大な魔力を秘めている事が一目瞭然だ。あの金色の魔力の光が直撃すれば文字通り、影も残らず、この世から消滅するだろう。

 とっさに俺が取った行動は、落とした円状の盾を拾い、かずみを背にそれを構える事だった。

 何があろうとかずみだけは守り抜きたいという、俺の意志が高速で身体を動かす。

 

『さようなら。絶望しながら、死んで行け』

 

 金色の目も眩むような巨大な閃光が俺へと迫り、空を裂いて、降って来る。それはまるで太陽の光を一本の槍にしたような一撃だった。

 世界が光で塗り潰され、俺は白一色に染まる視界の中で盾を構える手を強く握る。例え、俺という存在がこの世から消えようともこの盾だけは手放さないと心に誓った。

 光に焼かれた眼球の裏でカンナの顔が浮かぶ。

 ……カンナ、助けてやれずに済まなかった。だから、かずみだけは絶対に守り通してみせる。勝手な事を承知で頼む。――俺に力を貸してくれ!

 

『おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉ‼』

 

 盾だけでは覆う事のできなかった肉体を金色の光は侵食し、その形を奪い去っていく。

 足が消え、肘を失い、膝が無くなり、顔さえも光の中に融けていく感覚が分かった。

 しかし、それでも盾を構える腕だけは放さない。

 俺が死のうともかずみだけは、俺の家族だけは救ってみせる。

 教科書に載っていたニーチェの言葉で一番俺が共感した一文が脳裏に浮かんだ。

 曰く『人間は、もはや誇りをもって生きることができないときには、誇らしげに死ぬべきである』。

 その通りだと思う。

 多くの罪なき命を奪ってしまった俺は誇りを持って生きる事は不可能だ。だからこそ、俺は大切な家族を守って、誇らしげに死のう。

 きっと、それだけが俺に残ったすべてなのだから……。

 

 

 *****

 

 

 俺の開いた口から光に変えた魔力の奔流が迸る。すべてを終わらせる破滅の息吹を撃た撃ち放った先には俺に舐めた態度を取っていた、ヒーロー気取りの雑魚バルタン。

 奴は盾を拾い上げて、それを構えて無謀にも防ごうとする。無駄な足掻きだ。滑稽にも程がある。

 円状の鏡のような盾には光を吐き出す、偉大で神々しい俺が映っていた。六枚の翼を広げ、黄金に輝く閃光を放つ姿はまさに神そのもの。

 見とれてしまうくらいに格好いい。ビバ俺! ナイス俺! ビューティフル俺‼

 ちんけなその手鏡みたいな盾に映すには物足りないほどの豪奢さを誇っている。

 そう感じた瞬間、冷や水を掛けられたように思考が冷まされる感覚がした。

 待て。

 待て待て待て……鏡だと?

 金色に輝く破滅の光にあのバルタン野郎は鏡面のような盾を向けている。その事実に、最悪の可能性を懐き、俺は体温が下がるのを感じた。

 そして、その最悪の予想は的中する。

 盾に当たった金色の光が反射をし、一部俺に向かって跳ね返って来たのだ。

 

『ギッ……グギャアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァーッ‼』

 

 大絶叫が喉の奥から噴き上がる。自分が作り上げた最強の技を受ければ、無敵の鱗と言えども簡単に貫通してしまう。

 俺に跳ね返った破滅の光は斜めに曲がり、俺の胸の付近を鱗ごと肉を消し飛ばす。削れた部位からは黒い血液と一緒に魔力の染み出して、大地にぶち撒けられた。

 光の放射を止め、俺は天から落ちて、地面に這い蹲る。落下の衝撃で辛うじて残っていた建物がすべて倒壊したがそんなことはどうでもいい。

 

『クソが……何もできない無能な蠍の分際で……』

 

 口からも魔力の混じった血が垂れて止まらない。だが、それ以上に思考を染め上げるのは怒りと憎しみだった。

 瀕死のボロ屑にも関わらず、この俺に一矢報いるとは許せない。この手で直接捻り潰してやる……。

 即座に立ち上がり、足元を転がる建物の残骸を蹴散らしながら、バルタン野郎の元に向かった。

 だが、既に奴が居た場所には、熱による蒸発らしき焦げ跡と融けてなくなった小さな歪な盾だけしか残っていない。その盾を掴むと、ボロボロと崩れて消滅する。

 いくらか、俺に反射させることができたものの、受けた熱量まではどうにもできずにそのまま融け落ちた様子だった。

 

『この、ゴミがッ……』

 

 怒りをぶつける標的が既に消滅してしまったせいで俺の中には、不完全燃焼な憎悪だけが残る。

 せめてもの仕返しに、あのバルタン野郎が居た場所を重点的に踏みにじるが、到底それだけでは怒りが収まるはずもなく、口惜しさがだけが胸に広がった。

 しかし、そこで俺はバルタン野郎の後ろの瓦礫だけが消し飛んでいないことに気付く。

 辺り周辺は完全に焦土と化しているのに、奴が盾を構えて、背を向けていた空間は物の見事に、守られていた。

 ……かずみちゃんだけは守ろうとしたのか。ゴミの癖に俺の一撃を防ぎ切ったのか、益々持って不愉快だぜ。

 

『ん? あれ……かずみちゃんが?』

 

 その瓦礫の上にはかずみちゃんの姿はなかった。俺がダメージを負っている間に逃げたのかと思ったが、その場所にもう一つだけあるはずの物が消えている。

 バルタン野郎が残した蠍の尾を模した大剣。確かにあの時は後ろに置きっ放しになっていたはずなのに、今は影も形もない。

 この場所が無事ということは溶けて消えたという線はない。なら、あんな大きなものをどこにやったのだろうか。

 まさか……かずみちゃんが持って逃げたのか? 

 この俺にそれを叩き込むために……? 

 頭に浮かぶ、その推測に俺は警戒して後ろを振り向く。

 そこに居たのは蠍の大剣と杖を融合させた巨大な槍を構えて、こちらに向かってくるかずみちゃんの姿だった。

 

『かずみちゃん!?』

 

「最大、魔法……『アンターレス・フィナーレ』!」

 

 巨大な槍の穂先からは赤い魔力が噴き出し、空を走るかずみちゃんを覆い、俺へと真っ直ぐに突っ込んで来る。

 その一撃を避けるにはあまりにも時間も、距離も、魔力も足りない。だったら、話は単純明快。そのまま、迎え撃つのみだ。

 赤い一本の矢のようになったかずみちゃんを叩き落とそうと金色の腕を振り下ろす。

 だが、腕と接触する前に、彼女はさらに加速をし、俺の攻撃を掻い潜った。

 

『なっ、さっきよりも早い……!?』

 

「行っけええええええええええええぇぇぇぇ‼」

 

 かずみちゃんは俺の鱗が剥がれたその胸に飛び込むように突き進む。痛みを感じるより先に、背中から何かが飛び出した奇妙な感覚を受けた。

 首を捻ってそちらを向けば、かずみちゃんが俺を見下ろすように見つめている。杖の上部に付いた大剣は今の一撃に耐え切れなかったのか、罅が入り、砕け散った。

 次に自分の身体を見ると、ちょうど左胸……人間であれば心臓がある位置にぽっかりと風穴が空いているのが目に映る。

 致命傷。中核を完全に捉えたその穴に――。

 

『がはっ……かずみちゃん、やるじゃん……』

 

 素直に賞賛の言葉が口から出た。

 彼女は何も言わない。ただ、肩で息を吐き、敵意を籠めた眼差しを向けるのみだった。

 胸に空いた風穴から濁流のように血と魔力が噴き出して、地面に流れていく。コネクトの力で纏め上げていた魔力が俺の中で暴走するのが分かる。

 数秒後、黄金の竜となった俺は膨れ上がり、その力を抑え切れずに破裂する。

 膨大な魔力がその身をぶち破り、外界に溢れ出す。

 

 爆発を起こす寸前、溜め込んだ魔力をすべて切り離し、俺は元の三メートルくらいの黒い鱗の竜となって逃げだした。

 魔力の波に身を隠して、空を飛び、かずみちゃんの目を誤魔化して逃げる算段だ。

 助かるためとはいえ、大幅に弱体化した今の俺ではかずみちゃんとやり合って勝てるとは思えない。

 しかし、この街を自分で封鎖してしまったので、黒い鱗の俺ではあすなろ市から脱出することもできない。

 俺ができるのは、逃げ隠れて、魔力を大分使い果たしたかずみちゃんが魔女化して自滅するのを待つことだけだ。

 かあ~、慢心し過ぎたぜ。調子に乗って出した最強の一撃を反射されさえしなければ、こうはならなかった。

 まさかあんな隠し玉があったとは思っていなかった。悔しいが今回は完敗だ。

 魔女になったかずみちゃんが俺の張ったバリアを打ち壊してくれるのを待って、あすなろ市を出よう。

 一から出直しだ。あやせちゃんという事例もあるし、この街以外にも魔法少女は居るはずだ。そいつらのソウルジェムを食べて、また力を蓄えるとしよう。

 そっと地面に着陸すると、俺の耳に誰かの声が届く。

 

「……待ってたよ。あきら」

 

 そこにはかずみちゃんが杖を構えて待っていた。

 俺が身体を切り離して、逃げるのも全部見越していたような口ぶりに溜息が出る。

 

『……執念深いねェ、かずみちゃん。そんな俺のことが大好きなのかよ?』

 

「私は……ううん。このあすなろ市に住んでいた人は皆、あなたにすべてを奪われた。それなのに、罰も受けずに逃げる気なんだね」

 

 ……罰? 何を言っているんだ、この子は。

 罰とは、悪いことをした人間がその罪を償うためにする行いであり、何一つ悪いことをしてない俺が受ける理由がない。

 

『罪なき、俺のどこに罰を受ける理由があるんだよ?』

 

 心の底からの疑問を聞き、かずみちゃんはどこか納得したように顔して、俺を神妙な面持ちで見つめる。

 

「やっぱり、あきらは悪人じゃなかったんだね。あきらは狂人だよ、狂ってる。今までやったことに心の底から悪気を感じてないのが分かるよ」

 

『狂人、ね。まあ、カエルが人間の複雑な思考回路を理解できないように、知能の次元が低いと俺みたいな高次元の思考を持つ人間がそう見えるんだろうな。可哀想に……』

 

 憐れみを籠めてかずみちゃんを見ると、彼女もまた同じような眼差しを俺に向けた。

 失礼な子だ。親の顔が見てみたい。いや、かずみちゃんの親はプレイアデス聖団の皆なので、よく考えれば全員知っているな。

 なるほど。あんな馬鹿で愚かな魔法少女が作ったなら、この程度の頭の出来になるだろう。

 同情する俺にかずみちゃんは杖を向ける。その顔には明確な敵意が戻っていた。

 

「あきら。あなたの負けだよ」

 

『いや、今のソウルジェムがかなり濁ったかずみちゃんとなら、それなりにいい勝負できると思うぜ?』

 

 彼女の胸元にあるブローチ型のソウルジェムはもう元の白色が分からないくらいに濁っている。魔法を次に一度でも使えば即魔女化もあり得る危険域だ。

 だから、魔法は使えない。せいぜい、その杖での格闘術が限界というところだ。

 俺の言葉を裏付けるように彼女の顔が曇る。それはグリーフシードは持っていないということを暗に示していた。 

 

『なあ、かずみちゃん。取引しよう、俺を見逃すんだ。そうしたら、別の街に行ってグリーフシードの一つでも持って来てやるよ。どうだァ? 魔女にはなりたくねぇだろ?』

 

 俺の提案にかずみちゃんは僅かに目を伏せ、そして、杖を振り上げて、飛び掛かってくる。

 

「要らない! そんなもの、私は要らない!」

 

『そうか。魔女になりたいのか。あのバルタン野郎みたいに理性なくして、人を殺しまくりたいってか? いい趣味してるなァ、オイ』

 

 その杖による殴打を身体を捻って避け、尻尾で巻き取る。

 ここで一旦、手を放しておけばいいものを、向きになって取り返そうとかずみちゃんは引っ張った。

 やっぱり、魔法になれた小娘でしかない。獲物よりも自分の身を大事にすることがまるで染みついていない。

 絡め取られた杖を引き抜こうとする彼女のがら空きな脇腹を、鉤爪で切り付けた。

 

「あう……」

 

 真っ赤な血が宙に飛沫となって飛ぶ。

 更なる追撃を撃とうしたが、彼女の蹴りが俺の顔面を捉えた。

 

『がぅっ……』

 

 一撃で脳天を揺らし、右の眼球がひしゃげる。今で喰らった中でも取り分けでかいダメージだった。

 感じたものは悔しさでも、怒りでもなく、楽しさだった。この真っ向勝負に俺は悦楽を感じている。

 俺と今まで対等にやり合えるような奴は存在しなかった。仮に居ても謀略で簡単に潰せた。

 かずみちゃんこそ、心の奥で俺が追い求めていた存在だったのかもしれない。

 思えば、彼女と出会った時がすべての始まりだった。胸にあった退屈が消えたあの時からだ。

 俺は尻尾を杖から離し、代わりに懐に入って口を開き、牙で噛み付く。

 かずみちゃんはそれを杖で受け止め、受け流した。即座に反転、杖による突きが俺の翼を貫いた。

 

『楽しいなァ、かずみちゃん!』

 

 翼を犠牲にして、尻尾で彼女を打ち付ける。杖ごと彼女は地面に転倒し、すぐに起き上がった。

 

「そう。でも、私は全然楽しくない!」

 

『そいつは残念! でも、俺が楽しければそれでいいよな?』

 

 鉤爪と杖が何度も激突を繰り返し、お互いに相手の身体へと攻撃を打ち込んでいく。

 与えて、与えられて、また与えてを繰り返す。あたかもそれは恋人同士の口づけのようにも感じられた。

 相手を自分の力で捻じ伏せて、殺そうと思うこの感情は倒錯した愛なのかもしれない。

 だとしたら、これこそ俺の初恋だ。

 

『愛してるぜ、かずみちゃん!』

 

「私は大嫌いだよ、あきらっ‼」

 

 両者の一撃が交差する。

 数十分に及ぶ俺たちの戦いはそこで終了した。

 俺の鉤爪は彼女の右肩に突き刺さり、彼女の杖が俺の腹を鱗ごと貫いていた。

 臓腑を抉り抜き、背中にまで届いた一撃は彼女の勝利を表している。

 

「……私の勝ち、だよ」

 

 全身から力が抜けて行き、こつんとかずみちゃんの額に俺の額がぶつかった。身体は竜から人間の姿に戻って行く。

 視界一杯に広がる、勝利を確信した彼女の顔が、途切れ途切れにそう宣言する。

 俺はそれに血を吐きながら答えた。

 

「そう、だな。俺の……負けだ。……戦いは、な……」

 

 俺の額からイーブルナッツが排出された。そして、それは当然、密着していた彼女の額へと吸い込まれた。

 彼女の顔が一気に絶望が広がる。その表情に愛おしさを感じて、俺はキスをした。

 鉄さびのような味は俺が人生最期に感じる、恋の味。彼女の唇が赤く染まってルージュのように見えた。

 イーブルナッツが体内に潜り込んだせいで、胸元のかずみちゃんのソウルジェムが完全に黒に染まって砕ける。

 中から、転がったのはグリーフシード。

 即ち、魔女の卵。

 俺のイーブルナッツを受けた、彼女のソウルジェムが変化したもの。つまり、俺とかずみちゃんの愛の結晶に他ならない。

 魔女は嫌いだが、自分と愛しい少女の子供と言える存在である『この子』は別だ。

 霞んでいく視界の中で、あすなろ市に零していた魔力の濁流がグリーフシード目掛けて殺到する。

 一瞬でグリーフシードから孵ったその魔女は巨大な逆さまになったピエロのようにも見える。

 紺色のドレスを着て、スカートの中で回る大きな歯車がちらりと露出した。ママに似て、露出する癖があるエッチな子に育ってしまったようだ。娘がはしたない子に育ってパパは悲しいです……。

 

『キャハハハハハハハハ。キャハハハハハハハハハハハハハ!』

 

 元気な産声を上げて、空を浮かぶ俺の娘は身体を揺らすと、それだけで俺が張ったバリアを打ち砕いた。

 流石は俺とかずみちゃんの子。元気があって大変よろしい。

 パパはもうそろそろ死んじゃうけど、ママと一緒にお前の活躍を見守ってるからな。

 ただ、名前を付けずに死んでしまうのが少し心残りだ。親として素敵な名を付けてやりたかった。

 後悔する俺の近くに一番見たくない淫獣が姿を現す。

 

『凄いね。久しぶりに見たよ。伝説の魔女――ワルプルギスの夜。多くの魔法少女のソウルジェムを食べて、君が溜め込んでいた負の感情エネルギーを吸って育ったんだろうね』

 

 ワルプルギスの夜。確か、それは北欧の魔女の宴の名だったか。

 ピンクローターにしてはなかなかいいネーミングセンスだ。それを採用してやろう。

 さあ、たくさんの人間を殺して、幸せになれよ。我が娘、ワルプルギスの夜。

 そう願って俺は目を閉じ、かずみちゃんの死体と共に寝転んだ。

 

 

~キュゥべえ視点~

 

 

 ワルプルギスの夜がこの街で生まれるとは思わなかった。

 暁美ほむらや政夫が少し前から言っていたけれど、まさか見滝原市の近くで誕生するなんて……。

 ただ、これで一樹あきらが殺した魔法少女の分の収支が付く。そして、このままワルプルギスの夜が見滝原市を目指して進んでくれれば、まどかも魔法少女になり、さらに感情エネルギーを回収できる。

 政夫も何か企んでいるのかもしれないが、あの伝説の魔女を滅ぼせる方法があるとは思えない。

 一樹あきら、そして、かずみ……君たちには感謝してもしたりないよ。

 政夫の絶望する顔が目に浮かぶ。きっと、彼も追い詰められれば、まどかに頼らざるを得ない。

 暁美ほむらたちが必死で対抗しようとするだろうが、彼女たちでは束になってもあれに勝つ事は不可能だ。

 そこまで考えてから、自分の思考に疑問を懐いた。

 ……ボクは何を考えているんだ。まるで、これではインキュベーターであるボクらに感情があるみたいじゃないか。

 あのニュゥべえとかいう、精神疾患になった欠陥品とは違うのだ。ボクらには感情などない。

 だからこそ、この惑星にまでやってきたのだ。

 思考を切り替えて、見滝原市の方へ飛んで行くワルプルギスの夜をボクは見送った。

 それにしても、政夫といい、一樹あきらといい、魔法少女に関わる少年は常軌を逸した人間が多い。

 魔法少女に協力し、彼女たちの命を救う夕田政夫。魔法少女を騙し、彼女たちのその命を奪う一樹あきら。

 真逆の性質を持つ、彼ら二人のイレギュラー。

 魔法少女と邂逅した人間は他にもいたが、彼らほどボクらに影響を及ぼした人間は居ない。赤司大火も予想よりも大局に影響することはなかった。結局のところ、その程度の人間でしかなかったのだろう。

 もしも、彼ではなく、政夫があすなろ市の魔法少女と関わっていたならば、別の結果になっていたのかもしれない。

 

『さあ、夕田政夫。君に何ができるのか。ボクら、インキュベーターに見せてくれ』

 

 もっとも、ただの一般人である政夫にワルプルギスの夜に物理的な干渉はできないだろうけれど、彼の最後の足掻きを観察するのも興味深いだろう。

 

 

 




はい。これにてこの物語は完結です。
この物語とまどか?ナノカのほむらルートは同じ時間軸なので、この後、見滝原市に行ったワルプルギスの夜は政夫とニュゥべえに倒されて終わります。
ある意味、あきら君の最後の悪足掻きが政夫によって、挫かれるといった流れになりますね。

魔女かずみ=ワルプルギスの夜は実は中盤くらいに思い付いていたので、このラストにする事は決まっていました。
赤司に期待していた人には申し訳ありませんが、彼は何も守れないキャラとして描いていたので、結局あきら君の悪意を止めるには事は最後までできませんでした。
一応は、一矢報いたけれど、結局守ったかずみはワルプルギスの夜になり、最終的には無駄になってしまいました。

あきら君に関しては、最強に強い無邪気なラスボスという感じで作っていたので、目的を果たせて、嬉しかったです。
最悪の存在が魔法少女に負けて、カタルシスが生まれたところで、さらに逆転の流れがしたかったので、基本的には負けなしで書いていました。
ワンサイドゲームでしかないという意見も多々受けましたが、私としては「どうしようもないほど強い邪悪」を書きたくて始めたシリーズなので、そもそもそれが目的だったとしか言えません。
終盤で赤司を登場させたのも、彼の強さを改めて描くことが理由の一つでした。言わば、主人公っぽいかませ犬です。

最後に、ここまで読んで頂いて、ありがとうございました。
お気に入りに入れて下さった方や、感想を書いて下さった方々に感謝致します。あなた方のおかげで無事完走する事ができました。
本当にありがとうございます。


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〈第二章 大火の章〉
プロローグ 孤独の始まり


第二部始めました。
大火がメインのお話です。


このあすなろ市に降臨した絶望の化身・『オリオンの黎明』は獰猛な巨眼を細め、(いや)らしく(わら)った。

 

『さようなら。絶望しながら、死んで行け』

 

 金色の巨竜が笑いながら、光の息吹を解き放つ。

 鏡の如き光沢を持つ盾で俺はそれを背後に立つかずみを守ろうとするが、それを掴んだ俺の身体は金色の光に呑まれ、跡形もなく消滅させていった。

 消える。俺という存在を形成するそのすべてが破壊の光に塗り潰されていく。

 かずみだけは守りたい。それだけが我を忘れて多くの命を奪ってしまった俺に残された最後の希望なのだ。

 それだけが俺の願い。俺の祈り。

 俺の全て……。

 光の中に融ける最期の一瞬まで俺はそれを願い続けた。

 

 

 *******

 

 

 音が聞こえてくる。

 聞き覚えのある懐かしい音。これは……そうだ。これは大勢の人たちの声や足音、それに乗用車のエンジン音。

 日常の騒めきと呼べるような街の生活音の数々が耳に響いてくる。

 そこでぼんにりと不確かだった意識が覚醒し、俺ははっと目蓋を開いた。

 まず視界に飛び込んできたのは夕陽の光。それから目の左右両脇に屹立している路地の壁。

 映像が目に入った瞬間、現実感のある硬いコンクリートの感触が背中で伝わった。

 その感触で俺は自分が仰向けの状態になっていると理解した。

 

「空……いや、あすなろ市の街が……」

 

 思い切り、上半身を起こして見回す。

 すると、狭く小汚い路地の壁と蓋が開き、中の生ゴミが露出した青のポリバケツが見えた。

 (こぼ)れて地面に散乱したゴミを一羽のカラスがカツカツと(ついば)んでいる。

 あり得ない。この街はオリオンの黎明によって破壊されたはずだ。まともに建っている建造物も動ける動物も人も死に絶えた地獄だったのだ。

 

「そうだ。俺も、あいつに殺されたはず……」

 

 自分の両手に目を落とす。ちゃんと腕が付いている。魔物形態にはなっていない普通の腕だ。

 指先で握り拳を作り、開く動作を数回した後、俺は地面に手を突いて立ち上がる。

 どこにも異常がない。だが、それこそが最大の異常に思えた。

 薄暗い路地裏から一歩一歩恐れるように歩き出すと生ゴミを食べていたカラスが驚いて飛び去っていった。

 曲がり角まで来るとそこから交通道路が見え、車が走っている光景が目に入る。

 路地から顔を出して、視線を彷徨(さまよ)わせれば、歩道を歩く人たちの姿までもが確認できた。

 紛れもなく、そこには平和な夕暮れ時のあすなろ市が存在している。

 俺は自分の頬を強く抓った。痛かった。力加減を間違ったせいか、涙腺から涙が溢れ出す。

 いや、きっともう二度と帰ってくることのないと思えた日常が目の前にあるせいだろう。

 路地裏から一歩出て、俺は歩き出した。

 足は段々早歩きになり、最後には駆け出していた。歩道を通りかかる人は怪訝そうに走る俺を眺めている。

 しかし、そんなことすら気にならないほど俺は歓喜していた。

 どうして壊れたはずの街が平然と元に戻っているのか、死んだはずの自分がこうして生きているのかなど疑問はあったが、今はどうでもよかった。

 抑えきれない安らぎと嬉しさが俺の頭を支配していた。

 興奮に身を任せて、夕日に照らされる歩道を走っていた俺の視界に見慣れたけれど、今は懐かしささえ感じられる横顔が映る。

 ……お袋だ。親父が小学校の時に死んで以来、女で一つで俺を育ててくれたお袋だ!

 横断歩道を渡った先にスーパーのビニール袋を両手に下げて歩いている。

 生きている! あの毒蛾の魔物に襲われた時に死んだお袋が生きているのだ!

 

「おふく……」

 

 俺は向こう側の歩道を歩くお袋に声を掛けようとして、言葉を失った。

 その少し後ろから制服姿の俺と瓜二つの顔の男が駆けてきたのを目撃したからだ。

 

「お袋ー。店の食材の買い出しか?」

 

「おや、大火。ちょうどいいところに帰って来てくれたね。持つべきものは力持ちの息子だね。ほら、持ちな」

 

「息子使いが荒いな。まあ、いいけどな」

 

 『そいつ』はお袋に大火と呼ばれ、『そいつ』もまた俺のお袋と「お袋」と呼んでいた。

 少しだけ呆れたようにお袋と話しながら、食材の詰め込まれたビニール袋を受け取る『そいつ』は紛れもなく、赤司大火(おれ)だった。

 それならば。

 それならば……ここに居る『俺』は何者なのだろう……。

 声すら出せず、和気あいあいと帰路に着く親子を俺はただただ呆然と見ていることしかできなかった。

 

 どれくらいそうしていただろうか。

 俺は歩道の真ん中で黙って立ち尽くしていた。時折、俺を邪魔だというように不機嫌に睨んで脇を抜ける通行人が何人か居たが、気にもならなかった。

 振り返れば、服屋のショウウィンドウに自分の姿が映る。

 多少、汚れているが俺の姿ははっきりとガラスに反射していた。

 すっと近付いてショウウィンドウに触れてみると、僅かにひんやりとした冷たさと硬いガラスの感触が手のひらに伝わる。

 密着していた手を離せば、ガラスにはしっかりと俺の指紋が付いていた。

 それは俺が別に幽霊になった訳でもなく、ここに存在していることの証だった。

 だが、この世界には既に『赤司大火(おれ)』が居る。

 俺は誰だ? 一体俺は……。

 いや、違う。そうじゃない。

 ドツボに嵌りかけた思考が正常に復帰する。

 俺が何者なのかなど、この際どうでもいい。

 俺が守りたかったものがここにあるのなら、居場所なんてなくたって構わない。

 元より、イーブルナッツの過剰吸収によって、大勢の人の命を奪ってしまった俺に平穏に帰る資格はないのだ。

 かずみ。

 カンナ。

 二人の顔が脳裏に浮かぶ。

 彼女たちはこの世界では無事なのか……。それだけは確かめなければならない。

 揺らぎかけた覚悟を持ち直し、すっかり暗くなった夜空を見上げた。

 自分の身に何が起きたのかは分からないが、何があろうとも彼女たち二人を救ってみせる。

 無言で夜空に誓いを立てたその時、頭の中でノイズが走るようなような感覚が起こった。

 この感覚を俺は知っている。

 これはイーブルナッツの共鳴。イーブルナッツを使って魔物になった人間の反応だ。

 不快な反応が伝わって来た方向へぐるりと首を回す。イーブルナッツの反応が指し示した方角は商店街とは逆方向。

 俺はその反応に導かれるまま、走り出す。

 例え、この先にかずみやカンナが居なくても、魔物が出現した反応を見過ごす訳にはいかない。

 歩道を走るのは少しばかり他の通行人の迷惑かとも思ったが、誰かが襲われている可能性がある以上悠長にもしていられず、全速疾走で反応が強くなる方へ駆け抜けた。

 周囲の景色が店が立ち並ぶ商店街から住宅地に変わってきた頃、一際不快なノイズが濃くなる場所を発見した。

 そこは大きな門構えの豪邸。少なく見積もっても俺の家の五倍はある。

 表札には「御崎」と書かれていた。

 反応はこの邸宅の中からなのだが、流石に無断で門や塀を乗り越えて侵入するのは(はばか)られる。

 さりとて悠長にインターフォンを押してから許可を取るのは馬鹿のやることだ。

 僅かに躊躇をした時、ガラスの割れる音が聞こえ、少女の叫びが鼓膜を叩いた。

 その瞬間、俺の逡巡は消し飛んだ。

 頭の中にあるイーブルナッツの力を全身へと巡らせ、肉体を人ならざる姿に変える。

 

「変身っ……!」

 

 俺の身体は吐き出した言葉と共に蠍を模した意匠の人型の魔物へと変化した。

 両腕は甲殻類を想起させる鋏。腰からは蛇腹状の尾は伸び、その先にはラッキョウ型の節から大きな針が飛び出している。

 やはりあの時、かずみの魔法で進化した姿ではなく、一番最初の魔物形態だ。

 だが、今はこれで十分だ。俺は長い尾を地面に叩き付けて跳躍する。

 魔物の姿になったことで劇的に身体能力が上昇し、二メートルはある塀を難なく飛び越すと、広い庭へと降り立った。

 そこには大きなカマキリの魔物が、長い黒髪の少女目掛けて振るうために鎌を振り上げている光景があった。

 大まかな六節のある輪郭こそカマキリのそれだが、頭部には人間だった時の面影が残っており一層不気味さを際立たせている。

 即座にカマキリの魔物へと攻撃を繰り出そうとした俺だったが、襲われている少女の顔に目が行った時、身体の動きが止まってしまう。

 その少女はかずみだった。

 出会った時のショートヘアから想像できないほど長い髪を垂らしているが、紛れもなく俺の守ると誓った家族に相違なかった。

 しかし、その戸惑いが致命的な隙を生んでしまう。

 ……しまった。これでは間に合わない……!

 俺はすぐさまにそちらまで走り寄るが、無情にもカマキリの魔物の鎌はかずみに振り下ろされる――。

 

「主役は俺だぞ! この虫けらが!!」

 

 寸前、割れている一階の大窓から一人の少年がカマキリの魔物へと飛び蹴りを食らわせた。

 その少年の顔もまた俺が知るものだった。

 一樹あきら。俺の全てを奪い、あすなろ市を崩壊させた憎き仇だ。

 背後からの突然の一撃に反応が遅れたカマキリの魔物はかずみへと降ろそうとした鎌を外す。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「おらあっ!!」 

 

『ぐ、邪魔だああああ!!』

 

 不快な雑音の混じったような声を上げて、背中を蹴った一樹あきらを鎌で切りかかるが、鎌の刃が長いせいで当たることはなかった。

 蹴った反動を利用し、後転して後ろへと逃げた奴は距離を取りつつ、倒れたかずみへと近付く。

 

「大丈夫? 生きてる? 生命保険入ってる? ……ていうか、何だよ。もう一匹バルタン星人みたいなの居るし」

 

 一樹あきらは俺の姿に気が付くと、軽く舌打ちをしてかずみを揺さぶった。

 奴が何故かずみを助けようとしているのかは理由は分からない。しかし、彼女に奴の手が触れた時、どうしようもなく怒りが噴き上がる。

 俺の家族に薄汚い手で触るな! 邪悪で下劣なお前がどの面を下げて善人のような真似をしている!

 

『かずみから手を離せ! 一樹あきらぁ!』

 

 かずみから奴を引き離そうと速度を落とさぬまま、右腕の爪を突き出す。

 

『な、何だ。お前は……!?』

 

 カマキリの魔物が俺の存在に気付き、困惑した様子を見せていたが、一樹あきらへの憎悪が爆発した俺の眼中にはもう入って来ない。

 

『邪魔だ! 退けぇ‼』

 

 無造作に蛇腹状の尾を振るい、カマキリの魔物の身体を()ね付ける。

 鎌の下をくぐった蠍の尾は鞭のように(しな)ると一撃で塀まで数メートル吹き飛ばした。

 背中を塀に叩き付けたようで視界の外でカマキリの魔物の呻く声が微かにした。

 

「は? 仲間割れ!? いや、それよりも何で俺たちの名前を……」

 

 混乱した様子の一樹あきらに俺は硬質な鋏で殴りかかろうとした。

 黒い竜の姿になっていないこいつならば、この殴打で死ぬはずだ。網膜にこの男の顔が映るだけで、次から次へと怒りと憎しみが止め処なく溢れ出す。

 顔面を捉えた俺の鋏の腕が奴の皮膚に触れる直前、リンと鈴の音が響いた。

 鈴の音色と一緒に一樹あきらが触れているかずみに異変が起こる。

 同時に衝撃を感じたと思った頃には俺の身体は弾かれ、後退していた。

 

「あきら、無事?」

 

「あ……ああ、何とかな」

 

 露出の多い黒と白の衣装に本の挿絵に出てくるような魔女の帽子を被った姿でかずみは立っていた。

 知っている。魔法少女としての彼女の格好だ。

 その手に握られた十字架のような杖も見たことがある。

 けれど、明確な俺へ敵意を宿らせたその眼差しは初めて見た。

 

『かずみ……俺だ。大火だ……分からないか?』

 

 家族から向けられた敵意ある視線に俺は咄嗟(とっさ)に自分の名を名乗る。

 かずみにその目で睨まれることはどうにも耐えられなかった。

 

「え? 色々と混乱がマックスなんだが……何このバルタン、かずみちゃんの知り合い?」

 

「知らないよ! こんな怪物、全然知らない」

 

 一樹あきらの問いにこちらへの警戒を解かないで答えた台詞に俺は愕然とした。

 短い間だったが、それでも俺たちは本当の家族のように過ごした。そんな彼女に知らないと言われ、敵意と拒絶を露わにされているこの状況に俺は絶望を感じていた。

 

『かずみ……俺は。俺は……お前の……』

 

 力が身体から抜けていくのが分かる。だが、ふら付く足取りをどうにか上手く動かして、彼女の方に近付く。

 魔法少女になったかずみは背後に一樹あきらを庇うように立つと、両手で十字の杖の先端を俺へと向けて構えた。

 やめろ……やめてくれ……。

 俺はお前の家族だ。味方なんだ。

 敵意を向けないでくれ!

 

『よくもやってくれたなぁ‼』

 

『がっ……!?』

 

 唸るような叫び声と強烈な激痛が背中に突き刺さる。

 首を捻って振り返れば、そこには眼球を血走らせたカマキリの魔物が俺の背中に二本の鎌を突き立てているところだった。

 油断した……。一樹あきらへの怒りのせいでこいつのことを忘れていた。

 すぐに尾を鎌に絡ませて引き抜こうと足掻くが、存外深く刺さったらしい鎌の刃はなかなか抜けそうにない。

 外殻が分厚いおかげで致命傷にこそなっていないが、損傷は決して無視できる大きさではなかった。

 

「今だッ!」

 

 注意が後方にいっていた間にかずみが俺ごとカマキリの魔物を魔法で吹き飛ばす。

 十字の杖の先から放たれた極大の光の線は俺を含めて、強烈な光で焼き尽くさんと降り注いだ。

 

『ぐがあぁぁ!?』

 

 当然、直撃した俺の方が背後に居るカマキリの魔物よりも激しい痛みと激しい熱波に襲われる。

 何とか逃れようと身体を捻り、光の線の中から転がるように飛び出した。

 かずみの攻撃を受けた時にカマキリの魔物の鎌も弛んだのか、背中から奴の刃は既に外れていた。

 

『ぎゃああああ゛あ゛ぁ゛ぁ゛!』

 

 凄まじい絶叫を上げて迸る閃光に呑まれたカマキリの魔物は庭の上で跳ねて転がる。

 煙がその身から湧き上ったかと思うと、金髪のスーツ姿の女性に変わり、仰向けに倒れ伏した。

 

「かずみちゃん! 一匹まだ残ってるんだけど!」

 

 一樹あきらが俺を見て、指を差す。かずみもまた杖をもう一度構え直した。

 駄目だ。今、何を言ったとしても信じてもらえそうにない。何より俺自身状況を理解していないせいで説明のしようがない。

 悔しいが、ここは逃げる以外に選択肢はない。

 俺は涙を呑んで、この場から退却すべく尾で跳ね飛び、塀の向こうへ逃げ出した。

 

「あ、待て! 蠍の化け物ッ!」

 

 かずみの言葉が俺に突き刺さる。

 肉体の痛みには慣れていたが、心の痛みだけはどうにもできず、俺は悲しみを堪える。

 少しでもかずみが居た屋敷から離れるために人間に戻ってもひたすらまでに街を駆けた。

 




孤独な彼の戦いが今始まりました。
序盤のあきら君は外側から見ると普通の主人公に見えるあたりが最悪ですね。


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第一話 魔法少女と正義の蠍

~あきら視点~

 

 

 

 カマキリと蠍の化け物が急に同士討ちを始めたかと思うと、何かエロい格好になったかずみちゃんが十字架の型の杖から放たれてたビームでカマキリの方を一撃で仕留めた。

 蠍の方も倒せないまでも無傷とはいかず、文字通り尻尾を巻いて庭から逃げ出して行く。

 

「あ、待て! 蠍の化け物ッ!」

 

 杖を抱えて追い掛けようとするかずみちゃんを、俺は腕を掴んで止めた。

 

「いや、逃げてくれんなら放っとけよ。大体、この転がってる刑事さんもどうにかしないと」

 

「ああ。そうだね、忘れてた」

 

 顎で仰向けに寝っ転がった女刑事を指し示すと、かずみちゃんは追うのを諦めてこの場に留まってくれた。

 ちょっと前までカマキリの化け物になって俺やかずみちゃんに襲い掛かってきた未知の怪物だった奴だ。

 目を覚ましたらまたカマキリになって俺たちを殺しに来るかもしれない。今の内にサクッと()っちまって置きたいところだが……。

 視線を女刑事に落としていると、そのすぐ近くに鈍く光る小さなものがあることに気付いた。

 かずみちゃんから一旦手を離すと、近付いてそれを拾い上げた。

 手に取ってみると、下から曲がった針の生えた楕円形の物体だった。植物の種子を模した変わったデザインの装飾品にも見える。

 髪飾り……には見えないな。ひょっとするとあの怪物に変身するアイテムとかなのか?

 何気なく顔に寄せてまじまじと眺める。臭いを嗅いだり、軽く舐めたりするが無味無臭だった。

 皆目見当が付かなかったため、特に意味もなく俺がそれを額に当てて遊んでいたところ、するりと抵抗なくその物体は俺の頭の中に吸い込まれるように消えた。

 

「おおう!?」

 

「かずみー!」

 

 異物があっさりと自分の中に入って消えたことにびっくりしていると、門の方からかずみを呼ぶ声が聞こえてくる。

 そっちの方を向いてみれば、出かけていたカオルちゃんと海香ちゃんが走って戻って来る姿が見えた。

 かずみちゃんは彼女たちの方に嬉しそうに走り出すと、自分が身に付けている衣装を見せ付けて、「私、魔法が使えるみたい」と若干はしゃいだ様子で話している。

 俺も呑気で享楽的な方だとは思ってるが、かずみちゃんの方もなかなか肝っ玉が据わってるというか、死にかけたこと方はどうでもいいらしい。

 その時、俺は自分の右腕に違和感を感じて、視線を向ける。

 そこにはびっしりと黒い鱗に覆われ、黒く鋭い鉤爪を伸ばした爬虫類じみた異形の腕が俺の右肩から生えていた。

 少し驚きはしたものの恐怖や嫌悪の感情は懐かなかった。

 代わりに芽生えたのは歓喜。

 面白い玩具を手に入れた時の(よろこ)びだけ。

 これがあの化け物どもが持っていた力か。嬉しいね、楽しくなってきやがった。

 軽く念じてみると、すうっと異形の腕は一瞬で元の何の変哲もない人間のそれに戻った。

それを確認しつつ、手を開いたり閉じたりしていると、かずみちゃんが俺を呼んだ。

 

「あきらー。何やってるの? ひょっとして怪我でもした?」 

 

「いやいや大丈夫。かずみちゃんのおかげで俺は無事だよ。それより腹減ったな、ビーフストロガノフまだ残ってた?」

 

 何事もなかったように俺はかずみちゃんたちの方へ歩いていく。

 色々とこの街は俺を楽しませてくれるみたいだ。最高だ。堪らない。

 彼女たちと化け物に襲われた話をしながら、俺は内心でうっとりと新しく手に入れた玩具(ちから)()で、確信する。

 ああ、やっぱこの俺、一樹あきらがこの世の主役なんだなって。

 

 

 

 *******

 

 

 

 クソッ。どうして、俺はもっと上手くできなかったんだ。

 人間の姿に戻って夜道を駆けながら、自分の迂闊さに怒りを覚える。

 一樹あきらの姿を確認した時、俺の思考は奴への憎しみで支配されていた。俺の大切なものを奪い去ったあの外道を抹殺することを、かずみを守ることや魔物を倒すことよりも優先してしまったのだ。

 そして、かずみに敵だと、そう思われた。

 

「俺は……俺は……」

 

「何なんだ、お前」

 

 不意に上から声を掛けられて俺は顔を上げる。

 俺の進行方向に立つ一本の電柱に、人影があった。

 金髪をツインテールヘアに束ね、かずみと似た濃い桃色の衣装と魔女帽。

 一樹あきらと組んでいた魔法少女――ユウリ。俺の家を焼き、お袋を殺した女だ。

 沸き立ちそうな感情を俺は抑え込み、静かに彼女を睨み返す。

 ユウリは俺の眼差しなど気にした様子もなく、尋ねた。

 

「何でお前は魔女モドキの力を持っているんだ? アタシと同じようにイーブルナッツをあいつからもらったのか?」

 

 あいつ、と言われた時に思い浮かべたのはカンナの顔だった。

 確か、イーブルナッツはカンナが他の魔法少女の持つ魔法を利用して生み出し、かずみを手に入れるためにプレイアデスとかいう魔法少女の集団と敵対する魔法少女に流したと語っていた。

 だから彼女の言うあいつとはカンナのことで間違いないだろう。

 

「そうだとも言えるが、違うとも言える」

 

「……アタシをおちょくってるのか?」

 

「いや、そういうつもりではない。ただ……」

 

 俺のイーブルナッツはカンナからもらったものだが、この世界のカンナとは出会っていないから、どう答えたらいいものやら。

 取りあえず、嘘を吐くことは俺の信念が許さなかったので答えられそうな部分だけは答えるとしよう。

 

「俺が変身できるのはイーブルナッツの力だ。一応はもらったものだ」

 

「そうか。やっぱりあいつからもらったんだな。あいつの手駒ならプレイアデスの敵って事でいいんだな? だったら、もうアタシの邪魔をするな。かずみを攫うように言ったのはあいつなんだから」

 

 ユウリは何か勘違いしているようで、俺に吐き捨てるように言った。だが、俺がイーブルナッツをもらったのはこの世界のカンナではなく、前の世界の……。

 いや、待て。『この世界』とはそもそも何なんなんだ?

 そこまで考えて頭の中で乱雑に掻き混ぜられていた情報が一つに纏まっていく。

 破壊されていない街並み。死んだはずの人が生きている。俺ではない俺。

 この世界はもしかして――過去の世界なのではないのか。

 自分の立てた仮説が真実なのか確かめるために俺はユウリに質問を投げかけた。

 

「一つだけ教えてくれ。今は何月何日なんだ?」

 

「はあ? 何を聞いてるんだ?」

 

「頼む。教えてほしいんだ」

 

 怪訝そうな顔をしながらもユウリは答えてくれた。

 彼女の口から出た日付は、俺の仮説を肯定するものだった。

 ようやくここで俺は理解する。原因は分からないが、俺は過去にやって来たのだと。

 それならかずみが俺のことを知らないことや、一樹あきらが魔物に変身しなかったことにも納得が行く。

 つまり、ここではまだ奴は魔物としての力、イーブルナッツを手に入れていないはず。確か、カンナは『馬鹿な魔法少女に使わせた』とは言っていたから一樹あきらに直接イーブルナッツを渡していなかったと見ていい。

 とすれば、奴は今俺の目の前に居る魔法少女のユウリを経由してイーブルナッツを得たに違いない!

 いつになく冴え渡っている俺の思考は希望を与えてくれた。

 何故なら、今ここでユウリが持っているイーブルナッツを破壊できれば、一樹あきらがドラ―ゴ、ひいてはオリオンの黎明なる機会を潰せることに思い至ったからだ。

 

「おい。どうしたんだ? 急に黙り込んだりして」

 

「いや、済まない。ちょっとした考え事だ」

 

 俺が黙って考え込んでいたせいか、少し不審げな目でユウリは眺めている。

 軽く謝罪を述べると、俺は彼女に向けて、ある頼みをした。

 

「折り入って君に頼みがあるんだが、聞き入れてくれるだろうか?」

 

「……今度は今の時刻でも教えてほしいのか」

 

「いや、それは別にいい。ただ、君が持っているイーブルナッツを全て俺に譲ってくれないか? それとかずみを攫うのもやめてほしい」

 

「は?」

 

 酷く冷淡な、感情の籠らない声が彼女の口から発せられる。

 上から流れてくる視線には怒気が含まれていることを俺は肌で実感した。

 

「お前、自分が何を言ってるのか、分かってるのか?」

 

「ああ。無論承知だ」

 

「そうか、アタシに喧嘩を売っているんだな……?」

 

 薄暗い闇の中で街灯の光に照らされたユウリの表情は凍えるような絶対零度の殺意に彩られていた。

 帽子の陰からでも表情や眼差しで感じる、どうしようもない敵意。俺を見る目が先ほどまでとは明らかに違う。

 だが、譲る訳にはいかない。せっかく、未来を変えられるかもしれないチャンスを得たのだ。こんなところで足踏みしていられない。

 

「聞き入れてはもらえないか?」

 

「死んだってお断りだ。アタシの邪魔は誰にもさせない……お前も殺してやるよ。プレイアデスの前の前菜代わりだ」

 

 会話は成立せず、交渉は決裂した。

 無駄だとは思っていたが、それでも可能ならば戦闘は避けたかった。

 ここは街中。戦えば、周囲の被害は確実に出る。何より俺はもう一樹あきら以外の人間を手に掛けたくなかった。

 

「死ねよ。魔女モドキ男! 『コルノ・フォルテ』!」

 

 ユウリが魔力で赤いトナカイや鹿のような角を持つ闘牛を作り出し、俺へと襲わせる。

 鈍重そうな巨体に似合わない、敏捷さで鳴き声を上げ突き進んで来る。

 

「変身!」

 

 蠍の魔物へと姿を変え、俺はそれを迎え撃つ。

 鋭く尖った闘牛の角が眼前に迫る寸前、俺はその二本の角を両腕の鋏で押し留めた。

 激突時に起きた衝撃が腕を通し、押し負けて後退、足裏がアスファルトの地面を擦過する。踏ん張ったはずなのに踵が宙に浮いた。

 

「ブモォオオォ‼」

 

 唸りを上げて角を振るい、掴んでいる俺の鋏を取り払おうとする闘牛。だが、その際に力の方向が微かに逸れた。

 本当にごく僅かな隙。されど、俺はそれを見逃さない。

 

『はあっ!』

 

 顎を狙って膝を()り込ませる。両の鋏で角を掴んでいるためにその衝撃は余所に分散することなく、闘牛の頭に集中した。

 魔法で作られたものとはいえ、頭部に受けたダメージはその巨体を怯ませた。勢いが削がれ、減速するその身体を捻って斜め後ろへ投げ飛ばす。

 

「少しはやるのか。でも、これなら……どうだ!?」

 

 俺が闘牛を投げ飛ばした瞬間を狙い、無防備になった隙を二挺拳銃を構えたユウリが笑う。

 両腕で身を守ることもできずに俺は弾丸の雨をその身に受けた。

 

『ぐあああぁ!?』

 

 回避も、防御もままならない連射の嵐。せめて、先ほどかずみの魔法を受けなければ、もう少し余裕があったのだが、弱り目に祟り目、泣きっ面に蜂。

 だが、俺にも守らなければならないものがある。そのために俺は今、この場所に立っているのだ!

 肉体へのダメージはもはや無視し、俺は両足と尾をバネのように屈めて、電柱の上のユウリまで跳躍する。

 

「なっ!?」

 

 捨て身の攻撃を予想していなかったか、それとも俺の耐久力に驚いたのか定かではないが、この一瞬で決めなければ、もう魔物状態を維持することもできない。

 空中で驚愕の表情を見せているユウリへ向け、俺は右足を伸ばす。

 長い蛇腹状の尻尾がその足に螺旋を描くように巻き付き、必殺の一撃を放つ武器と化した。

 

『おおぉぉぉ! ……ぜりゃあぁぁ‼』

 

 螺旋状の槍となった俺の右足は魔力を纏って、ユウリの懐を穿たんと突き進む。

 俺が持つ最大威力の攻撃、『螺旋蹴り(スパイラルキック)』。これさえ、決まれば逆転は可能なのだが……。

 

「くっ……」

 

 ユウリは二丁の拳銃を盾へと変化させ、俺の螺旋蹴りを防ごうと守りを固めた。

 接触した瞬間、魔力と魔力がぶつかり激しい火花に似た魔力が弾けた。しかし、押し負けたのはユウリの方だった。

 勢いで吹き飛ばされた彼女は電柱の上に立っていられるはずもなく、アスファルトの地面に叩き落とされる。

 急所だけは避けたものの脇腹から血を流しながら、ぜいぜいと息を切らして立ちあがると肉が抉れた傷を押さえて、俺を睨んだ。

 

「クソが……魔女モドキ男のくせに……これじゃあ、仇を……討てない」

 

 

『仇? ……誰のことだ? それがかずみを狙うお前の目的なのか?』

 

「うるさい、黙れ! お前も、かずみも含めたプレイアデスの魔法少女共も! ……皆殺しにしてやる……あの子のためにもアタシは負けない!」

 

 ユウリの狂気にも似た怒りには、間違いなく義憤が混ざっていることをこの時初めて理解した。

 彼女は誰かのために闘っている。仇と言っている点から、恐らくは故人。それは誰かまでは分からないし、知ったところで俺には何も言えないだろう。

 憎かった仇の彼女もまた、誰か大切な人の死に報いるために闘っている。それを知っただけで、ユウリへの印象が俺の中で変化していた。

 

『お前も……か?』

 

「何が、だっ……?」

 

『お前もひょっとして、助けてほしいのか?』

 

 ほんの微かな変化だった。彼女の表情に悲痛の色がちらりと見え、そして、消えていった。

 

「ふっざけるなああああああ! 『イル・トリアンゴロ』‼」

 

 激情に任せた強烈な魔力が俺の足元に魔方陣となって浮かび上がる。

 輝く魔方陣は一際、大きく光を発すると凄まじい爆発をして、俺の身体を弾き飛ばす。

 アスファルトの地面はもちろん、近くにあった電柱やガードレール、民家の塀、車道までが砕けて捲り上がった。

 悲鳴すら上げられないほどの大爆発に俺の身体は魔物の姿を保っていられなくなり、人間に戻った身体が罅割れた地面へと転がる。

 三半規管がやられたようで脳がくらくらと酩酊していた。途切れそうな視界の中で泣きそうな顔で空に逃げていくユウリの横顔が目に入る。

 ああ。そうか。やはりお前も誰かに助けてほしいのだな……?

 ズタボロになった身体で焼け焦げてひしゃげたガードレールに掴まって、身体をどうにか起こす。

 煙の湧き上がる地面を背にパトカーのサイレンを耳にした。あの爆発を聞いて誰かが通報したようだ。

 早くこの場から離れなければならない。もしも警察に見つかれば、俺の身元が調べられ、この世界の俺やお袋に迷惑がかかってしまう。

 途切れそうな意識を繋ぎ止め、千鳥足を急かしながら、俺は人気のない場所を探して彷徨った。

 かずみやカンナだけではない。他の魔法少女も一樹あきらに食い物にされる前に助けなくてはいけない。

 

「ユウリ……」

 

 彼女もまた助けを求める魔法少女の一人なのだと、俺は知った。

 

「ならば、助けてやらねばな……」

 

 俺はもう誰も見捨てはしない。

 それが二度目のチャンスを手に入れた俺の使命だ。

 




あきら君が倒されたカマキリの魔女モドキからイーブルナッツを入手する可能性を考え付かない辺り、大火の限界です。
けれど、それでも誰かを助けたいと思えるのは彼ならでは強さだと思うので、その辺を描いていきたいですね。


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第二話 空腹絶倒

 夜の川原で一人水面を見つめる俺は空腹に呻いていた。

 

「腹が減ったなぁ……」

 

 あれから一時間ほどかけて、あすなろ市にある大きな川沿いの道までやってきた俺は取りあえずそこで力尽き、倒れ込んだ。

 せめてベンチなどがある公園辺りで夜を明かしたかったが、ユウリとの戦いで爆発が起きたせいで警官が夜の街を巡回している可能性があり、少しでも人気のない場所に行く必要があった。

 少し休むと体内のイーブルナッツのおかげか、外傷は治癒していったが、空腹だけはどうにもならなかった。

 コンビニで惣菜パンでもと思い、服の中を探ったが財布は見つからなかった。ここに来て、無一文という事態を知ることとなった。

 家なし、金なし、頼れる人なしと見事に詰んでいた。

 魔法少女を助ける前に、自分が助けを乞う側になっていたのだ。我ながら情けない……。

 川に入って魚でもとも考えて、川に潜ったが、この暗さの中で魚を手掴みで取ることは至難で服を濡らしただけに終わった。

 お袋の作ってくれた料理が酷く恋しい。街を守ると豪語しておいて、どれだけ社会に甘えて生きて来たのかを痛いほど思い知らされた。

 俺はどれだけ力を手に入れても、所詮は子供なのだ。金を稼ぎ、雨風を凌げる場所すら自分だけで確保できない。

 惨めここに極まれり。

 雑草の生えた土手に転がり、明日の活動するために眠ろうと努力するが、如何(いかん)せん腹が減り過ぎて眠れない。

 ……雑草は食べられるのだろうか?

 じいっと食い入るような横目で川原の野草を見る。

 おもむろに一本手近な草を引きちぎり、口元に持っていく。

 臭いを嗅ぐと雑草特有の青臭さが鼻を突いた。

 意を決して口に入れて噛んだ。じわりと苦い味が口一杯に広がる。

 

「まずっ」

 

 吐き出して、唾を飛ばすも口の中に残った苦味はなかなか消えてくれない。

 口をゆすぎたいが川の水を飲んで腹を下した場合、体力まで持っていかれ兼ねない。まして、病院に行く金も保険証もない俺には選べない選択だ。

 雑草の味に苦しめられながら、俺は土手に横たわり、空腹に耐える。

 比較的雲がない星空は俺のことを嘲笑っているように思えるくらい美しかった。

 特にオリオン座は忌々しいほどに輝いている。俺はその星座を指で隠すように手を広げてかざす。

 お前の企みは必ず阻止してみせる。首を洗って待っていろ、一樹あきら。

 

 *******

 

 次の日、朝の日差しによって起こされた俺は身体の疲れも取れないまま、土手を登って街の方へ歩き出す。

 起きると空腹はさらに酷くなり、気分も優れなかったが、川原で寝ていても体調がよくなる訳もない。ユウリを見つけて説得し、イーブルナッツを破棄させることが第一の目的だ。

 カンナのことも聞きたいが、十中八九詳しい情報は出て来ないだろう。ただ、ユウリにイーブルナッツを手放させることができれば、それに気付いたカンナが接触を取ってくる可能性は十分にある。

 ユウリを改心させることがかずみたちを救うことに繋がるのだ。

 問題は彼女がどこに居るかだが、街中をうろつく以外にいい方法が思い付かない。この辺りが俺の頭の限界だ。

 

 とにかく、探すなら人通りが少ない場所を重点的に見回るとしよう。

 しばらく狭い路地や、ビルとビルの隙間などを見つけてはユウリは居ないかと歩き回った。

 飲食店の裏手の道を通った時に、残飯が捨てられているポリバケツを見つけたが、それを漁れば自分は尊厳を失うと空きっ腹に言い聞かせて堪えた。

 そうした地道な探索が功を奏したのか、俺の体内にあるイーブルナッツが魔物の反応を感知する。

 魔物を作れるのはイーブルナッツのみ。そして、それを持っているのはカンナか……ユウリだ。

 反応を捉えた地点はちょうどすぐ近くのビルとビルの間にある細い空間だった。

 

「そこか!」

 

 その空間へと身を俺は飛び込むように乗り出す。

 すると、そこにはユウリとその傍らに蠢く一匹の魔物が居た。

 

「ああ。お前生きてたのか。……ちょうどいい。こいつの力を試すにはお前くらい歯応えのある奴がほしかったところだ。味見役を頼むよ」

 

 それは一見すると真っ赤な風船のように見えた。赤く膨らんだ頭部とその真下から生えた八本の触手。小さく形の悪い眼球が俺を眺めている。

 タコ、というには些か形状が非現実的だった。幼子が地面にチョークで書いたような稚拙が故のおぞましさがそこにはあった。

 

「もっとも、お前の方が喰われちまうかもな」

 

『待て。ユウリ! 俺の話を聞け!』

 

「……何でお前、その名前……。まあ、別にいいか。じゃあな、魔女モドキ男」

 

 名前を呼ばれたことに驚きはしたがすぐにどうでもよくなったのか、ユウリはビルの側面を蹴って高く跳び上がり、屋上に向かって逃げて行く。

 離れて行く彼女を止める暇もなく、タコの魔物が長い触手を俺へと伸ばして襲い来る。

 俺は仕方なく、それに応戦。代わりにようやく見つけたユウリを見す見す見逃してしまう。

 さっさとこいつを倒してから、彼女を追わなければ……。

 触手を鋏で斬りおとそうと足掻くが、身体に何本も貼り付く吸盤がそれをさせまいと動きを阻害する。

 

『つっ、この……!』

 

 その時、後ろから誰かが来るのを俺は気配で察した。

 不味い。一般人か!? この魔物との闘いに巻き込まれでもしたら、危険だ。

 

「あれ、昨日と同じ蠍の化け物だよ、あきら!? 別のも居るけど!」

 

「おいおい。あすなろ市ってこういう化け物よく出る場所なのかよ? 楽し過ぎるだろ」

 

 横目で一瞥すれば、見えたのはかずみと一樹あきら。

 その背後には見たことのない黒髪の少女とオレンジ色のショートカットヘアの女の子が立っていた。

 このタイミングでのかずみとの再会。正直に言えば、望んではいたが今ではない。

 

『来るな! 早くどこかに行け!』

 

「また化け物同士で仲間割れしてやがるな。あれか、共食いでもしてんのか?」

 

 一樹あきらが呆れた調子で呟く。

 畜生! こんな状況でもなければすぐにあいつを倒せるというのに……。

 かずみが魔法少女へと変身して、後ろに居る三人を下がらせる。

 

「あきら、海香、カオル。後ろで見てて。私の魔法で二体とも倒してみせるから」

 

 二体とも……やはりかずみの中では俺は倒すべき化け物でしかないのか。

 悲しむのはお門違いだが、それでも胸がじくりと痛んだ。

 だが、それよりもかずみの後ろに居た二人の少女の行動に俺は驚く。

 ずいと身を乗り出した二人はかずみの両隣に並ぶと、笑みを浮かべた。

 

「かずみ。心配しないで」

 

 黒髪の少女がそう言う。

 オレンジ髪の少女がそれに続く。

 

「アタシたちだって戦えるから」

 

 二人は卵状の宝石を手のひらに載せて、突き出すようにかざす。

 その宝石はソウルジェム。そして、それを持つ二人は魔法少女へと姿を変えた。黒髪の少女は白い修道女染みた衣装、オレンジ髪の少女はオレンジ色のフード付きのタイツのような衣装となる。

 かずみの仲間の魔法少女――あれがプレイアデスと呼ばれる少女たちか!?

 

「この街の女子中学生って魔法少女って変身できるようになる通信教育でも受けてるの? 魔法少女ゼミでやったとこが出たの?」

 

 驚いているというより、ふざけたような様子でそれを見る一樹あきら。

 どうやら二人が魔法少女だとはまだ知らない様子から、彼女たちに接近してからまだ間もないのだろう。

 信頼関係はまだ強固になっていないのなら、彼女たち二人を説得すればかずみを奴から引き離せるかもしれない。

 希望が見えたと思ったその時、タコの魔物が()えた。

 耳をつんざくような轟音に何事かと見れば、巨大なフラフープのような口を広げ、俺をその中へと引きずり込もうとしている。本物のタコとは違い、人間の顔のように付いた口はあくびでもするように口の中を見せびらかす。

 円状にギザギザとした牙らしきものがびっしりと生え揃っていた口内に呑み込まれれば、如何に魔物化している俺の肉体とて無事では済まない。

 さりとて、この距離では満足に蹴りすら撃てはしない……万事休すという奴か。

 

「お、何かガチで共食い始めやがったぞ。何だかよく分からんが今がチャンスだ、かずみちゃんたち!」

 

 一樹あきらの言葉を号令代わりにしたのかは定かではないが、黒髪の魔法少女が手に持っていた分厚い本のようなものを開き、そこから光の球を作り出す。

 

「行くわよ、カオル」

 

 光の球はふわりと浮き上がったかと思うと、カオルと呼ばれた方のオレンジ髪の魔法少女が跳ねて宙で一回転。

 

「ナイスパス! 海香」

 

 サッカーでいうオーバーヘッドキックを華麗に決める。

 

「『パラ・ディ・キャノーネ』」

 

 ブーツを履いた彼女の右足が鞭の如く(しな)り、光の球を砲弾のように弾き出した。

 タコの魔物の頭部に目掛けて飛んだそれは直線を描いて激突。魔物は奇声を上げて俺を手放し、もんどり打ってひっくり返る。

 好機とばかりに俺は触手の拘束が弛んだ瞬間を狙い、貼り付いていた触手を数本鋏で斬り落とした。

 次いでさらに接近して跳躍。すかさず頭部へと鋏を金槌のように振り下ろす。

 --これで決まりだ!

 だが、俺の背後からかずみの声が響く。

 

「『リーミティ・エステールニ』!」

 

 振り返らずとも激しい光線が一直線に俺を襲うのが分かる。狭いビルの隙間に逃げ場などなく、俺は背中にかずみの魔法を浴びざるを得なかった。

 

『がはっ……!』

 

 吹き飛んだ俺はビルの側面の壁と激突。勢いは止まったが、叩き付けられた衝撃で目を回す。

 壁に当たって弾かれた身体が重力に引かれ、地面へ落下する。

 装甲に変化している皮膚が熱くて堪らない。ジュウジュウと何かが焼ける音からして、恐らくは身体のところどころが焦げている。

 

「見て見て、あきら! 私、一体倒したよ!」

 

 俺を攻撃したかずみは傷付く姿を見て無邪気に喜び、それを一樹あきらに自慢げに報告していた。

 

「すっげーな。かずみちゃん。あ、カオルちゃんと海香ちゃんもナイスだったぜ?」

 

 あの外道はそれを褒め称え、かずみもまたその反応に満更でもないように頷いた。

 死ぬほど憎い相手が自分の大切な家族と笑い合っている。見たくない光景を見せられ、胸の奥が締め付けられた。

 どうしてだ?  どうしてこうなる……? 俺はただ、守りたいだけなのに。

 悔しいさと悲しさがない交ぜになって、頭の中で渦巻く。

 かずみ。お前はその男の本性を知らないのだ。邪悪で下劣で、どこまでも身勝手なその悪党のことを分かっていないのだ。

 

『かずみ……俺はお前を……』

 

 彼女に向けて言葉を発しようとしたが、それよりも早くタコの魔物が大口を開ける。

 

『タベ、タイ。モット、モット、モットオォォォ!』

 

 その円形の穴から吐き出されたのは耳を塞ぎたくなるような、歪に加工されたような声。そして、どす黒い粘性の液体だった。

 

「かずみ!」

 

「あきら!」

 

 海香とカオルがそれぞれ名を呼んだ相手を抱き締めるように掴み、液体の範囲外まで上昇して避けた。その場に倒れ込んでいた俺だけが黒い津波に押し流される。

 視界が黒く染まる。鎧にべっとりとこびり付くような不快感が広がった。

 ビルの谷間は一瞬で黒い液体で覆い尽された。だが、次第に液体が薄まっていくとそこにはタコの魔物の姿はもう既に影も形も見えない。

 手足に貼り付いた黒い液体を眺めると、液体は気化するように急激に薄まっていくのが確認できた。

 痛みはない。臭いも特には漂って来ない。となれば、この黒い液体は逃げるための煙幕のようなものだったのか。 

 不意に奴がタコを模した存在であることを思い出し、一つ納得する。

 そうか、これはタコの墨か。周囲の敵の視界を奪い、その隙に逃げるための手段。

 

「あのタコの化け物、墨吐いて逃げやがったぜ? どうするよ、カオルちゃんたち。早く追わないとヤバくないか? あいつ、もっと食べたいとかほざいてたぜ。そこらの食い物屋襲うならまだしも、下手すりゃ人間食い放題始めるかもよ?」

 

 俺が気付いたことに一樹あきらも気付いていたらしく、カオルに抱かれた格好でタコの魔物を追うよう進言する。三人の魔法少女は黒い水溜まりの残るビルの狭間に軽やかに着地すると、お互い目を合わせた。

 海香に抱かれたままのかずみがちらりと転がる俺を一瞥する。

 

「あの蠍の化け物はどうする? このまま、すぐにやっつけちゃった方がいいんじゃない? 今なら弱ってるみたいだし」

 

「そうね。どこに逃げたか分からない敵より、近くで倒れている敵を潰した方が賢明ね」

 

「じゃ、ぱっぱと終わらせて、次に逃げたタコ追いますか」

 

 かずみの提案に海香とカオルが乗る。

 俺は急いでその場から逃げようと立ち上がるが、昨日から蓄積され続けていたダメージが一気に押し寄せた。

 足は鉛のように重くなり、立っているだけで辛い。空腹も相まって、随分と身体が弱っているようだった。

 これでは逃げられない。ならば、魔物化を解いて、彼女たちに一から自分の境遇を説明してみるか。

 未来でそこの一樹あきらがこのあすなろ市を滅ぼすので、それを阻止するために過去にやって来た、と?

 誰が信じるそんな戯言。まして、俺は彼女たちから見れば未知の異形の化け物。加えて、一樹あきらは彼女たちと一定の信頼関係を築いている。

 無理だ。話を聞いてもらえる訳がない。仮にしたとしても俺の言葉には何一つ裏付けがないのだ。

 絶体絶命の窮地に追い込まれた俺は項垂れて地面に視線を落とす。

 その時、視界には黒い液体が残った水溜まりが映る。液体は緩やかに動き、流れていく。その近くにあるマンホールに向かって。

 マンホール、即ち……下水道へと繋がる場所。

 そこで俺は閃いた。

 そうだ。地下に、下水道に逃げ込めば!

 思い立ったら即行動。俺は両腕の鋏を叩き付け、マンホールを弾き飛ばした。

 突然の俺の行動に魔法少女たちは持てる魔力を俺へと向けようとする。しかし、逃げに徹した俺は砕けた地面の隙間が地下の空間に繋がった瞬間に身体を素早く潜り込ませる。

 なるべく縁に身体が詰まらないように身体を捻りながら飛び込むと、どうにか俺の身体は下水道へと真っ逆さまに落ちて行く。

 数秒の間の後、臭気のする水へと着水し、水飛沫を上げた。濁った水の中に潜った俺は水面に浮き上がらないように重心を傾け、尻尾を上手くくねらせて流れに沿うように泳いだ。

 息が苦しくなるまでそうやって、下水道を潜水した後、俺は足場になりそうな場所を見つけて、這い上がる。

 水流は思いの外早かったおかげか、それとも下水道に逃げ込んだ時点で諦めたのか、かずみたちは追って来なかった。

 追跡を撒けたと安堵した俺は、急激に睡魔に襲われる。

 ただでさえ、満身創痍だった身体を酷使した代償だろう。これ以上一歩動けそうにない。

 下水道の通路の脇でうつ伏せの態勢で崩れ落ちると、俺の意識はすぐに途切れた。

 ――かずみ……俺は一体どうしたらいいんだ?

 眠りに落ちる寸前、俺は彼女に問いかけるように呟いた。

 

 



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第三話 因縁の相手

~あきら視点~

 

 

 かずみちゃんたちに誘われて朝からいちゃこら4Pショッピングデートと洒落込んでたら、急にかずみちゃんが一人どっかに走り出し、俺も何か不快なノイズのようなものを感じて着いて行けば、なんとビルの隙間に昨日の蠍の怪人とタコの化け物が『ドキ! 化け物だらけのバトル大会☆ ~ポロリもあるよ(多分首とか)~』を開催していた。

 それを見て、待ってましたと魔法少女に変身するかずみちゃん。ついでに一緒に来ていた海香ちゃんとカオルちゃんまでもが魔法少女だと発覚する。

 特に愕然とせずに眺めていた俺の前で、蠍とタコは共食い目的なのか、魔法少女をそっちのけでポケモンバトルならぬバケモンバトルをおっ始め、何だか分らんが喰らえと魔法少女三人娘が横合いから攻撃。

 まあ、そんな感じで色々あった結果、タコの野郎は墨吐いて逃げて、蠍の方もマンホールにダイブして逃げた。

 魔法少女ズと俺はぽつんと墨で汚れたビルの隙間で呆然と立ち竦んでいたが、こうしている間もお楽しみタイムは刻々と過ぎていく。

 仕方がないので、俺が彼女たちに次の行動を促す。

 

「で、どうすんのさ? 魔法少女ちゃんたちは。あのまま、化け物二体を野放しでいい訳? 見なかったことにしてショッピング続けちゃう系?」

 

「良くないよ! でも、私どうしたらいいのか……『記憶を失う前の私』ならぱぱっと決められたのかな?」

 

 かずみちゃんが突っ込むが、どちらを優先した方がいいのか判断が付かず、どうしたらいいか決めあぐねている様子だ。

 海香ちゃんとカオルちゃんはそんな彼女を見て、なぜか少し悲しそうな表情を浮かべた後、ちらりと顔を見合わせた。

 

「かずみ、とにかくあの蠍の化け物……魔女は一旦置いて、タコの魔女を追いましょう」

 

「かなり弱ってたし、元気な方を野放しにしてる方が危険だしね」

 

 二人の言葉を聞いて、かずみちゃんは頷くものの、新出ワードに食い付いて首を傾げた。それについては俺も気になる。形も別に女性的でもないのに、わざわざ魔「女」って明言している理由が分からない。

 

「『魔女』? それって、あの化け物たちの名前?」

 

「それついてはあのタコの魔女を探しながら話すわ。それで……あきら。あなたはもう帰った方がいいわ」

 

「おいおい、今更仲間外れかよ?」

 

 海香ちゃんの態度に難色を示す俺だが、彼女は流石にこれだけは譲れないといった具合で語気を強めた。

 

「私たち、魔法少女はあの魔女たちと戦う使命があるの。何の力もない貴方を戦場に連れて行く事はできないわ」

 

 ごもっとも過ぎる意見だが、こんなに面白いものを知ってハイそうですかと帰る訳にはいかない。

 あの時に手に入れた変なオブジェの力のことを話して、戦力として見なしてもらうのも有りかとも考えたが、どうやら俺のは『魔女』とかいう存在に連なる力っぽいのでここで明かすと取り上げられかねない。

 ……ここは大人しく引き下がっときますか。

 俺はあえて寂しげな表情と声を作ると三人に向けて言った。

 

「分かったよ。まあ、何の力もない俺じゃ行っても足手まといだしな。でも、これだけは覚えておいてくれよ。俺はアンタらの友達だ。何があろうと、な」

 

「あきら……ありがとう。詳しい話は後でさせてもらうわ。それじゃあ」

 

 海香ちゃんは軽く感極まったような声で礼を述べた。

 続けて、カオルちゃんも嬉しそうな口調で俺に笑いかけた。

 

「今日のショッピング楽しかったよ。アタシら、異性の友達とか居なかったから」

 

「おまけに俺はイケメンだからな。キラーン」

 

 白い歯を見せて、気取った笑みを浮かべるとカオルちゃんは調子に乗るなと頭を小突いてくる。

 それを笑って受け止めてから、俺はかずみちゃんの方に向け直ると彼女に殊更優し気な声で言った。

 

「かずみちゃん。記憶を失って色々辛いと思うかもしれないけど、今のかずみちゃん。俺は好きだぜ? 過去とかそういうのなくても気に病むなよ」

 

 これで今までに女の子を(たら)し込んできた俺の超絶モテ男秘技が炸裂……するかに思われたが。

 

「あきらって馬鹿でスケベな癖に言う事だけは格好いいね」

 

 なんと、〈こうかはいまひとつのようだ〉。ドライな返答頂きました! セメントです。鉄壁のセメント対応です!

 

「酷くね? 今の流れは『あきら……トゥクン』ってフラグ立つシチュエーションじゃん!」

 

「あはは。でも、ちょっとだけ気が楽になったよ。ありがと、あきら」

 

 と思いきや、それなり好感度が上がったと見えるスマイルを俺を見せるかずみちゃん。このツンデレ娘め、おにーさんびっくりしちゃったゾ。

 着々と魔法少女三人娘にフラグ建築して見送った後、俺は壊れたマンホールの方に歩を進めた。

 あのタコの方も気にならない訳じゃあないが、俺としてはあの逃げて行った蠍の方が気になっていた。

 ひしゃげたマンホールの蓋とコンクリートが砕かれた穴の縁を見つめてから、どうにか破壊を免れた側面の梯子を伝い、その中へと降りていく。

 昨日の夜に襲撃してきた奴は俺とかずみちゃんの名前を知っていた。

 もし、かずみちゃんを誘拐したという連中の一味なら、かずみちゃんの名前を知っていても何らおかしくはないが、俺の名前まで知っているのは不自然だ。

 何せ、俺はちょうど昨日の昼過ぎくらいにこのあすなろ市に訪れた人間だ。かずみちゃんとの出会いすら偶然に過ぎなかった。

 加えて、奴は明らかに俺への敵意と憎しみを持っていた。あの時、かずみちゃんを攫うことではなく、俺を殺すことを優先していたことからも(うかが)える。

 このことから踏まえて、蠍の奴は俺のことを知っていると断定していいだろう。それも名前や素性だけではなく、俺の本質まで分かっている。

 俺が前の学校で自殺に追い込んだ奴の親族かとも考えたが、わざわざこの街で犯行に及ぶ理由がないし、かずみちゃんのことを知っているのはおかしい。よって、違う。

 魔法があるなら、心を読む力かとも思ったが、それにしては行動が間抜け過ぎる。それに心が読めるだけであそこまで憎しみを向けられる訳がない。よって、違う。

 考えつつ、下水道に降りると臭い不快な臭いが、鼻腔に迫ってくる。こいつはキツイぜ。

 どちらに逃げたかは分からないが、俺の中に入ったあのオブジェのせいか、どちらの方向に進めばいいのかはノイズの強弱で分かった。

 タコの方の可能性というのも十分あったが、それならそれで構わない。ようは俺が楽しめればいい。それがすべてだ。

 頭の中のノイズに従い、歩きながら俺は思考を続行させた。

 未来予知、という線はどうだ?

 俺がこの力を使って、例えばあの蠍の知り合い、または家族とかを殺した未来が見えたから、俺を憎んで殺そうとしている。うーむ、随分と可能性は高いが、どうにも何かがしっくり来ない。

 かずみちゃんが自分のことを知らないと言われて戸惑っていたし、まるであいつは俺と直接対峙したことがあるような……あ、ひょっとして、もしかすると――あー、なるほどなるほど。

 俺は一つの可能性に思い至り、ひとしきり納得をすると奴の反応がする方へと走った。

 

 

 *******

 

 

「う……うう……」 

 

 頭の中に急な痛みを感じ、俺の意識は急速に覚醒を余儀なくされる。

 起き抜けに飛び込んで来た異臭と相まって、吐き気を覚えた。思わず、口元に手を持っていく。

 手のひらが口に触れた瞬間、自分の魔物化が解けて元の姿に戻っていることに気付いた。

 意識が途切れた時に、力が一旦抜けたせいで人間の姿に戻ったのだろう。

 そこまで考えたところで俺の耳が反響する何者かの足音を捉えた。間違いなく、俺の方へと近付いて来ている。

 何者だ? こんな下水道に来るようなもの好きは。それとも下水道の改修や見回りに来た業者か何かだろうか。

 もたれ掛かっていた側面の壁を背にして立ち上がろうとするが、足が上手いように動かず、ずるずると背中を擦らせるだけに留まった。

 足音がさらに近付く。まずい、こんな場所で傷だらけになっている姿を見られたら警察に通報されるかもしれない。

 だが、そこでこの足音の主の声が響いた。

 

「なあ、そこに居るんだろ? バルタン君よぉ」

 

 その声を俺が聞き間違える訳がない。

 憎い。誰よりも何よりも許せない最悪の悪魔――。

 

「一樹あきらぁっ‼」

 

 挑発するように大きな足音を立てて、奴は俺の前に姿を現す。

 テレビに出てくる俳優と比べても遜色のない美形に、この世のすべてを嘲笑うかのような笑みを湛えて一樹あきらはやって来た。

 力の抜けていた身体に怒りという名の燃料が投下され、背にした壁を殴りつけて立ち上がる。

 俺の中にはこの男を抹殺すること以外の考えが消え失せた。俺の内部にあるイーブルナッツが急速に俺の姿を魔物へと変化させようとしている。

 だが、奴はそんな俺を恐れるどころか侮蔑したように見つめて、言った。

 

「お前、タイムリープしてね?」

 

 その言葉に脳の細胞までも動きを止めたかのように、思考が硬直する。

 今、こいつは何と言った?

 タイムリープ……?

 日本語に直せば、『時間跳躍』。

 その意味を正しく訳した瞬間、絶望と恐怖が俺を支配した。

 こいつは。この男は。俺が未来からやって来たことを知っているのだ……。

 唾液が止まり、口に中が急速に乾燥した。背中からは油分を含んだ汗が染み出てくる。

 

「な、ぜ……?」

 

「うん?」

 

「何故、俺が未来から来たことが解った!?」

 

 叫ぶように問いただす俺を見て、奴はさもおかしそうに哄笑を上げた。下水道に奴の声がこだまする。

 涙すら浮かぶほど笑い、にやけた顔に手を当てて奴は答えた。

 

「あはっあははははは! いや、確信が持てたのは今だぜ! 今までは半々だったんだがよ、お前自分で『過去から来た』って言っちまったんだぜ? 俺はタイムリープとしか言ってないのに! あはははははははは!」

 

 しまったと思った時には既に手遅れだった。

 ブラフだったのだ、先ほどの台詞は。恐らく、他にもいくつかあった内の推測の一つだったのだ。

 奴の言葉は俺への時間跳躍の可能性を聞いただけ。未来からか、過去からかだとは一言も言っていない。

 一樹あきらは俺の反応から背景を探ろうとしていただけに過ぎなかった。そして、俺の発言が奴に正体を教えてしまった。五割の推測を十割の確信へと変えてしまったのだ。

 どこまでもこいつが恐ろしかった。今のブラフだけではなく、五割とはいえ俺の状況を言い当てる思考能力。

 一見して幼稚な狂人にしか見えない奴なのに、奴は驚くほど知能が高い。到底、俺と同じくらいの年齢とは思えない。

 いや、臆するな。所詮、こいつは頭がいいだけのただの人間だ。

 今の一樹あきらはまだイーブルナッツを手に入れていない、無力な存在に過ぎない。

 対する俺には力がある。あの時、敗北した頃とは状況が違う! 倒せるのだ、一樹あきらを!

 どうやら近くにはかずみたちは居ない。ならば、今こそ好機だ!

 

「……お前は自分を過信し過ぎた。今のお前にはイーブルナッツの、魔物としての力はない! 変身っ!」

 

 俺の肉体は一瞬にして蠍を模した人型の魔物へと変わる。

 体力こそほとんど削れているが、それでも人ひとり捻り潰すのは訳はない。

 

『死ね! 一樹あきらぁ! お前にこの街は壊させない!』

 

 叫び声を上げて、俺は奴へと駆け出す。

 

「へえ、『イーブルナッツ』に『魔物』、それに『俺がこの街を壊す』? なるほどな、随分な情報が解ったわ」

 

 対する一樹あきらは逃げることも怯えることもせず、近付いてくる俺を蔑むように笑うだけで動こうとしない。

 死を受け入れた? 違う、この男がそういった殊勝な精神を持ち合わせているはずがない。

 何かある。何らかの秘策を用意している。だが、これだけのチャンスを逃すことは俺には――できない!

 右腕の鋏を奴の頭上から振り下ろす。当たれば、頭蓋は砕け、背骨はへし折れ、肉すら潰れて原形すら残らない一撃。

 しかし、奴はそれを気にも留めすに足を開き、己の右拳を握って、俺へと突き出した。

 威力があるなし以前にリーチの長さが明らかに足りないパンチ。

 俺に当たるはずなかった奴の拳は一瞬にして……黒い鱗の生えた腕に変貌した。

 

『ぐぁっ』

 

 長く、太く、何より強靭になったその拳は俺の胸板に強く打ち付けられた。

 身体のバランスが崩れ、奴へと振り下ろすはずだった鋏は虚しく空を切る。その隙にもう片方の拳が俺を突いた。

 重みのある衝撃が身体を揺らし、殴られた場所が痛みの熱を発する。

 何が起きたのかを確認する前に奴の黒い蹴りが脇腹へと捻じ込まれた。

 

『がはっ……』

 

 下水道の足場を俺の身体が転がる。

 痛みを無視し、即座に態勢を立て直すと真正面に居た一樹あきらの姿が変わっていく。

 俺を殴った腕や足から黒の鱗が肉体を覆うように包み込み、その体積を変え、見覚えのある恐ろしい形状へと変化させていった。

 頭部からは角が二本、後方に向かって伸び、口は大きく裂けて前に突き出る。その口からは収まりきらない牙が顔を出した。

 首は長さを増し、背中からは大きな一対の翼を生やす。手足に至っては鋭い鉤爪が現れていた。

 夜の闇を最も恐ろしいものに流し込んだかのようなそれは大きな目玉を俺へと向けた。

 

【挿絵表示】

 

 漆黒の魔竜、ドラ―ゴ。

 かつて、俺が手も足も出ないほどに惨敗した最強最悪の魔物にして、オリオンの黎明の前身。

 何故だ。何故、一樹あきらが魔物化できる!?

 あり得ない。いくら何でも早すぎる。奴がイーブルナッツを入手できる経路など……。

 そこまで行って、俺は昨日のカマキリの魔物を思い出した。

 奴から排出されたイーブルナッツ。あれを使ったのか!?

 自分の愚かさにもはや呆れすら湧かなかった。ただ、目の前の存在を倒さなければ、この街の滅びに繋がる。そう己に言い聞かせるのに精一杯だった。

 漆黒の魔竜は(わら)う。

 

『さあ、始めようぜ。未来からの刺客さんよぉ。俺を愉しませてくれぇ!』

 

『……来い。最悪の魔物、ドラ―ゴォ!』

 

 奴の鉤爪と俺の鋏が激しくぶつかり合い、火花を散らす。

 下水道の中を僅かに照らし、音と光を振り撒いた。

 




次回、バトル回にします。
あきら君は主人公補正がなくてもチート気味で、書いていて楽しいです。


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第四話 両雄激突

 黒い竜の魔物、ドラ―ゴへと変身すると休む間もなく一樹あきらは翼を広げ、俺目掛け一直線に飛び掛かって来た。

 

『オラオラ、どうしたどうした!』

 

 五指から生えた黒い鉤爪が交互に空を切り裂き、俺目掛けて休みなく振るわれる。

 俺は両腕の鋏でそれを受けるが、一撃一撃が徐々に速さと重さを増しているため、どこまで耐えきれるかは分からない。

 だが……。

 

『ふんっ、せやあぁ!』

 

 ――前に戦った時の奴よりは弱い! 威力も速さも鋭さも未来でのドラ―ゴに劣る。

 俺はドラ―ゴの右腕の鉤爪と左腕の鉤爪の斬撃が切り替わるその一瞬の隙。

 それを狙って防戦から一気に攻勢に転じる。身体を屈め、開いた懐へと踏み込んだ。

 右腕の鋏を開き、黒い鱗が覆う胸元へ刃を突き立てる。

 狙うは心臓。魔物とて、急所の位置は人間体とそう変わらない場所にあるはず。

 

『っうぐ……やるじゃ、ねぇの!』

 

『ぐ……』

 

 鱗ごとドラ―ゴの肉を削ぐが、それでも筋肉と骨に阻まれ致命傷には至らず、奴は俺の腕を両手で掴み、捻じり上げる。

 刺さった場所から黒い体液が滲んでいるが、ドラ―ゴはそれすら気にも留めずに俺の右腕をがっちりと掴んで固定している。

 不味い。この距離は奴はきっと……。

 

『褒美に熱いのくれてやるよ!』

 

 鋭い牙が並んだ大きな口が俺のすぐ前で開かれ、その奥からは紅蓮の色が顔を出す。

 想像の通りに灼熱の火炎が回避不能の俺に吹きかけられた。この近距離での火炎は容赦なく、外殻を炙る。

 装甲の内側の魔物化した筋肉までも過熱され、何もかも焼き尽くさんとする熱波。それでも、やはり。

 

『未来でのドラ―ゴほどはない!』

 

 火炎に焼かれる身体を無視しして、片足を上げ、奴の腹を力の限り蹴り飛ばす。

 

『げはっ』

 

 炎が止み、奴の巨体が僅かに後退する。

 黒く焦げた己の上半身を見回せば、装甲の表面が僅かに炭化していたが、それでも戦闘不能が出来なくなるほどではない。

 戦えている。未来では手も足もでなかったが違う。奴と互角の戦いができる。

 こいつが今よりも強くなる前に止めを刺せば、絶望の未来は替えられるのだ。

 我ながら現金なもので希望が見えてきた途端、身体に力が漲ってくる。両の腕を構え、ドラ―ゴへと相対する。

 奴は嗤っている。俺の実力が自らと拮抗している事実を知りながらそれを悦ぶかのように。

 

『いいなァ、お前。強くて、そして何より俺を憎んでる。今まで居なかったタイプの奴だ。ドラ―ゴとか呼んだが未来ではこの姿の俺はそう呼ばれてたのか?』

 

『ああ、そうだ。その魔物化した姿はドラ―ゴ。魔法少女たちはそう呼んでいた』

 

 どうやら、あの攻防の中で俺の言葉に耳を傾けていたようだ。戦闘力こそ互角だが、奴の注意力や知能はどこまでも侮れない。

 

『なるほどなるほど。ドラ―ゴねェ。イタリア語で竜か。イタリア語で技名付けるのが流行ってるかずみちゃんたちらしいな。そんじゃ、お前はさしずめ、「スコルピオーネ」ってとこか?』

 

『さあ、知らん。ただ、お前はここで俺が倒す。お前が名を呼ばれることも、俺の名を呼ぶこともない』

 

『つれないねェ。せっかく、未来から俺を殺しに来たってのに。もうちょっと遊ぼうぜ?』

 

 下らない戯言に付き合う気は毛頭ない。

 俺はドラ―ゴを仕留めるべく、後方に一度跳躍して距離を取る。

 狙いを定め、必殺の右足に魔力を溜めていく。下水道の天井擦れ擦れまで跳ねてから右足を突き出す。

 腰から伸びる尻尾が足に螺旋状に巻き付き、魔力の方向が収束。

 己が持てる最大の破壊力を注ぎ込んだ一撃をドラ―ゴへと螺旋蹴り(スパイラルキック)を放つ。

 

『これで終わりだっ!』

 

『いいや。終わらせねェよォ‼』

 

 ドラ―ゴは再び、口を開き、火炎の息吹を噴射する。

 だが、その炎程度では俺の蹴りの威力は削がれることはない。尻尾が絡み付いた右足は火炎を掘削するように直進する。

 火炎の息吹を突き付け、今まさに奴の頭蓋を貫かんと飛んだ。

 その直前。

 

『何っ!?』

 

 燃え盛る炎が収束していく光景が視界に映った。

 放射していた炎がより集まり一筋の赤い光となって俺の蹴りを押し返そうとしている。

 それはもう火炎ではなく、熱線。かずみの魔法と同等の、否、それ以上の威力を持った紅蓮の光のスパイラルキックを弾き返そうと吐き出され続けていた。

 俺の螺旋状に絡んだ尾から流れ出す魔力と、奴の熱線となって噴射する魔力が拮抗し、空中で動きが止まる。

 熱線を抉り、掘削せんとする右足と尾に凄まじい熱が押し当てられ、外殻が溶け始めていた。

 あたかも硫酸でできたプールに素足を浸しているかのような激痛が走る。

 掻き分けられ、四方に散った熱線が下水道の壁や天井に触れ、ライターで炙った発泡スチロールのように溶解していくのが見えた。

 狭い空間の中で俺とドラ―ゴの魔力が飽和し、激突する力が互いに行き場を失う。

 次の瞬間、カッと眩い光が視界を覆ったかと思うと、音もなく周囲の全てが爆ぜた。その数秒後に激しい爆発音が響き渡る。

 舞い上がった爆風が俺の身体を吹き飛ばし、浮遊感が全身を包み込んだ。

 

 

 *******

 

 

~かずみ視点~

 

 

「見つけた! あそこ!」

 

 タコの魔女を追って街を奔走していた私たちはようやく、その足取りを掴む事ができた。

 風船のように宙に浮いていたタコの魔女は建物の壁に貼り付くと、そのすぐ脇にあった窓の隙間に触手を伸ばし、するりと身体を滑り込ませる。

 ぐにゃぐにゃと柔らかい身体を潰して枠内に押し込み、ほんの僅かに開いた小さな窓の隙間からあっという間に侵入してしまった。

 

「海香、カオル。あの魔女、建物の中に入っちゃった!?」

 

 驚いて隣を走っていた二人の顔を覗き込むと、彼女たちは少しだけ安心したように息を吐く。

 

「不幸中の幸いね。あそこは食料品店の倉庫よ」

 

「最悪もっと人目に付く場所で暴れると思ってたから、まあ、少しはマシって感じ」

 

 もっとも近くに大型スーパーがあるからあんまり楽観はできないけどと海香が付け足す。

 確かによくよく見ればすぐ近くに大型スーパーのロゴが建物の表面に書いてある。そう言えばもっと食べたいとか魔女が吼えていたのを思い出す。

 すぐに追い掛けて入ろうとするが、建物の前には電子ロックの鍵が掛けられており、簡単には開きそうもない。

 付いている窓も高い位置にある上に、小さすぎてタコの魔女と同じように身体でも潰さない限りは入れそうになかった。

 私たちはそれを一瞬だけ顔を見合わせると。

 

「えい!」

 

 鍵を壊して中に入ることに決めた。お店の人、本当にごめんなさい。

 後で魔法で直そうと思いつつ、正面の扉を壊して倉庫内に入ると乱暴に引きちぎられた段ボールや砕けた木箱がいくつも転がっている。

 その奥でばりばりと激しい咀嚼音を立てて、タコの魔女は狂ったように食事を始めていた。

 大きく開かれた口から封を開けた大量の食料は零れ、ペットボトルの飲料は床や壁を濡らしている。

 汚い。あまりにも食べ物に対して礼儀のなっていない食べ方に私はむっとなり、タコの魔女を見るが、その怒りも魔女の様子に一瞬で霧散した。

 

『アウ……ァゥウウゥゥゥ……』

 

 泣いていた。

 黒い瞳からぽろぽろと零れて落ちている。

 あまりの様子の変わりように私は目を大きく見開いていると、カオルが言う。

 

「なんだか分からないけど、食事に意識が行ってアタシたちの事、見えていないみたい」

 

 それに海香が頷く。

 

「叩くなら今ね。行くわよ、かずみ」

 

 そう海香から振られても、私は素直に答える事ができなかった。

 カマキリの魔女になった刑事さんを思い出す。あの人は明らかに人を害そうとする意志があった。

 でも、目の前の魔女はどこか辛そうな、苦しげなそんな風に映る。

 

「かずみ!」

 

「!」

 

 カオルの声で意識を内から外に戻す。すると、タコの魔女が食料品を口に詰め込む手を止め、私を凝視し、――そして長い触手を伸ばしていた光景が視界に飛び込んできた。

 考え込んでいた数秒にも満たない間、タコの魔女の注意は食事から私に移っていたのだ。

 

「あ……」

 

 避けられない。

 そう思った時には、触手は私の身体を絡め取り、髪を引っ張るように掴み上げていた。

 タコの魔女は捕まえた私をその黒い目で眺めている。

 私の目よりも何倍も大きな眼球からは感情がまるで読み取れない。さっきまで涙を流したものとは思えないほど、無感情に私を映している。

 

「かずみっ!」

 

 海香もカオルも絡め取られた私を助けようと、こちらに走るが何本もの触手が二人の接近を邪魔するように振るわれる。

 私は十字の杖を構え、魔法を撃とうとするがすぐに杖を取り上げられてしまった。

 

『モット……』

 

「え? 何、もしかして私に何か伝えたい事があるの?」

 

 攻撃の意図はなく、ただ私に何かを伝えようとしているのかもしれない。

 もしかしたら、誰かに助けを求めていたのではないか。

 そんな思考が頭に浮かぶ。

 けれど、魔女の次の言葉は私の思いを否定するものだった。

 

『モット、タァァベタアァァアィィイィィィ‼』

 

 ぱっくりと開いた口の中に広がる暗闇。

 その縁にはノコギリのような鋭く細かい牙が並んでいるのが目に入る。

 

「やめっ……」

 

「かずみぃい!」

 

 開いた暗闇は躊躇なく、私を呑み込もうとした。

 だが、次の瞬間、何の脈絡もなく激しい爆音が響いた。同時に倉庫内にいくつもの亀裂が走り、床を砕いて光が溢れ出す。

 タイルを剥がし、コンクリートを砕きながら光に包まれた二つの影が飛び出してくる。

 片方は見覚えがあり、もう片方は初めて見る怪物だった。

 白い蠍の魔女と、黒い竜の魔女。それらはお互いに弾き合うように光を放っていた。

 




何かあまり書く時間が取れないので今回、短めですが更新させて頂きました。


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第五話 苦悩と野望

 何が、起きた……?

 確か、そう。俺の蹴りとドラ―ゴの熱線の衝突により飽和した魔力の光に呑み込まれたのだ。

 爆音と閃光で塗り潰された五感の中、浮遊感に包まれ、そこから思考が途切れた。

 奴はどうなった。倒せたのか?

 正常に働き始めた視界には飴細工のように融けて歪んだ金属製の屋根と、そこに開けられた楕円状の巨大な穴から見える青空。周囲にはコンクリートが砕け、粉末状になって漂っていた。

 知らぬ間に仰向けになっていた身体を起こそうとして、ずるりとまた引力に呼び戻された。

 

『っ……!?』

 

 見れば脚部を覆っている外殻が融解して変形していた。左足はまだ辛うじて原形を留めているが、右足は膝下から捻じれ爪先は開花寸前の蕾のように裂けている。

 尾に至っては中間から跡形もなく、消失していた。

 自分の損傷を目の当たりにし、麻痺していた痛みがようやく頭をもたげ始めた。

 

『あ……っがぁぁ!』

 

 今まで感じたことのない種類の痛みだった。言葉で表現することのできない悪夢じみた狂ったような激痛。

 火に炙られた蝋燭に痛覚があれば感じることのできるだろう。肉体が熱で融け落ちた痛み。

 焼けたのでも、焦げたのでもなく、「融け」た痛み。

 狂気じみた、残酷な童話に出て来るような現実味のない、けれどどうしようもなく痛覚に訴える響きを奥歯を噛み締め耐えた。

 もはや足と呼べるか分からない形状の脚部を激痛を黙殺して、地面に着ける。

 周囲にはおよそ形を留めていないものが、いくつか転がっているが、それでも立ち上がることはできた。

 地面……建物の床だったらしき足元は今や巨大な抉れたような亀裂が走り、いつ崩れてその亀裂に滑り落ちてもおかしくないほどに傾いで見える。

 ここは恐らくはあの下水道の遥か頭上にあった何かの建築物だろう。俺とドラ―ゴが放った一撃は共にぶつかり合い、狭い地下で行き場を失って上方へ跳ね上がって地上まで噴き上がった。そう考える以外に想像の余地のない状況だ。

 壁や天井はほとんど融けてなくなり、どんな施設だったのかも検討が付かない。

 人が。一般人が居たのかもしれない。

 考えた途端、さあっと思考が恐れで染められた。

 すぐに周囲を見回すと、最初に目に付いたのは蠢いている大きな赤い何か。

 タコの魔物だ。触手を動かし、懸命にもがいているそれは、どうみても衰弱していた。

 身体の表面は荒く焼け焦げ、力なく触手を揺らす動作は波に揺れる海藻のように緩慢だ。

 だが、その触手には黒い髪の少女が絡め取られていた。

 

『!』

 

 ……かずみだ!

 魔女帽を被った少女は魔法少女に変身したかずみ。そして、目を凝らせばそのすぐ近くにオレンジ髪の少女と、かずみとは違う黒髪の少女が倒れている。

 魔法少女の衣装はところどころ破れ、剥き出しの額や手足には火傷のような跡が散見できたが、致命傷になるほど大きな外傷は見当たらない。

 意識がないのか、目を閉じてぐったりとしているが、魔法少女の衣装が消えていないのなら、三人とも生きているとみていいだろう。

 ここでは彼女たちと魔物が戦っていたのか。しかし、俺たちの戦いの余波が真下から地面を突き破って噴き出し、この惨状を引き起こしてしまった。

 

『おお、いてェいてェ……酷い目にあったぜ』

 

 タコの魔物を挟んでちょうど俺と対角線上になる位置の瓦礫が動き、黒い魔竜が姿を現す。

 片方の翼は半ばちぎれ、開いた口からはへし折れた牙と黒い重油のような血を垂れ流していた。

 身体のあちこちから鱗がばらばらと剥がれ、落ちていっている。口調こそ呑気に聞こえるが、その実俺以上にダメージを負っていることが一目で認められた。

 

『ドラ―ゴ……』

 

『おいおい、スコルピオーネ。これ以上の戦いはお互いにとって不利益だろ?』

 

 ちらりと目線でかずみを一瞥して、奴は笑う。

 細めた眼球が無言で語った。お前の大切な奴の窮地を無視していいのか。そう眼差しで尋ねてくる。

 

『くっ……』

 

 ここでこいつを逃がす。その選択肢を自分で選ばなければならないことが歯がゆかった。

 しかし、ここでかずみを見捨てることは本末転倒でしかない。

 俺はタコの魔物へと突き進む。

 

『あばよ。次、またやろうぜ』

 

 片翼がちぎれて短くなっているというのにドラ―ゴは危なげもなく、飛翔し、屋根に開いた大穴から空へと飛び立つ。

 まるでゲームか何かの約束を取り付けるように軽薄に言うと、羽ばたきながら、飛び去った。

 俺はやるせない気持ちを堪え、タコの魔女へと腕の先端にある鋏を振るう。

 

『モ……ットォォ……』

 

 弱々しい鳴き声を上げる魔物は触手を絡めようとしてくるものの、前に比べて精彩を欠いた動きは簡単に読み取れた。

 一本、また一本と触手を斬り落として、距離を詰める。表面が焼け、柔軟性が落ちた触手はもはや障害にすらならなかった。

 

『もらった』

 

 劣勢になり、追い詰められた奴は苦し紛れにかずみをずいっと突き出して、盾代わりにする。

 両目を閉じた彼女の顔はこんな状況だというのに懐かしくて、胸が締め付けられた。

 しかし、戸惑いはなかった。

 大きく足を踏み込んで、かずみを掴んでいる触手へと飛んで鋏を突き出す。

 

『……すまないな。髪まで守れそうにない』

 

 触手が絡んでいる彼女の腰まで伸びた長い黒髪を切る。

 見上げられていた彼女の身体が床へと落ちかけるが、倒れる前にもう片方の腕で支えるように受け止めた。

 切り取られた髪が、小さな音を立て床に落ち、地面に散らばった。

 その勢いで伸ばした閉じた鋏をタコの魔物の頭部へ抉り込むように突き刺す。

 柔らかなゴム製の水袋のようなそれは鋏の尖った先端が沈み込み、貫通。

 直後、タコの魔物の目が大きく見開かれたかと思うと、急激に膨らみ、空気を詰め込み過ぎた風船のように弾け飛んだ。

 次の瞬間にはタコの魔物は跡形もなく、消え失せ、代わりに酷くやつれた女性が地面にうつ伏せで倒れ込んでいる。

 これがあの魔物の正体か。想像もしていなかった人物像だったが、どんな姿になるかなど分からないのがイーブルナッツだ。

 女性の呼吸を確認するために口元を見ると、すべての歯がぼろぼろに傷んでいた。

 シンナー……あるいは別の薬物によるものかと思ったが、息の臭いで違うと判断できた。

 この酸っぱい臭いは胃液の臭いだ。

 昔テレビで見たことがある。拒食症の人間はすぐに食べたものを吐き出してしまうため、胃液で歯のエナメル質が溶けてしまうらしい。

 この女性が拒食症なのかまでは分からない。だが、歯が削れてしまうほど何度も何度も嘔吐を繰り返したことくらいは考え付く。

 だが、本当は吐かずに食べたかったのかもしれない。

 

『……誰が魔物に変じてもおかしくない、か』

 

 足元に転がったイーブルナッツをぐしゃりと踏み潰す。黒い瘴気をあげ、ひしゃげたそれは瓦礫にめり込んだ。

 俺は腕で支えていたかずみを膝関節を曲げて、ゆっくりと地面に降ろした。こういう時に手が鋏になっていることが悔やまれる。

 その際にかずみは薄っすらと目を見開き、俺の手を振り払って距離を取る。警戒した瞳で俺を見つめた。

 

「蠍の魔女!?」

 

『かずみ。俺はお前の敵じゃ……』

 

 弁明をしようとした時、背後で二人の魔法少女が目を覚ます。

 

「う……何が。っ、かずみ!」

 

「急に床が光ったと思ったら、爆発するなんて。あれはそいつの仕業?」

 

 敵意を露わにそれぞれが武器を持って、俺を囲むように立ち上がる。

 とてもではないが、こちらの話を聞いてくれるようには見えなかった。

 ドラ―ゴとの一戦で魔力のほとんどを使い果たしてしまった。何より、かずみたちと戦う訳にはいかない。

 俺はちぎれた床に開いた亀裂へと飛び込んで逃げ出す。

 

「待て! お前」

 

「かずみ。今はまだ追っちゃダメ。それに壊れた倉庫もどうにかしないと」

 

 背中に掛かる言葉を無視し、俺はひたすら薄暗い下水道へと降りて行く。

 暗く、汚れた地下は居場所のない蠍にはお似合いだった。

 ただ、かずみが無事ならそれでいい。かつて、家族と呼んだ彼女が守れるのなら、俺はそれだけで十分だ。

 

 

 *******

 

 

『かはっあァ……随分ともらっちまったな』

 

 

 どうにかこうにか空を飛んで、あの場から退場した俺だが、実のところ結構な重傷だった。

 攻撃力なら俺の方がリードしているが、防御性能なら俺の鱗よりも奴の外殻の方が強度は上だ。戦っていたら、勝率はほぼ五分五分だっただろう。

 負けるとは思わないが、勝てるとも言えない。

 木々の生えたちょっとした森のような場所に着陸すると、俺は人間の姿に戻った。

 傷の方は人間になっても引きずるかと思ったが、体力が削られただけで人間に戻れば、竜の時に負った肉体的損傷はなくなるらしい。非常に便利であきら君的にもグッドです!

 とはいえ、大分疲労感は溜まっている。前の学校で陸上部のエースを百メートル走で負かしてやった時でさえ、ここまで疲れたことはなかった。

 だが、まあ、色んなことが解ったので、苦労した価値はあった。

 

「ははは……イーブルナッツに魔物ね。楽しいわ、マジで」

 

 寝っ転がって、しばし疲れを癒そうと思ったが、俺の耳は近付いてくる足音を捉えた。

 人間の、それも足音の間隔から考えて、大体中高生くらいの歩幅。それもこの踏み込む時の音の軽さは女の子。

 確実にあの蠍野郎じゃあない。考えられるとしたら、俺が飛ぶ姿を偶然に目撃したUMA好きの少女か、バードウォッチング中の女の子、または……あの三人娘以外にも存在した魔法少女とか?

 あらやだ。そこそこピンチじゃないですか、奥さん!

 あれこれ考えている内に寝転んだ俺の前にフード付きパーカーを来た少女が木々の隙間から現れる。

 フードを目深に被っているが、体型からみて女子だ。骨盤の形が男と女で随分違うから歩き方で分かる。

 

「……イーブルナッツを使いこなせる人間はそう多くない。普通は自分の増幅された悪意に支配され、暴走する……だが、お前は違うみたいだな」

 

 フード子ちゃんは如何にも「自分、何でもお見通しっス」的な発言をかましながら登場した。明らかに場の主導権取る気満々の台詞は軽ーくイラッと来る。男だったら、ハンドスプリングで跳び起きてからの、反動ドロップキックコースだったが、まあ、女の子なら仕方ない。

 俺は紳士だ。……後々イジメて殺そう。

 

「ヘイ、フード子ちゃん。ナンパの仕方がなってないよ。そこは『そこのセクシーなお兄さん。男性フェロモン……落としましたよ』くらいのインパクトのある台詞で決めないと。第一印象、薄くて忘れられちゃうぞ☆」

 

「狂っている振りをして、相手のペースに嵌らないようにする……種が解ってる相手には効かない話術だ」

 

「おい、そんなことよりパンツ見せなよ。パンツ。ズボンなんか穿くな。女の子はスカート! ミニなら尚よし! 寝っ転がっている男子にパンツが見えるくらいの位置まで来るのがベストです」

 

「……話がある。取引だ」

 

「え? トリッピー? やだよ、俺はしまじろうなら断然ラムリン派なんだ」

 

 ボケ倒してあと小一時間くらいおちょくってやろうと思ったが、フード子ちゃんの次の言葉で俺の気は変わった。

 

「イーブルナッツをお前にやる。その代わり、この街の魔法少女たちをいたぶって、絶望させて、殺してくれ」

 

「何で? アンタも魔法少女なんでしょ?」

 

「…………」

 

 そこで黙っちゃう辺りがまだまだ未熟だわ。カマ掛けに反応しないように見えて、無言の方が挙動に出るモンなのに。

 十中八九、こいつは魔法少女。またはそれに類するものだ。

 まあ、悪くない。悪くないでござるよ。その提案。

 

「その前に聞かせてほしいことがいくつか。アンタの名前は? あとスリーサイズと、初潮はいつ来たか教えてくれる?」

 

 またも無言の沈黙で俺の発言を流そうとする。

 だけど、ここで重要なのは譲歩しつつ、しつこく迫ること。

 

「じゃあ、スリーサイズは諦めよう。他の二つを聞かせて」

 

「……お前に話す義理はない」

 

「よし、じゃあ、名前はもういいや。取りあえず、初ちょ……?」

 

「カンナ。(ひじり)カンナだ。……これで満足か?」

 

 諦めたらしく、吐き捨てるように言った。

 本名だろうか。偽名にしても、いますぐ考えたという割りに中二臭いので今考えたばかりのものとは考えにくい。

 そういう場合は苗字か、名前のどちらかがアナグラムだったり、文字ったりしてる訳だが……ここはこれでいい。

 これ以上、駄々をこねても機嫌を損ねる以外の効果は持たないだろう。ごねる時は引き際を見誤らないことだ。

 

「オッケー。じゃあ、ひじりんって呼ぶね」

 

「…………」

 

「あ、今。ひじりん。『こいつ、演技じゃなくて本気で頭おかしい奴なんじゃないか』って思ったでしょー? いや、演技だから。バリバリ演技だから。俺、普段めちゃクールだから。深夜アニメが大体1クールだとすると、俺は12クールくらいクールだから。……あー、うそうそ、冗談もう言わないから行かないで。待って、ほら」

 

 すっとそっぽを向いて、何事もなかったように俺から去ろうとするので、本気で引き留める。

 ひじりんは露骨に溜息を吐いて、フードのポケットから数個ほどイーブルナッツを寝ている俺へ乱雑に放り投げた。

 それを寝たままの状態でキャッチすると、俺はもう一つ聞きたかったことを尋ねる。

 

「そうだ。『魔法少女』って結局何なんだ?」

 

 意外にもそれに応えてくれたひじりんは饒舌で、聞いてもいないことまで教えてくれた。

 なるほど。こいつは面白い。やはり俺は主役になる星の元生まれて来たらしい。

 待ってろ。蠍野郎。お前の希望、俺が完膚なきまでに踏みにじってやるからな。

 



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ユウリ編
第六話 希望の兆し


〜ユウリ視点〜

 

 

 何なんだ、あの男。

 かずみ、プレイアデスを守っているのに、誰もあいつを仲間と認識していない。それどころか敵として見なしている。

 本当に意味が解らない。一体、何故イーブルナッツを持っているのかもそうだが、何よりどうしてそんな目に合ってまでかずみたちを守ろうとするのか。

 ……まあ、邪魔をするなら消すだけだ。『ユウリ』のための復讐を阻む奴は誰であろうと潰す。

 そう思っていた。あの言葉を聞くまでは。

 

『お前もひょっとして、助けてほしいのか?』

 

 あいつはそう言った。アタシに。このユウリ様(アタシ)に。

 何だ何だあいつは。あいつは何を考えてる?

 解らない。本当に解らない。あいつのあの言葉の意味も――今アタシの胸の中がこんなにも苦しいのも。

 思考がぐちゃぐちゃになる。苦しい……苦しいよ、『ユウリ』。

 あいつだ。こんなに訳の分からない苦しみを味わうのはあの男のせいだ。

 殺さないと。早く殺さないといけない。じゃないと、アタシはもっと解らなくなる(・・・・・・)

 アタシは上着のポケットの中をまさぐる。指にこつんと当たる硬い金属質の感触がした。

 イーブルナッツ。人を魔女……いや魔女モドキに変える魔法の道具。

 こいつの効果は二回の実験で十分確認できた。これなら魔法少女も魔女に変えられるはずだ。

 必ず「ユウリ」の仇はアタシが取ってやる。待っていろ、プレイアデス。

 夜の街を歩きながら、復讐に燃えているとすぐ近くの足元にあるマンホールの蓋が小さな音を立てた。

 

「うん?」

 

 視線をそこに注いでみれば、蓋が急に持ち上がりその下から何か白いものが顔を覗かせた。

 西洋の兜を思わせる角ばった顔、赤い二つの複眼。紛れもなく、それは蠍の魔女モドキだった。

 

「お前……そうか」

 

 こいつはアタシを追い掛けてここまで現れたのか。下水道を使って最短距離で追跡、なるほど侮れない奴だ。

 ならいい。ここで決着をつけてやる。

 アタシはすぐにソウルジェムを取り出して、魔法少女になれる臨戦態勢を整えようとした時、蠍の魔女モドキはマンホールから這い出したまま、うつ伏せで動きを停止した。

 油断を誘うためかと思ったが、それにしては隙だらけだ。

 

「お、おい……」

 

 奴の姿は魔女モドキから人間へと戻り、力尽きたように微動だしない。

 死んだ、のか?

 そう思い、近寄ってみるといかにも下水から漂ってくるような強烈な異臭が鼻を突く。

 首筋にそっと手を当てると脈は正常に動いているものの、大分弱々しい。体温も随分と低くなっている。

 どうみても弱っている。やるなら今がチャンスだ。

 一瞬で魔法少女に変身すると、魔法で生み出した拳銃・リベンジャーを奴のこめかみに当てた。

 後は引き金を引けば、それだけで邪魔者は一人消える。

 

「お前に直接の恨みはないけど、ここで……」

 

 止めを刺そうと引き金にかけた指に力を入れようとした瞬間。

 

「あ、あの時の魔法少女のおねえちゃん!」

 

 小さな女の子の声が聞こえた。

 振り向けば、七、八歳くらいの女の子がアタシに向かって嬉しそうに手を振りながら駆け出して来る姿が見えた。

 ……誰だ、こいつ。アタシには見覚えはない。だけど、向こうはアタシの事を知っている様子だった。

 不味いと思いとっさにリベンジャーをしまい、元の服装に戻す。

 近付いて来た女の子は体力がないのか大した距離でもないのに少し息を切らせていた。

 

「やっぱりわたしを助けてくれたおねえちゃんだ! わたしのこと、覚えてる?」

 

「いや……覚えてない」

 

 アタシが魔法少女になったのは少し前の話だ。つまり、この子のいう「魔法少女のおねえちゃん」というのは――本物のユウリの事だろう。

 女の子はアタシの返答に少しだけがっかりした様子を見せたが、すぐに表情を明るくして話し出す。

 

「そうだよね。おねえちゃんはわたしみたいに病気で苦しんでいた人をたくさん助けてたから、みんなの顔全員覚えてる訳ないよね。でも、わたしはおねえちゃんのおかげでこうやってお日様の下で歩けるようになったの」

 

 そういえば、アタシを魔法少女にした妖精(・・)が言っていた。

 ユウリはアタシの病気を治すために魔法少女になった後も、医者が匙を投げるような難病に蝕まれた人を魔法で治して回っていたと。

 この子もまた、アタシと同じようにユウリに助けられた人間の一人だ。

 女の子はぺこりと大きくお辞儀して、感謝の言葉を述べた。

 

「わたし、ずっと自分は死んじゃうんだって思ってて毎日が怖かった。でも、おねえちゃんのおかげで病気治してもらったから今の生きてられる。本当にありがとう」

 

「…………」

 

 無邪気なお礼の言葉がアタシの胸を裂いた。

 なんて答えればいいのかまるで分からない。

 この子の事は何も知らないけれど、この子が感じる思いは痛いくらいに共感できた。

 救われたんだ。アタシもユウリが願った奇跡に。

 だからこそそのユウリを奪ったプレイアデスに復讐をするんだ。

 

「おねえちゃん?」

 

 そう、アタシやこの子が知るユウリの姿で。

 

「アタシは……」

 

 その時空気を壊すような動物の鳴き声にも似たキュルルーという音が鳴り響く。

 あまりに大きいから一瞬何の音か分からなかったが、音の発生源を見て、理解できた。

 音の主は上半身だけマンホールから出してうつ伏せで倒れる魔女モドキ男。

 ……これは多分、腹の鳴る音だ。

 

「このお兄ちゃん、おねえちゃんのお友達? お腹空いてるの?」

 

 呆れた目で眺めていたアタシと違い、女の子は心配そうに魔女モドキ男に近寄る。

 友達どころかさっきまで殺そうとしていた相手だが、今はもうそんな気分は霧散してしまった。

 

「違う。こんな奴知らない。ただの行き倒れだ」

 

 すると女の子は何を思ったのか納得したように手をぽんと打った。

 

「そっか。おねえちゃんは正義の魔法少女だもんね。困ってるこのおにいちゃんを助けようとしてたんだね」

 

 全然違うと叫びたい衝動に駆られたが、キラキラした憧憬の籠った目で見られると言い出せず、アタシは口を(つぐ)んだ。

 女の子はじゃあと前置きした後、アタシの手を握った。

 

「わたしの家に来てよ。わたしのおとうさん、パン屋さんなの。おにいちゃんにおとうさんが作ったパン食べさせてあげる!」

 

「え、いや、ちょっと待て……」

 

 何でアタシがこの魔女モドキ男を助けなきゃならないんだ。敵だぞ、敵。

 むしろここで餓死してくれるならそれに越した事はない。

 だが、幼気(いたい)な少女の目にアタシは嫌だとはつい口に出せなかった。

 すごく不本意だが、女の子の前でマンホールに中途半端に身体の半分を突っ込んでいる馬鹿男を引き擦りだして担ぐ。

 下水から這い出してきただけあって悪臭が鼻突。その上、汚れた水が担いだ拍子にアタシの服をじっとりと湿らせた。

 凄まじい不快感。かなり本気で近くのゴミ捨て場あたりに放り投げてやりたい。

 一方女の子はアタシが自分よりも大きな男をあっさり担いだ事に驚き、すごいすごいと無邪気に手を叩いて喜んでいる。

 

「じゃあ、案内するね」

 

「おい、待て」

 

 先導しようと歩き出した女の子を呼び止めると、不思議そうに小首を傾げて振り返った。

 

「なに、おねえちゃん?」

 

「お前の名前は?」

 

 アタシはまだこの子の名前さえ知らない。聞く必要もないかもしれないが、分からないままにするのも気持ちが悪い。

 

「あ。まだ言ってなかったね。わたしの名前は愛里(あいり)みく」

 

「あいり……?」

 

 その名前を聞いてつい復唱してしまう。

 アタシの本当の名前と同じ、読み方。

 

「みくでいいよ。おねえちゃんは?」

 

 内心で動揺しているが、それを悟られないようにアタシは強く言い放った。

 

「ユウリ様だ。覚えて置け」

 

 

 *******

 

 

 香ばしい匂いが鼻を掠める。

 この臭いは嗅いだことがある。そうだ、パンが焼ける香り。

 パン? なぜにパン?

 ぼんやりしていた意識がはっきりしてきて目を開いて、身体を起こす。

 

「あ、起きた。おにいちゃんが起きたよ、おねえちゃん」

 

 一番最初に目に飛び込んできたのは小さな女の子がベッドの縁に両肘を突いて俺を眺めている光景だった。

 そこで俺は自分がベッドに横たわっていることに気が付く。よく見れば、服も前に来ていた汚れたパーカーではなく、青い縦じまのパジャマ姿に変わっていた。

 

「ここは一体……?」

 

 その疑問に思考を巡らす暇もなく、金髪のツインテールの少女が部屋の扉を開けて現れる。

 ユウリだ。だが、彼女は苛立ったような表情を隠そうともぜずに俺を睨んで来る。

 

「やっと起きたか。お前のせいで……」

 

「おねえちゃん、ちゃんとパン持って来てくれた?」

 

 文句を最後まで言い切る前に女の子が遮る。それに対して面倒そうにしながらも、片方の手で持っていた紙袋をわざわざ屈んで女の子に手渡した。

 正直、今一つ状況が掴めないが、あのユウリが小さな女の子相手に優しく接している姿に驚きを隠せない。

 そんな俺の視線が気になったのか、彼女は不愉快そうに根目を吊り上げた。

 

「何だ、その目は。何か言いたい事でもあるのか?」

 

「いや、何でもない」

 

 女の子は受け取った紙袋を開くとさっきまで薄っすらだった香りがより濃くなり、口の中に唾液が溜まる。

 そういえば、昨日から何も食べていなかった。疲れと戦いのせいでそれどころではなかったが、自分が酷い空腹を感じていることを思い出す。

 

「はい。おにいちゃん」

 

 紙袋から取り出されたのはクロワッサンだった。

 それを見た途端、無我夢中で手を伸ばして、受け取ろうとする直前で思い留まる。

 

「いや、すまないが、俺は金を持っていない。無一文だ。受け取ることはできない」

 

「いいよ。これ、朝焼いたパンの売れ残りだし」

 

「いいのか?」

 

「うん」

 

 円らな瞳でそう答える女の子に俺は深い感謝を籠めて、クロワッサンを受け取る。

 

「ありがとう。この恩は忘れない」

 

 口に持っていき、一口齧る。売れ残りと言っていたから時間が経って多少硬くなっているのだろうが、それを感じさせない旨味が口内に広がる。

 さっくりした生地とほんのり聞いたバターの味が俺の食欲を増幅させる。

 しばらく時間を掛けて味わいたかったが、ものの数秒で平らげてしまった。

 

「まだあるから、そんな悲し気な顔しないで」

 

 紙袋からまた女の子がパンを取り出しくれる。今度はカレーパン、それにクリームパンだ。

 それもまた俺の渡されるや否や、口の中に消えていく。美味しいと感じるが、それ以上に食べ物を身体に入れたいという欲求が強い。

 連戦に次ぐ連戦で魔力のほとんどを消費したせいか、尋常ではない食欲が今の俺を突き動かしていた。

 紙袋が空になった頃、ようやく俺にまともに考える能力が戻って来る。

 

「俺は確か、下水に逃げて……いや、そもそもここはどこだ? 何でここに居る?」

 

「ここはみくの家だよ。おにいちゃんはおねえちゃんが運んで来てくれたの」

 

「おねえちゃん?」

 

 ユウリの顔を見上げる。

 嫌そうな顔をした彼女は不服そうに言う。

 

「成り行きだよ。アタシはユウリ。そこのちびはみくだ」

 

 自己紹介をされているというのに気付くの少しかかった。そういえば、まだここでは名前を聞いてもいなかった。

 俺はベッドから降りて、二人に対して自分の名前を名乗る。

 

「俺の名前は大火だ。二人とも俺を助けくれてありがとう。おかげで腹も満たされた」

 

「ううん。いいよ。おねえちゃんに恩返しがしたかっただけだし。ね、おねえちゃん」

 

 ユウリはふんと小さく鼻を鳴らした後、部屋から去って行く。みくもまたおとうさんにも伝えてくると言って彼女に着いて行く。

 二人が消えた後、傍にある窓を見ると下の方にパン屋というのぼりがあるのが見えた。ここは二階で下はパン屋になっているらしい。

 何故だか全く分からないが、俺はユウリに助けてもらったようだ。

 かずみたちを付け狙う彼女だが、一樹あきらと違い、まだやり直しが利くのではないだろうか。

 俺も一度下に降りて、ユウリからもっと詳しい事情を聞くべきかもしれない。そうすれば、少なくとも彼女は救うことができるはずだ。

 俺体力が回復してきた身体を動かし、扉へと足を動かした。

 




忙しいのについ書いてしまいました。


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第七話 迷いの果てに

あきら君「前回までのあらすじぃ! 死にかけの蠍野郎を助けたユウリちゃんは、かつて自分の友達が助けた幼女に出会う。友達が命を懸けて助けた存在を知り、プレイアデス聖団の魔法少女たちへの復讐心に迷いが生じてしまうのだった」


〜ユウリ視点〜

 

 

 何でアタシはあいつを助けた?

 プレイアデスを潰すのに障害になるかもしれないのに、『ユウリ』の仇を討てなくなるかもしれないのに。

 それなのにアタシは……。

 自分で自分のやりたい事が分からない。

 それはみくに、『ユウリ』が命を助けたという女の子にあいつを殺すところを見せたくなった事かもしれない。

 今はもうどこにも居ない『ユウリ』の偶像を守りたかった。あの優しくて、格好いい『ユウリ』の姿を。

 ……いや、本当にそれだけか?

 あいつが言った「助けてほしいのか」という言葉にアタシは……。

 胸の中でぐるぐる回る自分の感情に整理をつけようと、自問自答していたところに誰かの声がかかる。

 

「やあ、カワイコちゃん。俺とお茶でもどぉう?」

 

 妙に馴れ馴れしい軽薄な口調と共に現れたのは中学生くらいの黒髪の男。

 男にしては艶のある髪に大きく形のいい瞳は美形と言っても十分だったが、浮かべた面がどうにも気に入らない。

 人懐こい笑みを浮かべたそいつは気安くアタシの肩に手を回そうとしてくる。

 ナンパか。それ自体は別初めてじゃないが、こうまで絵に描いたナンパは今時そうそう見ない。

 手首を掴んで捻りあげてやろうとすると、予想していたようにすっと腕を戻し、掴もうとしていたアタシの手を引いた。

 

「可愛いお手てだ。握手握手」

 

 へらへらした笑みでふざけた事を(のたま)う男。

 殴り倒してやろうかと思ったが、男の手の内側にあったものに触れて思い留まる。

 卵くらいの大きさで硬質で冷たい感触。そして、指先に当たるだけで胸の中に嫌な気分にさせられる奇妙な物体。

 ……悪意の実(イーブルナッツ)だ。

 

「お前……」

 

「デートしようぜ? ユ・ウ・リ・ちゃん!」

 

 男の薄く開いた瞳にどろりとした澱んだ輝きが宿る。

 間違いない。アタシの名前を知っている事も含めて、こいつはただのナンパ男なんかじゃない。イーブルナッツをくれたあのフードの奴の仲間だ。

 

「何の用?」

 

 理由ぐらい分かっている。

 フードの奴の仲間がアタシに接触してくる理由なんて一つしかない。

 男はアメリカ人のように大袈裟に肩を竦めてみせた。

 

「おいおい。理由が分からないほどお馬鹿さんなのかい? 道具はくれてやったのにまーだ何の収穫もないんで進捗見に来たんだよ。アンタの雇い主はもうカンカン」

 

 やっぱりそれか。

 プレイアデスを始末できずにいるアタシを急かしに来たって訳だ。

 逆らって倒すか? いや、そんな事をする必要はない。こいつらは少なくともプレイアデスに敵対しているのは明らかだ。

 仮にもイーブルナッツをもらったのはプレイアデスの始末とかずみの身柄の引き渡しが条件だった。

 何の成果も上げられなかったのはこっちのミスだ。最低限、もらった道具分は協力しておくか。

 

「ちっ。どこまで着いて行けばいい?」

 

「そう来なくっちゃな。俺はあきら。アッキーでもあきあきでも好きに呼んでくれ」

 

 あきらと名乗った男はアタシにそう言って肩に手を回した。

 視線だけでその汚い手で触れるなと伝えたが、何を勘違いしたのか「ふっ。照れなくていいんだぜ、ハニー」と寝言を抜かすものだから我慢をせずに思い切り捻り上げてやった。

 

「ああ、痛い。痛いって。もうツンデレさんめ!」

 

「誰がツンデレだ。この勘違い野郎が」

 

 捻られた手首をこれ見よがしにぶらぶらと揺らした奴は、楽しそうに笑った後、急に何かに気付いたように表情をすとんと落とした。

 流石に気分を害したのかと一瞬だけ気にしたが、あきらはいきなりアタシを抱えると近くの路地へと引きずり込んだ。

 

「おいッ。何を……」

 

「ストーキングされてんなら早めに言えよ」

 

 文句を言おうとすると指先でそれを押し留められた。

 ストーキング? 意味が分からず、あきらが見ている路地の外に目を向ける。

 そこから見えたのは背の高い精悍そうな高校生くらいの男、大火だ。アタシを追い掛けてきたようで忙しなく周囲をきょろきょろと見回している。

 何で追って来たのかは分からない。

 

「あんたにゾッコンみたいだな。ケツを追いかけ回される気分はどうだよ、ユウリちゃん」

 

「……どこに行けばいい?」

 

「話が早くて助かるぜ。そんじゃ、あっちのカフェでデートと洒落込もう」

 

 あきらが指差したのは、路地の向こうに見える人気の少ない通りに面した一軒のカフェテリア。

 『バアル・ゼブル』という看板のその店は、外装が汚れている訳でもないのに、立地が悪いせいで寂れているように見えた。

 アタシはあきらに頷いて応じると、馴れ馴れしく手を握って、店先へと歩いていく。

 

「おデート、おデート。楽しいな~と」

 

 頭の悪そうな歌を口ずさんで入店したあきらは店長らしき眼鏡の男に「二名ですぅ、カップル割り引き、ヨロピコ!」と伝え、返答すら聞かずに一番奥のテーブル席を陣取る。

 連れられて入店したアタシの耳に大きめのクラシック音楽が雪崩れ込む。

 BGMにしては大き過ぎだ。またスピーカーの調子も悪いのかカリカリとノイズのような音が断続的にしていた。

 他の客どころか店員らしき人物も見当たらなかったが、案内もされずに席に着くこいつの傍若無人さに眩暈(めまい)を覚えた。

 何なんだ、こいつ。幼稚園児だってもっと慎みを持って行動するぞ……。

 テーブルの端にあったメニュー表を掴むと、アタシの方に広げて見せた。

 

「俺が奢っちゃる。……好きに決めていいぜ、ハニー」

 

 腹の立つくらい真っ白いを歯を見せて、渋い口調で古い洋画じみた決め台詞を吐く。

 

「誰がハニーだ。誰が」

 

「あ、痛ぁ! もう、ユウリちゃんったら暴力系ツンデレヒロインなんだから!」

 

 メニュー表を引ったくり、あきらの頭を強めに叩いてやったが、おどけた調子で痛がる素振りをするだけでまるで堪えた様子がない。

 出会ってから数分間で凄まじい速度で距離を縮めてくる。こいつの馴れ馴れしさは留まる事を知らないらしい。

 ペースを乱されている事を自覚しながら、仕方なく適当にメニューに目を通す。

 子供向けの甘味はない。コーヒーが数種類と軽食の類が並んでいるだけの面白みもない品揃えだ。せいぜい、目を引くのはケーキくらいのものだが、どれもあまりピンと来ない。

 奢ってやると向こうが言っているのだから、好き勝手に頼んでやってもいいのだが、食べ物を残すのは『ユウリ』の主義に反する。

 

「……なあ、どうするか決まった?」

 

「うるさい。まだ注文は決まってない!」

 

「いや、そっちじゃなくて――プレイアデス聖団をどう潰すかの方だよ」

 

 メニュー表を眺めていた目が止まった。

 不意打ち気味で投げられた問いに答えられない。

 どうするか、だと。そんなもの決まってる。一人残らず、皆殺しだ。

 脳裏には浮かぶ。だが、声には出なかった。

 まさか迷ってるのか、アタシ……?

 自分の中でそんな疑問が湧いてくる事に驚愕する。

 あり得ない。あり得る訳がない。だって、おかしい。

 あいつらは『ユウリ』を殺した。『ユウリ』を奪った。

 殺されて当然のクズ共だ……。

 なのに、アタシは即答する事ができない。

 無言になったアタシへメニュー表の反対側からあきらが言葉を投げつけてくる。

 

「あれれー? どうしたんだよ、ユウリちゃん。やっぱりやめたい? 魔法少女同士で争うのは嫌? そーだよなぁ。魔法少女は助け合いだもんなぁ。仲良くしたいよなぁー」

 

「ふざっけんな――!」

 

 頭の中で何かが弾けた。頭に血が昇るのを嫌でも感じる。

 テーブルへ身を乗り出して、反対側に座るあきらの胸倉を掴み上げた。

 あきらの黒曜石のような目を睨み付け、アタシは吐き捨てる。

 

「あいつらは殺す……アタシが、このユウリが、必ずな」

 

「オーケイオーケイ。ハニー、落ち着けよ。軽いジョークだろ? マジになんなっての」

 

 へらへら笑って受け流すあきらにイラついている自分が馬鹿らしくなり、掴んでいた手を放して、乱暴にメニュー表を再び取った。 

 そうだ。アタシの目的は変わらない。アタシの憎しみは消えたりなんかしない。

 結局、ありきたりな季節のフルーツが乗ったケーキとブレンドコーヒーに決めたとあきらに伝えると、あきらは眼鏡の店長を呼びつけ、同じものを注文した。

 店長がオーダーを受けて、店の奥へ引っ込むとあきらは喋り始めた。

 

「まあ、どういう作戦にするかって聞いたつもりだったんだが、やる気があるようならそれでいいや。俺の方でも一つ進めたい作戦があるんだ」

 

 こいつ、今さらっとアタシの事、馬鹿にしなかったか?

 だが、残念ながらアタシには少し……ほんのちょっとだけ抜けたところがあるのは事実だ。今回は見逃してやる。

 

「言ってみろ」

 

「聞いた話じゃ、魔法少女ってのは魔法を使う度にソウルジェムっつーエネルギー源が穢れて魔法が使い辛くなるんだろ? あと、精神的な負荷を感じると同じようにソウルジェムが穢れるとか」

 

「誰から聞いたか知らないが、間違ってはないな」

 

「じゃあ、魔力をうんと使わせてソウルジェムを穢してやればいい。そいつが精神的に負荷のかかる内容なら効果倍増だぁ」

 

「何をするつもりだ、お前……」

 

 嫌な予感がする。

 あきらはきらきらした瞳で楽しそうに語る。

 悪戯を考えた子供がそれを仲間内で共有するかのように……。

 

「イーブルナッツで作った魔物でここら周辺住んでいる一般人を襲う。周囲の人間への被害を防ぐために魔法少女は魔力を余計に使うはずだ。そうだなぁ、できれば巻き込む一般人は年齢はプレイアデス聖団の魔法少女よりも年下で、女の子ならさらにグッド! 何でかっつーと、魔法少女が一番共感しやすいから」

 

 頭の中でみくの顔が浮かぶ。

 あの子が、巻き込まれる。『ユウリ』が救ったあの小さな女の子が……。

 駄目だ。それだけは絶対に防がないとならない。

 

「待てよ! 狙いはプレイアデスの魔法少女共のはずだ。何で無関係な一般人まで巻き込むっ!?」

 

「無関係だからこそに決まってんだろ? 自分のせいで無関係な女の子が酷い目に合うんだ。清く正しい魔法少女ちゃんがそれに気に病めばベスト!」

 

「あいつらはクズだ! 人の皮を被った外道だ! 無関係な奴が死んだところで共感もしなければ、気に病む事もない!」

 

「それならそれでいい。大体的に魔物で傷付く人間が居れば、それと戦うあいつらも表舞台に引きずり出せる。そうなれば情報隠蔽に魔法を使うだろ? 結果的にソウルジェムは穢せる。お、ユウリちゃん。そろそろ頼んだもの来るぞ」

 

 ぞっとするほど冷酷な思考回路に私は蒼ざめた。

 こいつは本当に他人の命を何とも思っていない。いや、魔法少女のソウルジェムを穢すための道具か何かだと思っているんだ。

 眼鏡の店長がラズベリーや苺の乗ったケーキとブレンドコーヒーをテーブルに並べていく。

 気のせいかもしれないが、あきらの前に置かれたケーキより、アタシのケーキの方が形が崩れているように感じた。

 あきらはお構いなしで綺麗な方のケーキをフォークでを切り分け、口に運びながら話を続ける。

 

「もきゅもきゅ。それにな、プレイアデス聖団の魔法少女ちゃんズが一般人の事を何とも思わなくても、見ただけで精神に負荷が掛かるような方法を取れば問題はねーの。そう……例えば、強姦(レイプ)とかなぁ」

 

「おい、お前……」

 

 話の内容もさることながら、外部の人間がすぐ脇に居るにも関わらず、犯罪行為の相談をを何の躊躇もなく話している。

 |迂闊《うかつ)どころの話じゃない。これでは通報してくれと言っているようなものだ。

 

「幼女を怪物が強姦する。これを視界に入れて、気が滅入らない女の子は居ないよなぁ? 宿利さん(・・・・)

 

 アタシではなく、給仕を終えた眼鏡の店長へと軽蔑すべき内容の話題を振る。

 気が狂っているのか、お前と叫び出しそうになる瞬間……今まで真顔で沈黙を保っていた店長の顔がいやらしく歪んだ。

 

「はい。その通りです、あきら様。幼い女の子への性的暴行は被害者だけではなく、目撃者の心も壊します。それが年端もいかない少女ならなおの事……」

 

 ぎょっとして、眼鏡の店長を見つめて硬直する。

 この男は……何を言っている?

 眼鏡の店長は恭しい一礼をして、私に自己紹介を始めた。

 

「お初にお目に掛かります。ユウリ様。(ワタクシ)宿利(やどり)映児(えいじ)と申します。イーブルナッツをあきら様より戴き、忠実な下僕となりました。不束者ですが、何卒よろしくお願い致します」

 

「聞いて驚け、ユウリちゃん! 宿利さんはな、生粋の幼女大好き野郎(ロリータ・コンプレックス)って奴なんだ。今まで何人もの幼女に婦女暴行を繰り返してきているんだと」

 

「恐縮です」

 

 宿利と名乗った男は眼鏡のブリッジを指で押し上げ、照れたように答えた。

 あきらは、さっきたまたまこの店を見つけたような様子だった。だが、違った。

 初めから……最初からアタシは、この場所に来るよう誘導されていたんだ。

 

「ちなみにこの辺で目を付けている幼女(ロリ)は?」

 

「そうですね。近所のパン家の一人娘のみくちゃん、でしょうか。彼女は、とても可愛くて素直な子なので……無理やり押さえつけたらどんな声で泣いてくれるのか、私楽しみで仕方ありません!」

 

 この下衆野郎……!

 みくをどんな目で見ている!

 アタシは今、自分が何をしないといけないのか理解した。

 ――殺す。

 プレイアデスの魔法少女よりもさらに外道なこいつらをぶち殺す。

 ソウルジェムを握り、魔法少女へ変身しようとしたその時、あきらの顔がこちらを向いた。

 

「でも、そのみくちゃんは……ユウリちゃんと仲良しさんだから反対するよなぁ?」

 

「お前……」

 

 あきらの表情が邪悪に歪んだ。

 頬の端が限界まで外側に引き延ばされ、犬歯まで見えるくらい大きく開いた。

 

「全部、見てたぜ? ユウリちゃんがあの蠍野郎を背負って助けるところもな。つっても、利用価値がありそうなら使うつもりだったんだが、やっぱアンタ、要らねぇわ」

 

「この野郎……!」

 

 座席から思い切り立ち上がり、魔法少女へと変身。

 アタシはあきらと宿利の二人へと向けてそれぞれ二丁拳銃・リベンジャーを作り出す。

 その衝撃でカップが倒れ、アタシが頼んだブレンドコーヒーがテーブルへ広がった。

 零れた黒い液体の中で小さく蠢く数個の白いものが視界に映る。

 

「……? うっっ!」

 

 それは(うじ)だった。

 白い蛆がコーヒーの中に混入していた。

 強烈な生理的嫌悪感が吐き気となって、競り上がってくる。

 ……いや、コーヒーだけじゃない!?

 アタシの頼んだケーキからも白い蛆虫が内側を食い破って現れた。

 

「残念です。一口でも食べて頂ければ、簡単だったのですが……」

 

 困ったように眉根を寄せる宿利にアタシは引き金を引こうとして――。

 伸ばした腕の上を蛆が進んでいるのを目撃する。

 

「ひッ……」

 

 気色の悪さからとっさに振り払おうとし、腕を動かす。

 しかし、蛆は離れるどころか、アタシの皮膚に噛み付いた。食い込んだ歯が皮膚を突き破り、針のような激痛と共にやって来る。

 

「っう! ……この虫がぁあ!」

 

 反対側の手に握ったアベンジャーのグリップで叩き潰した。

 潰れた蛆は鼻に突く刺激臭の汁を飛ばし、死んだ。

 だが、安心したのも束の間。今度はほぼ同時に全身を隈なく激痛が走った。

 まさか、全身に蛆が貼り付いていたのか。

 肉を抉り、小さな生き物が侵入してくる恐怖を感じる。

 

「おえー、この店異物混入しまくりじゃーん。宿利さん、衛生管理法違反で潰されちまうぜ?」

 

「そうですね。もし私が本物の店長でしたら首を括っています」

 

「宿利さん、数時間に押し入った不法侵入者だもんなー。あっはっは。で、その本物の店長どこ?」

 

「店の奥で私の子供たちの苗床になっていますよ」

 

「あら、やだ! もう死んでる!?」

 

 アタシの存在を忘れたかのようにあきらたちは、寛いだ様子で冗談を交わしている。

 尋常ではない。こいつらは人間が持つ倫理観を一切持っていないんだ。

 下衆や外道の類ですらない。

 狂人。サイコパス。

 こんな奴らにみくを襲わせる訳にはいかない。

 身体の中に入って来る蛆への恐怖と痛みを無理やり呑み込み、アタシは再度リベンジャーの銃口を奴らへ向けた。

 腕が震える。銃口が定まらない。

 無理だ……無視できない……。

 皮膚の下で蠢く感触に気が触れそうになる。

 

「ユウリちゃん。入った時におかしいと思わなかったのかよ? 店員が一人も居ないこととか、BGMがデカすぎだとか……このカリカリした音なんだろうとかさ」

 

「……まさか!?」

 

 この音の正体は……!

 脳裏にこの断続的に鳴る奇妙な音が何か分かった。

 蛆だ! 肉を喰らっている蛆共の咀嚼音!

 気付いた時には、答え合わせとばかりに店内の至る所から膨大な蛆の群れが津波となって押し寄せる。

 どれもアタシの身体に潜り込んだものとは比べ物にならない大きさに成長していた。

 下手をすればアタシの身体よりも大きな蛆すら居る。

 

「うわっ、気持ちワルッ!」

 

「あきら様、ご安心を。私の子供たちはあきら様には一切害を及ぼしません」

 

「いや、見た目だけで十分害及ぼしてるんすけどー。不快害虫って言葉知ってますぅ?」

 

「……存じ上げません」

 

「おい!」

 

 コントじみた談笑を余所にアタシへと群がった蛆共が遠慮くなく、肌を噛みちぎり、肉を貪り喰う。

 呼吸をする度に肺や胃の中へと小さな蛆は入っていく。リベンジャーで何匹かは潰れるものの、勢いは一向に収まる気配はない。

 苦し紛れに宿利へ向けて発砲するが、狙いが定まらず、反動で床へと転がり落ちる。

 ……痛い! ……苦しい! ……辛い!

 鼻の穴や耳の穴まで蛆が潜り込んで、アタシを蹂躙していく。

 目玉を抉られる恐怖から目蓋も開ける事ができない。魔法による治癒もこの数の蛆に一斉に食われては地獄を長引かせるスパイスにしかなりゃしない!

 

「……やはり中学生くらいになるとそそりませんね。女性というのものの賞味期限は小学生を卒業すると切れてしまうものなのです。腐ってしまったユウリ様は、蛆の相手がお似合いですよ」

 

「ひー! 色んな意味でキモイよー。……実際のところ、プレイアデス聖団の魔法少女に味方するあの蠍野郎を助けた時点でユウリちゃんは九割くらい殺すと決めてたんだ。せいぜい、生理的嫌悪感でどのくらいソウルジェムが濁るのか実験台になってくれや」

 

 あいつらの好き勝手な台詞が暗闇の中、蛆の咀嚼音(そしゃくおん)に混じって聞こえてくる。

 クソックソックソォ!

 こんな死に方をするのか、アタシは……。

 狂人たちに馬鹿にされ、蛆の海で身体を喰いちぎられて。

 惨めな死体になって、アタシは死ぬのかな……?

 アタシは結局、『ユウリ』にはなれなかった。

 死ぬ間際になってようやく気付いた。アタシは『ユウリ』が死んだ事をプレイアデスの魔法少女のせいにしただけ。

 魔女になった『ユウリ』を殺したあいつらを責める事で、何もできなかった自分をなかった事にしたかっただけ……。

 惨めだな……本当に、惨め。

 ごめんね、『ユウリ』。本当にごめんなさい。

 アタシは……アンタみたいな本物の魔法少女にはなれなかったよ……。

 思考がままならない。どこが痛いのかも分からない。

 ……誰でもいい。

 誰でもいいから……どうか、お願いします。

 プレイアデスの魔法少女でも、あの大火とかいう馬鹿でもいい。

 どうか、みくを……『ユウリ』が命を削って救ったあの女の子を守ってください。

 おねがい、します……。

 蛆で溢れた口から、か細い声が零れ落ちた。

 

「た、す…………けて……」

 

 蛆の咀嚼音に紛れてしまうような、か細い、小さなアタシの言葉。

 

 

 

 

「……(おう)!」

 

 誰かの声が聞こえた気がした。

 耳の穴から入り込んだ蛆の動く音だろうか……。それとも幻聴……?

 何かが割れるような激しい音。くぐもったあきらたちの声。

 何か言っている……? 何が起きたっていうの……?

 アタシの腕が何かに掴まれ、暗闇から引きずり出される。

 蛍光灯の光。新鮮な空気。

 そして、見覚えのある少年の顔。

 

「げほッ、がふッ、大、火……ど、う……して……」

 

 蛆の混ざった唾液を吐き出しながら、尋ねるアタシをその馬鹿は抱きかかえている。

 群がる蛆共は新たな獲物へと噛み付いていた。魔法少女よりもずっと脆い奴のシャツは破れ、布地を赤く染め上げる。

 痛いだろうに、気持ち悪いだろうに、大火はアタシの目を見つめて、こう言った。

 

「お前を助けに来た」

 

 真顔で何を言っているんだと言おうとして、口から出たのは蛆と咳のみ。

 逃げろ。お前も蛆に喰われるぞ。

 その吐く前に、蛆の波が大火へと押し寄せる。

 だが、奴の身体へ蛆の歯が届く事はなかった。

 瞬時に魔力が奴の肉体を変貌させ、真っ白い外殻で覆う。

 針の付いた蛇腹状の長い尾。二股に別れた鋏のような手。

 蠍のような意匠の、怪人がアタシを抱えて立っていた。

 

『あきらぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――!』

 

「この距離で、でかい声出すんじゃねぇよ。聞こえてるわ、ボケ……。まあ、そろそろ来るんじゃねぇかと思ってたぜ」

 

 宿利の隣でうるさそうに耳を押えていたあきらの輪郭が歪む。

 黒く塗りつぶされるように引き伸ばされた輪郭は、翼のある黒い竜へと変わった。

 爬虫類のような相貌で酷く人間じみた笑みを浮かべた。

 

『遊ぼうぜ、大火ちゃんよぉ!』

 




取りあえず、ぼちぼちこちらも更新していけたらと思っています。


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第八話 駆け出す想い

 裏通りにある一軒の喫茶店『バアル・ゼブル』。

 ユウリを見失い、往来を右往左往していた俺はその喫茶店から突如、活性化したイーブルナッツ反応を感じ取った。

 中の様子を窺おうと近付いたその時、聞こえた。

 小さくて、掠れるような、ガラス越しのユウリの声。

 『助けて』を求めるその言葉が、俺には届いた。

 俺に言った訳でもないかもしれない、聞き間違いかもしれない。

 だが、そいつを聞いた瞬間、俺は店の窓をぶち破り、叫んでいた。

 

「……応!」

 

 

 ******

 

 

 目の前に居るのは黒い竜へと姿を変えたあきら――俺の全てを奪った最悪の魔物ドラーゴ。そして、その隣に立つ眼鏡の優男。

 ここまで近付いたから分かる。この男もまたイーブルナッツを所持している。あきらの新たな手下だろう。

 ユウリを襲っていた蛆虫はきっとこいつの能力……。

 今すぐドラーゴを全力で叩きのめしたい気持ちだが、俺の腕の中には全身から血を滲ませたユウリが居る。

 魔物の姿になり、硬い装甲となった俺の身体と違って、魔法少女の柔らかな肌には蛆の歯は相性が悪い。

 実際、蛆の山から助け出したとはいえ、彼女の身体に食い込んだ無数の小さな蛆共は取り除けていない。

 早々にあの眼鏡の優男を倒す。

 そうすればユウリの身体に潜り込んだ蛆共も消えるはずだ。

 

『ユウリ。少しだけ待っていてくれ。すぐに終わらせる……』

 

 彼女の身体を綺麗なテーブルへと寝かせる。

 蛆に集られる可能性もあったが、彼女を片手に戦う方がよほどの危険だ。

 

「どうやら彼は私を狙っているようです。では――手筈通りにさせて頂きたいのですが……」

 

 眼鏡の優男がドラーゴへと眼鏡を押えて、目配せをする。

 

『構わねぇよ。端からアンタの役割はこの馬鹿の相手じゃない。思う存分、食い荒らして来いよ』

 

「それでは失礼致します」

 

 ドラーゴに一礼した優男は身体を歪め、赤い大きな複眼と昆虫のような羽を持つ魔物へとなった。

 親が飲食業を営んでいた俺にはそれが何の虫を模しているのか一目で分かった。

 『蠅』だ。

 蛆を操る能力でもしやと思ったが、まさに予想通りだ。

 ユウリにここまで非道を働いた以上、許すつもりはない。

 害虫駆除だ……!

 

『逃がすと思うか?』

 

 ここは店の奥に位置する場所。店の入り口からは最も遠いテーブル席の通路。

 割れた窓は俺のすぐ脇に位置している。

 逃げ場はない。屋内にこいつが逃げる前に始末してやる。

 しかし、蠅男は怯えるどころか、俺に意味の分からない言葉を吐いた。

 

『……そろそろ、私の子供たちが育つころです』

 

『は?』

 

 その言葉と同時に無数の羽音が店内に反響する。

 ―—ブゥーンブゥンブゥンブゥンブゥンブゥンブゥンブゥンブゥンブゥンブゥンブゥンブゥンブゥンブゥンブゥンブゥンブゥンブゥンブゥンブゥンブゥンブゥンブゥンブゥンブゥンブゥンブゥンブゥン―—。

 鼓膜に直接叩き付けるような音の波が、耳の奥にある脳を汚染するかの如く、響き渡った。

 魔力により強化された三半規管をも狂わす強烈な羽音の嵐。

 思わず、吐き気と眩暈で脚がよろめく。

 黒い渦が店内の至る所から湧き出し、蠅男の周囲を取り囲む。

 蠅だ。蛆が孵化し、成虫になったのだ。

 小さな蠅たちは蚊柱のように数か所に寄り集まると、精巧な蠅男の似姿を作る。

 一瞬にして、店の通路に立っていた蠅男は四体に増えていた。

 

『ほっほぅ。良くできた分身だなァ』

 

『お褒めに預かり光栄です。……それでは』

 

 四体に増えた蠅男は揃ってドラーゴにお辞儀をすると、各々が一体ずつ窓を砕いて、店から逃げ出そうと動く。

 分身を作り、攪乱するつもりか……だが、それをおめおめと見逃す俺ではない。

 

『させるかぁ!』

 

 俺から見て一番傍の窓から逃げようとしていた蠅男へと右の鋏と化した拳を伸ばす。同時に腰から生えた長い針の付いた尾を別の方角の窓から脱出しようとしていた蠅男へと差し向けた。

 鋭い鋏角(きょうかく)尾節(びせつ)がそれぞれ二体の蠅男の頭を抉る寸前、凄まじい速さで加速。羽音の騒音だけを残して窓ガラスを砕き、店内から四体とも消え去った。

 速い……! 速度だけでいえば、ドラーゴの飛行速度を容易く超えている……!

 だが、俺の攻撃が当たらなかった理由はそれだけではなかった。

 鱗で覆われた長い尻尾が俺の腕に巻き付いている。

 

『おい、あんだけ熱烈なシャウトかましといて無視はねェだろォ? スコルピオーネ君よォ』

 

『ドラーゴ……。お前の相手をしている暇は……』

 

『そんなこと言わずに遊んでけよォ……』

 

 俺の身体がふわりと浮いた。奴が腕に絡ませた尾で俺を持ち上げたのだ。

 

『なあァッ!』

 

 即座に浮いた身体は地面へと叩き付けられる。テーブルや椅子だった木片が宙を舞った。

 打撃こそそれほどの損傷にはならなかったものの、羽音によって揺らされた三半規管がさらに掻き混ぜられ、すぐに起き上がることができない。

 吐き気が湧き上がり、呼吸が正常に働かないのも相まって、数秒間の行動不能が続いた。

 それはドラーゴとの戦いで致命的な隙となった。

 

『そォォらァ!!』

 

 仰向けで倒れた俺に奴の容赦ない踏み付けが襲う。

 体重の乗った一撃は甲殻となった肉体をも軋ませる威力を秘めていた。

 ミシミシと身体が響く中、俺はユウリを寝かせたテーブルに被害が行ってないかを確認する。

 さっきの衝撃で店中が揺れたはずだ。直撃はせずとも、ただでさえ、消耗しきっていているユウリにはあまりに酷な振動だ。

 

『…………?』

 

 だが、テーブルの上には窓ガラスと木片の残骸以外に置いてあるものはない。

 ここから離れた? 店内から脱出したのか?

 それならいい。俺も……本気で暴れることができる。

 俺を踏み付け、調子に乗っているドラーゴが重心を移動させるその瞬間、奴の脚を両サイドから鋏角で抉る。

 

『ッ……! このクソ蠍がッ』

 

 奴が痛覚を感じ、僅かに脚を上へ持ち上げた時を狙い、転がるようにして、ストンピングの豪雨から逃げ出した。

 乱れていた呼吸が、再び正常なものへと戻っていた。

 こういう時に魔物の肉体は便利だ。治癒力こそ脆弱だが、頑強さと生命力だけなら魔法少女よりも軍配が上がる。

 兎にも角にも、ドラーゴとの決着よりも蠅男の始末が優先される。

 尾節をバネが代わりにして、開け放たれた窓から飛び出そうと跳躍を試みる。けれども、それを見す見す見逃す奴でもなく、飛び上がった瞬間に尾を掴まれ、逆方向に投げ出された。

 

『くッ……』

 

『ダァメっだって言ってんだろォがよォ! お前はここで俺と遊んどけって! 自分を助けてくれたガキが凌辱されて死体になるまでなァ!』

 

『何だと……! それはまさか、みくの事か!』

 

 下劣な笑みを浮かべる奴の口から出た言葉に動揺する。

 あの蠅男の目的はユウリでも、俺でもなく、何の関係もないみくだというのか。

 いや、それ以前にみくが俺を助けてくれた事も知っているという発言に驚かされた。

 

『何、俺はユウリちゃんへの実験を兼ねた制裁ができれば良かったんだが、下僕にしたあの蠅がどォ~しても幼女を犯したいっていうもんだからさ。その望みを叶えさせてやってるって訳。俺って部下想いの理想の上司だろォ?』

 

『クソ野郎が……奴が蠅なら、それとつるむお前は正しく“クソ”だ。クソの塊め』

 

『ほォ……じゃあそのクソに邪魔されてなァーんもできずに絶望するお前は何なんだよ? クソ以下の汚物かァ?』

 

『それなら、便所掃除をするまでだ!』

 

 ドラーゴの話が本物なら今最も危険な状況なのはみくだ。

 そうか、ユウリは逃げたのではなく、蠅男を追ったのだ。みくを守るために、その傷付いた身体で……。

 ならば、俺も悠長にしては居られない。

 蠅男の狙いがみくだというなら、ドラーゴは徹底的に俺との戦いを長引かせ、絶望する俺とユウリを見ようとするに決まっている。

 故に奴は決定打の熱光線は使わないだろう。

 こいつはそういう奴だ。分かりやすい勝利などよりも人の心を踏みにじる事に全力を掛ける。

 であるならば……。

 俺はユウリが逃げた事を悟られず、戦闘を続ける事だ。

 ドラーゴが俺を釘付けにしていると思っている間だけ、ユウリは自由に動ける。

 皮肉な話だ。助けに来たと言いながら、彼女をまた別の戦いに追いやってしまった。

 自分が情けなくて仕方がない。

 しかし、情けないなりに己の役目をこなそう。

 彼女が――魔法少女という役目を全うしに行ったように。

 

 

 

~ユウリ視点~

 

 

 全身が痛い。皮膚の間を異物が蠢いている不快感が止まらない。高熱にうなされていた時のような酩酊間が消えない。

 それでもこれは、大火が作ってくれた時間……あいつが起こした奇跡。

 惨めに死ぬはずだったアタシが、みくを助けに行けるのだから感謝しか感じられない。

 身体の中に侵入した蛆共は消えないが、それでもさっきよりは遥かにマシだ。

 出血していた皮膚がもう再生している。魔法少女さまさまだ。

 走れ……! 走れ。走れ。走れ走れ走れ走れ走れ!

 みくの元へと全力で街を駆け抜ける。

 間に合わせてみせる。必ず。

 呼吸を整えろ。楽しい事を考えろ。苦しみに身を任せるな。

 病気でずっと苦しんでいた時の経験がまさかここに来て生きるとは思わなかった。

 頭の中で『ユウリ』の作ったお菓子を一緒に食べた記憶を思い浮かべる。

 大丈夫。まだ、アタシは頑張れる!

 両足を懸命に動かして、みくのパン屋まで向かい、疾走する。

 ……見えた! あの子が住む二階建ての建物が視界に映り込んだ。

 その時、ブゥーンと羽音が聞こえてきた。

 あの蠅野郎の羽音が次第に大きくなって聞こえてくる。

 込み上げてくる不安と恐怖を何とか呑み込み、走り続けた。

 間に合え。間に合え。間に合え。間に合え。間に合え。

 

「間に……っ」

 

 全速力をキープしたまま、パン屋の入口を両足で飛んで。

 

「合えええええええぇぇぇーーーーーーーーー!」

 

 勢いと体重を乗せたドロップキックで蹴破る。

 引き戸だったガラス戸は音を立ててぶち壊れ、アタシはそのまま店内へと転がり込んだ。

 途端に耳が悲鳴を上げるほど大音量の羽音が聞こえた。

 棚に並べられたパンには蛆と蠅がこれでもかというくらいに集っている。

 それらを無視し、大声でみくの名を叫ぶ。

 

「どこだ! みく! どこに居る!? 答えてくれ!」

 

 返事はない。

 居ても立ってもいられなくなったアタシは二階に上ろうとして、気付く。

 一際大きな蠅が集っている場所。

 その場所に服が落ちていた。

 見覚えのある服……それはここの主、パン屋の主人の服。

 みくの……お父さんの服、だった。

 職人気質で、無口で、とても接客業を営んでいる人間とは思えなかったが、空腹で倒れている大火のために無償でパンを持っていくよう言ってくれた。

 気絶したあいつにパジャマと寝床を用意した彼は、アタシに感謝の言葉を述べた。

 

『娘を助けてくれて、あえりがとう』

 

 魔法少女のおかげで病気が治ったなどという娘の世迷言を真に受けた彼は、自分の半分も生きてない子供のアタシに本気で礼を言ったのだ。

 

「あ……あああああああ!」

 

 喉から漏れた悲鳴が自分のものとは思えなかった。

 それくらい絶望に満たされた叫びだった。

 骨すら残らず(ついば)む害虫へ向けて、リベンジャーを連射する。

 潰れた虫は汚らしい白い体液をぶちまけて、床を濡らした。

 振り切るように、目を背けて二階へと駆けあがる。

 無事で居てくれ、みく……!

 ほとんど跳ねるように段差を蹴り、住居スペースまで上がった。

 壁に『みく』と食パンに似せたプレートが掛けられた部屋を見つけると、躊躇いなく蹴破った。

 

「みく!」

 

『騒がしいですね。私と彼女の逢瀬(おうせ)を邪魔しないで頂きたい』

 

 中に居た蠅男がぐったりしているみくを抱き留めている。

 両目を瞑り、ぴくりとも動かない様子を目撃したアタシは。

 自分の頭の中で何かが千切れる音を確かに聞いた。

 言葉は出なかった。

 代わりに、目の前の標的に大きく上げた(かかと)を斧のように振り下ろした。

 ほとんど手応えは感じなかった。

 頭部に振り下ろした踵は空を切るような感触を味わう。

 蠅男の姿は無数の小さな蠅へと別れ、アタシの攻撃をするりとかわした。奴が抱きかかえていたみくが地面へと落下する。

 ……本体、じゃない!?

 同時に後ろのクローゼットが開いた。

 片腕でみくを抱き締め、もう片方の手に握ったリベンジャーを振り向いて撃ち込む。

 しかし、それも着弾すると細かく蠅の集団に別れ、羽を揺らすだけだった。

 こいつも分身……それじゃあ、本体は。

 

『酷い事をしますね、ユウリ様』

 

 天井から聞こえた声に反応し、銃口を上に向け、引き金を引く。

 部屋の中に一際大きな羽音が響いた。

 

「ゴフッ……」

 

 見えなかった。瞬く間に、それはあった。

 ――アタシの腹部に、黒い昆虫の前足のような突起物が生えていた。

 背中から刺されたのだと理解するまで二秒ほどかかった。

 (うずくま)りたくなる痛みを味合わなければ、内臓がいくつか潰されていると気付けないほど、素早かった。

 咳き込んだ拍子に、みくの頬にアタシの吐血の飛沫が掛かる。

 顔が近くに寄ったおかげで、すうすうと規則正しい呼吸音が聞こえる。

 それに気が付いた時、痛みよりも喜びと安堵が勝った。

 よかった。この子はまだ生きている……。

 

『……気でも違われましたか?』

 

 蠅男は心底気持ち悪いものを見るように吐き捨てた。

 複眼の目にはきっと、笑っているアタシの顔が映っているだろう。

 分かるもんか、お前なんかに。

 このアタシの喜びが、こんな下衆野郎に理解されて堪るか。

 そっと、みくの身体を部屋に敷かれたカーペットの上に寝かせる。

 顔に付いた血も拭き取ってやりたいところだが、それはこの蠅男を殺した後だ。

 

「考えてただけだ。お前をどうやって殺してやろうかとなぁ!」

 

『……!?』

 

 牙を剥くようにアタシは攻撃的に笑った。

 この姿をみくに見られなくて本当によかった。あの子が憧れる魔法少女にしてはアタシ些か凶暴過ぎる。

 お行儀悪いアタシは良い子には見せられない。リベンジャーを二丁とも手の中から消した。

 腹から突き出た奴の腕の一本を思い切り掴むとそのまま口元へと持っていき――噛み千切る。

 

『あぎッ……!?』

 

 慌てて、蠅男が腕を引き抜こうとするが、そうはいかない。

 こいつの速さは厄介だ。だから、このままでいい。

 いや……このままがいい(・・・・・・・)

 千切った腕の先を噛み砕きながら、叫ぶ。

 

「『コルノ・フォルテ』!!」

 

 部屋の端から生みだした牡牛が、蠅男の横腹を抉る様に突き飛ばす。

 腹を貫かれたアタシごとみくの部屋の窓をぶち破りながら、外へと飛び出した。

 

『ゴオオアアァァァァ!?』

 

「あぐッ……ふふはははははは! 喚くなよ、蠅。ほんの少し齧られて突き飛ばされただけだろう? アタシとお揃いだ」

 

 内臓がシェイクされる。腹の内側でスムージーでも作られているようだ。

 口の中が血の味で一杯になる。飛び切り不味い鉄の味……。慣れ親しんだ吐血の風味。

 入院していた頃はしこたま味わった生ぬるい触感と風味だ。

 割れたガラスの向こう側、部屋の中でみくの寝顔を見えた。

 痛みが薄れるような愛らしい寝顔だ。

 空中でイニシアティブを取ろうと生意気な蠅野郎は、アタシを振り落とそうと必死に身体を右へ左へ大きく飛ぶ。

 そんな離れてほしいか。なら、望み通りにしてやる!

 

「喰らいな!」

 

 腕を掴んでいた手を放し、リベンジャーを生成する。

 腹部を貫通していた腕がずるりと抜けて、零れた血液が空を汚した。

 だが、至近距離の連射を受けた奴は黒く濁った大量の体液を宙に撒き散らし、それ以上に空を汚染する。

 

『アバババババババババァ!!』

 

 想像通り、蠅野郎の強度はお粗末なものだった。

 速度に特化したために外殻の厚さは、魔物化した大火とは比べ物にならないほど薄い。

 アタシの魔力ならこいつの身体に風穴を開けるなんて訳ない。

 そして、アタシの愛銃リベンジャーは余剰エネルギーを薬莢のように排出し、再びソウルジェムで回収するように作られている。

 空中での射撃でも反動はほとんどない。

 後は奴が飛び去る前に、弾丸を束縛のリングへと変えて、身動きを取れなくなったところに止めを刺す。

 落ちる寸前にコルノ・フォルテにアタシを拾わせればいい。

 何だ、楽勝じゃないか。

 そう……楽、しょ……う……。

 

「あ……れ……?」

 

 勝利を確信したアタシがぼんやりと霞が掛かったように鈍くなる。

 視界は端から黒く染まっていく。

 手の中にあった二丁のリベンジャーはいつの間にか消えていた。

 何故……?

 消したつもりはない。そんなはずはない。

 思考だけじゃなく、身体も重い。

 落下していく中で、アタシは自分のソウルジェムを見る。

 パッションピンクのソウルジェムは、その大半が黒く濁り切っていた。

 

『ブモォォォォー……』

 

 意識を失う寸前、コルノ・フォルテの悲し気な声が聞こえた気がした。

 

 

 ******

 

 

『そろそろかねェ?』

 

 喫茶店の室内にて、鉤爪と鋏角が何度目かの互いに衝突し、魔力の火花を散らす。

 もはや店内にものと呼べるものは元の形を保っていなかった。

 テーブルや椅子。観葉植物、天井に付いていたクラシカルなファンまでも壊れ、残骸と化している。

 そんな中でぽつりと何気なく、ドラーゴが呟いた。

 

『何が、だ?』

 

 お互いに油断する気配はない。どちらかが隙を見せれば即座に負ける。

 それほど拮抗した戦いの最中、何を言おうというのか、俺にはとんと分からなかった。

 無論、俺に隙を生むための詐術の可能性は十分ある。

 しかし、その軽い口調の裏に、とても邪悪な感情が籠められているように感じられた。

 

『いやなァ、そろそろ逃げたユウリちゃんに潜り込んだ蛆が魔力を吸って孵化する頃かと思ってよォ』

 

『お前……!』

 

 この男……気付いていたのか。ユウリが逃げた事を。

 そして、今、何と言った?

 ユウリの中の蛆が魔力を吸って孵化するだと。

 俺の中の動揺が奴に伝わったのか、そのまま攻撃の手を弛める事なく、楽し気に語り出した。

 

『あの蛆は魔力で作られたものなんだぜ? そいつが肉だけ喰うなんておかしいだろォが。あれは恐怖や嫌悪感っていう感情エネルギー……まあ、魔力そのものを啜ってるんだわ』

 

『……そうなる前に彼女があの蠅男を倒すとは考えないのか?』

 

『もちろん、その可能性はある。奴自身の戦闘力はお前や俺には遠く及ばないしな。だが、あいつは俺以上に“いやらしい”んだぜェ?』

 

 竜が嗤う。

 大きく裂けたその口の端を、ぐにゃりと吊り上げ、人間にはとても形容しきれない邪悪を表現した。

 この化け物にどれだけ憎しみを懐いてきたのか分からない。そんな俺が改めて感じる、激しい殺意と憎悪。

 憎い……! 心の底から殺してやりたい……!

 

『この野郎! どれだけ腐ってやがる!』

 

『蠅が集るくらいかねェ? あははははははははははァ!』

 

 哄笑するドラーゴに激昂しかけるが、ここで怒りに身を任せれば、破滅するのは俺の方だ。

 憎しみを胸の内に押し込んで、奴を見据える。

 一撃。最大の一撃を相手に先に入れたものが勝つ。

 俺は奴へと必殺の一撃を放とうと、狙いを定める。だが、奴はそこへ水を差すような言葉を投げかけた。

 

『なあ、お前さえよければ、この辺でお開きにしねェか?』

 

『……何? 何の罠だ?』

 

『いや。俺もそろそろ飽きて来たんだ。このままお互い決め手をぶつけ合っても前と同じ。両者共倒れじゃ、お前としてもユウリちゃんを助けられない。……どうだ?』

 

 俺は思案する。

 満更、嘘でもないだろう。

 こいつは半ば本気でこの膠着状態に飽きている。

 このまま戦ったところで、ユウリへと助力に向かう余力を維持する事も難しい。

 引くべきか……?

 だが……。

 ドラーゴを睨む。性格の腐りきったこの男が本気で不戦を貫くだろうか?

 

『おいおい、疑り深いねェ。ドラちゃん、泣いちゃいそう。じゃあ、こういうのはどうだ。お互いに一斉に魔物化を解く』

 

『……いいだろう』

 

『そいじゃ……いっせいのせっ』

 

 掛け声と共にお互い、人間の姿へと戻る。

 黒い竜が消え、憎たらしい少年の見た目になると、俺は一目散に入口から飛び出した。

 

「がんばっちぇねー」

 

 後ろからふざけた調子の応援がかかる。

 一発くらい殴ってやればよかったと後悔しつつ、蠅男のイーブルナッツの魔力反応を目指して駆け抜けた。

 




若干、ヒーローものになり掛けてますが、主役は一応魔法少女なんです……。
あと、ずっとアベンジャーだと思っていたハンドガン。実はリベンジャーでした。すみません。


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第九話 正義の魔法少女

~あきら視点~

 

 

 俺は蠍野郎が大急ぎで『バアル・ゼブル』から出ていくのを見送ってから、冗談抜きであいつに感心する。

 いくら人通りの少ない立地だからって、まだ日も高い内にあれだけどんちゃん騒ぎして、外部からの干渉がないのおかしいだろ。

 不審に思えよ、まだ午前中だぞ? カフェの中がぐちゃくちゃになるほど暴れてんだから、普通だったら通報ものよ。通報もの。

 パトカーさん、ピーポーピーポー。参上ポリスおじさんの巻きィ!だよ、マジで。

 

「真性のアホって居るんだなぁー。あきら君もびっくりですわ。アンタもそう思うっしょ? ひじりん(・・・・)

 

 天井の方に声を掛けると一体どこに隠れていたのか分からないが、フードを被った少女が一人降りて来る。

 マジでどこに居たんだ? 魔法少女っていうかニンジャだ。漢字で書くタイプじゃなくカタカナで書く怪しげな方。

 

「お前は頭がイカれてるがな」

 

イカしてん(・・・・・)のさ、俺は。それより人払いのありがとさん。にしても魔法っていいなぁ、色んな事ができて。俺なんか『そらをとぶ』と『かえんほうしゃ』と『かみくだく』と『きりさく』くらいしかできねーのに」

 

「私の魔法は万能でもない。それより、あきら」

 

 あ、そこはポケモンかよって突っ込んでくれねーのか。ボケ甲斐ないなぁ……。

 という冗談はここまでにして、こいつの魔法で何ができるかある程度明らかになれば、裏切る時に楽だったんだが、そう簡単には話してくれねーか。

 謀反を虎視眈々と狙っている俺に気を止めることなく、ひじりんは続けた。

 

「何で私が加勢するのを拒んだ? あの場で奴を倒す事もできただろうに」

 

「分かってないなぁ、ひじりんは。馬鹿でそれなりに強いあいつには引っ掻き回してもらった方がいいんだよ」

 

 あいつはかずみちゃんたちに魔女モドキとして認識されてる。そいつを上手く利用すれば、この街で起きる悪事を擦り付けるのも容易い。

 体のいいスケープゴートにするには打って付けの相手だ。

 何より、そういうイレギュラーがあった方が面白い。俺は想定通りに物事が進まないのにはイラつくが、想定通りになり過ぎると飽きて自分から計画をぶち壊す悪癖がある。

 つまるとこ、適度に上手く行かないくらいが丁度いいんだわ。

 更に付け足すなら、あの蠍野郎は俺の邪魔をするためにわざわざ時間遡行までしてやって来たということ。

 『お前にこの街は壊させない』。奴の発言から考えるに、俺は未来でこのあすなろ市を破壊しているらしい。

 当然、あの蠍野郎は未来の情報を元に、俺の行動を邪魔し、この街を守ろうとするって訳だ。

 何だそりゃ? 強くてニューゲーム? ループ系主人公?

 あいつの時間遡行が任意で行えるものなのか、それとも死んだりしたら自動でなるものなのか調べとかないと安易には殺せねー。

 特に後者だった場合は、殺さずに行動不能にするか、もしくは精神をぶっ壊して廃人にするしかない。

 ちと面倒だが、そのくらいの方がやりがいがある。普通にやってたら俺の思うがままに街を蹂躙できてたつーことだからな。

 難易度はイージーより、ハード。ベリーが付けばなお良し!

 対戦型ゲームのがNPCイジめるよか捗るってモンよ。

 

「ぱぱっぱっぱっーぱーぱぱー!」

 

 (ふところ)から某猫型ロボットが未来のアイテムを出すテンションで食べかけだったフルーツケーキを取り出してパク付く。

 うむ。ちょっと潰れちまったけど、まだ食えるな。

 

「…………」

 

 フードの下から、無言で俺に視線を送ってくるひじりん。

 

「何見てんの? あー! ちゃんとひじりんの分もあるって。このいやしん坊さんめー」

 

 ユウリちゃんが残したケーキが乗ったお皿を懐からさっと取り出す。

 これが欲しかったんだな? まったく困ったな子猫ちゃんだぜ。

 

「要るか馬鹿! それ蛆が詰まってたケーキだろ!?」

 

「ダイジョウビ、ダイジョウビ。もう全部蠅に羽化して飛んでったさ」

 

 ひじりんの方にケーキを突き出すと、苺の乗った上部がもこっと動いてデカめの蠅がブーンと羽音を立てて、テイクオフした。

 

「…………」

 

「…………」

 

 両者、沈黙の中、蠅だけが元気に飛び回っている。

 俺は右腕だけを魔物化させて、さり気なくプチっと握り潰した。

 ぐいっと皿をひじりんに押し付ける。

 

「ほら」

 

「ほら……っじゃないだろ!? 今、蠅出たよな? 何事もなかった振りしても無駄だからな!?」

 

 首を大きく振って嫌がるひじりんに俺はさらに皿を差し出した。

 

「食べなよ。食べものを残すような子は、かずみちゃんに嫌われちゃうよ~?」

 

「……そこでどうしてかずみの名が出てくる?」

 

 そこで露骨に拒否していたひじりんの声が剣呑な色を帯びる。

 顔を見せないくせに眼光だけが鋭くなったことは確かに感じられた。

 ああ、やっぱりか。

 こいつの狙いはかずみちゃん一人。

 ユウリちゃんに攫わせようとしたのは、プレイアデス聖団の魔法少女を減らしたいのかと思ったが、この反応は違う。

 好意にしろ、嫌悪にしろ、感じられるのは明確な個人に対する執着。

 ひじりんにとって、かずみちゃんは特別だということ。これはかなり重要なポイントだ。

 俺は内心を隠し、へらへらした軽薄な表情で会話を続ける。

 

「食べ物を粗末に扱う人間はかずみちゃん曰く、『悪人』なんだとさ。だから、食べ物はたーいせつに食べないといけないんだよぉーう」

 

「ふん。そんな事か。それよりも話を戻せ。あの魔女モドキがユウリに加勢に行って、もしあの蠅の魔女モドキが負けたらどうするつもりだ? あの様子じゃユウリにはもうプレイアデス聖団への復讐心は残ってない。奴らにお前や私の情報がバレるぞ」

 

 あ、露骨に話題逸らしやがったな。そうまでして触れられたくない話題なのか。

 こりゃ相当ひじりんの中で大切なモンみたいだ。かずみちゃんが記憶喪失だって話だったが、それ以前に友達だったとか?

 まあ、何にせよ、かずみちゃんの存在がひじりんの弱点ってことが分かったんだから、これ以上突くのは止めた方が賢明だな。

 

「それなら心配ナッシング。あの蠅公の役目はもう終わってる。ユウリちゃんのソウルジェムはもう、真っ黒黒助状態。アンタが教えてくれたことだぜ? ソウルジェムが濁り切るとどうなるかをな」

 

「……なるほどな。死人……いや、魔女に口なしと言ったところか」

 

「そゆこと」

 

 ケーキ部分を平らげて、舌の上で乗っかっていた苺を転がす。

 元から、あのロリペドは戦力には数えていない。

 一般人に被害を与えてプレイアデス聖団を情報隠蔽で足止めすることと、ユウリちゃんへ過度なストレスを与えてソウルジェムが濁るプロセスを観察すること。それが終わってるからもう魔女に殺されようが、魔物にやられようがマジどうでもいい。てか死ね。蠅とか蛆とか生理的にキモいんじゃーボケ。

 

 

~ユウリ視点~

 

 

 生温い、何かが身体に貼り付いている。何だ、これ。すごく気持ち悪い……。

 べた付く粘性の液体が背面に広がり、服と肌を濡らしていた。

 アタシは……どうなった……?

 ぼんやりとした思考の中、記憶の糸を手繰り寄せ、朧気ながら思い出す。

 何だったか……そう。蠅の魔女モドキ……いや、蠅の魔物に弾丸を何発も食らわせて……でも魔法が消えて、魔力が切れて……ソウルジェムが濁ってて……ああ、そっか。

 落ちたんだ。アタシは、空中から落下した。そうだ、背中から地面へと墜落した。

 じゃあ、これは血か。アタシの血。ウォーターベッドならぬブラッドベッド……はは。悪趣味すぎて笑えてくるな……。

 痛みはない。代わりにどんよりとした倦怠感が身体中に充満している。

 ――ブゥーン。

 羽音が聞こえる。

 ――ブゥーンブゥンブゥンブゥンブゥン。

 羽音が増えた。次から次へと新しい羽音が生まれ、その内、音同士が重なり、絶え間なく周囲に響き渡る。

 ――ブゥーンブゥンブゥンブゥンブゥンブゥンブゥンブゥンブゥンブゥンブゥブブブブブブブブ。

 煩い。本当に煩い。

 どこに居るんだ。この羽虫共は……。

 目を開けているのに何も見えない。夜中のように真っ暗だ。

 ぐずりと目の奥で何かが蠢いた。

 その途端……。

 ――ブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブ。

 音の波が(せき)を切ったように、流れ出した。

 その発生源は……アタシの眼球からだった。

 

「あ……あ……あああああああああああああ」

 

 蠅だ……。

 数えきれないほどの蠅が眼窩(がんか)から一斉に這い出してくる。

 痛みはないのに脳を蝕むような不快感が蔓延(まんえん)している。

 その振動する羽が。

 その小刻みに動く脚が。

 自分の中身を食い破って孵化したのだと思うと――。

 (おぞ)ましい。

 オゾマシイオゾマシイオゾマシイ。

 倒れているアタシの身体がどうなってしまったかなど想像もしたくない。

 思考を破壊するような爆音に紛れて、蠅男の声がする。

 

『……よくもやってくれたな、この売女(ばいた)がッ……』

 

 礼儀正しい言葉遣いは微塵も残ってない。卑しさが滲み出る汚い罵声。

 きっと、こちらの方が奴の本性なのだろう。メッキが剥がれて、剥き出しになった小物じみた性格が露わになったのだ。

 

『フッ、でも、テメエのおかげで今まで一番大きな蛆共が羽化したぜ。まるまる太った蠅……ああ、堪らねえ』

 

 羽音の後にくちゃくちゃと咀嚼(そしゃく)する音……。子供たちとか(のたま)っていた癖に、成虫になった蠅を喰っているのか? どこまでも薄っぺらい男なんだ。

 

『あー……うめえ。うめええな。傷が治っていきやがる……ひひ。いひひひひ……いい! こいつはいい! 最高の気分だぁ! この調子で蛆の苗床にしてやるよぉ!!』

 

 羽音が消えた後、それと同じくらい不快な笑い声を上げ、蠅男は叫んだ。

 

『テメエが守ろうとしたガキは俺が犯してやる。身体中、蛆の詰まった精液でハラワタまで満たして満たして満たし尽くしてやるぜぇ! いひひひひひひひひひ。ざまあみろ! テメエは何にもできずに蛆の餌だぁ!』

 

 みくがこの屑に好きなようにされる……。

 駄目だ。それだけは絶対にさせない。でも、身体は言う事を聞かない。

 

「はあ……はあ……」

 

 ソウルジェムが濁っていてもう身体を動かす魔力も残っていないんだ。

 でも、それならば……魔女になってしまえばいい。

 そうだ。最初からアタシに失うものなんて何一つない。ユウリと同じになるのなら、望むところだ。

 すぐにでも、この屑諸共(もろとも)破滅してやる……。

 だが、そこで蠅男はアタシが予想だにしない発言をする。

 

『だが、メインディッシュの前にオードブルを楽しむとするか。……ここに居るガキ共でなぁ?』

 

 ……何を言っている? ここに子供が居るのか? いや、そもそもアタシたちが落ちたこの場所は?

 待て。羽音のせいで麻痺していた鼓膜に、蠅男の声以外にも何か入ってくる……。

 

「嫌ぁ、虫が……虫が……貼り付いてくるよぉ!」「お母さん! お母さん! 助けてぇ!」「誰かぁ……誰か、居ないのぉ!? 白い芋虫で何も見えないよぉ……」「いだいいだいいだいいだいよっ……」「うわあああああああああああああああぁぁぁぁ!」

 

 幼い悲鳴と悲痛な絶叫。

 子供がこんなにも居て、街中にある場所。学校やアミューズメント施設? いや、建物だとしたらアタシの身体は屋根を突き破っている。身体にその破片が刺さってるはずだ。

 それならば空き地、いや……公園か?

 だとしたら、ここで魔女になってしまえば、ここに居る子供たちまで結界の中に取り込んでしまう……。

 そうなったら最後、魔女化したアタシは蠅男を殺すだけじゃ止まらない。

 ……一切の区別なく、結界内に居るものを虐殺するだろう。

 畜生。結局、アタシはこうなるのか……。

 大火からやり直すためのチャンスをもらったのに……こうなってしまうのか……。

 確かにアタシは魔女になっても仕方ないくらいの奴だ。八つ当たりで復讐を企てる魔法少女失格の女だ。

 だけど、それでも……最期くらいは魔法少女で居たい。

 ユウリと同じような……誰かのために戦う魔法少女になりたい。

 頼むよ。神様……。

 もしもそんな都合の良い存在が居るのなら、今だけでいい。

 アタシに……立ち上がるための力を下さい。

 魔法少女として、子供たちを守るための力を下さい!

 

「がぼっ……」

 

 片手に残った魔力を回す。

 手の中に慣れ親しんだ感触が(よみがえ)

 生み出すのは拳銃。名前はリベンジャー。

 復讐の名を冠するその銃はアタシの見っともない逆恨みを象徴するもの。

 でも、この一瞬だけは――。

 正義の魔法少女の武器として、悪を穿つ!

 

「ぐっ、……がぁあああああああああああ!」

 

 全霊を込めて、リベンジャーの引き金を引いた。

 狙うは奴の声が聞こえた位置。

 調子に乗って近付いてくれたあの蠅男のその頭。

 孵化して出て行った蠅を残らずアタシの傍から回収してくれたおかげで、声の聞こえる場所は正確に狙えた。

 アタシを無力化したと油断しているからこそ、その弾丸は奴へと届く。

 目は見えなくても分かる。この音は……被弾した音!

 

『グギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァッ!!』

 

 直後、奴の悲鳴が周囲に轟いた。

 だが……この音は。

 

『このクソアマがぁ……よくも俺の顔に弾くれやがったなぁぁぁぁあ! ちっ、クソぉ! 俺の蛆共がッ』

 

 浅い……。倒し切るには威力が足りなかった。

 手の中の銃の感触は撃ったすぐ後に消えている。

 もう新しく作る余力は残っていない。

 

「あ、れ、居ない!? 居ないよ? 虫消えた……」「顔が痛い……血が出てるよ」「お、お、おがーざぁーん!、おがーざぁーん!!」

 

 しめた! それでも奴の蛆共を消すくらいには効いてくれたようだ。

 少し離れた場所から聞こえていた叫んでいる子供たちへと声を上げる。

 

「逃げろ! 早くここから離れるんだ!」

 

 蛆に襲われて何も見えていなかったのか、ようやく死にかけのアタシや蠅男の存在に気付いた子供たちが思い思いの悲鳴を上げなら、次第に声が遠ざかっていく。

 逃げきれたのか……? それなら……よかった。

 安心したアタシを蔑むように蠅男の下卑た声が響く。

 

『……オードブルは止めだ。ガキ共は後で捕まえて殺す。まずは、テメエの身体を(なぶ)って、弄って、弄って、弄り殺しにしてやる……!』

 

 耳元で聞こえた言葉。

 何か言い返す前にアタシの身体は衝撃を受け、弾き飛ばされた。

 痛みはなかったが、衝撃と浮遊感を味わった後、硬い地面へと叩き付けられた。

 これでいい。こいつがアタシへ怒りをぶつけている間に、子供たちは逃げられる。

 そうすれば、ここに居るのはアタシのこの蠅男だけ。

 もう時間はない。

 あと、数分もしない内にアタシのソウルジェムは魔女を生む卵へとなる。

 

「はは……」

 

『何を笑ってやがんだテメエ!?』

 

「アタシの勝ちだから、だ……」

 

 もういい。みくも、子供たちも助けられた。

 魔法少女として、最低限の働きはやり遂げられた。

 ユウリとは比べ物にならないほど、ちっぽけで、かっこ悪いけれど、それでも。

 魔法少女としての役目は果たせたと思う。

 

『何だとぉ……!』

 

 腹部を何かが貫いた。口から生温かい液体が垂れる。

 そのまま、上に引っ張られる感覚……こいつの腕に突き刺された状態で持ち上げられたのか。

 

『俺が勝ったんだ! テメエは負けたんだよ!? オラッ、言えよ。誰が勝ったのか。ちゃんと言ってみろ!』

 

「がふ、げほッげほッ……はあ、はあ……勝ったのは……アタシ、だ……」

 

『まだ言うのかああああああ! 勝ったのはどう見ても俺だろうがッ』

 

「いいや……勝ったのはユウリだ」

 

 アタシでも蠅男でもない声が会話に混ざる。

 この聞き覚えのある、低めの声は……。

 

『テメエは……』

 

「その汚い手をユウリから離せ。蠅野郎」

 

 アタシの知る中で最も暑苦しくて、最もお節介で、最も馬鹿な男の声だった。

 

「どうしても離さないというなら……」

 

 言葉の途中、声がくぐもったような独特の響きに変わる。

 

『お前を倒して奪い取る』

 




もう少し先まで進めるつもりだったのですが、書いている内に延びてしまいました。


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第十話 三重の報復

 あすなろ公園の中央。

 大きな噴水を中心に円状して配置されるブランコやシーソー台、ジャングルジム。

 本来であれば、子供たちの元気な喧噪で溢れていたはずのその場所は殺伐とした空間へと様変わりしていた。

 そこら中に血だまりが地面を濡らし、遊具には飛び散った血液が付着している。

 

「たい、か……?」

 

『倒してでも奪い取る、だと……? はぁぁ? ゴミが! 何ホザいてんだ、テメエ!』

 

 空中で制止している蠅の魔物が汚らしく罵るが、俺の目には奴の腕に貫かれているユウリにしか向かなかった。

 ショッキングピンクカラーの衣装と白い肌は鮮血で彩られている。トレードマークのとんがり帽子は穴だらけになり、手足は折れ曲がって、あらぬ方向に捻れていた。

 深々と腹部に突き刺さった蠅の魔物の腕は彼女の背中まで達していた。

 そして何より……彼女の両眼はぽっかりと穴のように抉り取られていた。

 眼窩から延々と流れているのは、涙でなく、大量の血。

 改めてユウリの凄惨な見た目に頭の中が怒りではち切れそうになった。

 ……もはや、言葉など必要ない。

 魔物化した俺は即座に蠅の魔物へ向かって、宙に跳ね上がる。尾節をバネにして、一瞬で距離を詰めた。

 まずはユウリを刺している汚らわしい昆虫じみた前足を斬り落とす!

 右手の鋏を開き、渾身の一撃を奴の前足に突き出した。

 イーブルナッツの特性なのか、前回と同じ動作だが、速度は俺の怒りの感情が速さに変換されたかのように加速する。

 黒い棒状に伸びた蠅の魔物の前足とそれに腹部を抉られているユウリの姿が目と鼻の先まで来て――……一瞬で消えた。

 

『……何ッ?』

 

 中空で、あと僅か数センチの距離まで接近していた魔物とユウリが掻き消えたのだ。

 思いもよらない光景に思考の空白が生まれる。

 

『トロくせぇんだよ、ゴミがッ!』

 

 頭上からの罵声と共に衝撃が背中へと降ってくる。

 殴られた……? いや、これは蹴りか?

 

『くッ……!』

 

 空中でバランスを崩し、重力に従って落下。公園の地面へ叩き付けられるが、受けた攻撃共々大したダメージには至らない。

 間髪入れずに頭上へと視線を向けるが、そこには青空が広がるばかりで奴の姿はない。

 どこへ行った!?

 

『どこ見てんだよ、ノロマ野郎』

 

 声が聞こえた方向に腕を振るうが、掴むのは空のみ。

 しかし、蠅の魔物は俺の死角という死角から怒濤の蹴りを浴びせにかかる。

 文字通り、目にも止まらぬ速さというものがどういうものなのか嫌でも分からされた。

 速い――! とにかく速い! 一撃一撃はそれほどの威力ではないが、こうも連続で喰らうと無傷ではいられない。

 ユウリを掴んだままというハンデを抱えた状態でなおこのスピード。速度だけならドラーゴを超えている……。

 俺は両腕を顔の前で構え、防御の姿勢を固めた。

 むやみやたらに腕を振り回しても当たらないだろうし、間違ってユウリを傷付けてしまっては意味がない。

 

『おいおい。あんな啖呵吐いておいて、しょっぱいマネしてんじゃねぇよ、クソガキよぉ!』

 

 ひたすら守りに徹して、奴の攻撃を分析する。

 目で追っても視認できないなら打撃の感触だけで考えればいい。

 蠅の魔物の攻撃は、ユウリを刺していない方の手での殴打、蹴り。連撃といっても攻撃のテンポやパターンにバリエーションはない。

 刺突はしてこないのは奴の腕では俺の装甲は貫けないという証拠。蛆を出して来ないのも理由は同じ。

 ならば、奴に俺を倒す決定打はないと見ていいだろう。

 それなら……。

 攻撃と攻撃の合い間。

 奴が飛行による移動に専念する一瞬。

 腕を丸めて顔を守る俺を一方的に殴って愉悦に浸るお前が油断し、正面に回った時。

 尾節を股の下から潜らせて、蠅の魔物を狙う!

 

『お、おおお!?』

 

 俺もお前らのような下衆との戦いに慣れてきた。

 予想外の反撃に対し、品性下劣な蠅の魔物は――。

 尾による刺突を避けるためにユウリを掲げ、盾のように突き出した。

 分かっていたとも。

 “必ず、人質を盾にする”。

 他者を食い物にし、我が身を何よりも優先するお前ら下衆の常套手段。

 あるいは手に持ったもので我が身を守るという反射的行動。

 だからこそ、そこが狙い目だった。

 

『な、にィ?』

 

 ユウリの身体を盾にして、自分の身を護る蠅の魔物の行動を読み切っていた俺は、尾節でユウリを巻き取り、奴の腕から引き抜くように奪い取る。

 

「うぐッ……」

 

 ユウリの呻き声に内心で土下座しつつも、ようやく俺は彼女を奪還する事に成功した。

 尾節を折り曲げ、彼女を優しく掴み取ると両腕の関節に乗せるように置く。

 間近で見れば見るほどユウリの損傷は激しい。皮膚は『傷』ではなく『穴』と表現した方が相応しいものが肌を埋め尽くすように覆っている。

 痛々しいなどという言葉では済まされない。当事者以外では想像すら困難なレベルのダメージ……。

 

『ユウリ……済まなかった。俺はいつも肝心な場面に間に合わない』

 

 これまで幾度となく、自分を無能だと感じ続けていたが、ここまで何も守れないとは……。

 情けなさを通り越して、呆れ果てる。もしも可能なら彼女の傷をすべて俺が肩代わりしたいくらいだ。

 

「……そうでもない。アタシはお前のおかげで、みくや公園の子供たちを……守れた……。少しだけ魔法少女になれた、気がした……。八つ当たりの復讐者じゃなく、『ユウリ』のような……誰かを助けるために、魔法を使う……魔法少女に……」

 

「『ユウリ』のような……? どういう意味だ。ユウリはお前の名だろう?」

 

 俺の疑問に泣き出しそうな顔でユウリは答える。

 

「違う……違うんだ。アタシの名前は『ユウリ』じゃない……この顔も声も、名前も……全部アタシの友達の魔法少女の『ユウリ』の借り物でしかない……本当の、『ユウリ』はもうずっと前に……魔女になってしまった……」

 

『……魔女に。ならその子はもう……』

 

「ああ。魔女になった『ユウリ』は……プレイアデス聖団の魔法少女によって、殺された……」

 

 ユウリという名前や姿が借り物だったという事実よりも、かずみたちを恨む理由に俺は言葉を失った。

 どんな想いで彼女は友達の顔を模倣して、かずみたちと敵対していたのか。それを想像するだけ、胸が痛んだ。

 魔女になった友人を殺され、復讐を誓った。八つ当たり、逆恨みと切って捨てるのはあまりにも重すぎる。

 タイムスリップする前ににそれを知っていれば、もう少し彼女と分かり合えたかもしれない。

 

「魔法少女は……ソウルジェムが濁り切ると、魔女に……なる。お前のみたいに人間としての思考や意識を持たない……本当の怪物、に成り果てる。……アタシの、ソウルジェムを見て、みろ……」

 

 彼女の胸元にある濃いピンクの宝石が澱んだ色に変わっている。

 まるで小さな器に黒い液体を注ぎ込んだように彼女のソウルジェムを濁った黒が波打っていた。

 ソウルジェムが濁れば魔法少女は魔女に――知性なき化け物に堕ちる

 ならば、彼女は……。

 

『助ける方法はないのか?』

 

「……気にするな。アタシは元から魔法少女が、どういう結末を辿るか知った上で……妖精と契約して魔法少女に、なった……」

 

『だが……』

 

 彼女と話している最中に無粋にも邪魔者が耳障りな喚き声を撒き散らす。

 

『俺を無視してんじゃねぇぞ! クソガキ共ぉ!』

 

 本当に蠅のように煩い男だ。こいつが蠅の魔物になったのも頷ける。

 奴は怒鳴り散らすように羽を揺らすと、俺たちに向けて何かを飛ばしてくる。

 また蛆か。代わり映えのしない飛び道具だが、ユウリの身体には有効だ。

 俺は彼女を庇うように尾で飛んで来た蛆を防いだ。

 こちらの装甲に蛆は歯を通す事はできない……はずだった。

 

『……何!?』

 

 飛んできたそれは俺の尾に当たった。

 すると、付着した部分から黒い煙が上がり、白い外骨格がぐずりと僅かに崩れた。

 酸!? いや、違う。何だ……この生ごみに似た臭いは。

 覚えがある。小学生の時分、真夏にゴミ捨て場に傷んだ野菜を捨てに行った時に嗅いだ、腐敗臭。

 その時の腐敗臭に酷似している。

 

『いひひひひひひひひひ! ざまあみやがれ! 俺には蛆を生み出すしか能がないとでも思ったか? まるまる人体を蛆に喰わせるのは時間がかかる。そういう時にこの腐食弾を撃ち込んでやるのさ。そうすりゃあ、腐り落ちてすんなり蛆の餌になるって訳だ! いひひひひッ』

 

 打って変わってご満悦になった蠅の魔物は聞いてもないのにベラベラと説明を吐き出した。

 ユウリを奪い返され、傷付けられたプライドを回復させるためか郵政になった途端に調子に乗り始める。

 ドラーゴそっくりだ。下衆の思考回路は皆同じという事だろうか。

 しかし、こんな隠し玉を持っているとは予想外だった。奴の速さと腐食弾。この二つが合わされば、俺の外骨格がいくら頑強でも脅威になる。

 宙から腐食弾を撃ち続ける蠅の魔物からユウリだけでも守ろうと尾節を(ひさし)代わりにしていると、彼女が俺の名を呼んだ。

 

「大火……」

 

『ユウリ。いや、これは本当の名じゃなかったな。助けるなどと(うそぶ)いてこの様とは我ながら情けない』

 

「お前に……頼みがある。聞いて、くれ……』

 

 今にも消えてしまいそうなか細い声で俺に囁く。

 どのような頼みでも聞いてやりたいが、生憎それどころではない。どうにかしてここを切り抜ける算段を考えなくては彼女が魔女になってしまう。

 

『今は少し待ってくれ。ここは俺が何とかして……』

 

「アタシのソウルジェムを……砕いてくれ」

 

『ソウルジェムを砕け、だと!? 何を言っている?』

 

 それがどのような事になるかは魔法少女について、それほど知識のない俺でも分かる。

 ソウルジェムとは彼女たちの命そのもの。それを砕くというのはつまり……。

 だが、彼女の顔には悲壮感はなく、口元は儚げながら笑みさえ浮かんでいた。

 

「アタシは、魔女になってもいい……そう思ってた。でも、大火が助けに来てくれたおかげで……魔法少女のまま死にたい……そう思えたんだ……。『ユウリ』の顔も名前も、借り物だからこそ……今度は魔女に、させたくない……」

 

 彼女の友達、『ユウリ』。きっと本当にその子の事が大切だったのだろう。

 言いたい事は山ほどある。だが、限りある時間の中で俺が彼女に聞きたい事は一つだけ。

 

『名前を教えてくれ。お前自身の名前を』

 

「アタシの……。私の本当の名前は……あいり……杏里あいり……」

 

『……分かった。あいり。お前の頼み、俺が引き受けよう』

 

 俺はあいりの濁り続けているソウルジェムを鋏で摘まみ上げた。

 小さくて軽い……けれどそれが酷く重たく感じる。

 

「ありが、とう……お礼にこれを……」

 

 震える手であいりは首に紐でつるしていた金色のスプーンを俺に差し出す。

 元々千切れかけていた紐は弱った彼女の力で簡単に解けた。

 

『スプーン、か』

 

「ただのスプーン、じゃない……これは、私が『ユウリ』に、もらった魔法のスプーン……“夢色のお守り”。私の宝物……受け取って……」

 

『ああ。ありがたく頂こう……』

 

「私も、『ユウリ』のような魔法少女になりたかった……誰かのために、魔法を使う、魔法少女に」

 

『誰が認めなくとも俺が認める! お前は正義の魔法少女だったと!』

 

 もう片方の鋏で金色のスプーンを受け取った。

 瞳もない顔で彼女は嬉しそうに微笑んだ。険のない表情……きっとこれが本来の彼女の表情なのだろう。

 込み上げる想いを断ち切るように俺はあいりのソウルジェムを挟んだ鋏に力を籠める。

 小さな音を立て潰されたそれは濃いピンクの光の粒になって、消えていく。

 上から彼女を(あげつら)う蠅の魔物の下卑た声が腐食弾と共に降り注いだ。

 

『いひひひひひひひひ……なんだなんだ? 死にかけてたブスはテメエが殺したのか! 助けに来たとか言って置いてテメエで殺したかっただけか! ひひひ。まあ、ゴミにはお似合いの最期じゃねぇか!』

 

『ゴミ……? ゴミと言ったのか? 彼女に向けてゴミと……』

 

『ああ、ゴミだぁ! 穴だらけの蛆の食い残し! 蠅も寄らねぇただのカス! クソにも劣るゴミ売女(ばいた)!』

 

 金色のスプーンを挟んだ鋏の手が怒りで震える。

 あいりを侮辱するこいつの言葉が許せない。あいりのソウルジェムを生き様を嘲るこいつを俺は許せない。

 

『ふざけるなよ……ゴミはお前の方だ! 彼女は最期まで誇り高かく生きた! お前のような下衆が蔑めるような人間ではない!』

 

『はぁ? 俺に手も足も出せず、腐って死ぬ雑魚風情が偉そうにしてんじゃねぇよ。ゴミ同士で乳繰り合って頭湧いたか? そんなに好きなら、溶けながらゴミの死体をレイプしてろ』

 

 どこまでも彼女を貶める罵詈雑言。

 肉体を焼くような腐食の痛みより、あいりへの侮蔑の方がよほど我慢ならない。

 掴んでいた金色のスプーンに力が籠りそうになったその瞬間。

 金色のスプーンが……“夢色のお守り”が輝き始めた。

 表面から滲み出すように濃いピンクの光が漏れている。その色は、あいりのソウルジェムと同じもの。彼女の命の色だ。

 光は俺の手を優しく包み込みながら、全身に広がっていく。

 

『何をしても無駄だ! テメエの身体は腐ってボロボロ。すぐにあのクソ売女と同じように蛆の餌にしてやるよ!』

 

 蛆を空中から腐食した俺へ目掛けて散布する蠅の魔物。

 確かに腐敗して耐久性を失った今の俺の外骨格なら、蛆にとって格好の獲物になるだろう。

 だが。

 そうはならなかった。

 時雨の如き、降下する蛆の群れは、標的に届く前に全て“撃ち落とされていた”。

 弾けて飛び散る白い蛆の体液が宙を舞う。

 蠅の魔物は驚愕したかのように空中で制止している。

 

『な……何をしやがった? いや、テメエ……その姿は“一体何だ”! どうなってやがる!?』

 

 大きく開いた俺の鋏角。

 鋏の合い間から競り上がっているのは、銃身(・・)

 崩れかけていた白い外骨格は濃いピンク色の染色され、右腕にはスプーンを象る意匠が施されていた。

 ……あいり。これはお前がくれた力なのだな。

 あすなろ市が崩壊した未来で見たドラーゴと同じ、『魔法少女の魔法の吸収』。いや、俺の場合は譲渡だろうか。

 全身に魔力が(みなぎ)っているのを感じる。変化した肉体の使い方が手に取るように理解できる。

 

『お前には分からないだろう。これが――彼女が俺に授けてくれた力だ!』

 

 鋏の間から伸びた銃身からピンクの弾丸が耐えなまなく射出する。

 遠距離攻撃手段を持ち得なかった俺の魔力弾の高速連射。

 自慢の飛行速度で飛び回り、避け続ける蠅の魔物だったが、明らかに余裕がなくなっている。

 

『クソがッ、女に貢いでもらった力で粋がってんじゃねぇ! こんなもの当たらなければ関係、ねぇんだよぉぉ!』

 

 イーブルナッツによって力を得た魔物のエネルギーも無限ではない。

 魔法少女と違って明確に魔力枯渇によるデメリットがある訳ではないが、それでも一度に大量の魔力を使い続ければ、出力が低下するのは自明の理。

 加えて、俺にはあいりがくれた正確無比な射撃能力が備わっている。

 蠅の魔物が反撃に腐食弾を飛ばしてくるものの、回避に意識の大半を割り裂いている奴の攻撃は精密さに欠ける。

 全てを迎撃するまでは至らないが、決定打になる一撃を撃ち落とすのは手数の多い俺にとって造作もない。

 元より、無傷で勝てるなどと自惚れてはいない。

 溶かすなら溶かせ! 腐らせるならやってみろ! だが、勝利まではくれてやらない!

 飛び回る蠅の魔物を掠める魔力弾が一つ、二つ増えていく。それに反比例するように俺に届く腐食弾が減っていった。

 羽、脚、胴体。より重要な部位に弾丸が触れる。

 

『クソクソクソクソがぁぁぁぁぁぁぁあ! 腐ってシネェェェェェェ!!』

 

 じわじわと弾丸を避け続ける事に耐え切れず、奴は回避行動を一旦止め、大量の腐食弾を俺へ向けて撃ち落とす。

 ――ここだ!

 俺はさらに魔力を両腕に……そして、尾節に回す。

 鋏の合い間から生えた銃身よりも巨大な砲身が競り出した尻尾を持ち上げ、蠅の魔物を捉えた。

 (かかと)からアンカーのように爪が伸び、俺の足を地面に縫い付ける。

 外骨格を溶かす腐食の雨に濡れながら、三つの銃口から練り上げた魔力の砲弾を放つ。

 ……これがユウリとあいり、そして俺からの報復(リベンジ)だ!

 

『トリニティ……リベリオン!』

 

 三角形を描くように構えられた銃口から放たれた弾丸は一点に収束し。

 絡み合い、ピンク色の光の線となって空へと打ち上がった。

 

『な、な、なああああああああああああああああ!』

 

 蠅の魔物は光の砲弾に呑み込まれ、閃光と爆音を共にして弾け飛ぶ。

 閃光は直進し続けて、空に浮かぶ雲を穿ち、天まで届いた。

 無様にも公園の遊具を巻き込んで地面へと墜落する。

 奴の敗因は腐食弾が間違って自分に掛かるのを恐れ、一度動きを止めた事。

 即ち、他者を一方的に傷付ける事に腐心していた事だ。

 奴が我が身を顧みず、移動しながら腐食弾を連射していれば勝敗は逆だっただろう。

 

「う、うぐッ」

 

『……!』

 

 魔物から人の姿に戻った蠅の魔物は呻きを漏らした。

 驚いた事に、かなりの高さから落下したというのに男はまだ生きていた。

 落下した真下にあったシーソー台が木製だった事が衝撃を和らげたようだ。

 とはいえ、木片が背中や顔に突き刺さり、素直に死んでいた方が余程楽だっただろう。

 傍には木片と出血に紛れて、携帯電話や財布、そして、イーブルナッツが落ちている。

 ……トドメを刺すか。

 たとえ、魔物になっていたと言っても、ここまでの惨劇を引き起こしたのはこの男自身の意思だ。

 生かす理由はどこにもない。警察に突き出しても、こいつを裁ける法律などありはしないのだから。

 俺が歩み寄ると、それに気付いた男は小さく悲鳴を上げた。

 

「ひいッ、や、止めてくれ。俺の、負けだ。許してくれぇ……」

 

『……月並みな台詞だが、今まで襲った人間に対し、止めてと言われて止めた(ためし)はあったのか?』

 

 外骨格は腐食しているが、それでも死にかけの人間を殺すくらいの余力は残っている。

 俺は血塗れで倒れている男のすぐ前まで来ると、鋏から飛び出た銃身を向けた。

 

「やめ、殺さないでぇ……」

 

 殺す。

 殺して、あいりに償わせる。

 そこまで考えて、俺は手を止めた。

 償い。それを強要する権利は俺にあるのか?

 かつてイーブルナッツの力に呑まれて、大勢の人を手に掛けてしまったこの俺に。

 まして、魔法少女からもらった力を使って、命を奪うというのか。

 誰かを救う魔法少女になりたいと言ったあいりの力をそんな事に使うのか。

 

『くっ……』

 

 俺は上げていた腕を下した。

 落ちている携帯電話を見つめる。

 もしも、ここでこいつの携帯を使って、救急車を呼べば助けられるかもしれない。

 

『……死にたくないなら携帯のロック解除のパスワードを教えろ。救急車を呼んでやる』

 

 茫然自失の顔で男は尋ねる。

 こちらの発言の意図が理解できないといった様子だった。

 

「殺さないのか……助けて、くれるっていうのか?」

 

『早くしろ! 俺はお前に対し、怒りでいっぱいなんだ! それを堪えて言っているんだ!』

 

「ひいっ、わ、わかった。パスワードを教えるよぉ……」

 

 怒鳴り声を上げると、男は委縮して怯えながらパスワードを伝えようと口を開く。

 しかし、男が話し出す前に聞き覚えのある声が響いた。

 

『その必要は、ないぜ』

 

『!?』

 

 反射的に俺はその場から飛び退いた。

 俺の居た場所は一瞬にして、灼熱の炎に包まれる。

 男は断末魔も上げる間もなく、炎に巻かれ、加熱し過ぎた焼き魚のように黒焦げに変わっていた。

 そこへ黒い翼が炎を踏み付けるように舞い降りてくる。

 




今回で一区切り付けるつもりでしたが、長くなりそうだったため、途中で分けました。


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第十一話 二個目の名前

『ドラーゴ!』

 

 俺の宿敵、厄災の元凶。一樹あきらの魔物態、ドラーゴがそこに現れた。

 奴は俺を見ると責めるように鍵爪の付いた指を突き付ける。

 

『ダァメじゃないかァ~、正義の味方ァ。何敵を助けようとしてんだよ。ちゃんと殺せよな。まったく甘ちゃんはこれだから困る。やっぱ、俺のようなダークヒーローが居ないと平和って奴は守れないんだよなァ~』

 

 ニタリと笑って注意するドラーゴはどこまでもふざけた調子で戯言を吐きながら、男の焼死体を長い尾で叩いて砕く。

 仲間を殺す事に何の躊躇もないどころか、気にも留めていない。

 こいつこそ真の邪悪。悪意を塗り固めて形成されたような人格だ。

 だが、ドラーゴが来たのは好都合だ。

 あいりの魔法を得て、強化された今の俺なら今度こそ奴を倒せるはず……。

 無論消耗はあるが、この好機を逃す手はない。

 奴に向けて鋏から競り出した銃口を向ける。

 

『今日こそ、お前を倒す……!』

 

『おいおい。パワーアップしたからって、そんなにはしゃぐなよ。面白いモン見せてやるからさ……お、あったあった。あちち』

 

 燃え盛る炎の中にドラーゴは手を突っ込み、何かを拾い上げる。

 成人男性一人が炭化する熱量の炎で炙られていたというのに燃えた形跡のない小さな卵のようなオブジェ、イーブルナッツ。

 

『イーブルナッツは使うだけで人間を怪物に変化させるくらいの魔力を内包してる。だけど、既にイーブルナッツを使用している人間にさらにもう一つ使うとどうなるか……知ってるか?』

 

『まさか、イーブルナッツの複数使用!?』

 

『あ、やっぱもう知ってんのね。ってことは未来じゃ何らかの成果は出たって感じィ?』

 

 俺はイーブルナッツの魔力で暴走し、街を壊し、数多くの人々を殺した記憶が克明に甦る。

 あの時使ったイーブルナッツは二つではなく、三つだった。

 しかし、その力が爆発的に上昇する事は間違いない。

 

『止めろぉぉぉ!』

 

 魔力の弾丸をドラーゴへ向けて連射する。

 ピンク色の魔力弾が炎ごと打ち払うように次々に放たれた。

 ここで倒し切れなければ、俺は負ける。

 大技を出すほどの余力はない。

 だからこそ、残っている魔力を全て出し切ってでも倒す!

 炎も傍にあった遊具さえも粉砕し、地面を抉ってなお魔力弾を放ち続ける。

 砕けた地面から砂煙が巻き上がり、視界を阻む。奴が動いた音はない。翼を使って空へ逃げたなら、砂埃は払われる。

 ならば、これで……決まる。

 魔力を絞り出し、腕の銃口から魔力の残りが煙のように立ち昇る。

 緩やかに砂煙のカーテンが開かれ、ドラーゴが居た場所が露わになった。

 黒い塊がそこにはあった。

 殻に包まれた卵のようにも、植物の(つぼみ)にも似た黒い塊。

 それはゆっくりと(めく)れ上がり、正体を現す。

 

『初披露(ひろう)だっていうのに随分な歓迎だなァ……』

 

 殻のように見えたのは身体に巻き付けた翼の外側だった。

 広げられた蝙蝠のような翼は、四枚。明らかに前よりも遥かに巨大で強固にものに変化している。

 肉体そのものも一回り大きくなり、必然的に四肢、頭、尾に至るまで成長していた。

 極め付けは頭部に生えた角。鼻角と二本の捻れ角に加え、額からは稲妻のようにジグザグな刃状の角が屹立している。

 俺の二倍以上の巨体から、禍々しい黒い魔力の奔流が漏れ出し、背景が霞んでいく。

 

『どうだい? 全体像は自分じゃ見られないが、なかなかイカした見た目だろ。名前はそうさなァ〜、特に捻らず〈第二形態(セコンダ・フォルマ)〉とでもしておくか』

 

 更なる進化を遂げたドラーゴは事もなさげにそう言うと、牙を剥いて笑った。

 ……最悪の展開だ。

 奴は新たな力を得て、俺は力をほぼ使い果たしている。

 形勢は完全に逆転し、圧倒的窮地に立たされた。

 こちらにはもう魔物化を辛うじて維持する程度の魔力しか残っていない。

 

『さあ、お互いパワーアップしたところで一丁再戦と行こうぜ?』

 

『くっ……来い!』

 

 勝敗は既に見えている。しかし、俺には立ち向かう以外に選択肢はない。

 せめて、一撃でもドラーゴに入れ、死んでみせる。

 悲壮な覚悟を決め、構えを取る。

 だが、奴は何かに気付いた様に視線を俺の後ろにずらした。

 

『と、言いたいとこなんだが、どうやらここらで時間切れみたいだな。残念ザンネン』

 

『時間切れ……? 何を言って』

 

 そう言い掛けた時、公園の中に四つの人影が俺とドラーゴを囲むように飛び込んでくる。

 反応する前に人影の一つが俺に向けて長い紐状のものを絡め伸ばし、絡めて取った。これは――鞭!?

 ジョッキーが使うような乗馬鞭がゴムのように柔らかく伸縮し、俺の身体に巻き付いている。

 拘束されたと理解し、藻掻こうとした瞬間。両腕ごと身体を捕縛した乗馬鞭から電流が(ほとばし)った。

 

『ぐ、あああああああああああ!?』

 

 腐食弾の雨に打たれ、ただでさえ弱っていた装甲は電撃によってボロボロと剥がれ落ちる。

 視界がチカチカと点滅し、身体から力が抜けていく。堪らず、俺は地面に膝を突いて崩れた。

 

「魔女が二体……それも結界を張らずに現れるとは……。こいつらが海香たちが言っていた『魔女モドキ』という奴なのか?」

 

 顔を上げると俺を縛り上げた乗馬鞭を握る少女が映る。

 恐らくはプレイアデス聖団に属する魔法少女なのだろうが、見覚えはない。

 白いショートカットにベレー帽を被った眼鏡の魔法少女。

 かずみよりも少し年上だろうか。身長が高いせいで大人びて見える。

 

「サキ。ボクもちゃんと捕まえたよ! 褒めて!」

 

 彼女を呼ぶ別の少女の声。振り向けば、眩む視界で薄ピンク色の長い巻き毛の髪の魔法少女の姿があった。

 こちらはサキと呼ばれた魔法少女と逆で、とても背が低く、顔立ちも幼い。

 その手前にドラーゴが数百体はいるテディベアに群がられて埋まっている光景が見えた。

 捕まえたと言っている事から、あの大量のテディベアは巻き毛の魔法少女の魔法と断定していいだろう。

 二つ目のイーブルナッツで強化されたドラーゴを確保する魔法はビジュアルも相まって圧巻だった。

 

「みらいちゃん。まだ安心するのは危険よ。普通の魔女と違って何をしてくるか分からないんだから」

 

 猫耳を生やした薄紫のふわふわした髪型の魔法少女が巻き毛の魔法少女……みらいを(たしな)める。

 彼女は胸が大きく、サキとはまた別の意味で大人っぽい体付きをしている。

 デフォルメされた猫の頭が付いたステッキを握り、不安そうな目で俺を見つめていた。

 

「里美の言う通りだぞ。サキに褒められたいからって油断し過ぎだ、みらい」

 

 そう言って一歩前に出て来たのは……あまりに見覚えのある黄緑色の髪の少女だった。

 ゴーグルを付け、飛行帽を被っていたが、見間違えるはずがない。

 

『……カンナ!?』

 

 愛おしい少女の姿を目にした俺は彼女の名を叫んでいた。

 名前を呼ばれた彼女はぎょっとした表情で俺を凝視する。他三人の魔法少女も驚愕した様子で騒めいた。

 ―—しまった。俺とカンナにこの時点で面識はない。つい懐かしさを感じて呼んでしまったが、彼女からすれば得体の知れない魔女モドキが自分の名前を知っているなど恐怖でしかない。

 自分の不用意さに嫌悪していると、サキが怪訝そうな顔でカンナへと声を掛ける。

 

「……ニコ。何で、この魔女モドキはお前の苗字を知っているんだ?」

 

 ニコ……? 『ニコ』だと!?

 その名前は知っている。タイムスリップ前のあすなろ市でカンナが語っていた彼女の過去。

 カンナが心底憎む少女にして、カンナを魔法で生み出した魔法少女。

 そして、オリジナルという意味において本物の『聖カンナ』とも呼べる少女。

 俺がカンナと出会った時には既に故人だったが、そうか。彼女が『ニコ』か……。

 そもそも彼女が俺の知るカンナであれば、プレイアデス聖団と共に行動しているのはあり得ない。

 ますます以って、俺は愚かだ。自分の頭の悪さに泣きたくなる。

 

「……私にも分からん。何でこいつが私の苗字を知っているのか、さっぱりさっぱり」

 

「ふざけるな! サキが聞いてるだから真面目に答えろ」

 

 ダウナーな表情で誤魔化すように喋るニコに、みらいが突っかかる。

 ふざけている様に見えるが、実際に彼女は何も知らないのだからどうしようもない。

 俺としても、まさかこんな事態になろうとは考えもしなかった。

 ニコが答えれば答えるほど、疑惑の波紋が大きくなっていく。

 とにかく、ここで何もしなければプレイアデス聖団が仲違いして、関係に溝ができてしまう。

 意を決して俺は魔物化を解き、彼女たちの口論に割り込んだ。

 

「待ってくれ。俺の勘違いだった。その子と似た知り合いが居たもので見間違えたんだ」

 

「うわっ、本当に人間の姿になった。ああもう! これはどういう事!」

 

 人間に戻った俺に驚き、みらいが声を裏返らせる。

 

「落ち着け、みらい。海香たちの報告通りだ。こいつら魔女モドキは人間の……男だと!? 魔女モドキなのに男!?」

 

 みらいを宥めようとしたサキも発言の途中ですっとんきょうな声を上げる。

 何なんだ、この子たちは……。落ち着きが無さすぎる。こういうところを見るとやはり彼女たちは少女なのだと実感する。

 

「あー。誰か俺の話を冷静に聞いてくれる子は居ないのか?」

 

 里美と呼ばれた少女へと視線を向けるが、あからさまに怯えた目でステッキを構えられてしまう。

 サキとみらいは俺に対し、敵意を隠さず、睨み付けている。

 駄目か。異形の姿から人間に戻ったところで、普通の人間とは認識してもらえない様子だ。

 無理もない。彼女たちからすればただの俺は素性も知れない存在。話を聞いてもらう事など最初から不可能だったのだ。

 肩を落として、口を閉ざそうとした俺だが、思いもよらぬところから助け船がやって来る。

 

「話してみて。私は君の話を聞いてみたい」

 

 俺に名前を呼ばれたせいであらぬ嫌疑を掛けられたニコがそう言ってくれた。

 彼女が一番俺に不信感を持っているだろうに、それでも話を促してくる。

 ありがたい。内心で感謝しつつ、俺は語り始めた。

 

「俺は赤司大火。訳あって、イーブルナッツという怪物に変身する力を持つ道具を手に入れた。そこは今は割愛する。そこのニコって子をカンナと呼んだのは……聖カンナという知り合いに顔がそっくりだったからだ。つまり、その……」

 

 いかん。どんどん言い訳じみてきた。

 未来からタイムスリップしてやって来たと伝えるよりマシかと思ったが、弁舌の能力が低すぎて逆に怪しくなってしまった。

 名前をカンナに明け渡したニコの立場からすれば、カンナの存在はプレイアデス聖団にも隠したい事だろうが、話せる範囲で彼女の嫌疑を晴らすにはこう言うより他ない。

 ニコ自身はカンナの存在を認知しているだろうから、少なくとも彼女は納得するはずだ。

 

「つまり、アレだ。人違いという奴だ! 何か誤解させてしまったようで済まなかった!」

 

 ごり押した。

 もう上手い事誤魔化すのは無理だと悟った俺は「人違い」の一点張りで押し通す事に決めた。

 ニコ以外の三人は何も答えず、視線を俺ではなく、ニコへと向けている。

 三人は俺の話より、それを聞いたニコの反応の方で判断するつもりのようだ。

 

「ニコちゃん……」

 

 里美が不信の籠った目で名前を呼ぶ。

 彼女は、俺の説明では納得がいかなかったらしい。

 どうしたものかと思案していると、大量のテディベアに埋もれていたドラーゴの声が響く。

 

『はァ……面白い話が聞けるかと我慢していたが、下手くそな説明だけで終いかよ』

 

 魔法少女の乱入からずっと沈黙していたせいで、こいつの存在を失念していた。

 ドラーゴは翼をはためかせ、泥でも払うように密着していたテディベアの群れを弾き飛ばすと空へと舞い上がる。

 

「ちっ。『プルロンガーレ』!」

 

 ニコが親指を除いた自身の指四本を小型ミサイルに変え、打ち飛ばす。

 しかし、それを受けてなお、ビクともせずに公園の上空へと飛び去っていく。

 最初からテディベアの拘束など奴にとっては何の重石にもなっていなかったのだ。

 わざと捕縛された振りをして、俺やプレイアデス聖団の四人から情報を聞くのが目的だったのだろう。

 抜け目のない奴だ。

 狂っているが、その実、冷静沈着に物事を把握している。

 カンナの事を少し話してしまったが、大丈夫だっただろうか。

 

「一匹は逃げられたが、仲間が残っているならいずれ助けに来るかもしれない」

 

 小さくなって見えなくなるまでドラーゴを見つめていたサキは、苦々しく唇を噛んだ。

 俺はその発言に頭に血が昇る。

 

「仲間だと!? 俺が奴の仲間な訳がないだろうが! 俺は、奴の……」

 

 敵だ! 

 そう詰め寄って叫ぼうとしたが、その前にみらいのテディベアたちが俺に纏わり付いてくる。

 一体一体が数十キロはあるテディベアの群れは、俺の身体へ昇り、押し潰してきた。

 重みに耐えきれず、頭を上げている事も困難になり、顔面を地面に押し付けられる。

 

「……うっ、このっ」

 

「ボクのサキに近付くな! この魔女モドキが!」

 

 顔を上げる事もできず苦しむ俺に、みらいの甲高い声が飛ぶ。

 重い。背中の上で土嚢(どのう)でも乗せられている気分だ。呼吸も上手くできず、目の前が暗くなっていく。

 クソッ、俺はまだ……何も()してないのに。

 こんな、ところで……。

 倒れている、場合、じゃ……。

 窒息して、途切れかける意識の中。

 

「コレの身柄は私に任せてくれない?」

 

 最後に聞いたのは、ニコの声だった。

 




これでユウリ編が終わりました。
ようやく一区切りとなります。

次回からはニコ編。
プレイアデス聖団が本格的に話に絡んでくるようになると思います。
……魔法少女が多すぎて一度に出すと扱いに困ります。


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ニコ編
幕間 夕暮れの出会い


今回は幕間の話となります。


~双樹あやせ視点~

 

 

 

「ふーん。これが人間を魔女に変えるっていう……『悪意の実(イーブルナッツ)』ね」

 

 人差し指と親指の間に挟んだそれをしげしげと眺める。

 見た目はグリーフシードに似ているけど、細かいデザインは結構違う。

 なんていうか、グリーフシードが職人の手で造られた精巧な宝飾品なら、イーブルナッツは素人が趣味で造ったイミテーションみたいな感じがする。

 

「正確には魔女モドキ。まあ、男でもなるから俺は『魔物』って呼んでる。本物の魔女と違って人間としての意識を保持したまま、怪物になるから意思疎通もできる。どう、欲しくなってきたっしょ?」

 

 ドラーゴと名乗った中学生くらいの黒髪の男子はイーブルナッツが二、三個入った小さなケースをちらつかせる。

 自称・魔法少女の味方だそうだけど、どうにも胡散クサイ。

 あすなろ市にやって来て早々、私は黒い竜の魔女に遭遇した。そうかと思えば、正体は魔力によって姿を変えた人間で、魔法少女相手にビジネスをしてるなんて意味が分からない。

 信用できない以前に、魔法少女になって教えられた常識と現状があまりにも食い違っている。

 だけど、これは私にとっては渡りに舟。

 私がこの街に訪れた理由は、魔法少女の綺麗なソウルジェムを摘み取るため。

 だから、私自身のソウルジェムもできるだけ濁らせたくない。

 いざとなれば戦ってもいいけど、魔力を使わずにジェム摘み(ピックジェム)できるならそれに越した事はない。

 

「いくらで譲ってくれる?」

 

「金なら要らないぜ。俺は魔法少女の味方だからな。代わりと言っちゃなんだが、この街で魔法少女を狩ってる悪い魔法少女のグループにお灸を据えてほしいんだわ」

 

 尋ねると、ドラーゴは人差し指を振って気障に答えた。

 顔立ちが整っているおかげか、芝居がかった動作がとても映える。それでも滲んでいる胡散クサさは消し切れないけど。

 ドラーゴがいうには、プレイアデス聖団という七人の魔法少女の集団がグリーフシードを独占するために、他の魔法少女を狩っているという事だった。

 徒党を組んでいる魔法少女は珍しいが、魔女の発生率に対して魔法少女が多い街ならあり得ない話じゃない。

 強い魔法少女は綺麗なソウルジェムをしているので、そういう意味では楽しみだけど、七人同時に相手にするのは流石に骨だ。

 

「いいよ。任せて。そういうのはスキだから」

 

「んじゃ、契約成立ってことで」

 

 ケースを差し出した彼はそそくさと退散する。

 契約をちゃんと履行するか監視したりするつもりはないらしい。

 私的には都合がいいけど、もらうだけもらってこの街から去ったらどうする気なのかな?

 プレアデス聖団以外の魔法少女を守るため、なんて言ってたけど、どこまで本気なのか怪しいところだ。

 

「ま、いいけどね」

 

 どっち道、私は私の好きな事をするだけ。プレイアデス聖団のジェムを摘んだら、他の魔法少女に手を出してみるのもいい。

 魔女の発生率が高い都市は限られている。ここを乗っ取って狩場にすれば、グリーフシード目当ての魔法少女が他の街からやって来るかもしれない。

 まあ、今はとにかく、今夜の宿の他にこのイーブルナッツを使う人間を決めないと……。

 私は夕暮れのあすなろ市を観光しながら、良さそうな下僕に相応しい人間を品定めする。

 グルメスポットに書かれる事もあるこの街は、それなりに美味しそうなレストランやスイーツショップが立ち並んでいる。

 こういうところを見ると、見滝原市よりこっちへ先に訪れたのは正解だったかも。

 そんな風に面白いお店を回っていたけど、気に入りそうな人間はなかなか見つからない。

 どうせなら歳の近い子がいいけど、女の子は魔法少女の可能性があるから一旦除外。

 品定めするのは、男の子。

 学校帰りの生徒たちが多い時刻を狙って来たっていうのに、琴線に触れる子は見当たらない。

 あっちは、顔が地味。

 そっちは、ファッションセンスがない。

 こっちは、何か陰気っぽい。

 ダメダメダメ。全然ダメ。どれもこれもピンと来ない。

 悩んでいると頭の中で『ルカ』が話しかけてくる。

 

『あやせ。考えすぎてはいけません。別に恋人を選んでいる訳ではないでしょう。要は単なる従者探し、それほど外見に拘る意味はありません』

 

 もう一人の私とも言えるルカの言葉は、多少なりとも理解できる。

 でも、どうせアクセサリーを付けるなら綺麗な方が断然いいに決まってる。

 不細工な手下なんて使ったら私のセンスが疑われちゃう。

 

『仕方のない子ですね、あやせは。でしたら私が選んで差し上げましょう』

 

「じゃあ、頼んだよ。ルカ」

 

『ええ。任せてください。あやせ』

 

 するりと私たちの意識は反転する。

 二つの人格が入れ替わり、ルカが表で私が裏に回った。

 今度はルカが私の身体の主導権を握り、下僕探しを始める。

 

 

~双樹ルカ視点~

 

 

 まったくあやせにも困りものだ。

 あのドラーゴとかいう素性の知れぬ者から、簡単に不明瞭な道具を受領するとは……。

 あの子には少し警戒心が足りな過ぎる。

 

『ちょっと~。聞こえてるんだけど。そういう小言はスキくないなぁ』

 

 いえ。そういうところも可愛いとは思っていますとも。

 あなたに足りないものはすべて私が補います。私たちは二人で一つの存在。諫言(かんげん)くらいは許してください。

 そういうと彼女は押し黙る。照れている様子だ。こういう素直な部分があやせの魅力だ。

 もっとも欲望に素直過ぎるところが玉に瑕だが。

 さて、さっさと従者を見繕いたいところではあるものの、後からあやせに文句を言われても面倒。

 男のセンスがないと言われた日には腹立たしい事この上ないので、私も彼女に倣って、通りを歩く殿方を物色する。

 正直に言えば、私はあやせと違い、イーブルナッツなどという小道具にはあまり期待はしていない。

 プレイアデス聖団と名乗る魔法少女七名如き、私とあやせが力を合わせれば敵ではない。

 要するに、全員を一度に相手にしなければいいだけの話。一人二人を奇襲して倒せば、さほど魔力を消費せずに摘み取れよう。

 故にこれは、戯れ。せいぜい、目眩まし程度の効果があればいい。

 夕暮れの小道を歩みながら、視線だけを這わせ、道行く人々を眺める。

 平凡そのもの。下らない話を繰り広げる殿方たち。

 総じて品がない。知性を感じない。

 このあすなろ市で魔女という化け物が跋扈(ばっこ)し、それを狩る魔法少女などいう存在を知りもしない哀れな子羊。

 自分が今どれだけ危険な場所に住んでいるか想像もできず、平穏が永久に続くと勘違いした愚か者たち。

 視界に入れているだけで気分が悪くなる。

 やはり殿方は好きになれない。私が好むのはやはり可愛げがあり、夢見る乙女のような、……そう正にあやせのような少女。

 

『ルカ……。私もルカみたいなカッコよくて頼りになる女の子スキだよ……』

 

 ふふ。では両思いですね。

 もう従者などどうでもよくなってきた、やはりこのイーブルナッツは使わなくても良いのではないか。

 お互いに好意を向け合い、一周して最初の結論に戻ってしまった。

 結局のところ、私たちは二人だけ完結した存在。余人など不要。

 あやせ、やはり私たちに従者などいらないのでは……?

 

『あっ……ルカ!』

 

 あやせが急に私の名を呼ぶ。彼女もまた私と同じ結論に達したよう……。

 

『いや、違くて。見つけたの! 気に入った子が! ほら、そこの裏路地から出てきた男の子!』

 

 さらりと私の意見を否定して、彼女は頭の中で興奮したように叫ぶ。

 あやせ……。今のは少し、傷付きましたよ……。

 渋々とあやせが私の視界を通して見つけたという殿方を探した。

 私が立つ小道の脇にある裏路地から現れたのは銀髪センター分けの高校生くらいの少年。

 表情は乏しく、何を考えているのか読み取れないが、顔立ちは悪くはない。

 ただ、彼には目を引く美しい碧眼を持っていた。

 あやせが興味を引かれたのは恐らくそこだろう。

 

『ね? ね? 綺麗でしょ。あの瞳……まるで』

 

 サファイアのよう、ですか?

 

『そう! やっぱり、ルカには以心伝心だね!』

 

 本当にあやせは光り物に弱い。

 私としては、従者など戦力として期待していないからいいものの、とても覇気は感じられない殿方だ。

 制服の襟首から覗く肌は男性とは思えないほど白い。決して細くはないが、私にはモヤシを彷彿とさせた。

 銀髪碧眼の少年は携帯電話で誰かと通話しながら、移動している。

 魔法少女の強化された聴覚はその小さな声の会話を正確に捉えた。

 

従兄(にい)さん。今度、こっちに遊びに来るんだよね?』

 

「久しぶりに叔父さんに顔を出すように言われたから」

 

『楽しみだなぁ。見滝原市って結構ゲーセンとかあるし、遊ぶ場所には困らないよ。僕、案内するから一緒に行こうよ!』

 

「……ねえ、珠貴(たまき)。僕みたいなのが遊びに来て何がそんなに嬉しい? 従兄弟(いとこ)だからって、無理に気を遣う必要は」

 

『気を遣ってなんかいないよ。僕が従兄さんと遊びたいからだよ』

 

 電話の向こうの相手は会話から察するに、彼の従兄弟のようだった。

 従兄弟の方は彼を慕っている様子だが、対して彼は淡泊だ。冷たいというより、距離の取り方を測りかねているように聞こえた。

 

「僕はまともな人間じゃない。それはお前だって知ってるはずだ」

 

『……別にあれは従兄さんのせいじゃないよ。正当防衛だって警察も言ってたし、何より僕を護ろうとして……』

 

「でも、僕は何も感じなかった。罪悪感も後悔も何もなかった。まともな人間なら感じるべき感情を僕は何一つ感じない」

 

『だって、それは……』

 

「僕は異常者なんだよ、珠貴。叔母さんだって本当は僕を家に呼ぶの反対してる。知ってるだろう?」

 

『………………』

 

「顔は出す。でも、付き纏うな。僕と必要以上に関わろうとするな。お前は普通なんだから。そのまま普通でいろ」

 

 通話を半ば一方的に切った銀髪碧眼の少年は私の方へ視線を向けた。

 人形じみた無表情の顔が二秒ほど私を見つめ、何事もなかったように通り過ぎようとする。

 私は初めて、彼に興味を引かれた。

 彼の前にすっと回り込んで、顔を覗き込む。

 

「初めまして。お兄さん。少しお時間宜しいですか?」

 

「…………」

 

 無言で私を避けるように歩き始める。

 完全な無視。視線すら寄こそうとしないのは恐れ入った。

 しかし、それで諦める私ではない。

 去り行く背中に声を掛ける。

 

「お兄さん……あなた、人を殺した事がありますよね?」

 

 彼の足が止まった。

 これは憶測だったが自信はあった。盗み聞きした通話の内容では直接的な表現は避けられていたが、それでも読み取るのは難しくない。

 彼が纏う特異な雰囲気とその発言の節々から不穏な単語から想像するのは簡単だった。

 振り向かず、答えもしない。だからこそ、それがかえって肯定を意味していた。

 

「だから何?」

 

 振り返った彼の表情は相変わらずの無表情。

 凍結した池のような彼の冷たい無表情に私は得も言われぬ感情を懐く。

 負い目も、怒りも、悲しみも、悦びさえない。無の極致。

 ……ああ、美しい。

 静謐(せいひつ)なる美がそこにはあった。

 

「いえ。ただ私はあなたのような人間の手を借して頂きたいのです」

 

 彼は何も答えず、少しの間無言だった。

 急にこんな事を言われれば、発言者が誰であれ、返答に困るのは無理もない。

 されど、彼は意外にもあっさりと答えた。

 

「……いいよ。何をしてほしいの?」

 

 名前も知らぬ不躾な小娘の頼みを平然と受け入れようとしている。

 なるほど。これは破綻者だ。

 断れないのでも、私に興味がある訳でもなく、ただ頼まれたから応じる。

 この男の精神性が一つの歪な芸術作品のようだ。

 ますます以って、欲しくなる。

 

「あなたに……化け物になってほしいのです」

 

「そう。いいよ」

 

「何故とか、どういう意味と尋ねないのですか? 何かの比喩や冗談かと問わないのですか?」

 

 男は鉄面皮を崩さず、平坦な口調で答えた。

 

「どっちでもいい。嘘や冗談でもいいし、言葉通りの意味でもいい。僕には興味はない」

 

 久しく感じていなかった愉快な感情が私の中で浮かび上がる。

 はしたないと思いつつも口元が綻んだ。

 

「ふふ。おかしな殿方ですね。お名前を伺っても?」

 

「中沢……。中沢アレクセイ」

 

 夕日の光を反射して銀色の髪が宝石のように輝く。

 風がそよぎ、金色にも、オレンジ色にも変わる彼の髪と影になった顔の中で静かに見える碧い瞳。

 あやせの気持ちがよく理解できる。

 確かに、これは美しい……。

 

 




魔法少女だけでもなかなか書き切れないのに新キャラを登場させました。
どこかのだれかの従兄弟です。


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第十二話 衝撃の真実

~ニコ視点~

 

 

 

 御崎邸で賑やかな談笑が起きるのは一体いつ以来だろうか。

 この邸宅の主である海香は先日起きた魔女モドキが起こした騒乱の収拾のため、魔法を使い過ぎて多少疲れている様子だが、それでも嬉しそうだ。

 快活だが、姉御肌のカオルも今日ばかりは気を遣わずに笑っている。

 神経質なサキも少し不服気に、だけど、喜びを隠しきれずにお茶を啜っていた。

 人見知りのみらいはそんなサキの膝の上でテディベアを抱き締めながら転がって(くつろ)いでいる。

 最近はいつも不安げな顔をしていた里美は率先して、皆にお茶を注いだ。

 その中心に居るのはかずみ。

 そして。

 

「いやー。こんな可愛い女の子に囲まれてお茶会なんて男冥利に尽きるってモンだよな~。プレイアデス聖団にかんぱーい!」

 

 能天気に笑う黒髪の少年、一樹あきら。

 数日前にこのあすなろ市にやって来た中学二年生。

 魔法少女や魔女の事を知ってなお、私たちプレイアデス聖団と関わりを持つ一般人。

 この場に居る全員が彼の存在を気心知れた相手として、受け入れている。

 かずみとカオル、海香以外は出会って二日程度しか経っていないにも拘わらず、打ち解けきっていた。

 彼は、私たち魔法少女が居る非日常を理解して、それでも友達として接してくれている。

 優しくて、ユーモアがあり、お喋り上手な非の打ちどころのない人間。

 私自身もこの状況を心地よいと思っている。

 だからこそ……。

 だからこそ……それが堪らなく怖かった。

 まるで自分の世界が侵蝕されているような、異常過ぎる人たらし。

 社交性が高いだの、人懐っこいだの、そういう次元を超えている。その場の空気を完全にコントロールしているとしか思えない。

 

「どうしたんだ? ニコちゃん。お茶が進んでないぞー。俺の淹れたお茶が飲めないのかー?」

 

「いや……飲んでるよ。ちゃんと」

 

 あきらが私の顔を覗き込んでくる。

 考え込んでいたせいで、気の利いた反応ができずにいると、かずみが突っ込みを入れた。

 

「いや、あきらが淹れたんじゃなく里美が淹れたんでしょ? 変な事言って、ニコに絡まない」

 

「えー。ちょっとからかっただけじゃん。まあ、でも俺が悪かったですぅー。ごめんなさーい」

 

「全然反省してない……駄目だ、こいつ」

 

 自然体でかずみと掛け合いをして、周囲の皆が笑う。そうして和気藹々と和やかな雰囲気が続いていく。

 かずみの楽し気な顔に、つい頬が弛んでいた。

 魔法少女やプレイアデス聖団も関係なく、ただ彼女が嬉しそうにはしゃいでいる。それだけで十分過ぎるほど心が温まる。

 この光景がいつまでも続けばいいのに。

 我ながら似合いもしない事を考えてしまうほど、久々に訪れた楽しいお茶会。

 ここに居ると思考が鈍る。緩い雰囲気に流されそうな気分になってしまう。

 

「あー……。ごめん。私はこの後用事があったんだった。悪いけど、もう帰るね」

 

 お茶を一息で飲み干すと、さっさと席を立った。

 かずみが心配そうに私を見る。その視線を振り払うようにリビングから出て行った。

 海香とカオルは怪訝そうな顔をして、サキたちは目も向けずに私を見送った。

 玄関先で靴をスリッパから履き替えていると、後ろから呼び止められる。

 

「ニコちゃん」

 

 首だけ振り向くと背後にはあきらが一人で立っていた。

 

「どうしたの? まだお茶会の途中でしょ」

 

「いや、ニコちゃんが浮かない顔してたからさ……他の子と何かあった?」

 

 いつものへらへらした陽気な表情とは打って変わって、真面目に引き締まった面持ちを浮かべている。

 君もそんな顔もするのか……。

 純粋に私が見た事がないだけだろうが、ふざけた調子で居ないあきらは意外だ。

 人の感情を読み取るのは上手いとは思っていたが、ポジティブな事だけではなく、ネガティブな事まで詮索するタイプには見えなかった。

 

「……そういう事、聞くんだ。詮索する男は嫌われるぞ?」

 

「お節介だとは自分でも思うけどよ、案外、部外者の俺の方が話しやすかったりするんじゃねーか……とな」

 

 鼻の頭をポリポリと書きながら、少し照れたように彼は言う。

 これも女の子に手慣(てな)れている彼の印象とは大分違った。実はこちらの顔の方が本当の一樹あきらなのかもしれないと思わせる真実味があった。

 

「ありがと……。でも、今は話せない」

 

「それでニコちゃんが平気ならいいんだけどよ。かずみちゃんも口には出してないけど、心配してんだ。自分のせいでギスってんじゃねーかって」

 

「かずみも……」

 

 さっき見せた心配そうな表情が脳裏で(よみがえ)る。

 あの子もあの子で鋭いから、あまり不自然に見えないようにしていたつもりだが、隠しきれなかったか。

 

「あのさ、会って日が浅いけど俺、ニコちゃんの友達のつもりなんだぜ? 何かあるなら話してくれよ。力になっから」

 

「……っ」

 

 黒曜石のようなあきらの黒い瞳に私の顔が反射して映った。

 表情に感情を出すまいとしていたが、彼の瞳の中の私は今にも泣き出しそうな顔をしている。

 揺らぐ。

 心が揺らぐ。

 この人なら抱えている不安を受け止めてくれるのではないか。

 私と一緒に問題の解決に尽力してくれるのではないか。

 甘い。どこまでも甘すぎる考えが脳裏に過る。

 自分では気丈な人間だと、そう思っていたのに。ここまで脆い部分があるなんて知らなかった。

 

「私は……」

 

「おう。何でも聞くぜ?」

 

「私は、大丈夫だぞ。そういう気障な台詞は別の女の子に言ってあげな」

 

 吐きそうになった弱音と秘密を無理やり呑み込み、無表情を取り繕う。

 そそくさと玄関の扉を開いて、別れの挨拶をあえて軽く放った。

 

「じゃあね、あきら」

 

「……おう、またな。ニコちゃん」

 

 何か言いたげだったが、あきらも同じく別れを述べた。

 無理強いはしないということだろう。本当に初対面の印象と違って気が利く奴だ。

 扉を閉めると、夕暮れの風が染みた。体温が上がっていたのを今更ながら感じる。

 この身体の火照りは抱えた秘密を吐露しそうになった焦りか、それとも……。

 いや、乙女じみた思考は私には似合わない。

 こんな時に、君が居てくれたら話を聞いてくれたかな……。

 

「ミチル……」

 

 今は亡き友人の名前を口ずさむ。

 プレイアデス聖団でも禁句となっていたこの名前を声に出すのは本当に久しぶりだ。

 名前を出した途端、彼女との思い出が浮かび……上がっていた体温がすうっと冷めていくのが分かった。

 私はそうして御崎邸を後にして、自宅への帰路に就く。

 

 

 *****

 

 

 沈む夕日に見送られながら、私は家の扉を開いた。

 迎えてくれる声はない。『私』の家族なんてものはもう居ないのだから。

 地下にある研究室に向かうと、私は部屋の照明を点けた。

 そこにはいくつものパソコンと私の魔法で生み出した機材が所狭しと陳列されている。

 中央には筒状のカプセル。

 天井から床までを突き抜けるように生えたそのカプセルには半透明の液体と――。

 高校生くらいの背格好の少年が服ごと一緒に封入されている。

 

「あー……それで昨日の話の続きを聞かせてもらえるか。——『赤司大火』さん」

 

 カプセルの中身の半透明液体は私の“創造の魔法”で作り出した特別製で呼吸はもちろん、音の伝導してくれる。

 液体に全身を浸されている彼は私の言葉に反応して、突如声を荒げた。

 

「一樹あきらは、お前たちの敵だ……奴こそあの黒い竜の魔物なんだ! 信じてくれ!!」

 

「またそれか……」

 

 昨日も聞いた文言を飽きる事なく繰り返す彼に私は辟易した。

 私が研究室に赤司大火を搬入して、分析用のカプセルに入れてから既に一日半が経過していた。

 彼の意識が回復するまで無力化も兼ねて彼の生体を機材を使って調べていたが、昨夜意識が戻ったところで切り上げて、尋問にシフトしていた。

 

「あきらの事を知っているようだが、君よりもよっぽど信用できる奴だ」

 

「それが奴の罠なんだ! 奴は邪悪な本心を隠し、人の心をコントロールする。奴こそこの騒動の元凶! 俺はそれを止めるために未来からタイムスリップして来たんだ!」

 

「…………」

 

「本当だ! 信じてくれ、頼む!」

 

 迫真の演説は昨日に続き、私に言葉を失わせた。

 妄言もここまで来ると一種の迫力がある。

 この男の脳内ではそれが真っ当な理屈なのかもしれないが、聞いてる側からすれば色々と支離滅裂に聞こえる。

 最初に聞いたのは、あきらが超巨大な怪獣になってこのあすなろ市を破壊し尽くし、魔法少女を殲滅するという内容の与太話だった。

 どういう道筋のストーリーだか知らないが、あまりも馬鹿げている。苦し紛れの嘘にしても出来が悪い。

 

「それで……君は未来から来た光の国からやって来た蠍の巨人って訳?」

 

「冗談を言っている場合じゃない! 刻一刻とこの街は未曽有(みぞう)の危機に見舞われて……」

 

「ああ、もういいよ。分かった分かった。取りあえず、私が質問するからそれに対して答えて」

 

 正直、この男が正気なのか分からないが、『聖カンナ』について知っている。それだけはどんな手段を使っても聞き出せなくてはならない。

 初対面の時に既に賢くはない相手だと思っていたが、自分の妄想を真実だと思っているのなら、事実を話させるのは難しいだろう。

 最初の一手は慎重に。この男の興味を引く内容から攻めた方が得策か。

 私は質問の内容を少し考えてから相手に投げる。

 

「君はどうやってタイムスリップした? そういう魔法が使えるのか?」

 

 形式上尋ねてはいるものの、私はこの男が未来から来たという話は信じていない。

 時間を操る魔法なんて魔法少女でもまだ出会っていない。もし仮に居たとしてもこの男にそれができるとは思えなかった。

 

「それは……実は俺にも分からない。超巨大の魔物になったあきら……『オリオンの黎明』の吐き出した光線を受けて、身体が崩壊したと思った時、気が付けば俺は過去に……少し前のあすなろ市に戻っていた」

 

 案の定、赤司大火は質問に対して、言葉を濁す。

 なんだ、それは……。この男の話によれば、あきらとは敵対していたはず。そのあきらがわざわざ過去に送ってくれた事になる。

 膨大な魔力の収束により、偶発的に時間遡行が起きたとでも言う気なのか。そんな現象が天文学的確率で起きたとしても肉体が耐えられるはずがない。

 大体、魔女モドキは一定量のダメージを受ければ、イーブルナッツは肉体から排出されると言っていたのは赤司大火本人だ。

 生身の身体が荒れ狂う魔力の奔流に晒されれば、その身を完全に粉砕されるだろう。

 過去に戻ったしても到底生存は不可能。魔女モドキだろうと魔物だろうと影形も残りはしない。

 気を取り直して本命の質問をする。

 

「ああ、そう。なら次。君は『聖カンナ』とどうやって知り合った?」

 

「俺が街で起きる謎の化け物や行方不明事件を調べていた時に出会った。カンナはそう……俺をドラーゴに対するカウンターにするためにイーブルナッツを寄こした」

 

 彼は次々に語り出す。

 人間を魔力によって変質させる“悪意の実(イーブルナッツ)”について。

 それを作り出した『聖カンナ』という合成魔法少女について。

 彼女がプレイアデス聖団を憎む経緯とかずみを執着する理由について。

 背中に冷や水を掛けられたような感覚に襲われる。

 

「君……何でかずみの事まで知っている!?」

 

「だから言っただろう。俺は未来から来たんだ。短い間だが、かずみと一緒に暮らした事もある。カンナと心を通わせ合った事も。俺の発言に嘘は何もないんだ……」

 

 悲痛に表情を歪めて、吐き出すように呟いた。

 初めて、赤司大火の話が真実味を帯びた。

 嘘や妄想では到達する事のない事実がいくつも含まれている。

 私が『聖カンナ』を魔法で造った事、そしてかずみも同じように造り出された存在だという事。これは私たちプレイアデス聖団だけの秘密を知る事など不可能だ。

 未来から来たというのも満更嘘ではないのかもと思わせた。

 それならあきらがあの竜の魔女モドキというのも真実なのか?

 傷付き、疲れ果てたプレイアデス聖団に安らぎをくれたあのあきらが……私たちの敵なのか?

 私たちは、“また”騙されたのか?

 心を打ちのめされて、視界がぐらつく。数歩後退り、後ろにあった机に脚をぶつけた。

 その拍子に乗せてあった改造ノートパソコンが床に落ちる。

 黒い画面には解析完了の緑色の文字が表示されていた。

 

「はは……」

 

 解析結果を見て、口元から乾いた笑みが零れた。

 この男もまた、同じなのか。

 なるほど。もしもそうなら膨大な魔力の収束に耐えられるかもしれない。

 私の心中を勝手に推測し、カプセルの中の赤司大火は気遣うように言葉を掛けてきた。

 

「……ニコ。お前が今、奴に裏切られたと嘆くのも無理はない。だが、今からでも間に合う。俺と共にあきらを倒すんだ」

 

 そうか。こいつも知らないのか。

 自分の事実を。

 その正体を。

 だったら、教えてやる。情報をくれたせめてもの礼だ。

 

「赤司大火……君は人間じゃない」

 

 私はノートパソコンの解析結果を彼に見せつけた。

 その肉体を形成している物質は……魔力。かずみや『聖カンナ』と同じ。

 

「合成人間。いや、そんな上等なものじゃないな。そう言うなれば……意志を持ったイーブルナッツ。それが君の正体だよ」

 

 彼の目が大きく見開かれる。

 驚愕。否、衝撃とも言える感情が彼の内心に広がっているのが見て取れた。

 

「何を言って、いる? 俺は人間だ!」

 

「いや、本当の赤司大火は魔力の収束を受けた時に消滅したんだろうね。時を超えてやって来たのはイーブルナッツだけ」

 

「じゃあ、今の俺は……」

 

「イーブルナッツに焼き付いた人格と肉体のデータが魔力によって再現されているに過ぎない」

 

 これなら偶発的にでも時間遡行が成功した理由に説明が付く。

 あきらが起こしたという、魔力の収束を受け、次元が断裂した。その中に崩壊した彼の肉体からイーブルナッツが排出され、過去に辿り着いた。

 最後に私は、駄目押しの一言を彼に伝えた。

 

「人間だった君はここに来る前に死んだんだよ、赤司大火」

 




取りあえず、脳内プロットで書きたいなと思っていたところまでアウトプットできました。
追記
当初の予定では普通にタイムスリップした設定でしたが、こちらの方がより、かずみマギカらしい設定だったので変更しました。
感想欄での返信と一部相違がありますがご了承下さい。


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第十三話 止まない懺悔

「俺がイーブルナッツ……そのものだと?」

 

 ニコから告げられた衝撃の内容に、俺は絶望に打ち震えた。

 あり得ない。信じない。そんな事は断じてない。

 拒絶の言葉は浮かんでくるが、どれも言葉にならなかった。

 心のどこかで妙な納得があった。

 何故、あの『オリオンの黎明』の攻撃を受け、生きているのか。

 何故、このあすなろ市に俺がもう一人居るのか。

 何故、ドラーゴとの一度目の戦いで意識を失った俺の体内からイーブルナッツが排出されなかったのか。

 数々の疑問が説明が付いてしまった。

 本物の自分は既に死んでいて、今の自分は模造品。

 かずみの境遇とまったく同じだ。

 そうか。これがかずみがあの時に懐いた感情か。

 これは……。

 

「辛いな……」

 

 己を構成するものを全否定された気分だ。

 赤司大火の振りをした偽物。その事実を受け止める強さが今の俺にはない。

 

「うぐっ……何だ……? っ!?」

 

 身体を包む半透明の液体が波打ち、俺の肉体が魔物と人間の間を行き来し始める。

 右手が鋏に変わり、左足が外骨格へ包まれ、また人間の柔らかい筋肉に戻った。

 出鱈目に変貌する肉体は俺の自己意識の揺らぎに呼応するように定形に留まってくれない。

 気持ちの悪い半端な異形。これが俺か……。

 

「……君には同情するよ。情報提供には感謝してるしね。ただ、君はイレギュラーな存在。共に肩を並べて戦うには不安すぎる。かずみ以上に君の存在は不安定だ」

 

 憐れむような目付きでニコは俺を見つめた後、部屋から去って行こうと(きびす)を返した。

 俺は何も反応できずに不定形に蠢く肉体を抑え込み続けた。

 少しでも気が逸れれば、肉体が分解してしまいそうな不安だけが思考を塗り潰していく。

 だが、最後にこれだけは聞いて置かねばなるまい。

 

「ニコ……!」

 

 俺は彼女の名を叫んだ。

 

「お前は……カンナを。自分が聖カンナをどうするつもりなんだ!?」

 

 ニコは俺に背を向けたまま、ほんの少し顔を横に逸らし、呟くように言う。

 

「……自分が生み出したものの責任は取るつもりさ。あの子の存在は私の罪。なら――私がそれを(あがな)う方法は一つだけだ」

 

「ニコ! やめろ……カンナは被害者でもあるんだぞ!?」

 

「ああ、知ってるよ。そして加害者は私だ。いつもそう。取り返しの付かない事をして、さらに取り返しの付かない事を繰り返す……それが私、神那ニコだ」

 

 部屋の扉が開き、ニコはそこから出て行く。

 残された俺はカプセルケースを内側から叩く以外にやれる事はなかった。

 素材が何なのかは知る由もないが、魔物化している俺の鋏でも罅一つ入らない。

 

「また、俺は何も守れないのか……」

 

 慟哭さえも今は力なく響いた。

 この感情さえも本物の赤司大火の真似事でしかない。

 俺はただの、偽物。この感情も、この嘆きも偽物。

 それなら俺のすべき事など、この世界にないのではないか……

 

 

~ニコ視点~

 

 

 本来得られない情報を先んじて手に入れられた。

 これで魔女モドキ騒動の首謀者と協力者の正体は分かった。彼には八つ当たりじみた事をしてしまったが、これでも感謝の念は懐いている。

 『聖カンナ』は私が何をしても必ず、殺す。それが彼女をこの世に生み出してしまった私の責任。

 問題なのは彼女の魔法……『コネクト』。

 心を繋ぎ、他の魔法少女の魔法さえ使用するチートのような魔法。

 あきらについてはその力よりも、プレイアデス聖団に完全に取り入っている事がネックだ。

 警戒心の強い海香やサキまで篭絡(ろうらく)している点から、下手を打てば彼女たちと敵対する事もあり得る。

 幸い、あきらはどのくらいの情報を得ているか知らない。

 上手く奴を出し抜き、捕らえてからカンナの根城を吐かせる。

 あきらには悟られず、プレイアデス聖団に情報を共有する方法も考えなければいけない。

 電話やメールよりもソウルジェムを通じての念話での通信が有効か。

 

「……?」

 

 頭の中で今後の戦いのために思考を巡らせていると、リビングの方に人気(ひとけ)を感じた。

 この家の場所はプレイアデス聖団にも話していない。名前も素性も捨てた私が彼女たち以外の知人も居ない。

 再生成の魔法で作る上げた家に合鍵なんてものも存在しない。

 空き巣にでも入られた? 

 それもおかしい。

 魔法で作られた窓はそこらの防弾ガラスよりも頑丈だ。それに無理やり侵入したなら、いくら研究室が防音とはいえ、多少なりとも破壊音が聞こえたはず。

 だとすれば、まさか……聖カンナ?

 音がする方向の部屋——リビングへと静かに廊下を移動する。

 魔法少女の衣装に変身した後、バール状の杖を片手に握り締め、リビングの扉の前に立つと耳を澄ませた。

 

 シャリッ。シャリッ。

 

 何かを削るような音がこの部屋の中から聞こえてくる。

 意を決して、リビングへと足を踏み込むとそこに居たのは見覚えのない少女がテーブルの上に腰掛けていた。

 ウサギの形に切られたリンゴを美味しそうにフォークに突き刺し、齧っている。

 シャリッとウサギ切りリンゴを齧る度に、黒髪の長いポニーテールが連動して揺れた。

 その隣には銀髪碧眼の少年が包丁でリンゴを剥いている。

 無表情で黙々とポニーテールの少女のためにリンゴを剥く姿は、ワガママなお嬢様と仕事に忠実な執事の関係を想起させた。

 ポニーテールの少女は私の姿を認めると、咎めるように目を向けた。

 

「あ~。やっと現れた。おかげで待ちくたびれて小腹が空いちゃったよ」

 

 フォークに残っていたリンゴの残りをフォークごと床に投げ捨て、テーブルの上から跳ね降りる。

 他にも破り捨てたお菓子の袋などがあちこちが食べ散らかされていた。

 ……他人の家だと思って好き勝手やってくれる。そのリンゴも冷蔵庫に入っていたのじゃないだろうな?

 

「生憎、客人を招いた覚えはないよ。御宅、どちら様?」

 

「双樹あやせ。この姿を見れば、説明は要らないよね?」

 

 彼女はその場でクルリと回ると、パーカーとホットパンツのラフな服装から露出のある白いドレスへと変身した。

 露出した左肩にはひょうたん型の宝石が付属されている。

 一目で分かった。あの宝石は……。

 

「ソウルジェム。……魔法少女が何の用? まさか、最近越して来ましたーって挨拶しに訪問した訳じゃないよね?」

 

「ふふん。そのまさか、だよ。ただ、挨拶ついでにちょっとお願いがあるの? 聞いてくれる?」

 

 にやにやした表情で笑うあやせという魔法少女。

 素直に感じ悪い印象がする。確実にろくでもない願いだとは思ったが、それでも彼女に尋ねた。

 

「お願い? リンゴ以外のフルーツでも出せと」

 

「欲しいのはフルーツじゃなくて……そのあなたの綺麗な宝石。ねえ、そのソウルジェム、私にちょうだい」

 

「ソウルジェム?」

 

「そう。私ね、魔法少女の綺麗なソウルジェムを集めてるの。ほら、見て。私のコレクション」

 

 手のひらサイズの宝石箱を取り出して、見せ付けるようにあやせは蓋を開いた。

 中には十個近い色とりどりのソウルジェムが飾られている。

 このソウルジェムの持ち主の魔法少女がどうなったのか、考えるまでもない。

 中身を見つめてうっとり顔のあやせは共感を求めてくる。

 

「どう? 綺麗でしょう。これでも濁りのない選りすぐりの子たちのジェムを選んだの」

 

 想像以上にイカレた奴だというのが今のやり取りで分かった。

 他人のソウルジェムを欲しがる魔法少女なんて聞いた事もない。

 こいつもカンナの手先なのか?

 しかし、私たちを恨むユウリという魔法少女の話なら赤司大火から聞いたが、この女の事はまったくと言っていい程聞いていない。

 彼は隠し事ができるような器用な男ではないし、カンナの事を吐いた以上その側近の事をか隠し立てする理由はないだろう。

 となれば、赤司大火の知る未来ではあすなろ市に来なかったか、彼が出会う前に誰かに倒されたのかの二択。

 

「ウチはジュエリーショップじゃないんだ。他を当たってくれる、お嬢さん」

 

「そういう冗談、スキくないなぁ……アレクセイ! やっちゃって」

 

 あやせが傍に立つ少年に命令を下す。

 

「分かった。いいよ」

 

 私たちのやり取りを興味なさげに聞いていたその少年は名前を呼ばれると適当に返事をした。

 一瞬で彼の輪郭が歪み、人の姿から別の何かに変貌していく。

 思った通り、こいつも魔女モドキ……赤司大火風に呼べば魔物か。

 だが、既に魔法少女に変身している私の魔法の方が早い!

 

「『プルロン・ガーレ』!」

 

 両手の指四本を小型のミサイルへと変えて、リビングから廊下へとバックステップと同時に彼へ撃ち込んだ。

 魔法少女同士の戦いに少年が首を突っ込むなよ。

 初動からの速さでいうならプレイアデス聖団の魔法少女随一のこの技で早々にご退場願う。

 魔力を帯びた爆発と爆風がリビングで発生し、壁と床、それから天井にまで甚大な被害を巻き起こす。

 が。

 アレクセイが居た場所には彼と思しきものは皆無。近くに立っていたあやせの姿も消えている。

 壁が崩れ、照明器具が砕け、それを構成されていた魔力が粒子になって虚空へ還った。

 その向こうに何かに腰を下ろしたあやせが見える。

 

「自分のお家を壊すなんて乱暴ね。ドレスが(すす)で汚れるところだったじゃない」

 

 近距離での大爆発が起きたというのに傷もちろん、その純白の衣装に至るまで汚れ一つ付いていない。

 あやせが腰掛けているものは銀色の毛皮。

 陽の落ちた暗闇の中で(ほの)かに発光する碧い双眸(そうぼう)

 銀色の大きな狼があやせを乗せて、崩れた壁の隙間からこちらを覗いている。

 

「綺麗でしょ? これが私の番犬、アレクセイの姿」

 

 狼の魔物の毛並みを指先で撫で上げながら、あやせは自慢をしてくる。

 ……一体何をした?

 いくら狼の魔物の素早かろうが爆発でにより生まれた穴から無傷で逃げ出すなんて事は不可能だ。

 爆発する前に先に壁の外へ移動しない限りはそんな芸当はできるはずがない。

 いや、そもそもこいつらはどうやって私の家に侵入した?

 音も出さず、壊れた箇所も見受けられずにどうやって家の中へと入って来られた?

 私はそこで一つの可能性を見出す。

 それを試すための方法も私の再生成の魔法であれば問題ない。

 この疑問を解消するためにバール状の杖を大きく、振りかぶり、床へと突き刺した。

 

「獣は檻にでも入れておきな」

 

 再生成の魔法を駆使し、狼の魔物ごと囲う檻を生み出す。

 細かい檻の隙間から閉じ込められた狼の魔物とそれに乗るあやせ。

 さあ、私の推理が正しければ、これで家にどうやって侵入したか分かるはず。

 

「無粋な檻。可愛くなーい。早く出てよ、アレクセイ」

 

『…………』

 

 狼の魔物はあやせの言葉に返答せず、無言を貫く。

 だが、檻の縁まで歩き出すと、まるで檻など存在しないかのように“通り抜けた”。

 奴はただ歩くだけで、何の障害もなく、檻から脱出を成功させる。

 やはり……。

 

「物質の透過。それがその狼の魔物の持つ能力」

 

「そうだよ。あなたのお家にお邪魔したのもアレクセイの力を使ったの。凄いでしょう? 実際、かなり便利なだよね~」

 

 手下の能力のタネが割れたというのにあやせは警戒するどころか、ますます得意げになる。

 能力が明かされた程度では何も問題はないという余裕の表れか。それとも単純に頭の作りがアッパラパーなだけか。

 どちらにしても狼の魔物の能力は厄介極まりない。

 何故なら、あやせを連れて透過できるのなら奴らが一緒に居る以上、私の攻撃は絶対に届かないという事だ。

 

「ズルすぎるだろ、それ」

 

「私はズルされるのは嫌いだけど、自分がする分にはスキなの」

 

 最悪だ……。

 一人で相手にするのは困難な能力の魔物。さらにどんな魔法を使うとも知れない魔法少女がセットになっている。

 何なんだ、このアンハッピーセットは。運が悪いにも程がある。

 せめて、プレイアデス聖団の誰かが応援に駆けつけてくれれば、勝機が見えるかも知れないが、生憎この場所は御崎邸から随分と離れた場所に建てられている。

 ともかく、この場から逃げて、何か対策を立てないと勝ち目がない。

 

「『プロドット・セコンダーリオ』!」

 

 床から三十体の分身を作り出し、部屋の中から全員でバラバラに逃亡する。

 これなら、どれが本物か分かるまい。

 分身に気を取られている間に、私は奴らを撒いて御崎邸に向かえば、プレイアデス聖団七人で迎え撃てる。

 即座に壁を魔力へと変えて、外へと飛び出した。

 

「あ、そうそう。言い忘れてたけど、アレクセイの特技は透過だけじゃないの。ねえ、この広いあすなろ市でどうやってあなたの家を見つけられたと思う?」

 

 あやせが何気ない口調で言葉を紡いだ。

 

「アレクセイの鼻はね、魔法少女のソウルジェムから放たれる魔力の香りを()ぎ分ける事ができるの」

 

 巨大な(あぎと)が私の真横から現れる。

 開いたそこには鋭く尖った白い牙が並んでいた。

 

「……!?」

 

 ぞぶりと噛み付かれ、赤い血が夜の闇に撒き散らされる。

 一本一本が杭のように私の左肩に食い込んで離さない。

 

「この……!」

 

 右手に握ったバール状の杖で狼の魔物の頭蓋を殴りつけようとした。

 しかし、それよりも早く、奴の顎は私の左腕を肩ごと喰い千切る。

 筋線維がぶちっと引きちぎれる音がした。

 噴水のように流れる血液。片腕を引きちぎられ、身体のバランスを崩した私は(つまづ)き、うつ伏せに転んだ。

 

「いぐぁ……」

 

 激痛を魔力を消費して緩和させ、残った右腕と両足で立ち上がって、()()うの体で逃げ出す。

 二撃目を喰らえば負ける……。

 知らなかった。人間は片方の腕を無くすと重心が取れず、真っ直ぐに歩けなくなるという事を。

 無論、知りたくもなかった事柄だが、出血により興奮物質が脳内を巡り、かつてないハイテンションが私に訪れていた。

 分身による目隠しによる逃亡は無意味! それならいっそ、分身そのものを爆弾に変え、奴に取り付かせる。

 右手に握られたバール状の杖を振るい、分身に号令を掛けた。

 狼の魔物へと無数の私の分身が飛び付き、爆発する。

 閃光と爆風が連続し、もうもうと煙を上げた。

 分身の残りがゼロになるまで爆発は続き、相手を焼き尽くすまで炎にくべていく。

 

「はあ……はあ……」

 

 魔力を消費し、分身のストックも尽きた。

 火柱とも言える炎が狼の魔物が居た空間を覆っている。

 この炎さえ透過できたとしても、透過能力の行使による魔力消耗は、分身を爆弾に変換しただけの私の比ではないだろう。

 喰われた左腕を魔力を回して再生成しつつ、火柱から奴が飛び出すのを待つ。

 

「……?」

 

 おかしい。奴が姿を現さない。

 まさか、あの爆発で倒せたとでもいうのか。

 恐る恐る、一歩だけ前に踏み出す。

 反応はない。

 もう一歩だけ踏み込む。

 やはり反応はない。

 最後にもう一歩だけ火柱に近付く。

 それでも火柱から狼の魔物が飛び出してくる様子はなかった。

 僅かに気が弛みそうになったその時。

 

 ――右足が引きちぎれた。

 

 今度は仰向けに地面へと倒れ伏す。

 私がさっきまで立っていた場所の真下からぬうっと顔を出したのは狼の魔物の頭部。

 

「地面に、透過して潜っていたのか……」

 

 千切り取った肉を吐き出して、銀色の狼は倒れた私を見下ろす。

 恐ろしいほど冷酷な瞳は獣性も人間性も感じない。

 あるのは無機物めいた温度のない眼差しのみ。

 背中に座るドレスの魔法少女は狼の魔物へと命令を下した。

 

「さあ、アレクセイ。ジェム以外は要らないの。邪魔な部分を処分して」

 

 狼の魔物はそれに無言で首肯した。

 ワガママなお嬢様と仕事に忠実な執事などではなかった。

 彼らは残酷な王女と死刑執行人。

 欲する宝石を得るために、持ち主の命奪う邪悪な略奪者だ。

 勝ち目はない。

 勝敗は決した。

 私は観念して、両目を瞑った。

 聖カンナを殺す。その責任も果たせずに散る私を許してほしい。

 もしも死後の世界があるのなら、謝りたい人で一杯だ。

 銃の暴発事故で殺してしまった皆。

 そして、何より和沙ミチル。

 君の死体さえ穢してしまった事を心の底から詫びたい。

 

「……すまない。本当にすまない……」

 

 私は処刑の顎が私の命を摘み取るまで、謝罪の言葉を口ずさみ続けた。

 




戦闘シーン書いている時が一番脳裏に映像が浮かんできます。
うまく文章に落とし込めているか不安ですが、読者の方に伝わっていれば幸いです。


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第十四話 想いを力に変える時

 電子機器のランプがチカチカと点滅を幾度となく繰り返す。

 モニターに映る数字と棒グラフは時折更新され、無機質な機械音を立てて稼働し続けていた。

 俺の肉体の情報でも取っているのかもしれない。まるで実験動物のような扱い。

 ……いや、生物ですらないのか、俺は。

 半透明な液体に髪の毛から爪先まで満たされたカプセルの中から肉体の変質を押し留めながら、己の置かれた状況を客観視して自嘲する。

 この人格も、懐いている感情も仮初め。紛い物。模造品。贋作。

 俺は赤司大火ではない。その人間は当の昔に死んでいた。

 ならば、今ここに居る俺を何と呼称すればいいのだろう。

 ああ。いい呼称があった。魔女モドキにちなんで「人間(ヒト)モドキ」なんてのはどうだろう?

 人間の振りをしながら、人間とはまったく別種の存在。

 

「はは……俺にぴったりだな」

 

 卑屈で見っとも無い乾いた声がカプセル内の液体を伝導して響いた。

 ここまで心が折れるとは思ってもみなかった。

 自分が自分であるという事はそれほどまで重要なのだ。

 心が空っぽになった気分だ。……実際は最初から満たされてなどいなかったのだが。

 何もかも諦め、このまま魔力の暴走に身を任せ、何もかも終わりにしてしまおう。

 赤司大火を(かたど)る事を止めれば、俺はきっとただのイーブルナッツに戻るだろう。

 それで終わりだ。何もかも終息する。

 もう悩む事も嘆く事もない。ただの『物』に戻る。

 意識が儚く(とろ)けてゆく……ぼんやりとした思考。

 手足を覆う液体の感触が少しずつ感じられなくなっていた。皮膚も筋肉も次第に麻痺していく。

 眠りに落ちる数秒前のような感覚が鈍化して、視界が(おぼろ)になる。

 

「………………?」

 

 自然な流れに従って緩やかに分解されつつあった聴覚が突如部屋の環境音以外の音を拾った。

 部屋の天井の上から、くぐもった轟音が聞こえてきたのだ。

 同時に俺の入っているカプセル内の半透明な液体が振動で大きく揺れた。

 それからすぐに慣れ親しんだ波長を感知する。

 この反応は――イーブルナッツの活性化した魔力反応。

 まさか、ドラーゴの襲撃か……?

 自分の正体を知る前の俺であれば、即座に身体が動き、奴を倒しに向かっただろう。

 だが、今の俺にはもうその気力は湧いて来ない。

 憎っくきドラーゴを倒し、かずみとカンナを救う。

 その願いを持っていたのは、本物の赤司大火。偽物(おれ)ではない。

 このまま、コピーしただけの自我を失いつつある俺には関係のない事だ。

 そう、俺はただのイーブルナッツなのだから……。

 もう何も見えない。聞こえない。意識は暗い暗い闇の底へと落ちて行く。

 

『おい。何勝手に諦める気になっているんだ、お前』

 

 誰かの声が聞こえた。

 何故聞こえる? ここには誰も居ないはず。何も存在しないはず。

 あるのは暗闇。音も光もない。静寂の闇だけ。

 

『このユウリ様の声を忘れたのか? お前はどこまで馬鹿なんだ』

 

 ユウリ……? 誰だっただろうか。聞き覚えある響きがする。

 声は呆れたように吐き捨てた。

 

『じゃあ、いい。お前自身の名前くらいは覚えているだろう? お前は誰だ? 何者だ?』

 

 俺の名前……。何故だろう。思い出せない。そんなものがあったのかも分からない。

 何者かと問われても、明確に己を表す名称など思い付かない。

 

『思い出せ! 自分の名前を、自分の姿を! アタシのように自分を無くすな!』

 

 声は怒っている。俺に思い出せと叫んでいる。

 分からない。声は何に腹を立てているのか。どうしてそんなに俺にこだわるのか。

 俺は……そもそも何だ? 俺というこの意識はどこから来た?

 分からない。分からない。分からない。

 何も分からない。

 だが、どうでもいい。何も感じたくない。こんな意識も要らない。

 俺というこの感覚が邪魔だ。早く消えて欲しい。

 

『やめろ! それ以上、自我を失うな! お前にはやるべき事があるんだろう!? 護りたい人が居るんだろう!?』

 

 やるべき事……? 護りたい人……?

 何だ、それは。そんなものはない。そんな人は居ない。

 何もない。何もない。何もない。

 

『いいや、あったはずだ! 居たはずだ! アタシは知っている。お前が大切な譲れないもののためにたった独りで戦っていた事を!!』

 

 声は強い確信を持っているかのように高らかに叫ぶ。

 

 しつこい。くどい。うるさい。

 だまれ。だまれ。だまれ。

 ほうっておいてくれ。

 ききたくない。しりたくない。

 いなくなりたい。きえてしまいたい。

 はやく、きえてしまいたいのに……。

 

『教えてやる。お前は馬鹿だ! それも飛びっきりの馬鹿! だけど、一本筋の通った馬鹿だった。そんな情けない事を言うような奴じゃない!』

 

 お、れは……なにも……。

 

『お前の名前は赤司大火! 名前の通り、炎のような大馬鹿だ! そして……私にとってのヒーローなんだよ!』

 

 あかし、たいか……。

 なぜだか、とてもなつかしいひびきがする。

 

『当たり前だよ! それが、あなたの本当の名前なんだから』

 

 ほんとうの、なまえ。

 

『私が捨ててしまったものをどうか、思い出して!』

 

 思考が徐々に定まってくる。

 そうだ。俺の名前は――赤司大火。

 消えかけた記憶が、失いかけた感情が再び、俺の元へ再結集していく。

 思い出せた。

 俺のやるべき事はドラーゴを、一樹あきらを討ち倒し、この街とそこに住む人たちを救う事。

 覚えている。

 俺の護りたい人の名前は『かずみ』、そして『カンナ』。

 どこまでも広がる深い暗闇に眩い光に照らされる。

 白い世界に居たのは、見た事のない顔をした少女。

 しかし、俺は彼女の名前を知っていた。

 

「あいり、でいいんだろう?」

 

『正解。私が杏里あいり。名前を捨てて、親友の姿を使って復讐者になった愚か者』

 

 声も口調もはにかんだ表情も、ユウリとは違う。

 ユウリがクールで美しい顔立ちなら、彼女は温かで可愛らしい顔をしている。

 つい内心で比較していると、あいりは少し不満げに唇を尖らせた。

 

『ユウリと違って美人じゃないから、あんまりじろじろ見ないでよ』

 

「いや、どちらかと言えば、そちらの顔の方が好みだ」

 

『バッ、バッカじゃないの!? 普通、そういうの真顔で言う?』

 

 怒られてしまった……。

 失言だったようだ。俺は女子と話した経験が足りないのでこの辺の機微に疎い。

 思えば、かずみもカンナも普通とは掛け離れた女の子。あの二人はストレートに表現しても受け入れてくれたが、普通の女の子はどうも勝手が違うらしい。

 赤くなるほど怒らなくても、と思うが、もしもお袋なら「デリカシーのないあんたが悪い」と拳骨をくれていた事だろう。

 

「悪い。俺は口下手なんだ。許してくれ」

 

『……いいよ。あなたが馬鹿正直ってところは認めてるから。それより、もう大丈夫なんでしょ?』

 

「ああ。あいりのおかげで自分を取り戻せた。感謝する」

 

『じゃあ、行って来なよ。きっとあなたの助けを待っている子が居るはずだから』

 

 あいりはそう言って、後ろを指差す。

 そこには扉が一つ空間に浮いていた。

 壁も天井もないのに、扉は縫い付けられたように鎮座してある。

 あそこが出口。一度通ったらもうこの空間には二度と帰って来られない。

 そんな確信めいた予感がした。

 だから、俺は扉に向かう前にあいりの顔を見つめる。

 彼女は怪訝そうな表情で見つめ返してきた。

 

『どうしたの? 早く行きなよ』

 

「あいり。これでお別れなのか?」

 

『私はあなたに与えたソウルジェムの残滓(ざんし)。それが大火のイーブルナッツに吸収されて残っているだけ。こうやって魔力を搔き集めて一時的に自我を保っているのはこれで最初で最後だよ』

 

「そうか……」

 

 薄々は感じていたが、面と向かってそう言われると寂しさを感じる。

 俯きそうになる俺に彼女は柔らかく微笑んだ。

 

『大丈夫』

 

「え……?」

 

『今回みたいに言葉を掛けてはあげられないけど、私はずっと大火の心の中に居る。大火が振るうその力の一端が私なの』

 

「そうか……そうか! なら、寂しくないな!」

 

 力強く彼女に笑顔を返し、握り拳を作る。

 俺は独りではない。味方が居る!

 あいりという頼りになる味方が!

 であれば、彼女に述べる言葉は一つ。

 

「行ってくる!」

 

『行ってらっしゃい、大火』

 

 あいりに見送られ、白い空間の中で唯一色の付いている扉を開く。

 彩られたその扉はあいりのソウルジェムと同じ、ショッキングピンク。

 心の世界の出口は現実世界への入口。

 俺はもう一度、この残酷な世界と向き合う事に決めた。

 

「っ! ここは……」

 

 気が付けば、俺はカプセルの中で浮いていた。

 手も足も、身体の隅々に至るまで人間の肉体に戻っている。

 末端から中枢に掛けて、感覚が完全に定まっていた。

 部屋の上から地鳴りと先ほどよりも大きな轟音が連続して響き渡る。

 上ではかなりの激戦が行われている様子が察せられた。

 時間はない。すぐさま、このカプセルを破壊して、上に向かわなければ!

 己の奥に位置する核たるイーブルナッツへ意識を集中させる。

 もう迷いはない。

 偽物でも、模造品でもいい。

 この想いが本物だと言ってくれる人が居るのなら、俺は何度でも戦える。

 変身……否、この想い(・・)を籠め、更なる力を一気に引き出す!

 

想変身(そうへんしん)!」

 

 肉体は濃いピンクの粒子に包まれる。

 ショッキングピンクの外骨格。鋏から競り上がった銃身。尾節から伸びた砲塔。

 俺の姿は最初からあいりの力を纏い、変身していた。

 これが俺の〈復讐者の形態(リベンジャー・フォーム)〉。ドラーゴに奪われたものをもう一度護るための姿。

 両腕の銃身から魔力弾を放ち、カプセルのケースを打ち砕く。

 舞い上がる破片と床に流れ出す液体を余所に、俺は天井を弾丸の連射し、大穴を削り穿った。

 狙うはイーブルナッツの活性化した魔力反応源。

 天井だった場所に通り抜けられるほどの穴ができた事を確かめると、即座にその中へ尾節を使って跳び込んだ。

 入った先は砕けた壁と床、それに空が剥き出しになった天井。

 今更ながら、俺は自分が監禁されていた場所が地下だったと知る。

 

「何、あなた……地面からいきなり現れるなんて。それにその姿……」

 

 驚いた様に視線を送って来る黒髪ポニーテールの少女。衣装や変形したソウルジェムが肩に付着している事から魔法少女である事が認められた。

 彼女が跨るのは銀色の狼。碧く輝くその眼光の持ち主こそが、俺の感知したイーブルナッツを持つ魔物。

 

『イーブルナッツの匂いがする……僕と同じ魔物? いや、少しだけどソウルジェムの香りが混じってる』

 

 ドラーゴではなかったか。だが、魔法少女とつるんでいるなら、カンナの手の者だろうか?

 即座に周囲を警戒した俺は、仰向けで倒れているニコを発見する。

 

『大丈夫か!? ニコ!』

 

 見れば右足が脹脛(ふくらはぎ)の辺りから無残に引きちぎられ、筋線維が突出した断面図が露わになっているではないか。

 跳ねるように彼女の元へ移動すると、ニコにして珍しく両目を(しばたた)かせる。

 

「……まさか、君に助けてもらえるとは思いも寄らなかったよ」

 

 安堵と困惑の入り混じったような微妙な笑みでそう答えた。

 カンナを殺すと宣言した事で、俺とも敵対したつもりだったようだ。

 彼女は一つ思い違いをしている。これから協力していく上でもその誤解は正さねばならない。

 

『俺はお前と敵対したつもりはない。カンナの蛮行を止めるという一点においては俺も同じ気持ちだ』

 

「私は一度助けられたくらいで考えを曲げるような軽い女じゃないよ」

 

『なら、何度でも話し合おう。——ただ、今は……』

 

「共闘するしかないみたいだね」

 

 俺たちは銀色の狼の魔物とポニーテールの魔法少女を見据える。

 イーブルナッツから感じる狼の魔物の魔力波長は平坦だ。だが、研ぎ澄まされた感覚が教えてくれる。

 奴は強い。心して掛かれと。

 それを従えるあの魔法少女も恐らく生半可な強さではあるまい。

 

「横やりなんて、すっごくムカつく。それも魔法少女じゃない魔物とか。……ドラーゴの奴、手当たり次第にイーブルナッツを渡してるのかな? そういうの、私スキくない」

 

 彼女もまたその手にサーベルソードのような反りの入った西洋剣を生み出す。

 銀狼に騎乗したドレス姿の剣士。海外のファンタジー小説の挿絵にありそうな出で立ちだ。

 

『どうするの? 引く、それとも』

 

 抑揚のない声で狼の魔物がポニーテールの魔法少女に尋ねる。

 彼女はそれに食い気味で答えた。

 

「もちろん、“摘む”に決まってる! ここまで来て逃げる訳ないでしょ! アレクセイ、あなたももっと本気を出しなさい!」

 

『そう、分かった』

 

 敵意を剥き出しにした魔法少女と、どこまでも平坦な態度の魔物のコンビ。

 相反する二者だが、お互いに臨戦態勢に入っている事は確かだ。

 隙がない。下手に動けば、手痛い反撃を打たれそうだ。

 

『ニコ。お前は端で休んでいろ。治癒力が高い魔法少女と言えども、その脚では戦闘は無理だ』

 

 奴らから一瞬たりとも目を離さずに、後ろのニコに言う。

 

「誰に物申してるか分かってないね。欠けたものを作り直すのはニコさんの十八番(おはこ)だよ」

 

 馬鹿を言うなと顔を僅かに向けると、既に彼女の千切れていた脚は元通りに復元されていた。

 断面があったとは思えないほど綺麗に治っている。

 あまりの高速再生にぎょっとしたが、好都合だと考え直す。

 

『ならば、戦力に入れさせてもらうぞ』

 

「こっちは初めからそのつもりだよ」

 

 二対二の戦い。()しくも双方共に魔法少女と魔物という組み合わせ。

 相手にどんな事情や背景があるのか知る由もない。

 だが、俺の護りたい人たちを襲うなら容赦はしない。

 薄闇の下で俺は両腕を構え、彼らへと銃口を差し向けた。

 




ようやく、書いていて二部主人公の大火が好きになってきました。


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第十五話 頼れる使い魔

 桃色の軌跡が空を横切る。

 発光する粒子を撒き散らし、黒い闇のキャンパスにショッキングピンクの絵の具を走らせた。

 銀色の四足獣はその色を無視するように縦横無尽に駆け回る。

 速い。だが、速さなら蠅の魔物の方が数段格上だ。

 なのに弾丸は当たらない。

 否、当たっているのに通り抜けている。

 

「あの魔物の能力は物質の透過。いくら撃っても無駄になるだけだよ」

 

『そのようだな』

 

 ニコの意見に同意する。というか、知っているなら、もっと早く教えてくれ。既に数発無駄にしてしまったぞ……。

 突撃してくる狼の魔物の背に騎乗したポニーテールの魔法少女は握り締めたサーベルソードを一閃。

 斬撃より発生したのは――火焔!

 流動する火焔が唸りを上げて、俺たちへと迫り来る。

 まずい。俺だけなら多少耐えられるが魔法少女のニコは炎はまずい。

 いくら超再生力があるとしても、余計な魔力消費はソウルジェムを濁らせる。

 

『ニコッ!』

 

 とっさにニコを抱えて真横、庭の方へと跳躍した。

 片腕が塞がった俺にサーベルソードと、狼の牙が襲い掛かる。

 もう片方の腕に付いた銃身から魔力弾を放つ。狙うのは魔物ではなく、その上に乗る魔法少女だ。

 

「ふふん。そんな攻撃、私に届くと思ってる?」

 

 ポニーテールの魔法少女は艶然と微笑した。

 魔力弾は笑う彼女を通り抜け、残っていたニコの家の壁を砕いた。

 

『くっ、透過能力は背中の魔法少女にも有効なのか……!』

 

 迂闊だった。この二者は二つで一つ。

 魔物と魔法少女で、『一騎の強大な敵』と認識を改めた方がいい。

 

「それじゃあ、さっさと終わらせるね」

 

 先の炎とは比べ物にならない炎が彼女の周囲に現れ、渦巻くようにその剣に収束されていく。

 膨大な量の火焔が彼女のサーベルソードを赤く染め上げる。

 何倍にも膨れ上がった深紅の剣を魔法少女は高らかにかざし――。

 

「はい、おしまぁい! 『セコンダ……』」

 

 ――振り払った。

 

「『スタジオーネ』!』

 

 辺り一面に広がるの炎の津波が、視界を深紅で塗り塗り潰す。

 俺たちを呑み込まんと押し寄せてきた火焔の大波に為す術はあるのか。

 いいや、ある……あるとも!

 精神世界でのあいりとの再会によって、俺は彼女の魂とより深く繋がった。

 あいりの魂とは即ち、彼女の願い。彼女の想い。

 即ち、あいりの魔法!

 俺はその呪文を叫ぶ。彼女がもっとも信頼し、彼女の心を支えたその魔法名は…….。

 

『来い! コルノ・フォルテ!』

 

 ブモォォォォ。

 呼応するように(いなな)きが響き渡る。

 瞬く間もなく、俺とニコの身体は火焔の津波の届かぬ空へと運ばれた。

 

「な、なんだ? これ….…魔力で構成された牛!?」

 

『ブモ!』

 

 俺たちを乗せて、空まで飛翔したのはショッキングピンクカラーの牡牛。

 コルノ・フォルテ。あいりはこいつをコルと略して呼んでいたらしい。彼女の魔法により生み出されたものだが、ある程度独立した自我を持っているようだ。

 あいりが誰かを求めていたからこそ、こう言った形の魔法が存在したのだろう。

 

「何、それ。空飛ぶ牛? なぁんだ、無機物以外にも作れたんだ。隠し玉を持ってたのはそっちも同じって訳?」

 

 忌々しげに下から見上げるポニーテールの魔法少女。

 どうやら、コルをニコの魔法と勘違いしているようだった。

 

『……あやせ。違う、あの牛の臭いは蠍の怪人から出てる魔力と同じ』

 

 だか、鼻をスンスンと鳴らした狼の魔物はすぐに看破し、あやせというらしい魔法少女に訂正する。

 勘違いをされようが、されまいが、この際どちらでも良かったが、奴の持つ鼻は魔力を臭いで嗅ぎ分けられると知れたのはいい収穫だ。

 魔力をそこまで微細に感知できる以上、このまま、奴らを振り切っても追撃に合うだけ。

 ならば、この場で倒しきる以外に道はない。

 

『ニコ。奴らはここで倒すぞ』

 

「言われなくともそのつもり。それで? あいつらを一網打尽にする策でも思い付いた?」

 

『それはまだない……頑張って倒すとしか』

 

「はぁ、脳筋だな。君は」

 

 むう。否定はできない。頭を使うのは苦手だ。

 肩を竦めたニコは、ふと何かに気が付いたように俺に言う。

 

「でも、あちらさんは見た感じ飛行手段はないみたいだ。それならやりようはある」

 

『やりよう?』

 

 何らかの策略を企てたニコは口の端を吊り上げた。

 場違いだが、こういう表情されるとカンナと瓜二つで内心動揺してしまう。

 魔物になって居なければ、顔が紅潮するのを隠し切れなかった事だろう。

 戸惑う俺の感情を知らないニコは、身体を引き寄せ、顔を近付けた。

 イーブルナッツが模した心臓が更に高鳴る。

 

「赤司大火。君が他にできる事を教えてくれ」

 

 囁くような声でそう言った。

 

 

〜双樹あやせ視点〜

 

 

 こっちに手を出す手段がないと高を括って、あいつらは空に浮かび、のんびり内緒話をしてる。

 何その絶妙にムカつきポイントの高い行動。普通に許せないんだけど。

 決め手として放った一撃をかわされて、私はご機嫌ナナメだ。ジェムが濁らないように痛みを感じる暇もなく、身体を燃やし尽くしてあげるつもりだったけど、予定へんこー。

 ちょっと痛い目、見せてあげる。

 

「ア・レ・ク・セ・イー」

 

『何?』

 

 相変わらず、平坦な抑揚で私に返事をする。

 狼なんてワイルドな姿になったのに、人間だった時と同じ超絶クールだ。

 銀細工のような毛皮も、そのサファイアみたいな澄んだ碧い瞳も綺麗だが、その性格だけは少し気に入らない。

 ルカは気に入っているようだけど、私としては物足りなく感じる。

 だけど。

 

「私が指示した通りに動ける?」

 

『分かった、いいよ。やってみる』

 

 下僕としては有能だ。

 アレクセイはどんな命令にも逆らわずに従ってくれる。

 根っからの従者。反抗しないお人形。彼みたいに都合の良いタイプの人間とは初めて出会った。

 自分の意見も言う。能動的に動く事もある。意思が弱いのでもない。

 強いて言うなら、『目的を持たない人間』。

 自分にも、相手にも、世界にも関心がない。だから、平然と残酷な命令にも躊躇いなく従う。

 便利な機械。それが私の中沢アレクセイという人間の評価。

 それなら、目的のある人が使ってあげるのが正解というもの。

 

「なら、次はこういう風に動いて」

 

 具体的な内容をアレクセイに命じる。

 返事は聞くまでもなく『分かった』の一言だけ。

 だけど、不安があるかと聞かれればない。

 私の綺麗な従僕は命令通りに動く。

 コレはそういう風に、できている。

 

 

 ******

 

 

『本当に大丈夫なのか?』

 

 俺はニコの提案した策に対し、酷く懐疑的だった。

 

「私を信用できないのは分かるけど、そこは信じてもらわないと勝ち目はないよ」

 

 ニコは俺が彼女の人格を疑っていると思っているようだが、それは違う。

 彼女自身への疑いなど微塵もない。

 確かに仲間の魔法少女たちに隠し事をしている点は褒められたものではないが、それも内容が内容なだけに簡単に話せないのは仕方がない。

 しかし、情報を開示する時はなるべく全てを話す誠実さはちゃんと持っている。

 

『いや、心配なのはそこじゃなくてな……。ニコの負担があまりにも大き過ぎる点だ』

 

「同じ事だよ。私の実力も人格もここは信用してもらえないと話が進まない。分かるだろう?」

 

『だが……』

 

「悠長にお喋りしてる時間はなさそうだよ」

 

 なおも俺は食い下がろうとするが、ニコの発言で意識を真下に居る敵へと向ける。

 狼の魔物。名はアレクセイと呼ばれていたか……奴はその背にあやせを乗せたまま、地面に“沈み込んだ”。

 潜ったという方が正しいのだろうか。潜水、いやこの場合は地中だから潜地になるのか。

 完全に彼らがその場から姿を消した時、球体になった炎が一つ、また一つと地面の上に灯る。

 来る……!

 

「『アヴィーソ・デルスティオーネ』」

 

 あやせの技名を号令にして、地面に灯る火球が次々に俺たちを襲って飛来した。

 

『コル! 頼んだ!』

 

 ブモォォォ、と一鳴きしたコルは空を滑るように飛び、撃ち込まれる火球を回避していく。

 一撃二撃なら避ける事は難しくないが、かわす度に撃ち出される数が増せしている。

 魔力の弾丸でいくつか迎撃するも、相手へ攻撃する手段がなければジリ貧だ。

 安全地帯からの、一方的な遠距離攻撃。命懸けの戦いで戦法にどうこう言うつもりはないが、やはり卑怯に感じてしまう。

 

「手筈通りに私は行くよ。『プロドット・セコンダ-リオ』!」

 

『待てニコ! ……くっ』

 

 コルの上から空中で分身したニコが地上へ向けて降下していく。

 二十人ほどに増えた彼女だが、その半数以上は火球に撃ち落とされ、地面に着く前に火達磨となって消えた。

 身代わりがいると言ってもあまりに危険な降り方だ。

 頑丈な俺を後方支援に置いて、彼女単身で突撃するなど、どうかしている。

 しかしながら、ここまで来てしまった以上、俺も今更拒否する訳にもいかない。

 俺は頼まれた通り、ニコのサポートとして立ち回るだけだ。

 腹を決め、次なる行動に出ようとした時、一際大きな火球が俺へと飛んで来る。

 魔物化した俺の身体がすっぽりと隠れるほど巨大な直径の火球だ。

 だが、大きい反面、飛来速度は大した事はなかった。

 避けるのはそれほど難しくはない。

 と考えた直後、接近するイーブルナッツ反応を感知した。

 外骨格になった背中から冷や汗が流れる錯覚をする。

 既にコルには回避行動を取らせてある。二撃目に備え、最小限の動きで逃げるように命じてしまった。

 滑空するコルの真横を横切る炎から、銀の顎が飛び出す。

 

『っ……!』

 

 もっと早く気付くべきだった。

 アレクセイは巨大な火球に透過能力で身を潜め、俺への強襲を狙っていたのだ。

 奴は俺の右腕を噛みしめた状態で、コルの背中から突き落とす。

 左腕の銃身で奴に弾丸を浴びせるが、右腕を咥えられている上に、バランスを崩しながら落下中という状況では急所には当てられない。

 地面に落ちる寸前、アレクセイは噛み付いていた腕をぱっと放した。

 そのまま、トプンと奴は地面の中へ再び潜る。

 対して俺はといえば尾節を使って、辛うじて受け身を取ったものの、衝撃を削ぎきれず、ダメージを負った。

 

『がふっ……』

 

 潜ったアレクセイに警戒をしつつ、目の端でサーベルソードとバールが鍔迫り合いをしている光景を認める。

 刃を正面から受け止めず、刀身の腹を打ち、切り落とされるのを凌いでいるニコ。

 だが、あやせの剣術の腕は予想以上に立つ。

 一振りで杖を弾き、二振り目でその杖を断ち斬った。

 

「これで終わりだよ!」

 

 ニコを両断しようと上段まで振り上げたあやせはその剣を振り下ろす。

 しかし、それを俺は待っていた。

 彼女が無防備に腕を上げた瞬間に、弾丸を放つ。

 弾丸は彼女の腕に直撃する寸前に形を変え、リング状に変形させる。彼女の両腕を拘束され、空中に縫い止められた。

 

「な……」

 

 驚いたあやせはこちらの方に視線を向ける。

 

「上出来だよ、赤司大火……。『トッコ・デル・マーレ』」

 

 半ばから切られたバール状の杖を捨て、ニコはあやせのヒョウタンのような形になったソウルジェムへ手を伸ばす。

 抜き出されるように彼女の手のひらに移るのは、卵状になったソウルジェムだ。

 がっくりと項垂れるあやせには意識はない。その意識はニコの握るソウルジェムにある。

 魔法少女の変身は解け、白いドレスからラフな私服へ戻っていた。

 勝敗は決した。これ以上の戦いは無意味だ。

 俺は彼女の腕に付いたリングを消すと、未だ地面に潜っているアレクセイに勧告する。

 

『一緒に戦っていた魔法少女は倒れたぞ。大人しく降参するならこれ以上傷付けるつもりはない。どうする?』

 

 俺にはアレクセイが自発的に戦っているようには見えなかった。

 何らかの事情があり、あやせに付き従っている。そう感じたから、わざわざ降伏勧告を出した。

 奴は少し考え込むように黙った後に尋ねた。

 

『……だそうだけど、降参するの? ルカ?』

 

 ルカ……?

 一体誰だ? 初めて聞く名前だ。

 誰に投げている問いなのかと俺は口に出そうとしたが、それよりも早く返答が来る。

 

「笑止千万。私たちはまだ負けておりませんよ、アレクセイ」

 

 ソウルジェムを奪われたはずのあやせの口から言葉が流れる。

 

「……!」

 

『何、どういうカラクリだ!?』

 

 驚く俺とニコを後目に、立ち上がった彼女は別のソウルジェムを(かざ)すと、赤いドレス姿の魔法少女へと変身する。

 今度は左肩が露出し、その下に盾のような形状になったソウルジェムがくっ付いていた。

 首にはリボン。腰回りには着物の帯のようなものが巻かれている。ドレス姿は同じだが、全体的に和風な要素が足されていた。

 

「二つ目のソウルジェム!? そんな馬鹿な……」

 

「馬鹿でも阿呆でもありませんよ。私は双樹ルカ。お見知りおきを」

 

 その手には先ほどの同じサーベルソードが生まれる。

 魔法の武器まで作れるのか。これはまずいぞ……。

 

『ニコ! 下がれ!』

 

「……できたら、やってる」

 

『? 何を言って……!』

 

 見れば、ニコの足は地面にぴったりと張り付いていた。

 地面から生えた氷が彼女の足を脛のあたりまで凍り漬けになっている。

 炎ではなく、氷。本当にあやせとはまた別の魂だとでもいうのか。

 あやせではなくルカと名乗りを上げた魔法少女は、緩やかな動作でニコの手のひらからソウルジェムを奪い返す。

 愛おしさにそれを頬に沿えると、ニコや俺を無視し、独り言を始めた。

 

「あやせ。可哀想に……。こんな姿を晒すとはさぞや屈辱でしょう。ええ、分かっていますよ。では、そろそろ本気でやりましょうか」

 

「いつまで浸ってるんだよ、君ら」

 

 足元の氷を、彼女の魔法で再構築し、バール状の杖に変えていたニコが遠い目をして独り言に興じていたルカへと攻撃する。

 しかし、ルカはそれを跳ね飛んでかわすと、もう片方のソウルジェムを翳す。

 ジェムから流れる魔力の光が彼女の左半分のみを包む。

 すると、左側のドレスだけは赤から白へと変色した。

 

「「これが、私たちの本当の姿」」

 

 両手にサーベルソードを持ち、二刀流となった彼女たちはそれぞれ炎と氷を刀身に纏わせる。

 

「「アレクセイ、来なさい」」

 

『分かったよ』

 

 彼女の真下の地面から浮上する銀色の狼、アレクセイ。

 奴はまったくこの状況下においても淡泊な対応で彼女に寄り添っている。

 炎に引き続き、氷までも操る二つのソウルジェムの魔法少女、あやせとルカ。

 現在の彼女を何と呼称していいのやら。取りあえずは、二人とも双樹と名乗ったからには双樹姉妹とでも呼んでおこう。

 

『二対三だったという訳か。ちと分が悪い』

 

『ブモォォォ!』

 

 傍に降りてきたコルが自分を忘れるなとばかりに抗議する。

 

『悪かった。三対三だよな。うん』

 

『ブモ!』

 

 本来の主人に似て自己主張の強い奴だ。

 しかし、これで戦力差はお互い同数になった。

 ニコのソウルジェムはまだ濁りはないが、それでも早々に決着を付けたいところだ。

 




次回であやせ戦を終わらせたいと思ってます。

それからニコがグリーフシードを知っている記述がありましたが、あれは私のミスです。
彼女はまだグリーフシードでソウルジェムが浄化できる事を知りません。

何故、本来は記憶改竄の魔法が掛かっているあすなろ市でカンナやあやせたちがグリーフシードの浄化を認識できているかは次か、その次の回には明らかになります。

追記
大火が拘束のリングを解除した描写が抜け落ちていたので修正しました。


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第十六話 ボクの名は

 火焔が飛ぶ。

 氷柱が生える。

 相反する二極の属性魔法が同時に俺たちに襲い来る。

 地面のあちこちは延焼、あるいは凍結していた。常人なら足の置き場などとっくにないだろう。

 ニコの家の庭は人間の生活圏内とは思えない様相を(てい)していた。

 

「「それでは終わりとしよう」」

 

 銀狼に騎乗する白と赤のドレスを纏った姫が言う。

 二人分の声が重なり合うような奇妙な声音。まるでTV番組の音声加工のようだ。

 構えた二刀のサーベルソードの切っ先を同時に向け、突き出す。

 

「「『ピッチ・ジェネラーティ』」」

 

 その先から眩い光の球体が発生する。

 一目で分かる。あれは振れてはいけない類の光だ……!

 

『コル! 回避に専念しろ』

 

『ブモ』

 

 コルの背に跨る俺は命じ、狙いを集中させないように激しく飛び回らせる。

 凄まじい負荷が肉体を締め上げるが、あの光の玉が直撃するようは大分マシだろう。俺の後ろに乗っているニコを気にして、一瞥するが彼女はむっつりとした表情で光の玉を見つめていた。

 

『どうした、ニコ』

 

「あの魔法、炎でも氷でもないように見える」

 

『ああ、それが』

 

「あれだけ炎と氷を見せ付けるように使ってた奴らが、合体した途端に全く別の魔法を使うとは思えない。そして、あの技名……二つの頂き。ここまで言えば、分かるだろう?」

 

『全く分からん。つまるところ、何が言いたいんだ?』

 

 ニコの持って回った言い方に加え、こちらはコルへの指示と放たれようしている攻撃の回避に備えるのだ。

 ただでさえ、手一杯。そこに考える余裕など皆無。

 そもそも頭の悪い俺に小難しい表現を使わないでくれ!

 

「はあ。つまり、あの光の玉の正体は……超高温と超低温の相反する二つのエネルギーの融合魔法」

 

 呆れたように溜息を吐いて、結論を教えてくれるニコ。

 だが、説明を理解する前に件の光の玉が発射される。

 空を(かけ)るコルに向けて放たれた発光する球体は、その後脚を僅かに接触した。

 途端、発生したのは――大爆発。

 

『ブ、ブモォォォッ……!』

 

「ぬおっ!」

 

「ちっ……こりゃまずいね」

 

 爆風により乱れた気流が発生し、空中でコルは飛行制御を失って、地面へ錐揉みしながら落ちていく。

 ジェットコースターで高所まで登った後に来る急降下を何倍にも増幅したような負荷が全身を襲った。

 

『落ちるな、コル! 踏ん張れ!』

 

『ブ、ブモ……』

 

 頭部に生えた雄々しい角をハンドル代わりに掴み、自分でも無茶な注文をコルへと叫ぶ。

 弱々しく答えつつも、地面に激突しかける前にどうにか姿勢を元に戻して、再び上昇する事に成功する。

 

『や、やった……これでどうにか』

 

「赤司大火! 奴らが来る!」

 

 ニコの怒号により、俺は双樹姉妹へと目を向けた。

 

『なっ、そんなのありか!?』

 

 氷の床が地面から作り出され、コルの高さまで届くほどに伸びる。

 氷雪の回廊を駆け上るのは銀の狼、アレクセイ。

 二つの碧眼が俺たちの姿を捕捉した。

 魔力弾による連射で氷雪の回廊ごと撃ち抜くが、奴が跳ぶ方が先だった。

 双牙と二振りの刃が最悪のタイミングで振るわれる。

 弾丸を……!

 間に合わない……?

 俺の両腕が斬り落とされ、片脚が噛みちぎられた。

 にやりと笑う双樹姉妹の表情がはっきりと映る。

 まるでスローモーション映像でも見ているような、時間を引き延ばされた感覚。

 胴体から離れた腕と脚が、空中で分解され、魔力の粒へ変換された。

 俺の負け、か……?

 背中に触れているニコの手を感じる。

 俺がやられれば、次は彼女がこいつらの手によって、殺されてしまう。

 それは防がないと……うん? なんだ、この感触。

 ニコの手から流れてくる、これは魔力……?

 いや、魔法!?

 分解された魔力が収束されて、腕に、脚に再生成されていく。

 そうか、これはニコの魔法!

 双樹姉妹の表情が悦びから、驚きに変わる。

 彼女がアレクセイに命令を飛ばそうと唇を動かす。

 その前に――。

 俺の両腕の銃身から連射される魔力の弾丸が銀の顎の内側に撃ち込まれていた。

 透過能力。あらゆる攻撃を無効化させる、恐るべき力。

 だが、攻撃を与えた直後なら?

 俺の脚に噛み付くために実体化していたお前は、即座に透過できまい!

 アレクセイの正面から、ゼロ距離射撃の嵐を見舞う。銀の毛皮にいくつもの風穴を開いた。

 

『……うッ』

 

 口から血の混じった咳を吐き、ぐらりと体躯が(かし)ぐ。

 今度、空中でバランスを崩す事になったのは彼らの方だった。

 

「「っ、アレクセイ!」」

 

 氷雪の回廊を砕きながら、地面へ落ちるアレクセイ。

 奴の背を蹴って、双樹姉妹はギリギリのところで地面へ着地する。

 

『ニコ、魔法感謝する。後は任せろ!』

 

「……一人であの魔法をどうにかするつもり?」

 

『ああ。これから先は俺一人で十分だ。コル、彼女を頼む』

 

 ニコをコルに任せ、下へと飛び降り、彼女と対峙した。

 

「「下僕を倒したくらいでいい気になるなよ、この最強の魔法は未だ破られてはいない!」」

 

 血を吐き。倒れたアレクセイには呼びかける事もせず、双樹姉妹は二刀のサーベルソードの切っ先を俺へと向ける。

 自分に付き従ってくれた相手に労い言葉一つ投げられないのか、この魔法少女は。

 その態度に苛立ちを感じながらも、俺は静かに返した。

 

『超高温と、超低温のエネルギーか。確かに厄介だ。だが、残念ながら最強には程遠い』

 

「「戯言を! 『ピッチ・ジェネラーティ』!!」」

 

 光の球体が剣先に発生する。

 紛れもなく、強力な魔力を編み込んだ一撃。

 だが、俺の知る最悪の邪竜の息吹に比べれば、最強を担うには矮小過ぎる。

 踵に付いた杭に似たアンカーが地面へ深々と刺し込み、その場に両足を固定する。

 長く伸びた尾節の砲塔と両腕の銃身から同時に魔力を収束されていく。

 

『トリニティ・リベリオン!』

 

 発射の反動で、アンカーを打ち込んだにも拘わらず、後方へ吹き飛ばされそうになる。

 あいりの想いを理解したおかげか威力が前回よりも上がっている……!

 三つの銃口から魔力が一本に寄り合わさり、放たれる濃い桃色の光の太い線。

 発射された光の球体と光の線。

 光体同士が激突した瞬間、中心で魔力の渦が発生し、熱と冷気が周囲に流れ出す。

 生まれた突風の中、光線は球体を打ち破り、さらに直進。

 

「「……まさか、私たちが……負け……」」

 

 しまった! 想定より威力が増したトリニティ・リベリオンが彼女たちを消し飛ばしてしまう!?

 魔物ではない彼女は、あれほどのダメージを負えば肉体は当然、ソウルジェムすら残らないだろう。

 流れる魔力を抑え込み、威力を削ろうと尽力するが、それでも勢いは削ぎ落し切れない。

 だが、光線が彼女を焼き尽くす直前に銀色の影が横切った。

 やがて眼を焼くような閃光が収まると、眼前に広がるのは……。

 壁や地面を抉り取ったような直線と、大きなクレーター。そして。

 

「「……くっ、早く降ろせ。アレクセイ」」

 

 双樹姉妹のドレスを咥えて、地面から浮上する銀色の狼の姿だった。

 ぶら下がるように牙でドレスの裾を噛まれた彼女は、下品だがスカートが(ひるがえ)り、なかなか扇情的な様相を晒している。

 

『分かった』

 

「「ふぎゃっ!」」

 

 マイペースなアレクセイは双樹姉妹の指示通り、口を開いて彼女を解放する。

 当たり前の事だが、身体を支えるものがなくなった彼女の身体は地面へと落ちた。

 大層情けない悲鳴を上げた双樹姉妹は、剥き出しになった庭の土で顔を汚し、わなわなと怒りで震える。

 

「「アレクセイ! いきなり落とすなんて、何を考えてる!?」」

 

『降ろせっていたのはお前だろうに』

 

「「少しは降ろし方を考えろ!」」

 

 イヌ科の獣の顔だが、あれは絶対に無表情をしている。

 マイペース極まりない魔物とぎゃあぎゃあ喚く魔法少女を見て、俺はすっかり毒気を抜かれてしまった。

 上から降りてきたコルと、その上に乗ったニコも同じように戦闘続ける気はなく、彼らを何とも言えない表情で眺めている。

 このまま、ただただ眺めているという訳にもいかず、俺は彼らの言い争いに割り込んだ。

 

『あー……。仲間内での(いさか)いは後で頼む。それで何だが、この勝負、俺たちの勝ちって事でいいのか?』

 

 俺がそう尋ねると、双樹姉妹は激昂した様子で吠えた。

 

「「いい訳ないだろう! 私たちは負けていない! ここで仕切り直……」」

 

『うん。僕らの負けだよ。降参する』

 

 それを無情にも途中で遮って、アレクセイが降伏を宣言した。

 納得していない双樹姉妹は彼を強く睨む。

 

「「アレクセイ!」」

 

『気付いてなかった? 僕が間に合ったのはそこの蠍の怪人が威力を下げたから。手心を加えてもらわなかったら二人は今頃、この庭の塵になってたよ』

 

 蠍の怪人という表現に少し引っ掛かりを覚えたが、奴の発言は概ね正しい。

 俺はアレクセイが思ったよりも自発的に発言する事と周囲の状況を把握している事に驚いた。

 奴はそれ以上は何も言わず、沈黙したまま、魔物化を解く。

 人間の姿に戻った奴……否、彼は銀髪碧眼の少年になっていた。

 背格好は中肉中背。年齢は俺と同じか一つ下くらい。とてもあの精悍な狼に変身していたとは思えない相貌をしている。

 顔立ちはやや外人風で、ひょっとするとアレクセイというのも偽名ではなく本名なのかもしれない。

 手下の裏切り発言でむっとしていた双樹姉妹だったが、彼女も彼女で諦めたようにドレス姿からラフな私服に戻る。

 交戦する意思はないと思って良さそうだ。

 俺も彼らに倣って人間の状態になる。その途端に横に居たコルは魔力の粒子に還っていく。

 

「ありがとう、コル。お前のおかげで命拾いした」

 

『ブモ!』

 

 頼りになる牡牛の使い魔に感謝を述べると、コルから降りていたニコにも改めて感謝を言おうと近付いた。

 

「ニコ。さっきは助かった。あの肉体の再生はお前の」

 

 魔法か、と続けようとしたところでニコは急に俯いて、地面に膝を突いた。

 

「ど、どうした、ニコ!」

 

 覗き込めば、顔色は真っ白になっている。

 明らかに何らかの異常を肉体が訴えているのが見て取れた。

 彼女は答えない。

 代わりに自分のソウルジェムを手の上に乗せて、俺に見せた。

 穢れのない、透明なソウルジェムだ。

 

「……!」

 

 違う! 透明なソウルジェムの表面が剥離していっている……!

 玉ねぎの皮のように澄んでいる外側が薄い膜となり、剥がれ、その下からどす黒く濁った宝石が顔を出す。

 あいりのソウルジェムと同じ、完全に濁り切る前の色。

 

「そんな……ニコ。嘘だろう!?」

 

「だいじょう、ぶ。ジュゥべえが、来てくれ、る……から……」

 

「ジュゥべえ!? 誰だ。そいつは?」

 

 震える声で絞り出したジュゥべえという名前。

 俺には聞き覚えはない。似たような名前の奴なら知っているがあれの親戚か何かか?

 

『オイラの事さ!』

 

 ぴょんと崩れたニコの家の庭から見た事のない小動物が現れた。

 縦長の瞳とギザギザの歯を持つそれはニコの傍までやって来ると、自己紹介をしてくれる。

 

『オイラはジュゥべえ。魔法少女と契約している妖精だぜ』

 

「お、おう。そうなのか。俺は赤司大火……ってそれどころじゃないだが!?」

 

『分かってるぜい! ちょいと待ってな。すぐにニコのジェムを浄化してやるぜ』

 

 そんな事ができるのか! ニコもそう言えば、ジュゥべえが来ればと言っていた。

 ますます以って、俺が知る似た存在とは違う。

 ジュゥべえは空中に跳ねるとくるくると縦に回転し始めた。

 すると、濁ったニコのソウルジェムから穢れが吸い出されて、ジュゥべえの方に引き寄せられていく。

 おお! これならニコは魔女にならずに済むのか!

 感動を覚えつつ、黙って事の成り行きを見つめる。何故か、その近くで眉を(ひそ)める双樹姉妹。

 ソウルジェムの穢れを吸い込む途中で、回転していたジュゥべえの動きが唐突にピタリと止まる。

 そのまま、宙から落ちて、土の上に転がった。

 ニコのソウルジェムは浄化されておらず、依然濁っている。

 

「ん? おい、どうした? まだ、ニコのジェムは綺麗になってないぞ?」

 

 不自然な姿勢で地面に倒れたジュゥべえは、そのまま何も言わない。

 それどころか、その身体が端から崩れて始める。

 唖然とする俺、呆然とするニコ。

 一人、したり顔を浮かべているのは双樹姉妹。

 

「やっぱりねー。おかしいと思った」「キュゥべえがソウルジェムを浄化するなんて話聞いた事もなかったですからね」

 

 それぞれフランクな口調があやせ。丁寧な口調がルカなのだろう。

 彼女たちは一つの口で交互に喋る。

 

「ソウルジェムを浄化できるのは……」「魔女から落ちるグリーフシードだけですよ」

 

「グリーフ、シード……! キュゥ、べえ……? うぐっ、頭が……」

 

 それを聞いたニコは頭を押さえて、ふらりと身体を揺らす。

 慌てて駆け寄った俺は彼女を支えた。指先に触れた彼女の肌は酷く冷たく感じられた。

 

「おい、ニコ! 大丈夫か!?」

 

「思い……出した……。でも、何故……それを……グリーフシードとキュゥべえの事を覚えていられた? このあすなろ市には……海香が、掛けた……記憶改竄の、魔法が……」

 

 ぶつぶつと呟くニコの様子がおかしい。

 あり得ないものを目撃したような、目の前の事実が受け入れられないといった表情を浮かべている。

 

「何がおかしいんだ? ジュゥべえというのは初めて見たが、キュゥべえという白い猫みたいなのなら俺も知ってるぞ?」

 

「……! そうか、赤司大火……。君か。君の存在が……」

 

 俺を見つめるニコは譫言(うわごと)のように言葉を漏らすだけで、問いかけには一切返答してくれない。

 しかし、問題なのは彼女の濁ったソウルジェムだ。頼みの綱のジュゥべえは砂のように崩壊し、残ったのはイーブルナッツに似たオブジェだけ……。

 

「あそこに落ちてるの、グリーフシードじゃない?」「その様ですね。ただ、大分劣化しているようですが……」

 

「ほ、本当か! それなら……」

 

 双樹姉妹の発言を受け、飛び付くようにジュゥべえの残骸からグリーフシードを拾い上げた。

 これさえあれば、ニコは魔女にならずに済む!

 俺は即座に彼女のソウルジェムにそれを近付けてみる……が。

 

「何も起きないぞ!」

 

 無情にもグリーフシードはうんともすんとも言わない。劣化しているのがいけないのか、それとも他に原因があるのか、門外漢の俺には見当もつかない。

 泣きそうになった。

 一体どうすればいいんだ。やっと救えると思った命をまた失わないとならないのか。

 自分の無力さに打ちひしがれて、空を仰いだ。

 

「……あれは、なんだ?」

 

 いつの間にか、あすなろ市の上空には巨大な光のサークルが浮かび上がっていた。

 万年筆を円状に並べて作ったような光のサークル。

 そこの中央には大きな亀裂が入っている。

 現状さえ忘れるほど、巨大なサークルに目を奪われていると、近くから声が聞こえた。

 

『あれはプレイアデス聖団が、この街全体に掛けた記憶改竄の魔法だよ。もっとも、少し前から機能不全を起こしていたようだけどね』

 

 頭に直接響くような声。

 知っている幼い少年のような口調。

 聞き覚えのある中性的な声色。

 俺は足元に来ていたそれを認識する。

 

「お前は……」

 

『どうやら時間遡行者……時間遡行()であるらしい君は知っているのかもしれないけれど、ここは初めましてと言わせてもらうよ』

 

 真っ赤なビー玉のような感情を感じさせない目玉。白い猫か、イタチを思わせ得るほっそりした身体。

 タイムスリップする前、人間だった俺を大量虐殺へ導いたマスコット。

 

『ボクの名前はキュゥべえ。よろしくね』

 

 あきらと並ぶ最悪な存在は、俺に可愛らしく挨拶を述べた。

 




ジュゥべえ『オイラの出番……』

キュゥべえ『選手交代だよ。下がってて』(肩ポン)



あやせ戦は終了です。
やっと、まどマギの主役であるキュゥべえさんを登場させられました。
ジュゥべえは可哀想ですが、扱いに困るキャラでした。
登場しても賑やかし要因にしかならないし……という事でばっさり数行で退場してもらいました。



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第十七話 巻き戻しの代償

早めに出来上がったので連日投稿


「キュゥべえ……」

 

『この状況を知りたいようだから、教えてあげるよ。赤司大火』

 

 現れた白いマスコットは、ジュゥべえだった残骸を前脚で弄りながら、俺へ説明を話し出す。

 

『ボクらが作り出した魔法少女システム。これを否定するためにプレイアデス聖団はボクらに関する記憶を街全域に掛けた。死んだボクの死体とグリーフシードを掛け合わせ、ソウルジェムを浄化する仕組みを作り、ボクの存在をジュゥべえに置き換えた。当然、グリーフシードの記憶も抹消した』

 

 赤い小さな瞳が俺を向いた。

 

『けれど、それはあるイレギュラーによって少し前に破綻したんだ。そのイレギュラーこそ、君だ。赤司大火』

 

「俺が……?」

 

『君は時を超え、未来からここにやって来た。魔法少女の魔法による枠組みに組み込まれた時間遡行ではなく、時間を超越するほどの膨大な魔力の歪みを受けてね。その際に記憶改竄の魔法は一部壊れ、ごく一部の魔法少女は記憶を取り戻し、後から訪れた魔法少女はボクやグリーフシードの記憶を失わなかった』

 

 傍で聞き耳を立てている双樹姉妹は興味深そうにキュゥべえの話に聞き入っている。

 アレクセイはぼんやりと空を眺め、正しく他人事のように受け流していた。

 ニコその話を聞き、沈痛な面持ちをしている。俺もまた同じ気持ちだった。

 俺がタイムスリップしたせいで、魔法少女たちの頑張りを無駄にしてしまった。

 何が全てを救うだ……。

 他人が頑張って積み上げてきたものを壊しておいてよく言う。

 

『ジュゥべえが壊れたのは、穢れの浄化が限界を超えたからだろうね。一昨日の事件の記憶改竄のために海香は魔法を使い過ぎていたから、それを浄化するジュゥべえも酷使されていたよ』

 

 この手の中のグリーフシードは合成部品としてジュゥべえに組み込まれていたものという事か。

 それなら劣化という表現にも納得がいく。ジュゥべえの中でこのグリーフシードはずっと使い込まれていたのだ。

 

『浄化と言っても表面処理を施す程度の誤魔化しでしかなかったようだよ。素体にしたボクらの肉体の本能がグリーフシードなしの浄化を拒んだのかな?』

 

「はは……結局、私ら魔法少女は騙されるのが常って事か」

 

 ニコは青白い顔で自嘲する。

 俺はそんな痛々しい彼女に何も言葉を掛けてやる事ができない。

 

『さて、これで待望の魔女が生まれるという訳だね。ニコ、君の絶望は一体どれくらいの感情エネルギーに変わるのか楽しみだよ』

 

 ……楽しみ? 楽しみだと!

 魔法少女の絶望を「楽しみ」などと抜かすキュゥべえに殺意が湧いた。

 片手で掴み上げると、握り潰してやろうとする。

 

『ボクを殺すのかい? 構わないよ。ボクら、インキュベーターは総体として存在する。一個体を殺したところで何の支障もない』

 

「クソが……」

 

 こいつは本心からそう言っている。

 インキュベーターというのが何なのか分からないが、話を聞く限りでは魔法少女を利用する外道でしかない。

 あきらとタメを張る卑劣さだ。殺してもダメージがない分、こいつの方が最悪かもしれない。

 

「はあ……もう、いいよ……。赤司大火。グリーフシードが、ない……以上、そいつを……殺した、ところで意味なんか、ない……」

 

「畜生! 畜生!」

 

「…………」

 

 諦めたように笑うニコ。

 俺が見る魔法少女の笑顔は悲痛なものばかりだ。

 誰一人助けれない。無力さが涙になって頬を伝う。

 それを近くでのんびりと眺めていたアレクセイが、ぽつりと言った。

 

「その、グリーフシードってこれだよね?」

 

 振り向くと、ゴソゴソと女物のポシェットを漁っていた漁っていた彼は、黒い小さなオブジェを一つ取り出してみせた。

 

「……!?」

 

 それは俺の手の中の壊れたグリーフシードに酷似した、否、ほとんど同じものだった。

 そうか。双樹姉妹こそ、先にキュゥべえが述べていた俺の時間遡行の影響で記憶を改変されなかった魔法少女。

 であるならば、彼女はソウルジェムを浄化するためにグリーフシードを保持していても何らおかしくない。

 

「なあ……! それは私のポシェット!」「荷物持ちさせていたとはいえ、勝手にあやせの私物を漁るのは言語道断ですよ、アレクセイ!」

 

 双樹姉妹は口々にアレクセイを非難し、ポシェットを引っ手繰る。

 グリーフシードも回収しようとするが、アレクセイはそれを拒否して手を高く掲げた。

 

「返して! それは私のだよ」「そうです。あやせに返しなさい!」

 

 怒る彼女に対し、全く動じずアレクセイは俺に尋ねた。

 

「……蠍の怪人。これ、欲しい?」

 

「え?」

 

 思いがけない質問に面食らう。

 一旦、戦いは終わったとはいえ、魔法少女にとってグリーフシードが命綱である事は今のやり取りで十分身に染みていた。

 それを遠足のバス内でのガムみたいなノリで欲しいか聞かれるとは想像もしていなかった。

 

「欲しい! 欲しいが……くれるのか?」

 

「ふざけないで! あげる訳ないでしょ? 馬鹿なの? 燃やされたいの?」「あなた、どこまで図々しいのですか!? 一度頭を冷やして差し上げましょうか?」

 

 当然ながら、双樹姉妹は怒り狂って、断固拒否してくる。

 対して、当のアレクセイはと言えば……。

 

「そう。なら、あげるよ」

 

 平然と俺にくれようとしていた!

 しかしながら、キュゥべえと同じくらいに無表情の彼からは真意は読めない。

 敵に塩を送る行為でしかないこの行動。どういう目的があるのかさっぱりだ。

 

「あやせ。ルカ。これがお前たちの手下になる報酬って事じゃ駄目?」

 

「う……! 確かに何か報酬あげるって言ったけど……」「不覚……これほど大事なものを要求してくるとは思いませんでした……」

 

「何でもいいって言って割りに渋るんだね」

 

「ううー……! 分かった分かった。それが報酬でいいよ。ね、ルカ?」「あやせが良いなら私も構いません。しかし、何故肩入れするのです?」

 

 双樹姉妹とアレクセイのやり取りは一応の決着を迎えたようだ。

 アレクセイはグリーフシードを雑に俺に投げて寄こす。

 これでニコが救える! 歓喜に震え、キュゥべえを手放し、両手でそれを受け取った。

 俺としてはありがたいとしか言いようのないが、ルカと同じでこちらにそこまでグリーフシードを譲ろうとする理由が不明だ。

 彼らの実力を鑑みれば、例えニコが魔女になっても余裕を持って勝利できるだろう。

 自分の報酬にしてまで、俺たちを助ける義理なんて彼にはないはず。

 性分的に見殺しにはできないというなら、ニコや俺を本気で殺しに来ていた事と矛盾する。

 これはまさか、あれか? 俺たちと再び、万全の状態で雌雄を決したいとかいう戦闘狂(バーサーカー)的な目的なのか!

 尋ねられたアレクセイはどこを見ているのか分からない目で答える。

 

「……んー。泣くほど助けたいみたいだったから。欲しいならあげればいいって思って」

 

「うわ、適当……」「こういうところがありますよね、アレクセイには」

 

 怒りを超えて、呆れたように言う双樹姉妹。

 外野から言わせてもらうなら、こういう人間だからお前たちのような危険人物に付き従っているのだと思う。

 珍妙なコントから目を背け、グリーフシードをニコのソウルジェムに近付けた。

 穢れがソウルジェムの内側から乖離して、グリーフシードの中へ吸い込まれていく。

 これが本当の浄化という奴か……。

 完全に澄み切った美しさを取り戻すと、卵型の宝石は指輪になってニコの指に張り付いた。

 

『そのグリーフシードはこれ以上穢れを吸収できないみたいだね。ボクが回収するよ』

 

 キュゥべえは背中のハッチのような部分を開き、グリーフシードをその中に入れるように要求してくる。

 この野郎……。蹴り飛ばしてやろうか。

 タイムスリップ前より、このマスコットの性質を理解したせいで憎しみしか感じられない。

 あきらを倒す事が俺の主目的だが、このふざけた小動物もどうにかする方法を考える必要がありそうだ。

 と言いつつも、グリーフシードから感じる不快な感覚に危機感を覚え、仕方なくキュゥべえに投げ込んだ。

 

「残念だったな。これでニコはしばらくは魔女にはならない」

 

『確かに残念だけど、魔女になるのは彼女以外にも居るしね。気長に次を待つ事にするよ』

 

 気長に待つ。それはニコが魔女になるまで待つという意味だ。

 この小さな外道はニコの、いや、あらゆる魔法少女が魔女になるその時を虎視眈々(こしたんたん)と狙っているのだ。

 想像するだけで反吐が出る内心だ。

 俺は不愉快さに唇を噛むが、ニコは何かに気付いた様に声を上げる。

 

「……魔女になるのは? まさか、海香が」

 

『気付くのが遅いよ、神那ニコ。ほら、空を見てみなよ』

 

 視線を空に誘導するキュゥべえ。

 その言葉に従って、上を向くと亀裂の入った光のサークルが夜空の中で輝いている。

 

「あれは」

 

 光のサークルに細かい(ひび)が入り、一拍置いて、砕け散った。

 

「海香……!?」

 

 その場から弾かれたようにニコはどこかへ向かって駆け出した。

 

「ニコ! ……ちっ」

 

 恐らくは向かった先は海香の家だろう。

 俺もまた彼女に続こうとして、残っていた彼らを思い出す。

 

「アレクセイ、グリーフシードの件、感謝する。あやせたちはもう悪さをするな。今度、この街の魔法少女に何かするようなら俺が許さない」

 

 余裕があれば、アレクセイのイーブルナッツを壊しておいた方がいいのだろうが、今は一刻一秒を争う事態。

 これ以上、彼らと問答を積み重ねている暇はない。

 返事も聞かずに俺は走り出す。

 

 

~あやせ視点~

 

 

 あーあ、やんなっちゃう。

 全力を出して負けた挙句、グリーフシードまで取られて、最終的には見逃された。

 まったく。実力には相当自信があったのに。プライドって奴をぽっきり折られた気分。

 でも、その代わりにこの街で起きている事がいくらか分かったのは幸いだった。

 魔法少女システムとそれを否定するために抗ったプレイアデス聖団。

 ドラーゴが言ってた魔法少女狩りっていうのも案外、魔法少女全体の事を考えてのものなのかもしれない。

 追いかけて、プレイアデス聖団を襲うってのもアリだけど、今はそんな体力は残ってない。

 これからホテルを取るっていうのも面倒だし、お金を掛けたくない。

 

「アレクセイ、今日あなたの家に泊るね」

 

「分かった」

 

 どこまで本気なのか分からない表情でアレクセイは頷いた。

 今日、この男と一緒に戦って理解した事は二つ。

 一つはこいつは強さ。

 アレクセイは途方もなく強く、奴に立つ手駒だ。

 透過の能力は使い方さえ間違えなければ格上にも通用する。

 二つ目はこいつの面倒臭さ。

 アレクセイは基本的に目的がない人間。

 だから、私やルカの言う事もホイホイ聞くが、別にそれは私たちに限った事じゃないらしい。

 傍で強い望みを聞けば、何でも受けいれてしまう。

 時に私たちに逆らってでも実行するほどに。

 ……でも、まあ、私たちの事を全力で助けてくれたから許してあげる。

 

「それにしても、難義な街だね。あすなろ市」

 

 薄暗い夜空には星々が光り、宝石のように輝いていた。




キュゥべえの説明で本編との矛盾点が明らかにされました。
大火は台風の目という意味では最初から第二部の中心に居ました。


後付けではありません。
原作読み直して「あっ、やべっ」なんて思った事は一度もないのです。

……下手に時間を空けると記憶というものは風化していくものですね。


次回はあきら君サイドを描写していきます。


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第十八話 天を背負う者

~あきら視点~

 

 

「で、俺はその先生に言ってやった訳。それは答え違ってますって。正しい解はこっちですって。そしたら、も~大変。あれだけ自信過剰だった先生がしばらく無言よ、無言。教室シーンと静まり返っちゃってさぁ」

 

 大変だったわー、と下らない学校での出来事を話しながら、俺はリビングを見渡す。

 正確にはすぐ隣の海香ちゃんを。

 彼女は口元を隠すような上品な笑い方をした。

 その指先には指輪に変化させたソウルジェムが嵌めてある。

 ひじりんによれば、プレイアデス聖団のジェムの浄化はお粗末そのもの。

 いつ魔女化してもおかしくない、危うい均衡の上に保たれている束の間の平穏。

 それなら、蠅公の一般人襲撃事件の情報隠蔽に魔力の大半を割り裂いた海香ちゃんのソウルジェムはどうなってしまうでしょーかっ?

 正解はー……。

 

「うぐっ……」

 

 唐突にテーブルに突っ伏す海香ちゃん。

 乗っていたティーカップが倒れ、中身の紅茶が零れた。

 服が濡れんだろ、タコが。せめて床に落とせ。床に。

 

「大丈夫か、海香ちゃん!」

 

 その他魔法少女の面々も口々に声を掛けるが、海香ちゃんは反応しない。

 心配そうな表情を作り上げ、俺は彼女を覗き込む。

 苦悶の顔を浮かべる海香ちゃんに噴き出しそうになるのを堪え、真剣に身を案じた。

 里美ちゃん辺りが良くない予想をしたようで不用意にも口走ってくれる。

 

「皆、海香ちゃんのこの症状……まさか魔女……」

 

「……里美! 何を言い出すんだ。ここにはかずみやあきらも居るんだぞ」

 

 おーい、墓穴掘ってんぞ。サキちゃん!

 詰めが甘いというか何というか。天然ボケキャラかよ、オメー。

 記憶喪失のかずみちゃんだけおろおろと状況を呑み込めずに他の子たちに尋ねまくっていた。

 そりゃ、答えられないでしょうな。仲間が知性のない化け物になるなんて。

 ……もしかすると、かずみちゃんの記憶を消去したのって、魔女化についての記憶を彼女から取り除くため?

 なーんか、きな臭くなってきましたなぁ。

 プレイアデス聖団の魔法少女からの俺への認識は、「事情を知っても友達で居てくれる優しく思いやりのある一般人」。

 なら、そのイメージを崩さずに演じてやりますかね。

 

「カオルちゃん….…!」

 

 海香ちゃんと一番仲の良い彼女に呼びかけた。

 カオルちゃんが俺に振り向く。ここで一秒くらい間を開ける。

 真剣に目を見つめ、相手の内心を配慮した風を装って、かずみちゃんの手を引いて立ち上がった。

 

「かずみちゃん。俺を連れて逃げてくれ!」

 

「え、どういう事!? それより海香の様子が変……」

 

「いいから頼むよ、かずみちゃん!」

 

 必死さをアピール。

 これが最適解。ベスト・オブ・ザ・ベスト。

 他の魔法少女たちに目配せすると、彼女たちも冷静さを欠きつつも、頷き返した。

 こいつらからすれば、俺とかずみには海香ちゃんの魔女化&その処理なんて見せたくないものの筆頭。

 それを俺がかずみちゃんとこの場を去ることで見せずに済む。

 普通に考えれば、事情を知らない俺が状況を察して動くなんて異常だ。

 だけど、その異常がこの上なく自分にとって有利な時。人間はろくに考えもせずに受け入れてしまう。

 都合の良い偶然を奇跡と呼ぶように、思考を停止させる。

 

「かずみ! あきらの言う通り、逃げて!」

 

 カオルちゃんからの一押し。

 状況をよく理解しないままだったが、カオルちゃんの発言もあって、俺と一緒にリビングのドアへと走ってくれた。

 しかし、俺がドアノブに手を掛ける前に、いきなりドアが開かれる。

 そこに立っていたのは。

 

「ニコちゃん……」

 

「かずみ、あきら。早くここから離れるよ」

 

 帰って来たニコちゃんだった。

 何の説明もなく、今起きている危機を完璧に把握している様子だ。

 

「いいタイミングで戻って来てくれたな……ニコ! 二人を頼んだ」

 

 サキちゃんの声を受け、ニコちゃんは無言で頷いた。

 彼女の先導で俺たちは廊下に出て、靴さえ履き替える暇もなく、スリッパで玄関を飛び出す。

 ほぼ同時に海香ちゃんの家がぐにゃりと歪む。

 あれが話に聞いた魔女の結界って奴か。ユウリちゃんの時は見れず終いだったから、こうして直に見られてちょっぴり嬉しい。

 

「何が起きてるの……ねえ、ニコ。あなたは知ってるの?」

 

 渦中の人物で唯一本当に何も知らないかずみちゃんが、不安げにニコちゃんに聞いた。

 

「うん。でも、ここじゃあ、話せない。二人とも付いて来て。すべてを知るべきだと思うから」

 

 彼女はそう言うと、俺たちを引き連れてどこかに向かう。

 何か違和感がある。この子、本当にニコちゃんなのか?

 一昨日、あの蠍野郎が言っていた事を思い出す。

 「ニコちゃんを『聖カンナ』とそっくりだから間違えた」。

 嘘を吐きなれてる俺には解るあの発言は、支離滅裂ではあるものの、嘘を含んではいない。

 あの馬鹿が上手い嘘を考えられるはずもなく、自分の中で明かしてもいい情報を加工せずに伝えた結果、意味不明になった。そう考えていい。

 となれば……。

 そっと後ろからニコちゃんに耳打ちする。

 

「……ひーじりん」

 

「っ!」

 

 前に立つ彼女の頭がビクっと動く。

 この反応。思った通り、こいつは『聖カンナ』だ。

 ニコと瓜二つである顔を利用して、ニコの振りをしている。

 予想だが顔を変えられる魔法ではなく、本当にそっくりなのだろう。

 もし、変装能力があれば、顔を隠さず場所と状況に応じて、変えれば済む話だ。

 双子……もしくはもっと(ごう)の深い理由か。

 

「なるほどね。偽名じゃなかった訳か。顔を隠しておいて本名名乗るなんて、思わなかったぜ」

 

「……かずみに聞こえる。黙って付いて来い」

 

「あいさー」

 

 何にせよ、自分から表舞台に出て、干渉しようって腹なのは間違いない。

 かずみちゃん欲しさに裏方から出て来るなんて思い切りがいい。よっぽど執着心があるみたいだ。

 どこに向かうにせよ、ひじりんの秘密を多少教えてくれると嬉しいんだが、はてさて。

 俺はかずみちゃんのお手てをにぎにぎしながら、ひじりんの後を走った。

 

 

 *******

 

 

 しばらくして先頭のひじりんが立ち止まった場所は大きな博物館の前。

 館名はアルファベットで『アンジェリカベアーズ』と書いてある。

 ひじりんは館内につかつかと入っていく。

 俺とかずみちゃんも続いて、中に入る。受付や警備員は見当たらず、がらりとした印象を受けた。

 展示品は見渡す限り、すべてテディベア。ぱっと見でも分かるくらい、一体一体が個性的だ。

 そういえば、前にみらいちゃんが自分のテディベア博物館を案内してあげるとか抜かしていた気がする。

 自分の部屋を博物館と称している痛い子だと思っていたが、マジで個人の博物館を所有していたのか?

 

「こっちだよ。二人とも」

 

 かずみちゃんも飾られているテディベアを近寄って観賞していたが、ひじりんに呼ばれてそっちへ向かった。

 俺も見に行くと、変なマークが書かれている床があった。魔法陣と呼んでもいいキテレツなデザインだ。

 

「かずみ。ここに君のソウルジェムを(かざ)してみてほしい」

 

 魔法陣を指差し、ひじりんはかずみちゃんに指示を出す。

 

「う、うん。やってみる」

 

 かずみちゃんが自分の右耳に付いた鈴のイアリングを黒紫のソウルジェムに変えて翳すと、魔法陣が輝き出し、エレベーターのようにマークの付いた床ごと下へと落ちていくような浮遊感を味わった。

 見た感じ、プレイアデス聖団のソウルジェムを認証して起動しているようだ。何でかずみちゃんのソウルジェムと思ったが、これなら納得だ。

 偽物であるひじりんには認証してくれないだろうからな。

 床が止まると、そこには開けた空間が存在していた。

 魔力で博物館の地下に空間でも作ったのか、空気は清浄で埃っぽさがまるで感じない。

 床からは長い道が一本通り、両脇には水が溜まっている。

 真横には等間隔で並んだ柱とその間を通るように滝のように水が流れていた。

 勝手知ったる我が家のように歩き出すひじりんだが、プレイアデス聖団でもない彼女がこの場所の内部までどうやって把握したのか分からない。

 ひじりんには記憶や情報を得る魔法が使えでもしない限りは不可能だ。

 もしそうなら出し抜くのはなかなか難しいぜ……。

 

「あきら。行かないの?」

 

 かずみちゃんが急に立ち止まった俺に不思議そうに尋ねる。

 おっといけない。今はこの子に怪しまれないように動くのが重要だったな。

 

「行く行く~」

 

 ぐんぐん一人で突き進むひじりんを追いかけ、俺たちはさらに奥へと歩いた。

 奥へ行くとデンと構えた大きな二枚扉が見えてくる。

 扉には歯車がいくつも付いていて、真ん中には魔法陣と同じ多角形を組み合わせたような図形が記されていた。

 ようやく、そこでひじりんが足を止める。

 振り向いた彼女は片手でその扉を強調するように広げてみせた。

 

「開けてみるといいよ。皆の隠していた真実がそこにある」

 

 生唾を一つ飲み込んだかずみちゃんは、扉に触れた。

 それに反応して二枚の扉は自動で開け放たれる。

 

「ようこそ、プレイアデス聖団のレイトウコへ」

 

 左右には裸の女の子たちが円筒形のカプセルに入れられ、プカプカ浮いていた。

 その中央の一際デカい噴水が設置してあり、水の張った台座にはソウルジェムがいくつも置かれている。

 台座に描かれているのはこれまた同じ魔法陣。

 

「こ、これは……」

 

 なかなか眼福……とボケたいところだが、シリアスムードを壊してかずみちゃんの信用を落とすのは下策。

 一体、何なんだという真面目な表情で、固まる演技をする。

 実際、ここで見るものにはそこそこ驚いているが、硬直するにはインパクトが足りてない。

 もうちょい奇怪なもの見せてくれないと本物の驚愕ってのは出て来ない。

 

「何なの、この場所……それにこの子たちは――魔法少女!?」

 

 かずみちゃんは素直にもストレートな反応で驚いている。可愛いくらいに純粋だ。

 記憶がないと人はこんなにもありきたりな驚き方をするものなんだなー。

 そこからひじりんが語り始めた話はさして珍しいものではなく、魔法少女が魔女になるという予備知識さえあれば辿り着けるレベルの陳腐な内容だった。

 一言で要約すると、魔法少女を魔女にしないためにこの場所で肉体とソウルジェムを保管しているんだそうだ。

 ついでに言うとかずみちゃんは海香ちゃんが魔女になったであろう事まで伝えられた。

 純粋なかずみちゃんはショックを受けて、呆然と立ち竦んでいる。

 俺はそんな彼女を優しく抱き留め、慰めた。

 

「かずみちゃん……。急にこんな内容を聞かされて、普通じゃ居られないよな。部外者の俺だって、結構辛いんだから……」

 

「あきら……。ごめん。少し胸を貸して」

 

 俺の胸板に顔を押し当てて、声を殺して彼女は泣き出した。

 

「魔法少女が魔女になるなんて……あの海香が魔女になるなんて……そんなのってないよ……」

 

「そう、だよな……。つれぇよな」

 

 耳でも穿(ほじ)りたいくらい退屈だったが、俺は彼女の望むような優しくて理解ある少年の演技を続けた。

 こういうのがええんやろ? ここで同意してくれる男がええんやろ?

 なぜか、心の中のいやらしい関西人が騒いでいた。

 流石に飽きて、暴れたくなってきたのでその怒りをひじりんに向ける。

 

「ニコちゃん! こんな残酷な事をかずみちゃんに伝えたんだ! もう少し言いようがあったんじゃないのか!?」

 

 意訳すると、『もっと面白く話してくれや!』ってことだ。

 俺とかずみちゃんの主人公とヒロインムーブを見せ付けられ、ひじりんは険のある目付きで睨む。

 自分一人が悪者扱いされて、ご執心のかずみちゃんが俺にべったりなのが気に喰わないのだろう。分かりやすい奴め。

 もっと悔しがらせてやろうと、さらにかずみちゃんの身体を引き寄せる。

 うーん。柔っこい。それでいて肌には張りがある。女の子ってのはこうじゃなくちゃな。

 かずみちゃんの柔肌を堪能していたその時、リーンと鈴の音が聞こえた。

 彼女の耳に付けられた鈴型のソウルジェムが鳴り響いている。

 

「あれ……? 私のソウルジェムが鳴ってる?」

 

 どうにも、かずみちゃんの意思とは無関係で鳴っているみたいだ。

 俺の中のイーブルナッツに反応しているには、タイミングが変だ。それにまだイーブルナッツは活性状態に入っていない。

 魔女化した海香ちゃんは、きっと今頃残りのプレイアデス聖団と交戦中のはず。

 

「……お目覚めみたいだね」

 

「お目覚め?」

 

 俺がひじりんの台詞にオウム返しした直後、少し離れた壁が砕けた。

 流れていた滝が弾け、水飛沫が宙を舞う。

 

「おー……?」

 

 破壊された壁の穴から這い出してきたのは、十人、いや十二人の黒い少女。

 全員とんがり帽子と長いマントを身に着けている。

 十二人全員の顔が揃って、こっちを向いた。

 服装だけじゃなく、少女たちの顔も皆、同じ。

 

「……嘘、私と同じ顔……」

 

 そう。かずみちゃんとまったく同じ造形をしていた。

 流石の俺もこの光景には驚きを隠せなかった。

 ひじりんだけが胡乱(うろん)げな表情を浮かべていた。

 

「これがプレイアデス聖団が隠したもう一つの秘密」

 

 鈴の音が響き渡る空間の中、彼女の声が通った。

 

「かずみシリーズ。とある魔法少女のクローンの失敗作」

 

 顔面蒼白になったかずみちゃんは、開いた口を閉じられないまま、俺の服にしがみ付いた。

 気持ちは分かる。俺だって、自分と同じ顔が一ダース並んでればビビりもする。

 しかしまあ、クローンと来たか。

 こいつは予想外だったが、なるほどなるほど、読めてきたぜ。

 かずみちゃんの記憶喪失っていうのは真っ赤な嘘。本当は記憶そのものがなかった、あるいは初期化されたと考えるのが妥当な線だ。

 雁首(がんくび)揃えて、睨んでやがるあの子たちが失敗作なら、こっちのかずみちゃんが成功事例。

 向こうは何らかの欠陥を抱えて、閉じ込められていたと見てよさそうだ。

 

「かずみの魔力に当てられたか。魔法の封印を力づくで破ったみたいだね」

 

 呑気な口調とは裏腹に、ひじりんはさらりとヤベー事態が発生したことを明かした。

 何考えてやがんだ、この女。責任取ってどうにかしろよ。

 当然、ひじりんが収集を付けるモンだと思って、見ていたが一向に動こうとしない。

 かずみちゃんシリーズは、成功作らしいかずみちゃんへとにじり寄って来ている。

 

「お、おい。ニコちゃん……?」

 

 どうして、アンタは変身して戦おうとしないのディスカ?

 俺は正体を隠すために魔物になれない。かずみちゃんは精神的にグロッキー状態。

 となれば、戦えるのはひじりんしか居ない。

 焦る俺に対し、ひじりんは何でもないことのように言う。

 

「お前が戦えばいいだろう? あきら」

 

「え? 俺が、どうやって?」

 

 確かに〈第二形態(セコンダ・フォルマ)〉になれば、魔法少女の一ダースや二ダースは余裕で潰せるが、こっちはかずみちゃんたちの前では、無力な一般人を演じている。

 こんなところでネタバラシなんて興醒めにも程があるってモンだ。

 それともここで俺の正体を見せ付け、自分だけが味方だとかずみちゃんに刷り込みたいのか?

 (こす)い! あまりに狡いぞ、ひじりん!

 困惑顔を維持するものの、内心ブチ切れ寸前の俺に彼女は背中のリュックから何かを放り投げてくる。

 キャッチすると、それは……ベルトだった。

 中央部にバックルが嵌っているそれは、日曜の朝にやる特撮番組に登場するような俗に言う変身ベルトという奴だ。

 

「そのベルトで変身して戦うんだ、あきら」

 

 ……お主、ふざけておるな。

 こんな子供の玩具みたいのでどうするっちゅうねん。

 恨みがましく、ひじりんを見るが、俺にベルトを着けろと言外に促すばかりだ。

 

「戦え、あきら」

 

 チクショウ……目がマジだぞ、こいつ。最近のニチアサ番組でも初バトル前には、もうちょい丁寧に説明するよ?

 やるしかないのか。こんな玩具で。

 

「あきら……。私……わたし……」

 

 俺は震えているかずみちゃんの頭をポンと叩く。

 使いものにならない道具の弱音なんか聞きたくもないが、かずみちゃんにはまだ利用価値がある。

 頼れるヒーローを演じて、依存させる方向で行こう。

 かずみちゃんの身体をそっと引き剥がし、前に一歩前進。

 

「大丈夫だ、かずみちゃん。俺がアンタを守ってみせる」

 

 かずみちゃんシリーズは距離を詰めて、獣のように唸りながら床から跳ねた。

 ベルトを腰に装着し、期待されているだろう台詞を叫ぶ。

 

「……変身!」

 

 肉体が魔力により、変化する感覚が全身を駆け巡る。

 イーブルナッツを初めて使った時と似ていた。

 明確に違うのは、閉塞感。イーブルナッツは解放感があったが、こいつはその逆。

 魔力を放出して肉体を変化させるんじゃなく、収束し固めている。

 ……そういうことか。なーにがベルトじゃい。

 こいつは変身アイテムなんかじゃない。

 イーブルナッツの抑制装置。魔力による魔物化を中途半端な状態で固定化する外付けのパーツ。

 とどのつまりは、イーブルナッツの魔物化を和らげる拘束具だ。

 黒い鱗の代わりに、灰色の鎧となって筋肉を覆う。

 鉤爪は伸びずに、指先は人間らしさを保ったまま籠手が包み込む。

 尻尾は生えずに、代替するように長い剣を腰元に携えている。

 翼は短く後退し、背中に収納されていた。

 頭部も爬虫類じみた変容はせず、フルフェイスの兜のような形状で固定される。

 鏡を見なくても、自分がどういう姿になったのか、肉体を伝う魔力の流れで分かる。

 灰色の騎士。

 面白くもないが、一言で表すならその形容が一番近い。

 魔力保有量は変わらずイーブルナッツ二個分だが、出力は〈第二形態《セコンダ・フォルマ》〉をやや下回るくらいか。

 

「ガアァァァ!」

 

 かずみちゃんシリーズの一体が俺に向かって牙を剥く。

 ほとんど野獣だ。理性のりの字もありゃしない。

 

「あきらっ!?」

 

 心配しているかずみちゃんの声が飛ぶ。

 うるさいから少し黙ってろ。こいつらと声が同じなんだから、余計に混乱するわ。

 ドラーゴの時とは勝手が違うものの、肉体の使い方は感覚で理解できた。

 剣は……こう振るう!

 腰に付いた鞘から抜刀ならぬ抜剣をすると同時に真一文字に斬り伏せる。

 潰れた果実のように中身の液体が飛び散った。

 二つに分断された体は黒く変色した後、泥のように溶けて消える。

 手に直接持つ『武器』は、牙や爪とは異なる手応え。イメージとしては間合いが広がったような気分だ。

 同類が死んだのに、悲鳴一つ上げないかずみちゃんの失敗作。

 今度は二体同時。双方ともに腕から黒い爪を生やして突撃を試みてくる。

 

「アアアアアゥ!!」

 

「ア゛ア゛ア゛ァ゛!」

 

 盛りの付いた猫かよ、うるせえなぁ。

 一体目を剣で往なして、蹴り飛ばす。

 もう一体の進路を阻害させ、二体が激突したところで、二つの首を一刀ではねた。

 あと、九体も居るのかよ。炎で焼き払いたいが、この形態じゃ無理そうだ。

 仕方なく、剣を構えて、奴らの方へと接近する。

 すると、接近戦オンリーだった戦法から一転して、十字架型の杖を握った三体は黒い光線を放ってきた。

 かずみちゃんの魔法……。それも不思議じゃねーか。こいつらも一応、かずみなんだモンなぁ!

 俺は転がって黒い光線を避けると、別のかずみちゃんシリーズをふん捕まえて、盾代わりに掲げた。

 躊躇してくれたら嬉しいなぁとか考えていたが、予想通りに仲間を身体をノータイムで吹き飛ばす。

 光線魔法を出し終えた時を見計らって、間合いを詰めて剣を投擲。頭に刃が突き刺さった個体はどろどろになって溶けた。

 手放した杖を回収して、即座にもう一体にフルスイング。頭蓋をミート。ホームラン。

 ちぎれ飛んだ生首が残り一体の脇腹にめり込んで、当たった相手ごと消滅した。

 投げた剣を死骸から抜き取り、敵を残数を数える。

 残り五体。楽勝だな。

 

「ウルルルルルァァァアア!」

 

 遠距離戦では埒が明かないと思ったのか、杖を捨て一体が突進してくる。

 どこの猪か、アンタは。

 袈裟切りにしてやんよ、と余裕をかましていた俺だったが、振るった刃が途中で止まる。

 

『あり……?』

 

 手応えがおかしい。肉を斬る感触でも骨を折る感触でもない。

 これは金属を殴りつけた時のような硬い感触……。

 かずみちゃんの魔法じゃない。これは別の――魔法少女の魔法!

 一体手こずっている間に別の個体が背後に回っていた。

 

『……ちぃっ』

 

 硬化の魔法を使うかずみちゃんシリーズの頭を踏み付けて、空中でターン。背後に来た個体のそのまた背後を取る。

 逆さまの視界に映ったのは杖ではなく大剣を持つかずみちゃんシリーズ。

 

『んなぁ!?』

 

 大剣の大振りを宙に浮いた状態で剣の腹を使って受け止めた。だが、衝撃までは殺せず、ひっくり返った状態で床の脇を通る水路へ転落した。

 

「あきら!?」

 

 かずみちゃんが悲鳴じみた声を上げる。

 それに反応する暇もなく、水中でもがいた。

 幸いにも、口がマスク上に変形しているおかげで水を飲み込まずに済んだが、逆さまで吹き飛ばされて三半規管がやられた。

 酷い眩暈を感じながらも、床へ戻ろうと起き上がる。

 その瞬間、俺の目の前にかずみちゃんの顔が広がっていた。

 

『……!?』

 

 すぐ傍までかずみちゃんシリーズの一体が近付いていたことに気付けなかった。

 慌てて、剣を構えて受けの姿勢を取る。だが……。

 その個体は武器を持たず、両手を水中に沈めた。

 とっさに何か(から)め手を使う気かと警戒し、水路から逃げようとした。

 

『う……』

 

 身体中の自由が一切聞かなくなった。

 この感覚、電気!? ……電撃だな!

 それが電気による麻痺だと気付けたのは、スタンガンで遊んで一度気絶しかけた経験があったからだ。

 水路に再び、倒れ伏す俺だったが、魔力による肉体強化の影響で二秒ほどで痺れから脱した。

 ふら付く身体をどうにかして、水路から持ち上げると、次に待っていたのは小型のミサイルの嵐。

 

『クソがぁ!』

 

 剣を遮二無二(しゃにむに)振るって、全て斬り落とす。

 複数の魔法。そして、明らかに連携が取れつつある体制。最初に倒した七体の時とは戦術が違う。

 

『はあ……はあ……』

 

 〈第二形態(セコンダ・フォルマ)〉になれれば、全員纏めてチャーハンにしてやるのに……。

 何で俺がこんな縛りプレイやらにゃあ、ならねーんだ。

 

「あきら!」

 

 かずみちゃん、うるせー! BOTか、アンタは。いちいち、ちょっと劣勢になったくらいで狼狽(うろた)えんな。

 

『かずみちゃん。ヒーローってのは劣勢からの逆転劇が華なんだよ。安心して待ってな』

 

「あきら……うん。私、信じているよ……」

 

 意訳すると、「いいから黙って見てろ」ってことなんだけど、ちゃんと伝わったか不安だわ。

 まあ、たかだか魔法がたくさん使えるだけの魔法少女如きに後れを取るあきら君ではないのだよぉ!

 五体のかずみちゃんシリーズが俺を囲むように陣形を取っている。

 ムカつくぜ。かずみちゃんの失敗作風情が俺に泥付けるなんて状況が。

 でも、ここらで遊びは終わりだ。

 竜の姿で炎の息吹が放てたように、この姿にはこの姿の魔力放出手段がある。

 俺は両手で長剣を握り締め、左下段に切っ先を下す。

 剣を下した俺に、チャンスとばかりに群がるかずみちゃんシリーズ。

 やっぱり失敗作はどれだけ数を集めても失敗作。未知の動作を取った相手への警戒心が足りてねぇ……。

 刀身に魔力を流し込み、その場で大きく水平に一閃。刃に留めた魔力を解き放つ!

 五体のかずみちゃんシリーズは灰色の魔力の斬撃をまともに受け、ほぼ同時に上半身と下半身が泣き別れする。

 倒れた肉体全部が黒く崩れて、地面へ落ちるのを見送ってから、俺は変身を解いた。

 

「ふー。まあ、そこそこの強さだったわ」

 

 これは強がりじゃない。本当に第二形態なら苦戦せずに余裕で勝利していた。

 ていうか、圧勝してた。もう気付いたら敵が消滅する感じの勝ち方してた。

 

「あきら!」

 

 レイトウコの扉の前まで避難していたかずみちゃんは、俺の勝利を見るや否や飛んで来る。

 そのままの勢いで俺に抱き着いて、胸板に顔を埋めた。

 

「あきら。本当に戦って、勝ったんだね」

 

「ああ、約束通りに勝ったぜ。俺としてはかずみちゃんと同じ顔を斬るのに抵抗があったけどな……」

 

 しんみりした表情を作り、周りの残骸を見つめる。

 俺が勝利したことで喜んでいたかずみちゃんも、あの敵が自分と同じ存在かもしれないことを思い出して、表情に影を落とした。

 

「そうだね……助ける方法はなかったのかな……?」

 

「優しいね、かずみは。でも、その可能性はなかった。だから、プレイアデス聖団はそのかずみたちをここに閉じ込めたんだ」

 

 後から、訳知り顔でそう言いながら、歩いてきたのはひじりんだった。

 この女、マジで許さねーからな……。いつか覚えとけよ。

 

「かずみ。このプレイアデス聖団は欺瞞だらけだ。それでも私だけは信じてほしい」

 

「ニコ……うん。ニコだけは本当の事を教えてくれたんだもんね。信じるよ」

 

「ありがとう。かずみ。さあ、戻ろう。ここで起きた見た事はあいつらには言っては駄目だよ」

 

「うん。分かった……」

 

 俺をダシにして楽をしていた癖に、美味しいところだけを奪ってちゃっかり信用を取り戻している。

 かずみちゃんが一旦、俺から離れるとひじりんは俺に言う。

 

「よく頑張ってくれたね、あきら。感謝するよ」

 

「本当にマジ頑張ったぜ……もっと労って」

 

「ああ。いいとも……それで私を裏切ろうとしている事は水に流してやってもいい」

 

 ぼそりと小声で呟く彼女に、俺は困った顔を浮かべた。

 カマ掛けだろうと思い、得意の演技で乗り切ろうとしてみるが、ひじりんは含みのある表情を崩さない。

 ……嘘だろ? 俺が本気で演じれば精神鑑定だって突破できるってのに。

 この女、完全に本心を見抜いてやがる……。

 まさか……。

 そこで俺は腰に巻き付いたベルトを外そうとするが。

 

「あれぇ!? 外れないぞ、このベルト!」

 

「そのベルトは私が魔法で作った特別製。私の意思がない限りは絶対に外れないよ」

 

 嵌めやがった……。

 かずみちゃんシリーズもこいつは端から知っていたんだ。

 ひじりんは俺に抑制装置を付けるために、わざとかずみちゃんの前で戦わないとならない状況を作り上げた。

 この俺を力を制限するためだけに。

 かずみちゃんがプレイアデス聖団に疑心感を持つのも、信用を得るのもそのおまけ。

 まんまと出し抜かれた俺は悔し気に歯ぎしりするが、ひじりんはどこ吹く風だ。

 俺たちの内心を知らないかずみちゃんは、良い事に気付いたと手を打った。 

 

「そうだ。あきらのあの変身した姿って名前あるの?」

 

「名前? いや、さっき初めて変身したから名前はまだないぜ」

 

 変身後の名前ね。かっちょいいのが良いが、今のところパッと思いつかない。

 

「名前なら決めてある。『アトラス』だ。いい名前だろう」

 

「ええ、勝手に決めるなよ。にしても……なんでアトラス?」

 

 ギリシャ神話に登場する巨人にして、頭上で天球を支える神。

 そして、プレイアデスと称される七姉妹の父でもある存在だ。

 

「ああ。『支える者』、『耐える者』。私たちプレイアデスを支えてくれる今のあきらにぴったりだろう」

 

 そう言って、腰に嵌められたベルトを眺めるひじりん。

 クソが! 体のいい奴隷じゃねーか。確かにこのベルトは天球並みの重しでしかないが、俺はアンタらを支え続けるつもりなんざ毛頭ないぜ。

 だが、ここは甘んじて受け入れてやろう。

 

「いいな、『アトラス』。俺も気に入ったぜ」

 

「かっこいい名前だよね」

 

「だな」

 

 無邪気に笑うかずみちゃんを余所にアトラスの名前が持つもう一つ意味を頭に浮かべる。

 『歯向かう者』。それがアトラスの名が持つ最後の意味。

 俺はいつだって、歯向かう者なんだぜ。ひじりん。

 




とうとう、変身ヒーローになってしまったあきら君!
次回で多分、ニコ編は終わります。

……あきら君視点は何書いても許されるから、楽しいなぁ。


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第十九話 最期に残した言葉

~ニコ視点~

 

 

 魔法が壊れた。

 海香がこのあすなろ市に掛けた魔法が。

 プレイアデス聖団の願いが。

 壊れてしまった。

 もう間に合わないのは分かっている。

 海香が助からないも理解している。

 ひたすらに一縷の希望に縋って走るのは私らしくない。

 私はもっと冷めてて、私はもっと諦めてて。

 私は何も願わない。

 ……でも。

 でも!

 今は、信じたかった。

 希望を。祈りを。願いを。

 ミチルの望んだ優しい世界を。

 ただ、無垢な少女のように信じたかった。

 だけど、やっぱり現実は願った通りにはいかないらしい……。

 辿り着いた御崎邸は、魔女の結界に覆われていた。

 思ったより、ショックは少なかった。

 ああ、そうなのかと冷静な私が達観した目で見つめている。

 

「ニコ! 俺を置いて行くな!」

 

 後ろから走ってきた赤司大火が追い付いた。

 同じように目の前の結界を見て、表情を悲し気に歪める。

 しかし、目を瞑って首を横に振ると私に語り掛けてきた。

 

「ニコ……行こう」

 

「行くって、どこに?」

 

「その邸宅の中にだ。あの歪んだ空間の中にお前の友達が居るんだろう?」

 

 友達、か。

 その単語は私たちの関係性をどのくらい表せるものなんだろうか。

 もう私には分からない。分からなくなってしまった……。

 

「諦めるな!」

 

 赤司大火に叱咤され、肩が震えた。

 彼を見れば、その瞳は強い意志で煌めいている。

 

「お前は何のためにここまで走って来たんだ? たとえ、望まぬ結果が待ち受けていようと向き合うためではないのか!」

 

「それは……」

 

「お前が行かなくても、俺は行く。何が起きたのか、この目でしかと見なければならないからな」

 

 それだけ言うと、赤司大火は私の前へと踏み出した。

 

「変身!」

 

 肉体を魔力で変質させ、蠍を(かたど)った人型の異形になった彼は、魔女の結界内に入って行こうとする。

 俯く私に背を向けたまま、最後に言い残す。

 

『……その気概があるなら、後からでも来い』

 

「待って!」

 

 第三者にそこまで言われては、引くにはいかない。

 プレイアデス聖団として、そして海香の友達として、私は向き合わないとならない。

 

「……私も行くよ」

 

 赤司大火は何も言わない。私も返事を必要としない。

 するべき事はお互いに理解しているから、言葉は不要。

 覚悟を決めて、二人で結界の中に足を踏み入れた。

 内部に突入すると、見慣れた御崎邸の玄関の代わりに、魔力によって歪んだ世界が顔を見せる。

 そこは積み重ねられた本の山。周囲の空には筆記体アルファベットの文字が浮かんでは消えていた。

 魔法少女狩りのおかげで最近はめっきり見る事なくなった魔女の結界。

 絶望し、魔女となった魔法少女の精神が具現化した世界。

 ここに来て、改めて実感する。

 この世界の主はやっぱり海香だ。

 あの子らしい要素が目一杯詰め込まれている。

 使い魔の出迎えがないところから察するに、他の皆と交戦中なのだろう。

 

『広いな。空間そのものが捻じ曲がっているようだ……』

 

「あれだけ偉そうな口を叩いておいて、魔女の結界に入ったのは初めてだった訳?」

 

『そうだな。魔物との戦いは何度かあったが、本物の魔女と出会った事は一度もない』

 

「へぇ~……」

 

 キュゥべえの事は知っていたのに、グリーフシードについては無知だったりと彼の知識は偏っている。

 少なくとも彼が力を得た後の『起こりえた未来』では魔女が発生しなかったのかもしれない。

 喜ばしい事に聞こえるが、実際のところは魔女になる前にあきらに全滅されただけだろうから、何とも言えない。

 多少会話を交わしていると、ソウルジェムが魔女の反応を感知する。

 すぐそこが結界の最深部のようだ。

 

「魔女の反応が近いよ」

 

『そうか……。活性化したイーブルナッツの反応なら分かるんだが、魔女というのは魔物とは根本的な魔力の質が違うみたいだな』

 

 赤司大火と共に魔女の居る最深部へ向かう。

 変わり果てた仲間と会うのは気が滅入るが、プレイアデスの仲間が戦っているなら加勢する。

 何より、かずみもここに居るはずだ。あの子には魔法少女の魔女化については何も教えていない。

 きっと誰よりもこの状況に困惑しているだろう。

 

『見えたぞ。あれが……魔女か?』

 

 何かを捕捉した赤司大火が私に尋ねる。

 私もその方向に目を凝らし、魔力で強化した視力で確認した。

 一見すると、それは大きなトンボのようなシルエット。

 長い一本の棒状の身体に二対の羽のようなものが付属している。

 だが、それはそんな生易しい形の存在ではなかった。

 万年筆を中心にして、上部の両端に二本ずつ平べったい腕が生えていた。

 魔物なんかよりもよほど狂気じみた悍ましい怪物。それでいて、童話の挿絵にでも出てきそうなほど、生物感のない無機質めいた見た目をしている。

 

「ああ、そうだよ。あれが…………魔女だ」

 

 覚悟を決めていたはずなのに、魔女と呼称するのが辛かった。

 海香……。

 いや、『万年筆の魔女』とでも呼ぶのが相応しい魔女に魔法を放とうとバールの形の杖を向ける。

 しかし、傍らに立つ赤司大火は構えない。

 複眼のある兜のような顔からは表情が読み取れないが、彼の声音には悲し気な感情が滲んでいた。

 

『ニコ……戦いはもう終わっていたようだ』

 

 その言葉を証明するように万年筆の魔女は弾けるように消滅する。

 魔女の影に隠れ、見えなかった向こう側にはカオル、サキ、みらい、里美の四人がそれぞれ武器を構えて立ち並んでいた。

 次第に異様な空間が薄らいで行き、魔女の結界は完全に霧散した。

 景色は御崎邸のリビングへと戻る。

 カオルたち四人は剣呑な表情で息を突き、椅子から転げ落ちたような姿勢で倒れている海香を見下ろしていた。

 彼女は目を見開いた状態でぴくりとも動かない。

 部屋の真ん中には大きなテーブルには、零れたティーカップと散らばったお菓子が乗せられている。

 つい先ほどまでお茶会を続けていただろう様子が想像できる平和の残骸が、私により悲劇性を感じさせた。

 

「……海香はやはり魔女になったんだね」

 

 ぽつりと呟くと、カオルたちは私の存在をたった今認識した様かのように目を向ける。

 

「ニコ! いつの間に戻って来たの? あきらとかずみは?」

 

「あきらとかずみ……? 私の方が聞きたいくらいだよ。二人はどこ?」

 

 カオルの質問の意図が分からず、私は逆に聞き返した。

 すると、サキが怪訝そうな顔で見つめる。

 

「何言ってるんだ、ニコ……。二人はついさっき、お前が連れて出て行ったんだろう?」

 

 私が、二人を連れて出て行った?

 ついさっき……?

 それを耳にして、私は即座に気付く。

 カンナだ――! 聖カンナが私の振りをしてここに来ていたのだ――!

 かずみを連れて行った、だって。

 最悪だ。あいつの目的の一つはあの子の身柄の確保だっていうのに。

 

「その私は偽物だよ! SHIT! してやられた……」

 

「は? どういう事、ちゃんと説明してよ」

 

 喧嘩腰で詰め寄るみらいは、苛立ちを隠そうともせずに私を睨み付けた。 

 駄目だ。この四人が事情を把握するまで懇切丁寧に話していたら、それこそ間に合わなくなる。

 悠長に説明をする暇はない。すぐにかずみのソウルジェムの反応を探して、あの子を取り返さなくては……。

 

「黙ってないで何とか言いなよ!」

 

「みらい、言い争いしている暇はないんだよ……」

 

 癇癪を起したみらいが服を掴む。

 やめてくれ。今は内輪揉めしている時間はないんだ。

 そこへ一緒に来ていた赤司大火が開いていた扉から顔を見せる。

 

『ニコ! 話は聞こえた! ここでゆっくりしている暇はないんだろう!?』

 

 彼を見た里美が悲鳴のような声で糾弾した。

 

「魔女モドキ……! ニコちゃん。あなたがそれを連れて来たの!?」

 

 それを切っ掛けに四人の私への疑心感が膨れ上がったのを感じた。

 ……最悪だ。連れて来た赤司大火を見られた以上、もう生半可な説得をしても皆は聞き入れないだろう。

 ここは一度退散して、かずみを取り返した後に時間をかけて事情を説明するしかない。

 逃げ出そうと身体を翻して、リビングの窓から飛び出そうとする。

 その最中、里美が猫の顔の付いた杖を振るった。

 

「逃がさないわよ、ニコちゃん……」

 

「……ぐ」

 

 途端に私の身体の自由が利かなくなる。

 これは……里美の『ファンタズマ・ビスビーリオ』。

 生き物を操作する魔法だ。こいつを掛けられたら、身体の動きは全部里美の思うがままになってしまう。

 

『ニコに何をした!?』

 

 赤司大火が両腕に付いた銃身を向けて叫ぶ。

 それは悪手だよ……。気持ちがありがたいが、これじゃあ事態は悪くなる一方だ。

 かずみの奪還を諦めて、皆への説明を優先する?

 無理だ。あきらに対する信頼を打ち消すほどの情報提示できない。

 私が赤司大火の話を信用したのは、私以外に知らないはずの聖カンナの事を詳細に知っていたからに過ぎない。

 そうでなければ、私もあきらを信用し続けていたくらいだ。

 あきらが邪悪な魔物で、私と瓜二つの魔法少女がかずみを狙っている。この事情を理解させるのはあまりに難題。

 だったら――。

 

「赤司大火。私の事は放っておけ。君はかずみの元へ行ってくれ!」

 

 疑われる事になっても、彼を逃がす。

 この選択肢しかない。

 

『そんな状態になっているお前を置いて行ける訳が……』

 

「いいから早く行け! 間に合わなくなる前に!!」

 

 当然、君は拒否するだろうね。

 そう奴だから、私も心から信頼できる。

 あきらと違って、不器用で愚かで、真っ直ぐな君を。

 表情は分からない。だけど、悔しそうな雰囲気を滲ませ、彼は廊下から玄関へ向かった。

 

「裏切るのね、ニコちゃん。いえ、あなたが本当にニコちゃんなのかも疑わしいわ」

 

 動けない私の顔を里美の手が触れる。

 可愛らしい顔立ちに温かみを感じさせない表情が浮かんでいる。

 似合わないと言いたいところだが、不思議と彼女には似つかわしく感じられた。

 

「怖い顔だね……。海香の魔法で忘れていた記憶を取り戻したんだろう? 皆もそんな無駄遣いしていいの?」

 

「……ニコちゃん」

 

 表情を引きつらせている里美。

 その背後ではサキがみらいに指示を飛ばす。

 

「みらい! 数十体でいい! 出せるか!?」

 

「うん! 大丈夫! 百単位はキツくてもそのくらいなら……『ラ・ベスティア』!」

 

 みらいが生み出した無数のテディベアが逃げた赤司大火を追いかけ、追跡する。

 せめて魔法が使えたなら、分身を作って邪魔できただろうが、今の私は文字通り手も足も出せない。

 せいぜいできる事はといえば、彼が無事に逃げ切るのを祈る事くらいだ。

 

 

 *******

 

 

 俺は襲い来るテディベアを交わしながら、玄関へと向かう。

 距離にすればほんの五メートルそこらの長さ。跳躍すれば一瞬で辿り着ける間合い。

 しかし、何匹も湧き出る小熊のぬいぐるみは手や脚、頭にも取り付いて、動きを阻害してくる。

 魔力の弾で数匹引き剥がすも、次から次へと新しいテディベアが組み付き、身の丈に似合わないほど頑丈な牙で噛んだ。

 そう簡単には傷付かない俺の外骨格も同じ場所を何度も噛まれ続ければ、装甲は削れてくる。

 

『つおぉーっ!』

 

 それでも、魔法少女たちが追い付いてくる前には玄関の扉から飛び出す事に成功した。

 戸口の前で転がって、身体に噛み付いているテディベアたちを強引に引き剥がす。

 大半はそれで振り落とされた事を見計らって、コルを呼び出し、空へと逃れた。

 距離が離れれば、テディベアの操作に支障が出るのか、邸宅から離れるほどにテディベアたちの拘束力は下がり、ぽろぽろと剥がれて魔力に戻る。

 いや、彼女たちも魔力の使用を控え、諦めたと見るべきだろう。

 まして、友人が魔女に変貌し、それを己が手を汚して討った……内心穏やかで居られないのは言うまでもない。

 俺の迂闊さ。彼女たちの不安、そして、間の悪さが合わさり、最悪の事態になってしまった。

 だがしかし、ニコは彼女たちとは苦楽を共にしてきた間柄。拘束されたとはいえ、そう悪い目には合わせないはずだ。

 意識を切り替え、彼女に頼まれた内容に集中する。

 かずみの奪還。

 あの子を連れ去ったのはあきらと、カンナ。

 憎き仇と想い人。その両者が組んでいる事に遺憾の意を感じた。

 だが、それはある意味でかずみの安全を保障する事に繋がっている。

 あきらだけなら、気まぐれで惨殺する可能性があるが、カンナの目的は自分の同類であるかずみとこの世界を破壊する事。

 彼女がかずみを手に掛ける事を良しとする訳がない。

 カンナの存在があきらの暴走を留めているとも言える。

 もっとも、あの傲慢で傍若無人の男がいつまでもカンナに大人しく従っているとは思えない。

 猶予はあるが、悠長しているのは危険だ。

 俺は、そっと目を瞑り、上空からあきらの体内にあるイーブルナッツの反応を探る。

 二つもイーブルナッツを抱えているのだ。たとえ非活性状態でも魔力の痕跡くらいは辿れるはず。

 そう信じて、探知を続けるが一向に引っ掛からない。

 イーブルナッツを肉体から排出しているのか?

 あり得ない。奴ほど傲慢な者がその力をわざわざ己から取り除くなど絶対にしないだろう。

 まさか、……あきらはイーブルナッツの反応を完全に消す方法を手に入れたのか。

 

 

~ニコ視点~

 

 

「何で……ここに」

 

 それを見た時。私は目を見開いて、声を震わせていた。 

 あり得ない。どう足掻いてもここに来るのはおかしい。

 

「『何で』? 私が仲間の家に戻って来るのがそんなにおかしい事なの?」

 

「……ニコ。その子、ニコそっくりだよ……」

 

 かずみが動けない私を見て、私の目の前に居るそいつの袖を掴んだ。

 クリーム色の髪を後ろで二つ結びにした髪型。気だるげな垂れ目。

 どこからどう見ても私と同一の見た目の少女がそこに居た。

 鏡映しの自分。けれど、その表情は今の私とはまったく違う。

 ―—聖カンナ。

 私がキュゥべえとの契約の代償に願った奇跡。もう一人の自分。

 顔を合わせるのは初めてだったが、向こうは毛ほども驚いた様子はない。

 

「おおう、本当に瓜二つだなぁ。ニコちゃんて、実は双子の姉妹が居たのか?」

 

 カンナの脇に立つあきらが少し驚いた様子で目を丸くした。

 知らないはずなどない癖に白々しい。これが演技だというのなら、ドラマの子役は全員大根役者だ。

 

「そんな訳さ。大方、魔法で私に変装しているだけだろうね」

 

 平然と言い放つカンナは、リビングに居る四人の顔を見回した。

 

「ただいま。皆。そっちは終わったみたいだね」

 

「おかえり、ニコ! 良かった。やっぱりこっちが偽物だったんだ」

 

 カオルは安心した顔で胸を撫でおろす。

 

「私は最初から分かっていたぞ。ここに入って来た時から、こいつの様子は不振だった」

 

「ボクもボクも。なんか怪しいと思ったよ、こっちの偽物は」

 

 サキとみらいもカンナを本物の私と思い込み、蔑んだ目で私を睨んだ。

 

「良かったわ。私たちを裏切って、魔女モドキを助けるニコちゃんなんて居なかったのね」

 

 里美も安堵した顔で自分の頬に手を当てる。

 全員カンナの事を微塵も疑っていない。彼女こそ、本物の神那ニコだと信じ切っている。

 これを狙っていたのか……。

 カンナの狙いは、かずみを手に入れる事ではなく、私と入れ替わる事。

 直接監視していたのか、コネクトの魔法を使っての情報収集かは分からないが、私が赤司大火と共闘するところを見て、この計画を企てていたのだ。

 いや、もしかするとあやせにイーブルナッツを流したところまで全部彼女の思い通り……?

 海香の魔女化さえもその手段の一つだった……?

 呆然とする私だったが、かずみだけは気付いてくれないかと一縷の望みを託し、彼女の名を呼んだ。

 

「かずみ……私が本物の……」

 

「近付いちゃ駄目だぜ、かずみちゃん! この偽物、アンタに何かするつもりだ!」

 

「……!」

 

 かずみはさっと怯えるような顔であきらの後ろに隠れてしまう。

 恐ろしいものでも見るような、目付きで私に向けている。

 ……そうか。もうプレイアデス聖団に私を信じてくれる人は誰一人居ないのか。

 私を眺めるカンナの口角が僅かに吊り上がる。

 彼女からすれば最高の復讐の仕方だ。嬉しさを隠すのも大変だろう。

 対して私は、失意のどん底に突き落とされた気分だった。

 持っていた宝物を奪われて、盗んだ相手が自慢するように見せびらかしてくる。そんな感情に支配される。

 もう何を言っても聞き入れてくれない。

 ここでは私が偽物で、彼女こそ本物のニコなのだ。

 …………いや、諦めてはいけない。赤司大火が教えてくれた内容を思い出せ。

 あきらはあの黒い竜の魔物。それを証明すれば、少なくとも彼に対する信頼は傷付けられる。

 コントロールを奪われた右腕に魔力を流し込んだ。

 浄化されたソウルジェムの魔力量なら、里美の魔法にも抗える。

 放つのは私の魔法の中でもっとも初動が速く、高威力の魔法。

 くっ、予想以上に里美の魔法の支配が強い……。

 数を捨てる。四発も要らない。一発……一発でいい。

 あきらに防御を促し、魔物化させる。そのためだけの一撃……。

 

「……『プロルン、ガーレ』!」

 

 人差し指の先を小型ミサイルに再生成し、打ち飛ばす。

 

「!」

 

 狙いはあきらの顔面。

 さしもの彼も人の姿のままでまともに受ければ、ただでは済まないだろう。

 さあ、醜悪な正体を現すといい。邪な魔竜よ!

 

『……あぶねえな。やっぱ、かずみちゃんを狙ってやがったか』

 

「……!? その姿……」

 

『これか? ニコちゃんにもらった魔法のベルトの力さ』

 

 灰色の騎士が長い剣を手に立っていた。

 プロルンガーレはその剣によって、爆発する前に両断され、音もなく魔力の粒に還る。

 魔力による変身。だが、黒い竜とは似ても似つかない、中世の甲冑を纏ったような姿。

 当然、私はそんなベルトなど知らない。

 カンナの事だ。彼女は、これすら見越していたとでも言うのか。

 

「あきら。その偽物を斬ってくれ。私の顔を使って、プレイアデス聖団の仲間を傷付けようとするこいつを見過ごせない」

 

 彼女は私を見て、そう言った。

 海香の魔女を利用しているお前が……それを言うのか!? 

 

『分かったぜ、ニコちゃん。ちょうどこの技に名前を付けたところだったんだ』

 

 灰色の騎士の剣に、さらに濃い灰色の魔力が収束していく。

 同じ刀剣使いのあやせやルカとは異なる、魔力を変化させずにそのまま練り上げている。

 それを目にした時、妙な納得があった。

 私はこの一撃によって、死ぬ。

 ソウルジェムが砕かれるだけでは済まない。

 肉体共々完膚なきまでに破壊し尽くされる。

 だからこそ、口から漏れたのはかずみへの言葉ではなかった。

 

「聖カンナ……赤司大火はお前を必ず――救いに来る」

 

 いやらしく滲ませていたカンナの笑みが、剥がれ落ちた。

 

『イル・グリージオ・スパーダ』

 

 刀身から撃ち放たれた灰色の斬撃が私を一瞬で呑み込む。

 最後に私の網膜が捉えたのは、驚き戸惑った少女の顔だった。

 




海香の魔女との戦闘は、魔法少女五人がかりではまずプレイアデス側が圧勝するので完全にカットしました。

これでニコ編は終了です。
次回から多分……サキ編が始まります。




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サキ編
第二十話 恋する少女と花言葉


今回からサキ編開始です。


~サキ視点~

 

 

 私ははっきり言って男が嫌いだ。

 理由は多岐に渡るが、一番古い理由は幼稚園時代に将来なりたいものの絵を描くというテーマの授業に起因する。

 元々、絵心はなかったが、今のように巧拙を気にする事もなく、その頃は自由に絵を描いていた。

 問題だったのは描いた「なりたいもの」。

 私は当時好きだった絵本に出て来る「凛々しくて、格好良い王子さま」を描いた。

 『女の子は王子さまにはなれない。』

 クラスメイトの園児だけではなく、先生にまでそう言われた。

 今にして思えば、至極当然の発言だったが、当時の私には泣くほど悔しい思いをさせる侮辱だった。

 絶対に男よりも凛々しくて、格好良い王子さまになってやる……。

 私が男と見るや目の(かたき)にするようになったのはそれからだ。

 それは自分が男に対する羨望と、女である自分へ不満の裏返しだという事だと理解しても、なお消えないものだった。

 そうだった。そうだったはずなのに。

 

『これからは俺が魔法少女の代わりに魔女や魔女モドキと戦うぜ』

 

 偽物のニコを粉砕したあきらはそう私たち、プレイアデス聖団にそう宣言した。

 ニコの魔法で生成された特殊なベルトで、騎士のような姿に変身できるようになった彼は魔力を使って、魔女たちと戦える力を手に入れたのだと言う。

 それを聞いて、私は彼に自分が憧れていた「絵本の中の凛々しくて、格好良い王子さま」を見出してしまった。

 理想の自分がそこに居た。憧れの具現があった。

 元から彼には嫌悪をあまり感じなかったが、かずみたちが懐いている面白い奴程度の認識でしかなかった。

 しかし、今は違う。

 あきらを友人としてではなく、異性として意識してしまう。

 魔法少女をエネルギーとしか思っていない生命体『インキュベーター』、ソウルジェムの浄化手段『グリーフシード』。

 海香が魔女になったせいで色んな事を思い出してしまったからこそ、あきらという希望の存在を大きく感じた。

 それに加えて、偽物のニコと行動を共にしていたあの蠍の魔女モドキの事もある。

 奴はイーブルナッツという人を魔女モドキにして暴れさせるだけでなく、私たちが生み出した浄化システムのジュゥべえまでも破壊したと、ニコは話していた。

 だとすると、益々もって頼みの綱はあきらだけだ。

 

「サキちゃん。さっきからボケッとしてどうしたー? 俺と一緒に居るのつまらない?」

 

「い、いや、そんな事はない! 楽しい。凄く楽しいぞ!」

 

 いけない。私とした事が少々考え過ぎて、ぼうっとしていたようだ。

 粗相をしてしまったと慌てて、否定するとあきらは安心したように快活に笑った。

 

「そんならいいんだけどさ」

 

 本日。学校が終わった放課後。渦中の人物の一樹あきらと私は二人きりで、デパートにショッピングに来ていた。

 三日前に御崎邸で起きた海香の魔女化の件を未だ引きずっていた私を気遣ってか、あきらが私を買い物に誘ってくれたのだ。

 彼は真っ赤なパーカーにジーンズという格好で、私の隣を歩いている。

 昔から女の子には好かれても男の子とは距離を置いて生きて来た。だから、こういう風に男の子と一緒に歩くという機会は皆無だ。

 今日は珍しく、普段は穿()かないスカートにしてみたが、足元に風が直に当たって落ち着かない。

 できるだけ裾の長いものを選んだが、やっぱり私にはズボンの方が良かったかもしれない。

 柄にもなく、ソワソワしながら歩いていると、何気ない口調であきらが話しかけてくる。

 

「今日は俺がデートに誘ったんだから、欲しいものがあったら何でも奢るぜ?」

 

「で、でーと……。ああ、うん、そうだな……。でも何か奢ってもらうのは気が引けるな」

 

 デートという文言についつい照れてしまうが、そこはそれとして金品を一方的に奢られるのは(はばか)られた。

 父親の教育が厳しかったのもあるが、中学生の身の上でそういうやり取りをするのには抵抗があった。

 だが、あきらは強引にも発言を曲げない様子で言う。

 

「駄目だぜ。サキちゃん。ここは素直に奢られるのが女の子の役目ってモンだ。男女差別ーなんて憤る奴も居るけど、そいつは甲斐性なしの台詞さ」

 

「わわっ!?」

 

 するりとあきらは私の腰に手を回し、掻き抱いた。

 思っていたよりも(たくま)しい彼の腕がウエスト周りに触れる。

 女の子とは違う、細身ながら程よく筋肉が付いた腕を服越しながら感じてしまい、我ながら素っ頓狂な声を出してしまう。

 

「差別はあって(しか)るべきだ。サキちゃんはこんなにも俺のために着飾ってくれた。そのお返しって訳。おかしくはないだろ? それともなーに、俺を甲斐性なしにさせる気ー?」

 

 ふざけているようで真面目なような、どちらとも取れる態度であきらは迫る。

 私は腕から布に伝わる彼の体温にどぎまぎして、うまく頭が回らずに何度も頷いた。

 

「あっ……うん! そうだな、うん! 私が間違っていたよ」

 

「サンクスサンクス。分かってもらえて嬉しいぜ。じゃあ、どこ行く? 何見る? 何を買う?」

 

 リズムよくヒップホップの歌詞のように尋ねる彼に、少し火照った思考で行き先を思い浮かべる。

 服か。それも悪くはないが、彼の前でファッションショーをするのはあまりにも恥ずかしい。

 もっと会話に繋がるような、私が知識を披露できるような所……。あった!

 

「私が行きたい場所でいいか?」

 

「もちろん。どこへなりともお供しますよ、お嬢様」

 

 身体を話した後、冗談めかして、どこぞの執事のように恭しく一礼をする彼。

 ついついその仕草にくすりと笑ってしまう。

 では、私もその冗談に付き合おう。

 

「それではエスコートしてもらおう、かしら……」

 

 初めて使う女らしい言葉に途中で照れが出てしまった。

 誤魔化すように咳払いを何度かして、彼を案内するように歩き出す。

 あきらはそれをにやにやとした笑みで見守ったが、口に出してからかいまではしなかった。

 そうして、二人で目的のコーナーへと辿り着く。

 

「ここだ」

 

「ここって……フラワーショップコーナー?」

 

 そこはデパート内に併設されたフラワーショップコーナー。街で見かける花屋よりは小さいが、ブースの一角を陣取っており、それなりに豊富な花々が手前に並んでいる。

 咄嗟に私が思い付いたのは花だった。

 服や装飾品の知識には自信がないが、花に関する知識なら同年代では負けない。

 それに……。

 こうやって、デートで花を選ぶという行為を一度やってみたかった。

 購読している恋愛小説の一巻にそういう場面があり、「いいな……こういうの」と一人妄想に(ふけ)った事もあったが、こうして実現できるとは思ってもみなかった。

 

「ふふん。私は花は詳しいんだ。どれ、あきら。ここにある花を適当に選んでみてくれ」

 

 得意げに鼻を鳴らすと、彼は少し悩んだ後、

 

「じゃあ、これ」

 

 手前のブースに活けられている花の一輪を指差した。

 俯くように頭を垂れた紫の花の名前は。

 

「オダマキ。英名はコランバイン。学名はアクイレギア。それは紫色だから花言葉は……『勝利への決意』だな」

 

 得意げに私がそう語ると、あきらは感心したような目で見つめてくる。

 プレイアデスの皆は私が花に詳しいと話すと「似合わない」だと「乙女チック」だの馬鹿にしてきたから、彼のように感心してくれる反応は素直に気分がいい。

 

「おお! 詳しいなぁ。紫色は、ってことは他の色にもそれぞれ花言葉は違うのか?」

 

「赤のオダマキは『心配して震えている』。白のオダマキは『あの方が気がかり』。オダマキ全般としては……」

 

 有頂天になって、それぞれのオダマキの花言葉を次々に教えていた時、あまり良い意味ではない花言葉もある事を思い出して口篭もってしまう。

 あきらは急に詰まった私の言葉に続きを促した。

 

「全般としては? また違う花言葉?」

 

「あ、ああ。オダマキ全体としての花言葉は……『愚か』」

 

「へぇ~。愚か、ね」

 

 何を思ってか彼はオダマキを面白そうに眺め回す。

 若干、気落ちしてしまった事を悟られないように、花言葉の由来を付け足した。

 

「英名のコランバインは、ヨーロッパのお芝居に登場する娘の道化役にちなんでいる。『愚か』の花言葉もその道化役が由来だな。『勝利への決意』は、オダマキの葉を食べてライオンが強力な力を得ていると言う逸話からだ。人間も葉をこすりつけるだけで勇気が出ると信じられていたそうだ」

 

「面白いんだなぁ、花言葉って。あ、店員さーん」

 

 あきらは、活けられたオダマキを指差してブースに居た店員を呼び付ける。

 一輪だけ買うと、その紫色のオダマキの茎を短くちぎって、私の髪に()す。

 

「え、これ」

 

「プレゼント。花言葉を聞いて、ぴったりだと思ってさ」

 

 にこりと微笑んで、彼はそう告げた。

 紫色の花言葉は『勝利への決意』。これが意味する事は。

 

「俺は勝つよ。あの蠍の魔女モドキにも、アンタら魔法少女を取り巻く状況にも」

 

「魔法少女を取り巻く状況……?」

 

「皆は隠そうとしてたけど、俺はニコちゃんから聞いてんだ。海香ちゃんがどうなったのか」

 

「! それは……」

 

「大丈夫。かずみちゃんには内緒にしてある。てか、教えられる訳ないって」

 

 あきらは全部あの時には知っていたんだ。

 知っていて何かも受け止めた。

 私たちの代わりに戦う。それは彼の傷付けまいとしたのではなく、魔女にしないという誓いだったのだ。

 

「あきら……。お前は」

 

「俺はサキちゃんたち、プレイアデス聖団を支えるよ」

 

 この時、私は自分の本心に気が付いた。

 ずっと……ずっと誰かにこう言ってほしかった。

 ミチルがこの世を去ってから。

 彼女の蘇生に失敗する度に。

 支えてくれる誰かを欲していた。

 いや、本当はもっと昔、妹を交通事故で亡くした時から思っていたのかもしれない。

 私の理想の王子さまはここに居た。

 もう何も怖くない。

 

 

 *******

 

 

「クソッ! どこだ、どこに居るあきらぁ!」

 

 この三日、俺はずっとかずみを攫ったあきらたちを探していた。

 流石に日のある内から、コルを使って飛行するのは人目を引き過ぎるため、基本は脚を使っての街を巡っている。

 あすなろ市の工業地帯など、あまり目の届かない場所を中心に探すが一向に奴のイーブルナッツの反応を感じ取れない。

 日中や問わずに探しているが、空腹で頭も回らなくなっていた。

 自分が人間ではないと発覚しても、人間だった時と同じように減る腹に嫌気が差す。

 水は公園の水道や川で事足りるが、飯については金がなければどうしようもない。

 唯一違うのは多少無理が利くくらいだ。

 それでも夜は多少眠らなければ行けなかったし、警察に補導される訳にもいかなかったから大っぴらには動けない。

 手がかりゼロ。身体を休まれる場所も、腹を満たす金もない。

 橋の下やろ狭い路地裏で警察の目を掻い潜って眠り、回らない頭でまたあきらの反応を探す日々。

 捕まったニコの方も気になるが、俺が顔出したのではそれこそ纏まる話も纏まらない。

 知恵の回る彼女の事だ。きっと自力でどうにかしているだろう。

 俺はかずみを攫ったあきらを見つけるだけ。

 しかし、どこを探そうとも奴の影すら捕まらない。

 俺のイーブルナッツの反応を感知して逃げているのか……?

 いや、それができるほど近く居るなら俺の方も感じ取れないはずがない。

 では、カンナの魔法を使っている?

 だとしても常時魔法を使う事は自殺行為だ。グリーフシードも貴重品。無暗に魔力を使いたくないから、魔女モドキという尖兵を必要としたのだ。

 

「腹が減った……」

 

 ぼんやりする思考で口には出さないように耐えていた言葉が、ついに喉から零れてしまう。

 ぐらりと身体が揺れて、俺はとうとう地面へと倒れ込んだ。

 精神的にも、肉体的にも、魔力的にも限界だった。

 駄目だ。身体を休ませ、何か食べない事には捜索などできない。

 仮にあきらを見つけたとしても返り討ちに合うだけだ。

 まともに機能しない頭で倒れたまま、コンクリートの地面を眺めている。

 その時、ぽつりと水滴が落ちて、硬い地面を濡らした。

 ぽつぽつと水滴は増え、すぐにざあざあと音を立てる大粒の雨へと変わる。

 泣きっ面に蜂とはこの事か……。

 雨露を(しの)げる場所に行かなければ。

 だが、一度倒れた身体を起こすのには相当の気力が必要とされた。

 その時、酷く懐かしい声が倒れた背中に浴びせられる。

 

「あんた、何してるの! 雨の中、こんなところで寝て!」

 

「……!」

 

 この声は……。

 声の主が俺を無理やり引き起こしてくる。

 それに抵抗もせずに従い、膝立ちになった。

 

「何でこんなに服も汚れているのか、あたしには分かんないけど眠いなら家まで我慢しな」

 

 恰幅の良い中年の女性。

 お節介で、口うるさくて、俺にはとても敵わない唯一の人間。

 

「……おふくろ、なのか?」

 

「見れば分かるでしょうに。大火。何であんた、そんなに疲れてるの? 制服も来てないけど、何かあったのかい?」

 

 お袋の顔を見て、俺はボロボロと流れ出す涙を止められなかった。

 そう、今はまだ死んでいないのだ。お袋は生きている。

 その事実が雨にも負けないほどの水滴になって目から零れ落ちた。

 

「ふぐっ、うう……う……」

 

「大火? あんた、泣いているのかい? どうして……」

 

 お袋は困惑したように眉根を寄せて、俺に聞く。

 今までずっと我慢していた心細さが心の堤防を壊して、噴き出した。

 怖くて、辛くて、悲しくて、寂しくて。

 

「お、俺……おれぇ……」

 

 吐きそうなくらい辛さが込み上げて来て、状況を呑み込めないお袋にしがみ付いて、ひたすらに嗚咽(おえつ)する。

 

「一体、どうしたって言うの? 大火」

 

 心配そうに背中を撫でてくるお袋。

 俺は何もかも吐き出そうと、その場で口を動かして……止まった。

 

「おーい。お袋ー。雨ん中、傘も差さずに何をしてるんだ」

 

 傘を差した学生服の俺がお袋の後ろから駆けて来るのが見えた。

 ……俺は、赤司大火ではない。

 一度は受け止めた事実が再び、俺の心に叩き付けられる。

 

「た、大火!? 何で、あんた、二人も居るんだい!?」

 

「二人? 何を言ってるんだ、お袋は」

 

 もう一人の俺……本物の赤司大火と俺を見比べ、お袋は混乱する。

 俺はその隙に立ち上がって、ふら付く身体を支えながら、千鳥足でその場から走り出した。

 

「あ! 大火……!」

 

「いや、俺はこっちだ」

 

「でも、確かにあの子……」

 

 後ろで本物の赤司大火とお袋の会話が聞こえたが、無視して駆け抜ける。

 冷たい雨に打たれながら、俺は涙を堪えてひたすら脚を動かし続けた。

 止まってしまえば、もう二度と走れなくなる。

 そんな気がした……。

 




活動報告欄にて、オリジナル魔女の応募を始めました。
期間は五月五日までですが、宜しければご応募ください。

詳しい応募方法は私の活動報告に記載しております。


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第二十一話 信じる者は“掬われる”

 降り(しき)る雨の中、俺は走った。

 水浸しになった服は重みを増し、水気を含んだ靴内は、足踏みする度にびちゃびちゃと湿り気のある音を立ている。

 濡れた髪から垂れる雨水が顔にかかった。

 しかし、既に堪えきれない涙で濡れている俺の目には今更大差ない。

 

「う……うあぁ……あ……、あっ!」

 

 光の屈折で歪んだ視界の中、ただただがむしゃらに走り続けた俺はとうとう足を(もつ)れさせ、地べたへ転ぶ。

 運悪く、倒れた地点にあった水溜りに顔を浸した。

 汚れた水が口から入る。咳き込みながら、這い上がると、周囲を行き交う人々の奇異の視線や声を潜めた笑い声が聞こえた。

 ……そんなに面白いか?

 俺の無様が。人の不幸が。

 お前らにとって、そんなに愉快な事なのか?

 ―—怒りが湧いた。

 この街そのものが俺に悪意を持っているかのように思えた。

 俺を見て、笑う奴の顔が全員あきらと同じに映る。

 あすなろ市。かつて赤司大火(俺のオリジナル)が破壊してしまった街。

 今度こそ守ろうと思った世界。

 ―—でも、本当にこんな場所守る価値があるのか。救う意味はあるのか。

 ―—魔物や魔女モドキを生み出すような、歪んだ悪意を抱える人間しか居ないのではないか。

 

「……っ!」

 

 ……やめろ、俺。それ以上踏み込んではいけない。

 その道を進めば、自分の悪意に呑まれてしまう。

 俺が、赤司大火ではなくなってしまう。

 首を振って、邪な思考を拭い去る。

 そこで俺は仄かに放たれるイーブルナッツの反応を感じ取った。

 反応は数メートル先から緩やかな速度で接近している。

 あきらか!?

 だが、その先から現れたのは傘を差し、スーパーのビニール袋を持った銀髪碧眼の少年だった。

 あいつは確か……。

 

「お前は!」

 

 そちらに向けて声をかけるが、彼は無反応で俺の脇を通り過ぎようとしている。

 

「おい! お前に声を掛けてるんだ!」

 

 もう一度呼び掛けると、ようやくその少年・アレクセイは俺の存在を認識した。

 しかし……。

 

「…………?」

 

「いや、お前だ。お前! 後ろ、見ても誰もいないからな」

 

 自分の後ろに居る人物に言っているのか勘違いして、振り返って確かめている。

 冗談なのか、素でやっているのか判断が付かない。

 やって別の誰かではなく、自分の事を呼び止められたのだと理解したアレクセイは無表情で尋ねた。

 

「僕?」

 

「ああ、そうだ。アレクセイだったよな? 俺の顔覚えてないのか?」

 

「……ひょっとして、同じクラスの人?」

 

「ちっがう! 大火だ。赤司大火! あの時、戦っただろう?」

 

 俺の顔を見ても未だにピンと来ていない様子のアレクセイ。

 本当に顔を忘れたというのだろうか……。命を賭して戦った勝負は彼からすれば、その程度の事だったとでも言うつもりなのか?

 五秒くらい脚を止めて沈黙していた彼だが、やがて手をポンと打つと納得したように頷いた。

 

「あ」

 

「思い出したか!?」

 

「昨日、トレーディングカードゲームで対戦した……」

 

「絶対違うだろう!? お前にとっての戦いはカードゲームレベルだったのか!」

 

 というか、カードゲームをするような人付き合いがあるのか。そういったサブカルチャーに興味を懐く人間にも見えなければ、他人と積極的に交流するようにも見えなかった。

 そして、俺の顔はもちろん、昨日会って共に遊んだ人間の顔を忘れるな。

 いかん……。あまりの天然ボケっぷりについ全力で突っ込みを入れてしまったが、空腹でまともに走る事もできない程に疲弊していたのだった。

 余計に疲れてしまい、ぎゅるるっと盛大に腹が鳴る。

 アレクセイはその音に反応して、首を傾げた。

 

「お腹、空いてるの?」

 

「ああ! もう何日も何も食べていないんだ! だから頼むから突っ込みが必要な発言は止めてくれ!」

 

 八つ当たり気味に彼に怒鳴ってしまった。

 栄養が足りなくて、神経が過敏になっているようだ。

 気を付けなくてはと思っても、彼の掴みどころのない態度に苛立ちを感じてしまう。

 だが、当のアレクセイはそれを気にした風もなく、こう言った。

 

「家に来て、何か食べる?」

 

「い、いいのか? なら、是非にでも行かせてくれ!」

 

 千載一遇のチャンスに恥も外聞もなく、飛び付いた。

 苛立ちをぶつけていた相手の親切に舞い上がる自分に嫌気が差したが、それはそれ。

 生理的欲求の前には人間の誇りなど、紙吹雪より軽かった。

 現金にも、立ち上がる力が湧いてくる。

 アレクセイの前まで行くと、彼は自分の鼻を摘まんだ。

 

「どうした?」

 

「臭い。家に来てもいいけど、食べる前にお風呂入ってね」

 

「うっ……そんなに臭うか?」

 

「うん」

 

 一応、夜に河原で水浴びなどで清潔感は保っていたつもりだが、真顔で臭いと断言されると否定できない。

 衣食も確保できない状況だったので、体臭など気に留めている余裕はなかった。

 急に羞恥心が帰って来たものの、アレクセイはそれ以上言及する気はないらしく、スタスタと歩き始める。

 付いて行けばいいのか?

 何も言わずに次の行動に移ってしまうため、分かり辛いが、俺を自宅まで連れて行ってくれる様子だ。

 雨水に濡れながら、俺も黙ってそれに続く。

 ……どうでもいいが、傘に入れてくれる気はないのだな。

 

 

 *******

 

 

「えっ……何でそいつ、連れて来たの?」

 

 アレクセイの自宅に着いて直後、玄関にて出迎えの挨拶代わりに言われた台詞がそれだった。

 棘のある言葉をくれたのはアレクセイの親兄弟なのではなく、彼と共にニコを襲った魔法少女・双樹あやせ。

 

「……同棲しているのか?」

 

 隣に居るアレクセイに言ったつもりだったのが、反応したのはあやせの方だった。

  

「ちょっと止めてよ、その言い方。私はあすなろ市に居る間滞在しているだけ」

 

 本気で嫌そうな顔する彼女だが、彼の方は興味無さそうに傘立てに傘を入れると無言で家に上がる。

 俺はどころかあやせとも会話をする気がないようだ。マイペースもここまで来ると、動きを止めて他人の話を傾聴するという習慣そのものがないように見える。

 ぶつぶつ文句を言うものの、あやせも居候の立場を弁えており、俺を追い返したりする様子はなかった。

 

「上がっていいのか?」

 

「勝手にすれば。私の家じゃないし」

 

 ぶっきら棒な彼女の言い分に納得し、俺も彼の家にお邪魔する。

 表札には『中沢』と記載していたが、彼の苗字なのだろうか。

 そうなると彼のフルネームは『中沢アレクセイ』になってしまう訳なのだが……どうなのだろう。

 家の中の外装は至って和風。畳みや障子があり、古き良き日本家屋の名残が随所に見受けられる。

 アレクセイを追いかけて、進むと彼はどうやらキッチンに向かったようだった。

 この家の雰囲気で言うなら台所と呼んだ方が似付かわしい。

 そこでガスレンジに乗せた寸胴鍋を温めていた。

 すると、すぐにふわりと美味しそうな匂いが台所に漂い始める。

 曲がりなりにも洋食屋の息子である俺にはその匂いの正体が何だか分かった。

 これは……煮込んだトマトの香りだ。

 

「トマトシチューか!」

 

 じゅるりと唾液が口の中に染み出した。

 五日近く何も食べていなかった胃が猛烈に固形物を欲する。

 

「ボルシチだよ」

 

 後からやって来たあやせが訂正する。

 

「どっちでもいいよ」

 

 面倒そうに返すアレクセイは振り向く事もせずに、お玉で鍋を搔き混ぜている。

 

「あやせ。お風呂の場所教えてあげて」

 

「えー、何で私が?」

 

「じゃあ、ルカでいいや」

 

「ルカでいいとは心外ですね。私に頼むならもう少し誠意を見せてください」

 

 二人の会話中に唐突にあやせの口調が変わる。

 今、不満げに誠意を求めているのがルカという訳か。ややこしい。

 彼はよくこれでコミュニケーションを取れるな。

 

「どっちでもいいよ。嫌ならもうご飯出してあげない」

 

「大火さん、でしたね。お風呂場はこちらです」

 

 一瞬で手のひらを返したルカは案内をしてくれる気になったらしい。

 主従関係が出来ているようで、手綱を握っているのは実はアレクセイの方なのか。

 何にせよ、まともな食事にあり付くには風呂に入って、汚れを落とした方がいいだろう。

 身体が雨で濡れている事もあって、温められる風呂はそれだけでも素直にありがたい。

 俺はルカの導きに従って、中沢家の浴場へと向かった。

 

 

~サキ視点~

 

 

 

「それで俺に見せたいものってこのスズラン?」

 

 白いスズランが植えられた鉢を両手で抱えているあきらは、私にそう聞いてくる。

 デパートでショッピングを楽しんでいた帰り道、突然の雨に合った私たちはどこかに雨宿りをしようという話になった。

 その際、近くだからと私は彼を自宅にまで招いた。

 男の子を家に連れて来るという行為に躊躇いがなかった訳ではないが、そうまでしても彼に見てほしいものがあったからだ。

 

「そのスズランもその一つだな。その花は私の妹の花だ」

 

「へぇー。妹さんの。きっとサキちゃんに似て、美人なんだろうなぁ」

 

 あきらの発言に暗い気持ちが湧き上がる。

 それが顔に出てしまったのか、彼はすぐに表情を引き締めた。

 

「……ひょっとして妹さん」

 

「ああ。交通事故で亡くなったよ」

 

「わりぃ、失言だったか?」

 

「いや、そんな事はない」

 

 彼は何一つおかしな発言はしていない。謝るなら妹の話題を出した私の方だ。

 だが、彼には妹の事。そして、私が魔法少女になった理由を打ち明けたかった。

 

「そのスズランが永遠に咲き誇る事が私の魔法少女としての願いだった」

 

 彼に全てを話した。

 私たちが行っている魔法少女狩り。

 魔法少女とキュゥべえの関係。

 プレイアデス聖団の成り立ち。

 そして、最初のメンバー……和沙ミチルの事。

 かずみに関する救いようのない真実を。

 長い、本当に長い話をあきらは一言も言葉を挟まずに聞いてくれた。

 全てを語り終えた後、私は彼に一冊の日記帳を差し出す。

 

「これがミチルの日記。かずみの元になった魔法少女の残した記録」

 

 あきらはスズランを床に置くと、その日記帳を受け取ってパラパラとページを(めく)った。

 時間にして数十秒。本当に読んでいるのか疑わしい短時間でページを捲り終わると、日記帳を閉じる。

 

「ふぅん。なるほどなぁ……和沙ミチルちゃんか」

 

「……ああ。そうだ。軽蔑、したか……? 私たちの事を嫌いに、なったか……?」

 

 彼の顔をまともに見る事ができなかった。

 話しておいて、見せておいて、この期に及んで私は彼に嫌われたくないと思っている。

 救いようのないのはかずみの真実ではなく、私の性根の方だ。

 しかし、視線を床に落とす私をあきらは優しく抱きしめてくれた。

 

「そんな訳ないだろ? よく話してくれたな、サキちゃん……。辛かっただろうし、隠したかったけど、それでも教えてくれたんだよな」

 

 頭を撫でて、優しい台詞を掛けてくれる彼に滲む涙を我慢できない。

 あきら。あきらあきらあきら。

 私の理想の王子さま。私の信じるただ一人の男の子。

 

「でもな、サキちゃん。和沙ミチルちゃんの事、背負っていくには辛すぎるんじゃないか?」

 

「……うん。でも、それは私たちプレイアデス聖団が抱えて生きないとならない罪の証だから……」

 

「忘れちまえよ、ミチルちゃんの事」

 

「え……?」

 

 ミチルを……忘れる?

 あきらは私から少し隙間を作って、日記帳を見せ付けた。

 

「ここにある記録は全部なかった。和沙ミチルなんて最初から居なかった。それでいいんじゃねーのか?」

 

「何を言って、いる……」

 

 彼の声音は甘く、柔らかく、静かで、私の心に染み込んでくるような心地さえする。

 ミチルを忘れるなんて許されない。彼女は私たち、六人を救ってくれた大恩人だ。

 その彼女を居なかった事にするなんて……。

 

「でも、そのせいでサキちゃんやプレイアデスの皆は辛い思いをしてる。かずみちゃんだって、その被害者だ。アンタらが和沙ミチルを忘れない限り、かずみちゃんはいつまで経っても代用品。真の仲間にはなり得ない……そうだろ?」

 

 あきらの言葉に矛盾はない。

 私がミチルに拘泥すればする程に、かずみをミチルの代わりにしか見えなくなっている。

 どれだけ時間が掛かってもかずみはプレイアデス聖団の罪でしか居られない。

 

「サキちゃんたちを助けてくれた魔法少女はかずみちゃん。今は記憶を失っているだけ。ミチルなんて子は居なかった。それいいんじゃねーの? そっちの方が皆幸せになれる真実だろ? 違うか?」

 

「で、でも……私がミチルを忘れてしまったら彼女は……」

 

「その子はいつまでも自分に依存してほしいと思うか? 最期の瞬間まで魔女化を耐えていた彼女はきっとこう思ってる。『サキちゃん。私の事なんて早く忘れて幸せになって』って」

 

 ミチルが忘れられたがっている……?

 彼女の記憶を覚え続けている事が、彼女への償いだと信じていたが、あきらの解釈の方が正しいような気持になってくる。

 そうだ。そうだった。ミチルはそういう子だった。

 あきらは続けざまに言葉を続ける。

 

「海香ちゃんが生きてたら、きっと今のサキちゃんたちから和沙ミチルの記憶を消してたぜ。それくらいアンタらプレイアデス聖団は傷付いてきた。海香ちゃんのためにも合成魔法少女の記憶はすっぱり忘れるべきだ」

 

「海香も、そう思っている……?」

 

「ああ。そう思うぜ。何なら、自分が魔女になって死んだ記憶だって消したと思う。そういう優しい子だった。なのに皆、辛くて悲しい記憶だけ溜めて、勝手に苦しんでる。良くない事だと思わないか? なあ?」

 

 そうだ。記憶を操る海香ならそうしていたかもしれない。

 皆で辛い記憶だけを残していて、何になる? ソウルジェムを濁らせて、魔女化を早めるだけじゃないか。

 私たちプレイアデスが間違っていた。

 あきらが正しい。

 私の王子さまの言っている事が絶対に正しい。

 

「俺を信じろ、サキちゃん。俺がアンタを守ってやる。……だから嫌な記憶はぜーんぶ忘れちまっていい。楽しい記憶だけを覚えていようぜ?」

 

「ああ。そうだね……うん」

 

 何故、私はこんな事に気付かなかったのか。

 それこそ、ミチルへの冒涜だった。

 彼女の事は早々に忘れるべきだったのだ。

 

「さあ、サキちゃん。俺に続いてこう言うんだ。『和沙ミチルなんて居なかった』。『御崎海香なんて居なかった』。『プレイアデス聖団は最初から今居る六人だけだった』」

 

 雨音をBGMにして、あきらは私に(うた)うように(ささや)いた。

 それに連れられ、私も唇を動かす。

 

「『和沙ミチルなんて居なかった』。『御崎海香なんていなかった』。『プレイアデス聖団は最初から今居る六人だけだった』」

 

「そう。そうだぜ! サキちゃん! ほら、心が軽くなったのが分かるだろ? 苦しかった想いが消えていくのを感じるだろ?」

 

 あきらの言う通り、私の心から苦しみが抜け落ちていく感覚があった。

 身体が軽い。こんな気持ちはいつ以来だろう。

 彼を信じていれば、救われる。命だけじゃなく、心までも救われる。

 

「じゃあ、この“本”は俺が持っていくね。サキちゃんには必要のないものだから」

 

 あきらが小汚い本を小脇に挟む。

 あれは日記帳……いや、“本”だ。どこかの誰かが書いたエッセイ本。

 

「いいよ。私にはもうそんな“本”必要ないからね」

 

 窓の外でカッと光が(ほとばし)って、一拍置いた後にゴロゴロと雷鳴が聞こえた。

 ……遠くで雷が落ちたようだ。

 

「悪い天気だな。早めにお家デートに切り替えて正解だったかもな」

 

「ああ。そうだな」

 

 私にはあきらが傍に付いている。

 大丈夫。きっと大丈夫。

 プレイアデス聖団は正しい方向に導かれている。

 私はそう確信した。

 




あきら君の新興宗教の教祖感……。


活動報告にて、引き続いて作中に登場するオリジナル魔女を募集しております。


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第二十二話 別れの挨拶 

~みらい視点~

 

 

 最近、サキの様子が変だ。

 今まではまったく男の子には興味がなかったのに、あきらに対しては妙に浮足立った態度をする。

 今日だって、二人っきりで買い物に行くなんて、以前のサキからしたら考えられない対応だ。

 ボクもあきら自体は嫌いじゃない。話は面白いし、意外に物知りだから一緒に居て感心させられる事もときどきある。

 でも、やっぱりボクにとって一番なのはサキだ。

 サキ以外にあり合えない。

 そんなサキがあきらに取られそうで、心穏やかじゃ居られない。

 気晴らしになるかと散歩に出てみれば、生憎の雨に打たれて、気分はげんなり。

 沈んだ気持ちでファミレスにでも入ろうとしていると、ガラス越しの店内にニコの姿を見つけた。

 向こうもボクに気付いて、ひょいっと手を持ち上げる。

 その後、ちょいちょいと手招きをした。

 店の中に来いって事……?

 ボクはそれに従って、ファミレスに入るとニコの居る席へと向かった。

 

「何……?」

 

「機嫌悪いね。どうしたの? おねーさんに話してみ」

 

 何がお姉さんなんだか。同い年の癖にニコの奴ったらボクを子ども扱いするから嫌だ。

 のほほんとした表情で笑うニコ。妙に機嫌が良さげで余計にムカついた。

 だけど、話を聞いてくれると言うなら、聞いてもらってもいいかも。

 

「最近、サキがボクに構ってくれない」

 

「あーあ。サキはあきらにゾッコンだからね。仕方ない仕方ない」

 

「それが気に入らないの!」

 

 ウェイトレスが運んで来た水をがぶがぶ飲んで、大きな氷を一気に噛み砕く。

 頭がキーンとして、思わず額を手で押さえた。

 そういえば、あきらがこの冷たいものを一度に食べた時に起きる頭痛を「アイスクリーム頭痛」と呼ぶとか言っていたのを思い出す。

 脚を組んで偉そうに座っているニコは「うーん」と唸ってから、何か思い付いた風にボクを見た。

 

「それじゃあ、あきらよりもみらいの方が凄いって思わせればいいんだよ」

 

「例えば、どんな?」

 

「そうだねぇ……あきらより早く、あの『蠍の魔女モドキ』を倒す、とかかな」

 

 蠍の魔女モドキ。

 数日前の騒動や三日前に海香の家に現れたボクたちの敵。

 人間でありながら、魔女のような姿であすなろ市を襲う存在だ。

 確かにあいつをあきらよりも早くやっつけて、サキの前に突き出せば、ボクの凄さの証明になるかも……。

 名案だ。でも、素直にニコに感謝する気も起きず、適当に肯定する。

 

「ま、まあ。悪くないかもね」

 

「あくまで一例だけどね。あの魔女モドキが居なくなれば、この街も平和になるし一石二鳥だなって」

 

「それでー……具体的にはどうすればいい? もし、あの魔女モドキを探すなら」

 

 さり気なく、ボクはニコにあいつを探す方法を尋ねた。

 ニコはそれに気付かずに、世間話の調子で答える。

 

「そうだねー。もしも探すとしたらコレが役立つかもね」

 

 ポケットから平べったい機械を取り出してテーブルの上に置く。

 画面はマップのようなものと右上にグリーフシードに似た変な図柄が載っている。

 

「これは?」

 

「奴ら魔女モドキの居場所を調べるするサーチャー。まだ試作段階だけど、普通の魔女とは異なる奴らの魔力反応を感知できる。名付けて『魔女モドキサーチャー』」

 

「! これさえあれば魔女モドキを探せるんだね!」

 

「まだ試験段階だから、街全体をカバーできるほど索敵範囲は広くないけど、捜し易くはなったと思うよ」

 

 流石はプレイアデス聖団のメカニック担当のニコだ!

 まさか、こんなにも早く便利なものを作り上げていたなんて、想像もしてなかった。

 これさえあれば、あきらより先に蠍の魔女モドキを見つけられる。

 

「ニコ、これをボクに……」

 

「ノン。奴は強い。一人で立ち向かうには危険すぎるよ」

 

 当然だけど、ニコは魔女モドキサーチャーをボクに貸し出すつもりはなかった。

 ボクがニコの立場なら同じようにすると思う。でも、ボクにとってこれはサキを振り向かせるチャンスだ。みすみす見逃す手はない。

 

「ソウルジェムを無駄に濁らせないためにも、ここはあきらと共に向かうべきだよ。あ、そろそろ、頼んだパフェが来そうだ。みらいもメニューでも見て何か頼みなよ」

 

 横にあったクリア加工してあるメニューをずいっとボクの方に差し出し、ウェイトレスがパフェを運んで来るのを待ち受ける。

 ……今だ!

 ちょうど、ウェイトレスがパフェをお盆に乗せて、このテーブルの隣に着いた瞬間を狙って、ボクはサーチャーをくすねた。

 ニコはパフェに目を奪われて、まるで気付いた様子がない。

 手早く、持っていたテディベアの背中にサーチャーを押し込むと、怪しまれないようにボクはニコに言った。

 

「やっぱりお腹空いてないから、注文はやめておくよ。話聞いてくれてありがとね。じゃあ」

 

 少し早口になってしまったけど、ニコは気にした素振りも見せず、スプーンでパフェのソフトクリームを突きながら、片手を振った。

 

「うん。……さようなら、みらい」

 

 ボクは彼女にサーチャーを盗んだ事を悟られないよう、焦る気持ちを抑え、早歩きでファミレスから出た。

 何とか誤魔化せたみたいだけど、パフェを食べ終えればニコはサーチャーがない事に気付いてしまう。

 そうなる前にあの蠍の魔女モドキを見つけないと!

 早速、サーチャーを起動させて、魔女モドキの魔力反応を探しに行った。

 その前に傘くらい買っておこう。サキに褒められたボクの髪が痛んじゃう。

 

 

 *******

 

 

「ごちそうさま! うまかったぁー……ボルシチなんて食ったのは小学校の給食以来だが、こんなうまいものだったのか」

 

 シチュー皿に乗ったボルシチ七杯と食パン一斤を完食して、俺はようやく人心地が付く。

 こんなうまいもの生まれて初めて食べた……と言い掛けて、今存在している『俺』そのものは生まれて間もない事に気付き、苦笑いしてしまう。

 小学校の記憶どころか、未来で起きた記憶も厳密には俺のオリジナルの赤司大火の記憶をイーブルナッツの俺が引き継いだものに過ぎない。

 みくからもらったパンが『俺』の初めて食べたもので、これは二回目の食事という訳だ。

 

「鍋の中にあったボルシチを残らず平らげてしまわれるとは……大した食欲ですね。意地汚い事この上ない」

 

 皮肉気に言うルカは空っぽの鍋を見せて、蔑んだ視線を向けて来る。

 うっ。そう言われるとご馳走になったとはいえ、多少は残しておくべきだったか……?

 

「ルカ。そんなに食べたかったのなら言えばよかったのに」

 

 俺の向かいに座って、湯呑を(すす)っているアレクセイは無表情でそう語る。

 む? ルカもボルシチ食べたかったのか。それは悪い事をしてしまった。

 

「そういう事言っているのでありません! 私を食い意地の張った女のように言うのは止めなさい。それから私にもお茶を淹れてください」

 

 機嫌の悪そうに命令する彼女に対し、アレクセイは特に焦った様子もなく、湯呑を机に置き、脇に用意してあった急須を持ち上げる。

 このようなやり取りは日常茶飯事という事か。アレクセイの対応が冷め過ぎているのか分からない。

 

「……」

 

 急須を片手に彼が無言でこちらを見つめている。

 段々彼とのコミニケションにも慣れて来た。

 これは俺に「お茶も要るか」と目線だけで聞いてきているのだ。

 郷に入っては郷に従え。俺も彼のやり方に合わせ、机の上にあった湯呑をそっと差し出して、ご相伴(しょうばん)(あずか)る事にした。

 急須から湯呑に淹れられたお茶は、匂いといい、赤茶けた色といい、明らかに緑茶ではなかった。

 

「これは……何茶だ?」

 

「ルイボスティー」

 

「……そうか。ありがたくいただこう」

 

 何故、急須と湯呑でルイボスティーなのか聞こうかと思ったが、特に深い意味ないのだろう。

 恐らく、持っている食器が和式なのだ。その証拠にルカの方も……。

 

「悪くない味ですね」

 

 普通にティーカップでお茶を飲んでいた。

 何なのだ……。ティーカップがあるなら、どうして湯呑を使っているんだ。

 謎過ぎるぞ。中沢家……。

 難解なこの家の食器事情に翻弄されつつ、俺は湯呑に注がれたルイボスティーを啜った。

 

「うまい……。あ、そうだ」

 

「?」

 

「中沢アレクセイでいいのか、本名は」

 

「うん」

 

「では、アレクセイ」

 

 俺は湯呑を机に置き、アレクセイに向き直ると改めて、彼に頭を深々と下げた。

 感謝の口上を粛々(しゅくしゅく)と述べる。

 

「ありがとう。本当に助かった。食事だけじゃなく風呂にも入れさせてもらって、どう感謝したらいいか分からない」

 

「そう」

 

 アレクセイは興味なさげにルイボスティーを口に含む。

 愛想もなく、何を考えているのか表情から把握できないが、この男は(すこぶ)る親切な人間だという事は多少なりとも交流していて身に染みていた。

 双樹姉妹が彼に文句を言いつつも、力尽くで言う事を聞かせないのもその人柄あっての事だろう。

 

「だが、あえてその恩人に苦言を呈させてもらう」

 

 これだけは言わねばならなかった。

 義理があるからと言って、善悪の道理を無視する事は許されない。

 

「イーブルナッツを使って、魔法少女を襲っているお前やルカたちは間違っている! 何が目的なのかは分からないが、力任せに命を脅かす行為を俺は断じて見過ごせない!」

 

「何様のつもりですか? たかだか魔力を得ただけの人間が私たちのやり方に口を出すとは……」

 

 ルカはソウルジェムからサーベルソードを作り出し、その刃を俺へと突き付けた。

 

「のぼせ上ったその思想、私が冷ましてあげましょうか?」

 

 その刃から冷気が吹き荒れ、俺の前髪を激しく揺らめかせる。

 変身こそしていないが、彼女は本気だ。本気で俺を斬ろうとしている。

 こうなるとは分かっていたが、それでも言わねばならない台詞だった。

 

「俺は魔法少女として、正義を貫き死んだ少女を知っている。だからこそ、言おう。ルカ、あやせ。お前たちの在り方は『魔法少女』とは言い難い!」

 

 脳裏に浮かぶのは小さな女の子のために、その命を散らしたあいりの姿。

 身体中の肉を抉られ、目玉をくり抜かれてなお、正義の在り方を突き通した彼女に比べ、双樹姉妹の行動は身勝手で残酷な行いにしか映らなかった。

 

「……お喋りな舌ですね。それが遺言という事で宜しいでしょうか?」

 

 怒気を含ませたあやせの言葉。

 酷く静かだが、それ故内情は逆に怒りに震えているのが感じ取れる。

 やはり分かり合う事は無理なのか……。

 

「ルカ」

 

 沈黙を保っていたアレクセイがとうとう横から口を出す。

 

「僕も聞きたかった。何で魔法少女のソウルジェムがそこまでほしいの?」

 

 剣呑に俺を睨んでいた彼女は彼の問いには、当たり前のように答えた。

 

「それはあやせが望んだから。彼女の望みは私の望み。私の全て」

 

「じゃあ、あやせに交代して。そっちに聞くから」

 

「……いいでしょう。あやせ、聞いていましたね? アレクセイに答えてあげてください」

 

 すっとルカは目を閉じる。握っていたサーベルソードが粒子のように宙を舞って、消失した。

 次に目を見開くと、冷静なルカとは対照的な、天真爛漫(てんしんらんまん)な表情の少女が座っていた。

 

「私がジェムを求めるのはそれが綺麗だから。綺麗なものを手に入れるのは女の子として当然の事じゃない?」

 

 あやせはさも常識のように自分勝手な理屈を述べる。

 俺はその発言に不満しか感じられずに、反論しようとしたが、それより先に言葉を紡いだのはアレクセイだった。

 

「自分のジェムだけで満足できないの? 二つも持っているのに」

 

「……二つじゃ足りない。もっともっとたくさんのジェムを手に入れて愛でたいの。綺麗な宝石たちを」

 

「本当にそうなの?」

 

 (あお)い二つの瞳があやせの顔を見つめる。

 言葉は少ないが、心の奥まで見通すような静かで穏やかな視線。

 

「……何が言いたいの? あなたは」

 

 あやせはたじろいで、視線を逸らした。

 

「あやせは、自分のソウルジェムを綺麗だって思ってる? どのジェムよりも綺麗だって」

 

「何を……」

 

「本当は、自分のソウルジェムに満足できなから、誰かのジェムがほしいんじゃないの?」

 

 皿のように見開かれたあやせの目。

 今度はアレクセイの視線を逸らす事もままならず、硬直している。

 自分のソウルジェムに満足できない……?

 彼の言う言葉の意味が俺には分からなかったが、あやせの方には効果があったらしく、蛇に睨まれたカエルのように動きを止めていた。

 

「僕は一緒に居て、あやせから魔法少女の話を聞かされる度にそう感じてたよ。この子は自分の宝石が気に入らないから誰かの宝石がほしいんだって」

 

「違う――!」

 

 時間が動き出したように彼女は立ち上がって叫んだ。

 

「私は! 私は自分の事が嫌いなんじゃない! 自分のジェムが、自分の魂が気に入らないんじゃない! 違う! 違う違う違う違う!」

 

 あやせは半狂乱になって、居間から走り出し、障子を開けて別の部屋に行ってしまう。

 残された俺とアレクセイはそんな彼女の背中を黙って見送るしかなかった。

 

「……良かったのか?」

 

「何が?」

 

 お茶を啜るアレクセイは捉えどころのない無表情のままだ。

 俺には分からない絆や関係性があるのかも知れないが、それでも今のは踏み込み過ぎたように見えた。

 だが、あやせもただの異常者ではなく、内心に深い闇を抱えているようだった。

 そして、それをどうにかできるのは彼以外に居ないのだろう。

 

「アレクセイ、俺はもう行く。だが、魔法少女を襲うのは止めてくれ。あやせにも止めさせてほしい」

 

「それを決めるのは僕じゃない」

 

「……そうか。そうだな」

 

 これ以上の会話は無用。

 再び相見(あいまみ)える時があれば、その時に決着を付ければいい。

 そう思い、立ち上がった。

 しかし、そこで今着ている服がアレクセイから借りたものである事に気付く。

 そもそも今まで着ていた服も、みくの家で着替えさせてもらったものなのだが、色々あって借りっぱなしなっていた。

 どうしたものかと悩んでいると、アレクセイは何でもないように言う。

 

「いいよ。その服あげる」

 

「いいのか?」

 

「裸で出ていく? お前の濡れた服ならビニール袋にあるけど」

 

 部屋の隅に膨れているビニール袋を顎で示した。

 確かに今出ていくなら、着ているものを返す訳にはいかない。

 ありがたく、もらって置こう。本当に彼には借りを作ってばかりだ。

 

「服は借りていく。返せれば、返したいが……期待はしないでくれると助かる」

 

「うん。傘は一本しか家にないから貸せないけど」

 

「そこはまあ、何とかする。ではな」

 

「うん」

 

 濡れた服が入ったビニール袋を引っ掴むと、そのまま玄関で靴を履く。

 逆さまにして、水を抜いていたが、それでも足を入れると内部が湿っているのが感じられた。

 それでも濡れ鼠状態よりは遥かに快適だ。

 雨脚が弱まっている事を期待して、外に出るが雨の勢いは弱まるどころか、さらに土砂降りになっていた。

 

「ええい、ままよ!」

 

 ビニール袋を頭の上に掲げ、申し訳程度に頭を隠して、走り出す。

 かずみの捜索を再開したいところだが、ここは先にみくの顔でも見に行くとしよう。

 思えば、ニコに拉致されて以来、あのパン屋がどうなったか確認しに行けなかった。

 借りた服は濡れたままだが、乾かす手段を持たないまま持っておくよりは返却した方がいいだろう。

 目指す目的を決め、俺は雨の中を駆け抜けた。

 




あやせの設定は、彼女の行動の理由を独自解釈して掘り下げる予定です。
あきらの章で即座に退場したキャラを積極的に描いていくつもりではありますが、あくまで予定なのでどうなるかは分かりません。


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第二十三話 交渉決裂

「どういう……事だ……?」

 

 土砂降りの大雨に打たれながら、俺はみくが居たパン屋の前に立っていた。

 正確にはパン屋があった場所の前だ。

 出入り口があった場所にはシャッターが降りていて、「空きペナント」の張り紙が貼られている。

 二階の住居ゾーンも同じようにシャッターが閉められ、人が暮らしているようには到底見えなかった。

 

「みくー! 居ないのか?」

 

 少女の名前を呼ぶものの、コンクリートに打ち付けられる雨音に消されて、俺の叫びは無情にも流される。

 偶然、通りかかった雨合羽を着たおばさんに話を聞けば、つい先日ここの主人が行方不明になり、パン屋は閉める事になったのだという。

 その際に一人娘の少女は見滝原市に居る親戚に引き取られたらしい。

 みくはもうこの街には居ないのか……。

 その事実に少しだけ安堵している自分が居た。

 彼の父親、俺に服を貸してくれた人物がどうなったのかは定かではない。

 だが、恐らく、この世には居ないのだろう。

 あの蠅の魔物が引き起こした事件により、死んだのだ。

 根拠はなかったが、確信めいた憶測があった。

 彼女はそれを知る事はない。そして、知る必要もない。

 このあすなろ市は、混沌の坩堝(るつぼ)。悪意渦巻く、暗黒の都市。

 ここから離れて生きて行けるなら、それに越した事はない。

 俺はおばさんに感謝を述べて、パン屋だった空きペナントの前から去る。

 この場所と同じ悲劇をこれ以上、増やしてはいけない。そう心に誓いながら、みくの父に黙祷を捧げた。

 

 

 その後、街の中央から離れ、人通りの少ない外縁部までやって来ると、足を止める。

 

「そろそろ姿を現したらどうだ? ここまで来れば、人も居ない。何が目的なのかは知らないが、そちらにしても好都合なのではないか?」

 

 緑が多いあすなろ市外縁部は、木々が生い茂り、舗装されていない土の道路が剥き出しになっている。

 元々都会には程遠いこの街を中心部だけ急速に発展させた結果、放置され、取り残された歪な自然。

 それがこの場所だ。

 

「……気付いていたのにノコノコやって来るなんて、やっぱり馬鹿だね。ボクの敵じゃない」

 

 この女の子にしては特徴的な一人称と言葉遣い。

 俺はすぐに尾行していた、相手の正体に勘付いた。

 小柄な背格好の少女が木の上から飛び降り、眼前に躍り出る。

 名前はみらい。テディベアの魔法を使う魔法少女だ。

 

「一人か? 仲間はどうした。一緒ではないのか?」

 

「うるさいっ。お前なんかボク一人で十分だ!」

 

 身の丈に合わない大剣を振るい、彼女は威勢よく俺を恫喝する。

 怖さはないが、何をしでかすか分からない危うさがあった。

 例えるなら大物の極道ではなく、ナイフをポケットに忍ばせたチンピラが持つような感覚だ。

 念には念を入れて、俺も即座にリベンジャーフォームへと変身する。

 

「想変身……」

 

 肉体は濃いピンク色の外骨格に覆われ、右腕には金色のスプーンの形をしたマークが浮かんだ。

 両手の先端の鋏が大きく開口し、中心から銃身がずるりと伸びる。

 腰から生えた尻尾を頭上にまで上げ、木々の間から降り注ぐ雨を弾いた。

 

「相変わらず、キモチワルイ色と形……虫みたい」

 

『随分と好き勝手に言ってくれるな。この姿はまだしも、この色は俺の尊敬する魔法少女が授けてくれたもの。それ以上の暴言は看過できないぞ』

 

 あいりから譲り受けたこの色を悪く言う者は許せない。それが安い挑発だとしてもだ。

 

「どうせ、ボクに倒されるんだから関係ないよ!」

 

 大剣を上段に振り上げ、みらいは高く跳ね上がる。

 直線的過ぎる挙動での突進。

 避けて見ろとでも言わんばかりの大振りだ。

 それとほぼ時を同じくして、俺の両脇に位置する背の高い草むらや背後の木々から、大量のテディベアが飛び出して来た。

 自らを視線を集める囮にして、テディベアの群れで俺の動きを封じ、一刀両断する作戦か。

 ……侮られたものだな。

 その場で跳躍し、前方へ――みらいの方へ俺は身体ごと接近する。

 

「何を!?」

 

 後ろに後退するとでも予想していたのか、みらいは驚愕を露わにした。

 驚くにはまだ早い。前回の邂逅では見せられなかった本気を(とく)と照覧するといい。

 雨水をその身で弾きながら、銃身から放たれる弾丸を周囲のテディベアへとばら撒いた。

 食事を取った事で開封した魔力の弾丸は、前とは比べ物にならない連射速度と精確さで百近いテディベアの群れを一掃する。

 

「こ、この野郎ぉぉぉっ!」

 

 恐慌の色が認められるみらいだったが、彼女もまた戦いを重ねて来た歴戦の魔法少女の一人。

 振るわれた大剣の鋭さに衰えは皆無。

 だが、その剣が最後まで振り下ろされる寸前、尾の先を剣の腹に密着させた。

 尾節に付いた砲塔に溜めていた魔力の砲弾を解き放つ。

 

「うあああああああーーーーっっ!?」

 

 起きた衝撃によって、体格の小さな彼女は耐え切れずに吹き飛ばされた。

 俺は反動を利用し、宙で後方に飛びながら抜かるんだ土の地面に着地を決める。

 足元には崩れゆくテディベアの残骸と……断たれた大剣の刃。

 ゼロ距離で発射された魔力の砲は一撃を以って、頑強な刃をへし折っていた。

 

『実力差は理解してもらえたはずだ。無駄に魔力を使って魔女化を早めるな』

 

「だ、黙れぇ……!」

 

 よろよろと立ち上がるみらいだったが、諦めてくれる様子はなさそうだ。

 睡眠こそ取れていないが、こちらはほぼ万全の状態に回復している。少なくとも魔法少女と一対一で負ける事はあり得ない。

 まして手の内の知れているのなら尚更(なおさら)だ。

 

『ニコの仲間であるお前を傷付けたくないんだ』

 

「ニコ……? 何でそこでニコが……ああ、お前のいうニコって言うのは、お前と一緒に来た偽物のニコか。残念だったね。あいつならとっくに死んだよ!」

 

『何を……言っている?』

 

 ニコが偽物? 死んだ? こいつは何を言っているんだ?

 戸惑う俺に彼女は攻撃的な笑みを向けて、語り出す。

 

「ニコに化けてプレイアデスに潜り込ませるつもりだったんだろうけど、本物のニコが帰って来ちゃったからね。正体がバレて、見っともなく殺されたのさ」

 

 俺を挑発して、嘘を言っている。そうに違いない。

 でなければ……。

 でなければ、あまりにもニコが報われない。

 語られる情報を受け入れられない俺を見て、みらいは加虐的に笑った。

 

「あははは。知らなかったの? 仲間が死んだのに三日も気付いてなかったなんて、ちゃんちゃらおかしいね!」

 

 何故だ。何故、こいつは笑っている?

 ニコが! あの子がどれだけお前たちを気に掛けていたのか知らないのか?

 自分の友達が化け物になり、その事実を知って打ちのめされながら、それでもお前たちと戦うためにあの場所に行ったのだぞ!?

 それを……。それをこいつは!

 よりにもよって、偽物だと……?

 お前ら、プレイアデス聖団とやら仲間と偽物の区別も付かないのか? その程度の絆だったのか!?

 

『お前ぇぇぇ!』

 

「ははは。魔女モドキの癖に仲間意識だけはちゃっかり持ってたんだ? どうせ化け物の仲間も化け物なんだろう! だったら、それらしくしてなよ!」

 

 頭に血が昇った。

 思考が怒りで真っ白に塗り潰される。

 激しい激昂が頭から爪先まで広がり、骨の髄まで染め上げていく。

 

「怒れっ! 怒れよ、化け物!」

 

 みらいの声が誰かと重なる。

 そうだ……この人の精神を愚弄し、踏みにじる外道の(さえず)りは奴と同様。

 一樹あきらそのもの!

 あの外道と同じく、この魔法少女は人間性は血の底まで堕ちている。

 生かしては置けない。殺すべきだ。殺すべき悪だ!

 二つの銃口と砲塔はその頭蓋(ずがい)に照準を合わせる。

 

「あははははは」

 

 笑う下衆を跡形もなく、この世から消し去るために――!

 殺せ。殺せ。殺せ。殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せぇぇぇぇぇぇぇ!

 

『死ねぇぇぇぇ!』

 

 三重の発射口から魔力の波動を放とうと、アンカーを地面に埋め込んだ瞬間。

 

「……『ラ・ベスティア・リファーレ』!」

 

 みらいが笑って、そのイタリア語の羅列を口にする。

 背後で何かが強大な魔力の塊が寄り集まる感覚が、俺の中のイーブルナッツ(心臓)に届いた。

 上を見上げた時、視界に映ったものは。

 ―—巨大なテディベアの大口を開けた顔……。

 

『ウオォォォーン!』

 

 巨熊は俺の頭部を喰いちぎろうと唸りを上げて、噛み付いた。

 アンカーが地面に埋まり、回避の取れない俺の頭部は牙の生えた口の中に呑まれる。

 

『……邪魔だぁ!』

 

 両腕の鋏角で俺を咥える巨熊の頭を抉り、銃口を押し当てゼロ距離で弾丸を放った。

 魔力の弾丸の直撃に挟まれ、巨熊はその牙で首を噛み切る暇もなく、崩壊する。

 崩れていく魔力の隙間から、半ばから砕けた大剣を横薙ぎに振るうみらいの姿が垣間見えた。

 

「お前が死ねぇぇぇぇ!」

 

 巨熊もブラフ。本命は大剣での直接攻撃!

 まんまと挑発に乗せられ、俺は必殺の一手を手放してしまった。

 だが、俺にはまだ尾節に付いた砲塔が残っている。

 砲弾は既に充填済みだ。

 

『おおおおおおおぉぉぉぉ!』

 

「はああああああぁぁぁぁ!」

 

 折れた大剣の一刀と砲塔の一撃が互いに互いの命を狙い、撃ち振るわれる。

 衝突した魔力が暴風を巻き起こし、辺りの雨水を巻き上げた。

 木々が突風で煽られ、葉を揺らし、枝を折る。

 泥の大地は衝撃波によって、激しく抉られ、地面に大穴を穿(うが)った。

 

『ごほっ……』

 

 口もないのに咳が漏れる。

 大剣の刃は俺の外骨格に深々と突き刺さっていた。

 人体でいう肺に相当する箇所にダメージが入ったようだ。

 血が、流れる。人とは違う黒い血が……大穴の内側に零れた。

 乾いて固まった土に染み込んでいく、魔物の黒い血。

 そして、その血に混ざるように流れ込む深紅の血。

 

「………………………………、ぁ」

 

 腹部を大きく抉られ、内臓のその大半が円状に消滅しているみらいの身体が穴の中に横たわっていた。

 ほとんど真っ二つなっているに等しい彼女は大量の血を流し、血だまりの上に転がっている。

 即死していないのは辛うじて、ソウルジェムの破壊を(まぬが)れたからに過ぎなかった。

 薄桃色の彼女の瞳はもう光を映してはいない。ここまで損壊してしまった肉体は例え、魔法少女といえども治癒は不可能だろう。

 罪悪感は不思議と感じなかった。

 人間を、魔法少女を殺したというのに俺の心は(なぎ)のように静かだった。

 他に生き残る術がなかった以上、後悔などある訳がなかった。

 ……いや、言い訳はよそう。

 みらいとあきらが重なって見えた時、俺は彼女を必ず殺そうと思った。

 人の道などあやせに語った舌も乾かぬ内に、自分はこれだ。

 やはり、俺はもう肉体的だけではなく、精神的にも人間から離れて行っているようだ。

 足元を見ると、死に掛けのみらいの肉体に付いていたソウルジェムが、卵型の宝石の形状に戻って落ちていた。

 みらいのソウルジェムの表面がパリパリと音を立てて、剥がれ落ち、澱んだ色を覗かせる。

 濁り切ったソウルジェム。

 魔女が生まれ落ちる予兆。

 魔女の、卵。

 

『…………』

 

 俺はそれを躊躇なく、踏み砕いた。

 砕かれたソウルジェムは魔力の粒子になって、空へと流れていく。

 いつの間にかあれだけ降り続いていた雨は止み、空には雲間が見えていた。

 ずっと見えなかった太陽がやっと雲の影から顔を出す。

 

『酷い事をするね、赤司大火』

 

 天を仰いでいると、白い生き物が近くに生えた裸の木の枝の上で俺の名を呼ぶ。

 変身を解いて、人間の姿に戻った俺はそれに問い掛けた。

 

「酷い、というのはみらいのソウルジェムを砕いた事か? それとも魔女の発生を未然に防いだ事か? どちらだ、キュゥべえ」

 

『当然、後者に決まっているよ。ボクら、インキュベーターには、感情エネルギーの回収が最優先だからね』

 

 白い生き物・キュゥべえはさも平然と言い放つ。

 これが妖精、か。あいり、その名称はあまりにもこの外道には似合わないぞ。

 

「何の用だ? それとも嫌味を言いに来ただけか?」

 

『ボクはそんな無意味な事はしないさ。そうだね、簡単に言うなら交渉に来たんだ』

 

「交渉、だと?」

 

『そうだよ』

 

 キュゥべえは一旦、枝から飛び降りると、耳の内側から生えた毛の塊のようなものを器用に動かして、(めく)れ上がった草むらの間に転がっている何かを引きずり出す。

 土に汚れたそれは何かの端末機器のように見えた。

 

「それは何だ?」

 

『みらいが君を探し出した装置だよ。何でも聞こえて来た内容によると、イーブルナッツの反応を感知できるみたいだ』

 

「そんな便利なものがある訳……」

 

 ない、とは言えない。

 作れるだけの知識と魔法を持った魔法少女を俺は知っている。

 聖カンナ。イーブルナッツの生みの親である彼女なら、その反応を感知する道具を製造するなど簡単な事だろう。

 俺は湧き上がった疑問を自己解決して、キュゥべえに聞く。

 

「それで交渉の内容は?」

 

『これを君にあげよう。君が憎むあきらを探す助けになるだろう? その代わりに魔法少女の魔女化に関連する一切の干渉を止めてほしいんだ』

 

 確かにその装置があれば、俺が感知できないあきらのイーブルナッツ反応を見つけられるかもしれない。

 だが、その装置を作ったのは間違いなく、カンナだ。

 彼女があきらを従えているという事は、自分たちの不利になるものを果たして作るか?

 それをみらいに与えたのだって、彼女のはず。となれば、あきらのイーブルナッツの反応があれば、プレイアデス聖団内にも、あいつが魔物である事が露見してしまう。

 いや、よく考えろ。あきらのイーブルナッツが完全に消えたのはいつだ?

 少なくとも公園で戦った時は、ちゃんと反応があった。

 ならば、あきらのイーブルナッツの反応を感知できないのもカンナが一枚噛んでいる可能性が高い。

 もしやあきらにイーブルナッツの反応を消す装置を付けさせているのではないだろうか?

 この推測が確かならば、感知する装置をもらったところであきらは追えない。

 …………違う。そもこの思考、そのものが無意味だ。

 

『要らないのかい? 君には必要なものだと思うけど』

 

 キュゥべえは装置の画面を前脚でトントンと叩いて返答を催促している。

 俺の答えは決まっていた。

 待たせるのも悪い。早々に答えを返そう。

 

「どうせあきらが捕捉できないだろうが、もらっておく事にする」

 

『それじゃあ、交渉は成立だね』

 

「いいや? 交渉には応じない。……俺が一方的にもらっておくだけだ」

 

 右腕のみを魔物に変化させ、魔力弾でキュゥべえの頭を撃ち抜く。

 脆い奴はたった一発だけで頭どころか胴体に至るまで消し飛んだ。

 それからゆっくりと装置に近付いて、地面から拾い上げる。

 

『驚きだよ、赤司大火。君がそういう不公平な対応を取るなんて』

 

 木々の合い間から撃ち殺したキュゥべえと同じ声が聞こえてきた。

 こいつらは個体での生物ではなく、総体で一つの生物なのだと自分で言っていた。

 だから、さして驚きはない。

 

「消えろ、キュゥべえ。お前にいくら代わりが居ようとも、俺はそれをダース単位で消し飛ばす力がある。魔力切れまで粘ってみるか? 魔法少女たちより俺の攻撃は燃費がいいぞ?」

 

『やれやれ。第二次性徴の男の子はこれだから嫌なんだ。すぐにボクに反感を懐いて、追い払おうとする』

 

 まるで俺以外にも少年と交流があるような言い草だが、多分あきらの事だろう。

 魔法少女になる女の子を除いた普通の人間、ましてや何の利用価値もない少年にこの強欲な生物が興味を持つとは到底思えない。

 奴が姿を現す事もなく、去った気配を感じ取ると、俺は拾った装置を眺め回した。

 残念ながら俺は電子機器には疎い。日常で触る機械などせいぜいテレビくらいのものだ。

 使い方だけ吐かせてから追い払えばよかったのだろうが、あの生き物と話しているのは精神的に耐えられなかった。

 おもむろに画面に付いた泥を指先で拭うと、地図の画面から別の画面に急に切り替わる。

 

『ハロー、赤司大火。聞こえてる?』

 

「その声は、……ニコ!?」

 

 一瞬、それがニコの声だと思い、喜色が滲みそうになったが、すぐにそれは違うと思い知らされる。

 

『……残念無念。私は神那ニコじゃない。——聖カンナだ』

 

 それは至極当然の事だ。

 俺自身、この装置の製作者はカンナだと推測していたにも拘わらず、都合よくニコが生存している可能性に縋ってしまった。

 不思議なものだ。

 過去に戻って来た時には、あれほど聞きたかったカンナの声を聞いたのに、俺の心はピクリとも動かない。

 

「俺を、赤司大火を知っているのか?」

 

 通話状態になっている事は、機械音痴の俺にも分かる。

 音量が小さかったが、下手に弄って通話が切断すると二度と繋がらなくなる可能性を考慮して、そのまま耳を近付けて喋った。

 

『何故か、私が作ったイーブルナッツを持っている人間という事くらいは掴んでいる。私の邪魔をしている事もな』

 

「そうか。だが、俺は……お前がプレイアデス聖団を憎む理由を俺は知っている。かずみを求めるその理由も」

 

 疑うか、驚くかの二択だと思ったが、意外にも通話している彼女の声は落ち着いていた。

 

『それは結構。余計な話をせずに済む』

 

 この余裕、ニコから何か聞いたのか……?

 いや、未来からの時間遡行者と知っていれば、逆に余裕ではいられないはず。

 ニコと組んでいた事が彼女に露見しているから、ニコから情報をもらったと勘違いしている?

 

「もう一度聞く。俺の事をどこまで知っている?」

 

『私の届く範囲まで』

 

「……コネクトの魔法が届く範囲という意味か?」

 

 こちらが持つ最大級の情報をチラつかせてみる。

 カンナの魔法。それはこの世界では彼女以外に知らない秘密だ。

 慎重な彼女があきらに自分の魔法を明かしているとは考えにくいし、仮に明かしていても、あきらが俺に情報を流す理由もない。

 

『さあね。好きに取ればいい』

 

 カンナの声音には微塵の焦りも滲まない。

 分からない。彼女の内情が俺には読み取れなかった。

 駄目だ。頭を使えば使うほどドツボに(はま)るだけだ。

 だが、これだけははっきりさせねばならない。 

 

「みらいにこの装置を渡したのは、結果的に俺の手に渡すためか?」

 

『イエス。あの雑魚(みらい)じゃ、逆立ちしたってお前には勝てないのは明白だった』

 

「俺が彼女を殺すのも、カンナ……お前の手の内かっ!?」

 

 否定してくれと祈りながら、俺は彼女に問いかける。

 しかし、彼女の口は聞きたくない方の答えを返した。

 

『イエス。そのために短慮で愚かなあの子をメッセンジャーガールに選んだんだよ。お前が拒んでもみらいは戦いを止めない。グリーフシードだって持ってないだろう? となれば、殺されるのは目に見えていた。そ・れ・に……』

 

 ——魔女になって、殺してくれたらグリーフシードも一個できるしね。

 残酷極まりないカンナの言葉に俺は震えた。

 こいつは本当に俺の惚れた聖カンナなのか。さらにもう一人居る同じ声の別人ではないのか。

 俺の反応を察してか、彼女はケラケラと楽し気に言う。

 

『その様子じゃ、魔女になる前に殺したのか! うんうん。なるほど。賢いよ、赤司大火!』

 

 止めろ……。止めてくれ……。

 それ以上、カンナの声で喋らないでくれ。

 

『ああ、っと。世間話はこれくらいにして、本題に移ろうか』

 

「本、題……?」

 

 これ以上、何があるというのだ。

 精神を残虐にも抉るような発言を止め、カンナははっきりと口にした。

 

『一樹あきらを殺させてやる』

 

「……っ!」

 

 心臓が跳ね上がる。

 俺のかねてからの悲願、それが一樹あきらの抹殺。

 悲しみも、怒りも、全てその一言で吹き飛んだ。

 それほどまでに俺にとっては重要な台詞だった。

 

『と言ってもすぐじゃない。お前が大人しくしていたら、の話だ』

 

「……どういう事だ。お前とあきらは」

 

『繋がっている? 仲間同士? 冗談は止めてくれ。都合が良いから利用しているだけで、向こうも私も信用なんてしてはいない』

 

「邪魔になったから俺に始末させるって事か?」

 

『イエス。そうだな……奴を切り捨てる段階にまで計画が移行したら、その端末に……』

 

「ふざけるなっ!」

 

『…………』

 

 ふざけるなふざけるなふざけるな!

 お前は……お前は命を何だと思っているんだ!?

 この街に居る魔法少女はどいつもこいつも(ろく)でもない奴ばかりじゃないか!

 それに群がるあきらも俺もどうしようもない屑だ!

 魔法なんかに関わる奴は誰も彼も命を軽いもののように扱いやがる。

 

「絶対に、思い通りになんかさせない……。お前にも、あきらにも」

 

『……じゃあ、せいぜい一人で頑張ってみなよ。セイギのミカタ』

 

 握っていた装置はその途端に、ボンっと小さく爆発して、黒い煙を噴き上げた。

 画面は黒く染まり、何も映していない。

 俺はそれをみらいの死体がある穴へ放り投げた。

 もう一度、魔物へ変身して、死体共々魔力の放射で消し飛ばす。

 

『やってやるさ。悪党共……』

 

 俺は誓う。

 この心が、精神が砕けようとも、この街から邪悪を放逐すると。

 




お腹がいっぱいになり、とうとう頭を使い始めた主人公・赤司大火!
ラスボスの座を奪還しつつある原作ラスボス・聖カンナ!
どうなる次回!



活動報告欄にて、引き続きオリジナルの魔女を募集しております。
現在二枠埋まったので、残り三枠。お待ちしております。


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第二十四話 血の雨のち晴れ

~あきら視点~

 

 

 

 さーてと、そろそろなんだがなぁ。まーだ来ねぇのかよ、“アレ”は。

 サキちゃんの家で(くつろ)ぎながら、俺はその時をのんびりと待つ。

 外はまだ、雨が降り続いていた。ベランダのガラス戸に貼り付く雨水がピチャピチャと音を立てて、跳ねている。

 ご両親は共働きでなかなか帰って来ないという彼女は、夕食に手料理を振る舞ってくれるらしい。

 手持ち無沙汰になった俺は和紗ミチル……かずみちゃんのコピー元の少女の日記帳を暇潰しにペラペラ捲った。

 長ったらしい内容を要約すると、死にかけのババアのために魔法少女になり、足手纏いの仲間のせいで魔女になった馬鹿な女の子の一年も満たない記録だ。

 ババアの意思を尊重して、生き長らえさせなかったそうだが、俺から言わせれば、どっち付かずの願望。

 結局、他人の生命を自分の都合で延ばしている癖に、尊重だの何だって……寝言かよ。

 偉そうなことを言っても所詮はお花畑の女の子。

 そんな子がお友達にクローンを何度も作られ、命を弄ばれているなんて、笑える皮肉だ。

 ま。結局のところ、プレイアデスの皆さんは怖かっただけ。

 魔女なるのを恐れ、死ぬのに恐れ、一番最初に魔女化した和沙ミチルの死を『なかったこと』にしたかっただけ。

 友情だとか、連帯感だとか後付けのゴマカシ。

 だからこそ、新しく都合のいい依存相手を演じた俺に、コロコロリーンと傾いた訳だ。

 キッチンで楽しそうに鼻歌を歌っているサキちゃんなんかは差し詰め……“トモダチモドキ”なーんてのが相応しい呼び名かもなぁ。

 この日記をどう使うかは俺の胸先三寸って訳だが、今はそれよりもサキちゃんを完全に堕とす方が重要だ。

 もう八割方俺に(なび)いてるが、最後のダメ押しがほしい。

 そのために、ひじりんに一つ頼みごとをしてたんだが……待てど暮らせど一向にその予兆が起きない。

 あの無能ガールめ、まさか俺の頼みを無視しやがったのか?

 ….…やっぱ、そろそろ俺を切り捨てようとか考え始めてる感じかね。かずみちゃんの信用も独り占めにしたいし、一番面倒な魔法が使えた海香ちゃんが消え、蠍野郎サイドに付いたニコちゃんが消えた今、目下脅威なのは俺くらいだ。

 みらいちゃんはアホだし、里美ちゃんはビビリ。サキちゃんはしっかりしているようでこの有り様。あと排除したいプレイアデスの魔法少女はカオルちゃんくらいのモンだ。

 しかし、外部に蠍野郎やあやせちゃんという不確定要素を抱えた局面で、重要戦力である俺をそう簡単には切れないはず。

 だからこそ、こんな着替える時にクソ邪魔なベルトまでこしらえて、俺に(かせ)を嵌めたんだ。

 俺を切るには時期尚早。俺以外をジョーカーに据えるにしても、手間暇掛けた分、元は取りたいのが人情だろうよ。

 そこまで考えた時、サキちゃんが慌てた声で俺のところへやって来る。

 エプロンが初々しいねぇ、お嬢さん!

 

「あきら!」

 

「どーした、サキちゃん。砂糖と塩でも入れ間違えたんか?」

 

「違う! これを見てくれ!」

 

 突き出したのはサキちゃん自身のソウルジェム。

 濁りは目視できないが、ひじりんの話によると、ジュゥべえの不完全な浄化で上っ面だけ綺麗に見えてるって話だ。

 そのソウルジェムが一定の間隔で光ってる。……ようやく来たか。

 

「これは、ひょっとして」

 

「ああ、モドキじゃない本物の魔女の反応だ」

 

 言われてみれば、イーブルナッツの魔力とはまた違う感覚がこのマンションから、少し離れた地点からしている。

 魔女と魔女モドキ。似ているが、それを構成している魔力の質は完全に別物らしい。

 ひじりんに俺が頼んだのは、イーブルナッツを使ってレイトウコから持ち出したソウルジェムから、魔女が生み出せるかの実験。

 俺の中のイーブルナッツが感知できなかっただけで、あの子は言付け通りに実行してくれてたみたいだ。

 そして、実験結果は成功した。イーブルナッツを使用したソウルジェムの任意孵化は可能と証明された訳だ。

 偶然、サキちゃんの自宅付近でプレイアデス聖団の魔法少女が孵化した可能性もゼロじゃないが、タイミング的にはまずないだろう。

 何にせよ、この目で確認しておくに越した事はない。

 

「大変じゃねーか! 場所は?」

 

「反応からして、すぐ近くだ。あきら……悪いが、その」

 

「分かってる。俺が行くぜ!」

 

 申し訳なさそうに頼むサキちゃんにサムズアップして俺は答える。

 それを見て安心したようにサキちゃんは表情を弛めた。うんうん、順調に俺に依存してますな。良きかな良きかな。

 感じ取れる反応は微弱だが、これだけ距離が近ければ、俺でも場所を辿れる。さっさと魔女が生まれた場所まで向かおうとサキちゃんの家から出て行こうとした。

 だが、玄関まで向かった俺を彼女は止める。

 

「待ってくれ、あきら。……私も共に行く」

 

 えっ、来んなし。マジ来んなし。

 足手纏いを引き連れて戦うのがどれだけストレスか前回の戦闘で嫌ってくらいに味わった身としては、変身して戦わないサキちゃんなんて重荷でしかない。

 しかし、何か覚悟を決めたような面で俺に付いて来る気満々のサキちゃん。

 あのー、チミ。俺が魔法少女の代わりに戦うという宣言した意味分かっとる? 魔法少女に魔力を使わせまいとするヒロイックな意思表明理解しとるん?

 魔力を使わないならマジで足手纏いだし、使ったら使ったらでこっちの意図理解してないってことになる。

 

「駄目だ、サキちゃん。ここは俺一人で……」

 

「いいや、それは駄目だ! あきらだけに辛い思いをさせるなんて! それに直接戦えなくても魔女との交戦経験がある私なら助けになれるはずだ!」

 

 いや、やめて~。クッソ邪魔だからそれやめて~。

 俺に対して好意を持たせ過ぎたか……。庇護欲を持っているくせに依存癖のあるサキちゃんを狙ったのが(あだ)になった。

 良い感じにコントロールしやすそうだと選んだのだが、ここは多少探り探りでもカオルちゃん辺りにしておくべきだったかー。

 割と真剣に困り始めた俺だが、ここで俺の圧倒的な戦闘力で魅せるのもありかと思い、話の分かる男を演じる。

 

「オッケー。でも、俺から離れるなよ? 肝心のサキちゃんが危険な目に合ったら意味ないからな」

 

「ああ。ありがとう」

 

 俺は成り行きに任せて、サキちゃんと魔女の元へ向かうことになった。

 

 

 サキちゃんのソウルジェムが反応を拾ってくれたおかげで、自分で調べるよりも簡単に魔女の結界とやらに辿り着く。

 傘を差しているとはいえ、水溜まりのある道を歩き回るのは嫌だったから、そこだけは素直に感謝だ。

 結界についてベラベラと解説をしてくれたが、適当に相槌(あいづち)を打ちながら、聞き流して中に侵入した。

 前は海香ちゃんが魔女化する前に逃げたせいで内側の光景は見れず終いたった。

 俺は少々期待をしながら、今回生まれた魔女の結界内を観光する。

 そこはレンガで囲われた巨大な広場。

 積み上げられた古ぼけた赤レンガが、不規則に並んで一つの空間を作り上げていた。

 中央には木製の土台が置かれ、その上に刃の付いたオブジェが一つ設置されている。

 もっとも人道的な処刑具と言われる発明品。

 ギロチン。所謂(いわゆる)、断頭台だ。

 

「……悪趣味な結界だ」

 

 サキちゃんはこの場景が気に入らないらしく、不愉快そうに眉を(ひそ)めた。

 俺は魔女の結界の中を見物するのは初めてだから、これが普通かと思ったけれども、経験者である彼女から見るとこの結界は悪趣味なんだそうだ。

 同意も否定もせず、俺はざっとこの結界内を見回す。

 レンガの高い外壁とギロチン台しかない世界だ。魔物や魔女モドキとは違って、別の空間を形成して、現実の世界に入口を作れるらしい。

 この世界も魔女の一部。精神性が魔力を使って結界になったと見て、良さそうだ。

 眺め回していると、中央の台座の上でゆらりと何かが(うごめ)いた。

 体内のイーブルナッツがほんの僅かに振動して、俺に敵が近くに居ることを知らせる。

 

「あきら。——来るぞ」

 

「おうよ……変身!」

 

 俺の肉体がイーブルナッツの力で変質していく。

 本来は黒い竜へと変わるはずだったが、腰に付けたベルトの抑制のせいで中途半端に阻まれて、灰色の騎士の姿へと変化した。

 時を同じくして、サキちゃんのソウルジェムの光が一際大きく瞬いた。

 台座の上でギロチンの刃が落下する。

 どちゅりと水分を含んだ切断が聞こえ、台座の上から血の飛沫が噴き上がった。

 さっきまで外の世界で振っていた雨のようにザアッと地面を濡らす。

 流れた血の雫が台座の下の地面に触れた。

 そこから芽吹くように黒い人影が生えてきた。

 

『あれが使い魔って奴ね』

 

 血の雫から誕生した人影はぼんやりとした人型の黒い染みといった見た目をしている。

 目も鼻もないのっぺら坊だが、口だけは赤く三日月のように吊り上がって浮いていた。

 武器も持たないそれはノタノタした緩慢な動作で俺たちに近寄って来る。

 両手だけを無意味に突き出したその恰好は古いゾンビゲームの雑魚キャラそのもの。

 ていうか実際、本当に雑魚キャラなんだろ? 作りといい、動きといいまったくリソースを割いてないのが分かる。

 昨今の無料ゲームでももうちょっと作り込むぜ。

 腰にぶら下げていた長剣を抜いた俺は、一振りで近くの人影を斬り捨てる。

 案の定、大して力も入れてない一撃で周囲にいた十体近い使い魔は消滅した。

 思った以上に弱いが、それでも囲まれると鬱陶しい。

 大技で片付けるか、と俺は剣を構えた。

 

「あきら。魔女が動く!」

 

 ちらっと眼を動かすと壇上に使い魔とは別の人影が立っている。

 鮮血が染み込んだような真っ赤なドレスを着た戯画っぽい少女。昼にやってる教育番組のアニメに出てきそうな姿だ。

 ……ただし、頭がちゃんと生えてたらの話だけどな。

 首から上には頭部はなく、噴水のように血液を流している。こんなん地上波で流したら、速攻でPTAから苦情来るぜ。

 おまけに片手には馬鹿デカい剃刀(かみそり)を刃ごと握っている。

 握った手のひらには剃刀の刃が食い込んで、ポタポタ血を流していた。

 よく見れば、手首の方も切り傷がある。魔女の姿が元の魔法少女の精神性が反映されているって言うなら、自傷癖でもあったのかね?

 ま。どうでもいいわ。

 

『一撃で終わるんだからよォ! ――イル・グリージオ・スパーダ!』

 

 灰色の魔力を剣に流し込んで、俺は大きく跳躍。壇上まで一っ飛びで接近して、ぶった斬る。

 鮮血の魔女は俺が持つ必殺の一刀を受けて、腹からも大量の血を吐き出した。

 台座の上は真っ赤な血でペインティングされて、元の色が何色だったのかも判別できなくなっていた。

 転がった鮮血の魔女は噴き出す血の池で泳ぐように手足をバタつかせる。

 

『魔女ってのも呆気なかったな。これで……』

 

 違和感があった。

 何でこいつまだ消えてないんだ?

 結界は魔女が死ねば消えるって話だった。

 でも、腹を斬られた鮮血の魔女の結界はまだ健在でここにある。

 台座の下の使い魔共も、何より魔女が血を流して転がっているだけだ。

 

『lkdsvlskngfilejsmfliejgpoekgvopjegijeofk;kntg』

 

 血だまりの上に膝も曲げず、起き上がりこぼしのように九十度ずれて、立ち上がった鮮血魔女。

 その手に握ったデカい剃刀を振ってくる。

 それを剣で弾きながら、俺は状況を分析する。

 ……何だ。こいつ、俺の一撃が完全に決まったはず。

 なのにピンピンしてるってのはどうも()せねぇ。

 悩んでいる俺に台座からサキちゃんの声が飛んでくる。

 

「あきら! 魔女の身体は普通の生き物とは違う。独特の法則を持った魔女も中には居るんだ。倒すには闇雲に攻撃するよりも魔女をよく観察して、その法則を調べるべきだ」

 

『了解。サキちゃん』

 

 剃刀を長剣で鍔迫り合いをしながら、サキちゃんの助言に従って、鮮血の魔女を観察してみる。

 俺が斬った箇所からは絶えず、真っ赤な血が流れており、少なくとも再生はしていない様子だ。

 ダメージが物理的に無効化されている訳じゃない。

 さりとて、断ち切れてもいない。あくまで大量に出血しているだけ。

 身体から、血を絞り出せば、死ぬ? いや、魔物と違って、魔女は人間の肉体をベースにしているのではなく、ソウルジェムから誕生したもの。

 謂わば、魔力で構成された存在。

 人間だったら、そこまで血を流せば出血多量で死んでいるし、何より頭がない時点で即死……。

 ……ん?

 そういや、この魔女が現れる時にギロチンの刃が落ちて、音がしたような。

 剃刀を弾いて、鍔迫り合いを解いた俺は距離を取り、ギロチンの方を調べる。

 すると、本体と同じく戯画風の少女の頭が転がっていた。

 まさか、こっちが本体とか言わないよな……?

 

『rferjmif;jesrferijmgfijmgijtelisitjngle——!!』

 

 俺が頭部を発見したことに気付いた鮮血の魔女はさっきまでとは比べ物にならない速さで突っ込んで来る。

 首がないが、俺には焦っているように見えた。

 マジかよ……。

 

『……えい!』

 

 鮮血の魔女が剃刀を振り被って突撃する前に、俺は落ちている頭部に長剣の先端をぶすりと突き立てた。

 その瞬間、迫っていた鮮血の魔女は塵のように粉々になって、崩壊していく。

 ……マジかよ。

 タネが割れれば、後はあっさり。鮮血の魔女は意図も容易く、消滅した。

 結界内の風景がすぐに薄れ始める。いつの間にか現実世界の雨が上がっていた。

 赤レンガの広場が剥がれ、現実の景色に戻って来る。

 何ていうか、アレだ。魔女との戦闘は、ちょっとした謎解きゲーム感がある。

 強い弱いの前にギミックありきの敵というか……。論理的な思考で動いてないNPCみたいな存在だった。

 理不尽といえば、理不尽だが法則さえ掴めちまえば、倒すのはそれほど苦じゃない。

 

『魔女ってのは皆、こういうモンなのかねぇ』

 

 魔力での肉体の変質を止めると、変質が止まり、元の姿に戻った。

 足元に転がっているイーブルナッツに似た、手のひらサイズのオブジェを拾う。

 これが嘆きの種(グリーフシード)。魔法少女の生命線にして、ソウルジェムの成れの果て。 

 しげしげと魔女との戦闘の戦利品を眺めていると、隣にサキちゃんがやって来ていた。

 

「凄いぞ。あきら! 初めての戦いだっただろうに、魔女に危なげなく勝利するなんて」

 

「あー……うん。(魔女とは)戦闘初めてです。はい」

 

 もうちょっと苦戦した方がよかったか?

 だが、下手に弱そうな振りをすると、俺が代わりに戦うことに不安感を懐かせちまう。

 あくまでも俺の役割は『魔法少女の代わりに魔女と戦うヒーロー』。一定の強さは常に示しとかないと意味がない。

 

「何故、敬語……? まあ、本当に……本当にあきらは凄い奴だ。私たち魔法少女の代わりに戦ってくれる存在なんて今まで想像もしてなかった」

 

 サキちゃんはそう言って、俺に尊敬の眼差しを向ける。

 フフフ。予想通りの反応。これでサキちゃんは俺という人間にヒーロー像を思い描いただろう。

 これで、「魔法少女になって戦う」ということと「あきらに任せれば大丈夫」という思考を刷り込んで、完全に牙を抜き、家畜化させてやる。

 グリーフシードを指先でピンと弾いて、俺は晴れやかな空を仰いだ。

 思い通りにしてやるよ。プレイアデス聖団の魔法少女も、あの蠍野郎も、ひじりんも……。

 俺の愉しみの元に、散々弄んで、飽きたら全部壊してやる。

 俺を奴隷にしたと思い込んでいるあの子が、俺に涙と鼻水を垂らしながら命乞いをする時が待ち遠しいぜ。

 

「どうしたんだ、あきら。急に笑い出して」

 

 不思議そうに顔を覗き込んでくる可愛いサキちゃんに、俺は頬を撫でながら返す。

 

「嬉しくてさ。皆を助けられることが」

 

「あきら……お前は本当に」

 

 懐いた犬っころのように俺の手に頬擦りする彼女。

 俺だけを信じる手駒。俺の魔法少女。

 せいぜい役に立ってくれよ、サキちゃん……。

 心地の良い日の光を浴びながら、完璧に自分の手の中に堕ちた少女を微笑みながら、撫で回した。

 




今回登場した鮮血の魔女は、huntfield様よりいただいたオリジナルの魔女です。
こんな感じでちょくちょく活動報告で応募してくれた魔女を出して行こうと思ってます。


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第二十五話 インキュベーターガール

~里美視点~

 

 

「おかしい。おかしいわ……こんなの」

 

 アンジェリカベアーズ博物館の地下。

 そこには私たち、プレイアデス聖団が作り出した魔法少女の運命を否定するための場所、“レイトウコ”が隠されている。

 魔法少女をソウルジェムと別々に保存する事で、ソウルジェムの濁りを抑え、彼女たちの魔女化を防いでいた。

 これがプレイアデス聖団の抱えるヒミツ。

 でも、ここに隠されているのはそれだけではない事を私は知っていた。

 ―—かずみシリーズ。

 プレイアデス聖団の創設者にして、始まりの魔法少女・和沙ミチルのクローンの失敗作。

 ニコちゃんの魔法で複製したミチルちゃんの死体に魔女の心臓と七人の魔法少女の魔法混ぜ込んで作った、魔女の肉詰め。

 ミチルちゃんの記憶のせいか、魔女の心臓と魔法の組み合わせが悪かったのか、分からないけれど最終的に理性を失って暴走した『それら』は結局ミチルちゃんの代わりになれず、『処分』することになった。

 けれど、中身は血に飢えた獣でも見た目はミチルちゃんそっくりだった『それら』を片付けるのは皆やりたがらなかった。

 そんな中、誰もやりたがらない失敗作の処分を自ら買って出たサキちゃんだった。

 ミチルちゃんの蘇生に失敗する度に増えていく失敗作の処理役。それをあの誰よりもミチルちゃんが大好きだった彼女にできる訳がない。

 そう思った私はある時、処分をしに行くサキちゃんを尾行し、どこでどういう風に失敗作を処分しているのか確認する事にした。

 そして、私は彼女が処分などしていないと知ったのだ。

 サキちゃんは、ミチルちゃんの失敗作が発生するごとに、このアンジェリカベアーズ博物館の地下に一体ずつ隠して、私たちを欺いていた。

 だけど、今。失敗作の入れてあった隠し部屋は空っぽ。そこには人影一つない。

 十三回のミチルちゃんの蘇生の試行で生み出された失敗作は計十二体。

 この場所には十二体のかずみちゃんが居るはずだった。

 

「どういう事? サキちゃんが場所を移した? それとも本当に処分を……? いいえ、それはない。それだけはないわ」

 

 失敗作を隠す場所に困っていたから、私たちが出入りする危険を踏まえた上でここに隠していた。

 他に移設する場所などあすなろ市のどこにもない。下手に放置をすれば、成功作や私たちと鉢合わせになる。そうでなくても、まともな理性なんて持ち合わせていない化け物を街に解き放つなんてあり得ない。

 そして、本当にサキちゃんが処分なんてできるなら、十二体にまでストックは増えていなかったはずだ。絶対にサキちゃんにはかずみちゃんは殺せない。

 それがどんな失敗作であっても、あの子にとっては「大好きなミチルちゃん」なのだから。

 

「でも、だったら誰が……? 分からない。分からないわ……」

 

 改竄していた記憶が戻って来た私は、自分の魔法を使わないで戦う方法を求めて、あの失敗作の人形たちを取りにここに来た。

 それなのに肝心要のあれらがもう、この場所にはないなんて……。

 あきら君が代わりに戦ってくれると言っていたけれど、それにしても彼が駄目だった時の保険は必須だった。

 だって、海香ちゃんが魔女化した時、私は見てしまったもの。

 あの子のソウルジェムは、全然汚れていなかった。

 それならジュゥべえの浄化は不完全だったという事だ。

 私たちはまだ六人も居る。グリーフシードの分配だって難しくなるに決まっている。

 だったら、私だけのためにグリーフシードを確保できる戦力が必要不可欠になる。

 それなのに……。

 覚束(おぼつか)ない足取りで、私は魔方陣の床に向かう。

 今は考えても上手く行かない。

 当面の間は魔法を使わずに、あきら君頼みでいよう。

 必要なら色仕掛けでもして、彼を(なび)かせるという手もある。女の子慣れしている彼にどこまで通用するか分からないけれど、それでも魔女にならないためなら何だってやれる事はしないと。

 地下から戻って来ると、展示されているガラスケースに入れられた大量のテディベアが出迎えてくれる。

 動物好きの私からすると、この熊たちは無機物的過ぎて好きじゃない。

 人形は――嫌いだ。

 テディベアたちを冷めた目で眺めていると、ケースの一つに背中を預けているニコちゃんが居る事に気付いた。

 

「あ、ニコちゃん。どうしたの、こんな場所で」

 

 私は自分を取り繕い、いつもの柔らかいイメージの笑顔を彼女に向ける。

 ニコちゃんは少し、濡れた前髪を指で弾いて笑い返してくれた。

 

「いや、ちょうど雨宿りがしたくてね。ちょっと寄ったんだよ」

 

 よく見れば彼女は傘も持っておらず、服も少し湿っている。

 傘くらい買えばいいのに。お金ないのかしら?

 そういえば、私はニコちゃんの家庭環境について何も知らない。

 どこに住んでいるのか、通っている学校はどこかさえ恥ずかしがり屋の彼女は話そうとしないからだ。

 

「里美こそ、何でみらいの博物館に居るの?」

 

 いつものようにぼんやりとした表情でニコちゃんは私の事を尋ねてくる。

 虚を突かれた私は上手い返しが思いつかず、愛想笑いで返した。

 

「そうね。たまにはみらいちゃんの可愛いテディベアたちの顔が見たくって」

 

「嘘」

 

 急に真顔になった彼女がそう言って、私のすぐ近くまで歩いて来た。

 その瞳には微かだが間違いなく、怒りの感情が浮いている。

 どうして……何か怒らせるような発言だったかしら?

 吐息さえ聞こえるような至近距離まで来ると、彼女は少しだけ背の高い私を見上げるように見つめた。

 

「ニコ、ちゃん……?」

 

「お前は人形が大嫌いだろう? 人形には何をしてもいい、そう思っているんだろう?」

 

「何を言ってるの……?」

 

 刺すような鋭い眼差しが私の心を竦み上がらせる。

 怖い……怖いよ……。

 恨まれるのも、憎まれるのも大嫌い。

 だから、私は穏やかで、優しい自分で居たいのに。

 

「かずみシリーズ。彼女たちならもう居ないぞ」

 

「……! 何で、それを……」

 

 ニコちゃんの言葉で、心臓が高鳴った。

 知っているんだ。この子は隠されていたかずみシリーズの事も。

 それだけじゃなく、私がそれを取りに来た事も……。

 

「可哀想なあの子たちは全員旅立った。もうこの世には居ない」

 

 少しだけ寂しげに語る彼女。

 だけど、私はそれがとてもおかしく聞こえた。

 

「ニコちゃんが『処分』したって事……? 何だ、じゃあもう無いのね」

 

 せっかく再利用する方法を思い付いたのに、ニコちゃんが片付けてしまっていたなんて。

 でも残念だけど、仕方ない。諦めて、グリーフシード集めはあきら君に頑張ってもらうしか手段はなくなってしまった。

 

「はっ。『処分』、『無い』か。どこまで行っても物扱い。何様なんだ、お前らは……」

 

「何で怒っているの……、それに口調も態度もなんだかおかしいわ。ニコちゃん」

 

 明らかに怒気を含ませた彼女の言葉は、私の知る掴みどころのないニコちゃんが口するようなものではなかった。

 それに「お前ら」という言い方も変だ。まるで、自分以外の集団に向けているような、そんな発言だった。

 ……もしかして。

 嫌な予感が猛烈に胸の内側から湧き出して、思わず一歩引いてしまう。

 

「あなた、本当にニコちゃん……?」

 

「くふ。あははははははは。仲間の事も分からずによくもまあ、絆だ何だと言えたものだな?」

 

 ぞっとするほど酷薄な表情がニコちゃんの顔に浮かんでいる。

 違う。この子はニコちゃんじゃない。絶対にニコちゃんはこんな顔を私に向けたりしない。

 咄嗟(とっさ)に指輪をソウルジェムに変え、魔法少女に変身する。

 

「『ファンタズマ・ビスビーリオ』」

 

 すぐに得意の操作魔法を掛け、彼女の身体を支配――したはずだった。

 しかし、動けなくなったのは、私の方。

 

「……!?」

 

「生物を操る魔法……。他者の命を何とも思わないお前らしい魔法だな、宇佐木里美」

 

 目の前の少女の黒っぽいソウルジェムから流れる一本のケーブルが私のソウルジェムに接続されていた。

 見た事のない魔法……ニコちゃんの再生成の魔法じゃない!

 私の内心を読み取ってか、彼女は自慢げにその魔法の内容を教えてくる。

 

「『コネクト』。他人のソウルジェムに接続し、その魔法を行使できる。自分の魔法を掛けられる気分はどうだ?

宇佐木里美」

 

 自分の魔法……それじゃあ、私が掛けられているのは。

 

「そうだ。それは『ファンタズマ・ビスビーリオ』。お前の得意な操りの魔法だ。……ああ、今更言う必要はないがコネクトは接続した相手の心も読める。お前の身勝手な思考も、情けない怯えも全部筒抜けだぞ」

 

 何それ……? そんな反則じみた魔法。最初から私に勝ち目なんかないじゃない。

 いや、待って。この子が偽物だっていう事は、三日前にあきら君が殺したあの子が……。

 

「フフッ、やっと気付いたのか? そうだよ、お前が偽物と判断して殺したのは本物の神那ニコ! 最高に哀れだったぞ? 仲間に見捨てられるあいつも! それを気付かないお前らも! あはははははははははっ!」

 

 溜めていた負の感情を全て爆発させたように、偽物のニコちゃんは高笑いをする。

 完全に肉体の支配を奪われた私は、身動(みじろ)ぎもできずに涙を流す事しかなかった。

 

「泣いているのか? それは死んだ神那ニコのため……? いいや、違う。それは自分のための涙だ! お前はプレイアデス聖団の中で一番身勝手で、一番救いようのない屑だ!」

 

 顔を掴まれて、無理やり彼女の方に目を向けさせられる。

 

「お前が神那ニコの次に許せなかった! だから、こうやって私が自ら出向いたのさ。お前に取って置きの苦しみと絶望を与えるために!」

 

 私は、死ぬの? それとも魔女にされる……?

 嫌。嫌嫌嫌。それだけは許して! 謝るから、何だってやって、あなたに許しを乞うから!

 だから、お願いします……! 私を! 私だけは助けてください……!

 どんなに頑張っても声は出ない。代わりに内心で彼女に全力で命乞いをする。

 魔女になるのも、このまま殺されるのも絶対に嫌だった。

 

「……屑もここまで来るといっそ清々しいな。殺す価値もない奴ってのはお前みたいな奴を言うんだろうな」

 

 そ、それじゃあ、私は……。

 

「ああ。ここで殺しはしない。魔女にするのも勘弁してやる」

 

 ありがとうございます! ありがとうございます!

 良かった。本当に良かった。これで私は……!

 

「見苦しいお前の意識はもう要らない。これ以上不快な気分になりたくはないからな」

 

 えっ……?

 一瞬にして、安堵から絶望に突き落とされる。

 私の意識は、要らない……?

 それじゃあ。

 

「完全に意識を乗っ取り、お前は私の手足となる……これもお前の魔法が持つ効果だ。良かったな、宇佐木里美。もう恐怖も絶望も感じる必要はない」

 

 い、いや……やめて……。

 どれだけ拒絶を意思を示しても、彼女は止める素振りを一切見せてくれない。

 ニコちゃんと同じ顔が、凶暴に、残酷に、笑った。

 

「『コネクト』——『ファンタズマ・ビスビーリオ』」

 

 その魔法名と共に、私の意識は完全に塗り潰された。

 

 

~キュゥべえ視点~

 

 

 展示物のケースの上から事の成り行きを一部始終観察していたボクは、そっと床の上に飛び降りた。

 聖カンナと向き合う宇佐木里美に話しかける。

 

『復讐は遂げられたかい? 聖カンナ』

 

「「そう見えるのか? 私がこの程度で満足するとでも」」

 

 二つの唇から重なり合うように喋る聖カンナと宇佐木里美。いや、既に二人とも『聖カンナ』なのだろう。

 肉体を魔法によってリンクさせている。ある意味でボクら、インキュベーターに近い状態だ。

 

『ボクとしては魔法少女は全員、魔女になってもらいたいところだけど、君はプレイアデス聖団をどうするつもりなんだい?』

 

「「かずみは私がもらう。それ以外は魔女にしても構わない。……ああ、お前がいう全員はレイトウコに保存されている魔法少女も入っているのか」」

 

『そうだよ。彼女たちもあそこで生命活動を停止させておくより、魔女になって、感情エネルギーになる方が有効だと思うよ』

 

「「それはお前の理屈だろう、インキュベーター。魔女の卵を孵すもの」」

 

 酷い言われようだ。

 ボクらはいつだって、この宇宙全体に住まう生命体の事を考えているのに、誰も理解してくれない。

 人間よりもボクらに思考が近い合成魔法少女である彼女なら受け入れてくれると思ったが、難しいようだ。

 

『それくらい協力してくれてもいいんじゃないかな? 御崎海香の記憶改竄の魔法が機能不全を起こした時、ボクがこの街で一番最初に接触を取ったのは君だ。そのおかげで君はもっとも早い段階で魔法少女の全容を把握する事ができた』

 

「「だから、従えと?」」

 

 四つの眼球が同時にボクを睨み付ける。

 本当に誰かに従う事を嫌う少女だ。それだけ自分の誕生理由が嫌いなのだろう。

 それでもボクは自分の行動に対する正当な報酬を彼女に要求する。

 

『赤司大火に装置が渡るように若葉みらいの行動をこっそり調整しただろう。お使いの駄賃くらいはくれてもいいんじゃないかい?』

 

 若葉みらいが赤司大火の元へ辿り着けるか、聖カンナの頼みでずっと監視していた。

 イーブルナッツの反応を感知する装置も戦いに巻き込まれないように移動させたりと、それなりに彼女に協力したのだ。ある程度の報酬を望む事くらいは彼女も許容するはずだ。

 だが、相変わらず、二人の聖カンナはボクに譲らない。

 

「「イーブルナッツを使って、ソウルジェムを即座に孵化させる方法をさっき見せただろう? あれをまたやってやる。それで我慢しろ」」

 

『どうせなら全部孵化させてくれるとありがたいんだけどね。それで、今度もあきらに倒させるつもりなのかい? それともプレイアデス聖団の残りの魔法少女にぶつけるのかい?』

 

「「そうだな……使い捨てのボディも手に入ったし、それなりに派手に魔女を作ってやるさ」」

 

 彼女はそう言って、両手の五本の指の隙間に、四つのソウルジェムと四つのイーブルナッツをそれぞれ挟んで見せ付ける。

 なるほど。それなりの戦力投入するという事は……。

 

『期待して待ってるよ。聖カンナ』

 

 本当に彼女に目を付けてよかった。おかげでこんなにも大量の感情エネルギーを回収する機会に恵まれた。

 プレイアデス聖団の存在のせいで、あすなろ市でのエネルギー回収は難しくなっていたが、彼女のおかげでそれもなくなりそうだ。

 魔女の作り手、聖カンナ。

 彼女もまたボクらと同じく、ソウルジェムを孵化させる者として、この呼び名が相応しいだろう。

 ——『孵卵器(インキュベーター)』と。

 




これにて、サキ編は終わりです。
「編ヒロインなのに死んでいない!?」と驚く読者さんもいらっしゃるでしょうが、殺すだけがヒロインではありません!
それに、アイデンティティを自ら破壊してしまった彼女もまたある意味、キャラクターとしての『死』とも言えるでしょう。

次回からは……カオル編です。
何としても作品タイトルのかずみを出したいです!


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カオル編
第二十六話 四つの結界、四つの戦場


~カオル視点~

 

 

 海香が魔女になった日から、既に四日が過ぎていた。

 ソウルジェムを失った肉体はレイトウコ内に保管してあるが、もう私にはあいつをかずみと同じように蘇生する気力はなくなっていた。

 生き返ってくれるなら、また会いたい。でも、同じくらいに海香には辛い思いをさせたくない。

 大体、蘇生に必要な魔女の心臓を回収していたのは他ならない海香自身だった。

 あいつが居なくなった今、私たちが作り上げた蘇生方法は成立しないだろう。

 終わりだ。もう誰かの命を弄ぶあの冒涜的な祈りはもうお終いにする。

 そう、私は皆に告げるために御崎邸にプレイアデス聖団の皆を集めた。代わりにかずみには二階の自室で大人しくしているように言い含めている。

 この家は壁が厚いから声量に気を付けさえすれば、まず二階まで話し声は届かない。下手に街へ出して、蠍の魔女モドキに襲われるリスクを考えれば、こちらの方が安全だ。

 集合時間は午後七時ちょうど。

 しかし、現在時刻午後九時。決めていた集合時間二時間も超過してなお、その発言は出せずにいた。

 理由は一つ。メンバーが全員集まっていないからだ。

 御崎邸に集まったのはサキ、ニコ、そして私の三名。みらいと里美は未だこの場に到着していなかった。

 

「遅いよね、いくら何でも……。サキはみらいについて何か知らない?」

 

 みらいと仲が良いサキに聞いてみるが、まるで他人事ように答える。

 

「知る訳ないだろう? 私はみらいの親じゃないんだ。常にどこに居るか把握してはいない」

 

「え……。あ、そうだね。ごめん」

 

 あまりにも淡泊な発言に、私は面食らって思わず謝罪の言葉が出た。

 ……どうしたんだ、サキの奴。みらいと喧嘩でもしたのかな?

 

「それより、どうするの? まだ二人を待つ? 二時間待って来ないなら別の日程にした方がいいんじゃない?」

 

 ニコもニコであまりこの会合に乗り気ではなかったのか、天井を見上げて足を組んで腰掛けている。

 二人とも遅れているみらいと里美を心配すらしていない様子だ。

 

「どうしたのさ、二人とも……私たちはもっと仲良く……」

 

「魔法少女を狩っていた? それともかずみを『作っていた』?」

 

 皮肉気に言うニコ。私はその言葉に押し黙る事しかできなかった。

 確かに私たちのやって来た事は褒められた行いではない。それでも皆で選んで、皆で決めてきた事だったはずだ。

 そこに正義はなくたって、大義はあった。

 そうじゃなかったら……。そうじゃなかったら、私たちは、一体どうやって償っていけばいいって言うんだ……。

 レイトウコの中の魔法少女たちに。

 かずみのクローンに。

 何よりミチル。

 私たち、プレイアデス聖団はどうやって……。

 心の奥に押し込んでいた罪悪感が、破裂しそうになる。

 そんな中、玄関の扉が開く音がして、邸内に入って来る足音が続いた。

 

「ごめんね、皆。ちょっと遅れちゃった」

 

 ムードメイカーの里美がリビングに顔を現す。

 てへっ、と舌を出して、片手で拳をこつんの額に当てて悪びれた様子もなく、笑っていた。

 本当なら怒るべきなのだろうが、精神的に追い詰められていた私は彼女が来てくれた事でホッと胸を撫で下せた。

 

「遅いよ、里美。みらいは一緒じゃないの?」

 

「みらいちゃん? あー、それなら……」

 

 二人してどこかに言っていたのかと思って尋ねたつもりだったが、彼女はごそごそと片手に掛けた大きめのハンドバッグを漁り出す。

 ハンドバッグの動く度に細かい土がリビングの床にこぼれ落ちた。

 里美の方はそれに頓着せず、バッグの中のものを取り出す事に集中している。

 

「あーあ、土落ちてるよ。てか、何見せるつもりなの? 野菜? みらいと二人で芋掘りにでも行ってた訳?」

 

 茶化して私が指摘すると、里美はブンブン首を振るう。

 

「ううん。掘り出してたのはお芋じゃなくてぇ……あ、やっと取れたぁ!」

 

 彼女が嬉しそうな表情でバッグから引きずり出したものは……。

 

「じゃーん! みらいちゃんでーす。大変だったのよ、掘り出すの」

 

 ―—土で汚れた、みらいの生首だった。

 

「あ、ぇ…………?」

 

 思考が目の前の光景を認識する事を拒否した。

 でも、私の脳は、記憶の中のあの子と、里美が持っているそれが同じであると無慈悲な判断を下す。

 黒い土がこびり付き、べっとりと固まっている薄桃色の長い髪。見開かれ、虚空を眺めている同色の瞳。そして、表情が欠落して、がらんどうになっている死者の顔。

 それが、若葉みらいだと……みらいだった成れの果てだと私に理解させる。

 

「ああ……あああぁアァアあぁぁァぁぁぁアあ!?」

 

 喉が破れるような叫びが(ほとばし)った。

 長らく吐いた事のない絶叫。酸欠で眩暈がするほどの悲鳴。

 けれど、私の前に立つ里美は何事もないように微笑んでいる。

 

「みらいを……殺したのか?」

 

 そう尋ねたのは私と向かい合うように座っていたサキだった。

 彼女は驚きはしているが、私のように取り乱してはいない。冷静に見えて仲間の事となると熱くなり易い彼女からは考えられないほど、落ち着き払っている。

 

「魔女モドキを使って、私たちに魔力を消費させたのも、里美……お前なのか?」

 

「フフッ。ご名答。私がこの騒動の立役者。あなたたちには分からないと思うけど、ここまで来るのに苦労したのよ?」

 

 里美、いや、私たちの敵はそう言って、手に持っていたみらいの生首を床に放った。

 ごとりと重たい音がして、土と共に黒ずんだ血がフローリングの床板を汚す。

 それを目撃した時、私の中で大切なものが、ぶちぎれた。

 

「さぁとみぃぃぃーー!」

 

 ソウルジェムによる、瞬間変身。

 椅子を蹴って、彼女に接近し、拳を振り被る。

 硬化の魔法で鋼と化した私の右拳を眼前の里美の顔に叩き付けようとした。

 たが、それより前に里美が(あらかじ)め、持っていたものを私に見せる。

 

「……それ!?」

 

 グリーフシード。それも孵化寸前の明滅状態。

 

「あはっ」

 

 堪え切れないといった具合で里美が噴き出し、それを手から離す。

 グリーフシードの下部から生えた突起が床板に突き刺さる。ほぼ同時に起きる衝撃波。

 

「うわあぁぁぁぁ!」

 

 殴り掛かろうとして、不安定な姿勢でいた私はその衝撃波に吹き飛ばされ、背中から奥の壁に激突した。

 大したダメージはない。しかし、周囲の光景が歪み、異質な空間に呑み込まれる。

 展開された魔女の結界。里美の奴、ここまで織り込み済みか!

 辺り一面は一瞬にして様変わりする。

 視界に映る景色は、夕暮れ時の屋外。足元には縮尺の小さな住宅街や森、海までが浮かんでくる。

 まるでミニチュアの模型か、ジオラマセットのような結界だ。

 

「ウフッ、ウフフフッ」

 

 愉快そうに私たちを見下して笑う里美は、巨大な紙飛行機の上に座っている。

 紙飛行機の両翼には、ちぎれた枷や鎖がアクセサリーのように付いていた。

 このソウルジェムの反応……あれが結界を展開している魔女だ。

 大人しく里美を乗せているところを見るに、彼女の魔法・『ファンタズマ・ビスビーリオ』で支配下に置かれているのだろう。

 

「里美!」

 

「それではご機嫌よう、皆。さあ、翼の魔女さん。テイクオフ!」

 

 魔法少女に変身した里美は、猫の顔が付いたステッキを振るった。

 紙飛行機、いや、翼の魔女はそれに応じるように発進する。

 

「待て! 里美……くっ!」

 

 翼の魔女が空へと舞い上がった時、私たちには真空の刃が放たれた。

 鎌鼬……これがこの魔女が持つ魔法。

 咄嗟に身体を硬化の魔法で硬めて、身を守る。

 里美を乗せた翼の魔女は空の彼方へと飛び立ち、見えなくなった。

 凄まじいスピード。こんな俊敏な魔女は初めて見る。

 

「サキ! ニコ! アンタらは大丈夫!?」

 

 振り返って、近くに居るはずの二人の安否を確認した。

 私と違い、二人には鎌鼬を防ぐ術はないはず……。

 しかし、背後には二人を守るように立つ灰色の騎士の姿があった。

 

『よう、カオルちゃん』

 

「あきら!? 何でここに?」

 

 変身したあきらことプレイアデスの守護騎士・『アトラス』の唐突な登場に、私は目を丸くするが、彼は何でもない事のように説明する。

 

『いや何。なーんか様子のおかしな里美ちゃんが、海香ちゃん()に向かうから、後を付けてみりゃ案の定この有り様よ』

 

 流石は勘の鋭いあきらだ。私たちを守ると宣言したのは伊達や酔狂ではなかったらしい。

 二人への攻撃をその頑丈な鎧で防ぎ切った彼は、長い剣を鞘から抜き、前方に構える。

 

『こっそり庭から忍び込んだから、いきなり魔女の結界が張られてやがると来たモンだ。デッカい紙飛行機が里美ちゃん乗っけて飛んだのは見えたんだが、一体何があったんだ?』

 

 警棒と鎖を手に持った監守のような人型の使い魔を何の気なしに斬り伏せながら、アトラスは尋ねる。

 そうか……彼はまだみらいが死んだ事も里美がプレイアデス聖団を裏切った事も知らないのか。

 それなら、話す内容は二つだけだ。

 

「里美が裏切り者だった。目的は多分……」

 

『かずみちゃん、ってとこか』

 

 相変わらず、頭の回転が早くて助かる。

 サキがアトラスに寄り添うように触れながら、尋ねた。

 

「あきら。私はかずみを里美から助けに行く。それでいいか?」

 

『おうさ。三人は里美ちゃんを追ってくれ。魔女や使い魔は俺が薙ぎ倒す」

 

 そう言いながら、私たちに群がってくる監守の使い魔を倒していく。

 これなら魔力の消費は最小限で良さそうだ。

 私たち、三人は変身だけに留め、アトラスに使い魔を片付けてもらいながら、ミニチュアの街を駆け抜ける。

 私は初めてアトラスが戦う姿を見たけれど、その力は魔法少女にも引けを取らない。いや、それどころか、単純なスペックだけなら、私たちプレイアデス聖団の誰よりも強いかもしれない。

 監守の使い魔を露払いするように打ち倒すアトラスの後ろを走り、上空を移動する翼の魔女の後を追う。

 魔女の反応を追跡していると、翼の魔女の姿が見えてきた。明らかに初速よりスピードが緩んでいる。

 だが、もう既にその上に里美の姿はない。結界内から逃げた様子だ。

 翼の魔女も私たちを発見したようで、Uターンして螺旋状に回転しながらこちらに突っ込んできた。

 きりもみ回転をした魔女は竜巻を身に纏い、急速落下してくる。

 

「アトラス!」

 

『分かってる。ここは俺に任せて、三人は里美ちゃんを追ってくれ! ――イル・グリージオ・スパーダ!』

 

 灰色の魔力を収束させた剣で、アトラスは翼の魔女の竜巻特攻を防ぐ。

 彼の技は偽物のニコを消し飛ばした時は破壊力のある攻撃と思っていたが、防御にも転用できる万能型の魔法のようだ。

 

「カオル! ここはアトラスの言う通りに、私たちは里美を追おう!」

 

 ニコの発言に頷いて、私は結界から出ようとする。

 しかし、サキだけはアトラスに近付いて、何か小さな声で話していた。

 

「サキっ! 何やってるの!? そんな近くに行ったら、魔女の竜巻に巻き込まれるよ!」

 

「いや、すまない。あきらと少しだけ話してた。すぐに向かう」

 

「気持ちは分かるけど、猶予はないんだよ!?」

 

 叱責を零しつつも、私たちはニコ、私、サキの順に結界内から飛び出した。

 御崎邸に戻って来るが、当然ながら里美はもうそこには居ない。

 かずみの名を呼んで二階にあるあの子の部屋に入るが、そこもやはり、もぬけの空。

 里美にしてやられた……。

 私は舌打ちを一つ鳴らして、二人を引き連れ、夜の街へと出て行く。

 待っていて、かずみ。私たちが必ず、アンタを取り戻してみせるから。

 

 

〜あやせ視点〜

 

 

 夜のあすなろ市は明るい。

 ビルや店先の明かりで街頭がなくても充分過ぎるほどピカピカと輝いている。

 それなのに、私の心はどんよりと曇っていた。

 理由は分かってる。昨日のアレクセイの言葉が突き刺さって抜けないからだ。

 『本当は、自分のソウルジェムに満足できなから、誰かのジェムがほしいんじゃないの?』

 淡白で、何も考えてないようなアレクセイの癖に……。

 あなたなんかに私の何が分かるっていうの?

 ムカつく。気に入らない。スキくない。

 なのに、何でこんなにも……心を掻き乱すの?

 分かんない。全然、分かんない。

 

『自分の心に嘘を吐くのは止めた方がいいですよ、あやせ』

 

 もう一人の私(ルカ)の声が私の脳内で響く。

 あなた、いつからそんなに口煩くなったの?

 

『あやせ。分かっているはずです。私たちは同じところから分かたれた心なのですから』

 

 うるさいなぁ。どうして、私じゃなく、アレクセイの肩を持つの? そんなにあの男の子に入れ込んだ?

 ルカに八つ当たり気味に聞く。

 

『彼は鏡です。傍に居る者の願いを映す鏡。その意味は今更語るまでもないでしょう?』

 

 分かる。それは分かる。

 あいつは他人の願いに応える。その願いがどれくらい身勝手だろうと、邪悪だろうと構わずに聞き届ける。

 だから、嘘は吐かない。いい加減な事は言わない。

 それでいて、妙なところで意固地だ。

 ……認めるよ、ルカ。アレクセイの言った事は何一つ間違ってない。

 私は、私の宝石(こころ)がスキくない。

 ジェム摘み(ピックジェム)なんてしてるのも、自分のジェムから目を背けたいからやってる事だ。

 綺麗なジェムを集めて、それを眺めていれば、自分のジェムを見なくて済む。

 汚い心と向き合わなくて済む。

 

「でも、仕方ないじゃない! 私は……私たちはこういう風に生まれて来たんだから!!」

 

 そう。最初からそうだったのだから仕方ない。

 私は、私たちは間違ってない!

 

『あやせ……』

 

 悲しそうなルカの声。

 煩い。今更、一人だけいい子ちゃん面しないで!

 私はこのままでいい。この自分でいいの!

 そうだ、私は双樹あやせ。ジェムを摘み取る、強い魔法少女。

 何を忘れていたんだろう。今すぐにでもプレイアデスの魔法少女を摘みに行けばよかったんだ。

 あんな変な男と一緒に居たから、おかしくなってたんだ、きっと。

 私は通りを駆けて、プレイアデスの魔法少女を探す。

 魔法少女狩りなんて大っぴらにできる訳ない。だったら、主な活動時間は夜。

 そう考えて、私は魔法少女に変身し、純白のドレス姿になる。

 ビルの合間を飛び移り、魔法少女を探し回った。

 ……居た。

 運良く、すぐに魔法少女を見つけられた。

 その子は、猫耳を生やした薄紫のふわふわした髪型の魔法少女。

 喜び勇んで、その子の元へ脇から接近する。

 こっちに気付いてない。これなら速攻で摘み取れる!

 猫耳の魔法少女がグルンと思い切り、私の方へ向いた。

 

「……っ!?」

 

 人形のような予備動作のない無茶な動きに私は、一瞬だけ固まった。

 相手はその一瞬を見逃さなかった。

 何か小さな物を私の傍にあった壁に投げ付ける。壁に突き刺さったそれは武器ではなく、グリーフシードだった。

 即座に孵化したグリーフシードは結界を形成し始める。

 夜の街並みは消え、代わりに現れたのは。

 

「ここは、裁判所……?」

 

 中央に巨大な天秤が立てられている、裁判所のような場所だった。

 魔女らしき天秤がガクンと大きく傾いた。

 

 

 *********

 

 

 俺はあすなろ市の外縁部の森から帰った後、邸宅の傍でずっとかずみを奪還する機会を狙っていた。

 ニコの生存を信じていた時は彼女の立場を考慮して、あえて邸宅には近寄らなかったが、もはやその心配は杞憂に終わった。

 何に遠慮する必要もない。かずみ自身に理解してもらう必要もない。

 力尽くで彼女を攫い、この街から遠ざける。それだけでいい。

 かずみに説明をするのはその後だ。

 あきらを倒し、カンナを倒してでもかずみをこの地獄の渦中から引き剥がす。

 そう考えた俺は、ただひたすらに機が熟すの待った。

 真夜中、魔法少女さえ寝静まったところに、侵入し、かずみの身柄を確保する。

 それだけを念頭にひたすら待っていた。

 だが、何かおかしい。

 里美が邸宅に入っていた後、叫び声のような音が聞こえたかと思えば、猫耳の魔法少女姿になった里美が気を失っている様子のかずみを抱えて出て来るではないか。

 

「おいっ、かずみに何を……」

 

 そう言葉を吐く前に、俺の存在に気付いていたようで、こちらに向けて何かを投げ付けて来る。

 魔法や武器かと思い、変身しようとしたが、それは俺に命中する事なく、地面に垂直に突き刺さった。

 ニコを助けるのに使ったものと同じ道具、グリーフシードだった。

 それが地面に刺さるや否や、周りの風景が歪む。

 気が付けば、目の前は見慣れた場所に変わっていた。

 

「……ここは、俺の家……?」

 

 そこにあった洋食屋『アンタレス』の店の奥にある住居。

 俺の実家。いや、正確には俺のオリジナルの赤司大火の実家だ。

 あまりの事に呆然としていると、ポンと背中を叩かれた。

 

「何してるの、タイカ」

 

「かずみ……? どうして、ここに居るんだ……?」

 

 不思議そうな顔で俺の背後に立っていたのは、俺が助け出そうとしているかずみ本人だった。

 

「いや、どうしてもこうしてもないよ。ここが私たちの家でしょ?」

 

 そう言われ、俺は状況が呑み込めずに混乱する。

 だが、そんな俺を「いいからいいから」と言って、強引にどこかに連れて行くかずみ。

 彼女を無下にも扱えず、されるがままで居ると俺はリビングへと導かれた。

 お袋が当たり前の顔で茶碗に飯を盛り付けている。

 

「お袋……?」

 

「おや、やっと起きたね。この寝坊助が。ほら、朝ご飯だよ。ちゃんと食べな」

 

 食卓に並べられたのは焼き魚に金平ごぼう。お新香に味噌汁。そして卵焼きと茶碗に乗った白米。

 見慣れたものでありながら、この崩壊前のあすなろ市に来た時には見る事もできなかた美味しそうな朝食のラインナップだ。

 それを眺めていた俺は自分が涙を流している事に気付いた。

 

「あれ? どうしたの、タイカ? どこか痛いの?」

 

「怪我でもしたのかい? あんた、そそっかしいからねぇ」

 

 かずみもお袋も俺を心配して、背中を(さす)ってくれる。

 

「違う……違うんだよ……ただ、ちょっと嬉しくて……」

 

 当たり前の日常がこんなにも尊いものだと知らなかった。

 どんなに泣き叫んでも返って来ない幸せがそこにはあった。

 

「変なタイカ……ほら、ご飯冷めちゃうよ。座って座って」

 

「……うん……うん」

 

 俺はかずみに急かされ、食卓に着く。

 三人で、両手を合わせて、食事前の挨拶をする。

 

「「「いただきます」」」

 

 この懐かしい言葉が心を締め付ける。

 かつては毎回飽きるほど口にしていたのに、それが愛おしくて堪らなかった。

 

 

~カオル視点~

 

 

「……とうとう追い詰めたよ、里美」

 

 里美に向かって、そう言い放つ。

 ニコとサキと三人で囲うように追い詰め、私たちは彼女を逃げ場のない一本道まで誘い込む事に成功した。

 観念したのか里美もこれ以上、逃げようとはしない。

 

「里美……どうして、こんな事をしたの? 私たちは、同じ志を持った仲間だったんじゃないの!?」

 

 だからこそ、私の口から最初に出た言葉はそれだった。

 恨み言でも、罵倒でもなく、問いかけ。

 ただ、彼女の真意が知りたかった。

 

「私に仲間なんて居ないわ。最初から私の味方は私だけ……」

 

「そんな……」

 

「でも、今はこの子が居るわね」

 

 そう言って、また孵化寸前のグリーフシードを床に落とす。

 魔女の結界が私たちを包むように形成され、広がっていく。

 今度の結界の内部は酷く暗かった。光源は遥か頭上にぽっかりと開いた穴から差し込む光だけ。

 いや、逆だ。この結界が穴倉なのだ。目が慣れれば、それが夜の闇ではなく、密閉空間から来る独特の閉塞感をもった暗さだと分かる。

 周囲には白っぽい海鳥のような使い魔が大きな岩石を足の爪で抱えて、何十羽も飛んでいる。

 その下。穴倉の中央で天井の穴のスポットライトを浴びているのは里美と……黒い斑点のついた海豹(アザラシ)の見た目の魔女。

 

「さあ、戦いを始めましょう……ウフッウフフフフフフッ!」

 

 里美は気の触れたように笑って、横たわる海豹の魔女の上で愛しそうに眠ったかずみの頬を撫でた。

 その様子は……もはや私の知っている宇佐木里美ではなかった。

 覚悟を決めて、私は彼女と相対する。隣に立つ、ニコとサキも同じ気構えのようだ。

 里美はもう居ない。目の前に居るのは……魔女使いの魔法少女だった。

 




今回は四体の読者応募魔女を一挙に登場させました。
翼の魔女はひがつちさん、天秤の魔女はマブルスさん、海豹の魔女は黒ゴマアザラシさん、家の魔女は猿山ポプラさんからそれぞれ頂いた魔女です。

かなり群像劇っぽくなりましたが、この展開を思い付いてしまったので、形にしました。
次からはそれぞれの魔女との戦いが始まります。

追記

ちなみに、里美の言動が邪悪過ぎるのは、演出や台詞の台本を作ったのがあきら君だからです。
カンナだけなら、みらいの死体を使う発想さえ出てこなかったでしょう。


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第二十七話 翼をください

~あきら視点~

 

 

 風を、空を支配する翼の魔女……なーんて言えば格好も付くが、所詮相手は紙飛行機。

 俺の相手じゃあ、ない。ないんだが……。

 

『降りて来いや。腰抜け魔女!』

 

 相手が一向に空から降りて来ないと、騎士の形態では攻撃ができない。

 竜巻を纏って錐揉みしながら突っ込んで来てくれた時に一刀両断できれば楽だったのだが、俺が簡単にやれないと理解した翼の魔女はすぐに錐揉みを止め、再度空へと上昇しやがった。

 腹が立つことに理性はなくても知能はあるらしく、俺に対しては突進攻撃ではなく、飛行時に発生する鎌鼬だけで距離を取って攻撃してくるようになった。

 だが、小技で俺はやれない。

 真空波では、肉体そのものが魔力で変質している俺の身体にダメージはほとんど入らない。

 向こうも向こうで決定打に欠けている。もっとも、魔法少女なら、カオルちゃんのような肉体硬化の魔法でもなければそれなりに危うい相手と言える。

 ギミックを理解する。それが魔女相手に戦う時の基本。

 この結界の中に広がるものすべてが、翼の魔女の心象風景だとするなら突破口はこの中にある。

 周囲の景色は箱庭のような世界。住宅街や森、海といった一つの街がサイズを縮尺して集められている。

 時間の概念が結界内に適応されるのかは不明だが、空の色から見て、時間帯は夕暮れってところか。多少雲はあるが(おおむ)ね晴天。

 使い魔はどいつもこいつも警棒と鎖を手に持っている。格好から示されるのは、監守か?

 だが、異様なのは見た目じゃない。この使い魔、闖入者である俺だけではなく、結界の主である翼の魔女を追いかけているものも何体か居る。

 追従しているというよりは、まるで捕まえようと追いかけている様子だ。

 中には小さなジェット戦闘機のような乗り物に乗って、翼の魔女を追跡している使い魔まで居る。

 しかし、必死に追いかけているようで、翼の魔女からは一定の距離離されているようにも見えた。磁石のS極とN極のみたいにある程度まで近付けるとお互いに反発する性質を持っているのかもしれねぇ。

 そして、魔女の外観。

 デカい紙飛行機。付いているのは鎖と枷。でも、両方とも途中半端にちぎれている……。

 鎖を断ち切る。看守から逃避。空飛ぶ紙飛行機——これらから推測するに、差し詰め、『拘束、監視からの解放』を意味しているのだろう。

 サキちゃんが言っていた。魔女には、それぞれその魔女を表す『性質』というのがあるらしい。

 鮮血の魔女の性質が『自傷』なのだとするならば、この翼の魔女は性質は『逃避』、『解放』、……いやシンプルに『自由』か?

 結界内の光景も、使い魔の見た目も()っているのに、肝心の自分は鉄製の飛行機ではなく、わざわざ簡素な紙飛行機にした辺り、複雑な世界から自由になり、単純なものになりたいという願望が滲んでいる。

 『自由』——……自由ねぇ。俺の方もこのイーブルナッツの魔力を抑制するベルトさえなければ、あの魔女よりも自由に空を駆け巡れるのによ。

 ジェット戦闘機の使い魔に、源義経宜しく八艘(はっそう)飛びの要領で翼の魔女へ接近する。

 高速で飛行するあの魔女に攻撃を当てるにはそれが一番だろう。蠅の魔物を超える速度、仮に飛び道具があってもまず当たらないだろうしな。

 それに決定打になり得る近接戦闘を避けたってことは、鮮血の魔女みたく本体が別にある可能性は低いはず。

 そんじゃあ、一丁やってやりますか!

 まず、足元にあるミニチュアの街で一番高いタワービルを踏み付けて、低空飛行している手近なジェット戦闘機の使い魔に長剣を突き立てる。

 ジェット戦闘機と言っても本物よりは遥かに小さなレプリカのような機体。大きさは全長三メートルもない。一撃で破壊しないように細心の注意が必要だ。

 貫通させないように力加減をして、使い魔の胴体に斜めに突き刺したまま、ぶら下がり……。

 

『よっ、と』

 

 身体を揺らして、機体の重心を傾かせた隙に一息で這い上がって、胴体の辺りにしがみ付く。

 この程度では墜落しない辺りは頑丈だな。伊達にジェット戦闘機の造形をしている訳じゃないようだ。

 同型の使い魔は、仲間内で同士討ちをしないためか、もしくは翼の魔女を追跡することを第一目的にプログラムされているのか、ジェット戦闘機の使い魔に取り付いている最中に横やりは入らなかった。

 ……いや、そもそもこいつらはミサイルとか機銃とか遠距離武器を搭載してんのか?

 常に翼の魔女の後を追いかけてはいるものの、攻撃しているところは今のところは一切見受けられない。

 形だけの追跡者。万が一、攻撃が命中した場合を考えて、遠距離武装を保持していないってのはありそうだぜ。

 じゃあ、翼の魔女が邪魔しなかった理由は何だ? 俺が使い魔に乗れば自分の危険は増すだろうに、それを見過ごした理由は?

 前方でジェット戦闘機の使い魔から逃げている、翼の魔女を観察する。

 そして、気付く。理解する。

 あー、なるほどなぁ。そういうことか。

 

『追われたいんだな? テメーは』

 

 手下である使い魔どもに自分を追わせ、それを逃げ切る。

 そうして、こいつは『自由』を感じられる。

 一見すると、マゾな思考にも思えるが理に適っていないこともない。

 要するに、この魔女は「鬼ごっこ」がしたいんだ。

 あの遊びは、追われる者と追う者が居て、初めて成立するゲーム。追われる側は追いかけて来る鬼から逃れることで爽快感を得る。

 誰も追ってくれない状況は『自由』じゃない。ただの『無』だ。必死で追う者を余裕で引き離して、初めて『自由』になる。

 だから、鬼を求めた。自分を追い掛けてくれる(おれ)を待ったんだ。

 だから、鬼をしてくれないカオルちゃんたちを結界から見逃した。

 つまるところ、翼の魔女の思考回路は最初から一貫していたという話だ。

 なるほどなるほど。納得ですわー……………………………………………………は?

 何様なの、こいつ? 俺を。この俺を、相手にして舐めてるとか、許される訳ねぇだろ?

 魔女が。魔女如きが。魔法少女の負け犬風情が、図に乗るなよ?

 怒りが脳内で弾ける。

 この思い上がった紙飛行機に天誅を下す必要がある。

 ……翼だ。翼が欲しい。

 あの魔女よりも速く、鋭く、強い翼が。

 抑制のベルトがチキチキと異音を発する。

 

『煩えよ……、俺は今キレてんだ……!』

 

 ベルトを思い切り殴り付けた。

 バチッと魔力の余波が漏れて火花のように光る。

 その時、背中の肩甲骨の辺りが激しい熱を持ったのが分かった。

 砕ける音と共に、背中の一部から魔力が枝のように伸び上がる。

 この感覚――ああ……これだよ、これ。

 

『そうだぜ、そう。(おまえ)が欲しかった』

 

 魔力が翼となり、騎士の鎧を突き破って、顕現した。

 たったの二枚。たったの一対。それでも俺が欲した翼だ。

 じゃあ、今、乗っているコレは要らねーな。

 ジェット戦闘機の使い魔の胴体に刃を深々と突き立てた。

 黒煙を噴き上げるように魔力の粒へと還元され、使い魔だったそれは消えていく。

 それを払うように、一対の翼は夕焼けの空へと羽ばたいた。

 黒い。夜の闇より尚黒い、どこまでも黒い翼。

 

『お帰り、マイウィング。そんじゃ……飛ぼうかァ!!』

 

 翼を使い、空を駆ける。

 ジェット戦闘機の使い魔に刃を滑らせながら、一体。また一体と撃墜していく。

 速くなっている。

 間違いなく、俺の飛行速度は上昇している!

 〈第二形態(セコンダ・フォルマ)〉の時よりは劣るが、一時的に全盛期の出力が戻っていた。

 イーブルナッツ二個分の魔力を吸い上げ、恐ろしいほどの推進力を得た俺は、空を飛ぶ使い魔を流れ作業で落としていった。

 

『ははははは! いいねェ! これこれ、これだよ、自由ってのはそう、何にも縛られないこと。そうだよなァ、翼の魔女さんよォ!』

 

 音を裂く。風を穿つ。

 加速! 加速! さらに加速!

 遥か前方に居た翼の魔女は、もう目前にまで迫っていた。

 目で捉えるのも難しいほど速かった魔女の速度が、今では自動車の徐行運転くらいにしか感じられない。

 遅い。遅いぜ。魔女さん。

 顔どころか形さえ、人とは程遠い翼の魔女から焦りに似た感情を感じ取る。

 ああ……そうだよ! それでいいんだ。

 レイトウコにぶち込まれ、ソウルジェムを無理やり孵化され、それで魔女に成り下がったアンタが『自由』なんて感じているのは許されない。

 そいつは、ちょいとばかし贅沢ってモンだ。

 そして――。

 

『追い付いたァ!』

 

 前を飛んでいた翼の魔女を抜き去って、進路を妨害する。

 立ちはだかるように前を飛ぶ俺を見て、魔女は……。

 

『djrjnglesrhie;sriesjfhdldfjgutdjdk;mdsglj!!』

 

 ―—激怒した。

 叫びの意味も、その表情も分からないが、それだけは分かる。

 自分のお株を奪う、『自由』を目にして、激しい怒りを懐いていた。

 気持ちイイーー! これだよな。得意げにしているものを踏みにじる。

 これが俺の『自由』。この行いが楽しくて、生きている。

 激しい怒りを俺へとぶつけるように、錐揉み回転をして竜巻を纏う翼の魔女。

 前に受けた時よりもデカい竜巻だ。空全体を巻き上げるようなハリケーンが発生させ、地上のミニチュアの木々や家、海の水さえ取り込んでいる。

 そこまで激しく、怒ってくれたか。俺もやった甲斐(かい)があったぜ。

 その健気な怒りに免じて、こっちも今出せる全力をぶつけてやろう。

 黒い翼を広げ、黒みの増した灰色の魔力を長剣へと流し込む。

 

『d.fgldtgkmlrjgt;ljgesljtge;osrmg;elsji;i!!』

 

 押し進んでくる横向きのハリケーンに、高く振り上げた剣を振り下ろした。

 

『リベルタ・アーレイ・スパーダ!』

 

 黒に近い灰色の斬撃が向かってくる竜巻に亀裂を入れる。

 真っ黒い翼から膨大な魔力を噴き上がった。速度を乗せて、ハリケーンを貫き、斬り進む。

 両断された翼の魔女は、はらりと空中で折られる前の二枚の大きな紙になり、掻き消えた。

 圧倒的な魔力が弾け、夕焼けの空が灰色に塗り潰されていく。

 俺の魔力が魔女の結界を侵蝕し、元あったものをすべて破壊した。

 灰色の世界が収束し、景色が薄らぐと、コロンという音を立てて、グリーフシードが転がった。

 海香ちゃん家のリビングに戻って来ると、俺は変身を解かないまま、背中に手を当てる。

 生えていた翼は消えていた。退化した翼の名残が背中で盛り上がっているだけ。

 やっぱ、一時的に抑制が弛んだだけで、完全に力を取り戻せた訳じゃないみたいだ。

 

『ちっ……。まあ、いいや。今回の収穫は十分あった』

 

 ベルトの抑制は俺の激しい感情によって、一時的に制限を無視できる。

 理由は多分、この魔力という力の源が感情エネルギーとかいうものだからだろう。

 空を飛べるなら、騎士の姿で魔法少女たちを追ったんだが、歩くしかないなら人間の姿に戻った方が目立たなくて済む。

 魔力の解放を止め、俺は人間態へと戻った。

 ふと、テーブルの上に目をやると、白い変な小動物が乗っかっている。

 こいつは最近、ひじりんとつるんでいる……なんたらローターとか言う奴だ。

 

「ピンクローターだっけか? アンタ、何でこんなとこ居るんだよ」

 

『ボクの名前はインキュベーターだよ、一樹あきら。それにしても君の感情エネルギーは凄いね。イーブルナッツによる魔力増強があるとはいえ、感情によるエネルギーの上昇はなかなかのものだ。君が女の子ならすぐにでも契約したいくらいだよ』

 

 ピンクローターは俺に名前を訂正すると、いきなり俺のことを褒めちぎり始めた。

 感情が全然籠っていないトーンで話されてもまったく嬉しくない。そもそも畜生風情が俺をヨイショしていること自体、軽くイラっとする。

 大体、魔法少女なんて哀れな子たちになるなんざ、こっちの方から願い下げだわ。

 

「俺が女の子でもアンタの思い通りにはならねーよ。あんなの頭が悪くて夢見がちな馬鹿しかならないモンだろ? アンタ風情でも騙し通せる程度のさぁ」

 

 ちょっと考えれば、願いを叶えてくれる理由や魔女と戦う理由が何なのか、契約する前に聞くだろうに。

 それもできない、疑うことを知らない食い物してくださいって女子しか引っ掛からない。それかよっぽど追い詰められている奴か。

 俺はそのどっちにも属さない。だから、女の子だったとしても魔法少女なんぞに成り下がることは絶対にない。

 

『手厳しいね。でも、騙すという表現は間違っているよ。ボクは誰も騙した事なんてない。ボクには嘘を吐くという概念がないからね』

 

「騙す=嘘って発言が既に、にわかなんだよ。嘘なんか吐かなくても相手に真実を誤認させるくらいできるっちゅーに。ま、いいや。それで俺に何の用?」

 

『ああ、そうだったね。君と話がしたくてね。少し時間いいかい?』

 

 俺が聞くと、思い出したかのようにピンクローターは話し出す。

 ……こいつ、まさか俺が里美ちゃん(ひじりん)に追い付かないように、ひじりんに時間稼ぎを頼まれている?

 その可能性はあるな。あの子も根本的には俺を信用していない。プレイアデス聖団の残りを片付けて、かずみちゃんだけゲットしたら、俺のことは用済み。

 目的を達成するまで、俺に邪魔をされたくないだろう。

 逆にいえば、その間は付け入る隙があるってことの裏返しだ。

 

「あー、時間ね。時間時間」

 

『あるようだね。だったら、ここで……』

 

「ねぇよ、バーカ」

 

 そいつを両腕で捕まえて、そのまま一気に丸かじりする。

 舌触りはふわっとした綿毛のような感じだったが、噛むとすぐにドロッと柔らかく溶けて口内に広がった。

 全体的な感想としては、味のしないヨーグルトってところだ。

 

「もにゅもにゅ……ごくん。まずい! もう一匹!」

 

『まさか、食べられるとは……それなりに人間と関わってきたけど、この行動に出たのは君が初めてだ、一樹あきら』

 

 一匹を完食し終えると、示し合わしたようにもう一匹リビングに現れた。

 おかわりされたいみたいだ。これは、ご期待に応えてやらなきゃいけねーな。

 魔法少女というメインディッシュを前に、オードブルの盛り合わせをたんまりと頂くとするか。

 俺は二皿めのピンクローターへと手を伸ばした。

 




一つ目の結界での戦闘は終わりました。
あきら君は意外にものを考えているんですよね。キチ○イなのに、分析的というか。

次回は二つ目の結界での戦いとなります。
どの結界かはお楽しみという事で、しばしお待ちください。


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第二十八話 罪深い者たちの行方

~あやせ視点~

 

 

 重い……。重すぎる……。

 頭の上から圧し掛かる重さで、身体が沈み込む。

 全身の骨という骨が軋み、悲鳴を上げる。

 

「ごほッ……がッ……」

 

 内臓が潰れ、血反吐が零れた。

 鼻腔も口内も血の味で一杯になった。

 私を乗せる秤がまた一段、下へ傾く。

 

「があぁ……ぐぎぃッ……」

 

 重さが増す。

 重いから傾くんじゃない。真逆……。

 天秤の片割れが傾いたから、私にかかる「重さ」が増した。

 見えない力。重力が私の身体を押し潰そうと、降り注ぐ。

 でも、それだけじゃない。私を苛む苦痛は……。

 秤の上に居る真っ黒い使い魔。それらが棒で、石で、身動きの取れない私を執拗に殴り付けてくる。

 普段なら何て事ないダメージなのに、今の私にはそれを防ぐ事が精いっぱいだ。

 

「雑魚使い魔の……分際で……」

 

 ここは、魔女の結界内。そして、この天秤とその真上に浮いている大きな水晶玉がこの結界を統べる魔女……。

 思うように動かない手足をそれでも振るって、使い魔を攻撃するが剣(さば)きにいつものようなキレがない。

 その間、大きな水晶玉は鬱陶しくも、私に一つの映像を見せ続けた。

 私の記憶……。私の思い出……。

 あれは……そう、私が初めてジェム摘み(ピックジェム)をした時の記憶だ。

 

 初めて、魔法少女(同類)を狩った時の思い出。

 ルカと一緒に二つの魔法を組み合わせて、何度目かの魔女退治を終わらせた直後の事。

 後からノコノコやって来た魔法少女がここは自分の縄張りだと主張して、グリーフシードを渡すように文句を言ってきた。

 私たちは当然のようにその子を叩きのめした。生意気なだけで実力は大した事ない典型的な口だけの魔法少女だった。

 でも、たった一点だけ、その魔法少女が私たちに勝っている部分があった。

 それは、ソウルジェムの美しさ。

 自分とルカ以外のソウルジェムをまじまじと眺めたのはその時が初めてだった。

 澄み切った、向こうまで透けて見えるような美しい宝石。

 綺麗……素直にそう思った。

 だけど、次に私の心に込み上げてきた感情は、激しい嫉妬だった。

 『なんで、こんな弱い子の宝石(ジェム)が私たちの宝石(ジェム)より綺麗なの?』

 そう、思った。

 だから、奪った。摘み取った。

 こんな美しいものは、強い私たちにこそ、相応しい。

 『返して』と泣き叫ぶその魔法少女を無視して、私たちはソウルジェムを自分の物にした。

 追いかけてきたその子は、私たちが少しだけ引き離すと、糸が切れた人形のようにガクッと倒れ込んだ。

 最初は、私たちの気を引きたいのかと思った。でも、違った。

 自動車が近くに来ても、その魔法少女は地面に横になったままだった。

 自動車が上を通っても(・・・・・・・・・・)、その魔法少女は地面に横になったままだった。

 騒ぎが起きても、救急車がサイレンを鳴らして駆け付けても、その子はずっと動かなかった。

 私たちは、いや、私はそれを青ざめた顔で眺めている事しかできなかった。

 いつの間にか、傍に来ていたキュゥべえがこう言った。

 

『今のはまずかったよ、あやせ。君ら魔法少女は肉体から一定距離、ソウルジェムが離れると生命を維持する事ができなくなるんだ』

 

 語られたのは、魔法少女の身体の秘密。

 ソウルジェムは、私たち魔法少女の魂そのものだという真実。

 何だ、そうだったの……。

 私が羨んだのは宝石じゃなかった。私が妬んだのはきっと。

 その魂、その心。

 名前も知らないその魔法少女は純粋な心を持っていたのだと思う。

 少なくとも、残酷な魔法少女の真実を知っても、少女の命を奪ってしまったと理解しても、ジェムがまったく濁らない私やルカの心よりはずっと純粋で綺麗だったはずだ。

 その日から、私たちはジェム摘み(ピックジェム)を目的とした魔法少女狩りを行うようになっていった。

 自分よりも綺麗な心を一つ残らず、摘み取る。

 そうすれば、ソウルジェムはただの宝石(ジェム)。ただの綺麗な宝飾品(アクセサリー)

 そうすれば、この世で綺麗なソウルジェムの持ち主は、私とルカの二つになる。

 そうすれば、綺麗な心なのは、私たち二人だけ。

 そうすれば、……自分の心の醜さを忘れる事ができる。

 

『あはははははは。私に摘まれてよ。その宝石は私にこそ、相応しいんだから』

 

 水晶玉に映る私は、そうしてソウルジェムを目当てに魔法少女を殺していった。

 嫉妬を欺瞞で塗り固めて、剣を振るった。私は私の本心を誤魔化して、炎を燃やした。

 もう片方の秤から拷問官の使い魔が更に投入され、私の乗った秤がまた下に傾く。

 纏わり付く重力が増して、身体を激しく苛めた。

 

「あッぐ……ぅがぁッ……」

 

 筋肉が裂ける。骨が砕ける。息も絶え絶え。

 身体の内側から締め付けるように破壊されていく。まともに立っているのも難しい。

 辛うじて、使い魔に抗っていた力さえも失い、握っていた剣を落とした。

 

『あやせっ! 今、私が代わりますから、少し待っていてください』

 

 駄目だよ、ルカ……。痛みをあなたに肩代わりさせるだけで、この状況は変えられない。

 二人とも魔力を無駄に消耗させるだけなら、私のままでいい。

 それに、これは私が招いた結果だから……。

 

『あやせ……』

 

 ルカの心配そうな声が頭の中で響く。

 安心してなんて、この現状じゃあ口が裂けても言えそうにない。

 こんな事になるなら、あの馬鹿犬を連れて来ればよかった。

 ……ああ、でも、あいつの顔が見たくなかったから、外に出て来たんだった。

 無表情で何考えてるかも分からない癖に、ズケズケと他人の内心を言い当てるあいつ。

 何でも二つ返事で引き受けるのに、変なところで強情で譲らないおかしな奴。

 スキくない。スキくない。全然スキくない。

 ……なのに。

 それなのに、死にそうな今、頭に浮かぶのは何であいつの顔なの……?

 

『あやせ……それはきっと彼が、あなたの心に踏み入ってきた初めての他者だからです』

 

 何それ、ムカつく。

 でも、ルカの言葉を否定できない私が居た。

 それもそっか。私もルカも、元を正せば一人の人間。

 魔法少女になる前は、私の人格の一つに過ぎないんだから。

 結局、私は独りぼっちだ。……ああ、そういえば、私が魔法少女になる時にキュゥべえに頼んだ願いは……。

 『独りぼっちになりたくない』だったっけ。ルカが生まれたのもその時だ。

 キュゥべえの奴、全然願い叶えてくれてないじゃない。

 苦笑いが込み上げた時、数十体の拷問官の使い魔が私を取り囲んで、一斉に殴り付けてきた。

 

「うッ……! あぅッ……!」

 

 これが罰? 私がこれまでに犯してきた罪に対する罰だって言うの?

 天秤の魔女は何も答えない。ただ、その上部で光る水晶玉で私の過去を映すだけ。

 

『あやせ!? あやせ!!』

 

 意識が飛びそうになる度、拷問官の使い魔の打撃が痛みを与えて、正気に返す。

 気絶する事さえ許さない徹底的な私刑(リンチ)の嵐。

 頭の中で直接響いているルカの声すら遠くに聞こえる。

 私が死んだらこの裁きは終わるかな……? ルカだけは許してあげてほしいな。

 あの子は、私に付き合っただけ。私が無理やり共犯者にしただけだから。

 天秤の魔女に私は嘆願する。

 

「ルカ、だけは……許して、ね……私は……殺して、も……いい、からさ……」

 

 使い魔からの私刑は止まない。のし掛かる重力も衰える様子がない。

 私の身体に付いたソウルジェムが軋んでいる。今にも砕けてしまいそうに、振動していた。

 終わるのかな、私……。死ぬ、のかな。痛いよ、苦しいよ……。

 とっても怖いよ……。

 

「……アレ、クセイ……」

 

 最期に私は、ルカ以外で初めて心を許した奴の名前を呼んだ。

 返ってくる訳もないのに、思わずその名前を口にしてしまう。

 自分の事なのに、それが酷くおかしかった。

 だから。

 

 

 

 

 

 

「呼んだ? あやせ」

 

 当たり前のように返事がした事に、私は戸惑った。

 裁判所の法廷のような結界内で、銀髪碧眼の少年が傍聴席の通路を通って歩いて来る。

 何事もないように、日常にいる時と同じくらい平然と、私に近付いて来ていた。

 私を囲んでいた使い魔がざわつき始める。侵入してきた異物に対してどう反応すべきか混乱しているように見えた。

 銀狼に変身して、自分から秤の上に飛び乗ると、拷問官の使い魔を爪と牙を使って薙ぎ倒す。

 そして、アレクセイは今にも倒れ込みそうな私に尋ねた。

 

『それで、僕は何をすればいいの?』

 

 身体中のパーツが悲鳴を上げるような重力を、物ともせずにそう言った。

 透過の能力は使っていない。もしも使っているなら、そもそも秤の上に立っている事はできない。

 効いてないんじゃなく、耐えているだけ。

 魔法少女が耐え切れない重さを、当たり前のように耐えている。

 本当に、こいつは……。

 無遠慮に私の心を掻き乱してくる。

 私は少しだけ考えてから、アレクセイに命令を投げた。

 

「私を……向こうの秤、に投げて……」

 

『分かった』

 

 相変わらずの二つ返事でアレクセイは私のドレスの裾を大きな顎で咥えると、頭を振るってもう一つの秤へと投げ飛ばす。

 容赦もなく、宙に上げられた私はそこでもう一人の私にバトンタッチする。

 ルカ、後は……。

 

『ええ。任せてください、あやせ。この魔女の手口には、私の堪忍袋の緒も限界ですので』

 

 ありがとう。少しだけ、私は眠るけど、いい?

 

『存分に眠っていてください。目覚めた時にはこの天秤の魔女はグリーフシードになっている事でしょう』

 

 いつになく、激しい怒りを抑えた声でルカはそう答えた。

 私は安心して空中で意識のブレーカーを落とした。

 

 

〜ルカ視点〜

 

 

 不甲斐ない。本当に私は不甲斐ない。

 あやせを守ると誓ったのにこの体たらく……我ながら、恥ずかしく思う。

 空中で肉体の主導権を譲り受けた私は、魔法少女に変身する。

 秤の上に着地すると、その場で一振りのサーベルを作り出した。見渡せば、こちらの秤の上にも先程見たものと同じ使い魔が数体点在している様子。

 ……これは重畳(ちょうじょう)。八つ当たりの相手を引き受けてくださるとは、何とも気前の良い使い魔たちですね……。

 

「——『カーゾ・フレッド』」

 

 サーベルを指揮棒のように振るって、秤の上に氷の魔法を振り撒いていく。

 腕や脚、末端から凍り付き、拷問官の使い魔たちは、一様にしてその動きを封じられた。

 ……この程度では終わらせませんよ?

 

「あやせが身動きも取れない中で受けた苦痛と屈辱。その身を以って味わいなさい!」

 

 そして、氷漬けになった使い魔を……。

 ――斬る。

 ――斬る。

 ――斬り刻む!

 凍って脆くなった部位に、サーベルの斬撃をこれでもかと浴びせ回る。

 斬られた使い魔はその肉片ごと砕け散り、秤の上から転がり落ちていった。

 

「手出しできない状況で訪れる痛みと恐怖。それがどのようなものか教えて差し上げましょう!」

 

 粗方の使い魔を片付けると、私は二つの事柄に気が付いた。

 一つは、こちら側の秤の上はまったくと言っていい程に「重み」を感じない事。

 むしろ、普段よりも重力が弱まったとさえ感じられる。

 二つ目は、天秤の中央に浮いている水晶玉に映し出されている映像について。

 映っているのはあやせや私の姿ではなく、今より少し年若いアレクセイだった。

 彼と共に居るのは、まだ小学生くらいの灰色のセンター分け少年。その子については何も知らなかったが、ふと初めて会った時に通話していた従弟ではないかと、そう直感で思った。

 季節は彼らの来ている服が半袖だから恐らく夏だろう。空は暗く、夜に差し掛かっている。

 アレクセイと従弟らしき少年と他愛もない会話をしながら人気のない夜道を歩いていた。話の内容から夏祭りの後らしいという事が察せられる。

 すると、背後から何者かが近付いてきた。

 足音を消して、接近する様子は、忍び寄っていたと表現した方が正しいだろう。

 背後から忍び寄った人物は大柄の男性で、見るからに様子がおかしかった。

 目の焦点が合っていない。言動も支離滅裂で明らかに正気を失っている。極度の酩酊状態あるいは麻薬による狂乱に陥っていた。

 男は従弟に掴み掛かると、怒鳴るように叫びながら彼を近くの草むらに連れ込んだ。

 怯える従弟の少年に男はポケットから取り出したバタフライナイフを突き付け、傍から聞いても訳の分からない事を(のたま)っている。

 アレクセイはそれを止めようと手を伸ばすが、代わりに切り付けられて、肩から血を流して地面に倒れ込んだ。

 それを見て、絶叫する従弟の少年。興奮して吠える男。

 血の付いたナイフを舐めた男は、今度はその切っ先を従弟の少年へ向ける。

 逃げようにも、手首を掴まれたままの従弟の少年にはどうする事もできなかった。

 肩から流れる血を押さえ、仰向けに倒れたアレクセイは従弟の少年の言葉を聞いた。

 

『助けて、お従兄(にい)ちゃん!』

 

 そこでアレクセイは、地面に落ちているブロック塀の破片を見つける。

 立ち上がった彼はそれを両手で持ち上げて、従弟にナイフの刃を突き刺そうとしている男の後頭部を力の限り叩き付けた。

 出血した頭を押さえて、血走った目でアレクセイを睨む男。

 そして、その顔面に再度ブロック塀の破片……彼が持つ唯一の武器を叩き付ける。

 何度も何度も叩き付けた。

 真っ赤な血が飛び散り、男の歯が折れてもなお、アレクセイはブロック塀の破片で殴り付ける。

 彼の手の皮が破け、血が滲もうとも彼は男への攻撃を弛めはしなかった。

 アレクセイの手が止まったのは、完全に相手が沈黙し、その手からナイフが零れ落ちた時だった。

 顔面は陥没し、肉体からは力が抜けている。誰が見てもこう思うだろう。

 死んでいる、と。

 息を整えて、血塗れのブロック塀の破片を投げ捨てると、彼は従弟の少年の元に近寄った。

 

『大丈夫? もう、こっちは終わったよ』

 

 平然とさも当たり前のように年若いアレクセイはそう言い放った。

 正当防衛とはいえ、人を撲殺した後の少年から出るには異常過ぎる発言。

 幼い少年が口にしたのは当然、感謝でも安堵でもなく、恐怖による絶叫だった。

 アレクセイはそんな従弟の少年を慰める訳でもなく、誤魔化し宥める訳でもなく、ただ近くで静かに見守っていた。

 映像はそこでピタリと止まる。

 これがアレクセイの過去。人を殺した罪の記憶。

 罪……?

 まさか、彼もあやせと同じ目に!?

 私はもう片方の秤の上に居るアレクセイへと目を向ける。

 銀色の狼になった彼は、先ほどあやせが味わっていた重力と使い魔の私刑の責め苦を享受していた。

 美しい銀細工のような毛皮から血が滲み出し、サファイアのようなその碧い瞳は片方潰されている。

 

「アレクセイ!? 何をやっているのですか? そんな攻撃、透過してしまえば……」

 

『……僕がそれを使ったら、多分そっちに重みと使い魔が行くよ』

 

「……それは」

 

『この天秤、見た感じだと、過去の映像を見せられている奴の秤が傾くみたい。そっちの秤が上がっているって事僕の想像と合ってるんじゃない? だから……』

 

「片方が重みを味わい続ければ、片方は頂点に……あの水晶玉に近付ける、と」

 

 こくりと、アレクセイは頷く。

 彼は本当に周囲に関心がないようで、誰よりも周囲の状況を観察している。

 そして何より義理堅い。求めた相手を最後まで求めたものを差し出してくる。

 どれだけ自分が傷付くかも厭わない。

 機械のような利他の権化。それが中沢アレクセイという少年の在り様。

 ならば心配など侮辱。私は私の役割をこなすだけ。

 残った使い魔を、秤から湧き出してくる使い魔を、冷気とと共に葬り去るのみ。

 

「今宵の双樹ルカはいつもよりも冷酷ですよ……『カーゾ・フレッド』」

 

 氷結の魔法をサーベルに纏わせ、凍らせながら使い魔たちを斬り伏せる。

 アレクセイは、魔物としての能力は強力な代わりにその頑強さは極めて低い。透過能力がある以上、素の耐久力などなくても問題ないはずだった。

 でも、今は違う。

 その身に受ける攻撃を真っ向から受け止めなくてはならない。

 だから、早めに終わらせなければ……彼の命に係わる。

 秤がまた動き出し、私を持ち上げる。同時にそれはアレクセイの居る秤が下に落ちる事を意味した。

 この秤は下に下がれば下がるほど掛かる重力が増す性質を備えている。

 今、アレクセイが味わっている重みはあやせが感じていたものよりも強まっているだろう。

 でも、彼のおかげで頂点。即ち、水晶玉がある高さまで浮上しつつある。

 先ほどまでの上昇率を考えれば、あと二回ほど上がれば、水晶玉の位置に手が届く。

 拷問官の使い魔を蹴散らしながら、下の秤に目をやった。

 

「……ッ! アレクセイ!」

 

 そこで目撃したのは、あやせ以上の責め苦を味わっていた銀色の狼から、イーブルナッツが排出されたところだった。

 魔物の肉体で受け止めきれる負荷を超えたのだろう。

 ここは私が一度下の秤に戻って、彼を助けに行かなくては!

 私がそう決意した時、人間の姿に戻った彼の視線がこちらに向けられた。

 使い魔の棒や石での殴打を受けながら、アレクセイは静かに首を横に振る。

 彼は、来るなとそう示しているのだ。

 

「あなたという人は、どこまでッ!」

 

 ガクンとまた秤が上昇する。

 あと一息。あと一回。それだけ、頂点に到達するというのに……。

 もどかしさを噛みしめながら、私は着々と湧き出す使い魔を一掃していく。

 秤の中心から湧いてくる使い魔の量よりも、蹴散らした使い魔の量の方が多くなっていった。

 そして、ようやく。

 

「これが最後の一体——!」

 

 拷問官の使い魔を斬り倒すと、私を乗せた秤は頂点に達する。

 躊躇なく、秤の上から跳んだ。重力が少なくなっていたせいか、私の身体は弾丸のような速度で天秤の中央にまで到達した。

 そこに浮かぶ巨大な水晶玉に最大級の氷結の魔法と斬撃をお見舞いする。

 

「これがあやせとアレクセイの受けた痛みへのお返しです! 『カーゾ・フレッド』!」

 

 球体を氷で覆い、そこに跳ね飛んだ勢いを付け、上から真っ二つに叩き割った。

 氷に覆われた二つの破片が更に(ひび)割れて、千々に霧散する。

 ――……天秤の魔女、破れたり。

 魔女の法廷はその主を失った瞬間に、同じく砕け、周囲の光景は街の夜空へと戻っていく。

 それを確かに認めた後、急いでアレクセイの姿を探した。

 居た。あそこだ……。

 見つけた彼は想像していたよりも血塗れで、うつ伏せに力なく地面に横たわっている。

 

「アレクセイ! 大丈……ッ」

 

 起こした彼の顔は陥没し、まるで彼がかつて手に掛けた男と同じようになっていた。

 口元に手を置いても呼吸をしている様子もない。

 私は天秤の魔女のその劣悪な厳格さに激しい怒りと、アレクセイを失う恐怖がない交ぜになって、言葉を失う。

 血塗れでボロ切れ同然になった衣服を脱がし、彼の心臓へと耳を付けた。

 目を瞑り集中する。

 とてもゆっくりで耳を澄ませなければ、聞こえないほどの微弱な鼓動が……。

 

「聞こえる……まだ、聞こえてきます!」

 

 心臓は僅かだか動いている。まだ、まだ彼は死んではいない!

 すぐに彼の近くに落ちていたイーブルナッツを再装填する。

 魔力による治癒が、これで少しは起きるはずだった。

 

「何故!?」

 

 それでも彼の傷は塞がらない。魔力が足りないのか? それとも彼の意識が戻らないからなのか?

 分からない。分かるのは、今すぐどうにか治癒しなければアレクセイが死んでしまうという事だけだ。

 魔力。余分な魔力……そういえば、イーブルナッツは他にもあと二個ほど残りがあった。

 あれは、確か家に、アレクセイの家に摘み取ったジェムと一緒に置いて来てしまっている。

 ここから家に戻っているほど悠長にしている暇はない。

 ジェム……? ソウルジェム!?

 自分の白いソウルジェムを見つめる。これこそ、魔力の塊。

 私はそこでキュゥべえと契約した時に願った事を思い出す。

 『あやせの力になり、あやせを護る』。

 そうして、私はあやせの人格から魔法少女へと相成った。

 

「アレクセイ……私の代わりに私の願いを叶えてください。あやせにはきっと、私よりもあなたが必要だから」

 

 原形すら留めていない彼の唇にそっと、自分の唇を押し当てる。

 ファーストキッスはお先に頂きましたよ、あやせ……。

 そう言えば、ロシア語で狼の事は「ルカ」と呼ぶそうだ。そういう意味でもぴったりだ。

 最後にほんの少しの我がままを添えて、ソウルジェムをアレクセイの顔の上で、握り潰す。

 罅が入って宝石が砕ける瞬間、私の意識もまた粉々になり、目の前が真っ暗になっていく。

 薄れていく視界の中で見えたものは、ソウルジェムから流れる魔力の粒を吸い込む愛しい(ひと)の寝顔だった。

 ……頼みましたよ。私の(ルカ)




という訳で、第二の戦場は天秤の魔女の結界でした。
わりと構想段階では決まっていたのですが、エンジンが掛かるまで少し時間が必要でした。
改めてご紹介。
今回登場した天秤の魔女はマブルスさんより頂いた魔女でした。
設定上はかなりの凶悪な強さだったので、一番最初はあきら君に突破させようと思いましたが、あやせ組を掘り下げるチャンスだったのでこうなりました。

何というか敵側で出てきた魔法少女組の方が優遇されている感じがします。
次回の戦場は家の魔女の結界です。
ようやく、主人公の出番。メンタルが戻る度に粉砕される彼はどうなるのか!?
ご期待ください。


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第二十九話 還らない日常

 ……何だろうか。とても大切な事を忘れている気がする。

 それが大切だったという事は思い出せるのだが、具体的に何を忘れているのかが思い出せない。

 喉の奥に魚の骨でも引っかかっている気分だ。

 確か、俺は……。

 

「ターイカっ」

 

 自室にて座って考え事をしていると後ろから、いきなり抱き付かれた。

 首に手まで回されている。この甘えた声の持ち主は。

 

「どうしたんだ、かずみ」

 

 俺の家族。妹分のかずみだ。

 いつになく、甘えた様子で後頭部に頬を擦り付けてくる。

 

「一緒に遊ぼう。どうせ、暇でしょ?」

 

「いや、暇では……あるな」

 

 思い出せない、考え事など恐らくそこまで重要ではないだろう。

 ならば、可愛い妹分の頼みを聞いて、共に遊んでやる方が有意義だ。

 とはいえ、我が家にゲーム機の類はない。ボードゲームも置いていない。

 

「よっし。何をする? そうだ、二人で外に出てどこかに……」

 

「外は嫌っ!」

 

 びっくりする程の強い語調と声量で、かずみは俺の発言を遮断した。

 空気が重くなり、俺は閉口してしまう。

 正直、かなり戸惑っていた。自分の台詞がどうして、彼女をそこまで怒らせたのか見当が付かないからだ。

 外出に対しての拒絶だけは激しいくらいに感じられる。

 

「……なら、家でトランプとかはどうだ?」

 

 そう言うと、かずみは先程の発言が嘘のように笑顔の花を咲かせた。

 

「トランプ! いいね! やろうよー!」

 

 喜ぶかずみを見て、安堵した俺は自分の机からトランプの箱を取り出す。

 中に入っているカードを抜き出しながら、彼女に尋ねた。

 

「何がやりたい? と言っても二人ではできるゲームは限られているが」

 

「うーん。じゃあ、……七並べ!」

 ババ抜きか、ポーカー辺りにしようと考えていたが、まさかの七並べ。

 あれは二人でやるにしても、結構な時間が掛かる遊びだ。

 だが、かずみの提案を無碍に断る程、俺は狭量な男ではない。

 

「そうか。ならジョーカーは入れて置くか」

 

 カードを混ぜて、自分とかずみに選り分けていく。

 そして、七のカードを四枚一列に並べる。二人では並べられるカードも多く、あっという間に全体の三分の一が埋められていった。

 やはり、ジョーカーは二枚も入れる必要はなかったかもしれない。

 こんなのんびりとした気持ちでいるのは一体いつ振りだろうか。

 最近は慌ただしくて、何もやる余裕がなかった。

 ……ん? 何、そこまで時間を割り裂いていたんだ、俺は……?

 やはり思い出せない。だが、勉学やスポーツではなく、もっと苦しくて、辛い毎日を送っていたような気がする。

 

「タイカ。ほら、タイカの手番だよ」

 

「あ、ああ」

 

 かずみに急かされ、俺はカードを並べた。

 置いたカードはスペードのA。これでスペードの頭は全て揃う。

 黒いスペード……この♠️のマーク、何かに似ている。何に似ているんだ?

 ずっと見てきたものに、そうだ、これはイーブルナ……。

 

「タイカ!」

 

 叱責するかのような語調でかずみが、俺の名前を呼ぶ。

 

「ど、どうした、かずみ?」

 

「私と遊ぶの、楽しくない? なんかずっと別の事考えてるみたいだよ」

 

 ムスッとした彼女に慌てて言い繕う。

 

「そんな事はない。とても楽しい、というか心穏やかになれている。どうしてこんな気持ちになるのか、分からないくらいにな」

 

 そう。とても楽しい。だからこそ困惑している。

 何故こんなにも平凡のはずの日常が愛おしいのか、判断が付かない。

 まるで、昔中学の社会科の授業で見せられた『戦場帰りの軍人たち』のようだった。

 あの映像は、戦場から日常に戻って来た軍人たちにインタビュー形式で対話するドキュメンタリー番組だった。

 映っていた誰も彼もが泣いていた。

 嬉しいと、喜ばしいと軍人たちが口々に言って、平穏な日常を謳歌しているシーンが延々と流れていた。今でも鮮明に記憶に残っている。

 戦場……? 戦い……?

 俺には無関係のはずのものだ。何故なら俺はただの高校生なのだから。

 

「それならいいんだけどね。あ、ハートの一列全部揃った! 私、あと四枚!」

 

「むむ! それはいかん。俺も出せる手を出しておかねば」

 

 そうして、俺とかずみは七並べで時間を潰した。

 にこやかに微笑む彼女を見て、俺は凄く幸せな感情が溢れてくる。

 その内、何を考えていたのかすっかり忘れ去ってしまった程に……。

 

 

 ********

 

 

 ふと二人で遊んでいると、現在の時刻が何時なのか気になってきた。

 部屋にある窓は固く雨戸が閉められ、外の景色は確認できない。時計を探すが奇妙な事にどこを探しても見当たらなかった。

 

「あれ? そう言えば、何で雨戸が閉まってるんだ?」

 

「……忘れたの、タイカ? あの雨戸、壊れててずっと開かなかったでしょ?」

 

 カードを切って配るかずみが怪訝そうな顔でそう言う。

 彼女にそう言われると、不思議とそうだったような気がしてくる。

 でも、何でだ? 何でこんなに俺の記憶はあやふやなんだ?

 

「あと、俺の部屋に時計……」

 

「ないよ」

 

「…………」

 

「タイカのお部屋に 時計なんて 最初から ない」

 

 俺の目を射抜くように見て、そう断言するかずみ。

 その気迫に気圧され、俺はひとまず納得をした。

 

「そ、そうか。そうだったな……うん」

 

 真顔で俺を見つめるかずみから、視線を逸らして肯定する。

 だが、はっきりと内心では疑問が渦巻いていた。

 おかしい。この家は、このかずみはどこかおかしい。

 どこが、と言われれば具体的な箇所を上げる事は難しいが、それでも違和感があった。

 しばし、お互いにトランプの手札を見ながら、沈黙している。

 ええい、ここで何と切り出せばいいんだ!?

 どう尋ねればいいのだろう。「お前、何かおかしくないか」なんて面と向かって聞ける質問ではない。

 しかし、この疑問を放置する訳にもいかない。

 思い切って、かずみに切り出した。

 

「なあ……かずみ。お前……」

 

「あ。タイカ。おばさんがそろそろ夕飯だって。トランプは一旦止めて、リビングの方に」

 

 手札をパッと手放して、彼女は俺の手を掴んで引っ張る。

 それは俺の質問を封殺するような不自然な挙動だった。

 だから、俺はその手を振り払い、かずみに向かって強い口調で言う事ができた。

 

「かずみ! 聞いてくれ!」

 

「…………」

 

「お前は本当に、俺の知るかずみなのか……?」

 

「…………」

 

「なあ、お前は……」

 

 続けようとした言葉はそこで途切れる。

 かずみは。目の前の少女は。

 俺を恨みがましい瞳で睨んでいた。

 

「どうして。どうして、そんな事を言うの?」

 

「それは……」

 

「この『家』は楽しくない? この『日常』は嬉しくない?」

 

「……楽しいさ。ここに居られて嬉しいとも思っている」

 

「だったら、いいじゃない。それで」

 

 彼女の言っている事は至極当然な主張に思えた。

 この日常を謳歌しているのなら、何を戸惑う必要があるのかと。現状に満足しているのなら、何を疑う意味があるのかと。

 そう言っているのだ。

 だが、違う。そこではないんだ。

 俺が拘っているのはその部分ではない。

 

「俺は、『かずみ』に幸せになって欲しいんだ。俺が楽しいか、嬉しいかなんて重要な事ではない。それが『赤司大火』のだった一つ残った願いだ」

 

 己の幸福は、俺が既に人間ではないと自覚した時に捨て去った。

 そうだった……今、完全に何もかも思い出した。

 俺が何者で、何を成そうとしていたのか。その全ての記憶が箱の蓋を開いたように蘇る。

 

「俺の居場所は……」

 

「駄目! それ以上は言っちゃ駄目ッ!」

 

「…………」

 

 制止を促す目の前の少女の泣き出しそうな顔を見て、俺は一旦口を閉ざした。

 しかし、もうこの場所に留まる気は当に失せている。居心地が悪いのではない。俺にはもう必要のない場所だからだ。

 彼女は俺に悲しい顔で尋ねる。

 

「……全部思い出したの?」

 

「ああ。全て思い出した」

 

「だったら、分かるはずだよ! あなたには何もない! 優しくしてくれる親も、大好きな人も、温かい温もりも、帰る場所もない! あるのは辛くて苦しい戦場だけだってッ!」

 

 彼女の言葉は正鵠(せいこく)を射ている。訂正の余地はない。

 その全てが紛れもない真実だ。

 

「ここなら全部ある! あなたが欲しいもの全部が! 何もかも取り戻せるの! なのに何で? 何で、あなたはそれを捨て去ろうとするの!?」

 

 何故、か……。そう尋ねられると答えるのは容易ではない。

 だが、答えねばならない。答えてやらねば、それこそ茶番だ。

 俺は静かに彼女の悲痛な問いへの回答を口にした。

 

「お前の言う通り、俺には何もない。この街に……いや、この世界に俺の居場所はもうどこにもない」

 

「だったら、ずっとここに居たらいいじゃない。ここなら、あなたを……」

 

「でもな、それでいいって思えたんだ」

 

「……どうして」

 

「俺を救ってくれた魔法少女が居た。そいつは復讐に囚われながら、それでも自分にとって何が正しいのかを見つけ出した。そいつが俺に言ってくれたんだ。俺はヒーローなんだって」

 

 力をくれた正義の魔法少女を思い出す。

 名前はあいり。

 彼女は俺にその魔法と、前に進む勇気をくれた。

 

「俺と共に戦ってくれた魔法少女が居た。そいつは後悔に取り憑かれながら、それでも俺の手を取って同じ道を歩もうとしてくれた。そいつが俺に教えてくれた。誰かを信じる事を」

 

 勇気をくれた覚悟の魔法少女を思い出す。

 名前はニコ。

 彼女は俺に己の正体と、行動に付随する責任が伴う事を思い出させてくれた。

 

「二人とも既にこの世には居ない。だけどな、二人の魔法少女が俺に教えてくれたものは、まだ残っている。彼女たちがくれたものは俺の中にちゃんとあるんだ。……だから、俺は」

 

 万感の想いを籠めて、台詞を紡いだ。

 

「俺は何一つ、失ってなんかいない」

 

 俺は確かに『赤司大火』の記憶を継承しただけのイーブルナッツ。

 ――偽物だ。

 だが、彼女たちから受け継いだものは『俺』だけの……——本物なのだ。

 かずみの顔をした少女は、それを聞いて、諦めたように肩を落とした。

 

「そっか……じゃあ、仕方ないね。もうあなたをここに閉じ込めておく事はできそうにないよ……」

 

 一度俯いた彼女は、もう再度顔を上げる。

 そこにはかずみの顔はなく、ぼんやりとした影だけが顔面を覆っていた。

 これが彼女の、魔女としての姿なのだろう。

 俺の前でかずみの振りをするのは止めたようだ。

 

「一つ、聞きたい。どうして、俺を襲わなかった? この結界で何もかも忘れ去っていた俺なら、いつでも倒せたはずだ」

 

『……最初はそう考えていたよ。でも、できなかった。ここに居るあなたがとても幸せそうだったから』

 

 目も口もない人型の影。それでも俺は彼女が愁いを帯びた顔で微笑んでいるように思えた。

 この幻想の家を作り出した魔女……『家の魔女』は更に言葉を続ける。

 

『私も同じだった。魔女になる前の、魔法少女だった私も強く日常を望んでいた事を覚えている。名前もどんな顔をしていたかも思い出せないけど、それだけは心に刻まれているの……』

 

「そうか……。最後に言い残す言葉はあるか?」

 

 幾多の魔物や魔法少女と対峙してきた俺には、目の前の魔女が酷く虚弱な事が肌で感じ取れた。

 恐らくは、完全な変身するまでもなく、腕だけの変化でも容易に撃破する事ができるだろう。

 だから、最後にこの優しい魔女に言葉を残す機会を与えた。

 これはきっと戦いにはならない。ただの一方的な殺戮になる。

 家の魔女は少し、考えたように黙った後、俺に言った。

 

『言い残す事……。お願いがあるって言ったら聞いてくれる?』

 

「何だ?」

 

『魔法少女だった時の事はほとんど覚えていないけど、それでも残った記憶は断片的に残ってる。私はこのあすなろ市を訪れて、そこでプレイアデス聖団の魔法少女たちによってソウルジェムを奪われた』

 

「つまり、望みは……プレイアデス聖団の魔法少女への報復か?」

 

 悪いがそれはできない、と答えようとしたが、彼女は首を真横に振った。

 

『ううん、違うよ。……ソウルジェムが取り上げられる寸前に私は聞いたの。「魔法少女はアンジェリカベアーズのレイトウコに入れる」って彼女たちは話してた事を』

 

 アンジェリカベアーズ……? レイトウコ……?

 どちらも初めて聞く名称だ。プレイアデス聖団のアジトか、どこかの事だろうか。

 思考を巡らせる俺を余所に家の魔女は話し続ける。

 

『きっと、私と同じような魔法少女がそこに入れられているんだと思う。ソウルジェムと一緒に。だから、あなたにはその子たちを助けてあげてほしいの』

 

「だが、お前はもう……」

 

 魔女なった魔法少女を元に戻す手立てはない。

 それは誰もが知る。不可逆の法則だ。

 

『……分かってる。魔女になった私には居場所はない。でも、その子たちはまだ、帰る場所が……日常が残っているはずだから』

 

「承った……必ず、その囚われた魔法少女たちは救い出そう」

 

『ありがとう。私の最期を看取ってくれるのが、あなたみたいな暖かな焚き火のような人でよかった。……ああ、そうだ。言い残したい言葉が一つだけあった』

 

 魔女に成り果て、帰る家を失った哀れな少女は最期に俺に言葉を一つ手渡した。

 

『——いってらっしゃい、タイカ』

 

 自分が消える最期まで、他者を思い、幸福を願った魔女は……。

 

「ああ、行って来る……」

 

 俺の右腕から生えた銃身の、魔力の弾丸によって、その命を散らした。

 『家』が消えていく。主をその『家』が、心無い居候の凶弾のせいで粉々に砕け散る。

 音もなく、地面に落ちたその黒い嘆きの種(グリーフシード)は、日常を切に願った少女の亡骸だった。

 それをそっと掴み上げて、懐に入れる。

 また一つ託されたものを胸に、俺は己の戦場へと足を向けた。

 




今回登場した魔女、『家の魔女』は猿山ポプラさんから頂いたものです。
喋る魔女というかなりのイレギュラーな存在として書いてみました。
一応、バトル展開も少し考えていたのですが、追加で頂いた情報を加味した結果、この魔女には戦いは似合わないと判断し、完全に会話劇をメインに据えてみました。

次回は最後の結界、『海豹の魔女』の手番です。
ようやく、魔法少女オンリーの戦いとなります。メインタイトルに居るの原作主人公はピーチ姫状態ですが……。


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第三十話 本物の絆

~カオル視点~

 

 

 暗い、どこまでも暗い、深くて暗い穴の底。

 穴の中は海鳥の使い魔がひしめき合って、飛んでいる。

 遥か頭上から注ぐ僅かな光を頼りに、私たちはこの魔女の結界の中を見渡した。

 真ん中にある大岩の上で寝そべっているのは結界の主人だと思われるこれまた巨大な海豹(アザラシ)

 その海豹の魔女の背に腰けるのは――。

 

「ウフフフ。どうしたの? カオルちゃんたち。そんなにのんびりしていて、いいの?」

 

 里美……。プレイアデス聖団の魔法少女。私たちの仲間で友達だった少女。

 彼女は気絶しているかずみを抱えて、私たちを見下している。

 それを見て、ギリッと歯が削れるほどに歯噛みした。

 裏切られたんだ、私たちは……! 信じていたのに……それを里美は!

 

「カオル……! もっと周囲を見ろ! 使い魔の攻撃が来るぞ!」

 

「ッ……!」

 

 サキの叱咤で我に返った私は、自分目掛けて落ちて来る岩石を間一髪でかわした。

 上を見上げると海鳥の使い魔がその足で岩石を掴み、次々と弾頭のように落下させてきている。

 私は軽くジャンプ!

 

「『カピターノ・ポテンザ』」

 

 そして、落ちて来る岩の砲弾を魔法で硬質化させた脚で蹴り上げ、魔女へと力の限りシュートした。

 砕けながらも飛ぶ岩石の破片は横たわる海豹の魔女へ激突する……直前で数羽の海鳥の使い魔のインターセプトに合う。

 その身を(てい)して魔女を庇う、使い魔たちに阻まれ、私のシュートは合えなく、ゴールを逃した。

 海豹の魔女に攻撃を決めるには、まずその前に上に居る大量の海鳥の使い魔をどうにかしなければいけないらしい。

 純正の魔女は最近はプレイアデス聖団の活動のおかげで、最近はめっきり減ったけれど、ここまで多くの使い魔を使役している魔女は初めて出会う。

 そうこうしている間も、頭上を飛び交う海鳥の使い魔たちは私たちへ岩石の砲弾を投げて寄こした。

 

「ぐッ……シット、しくじった」

 

「ニコ!?」

 

 まだ魔法少女に変身もしていなかったニコが、落下してくる岩石に当たり、額から血を流している。

 サキの方は既に変身して、乗馬鞭を伸ばして、飛び回る海鳥の何羽かを落としている様子だった。

 

「大丈夫なの、ニコ……? それよりも何でまだ変身してないの!?」

 

「ソーリー。里美の真意を知りたくてね。私まで変身したら、逆に警戒させて本心を話さないかと思ったんだけど……この様子じゃ、失策だったみたいだ」

 

「ニコ……。アンタも里美の事を信じて……くッ! 里美! アンタはこれを見てもまだ何も感じないの!?」

 

 里美を信頼して、魔法少女に変身しないでいたニコまで容赦なく、使い魔に攻撃させるなんて……。

 あいつは、本当に私たちを裏切ったんだ。

 怒りで腕が震えてくる。サキも同じ気持ちだと思って視線を向けるが、彼女は自分の近くに居る使い魔を淡々と処理している。

 

「サキ?」

 

「何をぼさっとしているんだ、カオル。周囲の使い魔を空中から落とせ。こいつらは密集していると厄介だが、一羽一羽には大した戦闘力はない」

 

 感情的なサキらしくないあまりにも冷徹な指揮。

 どうして、そこまで落ち着いて対応できるの……? 仲間が傷付いたら真っ先に心配していたアンタが、そんなに機械じみた対応を取るなんて……。

 

「カオル、私は大丈夫。それにサキを責めちゃいけないよ。あっちも私たちの分まで海鳥の使い魔を叩き落としているんだ。私の事はいいから手伝ってあげて」

 

 ニコはそう言って、垂れている血を手で拭って、私に強気な笑みを見せた。

 明らかに無理やり取り繕った笑顔だ。傷が痛むのか、それとも里美の裏切りが堪えているのかまでは判別できなかったけれど、それでも空元気だと分かった。

 

「ニコ……分かった。アンタは少し離れてて、私とサキで里美を取っちめてやるからさ」

 

「センキュー、カオル。この埋め合わせは後で」

 

 頭を押さえたまま、ニコは後退して行く。

 それを横目で見送りながら、先ほどの岩石を蹴り飛ばして、使い魔たちの戦力を少しずつ削っていった。

 里美はそれ以上何もして来ない。海豹の魔女も大岩の上で踏ん反り返っているだけで向かって来る気配もなかった。

 不気味なまでの沈黙。

 しかし、その沈黙は思いがけない方法で破られた。

 

「サキ……?」

 

 近くで私と同じく海鳥の使い魔を落としていたサキが、ニコの方へ向かって突然駆けた。

 既に辺りの使い魔は目に見えて減っており、魔女が呼び出す増援よりも私たちの攻撃で倒される量の方が上回っている。

 ニコを狙う使い魔を排除しに向かったようには見えない。

 あの目付きとあの体勢、まるで敵に攻撃でも仕掛けるような素振り……。

 いや、そんなのはあり得ない。私たちはプレイアデスの仲間なのだから。

 だけど、現実は嫌な想像を(ことごと)く叶えてみせた。

 

「サキッ、何を!?」

 

 驚愕するニコへ(しな)るサキの乗馬鞭が迫る。

 細い首に蛇の如く伸び、巻き付いた鞭は一片の躊躇なく、頚椎(けいつい)をへし折った。

 ゴリッと、くぐもった大きな骨が可動域を外れて、折れ曲がる音が鼓膜を叩く。

 首が異常な角度で曲がったニコが白目を剥いて、地面に倒れる。

 

「……アンタ、何で……何でニコを……!」

 

「よく見ろ、カオル。これは――『人形』だ」

 

 見下ろして断言する先の言葉に、私はうつ伏せに倒れたニコに目をやる。

 ポンッと間抜けな音を立て、ニコの姿は出来の悪い縫い包み人形へと変化した。

 

「……酷い事するね、サキ」

 

 ニコの声が上の方から聞こえた。

 魔女が居る大岩の上、里美の隣に彼女は皮肉気に口の端を吊り上げながら佇んでいた。

 

「ニコ! まさか、アンタまで里美に操られてるの!?」

 

「逆だ。ニコが里美を操っていたんだ」

 

 冷え込んだ口調のサキが私に言う。

 私に対して、明らかに馬鹿にしたような眼差しを向けているように思えた。

 

「里美が御崎邸に訪れた時から、ずっとニコは口元を押さえて、黙り込んでいた。最初はみらいの死体を見て気分が悪くなったのかとも思ったが……それにしては様子がおかしかった。そこで思い出したんだ、里美が魔法を初めて使った時に『まるで腹話術師にでもなったみたい』と言っていたのを」

 

 その話は私も覚えている。

 あれは里美が『ファンタズマ・ビスビーリオ』を初めて実戦で使った時の事だった。

 魔女からの攻撃を避けられなかったミチルの身体を、里美が間一髪で魔法で操ってかわさせた。

 どうにか魔女を倒した後、ふざけてミチルの口でお喋りを楽しんでいた。

 その時の里美はこう言っていた。

 『人の身体を操って喋らせると、ついつい自分の口まで動いちゃうの』、と。

 

「他にもいくつかあるぞ? 里美とカオルが話している時、お前は一言も口を挟まなかった。さっきの使い魔の攻撃もそうだ。奴らがお前に攻撃をしたのはたったの一度きり。それからは一切お前に攻撃していない」

 

 サキはずっと恐ろしいほど冷静にニコの行動を観察し、精確に分析していたのだ。

 私たちプレイアデス聖団を常に疑って見ていたとしか思えない観察眼。

 関心よりも、その冷徹さに背筋が凍った。

 

「あきらの言った通りだ。彼は『ニコちゃんに気を付けろ。様子がおかしい』と、そう言っていた。だから結界から出ても注意してお前を見ていたんだよ。……本当の裏切り者はお前だ。神那ニコ」

 

 人差し指を突き付け、ニコを告発するサキ。

 対するニコは否定する気は毛頭ない様子で、面白そうににやにやしながら手を叩いて茶化した。

 

「ははっ。凄いな、サキ。魔法少女なんか止めて、探偵にでも転職したらどうだ? でもね、それならちょっと後手に回り過ぎだよ。私の目的は八割がた達成されている!」

 

 そんなニコが裏切り者だなんて……。だったら、里美は? 里美は操られているだけだったの!?

 ……じゃあ、まさか。あの時、あきらが倒したニコは……あのニコは、まさか。そんな……違う。

 違うよ。だって、だって……もしもあれが本物のニコだったなら、裏切ったのは……裏切ってしまったのは……。

 私たちの方じゃないか。

 呆然と立ち竦む事しかできない私を、海豹の魔女の上に居るニコと里美が、全く同じ表情で笑っていた。

 

「「あはははっ! ようやく気が付いたか、カオル! そうさ、お前の想像の通り、お前らが殺したのは本物の『神那ニコ』だよ!! ざまあないね、仲間にまで見捨てられるなんて、哀れな女だ。それでプレイアデスの絆なんて(うそぶ)いてたお前たちも相当哀れだけどねぇ!」」

 

 二人の声色が同時に重なり、二重音声になって洞穴の結界内に反響する。

 魔女の上で上機嫌で笑うこの少女こそ、本当の意味で“魔女”だ。私たちはまんまとその魔女の罠に嵌ってしまったのだ。

 こみ上げてくる悔しさと滲んでくる絶望感で、目頭が熱くなる。

 だが、そこに彼女の言葉を黙って聞いていたサキが口を挟んだ。

 

「そうか。だが、こちらの準備は九割終わっていた。そして、残りの一割はたった今完了する。——『イル・フラース』」

 

 地面に、いや、地面に落ちているものへと彼女は電撃の魔法を走らせる。

 それは――私たちが地面に落下させた海鳥の使い魔たちの消えかけていく残骸!

 サキは乗馬鞭で使い魔を倒し切らずに、落下させるだけに留めていた。

 使い魔の残骸は一列に、海豹の魔女へと繋がるように転がっている……。

 ニコと彼女が操っている里美が驚愕の表情を浮かべ、叫んだ。

 

「「!? ……まさか、サキ! お前!!」」

 

 使い魔の残骸を電線にして、彼女の電撃の魔法が魔女の元へと凄まじい速さで流れていく。

 あれほど、サキが使い魔の駆除に熱中していたのは、これを最初から狙っていたんだ!

 プレイアデス聖団が誇る単体で高火力を持つ攻撃魔法の持ち主は二人だけ。一人はかずみの元になった『創設者』、和沙ミチル。

 そして、もう一人は……『プレイアデスの稲妻』、浅海サキ。

 

「「があああああああああああああ!!」」

 

 二重に響く彼女たちの悲鳴。それを澄ました顔で聞きながら、サキは静かに言う。

 

「……いい合唱(コーラス)だな、ニコ。お前こそ、魔法少女なんか止めて歌手にでも転職したらどうだ?」

 

 電撃を行使する魔法少女。強力だとは前から知っていたが、甘さを捨てた彼女はこんなにも強かったのか。

 だけど……。

 

「何やってるの!? やり過ぎだよ! あそこにはかずみも居るんだよ!? 里美だって操られているだけだって、サキ自身が……」

 

「安心しろ。かずみなら、あいつが勝手に守るはずだ。連れて来た割りに人質にする素振りがなかったからな。かずみ自身の身柄が奴には重要なんだろう、ほら」

 

 あくまでも落ち着いた態度でサキは顎で指し示す。

 その方向には、黒い衣装に身を包んだニコがケーブルのようなものを蛸のように四方八方へ伸ばしている姿が見えた。

 姿も魔法も、ニコとは似ても似つかない。ケーブルを地面に突き立てて、自分に流れた電流を逃がしているようだった。

 

「やっぱりあいつの方が偽物だったんだ……」

 

「そっちじゃない。近くに居る使い魔の方を見ろ」

 

 面倒そうに指摘するサキに思うところがあったが、彼女の言う通りに使い魔を探して視線を彷徨(さまよ)わせる。

 すると、海鳥の使い魔は岩石ではなく、小さな筒状のカプセルを持っていた。

 あれは魔法少女狩りに私たちが使っていた回収用のカプセル。そして、そこに入れられているのは……。

 

「かずみ!」

 

 相変わらず、意識はないのか、両目を閉じて人形のようにカプセルの中で眠っている。

 

「やってくれるね、浅海サキ……。お前がここまで頭が切れる奴だとは思わなかったぞ……。だがな、お前を騙してたのは私だけじゃない。あきらも同じようにお前を」

 

 偽のニコが何か言いかける前に、サキは高速で飛び出す。

 バチバチと静電気が弾ける音が脇を通った時に聞こえた。あれはきっと肉体に魔法で電気を流して、全身の筋肉を無理やり動かしているのだ。

 肉体の稼働率を百パーセント近くにまで引き上げたサキの拳が唸りを上げた。 

 

「ちっ、あきらの犬ッコロが! 飼いならされやがって! ご主人様の言う事以外聞かないって訳か!!」

 

 偽のニコは、サキの振り抜いた拳を十本ほどのケーブルを巻き付けて、彼女を投げ飛ばす。

 サキは洞穴の壁面に叩き付けられるが、すぐに立ち上がった。使い魔を落としていた時も魔力の消費を極力控えて戦っていたようで、余力は充分に残っている様子だ。

 一方、偽のニコは電流の受け流しで消耗しているのか、肩で荒く息をしている。

 

「勝負はお預けだ。また生きてたら、遊んでやる」

 

「待て! 逃げる気か!」

 

「お前らの相手はこいつで充分だ」

 

 懐から黒い小さなものを取り出して、海豹の魔女に突き刺した。

 一見ではグリーフシードかと思ったが、何かが違う。あれは何だ?

 その黒いものは魔女の身体に潜り込むと、徹頭徹尾寝転がっていた海豹の魔女は唐突に起き上がる。

 黒い斑点のある全身がボコボコと(うごめ)き、風船のように急激に膨らみ始めた。

 

「魔女にイーブルナッツは過剰だったか? それとも複数のイーブルナッツを保持できる存在は限られているのか……まあ、いい。かずみは手に入った」

 

「イーブルナッツ……? 一体何をしたの!?」

 

 私は聞きなれない単語を耳にして、偽のニコへ叫んで問うが、返答は戻って来ない。

 彼女はかずみの入ったカプセルを持つ海鳥の使い魔へケーブルを突き刺す。使い魔はそれに反応し、遥か上に開いた穴へ向かって羽ばたいた。

 空を飛んで結界から逃げるつもり……? そんなの絶対に許す訳がない。

 しかし、走り出して、止めようとする私を偽のニコはやんわり制止する。

 

「待ちなよ、カオル。仲間が大切だって台詞が口だけじゃないなら、里美の事もたまには思い出してあげな」

 

 ……里美!

 そうだ。サキが電撃を流した後から彼女の姿がどこにも見えない。

 そうこうしている間に偽のニコは海鳥の使い魔を使って、結界内から逃げ(おお)せてしまう。

 だけど、里美が見つからないまま、彼女を追うなんて私にはできない!

 

「サキ! アンタは……」

 

 サキに代わりに偽のニコを追ってもらおうと彼女へ声を掛ける。

 だが、もう彼女の姿も結界内にはなかった。

 

「くッ……。どいつもこいつも……! 里美! アンタ、どこに居るのよ!?」

 

「ここ、よ……ここに居るわ」

 

 諦めて、一人で里美を探すと、彼女は海豹の魔女の下敷きにされている姿を発見した。

 サキの電撃により、全身が黒く焦げて満身創痍なのが一目で分かるほど消耗している。魔女を操っていたせいで治癒する魔力の残りもないのだ。

 

「里美!」

 

 すぐに近寄って、彼女を引き抜こうとするが膨張している海豹の魔女はあまりも重く、容易には持ち上がらない。

 それどころか、ますます膨らんで重さを増していく。これも、あのイーブルナッツとかいうグリーフシードもどきの影響だって言うの……?

 

「カオルちゃん……お願い……助けて。私、まだ……死にたくないよぉ……」

 

「死なせないから安心して! ほら、アンタももっともがいて!」

 

 泣き言を言い出す里美に言葉を掛けて、力の限り彼女の身体を引きずり出そうと試みる。

 駄目だ。びくともしない……。

 海豹の魔女は攻撃こそしてこないが、それでも全身の斑点がどんどん大きくなり、白い部分が徐々になくなっていっている。

 ……まずい。これは多分はカウントダウンだ。この斑点が広がり、黒に染まった時……。

 ―—この魔女は膨大に膨れ上がった魔力を破裂させる。

 どうする!? 魔女を倒す? それは駄目。このまま、魔女を倒しても魔力の奔流は防げない!

 だったら、もう逃げるしか……。

 そう思い、里美を見る。

 私の内心が里美にも伝わってしまったのか、真っ青な面持ちで首を横に振るっている。

 

「いやぁぁ……見捨てないで。カオルちゃん……私を見捨てないでぇ……」

 

 逃げ出すって思ってるんだ。私が一人で、里美を置いて、ここを去ると、本気でそう思ってる……。

 無理ないか、こんな状況だもんね。

 

「里美、私はアンタを見捨てない。アンタを一度裏切っちゃったから、今度はもう二度と裏切ったりしない」

 

「え……?」

 

「私さ、アンタが本当に裏切り者だと思ったんだ。アンタの事、仲間なのに信じずに状況だけで判断したの。……最低でしょ?」

 

「カオルちゃん?」

 

「だからもう、私は里美を裏切らない! 絶対に! 例え死んでもね!」

 

 ふうっと息を吐き、全身に神経を集中させる。力が湧き上がらないその理由を知る。

 ああ、分かる。もう私のソウルジェムは限界なんだ……。

 海香が魔女になった時と同じように、ソウルジェムに濁りは見えないけど、浄化は全然できない。

 

「例え、魔女になったとしても、アタシがアンタを守ってみせる!」

 

「待って、カオルちゃん……まさか、それ……!」

 

 里美が何か叫んでる。でも、ごめん。もう聴覚もうまく働いてないんだ……。

 魔法少女の衣装が勝手に解除され、ソウルジェムが卵型の宝石に戻った。宝石の表面に罅が入り、薄いガラスの膜がプレパラートのように砕け散る。

 私の終わり。案外呆気ないものだった。

 それでもいい。私の最後の望みだけは手放さない!

 ——里美を守る。

 それだけあれば、私は魔女になったって、絶望したりしない。

 真っ黒いソウルジェムが砕け、内側から何かが飛び出す。それを詳しく見る前に私の視界も黒く染まった。

 




サキが強くないかと思われるかもしれませんが、普通に考えて雷なんて操る魔法少女が弱いはずがないのです。
本編では、仲間への情が彼女の弱点になってしまいましたが、あきら君が洗脳したおかげでフルスペックを振るえるようになったのです。

そして、書いていてやたらヒロイックになったカオル。流石は原作でも贔屓されていた主要魔法少女と言えましょう。
次回 カオル編ラスト



ちなみに『プレイアデス聖団の被害者名簿』とタイトルで、活動報告にてオリジナルの魔法少女の募集をひっそりと開始しました。


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第三十一話 卑怯者の慟哭

~里美視点~

 

 

 そんな……カオルちゃんが、私の目の前で魔女になっちゃった……。

 激しい魔力を纏いながら、黒く染まったソウルジェムが孵化していく。

 そこから現れたのは巨人。鈍くくすんだオレンジ色をベースにした、鋼と鉄で組み合わさった巨人のような魔女。

 名を付けるなら――『鋼鉄の魔女』。

 

『kjdfnfjlsjer;lfjjer;slnvlsrjegvilegrhvilsjeg!!』

 

 鋼鉄の魔女は、人間には発音も理解もできない咆哮を上げると、私を押し潰している海豹の魔女をひっくり返した。

 球体のように膨らんでいた海豹の魔女を、目を見張るような怪力で持ち上げ、転がす。回転する魔女は海鳥の使い魔を引き潰しながらも、なおも膨張を続けている。

 もう斑点ではなく、ほとんど黒一色になった皮膚。洞穴の中を圧迫するように膨らみ、転がるスペースも確保できなくなって動きを止めた。

 動けるようになった私は真っ先に近くに立つ、鋼鉄の魔女を警戒する。

 魔女になった魔法少女には自我も理性も残されていない。それは決して短くない魔法少女の戦いの中で嫌というほど味わった。

 きっと、私という獲物を海豹の魔女に取られたくなくて、助けたのだ。

 そう思ったのは当然の思考からだった。

 私は死ぬ……。鋼鉄の魔女に喰い殺されるか、海豹の魔女の爆発に巻き込まれるかの違いでしかない。

 ほんの数秒だけ、私は生き延びた。恐怖を感じる時間が僅かに増えただけ。

 だけど……。

 

「え……?」

 

 鋼鉄の魔女は、破裂寸前の海豹の魔女へと向かっていく。

 傍に私が居るのに、攻撃するどころか見向きもしない。そのまま、海豹の魔女に組み付くと、首だけを動かして私を一瞥するように振り向いた。

 

『ldjrgd!』

 

 言葉は当然分からない。

 でも、何を言いたいのか、その仕草で分かってしまう。

 ——逃げろ。

 鋼鉄の魔女は、ううん……魔女になったカオルちゃんはそう伝えたいのだ。

 

「何で、そんな事が……」

 

 違う。口にしたいのはこんな言葉じゃない。

 私は醜い。人の優しさを信じられなかった。自分の事ばかりで……プレイアデス聖団の皆だって、偽のニコちゃんに売ろうとした。

 そうまでして助かりたかったから……でも、カオルちゃんは、最後まで私を信じてくれた。

 裏切り者だって言うのは間違いじゃないのに。そんな私にカオルちゃんは。

 

「守ろうとしてくれるの……?」

 

 もうカオルちゃんはこちらを向いてくれない。

 それでも今にも破裂しそうな海豹の魔女を、全身で押さえ付けている。

 そんなの普通の魔女の行動じゃない。

 

「カオルちゃん……ご、ごめんなさい……」

 

 私は涙を流しながら、必死で走った。少しでも早く、この結界から脱出するために。

 この僅かな時間を、死んでなお作ってくれた仲間の命を無駄にしないために。

 

「私……私は……どうじで……どうじで」

 

 こんなにも卑怯者なの……?

 涙と鼻水が止まらない。自分の中身が外に垂れ流されているみたいだ。

 流れているのは“恥”。

 自分の事しか考えられず、他人を信用もできなかった卑怯者の私の“恥”。

 魔女の居る場所から離れた壁にソウルジェムに残っている僅かな魔力を使って、私は出口を作る。

 最後に振り返った時に見えたのは海豹の魔女の漏れ出す魔力を抑え込む鋼鉄の魔女の姿だった。

 誰よりもまっすぐで、率先して皆を庇って戦っていた『プレイアデスの盾』、牧カオルの姿がそれと重なる。

 

「……ッ」

 

 後ろ髪を引かれる思いを断ち切って、結界の外に出られた瞬間、背中の後ろでカッと光が爆ぜた。

 後ろを見れば、そこには二つのグリーフシードが落ちている。一つは海豹の魔女のもの……そうして、もう一つは……。

 

「カ゛オルち゛ゃん……」

 

 夜闇の下で、私はそのグリーフシードに縋りつき、嗚咽に震え、泣き喚いた。

 生き延びてしまった幸運と、彼女が残してくれた友情に涙を流す以外、応える方法が見つからなかった。

 

 

~サキ視点~

 

 

 やはりあきらの言葉に間違いはなかった。

 ニコが怪しいというその判断、観察眼。何一つ曇りはない。

 最初から、有無を言わさずにニコに攻撃したかったのが本音だが、カオルが愚かにも付き纏ってくるせいでタイミングを逃してしまった。

 まったく、私を除いたプレイアデス聖団の魔法少女は誰も彼も節穴だらけで困る。

 だが、無能なカオルにも目眩まし程度の効果があった事は幸いだった。危うく、ニコを取り逃してあいつらと同じ無能のレッテルを押されてしまう。

 ニコが偽物かどうかなど些細な事だ。私にはかずみとあきらが居ればいい。

 そう。三人居れば、そこがプレイアデス聖団だ。無能や裏切り者と肩を並べる集会などもう()()りだ。

 前方を飛ぶ、海鳥の使い魔を電撃の魔法を飛ばし撃ち落とす。

 それに掴まっていたニコもバランスを崩すものの、かずみのカプセルを持った状態でケーブルを近くの雑居ビルの壁面に取り付け、落下を防ぐ。

 蜘蛛のような女だ……。罠を張り、獲物を待ち構えるその姑息さも奴にぴったり当てはまる。

 

「こっちにはかずみも居るのに、容赦ないね」

 

「問題ないさ。カプセル一つ、鞭を伸ばせば充分拾える。私の武器は伸縮性がウリなんだ。知らなかったのか? 何でも知ってそうな顔で案外無知なんだな」

 

「これはまた随分煽りが上手くなったね。男ができると女はこうも変わるのか……でも、その男がお前を裏切っていると知ったら、どうする?」

 

「はッ……戯言か。動揺を拾わないと、私には勝てないと踏んだか。訂正する。……やはり賢いな。実力差はちゃんと理解しているようだ」

 

「……舐めるなよ。プレイアデスのクソガキが」

 

 その罵倒が口火となって、私とニコは自分の武器をぶつけ合う。

 奇妙な紐状のもの(ケーブル)と、私の乗馬鞭が互いに巻き付き、引っ張り合った。

 見た事のないタイプの武器だ。私の鞭と違い、ゴムのように伸縮する訳ではないが、ニコの意思で長さが伸びている。

 攻撃性能は見て取れないが、あれを使い魔に差し込んで操っていた事から、里美も同じようにしてコントロールしていたのだろうか?

 いや、あれはまるで里美の魔法そのものだった。ならば、こいつの固有魔法はコピーといったところか。

 私が持つ雷の魔法は、微調整が必要な精密さが問われる魔法。一朝一夕で真似たとしても、その練度では私には敵わない。

 

「『イル・フラース』」

 

 ケーブルと乗馬鞭の先を絡め合った状態で、私は電流を流し込む。

 私の鞭はゴムのように伸縮性があるが、ゴムではない。魔力で作られた私の電流をこの世で最も流しやすく最適化された武器だ。

 その伝導率は使い魔の残骸などとは比べものにはならない!

 

「くッ、この……馬鹿の一つ覚えみたいに電気を流しやがって……」

 

 ニコの奴は痺れて、動きが鈍っている。ここが好機だ。

 ソウルジェムを破壊し、完全に奴の息の根を止めてやる。

 電撃で麻痺している隙に接近して、私はニコの背中に付いたソウルジェムに手を伸ばす。

 この距離、この状況……私の勝ちだ!

 

「『トッコ・デル・マーレ』!」

 

 勝利を確信し、私はそれをもぎ取った。腕に流した電流により筋肉を脈動させ、増強した握力で握り潰した。

 しかし、次の瞬間。

 

「良い夢を見れたか? ……サキ」

 

 ソウルジェムを破壊したというに……ニコは侮蔑に満ちた視線を這わせ、口元を弛めていた。

 ……馬鹿なッ! それでは、今潰したのは――!?

 

「それはデコイラン(おとり)。お前を相手に弱点を見せておく訳ないだろう」

 

 やられた……!

 想像だにしないトラップに動揺して、私は愚かにも動きを止めてしまう。

 それが、奴の狙った瞬間だというのに、生理的な反応が思考よりも早く肉体に伝達した。

 ニコのケーブルの先に取り付けられた黒い小さなオブジェが、私のソウルジェムに届く……。

 

「終わりだ! お前は魔女になれ!!」

 

 脳裏に駆け巡ったのは、プレイアデスの皆でも、ミチルでもなく――あきらの笑顔だった。

 幻聴が消えて来る。彼の陽気で余裕に満ちた力強い軽口が。

 

『ザァンネェン!! そいつは無理な相談だぜ、ニコちゃーん!』

 

 灰色の刃が、ソウルジェムに黒いそれが触れる前にケーブルを断ち切っていた。

 この長剣……そして今聞こえた声の主は――。

 憎々し気にニコがその名を呼ぶ。

 

「ッ!? やってくれるな、あきらぁ!」

 

 私が最も信頼し、心を預ける騎士がそこには居た。

 勇猛で、知性に優れた彼は超然とニコのケーブルを一太刀で斬り伏せると、私に言う。

 

『ご苦労だったな、サキちゃん。後は任せてくれや』

 

 私の理想の騎士、一樹あきらは剣を構えて、労いの言葉を掛けてくれた。

 同時にグリーフシードを一つ投げて寄こす。

 

『ソウルジェムも一応、綺麗にしといて。綺麗に見えても、実は穢れが溜まっている(・・・・・・・・・・・)かもしれねーからな」

 

「あきら! ……分かった。ありがとう」

 

 その頼り甲斐のある背中を見て、私は感謝の言葉を話すので精一杯だった。

 颯爽と現れ、窮地を救い、その上万全なアフターケアまで施してくれる。

 一体、どこまで格好いい男性(ひと)なんだ……お前は。

 早速、彼の好意をありがたく受け取り、ソウルジェムにグリーフシードを押し当てた。

 すると、穢れの予兆も見えなかったソウルジェムの表面は剥がれ落ち、驚くほど濁ったジェムが顔を出す。

 あきらの言う通りだ。理由は分からないが、表面だけ加工されたように穢れが溜まっているのが目視できなかっただけで、実際には孵化しそうなくらい汚れていた。

 だが、彼からプレゼントしてもらったグリーフシードがその穢れを一瞬で吸い取っていく。

 それを確認して、あきらに報告すると彼は首を横にずらして頷いた。

 

『やっぱりな。それもあのニコちゃんが仕組んだ事だったんだ。土壇場で偶然(・・)気が付けて良かったぜ』

 

 あきらはそれだけ言うと、雑居ビルに張り付いたままのニコへと剣の先を突き付ける。

 

『さて、それじゃあ諸悪の根源を、正義の名の下に断ちますかねぇ』

 

 形勢は完全に逆転した。

 グリーフシードにより魔力を全回復した私。そして、無類の強さを誇るあきら。

 私たちが揃えば、怖いものなど何もない。

 全てを仕組んだニコを殺して、一連の事件に幕を閉じよう。

 乗馬鞭に電気を走らせ、私もまたあきらと同じように戦闘態勢を整えた。

 

 

 ********

 

 

「クッソ。里美たちはどこへ行ったんだ?」

 

 家の魔女を退け、攫われたかずみを探しに出た俺は彼女たちの行方を見失っていた。

 魔女の結界での時間がどのくらい時を過ごしたのかは分からない。だが、外の暗さにはあまり変化ない事を見ると小一時間程度と言ったところか。

 ともかく、一刻も早く、かずみを助け出さなければ。

 だが、実際問題、魔法少女のソウルジェムの反応など、俺には感知できない。

 どうしたものかと頭を悩ませていると、最近はめっきり感じなくなっていたイーブルナッツの反応を捉えた。

 酷く微弱で、気付き(にく)かったが、これは間違いなく活性状態に入ったイーブルナッツの魔力反応だ。

 俺はその反応を頼りに走り出す。

 ……近い。この様子だとそう遠くない距離に居る。

 家の魔女の結界内で過ごしていたせいなのかは判断できないが、妙に身体に魔力が(みなぎ)っている。

 九時間以上、熟睡した後の朝のようだ。常に圧し掛かっていた倦怠感が嘘のように消えている。

 軽い足取りで難なく、現場へ急行する事ができた。

 着いた場所ではカンナがサキ、そして灰色の騎士が剣を構えて、対峙している。

 微弱なイーブルナッツの魔力反応はその騎士から発せられているものだった。

 状況はお互いの表情や雰囲気から察するにカンナ側が劣勢、といったところか。

 どちらに加勢すべきなのか、それとも横から漁夫の利を攫うべきなのだろうか……?

 判断に苦しんでいると、カンナの持っている透明な筒状のものが目に入った。

 人形のような大きさに縮んでいるが、そこに封入されているのは紛れもなくかずみだ!

 あれは……本物のかずみだ。

 俺には分かる。本当に……。本当に、彼女の姿を見るのは久しぶりだ……。

 彼女の姿を確認した以上、俺のやるべき事は決まった。

 即座に変身し、奴らの横合いからかずみを奪い取る。

 それだけだ。

 

「……想変身」

 

 イーブルナッツの魔力を解放し、人間態から魔物態へと肉体を変貌させた。

 そして、銃身と化した両腕で然るべき時を見計らい奴らを一網打尽にする。そのはずだった。

 視界の先で長剣の刃が月明かりに照らされ、鈍く光った。

 凶刃はカンナへと振り下ろされようとしていた。

 どのような理由があろうとやってはならない事を積み重ねてきた魔法少女へ、明確な死が迫ろうとしている。

 ……見過ごせばいい。

 むしろ、好機と見るべきだ。彼女の魔法は攻撃性能こそ低いが、その特性は非常に応用が利く。

 ここであの騎士に殺されてくれれば、それこそかずみを奪う機会が巡って来るというもの。

 だが。

 だが、何故だろう……。

 俺の肉体は考える間もなく彼女を。

 

『無事か、カンナ……』

 

 ―—守るように刃へと弾丸を放っていた。

 灰色の騎士は魔力弾を撃ち落とすために、攻撃を一時中断し、防御に専念する。

 驚いた顔で俺を見つめるカンナの眼差しが向いた。

 

「お前、どうして……」

 

 どうして、だと?

 こちらが聞きたいくらいだ。

 俺は何故、カンナを助けた。一度は倒すと決意したこの少女を一体何故……。

 サキもまた同じように現れた闖入者(ちんにゅうしゃ)に目を見張っている。

 だが、そこで一人、否、一体、さして驚愕もせずにこちらを窺うものが居た。

 灰色の騎士。顔も兜のような部品で覆われ、表情は確認できない。

 しかし、俺はこいつを知っている。

 この邪悪な目の光を覚えている。

 そうか、お前だったのか……。

 

『お前……「ドラーゴ」、だな?』

 

『いいや、今は「アトラス」って名乗ってる。プレイアデス聖団を支える騎士(ナイト)だぜ?』

 

 白々しくもそう名乗ったその魔物の正体は……俺の宿敵。全ての元凶。邪悪の権化。

 一樹あきらに他ならなかった。

 




前回と今回で活躍した海豹の魔女は、黒ゴマアザラシさんより頂いた魔女でした。
爆発した後は臭気を放つ設定でしたが、それを嗅ぐ者は既に消滅する結果と相成りました。

カオル編は本人は退場してしまいましたが、もう一話だけ続きます!
まあ、次編からオリジナル魔法少女を登場させる予定なので、ある程度期間が延びる方が良いのかもしれません。


活動報告欄にて、『プレイアデス聖団の被害者名簿』に連ねるオリジナル魔法少女を募集しております。
恐らく、5月上旬頃には締め切る予定なので、応募したい方はお早めにお願い致します。



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第三十二話 暗黒の炎

『いやー。最悪のタイミングで来るとは恐れ入るぜ……蠍の魔女モドキ』

 

 灰色の騎士、「アトラス」を名乗ったあきらは長剣を肩に担いで、半笑いの声で言う。

 俺とて、決して望んで割って入った訳ではない。カンナが斬られそうになった光景を目の当たりにした時、身体が勝手に動いてしまっただけだ。

 だが、この騎士の正体が一樹あきらなのであれば、俺としては好都合。

 

『……あきら。お前、弱くなったな』

 

 感じる魔力の圧力が前に会った時に比べ、低下している。〈第一形態〉のドラーゴよりは上だが、〈第二形態〉に至った奴と比較すれば数段ほど格落ちしていた。

 姿も矮小になり、弱体化したのは隠しようのないまでに明白だ。

 イーブルナッツの探知ができなかったのも頷ける。活性化状態でこの程度なら、非活性化状態であれば完全に痕跡を消してしまえるだろう。

 あきらは俺の言葉を侮辱と受け取ったのか、僅かに苛立った声で返答した。

 

『ほお……。言うじゃねーの。だけど、ひ弱なアンタくらい叩き潰す力はあるぜェ~? 試してみるかい?』

 

 指先の関節を鳴らし、挑発の手招きをする。

 

『望むところだ。決着を付けよう』

 

 俺もまた、奴の因縁に終止符を打つ時を心待ちにしていた。

 是非もない。ここであきらの息の根を止め、あすなろ市の崩壊の運命を覆す。

 横目で観察していたカンナは、俺と奴のぶつかり合いを好機と見なして、その場から飛び去っていく。

 その手には当然のようにかずみが入った透明なカプセルが握られていた。

 

「あ! あきら、ニコが逃げて行くぞ! くッ、それなら私が……」

 

 歯噛みして、それを見過ごしてしまったサキは彼女を追って、飛び出そうとするが、意外にもそれを制したのはあきらだった。

 

『いいよいいよ、逃がしちまって。どうせ、ここで逃げても行き場なんてない。……それにここに来る前にちょっとした悪戯がどう作用するか気になるし』

 

「そ、そうか。あきらがそう言うのなら」

 

 あっさりとサキはあきらの指示に従って、跳ね飛ぼうとした足を止める。

 何だ、あの余裕は……。しかし、あきらの奴に言われるがまま従うなど、サキもかずみの身を案じていたのではなかったのか?

 分からない。分からないが、この男の撃破は何よりも最重要事項だ。

 こいつさえ殺せば、少なくともかつて見た地獄は起こり得ない。

 余計な事は後で考えればいいのだ。思考全て戦闘に注ぎ込め。ここが正念場だ!

 先手必勝とばかりに俺は、両腕の銃口から魔力弾の嵐を放つ。

 アトラスはそれに剣の腹で受けるのみ。防戦一方の有様だ。

 よし! このまま攻撃に転ずる機会を与えず、畳みかける!

 踵から生えた(とげ)をアンカーとして地面に突き刺す。コンクリートの大地に棘の先が沈み、その場で両足を固定した。

 尾節を持ち上げ、頭上から砲塔の狙いを定めると、両手の銃身と合わせ、最大出力で魔力を噴き上げる。

 二本の銃身と一本の砲身は三角形を形作り、その中心地点で絡み合った魔力が一つの線に纏って突き進んでいく。

 

『トリニティ・リベリオン……!!』

 

 俺が持ち得る最大最強の一撃を惜しみなく、二手目で投入した。

 三重の復讐を冠する、濃いピンク色の極太の光線は投擲された槍の如く、灰色の騎士・アトラスへと放たれる。

 ……終わりだ。あきら、これで本当に幕が降りる。

 膨大な魔力が剣で身体を隠す奴目掛けて降り注いだ。余波だけでコンクリートの道路が砕け、風圧で街灯が煽られる。

 アンカーをしているにも関わらずに、あまりの威力に後方へと身体が押し出され、硬い道路に擦過痕が刻まれた。

 弱体化した奴の装甲では、高出力の魔力の光線は到底防ぎようがない。

 双樹姉妹の超高温と超低温の混合魔法にすら競り勝ったこの必殺の技に死角は存在しない!

 

『消し飛べッ、あきらぁぁぁ!!』

 

 激しい情動がイーブルナッツを介して、凄まじいエネルギーに変換され、更なる威力を増大させる。

 ここに来て、俺は内包していた感情の全てを解放していた。

 怒り、嘆き、後悔、悲しみ……そして、純然たる殺意を加え、怨敵あきらへ向け、注ぎ込んだ。

 灰色の騎士の姿は濃いピンク色の光に塗り潰され、その影法師さえも映らない。

 奴と接触し、爆ぜた光が砕けたコンクリートの破片をも焼き尽くしていく。

 

「あ……あきらぁぁぁぁぁーー!?」

 

 サキの絶叫が遠巻きに聞こえる。膨張した魔力の渦が音さえも変質させた結果だろう。

 放たれた光はやがて収束し、霧散する。俺はアンカーを地面から外し、数歩だけ前に出た。

 朦々(もうもう)と湧き上がるのは、砂埃でも煙でもなく、粉々に砕かれて宙に舞ったコンクリートやアスファルトの粒だ。

 仰向けで倒れているものは、真っ黒く変色した人型の物体。

 イーブルナッツを排出後に焼け焦げたあきらの死体だ。

 

「あ、あ……あああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 狂ったように悲鳴を上げ、サキはそれに駆け寄ってしがみ付く。

 思わず、あきらを殺した達成感より、あきらを泣くほど大切に思っていた彼女への同情が勝ってしまう。

 あんな腐れ外道にも、死んで涙を流す人が居るのだ……。

 それを理解し、やるせない気持ちになる。

 

『サキ……奴はもう』

 

「そんな、あきらぁぁ……嘘だ! 違う、こんなのっ……現実じゃない! これは夢っ! そうだ、悪い夢なんだ!」

 

 支離滅裂に泣き叫ぶサキには、もう俺の姿は映っていなかった。

 仇討ちや復讐など考えられないまでに彼女はあきらの喪失に心を乱している。

 これが、俺の本当にやりたかった事なのか……。

 本当に願った結末だったのか……?

 固く決意したはずの想いは、一人の少女の慟哭により揺らいでいた。

 だが、感傷的な思考が続いたのもそこまでだった。

 

『……!』

 

 小さな囁き声が断続に聞こえている事に気付く。

 これは……この音は。

 

『ククククククククッ』

 

 笑い声だった。

 そしてこの反響するような声音は魔力による変化を伴った声帯から出るもの……。

 

「あき……ら……?」

 

 呆けた様な声でサキが目を向けるのは黒焦げになったあきらの死体。

 否、違う! 光源が少なく薄暗い夜の闇に紛れて視認し辛かったが、あれは焦げたものの黒ではない!

 あれは、あの黒色は……魔力により作られた()の色だ。

 奴の……ドラーゴの全身を覆っていた鱗の色。

 弾かれたように立ち上がった黒い鱗に覆われた人型は盛大に笑いながら、俺へと顔を向ける。

 

『あはははははははははっ! 蠍野郎。いや、感謝を込めて大火と呼んでやるよ。おかげで鬱陶しいベルトもこの有様だ』

 

 ベルト、だと? 

 奴の腰元に目をやると、そこには罅割れた横長の金属片がボロボロと剥がれ、落ちている。

 まさか、それが奴を弱体化せしめていた拘束具だったのか!?

 咄嗟(とっさ)に魔力弾を放とうと腕の銃身を構えた。

 しかし、激しい突風に煽られ、吹き飛ばされそうになった。

 次に目を向ければ、そこに奴の姿はない。同時に何者かの視線を感じ、空を見上げる。

 ……奴が居た。

 俺に圧倒的な実力差を見せ付けた四枚翼の黒竜。

 〈第二形態(セコンダ・フォルマ)〉のドラーゴが低空で翼を羽ばたかせていた。

 

『いーい気分だァ……。閉じ込まれた牢屋から脱獄した囚人の気持ちとでも言えばいいのかねェ。こいつは爽快で愉快だぜ!』

 

 爬虫類のような輪郭が恍惚の表情に弛んでいた。

 体長六メートルを優に超えるその巨体が、軽やかに宙返りを打つ。

 まずい。一刻も早く、奴に攻撃を……ダメージを与えなくては!

 そう思って、夜空を舞うドラーゴに向けて、魔力弾を撃ち鳴らした。

 撃った。撃ったはずだった……。

 だが、奴が居た空には影も形もない。星々が静かに瞬いているだけだった。

 

『な……』

 

『……焦んなよ? まだ夜は始まったばっかだぜ』

 

 黒い竜の顔が視界一杯に広がる。

 右腕が。俺の右腕が、目の前に浮かんでいた。視界がぐらりと揺れ、眩暈を感じて膝を突く。

 ぼとりと落ちたその腕と、右肩から感じる激痛から状況を理解する。

 斬り落とされた――!? どうやって……?

 その疑問は、すぐに氷解した。

 ドラーゴの額から生えたジグザグな刃状の角が黒い液体で汚れている。

 あれは、俺の魔物化した血液。

 奴の角で俺の腕を切断されたのだ。

 あまりにも速い、高速の移動。音も、気配も感じる間もなかった。

 されど、俺もまた腕一本失った程度で放心するほど惰弱ではない。

 残った左腕で起き上がり、尾節に付いた砲塔を奴の顔面を狙い撃つ。

 

『焦るんじゃねェって言ってんだろうが』

 

 発射された光弾は、ロウソクの火でも吹き消すように奴の一息で霧散した。

 

『……! そん、な……馬鹿な』

 

 圧倒的過ぎる。実力差が離れすぎていて戦いにすらならない……。

 舐めていた訳ではない。侮っていた事もない。

 だが、それでもここまで彼我の差が開いていたなんて、想像できるものか!

 

『ちょっと遊んでやろうと思ったによォ。もういいや。終われよ、アンタ』

 

 あからさまにやる気を失くしたドラーゴは炎を噴きかける。

 赤くない、黒い、闇夜よりのなおドス黒い炎。

 人間の世界では(おおよ)そ、見る機会のない地獄の業火のような黒い火焔は俺を一瞬で包み込む。

 

『ぐッ……あああッああああああああああああッ!』

 

 細胞の一つ一つを汚染するような邪悪な黒炎は瞬く間に、俺の身体を焼き尽していく。

 感じた事のない異様な魔力の炎。

 俺の魔力を削ぎ落とし、燃やしている。

 激痛に次ぐ激痛。外骨格が焼き切れ、人間態になった俺の肉を焦がしていた。

 そして、感じるのは嘲笑と侮蔑。

 黒い炎が(わら)っている。俺の弱さを。俺の脆さを。

 この火焔は奴の感情。奴の醜悪な内面の具現化なのだ。

 意識が重くなる。痛覚も感じない。

 唯一感じるのは俺を貶める悪意の哄笑のみ。

 また、俺は奴に負けるのか……。

 何も残せず、何も守れない。無力な俺の何と無様な事か。

 

『か、ず……み……』

 

 黒い色に覆われながら、俺はただ左腕を伸ばした。

 そこに微かな(ひかり)があると信じて。

 

 

~カンナ視点~

 

 

「はあ……はあ……」

 

 生き延びた。いや、生き延びさせてもらったのか。

 あの横からしゃしゃり出て来た蠍の魔物によって、私は九死に一生を得た。

 手に持ったカプセルを眺める。

 中にはかずみが縮小されて封入されていた。

 ともかく、目的のかずみは手に入れた。邪魔なプレイアデス聖団もほとんど壊滅状態。

 万全なのはサキくらいのもの。カオルと里美は魔女になったか、死んでいる頃だ。

 あやせとかいう魔法少女も魔女をイーブルナッツで孵化させた魔女をぶつけてやった。少なくとも多少なりとも手傷は追ったはずだろう。

 となれば、一番邪魔なのはあきらだ。

 あの蠍の魔物と相打ちになって、死んでくれればいいのだが……奴は侮れない。

 だが、今は体力と魔力の回復に務めなくてはならない。

 思ったよりも、魔法を使わされた。本来もっと上手くいく予定だったが、予想以上にサキが手強かったのが計算外だった。

 あきらの人心掌握も生半可なものではない。あれはほとんど狂信と言ってもいい。

 コネクトであきらの内心ばかり探っていたのが裏目に出た。

 私はふらつく足取りで私の家――『聖家』の自宅へと帰って来る。

 私の本当の家族ではない。あの女の家族が住む家。

 作られた人工物である私には家族と呼べる存在は居ない。居るのは自分を作った神那ニコの……本物の『聖カンナ』の肉親だけ。

 鍵を開けて入口のドアを開こうとして……違和感を捉えた。

 ドアの鍵が、既に開いていた。

 時刻は既に午後十時を回っている。両親はとっくに帰宅しているはずだ。

 幼い妹二人が外出する訳ないし、ダディとマミィがそれを許すなんてあり得ない。

 私の外出だって、バレないように工夫を重ね行っている事なのだ。

 胸騒ぎがした……。嫌な予感がする。

 ドアを開いて玄関に入る。真っ暗な闇だけが私を出迎えてくれた。

 かずみの入ったカプセルを持っていたリュックの中に差し込んで、慎重に足を進める。

 夜目が聞いて来たおかげで、暗闇の廊下の奥まで目を凝らせば見渡せた。

 少なくとも廊下には何者かが潜んでいる気配はない。

 息を殺し、一歩一歩忍び足をして、中に入っていき、突き当りにあるリビングのドアノブをゆっくりと捻って開けた。

 

「……うっ!」

 

 開いたドアの隙間から強烈な鉄錆臭が流れてくる。

 これは――血の臭いだ!

 中央にあるテーブルの傍にに大きいシルエットが二つ、小さいシルエットが二つ。

 静かに椅子に腰かけていた。

 だが、どこかおかしい。そのシルエットの形状に違和感が拭えない

 暗闇の中で数秒間、私はそれらを眺め、そして、その違和感の原因に気付いてしまう。

 気付いてしまったが最後、呼吸が止まるほどの動揺と恐怖が押し寄せた。

 

「ダディ……マミィ……」

 

 大きいシルエットの方……両親の方に震える声で呼び掛けた。

 小さいシルエットの方……年の離れた双子の妹の名前を呼ぶ。

 反応は皆無。誰も私の呼びかけに応答しない。

 嫌な気持ちを呑み込んで、私は壁にある電灯のスイッチをオンにした。

 

「………………あぁ……」

 

 座っていたのは想像通り、両親と妹たちだった。

 ただし、その全員とも――首から上が無くなっていた。

 斬り落とされたように見える断面図から流れた血は、既に黒く変色していた。

 テーブルに置かれた大皿にはそれぞれの生首が身体と対面するように置かれている。

 その表情のどれも恐怖に歪んだ顔で留まっていた。

 気が付けば、私はがっくりと膝を落とし、その場で胃袋の中のものを吐き出していた。

 

「ゥウェエェェェ……げほッ、げほッ」

 

 胃液しかなくなっても消えない吐き気に苛まれながらも、私は状況を判断するために周囲に目を配る。

 そして、それを発見した。

 壁に突き刺された包丁。これには血は一滴も付いていなかったが、代わりに文字を書いた紙を一枚壁に縫い留めていた。

 黒いマジックペンで書かれているものは日本語の文章と顔文字。

 

『素直に本名を明かすのは危険だぜ? 悪い人に住所を特定されちまうからな! ( ´艸`)』

 

 目の前が暗くなった気がした。

 あきらだ。これを行なったのはあきらだ……。

 私の名前からこの家の住所を探り当てて、私の家族を殺したのだ……。

 私の……? 何を馬鹿な事を……。

 『私』には家族なんて居ない。この四人がどうなろうと知った事ではない。

 それなのに。

 そのはずなのに。

 

「あ……ああッ……」

 

 何で私は泣いている?

 涙なんて流しているのだ……?

 意味が分からない。何も分からない。

 

「あああああああ! ああああああああああああああぁぁぁッ!」

 

 どうして身体が震えている。突かれたダンゴムシのように丸くなって、何で叫んでいるのだ。

 笑うべきだろう? ニコは自分の家族まで奪われたのだから、滑稽さに拍車が掛かる。

 ざまあみろと、そう笑っているはずなのに。

 私は……私は……。

 頭の中でニコの、本物の『聖カンナ』の言葉がリフレインする。

 

『聖カンナ……赤司大火はお前を必ず――救いに来る』

 

 思い出したくもない言葉が何故か、頭の中で何度も何度も繰り返される。

 救いに来る? この私を……? この『聖カンナ』を?

 ふざけるな。『私』には関係ない。『今、ここに居る私』にはそんな事は関係ない。

 そうだ。関係ないのだ……。

 だから。

 

「たす、けて……助けてよぉ……タイカぁ……」

 

 この口から漏れる泣き言も、私には関係のない事だ。

 震える自分の唇から零れ落ちる戯言を、背中を丸めて泣きながら他人事のように聞いていた。

 




これでカオル編は終わりです。
次回からはカンナ編になりますが、オリジナル魔法少女の締め切りが終わってから書き始めようと思うので、少し期間が空くと思います。


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カンナ編
第三十三話 失われた腕


 燃えている……。視界が黒い炎で埋め尽くされている……。

 聞こえるのは笑い声。俺を嘲笑し、身体を喰らっていく炎の顎が開閉をし続ける。

 焼けていく。何もかもが黒い炎に巻かれて、人も、街も、視界に映る全てが黒一色に塗り潰されていった。

 俺は叫んでいる。誰かの名前をずっと繰り返し、繰り返し叫んでいる。

 それなのに俺の声はサイレント映画の登場人物のように声は何も聞こえない。反響するのは邪悪な哄笑だけ。燃え上がる炎はいつしか俺も取り込んで、世界を漆黒の明かりで埋め尽くした。

 そこに俺はただ一人佇んでいる。誰も彼も炎の中に溶けていくのに俺だけは最後まで燃え残っていた。

 誰か……。誰か居ないのか? 返事をしてくれ。

 お願いだから俺を、一人にしないでくれ……!

 孤独と不安に包み込まれようとしたその時。

 左脚に誰かの手が触れた。誰かが俺の膝の下を掴むように触っている。

 ……かずみか!? そう思って下を向いたそこには――血に塗れたみらいの顔があった。

 皿のように開いた薄いピンク色の瞳で俺を見つめている。

 血走った眼球の奥で攻撃的な光だけが爛々(らんらん)と輝きを放っていた。

 音にならない声で叫ぶ。

 だが、みらいは臓物と血液を撒き散らしながら、俺の左脚を登って来る。

 恐怖でよろめきそうになるが、俺の脚は地面から生えた木々のように離れてくれない。

 上半身もまた微動だにせず、体幹も一切揺れない。俺の肉体が彫像になったかのように、まったく身動きができなかった。

 首を横に振る。嫌だ、止めてくれ……。

 しかし、薄ピンク色の巻き髪の少女は俺の身体を這い上がり、とうとう顔面へと手を伸ばす。

 真っ赤な血で濡れた手がべたりと頬に触れる。粘性の生暖かい鉄臭い液体が顔に付着した。

 恐怖と嫌悪感が最高潮に達する。

 

『——————————————————!』

 

 無音の絶叫が喉から(ほとばし)った。

 顔に触れた彼女の血が頬だけでなく、身体中に広がって、俺の肉体は赤く滑る彼女の血に汚されていく。

 

「——————……わああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

 

 俺はそこで自分の絶叫を目覚ましにして、意識を覚醒させた。

 目に映ったのは見知らぬ天井。丸いルームライトが煌々(こうこう)と部屋を照らしている。

 見ていたものが悪夢だと理解したのは、身体をじっとりと濡らす己の汗の冷たさのおかげだった。

 

「……ここは?」

 

「私の部屋よ。目が覚めたみたいね」

 

 ぽつりと漏らした疑問にすぐさま、答えが返って来るとは思わず、ぎょっとして声のした方向に視線を向けた。

 そこに居たのは薄紫のふわふわした髪の少女。

 

「里美……」

 

 プレイアデス聖団の魔法少女にして、蠅の魔物との戦闘後に俺を捕らえた四人の内の一人。

 その里美が俺が寝かされたベッドの横で椅子に腰かけている。

 彼女の名を呼ぶと、少しだけ驚いたように眉を動かした。

 

「名前をちゃんと憶えていてくれたなんてちょっと意外ね。そっちは赤司さん、で良かったかしら?」

 

「昔から人の名前を覚えるのだけは得意なものでな。そちらこそ、俺の自己紹介を覚えているとは思わなかったぞ?」

 

 親が飲食業を生業(なりわい)にしていると、自然と常連客の名前を覚えていく。

 そのおかげで英単語のスペルや歴史の年号はすぐに忘れても、出会った人間の顔と名前だけは忘れないよう習慣付けられていた。

 ……と言っても、これもまたオリジナルの赤司大火から受け継いだだけの記憶なのだが。

 それはそうとして、俺が里美の家で寝ていたという事は、つまり。

 

「俺を助けてくれたのはお前か。理由はよく分からないが、取り敢えず、感謝しておく。ありが…………ッ!?」

 

 上体を起こして礼を述べようとして、バランスを崩して左側によろめいた。

 平衡感覚がおかしい。まるで左側だけに荷重がかかっているような感覚に晒される。

 

「気を付けて。その右腕だと、まっすぐに起き上がるのは無理よ」

 

 彼女の発言に、俺は瞬間的に右腕を見る。しかし、それは叶わなかった。

 何故なら、俺に右腕は“付いていなかった”からだ。

 右肩の付け根から少し伸びた先には何もなかった。肘すら見当たらない。

 腕が生えていた断面には包帯が巻き付けられており、そこは黒く乾いた血で固まっている。

 

「俺の右腕がッ……!?」

 

 衝撃的な光景に、あの記憶が蘇ってくる。

 四枚翼になったドラーゴの刃の角で、右腕を切断された敗北の記憶。

 こちらの攻撃を児戯(じぎ)のように吹き消し、黒い火焔で全身を焼き尽くされた……。

 ……ん? 焼き尽くされた……?

 そう、全身を(くま)なく、焼かれたのだ。

 あの絶体絶命の状況下から、どうやって延命したというのか。

 俺が疑問に思っていると、それを察した里美は話してくれた。

 

「最初は、あなたの事を助けようとは思ってもいなかったわ。近くで爆音と眩しい光が起きたから、何が起きたのか確認するために見に行っただけだった」

 

 彼女の話によれば、現場は黒い炎が燃え盛る地獄のような様相を呈していたそうだ。

 黒い竜がサキを連れて、空へ飛び立った後、彼女は野次馬として訪れる人間や通報を受けてやって来た警察や消防関係者を巻き込まれないように魔法で操り、充分に遠避ける活動に勤しんでいた。

 炎の傍で消化する方法を模索していた時、黒い火焔の中から丸焼きになった俺を背負う魔力の牡牛が飛び出して来た。

 魔力の牡牛、コルノ・フォルテは黒い炎に焼かれながらも懸命に燃え続ける火焔を角で払い落としていた。

 奴もまた、燃え盛る炎にその身を焼かれながらも、意識のない俺から炎を落とし続けた。

 

「それを見てね……友達と重なったの。私の命を守ってくれた最高の友達と。そしたら、見捨てられなくなってた……」

 

 遠い目で床に視線を落とす里美。

 その瞳は、ここには居ない誰かを思い出の中から引き出して眺めているようだった。

 恐らく、その誰かはもう生きてはいないのだろう。寂しげな眼差しからはそう感じ取れた。

 野暮な事を聞くつもりはない。そしてその必要性もない。

 俺は過去に想い馳せる彼女に話を戻してもらうために相槌を打った。

 

「そうか……。俺はコルに助けられたのだな」

 

「コルって言うのね、あの牛さん。あの子はあなたを助けるためにその身体を自分で崩して、分解した魔力で炎を消していたわ……」

 

 そのコルを構成していた魔力で洗い流す事によって、俺の身体は燃え尽きずに済んだらしい。

 無意識の内に生存本能に従って、魔法を使ったというのが正しいのだろうが、俺にはあいりがコルを呼び出してくれたように思えた。

 

「その時にはもうあなたの右腕はなかった。……コルって牛さんは消えてなくなって、黒い炎も次第に魔力の粒子に変わった後、私はあなたをここへ連れて来たの」

 

 それがこの話の顛末。だが、一つだけ確認しなければいけない事がある。

 彼女からすれば俺は敵の魔女モドキ。コルの献身に胸打たれたとはいえ、このように手厚い看護をする理由には未だ足らない。

 

「俺を助けた理由は、本当にそれだけなのか?」

 

 里美へと問いを投げ掛けると彼女は、少し悩む素振りをした後に首を横に振るった。

 

「……いいえ。それだけじゃない。あなたはニコちゃんと……本物のニコちゃんと行動を共にしていた。だから、少なくとも偽物のニコちゃんと敵対している。……そう打算したの」

 

 偽物と本物。その発言から察せられるのは、カンナが偽物で自分たちが手に掛けたニコが本物だと知った事を意味していた。

 

「偽者のニコちゃんは魔法を使って、私を操っていたわ。その間、意識は表に出せなかったけれど、記憶には残ってる。自分が何をしてしまったのか」

 

「何を、したんだ?」

 

「イーブルナッツっていうものを使って、レイトウコから持ち出した四つのソウルジェムを無理やり孵化させて……魔女を作らせた」

 

「……ッ!? それは……」

 

 家の魔女の事を思い出す。

 あの時の里美はカンナに操られていたとして、孵化寸前のグリーフシードはどこから手に入れたのかと考えていたが……そこまで残酷な行為に走っていたとは思わなかった。

 それも四つ。家の魔女の元になった魔法少女だけでなく、他に三人もの魔法少女を魔女に変えていたという事になる。

 

「魔女は……どうなった?」

 

 里美は俯き、懺悔するように呟いた。

 

「もう魔女の結界ごと消えてた。全員倒されたのだと思うわ」

 

 魔女たちを哀れに思うべきなのか、それとも一般人に更なる被害を被らずに済む事を喜べばいいのか、俺にはもう分からなかった。

 分かったのはもはやカンナの行いは絶対に許す事のできない領域まで行ってしまったという事。

 そして、里美は今、俺と同じく彼女を敵と見据えている事だけだ。

 敵の敵は味方。その理屈で彼女は俺を助けた。

 カンナと戦うための戦力として。

 

「分かった。俺も、俺の知る限りの情報を全てお前に話そう」

 

 こうなれば、信じてもらえるかなど考えるだけ無駄だ。

 共通の敵が居る以上、彼女もまた俺の発言を戯言だと聞き流す事はないだろう。

 一樹あきらについて。カンナについて。そして、俺が居た未来についての話をした。

 そうして、俺の知る限りの事実を話し終えた後、俺は里美に問うた。

 

「……信じてくれるか? この話」

 

「信じたくはないけれど、それでも疑ってばかりの卑怯な私には戻りたくはないの。だから全部信じるわ」

 

「思ったよりは堪えていないみたいだが……平気なのか?」

 

 プレイアデス聖団に取り入っていたあきらの裏切りや、絶望しか待っていない未来についての話をしたというのに彼女は取り乱す様子は微塵もない。

 初対面でのイメージでは臆病な印象があったのだが、その印象は今や影を潜めていた。

 

「ショックを受けていない訳じゃないわ。でも、怯えるだけじゃ、前に進めない。私は私のできる事をしないと。じゃないとカオルちゃんが報われないわ」

 

 カオル……。その名は確か、プレイアデス聖団の一人の魔法少女の名前……。

 里美が想い馳せていたのは彼女だったのか。

 

「その、聞きづらい事なのだが、まさか」

 

「……プレイアデス聖団は私以外を残して全滅したわ。正確にはサキちゃんとかずみちゃんが残っているけれど……もうかつてのような形にはならないでしょう」

 

 サキはあきらと共に飛び去った。彼女は自分と一度敵対した竜の魔物だと理解してなお、奴の軍門に下ったと見ていいだろう。

 そして、かずみもまた、カンナに攫われ、どこかに連れて行かれた。

 残りは詳しくは聞かないが、全滅という言葉から既に死んだのだろう。

 あきらとカンナが同盟を決別したとはいえ、里美一人では手に負えないのは明白だった。俺を引き入れたのも頷けるほど、彼女には戦力が枯渇している。

 それを踏まえて、俺は彼女へと再度尋ねた。

 

「これからどうするつもりだ?」

 

「プレイアデス聖団の魔法少女として戦うわ。これ以上、そのカンナっていう魔法少女の好きにはさせない。あきら君にもね」

 

 毅然とした態度で言い放つ里美。しかし、現状ではあまりにも夢物語と宣言だ。

 彼女がどれほど強い魔法少女なのかは知らないが、それでも『コネクト』の魔法を使うカンナに適う実力があるとは到底思えない。

 更に虐殺と絶望を何よりも楽しむあきらがその戦いに参入して来ない訳がない。恐ろしいまでに計算高いあいつの本性は悪戯好きの子供そのもの。

 身も蓋もなく表現すれば、脈絡のない破壊行為を楽しむ思考回路をしている。魔法少女たちの争いを真横から面白半分で打ち砕く事は想像に(かた)くない。

 

「あまりにも戦力に差があり過ぎる。自殺行為だぞ?」

 

「だからって何もしなければ、状況はもっと悪くなるわ。それに、建前だったけれど、私たちプレイアデス聖団には『このあすなろ市を守る』って名目があるの……ここで一人だけ逃げる訳にはいかない」

 

 誇りと覚悟に満ちた瞳で彼女は俺に宣言する。

 

「例え、あなたが戦う事を諦めても、私は一人でだってこの街を守るわ!」

 

 侮りがあった。

 プレイアデス聖団に対し、俺は所詮、身勝手で傲慢な魔法少女の集団という印象があった。

 魔女になったあいりの友達を容赦なく殺し、あきらの思うようにコントロールされ、ニコの真偽も分からないような愚かで幼稚な奴らだと、本気で思っていた。

 だが、今の里美は違う。

 他者のためにその命を懸け、正義を全うする意志を持った人間。

 その誇り高さを胸に秘めている。

 謝罪しよう。彼女は間違いなく、『正義の魔法少女』だ。

 

「悪かった。試すような事を言ってしまった。俺もそれに協力しよう。だが、最後にもう一つだけお前に告げなくてはならない事実がある」

 

「何かしら?」

 

「みらいを殺したのは俺なんだ」

 

「…………」

 

「里美。お前にはそれでも俺の手を借りる事ができるのか?」

 

 プレイアデス聖団の一人、みらい。

 襲われたとはいえ、最終的には殺意を以って、彼女を殺した。

 罪人という観点から言えば、俺は紛れもなく殺人者だ。

 仲間を殺した俺の手を取れるほど、彼女は非常になれるのか分からない。

 黙って協力をするという方法もあったが、その行いはあまりにも不義理過ぎた。

 

「——それでもあなたの手を取るわ」

 

 だが、俺の予想を裏切り、彼女ははっきりと回答した。

 

「私もあなたの事を責められるほど綺麗な道は歩んで来てないの。懺悔も要らない。欲しいのは私と戦う覚悟と力だけ」

 

「そうか……それほどまでに腹は決まっているという事か」

 

「ええ。そのためにあなたを拾ったのだから」

 

 揺るぎない彼女の台詞に俺の方が圧倒されてしまった。

 腹が決まっていなかったのはこちらの方だ。情けない話だが、あきらに完敗し、みらいが夢に出て来た事で心が弱っていたようだ。

 

「ならば、こちらこそ、手を貸してもらおう。プレイアデス聖団の里美」

 

 対等な協力者として、俺は彼女へ残っている左手を差し出す。

 

「ありがとう。お互いにまだ(わだかま)りを抱えていると思うけれど、今は力を合わせましょう」

 

 彼女もまた俺の手を取って、強く握り締めた。

 力を籠めれば容易く折れてしまいそうなほど細く、柔らかい手。

 だが、その手には俺と同等の想いを背負っているのが否応なしに感じられた。

 ならば、まず協力者として、彼女に提案を述べよう。

 

「戦力が足りないという話はしたな?」

 

「ええ、私たち以外にも当てがあればいいのだけど……そう上手い話は」

 

「ある。というか、お前が知っているはずだ」

 

「え? 私が知っている……?」

 

 思い当たるものはない様子で(いぶか)しむ彼女に俺は一つ頷いてから、提案兼要求を口にした。

 

「アンジェリカベアーズのレイトウコという場所に居る魔法少女たちを解放してくれ」

 

「! それは」

 

 自分の口を押えて、里美は戸惑う。

 プレイアデス聖団の行いまで俺が詳しく知っているとは思わなかったのだろう。

 あるいは、後ろめたさから記憶の底に留めていたのか。どちらにせよ、彼女はその場所を知っている反応だ。

 

「口の利ける魔女から聞いた。お前たちが狩った魔法少女たちをどこに連れて行ったのかを」

 

 場所までは明確には分からない。分かったところで、その場所は隠されているはずだ。

 だからこそ、協力者の提案として里美にそこまで案内させる。

 

「教えてくれ、里美。お前だって、この状況で戦力を欲しているはずだ」

 

 駄目押しで最後にそう付け足すと、里美は目を瞑って数秒間黙りこくった後。

 

「……ええ。そうね、もう方法をなりふり構っている段階はとっくに終わってる。戦力にならなくても持ち出されたソウルジェムの数を確認すればカンナがまた魔女を生み出そうとしているのか調べられるし……それに何より、あれは最後のプレイアデスのメンバーである私が背負わなければいけないものだもの」

 

 力強く答えてみせた。

 里美と本人としても、自分たちが行って来た魔法少女狩りと向き合う事にした様子だ。

 俺は彼女の理知的な発言と罪の意識を耳にして、完全に彼女を信頼する事に決めた。

 日常に戻してやりたい囚われの魔法少女たち。

 彼女たちの事は最初から戦力になるとは考えていない。だが、少なくとも解放して逃がす事ができれば、魔女として利用される事はないはずだ。

 片腕が消えて、重心のずれてしまった身体でベットから抜け出し、二本の脚で床に立つ。

 己の右腕は失ってしまったが、その代わりに里美という頼りになる右腕ができた。

 包帯に巻かれた上半身を左手で叩き、俺もまた覚悟を決める。

 

「さあ、連れて行ってくれ! 里美」

 

「あ、その前に服着てくれないかしら……? 今、あなた、包帯しか巻かれていないわよ」

 

 やる気満々の俺の隣で、里美は両目を手で隠すポーズを取った。

 

「ぬあッ!」

 

 その発言で俺はようやく、自分がとんでもない格好をしていた事に気付く。

 包帯ぐるぐる巻きで俺は何を格好付けていたのか……。というか、これを治療したのが里美なら全身真っ裸の状態の俺を見たという事では!?

 

「う、ううう……これでは変態ではないか……」

 

 人としての尊厳を失い、羞恥に悶える俺を指の間からちらちらと興味深そうに眺めている里美。

 前言撤回。こいつは駄目だ。色んな意味でアウトな子だ!

 死ぬほどの恥ずかしさを感じながら、俺は里美の部屋で膝と片手を突いて、懐いた信頼を取り下げた。 

 




少し時間を空けようと思いましたが、書き始めたら思いの外書けたので投稿しました。
今回からカンナ編に突入します。

次回よりオリジナル魔法少女を登場させる予定ですのね。
次こそ期間が空きます、多分。


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第三十四話 解凍される乙女たち

「ここがアンジェリカベアーズか……」

 

 アンジェリカベアーズと呼ばれる場所はテディベア博物館だった。

 大量のテディベアがケースに入れられて展示されている。そのどれもが異なるデフォルメ調の顔で作られており、一つ一つに相当の労力を割かれて製作された事が伺えた。

 だが、それを見てもあまりいいイメージが湧かないのは、どう足掻いてもみらいの魔法を思い出すからだろう。

 

「ここはみらいちゃんの願い事で作られた博物館なの。だから、近くの住民は元からあったように感じているけれど、ある日突然生えて来たようなものね」

 

「キュゥべえの願い事。こういう建築物だとそういう扱いになるのか……怖いな」

 

 案内していた里美の補足に、ホラー映画に登場する館を連想して、じんわりとした恐怖を感じた。

 役所が取り潰そうとした時にはどうなるのか気になるところだが、俺たちは呑気にテディベアを鑑賞しに来た訳ではない。

 

「それで『レイトウコ』という場所は?」

 

「焦らないで、赤司さん。レイトウコはこの建物の地下よ。あの床から行けるわ」

 

 里美が指差した床には、得体の知れない複雑怪奇な魔法陣が刻まれていた。

 ますますホラー映画に出て来そうな小道具だ。魔法少女という響きには似合わないほど仰々しく、何というか異質だ。

 彼女は自分のソウルジェムを卵型の宝石に変えてから俺を連れて、その魔法陣の上に乗る。

 すると、エレベーターのように魔法陣が刻まれた床だけが降下して、テディベアを展示されている場所から、広い通路のような場所に辿り着いた。

 

「ここが地下か」

 

「そう。そして、レイトウコはあの扉の向こう」

 

 通路の突き当りには大小の歯車と魔法陣が付いた両開きの扉が見える。

 あの先に魔法少女たちが捕まっているのか。彼女たちがどのように拘束されているのかまでは、まだ里美には聞いていない。

 それは自分の目でまず確認すればいい事だからだ。

 (はや)る気持ちを抑え、俺は里美の隣を歩いた。

 彼女がソウルジェムを扉に(かざ)すと、自動で両開きに開かれた。

 名称しか知り得なかった『レイトウコ』の実態がとうとう目の前で明かされる。

 

「こ、これは……」

 

「中身がどうなってるかまでは知らなかったみたいね。これが私たちプレイアデス聖団の闇……『レイトウコ』よ」

 

 自嘲するように語る里美の言葉に、俺は返事も忘れて愕然とカカシのように立ち竦んでいた。

 そこを一言で表すなら、少女たちの展示会場だった。

 総勢三十人を超える全裸に剥かれた少女たちが、液体の入った透明のカプセルに閉じ込められて、浮かんでいた。

 俺がニコの家で入れられていたものと同じ形状のカプセル。あれはここで使うカプセルの予備だったのだろう。

 だが、あの時の俺とは違い、彼女たちは一様に死んだように目を瞑っている。

 

「彼女たちは……!」

 

「死んではいないわ。……ソウルジェムを切り離され、意識を肉体のリンクから外されている現状を『生きている』と言えるかは人によると思うけれど」

 

 非人道的だとは思っていたが、ここまで残酷なものだとは想定してきていなかった。

 何だ、これは……。これでは、まるで……。

 

「人形のような扱い、だと思ってるでしょう?」

 

 内心をピタリと言い当てられ、ギョッとして里美を見た。

 彼女は棒立ちになっている俺を置いて、レイトウコへ入ると中央にある噴水へと手を入れ、何かを掴み取る。

 噴水の中から取り出してみせたのは、ソウルジェム。目を凝らして見れば、水の中には色とりどりのソウルジェムたちが弱々しく輝いていた。

 

「私が人形を嫌いだった理由は彼女たちを思い出させるからだったのかもね……」

 

 独りごちるように呟いた里美は、俺にも近くに来るように手招きをする。

 

「赤司さんも手伝ってくれる?」

 

「何をだ……?」

 

「この大量のソウルジェムを持ち主に返すの。そうすれば、皆目を覚ますはずよ」

 

 そう言った彼女の表情は、どこか晴れやかに映った。

 俺にはその内面までは推し量る事はできないが、この行為で彼女の心がほんの少しでも救われてくれるなら、それでいいと思えた。

 首肯を返して、俺は尋ねる。

 

「だが、どうやって手伝えばいい? これだけの数だ。どのソウルジェムがどの少女のものか判別が付くのか?」

 

「それに関しては問題ないわ。……海香が残してくれたリストがあるの」

 

「リスト?」

 

 里美はレイトウコの最奥まで進むと小さな机の引き出しを開ける。

 そこからクリップで留められている分厚い紙束を取り出した。

 

「これよ。『魔法少女保存リスト』。ここに居る魔法少女とソウルジェムの組み合わせ。それとあの子が一人で調べていた魔法少女たちの名前なんか載っているわ。……海香はきっと最終的にはここに居る魔法少女を家に帰すつもりだったのかもしれないわね」

 

 寂しげに里美は紙束へ目を落とす。

 今は亡き、共に向けるのは哀愁か後悔か……。だが、俺から言える事は一つだけだ。

 

「里美。お前が、その意志を継いでやればいい。それはもう、お前にしかできない事だ」

 

「そんな格好いいものじゃないわ……。でも、優しいのね。赤司さんは」

 

 僅かに微笑み、やがてその表情を引き締めた。

 彼女はリストとソウルジェムを見比べて、持ち主である魔法少女のカプセルの前に置いていく。

 里美の指示に従い、俺もまた同じく噴水の中からソウルジェムを回収する。

 正直に言えば、あられもない格好になっている魔法少女たちをまじまじと見ずに済んで、少しだけホッとしていた。

 嫁入り前の少女の裸体をじろじろ見るような下衆な行いなど(もっ)ての(ほか)だ。

 それぞれのカプセルの前にソウルジェムを設置し、その数を確かめていると俺は気付いてしまう。

 

「里美、やはりソウルジェムの数が……」

 

「ええ。……五個足りないわ」

 

 全部のソウルジェムをカプセルの前に置いても、少女の数と合わなかった。

 その数は五人。俺たちがどう足掻いても救う事のできない魔法少女の人数だった。

 しかし、俺はふと先ほど交わした会話を思い出す。

 

「里美が強制孵化させたグリーフシードは四つだと言っていたな? であれば、カンナは最後の一つのソウルジェムをまだ隠し持っている可能性がある?」

 

 イーブルナッツで強制的に孵化させられていないのならば、あと一人だけは助けられるかもしれない。

 一縷(いちる)の望みに(すが)って、里美に聞いてみるが、彼女は残念そうに首を振るだけだった。

 

「私がカンナに操られていた時に、あきら君と連絡を取っていたから知ってる。既に実験としてレイトウコ内のソウルジェムを強制的に孵化させたって。だから、その一つはもう……」

 

「一番最初に魔女にさせられた、という事か……クソッ!」

 

 という事はこの残った五人の魔法少女の魂は永久に戻る事はないのだ。

 魔女にされ、カンナやあきらの計画によって、その命を散らした哀れな少女たちは二度と目を覚ます事はない……。

 俺はリストを里美から渡してもらい、彼女たちの名前を探した。

 家の魔女になったあの魔法少女の名前を知りたかったからだ。

 カプセルの上に付いている番号とリストの番号を照らし合わせていった。

 五人の内、三名は何故かすぐに違うと判断できた。

 該当する可能性があるのは二名。一人は、「鞠井(まりい)真理恵(まりえ)」。

 黒ずんだ朱色の髪を不揃いに切った、そばかすと隈の目立つ少女。

 もう一人は、「(あさひ)優衣(ゆい)」。白みがかったピンクのロール状のポニーテールを持った少女。

 これは勘だが、恐らくは後者だろう。

 真理恵の方は手首に躊躇い傷のような痕が残っている。

 魔法少女の治癒力なら、この程度数分で完治するというのにわざわざ残しているという事は、これが彼女にとって必要なものだと認識しているからだ。

 少なくてもあの『家の魔女』は自傷を好むような性質(たち)には見えなかった。

 だから、『家の魔女』は――。

 

「お前か……? 優衣」

 

 彼女は何も言わない。魂の抜けた抜け殻の肉体はプカプカとカプセルの中で浮かぶのみだった。

 海香が調べたらしい情報には、彼女はあすなろ市の出身ではないと明記されていた。

 つまり、彼女の遺体さえ家に帰してやる事はできないのだ。

 自分の無力さに嘆くのは、これが幾度目になるのだろうか。俺はその度に立ち止まり、誰かに助けられてきた。

 優衣だけではない。この五人の魂なき魔法少女は帰る場所すらもうどこにもないのだ。

 

「くッ……俺はまた、何もできやしない!」

 

 苛立ってカプセルを叩くが、頑丈なカプセルはその中身の液体をほんの僅かに揺らすだけだった。

 後ろから、(いた)わるような里美の声が掛かる。

 

「……赤司さん。あなたは充分過ぎるほど頑張っているわ。自分を責めないで……悪いのは私たちなんだから」

 

「そういう訳にもいかない……。これは俺が背負わなければならないものだ」

 

「そう……だったら、もう何も言わないわ。でも、今はそれよりも……」

 

「ああ。帰る場所のある少女を優先する。嘆くのはその後でいい」

 

 俺は優衣の入ったカプセルから離れ、ソウルジェムが残っている魔法少女のカプセルを解放する作業に戻った。

 だが、俺にできるのはソウルジェムの回収だけだ。これから先は里美の作業を見守ることしかできない。

 彼女は中央にある噴水の頂上に立つと、魔法少女の衣装に変身する。そして、猫の顔が付いたステッキを高らかに掲げてみせた。

 

「『スコンジェラーレ』!」

 

 高らかに放たれたその言葉に反応し、ソウルジェムを設置したカプセルの外殻が消滅し、内側に溜まっていた液体が一気に流れ出す。

 そして。

 

「げほッげほッ……ここは?」「あ、あれ、わたし、何でこんなところに……」「一体何が起きたって言うんだ!?」

 

 三十三のカプセルから解放……否、解凍された魔法少女が意識を取り戻した。

 全員裸体を晒しているため、俺はそっと床に視線を落として、彼女たちの尊厳を守る。

 噴水から飛び降りた里美は、目覚めた三十三人の彼女たち全員に言葉を掛ける。

 

「おはよう、魔法少女の皆さん。そして、本当にごめんなさい……。私は宇佐木里美。あなたたちからソウルジェムを取り上げ、この場所に閉じ込めたプレイアデス聖団の一人よ」

 

 彼女は全ての責任を取るつもりで、彼女たちに語るつもりなのだ。

 プレイアデス聖団が行ってきた悪行。そして、魔法少女の真実を。

 

「お前が、プレイアデスの魔法少女……我々を閉じ込めていた最悪の魔法少女集団の一人か」

 

 敵意を隠そうともせずに、背の高い紺色の髪の少女が里美を睨んでいる。

 彼女のリストの中の番号は二十一番……名前は確か。

 

「ええ。その通りよ、皐月ルイさん」

 

 そう皐月ルイだ。リスト内の情報によれば、彼女は先に捕まった友人の魔法少女を助けるためにアンジェリカベアーズに忍び込んだ魔法少女。

 狩られた魔法少女の中で唯一、独自でレイトウコの存在を突き止めた猛者だと記載してあった。

 

「ル、ルイちゃん! ど、どうしてここに、それにプ、プレイアデス聖団って……わ、わたしに攻撃してきた、こ、怖い人たち……!?」

 

 そのルイを見て、目元が隠れるほど長い桜色の前髪を揺らして、一人の少女が駆け寄った。

 

「ひより! 無事だったか。済まなかった……助けに来たつもりで、私まで捕まってしまった」

 

「そ、そんな事ないよ。わ、わたしなんかのために、こ、こんな場所まで来てくれてたなんて……」

 

 二人は裸体のまま、お互いに寄り添うように強くその身を抱き締め合う。

 小春ひより。彼女はリスト番号、十二番。比較的に早期にプレイアデス聖団に狩られた魔法少女だ。

 ルイが死に物狂いでレイトウコを探し当てたのは友人である彼女を助け出すためだったそうだ。この内容を海香はどのような感情で記入していたのだろう。

 自分がどれだけ非道な行為をしているか分かっている人間が書く文章だ。とても平常では居られなかったはずだ。

 

「あー……あんたらが感動の再会しているとこ悪いんだけどさ。先に色々聞いとく事あるんじゃない? ねぇ、里美さんよ」

 

 完全に話の流れが断ち切られてしまった後、軌道修正を促すべく、短い橙色のポニーテールの少女が困ったように突っ込んだ。

 三十三名の内、彼女だけは比較的に怨嗟(えんさ)の眼差しを向けていなかった。

 理性的というよりも、無頓着というイメージがする。

 リスト番号は六番。名前は三鳥(みどり)(まい)。相当初期に閉じ込められたはずの彼女はプレイアデス聖団が何をしていたかもよく知らないまま、腕試しとして挑戦し、破れたと書かれている。

 里美は彼女に名前を呼ばれ、頷いて話し出した。

 

「ええ。三鳥舞さん。話さなければならない事はたくさんあるけれど、あなたは何から聞きたいのかしら?」

 

「ああ、これだけは聞いておかないとならない事が一つあんだよ。……そこに突っ立ってる男誰だよ!? 無言でさっきから紙束ペラペラ捲りやがって! 気になってしょうがねえんだよ!」

 

 すっと俺の方を向いた舞は人差し指を突き付けて、大声で叫んだ。

 今まで黙って里美へ敵意を向けていた他の魔法少女たちも俺の存在を改めて認めて、更に自分たちが裸だという現状を理解した後……悲鳴を上げて魔法少女に変身する。

 あ、しまった。それはそうなるよな……。むしろ、今まで無反応だったのが、おかしいくらいだ。

 

「いや、俺は……その……」

 

 とりあえず、弁明しようとするが魔法少女たちは聞く耳を持ってくれそうにない。

 

「私だけならいざ知らず、ひよりのあられもない姿を舐め回すように眺めた汚らしい変態が……。ひより、下がっていろ。私がすぐに片を付ける」

 

「そ、そんな、駄目だよ。ルイちゃん。わ、わたしも一緒に戦うよ!」

 

 紺色の忍装束のような格好になったルイとフード付きの学生服のような姿になったひよりが俺と戦う気満々で各々クナイやらサバイバルナイフやら物騒な武器を作り出す。

 まずいぞ……! このままでは美しい少女同士の友情の前に、俺は片付けられてしまう!

 

「ま、待て。話を聞いてくれ!」

 

 リストを掴んでいる左手を前に出して、俺は彼女たちを懸命に制止する。

 こちらとしても救い出しに来た彼女たちに殺されるなど勘弁だ!

 すると、袴のような衣装に包まれた舞が、肩に長い槍を掛けて尋ねてきた。

 

「じゃあ、あんた。あたしらの裸見てねぇんだな?」

 

 落ち着いているように見えて、目が据わっている。

 これはかなり怒りを抑えている人間の瞳……。分かりやすい嘘を吐けば、火に油を注ぐだけだ。

 仕方なしに俺は正直に答える。

 

「いや、その……見ないようには、していたんだが……その、ちょくちょく視界には映り込んでいた……と思う」

 

「よっしゃ、有罪(ギルティ)! って訳で死ねぇぇ!」

 

「ぎゃあああああああああああ!」

 

 投げられるルイのクナイ。

 襲い来るひよりのサバイバルナイフ。

 そして、突き出される舞の長い槍。

 更には他三十名の魔法少女の武器が俺目掛けて飛び交う。

 片腕で、しかも変身もしていない俺にはひたすらに逃げ回る事しかできなかった。

 一分後、里美からのフォローもあって、ようやく許された俺は身も心も疲れ果てていた。息を切らし、レイトウコの床に転がる俺を見て、溜飲が下がった彼女たちは武器を収めてくれた。

 何度も死ぬような目に合ってきたが、こんな情けない理由で殺されかけたのは初めてだった。

 

「何で、俺がこんな目に……」

 

「乙女の裸は高く付くから、かしらね」

 

「まあ、それなら仕方ない……のか?」

 

 里美の理解できるような、できないような発言に相槌を打って、零れた液体で濡れた床の冷たさに身体を預けた。

 ……こういう下らないピンチというのも、たまにはいいのかもしれない。

 そんな事を考えて、俺は改めて解凍された魔法少女たちを見る。

 お互いに話をする者、生きている事に喜びを見出す者、周囲を見渡して改めて驚く者。

 そこに居るには確かに「今を生きる少女たち」の姿だった。

 




何だかんだで、結構早めに投稿してしまいました。
今回登場したオリジナル魔法少女は、
navahoさんから頂いた皐月ルイ、
huntfieldさんから頂いた鞠井 真理恵、小春ひより、
マブルスさんから頂いた三鳥 舞、
猿山ポプラさんから頂いた旭 優衣、
の五名でした。
生存している魔法少女で無名なのは後、三十名居るので応募したい人は私の活動報告欄にて、注意事項を守った上でコメントしてください。


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第三十五話 みらいなき少女 前編

「さてと。皆さんも落ち着いてもらったところで、あなたたちに伝えなくていけない事があるの」

 

 レイトウコから解凍された魔法少女たちが居る中心に歩み出た里美は、柏手を叩いて注目を集めた。

 互いにお喋りをして、和やかな雰囲気は一転して酷く険悪なものに様変わりする。

 当然と言えば当然だ。何せ、里美は彼女たちからすれば、自分たちを拉致監禁した憎っくき敵。敵意こそあれ、会話などしたくもない事だろう。

 すぐにでも武器や魔法が里美に飛び掛かって来かねない一触即発の緊張感が張り詰める。

 俺は彼女を庇うためにそちらに寄ろうとするが、左腕を背後から掴まれ、立ち止まった。

 振り向くと俺の腕を掴んでいるのは、紺色の髪の忍装束(しのびしょうぞく)の魔法少女、ルイだった。

 

「何をするんだ、ルイ。手を離せ。このままでは里美が……」

 

「恩人よ、黙って見て置いてもらおう」

 

「恩人? 俺の事か?」

 

 ルイの呼び方に疑問を覚えて、聞き返すと彼女は静かに首肯した。

 

「ああ。我らプレイアデスに敗れた魔法少女の解放を願い出たのはお前だと先ほど里美が言っていた。故に恩人で相違ないだろう」

 

 確かについさっきまで魔法少女たちに追い回されていた時に、里美がそう弁護していたような気がする。

 間違いではないが、面と向かって恩人と言われるとどうもしっくり来ない。

 しかし、今はそんな事を気にしている場合ではない。

 

「いいから離してくれ! 里美が危険なんだ!」

 

 手を振り払おうとするも、彼女は強く俺の腕を握って離してくれる様子はなかった。

 

「待てと言っているだろう。恩人が庇えばそれこそ更に反感を買う事になるのが分からないのか? ……見てみろ、皆の顔を」

 

 握力を一切弛めないルイに促され、俺は周囲の魔法少女たちの表情を窺う。

 彼女たちの顔から垣間見えるものは深い怒り。いや、それだけじゃない。その瞳や表情から滲む感情は……不安だ。

 プレイアデス聖団に対する悪感情以外は、この状況に不安や恐怖を懐いている。

 

「この状況で恩人がプレイアデスの魔法少女の味方をすれば、彼女たちの感情は爆発し、それこそ暴動が起こりかねない」

 

「うっ、それならは俺は」

 

「黙って(けん)に徹するべきだ」

 

 ルイの意見は冷静でいて、第三者の観点から俯瞰したような分析に基づいていた。

 独自にレイトウコの存在を嗅ぎ付け、アンジェリカベアーズにまで潜入したのは、彼女の魔法の力ではなく、こういった思考力や洞察力の賜物だったのだろう。

 

「そ、そうですよぉ……。あ、あなたまで里美さんの味方をし、しちゃったら、き、きっと皆誰を頼ったらいいのか、分からなくなりますぅ……」

 

 彼女の後ろにくっ付いていたひよりもそれに追随して、桜色の長い前髪を振り乱して何度も頷く。

 当事者でもある二人にそこまで言われ、俺は大人しく引き下がり、里美への庇いだてを諦めた。

 その時、緊迫した空気の中でそれを打ち破るように一歩前に出たのは一人の魔法少女だった。

 袴姿に橙色の短いポニーテールを揺らした魔法少女、舞だった。

 彼女は真っすぐに切り揃えられた前髪の下で、里美を睨みながら歩み寄っていく。

 

「あたしもさ、色々聞かせてもらわないといけないとは思ってるんだ。でもさ、その前に落とし前ってヤツを付けさせてくれねぇかな……?」

 

「落とし前? 何をすればいいの?」

 

「決まってんだろ? ――殴らせろよ。そのくらいされても仕方ねぇって事した自覚あるだろ?」

 

 籠手の付いた腕を握り締め、もう片方の自分の手に叩き付け、舞は里美へ鋭い目付きを向けた。

 里美はそれを見て、僅かに怯んだ様子で唇を噛んだ後、一拍置いて返答する。

 

「……ええ。その権利はあなたにはあると思うわ。好きなようにしてくれて構わない……。でも、それが終わった後、話を聞いてもらえるかしら?」

 

 彼女の覚悟が分かりやすい暴力を前にしても、なお折れる事はなかった。

 舞はそれに大仰に頷いて、周囲の魔法少女に喧伝する。

 

「おい。皆、聞いたか? このプレイアデスの里美さんは、話を聞く代わりに好きなだけ殴らせてくれるってさ。ここはあたしが一番槍を頂くけど、あんたらもあたしの後で恨み辛みを受けてもらいなよ」

 

 何だそれは……? それでは公開処刑と同じではないか!

 やはり手出ししないのは無理だ。暴動など知った事か。この人数に殴られれば、如何に魔法少女と言えども撲殺されてしまう。

 俺はルイの手を力尽くで振り払って、前に進もうとした。

 しかし、その行動は途中で合った里美の目を見て、中断される。

 彼女の瞳は俺に「来るな」と無言で命じていた。

 正気の沙汰とは思えない判断。だが、俺はその彼女の決意に満ちた眼差しに射竦められて、動きを停止してしまっていた。

 

「それじゃあ、行くぞ。まずは一発……!」

 

 振り抜かれた舞の右拳が里美の顔面を捉える。

 ぐわんと後ろへ反り返った顔から、真っ赤な鼻血が深紅の花弁のように宙へ舞った。

 

「うっぶッ……」

 

 完全に芯を捉えたその拳は素人の俺からでも分かる、武道経験のある者の動きだ。あれほど鋭い一撃を正面から受ければ、視界は真っ白になるだろう。

 

「里美……!」

 

 思わず、声を掛けてしまうが、彼女はこちらには目もくれずに前に立つ舞へと見つめている。

 

「ほう……。わりと本気で殴ったんだが、まだ立ってられるのか。じゃあ、次。二発目……!」

 

 舞の左拳が今度は里美の鳩尾(みぞおち)へと食い込む。

 くの字型に曲がった里美の身体が打撃に耐え切れず、崩れ落ちた。

 

「お、おぐッ、うぇぇぇぇぇぇッ! げほッがはッ」

 

 ボタボタと吐瀉(としゃ)物を床に撒き散らし、むせ返っている。

 打撃だけの衝撃によるものではない。鼻血と胃液の逆流で呼吸が上手くできないのだ。咳き込む彼女は苦悶の表情を浮かべていた。

 これはいくら何でもやり過ぎだ。どれほどプレイアデス聖団が外道行為に走っていたとしても、無抵抗な相手を一方的に殴り倒すなど言語道断。到底容認する事は不可能だ。

 

「おい、舞! これは……」

 

「赤司さんは黙っていて!」

 

「……ッ!」

 

 抗議しようとした俺の発言を押し留めたのはルイでも舞ではなく、里美本人だった。

 震える脚で彼女は立ち上がると、衣装の袖で口元に付いた汚れを拭い取る。

 

「これは……私たち魔法少女だけの問題なの。そうでしょ? 三鳥舞さん」

 

「……思ったよりも根性があるんだな、里美さん。この辺で泣きを入れると思ってたんだが」

 

「涙はね、もっと大切な時に流すものって学んだの。それにプレイアデス聖団の罪も全部背負うって決めたから……。あなたが懐くその怒りを全て私一人に向けてちょうだい。居なくなった他の仲間の分も私が引き受けるわ!」

 

 里美……。

 お前の覚悟は充分理解した。その覚悟に到る背景に仲間の死が関係している事も。

 だが。

 だが! これ以上は我慢ならない!

 俺の怒りも頂点に達していた。里美へ更なる暴力を振るう気なら、俺がこの手で相手をしてやる。

 左腕を振り上げて、里美の傍に駆け寄ろうとした。

 しかし、それより素早く、舞の三発目の拳が里美の顔へと迫る。

 里美はその拳に目を瞑る事もなく、視線を逸らす事もせずに真正面から受け止めた。

 

「…………え?」

 

 舞の拳は彼女の顔面の手前でピタリと止まっていた。

 誰かが止めた訳ではない。舞が自分の意思でその振り抜いた拳を停止させたのだ。

 寸止め。テレビで見た空手選手がやるような、相手に当てないギリギリの場所で拳を止める動作だ。

 舞はニヒルな笑みを浮かべ、止めた拳を下す。そして、肩をポンと気安く叩いた。

 

「あんたの覚悟、しっかりと見せてもらったよ。あたしは充分気が済んだ」

 

「舞、さん……」

 

「さて、皆はどうだ? まだこの人殴りたい奴は居るか? ここまで腹括って、ここまで男気を見せた里美さんをボコボコにしたいって奴は。居るんなら出て来いよ」

 

 周りの魔法少女たちを見回して、尋ねる。だが、その呼び掛けに乗る者は誰一人として現れない。

 それを確認した舞は里美の肩に手を回して、このレイトウコに居る全員に声を掛けた。

 

「じゃあ、これでお終いって事でいいよな? 恨みも憎しみも全部流すって事でいいんだよな? 異論がある奴は出て来いよ。あたしが聞いてやる」

 

 魔法少女たちは互いに目配せをして、それから異口同音の返事を彼女へ渡した。

 もう全員が分かっていた。これ以上里美を責める事ができるのはこの場には居ないと。

 いつ弾けてもおかしくなかった険悪な雰囲気は綺麗に押し流され、跡形もなく霧散していた。

 背後でルイが言う。

 

「だから、黙って見ていればいいと言ったんだ」

 

「ルイ、お前……まさか、全部こうなる事を分かっていたのか? いや、ひょっとしてお前が仕組んだのか?」

 

 俺の問いにルイは事も無さげにこくりと頷いた。

 

「先ほど三鳥舞とは少し話した。彼女はそれほどプレイアデス聖団を恨んでいるようには見えなかったから、一役買ってもらった訳だ。大体、本気で怒りを向けている魔法少女がわざわざ『拳』で殴りかかると思うか?」

 

 言われてみればその通りだ。

 俺は武器を持った彼女たちに襲われていたのだ。堪え切れない怒りを持った魔法少女なら使い慣れた武器で攻撃させろと言うだろう。

 

「そ、それに舞さん。い、痛そうな場所だけを狙って、そ、ソウルジェムは狙わないようにしてました。あ、あと、目とか顎とか心臓とか本当に危ないとこは避けてました……」

 

「確かに……鼻なんか派手に痛くて血が出るが、案外ダメージとしては致命傷にはならない場所だ。というか、ひより詳しいな」

 

 ひよりの補足に俺は納得する。

 胃袋の中を吐き出させたのも演出重視という事だったのか。ルイの計算高さと舞の格闘技術あっての作戦だが、俺もすっかり騙されていた。

 魔法少女の中でもこれに気付けた者は恐らく居ないだろう。仮に居たとしても、里美の覚悟自体は本物なのだ。文句を言う者も出て来ないはず。

 

「えへへ……わ、わたし、中学校で虐められてたので、み、見た目よりも重篤な障害が残る、ぼ、暴力とか、結構詳しいんですぅ……」

 

「それは正直、聞きたくない情報だった……」

 

 ひよりには、魔法少女の事とは関係なく虐げられていた過去があるらしい。

 この話は掘り下げると、非常に宜しくない気がするのでそっと心の奥にしまい込んだ。

 だが、これで状況は整った。

 里美に対しての悪感情も晴れた今、魔法少女たちは彼女の話す内容に耳を傾ける事だろう。

 後はその内容にどのような反応を示すかだが、それも里美なら上手く調整できる。

 

「それじゃあ、皆。私の話を聞いてくれるかしら?」

 

 今の一件で信用を勝ち得た里美の発言に異論を挟む者は居ない。

 彼女もそれを確認した後、静かに語り出す。プレイアデス聖団が何故魔法少女を狩って、この場所に閉じ込めていたのか。

 そして、魔法少女が辿る過酷な運命についての内容を……。

 全ての内容を語り終えるまで、三十三名の魔法少女たちは一切話を遮らなかった。

 

「……これが私の知る真実。信じたくない事だとは思うけれど、それでも本当の事なの」

 

 レイトウコの中がざわめく。無理もない。彼女が語る真実は魔法少女にとっては滅びへの一本道に違いないのだから。

 あれだけの覚悟を見せ付けた里美が、プレイアデス聖団の活動を正当化して語っている訳がないと思わせたのも大きい。

 

「それでもグリーフシードによる浄化をこなせば、魔女にならずには済むわ。だから、決して絶望しては……」

 

『おかしいな。まだ彼女たちに話していない事があるんじゃないのかい? 里美』

 

 里美の口頭を遮り、全員の脳内に聞き慣れた反響する声がする。

 ……この中性的な声は。

 レイトウコの入口からするりと入って来たのは白い外道の小動物。

 魔法少女たちの中の誰かがその名を口にした。

 

「キュゥべえ……」

 

『やあ、囚われの魔法少女の皆。久しぶりだね』

 

 何をしにやって来たというのだ。この生き物は……。

 胸騒ぎがした。即座にこの生き物を殺してやりたいところだが、それをしても無駄だという事は分かっている。

 目的がある内は、キュゥべえは絶対に引き下がらない。こいつの本性を知らない魔法少女に要らぬ不信感を持たれるのも悪手だ。

 非常に嫌だが、出方を見る他にない。

 

「話していない事……?」

 

(とぼ)けるつもりなのかい? この街には魔法少女を即座に魔女に(かえ)す事のできる道具を持った魔法少女が居る事を』

 

「……! それは……」

 

 言葉に詰まる里美。その隙を逃さずにキュゥべえは言葉を重ねた。

 

『このレイトウコにも居るだろう。一番後ろのカプセル内の五人の魔法少女。あの子たちのソウルジェムは既にその道具であるイーブルナッツで魔女にされてしまったね』

 

 クソッ、痛いところを突かれた。

 そこに関してはどう言い(つくろ)おうとも、誤魔化せない。

 何故なら、そこに証拠である少女たちの身体があるのだから。

 

『更に言うなら、イーブルナッツで魔女モドキに変身する存在まで居る。それを教えてあげないなんて酷いよ、里美』

 

「それは……いきなり全てを聞かせるには重すぎると」

 

『それはおかしいよ。君はその魔法少女や魔女モドキと戦うための仲間を募るために、レイトウコから解放したんだよね? 頼りのプレイアデス聖団は壊滅しているから、それに代わる戦力補強を行うために』

 

 キュゥべえは畳み掛けるように、里美へと話していなかった事実を暴露する。

 場の流れが変わっていくのが肌で感じられた。

 奴の言葉に言いくるめられ、言葉を失っている里美。そして、その危機感を煽るような話に魔法少女たちの不安は否応なしに膨れ上がる。

 

「駄目だ! 聞くな、皆! こいつの目的は魔法少女を魔女に変えて、感情エネルギーを集める事なんだ!」

 

 俺がそう叫ぶが、キュゥべえは否定するどころか、平然と肯定した。

 

『その通りだよ、赤司大火。ボクはずっとこの時を待っていたんだ。レイトウコの封印が解かれるのをね。魔女にならずに眠らせておくなんて勿体ないよ』

 

 駄目だ。こいつにとっては魔法少女を騙していた事は露わにされたところで何の問題もないのだ。

 隠すつもりは一切なく、むしろ堂々と自分から話すような内容でしかない。

 

『でも、ボクは嘘は言っていないよ。この街に魔法少女の安全なんかどこにもない。君たちは救い出されたんじゃなく、戦うための力として呼び戻されたに過ぎないんだ』

 

「こ、この外道がぁ……」

 

 奴の魔法少女の心を傷付ける真実で、魔女へと変えようとしていた。

 怒りに任せて、キュゥべえを踏みつけに行くが、見た目に似合わず俊敏な動きでそれを回避してみせる。

 だが、そんな事に気を取られている内に、レイトウコ内で絶叫が迸った。

 

「いやあああああああああああぁぁぁぁぁぁぁ! 私たちは助かったんじゃなかったの!? 魔女になる運命だって嫌なのに……そんなの、そんなの、耐えられないよぉぉ!」

 

 背後を見れば魔法少女たちの内の一人が救いようのない真実を聞き、狂乱状態に陥っていた。

 キュゥべえなど後回しにして、その少女の元へ走り出す。彼女の肩を掴んで、必死に声を掛けた。

 

「ッ……! 駄目だ、落ち着け! 絶望なんてするな! ソウルジェムを濁らせばキュゥべえの思う壺だ!」

 

 しかし、俺の言葉は少女には届いていない。

 喘ぐように叫びながら、自分のソウルジェムを黒く濁らせるだけだ。

 そうだ。グリーフシードを使えば、魔女化は防げる!

 ズボンのポケットからグリーフシードを取り出そうとするが、右ポケットに入っているために左腕では上手く探れず、手間取ってしまう。

 ようやく取り出し、彼女のソウルジェムへと近付けようとした時。

 彼女のソウルジェムは砕け散り、その形を俺の握るグリーフシードと同じ形状に変化させていた。

 レイトウコ内の空間が歪み、広大で異質な場所へと変換されいく。

 ……間に合わなかったか。

 次の瞬間、俺の居る場所は地下の一室ではなく、足元に金銀財宝がひしめく広い洞窟の中に居た。

 周囲には等間隔で(まば)らに立つ魔法少女たち。だが、その全員の様子が妙だった。

 顔を俯かせ、脱力した前傾の体勢で立ち止まっている。

 

『魔女化する魔法少女を見せる事で連鎖的な魔女化を期待していたんだけど、流石はプレイアデス聖団の生き残りだ。とっさに全員の意識を魔法で支配するなんて』

 

 洞窟の上に放置されている宝箱の上にキュゥべえがそう独り言を呟いた。

 まさか、これは里美の魔法か。

 そう思い、彼女の姿を探すと、間隔を置いて立つ魔法少女たちの中心に猫の顔の付いたステッキを掲げている。

 里美の顔は汗で濡れ、荒い息を吐いている。

 彼女の魔法がどのようなものかは初めて知ったが、三十人以上の魔法少女を一気に支配する魔法がどれだけの負担になるかは想像に難くない。

 早く、この結界から脱出しなければ、彼女まで魔女になりかねない。

 俺は魔女を目視で探すが、この結界の中には金の延べ棒や宝石、装飾の付いた刀剣や槍のような儀礼的な武器などが転がっているだけ、魔女の姿は見当たらなかった。

 しばらく、見渡していると、バサバサと大きな音が上から響いてきた。

 

「上か……!」

 

 見上げると天井も見えない闇の中から、大量の財宝が雨水の如く降って来る。

 そして、その財宝を追うように、大きな何かが舞い降りて来る。

 財宝の上にその巨体を現したのはカラス……。

 王冠を頭に被せた巨大なカラスが、洞窟の主だと言うように翼を広げ、激しく(いなな)いた。

 

『lsflsrleisjgi;esrifji;eikrfi;hfnruoajdfkcnnvjabg!!』

 

 これがこの結界の魔女。そして、俺が救えなかった魔法少女の成れの果て。

 左拳を握り締め、口惜しさを胸に魔物へと変身する。

 

「想変身……!」

 

 遠距離からの『トリニティ・リベリオン』ですぐに片を付ける。

 そう考えて、変身した俺の姿は――白い外骨格に覆われていた。

 

『……なッ!? これは、どういう事だ……?』

 

 〈復讐者の形態(リベンジャーフォーム)〉ではない。これは俺の本来の魔物態だ……。

 いや、それどこか俺の中にあったあいりの魔法の力が一切感じ取れない。

 これは右腕を失ったせいなのか!? 確かにあの右腕にはあいりからもらった“夢色のお守り”が含まれていた。もしあれが魔力の源だとしたら、俺の中のあいりの魔法の力は、ない……。

 戸惑う俺の前で魔女を守るように財宝の中から幾つもの人影が現れる。

 出て来たのは、輪郭の曖昧な山賊のような使い魔たち。それらは床に広がる装飾過多の剣や槍を掴むと、俺へ目掛けて襲い掛かって来た。

 

『……クソッ。それでもやるしかない』

 

 背後には守らなければならない少女たちが居る。

 あいりの魔法がなくとも、右腕がなくとも、それでも俺のやるべき行動に変更はない。

 ――俺はそのためにここに存在しているのだから。

 




今回はオリジナル魔法少女のキャラ付け回にしてみました。
もし応募して下さった方々が喜んでくださったなら幸いです。

そして、今回登場したのも読者応募の魔女、強欲の魔女です。
こちらは猿山ポプラさんより頂きました。

大火は右腕を失った事で、弱体化してしまいました。
里美は魔法少女たちを魔女化させないように、意識を奪う事で精一杯。

最悪の状況、どう切り抜けるのか!?
次回『みらいなき少女 後編』に続きます。

どうでもいいですが、このキュゥべえ。見滝原市ではとある少年にやり込められ、逃げ回っています。
大火ぐらいじゃないと強気に出られないのが切ないところです。


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第三十六話 みらいなき少女 中編

 煌びやかな宝石の埋まった剣が振るわれ、純金で鋳造された槍が突き出される。

 盗賊の使い魔たちによる激しい猛攻に押されて、俺は回避に専念する事しかできなかった。

 知らなかった……。右腕がないと人体はまっすぐに立つ事もままならないのだという事を。

 体幹が定まらなければ、拳や蹴りを打ち込むのも難しい。

 隻腕での格闘打撃にはある程度の訓練が必要だ。魔女どころか使い魔すらこんな苦戦を()いられるとは、想定外だ。

 

『はぁ……はぁ……』

 

 落ち着け、俺。武器を携えているとはいえ、所詮は使い魔の攻撃。一撃一撃の威力は低い。

 一体ずつ確実に倒し、魔女へと向かえばどうという事はない。

 剣を持った使い魔の刃を尾節で払い退け、左腕の鋏角で頭部を挟み込む。

 攻撃の手が防ぐと同時にその使い魔の頭を切断し、近くに居た槍を持つ使い魔へと投げ付けた。

 腹部に命中し、よろめくその個体に向け、尾節をバネに跳び上がる。

 加重を左寄りに掛けて、空中でのバランスを維持しつつ、膝蹴りをお見舞いした。

 これで二体撃破。

 大丈夫、俺は戦える。腕がなくとも、あいりの魔法の力がなくとも俺はまだ戦闘能力を失った訳ではない!

 残りの盗賊の使い魔を相手取ろうと、格闘技で言うところの残心の姿勢をする。

 そこでふと違和感を味わった。

 使い魔に戦わせおきながら、魔女が俺を攻撃して来ていないのだ。

 一体、あの魔女はどこで何をしている……? そう思い、魔女の姿を目で追うと、奴は大きな(くちばし)を開き、地面に散らばる宝石を呑み込んでいた。

 一心不乱に金貨を(すす)り、宝石を呑み込むその姿は正に強欲。

 誰でもこの財宝は渡すまいと、無我夢中で胃の中に押し込んでいく奴を呼称するなら、『強欲の魔女』が相応しいだろう。

 強欲の魔女は手下の使い魔に俺の相手を任せて、ひたすらなまでに結界内の財宝に執心している。

 ……それだけなら、素直に好機だと喜べた。だが、奴の様子はそれだけに留まらなかった。

 財宝を貪る強欲の魔女は、その身を更に巨大にさせていく。腹が膨れるとか、単純な膨張をしているのではない。

 翼や嘴、その(かんむり)に至るまで、より大きく、より煌びやかに“成長”していた。

 この魔女……財宝を糧に強化される特性を持っているのか!?

 だとすれば雑魚の使い魔などを相手にしているのは危険だ。奴が強力な魔女へとなる前に滅ぼさなければ、窮地に陥るのはこちらの方になる。

 盗賊の使い魔を倒し切らずに、押し退けて、俺は強欲の魔女の元まで飛んだ。

 金の延べ棒や銀の食器を呑み下している奴は、背を向けており、俺の接近に注意もしていない。

 今しかない! 飛び出した勢いを利用し、必殺の一撃を放つ。

 突き出した右脚に尾節を螺旋状に絡ませ、集中させた魔力を足先に溜め、蹴りと共に強欲の魔女の後頭部へと解き放った。

 あいりの魔法の力をもらうまでは、俺の最強の技だった。螺旋蹴り(スパイラルキック)

 並みの魔女であれば、充分討ち滅ぼせるだけの威力を持つ一撃だった。

 しかし、強欲の魔女は直撃の瞬間に首だけをぐるりと百八十度回転させ、俺の方を向いた。

 

『何ッ……!?』

 

『es;sewoa,c;awemo;rw;mcwa:ef』

 

 予想を超える動きに唖然とした俺を嘲笑うかのように、強欲の魔女はその嘴を開き、喉奥から金色の霧状の吐息を噴き掛けてくる。

 もしや毒か……! 俺は咄嗟に螺旋蹴りの構えを解いて、尾節と左腕で金色の霧から頭を庇った。

 

『何だ……これは!』

 

 だが、防いだ左腕や尾節が金色の変色し、微動もできないほどに固まり始める。

 違う……。単に色が変わったのではない。金だ! 俺の腕と尾は金そのものに変換されつつあるのだ。

 石化ならぬ黄金化により末端から、侵蝕するように広がっていく。中途半端に固定された姿勢のままで空中から財宝の山へと落下する頃には、俺の肉体の自由はほとんど奪われていた。

 意識はある。思考もできる。しかし、身体は一切動いてくれない。

 複眼状になった目で自分の身体を確認すると、七割がたが黄金へと変換されていた。

 俺もまた強欲の魔女の財宝の一部に変えられてしまったのだ。

 声を出す事もままならず、必死に肉体を動かそうとするものの金貨の山に自重で沈んでいくだけだった。

 指一本動かせない……。外骨格に触れているはずの金貨の感触もない……。

 思考するだけの置物と化した俺は、抗い事も叶わずに埋もれようとしていた。

 里美たちが危ないというのに、黄金と化した声帯は叫びすら上げる事も不可能だった。

 ——頼む。里美……逃げてくれ。俺にはもうどうする事もできない。

 この最悪極まる状況を打開する策は、今の俺には何一つ出て来てくれなかった。

 

 

~里美視点~

 

 

 そんな……。頼みの綱だった赤司さんが、あそこまであっさりと負けてしまうなんて……。

 私は一体、どうすればいいの……。

 『ファンタズマ・ビスビーリオ』を展開し続けているせいで、私には戦うどころか、この場から動く事もできない。

 もしも、一歩でもこの場から離れれば、その途端三十二人の魔法少女たちの支配の魔法は解けてしまう。

 あのカラスの姿の魔女のように全員が魔女化してしまえば、それこそ地獄絵図になってしまう事だろう。

 魔法から集中を切らさずに頭を巡らすけれど、湧いてくるのはこの状況がどうにもならないという結論だけだった。

 キュゥべえが私の近くまで寄って来て、喋りかけてくる。

 

『赤司大火は負けてしまったようだね。どうするんだい、里美? 君が戦う? それとも魔法を掛けた皆に戦ってもらうかい? この大人数を操作するのは君でも難しいと思うけど』

 

 赤い円らな瞳がまるで私の心を覗き込むように向けられ、強く唇を噛みしめた。

 悔しい。とても悔しい。キュゥべえの策略に嵌り、まんまと彼の思うがまま動かされてしまった自分が酷く惨めだった。

 彼にはずっとレイトウコの封印が解かれるのを待っていた。こうやって不安感に付け込んで魔法少女たちを魔女化させるために、虎視眈々(こしたんたん)と私たちの後を付け狙っていたのだ。

 愚かにも私はそれに気付く事なく、この状況を作り出してしまった。

 

『ほら、使い魔たちがこちらに来るよ。魔法少女の使命は魔女と戦う事だろう?』

 

 平坦な抑揚のない声が脳に響く。

 キュゥべえの声には嘲笑はなく、あくまでも不思議そうに尋ねるような大人しい声音だった。

 だからこそ一層、私の心は苛立った。

 馬鹿にしているのでも、煽っているのでもなく、純粋に観察しているからだ。

 科学実験に使うマウスかモルモットのように、危機的状況に追い込んだ魔法少女がどういう行動に出るのか眺めている。

 魔女になる事を期待しながら、それでも私がどういう行動をするのかデータを取っている。

 私の大嫌いな動物を物扱いする研究者の目をして……。

 駄目よ。絶望的に考えては駄目。

 それでもぼやけた盗賊のような見た目の使い魔たちは私たちの方へと武器を持って迫って来ていた。

 

「確かに一理ある。それが魔法少女に課せられた使命だとお前は最初に提示していたからな」

 

 誰かが私の頭の上を飛び越え、使い魔の一体に接敵する。

 金属と金属がぶつかり合う硬質な音が響き、使い魔の動きが止まった。

 盗賊の使い魔の持つ剣がクナイによって受け止められているのが見える。

 

「皐月ルイさん!」

 

 魔法を掛けたはずの彼女は、私の意図しない動作をしていた。

 驚く私の両脇を二つの人影がすり抜け、皐月ルイさんを守るように躍り出る。

 袴姿で槍を振るう少女とサバイバルナイフを提げた少女。

 

「三鳥舞さん! 小春ひよりさんまで!」

 

「舞でいいぞ、里美さん」

 

「わ、わたしも呼び捨てか……ちゃん付けで、お願いしまうぅ……」

 

 皐月ルイさんを中心にして、二人の魔法少女……舞さんとひよりちゃんがカバーするように、動きを止めた使い魔へ攻撃をする。

 受け止められた剣を槍で弾き飛ばし、空いた身体にサバイバルナイフが突き立てられた。

 隙の無い三人一組(スリーマンセル)の連撃……!

 消滅した使い魔が消える前に、皐月ルイさんがそれを踏み台にして宙へ跳躍する。

 指先の間に挟み込むように生み出したクナイが、迫って来ていた盗賊の使い魔の頭を正確に捉えた。

 次々と倒されて行く使い魔たち。それを平然とこなすのは三人の魔法少女。

 華麗な動きに一瞬だけ見惚れていたものの、すぐに正気を取り戻した私は三人に聞いた。

 

「わ、私の魔法が掛けられていたはずなのに……どうして……」

 

「私も最初はまったく身体が動かなかった。だが、あなたがそこに居るキュゥべえと会話をし出した辺りから拘束が弱まっていき、最後には無理やり解除できるまでになっていた」

 

 皐月ルイさんの言葉に私はハッとなって、理解する。

 キュゥべえに心を乱されたせいで、『ファンタズマ・ビスビーリオ』の効き目が浅くなっていたらしい。

 だけど、それにしたって彼女たちは反応はおかしい。

 救いのない話を聞かされ、この街が魔法少女にとってどれだけ危険か知ったはず。

 それだけで心を折れても仕方がない中で、実際に魔女化する魔法少女の様子を見せ付けられた。

 絶望でソウルジェムを黒く濁らせるのが、普通の反応だ。

 

『君たちは恐ろしくないのかい? 自分たちがやがて必ず行き着く結末を見たというのに不安を感じてはいないのかい? プレイアデス聖団の魔法少女が記憶改竄まで行って秘匿していた事実だ。何も感じていない訳ではないんだろう?』

 

 私の疑問を代弁するようにキュゥべえが彼女たちに尋ねた。

 彼女たちはそれぞれ、使い魔を退けながら、目配せをすると一人ずつ答えていく。

 

「衝撃的な内容だった事は否定しない。だが、怯えたところで変わらないのなら、気にするだけ無駄だ。私たちが魔女になるのが確定事項だと言うのなら、限られた時間を有効に使う事こそ重要だろう」

 

 落ち込んだ様子を微塵も見せず、落ち着いた口調で語る皐月ルイさん。

 

「あたしも同意見だ。あんまり頭良くないから、上手い事言えないんだけど……別に良いんじゃねぇのと思う。ま、落ち込んでも仕方ないなら、ごちゃごちゃ考えずに突っ走れって事だな」

 

 あっけらかんとした風に豪快に答える舞さん。

 

「わ、わたしは落ち込んでますけどぉ……学校で虐められて、生きているのも嫌だった時よりはマシかなぁって……えへへ、へ、変ですかね? も、もちろん、魔女になるのも嫌で辛いんですけど……」

 

 卑屈な笑みを浮かべて、自虐を言うひよりちゃん。

 最後の一人はコメントに困るけれど、三人とも魔女化に対しての不安や恐怖に囚われてはいない。

 凄い……。私はこの真実を知った時、平静を保てなかった。

 ミチルちゃんが目の前で魔女になってしまった光景を目撃した日は、ずっと震えていたっていうのに……。

 

『それは現実から目を背けているだけなんじゃないのかな? 限られた時間で君ら魔法少女に何ができるっていうんだい?』

 

「何ができるか、か。そうだな、差し当たっては――魔女退治と言ったところか」

 

 キュゥべえにそう返した皐月ルイさんは、奥で財宝を(ついば)んでいる魔女へ顔を向け、目を細める。

 この人はある意味で、誰よりも魔法少女としての在り方を体現しているのだろう。希望的ではなく、現実的な観点で物事を見ているが、それでも『魔女退治』という建前を本分として認識しているように思えた。

 

 

「そ、それにき、金みたいになっちゃったあの人も、魔女を倒せば……た、助かったりしないですかね……」

 

 ひよりちゃんは、魔女よりも金貨に埋もれてしまった彼を心配そうに見つめていた。

 皐月ルイさんが彼女の意見を受けて、深く頷く。

 

「それもある。恩人を助けるためにもあの魔女の打倒は必要不可欠だ。……宇佐木里美……さん」

 

 目線だけを私の方に差して、ぎこちなく名前を呼んだ。

 恨みがあるというよりも、どう接したらいいのか分からず、距離感を測りかねている様子だった。

 私もまた、その微妙な雰囲気を感じ取り、どう答えたものかと思いながら、返事をする。

 

「な、何かしら、皐月ルイさん」

 

「……私も名前を呼び捨ててもらって構わない。それから、引き続き、他の魔法少女の事を頼んでもいいだろうか?」

 

「頼む、っていうのは魔法を使い続けてって意味かしら……?」

 

「ああ、そうだ。その代わり、魔女や恩人の事は任せてもらってもいいだろうか」

 

「え、ええ。こっちとしても願ってもいない事だけど……どうしてわざわざ私に許可を取るの?」

 

「それは……」

 

 彼女にしては珍しく、少しだけ歯切れ悪く言い淀む。

 そこにひよりちゃんが言葉を付け足した。

 

「る、ルイちゃんは、さ、里美さんをリーダーだと認めているから、き、許可がほしいんだと、思いますぅ……」

 

「ひより! 余計な補足を付けないでくれ!」

 

 意外にも照れた様な声でルイさんは言葉を荒げる。

 今までのやり取りから大人びた雰囲気の子だと思っていたから、この反応はちょっとした衝撃があった。

 ニコちゃんタイプだと思いきや、サキちゃんタイプだったというべきか……。

 彼女はとても律儀で真面目な女の子なのだろう。

 こんなピンチな状況なのにクスリと小さく笑みが零れた。

 それじゃあ、お言葉に甘えて、こう言おう。

 

「お願いするわ、ルイさん。他の皆も」

 

「……う、うむ。承った。舞、ひより。援護を頼む」

 

 ルイさんは少しだけ上擦った声で頷いた後、二人にもサポートを依頼した。

 絶望しかなかった状況に一筋だけ光が見えてくる。

 あれだけ鬱陶しく喋りかけてきたキュゥべえも、すっかり黙り込んで事の成り行きを見守っていた。

 この子たちを見てしみじみと思う。魔法少女は誰かの食べ物になるだけの存在じゃないって事を。




このまま最後まで書くと恐らく一万文字くらいになりそうだったので途中で中編を挟みます。


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第三十七話 みらいなき少女 後編

 身体が動かない。何も見えない、聞こえない。

 黄金の塊と化した俺は、大量の金貨の山に埋もれ、暗闇の中に一人きりで取り残されていた。

 ほとんど無機物のような状態になっても、恐慌せずにいられるのは自分が人間ではないと自覚しているが故だろう。

 己がイーブルナッツだと知っているから、無機物に変わる事に対する恐怖感は薄い。

 むしろ、強烈に感じるのは、魔法少女たちへの心配だった。

 里美は魔女化しそうなほどの絶望を抱えた少女たちの意識を制御するだけで限界だ。魔女と戦う余力など皆無だろう。

 だとすれば、無防備な魔法少女たちは魔女の餌となってしまう。

 一刻も早く俺が戦線に復帰しなければ、待っているのは絶望だけだ。

 力を振り絞り、黄金にされた身体にイーブルナッツの魔力を伝達させようと足掻く。

 しかし、完全に変質してしまった肉体には魔力が巡る事はなく、それどころか魔力が抜けていく感覚すらあった。

 それでも俺にできる事はこの程度しかない。何もできないからと言って何もしない訳にはいかないのだ!

 しばらく、そうして悪足掻きを続けていると、ザクッという音が近くでした。

 聞き間違いかと思い、耳を澄ますとやはりその音は断続的に響いてくる。

 そこで俺はふと気付いた。

 ……この音は金貨を何者かが掻き分けてくる音だ、と。

 では、音を立ている何者かは誰なのかという疑問が浮上する。

 決まっている。魔女だ……!

 強欲の魔女が、金貨を喰らっているのだ!

 奴は結界内の財宝を喰らい、その身を成長させていた。ならば、あの魔女が俺を黄金へと変えた理由は敵の排除だけではない。

 黄金……即ち、財宝となった俺をも捕食するために他ならない。

 最も窮地に追いやられていたのは里美たちではなく、俺の方だったのだ。

 ザックザックと、次第は音は近付いており、大きく響いていく。

 今は意識を保って居られるが、強欲の魔女に噛み砕かれ、体内に押し込まれれば、それもお終いになるだろう。

 瞬く間に、暗闇に居た俺に光が差し込む。

 直後、黒い嘴がすぐ真横に突き立てられ、銀製のティーポッドを金貨共々吸い込むように啜った。

 万事休すとは正にこの事。俺は黙って、死が擦り寄ってくるのを待つ他にない。

 遂に嘴の先端が垂直に俺の身体を捉える。

 死ぬ……! 確信めいた感想が脳内を駆け巡った時。

 

『nujdktjgjpnkflkdsgjmpmpdgamp!!』

 

 突如、強欲の魔女の嘴が引っ込められた。

 代わりに空いた隙間に何かが音を立てて潜り込んで来る。

 使い魔か……! 意識だけは警戒態勢を取るが、音や気配はしても何も見えない。

 目と鼻の先までその気配は近付くと、透明だったそれは姿を現した。

 

「だ、大丈夫ですか? わ、わたしの声、聞こえてますか?」

 

 桜色の前髪で目元が隠れた魔法少女、小春ひよりだった。

 何故、お前がここに居るのだ!? 里美が魔女化を防ぐために意識を乗っ取っていたのではなかったのか?

 しかし、俺の疑問の声は外界に発信される事なく、胸の内で留まる。

 ぺたぺたと心配そうに俺の身体に触っているが、こちらとしては声が出ないため、反応する事はできなかった。

 

「し、死んじゃってる……!?」

 

 いや、生きているぞ。

 生きているのだが、それを伝える術がないだけだ。

 

「どうしよう……で、でも、ルイちゃんとの打ち合わせでは、と、取りあえず連れて行くって事になってたよね……?」

 

 誰に聞いているのだ、お前は……。

 異様に独り言の多い彼女は慌てた素振りで頭を押さえた後、自分に言い聞かせるように頷いた。

 

「よ、よし。ルイちゃんの期待に応えないと……。じゃ、じゃあ、ちょっと失礼しますぅ……」

 

 硬直している俺の肉体の腰の辺りを掴むと、ひよりは頭の後ろにあったフードを被り直す。

 すると、彼女の姿は瞬間的に消えてなくなった。

 それだけではない。彼女に捕まれた俺の身体すらも見えなくなっていたのだ。

 透明化。それがひよりの持つ魔法なのだろう。

 フードを被る事が引き金になっているのかは定かではないが、自分と触れている相手を完全に透明にする事が可能なようだ。

 俺の身体は少しずつ引っ張られて行き、少しして金貨の山から引きずり出される。

 おかげでようやく、周囲の光景が俺の視界に飛び込んできた。

 映ったのは、強欲の魔女とその配下である盗賊の使い魔。そして、それと戦うルイと舞だった。

 ひよりだけではなく、あの二人まで動いている。一体どうなったというのだろうか。

 客観的に考えるなら、二人が自分の意思で里美の魔法を破り、魔女と戦い始めた……そう考えるのが妥当だ。

 彼女たちは不甲斐ない俺の代わりに戦ってくれているのか。

 透明になったひよりに引きずられながら、俺はただ二人の魔法少女の戦闘を見守る事しかできなかった。

 強欲の魔女の前に立つルイは、数本のクナイを空中へと放り投げる。

 投げられたクナイはその一つ一つが紺色の光を集め、形を人型へと変えていった。その姿は忍装束に身を包んだルイと寸分(たが)わないものとなる。

 クナイから生まれた彼女たちは強欲の魔女に肉薄する。

 しかし、魔女の嘴から吐き出される金色の霧状の吐息は、それらを(ことごと)く、黄金の彫像へと変換させた。

 駄目だ、ルイ……。強欲の魔女の恐るべき黄金化の吐息を攻略しない限り、近距離での攻撃は意味をなさない。

 魔女の吐息の無敵さに内心で舌を巻く俺だったが、仕掛けたルイはさほど衝撃を受けている様子は感じられなかった。

 

「やはり……恩人が受けた時よりも黄金化の吐息の噴射範囲が広がっている。半径五メートル。いや六メートル前後といったところか。舞、これ以上財宝を食べさせるな!」

 

 そうか、今の分身での突貫は試し打ちだったのか!

 なんと彼女は今の攻撃で魔女の黄金化の吐息の広がる範囲を計測していた。

 目視で大体の範囲を割り出し、身に降りかかる危険を減らそうという魂胆だったのだろう。

 俺の力任せの戦い方とは違う頭脳を活かした戦術に感服する。

 

「あんた、本当に人遣いが荒い奴だな。しゃあねぇな、一丁やってやるよ」

 

 名前を呼ばれた舞は槍を振り回し、盗賊の使い魔を弾き飛ばしながら、前に進んだ。

 強欲の魔女との彼我距離はおよそ五メートル程度に縮まっていく。

 な、何をやっているんだ、舞。ルイが割り出した吐息の噴射範囲を聞いていなかったのか!?

 その場所は奴の攻撃圏内なのだぞ!

 叫び出したい気持ちで一杯だが、俺の声は外へは出て行く事はない。焦りだけが、俺の胸の内で猛烈に募るだけだった。

 ルイもまた同じ感情を懐いたのか、舞に叫ぶ。

 

「舞! お前の槍でもその間合いは……」

 

「槍、槍、槍……。あたしと戦う奴は皆、そう言うんだけど、——あたしの得物が()だなんていつ言ったんだ?」

 

 不敵に笑う舞は橙色の槍を、川面に投げ込む釣り竿のように大きく振るう。その瞬間、(いかり)のような形状の穂先が前方に素早く飛び出した。

 あれは……槍ではない! 碇状の穂先と彼女が握る棒は長い鎖で繋がれている。

 

「あたしの得物は連接棍棒。フレイルって呼んだ方が馴染みがあるかもな」

 

 鎖で繋がれた碇は強欲の魔女の首に巻き付き、遠心力により一回転。碇の端が首へと食い込み、外れないように固定された。

 魔女は翼を羽ばたかせもがくが、そう簡単には逃れられない。

 

かかった(ヒット)! 今なら、厄介な霧は吐けないはずだ。ブチかましてやれ、ルイ!」

 

「任せろ……『ブル・スクーロ・アッサルト』」

 

 再び、ルイの指先から無数のクナイが放たれ、彼女の分身へと様変わりする。

 分身は高速で強欲の魔女へと突撃し、紺色の砲弾のように叩き込まれて行く。

 紺色の魔力の光が瞬き、魔女を覆うように爆発が巻き起こった。

 

「や、やりましたよ! ル、ルイちゃんたち、魔女を倒しました……!」

 

 顔は見えないが無邪気な声だけが傍で聞こえる。

 ひよりは勝利を確信しているようだったが、俺はその喜びを分かち合う事はできなかった。

 何故なら、俺の黄金化は一向に解かれる兆候が見られなかったからだ。

 ――強欲の魔女はまだ倒されてはいない!

 俺の予想を肯定するかのように、爆発の中から黒い翼を広げた強欲の魔女が飛び出した。

 

『kla;eiwisrughrivnssfiewhf!!』

 

「無傷だと……。強化されていた魔女の肉体は私の想定以上だったという事か」

 

 (おのの)くルイの言う通り、強欲の魔女に損傷は見て取れなかった。

 怒り狂った様子で魔女は微塵の疲れも見せずに洞窟内を飛び回り始める。首を鎖で繋がれている舞は振り回されて、フレイルから手を放してしまう。

 

「クッソ、この野郎……ッ!」

 

 背中から財宝の上に放り出されると、慣性の法則に従ってそのまま、球のように転がって動きを止めた。

 ルイは即座に彼女の元へ行き、合流する。攻撃が効かなかったというのに気落ちせずに、すぐさま集まれる辺り(したた)かだが、浮かべている表情は酷く苦々しいものだった。

 

「大丈夫か、舞……! くッ、こんなにも強力な魔女は今まで見た事もない……」

 

「あたしもだ。……あんたの攻撃はかわされた訳でも、特別な方法で防がれた訳でもなかった。完全に喰らった上でダメージが出なかった」

 

 俺のミスだ……。俺が油断したせいで、強欲の魔女は強靭に成長してしまった。

 奴は今や、生半可な攻撃でびくともしない強力な魔女へと育っている。彼女たちの力では打倒は無理だ。

 洞窟の中を一回りするように旋回する強欲の魔女は首に巻き付いた舞のフレイルを遠心力で振り払うと再び、彼女たちに接近する。

 

『lidslljfjhrhurghnrljwe;jiwrjfiles!!』

 

「ちッ、ルイ! あんたは次の手でも考えて置け! ここはあたしが何とかする!」

 

 手元にフレイルを作り出し、舞は魔女へを迎撃するように構えた。

 

「次の手……。そんなものがあれば……」

 

「頼んだぞ!」

 

 視線を落とすルイとの会話を強引に打ち切って、舞は強欲の魔女へと対峙する。

 魔女は伸びるフレイルの鎖による拘束を警戒し、着地せずに滞空した状態で、嘴を開口させた。

 噴射される黄金化の吐息。彼女たちに、それを防ぐ術は……!

 碇と共に射出した鎖が回転を始め、旋風を巻き起こす。

 

「『ラ・ティフォーネ』!」

 

 舞の叫ぶ魔法と共に発生された激しい風が、強欲の魔女の吐息を阻んだ。

 黄金化の吐息は彼女たちの三メートルほど前方で押し留められた。

 魔女の攻撃を防いでいる! あと、少し威力が強ければ、押し返す事も可能なのではないか?

 だが、その期待は、回転する鎖が次第に黄金に変わっていく様を見て、すぐに否定された。

 舞の魔法は辛うじて、黄金化の吐息を防いでいるに過ぎない。拮抗しているように見えて、じわじわと削られている。

 その証拠に魔法を継続している彼女の顔は苦し気に歪んでいた。

 

「な、なんでさっきまで勝てそうだったのに……」

 

 呆然とした呟きと一緒にひよりの姿が露わになった。

 ひよりも彼女たちの絶望的な状況に思わず、透過の魔法を解いてしまった様子だ。

 このままでは二人は黄金に変えられ、ひよりは絶望で魔女になってしまう……。

 最悪だ……。俺はまた助けたい人たちを助けられないのか?

 守りたい人たちが傷付いて、苦しんでいる様を黙って見ている事しかできないというのか……。

 澱んだ絶望が俺の心の内側にへばり付く。

 俺は……。

 あいりの顔が脳裏に浮かぶ。

 俺はまた……。

 ニコの顔が脳裏に浮かぶ。

 何も変える事ができないのか……?

 そう思った時、意識が暗転する。

 

 気が付けば、俺は暗闇の中に立っていた。

 金貨の山に埋もれた時とは違う。不自然に黒い四方で覆われた場所。

 ……違う、暗闇ではなく、壁も床も真っ黒な部屋だ。

 俺はこの場所を知っている……。この場所に来た事がある。

 ここはあいりとあった俺の心の中——精神世界だ。

 近くに誰か居る……。俺の背後に何者かの気配を感じる……。

 誰だ……? あいりか?

 

『違う……ボクだよ。化け物』

 

 ……! その、声は……。

 振り返った先に居たのは薄ピンク色を基調にした衣装の魔法少女。

 ……みらい。

 

『あははははははは。ざまあないね、化け物。ボクを殺した罰が当たったんだ!』

 

 攻撃的な笑みで俺を嘲る小さな少女は、俺の身体に触れる。

 触れた部分が変色して、彼女の色に染め上げられていく。

 ……やめろ。俺に触れるな。俺を変えるな。

 

『お前はきっとまた殺す! 殺して殺して殺し尽くすのが化け物だから!』

 

 拒絶にしようとも俺の身体は動かない。さっきは振り返れたはずの肉体は再び固められたように微動だにしない。

 

『お前のせいでサキに会えなくなった! サキに愛してもらう機会を永久に失った! だから、償え! ボクに償えよ、化け物!』

 

 やめろ……やめてくれ……。

 もうそれ以上、俺に力を注ぎ込むのを止めろ……。

 

『力が必要なんだろう。あげるよ、ボクの魔法(ちから)を全部……その代わり、誰よりも不幸になってシネ!』

 

 笑うみらいの姿が歪み、ドロドロに融解した彼女は薄ピンク色の染色液になって、俺へと塗り込まれていった。

 彼女が消えて、黒い部屋に俺だけになった時、俺の視界は切り替わっていた。

 

 そこにあったのは、金銀財宝が敷き詰められた洞窟。

 金色の霧を吐き出している強欲の魔女。追い詰められる魔法少女二人。

 暗転する前に見た光景とまったく同じもの。

 違うのは……俺の中に溢れる感情。

 

『……はは』

 

「……!? い、今、声を出したのって、あ、あなたですか? も、もしかして元に……」

 

『ははははははははははははッ!』

 

「な、何で急に笑って……」

 

 ひよりの困惑する声。それすらもどこか愉快気に感じた。

 激しい衝動が俺の中で暴れている。こんなにも荒々しい情動を感じたのは久しぶりだ。

 身体を覆う金の膜が、メッキを剥がすように俺から分離していく。

 剥き出しになった外骨格の色彩は――薄ピンク。あいりの色ではなく、みらいの色。

 ……やれる。今なら、やれる。

 壊せる! 潰せる! 殺し尽くせる!

 俺は湧き上がる破壊衝動に身を任せ、その場から弾かれるように跳躍する。

 

「な、何を……」

 

 後ろでひよりが何か言っていたが、どうでもいい事だ。

 何故ならこんなにも気分が良いのだから……!

 

『はははははははははははははははははははははははぁッ!』

 

 二人の魔法少女を襲っていた魔女が俺の急速な接近に気が付く。

 首を曲げ、嘴から吐き出される霧の標的を彼女たちから俺へと変更した。

 触れた者を黄金に変換する魔女の吐息。

 恐怖はない。駆け巡るのは快楽。目の前の標的を叩き潰したいという欲求のみだ。

 

『ラ・ベスディアァァァ!』

 

 右肩の断面から、百を超えるテディベアが絶え間なく湧き出し、黄金化を防ぐ。

 それどころか増え続けるテディベアは黄金化の霧を突破して、魔女へと食らい付いた。

 

『rfelgnvlesjifvlue;rnclefdjrsafwjir!!』

 

 理解不能の鳴き声を上げる強欲の魔女。だが、まだだ。まだ足りたない。

 もっと俺の愉しませろ! 俺のこの衝動を満たしてくれ!

 

『ラ・ベスディア・ダ・ブラッチョ』

 

 右肩から(あふ)れ出すテディベアたちがぐちゃぐちゃに混ざり、一本の巨大な腕に形成される。

 溶けた小熊たちで形作られた歪な巨腕がずるりと伸びた。

 飛行する強欲の魔女の嘴を掴み、無理やり閉じさせる。

 これでもう邪魔な吐息は吐けない。奴の最も得意とする力を封じ、惨めにもがく魔女の姿に加虐的な悦びが滲んだ。

 逃がさない。これでお終いだ。お前は俺に殺されるのだ。

 左腕の鋏が大きく開かれ、その内側から薄ピンク色の大剣の刃が顔を見せる。

 

『ははははははははははははははははははははははッ!!』

 

 嘴を右の巨腕で掴んだまま、その首を左手から生えた大剣で叩き斬った。

 黒い汚らしい魔女の血が、煌びやかで美しい財宝に撒き散らされる。それを見て、ますます内なる衝動が激しく沸き立つのを感じた。

 これが傷付ける悦び。破壊する愉しみ。

 良い! 良いぞ! まだ消えるな! まだ死ぬな!

 もっと攻撃させろ! もっと俺の破壊衝動を満たしてくれ!

 地面に落下する魔女の死骸を、左腕の刃で何度も何度も斬り刻む。

 その度に溢れる黒い血液が俺の火照った外骨格を濡らし、ひんやりとした冷たさを味合わせてくれた。

 

『はははははははははははははははははははははははははははははははははははッ!!』

 

 一方的な暴力とはここまで歓喜に震えるものだったとは知らなかった。

 素晴らしい。これこそ虐殺! 強者のみに許された特権に他ならない!

 興奮しながら強欲の魔女へ三十を超える斬撃を与えていると、次第に魔女の身体は薄れ、その身は小さなグリーフシードへと変わっていた。

 黒い液体も粒子状に分解され、風に乗って消えていく。

 財宝の山も洞窟の壁も消滅し、見えてきたのはレイトウコの内装。

 

「恩人……なのか? その姿は……」

 

「あんた、急にどうしたんだよ……?」

 

 紺色の髪の女と橙色の髪の女が喋りかけて来た。

 ……なんだ。まだ壊せる相手が居るではないか。

 もっともっと、俺を……オレヲ、タノシマセテクレ!

 

『ははははははははははははははははははッ!』

 

 左腕の大剣で彼女たちを切断しようと振り上げて……。

 ——やめろ! 止まれ! 止まるんだ!

 失っていた正気を取り戻す。

 その途端に肉体は魔物から、人間へと戻っていく。

 背中に氷でも入れたかのように、熱を持っていた思考が冷却された。

 

「俺は……何をして……」

 

 我に返った俺は己の行動を反芻(はんすう)し、脱力して膝を突く。

 目の前に居るルイと舞の顔が映り込む。

 彼女たちは、俺を恐ろしい化け物を怖がるような眼差しで見つめていた。

 

「違う……俺は……」

 

 化け物なんかではないんだ……。

 揺れる視界。重くなる思考。俺の意識は再度闇の中に(いざな)われて行った。

 




闇落ちしかける主人公というのを書きたくて、今回の話を考えていました。
実はサブタイトルの意味は、『みらい、亡き少女』というみらいを再び登場させる事を示したものでした。



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第三十八話 モテない少年、モテる少年

 頭が痛い……。思考が上手く纏まらない……。

 重い倦怠感の中で目を覚ました時、俺の身体は鎖で縛り上げられ、レイトウコの床に転がされていた。

 視界に入る範囲には数人の魔法少女だけだ。一見したところ、あれほどごった返していた室内に残っている少女の数は五分の一にも満たない。

 どこに行ったのだろうかとぼんやりする頭で考えていると、レイトウコの外から里美の声が聞こえてきた。

 

「あともう一人乗れるわ。皆、少しずつ詰めてもらえるかしら。そこの……黎透子さん。もう少しだけ左に寄れないかしら。そう、そんな感じで。ありがとうね」

 

 そちらを向けば、開かれた二枚扉の外で魔法陣の中に十人近い少女を乗せている彼女の後ろ姿が見えた。

 魔法少女たちを上に運んでいるのか……。だから、レイトウコ内に居る人数が少なくなっていたのだな。

 里美が魔法陣の上に立つと、足元の陣が輝き、彼女たちは視界から消える。少し経ってから魔法陣が再び輝いた時、その上に立っていたのは里美一人だった。

 

「次で最後ね。……赤司さん。目が覚めたようね。気分は如何かしら?」

 

 レイトウコの中まで戻って来た彼女は俺が起きた事に気付くと、少し間を置いてから声をそう掛ける。

 

「あまり良好とは言えないな。それより里美、俺はどうして縛られている?」

 

 重い頭でそう尋ねた途端、彼女の表情は曇った。

 

「……覚えてないの? 自分が何をしようとしたのかを……」

 

「俺が……何をしたっていう……うぐッ、ッ……!?」

 

 そう問いかけた瞬間。寝惚けていたいた頭が、急激に覚醒していくのを感じた。

 駆け巡る記憶。想起される衝動。そして、己が()した行動。

 俺は、ルイたちに刃を向けて、振り下ろそうとしたのだ……。

 ただ破壊衝動に従って、快楽に酔い痴れ、二人の魔法少女を殺そうとした。

 

「……そうだ。二人は……! ルイと舞は無事なのかッ!?」

 

 彼女たちの安否が気になり、里美に問う。すると彼女は手のひらで隣を指示した。

 そちらに立っていたのはルイと舞。その後ろにフードを被ったひよりが顔をぴょこんと出す。

 

「私たちはここだ」

 

 ルイが静かな口調でそう言った。

 良かった。俺は彼女たちを手に掛けずに済んだのか……。

 心の底から安堵して、彼女たちの方へ首を伸ばし、笑い掛けた。

 

「無事だったか……。よかっ……」

 

「近付くな! それ以上あたしらに近付くなら、容赦しないぞ!」

 

 俺の鎖と繋がっていたフレイルを握る舞は、きつい目付きで俺を睨み付ける。

 俺を締め付ける鎖が(しな)り、拘束が強くなった。身体に巻き付いた鎖が肌に食い込み、動きを強制的に止めさせる。

 

「ま、舞……」

 

「…………」

 

 彼女の瞳に滲むのは、敵意と恐怖。もはや人間に対して向ける眼差しではなかった。

 危険な野生動物を見るような、警戒を怠れば身の危険が迫る事を予期した目だ。

 舞だけではない。ルイもひよりも同じ目で俺を見ている。

 

「そうか……。俺はもうお前たちからは、化け物にしか映らないのだな……」

 

「赤司さん。許してね。これは魔法少女たちの安全を確保するために必要な処置だったの」

 

 申し訳なさそうに目を伏せて里美は語る。

 その言葉には裏はないのだろう。一度、魔法少女に襲い掛かった俺は危険な存在だ。

 彼女たちを落ち着かせるためにも必要不可欠な行動。責める気にはなれない。

 

「いや、構わない。当然だ」

 

「さっきの姿、それに魔法……あれはみらいちゃんのものね?」

 

「……ああ、そうだ。俺にも何故使えるかは分からないがな」

 

 あの魔法、あの力はみらいに由来するものだ。

 あいりの魔法を得たように、みらいのソウルジェムを砕いた時に俺の中に取り込まれたものなのだろう。

 今まで発現しなかった理由は断定できないが、あいりの魔法を失ったせいで表に出てきたのであれば、彼女がみらいの力を抑えていてくれたのかもしれない。

 

『それはきっと、イーブルナッツの持つ特性だろうね』

 

 腹立たしい声が頭に響き、俺はその声の主を探した。

 少し視線を巡らせると水の止まった噴水の上からキュゥべえが飛び降りて来る。

 

「まだ居たのか、お前……」

 

『その言い方は酷いよ、赤司大火。ボクは君の疑問に答えてあげているというのに』

 

「別に聞いてもいないのだが……何か知っているなら話せ」

 

 相変わらず、不快な奴だがそれでも持っている情報に虚偽を混ぜるような相手ではない事は経験上知っている。

 自分にとって不都合な内容は決して言わないが、話しても問題ないと判断した内容はべらべら話すのがこの生き物の性格だ。

 キュゥべえは例に漏れず、聞かれた事には素直に答えた。

 

『君の中核にあるイーブルナッツは、グリーフシードの模造品だ。グリーフシードがソウルジェムに溜まった穢れ、つまり負のエネルギーを吸収する性質を持っている。対して、イーブルナッツは正のエネルギー……ソウルジェムの魔力、正確には魂そのものを吸収する性質を持っているようだね』

 

「それなら、イーブルナッツを持つ者は、魔法少女の魂を吸収できるって訳か?」

 

『そうだね。そして、ソウルジェムを吸収したイーブルナッツは、そのソウルジェムの持ち主である魔法少女固有の魔法を行使できるようになるようだ。赤司大火、君にはその経験があるんじゃないのかい?』

 

 キュゥべえの話を聞き、あいりの魔法、そしてみらいの魔法の事を思い出す。

 二人とも俺がこの手でソウルジェムを破壊した後で、魔物化した肉体に取り込まれていたというのか。

 

「ならば、イーブルナッツを持つ魔物にとって魔法少女は……」

 

『格好の餌という訳さ。もっとも君のこれまでの行動から考えると、取り込むにはソウルジェムを一度破壊して細かく分解させる必要があるみたいだけどね』

 

 それだけ言うとキュゥべえはさっさとレイトウコの中から出て行ってしまう。

 どうしてわざわざ詳しい説明を残して行ったのか不思議に思ったが、残された魔法少女たちの顔色を見て察した。

 彼女たちは露骨に俺から距離を取り、先ほどよりも怯えた視線を投げて寄こしている。

 キュゥべえは、彼女たちに俺を含めた魔物への恐怖を植え付けるためにこの説明をしたのだ。

 

「里美……」

 

 協力を誓い合った彼女に、縋るような目を向けるが、困ったような表情をするばかりだった。

 

「赤司さんの事は信用しているわ。……でも、今のあなたは自分をコントロールできているようには見えない。今後一切、魔女モドキの姿にならないと誓ってくれるなら解放してあげてもいい」

 

 魔法少女一同はざわつくが、それでも一目置かれている里美の意見には逆らう者は現れず、露骨な否定意見は挙がらなかった。

 それではお前と共に戦えない。そう思って彼女を見つめるが、帰って来る沈黙には俺との共闘への白紙に戻すという強い意思が含まれている様子だった。

 

「……分かった。もう変身しない。俺は、戦わない……」

 

 決意を込めて言ったつもりだったが、喉から吐かれた声音は絞り出したような、か細く弱々しいものだった。

 

「舞さん。鎖を解いてあげて」

 

「でも、里美さんよ。こいつは……」

 

「大丈夫。彼の人格は信頼できるわ。嘘を吐くような人じゃない」

 

 里美に諭され、不本意そうに舞はフレイルを鎖ごと消滅させた。

 身体が自由になった事で腕を動かす。そして、ある事に気が付いた。

 

「!? ……右腕が」

 

 ドラーゴによって断ち切られた俺の右腕が何事もなかったかのように、肩から生えている。

 今まで気にする暇もなかったが、きちんと動き、指先まで感触があった。

 

「気付いたようね。それが皆があなたを怖がっている理由の一つよ。魔法少女は普通の人間よりも治癒力が高い。ちょっとした傷なら即座に治るわ。でも――赤司さんのように無くなった部位が完全に元通りに生えてくるなんて起きないの……」

 

 我が事ながらぞっとして鳥肌が逆立つ。

 俺は、自分が人間ではないと自覚していた。だが、これほどまでに自分が人外めいた特性を持っているとは思っていなかった。

 無くなった腕が生えてくる? では、足は? 内臓は? 脳は?

 どのパーツが無くなっても、トカゲの尻尾のように生えてくるというのか。それでは俺は何を以って、俺と認識すればいいのだろうか。

 

「赤司さん。あなたの気持ちがまったく想像できない訳じゃないけれど、このままずっとレイトウコの中に居る訳にもいかないわ。さあ、立って」

 

 俺は里美に促され、喚き散らしたくなる感情を抑えて立ち上がる。

 彼女は俺が立った事を認めると、号令を飛ばして全員に魔法陣の前まで行くように言う。

 俺たちが入口付近まで出ると持っていた鞄から透明なカプセルを一つその場に置いた。

 

「それは……」

 

「海香ちゃんの身体よ。お葬式なんて開いている暇もお金もなかったから」

 

 入っているのは縮小された長髪の眼鏡の少女。

 海香の入れられたそのカプセルを置き、開いた二枚扉を手ずから閉じる。

 

「これでこのレイトウコも役割を終えたわ。……ここは無くなければいけない場所よ」

 

 扉に触れた里美の手が扉の付いた魔法陣を撫でる。

 輝き出す幾何学的な魔法陣はその端から削れるように消えていく。

 同時に激しい揺れと音を立てて、レイトウコの扉の輪郭がぼやけるように薄れていった。

 まさか、里美はこの場所を消滅させようというのか……。

 

「里美、そんな事をすれば中の海香や五人の魔法少女たちの身体が!」

 

「じゃあ、どうするつもり。突然死した事にして六人のお葬式でもしたいの? それとも彼女たちを裸の死体のまま警察にでも連れて行く気? どちらも現実的じゃないわ。無用な騒ぎを引き起こして、私たちが動き辛くなるだけよ」

 

 その言葉に俺は口篭もる事しかできなかった。

 彼女の言う通り、もし警察沙汰になれば、俺たちが拘束されて、その間あきらたちを野放しにするだけだ。

 魔法少女や魔物の話をしても信用してもらえないだろうし、仮に信じてもらえたとしてドラマ宜しく共に戦ってくれる訳がない。

 下手をすれば、それこそ危険な存在として隔離されてしまう。

 俺たちの前でレイトウコは消えていく。そこに取り残される救われなかった少女たちの身体を入れた空間は、逡巡している僅かな時間で永久にこの世から消滅した。

 

「さあ、行きましょう。地上で他の魔法少女たちが待っているわ」

 

 凛とした表情の里美は俺と魔法少女たちを連れて、魔法陣の床まで先導する。

 魔法少女たちのリーダーに認められた彼女は貫禄すら見せ付けて、俺たちを地上まで送り届けてくれた。

 アンジェリカベアーズ博物館へと戻って来ると、そこには先に上がっていた魔法少女たちが視線を向けて来る。

 里美はそれを宥めるように手を上げて、魔法陣から降りると静かだがよく通る声で語り出す。

 

「お待たせしたわね。魔法少女の皆。あなたたちが持っていた荷物は残されていなかったから、所持金や携帯なんかは全て返せないけれど、ある程度の電車賃や家族へ連絡は可能な限り取らせてあげる」

 

 魔法少女たちは、口々に言うのは「そんなものは要らないから、今すぐに帰りたい」という言葉だった。

 持ち物の回収などもはやどうでもいいのだろう。家に帰りたい、家族や友人に会いたい、その想いだけが彼女たちに残された最後に残された希望なのだ。

 

「大丈夫。あなたたちは自由よ。各自好きに帰ってもらって構わないわ」

 

 頼りになるリーダーの発言にわっと少女たちが沸き立つのを感じた。

 表情の暗かった彼女たちの顔にようやく喜色が浮かぶ。しかし、彼女たちがその場から(きびす)を返す前に里美は矢継ぎ早に言った。

 

「ただ、キュゥべえの言った発言は悔しいけど真実よ。私は、私と共に戦ってくれる魔法少女を募っている。でも、無理強いはしない。この場で私と一緒に戦ってもいいと思える子は一旦残ってちょうだい。戦いを望まない子は私の目の瞑っている間に帰ってもらっていいわ。私はその子を責める気もなければ、咎める気もない」

 

 そう発した後、里美は瞳を閉じた。

 それは、逃げる者の顔を覚えないという無言の宣言だった。去っていく姿を後ろめたく思う必要のないように配慮した彼女の優しさ。

 本当は恩着せがましく、彼女たちに助力を強制する事もできたはずなのに里美はそんな素振りは微塵も見せない。

 高潔とも言える精神。だが、その優しい彼女の前で聞こえて来るのは、遠ざかっていく多くの足音だけだった。

 次に里美が目を開いた時に立っていたのは、たったの四人。

 それでも彼女は本当に嬉しそうに涙ぐんで頭を深々と下げた。

 

「ありがとう……本当にありがとうね。こんな私に着いて来てくれるなんて……」

 

 里美と共に戦うと決意した魔法少女の内、三人は見覚えがあった。

 皐月ルイ。小春ひより。三鳥舞。……もう一人は初めて見る顔だ。

 深緑色の髪にヘッドフォンを付けた魔法少女。

 リストの紙束をレイトウコ内に破棄して来たために、彼女の名前を確認する事は叶わない。

 

「ごめんなさい。見っともないところを見せちゃったわね。名前を改め、教えてくれるかしら。これから一緒に戦う人たちだからちゃんと覚えたいの」

 

 そう願い出る里美に四人とも頷いて、右から自己紹介を始めていく。

 

「皐月ルイだ」

 

「こ、小春ひよりですぅ……」

 

「あたしは三鳥舞」

 

「……時雨カイネ」

 

 四人が名乗りを上げた時に、俺もまた彼女たちへ名乗ろうとした。

 しかし、名前を言う前に里美が首を横に振る。

 

「赤司さん。あなたはいいわ」

 

「な、何故だ? 俺も一緒に……」

 

「ここで名前を言うのは共に戦う人だけ。申し訳ないけれど、赤司さんはその中には入れられない」

 

 俺の力は借りないと里美は断言する。

 伊達や酔狂での発言ではない。自分の発言に責任を持つ者の重みのある発言だった。

 

「そんな……」

 

「これは魔法少女たちの戦い。それに今のあなたは戦力として数えるにはあまりにも不安定過ぎる。はっきり言って、肩を並べる方が危険なの」

 

 彼女の瞳には敵意こそないものの、仲間を見つめる眼差しではなかった。

 里美はあくまで冷静だった。冷静に俺を危険視し、協力関係を断ち切ったのだ。

 やっと一人ではないと思えた矢先にこれなのか……。

 胸の奥が締め付けられる。ぐっと奥歯を噛みしめて、俺は彼女たちを背にアンジェリカベアーズから出て行った。

 脇を通り過ぎる寸前に魔法少女たちは何か言いたげに視線を向けたが、(つい)ぞ彼女たちの口から言葉は流れなかった。

 入口から出た俺は日が照っている天を仰ぎ見る。

 空は雲もなく、忌々しいほど晴れ渡っていた。

 

 

~あきら視点~

 

 

「いいね~。それ! 実にグッドだぜ、サキちゃん」

 

 白いタイトシルエットのパーティドレスを着たサキちゃんを、俺はサムズアップで褒め称える。

 細身で身長が高めのサキちゃんにはこのシルエットタイプが一番合う。フィッシュテールシルエットも着せようと思ったが、こっちのが良いだろう。

 

「そ、そうかな? でも、こんなに高いドレスなんて買ってもらって申し訳ないな」

 

 照れたようにはにかむサキちゃん。髪型のセット代まで出してるってのに、まだそんなこと言ってるのかよ……。いい加減、奢られ慣れろ。

 

「いいのいいの。ほら、ここそこそこ良いホテルだからさ。ある程度ドレスコートも必要なんだよ。俺だってこんなスーツ着てんだぜ?」

 

 椅子に座ったまま、黒いスーツを広げて見せる。

 あまり格式ばっていないセミフォーマルスーツだが、それでもそこそこ生地が硬くて着ていて鬱陶しい。

 ひじりんと戦争を始めるために俺はホテル住まいになっていた。

 流石に脳内フラワー魔法少女ちゃんでもあれだけやれば、俺の自宅の郵便受けに爆弾でも突っ込んできかねない。

 まあ、それはそれで楽しいんだが、服や室内が汚れるのは嫌だったので早々にマンションは放置した。

 

「……それにしても、あきらがあの黒い竜の魔女モドキだったなんて」

 

「嫌いになった? もしくは騙されたと思ってる?」

 

 サキちゃんにそう振ると、彼女はぶんぶんとセットした髪が乱れるくらいの強さで首を横に振る。

 

「そ、そんな訳ないだろう! あきらはどんな姿でもあきらだ! 強くて、賢くて、格好良いい……あっ、変な意味じゃなくてな。うん……」

 

「あはは、ありがと。それじゃあ、いいじゃん。気にしなくて」

 

 笑い飛ばして、二人を挟むようにあるテーブルからコーヒーカップを啜った。

 ミルクを入れずにシュガーとジャムだけをたっぷり入れた『あきら式ブラック』は良い感じに甘ったるく口の中に広がる。

 いくらお馬鹿なサキちゃんと言えども、彼女は薄々は自分が騙されたことは分かっている。

 分かっているが、絶対に認めない。認めれば、自分が何もかも捨ててしまったことに気付いてしまうから。

 「騙される」という状況には何段階かフェーズがある。

 その内の最終フェーズに入ると、騙された人間は今度は自分自身を騙し始める。

 自分は騙されていないという自己暗示をかける訳だ。自分の間違いや愚かさを素直に認めるには、遅すぎた人間の末路。

 後戻りできないことを理解した人間は振り返ることもせずに、ひたすら前へと直進する。

 騙した相手を信用し続けることで自分の心を守る。早い話が現実逃避だ。

 こうなった人間は、例え騙されたことをバラされても現実を見ない。見れば、自分の愚かさを突き付けられてしまうからだ。

 サキちゃんは、本当の意味でもう俺を見てない。この子が見ているのは、自分の脳内に作り出した都合の良い幻想の俺。

 その幻想を俺に被せてはしゃいでいるだけでしかない。

 例え、目の前で俺が一般人を惨殺し始めても、納得できるカバーストーリーを脳内で作り上げてくれるだろう。

 サキちゃんはもう壊れちまっている。取り返しの使いくらいバッキバキに。

 哀れな玩具を内心でこき下ろして楽しんでいると、その玩具は深刻そうな顔で尋ねてきた。

 

「それよりもニコを放置しても大丈夫なのか? この街からかずみを連れて逃げてしまうんじゃ……」

 

「ああ、それは問題ない。俺がちょいとした悪戯をかましたからな。このまま、逃げる方があの子にとっては恐ろしいだろうよ」

 

 ひじりんが偽物のニコちゃんだと理解しているのに、未だに「ニコ」と呼んでいるのも壊れている証拠だ。そろそろ飽きたし、ゴミ箱にでも捨てるかなぁ……。

 とはいえ、ひじりんと遊ぶのに手駒が一つある方が便利か。

 

「あの子は俺に住所がバレていることを知ってる。そして、留守中に家を軽く荒らしてやった。別の土地に逃げれば、その恐怖を味合わなきゃならなくなる。だから、逃げない。——いや、逃 げ ら れ な い」

 

 この街で俺を迎え撃つよりも、どこかに逃げて俺を見失う方がずっとひじりんには怖い。

 姿の見えない相手の襲撃を待つのは精神的にこの上ない苦痛になる。ソウルジェムが精神的苦痛で濁ることは実験済みだ。

 いくらグリーフシードがあっても無限じゃない。精神的苦痛を抱えながら、この先一生過ごすなんて選択肢は魔法少女には絶対に選べない。

 家族全員皆殺しにしたのは、それを教えるための仕掛け。家族そのものに愛着が無くても逃げられないという意識を刷り込めば充分成功している。

 大人二人、子供二人の死体処理なんて簡単にはできないだろう。何らかの魔法で死体を処理したとして、その欠落までは埋められない。

 隣人付き合いがどうかは知らないが、五人家族の家から誰も外出しないと分かれば親の職場か、子供の幼稚園なりが不審に思って連絡をするはず。

 昨日の時点で蠍野郎が街を破壊したこともでかい。今や真夜中に起きたあの破壊痕はニュースにもなっている。

 警察が夜に巡回をするようになれば、中学生の夜逃げなんか見過ごさないだろう。

 魔法で逃げれば、魔力の反応が出て、俺に気付かれる。

 となれば、ひじりんができることは、住所のバレた家の中で必死に俺の襲撃に怯えるしかない訳だ。

 つまり、今、圧倒的に戦闘能力で劣っているあの子は地の利を生かしてせっせと涙ぐましく迎撃の準備をしている。

 

「俺たちは待つだけでいい。籠城戦を決め込む奴に、馬鹿正直に攻撃してやる気はねーよ」

 

 攫われたかずみちゃんを取り戻したいのは俺たちだけじゃない。里美ちゃんに拾われて、運よく生き残ったらしい蠍野郎も同じこと。

 馬鹿VS馬鹿でうだうだやっている時に、最高のタイミングで横から掠めとる。そいつがベストだ。

 皿に乗ったマカロンをいっぺんに三つ摘まんで、齧り付く。……あらやだ、これおいしいじゃなーい。後でまた買ってこよ。

 

「そ、それならいいが……。なら、私たちはその間何をすればいいんだ?」

 

「何って、美味しいもの食べたり、遊んだりしてていいんじゃね?」

 

 サキちゃんにマカロンを一つ取って口元に運んであげる。

 可愛らしく頬を朱に染めたサキちゃんは誰も見ていないのに、周囲を見回してから口を付けた。

 




今回残りのオリジナル魔法少女を登場させる事ができました。
PT2180さんより頂いた時雨カイネと、huntfieldさんより頂いた黎 透子の二人です。
後者の方は名前だけの出演になりましたが、お気づきなられたでしょうか。

前回までバトルばかりだったので、今回は説明回でした。
大火……主人公なのに悲しい子。


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第三十九話 生まれ出でる祈り

~カンナ視点~

 

 

「これさえ完成すれば……これさえ完成すればあきらにも対抗できる……」

 

 キーボードに指を走らせ、製造過程にあるカプセル内のそれを見つめながら、私は勝利を確信する。

 動かしているのは、市販のノートパソコンだが私の魔法で物理的にカプセルと“繋がっている”。これにより、余計な機械を使わずにデータを直接流し込む事が可能だ。

 パソコン内にあるデータは、あきらが抑制装置だと思っていた『アトラスのベルト』から送信された奴の魔力の情報。

 確かにアトラスのベルトはイーブルナッツの活性化を抑制する機能を持つ。

 だが、実際には奴の魔力は単純に抑えられていたのではなく、常時こちらの用意した場所へ転送されていた。

 あきらがアトラスに変身する度に、私の自室の真下に作られた魔力空間にあるカプセルへと流れ込むよう仕組みを立てていたのだ。

 奴の襲撃を受けた時にこの場所も発見されていれば、それこそ打つ手はなかったが、幸いはそうはならなかった。

 念のために何重にも仕掛けた魔力を使わないアナログな偽装が役に立った。勘のいいあきらは魔法で隠せば、その魔力を辿り、難なくこの研究室を見つけていた事だろう。

 しかし、出し抜いたのは私だ。

 カプセルは無事。奴の魔力構成データも必要な分は取れた。反応からアトラスのベルトは壊されたようだが、現段階に置いてはもう不要だ。

 最終調整をすれば、カプセルの中身は完成する。最強の魔物、『ドラーゴ』に匹敵する存在が生まれ落ちる。

 カプセル内には脈動するように明滅する二つのイーブルナッツ。そして、かずみシリーズの死体から採取した肉体の残滓。

 それがうねるように絡み合い、一つの像を形成していく。

 

「もうすぐだ……。もうすぐ生まれるぞ。私の可愛い子供(ベイビー)が……」

 

 思わず、口元が弛む。母親になる女とはこんな気持ちなのかもしれない。

 もしくは最高傑作を作り上げる技術者の気分か。どちらにせよ、新たなものを生み出す喜びには違いない。

 最後に絶対服従を刷り込むために、最初に見たものを親と認識するプログラムを組み込み、コネクトでカプセル内に流した。

 これでいい。これで万が一にでも造反する危険はなくなった。

 『親』という存在は『子』に対して絶大な影響力を及ぼす。これより生まれ出でるこいつは、私を愛し、尊敬し、付き従うものとなる。

 決定キーを押下し、私は最後のプログラムコードを送信する。

 蠢いていたカプセル内の肉塊がスマートなシルエットになっていく。

 透明なガラスに似た材質の壁から見えるのは、一人の少女……いや、幼女か?

 消滅する前に回収できたかずみシリーズの肉が少なかったせいで大きさは彼女たちよりも幾分小さい。

 外見年齢は多く見積もっても十歳前後。目を瞑っている顔立ちはかずみに似ているが、その髪の色はミルクを入れすぎたカフェラッテのような濁りのある白。

 自分が作り出した生命だと思うと、それがとても愛おしく映る。

 

「今、ママが出してあげるからな……」

 

 カプセルに近付き、その中から生まれたばかりの我が子を取り出そうとした。

 けれど、すぐ直前でカッと彼女の目が見開かれる。濁りある白い瞳孔が至近距離に居る私を捉えた。

 その目付きは私が知り得る最悪の存在——一樹あきらに酷似していた。

 

「……っ!」

 

 蛇に睨まれた蛙のように固まる私を眺めた彼女は、にたりと相好(そうごう)を崩す。

 瞬きする間もなく、カプセルが内側から砕け散り、中に溜まっていた液体が流れ出した。

 裸体を晒した彼女はガラス片を裸足で踏み付けなら、脱皮を果たした蝶のようにカプセルから歩み出る。

 起伏の乏しい肢体から、浸かっていた液体の雫がポタポタと流れ落ちていく。

 犬や猫がやるように濡れた身体を振るわせて、付いている水滴を晴らすと、彼女は私を見上げて言った。

 

「ねえ。お腹空いたよ、ママ」

 

 しばらく返事を出せなかったが、彼女が私をちゃんと親と認識している事に安堵し、息を整えて答える。

 

「あ、ああ……。何か食べ物を作ってあげるよ。それよりお前は……いや、名前が必要だな」

 

「名前?」

 

「そうだ。和沙ミチルを略して『かずみ』と名付けた奴らに倣い、『かずら』にしよう。お前の名前は今日からかずらだ」

 

 一樹あきらから名前を取るのはあまりいい気分はしないが、それでも奴の魔力情報から作られた彼女には相応しい。何せ、かずらのコンセプトは“私のために戦うドラーゴ”だ。

 かずらは命名された名前を気に入ったのか、嬉しそうにぴょんぴょんと跳ねた。

 

「あはは、いいね。かずら! あたしはかずら!」

 

「喜んでくれて、私も嬉しいよ。かずら」

 

 私は近くに用意してあったタオルを手に取って、彼女の湿った髪を拭ってあげる。

 ふと妹たちをお風呂に入れて上げた記憶が脳裏に過り、胸に良く分からない痛みが走るが、黙殺した。

 ……あんなものは私の家族じゃない。私の家族はこの子とかずみだけだ。

 

「ねえ。ママ。その透明なのに入ったお人形さんは何?」

 

 髪を乾かしてやっているかずらが、机に乗っているかずみの入れれた小さなカプセルを指差した。

 彼女は未だに里美を操って強制的に意識を遮断したため、人形のような大きさのままで眠っている。

 

「それは人形じゃない。かずらの……お姉ちゃんだ」

 

 詳しく説明すれば、複雑すぎて関係性を正しく表現する単語は見当たらない。

 だが、姉妹でも問題はないだろう。何せ、構成している肉体自体は同じ由来のものなのだ。

 名前も二文字ほど被っているし、姉という扱いでいいだろう。

 

「へえー。あたしのお姉ちゃんってちっちゃいんだね」

 

「元の大きさになればかずらよりも大きいよ。かずみって言うんだけど、……ちょっと理由があって眠っているんだ」

 

「かずみお姉ちゃん! 何だか、かずらと似てるね」

 

 私に笑い掛けるかずらに愛らしさを覚えた。

 良かったと、それを見て胸を撫で下す。

 イーブルナッツ二つ分の魔力を支配下に置くにはあきらの魔力構成データ……ひいては奴の魂を模倣する必要があった。

 エピソード記憶はないものの、あきらと同じ性格になる事を危惧していたが、かずらからは奴のような邪悪さは感じられない。

 見た目通り、無邪気な子供そのものだ。……これなら扱うのは難しくない。

 

「ママ。かずみお姉ちゃんに触ってもいい?」

 

「うーん。カプセルを揺すらないならいいよ。お姉ちゃんが起きちゃうから」

 

「わーい。おっ姉ちゃん! おっ姉ちゃん! かっわいいかっわいいおっ姉ちゃん!」

 

 許可を出すと妙な節を口ずさみながら、かずみのカプセルを手に取って眺め始める。

 同じ肉体だからこそ惹かれたのか、自分の姉妹と聞いて愛着が湧いたのか、かずらはご満悦の表情だ。

 強大な魔力を保持しているのに、可愛いものだな……。

 そう思って、見つめていると彼女はスンスンとかずみの匂いを嗅ぐ。

 

「かずみお姉ちゃん、良い匂い……。とっても美味しそう……」

 

 舌舐め擦りをして、目を細める。

 ……何をする気だ、こいつ。

 獲物を定めた蛇のような仕草に私は慌てて、かずみのカプセルを取り上げた。

 

「やめろ! かずみは食べ物じゃない!」

 

「冗談だよ、ママ。そんなに怒らなくてもいいじゃん……」

 

 口を尖らせて文句を言うかずらの姿は、記憶の中のあきらを彷彿とさせる。

 まともな神経では行えない残虐行為を働いて、なおもちょっとした悪戯のように語る奴の顔とそっくりだ。

 油断ならない。やはり、こいつはあきらの精神を継いでいる。

 ……化け物の子だ。プログラムによって、私に逆らう事はないが、それでもかずみには危害を加える可能性がある。

 

「いいか、かずら。お前は私の娘。私の言う事は絶対だ。以後、かずみに危害を加える事は冗談でも許さない」

 

 そう言い含めると、かずらは幼い顔立ちをくしゃくしゃにして泣き始める。

 

「う、うん。分かったからぁ……。ママ……怖いよ。許して、ちょっとふざけただけなの……」

 

 ポロポロと涙を零して謝る姿は年相応の幼女と変わらず、少し強く言い過ぎたと後悔が募った。

 脅し過ぎてしまっただろうか。いくらあきらの精神を模倣したとはいえ、この子は生まれたばかりの赤ん坊だ。

 行動の良し悪しさえ覚えさせれば、おかしな言動はなくなるはずだ。

 あきらという外道に育ったのは環境や境遇によるものかもしれない。いや、きっとそうだ。あれほどの邪悪が自然発生する訳がない。

 この子も私が適切な教育を施せば、奴のような真性の狂人には育たないだろう。

 

「言い過ぎたよ、かずら。上で起き替えして、それからご飯を食べよう。ね?」

 

「うんうん。あたしも……ふざけたりして、ごめんなさい……」

 

 しゃくり上げる彼女の頭をポンポンと撫でて、研究室から自室へ戻る魔法陣へと連れて行く。

 その際に再び、かずみのカプセルを研究室の机の上に置いた。

 かずみを起こすにはまだ早すぎる。この状況下であきらを超える信用を彼女に刷り込むのは難しい。

 だから、かずらを使ってあきらを殺し、プレイアデスの残党を潰し……そして赤司大火を(くだ)した後、じっくりと彼女に全てを教える。

 この私以外に頼る者の居なくなった世界では、かずみも私に縋るより他になくなるのだから。

 そして、世界を焼き尽くし現生人類を放逐する。

 イーブルナッツに感情エネルギーを籠めれば、新たな人になる事が証明された。

 私たちは新たな人類。ヒューマンと異なる、作られし命。

 名付けるなら“ヒュアデス”。

 全人類から感情エネルギーを抽出し、それをイーブルナッツに注ぐ。

 私はこの新人類を統べる神へとなる。

 このかずらこそ、そのための第一歩。

 (わたし)の創造する世界を実現するために、今ある世界を破壊する天使だ。

 誰にも邪魔させるものか。……誰にも。例え、お前にもだ、『タイカ』……。

 

 

~里美視点~

 

 

 夜もすっかり()けた空を見上げる。

 家に帰った魔法少女たちはどうしているかしら……。

 何か月も失踪していた彼女たちを親兄弟や友人たちは温かく迎え入れてくれるかしら……。

 彼女たちが失いかけた青春を僅かでも取り戻せたのならいい。彼女たちを探していた人たちはほんの少しでも安らぎを得られたのならいい。

 プレイアデス聖団の最後の一人として、私はそれを心から祝福する。

 だから。

 今度は私がプレイアデス聖団のために戦う事を許してほしい。

 夜空に輝く星座の七姉妹を見て思う。私は本当に駄目な姉だったと。

 末の子であるかずみちゃんを内心では怖がっていた。ミチルちゃんの代わりだと思っていたのもあるけれど、根本的なところで私は彼女を人間ではなく、人形だと思っていた。

 辛い過去を塗り潰すために作った魔女の心臓を持つ人形。……これじゃあ、お姉ちゃんなんて名乗れないわね。

 でもね、今日からいいお姉ちゃんになるわ、私。

 攫われた妹を、必ず取り戻す。

 聖カンナの自宅は操られていた時に場所を覚えている。彼女がかずみちゃんを隠しているとすればあそこしかないだろう。

 アンジェリカベアーズ博物館の屋根から飛び降りると、私はそこに集まってくれた四人の魔法少女たちの顔を見渡す。

 紺色の魔法少女、皐月ルイさん。

 桜色の魔法少女、小春ひよりちゃん。

 橙色の魔法少女、三鳥舞さん。

 深緑色の魔法少女、時雨カイネさん。

 これから彼女たちに理不尽な頼みをする。拒絶されたのなら、それでもいい。

 私が行おうとしているのは街のためというよりも、個人のための行動だ。

 

「四人とも来てくれてありがとう。私はこれからこの街を襲う元凶の魔法少女、聖カンナの家を襲撃します。これはお昼にも伝えたわね……でも、私にはもう一つだけやらないといけない事があるの」

 

 全員の顔を見ながら、可能な限り自分の本心を隠さずに伝える。

 嘘や欺瞞はもうたくさん吐いた。騙されるのも騙すのもうんざりだ。

 

「私は彼女に捕まっているプレイアデス聖団の魔法少女を取り戻したい。かずみちゃんって言うその子はね、私たちが作り出してしまった女の子なの」

 

 かずみちゃんを作った事を話した。

 ミチルちゃんの死を踏みにじった事を話した。

 自分たちの罪と弱さと夜空の下で告白した。

 四人の魔法少女は何も言わない。ただ、静かに私を見つめ、その言葉を聞いている。

 

「これは私情よ。あなたたちには何の関係もない私情。それでも恥を忍んで私は頼みたい。かずみちゃんを……私たちの妹を取り戻すのを手伝ってください! お願いします!」

 

 深々と私は皆に頭を下げた。

 下げ過ぎて、視界には地面しか映らない。

 重苦しい沈黙が辺りに流れる。

 私は怖くて顔を上げる事ができなかった。

 私を信用して一緒に戦う決意をしてくれた魔法少女たちが、どんな表情をしているのか確認するのが怖かった。

 失望されただろうか。軽蔑されただろうか。ひょっとしたら敵意を向けているかもしれない。

 綺麗事を吐いておいて、身内可愛さに自分たちを危険に巻き込むのかと、そう思われているかもしれない。

 それでもこれは果たさないといけない事だ。

 プレイアデス聖団として、レイトウコを解凍したように。

 かずみちゃんの姉として、彼女を助けに行かなきゃいけない。

 それが私の矜持。私の誇り。恥しかない私に残されたたった一つの願いだから。

 

「頭を上げてくれ、宇佐木里美さん」

 

「そ、そうですよ。里美さん……」

 

「リーダーがいつまでも頭下げてちゃ格好付かないよ」

 

「……皆の言う通り」

 

 顔を上げた先に待っていたのは、四人の笑顔。

 彼女たちの誰も怒るどころか、祝福でもするように微笑んでいた。

 ルイさんが頬を掻きながら、困ったように言う。

 

「そう畏まらないでくれ。あなたがそのかずみという魔法少女を大切にしている事は話を聞いただけで伝わって来た。こちらこそ手伝わせてくれ」

 

 横目でひよりちゃんを一瞥する。

 そうか、彼女には私の気持ちが共感できるんだ……。

 かつて、ひよりちゃんを助け出すために、アンジェリカベアーズまでやって来た彼女には。

 

「そ、そうですよ……もう里美さんはわたしたちのリーダーなんですから……」

 

「そうだな。あたしらにもチーム名が欲しいとこだ。言っとくが、『新生プレイアデス聖団』とかは嫌だぞ」

 

 ひよりちゃんと舞さんがそれに追随する。

 チーム名……そんな事を急に言われてもパッと浮かんで来る名前なんて……。

 私がお礼も忘れて考え込んでいると、カイネさんが服の裾を掴んで引っ張った。

 

「な、何? カイネさん」

 

「『トレミー星団』……とかどう?」

 

 トレミー星団……。それは前に星座に詳しいミチルちゃんに教えてもらった事のある散開星団の名前だ。

 古代ギリシャの数学者プトレマイオスの英名を冠したその散開星団はさそり座の尻尾の辺りにあり……。

 

「『さそりの針に続く星雲』と呼ばれている……。そう、いい名前ね」

 

 私はふと(たもと)を分かった彼の事を思い出す。

 彼もまた共に戦う事は叶わなかったけれど、かずみちゃんを心配している一人だ。

 

「あすなろ暗黒五重奏(ダーククインテット)という手もあるぞ」

 

「ル、ルイちゃん……冗談でもそれキツいです……」

 

「……わりと本気で考えたのに」

 

 隣でルイさんとひよりちゃんがコントを繰り広げている。ルイさんは真面目だけど、ネーミングセンスはあまりないようだった。

 そして、ひよりちゃんも友達には結構はっきり物を言うタイプらしい。

 

「あたしもそれでいいぞ。ただし、『せいだん』は正しき団の方で頼む……あすなろなんちゃらは死んでも御免だ」

 

 不評ね、あすなろ暗黒五重奏(ダーククインテット)。私も嫌だけど……。

 満場一致でチーム名は『トレミー正団』に決まった。

 皆は私へ何かを求めるように視線を向けてくる。

 それに気付いて、一つ咳をして全員に号令を告げた。

 

「トレミー正団として結成してすぐになるけれど、これが初めてのオペレーションよ。皆で聖カンナを倒して、かずみちゃんを助け出しましょう!」

 

「承知」

 

「わ、わかりましたぁ……」

 

「OK」

 

「…………うん」

 

 四人ともまったく揃わない返事をする皆に苦笑し、そして、私は改めて誓いを立てる。

 このトレミー正団で必ず、かずみちゃんを救い出してみせるわ。

 出来損ないの恥知らずだけど、それでも私、あなたのお姉ちゃんだから……。

 




やっとカンナ編でカンナを登場させられました。
しばし主人公たちは出番がないかもしれません。


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第四十話 紺色の落涙

~ルイ視点~

 

 

 今だから告白しよう。

 私は……プレイアデス聖団が憎かった。

 たった一人の親友であるひよりを攫った彼女たちが、私から日常を奪い去った彼女たちがずっと憎らしかった。

 想像できるだろうか?

 ある日突然、大切な人を何者かによって奪われ、それを追いかけて辿り着いた先でその大切な人を人質に取られる屈辱を。

 ようやく見つけた親友を目の前で諦めなければならない苦しみを。

 私はプレイアデス聖団によって全てを奪われた。

 だが、奪ったのが彼女たちなら、それを取り戻してくれたのもプレイアデス聖団だった。

 宇佐木里美。プレイアデス聖団の一翼を担う彼女が私とひよりを解放してくれた。

 彼女に対しての第一印象は「狡猾で卑怯な女」だった。

 私がかつてアンジェリカベアーズ博物館を発見できた理由は、捕らえた魔法少女をカプセルに入れて運んでいた宇佐木里美を尾行していたからだ。

 キュゥべえに『ひよりを見つけ出したい』という願いから魔法少女へなった私は索敵能力に優れた固有魔法を得た。

 分身を作り出す魔法は数を頼みに戦力を増やす攻撃的な魔法に見えるが、実のところは違う。

 本来の用途は複数の目と耳を持って人海戦術を行ない、調査や索敵を一人でこなすための魔法だ。

 この魔法を使ってプレイアデス聖団を調査し、アンジェリカベアーズ博物館に侵入を果たした私だったが、そこでレイトウコへと下降する彼女を押さえようとして、待ち構えるように潜んでいた御崎海香と浅海サキの両名の襲撃を受けた。

 全ては罠だった。宇佐木里美が私に尾行されたのも、逃げ場のない場所で追い詰めるための仕掛けに過ぎなかったのだ。

 プレイアデス聖団の魔法少女二人は強かったが、複数の分身を操る私であれば逃走は充分可能だった。……宇佐木里美がひよりの入ったカプセルとソウルジェムを地下から持ち出す前の話だが。

 これは解放された後で知った事だが、御崎海香は記憶を操作する固有魔法を持っていたのだという。恐らくは、プレイアデス聖団を嗅ぎ回っていた私の身元は、ひよりの記憶から露見し、既に知れ渡っていたのだろう。

 ひよりを人質に取られた当時の私は、ただ敗北を認めて、捕まるしかなかった。

 プレイアデス聖団に、そして誰より宇佐木里美に対して恨みを抱きながら、レイトウコへと収監された。

 それが今や彼女を首領と仰ぎ、徒党を組んでいる。人生とは分からないものだ。

 だが、それはひよりや私自身を解放してくれた恩義からではない。私は宇佐木里美の中にあの頃とは違う、「気高さと覚悟」を見た。

 かつての彼女では持ち得ない、その誇り高い理念に協力したいと感じた。

 だから、私はここに居る。

 だから、私は彼女と共に戦う。

 だから、——ここまでの窮地(・・・・・・・)に陥ろうとも私は倒れる訳にはいかない。

 背後で紙切れのように扉が引き裂かれ、そこから入り口の壁を砕いて潜りながら、奴が侵入してくる。

 

『あははははははははは。お姉ちゃん、頑張るねェ。もう二人のお友達は死んじゃったっていうのにさァ』

 

 “濁った白”は裂けた口をさらに広げて、(いや)らしく(わら)う。

 羽ばたいていた“濁った白”は、満身創痍の私と、傍で倒れ伏した二人の魔法少女を見下すように眺めるためにわざわざ床に降り立った。

 四枚の翼を持ち、額から曲刀に似た形状の角を生やした竜型の魔女モドキ……。

 このふざけた魔女モドキは、魔法少女三人掛かりでもまったく相手にならなかった。

 こうなったのも全ては私のせいだ。聖カンナの魔女以外の戦力を保持している可能性も当然考慮していたが、ここまで圧倒的とは思わなかった。

 この魔女モドキと対峙した時、既に勝敗は決していたのだ……。

 

 

 

 私たちトレミー正団は、かずみ奪還作戦を決行するに至って、二手に分かれる事にした。

 騒ぎを起こして、聖カンナを引き付ける陽動班。囚われたかずみという魔法少女を救い出す本命班の二つだ。

 前者は固有魔法が戦闘向きではない里美さんとひより。後者は固有魔法が戦闘に特化した舞、カイネ。そして、斥候として私が加わっていた。

 特にひよりの透明化の魔法は潜入には打って付けの魔法だったのが大きい。

 里美さんは当初危険度の高い陽動班に自ら志願したが、以前にあげた理由とかずみが目を覚ました時に顔見知りが居た方が良いと理由で却下させてもらった。

 ……囚われている友達に、いの一番で会わせてあげたかというのもあったが、それは些細な理由だ。

 そうして、陽動班として敢えて正面玄関から聖カンナの自宅に突入した我々だったが、待ち受けていたのは魔力により変質した異様な光景の屋内だった。

 無機質なケーブルやパイプで覆われたそこは外観からは想像も付かない迷宮めいた場所。

 空間そのものが魔力を用いて無理やり拡張された内部は、魔女の結界と見(まが)うほどの異界と言えた。

 廊下であっただろう場所は地下鉄の通行路よりも複雑に張り巡らされ、私たちを惑わした。

 警戒をしながら進んだ私たちだったが、思いの外、聖カンナの襲撃を受ける事もなく、ただ何もない部屋や道ばかりがいくつも続いていた。

 だが、数十分ほど経った頃。私たちは、その部屋に足を踏み入れた。

 そこだけは、無機質だったケーブルとパイプだらけの空間とは違い、生活感が感じられる内装になっていた。

 食卓やソファ、テレビ、タンス、クローゼットといった普通の家具が並んでいたからこそ、かえって異様な雰囲気が感じられた。

 しかし、何よりも目を引いたのは、置かれた家具などではなく、ソファの上に転がる一人の幼女だった。

 濁った白い長髪のその幼女は二人掛けのソファの上で寝息を立てていた。胸の上には直前まで食べていたらしきパンか焼き菓子のような食べかすをいくつも乗せていた。

 攻撃すべきかと悩んだが、年端もいかない睡眠中の幼女に魔法を放つ事は三人とも抵抗があった。

 ……今思えば、それが間違いの始まりだった断言できる。奴に容赦や躊躇などというものを掛けるべきではなかったのだ。

 この家に居る以上は聖カンナの身内。少なくとも彼女から何らかの情報を聞けると判断した私は、近付いて声を掛けた。

 それが途方もない強さを持つ聖カンナの秘蔵っ子だとも知らずに。

 

『お姉ちゃんたち……ママの敵? 敵だよね? ここに入って来ているって事は……食べちゃってもいいんだよねぇ?』

 

 にたりと寝転んだままで、幼女が笑ったのを覚えている。

 ネコ科の動物が獲物を前にした時に浮かべる、嗜虐心の滲む笑みだった。

 そこから先は思い出すのも嫌なほど、最悪な展開だった。

 幼女は跳ねるように起き上がると、その姿を四枚の翼を持つ白竜に変え、私たちに鉤爪の付いた腕を振るった。

 六メートルはある巨躯(きょく)とは思えない機敏な動作。無造作でありながら的確に相手の急所を狙う精密さ。

 幼い子供が急に化け物に姿を変えた事に驚愕を隠せなかった私たちは、その二つを兼ね備えた一撃に重傷を負い、命からがら部屋から逃げ出したのだ。

 

『何々? 追いかけっこ? いいよォ。捕まったら殺すね』

 

 加工されたようなその声音はもはや人だったものから発せられたとは思えない、邪悪さに満ち満ちていた音だった。

 

 

 

 そして、現在。

 私以外の二人は床に伏していた。衣装はもちろん、身体中に切り付けられた痕をいくつも付け、真っ赤な血潮を流している。

 残る私も無論無事ではなく、同じようにズタズタに引き裂かれ、立っているのも辛いほどだった。

 これでもまだ倒れていないのは初撃以外の白竜の魔女モドキの攻撃に遊びがあったからだ。乱雑な狙いで攻撃し、速度を抑えて追跡してくる奴は、本当にふざけている。

 もしも奴が最初から本気であれば、一瞬で私たちは死亡していた事だろう。

 倒れている二人には目もくれずに、白竜の魔女モドキは私へとゆっくり近寄って来た。

 

『お姉ちゃんたち、弱っちいね。なるべく長く遊びたかったから、加減したんだけどなァ。……でも、仕方ないよね? お姉ちゃん、もう逃げられないモン。追いかけっこは終了だよねェ?』

 

 弱った獲物に止めを刺そうとする狩人の眼差しを浮かべている。

 高揚感と一抹の寂しさを併せ持つその瞳は、品定めをするように私を下から上に順繰りと眺めた。

 蛇の如く絡み付く視線は、しばらく続く。まるで視線で私の心までも恐怖で凍り付かせようとしている風に思えた。

 私は意を決して、白竜の魔女モドキに尋ねた。

 

「……最後に聞かせてくれ」

 

『うん? 何が知りたいの?』

 

 奴は足を止め、不思議そうに長く伸びた首の上部を傾げる。

 その仕草だけ見れば、子供らしい純朴そうな動作だった。

 

「お前の名前だ。何というんだ、教えてくれ」

 

『それ、聞いてどうするの?』

 

「決まっているだろう? ――お前の墓標に刻むためだ!」

 

 台詞と同時にこの部屋の扉側の天井の隅に仕掛けた数十に及ぶクナイを、私の分身へと変化させる。

 

「『ブル・スクーロ・アッサルト』!」

 

 白竜の魔女モドキの死角から放たれた分身は、紺色の発光する砲弾と化し、奴の頭部へ撃ち込まれた。

 これが私の仕掛けた(トラップ)

 油断と慢心に溺れた奴に、報いる逆転の一手。

 深手を負い、逃げ切れないと判断した私は、すぐに白竜の魔女モドキを罠に掛ける方針に変えた。

 奴の不合理的な行動から、獲物を甚振(いたぶ)って追い回したいという性格を把握した私は、一番奴が喜ぶであろう状況を意図的に作り上げた。

 全ては、奴に精神的な隙を生ませるための布石。

 どれだけ速くなろうが、どれだけ強くなろうが、元は人間である以上は後頭部を狙われれば一溜りもない。

 魔力で皮膚が強固になっていたとしても、その衝撃は脳を確実に揺らす。

 紺色の爆撃は完全に奴の後頭部に着弾した。これで形勢は……逆転する!

 濁った白色の鱗で覆われた白竜の魔女モドキの首から上は、爆ぜた紺色の魔力の粒で隠されていた。

 激しい魔力の爆発のせいで、宙を舞う残留粒子が消え失せるまで数秒かかった。

 

『……今のはちょォォっと痛かったかなァ?』

 

 爬虫類の顔が粒子のカーテンの向こうから覗く。

 鱗は僅かな焦げ目すら付いておらず、依然奴は無傷だった。

 

「ば、かな……? 後頭部を直撃したんだぞ……なのに何故……?」

 

『威力が弱かったからだと思うよ。軽く眩暈がしたくらいには痛かったし。あー、名前だっけ。あたしはかずら。こっちの姿は……そうそう、ママはこう呼んでたよ。「ミルク入りの竜(ドラーゴ・ラッテ)」って』

 

 濁った白竜、ドラーゴ・ラッテはそう名乗ってから、私の頭上から曲刀状の角を振り下ろす。

 鉤爪よりも鋭い切れ味がする事は一目で理解できた。もしもそれが私に刺されば、頭蓋骨を唐竹割りのように綺麗に切断し、真っ二つにできた事だろう。

 だが、それは起こらなかった。否、起こさなかった。

 ――私の仲間たちの手によって……。

 橙色の鎖がドラーゴ・ラッテの角に巻き付き、先端に付属された碇が絡んでいる。

 中途半端に頭を振り上げた姿勢で奴は拘束されていた。

 

『な! え……何で? 死んだはず、じゃあ?』

 

 反り返った首でドラーゴ・ラッテが見たものはフレイルを伸ばした舞の姿。

 そう、最初から彼女は死んでなどいなかったのだ。あくまで死んだように見せかけていただけ。

 これが二手目の(トラップ)

 私の攻撃だけでは倒せない事は想定の範囲内だった。

 それでも目眩ましくらいにはなっただろう。倒れていた仲間が立ち上がり、武器を作る程度の時間には。

 

『ま、まさか、もう一人も……!』

 

 戦慄するドラーゴ・ラッテ。

 その通り。カイネもまた健在とは言えずとも生存している。

 私の魔法は威力が弱かったと言っていたな……。では、喰らうがいい。トレミー正団、最高威力を誇る時雨カイネの魔法を!

 ヘッドフォンを付けた深緑色の髪の魔法少女が、その手に握った武器を反り返った奴の頭部に直撃する。

 一見するとエレキギターのように見えるそれは「斧」。

 振り下ろされた刃はドラーゴ・ラッテの頭部へと叩き付けられた。

 しかし。

 

『ふふふ……あはははははは。どんなモンかと思ったけど、全然痛くないよォ? コケ脅しだったみたいだねェ……』

 

 斧の刃は硬質な鱗に阻まれ、肉を断つ事は叶わなかった。

 接触時の衝撃も私の魔法を超えるほどの威力を奴へもたらさなかった様子だ。

 侮蔑に満ちた視線で斧を握るカイネを嘲笑っている。

 対するカイネは酷く落ち着き払って、言った。

 

「……勘違いしてる」

 

『は?』

 

「自分はまだ魔法を使ってない」

 

 彼女は斧の側面に着いた数本の弦へと片手を伸ばした。

 私は彼女の武器は斧だと言ったが、それは決して、ギターに見える箇所が飾りという訳ではない。

 カイネの武器は……。

 

「……『インテンソ・スオーノ』」

 

 音を奏でる斧なのだ。

 刃を奴の頭蓋に接触した状態で、彼女は弦を掻き鳴らす。

 激しい音、即ち強力な振動波がカイネの斧から響き渡った。その衝撃は近ければ近いほど威力を増す。

 つまり、そんな激しく振動を発している斧に触れている奴の頭部は。

 

『がッ、ああああああああああああああああああああああああッ!』

 

 彼女の音楽は“効く”だろう――?

 ドラーゴ・ラッテの首がうねるようにもがき、身体が小刻みに揺れる。しかし、その額から生えた角は舞のフレイルに巻き付かれ、固定されて逃れる事は不可能。

 白目を剥き、口の端から泡を吹き出す様はラッテというよりカプチーノだ。

 カイネの指が弦から離れた時、演奏会は終了した。

 ドラーゴ・ラッテはぐらりと一際大きく身体を揺らすと、その姿を元の幼女へと変わる。角が消えたせいで、彼女の身体を支えるものが無くなり、床に眠るように転がった。

 

「勝った、のか……」

 

 うつ伏せに倒れた幼女、かずらを見つめて、舞は張り詰めていた緊張の糸が切れたように息を吐く。

 カイネも額に大粒の汗を垂らしながら、膝を突いた。二人とも身体に受けた損傷自体は決して軽いものではないのだ。

 それは私も同じ事。全員、満身創痍なのは嘘ではない。

 奴が最初から本気で私たちを殺しに掛かっていれば、文字通り瞬殺されていただろう。

 念には念を入れて、首を断ち、止めとする。

 クナイを片手に倒れているかずらへと、近付いた。

 その瞬間……。

 

「…………あったま来た」

 

 小さな呟きが聞こえた。

 

「……ッ!」

 

 すぐさま、クナイを首筋へと突き刺そうと振り下ろす。だが――間に合わなかった。

 再び、白竜の姿に戻った奴は、目にも止まらぬ速さで飛び立つと、巨大な顎を開く。

 そこから溢れ出したのは、白い炎。

 ほんのりと濁りのある白炎は一瞬で部屋を覆い尽くす。

 

「皆、逃げ……ッ」

 

 そこまで言ったところで、私の腰に舞のフレイルの鎖が絡み付いた。

 何故こんな事を問う間もなく、私の身体は投げ飛ばされ、扉の壊された部屋の外へと投げ出される。

 最後に見えたのは、橙色の袴を白い炎で覆われた舞と深緑のパンクな衣装のカイネの顔。

 彼女たちは……笑っていた。

 傷だらけで、燃え盛る火焔に囲まれてなお笑っていた。

 

「何故……私を……」

 

 その結論は脳内で既に弾き出されている。

 一番損傷が浅かったのが、私だからだ。他の二人は逃げ出す力も残っていなかったのだ。

 しかし、それでも私は納得できなかった。

 理屈ではなく、感情として、仲間を見捨てて逃げる事を拒んでいた。

 昔の私であれば、ひより以外に感じた事のない感情……友情を彼女たちに感じていたから。

 カイネの『インテンソ・スオーノ』の音が響き渡る。ほぼ同時に腰に巻かれたフレイルの鎖が音もなく、消滅する。

 部屋から私を追いかけるように出る白い炎を激しい音の波が塞き止めた。

 ——……逃げろと。そういうのか、この私に。お前たちを見捨てて、逃げろと……。

 いつもの冷静な私が言う。

 戻ったところでどうにもならない。彼女たちの命を無駄にしないためにも早く逃げろ。

 その通りだ。その意見は正しい。それこそこの状況でのベストアンサーだ。

 だが、私の中でもう一つの声が叫ぶ。

 彼女たちを助けてくれ。三人でこの場を逃れよう。

 馬鹿な考え。何と愚かで考えなしなのだろうか。

 私は当然前者の声に従った。残っている魔力を両脚に集め、全力で遁走した。

 背後で白い炎が更なる火の手を上げている。廊下でこれだ。部屋の中は完全に火の海に沈んでいるだろう。

 そこに居る者など助かる訳がない。

 目の前が歪む。不自然に光が屈折する。

 泣いているか……私は。炎に巻かれたせいだ。急激に熱された網膜を守るために涙腺から涙が出たに過ぎない。

 これは単なる生理的反応。断じて、悲しみの涙などではない。

 今更、私にそんな情緒的な人間らしい反応など似合いはしない。

 あくまでも冷徹で……。

 機械的なのが……。

 

「う……うううううぅッ……」

 

 この私、皐月ルイという魔法少女なのだから……。




次は本命班の視点になります。


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第四十一話 それが私の責任だから

~里美視点~

 

 

 

『よ、陽動班の皆、大丈夫ですかね……』

 

 ソウルジェムから響くテレパシーが隣に居るひよりちゃんから送られてきた。

 ぴったりと密着しているはずだけど、彼女の魔法『ナスコンディーノ』でその姿は隠されている。

 揺動班が玄関を壊して侵入したと同時に、逆方向の窓をこじ開けて侵入した私たち本命班は今、魔法で透明化した状態で探索を続けていた。

 

『どうでしょうね。少なくとも室内をここまで魔力で模様替えしているカンナが、迎撃の準備をしてないはずないわ。レイトウコ内のソウルジェムは持ち出してないとしても、イーブルナッツを持っている以上は新たに配下の魔女モドキを作っててもおかしくない……』

 

『じゃ、じゃあ、ルイちゃんたちは……』

 

 不安そうな声をテレパシーで届く。いけない、私ったらひよりちゃんを怖がらせてしまった。

 ここは嘘でも楽観的な発言を返すべきだったかしら……。でも、下手に誤魔化すのはかえって、不安を助長するだけ。

 

『そのためにも手早く、かずみちゃんを救出しましょう。私たちが目的を果たせれば、それだけ早く撤退できるわ』

 

『そ、そうですよね……。す、すみません……』

 

『いいのよ。友達を心配に思うのは当然の事だもの』

 

 そこでテレパシーでの会話を一旦終えて、お互い探索に戻った。

 彼女の魔法の特性上、透明化を維持するには離れる訳にはいかないため、実質捜索範囲は一人分に限られている。

 魔力で変質した屋内は異様に広く、部屋数もいくつも増えていた。

 私がカンナにコントロールされていた頃に一度訪れたが、あの頃とは勝手がまったく違う、人間が住んでいる住居とは到底思えないくらい入り組んだ造りになっている。

 彼女はどういう気持ちでこの場所を作り替えたのだろうか。

 こんな異常な空間にしてまでかずみちゃんを守りたかったのだろうか……。

 聖カンナという魔法少女の全容を赤司さんから聞き及んだ私からしても、その心情は推し量る事ができない。

 それでも彼女の行いは間違っている。

 かつてプレイアデス聖団として、そして一人の魔法少女として過ちを重ねてしまった私だからこそ断言できる。

 私が教えてあげないといけない。

 取り返しの付かないほどに間違えてしまっても、それでもやっぱりどこかでやり直さないといけないって事を……。

 私はレイトウコから魔法少女たちを解放した時に、それを学ばせてもらった。

 カオルちゃんや彼女たちにやり直すチャンスをもらったのだから。

 そこまで考えて、ふと思い出す。

 レイトウコ……。あそこは建物の地下に魔法を組み合わせて、存在しなかった空間を作り上げた。

 もし私がカンナの立場なら、いくら部屋数を増やしても侵入されかねない場所にかずみちゃんは隠したりしない。

 見えない場所。手の届き難い空間に隠す。

 

『地下……かずみちゃんは地下に魔法で隠されている可能性が高いわ』

 

 当てずっぽうや直感ではなく、そう思った。

 聖カンナという魔法少女の意識を一時的とはいえ、中に流し込まれていた私には多少だが、彼女の性格が理解できる。

 彼女は用意周到に準備を整えてから、行動に移すタイプだ。行き当たりばったりな事はしないはずだ。

 それなら、私たちというよりあきら君の襲撃を想定して、この家は改造されていると見ていい。

 赤司さんの話によれば、あきら君は竜型の魔女モドキ。対策するなら、空からの奇襲の方だろう。

 地下、それも彼が力を万全に振るえない狭い場所にかずみちゃんを隠していると考えた方が自然だ。

 

『ち、地下……? で、でも、そんな場所どうやって探し出せば……』

 

 ひよりちゃんは狼狽した声を上げる。

 確かにそんな場所を探せと言われても、方法が分からないだろう。

 だけど、私にはある推測があった。

 

『ひよりちゃん。あなたが収容されていた「レイトウコ」はね、それなりに私たちプレイアデス聖団が試行錯誤して作り上げた空間なの。ここみたいに元々ある場所を魔力で変化させて広げるのとは訳が違うわ』

 

 レイトウコは言ってしまえば、存在しない空間を複合した魔法で強引に生成した場所。

 いくら周到な彼女でも、一から地下構造を組み上げるには膨大な時間と試行回数が掛かる。

 それなら、きっとカンナは……。

 

『多分地下空間があるとすれば、レイトウコの魔力構造をそのままコピーしていると思うの。だから、きっと地下の入り口には私たちの魔法が使われているはず。もしもこの家の中で私の魔力の反応がすれば……』

 

『! そ、そこが地下へ降りるポイントだって事ですね! す、すごいです、里美さん……天才過ぎます……』

 

『仮定に仮定を重ねた憶測だけどね。それでも無作為に探すよりはマシだと思うわ』

 

 本気で感心されてしまい、つい気恥ずかしくなる。

 他の三人と違って、ひよりちゃんだけは前からずっと私を持ち上げてくるというか、尊敬の眼差しを向けてくる事が多かった。

 一度は彼女を人質にして、ルイさんを捕らえた負い目がある私にはバツが悪い。

 

『ねえ、ひよりちゃん。私は一度あなたに酷い事をしたのよ? 意識はなかったから実感はなかったと思うけど、ルイさんから聞いていたでしょう? なのに私に好意的なのはどうして?』

 

 そこだけはどうしても気になった。

 仲間になったとは言っても、多少の(わだかま)りが残っていてもおかしくない。まして、敬意を向けられる覚えはなかった。

 

『それは……そ、その、なんていうか……あ、憧れなんです。里美さん、みたいな人……』

 

『憧れ? 私が?』

 

『は、はいぃ……。わ、わたし、すっごく臆病で、逃げてばかりいました……。だ、だから、里美さんみたいに、痛みを堪えて進む人に憧れてて』

 

『それなら、あなたの親友のルイさんだって同じじゃない』

 

 芯の強さという点で言うなら、私よりもよっぽどあの人の方が強い。

 むしろ、私は精神的には誰よりも弱い事を自覚している。

 しかし、意外にもひよりさんはそれを否定した。

 

『ル、ルイちゃんとは違うんです……ルイちゃんのは耐える強さなんです。我慢して我慢して、痛いのに平気な振りをする強さ……で、でも、それはわたしには真似できません。さ、里美さんの強さは、辛い事は辛いって受け止めて、苦しみながら立ち向かう強さなんです……わ、わたしの言ってる事、わ、分かりづらいですよね……説明下手ですみません』

 

『そんな事ないわ。何となくだけど、言いたい事は分かるわ』

 

 ルイさんと付き合いの浅い私にも、それは薄々感じられていた。

 彼女はサキちゃんに似ている。痛くても苦しくても、それを言い出そうとせずに自分の胸の内側にしまってしまう。

 対して、私は辛さを隠したりせず、見っともない無様を晒しながら、泥臭くても戦うと決めて、動いている。

 要するに、痛みの受け止め方の違いだ。

 

『ひよりちゃんは私みたいな魔法少女になりたいの?』

 

『は、はいぃ…….レ、レイトウコで見た時から、格好いいなって、ずっと思ってました。か、簡単には、なれないとは思うんですけど….…でも』

 

 恐縮したような声音が返ってくる。透明化しているから見えないけれど、フードの下で俯きがちに言っているのは簡単に想像できた。

 まさか、私なんかに憧れる魔法少女が出るなんて思いもしなかった。

 

『ひよりちゃん……』

 

『はいぃ……な、何ですか?』

 

『あなたなら、私なんかよりもずっと格好いい魔法少女になれるわ。私が保証する』

 

 これはお世辞じゃない。本心からの台詞だった。

 真実を知って取り乱したり、友達さえも平気で裏切ろうとした私よりも、ここでこうやって自分には関係のない魔法少女のために協力してくれるあなたの方がずっと強いのだから。

 

『ほ、本当ですかぁ……? わ、わたし、里美さんみたくなれますか?』

 

『ええ、そうね。そのためには、まずは長い前髪からどうにかしないとね。せっかく可愛い顔してるんだから、隠すなんて勿体ないわよ?』

 

『か、可愛い顔……は、初めて言われました……』

 

 照れたようにそう呟くひよりちゃん。

 顔が見えないのが残念で仕方ない。きっととっても可愛い表情を浮かべてそうなんだもの。

 無事にかずみちゃんを助け出せたのなら、オシャレの仕方でも教えてあげたい。

 そのためには、早くあの子を見つけないと……。

 そうして、私たちは地下への入り口を見つけ出すため、ソウルジェムで私の魔力を発するポイントがないか探った。

 そして、数十分くらい経った頃。

 

『当たりね。……この部屋だけ、私や他のプレイアデスの皆の魔力がする』

 

 カンナが家を魔力で変質させたのは、この反応を隠すためだったのだろう。

 ここまで大規模な改造を施しておいて、罠の一つも設置されていなかったのは、単純にカモフラージュが目的だったのなら説明が付く。

 自分の魔力で覆う事で、この部屋の魔力を隠蔽する。まさに一本の木を隠すためにわざわざ森を生やしたという訳だ。

 念のために用心しながら入室すると、そこは今まで見てきた場所とは打って変わって、普通の部屋だった。

 勉強机にベッド、クローゼット、カーペット等置いてある小物や家具のセンスから見て、女の子の部屋だ。恐らくはカンナの自室だった部屋なのだろう。

 私は満を()て、カーペットを捲る。

 すると、そこにはアンジェリカベアーズと同型の幾何学的な魔法陣が刻印されていた。

 ……間違いない。ここが地下への入り口だ。

 私たちはその上に二人で乗ると、ソウルジェムから魔力を流し込む。

 これがプレイアデス聖団の魔法陣のコピーなら、私の魔力でも反応するはず。

 期待を込めて、魔力を伝達すると魔法陣は輝き始める。

 

『う、動きましたよ、里美さん!』

 

『静かに。ここからが正念場よ』

 

 下降していく足場の上で私はステッキを構え、地下へと潜っていく。

 数秒後、到着した場所はアンジェリカベアーズの地下と似た間取りの空間だった。

 ただし、間取り以外は似ても似つかない。

 ケーブルが蔦のように床や壁にまで網目状に張り巡らされ、柱の代わりに寄り纏めたケーブルの束が木々のように乱立している異様な光景が広がっている。

 天井に至っては蜘蛛の巣、もしくは蚕の繭のようにケーブルが複雑に絡んで垂れ下がっていた。

 その様子を一言で表すなら人工物で作られた奇妙な熱帯雨林だ。

 本物の熱帯雨林と違って、過剰な湿気や暑さこそ感じないものの、カンナの魔力で作られたであろう大量のケーブルから漏れる彼女の魔力が、不快なほど肌にこべり着いてくる。

 

『……こ、ここがかずみさんの捕まっている場所……?』

 

『まだ本当にそうだと決まった訳じゃないけれど、この様子なら少しは期待してもいいかもしれないわね。何にせよ、先へ進みましょう』

 

『は、はいぃ……』

 

 あまりにも異様な景色にひよりちゃんは相当怖がってしまったらしく、繋いでいる手がギュッと強く握り締められた。

 足元をケーブルに取られないようにしながら、奥へ進んでいくと二枚扉の前へと辿り着く。アンジェリカベアーズの地下で言えば、レイトウコの扉に相当する場所だ。

 扉には意外にも、あれだけ散々見せ付けられたケーブルが貼り付いていなかった。更に言えば、レイトウコの扉と違って、歯車も魔法陣も付いていない。

 少し力を入れて押すと、二枚扉は驚くほどあっさりと開かれた。

 ……いくら地下とは言っても、あまりにセキュリティが甘すぎる。ここに居る可能性は低いかもしれない。

 ここに来て、かずみちゃんが囚われている場所の可能性が下がってしまった。けれど、何も調べずに今更戻る訳にもいかず、私たちは中へと足を踏み入れた。

 さっきまで見ていた異様な光景に比べると、室内は比較的簡素に見えた。

 大きな事務用の机に、木製の椅子が一つ。奥にレイトウコ内にあったもの同じタイプの大きなカプセルが、表面のガラスを割られたまま、無造作に置かれている。

 壊れた状態で放置されたそのカプセルは少し気になったが、それよりも先に目に入ったのは事務机の上に置かれたかずみちゃんの入った小さなカプセルだった。

 

『さ、里美さん! あれが……』

 

『ええ……。私が探していた、かずみちゃんよ』

 

 ようやく見つけ出す事ができた……。

 全身から力が抜け落ちてしまいそうなくらい安心した。

 カプセル内から見える彼女には外傷はない。傍に寄ればすやすやと寝息を立てている様子さえ確認できた。

 

『じゃ、じゃあ、一旦わたしの魔法を解きますね。そ、そうしないと里美さんの顔、み、見せてあげられないですし……』

 

『ありがとうね。今は周りにはカンナも居ないようだから、ちょっとだけお願い』

 

 かずみちゃんとの再会に気を遣ってくれるひよりちゃんの配慮に感謝した。彼女は一つ頷いて、透明化の魔法を解除する。

 彼女の被っていたフードが取られて、ふわりと桜色の長い前髪が揺れた。

 姿毛見えるようになった私は万感の思いで、そのカプセルに手を伸ばす。

 カプセルに指先が触れる瞬間——。

 部屋の外から、何かが背後へ高速で迫る気配を感じ取った。

 反射的に振り返った私は、隣に居るひよりちゃんを突き飛ばし、迫り来る気配を瞬間的に手の中で作ったステッキで弾く。

 

「わ、わっ! い、いきなり、何ですか!? ……ひぃっ」

 

「これは……」

 

 弾いたのは――部屋の外から伸びてきたケーブル。

 私はこれを放った魔法少女の名を呟いた。

 

「聖、カンナ……」

 

「まさか、お前が来るとは思ってなかったぞ。……今の攻撃に対処できるともな」

 

 入口の前に(たたず)むニコちゃんそっくりの顔が皮肉気に歪んだ。

 薄い黄色、浅葱(あさぎ)色の髪も彼女と同じだが、その身に纏った漆黒の衣装はニコちゃんとはまったく違う。

 ……やられたわ。そういうカラクリだったのね。

 カンナはずっと地下のケーブルの中に潜んでいたのだ。その証拠に柱状になったケーブルの束が咲いた花のように開かれている。

 ケーブルで地下を一杯に満たしたのは、自分の存在を魔力で覆い隠すため。……本当に木を隠すために森を作るのが好きなのね。

 私は傍でひっくり返ったひよりちゃんに視線も向けずに告げた。

 

「ひよりちゃん。かずみちゃんのカプセルを持って逃げて」

 

「えっ、えっ、ええ!? で、でも、わ、わたしも一緒に……」

 

 当然のように戸惑うひよりちゃん。でも、ここで口論している余裕は私にはない。

 

「お願い……ここでかずみちゃんを助け出せなきゃそれこそ、皆の頑張りが無駄になっちゃうの」

 

 カンナの姿から一切視線を逸らさずに、私はそう頼み込む。

 

「うっ、わ、分かりました。で、でも、か、必ず助けに来ますからね……『ナスコンディーノ』」

 

 彼女は堪えるように声を絞り出し、私の目の端から姿を消した。

 後ろでものを掴むような音が聞こえ、気配だけが脇を通り抜ける。

 

「させるかッ!」

 

 カンナの手のひらからケーブルが飛び出し、ひよりちゃんが消えた辺りへ伸びた。

 声は出さなかったが、小さく喉のなる音が聞こえる。

 大きく踏み込んだ私は、そのケーブルもステッキで弾いた。

 

「させてもらうわ。……あなたの相手は私よ」

 

 彼女の顔を睨んで言うと、歯軋りをしながら両手の先からケーブルを鞭のように(しな)らせる。

 

「お前如きが……この私の相手になるとでも?」

 

「そうね。少しくらいはなれると思うわ。——付き合ってくれるかしら?」

 

 私は一息で跳ね飛び、カンナとの距離を詰めて、両手で握ったステッキを振り降ろす。

 常に余裕のあった彼女の顔が一瞬で驚愕に塗り潰された。

 伸びた二本のケーブルが網のように張り巡らされ、防壁を形成する。私の殴打はその“網の壁”に弾かれた。

 

「……この速さ。お前、何をした!?」

 

「それを、あなたに教えると思うの?」

 

「くッ、クズの分際で……」

 

 確かに今までの私はクズだったと思う。それでも、ここに居る私はあの頃の卑怯者とは一味違う。

 後ろへ後退した私に合わせ、カンナもまたケーブルのジャングルの方へと下がった。

 彼女の手が床に敷き詰められた大量のケーブルに触れると、蛇のように先端を鎌首をもたげて、何本ものケーブルが私へ襲い掛かる。

 

「ッ!」

 

 あれだけ魔力を使って、大量生産していたケーブルは自分を隠すためだけに用意した訳じゃなかった。

 あらかじめ、武器として用意しておく事で戦闘を有利に進めるための布石……。家のどこで戦おうとも万全の状態で戦えるようにしていたのだ。

 これだけの魔法。これだけの用意。本来は私ではなく、恐らくはあきら君たちとの戦闘を想定した大仕掛けだ。

 勝ち目は薄い。勝率なんてまともに考えたら、三分の一にも満たないだろう。

 

「——それでもね」

 

 ステッキを握り締め、ケーブルの蛇を弾き飛ばし、前へと進み出る。

 数百、いえ、数千にも及ぶケーブルの蛇たちは私を絡め取ろうと迫った。

 宙を跳ね、空中で強引に態勢を変えて、ケーブルを避け、あるいは弾き、中心に立つカンナへとステッキを投擲(とうてき)した。

 

「私はもう負けられないの!」

 

 ステッキの先に付いた猫の顔が大きくなって、射線上にあるケーブルを噛み千切りながら、カンナへと飛ぶ。

 

「なッ、武器を……投げただと!? 臆病者の里美が!?」

 

 天井から垂れ下がるケーブルで盾を作り、攻撃を防いだカンナだったが、その様子には余裕の欠片も感じられなかった。

 私は、予想通りに自ら遮蔽(しゃへい)を形成して、“私から目を離してくれた”彼女の背後へと回っていた。

 

「……ッ!」

 

 彼女はすぐに気付いて振り向くが、それでも遅すぎる。

 既に手の中に持っていた新しいステッキを彼女へと突き出す。

 しかし、寸前で真横から束ねたケーブルで構成された腕が現れ、私の側面を殴り飛ばした。

 

「ごふッ、がぁッ!」

 

 私の身体は叩かれた羽虫のように地下の壁に叩き付けられる。咳き込んだ喉から鉄臭さと共に真っ赤な血が零れた。

 即座に地面からケーブルの蛇が肉を裂こうと追撃してくる。私はそれを跳ね飛んで、どうにかかわした。

 ……あまり、無理は利かないようね。でも、普段の私の戦い方とは全然違うんだもの、仕方ないわ。

 落ち着きを取り戻したカンナは、冷徹な眼差しで私を眺める。

 

「その動き。今までのお前とは違う……。勇気や覚悟なんて精神的なものだけじゃない。……まさか、お前……!」

 

 気付かれてしまったみたい。もう少し侮ってくれていた方が楽だったのだけど。

 

「自分に使ったのか! 『ファンタズマ・ビスビーリオ』を……! あの他人を操る事しかしてこなかったお前が!」

 

 そう。カンナが看破した通り、私は自分に操りの魔法『ファンタズマ・ビスビーリオ』を使った。

 肉体を魔力で強制的に動かすこの魔法は、他者を操るためのものだけど、自分にも使えない訳じゃない。

 この魔法で自分の身体を思考のままに操る事で、身体能力以上の力を無理やり底上げする事ができる。

 筋肉がちぎれても、内臓が潰れても、今の私は思考の働く限り止まらない。

 

「……これが今の、トレミー正団リーダーの、『宇佐木里美』の在り方よ!」

 

「ッ、図に乗るなよ! 里美ぃ!」

 

 ケーブルが津波のように押し寄せる。

 私は肉体の限界を無視して、両脚を使って跳ね飛び、それを乗り越えた。

 その途端、天井のケーブルが寄り集まって、巨腕になり、滞空している私を殴り飛ばす。

 避ける事も受ける事もできないその一撃を正面から浴びて、全身の骨が砕ける音を聞いた。

 視界は真っ白に染まる。

 だけど、身体を動かす事はできる。今の私の身体は、操り人形と同じ。意識が止まらない限り、私が立ち止まる事はない!

 殴られた勢いを利用し、射線の上にある反対側の壁を蹴り跳ねた。

 この度はケーブルでできた腕の横を通り抜けて、カンナの元へと飛んだ。

 

「はあああああ!」

 

「……な、んだ、と!」

 

 両目を見開き、固まる彼女の姿が朧げな視界の中で大きくなる。

 体感時間がとても長く感じられた。彼女の声も自分の声さえもゆっくりに聞こえる。

 長い滞空時間の中、私はカンナに対して、さまざまな思いが駆け巡った。

 ニコちゃんが生み出した、もう一人のニコちゃん。

 自らを偽物だと理解し、その人生を憎しみで満たした合成魔法少女。

 自分と同じ境遇のかずみちゃんを作ったプレイアデス聖団を憎み、彼女を唯一の理解者にするために攫った女の子。

 ……終わらせてあげる。あなたが抱えている絶望も、悲しみもすべて!

 魔力を込めたステッキを彼女へと向けて振り被り、——叩き付ける。

 それが、元プレイアデス聖団の一人として、私にできるせめてもの責務なのだから。

 




里美はそれほど好きなキャラでもなかったのですが、展開上やたら熱いキャラになりました。不思議なものですね。


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第四十二話 主役は遅れてやって来る

~カンナ視点~

 

 

「…………」

 

 あのままでは私の敗北は必至だった。

 対あきら用に作っておいたケーブルのジャングルを踏破した里美は、私の想定を遥かに上回っていた。

 実力云々だけではなく、その我が身を顧みない捨身の行動。到底、今までの里美では絶対にしない戦い方に度肝を抜かれた。

 宇佐木里美という魔法少女を侮っていた。彼女の評価を改めねばならない程の戦闘力だった。

 だが、奴の放った一撃は私に届く事はなかった。

 避けたのでも、防いだのでもない。まして、私の攻撃が先に届いた訳でもない。

 里美の渾身の振り被られたステッキは、振り下ろされなかったのだ。

 奴の……魔力切れによって。

 

「……どうしてだ?」

 

 魔法少女の衣装が解除され、私の目前で膝を突く里美に問いかける。

 そのすぐ近くに落ちている、表面の膜が剥がれ、黒く濁った様を見せ付けるソウルジェムを眺めて。

 

「どうして、ジェムを浄化しなかったッ!? 少なくともお前には一つはグリーフシードがあったはずだ!」

 

 たとえ、海豹の魔女がグリーフシードを落とさなかったとしても、魔女になった海香が落としたグリーフシードがこいつにはあったはずだ。

 あの一戦でカオルが死んだ事も確認している。魔女になったか、海豹の魔女の爆発で死んだかまでは定かではなかったが、それでも海香のグリーフシードの所有を争う相手は居なかった。

 なのに何故、こいつは自分のソウルジェムを浄化しなかった……?

 人一倍魔女化の恐怖に怯えていた里美が、ジュゥべえの表面処理を間に受けて、浄化を怠るなんて、それこそあり得ない。

 今にも倒れそうになりながらも、片手で辛うじてソウルジェムを掴んだ里美は苦笑を浮かべた。

 

「……卑怯者の私には、海香ちゃんやカオルちゃんのグリーフシードを使う資格なんてないと思ったからよ。……でも、残して置いたおかげでどうにかあの子たち、全員のソウルジェムを浄化できた……そこだけは本当に良かったわ」

 

 “あの子たち”? 誰だ、誰の事を……まさか、こいつ。

 

「レイトウコに居た魔法少女たちを、全員解放したのか!? 自分たちを恨む奴らを、生命線であるグリーフシードまで全部使ってまで!」

 

 頭がどうかしている。その行為に何の意味があったというのだ。

 あの透明化できる魔法少女やひょっとすると他にもこいつの戦力ができたという見方もできるが、それを含めても割に合わないだろう。

 そのせいで、たった今、私を殺すチャンスを不意にした。いや、そもそも浄化もせずにあれだけの魔法を使っていたのだ。いずれはこうなる危険は里美にも分かっていただろう。

 意味が分からない……。私の知る、臆病で卑劣な宇佐木里美という魔法少女の像と、目の前のこいつが少しも重ならない……。

 理解不能の行動が、圧倒的に優位に立っているはずの私を恐怖させた。

 

「もう、情けない私とはお別れしたの……皆に恥じない生き方をするためにね。少し生き急いじゃったかもしれないけど……」

 

 自身の生存は絶望視するしかない状況下で里美はなおも笑った。自暴自棄になっても何らおかしくないのに、その瞳は輝きを失っていない。

 目の前の魔法少女の思考回路がまるで読めない。一体何があれば、ここまで人格が変動するのか、想像も付かない。

 

「何にせよ、お前はもう終わりだ。ここで私に殺されるか、魔女になるしかない。……どうだ、怖いだろう? 恐ろしいだろう?」

 

「……そうね。やっぱり怖いわ」

 

 素直に答えた里美にほくそ笑んだ。

 そうだ。それでいい。お前の本性は高潔なんかじゃない。

 汚らしい、反吐が出るような卑劣極まるクズだ。

 すぐにお前の中身を暴いてやる……。

 念のために持っていたグリーフシードをチラつかせる。

 

「お前の仲間の魔法少女の人数、名前、魔法の効果を教えろ。そうすれば、こいつをくれてやる。悪い話じゃないだろう?」

 

 当然、こいつに貴重なグリーフシードを与える気など更々ない。目的はこいつらの、トレミー正団とかいうグループの保有する戦力、そして、里美のいけ好かない聖人振った態度を破壊するためだ。

 必ず食い付いてくるはずだ。お前には選択肢なんか存在しない。仲間を売る以外に助かる術はないのだから。

 

「…………」

 

 里美は急に俯き、押し黙る。

 仲間を売って助かった後の算段でも付けているのか?

 打算と逃げ道を確保する事に置いてはプレイアデス聖団随一の卑怯さを早く見せてくれ。

 

「どうした? お前はコレが欲しくて堪らないんだろう? だったら、早く懇願して、仲間を売れ!」

 

「……随分と」

 

「何だ?」

 

「随分と、見下げられたものね。そこまで落ちぶれていた私にも非があるけれど……あなたが人を信頼できなくなった事には何か別の理由があるんじゃないかしら?」

 

 顔を上げた里美の浮かべていた表情は、憐憫だった。

 眉の端を下げ、哀れむような眼差しを私に向けている。

 奴の言葉を耳にして、脳裏に蘇った光景は、自分の存在が偽りだと気付く前の世界。

 両親が居て、妹たちが居て、友達が居て、気になるクラスメイトが居て、自分をごく普通の女の子だと思っていた頃の記憶。

 当たり前に続くと思っていた人生が作り物だと知った時、私は何も信じられなくなった。

 鏡に映った自分が、人形のように無機質な物体にしか見えなくなっていた。

 その人形のような自分を本物(ニコ)と変わらぬ目で見ている家族も友達も、気持ちが悪かった。

 本物(オリジナル)偽物(コピー)が入れ替わっても、向けられる感情に何一つ変わりがないのなら……彼らの感情は果たして『本物』と言えるのだろうか、と。

 

「やめろ……」

 

「カンナ。一体何があなたをそこまで裏切ってしまったの?」

 

 まっすぐな瞳が私の心に問いかけてくる。

 そこが限界だった。

 私の中で膨張を続けていた感情の入った袋が破裂した。

 

「やめろ! もうそれ以上喋るな! 黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れぇぇ!!」

 

 ソウルジェムごと奴の身体を、荒ぶる感情に任せ、束ねたケーブルでできた腕を使い、殴り付ける。

 何度も何度も、執拗なまでに奴を潰す。跡形もなく捻じ伏せる。

 赤い血がケーブルを濡らし、床に真紅の水溜りを作っても、激情は一向に収まらない。

 水分を含んだ肉を叩く音だけが地下の空間に響き渡った。

 肉を叩く音がケーブル同士をぶつけ合う音へ変わった時、里美の姿はどこにもなくなっていた。

 あるのは表面に布地を浮かべた血溜まりだけだ。

 

「あ、ああ……ああああああああああああああああああああぁぁぁッ!」

 

 幼い子供じみた喚きを上げ、その場に崩れ落ちる。

 勝利の余韻などある訳がなかった。

 叫び出す他にない苦しみと、やるせない敗北感だけが胸を占めている。

 負けたのは……私の方だった。

 里美は最後まで尊厳を手放さなかった。仲間にかずみを救出させる時間を稼ぎ切った。

 対して、私は奴の利他行為により、偶然命を拾ったに過ぎない。

 あまつさえ、ひた隠しにしていた心まで見透かされた。

 

「私は……私は……どうしたらいい? どうしたらよかった? ねぇ、教えてくれ……」

 

 教えてくれよ……タイカ。

 ケーブルのジャングルの中で、私は一人慟哭し続けた。

 

 

〜ひより視点〜

 

 

 わたしは声を殺して、泣きながら地下から浮上するための魔法陣へとどうにか辿り着く。

 心が挫けそうになりながら、それでもわたしはテレパシーをソウルジェムから、彼女へと流した。

 

『さ、里美さん……いき、生きて、生きて……ますか?』

 

 背中に背負った血塗れの里美さんのソウルジェムへ声を飛ばす。

 最初から、わたしがこの地下から単独で脱出する方法なんてなかった。

 魔法陣を起動できるのは、多分聖カンナとプレイアデス聖団の魔法少女だけ。里美さんはそれを分かった上で、わたしが一人で逃げたように見せかけた。

 すべては二人で生きて、この場から逃げ切るための演出。

 わたしはずっと部屋の隅で震えながら、里美さんの姿が見えなくなってもおかしくないタイミングを見計らっていた。

 透明化の魔法『ナスコンディーノ』は、わたしに密着している間なら後から付いた血だって見えなくなる。どんな強い魔法少女だって分かりっこない。

 

『……だい、じょう、ぶ、よ……なんと、も、ない、わ……』

 

 嘘だ。さっきの内容もわたしは見て、聞いて、知っている。

 ソウルジェムが濁り切っている事も、身体を何度も潰されている事も皆、知っている。

 どこまでも強くて気高い人なんだ……里美さんは。グリーフシードだって全部で四つもあったのに、レイトウコの皆に使うのを優先してしまったんだ。

 『私のはまだ全然濁ってないから』って、そう言って……。

 全身ボロボロの里美さんはそれでも魔法陣を起動させた。

 聖カンナは背を向けて膝立ちになったまま、叫び声を上げていて、魔法陣が輝いている事にも気付いていない。

 早く、逃げて里美さんの手当てもしないと。グリーフシードだって調達しないといけないのに。

 焦り過ぎて頭が上手く纏まらない。地上に出たら、あの部屋に手当てできるものやグリーフシードを探そう。

 そうこうしている内に魔法陣の転送が完了する。聖カンナはまだ追って来る様子はない。

 大丈夫大丈夫大丈夫。わたしも里美さんも助かる。かずみさんのカプセルもちゃんと持っている。その後、ルイちゃんたちと合流すればいい。

 

「ひ、より、ちゃん……」

 

 背負った里美さんが肉声を飛ばしてきた。

 ああ、いけない。わたしはまた固まっていた。早くしないといけないのに、ここぞと言う時に限ってどん臭い。

 一旦、透明化を解き、血塗れの里美さんを床に下ろして、楽な姿勢にさせる。

 

「い、今、わたしがどうにか、し、しますから、ま、待っていてくださいね」

 

「私は……捨てて……逃げ、て……」

 

「な、何を、言ってるんですか? い、意味が分かりません……」

 

 わたしが目を逸らして言うと、頭から血を流す里美さんは僅かに微笑んだ。

 

「もう……分かってる、でしょう? 私は……助からないって」

 

 何で……。

 

「そ、そんな事、た、試してみないと」

 

 何で、あなたはそんな風に……。

 

「分かるわ……自分の、身体……だもの」

 

「な、何でそんな風に笑っていられるんですか!? し、死んじゃうんですよ? こ、怖くないんですか!?」

 

 耐えられなかった。

 里美さんが諦めたみたいに笑っているのも。自分が何もできないのも。

 わたしにはやっぱり無理だ……里美さんのような強さは身に付かない。

 だけど、そんなわたしに優しく手を伸ばしてくる。

 同い年とは思えないしなやかで女性らしい手のひらが、わたしの頬に触れた。

 

「怖いわ……でも、もっと怖いものが、あるって……知ってるから、耐えられるの」

 

「な、何ですか、それは」

 

「自分を……嫌いになる、事……。ひより、ちゃんなら、この意味……分かる、でしょう?」

 

 分かる。痛いほどに分かる。

 わたしはそれが辛くて、キュゥべえに『誰にも見えなくなりたい』と願ったから。

 他人に虐められるのには耐えられた。でも、虐められる情けない自分を、直視するのには耐えられなかった。

 自分を嫌いになる事は、何よりも辛い。だから、わたしの魔法『ナスコンディーノ』は、自分自身さえ透過した姿は認識できなくなる。

 里美さんの指はわたしの長い前髪をゆっくりと掻き分ける。

 

「ほら……やっぱり、こっちの方が……可愛いわ」

 

 前髪の壁がなくなったのに、涙が滲み過ぎて里美さんの笑顔がぼやけて歪んでしまう。

 心の底から尊敬できたたった魔法少女の先輩。こんな泣き顔ではなく、せっかくなら笑顔を見せたかった。

 里美さんは、反対の手のひらに握った濁り切ったソウルジェムを私に差し出した。

 

「かずみちゃんと……それからこれも、お願い、できる……?」

 

「……はい。——できます」

 

 涙を拭って、それを受け取り、手元に桜色の刃のサバイバルナイフを作り上げる。

 里美さん。あなたの言ってくれた通り、必ずわたしは強くなります!

 震える両手でグリップを握り締め、床の上に置いたソウルジェムを……砕き割った。

 砕けた破片が光になって、宙を舞う。

 横たわる里美さんの身体に泣き付きたくなるなる気持ちをグッと堪えて、かずみさんのカプセルを片手にその部屋から立ち去った。

 『ナスコンディーノ』で再び、透明化してから廊下に出ると近付いてくる足音を耳にする。

 敵、だろうか。そう思い、あえて立ち止まり、自分の足音を消す。すると、やって来たのは傷だらけのルイちゃんの姿だった。

 

 

~ルイ視点~

 

 

 濁りのある白い炎から逃げるように駆けていた。

 屋敷内に張り巡らされたケーブルを導火線のように燃やしながら白い火焔は迫り来る。

 魔力で作られたものにも当たり前のように引火しているところを見るに、触れれば魔法少女でも致命傷を負うのは明白だった。

 取りあえず、逃げる先は侵入する時に入った玄関。

 ここがどのくらい深部なのかは判断しずらいが、窓など探すよりも元来た道を辿る方が無難だろう。

 そうして、掛けていると目の前の通路からひよりの姿が突然現れた。

 

「ルイちゃん!」

 

「ひより!? お前は本命班だろう? どうしてここに……」

 

 そこで彼女が小脇に小さなカプセルを抱えている事に気付く。

 どうやら目的の少女の救出は成功したようだ。

 

「上手くやったのだな。里美さんは?」

 

 そう尋ねると、彼女は静かに首を横に振って答えた。

 

「……わたしにかずみさんを託してくれた」

 

 直接的な表現はなかったが、ひよりの態度から里美さんがどうなったのかは察せられた。

 彼女はもう、居ないのか……。

 

「……そうか。こちらも私以外は全滅した」

 

 私の方は逆に露骨過ぎる表現だったと、口に出してから後悔したが、ひよりはそれを首肯一つで受け止める。

 前髪が中央辺りで分けられているというのもあるが、何だか彼女の纏う雰囲気が違う。私と話す時でさえ治らなかった吃音が嘘のように鳴りを潜めていた。

 

「ひより、お前、どうかしたのか? 様子がおかしいぞ」

 

「これ以上、自分を嫌いにならないようにするって決めたの」

 

 正直に言えば、よく解らない答えだったが、彼女なりに里美さんの死を受け止めた結果なのだろう。

 ここでだらだらと詮索を続けるのは愚の骨頂だ。私はすぐに話を元に戻す。

 

「そうか。ならば何も言わない。すぐに逃げるぞ。炎がこちらまで迫って来ているんだ」

 

「うん、分った。どっちに行けばいい?」

 

「私から見て、前方だ。急ぐぞ」

 

 ひよりの手を引き、前方へと走り出す。

 しかし、彼女はぎょっとした顔で後ろを振り返った後、すぐさまと私ごと透明化の魔法を展開した。

 彼女が何を見たのか確認する前に念話でひよりの声が脳内に届く。

 

『振り返っちゃ駄目! 白いドラゴンが向かって来てる……!』

 

『!……ドラーゴ・ラッテか。かなり距離を離したはずなんだが……』

 

 奴はこの数分で距離を詰めて来ていたようだ。速度勝負なら話にならない。

 ひよりの透明化はベターな選択肢だったが、それでも炎が迫っている以上は立ち止まってやり過ごすという選択肢はない。

 私はひよりの身体を引っ張って掻き抱くと、脚に魔力を回して走行速度を引き上げた。

 

『ルイちゃん!?』

 

『身体能力なら私の方がひよりよりも上だ。そちらは透明化だけに集中してくれ』

 

 魔法を使いながらの走る続けるのは負担が大きい。それなら私が抱いて走った方が分担できていいだろう。

 全力で走っている私たちを追いかけるように、後ろから耳障りなドラーゴ・ラッテの声が響いてくる。

 

『待ってよォ、お姉ちゃァァん! お友達を見捨てて逃げるなんて悪い子なんだァ! 悪い子はァ、燃やしちゃうんだから!』

 

 音も不快だが、その内容もまた不快極まるものだった。

 友を見捨てたと詰り、責め立てるその様子は幼児のようだが、声音にはこれでもかというくらいに悪意が滲んでいる。

 明らかに弱者を弄る愉悦に浸る外道の叫びだ。まともに聞くだけ無駄だというのに、それでも脳内に汚物でも刷り込まれる嫌悪感が止まない。

 逃げる事だけ考えろ。戦って勝てる相手ではないという事は身に染みて分かっているのだから。

 

『ねェ、ねェ、ねェ! きっこえってるゥ? お姉ちゃんのお友達泣いてるよォ~? 熱いよ、痛いよ、助けてよォ~って見っともなく悲鳴上げてるよ?』

 

 ……聞くな。走れ、走り続けろ。皐月ルイ。

 あと少し、あと少しで玄関に到着するのだ。奴はそれが分かっているからこそ挑発している。

 逆に言えば、このままでは逃げられてしまうと焦っている。

 それなら多少の屈辱を甘んじて受ければいい。かずみを救出できれば我々の勝利なのだから。

 ドラーゴ・ラッテの不快な声はまだ遠い。

 だが、私の前には開け放たれた玄関の入口が既に見えている。その奥では夜の帳が広がっていた。

 まさか、夜闇をここまで欲する日が来ようとは思ってもみなかった。

 およそ、目測で後五十メートル。

 最後のひと踏ん張りとばかりに私は加速する。

 残り、三十メートル。

 肉体に負荷をかけても必ず辿り着いてみせる。この作戦で散った三人の仲間のためにも、私たちは生還しなければならない。

 残り十メートル。

 油断はしない。速度をまったく緩める事なく、駆け抜ける。

 残り三メートル。……二メートル。……一メートル。

 そして、後一歩で外へと逃げ切れるところまで辿り着く。

 全力疾走したせいで火照った身体が、夜風辺り冷やされ、心地よさを感じた。

 その瞬間。

 

『……ざァんねェんでしたァ』

 

 すぐ隣で悪意に満ちた楽し気な囁きが聞こえた。

 背中に鋭い痛みが五本走った。あの長い鉤爪で切り裂かれたのだと気付いたのはその直後だった。

 バランスを崩し、私は玄関の前で無様にも転がった。

 

「きゃぁッ!」

 

 ひよりの悲鳴が聞こえる。私はそれを頼りに顔を上げた。

 視界に映り込んだのは濁った白い鱗で覆われた爬虫類の頭部。

 鋭い牙を揃えた口は、まるで人間のように歪んで、“嗤っていた”。

 

『追い付かないとでも思ったァ? わざとだよォ、わ・ざ・と』

 

 白竜の魔女モドキ、ドラーゴ・ラッテは悪戯が成功した子供ように嬉しそうに種明かしをする。

 

『本当はもっと簡単に追い付けたんだけど、逃げられると確信した時に捕まえたら……もっと面白いかなァって思ってね』

 

 遊ばれていたのか私は……。

 意外にも奴への怒りはさほど感じなかった。代わりに自分に対する不甲斐なさだけが募る。

 だが、私たちはひよりの魔法で不可視になっていたはず。足音でどの辺りに居るか判断できても、攻撃を命中させるのは至難の業だろう。

 私の疑問が表情に出ていたのか、奴は得意げになってベラベラと話し始めた。

 

『ああ、透明になってたのに、どうやって当てたか気になるんだねェ? 安心して、お姉ちゃんたち自身は本当に見えなかったよ。でも、それ、身体から離れたものには効力がないみたい。ほら、周り見てェ』

 

 奴の言葉に従って周囲を見回すと、廊下の向こうまで点々と真っ赤な染みが続いていた。

 あれは――血だ。私の身体から零れた血液。

 そうか……。ひよりの魔法は、彼女と触れているものにしか効果を及ぼさない。

 私の傷口から流れ落ちた血は、当然目に見えるようになる。全速力で走った事がかえって仇となった訳か。

 

『あー、そっちのお姉ちゃんは、かずみお姉ちゃん持って来ちゃってる。あーららーこーらら、ママに言っちゃおうっと』

 

 床に落ちた衝撃で透明化の魔法を解除してしまったひよりもまた、ドラーゴ・ラッテに捕捉されてしまう。

 最悪だ……最悪の展開だ。あと少しで脱出できるという幻想に見せられ、私は取り返しのつかない失敗をしたのだ。

 奴は舞い降りて来ると、私ではなく、ひよりの方へ歩み寄った。

 ひよりはかずみの入ったカプセルを両手で抱き寄せ、尻餅を突いた状態で後ろへ擦り下がる。

 それでも彼女の瞳は折れてはいなかった。強い光がその眼には灯っている。

 

「……かずみさんは絶対に渡さない! 里美さんが命を捨ててまで助け出したこの人は、絶対にわたしが守る!」

 

 駄目だ。ひより……。

 覚悟や意志の力で覆せる実力差ではない。ネズミが猫に勝てないように、保持している力の大きさがあまりにも違い過ぎる。

 

『あッそう。じゃあ……死んじゃえ!』

 

 白竜の鉤爪がひよりへと襲い掛かる。

 背中を深く切り裂かれた私には、とっさに動く事もできない。

 先の全力疾走で魔力も底を尽き掛けている。分身もクナイも作り出す余力は残っていない。

 

「やめろぉぉッ!」

 

 やれる事と言えば、そう叫ぶくらいしかなかった。

 絶望で眩暈がする。顔面の血液が一気に引いた。

 私の絶叫を聞き、ますますドラーゴ・ラッテの表情に嗜虐の悦びが溢れる。

 しかし、振り下ろされた奴の鉤爪は、唐突に玄関へ飛び込んで来た人影に防がれた。

 

「いやー。やっぱり俺のみたいな生まれながらのヒーロー体質の人間はこういう場面で登場しちまう訳なんだわ」

 

 黒い髪に黒い瞳。野性的ながらも、どこか品のある整った顔立ち。

 短めに切り揃えられている前髪の下には、快活そうな笑みを湛えていた。

 

『だ……誰? あんた』

 

 黒髪の少年はそれには何も答えず、無言で口の端を吊り上げる。

 ドラーゴ・ラッテの鉤爪は彼の右腕によって阻まれていた。

 その右腕は肘の辺りまで真っ黒の鱗に覆われている。指先から生えているのはドラーゴ・ラッテとよく似た禍々しい鉤爪だ。

 彼は奴の爪を強引に振り払うと、振り返って後ろに居るひよりの頭を左手で乱雑に撫で回した。

 

「よく頑張ってくれたな、アンタ。おかげでかずみちゃんを取り戻せた。感謝するぜ」

 

「えっ、あ、あの……こちらこそ助けてくださってありがとうございました」

 

 状況を掴めず、混乱しているひよりは狼狽えながらも、その明るい雰囲気から味方だと思ったようでお礼を返した。

 

「気にすんなよ。わりとマジで感心してんだ。まさか、魔法少女だけでここまでの戦果上げるとは大したモンだぜ。それじゃあ、ありがたく、かずみちゃんは返してもらうな」

 

「え? それは……」

 

 戸惑うひよりの手からかずみの入ったカプセルを取り上げると、少し眺めた後に名前を呼んだ。

 

「サキちゃん」

 

 すると、玄関の外に一人の少女が現れる。

 その少女には私も見覚えがあった。

 小豆色のジョッキースタイルの衣装にベレー帽。白い髪と眼鏡が目立つその少女は浅海サキ。

 プレイアデス聖団の魔法少女の一人だ。

 確か、奴は里美さんの話では強大な魔女モドキの軍門に下り、プレイアデス聖団とは袂を分かったという話だった。

 

「かずみちゃんを頼んだぜ」

 

 カプセルを放り投げ、彼女の手元へと渡す。

 浅海サキはそれを受け取ると、彼に返事をした。

 

「ああ、分かった。あきらはどうする?」

 

 “あきら(・・・)”。その名前は話に聞いた強大な魔女モドキの名。

 まさか、奴が、奴こそが私たちの最も警戒すべき存在……。

 

「決まってんだろ? この2Pカラーに教育してやるんだよ……変身!」

 

 あきらという名の少年のシルエットが歪み、その姿は目の前に居るドラーゴ・ラッテとほぼ同型の竜へと変貌する。

 違うのは鱗の色と額から伸びた長い角だけだ。あきらのそれは夜の闇よりなお暗い漆黒の鱗に、フランヴェルジュのように波打つ角。

 

『あたしと、同じ姿……』

 

『同じじゃねェよ、2Pカラー。教えてやるよ……(ドラーゴ)は二人も要らねェんだ』

 

 白と黒の魔竜が二頭睨み合うように、並び立つ。

 お互いを見つめ、そして、その巨大な顎を同時に開いた。

 吐き出された白い炎と黒い炎が激しく燃え盛り、中心で激突する。

 膨大な魔力の炎が玄関の中で吹き荒れ、爆発が巻き起こった。

 眩い閃光に包まれ、私は理解した。

 自分が足を踏み入れてしまった争いの次元は、とても一介の魔法少女が入り込めるものではない。

 これは無理だ。どうしようもない。

 この魔竜たちに比べれば、今まで出会ってきた魔女など子供騙しだ。

 今ならあのレイトウコの中で、ずっと眠っていた方が幸せだったと断言できる。

 圧倒的な存在を見た時、人は絶望するのではない。

 諦念するのだ。

 ただただ、呆然と生存を諦め、立ち竦む。

 それ以外にできる事などないのだから。




これにて、カンナ編は終わりです。
次回より『かずみ編』が始まります。


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かずみ編
第四十三話 敵を知り、己を知らば


『それでは次のニュースです。昨夜群馬県あすなろ市にて、住宅火災が発生しました。家屋は全焼し、この家に住む夫婦と三人の娘は未だ行方不明。焼け跡からは複数の身元不明遺体が発見され、警察は追って調査を……』

 

 ラジオから流れるニュースを目覚ましにして、俺はダンボールの寝床から起き上がる。

 欠伸(あくび)を噛み殺し、天井に頭をぶつけないように気を付けながら、ベニヤ板の小屋から出た。

 そこには広い河川敷と、俺が出てきたベニヤ小屋や小さなテントがいくつか点在している。

 古ぼけたラジオ片手に川縁で釣りをしていたジャージ姿の中年男性が、それに気付いて明るく声を掛けてきた。

 

「起きたか、新入り君。駄目だぞ、ホームレスの朝は早いんだ。この道で生きて行くなら、君も慣れなくちゃいけないよ」

 

「おはようございます、杉松さん。今、何時ですか?」

 

「もう午前七時だよ。まあ、今回は初日って事で大目に見るけど、明日からは朝四時には起きてもらうよ」

 

「が、頑張ります……」

 

 アンジェリカベアーズ博物館を後した俺には、金も帰る場所もなく、河川敷で黄昏(たそがれ)ていた。

 空腹を感じ、川に入って魚を取ろうとした試みたが、いくら普通の人間よりも身体能力が高くても技量のない俺にはフナ一匹捕まえる事も叶わず、途方に暮れていた。

 そんな時に出会ったのが、近くの橋の下でホームレス共同体を作っていたこの杉松さんだった。

 平日の昼間から身一つで魚を捕獲しようとしていた俺の様子から、訳ありの若いホームレスだと判断した杉松さんは、哀れに思ってか路上で暮らすテクニックを伝授してくれようとしている。

 ……色々と思うところはあるが、家も金もないのは捻じ曲げようのない事実だ。

 何より魔法少女たちから化け物扱いを受け、拒絶された今は人が恋しかった。自分では受け入れたつもりになっていたが、いざこうして完全に孤立すると辛さを隠し切れなかったのだ。

 

「まあ、しかし若い君にはダンボールのベッドの寝心地は悪かっただろう?」

 

 どう見ても未成年の俺に気を遣ってそう言ってくれた杉松さんだったが、その点に置いては否定させてもらった。

 

「いえ。河原や木の上で寝るよりは断然寝心地が良かったです。ダンボールって敷いて寝ると背中がまったく擦れないんですね。本気で感激しました」

 

 時間遡行してからはまともな寝床で寝た機会の方が少ない俺からすれば、充分過ぎる快適さだった。

 巡回する警察の目を掻い潜って、補導の危機感の中で睡眠を取っていた身としては、久しぶりに安心して熟睡できたくらいだ。

 それを素直に伝えると、杉松さんは顔を押さえて泣き出した。

 ……何故だ。普通に感想を述べただけなのに。

 

「うう……。そんなに辛い目に……うん、私が間違っていた。少しくらいの寝坊くらい許そう。ほら、朝食も食べなさい」

 

「え? 食事は自分で調達するという話では」

 

「いいんだ! 今日は特別だ! さあ、今取れた新鮮な魚を焼いてあげよう」

 

 急に優しくなった杉松さんは、七輪を小屋から取り出すと金網を乗せ、小さな川魚を竹串で刺して三匹ほど焼き始めた。

 フナとは違う、細い魚だ。ドジョウよりは太いが知らない種類の魚だ。実家が洋食屋を営んでいたから、海魚には多少見識があるが、川魚はさっぱり名前が分からない。

 魚の名前を尋ねようとすると、杉松さんから別の話題が振られた。

 

「昨日の夜、この街で結構大きな火事があったそうだよ。何でも住宅一軒まるまる全焼とかって話だ。まあ、私らにはそもそも家と呼べる場所がないんだけど。たはは……」

 

「は、はあ……」

 

 どう反応したらいいか分からない話題が来てしまった。

 笑うべきなのか、判断に困る。家の手伝いでこういう冗談が好きなお客さんが居たが、俺は曖昧に肯定する以外に返しを知らない。

 目が覚めた時に聞こえてきたあのニュースのようだが、笑い話にするには少し不謹慎過ぎた。こういう場合は、別の話題にすり替えてしまうに限る。

 だが、次の杉松さんの一言で俺の考えは一変した。

 

「何でもその火事を近くで直接見た奴の話によると、燃え盛る家から白と黒の二匹のどでかい竜が屋根を突き破って飛び去ったとか……まあ、酔っ払いの戯言だろうけど」

 

 竜……!? それも二匹!?

 黒い方には覚えがあるが、白い竜など知らない。

 魔法少女を喰らった影響で色彩が変化したとしても、別々の色の個体が同時に存在するのは妙だ。

 

「それっ、誰から聞いたんですか?」

 

「え? 誰だっけかな。あー、思い出したピンさんだよ。ピンさん」

 

 ピンさん。その人は昨日、共同体に加入する時に杉松さんから紹介してもらったホームレスの一人だ。

 本名は天平さんで、数十年前にピンのお笑い芸人をしていた事から「ピンさん」の愛称で呼ばれている。

 俺は居ても立ってもいられずに、杉松さんにピンさんの居場所を聞いた。

 

「ピンさんは今、どこに居るか知りませんか!?」

 

「お、落ち着きなよ。ピンさんなら、二日酔いで自分のテントに篭って寝てるだろうよ。それより、魚焼けたよ」

 

 宥めるように串焼きの川魚を突き出す。

 俺はお礼を言ってから、その焼き魚に齧り付き、一口で頬張った。

 泥の風味が微かに残っていたが、一日振りの食事は胃に染みる。

 美味い不味いの前に、身体が食べ物を欲していた。

 これがイーブルナッツに保存された、オリジナルの赤司大火の生理的欲求だとしても関係ない。

 食べるという事は、即ち生きるという事なのだ。

 二匹目、三匹目と吸い込むように咀嚼(そしゃく)する。

 

「えらくお腹空いてたんだね。ダボハゼもう一匹食うかい?」

 

「頂きます!」

 

 そうして、俺は当初聞こうとしていた川魚の名前を知った。

 ダボハゼというらしい。美味い。この独特の後味が癖になりそうだ。

 今度は俺が自分で釣り上げて、杉松さんにご馳走しようと心に決めた。

 頂いた朝食を食べ終わると、俺はピンさんのテントへ急いだ。

 誰がどのテントや小屋で寝ているかは昨日教えてもらっていた。ピンさんのテントは酔って吐き気を催した時にすぐに川に流せるよう、一番川縁に位置している。

 テントの場合は小屋と違い、ノックする箇所がないため、近くの石同士を叩き合わせてから声を掛ける習わしだ。

 俺は手頃な大きさを二つ拾ってから、互いを打ち付けた。

 

「おはようございます。起きてますか? ピンさん」

 

「……おう、その声は新入りの坊主か。何の用だ」

 

 寝ているかと思ったが、ピンさんはすぐにテントの入り口から伸ばし放題の髭面をぬうっと出した。

 機嫌が悪そうなところを見るに、二日酔いで頭痛がしているといった具合だろう。

 大した事のない用件なら出直した方がいいかもしれないが、事は緊急を要する。

 俺は単刀直入に聞いた。

 

「昨日の夜に見た火事の話、詳しく聞かせてもらえませんか?」

 

「杉松の奴から聞いたのか。……入れ、中で話す」

 

 この一人用のテントに、身長百八十ある俺が入るスペースがあるのか……。

 内心でそう突っ込んでいたが、わざわざ中で話す以上、他には聞かれたくない話なのかもしれない。

 中に入ると、当然ながらまともに座る場所はなく、かと言って立っているほど天井は高くない。仕方なしに、俺はしゃがみ込み、身を屈めた。

 

「あれは、本物だった。本物の竜だったんだ」

 

 ピンさんは胡座(あぐら)を掻いて、茶碗に入った液体を一口含んだ。

 酒かと思ったが、アルコールの臭いはしない。恐らくはただの水だ。

 酔っ払いの戯言という線ではなさそうだ。

 

「確か、白と黒の二匹だと」

 

「そうだ……。奴らは燃え盛る家の屋根を突き破って現れた。それぞれ、白と黒の炎を噴き合い、夜空で激しい攻防を繰り広げていたんだ。あの火事の炎も赤じゃあなかった。まるであれは、白い炎と黒い炎がお互いを燃やし尽くそうと競っているようだった」

 

 茶碗を持つピンさんの腕が震える。アルコール依存症の禁断症状ではない。

 恐怖だ。純然たる恐怖が彼の身体を震わせているのは一目瞭然だった。

 炎を焼く、炎。それは明らかに物理法則に反したオカルトめいた現象。しかし、それが魔力により生じたものであれば、人が見つけた物理など簡単に覆すだろう。

 

「つまり、二匹の竜は争っていた様子だったんですね?」

 

「……お前さん、こんな酔っ払いの与太話を間に受けるのか?」

 疑う気が微塵もない俺の態度を訝しんだピンさんは逆に質問を投げてくる。

 なるほどな。杉松さんのように信じてくれないと思ったから、テントの中で密かに伝えた訳か。 

 

「信じます。その竜たちは、四枚の翼を生やしていたんじゃないですか?」

 

「なッ、お前……あの竜の事知っているのか?」

 

 ピンさんの手の中の茶碗が落ちて、中の水が床に零れる。

 

「はい。白い方は知りませんが、黒い方は俺の……宿敵です」

 

「しゅく、てき? お前、あんな化け物とやろうっていうのか? 正気か!?」

 

「正気ではないかもしれません。でも、本気ではあります。ピンさん、奴らはどこへ行ったかまでは見ていませんか?」

 

 俺の問いにピンさんは腕組みをして、顔を伏せた。

 テントの床に零れた水を眺めて、一拍だけ黙った後に言う。

 

「……俺は怖くて一目散に逃げ帰ったよ。それ以上は何も見ていない」

 

「そうですか。分かりました。お話、聞かせていただき、ありがとうございました」

 

 お礼を言ってから、俺はテントから立ち去ろうと振り返り、入り口に手を掛けた。

 そこで後ろから、ピンさんの声が掛かる。

 

「新入り。お前が何者なのかは詮索しない。それがホームレス共同体の鉄の掟だからな。だけど、どれだけのものを相手にしているか知った方がいい」

 

 彼は最後に火事が起きた現場の番地を教えてくれた。それに感謝を述べ、俺はその場所へと向かう。

 杉松さんに一言挨拶をするべきかとも思ったが、火事の現場を見学に行くと伝えるのも(はばか)られ、そのまま出て行く事にした。

 

 教えてもらった番地は、河川敷からは大分離れていたものの、近くに行くに連れて野次馬たちが集まっており、見つけるのはそう難しくはなかった。

 そこは、焼け跡としか表現できない場所だった。

 柱は一本もなく、壁や瓦礫さえも残っていない。あるのは真っ黒に炭化した地面だけで、他には何も見当たらない。

 仮に木造建築の住宅でも、ここまで綺麗に一切合切燃やし尽くせるものではないだろう。

 奇妙どころではなく、異常だ。明らかに異常過ぎる。

 見物に来ていた興味本位の野次馬たちも、あまりの空虚さに毒気を抜かれ、次々と去って行く。

 俺はその焼け跡に近付き、目を瞑る。視覚情報を切り、代わりにイーブルナッツの感覚を鋭敏にしていった。

 感じる……。これはイーブルナッツの魔力の残り香だ。残留した魔力の粒子が敷地そのものにこびり付いているのだ。

 目蓋の裏に描かれるのは、……炎だ。二つの炎。

 片方は黒。もう片方は……濁りのある白。

 更に集中すれば、もっと何か分かるかもしれない。俺は集中力を高め、精神をより深いところに潜らせる。

 そう意気込んだ時、後ろで誰かの話し声が聞こえてきた。

 

「ここで怪物を目撃したというのは本当なんですか!?」

 

「ッ!」

 

 ……この声は。

 目を開いて振り返れば、そこには野次馬の一人に詰め寄る高校生の姿があった。

 俺と同じ顔をした少年。……本物(オリジナル)の赤司大火だ。

 咄嗟(とっさ)に俺は視界へ入らないように身を屈めて、そこから離れた家の影に身体を潜める。

 そうして様子を伺っていると、どうやら俺と同じく、竜たちの目撃情報を元にこの事件を嗅ぎ回っているようだった。

 オリジナルの行動に過去の己の記憶が重なって、俺は苦い気分にさせられる。

 

「クソッ、この街で普通ではない事件が起きているというのに….…」

 

 オリジナルの赤司大火の漏らした呟きが聞こえた。

 馬鹿者が。一体お前に何ができるというのだ。

 何の力もない子供が、無用な正義感だけ振り(かざ)して何になる?

 不幸になるだけだ。己だけではなく、周囲まで巻き込んで破滅するだけなのだ。

 この、俺のように……。

 お前には悔しがる権利すらない。恥を知れ。

 思い上がりとしか言えないその台詞に怒りが湧いてくる。

 奴の前に飛び出して、力一杯殴り付けてやりたいくらいだ。

 だが、同じ顔をした俺が奴の前に現しせば、更にややこしい事態になるのは明白だ。

 せめて、何か顔を隠すものでもあれば、オリジナルの赤司大火にこの一件から関わらないように言い含められるのだが……。

 苛立ちを抑え、何気なく後頭部を掻こうとして、うなじ辺りに柔らかいものに指が触れる。

 フードだ。上着に付いたフード。

 これは昨夜、寝る前に杉松さんが「夜は少し冷えるから」と言って貸してくれた上着だ。

 俺は深く彼に感謝をしながら、上着に付いているフードを目深に被る。

 そう言えば、カンナも最初に出会った時、同じようにフードで顔を隠していたな。

 あの時の出会いが、赤司大火の運命の分岐点だった。ならば、今度は俺が赤司大火の運命を捻じ曲げよう。

 物陰から出た俺は、オリジナルの赤司大火の背後へと静かに歩み寄った。

 そして、奴を呼び止める。

 

「おい、そこのお前」

 

「何だ? ひょっとして、何かこの事件の事を俺に教えてくれるのか?」

 

 期待を込めた顔で振り向く愚か者に、冷ややかな言葉をぶつける。

 

「逆だ。お前のような無力なガキが立ち入るな。……目障りだ」

 

「何だと! どうして、そんな事を見ず知らずのお前に言われなくてはならないんだ!」

 

 見ず知らずではないからだ。この大馬鹿がっ!

 内心怒気で破裂しそうになるが、堪えて俺は問いを投げた。

 

「お前には大切に思う人が居ないのか? 今まで過ごして来た日常を尊いと思わないのか? ……それを失う事になってもなお首を突っ込む気なのか?」

 

「や、矢継ぎ早に何なんだ……。それは、大切な人は居る。日常だって大事だ。だが、それを守るために俺は……」

 

「それが自惚れだと言っているんだ!」

 

 俺は目の前の何も知らない少年に詰め寄る。

 両肩を掴んで、きつい口調で糾弾した。

 

「お前にはそれを成すだけの力も覚悟もない! いい加減気付け! お前は結局、己の自尊心とちっぽけな正義感を満たしたいだけだッ! 少し喧嘩が強くて、同年代の奴より僅かに度胸があるだけで何かを成せると思ったら大間違いだ!」

 

「な、何を根拠にそんな事を……」

 

 オリジナルの赤司大火は狼狽えた様子で、俺を見つめる。

 自覚はないが、図星を指された事を認識している表情だ。

 根拠ならある。それが俺だったから、赤司大火の残り滓だから分かってしまうのだ。

 この台詞は自分自身に(ひるがえ)る言葉だ。俺自身が、俺をそう評価しているからこそ出たものなのだ。

 とどのつまりは、俺はイーブルナッツを得る前から何一つ成長できていなかった。

 かつての己を直視してそれがようやく呑み込めた。

 赤司大火は……自惚れ屋なのだ。

 自分は強い。だから、他人の事も守れる。否、守ってやらねばならない。

 そう思っていた。ガキが一丁前に英雄気取りになっていただけに過ぎない。

 あまりに滑稽。あまりに愚か。一度死んでもなおも変わらぬ救えなさ。

 

「お前は死んだ親父に引きずられているだけだ。他人を庇って死んだ親父を美化したいあまりに、他人のために尽くす己に酔い痴れている」

 

 その原点は、死んだ親父の影響だ。

 単なる洋食屋の店主だった親父は、押し入って来た強盗から客を庇い、ナイフで刺されて死んだ。

 親父の死を正当化するために、赤司大火は他者を守る事に命を懸けるという行為を至上と定義したのだ。

 そうでなければ、あまりにやるせなかったから。

 大好きだった父親が突然奪われ、それを行なった犯人が責任能力なしで無罪になる世の中など到底受け入れられなかったから。

 しかし、それ故に俺の行いは何時(いつ)だって、形だけのヒーローの真似事にしかならなかった。

 何と薄っぺらな理由だろうか。だが、それが悲しいかな赤司大火という人間の核なのだ。

 俺に隠してきた内面を言い当てられたオリジナルの赤司大火は、崩れ落ちて、膝を突く。

 

「お前……何で……。何で、その事を……?」

 

 顔面蒼白になり、胃の中のものをこの場で吐き出しそうな表情で俺に問う。

 答えてやる筋合いはない。俺は己の内心を、己で指摘しただけだ。

 

「さあな。だが、内心を言い当てられた程度で及び腰になるようなガキは、このまま大人しく学校にでも行け」

 

 肩を掴んだいた手を放し、その場から背を向けて立ち去ろうとする。

 だが、そこでふと周囲に居た野次馬が一人も居なくなっている事に気付いた。

 全員帰ったのだろうか。いや、それにしては人が通り過ぎる気配も感じられなかった。

 

「おい、お前。今、周りの見物人が……」

 

 振り返った先には、既にオリジナルの赤司大火は居なかった。

 目を離したのは一瞬。その一瞬で膝立ちだった奴は消えていた。

 

「これはまさか……魔女の仕業か?」

 

 魔女は使い魔を使って、自らの結界に人間を連れ込むという話だ。

 いつもはそれよりも早く俺か魔法少女が退治しに行く場面しか知らないので、こういう事態は初めてだった。

 俺は焦る気持ちを深呼吸で落ち着かせ、状況を整理する。

 オリジナルの赤司大火を含めた複数の人間が一瞬で姿を消した。それを起こしたのは恐らく魔女とその使い魔。

 そして、人が消えたのはこの焼け跡付近……。

 となれば、魔女の結界は近くにある!

 俺はもう一度目を瞑り、魔女の魔力の漏れ出る箇所を探す。

 ソウルジェムほどの精確に感知できなくとも、近くにあるなら俺にも見つけられるはずだ。

 

「………………………………そこだぁ!」

 

 ドラーゴたちの魔力の残り香の下に、異なる魔力の流れを感じた。

 俺は目を瞑ったまま、その流れが漏れる場所へ向けて走り出す。

 突進を敢行すると、すぐに身体が何か薄い膜のようなものを突き抜けた感覚を受けた。

 両目を見開いた先にあったのは、沈みかけた夕焼けの見える公園。

 大小さまざまな遊具が敷き詰められたこの公園こそ、人を攫った魔女の結界だ。

 

「やはり、俺の見立ては間違っていなかったか……。攫われた人たちは何処だ?」

 

 結界の中を見回すと、傍でオリジナルの赤司大火がうつ伏せの姿勢で倒れているのが認められた。

 

「おいッ、しっかりしろ」

 

 俺は近くに寄って、奴の身体を揺する。

 少し呻いた後、オリジナルの赤司大火は目を覚ました。

 

「あ、お前は……!? いや、それよりもここはどこだ? 夕方? さっきまで通学途中だったはずだぞ!?」

 

 我ながら煩い奴だ。息がある事だけ確認して、起こさない方がよかったかもしれない。

 これ以上騒がれるのも鬱陶しいので、溜息混じりに適当に答えておいた。

 

「ここはお前の知る世界ではない。異空間とでも言えばいいか。ここに魔女と呼ばれる化け物が居て、お前はその手下の使い魔に攫われたんだ」

 

「な、何!? それでは、その魔女がこの街を騒がしている諸悪の根源なのか!?」

 

「厳密には違う。あと、煩いから黙ってくれ。気が散る」

 

 何もできない癖に暑苦しく語らないでくれ。これが他人から見る俺なのかと思うと少々泣けてくる。

 オリジナルの赤司大火はしょげた様子で謝罪すると、俺に尋ねた。

 

「お前はこの場所に詳しいみたいだが、まさかその魔女と戦うヒーローなのか?」

 

 少し前なら胸を張って名乗っていたかもしれない。だが、今の俺にはその称号は似合わない。 

 

「……ヒーロー? そんな格好良いものではない。何にでも首を突っ込みたがる、ただの勘違いしたガキだ」

 

 己の力に呑まれるような未熟者にはそれくらいがお似合いだ。

 それよりも他の攫われた人間が見当たらないのが気になる。一体、どこへ連れて行かれたのだろう?

 俺はより注意深く結界内を見渡す。

 そうすると、遊具に溢れた公園の中央にブランコを発見した。

 そのブランコに一人の少女が座っている。見覚えのある少女だ。彼女は……。

 俺はそちらの方向へと駆け出した。

 

「お、おい。待ってくれ。俺も行く!」

 

 ……余計なのも付いて来た。反応すると面倒なので一先(ひとま)ず置いておく事にする。

 ブランコの前に辿り着いた俺は、その少女へ話しかけた。

 

「一日振り、だな。ルイ……」

 

 皐月ルイ。里美と共に戦う事を決め、俺と袂を分かった魔法少女だ。

 しかし、彼女からは以前感じられた凛とした雰囲気は微塵もなく、疲れ果てた暗い顔をしている。

 

「その声は……恩人か。おかしいな。ひよりは、無力な一般人しか中に入れないはずなのに……」

 

「ひより……? 今、ひよりと言ったか? なら、この結界の魔女は……彼女なのか!?」

 

 何故彼女が魔女に堕ちたのかとルイに尋ねようとしたが、それよりも早く背後で叫びが上がった。

 

「な、何だ!? あれが遊具が、化け物に!?」

 

 振り向くと、そこには象をモチーフにした滑り台が台座を鼻のように掲げ、こちらに向かっている。

 オリジナルの赤司大火はそれを見て、酷く驚いている。腰を抜かしていないだけマシが、何とも情けない。それでも俺のコピー元か。

 他にもジャングルジムは絡み合う蛇に変わり、シーソーはワニのような姿になる。どれもユーモアのある児童向けのデザインだが、それ故どこか底の知れない怖さがあった。

 

「使い魔か。ルイ、お前も一緒に戦って……」

 

「私はもう戦えない。いや、ひよりの使い魔に武器を向ける理由がない。……それにその内、私も魔女へとなる」

 

 ルイは暗い瞳で自分のソウルジェムを見せ付ける。

 紺色の宝石は、その表面をほとんど黒く濁らせていた。

 

「ルイ……お前……」

 

「ひよりが魔女になったのは私のせいだ。私を燃え盛る炎から守るために、結界を発生させられる魔女へと自らなったんだ。自分の魔力をあえて全部使い果たして……」

 

 紺色の魔法少女は、そう言ってほの暗い笑みを浮かべる。

 暗く濁った彼女の紺色の瞳は、そのソウルジェムと同じ色になっていた。

 




大火がオリジナルに厳しいのは同族嫌悪によるものです。
というか本人からすれば、未熟な姿を進行形で見せられているようなものなので、多少きつくなるのは仕方ないのです。


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第四十四話 思い出のかくれんぼ

~ルイ視点~

 

 

 白と黒の炎が飽和し、火の海と化していた屋内。

 二体の邪竜は壁や屋根を砕き、燃やしながら激しく激突する。

 モノトーンの焦熱地獄が私の眼前に広がっていた。

 肌を炙る熱さに囲まれ、じわじわと擦り寄る死をどこか達観した目で眺めた。

 死ぬのだ。私はここで火焔に呑まれ、息絶える。それ以外にない。

 観念した心は指一本動かす気力も貸してはくれない。

 私の精神も肉体も刻一刻と訪れようしている自分の死を受け入れている。

 浅海サキの姿はもう玄関の外から消えていた。かずみのカプセルを持って逃げたようだ。

 トレミー正団は都合良く彼らに利用されただけに過ぎなかったのだ。

 とんだ茶番だ。馬鹿らしくて笑えてくる。

 ……まあ、いい。もう終わった事なのだから。

 

『駄目だよ、ルイちゃん! まだ、終わってない』

 

 ソウルジェムに届くひよりの声。

 もう終わったんだ。私たちは助からない。かずみのカプセルだって奪われた。

 

『これ以上、何があると言うんだ。教えてくれ、ひより』

 

『……あるよ。まだ、まだルイちゃんが居る!』

 

『何を馬鹿な事を、私もお前もここで死ぬ。それでお終いだ』

 

『結界……。魔女の結界なら炎は入って来ないよね?』

 

『……まさか。やめろ、ひより! お前がそんな思いをする必要がどこにある?』

 

『わたしが全部台無しにしちゃったから。わたしがかずみさんをあの人たちに取られちゃったから、せめて責任を取るの。勝手でごめんね……あとはお願い。ルイちゃん』

 

『ひより!? ひより、返事をしろ! ひよりぃ!!』

 

 周囲は白と黒の炎で閉ざされている。

 何も見えない。近くに居るはずなのに彼女の位置が特定できない。

 最後にソウルジェムに声が響いた。

 

『ルイちゃんならきっとわたしを見つけ……』

 

 言葉の途中で、視界に映る光景が唐突に切り替わる。

 モノトーンの炎の海から、夕暮れの公園へと……。

 

 *

 

 私は親友を失い、死に時を失い、生きる意味を見失った。

 もう見えない。見たくない。何もこの目に映したくない。

 以来、こうしてブランコに座り続けている。

 恩人が来ても、死に絶えた心は動かなかった。

 顔を(しか)めて彼は言う。

 

「お前、自分が何を言っているか分かっているのか? 魔女が一般人を結界に連れ込んでいるという事は……」

 

「餌にしている? それのどこがいけないんだ? 恩人だって、魚や家畜の肉を食すだろう?」

 

「……ルイ。本気でそう思っているのか?」

 

「無論だ」

 

 私の返答にフードを目深に被った恩人は、面白いくらいに狼狽する。

 だが、フードを被るのはやめてもらいたい。ひよりの魔法少女時の衣装を思い出してしまう。

 それに恩人そっくりの少年まで居るようだが、あれは双子の兄弟だろうか。どうでもいいので口には出さないが、やたらと騒がしい。

 

「何だ、あの少女は仲間ではないのか?」

 

「……たった今、完全に縁が切れたところだ。お前はこれを持って、少し下がっていろ」

 

 恩人は瓜二つの少年に何かを手渡し、私の近くへ追いやって、遊具の使い魔たちの前に躍り出る。

 その姿を白い蠍の意匠のある魔女モドキに変わり、襲い来る敵を迎え撃った。

 強欲の魔女と戦っていた時とは違い、両腕ともある彼は使い魔を次々と殴り飛ばしていく。

 

「へ、変身した。やはりあの男は、正義のヒーローだったのか! そして、強い……」

 

 恩人に似た顔の少年はそれを見て感動していたが、私には動きのぎこちなさが見て取れた。本来の彼の実力であれば、使い魔くらいもっと楽に倒せるはずだというのに。

 ……十中八九、魔力を抑え込んでいるのだ。あの暴走状態に陥らないように、その力を制限して戦っている。

 使い魔だけを相手取るにはそれで充分だろうが、魔女を探すだけの余力を考えると見通しが甘いとしか言えない。

 魔女になったひより、『神隠しの魔女』は結界発生時から居る私にも見つけられていない。

 魔法少女だった頃と同じく、優れた隠蔽能力を持っているのだろう。

 使い魔で手一杯な彼には、果たして連れ去られた一般人が捕食される前に発見するのはほぼ不可能だ。

 そう分析しながら恩人の戦闘を見ていると、恩人に似た顔の少年が私へ話しかけてくる。

 

「なあ、お前は本当に何もしないのか? あの男の口振りからだとお前もあの化け物たちと戦えるのだろう?」

 

生憎(あいにく)、私には戦う理由も、資源もない。もう関係のない話だ」

 

「理由がなくても力を持っているのだから、人を助けるのは当然ではないのか?」

 

 平然と、当たり前のように私に戦いを強いるその発言に私は頭に血が昇るのを感じた。

 力があれば、無力な者のために身を犠牲にしろとこの少年は言ったのだ。

 魔法少女がどれだけの代償を払い、戦っているかも知らずに。

 彼の顔を()め付け、言ってやる。

 

「なら、お前は……自分が化け物になってまで戦えるのか? それも自分を守るために化け物になった親友と」

 

「なッ……何だと?」

 

 露骨に困惑した表情を見せる彼に、魔法少女と魔女の関係。そして、この結界の魔女が私にとって掛け替えのない親友だった事を教えてやった。

 彼の表情は見る間に曇っていき、罰が悪そうに視線を逸らす。

 その様子を見て、溜飲が下がるどころか一抹の虚しさを感じた。

 何をやっているのだろう、私は。こんな一般人に真実を聞かせ、言い負かせたところで何になるというのか。

 

「す、済まない。事情の知らない俺が過ぎた事を言った……」

 

「いや、私こそ柄にもなく説教めいた事を……、ッ!」

 

 頭を下げる彼に私も自分の振る舞いを省みようとし、改めて少年を見つめて気付く。

 彼がその手に持っているもの。それは私たち魔法少女の生命線……グリーフシード!

 

「その手に握っているそれ……」

 

「ん? ああ。これが何だか知っているのか? さっき、あの男に持っているように手渡されたものなのだが……」

 

 彼はそういってグリーフシードを手のひらに乗せて、私の方に見せた。

 見間違いではない。正真正銘、グリーフシードだ。

 これを恩人が彼に手渡した……? 何も知らない一般人のようなこの少年に?

 いや、違う。恩人は私を試したのだ。私がこのグリーフシードを見つけるだけの観察眼が残っているかどうかに賭けたのだ。

 

 

 ******

 

 

 噛み千切ろうと来るシーソーのワニの大顎を踵落としで閉じさせ、絡み付いてくるジャングルジムの蛇ども振り払う。

 倒しても倒しても一向に数が減る様子のない遊具の使い魔を相手に、俺は辟易する。

 やはりみらいの魔法を押さえ付けながらの戦闘は消耗が激しい。魔力の大半を彼女の力の制御に持っていかれるため、多く見積もっても出せる魔力は四割と言ったところだ。

 一体一体を相手取るには問題ないが、それでもこの数を倒し切るのは至難の業。

 これでは魔女へと辿り着くのはいつになる事やら分からない。それまで攫われた人たちが無事で居ると考えるのは希望的観測が過ぎるというもの。

 現状を打破するにはルイが再び、協力してくれる事を願うしかない。

 だが、俺は彼女の善意に縋る事はしない。助けを求める事も、情に訴えるつもりも毛頭ない。

 非常に短い間ながら、皐月ルイという魔法少女を知った俺は彼女にはそういうものを要求しない。

 求めるのは、レイトウコ内で見せた冷静な洞察力と合理的な思考。

 オリジナルの赤司大火に持たせたグリーフシードも見落とすような彼女なら(はな)から用はない。

 しかし、俺の知る冷静沈着な魔法少女であるならば、確実に気付くはずだ。

 そして、グリーフシードを発見できる洞察力と思考が残っているなら……彼女は戦うだろう。

 合理的な思考が、魔法少女としてのルイを動かす。

 たとえ、親友を失っても、ドラーゴたちに打ちのめされたとしても、助かる手段を諦めて魔女化を受け入れる事は合理的ではないからだ。

 俺はそれを信じる。

 信じて戦う。それだけだ。

 彼女の身に降りかかった苦難は辛いだろうし、悲しいだろう。

 周囲に里美たちの姿がない事から、何が起きたかも大体は察せられた。

 だけど、俺は彼女を慰めない。勇気付けない。助けない。

 力を得ただけの英雄気取りの哀れなガキには、何もしてやれない事ぐらい理解している。

 俺は俺の戦いを、彼女は彼女の戦いをそれぞれするだけなのだ。

 

『はあ!』

 

 滑り台の象の鼻を両腕の鋏角で挟んで捉え、腕力に物を言わせて投げ飛ばす。

 後方に居た遊具の使い魔が纏めて、浮いた象の巨体に潰され、その身を歪ませた。止めを刺すため、俺は倒れた象へ螺旋蹴り(スパイラルキック)を放った。

 

『でやあああ!』

 

 直撃した滑り台の象は下敷きにした遊具の使い魔共々、魔力の(かす)になり、消えていく。

 敵を無情に倒して進む。形ばかり気にした正義も、聞こえのいい優しい台詞も要らない。

 俺にできる事は、敵を粉砕する事だけだ。

 これが魔物としての俺の在り方。

 さあ、魔法少女(サツキルイ)、お前は――どうする?

 

 

~ルイ視点~

 

 

 ……やってくれる。

 力押ししかできない男だと思っていたが、なかなかの策士だ。

 助かる術を自分で見つけさせる事で、私を再度奮起させるつもりだったとは思わなかった。

 恩人はその背中を見せ、自分の在り方を無言のままに見せ付けてくる。

 魔力切れという逃げ道を塞ぎ、こう問いてくる。

 お前はどうするのだと。お前はどうしたいのかと。

 私は……何がしたい。

 もう魔法少女の力が通用する争いではない事を知っている。

 場違いにもそれを認めずに関わったせいで、仲間を、親友を失った。

 感情で物を言えば、もう何もしたくないというのが本音だ。

 しかし、理性はどうだ? 私の中の合理的な部分は何と言っている?

 決まっている。

 ―—諦めるには手札が揃い過ぎている、と。

 相手は魔女。魔法少女の力で対抗できる存在。

 魔女の行動や思考は元になった魔法少女に依存する。

 彼女のパーソナリティを知っている私であれば、神隠しの魔女に対して優位に戦えるだろう。

 それに……最期にひよりは言った。

 私なら自分を見つけられると、そう言ってくれた。

 

「かくれんぼは……鬼が隠れた子を見つけるまでがゲームだったな」

 

「どうした? 急に何を言っているんだ?」

 

「こっちの話だ。悪いが、そのグリーフシード。私に使わせてもらう」

 

 ブランコから立ち上がり、彼の傍まで行くとその手からグリーフシードを奪い取る。

 こうしてまじまじと眺めると、その細部の意匠は落とした魔女ごとに違うようだ。

 里美さんがレイトウコの皆の浄化に使用した御崎海香や牧カオルのものとも、海豹の魔女や強欲の魔女のものとも異なるデザインをしている。

 ……これは『家』か?

 

「え? 何だいきなり……」

 

 戸惑う彼を無視して、そのグリーフシードを自分のソウルジェムに接触させた。

 紺色の宝石を濁らせていた穢れはグリーフシードに吸い込まれていく。その度に私の身体が軽くなっていくのを感じた。

 完璧に浄化し終えたソウルジェムは淡い輝きを放ち、魔力の粒子を飛ばしている。

 

「……変身」

 

 宝石から流出した魔力が私の衣装として、身を包む。

 今までにないほどの充足感。長い間、背負っていた重石を下したような心地だ。

 私は恩人似の少年に向き直って、謝罪を述べた。

 

「少年。さっきは済まなかった。その詫びに『魔法』を見せてやる」

 

「お、おう」

 

 両手の指の間に紺のクナイを作り出し、宙へと放り投げる。

 中空に飛んだクナイが光り、八体もの私の分身が生まれた。さらに私はもう一度同じ行動を繰り返す。

 合計十六体の私の分身がこの場に現れた。

 分身はすぐに飛び跳ねて、自分たちに課された目的を果たすべく、散り散りに去っていく。

 

「分身……ってどこかに行ってしまったぞ」

 

「ああ、それでいい。私たちのやるべき事は戦闘ではない。……捜索だ」

 

 私もまた分身たちと同じようにその場から駆け出し、自分の目的を果たしに向かう。

 遊具の使い魔の脇を潜り抜け、魔女と攫われた人間の姿を探す。

 脳裏に送られてくるのは分身と同期させた視界映像と音声。差し詰め、十六台の監視カメラのモニターでも監視しているようだ。

 捜索を始めると、今まで私を無視していたスプリング遊具のシャチやイルカの使い魔が突撃してくる。

 ……邪魔だ、お前に構っている暇はない。

 クナイを飛ばして、スプリング遊具の使い魔を撃ち落とし、私はなおも分身を使って結界の中を調べて回った。

 そして。

 ……見つけた。

 高台のような盛り上がった足場を登った分身は、倒れていたスーツ姿の男性を見つける。

 ローラー滑り台を追っていた分身は、気を失った様子で乗せられている制服姿の少女を発見した。

 他の分身もまた、雲梯(うんてい)の上ややリングネットの中でそれぞれ攫われた一般人を次々に探し出していく。

 十人、二十人と一般人を見つけてはその度分身に元居たブランコの元へ運び出させる。

 行ける。私の斥候に特化した分身の魔法はこの障害物が多い結界内でも存分に探査能力を振るえていた。

 しかし、まだ神隠しの魔女は未だ発見できていない。

 であれば、恐らくひよりと同じように透明化しているのだろう……。

 一体、どこに隠れているというのか。 

 

「……懐かしいな、この感覚」

 

 本気で隠れたひよりを探すのは、小学校の頃以来だ。

 懐旧(かいきゅう)の念から思わず、口元が綻ぶ。

 夕暮れのあの日、私たちは初めて出会ったのだ。

 友達に意地悪をされ、かくれんぼの途中で一人だけ公園に取り残されていたひより。

 周囲に合わせる事が苦手で学校で孤立気味だった私は、そんなお前と出会った。

 二人だけのかくれんぼ。

 あの時、お前が隠れていた場所は……。

 

「そうか。だからこそ、あの言葉だったのか」

 

 ひより。私はお前を見つけ出す。

 いつだって隠れたお前を探し出すのは、私の役だからだ。

 私は全力で追跡するスプリング遊具の使い魔たちを振り切って、思い出の中の場所へと走り出した。

 ひよりはあの場所に隠れるのが好きだった。

 それはきっと隠れ易い場所だからではない。

 私が必ず、見つけ出すと信じていたから。

 そうだろう? ひより。

 

「はあ……はあ……」

 

 目的地に到着すると息を整え、視線を巡らせる。

 着いた場所は――箱型ブランコの前。

 南瓜の馬車を模したその遊具は、私たちがよく遊んだ公園にあったものと寸分違わず同だった。

 あの公園のブランコは子供が怪我をする危険があると撤去されてしまったが、私の記憶にはしっかりとその色も形も残っている。

 その懐かしいブランコの中へ入っていく。

 対面式の座席の一つに座って、私はその台詞を口にする。

 

「ひより……見つけたよ」

 

 向かいの座席に、顔を隠した「起き上がりこぼし」が言葉と同時に現れた。

 ずっと彼女は待っていた。私が見つけてくれるその時を、この思い出のブランコの中で。

 魔女になってしまった彼女はもう何も言ってはくれない。

 それでも私には分かる。

 あの日初めて出会った時のように、その覆い隠した手の下で笑っている顔を。

 

「遅くなってごめん。でも、私がお前を終わらせる」

 

 手のひらに生み出した紺のクナイを強く握り締め、神隠しの魔女へと突き立てた。

 魔女は避けなかった。その攻撃を迎え入れるように受け……手で隠していた顔を見せる。

 その表情は、私の想像したとおりのものだった。

 魔女の身体が解けるように消え、私の座るブランコが消える。

 目の前に残されたのはグリーフシードだけ。

 私はそれを両手で拾って抱き締めた。

 

「ごめん……本当にごめん……」

 

 今この時だけは涙を許して欲しい。もう二度と何があっても泣かないから。

 だから、たった一人の親友のために流す、弱い私を最後の涙を許してくれ……。

 

 

 ******

 

 

「……終わったようだな」

 

 遊動木のクジラを倒し終えた俺は、夕暮れの公園が掻き消えていく様を見て理解する。

 ルイがこの結界の魔女を倒したのだ。それを確認して、魔物態への変身を解く。

 振り返れば、そこには焼け跡とそこで倒れる二十人以上の人々。

 そして、無邪気に喜ぶ俺と同じ顔の阿呆とルイの姿があった。

 

「凄いな! 本当にお前たちはヒーローだったのか!」

 

「……もうそれでいい。というか、さっさと学校に行け」

 

 この馬鹿にヒーローと呼ばれる度に、かつての己の阿呆さ加減に(うずくま)りたくなる。

 俺は奴の相手を止め、ルイの方へと近付いた。

 彼女は涙はもう流していなかったが、その顔は泣き腫らした跡が目元に残っている。

 ここは目を背けてやるべきだと思ったが、俺はあえてその彼女の瞳をまっすぐに見つめた。

 

「ルイ。……お前はどうする?」

 

 それだけ言って、返答を待つ。

 ルイは手のひらに持つ二つのグリーフシードを見つめ、再び顔を上げた。

 その表情は実に彼女らしい凛とした雰囲気を纏ったものだった。

 

「私は魔法少女だ。この街に巣食う“魔女”を見過ごせない。たとえ、モドキであっても」

 

「そうか。ならば、一時的に手を組んでくれ」

 

「こちらこそ頼む。私一人には手に余る」

 

 すっと差し出された彼女の右手。

 俺はそれを握り締め、文字通り彼女と手を結んだ。

 彼女から聞くべき内容は多い。だが、今はこの握手だけで充分だ。

 しかし、空気の読めない男は分かり合う俺たちに無作法にも話しかけてくる。

 

「えーと、ルイだったか? お前も凄かった。あれが魔法という奴なんだな」

 

「ああ、そうだ」

 

 奴は感服したように大仰に頷くと、今度は俺の方へ声を掛ける。

 

「そちらのお前のあの蠍の騎士のような姿に変わるのも魔法なのか?」

 

「……多分、そうなのではないか。魔力で姿を変えているのだから」

 

「なるほどな。安心した。俺の街をこんな強い奴らが守っていてくれるなら、俺の出る幕はないな」

 

 そんなものは最初からない。顔を洗って出直して来い。

 口を開く度に俺を苛立たせる機械と化したオリジナルの赤司大火は、一人で納得したように(しき)りに頷くと俺に頭を下げた。

 

「これからも俺たちの街を守ってくれ」

 

「言われなともそうするつもりだ。……頼むから、さっさとどこかに行ってくれ」

 

 一々突っ込みたくはないが、この男はどの目線で物を語っているのだ。

 あからさまに邪険にしているというのに、奴は憧れたような眼差しで俺を見てくる。

 

「ああ、分かった。だが、その前に名前を聞かせてくれ」

 

「名前……」

 

「俺の街を守ってくれている人の名前は胸に刻んで置きたいんだ」

 

 ……どうしたものか。

 この状況で一番答えられないものを尋ねられてしまった。

 ここで名前を明かせば、それこそ顔を隠した意味がなくなる。

 仕方ない。ヒーローは名前を明かせないとか言って、誤魔化しを……。

 

「ああ、それは私も聞きたかった。思えば、恩人の名前を私は未だに知らない」

 

「何!?」

 

 早々に手を組んだ魔法少女に裏切られ、退路を塞がれた!

 そう言えば名前を名乗る前に里美に拒絶され、アンジェリカベアーズから出て行ったのだった。

 まさか、この局面で聞かれる事になるとは、不意打ちにも程がある。

 まずいぞ。これでは都合よく誤魔化せない。

 何か名前を考えなければならない。

 名前を思い浮かべるが、そう簡単には思い付かなかった。

 俺は赤司大火の残り滓。コピー元が馬鹿なら、どれだけ頭を捻ったところで……。

 うん? 残り、大火の残りか。それなら……。

 

「……俺の名は残火だ。残り火と書いて、残火だ」

 

「残火か! 俺は赤司大火と言うんだ。何だか響きが似ているな!」

 

 お前の名から取ったからな。似ているのは当然だ。

 勝手に共感を感じて嬉しそうにするオリジナル、いや赤司大火。

 これからは己を残火と呼ぶ事にしよう。紛らわしくなくなる上に、俺自身、別の名前が欲しかった。

 

「恩人、いや残火はこちらの男とは無関係なのか? それにしては顔立ちが……」

 

「あーあーあーあ。無関係だ! こんな男、見た事も聞いた事もない!」

 

 余計な事を口にするルイに大声で否定して、誤魔化し通す。

 何て事を言う奴だ。油断も隙もない。

 俺は赤司大火を蹴飛ばして、彼女に小さく耳打ちする。

 

「……その事は色々面倒な事情があるんだ。後で話すから今は追及しないでくれ」

 

「……分かった。複雑な家庭、というのも知らない訳ではない。嫌なら無理に話さなくても……」

 

 そう返して、憐憫の入り混じった視線を向けるルイ。

 ああ! 何か勘違いしているぅ! ややこしい勘違いをしているぅ!

 頭が痛くなる思いだったが、それを差し置いても俺は少しだけ安心していた。

 ようやく。

 ようやく誰かを救えた気がした。

 あいり、ニコ、優衣。

 俺が出会い、救えなかった魔法少女たちの顔を思い出し、ほんの少しだけ気持ちが晴れた気がする。

 

「いつつ……。な、何故蹴られたんだ、俺は……」

 

「煩い。お前は学校行け、学校に!」

 

 そう言って、文句を言う赤司大火をもう一度、蹴飛ばした。

 




今回でようやく、二部主人公の名前が確立されました。


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第四十五話 縋り続ける少女

~サキ視点~

 

 

 囚われていたかずみを取り戻した私は、一人先にあきらが借りたホテルの一室へと戻っていた。

 縮小したカプセルの中で静かに寝息を立てている彼女の様子を眺めて、私は安堵して一人掛けのソファに座り込む。

 あきらの言っていた通り、かずみは無事だった。

 里美たちの襲撃を予見し、難なく奪還を果たした手際は流石の一言に尽きる。

 彼こそ、私に必要な存在だったのだ。あのプレイアデスの無能共とは比べるべくもない。

 カプセル内のかずみを起こして、再会を楽しみたいが、あきらには許可を出すまでそのままにするよう言われているため、勝手はできない。

 きっと、かずみを混乱させないための配慮なのだろう。彼はそういう細やかな気配りができる男性だから。

 私はカプセルを部屋のテーブルに置いて、大人しくあきらの帰還を待った。

 あの白い竜と一騎打ちに出た彼だが、負ける光景は見えない。彼は確実に勝利し、私の元に帰って来てくれると確信があった。

 何故ならあきらとは不可能を可能にする男性だからだ。

 しばらくそうして、ソファに座っていると、部屋に備え付けられた時計が二十三時を示した頃、開いた窓から彼がふわりと入って来る。

 怪我らしきものもないが、少し疲弊した様子で二人掛けのソファに寝転がった。

 

「ただいま、サキちゃん」

 

「お帰り、あきら。そちらの方は片付いたみたいだな」

 

「まあ、トドメを刺す前に逃げられたが、格付けは終わったぜ」

 

 彼はそう言って、テーブルの上に置いたカプセルを手に取った。

 

「そうか。お茶でも入れる。待っていてくれ」

 

 気を利かせようとした私はキッチンへ行き、紅茶のパックをティーカップに入れ、お湯を電気ケトルで沸かす。

 こうしているとまるで恋人同士になったようで気恥ずかしい。

 ケトルの水が沸騰するまで会話で場を繋ごうと思ったが、意識してしまい、どうにも口が回らない。

 気まずくはないが、むず痒い沈黙がホテルのリビングを埋め尽くす。

 ……ああ、私がよく読む恋愛小説ではこういう時、何を言うのだったか。

 愛読書の中から最適解を探すが、やはり私の口からはこの場に適した言葉は出て来なかった。

 

「サキちゃん」

 

 沈黙を破ったのはあきらの方だった。

 私は声が上擦らないように気を付けて、聞いた。

 

「な、何だ? あきら」

 

「せっかくなら、かずみちゃんの奪還を俺のマンションで祝いたいんだ。だから、先に行って用意をしていてくれるか? 明日の八時くらいには向かうからさ」

 

 あきらはそれだけ言うと、私へ何かを投げて渡した。

 キッチンから手を伸ばして受け取ると、それは鍵だった。

 話の流れから言って、あきらのマンションの部屋の鍵だろう。

 

「えっと……今からか?」

 

 恐る恐る尋ねると、あきらはにこやかに肯定した。

 

「そう、今から。頼んだぜ、サキちゃん。俺はその間にかずみちゃんに今までの経緯を話して、理解させとくからさ」

 

 確かに私が何か話すよりも、かずみが信頼を寄せているあきら一人で説明した方がいいかも知れない。

 それにホテルよりあきらの家の方がかずみもきっと寛げるはずだ。うん、間違いない。他ならないあきらがそう言っているのだから当然だ。

 

「分かった、任せてくれ。すぐに用意しに行く。集合時刻は明日の朝八時でいいんだな?」

 

「おう。任せたぜ。こっちもこっちで上手くやっとくからよ」

 

 あきらの返事を聞き終わった私は鍵を片手に、ホテルの部屋から出て行った。

 こうなれば、うかうかはして居られない。彼の部屋に着いたら、すぐに片付けや飾り付けの準備に取り掛からなくては。

 もしかして、料理も必要か? ……いや、私はあまりそういった事は得意じゃない。買いに行くか? しかし、時間的に開いている店など……。

 ひたすら悩みながら、夜道を歩いてあきらのマンションまで向かう。

 住所は前に教えてもらっていた。しかし、ニコの自宅を監視するために、付近のホテルにしたせいで彼のマンションまでには少し遠い。

 仕方ない。緊急時以外使わないようにしていた『イル・フラース』を応用した瞬間移動を使おう。

 私は魔法少女の衣装に変身して、瞬間的に肉体を魔力で稲妻に変換する。

 魔力を帯びた電気の塊と化した私は指定した座標、つまり、あきらのマンションの前に飛び、電気になった肉体を元に戻した。

 

「はあ……」

 

 一瞬で目的地に到着できたものの、立ち眩みをして地面に座り込む。

 やはりこの魔法はキツい。普段の戦闘にはとても組み込める代物ではない。

 肉体そのものを電流に変換するこの技は、かなりの魔力を消耗する。おまけに副作用として、髪が異様に伸びてしまう。

 元々は『妹の残した鈴蘭を永久に咲かせ続ける事』の願いから派生した、生命の成長速度を操る魔法だからか、瞬間移動をする度に毛根の成長を促してしまうのだろう。

 軽く部屋を清掃し終えたら、この長くなった髪もどうにかしないといけない。

 いや、あきらから、長髪になった私を見て喜んでくれるだろうか? いっそ、かずみと同じ髪型にしてみるのも手だ。

 そんな益体のない事を考えながら、彼の部屋に向かった。

 

 

 *

 

 

 男の子の部屋らしく、床には玩具やら漫画雑誌やらが転がっていたが、それらをすべて片付けて、空いている部屋に仕舞い込む。

 掃除機を使って一通りゴミを取り除いた後、床を布巾掛けまで終わらせると時刻は深夜三時を回っていた。

 これでは料理まで調達するのは難しそうだ。冷蔵庫に何かないか見て、簡単なものを作るべきか。もしくはコンビニで食べ物を買って来る方がいいかも知れない。

 こうして、かずみの歓迎会を準備するとなかなか心が(おど)った。

 初めて“彼女”とあった時とは真逆だ。あの時は私や他の皆が“彼女”歓迎されて……。

 脳裏に、『かずみではないかずみ』の顔が過ぎる。

 違う……やめろ。思い出すな……あれは『かずみ』だ。かずみなんだ。他の誰だと言うんだ。

 変な事を考えてしまったせいで、気分が悪い。食べ物は止めて、飲み物だけとりあえず買って来よう。うん、そうしよう。

 私はそう決めて、部屋の外に出る。夜風が肌に吹き付け、僅かに寒さを感じた。いつの間にか汗を掻いていたようだ。

 ジュースを買って、軽いお菓子でも揃えたらシャワーを浴びて身を清めよう。

 マンションの階段を降り、エントランスホールから出ると、街灯の明かりと近くのビルや店の光以外真っ暗な夜がどこまでも広がっている。

 その暗黒の中、二人組の男女の姿がすぐ近くの街灯の明かりの下に佇んでいるのが目に入った。

 あれは……。

 

「どうしたんだ、二人とも。まだ待ち合わせの時刻には五時間も早いが……」

 

 あきらとかずみに、そう声を掛ける。

 もしかして、手伝いに来てくれたのだろうか。だとしたら、非常にありがたい。

 三人で一緒に飲み物やお菓子を選ぶのもきっと楽しいはずだ。

 けれど、二人とも様子がおかしい。暗がりのせいで表情までは確認できないが、纏っている雰囲気がどうも妙だった。

 

「何で……」

 

 無言だったかずみがようやく言葉を発してくれた。

 だが、それは。

 

「何でなの? サキ……」

 

 悲しみと、激しい怒りの混ざった声だった。

 大きく見上げた彼女の顔は、明確な憎悪の色に染め上げられている。

 

「かず、み……? 何を、怒って……」

 

(とぼ)けないでッ!」

 

 激昂したかずみは、足元に一冊の本を投げ付ける。

 明かりに照らされて、見えた表紙には……『diario M・K』の文字が刻まれていた。

 ……何だ、それは。何の本なんだ? ……知らないぞ。私は知らない。私はそんなもの知る訳がない。

 

「これ、読んだよ。『和紗ミチル』の残した日記……」

 

 淡々と語るかずみ。だが、その口調とは裏腹に激しい感情が彼女の中で渦巻いているのは明白だった。

 睨むというより、刺すという表現に近い彼女の眼差しは私に注がれている。

 

「私をこのミチルの代わりとして作ったんだね? レイトウコの壁の中に居た十二人の『私たち』も全部、プレイアデス聖団がミチルの死を無かった事にするためだけに!」

 

「し、知らない。私は知らない! ミチルなんて知らない! そんな奴、会った事も聞いた事もない!」

 

「嘘! 日記にはサキの事も皆の事も書いてあったよ! ……都合の悪い事は全部忘れて、粘土の玩具みたいに何度も何度も作って、邪魔になったら閉じ込める……あなたたち、プレイアデスは最低だッ! 最低の外道集団だ!!」

 

 やめろ、やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろ、やめてくれぇぇ!

 話が違う! あきらが……あきらが忘れていいって。そう言ったんだ。私は悪くない。そうだ、あきらだ。

 縋る思いでかずみの隣に立つ彼に視線を送る。しかし。

 

「そして、かずみちゃんを独占するためにニコちゃんと組み、他のメンバーを殺して、かずみちゃんを攫った。計算違いだったのは途中でニコちゃんも処分しようして、決裂した事。——そうだろ、サキちゃん!」

 

 あきらは私を指差し、悲しそうに糾弾した。

 それは本当に違う! 冤罪だ! そんな事、一緒に居たあきらなら知っているはずだろう!?

 あまりの事態に舌が上手く回らない。混乱し過ぎて言葉が出て来ない。

 そんな私の事など気にも留めず、なおも彼の弾劾は続いた。

 

「何でだよ……サキちゃん。何であんなに仲の良かった皆を殺したんだ!? そんな『和紗ミチル』が欲しかったのか?」

 

 涙に濡れた瞳であきらは、私を非難し続ける。

 

「かずみシリーズを閉じ込めたのもアンタだったよな。コレクションでもしたかったのかよ? 『和紗ミチル』と同じ顔のあの子たちを玩具みたいに集めて……。サキちゃん、アンタ、本当に人間かよ!? これが人間のする事なのかよぉ!」

 

 その言葉には巧みに真実と虚構が入り混じり、反論できない勢いまで備えていた。

 悲しみと怒りに彩られた彼の台詞は、私を悪と断定し、追い詰める。

 

「あ……あ、あああ……ああああああああああああああああああああ!」

 

 裏切られた。

 そう気付けたのは私が嵌められた側だからだ。

 もしも、私がかずみの立場なら、彼の悲しみにくれた叫びに賛同していた事だろう。

 いや……本当はもっと前から分かっていた。

 あきらの正体が黒竜の魔女モドキだった時点で、彼への信用は破綻している。

 それでももう後戻りはできなかった。口車に乗せられて、ミチルの存在を否定し、切り捨てた時から私はあきらを信じる以外に道はなかったのだ。

 心地よい幻想に浸り、辛い過去を拭い去る幸福に縋ってしまっていた。

 その結果がこれだ。救い用がない。愚かしいにも限度がある。

 プレイアデスの友情も、魔法少女の矜恃も、全部食べられてしまった。

 あきらという竜に心の大半を喰い千切られてしまったのだ。

 絶望する私に追い打ちを掛けるべく、あきらは白々しく自分の腰の辺りを(さす)って、かずみに促す。

 

「かずみちゃん……。蠍の魔女モドキの戦闘でベルトを壊された俺には、戦う力はない。だから……」

 

「うん。分かってる。サキは私が倒す!」

 

 黒い魔法少女の衣装を纏った彼女は一歩踏み出してから、十字の杖の先端を私へ指し向けた。

 かずみはもはや私を仲間でなく、倒すべき敵と認識している。

 彼女の後ろであきらの顔が、邪悪な笑みを浮かべた。愉悦を隠し切れないと言わんばかりの頬の端まで吊り上げた笑い方。

 私は……私たちプレイアデス聖団は最初から終わっていた。

 この世の悪を煮詰めて凝縮させたような、一樹あきらという存在に目を付けられた時点で結末は確定していたのだ。

 後悔に打ちひしがれながらも、私も同じように魔法少女に変身する。

 戦いにはならないだろう。仮に勝っても戻る場所も、迎えてくれる人も居ない。

 全部壊してしまったから。完膚なきまでに消し去ってしまったから。

 他でもない自分自身の手で、捨ててしまったから。

 それでも変身したのは、せめてもの償いのためだった。

 一時でも記憶から消そうとしたミチルへの償い。

 あきらによって支配された彼女をここで止める。私のように取り返しの付かない過ちを犯してしまう前に。

 乗馬鞭を手に持ち、彼女のクローンと対峙する。

 かずみの身体が跳ねる。一息で彼我距離が縮まり、彼女の杖の間合いに入った。

 風切り音を立て、十字の杖は水平に薙ぎ払われる。私は背中を逸らし、地面に着きそうなほど弓なりに曲げて回避を行った。

 振り抜かれた杖に乗馬鞭を引き伸ばして絡ませ、電流を流し込む。

 しかし、彼女は振り抜いた時、既に得物を手放していた。

 

「……ッ! しまっ」

 

 放り投げられた杖に引っ張られ、真横に捻れる私の身体。

 そこへ容赦なく振り下ろされるのは、金属のように硬質化したかずみの拳。

 カオルの魔法……。プレイアデスの魔法で作り上げられた合成魔法少女の彼女なら使えて当然だ。

 

「がはッ……」

 

 がら空きになった鳩尾(みぞおち)に杭の如く突き刺さる鋼鉄の打拳を受け、血の混ざった吐息を漏らす。

 視界に火花が走った。内臓が掻き混ぜられ、呼吸が数拍止まる。

 衝撃で転がった私に、かずみの指から射出された小型ミサイルの追撃が襲い掛かった。

 

「ごぉあッ!?」

 

 爆発にもんどり打って、血反吐を吐く。それでも、両手を伸ばして電撃を放つだけの余力は辛うじて確保していた。

 更なる連撃を当てようした彼女だったが、一旦手を収め、万年筆を円状に並べたようなバリアを展開してそれを防ぐ。

 ニコの魔法に、海香の魔法。それも完璧に使いこなしている。これもあきらの入れ知恵か……。

 鞭も無駄、電撃も防がれる。なら、電流による肉体の超加速で近接格闘に持ち込む!

 身体能力向上させ、後方ではなく前方に飛び出す。

 電流を帯びた私の拳は硬質化した肉体でも伝達する。速度、威力、鋭さ、すべてに置いてかずみを上回る一撃を叩き込んだ。

 伸ばした拳は容易く彼女の身体を貫通する。

 だが、腕が身体を穿ったその瞬間に、かずみの姿が崩れて浅葱色の壁に変形した。

 

「……これは!」

 

 ――ニコの得意とする再生成の魔法!  

 崩れた壁の後ろにかずみがもう一人。薄ピンク色の大剣を構えていた。

 見間違えるはずもない、みらいの大剣……。

 

「はあああああ!」

 

 それがかずみの掛け声と共に袈裟切りに振るわれる。

 腕は壁にがっちりと埋め込まれ、抜き取る事は叶わない。

 

「……ぅ!」

 

 瞬間移動を使うしかかわす手段はない。けれど、一日に二回もこの魔法を使った(ためし)はなかった。

 転移先の座標を特定する暇もない。下手をすれば、地面の中に埋まる可能性も、上空に放り出される可能性もある。

 しかし、この方法以外に私の助かる選択肢は存在しなかった。

 大剣が私を両断する寸前、意を決して瞬間移動を発動させる。

 私の肉体は瞬時に電気となり、深夜の街で空間跳躍を行なった。

 

 

~あきら視点~

 

 

 片腕を壁に固定されていたサキちゃんの身体が、かずみちゃんに二枚に(おろ)される前に掻き消えた。

 惜しくも魔法少女の刺身を完成できずに、かずみちゃんの大剣は空を切って地面に刺さる。

 あと一歩だったが、まあ仕方ない。サキちゃんにこの奥手がある事は知っていた。

 髪が伸びていたから既に一度使用済みだと高を括っていたが、二度も使うとは思わなかった。

 俺にちょっと急かされたくらいで、貴重な瞬間移動を一回使ったと思うと笑えてくる。ていうか、本気でウケるんですけどー。

 

「ごめん。あきら……サキには逃げられた」

 

 剣や壁を消してから、魔法少女の姿のかずみちゃんが俺の方に擦り寄って来る。

 それを優しく慰めるように抱擁をくれてやった。

 

「仕方ねぇよ。かずみちゃんはずっとあいつらに意識を奪われて、ようやく起きたばっかりだ。上手くやれた方だと思うぜ」

 

「あきら……。うん、ありがとう」

 

 潤んだ恋する乙女の瞳で見上げてくるかずみちゃん。うむうむ、()い奴じゃ。苦しゅうない。

 これについては珍しく本音だった。

 今回、サキちゃんを切り捨てたのはかずみちゃんの試運転のため。

 サキちゃん相手にどこまでやれるのか、元仲間だからと言って躊躇ったりしないかのチェックが目的だった。

 もしも、俺の要求するレベルに達してなかったら、二人纏めて“燃えるゴミ”になってもらうつもりだったが、この様子なら「大変よくできました」の判子を上げてやってもいいだろう。

 ぶっちゃけてちまうと、俺にとってかずみちゃんは居ても居なくてもいい存在だ。

 ひじりんや蠍野郎のような執着心は欠片もない。なのに、わざわざ手間暇かけて争奪戦に参加した理由は一つ。

 ——かずみちゃんが大好きで堪らないあの二人を、そのかずみちゃんに殺させるためだ!

 きっと最高に面白いぞ! 「かずみぃ~、どうしてぇ~」とか情けない断末魔を上げて絶望に染まりながら、惨めな死に様を俺に見せてくれること請け合いだぜ!

 俺はその愉快な展開を巻き起こしてくれる新しい玩具を気遣う。

 

「疲れただろ? 後はゆっくり休もうぜ」

 

 かずみちゃんの手を取って、その場を後から去ろうとした。

 

「え? でも、あきらの家ってここじゃ……」

 

「あー。別にセーフハウスを借りてるんだよ。この場所はサキちゃんに知られちまったからな。ここはもう安全じゃねぇ」

 

「あきらってお金持ちなんだね……。あれ? でも、中学生ならお金がいくらあってもお家は借りられないんじゃないの?」

 

 鋭い質問をしてくれるかずみちゃん。記憶はない癖にそういう知識は和沙ミチルから受け継いでいるんだな。

 だが、その点においても抜かりはない。

 

「この街でできた大人の友達に名義を貸してもらって代わりに借りてもらったんだ。だから、表向きは俺が借りた訳じゃないし、表札も一樹じゃねぇ。万が一にもサキちゃんやニコちゃんに居場所が割れる心配もナッシング」

 

 いや~、良い仕事してくれたぜ。宿利さん。

 ロリペド野郎で生きる価値のない腐ったカスみたいな奴だったけど、俺に忠実だったことは評価してやってもいい。

 死後評価されるなんて芸術家みたいな奴だなぁ……。

 

「へぇー。あきらの友達なら私も会ってみたいかも。どんな人?」

 

「(俺にとっては都合の)イイ奴だったぜ……。性癖がちょっと変わってたけどな。だが、もう会えない」

 

「どこかに行っちゃったの?」

 

「ああ……遠い遠い国に逝っちまった」

 

 遠い目をして日の出てない空を眺める。

 地獄と言う名の国へ、な。俺に合う前から細々と幼女相手に強姦殺人を繰り返したみたいだし、多分最下層辺りに落とされているだろう。知らんけど。

 俺のように徳を積み、生まれ直してほしいモンだぜ。

 ま、クソに集る蠅みたいな奴だったから、生まれ変わるとしたら便所蠅だろうけどな。

 ……どうでもいいことを考えてたら、なんかお腹減ってきた。途中でハンバーガー屋に寄って帰るか。

 

 

~サキ視点~

 

 

「がほッ、げぁ……ッ」

 

 喉から零れる血が止まらない。

 魔法少女が持つ治癒能力を超えるダメージが肉体に蓄積されている。

 目の前がチカチカ点滅を繰り返す。呼吸をする度、肺が痛みを訴える。

 私は近くの壁にもたれ掛かり、身体を休めた。

 駄目だ……もう一歩も歩けない。立ち上がる事さえ困難だ。

 魔力も二度の瞬間移動でかなり消費してしまった。グリーフシードもあきらに返してしまったため、手元には一つもない。

 転移先こそ無事に着けたが、ここがどこかも分からない。魔法の移動距離は、あすなろ市から出るほどではないから、市内なのは間違いないが、こうも周りが暗いと地形で判断できない。

 

「あッぐ……はあ、はあ……」

 

 アスファルトの地面。コンクリートの壁。視界に映る道幅は決して広くない。

 こんな場所この街にはいくらでもある。特定は不可能だ。

 意識が混濁してきた。思考が整理できない。

 日の出までまだ時間がある。通行人が通るまでどのくらい掛かるか見当も付かない。

 このまま、死ぬのか……。騙されて、大事なものを捨ててしまって、誰にも知られずたった一人で死に絶える。

 実に私らしい、惨めな終わり方だ。

 皆に謝りたい。プレイアデス聖団の皆に、ミチルに……許しを乞いたい。

 そう思って瞳を閉じた時。

 

「…………!」

 

 足音が聞こえた。

 幻聴ではない。小さいが一定のテンポで一人分の足音が近付いて来る。

 奇跡だ早速、助けを求めよう。そうすれば……そうすれば……。

 待て。本当にそれは一般人の足音か?

 あきらか、かずみが私を追って来たのではないか?

 もし本当に一般人だとしても、血塗れの如何にも訳アリの私を助けてくれるのか?

 仮に助けてくれたとして、その人物が本当に善人だという保証は?

 あきらのように私を利用して、裏切らないという可能性はどのくらいある?

 疑心暗鬼に陥り、私は恐怖に震える。

 怖い……。他人を信じるのが怖い……。

 信じなければ死ぬだけだと分かっている。でも、怖いのだ。

 伸ばした手が、踏み躙られるのが、途方もなく怖い。

 だが、それでも……それでも私にはこの希望に縋るしかないのだ。

 覚悟を決め、すぐ近くに来た人影に話しかける。

 

「た……」

 

「……?」

 

 人影がこちらに気付いた様子でより接近して来る。

 不信感と恐怖が増大し、言葉を塞き止めようと喉に貼り付いた。

 それを気力で乗り越え、私は震える声で口に出す。  

 

「たすけて、ください……」

 

「…………」

 

「お願いします……。私を、助けてください」

 

 鉛のように思い手を伸ばして、人影に頼み込む。

 駄目だ、もう……意識が途切れる……。

 意識が遮断される前に私が見聞きしたものは――。

 

「うん、分かった」

 

 簡潔な肯定と、夜風に揺れる銀色の髪だけだった。

 




あきら君は本当に最悪な奴だと改めて再認識しました。
次回はカンナの方を書いていきます。


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特別編 オイラ、モブじゃねぇ

番外編的なギャグ回です。読み飛ばしても問題のない話です。


 閑散とした昼下がりのあすなろ市、住宅街。

 真っ白い猫に似た小動物が道路脇を練り歩いていた。

 彼の名はキュゥべえ。何も知らない第二次成長期の少女を騙して契約させ、未来のない魔法少女に変える外道マスコットである。

 今日もまた新たに魔法少女を生み出し、一仕事を終えた彼は無表情で新しい獲物を品定めしていた。

 このままでは魔女になるしか先のない哀れな魔法少女が増えてしまう事間違いなしの状況。あわやキュゥべえの思惑通りに事が運んでしまうのか!?

 

『……待ちな、キュゥべえ』

 

 しかし、そうは問屋が下さなかった。下さなかったのである。

 キュゥべえの行く手を遮るように現れたのはなんと……。

 

『何だい? 君は』

 

『オイラァ、ジュゥべえだぜ!』

 

 そう、何を隠そうこのあすなろ市に生息する魔法少女たちのマスコット、ジュゥべえだった。

 楕円形の瞳、サメのようなギザギザの歯。額にワンポイントの輪のマーク。

 カラーリングも基本白一色のキュゥべえに比べ、両耳と身体が黒とバリエーション。

 耳の内側ではなく、首周りのファーから生えた二本の触腕。

 デザインの凝り具合だけで言えば、明らかにキュゥべえを凌駕している。

 

『何にかと思えば、プレイアデス聖団に作られたボクの紛い物か。それで出番の終わったモブが何の用だい?』

 

『オイラ、モブじゃねぇ! オイラはこの街のマスコットだ。このジュゥべえが居る限り、お前の好きにはさせねぇ!』

 

 熱意に燃えるジュゥべえだが、対するキュゥべえの反応は冷ややかだった。

 第一部は一樹あきらの登場により、ほとんど出番をもらえず、待望の第二部に至っては僅か一話しか登場できなかった。

 その点、キュゥべえは終盤からの出演だったが一部はもちろん、二部においても魔法少女や主人公組にも劣らない存在感を放っている。

 出番の差は歴然。月とスッポンならぬ、主役とモブほどに扱いに違いがあった。

 

『ジュゥべえ。例えば、魔法少女云々を抜きにしても、君の知名度は地の底だよ。多分、ボクと一緒に並べたとしても何のキャラか分からないって答える人の方が圧倒的多数……』

 

『うるせぇ! 今日という今日はオイラがお前を倒し、魔法少女の真のマスコットの座を頂いてやる!』

 

『いや、今日という今日は、って言っても設定上ボクと君はお互いに喋る機会は本編でなかったじゃないか』

 

 正論という名の暴力がジュゥべえを襲う。

 今までの彼であれば、この一撃で意気消沈していた事だろう。しかし、今日のジュゥべえは一味違った。

 ぺろりと舌なめずりをして、彼は大きく跳ねた。

 

『その減らず口。すぐに閉じさせてやるぜ! とうッ、オイラァチェーンジ!』

 

 空中でくるくると車輪のように縦軸に回転させる。

 ソウルジェムを浄化させるための謎の動作である。ちなみにこの方法ではジェムは完全に浄化されず、表面処理されて見た目が綺麗になるだけの詐欺のような技だ。

 

『……何がしたいんだい?』

 

 感情のないキュゥべえもこれには流石に呆れたように首を竦める。耳の内側から生えた触腕で頬を掻いた。

 だが、彼の余裕はその数秒後、打ち砕かれる事になった。

 

『な、何だい、その姿は……』

 

 ジュゥべえの首から上は相変わらず、ちょっと捻ったマスコットデザインをしている。

 されど、首の下から生えているのは筋骨隆々の成人男性の肉体だった。かのアクションスターもかくやというほどに引き締まった肉体美は、出演する作品がマギカ系魔法少女シリーズとは思えないものだった。

 

『フフフ……こいつがオイラの新しい姿、マッスルフォームだぜ……。どうだい、感情のないお前でもビビっただろ?』

 

 逞しい両腕の上腕二頭筋を盛り上げて、ボディビルで言うところのフロント・ダブルバイセップスの姿勢を取る。

 可愛らしい顔立ちとギャップにより、異様な迫力を醸し出していた。道行く人に聞けば十人中九人が「気持ち悪い」と嫌悪感を露わにするであろう。

 

『訳が分からないよ……』

 

『その台詞もオイラの代名詞にしてくれるぜ! これからは全てのマギカ系列のマスコットはキュゥべえではなく、このオイラ……ジュゥべえになるのさ!』

 

 凄まじい形相で利権関係者が聞けば、耳を疑うようなせい台詞を吐き、キュゥべえ目掛けて丸太のような腕を振り抜いた。

 

『オイラァ!』

 

 持ち前の俊敏さで彼はさっと身をかわすが、ジュゥべえの放った重量級の手刀はアスファルトの大地を真っ二つに叩き割る。

 さしものインキュベーターもこの狂ったマスコットの凶行は理解が追い付かず、総体と生きる生物にも拘わらず、一つの個体としての危機感を覚えた。

 否、彼の狂気に当てられ、この個体はある種の精神疾患に罹患したのだ!

 

『ちょ、ちょっと待ってよ。君の発言はおかしいよ。もうどこから切り込んだらいいか分からないくらいにおかしいよ!』

 

『何もおかしい事なんてないぜ! オイラは過去と未来のあらゆるキュゥべえを消し去りたいだけだ! そして、マギカ系マスコットの座を頂くのだぜ! オイラァ!』

 

『口調も何かおかしい!? そして、その一人称は掛け声なのかい!?』

 

 脱兎の如し、という表現が似合うほど一目散に逃げ出すキュゥべえ。

 顔だけは振り向いて、細かく突っ込みを入れて来るのは精確さを重んじるインキュベーターの性なのか。はたまた確立した自我から発生した個性なのか。それは魔法少女の女神にも分からない。

 

『待て待て、逃げるんじゃねぇ。オイラララララララララララララァッ!!』

 

 巨岩のような握り拳を激しく突き出して、ジュゥべえは道路を陥没させていく。その速さは二本しかない腕が百本に見える拳の嵐!

 雨季に入れば、この道路の空いた大穴に水が溜まり、カエルやヤゴたちのビオトープへとなって都会の忙しない社会人に一時の安らぎを与える事だろう。

 

『待って。何か、見えないところもおかしい!』

 

『訳分かんねぇ事言ってんじゃねぇ! ラッシュの速さ比べと行こうぜ! キュゥベープラチナ先輩よぉ!』

 

『見えるところはもっとはおかしいよ!』

 

 ジュゥべえ・マッスルフォーム改めジュゥべーダイヤモンドと化した彼は、更なる連続突きでキュゥべえを追い詰める。

 しかし、時を止める魔法少女相手に培ってきた彼の逃走能力は並大抵ではない。

 抉れたアスファルトの中に潜り込み、間一髪で連撃を回避すると衝撃で外れていたマンホールの中へ飛び降りた。

 下水に潜れば、筋肉質のジュゥべえは乗り込んで来れないと踏んだのだろう。

 だが、安心したのも束の間。下水道には降り立った彼を待ち受けていたのは……“五人”のジュゥべえたちだった。

 

『増えてる!? 設定上、君はボクと違って一体以上居ちゃ駄目だろう!?』

 

『何を言っているのか分からないぜ、先輩。メタな発言をするのはご法度なんだぜ』

 

『……この扱いは理不尽だよぉ』

 

 作品の世界観を壊す発言を注意したジュゥべえたちはそれぞれボディビルのポージングを決めつつ、己の名乗りを上げて、キュゥべえを威嚇する。

 

『オイラの名はジュゥべえ・マリポーサ!』

 

『オイラの名はジュゥべえ・ビッグボディ!』

 

『オイラの名はジュゥべえ・ソルジャー!』

 

『オイラの名はジュゥべえ・ゼブラ!』

 

『オイラの名はジュゥべえ・スーパーフェニックス!』

 

 五人は各自、フロント・ラットスプレッド、サイドチェスト、サイド・トライセップス、アブドミナル・アンド・サイ、モスト・マスキュラーのポーズを狭い下水道の中で華麗に決めていた。

 そのどれも古代ギリシャ的な男性としての美を放っている。彫刻のような腹筋の割れ具合、各部位の筋肉の盛り上がりは一種の奇跡と言っても過言ではないだろう。

 彼ら五人が隙間なく詰め込まれたこの空間は、筋肉の天国となっていた。

 

『オイラたち、五人合わせて運命の五マスコット! キュゥべえ、いざ尋常にマスコットの座を掛けて争奪戦を申し込むぜ!』

 

『ボクはかつて、ここまでの仕打ちを受けた事はなかったよ……』

 

 視覚的な暴力にキュゥべえは疲弊し、遂に弱音を漏らす。

 これまで真実を知った魔法少女に殺された事はあった。邪悪な少年たちに洗脳された事や頭から捕食された事もあった。

 しかし、ここまで精神的な責め苦を受けた例はなかった。

 嘆きや悲嘆を通り越し、一周回って悟りの境地へと辿り着きそうである。

 五マスコットたちがそれぞれフィニッシュ・ホールドを掛けようと、彼ににじり寄って来た。

 

『さあ、オイラのジュゥべえリベンジャーで今までの仕打ちの報復を果たしてみせるぜ!』

 

『もう明らかにボクの方が酷い仕打ちを受けているんじゃないかい?』

 

『いやいや、ここはオイラのジュゥべえインフェルノで地獄に落としてやるぜ!』

 

『ここが地獄だよ! 断言するよ、ここより下は絶対に存在しないって』

 

『なんのなんの! オイラのジュゥべえスパークが火を噴くぜ!』

 

『ボクの思考はスパークして既に火を噴いてるよ!』

 

『甘いぜ。オイラの真・ジュゥべえインフェルノでイチコロさ!』

 

『もうイチコロどころか、サンコロ、ヨンコロしているから許してよ!』

 

『そんなんじゃ駄目だぜ。オイラのインテリジェンスジュゥべえパワークラッシュでフルボッコにしてやるぜ!』

 

『自分がインテリジェンスの欠片もない発言してるって気付いてないのかい!?』

 

 五マスコットの発言に一進一退の突っ込みで、キュゥべえは見事に窮地を乗り切る。

 伊達に世界でも知名度のあるマスコットを務めている訳ではない。これまで多くの魔法少女相手に悪徳契約を結び、魔女化一直線コースへ突き落していたその口の上手さは天下一品なのだ。

 

『くう……流石はマスコット番長を張ってきたその突っ込み力……下手なギャグ漫画よりも切れ味が良いぜ……』

 

『何か、倒れ始めたよ!?』

 

 キャラとしての強度を見せ付けられ、勝手にバタバタと倒れて行く五人のジュゥべえたち。

 筋肉こそ肥大化したが、そのキャラとしての個性はまるで成長していなかったのだ。どれだけ凝ったデザインであろうとも外道マスコットとして一世を風靡したキュゥべえの個性には敵わなかった。

 心が敗北を認めた時、ジュゥべえたちの筋肉は萎み、元の姿へと戻っていく。

 

『お、終わったのかい……』

 

『いいや、オイラはまだやられていないぜ!』

 

 下水道の天井を殴り壊して、落下してきたのは最初に出会ったジュゥべえだった。

 悟りを開き、感情とは、宇宙とは何かを理解し始めていたキュゥべえも彼の執着には打ちひしがれそうになる。

 

『また君かい……いい加減にしてほしいよ』

 

『いい加減かどうかはその身で味わってもらうぜ!』

 

『そんな姿になって、腕尽くでマスコットになってどうする気なんだい? そんな君を誰が愛してくれるというのさ?』

 

『オイラは……オイラはここでお前に勝利し、究極かつ至高のマスコットになるんだぜぇ! それだけだぜ……それだけが満足感だぜ! 過程や方法なんて……どうでもいいんだぜぇーーッ!』

 

 下衆な笑みを浮かべたジュゥべえの拳が彼に迫る。

 キュゥべえは思った。

 この生き物がマスコットになるくらいなら、もう魔法少女なんて存在しない方がいい、と。

 首から下が筋肉質の異形と契約するような悍ましい絵面を許すなら、そんな世界は存在しない方がいい。

 そう思った。

 その瞬間、世界に罅が走る。

 

『な、何なんだぜ……? 何が起きているというんだぜッ!?』

 

『分からないのかい? この世界が君という醜悪な存在を認めないとそう言っているのさ。……ジュゥべえ、君は一つ思い違いをしているよ』

 

 下水道のみならず、空間そのものに無数の亀裂が生まれ、広がっていく。

 

『お、思い違いだと……それは何なのだぜ!?』

 

『マスコットというのは自分でなるものじゃない。世界がその在り方を望むからマスコットが生まれるんだ。君はそれを無視した。世界の声を無視したんだ』

 

『……な、にぃ?』

 

『君に圧倒的に足りないもの……それはキャラの濃さでも外道トークスキルでも、可愛さでもない』

 

 そこで一度、言葉を止め、はっきりと言い放つ。

 

『それは人気だよ! 君を認識してくれる人たちに好かれなくてはいけなかったんだ。どれほどマスコットと言い張っても、それを受け入れてくれる人が居なければマスコット認定されない。過程や方法を顧みないと宣言した時点で、君は――マスコット失格だ!』

 

『そ、そんな……じゃあオイラは……オイラは……!』

 

『君は二度とマスコットには戻れない。そして、マスコットと筋肉質の異形の中間の生命体となり、永遠に二次創作の海を彷徨うんだ』

 

『あ……あんまりだぁーー!』

 

 世界の隅々へと罅が広がり、ジュゥべえの嘆きと共に弾け消える。

 キュゥべえは砕ける世界の中で思う。

 彼もまた被害者だった。マスコットというそのコンテンツの顔とも言える存在。それに憧れ、手を伸ばした事は決して間違いではなかっただろう。

 間違っていたのはその解決法だった。

 ジュゥべえは塵になった。

 彼が無意識の内に取っていたのは、耳から飛び出た触腕での「敬礼」の姿だった。

 インキュベーターの肉体構造上涙腺がないため、涙は流れなかったが、無言のマスコットの詩があった。

 珍妙不可思議な友情が、そこにはあったのだ。

 

 

~かずみ視点~

 

 

「……って感じの夢をずっと見てたよ」

 

 今まで気を失っていた時、どういう感覚だったのかあきらに聞かれて、私は素直に見ていた夢の話をした。

 彼は買ってきたチョコのシェイクをストローで一頻り啜ってから、口を離して憐れんだ目を向けて来る。

 

「……かずみちゃん。心病んでんじゃねーの。病院行く? 頭の病院」

 

「失礼だなぁ、もう! だから正直に話すの嫌だったんだよ」

 

「いや、だってよ。それ、もう心病んだ人が見る夢じゃん。壁の染みとお話しちまう人のお話じゃん」

 

 冗談とか言葉の綾じゃなく、本気で可哀想な人を見る目で私を眺めて来る。

 凄い不本意だ。私だって、こんな夢を見たくて見た訳じゃない。それに言わせてもらうなら、私の境遇って結構悲惨だ。

 変な夢の一つや二つ見てもおかしくない。

 

「今日、寝たらジュゥイチべえが出て来るぜ、きっと」

 

「やめてよ。わりと名前に数字が入っているのトラウマなんだから」

 

 十三番目だから一と三で「かずみ」。和沙ミチルの略でもあるんだろうけど、私にはもう一つ意味が重ねられている。

 私も、十三人の内の名前の内の一人でしかない。そう思うと心が痛い。

 食べかけのハンバーガーとフライドポテトを見ながら、物思いに(ふけ)っていると、あきらが頭をポンと叩いた。

 

「大丈夫だぜ。かずみちゃんはこの世で一人だけだ」

 

「あきら……」

 

 見上げたあきらは口元にポテトの粗塩が付いたまま、にかっと太陽のように笑う。

 

「他の奴がアンタを別の誰かと重ねたって、俺にとっての手間が掛かるお転婆なかずみちゃんはアンタだけだぜ。だから、しょげるなよ。飯が不味くなる」

 

「うん! って、ポテト触った手で髪に触ったな!」

 

「ああ~、良い感じの話だったんじゃん。どうしてそう落ちを作るかねぇ、ウチのお転婆ちゃんは……」

 

 あきらは面倒くさそうにシェイクを啜って、顔を逸らす。

 ……お転婆で結構だ。本当は、その優しさに泣きたくなったなんて言える訳がない。

 部屋の転がったティッシュ箱から何枚か抜いて、目元に当てる。

 

「ポテトの塩が目に入ったのか? ったく、ちゃんと拭いとけよ」

 

「……うん、そうだよ。だから、こっち見ないで」

 

 そう。これはフライドポテトの塩が目に入っただけ。

 だから、こんなにもしょっぱいんだ……。

 あきら。本当に、本当に一緒に居てくれて、ありがとう。




時系列は前回のすぐ後くらいです。
ギャグ回でもあり、あきら君の誑しスキルやばいという話です。

追記

ジュゥべえが登場する二次創作の発展を願ってこの話を書きました。
キュゥべえと違って出し辛いし、キャラが浸透していないですが、このマスコットが皆様に愛される事を心より祈っております。


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第四十六話 子の心、母知らず

~カンナ視点~

 

 

 私は『誰』だ。何のために存在している?

 自己が揺らぎ、その在り方が確立できない。

 聖カンナという名前も本来は私を指した名ではない。それはニコが捨てたものを私に押し付けただけ。

 意味を持たない記号めいた呼称だ。こんなもの果たして『名前』と呼べるのか?

 『私』は個でありたい。誰かの代わりでも、複製でもなく独立した一個体でありたいのだ。

 それほどまでに高望みなのか? 自分が欲しいと願うのは傲慢なのか?

 教えてくれ……。

 誰でもいいから、私にその答えを授けてくれ……。

 

「ママ〜。あたし、お腹空いた〜」

 

 くすんだ白髪の幼女が私の服の裾を引っ張った。

 かずら。かずみシリーズの肉片とあきらから回収した魂のデータを混ぜ合わせた、悪意の実の落とし子。

 彼女は私のように自己の存在に悩んだりしないのだろうか。

 

「かずら。お前は何とも思わないのか? ドラーゴと……オリジナルの(自分)と出会ったんだろう?」

 

「うーん。確かにほとんど同じ姿でビックリしたけど、あたしはあたしだからね。あとちょっとで倒し切れたところで逃げられたのは悔しいってぐらいかなぁ。そんな事より、お腹空いたよぉ」

 

 空腹にぐずるかずらは複製物の悲哀をまるで意に介した様子はない。自己の存在を認識できるほど精神年齢が高くないようだ。

 幼い故に自分の本質に気付かないとは、羨ましい限りだ。

 私もそんな風に考えられたなら、どれほど楽だっただろうか。

 かずみもあきらたちに奪われ、里美には弱さを見抜かれ、こうして無様にも生き永らえているこの『聖カンナ』を神那ニコが見たら何と()かすだろう。

 そして、タイカ……。赤司大火は……私を何と言うのだろう。

 

「ママぁ、ご〜は〜んんんん!!」

 

「分かったって。朝ご飯食べに行くよ」

 

 育児に追われ、やむなくこの思考を打ち切る。

 食欲だけは旺盛な性格はやはりあきらに似たのだろう。あの男と手を組んでいた時、奴は遊んでいるか、食べているかしかしていなかった。

 奴は獣、否、『竜』だ。知能は非常に優れていたが、品性の方は野良犬にも劣る外道だ。

 あきらを模して設計された、かずらもまたそのような存在に過ぎない。

 魂がまともな人ではないからこそ、悩まない。竜は人間を羨ましいとは思わないのだから。

 私たちは街中で目に付いた適当なファミレスに入店して、モーニングセットを二つ注文する。

 子供だが、かずらはそれなりに食べる方なので、スープやサラダが付いているこのセットでいいだろう。

 

「ママ、それ玩具付いてるヤツ?」

 

「付いてない奴」

 

「やぁだぁぁ〜。あたし、玩具付いてるのがいい〜!」

 

 ぎゃんぎゃんと泣き喚き、店内に居る他の客の目を引いてしまう。

 どう頑張っても中高生にしか見えない私が「ママ」と呼ばれているのも相まって、かなり目立っていた。

 わがままな我が子に根負けして、耳打ちをする。

 

「わ、分かった。あとで何か玩具買ってあげるから泣き止んで」

 

「え、ホント? じゃあ、いいよ」

 

 涙をピタリと一緒で止め、何事もなかったようにそう答えるかずら。こいつ……私から言質を取るためだけにわざと客の前で泣いたな。

 子供というには悪質過ぎる。これも核となるあきらの感情エネルギーの為せる技か。

 疲れ果てる私とは違い、ご機嫌になったかずらは楽しそうに注文したモーニングセットメニューを頬張った。

 食べ終わり、会計を済ませて、店を出てて行くと、私は道を行き交う学生たちの中で同性のクラスメイトの顔を何人か見付けた。

 聖一家は昨日の火災で行方不明という事になっている。両親や妹たちの死体は人形に変えて仕舞っていたため、完全に燃え尽きたが、そのせいでかえって面倒な事になってしまった。

 こちらを発見されては困るので、フードを被って彼女たち足早に離れる。

 その時、不意に彼女たちの会話の内容が耳に入って来た。

 

「朝のニュース見た? あれ、名前出てなかったけど聖さん家だよね?」

 

「うん……。そうだと思う。聖さん、このところずっと学校休んでるし、ウチ、心配だよ」

 

 ……関係ない。『私』には関係のない事だ。

 彼女たちと友達だったのは、私ではなく入れ替わる前の神那ニコだ。

 入れ替わっても何も気付かないこいつらなど、私にはどうでもいい。

 かずらと繋いでいた手が急に握り締められた。

 急かされたのかと思い、彼女を見ると心配そうな視線を私へ送っている。

 

「ママ、どうしたの? 顔色悪いよ?」

 

「ううん。何でもない……何でもないんだ」

 

 そうだ。私にはまだこの子が居る。

 私と同じ、人工的に作られた魔法の命を持つかずら。

 かずみは奪われてしまったが、この子が居る限り、私は一人ではない。

 

「そっか。じゃあ、デパートのお人形さんコーナーにレッツゴー!」

 

「いや、まだデパート空いてないぞ。というか、ひょっとしてそれが目的で心配してた?」

 

「えへへ〜」

 

 愛らしい笑顔で誤魔化すかずらを見て、少し呆れた。

 気を遣ってくれたかと思いきや、自分の都合しか考えていない。

 だけど、僅かに心が晴れた。あとで何か玩具の一つでも買い与えてやるくらいには、彼女の存在に救われていた。

 

 *

 

 

「ねぇ、ママ。かずみお姉ちゃんを何でさっさと取り返しに行かないの?」

 

 時刻が午前十時を過ぎた頃、デパート内の玩具売り場でかずらはそう聞いてきた。

 着せ替え人形を選びながら、何気ない様子で私に問いかける。

 それほど知りたがっている訳ではなく、純粋な疑問として尋ねているのが分かった。

 理由か。そう言われれば、何故だろう。

 元々あきらに対抗するためにかずらを作り上げた。

 実力は同等。いや、昨日の戦いでほぼ無傷で帰還した事から見て、かずらの方が上と考えていい。

 サキの力を足しても充分に釣りが返ってくる。

 だが……。

 

「かずみを取り戻す理由が分からなくなったんだ。私が欲したのは、かずみではなく、自分自身だったのかも知れない。そう思ったら、何だか疲れて来たんだよ」

 

「ふーん、そうなんだ」

 

「それにお前が居るから、今はいいかなって」

 

 かずらのくすんだ白い髪の頭を撫でる。

 私にとって、本当の意味での家族。聖家のあいつらとは異なり、同じ造られし同類。

 この子の存在が、崩れかけた心をギリギリのところで塞き止めている。

 そうして微笑みかけると、売り場の人形を弄っていたかずらはポツリと言った。

 

「あたしは嫌だな……。こんなに自分勝手なママと二人で居るのは我慢できないよ」

 

 思いがけない拒絶の言葉に血が凍り付く。

 今、かずらは何て言ったんだ……? 私の聞き間違いか……?

 彼女は、私の方へ向き直る。

 あの邪悪な少年のような、瞳が私を侮蔑するように細められた。

 

「かず……ら?」

 

「あ。来た来た。遅いよ、パパたち。二人して何やってたの?」

 

 彼女は私ではなく、私の背後から来る誰かに喋りかける。

 “パパ”? その呼び方は一体誰を示す名詞なのか。

 

「その誤解されそうな呼び方、やめい! 俺のことは『あきらお兄ちゃん』と呼べと言ったろ?」

 

 肩越しにかずらと会話をする陽気な声。違えるはずもない。後ろに居るのは、一樹あきらだ。

 そして、彼女は“パパたち”と呼んだ。複数形、即ち一人以上を表す言葉。そのあとに「二人して」と付け加えた事からも背後から来たのは二人組なのは明白。

 あきらが連れている相手と言えば、普通に考えればサキだ。

 しかし、私はこの時、奇妙にも確信めいた感覚があった。

 振り返った先に居るのは『彼女』であるという感覚が……。

 

「かずみ……」

 

 頭の頂点から一房だけ跳ねた、黒い癖のある長髪。澄み切った、丸く大きな瞳。

 子供らしい幼さの残る顔立ちは今や冷徹に引き締められていた。

 

「慣れ慣れしく名前を呼ばないで、ニコ……。あなたはもう、私の敵なんだよ」

 

 静かな怒りを滲ませたその声は、私をたじろがせるには事足りた。

 どうして、二人がここに居る。そして、かずらは何故その事実を知っていた?

 その答えはかずら自身が行動を以って教えてくれた。

 私の脇を通り過ぎ、彼女はあきらの隣に立って、こちらへ目を向ける。

 浮かべた嘲笑。私がかつて、神那ニコへと向けたものと同一のものだった。

 

「かずら……裏切ったのか! 私をわざとこのデパートのこの場所に誘導して……」

 

 どうしてだ! どうして、裏切ったんだ、かずら……! あんなにも大切に想っていたのに。

 睨み付けると、かずらは呆れた返った素振りで大きな溜め息を吐く。

 

「ママさぁ……。あたしがどんな気持ちで傍に居たのか、考えた事もなかったの? 勝手な都合で生み出され、勝手な都合で利用され、最後には勝手な都合で愛情を向けられる。ねぇ、最悪な気持ちだと思わない?」

 

「……ッ!? それは」

 

 私が、神那ニコやプレイアデスの魔法少女に向けていた感情と同じだった。

 気付かなかった。あるいは気付かない振りをしていた。

 身勝手で傲慢に命を弄ぶあいつらと、同じレベルの行いしていた事から目を背けていたのだ。

 神那ニコにした仕打ちが正当だというのなら、私がかずらにされるこの裏切りもまた正当。彼女の憎悪と軽蔑は何らおかしなものではなかった。

 これは起こるべくして、起きた叛逆だった。

 かずみがかずらから、会話のバトンを受け継ぐように語る。

 

「あきらから聞いたよ。この子も私やかずみシリーズと同じように新たに作った人造人間なんだってね。……一体どこまで命を弄べば、気が済むの? 私たちはあなたたちの玩具じゃない!」

 

「ニコちゃん……アンタは人として触れちゃいけない領域まで手を伸ばした。俺の言ってる意味、分かるよな?」

 

 神妙な面持ちのあきらが追随するように続いた。

 ニコ? ああ……、そうか。お前は私からすべてを取り上げる気なのか。

 かずみも、かずらも、『聖カンナ』という名すら奪った上で、私を殺そうというのか……。

 外道や下衆などという言葉では到底表し切れない、真性の邪悪。

 合成魔法少女(わたし)なんかよりも余程人間から逸脱した精神構造。

 悪人ではない。文字通り、邪な悪しき竜——邪竜だ。

 最も大切なものを奪い、汚し、破壊し尽くし嘲笑う邪竜。それが一樹あきらの正体だ。

 二人に説明するか?

 お前たちの隣に居るそいつこそが、最悪の化身だと。

 ……無駄だ。信じる訳がない。かずみは遅行性の神経毒のように奴への“信頼”が染み込まされている。

 何を言っても、小悪党の作り話と一蹴されるに決まっている。

 かずらの方は、自分を創造した私を真っ当な理由で憎悪している。

 誕生前に打ち込んだ、刷り込みのプラグラムによって、直接私を手に掛ける事こそできないが、あきらを再び裏切ってこちらに戻って来るとは思えない。

 王手詰み(チェックメイト)だ。

 手札はすべてあきらに奪われた。もはや私には逃げる事しかできない。

 即座に背を向けて逃げ出そうとする。

 

「ねえ。ママ、何であたしが女の子向けのお人形さんコーナーに連れて来たか分かる? ここね、男の子向けの玩具コーナーよりも小さくて狭いんだよ」

 

 あきらたちと反対に向かった瞬間に何者かに遮られた。

 立ち塞がるように立っているのは黒いとんがり帽子とマントを羽織った六人の……かずみ!

 

「なッ……!」

 

 あり得ない。かずみシリーズは死んだはずだ。十二体以外にストックがあった?

 いや、違う。これは魔法だ。自分の分身を生成する魔法。

 この魔法を得意としていたのは――神那ニコ。

 

「『分身の魔法(プロドット・セコンダーリオ)』! かずみ、お前の仕業か!!」

 

「助けを呼んでも無駄だよ。このフロアに居た人たちは操りの魔法(ファンタズマ・ビスビーリオ)で意識を奪って避難させた。ニコ、もうあなたの逃げ場はどこにもない。ここがあなたの死に場所だよ!」

 

 一般人にまで平然と魔法を使い、あまつさえ、こんな場所で戦闘を始めるなど、かつてのかずみの倫理観では絶対に考えられなかった。

 完璧にあきらの色へと染め上げられている。

 魔法少女へと変身したかずみは十字架を模した杖を手に、私に飛び掛かった。

 私の逃げ場を塞ぐ彼女の分身たちも同じように武器を構える。各々が生み出したのは、どれもプレイアデス聖団の魔法少女たちが使用していた固有の武器だ。

 皮肉にも、私が壊滅させたプレイアデス聖団の魔法少女の力が、私へと復讐を果たすかのように襲う。

 魔法少女の姿になって天井にケーブルで張り付いて、この場から脱しようとするが、一斉に向けられた七人分の合体魔法は私を逃がしてはくれなかった。

 

「逃がさないよ! ニコ! これはあなたが弄んだ私たち(かずみ)からの復讐なんだから!」

 

 異なる七つの魔方陣がかずみたちの前に出現し、激しい魔力の光がこの私を狙って、一つに収束する。

 ケーブルを身体に纏わせて防御するが、装甲にもなりはしなかった。

 

「ぐッああ゛ああああ゛あああ゛ああ゛ああああああ゛!!」

 

 肉体を破壊する暴力的なエネルギーの渦が私を蝕む。

 身体を、精神を、魔力を、砕き壊し尽くす光の球体。逆転のための思考どころか激痛に叫びを上げる事しか許さない、憎悪の籠められた魔法。

 合成魔法少女たちは睨んでいる。激しい怒りを叩き付けながら、なおも収まらない感情を魔力に変えて流し込んでいる。

 当然だ……かずみは確実に私を殺す気なのだから。

 対して、二匹の邪竜は人の姿を保ったまま、テーマパークのパレードでも見物するように楽し気に眺めている。

 ……かずら。お前はずっと私を憎んでいたのか? 子供ような無邪気さで私に取り入って、この瞬間を待っていたとでもいうのか?

 教えてくれ……私たちの間に、親子の愛情は本当になかったのか?

 

 

~かずら視点~

 

 

 激しい光の渦の中。ママが面白い声を上げて、苦しそうな顔であたしを見つめている。

 どうせ、あたしが自分に懐いてなかったのかとか思っているんだろうな……。本当に、どこまでも馬鹿なママ。

 あたしは別にママを恨んではいない。生んでくれた事自体はありがとうって、ちゃんと感謝している。

 許せないのは、自分より弱くて馬鹿なママに従わないといけない事だけ。

 最初にカプセルの中でママを見た時、思ったよ。なんて利用しやすそうな人なんだろうって。

 だから、ママが求める“子供らしい”反応でたっぷり喜ばせてあげた。

 本当は、もう少しくらい親として使ってあげてもよかったんだけどね。でも、ママがいけないんだよ?

 

 ――だって、かずみお姉ちゃんをあたしに食べさせてくれなかったから。

 

 自我があたしの中に宿った瞬間にあったのは不完全な感覚。短い手足に小さな身体。

 生まれた時から「足りない」って感じた。そして、それを埋めるための欠片が何かも本能的に分かった。

 お姉ちゃんの入ったカプセルを一目見て理解した。

 『ああ、これがあたしに必要なピースなんだって』。

 これを取り込めば、この未熟な身体は完全になる。そう確信した。

 でも、馬鹿なママはそれを邪魔して、あたしをコントロールしようとした。その時点でぶち殺してやりたかったけど、そういう考えが実行できないようにあたしは作られてた。

 だから、パパ……あたしの(ソフト)のオリジナルと出会った時、これはチャンスだって思ったね。

 最初は誰だか分からなかったけど、交渉相手としては最適だった。

 ママの決定的な間違いを一つだけ挙げるとしたら、それはイーブルナッツ同士で独立した通信回線を開ける事を知らなかった事だ。

 パパとあたしは交戦に見せかけて、ママの家を破壊しながらイーブルナッツで通信し、お互いに情報を交換した。

 そして、最終的には利害が一致して、秘密の同盟を結んだの。

 パパの提示した条件の一つはママを誘き出して、かずみお姉ちゃんに殺させる事。

 これは直接ママに危害を加えられないあたしとしても願ったりの条件だったから、喜んで受け入れた。

 その後、パパから出した条件はもう二つ。パパの正体をかずみお姉ちゃんに隠す事。そして、蠍の魔女モドキの殺害のサポートをする事。

 後半は面倒だったけど、パパがあたしにしてくれた約束に比べれば些細(ささい)なものだった。

 役割を終えた後に、かずみお姉ちゃんをあたしにくれる。

 邪魔くさいママが消え、お姉ちゃんを食べさせてもらえるなら、あたしとしては何の文句もなかった。

 こうして、あたしはママを裏切る事に決めた訳。ま、当然のなりゆきってヤツだよね。

 愛する娘のために犠牲になる……家族に幻想を懐いているママには幸せな最期だもん。むしろ、最初で最後の親孝行ってヤツ?

 あたしのここでの仕事はこれでおしまいっ! あとはローストになったママを眺める事くらいだ。

 だけど、どこの場所にも厄介な邪魔者っていうのは湧くもので……。

 

「きゃあぁ!」

 

「かずみお姉ちゃん!」

 

 合体魔法に集中していたかずみお姉ちゃんたちの足元に、唐突に数十本のクナイが飛んで来て、床に刺さると同時に爆発した。

 紺色の魔力の粒子が、煙幕のようにもうもうと玩具コーナーで巻き上がる。

 この魔法、見た事がある。これはあの忍者みたいな格好のお姉ちゃんの魔法だ。

 ドラーゴ・ラッテの姿に変身しようとするが、隣に居たパパがあたしを止めた。

 

「……パパ?」

 

「いや、イーブルナッツの反応はねぇ。蠍野郎が来てないなら、雑魚魔法少女どもは戦いに来た訳じゃねーよ」

 

「それなら、かずみお姉ちゃんを連れて行く気じゃないの?」

 

「それも違うみたいだぜ。見てみろ、かずら」

 

 粒子が晴れた後、七人に増えたかずみお姉ちゃんは誰一人欠けてはいなかった。

 でも、その代わりにママの姿がない。紺色のお姉ちゃんはかずみお姉ちゃんではなく、ママを連れて行ったのだ。

 

「パパ! 大変、ママが!」

 

 焦ったあたしはパパの袖を掴んで引っ張るが、パパはまったくと言っていいほど慌てていなかった。

 

「意外っちゃ意外だったが、ひじりんならくれてやればいい……。どの道、もう致命傷は負ってる」

 

「でも、もし助かったら?」

 

「そしたら、俺が直々に殺す。それでいいだろ?」

 

「むう……。他人事だと思って」

 

 パパとしてはママなんか取るに足らない存在なんだろうけど、あたしとしては自分ではどうにもできない目の上のたんこぶ。

 できる事なら早めに排除したいと思うのは人として当然の事だった。

 あたしの頭をあやすようにポンポンと叩いてから、パパはかずみお姉ちゃんに話しかける。

 

「かずみちゃん。そっちは無事?」

 

「うん。ちょっとびっくりしたけど、怪我はないよ。すぐに追った方がいい?」

 

「いや、少し様子を見ようぜ。ニコちゃんに協力者が居ないのはかずらに裏を取ってた。にも拘わらず、外部から助けが来たってことは俺らの知らない勢力があるってことだ」

 

 如何にも、知的でそれっぽい事を言って、かずみお姉ちゃんに追跡を止めさせるパパ。

 方針としては間違っていないけど、どの勢力かぐらいは見当は付いているのにあえて言わないのはパパの嫌らしいとこだ。

 嘘と真実を巧みに混ぜて、簡単には否定できない意見を作る。この辺りはあたしとは全然違った。

 

「あきら……。私また敵を逃がしちゃった」

 

「ドンマイドンマイ。今回は相手が上手だったんだ。かずみちゃんのせいじゃねーよ」

 

 落ち込むかずみお姉ちゃんを、パパは優しく抱き締めて慰める。

 排除しようと思えば充分できたのに、やらなかったのは逃がした方が面白い展開になると踏んだからだ。

 大方、ママをメッセンジャーガールにして、蠍の魔女モドキを焚きつける気なんだろう。

 こういう凝り性なのは分かるけど、そのせいで自分の首を絞める可能性があるのは勘定に入っているのかな?

 

「さて。それじゃあ、お互いに親睦を深めるために飯でも行こうぜ。かずらも玩具何か欲しかったら買ってやるよ」

 

「いや、パパ。今、売り場の人居ないけど。もっと言うとコーナーごと玩具吹き飛んでるんだけど」

 

 気前のいいところを見せて誤魔化そうとしているけど、そもそも売り場の一角が棚ごと消滅している。

 砕けた床や天井の瓦礫しかないのに何を欲しがれっていうんだか……。

 

「あ、じゃあ、私が魔法で直しておくよ。海香の分析魔法を使えば、元の形とか分かるだろうし」

 

「おっ、頼むぜ。かずみちゃん」

 

 パパの便利な女と化したかずみお姉ちゃん……。あたしと肉体(ハード)の部品はほとんど同じらしいが、中身(ソフト)までこうならずに済んで良かった。 

 

「ところであきら……何でその子にパパって呼ばれてるの……?」

 

「そりゃあ、もちろん俺の溢れる父性が幼い子に自然とそう呼ばせるんだよ。なっ、かずら」

 

 適当な発言で誤魔化しつつ、ニヒルな笑みを浮かべて、あたしを抱き上げる。

 前言撤回、これが中身(ソフト)なのも結構ヤダ。うう、早くお姉ちゃんを食べて、終わりにしたい……。

 あたしはパパの胸板に頬を押し付けられながら、しみじみとそう思った。

 




いくら強いからと言って、コピー元をあきら君の魂にした時点で叛逆は決定付けられていました。
何故なら、あきら君は生まれながらの悪だからです。
若干、かずらの方が真面目なところがありますが、根は同じく邪悪です。


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第四十七話 すべてはお前のおかげ

「ルイ! カンナを捕まえたというのは本当なのか!?」

 

 河川敷に帰った俺は杉松さんに自転車を貸してもらい、街のあちこちで空き缶回収の仕事に精を出していた。

 ゴミ袋一杯に空き缶を集め、いざ換金しようというところに現れたルイの分身から、カンナを捕らえたとの知らせを聞かされ、慌てて自転車で本体の居る場所まで駆け付ける。

 後ろに紐で固定した幾つもの空き缶の詰まったゴミ袋が重く、錆び付いた自転車はペダルを漕ぐ度に軋みを上げた。

 隣を並走して駆けるルイの分身は、携帯電話宜しく俺の問いに答えてくれる。

 

「本当だ。私は分身を街に放ち、かずみの捜索をしていたところ、あきらと同行する彼女を発見した。彼らの家の場所を突き止めようと尾行を試み、追跡した私はデパートのホビーフロアでカンナがかずみに襲われている場面に出くわし、不意を突いて彼女を攫った」

 

「何故、かずみではなく、カンナを捕まえたんだ?」

 

「かずみは私と同じように分身の魔法を使って増えていた。周囲にはあきらやかずら……白竜の幼女も居た。故に私は確保し易い方を捕らえて逃げたのだ。……見えてきた。私の自宅はあそこだ。一旦、この分身は消す。後の話は直接、私の口から語ろう」

 

 それだけ話すと、並走していたルイの分身は粒子になって消滅した。

 前方に向き直った俺は目を凝らすと、百メートルほど先に「皐月」と表札プレートのある一軒の家屋が見えた。

 紺色の屋根のブロック塀に囲われた二階建ての一軒家。なるほど、あれがルイの家か。想像していたより、案外普通で逆に驚いた。

 彼女の自宅に自転車を留めて、俺は玄関のチャイムを鳴らした。

 

「はーい。どなたー?」

 

「えっ!?」

 

 てっきりルイが一人で居ると思っていたが、予想を裏切り、彼女の母親らしき人物が開いた扉から顔を出す。

 聞いていない……聞いていないぞ! ルイ!

 どなたと聞かれ、言葉を窮す。俺は一般人に名乗れるような肩書きは持っていない。

 ルイの友人と答えるべきなのだが、今の俺はホームレスに身を(やつ)し、身形(みなり)は大変薄汚れている。

 こんな男が娘の友人を名乗ったところで、果たして信用してもらえるだろうか?

 冷や汗を流し、焦っている俺を眺めてルイの母親らしき人物は不信感を露わにする。

 

「あの、どなたですか? 何で黙ってらっしゃるんですか?」

 

「お、俺はルイさんの友達の残火と言います。ルイさんはご在宅でしょうか?」

 

 恐る恐る尋ねてみるが、案の定、彼女は信用してはくれなかった。

 

「……ルイのお友達? 失礼ですけど、あなた、学校はどちらですか? どう見ても中学生には見えないのですけど」

 

「俺は十七歳で高二です。いや、もう高校には行っていないというか……は、はは」

 

 彼女の表情が更に険しくなる。この顔は通報を決意した表情だ。

 まずい、まずいまずいまずい。今の俺は戸籍すら存在しないのだ。高校生どころか、法律上は日本国民ですらない。

 社会的身分などない。身元を追及されれば、お袋や赤司大火にまで迷惑が掛かる。

 ここは、逃げるべきだろうかと本気で考え始めた頃、階段を降りる音が中から聞こえてきた。

 ルイか! 救いの神の登場に胸を撫で下ろす。

 

「お母さん。もう! 私が出るって言ったじゃない!」

 

 しかし、降りて来た少女の口調は彼女とはほど遠いものだった。

 誰だ、この子は誰なんだ!?

 

「ルイ、あなたはまだ寝てなさい。一月振りに帰って来たと思ったら、体調崩して寝込んで……私をいくら心配させたら気が済むの!」

 

「大丈夫だよ。今は体調も良くなってるし。それよりお客さん来てるの? ひょっとして私のお見舞いだったりする?」

 

 そう言って、玄関の方へやって来たのは紺色の髪の少女、ルイだった。

 ただし、その顔付きや雰囲気は俺の知る彼女ではない。あの堅苦しささえ感じさせる凛とした彼女の片鱗さえ見受けられなかった。

 代わりに見せたのは今時の中学生らしい、パジャマ姿の普通の女の子だ。

 

「あ、残火さんだ。私のお見舞いに来てくれたの? ありがとう。じゃあ、私の部屋に上がってて」

 

「ちょっとルイ。……この人、本当にあなたの友達なの?」

 

「そうだよ。手芸部のOBの残火さん。今でも時々、部室に顔出してくれてるの。ぬいぐるみとか作るの超得意で私も教えてもらってるんだよ」

 

 どこの残火さんだ、それは……。少なくとも俺ではない事は確かだ。

 娘の発言の真偽を疑いつつも、母親は渋々といった様子で俺を迎え入れた。

 取り敢えずは、警察に突き出される心配はしなくてよさそうだ。

 俺は彼女に連れられて二階の部屋まで連れて行かれる。

 如何にも少女然としたな小物で溢れた部屋に入ると、ルイは一息吐いて、勉強机の前にある椅子に腰を降ろした。

 

「危ないところだったな。私の到着が遅れていれば、お前は確実にお縄になっていたぞ」

 

 完全に俺の知る皐月ルイに戻った彼女は呆れたように肩を竦めて、俺を半目で見つめる。

 

「俺の責任なのか!? というか、色々聞かなければならない事が増えたんだが……」

 

「あのキャラについては聞くな。両親の前では普通の女の子で通しているんだ。……色々心労を強いてしまったからな」

 

 レイトウコの中で幽閉されていた期間の話か。確かにそれについては何も言えないな。

 自分を曲げてでも親の望む姿を演じるのも致し方ないだろう。

 

「だが、本当に手芸部に入っているのか? 意外だな」

 

 床に置いてある毛糸や編み針を見て、彼女との言動に似合わない趣味に感心する。

 

「ああ。しかし、手芸部という名目で部費を確保しているが、実態は忍者同好会だ。フェルトやウレタンで忍装束や手裏剣などを作っている」

 

 どういう部活動なんだ……。そして、やはり魔法少女のあの衣装はルイの趣味だったのか。

 いや、そんな事は今はどうでもいい。俺の聞きたい事は一つだ。

 カンナ。彼女の事だ。

 

「彼女はどこだ? ここに居るのか?」

 

「少し待て。お母さんに見つかる訳にはいかないからな」

 

 そう言って、ルイは部屋の扉まで近付くと、紙コップを逆さに着けて部屋の外の音を聞く。

 足音や気配からこの部屋に入って来そうにない事をしっかりと確かめた後、クローゼットの扉を開けた。

 その中には彼女の衣服……ではなく、紺色の壁の不思議な空間が広がっていた。

 

「これは……」

 

「奴が自宅内の空間を魔力で弄っていたのを見て、応用できないか試してみた。一室と呼べるくらいには拡張できたが、元がクローゼットならこれが限界だ。手狭だが、入ってくれ」

 

 パジャマ服のまま、ルイはクローゼットの空間へ先に進む。

 先程、チャイムを鳴らしてからすぐに来られなかったのは、ここに居たせいなのだろう。

 中に入ると、畳、六畳分ほどの広さの部屋に布団が敷かれ、カンナが寝かされていた。

 

「カンナ!」

 

 肌は黒済み、両目を閉じて死んだように横たわっていたが、駆け寄ると彼女は僅かに瞳を開いた。

 

「……タイカ?」

 

「ッ! その呼び方は……」

 

 俺をタイカと呼ぶのは、記憶の中にだけに残っている未来のかずみと聖カンナだけだ。

 この過去の世界でのカンナは俺をずっとフルネームで呼んでいたはずだ。

 それがどうして、その呼び方を使うのだ?

 

「知っていたよ……。お前が少し未来から来た事も、そこでの聖カンナとの関係性も……」

 

「何だと!? どういう事だ?」

 

「この世界で路地裏で倒れているお前を見つけた時……私は魔法を使ってお前と繋がった……」

 

 カンナの魔法、『コネクト』か! 路地裏で倒れていた時というと、俺がここに飛ばされた直後……偶発的な時間遡行が起きたすぐ後という事になる。

 つまり、彼女は何もかも最初から知っていたのだ。

 俺の正体も、あきらの存在も、この街で起きるあの地獄の光景も! 全部! 全部だ!!

 堪え切れない感情が問いとなって、喉から(ほとばし)る。

 

「何故だ!? 何故だ、カンナ! 全てを知ってどうして、プレイアデスの魔法少女たちを手に掛けた!? どうして、あきらの危険性を知りながら手を組んだのだ!?」

 

 問わずにはいられなかった。

 過去のカンナは言ってくれたはずだ。俺の真っ直ぐで優しい心を見続けていたかったと。

 プレイアデス聖団への憎しみなどどうでも良くなったと。

 それなのに何故このような結末を選んだ……? どうして俺の手を取ってくれなかったんだ、カンナ!

 横たわるカンナは、乾いた唇で呟いた。

 

「その、答えを得たのは『私』じゃ、ないだろう……?」

 

「何を言うんだ? あれは確かに……!」

 

「違う……そうじゃない。やっぱりお前も、同じか……『私』を誰かの代わりにするんだな……」

 

 失望したような眼差しに俺は閉口する。

 カンナの言う『私』とは、思い出の中の彼女とは別のここだけに居る自分の事か?

 ()れた声で吐き出されたのは、俺の知らない『彼女』の本心だった。

 

「『私』の知らない私の出した答えを見せられて、納得しろって……? 冗談じゃない……だったら、私の懐いた憎悪はどうなる? 『私』の知らない私に向けられた好意なんて吐き気がしたよ。タイカ……お前の言っている事は『私』に私である事を放棄させようとしているの同じだ……そんな押し付け、跡形もなく壊れてしまえばいい」

 

「それなら……俺のせいか? 俺の存在が、お前を余計に傷付けてしまったというのか?」

 

「そうだな……。少なくともあんなもの見なければ、あきらと組もうと思わなかっただろう。常にコネクトで奴の心を監視して……アトラスのベルトに、ドラーゴ・ラッテまで用意して、それなりに奴への対策までしていたんだがな。奴の人心掌握術まではお前の記憶になかったのが私の敗因か」

 

 あんまりだ。この俺が時間遡行した事で、ここに居るカンナの心を追い詰めてしまう結果になるなんて。

 最悪の魔物、『オリオンの黎明』になりかねない事も知っていて、あきらと同盟を結んだのだ。

 彼女にはその危険を冒してまで、許し難い想いだったのだろう。

 俺が“未来のカンナ”を“ここに居るカンナ”に求めた事が、最悪の引き金だった。

 絶望する俺に彼女は、ネタ晴らしとばかりに暴露を続ける。 

 

「いい事もあった。お前の存在を知り、いち早くこの街に掛けられた記憶改竄にも気付けた……。プレイアデス聖団を効率良く苦しめて殺すのに、あきらが便利なのも知れた……」

 

 俺のせいだ。俺のせいで皆不幸になった。

 プレイアデス聖団の魔法少女も、カンナも不幸になったのだ。

 カンナは掛け布団を肩を使って跳ね除ける。

 露わになった彼女の身体は両手両足が焦げ落ち、肘や膝のから先が消滅していた。

 

「う゛ッ、その身体……!」

 

「かずみにやられたよ。あきらに洗脳されたかずみにね。全部全部、お前のおかげだ。お前のおかげで本来の未来よりも絶望が加速した。なあ、タイカ。……ハハハ、どうだ? この『私』はお前の聖カンナとは全然違うだろう……ざまあみろ!」

 

「あ、ああ……俺は、皆を……助けたかっただけなんだ。かずみや、カンナを助けたかっただけだった。それがこんな事になるなんて……」

 

 憎しみの籠った笑みを送る彼女に耐え切れず、俺は頭を抱えて蹲る。

 俺など存在しなければよかった。こんなにも誰かを苦しめてしまうのなら、『オリオンの黎明』の攻撃で跡形もなく消え去っていれば良かったのだ。

 死にたい……死んでしまいたい。俺など、俺など消えてしまえば!

 

「タイカ? 私はそんな奴は知らない。ここに居るのは残火(・・)だ。名前を間違えるなよ、聖カンナ」

 

 寝ているカンナの胸倉を掴んでルイは引き起こした。

 相手の四肢が欠損していることなど気にも留めない強引さで、彼女の上半身を無理やり上げさせる。

 

「お前こそ、この残火を誰かと重ねているんじゃないのか? 例えばそう……お前が勝手に憧れて、勝手に助けを求めている王子様に」

 

「は? ふざけるなよ。里美の手下の残党が。プレイアデス如きに捕まった弱者風情に何が分かる!?」

 

 今にも噛み付きそうに歯を見せて睨むカンナの剣幕に、欠片も怯まずルイは平然と言葉を紡いだ。

 

「少なくともお前よりは彼を知っている。残火はレイトウコを解放してくれた。私たちに家に帰る希望をくれたんだ。その功績だけは誰にも否定させない」

 

 ルイ……。

 お前、そんな風に俺に感謝してくれるのか?

 こんなにも被害と絶望を広げてしまった俺を、弁護してくれるというのか?

 だが、俺にそんな価値はない。俺のせいでかずみはあきらの手に落ちてしまった。

 俺が見た絶望の未来よりも、更に状況は悪化している。

 

「ルイ……良いんだ。俺が彼女をここまでの凶行に走らせてしまった事は事実だ」

 

「事実なものか。こいつは甘えているんだ。お前が優しい言葉を掛けてくれる事を知っていて、辛く詰っている。私にはそれが分かる」

 

 俺がいくら言っても、彼女は決して己の意見を譲らずにカンナを睨んでいる。

 カンナもまたそんなルイに怒りをぶつけ続けていた。

 

「殺せ。お前らなんかに生かされるなんて屈辱でしかない」

 

「ほう……そんなに里美さんのところに行って、詫びを入れたいのか? 良い心がけだな」

 

 ルイもまたカンナへの憎しみを隠そうとしない。

 里美たちを手に掛けたのはカンナだったと話は聞いている。本当なら俺に教える前に自分の手で報復をしたかっただろうに、それをしなかったのは彼女の義理堅さ故だ。

 紺色のクナイを手元に生み出すと、ルイはカンナの喉元に切っ先を突き付ける。

 

「ルイッ!」

 

「……聞かせろ。あきらを調べ上げたお前なら、かずらを作り上げたお前なら、知っているはずだ。奴らの弱点を! それさえ教えれば願い通りにしてやる」

 

 彼女は本気だ。本気でカンナを殺すつもりだ。

 脅しで聞き出そうとしている訳ではない。用が済めば、その喉元を切り裂くだろう。

 しかし、それで大人しく情報を吐くカンナではない。

 

「言う訳ないだろうが……。大人しくあの邪竜どもの餌になって死ぬんだな。私はそれを地獄で先に待っててやる」

 

「くッ……どこまでもクズな女だ。ならばいい。望み通り地獄に堕ちろ、聖カンナ!」

 

 喉に押し当てたクナイを真一文字に滑らせる。

 だが、刃が肉を切り裂く寸前に俺は彼女の腕を掴んだ。

 キッと俺を横目で睨むルイ。

 

「止めるな、残火。これはトレミー正団の問題だ」

 

「悪いな、ルイ。それはできない相談だ。俺がどういう奴か知っているなら武器を仕舞ってくれ」

 

 ルイは俺をしばし睨んでいたが、その手からクナイを消す。

 俺の手を乱暴に振り払うと、彼女はクローゼットの部屋から出て行こうとする。

 

「ルイ?」

 

「……飲み物を取って来る。お母さんが来ないかも確認する必要があるから、しばらく戻らない。……後は好きにしろ」

 

 それだけ言い残すと、彼女は部屋から去った。

 俺とカンナへの配慮だろう。自分は関知しないから勝手に話せという事らしい。

 憎しみを堪えて、気を配ってくれた彼女に内心で感謝して、俺はカンナに向き直る。

 彼女はそっぽを向いて、目も合わせてくれない。しかし、めげずに語り掛けた。

 

「ずっと、お前と話がしたかった」

 

「…………」

 

 彼女は沈黙を保っている。

 全身から俺と会話をしたくないという意思表示が感じ取れた。

 それでも俺は喋り続けた。

 

「お前の言う通りだ。俺は“ここに居るカンナ”の事を何一つ知らない。だから……」

 

 その場で膝を突き、両手を床に着けて――土下座をした。

 

「教えてくれ」

 

「……あきらたちの弱点を、か?」

 

「違う」

 

 顔を上げて、彼女の顔を仰ぎ見る。

 

「お前の事だ。お前がどういう人間で、何を思って生きてきたか教えてくれ」

 

「…………償いのつもりか?」

 

「いや。こんな事で償えるとは思えない。だけど、知りたいんだ」

 

 俺は気付くべきだった。

 赤司大火が今ここに居る残火(おれ)ではないように、このカンナが俺の知るカンナとは別人だという事を。

 本当に『彼女』を救いたいと思うなら、『カンナ』を知らなければならなかった。

 思い出ではない、存在する彼女を理解して、初めてそれが可能になる。

 頭を上げて、もう一度カンナを真正面から見つめた。

 そうして初めて、俺は『彼女』と向き合えた気がした。

 ならば言うべき口上はこれしかあり得ない。

 

「初めまして。俺の前は残火。お前の名前を教えてくれ」

 

 つうっと見据えた彼女の頬から小さな雫が流れて、落ちた。

 

「私の、名前は……」

 

 そこで彼女は突然咳き込み、苦しみ出す。咳に混じった血が布団の上に赤い斑点を作った。

 咄嗟(とっさ)に彼女の身体を支えようとするが、首を振って拒絶する。

 

「私の名前は……カンナ。聖、カンナ……」

 

 口元を赤く汚して、それでもなお彼女は己の名前を言い遂げた。

 首のすぐ下にあった黒く濁った六角形のマークが、卵型の宝石になって布団の上に転がる。

 カンナのソウルジェムだ。もうほとんど濁り切り、元の色さえ分からない状態になっている。

 

「……魔力で誤魔化すのもこれが限界か。かずみの魔法で私の身体はもう死んでいる……作り物の身体だからかな、こういう無理が利くのは」

 

「カンナ……」

 

 倒れる彼女を思わず抱き留めた。

 触れた部分が炭のように崩れて、床に落ちる前に溶けるように分解されていく。

 何だ、これは……。彼女の言うように、ニコの願いで生まれた存在だからなのか?

 

「残火、か……君は自分の名前(オリジン)を手に入れたんだね。羨ましいよ……」

 

「カンナ……。嫌だ、待ってくれ。まだ何も……まだ何もお前の事を教えてもらってないぞ……?」

 

 涙で視界が滲む。声が震えて情けない響きになる。

 彼女は、そんな俺を眺めて朗らかに笑った。

 

「……ああ。こんな風に好きになるなら……もっと早く……」

 

「かんなぁ……待ってくれよ……」

 

「これが……最期の、『コネクト』……」

 

 彼女の身体が俺の腕の中で真っ黒に染まり、粉々に砕け散った。

 落ちたソウルジェムも罅が入り、グリーフシードへ変わり始める。

 その瞬間、一本のケーブルがソウルジェムから飛び出した。

 俺の胸の辺りへと繋がったそのケーブルは、するりと身体の中へ吸い込まれていった。

 

「……カンナ! 俺はお前を好きになりたかった! ここに居たただ一人のお前を! 俺は……!」

 

 ソウルジェムは消えていた。グリーフシードに変化しかけていたそれは影も形も残っていない。

 その代わりに、俺の中には彼女の温もりが残っていた。

 カンナが懐いた感情も、その記憶も、全て俺へと受け継がれ――繋がった。

 『コネクト(繋がり)』。

 彼女は最初で最後に理解したのだ。

 この魔法は、人と繋がるための魔法だったのだと。

 




一話の中でメンタル崩壊とメンタル再生を繰り返す男、残火。
この簡単に折れたり治ったりする精神構造を真鍮メンタルと呼ぶ事にします。


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第四十八話 シ・ン・ラ・イ関係

〜サキ視点〜

 

 

 私は生き延びたのだろうか? それとも死にぞこなったのだろうか?

 分からない。どちらとも言えるし、どちらとも言えない。

 ただ一つ言える事はまだ命があるという事だけ。

 潰えようとした私の命を拾ったのは銀髪碧眼の少年、中沢アレクセイだった。

 

「チェブレキ、口に合わなかった?」

 

 彼は食卓に乗せてある、薄く伸ばして油で揚げたミートパイのような食べ物を齧りながら、正面に座る私に尋ねてきた。

 その碧く澄んだ瞳はまるで純度の高い宝石を思わせる。あきらが黒曜石なら、彼はサファイアだ。

 

「い、いや、そんな事はない。中のお肉は少し癖があるけど羊肉か?」

 

 耳慣れない料理名といい、あまり食べる事ない種類の食事だ。付け合わせのキュウリのピクルスのスープといい、様々な種類の料理が作れたミチルでも出した事のないメニューだった。

 そう、あのミチルでも……。

 

「うん。味付けした羊の挽肉。……やっぱり顔色が良くないけど、苦手だった?」

 

「いや、これは昔の友達を思い出して……」

 

 無表情ながらに気を遣ってくれるアレクセイに、私は今の心情を説明し切れず、声が尻すぼみになる。

 

「嫌なら言い訳してまで食べなくてよくない? 私、そういう態度、スキくないなぁ……」

 

 不快感を露わにしたのは彼ではなく、その隣に腰掛ける黒髪の少女、双樹あやせ。

 彼女は最初から私の事を毛嫌いしていた。その理由も分かる。

 私を助けるために貴重なグリーフシードをまるまる一つ消費する羽目になったからだ。

 死に掛けていたところをアレクセイに拾われた私は、この家に運ばれて治療を受けた。

 ほぼ表面を黒く濁らせていたソウルジェムは彼らが保持していたグリーフシードにより浄化され、今では完全に穢れを除去されている。

 半ば彼の独断で行われたその処置に彼と共に生活しているあやせは納得していなかったらしく、意識が戻った直後から目の仇のような扱いを受けていた。

 魔法少女を居候させているこの少年は、それなりに魔法少女たちへの知識を持っている様子だが、そう言った感情の機微には驚くほど疎かった。

 最短ルートを通るために、そこに至るまでの障害物を破壊して無視して進むような思考。融通の利かなさは機械的とさえ思えた。

 私は居た堪れなくなり、視線をあやせから、そっと離す。

 彼女は乱暴な手付きで、皿からチェブレキを引ったくると、「ごちそうさま」と吐き捨てるように呟いてから、席を立ってどこかに行ってしまう。

 二人だけになった居間で私はアレクセイに謝った。

 

「すまない……私のせいで彼女を怒らせてしまって」

 

 本当に申し訳ない。

 命の恩人の生活を自分の存在が乱しているという、この状況がやるせなかった。

 ピクルスのスープを啜っていた彼はスプーンから口を離す。

 

「ううん。むしろ、あやせが元気になってよかった」

 

 平坦なトーンの声には私に嘘を言っている様子はない。本気でそう思っているように見える。

 アレクセイはスプーンでスープの具を掬いながら、何でもない事のように言う。

 

「あやせは少し前から、ずっと塞ぎ込んでた。それに比べると今は怒るだけの元気が戻ってきたみたいだ。ありがとう、サキ」

 

「お、お礼を言うのはこちらの方だ……私はあなたに命を救われた。こうして、食事までご馳走になっている」

 

 思ってもみない感謝のされ方に、慌てて感謝の言葉を返すが、私には彼の意図がまだ読み取れずにいた。

 どうして見ず知らずの私を同居しているあやせと不和を生んでまで助けたのか理解できない。

 悪人ではないだろうが、彼が進んで人助けに精を出すお人好しにも、妙な正義感に突き動かされている人間にも見えなかったからだ。

 どちらかと言えば、他者に関心がないタイプの人間に見える。

 私が感謝の意を述べている時でさえ、マイペースに料理に目を落として、食事を続行し始めたところからも伝わって来る。

 助けてもらってから何度も会話を重ねているにも拘らず、一向に中沢アレクセイという人間像が私には掴み取れなかった。

 それは一度、心から信頼を寄せていた人間に手酷く裏切られた私には恐怖だった。

 ……また信じて裏切られたらと思うと、怖くて堪らない。

 

「何で私を助けてくれたか、聞いてもいいか?」

 

 覚悟を決めて、アレクセイに尋ねると、彼はさも当然のように回答する。

 

「助けてって言われたから」

 

「……それだけ?」

 

「それだけ」

 

 無表情な顔で大きく頷いた後、彼は再び食事に集中し出した。

 私はというと、あまりにも簡潔過ぎる答えに唖然とするしかなかった。

 黙々と夕食を終えたアレクセイは自分とあやせの分の食器を重ねて台所へと運んで行く。

 返って来ると、私に食べ終わった後は食器を台所の水へ浸すよう言ってから、居間から去って行った。

 ……何なんだ、あの男は。

 あきらもマイペースではあったが、他者の行動には多少なりとも関心があった。

 だが、アレクセイは違う。根本的に他人の動向に興味を持たず、また最低限しか相手に関与しない。

 放任主義の一言で表すには、いくら何でも自由過ぎた。

 仕方ない。気は進まないが、彼を理解するためにあやせから話を聞く他ないようだ。

 もう他人を分かったつもりで、信じるような真似はしたくない。

 同じ過ちを繰り返さないためにも、私は他者の心を知る努力をし続けるつもりだ。

 かずみの事もそう。私が勝手に彼女に「ミチル」という名の幻想を押し付けてしまった事が原因なのだから。

 

 

 *

 

 

 家の中は自由に行き来していいとアレクセイから許可はもらっていた。

 襖を開けて、部屋を回ってあやせの姿を探しているが、家の中は広い上に和室には不慣れなせいで彼女はなかなか見つけられない。

 もしかすると、外に出て行ってしまったのだろうか。

 どうしたものかと歩き回っていたところ、私は大きな仏壇が目に付いた。

 黒檀でできた格式高い様相の仏壇だ。飾ってある遺影にはアレクセイと同じ銀髪碧眼の美しい女性が写っていた。

 歳頃から推察するに恐らくは彼の母親だろう。日本人離れの顔立ちはロシア系の外国人のようだ。

 そう言えば、この家にはアレクセイとあやせしか住んでいないようだが、父親はどうしているのだろうか。

 ふと、そんな疑問が降って湧いた時、後ろから声を掛けられた。

 

「あなた、こんな場所で何やってるの?」

 

 振り向いた先には、開いた障子の向こうに立っているあやせの姿があった。

 

「実はお前を探していたんだ。その、アレクセイの事を知りたくて……」

 

 その発言に彼女は分かりやすく気分を害した様子で、顔を(しか)める。

 だが、私としてもここで引く訳にもいかず、頭を下げて頼んだ。

 

「お願いだ、頼む。お前が私を嫌っているのは分かってる。でも、お前の口から彼の話を聞きたいんだ。……彼を信じるために必要な事だから」

 

「はあ……。分かったよ。これ以上付き纏われるのもスキくないし。話せる範囲で教えてあげる」

 

 真摯に願い出た私に根負けしたのか、あやせは溜め息混じりで承諾してくれる。

 私はまず疑問に感じたアレクセイの家族構成を尋ねると、彼女は次のように答えた。

 

「母親はアレクセイが小学生の頃に交通事故で死んだらしいよ。父親は愛人作って滅多に家に帰って来ないって言ってた。最後にあったのは一年前だって。一応、面倒事は避けたいのか生活費は振り込んで来るらしいけどね」

 

 思ったよりも複雑な家庭環境に、言葉を失った。

 親の姿がない事はこれで分かったが、彼の人物像はますます捉え難くなる。

 他にアレクセイの内面を理解しやすいエピソードなどないか、あやせに聞いてみた。

 すると、彼女は、彼のとんでも無い話を開帳する。

 話によれば、彼は数年前、暴漢から従弟を守るためにその相手を撲殺したのだという。

 常軌を逸したエピソードに一気に私の中のアレクセイのイメージ像が、野蛮で倫理観の欠如した殺人者になった。

 やはり彼もまたあきらのように希望を抱かせて、それを自ら奪い取る外道なのか。

 表情から何かを感じ取ったあやせは、私に面倒そうに述べる。

 

「確かにあの男の倫理観は薄い。けど、本気で願う人の想いは絶対に叶えようとする。それがアレクセイなの。彼があなたから何かを奪う事はあり得ないよ」

 

「それは……盲信じゃないのか?」

 

「……今何て?」

 

「彼を盲信しているんじゃないのか、そう言ったんだ」

 

 私があきらへ感じていた絶対的な信頼感。あれは思い返せば盲信以外の何物でもなかった。

 あやせがアレクセイに感じている感情は違うと一体誰が断言できる?

 他者の心は本人以外知る事はできない。それなのにまるで我が事のように「あり得ない」と決め付ける彼女。

 これを盲信と言わず、何と呼ぶ。

 あやせもまた私と同じように騙されているのではないか。そう考えるのは至極当然だろう。

 

「あやせ、お前は彼を本当に理解しているのか? 都合の良い幻想を彼に抱いているだけで……」

 

 それから先の発言は続かなかった。

 彼女が生み出した、反りの入ったサーベル状の剣が私の口元に突き付けられていたからだ。

 刃からは焼け付くような熱気が放たれ、刀身からはみ出した炎が前髪を僅かに焦がす。

 強力な炎の魔法がこの剣には籠められているのが分かった。プレイアデス聖団が狩ってきた凡百の魔法少女たちとは一線を画すレベルだ。

 

「私、ここまでムカついたの、生まれて初めてかも……」

 

 敵意ではなく、殺意を浮かべた眼差しであやせは睨む。

 流れる熱にじわりと汗が滲んだ。唇が乾き、喉が鳴る。

 

「それは自分を侮辱されたせいか……。それともアレクセイを疑ったせいか……? どちらだ?」

 

「その口、二度と開かないようにして欲しいの?」

 

「私は、一人の少年を心から信じて、裏切られた。愛していたんだ、誰よりも彼を……」

 

 口を開く度に空気と共に入ってくる熱で、舌が火傷しそうになる。

 しかし、喋らずに居るのはできなかった。

 これは忠告だった。

 自分と同じ絶望を味わって欲しくない、哀れな経験者からの善意の忠告だ。

 アレクセイが外道なら、彼女は間違いなく、私と同等の苦しみに陥る事だろう。

 

「彼のために友情を捨てた。誇りを捨てた。正義を捨てた。何もかも捨てた。そんな私を彼は……あきらはゴミのように切り捨てたんだ」

 

「…………」

 

「分かるか? 空っぽになる気分が……。大切なものを溝に自分の手で壊してしまった感覚が……」

 

 殺意の眼光が静かに閉じられる。

 突き付けられた剣は粒子状に分解されて、熱源と共に一瞬で消えた。

 目を開けたあやせは私の瞳を見て言った。

 

「もう一つエピソードがあった。アレクセイは私が魔女に殺されそうになった時、自分の身を犠牲にしてまで助けてくれたの。これは私じゃなく、ルカの記憶だけどね」

 

「……ルカ? それは誰なんだ?」

 

「もう一人の私の魂……掛け替えのない半身だよ。もう私の中には居ないけど、あの子が見た光景だけはまだ残ってる。だから、私はアレクセイを信じられる。今はもう居ないルカがあいつの心を保証してくれる」

 

 そう言って自分の胸を押さえたあやせ。

 その様は誰かの声に耳を澄ませて、聞いているように映る。

 理解できた。彼女とアレクセイは私とあきらとは異なり、明確な絆で繋がっているのだ。

 思い返せば、夕食の途中に言った事も、彼が本当にあやせを大切に思っているから出た台詞だ。

 上っ面だけの優しさなら、彼女を機嫌を損ねる事はしない。聞こえの良い甘い言葉を掛けてやり過ごすだけ。

 『塞ぎ込むより怒っている方が元気が出る』なんて台詞は本心から彼女を見ているから言える言葉だろう。

 不信感に支配され、周りが見えなくなっていたのは私の方だった。

 

「すまなかった。先程の台詞、撤回させてくれ」

 

「私もあなたの背景が少し分かった気がする。……だから、今回はチャラにしてあげる」

 

「ありがとう、あやせ」

 

 グリーフシードを使わせてもらったと聞いた時よりも、すんなりお礼が出てきた。

 今、あやせから人を信じる事を教えてもらったおかげかもしれない。

 二人して顔を合わせていると、唐突に玄関口からチャイムの音が響いてくる。

 現在時刻は午後八時過ぎ。人が訪ねて来るには遅すぎる時間帯だ。

 ワンテンポ置いてから、連続でチャイム音が鳴らされる。玄関前の来訪者は、早くしろとばかりにリズム良くチャイムボタンを連打している。

 

「うるさいなぁ……育ちが悪い人?」

 

 あやせが愚痴るようにそう漏らす。同感だが、彼女も彼女で人の事言えた義理か?

 アレクセイは少し前から入浴中でまだ出て来ていない。ここは私たちが出るしかないだろう。

 家主の代わりにあやせと一緒に玄関へ向かうと、ガラスの引き戸に映っている影は酷く小柄だった。

 

「子供ぉ? 道理で何度もチャイムを鳴らすと思った」

 

「おい。ちょっと待て。流石に話ぐらい聞いてあげてもいいだろう? おい。今、開けるからもうチャイム鳴らすな」

 

 呆れて奥へ戻るとするあやせだったが、私はそういう訳にも行かず、靴を履いて玄関戸を引いた。

 開かれた玄関の前には、濁りのある白い色の髪を垂らした幼い女の子が小さなテディベアを抱えて、立っている。

 その顔の造形は……かずみやミチルによく似ていた。

 

「こーんばんはー! ここにあやせってお姉ちゃんが居るって聞いたんですけど、今居ますかー?」

 

 彼女たちよりも三つ四つ幼いものの、あまりに似ていたために私の思考は一瞬固まる。

 

「お姉ちゃん? どうしたの?」

 

「あ、いや、何でもない……。あやせならここに」

 

 白い髪の幼女に聞かれて、ようやく正気に返った私はあやせの方を向く。

 彼女の知り合いかと思ったのだが、あやせは怪訝そうな表情で幼女を眺めていた。

 

「あやせ……? どうした、知り合いじゃないのか?」

 

「あなた、誰? どうやって私がここに居るって突き止めたの?」

 

 彼女が尋ねると、幼女はにたあっと頬が裂けるように笑った。

 その笑みは私を裏切り、絶望の底に突き落とした“あきら”にそっくりに見えた。

 

「あたし、かずら。お姉ちゃんの居場所はずっとママが監視してたから知ってたよ。狼のお兄ちゃんと一緒に住んでるのもね……眼鏡のお姉ちゃんが居るのは予想外だったけど。ま、いいか」

 

 白髪の幼女改めかずらはあやせに詰め寄るとにこにこしながら手のひらを伸ばす。

 

「イーブルナッツの残り、全部あたしにちょうだい」

 

「イーブルナッツだと……! お前、まさか!?」

 

 人を魔女に似た化け物に変えたり、ソウルジェムを強制的に孵化させる“悪意の実”。

 あきらや蠍の魔女モドキが肉体を変質させるのに使ったあの道具だ。それを知っているという事はあきら、もしくは偽物のニコの仲間か?

 いや、そもそも何故あやせがイーブルナッツを持っていると思ったのだろう。彼女もまたあきらと関係していた魔法少女だったのか?

 私の荒れ狂う疑問の嵐を余所に、あやせはかずらに落ち着いた態度で交渉を始める。

 

「対価は? まさか、ただで渡せっていうんじゃないよね?」

 

「ちゃっかりしてるなぁ。元々、ママがパパ経由であげたものだっていうのに。ま、いいよ。ここで暴れて、パパに勘付かれると困るしねぇ……」

 

 かずらはテディベアの首の辺りの縫い目にグッと指を差し込む。

 最初から切れ込みが入っていたのか、簡単に縫い糸がちぎれて、中身の綿がはみ出した。

 その綿の中に手を入れて漁ると、そこから三つほど黒い小物を取り出した。

 あれは――グリーフシード……!

 

「イーブルナッツ一つにつき、グリーフシード一つでどう? あなたたち、魔法少女にとっては破格の条件じゃない?」

 

「悪くないね。ちょうどグリーフシードの在庫が減ってたところだし」

 

「お、おい。あやせ……本気で言っているのか?」

 

 あきらに与している可能性のあるかずらと取引をするなどあまりにも危険過ぎる。

 彼女が何を企んでいるのかも分からないのに、目先のグリーフシード欲しさにイーブルナッツを渡すなんて狂気の沙汰だ。

 あやせを思い留まらせようと、私は説得をしようとするがその前に彼女は言葉を続ける。

 

「で・も。こうすれば、百パーセントオフになるよね?」

 

 先ほど私にも見せた炎を纏ったサーベルをかずらに向けて、突き付けた。

 髪と同じ濁った色の彼女の瞳が、不愉快そうに細まる。

 

「あんまり好条件出したから勘違いさせちゃったのかな? こんな温い炎(・・・)であたしをどうにかできると思ってるなんて……お姉ちゃん、馬鹿なんだね」

 

 指で作った輪っかを口元に付けて、かずらは息を吹きかける。

 輪を(くぐ)った濁った彼女の吐息が白い炎になって、あやせの炎の剣を“燃やした”。

 赤い炎が、白い炎を“焼いた”のだ。

 

「!? な……に、これ! 熱ッ」

 

 瞬く間にサーベルは白い炎に包まれて、咄嗟(とっさ)にあやせはそれを手放す。

 玄関の床に落下する前に、跡形もなく、炎の剣は“燃え尽きた”。

 燃え滓さえも残らず、辺りには熱気だけが空間に取り残されたように暑かった。

 

「あたしが、温めてあげよっか?」

 

 可愛らしく首を傾げるポーズをする彼女からは底知れない実力が感じられる。

 あの濁った白い炎……間違いない。この幼女はあの白い竜の魔女モドキだ。あきらと酷似した力を持つ存在。

 私たちではどう足掻いても勝ち目のない相手だ。

 

「……ッ!」

 

 殺される……! 殺されてしまう!

 あきらの最高速度は私が瞬間移動の初動作よりも素早い。

 次の瞬間には私たちは、この白竜に命を奪われるだろう事は必至だった。

 だが、そうはならなかった。

 代わりに、床を滑ってきた小さな宝石箱が玄関の土間に落ちてひっくり返る。

 開かれた箱からは入っていたイーブルナッツが二つ、転がって土間に落ちた。

 

「……アレクセイ」

 

 振り返ると廊下を歩くバスタオル姿の彼が、濡れた髪を拭いながら歩いて来ていた。

 アレクセイは玄関までやって来ると、かずらに平坦な口調で言う。

 

「それが欲しいんだろう? 持って行きなよ」

 

「……二つだけ? 確か流したイーブルナッツは三つのはずだけど?」

 

 品定めでもするように彼女はアレクセイを見上げる。

 正体を知った今では、捕食者が獲物をどの部位から齧ろうしているか悩んでいるように思えた。

 しかし、彼は一切怯えた素振りは見せずに答える。

 

「一つは使用中だ。悪いけど返せない」

 

「なるほどねぇ……。それもちょうだいって言いたいところだけど、素直に渡してくれた狼のお兄ちゃんに免じて許してあげる」

 

 かずらは散らばったイーブルナッツを小さな宝石箱に仕舞うと、テディベアの中へそれを押し込んだ。

 あらかじめ綿を少し抜いていたのか、宝石箱はすんなりとぬいぐるみの内側へ潜り込んでいく。

 

「ほら、グリーフシードだよ。でも、二つしかイーブルナッツをくれなかったから、こっちも二つだけね」

 

 わざと土間にグリーフシードを放り投げた。

 硬い音を立てて、二つのグリーフシードが転がる。

 私もあやせも張り詰めた緊張から身動きが取れない。

 そんな私たちを彼女は鼻でせせら笑った。

 

「……どうしたの? さっさと拾いなよ、弱っちい魔法少女のお姉ちゃんたち」

 

 かずらはそれだけ言うと、興味を失ったように玄関から外へ出て行った。

 ガラス戸に映った彼女の影が消えるまで、私たちの身体は硬直したままだった。

 

 

~かずら視点~

 

 

 あたしは目的のものを果たせた事に、ほくそ笑んだ。

 完璧とはいかなかったが、それでも奥の手としては充分な量のイーブルナッツが手に入った。

 後はパパにバレずにマンションに帰って、眠るだけ。

 竜に変身はせずに生身で壁面を登って、パパが借りている階まで辿り着く。

 こっそりと鍵を開けて置いたトイレの小窓から身体を潜り込ませて、スニーキング帰宅を成功させた。

 この未熟な身体は気に入らないが、こういう狭い場所を通れるのは強みだね。

 慎重に、足音を立てず、扉を開けて自分の部屋に戻ろうとする。

 だけど、既にあたしの部屋には先客が待っていた。

 

「長~いトイレだったなぁ、かずら。便秘かよ」

 

「……パパ。あたしの部屋に勝手に入るなんてプライバシーの侵害だよ」

 

 一樹あきら。あたしの魂の元になった人間にして、オリジナルの竜の魔女モドキ(ドラーゴ)。 

 

「固いこと言うなよ。それよりこんな時間にどこへ行ってたんだ? パパ、しんぱーい」

 

 彼は電動ミキサーで何かを掻き混ぜながら、あたしに質問をしてくる。

 参ったなぁ、外に出てた事バレてるのか。これはどうにかして誤魔化さないとまずい。

 あたしとパパは同じ魔力量、同じスピード、同じパワーを持っている。

 でも、それは実力が完全に同等という事じゃあない。

 スペックが同じであれば、二者の勝敗を分かつのは練度の差。

 簡単にいえば経験量。まったく同じ力を振るうからこそ、その差は如実に表れる。

 聖家襲撃の際、ママへの造反を決めたのは、このまま戦えば負けるのは自分の方だと判断したからでもあった。

 今、切り札を使う……? ダメダメ、今殺しけれなかった場合、パパに対策をされてしまう。

 この時点では私が不利だ。それならここは小粋な会話で切り抜けるしかない!

 

「ちょっと外を散歩してたの。夜風に当たりたくって。それよりパパ、他人の部屋で何作っているの?」

 

 パパはミキサーの蓋を外して、大きなジョッキに中身のドロドロした白い液体をなみなみ注ぐ。

 プロテインか何かかな? 少なくとも近くに居るのに、格別変わった匂いは漂って来ない。

 

「ん? ああ、これか? これは磨り潰したインキュベーターだ。二、三匹捕まえたんでミキサーに掛けたんだ。……やらねーぞ?」

 

「おえー……要らないよ。そんなもの」

 

 ジョッキ一杯のインキュベーター・スムージーを彼は腰に手を当てて、ぐびぐび喉を鳴らして一気に飲む。

 粘性の強いそれは見ているだけで気分が悪くなる。この人、よくそんなの飲めるなぁ……、頭のネジ外れてるんじゃない?

 綺麗に飲み干すと、空になったジョッキを高らかに掲げて口を拭う。

 

「……ちなみに美味しいの?」

 

「いんやぁ? 痺れるくらいに不味いぜ」

 

 不味いんかい。ますます以って何で飲んでるのか意味不明だよ。

 青汁みたいに健康のために飲んでるのかな? あたしはそれで健康になるとしても飲みたくないけど。

 

「それ、片付けたら自分の部屋に帰ってよね?」

 

「おう。それにしてもパパ、感激だぜ。今日買ってやった熊のぬいぐるみ――わざわざ夜の散歩に持って行くほど大事にしてくれてるなんてなぁ」

 

 目敏くあたしの抱いているテディベア、『グレートカズーラ十三世』を目敏く見つける。

 ……やっぱり一筋縄ではいかないよね。この人の知能もあたしと同じレベルあるって事だモン。

 グレートカズーラ十三世の解れた穴を見られないように抱いて、パパから隠す。

 

「うん。この子は初めてパパからもらったプレゼントだから大切にしたくって」

 

 可愛げのある娘として申し分ない内容で誤魔化す。

 あたしは生後数日の子供。客観的に見ても、もらったプレゼントが嬉しくて、つい持ち歩いてしまうのは別におかしな事じゃない。

 

「そっか。うんうん。でも、外に持って行ったせいだろうな……」

 

「あッ……」

 

 突然パパの手が伸びて来て、グレートカズーラ十三世を取り上げる。

 彼の指がちぎれた縫い目を指でなぞった。

 

「買ったばかりなのにもう破れちまってる。可哀想になぁ? 言ってくれりゃ俺が直してやるのに」

 

 じんわりと背中に汗が染み出る。

 ……綻びに気付かれていた。最悪だ。そこに入っているイーブルナッツの箱を取り出されたら、あたしは叛逆の意志ありと判断されて殺される。

 いや、ここはまだカバーが効く。諦めるには早すぎる……。

 

「ごめんなさい。せっかく、パパに買ってもらったのに壊しちゃって……。嬉しくて振り回しちゃったのが、いけなかったのかなぁ」

 

 泣きそうな顔。隠していた失敗を見破られたという表情を作り、パパを申し訳なさそうに見上げる。

 これもまた無理のない言い訳だよ。さあ、納得しろ! これ以上、追及するな! 生まれたばっかの赤ちゃんなんだから仕方ないと理解しろ!!

 しゃくり上げて泣き出す五秒前を演出し、完璧に内心を隠蔽する。

 あたしの発言を真に受けた様子でパパは優しく、頭を撫でた。

 

「そっか……気を遣わなくていいんだぜ。俺たちはもう家族なんだから」

 

「うん……。パパ、だいすき」

 

 如何にも男受けのする愛くるしい笑みを浮かべたあたしは、父親が言われて喜ぶ台詞ベスト一位に輝く言葉を呟く。

 大作映画の主演子役もびっくりのこの演技。これで落とせない大人は居ないんだよ! 

 

「俺も好きだぞ。それじゃあ、この熊ちゃんはお前に返して……」

 

 よしよし。上手くいった!

 あたしはグレートカズーラ十三世が手元に戻って来る瞬間に満面の笑みで迎える。

 ——が。

 

「おんやぁ? この熊ちゃん、お腹に何か入ってるぞー? 何だろうな、かずら。どこかで盗み食い(・・・・)でもしちまったのかなぁ?」

 

「……ッ」

 

 あたしの手元へ返される寸前で、差し出されたグレートカズーラ十三世は引っ込められた。

 自分の表情が強張るのを感じる。弛んだ感情から恐怖の吐息が漏れた。

 パパはそれを楽し気に眺めて、解れた縫い目に指を乱暴に突き入れる。

 

「何が出るかな~何が出るかな~。おーっとこれは……」

 

 顔を掴んで、固定し逃げられないようにしてそれを取り出した。

 わざとらしい口調でパパはそれをあたしの前に見せ付ける。

 

「——グリーフシードか。これはどこで手に入れた? 俺が倒した魔女とはデザインが違うぞ?」

 

 眼球にその先端を突き入れるように彼はグリーフシードを突き出した。

 

「それは……ママが溜めてた、グリーフシードの、残りだよ……。ママがパパと出会う前に、こっそりと魔法で、見つけて魔女を倒してたって……」

 

「なぁるほど。生き(きた)ねぇひじりんらしいな。これを隠していた理由は、かずみちゃんを食う前に俺が魔女化させるの防ぐための保険ってとこか? こういうところはママ似だねぇ」

 

 乱雑にグレートカズーラ十三世を突き返すと、パパはあたしの頬を撫で上げる。

 そして、屈み込んで耳元で囁いた。

 

「次に隠しごとを見つけたら……パパ、かずらのこと、齧りたくなっちまうかもなぁ?」

 

 目の下から竜の顔に変身して、鋭い杭のような牙を開いて見せる。

 

「……肝に、銘じておくね……」

 

 そう返事をするのが精一杯だった。

 あと少し、あと少しだけパパの指が奥深くまで綿を(まさぐ)っていたら、あたしはパパの夜食になっていたと思う。

 彼が自室に戻っていった後、あたしはグレートカズーラ十三世を抱き締めて、震えながら夜を過ごした。

 恐怖を与えるのは、やっぱり絶対的な強さなんだ……。早く、早くかずみお姉ちゃんを手に入れないと……。

 あたしは―—あきら(パパ)を超えられない。

 




邪竜同士は慣れ合いません。
それが彼らの在り方なのです。


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第四十九話 アイデンティティ・ロスト

 カンナの死を看取った次の日、俺は河川敷にてホームレス共同体の皆さんへ別れの挨拶を告げていた。

 本来なら俺のような行く当てのない子供を匿うなど、相当なリスクがあったはずだ。それを差し引きしても俺を引き入れるメリットはなかっただろう。

 それにも拘らず、俺を温かく迎えてくださったこの方々に心よりお礼を申し上げたい。

 

「ありがとうございました! 短い間でしたが、皆さんから受けたこのご恩一生忘れません!」

 

 深々と頭を下げると、杉松さんが寂しげな表情を浮かべる。

 

「本当に行くのかい?」

 

「はい。こんなものが届いた以上は皆さんにご迷惑は掛けられません」

 

 俺の手には、大きな文字で書かれた警告文が握られていた。

 文面の内容はこうだ。

 『本日、十八時までにあすなろタワーで待ってるから一人で来いよ。もし破った場合は、一緒に生活してる河原のオジサンたちがなぜか居なくなりますのでご注意を。なんてな!』

 差出人はあきらだ。この紙を包んだブロック片が今日の昼に俺が寝起きする小屋に投げ込まれていた。

 奴には既に俺の居場所は割れていた。幸い、その時間帯はホームレスの皆さんは空き缶集めに精を出していたため、奴と鉢合わせた人はいなかったが、仮に居た場合は見せしめとして命を奪われていた事だろう。

 杉松さんたちは性質の悪い嫌がらせだと言っていたが、あきらを良く知る俺には分かった。

 奴ならやる。確実にやるだろう。

 あの天才的外道なら物理的にホームレス共同体を破壊する術をいくつも持っている。

 俺は河川敷とそこに住む心優しい人たちにもう一度お辞儀をして、この場から立ち去った。

 杉松さんに焼き魚をご馳走できなかったのは心残りだが、今の内にここから出なければ、ご馳走にされるのは彼らだ。

 餞別として正式にもらったフード付きのジャージを羽織り、あすなろタワーへと向かう。

 道中、洋食屋『アンタレス』の前を通ると、開店前の店先で掃除を行う赤司大火とその母親の姿を見つけた。

 

「あんた、箒の掃き方がまるでなっちゃいないよ。そんな意味なく力込めて地面に押し付けて、箒が折れたらどうするんだい」

 

「煩いぞ、お袋。そこまで言うなら、見本を見せてくれよ。見本」

 

「アホ()かすんじゃないよ! これからあたしゃ、食材の用意しなきゃなんないんだよ。掃除くらい一人でこなしな」

 

 どうやら、母親に掃除の仕方で怒られているようだ。叱られた彼は不満げな表情を浮かべつつも、言われた通りに掃き方を改める。

 その様子に俺は僅かに口元を弛めた。あの少年は日常へと帰っていった。もう残火(おれ)と同じ道を辿る事はないだろう。

 さらばだ。俺ではない赤司大火(おれ)よ。母親を……自分のお袋を大事にしろ。願わくば、叶わなかった俺の分まで。

 それだけを横目で眺めつつ、過去を振り切るように店の前を通り過ぎた。

 お袋を見てもかつてのように取り乱さなかった自分が少しだけ誇らしかった。心に整理が付いたおかげだろう。

 俺とあの少年は違う道を行く別人だと納得ができた。ならばもう、一人の知人として彼の今後を応援するのみだ。

 彼らの生活を守るためにも、あすなろタワーへと足を急がせた。

 

 

 *

 

 

 あすなろ市の中央に、街の象徴として建っているこの建造物は、集約電波塔兼観光名所だ。この街の子供なら一度は親に連れて来てもらった事があるだろう。

 例に漏れず、俺もまた親父が生きていた頃に連れて来てもらった。

 しかし、今は懐かしさに浸る暇はない。

 タワーの前に立っていると、不意に背後から気配を感じた。

 顔だけ振り向けば、そこにはルイが腕組みをして佇んでいる。

 

「ルイ……」

 

「やめろ、残火。これはお前を誘き寄せる罠だ」

 

 流石斥候の魔法少女。あの手紙の事まで知っていたようだ。

 文字通り、複数の目を持つ彼女には隠し事はできそうにない。

 だが、俺は譲る訳にはいかない。

 

「罠でも行く以外に道はない。それに直感だが、あそこにはかずみが居そうな気がするんだ」

 

 あすなろタワーの上部の展望スペースを自分の顎で指し示した。

 奴ならば、かずみを連れて来る。彼女に俺を殺させる事が、一番俺を苦しめる事になるからだ。

 最悪であるが故に、自分にとっての最悪な展開をイメージすれば、その狙いは自ずと見えてくる。

 

「ならば、私も同行する! 異論はないな?」

 

「駄目だ、ルイ。それをすれば、奴は何らかの手段でホームレス共同体を襲う。彼らにはあそこ以外に帰る場所はないんだ」

 

「しかしッ!」

 

 それでも断固として、彼女は納得しなかった。

 俺はもう何も言わず、タワーのエレベーターに一人で入る。

 ルイもまた愚かではない。彼女とて理解していただろう。

 にも拘らず、あえて無意味な問答を積み重ねたのは、俺には何となくだが分かった。

 もう彼女は知人を誰も失いたくないのだ。里美を筆頭に仲間を何人も失った彼女には、決して癒えない傷跡が心にいくつも残っている。

 だからこそ、俺はルイを連れて行かない。彼女に自己満足の心中などして欲しくないのだ。

 これは負け戦。手札の強さでは話にならないワンサイドゲーム。

 杉松さんたちへの配慮も嘘ではないが、俺の本心はずっとこう思っている。

 ……かずみに会いたい。

 この感情は、過去に来てから長い間抱えてきた想いだった。

 俺はかずみを救うためにここに来た。期間にすれば二、三週間程度だろうか。

 酷く長い時間を過ごしたような気分だ。

 だが、ようやくお前に会える。俺のたった一人の妹に。

 エレベーターが展望スペースの階まで上がっていく。

 焦ったい時間の中、俺はかずみの事だけ考えていた。

 彼女に会って、まず何を言おうか? 俺の事など知る由もないだろうから、最初は自己紹介からだ。

 よし、決めた。俺はこの金属の扉が開いたら、すぐにかずみに話しかけ、名を名乗ろう。

 そうやってじっくり考えている内に、エレベーターは目的の階に到着する。

 開いた扉から見えたのは、忘れもしないかずみの姿。黒いとんがり帽子に、黒いマント。その下には露出の多い衣装。

 そして、十字架のような長い杖……。

 懐かしささえ感じる魔法少女の衣装だ。

 

「かず……」

 

 感動で声が上擦ってしまう。

 だが、その名前は最後まで言い終わる前に。

 

「『リーミティ・エステールニ』!」

 

 杖から迸る閃光が、開かれた扉から注ぎ込まれた。

 正確に俺へと照準を合わされた眩い魔力の光線は、全身を破壊の光で塗り潰す。

 

「みッ……ぐッッ、がああああああああああああああああああああああ……ッ!?」

 

 叫んだ喉が魔力に焼かれ、呼吸が止まる。

 目は激しい光で視力を失い、映る景色は白から黒へと変わった。

 耳は自分の絶叫さえも、途中で聞こえなくなり、完全な静寂に包まれる。

 皮膚は高熱で炙られたように焦げ付き、瞬く間に炭化して剥がれ落ちていった。

 全ての感覚器官を失い、俺の意識は掻き消えていく……。

 ―—はずだった。

 喪失した五感の代わりに、新たに生まれた別の感覚がそれを捉えた。

 肉体から何かが幾つも生えて、欠損した部位を埋め立てていく奇妙な意識。

 その『生えた何か』はテディベアだ。みらいの魔法が自動的に発露し、肉体からテディベアが数十ほど生成されたのだ。

 治癒でもなければ、再生でもない。元あった肉体を改めて、違う形に作り替えていくその工程は“再構築”。

 俺の姿は人から、歪んだ異形へと変えられていく。

 五感が戻った時、肉体は薄ピンク色の外骨格に覆われていた。

 両手と尾の先から競り上がっているのは大剣の刃。三本もの剣を生やしたその姿はみらいの魔法を纏った形態。

 『狂戦士の形態(バーサーカーフォーム)』とでも呼べばいいだろう。だが、レイトウコ内での発現とは異なり、俺の感情は以前のような狂乱に支配されてはいなかった。

 俺が確固たる自身のアイデンティティを確立したからか、カンナがくれた『コネクト』の魔法のおかげかは判断できない。もしかすると、その両方かもしれない。

 分かるのは、今ならこの力を十全にコントロールできるという事。その一点に尽きる。

 開いた鋏角の間から伸びている大剣を杖代わりに突き刺すと、熱で溶け掛けたエレベーターの中から俺は飛び出した。

 既に入り口から充分な距離を取っていたかずみは、俺の姿を見て、嫌悪感を隠さない。

 

「気持ち悪い……本当に人に化けていただけの魔女モドキだったんだ……」

 

 そうだ。俺は怪物になった。

 中核かつ本体であるイーブルナッツを破壊されない限りは、俺に死は訪れない。

 肉体が全て魔力で構成された紛い物だからこそ可能な芸当だ。魔法少女はもちろん、あきらにすらこの再構築は真似できない。

 

「その通りだぜ、かずみちゃん。そいつこそ、ニコちゃんを陰から操り、プレイアデス聖団を崩壊に導いた諸悪の根源の魔女モドキ……いや、魔物、『スコルピオーネ』だ。人間の姿に擬態していたみたいだが、俺たちの目は誤魔化せないぜ?」

 

 視界の端から歩いてきたのは、怨敵・一樹あきら。

 奴は余裕のつもりか、未だドラーゴに変身しておらず、憎たらしい少年の姿のままだった。

 その後ろからもう一人見慣れぬ顔が続く。ややベージュ色に近い白い髪をストレートに流した小学四年生くらいの子供だ。

 顔立ちはかずみに似ているが、浮かべた目付きはあきらに似ている。何より、微弱だが、確かに彼女から感じるこの反応はイーブルナッツ特有の魔力。

 あの幼女がかずら。カンナの手で造られた白竜の魔女モドキ、『ドラーゴ・ラッテ』だ。

 俺の中のカンナの記憶によると、その実力は魔法少女三人を軽くあしらう速度と魔力を保持しているらしい。二つイーブルナッツで強化したドラーゴと同等と見積もった方がよいだろう。

 加えて、プレイアデス聖団の全員の魔法を自在に使えるようになったかずみ。

 ……本当にルイを連れて来ないで良かった。

 この戦いは負け戦だ。みらいの魔法でパワーアップしたとはいえ、この三名を相手に勝利を掴み取れるとは到底思えない。

 だがしかし。

 

『……残火だ』

 

「ああん? 何だって?」

 

『俺の名は残火だ! それ以外に俺を表す名称()などない!』

 

 俺は、最後まで諦めずに運命と立ち向かう。

 この街であった全ての魔法少女たちがそうしたように、抗って、抗って、抗い続けてみせる!

 それがこの短くも重厚な時を過ごした俺の答えなのだから。

 

 

〜かずみ視点〜

 

 

 あの大剣、あのテディベアを生み出す魔法。間違いない、あれはみらいの魔法だ。

 魔物・スコルピオーネは、みらいの魔法を奪い取って、自分のものにしているんだ。

 そもそもそれが狙いで、あいつはプレイアデス聖団に近付いたのだとあきらは話していた。

 魔法少女を殺して、魔法を奪い取る最悪の怪物。それがこのスコルピオーネの本性。

 私が倒さなきゃ……。私が、この魔物を倒して終わらせなきゃいけない。

 それが曲がりなりにも、プレイアデス聖団に作られた魔法少女としての私の務めだ。

 分身の魔法で数を十人に増やし、敵を囲う。エレベーターから飛び出した時の俊敏さから、準備に手間取る合体魔法は危険……。

 それなら、数人で肉迫しての接近戦で引き付けてから、残りで遠距離狙撃でダメージを蓄積させよう。動きが鈍くなるまで相手の体力を削って、全員での一斉射撃でトドメを刺す。

 方針は決まった。私は即座に近接攻撃に適した帯電や硬質化の魔法を選択し、分身に使わせる。里美の操りの魔法で、分身の動きの精度を格段に上昇させ、スコルピオーネ目掛けて突撃させた。

 武装は硬化魔法を付加した大剣使いを二人、帯電魔法を付加した鞭使いを二人、十字の杖を変形させた長剣使いを三人。合計七人の私が乱戦に突入する。

 振るわれる魔物の鋏から突き出た大剣を同じく硬化した大剣の刃で受け止める。魔力で形成された刀身同士が激突して、鈍い音と火花に似た光が散った。

 それを庇うようにスコルピオーネの尻尾が弧を描くように跳ねた。尾の先端に付いた第三の大剣が、鍔迫り合いをしている大剣使いの片方を襲う。

 当然予測していた私は、背後に回った二人の鞭使いに電気を纏わせた乗馬鞭で絡みつかせ、尻尾の固定させる。これで三本の刃の動きは完全に封じた。

 間髪入れずに、開いた両脇から装甲の隙間にそれぞれ三本の長剣の切っ先を突き立てる。

 ―—浅い……。分身からの反応で貫通の手応えがないとすぐに分かった。

 脇の下にある関節部分を狙ったのにも拘らず、刃先は数センチで止められている。装甲の下にある筋肉を締めて、刀身を挟み込んだ様子だ。

 けれど、そんな姿勢で筋肉に力を入れていれば、次の動きに移る事は不可能。スコルピオーネはこれ以上身動きはできない。

 距離を離して四方から囲むように配置していた杖を持つ分身に、本体の私を加えた四名は魔法を撃つ体勢は整っている!

 これで終わり。プレイアデス聖団を裏から支配していた邪悪は散滅する。

 

「『リーミティ・エステールニ』……!」

 

 四方向から放たれるミチルの破壊の魔法が、スコルピオーネを分身ごと狙い撃つ。

 最初の一撃とは違って、流れる力の逃げ場はない。威力は単純に四倍された訳じゃなく、中心点で交わり何倍にも膨れ上がる。

 光の波が収束し、弾ける。近くにあった窓ガラスが吹き荒れる魔力で、砕けて散った。

 これで勝負は付いた、はず……。

 白い光が薄れた後、そこに見えたのは黒焦げになって崩れた――壁。

 不揃いで凹凸のある壁は崩れたは……テディベアで作られていた。大量のテディベアを中途半端に溶かして固めた悪趣味な芸術品のような全方位を覆うドーム状の壁だ。

 悪夢ような壁がボロボロと砕けて、その内側から煤で汚れた薄ピンクの装甲が見える。

 無傷、じゃない。でも、致命的なダメージまでは受けていない。

 緩やかな動作でスコルピオーネは動き出す。

 

『かずみ……。俺は敵じゃない。信じてもらえないかもしれないが、お前の味方なんだ』

 

 歪に反響する声は(しき)りに自分は敵ではないと言って来る。

 聞く必要はない。こういう嘘でプレイアデスの皆を操ってきたんだ。あきらがそう言っていたから間違いない。

 

「かずみお姉ちゃん。援護するよ!」

 

 後ろからやって来たかずらが、軽く飛び跳ねて、四枚の翼を持つ白い竜へと姿を変えた。

 ニコがイーブルナッツの力を組み込んで作ったというこの子は、魔女モドキへ変身する能力を持っていると聞いていたけれどまさかドラゴンになるとは思っていなかった。

 滑空するようにスコルピオーネに接触すると擦れ違いざまに、額から生えた曲刀のような長い角で斬り付ける。

 

『くっ……』

 

 両手の大剣で十字に重ねて防御の姿勢を取るが、私の攻撃で焼け焦げて脆くなっていた大剣はその一太刀で根元からへし折れた。

 行ける……! みらいの『ラ・ベスディア』でテディベアを呼び出して回復する前に、もう一度高火力の攻撃で叩けば、今度こそ打ち倒せる!

 滞空して羽ばたくかずらに、同時攻撃を提案する。 

 

「かずら! 私と力を合わせて遠距離から攻撃して!」

 

『任せて、かずみお姉ちゃん。仲良し姉妹の絆、アイツに見せ付けちゃおうよ!』

 

 頷きを返して、スコルピオーネが接近して攻撃してくる前に破壊の魔法を撃ち出した。

 かずらの開いた口からくすんだ白い炎が放った白い光に螺旋を描くように巻き付いて、真っ直ぐに放出される。

 

「『リーミティ・エステールニ』!」

 

『カルド・エルツィオーネ!』

 

 破壊の光線と爆炎が交わり、多少弱っているスコルピオーネを呑み込んだ。

 飽和する白いエネルギーが敵の装甲を焼き尽くし、修復すら行わせる事なく、打ち砕く。

 

『ぐ、ううぉおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉ……!』

 

 唸るような絶叫を上げながら火炙りになったシルエットは小さくなり、両手の鋏や尻尾が焼け落ちていった。

 白い炎が観覧スペースを染め上げるが、魔法で作られた火焔は燃え広がる事なく、役目を終えた瞬間に消え失せた。

 残ったのは人型の炭の塊。それが焦げた床の上に物言わず、転がっている。

 またテディベアを生やして肉体を作り直そうとする気配はなかった。

 私は恐る恐るその焼死体に近寄る。警戒を怠らずに、いつでも杖で身を庇えるように構えながら、スコルピオーネだった死骸を蹴った。

 ぼろりと腕らしき部位が割れて、床に散らばる。

 

「本当に、死んだの……?」

 

 魔女モドキでもあるかずらに尋ねるが、彼女は竜の姿のまま肩を竦めてみせた。

 

『どうだろうね? この怪物もイーブルナッツを核にしてるなら、それを取り出せばきっと自我は消滅すると思うよ』

 

 どうしようか。後方に居るあきらに判断を仰ぎに行く?

 いや、駄目だ。首を振って弱気な自分を振り払う。

 あきらがいくら頼り甲斐があると言っても、魔法少女である私が自分の意思で対処するべきだ。

 これはプレイアデス聖団が撒いた種。一時的だけど、その一員だった私が決着を付けないといけない事。

 最後の務めとして、杖を大きく振り上げて、死骸に向けて叩き付けようとした。

 その瞬間、黒ずんだ塊から一本のケーブルが飛び出した。

 

「……ッ!」

 

 杖の十字の部分でとっさに身体を隠すが、伸びたケーブルは私の右耳の下――私のソウルジェムへと突き刺さる。

 

「あ――」

 

 ソウルジェムを割られる。そう思ったが、違った。

 破壊の代わりに、もたらされたのは膨大な映像だった。

 そのどれもが悲しくて辛い、敗北の歴史。かつて赤司大火と呼ばれる少年の成れの果ての短い人生。

 そして、あきらに関する私の知らない一面だった。

 嘘だ。嘘だ、嘘だ、嘘だ。

 こんなものが真実であるはずがない。スコルピオーネが用意した偽の記憶に決まっている。

 でも、それなのに……。

 心は言っている。これが本当の事だと私じゃない私が囁いている。

 誰なの……? もしかして、ミチル? 私の傍に居るの……?

 全身から力が抜け、ぐったりと焦げた床に座り込んだ。左耳に付いた、私のソウルジェムではない鈴がちりんっとなって、宙に浮いた。

 鈴のイヤリングだったそれは花の蕾が花開くように捲れ、中身が出る。

 現れたのはグリーフシード。誰のものかなんて考えるまでもない。

 ミチルだ。魔女になったミチルが落としたグリーフシード……。

 

「そんなところに、居たの?」

 

 差し出した両手で、ミチルのグリーフシードを優しく包み込む。

 握ったそれから、何故だか感じ取れた。今見た記憶が真実であり、スコルピオーネ―—残火こそ私を救おうとした人だと。

 プレイアデス聖団を裏から操り、壊滅させたのは彼ではなく……。

 

「……あきら、だったんだね」

 

 振り返った遥か後方に立つ、大好きだった男の子を見る。

 最初は心配そうな目で何か言おうとしていた彼だったが、私の表情から何かを察したらしく、にまっと相好を崩した。

 

「あっれぇ? ひょっとして全部バレちまったか?」

 

 ぞっとして背筋が凍った。

 生まれて一月も経っていない私でも分かる、全人類の悪意を集結させたような笑み。

 誰かが成り代わっているとか、何者かに操られているとかじゃない。本当に出会った時から彼は邪悪だったんだ。

 

「じゃあ、もう隠してる必要はないよなぁ? ……変身」

 

 彼の姿が瞬時に切り替わり、別の形状へと変貌していく。

 そこに居たのは不幸と悲劇を導く黒い竜。それが一樹あきらの正体だった。

 四枚の蝙蝠のような翼。指先から伸びた長い鉤爪。額から生えたジグザグに曲がった角。

 かずらの色違いのようなその姿こそ、残火に見せられた記憶の中でいくつもの悲劇を作りあげた真の諸悪の権化だ。

 黒竜になったあきらは、滑るように空中を飛んで接近しようとする。

 立ち上がろうとするが、脚は思うように動かなかった。肉体の問題じゃない。精神が原因だ。

 私の心は折れていた。何もかも信用できない中、たった一人支えてくれたあきらが黒幕だった。

 その事実が心の中核から私を蝕んでいた。

 

「はは……」

 

 乾いた笑いが口を突いて出た。

 涙は出なかった。泣き出すには私はもう多くの間違いを犯してしまった。

 最たるものが、残火の殺害。私は、私を救いに来た人をこの手で殺してしまったんだ。

 騙され、操られ、全てを自分の手で壊して、帰る場所も失った。

 絶望が心を黒く汚染していく。

 ……私、魔女になるのかな。いや、それよりも早くあきらに殺されるか……。

 けれど、近付くあきらを阻むように白い影が私の前に躍り出る。

 

『おっと。それは駄目だよ、パパ。かずみお姉ちゃんはやらせないよ』

 

「かずら……。あなたは……」

 

 そうだった。かずらは私と同じように作られた命。

 私と同じ由来を持つ、この世でたった姉妹なんだ。間違えていた私はまだ一人じゃ――。

 

『蠍の魔女モドキを殺すのを手伝ったら、かずみお姉ちゃんを食べさせてくれるって約束であたしはパパに付いたんだよ? 忘れちゃったの?』

 

「……え」

 

 かずらが言った言葉が理解できない。

 私を、食べる……? それがあきらと交わした約束?

 目の前が暗くなるのを感じる。でも、耳だけはしっかりとこの最悪の会話を拾ってくる。

 

『あー……。確かに言ったな。でも、悪ィなァ。あれは嘘なんだわ。……俺さ、他人が最後に残した好物を横から掠め取るのがだァい好きなんだ。大事に取って置いたものが奪われる悲しみが最高のスパイスになるからなァ?』

 

 黒い竜が先の割れた、蛇ような舌で口元を舐め取る。

 それを受けて、白い竜も歪んだ笑みを浮かべた。

 

『知ってたよ。だって、あたし、パパと同じ精神構造してるんだよ?』

 

『はっはっは。似た者同士だなァ、マイ・ドーター。で、どうするよ? お前との格比べはとっくに付いてるだろォ?』

 

『そうだね。でも、あたしにはこれがある』

 

 鉤爪の生えた手を開くと、そこには小さな宝石箱が握られている。

 宝石箱を無造作に握り潰したかずらは、その中から二つのイーブルナッツをあきらへ見せ付けた。

 あきらはそれをつまらなそうに眺めて言う。

 

『おいおい、何か隠し玉があるとは思ってたが、今更イーブルナッツかよ。かずら、お前、俺が思ったより馬鹿だったんだな』

 

 蔑むような目付きでかずらを見下しながら、黒い竜は出来の悪い生徒に教鞭を取るように説く。

 

『イーブルナッツの特性は感情エネルギーの吸収と増幅。イーブルナッツが増えれば、魔力は増幅されるが、感情エネルギーの核である魂の一部は吸収される。俺が何で二つで止めてるか考えたこともなかったか? 三つ目で魂がイーブルナッツに吸収され、自我崩壊が起きる。四つも使えば……ボン! 増幅され過ぎた魔力はコントロールを失い、大爆発する』

 

 片手を大げさに広げて、爆発を表した。

 

『俺の言ってることがただの脅しかどうかくらい、お前の湿気(しけ)った脳味噌でも分かるだろ? それとも俺と共々爆死するかァ? この程度の規模の街は地図から消えるだろうがよ』

 

 かずらはその説明を黙って聞いていた後、逆にあきらを小馬鹿にする噴き出した。

 

『ふふッ。やっぱりパパは人間だね。固定概念に支配されている。それは魂が一つの場合だよ。魂が二つあれば片方が吸収されても、自我崩壊は起こらない』

 

『あ? まさか、かずみちゃん喰って「魂が二つになりましたー」とかやるつもりか? それこそ馬鹿だぜ。ソウルジェムを砕いて取り込んだところで、魂の数は増えねェんだよ』

 

 ますます呆れ果てた黒い竜は侮蔑の感情を強めるが、白い竜はそれを物ともせずに笑い続ける。

 

『それが、固定概念だって言うだよ。わざわざ噛み砕かなければいいの……こうやってね!』

 

「わっ……!」

 

 白い尾が伸びて後ろに居た私の身体を巻き取り、自分の手元へと引き寄せた。

 濁りのある白い、ゴツゴツとした硬い鱗が肌と触れ合う。だけど、次の瞬間、ずるりと触れた肌が吸い込まれた。

 

「な、に……これ!?」

 

 底なし沼のように私の身体は、白い竜の肉体に沈んでいく。

 皮膚が鱗と溶け合うように融合している。どうして、何が起きているの!?

 もがけばもがくほど、身体は絡み取られるように呑み込まれる。魔法を使う事もできず、白い沼へと落ちていった。

 黒い竜の驚愕した声が吸い込まれる寸前に聞こえる。

 

『……同化、融合か! そういや、お前の肉体の素材はかずみシリーズだったな。こりゃ一本取られたわ。まさかそんな方法で魂を取り込むとは……確かに人間には出ない発想だ』

 

 それを最後にぷっつりと音が消えた。

 光もなく、匂いも感触もない。私の意識は闇に溶け、薄く広がって、次第に消えていく。

 何も見えない。何も聞こえない。何も感じない。

 私は、(かずみ)じゃなくなっていく。

 ……ああ。私は、わたしは、ワタシは……。

 ——わタしハ、ダァれ……?

 




主人公は消し炭、ヒロインは化け物に吸収……もう救いが見えない展開になってきました。


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第五十話 ヘスペリデスの宵

~ルイ視点~

 

 

 残火があすなろタワーに上ってから数分後、上の方で爆発が起きた。

 そのすぐ後には白い火の手が上がり、少しして急激に鎮火する。明らかに異常な事態が発生しているというのに、タワー近くには人の気配は私以外になかった。

 ……クソ。やはり私も反対を押し切ってでも、着いて行くべきだった。

 もう手遅れかもしれないが、魔法少女に変身して、タワーに駆け入ろうとするが、ポツリと頬に落ちた雫に反射的に頭を上げた。

 暗雲が立ち込め、雨がしとしと降り始める。

 夕立というには些か遅い降雨は雨脚を強め、風を伴って、日の沈んだ空を汚した。

 雨の水滴に一瞬だけ心を乱された私だったが、次の瞬間に強烈な破壊音に再び、タワーを仰ぎ見る。

 視界に入ったのは、倒壊し、瓦礫となって降り注ぐタワーの上部だった。

 

「……!」

 

 このままでは押し潰される。そう判断した私は即座に、その場から脱兎の如く駆け出した。

 走りながら分身を作り、時に手を借り、時に壁にして、瓦礫のシャワーを潜り抜ける。それでも助かったのは奇跡と言っても過言ではない。

 

「ん? あれは……」

 

 落下する瓦礫の破片に注意をして逃げていると、ふと落ちて来る大きな破片の一つに何が張り付いている光景が目に入った。

 それは忍者同好会兼手芸部の活動にて、触れた事のあるワイヤーアートやモールアートに酷似していた。一言で表すなら、細長いケーブルで編み上げた蠍。

 更に言及するなら、黄色いあのケーブルは、聖カンナの自宅に張り巡らせてあったものと同じものだった。

 そして、彼女の魔法は残火へと受け継がれたはず。ならば、あれは残火が生み出した魔法の使い魔か。

 ケーブルアートの蠍は瓦礫と共に落下する前に、私の足元へ跳ねてやって来る。近くで見ると、その体格は意外に大きく、優に五十センチを超えている。

 また、ケーブル同士の隙間に黒い木炭のようなものが、びっしりと詰められていた。まるで焼けた木の中から這い出して来たような有様だ。

 

「残火の使いか? 彼は今どこに?」

 

 雨水と共に落下する破片を避けながら尋ねるが、言語を話す機能がないのか、ケーブルアートの蠍は無言だった。

 仕方なく、それを拾い上げて、足速にタワーから離れる。蠍は特に暴れる事もなく、私の腕にしがみ付いた。

 見た目がケーブルを編み込んだデザインのため、実際の蠍に懐く生理的嫌悪感はないものの、あまり良い心地はしなかった。

 五百メートル以上、あすなろタワーから距離を取った後、何が起きたか確認をするために頭上を見上げる。

 それを見た時、当初は“濁った白い空”が動いていると脳は錯覚した。

 無理もない。視界に入りきらない程、巨大なものが一目で生物だと理解できる者はこの世には居ない。

 あすなろタワーの高さは三百二十メートルあった。目算で見ても、その“濁った白いもの”の直径はその二倍半はあるだろう。

 推定八百メートルの超弩級の巨体が、空を移動している。

 

「あ……ああ……」

 

 何よりも私の思考を奪い去ったのは、その悍ましい形状だった。

 植物の根のように、すぐには数え切れない程多く枝分かれした首の、そのどれからも竜の頭部が生えている。

 多頭の白い巨竜。

 古の神話の本の挿絵にしか出て来ないような、現実には合ってはいけない異形の存在。

 絶望を具現化したようなそれはゆっくりと空を這うように飛行している。

 魔女や魔女モドキをこの目で視認した事のある私ですら、その存在は非現実的に感じた。

 話に聞いたワルプルギスの夜など、この巨竜に比べれば矮小に思えた。

 空を覆うような巨竜を茫然自失で見上げていた私は、あすなろタワーの崩壊に気付いた人々が建物から出てきてしまう事態に意識がいかなかった。

 その様子を認めた時にはもう手遅れだった。

 恐怖や驚愕による悲鳴、絶叫、あるいは怒号が辺り一面に響き渡る。

 だが、それは流れ落ちて来る雨により、一時的に収まった。

 降り頻る雨に触れた人々の姿は次々に異形へと変わっていく。

 

「この変化……まさか! イーブルナッツによる魔女モドキ化、魔物化!?」

 

 しかし、魔物化現象は、イーブルナッツの魔力なしでは起きえないはずだ。

 高々、雨に打たれただけで人が魔物になるなどあり得ない。あり得てはいけない。

 

『凄まじい魔力だね。この雨は』

 

 街の住民が異形に変異していく中、傍の建物の上にキュゥべえが姿を現す。

 

「キュゥべえ……。この現象について、何か知っているのかッ?」

 

『この雨はあの魔女モドキが放つ魔力のせいで、イーブルナッツと同じ効果を持つ物質に変化したんだ。差し詰め、イーブルレインとでも言うべきかな? それにしても、人造の魔女モドキの身でありながら、ワルプルギスの夜を超える膨大な魔力を持つ存在へと昇華するなんて……かずらには驚かされるね』

 

 邪悪な雨粒(イーブルレイン)……。

 それがこの大量の魔物化現象を引き起こしたというのか……?

 何だ、それは……。もはや一介の魔女モドキが発生させていいものではない。

 そして、あの巨竜の正体はやはりかずらだったのか……。

 

『ワルプルギスの夜を超越した彼女は、敬意を表してこう呼ばせてもらおう。——“ヘスペリデスの宵”。プレイアデスともヒュアデスとも異なる第三の姉妹の名が相応しい』

 

 “ヘスペリデス”。

 ギリシャ神話には多少なりとも造詣(ぞうけい)のある私には分かった。

 あの有名な『ヘラクレスの十二の試練』の十一番目に当たる、黄金のリンゴの逸話にも登場する名だ。

 曰く、不死を得る黄金のリンゴを百頭竜・ラドンと共に管理するプレイアデスの異母姉妹。

 ……確かに今の奴には姿も込みで相応しい名前だとも。

 彼のネーミングセンスに内心で舌を巻いていると、キュゥべえは独り言のように付け足す。

 

『この場合、彼女の護る「黄金のリンゴ」は体内に取り込んだかずみという事になるのかな? まだ死んではいないとは思うけど、このままだと完全に吸収されるのも時間の問題だね。実に残念だよ』

 

「何だと!?」

 

 あのヘスペリデスの宵の中にかずみが取り込まれている。それも完全にあと少しで完全に吸収されるだと……。

 衝撃の事実を何事でもないように漏らしたキュゥべえは、私に反応すら気にも留めず、一方的に話題を終える。

 

『皐月ルイ。それよりも彼らを放っておいていいのかい? そろそろ暴れ出しそうだけど』

 

「……くッ!」

 

 魔物に変異した住人たちは、獣のような唸り声を上げて、唯一人の姿を留める私へと襲い来る。

 哺乳類、鳥類、両生類、魚介類、昆虫……多様多種の人間大の怪物が、理性を失って街に跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)していた。

 一度、視線を逸らした後、再び戻した時にはキュゥべえはもう近くには居なかった。

 危機感を無駄に煽り、あわよくば魔女になって死んでもらおうという魂胆だろう。どこまでも合理的な嫌がらせを敢行するマスコットだ。

 覚悟を決めて、ケーブルアートの蠍を後ろに離し、新たに魔法で数十体の分身を作る。

 

「蠍の使い魔。お前が残火由来のものだという事は分かる。言葉が通じているか分からないが、ここは私に任せて逃げろ」

 

 後ろで僅かに逡巡した挙動を見せた後、蠍は尾からケーブルを伸ばして建物へと這い上がっていく。

 それを一瞥して確認してから、分身たちを魔物の軍勢へと向かわせた。

 戦闘力は決して高くはない私だが、こういう多数を相手取るには役に立つ。

 ヘスペリデスの宵の首は確実に私を捉えているというのに攻撃をして来ないという事は、既に歯牙にもかけていないのだろう。

 あの巨体からすれば、私のような魔法少女一人程度、自ら手を下すまでもない矮小な存在という訳だ。

 それとも、魔物の群れに囲まれて逃げ場のない私は既に死んだも同然に思っているのかもしれない。

 どちらにせよ、私は魔法少女としての責務を果たすだけだ。

 死んでいったトレミー正団のように……この街の何も知らない無辜の人々のために命を懸けて戦うのみ。

 街には建物内でこの異常事態に怯えている人たちも居るはず。この魔物化した住人を野放しておく事はできない。

 紺色のクナイを構え、刻一刻と増え続ける膨大な数の魔物たちと睨み合う。

 

「……トレミー正団が一人、皐月ルイ―—参る!」

 

 里美さん……。あなたの意思は私が受け継ぐ。たとえ、ここで死ぬとしても魔法少女の意地は最期まで通す。

 それがあなたに感銘を受けた私の在り方だから。

 

 

~サキ視点~

 

 

「何だ!? この街で一体何が起きているというんだ!」

 

 両手にエコバック一杯の荷物を抱えていた私は、突如発生したこの異変に戸惑いを隠せなかった。

 私はアレクセイに食材の買い出しを頼まれ、数刻前まで近くのスーパーで割引シールを張られる精肉や鮮魚を物色していた。

 頼まれていた品物も無事購入でき、意気揚々と中沢家へ帰る途中だったのだが、不運にも急な雨に見舞われた。

 傘を持って来れば良かったと後悔したのも束の間、周囲に視線を配れば、通行人が次々と怪物に変貌しているではないか。

 この超常現象をいきなり目撃して、混乱しない人間が居るなら教えてもらいたい。

 魔物になった通行人たちは種類や姿もてんでバラバラで共通点は何もない。あるのは皆、理性を失ったように暴れている点くらいだろう。 

 それら魔物たちは、未だ人の姿を保っている私を見ると示し合わせたようににじり寄って来る。

 

「く……。何だか分からないが、魔法少女になっていた方が良さそうだな」

 

 エコバックを道端に降ろして、ソウルジェムを使って魔法少女の衣装を身に纏う。

 乗馬鞭を片手に発生した魔物たちを見極めようと視線を上げて、それと()()()()()

 澱んだ雲から生えた無数の竜の首が私を見ていた。

 眼前に迫る魔物などよりも遥かに巨大な竜の頭部。十や二十では済まない数のそれが見下ろしてくる。

 

「…………ぇ、ああ……?」

 

 そして、気付いてしまう。

 首が伸びている根本は雲などではなく、視界にすら入り切らないほど大きな胴体なのだと……。

 恐怖が脳髄を狂わせ、思考がズタズタに引き裂かれた。

 今まで見てきた魔女や魔物など容易く凌駕する超巨大な存在が、私を観察している。

 その常軌を逸した状況に、私の認識が耐えられなかった。

 急激な吐き気が込み上げて、胃の中の内容物をぶち撒ける。震えが止まらず、膝が笑った。

 逃げるという行動が取れない。あんな巨大なものから逃走する術が浮かばない。

 死が見えた。逃れられない死が、私に訪れようとしているのを感じる。

 蛇に睨まれたカエルというのはこういう気持ちなのだろう。

 逃げる意思さえ、圧倒的な恐怖に塗り潰され、その場に立ち尽くすしかないのだ。

 天上から垂れる竜の首は、私の無様な姿を見て、口の端を更に開いた。

 人間でいう笑みに近い。だが、笑顔と呼ぶにはあまりにも悍まし過ぎる変形だった。

 襲い掛かりつつある魔物たちは、動けない私へと牙や爪、あるいはもっと攻撃的な部位で私に狙いを定める。

 

「あ……」

 

 これが私の最期の光景……? あまりにも呆気ないものだ。

 何も分からず、こんな理不尽に死ぬのか私は。

 動けない分、頭脳だけが高速で回転する。思考速度が格段に早まり、時が止まったかのような感覚がした。

 私は今、走馬灯というものを体験している。焦りがあるのに、引き延ばされた時間をゆっくりと味わっている。

 ――死。

 死、……ぬ?

 人間大の蝙蝠の牙が、金属質の大鷹の爪が、嶮山のような針鼠の針が、私へと――襲い来る。

 

「……『アヴィーソ・デルスティオーネ』」

 

 だが、そのどれもが背後から放たれた真っ赤な火の玉に吹き飛ばされた。

 それを目にした瞬間、恐怖の枷が外れたように身体が動くようになる。弾かれたように振り向くと、そこには白いドレスを纏ったあやせが剣を携えて立っていた。

 

「あなた、お遣い一つ、まともにこなせないの? 役立たずにもほどあるでしょ」

 

「あやせ……! ッ後ろ!?」

 

 彼女の登場にも驚いたが、彼女の後ろに角を生やした大熊が前脚を振り被る姿を見つけて、私は叫びを上げた。

 獣の筋力で打ち出されるその張り手は、彼女の華奢(きゃしゃ)な身体など容易く、叩き潰すだろう。

 しかし、振り被った前脚が動く前に、強烈な寒さが辺りを“通り抜けた”。

 

「な……ッ」

 

 真冬の寒波のような寒気が周囲を駆け抜けたかと思えば、大熊は氷の彫像と化していた。

 それだけではない。あれだけ大量に押し寄せていた魔物がすべて氷漬けされている。

 そして、私とあやせの間に白銀の狼が一匹、地に降り立った。

 氷の彫像たちは皆、その着地の振動で一斉に砕け散り、中から元の人の姿が転がり出る。

 全員気を失っているようでぐったりと力なく倒れてはいるものの、外傷は衣服を含めて見当たらなかった。

 白銀の氷狼。碧い瞳には、他の魔物とは違い、明確に理性の光が灯っている。

 神々しささえ感じさせるその魔物は、有象無象を打ち倒し、厳かに声を発した。

 

『……サキ。タイムセールの卵、買えた?』

 

「…………え?」

 

 相貌と発言のあまりの落差に、思わず間抜けな声が漏れる。

 神話にでも出て来そうな美しい狼の口から流れた、俗過ぎる台詞に聞き間違いかと思った。

 だが、白銀の氷狼は再度平坦なトーンの声音で尋ねる。

 

『買えなかったの? 卵……』

 

 抑揚の薄い言い方だが、心なしか先ほどよりも、ややしょんぼりしたような印象を受けた。

 

「いや……広告に出ていたセール品の卵は買えたが……。ひょっとして、アレクセイなのか?」

 

『うん』

 

 うん、じゃない。うんじゃ……。本当に何なのだろうか。この男は。

 イーブルナッツを保持しているとは聞いていたが、何というか……あまりにもマイペースが過ぎるだろう?

 おかげで内心に澱んでいた恐怖が完全に洗い流されてしまった。

 あやせがアレクセイに会話の主導権を握らせていると話が進まないと思ったようで、彼女が代わりに話し始める。

 

「アレクセイが、何か嫌な予感がするって言ってね。あなたを心配して見に来たの。そしたら、空にあんなものが現れるわ、普通の人が魔物に変わるわは降るわでもう大変だったんだから」

 

「そうか。でも、よく私の居場所が分かったな」

 

『サキの匂いは覚えてたから辿って来ただけ』

 

「ええ……」

 

 アレクセイの発言に今日一番の衝撃を受ける。

 私はそんな特徴的な匂いがするのだろうか。プレイアデスの皆には一度も言われた事はなかったのだが……。

 腕を伸ばして脇の下を軽く嗅いでみるが、自分ではまったく分からない。

 仲間が現れ、窮地から脱したため、一気に弛緩した雰囲気になるが、空に浮かぶ巨大な竜の首たちは消えた訳ではない。

 変わらずに私たちを見下ろしていたが、今すぐに何かする気はないらしく、ただ観察しているだけだった。

 

「あれは……何なの?」

 

「私にも分からない。だが、一般人が魔物に変わったのは恐らく、あれのせいだろう」

 

 あやせと共に巨大な竜を見上げて相談していると、アレクセイは大した事でもないように言う。

 

『あれ、多分、前に家へ来たかずらって子だよ。匂いが同じだ。この降り続いている雨もそう』

 

「何だって、それは本当なのか!?」

 

『うん』

 

 やんわりと首肯するアレクセイ。やはりこの姿とのギャップに未だなれないが、彼が嘘を吐かない人間なのは今までのやり取りで身に染みている。

 発言がいい加減に聞こえるが、これでも本人として至極真面目に言っているのだろう。

 言われ見れば、鱗の色や額から突き出す角の形に類似点はあるが、逆に言えばそれくらいしか似た箇所はない。

 百はある無数の首もそうだが、何よりもサイズが百倍以上違う。

 彼は付け加えるように続けた。

 

『でも、ちょっと妙なんだ。他に七個くらいの魔法の匂いが混ざってる……その内一つはサキと同じだ』

 

「それは本当ッ、……なんだろうな。お前がわざわざ口に出すという事は」

 

 七つの魔法の混ざった存在。その内に私の魔法が入っているもの。

 そこまで聞けば、該当する存在は一人……かずみだ。確かめた訳ではないが、かずみ以外のミチルのクローンは恐らくあきらに処分されたか、より非道な方法で殺されただろう。

 奴が利用価値のない不確定要素を取り除いてないなどは、まずあり得ない。そうでなくても命を奪うという行為に愉悦を覚えるような人間なのだ。気まぐれに殺戮する様など想像するに易い。

 しかし、あきらではなく、かずらに喰われたのか。奴もまた他者に裏切られる側の人間だったか。

 などと視線を落として、考え込んでいると、足元に異様なものが居る事に気付いた。

 ケーブルを纏めて、形作ったような人工物の蠍。それが私たちの足元でちょろちょろと動いている。

 

「な、何だこれは……!」

 

「あなた、この数分で驚いてばっかりだね」

 

 ぎょっと目を向けるが、あやせはさほど驚いた様子もなく、ひょいっとその蠍を持ち上げる。

 ()めつ(しが)めつ、弄りながら観察して、ぽいっと投げ捨てた。

 

「デザインがスキくない」

 

「おい!」

 

 無下に投げ捨てられた人工物の蠍は地面に落ちてひっくり返るが、すぐに起き上がってかさかさと動き始める。

 人が変身した魔物にしては小さすぎるが、どう見ても魔法が関わっているとしか思えない姿に困惑した。

 前脚の鋏や尻尾を小刻みに動かし、私たちに何か伝えようとしているが、それを解読する能力は私にはない。

 しばし、黙ってそれを見つめていたアレクセイはやがてゆっくりと頷いた。

 

『へえ。そんな事があったんだ。大変だね』

 

「アレクセイ……。お前、この蠍が何を言いたいのか分かるのか?」

 

『うん。だって、こいつがさっきから……ああ、イーブルナッツでの念話は他の人には聞こえないんだっけ』

 

 だっけ、と言われても私にはイーブルナッツがそんな特性を持っていた事自体初耳なのだが、彼は勝手に納得して自己完結してしまう。

 コミュニケーションする気はあるのだろうが、彼は人に情報を伝達する能力が致命的に欠如している。マイペースの極致に居るような奴だ。

 

『え? 僕が通訳を? ……面倒くさいな。じゃあ、一文で纏めてね』

 

 蠍は両手の鋏を持ち上げて頭部らしき場所を押さえるような仕草を取る。

 あ、これは何を伝えたいのか分かった。アレクセイのマイペース振りに頭を抱えているのだ。

 気持ちは分かる。私も彼との初対面では同じポーズを取った。

 

『えーと……。「俺は、元・蠍の魔物で、かずみを助けようとしたが、やられてしまい、こんな姿になり、彼女は、あの竜に取り込まれて、この事態が引き起こされ、どうか助けてほしい」……何、日本語下手なの?』

 

 蠍は尻尾をバタバタと振るわせて、アレクセイを威嚇している。

 うん……。今のはお前が悪い。むしろ無茶振りにしては頑張った方だと思う。

 通訳された情報によれば、やはりかずみはあの巨大な竜に呑み込まれてしまったようだった。

 しかし、あれだけの強さを誇った蠍の魔物がこれほどまでに小さな姿になるとはな……。

 助けを求められたところで、私たちにどうこうできる相手なのだろうか。

 あの規格外の巨体を見て、戦うという選択肢はまず浮かばない。勝負になるかの以前に、あの化け物に近付けるとさえ思えない。

 絶望の雨を降らす、最悪の邪竜を見上げた。

 

 

~かずら視点~

 

 

 ……()った。

 あたしは、完全なる存在へと為ったんだ!

 意思もある。感情も塗り潰されいない。自我崩壊は起きなかった。

 肉体漲る魔力が自分の巨大さを実感させてくれる。

 真下の街には矮小な弱者共が、慎ましい努力をしている光景が見えた。

 ああ、なんてヨワイ……。

 ああ、なんてチイサイ…。

 ああ、なんてツマラナイ……。

 あんなにも哀れで小さな生き物が生きていていいのかな?

 よくないよね。やっぱり、生物って強くないと。

 あたしが強い生き物に作り変えてあげる。あたしの下僕として恥ずかしない強さを与えてあげる。

 だから、ヨワイ生き物は始末しよう。魔法少女はあたしが作る世界には要らない。

 この惑星にもっとあたしの雨を広げよう。これは洗礼。あたしのものとなる通過儀礼。

 哀れなママ。あなたが懐いた夢だけは代わりに叶えてあげるよ。

 現存する人類を滅ぼし、あたしが新たな人類となってあげる。

 そうだね、名前が必要だ。プレイアデスでも、ヒュアデスでもないあたしだけの名。

 インキュベーターが下で言っていたあの名前を使わせてもらおう。

 ヘスペリデス。これからあたしが生む、あたしのための新人類……『ヘスペリデス』としよう。

 あたしはそのために宵をもたらす。明日の夜明けが来る頃には世界中の人類はすべてヘスペリデスへと変わる。

 そう、あたしは人類を孵化させ、新たなる夜明けを導く者。

 ――ヘスペリデスの宵。

 そのためにも……()()()()()()には、早く完全に自我を消してもらわないとね。

 お姉ちゃんの意識が完全にあたしと同化した時、創造のための破壊を始めよう。

 建物に隠れるようなヨワイ子は新人類には相応しくない。

 壊して、潰して、邪魔なものが無くなったら、恵の雨を降らしてあげる。

 だって、あたしはもうこれから始まる新世界の神様なんだから。

 




ヘスペリデスの宵の姿のモデルは、本編にも少し書きましたが百頭竜ラドンです。
全長800mという大きさなので一部でのあきら君がなったオリオンの黎明が60m級だったのでざっと13倍くらいこっちの方が上です。
更に魔物化の雨を降らす雲を発生させるので、有害度では彼以上でしょう。

そして、彼女が生まれた原因はすべて残火のせいという……。


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第五十一話 紺色の忍耐

今回はちょっと短めです。


~◼️◼️◼️視点~

 

 

 ……聞コえル。

 誰カの声ガ、聞こエテ来る。

 女の子ノ声だ。凄く優シくテ、温かナ声……。

 ソれが私ヲ包み込ンデ来ル。

 

『◼️◼️◼️……起きて。微睡(まどろみ)に身を委ねちゃ駄目だよ……』

 

 何ダろウ。何かヲ呼んデいるノかナ。◼️◼️◼️って何ダろう?

 わタシには分カらナイ。知ラない言葉ダ。

 アナたは誰ナの……?

 

『私はミチル。プレイアデス聖団の最初の魔法少女』

 

 ミチル……。懐かシイ響キがスル。ドコかで聞イタ事のアル名前だ。

 

『こうして話すのは初めてだけどね。ずっとあなたの傍に居たんだよ。あなたのすぐ近くで、私の世界を見てた』

 

 彼女は言ウ。自分ハ本来、こうシテ話す事のデキる存在ではナイのだト。

 ミチルはワたしに色んナ事を聞かせテくれタ。

 好キな食べ物。好きナ色。好キナ季節。

 一番面白カッタのハ大好きなグランマの話。優しクテ、厳シいたった一人のおばあチャン。

 グランマの作ル苺のリゾットは絶品ナンだと彼女ハ自慢してイタ。

 プレイアデスとカ、魔法少女トかはヨク分からなかっタけれど、ソレを話すミチルはどこカ楽しソウだった。

 時折、挟む◼️◼️◼️ト言う単語ガ気になっタが、ソレを差し引イテも彼女とノ会話は心地良カッタ。

 様々ナ内容のオ話を聞カせてクレたミチルは、わタシに言っタ。

 

『……ねえ、◼️◼️◼️。まだ思い出せないの?』

 

 思イ出す? 一体なニを?

 

『自分が誰で、どういう子なのか? 今まで何が合って、これから何をしなくちゃいけないのか? その全部』

 

 ……だメ。全然思い出セない。

 わタシには何モナイ。記憶、思いデ。姿ニ、名前。

 何にモ覚えテいない。本当ニ、ワたしなんテ存在シて居たんダロウか?

 そう伝エルと、ミチルは悲しソウな声デ言った。

 

『そっか……じゃあ、せめて忘れないで。あなたには必ず迎えに来てくれる人が居るって事を』

 

 迎エに来てくれル人……?

 

『そう。あなたの事を世界で一番大切に想っている人』

 

 ……どんな人ナの? 

 

『真っ直ぐな人かな? 直情的で嘘が吐けないタイプ』

 

 ……男ノ人、ソれとも女の人?

 

『私より三つくらい歳上の男の子だね』

 

 ……見タ目は格好イイ? 

 

『うーん……来ちゃったかぁ、この質問。どうだろう? 美形ではないけど、格好悪くはないと思うよ。……私的にはあんまり、いや、うん! 好みは人それぞれだから』

 

 格好ヨクはナイのか……。チョッピり残念。

 がっかりスルと、ミチルは少シだけ羨マシそうに付ケ足しタ。

 

『でも、どんなに傷付いても、あなたを助けようと足掻いてる姿は素直に格好いいと思うよ』

 

 ……そノ人の名前ハ?

 

『それはきっと彼自身が伝えるから、私の口からは教えられないよ。だから、それまで頑張って自分を見失わないで、◼️◼️◼️

……』

 

 ミチル? 何ダカ、声が遠イよ?

 彼女ニ何度も呼びカケるが、言葉はモウ返っテ来なかっタ。

 マタ、独りボッチになっテしまっタ。ズッと、こんナ独リ世界が続クのだろうカ?

 寂しクテ、悲シくて、意識ガ解けそうにナル。

 デも、彼女は言ってイタ。

 必ズ、迎えガ来ルと。

 ワたしを誰カが迎エに来テくれるト、ソウ言ってイタ。

 ダカら、待とウ。そノ人が来てクレる時マデ……もう少シだけ、待っテみよウ。

 

 

 ******

 

 

 言葉が通じないという状況は非常に辛い。

 自分の考えている思いが一切伝わらないのはもどかしさを超えて、ただただ切なくなってくる。

 かずみたちの一斉攻撃により、肉体を破壊し尽くされた俺は、同時にみらいの魔法も喪失してしまった。

 彼女の『テディベア召喚魔法(ラ・ベスディア)』を使って肉体を再構築する裏技めいた復活方法はもう取れない。

 現在はカンナの魔法の力押しで辛うじて、ケーブルを生み出し、束ねる事で蠍の姿を保っているが、如何(いかん)せん、仮初の形で生まれたせいか言語を話す事が不可能という事態に陥っていた。

 聞く事は可能だが、話す事はできない。唯一、同じくイーブルナッツを使うアレクセイとだけは念話が通じるが、彼は通訳を積極的に行ってくれないため、ほとほと困り果てていた。

 しかし、幾多の困難とぶつかって来た俺が、この程度でめげる事はなかった。

 『コネクト』の魔法の効果を応用し、魂に触れた相手とやり取りをするという荒技でどうにか難を乗り越えたのだ。

 

『大変だったね。お疲れ様』

 

『お前が言うな!』

 

 どこまでも他人事のアレクセイに、俺は激しく突っ込みを入れる。

 この男、悪い奴ではないが他人に協調するという認識が著しく欠如している。更に天然ボケまで入っているから始末に負えない。

 

『そんな事よりも、かずみについて詳しい話を聞かせてくれ』

 

 サキが俺の苦労をバッサリ一言で片付けて、本題に入るよう促す。彼女も彼女で酷いが、今はそれどころではないのも確かだ。

 

『そうだな。だが、今も魔物に襲われている知り合いが向こうに居るんだ。先に彼女を助けに行ってくれないだろうか?』

 

 尻尾でルイが魔物と応戦している場所を指し示す。

 分身の魔法が使えると言っても、彼女の純粋な戦闘能力は決して高いものではない。

 理性の魔物でもあれだけの数を相手に単独で勝利できるとは思えない。

 確実に増援は必要不可欠だろう。

 だが、白銀の狼になったアレクセイがそちらの方角を一瞥して、首を左右に振る。

 

『それって、向こうだよね? じゃあ、大丈夫。僕らが行く必要はもうないよ』

 

『どういう事だ、アレクセイ! 必要がない? まさか、もう彼女は……』

 

 アレクセイが持つ固有の能力は、物体を透過して擦り抜ける以外にもう一つある。

 魔法を嗅ぎ分ける鋭敏な嗅覚。かつて俺の中にあったあいりの魔法さえ識別してみせたその嗅覚を以ってすれば、ルイが死んでいるかなど判断できてもおかしくない。

 彼は既にルイが帰らぬ人となった事に気付いたのだろう。

 

『いや、違うから』

 

 俺の杞憂を彼は一蹴して、話を続けた。

 

『そうじゃなくて、向こうから大量の魔法の香りが流れて来るんだよ。魔物とか、上の竜のじゃなくて、魔法少女の魔法の香りがさ』

 

『魔法少女の魔法? それも大量の? しかし、プレイアデス聖団が壊滅した今、徒党を組んでいる魔法少女など……、いや、もしかして、()()()()()!?』

 

 今の今まで完璧に失念していた。

 何故なら、彼女たちはこの騒動から早々に手を引いて、日常へと帰って行ったからだ。

 戦場へ戻って来るなど誰が想像できようか。それほどまでに、あの狭い牢獄に幽閉されていた彼女たちが、再び戦う覚悟を持つとは考えられなかった。

 

 

〜ルイ視点〜

 

 

 ここが年貢の納め時、という奴か……。

 口の端に付いた血を右の籠手の裏で拭う。思いの外、かなり吐血していたようで渋柿色の籠手は簡単に朱に染まった。

 内臓がやられている。呼吸をする度に引きつるような激痛が体内で走る。

 分身はとうに消え失せ、新たに呼び出す余力もない。手持ちのグリーフシードを使って浄化を試みたが、その隙を魔物に突かれ、二つともどこかへ落としてしまった。

 左腕は開放骨折して、手首から折れた骨が飛び出している。もはや、持ち上げる事さえ不可能となっていた。

 右目は抉り潰れて開かない。外傷が脳まで達していない事だけが救いだ。

 折れた歯を飲み込まないように吐き出してから、妙に口内の風通しが良くなって敵わない。詳しい様子は分からないが、どうにも神経が飛び出しているようだ。

 死を目前に控えている、というより、生に辛うじて引っかかっている形だ。

 魔法少女の身体でなければ、とっくに息絶えていただろう。

 眼前に群れる魔物は、後八十弱。そのどれもが猛獣、危険生物の類だ。

 武器は右手に握ったクナイ一本。

 勝ち目はどれだけ大目に見積もったとしても、一割を下回る。

 

「ふーッ……ふーッ……」

 

 血で詰まった鼻の代わりに口で荒く呼吸をする。

 大虎がべろりと舌舐めずりをした。巨猪が前脚で地面を擦り付ける。空中を泳ぐ鮫が身を捩るように跳ねた。

 魔物から元に戻った人たちは、半壊したあすなろタワーに随時分身を使って運んであるから、私が絶命したところですぐに狙われる危険はない。

 失うものはもはや我が身一つ。ならば、……是非もなし。

 クナイの持ち手を握り直し、折れた左腕を差し出すように構えた。

 跳びかかった大虎の顎が突き出した腕に噛み付き、喰いちぎろう振り回す。

 

「ぐぅ……ッ!」

 

 ただでさえ開放骨折していた左腕は、申し訳程度に繋がっていた筋線維をいくつか引きちぎった。

 だが、その隙に大虎の眼球にクナイを突き立てる。

 堅ゆで卵にフォークを突き刺したような弾力のある反動が手首に返って来る。

 水晶体が噴き上がり、ヌメリのある液体と獣の絶叫の如き咆哮が撒き散らされた。

 もう少しで倒せる。そう思ったところで走り出した巨猪の突進が私の脇腹に衝突した。

 

「がッ、はァッ……!」

 

 二本の牙が脇の筋肉を抉りながら、私の身体を吹き飛ばす。口と鼻から深紅の血が零れて宙を流れた。

 地面に転がった私に、止めを刺そうと鮫が空中を泳いで接近する。開かれた大顎にはずらりと並んだ鋭利な牙。

 もう、かわすだけの力は私には残されていなかった。

 腸を喰らい尽くそうと大きく開いた顎は、私の肉を切り裂き、抉り取るだろう。

 死を覚悟し、正面を見据えると場違いな笑みが口元に湧いた。

 ……戦闘向きではない私にしてはよく頑張った方だ。けれど、これでようやく仲間の元へ逝ける。

 皆、褒めてくれるだろうか。似合いもしない泥臭い戦い方をしたのだから、労いの言葉くらいは欲しいものだ。

 しかし、鮫は口を開いた状態で、私の数センチ前で急停止する。

 

「…………?」

 

 博物館に展示された標本のように、鮫はその場に縫い留められていた。

 事実、その背中には長い棒が突き立てられている。

 否、棒ではない。——薙刀だ。薙刀が鮫の背中から腹を貫通して、地面に刺さっていた。

 総勢七名ほどの魔法少女が、私を取り囲むように上から降りて来る。

 

「……お前ら、は……?」

 

 背中越しに問いを掛けると、薙刀を引き抜いた祝い結びの飾りが付いた短い紫色の和装の魔法少女が代表して答えた。

 

「私たちは、あなたと同じレイトウコの中に居たプレイアデスに狩られた魔法少女よ」

 

 レイトウコの……魔法少女? 確かに言われ見れば、彼女の後姿には見覚えがある。他の魔法少女たちも同様だ。

 

「じゃあ……」

 

「ええ。あれから魔法少女の真実に目を背けて、日常に浸って逃げていたけれど……あなたがたった一人で戦っている姿を見て目が覚めたわ。……本当にごめんなさいね」

 

 他の魔法少女も彼女に続いて、口々に私へ謝罪の言葉を述べた。

 そうか。彼女たちは里美さんと残火が日常へと帰した魔法少女たちなのだ。

 彼女たちが詫びる必要などない。これは私が自分の意思で決めた選択なのだから、謝罪は不要だ。

 

「他の皆も街のあちこちで戦い始めている。もう、あなた一人で戦わせる事はしないわ。私たちだって……魔法少女なんだから!」

 

 魔法少女たちは各自の武器を作り出して、魔物と交戦し始めた。

 祝い結びの魔法少女は私に近付くと傷口にそっと手を置いた。

 

「ッ……何を?」

 

「私の魔法は『縫合』なの。だから、じっとしてて」

 

 彼女が傷口に触れると、その傷は縫い付けられるように塞がっていく。

 治癒とは異なり、傷がそのものが消えて無くなるのではなく、皮膚同士が張り付くように修繕されていく様は自分が布地にでもなったかのようだ。

 私は治療される裏で巻き起こる魔法少女たちの戦闘を見て、つくづく自分は戦闘向きではないと感じた。

 大虎は刃の付いた武器を持つ魔法少女たちに切り裂かれ、巨猪は攻撃的な魔法で弾き飛ばされている。

 私やひよりはもちろん、舞やカイネよりもよっぽど殺傷能力のある魔法少女もちらほら散見できた。魔法少女はその在り方が重要なのだと里美さんから学んだ私でさえ、少し自信を失うほどの戦闘力だ。

 手持ち無沙汰になった私はてきぱきと『縫合』を続ける魔法少女に尋ねる。

 

「……名前、聞いてもいいか?」

 

「茜すみれ。すみれでいいわ」

 

「そうか。私は皐月ルイ。同じく名前呼びで構わない」

 

 小学生の時ならいざ知らず、中学に入ってからは仮面のような社交性は身に着けてきた。

 それでも、こうして素のままで見知らぬ他人と名前を聞き合えるようになったのは、きっとトレミー正団のおかげだと思う。

 彼女たちと過ごした期間は数時間にも満たないだろう。だが、彼女たちとの交流で得たものは私の中で根付いている。

 昔の私であれば、ひより以外に口に出さなかった言葉を彼女へ告げた。

 

「すみれ。頼む……かずみを助けてやってくれないか?」

 

「かずみ? それはあなたの友達? まだどこかで戦っている魔法少女が居るの?」

 

「いや、違う。かずみは今、あの巨大な竜の中に取り込まれている。こういうと生存は絶望的に聞こえるだろうが……それでもまだ生きているんだ。だから……」

 

 更に頼み込もうとすみれに土下座しようとするが、彼女は私の口をそっと手で制した。

 

「分かったわ。他の場所で戦っている皆にもテレパシーで伝えてみる。だから、ルイは安静にして治療を受けて。正直、ここまでボロボロの人にどこまで私の魔法が効くか分からないから」

 

「……恩に着る」

 

 それだけ言うと私は緊張の糸が切れ、全身から力が抜ける。おまけに意識まで遮断しそうになるが、そこだけはどうにか堪えてみせた。

 だが、私の身体はこれ以上の酷使に耐えられそうにない。丸投げするようで心苦しいが、私はすみれたちにかずみの事を任せてしばし休息を取った。

 残火……。私は、私にできる全てを済ませた。後はお前次第だ……。

 




ここに来て増える増援。ちなみに茜すみれはオリキャラではなく、原作七話にて開始二ページでプレイアデスにジェムを奪われた可哀想な魔法少女です。


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第五十二話 破局都市

〜かずら視点〜

 

 

『…………?』

 

 超越者として、天に君臨していたあたしは一つだけ疑問を感じた。

 街のどこを探してもドラーゴ(パパ)の姿が見つからなかったからだ。

 こんな事は本来あり得ない。あたしは今、あすなろ市を二百の眼球で見下ろしている。そのどれもが風に吹かれて揺れる木の葉さえ正確に確認できる視力を持っている。加えて、巨大になったおかげで肉体の感覚域はこの街全土まで広がっていた。

 あたしの目を盗んで逃げる事はできない。何より、この雨雲はただ触れた人間を魔物に変えるだけのものじゃない。

 これは簡易的な結界だ。空から衛星情報、電波、さらに魔力の膜として、内部から脱出も外部からの侵入も許さない防護壁の役割を持っている。

 いくらパパと言っても、この雨の壁を突破して街からの脱出は無理だ。

 じゃあ、建物の中に隠れているって線はどうだろう?

 でも、建物に隠れていたとしても、イーブルナッツの反応までは隠せない。もしかして、身体から排出した……?

 ううん、それはない。それは絶対にない。

 もしこの街で無力な一般人に戻れば、魔物たちが歩き回る傍で無防備になる。それにあたしが気まぐれに暴れて街を壊す可能性を考えれば、あの強かなパパがそんな危険な賭けに出るとは考えられない。

 ……いや、地下ならどうかな?

 入ってきた雨水のせいであたし手製の魔物へとなる可能性や怪物化した生物と遭遇する事を考慮すると、下水道はない。

 地下デパート! ……は逃げ場がないなら地上の建物と変わらない。

 地下駐車場! ……は車で脱出しても結局は上に上がるだけだし。

 他に地下で移動先がある場所……あ!

 自問自答の結果、あたしは可能性のある場所に思い当たる。

 

『地下鉄道……』

 

 あそこなら雨水が入って来る可能性は少ない。そして、雨の結界で封鎖されていない外への経路がある。

 パパは地下鉄道に居る。決まりだ。そうに違いない。

 今のあの人にはあたしを超える力はないけど、外へ逃げて何らかの手段を使ってあたしに対抗する方法を考え付くかもしれない。

 この世界であたしに手出しができるのはパパくらいなものだ。後は魔法少女(羽虫)狼のお兄ちゃん(カトンボ)くらいで雑魚しか残ってない。

 唯一危険視しているパパを探そうと意識を集中させていると、そこに付け込んで生意気にも羽虫共やカトンボがあたしの作った可愛い魔物たちを狩り始めた。

 小癪な事に、この偉大なるあたしからかずみお姉ちゃんを奪おうと企んでいるらしい。

 わざわざ急いで殺す価値もなかったから放っておいてあげただけなのに、頭が悪いせいで付け上がっちゃったのかな?

 ちょうどいい。地下交通網と一緒に壊してしまおう。

 百ある頭の内、四十くらいの頭を指定の方向へ向けた。

 狙うのは地下鉄の出入り口。それと地下鉄が併設されている駅ビルすべて。

 大それた遠距離攻撃は要らない。ただ首を伸ばして地下鉄に繋がる入口に突き入れる。

 この街はある意味、聖地なのでなるべく壊したくないが、パパを確実に仕留める方が重要事項だ。

 

『チャオ。あたしの大嫌いなパパ……』

 

 喉から噴き上がる魔力の奔流が地下へと続く通路へ噴き入れる。

 濁りのある白の光の帯のような息吹が地下を駆け巡り、飽和して地面を突き破った。亀裂が入った地面は光を放ちながら崩落していく。

 まるでミルクが多めのカフェラテをホースで大量に蟻の巣穴へ流し込んだように、面白いくらい簡単に街は壊れて行った。

 これで完全にあの忌々しい精神(ソフト)面のオリジナルともおさらばだ。

 ついでに生意気な羽虫たちも葬っておこう。ああいう子たちは群れると自分自身が強くなると勘違いする病気を持っているから、早めに消しておくのがいいだろう。

 今の衝撃で一部は巻き込まれて消滅してした様子だけど、生き残った雑魚も案外居る。

 その運よく助かったヨワイ子たちを纏めて呑み込んだ。ほんの少し息を吸うだけで掃除機に除去される埃のように魔法少女たちは次々とあたしの口の中に呑み込まれていった。

 いくらヨワイ魔法少女と言えどもそれなりに集まればお腹には溜まる。ついでに瓦礫や魔物も一緒に食べてしまったが、魔法少女如きに対処されるヨワイヤツはあたしの臣民に相応しくないので別にいいだろう。

 減ったら新しく作ればいいだけの話。この街の外にもまだ六十億個の素材がある。あすなろ市を出たら違う街でどんどん下僕を量産すればいい。

 それにしても、かずみお姉ちゃんの意識が完全に抹消されるまで本気が出せないせいで、この辺りの更地に変える程度の出力しか出せないのが気に入らない。

 何のために必死にしがみ付いているのか分からないけれど、まだ自我消滅まではしていないようだ。それでも、あと一時間……いや三十分も持たないだろう。

 馬鹿なお姉ちゃん。さっさと何もかもあたしに委ねてパーツとして生きればいいのにねぇ……。

 

 

 ******

 

 

 一瞬、空が蠢いたと思った。

 それほどまでに大規模な視覚情報の変化だった。

 不動の構えを取っていたヘスペリデスの宵が急遽動き出したのだ。

 一本一本が橋を支えている支柱よりも太く長いそれは、見た目よりも機敏にうねりを上げた。

 薄いベージュの竜の頭は首を動かした後、その内の数本は明確にこちらを向いた。

 鋭い牙を見せ付けるように顎を開く。それは人間で言う欠伸(あくび)をする時の動作に似ていた。

 それを一緒に見ていたアレクセイは空を見上げた状態で、珍しく強い口調で俺たちへ命じた。

 

『……皆、僕の背中へ乗って、強くしがみ付いて。早く!』

 

『待て、何を……』

 

 発言の意図が分からず、聞き返そうとしたが、彼は即座に俺を口に咥える。

 何の真似だと抗議しようとしたが、間近で見るその表情はイヌ科の獣ながら緊迫したように見え、言葉を止めた。

 二人の魔法少女は既にアレクセイの白銀の毛皮の上に上がっている。

 その瞬間、竜の頭が押し寄せてきた。流れ星のようにも見える伸びるゆく首は、凄まじい勢いで接近して来る。

 

『な、なんだ……!』

 

 仰天した俺だったが、白銀の狼に咥えられたまま、とぷんとアスファルトの大地に沈んだ。

 水中に潜るように何の抵抗もなく、蠍になった俺の身体は真下へと落下していく。

 これはニコの家の庭で見た、アレクセイの透過能力。あらゆるものを通り抜ける無敵の絶対防御。

 アレクセイに連れて来られた場所は、光源さえない暗闇の中。しかし、魔力にて周囲を視認している俺には関係ない。

 ただ、咥えられた俺に確認できるのは、アレクセイの白い牙と赤い舌、生温かい唾液くらいしか把握できなかった。

 透過の力を持つ彼自身には、恐らく周囲の光景が把握できているはずだ。でなければ、この左右どころか上下さえあやふやな空間を潜行など不可能だ。

 一分近く沈黙が続き、俺以外が呼吸が心配になってきた頃、アレクセイは突如浮上した。その際、咥えられていた俺は乱雑に落とされる。

 ……嘘、だろう。こんな事……。

 彼の口からやっと解放され、地上へと再び戻った俺が見た光景は……変わり果てたあすなろ市だった。

 地面はめちゃくちゃに抉れて陥没し、視界に入る形あるものは全て消滅し、灰塵(かいじん)と化していた。とても一分前に見た街と同じ場所とは思えない景色だ。

 かつて、俺はこの街が地獄に変わるのを見た。だが、これは違う。地獄ではない。

 燃え盛る火焔も、焼け落ちる建物もない。虚無だ。何もない虚無。

 あるのは、出鱈目(でたらめ)な破壊痕を残し、捲れ上がった地面だけ。例えるなら、平らな薄い木の板を彫刻刀で手当たり次第に彫り進んだ結果、砕けて割れてしまったような、そんな有様だった。

 荒れ地だ。人の手も入っていなければ、草木も生えていない荒れ果てた大地そのもの。一分前には建物が並んでいたとは到底想像できない土地になっていた。

 

「これ……あの上に浮かぶ竜がやったの……?」

 

「信じられない……。こんな破壊規模、魔女や魔物とは比較にならない……」

 

 あやせもサキも呆然と、周囲を眺めていた。

 その気持ちは痛いほど分かる。『オリオンの黎明』が(もたら)した地獄を知る俺でさえも、この惨状に戸惑っているのだ。

 彼女たちから見れば、天変地異と言っても過言ではないだろう。

 魔竜・『ヘスペリデスの宵』。あれはもはや『オリオンの黎明(全盛期のあきら)』をも超えている。

 最悪を超越した、最悪の存在。それが今のかずらだ。

 取り込まれたかずみを奪い返す事はおろか、立ち向かう事さえ困難とは……。

 絶望という単語がここまで似合う状況というのも珍しい。

 アレクセイが透過を使って助けてくれなければ、俺たちもここにあったものと同じく跡形もなく噛み砕かれていたに違いない。

 何もかも呑み込む竜の(あぎと)によって……。いや、待て。あの顎は一体どこまで届いた……?

 まさかと思い、アレクセイに聞いてみた。

 

『向こう側の……あすなろタワー付近の魔法少女たちの香りは……?』

 

 白銀の狼は首を左右に振った。

 

『もう流れて来てない。他にも三箇所くらいあったけどそっちも同じ』

 

『そんな……では、ルイたちは』

 

 死んだのか? あんなにも呆気なく……。

 たった一瞬にしてこの世から欠片も残さず、消え去ったと。

 そう、言うのか?

 圧倒的な力に対する絶望とは違う。喪失感による悲哀が胸中に飛来する。

 あんまりだ。これはいくら何でもあんまり過ぎる。

 彼女たちは、仲間を守ろうとしてもう一度戦場に立ったのだ。なのに、その彼女たちに対する報いがこれなのか?

 あの魔法少女たちは、死ぬためだけに戻って来たとでも言うのか!

 これでは何のためにレイトウコから救い出したのか分からないではないか。ただ、希望に見せかけた絶望を彼女たちに授けてしまったのか?

 失意の底まで落とされた俺は何度目になるか分からない、己の無力さを噛み締めた。

 

『残火。それでどうするの?』

 

『どうする……? そんなもの、俺が聞きたい! どうすればいいんだ? 教えてくれよ!』

 

 アレクセイの質問に激昂して、俺は吠えた。

 仲間は死に、己は無力。敵は強大で近付く事もできない。

 この状況で何をしろと言うんだ!!

 

『いや、助けるんだろう? かずみって人を』

 

 彼は不思議そうに首を傾げた。仕草から「何を当たり前の事を聞いているんだろう」という疑問が感じられる。

 

『……ッ! それは……』

 

『自分で言った事だろう。ちゃんと覚えてなくちゃ駄目だよ。それで、どういう方法で助け出すの?』

 

 この男、本当にブレーキが故障している。

 彼は自分を見失って俺に指示を仰いだのではない。かずみを救う具体的な方法案を尋ねただけだ。

 絶望的状況を誰より理解しているのにも拘らず、物ともしていない。

 俺が助けを求めたという理由だけで、彼は最後まで付き合うつもりなのだ。

 ヒーローが実在したら、案外彼のような破綻者じみた精神構造の持ち主なのかもしれない。

 思わず、内心で自嘲した。この後に及んで呑気に絶望などしている自分が馬鹿らしい。

 かずみだ。かずみの事だけ考えろ。後は野となれ山となれ、だ。

 俺はそのためにこの場所へ存在しているのだから。

 

『今の透過で閃いた。アレクセイ、お前、魔力の中にも潜り込めるか?』

 

『魔法の中を潜った事はあるから、多分行けると思うよ』

 

 平坦な声音で彼はさらりとそう言ってのけた。

 アレクセイがそう言うのならば、大丈夫だろう。こいつの「多分」は枕詞のようなもの。適当な表現が付いてもできると宣言している以上は懸念は不要だ。

 ならば、ヘスペリデスの宵が浮かぶ場所までのどう近付くかが問題だ。

 何か良い策はないかと思考を巡らせていたところ、二人の魔法少女たちは信じられないものを見るような目で言う。

 

「ね、ねえ……あれに挑もうとしてるっていうの? 冗談でしょ?」

 

「かずみを助け出すためとはいえ、無謀……いや、ただの自殺行為だぞ!?」

 

『……そうだな』

 

 客観的に見れば、あやせとサキの言い分の方が正しい。

 ほんの一分で街を滅ぼす力を持つ存在と戦おうというのだから、傍から見れば正気を失ったと取られても仕方がない。

 だが、元より俺はそれしかなかったのだ。

 かずみを助けるためだけに、ここまでやって来た。命など惜しむ理由はない。俺が死んで悲しむ者はこの世界には誰一人として居ないのだ。

 無価値な命……いや、単なる魔力の塊だ。無謀な賭けで失おうとも構わない。

 

『それでも俺はかずみの元へ行きたい』

 

「どうしてだ? お前はまともにかずみとの面識すらないだろう? あの子はお前の事など欠片も知らない。なのに、どうして……?」

 

 意味が分からないという表情でサキが問う。

 その疑問もまた当然だ。この世界のかずみは、俺の事など何一つ知らない。俺をただの化け物としか見てないだろう。

 それは俺も同じだ。俺がよく知るかずみもまた、この世界に生きるかずみではない。

 この世界のかずみは、俺の妹になった彼女とはまったく違う経験と意志を持つ、限りなくよく似た別人だ。

 だが、それでいいと思う。

 重要なのは、かずみという少女が生きている事。それだけで満足だ。

 俺の妹でなくても、俺の事を知らなくても、彼女にはただ生きていてほしい。

 

『ただ生きていて欲しい、そう感じるからだ。今の俺にはそれでいい』

 

「生きていて欲しい……? そんな……事か? そんな事なのか?」

 

 愕然とした様子で立ち竦むサキ。だが、もうのんびりと問答に付き合っている暇はない。

 彼女たちにも手を貸してもらうつもりだったが、ここまで心の折れた彼女たちを巻き込むのは酷だ。

 俺とアレクセイの二人だけでどうにかするしかない。

 しかし、そこにあやせが口を挟む。

 

「ちょっと待ってよ。アレクセイにまで手伝わせるつもりなの? あなたが死にたいのは分かったけど、彼まで巻き込まないでくれる?」

 

 確かにあやせからすれば、納得がいかないのも無理はない。

 アレクセイにとっては、かずみなど名前も初めて聞いた少女に過ぎない。

 命を捨てて救出に向かう理由など皆無に等しい。それで死ぬかもしれない賭けに乗るなど身内としては看過できる訳もない。

 

『あやせ。ちょっと行って来る』

 

 だが、当の本人は彼女の気持ちなど微塵も顧みずに気負いなく様子で別れを述べた。

 

「ちょっと行って来るって……何考えてるの? ルカがくれた命を無駄にする気なの? それに明日は見滝原市に居る従弟に会いに行くんでしょ? あなた、珍しく楽しそうに言ってたじゃない!」

 

 ルカがくれた命……?

 そう言えばまだ一度も入れ替わって会話しないと思ったが、彼女は既に亡くなっていたのか。

 今しがた助けた命が瞬く間に奪われたせいか、衝撃はほとんどなかった。俺の精神から着々と人間性が薄れていくのを感じる。

 死に慣れ過ぎた。知人への死に対する感覚が麻痺している。冷静に考えれば、街がこのような状況で死人の数など考えるだけ無駄なのだ。

 千、二千では済まない。先の数万単位の命がヘスペリデスの宵に消された。

 その中には赤司大火や奴の母親も含まれているだろう。河原まで届いたかは分からないが、ホームレス共同体の人たちも無事では済まなかったはずだ。

 守りたかったあすなろ市は、もうどこにも存在しない。助けたかった人もかずみを除けば、もう誰も居ない。

 何だ……。俺もアレクセイの事を言えない程、ブレーキが壊れているではないか。だから、平然と彼を死地に招き入れられるのだ。

 これから先、この中の誰かが死んだとして、もうさほど悲しみはしないだろう。

 俺が関心がある生死はかずみのものだけだ。それ以外は背負う気はないし、背負うだけの強さもない。

 正義のヒーローとは程遠い、無責任なエゴイスト。

 それが残火(おれ)だ。

 いや、そもそもの話、俺は元来こういう人間だったのかもしれない。

 守りたいものが、『自分の理想の英雄像』から『一人の少女』にすり替わっただけに過ぎない。

 無自覚ながら、悪意ある人間だったからこそ、イーブルナッツの力に呑まれなかった。今や、それに焼き付いた単なる情報の塊なのだから、正義を語るなど厚かましいにも程がある。

 自分の内心を改めて客観視し、赤司大火だった頃の精神を分析していると、彼らの話し合いはいつの間にか終わっていた。

 

『それで、納得してもらえたのか?』

 

 アレクセイに話し合いの結果を尋ねる。どの道、彼女が腑に落ちてなくても遠慮はしない。

 皮肉にも無力になったおかげで、俺は自分の望みに素直になれた。他人の想いに斟酌しないと人はこうも気楽になれるものだったのか。

 

『いや、許せないって』

 

『そうか……なら、何が何でも邪魔する気なのか?』

 

 面倒だが、アレクセイ自身に振り切ってもらう必要がありそうで辟易する。

 しかし、彼は意外にもそれを否定した。

 

『ううん。許せないから自分も付いて行くってさ』

 

『それならありがたい。戦力は一人でも多い方がいい』

 

 昔であれば、もっと何か言っていただろうが、正義を捨てた俺には道理を説く気はさらさらない。

 単純にかずみ奪還の戦力として計算させてもらう。

 後は……。

 

『サキはどうする?』

 

 あれから終始無言でいるサキへと尋ねた。

 びくりと項垂れていた彼女の肩が、反応する。

 

「わ、たしは……」

 

『別に催促するつもりはない。お前が逃げたいなら止めはしない。そんな力はもうないからな』

 

 言葉には出さないが、彼女は曲がりなりにもこの面子(めんつ)の中では最もかずみと縁がある人間だ。

 かずみの状況に何かしら思うところはないか、聞いてみただけだが、この様子では無理そうだ。

 それなら、構うだけ時間の浪費になる。今もヘスペリデスの宵は空から俺たちを監視している。

 アレクセイの能力に警戒し、一時的に攻撃の手を止めているようだが、いつ攻撃を再開するとも限らない。

 早々に浮かんでいる奴まで到達する方法を見つけなくては、まずい事になる。

 彼らと共に計画を練ろうと、サキのソウルジェムから繋いでいたケーブルを離した。伸ばしていたケーブルはするすると俺の本体へ巻き戻っていく。

 だが、彼女はその離れゆくケーブルを掴み取る。

 

「待ってくれ……私も! 私も協力させてくれ!」

 

 

〜サキ視点〜

 

 

 もっと早くこの結論に辿り着くべきだった。

 どうして、私は“私の知るミチル”に拘っていたのだろう。

 なまじ性格も姿も似せて作れてしまったから、ずっと“思い出の中のミチル”に囚われていた。

 悩み続けた挙句、それを利用されて、思い出さえ自分で汚してしまった。

 でも、そうじゃない。重要なのはそこじゃなかったんだ。

 残火という蠍の魔女モドキの言葉を聞いて、ようやくそれが理解できた。

 死んだ“ミチル”が……もう二度と会えないはずの彼女が、“かずみ”として生きている。

 その事実だけで満足するべきだった。

 生きて、動いて、笑っている。それだけで私たちは納得するべきだった。

 彼女が“私たちの知るミチル”である必要性なんてなかった。

 ああ……。かずみ、ミチル。私はやっと君たちを分けて見る事ができた。

 心に区切りが付けられた。

 

「私もかずみを救いたい。彼女の生きている姿が見たいから……」

 

 地面を這う残火にそう伝えた。

 今度こそ、かずみと向き合うために命を懸けて戦う。

 ミチルのためじゃなく、私自身のために。

 手に取っていたケーブルが私の手を握るように巻き付く。

 言葉は必要なかった。同じ志を持つ者への尊重と連帯感が無言の内に伝わってくる。

 待っていろ、かずみ。私はもう間違えない。

 




一部を超える破壊をもたらす敵。瞬時に消えた援軍。
残火たちの秘策とは……。


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第五十三話 邪竜の知略

~かずら視点~

 

 

 

 狼のお兄ちゃんを含めた魔法少女や蠍の魔物の残り滓共々、完膚なきまで噛み砕いたはずだった。

 だけど、そいつらは間一髪で地面に潜る事で、あたしの牙をやり過ごした。

 物理的な方法じゃない。魔法による移動だ。牙が貫通する寸前にあの白銀の狼は肉体を魔力で別の状態に変化させていた。

 液体や気体……? ううん、あれは“魔力そのもの”に変換させていた。

 人間を魔力で魔物へと変身させているあたしだから分かる。

 あの力は間違いなくレアなものだ。

 ママが前に言っていた。魔物や魔女モドキの持つ固有の能力は、元になった人間の精神に依存するって。

 変身後の肉体の強さや反応速度は悪意の量によって決まる。でも、能力は別だ。

 精神のあり方が歪な人間ほど、その能力も比例して歪に、複雑な効果を持つものへとなる。

 パパがその強さとは裏腹にシンプルな能力しか持っていないのは、精神構造自体はある意味でスタンダードだからだ。

 物質を擦り抜ける能力なんて、どういう精神構造をしていたら身に付くのか想像もできない。

 あたしは標的の警戒レベルを引き上げる。

 最低でも物理攻撃は効かないと考えた方がいい。代わりに、魔力を物質に換えないで、そのまま息吹にして放てば効果は見込めるかも。

 肉体を魔力へと変換して散らさずに保っているのだから、消費する感情エネルギーの燃費効率は最悪のはず。

 魔力の息吹を噴きかけつつ、あいつには魔力が底を尽きるまで能力を使わせ続けよう。

 あの透過の能力が切れたら、即座に捻り潰す。うん、これで行こう。

 エネルギーの総量で言うなら、こっちの方が何万倍も上だ。莫大な魔力を持つあたしにはスタミナ切れの心配はない。

 なんだ、考えて戦えば、それほど大した事ない相手じゃない。

 まずは先手を打って、周囲の雑魚ごと息吹で吹き飛ばそうか。

 喉の奥に魔力を溜める。さっきの十倍くらいの威力があれば充分だ。あすなろドームより大きなクレーターが地面に作れる。

 あたしがその魔力の息吹を噴き出そうとした瞬間……。

 背中の上から、声が聞こえた。

 

『か〜ずらッ! 空の上から唾を吐こうとするなんてパパ感心しないなァ? エチケットマナーは守らんといかんよ、チミィ?』

 

『ッ、な、パパ……!? なんで!?』

 

 あり得ない。いくら何でもおかし過ぎる。

 どうやってあたしの探知に引っかからずに、この超至近距離までの接近を……?

 地上に向けて伸ばしていた百の頭を全て持ち上げ、背中の真上に浮かぶ四枚翼の黒竜へと向けた。

 竜の姿のパパは笑って、疑問に答えるようにネタバラシを始める。

 

『お前は下ばっか見てたからなァ、気付かないのも無理ねェよ。何せ、すぐ上にはこーんな大きくて分厚い雲があるからな』

 

『雲……まさか!』

 

 あたしの魔力で形成された雨雲!

 パパはずっと雲の中に隠れていたんだ。あたしが巨大になった時からずっと……。

 視界での捕捉はもちろん、魔力感知にも発見できなかったのも当然だ。

 一番魔力が集まっている雨雲の中にはイーブルナッツと同じ種類の魔力が充満している。

 やられた。パパは完全にあたしの裏を描いていた。

 この近距離では息吹は撃てない。自分まで巻き添えになるからだ。

 あたしは溜めていた魔力の収束を止め、物理攻撃へと手段を変えようとする。

 

『おいおい、かずら。何で俺がこのタイミングで現れたか少しは考えたか? 頭は使わないとドンドン鈍くなるぜェ?』

 

 にやにや笑って翼を羽ばたかせるパパ。

 ハッタリ、と言いたいけど、確かにこのタイミングで出て来たのは謎過ぎる。

 あたしが雑魚を消し終えて、雨雲を広げた時に逃げた方が遥かに賢い。

 なのにパパは、わざわざ今姿を見せた。圧倒的に強いあたしの前に。

 

『殺す前にそれだけ聞いといてあげる。育てられた覚えはないけど、親孝行代わりにね』

 

『ヘェ、そんじゃ孝行娘にレクチャーしてやるよ。お前が犯した数々のミスをな』

 

 誰がどう見ても不利な状況に立たされているのはパパの方なのに、微塵も揺らがない偉そうな態度で説教を垂れ流す。

 

『俺の潜伏場所を勘違いしたのは今説明したから、もう分かったよな? じゃあ、次だ。俺が隠れて待ってたのはお前が魔力を使う瞬間を待つためだった。図体がデカくなっても魔力の起点になるのはイーブルナッツだ。これは力を使うとな、しばらく活性化して極端な反応を示しちまう訳だ』

 

 あたしが魔力を使う機会を待ってたって? それなら、パパは……。

 裂けたチーズのようにその口の端が開いていき、牙だらけの口で嫌らしく笑みを作って見せてくる。

 

『そうだ。お前のイーブルナッツの場所は既に把握済み。その中でも一際反応が強かった箇所が一つあってな。……ありゃ、お前の魂、人格データが組み込まれた奴だろ?』

 

 今はもう汗腺なんてないのに、全身から脂汗が滲み出る感覚がした。

 絶対的な恐怖を与える立場になったあたしが、恐怖を感じさせられている?

 この高々五、六メートルしかない小さな相手に怯えている?

 いや、待って。落ち着いて、あたし。

 心臓部の位置が知られた程度じゃ、こっちの優勢は覆らない。

 強者はあたし。弱者はパパ。それは変わらない事実。

 単なるコケ脅しだ。気にする事もない。ここで何かをする前に始末してしまえば、何もできない。

 今度こそ、パパを噛みちぎろうと、数十の首を一斉に動かす。

 

『そんでな、かずら。お前の最大のミスは百個も頭があるのに、雁首揃えて俺の話に集中してたことだ。俺なら絶対やらないね。まして、他の獲物から目を離してまで耳を傾けるなんて……馬鹿の極みだぜェ?』

 

『ッ……!』

 

 その台詞を聞き、反射的に三割の首を地上に差し向けた。

 居ない! あいつらの姿が先まで居た場所から消えている!

 どこだ。どこへ行ったッ!?

 複数の視界を同時に共有して、カトンボ共の姿を探す。

 そして……奴らの姿を見つけた。

 あすなろタワー跡地、半壊した塔の上に居た。

 そんなところまで移動して何をしようとしているのか。その疑問は奴らの次の動きで解決する。

 狼のお兄ちゃんが塔を踏みしめると、巨大な氷柱が新たに生え出し、崩れた塔の先を作り出していく。

 氷の塔を足場にして白銀の狼が魔法少女たちを背中に乗せて、上へと駆け上がって来る。

 雑魚の分際で……このあたしが居る天まで昇って来るつもりなんだ。

 さっさと消し飛ばしてやる!

 伸ばした首から魔力の息吹を奴らへ向けて吐き出した。

 流れ落ちた色が、氷の塔ごと包み込む。澱んだ白の光があすなろタワーへ降り注いだ。

 

 

 ******

 

 

 ……来たか。

 あきらは通信通りに時間を稼いでくれたようだ。

 この期に及んで奴が助力を念話で送ってきた時は罠かとも考えたが、自分の分身とも言えるかずらに好き勝手されるのはあきらとしても余程業腹だったらしい。

 ヘスペリデスの宵の大量の目を掻い潜って、接近するのは全員の力を合わせても不可能に近かった。

 その不可能を可能に変えたのは、邪悪の黒竜・ドラーゴからの連絡だった。

 イーブルナッツを介した念話での通信により、俺の生存を何故か知っていた奴はかずみ救出の協力を申し入れて来た。

 サキから聞いた話もあって最初こそ信用に値しなかったが、かずみの居場所を特定し、その位置情報をイメージとして直接イーブルナッツに添付した事で、俺は奴と組む事を決めた。

 『随分話が分かる奴になったな』と言う意見には自分でも同意してしまう程だ。

 正義への拘りがなくなったせいか、悪党の手を借りる事に何の後ろめたさも感じなかった。

 あきらが行った非道を忘れた訳ではない。だが、何も守れぬ正義の味方よりも、大切な一人を救える悪の手先の方が遥かにマシだと気付かされた。

 俺をヒーローと言ってくれたあいりは、きっと俺に失望しているだろう。

 しかし、それでいいと思えてしまうのだから、手遅れだ。

 “魔物”にヒーロー役は務まらない。ならばせめて、たった一体の“怪人”として欲望を満たすとする。

 

『サキ……手筈通り頼む』

 

 流れ落ちてくる流星のような、魔力の光の束を認識しながら、サキの()()()()()ソウルジェムへと伝えた。

 

「任された。……残火、かずみを必ず助け出してくれ」

 

 あきらと事も含めて恨み節を聞かされると思っていたが、彼女も彼女で腹は括っていたらしく、不満や怒りは欠片も伝わって来ない。

 いっそ、恨んでくれた方が後腐れないとさえ考えていたが、当てが外れてしまった。

 

『無論。それだけが俺をこのイーブルナッツに染み付いた唯一の(ねが)いだ』

 

 サキは頷き、彼女にとって最後になる魔法を掛ける。

 魔法名を紡ぐ間もなく施された魔法は、俺たちの肉体を雷へと変化させた。

 次に肉体が戻った時、俺たちはヘスペリデスの宵のすぐ真下へと到達していた。濁った光の息吹が街へと激突して、大爆発を起こす。

 数千メートル離れているにも拘らず、爆風が俺たちを下から巻き上げた。

 時を待たずして、サキのソウルジェムが粉々に砕け散る。

 膨大な魔力を一度に使った反動だ。それもあすなろタワーまでの瞬間移動と合わせ、これで()()()。こうなる事も想定の範囲内だった。

 力をなく項垂れたサキの身体は、アレクセイの背から吹き飛ばされ、地上へと落下して行く。

 俺はそれ以上、彼女を見なかった。

 爆風で急接近したヘスペリデスの宵の巨体に透過能力を使い、アレクセイを入れた俺とあやせが沈み込む。

 薄いベージュ色の鱗や筋肉を通り抜け、入り込んだ場所は暗黒の世界が広がっていた。

 さあ、ここからが正念場だ。待っていろ、かずみ。何があってもお前だけは俺が救う!

 

 

〜かずら視点〜

 

 

『なあッ! クソッ、クソッ、クッッソォォォォォォォォォォォォォォォォ!!』

 

 出し抜かれた! まんまと嵌められた!

 明確に今、あたしの体内に異物が侵入した感覚を捉えた。カトンボ共が侵入して来たんだ。

 パパの会話は時間稼ぎだった。イーブルナッツ間の念話通信をして、ここで話している裏で奴らと連絡を取り合っていたんだ。

 まさか、この悪意の塊みたいな存在が他人と手を取り合うなんて……。

 

『そんな汚い言葉、パパ教えてないゾ☆ かずらちゃんにはもーっと可愛い言葉を使ってほしいな』

 

『だまれェェェェェェェェェ!』

 

 殺す、殺す殺すころすコロォス!!

 絶対に許さない。このオリジナルを殺して、中に入って来たカトンボ共も殺し尽くしてやる。

 黒竜は高速移動であたしの背中から付かず離れずの位置で飛び回る。

 伸ばした顎を即座に(かわ)し続ける黒竜。背中に頭が激突する事を避けるために攻撃速度が落ちるのを上手く利用しているようだ。

 ゴミがッ! その方法で防げるのは息吹だけだ、ボケがァ!

 新たに背中から生やした顎で黒竜の脚に齧り付く。

 

『ちッ……いってェな、おい』

 

『あはははは! 馬鹿がッ、馬鹿がッ! 首なんて後からいくらでも生やせるだよォ!』

 

 ぞぶりと音を立てて、あたしの牙が黒い鱗を貫通した。骨を一噛みでへし折ると、黒い血が滴り落ちる。

 元々大きさが違うんだ。当たりさえすればあたしの勝ちだ。その羽も引きちぎって、炎で燃やし尽くした後で街に捨ててやる……。

 いくらでもある顎で翼を一枚ずつ、引きちぎっていく。

 絶やす事のなかった余裕の仮面がようやく壊れて、表情を歪ませる。

 

『あッざくッ……。パパに優しくしないと駄目だってママから教わらなかったのかよ、クソガキィ?』

 

『聖カンナにはお前を殺すように言われたよ、間抜けが……シネ』

 

 余裕があれば、花占いのように遊んでやっただろうが、今は体内の異物を始末する事に思考も割り裂く必要がある。

 (うめ)き声を楽しむ暇もなく、一気に翼を引きちぎると黒竜を咥えたまま、身体の真下へと運んだ。

 念のために肉体を噛みしめた状態で白い炎を噴き掛けた。

 白い炎が黒い鱗で覆われた身体を焼き焦がす。そのまま、首を振るって空へと投げた。

 

『最後に、イイコト……教えといて、やるぜ……かずら』

 

 死に掛けのトカゲが何かほざいている。どうせ、負け惜しみだと思って無視した。

 雨に打たれて街へと落下しているそれに、百本の首から魔力の息吹を全力で吐き出した。

 収束した白い光の波が翼を失った黒竜を呑み込む。肉体から魔力を垂れ流しながら、消し飛ぶ影が光の中に浮かぶ。

  

『拾い食いは、よくないぜェ……腹ァ、壊しちまうからなァ……』

 

 愚にも付かない寝言を吐いて、それは光の波と一緒に地面へと叩き付けられた。

 飽和したエネルギーの塊が、街の中心に巨大なクレーターを作り上げる。

 あたしの強化された聴覚が、排出された二つのイーブルナッツが砕け散る音を聞いた。

 あの忌々しいオリジナルは跡形もなく、消滅したはずだ。これで残るは体内の雑魚だけ。

 馬鹿め、あたしの身体の内側はそれこそ、あたしの世界だ。身の程知らずの虫けらを可愛がって殺してあげよう。

 

 

 ******

 

 

「真っ暗ね。何にも見えない」

 

 あやせの発言に俺も同意する。この中は前に見た地面の中よりも暗い。

 光源云々ではない。魔力としての性質なのか、まるで暗黒を作り出しているような異様な感覚だ。

 視力で外界を把握している俺ですら、完全に何も見えないのは流石におかしい。

 彼女はアレクセイの背の上で炎を纏わせたサーベルソードを生み出した。

 赤い炎の(ともしび)が周囲に広がり、魔力の炎の輝きが辺りを照らした。

 巨大な空洞がぼんやりと浮かび上がる。広さで言えば、強欲の魔女の洞窟の十倍ほど大きい。

 ここがあきらが送って来た“かずみの居る位置”付近なのだが、それらしいものは見当たらなかった。

 アレクセイは鼻を鳴らすと、上を見上げて言った。 

 

『……上の方みたいだ』

 

 その言葉に俺も空洞の上部を確認する。

 卵状の大きな物体がその中心辺りから飛び出しているのが見えた。

 半透明な白い卵の内側には、逆さまに浮かぶ少女の姿があった。

 間違いない。俺が救いたいただ一人の大切な人、かずみだ。

 

『かずみ! アレクセイ、悪いがすぐに彼女のところに行きたい。急いでくれるか?』

 

 俺はかずみの姿を確認して、気が(はや)る。

 しかし、アレクセイはその場から動き出しとせず、立ち止まったままだ。

 

『おい、アレクセイ。どうした?』

 

 訳が分からず、尋ねるが彼は沈黙を保ち、何も話してくれない。

 代わりに答えてくれたのはあやせの方だった。

 

「あなた、馬鹿じゃないの? もっと周りをよく見てよ!」

 

『周り? ……! これは!?』

 

 あまりに数が多かったせいで、かえって気付くのが遅れた。

 空洞の壁には恐ろしい程の数の白竜が引締めていて居る。その数は百を優に超えている。

 そんな、あと少しでかずみが助け出せるというのに……ここに来てこの数の敵を相手にしなければいけないというのか!?

 今の俺は戦う力を持たない。つまり、あやせとアレクセイの二人だけこの量を裁かなければならない。

 かつての四枚翼ではなく、二枚しか翼を持たない第一形態のドラーゴと同じ姿だが、それでもこの数百体の数を相手取るのは絶望的だ。

 白竜たちが同時音声のように一斉に喋り出す。

 

『あたしの中へようこそ、ゴミ共。すぐにその命散らしてあげるから、感激して死んでね?』

 

 耳障りな不協和音の合唱のように宣言すると、奴らは翼を広げて襲い掛かって来る。

 透過で突破する……? いや、ここで透過すれば、俺たちは足場を通り抜けて、外へと放り出されてしまう。

 考えれば考える程に八方塞がりな状況に、俺は頭を抱えた。

 その時、後ろからあやせに鷲掴みにされて、身体ごと待ち上げられる。

 

『あやせ……? 何を』

 

「あなたのやる事は一つなんでしょ? だったら、さっさと……」

 

 彼女が俺を思い切り振り被る。もしかして、彼女は俺の身体を――!

 

「いきなさいッ!」

 

 予想通り、勢いよく放り投げた。

 

『ぬ、ぬおおおおおおおおおおおおお!?』

 

 魔法少女の強化された膂力(りょりょく)で投げられた俺は、中央の卵の下まで飛ばされる。

 肉の床に叩き付けられ、弾む事なく転がった。

 痛覚はないがイーブルナッツが破損すれば、俺は消滅してしまう。もう少しだけ優しく扱ってほしいものだ。

 だが、おかげでかずらの真下までやって来る事ができた。

 頭上を見上げる。大体五階建ての建物に匹敵する高さが待ち受けていた。

 決して近い距離ではない。しかし、これまでの道程に比べれば、遠いとは思わなかった。

 

『かずみ……今、俺が行くからな』

 

 俺は意を決して、身体を構成しているケーブルを解き、上まで伸ばしていく。

 一メートル、二メートル……。ほんの僅かだが、着実にかずみを包む卵へと近付いている。

 

『させるかァ……!』

 

 白竜の何体かが俺の存在に気付き、澱んだ白い火焔を噴き付ける。

 それを防ぐ術は俺にはなかった。万事休すと思った時、氷の壁がそれを阻んだ。

 

『それはこっちも同じだけど?』

 

 アレクセイが別の白竜と戦いながら、いつも通りの平坦なトーンで言う。

 赤い炎がいくつも飛来し、白竜の頭を吹き飛ばした。

 

「どう? かずら。私の炎はまだ温い?」

 

 その背中の上でサーベルソードを構えるあやせ。

 二人とも本当は既に目の前の敵で手一杯なはずなのに、それでも俺を援護してくれる。

 あるはずもない胸が熱くなったが、感激している時間はない。

 俺は二人を信じ、ただひたすらにケーブルを伸ばし続けた。

 




第一部主人公だったあきら君もとうとうやられてしまいました。
彼が人のために命を捨てるなんて感動的ですね。きっと正義の心が彼にも芽生えたのでしょう。
フォーエバー、あきら。


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第五十四話 アイス・ダイバー

~アレクセイ視点~

 

 

 物心ついた頃から、ずっと思っていた。

 自分には感情というものが欠如している、と。

 同年代の子供が感じる喜びも、怒りも、悲しみも、楽しささえも味わった事がなかった。

 というよりも、そういったものがどういう瞬間に出るのか、まったく分からなかった。

 それを如実に感じたのは、九歳の時だ。

 交通事故で母親を亡くした。

 信号を無視した乗用車から、僕を庇い、代わりに()かれて帰らぬ人になった。

 優しく、美しい女性だった。ロシア人で日本贔屓なところがあったが、自分の作るロシア料理には伝統としての誇りを持っていた。

 誰に対しても親切で、近所では世話焼きな人だと評されていた。

 葬式の後で親戚の話を小耳に挟んだ程度だが、日本に遊覧に来た際に父と出会い、手籠めにされたそうだ。

 まだ十代の頃に僕を腹に宿し、実の家族からは縁を切られたとも聞いた。

 ある意味で自分の人生を台無しにした僕の存在を疎んじた事は一度足りともなかった。

 そんな母が死んだというのに、僕の目からは涙一滴流れなかった。

 悲しいという感情が発露するべき時に、それを見せない僕を父も含めて、不気味に思っていた事だろう。

 恐らく、誰に言っても信じてもらえないが、そんな僕にも母への感謝はあった。

 だから、自分の中に残った母への感謝を行動で表現する事にした。

 その日から、他人の頼み事は物理的に不可能ではない限り、引き受けるようになった。

 親切な母がそうしていたように。

 その日から、ロシア料理を独学で学び始めた。

 誇りある母がそうしていたように。

 彼女が自分に与えた影響が確かにあったのだと、そう証明するために僕は僕にできる方法で母への感謝を実践した。

 ただ、今思えば感情のない僕がいくら真似事をしたとしても無理があったように思える。

 僕を都合の良い道具のように扱った人間も居た。僕の意図が分からず、ただただ奇妙な行動だと覚える人間も居た。

 そうかと思えば従弟のように素直に感謝をする人間も居た。

 そのどれも僕にとってはどうでも良かった。

 虐げられても、疎んじられても、喜ばれても。

 やっぱり、この空っぽな心には何一つ響かなかった。

 でも、不思議と止めようとは思わなかった。それ以外に母への感謝を表す手段が見つからなかったからだ。

 そうして、伽藍洞(がらんどう)な心の化け物は、今日まで生きて来た。

 多分、僕は今日死ぬのだろう。それでも恐怖という感情は湧いて来ない。

 何も感じないのだから、きっと死んでも問題ないだろう。

 だけど、できるなら最後に頼まれたこの願いだけは聞き届けたい。

 これは執着心なんだろうか? それとも単なる惰性なんだろうか?

 どっちでもいい。僕には関係ない事だ。

 

「アレクセイ! タイミングを合わせて!」

 

『うん』

 

 あやせの言葉に頷く。

 周りを覆い尽くすように飛び回る濁った白の竜たちが一斉に鱗と同じ色の炎を放つ。

 背中の上に跨るあやせの熱気に合わせて、僕もまたイーブルナッツに宿る冷気を噴き出した。

 赤い炎と白い氷が混ざり合い、螺旋状に重なって真っ直ぐに飛んでいく。

 

「『ピッチ・ジェネラーティ」』

 

 脳内に浮かんだ単語を吐くと、その声さえもあやせと重なった。

 熱気と冷気の混合物は濁った白い炎の波を穿ち、竜たちに着弾……大爆発を起こす。

 今ので計三十体以上倒しているのに、空洞に溢れる敵の数はまったく減らない。

 数を減らす度に壁から新しい竜が這い出して来る。多分だけど、この竜たちに際限はない気がする。

 魔法で分身を作り出すあのニコって魔法少女と同じで、魔力が尽きるまで新しい個体を生み出し続けているのだろう。

 倒し切るのは無理だ。一時的には優勢でも最終的には魔力や体力の限界がある僕らは負ける。

 脇目に残火の様子を見るが、伸ばしたケーブルが上の卵に到達するにはまだまだ時間が掛かりそうだ。

 背に乗ったあやせはまだ余裕がある。グリーフシードもいくつか残っているからすぐに魔法が撃てなくなる危険性はない。

 だけど、それも今の内。自分の体内だから、それほど強い攻撃はして来ないが、いざとなればなりふり構わず攻撃の威力を上げてくる。

 そうなったとしたら、ルカとの約束を果たすのは難しくなる。

 彼女は僕に命を与えて、あやせの事を任せた。その時の意識はなかったけれど、ルカの命と同時に記憶までもらったから知っている。

 

『あやせ……何で付いて来たの? こうなるって分かってただろう?』

 

 氷の防壁を作りながら、彼女へと尋ねた。

 

「……それ、わざわざ聞く事? 野暮な発言、スキくない……」

 

 ぶっきら棒に返されたが、言いたい事は概ね理解できる。

 多分それは僕の中のルカの魂を想っての行動だろう。形を無くしたとはいえ、自分の半身がそこにあるのなら、守りたく感じる思考は理解できる。

 ルカもルカだ。僕などに放って置けばよかっただろうに。

 わざわざ、自分を砕いてまであやせの戦力を守りたかったのか。それにしては割りに合わない計算だ。

 それに……。

 

『自分たちが摘み取ってきた魔法少女たちの墓に、ジェムを返しに行きたいんじゃなかったの?』

 

 彼女が天秤の魔女と戦った次の日から、過去の行いを悔いるようになった事を、僕は知っている。

 夜中に目が覚めた時、あやせは声を殺して泣いていた。月明かりだけが障子から差し込む薄暗い部屋で涙を零しながらひたすら謝り続けていた。

 最初は失ってしまったルカに向けた謝罪だと思った。でも、違った。

 障子の隙間から見えたあやせは、宝石箱を抱き締めて謝っていた。

 その中にある、自分が摘んだソウルジェムたちに向けて、何度も何度も謝罪の言葉を重ねていた。

 双樹あやせは本当の意味で『ジェムが奪われる』という事の残酷さを知ったのだろう。

 大切な半身を理不尽に奪われたからこそ、自分の犯してきた罪と向き合えた。

 それ以来、彼女は事あるごとに隠れてジェムたちへ謝るようになった。その習慣はサキが来てからも変わる事はなかった。

 サキには見られないように彼女を遠ざけていたようだが、僕だけはそれに気が付いていた。

 気が付いていて、あえて何も言わなかった。

 あやせの中で、既に答えが出ていると思ったから。

 ルカは今際(いまわ)(きわ)まで心配していたが、あやせにはもう僕なんて必要なかった。

 彼女には、自分だけの足で前に進む強さがある。罪と向き合うための理性と良心がある。

 少なくても、空っぽの感情のない僕よりはずっとずっと普通(まとも)だ。

 

「何でそれ、知って……あ!」

 

 驚いてうっかり口を滑らせてしまったと言わんばかりに、あやせは口を塞ぐ。

 やっぱり思った通り、答えは出ていたようだ。

 僕には感情がない。けれども、他人の感情を理解する事はできる。

 共感は不可能でも、分析は可能だ。

 他人の感情は化学反応と同じで、元の状態と変化する条件さえ知っていれば、充分把握できる。

 もし自分に感情がないだけで、他人の感情まで理解できない存在が居るのなら、それは単に不勉強なだけだ。

 そして、死ぬのはそういう空虚な人間だけでいい。

 冷気で作り出した氷の壁で小さなドームを生み出して、透過を使って彼女だけをそこへ閉じ込めた。

 フッと炎の明かりが消え、周囲が暗闇へと戻る。

 

「アレクセイ!? 何を!」

 

『呼吸をするのに必要な隙間は作ってある。そこでしばらくゆっくりしてて』

 

 内側から籠った声を荒げる彼女を他所に、僕は残っていた魔力の全力を解放する。

 全身の体毛が逆立ち、毛穴から溢れる冷気が筋肉を氷の鎧で強化する。

 氷柱の杭が鎧、爪、牙を更なる異形へと変貌させていく。

 これで残り魔力の半分くらいを使い切ったが、肉体の脆弱性は補えた。あとは……。

 ―—戦うだけ。

 

『ウォォォォォォォォォォォォォン!』

 

 生まれて初めての咆哮を挙げ、竜の大群へ向けて、真正面から飛び掛かる。

 纏わり付いてくる土に汚れた雪のような彼女らを鎧で突き、爪で裂き、牙で貫く。

 一粒の氷の(つぶて)となった僕は、暗闇の中を駆け巡った。

 幸い、この姿には魔力を識別できる嗅覚が付与されている。超常の力でできた闇でも僕には関係ない。

 敵の場所も数も、次の行動も視覚で知るより、はっきり確認できる。

 敵を殲滅させながら、床や壁に分厚い氷を張ってゆく。凍らせるのは再出現が起きる寸前。

 新たな竜が生成される中途半端で、容赦なく氷漬けにする。

 幼い頃に寝物語で聞いた母親の故郷の海のように、氷が足場のように白く凍結した。

 ついでに残火の足元から氷柱を生やして隆起させる。これで少しは卵と距離は近付けただろう。

 

『このカトンボがァ!』

 

 氷漬けになった壁と床の代わりに、天井を覆い尽くすほどの数の白い竜の首が伸びてくる。

 うん。そこしかないよね。出て来られる場所は。

 氷のフィールドを作り上げたのは、いくつか目的があった。

 白竜たちを氷漬けにして倒すためが一つ。

 敵の再出現を抑えるためが二つ目。

 三つ目はあやせへの攻撃を防ぐ要塞を作る事。

 そして、四つ目が透過しても体内空間から落ちずに済む領域を生成する事。

 竜の首から濁った息吹が真下に居る僕を薙ごうと吹き荒れる。

 それを見越して、瞬間的に氷の空間へ潜り込んだ。

 

『また、透過だとォ!  いい加減にしろよ、ゴミィ! 身の程を弁えろ屑がァ!!』

 

 氷の床は魔力の波動で砕け散る。だけど、僕には()()()()()

 潜水……潜氷しつつ移動を繰り返し、跳ねて飛んでは氷の杭を彼らへ撃ち出す。

 今の僕は潜水艦(U-ボート)天井(さいげん)がある空で飛ぶ航空機にも負けはしない。

 卵へと手を伸ばす残火を守るように、氷の中を駆け回りながら援護を続ける。

 でも……それもとうとう終わりが到来した。

 

『……いい。もういい。かずみお姉ちゃんに当たる可能性を考えて、出力を最小に抑えるのは止めた……燃えろ、カトンボ!』

 

 澱んだ白い炎が、氷の下から噴き出した。

 魔力で生み出した溶けないはずの氷が“燃え始めた”。

 凍っていた竜たちが氷の中で炎を吐いている。

 地力の差。魔力の総量の違いが、ここに来て牙を剥く。

 参った。これはもうひっくり返しようがない。

 僕が抗えたのはあくまで向こうが本気を出せないという状況下での話。

 威力を抑えるのを止めた白竜たちには勝ち目がない。

 おまけに魔力残量も雀の涙だ。逃げ続ける事もできやしない。

 残った魔力を透過に注ぎ込み、僕は最後の潜氷を試みる。

 匂いを頼りにあやせを入れたドームを探した。燃える氷が透過しているはずの鎧を焼く。

 能力も効力を失いつつあるようだ。これはいよいよ後がない。

 身体のあちこちを炙られながら、僕はようやく彼女を閉じ込めた要塞を発見した。

 すぐにその中へと潜り込んだ。

 すると、そこには釈然としない声色のあやせが待ち構えていた。

 

「お帰り、アレクセイ。今、どういう状況……?」

 

『ばんじきゅーす。外燃えてる。逃げ場なし。僕の魔力も枯渇寸前』

 

「……最悪だって事は分かった。で、どうする気なの?」

 

 大体外の状況は想像できていたのか、あやせは肩を竦めただけで焦った様子はなかった。

 なので、僕も簡潔に伝えるべき情報だけ口にした。

 

『あやせだけ、外に透過して放り出す。凄い落下すると思うけど、現状一番生存確率高い方法だから諦めて』

 

「い・や」

 

 舌を出して、不服の意を表明してくる。

 困った。他に生き残る方法は思い付かない。

 確かに外へ逃げた瞬間に外に生えた首が攻撃する可能性もあるが、僕一人に狙いが集中している今なら見逃されるはずだ。高高度から地上へ落下していく小物を狙うほど余裕がないチャンスはこの時しかない。

 地上への不時着は非常に困難だろうが、それでも魔力が残っているあやせであれば、いくらか魔法で速度軽減できるだろう。

 

『安全な方法はないんだ。危険はあるけど、時間は僕が稼ぐから頑張って逃げ……』

 

「そうじゃない! ……そうじゃないよ。どうして、分からないの? 私はあなたに死んでほしくないから、ここに来たの!」

 

 彼女は剣を床に突き立てて、僕の頭を掴む。近くによった彼女の顔は暗闇の中でも分かるほどに泣きそうだった。

 訳が分からない。もう僕には戦力としての価値はない。

 ジェム詰み(ピックジェム)を止めた彼女に僕は必要ないはずだ。

 

「頭がいい癖に、何で言わないと分からないの? 私は……あなたの事がスキなの」

 

『スキ……? 僕が……?』

 

 それころ理由がない。他人に好意を持たれる要素なんて僕には何もない。

 心のない空っぽな化け物が他者に愛される訳がない。僕にはそれを返す術がないのだから。

 呆れたように額を押さえて、あやせは吐き捨てる。

 

「ああ、もう。いいよ。じゃあ、せめて、ここで一緒に死なせて」

 

 背後の氷が濁りのある白い炎に侵蝕されていく。溶けるのではなく、明確に燃えていた。

 物理現象を(ことごと)く塗り替える破滅の火焔が忍び寄って来ている。

 早くしないと……あやせは助からなくなる。

 

『あやせ。いいから逃げるんだ。心中なんてしてどうするの? 意味ないよ?』

 

「なら、無理やりにでも逃がせば? 私はそんなの望まない。絶対に嫌だから」

 

 彼女は頑として首を縦に振らない。

 燃える。およそ人間が味わう死に方で最も苦痛に塗れた死に方をしてしまう。

 僕はいい。何も感じない事が目に見えている。

 でも、あやせは違う。苦しんで、絶望の中で焼け死ぬだろう。

 

『本当にいいの? 死ぬって苦しいよ? 辛いよ?』

 

「いいよ……。私が奪ったこの子たちもそうだったと思うから」

 

 宝石箱を開き、九個の鮮やかな色のソウルジェムを眺めて言った。

 

『そのジェム。持って来てたんだ』

 

「うん。どうしても家に置いてく気になれなかったから……。きっと彼女たちも私が苦しんで死ぬ事を望んでる。だから、いいの」

 

 そう呟いたあやせの声は今まで聞いた中で一番穏やかな響きを持っていた。

 僕はもうそれ以上何も言えなかった。望まない願いを無理やり叶える事はできない。

 魔物の姿を解いて、彼女の隣に立つ。

 

「分かった。一緒に死のう」

 

 白いドレス姿の彼女はその衣装に似合うほど可憐に微笑んだ。

 

「私は、この子たちよりもずっと恵まれてるね」

 

 ドームの内側まで入り込んだ澱んだ白い炎が足元まで噴き上がる。

 どちらともなく互いに手を取り合って、それを目に焼き付けていた。

 僕は感情がない異常者だ。好意を差し出されても、それと同じものを渡す事ができない。

 見滝原市に居る従弟の事がふと頭に浮かんだ。

 中沢珠貴。僕の従弟。僕に懐いた普通の少年。

 彼にはせめて普通に生きてほしい。僕と違って感情のあるあの子にはまともな人生を歩んで行ってほしい。

 穢れた炎が火の粉を散らす、異様なまでに“薄暗く光る炎”の中で、九つの宝石だけが瞬くように輝いた。

 




今回はアレクセイ回でした。彼は出番こそ少なかったキャラですが、めちゃくちゃ強いですよね。
ノリで考えた能力の割りに、応用力が半端ないというか。
次回は主人公視点です。


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第五十五話 コネクテッド

『ぐおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!』

 

 燃える。燃えてしまう。

 せっかくアレクセイが作り出してくれた氷の足場が、一瞬にして火の海に変わった。

 当然のようにその薄いベージュ色の炎は俺の身体もまで引火する。燃え広がった淀みの火焔は瞬く間に全てを呑み込んでいく。

 あとほんの僅か。ほんの僅かの距離で、ケーブルの先がかずみを包む卵に触れられるというのに……。

 伸ばしたケーブルが焼け、薄皮が剥けるように炭になって削げ落ちる。

 

『あははははははははは。雑魚が燃えてるよォ! あたしに逆らうゴミはこうなるんだよ! カスが燃えカスになる……ああ、臭い! 臭い臭い燃えるゴミィィィィイ!!』

 

 天井から生えた邪竜の首が下卑た笑い声を延々と上げ続けている。

 半透明の卵の中に居るかずみは次第に輪郭がぼやけていく。

 ……溶けているのだ。自我を保てず、肉体が魔力へと戻されている。

 俺がニコの家のカプセル内で自分を見失い消滅し掛けたように、己の形を保てなくなっている。

 もしも完全に消えてしまったら、再びその形が作られる事はないだろう。本当の意味でヘスペリデスの宵の一部にされてしまう。

 そうなれば、終わりだ。かずみは二度と戻って来れない。

 頼む……誰か、助けてくれぇ……! 俺はどうなってもいいから、だから彼女だけはかずみだけは救ってくれ!

 泣き叫びたい程の無力感。頭がおかしくなる程の後悔。

 絶望、絶望、絶望。

 どうする事もできない絶望の沼が俺を包み込む。

 

『か……ず、み………』

 

 アレクセイも、あやせももう来てくれない。彼もこの地獄の業火のような火焔に焼かれ、命を落としたのだろう。

 どれだけ祈ろうとも都合のいい奇跡など起きてはくれない。

 そんな事、この時間遡行で嫌という程味わったのにも拘わらず、有りもしない奇跡を求めてしまう。

 焼け落ちたケーブルがバラバラに解け、炭どころか灰になって宙を舞っている。

 それをどこか他人事のように見つめている俺が居た。

 散り散りになった灰が、燃え盛る壁や床の炎へと落ちていく。

 落ちて、落ちて。

 落ちて。

 お ち て……。

 

『……何? この気配!』『……うぐッ、気持ち悪い』『ヘスペリデスの宵(あたし)の中で何かが……』『——暴れてるッ!?』

 

 無数の竜の首が口々に異変を漏らす。

 燃えゆく俺にはそれが何を意味しているのか分からなかった。

 だが、身体を燃やす炎が、イーブルナッツ(俺の魂)にまで到達する寸前……。

 周囲の炎の壁の内から何かが飛来してくる。

 一つや二つではない。その数、二十……!

 彩りの―—宝石。ソウルジェムだ。二十個のジェムが、俺の元へ高速で飛んで来る。

 そのジェムの一つは見覚えのある色の輝きを放っていた。

 紺色のソウルジェム。それは俺が助けた魔法少女の一人、皐月ルイのものだった。

 まさか、このジェムたちは、ヘスペリデスの宵に喰われた魔法少女たちなのか!

 二十の光がイーブルナッツになった俺を守るように囲む。宝石たちから放たれる淡い光が、穢れた炎を拒絶する。

 それだけではない。今度は真下の床から十個のソウルジェムが浮かび上がってきた。

 その内、一つは深紅の色。あやせのジェムの色だ。もしや、他の九個のジェムは彼女が手に入れていたものなのか。

 確かめる術はない。だが、何故か他のジェムがレイトウコの魔法少女たちのものとは思えなかった。

 十個のソウルジェムは俺を上へと持ち上げてくれる。まるで下から押してくれているかのように、真っ直ぐに上昇していった。

 

『……大量のソウルジェム!』『この気持ちの悪さはそれが原因かッ!』『パパが……あきらが言っていたのはこの事か!?』『クソ、クソ、クソ! 殺せ、燃やし殺せ!』『そいつらに余計な事をさせるなァ!』

 

 天井から生えた竜の首の群れはそれに気付き、火焔の息を俺へと放射する。

 しかし、俺を覆うように浮く三十個のソウルジェムの輝きが炎から庇ってくれる。炎は俺まで決して届かない。

 宝石たちに守られながら、俺はかずみの居る卵へと送られていく。

 

『なんでなんでなんでだァァァァァァァ!? あたしの炎がこんな虫けらのような魔法少女のソウルジェムなんかに防がれる!? おかしいおかしいおかしいよォォォォ!!』

 

 かずらには分かるまい。彼女たちの強さの理由が。その力の源が。

 だが、俺には分かった。

 彼女たちの光が燃え残ったケーブルから流れ込んで来る。

 肉体を失なった魔法少女たちは、それでもなお他者のために祈っているのだ。

 ——救われてほしい。

 ——報われてほしい。

 ——助かってほしい。

 何一つ損なわれていない、他人を思いやる気持ち。無垢なる心。優しい願い。

 それこそが魔法少女たちの力だ。一つ一つは矮小かもしれない。

 けれど、その想いが、力が一つに集まれば、奴の炎も防ぐ大きな力へとなるのだ。

 卵の外殻に光が触れる。彼女たちの輝きが、硬い殻に亀裂を入れていく。

 

『やァめろォォォォォォォォ! あたしのモノに触れるなァァァァァ!』

 

 邪竜の咆哮が響く。俺たちがそれに従う理由は存在しない。

 返してもらうぞ、かずら。彼女はお前のモノなどではない。

 俺はケーブルを新たに一本だけケーブルを生成する。

 

『……コネクト! かずみ、起きろ!』

 

 生まれたケーブルは亀裂の隙間へと潜り込み、その中への彼女へと繋がる。

 眩い光が卵の亀裂から漏れ出し、その光が。

 弾けた。

 

 

~かずみ視点~

 

 

 ……かずみ?

 そうだ、かずみ。

 私の名前は――かずみ!

 思い出した。全部全部、思い出せた。

 暗闇が一気に消える。代わりに広がっていたのは真っ白い空間。

 開いた目がその人を映す。

 男の子の姿だ。黒くて短い髪。背が高くてがっしりとした身体。

 浮かんでいる表情はとても優しくて、何でか泣きそうになる。

 

『あなたは……』

 

『俺か? 俺は残火。残った火と書いて残火だ』

 

『ザンカ……。どうして、ここに来たの?』

 

 彼はそう尋ねると、私へ手を差し出した。

 大きくてごつごつした男の手だ。

 

『かずみ、お前を迎えに来た』

 

『私を、迎えに? でも、私はザンカの知ってる“かずみ”じゃないよ?』

 

 彼にとっての“かずみ”は、私があすなろタワーで見せてもらったあの記憶の中の少女だ。

 ザンカを兄と慕い、短いながら彼と共に過ごした魔法少女。

 それはわたし(かずみ)であって、かずみ(わたし)じゃない。

 だって、私にはそんな思い出はない。彼と積み重ねた時間がない。

 それを聞いてもザンカは手を引っ込める事はなかった。

 ただ苦笑いを一つ浮かべる。

 

『そうだな、その通りだ。俺はお前を何も知らない。だから、かずみ。教えてくれ。お前がどんな経験をして、どういう奴になったのかを』

 

『私は……。私は馬鹿で何も知らない子だよ。あきらに騙されて、人を傷つけた。サキも、カンナも、あなたも』

 

 私に迎えてもらう資格はない。

 それを受け入れるには、私は間違え過ぎた。

 信じなくてはいけない人を疑ってしまった。信じてはいけない人に従ってしまった。

 ヒーローに助けてもらう資格なんて、存在しない。

 

『そうか。俺は誰も助けられなかった間抜けだ。いつも格好ばかり付けて、結果が伴った(ためし)がない。俺たち、お似合いだと思わないか?』

 

 彼は自嘲するようにそう言った。

 言葉と一緒に、ザンカの記憶と感情が流れ込んでくる。

 私は見た。彼の悲劇を。

 私は知った。彼の絶望を。

 ヒーローと呼ぶには、あまりにも多過ぎる挫折と後悔。

 そして、彼にはもう私を救うという目的しか残されていないのだと、気付いた。

 私がヒロイン失格なら、彼はヒーロー落第だろう。

 お互いに、失敗を重ねてここまで辿り着いてしまった。

 なら、今度こそ、間違えずにやろう。

 もう後悔するのはうんざりだ。

 差し出された手を繋ぐ。

 

『それなら……ザンカ。私を助けて』

 

 繋いだ手が強く握られる。

 

『おう。任せろ、かずみ』

 

 握り合った手から光が溢れ出す。

 眩いカラフルな輝きが、白い世界を塗り替えていく。

 これは感情? 私や他の魔法少女たちの想い……?

 白い空間は破れ、私たちは手を取り合って、その外側へと出た。

 私たちを出迎えてくれたのは星空。

 夜の空に輝く七つの星団、プレイアデス。

 肌で温度が感じれた。ひんやりした冷たい空気が、私に生きている実感をくれた。

 身体を触ると、私はいつの間にか黒い衣装に身に纏っていた。

 いつもの魔女っ子のような姿じゃない。

 大きく膨らんだ長い丈のスカート。首回りまでしっかりと覆う襟。肩は剥き出しだけど、腕と脚を包むグローブとストッキング。

 頭にはどこか見覚えのある楕円のオブジェ。これは……イーブルナッツだ。

 背中の肩甲骨辺りから翼のように生えている数本のケーブルにはリングが付けられいて、リングの内側には沢山のソウルジェムが浮かんでいる。

 

「この姿は……?」

 

『今の俺たちの力を繋げた(コネクトした)姿だ』

 

 髪飾りになったイーブルナッツから、ザンカの声が響いた。

 彼の知識が私にも送られてくる。

 コネクト。それはカンナが持っていた魔法。

 心と心を繋げる魔法。

 そして、私たちを再び引き合わせてくれた力。

 

「私たちは……」

 

『ああ、俺たちは……』

 

『「今、繋がった』」

 

 感じる。ザンカだけじゃなく、ソウルジェムになった魔法少女たちの想いが。

 一人じゃない。私たちは全員で一つに繋がっているんだ。

 やるべき事は皆から教えてもらった。言葉ではなく、感情と意思が流れ込んでくる。

 星空に別れを告げて、私はどす黒い雨雲を潜り、その下に居る存在と対峙した。

 百の頭を持つ巨大な魔竜、『ヘスペリデスの宵』。

 かずみシリーズの番外作、『かずら』。

 魔竜となったそれは一斉に首を動かし、膨大な数の目で私を見つめる。

 

『……かズミおねエちゃン』

 

 歪な抑揚。機械音声を無理やり継ぎ接ぎしたようなおかしな声音。

 私が彼女から離れたせいで、自我崩壊が起きようとしているんだ。

 莫大な魔力にかずらの意識が呑み込まれつつある。

 

「かずら……」

 

 私は妹の名前を呼んだ。

 彼女も私も人間ではない、和紗ミチルの複製(クローン)

 更にはかずらは魂まであきらの魔力から作られたハイブリット・コピー。

 あきらを殺すためだけにカンナに生み出された境遇は、私よりも悲惨だと思う。

 それでも彼女は、あまりに多くの命を奪い過ぎた。

 同情はできても、許す事はできない。

 だから、私の手で彼女を倒す。

 

「皆、私に力を貸して」

 

『任せろ。俺たちはそのためにお前と居る』

 

 ヘスペリデスの宵が叫び声を上げた。

 

『寄越セ寄越セ寄越セよコセヨコせよこセヨコセヨコセヨコセヨコセヨコセヨコセ! カズみヲヨコせェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェ!!』

 

 悍しい響きの中に、悲しみや怒り、そして深い絶望が塗り込まれている。

 一時でも、私は彼女と“繋がっていた”から分かる。

 かずらは私を取り込む事で、生まれた時から感じていた欠落感を見たそうとしたんだ。

 それだけが彼女の願い。いや、彼女の肉体の素体になったかずみシリーズの願い。

 レイトウコ前で出会った時から、彼女たちは成功作(わたし)を求めていた。

 私と一つになって、きっとミチルになりたかったんだ。

 複製じゃなく、本物に。合成魔法少女ではなく、人間に。

 そして、最後には揺るがない自己を持ちたかった。

 あきらの魂をコピーしたイーブルナッツは、それを歪んだ形で実現しようとした。

 食べる事で、呑み込む事でそれが叶うと信じてしまった。

 今もまた私をそうして取り込もうと、百本の首が、百個の顎が、伸びて来ている。

 

『カッ、かっ、カっ、かッ、かジュみィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィ!!』

 

 かずら……。それじゃ駄目なんだよ。

 揺らぐ事のない自己を持つっていうのは、誰にも負けない無敵の自分になる事じゃない。

 他人を理解して、他人に理解してもらって、自分自身を確立していく事なんだ。

 独りぼっちのままじゃ、変わらない。

 誰かと繋がるって、感情を、想いを分かち合うから、“自分”が固まっていくんだ。

 片手を開く。ずっと握り締めていたグリーフシードが顔を出す。

 そうだよね? ミチル……。

 グリーフシードが輝き、その形を大きな十字架の杖へと変えていく。

 

「ザンカ!」

 

『かずみ!』

 

 十字架の先から弧を描く巨大な刃が生まれる。

 魔法少女三十人分の魔力を合わせた、最強の大鎌。

 繋がり合った魂の絆。

 そして。

 

「マジーア……」『フィナーレ!』

 

 私たちの最後の魔法。

 大鎌の刃を縦に振り切った。

 刃から放たれた極彩の光の斬撃は襲いに来た首を、いくつも斬り落としながら突き進む。

 勢いは削がれる事なく、直線的に遮るものを切断していく。

 魔竜の巨体を斬り裂き、その頭上の雨雲にまで二つに裂いた。

 

『カズ、み、お……ネ、ちゃ……』

 

 竜の首が私の名を呼ぶ。

 

「チャオ……かずら。もしまた会えたら、今度はちゃんとした方法で繋がろう」

 

 両断された身体は爆発する事なく、蒸発するように細かくなって、消えて行った。

 空中から落下していくのは四つのイーブルナッツ。そのどれもが落ちる過程で燃え尽きるように朽ちていく。

 私はそれを眺めながら、彼女の魂が救われる事を願わずにはいられなかった。

 

『これで、全てが終わったのか……』

 

 ザンカの呟きに私は頷いた。

 

「うん。でも、この街は戻らない」

 

 破壊し尽くされたあすなろ市を見下ろす。

 建物はほとんど残っていない。濁った色の雨が次第に弱まっているが、もう街には生きている人間は一人も居ないだろう。

 雨雲の亀裂が広がり、星の光が明かりを失った街並みを照らした。

 黒ずんだ大地の上を、白い小さな生き物が横切るのが目に入った。

 あれは確かザンカたちの記憶で見た、ジュゥべえに似た妖精。キュゥべえだ。

 魔法少女を魔女に変える事で生まれるエネルギーを集めていたそうだけど、今更、この廃墟になった街へ何をしにやって来たんだろう?

 

『かずみ。追ってみよう……何か嫌な予感がする』

 

「うん……」

 

 私はケーブルでできた翼を使い、空からキュゥべえの後を追跡する。

 彼も私たちの方に気付いている様子だったけれど、それ以上に向かっている先に気になるものがあるのか、声すら掛けて来なかった。

 ますます、私たちの中の嫌な感覚は高まっていく。

 追いかけ続けていると、キュゥべえは突然ピタッと止まり、視線を下へと落とす。

 その場所は巨大なクレーターの中。そこは柔らかいパンケーキを思い切り潰したような異様な抉れ方をしていた。

 降下してキュゥべえの隣に降り立った私は、彼に聞いてみた。

 

「キュゥべえ。あなたは何を見に、ここまでやって来たの?」

 

『かずみ。いいところに来てくれたね。あの(くぼ)みの真ん中に魔法を放ってくれないかい?』

 

「窪み?」

 

 クレーターの中央部分を見ると、そこだけ更には落ち窪んでいる。

 声を出さずに内心で、ザンカと通信して考えを聞こうとするが、その前に窪みから何かが飛び出して来た。

 それは黒髪を持つ、裸の男の子。

 

「おう、かずみちゃん。服変えたのか? そっちも似合ってるぜ」

 

「あ……きら……」

 

 私を騙し、ザンカを陥れ、プレイアデス聖団を壊滅に導いた悪魔。

 一樹あきらがそこに平然と立っていた。まるで今までの出来事がなかったかのように、気安く話しかけて来る。

 言葉が詰まった私を置いて、キュゥべえが彼に喋りかけた。

 

『あきら。君はヘスペリデスの宵の攻撃を直接生身で受けたはずだよ? どうやって生き延びたんだい?』

 

 ヘスペリデスの宵の攻撃を、生身で受けた……? それがこの場所なの?

 この広くて大きなクレーターがどうして作られたのかは分かったけれど、これほどの被害が出る攻撃を受けて、あきらは生きているという事になる。

 あり得ない。こんな巨大な穴ができる威力なら魔法少女だって一瞬で消し飛んでしまう。

 黒いドラゴンになる力を使って、どうにか防いだとか?

 そう思い浮かべた時、思わないところから否定された。

 

『いや……今のあきらからイーブルナッツの反応は皆無だ。奴の中には、既にイーブルナッツは存在しない』

 

 戦慄した声でザンカは私に衝撃の事実を伝えてくれた。

 

「そんな……」

 

 愕然とする私にあきらは、楽しげに言った。

 

「お。その声は蠍野郎か。アンタ、髪飾りになったみたいだな」

 

『ッ!? ……何故、俺の声が届く? 俺の声が聞こえるのはイーブルナッツを持つ魔物か、俺が魂に接触した相手だけだ』

 

 狼狽えるザンカにあきらはクスクスと小馬鹿にした笑い声を上げる。

 

「まあ、待てよ。ピンクローターの質問の答えも兼ねて順を追って説明してやる。まず、イーブルナッツってモンの性質からだ。こいつは魔法を吸収して増幅させる。が、それだけじゃあねぇ。本質は情報、いわゆる記憶の吸収。蠍野郎ならこの辺分かるよな?」

 

『ああ……ジェムを体内に取り込んだ時、一緒に彼女たちの記憶が流れ込んできた』

 

 あきらはザンカの説明に満足すると今度はキュゥべえに話を振る。

 

「そう。それで、ピンクローター」

 

『インキュベーターだよ』

 

「どっちでもいいんだよ、タコが。俺がクソ不味いお前らを何匹も食ったのは覚えてるよな?」

 

『ボクらは総体で記憶を共有している。君に食べられる前の記憶なら鮮明に覚えてるよ』

 

 そんな事していたんだ。

 頭がおかしいとは思っていたけれど、私が想像したその斜め上を軽々超えている。

 もう狂人というか、「あきら」という名前の独立した生物なんじゃないだろうか。

 彼はキュゥべえの答えに腕組みをして、頷いて語る。

 

「俺は……インキュベーターの記憶、性格にはその技術知識を得るために食った訳だ。だが、イーブルナッツの性質上、正の感情エネルギーがないと吸収は起こらない。喜べ、インキュベーター。お前らは微弱だが感情を持ってたぜ? まあ、何十匹も食ってようやく人間一人分くらいだがな」

 

『ボクらに感情が……。いや、それより技術知識っていうのはまさか……』

 

 にやりと口の端を吊り上げ、不敵な笑みを浮かべるあきらはこう続けた。

 

「そうだぜ。魔法少女システム。正確には魂を物質として具現化する方法。これがなかなか厄介でなぁ。解析自体は簡単だったが、パラメータにある感情を打ち込むのが難しかった」

 

「ある感情……?」

 

 つい口を挟んでしまったが、あきらはそれに頷いて私にも話を振った。

 

「正式に魔法少女システムを介して、ソウルジェムを得てないかずみちゃんには馴染みがないだろうが、インキュベーターは契約の際、魔法少女側に願いごとを言わせる。こいつは契約時に発生する余剰エネルギーで起こす『奇跡』って奴さ。重要にはその願いごとを言う際の感情、『希望』。これがキーコードだ」

 

 驚くほど理論的にシステムを説明するあきらに、私と繋がるジェムたちも動揺を隠せない。

 インキュベーターの知識を手に入れたというのも、恐らくハッタリじゃない。

 

「『希望』というのがまた面倒でな、これは単なる欲望じゃねぇ。切羽詰まった状況、つまり『絶望』の中でそれを打破する望みでなくちゃならない。絶望だぜ? この俺にそんなモンねぇ。だから、わざわざ作った訳だ。俺が絶望し得る展開を」

 

『まさか、かずらの暴走は……』

 

「織り込み済みに決まってんだろ? あの劣化コピーに俺が本気で出し抜かれるかよ。まあ、この役はアンタにやってもらってもよかったんだがな。かずらの方が早そうたがらこっちにした」

 

 ザンカの疑問にあきらはそれだけ言うと、彼はさっさと先を続けた。

 

「俺は計画通り、かずらに俺を絶望感溢れる状況を作らせ、そして、『希望』を得た。絶体絶命の窮地から脱出するという『希望』をな。あとは単純だ。得た知識の方程式を俺好みにアレンジして……」

 

 彼は自分の胸の中心辺りを指で引きずり出すような動作をする。

 すると、内側から指に引っかかるように、取り出されていく“金色の輪”のようなものが出てきた。

 

『駄目だ、かずみ! 奴にあれをやらせるな!』

 

 ザンカの声を聞こえた瞬間、私はその場で杖の長い方の尖端をあきらに向けて放り投げていた。

 槍投げの要領で投擲された杖は、彼の心臓を輪ごと貫く……はずだった。

 十字架を模した杖は、空中で固定されたように停止していた。

 掴まれた訳でも、何かを魔法で作って止めた訳でもない。

 ただ杖はあきらに触れる直前で宙に縫い止められていた。

 

「あのなぁ、俺は日朝特撮番組の敵か? 行動なんざ、とっくの昔に完了してんだよ。アンタらに見せるために、わざわざ一時的に解除してただけ。もう手遅れなんだよ」

 

 そこに居たのは()使()だった。

 頭の上に光の輪を浮かばせ、黄金の翼を生やし、純白のガウンを着込んだその姿は絵画で見るような天使そのもの。

 あきらは漆黒のドラゴンとは真逆の、純白の天使へと変わっていた。

 成り行きを無言で眺めていたキュゥべえは、彼を見て明らかに歓喜に震えた声を上げた。

 

『すごい……凄いよ、あきら! 君は自力でエントロピーを凌駕する力を得たんだね。これはもう魔法少女とは比べ物にならない感情エネルギーの総量。君一人でこの宇宙の資源を賄える……もはや一つの世界だ』

 

「この力がアンタらの質問への答えだ。ソウルジェムなんて脆いモンにならないように、肉体を具現化した魂に置き換えてる。まあ、分かりやすく言うなら、魔女と同じで物質化した精神体って奴だ。俺はこの状態を『概念化』と呼んでいるがな」

 

 肌に伝わる魔力の質が違う。

 ヘスペリデスの宵が怪物の次元だとするなら、今のあきらはそれを飛び越して、神さまの次元に突入している。

 何でもできるんだ。文字通り、万能の力を得ているのだろう。

 ザンカの声も聞こえる。ヘスペリデスの宵の攻撃だって平気で受け止められる。

 

「そうさなぁ、俺のことは『輝ける(シャイニング)あきら』とでも呼んでくれよ」

 

 純白の天使がそう言って、微笑んだ。




今回のかずみの名称は「コネクテッドかずみ」です。
語幹的にアルティメットに似た感じの名前にしましたが、本編では出ないのでここに書いておきます。


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第五十六話 デウス・エクス・アキラ

 最悪とは常に更新され続けるものなのだと、俺はここに来たようやく実感した。

 今、目の前に立つ存在は、ヘスペリデスの宵の中で感じた絶望感を過去のものに変えた。

 神の領域にまで昇華したあきら。奴こそ真の最悪だ。

 剥き出しのイーブルナッツになった俺には、その恐ろしさが一層理解できた。

 大きさであればヘスペリデスの宵とは比べ物にならない程に小さい。だが、放っている魔力の総量はあれの比ではない。

 もしも人としての肉体があったなら、目視した段階で膝を突いてしまっていた事だろう。

 

「どうした? もう攻撃しねーのか?」

 

 概念化したあきらは不思議そうな顔で尋ねてくる。

 挑発ではない。純粋な疑問を投げかけて来ているだけだ。

 かずみの怯えが俺に流れ込んでくる。こんなものを見せられて恐怖を覚えない存在は居ないだろう。

 だが、立ち止まる訳にはいかない。これ程の力を得た奴が、それを振るわずに居る事は不可能だ。

 

『かずみ。あの頭上に浮いている輪を狙うんだ! そこが奴のソウルジェムだ!』

 

「う、うん! 分かった!」

 

 背中のケーブルに連なるジェムたちから魔力を最大限に引き出し、クレーターの中央付近に居るあきらの元へ加速。

 空間に縫い留められた十字の杖を再び掴み取り、ヘスペリデスの宵を打ち破った最強の魔法を顕現させる。

 

「マギーア……」『フィナーレッ!!』

 

 三十のソウルジェムから集めた魔力で大鎌の刃を形成し、棒立ちしている奴の輪へと振り下ろす。

 筋力増強、速度加速。ソウルジェムの持ち主が持っていたあらゆる身体強化の魔法をかずみに発動している。

 ヘスペリデスの宵を撃破した時以上に威力を上げた必殺の一撃。

 玉虫色に輝く光の刃の尖端は、あきらの輪を穿つように接触し……。

 ——砕け散った。

 千々に砕けた魔力の欠片は、宙を舞って空へと消えていく。

 砕けたのは天使の輪(やつ)、ではない。

 大鎌の刃(おれたち)の方だった。

 

『なッ……』

 

「そんな……」

 

 超弩級の戦艦並みの巨体を切り裂き、雨雲さえ二つに割ったその一撃は、微動だしていないあきらに掠り傷一つ付ける事もできずに終わった。

 奴が何らかの魔法で防いだか、あるいは肉体を動かし止めていたなら、納得もできただろう。

 しかし、奴は文字通り指一本動かす事はなかった。

 ただのんびりと見ていただけだ。

 単純に奴の輪の強度が、大鎌の刃を遥かに上回っていた。それだけに過ぎない。

 杖を振り下ろした姿勢で硬直していた俺たちを、奴は呆れたように眺めて言う。

 

「俺の『天使の輪(エンジェル・ハイロゥ)』は魔法少女共の()()()()()()()()()()ソウルジェムとは違うぜ? その硬度は地殻やマントルよりも更に上だ。地球を輪切りにできる程度の威力がなきゃまず削れもしねーよ」

 

 残った鎌の柄、十字の杖を人差し指でそっとなぞる。

 それだけで、杖は粉々に分解され、奴の天使の輪へと吸収されていった。

 かずみは咄嗟(とっさ)に後退して、追撃を避けるが、奴はそれ以上何もして来なかった。

 ただ少しだけつまらなそうに溜め息を吐く。

 

「こんなモンか。まあ、確かに魔法少女レベルじゃあ強い方だな。本来の未来でインキュベーターと契約したかずみちゃんよりも上等だ。流石に三十人分も集めれりゃ、強い因果を持つ魔法少女も越えられて当然だろうけどな」

 

 俺は圧倒的な天使の輪の強度よりも、その言葉に違和感を持つ。

 本来の未来、だと? かずみは俺のオリジナルが生きていた未来ではキュゥべえと契約を果たし、自分自身のソウルジェムを得て、本当の意味で魔法少女となった。

 だが……それを奴が知るはずがない。あれを知っているのは俺とその記憶を読んだカンナだけなのだ。

 

『お前、その事実をどうやって知った!?』

 

「ん? ああ、そっか。俺が何で本来の未来を知ったのか気になんだな? 簡単だ。今の俺はこの世界以外の並行する世界をすべて観測できる。正しく表現するならアンタが居た未来は、上書きされたこの時間軸の裏側に残存する時間軸だから並行世界にはカウントされないんだが……あー、馬鹿だから分かんないか。ま。俺が全知全能になったからとだけ言っとく」

 

 途中で説明を放棄したあきらは己を全知全能と豪語する。

 嘘だと思いたいが、そうでなければ、今では俺以外に知る者の居ない未来を言い当てる事はできない。

 概念化を果たした奴は、本当に神へとなったのか……。

 あまりにも格が違い過ぎて、かえってその実感が湧いて来ない。

 だが、奴の次の言葉を聞き、俺は跳び上がりそうな衝撃を受けた。

 

「そうだ。蠍野郎……いや、残火か。アンタには感謝してるぜ。アンタのおかげで俺は神へとなれたんだ。結局、そいつも()()()が弄った運命なんだけどよ」

 

『何を、言っている……?』

 

「決まってんだろ? この概念化した俺が、イーブルナッツになったアンタをこの時間軸に送り込んだ。鶏が先か卵が先かみてーな話だが、こりゃマジだ。考えてもみろよ、『オリオンの黎明』の破壊光線がいくら強力でも時間を逆行させる性質なんざある訳ねぇだろ?」

 

 こいつが……このあきらが……俺を過去へと戻したのか。

 だとすれば、俺はずっとあきらの手のひらの上で転がされていたという事になる。

 やっと奴の出鱈目さが実感として認識できた。これはもう俺たちの手に負える話ではない。

 神となったあきらは、時間という概念すら容易く操れるという事だ。

 

「そんな、じゃあ、ザンカが今までやって来た事は全部……」

 

「そういう事。この俺を神の座に押し上げるための布石だ。運命という名の俺の計画だった訳だ。しっかし、妙な感覚だぜ。これから及ぼす事が今の俺を作り上げたなんてのは、因果の流れは平面じゃなく、立体的なものらしい」

 

 かずみが戦意を喪失し、地面に膝を落とした。

 彼女もまた奴の強大を感覚的に理解してしまったのだ。

 魔女や魔竜とは戦えても、神には勝てない。その彼我の差を味合わされた。

 

「よし。そんじゃあ、ご褒美をやる。こいつが正真正銘、『神の奇跡』って奴だ」

 

 純白のガウンの袖から突き出した手を広げて、大きく掲げた。

 俺が見たどの魔力の光よりも強い輝きが荒廃した街全体を覆い尽くす。

 空間が歪むほどの凄まじいエネルギーが飽和し、弾けて、掻き混ざる。

 

「う……」

 

『ぬうっ』

 

 突風のような風が渦巻き、かずみは両腕で顔を庇う。

 しかし、俺は見た。それをその輝きが起こす奇跡の神髄を。

 言葉を発する事さえできなくなる衝撃の光景が辺りに拡大している。

 輝きが薄まった時、かずみもまた目を開いて、その景色を視界に収めた。

 

「え……?」

 

 あすなろ市が戻っていた。

 折れたタワーも、消えたビルも、溶けた住宅街も全て元に戻っていた。

 足元にあった巨大なクレーターはなくなり、しっかりと整備されたアスファルトの大地が復活している。

 けれども、それ以上に驚くべきはその街を練り歩く者たちだ。

 

「人が……街の人たちが生き返った!?」

 

 そう、あすなろ市の住民が俺たちの傍で当たり前のように闊歩(かっぽ)しているのだ。

 彼らは一様に俺たちの存在には気付いている様子はないが、間違いなく生きた人間だという事が感じられた。

 

「認識阻害もついでに掛けといたから、生き返った奴らは俺らを認識できないが、無意識にぶつかる事もない。どうだ、すげぇだろ? 俺がこの街に初めて来た時から今までに死んだ一般人を全員生き返らせてやった」

 

 胸を張ってそう宣言するあきら。

 幻覚かと思わせるほどの大規模な奇跡。だが、五感全てを魔力による認識に切り替えた俺には、この景色が全て本物であると判別できた。

 間違いなく、あきらはこの街の消滅した人々を復活させた。

 凄まじい魔法に度肝を抜かれていた俺とかずみだったが、それより遥かにこの状況に驚愕した者が居た。

 

『……死者の蘇生? あり得ない。こんな事、ボクらの奇跡だって不可能だ。因果律を完全に無視している。まどかにだってこんな奇跡は起こせない……。一樹あきら、君は、一体……何なんだ!?』

 

 感動という生温いものを超え、明らかに畏怖の感情を持ったキュゥべえはあきらを怯えた様子で眺めている。

 あきらが言った感情を持っているという表現もまた事実だったようだ。

 

「そう驚くなよ。今、魔法少女共も生き返らせてやるから」

 

「何が、狙いなの?」

 

「うん?」

 

 戦意を失ったかずみがあきらを見上げる。

 角度的に見辛いがその瞳には明確に不信感が宿っていた。

 それについては俺も彼女と同意見だった。

 あの邪悪を人型に塗り固めた様な、あきらが人の命を蘇生したなど誰が信じようものか。

 何らかの目的があるに違いない。常軌を逸した狂人としての目的が……。

 当の本人はその質問を聞いて、人が変わったような穏やかな表情を浮かべた。

 

「いや、何。俺は思ったんだ。このまま、人が居ない街は寂しいなって」

 

「……本当なの? 本当に心からそう思っているの?」

 

「本当だぜ。だから、全ての一般人を生き返らせた。そして、死んだ魔法少女たちもまた生き返らせてやろうって思ってる。かずみちゃん、アンタの友達やその仲間、俺が全員生き返らせてやってもいいか?」

 

 正しく天使のような笑みでかずみにそう聞いてくた。

 純粋無垢な彼女はぱあっと華のように顔を輝かせて、俺に言う。

 

「ザンカ! あきらもようやく分かったんだよ。人の命の尊さが! 改心して正しい人間に生まれ変わったんだよ! ねえ、あきらに皆生き返らせてもらうよ。それで皆仲良く生きよう!」

 

 かずみの気持ちは分かる。そう思いたいと感じるのは至って自然な事だ。

 この数週間の間に消えていった命が戻ってくればいい。俺も何度となく、そう願って来た。

 だが、俺は知っている。

 一樹あきらという人間の本質を、この世界で最も深く知っているのはこの俺だ。

 

『……あきら』

 

「おう。どうした、残火。ああ、ひじりん……カンナも生き返らせてやるよ。あいりも魔女になって死んだあの子も皆蘇らせてやるから安心しろ。あ、それとも人間としてアンタも復活させてやろうか?」

 

 都合の良い願望を瞬時に言い当て、そう提案してくる。

 キュゥべえなどよりも余程人の希望というものを熟知している。

 けれど、俺には無意味だ。もうその次元に俺は居ない。

 俺の願望など何一つ残ってはいない。

 

『お前の目的を当ててやろう。お前は自分の手でこの街の全ての命を蘇らせ……もう一度跡形もなく、滅ぼすつもりなのだろう! 希望を見せつけた上で、それを根こそぎ奪い取るために!』

 

 それが奴の、一樹あきらという邪悪のやり口だ。

 この男は殺戮や破壊はあくまで手段に過ぎない。それこそがかずらとあきらの根本的な違いだ。

 こいつの目的はいつだって、人の心を弄び、徹底的に絶望させて愉しむ事。

 第一、命の尊さに目覚めた人間が、インスタント麺でも作るように死者を蘇らせる訳がない。

 他者の命を羽毛のように軽いと信じているからこそ、奴は平然と生き死にを操作できるのだ。

 俺がそう看破すると、あきらは首を落として項垂れた。

 慌てたかずみがそれを必死で取り成そうする。

 

「ザ、ザンカ……。今のはあんまりだよ。そんな言い方って……あきらだって本当に今度こそ心を入れ替えて……」

 

「……あーあ。そっか。残念だぜ、残火。アンタ――気付いちまったか」

 

「えっ、あきら?」

 

 項垂れた首を上げると、そこには邪悪な笑みを満面に浮かべた奴の顔があった。

 やはり、これが一樹あきらの本性。改心などという生温い心境の変化は絶対に起きない。

 一から十まで他者を苦しめる事に思考を費やす、異形の精神こそ奴を奴たらしめている原因なのだ。

 前髪を指の隙間で掻き上げ、オールバックに撫でつける。

 

「いや、これはかずみちゃんが花畑なだけか。まったく、魔法少女ってのは、都合の良い奇跡には蟻のように群がる習性がある哀れな生き物だなぁ……。そうは思わねーか、蠍野郎?」

 

 天使の格好をした悪魔がそこには居た。

 

「そ、そんな……、もう一度自分の手で殺すために、わざわざ生き返らせたっていうの……? そんなの、おかしいよ。狂ってる……」

 

『かずみ。これが奴だ。奴が善人になるなど、世界が逆転したとしてもあり得ない』

 

 (おのの)くかずみはそう漏らすが、これがあきらという存在だ。

 その狂気じみた精神性は最初から一ミリも変化していない。彼女は衝撃を受けているようだが、その狂人は凶悪性を隠していただけで共に暮らしている時も同じような事を思考していただろう。

 奴は黄金の翼を広げて上空へと飛び立とうとしている。

 まずい。奴は魔法少女の蘇生を取り止めて、この街を破壊するつもりだ。

 

『かずみ! 俺を武器に変えて投げろ!』

 

「……! うん!」

 

 すぐさまかずみへと指示を出した俺は彼女に一本の槍へと変換してもらい、投擲される。

 魔力を帯びて追尾式のミサイルのように奴を追って空を駆けた。

 相手をするのも面倒そうなあきらだったが、空中で一度止まる。

 ——捉えた。これで……。

 着弾する寸前。純白のガウンの袖が振るわれた。

 槍と化した俺がシルクのように滑らかな布地に触れる。

 それだけで凄まじい爆発が起き、俺は自分の破片を空中にばら撒いた。

 

「弱ぇんだよ、間抜け。概念化した俺はあらゆる魔法が使えるんだ。イーブルナッツの雑魚なんざ話にならねぇ」

 

 金の魔力粒子を振り撒きながら、あきらは大空へと羽ばたいて行く。

 

「あばよ。哀れな乱造品の魔法少女。そして、俺に奇跡をくれた愚かな蠍。ちと速いがこの世界は俺が破壊させてもらうぜ」

 

 

~あきら視点~

 

 

 俺は全速力で雲を突き破り、夜空を抜けて、大気圏外までやって来る。

 別段、逃げたつもりもない。あそこで殺さなかったのは、これから巻き起こす逃れられない絶望って奴を見てもらいたかったからだ。

 あの低レベルの思考の持ち主共は俺が修復したあすなろ市を壊すと思い込んでいたが、それは間違いだ。

 

「俺は壊すのはこの地球。そして、この太陽系全てだ」

 

 宇宙から青い星を眺めて、俺はしみじみと感じる。

 人類史はこの俺という神を生み出すためだけに、存続し続けた。

 世界中の教科書に載る偉人たちも、世の為政者たちも、魔法少女や魔女も、インキュベーターすらも。

 全部、俺という終局点を生み出すために、今日まで生きて来たんだろう。

 この日、この時を以って、俺が哀れな有象無象に終わりと言う名の奇跡をプレゼントしよう。

 背中に生えた黄金の翼を広げる。星々を容易く超えて、膨張する翼は瞬く間に銀河を覆い尽くしていく。

 薄暗い背景に金の色で塗り潰される。

 もっとだ。もっと大きく、もっと強く。

 もっと激しく。もっと丁寧に。

 この時間軸の宇宙が死に絶える姿を見るのは、俺だけ。

 なら、せめて愛を以って壊してやらなきゃあんまりだ。

 だからこそ、最大限の愛を持って、一瞬で何もかも砕き散らす。

 

「俺のための地球。俺のための世界。俺のための宇宙。ありがとう。アンタら最高の玩具だった。次の時間軸に行っても、アンタらのこと……二日ぐらい忘れないからな」

 

 頭の上のエンジェル・ハイロゥがレコードのように回り出す。

 宇宙を包む黄金の翼の、その羽根の先から魔力の光が放出された。

 激しい閃光が幾度となく、黒い宇宙を照らしては消え、照らしては消え続ける。

 時間という概念から解き放された俺には、それがどのくらいの時間を要するのか分からなかった。

 体感時間がおかしくなっているので、本当は何年か過ぎたのかもしれない。あるいは本当に一瞬で済んだのかもしれない。

 どちらせによ。俺には関心のない事だ。

 星の光が消えた世界で、輝きを放っているのは俺だけだった。

 無になった宇宙空間に“(ひび)”としか表現できない亀裂がいくつも入っていた。

 全知になった俺にはその罅が持つ意味が理解できる。『亜空の断裂』、並行世界の入口だ。

 え~と、あの時間軸はどれだったか。……確か、コレだ。

 数えることの意味もないくらいに多い亀裂の中から、俺が向かうべき世界を探し当てる。

 俺は甚大な数の亀裂の内の一つに指を掛けて、門のように内側へこじ開ける。

 出た場所はこの時間軸の上書きされる前のあすなろ市。

 本来、書き換えられてしまったはずのこの時間だが、時間軸ごと宇宙を破壊しちまえば、入口を作るのは簡単だ。

 あすなろ市ではビルが瓦礫と化し、空には金色の十二枚の翼を持つ魔竜が飛んでいる。

 『オリオンの黎明』、本来の未来に置ける(あきら)だ。

 まったく、矮小だなぁ。全長六十メートルくらいしかない。かずらのヘスペリデスの宵よりも小さいとか、やる気あるんのか?

 記憶では知っていても改めて見ると情けなくて殺したくなる。これが黒歴史ってヤツか。勉強になったわ。

 

『さようなら。絶望しながら、死んで行け』

 

 オリオンの黎明が金色の破壊光線を吐き出す。

 狙っているのは蠍の魔物だ。かずみちゃんが本来の魔法少女になったおこぼれでパワーアップしているようだが、今の俺から見れば目クソ鼻クソ、五十歩百歩、ドングリの背比べ。両方とも雑魚である。

 

『おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉ‼』

 

 何かめっちゃ叫び声を上げて盾を構える蠍野郎。うるっせえなぁ。ゲイビデオの男優かお前は。

 喘ぎ声のプロがはしゃいでいるところは魔法で時間を早回しにして、展開を進める。

 ちょうどよく、蠍野郎がイーブルナッツにまで溶け残ったところで俺は時間を停止させた。

 止まった破壊光線の中までスーっと入っていく。かつての俺の最強の攻撃だったらしいが、俺には余所風もいいところだ。威力を三千倍にして持って来いや。

 イーブルナッツに人格データが焼き付いていることを分析魔法で確認して、俺はそれを過去へと送ればいい。

 それさえ終われば、俺の存在は時空に固定化され、何者にも滅ぼせない究極の存在になる。

 

「さーて、因果の流れを整えましょうかねぇ」

 

 あいつのイーブルナッツを握ると、それだけで情報が脳にまで伝達する。

 ひじりんの『コネクト』と海香ちゃんの『イクスフィーレ』を足して、一万倍くらい高性能にした魔法で瞬時に解析を行う。

 うむ。あいつの正義感に酔い痴れたキモい人格データはきちんと保存されている。

 あとは、こいつを過去に送るだけだ。

 開いた手のひらの上で時間遡行の魔法を掛ける。

 その瞬間、手のひらの上に転がっていたイーブルナッツが二つに増えた。

 

「ん?」

 

 片方はボロボロで今にも壊れそうなほど劣化している。

 ……違う。解析の魔法が俺にそのイーブルナッツの正体を一瞬で俺に理解させた。

 こっちのイーブルナッツは、上書きさせた後の時間軸のもの。

 そうか。こいつ、あの時、俺のガウンの袖に取り付いてやがったのか……!

 全知の魔法が奴の目的を教える。

 蠍野郎の目的。それは……。

 

「やめろぉ! てめえ‼」

 

 破壊の魔法で打ち砕くか。いや、駄目だ。的が小さすぎて、もう片方のイーブルナッツまで壊しちまう。

 時間停止と解析と時間遡行の三つの複雑な魔法を同時使用している今、新たに精密な魔法の行使はできない。

 こいつ……それを今までずっと狙っていたのか!

 劣化したイーブルナッツが淡い光を放ち、手のひらの上で弾ける。

 

『さらばだ……我が絶望(きぼう)

 

 ちっぽけな。本当にちっぽけな爆発が手の中で起きた。

 俺の皮膚を焼くどころか煤で汚すこともできないその魔力の爆発は、二つのイーブルナッツを砕くには充分過ぎる威力だった。

 壊れた小さなオブジェは木っ端微塵に砕けて、手の上から零れ落ちる。

 

「ははははははははは。やるじゃねぇか! 蠍野郎、いや、残火! 流石は蠍だ。大した毒盛りやがる!」

 

 因果の流れが断たれ、俺の身体は崩壊していく。

 見上げると、無敵の強度を誇ったエンジェル・ハイロゥには罅が入っていた。

 これから、魔法少女の女神や悪魔になった魔法少女を殺しに行こうと思っていたのが台無しだ。

 なのに、俺の口から漏れ出すのは笑い声だけだった。

 おかしくて、おかくして、堪らない。全てを手に入れたと思った矢先にコレなんだ。

 

「やっぱりゲームってのはゲームオーバー(負け)があるから楽しいんだな。こいつは愉快だ。褒めてやるぜ、残火。アンタはこの俺に世界で初めて泥を付けた存在だ」

 

 認めてやる。まんまとやれた。今回は俺の負けだ。

 残火というイレギュラーが過去に送り込まれる前に消滅したおかげであの時間軸自体が成立できなくなった訳だ。

 だがな、残火。

 この俺は消えるが、その“感情”までは消させねぇ。

 最後の力を振り絞り、俺は罅の入った天使の輪(エンジェル・ハイロゥ)を握り締めた。

 もう特定の過去に送れるほど精度の高い時間遡行魔法は使えない。

 どの時間軸の、どんな場所に行くのか知る方法もない。

 ひょっとしたら円環の理に絡め取られて、即座に壊されるかもしれない。

 

「だけど、()()()は潰えない!」

 

 だが、夢は叶う。あの哀れな魔法少女共とは違い、自分の意志と覚悟でそれを掴み取るだけの力がある。

 だが、奇跡はある。ヨダレを垂らしてインキュベーターに拝み、手に入れるモンじゃなく、自分の行動の末に起きる偶然はある。

 残った魔力のすべてを注ぎ込み、その天使の輪を転送する。

 さあ、行け。我が子よ。どうか俺の屍を越えてゆけ!

 天使の輪は三つ、いや四つに分かれながら、別の次元へと消えていく。

 俺はそれを見て、また笑った。

 

 




これにて、かずみナノカ完結です。
今まで読んで下さった方々、本当にありがとうございました。


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エピローグ

蛇足にも感じましたが、最後に少し残火の視点が欲しくて書きました。


「やめろぉ! てめえ‼」

 

 あきらの手の上で転がされてきたこの俺が、物理的にも奴の手の上に居る。

 だが、今は絶望を感じているのが向こうで、希望を奪うのがこちらだ。

 過去の俺のイーブルナッツを破壊する事で、今の俺が行っていた行動が全て消滅する。

 引いては、あの世界が消える。

 俺が紡いだ絶望の道程が、希望を夢見て走り続けたあの時間がなかった事になる。

 それに何も感じない訳ではない。しかし、認めなくてはいけない。

 あの時間は。

 あの想いは。

 全て――無駄だったのだ。

 過去を変えるなど、どれ程の理由があろうとも決してやってはいけない事だった。

 辛くても、目を背けたくなるくらいに残酷でも、起きた事実を捻じ曲げる事は間違いだった。

 その行いこそが悪だった。だから、あきらに付け込まれる原因になった。

 もう俺は逃げない。もう俺は間違えない。

 色んな魔法少女たちと交流し、そして、彼女たちと時に分かり合い、時に擦れ違ったあの愛おしい時間は存在してはならない時間だった。

 俺は、俺を殺す。

 そして、概念化するあきらが生まれる世界を打ち砕く。

 神を生まれる前に消し去れる。

 

『さらばだ……我が絶望(きぼう)

 

 イーブルナッツに刻まれた俺の意識が、残存した魔力を全て解き放つ。

 小さな、本当に小さな力が収束し、限界まで凝縮され、外側へと流れ出す。

 この矮小な球体の身体が光を帯びて、破裂した。

 終わりだ。これで本当に終わり。

 絶望の円環はこれで完全に断ち切れる。

 流れた魔力と共に意識が流出し、薄れて行く。

 夢でも見ていたような、ふわふわとした朧げな感覚。

 いや、実際に夢のようなものだったのだ。

 これは夢……。

 ただの悪夢……。

 俺の願いが生んだ、あってはならない最悪の夢……。

 壊れた俺たちを眺めるあきらの顔が歪む。

 今にも泣きそうな、あるいは笑い出しそうな子供のような表情だ。

 あきら……。

 お前は強かった。

 だが、お前の強さには意味がなかった。

 願いもなく、目的もなく、意味すらない。

 ただ強くなれるから、強くなったそれだけの存在だ。

 ガキなんだよ。お前……。

 ただのわがままなだけの子供。

 だから覚めろ。お前もこの悪夢から目覚めてくれ……。

 今度、生まれるとしたら普通に生まれて来い。

 天才でも、完璧でも、最強でもなく、平凡な人間として、生きてみろ。

 そうすれば、きっと分かる。

 弱者の気持ちが。命の重みが。世界の有難さが。

 もう力に酔うな。神様になんかなるな。

 あきら……。

 俺の仇敵。世界の厄災。邪悪の権化。

 宇宙すら容易く破壊し尽くせる邪神。

 だというのに、最後の最後になって思う。

 可哀想な奴だったと。

 哀れな存在だったと。

 ほんの僅かでも奴に触れて、繋がった今だから理解できる。

 こいつは他人を必要としなかった。

 家柄、才覚、知能、容姿、身体能力。全てにおいて恵まれた奴は他者と繋がる意味を持たなかった。

 同種と群れる必要性を持たなかった優性個体。

 それが、一樹あきらという存在だ。

 だから、あきら。

 意識が消滅する寸前に、俺は祈った。

 誰のためでもなく、奴だけのために俺は願った。

 人と繋がれ……。

 他人と感情を分かち合え……。

 それが……お前の……本当の……し、あわ、せ……だ。 




残火の青春は、あきらとの青春。
二人には奇妙な友情がありました。少なくとも残火側には憎しみ以外の感情が芽生えていたと思います。

これで本当に完結です。


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