冬木の街の人形師 (ペンギン3)
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プロローグ ブクレシュティの人形師

fateの凛ルートがアニメ化すると聞いて、勢いだけで書きました。
東方のアリスが主人公です。
何故?可愛いからです!(他の作品の方々の、アリスが可愛かったというのが大きな理由)

追記:この小説は、ひたすらアリスが関わった人と過ごしていく、のんびりとした話です。
聖杯戦争は、ひたすら彼方先にあります。
いつ始まるか、それは作者にすら分かりません。
それを留意した上で、閲覧ください。


 聖杯戦争、それは魔術師達が聖杯を巡って争う、血塗られた戦い。

 勝利の暁の盃は、あらゆる願いを叶える。

 魔導を嗜むものだったら、その即物的な手段はとても魅力的である。

 

 通常、何代にもわたって魔術刻印を受け継ぎつつ、永久の研究を続けるのが魔術師(おろかもの)達である。

 それが段階を飛ばして、根源(最果て)へとたどり着けるのだ。

 

 これで興味を持たないならば、それは魔術師ではなく、単なる引きこもりか魔術使い(唾棄すべきもの)だけであろう。

 とにかく、何らかの研究テーマを各人共に持っているものである。

 

 

 

 だから彼女は目指すのだ、更なる深みへと……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 東欧の町、ブクレシュティ。

 ドラキュラ発祥の地でもある国の首都は、瀟洒で活気に満ちている。

 大道芸をしている周りに人が集まり、観光客は優美な建造物などをじっくりと堪能している。

 

 だがこの美しい街にも、裏側は存在する。

 ルーマニア宗主宮殿の周辺である。

 

 一見してそこは、普通に祈りを捧げ、神に懺悔をする人が見られるだけである。

 しかし実態は、共産主義政権時代に宗教弾圧が行われ、宗主宮殿一帯に宗教家やカルト集団が団結して、共産主義の粛清の刃に抵抗していた場所でもあった。

 だからこそ、そこには東欧独特の、薄暗い影のある街の様子になっている。

 

 魔術師達はその土地に群がった。

 閉鎖された空間や土地は、魔術師達の活動する場としては適した場所だ。

 その周辺は魔を惹きつけるが如く、雑多に混沌な様相を呈することとなった。

 

 

「おや、人形術師。どこかへ出かけるのかい?」

 

 

「えぇ、少し海外へ」

 

 

 その混沌とした場所で、知り合いの少女を見つけたとある紳士は、話しかけることにしてみた。

 キャリーバックを引いている少女に、もしやと思い聞いてみると、すんなりと少女は返答した。

 それを聞いた紳士は、目を細め、土竜が外に這い出たのを見たような表情をする。

 

「珍しいね。研究は良いのかな?」

 

「これも研究の一環の様なものよ」

 

 胡乱げな表情を崩さないまま、しかし得心がいったと目が語っていた。

 

「君が態々、遠出するということはだ。

 それなりのリターンが有る訳だ」

 

「どうでしょうね」

 

 はぐらかされ、オヤオヤと肩をすくめて見せる紳士。

 だが、気まぐれか何かか。

 唇に軽く人差し指を当て、少女は一つだけ自身の見解を述べた。

 

「ただ……どんな物でも、大きなことに挑戦するならリスクは付き物よ」

 

「然り、だな」

 

 遠まわしに少女は答えていた。

 そして職業柄必ずしも一回はその道を通らねば、大成は不可能なことを悟っている紳士はただ一言、そう返しただけに終わった。

 

「ふむ、ところでどこに行くのだ。

 ロンドンか?エジプトか?」

 

 魔術師達の本山か、巨人の穴蔵か。

 魔術師達が研究に打ち込む為の、大掛かりな設備を有しているのは其処くらいだろう。

 尤も、後者は排他性が強く、何十年もひたすらに自身とのみ対話をできる者のみが入り込める場所なのだが。

 

「いえ、違うわ」

 

 少女ははっきり、否と言った。

 はて、独自のツテがあるのかと紳士は考えた。

 

「日本よ」

 

 少女は簡潔にそれだけ述べると、カラカラと音を鳴らし、キャリーバックを引きずり始める。

 

 日本、極東か。

 とても閉鎖的で、独自の研究をする者には楽園のような場所だとだけ聞いたことはある。

 

 これは暫くは帰ってこなくなるかな、とだけ漠然と考えた紳士は一つだけ頼み事をすることにした。

 

「土産はグンマー県の土で良い。

 是非持って帰ってきてくれ」

 

 魔術師達の噂で、日本の秘境であり神秘に満ちた場所として、グンマー県は有名である。

 かの場所は、日本で最も根源に近い土地として持て囃されている(一部の者達だけにだが)。

 無論、誰もその場所のことは語っても行くことはないので、一種のジョークとして流行っているだけだ。

 紳士はジョークを嗜むものなのである。

 

「えぇ、分かったわ。

 世話にはなってるし期待してて」

 

 だからこそ、そう返してきた少女に顔を引き吊らせざるを得なかった訳だが。

 もっと吹っかければ良かったか、そう落胆しつつも頼んだよ、とだけ投げるだけであった。

 紳士は言葉を違えないのだ。

 

 尤も、少女もそれが分かっていたから、彼女なりの仕返しをしただけなのだが。

 後ろ姿しか見えない紳士は、彼女が舌を出して笑っていることには気付かなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私、アリス・マーガトロイドは人形の研究をしている。

 人形と聞けば、「赤」の魔術師を大抵の者は連想するだろう。

 私自身も憧れたことはあったし、展示会で見かけた、禁忌を犯すような限りなく精巧に作られた人形に心を奪われもした。

 しかし、私の研究はまた別物である。

 

 私が目指すのは、「赤」の魔術師の様な肉体の神秘を探るのではなく、人形の完全自立化を目的としている。

 

 第三魔法の亜種とも言えるだろう。

 第三魔法は魂そのものだけで自然界に存続できる、謂わば不老不死とも言える御技である。

 しかし、私がしようとしている事は、無から生を生み出そうといているのである。

 神の域に自分が突き進むと宣言したようなものだ。

 

 誰もが嘲るであろう無謀の所業。

 だが、魔術師などという生き物は、大なり小なり他者から嘲られるような研究を、何代にも渡り続けている。

 五十歩百歩も良いところだ。

 

 それはさて置き。

 私も根源に独力で到れるとは思っていない

 才能はあることは自負しているが、それでも100年以上は研究を続けて、やっと手掛かりの一つを掴める程度だと思っている。

 

 だから、多少の近道を見つけた時は少しはしゃいでしまった。

 お気に入り(上海人形・蓬莱人形)に積極的に話しかけてしまったり、一人でシャンパンを開けたりと正気に返るまで、我ながら酷い有様だった。

 

 

 

 それで、である。

 近道があるといった。

 その近道とは、日本で行われている降霊術の儀式があるのだ。

 60年周期で行われており、つい9年前にも開催されたらしい。

 

 情報はルーマニア宗主宮殿の書架で手に入れた。

 本来、聖職者と魔術師は対立するのが世の習わしだが、この国は過去の出来事から、暗黙の了解が存在する。

 お陰で今はオーストリアとハンガリーの関係みたいなものである。

 

 そんなところで情報を手に入れた私は、早速出かけることにした。

 日本の冬木という土地。

 現地の名士である、遠坂にも連絡を入れた。

 降霊術について研究したいと言ったら、自身の家での監視付きでなら、と警戒しながらも許可は得た。

 その代わりに、かなりの金額をぼったくられたが。

 

 全ては自律人形のため。

 多少の損は投資と判断できる。

 予定では約3年の留学という形になり、魔術とは別に向こうの高校にも通うことになる。

 ホームステイになるのだ。

 

 その間に学ぶ事、降霊術についてなのか?

 それは是でもあるし否である。

 確かに興味深くもあるけど、それは二の次である。

 私の真の目的は、降霊術によって呼び出した過去の魔術師の英霊に師事することである。

 

 無論、魔術師に頼み事をする以上、対価は用意する。

 それが彼女達にとって必要な物なのかは分からないが、私が用意できる最高の物を提供するつもりだ。

 

 最悪の場合、令呪なる絶対命令権で対応はするつもりなのだが、魔術師は策士が多い。

 あまり強硬な手段ばかり取っていると、寝首を掻かれかねない。

 だから、それはあくまで最後の手段にするつもりだ。

 

「まもなく、伊丹空港に到着します。

 お客様におきましては、シートベルトの着用をお願いいたします」

 

 どうやら思考を巡らしている内に、飛行機が日本に着いたらしい。

 どうにも慣れない重力に満ちていく中で思うことがある。

 

 意地でも何かを掴んで帰る。

 自らの魔術礼装であるグリモワールを撫でながら、決意を固める。

 

 ……そういえば、このグリモワールは何時から所持していたかしら?

 何だか、たくましいアホ毛の様な物だけが、記憶の渦の中を過るのだが、うまく思い出せない。

 

 うーん、と悩む私は、未だ自分の人生の転換点が近いことを知らない。

 60周年の期限だと記されていた魔術の祭典は、すぐそこまで迫っていたのだ。

 そしてそれは、私にとって忘れられない記憶となって、更なる濁流に飲み込まれる始まりでもあった。




勢いだけでやった。
公開も反省もしている。


追記:聖杯戦争まで、2年の月日が必要です(小声)。
いつ、サーヴァントを呼び出せることやら(遠い目)。

小ネタ

アリスがルーマニア宗主宮殿で見つけたのは、マキリ・ゾォルケン著作の「聖杯の行方」というのがあったので、それを読んでいた。
最終的な内容は、「無いなら自分たちで作ればいいじゃん!」であった(冬木のこともそこに記載されていた)
尚、聖杯戦争についての記載はなかった模様。


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第1話 遠坂邸の邂逅

タイトルが思いつかないので、割かし適当に……。
すいませんでした(土下座)


 屋敷の呼び鈴の音が鳴り響く。

 その時に満ちていた、私の緊張感は結構なものだったと記憶している。

 遂に来たか、そう思い、私こと遠坂凛は不敵な笑みを浮かべていた。

 

 件の魔術師、アリス・マーガトロイド。

 連絡を入れてきたのは殊勝だし、客人としては持て成そうとは思っている。

 魔術師の流儀で、と但し書きが付く訳だが。

 

 ここで格の違いを教えてやれば、滅多なことはするまい。

 遠坂の土地で、問題を起こすのは、私に対する宣戦布告でもある。

 それを身にキッチリと刻んでから、帰国していただこう。

 

 無論、有意義な留学にする為に、私も最低限の配慮はする。

 研究の成果を、多少は開示してもらうつもりではあるが。

 

 そんなこんなで、自分ができる最大の笑顔を浮かべて、玄関を開けた。

 

「あ、すいません。郵便です」

 

「あ、これはどうも」

 

 ……ややこしい真似、してんじゃないわよ!!

 思わずこう、ガーッ、と内心で吠えてしまったのも仕方ないと思う。

 だが、それでは私に対するイメージがすこぶる悪くなりそうなので、内心だけに留めておいた。

 判子を取りに戻り、ペタッと受取書に押す。

 

 そして何故か、それを確認した配達員は、怯えたように駆け足気味で車に駆け込んでいく。

 確かに不気味な洋館に住んでいるとの自覚はあるが、あまり露骨だと気に入らない。

 まぁ、魔術師にとってはそれが狙いなわけではあるが。

 

 空振ったかと溜息を吐きつつ、家に入る。

 その直後に電話が鳴る。

 

「もう!鬱陶しい」

 

 どうしてこのタイミングで掛かってくるのか。

 嫌がらせとしか、思えない。

 少しイライラしながら、慌てて受話器を取る。

 

「凛、私からの贈り物は届いたかね?」

 

 思わず受話器を置いてしまったのも、無理はない。

 あの陰険な声を聞いたのだ。

 反射的にそうなったとして誰が責められようか?いや、誰にも責められないに決まってる。

 

 ……マテ、アイツは何と言っていた?

 私からの贈り物?

 

 郵送物の宛名を見ると、確かに外道神父の名前が書いてある。

 中身はというと……。

 

 私がその中身を確認すると同時に、再び電話が掛かってくる。

 

「いきなり切るとはご挨拶だな、凛」

 

「うっさい、で何なの、これ」

 

 郵送物の中身は、3分でできる麻婆豆腐、と中国語で銘打たれていた。

 あいつからの贈り物だと、毒でも仕込まれているのでは、と邪推してしまう。

 

「何と言われても土産だ、存分に堪能しろ」

 

「あんた今どこにいんのよ」

 

 そういえば仕事でしばらく出かけると言っていたな。

 思い出し、色々とアホみたいに感じてしまっている自分がいる。

 

 それにしても、と思う。

 私は可憐な年頃の女の子だ。

 それなのに郵送で麻婆を送りつけてくるとは、一体何事だ。

 ……と思ったが、アイツがランジェリーショップで買い物しているのを想像すると、可笑しさを通り越して吐き気がしてきたので、私は考えるのをやめた。

 

「中国の四川省だ。

 今は同僚と食べ歩きをしている最中だ」

 

「へえへえ、ご苦労なことね」

 

「心にもない労いだな。

 まぁ、そんな訳だ。

 次はインドに食べ歩きに行く。

 暫くは戻れないことだけを、伝えに来ただけだ」

 

 そうかそうか、二度と戻ってくんな、クソ神父!

 それを心の中で毒づくと、電話の向こう側から、早くカレーを食べに行きますよ!と若い女の声が響く。

 このクソ神父と共に食べ歩きをするなんて、正気じゃないなとも思いつつ、相手に軽い同情を寄せてもいた。

 

「ではな、凛」

 

「じゃあね、綺礼」

 

 互いに最低限の言葉だけかけて、すぐに電話を切る。

 全く、嫌な時間の使い方をした。

 

 少し顳かみを解して、伸びをする。

 直後に呼び鈴再び鳴る

 またか、またなのか。

 

 予定の人物に会う前に、大きく困憊しつつも嫌々ながらだが再び玄関に向かう。

 どうして予定にない事ばかりで、こんな目にあってるのだろう。

 

 取り敢えず、私が疲れているのも、金欠気味なのも全部全部、綺礼のせいと断定しつつ、扉を開ける。

 そこには、

 

「初めましてね、遠坂凛。

 これからお世話になる、アリス・マーガトロイドよ。

 約3年間の間だけど、よろしくお願いするわ」

 

 そう言って、スカートの裾を軽く上げ、綺麗な所作で挨拶してのける人形のように愛らしい美少女が微笑しつつ、目の前に居たのだ。

 

 ……声が出ない。

 突然な奇襲である。

 綺礼の馬鹿と手を組んで、私を嵌めようとしたのではと考えてしまう程、完璧なタイミングでの登場だ。

 

「貴方、聞こえてる?

 大丈夫なの?」

 

 私が惚けていたせいで、心配したのか、相手方から声をかけてくる。

 その事に顔が熱くなるが、堪えて挨拶をし返す。

 

「ええ、聞こえているわ。

 失礼したわね、遠坂凛よ。

 これからよろしくね、アリス」

 

 手を差し伸べて、握手の体をとると躊躇なくそれをアリスは握り返してきた。

 あ、コイツはもしかしたら、気持ちの良い奴なのかもしれない。

 そう思った。

 

「そういえば事前連絡した神父には、この時間帯に遠坂邸に赴けと指示があったのだけれど、何か理由はあるの?」

 

 訂正、コイツは油断できない奴だった。

 にしてもあの、どグサレ神父め。

 やはり手の込んだ嫌がらせだったか!

 

 私は彼女の言葉のおかげで緩んでいた警戒心が蘇り、警戒しながら屋敷に招き入れることになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、ここは入ってはいけない部屋ね。

 私以外の魔力を感じたら、即座に処刑するような仕組みになっているから気を付けなさい」

 

「物騒ね、余裕が感じられないわ」

 

「侵入者相手に遊んで、遅れを取るほうが問題よ」

 

 魔術師なんだから、当然の返答。

 当たり前の話である。

 だが、私の受け答えに、不穏なものを感じたのか、更に警戒心を上げているのが手に取るように分かる。

 

「大丈夫よ、凛。

 騒ぎなんか起こしたら寧ろ研究に差し支えるからしないわ、安心なさい」

 

「研究が捗る場合は、起こす場合もあるということね」

 

 凛(彼女にそう呼べと言われた)にそう言うと、逆に警戒心を上げられる。

 見透かされたと思ったのかしら?

 

「顔にすぐ出すのは止めた方が良いわ。

 分かり易いわよ、貴方」

 

 うげ、と女の子らしからぬ悲鳴を上げ、凛は沈黙してしまう。

 ……流石にこのままでは不味い。

 

 警戒を持つのは当然としても、余りにされすぎると、協力が得られずに研究に支障をきたすであろう。

 そうなれば私の研究する環境は、悪くなるのは請負である

 

 フウッ、と互いに溜息をついたところで大体の場所は案内してもらえた。

 

「で、最後にあんたの部屋。

 ここの部屋を使ってちょうだい」

 

 中は本棚やベッド、机と最低限の物は取り揃えられていた。

 魔術の道具とかは必要なものは、鞄に詰めたし、後日郵送で届くものもある。

 間取りを確かめつつ、キャリーバックを適当な場所に置く。

 

「何か困ったことがあれば、聞いて頂戴。

 それなりの配慮はするわ」

 

 そう言って、背を向けて凛は立ち去っていく。

 

「待ちなさい」

 

 不信と猜疑を隠そうともしない背中。

 だからだろう、自然と呼び止めていた。

 

「何?」

 

 不機嫌そうに、訝しげるように凛が振り向く。

 

「私は魔術師であると同時に人形師でもあるの。

 劇の一つくらい公演させなさいな」

 

 このまま、極度に不審がられたままよりも、少しでも緊張を解きほぐしておきたい。

 だから私は、自分の出来ることをするまでである。

 

「何であんたのお人形遊びを見なきゃいけないのよ」

 

「それが私の誠意の見せ方だからよ」

 

 それを言うと、鼻白んだようにその場に三角座りをする凛。

 宜しい。

 

 但し、

 

「凛」

 

「何よ」

 

 人形を鞄から取り出しながら声をかけると、ぶすっとした声音で返される。

 だが、そんなことは今は気にしない。

 

「お人形遊びといったわね。

 その認識を改めてもらうわ」

 

 私の誇りを小馬鹿にしたこと、後悔させてあげる。

 

 舞台を整えた私は、物語を語りながら人形の操作を始める。

 劇中で活躍する人形、場を盛り立てるための音楽を担当する人形、劇中に用意する小道具などを運び込む人形、人形劇というものは、ただ人形を操るというだけのものではない。

 其々に役割を持たし、有機的に活動できるようにするのも、操者としての義務だ。

 

 私の糸を伝って人形は動き出す。

 シトシトと歩いて、舞台に現れた人形に合わせて、民謡が静かに響き始める。

 さて、開演である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アリスの人形は人のように動く。

 彼女の魔力を伝って、些細な動作までこなしてみせる。

 見入っていると民謡が染み込んできて、まるで別世界に招待されたかのような感覚が私を襲う。

 

 成程、これは遊びとは言えまい。

 これは技術と呼んでも何ら遜色ない。

 いや、職人の域に達しているとも言えるだろう。

 

 

 それに、これは繊細な動きから、魔力の注ぎ方もかなりの緻密さが要求される。

 それを涼しい顔で苦もなくやってのけているのだから、恐れ入る。

 

 

 終わる、終わってしまう。

 この不思議の国へは終わりを告げ、現実に引き戻される。

 人形達は一礼して、アリスの元に帰っていく。

 

 いつの間にか、私は両手を叩いていた。

 これだけの物である。

 見せて貰ったからには、礼儀として讃えるのは必要なことであろう。

 

 脚本は至って平凡であったが、そこいらの劇よりも真に迫るものがあった。

 つまりは彼女、アリス・マーガトロイドの魔術師と、人形師としての才能がどちらも高水準だったということだろう。

 

「満足いただけたなら、何より」

 

 それにだ。

 今までずっとスカシた顔をしていたアリスが、自慢げにドヤ顔を晒している。

 自分が一番楽しくて、それが褒められると嬉しくて誇らしい、そんな気持ち。

 

 昔、お父様との魔術の訓練をしていた時のことを思い出した。

 その時の私も、きっと今のアリスのような顔をしていたのだろう。

 ……少し、コイツの事が分かった気がする。

 

 コイツは常に自分に自信を持っているのだ。

 だから何時も堂々としているし、余裕があるのだ。

 他人に弱みを見せたくないだけなのかもしれない。

 

 逆に追い詰められれば、かなり切羽詰って行動するのだろう。

 恐らくはだけど。

 

 それに……こいつは、あまり魔術師らしくない。

 彼女なりの誠意で見せた、人形劇。

 それを見て思ったのは、アリスは正直な奴だということだ。

 

 人形劇をしている彼女は、生き生きしていて、素の自分を曝け出していた。

 大人びて見えた彼女は、実は子供っぽい女の子だったのだ。

 

「えぇ、満足したわ。

 これから宜しくね、アリス」

 

 多分私は笑っている。

 それはもうすごく楽しそうに。

 

 友達付き合いだって職業柄、あまりできなかったが、こいつなら気兼ねせずに済みそうだ。

 コイツは正直者だから、ズケズケとものを言ってくるだろう。

 それくらいで上等だと思う。

 

 何だろう、我ながらちょろいと思うが、コイツのこと少し気に入った。

 

「また挨拶?

 まあいいわ、こちらこそ宜しくお願いするわ、凛」

 

 少し呆れていたが、彼女も距離感が縮まったことを察したのだろう。

 乗ってきてくれた。

 

 よし、夕食は少し豪華なものにでもしようか。

 火力はパワーな中華の神秘を見せてやる!

 

「あ、それから凛」

 

 キッチンへと向かおうとする私を、再びアリスが止めてくる。

 水を差すな、今から私は中華を作るのだ。

 

「これ、献上品よ。

 受け取りなさい」

 

 そう言ってアリスは私に品の良い刺繍入りのハンカチを差し出してきた。

 

「来るのに手土産の一つもないと、図々しいでしょ?」

 

 そんなトボけたふうな受け答えをしながら、どうぞ、なんて言ってる。

 無論、好意であるのとタダであるので、ありがたく頂戴する。

 

「……もう少し、派手な方が貴方には似合いそうね。

 次の奴はもう少し、チョイスを変えてみるわ」

 

 何だか、ケチをつけられたような気がしなくもないが、次も貰えるとのことだ。

 朗報である。

 

「そうね、私に似合いそうな、赤とかそんな色のハンカチを用意しなさい。

 下品にならない程度にね」

 

「センスには自信があるわ。

 精々期待しておくことね」

 

 憎まれ口に同様なもので返される。

 腹が立つと思えば、そうでもない。

 悪くない、こういうのも。

 

「えぇ、じゃ、夕食の準備をしてくるわ。

 お礼も兼ねて豪華にするから、精々大人しく待っていることね」

 

 若干の意趣返しも兼ねて、同じセリフを返してやった。

 

「手伝いはいる?」

 

 コイツも料理はできる口か。

 だがしかし、

 

「明日からはこき使ってあげるけど、今は大人しくご馳走されなさい。

 言ったでしょう?お礼だって」

 

 そう言うと、アリスは小首を傾げてしていた。

 何だろう、この生き物かわいい。

 

「良いのかしら?」

 

「良いのよ。

 但し、私は朝を食べないから、自分で作りなさいよ」

 

「分かったわ。

 じゃあ、今日はお願いするわ」

 

 ちょっとしつこかったけど、ようやく承諾を得たことだし早速行こう。

 これからは対等に話せる相手がいる。

 そのことに浮かれながら、私はキッチンへと向かっていった。

 

 こんなに楽しみなのは久しぶりだ。

 期待してるわよ、アリス・マーガトロイド。

 退屈させないでよね!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どうにか凛の心の扉を開くことに成功した私は、ホッと一息ついていた。

 流石にあの雰囲気の中で暮らすのは、許容しかねる。

 

 そんなことを考えながら、私は整備用のモノクルをかけて、人形達を整備している。

 あれだけ動かしたのだから、点検するのは当然である。

 この子達は私の命綱でもあり、商売道具でもあり、家族でもあるのだから。

 

 さて、凛とはどんな関係を築けるのだろう。

 魔術師同士としての割り切った関係?

 それとも友とも呼べる関係だろうか?

 そればかりは、神のみぞ知るなのかもしれない。

 

「貴方達はどう思う?上海、蓬莱」

 

 答えは返ってこない。

 人形なのだ、それが摂理である。

 だが、いずれ答えを返してくれる日は来る可能性はある。

 

 100年か、200年か。

 正直どれほどになるか分からない。

 

「……本当に分からないことばっかり」

 

 人間のまだ若い時期なのだ。

 それが当たり前である。

 だからこそ知りたいのだ。

 

 目標や、魔術、自身のことに至る諸々を。

 

「この屋敷で手に入るのは、何になるのかしら」

 

 答えは望んでない。

 誰への問いでもないのだから。

 

 ただ、願わくば

 

 安息の記憶と、飛翔の為の経験を




凛が早くデレすぎと思われている方もいるでしょうが、僕の実力ではギスギスのまま進めるのが不可能だったので、早めに警戒心を下げてもらいました。

勿論、互いに魔術師な訳ですから、線引きはしていますよ。
ただ、キャラ同士の掛け合いには、不便だったからこう持って行きました(本音)

小ネタ:綺礼の食べ歩きを共にしている相手は、埋葬機関の人物です(棒)


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第2話 コペンハーゲンで人形は踊る

まさかの1万字超え。

やる気の燃料投下は、皆さんのお気に入り登録と感想です。
ありがとうございました。


 穂群原学園の1年には、二人のマドンナが存在する。

 そう、衛宮士郎は記憶している。

 

 一人目は遠坂凛。

 容姿端麗、文武両道の優等生だ。

 まだ入学1ヶ月目だが、遠坂の噂はよく聞く。

 最初のテストでトップだったぞーとか、運動神経が抜群でマラソンで男子張りの早さだったとか、彼女の場合は自然と話が聞こえてくるのだ。

 いつも余裕そうにしている彼女は、確かにカッコよく、遠目から見ててもよく目立った。

 

 そして二人目はアリス・マーガトロイド、俺と同じクラスの奴。

 ルーマニアからの留学生だそうだ。

 外国人なのに日本語が上手く、ほとんど訛りが感じられない。

 それだけでも十分に凄いが、彼女は最初の自己紹介の時のイメージが矢張り強いだろう。

 

「私の名前はアリス・マーガトロイド、ルーマニアからの留学生。

 趣味は人形劇、以上よ」

 

 端的にそう言って着席してしまった、マーガトロイド。

 ……他にもっと言うことはないのかな?とか趣味が人形劇?とか色々突っ込みたいところがあった。

 先生も暫く惚けていたが、マーガトロイドに「私の自己紹介は終わりました」と言われ、気を取り戻したかのように、次の奴へと自己紹介を促した。

 

 あの時にマーガトロイドは変わり者の烙印を押され、若干遠巻きにされることとなっている。

 だが、話しかければキチンと返事はしてくれるし、質問にもちゃんと答えてくれる律儀さはある。

 とある出来事があり、更に近寄りがたいと思われているが、それでもクラスの皆は爆発物でも解体するような慎重さで皆、彼女と仲良くなっていってる。

 

 

 

 

 

 そんな彼女だから、人付き合いは最低限にしかしないと思っていた。

 だからこそ俺のバイト先、居酒屋コペンハーゲンにアルバイトとしてやってきた時には驚いた。

 

「やりたいことがあるから、バイトをすることにしたの」

 

 彼女の言葉が何を指すかは分からないが、芯のようなものを感じた。

 特に考えた訳でもないのに、深く納得してしまったのをよく覚えている。

 因みにバイト先で、彼女の白いエプロン姿は可愛いともっぱらの評判である。

 

「いやぁ、エミやん。アリすんは優秀だねぇ。

 お陰でアタシの仕事が殆ど無いよ、良い子が来てくれたもんだね。

 勿論エミやんが、何時も頑張ってくれてるのが一番大きいんだけどね!」

 

 居酒屋コペンハーゲンの一人娘にして、本人曰く昼行灯な蟒蛇。蛍塚音子、通称ネコさんはそう言って笑い飛ばしていた。

 俺もその通りだと、頷くしかなかった。

 

 マーガトロイドが店に来てから、客回りも効率も上がっていた。

 マーガトロイドは物覚えが良く、初日こそぎこちなかったが、たった三日で人並み以上に働けるようになっていた。

 だが、彼女の真骨頂はそこではなかったのだと、後に俺は知ることとなる。

 

 

 

 

 

「なあ、マーガトロイド。

 どうして居酒屋をバイト先にしたんだ?」

 

 俺はマーガトロイドがバイトに入ってきて一週間くらいしたある日、一緒の休憩時間にふと気になって聞いてみたのだ。

 

「マーガトロイドなら、バイト先は幾らでも選べたはずだよな。

 なのにどうして居酒屋をバイト先に選んだんだ?」

 

「知ってどうするのかしら?」

 

 彼女の声には警戒は感じられず、純粋な疑問しか無かった。

 

「いや、別に気になっただけだ。

 答えたくないなら、別にそれでもいい」

 

 だから正直に答えて、それで良いかって思った。

 拗れさせるつもりもないし、唯の気紛れみたいに聞いただけだったから。

 

「……知りたいなら、19時から20時の間にコペンハーゲンに来なさい」

 

 だから答えが返ってきたのには、素直に驚いた。

 驚いていた顔が、思わず出てしまったのだろうと思う。

 

「衛宮君なら隠すこともないと思っただけよ」

 

 マーガトロイドはそう言って、仕事に戻っていった。

 ……これって俺が無害だと判断したから、教えてくれたんだろうか?

 もしそうだとしたら、ちょっと複雑な気がする。

 

 兎に角である、シフトが俺と噛み合ってない時間帯にマーガトロイドの理由があるらしい。

 藤ねぇや桜を誘って、コペンハーゲンで夕飯を食べるのもたまには良いかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私、アリス・マーガトロイドはバイトを始めた。

 バイトをすることを告げた時の凛の顔は、珍獣でも眺めるが如くであった。

 

「私たち、魔術師よね?」

 

「そうね、私はそれに人形師とも付けてもらいたいところだけれど」

 

 そう言うと、凛はこめかみを抑え、あからさまに溜息をついた。

 

「失礼ね。淑女としての嗜みはどうしたのかしら?」

 

「私はその前に魔術師よ。

 魔術師なんて上品ぶってるけど、中身はロクデナシばかりだし今更よ」

 

 皮肉に返されるのは、呆れるほどの開き直り。

 学園での猫被りと比べると、本当に別人のようである。

 

「研究しに日本まで来たのに、どうして他のことに時間を費やすのよ。

 馬鹿みたいよ、あんた」

 

 本当に呆れているのは私だ、と凛はニュアンスを含ませている。

 だが、まだ彼女は私を理解しきれていない。

 

 当然ではある。

 何せ、まだ出会って1ヶ月。

 理解しきれたというのなら、それは愚か者の戯言か、命数を使い果たすほどに共に駆け抜けたか、または粘着質なストーカー気質の者だけであろう。

 

 幾ら一緒に暮らしているとしてもである。

 私も凛のことは、まだまだ分からないことはある。

 

 凛の部屋でお茶をしていた時に、宝石箱のステッキに付いて聞いた時などの反応などが特にそうである。

 

 無意味に挙動不審になり、ケタケタ笑い始めたかと思うと、急に目のハイライトが消えて沈黙する。

 それ以降、この話題は闇に葬りさられて、暗黙の了解として無かったことにされたのだ。

 

 

 触れてはいけない境界線、それすらも未だに掴みきれていないのが今の私達。

 だが少しずつ分かってきたこともある。

 

 凛が朝食を取らないのは、低血圧からの気怠さから。

 凛が金銭に煩いのは、宝石魔術の燃費の悪さから。

 凛が中華料理が得意なのは、兄弟子に幼い頃から中華料理ばかりを食べさせられていたから。そして、その兄弟子のことがすごく苦手なことも。

 

 手探りでだが、知ることができた。

 前進はしているのである。

 だからこそ、これからも少しづつ知ることとなるのだろう。

 

「私は魔術師であると共に、人形師でもあると言ったわ。

 つまりはそういうことよ」

 

 怪訝そうな顔をしている凛に目的を告げると、今までより更に呆れた顔になった。

 

「もう好きにすればいいわよ。

 それがあんたのアイデンティティなら、これ以上考えるのも馬鹿らしいわ」

 

 本当に馬鹿なのはアリスなのに。

 そんな凛の呟きは虚空に消える。

 

 そんなこと、私はとうの昔に知っている。

 だがそれでも思うのは、魔術師こそが本当の馬鹿の集まりで、私はそのうちの1人に過ぎないのだということだ。

 言わないのは、互いに泥沼にはまるだろうから。

 

「そういえば」

 

 思い出したかの様に、気付いたかのように凛が言う。

 

「衛宮君、あんたと一緒のバイト先だっけ」

 

「そうね、もしかして気でもあるのかしら?」

 

 帰ってきたのは失笑。

 あかいあくま、とでも称されそうなくらい、綺麗に鼻で笑ったのだ。

 

「私はロクにあった事のない奴を好きになるほど、刹那的じゃないわよ」

 

「それならどうして?」

 

 それを聞くと、凛はココでない何処かへと思いを馳せ始める。

 凛の思い人は、きっと衛宮君ではない他の誰か。

 その思いは恐らく恋ではない、別のものだろう。

 

「どうしてかしらね」

 

 凛らしからぬ、歯切れの悪さ。

 それだけ複雑で、雁字搦めのような、そんな問題なのかもしれない。

 

「それより!」

 

 唐突な大声。

 今までの空気を吹き飛ばすかのような転換。

 ……強引にも程があるが、凛らしさに満ちた強引さ。

 

「アリスは衛宮君のこと、どう思ってるの?」

 

 鮮やかさの中に、下世話さと姦しさを孕んだ、あくまの笑みを浮かべている。

 矢張り、魔術師である前に女子であったらしい凛は、ニタニタとしながら答えを待っている。

 

「別に嫌いじゃないわよ」

 

 そう、嫌いではないのだ。

 

「アリス、あんた本気なの?」

 

 真顔に戻る凛。

 もう少し違う答えを期待していたなら、凛の思惑を外すことには成功したらしい。

 

「恋愛感情は持ってないけど、予々好意的よ」

 

 他人と比べれば、衛宮くんはとても興味深い。

 一見、極度に親切な好青年に見える彼だが、注意深く見ると何かがズレているのだ。

 他人に親切にするのは、好意や下心の裏返し。

 

 だが、彼の場合は平等すぎる。

 親しい人にも、初めて会った人にも、全て均しく親切という名の不平等なものを注ぐ。

 まるで何かに急かされるように。

 

 そんな彼を見ていると人形のようだと思ってしまう。

 自分の意思など関係なく、誘導されるが如く踊っている。

 それに気付いた時から、彼は私のお気に入りだった。

 

「冗談半分で、衛宮君を弄ばないでね。

 あんたとの関係、それなりに気に入ってるんだから」

 

 透き通るような鋭さで、凛が言う。

 衛宮くんを心配しているようで、彼を通して別の人を見ている。

 きっと親しい誰か、訳あって想いを閉じ込めねばならない誰か。

 

「分かっているわ。

 私が衛宮くんを気に入ってるのは、見ていて面白いからだけよ。

 他意はないわ」

 

 本音である。

 凛の目を見る。

 私と同じ碧眼、ラピスラズリのような碧。

 

 互いに目を見る。

 相手を見透かすように。

 真意を伝えようと、掴もうと。

 

「そういえば、あんたは嘘を言ったことがなかったわね」

 

 目を通して察したのか、納得したかのように頷く凛。

 当たり前である、疚しさなど欠片もないのだから。

 

「信じて貰えたようで何よりだわ」

 

「他人の心なんて分かる訳ないんだから、自分で信じれるかどうか判断したまでよ」

 

 あんたは信用できる。

 暗に含まれた、その言葉に少しの優越感を覚える。

 

 こればかりは、日々の積み重ねが物を言う。

 それが正当に評価されたのだから、嬉しく思うのも当然である。

 それと同時に、凛のお人好し加減はかなりの物だ、と思ってしまうのは仕方がないであろう。

 

「その甘さに足元を掬われないようになさいな」

 

「あんたも馬鹿正直に答えて、墓穴を掘らないことね」

 

 互いに欠点をあげつらう。

 だが恐らく、私と同じことを凛も考えてるに違いない。

 

 でも、それがいいの!

 そうでしょう、凛?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「士郎ー、今日のご飯はなぁにかな~!」

 

 藤ねぇが何時もの調子で帰ってくる。

 その様子はまるで、飢えたケダモノのようにであり、とっても凶暴である。

 

「今日はお外に食べに行くらしいですよ、先生!」

 

 桜が藤ねぇの問いに答えを返す。

 俺が直接伝えると、直ぐに飯が食えないことを知った藤ねぇが暴動を起こし、俺が被害に遭うのは確定事項になるので、桜のフォローはとても有難い。

 

「ありがとう、桜。

 埋め合わせは、また今度な」

 

「私は普通に伝えただけですよ。

 でも、先輩がどうしてもと言うなら、明日の夕飯は私に任せて下さい!」

 

 フンスっと、鼻息が荒い桜に一本取られたなと苦笑しつつ、財布を確認し出かける準備を整える。

 

「えぇー、私は!士郎や桜ちゃんのご飯が食べーたーいーのぉ!!」

 

「わがまま言うなよな、藤ねぇ」

 

 まるで子供、まさに子供。

 流石は子供のまま大人になったと定評のある藤ねぇである。

 絶対甘やかして育てた、雷画さんにも責任があると思うんだ。

 

「大体、どうしてお外で食べるなんて言い出したの、士郎?」

 

「あ、私も少し気になります、先輩」

 

 多分突っ込まれると思ってた。

 まぁ、隠しだてする程の事じゃないし言えばいいよな。

 

「ちょっと気になる事があってな。

 同じクラスのマーガトロイドって奴が、この時間にコペンハーゲンに来れば疑問が解消するって教えてくれたんだ」

 

 ……沈黙が訪れる。

 

「先輩? マーガトロイド先輩って、前に話してくれたバイトが一緒になった人ですよね?」

 

 桜の不安そうな表情での、角度45度からの上目遣い。

 疚しい事はないのに、何故か心が痛くなってくる。

 

「士郎、マーガトロイドさんにお酌されたいから、オトコのところに行くんだ~」

 

 藤ねぇの目が不潔ー、と雄弁に語ってる。

 あれ、もしかしなくても誤解されてる?

 

「待った、桜も藤ねぇも落ち着けって!

 そういうのじゃないから」

 

 確かにマーガトロイドは美人だと思うけど、それとこれとは別問題だ!

 

 結局、誤解を解くのに10分位時間を消費する羽目になる。

 ……10分で済んだのって奇跡じゃないかな、多分。

 てか、ネコさんと藤ねぇって知り合いだったんだな、初めて知ったぞ。

 

 

 

 

 

「オ~トコッ!食べに来てあげたわよぉ」

 

「止めろって藤ねぇ、他にも客がいるんだから」

 

 大声で来店した藤ねぇの後に俺が続く。

 俺の後ろを桜が小さくなりながら、顔を赤くして入店する。

 これは桜の反応が正しい。

 普通は恥ずかしがるものである。

 

 だが周りの客層は近所の連中ばかりなので、特に気にした風もなく、むしろ好意的であった。

 

「やぁ、大河ちゃんいらっしゃい。

 久しぶりだね、元気だったかい?」

 

「おやっさん、お久しぶり。

 藤村大河、元気さと可愛さが取り柄だから、心配しなくても大丈夫だって!」

 

 藤ねぇの図々しい物言いに、ガハハと笑い飛ばしながら、肩を叩く店長。

 相変わらず、みんな藤ねぇに甘いと思う。

 

「よく来たわね、タイガー。

 あと、オトコって呼ぶな、ネコと呼べネコと」

 

 不機嫌だが、口元がつり上がってるネコさんが、藤ねぇに注意を呼びかける……って!?

 

「あんたこそ、タイガーって呼ぶなってんでしょうが!」

 

 禁句を平然と口にしたネコさんに、楽しそうに突っかかる藤ねぇ。

 もしかして、これが藤ねぇ達の何時もの光景なのだろうか?

 

 周りの客はエンヤエンヤとはやし立てるだけで、止めるどころか煽るだけ。

 あ、頭が痛い……。

 

「よし、勝負ね。オトコ!」

 

「上等よ、タイガー!」

 

 何故だろう、2人の後ろに炎が燃え盛っているように感じる。

 ネコと虎が2足歩行で互いに、「にゃー」や「がおー」と威嚇し合ってるように見えてくる。

 

「先輩、どうしましょう……」

 

 いきなりのことで、ついて行けなくなったのだろう。

 俺の上着の裾を引っ張って、桜が居心地が悪そうにしている。

 俺も正直予想外すぎる、これが日常なら胃に穴が空くと思うぞ。

 

「素敵な保護者を連れてきたのね、衛宮くん」

 

 そしてこんな中で俺のある意味、目当ての人物がここに現れる。

 

「貴方が……」

 

 桜が息を呑む。

 俺もそれは理解できる。

 敬遠されつつも、穂群原学園のマドンナに選ばれたのだ。

 

 容姿は飛び抜けているに決まっている。

 フランス人形のように、精巧な造形をしている少女。

 幻想のように感じさせる、その存在感。

 アリス・マーガトロイドがそこに立っていた。

 

「可愛い子を連れているわね。

 彼女なのかしら?」

 

 だがその幻想は、即座に木っ端微塵に砕け散った。

 幻想のような存在は、平然と下世話な話を始めたのだ。

 

「え、私が……ですか?」

 

 驚いたように桜が漏らす。

 それに珍しく、と言うか初めて見せるほほ笑みを浮かべ、マーガトロイドは肯定する。

 

「初めまして、衛宮くんの彼女さん。

 私はアリス・マーガトロイド、衛宮くんの同級生よ」

 

 エプロン姿のマーガトロイドは軽く、だが上品に会釈する。

 

「わ、私は、ま、間桐桜といいます」

 

 それを見た桜は慌てて、深々とお辞儀をする。

 

「落ち着きなさい、間桐さん。

 今は客人が貴方で、私が礼を尽くす側なのよ」

 

 そう言って、桜の顔を上げさせる。

 そしてこれまでの流れに、滑稽さを感じたのか、マーガトロイドは微笑し、桜は赤面する。

 

「今日はよろしくお願いします。

 マーガトロイド先輩」

 

「こちらこそ、寛いでいって頂戴、間桐さん」

 

 和やかな雰囲気、ほのぼのしている。

 正直このまま、こっちで一緒に会話に加わっていたい。

 だが、そうもいかない。

 

「私は忘れない!

 オトコ、あんた退学になる時に私の机を木っ端微塵にしたわよね?

 あのおかげで、机の中に入れてたプリンが散乱して、教科書がグチャグチャになったのよ!」

 

「あんたこそ、よりにも寄って全国放送の時にオトコなんて呼び方したわよね?

 お陰でワタシの高校生活は男子が寄り付かなくなって、ドドメ色だったんだからね!」

 

 醜い争いがそこにはあった。

 大人、そう、いい歳した大人がずっとあの調子でケンカしている。

 ネコさんも、珍しくヒートアップし手がつけられなさそうだ。

 

「止めなくていいの?」

 

「マーガトロイドは止められると思うのか?」

 

「あなたにならね」

 

 無茶ぶりもいいところだ。

 だが仕方ない、このまま喧嘩になったら大惨事になり、その後片付けに奔走するハメになるだろう。

 そう考えると、止めないとと思えてくる。

 世話になってる店での乱闘は、流石に気まずいで片付くどころの問題ではない。

 

 店長も客も何故か乗り気だが、そんなのは関係ない。

 早く止めないと、不味い!

 

「藤ねぇもネコさんも落ち着けって。

 藤ねぇ、ここは店の中だし、今日はご飯食べに来たんだぞ。

 それとネコさんも。

 藤ねぇに乗せられてますよ」

 

 そう言うとピタッと二人は固まる。

 藤ねぇは、お腹が空いていたのを思い出しヘタリ込み、ネコさんはムッツリした顔で引き下がった。

 

「おぉ、流石は士郎君!」

 

「怪獣を止めた勇者に乾杯だ!」

 

 常連の客たちは意気揚々と、そう叫びながら追加でビールを頼む。

 あんたら騒げたらそれでいいだけだろ。

 

 何だか、どっと疲れが湧いて出てきた。

 なんで俺、こんなに疲れているんだろう……。

 

「お見事な手並み、大したテイマーね、衛宮くん」

 

「褒められてるのか、それ?」

 

「えぇ、それなりにね」

 

 マーガトロイドは面白がるように、適当なことを言う。

 中途半端に感心しているのも伝わって来るから、更に気分を微妙にさせられる。

 

「そうね、面白いものを見せてくれたお礼に、良い物を見せてあげましょう

 ……あなたの気にしていたものでもあるわ」

 

 マーガトロイドはそう語る。

 いよいよ本来の目的にたどり着けるらしい。

 

「店長、何時ものをします」

 

「あいよ、アリスちゃん!

 今日も楽しみにしてるよ」

 

 客からも歓声が飛び交う。

 一体何が始まるのか、この期待が渦巻く中でもうすぐ答えはわかるだろう。

 

「オトコ、一体何が始まるの?」

 

 無粋にも、近くにいた答えを知っている人に藤ねぇは答えを尋ねる。

 しかしネコさんは意味深に笑うだけであった。

 

「お待たせしました」

 

 マーガトロイドが現れると同時に、場が静まる。

 バカ騒ぎばかりしていた連中が、静かになったのだ。

 

「今宵の演目はフランケンシュタイン。

 作られた怪物は何を求めるのか。

 また、怪物を追う者は何を怪物に対し、どんな感情を持ち合わせていたのか。

 ゆるりとご覧下さい」

 

 居酒屋で聞くことになるとは思えない口上。

 彼女が持っていたのは、人形や小道具であった。

 手早く組み立てた彼女は、マリオネットの糸を引く。

 

 それに合わせて人形が一礼したのだ。

 そして劇は開演する。

 

 内面をよく描写する劇。

 どこからか聞こえてくる音響と共に、進む舞台。

 そして、それと共にのめり込んで行く意識。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 科学者ヴィクターは自らが手がけた理想の人間の設計図に則り、死者の墓を暴きたて、設計図通りの人間を創成する。

 自らが行う行為に、罪悪感と背徳感を感じながらもヴィクターは自分を止めることができなかった。

 

 そうして出来たものは、想像を絶する怪物。

 こんなはずではなかったと、絶望に暮れたヴィクターは怪物を見捨てて、故郷のスイスへと逃亡する。

 

 だが怪物とて生きている。

 容貌こそ醜いが、人間の心をもっているのだ。

 自らの醜悪さを嫌悪しつつも、怪物は彼を追わざるを得なかった。

 怪物は創造主を追い、アルプスをも超えてヴィクターのもとにたどり着く。

 

『伴侶が欲しい。我が身すらも顧みないほど愛せるものが!私と同じ者が!!』

 

 道中の迫害、幸せを願った人間達からも嫌悪される世界に怪物は疲れきっていた。

 だから希う。

 自身と同じ者を、共に生を謳歌できるものを!

 

 これさえ叶えてくれれば、私はもうあなたの前に姿を現さない。

 そう嘆願する怪物。

 

 しかし、更なる背徳と悪徳を重ねることを嫌悪したヴィクターにその願いは拒否されたのだ。

 

『ユルサナイ』

 

 怪物は理不尽な世界や創造主を憎み、ヴィクターの愛する者たちを手にかけていく。

 ヴィクターは尽力を尽くす。

 愛する者達をこれ以上はやらせはしないと。

 

 しかし、零れていく。

 母が父が、婚約者に友たちが。

 

 こうしてヴィクター・フランケンシュタインは一人ぼっちになった。

 

 だから復讐することにしたのだ。

 

『奴を生み出したのが私の業なら、私がそれを払うしかないのだ』

 

 怪物は待ちわびている。

 創造主が自身に会いに来るのを。

 人間がいない北極の海で、ただひたすらに。

 

 自ら北極海まで出向いたヴィクターであったが、彼は病に陥る。

 死が自らに迫ってきているのは、容易に想像できた。

 

 病の中で必死にヴィクターを助けようとした、航海者ヴォルトンに対し、すべての罪を告白してから、怪物を殺してくれと頼み、絶命した。

 

 その夜、ヴィクターの遺体の前に怪物が現れたのだ。

 

『おぉ、創造主よ。

 我が憎き、しかして救いを与えられる唯一の創造主よ。

 なぜ死んだ、私はあなたを失ったのか!』

 

 彼に救いをもたらせる、憎き創造主の死。

 それは怪物に生きる気力を無くさせるには十分だった。

 北極海に舞い戻った彼は、自らに火を放ち絶命するまで悶えて灰燼と化す。

 

 名も無き怪物は、それ以降誰からも見つかることがなくなった。

 ただ北極の地にて、灰が降り積もるのみである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ご清聴、ありがとうございました」

 

 マーガトロイドが頭を下げるのと同時に、現実に引き戻される。

 周りからは、喝采の拍手を持って迎えられている。

 

「ほへー、マーガトロイドさんてびっくり人形師さんだったんだ」

 

 藤ねぇ、が何か言ってるがよく聞こえない。

 それだけ、この物語には救いがなく感じた。

 

「私の人形劇は、お気に召したかしら?」

 

 片付けを終えた、マーガトロイドが話しかけてくる。

 

「うんうん、すごく上手だった。

 次は新選組をお願いしたいなぁ」

 

 藤ねぇが答えを返す。

 

「新選組は登場人物が多いですから、無理ですね」

 

 にべもなく返されて、露骨にしょげて、次の瞬間に酒を注ぎ始める藤ねぇ。

 今日も絶好調である。

 

「マーガトロイドのしたいことって、人形劇のことだったのか?」

 

 入学当時の自己紹介を思い出す。

 あの時の趣味が人形劇とは、こういうことだったんだなと理解する。

 

「その通りよ。

 私は人形師、だから人形劇が出来るところでしか働きたくなかったの」

 

 それを受け入れてくれたのはこの居酒屋だけだったわ、と回想するマーガトロイドに少しおかしくなる。

 普通、バイトをするなら自分の我を押し通すことはしない。

 だけどそんな我が儘を言えるマーガトロイドだからこそ、このバイト先はピッタリなのかもしれない。

 

「……マーガトロイド先輩、少しいいですか?」

 

 俯いた桜が話しかける。

 表情は影と、髪に隠れてよく見えない。

 

「何かしら」

 

 どうぞ、とマーガトロイドが続きを促す。

 

「怪物は……どうやったら救われたのでしょうか?」

 

 それは俺も思ったこと。

 フランケンシュタインの怪物は、醜くても人間の心を持っていた。

 それなのに存在を拒絶した、ヴィクターに俺は憤りすらも感じていたのだ。

 

 それを聞いて、金色に煌く髪を弄る彼女。

 だがそれも数秒で、思考が纏まったのか、俺の方に顔を向けた。

 

「衛宮くんなら、怪物をどうするの?」

 

 俺に話が普及する。

 試すような目で見る彼女に、見つめられる。

 それに応えられるかは分からないが、俺の思ったことは全部伝えようと思う。

 

「俺は怪物を受け入れたいと思う」

 

「醜悪で、自らを殺せる怪物を?」

 

 意地の悪い問い。

 だが、それは何ら障害にならない。

 

「だってそいつも人間なんだ。

 綺麗事って言われればそれまでだけど、分かり合えるだろ?

 なら、友達にだってなれるさ」

 

 そう言ったら、マーガトロイドは満足したように、うんうんと頷く。

 

「だ、そうよ間桐さん」

 

「……え?」

 

 自失したかのような、緩慢さでゆっくりと顔を上げる桜。

 それを確認しつつ、マーガトロイドが更に続きを言う。

 

「衛宮くんみたいな変わり者を探すべきだったのよ、怪物は。

 創造主なんてほっといてね」

 

 桜の目が見開かれる。

 驚いたように、信じられないものを見るように、縋るように俺を見る。

 

「怪物は同じ怪物同士でしか、理解し合えないと思っていたようだけど、人間に絶望するのが早かったのね。もしかしたら、どこかに受け入れてくれる変人がいたかもしれないのに」

 

 マーガトロイドも観察するように俺を見る。

 面白いものを見つけたかの如く。

 

「怪物は体が丈夫でも、心が脆かった。

 人間を忠実に再現してしまった、ヴィクター・フランケンシュタインの功績にして罪ね」

 

 嗤うように、憐れむように彼女は言う。

 ただ、と付け加える。

 

「自分の生み出したものに対して、無責任だったヴィクターはあまり好きではないわ。

 生かすにしろ、殺すにしろ、ね」

 

 言い終えてから、マーガトロイドは桜の耳元で何かを囁く。

 そして一筋の涙が零れ落ちるのを俺は見た。

 一筋だけ、それ以上は溢れなかった桜の涙だ。

 

「店長、今日は上がります」

 

「あいよ、明日も期待してるからなぁ」

 

「アリすん、お疲れー」

 

 店長とネコさんに会釈しながら、何事もなかったかの様に帰っていくマーガトロイド。

 

「マーガトロイド先輩!」

 

 どこからか大声がする。

 それが桜の物だと認識するのに数秒が必要だった。

 

「今日はありがとう御座いました」

 

「私の人形劇がそんなに気に入ってくれたのなら、重畳ね。

 また見に来て頂戴」

 

 桜の真意をはぐらかすかの様に、煙に巻くマーガトロイド。

 だが、それでも思いは伝わったと感じたのか、振り向いた時には笑顔の咲いた桜がいた。

 

「先輩、私たちも帰りましょうか」

 

「そうだな」

 

 短く返して、俺も立ち上がる。

 良い時間だし、そろそろ頃合であろう。

 

「しろぉ、私はもっと飲んでから帰るねぇ」

 

「そうね、私たちの宿命の対決は始まったばかりなのよ」

 

 藤ねぇとネコさんが飲み比べがうんちゃらと言っている。

 積もる話もあるだろうし、ここはそっとしておくのが一番かもしれない。

 

「わかった、あんまり遅くまでいるなよ、藤ねぇ」

 

「士郎こそ、しっかり桜ちゃんを送って帰りなさいよ」

 

 何時ものように念押しをし、再びグラスを傾け始める藤ねぇ。

 そんな何時もとあまり違わない光景に、少しホッとしつつ、桜に言う。

 

「じゃあ、行くか」

 

「はい!」

 

 

 

 

 

「なぁ、桜」

 

 帰りの宵闇の中で、俺は語りかける。

 

「家で辛いこととかあったりするのか?」

 

 たった一筋の涙。

 その時の桜の顔は、前に進もうと決意した表情でもあった。

 

 立ち向かう先は自ずと限られてくる。

 そして最有力候補は、間桐の家だった。

 

 慎二に殴られていた桜が、脳裏によぎる。

 アイツと大喧嘩をする理由にもなった事件。

 

「大丈夫です」

 

 俺の内心を想像してか、笑って告げる桜。

 答えになっていなかったが、年下の彼女は安心させられる母性のようなものを感じさせていた。

 

「ヤバくなったら、勝手に助けに入るからな」

 

 年下の妹分である桜に見透かされて、妙な気恥かしさを感じた俺は、照れ隠しのようにそう言うしかなかった。

 

 ……3日後、桜が荷物を持って俺の家に住むといってくるのはまた別の話。

 いや、なんでさ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 たぶん彼女がそうなのだろう。

 間桐桜を見て、私は憶測する。

 

 遠坂凛の特別に意識している誰か。

 衛宮くんのことを気にしてたのは、彼女が衛宮くんの近くにいたからだろう。

 

 1年違いの、未だ中学生の彼女。

 魔術師同士の家柄である彼女との関係は、浅からぬものがあるだろう。

 最近学んだ、聖杯についての知識の中にある、始まりの御三家。

 その一角である間桐、それに遠坂。

 

 

 

 

 彼女達は、友だったのだろか。

 特別でも絆はあるのだろうか。

 それともそれ以上の存在だったのだろうか。

 

 全ては全て、謎に埋もれている。

 

 いずれ凛が話すかもしれないし、話さないかもしれない。

 語るにしろ、騙るにせよ、全ては凛の裁量一つ。

 

「時が来れば、分かることね」

 

 何にしろ、今わかることではない。

 凛も、触れては欲しくなさそうであった。

 時にはそっとしておくのも、必要なことである。

 

 それにしても、と思う。

 

「彼女は何を見たのかしらね」

 

 私の人形劇を通して。

 

 自身の影を幻視したのだろうか。

 もしそうだというのなら、彼女は相当に業が深いことになっているはず。

 だが、先程の会話で間桐桜が悟ったように、確かなことはあるだろう。

 

「やっぱり衛宮くんは面白いわね」

 

 綺麗事ばかり言っているが、それさえ信用されている間桐桜の希望。

 とても可愛い、自動人形さん。

 

「なんてね」

 

 私の人形の理想系を見たような気がしたから、つい気にしてしまう。

 これからも、暫くは衛宮くんの観察は止められそうにない。




目に付く範囲で観察するだけです。
アリスは決して、ストーカーにはなりません(キッパリ)

次は流れ的に桜を書いたほうが良いんだろうなと思う何かです。
それにしても、主人公のはずであるアリスの描写が薄い。
タグに群像劇とでも、追加したほうが良いのでしょうかね?
あと、士郎の正妻は桜だと書いてて思いました。























 遠坂邸にある宝石箱。
 その中には、ゆめときぼーが詰まっていた。


「このステッキ……」


 アリスはずっと気になっていた。
 凛が話題に触れるたびに、豹変するこの不思議なステッキのことを。


「後で謝ればいいし、問題ないわよね」


 軽い気持ちであった。
 何気ない、日常での一幕。

 そう……なるはずであった。


 魔力を注ぐ、おそらくそれが発動条件であろうから。
 そして、アリスの予想は的中する。


「おぉ、おお!
 なんて魔法少女力なんでしょう!
 素晴らしい、素晴らしい逸材を発見です!!」


 一瞬の隙にステッキに自身の主導権を奪われる。


 (このままでは!)


 自我が塗りつぶされるかもしれない、その恐怖を感じて身が竦む。


「大丈夫ですって、乱暴しませんから。
 だから体の主導権を私に貸してくださいな♪」


 意識が途切れていく。
 
 (私、こんなバカなことで死ぬのかしら)

 後悔してもしきれぬばかりの無念の中で、アリスの意識は途切れることとなった。
 
 ………
 ……
 …

「カレイドライナー、マジカルアリス♪
 魔法の国より、参☆上!」



 次回、魔法の国のアリス(大嘘)

 無論、続きません。
 というか、こんな迂闊なこと、アリスはしませんし(白目)


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第3話 桜色狂想曲

今回の話は割と難産でした。

それと皆様、感想ありがとうございました。
届くとテンションが上がるものですねw


 私は決めたのだ、あの夜に。

 どんな時でも先輩の側に居る。

 そのために頑張るって。

 

 

「お祖父さま、私を衛宮の家に置かせてください」

 

 

 地下の部屋、暗がりの中で私が魔術の鍛錬をする場所。

 そこで私と相対しているお祖父さま。

 私が一番怖い人、その人に私は語りかける。

 

 

「呵呵っ、衛宮の家での監視は充分行えているはずだがの。

 桜よ、何をしようというのだ」

 

 

 愉快そうに、私を見つめる。

 何を考えてるか、分からない笑いを浮かべながら。

 単に面白がっているのかもしれないし、私の内心を推し量ってるのかもしれない。

 

 

「次の聖杯戦争の時」

 

 

 私からその話をするとお祖父さまは、ほぅ、と呟き杖で床を叩く。

 続きを話しても良いという事だろう。

 私は息を吸う。

 

 

「間桐の家と衛宮の家。

 2つが合併すれば、更に聖杯は近くなる。

 そう思いませんか、お祖父さま?」

 

 

 60年の周期で行われる聖杯戦争。

 その第4回目の儀式。

 その戦いでの魔術師、いえ魔術使いにして魔術師殺し、衛宮切嗣の伝説。

 その一端を私は聞いたことがある。

 ほかならぬ、お祖父さまが語ったこと。

 

 先輩のお父様とは思えないほど、荒んだ戦いの一幕。

 私の死んだお義父様、間桐鶴野はかの魔術師殺しにより拷問を受け、心を病んだそうだ。

 私と同じ人がいる、そんな冷めた目でしか見られなかった、虚ろな目をしたお義父様。

 

 その原因になったのが、先輩のお父様なのだ。

 でもそんなことは、どうでも良い。

 私たちには関係のない話なのだ。

 

 

 

 私が知ってるの事は私の見た先輩のことだけ。

 

 先輩が優しい人なこと。

 先輩が頑張り屋さんなこと。

 先輩は魔術師だけど、魔術師らしくなんてないこと。

 

 そして、先輩になら私が受け入れられて貰えるかもしれないこと。

 

 この程度である。

 私は無知で、魔術の知識では兄さんにも劣るであろう。

 私自身を当てに出来ない。

 

 だから、私が唯一信じられる先輩を信じるしかないのだ。

 

 

「呵呵、桜よ。

 お前の報告では衛宮の倅は魔術師をして未熟で、取るに足らない存在ではなかったか?」

 

 

 私がお祖父さまにした報告。

 先輩を危険から遠ざけたかったが為の言葉。

 でも先輩は実際に、魔術師に向いていない。

 

 つい人助けをしてしまう、優しい先輩。

 毎日遅くまで鍛錬をしていて、土蔵で寝てしまう頑張り屋な先輩。

 頑張っても訓練が問題なのか、中々伸びない先輩。

 

 助けたい、でも知られたくない。

 その二律背反。

 

 

「私が魔術を教えます。

 先輩を立派な魔術師にします!」

 

 

 先輩に汚れてほしくないのに、魔術を教えるなんて言う最低な女。

 それでも先輩と一緒にいたい。

 先輩に嘘をつきたくないのだ。

 

 

「まともな魔術を使えないお前がか。

 冗談にしては面白くないぞ桜」

 

 

 痛いところを突かれる。

 私の魔術は体に覚えさせられた間桐の魔術。

 虫で調整を受けた……汚れた魔術。

 

 

「それとも何かぇ」

 

 

 嫌な予感がする。

 お祖父さま、言ってはダメ。

 言わないで!

 

 

「衛宮の倅も虫の苗床にするか」

 

 

 足元が崩れ落ちそうになる。

 先輩が私と一緒に……?

 

 やめて、先輩を汚さないで。

 

 

「お祖父さま、お戯れが過ぎます」

 

 

 震えながら紡がれる声。

 しかし、お祖父さまには聞こえている。

 

 

「ではどうするのだ。

 お前に何ができる」

 

 

 お祖父さまの言葉と共に体の虫が疼き出す。

 私の無力さを思い出させるように。

 

 

「お、じいさ、ま。

 ど、お、して」

 

 何もかも忘れて感じなくしないと、苦しくて死にたくなる体の汚れ。

 でも今はダメ。

 今は引きたくないのだ。

 

 お祖父さまが私の体を掻き乱すように、虫を動かす。

 でも負けたくない、今は耐えなきゃ。

 

 

「これでも分からんか。

 お前には無理だ、桜。

 どれだけ好いていようと、衛宮の倅はお前を見ない。

 諦めろ」

 

 

 お祖父さまは私を見透かす。

 自覚のある影の部分を揺さぶり、私を諦めさせようとする。

 先輩は私を見ない。

 汚い私を嫌悪する。

 

 そう言って、私の心を折る。

 今までなら屈してた。

 自身で認めてしまえるほどに汚れ切った私。

 

 でもあの日、先輩は言ってくれた。

 

 

『俺は怪物を受け入れたいと思う』

 

 

 こんな私でも、受け入れてくれる。

 そんな予感と共に。

 

 

『だってそいつも人間なんだ。

 綺麗事って言われればそれまでだけど、分かり合えるだろ?

 なら、友達にだってなれるさ』

 

 

 信じたい、でも信じきれない。

 先輩の言葉は抗いがたい、魔法のような言葉で。

 

 もっと近づければ確かめられる。

 先輩のことをもっと知ることで、私は確信したい。

 

 

「わた、しは!」

 

 

 醜く足掻く、それが希望へと繋がっているのなら躊躇なくだ。

 

 

「諦め、ませんっ!」

 

 

 足の震えがとまらず、ヘタリ込み、己の矮小さを曝け出している。

 でも諦めない。

 

 

「どういうことだよ……」

 

 

 上から声が聞こえる。

 苦しいながらも認識できる。

 ずっと一緒だった、慣れ親しんだ声。

 

 

「衛宮が魔術師だって!

 どういうことだよ、一体!!」

 

 

 兄さん、優しかった兄さん。

 私が歪めてしまった、哀れな兄さん。

 その兄さんが、声を荒げながら降りてきた。

 

 

「あいつも魔術師だったって訳かよ」

 

 

 何かを我慢するように、堪えるように兄さんは声を震わせる。

 手を握り締め、歯を食いしばる。

 

 

「呵呵、慎二には言うてなかったのぅ。

 そうじゃよ、衛宮の倅は魔術師じゃ。

 奴の親もそうじゃった」

 

 

 兄さんの目がギラギラしている。

 私に鬱憤を晴らす時のあの目を。

 

 

「そうかよっ!

 成程、桜が衛宮の家に通ってたのもそういう訳か」

 

 

 苛立ちの中で、これまでの繋がりを簡単に看破してのける。

 頭の良い人。

 魔術さえ拘らなければ、立派な人間になれる兄さん。

 

 

「ふむ、成程……これは」

 

 

 お祖父さまが思案する。

 面白いことを思いついた、そう言わんばかりに。

 

 

「慎二よ」

 

 

「何だよ!」

 

 

 お祖父さまの呼び掛けに、怒鳴り返す兄さん。

 まだ現実が認められない、認めたくないのだろう。

 

 

「お前、衛宮の倅に魔術を仕込んではみぬか」

 

 

 

 心の整理がつかない兄さんに、お祖父さまはもっと内心を掻き乱すような言葉をかけたのだ。

 

 

 暗転。

 私の意識はここで途切れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここは居酒屋、コペンハーゲン。

 先輩のバイト先であり、あの人のバイト先でもある。

 

 あの人、アリス・マーガトロイド先輩。

 金髪碧眼の愛らしい、綺麗な人。

 この人を見た時、ここが夢であることを漠然と思った。

 

 

 私の背中を押した張本人。

 シンデレラに出てくる魔法使いのような人。

 

 私自身がシンデレラなんて、烏滸がましい。

 だけど、そんな夢を囁いたのもマーガトロイド先輩。

 あの時、あの人が私の耳元でささやいたこと。

 

 

『衛宮くんがいるなら、貴方は大丈夫ね。可愛いサンドリヨン」

 

 

 暗い話の後で童話を持ってくる人形師の彼女。

 お茶目なのか素なのか、判断がつかない。

 唯々、私は目を見開くことしかできなかった。

 

 

『貴方が何を抱えているかは分からないわ。

 でも衛宮くんなら、もしかするかもしれないわね』

 

 

 あの人はきっと魔女だ。

 魔術師とかそう意味ではない。

 

 人間に侍り、その人の耳に囁くのだ。

 その結果が栄光か破滅かなどは気にしない。

 

 

 だけど、私はその囁きに希望を見出してしまった。

 弱い私が拠り所にしかねない言葉を、サラリと出してしまう惑わす人。

 

 

 だからね、マーガトロイド先輩。

 私、もし先輩に拒絶されたら貴方を恨んでしまうかもしれません。

 

 その時は私を受け止めてくれますか?

 それとも自己責任として無視されちゃうのかな?

 

 

 夢が終わる。

 先輩との帰り道に前に踏み出そうと決めた夜が夢の最終地。

 先輩の照れた顔を可愛く思いつつも、意識が浮上し先輩の赤い顔は薄ぼやけていった。

 

 

 

 

 

 目が覚めて初めに覚えたのは自己嫌悪。

 マーガトロイド先輩に甘えて、押し付けようとしていた。

 自身の決断にさえ、責任を持てない私。

 

 

 その責任のありかを、無意識に探していた。

 先輩さえも信じきれていない、覚悟の足りない私。

 

 今回の出来事、私はそれなりの覚悟で挑んだつもりだった。

 でも勢いが途切れると、途端に不安がぶり返してくる。

 

 

 先輩、会いたいです。

 

 

 そうすれば、きっと私の不安は晴れて笑っていられる。

 近くに先輩を感じられるのなら、私は先輩を信じられる。

 

 

「桜、ようやく目を覚ましたか。

 寝すぎなんだよ」

 

 

 私の前に現れたのは先輩ではなかった。

 兄さん、私が気絶する前に話を聞いて激昂していた彼。

 

 でも今は落ち着いてる。

 それどころか、笑ってさえいる。

 兄さんらしい、不敵な笑顔で。

 

 

「それじゃあ、桜。

 お前、今日から衛宮の家で暮らせ」

 

 

 カバンが私の寝ていたベッドの近くに転がる。

 兄さんが投げたもの。

 恐らくは私の荷物が詰まっている。

 

 

「本当に……いいんですか?」

 

 

 信じられない、未だにそういう気分。

 だって、あんなに苦しい目にあったのに。

 お仕置きされたはずなのに、お祖父さまが許可をくれた?

 

 

「爺が認めたことがそんなに驚くことかよ。

 いや、お前はそうだよなぁ」

 

 

 兄さんの表情が歪む。

 切なくて、憎悪に満ちて、理不尽を嘆く。

 魔術師の私を見る目だ。

 

 でもその中に、イカロスが星を目指すような羨望がある。

 私には分かる。

 

 姉さん、遠坂先輩を見るときの私の目。

 それによく似ているから。

 

 

「爺の言うことに従って生きてきたお前だ。

 急に掌を返す様な真似をされたら、普通は疑うよなぁ」

 

 

 だが兄さんの表情は、バカな私を笑うものへと変化する。

 その表情に違和感を感じる。

 

 

「だけどなぁ、今回ばかりはお前は僕に感謝しろよ!」

 

 

 その言葉の真意を中々察せなかった。

 どういうことだろうか。

 兄さんは何が言いたいんだろう?

 そんな私にイラついた、兄さんは痺れを切らして捲し立てる。

 

 

「やっぱりお前は愚図だなぁ」

 

 

 その時の兄さんの表情に、私は驚きを隠せない。

 夢の中にいるような、懐かしさを覚えて。

 

 

「特別に!この僕が衛宮の魔術を教えることになった!!

 お前が衛宮に説明しろよ!」

 

 

 笑っている、兄さんが笑っている。

 昔に見た、傲慢さの中に優しさが隠れている兄さんの笑顔。

 歪む前の兄さんだ。

 

 

 自信に満ちた、堂々たる間桐慎二。

 その人がそこに立っていた。

 

 

「兄さん」

 

 

「何だよ桜。急に」

 

 

 兄さんが鼻白んだように私を睨む。

 だけど、聞かずにはいられない。

 

 

「兄さんは、どうして嬉しそうなんですか?」

 

 

 兄さんは自慢のコレクションを、紹介するような楽しげな顔をした。

 だけれど、一抹の諦めも介在するような諦めも感じた。

 

 

「お前たちの子供と僕の子供を交わらせる。

 要するに結婚させるって爺が言ったんだ」

 

 

 お前たちの子供?

 それは誰と誰の?

 

 

「ま、魔術の修行は僕が付けることになるようだし?

 その為に衛宮で予行演習をするって話しさ。

 精々使えるやつになって、僕の家系にマトモな才能を持った子供を産んでもらわなくちゃ、僕が困るんだよ!」

 

 

 間桐の栄光のためにもね。

 そう言う兄さんは、大切な玩具を無くしてしまった子供のようで。

 少し大人な顔になっていた。

 

 

「すみません、兄さん。

 子供って誰の子供と、兄さんの子供を結婚させるのですか?」

 

 

 でも空気が読めない私。

 仕方ない、そう自分に言い聞かせる。

 だって、兄さんの話が本当なら私は……。

 

 

「誰って、お前と衛宮以外に誰もいないだろうが。

 やっぱりお前は馬鹿だな。

 まぁ、馬鹿同士、気が合うのかもしれないけど」

 

 

 かおがあかいきがする。

 

 やっぱりそうなんだ。

 お祖父さま、私は貴方に感謝致します。

 

 

「でも、兄さんはそれで良いんですか?」

 

 

 現在時刻は7時。

 あれから1時間も経っていないのに、決意を固めたのだろうか。

 落ち着こうと考えを巡らしたら、そこに行き当たったのだ。

 

 

「しょうがないだろ」

 

 

 少し声を荒げるも、それは小波のようで。

 落ち着いているのだ。

 

 

「僕には魔術回路がない」

 

 

 それは兄さんのコンプレックス。

 私が哀れんでしまった理由。

 

 

「だけど、そんな僕でもようやく魔術の世界に関われるんだ!」

 

 

 だから、それで満足するしかないだろう?

 

 

 それが兄さんの答え。

 現実に相対した、彼の回答なのだ。

 

 

 

 

 

「兄さん、ありがとうございました」

 

 

 深々と頭を下げる。

 私は今はそれしか術を知らない。

 

 

「これは貸しだ。

 お前ら二人に何時か返してもらうからな!」

 

 

 兄さんは尊大に、それが当たり前のごとく振舞う。

 だけど、それが気持ちよく感じる。

 

 

「お前、ちゃんとシャワー浴びてから衛宮の所いけよな。

 2日も寝たきりだったんだから、臭ったら最悪だぞ」

 

 

「え?」

 

 

 2日?

 1時間じゃなくて?

 

 混乱する私を尻目に、兄さんは去っていく。

 2日も寝たきりだったんだ、私。

 

 

 そうなんだ、じゃあ兄さんの心の整理がついていたのもそのお陰で……。

 2日も顔を出していなかったんじゃ、先輩にも心配をかけてないだろうか?

 それに気付くと、慌てて支度にかかる。

 

 

 まず最初に始めるのはシャワーを浴びることだった。

 ……先輩に臭うぞ、何て言われたらしばらく立ち直れなくなりそう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 下校時間、私は遠坂邸への帰路の最中に振り返る。

 

 

「何の真似かしら?ストーキングにしては、分かり易いけれど」

 

 

 先程から私を追跡する人物が存在している。

 長い髪をぴょこぴょこさせながら、電柱の陰に隠れてこちらの顔色を伺う兎。

 

 

「あ、すみません。

 ずっと話しかけようと思ってたのですが、いつ話しかければ良いのか分からなくて……」

 

 

 顔を朱に染め、ワタワタしながら出てきたのは間桐桜。

 

 少し前に人形劇を見せた娘。

 衛宮くんにベッタリな娘。

 色々と複雑な事情を抱えてるであろう娘。

 

 

「普通に話しかけなさい。

 それとも何か、話しづらいことなのかしら?」

 

 

 私の言葉を聞いた彼女は、くるみ割り人形のようにカクカクと首肯する。

 顔も熟した林檎みたい。

 少なくとも、暗い話にはならなさそうだ。

 

 

「ご相談に乗って頂けないでしょうか、マーガトロイド先輩」

 

 

 ……私は間桐さんから、相談を受けるほどに信頼を勝ち得ていたのかしら?

 それとも魔術関連の話なのだろうか?

 

 

「話の内容によるわ」

 

 

 取り敢えずは、判断する材料を集めてみましょう。

 何も聞かずに決めるのは早計でしょうし。

 

 そう言うと、更にモジモジとして両手を胸に押し当てる間桐さん。

 その姿はすごく女の子らしい。

 まるで恋する乙女のようで。

 

 ……そこまで考えたら、自然と答えがわかった。

 

 

「衛宮くんに関する相談でいいかしら?」

 

 

「マーガトロイド先輩は心が読めるんですか!」

 

 

 驚いたように、怯えたように後退する間桐さん。

 ころころ変わる表情は非常に飽きさせられない。

 

 

「貴方の色ごと関係での話なら、衛宮くんしかいないと思っただけよ。

 心が読めるわけではないし、そんな魔眼も持ってないわ」

 

 

 そういうと安堵したかのように息を吐き、そして再び赤面しつつ疑問を持ったようでもあった。

 

 

「どうして、そういう話だと思われたのですか?」

 

 

「貴方の表情が色ボケていたからよ」

 

 

「嘘……」

 

 

 確かめるように、自らの顔をペタペタと触って確かめる間桐さん。

 そして、沸かしているポットみたいに沸騰する。

 

 

「これは違うんです!

 あ、いえ、違わないですけど、そこまで自覚してなかっただけで……」

 

 

 言い訳をするほどに、墓穴を掘り、更に赤面していく。

 正直な話、延々と見ていたい気もするが、そうもいかないだろう。

 

 

「でも、残念ね。

 相談には乗れそうにないわ」

 

 

「え?」

 

 

 どうしてだろう?そんな感情が、彼女からありありと読み取れる。

 そんなに想像できないものかしらね。

 

 

「私、男の子とは一回も付き合ったことがないのよ」

 

 

 そう、母国の学校でも休み時間に常に人形を弄り倒している女。

 そんな私に男の子が寄ってくるはずもない。

 学内で行った人形劇の評判は予々良かったが、それでも告白なども一度すらされたことがないのだ。

 

 

「マーガトロイド先輩、こんなに綺麗なのに……」

 

 

「褒められてはいるのよね?」

 

 

 自分の容姿が良いことはそれなりに自覚している。

 だが、そのせいで無表情で人形を弄ってる時の、不気味さが際立つのだとも思う。

 

 

「はい、勿論です。

 マーガトロイド先輩は、私なんかと比べ物にならない程に輝いて見えます」

 

 

 私を持ち上げる形で褒める間桐さん。

 でもそれは貴方の主観でしかない。

 

 

「人の好みはそれぞれ違うわ。

 衛宮くんなら、私よりも女の子らしさを感じる貴方の方が好みでしょうね」

 

 

 そして大多数の人も、私よりも優しそうで取っ付きやすい間桐さんを選ぶだろう。

 私を選ぼうとする人はきっと、私を装飾品のようにして扱う人か変人の二択だと思われる。

 

 

「そう、ですね。

 女の子らしい方が先輩も喜んでくれますよね」

 

 

 間桐さんの表情が曇る。

 それは一瞬のこと。

 次の瞬間には元の通りに戻っていた。

 

 

 少しだけれども、確かな違和感。

 彼女には問題があるのだろうか?

 家事が壊滅的に出来ないとか、体重計が怖いとか。

 

 それらは単なる憶測。

 もしかしたら邪推のしすぎで、彼女が自信を持ってないだけなのかもしれない。

 

 

「そうね、私が相談に乗れるのはこれまで。

 それじゃ、また機会があれば会いましょう」

 

 

 考えても分からないし、そもそも興味自体がない。

 これ以上いたら、惚気け出すかもしれない。

 そう思うと、足早にこの場を立ち去りたくなるのも道理だろう。

 

 

「ま、待ってください」

 

 

 制服の袖を掴まれる。

 逃がさないためにしっかりと。

 

 

「これ以上、話すことがあるのかしら」

 

 

 少し冷たい物言いになる。

 だが事実でもあるのだ。

 私は今回に関しては無力だろう。

 

 

「後生ですから聞いてください」

 

 

 握られた裾が皺になっているにも関わらず、更に強く握り締める間桐さん。

 必死さが滲み出ており、思ったよりも切羽詰ってるのかもしれない。

 ……仕方がない。

 

 

「良いわ、話してみなさい」

 

 

 話を聞いた方が早く終わりそう。

 そう合理的に判断する。

 

 

「はい、お願いします!」

 

 

 彼女は私が逃げない内にと思ったのか、何時もの彼女からは想像できないほどの勢いで語りだした。

 

 

 間桐の家で決定した、衛宮家との関係。

 自身の意思。

 そして、衛宮くんとの家での出来事を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「桜、大丈夫なのか!?」

 

 

 インターホンを鳴らし家に上げてもらうと、先輩が慌て気味に私に確かめる。

 昨日来れなかったから、心配をかけてしまったのだろう。

 

 

「昨日は来れなくて、すみませんでした」

 

 

 先輩に申し訳なさを感じ、すぐに頭を下げる。

 だけれども、先輩は私の肩に手を置き、顔を上げさせる。

 

 

「ウチに来る義務は存在しないんだ。

 桜が気にする必要なんてない。

 来てくれた方が嬉しいけど、無理をする必要はないしな」

 

 

 そう言ってもらえるとホッとする。

 先輩の近くに私の場所がキチンとあるのだから。

 

 

「でもな」

 

 

 先輩の手に力が入る。

 肩を通じて、先輩が強く握ってくれてるのが分かる。

 それだけ伝えたいことがあるのかもしれない。

 

 

「慎二が学校に来なかったんだ」

 

 

「兄さんが、ですか?」

 

 

 あの話を聞いてしまった兄さん。

 ショックで混乱していたのだから、休んでしまっても仕方がない。

 でも、先輩はそのことを知らないのだ。

 

 

「桜さ、あの日の帰り道を覚えてるか」

 

 

 あの日、それは容易に特定できる。

 私が先輩の側にいたいと思った日だ。

 

 

「あの時の桜、戦おうって決めた目をしてたんだ。

 だから、きっと間桐の家で何かあると思った」

 

 

 先輩が考えているのは兄さんのことだろう。

 昔、正当な後継者が私であると知った兄さん。

 

 屈辱や鬱憤を晴らすために、兄さんは私に乱暴していたことがあった。

 私もそれで兄さんの気が晴れるならと、私も容認していたのだ。

 でもその場面に、先輩が遭遇したことがある。

 そのせいで二人は大喧嘩して、あまり話すことがなくなってしまった。

 

 

「慎二が休んだのと関係があるんじゃないかって考えると、不安になったんだ」

 

 

 優しい先輩。

 でも信用が足りてない兄さんは少し可哀想に思う。

 

 

「関係してないといえば、嘘になります」

 

 

 真剣な目で私を見る先輩。

 怖いくらいに、真面目な表情。

 

 

「でも、先輩が思ってるのとは、また別問題の話です」

 

 

 今回は私は兄さんに危害を加えられていない。

 むしろ助けてくれたんだ。

 

 

「私、少しお祖父さまと喧嘩したんです」

 

 

 先輩の顔が難しくなる。

 兄さんが原因とばかりに考えていたのだろう。

 やっぱり可哀想な兄さん。

 

 

「でも兄さんの取り成しのお陰で、無事に事なきを得ることができました」

 

 

 キョトンとしている先輩。

 驚いているのだろう。

 そんな表情も優しく愛でてあげたい。

 

 

「だから、そんなに兄さんを疑わないであげて欲しいです」

 

 

 私がそう言うと、気まずそうに頬をかき、目が泳ぎ始めた。

 

 

「むぅ、慎二に少し悪いことをしたな。

 でも慎二が桜を助けたのか」

 

 

 心から良かったって顔をする先輩。

 その気持ちは私にもわかります。

 

 

「やっぱり慎二は桜の兄ちゃんなんだな」

 

 

「今度兄さんと会ったら、一緒にご飯でも食べましょう。

 仲直りの印に」

 

 

 先輩は力強く頷くと、私の荷物の方にようやく目を向けた。

 

 

「ところでどうしたんだ?

 荷物なんか持って、中身が詰まってるけど」

 

 

 手持ちのカバンにギュウギュウに詰まった荷物。

 兄さん、かなり強引に詰めたんだ。

 服とかにシワが寄ってなかったらいいんだけれど。

 

 

「先輩、今日からよろしくお願いします」

 

 

 出来うる限りに嫋かを押し出す形で、にっこりする私。

 だけれど、先輩はまだ分かってないらしい。

 どういうことだ、って顔で私を見ている。

 

 

「今日から、先輩の家で暮らすことになりました。

 不束者ですが、よろしくお願いしますね」

 

 

「は?」

 

 

 目を見開く。

 瞳孔が広がり、まん丸くなった目で私を見る。

 

 

「マジか?」

 

 

「マジです」

 

 

 沈黙が訪れる。

 2秒、3秒経っても言葉が発せられない。

 だが、10秒後にようやく。

 

 

「なんでさ」

 

 

 呆然とした先輩のお声を聞くことができたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここまでは良いですか?マーガトロイド先輩」

 

 

「えぇ、充分ノロケだということを理解できたわ」

 

 

 一旦提案して、喫茶店に入って話を聞く。

 帰ろうと思っても、裾が掴まれて動けない。

 抵抗すると服の裾が伸びて、嫌だから出来そうにない。

 だから仕方なくだ。

 

 

「で、貴方たち、ついに同棲まで始めたのね」

 

 

「はい、強引に先輩が惚けている間に部屋決めまでしました」

 

 

 思わぬ強かさを発揮し、衛宮くんの家に上がり込んだ間桐さん。

 これ以上何を望むのだろうか、彼女は。

 

 

「でも、家族からは結婚するようにと申し付けられていて。

 先輩にどうやったら振り向いてもらえるかなって」

 

 すごく照れくさそうに笑う彼女。

 本当に乙女なのだと思う。

 

 

 ………

 ……

 …

 

 

「ま、マーガトロイド先輩、帰ろうとしないでください。

 まだ話は終わっていません」

 

 

「後は実質、入籍するだけじゃないの。

 私は必要ではないわね」

 

 

 裾が伸びる?

 知らない、これ以上聞いても無駄だ。

 むしろ堪らなく疲れそうである。

 

 

「わ、私まだ告白も何も出来ていないんです!」

 

 

「じゃあ、今すぐしてきなさい。

 そして大人になったら、判を押しなさい」

 

 

 どうしてそんな道理すらも分からないのだろうか。

 衛宮くんなら、間桐さんを粗略に扱うことはないだろう。

 

 

「妹のようにしか見られてないんです、私!」

 

 

「じゃあ、裸で衛宮くんに抱きつきなさい。

 それで一発よ」

 

 

「さっきから、どうしてそんなに投げやりなんですか!」

 

 

「むしろ私を選んだ理由が知りたいわね。

 他にもたくさん、相談相手はいるでしょうに」

 

 

 間桐さんはゼイゼイ、と息を荒げながら可愛く睨んでくる。

 でも、いくら可愛く睨んでも私の心は変わらない。

 

 

「マーガトロイド先輩だけだったんです。

 こんな話を相談できそうなのは」

 

 

「どうして?」

 

 

 本当に不思議。

 もしかしたら、魔術をやっている仲同士のシンパシーとか?

 

 

「マーガトロイド先輩が魔法使いだからです!」

 

 

 これは比喩であろう。

 私は魔法使いという高みには到達する気配すらしない。

 

 

「魔法使いってどういう意味なの?」

 

 

 素直に尋ねる。

 分からなければ聞くのが最短、調べるのが最良である。

 

 

「シンデレラとかの魔法使いなんです。マーガトロイド先輩は」

 

 

 私は絵本の中の住人になっていたらしい。

 自分でも驚きである。

 

 

「ではサンドリヨンな少女。

 私に願いの続きを話しなさいな」

 

 

 間桐さんが私をそういう役に固定してしまってるのなら、最早どれだけ否定しようとそういうことなのだろう。

 諦めの境地とはこういう物か、と噛み締めながら私は続きを促した。

 

 

 

 

 

「マーガトロイド先輩って、遠坂先輩の家にホームステイしてるってことは、その、あの」

 

 

「私が魔術師ってことが聞きたいの?」

 

 

「遠坂先輩の所にいるって事はそういう事だと思ってましたが、確証が持てなくて」

 

 

 自ら身分を明かすと、間桐さんは安心したかのように、はにかみながら話し出す。

 

 

「私は間桐の魔術師です」

 

 

「そう」

 

 

 本当は知っていた。

 ある夜の日の出会いで。

 でも知らないふりをする。

 それが約束だったから。

 

 

「驚かれないのですね」

 

 

 意外そうな間桐さんの声。

 でも気にするほどの話でもない。

 

 

「そういう場合もあるということよ。

 私も何件か、覚えがあるわ」

 

 

 通常長子が後を継ぐのが、魔術師の習わし。

 でも長子よりも優秀な魔術師が生まれた場合、大概の親はそっちの方に乗り換えたがるものである。

 そして、それが家督争いの種になる事もしばしば。

 私の尊敬する、『赤』もそうだと聞いたことがある。

 

 

「そうですか」

 

 

 事もなさげに、何も感じないようにしているのか、あっさりと流す間桐さん。

 そのような理由で、兄妹仲が歪むこともあるのだろう。

 彼女には彼女なりの葛藤があったはずだ。

 

 

「それで、貴方は何を聞いて欲しいの?」

 

 

 もしくは望んでいるの?

 

 

「私」

 

 

 間桐さんが私を見る。 

 射抜くように、真っ直ぐと。

 

 

「私、先輩に自分が魔術師だってことを言います」

 

 

 長いこと付き合うであろう彼には、その事は打ち明けなければならないだろう。

 これからも共に歩んでいくならば。

 

 

「なら今は我を通しなさい。

 嫌われるかもと思うくらいに、彼の懐に飛び込みなさい」

 

 

 間桐さんが私に求めていた役割がわかった。

 

 

「ありがとうございます、マーガトロイド先輩」

 

 

 彼女は私に最後のひと押しをして欲しかったのだ。

 人形劇を見て、彼女がそれに影響された日のように。

 

 

「これで私、先輩に全部を話せます」

 

 

 もしかしたら、あの劇を見た時に間桐さんは私を特別に扱ってるのかもしれない。

 思い上がった考えかもしれないけど、そう思えてしまう。

 でなければ、こんな遠回りな素直でない激励を求めになど来ないであろう。

 

 

「アリスでいいわ、マーガトロイドじゃ長いでしょう。

 だから私も桜と呼んでいいかしら」

 

 

 なので思い上がったまま、もう少しだけ近くに寄ってもいいだろう。

 確かに鬱陶しくもあるけど、こそばゆくもあるのだ。

 信頼されるというのは。

 

 

「っはい!アリス先輩」

 

 

「よろしくね、桜」

 

 

 でも私が気を許したのは、信頼されてるからという理由だけではない。

 桜の遠まわしさ、もっと言うなら妙なところで奥手なのは誰かに似ている気がする。

 さて、誰に似ているのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「先輩、私は本当は魔術師だったんです」

 

 

 帰って告げると、何時ぞやの様に先輩はまた固まってしまった。

 落ち着くようにお茶を勧めると、先輩は熱いお茶を一気飲みしてしまい大変だった。

 

 

 バタバタした後、私は色々と話し始める。

 

 間桐が魔術の家系であること。

 聖杯戦争という儀式があって60年周期なこと。

 先輩のお父さんが聖杯戦争に参加していたこと。

 私の最初の目的が、先輩の監視だったこと。

 

 まだまだ、喋ってないことは沢山あるけど、肩の重荷はだいぶ楽になった。

 先輩に吐いている嘘が無くなったから。

 

 

「でも桜はどうして今、それを俺に言ったんだ?

 黙っていれば、そのままで済んだのかもしれないのに」

 

 

「それはですね、先輩」

 

 

 これは魔術とか、聖杯とか、私にとっては全く関係のない話。

 もっと単純な気持ちの話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「先輩のことが大好きなだけですよ」

 

 

 




間桐家の確執がこんなにあっさり解決するの?とか、超展開ワロタみたいに思われた方々。
それは正しいです、僕もどうしてこうなったのかが分かりません。

それはさて置き、桜ちゃんヒロイン回でした。
彼女は最近、自分の幸運みたいなのが怖いみたいです。

但し、2週間に一回くらいの割合で魔術の訓練を実家で受けねばなりません。
桜も慎二も妥協するかたちで、手を打ちましたが士郎が知ったらどうなることやら。


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第4話 決意は暗がりの中で

お気に入り件数がおかしいことに。
皆様、僕は夢を見ているのでしょうか?
まぁ、有難いことです。
これからも、是非ぜひご贔屓ください!


それと今回は慎二兄さん回。
後半は桜色狂想曲の裏話になっております。


 アリス・マーガトロイド、ルーマニアから来た留学生。

 だがその実態は魔術師であると僕、間桐慎二は知っていた。

 

 

「おい、お前、アリス・マーガトロイド」

 

 

 遠坂の家に住んでいると、爺が言っていたあいつ。

 あいつが魔術を扱うなら、僕と同類だと思った。

 だから特別に仲良くしてやろうと思ったんだ。

 

 

「何かしら」

 

 

 その声は鈴の様に感じた。

 容姿と相まって人形のようにも見える。

 人間らしい遠坂とは違い、本当に魔術師然としているように感じる彼女。

 

 

「お前、日本に来て不慣れなことが多いだろう?

 特別に助けてあげようと思ってね。

 なに、お礼はいらないさ」

 

 

 僕の言葉を聞くマーガトロイドの目は、だんだんと冷めていく。

 氷のように凍てついていくのだ。

 冷たい汗が幾つも僕の背中を流れる。

 

 

「私はね」

 

 

 先ほどと同じ鈴のような声。

 だけれども、その声音は幾分かドスが効いている。

 親切にしに来たのに、どうしてこんなにキレてんだよコイツ!?

 

 

「親切にするのは好きよ。

 もちろん親切にされるのもね」

 

 

 じゃあ、問題ないじゃないか!

 そう言おうとしたけれども、彼女は有無を言わせずに言い放つ。

 

 

「でもね、下心を持った人が恩着せるように絡んでくるのは大嫌いなの」

 

 

 それがお前だ。

 凍てついた目がそう語っていた。

 呆然と立ち尽くす僕に、彼女が近づいてくる。

 

 

「じゃあね、ナンパ屋さん」

 

 

 それだけ告げると彼女は自らの教室に入り、その場は沈黙に包まれた。

 1限目が始まる前、朝の廊下で起こった出来事であった。

 

 

 それから、僕の親切心をナンパと勘違いしたあの人形女同様、他にも勘違いした奴がいて、僕はマーガトロイドに告白して玉砕した第一号とかふざけた噂が広まった。

 

 僕の親切を無下にしたマーガトロイドも、噂を流した奴も絶対に許さない!

 それから!

 教室で僕を勇者とか讃えている奴らも!纏めて始末してやりたい……。

 

 

 

 とまあ、出会いは最悪だった。

 正直今でもあの屈辱は忘れられない。

 

 僕の名誉は深く傷ついたと言っても過言ではない。

 だが、あいつもそれ相応の代償を払うことになった。

 

 あいつはクラスで孤立し、話しかけるのは衛宮や美綴なんかの物好きだけ。

 当然の報いだ、精々灰色の高校生活を送るといいさ!

 

 

 

 

 

 まあ、兎に角だ。

 それ以降、僕はマーガトロイドに近づかないようにしていた。

 あいつの方も僕に近寄ろうともしない、本っ当に清々してるよ!

 

 だけれども、腹の立つことは他にあった。

 マーガトロイドと衛宮が親しげに話していたことだ。

 

 

「今日の予定はどうなっているんだ、マーガトロイド」

 

「衛宮くん、知っているでしょう?

 今日の私の予定ぐらい」

 

「あ、悪い悪い、そうだったな。

 じゃ、また後で!」

 

 

 あいつらは付き合ってたのか!?

 僕に靡かなかったのは、衛宮がいたから?

 

 

「オイッ!衛宮!!」

 

 

「ん、慎二か。どうしたんだ一体?」

 

 

 複雑そうな顔をする衛宮。

 お前にも思うところはあるだろうよ。

 だが、今はそんなことは関係ない。

 そこは、重要じゃないんだ。

 

 

「マーガトロイドと付き合ってるのか、お前」

 

 

 僕がそう聞くと衛宮は、は?と意味が分からなそうな、惚けた顔をする。

 相変わらず、馬鹿で面倒な奴だ。

 

 

「アイツと付き合ってるのかと聞いてるんだ。

 もしそうなら、即刻別れたほうがいい。

 絶対にお前には合わない女だよ、あいつは!」

 

 

 そう言うと衛宮は何がウケたのか笑い出した。

 

 

「オイ、何笑ってんだよ。

 僕は本気で言ってるんだぞ!」

 

 

 本気で怒鳴ると、衛宮はケホケホ咳き込みながら、それでも笑顔は崩していなかった。

 

 

「慎二が心配してくれたのって久しぶりな気がして。

 ちょっと懐かしくなった」

 

 

 ……コイツは何を言ってるんだ?

 僕がこいつを心配した?

 

 

「僕はお前に忠告したことはあっても、心配なんかしたことない!

 適当なこと言ってんじゃないよっ!?」

 

 

 それに衛宮はハイハイ、と適当に受け答えしつつカバンを背負う。

 帰る準備は万端といったところだ。

 

 

「悪い、今日バイトあるから、そろそろ行かなきゃ駄目なんだ」

 

 

「まてよ」

 

 

 教室から出ようとする衛宮の袖を掴む。

 

 

「まだ答えてもらってないんだけど?」

 

 

 そうだ、こいつがマーガトロイドと、どういう関係なのかまだ聞いてない。

 場合によっては、身の程を教えてやらないといけなくなる。

 

 

「言っただろ。

 今日はバイトだって。

 マーガトロイドも同じバイト先なんだよ」

 

 

 衛宮が言った言葉で、ようやく落ち着くことができた。

 紛らわしい会話をしやがって。

 

 

「そうかい、全く」

 

 

 そうと分かれば衛宮なんかに絡む必要はないな。

 さっさと帰ろう、そう思いかけたが一つの妙案が頭に浮かんだ。

 

 

「なぁ、衛宮。

 お前、マーガトロイドと同じバイト先だったっけ?」

 

 

「そうだけど、それがどうしたんだ」

 

 

 これはやり返すチャンスなのでは?

 受けた屈辱はしっかりと返さないといけないよなぁ。

 

 

「実はさ、ずっと前にマーガトロイドに話しかけたことがあったんだ」

 

 

 衛宮は僕の話を聞いてくれるようだ。

 こちらに向き直ってる。

 イケル!

 

 

「でもさ、ナンパと間違えられて手酷い目に遭わされたんだ」

 

 

 まったくもっても忌々しい、あの事件。

 今こそその清算をしてやる!

 

 

「だから誤解を解くのを手伝って欲しいんだけど、良いかい?」

 

 

 全くの嘘でないし、衛宮の性格なら。

 

 

「ああ、例の噂のやつか。そうだな」

 

 

 手を顎に当てて考え始める衛宮。

 早くしろ!

 物の30秒くらい悩んでいたようだが、そうだな、と呟き顔を上げる。

 

 

「仕事の邪魔をしないなら、バイト先を教えてもいい」

 

 

「お前が話が分かる奴で助かったよ、衛宮」

 

 

 コイツは馬鹿だから、情に訴えたら割と通じるところがある。

 本当に馬鹿、でも使える奴でもある。

 

 

「じゃ、行くぞ慎二」

 

 

 衛宮が歩き出す、バイト先へ向かうのだ。

 そして僕がその後ろを付いていく。

 待ってろよ、マーガトロイド。

 その鼻っ柱をへし折ってやる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「衛宮くん、この海産物は何?」

 

 

「何げに酷いな、覚えてないのか?

 桜のお兄さんの間桐慎二だよ」

 

 

 コペンハーゲンに、衛宮くんが胡乱な人を連れてきた。

 その人は入ってきた時の顔はニタニタしていたけれど、今はそれを引きつらせながら必死に取り繕うとしている。

 

 それに中々忘れようのない、とても特徴的なあの髪型。

 妙に自信ありげなあの表情。

 ……間違いないだろう、何時ぞやか声をかけられたナンパ男だ。

 

 

「間桐さんのお兄さんなのは知っていたわ」

 

 

 そう、知っていたのだ。

 向こうが私を知っていたのと同様に。

 冬木で魔術の大家である間桐家についてある程度の知識は仕入れていた。

 

 

「でも一緒の名前で呼ぶのは忍びないでしょう?」

 

 

 そう言うと、彼、間桐くんは青筋を立てながら、それでも懸命に笑おうとしている。

 その努力は、別のところに使われてしかるべきだと私は思う。

 

 

「ど、どうしてそう思うのかな。

 もしかして、ぼ、僕に気があって下の名前で呼びたいとか」

 

 

 どうしようもない程に、頭のよろしくない回答をありがとう。

 前に手酷く別れたところから、何も学んでないように思える。

 

 だがよく見ると、彼は自分に言い聞かせるように震える声でそう言っている。

 もしそうであるならば、自分の自尊心が満足するからであろうから。

 きっと今まで自分に自信があって、手に入らなかった物は無かったのだろうと想像できる。

 だからこそ、教えてあげる。

 

 

「むしろ好まないから、こういう言い回しなのよ。

 貴方自身も気づいているでしょう?

 そろそろ現実を見た方が良いんじゃないかしら」

 

 

 そう言うと、石像のようになって動かなくなる間桐くん。

 指で触れると崩れそうなほど脆く見える彼。

 でもそれは儚さとかではなくて、単なる違法建築物の脆さに過ぎなかった。

 

 

「マーガトロイド、慎二は仲直りしに来たんだ。

 そんなに邪険に扱わないでやってくれ」

 

 

 哀れに思ったのか衛宮くんが仲裁に来る。

 だが面倒事を運び込んできたのは、衛宮くんである。

 

 

「下心があけ透けて見える相手は嫌なのよ。

 衛宮くんもよく吟味してから、行動に移して頂戴」

 

 

 私の言葉を聞いた衛宮くんは、少し反感を覚えたようだ。

 何時もが仏頂面だから、表情の変化がよくわかる。

 

 

「確かに慎二は、下心からの行動だったのかもしれないけど」

 

 

 衛宮くんは言葉をうんうんと選びながら言う。

 不器用ながらも一生懸命な彼は、何時も通りの衛宮くんだなとも思う。

 

 

「だけどマーガトロイドとは仲直りしたいって、本気で思ってると思うんだ」

 

 

 衛宮くんが私を見て、間桐くんを見る。

 そして微笑を浮かべたのだ。

 

 

「だってさ、慎二、マーガトロイドのことを見るといっつも話しかけたそうにしていたんだ。

 きっと後悔していたんだと思う。

 だから、もうちょっと慎二のこと、見てやってくれないか?」

 

 

 衛宮くんらしい語り。

 そしてそれを聞いて反応したのは、私ではなく間桐くんの方だった。

 

 

「ふざけんなよ!

 僕がいつ、マーガトロイドを見てたってんだ。

 いい加減なこと言うなよぉ、衛宮!!」

 

 

 成程、衛宮くんの前だと間桐くんはこうなるのか。

 衛宮くんからしたら、面倒の見がいがある友達だろう。

 存外この二人は、相性が良いのかもしれない。

 

 

「だって、マーガトロイドと俺が話していたところ見てたんだろ?」

 

 

「それはお前に話しかけようと思ってただけだ。

 決してマーガトロイドにじゃない」

 

 

「慎二、お前は仲直りしに来たんじゃないのかよ」

 

 

 子供っぽい癇癪に衛宮くんは少し呆れたように、安心するようにしている。

 こうして見ると、間桐くんにも可愛いところはあるのかもしれない。

 衛宮くんの言う通り、間桐くんを少し見て、気付いたこと。

 

 

「別に怒ってるわけじゃないから、話しかける分には普通にすればいいわ。

 もうナンパは結構だけれどね」

 

 

「ナンパじゃないって言ってるだろ!」

 

 

 顔を真っ赤にしている間桐くん。

 恐らくは怒っているからだけではないはず。

 すっかり素が見えてしまっている、間桐くん。

 この分なら変な絡まれ方もされないだろうし、関わりを持っても問題はないだろう。

 

 

「で、注文は如何致しますか?間桐くん」

 

 

「お前、名前で……」

 

 

 驚いたように、穴の空く位に私を見つめる間桐くん。

 思っていたよりも、今回は自信はなかったようだ。

 

 

「さっきの見てたら、問題ないかと思っただけよ」

 

 

「……そうかよ」

 

 

 間桐くんは黙り込んだまま、注文したアイスコーヒーを飲み続けていた。

 飲み干してからは、カップの底を少しの間眺めていた。

 

 

「ごちそうさま」

 

 

 そう言って帰っていった彼は、来た時の騒がしさが欠如していた。

 興が削げただけかもしれないが。

 

 それ以降、変化は学校で会っても普通に挨拶するようになっただけ。

 殆ど話をしないのは変わらなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうしていつもいつも僕じゃないんだっ!?

 選ばれているはずの僕が、他の奴よりも劣るなんてそんなのはおかしいじゃないか!!」

 

 

 だからこそ、あの夜に彼の姿を見たときは驚いた。

 いつも飄々と墓穴を掘っている彼。

 誰よりも声は大きく、傲慢な彼。

 

 そんな彼が涙を零している。

 叫びながら、世の理不尽を呪うかの様に。

 

 

「男の子が泣いていいのは、心の中でだけよ。

 目立つ様に泣いているのは、感心しないわね」

 

 

 流石に放っておくのは目覚めが悪かった。

 そっとしておくのが礼儀かもしれないが、彼の慟哭は誰もいない空に響くだけ。

 ぶつける相手がいなければ、いずれ自分に帰ってくるであろうその言霊。

 

 だから少しばかり手伝うことにした。

 多少なりとも誰かに吐き出せれば、マシになるだろうと判断したのだ。

 

 これは私達を仲直りさせようとした、衛宮くんへの義理で行うこと。

 彼が見知らぬ誰かだったら、通り過ぎていたことだろう。

 

 

「マーガトロイド、お前か」

 

 

 彼の声音は低く、憎しみの籠った目で私を睨みつける。

 私を何故そんな目で見るのか、まずそれを探ることから始めよう。

 

 

「人生なんて不平等なものよ。

 誰が誰とてそれを覆すことはできないわ」

 

 

 彼の嘆き、それに私がしたのは現実を突きつけること。

 そこまでの苛立ちと憎しみを私に向けているのなら、徹底して悪役に徹するのが良いだろう。

 幸いなことに、嫌われても問題ないと思える程に彼との中は希薄であるのだから。

 

 

「持ってるお前が言うのかよ、マーガトロイドッ!!」

 

 

 どこまでも響きそうな声で叫ぶ。

 その調子よ、全てを吐き出しなさい。

 

 

「お前には魔術回路がある。

 選ばれた証があるんだよっ!

 そのお前が言うなんて傲慢が過ぎるんだよ!」

 

 

 感情的な叫び。

 だからこそ、そこには隙ができる。

 

 

「魔術回路がないの?間桐の家の貴方が」

 

 

 間桐くんが吐き出した言葉は、私にとって十分に驚愕に値することであった。

 

 冬木始まりの御三家。

 その一角の凛は十分な才能を備えていた。

 だからだろうか、他家の人間も魔術師として才能を持っていると考えていたのだ。

 

 だが、これで納得がいった。

 こんなにも嘆いているのは、こんなにも悔しいのは、自分にあると思っていた才能が発現しなかったから。

 その嫌な現実を見る機会に直面したのだろう。

 彼が何を呪っているのかが見えてきた。

 

 

 先の発言、私が持てる側の人間。

 つまりは魔術の使える人間だということだ。

 それは彼の羨望であり、同時にどうしても届くことの無いもの。

 だからこそ、彼は魔術を使えるものに惹かれ、同時に憎悪せざるを得ないのだろう。

 

 

「そうさ、僕は魔術回路がない。

 間桐の血筋である僕がっ!」

 

 

 血を吐くように彼は吠える。

 それに悲しみは感じない。

 ただ、溢れんばかりに己の無力さを恥じている様に私には見えた。

 

 

「哀れね、今のあなたは」

 

 

 心からそう思う。

 常人とは違うと考えている彼が。

 その実、常人でしかない彼が。

 

 

「…だよ」

 

 

 私の言葉が彼の触れてはいけないところを、触ってしまったのか。

 彼は喉を震わせている。

 それは火山が噴火する前兆のようで。

 揺れる陽炎に不安定な彼。

 

 

「何だよ、お前」

 

 

 小さいが聞き取れた声。

 淡々と作業的で。

 目は引きずり込まれそうな程に暗かった。

 

 

 彼が歩み寄ってくる。

 私に向かって。

 拳を握り締めて。

 

 

「何なんだよっ!お前はあぁぁ!!!」

 

 

 彼が疾駆する。

 爆発したように、私に殴りかかろうとする。

 感情の赴くままに。

 

 

「っぐぅ」

 

 

 お腹にキツいのが一発入る。

 ひョろい体躯の割に、良い物を持っていたようだ。

 

 

「お前に何がわかるんだ、僕の!!」

 

 

 荒れ狂っている彼。

 体勢を崩した私に馬乗りになり、マウントを取る。

 拳は固く握られており、次は顔を殴られるだろう。

 だが、私もこれ以上は殴られるつもりはない。

 

 

「何だよこれ!?巫山戯るな!!」

 

 

 私の指から出ている魔力で編まれた糸。

 それが間桐くんの体を巡らせる。

 動けないように、何重にも。

 

 

「貴方の言い分は分かったわ」

 

 

 体を魔力の糸に絡まれて動けないところを、カバンに収納していた上海と蓬莱に転ばさせられる間桐くん。

 それに対し私は胸を摩りつつも起き上がれた。

 

 

「でもね、魔術は遊びじゃないのよ」

 

 

 彼の話で真剣に思ったこと。

 魔術は根源を目指す、魔術師達の長い旅路の道。

 それは手に入らないからと、喚けばいいものではないのだ。

 

 

「一族の道が絶たれたと思うなら道を新しく作ることくらい、やってみせなさい」

 

 

 彼の回路がないことによって、間桐の魔術が断絶の間際に立っているのかもしれない。

 もしそうなら自らの才が無いことを嘆くより、魔術師と婚姻するなり弟子を取るなりして技術を継承させるべきだろう。

 

 

「いや、根源への道が断たれることはないさ」

 

 

 簀巻きにされて落ち着いたのか、今度は間桐くんが自嘲を浮かべる。

 そして私もここまでくれば、自然と気付くことができた。

 

 

「間桐桜のことね」

 

 

 恐らくは彼女が跡を継ぐことになり、彼は必要とされなくなってしまったのだろう。

 だから、力いっぱいに空に吐き出すしかなかったのだ。

 

 

「そうさ。

 アイツがいるから、僕は後継者から外された」

 

 

 苛立たしげに吐き出す。

 どうしようもないことを恨むしかなくて。

 

 

「でも、それで魔術は次代に継承される。

 それだけでは納得できないかしら」

 

 

 そう言うと間桐くんは私の顔を見上げる。

 私を嫌悪するように、求めるように見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

「なぁ、マーガトロイド」

 

 

 日常で語りかけるように、間桐くんは私に声をかける。

 

 

「自分よりも優れていた奴がいたとするだろう?」

 

 

 仮定、誰に当てはまるかは瞭然なもの。

 

 

「そいつと自分は仲が良いと、自他共に認めている奴だとしよう」

 

 

 今まで兄妹揃っているところを見たことがなかったが、家では良き兄だったのだろうか。

 

 

「見下してたけれど、見ていられない奴でさ」

 

 

 オドオドしている間桐さんは確かに危なっかしい。

 

 

「だから会うたびに忠告してやるのさ」

 

 

 少し違和感が走る。

 だが、この語りを中断するほどのものでもない。

 

 

「だけどさ、そいつが僕の何より求めている魔術師だった時、僕はどうすれば良いんだ?

 腹立たしい、でも憎みきれないんだ」

 

 

 それは間桐くんの良心の葛藤。

 その誰かが嫌いになれない。

 でもそれは自分がどうしても手に入れられない宝石を持っている。

 憎らしく、それでも大切なのだろう。

 

 

「間桐くんはその人のことが好きなのね」

 

 

 常時の彼なら怒鳴り散らして否定することなのだろうが、疲れているのだろう。

 億劫そうに彼は首肯していた。

 

 それは確かに彼の誠実な返答だった。

 だから、私もそれに報いなければならないだろう。

 

 

「なら、貴方が導いてあげなさい」

 

 

 何かに驚いたように、食い入るように私を見つめる間桐くん。

 だが私としては当然の答えだ。

 

 

「間桐くん、貴方は魔術の知識は豊富よね?」

 

 

 間桐くんは魔術に対しての憧れを多量に持っている。

 だから、魔術の知識は相当収集していると考えられる。

 

 

「あぁ、子供の頃から魔術書を読みふけっていたさ」

 

 

 肯定、これでも良家の子息。

 悪くはないはずだ。

 

 

「ならその知識を使って助けてあげなさい。

 それがあなたにとっての最適解にもなるはずよ」

 

 

 魔術への執着を捨てられず、かと言って憎みきれない彼の冴えた答え。

 魔道に関われて、その人の手助けも出来る。

 この選択肢は悪くないだろう。

 

 

「爺ぃめ、僕がこうするしかないのを見越しての発言だったか」

 

 

 小さい声で、間桐くんが苦々しげに言う。

 祖父に妹を助けろと言われたのか。

 まぁ、あまり細かいことを気にする必要もないでしょう。

 

 

「心は決まったかしら?」

 

 

 決断を促す。

 あとは彼が決めることだ。

 彼がどうしようが、私は傍観するだけ。

 

 

「あぁ、お前の甘言に乗ってやるさ」

 

 

 彼の理性で語られた言葉を聞いた時点で、糸での拘束を解除した。

 間桐くんは立ち上がり、土を払いつつ私に話しかけてきた。

 

 

「口が過ぎると怪我をするわよ、間桐くん」

 

 

「魔女が、よく言うよ」

 

 

 間桐くんは不愉快そうに、フンッと鼻を鳴らす。

 めんどくさい人ね、本当に。

 

 

「何がそんなに気に入らないのかしら?」

 

 

 だけれども妥協したはずの彼が、釈然としていないのは気になる。

 そこまで気に入らなかったのかしら?

 

 

「ああ、気に入らないね。

 お前に教唆されて、爺ぃに乗せられて」

 

 

 先程の屈辱的な悔しさとは、また別の悔しさを浮かべる間桐くん。

 忙しいことで。

 

 

「……家で爺ぃに話してくる。

 今日はサヨナラだな」

 

 

「えぇ、今度は野蛮な真似は控えることね」

 

 

「……本当に最後まで気分を悪くしてくれるやつだな、お前は」

 

 

 忌々しげに、吐き捨てて背を向ける彼。

 それを見て、はぁ、とため息が吐き出された。

 

 今日は特別疲れた気がする。

 暖かい湯船に浸かり、体を休めたい。

 心底でそう思う。

 

 

「おい、マーガトロイド」

 

 

 振り向かずに、だけれど立ち止まった間桐くんが声をかけてくる。

 

 

「何かしら」

 

 

 正直疲れているから、さっさと解放して欲しいわ。

 

 

「今日は腹巻をして寝ろ。

 それだけさ」

 

 

 それだけ言うと、早歩きで逃げるように去っていく。

 何だったのだろうか。

 そう思ってると、お腹に鈍痛が走る。

 間桐くんに殴られた場所だ。

 

 

「遠まわしな心遣いね、ほんと」

 

 

 呆れるくらいに、不器用さ。

 分かりづらすぎて、呆れさえ覚えてくる。

 さて、遠坂邸に戻ろう。

 

 

 

 

 

 

 ……帰宅してから、凛に遅いとどやされる。

 それは我慢できた。

 が、入浴したあとに腹巻を要求したら、ババくさいと言われる。

 そこから始まった罵声の飛ばし合いは不毛の極みであり、更に疲れたのはまた別の話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今日は不快極まりない日であった。

 間桐慎二は心よりそう思う。

 

 衛宮が魔術師だと発覚するわ、マーガトロイドや爺ぃの手のひらで踊ることになるわで最悪であった。

 だが、今日が最悪なら、明日は今日よりも悪くなることはないだろう。

 ……だから、嫌なことは全て今日中に終わらせよう。

 

 

「爺ぃ、どこにいるんだ!」

 

 

 探す、探す、だけれども姿が見当たらない。

 上階には誰もいない。

 となると、いる場所は限られてくる。

 

 

「地下か」

 

 

 あまり好きではない場所。

 あそこから、両親の死体が出てきても僕は驚かない。

 むしろ納得するだろう。

 そんな埒もあかないことを考えながら、階段を下りる。

 

 

「慎二よ、来たか」

 

 

 爺ぃは僕を待っていた。

 いずれ、僕があの答えにたどり着かざる得ないのを分かってて言ってたのだ。

 

 

「で、お前、衛宮の倅に魔術を仕込んでみる気にはなったかや、呵呵」

 

 

 あのいやらしく、そして頭に残る笑いを爺ぃはする。

 僕がどう答えるかも知っている癖に。

 

 

「やるしかないんだろう?

 やってやるさ、だが、条件をつけさせてもらう」

 

 

 ここまで来たのだ、もはや迷う理由がない。

 

 

「桜が言っていたこと、叶えてもらおうか」

 

 

 あれは、夢見る少女の言動で。

 

 

「慎二よ、桜の絵空事を真に受けたのかぇ」

 

 

 もしそうであれば滑稽な。

 そう言わんばかりにニタニタしている。

 

 

「桜はお前用に開発してあるのだから、衛宮の倅の子供など産めるはずがなかろうて」

 

 

 それは桜にとって残酷な真実で。

 

 

「嘘を言うのは良くないじゃろうて。

 叶わない夢を見せるほど残酷なことはないじゃろうからな」

 

 

 醜悪に笑う。

 ガタがきているその体で。

 未だに生存しているのが不思議な存在が。

 

 

「……僕が何とかする」

 

 

「慎二よ、今、何と言ったのじゃ?」

 

 

 どうしようもない、そんなあきらめばかり押し付けようとする爺ぃ。

 だが、これ以上は癪だ。

 

 

「僕が何とかするって言ってんだよ、爺ぃ!!」

 

 

 僕がそう言うと、爺ぃが震える。

 不気味、その姿をあえて形容するならそれであった。

 

 

「呵呵呵呵、魔術の使えぬお前がか!!」

 

 

 傑作だというように、腸をぶちまけかねない勢いで哄笑する。

 

 

「僕は本気だ!」

 

 

 これ以上、誰かの手で踊ってたまるか。

 どんな無様を晒そうと、自分で決めたことなら耐えられる。

 

 

「よくぞ吠えたのぅ。

 ……良いだろう、可愛い孫の頼みじゃ。

 やってみせい、慎二よ」

 

 

 但し、と爺ぃが付け加える。

 

 

「日々の鍛錬は続行するぞ。

 何せ代替案は未だ存在せず、桜の夢見事なのじゃからのゥ、呵呵」

 

 

 腹立たしいが、現状で僕は無力だ。

 どうしようもない、認めるしかないのだ。

 

 

「わかった。

 ただ、桜をどうにかする手立てが用意できた暁には」

 

 

「分かっておる。

 その時は桜は開放する」

 

 

 また別の器が必要かのぅとつぶやく爺ぃは、どこまでも自分本位で、桜以外のものを仕込もうとしているのが見て取れた。

 

 

 だが僕は現状、桜と衛宮のことで精一杯になりそうだ。

 もう余計なことを考える、余裕はない。

 

 

「桜からは僕が伝える。

 それから、あいつは衛宮の家に置いておくぞ」

 

 

「儂の近くに桜を置いたままなのは、そんなに不安かぇ」

 

 

 見透かされている。

 年季が違うといったところか。

 

 

「そうだよ、あんたと一緒にいるとロクなことには成らないからね」

 

 

 だからここは開き直ることにした。

 爺ぃは案の定、楽しそうにしているだけ。

 全ては自分の手のひら、そう言わんばかりに。

 

 

「慎二、口の利き方がなっとらんぞ」

 

 

 ピタッと足元に何かが止まる。

 氷塊が背中に滑り込んだような、不快感に見舞われる。

 蟲だ、桜にいつも教育を施している蟲がいる。

 

 

「ひぃっ」

 

 

 数歩仰け反る。

 どうして、今、ここにいるんだよ!

 

 

 不快な思いをして顔を上げると気付いた。

 部屋の奥の方から、蟲たちが僕を見ている。

 数百、数千に渡る蟲が一斉に僕を見つめているのだ。

 

 

「あ、あああぁ」

 

 

 怖い、止めろ、僕を見るな!!

 

 

「呵呵。気をつけることじゃな」

 

 

 爺ぃがそう言い、上の階に上がっていく。

 僕は戦々恐々とし、爺ぃの背中にくっついてこの忌々しい部屋から直様出て行くことになった。

 

 

「随分と可愛らしく震えているのぅ。

 さっきまでの威勢はどうした、慎二よ」

 

 

「う、うるさい!」

 

 

 クソっ、今に見ていろ!

 爺ぃが愉快そうな中で、僕は爺ぃを絶対に見返してやることを決意する。

 馬鹿にしやがって!馬鹿にしやがって!!




シリアスが苦手だったことに気付いた、今日この朝。
苦手すぎて、0時に投稿するはずがここまで伸びることに……不覚です。

今日は疲れたような気がするので、執筆はせずにのんびりします。
折角、「魔法世界のアリス」とかも更新されていましたからね!

僕、投稿したらそれらの二次創作をゆっくり漁るんだ(フラグ)


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第5話 アリスの休日

お茶濁しの会です。
何を書こうかと考えが纏まらず、引き伸ばしのために書きました。
つまらなかったら、申し訳ないです。



 朝、私はカーテンの隙間から差し込む日差しで起床する。

 目覚まし時計などで、がなり立てられるように起きるよりも、この方が私の好みだ。

 

 うーんっ、と軽く背伸びをする。

 部屋に置いてある黄色の時計は、6:30を指している。

 

 丁度いい時間に起きれた。

 悪くない気分。

 今日は朝から調子が良いのかもしれない。

 

 

「おはよう、上海、蓬莱」

 

 

 机の上に揃えて置いてある彼女らにも挨拶をする。

 幼少の時から私と共にあった人形。

 その彼女達に挨拶をするのは、幼少の頃からの習慣だ。

 

 幼い頃は挨拶を返してくれないかな?と毎朝ドキドキしていた。

 そんなことを思わなくなった今でも、何時も助けて貰ってる彼女らに挨拶するのは当然のことになっている。

 

 無論、彼女たちからの返事はない。

 そんな彼女たちを一撫ですると、私は徐ろにパジャマを脱ぎ、今日着る服の選別を行う。

 

 ブラは寝る時に苦しいのでしてない。

 だから、毎日それから決めることにしている。

 下はライトブルーの下着を着けているのだから、上もそれに合わせる。

 

「っん」

 

 胸をペタペタと触ってみても、Bカップの大きさは変わらない。

 凛も同じであろう。

 裏切りは許さない。

 

 ところで今日は日曜日。

 どこにも出かける予定はないし、無地の白いワンピースを部屋着にすることにする。

 白のニーソを履き、色を統一。

 やっつけ気味なのは、見られるのが凛くらいだから。

 

 

 

「朝食を作らないと」

 

 確認するように呟き、台所へ向かう。

 遠坂邸では、家主たる凛が朝が弱すぎて朝食を食べないがために、私が自分の朝食を用意しなければならない。

 ブクレシュティでは、毎日3食を自分で用意していたし面倒だとも思わないが。

 

 冷蔵庫から、卵、ベーコン、トマト、マーマレードを取り出す。

 パン類は日の当たらないところに置いてある、バスケットに保管されている。

 そこからマウント深山(商店街のこと)のパン屋で買った、私好みのクロワッサンを手に取る。

 

 今日は食材を見ての通り、イギリス風の朝食を作る。

 最初にフライパンに火を通し、弱火にしたところでベーコンを投下する。

 こうすることで、ベーコンの油が溶け出しカリカリに焼けるのだ。

 

 ある程度、ベーコンが焼けたのを確認して卵を投入。

 ベーコンの脂、欠けた部分などで味付けをする。

 そして弱火で放置する。

 

 その間にトマトをまな板に置く。

 ヘタの部分を切り、4つに切り分ける。

 終了、実に他愛ない。

 

 匂いに釣られたのか、凛がトボトボと台所に入ってくる。

 

「おはよ、アリス」

 

「おはよう凛。

 洗面所は向こうよ」

 

 私が指さした方向に、のっそのっそと歩いて行く。

 相変わらずの寝起きの悪さ。

 その顔はまるで幽鬼のようで、初めて見た時はゾクリと嫌なものが走ったものだ。

 

 さて、やや半熟に焼けた目玉焼きを確認し、火を止める。

 ベーコンもこんがりと焼けており、問題はない。

 ベーコンエッグの完成。

 

 出来たものを皿に盛り付け、トマトも小皿に入れる。

 

 クロワッサンはオーブンレンジで1分半だけ温める。

 あくまで温めるだけであり、それ以上すると焦げてしまうので注意が必要だ。

 

 ベーコンエッグを作っていた隣で、沸かしていたお湯が吹いている。

 それを止めて、ポットにお湯を注ぐ。

 茶葉は多めに、渋いのを入れる。

 

 これは凛の分の紅茶で、自分のものは後で入れる。

 眠気覚ましの一杯と言った感じだ。

 

 その隙に手早く、食器などを洗う。

 油ものを洗うためのスポンジでフライパンを洗い、しゃもじは軽く水洗いをして、油もの以外を洗うスポンジを使う。

 そして洗い終えたものを布で拭き、元の場所に仕舞う。

 

 凛のカップに出来た紅茶を注ぎ、次に私の紅茶の作成に取り掛かる。

 新しく茶葉とお湯をポットに注いでいる時に、オーブントースターのチンという間延びした音が響く。

 

 暖かくなったクロワッサンをパン皿に盛り完成。

 私の分の紅茶を自分のカップに注ぎつつ、少し満足感に浸る。

 

 古き良きイギリスの朝食は、活力の源。

 やはり朝食はイギリスのものに限る。

 ……尤も、朝食以外は遠慮したいものがあるが。

 

「アリス、匂い嗅いでると私も少しお腹がすいちゃった。

 クロワッサン、少しもらうわね」

 

「随意にどうぞ」

 

 顔を洗って、悪鬼から人間に化けた凛が洗面所より帰還する。

 相変わらずの豹変振りにも、もう慣れてしまった。

 

 休日でゆったりしている日は、たまに凛が軽く食べれるものを所望する時がある。

 だから、休日はやや多めにパンを焼いている時が多い。

 本当なら平日にも食べてもらいたいが、無理強いすることも出来ないので歯痒い。

 

「ん、美味し」

 

 凛がクロワッサンの感想を言ったのを確認してから、私も口を付ける。

 ほんのり甘く、サクサクとしていて食べやすい。

 

 気を良くしベーコンエッグを口に含むと、ベーコンの味が全体に広まる。

 ちょっと主張がうるさい。

 おかずはミスチョイスだったのかもしれない。

 でもパン屋に黒パンは売っていなかったし、むぅ。

 

「……渋い」

 

「そう入れたのだもの」

 

 私が半熟の黄身を崩して、ベーコンの味を少しマイルドにしている頃。

 凛は顔を顰めながら、ちびちびと紅茶を飲んでいた。

 何だかんだで飲んでいるので、必要ではあるのだろう。

 毎朝恒例の儀式のような物である。

 そして、渋みに対する甘味を求めるがごとく、クロワッサンを平らげる。

 尤も、それでも比重が渋みに偏っているようでもあるが。

 

「凛、口を開けなさい」

 

 無言で開けられた口に、飴玉を放り込む。

 毎日、紅茶を飲み終えた凛に、私が進呈しているものだ。

 

「これのために、毎朝あのお茶を飲んでいると言っても過言ではないわね」

 

「目的と手段が逆転しているわね」

 

 飴玉で頬がリスのようになっている凛に、ジト目を向ける。

 眠気を覚まさせるのが主、味を楽しむのは従のはずだったが。

 

「どちらも結局は同じよ。問題はないわ」

 

 結果が変わらないのなら、問題はない。

 凛の言葉は最もなために、私は閉口せざるを得なかった。

 ここで何か言っても、負け犬の遠吠えみたいで気に入らないし。

 

「それにしても、よくそんなに飲むわね。

 イギリス人かってくらいに」

 

「イギリス人に対する偏見ね」

 

 私も彼らは紅茶をよく飲んでいるとは思うが。

 それを言うと調子付きそうなので、再び沈黙する。

 日本には沈黙は金、雄弁は銀と言う諺があるそうだが、けだし名言ではないだろうか。

 

「そろそろ入れるとしましょう」

 

 紅茶をしばらく飲んでいるうちに、味に変化を求めてしまう。

 ずっと同じ味では飽きてしまうのだから、仕方がない。

 

「相変わらずロシアンティーが好きね、あんたは」

 

 凛が呆れた目で、私がマーマレードを紅茶に入れたのを見ている。

 多めに紅茶を沸かしている私は、他の味を楽しむために多々ジャムを購入している。

 そして毎日それを入れているのだから、凛は呆れているのだろう。

 だが、私も同じ心境である。

 

「ロシアンティーは、スプーンでジャムを舐めながら紅茶を飲む作法。

 何度言えばわかってもらえるのかしら?」

 

「興味ないし、どうでもいいわよ」

 

 ぬけぬけと抜かす凛。

 違いの分からぬ蛮族め。

 

「飲んでみなさい。

 飲めば紅茶の楽しみ方が増えるわ」

 

「ハイハイ、ちょっと待って」

 

 めんどくさそうに、口の飴玉を噛み砕く凛。

 だが、私は引く気がない。

 最悪の場合、嫌がる凛に無理やり紅茶を流し込む所存だ。

 

「はい、どうぞ」

 

 紅茶にマーマレードを溶かし、かき混ぜたものを凛に差し出す。

 それを受け取った凛は、カップに口を付ける。

 

「悪くはないわね、それ以上でもないけど」

 

「あらそう、それは残念」

 

 腹は立つが、合わないのなら仕方がない。

 飲んだ上での発言なのなら、それは真実なのだろうから。

 

「ご立腹ね、アリス」

 

「別に、変わらないわよ」

 

 私の顔色が変化したのか、何時ものとってもいい笑顔を浮かべる凛。

 これを見るたびに凛はいい性格をしていると、思うのは凛の人徳がなせる技だろう。

 早く学校で猫の皮が剥がれればいいのに。

 

 自らを落ち着かせるために、カップを口に運ぶ。

 そこから程よい甘さと酸味が、紅茶の風味で運ばれる。

 ……落ち着く。

 

「で、今日は出かける予定は?」

 

「特に無いわね。

 1日工房に篭ることになりそうよ」

 

 凛の問いかけに答える。

 特に予定もないし、1日のびのびと研究に取り掛かれるだろう。

 

「モグラね、結構なことだけど」

 

「魔術師らしいと言いなさい」

 

 凛の小馬鹿にしたような言葉に反駁する。

 人形劇に傾倒している私に対しての、皮肉ともとれるがブーメランにもなりうる言葉。

 

「あなただってそうでしょ、凛」

 

「私は拳法の鍛錬で動くから問題はないのよ」

 

 そうだった。

 凛は研究の気分転換などに、中国拳法の型の練習などをよくしている。

 私が人形の点検などを行うのと同等の行為である。

 

「性格が悪いわね」

 

「褒め言葉ね、負け犬さん」

 

 ……今日は凛が優勢のようだ。

 目覚めは良かったが、ケチがついてしまった。

 私にできるのは、精々凛を睨みつける程度であった事が悔しさの増大に拍車をかけることとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝食後、凛の後ろ姿にガンを飛ばしつつ自らの部屋に戻ってくる。

 さて、何時も通り、研究を始めよう。

 

 部屋の本棚の魔道書に魔力を通す。

 そうすると、ガタンという音と共に本棚が右にスライドする。

 ここが私の工房につながっているのだ。

 ベタだが、それっぽくて私は気に入っている。

 

 魔方陣が床に描かれ、薬品の独特なにおいに満ちている密閉された部屋。

 本棚が狭い部屋の中にいくつも存在し、その中には種類別にされた本が沢山並んでいる。

 この薄暗い部屋の灯りは古臭いランタンによって齎されている。

 

 そして奥の机には、本棚から選び出された本が積み上がっている。

 聖杯戦争や、聖杯に関する知識が記された本などである。

 

 これらのお陰で、ここ1ヶ月で聖杯の大まかな仕組みについては理解できた。

 

 聖杯戦争が60年周期なのは、奇跡の御技に近い儀式には60年分のマナを集める必要があるから。

 

 間桐関連の書には、令呪が出来た経緯と使用法が。

 遠坂関連の書には、冬木の土地と霊脈についてが。

 アインツベルン関連の書には、聖杯を錬金していることについてが。

 それぞれの書に書いてあった。

 

 私が注目しているのは、遠坂と間桐の魔術。

 間桐の令呪は私が英霊を呼び出す時に、必要最低限の束縛であろう。

 遠坂の土地は、英霊をこの地に繋ぎ留めるための重要な霊地になりうる。

 アインツベルンの錬金術は、聖杯などの精製を行うわけではないので必要はないだろう。

 

「それにしても、ね」

 

 ほんの少しだけ不安がよぎることがある。

 英霊達は抑止力のデータバンクから、選定されて召喚されるということが今は分かっている。

 なら、その彼らを使って根源への研究を進めようとすると、抑止力が私を消そうとするのではないか?そういう不安である。

 

 聖杯戦争の場合、召喚される英霊たちは抑止力からの外圧を排され、独自の思考で行動が可能になっている(令呪による制約があるため、結局はマスターと共に行動しなくてはならないが)。

 だけれど私は独自で召喚する予定なので、何かイレギュラーが発生するのでは?と考えた結果がそれであった。

 何か対策を講じなければならないだろう。

 

「それについて今日は調べるとしましょうか」

 

 そうそう見つかるとも思えないが、千里の道も一歩からとも言う。

 まずは本棚から、それらの本を見つけることから、私の今日の研究は始まった。

 

 

 ………

 

 ……

 

 …

 

 

「無理難題ね、これは」

 

 抑止力を躱すための方法は、薄らと見当がついた。

 だが、同時に不可能でもあると理解できてしまった。

 

 抑止力が介入してくるのなら、抑止力が介入できない空間を作れば問題ない。

 世界との関わりを絶てる空間を用意すればいいのであろう。

 

 固有結界(リアリティ・マーブル)、自らの心象世界を顕現させる大魔術。

 その中でなら、抑止力の介入は発生のしようがない。

 その世界では自身が神であり、抑止の楔は外れるであろう。

 

 だが、それは先に述べた通りに不可能である。

 第1に、抑止力が中には発生しなくとも、外から攻撃を加えてくるであろうことから。

 第2に、そんな馬鹿みたいな魔力を供給できる訳が無いから。

 そして第3に、固有結界を使えるということは、限りなく魔術師として最高峯の実力を有する必要性があるということである。

 

 そもそも、固有結界を延々と展開することなど不可能だ。

 かの名高い、死徒27祖でも数時間しか結界を供給できないそうなのに。

 霊脈に頼っても、すぐに枯れてしまうだろう。

 よって不可能と断ずることとなった。

 

「さて、どうしましたものかしらね」

 

 このままこの方向性で固有結界を応用した方法で、抑止力を避ける方法を探すか。

 それとも、別のベクトルで解決策を見つけるか。

 

 そこで気付く、もう夕方が近い。

 工房の古時計が4時を指している。

 昼食を食べずに、ずっと部屋に篭っていてこの時間になっていたみたいだ。

 

 

 

「とりあえず一息つきたいものね」

 

 進展はなかったとは言え、ひと段落は付いたところ。

 少し気分転換がしたい。

 それに思い出したかの如く、喉が渇いていることに気付く。

 

 研究に熱中しすぎるのも問題だなと思う。

 が、それが魔術師の性なのでどうしようもないだろう。

 

 紅茶が飲みたいがために、工房を出る。

 そして食堂へ向かう途中、窓から庭にいる凛の姿が見えた。

 どうやら例の中国拳法の鍛錬の最中らしい。

 

 それを片目で見つつ、食堂にたどり着く。

 お湯は温め、今は熱いものよりも飲みやすいものが良い。

 ポットに茶葉を入れ、お湯を注ぐ。

 

 お茶請けには、クッキーを選ぶ。

 自分で作ろうかとも思ったが、面倒なので今は既製品のものを用意。

 紅茶に少し工夫をして完了。

 そしてそれらをトレーに乗せて、私は中庭に向かう。

 

「ご苦労なことね、凛」

 

「そっちは一旦休憩ってところかしら」

 

 凛の視線が私のトレーに向いている。

 それを見れば一目瞭然といったところであろう。

 私は首肯で肯定をしつつ、どう?とトレーを凛に勧める。

 

「私も休憩したいところだったし、ちょうどいいタイミングね。

 ありがたく頂戴するわ」

 

 凛がカップを取り、私も凛が口を付けるのと同時に紅茶を飲む。

 

「ブハッ!?」

 

 凛が紅茶を吹き出す。

 まったく。

 

「マナーがなってないわ、凛」

 

「あんた中身何入れてんのよ!?」

 

 喚く凛を尻目に、ほんのりと砂糖が効いている紅茶を味わう。

 疲れている時には、単純なのが一番なのかもしれない。

 

「貴方がロシアンティーを飲みたそうにしていたから、用意したまでよ。

 片方には塩、片方には砂糖が入っていたわ」

 

「朝のこと、根に持ってんじゃないわよ!」

 

 う~、と変なうめき声を出しつつ、凛が私を睨む。

 別に根に持っていたわけじゃない。

 私は気を利かしただけよ。

 

「気のせいよ。

 それよりも、クッキー食べれる?」

 

 勧めてみるも、手をつけようとしない。

 流石にこれは警戒されるか。

 これには何にも仕掛けてなどないのだけれど。

 

 私が一つ摘んで食べると、恐る恐ると言った感じでクッキーを口に含む凛。

 何事もなかったのにホッとしているのが目に見える。

 その姿が、何となくリスなどの小動物を連想させる。

 

「あんた、内心でとっても愉快な気持ちになってるでしょ」

 

 ものすごく忌々しげに凛が私の顔を睨みつける。

 さて、確かに私自身面白がっている節がある。

 

「否定はしないわ」

 

 そう言うと、目に見えて不機嫌さが増したように見える。

 具体的には青筋がピクピクしている。

 

「久々にこんなに鶏冠に来たわ」

 

「そう、鶏ね」

 

 よく怒ってるのを忘れている辺り。

 もしかしたら自覚できてないだけなのかもしれないが。

 

「あんた、一回躾てあげるわ。

 準備なさい」

 

 少し弄りすぎたようだ。

 軽く3人くらい手を下してそうな程に、凛の目が据わってる。

 ……私も人形達をたまに動かしてやりたいし、利害は一致しているか。

 

「人形たちを取ってくるから待ってなさい。

 それと、遠坂邸の防衛システムは切っておいて。

 それが認められるならいいわ」

 

「問題はないわ。

 早くとってきなさい」

 

 凛の目が好戦的に輝いている。

 獲物を狩る獣のように、笑顔を貼り付けている。

 もしかしたら、日頃のストレスも全て私にぶつけようとしているの?

 そうだとしたら、迷惑千万ね。

 

「焦ることないわ。

 逃げも隠れもするつもりはないから」

 

 私も狩られる獲物と見られているのは、少々腹が立つ。

 教育してあげる必要があるようね。

 さあ、喧嘩の始まりね。

 

 

 

 

 

 だけど、どうやって戦うものか。

 人形を取りに行く途中、凛の取るであろう戦術に思考を巡らせる。

 

 凛は宝石魔術の使い手。

 だが、こんな阿呆なことで貴重な宝石を使うとも思えない。

 だったら魔術礼装を使ってくるか、魔術刻印を駆使して相対してくるであろう。

 そして、自分が有利な距離に詰めてくるだろう。

 凛はイニシアチブを自分が握りたいであろうから。

 

 では、私はどうするか。

 基本的に接近戦は凛に分があるのだから、まず距離を取る必要があるだろう。

 そして、距離を近づけさせずに、手数で勝負するしかない。

 

 必然的に受けに回らざるを得ない状況。

 それを考えると、少し憂鬱になってきたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「随分ぞろぞろと連れてきたわね」

 

「そうね、全部で25体くらいかしら」

 

 上海、蓬莱の2体を筆頭に、私が自ら拵えた人形がズラリと整列している。

 盾を持っている人形や非殺傷武器を持っている人形、無手の人形も散在している。

 

「そんなに操って大丈夫なの、アリス」

 

「問題はないわ、この子達が貴方を寄せ付けないから」

 

 凛が無防備なお前を叩くぞと、言ったのを私は切り捨てる。

 むしろ、凛と運動能力で張り合うのは馬鹿げているので、私の方針は間違ってはないだろう。

 

「さてと、始めますか」

 

「ルールは?」

 

 凛が早速噛み付きそうなのを制し、確かめる。

 条件が分からねば、どうしようもないのだから。

 

「相手が参ったっていうか、気絶するまで」

 

「野蛮ね」

 

 凛が提示したのは単純明快。

 原始的な力での解決。

 

「分かりやすくていいでしょう?」

 

「そうね」

 

 野蛮だからと言って、別段否定する気もない。

 そもそも、こんなことになった経緯からして幼稚なのだから。

 

「じゃ、このコインが地面に落ちた瞬間に開始よ」

 

「分かったわ」

 

 

 

 

 小さく返し、神経を研ぎ澄ませる。

 針に糸を通すのをイメージする。

 これが私のスイッチの押し方。

 

 

 

 

 

 ―――刹那、私の中で、何かが切り替わる音がした―――

 

 

 

 

 

 凛との距離はおよそ15メートル。

 彼女がその気になれば、どれだけ妨害しても5秒も掛からずに距離を詰めることが可能な距離。

 ならばこの勝負、彼女の接近を許してはならない。

 

 各人形との接続は良好。

 どれも、自身の指の如く動かせる。

 

 魔術回路は全て稼動。

 今は人形を通じての、魔弾すら放つ事が可能だ。

 

「じゃあ」

 

 凛の声。

 それが私の鼓膜に届いた時、コインは宙を舞っていた。

 まだだ。

 焦るな、隙を晒すな。

 

 ただひたすらに集中する。

 目で見えないものを捉えんばかりの勢いで。

 コインが地面に接触する一瞬。

 永遠にも感じる瞬間。

 

 

 

「せーのっ!」

 

 凛が踏み出す。

 私に目掛けて疾駆する。

 仕掛けるのは、接近戦。

 

 予想はできていた。

 準備もでいている。

 

「上海!」

 

 だから、あとは開放するだけ。

 

「行きなさい!」

 

 赤い閃光が放たれる。

 魔弾となって凛の、その足元へ炸裂したのだ。

 

「ッチ!」

 

 ステップで簡単に躱される。

 無論当たるわけがない。

 当然である、当てるつもりなどないのだから。

 

 凛の足元は穿たれ、足が止まる。

 狙い通り。

 私は間髪入れずに行動へ移る。

 

告げる(set)

 

 本格的に動けなくしてあげるわ、凛!

 

「デヴィリーライトレイ!」

 

 6体の人形から弾幕が形成され、凛の動きを制限するように光が幾つも凛を掠る。

 だが、どれも直撃はしない。

 ただ、動きを止めるだけ。

 それが私の今回の作戦。

 絡め取ってから、じっくり料理するのだ。

 

「舐めんじゃないわよ!」

 

 直撃などしないのだから、もちろん凛には見破られる。

 彼女は自らが焼かれるもの気にせずに、踏み込む。

 右手を構えて、何かを放とうとしている。

 

「ガンドッ!」

 

 凛の構えられた右手から、黒き弾丸が飛び出す。

 弾丸のように鋭く、重みのある黒。

 それが私の人形を確かに射抜いた。

 

「そんなガンド、ある訳ないでしょう!」

 

 呪いのはずのガンドが、人形を撃墜する。

 人形には大穴があき、行動不能と化していた。

 

 ……ふざけた話だ。

 凛のことを私は見くびっていたのかもしれない。

 こんな脳筋な真似が出来るとは、想像もしていなかった。

 

「これ以上、やらせないわ」

 

 動きを制限している今の内に、10体の人形たちで肉薄戦闘を仕掛ける。

 蓬莱を筆頭に警備棒やスタンガンを持った人形たちが、凛に向けて大挙する。

 これで引導を渡してあげるわ、凛。

 

 だが、それを見た凛の口元はつり上がっていた。

 自然と、蓬莱を離脱させていた。

 他の人形も急ぎ散開させようとするが……。

 

「これだけ集まって、選り取り見取りってね!」

 

 先ほどのガンドが、その圧力と数を増やして牙を剥いた。

 密度が高い、ガトリングの掃射の如き攻勢。

 散開しきれなかった人形、肉薄攻撃を仕掛けた8割の人形が行動不能となったのだ。

 そしてそれらに気を取られた私は、上海達の弾幕が薄くなっていた。

 

「迂闊ね、アリス」

 

 薄く微笑を浮かべている凛。

 彼女の表情がよく見える。

 それだけ近づいていたのだ。

 

「冗談!」

 

 迫るガンドを盾を持った人形たちで防御する。

 中には、チタン製の盾をぶち抜き人形を直撃しているモノもある。

 

 凛を止める手立てはない。

 蓬莱たちは凛の後方に。

 上海たちの魔彩光は幾らか撃墜されたことで、弾幕の密度が薄くなっており足を止めることさえ出来ない。

 

「取った!」

 

 気付けば目の前に凛がいる。

 私に右手を向けている。

 

 極度の緊張状態にあるのだろうか。

 凛の動きがとても緩慢に見える。

 右手から放たれたガンドが、私の胸へ直撃コースとなって飛ぶ込む。

 

 私はそれを……

 

「え?」

 

 それは誰の声だっただろうか。

 唖然とした声がその場に響いた。

 

 腕がしびれる。

 今日はまともに右腕が使えそうにない。

 

「腕を盾にしたのっ!?」」

 

 苦虫を噛み潰したような声を凛があげる。

 だが彼女はそのまま、勢いに任せて突進してくる。

 

「どちらにせよ、これで終いよ!」

 

 彼女の右腕が私を捉えた。

 

「っがぁ」

 

 衝撃が走る。

 骨ではなく、臓器を直接殴られたかのような吐き気と気持ち悪さを覚える。

 

「もう一発!」

 

 肘が完全に肋骨に決まる

 衝撃で意識が遠のいていく。

 

「少し驚いたわよ、まさかあんな事するなん……て?」

 

 私の顔を見た凛が少し驚いたような顔をする。

 何かあったのか、どちらにせよこれがラストチャンスだった。

 

 私は左腕で思いっきり、何かを引っ張る動作をする。

 凛は何故か固まっており、それに対応できなかった。

 

「ぁ、や…たわね、ひ、きょうもの」

 

 隙だらけなのがいけない。

 凛が倒れこむ後ろに、スタンガンを持った蓬莱の姿があった。

 そして凛が頭を打ち付ける形で倒れ込むのを、上海が支える。

 

 上海、蓬莱……ご苦労様

 

 そこで私も意識が遠のく。

 もとより限界を超えていた。

 これほど頑張れたのは、やはりこのまま負けるのが悔しかったからだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ん、ぅん」

 

 頭が痛い。

 二日酔いをしたように、頭がガンガンと鳴り響いている。

 

「ようやく起きたのね、このねぼすけ」

 

「ぁなただけには言われたくないわね、凛」

 

 この低血圧魔人がよく言う。

 薄らと目を開けると、何事もなかったかの様に凛が私を見下ろしている。

 場所は室内、客間のソファーに私は寝かされているようだ。

 

「んー、やっぱり青色よね」

 

 私が開けた瞼を見て、凛は呟く。

 安心したように、だけれど納得してないように。

 

「何が?」

 

 体のあちこちが痛い。

 右手は痺れたままだし、肋骨は軋んでいる気がする。

 気分が悪いので、あまり含みがあるのはよして欲しい。

 

「アリス、一つ質問をしてもいい?」

 

「……1つならね」

 

 疲れているので、そんなに多くは答えられないだろうが、1つなら問題はないだろう。

 

「あんた、魔眼とか持ってたりしない?」

 

「そんな便利なもの、持ってるわけないわよ」

 

 どうして持ってると思ったのか。

 ん?そういえば、喧嘩の最中に凛は一瞬、動きを止めた場面があった。

 もしかしたらその時にそう見えたのかもしれない。

 

「どちらにせよ、目の錯覚でしょう」

 

 凛はうんうん唸っていたが、疲れきった私に思考能力はもう残されていなかった。

 この脳筋族め、好き勝手に暴れてくれて。

 

「それよりも気になることがあるわ」

 

「何よ」

 

 私が唯一、この中で気にしていること。

 それに凛も反応した。

 それはというと……。

 

「この勝負、どちらの勝ちなのかしら?」

 

「…………」

 

「…………」

 

 私たちが夜遅くまで言い争いをしたのは、言うまでもないことだった。

 余計に疲れて後悔するのは、別の話である。




練習がてらに戦闘描写を書いたのですが難しくて、全然書けませんでした(汗)
正直な話、題名をやっぱ戦闘描写ってクソだわ!にしかけたのはここだけの話です。

あと、アリスが凛に苦戦気味にしたのは、アリスは「作る人」で凛は「戦う人」かな、と考えたがためです。
違和感があるようでしたら、ぜひ言って頂ければ幸いです。
あと、アリスに余裕が無さ気なのは、まだそのレベルに達していないからです。
ロリスとアリスの中間地点くらいとお考え下さい(心の余裕具合が)
以上、言い訳でした。


次回は桜が告白してからの衛宮邸に、焦点を当てたいと考えています。
……アリスの出番はあるのですかね(遠い目)


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第6話 私が彼を愛するためには

一週間であげるつもりが、ゲームしたりとか、本を読んだりしている間にあっという間に時間が経っていて、びっくりしました。


 衛宮士郎はここ最近、衝撃の真実という奴によく襲われている。

 それも、身近に思っていた人物たちによってだ。

 

 俺が付き合いの深かった間桐の兄妹。

 傲岸不遜を絵に描いたようで、実は小心者で不器用な間桐慎二。

 何時も俺の家に来て、ご飯食べたり、料理を作ったりしてくれる1歳年下の間桐桜。

 

 慎二とは桜を巡る過去の事件で、疎遠になってしまっていた。

 そして、その隙間を埋めるように、桜は俺の家に通い始めた。

 

 だが桜の告白から、運命の歯車は回りだす。

 

 

 間桐が魔術の家だったこと。

 俺は桜に監視されていたこと。

 この街に聖杯戦争とかいう、魔術師達の儀式(殺し合い)が存在していること。

 じいさんが、それに参加していたこと。

 次の60年周期の戦いの為に、『衛宮』の家の俺を引き込もうとしたこと。

 

 それらのことを、桜は俺に暴露した。

 正直、まだ色々と飲み込めていない。

 殺し合いなんて馬鹿げているし、俺はそんな物に加担する気はない。

 むしろ、積極的に妨害することになるのかもしれない。

 10年前の、あれを、繰り返させるわけにはいかないから。

 だがあいつらはその戦いに挑む、という理由だけで俺に誘いをかけたのではなかった。

 

 

『それはね…………先輩のことが大好きだからですよ』

 

 

 ドキっとするほど透き通るはにかみを桜はしていた。

 俺の心に染み込んでくるように。

 俺を包むように。

 

 嘘は感じられなかった。

 友達の妹からの純粋な心。

 そんなものを見せられて、俺はそれを受け入れそうになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――だけれども、少し幸せを感じた俺の脳裏に赤い世界が広がる―――

 

 

 

 喉が乾く中を歩いている。

 呻き声がそこらじゅうから聞こえて。

 たすけて、たすけて、そんな声で溢れかえっている。

 俺はそんな彼らに手を差し伸べることなく歩き続ける。

 

 燃えている家の中を、母さんに起こされて慌てて飛び出した。

 でも母さんは逃げ遅れ、父さんは母さんを助けるために家に飛び込んだ。

 そしてふたりともかえってこなかった。

 

 母親がこの子だけでも、と赤ん坊を誰もいない宙に差し出していた。

 ほのおがもえあがってやけた。

 

 見たことのある友達が俺を見つけた。

 しろうくん、僕はここに居るの、これが重いよぉ。

 掠れた声で訴えている。

 しらないふりしてすすんだ。

 

 

 今度は俺の足が、棒になる。

 動かなくなる。

 背中が熱い。

 焼けてるのかな?

 他の人を見ると真っ黒になってる。

 きっと僕もそうなっているに違いない。

 そっか、ぼくはしんだんだな。

 

 でも俺は生きてる。

 じいさんが助けてくれた。

 

 そんな俺を、見捨てた人たちが罵る。

 

 私たちを見捨てて、何故お前はイキテイル?

 幸せになろうとシテイル?

 

 それを見て俺は思う。

 やっぱり、俺は償わなくちゃいけない。

 俺は彼らの分まで生きて、死んでいった人に報いるために多くの人を助けなくちゃいけないんだって。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…ぱい、先輩!」

 

 

 桜が俺を心配げに顔を覗き込んでいた。

 安心させるように、俺は微笑む。

 

 

「悪い桜、ちょっとびっくりしてた」

 

 

 そういうと桜は何か言いたげだが、引き下がった。

 顔に影が差している。

 そのタイミングで俺は言う。

 

 

「桜の気持ちはとっても嬉しい」

 

 

 そう言うと、桜は暗い表情に、親に見捨てられるような子供の顔をしていた。

 俺が何を言おうとしているのか、分かってしまっているのだ。

 

 

「だけど無理なんだ。悪い」

 

 

 蒼白な桜、ガタガタと震えている。

 桜が悪いわけじゃない。

 完全に俺個人の問題。

 だけれど、だからこそ自身のケジメはしっかりつけたい。

 

 

「桜、俺のことを好きになってくれてありがとう。

 でも桜ならもっと良い人を見つけられるは、ず……」

 

 

 そこで気付く。

 異常なほどに震えている体を、強く両腕で抱きしめる桜。

 涙をポトポトと畳を濡らし、小さな声で、嫌だ、と繰り返している。

 

 

「おい、どうしたんだ桜!」

 

 

 普通ではない様子に、急いで駆け寄る。

 振った直後に手を差し伸べるなんて許されない行為だろうが、それでも泣いている桜を放っておくことなんてできない。

 この場に俺と桜しか居ないなら尚更だった。

 

 

「泣くな桜、落ち着け」

 

 

 背中をポンポンと叩き、落ち着くように摩る。

 だが効果は無く、桜の涙は止まらない。

 

 

「先……輩」

 

 

「どうした、桜」

 

 

 桜が泣き始めてから、何分経っただろうか。

 5分のような気がするし、1時間のような気もする。

 どのくらい、こうしていただろうか。

 

 落ち着いたのか俺に呼びかけてきた桜。

 だが目尻には涙の跡が幾つもあり、赤くなってそれがとても痛々しかった。

 

 

「私に、は先輩しかい、ないんです。

 他に、良い人なんて、いないんです。

 だから、私を受け入れてく、ださい」

 

 

「……桜」

 

 

 何が桜を駆り立てるのだろう。

 どうしてそこまで俺に拘るのだろうか。

 分からない。

 

 だが、桜は俺しかいないといった。

 俺以外にも、桜を好いている奴は探せば出てくるはずなのに。

 ここまで思われているのは幸せなのだろう。

 

 だけれど、俺は、俺は駄目なんだ。

 死んでいった人たちの分も、人を助けなくちゃ。

 正義の味方(衛宮切嗣)に成らないと。

 

 きっと、俺は俺でなくなってしまうだろう。

 

 

「どうしたら、良いですか」

 

 

 蚊の泣くような声だった。

 だが俺の耳にもはっきり聞こえた。

 桜にすべての意識を傾けていたから、普段は聞こえないような声でも俺に届いたのだろう。

 

 

「どうしたら良いって……そういうことじゃないだろ」

 

 

 俺が駄目なのだから付き合えないのだ。

 桜は何も悪くない。

 だから、どうしようもないのだ。

 

 

「先輩、正義の味方になるって言ってましたよね?」

 

 

 虚を突かれる。

 桜と一緒になれない理由。

 俺が将来なりたいもの、成らなくてはならないもの。

 

 かつて、夕飯の時に藤ねぇが桜に吹き込んだ戯れ。

 恥ずかしくて真っ赤になった俺に、桜は素敵な夢だって笑ってくれたもの。

 

 

「それが、どうしたってんだ」

 

 

 俺の大事にしている物に桜が触れてきた。

 知らず、声が震える。

 何か重要な言葉が飛び出す予感がするのだ。

 

 

「なら……」

 

 

 桜が言葉を詰まらせる。

 再びしゃくりを上げ、枯れたと思っていた涙が再び流れ始めた。

 桜の顔はしっかりと顔を上げられており、そこから全てが見えたのだ。

 

 

「私を助けてくださいよぉ!」

 

 

 言わず、衝撃を受ける。

 戦慄したといっても良い。

 

 確かに桜は今、泣いている。

 正義の味方なら、ここで手を差し伸べるべきなのだ。

 だけど、僅かな躊躇が生まれる。

 

 そんなに義務的に桜を助けてもいいのか?

 桜をそこに含めてもいいのか?

 

 そこまで考えて、ふと気付く。

 桜は特別なのか?

 俺は彼女をどう見ている。

 桜に俺はどうしてやりたいんだ、と。

 

 

 

 自然と、彼女を抱きしめていた。

 

 

「先…輩…?」

 

 

「言うな、何も」

 

 

 俺は何をしているんだろうって思う。

 振った直後にこれである。

 これほどの愚挙は滅多にないだろう。

 

 

 だけれど

 

 桜の涙を止めたい。

 桜の助けになりたい。

 桜の……隣にいたい。

 

 そう、烏滸がましいことを考えている俺がいた。

 

 

 過去のことで見捨ててしまった人がいる。

 その人たちの為にも、俺は人々の助けとならなないといけない。

 だけれどもそれなら、泣いている娘一人を助けられないでどうする?

 

 無論、詭弁だということは承知している。

 俺が桜の近くにいたいが為の言い訳だということを。

 

 

 

 分からないのだ、今の俺には。

 どうして良いのかが。

 

 彼女の隣にいて、安らぎを甘受する自分が許せない。

 自分がそんな事にかまけている間に、正義の味方になる道は遠のいていきそうで。

 

 だけれども、俺は。

 桜を泣かせたくない一心で。

 そんな即物的な理由で、桜を抱きしめていた。

 

 

 これからの事なんて考えてなかった。

 だけれども、その時は確かに心が穏やかになっていた。

 

 幸福ではなかったのだけれども。

 満たされることも無かったのだけれども。

 それでも助けになれたのなら、その先にきっと……。

 

 

 

 

 

「先輩、良いんですか?」

 

 

 戸惑った桜の声が聞こえる。

 それもそうだろう。

 俺の行動には全くの一貫性がないのだから。

 

 

「良くはない」

 

 

 俺の返答に桜の戸惑いの色が更に増す。

 不安そうな目で、桜は俺をじっと見ているのだ。

 

 

「それならどうして、私を抱きしめてくれてるのですか?」

 

 

 不安さと戸惑いの中で、少しの期待を俺へと向けてくる。

 

 

「桜と一緒にいたいからだ」

 

 

 ハッキリと言う。

 嘘偽りの無い俺の気持ち。

 桜はそれに伴い、その名前を体現するような顔色になる。

 

 

「ならどうして、私を抱きしめるのは良くないことなんですか?」

 

 

 ほんのりと朱に染まった顔を覗かせながら、ドキドキと不安とを織り交ぜた表情で桜は尋ねる。

 答えを求めるように、俺の顔を下から覗き込んでくるのだ。

 

 

「正義の味方はな、皆に平等でなきゃならないんだ。

 だから、桜だけに優しくするわけにはいかないんだ」

 

 

 正義の味方は、一人だけの味方であってはならない。

 それは、誰かを愛せるものだけの特権だから。

 

 俺にはきっと、そんなことを出来る権利なんてない。

 

 

「だから今だけだ」

 

 

 まだ正義の味方を目指している途中だから。

 完全な正義の味方になった訳ではないのだから。

 

 だからこの瞬間だけ感情を持て余させて欲しい。

 桜を強く抱きしめ、甘えながらそう思った。

 

 

 

 

 

「先輩、いくつか忘れ物がありますよ」

 

 

 桜が俺の耳元で囁く。

 抱きしめてるから、桜の顔が見えない。

 ただ耳元で、桜の熱い吐息を感じながら聞き入るしかなかった。

 

 

「何がだ、桜」

 

 

 俺の問いに、桜は少し自信ありげに言う。

 

 

「正義の味方には、助けてくれる仲間が付き物だってことですよ」

 

 

 ……今日は驚かされることが多い。

 それらのことが、頭の中をグルグルと回る。

 

 

 俺の知っている正義の味方は、常に一人で行動していた。

 人を助けると、幸せそうな、救われた顔をするのだ。

 

 その人が俺の目標。

 だから、今まで全く考えてこなかったのだ。

 

 1人でいるのは、自分の責任でもあるのだ。

 他人を巻き込むまい。

 そう考えていたのかもしれない。

 

 だけれど、

 

 

「だから先輩、頑張って一人になろうとしないでください」

 

 

 そうでなくて良いと、桜は言ってくれた。

 それは俺の心に自然と入り込んできて。

 とても、心に染みた。

 

 

 

「それに、ですね」

 

 

 桜の声がする。

 さっきの優しげな声と違い、不安がるような、心配をするような声が。

 

 

「私を仲間にしてくれないと、先輩も私も一人ぼっちになってしまいます。

 それは、嫌です」

 

 

 俺の背中を桜が強く抱きしめる。

 居なくならない様に、しっかりと。

 

 

「そう、だな。

 一人は寂しいな」

 

 

 

 

 

 爺さんが死んだ時。

 俺は世界にたった一人、取り残された気分を味わった。

 それを乗り越えられたのは、たった1つの約束のため。

 月下の下で交わした、最後の約束。

 

 

『うん、しょうがないから俺が代わりになってやるよ』

 

 

 それは夢を見れる、子供だけがなれるもの。

 

 

『爺さんはオトナだからもう無理だけど、俺なら大丈夫だろ。まかせろって、爺さんの夢は俺が――』

 

 

 その約束に縋って生きてきた、俺の軌跡。

 

 何かを追い求めて、ここまで生きてきた。

 藤ねぇや桜といても、充実の中に空虚さを感じてもいた。

 

 だが、その空虚さに、桜は近づいてきている。

 このままでは、何れそれに触れられてしまうだろう。

 

 本当に良いのか?

 桜に触らせてしまっても良いのか?

 絶対に触れられて欲しくないものに。

 

 

 怖い

 

 

 親しみが、愛情がこんなに怖く感じるなんて。

 

 

 怖い

 

 

 爺さんとの約束が果たせなくなりそうで。

 

 

 怖い

 

 

 あの日死んだ人たちは、俺を見て何を言うのかと考えてしまって。

 

 

 怖い

 

 

 桜が俺に、何を与えようとしているかが分かってしまいそうで。

 

 

 

 

 

 そして気付く。

 俺が桜を通じて、求めそうになっていたものに。

 すごく、吐き気がした。

 

 

 

 

 

「先輩?

 どうしたんですか、先輩」

 

 

 俺は震えている。

 このままでは、決定的に何かが欠けてしまいそうだったから。

 何かを見破られてしまいそうだから。

 

 

「ぁ」

 

 

 このまま、桜を抱きしめていてはまずい。

 そう思って、一旦離れる。

 名残惜しそうな、桜の漏らした声が妙に耳に残る。

 

 

「済まない桜、びっくりさせたな」

 

 

 何事もなかったかの様に取り繕う。

 何時も通りに、話しかける。

 これで元通り。

 

 

「先輩、どうして逃げるんですか?」

 

 

 そんな訳はなかった。

 真剣な目で俺を見る桜。

 もう限界は近いのかもしれない。

 

 

「逃げるって何のことだよ」

 

 

 抵抗はする。

 このままでは不味い。

 桜は本当に俺に――を与えてしまう。

 

 それが、とてつもなく嫌だった。

 

 

「先輩は何かが溢れそうなのに、それを我慢しています」

 

 

 簡単に看破されようとも。

 

 

「そうなのか?気のせいじゃないか?」

 

 

 虚勢を張らなくては。

 

 

「先輩は……何かを怖いのを我慢しているんですね」

 

 

 どうして

 

 

「どうしたんだよ、桜。

 急にそんなことを言って」

 

 

 どうして

 

 

「だって、それ。

 私もよく知っていますから」

 

 

 桜は俺を――――理解しようとしているんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 先輩に沢山我が儘を言ってしまった。

 助けて下さいなんて、とっても狡い言い方をしてしまった。

 先輩は優しいから、絶対に悩んでしまうに違いないのに。

 

 そうして、やっぱり先輩は私を助けてくれた。

 ダメなことだと言いながら。

 自分のルールを曲げてまで。

 

 だけれど、先輩は何かに怯えている。

 平気な顔をして、何時も通りに振舞おうとしているけど、分かってしまう。

 

 私が慣れてしまっているから。

 そういうことは簡単に、見えてしまうのだ。

 先輩は分かり易いから、殊更に。

 

 

「桜は、何か我慢していることがあるのか?」

 

 

 先輩は私を見つめ、そう言う。

 その目は何かを覗こうとしているようで。

 私は少し怖くなる。

 

 

「そう、ですね。

 先輩に話してない、辛いことはあります」

 

 

 私の禁忌。

 これを言うのだけは踏ん切りがつかずに、ずっと心に秘めていたこと。

 

 

「先輩はどうなのですか?

 辛いこととか、苦しいこととか、何かありますか?」

 

 

 先輩の必死さの中に、何か違和感を感じたから。

 

 私は尋ねる。

 自分のことは話さないのに。

 厚顔さを自覚しながら。

 

 それでも先輩を知りたいと思ったから。

 

 

「中々形容しづらい話なんだが、話した方が良いか?」

 

 

「はい」

 

 

 心当たりのあることがあったのだろう。

 先輩はあまり話したそうにしていなかったが、私に問いを投げた。

 それを知らないと、先輩にそれ以上近づけないと思ったから。

 

 

「そうだな、これは昔の大火災の時の話だ」

 

 

 そうして先輩が語ったのは。

 

 とっても悲しい話で。

 すごく理不尽な話で。

 そして先輩の始まりの話。

 

 

「俺はさ、あの赤い世界で一回死んだんだと思う」

 

 

 そこから先輩が語った話。

 それは大火災のあった日のこと。

 

 苦しんでいる人達を、助けることができなかった。

 そして自分だけ生き延びてしまった。

 そのことを悔やんで、暫くは夢にまで見ることになった。

 

 

「胸が苦しくなって、どうして自分だけ生きているんだって、何度も思った」 

 

  

 だけれど、先輩のお父さん。

 衛宮切嗣のおかげで先輩は救われた。

 彼が先輩を助けた時の救いを得た幸せそうな顔。

 息子にしてもらった時に感じた憧れ。

 

 

「オヤジの子供になれてよかった、そう心から感じたんだ」

 

 

 そして衛宮切嗣の夢、正義の味方。

 彼の死に際にそれを受け継ぐと約束した。

 それが今の先輩の原動力になっている。

 

 

「本当に綺麗で、憧れて、どうしてもなりたいって思った。

 だから頑張ってるんだ」

 

 

 先輩の顔は、確かに大切なものを、純粋に見つめている目だった。

 私が、姉さんを見つめる嫉妬混じりのものとは大違いのもの。

 

 先輩の目はとても綺麗で。

 それ故に、少し無機質に感じてしまった。

 

 

 

「先輩はそれで幸せになれますか?」

 

 

 だから私は一番聞きたかったことを聞いてみた。

 ずっと他人のために頑張る先輩。

 その理由が分かった。

 

 なら、それは先輩にとって幸せなのかということが、最後の疑問として残るのだ。

 立派であるし、先輩が頑張るというのなら、私も応援しようと思っている。

 だけれど、先輩はそれで本当に自身の幸せを手に入れることができるのだろうか?

 

 それを聞くと、少し先輩は考え込んだ。

 目を瞑り、何かを想像するように。

 

 私はそれをじっと、待ってた。

 先輩の出す答えを。

 そうして目を開けた先輩は、一つ頷く。

 

 

「そうして幸せそうにしていた人を俺は知っている。

 だから、きっと幸せになれると思う。

 少なくとも、俺はそう信じている」

 

 

 先輩が想像したのは、きっと衛宮切嗣、先輩のお父さんだろう。

 ここまで話して、何となく分かった。

 

 先輩はその衛宮切嗣の生き方しか見ていないし、それにしか成れないのだろう。

 他の生き方は興味を持てない。

 いや、持つのは罪だとすら考えていそうだ。

 

 全ては大火災の日に死んでいった人たちのため。

 自身が生きているのに、きっと罪の意識を覚えずにはいられない。

 

 

 

 とても痛い。

 先輩の心は沢山の剣が刺さっているのだろう。

 抜きようもない程に深く。

 

 その時に私が感じた感情は、『愛』だったと思う。

 この人の苦しみは、理解できないほどに重たいのだろう。

 私は個人の苦しみなのに対して、先輩は知らない何十人もの苦しみを背負って生きている。

 

 辛くない、なんて嘘なんだ。

 だけれど、だからこそ私は強く思う。

 

 

 

 この人がどれほど傷ついていても、癒せる人になりたいと。

 

 この人が失ってしまった愛を。たくさん注いであげたいと。

 

 

 先輩は誰かに愛されることが怖いのかもしれない。

 ずっと、死んでしまった人たちを背負ってきたのだから。

 いつも疲れている中で、必死に助けられる皆のために奔走している。

 

 

 それを理解して、私はこの人を更に愛さずにはいられなかった。

 誰にも理解されなくても、私だけは理解してあげたい。

 

 

 

 

 

「やっぱり先輩が大好きです」

 

 

 そう言うと、目を見開いて私をまじまじと見つめる。

 どうして?そう先輩の瞳が語っているように私は思えた。

 

 

「私は先輩を愛さずにはいられません。

 私を愛して、何て言いません。

 ただ側にいて、助けれるだけで十分なんです」

 

 

 私がそう言い切ると、先輩は呆れたように溜息を履き、私の頭をガシガシと撫でた。

 

 

「馬鹿、そういうこと、滅多に言うもんじゃない」

 

 

「知ってました」

 

 

 少しおちゃらけて言うと、コイツめ!と少し頭を小突かれた。

 ちょっと痛い、でもそれがとっても幸せ。

 

 

「先輩」

 

 

「何だ?」

 

 

 何気なく話しかける。

 

 

「先輩を幸せにできるとは約束できません」

 

 

「あぁ」

 

 

 先輩は聞いてくれている、私の戯言を。

 だから今は雰囲気によって、一気に言ってしまおう。

 

 

「だけれど一生懸命、その方法を探します。

 ありふれた幸せでも、それで先輩が満たされるようになりたいです」

 

 

 そう言って先輩の顔を見上げる。

 その顔は戸惑っていた。

 動揺しているのかもしれない。

 

 

「私がその資格を作ります」

 

 

 ずっと、自分を責めることしかできなかった先輩。

 だったら、私がそれを許してあげたい。

 私の特別は先輩なのですから。

 

 

「桜はさ」

 

 

 今度は先輩が私に語りかける。

 

 

「俺がバカみたいな夢だけ見てても、ずっと一緒にいてくれるのか?」

 

 

 答えは一つしかない。

 

 

「はい、どこまでも一緒です」

 

 

 どこに行こうとも、私がついていきます。

 たとえそれが、天国でも、地獄でも。

 

 

「……桜に言いたいことがあるんだ」

 

 

「何です?」

 

 

 改まった先輩に、私は胸の鼓動が早くなるのを感じずにはいられない。

 これから、先輩は大事なことを言おうとしている。

 

 

「俺には夢がある」

 

 

 知ってます。

 正義の味方、それが先輩の夢。

 

 

「それを叶えるために、無茶なことだってすると思う。

 後ろを振り向く余裕なんて無いんだとも思う」

 

 

 そうなるために全力だから、それ以外に気が回らなくなるのは道理。

 

 

「だから桜のことを、気付いたら蔑ろにしているかもしれない」

 

 

 私はそれでも、ただついて行くだけです。

 

 

「だけれど」

 

 

 先輩の目が私を捉える。

 それはどこまでも真摯でいて、やっぱり綺麗で憧れている瞳だった。

 

 

「それでも俺は桜を大切に思いたい」

 

 

 どこまでも真っ直ぐで、愛おしい目で私を見ながら先輩はそう言った。

 

 

「ぁ、ありが、とう、ござい、ます」

 

 

 人は嬉しくても泣ける。

 どこかで聞いたようなフレーズ。

 

 苦しくて泣くことは幾度あったけど。

 嬉しくて泣けることが、こんなに安心できることなんて初めて私は知った。

 

 

 その日から、私と先輩の日常は始まったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…ぇ、ねぇ、聞いてますか?アリス先輩」

 

 

「ごめんなさい、聞いてなかったわ」

 

 

「もうっ!ちゃんと聞いてくださいよ!」

 

 

 桜が、私、怒ってますよ?と言わんばかりに不満そうな顔をしている。

 でも気にしていたら精神面で持ちそうにない。

 

 

 あの日、桜が衛宮くんに告白すると言ってから、2日ばかりたった。

 お世話になったとのことで、私に桜が結果を報告しに来たのだが……。

 

 最初から、最後まで惚気けているだけ。

 怒る気力が出てくる前に、疲労が私に蓄積されていく。

 もう、正直な話鬱陶しい。

 

 

「要するに、互いが互いにベタ惚れだったって話でしょう?」

 

 

 億劫そうに私が言うと、恥ずかしそうにジタバタしだす。

 ここは喫茶店、周りの人がチラチラとこっちを見ていたりする。

 無論桜のせいである。

 

 

「桜、あまり私を疲れさせないで。

 明日から私は遠出するのよ。

 しばらくは帰ってこないわ」

 

 

 そう言うとピタッと彼女の動きが止まる。

 

 

「それ、本当なんですか?」

 

 

 身を乗り出して、私を問いただす桜。

 勿論、嘘をつく理由が私にはない。

 

 

「本当よ。

 明日から、連続休暇があるでしょう?」

 

 

「ゴールデンウィークのことですね」

 

 

 それに頷きつつ、行き先の事を考える。

 日本に来る前に、知り合いの紳士から頼まれていたアレ。

 

 グンマー県の土。

 それを入手すべく、私はグンマー県に旅立つのだ。

 

 凛にそう言うと、何だか馬鹿を見る目つきで私を見ていた。

 お返しに、宝石箱、ステッキ、というとビクッとしたまま動かなくなる。

 本当になんなのかしら、あれは。

 

 

「そうなんですか」

 

 

 どうにも遣る瀬無さそうに、むぅっと唸っている桜。

 何か言いたげに私を見ているのが、また構って欲しいのかと思わせる。

 

 

「どうして、そんなに不満そうなのよ」

 

 

「別に不満ってわけじゃないんですけどね」

 

 

 ちょっと語り口が言い訳のように聞こえる。

 だが、とりあえず言い分は聞くことにすると……。

 

 

「アリス先輩が居なくなると、先輩と私の話は誰にすればいいんですか!」

 

 

「うるさい」

 

 

 どうしてそんなに猛り狂っているのだろう。

 後ろに虎の亡霊みたいのが見えたような気がした。

 悪い虎にでも、影響を受けているのかしらね。

 

 

「……アリス先輩、何だか冷たくないですか?」

 

 

「あれだけ惚気けられたのよ?

 冷ますために冷たくするのは妥当ではないかしら?」

 

 

「冷まさないでください!

 先輩と私は、まだまだこれからなんですから!」

 

 

 何だろう、初めて会った時に見たお淑やかな少女はどこへ旅に出たのだろうか。

 序でに、何だかとっても鬱陶しくなっている気がする。

 

 

「分かっているから、静かになさい」

 

 

 周りの人どころか、店員もこっちをたまに見ている。

 もう、潮時だろう。

 

 

「今日はここまでよ」

 

 

 伝票を持ち、会計でお金を払う。

 後ろから、桜が立ち上がって慌ててついてくる。

 

 

「アリス先輩は、何時も最後まで話を聞いてくれません」

 

 

「そんなに聞いて欲しいなら、凛にでも聞いてもらいなさい」

 

 

 何かと桜のことを気にかけていたし、適任ではないだろうか。

 だがそう告げると、少し顔が曇り、急に黙り込む。

 外に出て、太陽の光で如実にそれが分かりやすく出ている。

 

 

「何か問題でも?」

 

 

「……問題だらけです」

 

 

 凛と桜の間には、何があったのだろうか。

 安易には聞けない。

 私はそもそも、傍観者兼聞き役にしか過ぎないのだから。

 

 

「なら衛宮くんにでも、相談なさい」

 

 

 私の言葉に、桜は困ったように笑う。

 それしか方法を知らないように。

 

 

「先輩は色々背負ってます。

 私が乗っかって、重りになるわけにはいきません」

 

 

 少し寂しげな桜。

 恋をしているから感じるであろう悩み。

 私には、まだそういう感覚が分からない。

 

 

「別に重りになっても良いんじゃないかしら?」

 

 

 だから主観で述べることにする。

 もしかしたら、私も恋をすれば意見が変わるかもしれない。

 だけれども、今の私はそういう重みがない分、自由に意見を言えるのだから。

 

 

「そして、それで潰れてしまったのなら、起こしてあげるのが恋人の役目だと思うわ。

 支えがあるだけで、大分違うと思うけれど」

 

 

 私の意見は理想論に過ぎないのかもしれない。

 だけれど、衛宮くんと桜の二人三脚はそれくらいで、丁度良いのかもしれないと感じている私がいる。

 

 少し体重をかけすぎる桜を、必死にフォローしようとしている衛宮くん。

 ちょっと滑稽な光景だろうが、とっても似合っているとも思う。

 

 

「そうなれたら良いのですが。

 …ぇさんみたいの様に出来るかなぁ」

 

 

 桜は軽く笑いつつも、やはりまだ自信がなさそうで。

 後半はよく聞こえなかったのだが、誰かに願掛けでもしていたのだろうか?

 

 

「貴方以外には出来ないわよ」

 

 

 それを聞いた桜は私を見つめる。

 続きを求めているように。

 

 

「貴女だけが衛宮くんの恋人なのだから」

 

 

 それを聞いた桜は、納得したように、安心したように笑みを浮かべた。

 

 

「アリス先輩はやっぱりズルい人です」

 

 

 桜が私に何を思ってそう言っているかは知らない。

 だけれども。

 

 

「桜、一つだけ言っておくわ」

 

 

 ズルい人ついでに、もう少しだけお節介を焼いておこう。

 

 

「貴方たちが幸せになれるかなんて分からないわ」

 

 

 そう言うと、桜は怒られた子供の様に少し震える。

 だけれども、私の目から視線を外そうとはしなかった。

 

 

「でも、幸せになるよう努力しなさい。

 そうしないのは、貴方にとっても、衛宮くんにとっても罪よ」

 

 

 私の言葉に桜は深く頷いた。

 それが正しいと、認めたように。

 

 

「それじゃあね、桜。

 最大限に努力はすることね」

 

 

 分かれ道、衛宮くんの家に泊まっている桜とは、この道で別れるのだ。

 軽く手を振ってから、私は遠坂邸への帰路へとついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「本当にズルい……魔法使いさんです、アリス先輩は」

 

 

 その言葉は風のせいで、アリスには届かない。

 だけれども、風のお陰で別の人物には届いていた。

 

 

 

「アリスが魔法使い……ね」

 

 

 桜の後ろ姿を見て、躊躇してしまった凛がいた。

 見つからないように隠れて、どうして私がこんなことをしているのだろうと、自問自答していたところ。

 そんな時に聞こえた言葉だった。

 

 

「おこちゃまね」

 

 

 そう、一言いって、彼女は何もなかったかのように振舞おうとする。

 そう自身に言い聞かせて。

 

 

「ん、遠坂?こんなところで何やってんだ?」

 

 

 だから、後ろから近づいている人がいるのに気づかなかった。

 

 

「え、衛宮くん!?」

 

 

 振り向けばびっくり、桜の意中の相手がそこにいて。

 凛を訝しげるように、見ていたのだ。

 

 

「な、何でもないわ!

 私、急いでるから」

 

 

 それだけ言って、早足で駆けていく。

 もう桜の姿はなかった。

 

 

「どうしたんだろう、遠坂のやつ」

 

 

 後ろから凛を見かけた時、彼女は手をギュッと握りしめていた。

 何かを我慢していたのか。

 それとも、何か悔しいことでもあったのか。

 

 

「もしかして、トイレか?」

 

 

 慌ててたし、と士郎は推測する。

 彼はいつもの如く、鈍さを存分に発揮していたのだった。

 そしてそれ以上深く考える事もなく、買い物帰りの食材を持って家へと帰路を歩く。

 

 

 守りたい大切な人と、猛獣の虎が待っている我が家へ。





今回は桜と士郎の、告白前後のお話でした。
とりあえず言える言葉はただ一つ。



茶番だぁぁぁ!!!



もうとりあえず出来レースでした、はい。



次回はアリス、グンマー県に行く……では話が全く膨らまないので、誰か特別ゲストにでも出てもらおうかと思います。


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第7話 その湖はどう見えたか 上

前回、グンマー県編を期待して頂いた方々。
誠に申し訳ございません。
グンマー編ではありません。

それが許せないという方は、ブラウザバックして頂けると幸いであります。


あと、お気に入りが1000件達成です!
皆さん、ありがとう御座います!


追記:あと、何か百合っぽい描写を突っ込んでみたら、絶賛不評中です。
   場合によれば、改訂する可能性もあり?
   ということで、百合が無理な人もこの話は飛ばしていただけると幸いです。

   一応『その頃の間桐くん』という短編っぽいのが下のほうにあるので、少し開けたところまで、スクロールしまくって見ていただけるのなら幸いです。


 ガタンゴトンと音がする。

 目に見える風景は、次々と流れていく。

 だけれども、この自然の射影機が好みなのは私だけではないはずだろう。

 

 車窓から見えるものは、一瞬だけしか見えない。

 だからこそ目を凝らさずにはいられない。

 そういう理由があり、私はこの揺られながらの列車の旅はそれなりに気に入っていた。

 

 

 

 連続休暇、日本で言うところのゴールデンウィークと呼ばれてる日の初日。

 私は電車に乗り、グンマー県へと向かっていた。

 彼の土地の土を手に入れ、ついでにグンマーで栽培された野菜などを、紳士へ郵送するのだ。

 きっと顔を引きつらせるであろうが、それは自業自得だとも思ってもらおう。

 

 

 

 そんな理由で、私はかなり長い時間を揺られていた。

 ずっと窓を一心に見続けながら。

 だけれども、ずっと座っているのは少し辛いものがある。

 お尻が痺れてきてしまうのだ。

 

 だがこの流れていく風景の中で、それを忘れさせるような、一際目を惹かれるものが私の目に飛び込んできた。

 

 

「これは……」

 

 

 それは光に反射されていて、私の瞼には輝いて見えたもの。

 湖、妖精が住んでいそうな澄んだ湖がそこにはそこにはあったのだ。

 

 

「綺麗、ね」

 

 

 私が今まで見た中で、このように輝きを放つものは殆ど見たことがなかった、と言っても過言ではない。

 それほどの物と断言しても良い。

 

 

「そうね」

 

 

 旅に寄り道は付き物。

 グンマーへ行った後は、観光するつもりだったのだ。

 そこまで急ぎの旅でもない。

 などと自分でも言い訳がましいと思うことを内心でしつつ、荷物を詰めたバッグを手に掴む。

 

 

『まもなく諏訪、諏訪です。忘れ物がないよう、ご注意ください』

 

 

 扉が開くのと同時に、出て行く人に習い、私もそれに続く。

 さて、美しいものを見に行くとしますか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 降りた先には、温泉街だったらしく、宿や土産屋が散在しているのが見て取れた。

 駅の中にまで、足湯が存在したのには少々驚いたのだが。

 

 

 駅の周りにはタクシーが駐留しているが、やはり自分の足で歩いて向かいたい。

 湖までの道のりや街並みを見ることで、その湖がどのように街と一体になっているのかを見る。

 これが中々面白いものなのだ。

 

 昔は教会の隣に娼館などが存在する、聖と邪が入り混じっていた街が存在した。

 そんな突飛な特徴が存在している街などもあるので、つい探索がてらに歩きたくなるのだ。

 

 

 そんな訳で、私は探索しながら湖を目指し始めたのだ。

 街並みは上記の街の様に、明らかな特異点は存在しないが、温泉街など初めての私には何かと新鮮に映る。

 

 街は古めかしい建物が所々に混在しており、それが違和感を感じさせない様に街に溶け込んでいる。

 よく配慮して作られている、と感心せずにはいられない。

 調和、という言葉が日本にはあるそうだが、正にそれであろう。

 そしてある所で曲がり角を曲がった瞬間、私は思わず振り返らずにはいられなかった。

 

 

 そこは温泉街の一角だったらしいが、レトロな街並みで、時代を超えて迷い込んでしまったのかと一瞬錯覚してしまったからだ。

 

 木造建築の建物がずらりと並び、土産屋があちこちで呼び込みをしている。

 長期休暇なので客も多いらしく、大いに賑わっているといえよう。

 

 そしてもう一つ、レトロ?なものを発見する。

 

 

「嬢ちゃん、いいじゃねぇか。

 俺と遊びに行こう?な?」

 

 

 古きから現在まで存在する、ナンパ師と呼ばれる奴である。

 

 

「えっと、その、あの」

 

 

 話しかけられてる、高校生くらいの女の子は、ちょっと困り気味に返答に窮していた。

 それもそのはず。

 話しかけている男の方(大学生と予測)は、顔を赤く染めている。

 

 罰ゲームなのか、それとも一目惚れでもしたのか。

 とりあえず、無茶苦茶照れくさそうなのは間違いないのだ。

 そのため、あまり女の子の方も無碍にできていなかった。

 

 

 ……だけれども、そのセリフ的はどう考えてもミスチョイスだ。

 どうしてそんなセリフを選んでしまったのか。

 

 そのセリフだけ聞くと、何だか軽い奴みたいで敬遠されるだろうに。

 やれやれと肩を竦めつつ、犬も食わないだろうから、私はその場を離れようとした。

 

 

「そこまでです!それ以上の狼藉は許しませんよ!」

 

 

 だけれども、そんな大声が聞こえたせいで足を止めてしまった。

 何事と思って振り向くと、そこにはさっきのナンパ屋に立ちふさがる少女の姿があった。

 

 

「な、何だよ、お前」

 

 

 男の方は引いたように、腰が引けた状態で動揺が見て取れる。

 それだけ、行き成りの事だったのだろう。

 

 一方、助けに入られた少女の方もポカンとしている。

 確かに私も事態に少しついて行けてない。

 

 

「あどけない少女を拐かすその所業。

 もし見捨てるようなら、それも悪です!」

 

 

 何やら、私も悪らしい。

 何事かと見ていた人達も、目を逸らしつつこの場から離れていく。

 そして私は、それを呆れたように見ているしかなかった。

 

 

「このまま去るか、正義の執行をその身に受けるか、好きな方を選びなさい!」

 

 

 これ以上ないほどの決まり顔で、少女は言い放つ。

 それは余りにも馬鹿らしかったが、何故かその少女が言うとそれ程の違和感を覚えなかった。

 

 

「ち、畜生!何時も俺はそうだよ!!」

 

 

 ウワーンなどと、今時滅多に聞かないような叫び声を上げつつ、男は走り去っていく。

 可哀想なのだろうが、余りのシュールさに特に同情を覚えられなかった。

 そして、それを見届けた少女は一言、こう言った。

 

 

「正義はなされました!」

 

 

 ……どちらにしろ、正義は執行されてしまうようだった。

 そして、それをやや忘失気味に眺めていた、ナンパされた少女が正気を取り戻したらしい。

 慌ててお礼を言い、急ぎ足でこの場を去っていた。

 

 

「ふぅ、良い事をした後は気持ちが清らかになりますね」

 

 

 汗を拭う仕草をしつつ、ドヤ顔でいる少女。

 あまりにあんまりとも言えた。

 

 

「物事をちゃんと見てから行動なさい」

 

 

 だから思わずツッコミを入れざるを得なかったのは、仕方なかっただろう。

 

 

 

「ムム?誰ですか?」

 

 

 声のした方角、つまり私のいる位置に少女が振り返る。

 振り向いた彼女は、緑色の髪が特徴の整った容姿をした女の子だった。

 紺色のブラウスに白色のスカートと、着ている服は大人びたものだが、表情はまだ少女のものだ。

 

 恐らくは中学生か、高校生であろう容貌である。

 この少女が、正義はなされた!などと喝采していたのだ。

 何だか良く分からないが、それ故に私の頭は頭痛に苛まれることになった。

 

 

「外国人さんですか!

 はろ~?あーゆーへるぷみー?」

 

 

「日本語を喋っているのに気付きなさい」

 

 

 こめかみに手を当てて、解しつつ私は答える。

 もしかして、この少女は頭で考える前に、口が勝手に動いているのかもしれない。

 そんな可笑しな憶測まで、私の脳裏によぎる。

 

 

「あ、そうでしたね。

 どうも初めまして。

 私、東風谷早苗と申します。あなたの名前は何でしょうか?」

 

 

 何事も無かったかのように話を進めようとする彼女に、最早諦めを覚えつつ、私も自分の名を告げる。

 

 

「アリス、アリス・マーガトロイドよ。

 ここには寄り道しに来てるわ」

 

 

「アリスさんですかぁ。どうぞよろしくお願いしますね!

 私のことは早苗とお呼びください!」

 

 

 矢鱈とグイグイ来る娘だ。

 極度に人懐っこいのかもしれない。

 

 日本人としては珍しい種類の子だろう。

 むろん、凜や間桐君などの変人を除く、だけれど。

 

 

「私のことはアリスと呼びなさい、早苗」

 

 

「はい!アリスさん!」

 

 

 元気の良い答えに、大きな疲労感と、少しの親しみを覚える。

 が、早苗は私の内心など気にしてないのだろう。

 勢いに任せて、私に踏み込んでくる。

 

 

「それで、アリスさん。

 寄り道とはこれいかに?」

 

 

 自身の興味のあることを、ズバリと踏み込んで聞いてくる。

 既に私の話を聞けという忠告は、忘却の彼方にあるに違いない。

 

 

「すごく綺麗な湖を電車から見つけてね。

 それがあまりにも綺麗だったから、ついじっくりと見たくなったのよ」

 

 

 少しぐったりしつつ答える。

 まあ、早く解放されたいし、サッサと答える。

 

 

「……もしかしてそれって、この道を暫く行った先にある湖ですか!」

 

 

 どうやら彼女は湖を知っていたらしい。

 しっぽでも付いていれば、ぶん回してそうな勢いで私に聞いてくる。

 

 

「えぇ、そうよ。

 もしかして、道案内とかして頂けるのかしら?」

 

 

 少し嫌な予感がしたので、一応聞いておく。

 彼女は案の定、引く勢いで首肯しつつ、すっごい笑顔でこう言った。

 

 

「その湖、私の実家が管理しているんです。

 私の池みたいなものです。

 道案内だけと言わず、是非お持て成しもさせて下さい!」

 

 

 嫌な予感は見事に的中。

 それよりも、あれほど綺麗なものに私の池とは……、

 

 

「そうね、よろしくお願いするわ」

 

 

 だけれども、多少煩くなるとは言え、私にもメリットが存在するのは事実。

 効率的にあの湖に行けるだろう。

 非効率の街巡りも嫌いではないが、それでも肝心の湖を見る時間が無くなるのは本末転倒であろうから。

 

 

「はい、よろしく頼まれました!」

 

 

 だから私は、騒がしきお人よしの申し出を受けることにしたのだった。

 

 

 

 

 

「アリスさんはルーマニアから留学しに来たんですか」

 

 

 道中会話しながら、私たちは湖に向かっている。

 早苗は、すごいですねぇ、などと言いつつ私の言葉にうなずいていた。

 色々とオーバーなリアクションが目立つ娘だが、それ故に本当に感心してくれているのだと分かり、少し面映ゆくなる。

 

 

「ルーマニアって確か、吸血鬼が跋扈する暗黒の国でしたよね。

 も、もしかして、あっアリスさんも吸血鬼だったりしますか?」

 

 

「失礼極まりないわね」

 

 

 私にもルーマニアにも。

 死徒となんかと一緒にしないでほしい。

 精々、ブクレシュティには魔術師が巣食っているだけだ。

 

 ……今更なのだが、この娘は喧嘩を高値で売る才能があるのかもしれない。

 

 

「流石にそんな事は無いですよね、あはは」

 

 

 そう言いつつも、腰が引けている。

 物凄く正直に態度に出ている、まったく。

 

 

「違うに決まっているでしょう!

 私の国に勝手に魑魅魍魎を蔓延らせないで」

 

 

 そういうと、露骨に安堵したようにホッと溜息を吐く。

 本当に分かりやすい。

 

 

「でも私は、もしかしたら悪い魔女なのかもね」

 

 

 だから、意趣返しに少し脅かすことにした。

 そう言って、私は人の悪そうな笑みを浮かべると、早苗は顔を引き攣らせて3歩ほど後退する。

 

 

「ふふ、早苗?

 どうしたのかしら」

 

 

 後退に合わせるように、私が早苗に近づくと彼女はポケットから、何か棒のような物を取り出した。

 そして必死の形相で何か言葉を紡ぐ。

 

 

「汝、魔より這い寄りし者

 木の相克の元に命じる

 土に還りたまえ」

 

 

 早苗は何を言っているのだろう?

 もしかして何かを拗らせたのだろうか?

 私の疑問を他所に、早苗はソレを謳い上げていく。

 

 

「祓い給え!清め給え!」

 

 

 早苗は私にひらひらの紙が付いた棒を、私に突きつける。

 それを可哀想な目で見ていた私だったが、何だか急に違和感を覚えた。

 何かが壁をドンドンと叩いている気がして、背中に冷や汗が流れて止まらない。

 

 ただ、それだけ。

 だけれど、それがとても薄気味悪く感じた。

 もしかして、早苗に少し当てられてしまったのだろうか?

 

 誤魔化すようにジトッとした目で、早苗を睨む。

 そして早苗はアレ?と疑問符が頭に飛び交っているように見える。

 

 

「何を本気にしているのよ」

 

 

 少し威圧するように言ってしまったことに嫌悪しつつも、努めて呆れた風な表情を作り出すことにした。

 そうすると、早苗は頬を膨らませて、明らかに、私怒ってますと言わんばかりの表情をしていた。

 

 

「アリスさん、酷いです。

 私本気にしてしまいました」

 

 

「じゃあ、あなたは私を本気で土に返そうとしたのね」

 

 

 そう、早苗はプイッと顔を背けて、トコトコと先を歩き始めた。

 

 

「アリスさんは揚げ足取りです」

 

 

「拗ねないの」

 

 

「拗ねてなんていません!」

 

 

 その態度こそが拗ねてしまっている左証なのだが、言うと更に拗れそうなので胸に閉まっておく。

 だから代わりの物を用意する。

 

 

「早苗、こっちを向いてくれないかしら」

 

 

 そう言うと、ピタッと早苗の足が止まる。

 そして多少ぎこちないながらも、振り向いてくれる。

 まだ表情はむくれているが、キチンと用は聞いてくれるつもりらしい。

 

 良い子ね。

 そう内心で呟き、早苗の唇にブツを突っ込む。

 

 

「ん、むぅ!?」

 

 

 早苗は驚いたのか、口の中に入ったものをフゴフゴと言わしていた。

 だが、それが何であるか悟ったらしい。

 

 

「飴玉、ですね」

 

 

「おいしいかしら?」

 

 

 ちょっと間をおいて、頷く。

 そして早苗は、私の隣へ並ぶように、自然に後退してきた。

 どうやら許されたらしい。

 

 安心して、駄菓子屋で買ったドロップ(定価250円)に感謝を捧げておいた。

 この安っぽい味が、落ち着けて良いと凛が言っていたが、確かにその通りだと思う。

 因みにだが、このドロップは凛の口に突っ込む様の物でもある。

 

 

「アリスさん」

 

 

「何?早苗」

 

 

 ボーとしていて、特に何も喋っていなかった早苗が、私に語りかけてくる。

 顔は少し赤く、私の顔をじっと見つめている。

 そして唇を確かめるように、触っていた。

 

 

「……私、人に初めて唇を触られました」

 

 

「はい?」

 

 

 何を言ってるのだろうか、この娘は。

 

 

「だから!初めて他の人に唇を触られたって言ったんです!」

 

 

 再び大声で、私に繰り返す早苗。

 無論周りにも響き、周りの通行人達に凝視される。

 ……また、頭が痛くなってきた。

 

 

「女の子同士だからノーカンよ」

 

 

 むしろ、責任を取れと言われたら、非常に困る。

 

 

「女の子同士はノーカン……」

 

 

 初めて知ったことを、噛み砕くように早苗が口に出す。

 何か悪いことを仕込んでいる気がして、罪悪感が私の中で芽生える。

 だからそれに対応できなかったのだろう。

 

 

「えい!」

 

 

 早苗は人差し指を、思いっきり突き出す。

 そしてそれは、私の唇を確かに捉えたのだ。

 

 

「これもノーカン!ですね」

 

 

 お返しと言わんばかりの所業である。

 そして気分はルンルンといった感じで、ステップ気味に私の手を掴み前進し始める早苗。

 必然的に私は引っ張られる形となった。

 

 

「もうすぐ、湖ですよ」

 

 

 楽しそうに、そういう早苗に今度は私が無言で首肯する。

 

 ……唇のやつ、やられる方は驚きで動悸が早くなる。

 何時もやる側だったので、初めて知った。

 

 全くもって心臓に悪い。

 変に動悸が早くなったのを、息を速めに何度もして、落ち着かせる。

 

 もしかして変な遊び、覚えさせてしまったかしら?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「到着です!」

 

 

 あれから、すっかり元の雰囲気に戻って(私もそうなるよう振舞った)早苗に誘導されるままに、目標の場所に到着してしまった。

 近道やら、裏道やらを駆使しての最短距離での道を通ったらしい。

 すごく自慢げな顔で、早苗がそう告げていた。

 

 できれば、私としては分かり易い大通りなどの道から、ここまで来て欲しかった。

 妥協したとはいえ、建物なども少しは見て回りたかったし、帰る時に道順を思い出すのが、非常に面倒に感じるからだ。

 

 だけれども、それを言うとまた早苗が顔を曇らせてしまうんじゃないか。

 そう思うと、つい胸に自身の意見を秘めたままにしておいてしまう。

 

 凛なら容赦なく言ってやったのだろうが、早苗はあってまだ1時間程度なのだ。

 多少は、私と言えども気を使ってしまう。

 めんどくさかっただけとも言えようが。

 

 

 

「ここが、そうなのね」

 

 

 そこは矢張り車窓から見た景色と同様に、幻想的とも言える美しさを保った湖が存在していた。

 陽の光で水面が一面輝いて見えて、湖の水は透き通っていて、よく中を見渡せる。

 妖精が住んでいると、思ってしまったのも、あながち間違いではないと思えてしまう。

 

 

「素晴らしいわ」

 

 

 それに、だ。

 私がそう漏らしてしまう理由は、美しさの他にも存在した。

 この湖、強力な神秘を感じさせているのだ。

 

 神秘、それは魔術を使う上でとても重要なファクターだ。

 幻想とも置き換えられるそれは、薄れていくにつれて、魔術の効力も落ちていくのだから。

 

 現代の一般人に知られる毎に、その神秘は薄れていく。

 人々に知られていないものだからこそ、神秘は絶大な力を秘めているのだ。

 

 

 だからこそ、この様な神秘に満ちた自然が、こんな街中に残っているのは驚愕に値することであったのだ。

 

 このように美しい場所、通常は他の一般人にも知られているはずであろうから。

 それに不自然さを感じさせながらも、その美しく同時に不気味な湖は、ただそこに存在するだけであった。

 

 

「アリスさんもやっぱり、そう思いますよね!!」

 

 

 私の内心など知る術のない早苗は、目を輝かせながら私にそう言う。

 そして私の手を握って、上下に何度も振るのだ。

 

 

「他の皆さんにそう言っても、身内びいきと言われてしまうんです。

 よかった、ちゃんと分かってくれる人がいて」

 

 

 本当に感動したと言わんばかりの喜びよう。

 自信と意見や感覚を共有してしてくれる人がいるのは、人にとって救いになる。

 つまり早苗にとって、私は同士でもあり、同じ視線の人間だということなのだろう。

 

 意味もなく、反発したくなるのは何故なのだろう……。

 

 

「そう、これだけ綺麗なのにね」

 

 

 だがこの綺麗さの前では、個人の人格の違いなどは瑣末なものに過ぎないのだろう。

 それを分からないとは、地元の人間は当たり前にあるから、大したものではないと思ってしまているのだろうか?

 勿体無いことだ。

 

 

「ですよね」

 

 

 あれだけ騒がしかった早苗にしては意外なことに、この風景を静かに眺める風情はあったようである。

 互いに静かに時間だけが過ぎていく。

 

 

 

 

 

 ずっと見入っていた。

 時間しては少ししか経っていないのかもしれないが、それでもこの雄大な湖はずっとそれを眺めていたかのような錯覚を私に与えていた。

 

 

「あっ」

 

 

 私か早苗か、それとも両方が発したものだっただろうか。

 強い風が吹き、水面に写っていた太陽や木々などが揺らいで見えなくなってしまったのだ。

 

 

「そろそろ行きましょうか」

 

 

「そうね」

 

 

 それが合図になったのだろう。

 私と早苗はこの素敵で素晴らしい自然を十分に目に焼き付け、踵を返した。

 ……早苗に引っ張られる形になって。

 

 

「あ、すみません」

 

 

 少し照れたように顔を赤くしている早苗。

 私の手を握った時に、ずっと繋いだままになっていた手。

 それに今、気付いたのだ。

 

 

「別に良いわ、このくらい」

 

 

 別段不快なわけでもないわけだし。

 そう言うと、早苗は嬉しそうに手を繋いだまま歩き出す。

 どうやら、今の言葉が手を繋いだまま歩いて良いとの了承と取られたらしい。

 

 嫌でもないのだけれど、この歳でずっと手を繋いだまま歩くというのは、気恥ずかしいものがある。

 だからつい、繋いだままの手をじっと見てしまって。

 それを早苗がキョトンとした目で見つめて、更に私が恥ずかしくなってしまう。

 

 思わず悪態をついてしまいそうになる。

 だけれども。

 

 繋がったままになった手は。

 少し汗ばんでいたけれど。

 それでもその暖かさが心地よく感じた。

 

 だから、何も言わずに繋いだままにしておくことにしたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『その頃の間桐くん』

 

 

 

 

「オイッ!?衛宮!!お前自殺する気か!!」

 

 

「な、何だよ慎二。

 急に怒鳴ったりなんかして」

 

 

 何時ぞやの締約通りに、僕は衛宮の家に魔術を教えに来ていた。

 咽び泣いて感謝すればいいと思うぞ、衛宮。

 

 だけれども、聞いてみれば使える魔術は強化だけという有様。

 もし僕が魔術を使える人間だったら、絶対衛宮よりは魔術師としての実力はあったね。

 

 そして、仕方ないからそれを見せてみろといえば、魔術回路を一から精製し始める始末。

 もうね、馬鹿としか言い様がなかったよ。

 馬鹿の極み、馬鹿は一回死ななきゃ治らないってマジなのかな?

 

 

「魔術回路はなぁ!一回作ればそれを使いまわせるんだっ!

 それを何回も何回も作り直すなんて、正気じゃないんだよ!!」

 

 

 僕が思わず怒りを露わにしていると、衛宮は阿呆面を晒しながらこんな事を囀った。

 

 

「魔術って死を容認してこそ、見えてくるもんがあるんじゃないのか?」

 

 

「常時死にかけてたら、元も子もないでしょうがっ!?」

 

 

 もうこの時点で正気の沙汰じゃない。

 僕はありもしない、頭の幻痛に襲われそうな気がする程に、動揺していた。

 ……衛宮の頭の悪さに、である。

 

 

「こんな訓練を何時もしていたのか?衛宮」

 

 

「こんな訓練って、魔術師だった親父から教えられた方法だぞ。

 毎日していたけど、それが何だって言うんだよ」

 

 

 ……こいつはよく今まで死ななかったと、ある種の感心さえ覚えた。

 人は一種の現実逃避とも言うかもしれないが。

 

 

「子供にこんな訓練法を教えるなんて、お前の親はロクデナシだよ。

 更に言うと、間抜けでもある」

 

 

 だけれども、それでも何とか気を持ち直して、馬鹿に理を説いておく。

 大概の場合、魔術師の親なんていうものはロクデナシだ。

 外道なのだから仕方がないことだろう。

 だが、だからこそ、その行動には何らかの意味があるのだ。

 こんな意味もない、自分を傷つけるような行為だけを強いることは絶対にない。

 

 

「親父はロクデナシでもないし、間抜けでも……多分ない。

 整理整頓ができなかったり、家事が全くできなかったり、胡散臭かったりするけど、それでも胸を張ることができるような親だったよ」

 

 

 僕の言いように何か気に障ったのか、食って掛かってくる衛宮。

 何だか、生意気だ。

 

 貶しているように見えて、その実は全幅の信頼を置いている。

 それが解る分だけ、たちが悪く見えてくる。

 

 

「だけれどもだ、その訓練法が間違えているのは事実だし。

 お前が何時も死にかけていたのも事実だ。

 それは分かるよなぁ、衛宮」

 

 

 僕がそう言うと、衛宮は憮然としたまま何も喋らなくなる。

 

 勝った!

 イライラさせられていた分だけ、爽快感がある。

 フンッ、と一つ鼻を鳴らし、衛宮に続きを聞かせてやる。

 

 

「僕は何も貶しているだけじゃない。

 ちゃんと正しい訓練法も教えてやる。

 だからちゃんと言うことを聞けよ、言った通りにしろよ。

 絶対だぞ!」

 

 

 僕がそう言うと、無言で頷く衛宮。

 それに満足しつつ、僕は立ち上がった。

 

 

「どうしたんだ、慎二?」

 

 

 衛宮が何事かと、僕に尋ねる。

 だから言ってやった。

 

 

「お前があんまりにもポンコツだから、家に道具を取りに行かなきゃいけないのさ。

 おとなしく、労いの茶でも用意して待っておけよな」

 

 

「分かった。

 っていうか、子供じゃあるまいし、一々そんなこと言われなくてもだなぁ」

 

 

 衛宮が何やら騒ぎ立てている。

 面倒なやつだ、全く。

 

 

「分かっているなら良いさ。

 じゃあ、一旦家に戻るからな」

 

 

 だが僕は寛大な心でそれを許し、さっさと玄関に向かう。

 世話の焼ける奴だよ、衛宮は。

 

 

「あ、ちょっと待て」

 

 

「……何だよ」

 

 

 いくら寛大で温厚な僕でも、二度手間を取らされるのは好きじゃない。

 言いたいことは一括して言えばいいものを。

 

 

「手伝いはいるか?」

 

 

 荷物、運ぶんだろう?

 そう衛宮が言っている。

 

 む、確かに色々と持ってくるつもりではある。

 衛宮の為に働かされるのも業腹である。

 しかし、だ。

 

 

「いや、良い。

 僕だけでも持ってこれる量だからね。

 非力に扱ってもらっちゃ、困るよ」

 

 

 衛宮をあの爺いに会わせることだけは避けたい。

 何を吹き込まれるか、分かったもんじゃないからな。

 

 

「そうか、じゃあ悪いけど頼むな」

 

 

「ふん、精々期待して待っておけよ」

 

 

 そう言って、僕は今度こそ衛宮の家を出て行く。

 さて、何が必要だったかな。

 そんなことを考えながら、僕は間桐の家に向かう。

 

 

 

 

 

「うん、これで全部揃ったね」

 

 

 間桐の家。

 その奥のほうの倉庫に、埃をかぶっていた機材などが整頓されていた。

 そこから、必要なものを取り出したのだ。

 属性を判断する天秤やら、開いた魔術回路のスイッチを固定する丸薬などである。

 

 

「さてと、戻らなくちゃね。

 おっと、その前に」

 

 

 どうせ衛宮の家には、大した茶菓子が置いてあるわけがないんだ。

 折角だし、僕が持っていってやろう。

 むせび泣きながら、食べるといいさ。

 

 

 というわけで台所へ行ったのだが……。

 

 

「……お爺さま、何を食べておられるのでしょうか?」

 

 

「ほぅ、今日はマトモな口をきいている様じゃな」

 

 

 ククっと、何時もながら不気味な笑いを浮かべて爺いが食べていたのは、僕が衛宮に食わせてやろうと思っていた、僕が買ってきたどら焼きだった。

 

 

「ほれ、主らも食むが良い」

 

 

 そう言って、どら焼きを床に落とすと、どこからともなく蟲が何匹か現れて、どら焼きを蚕食して行く。

 僕はそれを眺めることしかできなかった。

 

 

「どうやら慎二、お前のどら焼きだったようだな。気付かなんだわ」

 

 

 スマンのぅ、とどこか小馬鹿にしたように呵呵と笑っている爺い。

 クソッ!腹立たしいが手出しが出来ないぞ。

 

 

「謝罪変わりにこれをくれてやろう」

 

 

 そう言って、爺は何やら丸薬のような、黒い球体を僕に投げてきた。

 それをキャッチすると、何やら妙な臭いがする物体であった。

 

 

「それは妙薬でのぅ」

 

 

 聞いてもいないのに、爺いが語りだす。

 

 

「それを体に取り込むと、腑に膜が形成されてな。

 毒を受け付けなくする優れものじゃ」

 

 

 ほぅ、と少々の感心を覚える。

 伊達に長生きはしていないらしい。

 毎日、健康グッズの番組を見たりしている位に、健康に気を使っているだけはある。

 

 

「フンコロガシの糞を煎じて作ったものでのぅ」

 

 

「死ねっ!?」

 

 

 反射的に糞から出来た薬を投げつける。

 どおりで妙な臭いがすると思ったよ!?

 

 

「ファファファ」

 

 

 だがそれは爺いに届く前に、周辺の蟲どもに阻まれて届かなかった。

 

 

「で、終わりかぇ、慎二」

 

 

 思わずハッとする。

 自分の対応の悪さを殴りつけたくなる。

 ここは我慢して、糞を口に含んで入れば良かったのかも知れない。

 

 

 だが、それも既に手遅れだ。

 早くこの屋敷を脱出しないと。

 

 

「申し訳ありませんでしたーーーーー!!」

 

 

 そう叫びながら、全力で玄関を目指す。

 僕はこんなところで死にたくない。

 早く逃げないと!

 

 

 

 

「呵呵、相変わらず愚かな孫よ」

 

 

 臓硯以外、誰もいなくなった台所で、彼はそう愉快そうに笑う。

 無論、どら焼きは臓硯と蟲の腹の中に収まったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くっそ、くっそ!

 ふざけやがって、僕が魔術師なら2秒で殺してやるところなのに」

 

 

 怒りに打ち震えながらの敗走。

 決して逃亡でないのがミソだ。

 

 

「全く、衛宮への土産まで食いやがって。

 やっぱりあの爺いは、どこまでいってもクソだわ」

 

 

 怒りに打ち震えながら、僕は衛宮の家に帰宅する。

 許さない、この恨みはいつか晴らす……衛宮が。

 

 

「おい、帰ったぞ」

 

 

 僕がそう言うと、買い物に出ていた桜が帰ってきてたのか、とてとて歩いて出てきた。

 

 

「お帰りなさい、兄さん。

 ……どうしたんですか?」

 

 

 僕が不機嫌そうにしていたのが、見抜かれたらしい。

 それに更に苛立ちながら、乱暴に靴を脱ぐ。

 

 

「何でもない!

 それよりも、魔術の鍛錬の続きをする。

 お前も同席しろ」

 

 

 それだけ言って、僕はとっとと廊下を抜けようとする、が。

 

 

「ちょっと待てよ、慎二」

 

 

 そう言って、衛宮が今から顔をひょっこりと出したのだ。

 

 

「何だよ、衛宮。

 悪いけどさぁ、僕は今、少しイラついているんだ」

 

 

 僕がそう言うと、衛宮はヤレヤレみたいな態度を取る。

 何だよ、それは……。

 

 元々は衛宮の為に、こんな目にあったんだぞ。

 なのにその態度はないだろう!!

 

 

「オイ!!」

 

 

「なぁ、慎二。

 焼き芋があるんだけど、皆で食べないか?」

 

 

 唐突に、衛宮がおかしな事を言う。

 何を言ってるんだ、コイツは?

 

 

「桜が買ってきてくれたんだ。

 1つしかなかったけど、3人で分ければいいし」

 

 

 コイツは何を阿呆なことを抜かしているのだろうか。

 思わず脱力してしまう。

 

 

「どうしますか、兄さん?」

 

 

 桜が上目遣いで僕に問いかける。

 その目は怯えと……期待があった。

 

 少し前の僕に怯えていて、そして今の僕には何かを望んでいる。

 恐らくは、昔のように、ということだけだろう。

 

 

「フン、どこまで行っても、お前らは貧乏臭いな」

 

 

 そう言って、今にドカっと座り込む。

 

 

「ほら、さっさとお茶と一緒に用意しろよ」

 

 

 そう言うと、衛宮は呆れたように。

 桜は、顔を嬉しそうに綻ばせた。

 

 

「全く。

 それが味とは言え、もう少し素直に言えばいいのに」

 

 

「兄さんらしくて良いじゃないですか、先輩」

 

 

「お前ら、好き勝手に言うな。うるさいぞ」

 

 

 こいつらは、一人では僕に何も言わない癖に、二人になった途端に煩くなる。

 本当に鬱陶しい。

 

 

「ほら、茶と焼き芋だ」

 

 

 ちゃんと噛めよ、何てトボけたことを衛宮はほざく。

 そして、それを聞いた桜が陰険なことに、口元を押さえて笑うのだ。

 こいつら……。

 

 そんな雰囲気の中で食べた焼き芋は、やっぱり田舎な雑さを感じさせて。

 二人の煩わしさや、うるさい喧騒を感じさせて。

 

 その面倒くさい暖かさの中で、僕は安堵や平穏を感じることができるのだった。




早苗さんとイチャイチャできて、幸せでした(白目)

書き終えて、ふぅ、ん?
これでは単なる現代入りの東方じゃないか!(愕然)

だったので、慌てて『その頃の間桐くん』を追加しました。
これでfate分は保管です。

ぶっちゃけ、『その頃の間桐くん』を書いてる間が一番楽しかったです。
もしかして、タイガーころしあむの世界線で書いてた方が、僕的には一番幸せだった?

初の分割、次は守矢神社編です。
ご両神、上手く書いてあげれると良いのですが……。
あれ?この小説の趣旨ってなんだったけ?
早くfate本編に戻らなくちゃ(使命感)


どうも今回も最後まで読んでいただき、ありがとう御座いました!


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第8話 その湖はどう見えたか 中

まさかの諏訪編、まだ終わらなかったの巻(涙)
自身の才能と文章力の無さが悲しいです。

そして、今回のオマケは『とある日の桜ちゃん』です。


追記:深夜テンションで書いたので、誤字が多発している模様。
   発見次第報告をお願いします。


 早苗に引っ張られる形で、私は石段を登り続けている。

 彼女の家がこの先にあるそうだが、どうにも普通の家ではないらしい。

 

 この石段を上がる前は、鳥居と呼ばれる不思議な門?があり、そこを潜るとどこか望郷させられるような、だけれど厳粛さを感じさせるモノを感じさせた。

 そして今登っている石段は森で囲まれていて、森の中には一部突出した大木に何かが括りつけられていた。

 

 

「早苗、あれはなにかしら?」

 

 少し気になったし、折角早苗がいるので尋ねてみる。

 

「あれは御柱ですね。

 この神社の祭神であらせられるお方の、象徴のようなものです」

 

 どうやら早苗の家は、日本独特の教会のようなところらしい。

 そういえば冬木にも、似たようなものがあったと記憶している。

 

 あれは寺と呼ばれていたが、また違うものなのだろうか?

 冬木に戻ったら、行ってみるのも良いかもしれない。

 

 

「長いわね」

 

 

「安心と伝統の階段です!」

 

 

 こうして話で紛らわせたくなるほどには、この階段を歩いている。

 教会の癖に人に詣らせる気はあるのだろうか?

 などと考えてしまう。

 

 何にせよ、毎日この階段を往復することになっている早苗には同情しよう。

 私がやると筋肉痛に悩まされそうだ。

 しかし、と早苗を見てみる。

 

 サクサクと階段を登って行っている。

 全く息が乱れている様子もない。

 まぁ、毎日この階段を上っていれば鍛えられもするか。

 

 

「もう少しですよ、アリスさん」

 

 

 そう言うと、やや駆け足気味に早苗は上へと石段を足を進め始める。

 遅れを取るわけにもいかないので、私もそれに続く。

 もう少し、こちらのペース配分も考えて欲しい。

 無論、内心でのボヤキなので早苗に聞こえることはない。

 

 

「ほら、到着です!

 アリスさん、ここが私の家にして仕えている守矢神社です!」

 

 

 一足先に石段を登りきった早苗が、クルリと私のほうに向き直り手を広げて歓迎する意を示している。

 そして私は息を整えつつ、ようやくこの長かった石段を登りきったのだった。

 

 

「ここが、そうなのね」

 

 

 そして私の眼前に広がっていたのは、何かを祀るような、そして何かを感じさせる建物があった。

 おそらく、これが早苗の言っていた祭神を祀っている建物なのだろう。

 そして他にも建物はあるが、祭神を祀っている建物が主、その他の建物は従と明確な分け方をされているようにも感じた。

 

 

「ささ、アリスさん、こちらへ。

 家に上がる前に、少しだけ挨拶してまいりましょう」

 

 

 挨拶というのは、誰にするのか?

 ここは神を祀ってある神殿。

 であるならば、そういうことだろうと私は自己完結し早苗についていく。

 

 というか仕えていると早苗は言っていたが……。

 早苗が司祭をしていると聞いて不安になるのは、私だけなのだろうか?

 

 まあ、そんな事はさておいて。

 早苗は、打ち水に使うような杓が沢山並んでいて、水盤が設置されているところに私を案内した。

 

 神聖な場所で水。

 ふむ、と思考する。

 

 

「聖水の類かしら、これは?」

 

 

「はい!確かに清めるためのものですから、ある種の聖水と言えなくもないですね」

 

 

 そう言って、ニコニコしながら早苗は私にその場所の用途を話す。

 

 

「これは手水舎と言って、神様に会う前に身を清める場所です」

 

 

 身を清める、と聞いて思わず聞き返す。

 

 

「服を脱いで、水を被るの?」

 

 

 もしそうなら苦行もいいところだ。

 そういえば、この前テレビで滝に打たれていた、聖職者がいたはずだ。

 服は着ていたが、どちらにしろ嫌な話には変わりない。

 

 だがそれを聞いた早苗は、キョトンとし、次には笑い始めた。

 人の心配を笑い飛ばすとは、中々に良い趣味をしている。

 それは後が怖いと知るべきよ、早苗。

 

 

「もぅ、アリスさんはえっちですね!

 外国の方はオープンな方が多いらしいですけど、アリスさんもそうなんですか?」

 

 

 ……何なのだろう、この恥をかいてしまった感覚は。

 それとルーマニア人は牧歌的だけれど、そんな簡単に脱いだりしないわよ。

 

 

「違うわ。

 で、どうするの?」

 

 

 にべもなく否定し、何をするのかを尋ねる。

 簡単に挑発(恐らくは天然)にのっていては、堪忍袋が幾つあっても足らなくなるのが目に見えているから。

 

 

「まずはですね」

 

 

 という語り口から、早苗が順番に行う手順を真似ていく。

 一礼し、杓で左、右の順番で清めるなどを行う。

 

 早苗もこの時は、厳かに何も喋らずに行為を行う。

 司祭としての誇りか意地か。

 どちらにしても、それが更にこの場の神聖さを高めている。

 

 口を音を立てずに清め、左手をもう一度清める。

 そして、杓に水が柄を伝うように傾け、元の場所に戻した。

 そして、最後に再び一礼。

 

 音が立つ隙もなく、それは終了したのだ。

 ここは祝福されている神聖な場所。

 そう認識するには十分であった。

 

 

「お疲れ様でした、アリスさん」

 

 

 私を見上げるように見ている早苗は、少し大人びて感じた。

 が、すぐにへにゃっと表情を崩し、さっきまで見ていた表情になる。

 

 

「問題ないわ。

 変わった体験もできたのだから」

 

 

 日本らしい秩序に満ちた儀礼。

 それは気持ちを沈めるのには、とても最適だった。

 

 それににこにこしながら早苗は頷き、この神社で一番存在感がある建物。

 御神体が祀ってあろう場所へ、歩んでいく。

 

 

「では、ご挨拶と参りましょう。

 キチンと心を込めてやってくださいね。

 そうすれば、すぐに終わりますから」

 

 

 この本殿の飲まれそうな程の荘厳な雰囲気の前に、私は無言で頷く。

 そうして早苗は手をパンパンと叩いて、静かに目を瞑る。

 隣に早苗の真似をしながら、祈りを捧げる。

 

 ただ無心に、この場に感じる神聖な何かに向けて。

 それに畏敬を伝えるのみ。

 

 他に何も考えない。

 考えてはいけないのだ。

 神に向かい合うこの場では。

 不純物は混ぜられない。

 

 それが1分、いや2分かもしれない。

 正確には分からないが、それだけ集中していたことはわかる。

 さて、挨拶は届いただろうか。

 私なりに、真剣に祈りを届けたつもりだが。

 

 

「アリスさん」

 

 

 顔を上げると早苗が私を見ていた。

 困惑したように、何かを探るように。

 

 

「少し用事が出来ました。

 付いてきて頂けますか?」

 

 

 訪ねてはいるが、それは有無を問うてはいなかった。

 足早に早苗は先に行く。

 本殿の中への扉を開ける。

 全く、やっぱり人の話を聞かない。

 そう思いながら、私は彼女の後ろに付いて行くしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 本殿の中は、意外に質素なものだった。

 広さの割には物がない、そんなところか。

 そして、奥には銅像が台の上に鎮座していた。

 

 その像は風化しているが、それでも長い歳月をかけて存在しているそれは、ハッキリとここに居ると主張している。

 これが作られた何百年も前。

 名うての職人が作ったのだろうその像。

 知らぬ誰かの過去を思ってしまうほどに、この像には色々な思いが込められているような気がする。

 

 

 

 

 

『立派な像だろう?

 信仰の対価として、当時の人間達が私の所に奉納しに来た軍神の名に恥じない一品さ。

 ま、似てないけどね』

 

 

「そうなの……」

 

 

 信仰の対価なら、人間たちも全力でこれを拵えた事だろう。

 感謝、願い、畏敬、恐怖。

 

 様々なものが混沌として、信仰を成している。

 これにはその人たちの思いが全て込められているのだろう。

 

 成程、これを贈与された方も鼻が高くなるだろう。

 人の思いも、馬鹿に出来ないと思わせられるのだから。

 私が人形を作るときも、これほどの気迫を込めて作れば目指しているものに届くのだろうか?

 

 

「アリスさん……もしかして、聞こえておられるのですか?

 彼の人の声が」

 

 

 早苗が、まさか、でも、と困惑しているかの様に、私に問うている。

 何が、そう言いかけて留まる。

 

 私に話しかけたのは誰だ?

 

 早苗?

 いや、彼女の声質とは別のものだった。

 

 そもそも、あれは声だったのだろうか?

 もっと自然のものに近いものだったのでは?

 私が気付かずに流してしまいそうになったのも、そこにあって当たり前のような気さくさを、感じてしまっていたからだろう。

 

 

 どこかに誰かがいるのか?

 だけれど見渡してみても、どこかに誰かがいる訳ではなかった。

 

 私は神経を尖らせて、探ってみる。

 そして、集中したおかげで気付たことがある。

 

 この神殿、さっきよりも神秘や大源(マナ)が増しているのだ。

 どうして察知することが出来なかったのか。

 そのことに愕然とする。

 

 

『昔はもっと信仰があり、力もあった。

 神力を少し垂らすだけで、周りの者は疾く平伏したものさ。

 それが今では、影が薄すぎて気付いてもらえないとはね』

 

 

 自嘲するように、声の主は言う。

 その声は力強いのに、消えそうな儚さを持っていて。

 そこに居ると確信できるのに、居なくなりそうな不安定さを併せ持ていた。

 

 

「神奈子様……」

 

 

 早苗が誰かの名前を呼ぶ。

 切なそうに、子供が親を呼ぶかの如く。

 神社の、そして早苗の主の名前だろう。

 

 

『悪かったね、湿っぽくさせてしまって』

 

 

 その声の主、早苗が仕えるモノはカラカラと快闊な笑い方をした。

 それは先ほどの自虐とは別の、明るさを振舞うような笑いだ。

 

 

「……紹介致します。

 こちらにおわす御方こそ、守矢の祭神。

 八坂神奈子様であらせられます」

 

 

 早苗は何かに驚いたまま、自らの主上を紹介する。

 早苗が畏まり、腕を向けている方向に目を向ける。

 

 先程は何も見えなかった場所。

 

 だけれども。

 祭神たる彼女の声、名前、そしてこの場に満ちている神秘。

 それらが揃い、私の中でかちりと音を立てる。

 

 見える。

 薄く、そしてひっそりとだが。

 銅像の横に並ぶ彼女の、八坂神奈子の姿が。

 

 

「この度はお招きに預かり、恐悦至極です」

 

 

 私は彼女の姿を認めると、深々とお辞儀をする。

 

 神たる身をこの目で視認できた。

 それは御伽噺が本当に存在していたような物で。

 嘗ての、神代の原風景を垣間見れたような、そんなノスタルジーめいた物を感じられたのだ。

 

 

 だからこそ、深く礼を尽くそうと思う。

 彼の人物は、古き世から存在し続けている。

 その重みを目と感覚で私は認識したのだから。

 

 

「私が見えるか。

 肌で私を感じるだけでなくか。

 目も特別という訳だな」

 

 

 更に笑いを深くして、八坂の神は歩みを進める。

 足音が聞こえる。

 薄くしか存在感を感じられないのに、それでもはっきりと分かるように歩くのだ。

 

 

「頭を上げな。

 私はね、早苗の友達の顔を見に来ただけだよ」

 

 

 その言葉に従い、私は顔を上げる。

 私が顔を上げると、八坂の神は私の顔をじっくりと見つめる。

 何かを覗こうとするように。

 

 

「なるほど」

 

 

 彼女はそう呟き、じっと私の顔を覗くのだ。

 それが何故かザワザワする。

 疚しいことなど無いはずなのに。

 覗かれてはいけないものを、見られている気がしてしまって。

 

 

「ん、悪かったね」

 

 

 私の目から充分何かを見取ったのか、覗き込むのをやめる八坂の神。

 存在が薄かったはずの彼女からは、相対する事で圧力のようなものまで感じられた。

 

 この神は、確かに神足り得る資質を持っているということだろう。

 そして場数もかなり踏んでいるということだ。

 

 

「いえ、問題ありません」

 

 

 背中に冷たいものが流れるのを自覚しながら、努めて普通に振舞う。

 尤も、それも無意味なもので。

 

 

「へぇ、強がりな娘だね。

 ま、早苗の友達だったら何だって構いやしないよ」

 

 

 見透かされている。

 それにため息の一つも付きたくなるが、そんな無礼な真似をするわけにもいかず軽く頭を下げるにとどまった。

 

 

「礼儀正しいのは良いことさ」

 

 

 おそらく、今も内心を読み取られているだろう。

 辟易としてきそうなやり取りだ。

 

 

 

 そして、こんな状況に亀裂を入れたのは、守谷の司祭たる早苗であった。

 

 

 

 

 

「神奈子様、あまりアリスさんを苛めないで下さい」

 

 

 むすっとした早苗が私と八坂の神の間に入ってくる。

 私を守ろうとする様子は、まるで子犬を庇うが如き様子であった。

 

「あはははは、いや、悪いねぇ早苗。

 その娘があんまりにもイジメ甲斐のある娘だから、つい年甲斐もなくはしゃいでしまったよ」

 

 

「謝るなら、アリスさんに謝ってください!」

 

 

 ……何なのだろう、この空気は?

 さっきまで、重苦しさや厳粛さがあったのに。

 一瞬でそれが無くなってしまっていた。

 

 それに、早苗は良いのだろうか?

 

 

「早苗、随分と親しげね」

 

 

 神に仕える身なら、何というか……もっと厳格なものが、あるのではないだろうか?

 それなのにとっても緩く感じる。

 それで良いの?どうしてもそう思ってしまう。

 

 

「そうですね、生まれた時から一緒でよく遊んでもらいましたから!」

 

 

 パタパタと尻尾を振らんばかりの早苗。

 そして早苗の目、表情などを見て、私は自分の勘違いに気づいた。

 

 早苗にとって、神様というのは最も身近にある存在。

 家族、と言っても差し支えないものなのだろう。

 

 

 私は今まで、神とは絶対の君主、人間とは一線を画した存在だとばかり思っていた。

 だが現実では、人間に寄り添って存在していた。

 私の想像と、ズレがあったのだ。

 

 何だかなぁ、と思ってしまうが、それを受け入れてしまっている自分もいる。

 そして思い出したこともあった。

 日本では、万物に神の祝福が与えられるという概念があったことを。

 確か八百万だったか?

 

 まぁ、ともかく一々そんなに細かいところまで人間の面倒を見ているのだ。

 人間と密接に過ごしていても、おかしくはないと感じる。

 

 これが欧州やイスラム圏などの唯一神的考え方では、こうは行かなかったであろう。

 もし唯一神、または創造神が姿を現すと仮定するならば、もっと人間を見下した、何とも思っていない存在になっているのではないだろうか?

 そんな想像をしてしまう。

 何故かアホ毛が抗議するかの如く頭によぎるが、瑣末な問題で気にするほどの事でもないだろう。

 

 

「この娘は生まれた時から私達が見える、ある種の特別な存在なんだよ。

 早苗は私の姿が見えている、これを知った時の感動はひとしおだったね!」

 

 

 そして八坂の神も愉快げに、早苗のことを話す。

 その姿は神様というより、子煩悩な大人そのもので。

 私がこの二人を家族と感じたのも、間違いではなかったと実感する。

 

 

「早苗がある意味で純粋に育った理由が、分かった気がします」

 

 

 絶対に甘やかされて育ったに違いない。

 そして、箱入りに育てられもしたのだろう。

 でなければ、白昼堂々と水戸の副将軍のような真似はしないであろう。

 

 

「ん?もしかしなくても、早苗のことを馬鹿にしてるのかい?」

 

 

「いえ、気のせいです」

 

 

 そして、早苗の面倒臭さが誰に似たのかも、はっきりと確認できた。

 神様は面倒というのは神話での共通の物だが、それとは別物のめんどくささだ。

 はっきり言うと、割かし俗な面倒臭さだった。

 八坂の神にとっての不敵な顔というのは、凛のニヤつき顔と同列ということを覚えておこう。

 目の前のこの顔をはっきりと覚えて。

 

 

「それにしても」

 

 

 八坂の神は早苗に向き直る。

 そしてポンと、優しげに頭に手を置いていた。

 

 

「早苗は良い友達を見つけたね」

 

 

 そう言って、早苗の頭を撫でる八坂の神。

 早苗の髪が乱れないように配慮しながら撫でているその様子は、日頃から撫で慣れているのだなと容易に看破できる程のものであった。

 

 

「アリスは私達のやり取りを見ても、微塵も揺らいではいない。

 今時珍しく、信頼できる娘だよ」

 

 

 そう言って私のほうに振り向く八坂の神。

 早苗もそれに合わせて、私の方を向いた。

 

 確かに思っていたのとは違ったが、それで失望するほど狭量でもないつもりだ。

 肌で、目で八坂の神を感じ、敬服したのは本当のことなのだから。

 

 どうしてそんなにこにこした目で、私を見るのをやめて。

 その生暖かい視線は、むず痒くなる。

 居心地が悪くなってしまう。

 

 

「アリスさんは優しい人ですから。

 私の話にきちんと付き合ってくれますし、湖の綺麗さも分かってくれました。

 心が綺麗な証拠ですね!」

 

 

 私が黙り込んでいたら、早苗が更にヨイショをする。

 褒め殺しでもされるのではないか、と言わんばかりである。

 一体何だというのだろうか。

 

 

「褒めても何も出ないわ。

 もし出たとしても、照れ隠しの鉄拳だけよ」

 

 

「その言葉自体が照れ隠しだな」

 

 

「もぅ、アリスさんは可愛いですね!」

 

 

 この二人?は、本当に人の揚げ足を取るのが好きなようだ。

 こっちにとっては、傍迷惑極まりない話だというのに。

 

 

「ねぇ、一つ聞いてもいいかしら?」

 

 

 このまま弄られ続けるのは御免こうむる。

 という訳で、話題の転換をしよう。

 

 

「八坂の神が祭神なのに、どうして名前が守矢神社なのかしら?」

 

 

 その場で疑問に思ったことを即座にでっち上げる。

 が、何故?とも思っていたので、問題はないだろう。

 そしてそれに回答したのは、早苗でも八坂の神でも無かった。

 

 

『ようやく私の出番だね!

 ずっと出番待ちで、会話に入り込む隙を伺う羽目になってたよ』

 

 

 そう言って、何処からともなく童女のような声が響き渡る。

 そして彼女の姿は何もない場所から、スゥと空間が滲んで染み出すように現れたのだ。

 その様子が異質に見え、つい凝視してしまう。

 

 

「へぇ、私も見えるんだね。

 神奈子を目で捉えられるようになったからかな」

 

 

 フムフムと感心するように私に笑いかけている、幼さが目立つ少女。

 少女だけれども、その身は犯し難い神聖さを纏っている。

 そして目は底が見せていない。

 彼女も一筋縄では相手にできない人物だと嫌でも分かってしまう。

 

 そして確信する。

 この方も、同じく神なのだろう。

 

 

「諏訪子様、いらしていたのなら、声を掛けてくれれば良かったのに」

 

 

「あのタイミングで急に割って入ったら、空気読めてないって話しさ。

 タイミングよく現れた方が、かっこいいと思わないかい?」

 

 

「成程、勉強になります」

 

 

 ……早苗が奇抜な娘に育った原因は、八坂の神だけではなかったらしい。

 むしろこちらの神様の方が、酷いかもしれない。

 

 

「ふふ、分かってくれたのなら重畳。それで」

 

 

 小さな神様がこちらを向く。

 つい身構えてしまうのだが、そんな私をクスクスと彼女は笑う。

 

 

「私は洩矢諏訪子。

 守矢神社で、元々の祭神だった神様だよ」

 

 

 これで答えになってない?

 そう言った彼女はケロケロと意味深に笑う。

 

 元々の祭神、今は違うということ。

 そして八坂の神は軍神である。

 そこまで考えると答えは自ずと解った。

 

 

「八坂の神と、洩矢の神の戦争ですね」

 

 

 そして彼女は負けてしまったのだろう。

 だがそれだと次の疑問が出てくる。

 

 

「どうして私が今もここに居るのか、気になる?」

 

 

 悪戯っ子そうな表情で洩矢の神が言う。

 それに反して八坂の神は、悠然としているが沈黙している。

 今私が読みとれるのは、その程度のことだけだった。

 自身で考えていても埒が明かないため、一つ頷くと洩矢の神は滑らかに話しだした。 

 

 

「私はこの諏訪を治める神様だったのさ。

 そこに神奈子が、色々と引き連れて押しかけてきたってわけだよ。

 無論、他所様の家に暴力団引き連れてやって来たのだから争いになる」

 

 ここまでOK?と聞かれたので素直に頷く。

 八坂の神が何か言いたげに、鋭い眼光で洩矢の神を睨みつけているがそよ風の様に受け流し、続きを話し始める。

 

 

「そして戦った末、私は神奈子に負けちゃったのさ、残念無念。

 でもね、この土地の人間達は私への信仰を捨てなかったんだよ。

 神奈子も人間達の熱意に負けて、私を排除しきれなかった。

 統治も脳筋の神奈子より、私の方が上手かったしね。

 これが人徳なんだなぁって、実感できたよ」

 

 

 日頃の行いって大事だよね。

 そう言って洩矢の神はケロケロと可愛く、意地が悪そうに笑う。

 そして最後に、と付け加える。

 

 

「尤も、私は神奈子に負けちゃった訳で。

 名義と土地は手放さなきゃいけなくなったんだけどね」

 

 

 あーあ、世の中最後は暴力がものを言うんだね、などとおちゃらけた風に言って洩矢の神は締めくくった。

 

 神々の戦い。

 人間からすれば神話の類の事だが、洩矢の神に言わせればヤクザ物の闘争になるらしい。

 私の中で、何か大事なものが崩壊してきている。

 

 それを見て見ぬ振りをし、頭痛にも気付かないふりをする。

 早苗とは別のベクトルで、すごく頭が痛くなってきた。

 神様たちの嫌な部分ばかりが、早苗に継承されている気がしてならない。

 そんな2柱を最早隠すことなく溜息を漏らし見てみると。

 

 

「諏訪子よ、お前は人間に慕われていたかのように語ったが、明らかに恐れられていただけではないか!

 よく口が回ることだ、詐欺師にでも転向したか?」

 

 

「神奈子こそ!

 洩矢神社を守矢に改名してくれたお陰で、大いに弱体化する羽目になったんだよ?

 責任を取らなきゃいけないとは思わないかな?」

 

 

「まだ根に持っていたのか。

 普段は気にしてないような態度をとっているのに、化けの皮が剥がれたか」

 

 

「神奈子こそ、ネチネチと。

 器が知れるよ?」

 

 

「それは貴様にも当てはまるだろうが!」

 

 

 何を思ったのか喧嘩を始める始末だし。

 早苗もやれやれと肩を竦めている。

 

 

「行きましょっか、アリスさん」

 

 

「あれは放置してもいいのかしら?」

 

 

 全力で放置していたいのが本心なのだが、このまま去るのも気が咎めなくもなかった。

 しかし、早苗は首を静かに振る。

 

 

「いつもテレビの番組争いで、こんな感じですので問題ありません」

 

 

 問題しかないだろうに……。

 神様とは一体なんだったのか。

 そんな思いを抱えつつ、私は失礼しましたとだけ言ってこの場から立ち去る。

 

 

「アリス、行く前に一つ聞きたいことがあるんだ」

 

 

 だが立ち去ろうとした私に、洩矢の神が待ったをかける。

 八坂の神との争いを、中断してである。

 

 

「アリスは自分が好きかな?」

 

 

 この神様は何を聞いているのだろう?

 なんも脈絡もない、質問に疑問を覚えるが素直に答えておくとする。

 

 

「それなりには好きですが?」

 

 

 それを聞くと彼女はふむふむと頷く。

 そして八坂の神が、それに洩矢の神に同調するように言葉を発した。

 

 

「ならば精一杯愛するのだな」

 

 

 それだけ言うと、彼女たちは再び自分たちの争いを再開する。

 一体なんだったのか?

 私にナルシストにでもなれという事なのか。

 

 特段自分を蔑ろにしている覚えもない為、何故?という気持ちが深くなる。

 が、心当たりがないものは仕方がない。

 言い争いをしている彼女達に聞くのも憚られた為、頭を下げて本殿を後にする。

 

 一体なんだったのだろうか?

 最近は分からない問いばかりが増えている気がする。

 

 

 

「アリスさん、お疲れ様です」

 

 

 出ることの出来ない袋小路にいるような感覚を味わっていた私に、早苗が声をかけてくる。

 申し訳なさそうに、早苗は私の顔色を伺いながら話しかけてきたのだ。

 

 

「直ぐに終わるって言葉、嘘になっちゃいました」

 

 

 心を込めてお参りすれば、あっという間に時間は過ぎる。

 祈りを捧げる前に早苗はそう言っていたが、結果として反古にする形になってしまったことを少し気にしているようだ。

 

 

「でも、ですね」

 

 

 早苗は続ける。

 彼女は何かを伝えようと、自分の思いを紡いでいく。

 

 

「神奈子様はアリスさんが真面目にお祈りして、信仰が届いたから会いたくなったんだと思います。

 アリスさんがすごく真面目にお祈りをしてくれたから、すごく嬉しかったんだって思うんです」

 

 

 彼女は八坂の神のことを話す。

 自分なりに、彼女の思いを汲み取って。

 

 

「近頃って、殆どの人が神様を信じなくなってしまったんです。

 信仰してくれる人が段々と居なくなってしまって。

 きっと、寂しかっただろうし悲しかったと思うんです」

 

 

 これは早苗の憶測だろう。

 合っているかは分からない。

 だが、彼女は2柱の神様と長く時を過ごしている。

 そういう一面があるのを、読み取っているのかもしれない。

 

 

「だから、神奈子様はアリスさんに会えて、今日は幸運だったって思ってると思います。

 信仰だけじゃなくて、ちゃんとここに居るとアリスさんは分かってくれたんですから。

 だから素の顔も見せたんだって、そう思います」

 

 

 何だか必死な早苗に、私は気付けば彼女の頭に手を置いていた。

 桜にしたように、丁寧に彼女の頭を撫でる。

 

 

「分かってるわ、大丈夫よ」

 

 

 だから簡潔にそう言って、彼女を落ち着かせる。

 彼女は気にしていた事が大体分かった。

 

 

「私の思っていた神様と八坂の神が違ったのは確かよ。

 でもね、それで八坂の神や洩矢の神のことを失望したりしないわ」

 

 

 2柱の姿が見えなくなったことで、不安になったのか。

 早苗が気にしていたのはこういうことだったのだろう。

 私の答えに早苗は微笑を浮かべ、ですね、と小さく呟いた。

 

 

「神奈子様は、アリスさんが微塵も揺らいでいないと言っておられました。

 信仰心も、心根も、でしょう。

 でも私はアリスさん自身の言葉で聞かないと、少し不安になってしまって。

 もぅ、私も信仰心が足りてませんね」

 

 

 神奈子さまの言葉を信じきれてないなんて。

 そう言って早苗は、軽くぽかっと自分の頭を叩く。

 そうしておどけてみせた早苗は、次は顔を上げて魅入られたように私の目を見てきた。

 

 

「初めてでした、私以外に神様が見えた人は」

 

 

 早苗は語る。

 今度は自分のことを。

 

 

「湖だってそうです。

 他の人と違って、ちゃんと綺麗だって言ってくれました」

 

 

 自分の思ったままに、真っ直ぐな瞳で。

 早苗は私に伝えるのだ。

 

 

「私は……アリスさんと会えて本当によかったって、そう思ってるんです」

 

 

 だけど、と彼女は瞳を揺らしながら私に言う。

 

 

「その分だけ、ちょっと不安になるんです。

 アリスさんに嫌な子って思われたらと考えると。

 それが怖くて」

 

 

 今まで本当の意味で、彼女と同じ視点で風景を見れる人は居なかった。

 だけれど、同じものが見れる人が現れた。

 

 それは彼女にとって期待するのと同時に、不安も与えてしまっていた。

 良くも悪くも多感な娘なのだろう。

 何も考えていないようで、存外ナイーブさを持っているのが彼女なのだろう。

 

 

「安心なさい。

 鬱陶しくは感じても、ここに居る人達を嫌いになんてならないわ。

 あなたを含めてね」

 

 

 騒がしくて勝手で、人の話を聞かない。

 出会ってまだ1日も経ってないのに、こんなにも悪いところを見つけてしまった。

 

 だがそれは彼女が私に壁を作らずに、話しかけて来てくれたから。

 誰だって自分を良く見せようとする中で、彼女は仮面を被らずに素の姿を最初から見せてくれていた。

 

 それは無防備で、迂闊で、間抜けで。

 その純粋さは私に苛立ちと不安を煽り立てていた。

 

 だけれども、不快ではないのだ。

 彼女は常に全力なだけ。

 それが、少し、そう、少しだけ眩しかったのかもしれない。

 

 

「約束してくれますか」

 

 

 早苗が見上げる形で、ジッと私を見つめる。

 そんなこと……。

 

 

「約束なんて無理よ。

 人の心は常に動くものだから」

 

 

 出来ない約束など、余程の事がない限りするべきでないのだ。

 それが不安を煽ることになっても。

 

 そして矢張り、早苗はシュンとして俯く。

 だから私は彼女の顔を両手で上げさせる。

 まだ私の目を見てもらう為に。

 

 

「だから私を信用なさい」

 

 

「え?」

 

 

 私が早苗にそう言うと、彼女は戸惑ったように声を上げる。

 何の事だか良く分からない、そんなところだろう。

 だから、今度は彼女に私が伝えるのだ。

 

 

「人の気持ちなんて、見えないから分からない。

 だから、その人を信用するしかないのよ。

 ……私は信じられないかしら?」

 

 そう伝えると、早苗はブンブンと頭を横に振る。

 

「神奈子様も言ってました。

 アリスさんは信用できると。

 それに、私もアリスさんを信用してます!」

 

 

 早苗は何かを求めるように私を見上げる。

 ここまであからさまなら、私も分かる。

 彼女が答えたのだから、私にも義務があるだろう。

 

 

「あなたを疑えるほど、私は妄想家ではないのよ。

 だから、私を信じるあなたを信じるわ」

 

 

 単純なのは少し一緒に居たらすぐに分かるのだ、早苗という娘は。

 それ故に信用を勝ち取りやすい娘なのかもしれない。

 少なくとも、私が彼女を疑うことはないだろう。

 

 

「ありがとう……ございます、アリスさん」

 

 

 ホッとしたように、少し潤目になっている早苗。

 これで泣かれるのも、抵抗を感じる。

 故に、一つ笑わせてみることにしようか。

 

 

「早苗、友達になる条件を教えてあげるわ」

 

 

 そう言うと、早苗ははへ?とおかしな声を上げる。

 それに可笑しさを覚えつつも、私は続ける。

 

 

「それはね、互いを信頼し合うこと。

 今の私たちのようにね。

 これからもよろしく、早苗」

 

 

 そう言って、私は手を差し出す。

 握手をしよ?そういう意味を込めて。

 そして早苗は、震えつつ私の手を握り返したのだ。

 

 

「う、うぅ、アリスさん、あ、ありが、とうございます」

 

 

 ……結局ヤブヘビになってしまったようだ。

 持っているハンカチで早苗を涙をぬぐいつつ、どうやったら泣き止んでくれるかを考える。

 

 

 結果、クソ寒いジョークで場を凍らせてしまったのだが。

 やはり私は芸人には向いていないらしい。

 

 そして一応だが、涙は止まったのだ。

 涙が止まったのだから、問題はない。

 自身にそう言い聞かせつつ、自分を慰めること以外にその場で私ができることは存在しなかったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『とある日の桜ちゃん』

 

 

 

 

 

「先輩、恋人同士って何をしたら恋人らしいのでしょうか?」

 

 

 今はゴールデンウィークの真っ只中。

 時刻は午後二時。

 居間で先輩と二人、お茶を啜りながらお煎餅をパリパリとしていた。

 そんな中で、ずっと思っていたことを聞いてみる。

 

 なぜ今になって聞いたか?

 それは先輩と二人きりになる機会が、極端に少なかったからだ。

 

 普段は兄さんと魔術の修練。

 夕食時は藤村先生がいる。

 それにまだ私は高校へ進学できていない為、通学路も別々。

 それに先輩は忙しく、バイトや困った人に手を差し伸べたりしていて、中々に二人きりになれない。

 

 だけれど、ようやく機会が巡ってきた。

 今日は兄さんは都合があるそうで、魔術の修練はお休み(因みに兄さんは、先輩が一人で魔術の修練をするようなら必ず止めるように!と私に釘を刺している)。

 藤村先生は授業の準備を今の内にしておくとかで、今日は学校の方に出向いている。

 

 そして、先輩も今日は休日らしくのんびりと過ごしていた。

 今こそが聞くチャンス!

 そう思い切って聞いてみたのだ。

 

 

 先輩は固まる。

 どれくらいの固まり具合かというと、奈良の仏像を思わせるくらいの固まり具合だ。

 

 

「先輩、口を開けてください」

 

 

 私の言葉に先輩は思考が停止していたらしく、おとなしく従ってくれる。

 そこに食べやすく割ったお煎餅を、口に運ぶ。

 

 お醤油味のお煎餅をパリパリと機械的に咀嚼し、飲み込む。

 そして飲み込んだのを確認すると、私は温めのお茶を差し出す。

 それを口に含んで、ようやく先輩は意識を取り戻したのだ。

 

 

「手を繋いだりとか、か?」

 

 

 ちょっと自信がなさげである。

 でも、そのほうが先輩らしくて安心する。

 それは先輩の女性経験が無いという、証明にもなるからだ。

 

 

 私が先輩の初めて!

 そう思うと、優越感や独占欲みたいなものがユラユラと湧いてくる。

 

 先輩は私を見てくれている。

 そんな、甘い蜜のような快感。

 

 先輩は他の人を気にしてしまわないか?

 そんな、見苦しくドロドロした疼き。

 

 その二つが私の中でせめぎあいをするのだ。

 だけれども、今はそれを棚上げする。

 先輩と触れ合えるチャンスが、そこにあるのだから!

 

 

「では先輩、手を繋いでみても良いでしょうか?」

 

 

 そう聞くと、先輩は少し顔を赤くして沈黙する。

 そして赤い顔のまま、私に尋ねるのだ。

 

 

「桜、いきなりだな。

 どうしたんだ?」

 

 

 嫌がってはいない。

 ただ、私が唐突なため驚かせてしまったようだ。

 

 それと、先輩は手を繋げる口実が欲しいのだ。

 特にこのまま流されるように、手を繋ぐのが恥ずかしい。

 

 そう考えているのだろう。

 伊達にずっと一緒にいる訳ではないのだ!(まだ同棲して数日だけれど)

 

 先輩が私のことでドキドキしてくれてるのに、胸から何かが溢れそうになるのを我慢しつつ、私は先輩にこんな理由付けをする。

 

 

「先輩……。

 今日は、今日だけでいいから私に構ってくれませんか?」

 

 

 私の言葉に先輩はあっ、と声を漏らした。

 何かを後悔するかのように。

 

 先輩は忙しい。

 だから相対的に私といる時間が少なくなるのだ。

 

 こんな我が儘、普通なら言わない。

 だけれど今回は方便に過ぎない。

 ごめんなさい、先輩の気持ちを弄んだりして。

 

 でも、私だけを見て欲しい、そんな独占欲もあるんですよ?

 だから意地悪させてください。

 そして、後でウンと叱ってくれると嬉しいです。

 

 

「悪かったな、桜。

 その、長いこと一緒に居てやることができなくて」

 

 

 そして私の目論見通り、先輩は私を寂しがらせていたと考えてくれたようだ。

 先輩は優しい。

 ゴメンな、と撫でてくれる頭からも、その優しさが染み込んできそうだ。

 

 

「いえ、全部私の我が儘ですから」

 

 

 先輩があったかい。

 もうずっとこのまま撫でられていたいなぁ。

 そんなくらいに。

 

 

 でも。

 

 

「先輩、それで、手を繋いで貰えますか?」

 

 

 どうせなら先輩と暖かさを共有したい。

 だから、お互いの温もりが感じられるように、手を繋ぎましょう?

 

 

「ああ、桜。

 手、繋ごうか」

 

 

 

 手を差し出してくれる先輩。

 自然体を装おうとしておるが、顔の赤みは隠せていない。

 

 先輩、そんなに照れないでください。

 こっちまで赤くなってきてしまいます。

 

 

「はい、喜んで!」

 

 

 私の顔がどんな状態かは、見れないのでわからない。

 ただ、ひたすらに熱かったのだけは自覚できていた。

 

 

 …………

 ………

 ……

 …

 

 

「なぁ、桜」

 

 

「何ですか、先輩?」

 

 

 手を繋いで、私達は少しの時間だけ寄り添っていた。

 それでも先輩は恥ずかしいのか、もぞもぞしている。

 

 

「もう30分くらい繋いでないか?」

 

 

「まだ30分なんですよ」

 

 

 先輩はやっぱり恥ずかしがり屋さんだ。

 私はこのまま、ずっと繋いでいたいというのに。

 

 そうして、また静かな時間が訪れる。

 それでも先輩の体温が感じられるだけ、すごく心地いい時間に感じられる。

 

 そうしてまたこの時間がしばらく続く。

 私はそう思っていたのだが、先輩がその時間をこさせなかった。

 

 

「買い物に行きたいんだけど、桜」

 

 

「……まだ繋いでいては、ダメですか?」

 

 

 先輩に迷惑かけてるってわかってるのに、甘えるのがやめられない。

 ごめんなさい、でもこの暖かさは離せそうにないんです。

 そして私が駄々っ子みたいなことを言ったのに対して、先輩はこんな提案をしたのだ。

 

 

「じゃあ、手を繋いだままで買い物に行くか?」

 

 

「…………ぇ」

 

 

 先輩がお顔を少し赤くしてくれている、それが嬉しい。

 では私はどんな顔をしているだろう。

 緩みきった顔?それとも呆けた顔?

 どちらにしても、緩みきっているには違いない。

 

 

「じゃ、行くか」

 

 

「はい!」

 

 

 靴を履き、先輩の手を握り外へ出る。

 手の暖かさは、先輩と春の残滓で陽気に満ちていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おぉ、士郎君に桜ちゃん。デートかい?」

 

 

「買い物です」

 

 

 デートにはもっとおめかしして行きたいので、これは数に入らない。

 先輩とのデートに備えて、今度新しい服でも買いに行こうかな?

 

 それにしても、で。

 もう三回目になる、デートかと聞かれるのは。

 

 

「ガハハ、まぁ、何にせよ仲が良いのは結構なことだ」

 

 

 私たちの手を見て、八百屋のおじさまはニヤニヤしながら頼んだお野菜を袋に詰めてくれる。

 ……思っていたよりも恥ずかしい。

 そして先輩は、最初こそは赤くなっていたけれど、今は普段通りに戻ってしまっている。

 慣れてしまったのだろう、ちょっと残念に思ってしまう。

 

 

「ありがとうございます」

 

 

「おぅ、また二人で来な!」

 

 

 八百屋のおじさんにオマケまでしてもらい、ちょっと重たくなった袋を先輩が持っている。

 俺は男なんだから、重たいものは俺が持つよ、って先輩が頑なに袋を死守したからだ。

 先輩らしいけど、やはり気にしてしまう。

 私これでも力持ちなのに。

 

 手を繋ぎながらお買い物。

 今もドキドキしているけど、先輩に迷惑をかけてしまうのなら、ここが潮時なのかもしれない。

 

 

「先輩、袋のことなんですけど」

 

 

「桜は女の子なんだから、無理するなよ」

 

 

 先輩は優しい、それは知っている。

 だけれども、今は頑固さの方が先行している気がする。

 これと決めたら、滅多なことがない限り意見を変えないのが先輩だ。

 だから搦手で言ってみよう。

 

 

「袋を片方ずつ、二人で持ってみたいんです。

 これもやってみたかったのですけど……ダメですか?」

 

 

 心持ち上目遣いで先輩を見つめる。

 アリス先輩直伝の必殺技だ。

 これで決まらなきゃ、アリス先輩に新しい技を教えてもらおう。

 

 

「……分かった」

 

 

 やった!流石はアリス先輩。

 今度お礼にお茶を奢りながら、今回の成功についてお礼を言わなきゃ。

 そう心に固く決め、先輩と二人で袋を持つ。

 

 

「でも、ちょっと寂しいな」

 

 

 先輩が握っていた手を見てそう言った。

 痛いほど気持ちはわかります。

 私も同じ気持ちです!

 

 

「でも、二人で重さを分け合うって、素敵な事だと思いませんか?」

 

 

 でも口は別のことを話している。

 自分から言ったのに、そんな事は言えない。

 

 

「そうだな」

 

 

 話題は無事に逸れた。

 それに残念のような、安心したような気持ちを感じる。

 

 

「でもさ」

 

 

 先輩は袋を見ながら、ポツリと呟く。

 

 

「同じ重さを背負わせてしまうなら、全部俺が背負いたい。

 そうも思う俺がいるんだ」

 

 

 先輩の言葉は、生真面目な先輩らしさに満ちたものだった。

 それは献身的で、かっこよく感じてしまって。

 

 でも、やっぱり寂しいと感じてしまう言葉だった。

 

 

「先輩、重たいものは嫌いですか?」

 

 

「重たいとさ、苦しくなったりしないか?」

 

 

 私のおかしな質問に、先輩は律儀に答えてくれる。

 そして、先輩の答えに私は自分が思うままに答える。

 

 

「重たすぎると苦しい、と思ってしまうのは普通のことだと思います。

 でも、重たくないと不安に思ってしまうこともあるんですよ?」

 

 

 持っているものが軽すぎると、無くしてしまったものはないか?

 そんな気持ちがふらりと、心の隙間に入り込んでくるのだ。

 

 慌てて持っているものを確認をする。

 そして全て持っているのを確認できても、何かを忘れてしまっているのでは?

 そんな疑念まで現れる。

 

 だけど、重ければそこにある事がすぐに分かる。

 疲れてしまうことはあるけれど、それでも安心できるのだ。

 自分はきちんと持っていると。

 

 

「だから、全部一人で背負わないでください。

 私が安心できるように、重さを共有してください」

 

 

 全部を一人で何とかしようとする先輩だから。

 何時か蒲公英の種のように、何処かに行ってしまうのでは、と不安になるのだ。

 

 だから一緒がいい。

 私は先輩と同じだけの重みを背負いたいのだ。

 一緒に手を繋いでいられるように。

 

 

「俺はあんまり器用じゃない。

 だからさ、桜に重みを多く押し付けてしまいそうで怖い」

 

 

 それを聞いて、気付いた。

 不安なのは私だけじゃない。

 先輩にも、不安に思うことはあるんだって。

 

 

「それで桜が倒れでもしたら、俺は自分が許せなくなると思う」

 

 

 そっか、と納得できた。

 私と先輩のこと。

 

 

「何だか私たち、ウサギさんみたいですね」

 

 

 相手のことを考えると、つい一歩引いてしまう。

 大好きだからこそ、色々と臆病になってしまうのだ。

 

 

「桜は可愛いからいいけど、俺が兎なのは変だと思うぞ」

 

 

「先輩にも、可愛いところはいっぱいありますよ?」

 

 

 私がそう言うと、先輩は何とも言えない顔になる。

 男の人に可愛いという言葉は、複雑な気持ちにさせるようだ。

 それもまた可愛いと思ってしまうのは、やっぱり先輩だからなのだろうか。

 

 何にせよ、ごめんなさいと謝って私は続きを話す。

 

 

「先輩は私が倒れそうな時は、助けてくれますよね?」

 

 

 先輩はすぐに頷いてくれる。

 分かっていてした質問。

 私じゃなくても、先輩は困っている人を見たら助けないではいられないのだから。

 

 

「私も先輩が倒れそうな時は、助けたいです」

 

 

 私も先輩を助けたい、力になりたい。

 心から、そう思っている。

 

 でも先輩は我慢してしまうから。

 笑って大丈夫って言えてしまうから。

 

「だから重さを分けてください。

 先輩が疲れていたら、休んでもらうために。

 倒れる前に気付けるように」

 

 

「……俺はきっと倒れない。

 倒れちゃいけないんだ。

 だから大丈夫だよ、桜」

 

 

 答えになってない。

 そんなの大丈夫なはずがないのに。

 

 

「先輩が倒れたら、心配したり悲しんだりする人がいるって、それだけは覚えていてください」

 

 

 結局出てきたのは、負け惜しみじみた在り来りな言葉。

 

 先輩は頑固だ。

 自分の意見を簡単に曲げたりなんてしない。

 

 

「……悪い」

 

 

 先輩はそれだけ言うと、それ以上は語らなくなった。

 それだけなのに、先輩の一言は私の心に強く残った。

 

 多分それは悲しいから。

 先輩にこれ以上入ってくるなって、そう言われたのと同義なのだから。

 

 

 私は先輩の内側に入れて貰えるのだろうか。

 重さを共有できるのだろうか。

 ……分からない、でも諦めたくない。

 

 だけれども、気持ちだけじゃどうにもならない。

 だから努力でもしてみよう。

 先輩に近づくための。

 

 

 まず最初は……先輩みたいに、困っている人を助けることからしてみようか?

 そうしたら、何か分かってくることもあるかもしれない。

 

 

「私、頑張ります」

 

 

 今は決意表明をしておこう。

 意思をしっかりと心に刻む為に。

 

 

「桜は頑固だな」

 

 

 私の宣言に、先輩は困ったようにそれだけ言う。

 傍迷惑なのは、分かっているつもりだ。

 

 でも先輩にだけは頑固と言われたくない。

 それは先輩の専売特許なのだから。

 

 

「手、繋いでいいか?」

 

 

 先輩そう言って、立ち止まった。

 きっといま先輩にできることを、一生懸命に考えて提案してくれたのだと思う。

 

 

「ビニール袋、持ってますよ?」

 

 

「俺が手を繋ぎたいんだ。

 ビニール袋は俺に持たせてくれ」

 

 

 やっぱり先輩ってズルい。

 

 嬉しくて嬉しくて堪らないのだから。

 自分の単純さ加減に、呆れつつも先輩の手を取る。

 

 重みは感じられないけれど、きちんと温かみは感じる。

 それだけで、先輩はここにいるって分かるから、今はこれで我慢しておく。

 でも、少しだけ先輩に意地悪させてもらおう。

 

 

「っ桜、この繋ぎ方って……」

 

 

「先輩、帰ってお茶にしましょう」

 

 

 私は早口でそう言うと、下を向いて歩き始める。

 ダメ、恥ずかしい。

 だけど、すごくいい。

 

 私たちの手は、絡み合うように握られている。

 俗に言う、恋人繋ぎ。

 

 

 私達は、普通の恋人みたいにやれているのだろうか。

 まだ若葉マークの恋愛初心者には、判断が難しい。

 

 

 

 

 

 互いに真っ赤になりながらの帰り道。

 そして無論、考えるまでもなく目立っていた。

 周辺の奥様方によって噂は広がり、3日後には学校にまで広がっていたのだ。

 自業自得とはいえ、あんまりだと思う。

 

 

 うぅ、暫くお外歩けないかも……。




士郎と桜で甘い話を書こうと思ったら、結局無理だったの巻。
僕もにやける様な話が書きたいのに!(血涙)
誰か、才能を分けてください(切実)



















NG集


 先輩と手を繋いでの買い物。
 恥ずかしいけど、とっても心地良い温もりを感じる。

 今日の行き先はスーパーだ。
 夕飯だけでなく、他の物も今回で買い揃えてしまう魂胆なのだ。
 二人でカゴを片方ずつ握り、スーパー内を巡る。

 レジを済まして、後は袋に詰めて持って帰るだけとなったのだが……。


「なぁ、桜。
 あれはなんだ?」


 先輩が目を見開いていた。
 信じられない物を見つけたと言わんばかりにである。

 私も気になり顔を上げると、そこには……。


「タダって本当に最高の言葉よね♪」



 一心不乱にビニール袋を略奪する遠坂先輩の姿が!

 ……何をしているんですか、姉さん!?

 先輩はもはや何も考えられなくなったようで、呆然とその姿を見ていた。
 私は何も見なかったことにして、先輩を引きずる形でその場を後にした。


 そして翌日、遠坂先輩は何事もなかったかの様に、優等生ぶりを学校で発揮していたとかなんとか。
 女の子が信じられなくなりそう、と先輩が遠い目で語ってくれた。
 
 私も自分の中にあった、完璧な遠坂先輩像が見事に崩壊するのであった。


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第9話 その湖はどう見えたか 下


もう湖関係ないな、題名変えよう。
そう思えるほど、湖が関係ありません(白目)
題名がさらっと変わっていたのなら、それは作者の都合ですので見逃してください。

あとFateアニメ化来ました!!
凛可愛いです!
そして桜はやはり正妻でしたね(真顔)


「美味しいですか?良いところの物なのですが」

 

 

「ちょうどいい甘さ、和菓子というのも悪くないわね」

 

 

 私と早苗は今、神社の奥のほうに存在している居住スペースにいる。

 早苗と茶菓子を楽しみつつ、互いのことを話している。

 それは取り留めもなく、最近起こったことや、身の上のことなど。

 無論、私は魔術などをぼかして、話を進めているわけだが。

 

 

「じゃあアリスさんは、その紳士さんが保護者だったのですか?」

 

 

「あれは単に紳士ぶっているだけよ。

 何なのか知らないけど、胡散臭くて堪らないわね。

 世話になっているのは事実だけれど」

 

 

 ある日突然、『さる方からの指示で、私が君の保護者になった。よろしく頼む』等と言ってあの紳士は現れたのだった。

 当然、私は警戒心しか抱けず、不審者を見る目で暫くの間、彼を見ることになっていた。

 だけれども、それなりに真摯に接し続けた彼を邪険にするのもどうかと思い、少し待遇を改善したのだ。

 学校の三者面談にまで現れた時は、流石に目を剥く羽目になったが。

 

 

「それで今は、凛って人の家にホームステイしていると」

 

 

「そうね、それなりには充実した日々を送っていると思うわ」

 

 

 ルーマニアからの留学。

 私は学び、達成したいが事の為に冬木にやってきた。

 毎日目標に向かって打ち込む日々は、私に活力を与えてくれているといっても良い。

 

 

「ではアリスさん、どうしてその冬木という街にホームステイしたんですか?

 別にその街ではなくても、よかったですよね?」

 

 

 早苗の疑問は、最もなものだろう。

 だがここで、素直に魔術に関することを口にする訳にはいけない。

 

 

「冬木で学びたいことがあったからよ」

 

 

 結局出てきたのは、何の面白みもない回答。

 しかも内容を詳しく話してない、不明瞭で曖昧な物。

 流石に無理があるか。

 そう思っていたのだが。

 

 

「それでも態々留学しに来るなんて、凄いことですよ!」

 

 

 空気を読んだか、大して内容に興味を持っていなかったのか。

 早苗は私を褒めるだけ褒めて、にこにこしながら次の話題を語りだす。

 

 それはそれで助かったのだけれど、複雑な思いも芽生える。

 嘘は付いてないだけで、本当のことは話していない。

 魔術師なら当然のこと。

 

 だけれど、ほんの少しだけ。

 裁縫の針が刺さる位に、私の良心が刺激された。

 

 だから、自分の出来る範囲で誠意を見せよう。

 私に出来る、せめてもの事で。

 私はそれを成す為に、鞄から彼女たちを取り出す。

 今日もお願い、2人とも。

 

 

「おぉ!人形さんですね!!」

 

 

「そうね、上海と蓬莱よ」

 

 

 上海と蓬莱を見た早苗は、目を輝かせながら彼女達を抱き上げる。

 その姿は年相応で、早苗も普通の女の子だなと実感する。

 どうにもズレたところが目立ってしまっていたから、より一層そう思うのだ。

 

 

「私は人形遣いよ。

 だから常にその子達とは、一緒にいるの」

 

 

「人形遣い……では劇とかもできるんですか?」

 

 

「得意分野ね」

 

 

 むしろ、それが私の真価を発揮できるものだろう。

 そして、それを聞いた早苗は、期待を載せた目を私に向けている。

 無言ながらに、彼女が訴えていることが手に取るように分かってしまう。

 

 

「小さなものでよければ、今から劇を始めましょうか?」

 

 

 もとよりそのつもりで、上海達を出したのだ。

 尤も、上海達を含めて数体しか人形を携帯していなかった為、大きな演目はできないが。

 

 だけれど、早苗はそれでも期待してくれているようだ。

 自然と正座をし、ワクワクと擬音が発せられそうな程に体を前のめりにしている。

 子供っぽい、そう思いつつも、彼女はそれさえも自分らしさに変換しているようで。

 その姿に、私は自然と口角が上がるのを自覚する。

 

 

「アリスさん、お願いします」

 

 

 神妙に頭を下げて、早苗はジッと私と人形達を見ている。

 それに私は応えるように、一つ礼をする。

 

 

「では、開幕よ」

 

 

 題目は『赤ずきん』だ。

 無防備な早苗に対する、警笛にもなるだろう。

 あなたは世の中に、怖い怖い狼がいることを知るべきよ。

 

 

 …………

 ………

 ……

 …

 

 

「狼はどうして赤ずきんを丸呑みにしたのでしょうね?

 よく噛んでものを食べましょうという、ことなのでしょうか?」

 

 

「……どうしてそうなるのかしら?」

 

 

 ダメだった。

 何か致命的な違いが、私と早苗にはあるらしい。

 そもそも、早苗はどうしてそんな結論に達したのか。

 疑問が尽きなくて、ある意味興味深いとも言えなくもないかもしれない。

 

 

「だって、よく噛んで食べなかったから、猟師さんに看破されたのですよね?」

 

 

「そういう問題なのかしら?」

 

 

 私がおかしいのか?

 桜なら通じた。

 私が言いたかったニュアンスは、ちゃんと伝わっていたのだ。

 なのに、早苗には伝わらなかったようだ。

 一体どこで齟齬が発生してしまったのだろう。

 

 

「そもそも、赤ずきんちゃんもお馬鹿です。

 お婆さんに化けた狼を見たときに、『おまえのようなババアがいるか!!』と一喝して然るべきです。

 そう考えると、赤ずきんちゃんは修行不足だったのが否めません」

 

 

「……童話なのよ。

 細かい詮索はしてはいけないわ」

 

 

 童話なんて頭を空っぽにして見て、そしてありのままに感じた感情を噛み締めるものだ。

 それにツッコミを一々入れるのは、無粋というものでは無いだろうか?

 

 

「だってですよ?

 アリスさんの人形劇。

 すごく真に迫っていて、驚く程に魅入られました。

 だけれど、その分だけシュールさが増し増しなんですよ」

 

 

 成程、臨場感を持たせてやれば良いというものではないらしい。

 その劇に合った、雰囲気を持たせることこそが重要なことなのだろう。

 最近はバイトなどで、高年齢の人にウケるお話ばかりをやっていたから、感覚が鈍ったのか?

 いや、それは言い訳か。

 

 

「悪かったわね、次は上手くやる事にするわ」

 

 

 このままで終わるのは、私が許せない。

 早苗を感嘆させて、満足させる公演をしよう。

 

 

「次、ちゃんとありますか?」

 

 

 気付けば早苗の目が、私の目にしっかりと合わせられていた。

 純な瞳が私を射抜く。

 何かを確かめるように、まっすぐ私の目を見るのだ。

 

 

「あるわよ、次の劇は文句は言わせないくらいの物にするから」

 

 

 だから私も早苗の目に合わせて、自身の気持ちを伝える。

 今度の劇はしっかりと構想を練って、早苗にも伝えたいことを伝わるようにしよう。

 そして、今度こそ早苗が素直に楽しめるようにしたい。

 そんな思いを込めて、私は早苗の目を見つめるのだ。

 

 

「……良かった」

 

 

 何が良かったなのか。

 早苗が言ったことについて考える。

 もう一回、キチンとした形で人形劇が見られるから?

 いや、違うだろう。

 深い安堵を早苗からは見て取れた。

 人形劇が問題ではない?

 

 そこまで考えて、ようやく気付いた。

 そして、やはり早苗はお馬鹿なのだと認識する。

 

 

「そもそも、友達に会いに来るのに理由は必要?」

 

 

 もう会えなくなるかもしれない。

 早苗はそう考えたのだろう。

 ある意味において、早苗は異端であるが故に、同じ者同士の繋がりが絶たれるのが怖いのだろう。

 

 

「……ありません。

 理由なんて必要なんてないです!」

 

 

「なら安心なさい、私は嘘つきじゃないわ」

 

 

 情緒不安定気味になるのは、理解してもらえる人は早苗にとって貴重だということだろう。

 それだけ、早苗の中で私の存在が大きくなりつつある、ということかもしれない。

 

 

「でも、私も何時までも日本にいる訳ではないわ。

 それだけは肝に銘じておきなさい」

 

 

 だけれど、甘えられすぎるとそれは依存へと早変わりする。

 だから釘もしっかり刺しておく。

 私と貴女は対等なのだから。

 

 

「え、あぁ、そっか」

 

 

 私の言葉を聞いた早苗は、困惑したあと、納得したようにその言葉を呟いた。

 その顔は寂しそうで、切なそうで。

 

 

「だからその時は、早苗の方から遊びにいらっしゃい。

 出来うる限りの歓迎してあげるわ」

 

 

 それを聞いた早苗の変化は、目に見えてわかりやすかった。

 キョトンとしたあと、段々と表情が明るくなっていく。

 

 

「そうします!その時は、アリスさんの家にお邪魔しますから」

 

 

 早苗は私の手を握りながら、ブンブンと振り回し、楽しそうに笑っている。

 距離が決して縁を断ち切るものでない。

 それを分かった事が、私が思う以上に早苗を元気づけているのだろう。

 

 今の世の中、どれほど距離があっても会いに行ける。

 それは素敵なことかもしれない。

 そう思うのは、早苗がこんなにも嬉しそうにしてくれているからだろう。

 

 一方的に会いに来るのでは、対等とは言えない。

 互いに行き来してこそ、友達だろう。

 

 

「じゃあ、アリスさん。

 まずはメアド交換からしませんか?」

 

 

 スカートのポケットから携帯を取り出し、ピコピコ操作している。

 ストラップにカエルとヘビのデフォルメされたキーホルダーを付けているのは、ご愛嬌といったところか。

 しかし、残念である。

 

 

「携帯、持ってないの」

 

 

「え、もしかしてルーマニアには、携帯電話が普及してないんですか?」

 

 

 そんな訳あるか、二人に一人くらいは持っている。

 

 

「必要性を感じないから、持っていないだけよ」

 

 

 そもそも篭もりがちの魔術師は、家にある固定電話だけで十分なのだ。

 態々お金をかけて、携帯などを持つ理由にはならない。

 

 

「えぇ!?絶対持っていた方がお得ですよ?」

 

 

「はいはい、本当に必要なら買うことにするわよ」

 

 

 今がその必要な時なのに、などと早苗の小声が聞こえてくる。

 持っていないものは仕方がない、疾く諦めてもらおう。

 

 

「じゃあ、せめて写真撮りましょう、アリスさんと私で」

 

 

「それなら問題はないわ」

 

 

 写真、魔術師の中ではあまり好まれないもの。

 魂を閉じ込められる、そういう言い伝えがある。

 これはとある魔術師が、そんな術を開発したことがあるからだ。

 それがいつの間にか、都市伝説のように一般人の間に出回っていたというのが真実。

 尤も、早苗がそんなこと出来るはずもないし、今の私には関係ないことだが。

 

 

「写真機はどこかしら?」

 

 

「カメラは今回いりません。

 今回はこれで撮ります」

 

 

 早苗に視線を向けると、持っているのは携帯電話。

 それで一体何ができるというのか。

 困惑している私をよそに、早苗はぎゅうぎゅうと私にひっつく。

 

 

「ほらほら、アリスさん!

 もっと、くっついて下さい。

 このままじゃ、半分見切れちゃいますよ」

 

 

「早苗、ちょっと苦しいわ」

 

 

 あと、そんなに胸を当てないで。

 何故か苛立ちを感じるから。

 

 

「はい、1たす1は~!」

 

 

「2に決まってるでしょう」

 

 

 カシャリ、という音がしてフラッシュが焚かれる。

 鬱陶しいほどにひっついていた早苗が、ようやく離れる。

 そして携帯の画面を見て一言。

 

 

「アリスさん、全然笑ってないじゃないですか」

 

 

「訳が分からないわ」

 

 

 あまりの意味不明ぶりに戸惑いながら、取り敢えず早苗の携帯を覗き込んでみる。

 そして私は目を見開くことになった。

 

 

「撮れているわ、写真」

 

 

「携帯には、電話だけじゃなくて色んな機能があるんです!

 どうです、欲しくなりませんか?」

 

 

 確かに、これは大したものだ。

 科学の進歩を感じる、といったところだろうか。

 魔法が魔術に移り変わっていくのも、頷けるというものだ。

 

 

「他にも、何か機能があるの?」

 

 

「勿論です、本当に便利ですよ」

 

 

 さぁ、今ならまだ間に合いますよ?

 などと宣いながら、悪い顔をした早苗がにじり寄ってくる。

 それを適当にあしらいながら、私は思わず考えてしまう。

 

 このままいけば、何れ魔法なんてものはなくなり、科学を使って根源を目指すことになるのでは?

 魔術師としては忸怩たる思いもあるが、そんな未来もあるのかもしれない。

 

 

「言ったでしょう、必要になったら買うと。

 今は大丈夫よ」

 

 

 結局のところ、本当に必要ないのと、僅かに感じた反発心により携帯は必要無いと私の中で結論づけられた。

 

 

「本当に頑固ですね」

 

 

「貴方には負けるわ」

 

 

 筋金入りとはこの事ですか、なんて早苗の言葉は聞こえない。

 必要な時は迷わず買うから、問題などない。

 自分にそう言い聞かせて、私は時計を見る。

 

 

「5時ね」

 

 

 思ったよりも、時間を食っていたらしい。

 体感時間が短く感じたのは、楽しかったから?

 振り返るように考えて、そうなのかもしれない、と思った。

 だけれども、こういうのはたまには程度で私は十分だ。

 

 

「あ、アリスさん!私がこんなに引き止めてしまったから、こんな時間になってしまったんです。

 アリスさんさえ良ければ、泊まっていきませんか?」

 

 

 それがいいです!何て言っている早苗だが、それは無理だ。

 今回の旅の目的は、半ば観光気分で来ていた。

 

 

「宿を取っているから、それは出来ないわ」

 

 

 旅をするには宿が必要。

 それは常識でもある。

 

 

「そ、そう、ですよね」

 

 

 言葉が最後に向かうほど、小さく、弱くなっていく早苗。

 本人は善意からの言葉なのだろうが、それでも引き止めようとする気持ちも、幾ばくかは存在するだろう。

 それが完全に拒否されてしまった心中は、私には分からない。

 

 

「途中まで見送って頂戴、早苗」

 

 

 だから階段を下るまでの間だけ、話をしましょう。

 その程度は許されるでしょう、早苗。

 

 

 

 

 

「お邪魔いたしました。

 今度もまた、お邪魔させていただきます」

 

 

「図々しい物言いだね。

 ま、好きにすれば良いと思うよ。

 早苗も喜ぶだろうし。

 その分、お土産に期待しているからね!」

 

 

「図々しいのは、お前の卑しい性分だと思え、諏訪子」

 

 

「盗人風情がよく言うね、神奈子」

 

 

 何時の間にか、居間のテレビで2柱揃ってテレビを見ていたところに、帰りがてらに挨拶をする。

 喧嘩は中断されていたようだが、今再び勃発しようとしている。

 この2柱は、何時もこんな感じなのだろう。

 呆れればいいのやら、嘆けばいいのやらである。

 

 

「ふん、まぁ、何時でも歓迎するぞ、アリス・マーガトロイド。

 早苗の友に閉ざす門は、持ち合わせていないからな」

 

 

 だけれど八坂の神は但し、と付け加える。

 

 

「来るといったからには、絶対に来ることだ。

 これを違える事がないように」

 

 

 それは承知している。

 早苗が寂しがるであろうくらいには、思っているのだから。

 この2柱は、早苗を常に慮っているのだ。

 

 

「分かっています。

 暫くは来られませんが、何れは姿を見せると思います」

 

 

 それを言うと、八坂の神は重々しく頷いた。

 信じてもらえたか、とため息をつきかけた束の間。

 洩矢の神が、八坂の神の肩に肘を付きながら、こんなことを言う。

 

 

「単純に、私も寂しいから~遊びに来て~!ていうことだよ、アリス。

 私も基本暇しているから、何時でもウェルカムだよ!」

 

 

「……貴様の悪行は、温厚な私でも目に余るものがある」

 

 

「豪胆に見えても、器の小ささが測れてしまうよ、神奈子」

 

 

「もぅ、お二人共、アリスさんがお帰りになるんですよ?」

 

 

 早苗が呆れたように言うが、そんな言葉は2柱の耳に入るはずもなった。

 おざなりに、私への帰りは気をつけろ、等と言ってから、2柱の仁義なき戦いは再開されたのである。

 

 

 

 

 

「すみません、アリスさん。

 本当に何時ものことで、神奈子様も諏訪湖様も悪気はないんです」

 

 

「神様が人間に媚びる必要なんてないわ。

 あのくらいで、良いのかもしれないわね」

 

 

 神様としてはどうかと思うが、と小さく付け加えるが、早苗には聞こえていなかったようで、申し訳なさそうにしているだけだった。

 だけれども、先ほどと比べて、早苗の寂しさが紛れているように見える。

 あの2柱は、早苗にとって、それだけ大きな存在だという事なのだろう。

 

 

「夕暮れどきは美しいけれど、虚しく思えるわね」

 

 

「え、どういうことですか?」

 

 

 恐縮し続けている早苗に、気分転換がてらに話を振る。

 今目の前にある、大きな輝きの話。

 

 

「太陽が一番目立ち、輝いている時間は夕方よ。

 だけどね、それは太陽が月に抜かされようとしているだけ。

 彼らは、終わらない追いかけっこをしているだけなのよ」

 

 

 大きな彼らは、人間の都合なんて考えないで、一生懸命に走り続ける。

 それを見ていると、自然の前には、人間は何と矮小な存在なのだと思い知らされる時もある。

 偉ぶって、太陽や月などに法則性などを見つけても、人間が彼らに出来うる事なんて殆ど存在しない。

 

 

「そうですね、でも私は空が大好きです」

 

 

「どうしてかしら?」

 

 

 ふふ、とさっきの調子から一転して、嬉しそうに語る早苗。

 何だか自信にも満ちているその姿が気になり、聞いてみた。

 どうして、そんなに嬉しそうなの?そんな意味まで込めて。

 

 

「それはですね、天は神奈子様だからです。

 神奈子様は天から参られて、この地の山となったのです。

 だけれども、本質は天のままであらせられます。

 だから、私は空が、太陽も月も好きなんです」

 

 

 そうなのか、八坂の神は天であったか。

 それを聞いて、私は人間の手に届かないという点で、神と天は正しく同じだと思った。

 成程、昔の人が神を天に例え、天の向こうに住まう。

 そう考えた理由が朧げながらに、分かった気がする。

 

 

「勿論、地に住まう諏訪子様のことも、私は大好きですけどね!

 この諏訪の土地も、ずっと諏訪子様が見守ってきたんですから」

 

 

「みんな大好きなんじゃない」

 

 

 早苗が、天も地も嫌いになれるわけがない。

 守矢の皆が一緒にいる場面を見たら、それは自ずと分かること。

 だけれども、私は思わずそんな言葉を漏らしてしまう。

 

 そんな私に、早苗は夕暮れに照らされながら、

 

 

「そうですね、だから私はアリスさんのことも大好きですよ?」

 

 

 などと、のたまうのである。

 

 

「馬鹿ね、初めて会った日の内に、大好きなんてはしたないわ」

 

 

 結局、私から吐き出されたのはそんな言葉。

 夕暮れ時で良かった、心底そう思う。

 さて、石段はもうすぐ無くなる。

 もう、地に足が着きそうなのだ。

 

 

「アリスさん、今日はとっても楽しかったです。

 自分でも驚く程です。

 だから、またアリスさんとご一緒したいです」

 

 

「また来るって言ってるでしょう?」

 

 

 呆れたように、何度も繰り返した言葉を私は紡ぐ。

 また、と。

 それに早苗は嬉しそうに破顔し、スカートもポケットから何かを取り出す。

 袋のような、複雑な模様が施された物であった。

 

 

「守矢神社特製のお守りです。

 私が内職で、せっせと丹精込めて作りました。

 アリスさんに、一つ進呈します!」

 

 

「いいの?」

 

 

「勿論!」

 

 

 早苗の加護が籠ったお守りを受け取る。

 役に立つかは疑問だが、早苗を想う神様の加護が少し位は入っているかもしれない。

 お祈りしたら、早苗経由で2柱に届く可能性もあるだろう。

 

 

「有り難く頂くわ」

 

 

 元より受け取らないという選択肢は、存在しなかった。

 だが貰うだけというのは、些か居心地が悪くもある。

 

 

「なら私からは、これを」

 

 

 だから、私は持ってきていた人形の一体を、早苗に差し出した。

 最近作った子なので、解れなども気にならない子だ。

 

 

「本当にいいんですか?

 この子、アリスさんが頑張って作ったんでしょう?」

 

 

「それなら、早苗と同じ条件よ。

 遠慮せずに受け取りなさい」

 

 

 あれほど目を輝かせていたのだ。

 早苗が、人形が嫌いということはないだろう。

 

 慎重に、壊れ物を受け取るように、早苗は私から人形を受け取った。

 そして、その人形を抱いたまま、早苗は表情を崩す。

 柔らかい笑顔で、私に笑いかけたのだ。

 

 

「嬉しいです、大事にしますね。

 毎日ギュッと抱いて、一緒に寝ようと思います」

 

 

「あまり構いすぎるのも問題よ。

 壊れてしまったら、直せないでしょう」

 

 

「そう、ですね。

 では毎朝起きたら、頭を撫でるくらいにしておきます」

 

 

 素直でとても助かる。

 これなら、笑って別れられるだろう。

 

 

「では早苗、次に会うまで達者でいなさい。

 また、会いましょう」

 

 

 びくり、と立ち竦くむ早苗。

 だけれども、それでも早苗は笑顔を崩さなかった。

 私が見ても、とびきりと分かる笑顔で早苗は告げた。

 

 

「はい!またね、です」

 

 

 それが私と早苗が交わした、別れ際の、最後の言葉だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕暮れ下の石段で、東風谷早苗はずっと背中を見ていた。

 見えなくなるまで、ずっとずっと。

 

 

「行っちゃいましたね、アリスさん」

 

 

 もう会えるのは、何時になるか分からない。

 それなのに、早苗は自身が想像していたような、寂寥感は感じていなかった。

 それはきっと、また、という言葉。

 そして……。

 

 

「きっとこの子は、アリスさんが私の代わりにって、ことなのでしょうね」

 

 

 手元にある人形を、強く強く抱きしめる。

 アリスさんの匂いがする、アリスさんがくれた人形。

 

 

「決めました、あなたの名前は今日からアリスです」

 

 

 それはとっても、少女チックな名前で。

 それはとっても、彼女にあっていると感じた名前。

 

 

「よろしくお願いします、アリス。

 私とアリスさんと結ぶ、優しい子」

 

 

 また、アリスさんに会えますように。

 そんな希いを込めて付けた、縁を紡ぐ名前。

 

 アリス・マーガトロイドの背中はもう見えない。

 でも、きっとまた会えるから。

 早苗は背を翻し、再び石段を登る。

 自らの、風祝の責務を果たすべく。

 

 

 夕闇に染まりゆく中、アリスが笑った気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさか、本気で送ってくるとはな」

 

 

 ルーマニア首都、ブカレスト。

 その中の、とある紳士の家に贈り物が届いた。

 

 その中身は、『グンマーの土』とラベルの貼られた瓶。

 中には、これでもかと言えるほどに土が詰められていた。

 

 あとは土と別口で、苺が大量に送られてきた。

 なんでも、『グンマー産 無農薬いちご』だそうだ。

 ついでと言わんばかりに、アリス自身がイチゴ狩りを楽しんでる写真までついてきている。

 ちゃっかりと、グンマー県を堪能しているようであった。

 

 

「全く、元気なことだ」

 

 

 やれやれと言いたげに、肩をすくめて見せる紳士。

 感心しているのか、呆れているのか、自分でも分からなくなっている紳士だが、ここであるものに気付く。

 

 

「なんだね、これは」

 

 

 苺の他に、葉っぱの栞があった。

 そして、それに手紙までついていたのだ。

 

 

「きっと、ご利益がある、とな?」

 

 

 それは、アリスが守矢神社でこっそりと拾った葉っぱ。

 御柱と呼ばれるようになる、大木の葉を栞にした物だ。

 だが、紳士はそんな事は、知りようがない。

 グンマーで拾ったものを、利用したと考える程度なのだ。

 

 

「ん?これは……」

 

 

 だが、紳士はこれに特異点も見つけた。

 葉が瑞々しいままなのだ。

 通常、葉は時間が経てば経つほど、枯れるであろうに。

 これは神の神力に千年単位で当てられていたからこそ、起こった現象。

 いずれ、その神力も抜け落ち、ただの栞になるであろう。

 

 

「グンマー、恐るべし」

 

 

 が、結局のところ、新たな誤解を生み出しただけに終わったようだ。

 こうして、グンマー県は新しい都市伝説を生み出していく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここ、良いかい?」

 

 

「……どうぞ」

 

 

 帰り際の電車、ガタゴトと揺られる中で、私は声をかけられる。

 相席させて欲しいとのことだったので、許可を出す。

 

 

「失礼するね」

 

 

 そう言って、座ったのは3人。

 一人は人畜無害そうな、黒縁の眼鏡をかけた青年。

 何故か右目のところだけ、髪で隠れてる。

 ファッションなのだろうか?

 

 

「へぇ」

 

 

 私を見て、何だかよく分からない納得を見せているのは、黒髪が綺麗な美人。

 大和撫子、と容姿だけ見ればそうなのだろう。

 だが、その口調はどうしてだか、男っぽい。

 

 

「あ~!お母様がパパのとなりにすわったぁ!!

 ずるいです!ずるいです!」

 

 

 そして、もう一人。

 小さな子供、恐らくは3,4歳くらいと推定できる。

 言っていることも、年相応で可愛らしい。

 

 

「悪いな、幹也の隣は私専用なんだ」

 

 

「う~、じゃあ、わたしはパパのおひざにすわります!」

 

 

 そう言って、少女は青年の膝にドカッと座る。

 それを見て、青年の方が、困った表情をして口を開く。

 

 

「こら、末那。

 他に人がいるのに、騒いだらダメだろ?

 それに式も、大人気ない」

 

 

 そう言うと、小さな娘の方が私の方を向いて、ペコリと頭を下げる。

 

 

「すみません、おさわがせしました」

 

 

「別に気にしてないわ」

 

 

 ほぅ、と感嘆するほどの感心を感じた。

 小さな娘とは思えないほどに、しっかりとしている。

 教育が良く行き届いているのと、きっとこの娘が素直だからだろうか?

 

 

「なぁ、お前」

 

 

「何かしら?」

 

 

 だが不躾に、母の方は私に語りかけてくる。

 彼女は不敵に笑っており、まるで動物が狩りをする前のようだ。

 

 

「お前さ、魔術だか魔法だかに関わっているだろ」

 

 

 断定、それは他の意思が介在する間もない程に、見抜かれていた。

 

 

「……同業者?

 いえ、違うわね」

 

 

 この人達からは、魔力を感じない。

 だが、目の前の彼女は堅気だとも思えない。

 一体、何なのだ。

 

 

「式、急に何言ってるんだい」

 

 

「幹也、こいつ、橙子と一緒の匂いがする」

 

 

 式、幹也、これが二人の名前らしい。

 だが、それよりも、気になる名前が存在した。

 

 

「蒼崎橙子を知っているの?」

 

 

 関係者なのだろうか?

 わからない、が少なくとも彼らは蒼崎橙子を知っているのは間違いない。

 でなければ、魔術師などと言う言葉は出てこないだろうから。

 

 

「昔の雇い主。

 給料未払なんてザラな、労働基準法をトコトン無視した奴だったな」

 

 

「……え?」

 

 

 給料未払とは、どういう事なのだろうか。

 もしかしたら、金銭に困るような生活を送っているのだろうか。

 

 

「仕事は何をしていたのかしら」

 

 

「人形工房、らしいけど実際は万事屋だったね」

 

 

 答えたのは、幹也と呼ばれた彼。

 こんなにも普通そうな人が、蒼崎と関わっていたのか。

 何だか不思議な感じがする。

 

 

「人形……まだ作っていたのね」

 

 

 蒼崎の作品は、昔に作られた人形しか今では見られないため、大変貴重なものだ。

 あの精巧さは、忘れられないほどに、完成しており、そして禁忌を犯していた。

 あれを見れば、大抵の者は魅せられてしまうだろう。

 私もその一人だ。

 

 

「おねぇさんは、にんぎょうがおすきなのですか?」

 

 

 私が人形、という単語に反応したのを見て、小さな彼女、末那と呼ばれていた子が反応する。

 ようやく自分がわかる話題が来たからなのか、やや嬉しそうに私に問う。

 

 

「そうね、人形は好きよ。

 貴女は人形はお好き?」

 

 

 そう言って、上海を取り出す。

 パタパタと上海の手を振らせると、わぁ、と笑みを零してくれる。

 

 

「わたし、にんぎょうはだいすきです。

 とってもかわいいです。

 お母様みたいに、にくたらしくありません」

 

 

 ……この式という人は、一体何をして、こんな言われようになったのだろうか。

 

 

「可愛くないやつだ、そんなに幹也が欲しいか?」

 

 

「はい、パパはわたしのです。

 かえしてください」

 

 

「……僕はどちらのものでもないよ」

 

 

 黄昏気味の哀愁を、彼から感じる。

 きっと、何時もこんな感じなのだろう。

 どこぞの2柱を連想させる。

 

 

「で、蒼崎の行方は分かる?」

 

 

 母と娘で揉めてる間に、幹也氏に話しかける。

 そうすると、彼は頭を振る。

 

 

「僕たちが結婚したのを期に、どこかに転居してしまって、今はどこに住んでいるのかもわからない。

 ……僕からも少し良いかな?」

 

 

「構わないわ」

 

 

 彼の答えは残念だったが、分からないのなら仕方がない。

 私も答えてもらったのだし、彼の質問には答える義理があるだろう。

 

 

「君は橙子さんを見つけて、何をしようと考えてるんだい?」

 

 

 温和な口調で、だけれども試すように、彼は問いかけてきた。

 何かを探るように、慎重さを持って、彼は話しかけてきたのだ。

 

 

「私も人形師よ。

 だからこそ、先達の知恵は拝借したく思えるの。

 あの人の人形を見れば、同業の者はそう考えるもの」

 

 

 私の言葉に、彼は納得したかのように、深く頷く。

 

 

「確かに橙子さんの人形は、引き込まれるからね」

 

 

「話が分かるわね。

 あの人の人形は、冒涜しているようで、それでも目が離せないもの」

 

 

「うん、好事家達の間で、大金で取引されていたようだからね。

 ……本人は二束三文で売り払う時があったけど」

 

 

「……本当なの?」

 

 

 何てことを!

 欧州では、億単位で金が飛び交うというのに!!

 

 精巧な人形作りから、何事にも細かい人を想像していたが、話を聞く限りでは、かなりズボラな人物らしい。

 認識を改めておかないと。

 

 

「お前ら、よく橙子の話なんかで盛り上がれるな。

 私は気分悪くなる」

 

 

「おとうさん、おにんぎょうのひとばっかりとはなさないで!」

 

 

 共通の話題で、つい熱中してしまっていた。

 何時の間にか、母娘がこちらを向いて、ジトっとした目で私と幹也氏を見ていたのだ。

 

 

「おとうさん、ふりんをしていいのは、みうちだけなんだよ!!」

 

 

「……誰にそんな言葉を習ったんだい?

 そもそも、そんなことは普通じゃないから、しちゃいけない事だよ」

 

 

「鮮花しかいないだろ。しぶとい」

 

 

 幹也氏はとても愛されているようだ。

 愛され方には、問題があるようだけれど。

 

 

「そういえば、だけどさ」

 

 

 話題を逸らすように、幹也氏が私に話しかけてきた。

 

 

「名前は何かな?

 教えてもらえるかい?

 僕の名前は両義幹也」

 

 

「アリス・マーガトロイドよ」

 

 

 小さい子に話しかけるように尋ねられたが、何故か不快感を覚えなかった。

 そして、するりと溢れるように、自分の名前を述べていた。

 普通なのに、不思議な人のように感じる。

 

 

「メンドくさい名前だな」

 

 

「欧州では、よくある事よ」

 

 

 旧フランス貴族などは、暗号のような名前を持っている人物もいる。

 それに比べたら、大分優しいものだろう。

 

 

「だけど……」

 

 

「何かな?」

 

 

 彼の名前を聞いて、何だか違和感を覚える。

 これは……そう。

 

 

「違和感があるわね。

 貴方の本当の名前なの?」

 

 

 何か、かっちりと歯車が噛み合わないような齟齬。

 どうしてだか、彼の名前が違うような気がして。

 

 

「婿養子だからな、幹也は。

 ただ、前の名前の方が、私も気に入っていたな」

 

 

「結婚したんだから、苗字が変わるのは普通のことだろう?」

 

 

 成程、そういう事か。

 この看板とラベルが違うような、そんな違和感はその為か。

 

 

「以前の旧姓は、どんな物なの?」

 

 

「フランスの、詩人のような名前さ」

 

 

 答えたのは、式と呼ばれていた彼女。

 婿養子というのだから、両儀というのは彼女の名前だろう。

 

 では幹也氏は?

 彼の名前は何か。

 フランスの詩人、そして日本人でも通用する名前。

 そして有名な人物といえば、数は限られる。

 

 

「『パリでは誰もが役者になりたがり、見物人に満足するものはいない』かしら?」

 

 

「ビンゴ」

 

 

 ジャン・コクトー、詩人としてだけでなく、多彩であった芸術家。

 ただ、目の前の彼とは、先のセリフのように、真逆の人物にも思える。

 だけれども、それがどうしてか、しっくりと来てしまうのだ。

 

 

「何だか、おかしな話ね。

 似合ってないはずのものが、妙にマッチしているように思えるのが」

 

 

「それが幹也らしいってことさ」

 

 

「……君たち、好き勝手に言うね」

 

 

 呆れたように幹也氏は言うが、それでもそれだけ理解されてしまっているということだ。

 ずっと一緒にいたから分かるのだろう。

 二人は有るべくして、同じ型にはまったのかもしれない。

 

 

「そもそも式、僕は君を許さない(離さない)って、言ったろ?

 それは両儀の名前も、背負うって事だよ」

 

 

「はいはい、お前のお小言は何度も聴いてるって」

 

 

「パパ、わたしもりょうぎだよ!」

 

 

「そうだね、末那も家族だからね」

 

 

 聞いているとノロケにも聞こえるが、二人だけで分かる合図のようにも聞こえる。

 

 

「何かの誓いかしら?」

 

 

「ふたりの秘密ってやつだな」

 

 

 はぐらかされてしまった。

 きっと二人の間だけで分かれば良い話なのだろう。

 

 

「パパ、お母様、わたしにもおしえてください!」

 

 

「お前にもいつか話す。今は保留だ」

 

 

「えぇ~!」

 

 

 娘も知らない、父と母だけの話。

 二人の中で埋もれるのか、何れは語るのか。

 それは家族の問題なのだろう。

 

 

 こうして、私はこの家族に乗車中、翻弄され続けることになった。

 景色すら見る余裕がない。

 だけれど、この姦しさは嫌いにはなれなかった。

 家族の喧騒とは、こういうものだろうから。

 

 

 

 

 

「私はここで降りるわ。

 電車での旅、健勝を祈っているわ」

 

 

 そう言って、私は荷物をまとめ立ち上がる。

 うるさくもあったが、悪くもない電車で旅路の終焉である。

 

 

「アリスさん、バイバイです!」

 

 

「そっちも、帰り道には気をつけて」

 

 

 そんな別れ際の言葉を貰い背を向ける。

 

 

「なぁ、お前」

 

 

 今、去ろうとしている時に、声をかけられる。

 両儀式、彼女の声だった。

 

 

「手短にお願い」

 

 

「簡単なことさ。

 ……お前、どうして私の目を見て話そうとしないんだ?」

 

 

 彼女が気になったのは、私が末那や幹也氏には目を見て話していたからだろう。

 でも彼女だけには、目を合わさなかった、どうして?

 

 

 ――だって、怖いから。

 ――あんなものを見続けたら、狂ってしまいそうだから。

 

 

「貴方の目、月の光みたいだからよ」

 

 

 それだけ言うと、私は下車する。

 それと同時に扉が閉まり、動き出す。

 

 ガタンゴトンと音を立てながら、車両は動き出したのだ。

 そしてその中に、蒼い目をした彼女(月光)がいた。

 

 ゾクリと、背中が泡立つ。

 彼女の目のつながっている場所が恐ろしくて。

 私は直ぐに、目を背けたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あいつ、見えたんだな」

 

 

 私の世界(視界)が、目を通して。

 うさぎのような、怯えを見せた彼女。

 

 

「カワイイ奴」

 

 

 幼さが隠しきれていない、黄昏の彼女。

 気丈に振舞っていても、隠せてなかったのだから。

 

 

「式、人を怖がらせるのは良くない」

 

 

「あいつ、虐め甲斐がありそうだったから、ついな」

 

 

 小動物のような振る舞いが、更にそれを引き立たせていた。

 だから構いたくなってしまっただけだ。

 

 

「しぎゃくしゅみって、いうんだよね。

 お母様みたいなひとは」

 

 

「それも鮮花からかい?」

 

 

「うん、叔母さまとわたしは、どうめいをむすんでるから」

 

 

 幹也はどこまでも自然だ。

 だから不自然なのは、無理なことなのに。

 本当にあきらめが悪い奴。

 

 

「あいつはロクなことを教えないな、本当に」

 

 

「その割には嬉しそうだね、式」

 

 

「だって可愛いだろ?

 届かないものに必死に手を伸ばしてる姿ってさ」

 

 

「悪趣味だよ」

 

 

「あくしゅみ~」

 

 

「そんな私を選んだお前も、大概だけどな」

 

 

 幹也は本当に趣味が悪い。

 変な奴に好かれやすいのも、そのせいだ。

 天性の大馬鹿だから。

 だから、コイツは誰にも渡すわけには行かない。

 幹也は私のものだから。

 

 

「全く、君は」

 

 

「はいはい、今度会ったら謝る」

 

 

「今度があるとでも?」

 

 

 不思議そうに幹也が尋ねる。

 だがそうなのだから仕方がない。

 

 

「似てるから、自然と出会うことになるさ」

 

 

「そうかな?」

 

 

「そう感じないのは、お前の考察力不足」

 

 

「式が動物的すぎるだけだよ」

 

 

「お母様はけだもの!」

 

 

 確かに勘で感じたということは認める。

 だけどまた会うことになるかもしれない、それは確かに感じたことだった。

 末那の頭をぐりぐりしつつ、次に会うのは何時になるか考える。

 

 1年先?10年先?

 

 だけれども考えているうちに、バカらしくなってきた。

 未来を見れるわけではないのだから、そんなものは分かるはずがない。

 そんなものが見えても、ロクなことにはならないのだから。

 

 

「ま、神のみぞ知る、てところか」

 

 

 神様がいれば、の話だけれど。





Fate本編までの道のりが長いです(自業自得)
サーヴァントの活躍とかも書きたいのに!(血涙)


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第10話 虎が廻る輪の中は

 師走さんが一足先にいらっしゃって、最近妙に忙しいです。
 いや、そんなことよりも、アニメ!
 矢鱈とイリヤが強くて、目を見開いて見ておりましたw
 そして、士郎と凛の魔術戦。
 映像化すると、あのようになってるのですね。
 感謝感激雨霰な感じです。
 桜も可愛いですしね!

 長々とすみません、ではお楽しみください!


 私、冬木の虎こと藤村大河には、悩みがあります。

 それは何か?

 それは、最近の出来事。

 

「先輩、この浅漬、良いですね!」

 

「箸が良く進むからな」

 

 それは目の前の子達のこと。

 いつもの食卓、和気藹々とした光景。

 だけれども。

 

「あ、先輩、ご飯粒です」

 

「ん、どこだ?」

 

「ここですよ」

 

 ふふ、何て笑いながら、桜ちゃんが士郎の頬っぺのご飯粒を取り……。

 

「っえい!」

 

 何とパクッと食べてしまったのです!

 

「桜、恥ずかしいぞ、それ」

 

「ごめんなさい、先輩。

 でも一回やってみたかったんです」

 

 赤くなっている士郎に、同様に赤くなりながら、照れている桜ちゃん。

 その様子はさながら、きゃっきゃうふふの青春ラプソディー。

 こんなの、こんなの!

 

「ぎゃわぁーーーー!!!」

 

「うわ、何だよ藤ねぇ。おかわりか?」

 

「あ、茶碗が空っぽですね、ご飯よそいますね」

 

 てんこ盛りの茶碗をガツガツと食しながら、私ははっきりと確信する。

 何時の間にか、桜ちゃんが士郎とデキていたのである。

 そう!私は桜ちゃん()士郎()を寝取られていたのだ!

 

「うがぁーーーーーー!!」

 

「もう空っぽなのか。藤ねぇ、もっとゆっくり食べろよ」

 

「あ、こちらの浅漬もどうぞ、先生」

 

「フガフガフガ」

 

 全く!二人共、そういうのはまだ早いよ。

 特に士郎、まだ桜ちゃんは○学生なのよ?

 そう考えると犯罪チックよね。

 

「ふ、藤ねぇのやつ、浅漬の大半を飲み込みやがった」

 

「まあまあ先輩、佃煮が確かあったと思いますよ」

 

 桜ちゃんが冷蔵庫をガサゴソと探す。

 そして佃煮を見つけると、ちょっと嬉しそうに戻ってきた。

 

「先輩、あーん、です」

 

「ちょ、ちょっとそれは無理だ。

 藤ねぇもいるし」

 

「みぎゃあーーーーーーー!!」

 

 お姉ちゃん、こんなの聞いてません!

 士郎は私のお婿さんになるんじゃなかったのかあぁぁ!

 

 

 

 

 

 そんな咆哮をしてしまう程に、桃色を振りまいている二人。

 だけれども、問題はそれだけではありませんでした。

 本当に問題なのは……もっともっと別のこと。

 

「桜ちゃん、今日もまたここに泊まるの?」

 

「はい、先生」

 

 ゴールデンウィークに入る少し前くらいからか、桜ちゃんがこのお屋敷に泊まるようになっていた。

 そりゃ通い妻チックだなぁ、なんて考えたこともあったし、士郎の結婚する相手は桜ちゃん以外は考えられなかった。(私以外でと考えると)

 

 だけれども、これはあまりに宜しくない。

 2人がふしだらな行為をする、とはあまり考えられないし、考えたくもないが。

 たまたま、そう、機会が来れば流れでそうなる可能性もあるのだ。

 だから、私としては何とかしなければいけないのである。

 

「じゃあ私もここに泊まるから」

 

 暫くは外からでなく、家から様子を見よう。

 その為に、お爺ちゃん達も説得してきたんだから。

 

「え、藤村先生、お泊りするんですか?」

 

「そういうことは先に言っててくれよ、藤ねぇ」

 

 桜ちゃんは驚いたように、士郎は呆れたようにそんなことを言う。

 でも気にしない、他にもっと気にしなければいけないことがあるのだから。

 

「保護者として、ちゃんと二人の健全を守らなきゃいけないのです、私は」

 

「何言ってんだ」

 

 訳が分からなそうにしている士郎を前に、私は気概を燃やす。

 

 2人の青春は私の手に掛かっているのよ!

 このままじゃ2人とも、背徳と淫靡で乱れた日々を送ってしまうわ。

 だから、この正義の使者にして冬木の守り手。

 穂群原の英語教師、藤村大河は戦うのです!

 

「頑張るのよ大河、決してネチョらせてはいけないわ」

 

「だからさっきからなんのことだよ、藤ねぇ」

 

 士郎のこの健全さ、しっかり守り通さなきゃ。

 そして女豹(桜ちゃん)、あなたもネチョいものから守ってあげるわ。

 だから二人共、桃色空間を捨てて、早く日常に戻りましょう?

 

 

 

「うふ、うふふふふ」

 

「なぁ、桜。藤ねぇのやつ、どうしたんだと思う?」

 

 あまりに不気味で邪悪な笑い。

 とても正義の使者には見えないそれ。

 故に、士郎は対策を考える。

 SSF(そこまでにしておけよ藤村)の集い会長として(会員はネコさんを筆頭とする被害者)、今度はどんな奇行を引き起こすのか、目を光らせなければならないのだ。

 

「えっと、藤村先生には悪いですけど、何時ものことじゃないでしょうか」

 

「やっぱりそうなのか。でも何か何時もよりも様子がおかしい気がするけど」

 

「もしかして、悪いものにでも当たってしまったのかもしれませんね」

 

 藤ねぇがおかしくなる=何時ものことor変なものを食べた

 

 これが大体の法則であり、そして大概は当たっているのだ。

 どっちだろと悩む二人に、自身の責任感に身を委ねて、周りが見えてない大河。

 今日も衛宮家は、混沌と齟齬に満ちていた。

 

 

 

 

 

「で、相談て何かしら?桜」

 

 放課後、桜とよく合う喫茶店で私は相談とやらを持ちかけられていた。

 深刻ではなさそうだが困った顔をした桜に、私は渋々と相談に乗ることになっていたのだ。

 

「藤村先生が変なんです」

 

 さて、これは対応に困る類の相談事だ。

 私はきっと、困惑した顔をしているだろう。

 

「それは何時ものことよ」

 

 今日の英語の時間、藤村先生が教室に入ってくると同時に転びかけて、何時の間にかブリッチ状態になっていた事は記憶に新しい。

 常時が常時、あんな感じなので、別段それが特別とも思えない。

 

「いえ、そうではなくて、普段と行動が違っておかしいんです」

 

 ……成程、その手のおかしさか。

 どちらにしろ変なのには違いないが、親しい人たちからすると確かな違和感なのだろう。

 例えるなら、毎日八極拳の鍛錬をしていた凛が、唐突にムエタイの鍛錬を始めるとかそんな感じの。

 

「具体的には、どんなところがおかしいのかしら?」

 

 酷い質問だとは思うが、それ以外に聞き様がないのだから仕方がない。

 藤村先生に内心で謝りつつ、私は深く追求する。

 それが分からねば、対処のしようがない為に。

 

「急に先輩の家に、お泊まりを始めたんです。それは別に問題ではないのですけれど。でも、お泊まりを始めた時から、先生は段々とおかしくなっていきました」

 

 桜の語り口を聴き続ける。

 どこかに、ヒントがないのかを探り続けながら。

 

「ご飯を食べている最中に高笑いを始めたり、唐突に弓道の練習を進めてきたりします。

 それから一緒の部屋で皆で寝ようとか、勉強会をしようとか言っておられました」

 

 ふむ、これは……。

 多分そういう事なのだろうか。

 謎は多いし、分からないことも多々あるが、ボヤけた輪郭は掴めた気がする。

 

「今晩あたりにコペンハーゲンに来なさい。

 藤村先生とお話をするわ」

 

「何か分かったんですか!アリス先輩」

 

「分からないことが多いから、先生と直接話してみようと考えただけよ」

 

 そうすれば、見えないところも鮮明になるだろうから。

 ただ私の予測するところでは、今回の件は誰かが決定的に悪いということはない。

 皆が若いと思うだけに留まるのだろう。

 ここまで考えて、こめかみを押さえる。

 

 どうしてこんなにも、達観したように考えているのだろうか?

 他人と関わる時、私はどうにも一歩引いた所から、何時も物事を見ているようだ。

 それは冷静な目が必要な時には役に立つだろう。

 だけれども、それほどに深く踏み入れることも、踏み入らせることもないだろうから。

 だから、衛宮くんや桜、それに藤村先生が少しだけ羨ましくなった。

 そう、少しだけ。

 

「分かりました、今晩はよろしくお願いします」

 

 桜が頭を下げる。

 それを認めると、私は頷き認める。

 さて、会計の時間だ。

 バイトもあるし、そろそろと行かなくてはならない。

 立ち上がり伝票を確認する。

 

「アリス先輩」

 

 ふと、桜が私を呼び止める。

 何か?と私が振り向くと、桜が安心させるような笑みを浮かべて、私を見つめていた。

 

「アリス先輩も悩み事があるのなら、私に言ってください。

 何時もお世話になっているんですから、それくらいはお茶の子さいさいなんですよ?」

 

 恐らくは私は堂々とこめかみなんか押さえていたから、心配をかけたのだろう。

 だから私も、努めて自然な笑みを浮かべて安心させるように言う。

 

「百年ほど早いわ、桜。

 まずは自分の事をしっかりなさい」

 

 自分の未熟を棚に上げて、桜を諭す。

 私のことを気にする必要はない。

 自分のことは自分で何とかするから。

 そう言うと、桜は何も言わずに困った笑みを浮かべる。

 

 後輩に心配をかけさせるのは、どうにも忍びなかった。

 だから私に出来ることは、堂々として普段通りにしているだけ。

 それだけで、きっと問題はないはずだから。

 

 そんな考えの元に行動する。

 これは何気ない日常の断片なのだから、桜もきっと直ぐに埋もれて忘れる。

 ただ、最後に笑顔を見せるのだけは忘れずに。

 それが何時もの事なのだから。

 そうして私は桜と別れた。

 

 別れて桜の顔が見えなくなった時にふと気付く。

 私も結構隙だらけなのかもしれない、と。

 桜の前で緩んでしまっていた。

 これではとても達観してるとも言い切れない。

 そんな考えを巡らせると、妙に気恥ずかしくなり、早足気味でコペンハーゲンに向かう。

 まざまざと自分の未熟、そして相手に寄りかかっているのを実感してしまったがために。

 

 

 

「分かった、今日はコペンハーゲンで夕飯を食べるよ」

 

「是非そうして頂戴」

 

 バイトの間を縫って、衛宮くんに藤村先生の事を話すと、二つ返事で即決してくれた。

 簡単に承諾を貰えたあたり、本当に藤村先生の様子はおかしいのだろう。

 

「大丈夫よ、歯車が噛み合ってないだけだから、戻せば元通りになるわ」

 

 困ったような顔をしている衛宮くんに、何とかなる旨を告げる。

 私にできることは、大して無いだろうが出来るだけのことはしておこう。

 

「アリすん、もう休み時間終わりだよ!早く来てー」

 

「衛宮くん、お願いね」

 

 もう一度だけ念を押すようにして、私は仕事に戻る。

 

「マーガトロイド」

 

 声を掛けられる。

 後ろから、立ち去る私に向かって。

 

「ありがとな、助かる」

 

 わざわざ律儀なことだ。

 だからこそ、衛宮くんなのだろうが。

 

「なら、今度からは余計なお世話、とか言う気概くらいは見せてみなさい」

 

 きっと振り向けば、衛宮くんは難しい顔をしているだろう。

 自身の責任と相手の気持ちとの間で。

 ちょっと意地悪が過ぎたかもしれない。

 だから振り向かずに、こう付け足した。

 

「冗談よ、衛宮くんは他人が笑ってなきゃ嫌なのよね」

 

 衛宮くんを観察して、彼の行動原理の原則は大体理解した。

 彼にとって、それが第一の指針。

 それを必死に成し遂げようとする彼は、必死に人形が踊ろうとしているようで、私は優しい気持ちになれるのだ。

 

「いや、今度から自分で出来る限り頑張るよ」

 

 本当に、律儀なことだ。

 私はネコさんの元に向かいながら、衛宮くんの愚直さに深く感心していた。

 

 

 

 

 

「他人が笑ってなきゃ嫌、か」

 

 マーガトロイドが残した言葉、それが妙に引っかかった。

 確かに人が笑っているのを見るのは、気持ちのいいものがある。

 自分がその笑顔に関われているのなら、尚更だ。

 だが、それ以上に思うことがある。

 

「正確には、他人の泣き顔を見たくない、だな」

 

 あの災害から俺が思ったこと。

 それは誰もが、悲しくて泣くことのない世界。

 辛くて、苦しくて、抜け出せない。

 そんな状況を作りたくないだけだ。

 

 だから俺は希う、正義の味方になりたいと。

 そうすれば、あの時の爺さんのように……。

 

「爺さんのように、いつか笑えるのかな」

 

 俺を助けた時の衛宮切嗣の顔。

 何時になったら、あそこまでたどり着けるのか。

 

「はぁ、藤ねぇを迎えに行くか」

 

 それはきっと俺の努力次第。

 それ以上でも、それ以下でもない。

 だから不毛な思考はそこで打ち止めて、餓える虎を迎えに行こう。

 

「それにしても」

 

 マーガトロイドの奴、一体どうする気なんだ。

 あいつの事だから、無理なことは言わないとは思うが。

 彼女が取るであろう手段、恐らくは口車に載せる類のことだろうが。

 まぁ、マーガトロイドのことだから、きっと悪いようにはならないはず。

 そう結論を出して、俺は桜と藤ねぇの待つ屋敷へと向かうことにした。

 

 

 

 

 

 私こと藤村大河は現在、衛宮邸の今にいるであります。

 そして桜ちゃんより、今日のお夕飯の予定を聞いていたのですが。

 

「んー、またネコんところなの?」

 

「はい、アリス先輩がいらっしゃいと言ってたので」

 

「マーガトロイドさんも商売上手よねぇ」

 

 今日は外食、予定はネコから酒を掻払うこと。

 これは確定事項で、拒否は一切認められません!

 ということで、久々にネコと飲み明かそう、お代はネコ持ちで。

 

「あー、でもー、マーガトロイドさんかぁ」

 

「アリス先輩がどうしたんですか?」

 

 桜ちゃんが不思議そうな顔をしているが、明らかにおかしいことがあるのだ。

 

「そうよ、それよ!

 桜ちゃん、マーガトロイドさんのこと、何時から下の名前で呼ぶようになったの?」

 

 何時の間にか、桜ちゃんはアリス先輩、とマーガトロイドさんのことを呼ぶようになっていた。

 あまりに自然だからツッコミ損ねていたのだが、もうここは勢いで突撃あるのみ。

 そういえば、桜ちゃんがアリス先輩と呼ぶようになってから、士郎と付き合い始めたのだ。

 

 そこまで考えてガチリ、と私の中で何かが結合して、そして答えを得た。

 そうか、桜ちゃんに毒りんごを授けたのは、マーガトロイドさんだったんだ!

 お陰で私は、私は!

 

「……という訳です、先生。

 えっと先生、藤村先生、どうしましたか?」

 

「ふふふ、どうもしてないわよ、桜ちゃん」

 

 これは少しばかり教育が必要ね。

 科目は道徳の授業よ。

 

「ただいま~、て、うわっ!?

 藤ねぇが不気味に笑っている。

 桜、何があったんだ?」

 

「分かりません、さっきからずっとこんな調子なんです」

 

「フフ、フフフフフ」

 

 待ってなさい、マーガトロイドさん。

 特別授業のはじまりよ!

 

 

 

「先生、それは逆恨みというものです」

 

 え?

 

「そもそも、付き合うなどは個人の自由意思なのですから、それに介在するのは如何なものでしょうか?」

 

 っぐ

 

「第一に先生は、衛宮君と桜の二人が付き合う事がそんなに嫌ですか?」

 

 ぐはっ!?

 

「もし嫌でないのなら、素直に祝福して差し上げれば宜しいと思われます」

 

 あべし!

 

「うわああぁん!!!

 マーガトロイドさんの鬼!悪魔!魔女!毒りんご!」

 

 マーガトロイドさんが苛める。

 モンスターペアレントならぬ、モンスターチルドレンだよぉ!

 その口をもってして、桜ちゃんを誑かしたのね、今確信したわ。

 でもこんなのに勝てるはずないよぉ!

 

「しろーっ!!マーガトロイドさんは人でなしだよぉ!」

 

「人聞きの悪いことを言わないでくれませんか」

 

 だって事実だもん、マーガトロイドさんが強すぎるんだもん。

 うぅ、まさかこんなに簡単にやられるなんて。

 士郎に抱きつきながら、マーガトロイドさんを睨む。

 抱きつかれた士郎が、グエッとかカエルの潰れるような声を出していたけど気にしない。

 

「藤ねぇ、流石に今回は藤ねぇが理不尽だろ。

 早めに謝った方が絶対に良いぞ」

 

「エミやんの言うとおりだね」

 

「音子め、裏切ったな。このオトコ野郎!」

 

「オトコだけでも許せないのに、野郎までつけてくれちゃって。

 このタイガー!川流しの刑にしてあげるわ」

 

 力を入れて、士郎をギュっとすると、ウボァなんてよく分からない呻き声を出していたが、それも気にしない。

 マーガトロイドさんは後回し。

 今はこの憎っきネコを三味線にしてくれる。

 

 

 

 

 

「嵐のようだったわ」

 

「藤ねぇの周りは、常にあんな感じだって」

 

 藤村先生に抱きしめられて?死にそうになっていた衛宮君は、肩をゴキゴキと慣らしながら溜息をつく。

 だがその渦中にいて、しぶとく生き残っている衛宮君は異能生存体ではないのだろうか?

 所詮は戯言だが、衛宮君にしろ、藤村先生にしろ、そのバイタリティは素直に称賛されてしかるべきだろう。

 

「それにしても藤ねぇの奴、ネコさんに絡みに行ってるけど、あれは大丈夫なのか?」

 

 衛宮君の視線の先には、何時もの如く、仲良く喧嘩する虎と猫の姿があった。

 でも、それは問題ではない。

 むしろそうでなくては困る。

 

「店長、休憩に入ってもよろしいでしょうか?」

 

「ん、良いだろう」

 

 本当はまだ早いのだが、気を利かせてくれた店長の許可を得て、早めの休憩に入る。

 すぐに復帰はする、少しの時間だけ、状況を説くだけなのだから。

 

「さ、衛宮君に桜、少しお話をしましょう」

 

「……俺たちにか」

 

 衛宮君が訝しがるように顔をしかめて、桜は困惑したかのように困り顔をしている。

 そういう状況だから、きっと藤村先生は珍妙な行動をとり始めるようになったのだろう。

 きっと自覚が足りないから。

 大人に甘えるのも程々にすべきなのよ、二人とも。

 

 

 

「二人共、不思議そうな顔をしてるわね」

 

「だって藤ねぇの様子がおかしいから来たのに、何だって俺達と話してるんだ?マーガトロイド」

 

 衛宮くんの言葉に、桜が隣でうんうんと首肯している。

 確かに彼らからすればおかしい事なのだろう。

 だが私からすれば、何ら当然のことをしているだけだった。

 

「藤村先生の今回の件、問題は貴方達にもあるからよ」

 

「どういう……ことですか?」

 

 桜が不安そうに聞いてくる。

 その顔には、何かいけないことをしてしまったのか、そんな不安がありありと示されていた。

 衛宮くんも難しそうな顔をして、黙り込んだ。

 私の言葉で原因を考え始めたのであろう。

 

「貴方達は何時も通り、今まで通りと思っているのかもしれないけど、それでも変わったことはあるでしょう?」

 

 衛宮家の三人は、いつも通りに過ごしていた。

 そのつもりだったのだろう。

 だがそれでも、決定的な齟齬が出てくるのだ、それは。

 

「俺達が、付き合い始めたからなのか?」

 

 何時もだったら照れるであろう言葉を、何の気概もなしに悩めるように言う衛宮くん。

 桜も私の顔を見て、それを確かめんとしている。

 

「そのはずよ」

 

 衛宮くん達からすれば、何時もの日常だったのだろう。

 だが長く共に過ごしてきた藤村先生は、敏感にそれを感じて、そして疎外感を覚えたのだろう。

 何時もの距離感で接しようにも、衛宮くん達の距離が近づけば近づくほど、藤村先生は遠近感が分からなくなってくる。

 だから恐らく、藤村先生は衛宮くん達と一緒の距離に並んで、何時も通りに戻ろうとした。

 だが二人は恋人という、殆ど距離がない状態で有り、姉という立場の藤村先生はどう頑張っても、ある一線から近づけなくなっている。

 藤村先生は何時も存在していた輪の外から、じっとそれを眺めるしか出来なかったのだ。

 

「でもさ、藤ねぇは何時も通り俺たちと一緒にいて、笑ってるんだ。

 居るのが当然で、これからもずっとそうなんじゃないかって思ってる。

 でも、これまでのままじゃ、いけないのか?」

 

「藤村先生は、私が笑顔で居られるようにしてくれました。

 笑えているのが、どれだけ有り難くて、そして救われているのか。

 藤村先生が教えてくれたことです。

 だから先生とはこれまで通りで居たいんです。

 でも……」

 

 強い意志を込めて、桜は衛宮くんを見つめる。

 絡みつく様に、それほど強固に、衛宮くんを強い意志で捕まえているのだ。

 

「先輩と寄り添って、私は前に進むんです。だから!」

 

「分かっているわ、誰も別れろなんて話をしに来たわけじゃないのよ」

 

「承知してます。

 でも必要だと思ったので言いました」

 

 桜は内気なようで、強かさが芯から飛び出して来る時がある。

 そして、その芯の中にしっかりと衛宮くんの事も刻まれているようだ。

 だからこそ、こんな無意識で惚気られる。

 呆れと感心を同時に感じ、そしてそう言う無邪気な無意識化での独占欲が藤村先生を追い詰めて行ったんじゃないか、そうも思えてしまう。

 

「桜、ありがとう。

 嬉しくもあるんだが、それが問題なんだ」

 

 衛宮くんの言葉に、桜は怯んだように下を向く。

 覚悟の表明、それに限りなく近かった桜の決意に衛宮くんはあくまで冷静であった。

 だから面白くもあるのだが。

 

「だからさ、藤ねぇがどうやったら、ギクシャクせずに済むか、一緒に考えよう」

 

 訂正、やっぱり天然の垂らしだった。

 そんなことばかりやってるから、藤村先生もどうすれば良いか分からなくなるのだ。

 ジトっとして目で、茶番を眺めるように2人を睨みつける。

 

「はい、先輩!」

 

 私の視線に、幸か不幸か気付かなかった2人は改めて私の方を向いた。

 一瞬、おかしな物を見る目で見られる。

 どう考えても、純粋な不純さに満ちているのは2人の方なのに。

 藤村先生の気持ちが分かりそうになりながら、少々の溜息を漏らした。

 

「マーガトロイド、今日は助かった。

 大体わかったよ、どうすれば良いのか」

 

「できるかどうかは別でしょうけどね」

 

 皮肉っぽく返してしまうのは、きっとこの桃色な二人だから。

 藤村先生の苦労も分かってしまうだけに、懐疑的な見方をしてしまうのだ。

 

「大丈夫ですよ、アリス先輩」

 

 そんな私に、桜は自信アリげに胸を反らす。

 

「私達も努力しますけれど、でもよく話し合えば、きっと綺麗に収まるはずです」

 

 どこからその根拠は来るのだろうか。

 私には分からない法則から来ているのだろうか。

 考え込む私に、桜は自慢するような口調だった。

 

「だって、藤村先生なんですから」

 

 やはり根拠なんてない楽観論。

 でも、それが出来るのはこれまで積み上げてきた信頼があるからだろう。

 桜の隣で腑に落ちた顔をしている衛宮くんを見て、私は脱力してしまった。

 手間を折ってこの結論は、怒りではなくて呆れしか出てこず、私は休憩を終えると立ち上った。

 

「ま、それでなんとかなるのなら、何とかしてみなさいな」

 

「マーガトロイド、ありがとう。

 おかげで助かった」

 

「アリス先輩、本当にありがとうございました」

 

 やれやれと肩を竦め、私は仕事に戻る。

 あの衛宮くん達と藤村先生。

 結局私が出した結論は一つだった。

 

「姉離れには、相当な時間が必要なようね」

 

 

 

 

 

「うー、もう一杯」

 

「あんたどんだけ飲むのよ、藤村」

 

 音子が呆れたような表情をしている。

 でも、今くらいは飲ませなさいよぉ。

 

「気が晴れるまで飲むわよ!」

 

「あんた代金払えるんでしょうね?」

 

 音子が懐疑的な目を向けてくるが、私もそこは抜かりないのだよ。

 

「大丈夫、音子が払ってくれるわ」

 

「……本人を前にしていうセリフじゃないでしょ、それ」

 

 知らないも~ん、全部が全部……あれ、何が悪いの?

 むー、マーガトロイドさんは悪くないのは分かっているし、士郎と桜ちゃんの件も喜ばしいのも知ってる。

 じゃあ私は何で怒っているんだろ?

 

「あんたさ、寂しいんでしょ。

 エミやん達とどう接すれば良いか分からなくて」

 

 寂しい?何時も一緒にご飯食べたりしてるのに?

 いつも一緒なのに、寂しいはずはない。

 そこまで考えて、ふとした日常のことを思い出す。

 

 士郎が昔から、何かを隠していることは知っている。

 私にはそれを知られたくなさそうだったから、触れていなかったけど。

 でも桜ちゃんは、それを知っているようでもあった。

 時々意味深にアイコンタクトを飛ばし合い、何かを計るようにして頷き合う。

 そして私はそこには入れない。

 

「そうかも、寂しかったのね。音子の癖に鋭い」

 

「そういうあんたは、何時もよりも鈍い」

 

 動物的な嗅覚と食欲、あと鋭さを持っている、みたいなことを零ちゃんに言われたっけ。

 ん?動物?

 

「誰がタイガーよ!」

 

「一言も言ってないわよ、酔いどれ!」

 

「酔っ払ってないもん、まだまだ飲めるも~んだ」

 

「酔いまくってるあんたに飲ます酒は、勿体なくて仕方がないね」

 

「音子に飲ませるお酒の方が、よっぽど可哀想よ。

 あぁ、悲しきかな、人でなし音子に飲まれる酒。

 お酒も飲まれる人くらいは選びたいわよねぇ」

 

 音子の額に青筋が見える。

 怒ってるなぁ、あはは。

 

「とうっ!」

 

 音子が軽い手刀を落としてくる。

 速さはまちまち、音子は怪力野郎だから当たったら痛いに決まっている。

 

「遅いわよっと!」

 

 だから避けるに決まっている。

 体を逸らす形でいなし、逆に脛を軽くけってやった。

 

「痛っ、酔ってるからいけると思ったけど。

 腐っても冬木の虎なのね、あんた」

 

 涙目の猫が悔しそうにそう漏らす。

 ふふん、どんなもんよ!

 

「音子、負けたんだから、今日の勘定はよろしく!」

 

「クソ、仕方がないわね」

 

 やた、飲み放題だ。

 グビグビと飲みまくってやろう。

 

「おやっさ~ん、ビール追加で!」

 

「程々にしてよ、ほんとに」

 

 大丈夫よ。加減は分かってるから、許容範囲ギリギリまで搾り取ってあげるわ。

 

「でさ、あんた、弟離れは出来そうなの?」

 

 運ばれてきたビールに口をつけていると、音子が本道に話を戻す。

 ビールをゴクゴクと飲んで、その勢いで私は口を軽くする。

 

「出来るとかそういうのじゃなくて、家族は常に一緒なものよ」

 

 だって切嗣さんに頼まれたんだもん。

 士郎とは家族のように接してやってくれって。

 そして士郎はもう私の家族なんだもん、離れられるわけがない。

 家族を一番大事にしていた切嗣さんの意思、私が引き継ぐって決めたんだから。

 

「あっそ、じゃあせめておかしな態度を取るのはやめなさい。

 お陰でエミやん達が不安がっているわ」

 

 おかしな態度?私そんなの取ったっけ?

 うーん、考えてみれば、最近あまり私らしくなかったような。

 置いてかれるような気がして、士郎や桜ちゃんにベタベタしていた気がする。

 

 でもそっか。

 私らしくないだけで、士郎も桜ちゃんも心配してくれてたんだ。

 ちゃんと、家族の位置には私は居れてるんだ。

 

「士郎も桜ちゃんも良い子に育ったねぇ」

 

「反面教師がいたからかも」

 

 しみじみと呟いた私に、音子が余計な茶々を入れてくる。

 もぅ、と私は口を尖らせる、がそれ以上は何もしなかった。

 音子の口車に乗っては、きっと気分が殺がれるだろうから。

 

「このお酒が飲み終わったら、何時も通りに戻るとしますか」

 

 自分に言い聞かせるように宣言する。

 そして私はこのお酒をちびちびと飲む。

 気持ちの整理をつけるほんの少しの時間を得るために。

 

「ま、こんなところかね」

 

 音子が何かを納得した様に言い、どっかにウィンクを飛ばした。

 その先にはマーガトロイドさん。

 マーガトロイドさんも、微笑を浮かべながら音子に軽く手を振っている。

 点と点が線として繋がった。

 

「謀ったな、音子~」

 

「貸しが一つ、ね」

 

 恨みがましい私の声は、音子の調子に乗った声の前に胡散する事になってしまっていた。

 神様、こいつをしばいて下さい。

 もし、しばかれないのでありましたら、私に朝駆けでこいつをしばく権利をください。

 

 

 

「ネコさん、お疲れ様でした」

 

「アリすんこそ、忙しい時間に私が抜けちゃってごめんね」

 

「いえ、元々は私が提案したことですから」

 

 あの後、藤村先生は唐突に「ふっかーーーつ!!!」と叫んで、奇行を始めた。

 近くの席に座ってたおじさんに「ちょっとお腹へっちゃったなぁ。あ、そうだ!おじさん焼き鳥一個頂戴!」と言って、略奪していったり(そのおじさんは笑っていたから問題はない……はず)、唐突にcongratulation!(やったわ!)と叫びだしたり、そして終いには「士郎の料理が食べたい~」何て言って、衛宮家一家は嵐のごとく去っていったのだ。

 

「あれは元に戻ろうと反動が出ているだけさ。ほっときゃもどるよ」

 

 ネコさんはそう断じていた。

 長い付き合いなのだ、きっとそうなるのだろう。

 

「でも、衛宮くん達の姉離れは当面のところ、先になりそうですが」

 

「藤村だってそうさ、時間が覚悟を用意してくれるだろうけど、今すぐは無理だねありゃ」

 

 家族が揃ってベッタベタ。

 それは少し……。

 

「羨ましいのかい?アリすん」

 

 ニヤニヤしているネコさんに、何時も通りの表情で私は対応する。

 

「私の場合は特には」

 

 私は問題ないのだ、だってその為の――なのだから。

 

「ありゃ、ちょっと憂い顔のアリすんは可愛かったのになぁ。

 すぐに何時ものお澄まし顔に戻っちゃった」

 

 つらなさそうにネコさんが言っている。

 だけれども気にしない、気にする必用はないのだ。

 

「余計なお世話です、ネコさん」

 

「怒ってるアリすんも可愛いなぁ。

 今日は色々なアリすんが見られて良い日だね……藤村に巻き上げられたこと以外」

 

 私を弄ることで、現実逃避をしていたネコさんだが、自分で思い出してしまい自爆。

 虚ろ気味な目に、合掌するのが今私にできる唯一のことだった。

 

 

 

 

 

「藤ねぇ、ごめんな」

 

「私からもごめんなさい」

 

 士郎と桜ちゃんが私に頭を下げている。

 あはは、私が変だった理由が見透かされちゃってる、何だか恥ずかしいな。

 

「謝ることなんてないのだよ、二人共」

 

 言い回しに教師を意識してみる。

 学校の先生のようにだ。

 だって素面だと言いづらいから。

 ん?酒飲みまくっていたって?

 良いのよ、ネコのお金で飲んだんだから、あれはお酒のうちに入らないわ。

 

「二人は新しいステージに登っただけなの。

 私たちの関係は変わらない、貴方達2人が少しずつ変わってるだけなの」

 

 二人の距離が近づいたからって、私との関係は変わらなかったのに。

 私はヤキモチ焼いちゃって、勘違いしちゃったから。

 

「だから士郎、桜ちゃん。

 精一杯青春をしなさい。

 これから先も輝いていられるように」

 

 認めよう、士郎も桜ちゃんも、大人になってきていると。

 

「藤ねぇ……俺」

 

「藤村先生……」

 

 まだ何か言いたそうな二人。

 でもその必要はないの。

 だって、

 

「私は藤村大河、貴方達の家族にしてお姉ちゃん。

 それだけ分かってたら良いのよ、もう」

 

 そうよね、士郎、桜ちゃん。

 

 私の思いは通じたのか、士郎も桜ちゃんも破顔する。

 きっと私の顔も、同じようになってる。

 

「早く帰りましょ、士郎、桜ちゃん、美味しいもの作ってね!」

 

「しょうがないなぁ、藤ねぇは」

 

「そうですねぇ、れんこんやごぼうが余ってましたし、きんぴらごぼうでも作りましょうか」

 

 和気藹々、何時も通りの光景。

 もう大丈夫、みんなみんな元通り。

 

 ねぇ、切嗣さん、見えてますか?

 士郎は元気にやってますよ。

 可愛い可愛い、恋人ちゃんを見つけて。

 私は今、幸せです。

 だから、士郎にもそれが分かっているよね?

 桜ちゃんも、暖かいよね?

 うん、きっと伝わってる。

 家族の幸福は共有出来てる。

 士郎は優しい顔をしてるし、桜ちゃんは笑ってる。

 

 だから安心して下さい、切嗣さん。

 私は二人がこのままでいてくれるなら、ずっとこの輪を守っていきますから。

 だから、優しく見守っていてくださいね。

 

 夜の帳が下がった暗い世界。

 幾つか見える星の中に、切嗣さんがどこにいるか探しながら。

 私は今と、そしてこれからのことを、憧れだった人に伝えたのだった。




 はい、冬木の虎こと藤村大河姉さんの回でした。
 最初のギャグチックなノリがどっかに旅立ってしまって、何時の間にかシリアスになっていました。
 ずっと、ギャグのノリで行くつもりだったのに、不覚です。


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第11話 詠鳥庵へようこそ

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 穂群原学園1年にはマドンナとか呼ばれてる奴が二人ほどいる。

 1人目は遠坂凛。

 成績優秀で人当たりも良く、そして何より美人だ。

 品の良さもあってか、各クラスで男女問わず大人気の人物である。

 ただし……あれは皮だけ厚い、化け猫だと私は確信してる。

 だってさ、時たまあいつ目が鋭くなったりするし、笑えば笑っているほど怖さが増していくんだもん。

 私が100円玉を落っことした遠坂が、素早くそれを拾ってほっとため息を付いているのを見て、「守銭奴か」って思わず呟いた時、あいつは笑っていたけど、殺すわよ?と言わんばかりの気迫を感じた。

 正直背筋が寒くなったね。

 だけれど何かゴージャスな気分にさせてくれる面白物件だから、私は豹の如く遠坂に狙いをつけてる。

 ついでにギャフンと言わせてみたかったりするけど、それは閑話休題と言う奴さ。

 あ、因みに遠坂と私は同じクラスね。

 

 

 さて2人目、アリス・マーガトロイド。

 コイツも中々独特の雰囲気を持ち合わせていやがる奴だ。

 外国人だって理由もあるかもだけれど、それだけじゃない妙な感じがする。

 それが何かって聞かれると、分かんないけど。

 だけど、こいつについてはあんまし知らない。

 クラスが違うのもあるけど、それ以前にあまり話を聞かない。

 遠坂と違って、そんなに社交的ではないらしいのだ。

 入学当時に、間桐とやりあったって話はちょっと笑ったけど。

 そんなマーガトロイド……もう長いからマガトロでいいや。

 マガトロは遠目から見ると、本当に人形のような奴で、生きてんのか?と思ってしまう。

 喋ってんだし、動いてるから生きてはいるんだろうけど。

 

 

 二人共、美人で成績優秀なところ以外、似ているところはないように見えるが、同じマドンナと呼ばれているのは、確固たる強烈な存在感があってのこと。

 何時かこいつらを降して、穂群原学園にこの私、蒔寺楓ここにあり!て知らしめてやりたい、穂群の黒豹の渾名と共に。

 

 まあ、そんなことはさて置いてだ。

 私が何故そんな話をしていたかなのだが。

 それには分かりやすい理由がある。

 

「えい、どり……あん?」

 

「エイドリアン言うなーー!!

 詠鳥庵(えいちょうあん)だ、ドアホォーーー!!!」

 

「あら、蒔寺さん。こんにちわ」

 

 私ん家を巫山戯た名前で呼んだ奴。

 今気が付いたように振り返り、何事もなかったかの様に挨拶しているツラの厚い美人。

 

「マガトロ……」

 

「は?マガトロ?何よそれ」

 

「あ、ヤベッ」

 

 意味不明そうに小首を傾げている、金髪のモロ外国産の美少女。

 マガトロこと、アリス・マーガトロイド。

 こいつが私の家の前に立っていたのだ。

 疑念に満ちた視線を浴びせられて私に出来たことは、同じく胡散臭いものを見るような視線を返すことだった。

 何でウチのところにいんだよお前!みたいな。

 背中の冷や汗が止まらなかったのは、まぁ、暑かったからだろう。

 決してビビっていたわけではない!

 

 

 

 

 

 最近の私は、一つばかりやりたいことがあった。

 それは日本に来てから、やりたくなったことである。

 

「はぁ?雛人形が作りたい?」

 

「えぇ、折角日本にいるんですもの。

 日本特有の人形を作ってみたくなったのよ」

 

 凛のまた訳の分からないことを、何て無礼な視線に晒されながら私は目的を話す。

 私は旅行に出かけるたびに、その国で着想を得た人形などを制作していたりする。

 フランス、イギリス、ロシア。

 それぞれの国を見て回り、帰国後に人形を制作したのだ。

 そして日本、今回は留学という形でやってきたので、十分に時間はある。

 なので取り立てて焦ってはいなかった。

 だから凝った雛人形を作ってみようと画策したのだ。

 

「でもね、手頃な雛人形が転がっていないのよ」

 

「そりゃね、後生必要な日以外は、大切に仕舞っておく物だもの」

 

「この家にはないの?」

 

 尋ねた私に、凛は何とも言えない複雑な表情を浮かべる。

 

「……雛祭りなんて、する暇なかったわよ」

 

 悲しい、でも寂しい、でもない表情。

 あえて例えるならば虚しい、であった。

 それも何かを思い出すように、どこかに思いを馳せながらである。

 

「そう、なら来年にでもしてみましょうか?」

 

「はぁ?どうしてそうなるのよ!」

 

「女の子のお祭りなんでしょ?なら参加しても罰は当たらないわよ」

 

 あの表情はきっと、届かないものに手が伸ばせないから浮かべていたもの。

 なら手が届くと教えてあげれば良いのだ。

 

「この年になって、恥ずかしくないの?」

 

「そうかしら、私はしてみたいけどね」

 

 別に乗らないならそれで良い。

 無理強いしてまで、敢行するものでないから。

 

「しょ、しょうがないわね。

 そこまで言うんだったら、やってあげるわよ」

 

 でも、ほら。

 ちゃんと乗ってきた。

 つまりはそういうこと。

 

「2人じゃ侘しいわ。

 他に誰か呼んでみる?」

 

「あら、あんたにそんな宛があるなんて知らなかったわ」

 

 冗談めかして笑う凛。

 だから私も冗談めかして対応しよう。

 

「じゃあ、桜に衛宮くんごと呼びましょうか」

 

 あの二人のことだ。

 雛祭りも、華やかな桃色に染めてくれるだろう

 そんな私の意図を持った一種のジョークに、凛は笑顔でなく動揺した顔で迎えてくれた。

 

「何よ、間桐の家の子は盟約で近付けてはいけないのよ」

 

「分かっているわ、冗談よ」

 

 普段は冗談が分かるはずの凛は、桜のことになると、それが通じなくなる。

 それほどに距離を置きたいのか。

 だがそれにしては、凛は桜のことを気にかけている。

 

 複雑だ。

 この糸は解けるのだろうか、解いてしまっても良いものだろうか。

 まだ、情報が足りない。

 

「そんなことより、アリス。

 あんたは雛人形が作りたいのよね?」

 

「その通りよ。

 何か宛があるの?」

 

 動揺を桜の話題から離れることで抑えた凛は、私の問いに思案する。

 そして、思いついたようにこういったのだ。

 

「雛人形じゃないけど、着物を扱っている店は知ってるわ」

 

 まずは形から入る場合もあるだろう。

 そうね、良いかもしれない。

 

「店の場所、教えてもらえるかしら?」

 

「その店はね、蒔寺さんって人の実家なのよ」

 

 あぁ、三人組で行動しているあの人か。

 騒ぎ立てるのが好きで、声がデカイからよく目立っていた人物。

 蒔寺楓、確か陸上部に入っていると聞いた覚えがある。

 

「で、そこの古っぽいけど、老舗感漂っている店がそれなのよ。大体分かった?」

 

「えぇ、ありがとう。

 では、行くことにするわ」

 

 凛は厄介者を追い払うがごとく、シッシと手を払う。

 それを特に気にもせずに、私もサッサと出かけてしまった。

 

 

 そして今現在。

 

 

 何だか、良く分からないことになっている。

 蒔寺さんと睨めっこ。

 どちらも笑わないのだから、永遠に終わりそうにない不毛感。

 そもそもマガトロとは何なのだろうか。

 様々な疑問や、困惑を感じずにはいられない。

 

「これ!お前ら、そこを退かんか!営業妨害だぞ!!

 ぶるぅあぁあぁあああああっ!!」

 

 それを打ち破ったのは第三者。

 恐らくはこの店の主人であろう人であった。

 

「っげ、オヤジ」

 

「何が、っげ、だ!

 この大馬鹿者がァ!」

 

 顔を顰めている蒔寺さんは首根っこを掴まれてグエッ、何て女の子にあるまじき呻き声を上げている。

 そして蒔寺さんのお父さんは、私も睨みつける。

 店先で騒いでいたというのは、蒔寺さんと同罪なのだから至極当然だろう。

 古くからの職人気質の人であろうし、大体の人には平等なはずだから。

 

「店先で騒いでしまい、申し訳ありませんでした」

 

 なので素直に謝ってしまおう。

 自分も悪いのは確定しているのだから、早めに頭を下げたほうが傷は浅くて済む。

 

「あぁ、気を付けろ、金髪の小娘」

 

 そのお陰か、あっさりと許してもらえた。

 そして私は即座に提案する。

 

「では申し訳ありませんが、お店を見学してもよろしいでしょうか?」

 

「何?」

 

 ギロっとした目で見られるが、私は構わずに続ける。

 

「和服というものがどんな服か、近くで見てみたかったんです」

 

 新しい人形を作るための和服。

 でも和服自体に興味はないかと問われれば、否である。

 着せる人形の服なのだ、きっちりと選定はしておきたい。

 

「……マイペースな奴だ」

 

 それだけ言うと、蒔寺さんを引っ張って彼は店に入ってしまった。

 恐らくは好きにしろ、ということだろう。

 そうでないのなら、明確に駄目だというタイプの人間であろうから。

 

「おじゃまします」

 

 一言いてから、店に入る。

 そして店の中身を見て、ほぅ、と感心する。

 品の良い調度品やら、丁寧に行き届いた掃除。

 そして購買欲を唆られるように配置された、艶やかな着物。

 計算され尽くしていて、正に芸術とも呼べる空間がそこにはあった。

 

「邪魔するなら帰れ」

 

 そして残念な娘が一人ばかり、その空間に紛れ込んでいた。

 

「蒔寺さん、他人の家に上がらせてもらう時はそう言うのが、日本の礼儀でしょう?」

 

「日本の礼儀ではあっても、私ん家の礼儀とは限らないだろう?」

 

「そうなの、日本人」

 

 屁理屈が得意なことだ。

 そして、ヘヘンと胸を逸らしている蒔寺さんに後ろから急速に迫るものがあった。

 店主の鉄拳である。

 

「ぎゃあぁ!?」

 

「馬鹿者が」

 

 容赦なく振り下ろされたそれ、戸惑いのなさに親の愛を感じさせる一撃だ。

 鉄拳により、蒔寺さんは前のめりに倒れることになる。

 その倒れた姿に、何故かヤムチャと言う単語が頭に過ぎった。

 意味は良く分からないけれど。

 

「痛い、痛い、ツングースカ大爆発と同じくらい痛いっ~!」

 

「楓、お前がこの娘に着物が何か教えてやれ」

 

 そして店主は、近くの椅子にドカッと座って動かなくなった。

 客がいつ来るかわからないから、そこで待機しておくつもりなのだろう。

 

「よろしくね、蒔寺さん」

 

 私が手を差し出して、転けていた蒔寺さんを起こす。

 立ち上がった彼女は、私を睨むようにしている。

 

「お前、三国志で軍師だったら、賈詡とかそんなんだな」

 

「あら、悪くないじゃないの?」

 

「能力は高いし、そつが無くて面白くないって話さ」

 

 結構な言われようである。

 

「なら貴女はどんな人物なの?」

 

 蒔寺さんは、自身をどう判断しているかは聞いて見たい。

 

「私?私は陳宮だな。

 穂群の陳宮、うん、何だか健気だ!」

 

 満足気に頷いている蒔寺さん。

 陳宮好きなのかしら?

 私としては審配、演技を入れていいのなら孟獲だと思うのだけれど。

 

「じゃあ、呂布は誰なんだろ……。

 うーん、遠坂とかかな?」

 

 でも楽しそうな蒔寺さんを邪魔するのは気が引けるし、何も言わないでおこう。

 

 因みに彼女の友達の氷室さんという人は郭図、もしくは朶思大王という印象がある。

 どうにも空回りしている雰囲気があるのだ。

 

「って、そんな事はどうでも良いんだよ!

 そんなことより、お前、どうして和服何かに興味を持ったんだ?」

 

 もう一人セットの三枝さんのことについて、考察してみようかと思っているところに疑問を投げられる。

 蒔寺さんの目は、明らかに似合わないと語っている。

 私も自分に和服が似合うとは思っていない。

 

「人形に着せてみたいのよ」

 

「は?人形?」

 

「そう、人形」

 

 私がそう言うと、彼女はやっぱり変なものを見る目で私を見てくる。

 

「えーと、要するに雛人形をリカちゃん人形にでもするのか?

 ガチのフランス人形に着せたりするんじゃないよな」

 

「勿論、雛人形よ。

 似合わないのに、無理に着せたら人形が可哀想でしょ?

 それと最初から手作りで、人形は作ってるわよ。

 市販のも嫌いじゃないけど、みんな持ってると考えるとどうしても、ね」

 

「独占欲の高い人形フェチ!?

 お前、やっぱり」

 

「待ちなさい」

 

 不名誉な称号は止してもらいたい。

 まるでそれでは、私が変態のようではないか。

 

「私は人形が大好きなだけよ。

 女子は大抵、人形とか好きでしょう?

 私はそれに輪をかけて、造詣が深いだけよ」

 

 引き気味の蒔寺さんに、強く警告するように私の在り方を伝える。

 女の子の嗜みに過ぎない人形好きに、ケチをつけられるのは納得がいかない。

 

 声を荒げた私に、蒔寺さんの意外そうな顔が向けられていた。

 それに気付くと、急に恥ずかしくなってくる。

 何を大人げなく怒っていたのだろうか。

 

「ごめんなさい」

 

「いや、気にしてないっつーか、意外に感じるわ」

 

 目が真ん丸になっている蒔寺さん。

 そんなに私が怒ったことがおかしく感じたのだろうか?

 

「お前、あんまり怒らなそう、ていうか感情的にならなさそう」

 

「私だって人間ですもの。

 怒りもするし、笑ったりもするわよ」

 

「そっか、そりゃそうだよな」

 

 あー、と蒔寺さんは手のひらをポン、と叩いて納得を示していた。

 

「お前、何考えてるかわからなくて不気味だったけど、少しくらいは分かったわ。

 取り敢えずは極度の人形好き、と」

 

 警戒されていたのは、そういう理由か。

 腹が全く見えない人間と、ずっと一緒に居られるかと言われればそれは否であろう。

 蒔寺さんは感情豊かであるから、信頼を勝ち取りやすかったりするんだろう。

 

「貴女は分かり易いわね」

 

「あ、今馬鹿にしなかったか?」

 

「むしろ褒めているのよ」

 

「え、マジか」

 

 うへへ、何て笑いを漏らしている蒔寺さんに店主が威圧するように視線を送っている。

 このままここに居ると、また鉄拳が飛んでくるだろう。

 

「蒔寺さん、奥の方でゆっくりお話とか出来ないかしら?」

 

「あ、そう言えば和服の構造とか知りたいんだっけ?

 オヤジ、奥へ連れてって良いか」

 

「あまり荒らすなよ」

 

「あいよ~」

 

「失礼します」

 

 起伏がない店主の声を背に、蒔寺さんに先導される形で奥に入らせてもらう。

 店の中は迷路のように通路があるが、彼女は迷う素振りもなく奥の方へと進んでいく。

 

「想像以上に広いものね」

 

「一応老舗だからな。

 ま、だから古くもあるんだけど」

 

 所々剥げていて年月を感じさせる木製の壁を、さらりと撫ぜた蒔寺さん。

 労わる様に優しく、今まで溜め込まれた記憶を慰撫するように。

 思い入れと愛おしさが籠った優しい手が、そこにあった。

 

「好きなのね、このお店」

 

「長年自分の家なんだ、嫌いな奴は嫌な思い出がある奴だけさ」

 

 つまりはこの家は相応の思い入れがあり、居心地が良いということ。

 一般人らしい愛着の持ち方だ。

 魔術師ならば、自らの住処が工房なので、このように安らぎを得られる空間を得られない。

 思い出は積もることはあっても、どうしても一線を引いてしまう。

 

「大事にしていることで」

 

「留学してくるほど身軽な奴には、分からんかね」

 

「さて、どうでしょうね」

 

 もし魔術師が工房を好きになるなら、それはきっと。

 衛宮君みたいな環境にある時だろう。

 誰も一人では、どんな家でも好きには成りきれない。

 

「よっし、ここだ!」

 

 通されたのは、広い居間だった。

 畳が広く敷かれていて、その馴染んだ匂いが充満していた。

 

「じゃあ、ここで少し待ってろ」

 

 慌ただしくその場を後にする蒔寺さん。

 下準備も色々必要なのが、服飾の世界。

 それなのに面倒くさがらずに用意してくれるとは、有難い話である。

 

 だけれど蒔寺さんが居なくなり、一人になったのを誤魔化すように、部屋をぐるっと見回す。

 この部屋には、中央に長テーブルが存在して、年月に晒されているのか古びている。

 だけれどよく手入れされていて、とても丁寧に使われているのが目に見えてわかる。

 テーブルの傷をなぞると、このテーブル、そして家の軌跡が感じられて感慨が湧いてくる。

 店先で見た着物の数々は、この家の歴史と共に成熟して来た物。

 先達が残した物を、私も触れられると思うと、気分が高揚するのを感じずにはいられない。

 

「色々と持ってきたぞ、泣いて感謝しろよ!」

 

「ありがとう。まずはそこからね」

 

 蒔寺さんが裁縫道具や布に加えて、巻かれている紙を幾つか持ってきてた。

 その紙は基礎となる設計図である型紙。

 それを見てから、肝心の和服の方に取り掛かろうというのだろう。

 ガワだけ作るのでは駄目、中身もしっかり整えろ。

 そういうことなのだろう。

 あと、泣くことはない。

 

「これが骨格だからな。

 ちゃんとした作りにするのに、これを疎かにすると絶対どっかで事故る。

 保証してやるよ」

 

 ここまで言うということは、過去にどっかで失敗した香りがする。

 折角教えてもらうのだから、蒔寺さんの面子は潰さないではおくが。

 

「お前、裁縫の経験は?」

 

「洋服なら作った経験はあるわ。

 でも主にやっていたのは、人形作りね」

 

 人形、のところで蒔寺さんがピクっと反応した。

 そしてやはりおかしなモノを見る目で、私を見るのだ。

 

「お前の目、服作る時のオヤジと一緒の目をしてるな」

 

「それは光栄とでも取ればいいのかしら?」

 

 要するに職人の目であろう。

 私としても人形作成時は心血を注いでいるので、その言葉はやはり褒められているのと同義であった。

 

「そうだけどさ、でも学生でその目はやっぱ変だ」

 

 うーん、と人差し指で、頭をコンコンと叩く蒔寺さん。

 どうにも彼女は鋭いところがある。

 天性の勘、と呼べるもの。

 藤村先生が見せるものと同種の、動物的なもの。

 それは一体どこから来るのか、疑問が尽きない。

 

「本当に入れ込めるのなら出来るものよ」

 

「変態」

 

 ……随分と直接的な表現だ。

 

「なら私と同じ目をしている貴方のお父さんも、同じ穴の狢になってしまうけど?」

 

「服作ってる時のオヤジも、十分変態なんだよ」

 

 自身の親を躊躇なく変態扱いした、蒔寺さん。

 その精神的勇敢さ、それに敬意を評そう。

 それと共に、何故よく殴られているのか分かってしまった。

 ここまでぬけぬけと物が言えるなら、父としても容赦はする必要は無いであろう。

 

「遺憾ね」

 

「否定できてない。

 実は自覚あんだろ、お前」

 

 キシシ、と笑いを堪えきれずに漏らしている蒔寺さん。

 そして私は恐らく無表情だろう。

 

「怒らない怒らない。

 カルシウム足りているか?」

 

 どうやら無自覚で煽るテクニックも、持ち合わせているらしい。

 

「十二分にね」

 

 蒔寺さんにも、ミルクを大量に飲ませてあげようかしら。

 

「あれ?マガトロから殺気を感じる。

 どっかで似たようなことがあったような?」

 

 さあ、どこででしょうね。

 

「やばい、私の中の本能が生命危機を感じている!?」

 

 気のせいよ。

 

「貴方が利用価値のある内は大丈夫よ」

 

「嫌だぁ、死にたくないぃーーーーー!」

 

 何をそんなに怯えているのだろう?

 冗談に決まっているのに。

 

「怯えすぎよ」

 

「お前鏡見てこいよ!

 魔女が仇を毒殺しようとしてる顔になっているから!!」

 

「怖いわね」

 

「何他人事のように、流そうとしてんだ!?」

 

 ちょっと煩い。

 あまり騒がないで欲しい。

 

「落ち着きなさい」

 

「落ち着いた瞬間、お前に狩られる様な気がする」

 

「これから学ぶのに、そんなことはしないわよ」

 

 ホントにホントだろうな?て念押しして聞いてくる。

 本当に芸人魂に富んでいる、つまりは。

 

「前振り?」

 

「違わい!」

 

 ガルル、と威嚇している蒔寺さんに私は溜飲を下げることに成功する。

 彼女は口が過ぎると、禍を呼ぶと学んだほうが良い。

 

「ま、茶番はここまでにしましょう」

 

「お前、本当にマイペースだよな……」

 

 草臥れ気味の蒔寺さん。

 弄られると、存外に脆い。

 

「で、お前はどんなやつを作りたいんだ?」

 

 心機一転。

 調子を取り戻そうとしているのか、蒔寺さんは気合の入った声を出す。

 精神再建の早いことが、蒔寺さんの強みであろう。

 

「そうね、出来れば華やかな子が作りたいのだけれど」

 

 その国の特徴がにじみ出ているような、明確な分かりやすさ。

 今持っている子達に負けないくらい、目立っている方が良い。

 

「なら十二単とかそんなのか」

 

 蒔寺さんは数ある型紙の中の一枚を、テーブルに広げる。

 裾の長さや、複雑な構造がそこには記されていた。

 

「へぇ、こういう作りになっているのね」

 

 幾つか衣を重ねる構造で、グラデーションのように色を変えていくことで雅さを増幅させていく。

 古くから存在するが故に、研究され尽くされた完成系がそこにはあった。

 

「よく見れるよな。

 私なんて、初めて見たときは頭痛と吐き気を催したのに」

 

「慣れてるからよ」

 

 早速、近くにあった布を手に取り、人形用の大きさに整えていく。

 十二単、構造は難しいものだが、存外何とかなりそうだ。

 

「どんなの作ってんだ、普段?」

 

 私の私の製作しているモノに、興味を持ったように尋ねてくる蒔寺さん。

 どんなもの、か。

 人形では簡素なエプロン型の子をよく作るのだが。

 服となると……。

 

「ゴスロリね」

 

「少女趣味?」

 

「美徳でしょ」

 

 うへぇ、と失礼なうめき声を上げる蒔寺さん。

 一体何がいけないというのだろうか?

 

「人形好きにゴスロリ。

 それもお前が言うのなら、本当に絵本の中の住人のように感じるんだよ」

 

 地に足がついていないように感じるのか。

 それが彼女の言う、お前はよくわからない。

 そんな不気味さに繋がっているのかもしれない。

 行き過ぎると、異常に見え、それが悪徳に見えてしまうということか。

 

「あなたもこっちの世界に来る?」

 

 冗談交じりにそう言うと、全力で蒔寺さんは首を横に振っている。

 どれだけ嫌なのだろうか。

 

「染め上げられそうな気がして、怖いんだよ」

 

「あら、リンゴは如何?」

 

「毒入りだって分かっていて、手を出すはずないだろ!」

 

 普通の人に異常は毒だろう。

 ただ、別の人にとっては、その毒の甘味がとても甘美に感じる者も居る。

 すぐに食傷になるであろうが。

 

「残念ね」

 

「むしろ嬉しそうにしてるぞ、お前」

 

「悪い?」

 

 普通のままで終わる方が、幸せだと思う。

 普通の範囲が、人にとって本当は幸せなんだから

 彼女は普段は刹那的に生きているように見えて、鋭い直感を兼ね備えている。

 それは彼女にとって大切な財産であり、これからも彼女を導く鍵になるであろう。

 

「っは、まさか!?

 嫌がる私に、無理やり食わせる気だろ!

 同人誌みたいに!!」

 

 ……深読みが過ぎたようね。

 考えてものを喋っているのか、怪しいところだ。

 それでいつも楽しそうなのだから、彼女としては幸せなのだろうが。

 彼女に必要なのは、知恵の実なのかもしれない。

 

「ん、大体できたわ」

 

 グダグダの内に縫い上げた物が、私の手の中で完成した。

 人形用の十二単、それの予行演習とも言える作品がである。

 糸が見えないように気をつけながら縫い、幾重にも重ねた重圧な様相。

 布こそは無地の色だから、本番では別の物を用意しなければならないが。

 程度は知れるが、体裁は整えることに成功していた。

 

「……結局、私は型紙を提供しただけじゃん」

 

 ひくわー、と遠い目をしている蒔寺さん。

 私も人並より器用であると自覚はある。

 だがそれは、あくまで人の範囲での中で、だ。

 逸脱はしてないと、自覚している。

 

「成せば成るものよ」

 

 凡庸と非凡の間にある格差は、成長速度の違いである。

 凡人と才人が同じだけ修練を積んで、そして敵わないから凡人は諦めるのだ。

 だが普通の何十、何百、時には何千倍も努力して天才の隣に並ぶ凡人もいる。

 故に、両者の隔たりは時間の差だけである。

 

「それにね、蒔寺さん」

 

「何だよ」

 

 私達が今している事、それは服を作ることである。

 

「服はね、最初から完全ではないの。

 特にこれはね」

 

 手元に持っている、出来上がったばかりの十二単モドキ。

 それは形は保つことはできていて、設計図通りに作られていはいるが、それでも手直ししなければならないところは多い。

 

 点数を付けるならば70点。

 この店に並んでいる95点以上の作品と比べれば、雲泥の差である。

 

「店主はどのくらい、自分の作品を手直ししてるのかしら?」

 

「……一週間かけて、何度も何度も、針を入れてる」

 

 蒔寺さんが言うように、店主は何度も手を入れ直しているのだろう。

 服は作られた時、完成はしているが完璧ではないのだ。

 それは完璧に近づけるには、少しずつ、少しずつ、手を入れていく他に道はない。

 丁寧に微調整して、1mmの妥協も許されない世界。

 僅かな狂いが全てを台無しにする綱渡りに、常に挑戦しなければならない。

 

「服飾で才能が必要なのはデザインだけよ。

 あとの分野は、技術の独壇場。

 ひたすらに繰り返した経験が生きるわ」

 

 この世界は努力をした者勝ち、才能という怠惰に身を任せるわけには行かない領域なのだ。

 

「分かってるって、そんなこと」

 

 何かを訴えるように、蒔寺さんは私を見る。

 それは苛立ち、または寂寥感。

 それがきっと、彼女が伝えたいもの。

 

「たださ、私とオヤジじゃタイプが違うんだよ。

 そうだな、店に入った時に見た光景。

 どう思った?」

 

 入店した時、感じたのは華やかさと緻密さ。

 計算され尽くされているはずなのに、打算など考えられない程に艶やかな場所。

 単なる服を売る場所ではなかった。

 あれは正に、呉服屋と呼ばれるに相応しい空間であったのだ。

 

「素晴らしいの一言ね。

 凡庸ができる範囲ではないわ」

 

「だろ?でもあれを考えたの、オヤジじゃないんだよな」

 

 ここまで言われて分からない程、私は愚鈍ではない。

 だけれども、それは新たな驚きを持って私に飛び込んできた。

 

「貴方がやったというの?」

 

 万事、細かいことなど放り投げるタチだと思っていた。

 それなのに、あの空間を作り上げたのが蒔寺さんだったとは。

 

「私は発想するだけ。

 アレを作り上げたのはオヤジだよ。

 私は好きなことしか集中力が続かないし」

 

 そうか、そうだったのか。

 蒔寺さんは天才(デザイン)側の人間。

 職人では無かったということか。

 

「見誤っていたわ、蒔寺さん」

 

「元気百倍!明日へ向かって全速前進!!てのが普段の私だからな。

 でも私だって良家の娘だって話なだけ。

 家の堅苦しいのも嫌いじゃないけど、ずっとそれじゃ疲れるしな」

 

 誰だって、自分の得意とするものを遣りたいと思うのは、当たり前のこと。

 それに才能があるというのなら、尚更だ。

 

 でも蒔寺さんは、和服の制作にも精通している。

 もっと好きなことはあるはずなのに、平均以上に知識まであるのだ。

 それは何故か?

 それを考えると、蒔寺楓の人物像が掴めてきた。

 

「でも、その疲れるものが良く馴染んでいるわ。

 きっと和服も着れば似合うと思うわ」

 

「お、お前、急になんだよ。

 褒めても高笑いくらいしかでねぇぞ」

 

 訝しげるように、私を怪訝に見ている蒔寺さん。

 そんな彼女に私は、眩しそうに笑いかける。

 だって、珍しいくらいの孝行娘だったから。

 

「貴方、お父さんが大好きでしょう?」

 

「っは?急に何言ってんだよ!?

 私をからかってんのか!」

 

「いえ、本気よ」

 

 蒔寺さんが頭が痛いと言いながらも和服を作れる理由。

 それは彼女が、父の後ろを見て育ったからだろう。

 あの大きな背中は、憧れるには充分だし、子供としても父の期待に応えたくもなるのだろう。

 それが蒔寺さんが、タイプが違うと言いながらもしっかりと、家の習慣を身に付けているのが何よりの証拠である。

 

「どーして私があんな頑固親父を」

 

 渋柿を食べた時みたいに顔を顰めている、蒔寺さん。

 それを私は、嫌というほどに見つめ続ける。

 素直になれるように、そんな思いを込めて。

 

「……まぁ、少しだけな」

 

 小さな声で、本当に聞こえるかどうか分からない程度に囁かれた言葉。

 でもそれに反して、蒔寺さんの顔は、相対的に赤くなていた。

 照れる必要はないのに、当たり前のことを、当たり前に言えているだけなのだから。

 

「って、お前!何言わせてくれとんじゃぁーーー!!」

 

「あら?ファザコンの蒔寺さん、どうしたのかしら?」

 

「誰がファザコンじゃあ!

 あんな頑固親父のこと、好きなわけねぇだろ!

 バーーカ!!」

 

 よく響く声で、さっきの照れを隠すように大きく吠える。

 だがあの小さな告白と比べて、今度の絶叫はよく聞こえる訳で……。

 

「バカ野郎!

 お客様が来ているのに、騒ぐなアンポンタンがぁ!!」

 

 光の速さで飛んできた店主に、怒りと教育の手刀が蒔寺さんに振舞われることになったのだ。

 斜め45度、急速な一撃。

 その様は、まるで壊れた機械を無理やり直そうとしているようだった。

 

「いってぇ!

 くっそ、今回はこいつが確実に悪かったのに!」

 

「お騒がせして、申し訳ございませんでした」

 

 確かに蒔寺さんの言うことは一理あるので、私も出来るだけ恭しく頭を下げた。

 それに店主は見向きもせずに、憮然としていた。

 

「謝るのは俺にじゃねぇ。

 いらしているお客様に謝罪しろ。

 おい、ポンコツ娘、ボロが出ないようにしながら謝り倒しに行くぞ」

 

 店主は蒔寺さんの手を引いて、店頭の方まで引っ張って、連れて行く。

 私にも非があるので、その後ろについて謝りに行くことにしよう。

 義理は通すべきだろうから。

 

「謝るときはお辞儀だ。

 最悪、隣の馬鹿の真似をすれば良い」

 

「分かりました」

 

「オイッ!馬鹿に突っ込めよ!?」

 

 別に蒔寺さんが馬鹿とは一言も言ってない。

 ただ、肯定も否定もしていないだけなのだ。

 っちぇ、と隣から舌打ちが聞こえたような気がするが、私は気にしない。

 既に拳骨が振り下ろされているのだから。

 

「黙ってろ」

 

「……ハイ」

 

 蒔寺さんが素直に従ったのは、謝りに行くのにその過程で騒いだのなら、世話ない話だということだ。

 この物分りの良さが、良家の子女たる所以であろう。

 

「粗相をするんじゃねぇぞ。

 誠心誠意を込めて謝れ、じゃあ行ってこい!」

 

 私達は店主に背中を押されて、店頭に出る。

 そこにいた客は一人の老人であった。

 

「呵呵、何やら大声がしたようじゃが、何かあったかな?」

 

「これは間桐様、ようこそいらっしゃいました!

 そして申し訳ございませんでした」

 

「……誠に申し訳ございませんでした」

 

 態度が一変した蒔寺さんを思わず横目でチラ見しつつ、私も続いて頭を下げる。

 しかし間桐、これはもしや。

 

「まぁ、犬の遠吠えが聞こえたということにしておこうて。

 それよりも、お主」

 

 老人が私に話しかけてくる。

 間違いない、やはりこの人がそうなのだろう。

 

「遠坂の所の留学生だったのぅ。

 儂と遠坂は縁がある者同士。

 遠坂が世話をしているのなら、儂が歓待せぬ訳にも行くまいて」

 

 間桐臓硯、桜や間桐くん達の上に立つ、御三家一角の盟主。

 聖杯戦争の重要たるファクター、令呪の開発にも関わったと言われる間桐の長老。

 

「いえ、お構いなく。

 でもお話くらいはしてみたいものです」

 

「呵呵、何時でも待っているぞ。

 慎二も桜も世話になっているようじゃしな」

 

「ありがとうございま…」

 

 顔を上げ、間桐臓硯の目が見えた。

 そこで私が覚えたのは、強烈な――嫌悪感だった。

 

「店主、これを頂いていこう」

 

「へい、毎度ありです!」

 

 何事もなかったかの様に、紺色の着物を買い取って、店を後にする間桐臓硯。

 去り際に意味深な笑みを、私に浮かべて彼は店を出ていった。

 私はそれを、放心して見送るしかなかった。

 

 何故、誰も彼を見て普通にしていられるのだろうか?

 あんなのは普通ではない。

 血の臭い、魔術師ならある程度は耐性があるもの。

 だが、あれは、異常な域にあった。

 

「…ぃ、…ぃ」

 

 食べ物を食べる時に、自らの血肉にする、と表現する場合がある。

 その血肉が、そのままに自らに張り付いて剥き出しの肉が視えるような醜悪さであった。

 更には、その剥き出しの肉がバラバラにならないように、蟲が肉と肉をつなぎ止めている。

 

 ――あれを人間と呼んでも良いのだろうか?

 否、あれは人の形すらしていなかったではないか。

 腐臭と鉄の臭いが充満してきそうな、あの姿。

 

 だけれども、あの怪物が私の欲しい情報を持っている。

 聖杯戦争、令呪、今までの経験。

 様々なものを持っているのだ。

 

 直後私の頭に、衝撃が走る。

 比喩表現ではない、物理的に、だ。

 

「おい、聞こえてんのか!」

 

 斜め45度、正気に戻す絶対の手刀。

 それが私に炸裂したのだ。

 

「……痛いわ、蒔寺さん」

 

「お前が急に、蒼い顔で固まるからだろ!」

 

「ごめんなさい」

 

 やはり、蒔寺さんは何事もなかったかのようにしている。

 店主も怪訝そうに私を見つめてるが、間桐臓硯に関しては何も気にしていないかのようだ。

 

 何故私だけが見えるのか、間桐くんや桜は、あれに育てられたのか。

 様々な疑問が私を貫いていく。

 きっと、この感情は――。

 

「あぁっー!もうっ!!

 しっかりしろ、このバカチン!」

 

 蒔寺さんにガクガクと揺さぶられる。

 やめて、今揺らされると、何かがリバースしてきそうなの。

 

「わかったから、やめなさい!」

 

 ちょっと強めの口調。

 言わずにはいられない程に、私のダメージは深刻だったのだ。

 

「……オヤジ、暫くこいつを奥で休ませてもいいか?」

 

「いいだろう」

 

 蒔寺さんの問いかけに、即決で店主は承諾した。

 

「大丈夫、今日はちょうどお暇しようと思ってたところだから」

 

「フラフラの病人みたいな奴を放り出せるほど、私らは冷たくなんか無い!」

 

「構わん、休んでいけ」

 

 蒔寺さんの人情味あふれる言葉。

 それに店主にまで言われてしまって、逃げ道は無くなってしまった。

 確かに気分は悪い、あんなものを見てしまったのだから。

 

「……分かりました、お世話になります」

 

 結局、私は折れてしまい、もう少しだけ此処に留まることにしたのだった。

 

 

 

 

 

「水、飲めるか?」

 

「ありがとう、頂くわ」

 

 冷たい水、口をつける度、染み渡るようにして体に広がっていく。

 飲む度に少しずつだが、気分が快調してくるように感じる。

 

「うん、マシな顔色にはなったな」

 

「お世話をかけたわね」

 

「この貸しは十倍にして返してもらうぜ!

 今日からマガトロは、私のメイド長な」

 

「1日メイド長なら、考えなくもないわ」

 

 それにしても、またマガトロ。

 まるでネギトロのようだが。

 

「もしかして、マーガトロイドを短くして、マガトロなの?」

 

「その通り!よく気づいたな」

 

 それだけ連呼されていれば、嫌でも気付かざるを得ない。

 まぁ、いいか。

 

「好きに呼べばいいわよ、別に」

 

 彼女は友人にも珍妙なあだ名を与えているようだし、彼女なりのコミュニケーションなのだろう。

 無下にすることもないので、目を瞑ることにしよう。

 

「言われなくても、勝手に呼ぶから」

 

「図々しいことで」

 

「お前は人のこと言えないだろ!」

 

 さて、何のことやら。

 そちらこそ、最初にッゲ、とか言ってた気もするのだが。

 

「それで蒔寺さん」

 

 私がそう呼びかけると、蒔寺さんは不機嫌そうな顔を隠そうともせずにぶすっとした表情を見せる。

 なにか問題があっただろうか?

 そう思っていると、彼女は律儀に答えてくれた。

 

「名前、下でいい。

 こっちがマガトロでお前が蒔寺さんだと、空気差がありすぎるだろ」

 

 確かに、配慮が足りなかったか。

 顔には、ありありと不満ですと書いてあるのだから。

 

「ごめんなさい。

 楓、で良いかしら?」

 

「うん、よろしい」

 

 満足気な楓、納得頂けて何よりである。

 

「それよりもだ、体調が悪かったのなら言えよな。

 お客様の前でブッ倒れられる方が、よっぽど問題なんだから」

 

 本当はそのお客様とやらを見て気分が悪くなったのだが、説明不可なので余計なことは言わない方が良いだろう。

 それにしても、である。

 

「随分親切ね」

 

 やけに怖がっていたり好戦的だった時と比べ、今は随分と優しい。

 どのような心情の変化があったのか、ぜひお聞かせいただきたいものだ。

 

「お前、存外弱っちいことが分かったからな。

 ま、いっか、て思っただけかな」

 

「随分適当なものさしね」

 

 いきなり顔を蒼くして、気分悪そうにしてたら弱くは見られるかもしれないが。

 

「何ていうかな、今まではちょっと人間っぽい妖怪みたいな感じだった」

 

 人を捕まえて妖怪とは恐れ入る。

 

「でも今のお前、すごく普通だ。

 ちゃんと弱っちく見える。

 絶対に倒せない~!て感じじゃ無くなったんだよな」

 

 弱点を曝け出したからこそ、楓は私を信用した。

 正直な話、微妙な気分ではあるが、怪我の功名とも呼べなくもない。

 

「世の中には、完璧な人間なんて存在しないものよ」

 

「さっき聞いたら、嫌味に聞こえたかもな」

 

 やれやれ、何にしろこれで丸く収まった、といったところか。

 私にしては、人に弱っているところをあまり見られたくはなかったのだが。

 

 

 

 

 

「よっし!マガトロ大怪人が弱ってる今がチャンス!!

 笑ってやるから、着物着てみないか?」

 

 ……は?

 一件落着したかと思ったところでの、奇襲であった。

 

「欧州人に着物は似合わないわよ」

 

「だいじょぶ、だいじょぶ。

 お前くらいぺったんだと問題ない!」

 

 すっごい良い笑顔。

 対して私は悟りを開いたがごとく、仏頂面であろう。

 

「あなたと同じくらいよ?」

 

「私は日本人!何も問題はない!」

 

 大した使い分けだ。

 私の家の礼儀ではない、と得意げに言ってた彼女はどこに行ったのやら。

 どう考えてもコケにされてる。

 弱みを見せるというのは、弄られやすくなるということでもあるかもしれない。

 

「まぁ、笑ってやる云々は冗談だけど。

 お前が着たら、結構映えそうなんだよ。

 ……似合う、と思うぞ」

 

「大した口説き文句ね」

 

 男の子が女の子にするようなものだ。

 まぁ、そこまで言われて、似合わないと意地を張ってもしょうがない。

 服屋の店員並みの意見だと思って、おだてられてあげましょう。

 

「貴方が一緒に着てくれるのなら、考えなくもないけれど?」

 

 勿論、それ相応の代償は頂く。

 私だけが着るというのは、全く持って理不尽だから。

 

「はぁ?ま、別に良いけど」

 

 あれ、思ったよりもあっさり快諾された?

 

「呉服屋の娘だから、今更着るのに気恥ずかしいなんてないんだよ」

 

 内心を読んだの如く、鋭い回答。

 しまった、楓にはドレスを着せると言えばよかった。

 

 だが後悔先に立たず。

 すっかり気を良くした楓に、私は服を剥かれて、着物を着せられる羽目になってしまったのだ。

 

「うん、私の目に狂いはなかった!

 ほら、鏡見ていろよ」

 

 鏡よ、鏡、鏡さん。

 あまり無慈悲な真似をするのはやめてもらいたいわ。

 

「楓、あなたの方が馴染んでるじゃない」

 

「ルーキーに負けるわけ無いだろ?」

 

 着られてる感が浮き出てしまっている私に対して、楓は綺麗に着こなしていた。

 絶妙な感じで、比較対象として並んでしまった楓。

 敗北感と屈辱で、顔がどうにも歪みそうになる。

 

「一緒に着てなんていうからだな、自業自得だ」

 

 ……他人が振るう正論なんて嫌い。

 

 結局、嫌がる私を写真に幾枚も納めて、楓はホクホク顔で上機嫌だった。

 私が来たときの不機嫌顔は、帰り際には一変してにっこにこの笑顔に早変わりしてしまっていたのである。

 

「じゃあな、また来てもいいぞぉー!」

 

 勝利の雄叫びと言わんばかりの大声で楓が叫んでおり、すっ飛んできた店主に殴られている。

 一方私は、詠鳥庵の屋号をエイドリアン呼ばわりして、どうにか精神を安定させていた。

 我ながら、やっていることが小さい。

 だがそうでもしてないと、やってられないのが実情なのである。

 そんな負け犬根性に苛まれながら、私は帰路についた。

 何時しかの仕返しを胸に込めて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 因みに後日の話なのであるが。

 

「あらあら、マーガトロイドさんの和服」

 

 悪魔の顔した凛とやらしい顔をした楓。

 手に持っているのは、あの時撮った写真。

 

「マガトロの良い弱みを握ったと思わないか?遠坂」

 

「えぇ、思いますとも」

 

 すっかり仲良くなった凛と楓。

 私はこのネタで、しばらく弄られ続けることになる。

 

 いつか、いつか絶対に復讐してあげる。

 覚えておくことね、二人共。




そんなことはさて置き、です。
アリスの臓硯を見たときの反応は、要するに街中でショゴスを見かけてしまった感じです。
SAN値がガリガリ削れます。
具体的には4くらい減らされました。

目が良いのも考えものですね。
見えちゃいけないものまで、視えてしまうのですから。


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番外編 クリスマス・イヴの過ごし方 前編

わーい! 皆さん、クリスマス・イヴですよ!
皆さんは如何にして過ごされるでしょうか?
自分はまだ、これの後編が書き終わってないので、執筆を続けます(白目)

なお、この話の時間軸は聖杯戦争が始まる前であります(つまりは何時も通り)。
そして番外編ゆえに、いきなり冬に季節が飛びますがご勘弁の程を。
では、始まります。


 クリスマス、それはイエス・キリストの誕生祭。

 12月25日に行われ、前日はクリスマス・イヴと呼ばれる。

 クリスマス・イヴはもっと細かく言えば、24日の晩からである。

 カトリックなどは、24日の晩にミサなどを行い、晩の祈りを捧げる。

 晩の祈りを捧げる意味、これは詳しくは知らないが、聖母マリアが自身の赤ん坊が無事に生まれてくるように、祈り続けていたのが始まりかもしれない。

 そのためか、そしてヨーロッパ諸州では、クリスマス・イヴとは家族と穏やかに過ごす日である。

 

 因みに私は義理程度に、ルーマニア宗主宮殿にて祈りを捧げていた。

 心からの祈りではなく、おめでとう、と軽い感じで。

 こればかりは魔術師の領分でないのだから、勘弁して欲しい。

 

 では日本ではどうか?

 この国でのイヴは、祈りを捧げたり、家族と過ごす日なのだろうか?

 答えは……否、である。

 無論そうしている人もいるだろうが、一般的に浸透したイメージでは、イヴは恋人と過ごす日であった。

 

 では、この冬木市では、どのようにイヴが過ごされているのだろうか。

 私はする事もなく暇を持て余してもいたので、それを慰めるべく、出かけることにした。

 

「凛、暇なの。だから出かけましょう」

 

「……あんたは唐突に何言ってんのよ」

 

 呆れを含んだ、いや、呆れしかない声音で、私にジトっとした目を向ける凛。

 だがその視線も、この家に来てから何度も向けられている。

 最早慣れた、全く効かない。

 

「外は寒いから、しっかりコートは着こんでおかないと、風邪を引くわね」

 

「本当になんなのよ、もぅ。

 そもそもこんな日に出掛けたところで、胸焼けしてウザったいだけよ。

 寒いなら、家に居ときなさいよ」

 

 凛の言うことは一理ある、どころか真理である。

 日本では恋人がそこらを横行している。

 冬木の街でも、凛の言うことが正しいのならば、そうなっているのであろう。

 だがこのまま家にいても、無為に時間を潰すだけで、暇なのは解消されない。

 故に、出かけようという意思は変わらなかった。

 もしかしたら、特別な催しが行われているかもしれない。

 そんな願望もあった。

 

「やぁね、一人で出かけるのが切ないから、凛を誘ってるんじゃない」

 

「何気持ち悪いこと言ってんの!

 寝言は寝てから言うものよ」

 

「独り身が街を出歩けば、心身共に心が冷えるわ。

 けれど、独り身同士が出歩けば、傷の舐め合いができるじゃない?」

 

「誰も傷心しに行こうとも、あんたの傷を舐めようとも思わないわよ!」

 

「イケずね」

 

 出かけたい、だけれど一人で外には出たくない。

 乙女心は誠に持って複雑だ。

 だから、別の方面から攻めてみるとしよう。

 

「初めてこの家に来た時、貴方にハンカチをプレゼントしたわよね、凛」

 

「えぇ、お上品な刺繍入りのやつをね。

 それがどうかしたの?」

 

「あの時、もっと派手な方が似合う、そう意見が一致したわよね」

 

 凛は、赤いハンカチの方が似合いそうとも言っていた。

 

「あれから時々、凛に別のハンカチをプレゼントしたいと思っていたの。

 きっと鮮やかな色が貴方には似合うわ。

 それをきちんと見定めたいから、凛、買い物に一緒に付いて来てくれる?」

 

 本人が買う時に一緒にいてくれた方が、何かと選びやすい。

 あれどれそれと悩んで買った挙句、ミスチョイスだったというのは避けたくもあるから。

 

 無論これは口実である。

 だが私にとって、真実でもあった。

 凛にキチンとプレゼントがしたかったのである。

 

 そして凛は今、悩んでいる。

 天秤は確実にこちらに傾いてきているのだ。

 だったら最後のひと押しをするのみ。

 

「昼食も私が代金を持つわ」

 

「……そこまでみみっちくないわよ」

 

 一体、どう私のことを思ってるのよ。

 そう言いながら、凛は立ち上がると、コートを着込み始める。

 

「ありがとう、凛」

 

「ふんっ、貰えるもんなら貰っておこうと思っただけよ」

 

 分かり易いくらいに素直じゃないのが、とっても凛らしい。

 そんな友人の姿に、思わずクスッと声を漏らしてしまう。

 

「アリス、アンタ今笑ったわよね」

 

「だって凛。

 今の貴方、とっても可愛らしいんだもの」

 

 面食らった顔をする凛。

 そうして、ほんのりと顔を上気させていき、そうしてその顔で、私をキッと睨みつけてきた。

 

「きゅ、急に何言ってんのよ!

 褒めても何も出ないんだから!!」

 

「別に何かを貰うために褒めたわけじゃないわ。

 包み隠さずに本音よ」

 

「……何よ、バカ」

 

 褒められると弱っちい凛。

 照れて顔が赤く染まっている。

 その姿は、とっても面白く、また本当に可愛い。

 だから彼女の友人はやめられないのだ。

 

「はいはい、バカでいいから出かけましょ」

 

「アンタから振ってきたくせに」

 

「乗ってきたのは凛よ」

 

 私は不満です。

 凛の顔には、そうデカデカと書かれている。

 学校での澄ました顔が嘘のように、家では本当に分かり易い。

 ある意味での特別感があって、私は少々の優越感に浸ってしまうのだ。

 

「嬉しそうね、アリス」

 

「不満そうね、凛」

 

 私は笑顔で、凛は仏頂面。

 でも行かないと言わないのは、凛の美徳であり、優しさでもあろう。

 

「えぇ、不満よ。

 そりゃあ、もう凄いくらいにね。

 良いわ、思いっきり高いものを買わせてやるんだから!」

 

「私が買うのは、あくまで凛に似合う物よ」

 

 だから凛は、その納得のいかなさを、また違うベクトルで解消しようとするのだ。

 反動は如何程か。

 それは出かけてからのお楽しみ。

 ショッピングは女子の花なのだから。

 その鬱憤のぶつけ方は極めて正しい。

 張り切る凛に、してやったりと私は口角を上げる。

 全ては計画通りだった。

 

 

 

 

 

「寒いわ、巫山戯てる」

 

「我慢なさい、もうすぐ店の中に入れるわ」

 

 私達が今居る所は新都である。

 バスに乗りここまで来たのだが、尋常でない寒さに凛の悲鳴が聞こえる。

 

「……さぁ、……んだよ」

 

「ん?」

 

 そんな極寒の中で、風に乗ってどこかで聞いたことのある声が聞こえる。

 この声は、あまり話はしないが、妙に印象に残る人物のものだった。

 記憶に引き出しを漁ると、アッサリとそれが出てきた。

 

「間桐くんだわ」

 

「は? 慎二の馬鹿がどうしたのよ」

 

 寒い中で、縁起でもないとことを言うな! と凛がガンを飛ばしてくる。

 が、そんなものを気にせずに、当の本人がこちらに近づいて歩いてきたのだ。

 ……しかも、女の子を4人もぞろぞろと引き連れて。

 

「でさぁ、お爺様に言ってやったんだよ。

 僕をあまり怒らせるんじゃない! てね。

 そうすると、お爺様は何も喋らなくなった。

 ボクの完全勝利だったね」

 

「すごいわ、間桐君。

 普通はそこまで言えないもんね」

 

「そうやって、物怖じせずに言えるのは間桐君の良いところだよね!」

 

 間桐くんの自慢話に、周りの娘達がワイワイと盛り立てる。

 ……絶対にいくらか話を盛っているか、嘘かのどちらかであろう。

 だって、あの化け物妖怪爺にそこまで物を言える程、間桐くんは馬鹿ではないはずだから。

 単に小心とも言えるだろうが。

 

「お、遠坂……にマーガトロイド、か」

 

 間桐くんがこちらを見つけた模様。

 凛の目から光が失われて、フサフサと揺れている間桐くんの髪の毛を凝視している。

 まるで、ワカメを伐採してやろうか? そんな暗い情念を感じさせる視線。

 このままでここに留まれば不味い事になるだろう、主に間桐くんの毛根が。

 

「お前たち、こんなところで何してるんだよ?

 まさか、女二人で寂しく買い物中って訳じゃあないよなぁ」

 

 ピキっと、凛の中で何かが音を立てる。

 大事な何かが切れつつある、凛の中で、着実に、確実に。

 

「あ、もしかして図星なの?

 もしそうだったら、可哀想だしぃ? 僕の仲間にしてあげてもいいよ?」

 

 やたらと自信ありげに、私達に話しかける間桐くん。

 そんな彼を、周りの女子たちは、「やさしー」とか「イケメン!」とか言って囃し立てる。

 そうして彼は得意そうな顔を浮かべる。

 

 きっと彼には懲りるという概念は存在しないに違いない。

 新学期早々に私に引っぱたかれた記憶は、遥か彼方へとポイ捨てされているだろうから。

 そして凛は、握り締めた手をプルプルと震わせている。

 耐えなさい凛、ここで暴れたら日頃の優等生のイメージが崩れるわ。

 

「あれぇ、そんなに震えてどうしたのさ。

 ……あ、もしかして感動しているの?

 遠坂ったらそこのパツキンと違って可愛げがあるなぁ」

 

 ぶちり、そんな音がしたような気がする。

 凛の中の大切なもの、自制心とか世間体とか、そういうものから一斉に解放されたのであろう。

 凛が顔を上げ、そしてを見た間桐くんがッヒ、と悲鳴を上げて後退する。

 だが、そんな弱気が許される相手でも、状況でも無かったのだ。

 

 それからは一瞬の早業だった。

 音も漏らさぬ瞬時の間に、僅かな体捌きで間桐くんとの距離を詰める凛。

 それは縮地と呼ばれる歩法術、近年の日本武術でも活用される特殊歩法である。

 そこから見事なまでのアームロックを、間桐くんに仕掛ける。

 

「あ、ああああああ!!

 痛い痛いいたたいいい!!!

 折れる折れる折れるよ、ばかやろおおおぉおお!!!!」

 

 関節を極めたそれは、想像を絶する痛さであろう。

 まして武術の修練をしている凛ならば、当然の如くどこを攻撃すれば相手に打撃を与えられるのかを、熟知しているのだから尚更だ。

 

「ま、間桐くーーーん!!」

 

「遠坂さんやめて!

 間桐くんのライフはもうゼロよ!!」

 

 間桐の取り巻きの女の子達がよく叫ぶ。

 そうして凛はようやく正気に戻ったのか、舌打ちしながらも間桐くんを解放する。

 

「ったく、ひどい目にあったよ。

 この暴力女! お前の寂しい乳を当てられてもなんにも嬉しくないの、分かる?」

 

 ……正真正銘の馬鹿である。

 やられた直後に、どうして平然とそんなことが言えるのだろうか。

 小物なのに、大物のような発言をする。

 つまりは小物界の大物なのだろう。

 

「そう、死にたいのね」

 

 凛は微笑んでいる。

 微笑みながら死ねと言っている。

 これは一番危険なパターンだ。

 離れた位置にいる間桐くんの取り巻きの娘達も、怯えたように肩を抱き合っている。

 

「お望み通り、いっぺんあの世を見てきなさい!!!」

 

「がぁあぁぁぁーーーーーー!

 ぐびが締まる、息でぎない!

 たずげて、えみやぁーーーー!!!」

 

 今度はヘッドロックであった。

 アームロックでないところに狂気を感じる。

 死ねと、殺意が込められているのだから。

 

「そう、間桐君は衛宮君が大好きなのね。

 なら衛宮君の幻を抱きながら果てなさい!!」

 

 ギュウギュウと間桐くん自慢の髪を存分に引っ張る凛。

 ブチブチと音を立てながら、何本も抜けていく彼の髪の毛。

 取り巻きの娘達からも悲鳴が上がっている。

 ……流石にこれ以上の看過はできない。

 間桐くんの為ではない。

 こんなことで、犯罪者になる凛と、兄を亡くす桜が可哀想だから止めるのだ。

 

「凛、それ以上いけない!」

 

 ッハ、としたように、凛が動きを止める。

 そしてゆっくり周りを見渡し、間桐くんを開放した。

 凛はある一点で視線を止めていた。

 それは肩を抱き合って怯えてる少女達。

 凛が彼女たちに一歩近づくと、涙を浮かべて更に震え始める。

 そんな彼女たちの前に直立し、睥睨する凛。

 怯えながらも、少女たちは凛から目が離せない。

 自分の末路がどうなるのかが、気掛かりでならないから。

 

「貴方達、今見たことは忘れなさい。良いわね?」

 

「「「「アッハイ」」」」

 

 見事なまでにハモった声。

 まるで脅迫、いや正にそうなのだろう。

 

「間桐くん、倒れてどうしたの?」

 

「あれ、遠坂さんにマーガトロイドさん、こんにちは」

 

 あからさま過ぎる態度、いや、これは。

 

「……暗示の魔術」

 

「正解♪」

 

 ずっと凛から目が離せなかった彼女たちだから使えた、反則的な技。

 呆れると同時に、凛の抜け目無さには感心するばかりだ。

 

「程ほどにね」

 

「バレなきゃ問題ないのよ。

 私がキレたこと自体が問題だったのだろうけど」

 

 さいですか、分かっているだけ重畳と言ったところだろう。

 ヒヤッとしたが、強引な力技でひっくり返したのは実に凛らしい。

 素直にそう感心しておこう。

 

「お、おおお、おぉ」

 

「間桐君、お目覚め?」

 

 妙な呻き声と共に、間桐くんが冥府から這い上がってきた。

 これは彼の生命力なのか、閻魔にさえ拒否されたのかは定かではないが。

 しかし無事に戻ってきたのは喜ばしいことだ。

 そして目を開けて最初に入ってくるのが、とびっきりの美少女なのは喜ばしい限りであろう。

 凛がニッコリと、おはようと挨拶をする。

 

「げぇ、遠坂!?」

 

「目覚めがしらに失礼ね」

 

 喧嘩を売ってるの? そう言わんばかりに笑顔の度合いを上げていく凛。

 その百万ワットの笑顔は、間桐くんにとって、更なる恐怖を呼び覚ましただけのようだが。

 

「さっきのことを忘れたとは言わせないぞ!

 お前らもさっきのこと、覚えてるよなぁ!!」

 

 間桐くんが話を振った取り巻きの女の子達。

 だが彼女たちは明らかに困惑していた。

 何のこと? 何かあったっけ? 皆が混乱しているようだ。

 

「遠坂、お、おまえぇぇ!!

 不利な情報を消したんだな!」

 

「あら、何のことかしら。

 そんな事より貴方達、面白い情報があるわ」

 

 話しかけられた取り巻きの娘達。

 一様に疑問符を頭に浮かべているが、凛はそれに付け込むように言葉を滑らせる。

 

「間桐君はね、衛宮君が大好きで、生徒会書記の柳洞君と取り合っているのよ」

 

「はぁ?」

 

 間桐くんの小馬鹿にしたような声。

 お前は何を言っているんだ。

 そういう思いがひしひしと伝わってくる。

 

「……そういえば」

 

 だが、取り巻きのある娘がぽつりと漏らす。

 

「衛宮君と仲良く帰っているところ、私見かけたかも」

 

「ちょ、何かの見間違えだろお前!」

 

 焦ったように否定する間桐くん。

 だが一度付いた火は中々に消せないものだ。

 

「私も、衛宮君が一人で掃除を押し付けられているところに『あいっかわらずバカだなお前。とっとと帰りたいから、手伝ってやるよ』て言って衛宮君を手伝ってるところ見たかも」

 

「ななな、何を言ってるんだ!

 そんなのは僕じゃない!

 そのイケメンは他人の空似に違いないんだ!!」

 

 そして付いた火は、他へと燃え移っていく。

 激高したかのように、大きなジェスチャーで否定を重ねていく間桐くん。

 だがそれにより、余計に真実味を帯びさせていくことに、彼は気付いていないようである。

 

「確か柳洞君に『これ以上衛宮に近づくな! あれは僕のだ!!』て言ってるの、私見たかもしれない」

 

「バカ野郎! あれは衛宮を立派に育てるという決意の表れなんだよ!!」

 

 間桐君のその言葉に、女子達は一斉に「え?」と驚きの声を上げる。

 墓穴を掘るとは、このことであろう。

 

「間桐君、やっぱりそっちのケが……」

 

「大丈夫、あたしそういうの嫌いじゃないから!」

 

「やめろぉぉ!!」

 

 違う、違うんだ! と浮気がバレた夫のように繰り返す間桐くん。

 だが取り巻きの皆は一歩ずつ離れて、それからさよならと言ってそこから立ち去っていく。

 最後に、そういうの嫌いじゃないから、といった娘が振り向いて一言。

 

「衛宮君との絡み、後日に教えてね、間桐君!」

 

 良い笑顔なのに、どこか腐臭を漂わせるそれを見せ、彼女は去っていった子達に並んだ。

 きっと彼女たちはこれから、新しい男の子探しか、ショッピングを楽しむのだろう。

 

「畜生……チックショォォォ!!!!」

 

 その場には、間桐くんの慟哭のみが残った。

 凛はそれを満足そうに確かめると、私の手を掴みすぐさま店の方へと歩き出す。

 彼女の手は、とても冷たくなっていた。

 

「ごめんなさい、凛。

 間桐くんに気付いた時点で、貴方の手を取って早く店に駆け込めば良かったわ」

 

「良いわよ、ちょっとスッキリもしたし。

 でも、ハンカチを選び終わったら、喫茶店に行きましょう。

 温かいものが飲みたい気分なの」

 

「分かったわ。……先に、喫茶店に行きましょうか?」

 

「別に店の前まで来たんだから、こっちが先で構わないわよ」

 

「そっか、じゃあ早めにだけれどしっかり選びましょ」

 

 そう掛け合いながら、私達は店に入ってった。

 冷たくなった手を温めあわせながら。

 

 ん? 間桐くん? 衛宮君が慰めるでしょう。

 

 

 

 

 

「これなんて、どう?」

 

 シルクのハンカチ。

 艶やかなそれは、凛の鮮やかさを更に引き立てるように感じる。

 

「悪くないわね、でもこっちはどう思う?」

 

 凛が手に持っていたのは、薄い赤。

 紅とピンクの間に位置するような色合い。

 それに花柄の刺繍が程よく施されており、赤い色ながら上品さも兼ね備えていた。

 

「良いセンスね。

 でも純粋な赤じゃなくてよ?」

 

「別に真っ赤じゃなくちゃ嫌とは、言ってないわよ」

 

「そう、でも、これは選定が難しいわ」

 

 さあ、どっちが凛に似合うか。

 何時ものしなやかな凛には、私のシルクのハンカチが似合うであろう。

 しかし、学校などでお上品に振舞っている時の凛は、淡い赤の花柄の方が似合うであろう。

 

 迷う、迷う、迷う。

 どっちがいいのか、どっちが。

 

「アリス、別にそんな悩むことはないわよ。

 こういうのは、ぱっと決めたほうが財布には優しいのよ」

 

「そういう問題じゃないの」

 

 どちらも似合うとは、素が良いだけあって、反則のような気がする。

 いや、待て。

 

 どっちも似合う、

 これはよろしい条件である。

 どちらも似合わないなんて場合、目が当てられないから。

 

 そして凛の場合、使い分けが出来るではないか!

 私用のシルクのハンカチ、公用もしくは学校用に花柄のハンカチ。

 つまりは両方買っても問題などはなかったのだ!

 

「両方買うわ」

 

「無駄遣い」

 

「どっちも似合うほうが悪いのよ」

 

「……ありがと」

 

 小さく呟いて、顔を綻ばせる凛。

 これだけでも、買いに来た価値はあったといえよう。

 気分のいい買い物、やはりこれが出来る時は、気持ちも良くなってくる。

 気分も高揚してくるのだ。

 

 もはや出かける理由になった最初の目的など、とうの昔にどうでも良くなっている。

 暇潰しに出かけて、友人に喜んでもらえた。

 これだけでも、十分と言えるだろう。

 

「支払いはこれで」

 

「ありがとう御座いました」

 

 ぺこりと頭を下げた店員を確認して、私は凛の居た元の場所に戻る。

 手には購入した二つのハンカチ。

 簡単に包んでもらったそれ。

 早く、でもさり気なく渡したいかな。

 そんな気持ちに急かされるように戻ると、そこには凛の姿は無かった。

 お花を摘みにでも行ったのだろうか?

 そう考えていると、遠くから私を呼ぶ声がする。

 凛……ではない声。

 これは、そう。

 

「桜、ね」

 

「はい、アリス先輩! 正解です」

 

 あっという間に私の近くに来た桜。

 その後ろから、ちょっと呆れたような衛宮くんの姿も見えた。

 

「や、マーガトロイド」

 

「こんにちは、衛宮くん」

 

 簡素な挨拶、何時も通り無駄なく終える。

 そうして二人を見ると、衛宮くんが幾つか荷物を持っていて、桜が何も持っていない。

 買い物、もといデートの最中か。

 

「こら、桜。

 衛宮くんを放ってこっちに来たら彼、拗ねちゃうわよ」

 

 クスクスと笑いながら衛宮くんに視線を流すと、彼はヤレヤレと肩を竦め、首を振る。

 

「別に、マーガトロイドなら大丈夫だって知ってるから。

 お前のからかいも、ある程度は慣れたし」

 

「最初の初々しい二人はどこに行ったのかしら。

 最近はちょっと小憎たらしくなってきたわね」

 

「先輩は心が広いから大丈夫です!

 でも、ちょっとは執着してくれても良いんじゃないかな、って思う時はあるんですけどね」

 

 う~、と視線を飛ばす桜に衛宮くんは頬を掻いて誤魔化すようにしている。

 

「別に、桜は好きなようにすれば良いさ。

 あんまり縛るのも良くないと思うし」

 

「……先輩は優しい癖に意地悪です」

 

「意地悪って、なんでさ」

 

 恨みがましい視線を飛ばす桜に、衛宮くんは困ったような顔をしている。

 ……もうすでにお腹がいっぱいに近い。

 この二人は、何時もこうだから厄介なのだ。

 

「二人はここで、ショッピングデートでもしているの?」

 

 今更ながらに聞いてみる。

 この前聞いた時は、買い物です、と片手に野菜の入ったバッグをぶら下げていたから一応、念の為に聞く。

 空気を正常化しようとした目論見もあった。

 

「ひゃい! デートです」

 

「桜、声が裏返ってるぞ」

 

「余程嬉しかったのでしょう」

 

 元気いっぱいの、ひゃいという返事に、ちょっと微笑ましくなる。

 それと衛宮くん、顔が緩んでるわよ。

 

「今回は先輩の服を選びに来たんです!」

 

「衛宮くんの?」

 

 普通は女の子の服を選びに来るものだろうけれど……。

 衛宮くんの服、うん、至ってごく普通、普通すぎる。

 

「先輩、ユニクロかしまむらでしか、服を買わないんですよ!」

 

「仕方ないだろう、別にこれでも十分なんだから」

 

「いえ、先輩に似合う服もきっちり見つけてあげたいんです!」

 

 女の子と男の子の意識の差。

 そういうのを二人からは感じるが、衛宮くんが不承不承でも付き合ってるのなら問題はないだろう。

 

 全く、幸せそうなこと。

 そこまで行くと、羨ましくも思えてくるから不思議だ。

 何時か私にもそういう人は現れるのだろうか?

 考えても全く想像できない、人であるなら何れはそうなるのであろうとも。

 

「アリス先輩はどうしてこちらに?」

 

 桜も今更ながらに聞いてくる。

 今の私は、傍から見れば、クリスマス・イヴに一人で買い物している奴。

 うん、すごく嫌な話だ。

 

「凛、いるのでしょう。

 さっさと出てきなさい」

 

 だからこそ、道連れを作ったのだ。

 桜に対して挙動不審な凛だからこそ、つい隠れてしまったのかもしれないが。

 

「あら、桜に衛宮くん。 こんにちは」

 

 今ちょうどここに来たばかり、そう言わんばかりに凛が登場する。

 それに衛宮くんも桜も面食らった顔をしている。

 

「遠坂、先輩」

 

「あぁ、マーガトロイドと遠坂で買い物してたのか」

 

「そうなの、凛とデートしてたのよ」

 

 私がふざける様に言うと、凛に死角から踵を蹴られる。

 余計なことを言うなってことだろう。

 

「二人は何時も見ていてラブラブだから、見ていて微笑ましいわね」

 

「むしろ胸焼けしかしないのだけれど」

 

 私達が、畳み掛けるようにからかうと、衛宮くんは、うっと言葉を詰まらせる。

 私の相手が慣れてきたといっても、凛まで加われば、まだタジタジにできる。

 うん、衛宮くんをからかう時には、今度からは凛を連れてくることにしましょう。

 

「あの、えっと、先輩」

 

「ん? どうした、桜」

 

 桜が衛宮くんの耳を借りて、何かを小さく告げている。

 それに衛宮くんが頷くと、桜が意を決して私と凛の前に立つ。

 何か、勇気を込めても告白をするかのような、決心を込めた顔で。

 

「あの! アリス先輩に遠坂先輩! 明日、先輩の家でクリスマスパーティーをします! 是非来てください!!」

 

 勢いよく頭を下げた桜。

 私と凛は顔を見合わせる。

 私がどうする? と視線を投げかけると、凛は明らかに狼狽した顔をする。

 何かを悩むように、目まぐるしいまでに凛の中では思考が錯綜していることだろう。

 そうして少しの間、誰も動かなかったが、凛は意を決したかのように言う。

 

「明日は蒔寺さん達と約束があるの。

 だからごめんね、間桐さん」

 

「そう、ですか」

 

 桜から間桐さんに呼び方が変わった。見るからに明らかな拒絶。

 そうして落ち込んだように、影の入った桜。

 何も変わらないように見えるが、手をキツく握りしめている凛。

 本音は明らかなはずなのに。

 どうして重大な一歩のところで避けてしまうのだろう。

 見ていて歯がゆくてならない。

 

「じゃ、私たちはそろそろ行くわ」

 

「……はぁ、二人共、今日のデートを精一杯楽しみなさいな」

 

 逃げるように去る凛に続くべく、私も去り際の声を掛ける。

 

「じゃあ、またな」

 

「えぇ衛宮くん、桜をリードしてあげるのよ。

 それと桜、機会は一度だけではないわ。

 また、きっと誘ってあげて」

 

「……ありがとうございます、アリス先輩」

 

 自分を納得させるように、桜は何回も頷いていた。

 それを確認して、私はその場を後にした。

 どうして凛は、ここまで桜を避けるのか。

 わかりそうで、わからない。

 でも二人が、互いを意識しているというのだけは、理解はできているのだが。

 

 

 

「凛、どうして」

 

 どうして、逃げたの? そう声を掛けようとしたのだが。

 膝と手を地面につけて、ぬあー、と呻いている凛を見て、その言葉を留めてしまう。

 

「やっちゃった、折角桜が誘ってくれたのにやっちゃった……」

 

 見るからに重症である。

 早く治療をしなければ、手遅れになりかねないくらいに。

 

「しっかりなさい、凛。

 断った貴方が落ち込んでどうするの?」

 

「だって……、私と桜が関わってはいけないんだもの」

 

 拗ねたようにそう言う凛。

 この前は、間桐と遠坂が関わってはいけない、だったが。

 弱っているせいか、大分ガードが弱くなっているとみられる。

 

「そう、でも桜は貴方と仲良くしたいようだけれど?」

 

「だから困ってるのよぉ!」

 

 このままではドツボにはまりかねない。

 早急に対応するべきだろう。

 

「さ、立ちなさい凛。

 喫茶店で暖かい飲み物でも飲みましょう?

 そうすれば、妙案の一つくらいは浮かぶかもしれないわ」

 

 そう言って手を差し出すと、凛は無言で私の手を握り返す。

 さて、喫茶店はどこに行こうかしら?




後編、今日中に仕上げたい。
でなければ爆死してしまいます(遠い目)


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番外編 クリスマス・イヴの過ごし方 後編

ま、間に合った~!
今日中に仕上がって、肩の荷が降りました!

なお、今日初めて読む人へ。
この小説は後編です。
まだ前編を読んでない人は、そちらを先に読んでください!


「お、アリすん、いっらしゃい」

 

「お邪魔するわね、ネコさん」

 

 凛を連れてきたのは、毎度お馴染みコペンハーゲン。

 思いついたのがここで、お手軽に感じたのもここだったから。

 この店は居酒屋となっているが、喫茶店のようなメニューまで取り揃えているのだ。

 近くのテーブルの椅子を引き、凛と一緒に座る。

 注文はコーヒー、この店には紅茶が置いてないのが残念なところである。

 

「で、話すって何を話すのよ」

 

「桜のことに決まっているでしょう」

 

 手を引かれてここに来るまでの間に、凛は精神的再建を済ませて、至って飄々としていた。

 あれほど弱っていたのが嘘のようだ。

 

「桜は良い子よ。

 それは私も知ってるわ。

 でも昔からある決まり事は守らなくちゃいけないものなの」

 

「守りごと、ねぇ」

 

 律儀にそれを守っても、誰も幸せになれない決まり。

 それは存在する意味などあるのだろうか?

 

「何か?」

 

「でも、あなたは桜ともっと一緒にいたそうよ」

 

 そして桜もまた、凛ともっと一緒に居たいと考えているだろう。

 この二人の関係性、とっても強いものを感じる。

 恐らくは、この二人はきっと……。

 でも、もしそうならば残酷なことかもしれない。

 だって二人は、本当は。

 

「アリス、何を考えているの」

 

「今日の晩御飯のことかしら」

 

 凛の見透かすような声が聞こえる。

 これ以上踏み込むのには、相応の資格と覚悟がいる。

 無遠慮に私が踏み荒らしてはならない。

 

「……ずるいわ、凛」

 

 友達のことなのだ、私だって助けになりたく思う。

 だがそれができないのだから、思わず奥歯を噛まずにはいられない。

 

「あんたは普段からずるいから、お互い様でしょ?」

 

「何かあったら、聞く程度のことはするわよ」

 

「いやに気を使うのね」

 

「それはそうよ」

 

 私の距離感は、このくらい。

 できることと言ったら、話を聞いてあげるくらいなのだから。

 

「あっそ、じゃあ困ったら相談事でもするかもね」

 

 そう言って、凛は、ハー、と手に息を吹きかける。

 コペンハーゲンの店内は、暖かいがまだ冷え切った手を温めるまでには至ってない。

 

「ほい、アリすんにお友達さん、コーヒー持ってきたよ」

 

「ありがとうございます、ネコさん」

 

「どうも」

 

 出てきたコーヒーを受け取り、私達はここで話題の転換を図ることにした。

 これ以上は空気が重くなるばかりで、不毛な話だと思ったから。

 

「それよりも凛、私は聞いてないのだけれど」

 

「何が?」

 

 ふー、ふー、とコーヒーに息を吹きかけている凛。

 そんな彼女に、私は鋭く睨むように目を細めた。

 

「楓の家でクリスマスパーティー? するんですってね」

 

「あぁ、あれは方便よ」

 

 方便、ということは。

 

「嘘つきね、凛」

 

「傷つけないための優しい嘘は、バレない限りは有効なのよ」

 

「バレた時の傷は、とっても大きくなりそうだけれどね」

 

 はぁ、と互いに溜息を出していると、勢いよく店の扉が開かれた。

 何事? そう思ってみてみると、そこには見覚えのある顔が3つほど並んでいた。

 

「たのもぉー! マガトロはここに居るのかぁ!」

 

「ちょっとマキちゃん、そんなにおっきな声出したら、マーガトロイドさんも驚いちゃうと思うな?」

 

「由紀香、こういう時の蒔の字に何か言っても無駄だと思うが」

 

「でもマキちゃんを止めないと、お店に迷惑がかかっちゃうよ?」

 

「おや、マーガトロイドと遠坂がセットでいるじゃないか?」

 

「え! 遠坂さんも!?」

 

 あぁ、これが噂をすればというやつなのだろう。

 言霊が要らない仕事をしてくれたようだ。

 

「アリス、貴方に随分と騒がしいお客さんが来たわよ」

 

「凛を見つけたのなら、貴方の方に食いつくでしょう」

 

 私達を見つけた氷室さんと三枝さんに軽く手を振る。

 氷室さんは軽く手を挙げて答え、三枝さんはブンブンと手を振ってくれる。

 そうしてちょっとばかり和んでいたら、陸上部3人娘の中で、歩く爆薬庫、穂群原の黒豹(自称)、もしくはクロネコヤマトと噂されている楓がこっちを見つけたようだ。

 一直線にこっちにやってくる。

 

「よっす、マガトロ、それに遠坂。

 マガトロがここで働いてるって聞いたんだけど。

 噂が本当かどうか、確かめに来てやったぞ!」

 

「……どうしてそうも自慢げなのよ」

 

 胸を張ってエヘンとでも言い出しそうな蒔寺さん。

 全く持って、元気そうでなによりである。

 

「いや、済まない。

 蒔の字がどうしても確かめに行くんだ~! と聞かなくてな」

 

「マキちゃんはマーガトロイドさんのこと、大好きだもんね」

 

「ば、バカ言うなって!

 誰が暗黒人形師のことなんか好きになるかっての!」

 

 騒がしい、そして何? 暗黒人形師って。

 人を危ない人のように言うなど、まったくもって心外である。

 

「そうよね、楓が好きなのは凛だものね」

 

「おい、そこな人形師、ナニヲイッテルンダ」

 

「だって、何かにつけては、遠坂遠坂ですもんね」

 

 面白いくらいに片言になった楓に、油をドブドブと注いでおく。

 口の悪い子は、矯正しておかないと。

 

「マキちゃんも遠坂さんと仲良くしたいの?」

 

「べ、別にそんなことはないから」

 

 私に何か言い返そうとしたところで、楓は三枝さんにタジタジにされていた。

 三枝さんの目は輝いていて、ワクワク、ドキドキ、そんな音が聞こえてきそうなくらいキラキラした目で楓を見ている。

 その姿は、長い旅路の末に、志を共にする同志を見つけたようでもあって。

 

「本当に?」

 

「……少しは、仲良くしたいと思ってる」

 

 三枝さんの勢いに押されて、渋々と楓が認めた。

 小さくガッツポーズをしたあと、三枝さんは楓の手を握る。

 

「一緒に頑張ろうね、マキちゃん」

 

「お、おう」

 

 三枝さんは、楓の握った手をブンブンと振りながら笑顔で言う。

 そして楓も、困惑が抜けきれていない状況ながら、戸惑った感じに手を同じくブンブンしていた。

 

「凛、モテモテね」

 

「……三枝さんって、あのキラキラした感じで和み空間を形成するから、何時か本性がバレそうで怖いのよ」

 

「あぁ、だから距離をとっているのね」

 

 でも仲良くしたい、そんな心情の現れか、凛の足元では貧乏ゆすりが続いていた。

 唯でも貧乏症なのに、これは悪化が避けられないような勢いで。

 

「それで、本題なのだが」

 

「私が働いているかってことね」

 

「あぁ、そうだ」

 

 氷室さんが思い出したように聞いてくる。

 私は気にしてないという態度を取りながら、しっかりと聞いてくるあたり、氷室さんにも野次馬根性というものがあったのか。

 それとも用事を終わらせたいだけなのか。

 

「働いてるのは事実よ。

 今日は休んでいいと言われたのだけれど」

 

「ほぅ、この忙しい時期にか?」

 

 目を細めて興味深そうにしている氷室さん。

 気になるなら理由を教えようかとしたら、手で制される。

 

「まあ、待ってくれ、マーガトロイド。

 ちょっと自分で考えてみたい」

 

「良いけれど……ヒントが欲しかったらどうぞ」

 

 何か知的好奇心が刺激されたのか、氷室さんは謎解きモードに入ってしまった。

 どんな推理をしてくれるのか、その段取りなどが気になったこともあって、私はそれを見守ることにした。

 さて、どういう答えを出してくれるのやら。

 

 そうして氷室さんが考え込んだあと、ふと隣を見るとそこには凛に楓、そして三枝さんがほのぼのと話をしていた。

 主に三枝さんのほのぼのオーラに、他二名が当てられる形となっているのだが。

 

「遠坂さんとこうしてテーブルを囲む……うん、一つ夢が叶っちゃいました!」

 

「こんなことで夢って、大げさな」

 

「そんなことはありません!」

 

 勢い否定する三枝さん。

 グイっと凛に顔を近づけて、自らの熱い思いを語っている。

 それには流石の凛も押されているようだ。

 

「遠坂、お前はいっつも寄ってきた由紀っちを無下にしてたもんな。

 嫌われてるんじゃないかって、すごい気にしてたんだぞ?」

 

「あぁー! マキちゃん余計なこと言わないで!」

 

 もぅ、ひどいんだから! と怒る三枝さんに、悪い悪いと謝り倒す楓。

 そして凛はそれをカラカラと笑いながら見ている。

 

「嫌ってなんかいないわよ。

 ただね、私にも私なりのペースがあるから。

 だからごめんね、大丈夫な時は私から誘うことにするわ」

 

「本当ですか! 本当なら嬉しいです!!」

 

 本当に凛の熱狂的なファンなのだろう。

 三枝さんは凛の手を握って、嬉しそうに笑顔を振りまく。

 その笑顔は、誰が見ても心が癒されるであろう可愛いもので。

 凛も当てられているのか、しゃんとした表情が崩れかかっている。

 

「マーガトロイド、他の店員で誰か休んでいる人はいるのか?」

 

 そんな中で、未だに考え続けている氷室さん。

 ヒントを求めてのことだっただろうが、それは良い線を突いた質問である。

 

「他には衛宮くんね。

 衛宮くんのことは知っていて?」

 

「あぁ、あのブラウニーは一部では有名だからな」

 

 衛宮くん、彼は今まで献身的にコペンハーゲンで働いていた。

 そして休日でも、どうしても来て欲しい、人手が足りない、そういう時には常に駆けつけていたのだ。

 

「もう一ついいかな?」

 

「どうぞ、幾らでも聞いて頂戴」

 

 流石にこれだけでは分からないようだ、当たり前である。

 

「あそこのバイトの人、あの人たちはバイトを始めてどれくらいの人達なのかな?」

 

「大体1ヶ月ね、仕事もスムーズにこなしてくれるから、助かっているわ」

 

 氷室さんが指を指して尋ねたのは、大学生アルバイトの皆さん。

 最初はあまり戦力になってくれなかったが、最近は手馴れてきたためかよく働いてくれている。

 お陰で、私はシフトを少し減らすことになったのだから、良いのやら悪いのやらである。

 

「成程な、謎は解けただろう」

 

「もうヒントはよろしいのかしら?」

 

 私が念のために尋ねると、顎に手を当てて黙考。

 そうして頷いて口を開いた。

 

「なら最後の一つだ。

 マーガトロイド、君は週にどれくらい働いていた?」

 

 目の付け所は、流石といったところだろう。

 半ば降参するつもりで返答した。

 

「週に5日ね」

 

「大体はわかった。

 では答え合わせと行こうか」

 

 不敵に笑う氷室さん。

 彼女の整頓された脳内で、私から得た情報を元に正しい答えに導かれていることだろう。

 

「衛宮とマーガトロイド、君達が休暇を貰えた理由は幾つかある。

 まず一つ目は、君たちのシフトが他の人たちと比べて比較的に多く入っていたことだろう」

 

 当たり、私達は普段から多くシフトに入っていた。

 そして店側は、過剰気味な私達のシフトを減らしたほうが良いのでは? と考えてもいたようだ。

 

「そして二つ目、新しいバイトさん達がどこまで働けるのか。

 それを店側が見極めている。

 どれほど働けて、どこがまだダメなのかということをね」

 

 これまた当たり、私たちが抜けた分をどれほど支えられるか。

 それをネコさんたちが見ているのだ。

 人数はそこそこ居るので、フォローはネコさん一人で事足りるそうな。

 

「最後に三つ目、君達、店主達と仲がいいだろう?」

 

「よく見てるわね、その通りよ。

 店長も、その娘のネコさんとも仲が良いの。

 お陰であっさりと、お休みが貰えたわね」

 

 ネコさんから『折角のイヴやクリスマスは君たちをバイトから開放してあげよう!』と言って、今日のバイトを免除してくれたのだ。

 衛宮くんは悪いから、と辞退しようとしていたが、桜をデートに連れて行ってあげれば? と私が言うと、悩んでからだが無事に休暇を受け取っていた。

 ネコさん達も、衛宮くんの過重労働を心配していたようだし、うまく落着できたといったところであろう。

 

「正解よ、氷室さん。

 見事、と言えば良いのかしら」

 

「この程度のこと、造作のない。

 むしろヒントをここまで貰っているのだから、解けなければ恥と言ったところか」

 

 謙遜でもなく、本当にそう思っているのであろう。

 だが少し得意げなところに、解けた達成感を感じてはいるのだろう。

 

「本っ当に無駄なことばかり得意だよな。

 肝心なところでは、てんで駄目なのに」

 

「蒔の字、口を謹んだらどうだ?」

 

「そうだよ、鐘ちゃんの頭は、いつも切れっきれだよ!」

 

 謎が解けたところで、楓が話に混じってくる。

 向こうでの凛ちゃん好き好き、という話も一段落着いたのであろう。

 

「モテモテね、凛」

 

「本当、モテすぎて困っちゃうわ」

 

 じとっとした目で、私を見据えている凛。

 その目には、見捨てやがって! という怨念が存分に込められていた。

 

「ボロがでそうで、おっかなかったわよ」

 

「でも楽しそうだったわよ? 悪くない気分でしょう」

 

 あれだけ遠坂さん凄い! 遠坂さん流石! と褒められていたのだ。

 嫌な気分にはなりたくてもなれないであろう。

 それに、三枝さんは全て本音で語っているであろうから。

 

「……まぁね」

 

 照れているのか、コーヒーカップで口元を隠す凛。

 そういうところ、三枝さん達が気付けば意外に思うかもしれない。

 

「ところで、楓。 貴方私に何か用があったの?」

 

 彼女がここに来た理由は、私であった。

 なら、そう考えるのが普通であろう。

 

「あぁ、それな」

 

 すっかり忘れていたようで、そうだったと頭を掻いている楓。

 三枝さんに小突かれつつ、持っていた鞄から手紙のようなものを取り出す。

 

「明日クリスマスパーティーするんだけど、来るか?」

 

 これは……嘘が転じて真となった、ということか。

 

「良いの?」

 

「遠坂の分もその中入ってるから、来れるなら来ればいいぞ」

 

「マキちゃん、来てください、だよ」

 

 ムム、と唸っている楓に氷室さんも続く。

 

「来てもらう側なら、もうちょっと下手に頼むものだけれどね」

 

「あぁ、もうわかったよ! うちのクリスマスパーティーに来てくださいお願いします!」

 

 一気に言い切った楓に、私と凛は顔を見合わせる。

 どうする? 行くの? 桜の手前、行かなきゃマズイわよ……。

 こんな感じで耳打ちし合う。

 

「で、どうするんだ?」

 

 答えを急かすように楓が聞くと、私も凛も示し合わせたように頷く。

 解答は一つしかないからだ。

 

「では明日、ぜひ参加させていただきますわ」

 

「私もお邪魔するわ、ところで誰の家でするの?」

 

「由紀っちの家、他に兄弟とかがたくさんいるからな。

 明日は私が案内してやるよ」

 

 行くとの返事に、楓は自信ありげに笑い、三枝さんは嬉しそうに手をギュッと握りしめて、氷室さんはメガネの縁を持ち上げて何時も通りにしていた。

 

「よっしゃ、だったら準備しなきゃな」

 

「マキちゃん、手伝ってくれるんだ! ありがとう」

 

 頑張るぞー! と手を突き上げている、楓に三枝さん。

 氷室さんはどうするのかと見ていると、残念そうに首を振って、準備を手伝えないことを告げた。

 

「私は父について、夜はパーティーに出なければならない。

 だから手伝うことはできないが、明日は完全にフリーだ」

 

「……そういえば、氷室さんは市長の娘さんだっけ?」

 

 思い出したように凛が言うと、彼女は頷く。

 

「通りで、立ち居振る舞いが綺麗だと思っていたわ」

 

「そうだろうな。 だがマーガトロイド、君も自然体で綺麗に立ち回っている。

 姿勢や動作、その他もろもろがな」

 

 私のモノは、最初は意識してやっていたが、もう気にならない程に馴染んでいる。

 こういうものは、日頃の努力が物を言うのだろう。

 

「頑張ったもの、出来てなかったらショックだわ」

 

「ふふ、そういうものだろうな」

 

 クスクスと互いに笑をこぼし合う。

 どれだけ苦労したかを、分かり合っているから。

 

「じゃ、そろそろ行くか。

 明日の準備をしなきゃいけないし」

 

「そうだね、じゃあ、遠坂さん、マーガトロイドさん、また明日!」

 

「私もお暇しよう。

 明日は楽しみにしているよ」

 

 それぞれに楓たちが席を立ち上がる。

 もう目的は達したのだし、客数も増えてきているのだから、これ以上居るのも迷惑になると判断したのだろう。

 

「また明日。

 明日は楓の家で会いましょう」

 

「私も楽しみにしているわ。

 では、さようなら」

 

 楓たち三人娘に手を軽く振りながら見送る。

 彼女達が去ったあとは、相対的に静かで、落ち着くもやや寂しい。

 まるで嵐のようなひと時である。

 

「約束、しちゃったわね」

 

「そうね、約束したからには行かないとね」

 

 そうやって私達は嬉しいように、困ったように、顔を歪める。

 嫌ではないし楽しみであるのは本当だ。

 だが魔術の領分が、日常に犯されていく。

 それが本当に良いことなのか、それが私たちには分からない。

 線引きが出来ているようで、何時の間にか侵食されているのではないか。

 そういう疑念があるのも確かで。

 

「幸せね、凛」

 

「そうね、アリス」

 

 でもきっと、それは幸せなことなのだろう。

 日常は何時までも、穏やかなものであり続けてくれるのだから。

 だが是とすれば、魔術師として朽ちる時が来るのだろう。

 もしそうなってしまえば、私達は私達のままではいられない。

 

「クリスマスだから、そう言う理由じゃ駄目かしら?」

 

「そういうことにしておきましょうか」

 

 それが詭弁なのは私達が、一番知っている。

 暖かすぎて、敵わなくて、そして惹かれてしまう。

 魔術師として腐らない為には、何時か試練へと向かわなければならないだろう。

 

「帰りましょうか」

 

「えぇ、今日はありがと、アリス」

 

「大したことではなくてよ」

 

 そうして私達は店を出た。

 現状の認識と、不安を持って。

 

 

 

 

 

「そう言えば、晩御飯の食材を買って帰らないとね」

 

「冷蔵庫、空になってたっけ?」

 

 空気を振り払うように、敢えて普通の話題を振る。

 そうして何時もに戻るのだ。

 

「昨日に使い切っちゃった」

 

「しょうがないわね、買いに出るしかないか」

 

 そうして来たのが何時もの商店街、マウント深山。

 ここは食材だけなら、胡散臭い物でも大概は手に入る。

 裏の店とかを調べれば、面白いものが見つかったりする。

 

「そういえば食用蛙とかもあったわね」

 

「やめなさいよ、フランス人じゃあるまいし」

 

 フランス人はゲテモノ食い、ここで意見が一致したのは偏見だろうか?

 欧州では、ドイツ人がジャガイモ、フランス人がフロッグ、イギリス人はライミー、イタリア人はパスタ(ピザの場合もあるらしい)と、互いの悪口を言う時に罵り合う事がある。

 

 そしてこの中で異質さを放ってるのが、フランスのフロッグ、つまりはカエル。

 他の国が食べ物らしい食べ物なのに対して、フランスはおかしなものとなっている。

 これはフランス貴族の豊かさや心の余裕から、ゲテモノ食いを始めたのも大きな理由の一つに挙げられるのではないかと思う。

 

「何考えてるの」

 

「フランスの食文化についてよ」

 

「今日はフランス料理?」

 

「ポトフにするわ」

 

 それなら手間は少しで済むし、何よりゲテモノだけがフランス料理でないと実感できるから。

 

「じゃあ楽しみにしてるわ」

 

 今日の献立の心を馳せながら、買い物をせっせとして大方買い揃えられた。

 さて帰りましょうか、そう凛と話していた時のことであった。

 

「ヤヤ、良いところに凛ちゃんがいたアルネ」

 

 やたらと胡散臭い日本語で近づいてくる人がいた。

 魃店長、中華料理屋泰山の店主にして、何故だか年を取らない人。

 一時期は死徒だとすら思ったが、本当に普通の人であった、驚きである。

 

「それにアリスちゃんも、渡りに船とはこのことアル」

 

「何か御用でしょうか?」

 

 何かを頼もうとしているのは分かる。

 分かりやすく言葉を並べられたのだから、当然といったところだ。

 

「ウン、綺礼ったら、食べに来たのはいいけど、何時も持参しているれんげを持って帰るのを忘れちゃったでアルヨ」

 

「……綺礼のれんげ?」

 

 魃店長が取り出したれんげ。

 それを凛が珍妙で恐ろしいものを見た顔をしている。

 意味が分からなそうに、首を振ってはまじまじと見つめる。

 そうして、まるで存在そのものが呪われた装備であるように、嫌そうな顔をしているのだ。

 

「これを綺礼に届けてあげて欲しいアル」

 

「えぇー」

 

 小さな声で、だが凄く嫌そうに凛が呻く。

 彼を蛇蝎のごとく嫌っているであろうから、凛の反応は尤もなものはあるのだろう。

 確かに胡散臭くて、信用における人物でないのは明らかなのだが。

 

「綺礼はネ、友達が少ないから、誰に声掛けたものかと苦慮してたところにちょうど君達が来てくれたのヨ。

 お願いだから届けてあげて欲しいアルよ」

 

 確かにあの神父に友達がいたら、それは大きな驚きになるだろう。

 仕方がないかな、そう思ってしまったのが運の尽きか。

 

「分かりました、持っていきます」

 

「おぉ、ありがとうアル」

 

 魃店長が私にガバっと抱きついて感謝の意を示していると、隣で凛が私を射殺さんと視線を投げている。

 本当に、どれだけ嫌なのだろうか……気持ちは分からなくないが。

 

「じゃ、アリスちゃん、凛ちゃん、あとは任せたアルよ~」

 

 魃店長はスッキリした顔で泰山の中に戻っていく。

 そうして魃店長が店に戻ったのを確認して、凛が殺気を滲ませながら私ににじり寄ってくる。

 

「どういうつもり?」

 

 笑ってる、凛はとてつもなく笑っていた。

 凛の場合、可愛い笑顔と危ない笑顔の二種類が存在している。

 そして私に向けているのは、明らかに後者の方であった。

 

「落ち着きなさい、凛。

 あの神父のことよ、誰も持って行ってくれる人が居ないに決まっているでしょう?」

 

「日頃の行いのせいよ! あいつのれんげがどうなろうと、私は知ったこっちゃないわよ!」

 

 そう、あの神父はロクでもないことに変わりはないだろう。

 だがその神父に、私は借り、と呼べるものが一つばかり存在していた。

 

「こっちに留学に来る手続き、あの神父に結構手伝ってもらったのよ」

 

「あんた何悪魔に魂売ってんのよ!」

 

 信じられないものを見る目で私を見る凛だが、致し方がなかったのだ。

 教会同士の繋がりで、私は冬木へのコネを作ったのだから。

 

「何にしても私は行かなきゃいけないわ。 凛はもう帰る?」

 

 それだけ嫌なのなら、それも選択肢の一つであろう。

 そしてその提案に、凄く、凄く迷いながら凛は顔を上げた。

 

「ここまでくれば、毒を食らわば皿までよ。

 あんた一人おいて帰るのも後味悪いしね」

 

「面倒見がいいのね。 ありがとう、凛」

 

「そう思うなら、今度からは気をつけてよね」

 

 はぁ、とため息を履きながら凛は言峰教会への道を歩き出した。

 ほら、早く! と急かす声もあってか、私も早足気味で凛に続く。

 嫌なことはさっさと終わらせて帰ろう、絶対に凛はこう思っているに違いない。

 ……悪いことをしたという気持ちは、ある。

 また埋め合わせをしなくては、そんなことを考えながら教会への道を歩いていた。

 

 

 

 

 

「今年は良い子にしていたかね、少年」

 

「はい、頑張って勉強して百点を取ったり、良い子になれるように頑張りました!」

 

「ならば、神もサンタも、君の行動を注視しているのだから、素敵なプレゼントがもらえることであろう」

 

「ありがとうございます、神父様!」

 

 何かがおかしい、何がおかしい?

 

「おや、凛にマーガトロイド嬢ではないか。

 日頃の傲慢さを、懺悔でもしに来たのかな?」

 

 赤い服、赤い帽子、そして片手に聖書。

 そこにはサンタの姿をした言峰綺礼の姿があった。

 そっと、教会の扉を閉める。

 

「なに、あれ?」

 

「分からないわ、もしかしたら何かが起こる前兆かもしれないわね」

 

 端的に言って違和感しかない。

 早く病院に連れ行った方が、皆の為になるのではないか。

 そう思えてしまう。

 意味が不明にも程があった。

 

「神父様? あのお姉ちゃん達はどうしたの?」

 

「あれらはな、今年一年悪い子で過ごしてきたから神様に懺悔をしに来たのだよ」

 

 ……は?

 

「お姉ちゃん達、悪い人なの?」

 

「そうだな、ロクでもないことに変わりはない」

 

 ……オイ。

 

「ふっざけたこと言ってんじゃないわよ! 口を縫い合わされたいの!!」

 

「ほら、あれを見るが良い。

 まるで獣の目だ、見ていると本性が分かるというものだ」

 

「あんたの死んだ眼よりかは、断然にいいに決まってるでしょ!

 それより綺礼、その子供たちは何?

 もしかしてアンタ人攫いも始めたの!!」

 

 凛が先に爆発した。

 誰だってあの神父にロクデナシと言われれば、お前が言うなと口を揃える。

 

「ご挨拶ね、言峰神父」

 

「なに、君たちほどではない」

 

 何時もの如く、飄々と受け流している言峰神父。

 口が上手い分だけ、めんどくさい事この上ない。

 

「それで綺礼、この子達は一体なんなの?」

 

 凛の気迫に怯えて、言峰神父の背に隠れた子供がいた。

 そのことにショックを受けたことで、凛は多少の落ち着きを取り戻して冷静に聞く。

 確かにアレと比べられて負けるのは、流石に私も心に傷がつくというもの。

 正直、勘弁して欲しい。

 

「簡単なことだ。

 今日一日、清い信仰を捧げに来た子供たちを歓迎していただけのこと。

 それに私はこの街のサンタ協会の名誉顧問でな。

 その仕事も兼任して、クリスマスの前日から活動しているだけなのだよ」

 

 サンタ協会の名誉顧問?

 誰なのだ、そんなものにこの神父を就任させた馬鹿は。

 隣で凛も絶句していた。

 

「信仰とサンタ、切っても切れない縁があるものだよ。

 この国ではサンタだけが独立して活動しているらしいがな」

 

 嘆かわしいことだ、と言っているが、薄らわらいを浮かべているので、到底本気ではないのだろう。

 ひどくアホらしい。

 

「では今度はこちらからの質問だ。

 罪深き君たちは何をしにここまで来たのだね?

 懺悔をしに来たようには、見受けられないのだが」

 

 変わらない胡散臭さが滲み出ている笑みを貼り付けての質問。

 さっさと帰りたくもあるので、手早く答えることにする。

 

「魃店長に頼まれたのよ。

 忘れ物を届けに来たってところね」

 

 鞄から、ナプキンに包まれたれんげを取り出すと、言峰神父はほぅ、と興味深そうに私を見た。

 

「珍しく善行を積みに来たらしいな」

 

「悪徳の限りを尽くしているあなたに言われるのなら、そうなのかもしれないわね」

 

 溜息を吐きそうになりつつ、私は手短にれんげを言峰神父に渡した。

 そうして、私はさっさと帰ろうと踵を返した……その時。

 

「まぁ、待ち給え」

 

 嫌よ、と口から漏らすのを寸でのところで堪える。

 ここで言ってしまえば、子供たちの前で悪役に仕立て上げられるのは明白であったから。

 

「君達のせいで子供たちが怯えてしまった。

 責任はとってももらえないのかな?」

 

 思わず振り向いてしまうと、子供たちは教会の長椅子などに隠れてこちらの様子を伺っている。

 

「私達が去れば、それはなくなるのではなくて?」

 

「君は本当にそれでいいのか?」

 

 タチの悪い笑顔、先ほどの胡散臭い笑みを超越する、嬲るものが特有に発するものだ。

 ここで何もせずに去れば、私達は大方魔女にでも例えられて、子供たちに刷り込まれるのだろう。

 

「何をしろと?」

 

「君の人形劇、商店街では評判でね」

 

 あぁ、そういうことか。

 弱みを握られている状況では、拒否できるものではない。

 

「あなた一人では、そろそろ間が持たなくなってきているのね?」

 

「聖書を音読するだけでは、子供たちは退屈してしまうのでな」

 

 この人に子供の世話ができるとは到底思えない。

 そしてこのまま私達が去れば、子供たちが哀れなことになるのは目に見えている。

 

「良いわ、やってあげる」

 

「それは重畳。

 皆、この金髪の娘が人形劇をしてくれるそうだ。

 業は深いが、実力だけは折り紙つきだそうだ」

 

「いちいち一言余計よ」

 

 はぁ、とため息を履きながら、鞄から持ち歩いていた人形を取り出す。

 この教会に来てから、どれほどため息を吐くことになったであろうか。

 

「みんな、集まって頂戴。

 人形劇をはじめるわよ」

 

 言峰神父が頷いたのを確認して、子供たちが恐る恐る私の周りを囲み始める。

 この怯えを、今回の劇で全て取り去ってしまうとしよう。

 

「さあ、開演よ」

 

 演目は――マッチ売りの少女

 

 では、始まり始まり

 

 

 

 昔々ある日、大晦日の晩にマッチを売って歩く少女が存在していたのです。

 彼女の家は大層貧乏で、少女自身は学校に行けずに毎日毎日マッチを売り続けていました。

 だけれど、その日は売れ行きが悪く、殆どのマッチが籠に余っていました。

 もう日は暮れて、行きかう人々の足も早足で、誰もマッチ売りの少女に目を向けようとはしなかったのです。

 

『マッチを買ってください! 付けると暖かくて、心も温まります!』

 

 そうやって、通りかかった人達に近づきますが、誰も彼女を鬱陶しそうにして素通りしてしまいます。

 少女はどれだけ頑張っても、誰も買ってくれないので、寂しくて泣いてしまいそうになります。

 どうすれば売れるのか、うんうん、と頭を捻って考えついたのが実際にマッチを付けてしまおうというものでした。

 暖かそうに私がしていたら、みんなもマッチを欲しがるに違いない!

 少女にとってそれは名案に思えて、早速マッチをつけてみました。

 

『暖かいわ、本当に暖かい」

 

 少女は家で、マッチは売るものだからと、全く使わせてもらえていなかったのです。

 祖母が生きていた時に唯一、この暖かさを感じれていました。

 それを思い出すと、自然と涙が溢れてきてしまいます。

 

『おばあちゃん、私頑張ってるよ?

 なら、そのうちきっといいことがあるよね?」

 

 火の中に祖母を見たような気がして、涙声で問いかけます。

 無論返答はない、そう思っていた時です。

 火の中になんと、七面鳥が見えるではないですか!?

 びっくりしていると、段々とマッチの勢いは弱くなっていき、七面鳥ごと消えようとしています。

 慌てて、次のマッチを付けると、七面鳥は元に戻り、今度はクリスマスツリーが、火の中に現れたではありませんか!

 少女は嬉しくて舞い上がってしまいます。

 

『凄いわ! きっと神様がご褒美をくれたのね!』

 

 そうして嬉しくなった少女は、もう一本のマッチをつけます。

 そうすると、今度は火の中から大好きだった祖母が現れたではありませんか!?

 

『元気してるかえ?』

 

『うん、私は元気だよ! おばあちゃん!!』

 

 少女の言葉に、すごく嬉しそうに祖母は微笑みました。

 そうして次にこう続けました。

 

『なら、大丈夫かぁ』

 

 祖母が呟くと、段々と火が小さくなっていきます。

 このままでは、美味しそうな七面鳥も、綺麗なクリスマスツリーも、そして大好きな祖母まで消えてしまいます。

 

 いや、いや、そんなのはいや!?

 

 慌てて残りのマッチを全て擦って、火を強くします。

 そうすると、全てが元通り。

 ただ、愛情に見た顔の祖母は、困った顔になっていました。

 

『のう、本当は元気かぇ』

 

 再びの同じ質問、少女は考えます。

 考えて考えて考えて、そして言いました。

 

『本当はね、辛いの。

 毎日あんまり売れないマッチを売るために歩いて、家では固いパンしか食べられない。服も靴もいつもボロボロで、お父さんは怖いの。

 どうしてこんなに辛いのか、私わからないわ』

 

『そうかぁ』

 

 祖母はそれだけ言って、しばらく黙り込んでしまいました。

 そうしてポツリと、聞きます。

 

『なぁ、お父さんは好きかぇ?』

 

 少女はお父さんのことを思い浮かべます。

 お父さんは、黙りんぼで、それでいて怒りりんぼでもあり、いっぱい叩かれてしまいます。

 でも、時々優しくなる時があるのです。

 

『好きよ。でもね、このままだときっと嫌いになっちゃう』

 

 最近は毎日叩かれてしまう少女。

 すきま風が吹き込む家のベッドの上で、少女はいつも枕に涙を流していました。

 好きだけれど、ずっと好きでいられるはずがない。

 それが少女の考えでした。

 

『だからおばあちゃんのところに連れて行って。

 お父さんのことを嫌いになりたくないから!』

 

 おばあさんに訴えかけます。

 するとおばあさんは、ちょっとだけ微笑むと、手招きをしました。

 少女は嬉しくなり、火の中に飛び込みます。

 すると一面別世界になっていたではありませんか!

 

 光が差し込み、心が満たされて、上の寒さも心配ない場所。

 ここは神様が住まう場所だったのです。

 

『これからどうするんだい?』

 

 おばあさんはこっちに来た少女に話しかけます。

 疲れきっていた孫が解放されたことが、安心したようで、残念だったようで。

 誘ったは良かったけれど、それ以上のことはおばあさんはしてあげられそうになかったから。

 

『お父さんを見守るわ。

 そしてお父さんが何時ここに来ても良いように、おうちを作るの!

 風が入ってこない、暖かいおうち!』

 

 孫の優しさに、おばあさんは涙を流しながら手伝うことを約束しました。

 そして月日は流れて、お父さんがそこにやってきました。

 

『おぉ、この立派な家は!?』

 

『お父さん、こっちこっち』

 

 少女が嬉しそうに手を振り、祖母は優しくその様子を見守っていました。

 

『娘よ、苦労をかけたな』

 

 感動したお父さんは涙を流して今までのことを詫び、少女は笑顔でそれを許しました。

 こうして、家族は末永く、どこまでもどこまでも幸せに暮らしましたとさ。

 

 

 

 

 

「これで、おしまい」

 

 そう告げると、子供たちはパチパチと勢いよく手を叩いてくれる。

 そうして近くにいた女の子が、人形を触っていいかと訪ねてきたので許可を出す。

 

「わぁ、可愛い」

 

 上海の頭を撫でながら、少女は嬉しそうに呟く。

 上海がマッチ売りの少女役だったから、殊更にそう思うのであろう。

 そのうちに、ぼくも、わたしも、と殺到してきたので、順番に頭を撫でさせてあげることにした。

 

「みんなも、家族に喜ばれるようなことをしてあげたら、感謝してくれるでしょうから、頑張ってお手伝いをするのよ」

 

 はい! という唱和が返ってきて、私も満足そうに頷く。

 そうして警戒心をなくした子供たちと共に、雑談をしていると、ポツポツと子供達の親の姿が見え始める。

 口々に、神父様、ありがとうございましたと言っている。

 何だか、ひどく納得いかない。

 だが、子供たちは帰り際に、お姉ちゃん達バイバイ! と言ってくれるのだけが救いであった。

 そうして最後の一人が教会を去り、ようやく静寂を取り戻したのである。

 

「ご苦労だったな」

 

「あなたの相手を勤めるよりかは、幾分にも楽だったわよ」

 

「これは手厳しい」

 

 全然堪えてないふうに、言峰神父は言っている。

 事実としてそうなのであろうが。

 私が苦虫を噛み潰していると、凛が逆襲のように捲くし立て始めた。

 

「あんた、体よく私たちを利用したけど、当然何か見返りはあるんでしょうね?」

 

「これは異な事を。

 元はといえば、子供達を怖がらせたお前たちの責任ではないのかな?」

 

「はん、そもそもはアンタが煽ったからでしょう?

 それに責任以上の働きはしたわよ!」

 

 イライラしている凛の声を聞いて、ふむ、と考える動作をする言峰神父。

 そして、少し待っていろと言い、奥の方へすっこんでしまった。

 

「あいつ、本当に腹立つ」

 

「全く持って、同意見だわ」

 

 どうしてこうなったのか、と考えて、予々私のせいな点に頭が痛くなる。

 凛に後で何と詫びたものか、それに頭を巡らしていると、引っ込んでた神父が戻ってきた……酒瓶片手に。

 

「エセ神父」

 

「破戒僧」

 

 私と凛から似たような言葉が飛び出し、それに対して言峰神父は平然としてこういった。

 

「知らなかったのかね?」

 

 ……よくもまぁ、ここまで開き直れることだ。

 凛も敵愾心を剥き出しにして、だがどうしようもない憤りを感じているようであった。

 

「これでは足りないかね? 100年もののワインなのだが」

 

「本当に、よくもそんなものを持っていられるわね」

 

「なに、色々と理由があってな」

 

 どうせロクでもない理由に違いないわ、と凛が吐き捨てる。

 が、しっかりとワインは強奪していた。

 

「今日はこれで勘弁してやるわよ」

 

 こいつの相手は御免だ、そう言わんばかりに凛が扉に向けて歩き出す。

 私もそれに続くが、その時、後ろから声をかけられる。

 

「マーガトロイド嬢、最後にひとついいかな?」

 

「なに」

 

 ようやく解放されると思っていたところでの呼び止めであり、イラついた声を出してしまう。

 言峰神父はそれでも、更に笑みを深めて私にこう問うた。

 

「君の演劇、少女は天に昇り父親のために尽くしたとあったな。

 では、地上にいた少女はどうなったのだね?」

 

 本当に嫌なことを聞く。

 この人は嫌がらせをするために生きているのかもしれない。

 

「決まってるわ、灰になったのよ」

 

 私がそう言い捨てると、言峰神父は両掌で喝采をあげ、拍手を始めた。

 

「つまりは生きている限り、あの少女は幸せになれなかったと、そういう訳だ」

 

「そういう訳ではないわ。

 あの少女が現状での努力を諦めただけよ。

 もしかしたら、彼女の祖母くらいの年齢になる頃には、何か幸運があったかもしれない。

 結局のところ、究極的にはあれは逃げだったのよ」

 

「だがそれは強者の理論だ。

 弱者はやはり、諦めてしまうのではないかな?」

 

 本当に嫌な人、きっと結婚なんて出来そうにないだろう。

 

「そうね、結局は強者の理論よ。

 だけれど、弱者でもそれを成せる時があるわ」

 

 ほぅ、と興味深そうに、耳を傾ける言峰神父。

 だから私は臆面もなしに言ってやった。

 

「愛さえあれば、絆さえあれば、人は生きていけるものよ」

 

 彼は、笑みを深めて、だが酷く詰まらなさそうな顔をした。

 もう、呼び止められはしなかった。

 

 

 

 

 

「アリス、今夜は飲むわよ!」

 

「私達、未成年よ?」

 

 ようやく我らが城、遠坂邸に帰還することができた私たち。

 楽しく見回りをしようと思ってただけだったのに、大きく時間を取られることとなってしまった。

 

「そんなことは関係ないわよ!」

 

「気にしなさいよ……」

 

 もはや勢いだけで言っているであろう凛。

 それだけ苛立ちを溜め込んでいたであろうことから、仕方がないのかもしれないが。

 

「アンタも私に付き合わせたんだから、飲むのに付き合いなさい!」

 

 飲んでないのに、すでに酔ったふうなことを言う。

 呆れが湧いてくるが、私も悪かったのであまり強く拒否できない。

 

「でも私、お酒を飲むと意識がなくなるの」

 

「それがなによ」

 

 恐らくは意識がすぐに落ちる為。

 だから飲む相手としては不適切、と伝えたつもりだが、馬耳東風とはこのことか。

 

「……一杯だけだからね」

 

「そうこなくっちゃ!」

 

 勝った! と言わんばかりに良い笑顔をしている凛。

 もぅ、と思ってしまうのだが、これだけ笑ってくれたのだから、きっと悪くない。

 そう思うことにする。

 

「じゃ、乾杯」

 

「乾杯」

 

 グラスに注がれた紅い液体。

 それを一気に飲み干す。

 そうして。

 私の意識は。

 そこで無くなった。

 

 

 …………

 ………

 ……

 …

 

 

「凛~!」

 

 え、何この状況は?

 ちょっと意味がわからなくなっていた。

 

「凛! 凛!」

 

 簡単に状況をまとめる。

 お酒を飲み、そうしたらアリスがぶっ倒れた。

 そこまでは良い、本当に弱かったんだと呆れただけだったから。

 

 だがそのあと、急に起き上がって私に抱きつき、凛、凛!と連呼しながらお腹あたりを、ギューとしている。

 ……本当になんなのだ、これは。

 

「凛はお姉ちゃんみたいだね」

 

 初めて凛以外の言葉が出た。

 だけれど、お姉ちゃん、か。

 

「すごく暖かくて、ぎゅっとしてたい」

 

 私を抱きしめる強さをアリスはちょっと強めた。

 アリス、もしかしてものすごい甘え酒だったのか。

 ……何だか可愛く思えてきた。

 

「しょうがないやつね、良いわ、ギュッとしてあげる」

 

 私もアリスを抱きしめ返してあげると、ん~、と安心したように鳴き、そしてばったりと意識が途絶えたようだ。

 本当に眠ってしまったのか。

 びっくりした、本当に。

 だが、意外すぎる一面を見れてちょっと得した気分。

 

「それにしてもコイツ、絶対に見透かしてるわよね」

 

 よりにも寄ってお姉ちゃん。

 桜と私の関係を言っているようにも見えた。

 

「もう、今日は可愛さに免じて見逃してあげる」

 

 眠ってしまったアリスの頭を一撫でして、そして私は呟く。

 

「メリークリスマス、アリス」




アリスは可愛い(真顔)

なお言峰とアリスの問答。
あれ、言峰はサンタ姿のままでやってます(目を逸らす)

そしてこれが、今年最後の投稿になるものかと。
では皆さん、読んで下さりありがとうございました!
良いお年を!


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第12話 宵闇の中で見つけたものは

あけましておめでとうございます!
今年も皆さん、是非ご贔屓ください!


 草木も眠る丑三つ時、静寂に支配されているはずの時間。

 現在は初夏だが、セミもこの時間帯に騒ぐことはなく、何時もは非常に静かな時間帯である。

 だけれど、そうはいかないとばかりに、ごっすん、ごっすん、と音が響き渡っている。 

 それは五寸釘を打ち付ける音。

 不気味さと執念を感じさせる音が、冬木の由緒ある寺、柳洞寺に響いていた。

 そして、その不気味さに気付いてしまった人物がいる。

 

「……何事だ」

 

 柳洞一成、柳洞寺住職の息子にして、穂群原学園書記である人物である。

 異様な音と共に目を覚ました彼は、何があるのかを確かめるべく布団を抜け、その叩き付ける音のする方角へ向かい始めた。

 

 ごっすん、ごっすん、ごっすん

 

 音は近づくに連れて大きくなっていく。

 一成の背中は、暑さから来るもの以外で流される汗で、ベッタリと濡れていた。

 

 (曲者? 馬鹿な、こんなところに来るはずがない。では矢張り、怨霊の類か)

 

 非現実的な状況。

 ならば導き出される答えも、現実から浮いた話になるのも道理である。

 だがそれは、何故この寺にやってきたのか。

 五寸釘を打ち付けるほどの恨みを、一体誰に残しているのか。

 もしやそれは、柳洞家に向けられる怨念の類なのか。

 

 様々な疑問と憶測、しかも悪い方ばかりにしか出てこないそれら。

 己が不徳が招いた事態か、それとも先祖の不義理か。

 

 考えても、答えは導き出されない。

 考えても、音は鳴り止まない。

 

 埒があかない。

 行くしかない、もしも一族の不徳が齎した怨念なら、甘んじて受け入れ、そして成仏して貰えるように最善を尽くそう。

 人生に数回程しかした事のない、不退転を決め込み、覚悟を決めるような決断を下した一成。

 

「是非もなし。

 この世は全て、色即是空。

 ならば、己と貴様の違いなど、何もありはしない」

 

 自らを奮い立たせるように、そして恐れを払うようにして一成は大きく踏み出した。

 もう何も怖くない!

 

「悪霊退散、疾く輪廻の輪に帰るが良い!」

 

 高圧的に言い放つ。

 これで意識が自分に向けば御の字。

 もしかしたら、兄や他の者は巻き込まれずに済むかもしれない。

 自己犠牲の自己満足だが、それほどに一成はこの寺や、ここにいる人達が好ましかった。

 だから来い悪霊、俺が相手をしよう。

 

 覚悟を決めた者が発する一喝。

 そして目論見通り、悪霊は五寸釘を打つのをやめて、一成の方へと向いた。

 影法師のように、暗く見えないながらも、シッカリと声をした方角を見つめている。

 

 ドクン、ドクン、と自身の鼓動の音が一成を支配する。

 影法師は動かない、ゆっくりと一成を見上げるだけだった。

 

「どうした悪霊!臆したか!」

 

 更に声を震わせて、注意を引く。

 それが自分の役目と定義付けて。

 

「乙女を相手に悪霊とは、ご挨拶ね」

 

「……何?」

 

 だから返答があったのには、ひどく驚いた。

 女、しかも若い声。

 それもどこかで聞いたことのある。

 

「何奴だ!」

 

 それでも正体が分からないから、何者かを問うた。

 そして天がそれを聞き届けたのか、雲に隠れていた月が、その姿を現したのだ。

 

「こんばんは、柳洞くん」

 

 月が照らし出した正体。

 それは明らかに日本人ではなかった。

 黒い黒衣に身を包んだ、正真正銘の魔女の装い。

 だが呪術の方法が藁人形なあたりに、ちぐはぐさを感じずにはいられなかった。

 

「何をしている、魔女。いや、貴様は……」

 

 何度も見たことのある姿。

 仏敵に指定することに戸惑いを覚えないその在り方。

 間違いようがなかった。

 

「魔女、ね。

 日本式では、これが正しいと聞いたのだけれど」

 

 アリス・マーガトロイド、憎き遠坂の盟友にして、欧州より飛来した奇術師。

 何故ここにいるのか。

 そもそも藁人形などを、どうしてこの寺で打ち付けていたのか。

 何もかも、意味が分からなかった。

 

「そ、そもさん!」

 

「説明は必要かしら?」

 

 つい口をついて出た、自身の慟哭。

 この状況を生み出した魔女は、自ら説明してくれるとのことだ。

 だから一成は、一も二もなく提案を受諾する。

 こうして、アリスと一成は夜の密会を始める運びとなった。

 

 

 

 

 

「茶漬けだ」

 

「夜分にお邪魔したのに悪いわね」

 

 目を回していた柳洞くんだったが、フラフラとしながらも、私を寺の中に招き入れてくれた。

 自身でも、凶行に及んでいたのは否定し難い事実であるので、批判は甘んじて受けよう。

 それに今回の件は、実験も兼ねていたが好奇心の面が大きかった。

 他人に迷惑を掛けた点について、柳洞くんに何を言われても文句は言わないつもりだ。

 

「それでだ、貴様は何故悪鬼の如き所業に勤しんでいたのだ?

 理由もなくあのような凶行に及んだのなら、今すぐ厄祓いの必要性を感じるが」

 

「この寺は厄も除いてくれるの?」

 

「貴様が悔い改めるのなら、それもまた、だ。

 もしも改宗をするのなら、この柳洞寺を利用するがいい。

 幸いにして、寺には異端審問は存在せんからな。

 多少教義を曲解していても、罰せられることはない」

 

 中々どうして、達者なものだ。

 宗教家とは皆、須らく滑らかな口を持っているらしい。

 ルーマニア宗主宮殿の聖職者や、冬木に来た時に会った神父等も雄弁であった。

 

「柳洞寺への嫌がらせの可能性、これは考えないのかしら?」

 

 話の腰を折るように、私は邪推を投げかける。

 柳洞君との会話が、中々どうして面白かったから。

 だから少しばかり会話をしたくなった。

 しかし、柳洞くんは首を振り、鋭い目つきで私を睨みつけていた。

 

「思ってもいないことを言うな、鬱陶しい」

 

「あら? どうしてそう思うのかしら」

 

 見透かすように、柳洞くんは一刀両断にする。

 だが、私はしぶとく絡む。

 それによって、どのような答えが引き出せるのかを知りたいから。

 

「貴様の口角が上がっている。

 それだけで、おちょくろうとしている魂胆が分かるというものだ」

 

 成程、そうなっていても不思議はない。

 口元を確かめるまでもなく、それは認めた。

 

「おちょくるだなんて、人聞きが悪いわ。

 会話を楽しみたかっただけよ」

 

「魔女の詭弁だな」

 

「宗教家のお説教には負けるわよ」

 

 特に有難い類のモノにはね。

 

「そう思うなら、少しは耳を傾けるが良い」

 

「私にとって、益か徳があったりすれば、そうするわ」

 

「生兵法は大怪我の元。

 忠告は全てを聞いて、実行するべきだ」

 

 ご都合主義が過ぎると、全てが自分に帰ってくるという訳ね。

 流石は寺の子、言うことが一々説教臭い。

 

「今のは有益な言葉だから、心に留めておくわね」

 

「フン、好きにしておけ」

 

 ずずっと、自分の分の茶漬けを掻き込みながら、柳洞くんは胡乱な目で私を見る。

 その目が語っている、ここに何をしに上がり込んだのか、忘れたわけではあるまいな、と。

 

「そろそろ話すとしましょうか」

 

「貴様が話の腰を折るから、こうも遅くなった」

 

「女子はね、3人いなくても会話をしていれば饒舌になる性があるの」

 

「単に姦しいだけではないか!」

 

 その姦しい私に受け答えしてくれる柳洞くんも、十分に素質はあるだろう。

 流石は宗教家、話しかけられたら無視できない。

 その性には感服する他ない。

 

「さて、どうでしょうね。

 で、手紙なのだけれど」

 

 何かを言い足りないように、ピクリと眉を動かす柳洞くん。

 だが、再び脱線するのが面倒なのだろう、何も言わずに黙って話を聞いていた。

 

「私の友達がね、面白い手紙をよこしてきたのよ」

 

「それがどうしたというのだ」

 

「その内容が興味深くて、今回試してみたくなったのよ」

 

 露骨に顔を顰める柳洞くん。

 どこの馬鹿が、訳の分からない手紙を寄越したのだ?

 そんな雰囲気が、分かりやすく伝わってくる。

 

 そんな柳洞くんが気にしている手紙。

 その中身はこの様な感じであった。

 

 

 

 

 

 アリス・マーガトロイドさんへ

 

 

 それにしても最近、一段と暑くなってまいりましたね。

 ですが近くに湖があるので、神社の近くは涼やかな風が吹いております。

 それでも汗が止まらないので、タオルは必須品です。

 その為、神社にいる時は巫女服を着ていることが多くなりました。

 アリスさんに送った、写真の服です。

 

 見ての通り、大変通気性に優れている反面、露出が過多でちょっと恥ずかしいです。

 でもこれを着ていると、澄み切った気持ちになれるので私は好きなのですけどね。

 神奈子様も、「風祝たるもの、神の御心を忘れぬように巫女服はきっちりと着込め」って仰ってましたし。

 諏訪子様はそれを聞いて、「単なる神奈子の趣味だね。別に私は早苗がワンピースを着てようが、ゴスロリを着てようが構わない」と仰られて、神奈子様と論争を始めておりました。

 何時も通りの光景です。

 最終的には、私は巫女服が好きな旨をお伝えして、その場を抑えましたが。

 

 アリスさんもいずれ、着てみませんか?

 きっと美人なアリスさんなら、何を着ても似合うと思いますし。

 お胸のサイズを教えてくれさえすれば、きっちりと調節します!

 だから気軽に教えてくださいね。

 

 ところでアリスさん。

 日本の夏の風物詩をお知りでしょうか?

 浴衣、花火、かき氷など、素晴らしいものは如何様にも存在するのですが、もっと夏らしいものがあるのです。

 それは何か?

 答えは幽霊などの怪談話などです。

 この前、アリスさんの住んでいる所には、お寺があると言っておられましたね。

 そこを舞台に、新たな怪談を作られては如何でしょうか?

 そもそもお寺自体、神様の信仰を横取りしていく、ロクでもない人達なのです。

 なので、今回はお寺の人達の肝を冷やしてあげればいいと思います。

 という訳で、そのお寺を舞台にしましょう。

 そしてアリスさんを小馬鹿にした、呉服屋の人にも鉄槌を下せるので、一石二鳥です!

 方法は簡単、お寺の一番年数が高いであろう大木に、思いを込めて藁人形を五寸釘で打ち込むだけ。

 呪い(まじない)の類のものですが、きっと効果はあるはずです。

 これは日本の伝統芸能のようなものなので、遠慮することはありません。

 ガツンと決めればいいのです。

 

 アリスさん、ファイト!

 

 あ、それと、特に恨みがない場合でも、ストレス発散には藁人形は有効ですよ!

 ごっすんごっすんと、打ちまくっちゃって下さい!

 恨みを込められてない藁人形は、厄除け人形に早変わりしますからね!

 打ち込んだ場所の避雷針になってくれるでしょう。

 だから迷惑なことなんて、一つもないんですよ?

 

 と、本当は書きたいことがもっとあるのですが、あまり長文が過ぎるとアリスさんもお疲れするでしょうから、そろそろ筆を置くことにします。

 ではアリスさん、貴方の来訪を一日千秋の思いでお待ちしております。

 神奈子様や諏訪子様もアリスさんが来るのを、すごく楽しみにしています。

 人生ゲームなども買ってみたので、またみんなでやりましょう。

                                                                                                           かしこ

 

 東風谷 早苗

 

 

 

 

 

 ……今日も早苗は平常運行であった。

 また近いうちに顔を出さないと、そう思っている。

 それは兎も角である、何故この手紙の内容を実行に移したのか?

 それが問題になる点であろう。

 

 早苗の言う通りに、楓への復讐の為か?

 それは否、楓には穂群原の黒猫のあだ名をプレゼントした。

 美綴さん経由で広めたあだ名は、実にうまく定着した。

 影ではクロネコヤマトという名が、広まっているとか何とか。

 

『黒豹だって言ってんだろ! バカヤロー!!』

 

 そう叫びながら、必死に訂正して回る楓に溜飲を下げて以来、私はもうあの件については何も禍根は残していない。

 それならどうしてか、というと単なる魔術的な実験をしてみたかった、というのが本音である。

 

 柳洞寺、この場所は冬木市の中で1、2を争う霊脈地である。

 更には歴史があり、相応の因縁も溜まっている。

 それなりの数の思念も渦巻いており、一種の特異点でもあるこの場所。

 これだけの条件が揃っていれば、行動に移したくなるもの。

 そして誂え向きに、早苗の手紙には丁度、面白いものが書かれていた。

 日本式の黒魔術(ウィッチクラフト)が。

 

 これの面白いところは、早苗の書いた通りに、ただ相手に災いをもたらすだけではない。

 厄除けとして、身代わりにもなってくれる側面があるというところだ。

 だから私は、まず柳洞寺にこの藁人形を打ち付けて、どれほど厄を集めるのかを試すところであった。

 厄が集まれば集まるほど、災厄に対しての避雷針としての効果があるということである。

 そして厄が溜まった藁人形は、もしかしたら物理式のガンドに転用できるかもしれない、そんな企みも込めてのものであった。

 

 その経緯が柳洞寺の大木に、藁人形を打ち付けていた理由だ。

 だが、それをそのまま言うわけにも行かない。

 だから私は代わりに、こう述べた。

 

「夏の風物詩と聞いて」

 

「戯けが!!!」

 

 ……無論、こんな戯言が通用するとは思っていない。

 やっぱり駄目ね、と自分でも分からざるを得ない。

 溜息とともに、私は柳洞くんのあまりに鮮やかすぎる喝破に、舌を巻く。

 流石は寺の子。

 

「自らの欲望を満たすために神聖なる寺を私するとは!

 貴様は恥を知らないのか!」

 

「恥らいを知らない女は、女として終わってると思うわ」

 

「それ以前に、貴様の常識が終わってるとも思えるがな」

 

 だが感心していても、手厳しいことに違いはなかった。

 こうも言われると、自分が悪くても、何かを言いたくなる。

 それが言い訳だと分かっていても。

 

「……葛木先生にね、ついさっき会ったの」

 

 だから私の用意できる、とびきりの言い訳を使った。

 言い訳を、言い訳だと断言できないような。

 

「何?」

 

「先生と私が、五寸釘を打っているところで会ったの。

 ここに先生が住んでるなんて、驚きだったわ」

 

 

 

 これは柳洞くんに会う、30分前のことであった。

 静かに音を立てずに影法師のごとく、葛木先生が何時の間にか立っていたのだ。

 嫌な汗が止まらなくなっていた。

 ここで停学何て恥を晒す羽目になりかねないから。

 もしそうなったら、私は暫くただの魔術を研究する土竜となっていただろう。

 しかし普通の教師と、葛木先生は違ったらしい。

 

『ここで何をしている』

 

 明らかに不審な私への第一声。

 それは正しく、不審者への呼びかけ。

 

『自主的課外授業です』

 

 私も半ば開き直って、そう答えた。

 最早これまで、そんな諦めもあっての妄言でもあった。

 しかし、だ。

 

『そうか、だが未成年の深夜徘徊は認められていない。

 用事が済んだのなら、早急に帰宅しろ』

 

 用事が済んだのなら。

 つまりは用が済んでない場合は、活動が可能であるということ。

 

『それはこのまま続けても良いということでしょうか?』

 

 僅かな望みをかけての問いかけ。

 最悪、ヤブヘビをつつく事に成りかねない愚行。

 しかし、葛木先生は真面目で裏芸が出来ない、率直に聞いたのだ。

 

『自主的な学習は、教師として大いに評価する。

 しかし、違反行為には変わりない。

 故に黙認する、しかしそれは違反を是認するとはまた別の問題だ。

 終わり次第、早々に帰宅していなかった場合は、罰することになるであろう』

 

 だから帰ってきた答えには驚いた。

 融通を聞かせてくれると、そう言ったのだ。

 私は静かに頭を下げてから、最後にひとつ、と質問を投げかけた。

 

『自主学習と言いましたが、明らかに今の私の行動はおかしなものです。

 正直に言って詭弁にしか見られません。

 なのに、どうして先生は私の言うことを信用なさったのですか?』

 

 馬鹿なことをした、自分でもそう思う。

 態々見逃してくれる人に対して、投げかける問いではなかったから。

 しかし、葛木先生は振り返り、その井戸のような目で私を見つめていったのだ。

 

『マーガトロイドは優等生である。

 それは事実であり、自らで課した試練を処理するからこそ、成せるものだからだ。

 だからこの活動がその一環であるとの言葉に、何ら疑問を差し込む余地はない』

 

 それだけ言い終えて、葛木先生は音もなく歩き始める。

 それを確認してから、私は再び五寸釘を打つ作業に戻ったのだ。

 先生が認めてくれたのだ、速やかに終わらせて変えるのが筋、そう思ったからだ。

 

 

 

「成程、ではしかし……」

 

 柳洞くんが厳しい視線を私に向ける。

 言いたいことは予想がつく。

 

「なら貴様は、俺の誘いに乗ることなく、さっさと帰ってしまった方が賢明だったのではないか」

 

「それは一理あるわね」

 

 そう、本来なら早めに帰宅するのが礼儀であり、そうするべきであるのだろう。

 しかし、私はここにいる。

 

「ではどうしてここで寛いだままでいるのだ」

 

「布団は貸して頂けるかしら?

 まさか女の子を一人で、真夜中に放り込むわけがないわよね?」

 

 出来るだけ綺麗に、印象に残るようにニッコリと笑う。

 きっと、我ながらイイ笑顔をしていることだろう。

 

「貴様!? 泊まり込むつもりか!」

 

「いっそのこと、その方が合理的かと考えたのよ」

 

 それに、今回お邪魔させてもらったのは、柳洞くんに見られたから。

 私は怪しげなことをしていた、それは紛れもない事実。

 しかしこのまま何も言わず帰れば、それこそ後日に柳洞くんが、怪しげな噂を流すことにもなりかねない。

 だから現行犯のうちに、釈明をしておこうと考えたのだ。

 

 そうして柳洞くんは、苦虫を噛み潰した上に、青汁を一気飲みした顔をしていた。

 そして葛藤の間でどうするか揺れ動きながら、私の方を見る。

 そうしてようやく、結論を出したようだ。

 

「……分かった、柳洞寺への滞在を許可しよう」

 

「ありがとうね、柳洞くん」

 

 渋々、本当に緊急避難だから、そう言い聞かせるような悲痛さを感じさでの言葉。

 ここまで厄介者扱いをされるとは……。

 まぁ、当然な話であるのだが。

 

「しかし、だ」

 

 釘を刺すように、鋭い口調で柳洞くんは告げる。

 

「俺は隣の部屋で待機する。

 貴様を家に上げて、何やら害がないとは言い切れないからな」

 

「……おちおち寝られそうにないのだけれど」

 

「自業自得だ、自分の不徳を恨むがいい」

 

 何を仕出かすか分からないから、監視の手を緩めるつもりはない、そういうことか。

 

「あなたは寝られなくなるけど、良いの?」

 

「責任は負わねばなるまい、致し方ない」

 

 一晩、起きて明かすことを決意したようである。

 自分で責任が取れる範囲で取ろうとする、立派なことではあろう。

 そしてこの中で、私だけがのうのうと寝るのは、居心地が悪いにも程がある。

 

「ねぇ、柳洞くん」

 

 だから私は提案する。

 自分が納得できるようにと。

 

「一晩中お話しましょうか」

 

 

「……なに?」

 

 柳洞くんは意味が分からなそうに、葦が言葉を発したかのような驚きを迎えていた。

 

 

 

 

 

「良いわね?」

 

「いらん」

 

 無論そういうと思っていた。

 私に気を使って、とかそういうのではなく。

 ただ単に、女の子と、もっと言えば私と喋るのが億劫なのだろう。

 

「でも私はとっても暇なの」

 

「寝れば良いだけの話だ」

 

 遠まわしに寝ないという宣言なのに。

 柳洞くんは全くそれに、歯牙にかけようともしない。

 ……ちょっとだけ、ムキになる。

 

「絶対に寝ないわ、私」

 

「阿呆なのだな、貴様は」

 

 テコでも動かぬ。

 正座をしながら覚悟を決めると、本当のバカを見る目で、柳洞くんは私を見ていた。

 どうも暖かな視線をありがとう、柳洞くん。

 そんな柳洞くんにお返しをしてあげよう、たった今、心にそう決めた。

 

「ねぇ、柳洞くん。

 恋バナでもしましょうか」

 

「好かん話だ。

 何故そのような我々に全く関係が無いであろう事柄を、話し合わねばならぬのだ」

 

「それが女の子の主食だからよ」

 

 これだから女は、と嘆息しながら宙を仰ぐ柳洞くん。

 もっと呆れればいい。

 あなたが辟易とすればするほど、楽しくなってくるのだから。

 

「だからね、衛宮くんとの関係。

 ぜひ聞かせて欲しいわ」

 

 できるだけニコニコとしながら、柳洞くんに話しかける。

 ごく自然に、だけれども大胆に。

 

「……マテ、何故そこで衛宮の名が出てくるのだ!」

 

「だって貴方達、ずっと一緒じゃない」

 

 4月上旬。

 困っている柳洞くんを、衛宮くんが手助けしたのが始まり、らしい。

 

 いつも一緒にいるのね。

 

 私の問いかけに、衛宮くんはそう答えてくれた。

 

「これだから女は……言っておく。

 衛宮とはそのような不純な関係では断じてないっ!

 もっと高潔な、同性同士での契りがあるのだ!」

 

 女性不信、とまではいかないでも、相当な偏見があるのだろう。

 なにか、いけない方向へ傾倒している気がしてならない。

 ……半ば冗談で言ったことだけに、驚きであった。

 

「女なんかでは触れられない交わりのようなもの、かしら?」

 

「そうだ、衛宮との間には断金の交わりが存在するのだ」

 

 自慢げに語る柳洞くん。

 それはどこまでも、純真無垢で、本気で衛宮くんを信頼しているのが伺える。

 入学してまだ一年も経ってないのに、ここまでの信頼を築き上げた衛宮くんと柳洞くん。

 それは取っても綺麗で、憧れさえも抱いてしまうもの。

 でも彼は知っているのだろうか?

 

「衛宮くん、彼女がいるわよ」

 

「なん……だと!?」

 

 有り得てはならない、キリスト教徒が悪魔を見かけたような顔で、柳洞くんは私を見る。

 だがそれも一瞬のことであった。

 すぐに落ち着いた顔に戻ると、柳洞くんは咳払いを一つした。

 それだけで、彼は落ち着きを取り戻した。

 

「衛宮のことだ、いい加減な女性は選ぶまい」

 

 当たり、とってもいじらしい女の子である。

 きっと柳洞くんでも納得するような、そんな良い子。

 

「親友のことは分かるものなのね」

 

「して、どのような人物なのだ?」

 

 でもやっぱり気になってしまうのが人情で。

 友達が大好きな柳洞くんは、もっと衛宮くんを気にしてしまう。

 

「そうね、何時も衛宮くんの一歩後ろを歩いているけど、隣に並びたそうにソワソワしていて。

 そうして衛宮くんと手を握って隣を歩けたら、すごく幸せそうな顔をするの、そんな娘よ」

 

「……そうか」

 

 顎に手を当てて、柳洞くんは目を瞑る。

 きっと、衛宮くんの恋人さんのことを。

 桜と衛宮くんが並ぶ姿を想像している。

 

 そうして静かな時が、空気が流れる。

 この静けさは、壊してはいけない。

 今は柳洞くんの邪魔をしてはならないから。

 

 そして、静かな時間が訪れ、幸せそうな桜を幻視した時。

 柳洞くんは目を開けて、そうしてニヤリと笑った。

 

「衛宮には、多少奥手な方が似合うのかもしれぬな。

 あれは守ってやるものが隣にいるほうが、幸せになれるタチなのだから」

 

「親友のことはお見通し?」

 

「……貴様も見れば分かるであろう。

 衛宮は危うい、要らぬ危惧を覚えるほどに」

 

 そのアンバランスさが、とっても良いの。

 見ていて穏やかになれて、そうしてちょっと心配になる。

 だって、あのままだと幸せになりきれないのは、明白であるのだから。

 

「何を考えている」

 

 何時の間にか、柳洞くんが私を睨んでいた。

 その目に宿る光は、鋭く射抜くだけではなく、苛烈ささえも感じて。

 

「衛宮のことで、何を考えていた」

 

 淡々と紡ぎだされる言葉が、彼が本気で私に対しているのだと、実感できる。

 

「別に、ただね衛宮くん。

 あのままだと……」

 

 幸せになれない、幸せを見ていないのだから。

 そう言おうとして、柳洞くんが首を振った。

 

「言わなくていい、言霊は溜まっていくものだからな」

 

「……そうね」

 

 不吉なことは、言葉に出す必要などないということ、か。

 成程、抑止力も誰かの、誰か達の言葉が集まって発生するかもしれない。

 そんな愚にもつかない事を考えて、柳洞くんの言葉を納得した。

 

「衛宮の不幸が嬉しいのか?」

 

 未だに私を真剣に射抜きながら、柳洞くんは問いかける。

 衛宮くんの不幸?

 ……どうなのだろうか。

 

「衛宮くんが衛宮くんらしく居て欲しい。

 でもそう考えると、衛宮くんは、青い鳥を見つけることが出来ないわ。

 だから、すごく複雑なの」

 

 彼の幸せはどこにある?

 そんなのは見れば分かる。

 

 でもそれなのに、彼は近くの青い鳥には目を向けない。

 それどころか彼は、彼自身が青い鳥になりたがってる。

 青い鳥は自らの世界を出るとダメになってしまうというのに。

 

「そうか……」

 

 何とも言い難い表情で、柳洞くんは漏らした。

 そうして彼が私を見上げた顔には、先ほどの陰も険も無くなっていて。

 ポリポリと自らの頬を掻いていた。

 

「いや、すまん。

 少々熱くなってしまった」

 

「気にしてないわ。

 でも、どうしてそこまで踏み込んだのか、聞いてみたいものね」

 

 さっきの柳洞くんは、本気で怒っているようだった。

 でも今は逆に、何かを恥じているようでもあって。

 ……どんな勘違いを起こして、そして自己解決したのかを聞きたくなったのだ。

 きっと私は性格が悪い、だから聞きたいのであろう。

 

「貴様が、衛宮の危うさについて語っていた時。

 笑っているようにも見えた」

 

 笑っていた?

 

「だが今になって思うと違っていた。

 あれは、母が子を思う時の顔だ」

 

 ……はい?

 

「随分と大きな子供が私にはできていたのね」

 

「貴様は自分の想像以上に、母性が大きいのかもしれん」

 

 ……どういうことなの。

 分かっているといわんばかりに頷く柳洞くん。

 そんな彼にゲンナリとした気持ちが私に沸かせてくれる。

 

「私はしたいことがあるから、結婚なんてする気はないの。

 暇なんて、全部終わるまでないのよ」

 

 そう、だから私は。

 この手で、自らの研究を完成させるまで……。

 

「だがな、貴様は寂しがり屋の子供にも見えるぞ。

 あぁ、成程、そういうことか」

 

 再び何かを自己解決したかのように、柳洞くんが深く頷いた。

 一体なんなの、本当に。

 

「急に貴様が煩わしくなくなったと思ったら、子供の相手だと、そう考えていたのか、俺は」

 

 ふむふむ、などとほざいて納得している柳洞くん。

 だが乙女を捕まえてそれはあまりに、ひどい物言いではないのか。

 

「失礼極まりないわね」

 

「もっと精進することだな」

 

 誰が寂しがり屋なものか。

 誰が……子供なものか。

 

「母性は強いのであろうが、ひどく子供っぽい。

 中々に難儀なタチなのだな、お前は」

 

「注釈を付けたがるところに、宗教家の浅ましさを感じるわ」

 

 しかも神様の言葉を、好き勝手に弄り倒したりするのだから、不敬千万だ。

 

「難癖の付け方が、また子供だ。

 黙っていた方がいいのではないか?」

 

 墓穴を掘ることになるぞ。

 そんな忠告を冷静によこす柳洞くんに、私はついに沈黙することにした。

 これ以上揚げ足を取られるのは、私にとって、腹立たしい限りだから。

 

「うむ、どうやら朝日が昇りつつあるな」

 

 柳洞くんの妄言に、私が悩んでいる間に。

 そんな間に、真夏のせっかちな太陽は少しばかり顔を覗かせていた。

 

「……お暇するわ」

 

「うむ、早く家に帰れ」

 

 出来るだけつれなく言ったつもりだが、それ以上に柳洞くんは素っ気無い。

 もう、何もかも知らないわ。

 

 ……確かにこれは少し、子供っぽい怒り方かもしれない。

 きっと、柳洞くんが言葉を捏ねくり回したから、言霊になって私についているのだ。

 私は普段、落ち着きがある方なのだから。

 

「そういえば、なのだが」

 

 立ち上がっていた私に、柳洞くんが何気なく、といった風情で問いかけてきた。

 

「衛宮が困っている時、貴様は助けようと思うか?」

 

「……大したものね、そこまで行くと」

 

 どれほど衛宮くんが好きなのだろう。

 本当に呆れてしまう。

 

「助けるわよ、友達だもの」

 

 純粋に友情だけでは無いとしても。

 それでも彼を、私は助ける。

 そんなことを聞いてきた彼への呆れも含めて。

 私はため息を吐くのだ。

 

「そうか……。

 では、これからもよろしく頼もう」

 

「そうすれば……あなたと私もお友達なの?」

 

 意地悪には意地悪で対抗する。

 利用価値があるから、友達なの?

 それだけだというのなら、私はきっと拗ねてしまう。

 拗ねて柳洞くんとは話さなくなるだろう。

 

「誰が貴様と友など」

 

 そもそも前提からしておかしかったらしい。

 唯の衛宮くん通の情報屋として扱う気なのか。

 それもそれで、釈然と行かないものがある。

 

「グレてしまいそうね」

 

「真夜中に徘徊しているのだ。

 十分にグレてしまっているだろう」

 

 倫理と道徳、無いと困るが振りかざされると些か異常に面倒である。

 魔術師なのだから、少しは勘弁いただきたいもの。

 まぁ、どうにもならない、ぼやきなのだけれど。

 

「貴様と俺は同好の士だろうと思っただけだ」

 

 不貞腐れているであろう私に、柳洞くんはそれだけ言うと、追い払うようにしっしと手を払う。

 もう帰れということだろう。

 

「貴方は衛宮くんと結婚できたら幸せだったのかもね」

 

「捨て台詞か?

 ならば言葉をもっと選んで言うべきだな」

 

 ならばそうするとしよう。

 子供っぽくても、意地になっているだけだとしても。

 一矢報いねばなるまい。

 だから去り際、靴を履いたところで私は言ったのだ。

 

「……あなたと衛宮くん、何だかいやらしいわ」

 

「んなっ!?」

 

 木に打ち付けた藁人形を引っこ抜き、私は出来るだけ悠然としながらそこから退く。

 柳洞くんが口をパクパクしているのが、私にとって愉悦でもあった。

 

「精々叶わない片思いを続けておくことね」

 

「き、貴様!? 俺と衛宮に不潔なところなどない!」

 

 本当の捨て台詞を残し、私は柳洞寺を下る。

 柳洞くんが何かを叫んでいるか、それはただ私の気分を小刻みに良くするだけ。

 ふふ、とつい笑いを漏らしてしまうほどに。

 

「じゃあね、柳洞くん。

 学校でまた会いましょう」

 

「貴様、訂正してやる。

 意地でもその認識を代えさせてくれるわ!」

 

 あらあら、それは楽しみ。

 でも気付いているのかしら?

 今のあなた、とっても子供っぽいわよ?

 

 

 

 

 

「思ったより厄は溜まっていなかったわね」

 

 自身の部屋に帰って最初に確かめたこと。

 それは藁人形だった。

 それなりに期待していただけに、残念さがないというのは嘘になってしまう。

 そうして藁人形を検分し続けて……気付いた。

 

「これは……なにかしら?」

 

 厄とか、怨念とか、そういうものの他に詰まっているものがあった。

 それが溜まるはずの厄などを押しのけて、存在していたのだ。

 なんなのだろう、これは。

 

「仄かな思いを感じるのだけれど」

 

 ひどい執着のようなもの。

 憧れや、羨望や、嫉妬。

 それらがひどく入り混じったもの。

 これをあえて言い表すならば。

 

「情念、かしら?」

 

 誰の、一体どうして、なんてわからない。

 でもきっと、柳洞寺のあの場所で、昔に何かがあった。

 一体何が? どうしてそんなに想っているの?

 過去が見れるわけでもなし、そんなものは分からない。

 だけれど、それだけ求めていたものが、その場にあったのかもしれない。

 そんなものが漂っている、ということは……。

 

「それは手に入れられなかったのね」

 

 どうしても手に入れたいものが、手に入らない。

 それはもどかしくて、悔しくて、そして切ない。

 

「叶わない願いもある、か」

 

 でも無念に思うほどに、その願いが残っているというのならば。

 

「叶えてあげられれば、きっと救いになるのかしらね」

 

 願いの主に幸いを。

 私にできるのは、そのささやかな願いを捧げることだけだった。

 

 ……興味深いことがあったのは良いことなのだが、それでも実験の失敗は失敗なのだ。

 次は墓場で藁人形ね。

 そう心に決めて、私はベッドのシーツを羽織った。

 今日は休日、好きなだけ寝れてしまう日なのだから。

 

 

 

 

 

 これは後日の学校での話である。

 

「おい、そこな魔女。

 今日こそは訂正するぞ。

 俺と衛宮の仲を正しく認識してもらうぞ」

 

 柳洞くんが私に対して、怪しい言葉で話しかけてきて。

 周囲はザワザワとか、ヒソヒソと言った感じに話し始めた。

 柳洞くんが私に、説けば説く程にそれは広がっていき。

 

「おい! 衛宮との仲がなんだって?

 僕を抜きに衛宮の話をしないで欲しいね」

 

「貴様は……なんだ、問題児の間桐ではないか」

 

「なんだ、とはご挨拶だね。

 衛宮と僕は(義理の)兄弟なんだけれど。

 何か言いたいことはあるかい?」

 

「なんだと、貴様と衛宮が義兄弟?

 笑わせてくれる、貴様は衛宮以外に友がおらんだけだろう」

 

「……お前、僕が下手に出ればつけあがってくれちゃってさぁ。

 何だよ、衛宮は僕のだ。

 あまり口出ししないで欲しいね」

 

「貴様に縛られるほど、衛宮の可能性は低いものではないわ!」

 

「衛宮を便利屋風情に仕立て上げるだけの生徒会が何を!

 この泥棒猫が!」

 

「き、貴様!」

 

 何とも面白い風景。

 柳洞くんは私を放っておいて、間桐くんと楽しげに衛宮くんの良いところを上げる戦いを始めていた。

 そしてそれは休み時間が終わるまで続いて。

 

 その時から、学校のホットな話題がひとつ加わった。

 それは衛宮のトライアングルと呼ばれる三角関係。

 衛宮くん本人にだけは情報がガードされているそれは、穂群原学園屈指の名物となっていた。

 

 パンとサーカス、騒ぐ阿呆に見る阿呆。

 学校内での娯楽に飢えている生徒たちにとって、それは格好の獲物であった。

 そして、そこに藤村先生が加わり、来年には桜まで参戦するのは、神のみぞ知る話。




fate一期の最後、あのタイミングでのTHIS ILLUSIONは神でしたね!
……そして今回がちょっとアレな回だったのは、寺の子が全部悪いんです!(責任転嫁)


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第13話 行き交う中での迷いもの

 新都、冬木市において、近代的に発展している東側の地区。

 そこには、ビルやデパートが建ち並び、若者達が闊歩している。

 そんな喧騒溢れる場所。

 その新都にあるデパートの一角、そこで私は悩んでいた。

 

「お客様、どの様な物をお求めでしょうか?」

 

 いま私が相対しているのは、ニコニコと営業スマイルを前面に見せて、あの手その手で商品を押し付けようとする悪魔。

 要するに店員であるが、彼らは求める商品を見繕ってもくれるので、ここは相談してみるのも、手の内であろう。

 

「伊達眼鏡、どれが似合うと思いますか?」

 

 ここは眼鏡売り場、数々の眼鏡が並んでいて私はそこで悩んでいる。

 どの眼鏡を買っても一緒と言われるかもしれないが、それでもやはり精一杯悩んでしまうのは、お年頃というやつなのだろうか。

 端的に言うと、自分に似合うようなものが欲しい。

 イメージは前に出会った両義幹也、彼の黒ぶち眼鏡の様なものだ。

 

 自分にピタリと合う、それは簡単なようで難しい事。

 両義幹也はその点において、自身を確立していた。

 これしかない、そう思うほどの物を探して私はここに来たのであるが……。

 

「はい、お客様にはどれも大変良くお似合いになりますよ」

 

 ……ダメ、典型的なべた褒め店員のようだ。

 服屋などでよく見かけ、何でも似合うと褒めそやすから逆に胡散臭く感じる。

 

「そう、ありがとうございます」

 

 もうこれ以上は聞かない。

 そういう意図も込めての、ありがとうございます。

 それを察したのか、店員もしつこく付き纏うことなく、そっとその場を離れていった。

 その後ろ姿を確認して、さて、どうしたものかな、と悩み続けようとしていた時の出来事だった。

 

「おぉ、マガトロじゃんか。

 こんなところで何をしてるんだ?」

 

「ここは眼鏡売り場だ。

 必然的に何をしているかは明確だろう」

 

「マーガトロイドさんも、眼鏡かけるんだぁ」

 

 騒がしい声、私に向けられている類の声。

 そして、聞き覚えのある彼女達の声。

 おや、こんな所で出会うとは。

 そう思って振り向くと想像通り、穂群原陸上部に所属している、3人娘の姿が存在していた。

 

「揃いも揃って、ご挨拶ね。

 貴女たちも買い物かしら?」

 

「んっにゃ、冷やかし兼涼みに来ただけ」

 

「外、暑いもんね」

 

 パタパタと胸元を扇ぐ楓に、三枝さんが簡単に説明してくれた。

 なるほど、確かに外は暑い。

 それに汗が幾つか浮かび上がっている楓を見ていると、より説得力が増す。

 ……だけれど、薄着で扇ぐのは、とてもはしたないから止めなさい、楓。

 

「こちらはそういう訳だが、マーガトロイド嬢、君はメガネを必要なほど、視力は悪かったか?」

 

 流石に鋭い、彼女は良く物事を見ている。

 私の教室での席は後ろの方なので、考えれば簡単にわかることなのだが。

 そんな氷室さんから探るような視線を感じて、私は隠すことでもないので、正直に答えることにした。

 

「伊達を探しに来たの。

 どんなのが似合いそうかしら?」

 

 いま手に持っている、黒縁だけれどスマートな眼鏡をかけてみる。

 それに氷室さんはふむ、と呟いて。

 

「シンプル故に、悪くはないが良くもない。

 これといって特徴がない、といったところか」

 

 きっぱりと言ってくてた。

 自分でもそう思っていたから、そう言う意見はありがたい。

 

「どちらかといえば、こちらの方が似合いそうではある」

 

 そして氷室さんは、やや四角張った青いふちの眼鏡を持ってくる。

 さて、折角だからかけてみようか。

 黒縁のメガネを元に戻して、氷室さんから渡された眼鏡をかける。

 

「悪くない、だな」

 

「そうね、確かに悪くはないわ」

 

 さっきかけていた眼鏡よりも、あっているといえばあっている。

 でも、これは……。

 

「わぁ、マーガトロイドさん、まるで文学少女みたいですね」

 

 三枝さんが感心したように、褒めてくれるように歓声を上げる。

 そう、三枝さんの言う通り、今の私は文学少女チック。

 でも、眼鏡で雰囲気が出ているからこそ、そう見えるだけで。

 元の私は、眼鏡の下に隠れてしまっている気がするのだ。

 

「お気に召さなかったようだな」

 

 私の反応を眺めていた氷室さんが、そう結論を下す。

 別に嫌いではなかった、がこれでなくて良いのも事実。

 この眼鏡も元の場所に戻すと、今度は楓がニヤつきながらやって来た。

 

「マガトロマガトロ、これなんてどうだ?」

 

 にやり、とニヤケ顔を晒しながら楓が手渡してきたもの。

 それは真四角、真っ黒、分厚い、など明らかに実用性重視のものであった。

 

「……私は伊達を買いに来たといったのだけれど?」

 

「いいからいいから、一回かけてみろよ」

 

 やけに熱心に勧めてくる楓。

 似合わないのが分かっているであろう彼女の勧め。

 でも面倒くさいから、一回かけてすぐに外すことにしよう。

 はぁ、とため息混じりに、お芋さん(野暮ったい)眼鏡をかける。

 そして想像通りに、楓は震えだした。

 ただ震えているわけではない。

 

「ぶっはははは、やっぱり似合わねー!」

 

 とても腹の立つことに、楓は笑っていた、爆笑。

 そんなにおかしいのだろうか、今の私は。

 どう考えても、今お腹を抱えて床をバンバン叩いている、この珍獣よりはまともだと思うのだけれど。

 

「えっと、今のマーガトロイドさんは、いかにも勉強できます! て感じに見えますよ」

 

「勉強しかしていなさそうな、ついでに言えば友達もいなさそうな雰囲気を醸し出しているな」

 

 三枝さんのマイルドな答えを、氷室さんが面白そうに上から塗りつぶす。

 もう、鐘ちゃん! と三枝さんが怒っているのが、氷室さんの回答を何よりも肯定しているようだ。

 

「勉強といえば、楓は試験の結果、どうだったのかしら?」

 

 少し前、夏休み前の試験が開催されたのだが、楓はあまり頭がよろしく見えない。

 単なる偏見かもしれないが。

 それでも、要領の良い氷室さんや、日々コツコツしているであろう三枝さんなどを見ていると、楓の点数が相対的に不安になってくるものがある。

 

「へへん、天才の私に、不可能など無かった!」

 

「単なる山勘なのだがな」

 

「しかも、半分は鐘ちゃんのノート頼りだったし」

 

 調子に乗る楓に、内実を知っている二人から鋭いツッコミが入る。

 っちょ、言うなよ二人ともぉ! と声を荒げる楓であるが、自業自得、もうちょっと危機感を持って欲しかったよ、何てことを言われて、うんがー! と何だか良くわからない雄叫びを上げていた。

 

「友達頼りで乗り切ったわけね」

 

 これはこれで人徳? なのかもしれない。

 何だかんだで、楓は友達に助けてもらえたのだから。

 これで楓の友達が全員、楓と同レベルの頭の出来だったら詰んでいたのだろう。

 

「私はイイんだよーだ。

 由紀っちもこっちのメガネも勉強できるんだから。

 ぼっちのお前は、必死に自分で勉強するしかないもんな」

 

 拗ねた楓が、それでも何故か勝ち誇るように、失礼なことを言いだした。

 ぼっち、ぼっちと言ったか、この黒豹は。

 

「私もキチンと友達はいるわ。

 凛や衛宮くん、それに柳洞くんに美綴さんもそうよ。

 大体ね楓、あなたと私も友達同士でしょう?」

 

 言い切る、私とあなたは親しいと。

 すると、目に見えて分かるように、上機嫌と言わんばかりの笑みを浮かべ始める。

 

「そうだった、そうだった。

 お前と私、友達同士だったな」

 

 そうして嬉しそうに、にこやかに、ついで言うとアホの子丸出しの表情で、楓はこう続けた。

 

「私とお前は友達、お前と遠坂も友達。

 つまり友達の友達は自分の友達だから、遠坂も私の友達ということになる」

 

 AED終了、とドヤ顔で言い放つ楓。

 それを言うならQEDだと、氷室さんが丁寧にツッコミを入れていた。

 楓は人命救助でもするつもりだったのか。

 

「それにしても、どうしてそこまで凛に拘るのかしら?」

 

 何度も楓の、遠坂すきすき病は見てきたが、それが発病している理由はなんであろうか?

 流石にこうもしつこいと、好奇心をくすぐられた猫のように、私も気になる。

 

「は? そりゃ、遠坂ってゴージャスだろ?」

 

 答えは返してくれたが、その見解は多分に楓のフィルターがかかっている。

 凛はがめつい。

 まあ、それは魔術師全般に言えることなのだけれども。

 

「で? それがどうしたというの?」

 

 だけれども、一々否定していてはキリがないので、そのまま話を推し進める。

 進めようとした。

 だけれども。

 

「それだけだけど?」

 

 何言ってんだこいつ、とさも私がおかしいように楓は首を傾げていた。

 ゴージャス、楓の中の凛の価値はゴージャスという、ただ一点に集約されているのか。

 ある意味感心というか、呆れるというか。

 

「マキちゃんは感覚派だね。

 私は純粋に遠坂さんに憧れている、そういう気持ちが強いかなぁ」

 

 その一方で、楓と同じく凛が大好きな三枝さんが、素直に可愛らしい答えを見せていた。

 なるほど、憧れか。

 確かに猫の皮を着込んでいる凛は、全く持って優等生の見本である。

 その分、地の部分を見ると卒倒しそうではあるが。

 

「遠坂嬢は、人を惹きつける魅力のようなものがある。

 二人共、その魔性に見事取り込まれてしまったというわけだ」

 

 そして最後に、氷室さんの注釈で結論づけられる。

 確かに、凛は猫を被っている以外のところでも、自然と目をやってしまう気持ちの良さがある。

 だからこそ、遠坂凛は遠坂凛であるのだろう。

 

「そういえばマキちゃん、ゴージャスって言うなら、マーガトロイドさんもそうなんじゃないかな?」

 

 結論がつけられ、話題が終了しかけていたところで、三枝さんが何を思ったのか、楓の妄言を拾っていた。

 ……楓のせいなのか、何だか火傷をしそうな気がしてならない予感がする。

 

「マガトロな、確かにゴージャスっぽいんだけれど、何ていうかな、ちょっと違うんだ」

 

 何が違うというのだろうか。

 楓のことだから、どうせロクでもないことしか言わないのだろうが。

 

「こいつはその……そう! こいつはうちゅーじんみたいなもんなんだよ!」

 

「はい?」

 

 うちゅーじん、宇宙人?

 一体、どういう意味なのだろうか。

 そもそも意味なんてあるのだろうか。

 

「要するに、蒔の字はマーガトロイド嬢が浮世離れしていると言いたいんだろう」

 

 そうだよ、浮世離れな! などとほざいている楓はさて置き。

 成程、そういうことか。

 外国人であることも、趣味嗜好が人形に極端に偏っているのも、楓からすれば取っ付きにくくて仕方がないのだろう。

 

「有り体に言えば、変人の度が過ぎるということだろう。

 蒔の字のゴージャスというのは、由紀香の憧れと同義であるが、それを抱けるほどマーガトロイド嬢と自分をリンクさせることができない、といったところか」

 

 変人とは、これは中々に辛辣な。

 氷室さんは名前のごとく冷めてはいるが、しかし辛口な物言いをする。

 しかし、物事の本質をよく捉えているので、否定しづらいのが、またタチの悪いことなのだが。

 

「先のマーガトロイド嬢の列挙した友人も、変人奇人しかいなかった。

 こう言ってはなんだが、類は友を呼ぶ、というやつなのだろう」

 

「……なら、楓の親友である貴女も、変わり者ということになるけれど?」

 

 氷室さんは普通でない。

 そう思わせる雰囲気がある。

 だから、彼女の言葉は確かに的を射ているのだ。

 ブーメランとも言うかもしれないが。

 そして当の氷室さんは、分かっていると言わんばかりに、不敵な笑みを浮かべていた。

 

「自分に多少癖があることは熟知している。

 その上で言うがな、君はやはり変人だよ」

 

 そしてこれである。

 主観だ、と指摘もできるだろうが、氷室さんの観察力の高さは自他認めるものがある。

 だからその彼女の言が間違ってると、断定ができないのだ。

 それにここまで剛直だと、本当にそうなのかもしれないと、錯覚してしまいそうになる。

 そしてこれ以上は水掛け論にしかならないことが明白であるが故に、私は黙りこくるしかなかった。

 凛が相手ならば、暴言クラスの言葉も吐けるのだが、氷室さん相手にそこまでムキになる必要もない。

 そう言い聞かせて自身を納得しさせていると、三枝さんがどこか納得したように頷いて、すごいなぁ、と零していた。

 

「皆すごいもんね。

 かっこいい自分っていうのかな、そういう物を持ってるよね。

 みんなのそういうところ、本気で尊敬しちゃうなぁ」

 

 表裏のない、素朴な賞賛。

 三枝さんらしい感想だったので、思わず頬が緩むのを自覚する。

 それは楓も、そして辛口の氷室さんも同様だったようで。

 

「由紀っちは本当に可愛いよな。

 どっかの誰かさんにも見習わせたいよ」

 

「わ、マキちゃん急に抱いたら、びっくりしちゃうよ」

 

 楓が衝動的に三枝さんに抱きつき、そして三枝さんも何時ものことで流している。

 そうしてそんな二人を尻目に、氷室さんが私の耳元で、こそっと呟いたのだ。

 

「由紀香が一番の食わせ物だよ。

 気付けば彼女の空間に、皆が取り込まれている。

 善良さと純粋さの塊だからな。

 皆がいつの間にか由紀香に毒されている」

 

 そうしてクク、と笑いを漏らしながら、氷室さんは抱きつき合っている二人を面白そうに眺めていた。

 そして氷室さんは、面白いことを思いついた、と三枝さんの元へ行き、私と同様に耳元で何かを囁いた。

 瞬間、三枝さんが周りをキョロキョロと見渡し、そうして顔をみるみる赤く染めていった。

 

「ま、マキちゃん、周りの人がみてるよ。

 恥ずかしいから、そろそろ離して!」

 

「いいじゃんか別に、私は由紀っちなら結婚してもいいから」

 

「女の子同士じゃ結婚できないよぉ!」

 

 あたふたしている三枝さん、なんか可愛い。

 そうして少し二人から距離をとった氷室さんが、満足そうにその光景を眺めていた。

 存分に楽しんでいるといえよう。

 

「それはそうと」

 

「何かな?」

 

 じゃれあってる二人を尻目に、私は本来の目的を突発的に思い出す。

 ここはどこだ? それが答えである。

 だから手の空いている氷室さんに、もう一度聞くのだ。

 

「似合うかしら?」

 

 手に取ったのは、角が丸くフレームが赤い眼鏡。

 青もダメ、黒もダメ、では明るい色で行こう、そんな発想の転換。

 単純故に、気分転換には最適。

 似合っているなら尚良し、である。

 

「家庭教師風味、とでも言えばいいのか」

 

「賢そう、ということかしら?」

 

「知的ではある、雰囲気もあっている。

 おおよそ、似合っていると言える」

 

 当たり、最初のものより好感触なのだから、これが正解なのだろう。

 ……だけれど。

 

「違和感はない?」

 

「ふむ、そうだな」

 

 似合ってはいるが、それがしっくりくるかが問題なのだ。

 贅沢を言っているようだが、お洒落には貪欲さが必要。

 それを放棄するなら、修道女にでもなればいいと思う。

 それはさて置き、店内のミラーで今の私を見てみる。

 何時も付けている赤いヘアバンドに、赤い眼鏡、それに金色の髪が合わさって明るい統一感が生まれていた。

 金色の髪には、ある程度の明るい色が映えると見える。

 どうしてそれを最初に気付かなかったのか、今思い返すと歯がゆいものを感じずにはいられない。

 そんなことを考えていると、氷室さんはうん、とひとつ頷いて答えをくれた。

 

「大変に似合っているとは思う、が常時が眼鏡をかけていない状況なためか、自然と何かが違うと考えてしまうようだ。

 だが、今キミが身に付けているのが、今一番似合うであろう眼鏡には違いないと思われる」

 

 成程、ここが潮時と言えるか。

 これ以上、ここで悩み続けても無意味。

 氷室さんの言葉には、言外にそう言う意味も含まれていた。

 

「ありがとう氷室さん。

 ようやく決心がついたわ」

 

「別に大したことでもない。

 こちらとしても、暇を潰せたようなものだ。

 私達は、特にアテもなく冷やかしながら彷徨っていただけなのだからな」

 

 本当に大したことと思っていないのか。

 氷室さんの表情は無色で、何も読み取れはしなかった。

 だが、それでも感謝は感謝、ありがたいことに変わりはないのだ。

 

「そろそろお昼時ね。

 昼食、一緒に食べましょう?」

 

 だから感謝は、きっちりと形に表そう。

 そんな気持ちを込めた提案。

 それを氷室さんは、今度は少し緩やかな表情で頷いていた。

 

 

 

 

 

「マガトロの奢りなんだってな。

 よっし、デザート頼みまくっちゃうもんねー」

 

「あの、本当にいいんですか?

 無理しなくてもいいんですよ、マーガトロイドさん」

 

 お昼の為にデパートから出た私たちは、近くのパスタ屋にやってきていた。

 メニュー表をジロジロと見つめ、キシシと愉快そうに笑いを漏らしている楓の隣で、三枝さんが申し訳なさそうにしていた。

 だが、これは付き合ってくれたお礼も兼ねてのものである。

 ここでやっぱり良いやでは、私が気にしてしまうのだ。

 

「由紀香、ありがたく奢られておけ」

 

「でも鐘ちゃん……」

 

 チラチラと私を窺っている三枝さんに、微笑しながら氷室さんは続ける。

 

「マーガトロイドのメンツが掛かっているのだ。

 少なくとも本人はそう思い込んでいる。

 なら、奢られなくては逆に失礼に当たるというものさ」

 

 うーん、と私を上目遣いで見ている三枝さんに、安心させるように笑顔を浮かべて私は言う。

 

「そういうことよ、遠慮はいらないわ。

 好きなものを一つ、選んでちょうだい」

 

 そう強く私が勧めると、申し訳なさそうにしつつも、三枝さんは一番安いパスタを選んでいた。

 控えめで大変結構である。

 

「うーんと、まずはこの山盛り海鮮パスタだろ。

 それにドリアもつけて、デザートは何にすっかなぁ」

 

 そして楓は遠慮を覚えなさい。

 あと、慎みも持てれば、素晴らしいと言えるのだが……楓だし考えるだけ無駄か。

 

「私はこれにするとしよう」

 

 氷室さんは、和風山菜パスタなるメニューを選んでいた。

 日本人風のアレンジ、中々に面白いことをしている。

 さて、私はどうしたものか。

 メニューに悩みながら、どれにしたものかと思案していると、その中に面白いものがあるのを見つける。

 

「へぇ、ナポリタンなんてあるの」

 

「ん? 結構どの店でも普通にあるよな」

 

 楓が不思議そうにそんなことを言っているが、欧州では中々に見かけないメニューであるのだ。

 丁度いい、今日はこれにしよう。

 

「さて、店員を呼びましょうか」

 

 皆は決めていたし、呼んでも構わないだろう。

 

「あ、ちょっと待って、デザート決めてない」

 

「後にしなさい、食べ終わってから考えればいいでしょう」

 

 どうせ沢山食べるのだ。

 お腹いっぱいになって食べれなくなったら御の字とでも思っておこう。

 

「そうだよ、それにいっぱい頼んだら悪いよ」

 

「露骨なのは意地汚い」

 

 三枝さんに氷室さん、二人の援護を得て、楓はむむっ、と唸り沈黙してしまった。

 まぁ、別にどれだけ料理を頼まれても、大して痛くはないのであるが。

 

「そういうことよ、少しは落ち着きなさい」

 

 だけれども、便乗はしておこう。

 あまり調子に乗られると、後が鬱陶しくなるのは明白なのだから。

 

「ちぇっ、まぁ、食べ終えてからでも悪くないのは事実かな」

 

 仕方ないなぁ、何て楓は繰り返して。

 渋々といった体で、デザートは後回しにすることにしたようである。

 

「で、マーガトロイド嬢。

 少々質問があるのだがよろしいかな?」

 

「どうぞ、お好きなだけ」

 

 注文をとって料理が運ばれてくるのを待っている間に、氷室さんに話しかけられる。

 彼女の表情は無表情に近いが、それでも好奇心の猫は見え隠れしている。

 何が聞きたいのか、少し思考を巡らして、あぁ、と気付く。

 

「買った眼鏡、伊達だということなのだから、今手元にはあるのだろう?」

 

「その通りよ」

 

 やはり眼鏡のことだったか。

 直後の出来事なのだ、やはり聞きたくもなることだろう。

 

「何故、買った眼鏡を掛けていないのか、それが気になってね」

 

「大したことじゃないわ。

 別段、今かける理由を感じられなかっただけよ」

 

 本当のことである。

 今掛けたところで、どうとなるわけではない。

 掛けるだけの理由がないのだ。

 

「そうだろう。

 君はお洒落をするために伊達眼鏡を買っていたのではなさそうであったからな」

 

 ……成程、鋭い。

 人をよく見ていると言えるだろう。

 氷室さんの観察眼と、見識には深く感じ入るものがある。

 しかし、氷室さんの見解について行けていない人達が二名ほど存在していた。

 

「どういうことだよ、氷室っち」

 

「んー、私もわからないかな、鐘ちゃん」

 

 楓は意味不明そうに、三枝さんは本心から分からないと、困惑しているようで。

 氷室さんは困惑している二人に、パズルでも解くかの様に、自身の観察したことを話し始める。

 その姿が、まるで自慢をする子供のようで、ちょっぴり頬がくすぐられた。

 

「まず初めにだが、先ほど述べた通り、マーガトロイド嬢は眼鏡をかけていない。

 しかしな、これはおかしい。

 洒落れるつもりで買ったのなら、身につけて多少は自慢をするものだろう。

 一人でなら兎も角、今は私達がいるのだからな。

 見せる相手がいるのなら、掛けるのは当然の反応だといえる」

 

 楓も三枝さんも、氷室さんの話を静かに聞いている。

 今は静かに推論を聞くことにしたらしい。

 そして彼女は語りを続ける。

 

「二つ目には、お前達が眼鏡屋でイチャついていた頃、マーガトロイド嬢は眼鏡を物色していた。

 その時の選ぶときの視線。

 あの時の視線は、どれが似合うかと真剣に悩んではいた。

 しかしだ、これが欲しいという物欲は一切見えなかった」

 

 本当にいやらしい程に、人を観察している。

 こうして見破られていく過程は、意味もなく私に緊張感をもたらす。

 まるで何かの犯人になった心持ちだ。

 

「そして最後に、私はマーガトロイド嬢に言ったのだ。

 言外にな、メガネは君にはあまり似合わない、と。

 しかし、それでも彼女は眼鏡を買った。

 ならば、やはり買ったのにはそれ相応の理由があるとみて取れるだろう」

 

 ……本当に氷室さんは賢い。

 只者だけれど、只者じゃなさそう、とは凛の言。

 今では私も同意するところである。

 

「で、合ってるかな? マーガトロイド嬢」

 

「えぇ、ぴったりね。

 将来はベーカー街にでも、居を構えるつもりかしら?」

 

 私がおどけて尋ねると、氷室さんも苦笑しながら答えてくれた。

 

「私は彼ほど人格破綻できるわけではないし、俗な噂にも踊らされる。

 世情を忘れられるほど、世捨て人はしていないさ」

 

 やれやれと肩をすくめる彼女に、今度は私が苦笑を漏らした。

 そういえば、氷室さんは玉石混交の噂を積極的に集めているそうな。

 衛宮くんを廻る、熱い三角関係の噂など、氷室さんから教えてもらったことがある。

 真偽はともかく、と言いながらも楽しそうな彼女は見世物としては上々、とそれを眺めていたことであろう。

 なお、その噂を知った凛は、とっても楽しそうにしてはいたが、本当に仲良くしている彼ら(衛宮くんと取り合う、間桐くんと柳洞くんの図)を見て、白目を剥きそうになっていたのは、他人には漏らせない話である。

 

「でさ、氷室さんよぉ」

 

 一区切りついたところで、楓が氷室さんに質問をしていた。

 

「結局さ、マガトロは何をするために眼鏡を買ったんだ?」

 

「……………………」

 

 考え込む氷室さん。

 だが、情報がなければ答えが出るはずもなく。

 

「駄目じゃん」

 

「……っく」

 

 仕方がないことなのに、なんだか悔しそうな顔をしている氷室さん。

 存外負けず嫌いなのかもしれない。

 

 そんなところで頼んでいたパスタが来た。

 私の元にはナポリタン。

 他の人たちのところにはそれぞれ注文したものが配膳されていた。

 それをフォークで巻き、口に運ぶ。

 うん、トマトソースの塩梅が丁度いい。

 それに他の物の炒め具合も悪くない。

 

「ところでマーガトロイドさん。

 眼鏡は一体何に使うのかな?」

 

 いじけながらパスタを巻き始めた氷室さんに入れ替わって、今度は三枝さんが質問をする。

 そう、分からなければ聞けば良い。

 意地を張ろうとしたりするから、恥をかくことになる。

 

「そうね、あえて言うならば眼鏡を弄り倒してみたかった、と。

 そんなところかしらね」

 

「はぁ? 素人がどうにかできるものじゃないだろ。

 それともまさか、そういう技術まで持ってんじゃないよな」

 

 楓は呆れてから、嫌そうな顔をして、そうしてやはりまた呆れた顔をする。

 投げやり気味の楓は、こいつなら何をやらかしても、何ができてもおかしくはないと言いたげである。

 別に何だって出来るわけではない。

 ただ、今回の眼鏡を使ってやることは、ひどく簡単で誰にだって出来ること。

 コツさえ掴めば、楓さえできるだろう。

 それは……。

 

「レンズを入れ替えるのか」

 

 私が答える前に、氷室さんが答えを言ってしまう。

 私は仕方なく、それに首肯して正しいと認める。

 氷室さん的には名誉挽回できたのか満足気である。

 但し、わたし的には出鼻を挫かれた感があるが。

 

「でも態々レンズを入れ替えるなんて、遠回りを通り越してバカのすることだろ?

 んー、レンズのほうに何かあったりするのか?」

 

 流石は楓、妙なところでの鋭さはピカイチである。

 ただね、フォークを突き出すのはやめなさい。

 行儀が悪い事この上ないわ。

 

「そうね、曰く付きのものよ」

 

 しかし答えを言い当てたのだから、ある程度のことはご褒美として答えよう。

 好奇心の虫を収まらせるにも、必要であろうから。

 

「い、曰く付き、というと、その、幽霊とか、か?」

 

 そして楓は引け腰になっていた。

 ……もしかしてだけれど。

 

「オカルトは苦手?」

 

「にゃ、にゃにがオカルトだよ! 幽霊でもなんでも来やがれってんだ!?」

 

 あ、やっぱりダメなのね。

 氷室さんや三枝さんを見てみると、二人共曖昧な表情で首を振っていた。

 今度機会があったら存分にお話をしてあげよう。

 魔術関連でそういう話は事欠かないのだから。

 夜だとなおよろしい、雰囲気出る場所なら完璧である。

 

「それは今度のお楽しみね」

 

 そう、お楽しみ。

 だからじっくり待っててね、楓。

 そんな私の笑顔から何かを察したのか、ガタガタと震えている楓を尻目に、私は会話に戻る。

 

「幽霊も関連しているわ。

 そんな胡散臭いレンズなの」

 

 ちょっと悪戯っぽく笑うと、三枝さんは素直に感心していた。

 が、氷室さんは意味深な笑みを浮かべて、私の耳元でこんな囁きをした。

 

「由紀香は、素で見える」

 

「……は?」

 

 三枝さんの方へ振り向く。

 何にも染まってない純真な瞳が私を射貫き、眩しく感じる。

 このくりくりと可愛らしい瞳に、私と同じものが映し出されていると考えると、それはまた面白く感じる。

 

「……フフ、冗談さ。

 だが、その眼鏡が本物なのだとしたら、墓や柳洞寺にでも顔を出してみると面白いかもしれんな」

 

 蛇が出るか、鬼が出るか。

 見えるのはお前達だが、と愉快そうに笑っている氷室さん。

 だけれども、それはそれで楽しそうだと、そう思ってしまった自分がいたのも事実であった。

 

「よっしゃ、食い終わった。

 私が一番乗りだな。

 という訳で、デザートデザート」

 

 途中から耳を塞ぎ、パスタやドリアを口に運ぶマシーンと化していた楓は、会話が一段落したのもあって、極めて元気さを回復していた。

 本当にお調子者。

 ただそのお陰で、自分のナポリタンも殆ど無くなりかけなのにも気付けた。

 さて、食後のデザートはどうしたものかな?

 

 

 

 

 

 昼食後の、その後のこと。

 私は今日一日、楓たちに付き添ってあちこちを回った。

 服屋では、三枝さんのファッションショーをした。

 真っ赤な顔の三枝さんが、お世辞でも似合うと言ってくれて嬉しいよ、と小声で漏らしていた。

 でもそれはお世辞ではない。

 似合うようにファッションしているのだから当然である。

 だけれども、そんな三枝さんが可愛かったのは事実である。

 

 本屋では、氷室さんにお勧めの本をいくつか見繕ってもらう。

 ミステリーの中に恋愛小説が混じっていたあたりに、クスッと漏らしてしまった。

 不満そうな氷室さんに、乙女属性何げに持ってるのが氷室の隠れた特徴、と楓が講釈を垂れたりしていた。

 氷室さんの意外な一面を見れた本屋。

 でも噂好きというところから、片鱗は見えていたのかもしれない。

 

 ゲームセンターにも行った。

 うるさいけれど、それでも初めてなこともあり、少しドキドキしていた。

 初めて訪れる場所で戸惑ったが、遊び慣れている楓に先導してもらい、色々と回っていった。

 ゾンビを撃つゲームなどでは、楓に一々照準を合わせなくても行けると思えば撃て! と説かれたので積極的にそうするとすぐに弾がなくなった。

 リロードしている間に攻撃を食らって死んだので、その間に私ができることは楓が早くやられることを望む程度であった。

 

 そしてその後に、皆でプリクラを取った。

 私以外は自然体だったけれど、私はどうすれば分からずに真顔で写り、楓から大層顰蹙を買った。

 でも三枝さんが嬉しそうに、私の分のプリクラを切り取って渡してくれた。

 ……氷室さんも無表情じゃない。

 

 そうしてお別れの時間。

 いつの間にか夕暮れで、でもしばらくは沈まない小憎たらしい太陽を背に私たちは解散した。

 

 

 

 

「随分と遅いご帰宅ね」

 

「楓たちと遊んで帰ってきたわ」

 

 帰宅早々に凛からのご挨拶。

 呆れている風の彼女に、すぐ弁明する。

 今の時間まで悩んでいたわけではない、と。

 それを聞いた凛は、更に呆れた顔になっていて。

 

「程々にしなさいよ」

 

 とだけ言って、自室に戻っていった。

 無論分かっている。

 さぁ、今からは魔術の時間だ。

 

 

 

 私は今、工房の机で作業中。

 手元には今日買った眼鏡。

 それのレンズを外し、そしてサイズを調節した自前のレンズをはめ直す。

 これで完了、楓でもできる簡単な作業。

 造作ないとは正にこのこと。

 

「これで大丈夫かしら」

 

 眼鏡を掛けてみたが、何の変化もない。

 やはり特別な場所でないと反応しないか。

 まぁ、それならばお墓にでも行くのが一番なのかもしれない。

 

 これでレンズが上手く機能していれば、次はあそこに行かなければならない。

 情報を得るために、もっと言えば私の夢のために。

 怪物が住まう館、間桐邸へ。

 

「あの妖怪爺様から、どれだけのモノを手に入れられるかしら」

 

 リスクが大きいことに憂鬱が去来するが、しかしリターンが大きいのも事実。

 ここが正念場、そう自分に言い聞かせるのが今の自分にできる気休めであった。




アリスちゃんは魔眼殺しを手に入れたぞ!


最後がダイジェスト風味なのは、長くしすぎてもなぁ、と思ったからです。
二つに分けるのもアレかな、と思った次第です。

メガネ アリス・マーガトロイド、で調べて、初めて「メガリス」なんて単語を知りました。

メガリス可愛い。


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第14話 穴蔵の中に潜むものは

今回はもしかしたら、独自解釈なども入っているかもしれません。
もしかしたら、間違った理屈を捏ねているかもしれませんので、その時は直ぐにご報告ください。
……今更ながら、fateの設定って難しいですね。


 この冬木には、魔術の名家が二つほど存在している。

 一つは遠坂、もう一つは間桐。

 その両家の邸宅は紛う事なき、館と評される程に大きなものである。

 取り分け間桐邸は遠坂邸よりも大きな館であり、どちらが冬木の管理者(セカンドオーナー)であるのかを考えさせられる程のものだ。

 この前に凛が、親の敵を睨むような目で見ていたのも納得の貫禄を醸し出している。

 

 そんな大家の前で一人、私はインターフォンの前に佇んでいた。

 眼鏡がズレていないかをしっかりと確認して、服装も乱れていないかを点検する。

 家を出る前に鏡の前で確かめたのだが、最後の確認とばかりにしっかりと整える。

 ……何故こんなことをしているか、正直にいって尻込みしてしまっているからだろう。

 それほどにあのジジ様に会いたくないのだ。

 

 だけれども、これを乗り越えねば私の目的は遠のく。

 これは試練の時、超えなければならない大きな峠なのだ。

 ここが踏ん張りどき、一度侵入してしまえば覚悟は決まる。

 さぁ、ここからが勝負である。

 

 決意を決めろ。

 そう自分に言い聞かせて、気持ちを落ち着かせる。

 最後に深く深呼吸をし、自らを整えてから……私はインターフォンを押した。

 ピンポーン、と間の抜けた音がして、そうして声が聞こえてくる。

 

『あー、どちら様ですか?』

 

 気怠そうな声、渋々出たと言わんばかりの声。

 その持ち主を私は知っている。

 よく聞いたことのある声だから。

 

「もしかしなくても、間桐くんね」

 

『……げ、マーガトロイドかよ』

 

 早々にご挨拶である。

 間桐くんはあの妖怪爺から、とても素敵な教育を受けていたらしい。

 

「良家の出にしては、躾がなっていないご挨拶ね」

 

『っ、お前が急に来るからだろうが!?』

 

 それでも、っげ、と言われる筋合いはないのだけれど。

 相変わらず、失礼な人物である。

 学校では女の子に優しいなどと噂が立っていたが、この反応からとてもそうは見えない。

 

「アポはとっていたと思うのだけれど、あなたのお祖父様から聞いていたりはしていないのかしら?」

 

『何ぃ? ちょっと待ってろ、ジジイに聞いてくる』

 

 虚を突かれたかのようにそれだけ言い残し、インターフォンは沈黙した。

 ……そうして私は、口から息を吐き出した。

 それがこれからの不安に対するものか、少々の安堵だったかは、私にも判断がつかないものであった。

 もしかしたら、その両方なのかもしれない。

 

 そんなことを賢しらぶって考えてみて、案外簡単に答えが出た。

 あぁ、成程、そういうことか。

 などと自身で納得していると、玄関の扉が開き中から独特の髪型をした男の子が現れる。

 

「ったく、ジジイの奴。

 前もって言っておけよな、全く」

 

 悪態を付き、ぶつくさ言いつつ私の方にやって来る人物。

 間桐慎二その人である。

 

「お前も物好きだよなぁ、マーガトロイド。

 態々あのジジイに会いに来るなんて」

 

「私もこれ切りにしたいものよ。

 あの妖怪に会うのは」

 

 そうして再びため息を吐き出す私を、間桐くんは変態を見るような目つきで見つめていた。

 ……何だか、ひどく納得がいかない。

 

「私は至って正気よ、間桐くん。

 今回ばかりは必要悪のようなものよ」

 

「っは、言われるまでもないってやつ?

 自分で頭おかしいことしてるって自覚している分にはまだ良いさ。

 馬鹿には違いないけどね」

 

 間桐くんの毒舌は今日も冴え渡っている。

 いつもは衛宮くんに向けられるそれが、私に向けられている。

 そこには、本当に馬鹿だな、なんて気持ちが分かり易いくらいに詰められていて。

 

「間桐くんが心配してくれるなんて、明日は台風が来るのかしら?」

 

「はぁ? 誰がお前なんかを心配してるなんて言ったわけ?

 魔術に失敗して、頭に蛆でも湧いたとか?」

 

 馬鹿にする気持ちの中に、ほんの1割の心配を込めるのが間桐くん流。

 衛宮くんと間桐くんの二人を知っているからこその、ギリギリで分かる程度の気遣い。

 意味もなくクスリと来てしまう。

 そして、間桐くんは大層それが気に入らなかったらしい。

 

「今日のお前、やっぱり頭おかしいよ。

 ほら、案内するからさっさと入れよ」

 

 肩を怒らせながら、玄関まで向かい始める間桐くん。

 その後ろ姿に、顔が見えないからとつい言葉を投げていた。

 

「間桐くん、あなたでも安心できるものなのね」

 

「……マーガトロイド、やっぱりさっきから変だぞお前」

 

 振り返った彼の表情は怪訝そうで、訝しげに私を覗き込もうとする。

 が、途中でどうでも良くなったらしく、早足で館の方へ足を進めていった。

 その背中について行きながら、私は決意をさらに固める。

 弱気な私はこれで終わり。

 あとには何時も通りの、アリス・マーガトロイドがそこにいるのみ。

 ここからは理論も大切ではあるが、精神論を掲げてよう。

 

 そうして余裕を取り戻せて、改めて思う。

 間桐くんのお陰で、嫌な緊張感が飛んでいったのだと。

 私がさっき溜息を吐けたのは、間桐くんのお陰で脱力できたから。

 それだけ私が落ち着けた、ということでもある。

 

 ある種の間桐くんのマイペースぶりに、今回ばかりは助けられた、ということなのだろう。

 だから彼の背に感謝を支えつつ、私は戦いの場へ向かう。

 直接感謝を口にしないのは、間桐くんが本格的に調子に乗るから……ではなく、本気で気持ち悪がられるであろうから。

 ……間桐くん然り、柳洞くん然り、どうにも私の周りには失礼な男の子ばかりが多い気がする。

 衛宮くんは素直であるが、アレはアレで変わり種。

 結果、私の周りは変人だらけ。

 おおよそ、恋愛なんて当分は出来そうもない。

 そんな思考が働いているあたり、大分落ち着けてきたようだ。

 さて、意識を切り替えるとしよう。

 

 

 

 

 

「呵呵、よう来たな、マーガトロイドの」

 

「本日はお時間を頂き、ありがとうございます」

 

 間桐くんに案内された、とある一室。

 そこに、いた。

 しわがれた老人、和服を身に纏った何よりも深い目をしている老人。

 これが、間桐臓硯の姿。

 

 彼の姿がはっきりと見える。

 蠢く肉塊でも、虫の集合体でもない。

 草臥れている普通の老人の姿、今の私の目には臓硯の姿が人間として写っている。

 

「ほう、この前見かけた時には眼鏡はかけてなかったかのように見受けられるがな。

 ……成程、魔眼殺しか」

 

 ――見破られた、一瞬で。

 興味深そうな視線を私に向ける、間桐の主。

 伊達に長生きはしていないということか。

 

「伊達者を気取ってみました。

 それなりに悪くはないと自負しています」

 

「年頃の娘子なのだから、それくらいは当然なのだろうのぉ」

 

 何も読ませぬ表情で、呵呵と笑い声だけを漏らす臓硯。

 恐らくはこの眼鏡の意味も、既に見破られてしまっているであろう。

 元から分かっていたことだけれども、やはりこの爺、油断ならない。

 

「慎二、下がれ」

 

「……分かりました、お爺様」

 

 本人が居らぬ所ではジジイ呼ばわり。

 だけれど流石に、間桐くんも本人を目の前にすれば下手に出るらしい。

 どこまでも間桐くんらしい判断である。

 

「ぉぃ、そんな目で僕を見るな!?」

 

 間桐くんは小さな声でそれだけ私に言い、その場から去っていった。

 そういうところが小物っぽいって、自覚したらもう少しマシになるのかしら?

 ……いえ、間桐くんなのだし、大して変わるはずはないわね。

 

「さて、慎二は行ったようじゃな。

 では本題といこうかのぅ。

 本来ならゆっくりと饗すところなのじゃがな」

 

「お構いなく」

 

 本当に、心の底から構わないで欲しい。

 これが私の本心であると、はっきりと言える。

 それに、態々意地悪く笑っている辺り、私の内心は簡単に看破していることであろう。

 タチが悪い、私が知っている何よりも性根が悪い。

 

「そうかぇ、呵呵呵。

 ではお主が聞きたいこととは何か、聞かせてもらおうかのぅ」

 

 充分からかったと言わんばかりに、臓硯はあっさりと話題を転換する。

 わたし的には有り難いが、性格が良いとはとても言えない。

 せめて間桐くんが、こうならない事を祈るのみである。

 

「私は今回、聖杯戦争を構築するときに間桐が担当した令呪について、お話を聞かせて頂きたく、参上した次第です」

 

「お主、それがどういうことか、分って言っておるのか」

 

 臓硯は何も読み取れない笑みを浮かべたまま、しかし試すかのように私を見つめる。

 どんなことを考えているのか分からないが、それでも何かを期待されている程度のことは読み取れた。

 それが臓硯が察せられるように感じさせた擬態であっても、それに何か意味があることは確実なのだ。

 私は臓硯を満足させるような答えを、それを言えるかどうかなんて分からない。

 だから私は、自身の所存を述べるのみである。

 

「どのような対価を払うのか、ですね」

 

「魔術師なのであるし、それは当たり前であろう」

 

 至極ご尤も。

 令呪というものは、間桐が構築した魔術の結晶と呼んでも差し支えないもの。

 令呪について知るということは、そのシステムの魔術の派生が可能であろうし、間桐の魔術にも迫ることができるのかもしれないのだから。

 それをタダで何かを得る時は、後で多大な代価を支払うことになるのであろう。

 

「さて、お主は儂に何を提示するのかね?」

 

 底なし沼のような臓硯の目が、私を射抜く。

 沼が ”よこせ” と蠢いている。

 彼の口元が、弧を描き私を威圧する。

 

 背筋が冷たくなる。

 ここで失敗すれば沼に取り込まれてしまうような、そんな感覚まで抱いてしまう。

 これが、500年生きた魔術師というものか。

 

 だけれども、ここで屈する訳にはいかない。

 これを乗り越えた先で、私の夢へ一歩足を進めることが出来るのだから。

 今の私には大した物が支払える訳でもない。

 だからこそ、ここから口車に乗せなければならない。

 勝負の時間だ。

 

「私が令呪の知識を求めるのは、自身が抑止の輪にいる英霊から技術を授かりたいと考えているからです。

 故に私が知識を授かりたいサーヴァントは魔術師(キャスター)

 聖杯戦争では、最弱と呼ばれているサーヴァントです」

 

「少しは勉強してきたようじゃな」

 

 静かに続きを促す臓硯。

 それに頷いて、私は続きを語る。

 小さく呼吸して、自身を落ち着かせながら。

 

「私がキャスターを召喚すれば、必然的にキャスターの座は埋まることになるでしょう」

 

 他の場所なら知らず、この冬木の地でサーヴァントを召喚すれば、必然的に聖杯に接続されて、座は固定される。

 そしてそれは、私が聖杯戦争に参加しなければならないということ。

 最弱のサーヴァントと呼ばれるキャスターを以てして。

 

「聖杯の選定は行われず、不正規の召喚でキャスターを呼びだせば、何らかのペナルティが課されるでしょう」

 

 召喚に成功し、聖杯にキャスターとして登録されても、何らかの揺り戻し、もっと言えば弱体化が有りうる。

 故に、私が聖杯戦争に参加しても、勝てる見込みは限りなく低いものになるということ。

 それは敵対者(マスター)が自動的に、一人いなくなることだ。

 聖杯戦争の中で、マスターが勝手に自滅すれば、間桐の家としても遣りやすくなるであろう。

 

「ほぅ、お主、参加するつもりか」

 

 聖杯戦争、次はおよそ50年は先の未来の殺し合い。

 それは惰性のように長い時間。

 永遠の先のように、今の私からは感じてしまう暴力的な時間。

 だからこそ、その間にできることもあるだろう。

 

「場合によりけり、です。

 何か手段がないか、探ってみます。

 時間は、腐る程あるのですから」

 

 これはきっと、愚か者の楽観論。

 世の中そう都合が良く進むわけはない。

 今は時間があっても、時が進むにつれて覚悟を決めなければならない時が来る。

 

 だけれども、折角の根源への近道。

 リスクがあっても、リターンを望んで賭けるには十分すぎるものがある。

 故に私は今日ここに来たのだから。

 

「ふむ、そうじゃな」

 

 臓硯は考えるように、その実何も考えていないかのように無表情で沈黙する。

 その間に、今の状況を少し整頓する。

 

 今回私が令呪について教わりに来たのは、英霊を召喚するため。

 決して聖杯戦争に参加するのが主目的ではない。

 だけれども、必要があれば私は参加する。

 臓硯に持ちかけた取引は、私がキャスター枠を埋めることで、聖杯戦争に参加するサーヴァントを実質的に無力化するというもの。

 要するに、ただでも弱いキャスターが非正規の召喚で更に弱くなったら、どうあがいても勝ち目はない、ということ。

 だから召喚を許して欲しいという嘆願である。

 取引しようにも、私が提示できる条件はそう多くない。

 だからこその、この提案であった。

 

 徹底的に下手に出ている私の提案。

 だけれども、それを通してでも私は英霊に師事するということに魅力を感じているのだ。

 そして英霊の、魔術の先達としての見識をも私は当てにしている。

 それは何にも代え難い、私の財産(知識)になるはずだから。

 

 だから私はこんな提案をした。

 あとは、臓硯がこの提案を承諾するか。

 それとも別の条件を提示するか、である。

 今回の私が語った条件は、ここまでなら私は譲歩するという、私の都合を持っての提案だから。

 臓硯が別の条件を提示するのであれば、私はそれを吟味しなくてはならないであろう。

 

 臓硯の顔を伺う。

 何もない無表情、ずっと見ていたいとはとても思えない深い瞳。

 そこに何も映し出さないからこそ、私は彼が何を考えているのかがわからない。

 だから彼がどんなことを言っても動揺しないよう、私は心を落ち着けることに専念する。

 

 そして何も音がしないと思ってしまう程の沈黙の果てで、臓硯は言葉を発した。

 それは荒くもなく、穏やかでもなく、どことなく愉しげな声音を伴ったものであった。

 

「許可はできんな、その条件では」

 

 ……本当に一筋縄ではいかない。

 相手にも、相手の都合があると分かってはいるのであるが、彼の場合は何を要求してくるか、それを考えるだけで胃をきゅっと掴まれた感覚に苛まれる。

 だが何かを言える訳でもなく、臓硯の言葉を静かに待つ。

 彼が提示するであろう条件を、頭の中で廻らしながら。

 

「お主がサーヴァントを召喚するとして、そのような方法で召喚されたサーヴァントでは、一騎のサーヴァントの魔力量として到底値せぬ。

 願いを叶える願望機として、聖杯が機能しなくなる」

 

 足元が崩れていく感覚、思わぬ眩暈に襲われる

 ……どうして私は、この程度の欠陥を考えられなかったのであろうか。

 こんな方法では、自分のサーヴァントを手に入れることができても、臓硯には到底利益がない。

 どうにかならないかと思考を巡らせる私に、臓硯は追撃するかのように語りを続けた。

 呵呵、と先程のような読み取り難い笑いの下で。

 

「そも、お主は勘違いをしている

 キャスターの召喚など不可能なのじゃよ、これは」

 

「勘違い……ですか?」

 

 何を勘違いして、間違っていたのであろうか?

 私なりに、聖杯に対して勉強をしてここに来たのであるが。

 

「そう、聖杯戦争の景品たる聖杯。

 それはアインツベルンが用意するもの。

 いまこの冬木の地には存在しない」

 

「……詳しく聞いてもよろしいでしょうか?」

 

 私が調べた本には、聖杯は冬木の地にあり、マスターを選定するということであった。

 それはルーマニア宗主宮殿の図書室で調べたことであり、そして何よりもそれを著した人物は、若き日の間桐臓硯その人であったはず。

 それが何よりも解せなくて、私は困惑を深くしてしまう。

 

「うむ、聖杯には2種類ある。

 まずはマスターを選定し、何よりも冬木の土地をサーヴァント召喚のために整地する大聖杯というもの。

 しかしこれは、システムであって器ではない」

 

 初めて、臓硯の表情がわかりやすく動いた。

 その大聖杯とやらを、誇るように、自慢するように、そして夢見るように語る。

 それは自分達の努力の結晶だからなのであろうか。

 だがもしそうなら、未だこの聖杯戦争で誰も願いを叶えられていないのは、酷い皮肉であろう。

 

 だが大聖杯、か。

 サーヴァントの魔力を貯めておく器とシステムを分けたのは、その方が根源に近づくために便利だったためか。

 それとも大聖杯に膨大な魔力を溜め込ませることで、不具合が起きたら問題があるからなのか。

 どちらにしろ、尤もな理由があるに違いない。

 

「そして願いを叶える聖杯、これは小聖杯と呼ばれているものだのぅ。

 小聖杯は脱落したサーヴァントの魔力を保存しておく、入れ物のようなもの。

 これがなくして聖杯戦争は始めることはできぬ」

 

 つまりは大聖杯と小聖杯、この二つが揃っていないと、まともな召喚は出来ないということなのだろうか?

 

「ですが、器がなくても召喚だけはできるのではないですか?」

 

 苦し紛れの、だけれども確かめたい疑問点。

 そう、システムが生きているのなら、召喚だけならば可能なはずなのだ。

 それに臓硯は先ほどと変わらぬ表情、胡乱な笑みを浮かべたまま語った。

 

「召喚は可能であろう。

 しかし、召喚されるのは単なる英霊。

 大聖杯と小聖杯、この二輪が揃っていなければ、クラスは与えられない。

 何のクラスも与えられていない、抑止力が意思を持ったもの。

 故にそれは聖杯戦争とは何の関係もない、唯のはぐれサーヴァントとなるわけじゃな」

 

 そもそも前提からして間違っていた。

 私がサーヴァントを召喚しても、それはキャスターではない。

 つまり、今までも理論構築は完全なる無駄骨だったということ。

 ……もはや打つ手がない。

 

 嫌なことは早めに終わらせておこう。

 そんな心理のもとで、間桐邸を訪問した。

 が、それは十分な下調べを終えていない状態でのこと。

 その結果、間違った理論を掲げたまま私は押し入って、そうして恥を掻いただけに終わる。

 ――なんて無様。

 

 急いては事を仕損じるを地で行ってしまった屈辱。

 今日は忘れられない日になりそうだ。

 

「……本日はありがとう御座いました」

 

 辛うじて出た言葉はこれだけ。

 他に何を言えばいいのかが、分からなくなってしまっていた。

 

 俯いてしまっている私。

 どんな表情をしているかは、自分でもわからない。

 でも、確実に顔は赤くなっているであろう。

 こんなことなら、焦らなくても良かったものを。

 全てにおいて憂鬱、何をしても失敗する気分。

 今の私よりも、確実に木偶の方が使いようがあるであろう。

 

「まぁ待て、何も協力せんとは言っとらんぞ」

 

 だからこそ、間桐臓硯の言葉を聞いても、私は放心してしまっていた。

 聞こえてはいる、理解してもいる。

 だが、思考が回らなかった。

 ……いや、臓硯の言葉で頭が冷えつつあったが、それでも排熱が追いついていなかっただけ。

 そんな私を尻目に、臓硯は人の悪そうな笑みを浮かべて、続きを話しだした。

 

「聖杯の力を借りずに、英霊の召喚を行う。

 これは、非常に興味深い。

 これを成功させれば、聖杯戦争ではより有利に事を運べることとなるからのぅ」

 

 成程、ルールの穴を作るつもりなのだろう。

 正規のサーヴァントの他に、番外の非正規サーヴァントを呼び出せば、戦いは恐ろしい程に優位に運ぶことができる。

 それはある種の禁断の果実。

 成せれば、圧倒的な戦力差で戦うことができるのだから。

 ……だが、それも諸刃の剣でもある。

 

「サーヴァントの重みに耐え切れず、自壊します」

 

 小源(オド)だけで維持するには、サーヴァントは大食らいすぎる。

 大源(マナ)に頼れば、土地に縛りつけられることになるであろうことは必死。

 それだけではなく、確実に冬木の土地を蝕んでいくであろう。

 

 私がサーヴァントを弱体化して呼ぼうとしていたのは、聖杯戦争云々は置いておいても、自分で支えきれる自信がなかったからだ。

 だからこそ、それに託けて私は理由として弱体化を捩じ込んだのだ。

 結果は悲惨なこととなったのであるが。

 

「呵呵、今後の課題であるな」

 

 愉悦と言わんばかりに笑う、間桐の長老。

 彼の悦楽は、聖杯戦争そのものに直結しているのではと疑うほどに愉快そうに。

 だが、これが悪魔の取引であったとしても、チャンスであることには変わりない。

 

「つまり召喚する場合は、その研究結果を優先的に間桐に回せばいいわけですね」

 

「取引とは、そういうものじゃよ」

 

 ニタリ、とこちらがゾッとするほどの表情を浮かべる臓硯。

 だけれど、それだけに今までの笑みよりも、幾らか人間味を感じさせた。

 

「契約成立です、間桐の翁」

 

「では頼むとしようかの、マーガトロイドの」

 

 ……一線を踏み越える。

 どれほど危険であっても、ここが落としどころであったから。

 ギリギリで、許容できる範囲であったから。

 だから私は、悪魔、もとい妖怪と契約を結んだのだ。

 

「それで、教えていただけますか?」

 

 令呪のこと。

 そしてあわよくば令呪本体を手に入れる。

 それが、私の今回の目標であったから。

 

「呵呵、利害が共通しているのからのぅ。

 ある程度は譲歩するが、しかし」

 

 臓硯は珍しく真面目な顔を浮かべて、そうしてこんなことを言いだしたのだ。

 

「大聖杯を知っていたとなると、お主は儂の本を読み込んでいるということじゃろう。

 令呪についても、ある程度のことは知っているのであろう?」

 

 一つ頷く、言われるまでもなく調べていることであった。

 そうすると、臓硯は然も困ったと言わんばかりに、溜息を吐いたのだ。

 

「ならば、他に令呪について教えることもあるまいて。

 あとは令呪なのじゃがな」

 

 いきなり頼りない事を言われて、不安になっていた私に、臓硯は更にこんな事をほざいたのだ。

 

「儂は御三家の成約により、令呪を生成することを禁止されていてのぅ。

 教会に行って、貰ってきてくれ」

 

「お世話になりました」

 

 役に立たない、そんな判断を私は下した。

 むしろこちらが一方的に搾取されることになりかねない。

 契約なんてなかったのだ。

 

「まぁ待て、マーガトロイドの」

 

 臓硯が先ほどと同じような言葉を投げかけてくる。

 今度は何を言うつもりなのだろうか。

 

「教会に行って、令呪を要求したからといって、はいそうですかと渡されるはずがあるまいて。

 御三家の許可は、当然必要なものであろう」

 

 ……言われる通りである。

 思ったより疲れているのか、頭が回らなくなってきている。

 まだこの家を去るまでは、気をしっかり持たねば。

 そう自分を叱咤する。

 

「では代償として、間桐は何を求めるのですか?」

 

 もはや私は、自身の研究の内容を明かすつもりはなくなっていた。

 私自身にしても、間桐と組むことにメリットは無くなっていたし、他の御三家にも令呪の扱いにして同様の許可を取りに行かねばならなくなっている。

 それに間桐だけを贔屓していたら、後々厄介な事になるのに決まっているのだから。

 

「そうじゃな、では」

 

 よく分からない曖昧な笑みを臓硯は浮かべていた。

 何か良くないことを言おうとしているのか。

 だがその割には表情は穏やかなような、悪戯っぽいような、凡そこの老人に似合わない表情をしていたのは事実である。

 

「慎二と桜、この二人によくよく目をかけていてやって欲しい。

 どちらも粗忽者には違いないが、あれでも間桐であるからのぉ」

 

 それは孫を心配しての発言だったのだろうか。

 だがやはりこの老人の場合、裏がありそうなのである。

 

「その程度のことなら……それだけですか?」

 

 口に出してから、要らないことを言ってしまったと思った。

 だけれども聞かずにはいられない程に、その提案が間桐臓硯らしからぬものであったから。

 すると臓硯は、堪えきれなくなったかのように、呵呵と再び笑い出す。

 この爺は人が悪い笑いしか浮かべられないであろうが、それでも常に笑っているのがなんとやらである。

 

「あなたはどう足掻いても好々爺にはなれなさそうですね」

 

「魔術師にそんなものがいたら、観察の一つでもしてみたいもの。

 どんな結末を辿るかもの」

 

 やはり人の不幸は何とやらで生きている人間なのであろう。

 それだけに、やはりあまり頼るのも、信頼するのも頂けない。

 だが、である。

 間桐くんや桜、この二人は見ていて飽きない。

 だから目を離すことはないであろう。

 臓硯に言われるまでもないのだ。

 

「では、今度こそ契約成立ですね」

 

「うむ、それと研究の件は対価に見合うと思えば、条件に乗ってもらおうかの」

 

 ……取り扱いが難しい問題である。

 自信過剰のようだが、あまり間桐に情報を流すと、後々凛に締められる気がする。

 嫌というほど徹底的に。

 だから、ここはお茶を濁しておくのが最善であろう。

 

「対価に見合えば、ですね。

 分かりました、私が満足できる条件ならば乗ります」

 

 これは影響力が少ない曖昧な約束。

 こちらに強制性が無い為に、殆ど空文化されているようなもの。

 間桐臓硯という500年生きた怪物にしては、あまりにも詰めが甘いことだ。

 

「うむ、よろしく頼む」

 

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 

 これで一つ、目的に近づいた。

 色々と疲れはしたが、それなりの成果といえるものは手に入れることができた。

 ……だからだろう、その時は油断していた。

 

 

「だがの」

 

 臓硯が立ち上がり、こちらに来ていた。

 目の前に立っている彼は、人間の姿をしているが、やはりどこか異質なものを感じさせる。

 そんな彼が、私に手を伸ばす。

 

「これだけは知っておくといいが」

 

 彼が手を伸ばした先、私の眼鏡。

 

「儂は500年生きている」

 

 それが剥がされ、真実が……見える。

 

「それがどういうことか、夢忘れるでない」

 

 這い回る蟲、蠢く肉、それはどこまでも醜悪なオブジェのよう。

 気付けば息を飲んでいて、おかしくなりそうな自分を必死に抑えていた。

 だけれどもその、見るにも耐えない彼の体は。

 何もかもが、爛れそうなその姿は……それでも必死に生きようとするのを感じた。

 

「えぇ、忘れない。

 然りと覚えておくわ」

 

 忘れられるはずがない、このようなこと。

 彼がどのようにしてこうなったかは、私の知る由ではない。

 だけれども、これが500年生きた魔術師だということは、私の脳裏、そして心に刻み込んだ。

 彼の執念は、確実に本当のものであるのだから。

 

「では、また会おう」

 

「えぇ」

 

 二度と会いたくない。

 そう思いながらも、口では違う返事をして、彼がここを離れるのを静かに私は見送った。

 眼鏡はきちんと置いていったのは、律儀なのか当たり前なのか。

 狂気を前にして、私は茫然自失気味にそんなことを考えていた。

 臓硯がその場を離れたから、ようやく逃避できるような事を考えられたのであろうから。

 

 

 

「……ぉい、おい」

 

 暫くの放心後、間桐くんが私に話しかけているのに気付く。

 臓硯のアレは想像以上に肝を冷やしていたらしい。

 

「お前、あのジジイに何かされたんじゃないだろうな?」

 

 薄気味悪そうに、間桐くんが私を見ている。

 その様子は、心配というよりも、警戒というものであった。

 やっぱり、予想通り、みたいな類の。

 

「幸運なことに何事もなかったわ。

 暫くはこの辺を彷徨きたいとは思えなくなっているけれどね」

 

「自業自得だろ、そんなもの」

 

 正論である、これ以上ないほどに。

 ……流石に分が悪い。

 火傷すると分かってながら手を出した分には。

 

「そういえばなのだけれど」

 

 だからこの話題はあまり続けることをせずに、別の話題に乗り換える。

 振りなことに固執するのは、あまり賢いとは言えないから。

 

「間桐くんと桜って、兄妹仲は良いの?」

 

「はぁ? 普通だよ、普通。

 あんなの気にもしてないし、あいつだってそうだろう」

 

 そうかしら?

 何時もある程度、互いを気にしていると思うのだけれど。

 そしてその輪をうまく保っているのは……衛宮くんだ。

 

「衛宮くんと3人で仲良くやっていたりするんじゃない?」

 

「意味が分からないね。

 どうして衛宮のような凡人に、僕が気をかけなくちゃいけないのさ」

 

「友達だから、でしょう」

 

 ふん、とそっぽを向く間桐くん。

 自分では友達と言わないが、否定しないあたりが、間桐くんの可愛げというものだろう。

 伝わりにくいのが、ひどく難儀な点であるが。

 

「ほら、とっとと自分の家に帰れよ。

 いや、遠坂の家に帰れ。

 お前のせいで調べ物してたのに、集中力が途切れて鬱陶しかったんだからな!」

 

「それは悪かったわね。

 でもあの家で、ゆったりと調べ物なんてできるものなの?」

 

 すごく落ち着かないと思うのであるが。

 私がそれを気にすると、間桐くんは鼻で笑い、何でもないことの様に呟く。

 

「僕はね、ここで長年暮らしてきたんだ。

 ちょっと離れていた時期もあったけれど、それでもここは選ばれし間桐の家なんだ。

 今更落ち着くとか、落ち着かないとかどうでもいいんだよ」

 

 成程、感覚が鈍っているのか図太いだけなのかはさて置き、それなりの愛着はあるのか。

 それも、間桐というブランドに対しての物のようではあるが。

 

「そう、ならいいのだけれど」

 

 靴を履き終え、ようやくこの場から離れられる。

 緊張の連続ではあったが、それでもようやく、という開放感があった。

 

「じゃあね、間桐くん。

 学校で会いましょう」

 

「9月まで会うことはないだろうさ。

 精々可愛げをもう少し磨いておくんだな」

 

 間桐くん、最初から最後まで失礼極まりない人。

 だけれども、それに救われたのも事実ではある。

 だから……最後くらいは。

 

「そうね、さようなら」

 

 笑って別れましょう。

 とびっきりに、私にできる笑顔で。

 

 

 

 

 

「呵呵、面白くなってきた」

 

 誰も寄せ付けない、間桐の家の奥にある部屋で、儂は密かに歓喜する。

 永遠の始まりの、その手がかりが見つけた気がしたのだから。

 

「マーガトロイドの小娘め、中々に面白い案を残していった」 

 

 サーヴァントの独自召喚。

 聖杯戦争に参加する身としては、とても危険で、そして甘美なもの。

 だが、そのシステムをわざわざ聖杯戦争で使う必要などない。

 それが分からぬマーガトロイドは、やはりまだ若いのであろう。

 

 クラスを持って現界させる。

 これさえ成功すれば、あとは簡単である。

 こう命令すればいいのだ。

 

「すなわち、自害せよ、と」

 

 そうするだけで、盃は満たされる。

 それを繰り返すだけで、簡単に願いに近づいていく。

 

 だがそれをするには、アインツベルンの聖杯が必要である。

 肝心の盃がないのであれば、中身は地面にこぼれ、総じて無駄になるだけなのだから。

 それに、アインツベルンの聖杯、今代はどのような(人物)であるか。

 どちらにせよ、アレの複製品なのには違いないのだろうが。

 まだ聖杯自身は、調整中で中に埋め込まれてはいないであろう。

 だが幸いなことに、こちらにも一つばかり手札がある。

 

「桜よ、お主が役に立つかもしれんが」

 

 思わぬ偶然、思わぬ幸運。

 これが天啓というものかもしれない。

 

「呵呵、可愛い孫が役に立ちそうじゃな。

 桜よ、お前を貰ったこと、これほどに感謝したことはないぞ」

 

 桜の盃に魔力を注ごう。

 そうすることで、道は開かれる。

 冬木の霊地の関係上、何十年単位の計画にはなりそうであるが、最初で最後と考えれば悪くないであろう。

 

 老人は嗤う、孤独に一人で。

 

 

 

 

 

「……ねぇ、アリス」

 

「なに、凛」

 

 現在私は、凛の部屋にお邪魔している。

 本を持ち込んで、読んでいるといったところ。

 と、言っても、別段特殊な本とかではない。

 単なる小説を読んでいるだけなのだ。

 

「こうしてずっと同じ部屋に居て、ジっと小説読んでいるようだけれど。

 何か用があったんじゃないの?」

 

「……別に、用がなくちゃきちゃいけないのかしら?」

 

「別にそうは言ってないわよ。

 ただ、珍しいって思っただけよ」

 

「そう」

 

 そう、特別に理由なんてない。

 何となく、一緒にいたいだけなのだ。

 そんな理由で、私は今日、凛が寝るまで彼女の部屋に居座っていた。

 

 そういうのも、たまには良いでしょう、凛。




聖杯についての設定、途中で正直な話、自分で何を書いているのかが分からなくなった状態でした。
なので、今回は自身のない回でもあります。
どうも、弱気な意見ばかりですみません。


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第15話 とある喫茶での、ほんのひと時

何の捻りもない題名ですが、これ以上何も言えないくらいにこんな感じの内容です。
ただひたすらに、アリスと美綴さんがお喋りをするだけのお話。


 私、美綴綾子は退屈であった。

 

 高校の入学式、気分晴れやか極まりない日。

 しかし校長の長話にも飽き飽きしていたその頃。

 流石に注意力散漫にもなり、耳では校長の話を聞きながら、目をキョロキョロとあちこちへと向けていた。

 誰か面白そうな奴はいないのか、そんな期待を込めて。

 誰かが、私の退屈を紛らわせてくれると信じて。

 

 そして幸運なことに、私に期待をさせてくれるような奴らを見つけたのだ。

 黒髪ツインテの優等生然とした奴。

 錆びた赤色をした、生真面目そうな奴。

 他にも立ったまま爆睡している黒い奴や、校長の話に悟りを開いたかの表情で聞き入っている堅物そうな奴。

 探せば探すほど、愉快そうな奴らがワラワラといたのだ。

 そしてそんな中でも、一番目立つ奴がいていた。

 それは明らかに外国産であろう金髪の奴。

 無機質で何を考えているかが読み取れない横顔に、ゾクリと来てしまう。

 

 本当に、どうやら私はツイていると確信したのだ。

 私の学年は、どうやら楽しいことに満ちていそうであったから。

 だからこの校長の話が終わり次第、あいつらに声をかけて回ろう。

 そんなことを、誰に呟くでもなく自然と決めていた。 

 

 

 そして私は、大抵の奴とは会話をした。

 どいつもこいつも変わり者ばかりで、そして楽しい奴らばかりでもあった。

 中でも黒髪ツインテ、遠坂凛は格別であった。

 文武両道、容姿端麗、ついでに言うと猫かぶり。

 などと色々と濃いやつではあったが、何分馬も合い、競い合うにはこれ以上ないくらいに最高のやつであった。

 

 良き友人にも恵まれて、正に上々な滑り出しの高校生活。

 でも未だに心残りの事があった。

 

 それは、金髪のあいつとはあまり話せることができなかったこと。

 いつも用事などが立て込んでいて、触りで話すくらいの関係で。

 でも他の奴らより話す回数が多かったのは、間桐を豪快に振ったことで他の奴らが尻込みしていたから。

 だからその間を突いて、積極的に質問を飛ばしていたのだ。

 そして、作り物めいた彼女のその口から返ってくる言葉は、凝り性なんだと感じさせるものばかりであった。

 人形作り、お菓子作り、裁縫など、とっても生産的な趣味の奴。

 知れば知るほど変わり者。

 でも、それが面白いから、もう少しばかり知りたいと思ってしまった。

 だから遊びに行こうと誘ってみるのではあるが。

 どうやら放課後は忙しいようで、私達に都合の合う日はこの学期中に存在しなかったのだ。

 機会が巡ってきたのは、長い長い休みに入った頃であった。

 

 

 

 

「あ? 実の奴を見かけたって?」

 

「えぇ、買い物中にね。

 あまり口数は多くなかったけれど、実直な感じがしたわ」

 

 いつもは桜といる喫茶店。

 今日はその場所で、美綴さんと一緒にお茶をしている。

 珍しく約束をしていたのだ。

 美綴さん曰く、

 

『あんたとはサシで話し合ってみたかったけど、中々機会が無かったからね』

 

 とのこと。

 確かに、色々なことにかまけていた割には、美綴さんとはあまり深く絡むことはなかった。

 学校で適当なお話をしたりして、気持ちが良い人なことだけは知っていたけれど。

 だからお互いに、私達は接点を求めていた。

 そして、現在ちょうど夏休みということで、こうして二人でお茶をしている。

 要するに、二人の日程が合うくらいに暇な日が、夏休みという期間であったのだ。

 

「実直ってアンタ、アレは単に口下手なだけさ。

 まぁ、生真面目なのは、私も保証するけどね」

 

 それはさて置き。

 アハハ、と笑いながら、実の弟を切って捨てる美綴さん。

 でも、少しばかりのフォローを残している辺り、別段兄弟仲が悪かったりとか、そういう訳ではなさそうだ。

 学校で、触りだけ弟の事を話していた時も、そこまで仲は悪くなさそうであったこともある。

 

「そうなの、でも礼儀正しいのは良いことよ」

 

「あいつ、体育会系の根性がしっかり育っているからね。

 むしろ礼を失したら、私が喝を入れに行くさ」

 

 成程、実の姉にお尻を叩かれていると。

 ……それならば礼儀の一つや二つ、身に付けざるを得ないであろう。

 彼は中々過酷な環境下に置かれているらしい。

 それでしっかり育つのなら大変結構なことであるが、彼も大変そうである。

 

「私は放任主義の所があるから。

 美綴さんはしっかりしているのね」

 

「んー、本当にそうかぁ?」

 

 紅茶のカップを口に含みながら、面白いものを見つけたような笑顔をしている美綴さん。

 ……なんだろうか、この既視感は。

 

「どういうことかしら?」

 

「あんた、自分の身内は猫可愛がりしそうだからさ」

 

 何の根拠を持ってか、自信があるように美綴さんは語る。

 怪訝そうに私が首を傾げると、美綴さんは続きを話し出す。

 

「何だかんだで面倒見がいいよ、あんた。

 それに人形作ってるって、言ってたもんね。

 そう言う奴って、自分が手を入れたものには、最後まで手を入れ続けたがるからね。

 一種の世話好きのようなもんがあると思うよ」

 

 確かに的確であろう。

 こと、人形を例えに出されると、納得を覚えてしまう自分が憎い。

 美綴さんは、急所を確実に突きに来ている。

 

 ……あぁ、そうか。

 どこかで見た笑みだと思ったら、それは身近な人のモノ。

 そう、遠坂凛の、彼女と同質の笑みを、美綴さんは浮かべていたのだ。

 

「凛とあなたが仲が良い理由が良く分かったわ」

 

「遠坂と私は属性が似ているからね。

 競う分には大いに張り切るさ。

 あいつも骨があるし」

 

 尻尾は中々掴めないんだけれどね、なんて言っている美綴さん。

 だけれども、凛相手に競いあえるだけ、大したものと言える。

 実力がある者同士なら、啀み合うことも多々あるだけにその高潔さは美徳である。

 凛との関係はライバル、と言ったところなのだろう。

 

「競い合えると、自分も高い所まで行けるからね。

 そう言う意味では、遠坂様様だよ」

 

 ニカッと笑う美綴さん。

 凛は、本当に良い友人を見つけたものだ。

 もしかしたら凛の周りには、凛が必要としている人が集まるのかもしれない。

 そうだとしたら、嬉しくもある。

 

「さてと、遠坂はひとまず置いておこうか。

 私はマーガトロイドと話に来たんだし」

 

「共通の話題で話しやすいと思うのだけれど?」

 

「それじゃあ遠坂の事を詳しくはなれるかもしれないけど、マーガトロイドの事は解らないままだろ?

 それじゃあ今日来た意味ないじゃん」

 

 あっけからんと言う美綴さん。

 そこまで言われると、嬉しいような恥ずかしいような。

 兎に角不思議な感じだ。

 今まで、誰かが積極的に私のことを知ろうとすることはなかったから。

 だからとても不思議な感覚。

 

「それなら私は、美綴さんの事を今日の内に沢山知ることとしましょうか」

 

「おう、どんとこい」

 

 不敵に笑う彼女は、とても自信に満ちていて。

 自分のどんなところも受け入れているのだな、と容易に察することができる。

 そんな彼女はどこまでも自然体で。

 だから私も、同じように落ち着いて、リラックスして話すことができそうであったのだ。

 

 

 

 

 

「ふーん、テレビはあまり見ない方なんだ」

 

「そうね、だから流行には結構疎くて」

 

「けどファッションには結構敏感なようだけど」

 

「ファッション誌って便利だとは思わない?」

 

 互いに自然体なため、話がスムーズに進む。

 凛以外にも、思っていたより会話の種は落ちているものだ。

 探せば、どこにでもあるようなもの。

 それは意外に重要な場合があるのだ。

 

「そういえばマーガトロイドって、家とかでは何してたりするんだ?

 人形作る以外に」

 

 何か想像できないんだよなぁ、と顎に手を当てて考え込む美綴さん。

 その様子だけ見ると、とっても男らしい。

 などと戯けた事を考えつつ、どう答えたものかと思案する。

 私が遠坂邸でする事といったら、人形を縫うか凛とお茶をするか、それか魔術の研究に大体分かれているからだ。

 

 魔術のことは伏せたら、後には殆ど何も残らない。

 ……何とも、味気なさを感じさせる。

 

「凛とお茶を飲む以外には、勉強をしている程度ね」

 

「うーん、もっと他にないのか何か」

 

 そう言われても、家の中では大した事をしていないのだ。

 何かする時は、大抵外出をしている時でもあるし。

 

「何かって、何?」

 

「ほら、折角日本に来たんだから、日本の文化を学ぶとか何かさ」

 

 ……何だか様子がおかしい。

 まるで、何かに期待するかのように、美綴さんは私に問いかけている。

 もしかしたら、共通の趣味のようなものを求めての問いかけだったのだろうか?

 もしそうであるのなら、美綴さんはどのようなことを家でやっていたりするのだろうか。

 

「美綴さんは? いつも家で何をしているの?」

 

 分からないのならば、聞いてしまえば良い。

 もしかしたら、美綴さんが求めていた何かを勧めてくれるかもしれない。

 

「っえ!? 私か?

 えーと、うん、そうだな」

 

 ん? 何故だか動揺している。

 ……もしかして人には言えない趣味だったりとかするのであろうか?

 そこまで思考を巡らしていると、慌てたように美綴さんは私に答えを返してきた。

 

「私は家では武術をしているな!

 学校の部活は弓道部だけれど、他にも薙刀何かもいけるな!!」

 

 何かを打ち消すように、大きめの声で喋る美綴さん。

 取って付けた様な答えだが、深くは追求しないでおこう。

 あまり藪をつついたり、窮鼠にしたりするのは忍びなくも思うし。

 

「そうなの、私は体をあまり動かさないタチだから、そういうのは素直に感心するわね」

 

「あんただって、体育の授業中は悪くない動きしてるじゃんか」

 

「悪くないだけで、別段良くもないわよ」

 

 凛や美綴さんと比べると、比較的に私は鈍く感じる。

 二人が突出していると考えるのが、自然な気もするのであろうが。

 

「そうかい? まぁ、筋はいいんだ。

 何か、武芸を嗜んでみるのも良いと思うけど?

 美人は武道ををするものだし」

 

 さも当然の如く語る美綴さん。

 だが、私はそんなルールは知らない。

 美綴さんにとっての美学か、あるいは哲学であるのか。

 

「それは持論?」

 

「いや、真理だね」

 

 それはそれは。

 肩をすくめて、少々の呆れを示す。

 が、美綴さんが言わんとしていることも、分からなくはなかった。

 

 武術の鍛錬をしている時の凛を見ていると、無心に鍛錬に打ち込むさまは、確かに美しかった。

 頑張る凛は、確かに輝いても見えた。

 ただ、私には向いていないだけの話だ。

 

「私、インドア派なの」

 

「外に出ないと腐っちまうよ」

 

「出たら出たで干からびてしまうのよ」

 

「じゃあ、プールにでも入れば元通りになるって寸法だね」

 

 確かにそれなら、運動をすることにはなるのだろうけれど。

 武道をするという宗旨からは、ズレてしまっているように感じる。

 それを汲み取ったのか、美綴さんはこう付け足した。

 

「ま、体を動かす切っ掛けにはなるからね。

 それを切っ掛けに色々すればいいのさ」

 

「そこまで拘るモノなのね」

 

「アンタがそれだけ美人ってこと」

 

 お上手だことで。

 美綴さんはきっと、女の子からラブレターを幾らか貰っているに違いない。

 

「ありがとう、とでも言えば良いのかしら?」

 

「そこは頑張るわ、と返すところさ」

 

 しつこく武道を勧めてくる美綴さん。

 美綴さんは、もしかしたら新しいライバルを欲しているだけなのかもしれない。

 運動に拘らないのであれば、私も何か乗ろうという気は出てくるのだが。

 

「他に何か無いのかしら?

 体を動かす分野は、私に分が悪すぎるわ」

 

「ちぇ、残念だな。

 しかし他にか……」

 

 残念と言いながらも、諦める気などサラサラ無さそうな美綴さん。

 何よりも目が、また今度勧めるぞ、と語っている。

 それはまるで鷹の目のようで。

 全く、呆れるほどに大したバイタリティである。

 

「んーと、そうだな」

 

 ガサゴソと自身の鞄を漁り始める美綴さん。

 何か無いのかと真剣に探しているようではあるが、この分だと何もなさそうである。

 別段それは仕方がない。

 打出の小槌でもあるまいし、振ってでないのならそれまでなのだから。

 

「ん? ……これは」

 

 ギョッとした顔で、急に固まる美綴さん。

 あの様子から察するに、何もないという判断は早計であったようだ。

 でも、この様子はあまりよろしくないものが発掘されたのだろうか。

 鞄と私をチラチラと交互に覗く様からは、そう感じられるのであるが。

 

「何があったのかしら」

 

 何かあるのはもう分かっている。

 ではそれが何かというのが、今回の問題。

 だから断定系で問いただす。

 

「えーと、あの……だな」

 

 煮え切らない態度。

 美綴さんらしからぬ、ふらついた感覚。

 どうにも、怪しく感じてしまう。

 

「言えないもの?

 恥ずかしいもの?

 どちらにしても趣味が良くなさそうなのだけれど」

 

 だから挑発するように言ってしまう。

 中身が何かを知りたいから。

 ……正確には、美綴さんの変わった一面が知りたい、というのが大きいのであるが。

 

「ば、馬鹿なことを言うなよ!

 私は別に恥ずかしいものなんて、何もない!!

 あの、その、ちょっと恥ずかしいだけだ!!!」

 

 小声で怒鳴るという大層器用なことをしながら、美綴さんは当然の如く不満を表明する。

 そしてそれは、私の予想の範囲での行動。

 ここで一気に畳み掛ける。

 

「別に美綴さんが何を持ってようと何とも思わないわ。

 ただ恥ずかしいと感じるのは、心のどこかで引け目を感じているからではなくて?」

 

 私が言い終えると、美綴さんはムッとしたように私を睨み、そうして直ぐにもにょもにょとなる。

 自分でもそう感じていたからなのだろうか。

 少しばかり顔を赤くして、美綴さんはこんなことを尋ねてきた。

 

「……らしくなくても、笑わないか?」

 

「えぇ、笑わないわよ」

 

 だってそれこそが、いま美綴さんを可愛くしている現象の原因であろうから。

 

「そっか、お前ならそうかもな。

 ならいいや、分かった。

 マーガトロイドを信じることにする。

 ……絶対に笑うなよ」

 

 念を押すように美綴さんはそう言って、鞄の中からあるものを、ゆっくりと取り出す。

 それは一冊の本、表紙には女の子と男の子の抱き合う姿が描かれていた。

 

「少女漫画よ……ね?」

 

 別段何もおかしくない物。

 私や凛はあまり読まないタチだが、女子向けに発行されているものだけに、美綴さんが持っていてもおかしくはない物なのだ。

 

「そぅ、少女漫画」

 

 小さな声で、ぼそぼそと喋っている美綴さん。

 それは恥ずかしいのと、照れているのが複合してしまっている姿。

 確かに、普段のサバサバしている姿からは想像しにくいものがあるが、それでも美綴さんが女の子だというごく当たり前の証明に過ぎない。

 ……端的に言って、気が抜けてしまった。

 

 もっと変わった物や過激な物なら、素直に驚いたであろうが。

 この程度では、大した感慨さえも沸かなかったのだ。

 

「別にコレくらい、当たり前じゃないの?」

 

 それが端的な結論。

 別段驚くに値しなかった出来事だったのだ。

 

「……え、マジ?」

 

 惚けたように聞いてくる美綴さん。

 それに私は静かに頷く。

 そして美綴さんは目を点にしてから、私にこんなことを聞いてきた。

 

「なぁ、マーガトロイド。

 お前も少女漫画とか読んだりするのか?」

 

 恐る恐ると、美綴さんは訪ねてきた。

 それはきっと、期待の裏返しであるように。

 肯定した私に向かって聞いてきたのだ。

 

「いいえ、読まないわね。

 でもこれくらいなら普通だって、私も知ってるわ」

 

 だから否定するのに、多少良心は痛んだが、そこは肯定することで誤魔化す。

 そうすると美綴さんは、固まり、思案顔になって、そうして残念そうな顔をする。

 

「そっか、まあ仕方ないのかな」

 

 ものの見事に期待はずれだったようで、がっくりとしている美綴さん。

 そしてそこからは、一抹の寂しさのようなものまで感じた。

 ……もしかすると読んでいる仲間みたいなのが欲しかったのだろうか?

 ちょっと今の流れを自分なりに整理する。

 

 美綴さんは、少女漫画を取り出すのを躊躇していた。

 もしかしたら、それは自分の弱みだと思っていたからなのだろうか?

 普段の武道一筋の自分と、こっそりと隠れて少女漫画を趣味にしている自分の、そのギャップに。

 

「美綴さん、他に少女漫画を読んでいる人とか知ってる?」

 

 確かめるために、思い切って聞いてみる。

 そうすると、美綴さんは困ったように首を振る。

 

「知らないね、あんまりこういう話とかしたことないし」

 

 やはり、なのかもしれない。

 憶測に過ぎないが、それでも私が同じ趣味を持っているかもしれないと。

 そう思っていたのだと、推測できる。

 そしてこれは、美綴さんなりに私と趣味が合いそうな話題を探した結果なのだとも、察することができる。

 

「ねぇ、美綴さん。

 この少女漫画、読んでみても良いかしら?」

 

「……あのさ、変に気を回さないでくれ。

 多分お前の言うとおり、ちょっぴり期待してたのは事実だけれど」

 

 でもこっちが憶測を立てて、正解にたどり着くからには、相手もこちらの考えを察してしまうもの。

 ちょっぴり拗ねた風に言っている美綴さんに、私は素直な気持ちで微笑んだ。

 

「違うわ、私が読みたいだけよ」

 

 私も駄々をこねたのだから。

 もう一つや二つ、増えたところで大した違いはないと開き直ろう。

 これを機に、新たな趣味を開拓するのも悪くはないのかもしれない。

 美綴さんがくれた、せっかくの機会なのだ。

 それを無下にすることもないだろう。

 

「……マーガトロイド、お前って損な性分なのかもな」

 

 呆れを含んでいて、そしてちょっと怒っている風味も感じさせる美綴さん。

 でも、何時ものキラリと光る笑顔の片鱗を感じさせていて。

 ようやく、調子が戻ってきたのかもしれない。

 

「いいえ、私は得な性分よ。

 いつも得るものばかりが多くて」

 

「減らず口ばかり叩くよな、お前って」

 

「そうかしら?

 柳洞くんに比べたら、寡黙と言っても差し支えないレベルよ」

 

「それは比べる相手が悪い」

 

 ご尤も、確かにこれは美綴さんの言う通りだ。

 柳洞くんは一部で、徘徊する道徳観念などと言われて恐れられている……主に運動部の間などで。

 

「全く、イイ性格しているよあんたは」

 

「何か含みのある言い方をしているわ」

 

「日本語はニュアンス次第だからな」

 

「受け取る方の、心持ち次第かもしれないわね」

 

 私からしてみても、美綴さんは良い性格をしている。

 色んな意味でだけれど。

 

「では、失礼」

 

 美綴さんから漫画を受け取る。

 半ばスルようにして、美綴さんの手から取ったとも言えるのだが。

 

「あ、おい」

 

 非難するような声が聞こえるが、一切合切無視する。

 そうしてパラパラとページを捲る。

 その中身は、女の子と男の子がじれじれと、くっつきそうになっては距離を置いてしまう。

 そんな、王道なストーリーだった。

 

「美綴さん、もしかしたら氷室さんあたりと話が合うかもしれないわね」

 

「あいつが?

 まぁ、結構耳年増なところはあると思うけれど」

 

 それはその分だけ、純粋ともとれるもの。

 氷室さん本人が聞けば、シニカルな笑みを浮かべて私たちの揚げ足を取りに来るのであろうが。

 

「あなたも氷室さんも、両方共乙女ってことよ」

 

「……何だよ、それ」

 

 馬鹿にしているのか?

 そんな不満を含んだ声音。

 でも顔が赤くなっているのだから、可愛いものである。

 

「それだけ女の子らしいってことよ」

 

「んん、何かそれはそれで俗っぽい」

 

 咳払いした後、赤い顔のままで言い訳のように呟いている美綴さん。

 どうやら顔が赤いのは、怒ってるからだけでなく、相応の照れが混じってもいたらしい。

 

「良いじゃない、私も結構俗っぽいわよ」

 

「お前は変なところ行きすぎて、俗とかそんなの超越してるんだよ」

 

 ……なんともまあ、傍若無人な物言いである。

 けれど、それでこそ美綴さんという感じもする。

 そう考えると、美綴さんこそが、本当に得な性分なのかもしれない。

 

「人を変人呼ばわりとは、感心しないわね」

 

 だからなのではあるが、はっきりと私も言い返すことができる。

 遠慮などなく、ハッキリとした物言いで。

 

「はいはい、悪う御座いました」

 

 美綴さんは、ちっとも反省してない返事をする。

 それどころか、どこか楽しんでいる風にさえ感じるのだ。

 そして美綴さんは、私にこんな質問を投げかけてきた。

 

「お前さ、自分が凡庸だって思ったことあるか?」

 

「唐突に何なのかしら?」

 

「良いから答えてみな」

 

 美綴さんが急かすように言うから、少しばかり考えてみる。

 普段は考えもしない、こんなことを。

 ……そして、これは考えるようなことではないことに直ぐ気がついたのだ。

 

「私は凡庸、至って健全なの」

 

 自分は凡庸か否か。

 そう問われたのなら、私は間違いなく凡庸だと断定する。

 年の割に、自分が要領よく器用なことは自覚している。

 それがどこか、周りに異質に見えるのも分かっている。

 

 ……それでもやはり、私は凡庸なのだ。

 私がやっていることは、時間をかければ誰にだって出来ること。

 誰にもできないことではないのだ。

 

「そっか、そりゃ結構。

 マーガトロイドのことを、また新しく一つ知れたってことだし」

 

 美綴さんは笑っていた、カラカラと気持ちよく。

 そこで、私は自分が遊ばれていたことに気付いた。

 

「答えなんて、どっちでも良かったんじゃない」

 

「私は答えを求めたのであって、答えの細かい内容までこうであって欲しいと願っていたわけじゃないよ」

 

 ちょっとした仕返し、と呟く美綴さんに、私は両手を挙げて降参する。

 元は私が煽るようにして火をつけたのだ。

 因果応報というやつであろう。

 

「で、美綴さんは私の何が分かったのかしら?」

 

 投げやり気味に聞いてみる。

 しかし、もしトンチキなことを申せば、揚げ足を取る気持ちも持ち合わせて。

 

「アンタはさ」

 

 美綴さんは語り始める。

 笑うのをやめて、普段通りの顔で。

 いつもの学校で話しているかのような自然体で。

 

「存外自分に自信がないのな」

 

 やっぱりおかしなことを、言い始めたのであった。

 

「別に自信がないわけではないわ」

 

 それは事実である。

 例えば私が今まで培ってきた人形の技術や魔術の鍛錬などの、自らの努力の上の自信は確かに存在している。

 しかし、美綴さんは頭を振るう。

 

「きっとアンタが思っている意味じゃないよ。

 私が思うのはね、自分の技に対してじゃなくて、心根に対しての自信だよ」

 

 心根? どういうことなのだろうか。

 私は別段、自分を卑下するつもりはないのであるが。

 

「アンタさ、さっき至って健全、とか言ってたよな」

 

「えぇ」

 

 天才という輩は、どこかで心が病んでいる。

 そんな偏見をもった、ただの一言に過ぎなかったはず。

 それを美綴さんは……。

 

「誰と比較してるのさ、マーガトロイド」

 

「誰……と?」

 

 意味がわからない、美綴さんが言いたいことの。

 すると私の内心を汲み取ったかのように、美綴さんは続ける。

 

「アンタがさっきの言葉を言った時、自嘲するような響きがあったんだよ。

 それがすごくらしくなかったんだよ」

 

 何時もは泰然としてる癖に、何て言葉まで添えて、美綴さんは私に語ったのだ。

 

 ……美綴さんの指摘、それは事実なのであろうか?

 

 それを考えて、考えて、そうして。

 

 ほんの少しだけ心当たりを見つける。

 今では些細なこととなったモノを。

 分からないことが解り、安堵が去来する。

 

「どうして笑ってるんだよ」

 

 安心してホッとしていたところに、美綴さんは変なものを見たような顔をしていた。

 少しだけだけれど、傷つく。

 

「変な奴だなぁ」

 

 言葉に出されると、余計に傷ついてしまう。

 

「失礼ね。

 ただ私の中で謎解きが済んだだけよ」

 

「解答は?」

 

「答える必要がないわ」

 

 特に言う事ではないのだ、これは。

 そして美綴さんは、引き際をキチンと心得ていたようだ。

 それ以上追求することもなく、そうかい、と流してくれた。

 その気遣いに感謝しておく。

 

 

「……飲み物、無くなっちゃったな」

 

「そうね」

 

 何時の間にか、カップは空になっていた。

 中身に入っていた紅茶は既に無く、もしあったとしてもとうに冷めたものと化しているだろう。

 

「どうする? これから」

 

 美綴さんが聞いてくる。

 ここまでにするのか、それともまだ続けるのか。

 茶を飲むには、もう色々とお腹がいっぱいになっている。

 これ以上、飲もうとは思えない。

 

「そうね、本屋にでも行きましょうか」

 

 だから、次は心に栄養を与えに行こう。

 実際に美綴さんの趣向に触れることで、より知ることができるであろうから。

 

「あいよ」

 

 了解したということだろう。

 美綴さんは短く返事をし、溌剌とした表情で立ち上がった。

 

「少女漫画、結構ハマるもんなんだ。

 色々と教えるから、覚悟しときなよ」

 

「それなりの期待はしておくわ」

 

 代金を払い、店を出る。

 私達の今日はまだまだ続く。

 差し当たっては、今からは美綴さんとの共感を、いっぱい覚えることにしましょう。

 

 

 

 

 

 それから後、宣言通りに本屋へ私達は赴いた。

 大体の本は100円で買える古本屋に。

 そこで販売されている膨大な数の本、その中には一定の数の少女漫画もきちんと存在していた。

 その中から、美綴さんのお勧めの本を何冊か教えてもらい、そして立ち読みをする。

 行儀が悪いことは、自覚している。

 でも美綴さん曰く、誰も気にしないから、とのこと。

 周りを見回すと、確かに立ち読みをしている人ばかり。

 だからお行儀は悪いけれど、私もその中に混じる。

 そうして本の世界へと、私は没頭していくのだった。

 

 …………

 ………

 ……

 …

 

 そうして美綴さんのおすすめ本を全て読み終わり、私は自分で適当にほかの漫画も読み漁っていた。

 そしてそれも読み終わった私は、少女漫画のことが良く分からなくなっていた。

 女の子ならよく読むものと思っていたそれは、何だか思ったよりも過激なものが多かったのだ。

 

 美綴さんが教えてくれた本は、大抵ロマンスモノ。

 だから他もそんな物と思っていたのだが……。

 

「イロモノばっかり引き当ててるよな、お前」

 

 漫画のタイトルを美綴さんに教えたら、そんな返事をされた。

 因みに美綴さんは、頭を押さえて何かに耐えているようでもあった。

 だから何となく、その漫画のセリフをぼそっと呟いてしまったのだ。

 

「頭がフットーしそうだよぉ」

 

「ッウ、頭が!?」

 

 呻く美綴さん、彼女的にもあれはキツかったらしい。

 どことなく、今の美綴さんの姿は、ステッキのことを思い出した凛のようでもあった。

 

 そんなこともあって、その日は美綴さんと別れたのだ。

 少女漫画とは、思いのほか興味深いものであったらしい。

 そのせいかは知らないが、私は少しだけではあるが、少女漫画に興味を持ってしまったのであった。

 

 余談ではあるが、この日から私は、美綴さんとこっそり少女漫画の話をするようになった。

 たまに美綴さんのお勧めの本を聞いて、感想を言うだけではあるが。

 本屋で読んだ強烈な本のお陰で、少女漫画を読んでるとは公言しにくいのを悟ってしまったから。

 それが何となく、隠れキリシタンのようで、頭が痛くなったのは割とどうでもいい話である。




今月最後の更新。
ぼぉっとしながら書いたので、誤字がありそうな予感(最近はどうにも多いようで)。
それと妙な用事がたくさん入ってきて、更新がしばらく絶えるかもしれません。
あくまで、しれない、なのですが。


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第16話 麻婆パニック


 今回の内容は頭空っぽにして読んでください。
 正直、おふざけが過ぎたと思っている。
 でも、反省も後悔もしてません!


 人は朝、昼、晩と、一日に三回ご飯を食べる。

 それは栄養補給のためだったり、食欲を満たすためだったり、娯楽のためだったり。

 様々な理由が散らばっているのだ。

 総じて、食事は楽しんだほうが、何かと都合がいいものである。

 だからこそ、私は今、商店街の方にやって来ている。

 それに前から、気になっていたのだ……中華料理というものが。

 

 中華料理、それはその名の通り、中国発祥の料理である。

 だけれども、中国で一括りにするには、彼の大陸は広すぎる。

 日本でも、北海道から沖縄で大きく文化が違うという。

 まして、北京から四川という広大な領土を持つ中国は、それだけで多様な食文化を有するといえよう。

 それは領土に割拠して多様性を持っている、欧州の諸国が何よりも証明している。

 

 しかし私は、そんな中国料理に偏見を抱いていた。

 全てが一律に辛いと、そんな偏見を。

 それは幼い頃に食べたエビチリなるものが、小さい頃の私の舌には、かなりの劇物となっていた為である。

 

 だけれども冬木に来て、そして凛の料理を食べて、それが一方的な物の見方だと知ったのだ。

 ただ辛いだけと思って敬遠していた中華料理。

 でもその真実は、様々な可能性を持っている料理だったということ。

 だからこそ、私はこの料理のことを、もっと知りたいと思っていたのだ。

 

「ここね」

 

 そしてマウント深山商店街には、美味しい中華料理店があるという。

 その店の名前は……。

 

「紅州宴歳館、泰山」

 

 ここが、噂の場所。

 何故か凛は一緒に来ることを拒否していた場所。

 何でも、見たくない顔がいるとか。

 もしかしたら、店長と仲が悪いのかもしれない。

 そんな邪推をしてしまう。

 それを振り払うように、頭をブンブンと振る。

 憶測を重ねても、詮無きことに違いはないのだから。

 だから私は、思い切って店に入店したのであった。

 

「いらっしゃいアルね~!」

 

 そうして、そんな胡散臭い、いらっしゃいが聞こえてきた。

 その方向を見れば、そこには小さな女の子が一人。

 ニコニコと笑顔で立っていたのだ。

 お店のお手伝いでもしているのだろう。

 遊び盛りなのに、感心することである。

 

「あ、客さん、お初さんアルね!

 私はこの泰山の店主、魃、アルよ。

 よろしくネ~」

 

 ……何か違った、決定的な何かが。

 思わず凝視してしまうが、どう見てもお手伝いしている女の子にしか見えない。

 正直な話、意味が分からない。

 

「店長?」

 

「そうアルよ……もしかして、信じられないアルか?」

 

 素直に頷く、信じろという方が無理がある。

 だけれど、困惑してしまう私を他所に、店長は訳知り顔で頷いている。

 

「みんな最初はそうネ、私のあまりの若々しさに度肝を抜かすアル。

 でもアルネ、あれを見ても、そう言っていられるアルか?」

 

 店長が指を指す。

 その先には、調理師免許証が入った額縁が、存在していた。

 

「みんなが疑うから、仕方なく飾ることにしたアル」

 

 ご丁寧なことに、何年度卒業かなどは、黒いテープで隠してある。

 それがそこはかとなく、胡散臭さを増し増しにしている。

 でも、それが調理師免許証であることは、間違いなかった。

 

「信じたアルか?」

 

「えぇ」

 

 人体の神秘、人間はどこまで若さを保てるものなのか。

 また新たな不思議を知ってしまった気持ちである。

 もしかしたら、何らかの不思議生物なのかもしれない。

 単なる偏見に過ぎないのであるが。

 

「ところでお客さん。

 今、空いてる席が無いアルが、相席でOKアルか?」

 

 見渡せば、各席は埋まっており、テーブルも殆ど空きがなかった。

 どうやら美味しい中華料理店というのは、嘘ではなかったらしい。

 そこは噂通りだったらしくて、正直な話、ホッとした。

 

「大丈夫です、席に案内してください」

 

「そう言ってくれて、助かったアル。

 ではでは~、お客様1名、ご案内アル~」

 

 元気の良い声を出しながら、魃店長が歩き出す。

 そして私は、その後ろを付いていく。

 そうして、私が案内された先には……。

 

「相席OKアルか?」

 

「君は断らないと知って、提案しているのだろう?

 構わんよ……どうやら縁がある相手でもあるようだ」

 

「知り合いだったアルか」

 

「あぁ、この街へホームステイをしに来ている娘でな。

 その手伝いをしたまでのことだよ」

 

 何故だかシニカルな笑みを浮かべている、目の前のカソックを着た人物。

 友達、いたのアルねぇ、などとしみじみと呟いている魃店長。

 その店長へと、私はこう言った。

 

「チェンジで」

 

「却下アル」

 

「何故」

 

 誰が好き好んで、この暗黒神父と一緒にいたいと思うのだろうか。

 世話になったとはいえ、あまり得意ではないのだ。

 あまり関わりたくないと思うのが、正直な心情である。

 

「他の席を見るアルね」

 

 店長は他のテーブル席を見渡す。

 私もそれに続くと、目の前の一人でテーブル席を占拠している輩とは違って、他の席には、最低で二人づつ座っている。

 それもおそらくは、友達や家族同士で。

 

「みんな、楽しそうに食事しているアル。

 そこに見知らぬ第三者が来てみるネ。

 きっと気まずいに違いないアル」

 

 店長が困った風に、そんなことを言う。

 でも、確かに一理あると言えよう。

 他人が入ってきたら、話を続けづらくなるものであるから。

 でも、である。

 

「私がここに座ったら、私が苦しむことになるわ」

 

 それは全力で回避したい。

 あまりに酷であろう、それは。

 

「大丈夫ネ、綺礼の知り合いは、総じて図太いアル。

 だから君もきっと、何事もなく食事ができるアル」

 

 ……成程、神父の日頃の行いの成果か。

 思わず天を仰ぎたくなるが、仰ぐ神がこの目の前の神父と同じ神だと考えると、憂鬱になるので、ため息を一つ漏らすだけで済ますことにする。

 

「わかったわ、それでいいわよ」

 

「ありがとうアル。

 値段はオマケするから、そこは勘弁して欲しいアル」

 

 全く、今日はツイていないのかもしれない。

 

 

 

 

 

「ねぇ」

 

「何かな」

 

 店長が去ったあと、残ったのは沈黙。

 あまりの気まずさに、思わず声を出してしまう。

 早まったか、という気持ちもあった。

 でも、この神父と二人っきりで沈黙が続くというのも、ある種の地獄なので仕方がなかったのだ。

 

「それ、美味しいの?」

 

 私が渋々と視線を向けた先には、真っ赤なスープの中に、豆腐が正方形に散りばめられたもの。

 イタリアンのような、香ばしい赤さではない。

 只々、紅いのだ。

 見ているだけでも目が痛くなってきそうな色。

 それを一心不乱に食べ続けている。

 正直、怪異を目の当たりにしている気分だ。

 

「食うか――――?」

 

 帰ってきた答えは、何か危ないものであった。

 食べる? 何を?

 呆然としている私。

 しかし神父は何を思ったのか、こんな注文をとっていた。

 とってしまっていた。

 

「麻婆豆腐、辛さマシマシ外道風味をもう一つ」

 

「あいよアル~」

 

 ……この神父は今、何をした?

 思わず凝視してしまう、が神父は堪えた様子もなく、何時も通りの不気味な鷹揚さで笑みを深くしていた。

 

「沈黙は、すなわち肯定ということだ。

 なに、遠慮をすることはない。

 存分に味わうが良い」

 

 私がただ固まっている間に、注文は通り、そして調理をする音が、厨房から聞こえてくる。

 頭が痛い、何故だか嫌な予感がする。

 心の奥から、逃げて! と悲鳴まで聞こえてくる。

 

「最近はどうかしら?

 何か変わったこととか、ある?」

 

 でも、出てきた言葉はそれ。

 我ながら、どう考えても現実逃避している。

 でも、それで精神の均衡を保てるのならば、それに越したことはない。

 遠い目をした私に、言峰神父は水を飲みながら滑らかの口調で告げる。

 

「特には何もない。

 だが、そうだな。

 あえて言うならば……」

 

 神父は私の目を覗く。

 すぐに逸らそうかとも思った。

 でも、ここで逸してしまったら何だか負けのような気がして。

 だから、睨みつけるが如く、彼の目を見つめ返す。

 

 彼の目、何も映さない虚ろを感じさせる目。

 おかしい、これと似たようなものを、どこかで見たことがある。

 それが、何だか分からないモヤモヤとして、自分の中に積もっていく。

 だけれど、神父は私に考える時間を与えなかった。

 彼は言葉を吐いた、それは強制的に私の意識を浮上させるには十分なものであった。

 

「貴様、間桐臓硯と会談したそうだな?」

 

 間桐臓硯、その名を聞いたころで、心臓が特段高く鳴り響いた気がした。

 間桐邸での、あの日の事を思い出してしまったから。

 

「えぇ、何か問題が?」

 

 強がり、虚勢をはり付けて、私は応答する。

 この神父の前で、弱いところなど見せようものなら、その部分を抉られそうだと思ったから。

 だが神父から飛び出た言葉は、思っていたものとは、大分違ったものであった。

 

「あの爺は油断ならない。

 何か吹き込まれても、本気にするものではない」

 

 そう、それは彼らしからぬ忠告。

 何時もと違って、遊びの入ったものではない、本気のもの。

 だからこそ、真剣に言っていると気付ける。

 

「珍しいわね」

 

 この神父が、そこまで本気になるのは。

 よほど嫌いなのか、それとも噛み合わなかったのか。

 どちらにせよ、この神父にここまで言わせるとは、あの爺の人間でも食ってるのかと言わんばかりの悪辣さは誰にでも有効らしい。

 

「それだけに不愉快で、破廉恥極まりない怪物ということだ」

 

 ……鏡を見てくれば?

 そんな言葉が頭を過ぎるが、本当に不快そうにしているので、口は噤んだままにしておく。

 

「アレが不味いのは十分に承知しているわ。

 危なくなったら、尻尾を巻いて逃げるわよ」

 

「精々絡め取られないようにすることだな」

 

 そう私に告げると、神父は何かに気付いたように、口角を上げる。

 唐突なことで、意味が分からない私は小首をかしげることとなった。

 あまり気分の良くない話をしていたのに、急にどうしたのか。

 そんな単純な疑問である。

 

「店長、幾ら気配を消しても、麻婆の匂いだけは隠せるものではないぞ」

 

「あちゃあ、流石は綺礼ネ」

 

 その疑問は直ぐに解消された。

 いきなり現れたのは、魃店長。

 全く気配を感じさせずに、私達の近くにまで来ていたらしい。

 ……本当に、この店長は何者なのであろうか?

 

「それはこの娘に」

 

「あいアルよ、頑張って食べるアルね」

 

 そう言って、店長は溶岩じみた麻婆豆腐を私の目の前に置き、颯爽と去っていく。

 良かったアルね、と神父にウインクを飛ばしていたが、一体どういう意味なのだろう。

 ……それ以前に、この紅いのは、どういう意図で作られた物体なのであろうか。

 本当に理解に苦しむ。

 そうして目の前を紅い物の前に逡巡していると、神父が端的にこう言った。

 

「食え」

 

 正気を疑う言葉、しかし彼は至って平然と、紅い麻婆を口に運んでいた。

 その彼の目が語っている。

 

 ”少女よ、この紅に溺れるがいい”と。

 

 でも目の前のブツは、どう考えても、入り込んだら沈んでいく沼にしか見えない。

 

 これを食べろと言うのか。

 そもそもこれは人間の食べ物なのだろうか。

 何を思って考案され、そして誕生したのか。

 望まれないものであるはずの……これが。

 

 私は凝視する、凝視し続ける。

 見ているだけで、口に運ぶことはない。

 それは何か大事なものを脅かされるのではないかと、そんな予感さえするから。

 でも、それでも、この麻婆は目の前に存在している。

 こうして私は膠着を続ける、続けようとしていた。

 でも、ここには、そんなことを許さない人物が存在しているのだ。

 

「何を迷う必要がある、食すれば今までの価値観が一変するだろう」

 

 そう、この神父である。

 麻婆を、口角を上げながら口に運んでいる。

 その姿は、ひたすらに修練を重ねた求道者が、答えを得たようにも感じるもので。

 ……歓喜を感じているようにも見えた。

 

「それに、このままでは、折角の麻婆が冷めてしまう。

 それは作り手にとって、とても残念な事ではないかな?」

 

 基本的な道徳、それを私に説く彼。

 その言葉は、本音の中にどこか嘲弄するような響きも混じっていて。

 嘲笑うかのように、彼はこう続けたのだ。

 

「それとも何かね、臆したか? 少女よ」

 

 ……上等よ、クソ神父。

 無言で蓮華を掴む、そして静かに手を合わせる。

 それは食べる前の日本の作法だったのか、何かに祈る動作だったのか、私自身も分からない。

 でも、逃げられない戦いなのは、間違いなかった。

 このままコケにされたままなのが、何よりも腹立たしかったから。

 だから私は、勢いよく麻婆を掬い、そして口に運び込んだのだ!

 

「っんーーーーーー!?!?」

 

 その時、私を襲ったのは圧倒的な灼熱。

 喉が爛れ、須らく溶けていきそうな感覚。

 まるでマグマを嚥下するかのような、冒涜的な感覚が私を襲った。

 圧倒的な熱さによって生じる荒廃した喉越しは、まさに無間大紅蓮地獄!

 

「み、みず、お水!!!」

 

 冷水で満たされたコップを掴み、そのまま一気に飲み干す。

 もはや外聞を気にする余裕なんてない。

 このままでは死ぬ、冗談抜きで死んでしまう。

 ごくり、ごくり、と冷えた水が喉を潤す。

 

 喉が冷たい……。

 お水がこんなに美味しいなんて初めて……。

 もう、何も怖くない!

 

 …………

 ………

 ……

 …

 

「落ち着いたかね」

 

「少し錯乱していたわ」

 

 私は水をたっぷり3回お代わりして、そしてようやく落ち着くことができた。

 もう喉が融解したような、溶けていくような感じはしない。

 しかし、まだヒリヒリすることには変わりなかったが。

 そして正気に戻ったことで、思ったことがある。

 

「やっぱり人間の食べ物じゃなかったわ」

 

 先程の恐ろしい悪夢を思い出す。

 体内から燃やされて、灰に還るとさえ思えたアレ。

 考案した店長は、今すぐメニューを廃するべきだ。

 

「そうかね? 私と店長で考えた、最強の麻婆豆腐なのだが」

 

「お願い、死んで」

 

 この神父も一枚噛んでいたのか、道理で凶悪なものが出来るはずである。

 何が最強の麻婆豆腐なのだろう。

 どう考えても、暗殺用ではないか。

 

「淑女にあるまじき物言いだな」

 

「淑女であってほしいのなら、もっと気を遣ってもらいたいものね」

 

 店長も悪乗りがすぎるだろう。

 まさか、本当にあんなものを出してくるなんて。

 緩慢とした苛立ちが、チリチリと私を苛む。

 でも、この神父は、私の想像を超えるようなことを平然と口にした。

 

「辛さは控えめだったのだがね、修練が足りないのではないかね?」

 

 ……この人は何を言っているのだろう。

 アレで? 冗談はその性格だけにして欲しい。

 

「変だわ、あなた」

 

「とうに自覚している」

 

 事もなさげに返す神父。

 そんな彼を横目に、目の前の物を見つめる。

 ……そこには、出されてそこそこ時間が経っているのに、未だに煮えたぎっている麻婆の姿が。

 正直、もうこれ以上食べたいとは思えない。

 

「――――食べる?」

 

 神父へと尋ねる。

 こんなものを食べるのは、そこの神父か、その親族か、マゾヒスト位なものだろう。

 

「――――頂こう」

 

 主の恵みに感謝を、そう言って私の譲った麻婆を口に運び始める神父。

 だがその麻婆は、どう見ても神父と店長が生み出した、この世の地獄に他ならない。

 それを嬉々として食するこの神父は、魔人か何かの類なのであろう。

 

 黙々と、苦しそうにしながら麻婆を食べる彼。

 一体、何がそこまで彼を駆り立てるのかは分からないが、それでもその姿は、今を謳歌しているようにも見えてしまう。

 もしかしたら、麻婆が生きがいなのかもしれない。

 そう思うと、少し生暖かい視線を送ってしまう。

 そうこうしている間に、彼はあっと言う間に麻婆を完食してしまっていた。

 

「ふむ、美味であった」

 

 ……変だと思っていたが、それに加えて変態でもあるらしい。

 変人で変態でロクデナシの聖職者……事案物である。

 そのうち、何かをやらかさねばよいのであるが。

 はぁ、とため息が、気付いたら出てしまっていた。

 

「ほう、何か悩み事かね?」

 

 邪悪な笑みで、何かを期待するかのように訪ねてくる神父。

 その彼に、精一杯の皮肉を込めて、言葉を吐き返す。

 

「どうにも災厄が私の身に被害を与えているみたいなのよ。

 黒いカソックにいやらしい笑みを貼り付けて」

 

 今日は散々である。

 神父に付き合わされるわ、外道麻婆を食べさせられるわ。

 それにもう、他に何かを食べたいとも思えない。

 少しだけ、まだ喉にヒリヒリとした感覚が残っているから。

 ……もう私、凛の作る中華料理しか食べない、今決めた。

 

「良い歳をして、拗ねているのかね?

 どうやら君は、思っていたよりも子供だったらしい。

 失礼、どうやら私は女性と子供の扱いは苦手でな」

 

「そういう貴方は、ひどく大人げないのね」

 

 弱っているところを蹴りに来るあたりが特に。

 だが本人は至って飄々としたもの。

 睨みつけても、特に気にした素振りもなく、美味しそうに水を飲んでいた。

 

「そうかね? 私の教会には、迷える子羊たちが尽きることはないのだがね」

 

「凛が猫被り得意なのは、あなたの影響もあるのでしょうね」

 

 師弟揃って曲者である、凛の方は可愛げがあるけれど。

 

「では、そろそろお暇するとしよう」

 

「……待って」

 

 もうすることもなくなった、そう言わんばかりに去ろうとする神父を呼び止める。

 本当は面倒くさいから放置していたいのだけれど、でもやらねばならないことがある。

 

「何かな」

 

「話があるの」

 

 そういうと神父は小さく、あぁ、と納得したような声を上げた。

 

「間桐臓硯と企てた件のことかな」

 

「その通りよ」

 

 察しが良い。

 もしかしたら、今日あった時から勘づいていたのかもしれない。

 

「よかろう」

 

 あっさりと神父は頷き、再び席に着いた。

 その物分りの良さが、嵐の前の静けさなのかもしれない。

 

 軽く深呼吸をする。

 程良い緊張が、私を襲う。

 さぁ、話を始めるとしよう、そう思った時の事だった。

 

「いやぁ、ごめんアル」

 

 そんな言葉と共に、店長が現れたのである。

 ……何だか出鼻を挫かれた気分だ。

 

「綺礼の知り合いは、みんな美味しそうに麻婆食べてくれてたから、キミも大丈夫だと思ってたある。

 ちょっと考えが足りなかったアル、ごめんネ」

 

「アレを美味しそうに食べる人……」

 

 ちょっと意味が分からない。

 それ程に世界は広いということなのだろうか。

 

「そこで、お詫びに杏仁豆腐を用意したアル。

 代金はいいから、ゆっくり食べて欲しいアルよ」

 

 店長が差し出してきたのは、フルーツポンチチックなものであった。

 見たところデザートであるようだ。

 

「良いの?」

 

「私の方こそ、これで許して欲しいネ。

 ではでは、ごゆっくりアル~」

 

 そう言うと、店長は流れるように厨房へと去っていく。

 流石の店長も、アレは危ないと認識していたようだ。

 ちょっとだけ、溜飲が下がった想いだ。

 

「食べてもいい?」

 

「それは君のものだ。

 好きにするがいいさ」

 

 建前として神父に伺いを立て、そして杏仁豆腐とやらを口に運んだ。

 ――冷たい、そして甘い。

 これまでの傷を癒していくかのような感触。

 

「美味しいわ」

 

 思わず零してしまう程の物であった。

 あの麻婆と同じ製作者とは思えない味。

 それ程に細やかで、優しい口当たりだったのだ。

 これぞ甘露と言えるものだろう。

 

「で、話を続けてもよろしいかな?」

 

 空気を読めない神父。

 それに頷きつつも、少しだけイラっとしてしまった自分がいたことは否めなかった。

 

「結構、では始めるとしよう」

 

 神父の言葉に、自然と空気が引き締められた気がした。

 彼は余裕を持っていて、だけれども隙などはどこにもない。

 役者としては一人前であろう。

 

「あの妖怪、間桐臓硯と何を話した」

 

 そして彼は、余計な回り道を挟まずに、一直線に聞いてきた。

 何時もの迂遠さは放り投げている。

 それだけ、彼は間桐の爺を警戒しているのだ。

 

「聖杯についてよ」

 

「ほぉ」

 

 感心したように、彼は声を漏らす。

 だがその実、彼の表情は変わらない。

 その代わり、一言一句聞き漏らすことはないという気迫は伝わってきていた。

 

「もっと正確に言うと、英霊の召喚についてよ」

 

「ふむ、それで何をしようというのかね」

 

 事務的に訪ねてくる彼。

 でも、その暗い目の中に、興味という火は確かに灯っていた。

 

「私は英霊に師事しようと思っているのよ」

 

 所々、掻い摘んで説明する。

 喚ぶ手段、そしてそれがどのような影響を及ぼすのかを。

 そしてそれを実行するためには、教会の管理する令呪が必要なことも。

 私が全て語り終えた時に、彼はこう呟いた。

 

「絵に描いた餅だな」

 

 笑みを浮かべている、何時ものように胡散臭いものを。

 でも、幾らか呆れでもしたような、そんな残念さも感じられた。

 ……この人が何を思っていたのかは、分からない。

 しかし、腹立たしいことには違いないのだ。

 

「あなたは大樹の苗木を見て、高くないと笑ってるのではなくて?」

 

「自己評価が過大なこと著しい」

 

 まぁ、良い。

 今のうちに精々笑っておくことだ。

 いつか吠え面をかかせる、そう心に決めた。

 差し当たっては、コケにされた研究を進めることで。

 

「で、令呪は割譲してもらえるのかしら?」

 

 今は端的に、自分の要求が通るかどうかを確かめる。

 それが、今回の要件であったのだから。

 すると神父は更に胡散臭く、鬱陶しい表情になって続けるのだ。

 

「どうにも私の手に余る問題だ。

 しかし、御三家の賛同があれば、それもまた良しとされるのであろう」

 

 それは条件付きによる、遠まわしな肯定。

 これで説得すべき相手は、アインツベルンのみになった。

 でも、暫くは研究に集中しなければならない。

 完成した研究、それから裏をかかれないよう、用心を。

 最悪、研究成果だけ取り上げられて、殺される場合もあり得るのだから。

 

「さて、用は済んだかね」

 

「えぇ、もう用済みよ。

 ……ありがとう」

 

 神父は私の感謝を、意味有りげな微笑みで受け止めた。

 それはまるで聖職者のようで、そして不吉な凶兆の前触れでもあるかのようであった。

 まぁ、それだけ胡散臭く思えるものであっただけの話なのであるが。

 

 でも、何にしろ会話も用事も終わり、後は別れるだけ。

 そう、思っていた。

 

「今、思い出したことなのだがな」

 

 神父が唐突に言う。

 あぁ、そういえば、という気軽さで。

 

「凛の家に運ぶ予定の荷物があった。

 ついでだ、君が持っていき給え」

 

「は?」

 

 ようやく、ようやく別れられると思っていた矢先、また面倒くさい事を頼んできた。

 しかし、凛には日頃お世話になっているし、あまり無碍にもしづらい。

 でも、私は嫌そうな顔をしていることであろう。

 それは間違いなかった。

 でも、神父は平然としたまま、こんな風に続けたのだ。

 

「ルーマニアの教会から、君にも荷物が届いている」

 

「……嫌な予感がするわ」

 

「どちらにしろ、受け取ってもらわねば邪魔で仕方ない」

 

 私の教会を、荷物置き場とでも思っているのかね?

 そう神父に、嫌味ったらしく言われてしまえば、もう行くしかなくなっていた。

 

「私が持って帰れる量なの?」

 

「さぁてな、君の日頃の行いにもよるだろう」

 

 どういう意味なのか、意味深な言葉に気分がげんなりとしてきてしまった。

 そうして、その私を見て、神父はいっそう、笑みを深くするのであったのだ。

 

 

 

 

 

 

「で、荷物はどこにあるのかしら?」

 

 結局、教会まで来てしまった。

 あと、本当に泰山では、料金を取られなかった。

 それはさて置いとくとして、荷物とは一体何か、まずはそれを知らなくてはならない。

 

「こちらだ」

 

 神父は教会の奥の部屋へと入っていく。

 ついて行くと、その先には庭があった。

 観葉植物の姿などもあるが、どれもよく手入れされている。

 この神父は、存外マメなのであろう。

 ……ほんの少しだけ、見直した。

 

「綺麗に整っているわ」

 

「ここで結婚式を挙げる者たちもいる。

 そのためには、やはり整頓はしなくてはならんのだよ」

 

 ……ここで結婚式?

 理解が追いつかなくなりそうではあるが、軽く呼吸して落ち着く。

 そう、ここは教会なのだから、そういう意図で使用する人達もいるのだろう。

 そう考えると不思議ではない、この神父を除いて。

 

「他の神父がやってきて、儀を執り行うのかしら?」

 

「私がいるではないか」

 

 やっぱりそうなのか……。

 この神父の祝福を受けた人達を思うと、涙が禁じえない。

 ど外道麻婆神父の祝福は、呪いと大差ないであろうから。

 こうしてその人達を儚んでいる内に庭を通り過ぎ、そして神父はある一室の前で立ち止まった。

 

「ここにある」

 

 そう言って、神父はドアを開けた。

 キィ、と小さな音と共に、部屋の中が露わにされた。

 

「へぇ」

 

 その部屋は、この神父にしては趣味が良かった。

 部屋にマッチしている調度品に家具、どことなく情緒のある部屋だったのだ。

 

「そこだ」

 

 彼の指差した方向には、ダンボールが二点、存在していた。

 積まれたダンボールには、遠坂凛様、アリス・マーガトロイド様、と其々の名前が書いてあった。

 

「これを素手で持って帰れと?」

 

「何か問題かね?」

 

 凛の家まで、ダンボールを抱えて帰る。

 ……想像すると思っていたより恥ずかしい、何よりも格好が悪い。

 

「移動手段は?」

 

「無い」

 

 聖職者の癖に、無慈悲であった。

 いつか彼の主神に、天誅を下されてしまえばいいのに。

 そんなことを考えていると、どこからか、コツ、コツ、と足音が聞こえてくる。

 

「誰か、他に人がいるの?」

 

「……うむ」

 

 彼にしては珍しく、動揺したように見受けられる受け答え。

 ……もしや女性でも連れ込んでいたのであろうか?

 もしそうであるならば、驚天動地の出来事である。

 

 音のする方向、それは私達の入ってきたドアとは、また別のドアから聞こえてくる。

 その方向を凝視する、好奇心と不信感を込めて。

 もう、音はすぐ傍まで近づいていた。

 

 そうして扉は開いた。

 特別な何かはなく、ただ自然に。

 

 だが、出てきた人物は、特別であったようだ。

 

「綺礼、客か」

 

 扉から現れた彼が、神父に問いかける。

 黄金の髪、ルビーのような赤い瞳、そして……圧倒的な存在感。

 そして、どこかで感じたであろう、この気配。

 いつの間にか、呑まれそうになっている自分に気が付いた。

 

「そうだ、客だ」

 

 だが神父は、何時もと変わらないように、受け答えをしていた。

 それで、私も正気に戻れた。

 

「貴方は?」

 

 気を取り直すために、問いかける。

 だが黄金の彼は億劫そうに、鬱陶しそうに私を見ていた。

 

「自分から名乗る方が先だ、小娘」

 

 気分を害したように、吐き捨てる彼。

 成程、体を表すかのように尊大な性格のようだ。

 でも、私が不躾をしたのも事実である、素直に頭を下げる。

 

「失礼、アリス・マーガトロイドよ」

 

「そうか」

 

 それを聞くと、尊大に頷き、彼は去ろうとしていた。

 ……何だか非常に感じが悪い。

 名乗らせておいて、去ろうという魂胆が気に入らない。

 

 文句でも言ってやろうか。

 そう思っていたが、私が吐き出す前に、神父の方が彼に声を掛けた。

 

「待て、貴様は車を持っていたな?」

 

「それがどうした」

 

 神父が私の方を向く。

 どうやら要らぬ世話を焼いてくれるようだ。

 

「この娘を届けてやれ」

 

「何故、(おれ)がそのような些事を成さねばならぬ」

 

「私が車を運転できないからだ」

 

 神父は臆面もなく、そう言い放つ。

 すると金色の彼は、鼻白んだように鼻を鳴らした。

 

「まぁ、良い。

 暇をしていたところだ」

 

 事もなさげに呟き、彼はこの部屋から出て行った。

 まぁ、利用できるものは、利用しておこう。

 

「感謝するわ」

 

「上辺だけの言葉に、意味はあるかね」

 

 それもそうか。

 軽く、でもほんの少しの感謝を込めて頭を下げる。

 ……今度こそもう用はない。

 早々に立ち去るとしよう。

 

「ところで」

 

 でも、去り際にひとつだけ、疑問を解消しておこう。

 神父を探るように見つめて、そして尋ねる。

 

「彼は何しにここに来ているの?」

 

 神父は無表情であった。

 でも、すぐに笑みを浮かべる。

 何時もの、胡散臭い笑みを。

 

「なに、食事に来ているだけだ。

 勝手にワインを開けるのは、注意しても聞かんのだがな」

 

「そうなの。

 ……食事って麻婆?」

 

 思わず尋ねてしまった。

 あの尊大な表情で、黙々と麻婆を食べ、そしてワインを飲み干す。

 ……バツゲームか何かだろうか。

 想像すると、中々にシュールだ。

 

「ふむ、そうか」

 

 神父は成程、などと呟いている。

 これは、まさか。

 

「良い考えだ。

 次の食事には麻婆を饗することにしよう」

 

 気まずくなって、その場を逃走した。

 私のせい……なのだろう。

 でも、彼も相当無礼なのだから、これでおあいこだ。

 そう自分に必死に言い聞かせて、私はダンボールを抱えたまま、教会を飛び出したのであった。

 

 外には赤色の車が一台、彼の姿を確認。

 すぐにその車に飛び乗った。

 

「出して」

 

「貴様、我に命令するとは、いい度胸をしている」

 

 あぁ、なんという面倒くささか。

 でも、納得させねば、車は出してはくれないであろう。

 

「訂正するわ。

 出してください、お願いします」

 

 割と必死にお願いをする。

 何よりもこの教会から離れたかった。

 じきにこの教会も麻婆に沈むであろうから。

 

「うむ、よかろう」

 

 鷹揚に彼は頷き、ようやくエンジンを回した。

 小気味好い音が鳴り、車に活力が吹き込まれる。

 

「捕まっていろ、小娘」

 

「腹が立つわ、マーガトロイドと呼びなさい」

 

「ほざけ、小娘」

 

 彼がアクセルを踏むと同時に、ようやく車は動き出した。

 神父は教会から出てくる気配はない……助かった。

 そうした安堵に支配された自分がいた。

 そうして、開かれた窓から入ってくる風に揺られながら、私は彼の未来を想像して心で祈るのであった。

 

 

 

「で、貴様、何を恐れて飛び出してきたのだ、何を見た?」

 

 車中で、金色の彼は尋ねてくる。

 何かを気にしているようにも見える彼。

 もしかして心当たりがあるのかもしれない。

 

「……今更ながら、どうして私もあんなに怯えていたのかが分からないわ」

 

 私が麻婆を食べさせられる訳でもないのに。

 被害に遭うのは、この王様の様に威張っている金髪なのに。

 ……いけない、罪悪感が湧いてくる。

 

「今のうちに謝っておくわ、ごめんなさい」

 

 耐え切れず、謝罪をする。

 彼のためではない、自分の心の負担を軽くするために。

 それだけの威力が、あの麻婆には存在するのだ。

 

「どう言う意味だ、それは」

 

 意味が分からないとばかりに、彼は私を睨みつける。

 それを甘んじて受け入れ、彼に軽く訳を話す。

 

「あなたの食事に、一品増えるそうよ」

 

「ほぅ、活きの良いのが捕まったか。

 現状でも十分であるが、質は十分なのであろうな?」

 

 生魚でも好んでいるのか、彼は私に問いただす。

 そんな彼に、私は同情を交えて話す。

 

「あの神父自らが調理するそうよ」

 

「何? ククク」

 

 何が面白いのか、彼が急に笑い出す。

 ……確かにあの神父が花柄のエプロンで、調理をする姿を想像すると、笑えてきそうではあるが。

 でも、実際の調理現場は刺激臭と熱気に満ちて、混沌としていることであろう。

 

「そうかそうか、綺礼が直々にか。

 これは重畳、面白い」

 

 思った通りの、それなりに楽しみにしているであろう反応。

 それが、絶望と混沌の果にあると、彼は想像だにしていないであろう。

 思わず彼から、目を背けてしまう。

 

「なんだ小娘、こんなにも愉快なことなのだ。

 何故、こちらを見ない」

 

 不審そうに訪ねてくる彼。

 ……ここは忠告の一つでも、しておいたほうが良いだろう。

 何の心構えもなく、アレに挑むのは、難易度が高すぎる。

 

「あの神父が作るものなのよ?

 ロクなものでないに決まっているじゃない」

 

 私が原因なのだ、後ろめたさはある。

 でも、彼はそれだから良いのだと、そんな意味不明な回答をしてきた。

 

「綺礼が生み出すであろう混沌……クク、やつの愉悦が、我にも伝わってくるようだ」

 

 あぁ、類は友を呼ぶ、というやつか。

 変態の友達は変態、そんな事を忘れてしまっていたなんて。

 

「趣味が悪いのね」

 

「今の世の中の方が、よっぽど醜悪だ」

 

「人によりけり、答えは無限ね」

 

 とっても捻た彼の価値観。

 もしかしたら、彼は教会の代行者なのかもしれない。

 だとすると、この尊大さは強さの裏返しだと言ったところだろうか?

 そんな事を考えていると……あることに気付いた。

 

 会った時から、誰かに似ていると思っていた気配。

 それが何なのかを。

 

「早苗の気配に似ているんだわ」

 

 どこか神聖さを感じさせる彼。

 それは早苗から感じさせられたものに、よく似ている。

 性格は全く似ていない二人。

 その共通点は、ある種の神々しさであった。

 

「何か言ったか、小娘」

 

「あなたって、教会で特別な地位の人間なのかしら?」

 

 それなら、威張りくさっていても何ら違和感はない。

 むしろ、それが当然になっているのかもしれないのだ。

 

「ほう、見る目はあるようだな、小娘」

 

 どうやら当たりか。

 彼は私を見て、気持ちよさげに笑っていた。

 自分に陶酔するかのごとく、彼は酔っていたのだ。

 

「だが、足りん。

 我はこの世全ての王だ」

 

 訂正、単なる誇大妄想者だったようだ。

 ……もしかしたら、教会に特別扱いされつつも、厄介払いとばかりにこの土地に流されてきたのかもしれない。

 

「そう、あ、着いたわ。

 ここで降ろして」

 

 気付けば遠坂邸の前、彼に車を止めてもらう。

 ダンボールを持って、車から降りる。

 

「ありがとう、助かったわ」

 

「手間ではあったが、暇は潰せた」

 

 それはそれは、結構なことだ。

 そういえば、聞いておかねばならないことが、彼にもあるのである。

 これが重要なことだ。

 

「あなたの名前は?」

 

 私は名乗ったのに、彼は名乗らなかった。

 それがひどく不快であった。

 それに感謝するにしても、名前を知らねば、気持ちを込めづらいのだ。

 

「ふむ」

 

 彼は考えていた。

 顎に手を当てて、どうするかを。

 何を悩んでいるかは知らないが、もしかしたら何らかの教会の規則があるのかもしれない。

 少しして、彼は顔を上げた。

 

「ギル、とでも呼ぶがいい」

 

 それは愛称であった。

 は? と思わず困惑してしまったが、彼はこう続けた。

 

「本来ならば、町娘風情に呼ばせる名ではないが、生憎と本物の名は訳あって告げられんのでな」

 

 ……色々と言いたいことはある。

 町娘風情とか、偉そうな態度についてだとか。

 でも、これが彼なりの譲歩なのであろう。

 仕方がない、ここが引き時だ。

 

「分かったわ。

 ありがとう、ギル」

 

 名と共に、再び感謝を告げる。

 面倒くさく、鬱陶しくもあったが、彼は私をここまで運んでくれたのだから。

 

「感謝を受け取ろう。

 崇め奉ると良い」

 

 やっぱり面倒くさい。

 そんな彼は満足したように、エンジンをふかし、その場を去っていった。

 

 そうして取り残されて、やっと実感が湧いてきた。

 ……ようやく、帰って来れた。

 あの神父のせいで、散々な目にあったが、これでやっと、ホッとした。

 遠坂邸の扉を開ける。

 

「凛、ただいま!」

 

 開放感からか、思わず大きな声で叫んでしまう。

 そんな大声を出したからか、直ぐに凛が現れた。

 

「お帰り……お疲れ様」

 

 何かを悟ったかのように、凛は私を向かい入れた。

 そして思い出す、彼女は泰山に行く時、妙に嫌がっていたことを。

 

「凛、あなたあの神父が居ること知ってたでしょう」

 

 尋ねているようだが、これは断定であった。

 そして凛はあっさりと、それを肯定した。

 

「そうよ、昔からお祝いと称して、結構あの中華料理屋には連れて行かれたわ」

 

 味は結構なものよ?

 そんな言い訳をする凛。

 だが、私はそんな言い訳が聞きたいわけではなかった。

 

「どうして、一言言ってくれなかったのかしら」

 

 それだけで、回避できたことなのに。

 自分でも分かるくらいに、むくれている。

 でもそれだけ、ショックな出来事でもあったのだ。

 すると凛は、ジト目で私を睨み始めた。

 

「元はと言えば、あんたが外で中華を食べたいとか言ってたんじゃない」

 

「それが?」

 

 何だというのだろうか。

 私の疑問を他所に、凛は止まらない。

 

「だったら私のじゃなくて、外で食べてくれば良いじゃない」

 

 フンッ、とそっぽを向く凛。

 ……もしかして。

 

「怒ってるの?」

 

 拗ねてるの? という言葉は、既のところで飲み込んだ。

 それは油に火を注ぐと、同義であったから。

 

「別に」

 

 短く返してくる凛。

 でも、その姿からは、彼女が何を思っているかは明らかだった。

 

 凛に歩み寄る。

 横目で私を見る彼女に、私は行動を起こした。

 ギュッと、抱きしめたのだ。

 

「ちょ、ちょっと、なによっ!?」

 

 びっくりしたように、目を剥いて私を睨む凛。

 でも、そんなのは関係ない。

 私はこの場でぶちまけるのだ。

 

「あの神父、ひどかったわ。

 あんなに辛い麻婆、初めて食べさせられたわ」

 

「え、あれを食べたの?」

 

「一口だけ」

 

 戦慄したかのように、私を見る凛。

 そしてその目は、私がギルを見ていた時の目に、いつの間にか変わっていた。

 

「……ごめん」

 

「私こそ、ごめんなさい。

 今度からは、凛が中華料理を作って」

 

 無論、泰山へ足を運ぶことはあろうけれど。

 それは杏仁豆腐を食べに行くだけ。

 もうあそこの辛いものは、信用ならないのだから。

 

 暫くギュッとしていると、凛が耐え兼ねたかのように声を荒げた。

 

「あぁっ! もう、子供か!!」

 

 そうして私を振りほどく。

 顔が真っ赤になっているのは、恥ずかしさの為だろう。

 

「可愛いわよ、凛ちゃん」

 

「うがぁぁあああ!!」

 

 つい面白くて、とどめを刺してしまう。

 でも、お陰で、神父に回された毒は払拭できた。

 凛に癒してもらっていたのだ、私は。

 

「さてと」

 

 のたうつ凛を尻目に、私はダンボールを差し出した。

 

「……これは?」

 

 うぅ、と小さく呻きつつも、何らかの興味を示したようで、訪ねてくる。

 それに私は正直に答える。

 

「言峰神父のお土産」

 

 凛はダンボールを放り投げた。

 

「なんて物を持って帰ってきてるのよ!」

 

「あなたの荷物だって、神父が言ってたのよ」

 

 そう言ってダンボールに目を向けると、中身が見事にぶちまけられていた。

 その中身は……。

 

「あ、これ」

 

 凛が呟き、そしてぶちまけられたものの中の、一つを手に取る。

 

「エキスパンダー?」

 

 そう、それは体を鍛えるための道具。

 他の物も、大小問わず、そういうものであった。

 

「あ、そっか。

 そういえば、いらなくなった物よこせって、綺礼に言ってたわね」

 

 思い出したかのように、せっせと床に散らばったものを拾い始める凛。

 現金なことだ。

 

「わざわざ神父からせびるなんてね」

 

「有効活用よ、道具には罪はないわ」

 

 ご尤も、凛は嬉々として床に散らばったものを拾い、そして私の足元にあるダンボールにも目を向けた。

 

「そっちは?」

 

「教会から、私宛に」

 

 ふーん、なんて言いつつ、彼女は散らばったものを全て拾い終えた。

 そして私に一言。

 

「厄介ごとの匂いがする」

 

 それだけ言って、去っていってしまった。

 まるで気まぐれな猫。

 しかも不吉な言葉を残していったのだから、きっと黒猫だったに違いない。

 

「そういうことは、口に出さなくても良いのよ」

 

 本当にそうなりそうで、怖いではないか。

 顔を顰めながら、私は自分の部屋に入室する。

 そうして、私は逡巡した。

 

「開けるべきか、捨てるべきか」

 

 教会から、という時点で胡散臭い。

 ここで届かなかったことにしてしまうのも、アリなのではないか。

 そう思ってしまっている自分がいる。

 

 だが、それはそれでめんどくさい事になりそうだ。

 あとが怖いというのもある。

 だから、仕方なく、私はダンボール箱を広げることにした。

 そこには、古びた洋服と手紙が一つ。

 

 手紙を手に取る。

 そこにはこんな旨が記されていた。

 

 ――この洋服の持ち主は極東にいる。その人物を探求せよ、と。

 

 私は洋服を見つめ、溜息を吐く。

 雑多で錯綜した、役に立たない情報を手に、もう一つ溜息を吐いた。

 

「曖昧すぎだわ、見つかる訳がないのに」

 

 憂鬱なのは、教会の伝を借りて冬木に来たため、形だけでも探さねばならないこと。

 私が駆り出されたのは、正教会経由での依頼の為、人手不足だからだろう。

 イタリアなどの、カトリックの総本山と違い、正教は赤い時代の弾圧を受けて、大幅に規模を縮小していたのだ。

 だから、猫の手も借りたいと、そういうことなのだろう。

 

 でも、今回のは無茶がすぎる。

 正直、年齢的にも、生きているか怪しいものだ。

 その人物は、かつてルーマニア宗主宮殿の図書室を整備した者。

 手紙に書いてある、その名前を、私は読み上げた。

 

「パチュリー・ノーレッジ」

 

 動かない大図書館と称された、偉大な大魔術師の名であった。




 必要なネタバレ、読んでくださいね、皆さん!

 パッチェさんが登場すると思った東方ファンの皆さん、ごめんなさい。
 パチュリーって誰? と困惑している読者皆さんは安心してください。
 彼女はこの小説では登場しません!(重要なネタバレ)

 次の話は、空の境界の人達を出そうと思っています。
 ちょっと前に、空の境界組をだそうと思っていたら、いつの間にか早苗さんとイチャイチャしているだけの話が出来上がっていたので、今度こそは! と言う話なのです。
 折角、小説の中ではアリスは夏休みなのですからね!(全く夏的要素を出していないけれど)

 などなどという理由があり、おそらく次は、作者の妄想爆発で、えぇ?(困惑)などと、読者の皆さんに思われてしまうかもしれません。
 もしかしたら、使い捨てでオリキャラも出すかもしれません(秋姉妹ではないですよ?)。
 しかも、まだ具体的に設定が煮詰まっていないせいか、次の更新は1ヶ月先になるかもしれないですし、2ヶ月先になるかもしれません。
 全ては糸が切れたタコのように、流れ行くまま、です。

 以上、言い訳兼ネタバレでした。














 もしかしたら、また東方の人物をぶっ込むかもしれません(ボソッ)。


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番外編 4月馬鹿だから出来ること

最近砂糖不足だったので、自作してみました。
が、4月1日に間に合うようにこしらえた突貫製品です。
なので、品質の保証はしかねます(特に最後らへんが)。
それでも良い方のみ、どうぞ。


 ある日の午後。

 私は桜と一緒に、何時もの喫茶店でお茶をしていた。

 この場所では、私は桜の相談事に乗ってることが多いが、今日もそんな何気ない日常のひとコマを消化していたのだ。

 尤も、私の顔は無表情を押し通せているか、不安なところではあったが。

 それは、桜の相談の内容が問題であった。

 

「衛宮くんにもっと甘えたい?」

 

「はい、そうです!」

 

 寝言は寝て言え、その言葉を寸でのところで飲み込む。

 衛宮くんと桜がアレなのは、本人達以外で皆が認めるところがあるというのに。

 桜が何を思ってそんなことを言ったのか、まずはそれを確かめないと話にならない。

 

「いつもダダ甘じゃない」

 

「イチャイチャと甘えるのは別なんです。

 アリス先輩はそれが分かってません!」

 

 バンっと机を叩く桜、だが私の方がそうしたい。

 いつもあの二人は甘く感じているのに、これ以上行くと爛れそう、と感じてしまう。

 退廃的なのは、まだ早い。

 特にこの無自覚に純粋な二人の間には。

 

「じゃあ膝枕をしてもらうとか、普通に甘えれば良いじゃない」

 

 投げ遣りにそう言うと、何ともモジモジした桜が俯いて、ボソボソと口を動かす。

 

「えっと、そのきっかけが欲しいなって、そう思ってるんです。

 流石にいきなりそんなこと言ったら、先輩に引かれちゃいますから」

 

 ……面倒くさい、始末に負えないくらいに。

 この娘は、何も悩む必要なんて無い癖に。

 

「言えば戸惑いながらでも、衛宮くんはしてくれるわよ」

 

 衛宮くんは恥ずかしがっても、桜がしたいと言ったら叶えることだろう。

 基本、二人の関係はそんな感じなのだから。

 ……ダメ、想像すると紅茶が甘くなってきた気がする。

 

 妙に甘く感じる紅茶に顔を顰めていたら、桜のうぅ、と言う呻き声が聞こえてくる。

 億劫気味に顔を向けると、熟した林檎のように赤くなっている桜が。

 その顔を見せれば、衛宮くんも簡単に折れるだろうに。

 

「……分かりました、正直に言います」

 

 桜がそんな前置きをする。

 顔が赤いのは、何に対して恥ずかしがっているからなのか。

 私がじっと見守る中、桜は開き直ったように、一気に捲し立て始めた。

 

「こんなこと、素面で言ったのなら恥ずかしくて死んじゃいます。

 兄さんには笑われ、藤村先生にはパンダでも見るような目で見られて。

 そして先輩の顔も、私が直視できなくなっちゃいます。

 だからアリス先輩に力を借りに来たんです!」

 

 ようするに、桜の方が耐えられない、と。

 告白まで進んでいて今更、と呆れる他にない。

 でも、桜は至って本気のようだ。

 だから尚の事、タチが悪く感じてしまう。

 

「私は桜が衛宮くんに甘えるのに、都合の良い口実を考えればいいの?」

 

 然り、と桜は力強く頷いた。

 どれほど思いつめているのかと突っ込みたくなるような真剣さ。

 もはや呆れを通り越して、笑いの感情が込み上げてくる……但し、乾いたものだが。

 

「そう、ね」

 

 半ば惰性で考える、何か無いのかと。

 自分がバカみたいだと、そんな自虐まで浮かんでくる。

 そして、頭の中まで桜色に染まってしまった後輩を見つめる。

 もう、馬鹿ばっかりだ。

 

「馬鹿ばっかり」

 

 口に出すと、より身にしみて感じられた。

 もうすぐ春だから、みんなの頭もそれに向けてお花畑に近づいているのだろう。

 

 そんな時に、断片的な単語が頭に過ぎった。

 それらはさっき、自分で思った言葉の羅列。

 春、馬鹿、お花畑、など。

 そう言えばだが、もうすぐ四月だ。

 ……丁度、都合の良い日があるではないか。

 

「ねぇ、桜」

 

「はい、なんでしょう、アリス先輩」

 

 身を乗り出して、期待で目を輝かせている桜がいた。

 心持ち、鼻息も荒く感じる。

 春の麗らかな陽気は、見事桜に伝染していたようだ。

 そんな彼女に、私は苦笑しつつ告げた。

 

「あなた、一つ馬鹿になってみる気はない?」

 

 春の陽気がパンデミックとなって広がり祭りになる、ほんの数日前の出来事だった。

 

 

 

 

 

「ん、朝か」

 

 土蔵の扉の隙間から、光が差している。

 どうやら完全に閉まっていなかったようだ。

 左手をかざして、陽の光を遮ろうとしても、大した意味はなく眩しい光は自身を焼き続ける。

 朝日を目一杯浴びることから、衛宮士郎の朝は始まった。

 

「この時間なら……桜は起きてなさそうだな」

 

 寝起きで目がしっかりと開かないが、それでも時計程度なら見える。

 土蔵で修理した時計は、朝の6時を指していた。

 最近はこの時間帯でも、流石の桜も夢の世界の住人だ。

 

 でも油断できない。

 桜はこの家に寝泊まりしてるわけだから、起きて直ぐに家事が出来てしまったりする。

 昨日は6時に起きたのに、桜は笑顔で朝食を作っていた。

 そんなことが続いたお陰で、最近は台所の主が誰か分からないくらいだ。

 だが、今日は久々に自分の腕を発揮できそうである。

 

 足音を殺して、台所に向かう。

 中々到着しないから、やや早足気味に。

 こういう時、自分の家の長い廊下がもどかしく感じる。

 

「爺さん、改築しまくったもんな」

 

 何かにつけて”士郎、家を大きくしよう。もしかしたら、突然家族が増えるかもしれないしね。”なんて意味不明なことを言って、爺さんは屋敷を拡張していったのだ。

 もしかしたら、正義の味方だった切嗣は、俺みたいに誰かを拾うかもしれないと思っていた。

 家族が増えたら、俺が一番弟子だと胸を言うつもりであった。

 現実では、そんなことは無かったのだが。

 そのせいで、結局離れの洋風の部屋は、放置され続けることとなった。

 でも、今は桜が使っているし、そこのところは爺さんに感謝している。

 

「よしっ」

 

 台所に着いたが、誰も居ない。

 一番乗りに成功できたみたいだ。

 桜には悪いが、この場所は譲れない。

 

 神聖にして不可侵な、衛宮家の聖域。

 虎は立ち入るのが厳禁。

 それがこの台所であるのだ。

 

「確か鮭があったよな」

 

 冷凍庫を覗くと、鮭やら肉やらが詰まっている。

 何げに冷凍食品の類が一切無いことが、衛宮の冷凍庫の誇りだったり。

 そんな冷凍庫から鮭を取り出し、冷蔵庫の方からは、ほうれん草や豆腐、卵を引っ張り出す。

 今日は、ちょっとベタだが、王道を行くメニューにしよう。

 朝に鮭や卵焼きは、大正義であるのだから仕方がない。

 ……でも、これだけでは足りない。

 うちの皆はよく食べるから、これだけでは不安だ。

 何かあったか、と思案していると、冷蔵庫に昨日の煮物の残りを発見。

 よし、これも出すことにしよう。

 

「これでおかずの不安はなくなった」

 

 満足満足、善哉善哉っと、これは一成の口癖だった。

 一成の口癖は独特だから、時々口が勝手に吐いてしまう。

 一成の目の前で零した時は、何故かひどく喜ばれたが。

 

「っと、そんなことはさて置いて」

 

 朝食作りの続きを、っと。

 湯がいたほうれん草は再び冷蔵庫に仕舞い、鮭を焼き始める。

 グリルに鮭をかけて、じっくりと待つ。

 そういえば鮭で思い出したことがある。

 桜が前に作ってくれた、鮭とキノコのバター醤油包み、アレは美味しかった。

 で、いま俺が作っているのは、何の変哲もない焼き鮭。

 

 ……何かできないか。

 周りの具材を漁るが、特に良い物が見つからない。

 何だか、良く分からないが負けた気分である。

 弟子の成長を喜ぶべきか、師匠として情けなく思うべきか。

 今の俺にできることは、精々鮭にレモンを添えること程度だった。

 次までに新しいレシピを開発しておこう。

 

「焼けたかな?」

 

 葛藤に苛まれているあいだにも、時間は流れていく。

 丁度程よく鮭が焼けている時間である。

 グリルを覗くと、こんがりとした鮭が、その姿を晒していた。

 それに満足感を覚えつつ、鮭を皿に乗せていく。

 あと、煮物は軽くレンジにかけて終了。

 今日の朝ごはんの完成である。

 

「あとは皆を呼ぶだけだな」

 

 ほうれん草を冷蔵庫から取り出しつつ、時計を見ると時刻は7時。

 ……おかしい。

 桜は何時もはこの時間にはしっかりと起きているのに。

 珍しく寝坊しているようだ。

 

「ま、寝坊も何も、春休みなんだけどな」

 

 今日は4月1日。

 藤ねぇが羨む、学生の特権たる春休みの真っ只中であった。

 

 さて、藤ねぇはほっといても勝手に来るから良いとして、桜は起こしてあげよう。

 でも、桜の部屋、か。

 ……想像したら、背中がザワザワと騒ぎ始めた。

 

 パジャマ姿で寝ている桜。

 考えるだけで、嬉しかったり、申し訳なかったり。

 妙にドキドキする。

 そうして葛藤が、自らの中に生まれる。

 頭の中で、白い羽を生やした虎が囁いてくる。

 

『ねぇ士郎? 年頃の女の子の部屋に許可なく入るのは、お姉ちゃん的にどうかと思うけどなぁ』

 

 ご尤も、そういうところは妙に常識的なのが、教師として働けている所以である。

 

『でもぉ、士郎も男の子なんだし?

 気になったりするのは、お姉ちゃん、よぉく分かります!』

 

 ん?

 

『だから譲歩して、桜ちゃんの体操服をお姉ちゃんが着てあげる♪』

 

「なんでさっ!?」

 

 何時の間にか、虎の羽が黒に染まっていた。

 墨汁で染めたかのように、真っ黒な姿。

 自分の煩悩を凝縮したかのようである。

 

「ありえないありえない」

 

 ブンブンと頭を振る。

 頭の中の虎は、”もぅ、士郎は照れ屋さんなんだからぁ!”といってフェードアウト。

 もう戻ってこなくていい、切実に。

 

「はぁ、行くか」

 

 何か振り払うようにして、立ち上がる。

 主に虎とか、煩悩とか、あと虎とか。

 ……だが、少し遅かったようだ。

 

 廊下から、小走りで走っている音が聞こえる。

 それがホッとしたようで、少し残念なようで。

 両頬をパシッと叩き、頭をリセットする。

 

 それと同時に、彼女が扉から現れた。

 何時も通り、そう、これは何時も通りの朝だ。

 

「おはよ、桜。

 今日は遅かったんだな」

 

 何時もと同じように挨拶する。

 俺が顔は下に俯けてしまっているのは、後ろめたかったりする訳では断じてない……多分。

 

 桜は走ってきたせいか、やや息を荒げ気味だった。

 でも、待っていればいつもと同じ挨拶が来るに違いない。

 

「おはようございます」

 

 ほらきた、これで何時も通り。

 

「……あなた」

 

 思わず顔を上げていた。

 目の前には、涙目で真っ赤になった桜。

 それは決して、走っただけで上気する顔の赤さを逸脱していた。

 

「さ、桜?」

 

「うぅ、アリス先輩の馬鹿。

 これじゃあ、恥ずかしいのは変わらないじゃないですか」

 

 上ずった声で、彼女の名前を呼ぶが、桜は俯いて何かを呟いただけ。

 あなた、あなた……あなた。

 これはつまり、どういう意味なのか?

 動揺が冷めあがらない内に、桜は顔を再び上げた。

 その顔は、とても赤く、そして目を潤ませてもいた。

 そしてそれと同時に、覚悟を決めたかのような強かさも滲ませていたのだ。

 

「あ、あなた! ご飯の用意をさせてしまってごめんなさいっ!!

 奥さん失格ですね、私っ!」

 

「なんでさっっっ!?」

 

 何よりの、心からの叫びであった。

 

 

 

 

 

「……私、恥ずかしくて死んでしまいそうです」

 

 そこには燃え尽きた桜の姿があった。

 プルプルと震えて、両手を床につけて嘆いていている。

 さっきまで、あなた、と震える声で呼び続けていたが、桜の中の何かが耐えられなくなったらしく、今ではこんな状態になっている。

 

「なぁ、桜。

 どうしてこんなことしようと思ったんだ?」

 

 桜らしからぬ唐突な行動。

 それがどうしてなのか、理由が分からないのである。

 

「だって、……かったんですもん」

 

「ごめん、もう一回頼む」

 

 純粋にその部分だけ小さくなって、聞こえなかった桜の声。

 でも、桜は泣きそうになっていた。

 悪いことをしている、女の子を泣かせそうになっている。

 罪悪感や爺さんとの約束が、脳裏を駆ける。

 もういいよ、そう言おうとした。

 だけど、それより先に、桜が蚊の鳴くような声で、もう1度言った。

 そしてそれは、今度こそ俺の耳に届いた。

 

「だって、先輩に甘えたかったんですもん」

 

 それは桜のささやかな、そしてどこまでもこそばゆい囁きであった。

 

「……そっか」

 

 気の利いた返事を思いつかない。

 そこまで俺の経験値は高くないし、女の子のことを知らないから。

 女の子には優しく、爺さんはそう言ってたのに、情けない限りの体たらくだ。

 だから……。

 

「――っあ」

 

 桜が小さく声を漏らす。

 ……俺が、桜の頭に手を置いたから。

 優しく、彼女の髪を撫でた。

 俺は口が回らないから、行動で示すしかなかった。

 

「もしかして桜、寂しかったのか?」

 

 大抵の時、桜が大胆なことをするのは寂しかったりするのを誤魔化すためだった。

 今回もそうだとしたら、俺は本当に情けない。

 嫌気がさすくらいに、自己嫌悪が襲いかかってきそうだ。

 俺の様子に気付いたのか、桜は勢いよく首を振る。

 

「違います、本当に甘えたかっただけなんです」

 

 シュンとして、桜は小さく告げる。

 悪いことをしてしまったと、反省するかのように。

 

「先輩に撫でてもらって、それから桜、と呼びかけてもらえるだけで、私は満足だったんです。

 でも、そんなことを言うのも恥ずかしくて、自分でも訳が分からなくなっちゃいました。

 こっちの方が恥ずかしいのに……何で私はこんな事をしたんでしょうね」

 

 自嘲するかのような響きも混じってきて、まるで沈んでいくかのようで。

 気がつけば、桜を抱きしめていた。

 

「せん、ぱい?」

 

「桜は照れ屋さんなんだな。

 でも、桜らしいってすごく思う。

 だから桜、なんて言えばいいか分からないけど、えっと、元気出せ」

 

 こういう時に、自分の語彙力不足が嫌になる、まるで子供のようだ。

 慎二なら、ポンポンと痒い言葉を連発できるだろうに。

 ……何だか、こっちまで恥ずかしくなってきた。

 

「先輩、もう大丈夫ですよ、私」

 

 気を持ち直したのか、声が柔らかくなっていた。

 でも、今は駄目だ。

 

「ごめん桜、ちょっとだけ待ってくれ」

 

「え?」

 

 どうして、と思っているであろう。

 でも、切実に待って欲しい。

 

「俺、顔赤いから。

 見られたくない」

 

 自分でも分かるくらいに顔が熱いから。

 自分で悶絶してしまいそうなほど、女々しい理由。

 でもそれほどに、今の俺は重症だった。

 

「フフ」

 

「……笑うなんてひどいぞ、桜」

 

 背中から聞こえてくる、桜の笑い声。

 まるで微笑ましいものを見たかのような、柔らかい笑い声。

 これではまるで子供のようだ。

 

「だって先輩、可愛いんですもん」

 

 ……言い返せない。

 こんな状態なのだ、何か言っても滑稽にしか過ぎないであろう。

 駄目だ、これは駄目だ。

 

 桜にくっついてても、赤さが取れるわけがなかった。

 おまけにみっともない、醜態まで晒すハメにもなった。

 今の状態に耐えられず、そっと桜を離す。

 

「先輩、顔は赤いままですよ?」

 

 からかう様に、だけど優しく告げる桜。

 それが余計に羞恥心を煽る。

 

「さ、桜だって、真っ赤なままじゃないか」

 

 苦し紛れの、言い訳じみた言葉が飛び出る。

 が、それもまた真実であった。

 

 余裕を持ってるかのような桜の口調。

 でも、桜の顔は多分俺よりも赤くなっていて、それが冷める様子は一向に見られない。

 恥ずかしい、照れてしまう、といった感情が、俺にも分かるくらいに前面へ現れていたのだ。

 

「……先輩にそんなことされたんですもん、当たり前です」

 

 顔は赤いままで、だけれど俺の目をしっかりと見ながら、桜は告げてくる。

 

「……そっか」

 

 それ以上、俺は何も言えなかった。

 無言で桜と見つめ合う。

 何となく、それが今は正しいような気がしたから。

 だから、こうしてずっと時間が流れていくって、そんなことすら感じてしまっていて。

 桜が浮かべた微笑みが、何よりも暖かかった。

 だから、

 

「うがあぁぁ! 君達! 何時まで続ける気だあぁぁ!!!」

 

 それが終わるのが、少し寂しくもあった。

 

 

 

 

「全くもぅ、少し空気読んで見守ってたら、延々と続けちゃって。

 朝からベタベタと! お姉ちゃんはプンプンです!

 君たちのせいで、せっかく披露しようとしていたネタが、全部吹っ飛んじゃったんだから!」

 

 どちらかというと、藤ねぇはプンプンというよりも、カンカンだった。

 その様子は、王に憤怒を覚えたメロスにも見えた。

 

「ちょっと聞いてるの? 二人共!」

 

「ご、ごめんなさい、藤村先生」

 

 桜はさっきから、ずっと赤いまま。

 さっきまでの気恥かしさと、藤ねぇに見られていた羞恥とが合わさって、桜の顔の朱は収まるところを知らない。

 

「ゴメンで済んだら、おまわりさんはいらないの!

 しかも今回は、証拠立件ともに不可な完全犯罪なのよ?

 私は糖尿病が死因にされちゃうのね」

 

 およよ、などと胡散臭い泣き真似をする藤ねぇ。

 桜はあわあわしているが、俺は逆に自分が冷静になっていくのを感じる。

 周りが混乱しているのを見ていると、自分は存外冷静に慣れてしまう、といった感じのアレである。

 

「で、桜、誰に教唆されたんだ?」

 

 だから気付けた、桜が大胆になれた理由に。

 一人では桜は戸惑ってしまうが、誰かが居るとどこまでも強くなれるから。

 今回も誰かの力が働いていると、そう思ったのだ。

 

「こら士郎、私の話はまだ終わってません!」

 

 ポコンと、藤ねぇに叩かれる。

 

「他人事のようにするんじゃありません。

 士郎と桜ちゃんは共犯なのよ!」

 

 ……それを聞き出すのは、暫く無理そうだ。

 

「全く、士郎ったら。

 もういっそのこと、私がこの家の風紀委員兼書記長に就任しちゃおうかしら」

 

 こってりとした、藤ねぇのお説教。

 実に30分、体感時間で1時間という長さであった。

 しかもご飯食べながら喋るから、米粒が飛んでくる。

 

「ご飯中に喋るのは行儀悪いぞ」

 

「今はそれどころじゃな~い!」

 

 ……理不尽だった。

 で、藤ねぇは時刻が8時を回ると、早々に立ち上がって一言。

 

「今日はこれくらいにしといてあげる。

 じゃ、行ってきまーす!」

 

 と言って学校に出勤していった。

 あとに残ったのは、何も言えなくなってプルプル震えている桜と、爺さんが頭の中で手を振っている精神状態の俺だけであった。

 

 

 

「で、桜、誰に唆されたんだ?」

 

「唆すって、そんなんじゃありませんよ、先輩」

 

 take2、今度は二人っきりなので、穏やかに話が聞ける。

 桜と俺、藤ねぇという台風に見舞われ、ともに精神的な被害は大きかったが、それでも唯一良い事はあった。

 程よく力を抜いて話ができるという、そういう状態に落ち着いたこと。

 それが、何よりの幸いだったのだろう。

 

「ただ、私が相談したんです。

 先輩に甘える方法は何かないのかなって」

 

「桜が相談する相手、ね」

 

 まず思い浮かんだのが慎二。

 だけど、そもそも桜が慎二にそんなことを相談できるはずがなかったので除外。

 当然慎二の方も、嬉々として馬鹿にするであろうから。

 次に思い浮かべたのは……。

 

「もしかしてそいつって、金髪でショートヘアだったりするか?」

 

「それ、もう答えが分かってますよね」

 

 あはは、何て困った笑いを浮かべている桜。

 それに、俺はどんな顔をしたことだろうか。

 それにしてもマーガトロイドの奴、桜に何を仕込んでくれてるんだ。

 

「俺、最近はあいつのキャラが分かんないんだ」

 

「意外に優しいですよ」

 

 桜の返事は曖昧なもの。 

 それはわかっているのだ、前の藤ねぇの一件で面倒みが良い事は理解しているから。

 でも、マーガトロイドは場所によって、何だかキャラが違うように感じたりする。

 教室では気難しげだし、コペンハーゲンでは存外気楽そうに感じる。

 

「あと、結構お茶目さんです」

 

「今回の件で、よぉく理解した」

 

 強調して言うと、あたふたとし始める桜。

 でもそれくらい驚いたのだ、ちょっとくらい言っても、罰は当たらないと思う。

 

「で、でも、私から相談したことなんです!

 アリス先輩は悪くありません!!」

 

 必死の弁護、でも確かにそれも事実であった。

 というか、そもそもである。

 

「今回、別に誰かが悪いとか、そういうことはなかったよな」

 

「あ、言われてみれば、そうですね」

 

 何が悪かったといえば、巡り合わせが悪かったのだ。

 ……俺達の不注意も存分に含まれているのであるが。

 

「という訳で、俺は別に桜を責めようとか考えてるわけじゃないんだ。

 ただ、きっかけがどこにあったのかを知りたいだけで」

 

「そう、ですか。

 ……でも、びっくりさせてしまって、ごめんなさい」

 

 ぺこりと、頭を下げる桜。

 でもそうされると、逆にこっちが悪くさえ思えてしまう。

 

「いや、俺の方こそ過剰に反応してゴメン」

 

 俺も頭を下げる。

 そうして、二人で顔を上げると、次に安心感が湧いてきたのだ。

 

「あとで二人で、藤村先生にも謝りに行きましょうか」

 

「そうだな、って、あ」

 

「どうかしましたか、先輩?」

 

 首をかしげている桜。

 そんな彼女に俺は机の上を指差した。

 

「あ、先生、お弁当忘れていってますね」

 

「慌ただしかったもんな」

 

 それ程に、我を忘れていたということだろう。

 

「後で届けに行かないとな」

 

「そうですね、藤村先生もお昼にはお腹が空いているでしょうし。

 私達はお昼ご飯、どうしましょうか?」

 

「そうだな、学校に届けに行こう。

 ……そうだな、ついでだし昼は藤ねぇ達と一緒に食べるか」

 

「え? 私が行っても大丈夫なんですか?」

 

「桜は直ぐにうちの学校に来ることになるんだし。

 学校で一緒にお昼も食べても何も問題はないよ、早めに雰囲気に慣れる事もできるしな。

 それに弁当はいつも多めに作ってるし」

 

 弓道部の奴らがタカってくるから、弁当はいつも多めだ。

 何も問題はないのだ。

 

「そう、ですね、楽しみです。

 でもその前に、私たちも朝ごはん、食べましょうか」

 

「食べる前にレンジにかけないとな」

 

 すっかりと冷めてしまった料理を、次々とレンジに放り込んでいく。

 その中で、ふと気になったことがあった。

 きっと安心したから、そういう疑問を持つ余裕が出てきたのだろう。

 

「桜、どうして夫婦なんてネタだったんだ?」

 

 確実に、マーガトロイドに吹き込まれた事なのだろうが。

 それでも、あいつがどうしてそんなネタにしたのかが気になったのだ。

 

「あ、それはですね」

 

 さっきを思い出したのか、少し顔を赤くしつつ、桜は答えてくれた。

 カレンダーを見ながら、桜は告げたのだ。

 

「今日はエイプリルフールですから。

 嘘をついてもいい日、だから思い切ってお馬鹿な虚構を作り上げましょうって、アリス先輩に言われたんです」

 

 何だかダメになっちゃいましたけどね、と零す桜。

 笑っているけど、少し寂しさも感じて。

 

「別に、嫌じゃなかった」

 

 だから、そんなことを言ってしまっていた。

 確かにすごく恥ずかしくて、真っ赤になってしまったけど。

 それでも、心臓が高鳴ったのは、紛れもない真実だったから。

 

「……先輩、私」

 

 桜が俺を見ていた。

 まっすぐに、その目を。

 だから彼女の目に映る感情、それがダイレクトに伝わってくる。

 期待、その感情を強く滲ませていた。

 

「今ので、すごくドキドキしちゃいました。

 続けたいって、思っちゃいました」

 

 肌色が朱に交わり、そして紅に染まっていく。

 

「続き、しても良いですか?」

 

 ……断る術を、俺は知らなかった。

 

 

 

 

 

「そろそろ学校の方へ行こうか、桜」

 

「……はい、あなた」

 

 互いに赤面する。

 でも、それでも続ける。

 嫌ではないのだから、それが堪らなくむず痒いものだったのだとしても。

 

「持ってくものは弁当くらいか。

 あ、あと、帰り際に買い物にも行かないとな」

 

「せんぱ、あ、いえ、あなた!

 私が荷物を持っていきますから、任せてください!」

 

 フン、と気合を入れている桜。

 でもそれをさせるわけにはいかない。

 

「桜は女の子なんだから、そういうのは俺の役目だよ」

 

「……先輩はいつもそればっかり、ずるいです」

 

 桜はボソッと呟いてたが、しっかりと聞こえていた。

 でもこればかりは譲れないのだから、仕方がない。

 

「行くぞ桜」

 

「はい、あなた」

 

 トコトコと桜が後ろからついてくるのを確認して、俺は玄関を出た。

 向かうのは学校の弓道場。

 たまに藤ねぇが弁当を忘れていくから、届けに行く場所。

 それ以上でも、それ以下でもない。

 

「と、そう言えば桜」

 

 気付いたことがあった。

 それは一応大事なことだ。

 

「それ、外でも続けるのか?」

 

 流石にそれは、羞恥心の刺激が強すぎる。

 想像しただけで、及び腰になってしまう。

 

「さ、流石に皆さんの前だと恥ずかしいですね」

 

 それは桜も同じだったようだ。

 名残惜しさもあるが外ではと、そう言おうとした。

 でも、その前に桜が。

 

「だから、二人っきりの時だけ、お願いしますね」

 

 照れながらそう告げてきたのだ。

 思考が、停止しそうになる。

 辛うじて、カクカクと首を縦に動かすことが、俺に出来た唯一のことであった。

 

「行きましょうか、あなた」

 

 桜の微笑みは、春の陽気を思わせるような、そんな香りを持っていた。

 今の俺は、きっとそれに当てられているに違いない。

 

 

 

「お、衛宮じゃないか。

 丁度いいところに来たね」

 

「それは飯時だからってことか?

 それとも藤村先生の手綱が欲しかったってところなのか?」

 

「ま、両方だねぇ」

 

 弓道場に到着、と同時に美綴から挨拶をもらう。

 顔には、待ちわびたぞ? と書かれているのだから、分かりやすいものだ。

 

「飢えた藤村先生が、他の生徒に襲い掛からないうちに、早く弁当を届けてくれ。

 ……おや、そちらさんは?」

 

 美綴の視線の先、そこには桜がいていた。

 ペコリと、桜が頭を下げる。

 

「初めまして、間桐桜といいます」

 

「間桐って、あの間桐の妹?」

 

「はい、多分ですけど、その間桐だと思います」

 

 驚いたような顔を、美綴はしていた。

 まぁ、何が言いたいかは理解できるが。

 

「見学に来たんだよ。

 といっても、学校の雰囲気を感じに来た程度なんだけどな。

 もうすぐ入学は確定してるんだし」

 

「へぇ、そういうことなら、ゆっくりしていってよ。

 部長には、私から言っておくから」

 

「はい、ありがとうございます」

 

 許可は得た、あとは元々の主目的だった藤ねぇの所在だが……。

 

「見つけた」

 

 呆れ声が、思わず出てしまった。

 朝、俺達に怒りを示していた藤村”先生”は、生徒に野獣の眼光をつけていた。

 正確には、生徒の持っている弁当にガンをつけているのだが。

 どちらにしろ、タチが悪いことに変わりはないのだが。

 

「ほら藤ねぇ、弁当持ってきたぞ。

 だから他の人の弁当を見つめるのやめろ」

 

「しろぉ! よくやった、感動した!!」

 

 藤ねぇが飛んでくる。

 その躍動ぶりと言ったら、虎というよりも豹のような俊敏さであった。

 

「感動するよりも、忘れていったことを反省しろよ」

 

「それは朝のゴタゴタが悪かったのよぅ。

 それに反省はしてないが、後悔はしている!」

 

 キリッ、と良い笑顔を浮かべている藤ねぇ。

 本当に現金なものである。

 

「はぁ、昼にするか」

 

「はい、あな、……先輩!」

 

 一瞬ヒヤリとしたがギリギリセーフ。

 桜と目を合わせて、軽く息を吐く。

 

「んじゃんじゃ、いっただっきま~す!!」

 

 俺達の様子になど気付く気配はなく、むしゃむしゃと弁当を貪り始める藤ねぇ。

 それは余りにも何時も通りの光景。

 故に、この場においてだけ、俺達はいつもの自然体に戻ることが出来た。

 それは魔法が覚めたかのようでもあったが、同時に安心もそこにはあった。

 

「あの先生、朝はごめんなさい。

 あんなの、びっくりしちゃいますよね」

 

「ごめん、藤ねぇ」

 

 だから自然と、こんな言葉が出ていた。

 桜と俺は、何時もと同じ空間であったから、今朝の異常について、謝ることができたのだ。

 

「あ、もう大丈夫だよぉ、そんなことよりこの煮物!

 ちょっと甘く煮つけすぎよ、醤油ドバーって入れてくれる方が、わたし的には嬉しいかなぁ」

 

 尤も、藤ねぇはそんなことは気にしていなかった。

 無駄にカラぶってしまった俺と桜は、藤ねぇらしいか、と肩の力が抜けたのであった。

 

「藤ねぇ、醤油ばっか入れてると体に悪いぞ。

 それに慎二がそれを聞いたとき、”味のわからぬ蛮族が!”て物凄くキレてたし」

 

「間桐君は、甘く煮付けてないと食べれないんだ。

 まだまだ子供なんだから」

 

 いや、多分単なる好みの差だと思う。

 桜に視線を送ると、クスクスと笑っていた。

 慎二らしいことに感性がくすぐられたのか、藤ねぇの物言いがあまりにも横暴だったからなのか。

 

「何時か、兄さんとも食卓が囲えたらいいですね」

 

「そうだな、あいつ稀にしかこないもんなぁ」

 

 ごく稀に夕飯時に現れては、ぶつくさ言いながらご飯をかきこみ、そして去っていく。

 正直、何をしに来たのか分からなかったりするが、どうせなら毎日来ればいいのに、と思ってしまうのだ。

 

「間桐君が来るなら、今度こそ味の良さを教えなきゃね」

 

「えっと、多分喧嘩になっちゃうと思うんですけど……」

 

「ま、そこら辺は慎二の気紛れ次第だな」

 

 妙に浮き浮き気味の藤ねぇに、あまり期待するな、と釘を刺しておく。

 そもそも、好みが違うのが食卓に揃いすぎると、味を整合するのにすごく苦労する。

 なので程々にして欲しいのだ。

 

「はい、今日も美味しかった、ごちそうさまでしたっ!」

 

「私もです、ごちそうさまでした」

 

「お粗末さん」

 

 弁当箱は綺麗に片付けられていた。

 気持ちよく食べられたあとの、この弁当箱を見るのは気分は良いものだ。

 

「みんな、2時からまた練習再開よ。

 さっさと食べるべし!」

 

 自分が食べ終わったのを良い事に、急かし始める藤ねぇ。

 別に2時に期限を設けているのだから、急かす必要はないのだけれど。

 

「私達はどうしましょうか、先輩」

 

「そうだな……」

 

 出来れば買い物に行きたい。

 でも、である。

 

「せっかく来たんだ、桜は何かしたいことはないか?」

 

 桜は今、学校にいるのだ。

 もうすぐ入学する、この学校に。

 だから聞いたのだ、何かないのか、と。

 

「えっと」

 

「なぁ、それならさ」

 

 桜が頭を悩ましているところで、声がかかった。

 その正体は、時々こちらを気にしていた、美綴であった。

 

「弓道、してみないか?」

 

「……」

 

「あ、別に無理になんて事はないよ。

 ただ、機会があるのならやってみるのもイイかなって思っただけ」

 

 美綴の勧誘に、桜は困ったように沈黙していた。

 目を伏せているあたり、できれば断りたいのかもしれない。

 

「美綴」

 

「ま、いいさ」

 

 俺が断りを入れようとしたら、その前に美綴は引いた。

 桜の状態を見て、手応えがないことを悟ったのかもしれない。

 

「気が向いたらおいで……衛宮も誘ってな」

 

「えっ!?」

 

 びっくりした桜が顔を上げる。

 そこには、快活な笑みを浮かべた、美綴の姿があった。

 

「ビンゴか、衛宮も隅に置けないねぇ」

 

「し、静かに!」

 

 流石に恥ずかしい。

 別に隠す意図はないが、皆に言いふらす理由もない、むしろ恥ずかしい。

 

「お前、本当にわかりやすい奴」

 

 何がなのだ、と言ってやりたいが、大体自分でも理解できている。

 ……もうそろそろ、耐性が出来ても良いと思うのだが。

 

「ほっとけ」

 

「こんなに楽しいのに、ほっとける訳ないだろう?」

 

 睨みつけると、お幸せに、と残して脱兎のごとく、美綴は去っていった。

 ……せっかく、普段通りに戻っていた空気が、朝のように戻ってしまった。

 

「か、買い物に行きましょうか、先輩」

 

「そう、だな」

 

 藤ねぇにその旨を告げて、この場を後にする。

 気を付けるのよ~、と言う藤ねぇの言葉を背に受けながら。

 

 

 

「今日の晩御飯、何にしましょうか……あなた」

 

「……続けるのか、それ」

 

 もう十分に恥ずかしい思いはしたと思っていたのだが、桜はまだまだ続ける気のようだ。

 

「アリス先輩が言ってたんです。

 シンデレラの魔法が解けるのは、12時を過ぎてからだって」

 

「俺、王子様なんて柄じゃないぞ」

 

「私にとっては、何にも変えられない王子様ですよ」

 

 ……本当に柄じゃないけど。

 そう言われたのなら、答えなくてはいけない気がした。

 

「分かった、出来る範囲でエスコートするよ、桜」

 

「はいっ!」

 

 嬉しそうに、はにかむ桜。

 それを見ていると、まぁ、良いかと思えてくるから不思議である。

 

「じゃ、まずは八百屋から回ろうか。

 何か良いのがあったら、それを晩飯の食材にすればいいし」

 

「分かりました、あなた」

 

 という訳で、八百屋に向かい野菜を漁る。

 何時も通りに冷やかされる。

 でもオマケしてくれるので、あまり文句も言えなくなってしまうのだから、困ったものだ。

 それから肉屋、魚屋、と巡り、そして全ての店で冷やかされ続けた。

 そして皆が皆、オマケをつけてくるのだ。

 ここまで来ると、何かの作為的なものまで感じてしまう。

 

「奥さん、だなんて……」

 

「やっぱ、恥ずかしいものは恥ずかしいんだな」

 

 何とも言えない心象だった。

 前の手を繋いで買い物した時から、色々と冷やかされるようになったので、それが大元の原因だったのかもしれない。

 あの時は、熱に浮かされてたのか、我ながら大胆に行動できたものである。

 ……頭が、痛くなってきそうだ。

 

「でも、ちょっと嬉しいです」

 

 でもあの人たちのそれは祝福だから。

 だから、恥ずかしくても、不快には思えない。

 

「みんなしてアレだもんな、俺はちょっと困るぞ」

 

「あはは、そうですね、あなた」

 

 そうやって笑って、俺達は、自然と手を繋いでいた。

 

「帰るか、桜」

 

「はい、あなた」

 

 繋いだ手は暖かくて、伝わる熱から、春の暖かさを感じることができた。

 もう、寒くはないのだ。

 今は紛れもなく、春だった。

 

 

 

 

 

「あら、成功したのね」

 

「成功って何がって……うわぁ」

 

 視界には手をつないでいる衛宮くんと桜の姿があった。

 仲睦まじく、楽しげに歩いている。

 それを見た凛は、何とも言えない表所をしていた。

 

「あんた、桜に何を吹き込んだのよ」

 

「吹き込んだなんて、人聞きの悪いことを言わないで」

 

 相談されて答えただけである。

 それで失敗したのならともかく、成功しているのだからケチをつけられるいわれはない。

 でも、気になっているであろうから、凛には教えることにする。

 

「何って夫婦ごっこよ。

 折角のエイプリルフールだもの。

 面白いことの一つや二つくらいは良いでしょう?」

 

「ま、確かにつまらないよりかは良いけど。

 でも、夫婦ごっこって……」

 

 意味不明、と言いたげに考え始める凛。

 でも、二人を当てはめるのなら、それが一番似合ってると感じたから。

 だからそうしただけのこと。

 深い理由など、二人が作ればいいだけの話だ。

 

「今頃、あなた、とか桜は衛宮くんの事を呼んでいるわよ」

 

 うへぇ、という顔をした凛。

 だけれど、その直後に、面白いことを思いついたと言わんばかりにこちらに顔を向けた。

 

「ねぇ、アリス」

 

「残念ながら、エイプリルフールの企画は、ここで終了よ」

 

「……何でよ」

 

 出鼻をくじかれて、面白くなさそうな凛が聞いてくる。

 でも、事実としてそうなのだから、仕方がないのだ。

 

「エイプリルフールはね、本当は午前中だけしか嘘をついてはいけないのよ。

 そういう習わしなの」

 

「え、でも、あの二人は」

 

 凛は、遠くになった衛宮くんたちの背を見た。

 明らかに、あそこはまだ続いているだろう、と。

 

「桜は魔法が解けたことに気づいてないのよ。

 もうあそこまで行くと、嘘なんかじゃなくて、単なる真実なんでしょう」

 

「……あんたが一番楽しんでるんじゃない」

 

「まぁ、折角馬鹿になったんだもの、私もね」

 

 だからこれくらいの得は、得ても良いだろう。

 ほんのちょっとした、ささやかな楽しみに過ぎないのだから。

 だから最後の馬鹿な事として、遠のいていく衛宮くん達に、少しばかりの祝福を願ったのであった。

 もう、それすらも必要では、無いであろうが。




ちょっとしたズレ、みたいなものが起こってます。
士郎と慎二は弓道部に入ってません。
それは、魔術の鍛錬などで、時間が取れなくなってるためです。
といっても、特に意味のない設定だったりするのですがね。

甘めに行こうと思ったのですが、如何だったでしょうか?
正直、あまりしない話を無理して書いたきがするので、ケミカルな味になってないかが心配です。


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第17話 交差する関係

アニメ効果で執筆意欲が増したので、一話だけ投稿。
この続きを仕上げるのは、時間がかかりそうです。
取り敢えず、今回の話から空の境界のメンバーが暫くメインになります。
そこをよろしくお願いします。


 とある大学の一室、そこに私たちは来ていた。

 何故こんな所にいるのかとえば、言うならば用事、大事な用事があってのこと。

 私は隣にいる、親友の手を握る。

 

「ちょっと、緊張しちゃうわね」

 

「大丈夫よ、夢ちゃんにもちゃんと紹介状貰ったんだし」

 

 不安そうにしている親友の言葉を、吹き飛ばすように楽観的に告げる。

 ちゃんと手順を踏んでいるのだ、どこに不安がる要素があるというのだろうか。

 私がちょっと笑うと、彼女も居場所が出来たかのように、少しの安堵を見せた。

 

 よし、今なら大丈夫。

 そう判断を下し、扉をトントン、とノックする。

 中からくぐもった声で、どうぞ、と返された。

 

 軽く深呼吸をする。

 隣の彼女を見ると、頷いてくれた。

 それに合わせて、私はドアノブを回したのであった。

 

 カチャ、と音を立てて、あっけなく開く扉。

 扉の先には、白衣を着た老けている男がいた。

 この部屋を任されている、この大学の教授である。

 男の顔は、常に何かに興味を持ってるかのように、つぶさに観察している感じがする。

 私たちも同様に、じぃ、と興味津々で観察される。

 彼の目は爬虫類じみていて、なんか鳥肌が立ちそう。

 そんな視線に、親友は居心地が悪そうに、困ったような曖昧な笑みを浮かべていた。

 そうして私は思ったのだ。

 ――この人、変態だ、と。

 

「こんにちは」

 

 それを誤魔化すかのように、私は挨拶を繰り出す。

 はよ、話を進めい。

 そんな憤りも含めて。

 教授は、オヤオヤ、と肩を竦めていた。

 ちょっぴり腹立つ。

 

「こんにちは、二人共。

 遠いところ、わざわざご苦労なことだネ」

 

 そう思うのなら、早く椅子を勧めて。

 ただでも、コミュ症気味の親友が、遠い目をし始めているんだから。

 

「あ、いえ、こちらこそ、お時間をいただいて、大変ありがたく思っています」

 

 ただ、変態教授の方が喋ったのに反応し、親友は無事に現世へ帰還したようだ。

 慌てたように、頭を下げる。

 私も彼女に倣うように、ぺこりと頭を下げた。

 

「いや、結構。

 最近の学生は失礼なのが多いのに、君達はしっかりとしているネ」

 

 いえいえ、などと親友が恐縮してる中で、私は部屋を見回していた。

 ……特別に何かある、という訳ではなさそうだ。

 拍子抜け、絶対変なものがあると思っていたのに。

 それを残念に思いつつも、嘆いても仕方がない。

 ようやく勧められたソファーに座り、正面の教授と対面した。

 

「初めまして、宇佐見蓮子です」

 

「は、初めましてっ! マエリベリー・ハーンです」

 

 隣で親友のマエリベリー、メリーの力の入った挨拶に苦笑しつつ、教授の”はい、どうも”という快活な笑いを受け止める。

 

「で、岡崎君は元気かな?」

 

 彼の教授が最初に尋ねてきたこと。

 それは私達の恩師が元気であるかであった。

 早く本題に行きたいところだが、彼の様子が、緊張を解そうとしている事に気が付く。

 横を見ると、メリーはガチガチの状態で、教授を見ていた。

 はぁ、と溜息を吐きそうになりながら、教授の話に乗ることにする。

 取り敢えず、メリーに慣れてもらわなきゃ困る。

 ……今回は彼女のことについて、話をしに来たのだから。

 

「えぇ、元気すぎて、他の教授たちも手を焼いています」

 

「確か非統一魔法世界論だったよネ。

 学会では失笑を買っていたが、私は興味深いと思っているよ」

 

 恩師が提唱する理論、非統一魔法世界論。

 これは、この世には説明できないような不思議な(魔力)があり、全てを魔力で統一出来る世界・その逆の世界・色々混在している世界も存在する、といったものである。

 

「あれ、要するに超ひも理論の亜種だよネ。

 ボクは分野が違うから、詳しくは言えないけど、中々に良い着想だと思うよ」

 

「本人が聞いたら、何と言うやら」

 

 思わず漏らすと、教授が、っぶ、と吹き出して、膝を叩く。

 

「『あら、うだつの上がらない似非学者が吠えるのね。お陰で冴えないデータばかりが溜まっていくの』ってくらいは、言いそうだよネ」

 

 恩師、岡崎夢美の声音を真似ようとして、無駄にキモくなった教授の声。

 うん、我慢できずに思わず吹いてしまう。

 確かに、それくらいは言ってのけそうだ。

 

「もぅ、蓮子も教授も、先生を弄っていると、後が怖いんだから。

 ミサイル飛んできても、私知らないわ」

 

 呆れたようにメリーが私たちを見ていた。

 あー、夢ちゃんのミサイルかぁ、ありえそうで怖い。

 教授も苦笑いを浮かべ、ハンカチで額のあたりを拭っていた。

 

「アメリカあがりは怖いネ」

 

 教授、多分アメリカは関係ないと思います。

 幾ら銃社会だからといって、ミサイルまで飛び交うとは思えない。

 というか、思いたくもない。

 

「ま、岡崎君イジリはここまでにしようか。

 あとも怖いからネ」

 

「賛成です」

 

「調子良いんですから、二人共」

 

 メリーが何か言ってる。

 けど、メリーさえ密告しなければ、私がシバかれることはないのだ。

 だから、そこさえ押さえれば問題ない。

 ……これが終わったら、賄賂を融通しておこうそうしよう。

 

「じゃ、親睦を深められたことだし?

 本題に行こうじゃないか」

 

「……よろしくお願いします」

 

「よろしくお願いします」

 

 さぁ、ここからが本番だ。

 メリーと顔を見合わせ、そうして頷き合う。

 彼女が気合を入れた顔をしている。

 頑張れメリー!

 

 

 

 

 緊張は二人のお陰で緩和できたけれど、心臓がまだ落ち着いてない。

 落ち着きなさい、マエリベリー。

 貴女()は落ち着けば出来る子でしょう?

 ……そうよ、出来るんだから。

 

 蓮子の方を向く。

 そうすれば、図らずも、彼女も私の方を向いていた。

 すると、ひどく落ち着いた。

 いや、勇気づけられたのかもしれない。

 蓮子と頷きあい、そうして私は話し始めた。

 

「では教授には、聞いていただきたいことがあります。

 私の体験について……私の不思議な目から見える風景について」

 

 私の目から見える光景、それは不思議な光景。

 恒常的に見続ける、夢のことを。

 この教授は、そういう分野が専門なのだ。

 

「私は良く夢を見るんです」

 

「へぇ、どんな夢?」

 

 相槌を打ちつつ、教授はメモを取り始める。

 それを気にせず、私は続ける。

 

「どこか知らない場所が見えるんです。

 でも、共通点があるとすれば、それは原風景が見えること」

 

「原風景、ねぇ」

 

 上手くイメージできないのか、教授はトントン、とペンでこめかみの部分を叩いていた。

 何か言おうかと思ったが、教授なりに纏めたのか、こっちに向き直り会話を再開する。

 

「えぇと、昔ながらの光景って事でいいのかな?」

 

「そうですね、大体あってます」

 

 正確には、日本の元来のあるべき姿、というべきものなのだけれど。

 違いは何かと言われれば、これまた答えるのに窮してしまうであろうから、このままで話を進める。

 

「それを実際に見たことは?」

 

「ないです、夢の中だけで見ています」

 

 そう、あくまでも夢の話。

 だけれど、それはとても生々しく、リアルさが伴っているもの。

 

「フーン、その夢はいつも同じ内容だったりするの?」

 

「いえ、夢の内容は何時も違います。

 森の中だったり、山だったり。

 でも、そこがどこも同じ地域にある、ということだけは分かります」

 

 どうしてだか、夢見る場所は須らく同じだと理解している。

 ペンを動かしながら、教授は質問を続けた。

 

「どうして同じだと分かるのかな」

 

「感覚的な話になるのですが、きっと私が視点を使っている人が、同じだと認識しているからだと思います」

 

 ……教授の、ペンが止まった。

 それだけ、引っかかると言える答えだったのだろう。

 どことなく蛇っぽい視線を、教授は更に細めていて、面白そうにしている。

 私は、面白くもなんともないのだけれど。

 

「君の視点じゃなく、誰かのを借りていると?」

 

「おそらく、そうなんだろうと思います」

 

 だって夢の最中、キョロキョロしたり、誰かと対話したりしている場面があったが、私は一切介入できなかったのだから。

 

「ふむ、電波ジャックのようなものだろうネ」

 

「電波……ですか?」

 

「そう、電波」

 

 面白そうに、教授は続ける。

 水を得た魚のように、自分の分野を語る。

 

「人はネ、大体いつも同じチャンネルのテレビを見ているんだよ。

 あぁ、これは例え話ネ。

 実際にテレビを見るわけじゃなくて、普遍的に人の頭はこのチャンネルに合わされているって、そういう話。

 今、こうしてボク達も話が出来ているし、今は君とボク達は同じチャンネルに合わさっているってこと」

 

 教授が勢いよく語ることを、何とか整頓しようとする。

 チャンネルとは、恐らくは私達が知っている常識のようなもの。

 それがきちんと合わさっているから、会話ができているということなのだろう。

 

「でも、君は受信感度が高いんだろうネ。

 自分だけの電波じゃなくて、他人の分まで繋がってしまう。

 君にはチャンネルが複数あって、寝てる時は他人のチャンネルを見てるんだよネ。

 だから、そういう夢を見るんだと思うよ」

 

「成程」

 

 正に電波を受信しているという状態なのだろう。

 ……字面だけ見ると、自分がアレな人みたいで何か抵抗感が芽生えてくる。

 

「で、ハーン君」

 

 教授が好奇心の宿る瞳で、私を見ている。

 

「何か心当たりはあるかな?」

 

 教授の瞳と合わさって、蛇睨みされた感覚に陥る。

 だけど、岡崎教授も、この人ならば馬鹿にしないと紹介してくれたのだ。

 信用しなきゃ、何も始まらない。

 

「えぇ、これ以上ないくらいのモノが」

 

 だから私は答える。

 それが始まりになるのかもしれないから。

 

「私には他の人が持っていないような、能力があります」

 

 自分で言って、そして恥ずかしさが湧いてくる。

 普通なら、この子は何を言っているの? 程度にしか受け取ってくれない言葉。

 痛い人だと思われてしまう程に、香ばしさが漂っている。

 でも、これは本当の事、紛れもない私の力は存在するのだ。

 

「まぁ、世の中にはそう言う人がいるからネ。

 多少は実例を見てきたわけだし、ボクもそれなりの見識はあるつもりだよ」

 

 でも、教授は淡々と受け止めるだけ。

 好奇心以外は交えない、科学者としての視線。

 ホッとした、大丈夫だったことに心から。

 

「で、どんな能力かな?

 君の状況的には、ESP(超感覚的知覚)の方が近い感じはするね」

 

「はい、ちゃんとした定義なんかは分からないですけれど、便宜上こう呼んでいます。

 結界の境目が見える程度の能力、と」

 

 思っていたよりも滑らかに口が動く。

 本気で相手にしてくれているから、気分が楽なのかもしれない。

 

「結界……それも境目、ネ」

 

 教授は真顔だった。

 けれど、一瞬の困惑は見て取れるものであった。

 だから、私も少しだけ、不安の火種が燻り始める。

 教授は、んー、と唸ってから、質問を再開した。

 

「結界ってどんなものなのかな?」

 

「周りを範囲内から区切る、境界のようなものです」

 

 この世には、時として立ち入れないような場所がある。

 それは普通に通行禁止とか、行き止まりなどではなく。

 不思議な、良く分からない何かが行く手を阻んでいる。

 誰かが意識的にか、無意識にかは分からないけど、そういう場所を作り出しているのだ。

 

「ハーン君はその境界が見える、と」

 

「はい」

 

 無言でペンを進める教授。

 書きながら、教授は続けた。

 

「じゃあその風景が見えるのは、夢の中でどこかの結界をすり抜けて、君が誰かの心の結界を潜り抜けたから、見えてしまったということかな」

 

 蓮子があっ、と感心したような声を上げる。

 私も同感であった。

 

 普通とは違う風景を見ているのだから、結界をすり抜けている事は理解していた。

 だけれど、その視点は、誰かの心の特別な結界を抜けない限り見れないものなのだろう。

 つまり視点の人が、心に特別な結界があったからこそ、私がすり抜けてしまっていたのだ。

 普通の人の、何も心に防備を持たない人ならば、こんなことにはならなかったのだろう。

 

 そんな私達の態度を見た教授は、書くのを止めていた。

 そしてその表情には、ある種の納得があった。

 

「何か分かったんですか?」

 

 蓮子が、口を開いた。

 沈黙を続けていた彼女だが、教授の様子から、いてもたってもいられなくなったのだろう。

 それだけに、この問題は私達には解けないものであったのだ。

 新しい見解を示してくれた教授への、期待もあった。

 教授は、うん、と一つ頷いた。

 そうして、にこりと笑った。

 

「分からない、というか専門外だったということが分かったネ」

 

 ……どういうことなの。

 顔が引き攣りそう、いや、多分もう攣ってしまっている。

 

「教授! 冗談とかじゃないですよねっ!!」

 

 蓮子が噛み付く勢いで、教授に食ってかかる。

 この人なら、と思っていた瞬間でもあったので、彼女の気持ちは良く分かる。

 だから止めなきゃ、と思っていたのに、静観してしまっていた。

 

「流石に相談に来てくれた人に、おフザケで返す根性はボクにはないネ」

 

 教授が言い切ると、蓮子が脱力したように、ソファーに座り込んだ。

 でも、慌てていた蓮子の様子を見ていたせいか、私には落ち着きが戻っていた。

 だから、もう一つばかり、質問をしてみよう。

 

「教授、専門外とはどういうことでしょうか?」

 

 この人は、そういうのが専門だと聞いていた。

 なので、専門外と断言したのに、引っ掛かりがあった。

 

「どういうって、言葉通りの意味だよ。

 ボクは超能力とかを研究しているんだ」

 

 だからこそ、相談に来たのだ。

 私のこの能力は、そういう類のものだから。

 でも、教授は首を振っている、それは違うと。

 何が、違うというのだろう。

 私の中で、困惑が広がっていく。

 隣の蓮子にも伝播したかのように、困惑は私たちを包んでいた。

 そこで、教授は言った。

 

「君のは超能力じゃないよ。

 それネ――オカルトだよ」

 

 オカルト、そう言われて、困惑は混乱へと昇華された。

 どういう意図でそれを言われたのか。

 それに超能力とオカルト、どこが違うのかなど。

 必死に考えを纏めようとする、が先に立ち直ったのは蓮子だった。

 

「オカルトって、要するに科学では証明できない超常現象のことですよね。

 メリーの能力は、教授がさっきやったように、ある程度の理屈付けできると思うんですけど、どう違うんですか?」

 

 多少オカルトに覚えのある蓮子だからこその切り返し。

 堂々として言う姿が、頼もしく見える。

 でも、教授は至って飄々としたままだ。

 

「そりゃ哲学だってそういうものだからネ。

 あれと同じで、ある種のコジつけのようなものさ」

 

 詭弁だ、などと感じてしまう。

 でも、教授の言いたいことは、何となく理解もできてしまう。

 説明は出来ても、証明はできないのだから、それは科学の範疇に収められないと、つまるところはそういうことなのだろう。

 

「じゃあ、教授でも無理なんですか?」

 

「そうだネ、ボクじゃ道は示せても、何らかの手段を講じられないからネ」

 

 露骨に蓮子が落胆する。

 ……無論、私も。

 

 別に自分の能力が嫌いなわけではないのだ。

 でも、分からないことを識りたいと思うのは、人間の本能だと思う。

 それが自分のことであるのなら、特に。

 

 コレからどうしようか、と考える。

 一応、新しい道は見つけた。

 オカルトとして、これからは調べていけばいいのだから。

 ……ひどく、胡散臭い話ではあるのだが。

 

 などと、私も、恐らくは蓮子も、次の手段を講じていた。

 だけれど、教授は笑みを絶やさない。

 ニコニコとしたまま、こんな事を告げたのだ。

 

「確かに、ボクじゃどうにもならない。

 でも君たち、運がいいネ。

 丁度専門家が、実はこの大学にいるんだよ」

 

「え?」

 

 私か蓮子か、どちらが漏らした呟きだっただろうか。

 先生はその呟きを聞いて、いたずらが成功した子供のような顔をした。

 

「ま、担当を変えて続行、てことだネ」

 

 それだけ言うと、教授はどこかに電話を掛け始める。

 私だ、すぐに部屋に来て欲しい、興味深い子達が来てるから、と。

 それだけ言って、受話器を置いたのだ。

 

「えぇと、要するに、専門の人に変えたら、何とかなるってことですか?」

 

「さぁ、それは分からない。

 でも、あの子はボクの教え子の中でも、中々にエキセントリックな子だからネ。

 何か動く程度には思っていれば良いと思うよ」

 

 ……それは期待すればいいのやら、戦々恐々とすればいいのやら。

 蓮子は、期待に目を輝かせているが。

 そうして、ある種の緊張が部屋を包む中で、トントンとノックがされた。

 教授が、どうぞ、と言うと扉が開く。

 

「君たちがそうなのかな?」

 

 その人は、真っ赤な髪をした女の人だった。

 メガネをかけていて、学者らしからぬ柔らかさを感じられる。

 

「この子はね、心理学の他に色々と面白いものを齧ってるんだ。

 自己紹介は自分でするかい?」

 

「もちろんです、教授。

 ハァイ、初めまして、蒼崎橙子よ。

 よろしく、二人共」

 

 とてもフレンドリーな人。

 普段想像する学者とは、別種のキャラクター。

 それが普段の私達の恩師の姿と重なる。

 

「はい、よろしくお願いしますっ!」

 

 蓮子は、とても元気良く挨拶をして。

 

「……よろしくお願いします」

 

 私はとても小さく挨拶をした。

 それは、この人が、何かを変えてくれると思ったから。

 それと同時に、この人が、何かを変えてしまうと思ったから。

 愛想の中の、観察する視線が、何となくだけど恐ろしく感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガタン、ゴトンと音がする。

 何時ぞやのような電車旅、景色は流れて過ぎゆくばかり。

 それはまるで、フィルムを通しての映像のよう。

 では今の私は、映画の登場人物だったり?

 

「アホらしいわね」

 

 何て取り留めもないことを考えながら、時間を過ごしている。

 車窓の風景に集中できない、どうにも余計なことを考えすぎているらしい。

 

 私が命じられたこと、それは大海の中で幽霊船を見つけろと命じられたようなもの。

 出会えたのならそれはそれで怖いし、そもそも見つけられる確率なんて、無きに等しいのだから。

 

「やぁ」

 

 声が、掛けられた。

 振り向くと、そこにはどこかで見覚えのある眼鏡の姿。

 

「久しぶりだね、また電車であったね」

 

 あぁ、そうだった。

 3ヶ月は久しぶりといっても良いだろう。

 

「久しぶり、です、両儀さん」

 

 何時ぞやの愉快な家族、その黒一点。

 両儀幹也、その人がいた。

 ここ、良いかな? と彼は席に指を指していた。

 そうぞ、というと、私の向かいに彼は座り、とっても無害な顔を浮かべていた。

 

「今日はお一人ですか?」

 

 頷いてから、両儀さんは考え込むように、顎に手を添えた。

 彼は何かについて、あれ? と何かを疑問に思っているようであった。

 

「どうかしましたか」

 

「……別に、無理しなくて良いよ」

 

 何が、と言いかけて思い出す。

 そうだ、確か私はあの時……。

 

「別に、年上には敬語は使います。

 あの時は、危ない人が傍にいたから、攻撃的になっていただけです」

 

 そう、何よりも蒼く深く、嵌ったら沼のように抜け出せなくなるであろう瞳。

 心の中で私が、怖いと本気で思ってしまった人。

 あの人がいたから、私は強く自分を武装していた。

 

「式は危なくないよ。

 ちょっとキレやすくはあるけど、でも可愛いよ」

 

 どうやら彼は、猛虎を見て可愛いと思う感性を持っているようだ。

 中々に良い趣味をしている。

 でも、本気でむっとしているらしいから、彼の前ではきっとすごく可愛いのかもしれない。

 もしそうなのだとしたら、可愛いところもあるものだな、と素直に感心できる。

 

「それから君、えっと、マーガトロイドさん」

 

 両儀さんが私を見る。

 その目は柔らかく、何でも許容してしまいそうに感じる瞳だ。

 

「敬語だと僕が落ち着かないから、普通に喋ってくれたら嬉しい」

 

 前がそうであった時のようにね。

 彼はそう続けた。

 

「……普通は年下にタメ口で話されると、不快な人が多いと思うのだけれど」

 

「そうだね、まぁ、そういう人の方が多いよね」

 

 敬語を続けると、逆に気を使わせてしまいそうで。

 そういうことならと、私は容赦なく普通に話すことにした。

 その方が気兼ねなく話せそうであったから。

 

「今は学生は夏休みだよね」

 

「そうよ、両儀さんは……、ずる休みかしら?」

 

 からかう様に言う。

 社会的には、まだお盆でないからという理由で。

 まぁ、本当のところは、そういう仕事についていないだけなのだろうが。

 

「こら、あまり大人をからかうものじゃないよ」

 

 困った子を見るような目で見られる。

 まるで子供扱い、いや、子供と本当に見られているのだろう。

 

「レディーの扱い方がなっていないわ」

 

「よく臆面なく言えるね」

 

 普通の人が言うと嫌味だろうが、両儀さんは本当に感心しているようだ。

 何だか、それはそれで腹立たしいものがある。

 

「それで、結局のところ何か用事が?」

 

 先ほどの会話を無かったことにし、話を続ける。

 彼はうん、とひとつ頷き、そして言った。

 

「人探しを少しね」

 

「へぇ」

 

 これは奇遇と言うものだろうか。

 同じ列車で、同じ用事。

 面白い符号である、もっと連鎖すると、運命と名付けても良いかもしれない。

 

「私もよ」

 

 私が言うと、彼は驚いたように目をまん丸にしていた。

 口角が、上がるのを自覚する。

 

「すごい偶然だね」

 

「えぇ、偶然ね」

 

 続けるように言うと、小骨が引っかかったような顔を、彼はしていた。

 でも、何の面白みもない答えだったのだ。

 多少、憮然とした態度になるのは、致し方ないことだと思う。

 

「探し人はどんな人なの?」

 

 でも、それをいつまでも続けるのはまずい。

 切り替えるようにして言うと、彼は顎に手を当ててこう答えた。

 

「行方不明者の捜索だね。

 どこにいるか分からないし、もしかしたら変わったことに巻き込まれているのかもしれない」

 

「あら、お仕事?」

 

 意外と行ったら意外である。

 この人は、もしかしたら探偵なのか。

 だけど、確かに無害のように見えるから、他人の口は軽くなるのかもしれない。

 ある意味適役か、と納得しかける。

 

「いや、頼まれごとのやっつけ探偵だけどね」

 

 だけれど、彼はきっちりと訂正する。

 ……成程、これは中々に面白い。

 

「立場は私と似たようなものね」

 

 むしろ殆ど同じと言って差し支えない。

 どこの誰かはわからないが、この人も妙なところで裏と繋がっている。

 そう思ったところで、ふと気付いた。

 

「今回の依頼は、誰からのものかしら?」

 

「そこを言うのは、少し憚られるね」

 

 困ったような、億劫したような表情を浮かべる彼。

 でも、それで更に確証を得たといっても過言ではない。

 

「もしかしたら会えるかしら」

 

「……今はお仕事中らしいよ」

 

 お仕事、というと人形か。

 ますますもって、入り込みたくなる。

 

「彼女の人形には、非常に興味があるわ」

 

 そういうと、彼は非常に言いづらそうに、こう答えた。

 

「欠金気味で、大学の助教授をやってるらしいね」

 

「……は?」

 

 あの人が……どういうことなのか。

 稀代の作る人であるあの人が、どうしてそんなことを?

 疑問がぐるぐると頭を巡る。

 そこに両儀さんが補足するように一言、

 

「売り払うものが、何もなかったんだって」

 

 私の憧れの人は、思っていたよりも駄目な人だったのかもしれない。

 

「急に儚んだ顔になったね。

 ……気持ちは分かるけど」

 

「人の夢と書いて、儚いと読むそうよ」

 

 柳洞くん談である。

 あぁ、人は想像以上に完璧であることなど、殆どない。

 今回も、きっとそういう事だったのだろう。

 

「僕は邯鄲の夢を見たわけでもないから、悟れていないけど」

 

「結局のところ、人生塞翁が馬なのね」

 

 そこで両儀さんが、不思議な目で私を見ていた。

 何かおかしかったか、と不安になる。

 が、そうではなかったみたいだ。

 

「最近の外国人は、難しい日本の言葉を知ってるんだね」

 

 脱力する、そういうことか。

 でも、多分皆が皆そうであるわけではないと思う。

 

「私の友人が、そういう言葉を好むのよ」

 

 柳洞くんの実に滑らかな言葉の数々といったらもう、覚えるのが面倒になるほどだ。

 しかも、私が分からなかったのなら、わざわざ注釈までつけてくれる親切ぶり。

 図らずしも、日本語は上達するばかりである。

 

「変わった友人さんだね」

 

 えぇ、本当にそう思うわ、心から同意する。

 でもアレで面白いから、個性の範囲であるのだろうけれど。

 

「それにしても、探し人、ね」

 

 両儀さんが、思い出したように言う。

 

「その人、橙子さんだったりするのかな」

 

 あぁ、そういうことか。

 確かに、彼女の行方を知りたい人は、魔術協会にはいくらでもいる。

 でもそのために、わざわざ日本まで来る酔狂な人はさしていないのが現状だ。

 封印指定の魔術師であるからには、場を荒らされたくはないだろう。

 

「大丈夫よ、それも気になるけれど別の人を探しているわ」

 

「そうなんだ」

 

 両儀さんの反応は、思っていたよりも淡白なもの。

 もっと色々とあるのだと思っていたのだけれど。

 そこで両儀さんは、ふと思い出したように言う。

 

「もし良かったらだけど、余裕があったらそっちの探し人も探しておこうか?」

 

「……いいのかしら?」

 

 ついでだよ、という両儀さん。

 私としては、大したアテがあるわけでもないし、彼の提案は有難いものがある。

 特に、私に障害があるわけでもないのだから。

 

「なら、お願いしようかしら」

 

 屈託のない顔で、分かったと、彼は頷いた。

 何だか、無条件に信頼できると、そう思ってしまった。

 そのせいかは分からないが、口が滑らかに動く。

 探している魔術師の名前から、探そうとしている場所まで、を全て語る。

 そうして語り終えた時、彼はまた、驚いた顔をしていた。

 

「同じだ」

 

 何が同じというのか。

 そう思っていると彼は、また一人で呟いた。

 

「僕と目的地が、同じなんだよ」

 

 ……私は誰かに、運命というものを操られているのかしら。

 そう思うほどの偶然、それはもはや必然であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『その頃の冬木市 コペンハーゲンの風景』

 

 

 

 

 バイトの時間、何時も通りに俺はコペンハーゲンへと向かう。

 そして到着してそうそう、ネコさんの声が聞こえてきた。

 

「や、エミやん、来てもらって悪いんだけど、早速入ってもらえるかな」

 

「はい、分かりました」

 

 今日から暫く、マーガトロイドがバイトに来れなくなるらしい。

 その分の穴埋めはしっかりとすると言っていたが、あいつがいない分、相応に頑張らないといけない。

 

 エプロンをしっかり締めて、気合を入れる。

 そうして気合十分で接客に出た俺は、そこで衝撃のものを見つけた。

 

「と、遠坂!?」

 

「こんにちは、衛宮君」

 

 そこには我らが学園のアイドル、遠坂凛の姿があった。

 あれ、どうして、なんでさ!

 そんな纏まらない思考が、頭に積み重なっていく。

 

「なん、で」

 

 口に出せたのは、そんな思考のひと欠片だけ。

 遠坂はクスリと笑って、こう続けた。

 

「アリスの代理なんです。

 接客はそれなりにできるから、安心して」

 

 あぁ、マーガトロイドの言っていた穴埋めとは、こういうことだったのか。

 納得した、したと同時に、一言くらい言って欲しかった。

 びっくりして、心臓が止まるかと思ったから。

 

「あ、じゃあ今日一日、よろしく」

 

 慌てて言うと、面白そうに遠坂は俺を見ていた。

 口元がピクピクとしている。

 何だ、と思っていると、遠坂は何もないかのように続けた。

 

「こちらもよろしくお願いします、衛宮君」

 

 瀟洒に微笑む遠坂は、クルリと背を向けて注文を取りに行った。

 ……本当にびっくりした。

 

「エミやん、浮気かい?」

 

「なんでさっ!? てネコさん」

 

 振り返れば、そこにはニヤニヤ顔のネコさんの姿が。

 弄る気満々で、俺の目の前に立っていた。

 

「凛ちゃん可愛いから仕方ないのかなぁ」

 

「そ、そういうのじゃないですって。

 有名人が目の前にいたから驚いたとか、そういうやつです」

 

 事実としてそうなのだから、そういう他ない。

 ネコさんは、にやぁ、としてから一言、

 

「ま、今は、そういうことにしとくね、エミやん」

 

 と言い残した。

 邪推もいいところだ、全く。

 そんなことを考えている時に、呼び出しがかかる。

 テーブルに行ってみると、そこにも見知った顔があった。

 

「なんだ衛宮かよ」

 

 ッチ、などと舌打ちをする目の前の男。

 どこからどう見ても、見覚えのある顔である。

 

「慎二、こんなところで何やってんだ」

 

 そう言うと、慎二はちっちっち、と指を降る。

 

「なってないなぁ衛宮。

 この店では、客にタメ口を聞くのかい?

 躾がなってないんじゃないかなぁ」

 

 あ、妙にテンションが高くて、アレな時の慎二だ。

 でもそれを表に出すわけには行かない。

 出したら最後、ネコさんか店長まで、朗々と文句を言いに行きかねない勢いだ。

 

「お、お客様、ご注文はなんでございましょうか」

 

 顔が引き攣りそうになるのを、強引に抑えながら尋ねる。

 すると急に慎二は正気に戻り、耳を貸せ、と俺の頭を掴んで引き寄せた。

 

「マーガトロイドに、今日から面白いものが見られるって聞いたんだよ」

 

 何やってるんだ、あいつ。

 頭の中で金髪の人形遣いが、悪そうに笑っている。

 だけれど、そんなことは関係なく、慎二は語り続ける。

 

「そう言われたから半信半疑で来てみれば、とぉさかがいるじゃないかっ!」

 

 妙なイントネーションで、小声で吠えるなんて器用なことをする慎二。

 でもそれだけではコイツは止まらなかった。

 

「さっきまでのシフトじゃ、遠坂しかいなかったからな。

 コーヒーを頼むたびに、笑顔で寄ってくる

 もう、最っ高だよ!」

 

 愉快愉快、と言わんばかりの慎二。

 ちょっと遠坂の方を見てみると、丁度目があった。

 そして口パクで何かを言ってる。

 

 えっと、多分だけど……わ、か、め、は、ま、か、せ、ま、す、だと思う。

 ワカメは任せますって……横目で慎二を見ると、とってもいい笑顔。

 きっと、何を言っても聞かないと思う。

 

「遠坂も嫌がらせに思ってると思うぞ。

 あんまりやってると、泣くかもしれない」

 

 女の子だし、と続けると、慎二はそれを一笑する。

 

「遠坂がそんなタマかよ!

 今頃内心では怒り狂ってるんじゃないかな」

 

 笑顔でそんなことを言う慎二。

 遠坂が怒り狂うって、何か想像つかないな。

 でも、そんな仮定をしておいて、わざわざ怒らせるようなことをするのは、どうなのだろうか。

 

「兎に角やめてやれよ」

 

「ッハ、飽きたらそうするよ」

 

 慎二は追加のコーヒーを頼むと、俺を追い払うように、シッシと手で払った。

 慎二を気にしつつ、厨房へ向かう。

 マスターに注文を伝え、出来上がったコーヒーを慎二の元に運ぶ。

 そしてそこで俺は、再び驚きの光景を目にすることになった。

 

「ご注文は、増えるワカメでよろしいでしょうか」

 

「よろしく無いに決まってんだろっ!

 サンドイッチがどうしたら増えるワカメになるんだよぉ!」

 

 性懲りもなく、遠坂を呼び出したであろう慎二。

 単に注文をとってる姿であるのに、妙に背筋が寒く感じる。

 笑っている遠坂と、荒ぶる慎二の姿。

 しかし、遠坂の方は、何故だか分からないけれど、恐ろしいまでの迫力があった。

 

「申し訳ありません、お客様。

 現在、お客様に出せるメニューは、ワカメ類のみになっておりまして」

 

「お前ェ! それどう言う意味だよ!!」

 

 おちょくってる、完全無欠のお嬢様である遠坂凛が、すごくドスの効いた笑顔で、慎二をおちょくってる!

 なんだこれ、夢か、幻か。

 本当に何なんだ、これ!

 

「材料は、現在お客様が身につけている頭髪の類になりますがよろしいでしょうか」

 

「ふっざけんな!

 僕が訴えたらこの店なんて、木っ端微塵なんだぞ!!」

 

「その場合、お客様の家が木っ端微塵になるわ」

 

 あ、口調が変わった。

 慎二もそれを悟ったのか、表情が徐々にひきつり始めている。

 

「お、お前!

 まさか物理で消し飛ばすつもりじゃぁ」

 

「家の利権ごと、セカンドオーナーの権限で取り上げるわ」

 

「あ、ああああああああああ!!

 畜生っ! こんな店、二度と来るかぁ!!!」

 

 千円札を二枚テーブルに叩きつけて、店を飛び出していく慎二。

 その背中は、どことなく泣いているような気がした。

 

「と、遠坂?」

 

 恐る恐る、声をかける。

 まさか、振り向いたら般若の顔とかしてないだろうな。

 そんなドキドキ感を伴いながらのものだ。

 

「え、衛宮君?」

 

 ちょっと驚いた感じに言う遠坂。

 でも、あれだけ慎二が目立っていたのだから、目についても仕方がないと思える。

 

「えっとね、ネコさんに追い払うように言われたんです」

 

 ネコさんに視線を向けると、親指を立てて遠坂の仕事ぶりを褒めていた。

 成程、そういうことか。

 

「お、お疲れさん」

 

 で、納得できたら良かったのだけれど。

 流石にあの光景は強烈過ぎた。

 全ての鬱憤を晴らさんとばかりの勢いだっただけに。

 

「声、引きつってますよ、衛宮君」

 

 看破されてる!?

 ぞわっと背筋が泡立つ。

 笑っている遠坂が、これほど怖いと思ったことはない。

 

「終わってから、話をしましょうね」

 

 ふふ、という笑い声だけ残して去った遠坂。

 心臓がバクバクしている、嫌な意味で。

 

「お楽しみだったにゃぁ、エミやん」

 

「全然楽しくなかったです」

 

 からかいに来たネコさんに、俺は早口気味に返して、これからの事を思い恐怖した。

 本当に大丈夫なんだよな、これ。

 

 …………

 ………

 ……

 …

 

「お疲れさん、エミやん」

 

「お疲れ様でした、ネコさん」

 

 バイトが終わった、終えてしまった。

 遠坂は先に上がったのだが、しっかりと待っていたらしい。

 手を振りながら、俺を見ていた。

 

「ねぇ、エミやん」

 

 猫さんが俺の肩に手を置いた。

 

「本気の不倫はダメだから」

 

「しませんって!」

 

 しつこい、そもそもそんなことをする勇気もない。

 本当かにゃぁ、なんて呟いているネコさんは極力無視をする。

 着ていたエプロンを仕舞い、遠坂と相対した。

 

「帰りながら話をしましょ、衛宮君」

 

 あ、話し方が違う。

 慎二に何か言ってた時に見せた喋り方だ。

 でも、幸いなことに、怒りもなにも見て取れない。

 

「そうだな、帰るか」

 

 この分なら、落ち着いて話をできる。

 そう思ったから、先程までの不安は感じずに、自然にそういうことができたのであった。

 

 

 

「ねぇ、衛宮君、実は私の素はこっちなの」

 

「薄々そんな気はしてた」

 

 帰り道の中で、遠坂の曝け出した真実。

 それは、一回見てしまえば、大体感じ取れるものでもあった。

 けれど、だ。

 

「どうして素の方を隠してるんだよ」

 

 それが疑問だった。

 完璧超人でいようというのなら、また別の話になるのだろうが、遠坂からはそんな気概を感じ取れない。

 だから何故、と感じてしまうのだ。

 

「遠坂の家の家訓はね、余裕を持って優雅たれ、よ。

 だからみんなの前ではね、恥ずかしい姿は見せられないの」

 

 家訓って、また古風な、と思わざるを得ない。

 が、お嬢様なのだから、そういうのがあっても不思議ではない。

 だけれど、それならばまた一つ気になる点が出てくる。

 

「どうして、俺にばらしちまったんだ」

 

 そこが問題である。

 俺と遠坂の間には、特に深い接点などなかった、はず。

 なのにどうして、と思わざるを得ないのだ。

 

「んっと、何となく」

 

 それに対する遠坂の返事は、何とも曖昧なもの。

 何となく、とはどう受け取ればいいのか。

 頭を悩ませそうになる。

 

「深く考えちゃダメよ、深い理由なんてないんだから」

 

 そんな俺を、見透かしたように遠坂は言う。

 面食らうが、考えても分かることではないのは確かだ。

 

「分かったよ、降参する」

 

「うん、それでOKよ」

 

 どうやら、これで正解だったらしい。

 ホッとする、疑問はあるが、一先ずは保留にしても良いだろう。

 

「にしても、遠坂が急にバイト先に来るなんて、びっくりしたぞ」

 

 問題は解決した。

 なら、普通に話そう。

 なんの緊張もなく、今日あったことを取り留めもなく。

 

「アリスがどうしても用事があるから~、って言うからね。

 仕方がないから、条件付きで受けてあげたの」

 

「条件って、なんだ?」

 

 何か約束でもしたのか。

 遠坂は、とっても愉快そうに笑っている。

 楽しいことが待っていると言わんばかりに。

 

「アリスが帰ってきたらね、あいつ一週間は家のメイドになるのよ」

 

「はぁ!?」

 

 メイドって、あのメイドか?

 ……でも、似合いそうだ。

 メイド服に、ヨーロッパ人は組み合わせ的に完璧であるから。

 

「想像した?」

 

 いたずらっぽそうな顔。

 クスクスと笑い声を漏らす遠坂は、何とも楽しそうである。

 

「まぁ、ちょっとだけ」

 

 俺は俺で、何故か正直に答えてしまっていた。

 マテ、勝手に喋るな、俺の口よ。

 

「うん、きっとすごく可愛いわね」

 

 それはわかる、同意できることだ。

 まぁ、口に出したらまずいから、黙ったままなのだが。

 すると遠坂はこっちを見て、また笑う。

 

「人の顔を見て笑うなんて、趣味が悪いぞ、遠坂」

 

「だって衛宮君の顔、暗がりでも分かる程度に赤いんだもの」

 

 んっな!?

 ぺたぺたと顔を触ると、別段そこまでは熱くは感じなかった。

 遠坂を見ると、堪えきれない笑顔が溢れていた。

 

「引っかかった、衛宮君って本当に素直よね」

 

「な、ずるいぞ遠坂!」

 

 からかわれてる、完膚無きまでに!

 楽しそうなのが、また……。

 イジメっ子だ、きっとコイツは元来のイジメっ子なのだ。

 

「ふふ、でもこうして男の子とお話しながら歩くってさ――」

 

 遠坂が空を見上げて。

 少ない星の中で、瞬く星を見ながら言う。

 

「何だか青春みたい」

 

 ……何だか脳みそが煤けそうな言葉だ。

 どう、返せばわからない。

 

「ふふ、衛宮君って可愛いわね」

 

「どう言う意味だよ、それ」

 

 どうせ童顔だよ、と拗ねてしまいそうになる。

 人をいじめるのが、良い趣味とは言えないぞ。

 

「反応が初々しいってこと。

 私の言葉、彼女がいるんだからあまり本気にしちゃダメよ」

 

「分かってるよ、そんなこと」

 

 深い意味なんて、無いんだからと、遠坂は続けた。

 そうだ、からかわれているだけで、遠坂は俺をオモチャにしているだけなのだから。

 遠坂の素を見て、まだわずかな時間しか経ってないが、十分にそれは理解できた。

 

「あ、ここでお別れね」

 

 帰り道の分岐点、ちょうどそこに差し掛かった。

 遠坂とは、ここでお別れ。

 

「じゃ、またね、衛宮君」

 

 さっぱりした感じで、遠坂は告げる。

 だから俺もそれに習うことにする。

 

「あぁ、またな、遠坂」

 

 遠坂は微笑んで、踵を返した。

 その背中を見送って、見えなくなると、こんな気持ちは湧いてきた。

 

 何だか、無性に桜に会いたい、と。

 

「帰るか」

 

 誰に言うでもなく呟き、家への道を歩き続ける。

 今日の晩飯のことを考えながら。



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第18話 探し物はどこにあるのか

慣れぬことをして本調子ではないペンギンです。
……まだ感覚が取り戻せてない気がしますが、出来たので投稿です。


 電車で揺られること数時間。

 到着のアナウンスと共に、私は電車を降りて駅のホームに降り立った。

 どうにも体が固くなっている。

 すっと座っていれば、こうもなるのだろうけれど。

 

「少し背伸びをした方が良いんじゃないかな?」

 

 声を掛けてきたのは両儀さん。

 一緒の駅で降りるのだし、彼がいるのも当たり前。

 但し、その言葉は頂けなかった。

 

「知ってる人の前では、あまりだらしない姿は見せないことにしてるの」

 

 これが凛であれば、共に暮らしているから遠慮なんて投げ捨てるのだけれど。

 それでも、普通に接している知り合い。

 それも男の人には、隙を見せたくなかっただけのこと。

 警戒しているとかではなく、単なる矜持としての問題なのだ。

 

「無理はするものじゃないよ」

 

「本当に辛くなったら、隠れて背伸びをするわ」

 

 そういうと、彼はため息一つ吐いて、後ろを向く。

 何を、と思っていると、両儀さんが呆れを声に滲ませて、そして言う。

 

「後ろ向いてるから、背伸びをしたほうが良いよ」

 

 ……とても紳士的なことだ。

 だから、ひどく自分が子供っぽく感じて、急に恥ずかしくなる。

 この人に比べて私は、といった具合に。

 

「ありがとう」

 

 でも顔は見られていないのだから、問題など無い。

 そう、問題なんてどこにもないのだ。

 だから、んっー、と声を上げて背を伸ばせた。

 すると心なしか、背中の鈍痛が和らいで。

 

「……めんどくさかったわね、ごめんなさい」

 

「良いよ、年頃の女の子って難しいらしいし」

 

 そう言えば、僕の妹もそうだったな。

 両儀さんはそう零して、それに私は興味を抱いて。

 

「妹がいるのね、両儀さん」

 

「うん、そう言えばあいつも魔術師がうんとかとか言ってたな」

 

 ふと、思い出したように、両儀さんはそんなことを言う。

 なるほど、妹も魔術師、奥さんはアレ、そして蒼崎橙子ときたか。

 ……この人の周りには、まともな人はいないのだろうか?

 類は友を呼ぶとも言うし、もしかしたらこの人が一番変なのかもしれない。

 

「うん? どうかしたのかな」

 

 私が両儀さんの素敵な人脈に思いを馳せてると、彼が心配したかのように私を見ていた。

 余程変な顔をしていたのか。

 でも、一番変なのは両儀さんであろうから、私はまだ致命的ではないはずだ。

 

「いえ、大変な環境なのね」

 

 一応は普通の人であるだろうから。

 そう、両儀さんに言葉をかける。

 きっと殺伐としている環境に違いない。

 

「慣れれば問題はさほどないよ」

 

 大人物である、言い切っているあたりが特に。

 常人であるならば、面倒事などには関わらないであろうに。

 お人好し故の性癖か何かが、もしかしたらあるのかもしれない。

 帰ったら、衛宮くんにでも聞いてみよう。

 

「それよりも、ここから移動しましょうか」

 

「そうだね、駅からは近いし、徒歩で大丈夫かな?」

 

 彼が気遣うように聞いてくる。

 それに、私は無言で頷く。

 

 ……私と両義さん、どうして同じ行動をしているのか。

 それは、探索範囲もそこそこに被っているから。

 もはや誰かが仕組んだことと言われても、私は信じるかもしれない。

 

「じゃあ、行こうか」

 

「えぇ」

 

 私と両儀さんは、改札口をくぐり抜ける。

 ミンミンと煩いセミの合唱が聞こえてくる中で、私はこっそりと隣を見た。

 

 両儀さん、両儀幹也さん。

 おそらくは普通の人間である彼。

 でも、あの人形師に依頼されるくらいなのだから、探す人としては先天的な才能があるのだろう。

 悪いとは思うが、実は存分に当てにしている。

 他に頼るものがないとも言うのだけれど。

 

「確かこれから両儀さんが行く場所は……」

 

 思い起こす。

 彼が電車で私に語ってくれたことを。

 

「大学だったわね」

 

「その通りだよ」

 

 両儀さんは、大学関係の人が行方不明になったから、今回の件を依頼されたそうだ。

 依頼主が依頼主なだけに、両儀さんの件はきな臭い。

 だが逆に、一般人の両儀さんを使うあたりは、危険はないのかもしれない。

 

「藪をつついたら、何が出るのかしら」

 

「……蛇が出ないことを祈るばかりだよ」

 

 両儀さんは困った表情を浮かべて、頬を掻いていた。

 彼自身も、あまり良い物を感じていないのだろう。

 仕方がなしといえば、仕方がないのであろうけれど。

 どこか、まだ見たことのない赤毛の人形術師が、どうしてだか笑っているように感じる。

 単なる被害妄想なのだけれど、そう感じるほどに不気味なのだ。

 

「何か、あるのかしらね」

 

「平和が一番なんだけどね」

 

 ご尤も、私も徒労で終わるであろう任務で、怪我までして帰りたくはない。

 適当に、結果はこうでしたと、実がないことを探して告げるのが、今回の私の役割であろうから。

 

「ところで大学は……」

 

「あれがそうだね」

 

 両儀さんが指を指す。

 その方向には、確かに大学の姿があった。

 その大学は、研究棟などの設備も充実しており、様々な研究が行われているらしい。

 ……大学?

 

「蒼崎橙子は、大学で臨時講師をしているのよね?」

 

「そうらしいね」

 

 事も無げなくそんなことを言う両儀さん。

 でも、それだけで察せてしまえるほど、状況は明確であった。

 

「会えるのかしら?」

 

「……本来の用事は忘れてはいないよね」

 

 両儀さんが、釘を刺すようにそう言うが、無論忘れているわけはない。

 私の目的は、見つからないであろう魔女の行方を探すこと。

 だが、少し位の寄り道ならば許されるであろう。

 どうせ聞き込みが中心になるのだし、大学でそれをすると思えば良いだけのこと。

 

「もう少し、お世話になるわ、両儀さん」

 

「君は謙虚な時と図々しい時が、はっきり別れているね」

 

 呆れたように、両儀さんはそう言う。

 私はそれに、微笑を浮かべてこういうのだ。

 

「魔術師、だからよ」

 

 だから、そういう人種なら、誰にだって気を付けた方が良いのよ、両儀さん。

 忠告がてらに、彼に私はそう告げたのだった。

 

 

 

 

 

「中々に面白いわ、ハーンさん」

 

 そう言ったのは、目の前のメガネを掛けた知的な女性。

 蒼崎橙子、彼女は楽しげな表情を浮かべながら、メリーを見ている。

 

 教授に蒼崎さんを紹介されてから、私達は彼女の部屋へと招き入れられた。

 その部屋は、色々な本が見える。

 心理学やら人体構造についての本、それに例のオカルト関連のもの。

 果てには考古学についてのものまで、節操なく集められたものが、そこにはあった。

 

「”結界の境目が見える程度の能力”、うんうん、興味が唆られる」

 

 嬉しそうに蒼崎さんは語っているが、メリーはどう反応すれば良いか分からず、困惑している。

 そりゃそうだ。

 相談に来たのに、面白がられるのでは、たまったものではない。

 

 心なしか睨んでしまう。

 すると蒼崎さんは、ごめんごめんと、悪戯がバレた人みたいに謝った。

 ……この人も、中々に曲者らしい。

 

 ただ、唯一の救いがあるとするならば、この人は真面目に話を信じてくれること。

 面白がっているのは、嘘や冗談だと思っているのではなく、目の前の玩具に目を輝かせているようなものだから。

 

「まあまあ、話を聞かせてよ」

 

「は、はいっ」

 

 ずっとペースを握られっぱなしで、ようやく主導権がメリーの元に手渡された。

 このままではおちょくられるだけで終わりそうなので、メリーには是非とも頑張ってもらいたいところ。

 そうしてメリーは、教授に説明した通りの内容を、蒼崎さんに聞かせていく。

 蒼崎さんは、所々で相槌を打ちつつも、さっきのフザけた態度はナリを潜めていた。

 話の内容には相槌を打つだけで、ふんふん成程、と小声で呟いたりするだけ。

 メリーが全てを話し終わった時に、蒼崎さんは思案顔でメリーを見ていた。

 

「夢に……結界が見える目、か」

 

 うーん、そうねぇ、何て彼女の声を、ドキドキしながら見守っていた。

 何か分かるのか、それとも糸口が見つかるのか。

 緊張のあまりか、何時の間にか私とメリーは手を重ね合ってた。

 ひどく落ち着かないから、何かを握って誤魔化したかったのだ。

 今回は、それがたまたま互いの手なだけ。

 ……メリーの手から、彼女の緊張が伝わってくる。

 心臓が脈打つ音と共に、沈黙の時間を過ごす。

 そうして、

 

「ちょっと良いかしら?」

 

「はい、何でしょう!」

 

 蒼崎さんが、声を掛けてきたのに、咄嗟に私が反応してしまった。

 落ち着きなさい、と楽しげな蒼崎さんに言われて、ちょっと顔が赤くなるのを自覚する。

 少し浮いてしまった腰をソファーに落ち着け、蒼崎さんに続きを促す。

 

 それから、メリーに小声でごめん、と謝る。

 先走ってしまったから。

 彼女は、蓮子らしいね、と微笑を浮かべていただけだった。

 

「で、ハーンさんはさ」

 

 蒼崎さんが、私達を見る。

 正確にはメリーだけれど、彼女の視界には私も入っているから。

 蒼崎さんの目は、笑っているけれど、どこか探るような暗さが見えて……。

 

「夜寝るとき、貴方は必ず夢を見るの?」

 

 真面目な質問。

 軽いように見ても、彼女も学問を探る者だと感じさせる真摯さがあった。

 ……面白がっていたのが、興味を持った子供に変わっただけな気がするけど。

 

「……いえ、夢を見ることは多いですけど、何時もという訳ではありません」

 

 メリーに聞いたことがある。

 よく見る夢は、まるで明晰夢に似ているのだけれど、不規則に見るものであって、望んで見れるものではないと。

 メリーの言葉に、蒼崎さんはひとつ頷く。

 

「じゃあ次。

 夢で見る場所は、何処だか分かる?」

 

 メリーが夢見る、原風景が見えると言っていたその場所。

 常々、私も見てみたいと思っているのだけれど。

 そんな叶わない話はともかく、メリーは蒼崎さんに対して、言葉を探しながら述べている。

 

「見た場所は人の里や森、それに山と色々あります。

 でも、どこと訊かれると……」

 

 困った風に、メリーは俯いてしまった。

 でも、そうなのだろう。

 知らない場所の映像を見ても、結局はそれがどこなのか分かるはずもない。

 蒼崎さんも、それを承知しているようで、うんうんと頷いていた。

 

「意地悪したみたいになっちゃたわね。

 でも悪気があるわけじゃないのよ?」

 

「えぇ、すみません」

 

 覇気のない声、ネガティブ入る一歩手前。

 メリーの状況を、私はそう分析する。

 だから、私は軽くメリーの背中を叩いた。

 活を入れる為に、バシっと。

 

「っきゃっ」

 

「しっかりしなさい、メリー」

 

 うぅ、暴力反対、と涙目でメリーは私を見上げてくる。

 そんなメリーの瞳からは、負の念は無くなっていて。

 だから、これで問題なし!

 

「ごめんね、メリー」

 

 でも、暴力に訴えるのは確かに宜しくなかったので、キチンと謝っておく。

 そうすることで、優しいメリーは何だかんだで私を許してしまうから。

 

「……ずるいなぁ」

 

「メリーが優しいからよ」

 

 はぁ、と溜息を吐かれた。

 そうやって許してくれるから、メリーは本当に良い子だ。

 

「ラブラブねぇ」

 

「はい、もう十年来の付き合いですから」

 

 私とメリーの付き合いは深い。

 半ば家族と言っても過言でないほどに。

 そうして、私と蒼崎さんがにこやかに笑い合ってると、隣からバイブレーションを感じた。

 ブルブル、ブルブル、とまるでゲームのコントローラーみたいに。

 その振動の発生源へと目を向けると……。

 

「蓮子の、バカ」

 

 顔を真っ赤にした、メリーの姿。

 普段は大らかなのに、こんなからかいには慣れてない。

 それがメリー、マエリベリー・ハーン。

 

「可愛い」

 

「そうね、構いたくなっちゃうわ」

 

 私の本音に、蒼崎さんも同調する。

 そうして、メリーは顔を紅潮させながら、私と蒼崎さんを睨んでいた。

 

「そんなこと、どうでも良いです。

 早く続きを話しましょう」

 

 拗ねたような口ぶり、だから可愛いんだってメリーは気付かないのかしら。

 クスッと笑ってしまうが、メリーがギュウ、と私の頬っぺたを抓ってきたので、そろそろやめようと思う。

 

「ごめん、メリー。

 悪かったとは思ってるよ」

 

「それと同じくらい、楽しんでたでしょうっ!」

 

 もぅ、もぅ、と小さく呟きながら、納得いかなさそうなメリー。

 多分、もう少しで落ち着くと思う。 

 

「さて、話の続きをしましょ?」

 

 そして、私が頬を引っ張られているのを尻目に、蒼崎さんは平然とそんなことを言う。

 皮が厚いことこの上ない、私は全く関係ありません何て顔をしてるんだもの。

 だけれど、それを聞いてメリーも落ち着いたらしく、私の頬を赤くする作業は中止された。

 あんまり力が入ってなかったから、そこまで痛くはなかったけれど。

 

「……失礼しました」

 

「いいわよ別に、面白く見ていたから」

 

 メリーが謝罪すると、蒼崎さんは笑ってそんなことを言う。

 だからか、メリーはすごく納得がいかない風にしていた。

 それでも、渋々と続きを始めたのだけれど。

 

「視点の主は分かる?

 何時もその人の視線で、夢ではモノを見ているのでしょう?」

 

「鏡なんて見ないみたいで、分からないです」

 

 まぁ、そうよね、と納得したように蒼崎さんは頷いて。

 考えるように、机をとんとん、と叩いていから再び質問を再開する。

 

「夢を見る時、何か特別なことはしてる?

 あ、夢を見ない時でも良いわよ」

 

 何かの法則性を見出すかのように、蒼崎さんはメリーに訊ねる。

 少し考えてから、メリーはゆっくりと答えた。

 

「そう言えばなんですけど、夢を見る時は視点がコロコロと変わります」

 

「へぇ、どんな感じで?」

 

 蒼崎さんの追求に、メリーは辿たどしく答えていく。

 取り留めもなく、一つ一つを思い出すように。

 

「急に穴に落ちたり、何だか真っ暗な所を通って、違う場所に現れてる……みたいに」

 

「それって連続した映像?

 それともぶつ切りの、全く違う光景なの?」

 

 夢の視点が、コロコロと変わっているのか。

 それとも、ずっと同じ時間を夢見ているのか。

 どっちだろう、と私も思っていたのだけれど、メリーは弱々しく首を振って。

 

「……私もよく理解してないから、分からないんです」

 

 そっか、と蒼崎さんは短く呟いた。

 イマイチ情報不足なのか、うーんと唸っていて。

 私も、断片が集まったけれど、まだまだ真実が見える気配がないように感じた。

 行き詰まりか、と場の雰囲気が沈殿しかけた時、メリーが、あっ、と声を漏らした。

 

「何か思い出したの?」

 

 蒼崎さんの問いに、メリーは小さく頷いた。

 役に立つかは分かりませんけど、と自信なさげに言っていたけれど。

 構わないわ、という蒼崎さんの言葉に押されて、メリーは小さくこう付け足した。

 

「穴を通る時、何か結界を通っている感覚があるんです」

 

「結界、か」

 

 ここで、ようやくメリーの能力が役に立ったらしい。

 そもそも、その能力のせいで変な夢を見ると仮説を立てていたのだ。

 ある意味、当然の帰結とも言えるだろうか。

 

「……成程、そういうことね」

 

 ここで、ようやく蒼崎さんが納得したように、小さく呟いた。

 分かったのかっ、と長年の謎が解けそうなことに対する期待が膨らむ。

 メリーも、私の袖を掴んで、固唾を飲んでいた。

 

 私もメリーも、蒼崎さんの言葉を待っている。

 蒼崎さんは、ちょっといたずらっぽい笑みを浮かべていて。

 

「少し胡散臭い話になると思うけれど、それでも良いかしら?」

 

「元々そういう類な話なのでしょう?

 今更、是非もないと思いますよ」

 

 私はつい口をはさんでしまった。

 けれど、メリーも同調するように頷いてくれて。

 蒼崎さんは、話してあげる♪ と楽しげに言いながら、種明かしを始めたのだった。

 

「恐らくね、貴方の記憶は、いわば先祖返りしている状態なのよ」

 

「先祖返り、ですか?」

 

 どういうことなのか、そんな言葉がメリーの顔にありありと現れていた。

 そして私も、同じような顔をしていることであろう。

 理解は出来そうなのだけれど、もっと詳しく聞いてから整理しようと、脳が働きかけているのだと思う。

 それを汲み取ったのか、蒼崎さんは続きを話し続ける。

 

「ハーンさんは同じ能力を持った祖先がいるのね。

 この手の能力は遺伝するものだし、まず間違いはないわ」

 

 メリーの祖先……その人達も、メリーが見たような光景を見ていたのだろうか。

 想像すると、少し不思議な感じがする。

 私でもそうなのだから、メリーはもっとそう感じているだろう。

 

「そしてその能力は結界と来ているわ。

 貴方達の一族は、きっと結界が専門の分野なのね」

 

 だからこそ、と蒼崎さんは続ける。

 

「結界はね、境界を敷いて区別するものなの。

 そしてそれは、遺伝子の分野にも及んでいる」

 

 ……遺伝子、家族の共通の情報が詰まっているもの。

 そこに、メリーの能力の源があるのだろうか?

 そんな疑問を抱きつつ、私は横目でメリーを見る。

 メリーは、息をするのも忘れたかのように、彼女の話に聞き入っていた。

 

「貴方の能力は結界を見るだけだけれど、貴方のご先祖様は、もっと強力な能力を持っていると思うの。

 たとえば、結界を敷いたりとかね」

 

 そうか、能力が遺伝するといっても、必ず同じ能力になる訳ではない。

 隔世遺伝で能力が発露しても、それは一部が似ているだけのようなもの。

 必ずしも、完全一致するものではない。

 

「そしてあなたの見る夢は、その遺伝子に刻まれているご先祖様の記憶よ。

 能力と共に、僅かな記憶が夢という形で現れているのね」

 

 だから追想するように、メリーは夢を見ている。

 成程、確かに筋が立っているように思える説明。

 私達が、今までで一番答えに近い位置に立っていると思える所にいるのだ。

 

 妙にすっきりした感覚があって、でも、だからこそ。

 

「で、ハーンさん」

 

 新たなしこりが、私達に出来て。

 

「あなたのご家族、そういう話とか、聞かないかしら?」

 

 蒼崎さんが訊ねた内容に、私達は目を見合わせた。

 困った質問、これほどまでに答えに近づいていると感じるから余計に。

 恐る恐ると、メリーは蒼崎さんに、こう告げたのだ。

 

「私、昔のことは覚えてないんです」

 

 メリーと私は、8年来の付き合い。

 だけれども、メリーには記憶がない。

 ポッカリと、8年以上前のことは覚えてないのだ。

 

「どういうこと?」

 

 蒼崎さんが確かめるように、私達に問うてきて。

 

「……メリーは、10年前に記憶喪失で彷徨っていたんです」

 

 それが、困ったことに真実なのだ。

 メリーが迷子のところを、私の実家が引き取った。

 何か、運命を感じさせるように。

 

「それじゃあ、確かめようはないわねぇ」

 

 困ったわ、と言いつつも、蒼崎さんはあまり困っているようには見えなかった。

 でも、私達は新しく、一歩は踏み出せた。

 それは確かに、蒼崎さんの功績だ。

 だから、私は一種の畏敬を持って、蒼崎さんを見つめていた。

 彼女の目が、眼鏡越しに、奇妙な光を湛えて見えて……。

 

 

 

 

 

「はい、ありがとうございました」

 

 両儀さんが頭を下げているのに軽く会釈をして、呼び止めた人は去っていく。

 彼の目は、これからだよと語っているあたり、精神力は流石と称えるべきか。

 だけれど、私はこの作業が億劫となりつつあった。

 

 私が憂鬱げに空を見上げた場所は、大学の中。

 あの大学で私達は聞き込みを行っている。

 結果はさほど思わしくないけれど……。

 

「最後に見たのは、警備員の人みたいね」

 

「大学内ではそんなものだよ。

 一緒に飲みに行った人とかも居ないみたいだしね」

 

 足取りは、大学外に出ないと分からないらしい。

 足を使って、探さねばならないらしい。

 魔術で探すには、条件が多すぎて非効率だから仕方がないのだけれど。

 その人物は実像がある分だけ、掴めないのがもどかしく感じる。

 

「後は人物関係を聞きに行かないとね」

 

「……探偵は地道ね」

 

 小説のように、情報が転がり込んできて推理できたら最善なのでしょうけれど。

 どうにも、面倒事は簡単に解決できないのが世の中の仕組みらしい。

 

「千里の道も一歩から、かな」

 

「ローマは一日にして成らず、に通ずるものがあるわ」

 

 両方共に、コツコツ積み上げる大事さを謳っているモノ。

 東西関係なく、昔の人は本質を捉えているのに深いものを感じる。

 昔からの変わらない苦労、と言うやつなのでしょうけれど。

 

「いなくなった人、確か超能力研究をしている人だったわね」

 

 だから私は、愚痴ではなく捜査を続けることにする。

 それが、この問題を解決する事になるのだから。

 

「そうだね……」

 

 肯定しながら、両儀さんは何か言いたげに私を見ている。

 真摯な瞳が、私に向けられていて。

 その目が語っている、わざわざ僕の方には付き合わなくても良い、と。

 故に、私は彼の目を見返す。

 

「片方を解決してからの方が、効率がいいでしょう?」

 

 両儀さんは私を手伝ってくれると言った。

 ならば私も、と彼の親切さに対して思うのだ。

 その気持ちが伝わったのだろうか、彼は頬を掻きながら、こう言ったのだ。

 

「なら、早めに解決しないといけないね」

 

「えぇ、そういう事よ」

 

 やれやれと言いたげな彼に、私はフンと鼻を鳴らした。

 返せない貸しを作るのは趣味じゃないから。

 だから彼を手伝って、その上で私の方にも手を貸してもらうのだ。

 

「それに、別に問題なんてないわ」

 

「……そう言えば、質問のあとに何か訊いてたね」

 

 その通り。

 両儀さんの質問のあとに、こっそりと私は質問をしていた。

 この大学に、偏屈な本好きの教授がいないかということを。

 

 ここは怪しい研究もしている大学だから。

 もしかしたら蒼崎橙子よろしく、この大学に潜伏しているのではないか。

 そんな事を考えていたのだ。

 

「一応、そこも抜かりないの」

 

「僕より余程しっかりしてるね」

 

 感心したように頷く両儀さん。

 面映ゆい感覚が駆けていくが、それを振り払って結果を報告する。

 

「全部が全部、ハズレだったけれど」

 

 偏屈、本好き、あと女性。

 その条件に当て嵌る人材は、この大学には存在しなかった。

 それが分かっただけでも、儲けモノと考えるべきだろう。

 但し、別の人の存在が浮かんできたのだけれど。

 

「蒼崎橙子については、本当にこの大学にいるみたいね」

 

 聞いた話によると、この大学で臨時講師の蒼崎教授がいるらしい。

 どう考えても、あの人形師である。

 

「僕は聞き込みを続けるけど……橙子さんに会ってくるかい?」

 

 彼の親切な申し込み。

 本当に気が利く人だ……だけれど。

 私はそれに首を振って答える。

 

「今は留守みたいよ。

 2日前に出かけたらしいわ」

 

 女学生とフィールドワークに出かけたとかなんとか。

 思っているよりも、活発な女性なのかもしれない。

 

「橙子さんは気まぐれだからね」

 

 何かを思い出したように、苦虫を噛み潰したような顔をする彼。

 蒼崎橙子、一体何をしたのか。

 温厚な両儀さんがこんな顔をするあたり、大体察してしまえる。

 私の中で、あの人の悪評は広まるばかりとなっていた。

 ……魔術師なのだから、と言われればそれまでなのだけれど。

 

「聞き込みは続けるよ。君はどうする?」

 

 少し休んだらどうかな?

 そんな風に彼は気遣ってくれるが、逆に今は動いていたい気分なのだ。

 単に落ち着かない気分だというのも、理由としては挙げられる。

 それはきっと、会えると期待した蒼崎橙子に会えなかったという落胆を誤魔化すためのものかもしれない。

 

「大丈夫よ、続けましょう」

 

「無理はしないようにね」

 

 彼はそう言ってから、自販機の方へと向かった。

 硬化を投入し、ぴっとボタンを押す。

 自販機から出てきたのは、緑茶のペットボトル二本分。

 

「暑いしね、水分補給は大切だよ」

 

「……ありがとう」

 

 両儀さんは笑顔で私にペットボトルを渡してくれた。

 どうにも、一つのことに夢中になりすぎるのは、私の悪い癖らしい。

 外に出て慣れないことをしているのも、大きな原因ではあるのだけれど。

 

「うん、大変だけど頑張ろう」

 

 休憩したかったら何時でも、と彼は言うけれど。

 でも、せめて彼が頑張れる内は、私も頑張ってみようと思う。

 それは対抗心や意地みたいなものではなくて……。

 

 両儀さんを手伝いたいという、一種の尊敬に近い形のモノを感じたから。

 

 きっと、これが彼の人徳。

 意外に素直な気持ちで、私は彼に付いていく。

 そんな私は、雛鳥にも似た気持ちになっているのかもしれない。

 

 ――まさかね。

 そう心で呟いて、私は両儀さんの背中を追う。

 早く面倒事を解決をするために。

 ……それ以外に、理由なんてないんだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『冬木市の光景 小話 彼女が見ているその先には』

 

 

 

 

 

 

 遠坂凛は魔術師である。

 しかし、それは裏の顔。

 表の顔は穂群原学園の生徒であり、そして現在は居酒屋コペンハーゲンの臨時アルバイターでもあった。

 

「……何なのよ、もぅ」

 

 そんな私、遠坂凛を悩ませる存在がここにいた。

 居酒屋コペンハーゲン、現在私のいる場所。

 問題は、私の視線の先にある。

 ジュースを飲みながら本を読む女の子の姿。

 居酒屋なんて渋いところに現れて、することが読書なんだから恐れ入る。

 その女子の名前は……。

 

「桜」

 

 小さく、彼女の名前を呟く。

 すると耳聡く聞きつけたのか、桜は軽く私に手を振る。

 何時もは、こっそりと私が桜を見つめたりしているのに……この場においては、立場が逆転していた。

 

「凛ちゃ~ん、こっちもお願い」

 

「はいネコさん、ただいまっ」

 

 仕事はきちんとこなしているけれど、それでも彼女がどうしても視界に映る。

 嫌でも視界に入れてしまう。

 ……桜がここに来たのは、きっと衛宮君に聞いたからだろう。

 この時ばかりは、あの妙に親切な男の子にイラっとする。

 

 ――余計な真似してんじゃないわよっ。

 

 本人がいたら、そう言ってやりたくも感じる。

 でも、こんな日に限って、彼はバイトが休みみたいで。

 

「調子狂うわよ、ほんとに」

 

 そんな恨み言を、小さく私は口にする。

 だって、本当に恨めしいから。

 

 衛宮君の馬鹿ヤローっ! と叫んでも良いくらいに。

 それだけ、私にとって桜がこの店に来ることは、奇襲攻撃だったのだ。

 

「すみません、ランチセットひとつお願いします」

 

「はい、ご注文承りました」

 

 完璧な所作で頭を下げ、隙なく厨房に駆け込む。

 中では店長がせっせと料理を作っていて。

 

「ランチセット、ひとつ追加です」

 

「あいよ」

 

 それなりに忙しそうにしながらの言葉に、私も気を引き締める。

 桜の前だもの、しっかりしなきゃ駄目なんだから。

 そう、自分に言い聞かせる。

 彼女の前だけでは、私は完璧でいたいから。

 

「はい、お待たせしました」

 

 そう思って、この場では完璧に私は振舞うのだ。

 遠坂凛は完璧だと、彼女に見せつけるように。

 でないと――としての尊厳が果たせないから。

 

 心を無にしてバイトに勤しむ。

 それが私のあるべき姿と、自己暗示でも掛けたかのように。

 そうして……、

 

「お会計、お願いします」

 

 桜は席を立ったのだ。

 ようやく帰る気になったらしい。

 正直、ホッとする気持ちがあるのを、私は感じていた。

 

「お会計、380円になります」

 

 私は、完全な営業スマイルでレジに立って。

 そうして、そのまま桜にそう告げた。

 すると彼女は何も言わずに、財布からちょうどの金額を取り出す。

 

「はい、ありがとうございました」

 

 そう桜に言い終えて、私は何故か乗り越えたっ! と思ったのだ。

 だから、油断してしまった。

 

「また来ますね、――さん」

 

 小さくて聞こえない声。

 でも、それでも、私は桜の唇の動きを読んでしまった。

 今、桜、なんて……。

 

「凛ちゃーん、ランチセットできたよぉ」

 

 ネコさんの呼び声、それに慌てて私は飛んでいって。

 

「っきゃ」

 

「あちゃあ」

 

 受け取ったお皿が、思いのほか熱かったから。

 思わず取りこぼしてしまって。

 

「珍しいねぇ、凛ちゃんが初歩的なことするなんて」

 

 ネコさんが、驚いたようにそんなことを言っていた。

 ……確かに、今の私は平静さを欠いているのかもしれない。

 

「ごめんなさい」

 

「いいって、ちょっと休憩はいっときなよ。

 暫くはアタシだけで回せるからさ」

 

「はい、すみません」

 

 また失敗する気がしたので、素直に休憩に入らせてもらうことにする。

 これも全部、桜と、桜を寄越した衛宮君のせいなのだ。

 

 

 

「調子、狂うわね」

 

 誰もいない休憩室。

 私は小さく、そう呟いて……。




これから下は、後書きという名の、作者の愚痴になっています。
そういうのがダメな人は、すぐさまUターンください!(懇願)




アカン、前回に続いて、説明会みたいになってます!?(特に橙子さんがノリノリ!)
説明お姉さんと化した橙子さん、しかもなんだか屁理屈くさい。
色々と心配です、はい。
というか、久しぶりでキャラがブレてないかと、内心戦々恐々です。
……大丈夫ですよね?
そしてアリスと幹也さんの出番が少ないように感じる(白目)。
二人とも好きなのに、どうしてこうなった……。

あと、メタ視点で想像できる人には、大体検討が付きつつあるのかもしれませんが、ネタバレは堪忍願います(遠い目)。


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第19話 道しるべを求めて

「調べてみましょうか。

 もしかしたら手掛かりが手に入るかもしれないし」

 

「はへ?」

 

 これが答えかも、と納得の付きかけていた私達に、蒼崎さんはそんな提案をした。

 返答がお間抜けになったのは、いわゆる吃驚したから。

 だって、普通そこまでしてくれるとは思わないもの。

 

「い、良いんですか?」

 

 すごく遠慮がちに、メリーが上目遣いで蒼崎さんを見ていた。

 その気持ちは分かる。

 相談に来ただけなのに、想像以上に尽くしてくれているのだから。

 十分に目的を果たしてくれたのに、それ以上は少しの罪悪感を感じる。

 

 そんな私達の内心。

 きっと当事者たるメリーは、もっと強く思っていることだろう。

 けれど、蒼崎さんは、微塵もそんなことを気にした素振りは見せない。

 逆に私達に微笑みかけて、こんなことを言ったのだ。

 

「私も、一応は学者の端くれなのよ。

 気になることができたのなら、調べたくなるのが性なのね」

 

 踏み入れたからには徹底的に、という訳なのかもしれない。

 それは、ありがたいのやら何なのやら、と困惑も覚える。

 人によっては、必要以上に踏み込まれるのは、ありがた迷惑にも感じるであろうから。

 もちろん無理強いはしないわよ、と付け足してくれているあたりには、良心を感じるけれど。

 

 だから、私は隣を見る。

 メリーは自分の見る夢のことについて知りたがっていた。

 だけれどそれ以上のこと、それは考えてもいなかったから。

 それ故に、蒼崎さんの言葉にどんな反応を示しているのかを、確かめようと思った。

 嫌がっているのなら、私が止めれば良いと考えたのだ。

 

 そしてメリーは、どこか迷いを感じている表情をしていた。

 何を迷っているの?

 そう思いもしたが、何かを天秤に掛けているようにも見えて。

 

「どうしたいの、メリーは」

 

「どう、て言われても……」

 

 揺れてる、メリーがどうしたいかということが。

 急な提案なのだから、困惑するのは当然だろうけれど。

 でも、揺れてるということは、メリーの中にも、自分が何者か知りたいという気持ちがあるということだ。

 

 ……自分が何者なのか、自分自身が理解していないのは、どれだけ苦痛であるか、私は考えたことなどない。

 きっと怖い事なんだろうと想像はつくけれど、それはあくまで想像。

 メリーは、実際どう思っているのかなんて、分かりようがない。

 

「私は、受けてみてもいいと思うな」

 

「……蓮子?」

 

 どこか惚けたように、メリーが私を見ていた。

 悩んでいるところを、急に引き上げられたから戸惑っているのか。

 そんなメリーの困惑をほぐすために、私は落ち着きながら、話を進める。

 

「知らなくてもいいと思うなら、それでいいと思うよ」

 

 実際、メリーは今までそうして暮らしてきた。

 ちゃんと笑いながら、私と一緒に。

 メリーは楽しく過ごせていたと、私はそう確信している。

 

 でも、でもである。

 

「チャンスがあるなら、きちんと掴まないと後悔すると思うな、私は」

 

 今回の蒼崎さんの提案は、二度はないチャンスなのかもしれないのだ。

 それをふいにして、後で後悔するのは……私だったら、嫌だなって思うから。

 

「知っても、何かが変わるわけじゃないんだし。

 もし変わっても、私達の関係は変わらないでしょ?」

 

 ちょっと自信を持って、私はそう告げた。

 恥ずかしいこと言ってるっ!

 そんな気持ちもあるのだけれど。

 だけど、いくら青くても、それが真実には違いないのだから。

 私は信じて、メリーを真っ直ぐ見ていったのだ。

 

「……とっても、蓮子らしいね」

 

 どこか苦笑気味に、けれど次第ににこやかさが増してきて。

 メリーと私は、二人で笑った。

 だって私達、とっても恥ずかしいことしてるんだもの!

 

「ねー、キミタチ」

 

 そこに、どこからか声が聞こえた。

 っあ、と私もメリーも、声の方向へと目を向ける。

 

 ……無論そこには、蒼崎さんの姿。

 

「青春は結構、私も黒歴史がたくさんあるしね」

 

 ……黒歴史、それと一緒になるんだ、今の。

 顔を引き攣らせながら、私達は絶句していた。

 ピシッと固まったまま、私もメリーも蒼崎さんを見て、微動だにしない。

 そんな私たちに、どこか優しげな声で、蒼崎さんは言う。

 

「そういう盛り上がり、良いと思うけどね。でもね」

 

 ひとつ呼吸を置いてから、蒼崎さんは続けた。

 

「必ず原因が分かるわけでもないし、そんなに期待しちゃダメよん、てこと」

 

 分かった? と問いかける蒼崎さんに、私達はクルミ割り人形のごとく、何度も首肯していた。

 ……本当に恥ずかしい、これは。

 

 

 

 

 

 私達は次の日に、待ち合わせをした。

 その場所は、私達の家近辺。

 それは8年前のメリーの事を、蒼崎さんが知るため、そして私達が思い出すために。

 古めかしい建物が立ち並ぶ場所へ。

 私の実家周辺へと、蒼崎さんを案内したのだ。

 

「この辺り?」

 

 蒼崎さんが尋ねる。

 私達が先導して着いた場所を、ぐるりと眺めて。

 メリーは、何時も見る風景なのに、どこか懐かしそうに頷いた。 

 

「……はい、確か私はここに立ってました。

 唐突に投げ出されたように、何をすれば良いのかが分からずに」

 

 ――思い出す、メリーを初めて見た時のことを。

 じっとどこかを、茫洋と見つめていた。

 体はそこにあるのだけれど、心はどこかに置いてきたように。

 不思議な子、そんな感想を私は抱いた。

 だって、私と同い年くらいの子なのに、どこか浮世離れした感じがあったのだから。

 だからこそ、私はメリーに、興味を持ったのだろうけれど。

 

「ここが始まりなのね」

 

 蒼崎さんは、一人そう呟く。

 そしてもう一度周りを見渡し、頷いた。

 

「この場は特に変わった場所では無いわ。

 例えば、この場所が原因でハーンさんの記憶が飛んだ、ということもない訳。

 能力も関係ないでしょうね」

 

 蒼崎さんの言葉を聞いて、私はメリーを見る。

 どこか遠い目をしている。

 だけれど、それは単に思い出に浸っているだけだろう。

 

「メリー、戻ってきなさい」

 

 メリーの肩を揺らす。

 戻れ戻れと、割と勢いよく。

 

「ふぇ、れ、蓮子?」

 

 目の焦点が、何時の間にか戻っていた。

 がくがく揺らすのをやめると、少し恨みがましげに私を睨むメリーの姿がそこにはあった。

 

「ぼぉっとしてたのは確かに悪かったと思うけど、蓮子は揺らしすぎよ」

 

 頭が揺れてる、なんて小さく呟きながら、メリーは頭を振って、うぅ、と呻いていた。

 でも、これくらいしないとメリーは戻ってこないのだから仕方がない。

 

「で、メリーはこの周辺に何かを感じたりする?」

 

 能力に引っかかるようなものが、この周辺にあるのか。

 そう問いかけると、ちょっと考えてから、すぐに首を横に振る。

 

「懐かしいだけね、他は何も……」

 

 探るようにしながら、しかし何もないとメリーは告げる。

 残念、と言いたいけれど、別に分かったこともある。

 それは……、

 

「つまり、記憶のことに関しては、場所は関係なかったということね」

 

 蒼崎さんが、端的にそう纏めた。

 この場所以前に歩いたりとかしてるの? と蒼崎さんが問いかけるも、メリーはいえ、と小さく返すだけ。

 これ以前の記憶が無いと言っていたのだから、それはある種の当然のこと。

 

 この場所は、記憶の出発地にして私と出会った場所。

 メリー、マエリベリー・ハーンはここから始まったと言っているようなもの。

 まるで、この場所に急に現れたみたいに。

 メリーの記憶のテープは、ここから始まっている。

 

「ふむ、ではやっぱり能力かな」

 

 でもねぇ、と小さく呟く蒼崎さん。

 何か引っ掛かっているのか。

 うーん、と首を傾げている。

 

「どうしたんですか、何かおかしいんですか?」

 

 私は思考することを放棄して、直接蒼崎さんに訊く。

 憶測で判断するよりも、その方が何よりも手っ取り早いから。

 

「ハーンさんの能力は、結界を見ることができるものでしょ?」

 

 蒼崎さんが、確かめるようにメリーへと目を向ける。

 そしてメリーも、それに同意し、補足する。

 

「そうです、見えるだけなんです。

 それ以外は、何もないはずです」

 

 どこか不安げなメリーの言葉だったが、蒼崎さんはそうよねぇ、とメリーの言葉に頷く。

 蒼崎さんは、メリーの能力はそれ以上の物ではない、という事が言いたいのであろう。

 ……となれば、つまりは。

 

「メリーが他に何かの能力を持っていなければ、能力云々の前提条件からしておかしい?」

 

 自分で確かめるように、私は口に出してみる。

 そしてそれに、蒼崎さんは正解、なんて答えたのだ。

 

「私達は今まで、ハーンさんの中だけの問題で、自己完結をしようとしていたわ。

 でもね、そもそもそれが間違いだったのかもしれないわね」

 

 蒼崎さんの顔、どこか飄々としているイメージがあるのだけれど、今は……違う。

 

「ハーンさんは誰かの手を加えられて、その場に置いていかれた。

 こっちの方が、辻褄は合っているわ」

 

 どこか呆れた表情で語り、そしてその中にひどく詰らなさそうな気持ちが見え隠れする。

 面倒くさくなってきたなと、そう表情が語っているのだ。

 

「……私の記憶がないのは、誰かが取っていったってことですか?」

 

 メリーが、どこか何とも言えないように、そう蒼崎さんに訊ねる。

 どこか薄気味悪そうに、恐る恐ると。

 その気分は、私にもどこかわかるような気がする。

 想像するだけで、悪寒にも似たモノを感じるのだから。

 

「そうね、あなたが能力を持っているのも、何か関係しているのかもしれないわ」

 

 そう付け足す蒼崎さんに、メリーはどこか顔を青褪めさせる。

 不安さが、体を駆けているのだと、私にも容易に想像が付いた。

 故に蒼崎さんを睨むと、悪びれた様子もなく、あくまでも可能性の話よん、と言ったのだ。

 でも、それでも、メリーはそんな可能性が説得力を持っているだけで、何よりも不快で怖いのだろう。

 自分が誰かの都合で好き勝手に弄ばれているのだから、拒否反応を起こすのは当然とも言える。

 

 だから、だからこそ言おう。

 私がこの場にいるのは、きっとその為なんだから。

 

「メリーは、どんな時だってメリーよ。

 私にとっては、それ以外の真実なんてないわ」

 

 ずっと一緒だったんだから。

 メリーはおっとりしてて、たまに天然も入るけれど。

 それでも、おかしなところなんて無いんだから。

 

「10年以上前のあなたのことなんて知らないけど、今のあなたのことなら、私は誰よりも知ってるのよ。

 安心なさいメリー、怖がることなんてどこにもないの。

 あなた自身が気味悪く感じても、私はあなたが普通だって、知っているんだからね」

 

 真剣に、だけれど、気負わせないように。

 私はメリーに言うのだ。

 メリーは少し呆けたあとに、くすりと笑いを漏らした。

 

「そっか、私は蓮子に色々と知られちゃっているのね」

 

「あなた以上に、マエリベリー・ハーンという女の子を知ってるわ」

 

 堂々というと、そっか、と小さくメリーは呟いた。

 その顔に、もう青さは残ってない。

 どこからか感じる滑稽さと安堵で、ホッとしているんだと思う。

 

「貴方達、本当に仲が良いわね。

 まるで一蓮托生、宇佐見さんがハーンさんを繋ぎ留める錨ね」

 

 蒼崎さんがからかう様に、されど感心するように私達を見ていた。

 あなたがメリーを不安にさせたのでしょうと言いたかったが、メリーが笑っている手前控えることにする。

 

 でも、私が錨か……どうなのだろう、実際のところは。

 確かにメリーは考え込むと、すぐあっちの世界に旅立つところがある。

 それを引き戻すのは何時も私、でもそれだと錨というよりかは目覚ましの方が近い気がする。

 

「じゃあさしずめ、私は幽霊船といったところなんですね」

 

「ありゃ、一本取られちゃったわね、これは」

 

 メリーが、安心して落ち着いたのか、そんな冗談まで飛び出す始末。

 愉快そうに笑う蒼崎さんとメリーに、私の毒気は完全なまでに抜き取られてしまっていた。

 

「でも、そうね」

 

 蒼崎さんが、どこか目を細めながら、私達を見ていた。

 何でそんな目をしているのだろうと思ったが、今は静かに耳を傾ける。

 

「ハーンさんの中に、宇佐見さんという錨はある。

 だけれど、それ以外にも、宇佐見さんには役割があるのね」

 

 何かが分かったかのように、蒼崎さんは語る。

 私達が、どうあるのかを、だ。

 

「宇佐見さんは、ハーンさんの帰る場所なのね。

 幽霊船なのに母港があるなんて、羨ましい限りだわ」

 

 どこか、蒼崎さんの目は遠くを見ていて。

 きっと何かを思い出しているのだと思う。

 でも、それが何なのかは私にはわからない。

 ただ、私に理解できることがあるとすれば、それは……。

 

「蒼崎さんにも、何時かは見つかりますよ」

 

「まるで行き遅れに対する慰めね」

 

 蒼崎さんが本気で羨ましいと思っている。

 それを察することが出来たことだろう。

 軽口を叩きつつも、否定はしていないのだから。

 メリーも、どこか優しげに蒼崎さんを見ていた。

 

「私は、きっと運が良かったんですね。

 蓮子とあえて、私は確かに救われたんですから」

 

 中々に恥ずかしいことを言ってくれる。

 私も、そんなことを言われては、素面で知るのが難しくなってしまうのに。

 

「私も、メリーと出会えて、本当に良かったと思っているわ。

 だって、こんなにも素敵な親友になれたんだから」

 

 だから、せめて赤面するのに、道連れにしてやろう。

 蒼崎さんは、またなのね、とどこか呆れながらに、でも楽しげに私達のやり取りを眺めていたのだ。

 

 

 

 

 

 不毛、いま私は、そんな言葉が頭に点滅するようになっていた。

 意味のない行為は嫌いじゃないけれど、それが唯ひたすらに苦痛だというのなら話は別になってくる。

 しかしそれとて、意味がないと思ってしまうだけで、きちんと意味があるのだから私はタチが悪いと思うのだ。

 なぜなら、意味がないのなら投げてしまっても、誰も文句は言わないのだから。

 

 しかしそんな行為にも、何時かは終着点が存在する。

 欠片が、少しづつ積もっていくのを実感できるからか。

 それとも、自分がそう思いたがっているだけなのか。

 

「はい、ありがとう御座いました」

 

 両儀さんが頭を下げているのを横目に、私も自分が尋ねていた相手に頭を下げる。

 こっちは見ていないとのこと、両儀さんは何かを聞けたのだろうか……。

 

 現在、私達は聞き込み調査中。

 行方不明になった大学教授の足取りを追って、大学の外で聞き込みをしているのだ。

 暗中模索の中から、一つ一つ手がかりを探していく地道な作業。

 ……小説ではお目に掛かれなかった現場に、憂鬱を拗らせそうになる。

 が、それをすると、目敏い両儀さんに見つかるので、表情は殺したまま彼の後について行く。

 

「疲れたよね」

 

「いいえ、そんな事はないわ」

 

 図ったように、時折両儀さんはそんな言葉を投げてくる。

 何も見せていないはずなのに、分かっているかのように聞いてくる。

 そういう機微には非常に鋭く、そして私が否定する度に彼が疲れたから休もうと言って、一息つく。

 それを繰り返している。

 ……ただ、両儀さんは疲れている素振りなんて見せないのだから、余計に鬱屈した何かが私に溜まっていく。

 

「私、邪魔かしら?」

 

「そんなことはないよ。

 二人で聞き込みをした方が、効率は良いからね」

 

 恐らくは事実。

 少しは貢献できていると、心で思ってはいる。

 両儀さんは、私をいらないとも言っていないのだから。

 だけれど、それ以上に気を使われているのが、何とも情けなく思えて仕方ないのだ。

 何より、そんなことを聞いてしまうくらいに面倒くさがっている自分が嫌だった。

 

「……探偵さんは大変だったのね」

 

 つくづく、そう思った。

 地味で根気のいる作業が多い。

 そして、人に訊ね事を続けるコミュニケーション能力も必須。

 ただ推理するだけでは片付かない、まるで刑事にでもなった気分。

 

「こういうのは慣れだからね」

 

「そう言い切れるのが両儀さんなんでしょうね」

 

 きっとこの人は、生粋の探す人なのだ。

 適正、というものでは、この人はモノ探しに向いているのだろう。

 それを除いても、根気強いことには流石と褒め称えられるのでしょうが。

 

「君はどっちかというと、物事をスマートに運ぶんだね、きっと」

 

「褒められてるのか、貶されてるのか、どっちなのかしら」

 

「ただの感想だよ」

 

 他意はなかったのだろう、それ程の淡白さだったから。

 それにしても、両儀さんから見たらそうなのだろうか。

 

「どうしてそう思うの?」

 

 気になったら聞いてみるに限る。

 今は推理する気力が足りていないのだ。

 氷室さんなら、こんなことでも喜んで思考を巡らせるのでしょうけれど。

 

「あんまり、こういうことには慣れて無さそうだからね。

 こういう場面があったとしても、それは自分が好きだからやってることだろうし」

 

 成程、今の私の様子を見れば、簡単に看破されてしまうのか。

 当たっている、と思うあたりに、自分の至らなさを痛感する。

 人形に関することなら、どんなに不毛でも喜んで続けるのだけれど。

 それでも、今回のような泥濘に足を入れるが如き作業は、意味があるとわかっていても苦痛である。

 それは、自分に益することなどなく、また好きでもないから。

 

 ……こういう時に考え事をすると、どうにも言い訳のようになる。

 自分に対しての言い訳、どうにも格好がつかない。

 

「まだまだ大人には成れそうにないわね」

 

 そう言って、私は溜息を吐く。

 これは仕事と割り切れれば良いのだけれど、どうにも自分の案件は不毛を通り越して無意味に近いと確信を得つつあるのだから、余計に参っているのだろう。

 それでも、何とか動けているのは、両儀さんがいるから。

 彼が適切に休みを入れてくれるのと、会話で気を紛らわせてくれているからだ。

 

「まだ学生だし、焦ることなんてないよ」

 

「両儀さんも、大学生というなら通用するわね」

 

 彼が穏やかに言うので、少しからかってみようと思った。

 自分の中の意地の悪さが、顔を覗かせて両儀さんを見ている。

 要するに、気分転換がしたいのだろう、私は。

 

「童顔なのは自覚しているよ」

 

 でもそれは、あっさり肯定されて、上手く流されてしまった。

 これが衛宮くんならば、面白いように反応するか、拗ねるなりするのだけれど。

 

「……そういうところは、大人っぽいわ」

 

 対応が、そういうものなのだろう。

 だからちょっと睨んでしまう、遊んでくれてもいいのにと。

 

「今の君を見ていると、妹を思い出すよ」

 

「魔術師の妹さん、だったわね」

 

 両儀さんと愉快な家族達、その一員であろう人。

 きっと、敏いけれどある種の朴念仁でもある彼に、さぞヤキモキしていることだろう。

 

「意地っ張りなところとか、からかうのが好きなところとかは、よく似てると思うよ」

 

 どこか柔らかに、彼は妹の事について語る。

 それで、何となくだが分かることがあった。

 

「仲、いいのね」

 

「離れていた時期もあったからね。

 まぁ、人並み程度には仲は良いと思うよ」

 

 この人は妹のことは結構好きなのだろう。

 妹として、可愛がっているのだと思う。

 私がそれを察せられたのは、妹を思い出す、という言葉がやはり家族愛に満ちたものに感じたから。

 

「最近は妹さんと、会ったりしてるのかしら?」

 

「そうだね、未那の面倒を見によく来てくれて助かってるよ」

 

 未那、ずっと前に電車で見た小さな子。

 両儀さんが大好きで、あの母親には反抗的だった子。

 どうやら、あの娘は両儀家の皆に可愛がられているらしい。

 

「そういえば」

 

 両儀さんが、思い出したように私の方を向いた。

 

「確か人形に詳しかったよね」

 

「人形師だから、当然よ」

 

 私がそう告げると、両儀さんは嬉しそうに笑って、こんなことを言った。

 

「じゃあさ、この件が終わったら、未那のお土産選びに付き合って欲しいんだ」

 

「話の前後からして、お土産は人形にするのね」

 

「そのつもりだよ」

 

 成程、良いことに違いない。

 お人形は、女の子の趣味にして友達なのだから。

 何時も一緒にいてくれる子、趣味のいいお土産だと言える、私が保証しよう。

 

「やる気、出てきたわ」

 

 あの子にはどんな人形が似合うのか、想像するだけで結構楽しいものがある。

 実際に、どんな子が好きなのかは分からないけれど、ぴったりと似合う子を用意して見せよう。

 

「早く、行方を見つけましょうか」

 

「こっちが終わっても、君の方が残っているけどね」

 

 気概を削ぐことを言いつつも、両儀さんは朗らかに笑っていた。

 でも、それも問題など無い。

 

「そっちは、もう殆ど片付いているようなものよ」

 

「そうなのかい?」

 

 どこかびっくりしたように、両儀さんはそう言った。

 いつの間に、と顔に書いてある。

 でも、これは少し頭を巡らせれば、分かることだから。

 

「そうよ、だから残りを早く片付けることにしましょう」

 

「……そうだね、こういうことは早めに片付けたいしね。

 それに、あと少しだよ。

 段々と近づいてきてる」

 

「えぇ、着実に近づいてはいるわ」

 

 両儀さんの言う通り、行方不明の大学教授の痕跡は、確かに追えてはいるのだ。

 その道のりが、果てしなく遠いように感じるだけで。

 走れてはいないけれど、歩めてはいるのだから。

 

「さぁ、続きを始めましょう」

 

「……君は本当に人形が好きなんだね」

 

「言われるまでもなく、大いに自覚していることよ」

 

 さて、道の長い探偵業に戻るとしよう。

 それに、だけれど。

 ただの直感だけれど、もう少しで何かが分かりそうな気がするのだ。

 私の直感は未来視ではないけれど、山勘としては優秀な方である。

 だからきっと、もう直ぐで何かがわかる。

 故に、もう少しばかりの力を振り絞って、私は調査を続行する。

 

 さて、待ち受けているのは、行方不明の教授か、それとも……。

 

 

 

 

 

 

 あれから少しして、蒼﨑さんは携帯に電話が掛ってきて、今は席を外している。

 だから今がその時だと思い、私は親友に思い切って訊ねる事にした。

 

「メリー、段々と話の流れが怪しくなってきたけど、それでも知りたいの?」

 

 誰かに頭をいじられてるかも、何て物騒な話が出てきて。

 これ以上突っ込むのが、段々と怖く感じるようになって。

 それでも、これ以上を知りたいのかと、私はメリーに問う。

 

 だってそうでしょう?

 私達は今だけでも幸せで、ちゃんと絆の繋がりがあると分かっているのだから。

 これ以上無理に知らなくても良いんじゃないかなって、そう考えるのも悪い話じゃないと思う。

 だから訊ねて、メリーの返事を待つ。

 

「……私はね、蓮子」

 

 メリーはしっかりと自分を持っている表情をしている。

 これから、自分がどうするのかが分かっている様に。

 

「やっぱり、自分の事なんだから、知りたいよ」

 

「それが怖い事でも?」

 

 きっとこれは非日常の話。

 これより先は暗い事があるって分かっているモノ。

 それでも、知りたいのだろうか。

 

「うん、確かに怖いと思う」

 

 メリーは、それを肯定する。

 しかし、でも、と彼女は続けて。

 

「知らない事も、怖いの、私」

 

 怖い、と言いながら、メリーは笑っていた。

 それが何なのか、分かっているはずなのに。

 

「それが幸せとは限らないよ」

 

「それでも、知らないってことはね、蓮子」

 

 どこか分かった様な表情を浮かべながら、メリーは言葉を紡ぐ。

 確かな自分を持って、私に。

 

「常に何かが心に引っかかって、幸せを感じても、それにずっとは浸っていられないの。

 だからね、私は怖い事でも知りたいの。

 知ってしまえば、全ては枯れ尾花に変わるんですから」

 

 ……そこまで考えているのなら、これ以上口を挟まなくても良いだろう。

 あとは、メリーと共に行くだけなのだから。

 

「一緒に頑張りましょう、メリー」

 

「……蓮子なら、そう言ってくれると思ってたよ」

 

 蓮子は付き合い良いよね、ほんと、と私を優しく見つめていた。

 でも、これはきっと付き合いが良いとかそんなんじゃなくて。

 

「私とメリーは一蓮托生。

 二人一緒じゃないと、つまんないでしょう?」

 

 メリーが居ない生活なんて考えられないし、きっとメリーも私が居ないとダメになってる。

 だから、二人三脚で私達は進んで行くのだ。

 

「こけたり挫けそうな時は助けてね、蓮子」

 

「何時もの事ね、任せなさいな」

 

 顔を合わせて、二人で笑って。

 互いに確かめ合って所で、タイミング良く蒼﨑さんが帰ってきたのだ。

 

「君達、もしかしたら何か分かるかもしれないわね」

 

「手掛かりか何かが分かったんですか?」

 

「まぁね」

 

 フフン、とどこか愉快げにしながら、蒼﨑さんは私達を見ていて。

 そうして、語り始める。

 

「教授、貴方達が相談に来たあの人ね。

 あの人が、君達について、もしかしたら面白い事が分かるかもしれないから、明日来てほしい、だって」

 

 専門外、と言っていたあの人。

 どこか爬虫類っぽい目をしていた教授。

 分からない、と言いつつも、調べてくれていた。

 それに驚きつつ、同時に感謝の念も生まれてくる。

 

「行くわよね、メリー」

 

「決まってるわ、蓮子」

 

 意志は固まっている。

 あとは、進むだけなのだから。

 

「分かったわ、教授に伝えとくわね」

 

「ありがとうございます、蒼﨑さん」

 

 私達は頭を下げる。

 ここまでお世話になったのだから、それは当然のこととして。

 ……だから、彼女が悪戯っぽそうな表情をしている事には、私達は気付かなくて。

 

「私も同席するわね。

 ここまできたら、知らなきゃ気持ち悪いし。

 教授も、ヒントになるとは思っていても、答えに繋がるとは考えてないでしょうしね」

 

 ……何から何まで、本当に助かる。

 それが、この人の単なる好奇心だったとしても。

 分からない事を解くのに、すごく貢献してくれているのだから。

 

「決まりね。

 じゃ、今日の所は、貴方達は帰りなさいな。

 また明日、大学で会いましょうか」

 

「はい、明日もよろしくお願いします!」

 

「本当にありがとうございますっ」

 

 私が明日の事を、メリーが今までの事を、同時に蒼﨑さんに伝える。

 蒼﨑さんは、小さく手を振るだけだったけれど。

 それでも、私達は答えてくれたこと自体が嬉しかった。

 

 

 

 だから、明日の予定が狂うなんて、私達は思っても居なかった。

 それは、驚きを持って、私達に蒼﨑さんが翌日の大学で伝えてくれた事。

 

 ……教授が、行方不明になったと、そんな事実を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『小噺 両儀家のお留守番 ~パパ(兄さん)は何時帰ってくるんだろう』

 

 

 

「未那、心得を」

 

「はい、鮮花さん」

 

 私達は、パパとお母様がいないおうちで、私は鮮花さんといっしょにいた。

 二人とも、おしごとだからって私をつれていかなかったけれど、すこしひどいとおもいます。

 でも、そのあいだに私のめんどうを見てくれる鮮花さんはだいすきです。

 私にとってもやさしいし、めったなことでは怒らないから。

 怒ったのは、お母様に鮮花叔母さんと呼んでやれ、といわれた時だけ。

 鮮花さんはひっしに笑おうとしていたけれど、あおすじが浮かんでいたのを私はきちんと見ていた。

 

 ごめんなさい鮮花さん。

 あの時の私、すごくしつれいでした。

 それ以降、私は鮮花さんと呼ぶようになり、お母様を倒すどうめいを結んだのです。

 だとう、お母様!

 それをスローガンに、私と鮮花さんはパパにアタックを続けている。

 いつか、パパをとりもどす。

 その事を二人でちかいあって。

 

「いち、お母様には絶対負けない」

 

「そう、私達は何時か式を超えなきゃいけないわ」

 

 このままじゃ、じりひんって鮮花さんも言ってた。

 行動をおこさないと、私達は負けちゃうから。

 パパとお母様はけっこんしている?

 そんなの、しょせんは紙切れのけいやく。

 血のきずなにまさるものはないっ! て鮮花さんも言っていた。

 

「に、ふりんをしていいのはみうちだけ」

 

「その通りよ未那。

 他所様でやると迷惑が掛かるわ。

 身内の問題は、身内で解決すべきよ」

 

 みうちだと、けっきょくはふりんにならない。

 だって、けっこんできないんだから、ふりんのほうそくは働かない。

 だから、みうちとのふりんは、ほうりついはんじゃないの。

 鮮花さんが言ってたから、きっとそうなんだろう。

 

「さん、パパをふりむかせるのです」

 

「そうよ、式を負かしたとしても、兄さんが振り向いてくれないと、意味が無いんだから!」

 

 お母様をやっつけても、パパがお母様しか見てないんだったら、いみがないのです。

 だから、パパのこころをしっかり私にむけさせなきゃいけないんだ。

 

「最後よ、未那」

 

「よん、さいごはせいせいどうどう、鮮花さんとしょうぶする」

 

 ……私達は、お母様だとうのために、どうめいを結んでいるけど、さいごはやっぱりいっきうち。

 鮮花さんに勝って、私ははじめてパパをだっかんできるのだ。

 

「てかげんしてくださいね、鮮花さん」

 

「恋愛勝負に、フェア精神は意味を持たないのよ、未那」

 

 ここに、私と鮮花さんに、そごがある。

 けっこうじゅうようなモノ。

 

「私は、パパとけっこんなんて考えてません。

 ただ、ずっと手もとにおいて置きたいだけです」

 

「……やっぱり式の娘だけあって、そういう欲は強いわね」

 

「お母様の子供なんだから、しかたないです」

 

 私がこんななのも、お母様がパパを独占しつづけてるから。

 ずるい、ひどい、おに!

 私がそう思うのも、むりはないことなのだ。

 

「でも、鮮花さんもほとんど一緒でしょ?」

 

「否定はしないわ。

 でも、私は方法を選ぶわ」

 

「そういう鮮花さんのそつのなさ、そんけいしてます」

 

「私としては、貴方が妙な事を覚えるたびに、罪悪感があったりするんだけどね」

 

 でも、鮮花さん、うれしそうにするから。

 ついつい色々なことをおぼえてしまう。

 なんだかんだで、鮮花さんはほめてくれるから。

 いじわるなお母様とはだんちがいだ。

 

「パパ、いつごろかえってくるかなぁ」

 

 こころえを言い終えて、私が気になったことは、パパがいつかえってくるかということ。

 お母様はほっといても帰ってくるネコみたいな人だけど、パパはちょっとしんぱい。

 へんなことに巻き込まれてないといいのですけど。

 

「大丈夫、心配無いわ」

 

 私の表情から、なにかをよみとったのか、鮮花さんが優しくそう言う。

 ……私、そんな顔にでやすいのかなぁ。

 

「パパは、お母様がまもってくれるから?」

 

「分かってるわね、そうよ。

 だから問題なんてないのよ」

 

 鮮花さんは、お母様につんとしているけど、けっこうしんらいはしてる。

 そして私も、自分のお母様のことなんだから、そんなことはじゅうじゅう承知なのだ。

 

「だから、私と何かして遊びましょう」

 

「うん、なにしましょうか」

 

 お母様がいるかぎり、パパはきっと大丈夫。

 だから、私はこうしていられる。

 

「鮮花さん、マザーグースを聴かせてください」

 

「未那は絵本とか童謡が大好きね」

 

「はい、ためになって、とてもすてきですから」

 

 マザーグースはすこしこわいけれど、それでもやっぱり、すてきさにみちているから。

 

「良いわ、膝に座りなさい」

 

「はい、しつれいします」

 

 私は、ゆっくりと鮮花さんのひざに座り、鮮花さんのかたり口調に耳をかたむける。

 心地よく、それでいてどこかきょうみぶかい童話。

 それを聴きながら、私はまたおもうのだ。

 

 ――パパ、はやく帰ってこないかなぁ。




うーん、どうにも話が進みません。
でも、ようやく次回から動き出せそうです!

というか、アリスの出番ぇ……。
こ、今度からは増やせるかもしれません(震え声)。


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第20話 交わる線

何故か書けてしまった(驚愕)。


「それ……本当ですか?」

 

「残念ながらね。

 教授、行方知れずなの。

 奥さんが、届け出を出したそうよ」

 

 私とメリー。

 二人で大学へ出向いて、そして告げられたことは、結構ショックなことだった。

 何かを私達に告げようとしていた教授が、そのまま姿を消したのだから。

 

「あなた達は、これからどうする?」

 

 私達に事実を告げた、蒼崎さんからの問いかけ。

 私は自然と、メリーに目を見やっていた。

 今回、メリーに付いていくと決めたのだから。

 メリーは考えるようにして、頬に手を当てて考え事をしている。

 

「私としては、しばらく家に引っ込んでいてほしいわね。

 二次災害が起きたら、堪らないもの」

 

 青崎さんがサラリと言った言葉に、私とメリーは慌てて顔を上げる。

 だって、蒼崎さんが言った言葉の意味、正確に汲み取るのであれば……。

 

「人為的なこと、ですか?」

 

 恐る恐る、蒼崎さんに尋ねる。

 できれば、違うと言って欲しいのかもしれない。

 

「可能性の話だけどね。

 用心に越したことはないってことだけ。

 たまたま重なりあった事象に、無理にこじつけをしているだけなのかもしれないもの」

 

 ……確かに、言っている意味はよく分かる。

 あまりにもタイミングが良かったのだから。

 そう思っても仕方がないし、私も言われれば疑ってしまう。

 

「でも、それなら」

 

 どこか不安げな声音で、メリーが声を漏らす。

 揺れる目に、憂いを湛えながら。

 

「誰がやったのでしょうか」

 

 そんな疑問を、メリーは投げかけた。

 ドキンと、嫌なふうに心臓が跳ね上がる。

 メリーの、彼女の言いたいことが分かったから。

 

「もし教授が故意に消されたとすれば、何か都合が悪かったって事になるわね」

 

 私達が言い淀んでいる事を、蒼崎さんがズバリと言ってみせた。

 

「何の都合が悪かったのかな?

 多分は最近の事、そして珍しいことだと、そう思うけど」

 

 蒼崎さんの目、それはメリーに向けられていて。

 だから、まさか、と思わずには居られなかった。

 

「メリーの秘密に触れたから、って言いたいんですか?」

 

 どこか泣きそうになっているメリーに変わって、私は蒼崎さんを睨む。

 すると、彼女は、肩を竦めるだけで。

 

「あくまでも、可能性の話って前置きしたはずよ」

 

「でも、それなら私や蒼崎さんも、消える対象になるじゃないですかっ」

 

 肩を怒らせながら、私は反論する。

 まるで、メリーのせいで教授がどこかにいったような物言いだったから。

 

「まあ、落ち着いてよ。

 言ったでしょう?

 単なるこじつけに過ぎないって」

 

 メガネを掛けた彼女は、私の論を相手にせずに、シャクシャクと躱してしまっていた。

 ムッとするが、これ以上いっても、蒼崎さんのペースに乱されるだけになりそうだから、少し沈黙を挟むことにする。

 

「落ち着いたようね。

 なら続きを言うけれど、こじつけはあくまでもこじつけ。

 他にも可能性は沢山あるわ」

 

 蒼崎さんはそう言うけれど、どこか確信めいた感覚を、彼女からは感じる。

 本当にそう思ってなんていないんじゃないか。

 私の五感が、そんな主張をしているのだ。

 

「ま、色々な事が考えられるわね。

 で、あなた達」

 

 蒼崎さんが、何事もなかったかのように、もう一度私達を見て……。

 

「どうするの? 今日」

 

 最初に投げかけた疑問を、もう一度尋ねたのであった。

 

「私は……」

 

 メリーが、どこか迷いながらも、それでも顔を上げた。

 蒼崎さんは、静かに聞いている。

 だからメリーは、勢いに任せる感覚で蒼崎さんに言ったのだ。

 

「探したいって、そう思いますっ」

 

 緊張が喉に悪かったのか、言い終えた後にケホケホと咳をするメリー。

 慌てて背中を擦ると、少し落ち着いたように、咳は回数を減らしていった。

 

「何かあったらどうするつもり?」

 

 落ち着いた私達を確認して、蒼崎さんはどこか締まらない表情で、そんなことを尋ねた。

 言葉の内容は、私達をさも心配しているように感じるけれど、蒼崎さんからは全然そんな気配は感じられない。

 むしろ、試しているふうに聞こえてくる。

 

「私を調べて何かあったのなら、私自身の身は安全だと、そう思います」

 

 だからか、受けて立つように、メリーはそう告げた。

 ちょっと意外だったけれど、それでもそれだけメリーにとってこの問題は重要なものだと、そう理解できる。

 

「なら、一緒に居る宇佐美さんは、どうなるのかしら?」

 

 蒼崎さんは興が乗ったのか、最早楽しさを隠す気なんて無いように、メリーに質問する。

 思わず立ち上がって、私が答えを返そうとすると、それをメリーは手で制して、その口で答えを告げる。

 

「蓮子はずっと一緒に居ました。

 今更消えるなんて、それは考えられません。

 それなら、もっと早くに居なくなっていたかもしれないんですから」

 

 へぇ、なんて楽しげな声を、蒼崎さんはあげた。

 だから、私はそれに追随するように、言葉をつなげる。

 

「私とメリーは一心同体。

 蒼崎さんも聞いてましたよね?

 だから、きっと居なくなる時も一緒ですよ」

 

 はっきりと、そして明瞭に、私は蒼崎さんに言い放った。

 すると、どこか今にも笑い出しそうな蒼崎さんの姿が、そこに……。

 

「ク、クク、そうね、そう言ってたわね。

 いいわ、分かったわ。

 好きにしなさい、極力気をつけて、ね

 私も調べてみるし、ツテも使うから無理はしなくて良いわよ」

 

 噛み殺した笑いが、私達の耳を鳴らす。

 それに、バツが悪くなって頬をかいていると、どこからかクスっと、思わず漏らしたような笑い声が聞こえてくる。

 顔を隣に向けると、微笑を浮かべたメリーの姿。

 彼女はニッコリと笑って、小さく私に囁いた。

 

「ありがとう、蓮子」

 

 どこか優しい囁きだった。

 

 

 

 

 

「ここ、ね」

 

 私の目の前には、裏路地があり、そこは近隣駅への近道でもある道であった。

 ……そこが、教授の姿が最後に確認できた場所でもある。

 

「ここが、今までの情報を見るに、教授が最後に通った道なはず」

 

 両儀さんが断定する。

 ここが、教授の足取りが消えた場所だと。

 長い聞き込み、その情報を統合するに、私も同意見であったから。

 だから……。

 

「この場所で、何かあったのね」

 

 だから、私も断定する。

 何かがここではあった。

 件の教授が消えた場所、それがこの裏路地だから。

 

「争った跡はないみたいだけど」

 

 両儀さんの呟きに、私は辺りを見回す。

 裏路地といえば、あまり清潔でないイメージがあるが、この場所は一種の整然さを持っていた。

 幾らかのゴミは散らばっていても、それ以上のものは見当たらない。

 ゴミ箱が置いてあるが、その中身もゴミが詰まっていても、中身がバラ撒かれた様子もない。

 

「誘拐、かしら?」

 

「ありえなくはないけど、この狭い道で争えば何らかの痕跡は残るし、それに駅への近道だから、それなりに人通りはあるよ。

 2,3分程度なら人目を避けれても、それ以上は流石に見つかるよ」

 

 成程、確かに理のある説明だと感じる。

 でも、それならどうやって、この場所から教授を連れ出したのだろうか……。

 

「一瞬で神隠しにでもあったのかな」

 

「そういうアプローチもするのね」

 

 感心して、私が両儀さんに目を向けると、彼はどこか困ったように笑っていて。

 

「それ以外に、考えようがないからだよ。

 これは推理じゃなくて、思考の放棄だね」

 

 要するにお手上げなんだ、と溜息を吐いた両義さん。

 ……まぁ、謎が解けずに超常現象のせいにするのは、確かにナンセンスに感じるのだけれど……。

 

「今回に限っては、間違ってないかもしれないわ」

 

「本当に?」

 

 純粋に疑問に思っているように、両儀さんは私を見ていた。

 だから私は、簡単に、自分でも整理しながら、解説を始めたのだ。

 

「ここで、教授が突如として消えた。

 これは前提条件として、まずは間違っていないものとするわ」

 

「僕も、それは保証する。

 この場で教授が消えたのは、何よりの事実だからね」

 

 両儀さんの肯定に頷きつつ、私は話を進める。

 

「だけれど、彼は突如として消えてしまった。

 何の証拠も、何の痕跡もなしに。

 それに、この場所は裏路地ながら人通りが多く、人目につきやすい」

 

 ここまで大丈夫? と両儀さんを見やると、うんと頷いている姿が見られた。

 それを確かめて、私は続きを言う。

 

「故に、ここで考えるべき点は、どうやって教授をこの場から連れ去ったかということ。

 そして、それには、特殊な手段を用いているということよ」

 

 私がそう言い切ると、両儀さんはウンウンと唸って、そうして私を見た。

 その目には、幾つかの疑問が浮かんでいるようにも感じる。

 

「どうぞ」

 

 だから私が促すと、両儀さんはできるだけ簡潔に説明を始める。

 少し気になったことだけど、と前置きして。

 

「まず、目立つ方法で教授を連れ出すのは、人目についてまずいって話はしたよね。

 もし、本当に神隠しのようなモノにあったとしたら、それってすごく目立つんじゃないかな?」

 

「そうね、人がいきなり消えたら、それはすごく目立つでしょうね」

 

 もしも人目に入ったら。

 その事を考えると、中々にリスキーな方法だと見られる。

 しかし、蛇の道は蛇とも言う。

 そういうものは、魔術師(こちら)の領分なのだ。

 

「でも、それは問題になんてならないわ。

 結界、認識阻害、暗示。

 魔術には色々な手品があるもの」

 

「……そっちの方面には疎くてね」

 

 苦い顔で言う両儀さん。

 だけれど、それは仕方のない事だろう。

 元より魔術を知らない人間が、こんなトンチキな方法を思いつくはずなんて無いのだから。

 

「いいのよ、今は私がいるから。

 そうして、何らかの方法で、教授をこの場から連れ出したの」

 

 私がそう言うと、両儀さんは再び困ったような顔を浮かべていた。

 彼が何を言いたいのか、私もそれは、何よりも分かるから。

 

「要するに、魔法を使って教授は連れ去られた。

 そして、今の僕達に、彼を追う手掛かりはない」

 

「……その通りね」

 

 間違っていない。

 確かに、教授の姿は、この場で消えた。

 だからこれ以上はこの場からは探せないと、それ自体は間違っていない。

 ……だけれど、

 

「でも、確かに手掛かりは手に入れたわよ」

 

「聞かせてくれるかな?」

 

 両儀さんが、真摯な顔をして、私を見る。

 だから私も答えるように、彼に手掛かりを告げた。

 

「教授を連れ去ったのは、魔術師かそれに準じるもの。

 そして、人一人を連れ去るほどの術を使える人物」

 

 私は両儀さんの顔を見返した。

 できるだけ不敵に、少々の笑みを貼り付けて。

 

「どう? これで特定が楽になったでしょう?」

 

 両儀さんは、感心と呆れを混ぜあわせたような表情をして。

 そして最終的に、ひとつ頷いたのだ。

 

「多分、それで合ってると思う。

 僕が考えても、それ以上の答えは見つからないからね」

 

 お墨付きをもらって、自信と安堵が浮かび上がってくるのを感じる。

 そして、そんな私を尻目に、両儀さんは呟いた。

 

「橙子さんに連絡しないと」

 

 呟きだったけれど、私の耳にはしっかり届いて。

 不謹慎ながら、ワクワクする気持ちが、湧いてくるのを確かに感じたのだった。

 

 

 

 

 

「ど、どうしよう、蓮子ぉ」

 

 目の前には、涙目を浮かべたメリーの姿があった。

 何故か? 如何様な理由か?

 それは……、

 

「私達、何をすれば良いの?」

 

 メリーの弱音が、何よりも的確に表現してくれていた。

 そう、私達はある意味迷子と言ってよかった。

 方向性の見えなくて、何をすれば良いのか分からないという意味で。

 

「落ち着いてメリー。

 軽くでいいから深呼吸をしましょう。

 ひぃひぃふー、ひぃひぃふー」

 

「ひぃひぃふー、ひぃひぃふーっ」

 

 ……気分がリラックスできるようにとボケてみたけど、まさか真に受けるとは。

 そこはツッコミを入れるところなのよ、メリー。

 

「うん、ありがとう。

 少し落ち着いたかも」

 

 しかし、そう言ってはにかむメリーに、私は何も言えなかった。

 むしろ、気まずくて目を逸らしちゃうくらいだ。

 

「そう、それは良かったわ」

 

 私は、そう小さく返すので精一杯だった。

 恐るべきはラマーズ式呼吸法か、それともメリーの勘違いか。

 まぁ、落ち着いたのなら、どちらでも構わないのだけれど。

 

「じゃあ、これからのことを決めましょう」

 

 だから、少し前の空気を吹き飛ばすように、私は明るく提案する。

 ツッコミを入れられないボケなんて、無かったも同然なのだ。

 

「そう、だね。

 これからどうしよっか」

 

 メリーが考え始める。

 ウンウンと唸りながら、どうしようどうしよう、と。

 私も頭を回そうとして、横目でメリーを見ると、ふと、思いついたことがあった。

 

「ねえ、メリー」

 

「何? 蓮子」

 

 何か思いついたの? とこっちを見たメリーの目が語っていた。

 上目遣いで、私を見るようにして。

 

「まぁね、聞いてくれる?」

 

「勿論!」

 

 メリーの元気な声に反応して、私まで気分が明るくなる気がしてくる。

 だから、割と気安く、私はメリーに話しを明かした。

 

「何もね、教授が行方不明なのは、メリーのせいじゃないかもしれないじゃない。

 だからそれを確かめに行きましょう?」

 

「……どうやって?」

 

 きょとんと、メリーが首を傾げる。

 一々可愛い、うん、流石はメリーだ。

 そんなことを考えつつ、私はメリーに告げた。

 

「ここ何日か、教授が誰に会ってたのかを調べましょう?

 教授、基本は大学の中に篭ってるみたいだし、聞いてまわれば何か分かるよ、きっと」

 

 研究の虫と化していた教授は、自分の研究室から出ることが極端に少なかったそうな。

 ならば、教授が大学で誰と会っていたかなんて、簡単に分かってしまうだろうから。

 

「良い? これで」

 

 私がメリーを見て尋ねると、彼女はうん、と真面目な顔で頷いていて。

 

「ありがとう蓮子。

 早速調べに行きましょう」

 

 ”何時も何時もありがとう、蓮子”

 そんな言葉が聞こえた気がしたが、恥ずかしいし、わざわざ返す必要を感じなかった。

 だから、私は足を進めるのを早める。

 早く調べてしまおう、そうしよう。

 

 

 

 私達は大学内を聞いて回った。

 教授の研究室近辺から、教授のゼミ生を捕まえたりして。

 そうして、私達が調べた結果として分かったこと。

 まず、それを整頓しよう。

 

「1、教授はごくごく普段通りに過ごしていたこと」

 

 特に変わったところは無かったそうな。

 強いて言えば、元から変人じみたところがあったくらい。

 

「2、特に誰かが会いに来たということも、無かったということ」

 

 来客は、特には見られなかったそうな。

 受付の人に無理やり聞き出しても、やはり誰とも会ってなどいないということ。

 

「3、特にトラブルなんて、無かったということ」

 

 誰かと口論していた、みたいな分かりやすいことは無かったらしい。

 その他の事も、特に問題なんて見当たらない。

 

 以上の点から見受けられること、それは……。

 

「完全に手詰まりね」

 

 困ったことに(と言うと語弊があるけれど)、本当につつがなく教授は過ごしていたらしい。

 そして、そんな彼に何時もと違うことがあったとすれば……。

 

「やっぱり、私が原因みたいね」

 

 複雑な表情で、メリーがそう呟いていた。

 私も、それを否定できなくなっていた。

 教授は、私達と話を設けた以外は、本当に何時も通りだったみたいだから。

 

「以前から、何かあったのかもしれないわ」

 

「そうかもしれないわ。

 でも、それを言うならわざわざ大学内を調べた意味が無くなっちゃうわ」

 

 とっさに励ましの言葉を送るが、ものの見事に失敗する。

 グッと言葉に詰まってしまったのだから、失敗したと言っても過言ではないだろう。

 

「どうしよっか、蓮子」

 

 どこか疲れた顔で、メリーはそんなことを言う。

 困ったな、困ったな、というのが、直に伝わってくるのだ。

 

 ――これは……今日はもう無理そうね。

 

 と、そんな判断を私は下して。

 

「今日は帰りましょう、メリー」

 

「蓮子?」

 

「明日は明日の風が吹くの。

 今日の風向きが悪いなら、黙ってやり過ごせばいいの」

 

 私が言い切ると、ほんの少しだけだけれど、メリーは笑ってくれて。

 

「如何にも、蓮子って感じがするわ」

 

「お褒めいただき恐悦至極ってね」

 

 わざと大仰に言うと、メリーはクスクスと声を漏らす。

 ……良かった、ちょっとだけれど、元気が出たみたい。

 

「分かったわ、今日のところは帰りましょう」

 

「続きはまた明日」

 

 うん、と頷き合って、私達は帰路につく。

 これはさて、これからどうなるのだろう。

 見えない迷路に居る気がして、どこか居心地の悪さを、私は覚えた。

 

 

 

 

 

「蒼崎橙子、今はどこにいるか分かる?」

 

「何故か携帯に繋がらない。

 困ったね、本当に」

 

 どうしたものか、と考えこんでいる両儀さん。

 尾っぽをつかもうとすると、スルリと抜けられる辺り、封印指定の魔術師らしいと思ってしまう。

 私が勝手に思っているだけなのだけれど。

 

「一旦、大学に戻りましょう。

 最悪、メモの一つや言伝を残せば良いし」

 

 だから私は、姿の見えない魔術師に、ベターな選択を選ぶ。

 行き違いになるのも馬鹿らしいし、何より必ずメッセージは伝わるであろうから。

 

「うん、確かにそれが確実だね」

 

 両儀さんの賛同も得たことなので、早速大学への道を戻ることにする。

 その道中で、少しばかりのお話も交えながら。

 

「蒼崎橙子、彼女が新しく作った人形とか、何かあるの?」

 

「あるけど、全部競売用のやつばかりだね」

 

 会話の内容は、ちょっとした世間話。

 趣味が幾分にも含まれているのは、確かに否定が出来ない。

 でも、共通の話題であるのだし、そちらの方が会話は広がるというものだ。

 

「売りに出すのね……幾らなのかしら」

 

 もし手が届きそうならば、買ってみるのも手であるだろう。

 勿論、生半可な値段であることは間違いないのだが。

 

「場合によっては数百万だね。

 でも時々、数千万の値が付くこともあったね」

 

「数、百万」

 

 それで手が届くなら、と思ってしまう。

 それだけ、彼女の人形は精巧で魅せられる。

 つい、頭の中で計算を始めてしまう。

 私の財産と、彼女の人形の価値を吊り合わせて。

 

「……橙子さんにしろ、マーガトロイドさんにしろ、自分の分野には眼の色が変わるね」

 

 どこか呆れたふうに、両儀さんが評しているのが聞こえる。

 しかし、それこそ私達からすれば愚問である。

 

「魔術師というのはね、究極的な趣味人でもあるの。

 だから、自分の目指す分野や、何か手助けになりそうなものには存分に投資するものよ」

 

 普段は豪遊するつもりなど無い私も、これは、と言うものには思わず散財してしまう。

 魔術的なものなど、多少はコストが掛かっても、つい手を伸ばしてしまうのだ。

 一応、相応の資産を私は有しているから。

 

「それで何度、橙子さんに困らせられたか」

 

 嘆いている両儀さんに、あぁ、それで、と彼の境遇が理解できた。

 要するに、蒼崎橙子は欲しい物を手に入れたあと、彼の給料を支払う能力を損失していたのだろう。

 両儀さんにとって、それは悪夢に違いない。

 蒼崎橙子の気持ちも、魔術師的な視点から見れば理解できるが、それでも筋は通すべきだと、そう思ってしまう。

 やっぱり、繊細な手付きとは違って、現金管理の方は、大きくアバウトにすぎるようだ。

 

「就職先、今度からは選ぶことね」

 

「そこに魅力を感じたらね」

 

 ……存外、この人は自由人なのかもしれない。

 真面目一徹、なだけではないらしい。

 

「それより、君が作る人形はどんなモノなのかな」

 

 人形の話をしていたからか、私にも尋ねてくる両儀さん。

 私も興が乗っていたので、喜んで話すことにする。

 というか、聞かれると、存外に嬉しいものがある。

 

「私の人形は、基本は女の子が持っているお人形さんの形ね」

 

「この前、末那に見せてくれたものだね」

 

「そう、アレが私の人形よ」

 

 人形、お人形さん。

 ドールショップなどに赴くと、よく目にできる子たち。

 とっても可愛く、私が大好きなモノ。

 

「私のは、ただのお人形さんじゃなくて、マリオネット用にチューニングしているけれど」

 

 無論、それだけでなく、魔術的なギミックも幾つか仕込んでいる。

 例えば、私の魔力で編まれた糸に反応して、思うがままに動くようにしていたり。

 攻撃、防御、回避などの簡易プログラムを仕込んでいたり。

 魔力を人形に浸透させることで、感覚を一体にすることも出来たり。

 けど、両儀さんに原理を説いても、その半分も理解できないだろうから、特に言うことなんて無いけれど。

 

「そのまま、少し弄れば人形劇にも使えるわ」

 

 私は”糸”を使えるから、本来は使わなくても済む。

 けど、一般人に見せる時には、やはり普通の糸を使うから、必要なギミックなのだけれど。

 

「色々と出来るようにしてるんだね」

 

 関心したような両儀さんの声。

 だから調子に乗って、私はバッグから上海を取り出す。

 両儀さん以外は誰も見ていないから、糸を使って手を振らせてみる。

 ……可愛い。

 

「本当に良く出来てるよ。

 ちょっと貸してもらっても良いかな?」

 

「どうぞ、落とさないでね」

 

 両儀さんに上海を手渡す。

 フンフンと言いながら、両儀さんは上海の関節を動かしたり、感触を確かめたりしていた。

 そうして、彼が上海の髪に触った時、ピタリと動きを止めた。

 ……触れば、分かるものなのね。

 両儀さんが何故動きを止めたか、私は分かってしまう。

 恐らくは、十中八九質問されることも。

 

「マーガトロイドさん」

 

「何かしら?」

 

 ほら、やっぱり。

 それだけびっくりしたってことだろうけれど。

 

「この髪って……本物?」

 

「えぇ、本物よ」

 

 びっくりしたように、上海を見つめる両儀さん。

 でも、魔術師の女の髪には、魔力が宿るものだから。

 私が人形という触媒を利用するのに、これ以上ない程のモノなのだ。

 

 私が自作した人形は、大抵が私の髪が使用されている。

 私の髪型がショートボブにしてあるのには、そういう理由もあるのだ。

 今も遠坂の家には、私の切った髪が、保管されている。

 

「君も魔術師だって、すごくわかったよ」

 

「分かりやすさで言えば、確かにダントツではあるわね」

 

 納得したように首肯している両儀さんに、私は肯定をする。

 女の髪を魔術に使う、まるで物語に登場する魔女のようでもあるから。

 

「でも、君が人形を大切にしている理由、わかった気がするよ」

 

「あら、何かしら?」

 

 どこかストンと落ちたように、両儀さんが頷いていたので、彼がどう読み取ったのかに、耳を傾ける。

 もしかしたら、何か面白い意見を聞けるかもしれないから。

 

「君にとって人形は、自分の一部なんじゃないかな?」

 

「へぇ」

 

 人形が私の一部。

 言われてみれば、そうかもしれないと思う自分が居ている。

 あながち、間違っていないようにも感じるから。

 

「自分の一部を人形に使用している。

 それはとっても重たいことだと思うよ。

 それだけ、思い入れがあるということだからね」

 

 両儀さんは、一つ一つをゆったりとした口調で言う。

 上海を触る手付きも、心なしかさっきよりも丁寧に感じて。

 故に、胸に留めるに値する言葉だと、そう思った。

 

「思い入れがあるのは確かね」

 

 両儀さんの手から、上海を受け取る。

 そうして上海の髪を、大事に、大事に撫でる。

 確かに、この子達は私にとって、とても大切なモノだから。

 特に上海と蓬莱への思い入れは、とても大きなものがあるから。

 

「確かに、私と人形は繋がっているわね」

 

 だから、私は認めていた。

 私と人形、もう切っても切り離せないほど深くに交わっているから。

 

「君は君、人形は人形。

 考えることまで、人形にならなくても良いと思うけど」

 

「そうね、確かに別々で居るべきでしょうね」

 

 私は人形を自律させようとしている。

 人形と重なり合うことは望んではいない。

 だけれど、それでも――私は思う。

 

「だけど、重なり合わなくても繋がることは出来るの。

 通じ合えるって、そう思うわ。

 だから私は、この子達と一緒に居るのよ」

 

 言い切ると、両儀さんはどこか優しく微笑んでいて。

 そうしたら急に、恥ずかしさが沸き上がってきた。

 

「君は、人形がすごく好きなんだね」

 

「愛してると言っても過言ではないわ」

 

 でも、私は両儀さんの言葉に、臆面もなく言い返す。

 事実をただ正しく、思うがままに。

 気持ちを込めて、両手を胸に合わせて。

 

「成程、君の人形への執着は、橙子さんを超えている」

 

「光栄なことね」

 

 参った、と両儀さんは肩をすくめていた。

 そして私は、それにどこかフッと笑みを浮かべて、どこか誇らしくもある気持ちだった。

 

「大学、見えたよ」

 

 両儀さんの言葉に従って顔を上げると、そこはもう大学。

 何時の間にか戻っていたようだ。

 

「さ、行くよ」

 

「了解しているわ」

 

 彼の言葉に従って、その背中に着いて行く。

 

 ――答えはもうすぐ、見つかりかけてて。

 

 

 

 

 

「メリー、気分はどう?」

 

「悪くはないわ、蓮子」

 

 翌日、私達はまた大学に来ていた。

 時間帯は昼、午前に出られなかったのは、お泊りの準備をしていたから。

 今度こそ、何か手掛かりを見つけようとして、気合を入れてきてるのだ。

 

 教授の行方、そして居なくなった理由。

 今日こそ、それを見つけてみせる!

 そんな意気込みであった。

 

「今日は何か見つかると思う?」

 

「わからないわ」

 

 先のことは見えない。

 これからどうなるのか、そんなことは分からない。

 でも、きっと見つかると、心で信じているから。

 だから私達はここに来たんだと、そう思っている。

 

「メリー」

 

「今から蒼崎さんに会いに行くわ」

 

 どうするか聞こうと思った所で、的確に答えを渡してくれるメリー。

 うん、ちゃんとしっかりしている。

 これなら今日は大丈夫だと、心で理解できた。

 

「じゃ、まずは受付に」

 

「そうね、行きましょう」

 

 そしてそこに向かって、そこで見たものは……。

 

「じゃあ、蒼崎さんには、よく伝えてください」

 

「はい、承りました」

 

 そこには男の人と、綺麗な金髪の女の子が一人、立っていた。

 メリーを見慣れていても、現実離れしている光景に見える彼女。

 でも、今はそこが問題ではない。

 確か男の人、さっき何て――。

 

「蒼崎さん?」

 

 メリーも一緒の事を思ったようで、同じような言葉を漏らしていた。

 そうして、ピクリと反応したのは、金髪の女の子の方。

 びっくりするほどの早さで、私達の方を向いて。

 そして……、

 

「いま、蒼崎って言ったの?」

 

 真剣な顔で、そんな問いかけをしてきたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『小噺 コペンハーゲン物語 挙動不審なあかいあくま 泰然自若な桜』

 

 

 

「ねぇ、衛宮君」

 

 俺の目の前には、フフッと優雅に笑みを零している穂群原学園のマドンナ、遠坂凛の姿があった。

 バイト中で、同じ厨房に立っている俺達。

 その姿は、見る人を魅了する魅力があったが、目の前で見ていると、何故か遠坂がキレていることが、如実に伝わってくるのだ。

 

「あれ、何?」

 

 指は指さず、視線だけを寄越す彼女。

 その先には……桜が居た。

 

「桜、だけ、ど」

 

 声に出すと、段々と遠坂の笑みが深まっていって。

 段々と危険が増しているのが理解できて、冷や汗が止まらなくなる。

 

「へぇ、嫁を職場に連れてくるなんて、良いご身分ね」

 

「えっ、いや、そんなんじゃ……」

 

 怖い、果てしなく目の前の遠坂が恐ろしい。

 しかし、どうして遠坂がキレているのか、全く見当がつかない。

 ……特にヤラカシタ覚えもないし、桜だってそんな迂闊なことはしないだろう。

 

 では何故?

 ……もしかして、僻んでいるとか?

 

 ――直後、遠坂が無言で壁に俺を押し付ける。

 

 凄い笑顔で、しかし何よりも恐ろしい顔が、直ぐ傍に存在していた。

 普段だったら、ドキドキするのだろうが、今はとてもそんな気分にはなれない。

 

「何か失礼なことを考えなかった?」

 

「イエ、ゼンゼンソンナコトハナイデス」

 

 妙な直感も持ち合わせているらしい。

 威圧感がさっきよりも増しているように感じる。

 

「な、何を怒ってるんだよ、遠坂」

 

「分からない?

 えぇ、分からないでしょうね!」

 

「えぇ!?」

 

 顔が引きつるのを自覚する。

 自己完結してしまっていて、聞く耳を持っていなさそうな遠坂。

 これは、問答無用で断罪されそうな勢いである。

 

「ま、待てって。

 桜の事で何かを怒ってるのか?」

 

 俺が慌ててそう訊くと、遠坂はピタリ、と動きを止めた。

 そして、俺のことをじぃっと見ていた。

 

「これから質問するわ。

 正直に答えなさい。

 嘘を言えば、ころ……転ばすわよ」

 

「今何て言おうとしたんだ!?」

 

 ころ、ころ……殺す?

 背筋がスぅッと、冷たくなって行くのを感じる。

 やばい、そう本能と脳味噌の両方が訴えてきている。

 

「何でもないわ、な・ん・で・も・ねっ!」

 

「ハイワカリマシタ」

 

 ここはおとなしく遠坂の言う事を聞くのが吉。

 そう考えて、大人しく遠坂の言葉の続きを待つ。

 すると遠坂が、軽く息を吐いてから要件を語り始めた。

 

「……あの娘、桜の事よ」

 

「桜がどうかしたのか?」

 

 俺が疑問を訊ねると、遠坂は思案顔になり、そして溜息を吐いてから話し始めた。

 

「毎日来てるわ」

 

「そうだな」

 

 こともなさげに肯定すると、何故だか睨まれた。

 何故、と首を傾げていると、遠坂は俺を睨みながらも話を続ける。

 

「えっと、その、何て言うかな」

 

 妙に言い淀んでいる遠坂。

 何かを言いにくげに、しかし何かを言いたげに。

 ……だから、大よその想像を働かして、遠坂に問いかけたのだ。

 

「桜……もしかして邪魔か?」

 

「そうじゃないわっ!

 そうじゃないけど――あーっ、もうっ!」

 

 唐突に、噴火する。

 何時もしているツインテールを揺れ動かしながら、遠坂が吼える。

 

「もうっ、衛宮君!

 桜から何か聞いてないの!?」

 

「何かって、何を?」

 

 意味が分からずに、オウム返しに聞くと、うぅ、と呻きながら遠坂は沈黙してしまった。

 何だろう、と考えてみるが、全く分からない。

 精々、会話の前後から分かることは、桜と遠坂の間には何かあると言う事だ。

 

「何か、あるのか?」

 

 お前と桜の間に、とは声にしなくても遠坂には伝わっていたらしい。

 考えるように顔をしかめて、そうして一言、こんな事を言った。

 

「桜に聞いて。

 あの子が話したら、それを信じてあげて。

 ……それだけ」

 

 遠坂はそれだけ言い終えると、そそくさと表に出て行ってしまった。

 ……残されたのは、結局謎だけ。

 

「一体何があるんだろう」

 

「ま、何があってもさ」

 

「っへ?」

 

 唐突にした声。

 振り向くとそこにはネコさんの姿。

 彼女はにんまりと笑っていて。

 

「エミやんと凛ちゃん、近かったねぇ」

 

 にまにましながら、ネコさんが俺に言う。

 だから俺は、毎度の如く、訂正するのだ。

 

「やましい事なんて、全く無いです」

 

「そうだといいけどねぇ」

 

 あはは、と笑いながら、軽やかにこの場を去っていくネコさん。

 はぁ、と思わず溜息をついてしまったのは、仕方の無い事だと、俺はそう思う。

 

「まさか、エミやんが凛ちゃんに壁ドンされてるのが見られるにゃんてなぁ」

 

 去り際に、そんなネコさんの声が、どこからか聞こえて。

 びっくりしたように桜が、俺を見たのだ。

 

「ち、違うからな?」

 

「はい、分かってますよ、先輩」

 

 慌てて彼女に言い訳すると、桜は優しく微笑んで。

 そうして、小さな声で呟いたのだ。

 

「そう言う所、やっぱり不器用ですよね」

 

 何の事か、はっきりとは分からなかったが、桜が遠坂のことを言ってるのだけは、理解できた。

 そうして遠坂を見やると、小さく、舌を出したのが見えた。

 俺か、桜か、それとも両方なのか。

 

「ふふ、ちょっと子供っぽいですね」

 

「だな」

 

 桜が楽しげにそう言って、俺はそれを肯定する。

 だって、今の遠坂は、何て言うかとってもムキになっているように見えるから。

 

「うん、何だか懐かしいです」

 

 桜の横顔が、何かを思いだしているようで。

 俺は、どこかその横顔に魅入られていたのだった。



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第21話 カケラは確かに集まって

 fateアニメ、ついに終わってしまいました(悲しみ)。
 でも、最後のロンドン編はすごくワクワクしましたね!
 誰かロンドン編の二次創作を書きましょう!(満面の笑み)。


「いま、蒼崎って言ったの?」

 

 思わず、私はこちらを見ていた女の子たちに、話しかけていた。

 蒼崎、それは私たちが今、求めている人物であるから。

 

「え、えぇ、そうだけど」

 

 私が問いただすと、目の前の女の子はビックリしたように私を見ていた。

 目を丸くしている、茶髪の活発そうな女の子。

 それから、欧州人であろう金髪のおとなしそうな子。

 その二人が、まじまじと、どこか不安と期待を混ぜあわせて、私の前に立っているのだ。

 そんな目の前の二人に、私は話しかける。

 私も、1割くらいの期待を持って。

 

「私達、蒼崎に用事があるの。

 どこにいるか知らない?」

 

「……私達も蒼崎さんに会いに来たところなんだけど。

 今、居ないの?」

 

「そう、ありがとう」

 

 結果は、大方予測通り。

 僅かながらに残念に思っても、それ以上の事は無い。

 そうそう上手くは事態は進まないようだ。

 

「ねぇ、君達。

 君達は橙子さん、蒼崎さんから何か聞いてないかな?」

 

 私が蒼崎橙子の行方に思いを馳せていると、次に両儀さんが彼女達に質問をする。

 確かに、この時期に蒼崎に会いに来ているのは、何らかの繋がりがあっても不思議ではない。

 私も彼女達に視線を向けると、茶髪の子の方が私達へと答える。

 

「いえ、私達は蒼崎さんに相談に来た側ですから」

 

「相談?」

 

「えぇ、相談です」

 

 何やら、茶髪の子が探るような目をしている。

 私達が探るように、彼女も私達を探っている。

 それが分かるくらい、彼女の視線は露骨であった。

 

 故に、怪しく感じる。

 彼女たちは、何かを知ってるかも知れないから。

 私達が知らない事象を、足りないピースを持っている気がする。

 そして、そう思ったのは私だけじゃ無かったようで……。

 

「あ、あの、すみませんっ」

 

 金髪のおとなしそうな子が、いきなり大声を上げた。

 茶髪の子ばかりが話していたから、そっちに意識がいっていたけれど。

 それでも、この瞬間は大声を上げた彼女に視線を集中させてしまう。

 

「わ、私達も知りたいことがあるんですっ。

 もし貴方達が知っていることがあるなら、そのっ」

 

 緊張しているように見受けられる。

 それだけ、彼女は勇気を出しているということなのだろう。

 その金髪の彼女が、緊張気味に、こう言った。

 

「じょ、情報交換、しませんか?」

 

 震える声での、提案であった。

 焦りと、期待と、その他にも色々な気持ちが垣間見える彼女の声。

 きっと、精一杯に頑張っているのだと、伝わってくる。

 

「良いよ、僕等も渡りに船だし」

 

 両儀さんが、だよね、と視線を寄越してくる。

 それに、私は特に反対もなく頷く。

 だって、今は何よりもピースがほしいから。

 解けない事象を、解決したいと欲が出てきているから。

 

「なら落ち着けるところに行きましょう」

 

 重要な事だから。

 わざわざ立ち話ですることでもないから。

 それに、緊張もほぐしてあげたいから。

 だから、私はそういった。

 

「分かったわ、行きましょうか」

 

 あっさりと提案を飲んだのは、茶髪の子。

 そして私にこっそりと、こう囁いた。

 

「ありがと、助かるわ」

 

 少し、以外に思ってしまう。

 さっきの視線で、猪突な人だと思っていたから。

 でも、意外と目端は効くようだ。

 私の意図も読んだのだろう。

 

「どういたしまして」

 

 だからその感謝は、茶髪の子の認識と共に、しっかりと受け取ることにした。

 今回の情報を聞くにあたって、そういう印象は重要であるから。

 あまり悪感情を抱かれると、聞けることも聞けなくなりそうだったから。

 さて、まずは喫茶店を探さないと。

 

 ……でも、この子達は一体何を蒼崎に相談していたというのか。

 それがひどく気になっていた。

 きっと何らかの関係はあるのだから。

 今回の、私達が追っている事件と……。

 

 

 

「さて、それでだけど」

 

 店に入った私達。

 適当に飲み物の注文をとって、その間に私達は話を始める。

 まずは、彼女達が名前を名乗った。

 それが、打ち解けるための様式といったように。

 

「私は宇佐見蓮子。

 こっちはマエリベリー・ハーン。

 今回は蒼崎さんに、とあることで相談に来ていたの」

 

 自分の名前が紹介されると同時に、頭を下げるハーンさん。

 それに合わせる様にして、宇佐見さんも小さく会釈した。

 頭を下げる二人を確認して、私達も名前を名乗る。

 

「アリス・マーガトロイドよ」

 

「両儀幹也だよ」

 

 よろしく、とは両儀さんの言葉。

 それに便乗するように、私は話を進めていく。

 

「早速なのだけれど、貴女達は蒼崎に何か用があったの?」

 

「えぇ、本当は教授に紹介してもらったんだけれど……」

 

 濁すように、言葉を切らしていく宇佐美さん。

 教授という言葉が出てきて、段々と後ろ切れになっていった声。

 ……だから、まさか、と私は思わざるを得なかった。

 

「行方不明になった、あの?」

 

「知ってるの!?」

 

 驚いたように、宇佐見さんは顔を上げた。

 それに私は頷きつつ、更に彼女達に質問を重ねる。

 

「要件は何?

 蒼崎にどんな用事があったの?」

 

「それは……」

 

 少し言い淀む宇佐見さん。

 何か、話しづらい内容なのか。

 それでも、聞かないと話は進まないのだけれど。

 そう考えていると、宇佐見さんの横合いから、声が聞こえた。

 

「蓮子、これからは私が話すわ」

 

「良いの?

 メリーは大丈夫なの?」

 

「蒼崎さんの知り合いなら、きっと大丈夫だよ」

 

 柔らかに微笑んで、彼女、ハーンさんへと語り手が交代された。

 ぺこりと頭を下げてから話を始めようとしている辺り、すごく生真面目な子の様に感じる。

 

「それでは失礼して、ここからは私が話します」

 

「うん、よろしく頼むよ」

 

 彼女が毅然と言ってみせると、両儀さんが気安げに返事をする。

 そうすると、心なしか力んでいたハーンさんの力が少し抜けたように見えた。

 流石は年の功と言ったところであろうか。 

 ハーンさんは落ち着いて、ゆっくりと話し始めた。

 

「私達が蒼崎さんに会った理由。

 それは私のある能力に関してのことでした」

 

「能力?」

 

 思わず、オウム返しのように聞いてしまう。

 だけれど、それだけに気になる言葉だったから。

 

「そうです、結界が見える程度の能力、です」

 

 そうして、彼女が語った内容は中々に興味深いものであった。

 自分の能力、境遇、よく見る夢など。

 

「不思議な夢に、記憶喪失。

 そして能力、ね」

 

「はい、それらの、自分のことを知るために、蒼崎さんに会ったんです」

 

 ハーンさんの疑問は、確かに気になるものであったのだろう。

 バラバラの事象に、何かを見つけてられそうな不思議さに彩られたもの。

 思わず、その中のピースで物事を考えようとしてしまう。

 

「それで、何かわかったの?」

 

 それが気になって、だから聞いてしまう。

 急に出てきた疑問だけれど、好奇心の虫が疼くのが分かってしまうから。

 

「仮説だけ、ですけれど。

 教授や蒼崎さんが立ててくれたものならあります」

 

「成程」

 

 それは心強いものがある。

 そういう方面に強い人と、腰までどっぷりと浸かった人に聞けば、それなりの回答が得られるであろうから。

 

「それで?」

 

 結果は? と促すと、ハーンさんは続きを語り始めた。

 

「その翌日に、教授が行方不明になったんです……」

 

「あぁ」

 

 望んでいた答えではないけれど、それでも何かが繋がった。

 私達と、彼女達の間で。

 まるで赤い糸が張り巡らされているかのように。

 

「嫌な糸だこと」

 

「え、何ですか?」

 

「何でもないわよ」

 

 思わず零した独り言を切り捨てつつ、私は思索を続ける。

 両儀さんに依頼が来たのは、その教授が行方不明になったから。

 故にそこに彼女達とこちら側とで、関係性が成立している。

 ならば、その切っ掛けになった教授のことについて、もう少し聞くべきであろう。

 

「教授に、何か変わったことはあったかな?」

 

 そして両儀さんも同じ考えだったようで。

 彼女達に、的確な疑問を投げかけたのだ。

 

「えっと、確か蒼崎さんの電話に、面白いことが分かるかもって一報が入れられてました」

 

「面白いこと……」

 

 何か、と両儀さんは考えているようだが、すぐに顔を上げた。

 分かったのだろう、話の流れ的に、答えは一つしかないのだから。

 

「貴方達のことで、何か見つけたのかもしれないわね」

 

「えぇ、恐らくは」

 

 ハーンさんは私に返答をして、そうして悩むように下を向いてしまった。

 それに頭をかしげていると、代わりに宇佐見さんが私達に告げたのだ。

 

「メリーは兎だから、すごくナイーブなのよ」

 

 ……あぁ、そういうことなのね。

 確かに、ハーンさんの様な真面目な人なら、気にしない方がおかしい。

 教授、彼女達のことを調べていて、消えてしまったのだから。

 

「それは」

 

 何かを私は言いかけるが、言葉に詰まってしまう。

 特段彼女が悪いわけではないと告げようとしたが、それで納得できるなら悩んでいないはずだから。

 

「君のせいじゃないよ」

 

 だから、私の代わりに大人の彼(両儀さん)が、彼女に言葉を掛けてくれた。

 それは私が告げるよりも、余程説得力があって。

 人生の軌跡を感じさせられる一言であった。

 

「で、でも、きっかけは私、ですから」

 

「聞いて欲しい、ハーンさん」

 

 これは私が、と続ける彼女に、両儀さんは穏やかな口調で語りかける。

 緩やかに、彼女の心の隙間に風を送るが如く。

 

「人生なんてものは何が起こるか分からないモノなんだ。

 いきなり事故に遭うかもしれないし、ナイフを持って追いかけられることもあるかもしれない」

 

 しっかりとした口調で、されど聞き入らせるように。

 両儀さんの語り口は、しっかりとこの場にいる全員に届いて。

 

「それは自分に起こることも、他人に起こることもある訳なんだ。

 だから、そうなった時にするべきことはね」

 

 皆、真剣に聞いている。

 それだけの魔力を、今の両儀さんは持っていた。

 

「腐らずに、まずは自分ができることをする。

 そして転機が訪れたら、その時の話を誰かにしてみれば良いよ。

 それが、僕の経験則かな」

 

 するりと、どこにでもあるような正論な言葉が、胸に滑り込んでくる。

 納得をもたらす様な、実感を伴った話だからか。

 それも、それが今すべき最善の事だから。

 だから、私は深い納得を得ることができた。

 

「だから、さ」

 

 そして、最後の念押しのように、両儀さんはハーンさんに告げていた。

 

「教授を見つけて、それから話を聞くことにしようか」

 

「……はい」

 

 決定打であった。

 異論の余地を挟むこともできないくらいに。

 それも、正論であるのにイヤミがなくて。

 ハーンさんは、しっかりと両儀さんを見ていた。

 頑張る、と目に言葉が宿っているがように。

 

「ありがとうございます」

 

 頭を下げたのは、宇佐見さん。

 私はまじまじとその頭を眺めていたが、両儀さんがそれを止めさせる。

 

「お礼を言って貰えることなんてしてないよ。

 普通のことを言っただけだからね」

 

「それでも、ありがとうございました」

 

 繰り返した宇佐見さんに、びっくりしていたハーンさんも彼女に続いた。

 

「私からも、ありがとうございました」

 

 二人の女の子に頭を下げられて、両儀さんはどこか居心地悪そうにしていて。

 そうして困ったかの様に、視線を彷徨わせている。

 困惑の中で中で、私に目を向けてきた両儀さん。

 そんな彼に、私は少し笑ってしまったのだった。

 

 

 

 

 

「ふむ、成程」

 

 ある場所に、女は佇んでいた。

 どこか薄暗く、視界が悪い場所。

 トンネルの中、先へと進むと不思議な場所へと誘われそうな空間。

 

「教授め、中々に面白いものを用意していたものだ」

 

 女、蒼崎橙子は、独りごちながら手元の資料を捲り上げる。

 それは、失踪した教授が残していた資料。

 暗がりの中で、しかし彼女の目には然りと内容が入ってくる。

 その内容、中々に興味深いものがあった。

 単なる内容だけではなく、魔術師としての感性としても、だ。

 

「前世、ね。

 魔術には憑依降霊術が存在しているが、これは類似しているといっても良いものか、ふむ」

 

 裸眼で、彼女は資料を読みふける。

 誰もいない、誰も通らないトンネルの中で。

 静かに、黙々と。

 

「前世の記憶。

 アラヤから欠片が溢れているのか、それともどこかに存在する事象が引き起こす幻覚か。

 何にしろ、何らかの介入が起こっているのは違いないが」

 

 口に出して、自ら内容を整理していく。

 教授が残した資料を片手に、そこから読み解けていくものを少しづつ。

 

「マエリベリー・ハーンは何故、記憶を失っていたのか。

 そもそも、彼女はどこから来たのか」

 

 自問自答に近い投げかけ。

 そして答えを返してくれるのは、やはり自分だけであった。

 

「本当に、ハーンは記憶を失っていたのか。

 まさか、妖精にでも化かされているのでは有るまいな。

 ……いや、イギリスでもあるまいし、それは無い」

 

 彼女の脳内は計算機として稼働し、思考の渦が発生していた。

 知識を動員して、何かを探るように考え込んでいる。

 よもや、と更に変わったことすら考えていた。

 

 ――そんな彼女に、後ろから手が伸ばされる。

 

 それは手袋に包まれた、されど品のある手でもあった。

 その手は彼女、蒼崎橙子に触れようとして……。

 しかし、直ぐに何処かへと消えていった。

 何故か、それは如何にも簡単な理由。

 

 ――伸ばされていた手に、ナイフが飛翔していたからだ。

 

 カンッ、と強い音を出して、ナイフはトンネルの壁に弾かれた。

 対象は見えず、空振ったから当然のことでもある。

 

「外したか、式」

 

 顔を上げずに、橙子は言う。

 それに対しての返答は、どこか苛立たしげなものであった。

 

「お前の結界はどうなっている、橙子」

 

「どうやらすり抜けられたようだな」

 

 ピクリとも反応せん。

 その言葉に、更にナイフを投擲した人物、両儀式は苛立ちが増して行くように感じていた。

 

「使えない」

 

 ここのトンネルには現在、人払いの術に加えて、対象が現れたら作動し相手を閉じ込める自立式の監獄のような術式が蠢いている。

 その他にも、nauthiz(ナウシズ)isa(イサ)のルーンまで刻まれていて、それが一種の重力を発生させている。

 それにも拘らず、何事も無かったかのようにあの手は直ぐに引かれて、橙子が仕込んだ網にも引っ掛からなかったのだ。

 

「そう言ってくれるな。

 分かったことも、あるのだからな」

 

「何だ?」

 

 式の問いかけに、彼女は簡素に返答をした。

 

「少なくとも奴、教授を連れ去った人物には、結界が効かないと言う事さ」

 

「私には関係がない話だ」

 

 式が背を翻したのを確認して、橙子もこの場から離れる。

 近くに止めてある自動車へと式と共に乗り、そうして運転を再開する。

 今回の実験で分かった事と、予測を立てながら彼女は戻る。

 現在身を寄せている大学へと。

 情報が組み上がっていくのを、確かに感じながら。

 

 

 

 

 

「私達については、こんなものよ」

 

「そうだったんですね。

 教授が居なくなってから、か」

 

 彼女達から情報を話して貰って、次に私達の事を話した。

 行方不明の教授の足取りを追うことになったこと。

 そして、その足取りは途中で絶えてしまったことなどをだ。

 

「マーガトロイドさん」

 

 そんな中で、私の隣から非難混じりの声が届く。

 振り向くと、真剣な顔をした両儀さんの姿。

 何か? と考えていると、両儀さんは耳打ちで己が内を伝えてくる。

 

「魔術師がどうこうという事、伝えなくて良いのかい?」

 

 あぁ、そういう事か。

 確かに、ハーンさんが私に能力を余さず伝えてくれたのに対して、アンフェアではあるだろう。

 ……しかし、だ。

 

「そう簡単にばらせるものなら、私だって苦労はしないわ」

 

 魔術は、人に知られる事に神秘を失っていく。

 色あせて、俗に堕ちて、そして科学に取って代わられる。

 古びた幼少期の玩具のように、いとも簡単にそうなってしまうのだ。

 

「そういう物なのかな?」

 

「そんなものよ」

 

 私も真剣に返答すると、ため息と共に両儀さんは良いよ、と答えた。

 少々の罪悪感は存在するのではあるが、それでもそれが魔術師のルールであるのだ。

 ……だから、彼女達への説明は、一部をぼかしたものになってしまう。

 

「恐らく、今回の実行犯は教授を何の痕跡もなく拐える人物。

 きっとハーンさんの様に、何か能力を持っている人間の犯行と考えれば良いと思うわ」

 

「メリーのような能力……」

 

 宇佐見さんが、ぼそりと呟いたのが聞こえる。

 それは驚きか、それとも迷いから漏れたものか。

 悩むようにして考え始める宇佐見さん。

 そして、それには気付かないように、ハーンさんがどこかおっかなびっくりに訊いてきた。

 

「それってどんな能力ですか?」

 

 どんな能力、ときたか。

 中々に難しい質問でもある。

 何せ、私にも分かっていないのだから。

 ……だけれど、一応の推測程度ならば可能だ。

 

「恐らくだけれど、何の跡もなく教授を連れ去ったのだから、そういう系統の能力になるわね」

 

「そういう系統?」

 

 ハーンさんが首を傾げている。

 それに応えるが如く、私の返事をする。

 

「そうね、ピンキリだけれど、気配を消す程度の能力とか、目立たなくなる程度の能力とか」

 

 そういう目立たない系統の能力なのであろう。

 移動系統の能力ならば、素早くは動けても目立つことこの上ないであろうから。

 

「それとも、瞬間移動ができるか、だね」

 

 補足説明するように、両儀さんがサラリとそんなことを言った。

 目が点になる……が、言われてみれば、そんなことも有り得るのか。

 説明はつく、があまりに高度すぎるから除外していた考え。

 しかし、ハーンさんの様に、確かな能力者も居るならば、話は変わってくる。

 ……可能性的にあり得る、という風になるのだから。

 

「それはどうしようもないじゃないですか」

 

「そうだね、困ったことにね」

 

 宇佐見さんがいつの間にか顔を上げていて、そうして拗ねた風にそんなことを言う。

 確かに、それだと何時までも解決できない事になってしまうから。

 それでは困る、と宇佐見さんが考えるのは当然の事であろう。

 

「だから、そういう時は、専門家に頼むのが一番だね」

 

「それって誰のことですか?」

 

「橙子さん」

 

「あぁ、そういうの専門らしいですからね」

 

 両儀さんと宇佐見さんの会話。

 何にしろ、今は蒼崎橙子を待っているこの状況。

 動かすとなれば、彼女が動かすことになるのか。

 ――それとも、私達が自力で動かして見せるのか。

 さて、はて、確実なのは蒼崎橙子を待っていることなのだけれど……。

 

「両儀さん、蒼崎橙子とは、まだ連絡が取れないのかしら?」

 

「ちょっと待って」

 

 両儀さんは携帯を弄る。

 何をしているかはわからないが、ボタンをポチポチと。

 そうして、携帯の着信音が鳴り響き始める。

 僅かな緊張感が、着信音が鳴り響く間には存在していた。

 そうして、暫く携帯に耳を当てていた両儀さんは、ダメだという風に首を振った。

 

「繋がらない、圏外だってさ」

 

「何をしているのかしら」

 

 調べ物をしているのか、今回の事件のことについて。

 それは有り難くもあるけれど、それでもこのままでは落ち着かない。

 いつ彼女がこちらに戻ってくるのか、とんと検討がつかないのも落ち着かない要因となっている。

 

 

「私達、どうしようか」

 

「どうするって?」

 

 宇佐美さんとハーンさん、二人は所在なさげに会話を始めていた。

 彼女達も、私と同じ気持ちであるのであろう。

 

「蒼崎さんを待ってる?

 それともまた、何かを探し始める?」

 

「そう、ね。

 どうしようか、蓮子」

 

 むぅ、と唸りながらハーンさんは考え事をはじめる。

 それを、どこか和ましげに宇佐見さんが眺めていた。

 仲の良いこと、大変結構ではあるけれど。

 

「ねぇ、両儀さん」

 

 そんな中で、私は気になったことを彼に訊く。

 

「何だい」

 

「今回、存外きな臭いけれど、奥さんの方は何をしてるの?」

 

 問うと、どこか困ったかの様に、彼は笑っていて。

 そういえば、電車の中でこの質問をして、答えて貰ってなかったことを思い出した。

 

「式は……朝おきたら、何時の間にか居なくなってたね。

 式は気まぐれだから、ある意味で何時もの事だと思ってたけれど……」

 

 両儀さんも、訝しげだった。

 むしろ、この状況では、関与を疑わない方がおかしいであろう。

 何かしらを調べているか、それとも戦っているのか。

 それは分からないが、奥さんの方が何かをしているのは確定だと、私はそう考えている。

 

「うん、分かってはいるんだけれどね。

 でも考えても、困ったことに答えは出てこなくてさ。

 だから、取りあえずは式だから大丈夫だって考えることにしてるよ」

 

 目に届くところにいなきゃ心配だけれど。

 そう、小さく呟いた両儀さん。

 この人も、中々に難儀な人である。

 環境か、それとも彼の人徳が余計なモノを引き寄せすぎているのか。

 きっと彼は、これからも悩み続けるのであろう。

 

「さて、何にしろ、蒼崎橙子を――」

 

 待つだけか、とそう言葉を繋げようとしていた。

 だけれども、ふと、気がついてしまったのだ。

 

 ハーンさん達から聞いた憶測では、教授が消えたのは何かに気が付いたから。

 ならば、教授が見つけたことを、蒼崎橙子が分からない、何て道理は存在しない。

 逆に、気付いてしまったから、教授と同じで何処かに連れ去られる可能性の方が高く感じる。

 

「何て、こと」

 

 簡単なことであった。

 それを考えていなかったのは、蒼崎橙子に会えると、浮かれていたから?

 どちらにしろ、蒼崎橙子への携帯には繋がらない。

 それが、余計に可能性を増大させているように感じてしまうのだ。

 何かを知ったから、という論は、的を射ていると思うから。

 タイミング的に、それしか考えられなかったから。

 だからまずいと、背中が冷たくなっていた。

 

「……両儀さん、蒼崎橙子の行方は分からない?」

 

「橙子さんの?

 残念ながら、電話も繋がらない状況だよ」

 

 本当にどこにいるんだか、という彼の言葉が聞こえてくる。

 本当に、彼女はどこにいるのだろうか。

 それが、非常に問題なのだ。

 

「……何か、問題があったのかい?」

 

 私の雰囲気がおかしいことが分かったのか、両儀さんは真面目な顔で問いただしてきた。

 だから、私は可及的速やかに答えを返す。

 

「教授の次は、蒼崎橙子よ!」

 

 告げると、前の二人は固まったように動かなくなって。

 そうして、焦燥のような表情を浮かべ始めた。

 

「根拠は?」

 

「教授がいなくなったのでしょう?

 それが何よりの根拠よっ」

 

 そうとしか考えられなかった。

 それに、もし勘違いであったとしても、私がお騒がせ娘として怒られれば済む話なのだ。

 だから、今は行動しなくてはならないと、そう痛切に感じる。

 

「場当たり的に行動しても、解決にはならないよ」

 

 しかし、両儀さんは冷静なままであった。

 落ち着けと、オブラートに言われているようなものである。

 そして、確かにそれは正論であって……。

 

「場所、大まかでいいの。

 特定は出来ないかしら?」

 

 だから、無茶ながらにでも、取りあえずは指針を作ることにする。

 どこを探せばいいのか、どうするべきなのであるかを。

 

「そうだね、この辺りで圏外になる場所といえば、山が深くなっているこの辺りかな」

 

 そして両儀さんは、無茶ぶりながらにも、確かに答えてくれたのだ。

 これで、どう行動すれば良いのかが、しっかりと分かる。

 巧遅よりも、今は拙速が勝る時でもある。

 

「行くわ」

 

「もし、橙子さんがこっちに戻ってきた時に、連絡役が必要だよね。

 僕はここに残っているよ。

 あとは……」

 

 両儀さんは、固まっている二人に目を向けた。

 そうすると、彼女達を固めていた氷が、みるみると溶けていくように彼女達は動き出す。

 

「行くわ、私達も連れて行って!」

 

「何が起こるかはわからないわよ?」

 

「大丈夫よ、蒼崎さんからのお墨付きがあるわ!」

 

 一応の警告をすると、答えた宇佐見さんは勢いよく答えた。

 お墨付きが何なのかは気になるが、今は聞いている暇などない。

 最悪のケースを想像すると、事態は一刻を争うから。

 

「マーガトロイドさん、私達は大丈夫です。

 保証しますから行きましょう」

 

「分かったわ、では急ぎましょう」

 

 ハーンさんの肯定を受けて、私達は急いで店を出ようとすると、後ろから待ったの声が掛けられる。

 ……両儀さんの声であった。

 

「僕が留守番していても、君達に連絡が取れなきゃ意味がないよ。

 誰か、僕に携帯電話の番号を教えて」

 

「は、はい、なら私が」

 

 慌てて、宇佐見さんが番号を言う。

 それを聞いて、両儀さんは一つ頷いた。

 

「分かった、その番号に連絡する。

 それじゃあ、みんな気をつけて」

 

「えぇ、そちらもよろしく」

 

 そうして、私達は店を飛び出した。

 最寄りのバス停へと向かう。

 両儀さんが示した場所へと向かうために。

 

「……今は、蒼崎さんを見つけ出さないと」

 

 自分に言い聞かせるような、ハーンさんの声が聞こえる。

 強く気を持とうと、そんな努力を滲ませながら。

 

「えぇ、見つけてから、心配しましたって不満顔で言ってやるわ」

 

 それを支えるように、宇佐見さんがハーンさんに言葉を掛けていた。

 二人は支えあっている。

 それは、人の文字そのものの様に。

 

「蒼崎橙子ほどの人なら、存外返り討ちにしてるかもしれないわよ」

 

 だから、私も気休めを言う。

 言霊、なんてものがあるらしいから。

 気休めでも、世界に響けば何かあるかもしれないから。

 

 二人は、私の言葉に、少し笑って……。

 だから、きっと何とかなると、私も思うことにする。

 

「信じるものは救われるそうよ。

 今は祈りを捧げましょう」

 

 行動とともに、願望も強く込めて。

 ――私達は、蒼崎橙子を探し始める。




橙子さんのルーンについて、良く分からなかったから、kanpanさんの「ランサーとバゼットのルーン魔術講座」を元にして、勝手にこれとこれを組み合わせるとこうなる? と独自解釈いたしました。間違っていたのならば、訂正しますので是非ご指摘ください。

それから、テンポ的に今回は冬木市組を入れる場面でもないなぁ、と思ったので、最後のおまけはお休みです。


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第22話 虚像が形をなしていき

 私達はバスに乗ってる。

 焦燥感に苛まれながら、それでも一定の速度でバスは進んでいく。

 早くと願っても、願えば願うほどに時は遅く感じられて、余計にヤキモキが酷くなってしまう。

 

 それを紛らわそうとチラリと横目を向ければ、ひどく落ち着かない様子のメリーと、表面上は何も変わらないマーガトロイドさんの姿。

 しかし、落ち着いている様子のマーガトロイドさんも、膝の上で指をトントンと何度も叩いている。

 表情には出ていなくても、それだけ焦っているんだって、そう思う。

 そうしたもどかしさの中で、私はそれを打破しようと、もしくは誤魔化そうとして、マーガトロイドさんに声をかけた。

 

「マーガトロイドさんは、蒼崎さんにどこで知り合ったの?」

 

「私はまだ会ったことがないの」

 

「……へ?」

 

 話題にし易い共通の人物。

 その話題を振ったつもりが、最初からエラーを投げてしまったらしい。

 思わぬ暴投であった。

 

「会ったこと、無いんですか?」

 

「えぇ、お話だけなら、何度も伺っているのだけれどね」

 

 メリーがビックリしたように話しかければ、マーガトロイドさんはキッパリと言い切った。

 彼女の話しぶりから、何か執着でもあるんじゃないかと思っていただけに、予想外の展開である。

 

「蒼崎さんの話って、どんなのを聞いてたの?」

 

 ならば、と私は話題転換に乗り出す。

 一回逸れたからって、それでめげていては会話は続かないのだから。

 

「彼女、人形師なのよ。

 その筋では、かなり有名人よ」

 

 そして、見事にマーガトロイドさんは乗ってくれた。

 よし、このままで行こう。

 

「人形師?

 お人形さんを蒼崎さんは作ってるんですか?」

 

 メリーの声、ひどく驚いている。

 蒼崎さんが人形を……。

 確かに、想像するとかなりのシュールさが伴っているようにも感じる。

 蒼崎さんが、ウフフと笑いながらメガネを光らして人形を作っている姿。

 想像すると、何だか危なげなものが存在しているようにも感じるから。

 

「貴方達は何を想像しているのかしら」

 

 どこか呆れたような、マーガトロイドさんの声が届く。

 だけれど、仕方ないと思うんだ、私は。

 だって、蒼崎さんがリカちゃん人形を笑顔で拵えていると想像すると……色々と、キツイ。

 

「……蒼崎さんは、少女趣味なんですか?」

 

 恐る恐るに、メリーがマーガトロイドさんに声を掛けていた。

 怖いけれど、気になって仕方がないと言う風に。

 その気持はすごく分かる。

 怖いもの見たさというやつだ。

 

「はぁ、蒼崎の人形は基本的に精巧な、まるで生きているかのような等身大の人形よ。

 貴方達の想像してるでしょう人形とは、また別のもの」

 

 そ、そっか……。

 良かったと思う反面、何だか残念に思っている自分が居た。

 何を残念に思ってしまったのか……それはきっと考えてはいけないことなのだろう。

 

「等身大の……人形」

 

 メリーが、何だか意味ありげに顔を赤くしている。

 一体どうしたというのだろうか。

 

「メリー、もしかして気分が悪いの?」

 

 メリーはすごく緊張してたから、それが元で体調を崩してしまったのかもしれない。

 それを考えると、心配が止まらなくなりそう。

 ……だけれど、メリーは首をブンブンと勢い良く振って否定する。

 

「違うの、蓮子っ。

 何でも無いんだよ、本当よ!」

 

 違うよ、私そんなんじゃないよ、と涙目で訴えてくるメリー……可愛い。

 でも、何が違うのか、それが私には分からないのだ。

 

「あぁ、成程」

 

 しかし、マーガトロイドさんは納得したように呟いて、呆れた表情を浮かべていた。

 そして、メリーの耳元にマーガトロイドさんが口元を近づけて。

 

「――――」

 

 小さく、何かを囁いていた。

 

「ち、違いますっ。

 私、そのっ」

 

「そう、それなら滅多なことは考えないことね」

 

 うぅ、と呻いているメリーは、顔を真っ赤にしている。

 私には、何がなんだか分からない。

 だから気になった、彼女達の仲で分かり合っていることが。

 

「メリー、何なの?」

 

「い、言えないよ、こんなこと」

 

「何よ、それは」

 

 何故だか拒否される。

 酷い、私達は一心同体なのに。

 隠されると、余計に気になるというのに。

 

「マーガトロイドさんも、絶対に言っちゃダメですからね!」

 

 しかも念押ししているし。

 メリーめ、何を思っていたのか。

 

「マーガトロイドさん、教えてもらえない?」

 

「だ、ダメですっ」

 

 私とメリー、二人でマーガトロイドさんを見つめる。

 さぁ、どっちに付くのかと。

 

「……さて、どうしたものかしらね」

 

 マーガトロイドさんは意味深長に笑っていた。

 楽しんでいるんだって、それが分かりやすい形で伝わってくる。

 もぅ、と私とメリーもムッとしている。

 でも、このまま誤魔化すなんて認めない。

 さぁ、どっちに付くかを決めなさい!

 

「少し、考えてみたらどう?」

 

「そういう問題じゃないよ、私が気にしてるのは」

 

 誤魔化すように、しかして楽しんでいるマーガトロイドさんの言葉を、私は一蹴する。

 そう、何も私は内容が気になっているんじゃない。

 メリーが、私に隠し事をしているのが気に入らないんだ。

 

「……蓮子、そういうの、プライバシーの侵害なんだから」

 

 うぅ、と唸りながら、メリーは私を上目遣いで威嚇していた。

 メリーの目が、それ以上訊いたら酷いんだから! と語っている。

 むぅ、可愛いけど、これはそういう問題じゃないのに……。

 

「私にも話せないことなの?」

 

「蓮子だから、話せないの」

 

「どうしてよ」

 

 メリー、妙なところで頑固だから困ってしまう。

 多分今も、すごく意固地になってる。

 言葉の節々からそれが見えて、だから私も躍起になってしまうのだ。

 

「だって……」

 

「だって?」

 

 何だというのか。

 意地悪、意地悪! とメリーの目が訴えている。

 今は、口よりも目の方が、メリーは多弁になっている。

 それをしっかりと分かりつつも、私は目より口を動くのを待っていた。

 ……そして。

 

「れ、蓮子、きっと笑って私を馬鹿にするから」

 

「え?」

 

 私が、馬鹿にする?

 ――あぁ、そういう事か。

 メリーの口振りから、身振りから、私はようやく腑に落ちることができた。

 

 単に、メリーが無駄に想像力豊かなところを働かして、妙な妄想でもしたんだろう。

 だから、その内容を知られたら、馬鹿にされるとでも思ったのか。

 ……流石はメリー、よく分かっている。

 

「私、ばかになんてしないよ?」

 

「嘘言ってる!

 すごく棒読みになってるわ、蓮子!」

 

 やっぱり、と目を釣り上げるメリー。

 でも、そう言われても、メリーの面白妄想の内容が気になってしまう。

 だって、メリーをからかいたいのだから!

 

「マーガトロイドさん」

 

 だから、揺さぶりを掛けるために、私は事情を言い当てたのであろう、マーガトロイドさんに目を向ける。

 ……そしてそこには、すごく呆れた顔をしているマーガトロイドさんが。

 

「な、何?」

 

「いえ、別に」

 

 言葉を濁して、でもやっぱり、といった感じに、マーガトロイドさんは口を動かした。

 

「見ていて飽きないわね、貴方達」

 

「メリーと私、昔からのコンビだからね。

 伝統芸能と言っても差し支えないわ」

 

「私たち芸人じゃないよ」

 

 マーガトロイドさんの言葉に、胸を張って私は答える。

 メリーは、どこか的外れの言い訳をしているけれど。

 そんな私達を、やっぱりマーガトロイドさんは呆れた目で見続けていて。

 でも、その目がどこか私達は擽ったく感じていた。

 

「全く、気が抜けることね」

 

 脱力気味に、マーガトロイドさんがそう零して。

 アハハ、と私とメリーは互いに苦笑じみたモノを浮かべて。

 そうして、気付く。

 

 ――あれ、緊張、どこかに行ってる?

 

 あれ程あった焦燥感も、嫌な気持ちも、どこかに旅に出ていた。

 まるで、探さないでくださいと置き手紙をしてあるかのように。

 

「どうしたの、蓮子?」

 

 おっとりとした、メリーの訪ね声。

 それで、分かった。

 ――何時も通りって、結構重要なことなのね。

 

 首を傾げているメリーを見て、つくづくそう思った。

 そんな中で、バスは確実に、目的地へと近づいて行っていた。

 

 

 

 

 

「ん?」

 

「何だ、式」

 

 車中、運転中に式が何かを気にするように、すれ違ったバスに目をやっていた。

 じぃ、とそれは蟻地獄を観察するのにも似た視線であった。

 しかし、目をやっていたのもつかの間で。

 どうでも良さげに、彼女は顔をバスから離した。

 単に移動しているから、物理的に不可能なのもあったのであろうが。

 

「いや、どこかで見知った気配がしただけ」

 

「縁、と言う奴か」

 

 成程、と呟きながら、橙子は車のスピードを緩めない。

 さて、何が起こっているのか。

 橙子はそれを考えていた。

 

 このままでは、恐らく教授は見つからない。

 自らを撒き餌にして誘き寄せたが、同じ手は通用しまい。

 次は、式と分断されるであろう。

 

 ならば、どうするべきであるか?

 これまでの相手の行動を鑑みるに、相手は推測と憶測を積み立てている相手を消していっているように思える。

 

 ――何の憶測や推測であるか?

 ――それはハーンの記憶について。

 

 ――その内容が問題であるのか?

 ――確率的にはそうである。しかし、別の可能性も十分にあり得る。

 

 ――では、別の可能性とは?

 ――ハーンの、現状を壊そうとしている者を消している可能性。

 

 そこまで考えて、橙子はふむ、と一つ呟く。

 どちらにしろ、マエリベリーが関わっていることに変わりは無いのだ。

 だからか、ならば、と橙子は考えた。

 

 ――ならば、水面に石を投げて、その波紋を見てみるのも一興か。

 

 

 

 

 

 時刻が夕方に差し掛かった時刻。

 アリスと、蓮子と、マエリベリー。

 3人が飛び出して言ってから1時間もの時間。

 両儀幹也はひたすらに待っていた。

 コーヒーを二回お代わりし、時折思い出したように橙子に電話を掛ける。

 それでも繋がらないから、今度は大学で橙子が来るのを無言で待ち続けていて。

 そして、ようやく目的の人物の姿が見つかったのだ。

 

「橙子さんっ」

 

 見つけて、声を掛けて……そして、気がつく。

 

「式も、来てたんだ」

 

「あぁ、非常識にも真夜中に電話を掛けてきたんだ、コイツは」

 

 不機嫌そうに返した式、彼の妻。

 視線で、疎ましそうに、気怠そうに橙子を睨みつけていた。

 しかし、本人はどこ吹く風で全く堪えている様子はない。

 むしろ鼻で笑っている始末であった。

 

「夜行性だろう? お前は」

 

 反省のはの字すら見えない。

 何時もの橙子過ぎて、幹也は呆れた顔をして、式はどこか殺意を滲ませている気配すらあった。

 

「そういえばお前は殺しても代わりが居るんだったよな」

 

 ぼそりと、式が恐ろしいことを呟く。

 半ばじゃれる様に、僅かに本音を混ぜての言葉。

 橙子は、少し笑って答える。

 

「あぁ、確かに代わりはいるよ。

 それも確かに私ではあるが、一個体の蒼崎橙子の連続かと言われれば、疑問を抱く産物ではあるがね。

 まぁ尤も、私にはどうでも良い話ではあるが」

 

 超然とした話である。

 蒼崎橙子には意思があり、強烈な人格まで有しているのに、それを屁とも思わない。

 これによって、蒼崎橙子は一種の現象と化していると言っても良いのだろう。

 壊れても自然と次に引き継がれて、この世に有り続けるのだから。

 

「何にしても、橙子さんは橙子さんでしょう」

 

「どうでも良い話だ」

 

 そしてそれを受け入れる幹也も、切って捨てれる式も、やはりどこかが緩んでいるのだろう。

 それも、二人とも自然体であり、変に歪んでしまっているとか、そういう事は一切ないのだから、余計に。

 

「うん、所で君はこんな所で何をしてるんだ?」

 

「……あなたを待ってたんですよ」

 

 喧嘩を売ってるとしか思えない質問に、うんざりとした感じで幹也は答えた。

 年中この調子である。

 よく、昔は毎日出勤できていたものだと、幹也は自分のことながら感心してしまっていた。

 

「あぁ、報告か。

 ご苦労なことだ、黒桐」

 

「今は両儀ですって」

 

 律儀に幹也は訂正するが、橙子は聞こえていないように無視をする。

 彼女にとって、彼の本質はどこまでも黒桐幹也なのだから。

 今更、それを曲げようとも思えないのだ。

 式も、別段気にしている訳でもなく、幹也だけがむず痒がっている状況である。

 

「とまあ、こんな状況でして」

 

「流石は黒桐、妙なモノを惹きつけるタチは相変わらずか」

 

 報告終了と共に、橙子は幹也に、どこか楽しげに笑いかけた。

 褒めてるのだか貶しているのだか分からない……いや、完全に皮肉であろう。

 蓮子とマエリベリー、そしてアリスの事について話したら、この反応である。

 でも、幹也も随分と慣れてしまったもので。

 これからどうするのか、と実の部分だけ拾い上げて会話を続行する。

 

「ふむ、所で連絡はつくのかね?」

 

「今から電話しますよ」

 

 ここにいない女学生たち。

 彼女達は橙子が危ないと踏んで飛び出していった。

 ならば、既に橙子の無事という目的は達しているのだから、呼び戻すだけ。

 だから、携帯電話で彼女達に知らせようとするが……。

 

『現在、この電話は電波の繋がらない所に――』

 

「あ」

 

 幹也に、冷たい汗が流れた。

 そうだ、当たり前の話だった。

 ――橙子さんが丁度こちらに着いたということは、彼女達も橙子さんの居た場所に着いたってことじゃないか!

 

 ごく当たり前のこと。

 あの時、自分は冷静だと思っていたのだけれど。

 橙子が危ないと聞いて、自分も柄になく焦ってしまっていたのか……。

 自己分析と共に、猛省を促したい感情が湧き上がってくるのを、幹也は感じずには居られない。

 

「失態だな、黒桐」

 

 どこかにやけた顔で、橙子が幹也に話しかけた。

 それは、素直に認めなければならないことでもあった。

 

「橙子さん、お願いがあります」

 

「やれやれ、また逆戻りか」

 

 彼女達を迎えに、という幹也の言葉は、口にするまでもなく橙子は察していた。

 そして、彼女達に用事がある橙子としても、このまま待つことは好ましくはない。

 だから、彼女は幹也の頼みを快諾する。

 

「式、お前はどうする」

 

 そこで、橙子はもう一人の同行者に訊ねる。

 お前はもう一度同じ道を来るのか、それとも別個に行動するのかという事を。

 

「行く」

 

「ほぅ、珍しいな」

 

 式の即答に、橙子は驚いた風にそう言った。

 だが、言われた式からすれば自明のことである。

 

 自分で個別に動いても、獲物は釣れないであろうこと。

 待っているだけというのも、性に合わないこと。

 そしてなにより、幹也がそこにいること。

 

 それらの理由が、式を決断させたのだ。

 

「では、今すぐ出るとしよう」

 

 橙子の言葉に従って、彼女達は車へと向かう。

 どうにも振り回されてばかりだと、各々が思いながら。

 

 

 

 

 

「この近辺に居るはず、だけれど」

 

 バスから降りて10分ほど歩いた所で、私達は探索を始めた。

 私が呟きは、二人の耳にも届いていたようで、宇佐美さんとハーンさんの二人が周りに目を配り始める。

 どうにも人気が少ないからか、音が響きやすい環境のようだ。

 

「蒼崎さん、無事かな……」

 

 ハーンさんが心配を滲ませながら、小さく呟いた。

 それに答えるのには、些か証拠が欠けているので、立証がし辛い。

 

「大丈夫よ、蒼崎さんなんだから」

 

 結局、宇佐見さんの根拠ではないけれど、何故か納得してしまえるような言葉で、その場は再び静まり返った。

 その静寂の中で、私は考える。

 ハーンさんの夢の事、そして彼女の由来を。

 

 十中八九、それが今回の騒動の発端で、そして解決する鍵でもあろうから。

 横目でハーンさんを見ると、真剣な顔で蟻一匹見逃さぬと言わんばかりである。

 宇佐見さんはそれを気遣いつつも、何かを探し求めるように視線を彷徨わせていた。

 私も、それらに気を配りつつ、頭の片隅で考え事は続ける。

 

 教授が消えた、まずそれが事件である。

 なぜ消えたか、と言われればハーンさんについて、何かを知ったか有力な手がかりを掴んだと言った所か。

 その手段は、証拠も目撃情報もないことから、恐らくは魔術やそれらに類する能力を使用したと思われる。

 そして、次に事件に会うと思われる有力者は蒼崎橙子。

 彼女も色々と調べていて、答えに辿り着いてもおかしくないから。

 魔術的な視点も活用すれば、捜査や思索は大きく進んだことであろう。

 だからこそ、彼女が危ないと踏んだのであるが……。

 

 どうにも、その彼女の姿が見当たらない。

 既に消されたか、移動したか。

 後者であれば単なる取り越し苦労で、私の杞憂に済むのだけれど。

 

「あ、こっちにトンネルがあるよ」

 

 宇佐見さんがそう言って、指をさした方向にはトラックがぎりぎり通れる程のトンネルが存在していた。

 だけれど、注目すべき点はそこでは無いであろう。

 そのトンネルには、確かな残滓を感じれたのだから。

 

「結界の……跡?」

 

 そして、ハーンさんも正確に、事態を洞察して見せた。

 そう、このトンネルにあるのは、魔力の残滓。

 結界を構成していたであろうモノの跡であったのだから。

 

「本当なの? メリー」

 

「うん、間違いないよ」

 

 宇佐見さんがハーンさんを問いただして、それに肯定をする。

 彼女の能力は、どうやら専門のモノだけあって、細かい所まで気が回るもののようだ。

 

「えぇ、間違いないはずよ」

 

 だから私も、ハーンさんが感じたことに同意する。

 どうやら、本当に信頼の置ける能力のようであるから。

 

「へ? マーガトロイドさんも分かるの!?」

 

 驚いたように、勢いよく。

 宇佐見さんが私に声を上げた。

 話していなかったのだから、まあ当然の反応であろうけれど。

 

 けど、このまま黙っているのも虫の居所が悪くなるというもの。

 魔術について話す訳にはいかないが、それでも答えられる範囲であるのならば、助けに入るのは吝かではないのだ。

 

「えぇ、人よりかは良く見えるのよ」

 

 決して、嘘ではない。

 早苗がそうであったのと同様に、私の目も他には見えないものが見えるのだから。

 

「それで、両儀さん達を手伝っていたんですね」

 

 納得したようなハーンさんの声が聞こえる。

 それは違うのではあるが、まあ敢えて訂正するほどのことでもない。

 だからそのまま聞き流して、私たちは進んでいく。

 

 目の前のトンネルへ、誘われるように。

 トンネルは暗く、出口であろう光までの距離は、遠い。

 その暗がりへと、足を踏み入れて……。

 一歩進んだ所で、何か他のモノを感じた。

 ハーンさんが言っていた結界ではなくて、他の魔術の痕跡を。

 

「マーガトロイドさん?」

 

 宇佐見さんが何事かと声をかけてくるが、私の耳からはすり抜けてしまって。

 誘われるように、何らかの魔術が施されたであろう壁までたどり着く。

 

「これは……ルーン?」

 

 上等な、束縛を齎すであろうルーン文字。

 その効力は、魔力切れか解除されたせいで発揮されてないが、その残滓程度ならば感じられる。

 

「何かあったの!」

 

 宇佐見さんとハーンさん、その二人が近づいてくる。

 何か見つかったのかと、慌てながら。

 

「これよ」

 

 私が壁を指さすと、そこに書いてある文字を見て、二人は目が点になっていた。

 

「なんですか、これ?」

 

 ハーンさんが思ったことを口に出したかのように、ルーンについて訪ねてくる。

 

「うーん、どっかで見かけたことがあるような?」

 

 一方で、宇佐見さんは小骨が引っ掛かったような顔をしていて。

 

「ルーン文字よ、お呪いのようなものね」

 

 そう二人に告げると、ハーンさんは首を傾げたままであったが、宇佐見さんは、あぁっ!? と思い出したように声を上げた。

 

「ルーン文字って確かケルト人が使っていたっていう……」

 

「そう、そのルーン文字よ」

 

 目を輝かせて宇佐見さんが聞いてくるので、然りと答えると、へー、これが、と興味深そうにまじまじと壁を眺め始めた。

 どうやら、知識として知ってはいたのだろうが、実際に描かれたモノを見るのは初めてなのであろう。

 宇佐見さんは、そっちの知識にも明るいらしい。

 ……私もばれない様に注意をしなくては。

 

「でも、そのるーんもじ? がどうしてここにあるんですか?」

 

 そうして、至極もっともな疑問をハーンさんは口にする。

 えぇ、聞かれて困る質問だけれど、適当に返答するほかはないであろう。

 

「蒼崎の専門分野だったはずよ。

 そういう怪しいものを、彼女は好んで研究しているもの」

 

 間違ってはいない。

 蒼崎橙子は魔術師である。

 故に、この文字は彼女の研鑽の証なのであろう。

 精巧に、そして重圧に重ね掛けされていたであろうそれらの文字。

 それは一種の美しさすら伴って、その場に存在していたのだから。

 

「あー、そう言えばオカルトの専門って聞いたもんね」

 

 宇佐見さんが、納得したようにそう頷いていた。

 なるほど、確かに蒼崎橙子の専門分野はオカルトだ。

 言いえて妙とは正にこの事であるのだろう。

 

「なら、これは虫よけの様な物なんだ」

 

 ルーン文字を見て、宇佐美さんはそう結論を出していた。

 が、虫よけという表現に、微妙な気分になる。

 これを見てそう表現するとは、中々に図太い神経をしているのだろう。

 

「綺麗、ですね」

 

 ハーンさんは、宇佐美さんに比べて、随分と可愛らしい表現をする。

 そう、この流麗な文字を見たら、普通はそう思うはず。

 まじまじと見つめているハーンさんを見て、納得に似たモノを覚えずにはいられない。

 宇佐見さんが、妙なことを言ってくれたせいで、だけれど。

 

「そう、この綺麗なものは、蒼崎が用意したモノと見て間違いはないわ。

 だからこそ、問題なのよ」

 

 私が言い放ったのを聞いて、二人は魅入られていたが、はっとしてこちら側に帰って来た。

 そう、これがあるということは、確かに蒼崎がここに居たということ。

 そのルーンの効果が切れているということは、少々不味い事になっている可能性も、本格的に考慮に入れなくてはいけない。

 

「蒼崎さん、どこにいるんだろう……」

 

 急に不安が帰宅したように、ハーンさんがポツリと漏らした。

 それだけ、嫌な予感が這い寄ってきているのだ。

 

「だ、大丈夫だって!

 蒼崎さん、こんなものを残しているくらいだし、全然ピンピンしてると思うよ!」

 

「うん、そうだよね、きっと」

 

 塞ごうとしているハーンさんを、宇佐見さんが必死に励まそうとしている。

 そしてそれを汲み取ったハーンさんも、努力して毅然としようとしていた。

 だから私はそんな二人を見て、思考を巡らして……。

 そうして、思い至ったのだ。

 だから、私は提案する。

 

「考えてみましょう、これまでの事を」

 

 人差し指を一本立てて、私はそう提案した。

 このポーズは、凛が説明をするときのポーズで、つい真似したくなるような、不思議な癖があるもの。

 

「これまでの」

 

「こと?」

 

 二人は示し合わせたように、私に問うてきた。

 それに対して、私は頷きながら、彼女たちに説明する。

 

「原因は大まかだけれど予測はできている。

 なら、どうやって解決するかを考えなければならないわ」

 

「え、でも」

 

 私の言葉を聞いて、困ったような顔をしたのは宇佐見さん。

 

「どうすれば、良いのかな?」

 

 そしてハーンさんは、ひどく真剣な顔をしていた。

 驚くほどに、引き込まれそうな眼をしている。

 

「えぇ、方法はあるわ。

 ……たった今、思いついたの」

 

 一つばかり、重要なことに気が付いただけの事。

 でも、きっとそれを媒介にして、何かを呼び起こせるはずなのだから。

 

「まず私達は、重要なことを見落としていたわ」

 

「というと?」

 

 宇佐見さんが、身を乗り出して聞いてくる。

 それを手で制しつつ、私は順番に語り始める。

 

「まず、教授が何らかの手段を持って消えたということ。

 あまりに不可解な消え方をしていたから、そちらの方にばかり考えが偏っていたわ」

 

「それは……そうですね」

 

 ハーンさんが神妙な顔で頷いて、その事を肯定する。

 それを確認して、私は話を続ける。

 

「ここで考えるべきだったのは、方法もそうだけれど、もう一つ必要なことなのよ」

 

「それは、何?」

 

 宇佐見さんが確かめるように、私に問いかける。

 それに、私は端的に答えた。

 

「何故、消えたかよ」

 

「えっと、それは……」

 

 私の言葉を聞いたハーンさんが、どこか居心地が悪そうに、口をモゴモゴしていた。

 消えた理由、それは皆で確認した通りのものだと、そう言いたいのであろう。

 それは尤もなことだと、私も思っている。

 探るような宇佐見さんの視線を受けながら、私は仮定を述べ続ける。

 

「えぇ、それはハーンさんの秘密を知ったから。

 そう言いたいのね。

 それはその通りよ。

 ただ、もう一つ着目しなければならない点があるわ」

 

 何? と言いたげな目をして、それでも無言で続きを促す二人。

 望み通り、私はひたすらに語り続ける。

 

「それはね、どうやって教授を拐った存在は、教授の事に気がついたのか。

 つまりは、その存在は、どうやって私達の事を把握しているのか、という事」

 

「っあ」

 

 何かに気付いたかのように、気付いてしまったかのように、ハーンさんは小さく声を漏らした。

 恐らく、彼女が想像していることは、当たっていると、そう思う。

 

「……見られてるの?

 今も、私達を?」

 

 不気味そうに、宇佐見さんが呟いた。

 そう、それが答えなのであろう。

 きっと彼、もしくは彼女は、こちらを見ていることであろう。

 そして、その条件は……。

 

「多分だけれど、ハーンさんが夢を見て違う世界を見るのと同様に、向こうも寝ている間に、夢を見ているのだと思うわ」

 

「夢で……私と、知らない誰かは繋がってたんだ」

 

 驚愕や呆然といった表情を混ぜ合わせたように、ハーンさんは呟いた。

 そう、きっとこれは憶測にしか過ぎないことだけれど、きっと合ってる。

 直感が、そして目が、私にそう告げているから。

 

「だから、ね。

 きっと方法的には、簡単なことだったのよ。

 教授を拐った犯人を、探し出すのは」

 

「どう、するの?」

 

 宇佐見さんが、未だ整理がついてない顔で、私に訊ねてきた。

 だから私は、任せてと言って、そしてここに居ない誰かを、呼んだ。

 

「見ているのでしょう?

 それはもう分かっているの。

 だから出てきなさい!」

 

 そして、もう一言。

 揺さぶるように、誰かに告げる。

 

「出てこなかったら……ハーンさんに、ある事無いこと全てぶちまけるわよっ!」

 

 大きな声で、トンネルに反響させながら、私は叫んだ。

 これ以上ないほどに精一杯に、ハーンさんの目を見つめながら。

 半ば本気に、少々の虚勢を伴って。

 私は、その存在に、伝えたのだ。

 

 すると……。

 

 

 ――空間が、裂けた。

 

 異界にでも繋がっていそうな、気味の悪い穴。

 その中から、ぎょろりとした目が幾つも、一斉に私を見ていた――




次回にて、空の境界編(激しく疑問)は終了です。


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第23話 本当の私

ネタバレ:メリーちゃん主役回

それから、訂正とお詫びを申し上げます。
メリーが蓮子と出会ったのは、8年前です。
素で計算ミスしてるのに気がついて、白目を向いたのはここだけの話です。


 私が夢を見るようになったのは、一体何時頃からだろう。

 ふとした疑問が、波紋の如く心に広がる。

 

 夢、そう、私は夢を見る。

 この身は人成らざる者でありながら、人である夢を。

 私はその娘の眼を借りているだけだけれど、それでも分かる。

 否、感じるのだ。

 

 ――あぁ、こうも世界は尊いのだと。

 

 ……確か、そう。

 8年程前から、儚いものを見るようになったのだ。

 

 人と親しむ夢。

 唯一無二であろう運命の少女と出会えた、平凡ではあるが幸せな夢。

 

 そんなありふれたモノ、幾らでも見たことはある。

 人里で、山で、川で、空で、地下で――。

 どこにだって、落ちているモノ。

 

 しかし、幾ら見ても私に馴染むことはなかった。

 あぁ、そう、と思うだけ。

 幾らか、利用した覚えもあるモノである。

 

 だけれども、私の見る夢の中だけでは……。

 そう、夢の中だけでは、貴さを得られた。

 眼の持ち主は本当に幸せを感じていて、その溢れた思いが私にも流れて来るのだ。

 

 支流へと逸れる水流のように、私に至って満たしてくれる。

 その感情が、手に取るように分かる。

 他人を見ても理解できない感情が、その娘の眼を通してなら理解できる。

 

 身も心も、眼の娘に犯されているのか。

 これ程に馴染んでいるのだから、ついそんな事まで考えてしまう。

 だけれど、直ぐに理由など理解できる。

 

 ――ただ、境界が曖昧になっているだけ。

 

 私が誰で、何者の意識を通しているのかが混濁している。

 それだけのこと、何の事はない。

 私はすぐに修正できて、正しく調律出来るのだから。

 焦る必要など、どこにも感じる必要はない。

 

 だからか、私は溺れている。

 微睡みながら見る夢の中で、私は彼女を通して人間の心を得るのだ。

 

 人間であること、それはきっと不幸なこと。

 幸せと不幸の秤が揺れて、直ぐにどちらにも傾いてしまう。

 安定しない()で、全てが左右されてしまう。

 余分さに満ちている、余計なモノ。

 だけれども、その余分さが贅沢なのだろう。

 

 人ならざることは、決して不幸にはならない。

 ずっと幸福のままで……幸福とは、何なのかが分からなくなってしまう事。

 全てが刹那的で、ただ堕ちていくのみの世界。

 幸福も不幸も、秤そのものが壊れているのだから測りようがない。

 

 それは、そう。

 生きているのに生きていない、常に夢を見ているのに等しいのだ。

 幾千、幾万の時を超えなければならない者にとっての宿命。

 常に酩酊し、感覚が、五感が、鈍い。

 感じることも、伝わるものも麻痺している。

 これでは、とても鬼を笑えない。

 

 

 ――そんな中で、私は夢を見た。

 

 それがあの夢、視点の持ち主と一体になって、私は心を揺れ動かす。

 夢を見ている間、それはとても刺激的な時間。

 全てが新鮮で、ワクワクもドキドキもできる。

 退廃的なものを忘れて、私は夢を見続ける。

 

 それが、私にとっての最近の娯楽。

 何よりも大切な、退屈しのぎ。

 一種の、何者にも侵されない楽園。

 彼女の世界はそう作られている。

 要らないモノは間引いて、幸せになれる状態を作り上げている。

 彼女が幸せにあるように、それが私の甘味を喰むような感情を生み出すのだから。

 それを心がけて、私は時折暗躍し見守ってきた。

 

 それが崩れたのは、つい最近のこと。

 それは、彼女が余計な事を考え始めたのが始まり。

 即ち、自分の起源について。

 

 気にしなければ、ずっと幸せで在れるだろうに。

 気付かなければ、ずっと浸っていられるだろうに。

 どうして、そんな事を気にするのか。

 気になって考えていると、それは彼女の心が教えてくれた。

 彼女から流れてくる心は知らなければ、という義務感であったのだ。

 

 ――なんて、愚か。

 

 そう思わずにはいられない、瑣末なこと。

 知らなくても今まで上手くやってこれたのに、自ら破壊しようとするのだから、思わず笑ってしまいそうになる。

 でも、だからこそ、彼女は人間なのだろう。

 曖昧な境界からの視点で、私はそれを然りと理解していた。

 それだけ、人間の、彼女の心に浸っていたのだから。

 

 だからか、私も少しばかり、愚かになっていたようで。

 ほんの少し、馬鹿みたいな悪戯を仕出かしていた。

 

 それは、彼女を諦めさせようとしているもの。

 彼女の行く手を僅かに邪魔するだけのもの。

 だけれど、それは稚拙が過ぎて、あまり効果は発揮されなかった。

 どうしてその様な手ばかりを選んだのか。

 何故か、自身に問いかけると、答えは容易に浮かび上がる。

 

 ――どうしてだか、本気では邪魔をする気にはなれなかったから。

 

 彼女、マエリベリー自身が決めたことだからなのか。

 それとも、それすらも私は楽しんでいるだけなのか。

 ……考えれば、そんなことは直ぐに分かる。

 結局のところ、私は遊んでいるだけなのだろう。

 

 だけれど、それももう終わりだ。

 無粋な娘が割り込んできたから。

 賢しらなのは悪いことではないのだけれど、この場合に至ってはあまりよろしくなかった。

 

 ねぇ、分かっているのかしら?

 彼女が自分を識るという行為。

 それ自体が、きっと彼女を傷つけるという事を。

 それでも彼女が識りたいと言うのであれば……。

 

 ――私に、言葉を届けてご覧なさい。

 

 

 

 

 

「なに、これ」

 

 思わず、といった体で宇佐美さんが言葉を漏らす。

 それほどに不気味な、一種の門のようにも感じる空間の裂け目。

 ……呑まれれば、彷徨い出られなくなると強く感じてしまう、そんな穴であった。

 

「境界が、歪んでいるのね」

 

 そして、ハーンさんは何かを理解したかのように、そう独語した。

 彼女は、その穴を不気味がることもなく、まじまじと見ている。

 私の眼でも曖昧なものが、彼女には理解できるらしい。

 それは彼女の能力が専門的だからなのか――それとも、親和性が高いからか。

 

「どちらにしても、出てくれば分かることね」

 

 わざわざこうして、呼びかけに答えたのだ。

 答えない、だなんて真似はするはずがないであろう。

 それは確信を持って言えることで……。

 

 さて、どう呼びかけようか、という時に、それは起こった。

 

「あら、ご機嫌よう」

 

 ――何時の間にか、空間の狭間に腰掛けている女性が、そこに居た。

 

 扇子で口元を隠しながら、私達を観察するような視線。

 するりと、心を覗かれるように感じる雰囲気。

 そして何よりも特筆すべき事があるとすれば……。

 

「メリ、ィ?」

 

 驚いたように、宇佐美さんがハーンさんと現れた女性を交互に見ている。

 そう、彼女はとても既視感を覚えさせる容姿をしている。

 黄昏色の髪に思慮深い目、緩やかなドレスを纏って彼女はそこに存在していた。

 妖艶な美しさで着飾って、でもその見た目は、知っているもので……。

 

「貴方が欲しいのは楽園かしら、それとも知恵の実?」

 

 囁く様に、詠うように、彼女は言葉を繰る。

 知っているけれど、それでも違うとはっきりと理解できる。

 だって彼女(ハーンさん)は、こんな俯瞰した表情なんて、しないのだから。

 

「成程ね、蛇の正体は自分の合わせ鏡なのね」

 

 故に、これが虚像であり、水面(みなも)を覗いているだけだと、私は感じたのだ。

 すると目の前の彼女は、微笑んで私に目を向けた。

 どうしてだか、その目は背中をゾクリとさせる。

 だから、私は理解できた。

 

 ――これは、魔性であると。

 

「そうね、それは一概には間違っていないわ。

 己が内から生まれた衝動でも、人は他人のせいにしたがるモノですものね

 賢いアリス、貴方には分かるのでしょう?」

 

「趣味が悪い上に余計なお世話よ」

 

 知ったように、いえ、私を覗き見たのだろう。

 見たところ、境界を弄する事に長けているようでもあるから。

 まるで服を剥がされたような感覚に、不快さを覚えずにはいられなかった。

 

「あなた、嫌われ者でしょう?」

 

「いえいえ、私の徳に平伏する者は多いものよ」

 

「……胡乱さの塊ね」

 

「麗しさ、の間違いでしてよ」

 

 どの口が言うか。

 呆れ八割、反発二割で私は彼女を睨み付ける。

 ただ、良くも怪しくそこまで口が回るものだと、そこだけは感心しながら。

 

「あなたに訊きたい事があるの」

 

「貴方が飼っているのは猫かしら?

 いえ、どうやら人の良い虫のようね」

 

「綺麗な薔薇を育てているつもりよ」

 

「虫が育てる薔薇は、さぞ穴だらけでしょう」

 

 良くもまあ、ここまで揚げ足取りが出来るものだ。

 ……いけない、呑まれ掛かっている。

 

「あのっ!」

 

 私達が言葉の刃をちらつかせていると、業をにやした様に、宇佐見さんが口を挟んできた。

 素直に、不利に立たされそうであったから、純粋に助かったとため息を吐きそうになる。

 

「残念ですわ、賢い子を虐めるのが趣味ですのに。

 掌でクルクルと」

 

「お釈迦様を気取るには、意地悪が過ぎるのよっ」

 

 睨みながら、宇佐見さんは怪しい彼女を糾弾する。

 それにどうにも、私は心にメスを入れられた気分になった。

 遊ばれていたことからか、乗ってしまった事からか。

 何にしろ、言葉を弄するには、些か相手が悪いと言うことは理解できた。

 

「この際直球に聞くわね、あなたは何者なの?」

 

 宇佐見さんの直球の質問、それがこの場での最適解なのかもしれない。

 真っ直ぐなものほど、誤魔化しづらいモノがあるのだから。

 

「貴女の目には何に見える?

 人間? 妖怪? それとも……貴女の親友にでも見えますか?」

 

 それでも、扇子で口元を隠したまま、目の前の彼女は煙に巻くようなことを言う。

 答えるつもりなんて、これっぽちも無い様な態度である。

 

「どれも違うね、そうは見えない。 

 けど、一つ気になる事といえば」

 

 けれど、宇佐見さんはめげずに彼女に言葉を向ける。

 彼女の土俵に立つことなく、でも懸命さを身に纏って。

 

「どうして、メリーと同じ顔立ち、なの?」

 

 遂に、宇佐見さんが核心への疑問を投げかけた。

 目の前の彼女の顔は、明らかにハーンさんと一緒のもの。

 いや、ハーンさんが成長したらこうなると、そう推測できる顔立ちであったのだ。

 

「どうしてだと思う?」

 

 空間の狭間に腰掛けている彼女は、謎解きの答え合わせをするかのように、微笑を浮かべて宇佐見さんを見つめていた。

 自分の口では語らず、相手に答えを求めている。

 これは、彼女はただ単に楽しんでいるのだと、そう伝わってくるものがあった。

 

「メリーと、何か関係があるから。

 そうとしか考えられないし、今までのことだって……」

 

 宇佐見さんは睨むようにして、目の前の彼女に言った。

 これまでの疑問、不安、その他一切の気持ちを込めて、目で訴えているのだ。

 

「まぁ、そんな真っ直ぐな目で見られては私、ときめいてしまいますわ」

 

「誤魔化さないで、答えて!」

 

 巫山戯る様にしてはぐらかす紫色の彼女に、強く募る宇佐見さん。

 でも、紫色の彼女は、クスクスと笑うだけで答えようなんてしていない。

 ……何時の間にか宇佐見さんも、彼女の怪しい雰囲気に飲まれつつある。

 まずい、そう判断して、頭を必死に回し続ける。

 

 どうしたら、彼女に口を割らせることが出来るのか。

 いや、そもそもこんな態度を取るのならば、どうしてわざわざここに出向いてきたのか。

 私がハーンさんに色々と吹き込むと、そう言ったから出てきた?

 いいや、もはや彼女が撹乱する側に回っているから、その理由で出てきたというのは、そも間違いだったのやもしれない。

 なら、何故?

 考えて、考えて、そうして、私は顔を上げる。

 

 ――そうだ、そこだ。

 

 彼女から秘密を聞き出そうと躍起になっているけれど、現状でも分かることは幾つか存在する。

 それはさっき宇佐美さんが言ったように、ハーンさんと彼女は何らかの関わりがあるという事。

 そして、彼女が興味を示したり反応するであろう相手は……。

 

 気付いて、横目を向ける。

 視線の先には、何かを考え込むようにして俯いているハーンさんの姿。

 何を考えているのか、何を思っているのか。

 きっと、その彼女の一つ一つがこの場においては重要であると、私は感じた。

 

「ねぇ、ハーンさん」

 

「ん? マーガトロイドさん?」

 

 宇佐見さんが未だ噛み付いている中で、私は彼女に語りかける。

 きっと、それが終へと導く鍵のように感じて。

 

「彼女について、何か分かるかしら?」

 

「え、えぇ、夢の中で、きっとあの人の目でモノを見てたから」

 

 ならば、語りかけて振り向かせられるのも、彼女以外に他ないだろう。

 私と宇佐見さんは紫色の彼女を何も知らないけれど、ハーンさんは知っているのだから。

 

「お願いできるかしら?」

 

 端的に、主語を省いて私は訊ねて……頼み事をする。

 それがこの場でするべきことであり、知ることができる方法でもあると思ったから。

 だから、私はハーンさんに頭を下げた。

 すると、ハーンさんは優しい声音で、私に語りかけてきて。

 

「うん、迷惑掛けてごめんなさい。

 でも、大丈夫。

 分かってるし、やれると思うから」

 

 その声に、自身を私は感じたのだ。

 顔を上げて目を見開くと、ハーンさんの目が見えた。

 目の色に、迷いはなかった。

 

「すみません、ちょっと良いですか……八雲、紫さん」

 

 ハーンさんがそう声を響かせると、宇佐見さんを口でいたぶっていた紫色の彼女が、ぴたりと動きを止めた。

 宇佐見さんも、驚いたようにハーンさんを見ている。

 それを確認して、ハーンさんは言葉を続けた。

 

「あなたと、話がしたいんです。

 ずっと気になってたことで、ずっと重要だと思っていたことだから」

 

「それは、きっと気のせいよ」

 

 紫色の彼女、名前はさっきハーンさんが口にしたであろう名前。

 その彼女がはっきりと、微笑は絶やさないが鋭い瞳で、ハーンさんにそう告げる。

 これ以上ないほどに端的に、それ以上ないほどに冷淡に。

 

「貴方にとっては、今ほど大切なものはないわ。

 それよりも大切なことなんて、立ちくらみの中で見た幻覚にほかならないわ」

 

 はっきりとした口調で、警告を促すように彼女、影は告げていた。

 ……それでも、ハーンさんは怯まない。

 

「そんなこと、分かっています。

 確かに今はとっても大事。

 蓮子との日常は、きっと何にも替え様のないものだから。

 でも……」

 

 ハーンさんは、ゆっくりと息を吸った。

 大切なことを伝える前の、おまじないの様に。

 そして、あれだけ口が回っていた影も、今は静かに話を聞いていて。

 

「自分のことが分からないってことは、ずっと自分が欠けているって事なんです。

 ずっと満ち無くて、幸せの中でふと思い出しては引っかかってしまう」

 

 それは彼女にとって、不満と不安の吐露だったのだろう。

 語る口調は切なくて。

 それでも確かな意思があって。

 

「私はただ、堂々と胸が張りたいだけなんです。

 弱気でちっぽけな私だけれど、それくらいの矜持は持っているんですっ!

 だからっ!!」

 

 思いの丈を全力でぶつける。

 それが心に届ける方法だと、無垢に、無二の事だと信じているように。

 

「私のこと、教えてくださいっ!」

 

 彼女は、ハーンさんは、真っ直ぐに影を目で射抜いた。

 真摯に、真剣に、辛辣に。

 これ以上ない程に、明確な意志を持って。

 心を響かせるように、ハーンさんは言い放ったのだ。

 

「………………」

 

 その言葉を聞いて、しかし影は沈黙を貫いたまま。

 言葉なく、しかし目が少し揺れているようにも感じる。

 動揺などはしているようには見えない。

 ただ、影の目に映るハーンさんの姿は、何か特別なものを含んでいる様であった。

 

 影はハーンさんを見て、ハーンさんも瞳を逸らさない。

 静かだけれど、恐ろしい程の緊張感が場を包んでいた。

 誰か、一言でも発せれば、全てが歪んでしまうんじゃないかという程に。

 

 ――そんな、時であった。

 

「もう、諦めろ」

 

 そんな声が、トンネルの入口から聞こえた来たのだ。

 目を向けると、そこには光に照らされた三つの影。

 一つは両儀さん、もう一つは両儀さんの奥さん。

 そして最後のひとつは……。

 

「お前の結界は、既に破られている」

 

 ――蒼崎橙子であった。

 

 

 

 

 

「……余計な闖入者が多いことですこと」

 

「舞台には元より上がっていたさ。

 お前(観客)の目に、ようやく私達が映っただけのこと。

 視認しているだけの状態から、認識に至っただけだろう?」

 

「私は、私が見たいものだけを見ているだけですもの」

 

「それでも姿を現してしまった今、お前は確実に負けを認めているんだよ。

 余計な悪あがきは、みっともないとは思わないのかね?」

 

 そこで初めて、八雲紫()が不貞腐れた様な表情を浮かべたのを確認したのだ。

 だから、そこで私は場の空気が変質しつつある事に気が付いた。

 全て、蒼崎さんが登場してからだ。

 

「蒼崎、さん?」

 

 戸惑ったように、蓮子がその名を呼ぶ。

 かく言う私も、似たような気持ちだった。

 ――蒼崎さん、こんな口調や雰囲気だったかしら?

 そう強く感じるほどに、今の彼女からは齟齬を感じたのだ。

 違うのだけれど、それでもやっぱり蒼崎さんのような、そんな不思議な感覚。

 

「どうしたかな、宇佐見。

 何を戸惑っている?」

 

「え、いや、だって……」

 

「橙子さん、猫かぶりだから」

 

「おいおい黒桐、それは少し違うだろう。

 スイッチのオンオフが出来るだけだよ。

 まぁ、人格のモノをな」

 

 困惑を隠せないでいる蓮子に、両儀さんが答えて、蒼崎さんが訂正する。

 どちらにしても、驚きを隠せない話ではあるが。

 蓮子も、人格のオンオフって何よ、と呟いているのが聞こえてくる。

 

「それにしても、すれ違ったにしては早い到着ね」

 

 蒼崎さんのことは考えるだけ無駄と思ったのか、マーガトロイドさんはそれだけ言った。

 だけれど、それに対する反応は想像以上のものだった。

 にやり、と蒼崎さんが哂ったからだ。

 

「早い? むしろ遅いくらいさ」

 

「何を……」

 

 何かを言おうとしていたマーガトロイドさんが、即座に絶句した。

 何かに気が付いたのか、酷く驚いたような顔をしている。

 そうして、はぁ、と一つ溜息を吐いてから、彼女は言ったのだ。

 

「どうして、夜なの?」

 

 嘘、と言いかけて、私も口を噤んだ。

 ……トンネルの先の光が、無くなっていたからだ。

 

「私達、そんなに話してなかったわよね?」

 

 蓮子が、驚いたように外を見る。

 でも、それで彼女は外が夜なのを確信したのだった。

 

「間違いない、夜になってる」

 

 半ば呆然としたように、蓮子が呟いた。

 認めたけれど、信じられないように。

 

「いつの間に、8時を超えていたの……」

 

 蓮子が、ぼんやりとそんな言葉を続けた。

 月や月の光だけで、蓮子は時間を判別できるのだから、時刻としては間違っていないのだろう。

 それが私の特技だって、蓮子からは教えられた技術だ。

 

「言ったろう?

 結界は既に破られたと。

 お前達は、この女に閉じ込められていたんだよ。

 出口がない、この場だけの時を止める氷結と、欠乏を齎される空間にな」

 

 そう言い切ると、忌々しそうに、更に蒼崎さんが言葉を紡いでいく。

 

「まさか、私が残したルーンを利用されるとはな」

 

「再利用ですわ、勿体無いですもの」

 

 ふふ、と怪しく笑う八雲紫。

 良くは分からないが、蒼崎さんのるーん文字を、この人が使っていたという事なのだろう。

 

「描かれている場所が起点となる訳じゃないのね」

 

 不満げに、マーガトロイドさんがるーん文字を見て、騙されたという顔をしていた。

 何が何なのかは分からないけれど、マーガトロイドさんには何か分かることがあったのだろう。

 

「さて、そんな瑣末なことはどうでも良い。

 今は、解決するべき話がここにある

 今から、この絡まった糸を解すべきだろう?」

 

 そして、どこか崩壊しつつあった場の空気を、蒼崎さんが引き戻す。

 これからが大事なところだ、と言わんばかりに。

 蒼崎さんは、この場の雰囲気を掌握していた。

 

「奇術師、お前はハーンに執着をしていた。

 故に、お前はハーンに結界を施した、そうだろう?」

 

「結界?」

 

 そうして蒼崎さんが始めた話は、どこか抽象的なもの。

 だって、結界が本当にあるのならば、私は看破できるはずなのだから。

 

「そう、結界だ。

 何も結界とは、その行使される能力だけのものではない。

 何かと何かを区別する、その境目の事を結界と呼ぶ」

 

 八雲紫に話しかけているのに、その本人を無視する勢いで、蒼崎さんは話し始める。

 確かな分析と、確固たる意志を持って語り聞かせているのだ。

 

「その結界は、ハーンの幸せと不幸を仕切る結界。

 ハーンを害するものは何者も近づけない、潔癖の代物だ」

 

 八雲紫は、彼女は黙って話を聞いている。

 それはただ哂っているのか、それとも正解ゆえの沈黙であるのか、私には判別ができない。

 だけれど、確かに彼女は話を聞いているのだ。

 

「しかしその均衡は崩れ、結界に罅が入ったのは、つい最近のこと。

 ハーンが、本当の自分を探し始めたことが始まりだ。

 そのお陰で、お前は箱庭が崩れていくのを感じずにはいられなかっただろう。

 だから余計な教授を消し、私も消そうとした」

 

 的確に、正確に、蒼崎さんは話し続ける。

 今や、この場は彼女の独壇場と化しつつある。

 

「しかし、それにしては杜撰な行動だった。

 些か、本気さに欠けているというものだったな。

 本気で無いとすれば、後は遊びか、別に目的があるかのどちらかだろう。

 遊びというには、今までハーンを包んでいた結界は大掛かりに過ぎた。

 ならば、別の目的という方がしっくりとくる」

 

 何者も、蒼崎さん以外は沈黙したまま。

 ただ意志を持っているであろうは、八雲紫と……。

 

「その目的、それは言わずもがなハーンのこと。

 そうまでして、お前は求めていたのか。

 どうしてハーンにそこまで拘っているのか。

 それは何よりも姿と形が証明している。

 夢を見るのも、能力を持っているのもそうだ。

 ハーンは、お前から――」

 

 バラバラだった欠片が集まっていく。

 綺麗に並んでいくパズルのように、壮麗に組みあがっていく。

 

「――欠けたモノ、元は同じものだったんだ」

 

 そうして、パズルは一つ残らず、当てはめられた。

 教会のステンドガラスが出来たものであったかの様に、それは確かに魅入られるモノがあった。

 

 ……そうして、場の空気は凍り、また別のモノが形成され始める。

 

 

「はぁ、ご高説はそれで終わり?」

 

「そうだ、これで終わりだ」

 

 八雲紫がようやく、口を開いた。

 肯定もしていないが、否定もしていない。

 されど、どこか退屈そうな口調であった。

 

「だが、分からないことがあるんだ」

 

「あら、それは何かしら?」

 

 分からないことがある、という言葉。

 その言葉の方が、蒼崎さんの話よりも面白そうに反応する八雲紫。

 やっぱり、あまり性格は宜しくなさそうである。

 そして固唾を飲んで、皆がそれに聞き入っている。

 そんな中で、蒼崎さんは言葉を発した。

 

「どうして、お前がこんな茶番を繰り広げたかだ。

 元が一つであるのならば、回収してしまえば良い。

 わざわざ結界まで張って、守っている意義がわからない。

 それだけは、考えても分からなかったことだ」

 

 茶番、というには刺激が強すぎるものがあったけれど。

 これまで色んなことがあって、分からないことばかりだったけれど。

 だけれど、私はその答えを知っている。

 誰でもない、私だからこそ知り得ること。

 

「――お話が、したかったんですよね?」

 

 だから自然に、私は口から言葉を零していた。

 皆が私に注目を始める、がそんなことは気にならなかった。

 ただ、目の前にいるこの人と、私も話がしたかったから。

 

「私も、そうですから」

 

 揺らぎのない本音が、私の中より溢れ出す。

 何よりも知りたかった答えも、この人と話すことで理解できることを理解しながら。

 私も、言葉を紡ぎ出す。

 

「だから、お話をしましょう?」

 

「えぇ、分かったわ。

 でも、ここでは人が多すぎるから」

 

「そうですね、私がそちらに行きます」

 

 そう言って、私は八雲紫が開けている裂け目に近づく。

 一切の躊躇なく、それに手を伸ばした。

 

「め、メリィッ!!」

 

 驚いたような、そんな蓮子の悲鳴を背に、私は八雲紫の空間へと引きずり込まれる。

 でも、それは自分で望んだことだから。

 だから蓮子、そんなに心配しなくても大丈夫だよ。

 

 

 

「いらっしゃい、私の空間へ」

 

「お邪魔します」

 

「まぁ、お行儀が良いこと」

 

 クスクスと笑っている八雲紫に、私も自然体で接する。

 周りの空間は目が浮かんだり、色彩が曖昧である。

 常人であれば、きっと気持ち悪いと思う場所だけれど、私は特にそうは思わなかった。

 それは……きっと私が彼女で、彼女が私であるからだろう。

 

「それでは」

 

「これより」

 

 ――お話を始めましょう。

 

 

「私があの場所で迷っていたのって、偶然ですか?」

 

「それは偶然ねぇ。

 言ったでしょう?

 あの娘に会ったのは、運命の出会いだったと。

 誰かに強制されて起こった必然ではないのよ」

 

「そっか」

 

 話す内容は大事なことだけれど、たわいの無いように会話をする。

 仰々しさなんて、この場には必要ない。

 ただ、私と彼女が、思うがままに話すのみ。

 だからこそ、二人きりになったのだ。

 

「じゃあ私は何なのでしょうか?」

 

「どこからともなく現れた彷徨い人ね。

 体は、世界が矛盾を起こさせないために編んだものよ」

 

 急に、話が難しくなった。

 世界とか言われても、私に大きな話は理解できないと思う。

 だけれど、体を編んだ、ということはきっと……。

 

「幽霊船の話、強ち間違いじゃなかったんだ」

 

 蒼崎さんに聞かせて貰ったお話。

 それが正しい推察であったと、今ここに証明されたのだ。

 

「でも、港もきちんとあるのでしょう?」

 

「そこまで聞いていたんですね」

 

 プライバシーなんて存在しない。

 私も見ていたから人の事は言えないのだけれど。

 それでも、何だか恥ずかしさが体に満ちてきてしまう。

 

「素敵な良い話じゃないの。

 恥ずかしがることはないわ」

 

「意地悪ですっ」

 

 わざわざ口に出すなんて、羞恥心を煽ろうとしか感じられない。

 ただでも趣味が悪そうなのに、意地悪とまでくれば本当にヒドイ人にしかなりようが無いのだから。

 

「貴方が可愛いからよ」

 

「動物は可愛がりすぎると死んでしまうって、どこかで聞きました」

 

 だから加減をするべきですね。

 そうニュアンスを含んで私が言うと、おかしそうに笑いながら、彼女は言うのだ。

 

「大丈夫よ、これで壊れないくらいに鍛えられてるのは、知っているのですもの」

 

「本当に……悪趣味です」

 

 見て、知って、理解する。

 彼女にとって、私の事は、大きく知ってしまっているのだ。

 そして私は、彼女の事は少ししか分かっていない。

 不利なのね、確実に。

 

「でも、貴方はその悪趣味な()から零れたものなのよ?」

 

「――――――」

 

 そうだ、私はきっとこの人の一部だったんだ。

 それは、この空間に居ると、確かに理解できることだ。

 でも、ならば、と私は思うのだ。

 

「私は、貴方にとって何だったのですか?」

 

 感じた疑問は口にする。

 それがこの場でのお約束みたいなもの。

 だから率直に聞いて……八雲紫の笑みが、更に深くなっていくのを私は確かに感じていた。

 

「そうね、貴方は確かに私だった。

 でもね、それは同時に最も私らしく無いものだったの」

 

「それは?」

 

 彼女らしくない自分が私。

 まるで出来の悪い謎解きのよう。

 だけれど、彼女はきちんと話してくれる。

 それも、この場所でのお約束のようだ。

 

「私にとっての余分な部分。

 強い感情とか、強い欲望。

 おおよそ、長きを生きる(妖怪)にとっては要らないものよ」

 

「……そういうことですか」

 

 彼女の言いたいこと、それは確かに私に伝わった。

 そうなのね、私は……。

 

「貴方に、捨てられたものが私なのね」

 

「そうよ、私のそういう部分。

 ある意味で最も人間に近い部分が、貴方なの」

 

 にこりと笑う彼女に、私は複雑な顔をしているだろう。

 完全に人ではないと、そう言い渡されたにも等しい物が有るのだから。

 だけれども、彼女は更に続けるのだ。

 

「貴方は人よ。

 何者にも染まっていなかった貴方は、宇佐見蓮子によって人間という色に染められたの。

 だから、貴方の在り方は人でしかありえないし、それ以外の何物にも成れないのよ」

 

 ……蓮子が、私をそうしてくれたのね。

 私が人になれたのは蓮子のお陰。

 それを知った今、本当に蓮子に会えて良かったと、そう思わずにはいられない。

 ――あなたが居たから、あなたに会えたから、私は私になれたんだ。

 感謝と、尊敬と、敬愛。

 色々な感情が私の中に渦巻いて、溢れ出そうになる。

 

「嬉しそうね」

 

「だって嬉しいですもの」

 

「自然な生まれ方をしてないと、わかったのに?」

 

「それ以上に、愛おしいです」

 

 隠すことではない、喜ぶべきことである。

 強く強くそう思う。

 ここから帰ったら蓮子に言葉を送ろう、大切な言葉を。

 そう決意し、決着をつける為に私は話す。

 

「あなたは、私に何を望んで見守っていたの?」

 

 私は確信の質問をする。

 結局は、そこが終着点であるのだから。

 すると彼女はどこか嬉しそうに、憂いを浮かべる。

 矛盾しているのに、不思議とそういう感情だと私は理解したのだ。

 

「答えないと駄目なの?」

 

「ここまできたんです。

 答えてもらわなきゃ困ります!」

 

 渋っている彼女に、私は心からの言葉を掛ける。

 このままで終わるなんて、そんな事は認められない。

 私は欠けていたものを、回収するためにここまで来たのだ。

 それは、この人の事を知らないと、回収しきった事にならないのだから。

 私と彼女、確かに互いに夢見て繋がっていたのだから、それが一つの終着点だと、私は感じているから。

 だから私は答えを求めて、欲している。

 

「……私のそういう部分が、貴方なのだから仕方がないことなのね」

 

 そう言って嘆息した彼女は、どこかあきらめ気味に、でも優しく私に語りかける。

 

「私が夢見るのは、幸せな夢。

 貴方と私、元々一緒だったから共有できてしまうのね。

 貴方の夢を見るということは、貴方の中に入るということなのだから」

 

「そうなのですか?」

 

 全然、そんな自覚なんて無かった。

 私は夢の中でも、確固たる意思を持っていたから。

 私が、そう伝えると、彼女は苦笑しながら答えてくれる。

 

「これは自覚しているかしていないかの話なのよ。

 私は、貴方は私の一部だって考えていた。

 対して貴方は、私を別人だと考えていた。

 ただ、それだけの違いなのよ」

 

 自覚の問題……そういう物なのかしら?

 意識などしていなかったから全然分からないのだけれど。

 うんうん私が唸っていると、彼女は穏やかにこう言った。

 

「それ以外に理由なんて無いわ。

 それに、私はそれで良かったと、そう思っているのよ」

 

 それで良かった、彼女は今確かにそう言った。

 その言葉が、どうしてか私の中で引っ掛かった。

 何が良かったのか、何を思っていたのか、とかそういう疑問。

 

「あなたは、何に対して良かったって思ったのですか?」

 

「さぁ、何に対してでしょうね」

 

 誤魔化して、回答を避けている彼女。

 でも、そこに何の邪気も無いことは、しっかりと伝わってくる。

 大切なものを、宝箱にしまい込んでいる様な、そんな感覚。

 

 そんな彼女の表情が、私に一つの事を推測させた。

 まさか、と思うのだけれど。

 でも、確かに、とも思うこと。

 

「私の夢、いえ、私の気持ちにあなたは……」

 

 言葉を続けようとして、でも彼女は私の唇に指を当てて、それ以上は喋らせなかった。

 だから、それがきっと答えなのだろう。

 彼女は、八雲紫はこう感じていたのだ。

 

 ――余分な気持ちも、大切なものだと。

 

 だから、私が幸せで在れるように、そう工作をしていたのだろう。

 彼女がその気持ちを感じれるために、それが一種の救いであるのだから。

 

「うん、分かったわ。

 全部、そう言う事だったのね」

 

 きっと、これでピースは全て揃った。

 揃ったからといって何が起こるわけでもないのだけれど、それでもひどくすっきりした気持ちを抱いているのは事実である。

 良かったと、素直にそう思っている自分がそこにはいた。

 

「ところで、私からも良いかしら?」

 

「えぇ、どうぞ」

 

 最後に、といった体で彼女は私に疑問を訊ねる。

 これがきっと、この場における最後の質問だろう。

 

「8年前、どうしてその時期に貴方は現れたのかしら?

 矛盾を埋めるために体を得たのは分かるのだけれど、どうして今更になって貴方が現れたのかが分からなかったの。

 私が余分だと断じて捨てたのは、ずっと昔のことなのだったもの」

 

 あぁ、成るほど。

 確かに、大いに疑問に思うことだと私も思う。

 実際、私もさっきまでは分からなかった。

 けれど、ピースが揃った今、私は自然に思い出すことができる。

 最初の最初、始まりの事を。

 

「それは、ですね」

 

 私は、視線をすき間から見えている和服を着た女性に向ける。

 蒼崎さんと一緒に現れた、和服の女性に。

 

「あの人と良く似た人に、私が溺れていた所から追い出されたんです」

 

「溺れていた場所?」

 

「皆がこうしたいって思っている、そんな集合的な場所です」

 

 多分、ユングって人が学説で唱えていた場所だと、そう思う。

 捨てられて行き場の無かった私はそこにあるだけで、揺らめいていた。

 だけれどある日、8年前にそれは終わりを告げた。

 

『お前、邪魔だよ。

 こんな所に居るタイプじゃ無いだろ』

 

 そんな事を一方的に告げられて、私はその場所から蹴り飛ばされたのだ。

 そうして零れ落ちた私は、体を得て、蓮子と出会った。

 ひどい、と思うけれど、お陰で蓮子と会えたのだから、そこは感謝してもしきれない。

 あの人が、私に『生きる』ということの切欠をくれたのだから。

 

「そう、貴方は私の人間的な部分だったから、世界も置き場所に困っていたのね。

 判別が難しかったのかしら」

 

「そうかもしれません」

 

 今はただ、感謝を。

 私の出会いと、今までに関わって来た人たちへと。

 

「わかったわ、ありがとう」

 

「こちらこそ、ありがとうございました」

 

 そうして、私達は互いに感謝を伝え合う。

 これで終わり、閉幕の合図。

 この空間から、私は出ることに成るのだろう。

 

「良き人生を、マエリベリー」

 

「良き生涯を、八雲紫」

 

 別れを伝え合うと、この空間は揺らぎ始めた。

 異物である私は、この場より追い出されるのだろう。

 それを理解して、最後に私はふと思った事を口にした。

 

「あなたが私の夢を見て、安らげたということはですね」

 

 少し息を吸って、私は空間から吐き出される瞬間に、彼女、八雲紫に届けと言葉を伝える。

 

「余分な心、貴方の中にまた溢れてきてるってことですよ!」

 

 私が空間から落ちる瞬間、彼女が見せていた表情は、キョトンとしていて可愛さを感じるものだった。

 

 

 

 

 

「メリー」

 

 どこか力なさげに、宇佐見さんがハーンさんの名を呼ぶ。

 心配でたまらないと、消えてしまった彼女を案じているのが伝わってくる。

 

「心配してもどうにもならんさ」

 

「橙子さんっ!」

 

 素っ気無く、煙草を吸いながら答える蒼崎に、両儀さんが諌めるような声を上げる。

 確かに、今言うべきことではないだろう。

 蒼崎の言うことも分かるけれど、わざわざ口に出す事でもないのだから。

 

「いや、ここは橙子が正しい」

 

「式まで……」

 

 両儀さんが、困ったような声を上げていた。

 事実として困っているのであろうけれど。

 

「……メリー」

 

 でも、宇佐見さんには声が届いてないようで。

 ずっと、ハーンさんの名前を呼び続けるばかり。

 正真正銘に重症というやつだろう。

 

 その宇佐見さんの様子が心配になり、私は彼女に声をかける。

 掛けなければ、と無駄な義務感が多分に働いたことも否定はできない。

 

「大丈夫よ宇佐見さん。

 ハーンさんは酷い事に会うことなんて無いわ。

 むしろ丁重に持て成されているはずよ」

 

 私は気休め程度に声を掛けるが、その考えは間違っているとは思っていない。

 あの紫色の彼女は、確かにハーンさんを守ってきたであろうから。

 だから、酷い事をするとは思えない。

 

「だと、良いけれど……」

 

 心配そうに、そう呟く彼女の背中は、とても小さく見えた。

 だから、その時、

 

「蓮子」

 

 彼女の声が聞こえたのが、何よりも有難かった。

 

「メリー!?」

 

「ええ、そうよ。

 マエリベリー・ハーンよ。

 ……ただいま、蓮子」

 

 ちょっぴり恥かしげに告げたハーンさんに、宇佐見さんが飛びつく。

 強く抱きしめて、大声で彼女に迫っていた。

 

「心配したんだよ、メリー!!」

 

「ごめんなさい、蓮子。

 でも、どうしても必要なことだったから」

 

「もうっ! ……でも、良かった」

 

 深い安堵と共に万感の思いをこめて、宇佐見さんは呟く。

 だからか、私にもそれが伝播したのか、本当に良かったと思えたのだ。

 

「それから蓮子」

 

「何? メリー」

 

 少し改まったようなハーンさんの声に、宇佐見さんも居住まいを正した。

 そこに、ハーンさんが照れ交じりの声で、こう告げたのだ。

 

「私は蓮子が好きよ。

 これからもあなたが結婚するまで、いえ、してからも生涯を通じて付き合っていくわ」

 

「へっ? いきなりにゃにを!?」

 

 ハーンさんが、唐突に宇佐見さんに告げたのは、聞きようによっては愛の囁きにも似た言葉。

 目を白黒させている宇佐見さんと、真っ赤になっているハーンさんを見て、私はつくづく思ったのだ。

 

「これで一件落着ね」

 

「……どこがだ」

 

 私の呟きに、両儀の奥さんが、呆れたように声を漏らした。

 けれど、その声は決して悪いものではなくて……。

 その場には弛緩した空気と共に、嵐が去ったのを感じさせる空気が存在していた。

 

 

 

 

 

「ぬおぉぉーーーーーーー!?」

 

 だけれど、唐突な声に、それは断ち切られて。

 上の方から、悲鳴と共に男の人が落ちてくる。

 ギャフン、という言葉と共に、お尻を強かに叩き付ける事となった。

 腰が、腰が、という呻き声が、どこと無く哀愁を漂わせている。

 

「教授!?」

 

「え、あぁ! ご無事だったんですね!」

 

 宇佐見さんとハーンさん、二人が声を上げて、その人物が誰なのかが私は理解できた。

 行方不明になった大学教授……生きていたのね。

 

「無事だったようで何よりだ、教授」

 

「そんな事は良いから、助けてくれないかネ?」

 

 蒼崎が適当に声を掛けて、教授はそれに腰を抑えたままに答える。

 格好が付かないこと、この上ない。

 だけれど――

 

「フフ」

 

 思わず、堪えきれずに笑い声を漏らしてしまう。

 だってそうでしょう?

 何もかも、全てが丸く収まったのだもの。

 

「こら、そこで笑っている君、誰だか知らないが笑ってないで助け……こ、腰が!?」

 

 あぁっーーー! という絶叫と共に、私達は笑いに包まれた。

 馬鹿みたいな話だけれど、こういう終わり方もあるんだと、そう思うと笑いが止まらなかったのだから。

 

「これで、本当に一件落着だね」

 

「……もうそれでいい」

 

 両儀さんが、笑いながらそう言うと、奥さんが疲れたように短く答えた。

 これで、文句なしでの円満解決で、この事件は幕を閉じたのだ。

 喜劇と言われそうではあるが、私にとっては良かったと、心より思える解決であったのだった。




さぁ、事件は解決したぞぉ!
後は後日譚だァ!!

……すみません、今回中に終わりませんでした。
あ、痛い痛い、石を投げないでください。

え、ご都合主義? 独自解釈?
ちょっと何を仰っておられるのかが分かりません(白目)。


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第24話 一つ終わって、エンは繋がる

連載1周年、やったね!
これからもよろしくお願いします!!


 現在、私達は宿泊ホテルに居る。

 蒼崎さんに車に乗せてもらって、皆で戻ってきたのだ。

 というか、全員が同じホテルに泊まっていることが、すごく驚きなのだけれど……。

 

「え、見えなく出来るんですか!」

 

 それ以上の驚きが、今私に襲いかかっていた。

 何がかと言うと、両儀さんの奥さんが、私と彼女の繋がりを断つことが出来るといったから。

 彼女、即ち八雲紫と私、マエリベリー・ハーンとの同一性を。

 

「お前達はもう十分に別人なんだよ。

 それが何時までも、無意識の中で相手を見ている……正直気持ち悪いだろ?」

 

「あ、あはは」

 

 随分とはっきり言う人だ。

 思わず、返事に窮してしまう。

 だけれども……確かに、と思うところはある。

 

 このまま夢を見続けたいと思っていると、何時までも成長をしない気がするのだ。

 夢を見ている、それは私の一部でもあった。

 だけど、そろそろ同床異夢の時が来たんだって、そう思ってもいる。

 私には私の感情が有り、彼女(八雲紫)には彼女の感情が有るのだから。

 

「でも、どうして……」

 

 分かったのですか、私と彼女の事を。

 そう続けようとした。

 本来なら、私と八雲紫しか知らない出来事のはずだったから。

 だけれど、私が言葉にするまでもなく、彼女は答えてくれた。

 

「私の目は特別製でな、お前達の在り方が視えただけのことだ」

 

 面白くもなさそうに、両儀さんの奥さん、式さんはあっさりと答える。

 よく見てみると、彼女の目は薄らと蒼さが滲んでいて。

 ――綺麗だなって、私は感じた。

 

「まるで瑠璃(ラピスラズリ)だわ……」

 

 特別、そう言われても頷ける彼女の眼。

 宝石箱から取り出した様に、キラキラとしているようにも感じる。

 

「ふぅん、そう言う奴もいるのか」

 

 私がじっと見ていると、式さんは納得したような顔で、そう呟いていた。

 そして私は、見ているのが急に恥ずかしくなってきた。

 

 ――何をしているの、マエリベリー。

 ――まじまじと見つめてたら、失礼じゃない。

 

 そう、自分で自分を叱責する。

 私だって、蓮子にひたすらに覗き込まれたら、恥ずかしくて真っ赤になる自信があるのだから。

 

「ご、ごめんなさい」

 

「別にどうとも思ってない」

 

 慌てて謝ると、非常に素っ気なく返される。

 怒ってるのかしら、と顔色を伺うと別段そういう訳でも無いみたい。

 単に、それがこの人の持ち味なのかもしれない。

 

「で、どうするんだ?」

 

 遅々として進まない話に、業を煮やした様に式さんが訊いてくる。

 私と彼女、これからどうするかについて。

 

 ……正直、八雲紫の夢を見るのは楽しい。

 見たことのない世界が、そこには広がっているわけなのだから。

 でも、だけれど、それを続けては駄目って事だけは分かっている。

 それは夢で、(うつつ)であることは、決してないのだから。

 普通の、蓮子の隣にいるのならば、交わることは無いだろう線。

 故にずっとそれを見ていると、現実から剥がれそうに感じるかもしれない。

 だから、私は……、

 

「はい、お願いします」

 

「ああ、そ」

 

 頭を下げてお願いすると、両儀さんはそれだけを小さく言う。

 そして私が顔を上げた、その時――

 

「――え?」

 

 ナイフが、目の前にあった。

 それが、私の目を貫いて、入り込んでいく。

 反応する間もなく、微動だにもできず、私は固まっていた。

 

 ……痛くはない、何も痛覚は訴えてきていない。

 けれど、大切な何かが、一つ断線した気がした。

 心の中で、プツリと音を立てながら。

 そうして、両儀さんはナイフを抜く。

 何の音も立てずに、何事も無かったかのように。

 するりとナイフが抜けた後は……私の目は、きちんと見えていた。

 

「え、一体なんなんですか!?

 あ、でも、見えてる?

 何がどうなってるのかしら、どれがどうなっているのかしら」

 

「落ち着け、繋がりを絶っただけだ」

 

 私が錯乱しそうになっていると、両儀さんは面倒くさそうにそう言う。

 でも、問題点はそこではないと思うんです。

 

「い、行き成り何をするんですか!」

 

 流石に、私でもびっくりしてしまう。

 まさかナイフを突き立てられるなんて、そうそうない経験だろう。

 けれど、当の式さん自体は実にケロリとしたもので、

 

「頼まれたからやった、それだけだ」

 

 呆気カランと、そう答えたのだ。

 あまりに自然であった為、思わず納得し、自失しそうになってしまいそうになる。

 けれど、一言くらいは何かをいうべきかな、とも思ったから。

 

「いきなりは、驚いてしまいます」

 

「言ってからやっても、怖いだけ」

 

 呆れたふうに言う式さんに、私は返す言葉もなかった。

 はぁ、と気の抜けたような返事をしてしまう。

 

 けれど、もうきっとあの夢は見ることがないのだろうと、そう直感する。

 彼女は、きちんとやってくれたのだろう。

 だから私は、彼女の目を見つめる。

 ……普通の眼、さっきまでの蒼い眼とは違う。

 けど、今はそこを気にすることではない。

 

「ありがとうございます」

 

 心を込めて、私は頭を下げる。

 今回の事件、今回の発端、それは紛れもなく今、式さんが消したのだから。

 ……これで能力を除けば、私はかねがね普通に近づいたのだろう。

 それは嬉しいし、でもちょっと怖かった気もする。

 

「それじゃ、私は行くから」

 

「え? どこへですか?」

 

 聞き返すと、式さんは一言で答えた。

 

「散歩」

 

 それだけ言って、この場から去って行く。

 その後ろ姿を、私はただ眺めているだけだった。

 

「ありがとう、ハーンさん」

 

 だから、いきなり掛けられた男の人の声に、少しビックリしてしまう。

 

「あ、両儀さん」

 

「こんばんは、ハーンさん」

 

 振り向けば、両儀さんがそこに立っていた。

 柔かな表情で、式さんの去っていった方向を見ている。

 

「ちょっと気まぐれだけれど、あれで可愛いところがあるんだ」

 

「え、えぇ、そんな感じがします」

 

 いきなりノロケ? と戸惑うけれど、別に彼にそんな意図はないのだろう。

 ごく自然な笑みを浮かべて、こう続けたのだから。

 

「素っ気なくされても、別に嫌われてるわけじゃないからね」

 

「……はい、それは分かります」

 

 私の目のこと、さっき解決してくれたのだし。

 嫌っていたら、わざわざそんなことしてくれないと思うから。

 そこまで考えて、そして気がついた。

 

「いつから見ていましたか?」

 

「えっと、散歩って式が言ったところ辺りからかな」

 

 なら、さっきの怖い光景も見てないのね。

 ちょっと安心できた。

 私の為とはいえ、奥さんが物騒なことをしているのを目の当たりにするのは、辛いと思うから。

 

「両儀さん」

 

「うん、何かな」

 

 ふと、私の中から、さっき両儀さんが言ってた言葉が蘇った。

 ”あれで可愛いところがあるんだ”って言葉。

 両儀さんがとても暖かな目をしていたから、私の心から、自然と思ったことが溢れる。

 

「多分ですけど、奥さんが、式さんが可愛い顔を見せるのは――」

 

 自分で言ってて、恥ずかしくなってくる言葉。

 だけれど、何となく告げなきゃと思ったから。

 

「両儀さん、両儀幹也さんだからだって、そう思いますよ」

 

 何で、私こんなに恥ずかしいこと言ってるんだろう。

 言い終えて正気に戻ると、急に顔が真っ赤になってるのを自覚してしまう。

 でも、両儀さんはそんな私に気付かずに、キョトンとした顔をしていた。

 

「式が可愛いのは、いつものことだけどなぁ」

 

「それ、惚気だと思います」

 

 さらりと、両儀さんも恥ずかしい言葉を言う。

 これに、普段の温和さが重なって、式さんは落ちたのかもしれない。

 そう思うと、巡り合わせは大事なのだなと、感じるのだ。

 

「早く、追いかけないと見失っちゃいますよ?」

 

 そして彼がここに居た理由にも、大体見当がついたのだ。

 彼は、式さんを追ってここに来て、式さんが素っ気なかったから、わざわざフォローしに私のところに来たのだろう。

 だから、早く、と両儀さんに告げたのだ。

 

「うん、ありがとう。

 じゃあこれで失礼するよ」

 

「はい、お休みなさい」

 

「うん、お休み」

 

 夜遅くだったから、そう言葉を交わして、私達は別れる。

 さあ、私も部屋に戻ろう。

 現在、ロビーの端っこにいて、自販機でジュースを買いに降りてきただけだから。

 蓮子も、部屋で待ちくたびれてるだろうし。

 

「メリー、まだこんな所に居たんだ」

 

「あ、蓮子」

 

 戻らなきゃ、と思ったところで蓮子がこの場所にやってきた。

 私が遅かったから、心配させちゃったのかもしれない。

 

「ごめん、さっきまで両儀さん達と話してて」

 

「もぅ、私を待たせてるんだから、そこを忘れちゃダメよ」

 

 少し不満げに、だけれど納得を見せながら。

 戻りましょ、と言ったのだった。

 

 

 

 そして、私達は自室に戻って、カーテンから覗いている月明かりを見上げた。

 電気は不要だと、今はいらないと思って、付けてはいない。

 その方が、見えないくらいが、きっと今は話しやすいだろうから。

 

「色々、あったね」

 

 蓮子が、その口火を切った。

 そこから、私達はつらつらと話し始める。

 教授に相談に来て、これまでにあった沢山の濃い出来事を。

 

「メリーの夢から始まって、メリーが自分を探す旅で」

 

「個人の問題だったはずなのに、事はどんどんと大きくなっていって」

 

「でも、知れたことも沢山あるんでしょう?」

 

 蓮子は少し笑ってから途端にむくれた顔になって、私はメリーの全部を知ってるわけじゃないわ、と呟いた。

 それから、一気に蓮子は捲し立て始める。

 

「メリーは勝手にどっかに付いてっちゃうし。

 急にすっきりした顔で戻ってきて、私に大好きなんて言うんだから。

 全く、人の気なんて知らないで!」

 

 蓮子からすれば文句なのだろうけれど、その顔は真っ赤になってる。

 でも、やめて。

 それを思い出したら、私まで顔が熱くなっちゃうから。

 あの時は、勢いがあったのよ。

 だから言えた言葉でもあるの。

 でも、決してそれは……。

 

「嘘じゃないのよ」

 

「そういうところが人の気も知らないでって事なのよ!」

 

 がるる、と言わんばかりに蓮子は顔をあかくして、私を睨んでいた。

 そしてその思いの丈をぶつける様に、私に彼女は叫ぶのだ。

 まるで、王様の耳はロバの耳と言わんばかりに。

 

「真面目に心配してた私がバカみたいで。

 でもみんなは何かわかった顔をしてて。

 私だけ知らない事が増えてすっきりしなくて。

 仲間はずれにされた気分だわ!」

 

 そうして、小さく蓮子は私に、弱音のようにこう吐いたのだ。

 

「秘封倶楽部の会長命令よ。

 教えてよ、いえ、教えなさい。

 何があって、何をして……」

 

 そこまで言って、恥ずかしそうに蓮子は顔を伏せてから、蚊の鳴くような声で囁いた。

 

「どうして私が大好きなのかも、しっかりね」

 

 小さく、小さく、でもしっかりと意志が宿った声。

 いじらしくて、素直な蓮子の気持ち。

 だから、私にもそれが伝播して、何を言えば良いのかわからなくて、口をパクパクさせてしまう。

 

「夜は長いんだから、全部吐いてもらうわよ」

 

 そこで、いつもの蓮子らしく笑うんだから、ズルいと思う。

 

「――蓮子にだったら、良いよ」

 

 こうして、私達の眠れない夜が始まる。

 もう彼女(八雲紫)の夢を見ることはないのだから。

 ……少しくらい、夜更かししても良いよね。

 

 

 

 

 

 大学、やや薄暗さが残る研究塔内の一室。

 目の前には、怜悧な瞳で私を見ている女性が一人。

 そう、私は今、蒼崎橙子と対面しているのだ。

 念願叶ってといえば良いのか、ある種の感慨のようなものはある。

 それと共に、緊張と不安もあるのだけれど、そこは何時も通りに行くしかないであろう。

 

「蒼崎橙子、一度会ってみたかったの。

 貴女に会えて光栄ね」

 

「光栄といきなり言われてもね。

 お前は私の何に名誉などを感じているんだ。

 人形か、噂か――それとも魔術か?

 どうなんだ、アリス・マーガトロイド」

 

「……名乗ってはいなかったのだけれどね」

 

 一瞬で、私が魔術師だという事が露見する。

 が、大した問題ではない。

 相手も、先人の魔術師であるのだから。

 ただ、なぜ分かったのかという事が気になった。

 

「なに、流麗な魔術回路は、それだけで魔術の存在を匂わせる。

 ……漏れているのさ、お前から魔術の匂いが。

 名前は、宇佐見達から聞いたのさ」

 

「成程」

 

 言われてみれば、私も凛から魔術の気配は感じる。

 しかし私も凛も、普段はしっかりと栓をして、魔術回路はしっかりと閉じている。

 魔力漏れだなんて起こさせないほどに、完璧に。

 凛がそれでも分かるのは、馬鹿みたいな回路数の賜物だろう。

 

「褒められたと思っても良いのかしら?」

 

「あぁ、そう受け取ってももらって結構だ。

 ――是非、バラしたくなるほどだよ」

 

「……貴女の好奇心(ネコ)は化物か何か?」

 

「ほぅ、良く分かっているじゃないか。

 私の使い魔(ネコ)は化物さ」

 

 尤も、意味は大きく違うだろうが、と蒼崎橙子は笑っている。

 何がどう違うのかは分からないが、今はあまり突っ込む気にもなれない。

 

「良く、魔術師と会う気になんてなったわね」

 

 だから、今思っている本音を彼女にぶつけてみる事にする。

 何故、と今何よりも私が思っていることだったから。

 

「ん、言いたいことがあったのでな」

 

 そして、蒼崎橙子もあっさりと答えてくれる。

 答えても良いことだからだろう。

 故にあっさりとしていて、故にあっさりと言葉にしたのだ。

 

「黒桐を手伝ってくれたそうだな」

 

「コクトー? ……あぁ」

 

 そういえば、昔居合わせた電車で、謎かけをしていたことを思い出す。

 その時の、両儀さんの名前がコクトーだったはず。

 

「私にも目的があったのよ」

 

「それでも礼は言っておこう。

 尤も、謝礼ならば式の家辺りにでも請求してくれ」

 

 残念ながら今は金がなくてね、などと呆気からんと言う彼女は、表情を変えずに、私を見ていた。

 それは、感謝しているというには、やや尊大な態度であろう。

 が、それが蒼崎橙子と言われれば、頷いてしまう自分がいる。

 両儀さんから聞いていた通りの、傍若無人な人物であると、そう言う意味で。

 

「だが、それ以外にお前に聞きたいことがあるんだよ、マーガトロイド」

 

 やっぱり、と思う。

 何も理由なく、私に会うのはおかしいと思ったから。

 ましてや封印指定の魔術師が、である。

 迂闊な行動をする裏には、何か目的があると思うのは間違いではないであろう。

 

「それで、何が聞きたいの?」

 

「あぁ、なに、簡単なことさ」

 

 彼女は哂っていた。

 ただ静かなのに、威圧感を感じる。

 さぁ、言ってみろと脅迫されてるように感じるほどに。

 

「お前、何の目的でここまで来た」

 

 あぁ、成程。

 確かに彼女からしてみれば、ひどく重要な問題であろう。

 わざわざ自分のいる場所に現れる魔術師なんて、胡散臭くて堪らないはずだ。

 

「まず、前提として一つ言っておくわ」

 

 蒼崎橙子は、やる時はやれる魔術師だろう。

 だから真っ先に、私は自らの保身を優先する。

 ここで意味もなく命を掛けるなんて、馬鹿みたいな話なのだから。

 

「貴女が目的ではないわ」

 

 それだけ告げれば、十分に彼女の憂慮は収まるであろう。

 事実として、殺気染みた気迫は、落ち着き始めている。

 

「人探しをしているのは本当なのだけれどね。

 ……パチュリー・ノーレッジを知っているかしら?」

 

 だからしっかり人物名まで告げて、彼女に逆に私は尋ねる。

 もしかしたら、隠遁している仲間として、何かを知っているかもしれないから。

 

「名前程度はな。

 ……だが、おそらくだがこの辺りには居ないだろう。

 縄張りも、気配すらも感じんさ」

 

「そう、残念ね」

 

 でも、これで私の任務は達成だ。

 蒼崎橙子が、わざわざ太鼓判を押して、この辺りには居ないと断言してくれたのだから。

 ……結局、ここまで来たのは無駄足だったのだけれど。

 

「それを探しに来ていたのか?」

 

「えぇ、極東にノーレッジがいるという噂があって、聖堂教会は人材不足だから必死に増員している最中だからね」

 

 彼女ほどの人材を下野させて置くのは惜しい、と人手が足りない連中は思ったのであろう。

 だから、わざわざ私みたいな者まで使って、探索なんかを始めたりした。

 ……どうして下野したのか、そこらの理由を考えているかは疑問ではあるが。

 

「それで、この場所に魔術師がいると聞いたのか?」

 

「そんなところね」

 

 ここまで話して、私はふと、気がついてしまった。

 この場所にいる魔術師、それは明らかに……。

 

「誰かは知らんが、私を目に留めた奴がいたらしい」

 

 ふむ、中々やるな、と賞賛している蒼崎。

 思っていたよりも、のほほんとしている。

 ……自分の場所が見つかった事も、あまり気にしていないのか。

 

「大丈夫なの?」

 

 あまりに蒼崎が無防備に見えて、だからか要らぬ質問を私は投げかけていた。

 何故なら、蒼崎の様な類の魔術師は、人目につかない為にこっそりと潜んでいるのだから。

 だから不安に思ったのだけれど……。

 けど、蒼崎は私の不安を一笑にする。

 

「なに、魔術協会でなく聖堂教会であるのならば、大して問題になどならん」

 

 私をスカウトする気があるのであれば別であるが、と意味深に私を見る蒼崎。

 それに対して、私は素直に首を振る。

 面倒事は御免であるから。

 聖堂教会の方に、報告などするつもりは無かった。

 

「わざわざ欧州から足を運んで、ご苦労なことだ」

 

 そんな私を見て、蒼崎は皮肉げにそんな事を言った。

 精々、要らぬ苦労をご苦労さま、と言ったところであろう。

 だけれど、前提が間違っているので、私は対して怒りも湧いてこない。

 

「日本に留学中なの。

 近くて、伝手があったから無理やり動員されただけよ」

 

 それだけ、聖堂教会は人手不足なのだ。

 わざわざノーレッジの様な魔術師の痕跡を追う程度には。

 ……尤も、ノーレッジが必要とされているのは、魔術の腕ではなくその管理能力にあるのだけれど。

 

「ほう、わざわざこんな僻地にか」

 

「日本のある土地に、気になるものがあったのよ」

 

 魔術的観念から見て、私のような西洋魔術師は設備の整っている時計塔へ行くはず。

 そんな揶揄を込めた蒼崎の言葉。

 けど、そこにないものがあるから、私はここに来ているのである。

 

「どこだね」

 

「冬木市よ」

 

 だけれど、私がそう答えると、蒼崎は興味深そうな顔をした。

 まるで、何か面白いものを見つけたように。

 ……何か知っているのか、誰かと繋がりでもあるのか。

 

「何か知っているの?」

 

「いや何、大したことではないさ。

 ただ、少し前にその冬木から、私のところに尋ね人が来た程度のことだよ」

 

「へぇ」

 

 尋ね人、わざわざ蒼崎に?

 ……何だろう、異様に怪しい。

 脳裏には、呵呵と嗤う爺や、麻婆を貪る神父の姿。

 胡散臭い人材は、他にも探せば山ほど出てくるであろう。

 

「誰かしら?」

 

 知ってるかもしれない、というか恐らくは知っている。

 そう思って、私は蒼崎に訊いていた。

 もしかしたら、何らかの行動の前準備をしているのかもしれないと、そう思って。

 

「さてな、特徴的な髪型だったのは覚えているのだけどね。

 名前はさて、何だっただろうか」

 

 惚けた様に、蒼崎は名前を告げなかった。

 ただ、ヒントを残しただけで、後は何も語らない。

 そこから考えられること、それは……。

 

「依頼はしなかったのね」

 

 蒼崎は尋ね人と言っていた。

 決して客とは言っていなかった。

 そして、こうして情報を僅かにでも漏らした。

 つまりはそうしても良い相手、単なる言葉通りの相手でしか無かったということ。

 

「なら、どうするかね?」

 

 無機質に、蒼崎は私を見ていた。

 ただ、そこに何かを感じる。

 こうする事で、まるで試しているかのような。

 

「……対価を、払うまでよ」

 

 懐から、私は上海と蓬莱を、鞄からは他の人形をいくつか取り出す。

 私の親愛なる人形、私に付き従う最愛の友。

 彼女達だからこそ、蒼崎に見せるのには相応しい。

 

「ほぅ、それでどうするつもりかね」

 

「一つ、劇の開演を」

 

 私は、舞台の上で響かせるように、目の前の彼女に告げた。

 これが私なりの誠意の示し方であり、矜持でもあるのだと。

 絶対の自信を滲ませて。

 

「ふん、まあ良い」

 

 やってみろ、と蒼崎は促した。

 無言で、私も頷く。

 元より、そのつもりであったのだから。

 

「さぁ、行くわよ」

 

 今宵も魅せて、上海、蓬莱。

 貴方達となら、上手くやれるわ。

 念じながら魔力の糸を伝わせて、私は彼女達を動かし始める。

 ――演目は、サロメ。

 

 

 

 

 女王サロメの、ある意味で独り舞台。

 鮮烈すぎる愛が、彼女の身や思い人をも焦がし、焼き尽くした物語。

 求めすぎるが故に、堕ちていったお話。

 

 女王サロメは、義父のヘロデから色の篭った視線を度々に向けられていた。

 今日も今日とて、宴の席でその視線に晒される。

 それに耐え兼ねたサロメは、テラスへと逃げ込んだのだ。

 

 ――そこで、彼女は声を聞いた。

 

 井戸の底から響き渡る、不気味で薄暗い声。

 だけれども、その声は美声でもあり、響く度にサロメの心を響かせた。

 だから、彼女は是非その声の主に会いたいと思ったのだ。

 

 故に、警備隊長に命令を下して、その者を自分の前に連れてこさせた。

 そうして隠し井戸から連れてこられた人物に、サロメは魅入られてしまった。

 黒い髪に白い肌、オリエントと西方の魅力が合わさったかの様な人物。

 しかし何より、その生真面目な彼の本質に、サロメは一目で心を掴まれたのだ。

 

 けれど、その彼、肝心のヨカナーンはサロメを見ようとはしない。

 それどころか、サロメの母の不義を詰るばかりで、決して彼女自身をヨカナーンは見ようとはしなかった。

 それでも、サロメはヨカナーンに魅入られていた。

 深く、何よりも深く、魔性のように。

 だから、サロメは言ったのだ。

 

『あなたに口づけをするわ』

 

『呪われよ』

 

 ヨカナーンは酷く冷たい目で、その言葉を吐いた。

 その姿に悲痛さを覚えたサロメだけれど、それさえも愛おしいとさえ思えてしまったのだ。

 そんな彼を思っている時に、サロメの前に義父と母がやってきたのだ。

 

 こんな所にいたのか。

 義父がサロメにそう言って、夜の中にいるサロメを見つめていた。

 そして、ふと思いついたように、こんな提案をしたのだった。

 

『踊ってみせよ』

 

 義父の命令、だけれども義父に一度でも従えば、後がどうなるかなどは、容易に想像がつく。

 なのでサロメは何度命令されても、それを拒否し続けたのだけれど……。 

 ……だけれども、義父の何でも願いを叶えるという言葉に、サロメは遂に陥落した。

 何でも、という言葉に確約を得たサロメは、全力で舞う。

 神秘的で、熱い思いと期待が込められた舞いを。

 彼女はこの場にいない、彼に捧げたのだ。

 そうして、舞い終わった彼女は義父から喝采を受け、願いを叶えようと言われたのだ。

 その時、彼女が要求したものは……。

 

『ヨカナーンの首が欲しいのです』

 

 その願いを聞いたとき、義父から微笑みが消えた。

 そしてサロメに、考え直すように懇願を始めたのだ。

 何故ならば、ヨカナーンは口は悪くも聖者であったから。

 遠ざけ幽閉することはあっても、それ以上のことはしてはないらないと、義父は考えていたのだ。

 だけれども、サロメは同じ言葉を繰り返し続ける。

 

『ヨカナーンの首が欲しいのです』

 

 壊れた機械のように、何度も同じ言葉を繰り返すサロメ。

 サロメの母である王妃も、自分を糾弾するヨカナーンが疎ましく、首を切るのに同意している。

 それに押される形で、すごく嫌そうに義父は命令したのだ。

 即ち、ヨカナーンの首を持って来いと。

 

 そうして、ここに持ってこられたそれ。

 ……ヨカナーンの首が、銀の皿に乗せられて持ってこられたのだ。

 聖者であり、糾弾者であったヨカナーンの首。

 しかし、サロメにはそんな事はどうでも良かった。

 ただ、その皿に晒されていた首を抱きしめて、思いっきりの口付けを施す。

 それは歓喜を伴った甘さを内包して、唇を燃え上がらせた。

 

『ヨカナーン、私はお前に口づけをしたのよ!』

 

 それはきっと、サロメの勝鬨なのだ。

 己が情熱の赴くままに、ヨカナーンの唇を貪るサロメ。

 手に入るはずもなかったモノが、今サロメの手の中にあったのだから。

 悦や楽に浸る彼女の姿は、とても妖艶で……そしておぞましくあった。

 

『殺せ』

 

 義父が、命令した。

 正気でいるには、耐え難い状況であったのだ。

 サロメは、それでも口付けを止めなかった。

 故に、自然の摂理として、サロメの首は落とされる。

 地へと、血を撒き散らしながら。

 しかし彼女は、笑って死んでいったのだった。

 それが、彼女の意思であるかのように。

 

 

 

 

 

 ふぅ、と一つ溜息をつく。

 失敗せずに終えれたという安堵感。

 劇中は夢中で忘れていた緊張が、今になって思い出したようにやってきたのだ。

 そこに響くは、一つの拍手。

 パチパチパチと、一定のリズムで。

 それはこの場に響いていたのだ。

 

「見事な人形の操作。

 流麗であったのは魔術回路だけでは無かったようだな」

 

「これが取り柄で生きがいなのよ」

 

 思った以上に好感触。

 彼女は作るほうが専門だけれど、見る方もそれなりに楽しめる人種のようだ。

 

「だが、な。

 一つばかり気になったのだが」

 

 それでも、蒼崎は怜悧さを忘れてはいなかった。

 どこか皮肉げに、彼女は私を見つめていた。

 馬鹿にしたように、関心をしているように。

 

「それは、魔術の上で必要なものなのかね?」

 

 そして、蒼崎は指摘する。

 私と、私の人形(最愛)達を観察した結果を。

 この道を辿る者の先達者として。

 

「相応の芸には、努力の裏打ちがある。

 天才であっても、それは変わらん。

 十全に使いこなすには、必然的に必要なものだからな」

 

 黙って、蒼崎の話に聞き入る。

 何を言わんとしているのか、それを胸に刻むため。

 彼女の目が、何かを語ろうとしていたから。

 

「人形への愛、という奴は見ていて恥ずかしいほどに伝わってくる。

 正に憑かれているのだろう、お前は。

 だからこそ、お前が目指しているものは何なのか。

 それが問題だ」

 

 さぁ、と。

 蒼崎は私に問いかける。

 まるで問答のように。

 

「二兎を追うものは一兎をも得ずという。

 一石二鳥など、都合の良い事は早々起こりようもない」

 

 蒼崎は、意地が悪そうに私を見ていた。

 それは、とても魔術師らしい顔で。

 あぁ、これから嫌なことを言おうとしているのが伝わってくる。

 

「――さて、お前は魔術をするには、些か余計なものが憑き過ぎている。

 お前が何を目指しているのであっても、届きはしない。

 ……人形を、捨てない限りな」

 

 クツクツと、蒼崎は嗤う。

 結果を知っているのだと、己と私に相対しながら。

 観劇をするように、私を良く観察しながら。

 蒼崎は、語るのを続けるのだ。

 

「その時、お前はどうする。 

 人形か魔術、どちらを選ぶんだ。

 お前のそれは、魔術と複合することなどない」

 

 そして、意思を持った悪意のように、蒼崎は言葉を紡ぎ終える。

 沈黙した彼女は、私の反応を待っているといったところであろう。

 ……巫山戯た話しだ。

 その様なこと、考えるまでもないのに。

 

「――どちらも、よ」

 

 決して、片方が欠けては成り立たない。

 車輪は両輪が付いていなければ、脱線する他にないのだから。

 それに、だ。

 

「そもそも、主と従が違うのよ。

 従うべきは魔術の方よ」

 

 私は、人形を自立化させる為に、魔術を学んでいる。

 その自立化を果たす為の手段が、根源に過ぎないのだ。

 魔術以外に手段があるというのならば、私はそれに乗り換えることであろう。

 

「根源こそが願いではないのよ。

 根源の先に、願いを叶える手段があるのよ!」

 

 だから、私は宣言する。

 蒼崎に対して、自分に対して、そして人形達に対しても。

 私の至るべき場所は、その地点であると、そう確信を持ちながら。

 ……すると、

 

「クク、成程なるほど、そういう事か」

 

 蒼崎は何が面白いのか、私の言葉に対して笑い始める。

 堪えきれずに、といった感がすごく満載で。

 

「お前はある種の、出来すぎた魔術使いと言うやつなのだな」

 

「そもそも、魔術師は根源の裏に何を見るのか。

 それすら代を重ねるごとに、忘却しているのではなくて?」

 

「クク、違いない」

 

 目的のある私の方が、そういう連中よりも余程魔術師であるだろう。

 根源に溺れるのではなく、もぎ取って帰ってくる気は満々なのだから。

 恐らく、私が研究している『魂の創造』という分野は、根源を覗いて戻ってくるのにも役に立つだろう。

 今は、サーヴァントや降霊術紛いの研究で、軒並みストップしているのだけれども。

 

「……もしや、先ほどの劇」

 

「私は素直なのよ。

 だから十分、気持ちは伝わったでしょう?」

 

「どこが」

 

 鼻で笑うかの様に、蒼崎は言う。

 ……本当に性格が悪い。

 これ程に、ハッキリとしていると言うのに。

 そう、私は劇を通して蒼崎に伝えた。

 それこそが私の誠意という、その思いの通りに。

 

 ――つまりは、あの劇こそが、私の憧れであるという事。

 

 サロメは、激烈にヨカナーンを求めていた。

 手に入らないと、刹那的に理解してしまったから。

 しかし、それでも彼に魅せられて、取り憑かれてしまった。

 不幸にも見えるが、彼女は死ぬ瞬間は確実に幸せであったであろう。

 どこまでも独り善がりであっても、彼女の手は、確実に彼へと届いていたのだから。

 

 勿論、私のは人形に対してであり、そこまでやろうとは思っていない。

 だけれど、ここまで思えたらいいなと、それに憧れる気持ちは無くはないのだ。

 

 何かをそこまで思えるのは、普通では出来ないから。

 それに溺れることができたら、世界は自分になるのだろう。

 ……そうするときっと幸せだろうけれど――きっと、人間ではなくなるのだろう。

 幸せであるのは、人間だけの特権ではないのだから。

 

 だから、きっと私は人間を辞められない。

 もし辞めるのだとすれば、私がこの世から存在を断つ時。

 この地上に何も、私が残すものが無くなった時なのだ。

 

「お前の手は、きっと先には届かない」

 

 それを見透かしてか、蒼崎は私に言葉(呪い)を掛ける。

 ……本当に嫌な人。

 先達者だから分かることがあるのだろうけれど、それで決め付けてくるのだから。

 

「伸ばしても届かないのなら、飛んででも取りに行くだけよ」

 

 それを成せた時が、私の願いの成就した時と言える。

 だからこそ、あらゆる道を模索しているのだ。

 抜け道の探索にだって、私はしている。

 あらゆる可能性を、私は考えている。

 正攻法では届かなくても、それで諦めれる訳ではないから。

 

「そうでは無いのだがな」

 

 だけれど、私の言葉を蒼崎は、どこか呆れを持って正す。

 彼女が伝えたい意味を、その言葉に乗せて。

 

「根源に至るということは、振り返らずに一人で歩き続けるということだ」

 

 それだから、と蒼崎は私を見て言う。

 どこか冷めた目で、それに呆れまで交えている不思議な目で。

 

「お前の人形劇は、誰かに見てもらうことで成り立っている。

 お前自身も、一人では居られないタチだろう。

 だからお前は……」

 

 蒼崎は全てを語らなかった。

 言うまでもない事であり、言われたいとも思えない内容だったから。

 けれど、もしかしたらと、私は思った。

 

「根源に至るということは、人間を辞めることなの?」

 

 そう尋ねると、蒼崎は酷く今更だ、という顔をしていた。

 そして、サラリと口にしたのだ。

 

「何を当たり前のことを」

 

 あっさりと、それを肯定した。

 だからか、もう一つばかり気になったことが出てきたのだ。

 これは、とても気になること。

 

「貴女は、今でも人間を辞めようと思ってる?」

 

 蒼崎の答えは……どこか諦めたような、けれど清い修道女の様な儚い笑みであった。

 それで、私は分かってしまった。

 ――蒼崎でも、一人では生きられないのだと。

 

「ところで、なのだけれど」

 

 だから、私はこれ以上この話題をする気にはなれなかった。

 これ以上の答えも、それ以上の助言も貰えそうになんてないから。

 

「訪ねてきた人、結局は誰だったの?」

 

 問答の原因になった、私が問いかけていた質問。

 それに対して、蒼崎は簡素に、だけれども答えてくれたのだった。

 

「何の力も持たない、ただの少年だったよ」

 

 

 

 

 

 ベッドに、私は沈み込む。

 今日あったことを思い出して、どっと疲れがやってきたのだ。

 蒼崎の部屋から帰って、自分の部屋でシャワーを浴びた、今現在。

 さっきの会話は、どうにも考えさせられることが多かったから。

 重くなっていく瞼を抑えて、つい考えてしまうのだ。

 

 魔術師として、自分がどこまでやれるかなんて、気が遠くなるような話。

 そして蒼崎は、根源にたどり着けるものは、孤独でなくてはいけないと言っていた。

 私は、自分がたどり着けるとは思っている。

 100年ほどかけたら、それ程の過程を踏んだのなら、の話だけれど。

 でも、それで孤独の独りぼっちになるのだとしたら、それは私にとって、本当に正しくあるのだろうか。

 ……考えると、やはり躊躇してしまう。

 

 そう、考えたのなら、私はすぐに自覚してしまう。

 私は、アリス・マーガトロイドは、寂しがりやなのだ。

 独りでなんて居たくない。

 何時か別れの時が来るのだとしても、絆は紡がずにはいられない。

 

「……上海、蓬莱」

 

 ふと、彼女達の名を呼んでみる。

 目を向けると、二人で仲良く並んでいる姿が見えた。

 けれど、私の声にはピクリとも動かない。

 ただ、そこに居てくれるだけだ。

 

「ま、てって、ね、二人とも」

 

 もう、瞼が閉じるのが我慢できない。

 そんな時に、私は殆ど無意識気味に、呟いていた。

 何を考えてその言葉を口にしたのかは、分からない。

 ただ、今は眠ろう。

 

 ――お休み、上海、蓬莱。

 

 

 

 

 蒼崎橙子は、自分の借りている一室にいた。

 その中で、先ほど出逢っていた少女の事を少しだけ、思い起こしていたのだ。

 手が届かないと、自分で断言した少女を。

 

「お前の手は、果てまでは届かん。

 ただ、横に伸ばすのならば――」

 

 隣にいて、手を繋ぐ程度のささやかな事ならば、容易に出来るのだ。

 それを、アリス・マーガトロイドは気付いていない。

 高くを見すぎて、足元が見えていないのだ。

 

「贅沢者が……。

 お前が欲しいものは、すぐ手に入るというのに」

 

 あの少女は魔術師に向いてはいない。

 才気と発想には溢れていても、残酷には成りきれないだろう。

 それは、彼女の人形劇を見て、理解できたこと。

 

 あれは、彼女の本質を表していた。

 それ程に、掛け値なしの――笑顔を、彼女は浮かべていたのだから。

 一人ではなく、皆で創造をしていくタイプ。

 人形についても、同じ作る人同士だから分かる。

 ――アレには、愛が篭っていた。

 だから、蒼崎橙子は不機嫌だったのだ。

 

「――馬鹿者め」

 

 彼女は煙草を吸いながら、少女にその言葉を送ったのだった。

 

 

 

 

 

「式」

 

「……何だ、幹也か」

 

 見つけた、と言って寄ってくる幹也に、式は何時もの仏頂面で彼を迎えていた。

 場所は人気のない公園、誰の姿も見えはしない。

 真夜中の公園で二人きり、ただ月だけが二人を見ていた。

 

「わざわざこんな事まで追いかけてきて、何なんだ」

 

 式は、言われずともそのうち帰る、と無感動に言う。

 だけれど、そんな式に、幹也はごく自然に、こんな事を言ったのだ。

 

「僕が君と居たいだけだよ」

 

「……馬鹿が」

 

 思わず手が出てしまいそうなのを止める。

 ここで殴ってしまったのならば、それはあまりにも幼稚だったから。

 ――恥ずかしい、何て理由だけで殴ってしまうのは特に。

 

「式の方だって、何時だって考えなしだ」

 

 幹也も、言われてるだけではなくて言い返す。

 それは彼なりの心配であり、式はそれが鬱陶しくも嫌いじゃない。

 どうしようもなく、両儀式という人間は、彼という鎖に雁字搦めに絡め取られているから。

 

「お前は、何時だって考え足らずなんだよ。

 直感も推理力も足りてないから、よく迷子になる」

 

「……今は関係ない話だろ、それは」

 

「そうだな、お前の話もだ」

 

 そして、何時もの如く幹也は式に言い負かされる。

 でも幹也は、それが嫌いじゃなかった。

 式は、今日も何時も通りと安心できるから。

 別に被虐趣味何かがある訳では、断じてないけれど。

 

「式、ちょっと良いかな?」

 

「……お前、何を言っても好きにしゃべる気だろうが」

 

 言外に、好きにしろと式は言っていた。

 だから、素朴な悪戯を、幹也は式に仕掛けてみたのだ。

 好きな子を、苛めてしまうかのように。

 

「月が綺麗ですねって言葉、式は知ってるかな」

 

 ……式は答えない。

 だからこれは、幹也の独白のようなもの。

 だけれど、彼はそれを止めようなどとは思わなかった。

 

「僕はね、何時だって月は綺麗に思うよ」

 

 それは、恐ろしいまでに惚気けているだけだった。

 自分と、式の仲を。

 恥ずかしがるとわかっていながら、彼はやってしまっていたのだ。

 

「……帰る」

 

「うん」

 

 だからすぐに、その場から身を翻した彼女に、幹也はついていく。

 さっきの仕返しと、だけれども本音を交えた言葉に満足しながら。

 

「……絶対に、”私死んでもいい”なんて言うもんか」

 

 拗ねた式の言葉を聞いていたのは、幹也と空の月だけだった。

 

 

 

 

 

 チュンチュン、何てベタな鳴き声を出している鳥達。

 あぁ、もう朝なのだと、嫌でも自覚できてしまう。

 んーっ、と身を起こして、目を軽く擦りながら私は起き上がった。

 上海、蓬莱、おはよう。

 そう、何時もの通りに声を掛けようとしたのだけれど……。

 

「え?」

 

 彼女達を置いていた机の上に、手紙が一通存在していた。

 それは見覚えのないものだけれど、宛名はアリス・マーガトロイド様へとなっている。

 自然、手がその手紙へと伸びていた。

 手に取り、何も仕掛けがない事を確認して、私はそれを開封する。

 そこには、大体この様な内容が綴られていたのだ。

 

 

 先日は失礼しました。

 この度はご迷惑をお掛けしたと思っております。

 そこで、私はせめてもの罪滅ぼしにと、貴女のお手伝いをさせて頂きました。

 私は、パチュリー・ノーレッジの居場所を知っているのです。

 ですから、彼女にも聖堂教会宛にお手紙を認めて頂きました。

 ですので、任務が果たせなかった事を、悔やむ必要は何一つありません。

 故に、安心して下さい。

                               かしこ 八雲紫

 

 

 余計な物を省いて表すと、こんなふうになった。

 思わず、その内容に頭が痛くなってしまい、そしてこれが何時の間にか部屋にあったことも、頭を痛くしてしまう。

 もう、自分の居ない所で事態が動きすぎている。

 それが悪いとは言わないが、翻弄されるのならば堪ったものではない。

 

「……逃げようかしら」

 

 避暑と洒落こんで、早苗の家に転がり込むのも良いだろう。

 それだけに、今は魔術も利害も億劫であった。

 だから、しばらく時間を置こう。

 

「えぇ、ちょうどいいわね、それ」

 

 名案に思える。

 早苗も嫌とは言うまい。

 むしろ歓迎してくれるだろう、彼女ならば。

 

「……決定ね」

 

 凛には悪いけれど、バイトはもう少しの間、頑張ってもらおう。

 それだけの対価に見合うことを、私は約束しているのだし。

 

「なら、行くことにしましょうか」

 

 考える時間、それを得るために、私は早苗の家へと向かう。

 それが確定した瞬間であった。

 

 

 

 そうして、つつがなく用意を済ませ、朝食を食べた私達は、後はチェックアウトするだけであった。

 

「色々、ありましたね」

 

 宇佐見さんが、そんな事を感慨深そうに言う。

 両儀さんなどは、確かに、と頷いている。

 皆も、総じて同じことを思っているだろう。

 

「けど、皆さんのお陰で、私は何とかなりそうです。

 ありがとうございました」

 

 そこに、ハーンさんが勢いよく頭を下げた。

 すっきりした顔で、感謝の気持ちを込めて。

 だからか、自然と皆がその言葉を受け止める。

 自分がどうとか、そういう事は一切考えずに。

 

「じゃあ、私は行くわ」

 

「え? もうですか?」

 

 意外そうにハーンさんが言うが、もう私は次の行動を決めているから。

 ここから早苗の家まで、少しばかり距離はある。

 だから早めに行動しようと考えたのだ。

 

「えぇ、貴方達も元気でね」

 

「そっちこそ……ありがとうね」

 

 宇佐見さんがはにかみながら、そう声を掛けてくれた。

 とても晴れやかな顔、恐らくはハーンさんと全てを話し合ったのだろうと、彼女を見て直感してしまう。

 仲の良いこと、この上ないことだろう。

 

「両儀さんも、お疲れ様ね」

 

「僕のは仕事だから良いんだよ」

 

 次に、私は両儀さんに声を掛けると、彼は何時もと変わらない柔らかさで、そう言ってのける。

 この人は、どんな時でも自然体を崩さない、などと感じてしまうのは観察不足であるからなのか。

 

「それでも、よ」

 

 隣の奥さんにまで目を向けて、私は苦笑する。

 この人は、そんな性分なりに、楽しくやっているのだと、奥さんと一緒にいるところを見て、分かってしまったから。

 

「何だ」

 

 

「いつも仲がよろしいな、と思っただけよ」

 

 奥さんが不機嫌そうな声を上げるので、からかい混じりにそんなことを言ってしまう。

 すると目が鋭くなった。

 あまり刺激すると、今度は私が裂かれてしまうであろう。

 

「それでは皆さん、互いに仲良く過ごすことね。

 それじゃあ、さようなら」

 

 だからその言葉を最後に、私は皆に背を向けた。

 このホテルから出るために。

 そして逃避行を、始める為に。

 

「マーガトロイドさん、縁があればまた逢いましょう!」

 

 宇佐美さんの声が、後ろから聞こえてくる。

 それは掛け値なしに本気で思っていてくれている言葉で、ほんのりと胸が暖かくなるのを、感じずには居られなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『小噺 コペンハーゲン物語 ティーカップを片手に』

 

 

 

「遠坂先輩、コーヒーに砂糖を入れすぎなんじゃ」

 

「今日の私は甘党の権化なのよ」

 

 どうしてこうなった。

 そう叫びたい気持ちを抑えながら、私はカップに砂糖を入れ続ける。

 ――目の前には桜がいて、何故かお茶をしているのだから。

 

「これもそれも……」

 

 ギリっと歯を噛んで、とある方向を睨みつける。

 そこには、素知らぬ顔で仕事をしている衛宮君と、新聞で顔を隠しているわかめ野郎の姿があった。

 

「遠坂先輩、兄さん達がどうかしましたか?」

 

「あ、いえ、別に……」

 

 桜がじっと私を見ながら訊いてくるので、私は稚拙気味に言い訳をしてしまう。

 うまい言葉を思いつけずに、すごく濁しながらなのだけれど。

 それがすごくモヤモヤしてしまう。

 だからこそ、あんにゃろうという気持ちが蓄積するのだ。

 主に、そこな男ども二人に対して。

 

「遠坂先輩! またぼぉっとしてますよ!」

 

「ごめんなさいね。

 色々と考えちゃって」

 

 そう、そもそも桜に何を話せばいいのか、それ自体が難しいのだ。

 いや、振りたい話題ならいくらでもあるし、聞きたいことだっていっぱいある。

 だけれど、それを置いておいても、私がそんな事を聞いていいのか、という気持ちになるのだ。

 遠坂と間桐の締約のこともあるし、私自身がこの子に対して、負い目がある。

 だから、考えてしまう。

 私はどうすればいいのかを。

 

「色々、ですか」

 

「そう、色々よ」

 

 互いに、ほんの少しの憂いを湛えて、コーヒーに手を伸ばす。

 その姿は……うん、多分絵にはなってるだろう。

 私と桜、二人揃ってアンニュイな雰囲気を纏っていれば、不思議な空気も形成されるだろうから。

 と言っても、それが良いものかと聞かれると、疑問符を幾らか付けなくちゃいけないけれど。

 

「間桐さんも、色々とあったのよね」

 

 だからそれを振り払うべく、私は行動を起こす。

 それにこんな巫山戯た状況も、珍しい折角の機会だとも思える。

 なので、ちょっとだけ。

 この娘の事を知ってもいいよね、と思ったのだ。

 

「遠坂先輩も、ご当主が亡くなってからは、苦労なさったと聞いてます」

 

「私は……良いのよ。

 耐えられる範囲での事だったし、それのお陰で私がいるし」

 

 今の遠坂凛を形作るのに、あの頃の苦労は忘れられない1ピースだ。

 理不尽なくらいに悲しかったし、遣る瀬無いくらいに寂しかった。

 だけど、それが今の私の成長に繋がっているのだから、今更否定する気にもなれない。

 仕方なかったとは思わないけど、そのにが味を噛み締めてこそ、でもあるのだから。

 

「貴方こそ、どうだったのよ」

 

 昔を思い出してタガが緩んだのか、無神経な事を聞いてしまう。

 しまった、と思ったのだけれど、桜は困ったような顔をして、答えてくれたのだ。

 

「正直、毎日が大変でした。

 いっぱい嫌な事をさせられましたし、慣れないことの連続で凄くしんどかったです」

 

 その言葉に、少しの非難があったかのような気がした。

 桜の、心の声が聞こえた気がしたのだ。

 思わず息を飲んでしまう私。

 でも桜は、こう続けた。

 

「でも、いっぱい頑張ったからか、今は幸せです。

 最近は良い事が沢山あって、浮かれちゃうくらいに、ですよ」

 

 にこりと、桜は笑ってそう告げた。

 自分の気持ちを、存分に言葉に乗せて。

 

「だから何も、気に病むことはないんです。

 でも、それでも気にしてくれるって言うのなら……」

 

 次に桜はいたずらっぽく笑みを浮かべる。

 それは可愛いとさえ思える、甘えるような笑みであったから。

 

「遠坂先輩と、もっと仲良くしたいです。

 そうすれば、私はもっと幸せになれると思います」

 

 そんな事を、柔らかく桜は囁く。

 それは、どうしようもなく難しいけれど、素朴な願い。

 故に、どこまでも甘く、蕩けて聞こえてくる。

 

「すっかり、魔術師になっちゃって……」

 

 巧妙な物言いだと、桜の言葉は私に染み込んでくる。

 正に甘言と呼べる言葉の数々だ。

 油断すると、溶けてしまいそうになる。

 

「アリス先輩から、薫陶を受けましたから」

 

 そして桜は、ちょっと自慢げにそんなことを言う。

 ……アリス、か。

 ここでその名前が出てくるのは、嬉しいようで……ちょっと妬ましい。

 

「遠坂先輩、凄く複雑そうな顔をしてます」

 

「そうかもしれないわね」

 

 いや、確実にそうなのだろう。

 自覚すると、惨めに感じてしまうけれど。

 それでもそれを言葉にするのならば……。

 

「私、アリスに嫉妬してるんだわ」

 

 本来、桜のその位置には、私が居てもおかしくなかったのだから。

 それをアリスはいとも簡単に、その席に座ってしまった。

 だから羨ましく、複雑になってしまう。

 

「遠坂先輩が、ですか?」

 

 だけれど、桜は驚いたように、私を見ていた。

 本当に? と目を丸くして確かめるように。

 

「ここで嘘なんて吐かないわよ。

 そうよ、好き勝手に振る舞えている彼女が、私は羨ましいのよ」

 

 本人がこの街にいないからこそ、こんな事を言えるのだ。

 もし近くにいたのならば、意識して言えなくなってしまうだろう。

 

「全く、不都合なだけの決まり事なんて、無くなればいいのにね」

 

 だからポロポロと、本音が漏れていってしまう。

 私は、不意打ちにはそれなりに弱いから。

 こんな機会を用意されて、一枚一枚こころの壁を引っペがされて。

 それで桜があんなことを言うものだから、もう私の心の防壁は、もうボロボロだ。

 

「そう、ですね」

 

 桜も、同じことを考えているのか、そんな事を呟いていた。

 そして、彼女もポロリと、こんな事を漏らしたのだ。

 

「こんな考えじゃ駄目って分かってるんですけど……思わずには居られないんです」

 

 そんな独白にも似た何かで、桜は言葉を紡いでいく。

 

「もし、ご都合主義のような物があるのなら、それに縋りたいって」

 

 他力本願ですよね、と弱ったように桜は微笑んだ。

 弱気なニュアンスを存分に含んで、それでも切にそれを祈るように。

 そして、これは単なる甘えですけど、と桜はこう呟いた。

 

「そのご都合主義を起こしてくれるのは……アリス先輩だって、そう思う時があるんです」

 

 押しつけで、勝手に期待して、凄く酷い事なんですけどね、と桜は言っていたのだけれど。

 でも、その顔は、アリスへの信頼感がにじみ出ていた。

 どうにもならなくても、それでも彼女になら縋れると、そんな気持ちさえを持っていて……。

 

「アリスも、そんなに頼られたら、嫌とは言えないわよね」

 

 アリスも、元々そういう時にはひどく甘いところがあるから。

 助けて、と言われたら拒否なんて出来ないだろう。

 でも、それに頼る気が満々なのなら……。

 

「アリスが、その時は潰れてしまうわ」

 

「分かってます。

 だから勝手に考えてるだけなんです。

 アリス先輩には言わないようにしています」

 

 こんな恥知らずなこと、絶対に言えませんから、と桜は困ったような顔で言う。

 だけれど、桜の顔は、まだ助けを求めているようにも見えたから。

 

「……その時は、私に頼りなさい」

 

「え?」

 

 驚いたように、桜が私を見ていた。

 何をビックリしているのか、この娘は。

 ……その事実が、更に私を苛立たせて、言葉を吐いてしまう。

 

「だからっ!

 どうしようもなく困った時は、私に頼りなさいって言ったのよ!」

 

 自分で想像していたよりも大きな声。

 何事か、と周りのお客さんが私達を見ていた。

 ゴホンと一つ咳払いして、私は席を立ち上がった。

 

「取り敢えず、そういう事よ」

 

 それだけ言って、私はお茶代を机に置いた。

 これ以上は、完全に猫が剥がれてしまいそうだから。

 

「またね、桜。

 今日は嬉しかったわ」

 

 少しでも、この子の本音に触れられて。

 この娘と、真っ向から話が出来て。

 

「私もです、遠坂先輩」

 

 多分、私は真っ赤になってる。

 そして桜は、笑ってるに違いない。

 全く、堪ったもんじゃない。

 

 この状況を作り出した、聞き耳を立てているであろう男二人にも。

 そもそもの原因になった、アリスにもだ。

 

「帰ってきたら、ひどいんだから」

 

 ここにいない彼女に告げて、私は店を出た。

 今日は非番で、でも呼び出しを食らっただけのことだったから。

 まずは先立って、衛宮君と間桐君への仕返しを考えながら。

 

「アリスは……帰ってきたら一週間よ」

 

 何が、とは言うまでもない。

 無茶苦茶コキ使ってやるんだから。

 そう、私は決意して。

 

 

 

 ……その時、どこかで金髪の少女がクシャミをしたそうな。




クッソ長かった空の境界編(大嘘)終了。
今回で学んだと……やるなら計画的に、ですね。
あと、事件の中心に主人公を置かないと、物語が乗っ取られます。
アリスってなんだ、空の境界編ってなんだったのだ(哲学)。





……でも楽しかったです!(まるで反省の色が見られない鳥頭)
こんな作者で、こんな脱線だらけの作品ですが、これからもよろしくお願いします。

あと、別に守矢神社編はやりません。
これ以上冬木に戻らないのは、作者が耐えられませんから。
ごめんね、早苗さん。

――と思ってたのですけど、迷ったので活動報告でアンケートを取ります。
早苗さんに出番が欲しい人、是非書き込んでください。


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番外編 夏の避暑地へ行きましょう 上

はい、一応ご意見を頂いたので、早苗さん編を書きました。
結局書いたのか、冬木ぇ、と思っている方が大半だと思いますか、もう少しお付き合いください。
そして上と書いてある題名から分かる通りに、二話に分けて続く模様(白目)。
話書き始めると、無計画故に長くなるのです(遠い目)。
あ、あと、深夜テンションで書いた物体なので、妙な出来になっています。
何か色々とごめんなさいです(土下座)。


 夏、風鈴が涼やかに鳴り響く季節。

 だけれどもその実。

 熱く熱く、陽の光は強くて。

 私にも汗がいくつも浮かんでいます。

 晴れやかな太陽も、この季節が疎ましい、とさえ思ってしまって。

 

 ただ、その中での清涼剤といえば、この独特の風味が乗った風。

 湖から吹いた風が、この神社にも運ばれてきているのです。

 それは優しく、撫でるように凪いでいく。

 その風が吹くたびに、私はやはりあの湖が好きなのだと感じてしまいます。

 

 それはさて置いて、私は悩んでいました。

 神社の一室の文机で。

 墨と汗を滴らせながら、ウンウンと。

 私を悩ませるそれはあの人、アリス・マーガトロイドさんへの手紙の内容。

 始まりをどの時候の挨拶にするとか、最近起こった事のどれを書こうだとか。

 

 一度、それら全てを書いてみたのですが、その手紙は8枚にも及ぶ長文と化してしまいました。

 細かいことまで一つ余さず、書き出していったらそうなってしまって。

 流石にこれは、と自分でも引いてしまった覚えがあります。

 アリスさんは優しいから、全てを読んでくださるのでしょうが、そこまで図々しくもなれず。

 だから私は書く内容を、すごく考えて吟味しているのです。

 

 一番とっておきの楽しかったことだとか、怒ってしまったことだとか。

 兎に角、感情を強く動かされた出来事を。

 そしてそれらの書いたこと。

 その一つ一つに、アリスさんは微笑ましさと苦笑を乗せた返事を書いてくれます。

 アリスさんの手紙が届くたびに、喜びと共に書かれた文字を追って。

 喜怒哀楽を全開にして、私はどんな内容でも、アリスさんの手紙を歓迎しているのです。

ちょっと子供っぽいかも、とも思いますけど。

それでもすごく嬉しくて、楽しくて。

 だから自身が送る手紙も、意識的に力を込めて書いているのですが……。

 

「まだ悩んでるのかい、早苗」

 

「あ、諏訪子様」

 

 書く事を吟味しすぎて、一向に進まない私の手紙。

 そこに諏訪子様が、麦茶を持ってきてくれました。

 何時もこの事になると夢中になりすぎて、お二人に気を使わせてしまいます。

 我が愛すべき二柱にも、心配され、呆れられてしまっているのです。

 何時ものこと過ぎて、呆れの感情の方が、日に日に先行するようになってきている気がするのですけれど。

 

「はい、中々難しいです」

 

「ふぅん、そうなんだ。

 ……難しい、ねぇ」

 

 諏訪子様は、私とご自身の分の麦茶を乗せたお盆を床に置いて、そして私をじぃっと見つめてこられました。

 諏訪子様が言いたい事は分かっています。

 これも、何時もの事ですから。

 

「ねぇ、早苗。

 もっと書く事は簡単なことでも良いんじゃないかい。

 アリスの手紙だって、もっと気軽に書いてあるだろう?」

 

 軽い調子で言って、麦茶に口をつけ始める諏訪子様。

 そう、諏訪子様は何時も、私に肩肘を張り過ぎだと忠告してくださいます。

 けれど、私も何時ものように、首を振ります。

 諏訪子様のアドバイスは、すごくありがたいのですけれど。

 だけど、私にも思うところと、見せたいところもあるのです。

 

「はい、でも、アリスさんには、格好いい私を見せたいんです」

 

 アリスさんは、自然体でこそらしいといえます。

 けれど私は、多少の虚勢で元気過ぎる位が丁度良いと自負しているのです。

 私が胸を張ってそう告げると、諏訪子様はとても呆れた顔をしておられました。

 

「早苗は……はぁ」

 

 露骨に、困ったように溜息を吐かれる諏訪子様。

 本当にわざとっぽくて、むぅ、と口が尖ってしまうのが自覚できてしまいます。

 でも、それが顔に出ていたのか。

 諏訪子様はつまらなそうに、こう言ったのです。

 

「早苗のそんなところ、神奈子の奴にそっくりだよ。

 私の方が早苗を可愛がってやってるのにさ。

 ほんっと、つまんないね」

 

 拗ねたように、諏訪子様はそんな事を仰ります。

 その姿はまるで子供のようで、私の苛立ちなんてたちまち掻き消えてしまいました。

 些細な苛立ちよりも、諏訪子様の珍しい姿をしっかりと目に焼き付けたかったからです!

 

「諏訪子様、可愛いです」

 

「はいはい、私はかわいー、かわいー」

 

 思わず、私の口が緩くなっていたようで、ポロリと心が漏れてしまっていました。

 これがまさに情報漏洩というやつでしょう。

 私の中にも、情報化社会の闇が押し寄せていたようです。

 しかし、そんなことよりも、今は諏訪子様のご機嫌が斜めなことが問題なのです。

 可愛いとは思いますが、流石にずっとむくれた顔をなされられては、心苦しく感じてしまいますから。

 だから、考えます。

 どうすれば、諏訪子様はご機嫌を直してくれるのかと。

 トントンと、頭を人差し指で小突いて。

 何か出て来いと、頭の中から解決策を叩きだすようにして。

 そして……、 

 

「私は諏訪子様を、心からご敬愛しています。

 心の底より、毎日です」

 

 少々わざとらしく、言葉に砂糖をふりかけました。

 神奈子様なら不興を買うであろう媚の売り方ですが、諏訪子様ならまた別のお話。

 

「ふふ、かわゆい奴め」

 

 あっという間に、諏訪子様は笑顔になって、私の頭を撫でてくださいました。

 ういやつ、ういやつ、と嬉しそうに。

 それは、諏訪子様が私の言葉を本音だと、知っておられるからです。

 言葉にするのは恥ずかしいですが、それでもこれで諏訪子様が笑顔になるのならば、安いものでしょう。

 

「はいっ、諏訪子様達の風祝。

 かわいい東風谷早苗です!」

 

 フンス、と鼻息を荒げながら私は言います。

 諏訪子様が頭を撫でてくださったから、思わず調子に乗ってしまってます。

 自覚は出来ているのですが、早々に直せそうにない私の癖です。

 ですけど、今のところは困ったことなどないですから問題ないのですけどね!

 

「ふふ」

 

「はは」

 

 私と諏訪子様、思わず笑みを零してしまいます。

 何時もの戯れあいですけれど、ずっとずっと飽きないものでから。

 それに、おかしみや嬉しさを覚えたのかもしれません。

 

 ――そんな、和やかなひと時のことでした。

 

 すぅ、と静かに、部屋の襖が開かれました。

 襖が開かれた先には、仁王立ちしておられる神奈子様の姿。

 

「あぁ、神奈子。

 今良いところなんだ、邪魔しないで欲しいね」

 

「馬鹿者、茶番はこれくらいにしておけ。

 そんなことよりも、だ」

 

 いきなり現れた神奈子様。

 諏訪子様の抗議を一蹴し、私に視線を注いでおられました。

 

「何かありましたか?」

 

 さて、何か。

 そう思って訊ねた私に、神奈子様はとても面白そうな顔で、こう言ったのです。

 

「早苗、お前に客だ。

 意識はしていないだろうが、待ち人なはずだ」

 

「お客様、ですか?」

 

 今日は誰とも約束などしていなかったはずですが……。

 記憶を辿っても、何も出てきません。

 あれ、と思ってしまいます。

 けれど、神奈子様はそれ以上は語って下さいませんでした。

 

「あぁ、成程ね」

 

 しかし諏訪子様は、先ほどの神奈子様の言葉だけで、理解なされてしまったようです。

 うんうんと頷きながら、私へとこう言いました。

 

「暑い中、待たせるのは可哀想だね。

 早く迎えに行ってあげな、早苗」

 

「……それもそうですね」

 

 確かに、考えても答えは出ず、こうしている間にも待たせてしまっているのです。

 私は、失礼しますとおふた方に告げて、その場を後にしました。

 急ぎ足で、けれども品を損ねないように。

 

 

「それにしてもイキナリだねぇ」

 

「まぁ、それもまた一興だろう。

 早苗も、嫌がることはあるまい」

 

 

 諏訪子様達の声が、離れゆく部屋から僅かに聞こえました、

 それを聞いた私は、何故だか品無く駆け足気味になって。

 どうして? と思ったのですが、自分でも良く分かりませんでした。

 でも、恐らくは第六感のようなモノが働いているのかもしれません。

 急げ、早く行け、と。

 何かに急かされるように、私は境内へと向かいました。

 

 ――そうしたら、

 

「早苗」

 

 そこに、彼女が居たのです。

 先程まで、私を悩ませていた原因の彼女が。

 

「ア、リスさん?」

 

「フフ、そうよ。

 その様子だと、意図はしていなかったけれど、サプライズにはなった様ね」

 

 愉快そうに、小刻みに笑っている彼女。

 金色の髪をしていて、ルーマニアから来たと言っていた人。

 

 ――素敵な人形師、アリス・マーガトロイドさん。

 

 前よりも少し背が伸びている彼女は、前の時と変わらない表情で。

 私の目の前に立っていたのです。

 

「久しぶりね」

 

 アリスさんのその一言が、とても現実的で。

 だけれど、何故だかふわふわと浮いたように、私には聞こえました。

 まるで、白昼夢を見ているかのように。

 それ程に、唐突のことだったのです。

 

 そんな困惑して、呆然としている私に、アリスさんは小首を傾げていました。

 ……今日も綺麗で可愛い人なのは、変わってないようです。

 

 

 

 

 

「早苗?」

 

 私が呼びかけると、ぼぉっとしていた早苗は急に現実に戻ってきたようにハッとする。

 驚いていたのか、それとも暑さにやられていたのか。

 どちらにしろ、この炎天下にこの場所にずっといたら熱中症になるであろう。

 

「あ、済みません」

 

 えへへ、と早苗は照れ笑いのようなものを浮かべながら、頭を掻いていた。

 頬が赤いのは、照れてるのか暑さのせいか。

 そのほんのりと赤く染まった肌が、妙に艶かしい。

 

「ささ、中にお入りください。

 神奈子様も諏訪子様も、歓迎なさっていますよ!」

 

 何時も通りの元気な声で、早苗は大きな声を出す。

 本当に、前に会った時と同じ。

 思わず、クスリとしてしまう。

 けれど今は、早苗は背を向けているのでそれには気づかない。

 神社の中へ、そそくさと早苗は入っていったからだ。

 

「懐かしいわね、この場所も」

 

 僅か3ヶ月の間。

 そう言えるのだろうけれど、それでも過ごしていた密度的に、久しく感じてしまう。

 この空気も、雰囲気も、感触も。

 こうして触れて、ようやく実感できるような、儚さを持っているように感じる。

 そんな空気を、この場所は持っているのだ。

 ここの主たちが、そうであるのと一緒の理由であろう。

 

「はい、懐かしい空気を堪能してください」

 

 だけれど、そんな郷愁を抱かせる儚さを、この娘(早苗)は見事に崩している。

 それだけで、ここの神様達は大いに助けられているであろう。

 彼女は、なるべくしてこの神社の風祝になったのであろうから。

 人はそれを、運命だとか、必然と名をつけている幸運。

 彼女はそれを運んでくる。

 とても、優しく素敵な娘なのだ。

 見ているだけで、感じて分かってしまう。

 ある種、彼女の人徳なのであろう。

 

「えぇ、雰囲気もだけれど。

 こうして直に顔を合わせることが出来るのって素敵ね」

 

 しみじみと、今感じたことが口から溢れ出る。

 これも、きっと早苗が近くにいるから。

 手紙は手紙で伝わるものはあるのだけれど。

 それはそれ、また別の風情だというものだろう。

 

 そんな事を考えながら、私は神社の中へと足を踏み入れたのだけれど……。

 入った瞬間、私の目に映ったのは目を輝かせている早苗の姿。

 キラキラと輝きでも放っていそうな、純粋な目。

 思わず一歩、後退してしまいそうになる。

 が、それより先に早苗が私に踏み込んできた。

 そして、がしっ、と私の手を掴んだのだ。

 

「そうですよね!

 やっぱり直接顔を合わせることも、大切ですよね!

 あぁ、アリスさんもそう思っててくれるなんて。

 この東風谷早苗、一日千秋の思いで待っていた甲斐がありました!!」

 

 驚く程のテンションの高さで、早苗はマシンガンのように語りだした。

 掴んだ私の手をブンブンと振りながら。

 赤みがかった顔で、嬉しそうに笑っていて。

 

「早苗は待ってくれる女の子なのね」

 

「いいえ、私は機会があればアグレッシブにも動いちゃいます!」

 

 まるで子犬のようだ、と私は思ってしまう。

 早苗の頭に犬耳、お尻の部分に尻尾を幻視しながら。

 ……この娘は、可愛いからそういうのも似合いそうだ。

 いや、十分にアリだろう。

 

「アリスさん?

 何か考え事ですか?」

 

 しかし不純な事を考えていた私に、早苗は顔を覗き込ませるようにして、私の目を見つめていた。

 近い距離で、グッと顔を寄せて。

 無垢な瞳が、子供の様な真剣さで私を覗き込んでいて。

 はぁ、と私は溜息の一つでも、吐いてしまうのだった。

 

「ど、どうしましたか!?」

 

「近いわよ、早苗」

 

 ムム、と顔を更に近づけてくる早苗を、一言告げて引き剥がす。

 どうにも、この娘はプライベートスペースというものが狭いらしい。

 別段不快ではないけれど、怯んでしまう私がいる。

 勢いに押されているのだろう。

 だから、早苗を丁度良い距離まで、押し返したのだ。

 

「むぅ、アリスさん、少しケチになりましたか?」

 

「早苗は無防備になりすぎね」

 

「元からですよ!」

 

「もっとタチが悪いわよ」

 

 糠に釘、暖簾に腕押し等の単語が頭に過る。

 話は聞いているが、ゆるりと流してしまっているあたりが、特に。

 

「将来、あなたに勘違いする人が出てきそうね」

 

 だから、嘆息代わりに捨て台詞を吐く。

 格好は悪いけれど、早苗はこれくらい言わないと、きっと聞かないだろうから。

 呆れを多分に、意地悪を少々混ぜて。

 

 そんな私の、ささやかな抵抗。

 だけれど、それは……。

 

「えっとですね、アリスさん」

 

 逆に、早苗の意地悪っ子な部分を、擽ってしまったみたいで。

 

「私、ですね」

 

 いたずらっぽい顔で、早苗は。

 

「勘違いされて良い人だけにしか、そんな事しませんよ」

 

 そんな事を言ったのだ。

 

 ……この子、本当に将来的に、悪い子にならないかが心配である。

 本当に良い子なのだけれど、無意識の内に。

 

「イケナイ子だこと」

 

「アリスさんの前だから、ですよ」

 

 全く、隙だらけの様で油断できない。

 甘い甘い言葉で、相手を蕩けさせようとする。

 きっと将来、彼女の恋人になる人は大変だろう。

 まぁ、それが幸せのスパイスなのかもしれないけれど。

 

「いっその事、魔女にでも転職してみる?」

 

「私が祀るのは、ここの二柱だけです。

 悪魔さん達は間に合ってますよ」

 

「そう、残念ね」

 

 軽く冗談を言ってみるも、見事なまでに一蹴される。

 こういう類の事は、冗談でも乗ってこない様だ。

 身軽なようで、すごく真面目な早苗らしさとも言えるだろう。

 

「そんなこと言うアリスさんは、カボチャを馬車にしてくれるのですか?」

 

「ごめんなさい、今は甘いリンゴしか持ってないのよ」

 

「わ、悪い魔女さんじゃないですか!?」

 

 そんな風に、キャッキャと騒ぎながら、私達は歩いていく。

 ここは神社で、静謐さに満ちている場所なのに。

 この時は、私達はそんな事を忘れていた。

 それだけ、久しい会話に花を咲かせていたのだ。

 

 そうして、歩いて行った先にあった部屋。

 前に一度だけ訪れたことがある早苗の部屋。

 その襖一枚に遮られた境界から、感じるものがあった。

 

 ある種の望郷や郷愁を感じさせるその気配。

 威容さと儚さを併せ持った、チグハグな存在。

 覚えがある、何時しか感じた気配だった。

 

「……居るのね、早苗」

 

「わかるのですね、アリスさんも。

 でも、そんなに畏まらなくても大丈夫ですよ。

 気楽に、無礼講だと思って接して下さい」

 

 何げに、風祝にあるまじき発言である。

 だけれど早苗は、神様としてより家族としての感覚が強いであろうから、こんな物であろうけれど。

 早苗は気軽に、入りますという言葉と共に、襖をスライドさせた。

 そして、その先には……。

 

「やあ、いらっしゃい」

 

「よく来た、アリス・マーガトロイド」

 

 寛ぎながら茶を飲んでいる八坂の神と、寝転んで漫画を読んでいる洩矢の神の姿であった。

 いくらなんでも、寛ぎ過ぎでは無いだろうか。

 いや、まあここの神様達は、大体毎日こんなものだろうけれど。

 

「アリス、すごく視線が不躾だね。

 うん、図が高い」

 

「……申し訳ございません」

 

 洩矢の神は、ペラリとページを捲りながら、そんな事を言う。

 神様らしく、傍若無人と言える振る舞いであろう。

 なら、もう少し威厳を持って欲しい……とは言えなかった。

 仮にも神様であるのだから。

 でも、代わりにではあるが。

 

「諏訪子様、寝っ転がっていてはアリスさんも自然と見下ろす形になっちゃいますよ。

 まずは起き上がらないと」

 

 どこかズレた早苗の諫言。

 洩矢の神も、まぁ、そうだねぇ、などと言っている。

 ……違う、そうじゃない。

 

「阿呆どもが」

 

 そして、様子を見ていた八坂の神が、どこか呆れを滲ました声を出したのだった。

 恐らくは、早苗と洩矢の神に向かって。

 断じて、私は含まれていないと思いたい。

 

「全く……それで、久しいなアリス」

 

「お久しぶりです、八坂の神」

 

 一瞬静かになった時間で、八坂の神は私に不敵な笑顔を見せた。

 あぁ、この神様もいつも通りであるようだ。

 お茶飲んで寛いでは居たのだけれど、洩矢の神程酷くは無かったのだし。

 安心と共に、少し複雑な感情が入り混じる。

 具体的には、神様って……、みたいな感じのものが。

 まぁ、この国の神様はこんなものだと、理解はしたのだけれど。

 

「遠路遥々ご苦労。

 いきなりの訪問、事情はあったのだろうが歓迎しよう。

 ゆっくりとしていくが良い」

 

 八坂の神はそれだけ言い終えると、洩矢の神の首根っこを掴み、立ち上がった。

 洩矢の神は、視線を一瞬だけ八坂の神に向けたが、直ぐに漫画の方に意識を戻したようだ。

 ある意味器用ともいえよう。

 

「では、私達は引っ込むことにしよう。

 後は若いものに、というやつだな」

 

「私も若いよー」

 

「お前は私と対して変わらんだろうが」

 

「えー」

 

 漫画を読んでいた洩矢の神が、若いの云々の行にて妙な反応を見せる。

 が、即座に八坂の神にツッコミ返されていた。

 洩矢の神は不満そうな声を漏らすが、その反面とっても笑顔であった。

 ……洩矢の神は、単に適当なことを言って、反応を楽しんでいるだけだろう。

 間違いなく、愉快犯の類の人物である。

 

「ま、良いさね。

 アリス、また後でー」

 

「はい、また後で」

 

 それにも飽きたのか、あっさりと洩矢の神はそれだけ告げた。

 だから私も、小さく返す。

 大仰に言おうにも、状況が余りにそぐわないから簡素に。

 そしてそのまま、八坂の神と共に洩矢の神はフェードアウトしていったのだった。

 その後ろ姿を見て、私は思わず呟いていた。

 

「気、使わせちゃったかしら?」

 

「まぁ、そうですね」

 

 私と早苗、互いに顔を見合わせる。

 早苗の表情は、アハハ、と曖昧な笑いが浮かんでいる。

 私も似たり寄ったりだろう。

 騒がしかった部屋が静かになったから、少し寂しさを感じたせいかもしれない。

 

「賑やかな神様たちね」

 

「お陰で何時も楽しいですよ」

 

 特に考えずに口にすると、早苗は素直に笑顔で答える。

 確かに、と私も頷く。

 あれだけ騒がしかったら、退屈することはないだろう。

 

「騒がしい神様達が気を利かせてくれたのだし、何かしましょうか」

 

「はいっ!

 ……アリスさんは、何かありますか?」

 

 ではこれからどうするか。

 早苗の返事は良かったが、何も考えてなかったようだ。

 恥ずかしげに、声を小さめにして訊ねてきた。

 早苗らしいといえば、そうであろう。

 

「そうね……」

 

 チラリと早苗を見ると、どこか期待に満ちた目をしている。

 アリスさん、早く!

 と、そんな急かすような声すら聞こえてきそうな目だ。

 これは下手な話題を振りづらい。

 だから何かないかと考えて、考えて……。

 ふと、早苗の服装が目に付いた。

 前の時にも着ていた服。

 確か巫女服だったか、そんな名前だったと思う。

 

「その服、涼しそうね。

 可愛いし、似合ってるわ」

 

 露出は多いけど、という呟きは心の引き出しに仕舞う。

 別に言わなくても良い事であるのだから。

 

「あ、ありがとうございます。

 アリスさんも気になりますか!?」

 

「えぇ、そうね」

 

 そして早苗は、水を得た魚のごとく元気になっていた。

 ハニカミながら嬉しそうに微笑みつつ、早苗はその場で一回転。

 フワリと、白と青が基調となっている服が揺れる。

 早苗の緑色の髪と合わさって、露出が多いのに清楚さを感じさせる。

 素直に、早苗にとても合っていると思える服だった。

 

「えへへ、それなら、ですね……」

 

 急に、早苗が部屋の箪笥へと近づいていく。

 ガサゴソと、服が入っているその中を漁り出したのだ。

 そしてその中から、服とスカートを取り出す。

 それは、その服は……。

 

「早苗の巫女服?」

 

「はい、そうです!!」

 

 呟いた私に対して、早苗は大きな声を上げる。

 それと共に、輝くばかりの笑顔を浮かべている早苗。

 ニコニコと、だけれどもどこか悪戯っけが混じった笑顔。

 ……嫌な予感しかしない。

 

「どうしろと?」

 

「着てください」

 

 予感、的中。

 全くもって嬉しくないのだけれど。

 そもそも、である。

 

「私と早苗、体型が違うのだから着れるわけないでしょう」

 

 そういうことなのだ。

 私の方が、早苗よりも少し背が高い。

 正直に言えば、着れないことは無いのだが、着てしまえば浮き彫りになるものが一つある。

 その為に、私はひどく気乗りしないのだ。

 

「大丈夫ですって!

 アリスさん、可愛いですもん!!

 だから何を着ても似合いますよ!」

 

 早苗は興奮気味に詰め寄ってくる。

 嫌よ嫌よも好きの内、などと言わんばかりに。

 

「神職用の服なのでしょう?

 それなのに、私みたいなのが着て良いのかしら?」

 

「大丈夫です!

 高々そのようなことで、神奈子様も諏訪子様も腹を立てたりなど致しません!」

 

 何が何でも着せてやる。

 そう言わんばかりに服を押し付けてくる早苗。

 さぁ、お着替えしましょう、と満面の笑みが語っている。

 

「本当に良いの?」

 

「えぇ、だからこちらからお願いしてるんです」

 

 私に、逃げ場は無かった。

 結局、私は早苗にゴリ押しを通されてしまったのだ。

 早苗から、服を手渡される。

 見下ろすと、妙に通気口が多い衣装であることが良く分かった。

 ……少し、着るのが気恥ずかしいが、最早逃げ場は無い。

 

 故に、仕方なく服を脱ぎ始めた。

 汗でベタついて、服を脱ぐのがちょっとだけ面倒。

 ペタリとシャツなどが張り付いてるから、ゆっくりとした速度での着替えになってしまう。

 そんな中で、早苗といえば、

 

「アリスさんのパンツの色って――」

 

「それ以上言ったら、叩くわ」

 

 妙な事を口走る。

 そのせいで、着替えが何だか恥ずかしかった。

 変なところに注目してないで欲しい、切実に。

 

 と、そんな紆余曲折はあったのだけれど、無事に巫女服に袖を通すことができた。

 少しホッとし、けれど複雑な気持ちにならざるを得なかった。

 何故か?

 その理由は至って簡単である。

 

「わぁ、アリスさん!

 きちんと似合ってますよ!

 それにお揃いです!!」

 

 早苗はそう褒め、喜んでいた。

 だけれども、足りてない部分があるのだ。

 えぇ、そう。

 見ただけで分かってしまう、とても大事な部分が。

 私は、その足りない部分を持ち上げてみた。

 ……やっぱり、足りてない。

 

 ――具体的に言えば、胸の部分が、である。

 

「……ック」

 

「え、っあ」

 

 早苗が、しまったと言わんばかりの顔をする。

 全ては今更であるけれど、もっと早めに気づいて欲しかったものだ。

 そして早苗は、俯いて何かを考え始めた。

 何か慰めの言葉を考えているのだろう。

 

 どんな言葉をかけられようとも、私が惨めなことには変わりないのだけれど。

 泣きはしない、というかこんな事で泣いて堪るか。

 などと自分を叱咤している時のことであった。

 早苗は、唐突にくわっと顔を上げて、私に近づいてくる。

 そうして、無言で私の両手をスカスカの胸の部分に当てさせて、それから……。

 

「アリスさん、こうして見ると何だかエッチですね」

 

 ちょっぴり赤い顔で、そんな事を宣ったのだ。

 は? と困惑しつつ下を見てみると、私は両手を胸の部分に当てて握りしめていた。

 まるで、女の子が恥ずかしがっているように見えて。

 

 ――顔が、赤くなっていってるのが自覚してしまった。

 

 一歩二歩、私は思わず後退していた。

 早苗を睨みながら、両手に手を当てたままで。

 

「馬鹿、貴女は何を考えてるの!」

 

「えっと、お馬鹿をすれば、空気が良くなるかなぁって思いまして」

 

「そんなわけ無いでしょう!」

 

「ひゃ、ひゃいっ!?」

 

 思わず、大声を上げてしまう。

 それには、流石の早苗も怯んでしまっていたようだ。

 けど、妙に気持ちが収まらない。

 ひどく辱められた気分だ。

 

「……すごく、すごく恥ずかしいわ」

 

 早苗と暑さのせいで、頭がグルグルする。

 意味が分からなくらいに、混乱してる私がいるのだ。

 ただ、今私にできるのは、鋭く早苗を睨むことだけ。

 酷いわ、と視線に乗せて。

 

「えっと、その、あの……」

 

 それが効いてきたのか、早苗はアタフタし始めている。

 どうしよう、どうしようかと、早苗の頭をグルグルとさせながら。

 そうして、二人して黙りこくってしまう。

 訳が分からない沈黙に抱かれながら、妙な気まずさが私達の間に発生しているのだ。

 

 ……早苗が、ほんの悪ふざけだったと分かっているけど。

 でも、こんな事されたのが初めてだったから。

 びっくりして、過剰に反応してしまった感が否めなかった。

 沈黙が段々と熱を下げてきてくれたから、ようやくそういう事が考えれるようになってきたのだ。

 

 さて、どうしたものかと考える。

 私が頭を下げれば早苗も同じ事をするであろう。

 それで手打ちにしても良い、けど。

 そこまで考えて、早苗をチラリと見る。

 するとそこには、煙でも吐きそうな勢いで唸っている彼女の姿。

 こっちから話しかけても、自分の世界に旅立っているから、聞こえるかどうかが問題だろう。

 

 だから、どうやって現実に帰還して貰おうか。

 それを考え始めようとした時の事であった。

 どこか既視感を覚えるように、早苗はグワっと顔を上げたのだ。

 どうやら、自力で帰還したらしい。

 

「アリスさん!」

 

 だが、冷静であるかは別のようで。

 早苗は唐突に私の手を握り、こう宣言したのだ。

 

「湖の方へ、行きましょう!」

 

「頭の中で、どういう理論飛躍があったのかが知りたいわね」

 

 グイグイと引っ張っていく早苗に、乾いた笑みを浮かべていた私がいた。

 そして、咄嗟に思ったことがあったのだ。

 

 私、この格好で出かけることになるのかしら?

 ……考えると、頭が痛くなってきた。

 半ば、もうどうにでもなれと思っている自分がいたのだったのだから。

 

 もう、早苗の馬力に逆らうことを、私はしなかった。




早苗さん、胸はアリスより上だった模様。
そしてアリス、早苗さんに羞恥プレイを強要されて、顔真っ赤。
早苗に初めてを奪われたアリスはどうするのか!?(誤解を招く表現)
次回に続きます!(何故のテンション)


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番外編 夏の避暑地へ行きましょう 中

8月がいつの間にか死んでいた。
何を言っているのかわからないと思うが本当のことなです、信じてください!
……などと、意味不明な供述を云々。

それはさて置いて、書いていたら何か文章が勝手に増えたので中として投下。
大丈夫です、下の方も8割がた書き終えてますから(多分、3日以内には投稿できると思います)。


 夏の葉舞散る石段に、私達は足音を立てる。

 彼女、早苗に手を引かれながら、急ぎ足で。

 タッタッタと小刻みにリズムを刻んで、風を全身に受けながら。

 段々下へと向かっていく。

 

「ちょっと早苗、急ぎすぎよ!」

 

 思わず、私は声を上げる。

 ハタハタと揺らめく巫女服、その隙間が非常に不味いことになっているから。

 具体的には、服の隙間から私の肌が見え隠れしていて。

 だから服を抑えながら、私は抗議するのだ。

 

「善は急げなんですよっ、アリスさん」

 

「そういう問題じゃないわ!」

 

「聞こえません、聞こえませんからっ」

 

 この娘、人の話を全く聞く気がないみたいだ。

 テンションが上がり過ぎて、恐らくはテンパってもいて。

 私の声は、早苗の右から左へと流れていく。

 お陰で私の今の状況が、よく見えていないようだ。

 ……必死に、右手で胸の辺りを抑えている私の姿には。

 

「転けても知らないわよ」

 

「その時はその時、一緒に転げてください!」

 

 もう、無茶苦茶である。

 神社を出る前は好きにしろと思ったが、この有様はあんまりであると言えよう。

 恐らく、私の顔は赤い。

 そして挙動不審でもある。

 それは、はためく服がそれを強いさせているから。

 ……今の私は、見ようによっては痴女丸出しなのだ。

 

「変態じゃない、変態じゃないのよ、私は」

 

 小声で、暗示するように呟く。

 私がどう見えるのか、想像するだけでアレなのだけれど。

 それも全部、この素敵な巫女服がいけないのだ。

 私が恥ずかしい目にあうのも、早苗が暴走しているのも、全部ぜんぶこれのせい。

 早苗が着ると綺麗でも、私が着ると振り回される。

 ――私用にこの服を改造できたら。

 そう思わずにはいられない。

 

「さぁ、こっちですっ」

 

 走って、羞恥で、赤くなった私を、早苗は引っ張り続ける。

 石段を降りきって道に出て、でも直ぐに脇道へと逸れていく。

 そこは彼処へと繋がっている道。

 流麗で、輝いている鏡の様な彼処へと。

 

「……もぅ」

 

 少し、不満と諦めと赤い吐息をのせて、私は小さく呟く。

 私はそれに為すがまま、唯々引かれていくのみ。

 でも、それで良いかと思い始めている自分もいて。

 早苗のパワーに辟易しつつも、私は受け入れ始めている。

 久々に会った早苗だったけれど、今はすっかり何時も居たかのような感覚が芽生えているのだ。

 

「仕方、ないわね」

 

 そう、だから仕方なく。

 ギュッと、早苗の手を握る。

 離れないように、転けてしまわないように。

 

「本当にお転婆なんだから」

 

「アリスさん、ありがとうございますっ」

 

 息を切らしながら、元気な声を出す。

 溌剌として、だけれども清涼な声。

 それは、聞いてるこちらにも、元気さを分けてくれるようで。

 嬉しく思っていると、早苗も私の手を握り返してきた。

 元より繋いでいた力よりもずっとずっと強く、痛いくらいに。

 だけれども、痛いだなんて口にしようとは思わなかった。

 

 ただ、私は早苗の手を握り返すだけ。

 何だか、不思議と悪い気分では無かった。

 きっと、それはこんなおバカで恥ずかしい状況でも、私は楽しんでしまっているから。

 これもそれも……。

 

「全部あなたのせいなのよ」

 

「ふぇ?」

 

 風に乗るように疾駆している私達。

 そんな状況に似合わない、早苗の困惑した声。

 それに、私は笑みを漏らして。

 

「行くわよ」

 

 今度は、私が早苗を追い抜いて、引っ張る形で走り出す。

 正直、はしゃいでいると、自覚している。

 けれど、こういうのも、たまには良いと思ってしまったから。

 

「付いていらっしゃい、早苗」

 

 振り向いてそう告げた私に、早苗は驚いたような表情を浮かべる。

 そしてポツリと、こんな言葉を漏らしたのだ。

 

「アリスさん……えっちです」

 

 早苗の視線。

 そこには風に揺られている、私の巫女服。

 ポッカリと空いた胸の隙間から、胸を覆う色の付いたものが見え隠れしている。

 

 ……無言で早苗を叩いたのは、言うまでもない事であった。

 

 

 

「ア、リスさんに、ぶたれ、ました……」

 

「殴る方も悪いけれど、殴られる方にも理由がある時があるのよ」

 

「大人、の詭弁です、よぉ」

 

「どこがよ」

 

 そうして、私達は全力で熱く熱した道を駆けてゆき。

 開けた場所、目的地……要するに湖に到着していた。

 早苗は息を切らして私を睨んでくるけれど、それ以上に私がジト目を向ければ、スっと顔を背ける。

 後ろめたさはあるようで、だけれど納得もしてないようだ。

 さて、どうしたものかと悩んでいた時。

 早苗は息を整えるためか、大きく深呼吸をした。

 大きく吸って、吐いて。

 数度繰り返して、そして私へと顔を向ける。

 その顔は、何かを思いついたように輝いていた。

 こういう時の早苗は、大抵何かしら変なことを思いついていることが多い。

 そこはかとなく、不安だ……。

 

「では、こうしましょう」

 

 ポンと手を合わせて、早苗は笑う。

 ワクワクと、そんな擬音をそこら中に撒き散らしながら。

 さっきまでの不機嫌を、ケロッと忘れてしまったように。

 さらりと、早苗はこんな提案をしてきたのだ。

 

「私はアリスさんに叩かれました。

 すごくすごくショックでした。

 だから……」

 

「だから?」

 

 胡乱げに聞き返すと、早苗はニコリと笑って、こう続けた。

 

「アリスさんは、私の頭をよしよしと撫でる義務が発生しました。

 傷ついた私を、労わるように撫でてください!」

 

 半ば欲望丸出しで、早苗は頭をにゅっと突き出してくる。

 さあ、撫でてと言わんばかりに。

 ……再び無言で、私はその頭をコツンと小突く。

 意識してではなく、殆ど本能的に。

 

「っひゃ!?」

 

 いきなりの衝撃に、早苗は驚いた声を出していた。

 それが少々の愉悦となって、私を満たす。

 

「うぅ、アリスさんがイケズです」

 

 目端にほんのりと涙を滲ませた早苗が、顔を上げてそんなことを言ってきた。

 それに私は溜飲が下がるのと共に、どこからか罪悪感も湧いてくる。

 イジワル、と早苗の目が訴えてきてるからか、早苗の目尻にあるもののせいか。

 だから、気がつけば……。

 

「……手を出したのは悪かったわ」

 

 早苗の頭を撫でていた。

 さらさらとした感触が、実に心地よい。

 走ったあとで、赤くなっている早苗のうなじも、不思議な魅力を持っていた。

 意外と病みつきになりそうな、撫で具合である。

 

「可愛いわね、早苗」

 

「……アリスさんはずるいです。

 まるでDV夫の妻の気分です」

 

 うなじだけでなく、顔まで赤く染めて、早苗は私を見上げる。

 上目遣いで、ウルウルと目を潤ませながら。

 

「口の減らない子ね」

 

「なら、どうしますか?」

 

 ちょっと余裕が出てきたのか、早苗は軽口じみた事まで口にして。

 お陰で、私にも余裕が戻ってくる。

 

「このまま、頭を撫で続けるわ」

 

「アリスさん、大好きですっ」

 

「安い好意だことで」

 

「ちょろいのはアリスさん専用です」

 

 すぐに調子に乗る早苗を、私は唯ひたすらに無心で撫で続ける。

 ナデナデ、ナデナデと、そんな音まで聞こえてきそうなほどに。

 

「気持ち、良いです」

 

「私もよ」

 

 そう言って、また私達は見つめ合う。

 けれど、今度はどちらも笑顔であった。

 

 

 

 波が押し寄せては引いてゆく。

 それは海も湖も変わらぬ光景。

 だけれど、この湖に至っては一等輝いて見える景色。

 私達は、何気なしにその漣を眺めている。

 その音は、あれだけ急降下を繰り返していた私達の心を、どこか落ち着けさせてくれる。

 気持ちが平坦になるわけではない。

 段々と穏やかに整えられていくのだ。

 

「それで、早苗」

 

 私は、連れ出した本人である早苗に、視線を戻す。

 当の本人は、どこか恥ずかしげに頬を掻いていた。

 

「落ち着いた?」

 

 訊ねると、彼女は一つ頷く。

 彼女なりに、自分が暴走していたことを認識したのだろう。

 どこか気恥ずかしげな彼女に、微笑ましさが湧いてくるのを感じる。

 可愛い、と素直に思えるから。

 

「ここは、綺麗ね」

 

「ずっと変わらない、大好きな場所ですから」

 

 綺麗な目をして、早苗は湖を見ていた。

 彼女の目に、キラキラと輝く湖の光景が反射している。

 陽が湖に、湖が早苗に、煌きをもたらしているのだ。

 

 それが、とても綺麗で神秘的に感じる。

 優しい世界が、この場に満ちているのだから。

 

「どうして、ここに来たの?」

 

 私は、分かっていることを早苗に訊ねる。

 それは、早苗の口から言葉が聞きたかったから。

 ちょっと意地悪か、とも思いつつも訊いてしまったのだ。

 すると案の定、早苗は頬を染めて答えづらそうに、だけれどもキチンと答えてくれた。

 

「ここに来れば落ち着くかなって、そう思ったんです。

 この湖は、綺麗な鏡ですから」

 

 それから早苗は、アリスさんごめんなさい、と小さく言葉の後に付け足した。

 こういうところが、この娘の可愛げであり、良いところでもあるのだろう。

 だから私は、彼女の頭を撫でる。

 私も、ちょっとクセになってるのは否めないけれど。

 早苗も、嫌がってはいないのだから。

 

「なら、綺麗な鏡に映ったのは、さぞ慌てていた兎の姿かしら」

 

「アリスさんって、結構意地悪ですよね」

 

「意地悪な私はダメかしら?」

 

「……ちょっとだけなら」

 

 小さな声で、恥ずかしげに早苗は言う。

 弱っているところを、ツンツンとつついている様な感覚。

 本当は頭を撫でているだけなのだけれど。

 

「早苗は優しいわね」

 

「こんなところで優しいって言われても、微妙ですよ」

 

 私がからかう様にして言うと、早苗は拗ねたような声を上げる。

 でも、ちょっとずつ調子は戻ってきているようで、声に張りが戻ってきている。

 ポカポカと、私の胸を叩いてくる早苗。

 ……叩かれた後に、服と胸の隙間に寂しい風が吹いてゆく。

 

「ごめんなさい、早苗。

 意地悪が過ぎたわね」

 

「はいっ、これでお互い様です!」

 

 だけれど、早苗は無事に完全復活を果たせた様で。

 この程度の事、大したことではないと思わせてくれる。

 これで解決と、ようやく心を落ち着けることが出来たのだから。

 

「それで……」

 

 私は辺りを見回す。

 次に周りに広がっている、この湖を。

 

「これから、何しましょうか?」

 

 最後に早苗を見て、問いかける私。

 一つ出来ることは思いついたのだけれど、それをするには早苗の許可を求めなきゃいけないものであるから。

 だから、最初に早苗の意見を聞く。

 彼女に腹案があるのなら、それに便乗するつもりで。

 

「そうですねぇ」

 

 早苗は、頬に指を当てて考え始めた。

 特に、何も考えてなかったようだけれど、そこから必死に何かを捻り出そうとしているように。

 微笑ましくて、思わずじっと眺めてしまう。

 

「うーんと、えっと、ですね、アリスさん」

 

 かめかみに人差し指を押し当てて、だけれど何か光明が見えてきたようで。

 少しずつだけれど、言葉を零していく早苗。

 

「あぁっ、そうです!」

 

 そして、ポンと手を叩いて、早苗は笑顔を覚える。

 ついに何かを思いついた様である。

 

「何?」

 

「水遊びです!

 何故最初に私は気づかなかったのでしょうか!」

 

「水着じゃないからでしょう」

 

 早苗が良案を思いついたとばかりに叫んだけれど、私は冷静に返答する。

 それに、あ、そうでした、と照れ笑いを浮かべている早苗。

 けれど、悪い案ではないと、私は思っていた。

 そもそも、私も同じことを考えていたのだから。

 

「このままするのなら、服が水浸しになってしまうけれど、良いの?」

 

 問いかけ、私の賛成を言葉に載せた。

 それに早苗は、キョトンとして、そしてニコリと笑う。

 やった、と小さな言葉と共に。

 

「良いです、持ち主の私が許可しますから!」

 

 キラキラした目で、早苗は私と湖を交互に見ていた。

 嬉しいという感情が爆発している表情で。

 今にも駆け出しそうに。

 

「そう、なら」

 

 私も、はしゃいでしまおう。

 早苗がどうという話ではない。

 折角の場なのだから、私が触れて遊びたいのだ。

 この湖と、そして早苗と。

 

「行きましょう、早苗」

 

「はいっ」

 

 手と手を繋いで、私達は湖へと勢いよく向かう。

 走りはせずに小走りで。

 今回は、互いに転けないように気を使って。

 

 トテトテと、湖が近くになると小走りになって。

 私達は湖に自分達の顔が映る距離まで近づいて。

 意味もなく、その中を覗き込む。

 

 そこには、太陽の光で煌めいている水面の中に映る私の姿。

 まるで、御伽噺の鏡のようだと思ってしまう。

 

 ――鏡よ鏡、鏡さん、世界で一番美しいのはだぁれ?

 

 思わず、そんな狂言が口から飛び出そうになる。

 だけれど、それが口から出ることはなかった。

 何故なら、その前に……。

 

「っきゃ!?」

 

 顔に、水が直撃する。

 雫を垂らしつつ周りを見ると、そこには笑顔の早苗の姿。

 何時の間にか水辺に立ってて、楽しげに笑っていたのだ。

 

 ……自然と、口角が釣り上がる。

 心の中で、やり返せと誰かが囁いている。

 それは無邪気な心か、それとも奔放な遊び心か。

 まぁ、どちらにしても、今は私がやることは決まっている。

 

「やったわねっ!」

 

 両手で水を掬い、それを早苗に向かっていっぱいの力で浴びせに掛かる。

 やられたらやり返すのが、私の信条なのだ。

 

「あはは、アリスさん冷たいです!」

 

「一発で終わるわけではないわよっ」

 

「望むところです!」

 

 水を掬い、掛けて掛けられて。

 無邪気な子供のように、浴びせ合いっこをする。

 今は、沢山のしがらみを忘れ去って、子供のように戯れ合う。

 それが、今はすごく楽しく感じる。

 

「むむ、私の方が水を沢山掛けられてますっ」

 

「もっと頭を使うべきね。

 それから早苗、足を取られやすい場所にいるから不利なのよ」

 

「き、気付きませんでした!?」

 

 こんな些細なことでも、本気になっている自分がいる。

 それでけ熱中しているということ。

 今の私は、目先の事しか見えていない。

 純粋に、童心へと回帰しているのだ。

 

「ほら、動かないと沢山かかるわよ」

 

「むぅ、負けません!」

 

 ぱしゃぱしゃと、水が跳ねる音がする。

 必死になって、早苗と水を掛け合う。

 楽しく、だけれどヤケになっている感覚。

 一進一退、相手が参ったと言うまで私達は続けるであろう。

 

 そうして、互いに引かずに服がすっかりびしょびしょになってきた頃。

 均衡が、崩れ始める。

 それは、早苗が、とった行動にあって。

 

「えいっ」

 

 彼女は、なんと水面を思いっきり蹴り上げたのだ。

 その拍子に、自らもひっくり返って全身水浸しになっていたのだけれど。

 私にも、しっかりと大量の水が掛かってしまって。

 

「ひうっ!?」

 

 脇から、つぅっと水が中に直接入り込んでくる。

 そのせいで、普段は出さないような情けない悲鳴を出してしまう。

 冷たく、擽ったくて――背中がゾクリとする。

 慣れていない背中を冷たく撫でられる感覚に、困惑してるのだと思う。

 こそばゆいような、気持ち悪いのに心地良いような、不思議な感覚。

 

「あはは、転けちゃいました」

 

 だけれど、自身も水浸しになっている早苗がそんな私の困惑を知る由もなく。

 頭を掻きながら、私を無垢な目で見上げていた。

 だから、私も動揺を悟られ無いように、平然とした顔で早苗に手を差し出す。

 

「はしゃぎすぎね」

 

「それを言うなら、元からこんなことはしませんよ」

 

「ご尤もね」

 

 早苗の言葉に、思わず微笑んでしまう。

 私も、やればこれだけ元気になれると、おかしな実感を得ていたから。

 悪くない、と自分でも思ってしまう。

 

「見て、早苗のせいで私は濡れ鼠よ」

 

「私も一緒でお揃いですね」

 

「服も一緒ね」

 

「何だかお得な気分です」

 

「何がよ」

 

 互いに顔を見合わせて、また笑い合う。

 それがこの場では正しく、そして心のままであると感じたから。

 

「ふふ、全く、楽しいわね早苗」

 

「えぇ、私もすごく楽しいです」

 

 笑顔満開、ずっとその調子で私達はこの場にいる。

 懐かしみと、それでいて素朴な昔を思い出してしまうかのような感覚。

 ここには、それがあるから。

 

 ……でも、である。

 楽しみだって、何時までも続けていられる訳ではない。

 日が、傾きつつあるのだ。

 そして何より、私達は水浸しの服を纏っている。

 夏場とはいえ、風邪を引かないなんてことはない。

 故に、そろそろ戻らなくてはならないのだ。

 

「早苗」

 

 だから、私は呼びかける。

 帰る時間なのよ、と。

 戻る時間なのよ、と。

 

「寒くなる前に帰りましょう」

 

「えっ」

 

 驚いたように早苗は声を漏らして、空を見上げる。

 日はまだまだ元気で、傾きつつも燦々と輝いている。

 多分、今は五時頃だろうか。

 まだ帰るには早い、そう思うかもしれない。

 けど、問題はそこではないのだから。

 

「帰ってすることもあるでしょう?

 私も手伝うから、そろそろね」

 

 すること、それは神社のこと。

 二柱の面倒を見たり、ご飯を用意したり、お風呂を沸かしたり。

 要するに、日頃の家事が待ち受けているのだ、

 

「そうですか、もうそんな時間なんですね……」

 

 空を見上げながら、早苗はしみじみと言う。

 納得を示しながら、だけれど寂寥を感じさせる声で。

 

「時間の流れは楽しいほど、速いものよ」

 

「相対性理論ですね」

 

「……その辺りには、あまり明るくないわ」

 

「ありゃりゃ」

 

 早苗が良く分からないことを口にするが、軽く受け流して彼女の手を掴む。

 ここに来るときは暖かかった手は、どこか冷たくなっていて。

 潮時なのは間違ってなかったと、そう理解する。

 

「まずはお風呂に入りたいわね」

 

「はい、そうですね。

 帰ったら直ぐにお風呂を沸かします」

 

「えぇ、ありがとう」

 

 私と早苗、温かさを感じる為に手を繋ぎ合って、歩いて帰り道を歩いて行く。

 そこで、今日はずっと早苗と手を繋いでいたことに気が付く。

 最初は慌てんぼうの早苗に振り回される形で手を取って。

 次は仲直りに、一緒に歩いていくために手を繋いで。

 そして今、触れ合って温かみを分け合っている。

 それが不快でないのは、私も早苗のことが嫌いじゃないからだ。

 だから、心地よさを感じる手を、私はギュッと強く握る。

 

「アリスさん?」

 

「今日の晩御飯はどうしましょうか」

 

「え、えーと、確か鰯があったような」

 

「骨を取るのが億劫ね」

 

「あ、でも美味しいんですよ!」

 

 何か不審そうに感じたのか、早苗がまじまじと私の顔を見てきたので、話題を振って意識を逸らさせる。

 考えていることがバレたのならば、とても恥ずかしいどころの騒ぎではないのだから。

 だから、早苗が話題転換に見事に釣られてくれて、非常に助かっていると言えるだろう。

 

「鰯の焼き方なんて知らないのだけれど」

 

「えっと、鰯は油が多いので、換気扇をガンガン回して焼かないと、家中煙だらけになります!」

 

「……それはまた面倒ね」

 

「でも、美味しいんです!」

 

 鰯が好きなのか、何故かプッシュしてくる早苗。

 別にいいのだけれど。

 そんなことを考えていたら、唐突に隣から可愛らしい声が聞こえた。

 

「――っくしゅん」

 

「やっぱり、お風呂が最優先ね」

 

 早苗がクシャミを催したのだ。

 そんなに濡れているから、と私は早苗を見て……。

 ……そして今、恐ろしいことに気が付いてしまったのだ。

 

「透け、てる?」

 

 早苗の服、それが透けて、下着が丸見えになっていた。

 理解などしたくはないが、紛れもなく本当のこと。

 早苗も私の言葉に反応して自身の服を見て、あぁ、と声を漏らした。

 

「水遊びしてましたからね、仕方ないですよ。

 それに……」

 

 どこか嬉しげに、早苗は私の服を見て、そして視線を上げて顔を見ながら言ったのだ。

 

「これも、アリスさんと私、お揃いなんですよ」

 

 いたずらっぽく、左指を唇に当てながらそんなことを言う早苗。

 ギョッとしてみてみると、確かに私の下着までもが透けていて。

 頭を抱えそうになるが、生憎と片方は早苗と手を繋いで塞がっている。

 なので、こめかみを押さえるだけで、今は耐える事としたのだ。

 

「いっぱい遊びましたね、アリスさん」

 

「そう、だけれど」

 

 今はそこが問題ではない。

 確かに、早苗と後先考えず楽しく時間は過ごせた。

 それは何よりの事実である。

 だけれども今、私はとんでもない事に気が付いてしまったから。

 

「ねぇ、早苗」

 

「何でしょう、アリスさん。

 あ、もしかして、また恥ずかしくなってきたり?」

 

「当たらずとも遠からずね」

 

「アリスさんって純情ですね」

 

 機嫌よさげに早苗は言う。

 私が早苗に下着を見られて、恥ずかしがっていると思っているのか。

 

 別にそれは問題ではない。

 あの時は、早苗が変なことを言うから騒いでいただけなのだから。

 今、問題であるというのは……。

 

「ここ、誰か道を通らないのかしら」

 

「……あ」

 

 今、私達が歩んでいるのは、守矢神社までの簡単な道。

 人通りは非常に少なく、目立たない場所ではある。

 けれど、確実にそれが保証されているというわけではないのだ。

 

「どうするの?」

 

 呆れを滲ませて、私は早苗に問う。

 答えは、無言。

 そう、無言で早苗は足を早め始めたのだ。

 こんな姿、誰かに見せられる状態ではないから。

 ……早苗に引かれて、私の歩も早まっていく。

 その中で思ったこと、それは呆れと共に訪れた安堵。

 

 ――早苗にも、きちんと羞恥心はあるのね。

 

 そんな、我ながら失礼なことを、帰り道では考えていたのであった。

 

 

 

 

 

「神奈子様ー、諏訪子様もご飯ですよーっ」

 

 それから、私達はお風呂に入ってから夕飯を一緒に作った。

 お風呂は私と早苗、二人揃って冷たくなっていた為に一緒に入浴。

 上がってからは早苗にパジャマを貸してもらい、台所へ。

 本当に鰯の煙は凄くて、私も早苗もコホコホと咳き込んでしまって。

 私は慣れていなかったから、台所ではお手伝いに甘んじる事となっていた。

 けど、早苗の手際は極めて良かった為、私は大して必要ではなかったと言える。

 早苗は、一緒に料理できて嬉しいですと言ってくれたのが、唯一の救いであったが。

 

「ん、ご苦労、早苗」

 

「おー、今日は鰯かぁ。

 早苗、何時も悪いねぇ」

 

「いえいえ、それは言わないお約束です」

 

 料理は居間へと運び込まれて、二柱を呼べば八坂の神はゆったり歩いて、洩矢の神はトテトテと小走りで現れた。

 そうして卓に皆で座って、皆で手を合わせる。

 

「頂きます」

 

 早苗が静かにそう言うのに倣って、二柱もそれに続く。

 そして私も、ワンテンポ遅れて、頂きますと告げたのだ。

 遠坂邸では、凛は頂きますとは言えとは強要してこなかったから、何だか新鮮な感覚である。

 

「むぅ、鰯は脂が乗ってて美味しいけど、骨が多いのが難点だよね。

 アリスなんて」

 

「わざわざ骨を避けるか、軟弱な奴め」

 

 食べ始めて、私達が骨と格闘している間、八坂の神はそこに骨など存在せぬと言わんばかりに、そのまま骨ごと噛み砕いている。

 ……ワイルドすぎる。

 

「私は野蛮人じゃないからね。

 バリバリゴリゴリなんて音立てちゃ、下品じゃないか」

 

「お前はそもそも、品位がどうこうを言えるほど品行方正なタチでもあるまい」

 

「こういうのはね、心持ちの問題なのさ。

 そんなことも分からないから、あんたは野蛮人だって言ってるんだよ」

 

 食事は実に和やかに、えぇ、実に和やかに進んでいる。

 特に早苗は、何時もの事ですと言わんばかりに骨をバラして、鰯や煮付けに箸を進めていた。

 だけれど、真実として二柱とも怒っているようにも見えないし、本当に何時ものことなのだろうけれど。

 ……それにしても、やはりとても不思議な気分である。

 こうして、神様達と一緒に食卓を囲んでいることが。

 

「どうしましたか、アリスさん?」

 

「私は滅多に出来ない経験をしてると思ってね」

 

 ガミガミと言い争っている二柱を見て思ったのは、どこにでもありそうな素朴な食卓だということ。

 別に何かが違ったり、特別だったりする訳ではない。

 ちょっと騒がしいだけの、優しいモノがそこにはあって。

 

「自慢とかしちゃったり?」

 

 何時の間にか、八坂の神と言い争いをしていた洩矢の神が、茶々を入れに来ていた。

 おちゃらけつつも、ちょっと意味深に笑っている。

 

「まぁ、機会があれば、ですね」

 

 実際、神様と一緒にご飯を食べたなんて言っても、小馬鹿にされるだけだろうから。

 凛でさえ、悪いものを食べたかと心配してきそうな予感がする。

 それは、それだけ現代に残っている神秘が数少なく、そして神秘たる側でも、現実と幻想の区切りが入ってしまっているから。

 もう、神様という概念そのものが御伽噺なのだ。

 

「ま、そうさね。

 もし機会があれば、可愛い神様がいたって言ったら良いよ」

 

「自分で可愛いなどと」

 

「何さ、早苗くらいしか言ってくれる人は居ないんだから、別に自己申告したって良いじゃないか」

 

「バカにつける薬はないとは、こういうことか」

 

 洩矢の神がおちゃらけている中に、ほんの僅かにしんみりとした感触を混ぜる。

 が即座に、八坂の神にひっくり返されてしまっていた。

 そのせいで、直ぐに何かが混ざりかけた雰囲気が霧散する。

 

 二柱は、お互いにガミガミと言い争いに入る。

 でも、これがきっと、この二人なりのコミュニケーションなのだろう。

 彼女達なりの、折り合いのつけ方。

 八坂の神がここに住むようになってからの、洩矢の神が受け入れるための術だったのかもしれない。

 今では、それが自然と定着しているだけなのかもしれないけれど。

 

「仲がいいわね、ここの人達は」

 

「ずっと腐れ縁だって言って、御二方共に認め合ってはいるんですけどね。

 まぁ、簡単に言えば何時もの通りといえばいいのでしょうか。

 喧嘩するほどなんとやら、ですね」

 

 ぼそりと呟いた私の言葉を、早苗が苦笑いをしながら注釈を付ける。

 恐らくは、私の想像通りのところは多々あると思う。

 けれど、わざわざそれを聞こうとも思わない。

 想像する程度が、ちょうどいいのだ。

 

「そういえば早苗」

 

「はい、なんでしょうか?」

 

 その代わりに、ちょっと気になる質問を思いついた。

 それも、結構意地の悪いやつを。

 

「あなた、八坂の神と洩矢の神、どっちの方が好きなの?」

 

 ――その瞬間、その場の空気が凍った。

 

 早まったか。

 そうも思ったけれど、気になっている事柄ではあったのだ。

 だから、へ、と固まっている早苗に、もう一度聞くことにする。

 

「八坂の神と洩矢の神、どっちが……」

 

「言わなくていいです、ちゃんと聞こえてますっ」

 

 途中で、言葉を遮られる。

 どこか焦ったように声を出した早苗。

 チラリチラリと、二柱の方に視線を向けている。

 やはり、反応が気になるのはそこであろう。

 どちらかを選ぶと角が経つのは、目に見えて明らかだから。

 私もチラリと、二柱の方へと視線を投げる。

 そこには……、

 

「まぁ、早苗は小さい頃から私が面倒見てたし?」

 

「お前は赤ん坊の早苗に、顔芸を披露していただけであろう。

 私は抱き上げ、あやしたこともあるのだぞ」

 

「そんなの私にだってあるさ。

 神奈子はプライドの塊だから、露骨に変なことは出来なかったけど?」

 

「諏訪子、お前は威厳を彼方に放り投げたであろう」

 

「何さ、凝り固まった石のような奴よりか、よっぽどマシだと思うけど」

 

 何か、新たな戦いが始まっていた。

 互いに、どちらが早苗の世話をしていたのかを競い合っている。

 恐らくは、こちらの声は届いてないくらいに。

 だから、この期に早苗をせっつく。

 

「今のうちに教えて頂戴。

 大丈夫よ、二柱にバラしたりなんてしないわ」

 

 そう言うと、早苗は困ったような顔を浮かべていた。

 あぁ、そういうこと。

 なので、この時点で、大体答えは分かってしまった。

 けど、是非とも早苗の口からその答えを聞きたいから、さぁ、と促す。

 

「大丈夫よ、誰も早苗を責めたりしないわ。

 それに、きっとあなたの答えは、どこまでもあなたらしいものでしょうから」

 

「……アリスさん、やっぱり今日は意地悪です」

 

「意地悪な私はダメ?」

 

「それも、もう言いました」

 

「そうだったわね」

 

 雲に巻くように、早苗の言葉をやんわりと躱す。

 早苗も、そろそろ口が軽くなっている。

 もうそこまで出かかっているのだ。

 だからもう一歩、何かが必要で……。

 

「教えて欲しいわ、早苗」

 

 囁くように、早苗の耳元で私はそう告げた。

 早苗はビクッとして、背を伸ばしていたが、次に諦めたように溜息を吐いた。

 ようやく、話す気になったようだ。

 

「私は、どちらの神様も好きです」

 

「知ってたわ」

 

 予測は、簡単に出来ていた。

 だから、本当に早苗の言葉で聞いてみたかった。

 単にそれだけの理由に過ぎないのだ。

 

「ほら、意地悪です」

 

「好きな子イジメだと思っておきなさい」

 

 拗ねたように早苗はそう言うが、それにクスクスと笑いながら私は答える。

 えぇ、可愛げのある子だから、からかいたくもなるのだ。

 

「もぅ、ひどいです」

 

 早苗はふくれっ面で、私が笑っているのを見ている。

 見ていた、けれど……。

 また、早苗が閃いたような表情を見せた。

 そういう時は、やはり早苗は笑顔になる。

 

「そうです! アリスさん」

 

 そして思いついたことを口にしようと、早苗は私に笑顔を振りまきながら見つめてくる。

 目を逸らそうにも、早苗の目はロックオンしたものを離さない特性でもあるのか、彼女の目を真っ直ぐと見てしまう。

 そんな中で、早苗はこんなことを口にしたのだ。

 

「私、アリスさんのことも大好きですよ!」

 

「………………は?」

 

 いきなりの奇襲攻撃で、絶句してしまう。

 この場で、急にそんなことを言われて戸惑ってしまって。

 意地悪とか言ってたのにどうして、と思ってしまったのだ。

 けど、早苗は私の心境など関係なく、こう続けた。

 

「アリスさんが好きな子イジメって言ったんですよ。

 なら、私もアリスさんが好きですから、まさに両想いですね!」

 

 不意打ちも良いところだ。

 純粋に、早苗は自身の好意をぶつけることで、私に仕返しをしているのだから。

 

「……意地悪ね」

 

「意地悪な私は嫌いですか?」

 

 意趣返し、さっきと同じ質問をぶつけられる。

 けど、答えはそんなの、決まっていることだから。

 

「嫌いなわけないわ」

 

「なら好きですか?」

 

「さぁ、どうでしょうね」

 

 答えたら負けの気がしたから。

 そっと口を閉ざすことにした。

 その様子に、早苗の溜飲は大いに下がったのか、やたらとニコニコしていた。

 

 ……そして、そんな私達を見つめる、二対の目。

 あ、と声が出そうになる。

 決して、忘れていた訳ではないのだけれど。

 でも、ついこっちに夢中になりすぎた感はあった。

 視線の先、そこにはどこかジト目をした、二柱の姿があったのだった。

 

「えっと、こういうの。

 寝取られたって言えばいいのかな?

 アリス、お前は泥棒猫かい?」

 

「違います、そして寝取ってもいません」

 

 洩矢の神が、サラリと妙なことを口に出す。

 笑顔で、だけれど威圧感を出しながら。

 洩矢の神は凛と同じで、笑顔になればなるほど怖くなっていくタイプのようだ。

 

「…………………………」

 

 一方、八坂の神は、口を閉ざして黙ってしまっていた。

 顔を伺うと、悩ましげな表情が浮かんでいて。

 目が合うと、じぃっとこちらが覗き込まれる。

 怒ってはいないようだけれど、何かを深く考え始めてしまっているようで。

 

「私は、この場にいる皆さんが大好きだってことですよ」

 

 不穏な空気を感じ取ったのか、早苗がフォローを入れるように言葉を発した。

 それのお陰か、場の空気が目に見えて弛緩する。

 

「すっかりと早苗はアリスに懐いちゃったね」

 

 洩矢の神が、ちょっぴりと僻んだようにそう言う。

 けれど、それは柔らかさもあって、喜んでいるようにも聞こえるものであった。

 

「アリスさんは、何だかお姉さんみたいで、とっても親しみやすかったからですね」

 

 早苗が、気恥かしそうに私の事を言葉にする。

 混じりっけのない、純粋さを持って。

 ……成程、これは中々に面映ゆいモノがある。

 早苗のこれは、親愛の、とかつく好意であろうから。

 

「早苗は可愛げがあるからね。

 ついつい可愛がっちゃうのよ」

 

 早苗の猪突に私が振り回されているのは、大いにあるのだけれど。

 けど、早苗は嬉しそうに笑っているから、余計なことは言わない。

 唯々、私も一緒に笑顔を浮かべるだけであった。

 

「……そろそろ、ご馳走様ですね」

 

 ちょっと気恥ずかしげに、早苗が卓を見回す。

 気が付けば、話をしている間に皆が殆ど完食してしまっていた。

 無論、私のお椀も皿も空であった。

 何分騒がしかったけれど、それはそれで時間を速める効果を持っているようだ。

 

「では、私はお皿を洗うので、これにて失礼します」

 

 ご馳走様、皆でそう手を合わせて言ったあとに、早苗は手早く皿を集めていく。

 私もそれを手伝おうとしたのだけれど……。

 

「アリス、お前に……話がある」

 

「私に?」

 

 八坂の神が、そう告げてきたのだ。

 真剣な表情で、私をまっすぐに見て。

 だから、私も八坂の神を見つめ返して。

 

「何でしょうか?」

 

「ここでは話しづらい。

 付いてきてもらいたい」

 

 そう言って、八坂の神は私に背を向けて歩き出した。

 話を聞かないところは、こちらの答えを求めていない傍若無人さは、流石は神様といったところであろうか。

 

「付いてってあげて、アリス」

 

 いきなりで固まっていた私に、洩矢の神が声を掛けた。

 振り向くと、そこには私を見上げている洩矢の神の姿があった。

 

「はい、行ってきます」

 

 洩矢の神も真剣な目をしていたので、本当に大切な話をするのだと理解する。

 一体何の話なのか、考え込んでしまいそうになる。

 

「行く前に、一つだけ忠告」

 

 私が八坂の神を追おうとしたその時。

 洩矢の神が、私の背中に声を投げる。

 振り向くと、どこか柔らかで、早苗にするような表情をしている洩矢の神が、そこには立っていたのだ。

 

「アリス、神奈子の奴に何を言われようが、ただ自分が思うままに従えばいい。

 あいつの言葉なんか何の効力もないし、あんたは好きにできる権利を持ってるんだからね。

 それでも何かを決めようとするなら、そうさね」

 

 そこで言葉を区切って、洩矢の神は時間だけ思考する。

 たった三秒にも満たない、僅かな時間を。

 そうして、彼女が口にした言葉は、自然と胸に落ち着くものであった。

 

「アリスにとって重いもの。

 未練とか、誰かの顔とか。

 そういうのを思い浮かべたら良いさ」

 

「……はい」

 

 洩矢の神の言葉に、頷く。

 彼女の言葉から、八坂の神が私に何か重いことを、私に伝えようとしているように思えたから。

 まだ、その意味は分かっていないのだけれど。

 でも、洩矢の神は好きにして良いと言っている。

 まずは八坂の神の話を聞いてからだけれど、それは何よりの頼りになると思えた。

 

「ありがとうございます」

 

「良いよ、いってらっしゃい」

 

 適当に手を振る洩矢の神に頭を下げて、私は八坂の神を追う。

 一体何を言われるのか、それに思いを馳せながら。




早苗さんとアリスのお風呂シーンは、皆さんの想像の中でどうぞ。
だって自分が書いても、何だかうまく書ける気がしませんもん!(必死の言い訳)
けど、一応は流れだけは考えてました。
なので、想像するのだけならば簡単ですよ!
今から、単語や適当な文章を羅列していくので、それで組み立てていってください。


お風呂(檜風呂でも、何でもイメージに合うものならば可)。
アリスと早苗の肌色。
背中の流しあいっこをする二人の姿。
早苗の胸は大きいわね、アリスさんのは形が良いですよ! などと乳繰り合う(意味深)二人。
背中合わせに風呂に入り互いの鼓動を感じ合う二人……。
暖かいのはお風呂? それとも早苗? と自問自答するアリス。
気持ちいいですぅ(意味深)、と風呂に浸かりながら呟く早苗。


さぁ、ここまで来たら大体想像できますね!
後は、ご自分の想像力で補完するのです!(投げっぱなしジャーマン)


追記:ペンギンのユーザーページに飛んで、ペンギンのおもちゃ箱とかいう小説を選択すると、アリスと早苗のお風呂シーンが見れますよ!


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番外編 夏の避暑地へ行きましょう 下

3日でできると思ってたら、もう少し手間取った件について。
まぁ、そう言う時もありますよね!(言い訳)


 八坂の神は無言で歩いていく。

 どこまで行くのかと思っていたら、外にまで出て行って。

 一瞬、パジャマでは風邪をひかないかと思ったが、八坂の神の歩く速度が早いので、仕方がなくパジャマ姿のままで外にでる。

 ずっと無言のまま、私は彼女についていって。

 そうして、たどり着いた場所。

 漣が聞こえ、涼やかさに満ちた場所。

 昼間、早苗と精一杯駆けていた空間。

 ……湖が、私達の終着点であった。

 

「では、始めるとしようか」

 

 口火を切ったのは、八坂の神。

 振り向いた彼女の姿は、神社にいた時よりも不思議と存在感があった。

 この湖の雰囲気がそうさせるのか、それともここに何かあるのか。

 分からないが、八坂の神の存在感が、私の背筋を正していく。

 それだけ、彼女から感じる雰囲気が澄んで私を貫いていたから。

 

「私が、話したいこと。

 それは私達、神と呼ばれるモノの事についてだ」

 

「神、ですか」

 

 神、私達(欧州人)の概念では、天にあって人を見つめるもの。

 時に試練を課し、時に助けてくれる存在。

 非常に気まぐれ、と注釈もつけられる。

 

 尤も、ここは日本で、神の概念もまた違っているというのはよく知っている。

 何よりも、人の傍に寄り添ってくれているのだから。

 この国では、神と人の間に距離なんてない。

 手を伸ばせば、握ってくれるくらいに近くにいてくれる。

 ただ、今の人には、神様が近くにいることが見えていないだけなのだ。

 

「あぁ、そうだ。

 お前も知っている通り、近年著しく信仰が衰退している。

 ……もう、神は人に必要とされてはいないようだからな」

 

 力強い声なのに、どこか儚さを含んだ言葉。

 そこにあるはずなのに、眼を離せば消えてしまいそうな郷愁じみたものを、彼女から感じてしまう。

 

「人は無意識に、何かに縋って生きてます。

 その中には、神に縋って生きている人もいるはず。

 必要ないなんてこと、ありません」

 

 私は、存在感を確固とさせようと、八坂の神に語りかける。

 この神様のことが嫌いではないから。

 いなくなられるのも嫌だから、私はそんなことを言う。

 

「そうかな? 現在の人は、神には全能を求めている。

 西洋で言うところの唯一神、それが人々の間に根付いた概念。

 そう、神を一個体としてではなく、概念にしてしまった。

 だから、個体である私達は、忘れ去られるしかない」

 

 けれど、帰ってきた言葉は自嘲気味なもの。

 憂鬱気味の言葉。

 だけれど、直ぐに頭を振って、八坂の神は私を見た。

 自嘲の中でも、何か燻っているものがある目で。

 

「いや、そんな事、今は関係のない話だ。

 私が今お前にしたい話は……」

 

 八坂の神の目が鋭くなる。

 ともすれば、睨んでいると思える程に。

 けれど、きちんと八坂の神の目を見ていると、その目が真摯な事がわかる。

 きっと彼女にとって、大切な事を告げようとしている程度には。

 なので、私は黙って彼女の言葉を待つ。

 その時に訪れたほんの僅かな沈黙、落ち着かない心境。

 私が少し緊張しかけた時に、八坂の神は話し始めた。

 

「お前に、私達と共にあって欲しい。

 それが私の願いだ」

 

「共に……ある?」

 

 八坂の神から発せられた言葉の意味。

 その真意が良く分からない。

 戸惑いが、私を包もうとしかける。

 そんな私の困惑を汲み取ってか、八坂の神は更に補足を始めた。

 

「共にあるというのは、他でもない。

 私達と共に歩んで欲しいということだ。

 例え、如何なる時にでも。

 家族に近いものと思ってもらってもいい」

 

「それは、何故?」

 

 唐突と言える告白。

 まだ、よく掴めない。

 理由も、理屈も、考えも。

 ただ、彼女の目から、本気だという事が分かるだけ。

 

「……こうして告げるのには、情けない話なのだがな」

 

 八坂の神はそう前置きして、理由を話し始めた。

 表情はない。

 けれど、その中に苦渋が見え隠れさせながら。

 

「私達は、既に神秘の中でも薄れゆく存在だ。

 現し世に置いて隠匿されている法則の中でさえ、居場所を失いつつあるのだ。

 最早、神は現代で生きていくことはできない」

 

 ……正直な話、その事については、どこかで察していた事ではあった。

 けれど、直に言われるのでは、重みが違う。

 それも誇り高い、八坂の神の言葉であるのだから、尚更だ。

 それだけ、今が切羽詰っているのか、自分で暴露しているのと同義であるのだから。

 もう八坂の神達には、余裕がないのかもしれない。

 私たちと同じ世界で暮らす余裕が。

 

「失われた神秘は、遠い過去へと忘却されていく……」

 

「然り、私達は歴史となって、後は流れていくだけとなる。

 隠されていた世界、見えない視界は人間達が自力で取り払った。

 人間は……神を必要としなくなった」

 

 八坂の神は、ひどく無表情であった。

 何故、と考えるのは愚行に過ぎないであろう。

 今まで、共に歩んできて、助けてきた人間から一方的に捨てられれば、複雑な気持ちになるのは当たり前の事。

 神は超然としているというが、これだけ人間の傍で生きてきたのならば、その精神性も人間に近しくなるのも同義。

 きっと、神にとって人間は我が子にも近い仲間であったのだと、私は思うから。

 

「少なくとも、私は貴方達が居なくなるのは嫌です」

 

「そう言ってくれるだけでも、確かに私達は救われている。

 何よりの本心での言葉で、その敬意は信仰にもなっている」

 

「恐縮です」

 

 神は忘れ去られていく、それが近代という時代。

 私も見えなければ、敬意は持っても、何れは忘却の彼方に流されていたのかもしれない。

 けれど今、私の目の前には、八坂の神は見えている。

 私の世界では、八坂の神は生きているのだ。

 

「なればこそ、その感性を持っているアリス、お前に頼みたいのだ。

 今や、私達を認識できる人間は数少ない。

 だがいない訳ではないのだ。

 その中でお前を選んだ。

 その意味、わかるか?」

 

 選択肢がある中で、私を選んだ。

 共に歩もうとしてくれる、その中の一人として。

 理由、考えると、一人の少女が頭に浮かんだ。

 きっと、これが答えであると。

 

「早苗、ですね」

 

「そうだ、早苗はお前に良く懐いている。

 それどころか、友としての敬愛さえ持っている。

 神だけでなく、早苗とも歩めるのはお前だけだ、アリス」

 

 早苗の友達としては、非常に嬉しく思う言葉である。

 何より、認められたという感覚が強い。

 けど、ここで問題があるとすれば、それは……。

 

「もし、私が貴方達と歩を合わせるなら、どうなるのですか?」

 

 ここが、私にとって重要な事であった。

 ただ単に、今よりもずっと深い付き合いをするならするで、それもまた覚悟が必要であるかのようだから。

 けど、その為だけの話ではない。

 これは八坂の神達にとって大事で、これからにも繋がっていく話であるのだから。

 

「……私達と早苗の為に、今持っている生活の全てを捨てる覚悟をしてもらう」

 

「何故?」

 

「言っただろう、私達は現代で生きていく事は出来ないのだと。

 ならば、新天地を求むるが他にあるまい」

 

「そんな場所、あると思いますか?」

 

「ある」

 

 根性の悪い質問。

 そう思って問いかけたモノに、いとも簡単に返答され、返答に窮してしまう。

 存在すると、断言されたのだから。

 どこかに、神様達が存続する為の聖域があるという事を。

 そのことが、頭にこびり付いていく。

 

「だが、私達だけでは移動するのは無理だ。

 ことを起こすには……早苗の力がいる」

 

「早苗の?」

 

 問うと、八坂の神は然りと頷く。

 早苗、東風谷早苗。

 私の友人、はしゃぎやすく猪突猛進で、そして意外な程に繊細な子。

 私にとってはそれだけの、唯の女の子にしか見えなかったのだけれど……。

 

「あの子に、一体何の力があるというのですか」

 

 もしかしたら神職関連で、何かを極めているのかもしれない。

 そう思っての質問。

 けれど、帰って来た答えは、想像以上のものであった。

 

「守矢の風祝は、奇跡を起こす力がある。

 いくら血が薄れようとも、諏訪子の血統である限り、その潜在力は侮れない。

 その身には、神の血が混じっているのだから。

 人間か神か、常に天秤が揺れているだけに過ぎない。

 特に、今代の子、早苗は先祖返りしたかの如き適性を見せている」

 

「早苗が、洩矢の神の直系……」

 

 衝撃にも似たものが、私を貫く。

 早苗は、不思議な雰囲気を纏った、変な子だとしか思っていなかったから。

 思い出せるのは、やはり無邪気な笑顔だけだったから。

 

「これほど神秘が後退した時代で、早苗が生まれたのは奇跡という他ない。

 あの時、確かに私は運命にも似たものを感じた。

 消え行く我らの前に、斯も遣わされたかのように誕生した彼女の事はな」

 

 早苗が半神、その事がそもそも驚きの対象であった。

 けれど、更にその彼女がキーであり、奇跡を起こすのだというのに、私は驚愕とまでいえる感情を抱いていた。

 確かに、それらの事を考えると、早苗が生まれたことは限りなく奇跡的なことだと思えたから。

 それと共に、思ったこともあったけれど。

 

「早苗が鍵なら、早苗に頼めばいい話です。

 どうして、わざわざ私に話を持ちかけたのですか?」

 

 そうである、そもそもの話だ。

 早苗が奇跡を起こすのならば、私が趨勢に何かを及ぼすとは思えない。

 なのに、なぜ私にこの話をしたのか。

 そこが、ひどく気になったのだ。

 

「あぁ、それは単純だ」

 

 それに対して、八坂の神はほんの少しだけ、表情を和らげた。

 優しく、何かを思うように。

 そして告げた言葉は、また強く意識させられるものであった。

 

「何よりも、早苗はお前の事が好きだからだ」

 

「……え?」

 

 今までの、大きな話の流れを断つような、些細な理由。

 けれど、確かに私の胸に、その言葉が一番響いていた。

 

「お前が未練で、お前が救いだ。

 早苗にとってのだがな。

 お前がいるから、早苗はより現代であるこの世界を望んでいる。

 お前がこちらに来るとなれば、早苗は現代を捨てるだけの決断を下せるだろう」

 

 そこで目にした八坂の神の顔は、促している様にも見えた。

 決意するようにと、語りかけているようにも聞こえた。

 とても大切なこと、故に私は迷う。

 これからの、とても大事な提案をされているのだから。

 

 まず、考えたのは魔術のこと。

 もし、八坂の神達について行けば、とても神秘に満ちた場所にたどり着くことであろう。

 そこならば、もしかしたら魔法にも手が届くかもしれない。

 神を維持するだけの神秘があるというのは、それだけの可能性があるのだから。

 

 次に考えたのは、早苗のこと。

 彼女のことだ、私が来てくれるとなれば、きっと大喜びしてくれる。

 早苗はそういう子だから。

 大いに想像がついてしまっていた。

 

 だから、私は迷ってしまっていた。

 それだけに、新たな可能性を感じていたから。

 私の中の天秤は、確かに揺れ動いているのだから。

 ……でもその時、頭に思い浮かんだ言葉があった。

 

 ――アリスにとって重いもの。

 ――未練とか、誰かの顔とか。

 ――そういうのを思い浮かべたら良いさ。

 

 洩矢の神が、ここに来る前に言っていた言葉。

 それが心の中に、水面に落ちた雫の、波紋のように広がっていく。

 あの人は、八坂の神がこの提案をするのを知っていたから、あんな事を言ったのだろう。

 けれど、その言葉に従う様にして、私の中に駆けていくものがある。

 それも、一つでなく無数に。

 

 最初に凛の顔が浮かぶ。

 次に衛宮君や桜、間桐君の顔。

 その他にも、柳洞君や美綴さん、陸上部の三人娘に藤村先生やネコさん達の、沢山の顔。

 そして、それらを構成する、冬木での数々の思いで。

 花開いたように、私の中に広がっていく想い。

 

 ……自然と、はぁ、という溜息を出していた。

 凛辺りに言わせれば、心の贅肉とでも言われそうな理由で。

 それは、私の中の天秤のこと。

 

 ――とても面倒なことに、見事なまでに均等であった。

 

 冬木の方にも、守谷の方にも。

 自分が優柔不断であったとは、今の今まで知らなかったと言えるくらいに。

 

「私、上手く飛べないみたいです」

 

 独白に近い形で、八坂の神に言葉を告げる。

 けど、彼女は沈黙したまま。

 だから、私は独白する様に語りを続ける。

 

「自分の事を軽いと思ってました。

 けど、思い返してみると、意外なほどにしがらみに囚われています。

 でも、それは嫌なことではなくて、誇らしくも嬉しいことなんです」

 

 誰かと手を繋げば、それが暖かなことに気付いてしまう。

 どちらか選べと言われても、そんなものは選びようがない。

 永遠の分岐路に立たされない限り、私はヌルく沈むような選択をするだろう。

 それ程に、現状は心地よい。

 

「私、こう言ってはなんですけれど、結構恵まれていたみたいです」

 

 傲慢な言いだけれど、溢れかえるほどに持てていたと、いま気がついたから。

 まだ早い、決めたくなどないと、そう思ってしまったのだ。

 

「……それは、無理だということか?」

 

「もっともっと、時間が欲しいということです」

 

 そう私が言うと、八坂の神は珍しいことにポカンという、どこか抜けた表情を浮かべた。

 けれど、それはすぐに呆れたモノに変わっていったのだけれど。

 

「時間がないといったはずだがな」

 

「何時までありますか?」

 

 聞き返すと、少し顎に手を置いて八坂の神は考えたあとに、こう答えた。

 

「本当にギリギリのタイムリミットは、早苗の死ぬ間際だ。

 だが、早苗自体も今の力を持ち続けられるとは限らない。

 早苗の力の衰えも考えると、二十年以内には決断して欲しい」

 

「二十年……」

 

 思っていたよりも、時間はあった。

 それが多いのか少ないのか、私には判断が付かない。

 時の流れが、もしかしたら私に教えてくれるかもしれない。

 そんな、今の私にとっては、とても長くある時間。

 

「よく、考えてみます」

 

「そうして欲しい。

 私達にとっての鍵が早苗であるのと同様に、早苗にとっての鍵はお前なのだから」

 

 鍵、私が、早苗にとっての。

 耳に入ってきた言葉を考えてみると、何だか大げさに聞こえてくる。

 けれど、私の中にも意外なほどに友達が占めるスペースが多いのだから、一理あるのかもしれない。

 

「考えると言ってくれただけでも助かる。

 私達神の事も、お前は考えてくれているのだから」

 

「目に見えて、そして知っているのなら当然の事です」

 

「早苗の言う通り、お前は確かに優しい子だな」

 

「……恥ずかしいから、あまり褒めないでください」

 

 普段はそんなことを口にしなさそうな方だから、不思議な感覚に囚われそうになる。

 優しい表情を浮かべて、早苗にするような顔をしているのだから、余計にそう感じてしまう。

 何だかむずむずする感触だ。

 けど、そういうのも、たまには悪くはないと思っている自分も、確かにいて。

 

「礼の代わりと言ってはなんだが、良いものがある」

 

「はぁ」

 

 話が一段落着いたところで、気の抜けた返事をしてしまう。

 けど、やはり八坂の神はそんな事は関係なしに、言葉を紡ぐ。

 自信ありげな声で、どこか楽しそうに声を出しながら。

 

「湖を見てみろ。

 集中して、よく目を凝らしてだ」

 

 彼女が示したのは、私が綺麗だと感じた湖。

 今は夜の帳に包まれて、静かな印象を与えるのみとなっているもの。

 けれど、八坂の神はそれを目を凝らして見ろという。

 

 疑問に思いつつも、私はじぃっと湖を覗き込む。

 覗き続ける、何かがあるのかと疑いながら。

 すると、その時に……僅かな瞬きが、見えた。

 

「これ、は……」

 

 言葉が出ない。

 それ程に、驚きに値することであった。

 そう、そこには。

 

「星、空」

 

 湖には、満天の星空が広がっていた。

 どこまでも広がって行く、海のような空。

 輝きに彩られた、星達の色が。

 無限に広がっていくようにも見える色彩に、目が惹きつけられていく。

 星降る夜空の美しきに、何故だか涙が流れそうになった。

 

 私はただ美しいと、それだけを思う。

 変に言葉を飾る必要もない。

 この光景を表すには、その一語で十分であったから。

 

 そして湖の光景に見惚れてしまった私は、自然と空の方にも視線を向ける。

 けれど、その空は、ただ暗くて。

 湖に映っていた宝石のような輝きは、ただ一等星が輝いているだけで。

 

「礼の代わりになればと思ったが、どうかな?」

 

 声の方向へと視線を向けると、どこか自慢げな表情をした八坂の神の姿が、そこにはあった。

 少年じみた、そんな表情。

 自慢のモノを、そっと見せてくれた、そんな時の。

 

「これは、何?」

 

 それに対して、私は敬語すら忘れてしまって。

 自分が分からない、この美しいものの事について訊ねていた。

 圧倒されたと、その思いだけが今の胸にあったのだ。

 

「在りし日の風景。

 それが湖に映っているモノだ。

 ここは私達の最盛期から共にあって、私や諏訪子の影響を色濃く受けた場所でもある。

 ここは私達が、思い出を沢山刻んだ場所でもある。

 その為に、ここはよく見える者が見ると、あの時の光景がそのままに飛び込んでくる」

 

 自分達の思い出の場所、記憶の刻んだ神様の土地。

 聞いた瞬間に、納得を深く感じた。

 この湖そのものが、神様たちのアルバムのようになっているのだと、そう理解したから。

 きっと、私と早苗がこの場所を美しいと感じたのも、それが原因だろう。

 私達には、他の人達が見えないものが、どことなく見えてしまっていたから。

 

「星の瞬きは、こんなにも美しいのね。

 無数に広がって、散りばめられた宝石。

 一つくらいは、欲しくなっちゃいそう」

 

 一人、おかしな事を口にしながら、私は何気なしに水を掬ってみた。

 ……けど、それはやっぱりただの水。

 私の手には煌きはない。

 それが、ちょっぴり残念であった。

 

 

 

 

 

「アリスさん! 神奈子様!

 二人揃ってデートしてたって本当ですか!!」

 

 その後、神社へと戻ると何故だかご立腹気味の早苗がそこにいた。

 視界の端には、ウシシ、と笑っている洩矢の神の姿。

 あぁ、また早苗で暇つぶしをしてたのだと、大体理解してしまった。

 

「早苗、あのね……」

 

 もぅ、と心で呟いて反論しようとした。

 その時のことであった。

 

「星が、綺麗だった」

 

 八坂の神が、そんな発言をしたのである。

 驚いて目を剥いて彼女の方を見てしまう。

 そして、そこあった八坂の神の姿、それは……。

 

「……私だって、たまには洒落の一つは言う」

 

 慣れない事をして、戸惑っている様な八坂の神の姿。

 表情が、如何にも困ってますと言いたげなもの。

 

「ありゃりゃ、神奈子上機嫌だね」

 

 けれど、洩矢の神から見れば、今の八坂の神は上機嫌なようだ。

 その言葉を着た瞬間、八坂の神は、フン、とだけ声を漏らしてこの部屋から出ていった。

 

「あれは相当に恥ずかしがってると見たね」

 

 それに、洩矢の神は愉快そうに笑っていた。

 珍しいと、面白いと。

 ……この方も、本当に大概な神様である。

 

「アリスさんっ!」

 

 けど、そんなことを考える前に、まずはこの暴走姫を落ち着ける必要があるようであった。

 どうどう、と馬を静止させる要領で、早苗に話しかける。

 

「落ち着きなさい、話せば分かるわ」

 

「そういう時はですね、日本では問答無用と返すのが礼儀なのですよ!」

 

 そう言って、早苗は私の両肩を、がっちり掴んだ。

 彼女の表情は、尋問でも始めそうな顔をしている。

 これから、八坂の神と何をしていたのかを問いただすのであろう。

 ……そして見事に予想通りに、早苗のマシンガンの如き質問に晒されることとなった。

 誤解を解くのには、多分の時間が犠牲となったのだ。

 

 そして荒ぶる早苗が落ち着いた時には、既に寝るには丁度いい時間になっていた。

 もう少し、落ち着いてくれていたのならば、ゆっくりお茶でも出来たかもしれないのに。

 どこからともなく、溜息じみたものが出そうになるが、そっと心の中に仕舞い込む。

 まぁ、これもこれで早苗らしくはあるかなと、そうも思ったから。

 

 

 

 

 

「という訳でアリスさん、一緒に寝ましょう」

 

「布団を隣に並べて寝るってことよね?」

 

「それ以外に何かあるんですか?」

 

 ……変な質問をしてしまった自分が、妙に汚れている気分である。

 

「何でもないわ。

 私の布団はどうするのかしら?」

 

「予備の布団はこちらにあります。

 付いてきてください」

 

 すっかり機嫌が直った早苗は、スキップでも始めそうに、小走りで進んでいく。

 それについていく為に、私も自然と足が速くなる。

 そして辿り着いたのは何もない空き部屋。

 この部屋の襖を開けた早苗は、畳んである布団をエッセエッセと取り出している。

 私もそれに続いて、せーの、という掛け声と共に布団を一緒に持ち上げた。

 

「襖の奥で燻ってた布団って、何だか独特の匂いがするわね」

 

「寝っ転がってるうちに、何も匂わなくなりますよ」

 

「そんなものなの?」

 

「そんなものです」

 

 わっせ、わっせと早苗と布団を挟んでの二人三脚。

 実はであるがこの布団とやら、私は今まで使用したことがない。

 遠坂邸では何時もベッドで寝ているから、布団で寝るのは初体験なのである。

 

「はい、この部屋です」

 

 布団の寝心地などを想像していると、いつの間にか早苗の部屋の前まで到着していた様である。

 そのまま部屋に布団を運び込んで、早苗も自分の分の布団を敷く。

 あっという間に、布団が二つ並んでいた。

 

「えへへ、アリスさんと一緒にお休みなさいをするんですね」

 

 布団が二つ並んで実感したのか、早苗が嬉しそうにそんなことを言う。

 それに引きづられるように、私も少し笑っていた。

 随分と可愛らしいことを言ってくれたから。

 嬉しく、微笑ましい気持ちになったのだ。

 

「そうね、もう時間も時間ね。

 早速寝ましょうか」

 

 時刻、只今十一時半。

 寝るには丁度いい時間帯。

 魔術師の夜は長いが、今は関係ない。

 普通の友達の家に来ている、唯のアリスであるのだから。

 

「そうですね。

 じゃあ電気消しますね!」

 

 寝る前なのに元気よく、早苗は部屋の電気を消す。

 さっきまでは見えていたものが、急に見えなくなってしまう。

 今あるのは、私が座り込んでいる布団の感触だけ。

 

「アリスさん、手を繋いでみても良いですか?」

 

 暗闇の中で、早苗の声が響いてくる。

 ちゃんとここに居ると、伝えてくれるかのように。

 

「良いけれど……暑くはないの?」

 

「暑さより嬉しさのほうが上回るから大丈夫です!」

 

「そういう問題なのかしらね」

 

 やはり、今から寝るはずなのにテンションが高い早苗。

 大体、彼女の魂胆が見えてきた。

 

「お喋りはいいけれど、程々の時間で寝るわよ」

 

「……はーい」

 

 一瞬不満げに、返事までに間があった。

 想像通り、遅くまで喋り明かそうとしていたのだろう。

 あらかじめ釘を刺しておいて、正解だったというべきか。

 けど、別に喋るのが嫌というわけではない。

 だからほどほどと言ったのだ。

 

「で、何の話をするの?」

 

「今日の、神奈子様との話です」

 

「誤解だって伝わったはずよね」

 

 溜息を吐きそうになりながら、私は早苗に聞き返した。

 またそれか、と思わなくもなかったから。

 けれど早苗は、そう言う意味ではありませんと言う。

 首をかしげていると、早苗は何なのかの説明を始めた。

 

「誤解だっていうのは分かったんですけれど、詳しい内容をちゃんと聞いてないことに気がついたんです」

 

「それは……」

 

 今回の、八坂の神との会話。

 それは、まだ早苗には秘されている事。

 迂闊に私が口走る訳にはいかないモノだ。

 

「進路相談のようなものよ。

 これからどうするのか、早苗とはこれからも付き合っていけるのかって話し」

 

 だから、都合よく誤魔化してしまう。

 あまり嘘は付きたくないから、ギリギリグレー色での回答。

 だけれど、早苗にはそれで十分だったようで。

 あ、と小さく声を漏らしたのだ。

 

「そっか、アリスさんは外国からいらしていたんですもんね」

 

「そうよ、忘れてたの?」

 

 からかい気味の声音で聞くと、はい、と戸惑ったような声で返事が返ってきた。

 早苗にしてみれば、私はすっかり友達であり外国人なんて要素はどうでも良くなっていたのだろう。

 ある意味おおらかな早苗らしいと思うけれど。

 

「アリスさん、帰っちゃうって前も言ってましたもんね」

 

「早苗も、帰ったらルーマニアまで遊びに来てくれるって言ってくれてたわよ」

 

「……そうでした。

 離れてしまっても、私から会いに行けば距離なんて関係ないです」

 

 僅かに陰りを感じさせた早苗であったが、思い出を思い出したら直ぐに復活した。

 それだけ、早苗の中では固く決めている話なのかもしれない。

 

「私からも、もちろん会いに来るわ」

 

「っはい!」

 

 そうだ、私達は互いに会いたいと思えば、何時でも会える。

 それだけ世界の距離は近く、同じ空を見上げている限りは顔を合わせられるのだから。

 

 ……でも、それも、早苗が行ってしまえば別の話だ。

 何れか早苗が二柱と共に旅立てば、最早会う機会は無くなるだろう。

 跡には、ただ思い出だけが残るのみ。

 

「アリスさん?」

 

 思わず、強く早苗の手を握っていた。

 咄嗟に物悲しくなってしまったから。

 だって私は、一緒に旅立ちたいとは思えていないのだから。

 

 八坂の神には考えておきます、と答えはした。

 けれど私はまだ、捨てられないものが多すぎる。

 早苗とは別れたくないけど、凛達とも一緒にいたい。

 強欲だとは思うが、手に入れただけ私は保持し続けたいのだ。

 早々に割り切ることなんて、私には出来そうもないのだから。

 

「ううん、何でもないわ。

 早苗がいるなと、思ってただけなの」

 

 意味不明なことを、私は言っている。

 けどそんな私に、早苗の宥めるような声が聞こえてくる。

 

「はい、私はここにいますよ」

 

 そう言って、手をやんわりと握り返してくれる。

 まるで、子供にそうするかのように。

 

「……早苗にそんな事されるなんて、不思議な気分ね」

 

「アリスさんが甘えてくれて、戸惑ってるけどすごく嬉しいです」

 

 私と早苗、二人で変ねと声を抑えて笑い合う。

 優しく、暖かく、柔らかな感触を感じながら、私は理解できてしまう。

 そう、早苗はここにいるんだ。

 まだキチンと、ここに居てくれている。

 居なくなった訳ではないんだから、そんなに焦る必要なんてないのだ。

 

「そう、よね……」

 

「アリスさん?」

 

 そうだ、まだ時間もある。

 嫌な想像ばかりが巡ってしまって、気落ちしていたに過ぎない。

 まだまだこれからなのだ。

 だから、私にとっての最善を考えていこう。

 そして両手に溢れるくらいに、欲張って色んなものを手に入れていこう。

 

「――――――――」

 

「起きてますかー」

 

 ボンヤリと意識がしている。

 耳は音を拾うが、返す気力はほとほとない。

 心地よい倦怠が体を包みゆくのだから。

 

「まぁ、良いです。

 ……お休みなさい、アリスさん」

 

 沈んでいく感触に身を委ねた時、最後に聞こえたのはそんな言葉であった。

 ――お休みなさい、早苗。

 

 

 

 

 

「えぇ!? もう帰っちゃうんですか?」

 

「ここには逃避に来ただけだもの。

 休息は十分取れたわ。

 ……余計にこんがらがった事も、あるのだけれどね」

 

 起きて直ぐの朝食の席。

 そこで早苗の悲鳴のような声が響き渡る。

 一方私も、返事はしたのだけれど、最後の部分は小声で誰にも聞こえないように呟いて。

 だけれども、しっかりと神様達には聞こえていたようで。

 八坂の神は無表情で味噌汁を啜り、洩矢の神は楽しげにこっちを見て笑っている。

 兎にも角にも、ここは変わらずと言ったところか。

 

「まあまあ、今生の別れじゃあるまいし」

 

「……それはそうなんですけど」

 

 笑っていた洩矢の神が、私をフォローするかのように話を入れてくる。

 早苗はそれでも不満そうで、チラリと私の方を見てくる。

 今にも頬が膨らんで、リスにでもなりそうな形相だ。

 

「早苗、誰にでも都合はあるものだ。

 無茶をいうものではない」

 

「むぅ」

 

 八坂の神も、早苗を諭すようにそう告げる。

 昨日の話しをの事も思い出している様な口ぶりである。

 これは八坂の神なりの、恩返しも含めたフォローなのかもしれない。

 

「……分かりました、はい」

 

 二柱に押されるように、早苗は不承不承ながらに頷いた。

 これだけ想ってくれている早苗には悪いけれど、私もそろそろ帰りたいのだ。

 考えさせられて、天秤が揺れて、そして思い浮かんだ顔を見に、冬木の街へ。

 

「手紙は書くわよ、私から」

 

「はい、分かりました」

 

 そう言って、早苗は黙々とご飯を食べ始める。

 一切の口を聞かず、もぐもぐと。

 

「やっぱり早苗は可愛いねぇ」

 

 その中で、洩矢の神のからかうような、慈しむような声だけはきちんと響いていたのだった。

 

 

 

 

 

「これは……」

 

 そうして、沈黙の中での朝食は終わって、今は帰り支度をしている最中。

 早苗の部屋に持ち込んだ、私の荷物を整理しているところなのだったのだけれど……。

 

「こんな所に居たのね」

 

 私は早苗の部屋で見つけたものがあった。

 文机の上に、ちょこんと鎮座していた彼女。

 

 ――それは、何時しか早苗にあげた私の人形。

 

 解れたところなどもなく、丁寧に扱われていたであろう事が分かる彼女。

 それはとても嬉しく、そして喜ばしいこと。

 何故なら、早苗はこの娘のことを、単なる物とは扱ってなかったのだから。

 

「あ、アリスさん」

 

 そして、そんなタイミングに、早苗が顔を出した。

 私が人形の頭を撫でている時に。

 

「早苗、ありがとう」

 

「ふぇ?」

 

 この娘のことで礼を言うと、早苗は呆けた顔をした。

 急に何事なのかとでも思っているのかもしれない。

 けど、今私が一番に伝えたい気持ちはそれであったから。

 

「この娘、早苗のところにいてて、安らいでるように見えるわ」

 

 目の錯覚だろうけれど、単なる虚像であろうけれど、そう感じてしまうくらいに、この娘は慈しまれている。

 それが何よりも嬉しかったのだ。

 

「えっと、その、折角アリスさんから引き取った娘なので。

 大事にしなきゃって思ってました」

 

「えぇ、お人形を大事にできるのは、とっても女の子らしいことよ」

 

 朝食での不機嫌さも隠れる位に、早苗は戸惑っていた。

 けれど、段々と嬉しそうに顔がにやけてきている。

 私も、どんどんと嬉しくなってしまっている。

 だから、思い切って聞いてみた。

 気になることができたのだ。

 

「早苗、この娘に名前をつけたりした?」

 

「え、そ、それは……」

 

 嬉しそうな顔から一転、今度は恥ずかしそうに顔を俯ける早苗。

 恥ずかしがっているということは、何か名前を付けたということでもある。

 ならば、余程変な名前でもつけたのだろうか。

 もしそうならば、それはそれで気になるのだけれど。

 

「恥ずかしがらなくても良いわ。

 折角名前をもらったのに、呼んでもらえない方が悲しいわよ」

 

「うぅ」

 

 痛いところを突かれたように、口から呻き声を漏らす早苗。

 そして、少しの間逡巡する。

 だけれど、覚悟を決めたのか直ぐに顔を上げた。

 そして声を震わせながら、こう言ったのだ。

 

「あ、あーちゃんって呼んでます」

 

「そう、あーちゃんね」

 

 確かに子供っぽいけれど、別に悪くなんてない。

 十分に可愛らしい名前だろう。

 

「ふふ、良かったわね、あーちゃん」

 

 そう語りかけると、一瞬だけニコリと人形が笑ったような気がした。

 無論、気のせいではあるが。

 早苗は恥ずかしいのか、顔を真っ赤にしている。

 

「うん、ありがとう早苗。

 これからも、この娘をよろしくね」

 

「は、はいっ!」

 

 声が甲高くなりながら、早苗は返事をする。

 それに私は微笑を浮かべながら、早苗の頭に手を置いた。

 

「えっと、アリスさん」

 

 何かを言いたげに、上目遣いで見上げてくる早苗。

 だけれど、その前に私は彼女に語りかける。

 目を合わせて、揺れている瞳を見つめながら。

 

「大丈夫よ、また会いに来るわ」

 

 サラリと、彼女の柔らかな髪を撫でる。

 できるだけ優しく、気持ちを込めて。

 

「……はい、何時でもお待ちしてます」

 

 そして早苗も、何かを感じたように、とても落ち着いた表情でそう答えた。

 ……大丈夫、これからも私と早苗は友達なのだから。

 私は心の中で、自分に言い聞かせるようにそう呟いた。

 

 この娘も、きっと私と早苗を繋いでくれている。

 先の人形、あーちゃんを見て、私はもう一度そう感じたのであった。

 

 

 

 

 

「それじゃあ早苗、帰ったら手紙を出すわ」

 

「はい、アリスさんの手紙が届いたらすぐに返事を出しますね!」

 

 そんな言葉を交わしあって、私は神社を後にする。

 感慨がないわけではないが、まだ何時でも会えるという安心感があったから。

 私はあっさりと行動できた。

 それに、だ。

 ……凛に、ずっとバイトを代わってもらい続ける訳にもいかない。

 そろそろ潮時だったのだ。

 

『電車が出発します、お足元にご注意ください』

 

 電車に乗り、私はこれまでの事を考える。

 色々なことがあって、忘れられないことも沢山できたから。

 

「それにしても……」

 

 今回、気掛かりなのは八坂の神達のこと。

 早苗との別れが一番心にキタが、彼女達の事も心配であるのだ。

 

 ――そんなことを、ボンヤリと考えていた時の出来事だった。

 

 ――窓から、湖が見えた。

 

 それは、昨日八坂の神と見た、キラキラとしていたもの。

 在りし日の、思い出のつまった場所。

 その場は、今も美しくて……。

 彼女たち神様が、未だにそこにあるという事が直に伝わってきた。

 

「神は――」

 

 自然と、口が動いていた。

 この光景に、感じずにいられないことがあったから。

 

「神は死なず、未だこの土地にある」

 

 ずっとずっと、遥か昔から神様たる彼女達はここに住んでいた。

 その証は、美しさを私の目に映し出している。

 大丈夫だと、伝えるように。

 所詮は私の主観に過ぎなくても、その心こそが彼女達の力になる。

 だから私は、その光景を目に焼き付けて、密かに祈りを捧げよう。

 少しでも、彼女達がここに在れるようにと。

 信仰なんて持ち合わせてない不信神者だけれど、せめてと天を仰ぐ。

 

 この気持ちが、せめて彼女達の力になりますように、と。




これで……ようやく冬木へと物語は戻ります。
次は、アリスちゃん、夏休み最後の日、とかでいいですよね。
以下、次回予告を兼ねた茶番。





凛「お帰り(満面の笑み)」

アリス「ただいま……その手に持ってるものは何?」

凛「メイド服よ」

アリス「あぁ、そんな約束だったものね」

凛「えぇ、これで貴方には過ごしてもらうわ。
  ……夏休みが終わる、この一週間を」

アリス「は? 何を言ってるの、凛。
    一日だけの約束だったはずよ!」

凛「アンタが留守の間、私がどれほど苦しんだと思ってるの。
  ワカメには絡まれるし、あの娘には醜態晒すし、衛宮君には生暖かい目をされるし!
  ……その代償を、アンタに払ってもらうのよぉ!」

アリス「理不尽ここに極まれりね」

凛「なんとでも言いなさい。
  これは決定事項よ!」

アリス「……好きになさいな」

 こうして、アリスのメイド暮らしが始まるのであった。


 みたいな話になると思います!


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第25話 夏の終わりのメイドさん

題名に夏とか書いてありますが、全くその要素がない。
どうしてこんな題名にしたし(自爆)。
あと、一ヶ月くらい放心してました。
時間の流れって残酷です(どこかで言ったようなセリフ)。


 長い旅をしていたように感じる。

 僅かな期間であったはずなのに、まるで何ヶ月も霧の中を走っていた感覚。

 それもこれも、全てが濃い時間によって齎されたものなのだろう。

 

 それは忙しく、大変で、私は振り回されてばかりだった。

 けど、確かに愉快さや、楽しさもそこには存在した。

 あれそれを調べて、秘密を垣間見て、気になっている人に会えて、それから現実逃避に遠くにいる友達とも遊んだりもした。

 そこで重たい事実を告げられたりもしたけれど、それも含めて、私の中で全て活きている。

 いや、今はまだ飲込んだものを消化中といったところか。

 

 まぁ、そういう訳であるからして。

 残りの夏休みはのんびり過ごしたいと、そう思っていたのだけれど。

 ……そうは問屋が下ろさなかったらしい。

 何故なら、下宿先には赤い悪魔が微笑んでいたから。

 半分くらいは、自業自得なのかもしれないけれど。

 

 

 

「……お茶、淹れてきたわ」

 

「あら、ありがとう」

 

 目の前で、優雅に、気品よく微笑んでいる女の子がいた。

 紅茶を注いだカップに口をつける姿は、何を誤ってか貴族にも見えてしまう。

 けれど、その上等な猫皮のコートの中身を、私は知っているのだ。

 

「凛、いつまでこの茶番を続けるつもりなの?」

 

 呆れと怒りを混ぜ合わせながら、私は訊ねる。

 けど、紅茶を嗜んでいる凛は、そんな事を気にもしない様子で。

 逆に、こんな事をほざいたのであった。

 

「アリス、ご・しゅ・じ・ん・さま、でしょ?」

 

 凛は微笑んだままである。

 が、それは鉄壁のガードである。

 どんな私の要求も、全て撥ね付けられてしまうのだ。

 ……だから、私は。

 

「ご、ご主人様……」

 

 屈辱に震える声で、凛の事をそう呼ばねばならない。

 しかし凛の方は、それに満足した笑みを浮かべて、お茶請けのラスクを啄んでいた。

 ――メイド服姿の、私を傍に侍らせて。

 

 本当に、何てことだろうか。

 不満はある、それはもう腐る程に。

 私は心中で不満を述べ立てるけれど、表情は無いように努める。

 凛が嬉々として、不満そうねとからかってくるから。

 鬱陶しくて、今はできるだけ無表情を貫いている。

 そんな私は、現在メイド業三日目である。

 

 凛は、本当にメイドの様に私をこき使う。

 精々許されているのはタメ口程度。

 それでも、凛をご主人様などと、電波用語で呼ばなくてはいけない。

 

 どうしてこうなってしまったのか。

 後悔するように、私は意識を過去に遡らせる。

 出かける前にした約束と、帰ってきた時の凛の状態。

 それが、今回の事象の始まりを告げる事になったもの。

 その内容がどんなものだったのか、それを思い出しながら。

 

 

 

「あんたは私のメイドになる……これから一週間ずっとね」

 

「は?」

 

 冬木の街、遠坂の屋敷に帰ってきた私は、帰宅早々に仁王立ちしている凛から、そんな言葉をぶつけられる事となった。

 私が凛にバイトを変わってもらう代わりに、一日だけ凛の言うことを聞くという約束。

 メイド姿で、と悪ふざけも交えながら。

 そう、これは冗談半分でやる巫山戯たもののはず。

 けれど、どう見ても凛の目は本気だった。

 逆らったらコロコロすると、目が語っているのだ。

 

「何故」

 

 だけれど、私も意味もなく、理由もわからずに理不尽を甘受するつもりなど毛頭ない。

 なので凛に聞き返したのだけれど……。

 

「アンタが居ない間に、私がどれだけ苦労したと思ってるの……」

 

 静かに、だけれどピリリとした雰囲気を発しながら、凛は私を見ていた。

 死んだ魚の目をしながら、普段の凛では見せないような隙だらけの表情でである。

 寝起きの凛、冬眠明けの熊のようなオーラを醸し出していて。

 もうなんか……とても、人様にお見せできる状態ではなかった。

 

「ワカメには絡みつかれるし、衛宮君には生温かい目をして私を見てたし、あの子の前で恥をかくし、もう最悪!」

 

「どういう状況なのよ」

 

 あまりに意味不明すぎる言葉の羅列。

 けど、それが逆に凛の醸し出す悲壮さを増幅させていた。

 そして私は、凛は私に拒否権など与えるつもりは無いと言うことを理解する。

 最早、どんな言葉も凛に届くまいという、嫌な確信と共に。

 

「私をどうするつもりなの……」

 

 どう考えても、どうしようもない程に逃げ場などなかった。

 気分的には、ウィーンを包囲されたオーストリア軍と言ったところであろうか。

 といっても、私に抵抗する気概はないから無抵抗で降伏するしかないのだけれど。

 

「まずは、これに着替えてもらうわ」

 

 諦めた眼で凛を見ていた私は、彼女がどこからともなく取り出したメイド服を突きつけられる。

 約束通りのもの、寸分違わずに。

 しかし、約束の時と違うのは、一日ではなくて一週間というところなのだ。

 

「アンタは、今日から、この遠坂凛のメイドなのよ。

 言葉はそのままでいいわ、アンタに敬語使われるのを想像すると、背中がすごくムズムズするし。

 けどね……」

 

 凛の魔女の釜のような目が、急激に光を取り戻し始める。

 それはまるで、新しいおもちゃを手に入れた子供のように。

 

「私の言うことは、基本原則絶対厳守。

 今日からご主人様と呼びなさい」

 

「気持ち悪い上に理不尽よ」

 

 そう言うと、凛は更に笑みを深めるばかりで。

 

「ご主人様、よ」

 

 メイド服を私に手渡しながら、そう強要してくる。

 この時の凛、すごくイキイキしてもいた。

 だから私はわかってしまったのだ。

 

 バカみたいだけれど、逆らうことなんて出来ないのだ、と。

 

 

 それが経緯。

 私が今、凛のメイドをやっている事についての。

 早く飽きてしまえばいいのに、と常々思っているが、どうにもエセ貴族気分が高揚しているままのようだ。

 もうしばらくは、この茶番に付き合わされることになるのであろう。

 ……そう考えると、自然とため息が、何処からともなく漏れてしまうのであった。

 

 

 

 

 

 そして現在、私は夕飯の材料を求めて買い物に出てきている。

 半ば、気分転換のようなものだ。

 頭の中で、今日のメインは何にするかを組み立てながら、店を冷やかして回っている。

 深山の商店街は、色々な食材が揃っていて非常にお手ごろな価格であるから、色んなモノが用意できるのでついつい迷ってしまう。

 

 今日は魚屋ではヒラメが、肉屋では豚肉が安く、考え込んでしまう。

 ヒラメならばムニエル、豚ならば煮込みものにしてみたい。

 そうして私は、迷い、悩み、苦悩してしまう。

 どちらも魅力的で、悪くないと思ってしまうから。

 ならば、八百屋で揃えた食材で、今日のメインを決めるとしようか。

 そう判断しかけた時のことであった。

 

「……ま、マーガトロイド?」

 

 どこからか聞き覚えのある声が、私の耳に木霊した。

 聞いたことのある声。

 ――できれば、今は会いたくない人の。

 

 だけれど、このまま無視をするのも誤解が広まりそうで。

 故に振り向けば、そこには想像通りに唖然としている衛宮君の姿。

 そして隣には、目を真ん丸にしている桜まで居ていて。

 ……何だか、とても気まずいのであった。

 

「えっとさ、マーガトロイド」

 

 衛宮くんが、どこか躊躇しながら、私へと声を掛けてくる。

 彼と桜が戸惑っているのがどうしてなのか。

 それは手に取るように私には分かってしまう。

 いや、誰にだって分かってしまうであろう。

 何故ならそれは……。

 

「なんでメイド姿なんだ?」

 

「出来れば聞かないで欲しいことね」

 

 今、私はメイド服で外を闊歩しているからだ。

 凛に強要されて、私は無理やりこの格好で過ごさせられている。

 例外的に、バイトに行く時だけは、お勤め先が変わるからと私服に着替えているのであるが。

 本来なら断固拒否するところであったが、なまじ早苗の巫女服を着てしまったせいで慣れてしまったのだ。

 だから押し切られる形で、私はメイド服を着るのを是としている。

 本当に馬鹿げた話だ。

 

「……趣味か?」

 

 恐ろしいことを、衛宮くんは訊ねてくる。

 私は頬の筋肉が、ピクリとヒクつく。

 それに私は落ち着けと、自分に言い聞かせながら衛宮くんに返答する。

 

「喧嘩売ってるのかしら?」

 

 ……思っていたよりも私の口は正直だったらしい。

 ポロっと、威嚇するような言葉が漏れてしまった。

 けど、紛れもない本音であることは、私が保証する。

 もしかしたら、わたしは思っているよりも苛立っているのかもしれない。

 

「い、いや、誤解だ!?

 胸を張って堂々としてたから、てっきり慣れてるのかと思って」

 

 嫌なことに、慣れてしまっているからこの姿なの。

 そんな事を、心の中で毒づく。

 けど、実際に言うと、更に誤解が広がりそうだから黙っては置くのだが。

 

「そうですよ、アリス先輩。

 何の気負いもなくメイド服を着てるから、本物のメイドさんの様に見えたんです。

 アリス先輩がヨーロッパの人なのも、本物さんに見えた原因だと思います」

 

 そして桜も、衛宮くんを擁護するように言葉を重ねる。

 ここまで言われてようやくなのだが、少しは落ち着きを取り戻せた。

 逆に似合ってません等と言われた日には、目の前の二人の記憶を消して、私は失踪することだろうが。

 

「堂々としているわけではないわ。

 単に開き直っているだけよ」

 

 それに、似合っていると言われて、ちょっとだけだが気分は良くなる。

 街中で着れば恥ずかしいのだが、確かにこれは可愛い服ではある。

 だから、今だけは悪くないかな、と感じたのだ。

 

「うん、確かに似合ってる」

 

「今は、皮肉じゃなくて褒め言葉として受け取っておくわ」

 

 衛宮くんにまでそう言われると、思わず顔がにやけそうになる。

 特に恋愛感情を抱いてなくても、異性からそんな言葉を貰えれば嬉しくなってしまうもの。

 

 気が付けば、そんな風に私は丸め込まれていた。

 この二人の素直さに当てられたのかもしれない。

 微笑ましく素直な二人だからこそ、本音で言ってくれていると理解出来た。

 他の相手だと、直ぐに失笑されるのは目に見えている。

 

「ところで何でメイドさんに?」

 

 私が落ち着いたと見るや、即座に質問を飛ばしていくる桜。

 この娘もおしとやかに見えて、中々に胆が座っている。

 けど、別段隠しだてすることでもない。

 いや、話さなければ誤解は広まるばかりだ。

 だから私は、半ば愚痴でも言う感覚で、正直に答えることにした。

 

「凛の趣味よ、きっと成金にでも憧れているのね」

 

 多少の悪評も、私にしている所業からすれば対したものではないであろう。

 憤然とした気持ちで私が告げると、二人は似たような表情を浮かべていた。

 衛宮くんは、あぁ、やっぱりと納得気味の。

 桜は、どこか遠い目をして。

 二人に共通しているのは、引き気味であったこと。

 えぇ、友達にメイドの格好を強要するなんて、どう考えても変態の所業だものね。

 大いに引きなさい、凛の所業に。

 

「気になったんだけど」

 

 下らない事を考えていた私に対して、衛宮くんがこんな問いを投げてきた。

 

「嫌だったんなら遠坂に言って断ればいいんじゃないか?」

 

「それは……」

 

 唐突の衛宮くんからの一撃。

 何故か、たらりと背中に冷たいものが流れていく。

 何と答えるべきか、出来るだけ誤解を招かない形で。

 思考を回転させていく。どう答えるべきかの解を見つけるために。

 

 凛に全ては強要されているの! と答えるべきか。

 いや、でも受諾した私にも、問題は確かにあるだろう。

 なら、この状況は何か?

 もしかして、世間で言うところの合意の上だからセーフ、とでも言うのか。

 ……否である、そんなことはない。

 だったら、私はこう答えよう。

 

「雇用契約のようなものよ。

 私が溜め込んだ凛に対する負債の返済。

 この場合の負債は、借金ではなくて貸し借りとかそういうものね」

 

 誰が悪いとかではなく、これは単なるお仕事なんだと。

 そう言い聞かせて、私は精神安定をさせてきた。

 きっと魔法の呪文か何かなのだろう。

 

「それでメイドってのもなぁ」

 

 私の返答を聞いた衛宮くんは、何か言いたげに口をモゴモゴしていた。

 凛の趣味の悪さに困惑しているのか、それとも私の現状に何かを思っているのか。

 どちらにしても、アレな話には違いない。

 

「遠坂先輩の趣味というなら、確かにそうなのでしょうね」

 

 桜は、頷きながら私のメイド服をまじまじと見ていた。

 見知らぬ他人からの視線ならばここまで気にしないが、知り合いにこうまで注目されると、自分がおかしな格好をしていると、嫌でも自覚できてしまう。

 それが……やっぱり恥ずかしい。

 

「見ないで」

 

 なんだか急に恥ずかしくなってしまい、きつめの言葉で桜を牽制してしまう。

 言ってからしまったと思ったが、桜は別段気にしてはいないようであった。

 

「ごめんなさい、アリス先輩。

 本当に似合ってて、どこからか迷い込んできたんだと思いました」

 

「ウサギを追いかける程に、私は子供じゃないの」

 

「でも、青い洋装の服は似合うと思いますよ」

 

「……褒め言葉なの?」

 

「はい、褒め言葉です」

 

 イマイチ化かされている感の否めない桜の言葉に、首を捻りながらも私は頷いた。

 嘘ではないのだろうと、それだけは分かったから。

 

 そこでようやく、私達は落ち着いた。

 メイド服の話題を延々と続ける事にならずに、軽くホッとする。

 代わりに私がした質問は、とっても日常的なもの。

 

「今日の晩御飯、何にするのかしら?」

 

 衛宮くん達がここに居るということは、普通に買い物しに来たということ。

 この商店街が扱っているものは基本的に食材が多いため、夕飯の買い物という推察が成り立つ。

 そうして訊ねた私に、衛宮くんは手提げの買い物袋の中身を見せてくれた。

 淀みない動作を見せてくれる衛宮くんは、所帯染みててすっかり主夫そのものである。

 

 そして手提げかばんの中身は、ジャガイモ、人参、豚肉、玉ねぎであった。

 おおよそ、何を作るのか予測の付きそうな材料。

 あぁ、と思って呟いた。

 

「カレーね」

 

 多分間違っていない。

 そう思っていたのだけれど、衛宮くんによってそれは否定される。

 

「肉じゃがだよ」

 

「肉じゃが?」

 

 聞いたことのない料理。

 発音的に、大いに日本の料理なのだろうけれど。

 恐らく抜けた顔を晒している私へ、衛宮くんが説明をよこしてくれる。

 

「肉じゃがってのは、日本版のビーフシチューみたいなもんだ。

 味付けにワインじゃなくて、醤油とか味醂を使ってる。

 日本人の舌に合わせてある料理だな」

 

「へぇ、面白いわね」

 

 今日の晩御飯は、ビーフシチューならぬポークシチューで行こう。

 そう私の頭の中で、今日の献立が決定した。

 凛も、別に嫌とは言うまい。

 

「他にも、オムライスとかナポリタンも洋食が日本食に化けたものだったはずだ」

 

「西と東、伝わった先でも、文化によって形を変えるものなのね」

 

「これだから料理は奥深いんだよな」

 

 本格的に主夫からシェフへとジョブチェンジするつもりなのか。

 衛宮くんの弁は冴え渡っていた。

 普段、あまり喋る方でない彼がここまで熱くなってるのは、それだけ料理が好きという事だろう。

 彼の隣にいる桜も、それをとても微笑ましげに、楽しそうに聞いている。

 相性はピッタリなのだろう。

 これだから、つい私はこの二人をからかいたくなってしまうのだ。

 

「それじゃあ、これ以上若い二人の邪魔をするのは憚られるから、そろそろ行くわね」

 

「若いってお前も一緒の歳だろう」

 

「年齢の事じゃないわ。

 恋愛してる貴方達の情熱はね、若いってことなのよ」

 

「んなっ!?」

 

「アリス先輩ったら、もぅ」

 

 衛宮くんは顔を真っ赤にして絶句し、桜は照れながらも嬉しそうにしている。

 本当にこういうのを見ていると、何時までもイジっていたくなってしまう。

 そんな抗いがたい魅力を振り切って、私は二人に軽く手を振りその場を去る。

 

 さぁ、まずは豚を買いに行こう。

 そして凛に死ぬほどポークシチューを食べさせて、肥えさせてしまおう。

 えぇ、それくらいなら、私にだって許されるはず。

 

 そんな馬鹿なことを考えながら、私はさっさと買い物を済ましていく。

 買うものが決まったのなら、拙速を持って買い漁ろう。

 この姿で、何時までのこの商店街にいる訳にはいかないのだから。

 そうして向かった店の先々で、生暖かい視線を向けられたのは、どうでもいい話だ。

 オマケで物を沢山貰えたのだけが唯一と言って良いことであった。

 ……男の人って、割とロクでもないのかもしれない。

 こんなことを考えてしまう程度に、割とお得な買い物であったのだった。

 

 

 

 

 買い物を終えて遠坂邸に戻った私は、無言でポークシチューを錬成した。

 およそ4人前くらい。

 それをひたすらに凛に勧めるのが私の役目。

 

「おかわりならあるわよ」

 

「あんた何でこんなに作ってんのよ」

 

 無論、凛の冷たい視線に晒されることとなったのであるが 、わざわざ気にする必要もないものである。

 メイドをしている間に、少々ばかり心が鍛えられてしまったのだ。

 

「私はご主人様の為を思って……」

 

「もう完全におちょくる気しかないわね、こいつ」

 

 悪い? と聞き返したいところであるが、藪蛇は御免なので沈黙を貫く。

 それにしても凛は、ブツクサ言いつつもスプーンを動かすのは止めていない。

 日本人特有の、勿体無いという精神が存分に発揮されている。

 こういうのがあるから、凛の貴族趣味的なモノには失笑してしまう。

 が、こちらの方が、私としては親しみ深くて結構なのだけれど。

 

「あんたももっと食べなさいよ。

 私ばっかり食べてるじゃない」

 

「私は小食なの」

 

「私だってそうよ!」

 

 ギロりと、殺気立った視線を向けられる。

 あんたねぇ、と視線に乗った力が語りかけてくるのだ。

 だから仕方なく、私もスプーンを動かす。

 凛の皿が空になったら、即座にお鍋からポークシチューをよそう。

 睨まれるが、一切合切気にしない。

 そっと、レタスやトマトで彩られたサラダを追加するのも忘れない。

 栄養バランスは、しっかりすべきであるのだから。

 

「……これ以上食べられないわ、明日の朝に回しましょう」

 

「遠慮しなくていいわ」

 

「殺すわよ?」

 

 無表情で返答した私に、笑顔で凛は告げた。

 あまりの爽やかな笑顔に、有無を言わせぬ迫力を感じざるを得ない。

 腐ってても凛、流石と言える威圧感だ。

 

「しょうがないわね」

 

「しょうがないのはあんたの頭よ」

 

「凛の趣味ほどではないわ」

 

「うっさい、少女趣味」

 

「可愛らしいでしょう?」

 

 うげ、と凛が失礼な声を漏らす。

 はっ倒してやりたくなるが、そこは渋々我慢する。

 言葉は無礼でも、態度だけは慇懃でいるよう心がけているから。

 ……ここ数日で、すっかり凛に飼い慣らされた感があった。

 戯けた事この上ない話である。

 

「ところで凛」

 

「あによ、アリス」

 

 お腹をひどく気にしている凛。

 そのせいか、私がご主人様呼ばわりしてなくても、気にする余裕はないようだ。

 その代わりに、疎ましそうな視線を私に向けてくるが、あまり気にしない。

 わざわざ気にしていたら、この遠坂家ではやっていけないから。

 それよりも、今日衛宮くん達に言われて、凛に聞いていなかった事を思い出したのだ。

 

 だから私はちょっぴりと気になって、クルンとその場で一回転する。

 白のエプロンがたなびき、メイド服のスカートがフワリと舞う。

 そして飛びっきりの笑顔を浮かべながら、私は彼女に訊ねたのだ。

 

「ずっと聞いてなかったけれど……私、この服似合ってる?」

 

 呆けた顔をしている凛。

 イキナリの事で驚いているのか、中々の固まり具合。

 奇襲成功といったところか。

 私は微笑を浮かべつつ、凛に顔を近づける。

 

「で、どうなのかしら?」

 

 多分、私の浮かべている微笑はいたずらっぽい笑顔に変質していると思う。

 けど、これだけの事をやられているのだから、多少の反撃はしておきたかったのだ。

 むしろ、昼間の衛宮くん達との遭遇で、吹っ切れたとも言える。

 

 しかし凛も、何時までも固まってはいなかった。

 ボケっとした顔から、睨んだような顔になって、その次は考えるような表情をする。

 そして最後に、はぁ、とため息をついたのだ。

 

「はいはい、私が着るよりよっぽど似合ってるわ」

 

「そう?」

 

「何回も聞くな、それに私は使用人じゃないから良いの」

 

 呆れたように凛は言い、けれどもどこか認めてくれるような響きもあった。

 きっと、心からそう思ってくれたのだと感じれる。

 

「凛が着ても可愛いと思うけれどね」

 

「その服はファッションで着るもんじゃないのよ」

 

「分かってるわ。

 けど、それはあまりに甲斐がないでしょう?」

 

 そこまで言うと、凛はあっそうと言い、処置なしと言わんばかりの表情を浮かべた。

 女の子なのだし、これくらいは別段どうってことないと思うのだけれど。

 凛からすれば、この服はどうにも作業着以外の何者でもないのかもしれない。

 それとも傅くための衣装だから、彼女のプライド的に素直になれないのか。

 凛には凛なりの考えがあるだろうから、強要などはするつもりなどないが。

 だけれど、私は可愛いものが好きである。

 だから凛のメイド服姿が見れないのは、やはり残念に感じずにはいられなかった。

 

「何にしろ最後の日まで、その姿でいてもらうんだから。

 もっと扱き使ってあげるわ、アリス」

 

「……程ほどにね」

 

 凛は、相変わらず無情なことを言う。

 けれど、少しだけなのだが、このメイド服には好意的になれた。

 そのお陰で、もう少しだけ続けてもいいかもしれない、とそう思うこともできたのであった。

 

 

 

 

 

 そしてメイドとして過ぎていく日々。

 買い物に出かける度に目を剥いていた商店街の人達も、もうすっかり何時もの通りにいらっしゃい、アリスちゃん等と声を掛けてくれるようになった。

 有難いような、屈辱のような、複雑な気持ち。

 それに、私がメイド服を着て行動する範囲は、商店街のみに限定していたので、幸い衛宮くんたち以外と出会うことはなかった。

 間桐くんなんかにであっていたら、私は確実に彼をしばいていたところだろう。

 

「今日が最後の奉公よ」

 

「あら、もうそんな日なのね」

 

 気が付けば、夏休みも最終日。

 慌ただしく過ごしている時間は、あっという間に時が流れていく。

 休みと名のついている割に、些か忙しすぎた気がするのは気のせいではないであろう。

 どいつもこいつも、私を酷く扱き使ってくれたのだから。

 

「何時も通りにやれば良い」

 

 誰に聞かせるでもなく、私自身に呟く。

 今日で最後、やっとかという感覚だ。

 いくら服が可愛くて実用的でも、何日も着ていてはやはり疲れてしまう。

 むしろこの服に慣れてきている自分がいて、顔を引き攣らせたのは今日の朝のこと。

 然も当然のように、メイド服に袖を通していた時の、あの筆舌にし難い感覚といえばもう度し難いとしか言い様がなかった。

 

「何時も通り、何時も通り」

 

 そう呟きながら、遠坂邸を軽く掃除していく。

 あいも変わらず広い館な為、一々手を掛けて掃除などしていられない。

 あと、地下は混沌としているので、もう二度と近づこうとは思わない。

 本当になんなのだろう、あの魔術道具に混じっているエキスパンダーや鉄アレイは。

 凛がしなやかな体付きをしているのは知っているが、彼処まで行くとそのうち筋肉だらけになてしまいそうな気がする。

 

 脳筋……考えてみれば、武闘派な凛は元から脳筋だった。

 今更悩むのもおかしな話であろう。

 

「あ? 今変なこと考えなかった?」

 

「気のせいよ」

 

 脳筋特有の超感覚か何かで、凛は私を睨んできた。

 が、凛がアレなのは元からの話であるし、別段変なことではない。

 そんな理論武装を脳内で振りかざしつつ、私は淡々と作業をこなして行く。

 手早く、見目良く、大胆に。

 すっかり手馴れたなと思うと、自分が悲しい生き物のように感じてしまう。

 

「あ、アリス、紅茶入れてきて」

 

「ちょっと待ってて」

 

 そして私の作業が一段落着いたと思ったら、凛は即座にこうやって指示を飛ばす。

 今日で廃業するメイドを、精一杯働かせようとする魂胆が明け透けて見える。

 貧乏性も、ここまでくれば勤勉家と称しても良いのかもしれない。

 雑に扱われている私からすれば、たまったものではないのだけれど。

 

「紅茶、持ってきたわ」

 

「ありがと。

 ……アリス、午後から何か予定入ってる?」

 

 紅茶を一口飲んでから、凛は何気なく言った。

 が、元よりメイド業が忙しくて、予定など入れられてない。

 

「買い物に行く程度のものよ」

 

 暗に、凛のせいでどこにも行けないの、と非難の視線を向けるが、どこ吹く風と言わんばかり。

 鋼鉄製ワイヤーロープの凛の精神性は、微塵も揺るぎない。

 感動も憧れもしないが、そこは素直に褒めても良いかもしれない。

 ……今はとっても迷惑だけれど。

 

「ふーん、ならさ」

 

 凛は紅茶を飲みながら、突然にこんな事を言ってきたのだ。

 

「私も買い物、付き合うわ」

 

「は?」

 

 急に何を言ってるのか、企んでいるのか。

 そんな困惑が、私の中に押し寄せてくる。

 けれど凛はケロリとした顔で、続きを言う。

 

「最後だし、多少はいたわってあげるって言ってるの」

 

「あぁ、そう」

 

 なら、もう今から終わりにして欲しいものだ。

 そう強く思うが、意に返さないことは、ここ数日の事で明白。

 仕方なく、だけれど少しの嬉しさを持って。

 私は凛の提案を呑む事となった。

 きっと凛からすれば、ここまで頑張ったご褒美なのだろう。

 だから、少しは楽できると、そう思っても間違いはないに違いない。

 

 

 

 ――そう思ってた時期が、私にもあった。

 

 私は、凛と一緒に楽しく買い物でもして、夕飯を二人で決めて、一緒に料理するところまで夢想していた。

 実に甘い、砂糖菓子のような空想。

 けれど、現実はどうなのだ?

 一体、どうなっているのか?

 それは……、

 

「アリス、これも持って」

 

「……凛、どうして私は荷物持ち何てしているのかしら?」

 

「あら、アリスは私のメイドでしょう?」

 

 馬車馬の如き扱いをする凛と、仏頂面で荷物を持つ私。

 それが答えであった。

 巫山戯てるの? とか、何を考えてるの? とか、色々と思うところはある。

 でも、それはやっぱり、という諦観へと落ち着くこととなる。

 ここ数日で、働かされすぎたのだの。

 ひねくれた考えであろうが、これくらいでは最早私の精神は崩れそうにない。

 唯ひたすらに、凛に付き従うのみだ。

 ……不満はあるけれど。

 

「ほら、次に行くわよ」

 

 凛はそう言って、私を強引に連れ回す。

 ある時には白菜やら海老やらを買い込んで私に持たせ、ある時には豆腐や豚肉のブロックなども持たさせられた。

 従者の如き扱い、事実としてそうであっても腹立たしい。

 だから私は、無言で、むっつりした顔で凛についていく。

 買い物の内容は、食材だから恐らくは今日の晩御飯。

 凛が好き勝手に買っているけれど、一体どうするというのだろうか。

 私に調理を放り投げるのなら、激怒してしかるべき案件ではあるが。

 

「アリス」

 

「何?」

 

 凛に声を掛けられて、冷えた声を返してしまっていた。

 案外、鬱憤が私の中で蓄積されていたのか。

 自分で思っていた以上に、ピリピリとした空気を放っていたようだ。

 それに気がついたのか、凛は軽く溜息を吐いた。

 こちらが吐くのを我慢しているというに。

 

「ここらでお茶にしましょ?

 もちろん、私の奢りで」

 

 だからか、その提案で、ようやく溜飲が少し下がったのだった。

 気が抜けて、ため息一つが口から飛び出る。

 扱き使うだけではなく、飴を与えるということも知っていたようだ。

 

「とびっきり高いものを注文してやるわ」

 

「はいはい」

 

 ぞんざいだけれど受け入れてくれる凛に、ちょっぴり甘える形で寄りかかる。

 もう色々と疲れているのだ。

 だから気を張って神経を尖らせていたが、もうどうしようもないくらいに緩んでしまっている。

 きっと、もうメイドには戻れない。

 けど、凛の浮かべている可愛がってやろうという表情から、もう解放されたのだと、どことなく察することができた。

 なので、これから少し凛にもたれよう。

 それで、全てを流そうと思えたのだ。

 

「こっちよ、アリス」

 

 凛に手を引かれて来たのは、深山商店街の一角にある喫茶店。

 雰囲気は良く、洋物風のインテリアがあちこちに設置されている。

 店主の趣味が良いのだろう、落ち着いた印象が持てる店だった。

 

「はい、メニュー表ね。

 何か食べたいものある?」

 

 凛から渡されたメニュー表を受け取ると、そこには料理からお菓子まで、様々な料理が載っていた。

 メニューの写真を見ながらそれにするかを考えていたら、ある一点で視線が止まった。

 それは、赤と白が織りなす、一種の芸術品。

 商品名は、苺パフェと書かれていた。

 自然と、目がそこに惹きつけられていたのだ。

 

「アリスも決まったようね」

 

 凛は目敏く、その事に気付いた様で。

 早速店員を呼びつける。

 

「私はこれで、アリスは?」

 

 凛に訊かれて、私は苺パフェを指差す。

 それを見た店員は、こう復唱した。

 

「チョコレートパフェがお一つと、苺パフェがお一つ。

 以上でよろしいでしょうか?」

 

「あ、あと、紅茶も二つよろしく」

 

「かしこまりました」

 

 そう言って去っていく店員の姿を見つつ、楽しみにしている自分が居ている。

 最近は忙しくて、甘味を嗜む時間が取れなかったから。

 ボンヤリとそんな事を考えていて、そしてふと気付く。

 

 ――あぁ、やっと冬木の日常へと戻ってこれたと。

 

 冬木を出てから、私はどこかで非日常を感じていた。

 非日常は楽しめても、日常へ帰れないのはどこか違和感があって。

 冬木に戻ってきてからも、未だに日常から離れていた毎日に、どこかで齟齬を感じずにはいられなかった。

 やはり、ずっと日常から離れていると疲弊してしまう。

 今更ながらに、今の自分を見て分かった事がそれだった。

 

「どうしたの? ぼぉっとしてるけど」

 

「疲れがどっと出たのよ、誰かさんのお陰でね」

 

「……ちょっとは悪かったと思ってるわよ。

 だから今、こうしてるんでしょう?」

 

「私は随分安いのね」

 

「だってあんた、高すぎると逆に引くでしょ」

 

 ご尤も、理に適った言葉である。

 が、それは胸の中に秘めていてこそだとは思うけれど。

 口に出してしまえば、かなり身も蓋もない言葉なのだから。

 

「あ、きたきた。

 アリス、お菓子食べてる時くらいは、嫌なことを一回忘れなさい」

 

「……それもそうね」

 

 女の子にとって、その時間は至福にして神聖なものなのだ。

 その提案、乗るのにやぶさかではない。

 むしろこちらから、積極的に乗っかっていくつもりだ。

 運ばれてきたパフェ達、どれも美味しそうでキラキラ輝いてるようにも見える。

 一つ、スプーンで表面を崩す。

 そしてスプーンに纏わりついた赤と白のクリームを口に運んで一言、私は呟いた。

 

「ん、美味しい」

 

 いちごの甘酸っぱさとクリームのなめらかさが生み出す風味は、私の味覚を急速に支配していく。

 程よい甘さといちごの酸味が同居して、婚約でも交わしているかのようだ。

 どことなく、青春の味とでも名付けたくなるような風情である。

 頭が春とでも言われそうなので、口には出さないが。

 

「こっちも中々よ」

 

 一方で、美味しいという私の小声を聞き取った凛が、笑みを浮かべて話しかけてくる。

 凛の混じりっけのない表情からは、甘味は女の子を笑顔にするという法則が存分に働いてるのを理解できる。

 そうねと凛に返事をした瞬間、ちょっとした衝動に駆られた。

 一体何の衝動かといえば、ひどく単純なもの。

 

「凛、こっちを一口あげるから、そっちも一口頂戴」

 

「いいわよ、ほら」

 

 勝手に取りなさいと言わんばかりに、凛がチョコレートパフェのグラスを、にゅっと突き出してくる。

 ありがたく、その中身を一口分掬う。

 口に運べば、蕩けんばかりの甘さが私を蹂躙しにかかる。

 ただ甘いのではなく、口の中で蕩けていく感覚。

 冷たく甘いそれは、包み込むような包容力があった。

 

「ありがとう、凛」

 

「じゃあ私も、アリスのを一口もらうわね」

 

 そう言って、凛はスプーンをこっちのパフェへと伸ばしてくる。

 ……けれども、しかし。

 私は、それを避けるように、自分のパフェを凛のスプーンの矛先から逸らして守る。

 すると当然の如くに……。

 

「何のつもり、アリス?」

 

 ピキリと、表情が凍った笑顔に変わった凛の姿がそこに顕現した。

 ふざけんなよと視線が圧を持って語りかけてくる。

 けど、きちんと凛に返すつもりはあるのだ。

 だから私は、凛に負けない笑顔で武装して、自分のパフェをスプーンで掬った。

 凛の視線が一等厳しくなる……が。

 睨まれる中で、私はそのスプーンを凛へと向けたのだ。

 

「あーんして」

 

「っんな!?」

 

 虚を突かれたかの様に、凛の表情は笑顔が驚愕へと変化する。

 それを見て、私は一発仕返しができたとほくそ笑む。

 流すといっても根に持ってないわけではないのだ。

 この程度の些細な悪戯なのだから、許す寛容さを私は求めよう。

 

「どうしろってのよ」

 

 凛の目が、どこか胡乱げに漂い始める。

 仕返しなんでしょ? と小声で呟いているのも聞こえてくる。

 そうよ、と肯定すると、凛は目を瞬たせて、次の瞬間には大胆に行動していた。

 

「はむっ」

 

 躊躇なく、私のスプーンをくわえ込む。

 逆に、私のほうが驚いてしまう。

 もうちょっと照れると思っていたから。

 けれど、凛は気にした素振りも見せない。

 何か問題ある? とでも言わんばかりのふてぶてしさだ。

 ……少々、凛を見誤ってたかもしてない。

 

「いちごも良い味ね」

 

「チョコの甘さもクセになりそうだったわ」

 

 平然としてる凛に釈然としなささを感じるが、私も大して気にしてないフリをする。

 一応、申し訳程度の仕返しだったのだけれど、失敗に終わってもう良いかと私は諦め気味に思った。

 だって、これ以上は無駄に足掻けば凛に呆れられて馬鹿にされそうだから。

 だからもういいと、私は思っていたのだけれど……。

 けれども、しかし。

 凛は、そんなに甘くはなかった。

 

「そういえば、アリスの時はやってあげてなかったわよね」

 

「何を?」

 

 聞き返せば、凛はニンマリと笑った。

 獲物をいたぶる猫の目だと錯覚させられる。

 ……非常に嫌な予感がした。

 そうしてこういう時、妙にその予感は的中するというのが鉄則だから。

 

「ほら、あーん」

 

「………………っ」

 

 本当に、えぇ、因果は廻るものなのだろう。

 モノの見事に仕返しをされてしまっていた。

 ニマニマしている凛に、冷や汗を流している私。

 怯んでいた、私は、凛の所業に。

 意趣返しなのだろうが、十二分に効果が発揮されていると言っても過言ではない。

 

「いらないわよ、別に」

 

「そういう問題じゃないの……食べなさい」

 

 命令形だった。

 しかもスプーンを口元に忍ばせてくる。

 咄嗟に口を開けてしまった私に、凛はスプーンを抉りこんでくる。

 ……何てことをしてくれるのだろう。

 

「どうしたのアリス、そんなに顔を赤くして?」

 

「一々訊ねてくるのが、わざとらしいのよっ」

 

 凛にあーんをした時よりも、私の時の方が動揺している。

 これは勝ち負けとかはないけれど、それでもひどく負けた気分。

 イタズラするつもりだったのが、イジメ返されてしまった。

 凛の方を見ると、気にした風もなく悠々とパフェを貪っていた。

 きっと、気にする方が馬鹿なのだろう。

 そう思い込んで、私もパフェの続きを食べ始める。

 

 ……さっきよりも、甘酸っぱい味が口に広がった。

 

 

 

 

 

 パフェを食し終えた後、私達はそのまま遠坂邸に直帰した。

 荷物も、二人で分割して持ちあっての帰宅であった。

 

「今日のご飯は……」

 

「私が作るわ」

 

 買い込んだ食材を眺めていると、凛がそう言いキッチンへと移動をはじめる。

 ……成程、労いがどうというのは、これの事を指していたのだろう。

 凛が自分で食材を吟味していた時に気付けるはずだったけれど、そこまで頭が回る精神状態ではなかった。

 けど凛の行動を思い出してみると、何だかんだで納得がいく。

 なら、折角だし甘えてご馳走してもらおう。

 

「待ってるわ」

 

「期待してなさい」

 

 大言にも聞こえるが、凛の中華料理の腕は確かなものがある。

 何ら心配なく、後は待ち構えていれば良い。

 

 でも、凛がわざわざ気を使ってくれるとは。

 これはこれで、悪くない気分だ。

 お勤め終了による開放感と、私を酷使していた凛が動いてくれている。

 それだけで、十分に心労が安らいでいく。

 結局、安い女だと自分でも思うが、お得な女だと思っておこう。

 

 うつらうつらと、そんな事を考えている内に、どこからか料理の匂いが漂ってくる。

 そろそろなのだろう。

 私は、リビングより香ばしさ漂う方角へと足が誘引されていく。

 

「出来た?」

 

「大体はね」

 

 キッチンに顔を出すと、凛が料理を皿に盛り付けて、机に運んでいっているところであった。

 更には、餃子やエビチリ、八宝菜といった色とりどりの面子が首を揃えている。

 料理を運ぶのを手伝いつつ、水周りを見てみると洗い物が溜まっている。

 

「あれ、洗わなくていいの?」

 

 指差すと、凛はどこか馬鹿にした様な目を合わせてきた。

 

「そんなことしてたら冷めるでしょう?

 水につけてあるから大丈夫よ。

 それよりさっさと席に座りなさい」

 

 少し鼻白むが、尤もな意見なのは確かだ。

 凛に従い、私も席に着席する。

 すると、凛がいきなり私に目を合わせてきた。

 真剣さの中に、少々の気まずさを交えた目。

 何を言えば良いか分からなくて沈黙すると、凛は訥々と話し始めた。

 

「最初はね、苛々してたのがあったの。

 物事が上手く行かなくて、都合通りにならなくて。

 でも、始めはそうでも段々と楽しくなってきて、調子に乗ってたと思うわ。

 何が言いたいかって言うとね、それは、その……」

 

 言葉を詰まらせて、でも軽く息を吸ってから、凛は言い切った。

 

「悪かったわね、あんたに当たり散らして、理不尽なことを強要して」

 

 それは凛の真っ直ぐな謝罪だった。

 素直な謝りを見せる事のない凛からの、精一杯振り絞っての。

 

 凛も、今回の事で私が不満を溜め込んでいたのを察したのだろう。

 だからこうして、料理まで作って謝りに来た。

 彼女なりの、精一杯の譲歩。

 普段は器用なのに、今だけは不器用で。

 凛の拙い可愛らしさが、私にしっかりと伝わってくる。

 だから私は、

 

「元から許してたけど、今ので全部完済ね」

 

 あっさりと、それを受け取った。

 拒む意味もないし、負の感情よりも凛のいじらしさの方が上回ったから。

 

「じゃ、食べましょう。

 凛が言った通り、早く食べないと冷めてしまうわ」

 

「……ありがと。

 うん、そうよね。

 腕によりを掛けて作ってるから、味わって食べなさい!」

 

 凛が明るく笑って、重かった空気は霧散する。

 これより、楽しい夕飯の始まりだ。

 精一杯、凛の感謝を味わうことにしよう。

 それが、私の夏休み最後の思い出になるのだから。

 

 今日で終わる最後の休みと、明日から再開する学び舎での日々。

 それを思い浮かべながら、私は箸を伸ばして行って。

 

 ――凛の中華は、やはり美味しかった。




季節は気付けば秋。
ずっと続いていた夏に終が訪れてホッとしております。

――夏、ずっと、エンドレスエイト……あ、頭が痛い!?


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第26話 その言葉の意味

意味深なタイトルですが、特にどうとかいうのはありません。
何時も通り、ダラっとした内容です、はい。


 学生たちの謳歌すべき楽園は終焉を告げた。

 などというと大仰ではあるが、要するに夏休みは過ぎ去ったのだ。

 と言っても、未だに残暑が厳しい中では、素直に夏が終わったなどとは思えない。

 四季が豊かなこの国でも、未だに夏だと告げるようにツクツクボウシが鳴いているのだから。

 

 何にしろ、学校は始まったのだ。

 夏休みに対して休めた記憶はないが、逆に夏休みボケしないと考えれば素敵なのかもしれない。

 ……そう思っていなければ、精神的負担が重いだけなのではあるが。

 

「マーガトロイド、何か浮かない顔してるぞ」

 

「そう?」

 

 学校の教室、そこで衛宮くんに指摘される。

 どうにも、顔に出てしまっていたらしい。

 別段悪いことばかりではなかったが、少しばかり疲れたという気持ちが大きいのであろう。

 休みもへったくれもなかったという事だ。

 

「悩み事か?」

 

「そういうのじゃないわ。

 ……でも、意外ね」

 

「何がさ」

 

 衛宮くんに視線を向けると、良く分からなさそうに私を見ていた。

 どういうことだ? と問いかけられてるのだろう。

 だから草臥れた私の中に、少しの悪戯心という水が撒かれる。

 要するに、からかってやろうと思ったのだ。

 

「私、衛宮くんの事は鈍い朴念仁だと思っているの」

 

「ひどいな、それ」

 

「事実でしょう?」

 

 そこまで言うと、衛宮くんは言い返そうとして……逆に口を閉ざす事態に陥っていた。

 あながち否定できないと、自分でも理解したからだろう。

 本当に分かりやすい、それが面白くもあるのだが。

 

「それで、わざわざそれを指摘して、どうしようってんだ」

 

 拗ねた様に言う衛宮くんに、私は微笑してこう囁いた。

 水に一滴の、毒を仕込むようにして。

 

「桜に、詰まらないと思われるわよ?」

 

「へ?」

 

 予想外の言葉だと言わんばかりに、お間抜けな声を上げた衛宮くん。

 無防備そのものの彼、少し可愛いとさえ思ってしまう。

 こういうところが、桜の心を掴んだのか?

 そう考えると中々に面白く、楽しいものがある。

 でも、そんな事は口にしない。

 代わりに、こんな言葉を彼に送ったのだ。

 

「桜を驚かせる為に、ちょっぴりお洒落でもしてみないかって話よ」

 

 言い終わって衛宮くんを見てみると、困ったように頬を掻いていた。

 何て答えようかと、悩んでるようだ。

 ここで言葉を畳み掛けても良いが、衛宮くんなりに答えを出そうとしているみたいではあるので、じっくりと答えを待つ。

 

「あのさ」

 

 衛宮くんが語り始める。

 困った事を前にした子犬のような顔をして。

 

「今月なんだけど、素直に金がないんだ」

 

 そんな、ちょっぴり情けないことを言ったのだ。

 

「何かに使ったの?」

 

「ん、桜と藤ねえと一緒に買い物に行ったんだけどな、そこで『士郎は折角だから桜ちゃんにお洋服の一着か二着、もしくは溢れんばかりの愛情を供与すべしっ!』と訳分かんないこと言い出して、今月分のお金は全部桜の服代に消えたんだ。

 まぁ、桜は嬉しそうだったから良いけどさ」

 

「ふーん」

 

 惚気か、なるほど。

 衛宮くんも気恥ずかしげに頬を掻いているという事は、決して嫌じゃ無かったのだろう。

 なら、それはそれで正解だとは思う。

 ……けど、だからと言って私が何かしたいなと思った事が消えるわけではない。

 むしろお茶の一つでも楽しみながら、話を聞かせてもらいたいくらいだ。

 

「なら新都で茶飲み話の片手間に、お一つ話を聞かせてくれないかしら?」

 

「いやにしつこいな」

 

 警戒した顔で、衛宮くんが私をじっと見ている。

 何をされるか、何をするのかと訝しがっているように。

 そんな衛宮くんに、私は笑顔を添えてこう答えたのだ。

 

「女の子はね、お菓子と恋バナで生きているの」

 

「ファンタジーだな、それ」

 

「ようこそ、不思議の国へ?」

 

「お前、単に俺を弄りたいだけだろ」

 

 胡散臭そうに、だけど納得したように私を呆れた目で見てくる衛宮くん。

 確かに、そういう一面が無いといえば嘘になる。

 でも、それ以上にさっきの言葉は本気なのだ。

 

「桜と衛宮くんがどれくらい上手くいってるのか、やっぱり気になるわ」

 

「お前は近所のおばちゃんか」

 

「失礼ね、私はカボチャの馬車を設える善良さを持っているのよ」

 

「一体俺をどこに連れて行こうってんだよ」

 

 呆れた目を通り越して、疲れた目をし始めた衛宮くん。

 面倒くさい奴だと思われるのは癪だが、けれど仕方がないのだ。

 可愛い後輩の事は、幾らでも気に掛けてしまうのだから。

 

「お城か森か、それとも新都?

 どれがお好みかしら」

 

「実質選択肢なんて無いようなもんだろ」

 

 ジトっとした目で見られるが、気にしたら負けである。

 むしろここまで嫌がられるのは、腹立たしいものがあるのだ。

 桜の話だけではない、意地になっている部分もある。

 だからしつこく衛宮くんを誘っている。

 

「さあね、選択肢は衛宮くんにあるわ。

 でもね、ここで拒否されると、私としても辛いわ」

 

「なんでさ」

 

 素直に尋ねて来た衛宮くんに、私は意地悪げに言ったのだ。

 

「友達とお茶をするの、そんなに嫌なの?」

 

「……別に、そんな事はないけど」

 

 一瞬、言葉を詰まらせる衛宮くん。

 確実に手応えはあった。

 だからすかさず、私はこう付け加えたのだ。

 

「なら、良いわよね?」

 

 半ば友情を脅迫に使った様な気はしつつも、この程度は可愛いのものであろう。

 結局、衛宮くんは口をもごもごさせて、何かを言おうとしていたけど、結局何も出てこなかったみたいで。

 

「……分かった」

 

 そう、短く答えたのであった。

 僅かに、なるほど、これは可愛げがある、と思ったのは心の中に秘めることにしておく。

 桜の為にも、衛宮くんの為にもだ。

 

 

 

 

 

 人が行き交う都会の街。

 まるで、波の中に立っているかのよう。

 人海という言葉は、これを見て生まれたのだろう。

 新都に来て、そんなことを私は思う。

 

 お祭りは嫌いじゃないけど、人混みは苦手。

 人の心理とは不思議そのものだ。

 尤も、店に入ってしまえば、関係ないのだけれど。

 

「マーガトロイド、大丈夫か?」

 

 気遣わしげに衛宮くんは私に声を掛けてくれる。

 バスを降りて店に行く途中である現在、どうにも人にぶつかったりして顔を顰めていたからか。

 と言っても、そんなに不機嫌である訳ではない。

 煩わしくはあるけれど、別段問題はないから。

 早くこの場から立ち去りたいという気持ちは存分にあるのだけれど。

 

「大丈夫よ、早く行きましょう」

 

「あぁ」

 

 そう言うと、衛宮くんは私の一歩前に出て歩き始める。

 人混みから守るように、見事にエスコートしてくれて。

 思わず、感心して衛宮くんの背中をまじまじと見つめてしまっていた。

 

「男の子なのね」

 

「親父が女の子には優しくしろって煩くてさ」

 

「英才教育ね」

 

 そういう配慮が出来ると、男の子なんだとしっかり認識できる。

 尤も、彼には既に桜がいるのだけれど。

 だからといって女扱いされなくて良いかといえばそれは別問題の話。

 こういうところに、衛宮くんの良さを感じれる。

 

「で、店はどこにあるんだ?」

 

「ここからしばらく歩いて、右に曲がって木製の看板が見えた所よ」

 

 私の指示に従い、衛宮くんは歩き始める。

 その後ろを、私も一緒の歩幅で付いていく。

 桜が見たら、なんて言うかしら、なんて意地悪な事を考えながら。

 ……直ぐに泣きそうな顔か呆然とした顔が浮かんで、やめたけれど。

 

「ここよ」

 

 道中大した会話もなく、何時の間にかお店に到着していた。

 歩いている最中は、衛宮くんの背中を眺めているだけ。

 飽きはしなかったし、居心地も悪くはなかったから問題はない。

 それもこれも、衛宮くんの独特の雰囲気のお陰であろう。

 

「入るか」

 

「えぇ」

 

 店に入ると、老境に差し掛かった店主が軽く会釈で迎えてくれる。

 私はそれに頷いて、衛宮くんを連れて奥の席を陣取る。

 日当たりも良いので、お気に入りの席だ。

 座ってから、私達は飲み物と軽く摘めるものを頼む。

 が、何故か衛宮くんは難しそうな顔をしていて。

 

「どうしたの?」

 

「いや、こういうところの茶菓子って、洋物が多いなと思って」

 

 どうにも慣れていないのか、衛宮くんはじぃっとメニュー表と睨めっこをしていた。

 視線に力があるのなら、穴が空くかもしれない程に。

 

「和菓子が好きなの?」

 

「好きっていうか落ち着く」

 

「確か餡蜜団子が何処かにあったはずよ」

 

 落ち着く、とは和の心というものであろうか。

 衛宮くんらしくはあるのかもしれない。

 これに柳洞くんも居れば、完璧にそっちの話題で盛り上がっていたであろう。

 それはそれで興味あるけれど、今回の趣旨からは外れているから一先ず置いておいて。

 

「じゃあそれにする」

 

「分かったわ、すみません」

 

 衛宮くんが決めたのを確認してから、店員を呼んで注文を伝える。

 それらを書き留めた店員が場を去った後、ほんの少しだけ沈黙が訪れた。

 衛宮くんはあまり自分から話をするタイプではないから、妥当な結果なのだろう。

 こういうところで、損をしていると思うけれど、逆にそれも興味深くはある。

 気が付けば、私は衛宮くんの顔を覗いていた。

 眺めるように、けれども観察をするかの如く。

 つぶさに、彼の表情を眺めていたのだ。

 

「……マーガトロイド?」

 

 けれど、流石に露骨過ぎたのか、戸惑ったように衛宮くんが声を掛けてきた。

 何かあるのか? と訝しげながら。

 そこで、ようやく私は口を開いたのだ。

 

「ちょっと面白くてね」

 

「俺の顔の何が面白いんだ」

 

「顔じゃないわ、表情よ」

 

 そう言うと、ペタペタと自分の顔を触り出す衛宮くん。

 困惑して、どういうことだと首を傾げている。

 まぁ、普通は自覚なんて出来ないであろうから、そういうものなのだろうけれど。

 

「どういうことだ?」

 

「自分で考えてみるのね」

 

 その方が、悩んでいる姿が見られるから、とかそんな事は少ししか思っていない。

 真剣に衛宮くんが考えることが大事だからと、そう思うのだ。

 ――衛宮くんは笑わないわね、なんて事は特に。

 別に、私と居てつまらないのか、などと邪推している訳ではない。

 それは彼を見ていて親しみを持てる要因の一つではあるのだから、私は嫌いではないのだけれど。

 

「分からなければ、私はそれで良いけど」

 

「何だよ、それは」

 

「その方が私に都合が良いの」

 

 桜もそういうところを含めて、好きになったと思うからきっと大丈夫。

 何というか、衛宮くんには味があるのだろう。

 普通の人から見ると取っ付きにくく感じても、それが良いのだと思う。

 理由は……敢えて言うなら衛宮くんだからだろうか?

 

「さ、それは置いておいて、元の本題に戻りましょう」

 

「むぅ」

 

 顔に気になる、と貼り付けている衛宮くんの意向を見なかった事にして、私はちょっぴり甘い話題に戻ることにする。

 彼と桜のデートはどんな事になったのかという、本来の目的へ。

 ……保護者付きではあったようだけれど。

 

「衛宮くんと桜、それから藤村先生とデートしたのよね?」

 

「マテ、その言い方は大いに語弊がある」

 

「あら、そう?」

 

 そこまで言うと、衛宮くんはやっぱり弄り倒すのか、とどこか達観した様な表情をしていて。

 彼には、そんな顔するからからかわれるのよ、と言ってあげたかった。

 

「桜一筋って事かしら?」

 

「――そう、だな」

 

 一瞬、息を詰まらせたように見えた衛宮くん。

 何だか、感覚的に不安を感じてしまう一瞬。

 だけれど、直ぐに何時もの衛宮くんの雰囲気に戻って。

 気のせいなのだろうと、そう思うことにした。

 

「で、両手に花だった衛宮くんは、一体どうしたの?」

 

「花って……藤ねえは花は花でも、食虫草だぞ?」

 

「捕食されて逃れられないの?」

 

「いや、底がないかの如く家の食料が無くなっていく」

 

 冗談交じりに言った言葉に、衛宮くんは随分味のある表情で答えて。

 容易にその状況が想像できてしまった。

 食料を食い荒らす獰猛な虎、今日も一日頑張りますという姿を。

 

「……大変ね、衛宮くんも」

 

「言うな、何時ものことだ」

 

 何故かは分からないが、SSFという謎の単語が頭に過ぎった。

 天の囁きか何かなのだろうか?

 ……まぁ、どうでもいいのだけれど。

 ゴホンと咳払いを一つして、何も聞かなかったことにする。

 そう、何も無かったのだ。

 と、そんなところで注文の品が運ばれてきた。

 ごゆっくりどうぞという言葉と共に、再び

 

「桜には、どんな服を買ってあげたの?」

 

「淡い色の薄紫の服だな。

 良く桜に映えて似合ってた」

 

 顔色変えずに、そんな事を言ってのける衛宮くん。

 素直なのは彼の美徳の一つであるだろう。

 もし、正面向かって言われれば、面映ゆいことこの上ないだろうが。

 

「可愛いって思った?」

 

「まぁ、そりゃ桜は最初から可愛いし……」

 

 言ってから、衛宮くんは恥ずかしげに頬を染める。

 流石の衛宮くんといえども、こういう事を言うのは恥ずかしいらしい。

 何時まで経っても、初々しさが無くならないのは良いことなのか悪いことなのか。

 まぁ、見ている分にはすごくからかい甲斐があるのだけれど。

 

「好きな人に可愛いって言ってもらえて、服も買って貰える。

 その時の桜は幸せだったでしょうね」

 

 そう言うと、衛宮くんは赤い顔のまま、どこか照れているようで。

 ほんのりとした赤さに、衛宮くんらしさを感じる。

 これが桜ならば、爆発しそうなくらいに真っ赤になって、でも幸せそうな顔をしていただろう。

 衛宮くんの場合は赤さの中に、気恥かしさが目立っている。

 だからこそ、お似合いだと思ってしまうのだ。

 

「……なぁ、マーガトロイド」

 

 今食べているプリンが何時もよりも甘く感じる中、衛宮くんはこんな事を尋ねて来た。

 

「ありがとうってさ、感謝の気持ちが溢れた時以外に使うのか?」

 

 赤さの中に、ふとした真面目さを感じさせながら、衛宮くんは私を見ていた。

 ありがとう、その言葉に何を感じさせられているのか。

 簡単な様で、考えさせられる疑問。

 

「唐突ね」

 

「悪い」

 

「別にいいけど」

 

 至って真剣な衛宮くんに、私は一つ頷いて向かい合う。

 ありがとう、それは感謝を告げる為の言葉。

 人と人が手を繋ぐ為の潤滑油。

 暖かさを感じさせる、心に染みる言葉。

 

「嬉しい時に、ポロリと溢れてしまうわね」

 

「でもそれって、感謝からの派生じゃないのか?」

 

「そうかもしれないわね。

 でもね、感謝と喜びの主従は容易に逆転するわ。

 嬉しいって気持ちが先行することもあるのよ」

 

 嬉しいから、ありがとうって告げる事もある。

 そういう時が、一番心が揺さぶられる。

 私にも、そういう経験があるから分かるのだ。

 

「私が人形劇をしている時の話なのだけれどね」

 

 例えば、と実例を上げよう。

 人形師として、出会いは一期一会。

 その中で、貰える言葉は限られている。

 そんな時に、一番もらえて嬉しい言葉、それは……。

 

「ありがとうって、劇が終わった後に言ってもらえるの。

 面白かった、楽しかったという言葉を添えてね。

 その時、私はやって良かったって思えるわ。

 言葉が暖かくて、私に向けられたモノってキチンと認識できるんですもの」

 

 ありがとうは、恐らくは魔法の言葉。

 ホッとしたり、逆に落ち着いたり、効果は千差万別。

 だけれど、言われて後悔することは殆どない。

 だから、きっと衛宮くんもそれを感じたのだろう。

 つまりは、それを言った相手は一人になる。

 

「桜ね」

 

「……当たりだ」

 

 降参と言わんばかりに、溜息を吐く衛宮くん。

 桜の言葉が胸に来て、戸惑っているのが大きなところであろう。

 きっと、そんな心からの言葉はあまり聞かなかったということか。

 よくありがとうと言われるであろう衛宮くんだからこそ、余計にそう思うのであろう。

 

 衛宮くんのやっている慈善活動、人助け。

 お陰で一部、学校での衛宮くんの評判は概ね耳に届く程に隠れた有名人であるのだ。

 曰く、ブラウニー、バカスパナ、火消し屋、便利屋。

 その様に様々な風聞が流れてくる。

 無論、皮肉も大いに含まれているのは言うまでもない。

 そんな衛宮くんに掛けられる言葉も、形だけか軽いものが殆どであろう。

 普段が空虚な分、響く時はとことん響いていくのだろう。

 

「やっぱり桜は今、幸せよ」

 

 桜じゃない、一介の友達に過ぎないけれど。

 そう、私は断言出来る。

 どんな表情で告げたか、想像は容易であるが故に。

 そして衛宮くんも、その幸せ行きの切符を握っているとは言えるのだろう。

 片方が幸せなら、それに引きづられていくのが人の性であるから。

 

「衛宮くん、あなたもね」

 

「……かもな」

 

 幸せ、それは歓迎すべき事であるはずだけれど。

 何故か、衛宮くんはどこか苦しげな顔をしていた。

 何が不満なのか、それとも不安であるのか。

 単なる幸せ税というには重い表情。

 

 桜が魔術師である事とは関係があるのか。

 それとも衛宮くん個人の問題であるのか。

 ……踏み込んでいない私には、とてもではないが分からない領域の問題。

 でも、それでも、だ。

 

「大丈夫よ、あなたには権利と義務があるのよ」

 

「どういうことだ?」

 

 悩んでいる友達を、助ける位の甲斐性は私にも存在するのだ。

 それが重そうなら、少し位は持ってもいいと思う程度には。

 

「桜は幸せになるべきよ、これは分かるわね?」

 

「あぁ、それは分かってる」

 

 神妙な表情で、衛宮くんは頷く。

 それを確認して、私は自然と続けた。

 なら、と衛宮くんの目をじっと見つめて。

 

「なら、衛宮くんも幸せじゃなければ、それは破綻するわ。

 片方だけが幸せでも、幸せな方も息苦しくなってきてしまうもの」

 

 独り善がりでは何もできない。

 ならば、他人の手を繋ぎ、顔を見て、向き合うべきなのだ。

 形から入るのは良いが、ずっとその調子では何時か噛み合わなくなってしまうから。

 

「だからね、衛宮くんも照れながらでも良いから桜の手を握ってあげなさい。

 そうすれば、桜の嬉しさや暖かさを共有できるはずだから」

 

 そうするだけで、悩んでいるものは和らぐと思う。

 ……一人ぼっちは、誰だって寂しいのだ。

 人の温かさを知っているなら尚更に。

 

 そこまで告げると、衛宮くんはどこか覗くようにして私を見ていた。

 困惑したように、けれど納得を覚えながら。

 

「何?」

 

「いや、桜がマーガトロイドの事、姉さんみたいって言ってんだけど、その意味が分かった気がして」

 

「姉さん、ねぇ」

 

 桜はしっかりしている様に見えて、甘えたがりで誰かに背中を押されるまで動かないところがある。

 一旦決めたことにはひどく頑固なのだけれど。

 その甘える対象に私がなっていることに、喜べばいいのか嘆けばいいのか、判断が難しいところだ。

 可愛がってあげたいけれど、甘やかし過ぎもいけない。

 頼られるのと依存は、また別の話であるのだから。

 ……どちらも嫌いじゃないけれど、依存されてしまえば離れられなくなってしまうのだ。

 だからこその問題であるのだが。

 

「私、そんなにお姉さんっぽいかしら?」

 

「俺はそう思った。

 一成は子供の様な奴だ、なんて言ってるけど」

 

「人の主観一つでズレるものね」

 

 どうせお人形やら、構って欲しがりなところを見て、そういう事を言うのだろう。

 言われて気付いても、少々認めがたいところがある。

 自分が子供、と評されるのはあまり気分が良いものではないのだ。

 

「マーガトロイドは気難しいところがあるからな」

 

「衛宮くんほど、複雑ではないつもりよ」

 

「どうだか」

 

 どこか胡乱げに、私を見る衛宮くん。

 だから敢えてコロコロと笑っておく。

 その方が、余裕があるように見えるから。

 

「今はどこか遠坂じみてる」

 

「私はあそこまで猫かぶりでも、イイ性格をしている訳でもないわ」

 

「どっちもどっちだろ」

 

 何げに失礼な毒を放つ衛宮くん。

 もうちょっと、モノをよく見てから言って欲しい。

 私はもっと正直者であるのだから。

 

「さあね、私は違うと思うけれど」

 

「強情な」

 

「ブーメランって言葉知ってるかしら?」

 

 ひどい水掛け論である。

 どうしようもない程に泥沼で、恐らくは決着が付くことがないであろう議論。

 ……ひどく馬鹿らしかった。

 

「やめましょう」

 

「そうだな」

 

 衛宮くんも同じ気持ちだったのか、呆れ顔ながら同意する。

 どこまでも意味のない事で、決して結論が出ないのは不毛でしかないのだから。

 

「ん、温くなってる」

 

 一旦落ち着くために、頼んでいたアイスティーを飲んだら、それはどこか冷たくなくて。

 やっぱり夏の最中ではないか、と思ってしまう。

 

「結構喋ってたからな」

 

「身のある内容かと言えば別だけれど」

 

 まぁ、単にお喋りがしたからここに来たのだけれど。

 そう言う意味では、決して無駄であったという事はない。

 それなりに会話が続いたという事は、盛り上がっていたと同義であるとも言えるのだから。

 

「これからどうする?」

 

 衛宮くんが、そろそろ帰らないかというニュアンスを含めて、そんな事を訊ねてくる。

 彼からすれば、単に近況報告のような事をする為だけに来たのだから、ある意味当然の結末といえよう。

 

 だが、しかしである。

 わざわざ新都まで出てきたのである。

 それは何故か?

 新都まで来て、茶をしばいて帰るなどと言うつもりなのだろうか?

 否、断じて否である。

 こんな人ごみの多い所まで来たのは、別の目的もあったから。

 

「衛宮くん、これから暇?」

 

「飯作る以外は、今日は特に用事はないけど」

 

 何かあるのか? と首を傾げている衛宮くん。

 そんな彼の肩をガチリと掴む。

 逃げられない様に、しっかりと。

 

「え?」

 

 僅かな困惑、その後にタラリと冷や汗をかき始める衛宮くん。

 どうやら逃げ損なったことを察したようだ。

 

「これから服屋巡りよ」

 

「ちょっと待てっ!

 今日は金がないって言ったよな?」

 

 焦ったように、衛宮くんは告げる。

 が、そんな事で私は逃がすはずがなかった。

 

「試着は、タダなのよ?」

 

「お前、相当タチの悪い客だよ」

 

「年頃の女の子だもの、仕方ないわ」

 

「それが免罪符になると思ってるのか……」

 

「そういう生き物だから、仕方がないって思うしかないわね」

 

 図々しすぎる、と小さく呟く衛宮くん。

 だけれども、桜から常々”先輩は持っている服が少ないんです”とボヤかれれば、思わず着せ替え人形にしたくもなるのだ。

 衛宮くんが嫌がっても、言いくるめて連れて行くつもりである。

 

「……はぁ、分かった」

 

「いやに聞き分けが良いわね」

 

「抵抗しても無駄なんだろ?」

 

 その通りである。

 けれど、別に本気で嫌で拒否反応が起こるなら、そのまま今日は解散でも良かったのであるが。

 でも、既に決定してしまった事だ。

 何ら問題などない、このまま行ってしまっても良いだろう。

 

「それじゃあ、行きましょうか」

 

「好きにしてくれ」

 

 諦め気味に、投げやりに言う衛宮くん。

 今からそんな調子では、直ぐにバテてしまうであろうに。

 

「程ほどにしておくわ。

 だからもう少し元気出して欲しいものね」

 

「これから疲れる事をするのに、元気も何もないさ」

 

「女の子と買い物なのに、色々と失礼極まりないわ」

 

 まぁ、衛宮くんは、言うことははっきり言うから別に良いのだけれど。

 その分、沢山着せ替えさせてしまえばいいのだから。

 

「行くわよ」

 

 そう言って、私達は会計を済ませて店を出る。

 衛宮くんを使っての着せ替え劇の始まりだ。

 程々といっても、程よく疲れてもらおうという意味合いが強い。

 だから大いに衛宮くんには覚悟をしてもらおう。

 

 半ば決意にも似た我が儘を抱えて、私達は近くのデパートへと向かった。

 こういう店では、なんでも揃っているから。

 

「衛宮くんは好きな服装とか、何かあるのかしら?」

 

 尋ねると、衛宮くんは少し唸ってから、ハンガーを一つ手にする。

 

「こういうの、とかか?」

 

 手にしたのは、メイドインしまむら産の物体。

 安くて庶民の味方、着ている安心感を感じられる……のだけれど、違う、そうじゃない。

 

「なにかこう、ズレてるわ」

 

「なにがさ」

 

 しまいには、そんな事を尋ねてくる始末。

 どう説明したものか、と頭で整理しつつ、私は衛宮くんに語っていく。

 

「ここには、あくまで冷やかしに来たの。

 別に今すぐ買い物を始めようとか、そういうのじゃないのよ」

 

 なのに、である。

 よりにも選ってそのセンスであるのだから、大変頂けなかった。

 

「ならこれは……」

 

 そう言って衛宮くんが手に取ったのは、メイドインユニクロ。

 ここで私は理解した。

 なるほど、衛宮くんのセンスが元よりこういう服を好んでいるのだと。

 ……服を当てている衛宮くんを見ると、確かに似合っていない訳ではないが釈然としない。

 もっと、色々な服があるのに、どうしてそれを選んだのかと問い質したい。

 が、それよりも、私が選んだ服を、逆に衛宮くんに手渡すことにする。

 その方が、余程建設的な気がしたから、というのが理由である。

 

「これなんてどうかしら?」

 

「悪くないな」

 

 感心したかの様に、衛宮くんは呟く。

 私が選んできた服は、黒色のパーカーであった。

 特段変わったものではない為、大体の人には似合うようにできている。

 ……尤も、冒険心が足りないからか、どうにも満足できていないが。

 

「こっちなんてどう?」

 

 次に私は、冒険心をと思い、赤色のポロシャツ。

 当ててみれば、髪の色と揃っているからか安定感はあるが、似合っているかはまた別問題で。

 童顔の衛宮くんに、ポロシャツはイマイチ似合わなかった。

 

「合わないわね、次行きましょう」

 

 そうやって、次々と服を当てては戻していく。

 合う服、合わない服、それぞれであるが、どれも一興であるといったところか。

 その中で、一番大ウケだったのは、私がさり気なく手渡したスーツであった。

 無論ジョークの類であったのだが、衛宮くんは真面目にそれを当てたのだ。

 そして良く分からないな、と呟いてたので、試着も勧めて。

 衛宮くんがスーツを着て現れた姿は……一言で言えば、噴飯物であったのだ。

 

 童顔で、未だ成長途中の衛宮くんの背。

 それに大人ぶったスーツ姿は、如何にも背伸びしている感が満載であったから。

 思わず笑ってしまって以降、衛宮くんはぶすっとした顔のままだった。

 

「さっきは悪かったわ」

 

「悪いと思うなら、もう帰らせろ」

 

 すっかり拗ねてしまった衛宮くんに、私は楽しげな笑みを返す。

 本当に、着せ替え人形が意志を持ってくれている様で、どこまでも飽きないのだ。

 でも、時間は有限であるのもまた世の中の理。

 楽しい時間は直ぐに過ぎるというもの。

 何時の間にか、夕暮れ時になっていたのだ。

 

「衛宮くん、何か飲み物いるかしら?」

 

「別にいい」

 

 口数は減ってしまったけれど、しっかり返答してくれる衛宮くんは生真面目である。

 だから、そんな彼に不快な思いをさせてしまったかと、今更ながらに後悔が湧いてきて。

 

「ごめんなさい。

 衛宮くんの服を選ぶのが楽しいから、はしゃぎ過ぎたわ」

 

 流石に、このまま帰るのは居た堪れなくて、帰りのバスの中で私は謝っていた。

 今後は気をつけると、出来るだけ自分に言い聞かせて。

 

「……分かった。

 何時までも拗ねてるのも、子供みたいだしな」

 

 誠意が伝わったのか、それとも折れてくれたか。

 どちらにしても、衛宮くんはきちんと許してくれた。

 だからそれに、ホッとする。

 

「それでね、衛宮くん」

 

「なんだ、マーガトロイド」

 

 バスが停車する。

 降りるべきバス停に、無事に到着したようだ。

 一旦言葉を控えて、私は小銭を片手にバスを下車する。

 そして衛宮くんが小銭を払って降りようとしているところで、私は言ったのだ。

 

「今日、すごく楽しかったわ。

 ありがとう、衛宮くん」

 

 出来るだけ明るい笑顔を添えて、私は彼に言う。

 できるだけ届いてと、そう念じながら。

 

「――お前、狡いとか言われないか?」

 

 バスの中から帰ってきたのは、そんな言葉。

 夕焼けが濃くて、衛宮くんの頬まできっちりと染めている。

 だから最後に、私はいたずらっぽく笑って言う。

 

「掛け値なしに本音よ。

 今度は桜と二人で行ってあげなさいな」

 

 それでけ告げて、私は背を向ける。

 少しでも、衛宮くんに言葉と気持ちが届けば良いなと思いながら。

 夕焼けが、やっぱり今日は濃い。

 私の頬まで焼いているのだ、本当に罪だと思う。

 だからどこか駆け足気味に、私はその場を後にしたのだった。

 たまには、こういうのも悪くないと思いながら。




桜ごめんよ、たまにはアリスと士郎を単体で絡ませたかったんや。
また何時か、士郎と桜で甘い作品でも書こうかなぁ(そのうち忘れてそうですけど)。

あと、どうでもいいですけど鼻水が止まりません。
どうにかならないものか……。


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第27話 グルグル巡る思考のサイクル

とりあえず微妙な出来ですが完成しました、やったぜ(投げやり)。


 我らが愛すべき穂群原学園。

 その校内、一年の領域は現在は安定しているとはいえ、入学当初は凄まじいものがあった。

 それは何故か? 何て問われれば、愚問と返すのが穂群原学園一年の反応であろう。

 彼女達を知らないのであれば、それは転校生か世捨て人の類に違いはないのだから。

 

 彼女達、突出した二人の少女。

 即ち、遠坂凛とアリス・マーガトロイド。

 私達の同期で、まさかこの様な人物が同時に現れるとは、この氷室鐘の灰色の脳細胞を持っても見抜けなかった。

 天は、時に不条理をもたらすものだと、シミジミと感じずにはいられない。

 

 だが、それは良いとしよう。

 単に同級生になっただけなのだ。

 むしろ光栄にでも思っていた方が精神的に健全である。

 私の趣味である人間観察も、大いに捗るのだ、何ら文句の付けようがない。

 

 そういう訳で、私なりにこの二人は注目に値する人材であった。

 暇になった時、何事もない時はこの二人を眺めていれば正解なのだ。

 華美というより瀟洒な二人は、見ていて気持ちいいものがある。

 ……まぁ、遠坂嬢は全く隙を見せてはくれないのだが。

 

 その代わりと言ってはなんだが、マーガトロイド嬢とは仲が良い。

 あの気難しいと学内で評されているマーガトロイド嬢がである。

 完全無欠の美少女ぶりの遠坂嬢とは違い、彼女はキツイところがあるとは衆目の一致するところなのだ。

 

 何より、あの間桐慎二を廊下で平手打ちにしたという話題は、今でも大きく語り継がれている。

 汝、逆鱗に触れることなかれ。

 それを標語とし、一学期初頭は本当に爆発物でも扱うが如き対応をされていた。

 外国人であるということも、更に触れがたさを高めていただろう。

 孤高にして異質、それが彼女に下された学生達の評価であった。

 

 そんな彼女と、私はそれなりに仲が良い。

 それもこれも、あの自称黒豹のお陰か。

 あの流動的とも言える行動力は、流石の一語に尽きるというもの。

 尤も、その分屍じみた姿を晒している蒔の字を、見習いたいとも思わないが。

 

 けれどもキチンとした繋がりもあって、私とマーガトロイド嬢は良くとまでは行かなくても、程々には会話をしている。

 その中で、色々と見えてくるものがあり、それがまた興味深い。

 彼女は通常、学校では近付きがたい、怖い、お高いなんてイメージが先行しているが、実際はそうではない。

 話してみれば、ある程度は踏み入れさせてくれて、根の部分である女の子の姿、そんな部分も見えてくる。

 確かに独特で気難しいところはあるが、決して取っつけないという訳ではないのだ。

 

 そして、そんな私が彼女を探っていく中で、丁度趣味が合いそうなモノを発掘した。

 これにはマーガトロイド嬢も、私さえも驚いた事である。

 それは何か?

 ……言ってみれば知的好奇心が満たされて、脳細胞にも刺激が行き渡るという、私の中で数少ない心躍るものと分類しても良い。

 私とマーガトロイド嬢は、互いに相手はそんな事に興味がない、と思っていただけにそれは軽い衝撃でもあった。

 だが、だからこそ、私達はある程度仲良くなれたと言っても過言ではない。

 

 故に、私は今日もその話題を彼女に振る。

 決して、嫌がらないことを知っているから。

 むしろ、積極的に聞きたがる事を、私は知っているから。

 昼休み、マーガトロイド嬢の教室まで来て、私は彼女を呼んだ。

 また、新たな話題を提供する為に。

 

 

 

 

 

「今度は間桐くんが、ねぇ」

 

「どうだ? 中々に面白いだろう」

 

 昼休み、気分が向いたので自作したサンドイッチの詰めてあるお弁当を食べようとしていた時。

 急に訪れた氷室さんによって、私は屋上へと誘拐された。

 何でも、この話をする時には、何分外聞が悪いとのこと。

 気にしなければいいのにと思うが、氷室さん曰く、人の噂ほど危険なものはないから、だそうだ。

 けど、確かに話の内容は人に聞かれれば眉を顰められそうな事だと言えよう。

 別段悪いことではなく、誰だって話していることだけれど。

 でも、その誰だって話していることを、私と氷室さんが話しているとひどい違和感を覚える、とは楓の言。

 偏見と狭量に満ちた世の中だことと、顰めっ面を浮かべた私は悪くないはず。

 だって、それは……。

 

「でも間桐くんよ?

 今回も遊びに決まってるわ」

 

「そうかな?

 彼とて人の子、お人形に話しかけてみれば、痛烈な感情と共にビンタが帰ってきた事もあるのだ。

 なら、少しは大人しくもなることだろう」

 

「一体何時の話をしてるのよ……」

 

「さて、一年も経ってなければ、最近と言えるのではないかな?」

 

「遠い昔ということにしておきなさい」

 

 そう私が言うと、ちょっと皮肉げに見える笑みを浮かべて、氷室さんはこう言った。

 

「物事が鮮烈に記憶に残っている限り、それは最近と評しても間違いではないさ。

 何時でも思い出せるというのは、三日前の夕飯を思い出すよりも容易いことなのだから。

 さて、そんな事よりもだ」

 

 私にとって面倒くさいことをそんな事呼ばわりし、氷室さんはメガネをクイッと人差し指であげた。

 これから、本題に入ると印象づけるように。

 

「私達が今気にしているのは、あの間桐慎二に思い人が出来たかもしれないということ。

 しかも、その相手は我らが由紀香かもしれないというのが重要なところなのだ!」

 

 彼女にしては熱く語っている。

 尤も、この手の話題で盛り上がるのは、大抵の女子は同じであろう。

 私達が話しているのは、そんな誰だってしているようなこと。

 それを楓は違和感がヒドイなどと詰るのだから、本当に不届き千万であろうと言えよう。

 

「三枝さんね、本当なのかイマイチ信用できないけど」

 

「事実として、彼は本気で由紀香を気にしている。

 何度も蒔の字に絡まれているにも関わらずな」

 

 話題、本題、それは間桐君が三枝さんの事が好きなのではという疑惑であった。

 ……私としては、全く持ってナンセンスと断じても良い話題である。

 別に三枝さんに魅力が無いということではない。

 実際に、私の知っている女の子の中でなら、一番女の子らしいのが彼女と言える。

 でも、だからこそ間桐君の好みでは無いと思ったのだ。

 だって彼は、特別に憧れている節があるのだから。

 平凡で陽だまりのような三枝さんは、タイプではないだろうと容易に想像がつく。

 

「何だ、その様な胡乱な目をして」

 

「そうもなるわ、証拠が少なすぎるもの」

 

 そう言うと、分かっていないなと言わんばかりに氷室さんのメガネが光に反射する。

 私としては、彼女がどうしてここまで自信満々なのかが気になるところだけれど。

 彼女は断定口調で物事を話していく。

 まるで、それが真実だと断ずるかの様に。

 

「あのナンパ師である間桐慎二がだぞ?

 良妻賢母の卵たる由紀香に目をつけた。

 しかもずっと、何時もなら直ぐに目を離すであろう一般人代表たる由紀香をだ。

 これこそ、間桐慎二が由紀香を狙っているという証拠にほかならない!」

 

「あぁ、成程。そういうことね」

 

 そこまで聞いて、何となくだが私は察することができた。

 この異様なテンションの氷室さん。

 その要因は、恋ばなというよりも身近な友人に面白そうな話題が近づいてきた。

 つまりはその一点に尽きるのだろう。

 

 氷室さんは何時も話題や噂に飢えている。

 それは彼女に気質であり、私もよく頼りにしている部分でもある。

 しかし、彼女は常に一歩引いたところからそれを見ていた。

 彼女は傍観者足ることを望んでいたし、観察するだけで満足だったのだ。

 

 ……けれど、それがこと身内の事となると話は違ってくるのだろう。

 距離が近すぎて、傍観者たろうにも手が届いてしまい、出したくなってしまう。

 親友の三枝さんなら尚更、といったところか。

 それで想像や妄想ばかりが先行して、そうとしか考えられなくなっている。

 私が推察するに、氷室さんは近視眼に陥ってしまってるのだ。

 

「そこでだ、マーガトロイド嬢」

 

「何?」

 

 少し楽しげな氷室さんの声。

 割とロクでもない予感がヒシヒシとする。

 そしてそれを裏付けるように、氷室さんは何かに挑もうとしている挑戦者の目で、こんな事を提案したのだ。

 

「此度の事件、私達で解決してみないかな?」

 

 そんな、とんでもないことを、サラリと言ってのけて。

 然りげ無く事件呼ばわりしていることに、氷室さんの心境が容易に読み取れてしまう。

 氷室さんから見て、間桐くんは悪い犬か何かだったのだ。

 三枝さんが噛み付かれる前に対処するのか、それとも敢えて咬ませてみるのか。

 今回は三枝さん達が、というよりも、氷室さんが何を仕出かすかの方に興味の天秤が傾いている。

 だから私は、

 

「そうね、一枚噛ませて」

 

 楽しそうな騒ぎに便乗する為に、簡単にその誘いを受諾したのであった。

 ロクでもないことを、たまには自分からしてみようなどと悪いことを考えながら。

 

 

 

 

 

 そんな訳で、私達は屋上を後にした。

 と言っても、直ぐに行動を起こす訳ではない。

 現在昼休み、会話しながらお昼を食べれば時間はあっという間に過ぎ去っていく。

 なれば、行動出来るのは必然的に大きな空白時間が生じる放課後だけということになる。

 

 なので結局、私は放課後に氷室さんの教室へと足を運んで。

 既に手配していたらしく、その場には氷室さんと楓、そして今回の主役たる三枝さんの姿があった。

 氷室さんは、その場の人達を一瞥して、満足げに頷いてから語り始めたのだ。

 

「よく集まってくれた。

 今回の要件は、間桐慎二が由紀香の周りを彷徨いている件についてだ」

 

「お、遂に吊るし上げる時が来たってことか!」

 

 氷室さんの言葉に、楓が何故だか私の肩をバンバン叩きながら嬉しそうにしている。

 楓の目は、貴公の首は柱に吊るされるのがお似合いだ、と言わんばかりに好戦的で。

 まるで私が、間桐くんに対する最終兵器か何かのような扱いである。

 何時ものことではあるが、失礼極まりない。

 

「ちょっとマキちゃん、私は別に困ってないよ?」

 

「うんにゃ、由紀っちがそわそわしてたの、お天道様が見逃しても、このわたしゃあ知ってるね。

 あんだけガン見されれば、嫌でも気になるし。

 というか、私達の由紀っちにあそこまでセクハラ的視線を寄越した時点でギルティ!

 裁判を経ずに処罰決定だってもんさ。

 だからこその私たちだし、マガトロだもんな」

 

「……私を数に含めるの、やめてくれないかしら?」

 

「もう、そんなことを言って!

 何だかんだでここにいる時点で分かってんだっての。

 あれだろ? 今流行りのツンデレってやつだろ?」

 

 何だか、楽しそうという理由で来てみたけれど、早まってしまった感がしてしょうがない。

 この楓の絡み方がとても鬱陶しい。

 どうにかして、と氷室さんに視線を向けると、氷室さんは楓に、まぁ待て、と静止してから彼女の考えていることを、順番に語り始めた。

 勿論、間桐くんをぶちのめしたり、リンチするなんていう蒔寺流の物騒なものではない。

 

「今回は本格的に由紀香に被害が出ているわけではない。

 むしろ、見方によっては、間桐の行動は可愛らしいものですらあるだろう。

 故に、強攻策は今のところは必要ない」

 

「えぇー」

 

 不平をそのまま口に出して、楓は何だよー、と氷室さんを睨んでいた。

 が、そんなことは意にも介さず、氷室さんは己の考えを述べ立ててく。

 楓の意見など、最初から聞いていないと言わんばかりに。

 

「要は、間桐が由紀香に近づきたがっているということだ。

 ならば敢えて、そういう方法もあるだろう」

 

「ならばいっその事ってか?」

 

 氷室さんと楓の視線が交わる間で、火花が散る。

 楓が睨んで、氷室さんはそれを躱そうともせずに飄々と受けている。

 その中間で、何で空気が冷えているのか分からず、オロオロとしている三枝さんの姿。

 なんだ、何時ものことかと思う反面、三枝さんは苦労をしていると分かる状況。

 これで何時もならば、三枝さんが仲裁に入るのだろうが、今回は三枝さん本人のことで、彼女も戸惑っている。

 ならば、と私は会話に参加することにした。

 

「落ち着きなさい、氷室さんにはもう言ってるけれど、必ずしも間桐くんがそうである訳じゃないのよ」

 

 そう言うと、氷室さんには溜息を吐かれて、楓からは何言ってんの? とやや冷た目な視線が帰ってきた。

 この二人の中では、既にそういう事で確定しているというのか。

 面倒くさい事この上ない。

 

「どうしてそう思うのか、言ってみなさいな」

 

「どうしても何も、あの間桐が女に目をつけたってなれば、それはモノにしたいってことだろ?」

 

「これに関しては蒔の字に同意する。

 そうでなければ、動きそうにない人物だからな」

 

 成程、頑なにそうであって欲しいと願っているだけかと思ったが、間桐くんの今までの信頼と実績を持ってすれば、そういう評価になるようだ。

 確かに、外の目立つ部分だけを見ていれば、そう評されてもおかしくはない。

 日頃の行いがいかに大事かというのが、良く分かるというものだ。

 

「そうかもしれないわね。

 でも、だからといって何時もの間桐くんとは違う部分が一つあるわ、そうでしょう?」

 

「はい?」

 

 何が? と言いたげな楓に、氷室さんは思い当たったように、あぁ、と小さく呟いた。

 流石に頭が早い、でも何時もの氷室さんなら自分で気付たはず。

 やっぱり、少々の視野狭窄に陥っている感はあるようだ。

 

「自分からは声を掛けに行かない、か」

 

「その通りよ、それが相違点」

 

 氷室さん達が言うように間桐くんがナンパをしに行くのならば、すぐに声を掛けて然るべきなのである。

 それがずっと遠くから見ているだけなど、間桐くんらしくない事この上ない。

 だから、私は氷室さん達が思っている事とは違うだろうと考えていた。

 何か、きっと別の理由があるのだろうと思っている。

 それが何かは、分からないが。

 

「……シンジツノ、アイ?」

 

「微塵も信じていない事を言っても、現実味の無さが加速するだけよ、楓」

 

 間桐くんと愛、何ともアンバランスな組み合わせの言葉。

 喉に魚の骨が詰まった感覚さえ覚えてしまう。

 それに私と楓で渋い顔をしていると、ポンっと手を叩いた人物が一人、そこにいた。

 我らが氷室鐘女史である。

 

「それだ」

 

「えー、それはない、絶対にない」

 

 即座に楓からの否定が入るのだが、氷室さんは逆に納得したような顔をしている。

 何か、彼女の中でぴったりと繋がってしまったみたいで。

 辟易としてしまう私に、胡散臭げに氷室さんを見る楓、それからジッと考え込んでいる三枝さん。

 そんな面々に、氷室さんはその良く回る舌で、言い聞かせに入ったのだ。

 

「有り得ないということは有り得ない。

 どんな事だって起こり得る可能性はある。

 それが今回の間桐に起こっただけのこと。

 でなければ、あれだけしおらしい間桐は見られまい」

 

「それは……まぁ、そうかもしれないけどよー」

 

 未だに納得いかなさ気な楓だが、返す言葉が見つからないらしく、うーん、とこめかみの部分をグリグリと捏ね回している。

 実質、既に楓は氷室さんに反駁する力を失ったのであろう。

 そして私も、氷室さんが意見を変えようとしないことが分かったので、反論することはない。

 では、と最後に残っている一人に目を向けた。

 ずっと静かに考え続けていた、三枝さんに。

 

「ねぇ、鐘ちゃん」

 

「なんだ、由紀香」

 

 自分の意見が求められているのを察したのか、三枝さんは何時も通りの緩やかさで、氷室さんの顔を見る。

 穏やかさの中に、困った様な雰囲気を漂わせながら。

 

「私は、違うと思うな」

 

「なぜそう思う?」

 

 三枝さんの意見を頭から否定することはせずに、氷室さんはその理由を問うた。

 返ってくる答えで、その良し悪しを判断しようとしているらしい。

 それに対して三枝さんは、一つのエピソードを語った。

 優しげにハニカミながら、多分ね、と言いながら。

 

「お寺の近くで、一回だけ間桐君と会ったことがあるの。

 それからだったと思うな、間桐君と良く目が合うようになったのは」

 

 三枝さんの言葉を聞いて、どうして急に間桐くんがと思っていた私の中の疑問が氷解したように思える。

 突然変異的に間桐くんが三枝さんの周りを彷徨き始めた事が謎だった私にとって、答えが提示されたようなものだから。

 点と点に、線が引かれたような感覚。

 氷室さんが、ふむ、続けろと続きを促すと、三枝さんは更に語っていく。

 

「そんな大したことじゃないんだけどね。

 お爺さんが座っててね、お休み中ですかって声を掛けてたの。

 そしたら間桐君がたまたま近くに来て、誰か居るのかって聞いてきたんだ。

 だから私も、うん、お爺さんが一人って答えたら間桐君、何か急に足早になって帰ってっちゃったんだ」

 

 何でだろうね? と首を傾げる三枝さんに、いまいち私もどういうことか掴み兼ねる。

 お爺さんが一人……その辺りに、間桐臓硯でも居たのだろうか?

 もしそうなら、間桐くんの反応もおかしくはないと思う。

 思うが、それなら三枝さんに粘着する必要性が感じられない。

 ……もしかして、三枝さんに魔術の仕込みでも、間桐臓硯がしたというのか?

 だとしたら、戦々恐々と様子を見に来る様子も、話しかけられないのも一定の理解を示せる。

 だが、もしそうだったら、私は早急に手を打たねばならない。

 友達一人を見捨てるには、あまりに忍びない話であるのだから。

 

「どんなお爺さんだったの?」

 

 半ば恐る心を押さえつけて、背筋に嫌な汗が流れていることを自覚しながらの質問。

 何事もなく、何事も起こらない、そうであってくれと強く願っていた。

 そうでなければ、私はどうにかしてしまいそうだと感じたから。

 そんな私の問いに、三枝さんは小首を傾げていた。

 あれ? という不吉な言葉とともに。

 

「うーん、上手く思い出せない、かな。

 ごめんね、マーガトロイドさん」

 

「……そう」

 

 もしかしたら、何らかの魔術で認識をずらされてしまっているのか。

 考えれば考えるほどに、私は溺れていくかの様に推測を積み重ねてしまう。

 全て悪い方への、邪推じみたものだ。

 けど、そういう嫌なものは溢れるばかりで、切っ掛けがなかったらリセットも切り替えもできやしない。

 そんな私の焦りを他所に、氷室さんはどこか曖昧に笑っていて、楓は笑顔のままで凍りついていた。

 何か覚えでもあるのか、それとも私と同じく嫌なモノを感じ取ったのか。

 二人を一瞥すると、二人共が苦笑い気味に三枝さんへと訊ねたのだ。

 

「なぁ、由紀っち。

 その爺さんってお寺で見えて、間桐の奴が誰かいるのかって言ったんだよな?」

 

「うん、そうだよ」

 

「その後、その後老人はどうした」

 

「何時の間にか居なくなってたよ」

 

 聞けば聞くほど、内容が怪しく感じてしまう。

 怪しく、危ないように感じる老人。

 最初に考えてしまったのがあの妖怪爺だったせいで、未だに彼のそこの見えない笑みが脳裏にチラつく。

 不安は増すばかりで、落ち着かない。

 

 だが、三枝さんの話を聞いた二人は何故か納得した顔をしていて、どこか達観した様な表情にすら見えた。

 何が分かったのか、何を理解したのか。

 付き合いが深い二人だからこそ、見えてきたものがあるのだろう。

 だけれど、残念ながら私は仲が良いといっても、阿吽の呼吸で通じ合えるほどではない。

 だから私は、分かった顔をしている二人に振り向いた。

 話せと、視線を送ったのだ。

 けれど二人は、

 

「ま、まぁ、世の中には知らないほうが幸せって事もあるよナー」

 

「うむ、蒔の字の言う通り、知るべきことと知らざるべきことがある。

 今回のは後者だ、気にする必要はなくなった」

 

 諭すように、私へとそんな事を言って。

 分かった顔で二人頷きあっていたのだ。

 三枝さんは最初から最後まで頭に疑問符を浮かべていて、同様に私も答えが分からないというモヤモヤに囚われながら、結局この場を解散する事となった。

 正直に言うと、解せないという気持ちが強かったことは、否定のしようがない事実である。

 ……後で、氷室さんをとっちめようと決意した瞬間でもあった。

 梯を外された気分なのだから、これくらいの権利は得られるであろう。

 

 

 

 

 

「で、君は私をこんな所に呼び出したという訳か」

 

「最初にここに連れてきたのは貴女よ、氷室さん」

 

「前の呼び出しの時はそうだったな」

 

 翌日の放課後、部活がない事を確認して氷室さんを捕縛。

 問答無用の強制連行、是非は問わなかった。

 このモヤモヤのせいで、思わず昨日は考え込んでしまったのだから当然である。

 

「それで、どういうことか説明してもらえるかしら?」

 

 一歩氷室さんに詰め寄ると、彼女はまぁ待てと手で私を制する。

 タダで引かないぞ、と視線に力を込めると、氷室さんは少し考えたあと、信じられるかどうかは別だが、と前置きをした上で語り始めた。

 

「由紀香は見える、見えないはずのモノがな」

 

「……霊能者?」

 

「本人はそんな大したものじゃないと言っているし、恐らくはその通りなのだろう。

 見えるのは由紀香だけなのだから、私には如何様にも判断し難いことだがな。

 ……どうだ、信じがたい話だろう?」

 

 そう言って肩を竦める氷室さんは、どこか遠い目をしていた。

 何かを回想するように、そして思い出しては頭が痛そうにして。

 彼女にとっては、それが何よりも本当だからそんな顔をしていると、外から見ていた私は分かってしまたのだ。

 なまじ魔術を扱うものとしては、そういう人がいるというのは知っているから。

 

「いいえ、信じるわ」

 

 だから容赦なくそう断言すると、氷室さんは意外そうな顔をしたあと、逆に納得したかの様に頷いた。

 

「そういえば、欧州人は迷信深いのだったな」

 

「人によりけりよ」

 

 迷信そのものを扱う私からして、信じない訳がない。

 それが信用のできる友達の言であるのならば尚更だ。

 自分がそうであることを外に発信するかどうかは、また別の問題であろうが。

 

「成程、確かにそうだろう。

 ところで、要件はそれで終わりかな?」

 

「違うわ、迷探偵の氷室さん」

 

「……何故だか罵倒された気分になったのだが」

 

「気のせいよ、きっと」

 

 ただ、ちょっと想像に頼りすぎて推理が脱線しているだけ。

 えぇ、決して他意なんて無い。

 私は文字通りの意味でしか言ってないのだから。

 

「……で、他に何の用がある」

 

「もう分かってるでしょう?」

 

 仕方なく目を瞑ったと言わんばかりに、話題を転換する氷室さん。

 その露骨さに少々の苦笑を覚えつつ、私は彼女の目を見て答えた。

 氷室さんならば、既に私が呼び出した理由がわかっていると判断して。

 すると彼女は、そうだなと返事をして、彼女なりの正しい推理を披露したのだ。

 

「結局、由紀香の周りに間桐が彷徨くという行動は解決できていない。

 だからこそ、その相談をしに私を呼んだ。

 つまりはそういうことなのだろう?」

 

「流石は氷室さん」

 

 その一言に、氷室さんは一つ頷くだけであった。

 この程度、誰にだって推測ならできると言わんばかりに。

 けれど、推測できてもそれを確信を持って言葉にできるかは別。

 その点、氷室さんは断言するだけの胆力を持ち合わせているので、彼女の話を聞いていると説得力を感じるのだ。

 尤も、その説得力ある話の内容が、大いに間違っていることがあるのだけれど。

 

「本来はこちらが解決しなければならないことなのだがな。

 頼んでないとはいえ、世話を掛ける」

 

「少しでも関わったからには、解決しなくちゃならないでしょう?

 じゃなきゃ、目覚めが悪いわ」

 

 本来の目的が氷室さんの愉快な観察であった為の罪悪感も押して、私はそう考えてしまう。

 嘘はついてないけれど、言葉を飾って綺麗に装飾している感は否めない。

 その分だけ、きっちりと働こうとは思えるけども、だ。

 

「お人好しで助かる。

 ならば、これから協議に移ろうか」

 

「お人好しではないわ。

 単に、私の傲慢で癇癪じみた部分が納得してないだけよ」

 

「そういうところこそが、お人よしというに」

 

 話の前に少々の訂正を入れると、茶々を入れるように、即刻そんな事をいう氷室さん。

 どうにも氷室さんは、私がチョロくて人助けを積極的にするように見えているらしい。

 それこそまさかである、そんな人は衛宮くん一人で十分だ。

 私は精々、友達だからというお義理的な理由でしか行動しない。

 それ以外は、仕方の無い場合か自身に利益のある場合のみに動く。

 だから決して、私はお人好しなんてヘンテコ生物ではないのだ。

 

「貴女がそう思うなら、そう思っておきなさい。

 イザとなって助けを求められたら、自分が動くかなんてわからないんだから」

 

「そうだな、では私はそう思っておくとしよう」

 

 ニヒルな笑みが、今ここでは憎い。

 妙にもやっとするこの時。

 イラっとしたので、仕返しにムニムニと氷室さんの頬っぺたを引っ張る。

 ……名前の通り冷たいとかそんな事はなく、その頬っぺたは暖かく、柔らかい。

 彼女が女の子であるということを、全力で感じさせられる肌触りであった。

 

「何をする」

 

「言葉で虐められるんですもの。

 子供っぽく癇癪を起こして、復讐してることろよ」

 

 ムニムニ、ムニムニと氷室さんの頬っぺたを無心で触り続ける。

 非常に微妙な顔をしている氷室さんではあるが、抵抗はされない。

 もしや、これが三枝さんの問題を解決するための報酬だとでも言うのか。

 もしそうならば、前払いとは気前が良い。

 元々そんな物を求めるつもりなど無かったから、代わりに堪能するのも一興。

 だから私は指でつついたり、撫でたりと、割と存分にセクハラ行為を行ってしまっていた。

 そんな事を行っていた時間は、およそ五分間。

 長いようで短い時間、けれども私は充分に満足したと言っても過言ではない。

 

「……終わったか?」

 

「えぇ、これで終わり」

 

 手を退けて氷室さんの顔を覗くと、頬っぺたが若干赤くなっている。

 少々つつき過ぎたせいで、腫れているのかもしれない。

 

「ゴメンなさい、調子に乗りすぎたわ」

 

「そうか、ようやく理解したか。

 よくも人をここまで辱められるものだ。

 ……だが、これで断らせないぞ、マーガトロイド嬢」

 

「元よりそのつもりよ」

 

 そう告げると、氷室さんはよろしいと答えた。

 だが頬っぺたが赤いせいか、どうにも締まらない。

 少しばかり笑い声を漏らすと、氷室さんは不服そうに私を見て。

 なので私も笑い声を引っ込めて、素直に彼女と向き合った。

 ケロリと何もなかったかのように振舞うと、彼女は軽く息を吐いた後、では、と告げた。

 ここまで寄り道ばかりしていたが、やっとスタートラインに立てたようだ。

 さぁ、ようやくではあるが話し合いを始めよう。

 

「私としては、間桐に由紀香が見える類の人間であると伝えれば、それで問題は解決すると思う。

 現状、怖いもの見たさで近づいて来ている線が濃厚であるし、理解できないものは根源的に恐怖し気になってしまうからな。

 それでも粘着するようであれば、憑かれるぞと脅せば良い」

 

「ここで考えるべきは、間桐くんが何を考えてるかね。

 三枝さんの体質が気になっているのか、それとも他に目的があるのか。

 視野を限定しすぎるのはいけないわ」

 

 私が反駁混じりに言うと、氷室さんは意地の悪い顔をしていた。

 にやりと、わかりやすく悪い笑みを浮かべてみせたのだ。

 

「おやおや、私の推理はあれ程頑なに否定していたというのに」

 

「根に持つのね」

 

「私はプライドがそれなりに高い方だからな」

 

 それはそれは、と肩をすくめる。

 が、それだけ有り得ないと思えた推理? だったので、私としてはそうとしか思えなかっただけだ。

 それが私の思い込みに過ぎないというのならば、それもまた納得できる話ではあるが。

 

「そう、それは悪かったわ」

 

「わざわざ形だけの言葉を寄越してくる辺り、意地の悪さが良く分かるというものだ」

 

 ふんっと、呆れたような氷室さんの言葉に、深読みしすぎていると思う私がいる。

 別にそこまで考えていた訳ではない。

 単なる脊髄反射での返事なのだから。

 

「それで、間桐くんについて他に何か分かるかしら?

 例えば、どんな目で間桐くんが三枝さんを見ていたか、とか」

 

「ふむ、成程」

 

 手を顎に当てて、氷室さんは考え始めた。

 完全に主観の話ではあるが、それでも他人が感じるモノは重要だ。

 それだけでも、傾向が読み取れてしまう事が多々ある。

 なので氷室さんに訊ねたのだ。

 彼女は人間観察が趣味で、だからこそ色んなものを感じ取れていると思ったから。

 するとやっぱり、氷室さんは心当たりがあったようで、神妙な顔でこんな事を言った。

 

「間桐の目は、何かを気にしている風に見えた。

 成程、私が拘っていたのは、つまりはそういうことか」

 

「あぁ、そういうことね」

 

 どうやら氷室さんは、間桐くんの目が真剣だった故に、恋愛ごとに結びつけていたらしい。

 気持ちは分からないではない、私もそういう話が好きなのだから。

 だけれど、今回はその可能性は除外させてもらおう。

 どうにも、それだけと見るには余計な要素が混じりすぎている。

 

「なら、どうしてそんな目をしていたか、という事について考える必要があるわ」

 

 一つ取っ掛りを得たので、ここから更に推測を深めていく。

 どの結論にたどり着くかは分からない、間違えるかもしれない。

 けれども、その場合は思考の流れを遡って、正しい場所からやり直せばいいだけなのだ。

 だから私と氷室さんは、淡々と考えを広げていく。

 

「ふむ、もしや間桐はそういう知識に興味があるというのか?」

 

 少し考えてから、意外そうにぼそりと氷室さんが呟いた。

 彼の家系とその生業を知らなければ、恐らくは意外に見えるのであろう。

 が、彼は魔術師の家系であり、三枝さんのはまた別のお話であるように思える。

 いや、彼にとっては魔術と異能の違いが分かっても、どちらも超常的なものには変わりないのか?

 ……どうにも確証が持てない、中々に難しい問題である。

 人の心は覗けないのだから、こうして考えるしかないのではあるが。

 

「そうかもしれないし、そうでないのかもしれないわ」

 

「あやふやだな」

 

「霧が濃い場所は、どうやっても全てを見渡すことなんてできないもの」

 

「違いないが歯がゆいな」

 

 まぁ、だからこうして推測を重ねている訳で。

 実際、心が覗けてしまったら人間関係は大きく変容するであろう。

 私はそれを望まないし、それでいいと思っている。

 ただ、時折面倒に思うだけで。

 

「結局、間桐が由紀香の見える事に興味があるのか、それとも別のところに興味があるか、だな」

 

「別のところ、に何か考えはある?」

 

 難しそうな顔で俯きながら考えている氷室さんに訊ねると更に顔を顔を顰めて、こめかみをグリグリと解し始めた。

 彼女にとっても、間桐くんの行動の意図は読み取りづらいようだ。

 そうして、私達はウンウンと唸り続ける。

 ある意味、ここまで真剣に男の子のことを考えたのは初めてかもしれない。

 そんな風に思考が逸れてしまうくらいに、答えは見つけづらくて。

 ……そんな中で氷室さんがポツンと言った一言、それが何故だか心に訴えかけるものであった。

 

「見えないものは怖い。

 が、それに憧れる場合も、あるやもしれない」

 

「……三枝さんに、間桐くんが憧れているってことかしら?」

 

 我ながら目を丸くして尋ねると、氷室さんは、いや、妄言だったと首を振るうのみ。

 だが、私の中では、その考えはよく響いていた。

 あながち、間違ってはいないと思えたのだ。

 

「もうちょっと聞かせてくれるかしら?」

 

「ん、妄言だといったのだがな」

 

「良いから」

 

 しつこく食い下がる私に、氷室さんはやれやれと肩を竦め、大したことではないが、と語り始めた。

 本人的には、どうなのだろうと思っている内容である事が、ありありと伝わってくる。

 

「間桐はその嗜好と行動から分かる通り、高みでふんぞり返るのが大好きな人間だ。

 それは恐らく、名家であることから来る選民意識と、自身の能力の高さに依るものが大きいのであろうな。

 だが、奴には一つばかり欠けているものがある」

 

「……他の人にないような、何か特別なもの?」

 

 推察して尋ねると、そうだと頷かれる。

 尤も、彼女としては納得の行く説では無いようであるが。

 

「あの間桐が、自分が欠けてる等と自覚的な意識を持つこと自体がまず有り得ない。

 マーガトロイド嬢が私の恋愛説を否定したように、私もこの説を眉唾だと思っている」

 

 と、最後に氷室さんは締めくくった。

 確かに、おおよそ氷室さんの考えは間違っていないであろう。

 普通に間桐くんを観察した時、彼の自信は傲慢とも取れるのだから。

 

 ――だけど、私は彼女が持っていないパズルのピースを持っている。

 それは間桐くんの家のこと、彼自身のコンプレックスのこと。

 知っていて、彼が気にしていることも分かっている。

 だから私は、聞いた瞬間に反応したのだ。

 

「任せてくれないかしら、氷室さん?」

 

「……本気か?」

 

「本気だし正気よ、私は」

 

 揺るがず惑わず真っ直ぐに告げると、どこか呆れたような顔をして氷室さんは私を見ていた。

 何を馬鹿な、とでも思っているのだろう。

 でも、だけれど、だからこそだ。

 

「そういう訳で、私に任せてくれないかしら?」

 

「……好きにすればいい。

 だが、失敗したら私が後詰で行動する。

 これで良いかな?」

 

「問題ないわ、至極当然の判断ね」

 

 そうして、私は間桐くんに話を聞くことになったのだ。

 きっと、彼は鬱陶しがるだろう。

 けれど、話さずにはいられないだろうと、そう確信にも似た感覚を覚えながら。

 私は屋上を後にした。

 藪の中から出てくるのは何であるのか、蛇か鬼か、それとも……。

 ぼんやりと考えながら、私は彼へと会いに行ったのであった。

 

 

 

 

 

 そしてこれは、間桐くんから話を聞いた翌日のことである。

 

「解決したわ」

 

「……本当に、そうだったというのか」

 

 何時もの放課後、屋上にて。

 部活を放って私に結果を聴きに来た氷室さんの顔は、正に愕然と呼べるものであった。

 どうにも、私の想像以上に氷室さんは驚いている。

 間桐くんをも観察してきた自分に、ちょっとした驚きを感じずにはいられないのか。

 それとも、自分の観察眼が思ったよりも低かったと感じてしまったのか。

 どちらにせよ今回の件、私は彼女の想像を上回ることに成功したらしい。

 

「情報量が違うもの、たまたま私の方が彼の意外な一面を知っていただけよ」

 

 かつて、夜の公園で乱暴される程度には、だけれど。

 あまり嬉しくない記憶の断片を振り払いつつ、私はきっちりと氷室さんに報告したのだ。

 これにて、事件は解決したと。

 

「……何だか、釈然としないオチだ」

 

「現実ってそういうものよ」

 

 不服そうな氷室さん、余程意外で納得がいかないのか。

 そんな様子を私はクツクツと笑っていた。

 悔しそうな氷室さんの顔が、思ったよりもクセになりそうだから。

 でも、そんな私を見て、何を思ったのか急に目を見開いた氷室さん。

 まさか、とか、いや、しかし、などの戸惑った反応が見られる。

 もしかしなくても、変な方向に思考を持って行っている様な気がする。

 思わず胡乱気な目をしてしまう私だったが、それは脆くもすぐに崩れ去ることになる。

 氷室さんの、あまりに酷いトンチキ推理によってだ。

 

「もしかすると、マーガトロイド嬢は間桐と深い付き合いがあるのか?」

 

「……は?」

 

 呆然とした顔をしていたと思う。

 あまりの突飛さに、目が点にすらなっていただろう。

 しかし、氷室さんにあっては至って本気らしい。

 

「でなければ、あの間桐慎二が転向などするはずがない!」

 

「どれだけなの、間桐くんは……」

 

 ある意味、そこまでの信頼を間桐くんは得ているというのだから、それはそれですごいのであろうか。

 あいも変わらず、想像力逞しい。

 だから私は、きっぱりと告げる。

 

「違うわ、微塵もそんな事はないもの」

 

 ただ、ほんのちょっとだけ、他の人が知らない彼を知っているだけ。

 彼の半分も理解してないし、知ろうとする積極性もない。

 

「そんな事より、氷室さんの隣に立つ男性は誰が似合うのか、そんな遊びでもしましょう?」

 

「ふむ、興味深くはあるが、それよりも間桐との関係を聞かせて欲しいものだな」

 

「そうね、じゃあ最初に氷室さんの隣に間桐くんを据えてみましょうか」

 

 彼女の言を一切聞こえないふりをして、私は言葉を紡いでいく。

 そんな気など、一切合切存在しないと証明するように。

 結局、そんな意味のない時間を過ごした一時。

 屋上で私と氷室さんの、つまらない喧騒が響く。

 でも、多分それも私は楽しんでいるんだろ思う。

 だって氷室さんは笑っているし、私の口も弧を描いている。

 それはちょっぴり、素敵なことだって思うのだった。

 

 

 

 ――そんな事があったこの時より、間桐くんと話すことがあれば、氷室さんが意味深に笑う事となっていた。

 正直に言うと面倒くさい。

 なので、そのうち柳洞くん辺りと組み合わせて、存分にからかってやろうと決意する。

 人を呪わば穴二つ、実に素晴らしい日本語であろう。

 それをその内、氷室さんには存分に味わって頂こう。

 そんなどうでも良い決意をした出来事であった。




露骨に飛ばされたワカメ兄さんとの会話。
という訳で、次回はワカメ兄さん回です。
やりましたね兄さん、出番が増えますよ!(桜並感)

というか今回、氷室さん回と言い張るにはパンチが足りなさ過ぎます……。
どうでも良い話ですが、この話で一番ノリノリで書けた箇所はアリスが氷室さんの頬っぺたをツンツンしているところでした。
なんか和んで、ヤバイずっと続けたいとか思っていたところです。


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番外編 冬木の街の風祝 上

皆様、明けましておめでとう御座います!
今年も是非宜しくお願いします!!

という訳で、義理立て程度に番外編を投下。
案の定長くなったので、上下に分割するの巻。
これも全部、東風谷早苗とかいう美少女がいけないのです(真顔)。
題名はアレですが、別に早苗さんが冬木市に永住するとかそんな訳はないです。
というか早苗さん便利すぎて、何度も出してしまう不具合。
なんでや、この作品はFateやのに……。

※なお、何時もの荒い深夜行軍作品なので、結構ガバガバだと思います(言い訳)。


 一月一日、新年の始まり。

 欧州ではハッピーニューイヤーと各地で喝采され、日本でもまた新年明けましておめでとうございますと挨拶が飛び交う。

 皆が新しい年の到来を祝う中で、ある場所でも寿ぎの言葉を述べられていた。

 

「神奈子様、諏訪子様、新年明けましておめでとうございます。

 何卒、今年もよろしくお願いします」

 

「うむ、今年も息災であるよう努めよ」

 

「はいはい、今年もよろしくー早苗」

 

 頭を下げて二柱に平伏する少女、東風谷早苗は毎年の年始の始まりの挨拶を、今年も欠かす事なく行っていた。

 彼女の信仰心の高さ、真面目な性格が後押しをして、毎年しなければ落ち着かないとかなんとか。

 二柱も己の風祝の勤勉さを喜びつつ、無性に甘やかしたくなる衝動に抗っているところである。

 これとて毎年のこと、格式張った守矢神社での日々の一ページ。

 けれども、真面目なのはココまで。

 なにせ冬、凍てつく空気の冷たさは、何にも代え難き苦痛であるのだ。

 そんな中で、可愛い自らの風祝を我慢させるなど、親バカじみたところがある二柱には不可能なことであった。

 だから新年の挨拶も、直ぐに炬燵に潜り込めるように居間で行う始末。

 それを怒るものなど、この場の何処にも居ないのであるから問題はないのだろうが。

 

「ほら早苗、早くおこたの中に入りよ。

 あ、みかんもほら!」

 

「慌てるな諏訪子、炬燵は逃げも隠れもせん」

 

「いいや、私は慌ててる訳じゃないよ。

 ただ単に急いでるだけさ。

 さっきまでおこたに入ってたからか、どうにも寒くて適わないからね」

 

「年の瀬早々詭弁を並べよってからに。

 少しは耐えろ、神が醜態を晒しては下に示しがつかん」

 

「大丈夫さ神奈子、既に手遅れだから」

 

「お前という奴は……」

 

 そんな守矢神社の面々は、年を跨いで新年を迎えても一向に変わることがない。

 時計がチクタクと針を刻む前からこの土地に居着いてるだけあって、何度も迎えた瞬間に他ならないから。

 洩矢の神ジョークの中に、土着のプロ、なんて言葉を作るくらいには長くこの場所に腰を据えている。

 ただ唯一言えることは、早苗と共に過ごす正月は、二柱にとって何物にも代用不能なひと時であるということ。

 敬意を持って面倒を見てくれて、神様の事が大好きときている。

 ここまで来ると、本気で可愛くて仕方がなくなってしまうのが親心ならぬ神心と言えようか。

 それこそ、孫が可愛くて仕方がない祖父母の如き溺愛ぶり。

 嫁に出すことになろうものならば、相手の人物は神々のお眼鏡に叶うように相応に鍛えられる事になるだろう……血も、少々は流れるやもしれない。

 尤も、その可愛い風祝本人は、大好きで親愛なる人形師の友人にお熱であって、ご両神たる諏訪子も神奈子もどこか心配しているのである……非生産的な意味合いで。

 

 だが当の人形師は、文を交わす事があっても、直接会う機会は少ない。

 これで毎日でも会えたなら、スキスキ大好きなんてオーラを撒き散らして放課後辺りに守矢神社に拉致しかねないから、これで丁度良い距離感なのであろう。

 

「さて、じゃあ紅白でも見ましょうかね。

 誰がいるのか、楽しみだねぇ」

 

「さて、誰がいるか。

 私としては、小林幸子がいるので一定には満足しているが」

 

「神奈子好きだもんねぇ」

 

 人形師がいなくても守矢神社は廻る。

 むしろ居ることの方が少ないのだが。

 それこそが、この場にいる者達の日常に相違ないから問題はない。

 少々寂しい思いをしている少女も、明るい神達の遣り取りに頬を和らげる。

 故に平和で、今年もつつがなく正月が訪れ、何時もの様に雑煮をもっちゃもっちゃと食べるのだろう。

 

 概ね、二柱はそう考えていたし、早苗も大筋そうなるだろうな、と思っていた。

 今年も始まりは平和でのんびり、緩やかに流れていくと予測していたのだ。

 なので多少不健全でも、正月はやや無礼講じみたダラけ空間が形成される。

 参拝客はご老人を含めて少々な為、何時もの巫女服にどてらを羽織るというスタイルで毎年職務に励んでいる早苗は、実質的に開店休業的な日々を過ごす。

 神社の経営的には大変宜しくないが、二柱が長期に渡って居着いたお陰で、神社の劣化は非常に緩やか。

 補修費用は殆ど要らないのが、この神社の経営を成り立たせているポイントである。

 何であの神社まだ存続してるんだろう、とか影で思われているが、早苗的には守矢家の歴史は神話です! と意味不明な回答をするばかりで、異常に気づいても頭を傾げるしかないのが現状だ。

 流石は守矢家、やっぱり変態である。

 

 と、それはさて置いて。

 今年も平和につつがなく、それこそが幸せな停滞であると言わんばかりの守矢家であったが、それに異を唱える風雲急を告げる出来事は直ぐそこまで迫っていた。

 つまりはそれは……、

 

『東風谷早苗様へ

 この度は明けましてオメデトウございます。

 今年もどうか、何卒宜しくお願いします。

 

 

 ……で、良かったのかしら?

 気の利いたことを書けなくて悪いわね。

 けど、今年も宜しくしたいのは事実よ。

 年賀状の作法なんて私は理解してないからこそ、唯々本音を書いたわ。

 また、私の方からじきに会いにいくから。

 もしよければ、貴女の側から会いに来てくれるのも一興かもね。

 来てくれるのなら歓迎するわ、その時はこっちで遊びに行きましょう。

 まぁ、言ってみるだけ言ってみただけなのだけれど。

 それでは、これにて筆を置くわ。

 貴女に良き日々が続きますように。

                           アリス・マーガトロイドより』

 

 

 

 ただ一つの葉書き、日本の文化たる年賀状のそれであった。

 その文字が綴られたものこそが、嵐を巻き起こす為のキーアイテム。

 これを読んだ時、早苗はこう叫んだのだから。

 

「こ、ここここれは素晴らしい発想です!

 そうです、アリスさんが日本にいても、自分から会いに行けば良いんじゃないですか!!」

 

 神社から離れることをあまり考えていなかった早苗らしく、その事には気が付いていなかったらしい。

 早苗には神社の管理がある為、早々にはここから離れられないのだ。

 正気に戻った早苗がそれに気がつき、考える人の如くに苦悩する姿が神社で見られるようになったのは余談である。

 哀れんだ二柱の慈悲により、今年ばかりは己の責務から早苗は解放された。

 非常に泣く泣くであるが、二柱は早苗を送り出したのだ。

 心で、アリスに僅かな呪詛の言葉を投げつけながら、ではあったが。

 

 ……こうして、東風谷早苗の冬木への冒険が始まった。

 彼女の気分は、魔王に幽閉されたお姫様のアリス姫を助けに行く王子の心象であったと、ここに追記しておく。

 

「待っててくださいね、アリスさん!」

 

 フンス、と鼻息荒くしての出立。

 二柱がハンカチを振りながら見送ったのは、半ば出兵する子供を見送る親の心境だったのかもしれない。

 そしてその頃……、

 

 

「……何かしらね」

 

「ん、どうしたのアリス」

 

 遠坂邸で、餅をチョコに付けて食べるなどの暴挙に勤しんでいたアリスに、ふと予感が襲ってきたのだ。

 彼女の目が、脳に信号を送ってる。

 即ち――嵐の前日であるのだと。

 

「いえ、戸締り補強はしっかりしなきゃダメねって感じただけよ」

 

「唐突ね、しかも意味不明と来てるわ」

 

「そうね、私も自分の言ってることが分かってないもの」

 

 はぁ? と訝しんでいる凛に対して、アリスはさて、と少しばかり考える。

 何が起こるのか、もしくは迫っているのかと。

 

「……まさか、ね」

 

 小さく、凛に聞こえない程度に呟く。

 ふと過ぎった、元気印な顔が何故だか心によく響いた。

 でも、本当に彼女がここに来ようとしているのなら……。

 

 そこまで想像して、自然と微笑んでいる事に気がつく。

 頭とお腹が痛くなるだろうけれど、その分楽しさだって負けてはいないだろうから。

 成程と納得したところで、気味悪げに見ている凛に、アリスはこんな提案をした。

 

「どう? 凛もいるかしら?」

 

「結構よ」

 

 スっと、チョコまみれになった餅を凛に差し出すが、即座に拒否される。

 考える余地もなく、凛の中ではギルティだったのだ。

 

「……そう、残念ね」

 

 自業自得ながら、アリスは今苦しんでいた。

 どうしてこんな暴挙に出たのかと、少し前の自分を罵りながら、彼女は餅を口に運んでいく。

 ……それは甘くて、餅独特の甘みと絡み合って、不可思議な味を構築していた。

 なんとも言い難き、不味くはないが……を地で行くお味。

 自然とそっちに集中して、アリスはさっきまで考えていた事を頭の片隅に忘却していく。

 この事を思い出すのは、ほんのもう少し後のことであった。

 

 

 

 

 

「ここですね、アリスさんが住まう街は……」

 

 感慨深げに、私は呟いてしまう。

 だってこの街にはアリスさんがいて、私はそこに立っている。

 それだけで震えてしまうし、震えに伴ってワクワクと喜びが増幅していく。

 新たなる新天地を目指す、開拓者の気持ち。

 それを心のピンで止めて、私は歩きましょう。

 目指す場所はただ一つ、そこに向けて着実に。

 

 手紙と地図の場所から、大体場所はわかっている。

 冬木市深山町、そこの遠坂さんのお宅にアリスさんは居らっしゃる。

 ならば後は、愚直にその場所目指して歩くのみ!

 

「アリスさん、今行きます!」

 

 ちょっとした決意の様に呟いて、私は駅を飛び出しました。

 この先に、きっと目指している場所があると信じて。

 

 

 そうして私はアリスさんの下に、一直線へと――

 

 

「……ここは、どこでしょうか?」

 

 ……一直線へと、たどり着く事が出来ませんでした。

 何故ここにいるのか、それすらさっぱり分かりません。

 今いる場所、清廉さを纏った教会の前で候う、です。

 本当に、どうしてこうなったのかが分かりません。

 流石の私も、この状況には少々困ってしまっていました。

 

 でも、私には既に決めていることがあります。

 何かと言えば、至極簡単なこと。

 それは目の前にあるこの教会、ここには一切頼らない事。

 何が一神教ですか、実家に帰るがいいです。

 神奈子様も、敵には容赦するなと言ってました。

 つまりは回れ右しろということです。

 という訳で、私はUターンして、坂道からオサラバと相成りました。

 全く、こんな街を見渡せる場所に教会があるなど、この街は教会にでも牛耳られてるというのでしょうか?

 もしそうならば、あまり愉快とは言えません。

 

 そんな事を考えながら、私は坂道を降りて行きます。

 教会が高い所にあるせいか、寒さも嫌に感じられて、足は自然と早くなっていき。

 ……そして、私は足を止めました。

 目の前に、何だか背の高い男の人がいて、良く分からないけれど威圧されたような感覚に陥ったから。

 思わず足を止めてしまうと、背の高い男の人も私に反応して、こんな質問を投げてきました。

 

「おや、お嬢さん、もしや我が教会に何か御用でしたかな?」

 

 薄らと笑いを浮かべた男の人は、黒いカソックを着ていて。

 商売敵だって分かるのに、咄嗟に体が反応しませんでした。

 ……何故ならば、彼からは不浄な気配を感じたから。

 不味いものに憑かれていて、その影が私を哂っている気がしたのです。

 

「ん、どうかしたかな?」

 

「いえ、その……」

 

 その瞬間には、商売敵がどうとかなど頭の中から吹き飛んでいて。

 それよりも、一つの心配の方が、私の中で大きくなっていました。

 

「何かな?」

 

「あなたの、その、体で飼っているもの。

 ……それは大丈夫なのですか?」

 

 我ながらおっかなびっくりにも程がある。

 そんな情けなさを抱えながら、恐る恐る尋ねたのです。

 すると、男の人は少し面白そうな顔をしながら、逆にこう訊いてきました。

 

「お嬢さん、貴女には私に何が憑いているのか、見えるのですかな?」

 

「気配を感じる、程度ですが」

 

 そう告げると、ほぅ、などと彼は感心したように声を漏らして。

 彼は、自覚してそれを飼っているのだと、私はようやく理解できました。

 尤も、なぜそんな危ない気配のものを飼っているかなど、全く理解できないのですが。

 

「ではお嬢さん、もう一つばかり質問をさせて頂きたい」

 

「はい、どうぞ……」

 

 この人から少し怖いものを感じながらも、私は頷きました。

 私からも、一つだけ聞きたいことがありましたから。

 

「お嬢さんの目から見て、感じて、私のそれはどう思いましたかな?」

 

 だけれど、彼の質問はやや意地悪く感じて。

 だって私は最初に、不浄の気配と言いました。

 それなのにもう一度言えということは、別の答えを求めていることに他ならず。

 もっと率直に伝えろと、私には理解できたからです。

 

「……貴方から感じるそれは」

 

 けれど、なんとか答えようと努力はしましょう。

 自分からも求めようとしているなら、応答するのは礼儀とも言えるのですから。

 

「黒くて、濃い、心に巣食うモノ。

 普通の人なら、触っただけでどうにかなってしまいそうです。

 貴方がそんな物を止めていられるのは……」

 

 きっと、絶望的なまでに相性がいいから。

 つまり貴方は……。

 そこで、考えるのを強制的に止めてしまいました。

 全てを言おうかと考えましたけれど、それを言うと言葉に魂が宿ってしまいそうだから。

 今相対している人が、そんな怖い人だとは考えたくありませんでしたから。

 だから私は、そこで物を言うのも、考えるのも止めてしまって。

 この時、私は確かに怖いと、そう感じていたのです。

 だからこそ、

 

 ――そんな私を見て、哂っている目の前の人が、何よりも怖い。

 

 背中が冷えて、手が震える。

 全てが寒さのせいでないことを、私は理解しまって。

 私の言葉に、何か満足そうなものを感じているようにも見えたから。

 

「私からも一つ」

 

 だけれど、だからこそかもしれませんが。

 そんな中で、私は言葉を絞ります。

 正体不明の鼓動を感じて、それが分からないと余計に怖いと思って。

 

「貴方の飼っているそれ、妖怪か何かの類ですか?」

 

 聞いてしまう、聞かずにはいられない。

 そしてもし悪い答えが返ってくるなら、私は容赦なく戦うことを選ぶでしょう。

 守谷が秘めし神理の力、私の未熟さを持っても大きさ余るもの。

 それを行使して、私は力を振るいます。

 だからできるだけ強い目をして、私は睨む様に黒い男の人を見上げました。

 

 ――すると、彼は微笑んで。

 

 こんな状況でそんな表情ができることに、やっぱりこの人は悪い人だと確信させられます。

 あまりにも堂々としている辺り、かなりの大物かもしれません。

 だから私は、バッグの中に手を突っ込んで。

 お祓い棒を手にしたその時、彼はサラリと告げたのです。

 

「なに、これは生まれられなかった赤ん坊の怨念だよ」

 

「赤ん坊?」

 

「あぁ、そうだ」

 

 一瞬、彼が告げた言葉の意味が良く分かりませんでした。

 赤ん坊? 貴方のそれが?

 言葉を理解した時、思わず乾いた笑いすら浮かべてしまいそうになって。

 よくもそんな分かりやすい嘘をと、好戦的に私はなって。

 そうして、顔を上げて彼を見た私は……次の瞬間、言葉を失ってしまう。

 

 ――だって彼の顔、嘘の欠片も見えなかったから。

 

 本当に真実を心から告げていると、その表情だけで読み取れて。

 私から、戦意も何もが抜け落ちてしまう。

 ……こんな人、本当にいるんですね、と妙な関心と共に。

 

「分かりました、そういう事にしておきます。

 では、そろそろ私は行こうと思いますので」

 

 聞くだけ聞いて、私は足早にここから去ろうと思いました。

 この人と私は、きっと相性が悪いでしょうから。

 だから出来るだけ急いで立ち去ろうとしたのですが……。

 

「待ち給え、お嬢さん、最初にここに来た訳をまだ聞いていない」

 

「……道に、迷いまして」

 

 聞かれたから反射的に、私は答えてしまっていました。

 それだけの凄みのような物を、この神父さんは持っていたからです。

 

「行き先は?」

 

「深山町の住宅街の方です」

 

 スルりと心の隙間に入られるように、弱ったところでそう訊かれて。

 私もポロリと漏らしてしまって。

 流石は聖職者さん、と異教の技術に戦慄させられるのでした。

 

「ならば、駅前のバスを使うと良い。

 バスが大橋から冬木市に運んでくれる」

 

「はい、ありがとうございます」

 

 神父さんはそれだけ聞くと、そのまま上の教会へ歩いて行ってしまいました。

 きっと悪い人でどうしようもない人だと思いますが、その分真面目さで社会に溶け込んでいるのでしょう。

 そう考えて、私は彼を危ない人から、危ない真面目な人へと評価を上げることにしました。

 さて、では忠告に従って行くとしましょう。

 

 ……ところで、結局私は神父さんに頼ってしまったのでしょうか?

 うーん、と悩みながら私は駅へと向かっていきます。

 そしてバスに乗る頃には、私は神父さんに強迫されたのだと結論づけて、納得をしました。

 あんな怖い気配、有無を言わせない雰囲気はそうですよね、うん。

 そんな心理的決着を付けて、私はバスに揺られてユラりと行きます。

 

 今度こそ、待っていてくださいね、アリスさん!

 

 

 

 

 

 という訳で、どんぶらこと流される桃のごとく。

 バスに揺られて出発進行……しようとしたのですが。

 

『おーい、まぁちぃやぁがぁれぇーーーーーーー!!!』

 

 そんな声が、どこからか聞こえてきて。

 バスの中でも気付いてる人と気付いてない人がいますが、気が付いてる人はキョロキョロと辺りを見回します。

 私もその中の一人、外から聞こえる声に、キョロキョロと見回して。

 でも声が段々と小さくなっていく事に気がついたので、後ろに振り向きました。

 幸い一番後ろの席に座っていたので、直ぐに振り返れたのです。

 そうして、私が見えてしまったのものは……。

 

『待てやゴラァァァァァ!!!』

 

 恐ろしい形相をして、鼻水と涙で彩られた日焼けが眩い女の子の姿。

 とてもじゃないですが、見てられないものがあります。

 

 次のバスを待ちましょうよ!

 どうして追いつこうとしているのですか!!

 そう言ってあげたいです、女の子がして良い顔をしてませんから。

 敢えて言うならば彼女は人にあらず、一匹の疾駆する獣なのです。

 

「運転手さん、向こうからバスを追いかけてきている人がいますよ?」

 

 そのあまりの有様に見るに耐えず、私は運転手の人にそう告げて。

 バックミラーを見てドン引きしていた運転手さんを宥めながら、ギリギリまで彼女を待ってもらいました。

 あまりにあんまりですしね、仕方ないですね。

 

 そうして待っているバスに、全力で走っていた彼女は直ぐに追いついてきて。

 全力ダッシュの真髄ここに極まれり、大会に出ればかなりの上位に食い込めそうな程の健脚。

 表情が凛々しければ見惚れたかもしれないそれは、ただ寒さと必死さに塗れる彼女の全力さの前に脆くも崩れ去ってしまいました。

 何が彼女にそこまでさせるのか、全く持って分かりませんがその懸命さだけは理解できます。

 頑張って何かをする、そういうのは私大好きですから。

 

 そんな懸命な彼女は、あっという間にこのバスへと追いついて。

 十五秒も待っていた気はしません。

 必死さ目立つ彼女は、転げるようにこのバスへと乗り込んできたのでした。

 

「ハァハァ、な、何とか、なった、ぜ…………」

 

 乗り込んだ途端、満身創痍、乾坤一擲を掛けた後の如き惨状の女の子。

 妙に、やりきったぜと言わんばかりの表情が光ってました。

 そこまでして彼女が何を得たのか、私には分かりかねます。

 でも、彼女が納得しているならそれで良いか、とも思いました。

 

「お疲れ様です、ビックリするくらいに速かったですね」

 

 ただ、その頑張り屋な人に、興味が俄かに湧いてきて。

 私はバスの中でなら、と話しかけていたのです。

 振り向いた彼女は、億劫げでしたがどこか得意げな顔をしていました。

 

「おう、この穂群原学園の黒豹の渾名は伊達じゃないからな。

 ラン&ランで私に付いてこれる奴は、そうそういないってな!」

 

「おぉ、それはすごいです!」

 

 渾名、二つ名、何とも心擽られるフレーズ。

 私も何か欲しいです、例えば”祝祭の風祝”だとか、”守矢千年の守り手”とか。

 ”ミラクル早苗ちゃん”も捨てがたいですけどね!

 

「名が知られた選手さんなのですね」

 

「ヘヘヘ、そう褒めるなよ」

 

 話してみるととても素直な方の様で、直ぐに笑顔を浮かべられました。

 そういう方は話しやすくて、私的には大変宜しいです。

 勿論、一番良いのはアリスさんなんですけどね!

 

「にしても、お前見ない顔だな。

 高校とか、どこ行ってるんだ?」

 

「私他所から来たんです。

 今日は友達と一緒に遊んだりしようと思って」

 

「あー、道理で」

 

 どこか納得したように呟く彼女に、私は小首を傾げてしまいました。

 だって大抵の場合、初めて見る人や覚えてない人が殆どでしょうから。

 だから不思議に思って、なんでと思ってしまったのです。

 けど私は分かりやすかったのか、彼女は聞くより早く答えてくれたのです。

 

「お前、何か目立ちそうな外見してるじゃん?

 ゴージャスって感じじゃないけど、デリシャスみたいな?」

 

「私は食べ物か何かですか?」

 

「え、褒めたつもりなんだけどなぁ」

 

 あれ、私の英語力、低すぎ? と呟く彼女はどこか味のある表情をしていました。

 かぼちゃの煮物に、醤油をドバドバ掛けたような。

 

「ところでですが」

 

「何だよ」

 

 あまりに不毛な気がしたので、デリシャス云々は横に置いておきましょうそうしよう。

 そういう訳で、私の脳内議会(マスコットはミニアリスさん)で全会一致で通り、先程から気になっていることを聞くことにしました。

 まぁ、つまりはですが。

 

「貴方はどうしてあんなにも懸命に走っていたんですか?」

 

「はい?」

 

「次のバスを待っておけば良かったじゃないですか。

 だから、どうしてかなって思って」

 

 そう尋ねると、彼女は顎に手を当てて考え始めてしまいました。

 理屈ではない何かに突き動かされての行動だったのでしょうか?

 もしそうならば、それはそれでびっくり箱のような人だと思いますが。

 

 数秒して、彼女は口を開きました。

 何故か先ほどと同じ得意げな顔をして、こんなことを告げたのです。

 

「まあ私ほどの玄人になるとだな、こうしゅぱっと感覚が頭に囁くんだよ。

 お前、今走ればヒーローになれるぞってな」

 

「女の子なのにヒーローなのですか」

 

 この人の英会話力は、結構まずい域にあるのかもしれません。

 とまあ、そんなことはさて置いて。

 成程、脳内が囁いてくる。

 ……えぇ、その感覚、分かります。

 正しく典型とも言える感触です。

 

「一流はやっぱり違いますね!」

 

「はっはーっ、お前見る目あるね!」

 

 そう言って私達は互いに肩をポンポンと叩き合います。

 何だろうこの一体感、着実に風が吹いているような気がします、私達の方に。

 

「よっし、じゃあ今日は私がたい焼きを奢ってしんぜよう」

 

 ところどころ調子に乗ってますが、中々に気前も良いです。

 有難い申し出に笑みが溢れそうになりますが、しかしです!

 

「申し訳ありませんが、今日は用事がありますので」

 

「例の友達って奴に会いに行くんだろ?

 別にそんくらい寄り道したって、罰は当たらない当たらない」

 

「いえ、単純に私が早く会いたいだけなんです」

 

 アリスさん、あぁ、アリスさん!

 貴女の友である東風谷早苗は、すぐ傍まで迫っています。

 再開の鐘の音は、もうすぐ鳴り響こうとしているのです!

 

「……ぃ、おい!」

 

「へ?」

 

「おぉ、戻ってきたか」

 

「あ、済みません」

 

 どうにも最近アリスさんに会えていなかったせいか、アリスニウム(アリスさんと一緒に居たり手紙でやり取りするで摂取が可能。美容に良い……気がします)が足りておらず、こうして意識を飛ばしてしまうことがたまにあります。

 主にアリスさんの事を深く考えすぎたりした時とか。

 

「えーと、まぁ取り敢えずだ。

 お前はその友達が好きで好きで仕方ないから、わざわざ会いに来たってことなのか?」

 

「はいっ、その通りです!」

 

 即座に肯定すると、目の前の人はどこか呆れた顔をしていました。

 何故でしょう、全く持って解せません。

 

「何ですか?」

 

「もしかしたら男か?」

 

「は?」

 

 アリスさんが男?

 男、男の娘、それがアリスさん……じゅるり。

 

「い、いけない、それ以上考えてはダメです、早苗っ」

 

「お、おい、どうしたんだよ?」

 

「何でもありません、何でもないんです!!」

 

「お、おう」

 

 引き気味に答える彼女に、私は軽く深呼吸をします。

 どうにも浮つきすぎている感がありますので。

 そうして何度か吸って吐いてを繰り返して、ようやく落ち着けて。

 

「そういえばなのですが」

 

 貴女の名前は、と聞こうとしたところで、丁度バスが停車しました。

 よく見てみれば、ここが私の降りようとしていたバス停。

 乗る前に地図でしっかりと確認したのだから、間違いはありません。

 

「あ、ゴメンなさい、ここで失礼します!」

 

「え、あっ、おい!」

 

 呼び掛ける彼女の声を背に、私はそのまま小銭を投げて、バスを飛び降りました。

 そして降りてからバスを見上げると、どこか憤然とした彼女が窓から私を見ています。

 はえーんだよ馬鹿、とでも言いたげな視線が突き刺さって、こうなんとも言い難い痛さを孕ませてくるのです。

 でも、一々気にしていては始まりません。

 全ては、アリスさんに会うがためなのです!

 だから私は、手を振って彼女とバスを見送ります。

 また会う日、縁が合えばというやつですね。

 すると彼女は、やはり呆れた表情をしてから、私に手を振り返して頂けました。

 ならばきっとまた、何時か出会える機会もあるでしょう。

 

 そういう訳で、私は歩き始めました。

 アリスさんアリスさん、貴方はどこにいるのでしょうか?

 できれば私に姿を見せて、でなきゃ私は泣いちゃいます。

 ……なんて、迷惑かけそうな想像をしながら歩いて。

 

 どこに道がつながっていて、どう通ればたどり着くの?

 運命で道は舗装されているのよ、という答えが是非とも欲しいものですが、中々に上手くいかないのが世の中の常。

 なんて非情な問答を頭で繰り広げたりして。

 私はさまよい歩いていた……そんな時のことです。

 

 ――ほんの道にそれた脇道に、神社があったのです。

 

 どうしてこんなところに? 洋館がひしめくこの一帯で?

 教会なら理解できるのに、これは正しく不可解でした。

 謎が謎を呼ぶ、とはこのことでしょう。

 なので、私はその寂れた神社に足を踏み入れて。

 そして、そこで、

 

 ――神の御使いを、見たのです。

 

 純白の白と、活力漲る赤の衣服、つまりは巫女服に身を包んだ人が、そこにはいました。

 しかして、その人物の容貌は金髪碧眼、絵に描いたような欧州美人。

 とても可愛く綺麗な人形が、独りでに動いてるかの様な錯覚すら得ることが出来て。

 

 顔を上げた彼女を見て、私は自然と走り出していたました。

 そうせざる得ない事情があったのです。

 だって、その人は……。

 

「アリスさん、愛に参りました!

 東風谷早苗ですーーーーーっ!!!」

 

 勢い良く私はアリスさんに抱きつきました。

 驚いた顔が印象的で、何時までも見つめていたい蒼の瞳は澄んでいて。

 でも、それよりも、アリスさんを体温で感じたかったから。

 私は抱きつくことを選んだのです。

 

 行き成りでしたが、アリスさんは私をしっかりと受け止めてくれて。

 驚いた表情は、何時もの涼やかだけれど暖かな微笑へと変わっていました。

 そして……、

 

「よく来たわね、早苗。

 いらっしゃい、歓迎するわ。

 ようこそ、冬木市へ」

 

 暖かな言葉と共に、私はアリスさんの体温を感じることができました。

 寒空の下に在っただけに、お互いに体は冷たかったですが、それよりも心が、とっても暖かく感じました。

 

 アリスさん、貴女を感じれて、私は今幸せです。




遠坂神社、アルバイト、巫女服。
大体こんな感じなアリスさん。
結局チョコなお餅は全て食べてしまった模様。
何度も口直しに紅茶を飲みまくっていました。

因みに次回も割かしテケトーで行きます。
早苗さんが正気に戻ると、巫女服にあっているアリスさんに妙に腹が立ってくる何か。
夏には自分の服を着てきゃっきゃと楽しんでいたのに、今身に包んでいる別のもの。
それが妙に悲しくて、同じ神社なら私の服を着て欲しいと感じてしまう早苗さん。
ムラムラ……じゃなかった、イライラしてしまうのです。
という訳で、次あたりにバイト先の店主である凛に、拗ねてから見に行くのかも、ですです。

追記:続きは6日まで待ってくださいね!











……間に合いそうにないので、10日まで猶予をください(1月6日の追記)。


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番外編 冬木の街の風祝 中

何か言いたいことがあるのですか?
中? 下じゃなくてって?

……聞こえないですなあ(白目)。


 私の腕の中に、早苗がいる。

 急に現れて、目を丸くしていた私の腕の中に満面の笑みで飛び込んできたのだ。

 何かが起こる予感はあったけれど、それがまさか早苗が引き起こすとはあまり想像していなかった。

 けど、それは嬉しい予想外であるので、私としては大変嬉しいのだけれど。

 わざわざ会いに来てくれたいじらしさとか、私の中で笑顔でいてくれる愛らしさとか、そういうものが心に響く。

 きっと私が送った年賀状を意識してくれたのだと、少し考えれば直ぐに分かったのだから。

 

「フフ」

 

 だから嬉しくて、つい彼女の頭を撫でてしまう。

 キチンと手入れされた彼女の髪は艶良く流れる様で、手触りがとても良い。

 何時までも触っていたくなる感触、ここに早苗がいると分かりやすく実感できる。

 とまあ、そんな私と早苗の戯れに、

 

「あんた、それ誰?」

 

 呆れた声が掛けられたのは、ある種の予定調和だったのかもしれない。

 私の後方から掛けられたのは、よく通る透き通った張りのある声。

 ……その正体は、この神社の持ち主である凛の声である。

 

「友達」

 

「仲の宜しいこと」

 

 問答無用で容赦なく、本気で呆れられている。

 何を考えているのあんた、と言わんばかりに。

 けど、こういうのが女子同士のスキンシップだと私は思うのだ。

 凛は隙無く、そういうところは晒さないけれど。

 

「……あの、アリスさん。

 こちらの方は?」

 

 早苗を抱えながら凛と会話していると、どこか警戒気味の早苗の声が聞こえてきた。

 腕の中を見れば、どこか不審そうに膨れている早苗。

 表情には誰? という疑問と、仲良さげですね、という何だか不満そうな視線の組み合わせ。

 私は膨らんでいた早苗のほっぺを指で一突きし萎ませてから、互いのことを端的に紹介する。

 

「遠坂凛、私の友達でホームステイ先の大家でもあるわね。

 こっちは東風谷早苗、私が旅行先で仲良くなった子ね。

 よく手紙のやり取りをしてるでしょう?」

 

「あー、文通の子ね」

 

 早苗は貴女が、と小さく呟き凛をじっと見て、凛の方はへぇ、この娘が、と早苗ときっちり目を合わせて彼女を観察していた。

 私越しに、二人は視線を交わし合う。

 静かだけれど何故だか張り詰めた、緊張感すら感じられる空気。

 何を互いに読み取ろうとしているのか、微妙に察することが難しい。

 でも、あえて形容するならば、それは興味と牽制が入り混じったものだと言えるだろうか。

 

 凛からすれば、早苗がどういう娘なのかを見極めようとしており、早苗からすると凛は知らない私の友達ということであり、それだけで警戒に値するのであろう。

 なんて訳で、二人は視線を交わし合う。

 ともすれば、それはお見合いの風景にも似ていたのかもしれない。

 二人の真剣さがそれだけのものであり、私が介入しづらい空気も生成されていた。

 だから訪れるは必然たる沈黙、誰もが黙して語らぬ場。

 第三者が居れば、居た堪れなくなることは確実であろう。

 そんな静寂が支配する私達であったが……。

 

「貴方、アリスのこと好き?」

 

「っ、はいっ! それはもう三度のご飯よりもです!!」

 

 凛が急にそんな質問を投げかけ、早苗も臆することなく即答してしまっていた。

 私としては大層照れくさいから、少々オブラートには包んでもらいたい。

 そして凛も、そんなおかしな質問を唐突にするものではないと言ってやりたい。

 ともすれば、返ってくる答えは刃物の刃の如き鋭さを持っているかもしれないのだから。

 尤も、早苗に限っては私に辛口のコメントをする事が想像できないが。

 自惚れではなく信頼でこう思える辺り、早苗は本当に良い子だと断言できるものがある。

 

「そして一日のお風呂よりも信仰が大事、ですものね」

 

 でも、私としても今のはストレートすぎたから、半ば茶化す目的でそんな事を口にしてしまう。

 後は、早苗からお風呂には入れないのはちょっと、と返事を貰うだけ。

 それで何もかも無かったように終幕、とぼた餅を脳内絵図に描いていたのだけれど……。

 

「そうですね、勿論その通りです。

 私は風祝、守矢の神々を奉るのがお役目です」

 

 早苗は間髪入れずに答えて、私もそれに頷く。

 凛のみはイマイチ理解できていない顔をしていたが、後で説明すれば良いだろう。

 なので取りあえずは、この気恥ずかしい空気は取り払えたと私は考えて。

 

「でもですね」

 

 だから、そう続けた早苗に、私の心の防壁は隙だらけだったと言っても差支えない。

 

「それと同じくらい、アリスさんの事を思ってしまっている私がいます」

 

 私の腕から逃れて私と目を合わせた早苗に、かなり近い距離で私はそんなことを言われて。

 

「一緒に居た日数はそんなに多くないはずなのに、それでも私の中でこんなにも大きくなってしまったんです」

 

 真っ直ぐぶれる事なく、彼女の言葉が一直線に私の心に直撃する。

 まさに不意打ち、防ぐ手立てなんてどこにもない。

 

「アリスさん、貴女の事も同じくらい大切に思ってるんですよ?」

 

 故に言葉は私の心に届いてしまい、咄嗟に何て返せば良いのか分からずに言葉に詰まる。

 ……そして、そんな私を見逃さないのが一人、横合いから私を追撃に入る。

 

「愛されてるわね、アリス♪」

 

 機械的にそちらに振り向けば、面白いと顔にデカデカと書いてある邪悪な顔をしている凛の姿。

 思わず学校中にこの顔を晒してやりたくなる衝動に駆られるほど、大変に不味い顔をしていた。

 頬っぺたをぐにゅぐにゅと弄って、その顔ごと危ない思考を彼方へと飛ばしてやりたくなってしまう。

 

「……ありがとう、早苗」

 

 結局、出てきたのはそんな言葉、気の利いた言い回しなんて、今は出来うるはずもない。

 面映ゆいを通り越して、最早恥ずかしいにメーターは振り切れているから。

 顔が赤い、自覚出来るくらいに赤いのだ。

 きっと男の子に告白されても、こんな事にはならない。

 私が無様を晒しているのは、早苗が純粋無垢にそんな事を大真面目に告げてきているから。

 それだけで私はこんなにも動揺してしまう。

 げに恐るべきは無心の心、それだけ色が混じらずに早苗は私を好きだと言ってくれている。

 恐るべし東風谷早苗、と激賛しても良い。

 凛もニタニタしているけど、その好意が凛にも向けられたら、ほぼ確実に少しは動揺することだろう。

 なので凛には、笑うなら今の内に笑っておけば良いと然りげ無く思っておくことにする。

 今からからかわれる分も合わせて、私はそう結論づけた。

 

「それから、覚えておきなさい、凛」

 

「あら、何のことかしら?」

 

 ついでに小声で凛に捨て台詞を吐いておく。

 余裕綽々なのは、きっと今の内だけだという事を知るが良い。

 そんなせせこましい決意をしている私を他所に、凛は客足が少なすぎる境内を見渡して、何かを決めたように頷いた。

 

「じゃ、お客さんが来たことだし、今日はそろそろ終了で良いわ」

 

「アバウトね」

 

「違うわよ、余裕を持って優雅たれよ」

 

 家訓をサラリと告げているが、絶対に違う。

 義務的にやっているらしいこの神社だが、あまりの客足の少なさに辟易としているのだろう。

 大体ここらの住人は、エセ神父のせいでキリスト教徒だから、とは凛の言。

 それなのにわざわざこの神社を存続させる理由を問えば、伝統だから、とのこと。

 割と義務的なところが大きいようだ。

 

「じゃ、ちゃっちゃと着替えていくことにしましょうか」

 

 凛がそう言い放つと、さっさと神社の中に引っ込む。

 私もそれに続き、トコトコと境内を駆けていく。

 

「早苗も寒いでしょうし、付いてきなさい」

 

「いえ、ここで待ってます。

 私は守谷の風祝ですし、あまり他所様の所にお邪魔するのも憚られます」

 

「あの二柱なら気にしないと思うけれど?」

 

「これは節度の問題ですから」

 

「……そう、すぐに戻ってくるわ」

 

 然りげ無く早苗も連れて行こうとしたが、やや固く断られてしまった。

 彼女なりのルールがあるのだろうが、頑固で風邪を引かれても敵わない。

 早く戻らなければ成らないだろう。

 

 

「で、どうやって篭絡したの?」

 

 慌てて神社に駆け込んで、いざ着替えんとしている中での凛の言葉。

 お馬鹿の一語で切り捨てたいが、確かにそう聞かれるだけに早苗に懐かれてしまっているのは自覚している。

 故に、とても返答しづらい質問である。

 

「秘密を知っちゃっただけよ」

 

「危ない匂いがするわね」

 

「法に触れることなんて一切してないわ」

 

「余計に胡散臭く聞こえるわよ」

 

 ご尤も、ただ早苗との間に共有されている秘密であるだけに、中々に語りづらい。

 それに、もし凛に神様っているの? なんて言った場合には即座に教会で浄化の儀が執り行われるであろう。

 腹立たしいが、何者にも代え難い真実であるのだ、それが。

 それ程に信じがたい、それが早苗と私の間の秘密。

 

「ま、詳しくは本人にでも聞きなさい」

 

「あ、そ。

 アリスがそういうのならそうするわ」

 

 私からは説明不要なため、この様な中途半端な言になってしまった。

 世の中、こうにも通じ合えないものかと溜息の一つでも吐きたくなってしまう。

 

「巫女服は鞄に詰めてね。

 持って帰って洗濯するから」

 

「えぇ……変な所に持ち込んだら承知しないわ」

 

「する訳ないでしょ、この大馬鹿!」

 

「ならいいけれど、けちくさ大魔神」

 

 何て軽口を叩きながら、私達は早々に境内へと舞い戻る。

 早苗は律儀に、静かに待っていたようだ。

 手に向けて、白い息を吐きかけていた。

 

「戻ったわ」

 

「はい、お待ちしておりました!」

 

 褒めて? と言わんばかりに早苗に見上げられる。

 なのでそれに応えて、私は彼女の頭をポンポンと軽くなでるのだった。

 

「まるで犬ね」

 

「忠犬よ」

 

「アリスさんの犬なら、私は喜んで叫びます。わんわん!」

 

 凛のからかいを受け流すと、正しく犬の様に早苗はその言葉を拾う。

 二柱との関わりを見て分かっていたが、流石の忠誠心といえよう。

 

「あらいけない、アリスが友達を犬呼ばわりしてるわ」

 

「貴女の猫の皮が剥がれて、中身のしっぽが見えてるわよ、狐さん」

 

「どうせ訳ありでしょう?

 それに何時までも冬木にいる訳じゃないんだし、良いのよ別に」

 

 学校で着込んでる猫が剥がれていると指摘すると、あっけらかんと凛はそう返してきた。

 毛皮が剥がれても、その厚顔さは変わらないらしい。

 柳洞くんも全力で目の敵にする遠坂凛の生態、ここに垣間見たりと言ったところだろうか。

 

「ロクなこと考えてないでしょ、あんた」

 

「ロクデナシが何か言ってるわ」

 

 ジト目で睨まれたので、私も同じような視線を返す。

 互いに互いの評価は似たり寄ったり、話を続けるなら平行線を辿るであろう。

 何て不毛な罵倒の嵐、なんてことにも成りかねない。

 そしてそれは凛も承知していたのか、私達は互いにはぁ、と息を吐いて睨み合いを停止する。

 全く、目ざといにも程がある。

 油断も隙も在りはしない、下手をすれば直ぐにでも怪しい言質を取らされかねない程に。

 

「……仲、良いんですね」

 

 そんな私達を見て、早苗はそんな事を漏らす。

 その目はちょっと私が言うのも憚られるが、嫉妬が混じっている様にも見える。

 

「遠慮がないだけで、仲が良いとは限らないわよ」

 

「遠慮が無いということは、それだけ近い位置にいるという証左です」

 

 凛の誤魔化すような言葉に、早苗は直ぐに切り返してみせる。

 何か思うところがあったのか、それともただ単に何故だか癪に障っただけか。

 どこか拗ねた様に言う早苗に、私と凛は顔を見合わせざるを得なかった。

 私は困惑し、凛は肩を竦める。

 そして早苗は私達の間でジトっとした目を、何故だか私に向ける。

 中々に不可解で、また対処に負えざる状況。

 さて、どうしたものかと、遠坂邸までの道中で私は必死に試行錯誤する事となる。

 恐るべし神愛の子、守谷の風祝。

 

 

 

 

 

「それで、どうするのよ、これ」

 

 帰り道の道中、すっかり拗ねてしまった早苗を他所に私と凛は話し合いを続けている。

 話題はもっぱら拗ねてる子の話。

 凛が早苗に話しかけても、アリスさんとお話をすれば良いじゃないですか、とそっぽを向かれる状況。

 最初は面白がっていた凛も、火が自分にまで飛び火するとなれば話は別らしかった。

 面倒くさいからさっさと解決しろとのこと。

 そんな事、わざわざ言われるまでもなく承知している。

 この状況が続くのは、私としても非常に心苦しくはあるから。

 

「何とかしようとは思うわよ」

 

「そう、ならその口先で篭絡して見せなさい」

 

「怪しい単語を使わないで。

 ただ説得するだけよ」

 

「こんなに拗ねさせるまで好意を抱かせといて、よく言うわ」

 

「早苗が純粋なだけよ」

 

「ならアリスは純粋さを逆手に取った悪い女ね」

 

「女子が女子を引っ掛けたところで、一体何の得があるのかしら……」

 

 あまりに不毛な言葉遊び、何時もの私と凛の会話。

 ただ、内容が内容だけに、私としても譲歩しづらい所がある。

 それをわかった上で、凛は私で遊んでるのだから本当にタチが悪い。

 生まれ持っての性悪だったのかもしれないと思うほどにだ。

 

「……また、二人っきりで楽しく会話しています」

 

 そしてそれを面白くないと思う娘が、ここにも一人存在する。

 目を向ければ不機嫌さを隠さない早苗の姿。

 構って欲しいというのと、構わないで欲しいという感情の間で揺れ動いてるようにも見える。

 そういうことをするから、頭を撫でたくなるのだということに、早苗は何時気づくのだろうか。

 私の手は、自然と早苗の方に伸びていく。

 凛が小さく、懐柔が始まるわ、何て言ってるのを聞き流して。

 そして……、

 

「アリスさん何て……知りません」

 

 伸ばした手を、フイッと避けられてしまう。

 早苗としても、私が頭を撫でたら機嫌が治る、という事に反抗したかったのか。

 都合が良すぎる女じゃないと示したかったのかもしれない。

 

「嫌なの?」

 

「好きですけど我慢してるだけです、フンッです」

 

 ご立腹、私がなにか言っても、馬耳東風と聞き流されそうだ。

 けど、それでも私にチラリと目を向けてくることから、ちゃんと気にしてくれているというのは理解した。

 面倒くさいことこの上ないが、可愛いとも思ってしまう。

 それがこの娘の魅力なのかも、と感じるのは日頃の人徳か。

 

「嫌われちゃったわね」

 

「楽しそうに言う事でもないわよ」

 

 相変わらず火種を巻いて、燃料を投下する凛。

 こんな空気でも、何だかんだで楽しめている辺り厚顔というか、豪胆というか、少々迷ってしまう。

 ただ、肝が座っていて神経がワイヤーロープだという事だけは確かといえよう。

 

「で、次はどうするの?」

 

「……時間が解決してくれる事を祈りましょう」

 

 そう告げた瞬間、凛の顔に使えないと書かれた様な気がするのは気のせいではないだろう。

 だが、そうも言うならば、自分でやってみれば良い。

 目で告げると、凛はあからさまに目を逸らした。

 然りげ無く、頑張りなさいと告げてきたので、あくまで最初から最後まで早苗の対応は私に投げるのであろう。

 それはそれで一興である、早苗は私の友達であるのだから、そこはある意味決まった流れだったのかもしれない。

 

「さて、ね」

 

 早苗が何を望み、感じるであろうか。

 神ならぬ身で全てを解することはできないが、それでも早苗のことだ。

 少しばかりは理解できるというもの。

 

「早苗、後ででいいわ、あなたの頭を撫でさせて」

 

 そう言うと、早苗はじー、と私を見つめてきた。

 それはさっき聞きましたと言わんばかりに。

 だから私も、こう続ける。

 全てが全て分かってるわけじゃないけど、今はこの言葉が必要だと思ったから。

 

「私が早苗の頭を撫でたいだけ。

 勿論、あなたの機嫌は気になるわ。

 だってこれはお願いなんですもの、仲直りしたいに決まってるでしょう?」

 

 露骨に過ぎた言葉だと思うけど、ここまではっきり伝えないとダメだと感じたのだ。

 兎に角本音で、だけれども早苗を擽るような言葉。

 私も、面白がっている凛ですら、何だかんだで早苗に機嫌を直して欲しいと思っている。

 このままじゃ、話だってままならない。

 なので私は微笑んで、早苗の顔をジッと眺める。

 応えてくれるわよね、という期待と共に。

 

「……アリスさんのそういうところ、凄くずるいですよね」

 

「私を狡くさせているのは、早苗のせいでもあるのよ」

 

 私が詭弁じみたことを言うと、早苗はプイッと顔を背ける。

 ずるいです、と再び小さく呟いたのを、私はキチンと聞いていた。

 だから、私は早苗の頭に手を伸ばして。

 ……早苗も、今度は私の手を避けなかった。

 

「そんなの、アリスさんの言い分です」

 

「そうね、それが分かる早苗は賢いわね」

 

 早苗の頭を、そっと撫でる。

 髪は艶やか、意味もなく手櫛をして全体を触ってみたくなる程の透き通る感覚。

 厳しめだった早苗の顔が、段々と緩くなってきている。

 

「見事なまでに篭絡ね」

 

「うるさいわよ、そこ」

 

 一名外野が茶々を入れてくるため、私の顔が厳しいものになったけれど、それはご愛嬌といったところか。

 空いてる方の手で軽く凛を小突いてから、やや名残惜しくも早苗の髪から手を引く。

 思わずといった感じで私を見た早苗は、私と似たような所感だったらしい。

 目が、僅かに潤んでいたのが印象的だった。

 

「さ、そろそろ着くころね。

 ほら、早苗、あれよ」

 

 私が指さす方向にあるは、冬木市一の幽霊屋敷。

 とっても怖い、童話の魔女が住まう家。

 周りの木々のザワめきすら、クスクスなんて笑い声に聞こえてきてしまう場所。

 

 早苗が感心したように、わぁ、と小さく声を漏らす。

 それ程にここは、見事な雰囲気が出ていた。

 一歩一歩、近づいていく事にその感は強くなっていく。

 

 そして、いざその家を前にした時、扉の前に踏み出した人物がいた。

 風に靡く黒色のツインテール……凛の髪。

 扉の前に出た凛は私達に振り返って、微笑んでみせた。

 正確には、私達、ではなくて早苗に。

 

「ようこそ、東風谷早苗さん。

 我が遠坂の家へ、よくお出で下さいました。

 歓迎いたしますわ」

 

 言葉遣いが丁寧で、野蛮な凛をして品に溢れている様に見える。

 思わず目を丸くしていると、凛からチラッと視線を向けられた。

 そこ、あまり巫山戯た目をしてんじゃない、と。

 ただ、それも一瞬のこと、次の瞬間には何事もなかったかの様に早苗に微笑んでいた。

 

「……急に猫の毛皮なんて取り出して、寒かったのかしらね?」

 

「そこ、煩いわよ。

 世の中には様式美とかいうのがあるの、黙ってなさい」

 

 笑顔だけれど何時もの口汚さを発揮しつつ、凛は私を罵る。

 でも、確かに成程と思った。

 遠坂家の当主として、守るべき礼節とやらがあるのだろう。

 私の時にはそんなもの無かったけれど、今回は早苗がお客さんだからということで納得しておくことにする。

 

「……フフ、お邪魔しますね、遠坂さん」

 

「えぇ、どうぞ」

 

 私達を見ていて早苗と凛は、思わずといった感じに互いに笑いあっていた。

 さっきまでは私と凛が話していると拗ねてしまったのに、どういう心境の変化か。

 面白い化学反応、もう少し見ていたいと思った。

 が、ここは玄関である。

 ようこそ、何て言っている凛が、冬のこんな所で立ち往生させる訳がなかったのだ。

 

「さ、中に入って。

 お茶を出すから」

 

「はい、では改めてお邪魔します」

 

 二人仲良く告げて中へと入っていく。

 私もそれに置いていかれないように付いていく。

 頭の中は、さてどうなっているという疑問符で溢れていた。

 

 

 

 そして現在、私は部屋にコートを掛けて居間へと戻ってきたところ。

 そこで、二人の会話が聞こえてきたのだ。

 仲良さげに聞こえてくる会話、楽しげなトーンなお陰で、それはよく理解できた。

 ある意味とっても興味深い会話。

 なのでそっと、宜しくないと分かっていたが二人の会話に隠れて耳を澄ませてしまっていた。

 何かの、切っ掛けになるかと思ったから。

 二人が仲良くなった切っ掛けが分かるんじゃないかと、そう思って。

 

「さっきは、初めて私の名前を呼んだわね」

 

「そうでしたか?

 ならすみません。

 改めて遠坂さん、よろしくお願いします」

 

「別に……凛でいいわよ。

 アリスだってそう呼んでるんだから」

 

「なら凛さん、と。

 何か、アリスさんのお陰でお得な感じです」

 

「何だかんだでアリスは切っ掛けになる事が多いし、間違ってないわね。

 あ、私も早苗って呼ぶから」

 

 思ったよりもスムーズに、想像よりも容易く、二人は距離を詰めていく。

 はてな? と思っても、それは事実であるようで。

 仲良さげに、会話さえしてみせているのだ。

 距離はそう簡単に詰めれるものなのか、と感心するより先に呆気に取られてしまう。

 

「ところでさ、アリスが口が悪いのって知ってる?」

 

「そうなのですか?

 アリスさん、私にそういうところ全然見せてくれなくて……」

 

「きっとあなたの前じゃ、いい格好をしておきたいのね。

 いつも自信満々に見える癖に、こういうところは姑息なんだから」

 

「別に姑息って、そういう訳じゃないと思うんですけど」

 

「アリス贔屓ね、私の知り合いにも一人そういう娘がいるわ」

 

「私と似たような方なのですか?」

 

「いえ、どっちかというと内向的な娘。

 でも、とてもアリスと仲が良くて、慕っているという点ではあなたと一緒よ、早苗。

 まぁ、彼氏がいる分だけ、貴方ほどベッタリしている訳じゃないけど」

 

「成程、アリスさんらしいです」

 

「そうね、純朴な子に漬け込んでる辺りなんて特にね」

 

 ……人がいないところで色々と言ってくれている。

 早苗は問題ではない、凛の暴虐さが問題なのだ。

 よくもそこまで人の悪口を会話の中に混ぜ込めると、逆に感心さえできてしまう。

 悪い意味で、というのが大きなウェイトを占めるけれど。

 

「ところで、凛さんはアリスさんと、えっと、その……」

 

「仲が悪いかって話?」

 

「言いにくい事をサラッと言いましたね」

 

「問題ないからよ、そんな事は」

 

「つまりは?」

 

「それなりってこと。

 別に取り立てて仲が悪いって事はないわ」

 

「そうですよね、仲良さげでしたもん」

 

「……早苗、話聞こえてる?」

 

「え、はい、アリスさんと凛さんは仲がいいって話ですよね?」

 

「どこでどうなって仲が良くなったのよ!」

 

「明け透けな関係とか、そういうところがでしょうか?

 私にはとても及びません。

 私とアリスさんは、親友、みたいな間柄じゃないですから」

 

「な、何言ってるのよ!

 私とアリスはそこまで仲いいなんて言ってないでしょ!

 勘違いしないでって話よ!」

 

「慌ててると、逆に誤魔化してるように聞こえますよ?」

 

「うわぁ、何なのこの感覚。

 すごくムズムズするし、何か納得いかないわ」

 

 じっと静かに聞いていると、聞こえてくるのはすっかり打ち解けた二人の会話。

 凛は基本的にからかう方なので、からかわれるとは早苗の方が強いのか。

 相性的な問題もあるのだろうが、何ともはやである。

 ただ、二人とも何だか楽しそうな声音で。

 そうかそうか、そんなに私の悪口は楽しいかと思わずにっこりしてしまう。

 

「で、そろそろ出てきたらどう?」

 

 が、そんな時に、鋭い凛の声が投げかけられる。

 早苗の困惑した声が中から聞こえてくるが、どうやら凛には見抜かれていたようだ。

 腐ってもここは遠坂の家、それ故に大概のことは察知できてしまうのだろう。

 はぁ、と溜息一つ吐き、私は扉を開ける。

 ソファーに座っていた凛と早苗が、同時に私を見た。

 凛はニンマリ笑っていて、早苗は驚いた顔をしている。

 どうにも凛に乗せられてしまったようで面白くないが、仕方ないという時もあるだろう。

 

「バレてたのね」

 

「誰の家で、私が誰かという事を覚えておくべきね」

 

 流石は魔術師殿、とでも言うべきか。

 まぁ、私も同じ役職ではあるのだけれど。

 

「で、盗み聞きなんて、大層な趣味をしてるわね、アリス」

 

「聞いているのが分かっているのにかこつけて、罵詈雑言を並べた輩の言うこととは思えないわね」

 

 そう、凛がこれでもかと悪口を並べていたのは、私が聞いているのを知っていたから。

 でなければ、居ないところでアソコまでの悪口を並べるなど凛らしくない。

 彼女は正面から笑みを浮かべて獲物をいたぶるタイプなのだ。

 

「弁明はしないのね」

 

「しても意味がないもの。

 凛、あなたは自分が良い性格をしていると思う?」

 

「学校では優等生よ」

 

「家では性悪丸出しじゃない」

 

 牽制と共に、ジャブの入れあいの如き攻防が起こる。

 もうすっかり馴染んでしまった性分なので、今更どうにかできるものでもない。

 

「これだけ悪口を言い合ってるのに仲が良いの、やっぱり不思議です」

 

「これも一種の慣れよ。

 それに、これが凛じゃなかったら私だってもっと険悪になるわ」

 

「……やっぱり、仲が良いですね」

 

 シミジミと呟く早苗に、まぁね、と返す。

 仲が良いか悪いかで言えば、断然に良いと返せるから。

 

「よく堂々と言えるわね」

 

「自分が言う分には大丈夫なのよ」

 

 へぇ、と呟く凛を横目に、私もソファーにお邪魔する。

 凛の横か早苗の横か、一瞬迷ったが早苗の方のソファーに座る。

 

「ま、良いわ。

 それよりも、まずは一杯のお茶はいかが?」

 

「……頂くわ」

 

 寒い場所から戻ってきたところ、その気遣いは有り難みを感じる。

 なので紅茶の注がれたカップを受け取り、私もようやく一息つけた。

 横から覗かれる早苗の視線を気にしつつ、ほんの少しばかりの息を吐く。

 それは暖かくて、どこか紅茶の香りがした。

 

 

 

 

 

 そうして、私達は軽く浅く、色んな会話をした。

 例えば早苗が神社の風祝と呼ばれる役職にいることだとか、学校の凛は何重にも猫を被ったエセ優等生だとか、私の人形の服は全て私が自作している事だとか。

 ちょっと踏み入ったとこだと、早苗が私と凛の関係に嫉妬してただとかそういう話。

 割とダラダラしていたが、正月はこういうものらしいし、問題はないということだそうだ。

 実際、私がルーマニアにいた頃も、たまに人形劇を路上でしに出かける以外は似たりよったりだった。

 そんなどこか緩い空間の中で、凛がふと思い出したように呟いたのだ。

 

「そういえば早苗、貴方どこに泊まる気?」

 

 ……瞬間、空気が凍った。

 今までの能天気な雰囲気はどこかへと出張し、代わりに外の空気がどこからともなくこんにちは。

 今すぐにお帰り願いたい寒さを感じる。

 

「凛さん、泊めてもらえませんか?」

 

「ダメよ」

 

 どこか懇願にも似た早苗のお願い、それを一瞬で一蹴する凛。

 割と鬼だと思うが、この屋敷は魔術工房でもあるのだ。

 迂闊に一般人を留めたいと思う場所でないのは承知出来る。

 だからと言っても、早苗をこのまま放り出すのはあんまりだと思うのだけれど。

 

「じゃあ私はどうすればいいのでしょうか……」

 

 困った様に呟いている早苗に、私としても返す言葉に詰まってしまう。

 これといってアテがあるわけでもなくて、けれど素直にここに泊まれば? なんて言い難い。

 さてはて困ったどうしよう、と頭を悩ませようと思った時、凛が言った。

 

「ちょっと問題があってこの家に泊まられるのは困るけど、別にアテなく放り出そうとしてる訳じゃないのよ?」

 

「……どこかあるの?」

 

 聞き返せば、どこかいたずらっぽそうに凛は頷く。

 さて、凛がこういう顔をしている時には、誰かが割を食う。

 それが誰になるのかはわからないが、全く何も考えていないという訳でないという点は評価できるであろう。

 

「どこ?」

 

「衛宮君のとこ」

 

 サラリと、凛は何の気負いもなく答えた。

 対して私は、思わずその返事に絶句してしまう。

 え、何を言ってるの的な問題で。

 

「大丈夫よ、あそこには桜だっているんだし。

 それにあの弱み、ちゃんと握ってるもの」

 

「……イイ性格ね、本当に」

 

「魔術師ですもの、その程度はね」

 

 小さく囁いた凛に、私は肩を竦める。

 何とも恐るべし遠坂凛、柳洞くんですら慄くタチなだけはある。

 

「……衛宮くんならゴリ押しで行けそうね」

 

「頼み事をされたら断れないタチだもの。

 心配だけれど、今回だけはその性質に感謝ってね」

 

 決めたら即決、凛は立ち上がって早苗に告げた。

 

「早苗、出かける準備をして。

 良い民宿があるの、紹介してあげるわ」

 

 その顔、とっても笑顔につき。

 早苗の、楽しみです! という言葉に私はちょっぴり苦笑したのだった。




さーて、次は何時に投稿しましょうか。
今回は本当にギリギリでしたし、次は20日程度ですかねー。

……早苗さんが出てくると、本当に話が長くなって困るのです。


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番外編 冬木の街の風祝 下

今回、たった一つの点で皆様にご迷惑をおかけします。
先に言っておきます、ごめんなさいと。
でも、しょうがなかったと、言い訳だけここで呟いておきます。
では皆さん、大変だとは思いますが、是非お読みください。


 その日、藤村大河にとっては幸福な一日だったと言えるであろう。

 彼女にとっての天国、即ち正月。

 炬燵で丸くなる日もあれば、勢い良く外に飛び出して遊び呆ける日もある。

 今日は後者、お外で遊んで帰ってきた日だ。

 珍しく昼間からもお酒を注入。

 同期生の蛍塚音子や柳洞零観らと共に、ヒャッハーと街に繰り出すという不良振り。

 しかもお年玉と称して、幾らかの店で露骨な値引き交渉まで行い、商店街の人々達の間で、”ティーガー部隊接近!” ”いや、アレはティーガーではない、タイガーだ!”などと恐慌と共に迎えられていた。

 無論迎撃など出来やしないし、書記長戦車もここにはない。

 せめてもの救いは、指揮官たる存在がいないことであった。

 仮定の話ではあるが、もしここに銀髪ロリっ子ブルマ弟子一号なる意味不明かつ属性盛りまくりの存在が居たのならば、被害は更に拡大していただろう。

 ……まぁ、どちらにしろ被害は甚大な事に変わりはないのだが。

 

 兎に角そういう訳で、藤村大河は今日一日を楽しく過ごしたのだ。

 影で商店街の人達の嘆きとかが聞こえてくるが、きっと気のせい。

 大河だけでなく、音子も零観もそう言っていた、だから自分達に間違いないのだウンウン。

 などとほざきながら酔いどれ共は解散した。

 後日、SSF(そこまでにしておけよ藤村)の会から通報を受けた某正義の味方志望の少年から、大の大人が恥ずかしくないのか! と詰問される事となる。

 SSF会長であるはずの音子まで巻き込んでの説教、流石は士郎君と褒め称えられることになるのはまた別の話。

 因みに、零観は修行に出るとか言ってバイクで逃げている。

 三十六計逃げるが何とか、とはよく言ったものだ。

 

 と、そんな事は脇に置いておいて、もうそんな感じで藤村大河は幸福であった。

 歩いている内にお酒が段々と抜けていって、さぁ今日の晩御飯は何かなぁ、何て考えるくらいには陽気さを兼ね備えてもいた。

 白い吐息が煙る冬にも関わらず、大河は今日も全力全開。

 体から酒が抜けても元気に走り回れる位なのだ。

 アレな人は風邪を引いても気付かないし、大河もお酒が抜けても気付かなかったのだろう、ウン。

 

 そんな訳で、大河は我が家に等しい衛宮邸へと全速前進していた。

 既に腹の中に飼っている虎が唸りだしている、早く餌を与えねばという使命感でもあった。

 自身が虎であることに気付いてない、とは士郎の談。

 勿論タイガーなんて呼んだ日には、カムチャッカインフェルノ及びカムサツカ体操不可避なのは言うまでもない事。

 が、そこな道を行く大河には、タイガーがどうとかは全く持って脳裏に存在しない。

 あるのは今日はお鍋か焼肉か、それともしゃぶしゃぶかということだけ。

 どこからか、肥えろよ肥えろ、疾く肥えろ、何て聞こえてくるが大河は漫画体質な為肥えないのである。

 もし仮に肥えたとしても、ギャグ漫画体質だから次の回までには元通りに戻っている。

 心配など欠片もしなくて良いのだ。

 ワオーンとどこからかツッコミの様に犬の遠吠えが聞こえてくるが、それに対して大河はガオーッ! と返礼した。

 ……その場に、それはライオンだというツッコミを入れるものは居ない。

 よしんば存在したとしても、誰がタイガーじゃあ! と謎の逆鱗に触れるだけだから、誰もそこに触れ様などとは思わないのだが。

 

 そんなこんなで、特に事件などなく帰宅。

 途中で、全身青タイツの奴が跳ね飛ばされたぞ! とか聞こえたような気がするが、風の妖精の囁きに違いなく、気のせいと言う奴だろう。

 気のせい、多分気の精とか言われてる妖精さんなのだろうが、そろそろ過労死しそうな気もする。

 尤も、大河にはそんな事関係ないし、今は夕飯の方が大切であった。

 なので衛宮邸の玄関を勢いよく開けると、そのまま流れに乗って居間の方へと強襲した。

 今日の晩御飯は何かな♪ 何かっな♪ と非常に上機嫌で。

 

「たっだいま~! 士郎、桜ちゃん!!」

 

 閉められていたふすまを開けて、そのまま居間に転がり込む大河。

 最早子供、それもはしゃぎたくて堪らないタイプの子供である。

 

「お帰り、藤ねぇ」

 

「あ、藤村先生、お帰りなさい」

 

 けど、そんな彼女を、家族も同然な二人は暖かく迎えてくれる。

 このやり取り、何年も続けてきた気がするが、何げにまだ一年も経っていない。

 桜がこの家にやってきて、そんなに経っていないな筈なのに、もうすっかり昔から居着いてしまっていた気がする。

 不思議だなぁ、何て思いつつも大河は素早く炬燵に潜り込む。

 暖かい気はしていたが、やっぱり気のせいだったということだ。

 恐るべしプラシーボ効果、人体の神秘を感じる。

 

「げ、藤村、飲みに行ってたんじゃなかったのかよ……」

 

 隣に座っていた慎二が小さく悪態をついたが、残念、そこの虎は地獄耳なのだ。

 反抗的な言葉が聞こえたら最後、愉快になるというオプション付きで。

 

「間桐くーん、先生怒っちゃう一歩手前ですよ?

 マジで切れる五秒前?

 つまりはタイガー!」

 

「意味分からない上に沸点低すぎだろ!?」

 

 あはははは、と気持ち良さげに笑っているので、本気で怒っている訳ではない。

 藤村大河の発言の八割は大体勢い、恐ろしい人物としか言えない。

 

「こんばんは、藤村先生」

 

「お邪魔しています」

 

「初めまして、東風谷早苗です」

 

 そして炬燵の端っこの方に固まっている三人娘がそれぞれに挨拶をカマしてきた。

 凛、アリス、早苗のトリオ、早苗は何故だか大河の独特のオーラ的なものに目を輝かせている。

 ……類は友を呼ぶ、のであろうか。

 アリスが内心、高い所が好きにならなきゃ良いけど、何て無礼なことを考えてるが、早苗にはそんな事気付きようがない。

 精々、アリスさんは今日も可愛いです、早苗なりの何時も通りの事を考えている程度であった。

 

 まぁ、そんなこんなで明るいもの同士、割と打ち解けて会話を楽しんでいた。

 そしてほんの数分後、士郎と桜が食材を担いで、キッチンから居間にやって来る。

 どうやら今晩は鍋で、食材の処理がようやく出来たところらしい。

 わーい! と両手を合わせて感激を露わにする大河。

 やっぱり冬は鍋よねぇ、と言ってる彼女が感じているのは風情か、食欲か。

 ……考えるだけ詮無きことなのであろう。

 

『頂きます』

 

 軽々とした会話後の唱和、マイ箸で鮭をフライングゲット。

 バリバリモグモグと、モンスターの如き音を立てながら大河は咀嚼する。

 

「あー、美味しわー、生きてるわー」

 

 などと供述しつつ、鮭の旨みを味わってふと一息ついた瞬間、ん? と彼女は思ったのだ。

 周りを見るとまず目に入ったのは、士郎と桜の二人、うん、何時もの日常。

 次に目に入ったのは、流石僕が持ってきた豆腐だけある、と悦に浸っている慎二。

 たまに夕食時にやって来ることがあるし、許容範囲内の人物だ。

 そして次に目をやったのが……、

 

「海鮮鍋、中々乙なものね」

 

「アリスさんは初めてなんですよね?」

 

「えぇ」

 

「私達は海鮮自体、あまり食べないものね」

 

「処理が面倒なのがいけないわ」

 

 何故かそこに存在している黒、緑、金の三連星。

 これじゃジェットストリームアタックが掛けられないわ! とか一瞬現実逃避するが、目の前の光景が消える訳でもない。

 桜や士郎と話をし、慎二と軽口を叩き合いながらもごく自然に溶け込んでいる三人。

 本来なら、この家に居るはずのない人物達。

 しかも一人に至っては、初めてお目にかかる女の子。

 大河の中で、気付いた瞬間に何かが決壊してしまった。

 心の堤防が、こう、ドバーと溢れたのである。

 

「なんでじゃあああァァァァァーーーーーーっ!?!?!?」

 

「今更かよ」

 

 小さく突っ込んだ慎二の声が耳に入らないほど、大河は混乱していた。

 今まで気付かなかったこと自体が奇跡、もしかしたら早苗の奇跡はこんな事で消耗されているのかもしれない。

 もしくは抜けたと思われてた酒が、大分残っていたかである。

 

 それは兎も角として、大河が事の全容を知るには時計の針を少々戻さねばならない。

 時はそう、アリス達がここに来た時間までだ。

 飲んだくれていた酔いどれ共が存在した頃、もう一つのグループが衛宮邸に訪れたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 寒さに凍える冬の夕暮れ、傾く夕日の下を私達は歩いていた。

 早苗は両手で大きめのショルダーバッグを持っている。

 まぁ、それは問題ではない、衛宮くんの所にお泊りするのだから当然とも言える。

 だが、である。

 

「凛、どういう風の吹き回し?」

 

「ちょっと、ね」

 

 言いづらそうにバツの悪そうな表情で歩いている凛。

 その手の中には、早苗と同じような鞄の姿。

 何が起こっているのか、私も勘ぐったが凛は上手い返事をする訳でもなく黙りを決め込んでいる。

 何を私が戸惑っているのかというと、謂わば簡単なこと。

 

 ――つまりは、凛は衛宮くんの家に早苗と一緒に泊まろうというのだ。

 

「クリスマスの時はあれだけ嫌がってた癖に」

 

「何よ、文句あるの?」

 

「別にそうは言ってないわ」

 

 解せてない、ただそれだけ。

 嫌がっていた……という訳ではないけれど、それでも凛は桜を避けている。

 なのに今更ながらに、一緒に衛宮くんの家に行って泊まろうとするなんて、何だか裏がある気がしてならないから。

 

「でも不可解な行動だから、それは気になっても仕方ないことでしょう?」

 

「そっと目を伏せるという事は出来ないの?」

 

「気になるんだもの、仕方ないわ。

 ……珍しいから面白い、という思考は無いこともないのだけれど」

 

「何て下劣」

 

 最後にぼそりと呟いた言葉は、しっかりと凛に拾われたみたいで、即座に吐き捨てられた。

 でも人間なんて、大抵こんなもの。

 どうしようもないことなのだから、一々悩んでもしょうがない。

 尤も、私が凛に同じことをされたら似たような感想を抱くのだろうけれど。

 

「で、答えは何かしら?」

 

「……思うところがあっただけ」

 

「それは知ってるわ」

 

「なら聞くな!」

 

 それだけ言うと、これ以上は答えんぞと言わんばかりに口を閉ざす凛。

 まぁ、あまり妙な勘ぐりを入れるべきでない、デリケートな部分ではあるのだろう。

 もしかしたら分かるかも、と思って突っ込んだが、特に何か分かるなどということはなかった。

 相変わらず、凛にとって桜は特別ということを匂わせるだけだったのだ。

 

「お話は終わりましたか?」

 

「そうね、終わったわ。

 折角だし、道中早苗とも話したいわ」

 

 そしてこのタイミングで早苗が話しかけてきた為、私と凛の間だけで行われていたこの話題は棚上げせざるを得なくなった。

 凛にとっては、これ以上とない程のタイミングであろう事は疑いようもなく、都合良く早苗に便乗し始める。

 何が何でも追求しなくてはならない事ではないから、問題はないのだけれど。

 

「はい、ありがとうございます凛さん。

 ……ついでに、気になっていたことがあるんですけど、聞いて大丈夫ですか?」

 

「何? 答えられる範囲で返事をしてあげるわ」

 

 完全に早苗が会話に入ってきた事により、最早蒸し返すこともできない。

 まぁ、一々私が気にすることでもないのか、と思うことにしよう。

 なのでまずは、凛と早苗の会話に耳を傾け始めたのだが……。

 

「アリスさんと凛さんは良く二人でヒソヒソ話をしてますけど、これって何時ものことなんですか?

 もしそうだったら、私は……」

 

 むぅ、とした表情で凛を見つめる早苗。

 何を言おうとしたのか、途中で口を噤んでしまった為わからないが、大体は予想がつく物言いをしている。

 そして凛も、察しがついたように、あぁ、と若干呆れ気味の声を漏らしていた。

 

 

「はいはい、ごめんなさい。

 私とアリスはちょっと隠し事してるの。

 だからそうやってこそこそ話もする。

 でも、別にそれだけで早苗よりも仲が良いなんて言わないわ。

 だからほら、しゃんと顔を上げなさい」

 

 そう言うと凛は、早苗の両頬に手を当てて、顔を上げさせる。

 どこかキョトンとしていた早苗の顔が印象的。

 そこに軽く凛が笑いかけて、早苗の目を少しだけ見た。

 

「あ……」

 

 小さく、早苗が声を漏らす。

 何を思って何を感じたか、この時ばかりは計りかねたけど、それでも悪いふうにはならないか、ということだけは感じられて。

 早苗はどこか、ムムムと悩んだ顔をしてから、チラッと視線を私に向けた。

 その目が、本当ですか? と尋ねてきている気がしたので、私はコクンと一つ頷いた。

 それからむー、と口で言ってから、早苗はこう続けたのだ。

 

「分かりました、二人だけの秘密というやつですね」

 

 そう何だか違う理解を示すと、早苗は凛の両手サンドイッチからスルッと抜け出した。

 それから、早苗は私にグイっと一歩踏み込んで来た。

 顔に浮かぶは何故か得意げな表情。

 そして私の耳に口を近づけてきて……、

 

「神奈子様も諏訪子様も元気です。

 だから、きっとアリスさんにも加護はありますよ」

 

 と小さく耳打ちしてきたのだ。

 早苗の息が感じられる距離、白い息と首筋に当たる生暖かさが何とも生々しい。

 思わず、体をゾクリと震えさせてしまった。

 ――いけないと感じて、体が勝手に一歩後退する。

 

「アリスさん?」

 

「えぇ、そうね。

 早苗のお裾分けもあって、きっと私は幸福ね」

 

 怪訝そうな早苗の声に、誤魔化すようにちょっぴり微笑を添えて私はそう言ってのける。

 気恥かしさがあったのかもしれない、くすぐったいというよりは張り詰めたものがあったのかもしれないけれど。

 

「そうですよね!

 それが私とアリスさんの秘密ですよ!」

 

 だけれど直ぐに早苗は誤魔化されてくれて。

 にっこりと笑って、そう言ってくれたのだ。

 だから私も笑顔を返して、それでほんのりとだけれど心が暖かくなった気がする。

 これが早苗の良いところ、純真さと実直さが織り交ざってとても眩しく見える時がある。

 ただ、ここにはもう一人、

 

「アリスったら、やらしいんだから」

 

 ニヤニヤした顔でそんな事を指摘してくる、性格の悪い女の子がいるのだ。

 そしてそれは、私としても自覚している分だけ反論しづらかった。

 早苗が、え? と良く分からないという顔で首を傾げているのだけが救いであろう。

 少しばかり凛を睨むが彼女的にはどこ吹く風のようで、素知らぬ顔で未だにニヤニヤしていた。

 

「アリスさんの何がやらしいんですか?」

 

 そんな中で、早苗が不可思議そうに首を傾げたのに乗じて、凛は囁くように早苗に言ったのだ。

 

「アリスはね、早苗に耳元で囁かれた時にビクって体を震わせたの。

 きっと早苗にドキドキしちゃったのね」

 

「盛らないで、変な意味に取られるでしょう?」

 

「嬉しいくせに」

 

「煩いわよ」

 

 完全に凛の言葉はからかい混じりのモノになっている。

 口元なんて、完全に釣り上がっていた。

 柳洞くんが良く凛のことを女狐! 何て罵っている理由が良く分かろうというものだ。

 はぁ、と溜息を吐く私に意地の悪い狐耳が生えた凛、困惑顔の早苗。

 何とも言い難いのに居心地が悪いと感じないのは、もうスッカリ染まってしまったという事だろう。

 そう考えると、私を染め上げた凛の方がよっぽどいけない娘ではないか。

 

 全くもって悪い娘だこと、と呆れてしまう。

 だけれど、それで凛らしいと感じてしまうのだ。

 感じてしまった横暴さに、もぅ、と呆れて声を漏らしてしまった。

 だが、これでいいとも思ってしまえるのが、何ともくすぐったい。

 

「アリスさんが……」

 

 だからもう許すし早く行こうか、と思っているところに、早苗が小さく、だがキチンと声にしているモノが聞こえてきた。

 多分、凛には聞こえていない。

 私だけに、聞こえる声の小ささを、早苗が意図して出しているようだから。

 

「アリスさんが、私をそういう目で見るというなら……ちょっとだけ、本気で考えてもいいです」

 

 私は、早苗に私にだけ聞こえるような声で囁いてくれた事に感謝した。

 こんなこと凛に聞かれたら、取り返しのつかないくらいに空気が死んだかのようなドン引きが場を覆う事になるだろう。

 お陰で、少々の頭痛が私を襲い始める。

 早苗の真面目で真っ直ぐなところは大変良いとは思うが、あまりに純真すぎるというのも問題であるのだと理解してしまったから。

 

「お馬鹿、お調子者」

 

 言葉に本気が垣間見た様な気がしたので、茶化すようにデコピンを早苗にお見舞いする。

 ペチっと軽い音がして、あいたっ、と早苗の悲鳴が響く。

 ほんの少しばかりの罪悪感を感じるが、これが正しい、間違ってなんていない。

 

「そういう事は男の子に言うものよ。

 もっと大事に、心の箱にそっと置いておくの。

 箱の中は、本当に大好きな人だけにしか見せてはいけないわ」

 

 厳し目に、窘めるように早苗に告げる。

 とてもじゃないが、女の子同士でする会話ではなかった気がするから。

 そういうのがあるのは知っているが、少なくとも私はそうではないのだ。

 

「うー、アリスさん、いきなり酷いです」

 

「あなたの発言の方が酷かったわよ」

 

「……勘違いさせたアリスさんが悪いんです」

 

「あなたの早とちりよ、早苗」

 

 コソコソと、凛には聞こえないような小さな声での会話。

 むぅ、と納得がいってない早苗に、私はけど、とこっそりと言葉を続けた。

 

「でもね、早苗の結婚式には出席したいわ。

 式のスピーチをさせてもらって、早苗の可愛いところをいっぱい紹介するのよ。

 ね、きっとそういうのも素敵なのよ、分かる? 早苗」

 

 いたずらっぽく言うと、一瞬早苗は呆気に取られたような顔をして。

 直後、クスッと笑ったのだ。

 表情にはしょうがないなぁ、というものと、何かを発見したような喜びじみた色が滲んでいた。

 

「アリスさんって乙女チックですよね」

 

「知らなかったの?

 私は人形師、とっても夢ある職業よ。

 女の子だもね、えぇ」

 

 そうして、私と早苗は示し合わせたかのように笑みを浮かべた。

 きっと、こうするのが正解だと互いが答え合わせをするように。

 

「で、お二人さん。

 長い長い内緒話は終わって?」

 

 だから私は、少しだけ凛のことが頭から抜け落ちてしまっていた。

 声をかけられた事で、ようやく思い出せたのだ。

 早苗も同様のようで、アッと気付いたような顔をしている。

 

「それはもう」

 

「内容は?」

 

 内緒話をしていたというのに、わざわざ凛は聞いてくる。

 聞かせられない内容なんでしょ? とそんな暗喩も込めて。

 意地悪、と内心で罵りつつ、口が動くがままに私は言い放った。

 わざとらしさ満載だが、それがお約束のように。

 

「私と早苗の秘密ごと、二人だけの秘密よ。

 そうよね、早苗」

 

 そう水を向けると、早苗は息を飲んで。

 それから満面の笑みを浮かべて、確かに頷いたのであった。

 

「はいっ、私とアリスさんの秘密です!」

 

 凛は肩をすくめて、先に先にと歩き出し始める。

 呆れ半分、感心も多分に含んでいるとみられる。

 

「なるほどね、こうして誑し込んだわけね」

 

 どこか本気で納得している凛に、無礼者とばかりにチョップをくれてやった。

 全く持って、不健全な思考なことこの上ない。

 

「もう、凛は――」

 

「アリス、到着よ」

 

 もう一つばかり文句をたれようとしたところで、丁度着いてしまった。

 衛宮くんの家、立派な武家屋敷である衛宮邸に。

 容赦なくピンポンする凛を横目に早苗を見ると、ほわぁ、と何か凄いものを見たような表情をしていた。

 確かに、こんなに立派な武家屋敷など、日本に居ても珍しいのだから仕方がないだろう。

 

「さ、ここが今日、あなたのお泊りする場所よ。

 ……ワクワクする?」

 

 茶目っ気たっぷりに尋ねる凛に、早苗は一も二もなく頷いていたことを、心の手記に明記するものとする。

 ドタドタと玄関に近づいてくる足音を聞きながら、私はそんな事を考えていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こんにちは桜、元気そうでなによりね」

 

「はい、こんにちはアリス先輩。

 元気なのは、先輩達のお陰ですね」

 

 目の前で、桜がにこりと笑みを浮かべる。

 早苗のように眩いものではないが、見ていて心が落ち着く微笑み。

 桜との会話は、彼女の雰囲気のお陰で大概ゆったりとしたものになる(ただ、その中身は大概衛宮くんがどうこうというお話なのだが)。

 ただ、視線を私からチラッと離して別の場所を見ては戻す、という作業を桜は繰り返しており、何だか落ち着きが感じられない。

 

 ……まぁ、それも無理はないことだろう。

 何故なら、私の隣には桜を観察するようにじっくりと眺めている早苗の姿が存在し、台所には衛宮くんに耳打ちをして青ざめさせている凛の姿が見えてしまっている。

 桜的には気が気じゃなくてもおかしくは無い構図だ。

 

「早苗、自己紹介して」

 

「……はい」

 

 ただ早苗が珍しくも突撃ではなく観察という行動を取っていたので、背中を押すように私は声を掛ける。

 早苗と桜は何だかんだ言って可愛い二人なので、早く仲良くして欲しいという気持ちも存分にあるのだ。

 だからせっついて、早苗が応答したことに安堵感を覚える。

 

「私は東風谷早苗といいます。

 アリスさんとは親友、凛さんとはさっきお友達になったところです」

 

「は、初めまして、間桐桜です。

 アリス先輩には日頃からよくお世話になっています」

 

 早苗は割とふてぶてしく、桜は緊張気味に言葉を交わす。

 二人も視線が交錯する、一方は探るようで一方は困惑したように。

 桜が、早苗の強い視線に押され気味なのだ。

 

「早苗」

 

「はい、アリスさん!」

 

 対して早苗は、私の呼びかけには元気に返事をする。

 それはある意味露骨で、少々ばかり思うところができてしまうのは事実であった。

 

「桜とは仲良く、ね」

 

「念を押してアリスさんがそう言うなんて……」

 

 むぅ、と上目遣いで私を見て、そのまま視線を桜にスライドさせる。

 どこか警戒している様にも見える視線、そこであぁ、と思い当たることがあったのを思い出す。

 そういえば、凛に初めて会った時も似たようなものを向けていたな、と。

 

「ごめんなさいね桜、早苗はいい子だけれど、どうにも初めて会う人には警戒心が強くてね」

 

「いえ、それは違います」

 

 フォロー替わりに私がそう言うと、即座に早苗からの否定が入る。

 まさかの背後からの一撃である。

 思わずジトっとした目を向ければ、早苗は堂々とこんなことを言ったのだ。

 

「私はアリスさんに近いと思った人を警戒するんです」

 

 言い終わるやいなや、ビシッと桜を指差し、早苗は胸を張って告げたのだ。

 

「貴方からは私と同じ匂いがします。

 アリスさんが大好きな匂いです!」

 

 間違いないですね、何てキメ顔で告げる早苗。

 それに私どころか、桜まで唖然としてしまっている。

 さて、どうしたものか、なんて考えてたら、頭より先に口が動き出していた。

 ちょっと空気がアレになりかけているのかもしれないと、私の本能が察したのかもしれない。

 

「早苗にはね、起きながらに寝言をいう特技があるの」

 

「アリスさんひどいです!?」

 

「間違ったわ、病気ねこれは」

 

「悪化してますっ!」

 

 まさかの裏切り!? とユダに裏切られたような顔をしているが、まずはおかしな発言を繰り返している自分を振り返って欲しい。

 普段から振り回してくれてるから、ほんの些細なお礼をしておこうとは、少ししか考えていない。

 早苗は早苗でいてほしいから、こうしてたまに少しの仕返しをするだけ。

 ただ、もう少し勢いを抑えるようになってくれれば、言うことはないのであるが。

 

「持病でしょう?」

 

「寝言じゃないです、本音です!」

 

「ほら、ね」

 

 ムキになりかけの早苗を横目に、私は桜に笑いかけた。

 決して、取っ付きにくい子ではないのだ、と伝えるように。

 すると桜は、私達を見ていて、ふんわりと笑ったのだ。

 桜も早苗の様になる時もあるが(主に衛宮くん関連)、今の桜はやっぱりホッとさせてくれるオーラを感じられた。

 

「東風谷さん」

 

 優しい口調で、桜は早苗へと語りかけ始める。

 何故だか親しみを持って、柔らかく。

 

「私もアリス先輩のこと、好きです。

 東風谷さんはよく人を見てるなぁ、と思いましたもん」

 

 けれどそこから飛び出した言葉は、私を褒め殺そうとでもしているのかと言わんばかりの甘いもの。

 ビックリして桜を見るが、彼女は笑みを深めるだけ。

 早苗に至っては、そうでしょうそうでしょう、などとドヤ顔で頷くばかり。

 個人的に恥ずかしいから、そんな褒めそやすような真似は謹んでもらいたい。

 何か、この娘達の間では、どうにも私は過大評価されがちなのだから。

 

「だからきっと、私達は仲良くできると思いませんか?」

 

 けれど私のことなんてお構いなしで、桜は早苗に手を差し出した。

 これで早苗が手を握れば、二人はきっと本当に仲良く過ごせるのだろう。

 思わず私も二人を注視する。

 桜は手を差し出してジッと待ち、早苗は手を見て少し考えているようだ。

 ……そして、

 

「握手をする前に、一つ聞いておいても良いですか?」

 

「はい、何ですか?」

 

 早苗が真面目な顔をして、桜に問いかける。

 桜も首を少し傾けながら、それに応えていた。

 

「あちらの人」

 

「先輩?」

 

 早苗の目は台所に向けられていて、そこには衛宮くんと凛の姿。

 凛に何か言い含められてしまったであろう遠い目が、郷愁を誘われる物悲しさがある。

 

「あの人、あなたにとっての何なのですか?」

 

「先輩が、ですか……」

 

 どうして? と桜からの疑問が明け透けて伝わってくる。 

 私も同じことを考えているから、桜の気持ちは良く分かる。

 早苗がどうしてそんなことを気にしているのか、ちょっと分からないから。

 でも、真面目な顔をしている早苗に、あまり不躾な質問はしづらい。

 だからか、桜は戸惑いつつも正直に答えた。

 

「私の……好きな人です」

 

 答える時は躊躇しつつも、顔を赤く染めてキチンと桜は告げたのだ。

 恋人、と明言しなかったのは、桜故の奥ゆかしさがあるのだろう。

 私はそれに微笑んで、今度は早苗の方を見た。

 彼女はなるほど、何て言いながら桜に手を伸ばし始めて。

 

「それなら、私は間桐さん、ううん、桜ちゃんの友達になれそうです!」

 

 そう言って、早苗の方から積極的に桜の手を繋いで、ブンブンとその手を振り始めたのだ。

 それに私も桜もポカンとしていたが、もう何か早苗がそう言うならいっか、という空気になっていた。

 思いつめる必要もない、早苗は大体こんなんだから、と会って間もない桜にも伝わったようで。

 早苗の手を、ギュッと握り返したのであった。

 

「そっちは……うん、無事に終わったようね」

 

 そんな時、タイミング良く凛がこちらに戻ってくる。

 台所には頭を抱えた衛宮くん、哀れな、と思わずにはいられない。

 

「貴方も、手酷くやったようね」

 

「あら人聞きの悪い、私は当然の権利を主張しただけよ」

 

「唯我独尊ね」

 

「道は自分の前にあるものよ」

 

 良くも言えるものだと、逆にそこまで行くと感心してしまう。

 王道というには、些か邪道が過ぎていたとは思うが。

 私が衛宮くんに哀れみの視線を向けると、凛はどこか楽しそうに口元を歪めて宣言する。

 

「じゃ、楽しいお泊まり会の準備、始めましょうか!」

 

 その凜の声は、何時もよりも幾分か浮かれているように感じられた。

 

 

 

 

 

 

 僕、間桐慎二は大変に不服だった。

 何が? と聞かれれば勿論、この僕が! わざわざ桜の為に使いっぱしりをさせられることであった。

 どういうことかというと、それはあの爺の一言から端を発している。

 

「ふむ、レトルトは不味いのぅ」

 

「チンしてないからだよ、何でチンしてないんだよ!」

 

「間桐の家の者が、電子レンジなど下々の、それも文明の利器を使うなど論外じゃ。

 そんなことをするのは桜だけで良い」

 

 間桐の屋敷の食卓、そこでは爺が食事をしていた。

 チンしていないレトルトカレー、その冷たくドロッとしているだけの気持ち悪い物体を機械的にスプーンで掬っては口に運ぶという愚行を繰り返していたのだ。

 ついにボケたか! と思いはしたが、怪しげな笑いからは、何時もの不気味さが抜け落ちていない。

 舌打ちしそうになるのを我慢しつつ、爺の奇行を僕はただ見ていた。

 文明の利器を使うよりも、チンしてないレトルトカレーを喰らう方がマシなんだ、とある種の驚愕を持って。

 

「で、お爺様は何で僕を呼んだ訳?

 僕だってそんなに暇じゃないんだけど」

 

「呵呵、儂は暇じゃ。

 桜が家に帰ってこんからな」

 

「…………」

 

 サラッと外道なことを言ってのける爺。

 例の調練は正月くらいは無しにしてやろうとか、今更何をと言わんばかりの気遣いであったが、悪い提案ではないのでそのまま黙って反抗はしなかった。

 今頃桜も、衛宮の家でのんびりとやっている事だろう。

 それを考えると良かったと思う反面、鼻で笑ってやりたくなる衝動に駆られるが、品が宜しくないので我慢をする。

 

 そんな僕を他所に、爺は来ている和服の懐に手を突っ込み、ゴソゴソと何かを探り始めた。

 さて、何処じゃったかな、何て言ってる辺りで、早くボケてしまえとも思ったが、あと百年は優に生きそうである。

 早く死ねばいいのに、と本気で思う。

 

「これじゃったか」

 

 そうして、爺が懐から取り出したもの、それは黒光りしていて生理的嫌悪感を催すもの。

 思わず、顔が引き攣ってしまう。

 

「ゴキ、ブリ?」

 

「そうじゃな、ゴキブリじゃ」

 

 震える声で尋ねると、爺は鷹揚に頷く。

 そしてそれを掴んだまま、次の奇行に走り始めたのだ。

 

「これをこうしてじゃな」

 

 突如、掴んでいたゴキブリを宙に放り投げる。

 

「ヒィ!?」

 

 何てことを! と憤慨しかけるも、次の瞬間、僕は言葉を失うことになる。

 それは、一瞬で起こった出来事。

 

「こうじゃ」

 

 爺が一つ指を鳴らすと、音を超えるスピードで幾つもの羽虫が飛来した。

 透明色の羽の大群、それらは宙のゴキブリを自らの羽で次々と細切れにしていく。

 最終的に、ゴキブリだったものは粉末状になり、そのままチンしてないレトルトカレーに降り注いでいく。

 まさに圧巻、色々と酷い惨状であった。

 

「ふむ、やはり苦いのぅ」

 

 そしてそのまま、そのチンしてないレトルトカレーを口に運ぶ作業に戻り始める爺。

 もう僕、部屋に帰ってもいいかな、と本気で思うこの時。

 

「それで慎二よ」

 

「……何でしょうか、お爺様」

 

 顔を引き攣らせつつ答えると、爺は再び懐に手を突っ込んだのだ。

 思わず腰が引けてしまうが、爺が次に取り出したのは何の変哲もないお年玉袋。

 それが二つあり、それらを僕の方に投げてきたのだ。

 

「お前が桜に届けるのじゃ、慎二よ」

 

 それだけ告げると、黙々とゲテモノカレーの消化に戻り始める爺。

 もう一生そこでそれ食ってろ、と心の中で吐き捨てて、僕はコートを取りに行く。

 このまま家の中にいてても爺が煩いだけだし、提案に乗ってやろうと思ったのだ。

 

「でもこれ、ゴキブリの入ってた懐から出てきたよな……」

 

 出かける間際に、嫌なことに気が付いてしまう。

 さて、と思いながら、取りあえずは家を出る。

 衛宮の家に行く前に、少し寄り道していくかと考えながら。

 

 

 

 

 

 衛宮くんの家の居間の炬燵、それで足を温めながら皆で話をしていた時のことだった。

 ピンポーンとよく響く音がして、ガラガラっと扉を開く音がする。

 チャイムを押したのに、そのまま入ってくるの? と疑問を感じていると、あぁ、といった感じで衛宮くんがあっさりと答えてくれた。

 

「慎二だな、相変わらず強引だ」

 

 困ったやつだ、という口調ではあるが、どこか嬉しそうである声音。

 男の子一人の環境に居心地の悪さがあったらしいから、衛宮くんにとっての救いの神となったのだろう。

 衛宮くんは徐ろに立ち上がると、間桐くんを迎えにそのまま居間を離れていった。

 私と凛は、顔を合わせて肩を竦め合う。

 悪いことをしたかな、という気持ちと、間桐くんかぁ、という複雑な気分。

 それらが合わさっての反応だった。

 衛宮くんが間桐くんを無下にしない、というのを分かっていたというのも大いにあるのだけれど。

 

「ま、なるようになるでしょ」

 

 凛のその言葉に、私も同意するように頷く。

 考えてもどうにもならない状況なら、流されるのもまた一興。

 クリスマス・イヴの時に凛にしばかれているから、滅多なことにはならないだろうという憶測も多分にあった。

 

 ……そして、彼は来た。

 予定調和のように、居間へとやってきて。

 

「今日は京豆腐を買ってきたぞ衛宮ぁ。

 高いんだから、味わって食べるんだぞ!」

 

「へぇ、そりゃ楽しみだ。

 今日は海鮮鍋にでもしようと考えてたし、丁度いい」

 

「ふーん、まぁ、悪くはないんじゃないの?」

 

 そんな会話をしながら、衛宮くんに対して結構笑顔満載で。

 その楽しげな彼がこの居間に入ってきて私達を認識した瞬間、見事にフリーズする。

 順番に、私、凛、ついでに早苗とガクガクの首の動きで視線を移動させて、何故かもう一度同じような仕草で私達を見る。

 そして処理落ちした動画の様な動きで衛宮くんを見ると、彼は首を横に振るばかり。

 どう言う意味だと言わんばかりに凛が睨むと、さしもの衛宮くんもスっと視線を逸らす他になかったようだ。

 

「あの、こちらは?」

 

「ホモよ」

 

 早苗が不思議そうに尋ねると、即答で凛が返答する。

 あんまりな反応だが、つい面白そうだから黙って私は静観していた。

 さて、どう荒れるか、何て悪いことを考えながら。

 

「遠坂、お前ぇ!?」

 

 即座に凄い形相で間桐くんが凛を睨むが、凛は凛でやたら好戦的な目をしている。

 どれだけ間桐くんに対して、思うところがあるのだろうか。

 前は柳洞くんと間桐くんで、衛宮くんを取り合っているなんて噂を流していたし、凛の私怨混じりの容赦なさを垣間見た気がしたものだ。

 

「ね? 桜もそう思うでしょ?」

 

 だが気にするでもなく、凛は急に桜に笑顔満点でそう言って。

 急な問いかけに、え、と困惑する桜だが、凛を見ている内に、次第にしかたないなぁ、という表情に変わっていって。

 

「そうですね、私と兄さんは先輩が大好きですから」

 

 なんて、ちょっと意味深な回答をしてのけていた。

 その思わぬ伏兵に間桐くんは言葉なく絶句するが、更に追い討ちをかける出来事が起こってしまう。

 

「そうですね、何か顔がホモの人に見えてきました」

 

 早苗が、何て言いながら慎二に止めを刺したのだった。

 凛が吹き出し、桜がつられ、私も腹筋を擽られたかの様に笑ってしまう。

 間桐くんに至っては、ホモの人……何て呟いてウスターソース並みに濃ゆい顔をしていたのが、更に腹筋を虐めるのに拍車をかけてしまう。

 

「え? どういう事なんですか?」

 

 ただ、止めを刺した早苗だけが状況を理解してなく、何事? と私達を見回していたのだった。

 事態が収集されるのは、衛宮くんが慎二を虐めるのはそこまでにしておけ、と呆れ顔で止めに入ってくるまでのことである。

 

 

 

「えっとつまり、その間桐慎二さんはホモではない?」

 

「そうね」

 

「でもホモの方のような顔をしていらっしゃりますよ?」

 

 それから、簡易的な自己紹介を妙な雰囲気の中で間桐くんと早苗の中で交わされた。

 けれど、第一印象が強烈過ぎた為に、未だに早苗の中で間桐くん=ホモの人という方程式が成り立ってしまっているのだ。

 

「ねぇ、これ、どうやって責任取ってくれるんだよ遠坂!」

 

「あら? 間桐くんは衛宮くんが大好きなんじゃないの?」

 

「誰がこんな貧乏人を!」

 

 間桐くん的には大きな精神的損害を被ったらしく、凛に食って掛かってる。

 仕方がないししょうがない、凛も悪ふざけが過ぎたことを自覚しているくせに、未だに飄々としている。

 どうしてここまで辛辣になっているのか、未だに謎だ。

 過去に何があったというのであろうか。

 

「衛宮のことより、先に僕のことだろうがぁ!

 これ、ずっと勘違いされたままだったらどうしてくれるんだよぉ!

 お前がマーガトロイドとレズってるって噂が広がったらどう思うのか考えろ!」

 

「あらアリスと?

 フフ、面白いことを言うわね」

 

 凛が面白そうに言うが、まだまだ間桐くんをおちょくり足りないのか。

 言葉に反応して早苗がこっちを見てくるが、首を振るって何もない事を告げる。

 別に、私と凛とが背徳の儀式をしているとか、そういう事実は全く無根なのだから。

 

「あのさぁ、遠坂はそうやって笑ってられるけど、僕はもう笑えないくらいに学校で噂が広がってんだよ?

 しかも解けなさそうな誤解がまたひとつ増えたときた!

 分かる? この罪の重さ!」

 

「今更一人増えたぐらいでガタガタ煩いわねぇ」

 

 加害者側なのに態度が悪い凛。

 ただ間桐くんも元気なので、そこまで傷ついてる様子が見られないことだけが救いか。

 

「慎二もしばらくしたら収まるだろうし、俺達は先に夕食の準備をしておこう」

 

 衛宮くんも大抵マイペースで、そう告げると立ち上がって台所へと向かい始める。

 桜もそれに追随し、私も衝動的に立ち上がっていた。

 

「手伝うわ、私も」

 

「アリスさんが手伝うなら、私も頑張ります!」

 

 私に続くように早苗も立ち上がるが、衛宮くんは私達を手で制する。

 そこまでする必要なないと、落ち着きとある種の自信を持ってだ。

 

「お客さんにそこまでさせる訳には行かないさ。

 それにどうせ夕飯は鍋だ。

 同じような作業をするのに、台所が埋まってるとちょっとな」

 

 そう言うと衛宮くんはお茶をついで、そっと蜜柑を差し出してきた。

 これで待ってろということだろう。

 一瞬逡巡するが、結局私と早苗は蜜柑を受け取って、炬燵の中にいそいそと戻った。

 桜だけがちゃっかり衛宮くんと一緒に台所に入っていくのに、思わず笑みを浮かべてしまったのは仕方がないことだろう。

 

「桜?」

 

「一人くらいなら、別に手伝っても邪魔になりませんよね?」

 

「まぁ、それはそうだけど」

 

「なら折角なので手伝っちゃいます!」

 

 楽しげに桜に告げられては、流石の衛宮くんもタジタジなようで、頷いてしまっていた。

 やっぱり、この二人は良いな、と改めて思ってしまった瞬間である。

 

「良いですね、ああいうの」

 

「そうね、お互いに何時か素敵な人が見つかれば良いのだけれど」

 

 そんな二人を、私と早苗は羨望とはまた違う、憧れのような目で見ていた。

 素敵だなと、素直に思えてしまったのだ。

 

 そうして互いにじゃれたりしているうちに、時は過ぎていって……。

 それから、である。

 

 

 

「なんでじゃあああァァァァァーーーーーーっ!?!?!?」

 

 元気すぎる、藤村先生の咆哮をその耳に捉えたのは。

 ただ皆は、何時もの事と割り切って楽しく鍋を消化している。

 早苗にも、あらかじめ気にしちゃダメよ、と伝えていたので驚きつつも、本当に叫びました、とどこか感心した様な表情をしていたのだ。

 

「せ、説明できる人カモーン!

 士郎、士郎! 説明なさい!!

 お姉ちゃんは士郎のハーレム建設なんて、許可した覚えはないんですからね!」

 

 錯乱した藤村先生が猛々しく狂っている何時もの平和な光景。

 鍋というのは、ここまで独特な風味があるのかと感心しながら食べている。

 特に、この魚介の風味が何より良い。

 

「ちょ、藤ねぇ、落ち着けって!

 ほら、ほたてがあるぞ、白菜も一緒にいれるからな」

 

「ありがとー、ハグハグって違う!」

 

 ちゃっかりとよそわれた食材を食べながら、藤村先生は絶叫を繰り返す。

 何時もの事とは言え、流石に近距離でのハイパーボイスは辛い。

 ビーストテイマーたる衛宮くんに目を向けると、既にあやす様に色々と食材を藤村先生の取り皿に放り込みながら、ゆっくりと言い聞かせるように彼は告げてゆく。

 

「ほら、桜の為の女子会みたいなもんだよ、今日は。

 俺に会いに来た、というよりもそっちのほうが近いんだ。

 だから俺が云々とか、そういう話はやめろよな。

 慎二だっているのに」

 

「で、でもぉ、最近は間桐君も、士郎に野獣の眼光を向けてない?

 ”お前は士郎ではない、尻ぃだ”的な」

 

「なんでさ」

 

「おい藤村、巫山戯るなよ!

 一体僕になんの恨みがあるんだ!!」

 

「あー、間桐君いけないんだー!

 先生の事を呼び捨てにしたらいけないんだー!」

 

「小学生かよ!」

 

 何時の間にか間桐くんも巻き込んでの、楽しげな喧騒が聞こえてくる。

 桜はそれに加わるわけではないが、とても微笑ましそうに眺めていて。

 これが衛宮家の日常か、と思わせるものが存在する。

 

「優しいわね」

 

「……はい」

 

 桜に語りかける。

 何が優しいとか、わざわざ口にはしなかった。

 その言葉だけで、桜はキチンと肯定してくれたのだから。

 暖かい、と評しても良いだろう。

 

「むしろ美味しいです」

 

「そうね、早苗は牡蠣でも食べてなさい」

 

「あ、ありがとうございますアリスさん!」

 

 早苗のお椀に具をよそってあげると、嬉しそうにモグモグと食べ始める。

 しっかりとした衛宮くんの家の出汁が、鍋の美味しさを一層引き立てているのだ。

 早苗が夢中になってしまうのも、無理はない話だろう。

 

「桜」

 

 そんな騒がしい中で、凛が桜に話しかけた。

 余裕そうに見える表情ではあるが、凛の内心が揺れていることを、私は知っている。

 それでも、凛は桜の前では意地を張りたがるのだからしょうがない。

 

「今、楽しい?」

 

 凛が聞いたこと、それはとてもごくありふれた、そこらに散らばっているもの。

 誰だって探せば見つけられるであろう、素敵な欠片の一片。

 そんな当たり前を、凛は桜に尋ねて。

 

「そう、ですね」

 

 桜の視線は、あの喧騒へと向けられている。

 お祭り騒ぎの中心部、仲裁しようとしている衛宮くんや、牽制し合っている間桐くんに藤村先生。

 きっと、一人でも一緒にいると、飽きない日々を遅れそうな面々。

 桜は、そんな人達を、胸に手を当てて眺めていた。

 彼女の目がレンズで、自分のフィルムに今を書き込んでいくような儚さ。

 しっかりと目に焼き付けて、桜は凛へ答えを返す。

 ぶれる事のない、確固たる真実として。

 

「私、幸せすぎて怖いです」

 

「……そう」

 

 桜の返事に、凛は安心したような、けれど何か悔しそうな感情を噛み締めていた。

 複雑極まる凛にも、桜は衛宮くん達と同様の目をしていた。

 それは桜が、何よりも凛の事を気にしているということにほかならない。

 

「遠坂先輩も、ここにいてくれるんです。

 それだけで私は幸せ、望み以上のモノが手に入ってるんですから」

 

 穏やかだけれど、滲み出すものを感じられる桜の言葉。

 万感の思いが詰まっている、彼女の幸せのカタチ。

 凛はそれを聞いて、そっと目を閉じる。

 噛み締めるように、繊維に色を染み込ませるように。

 ……そして凛が目を開けた時、何かを吹っ切ったような顔をしていた。

 開き直ったような、好意的に見れば盲が開けたような。

 

「桜は遠慮のしすぎね。

 世の中一つ幸せが手に入ったら、次の幸せを取りに行くものよ。

 探せばそこら中にあるわ、それこそ星の数以上にね」

 

 ま、見つけるのは難しいけど、何ていう凛に、桜はクスッと笑いを漏らす。

 そして、そうですね、と確かに桜は同意した。

 

「遠坂先輩らしいです。

 でも、だからきっと、遠坂先輩は沢山の幸せを手に入れられると思います」

 

「そうね、だから桜も、沢山の幸せを手にしてみせなさい」

 

 凛と桜、二人で笑い合っている。

 きっと二人は、今この瞬間にも幸せを手にしているのだろう。

 何とも羨ましく、また伝わってきてしまうのだろうか。

 

「……アリスさん? アリスさんはハマグリ何てどうですか?」

 

 横合いから、食べるのに必死だった早苗が、あまり食を進んでいない私を気遣って声を掛けてきてくれた。

 あちらとは温度差を感じるが、それでも早苗のお陰で私も笑顔になれる。

 不思議と、早苗にはそんな魅力があるから。

 

「えぇ、頂くわ」

 

 お椀を渡し、早苗がそこにハマグリやらマロニーさんを詰めていく姿を見て、ふと思った。

 ――何だ、私にも幸せ、キチンとあるじゃない、と。

 

 

 

 

 

「ふぃー、食べた食べた」

 

「本当にな」

 

「全く、量を食べれば幸せなんじゃないのか?」

 

 食後、衛宮くんが入れてくれた緑茶で喉を潤しながら、私達はぼんやりとしていた。

 間桐くんの凛に向いていたヘイトは、殆どが理不尽の塊である藤村先生へと現在向けられているようだ。

 どうせ直ぐに聞く耳持たないと判断するだろうと、今は放置気味。

 テレビでは正月特集と銘打って、芸能人達が色々としているのを流し見で見ている。

 

「うー、美味しいからって食べ過ぎましたー」

 

 一方で早苗も藤村先生のごとく、そのまま仰向けで寝転がっていた。

 この場には男子もいるぞ、という警告は、一向に早苗の耳に届かない。

 

「藤ねぇ、だらしないぞ。

 それに、えっと、東風谷さんも、食べてすぐ寝ると牛になるぞ」

 

 衛宮くん、もうすっかり主夫である。

 主夫というか、お母さんというか、取りあえずは保護者ということで間違いはない。

 

「イイのよー、別に。

 お正月ってそういうものでしょう?

 私も今晩はここに泊まってくから、よろしくー」

 

「やっぱり、妥協点はそこになるんだよな。

 ……ま、しょうがないか」

 

 どこか達観したように衛宮くんはそう言い、布団足りるかな? とボヤきつつ居間から離れていった。

 お疲れ様としか言い様がない働き振りだ。

 

「アリスさんもー、横になりましょうよー」

 

「バカおっしゃいなさい、牛になるんでしょう?」

 

「いーじゃないですかー。

 アリスさんと一緒なら、私牛になっても良いですよぉ」

 

 もうすっかりダラダラである。

 藤村先生の自堕落菌が、見事早苗にまで感染してのけたのだ。

 

「あー、東風谷さんだっけ? マーガトロイドさんのお友達の。

 話わかるわねー、日本人の風情と言ったらこれよねー」

 

「はい、全く持ってその通りです。

 これが幸せなんですー」

 

 二人揃ってだらけてしまっている。

 類が友を呼ぶとは正しくこのこと、蟻地獄のようだとさえ思う。

 

「やっすい幸せね」

 

「プライスレスですからー」

 

 凛の皮肉さえ、早苗には全く効く様子がない。

 こりゃ重症ね、と呆れている凛に桜がまぁまぁ、と空になったコップに、お茶を注いで渡していた。

 元から互いをすごく気にしていたが、今は自然体で相手に接している。

 あの時の会話に何があったのかは、私は対して理解していない。

 だが、あれでお互いに分かり合えたことがあるんだということだけは分かる。

 兎に角和やかさがあるな、と感じられていた。

 

「それじゃ、僕はそろそろ帰る」

 

 そんな中で、間桐くんは唐突にそんな事を言いだした。

 突然、というほどでもない。

 間桐くんが衛宮くんの家にお泊りするなんて話は聞いてないし、本人もそういうのは嫌がりそうだと感じたから。

 

「折角のハーレムなのに?」

 

 からかう様に凛が言うと、間桐くんは鼻で笑って私たちを見た。

 周りを見て、正気か? とでも言うかのように。

 

「何よ」

 

「お前さ、周りにいるのが牛二匹と天敵二人、それから妹だということをよく考えろよ。

 この中で一番マシなのが桜って時点で無いんだよ、僕からしたらさ」

 

「……へぇ」

 

 綺麗どこばかり集まったこの場を見ての反応であるのだから、中々にひどい発言だ。

 だが、それ以上に私達が間桐くんにしてきた所業を考えると、言い訳はし難いものがあるのだろう。

 私に至っては、恨みどころか弱みまで見せてしまっているから、兎に角接触を避けようとまでしているし。

 

「帰り道には気を付けなさいな」

 

「一々言われなくても分かってるさ」

 

「ご尤もでしょうね」

 

 私の言葉にすげなく間桐くんが返答し、そのままこの場を離れていく。

 最後に、居間から出ようとする時に間桐くんが振り返って、

 

「じゃあな。

 それから桜、爺からお年玉だそうだ」

 

 そう告げてお年玉袋を投げて去っていったのには、素直じゃないなという感想しか抱けなかった。

 そんな性分ご苦労さま、としか言い様がない。

 桜も、兄さんったら、と小さく呟いている。

 凛はそんな間桐くんを面白そうに眺めていて、間桐くんも大概人気者だな、と感じさせられるものがあった。

 

「おーい、部屋どこにするんだ?」

 

 丁度間桐くんが帰ったタイミングで、衛宮くんの声が響く。

 布団を卸し終えたのであろう。

 私達は自然と顔を見合わせて、示し合わせたように立ち上がる。

 寒い中で、衛宮くんだけ苦労させるには忍びないから、出来るだけ急ぎながら。

 テコでも動かなかった藤村先生は……まぁ、なるようにはなるのだろう。

 

 

 

「で、どうするんだ?」

 

 押入れから布団を取り出した衛宮くんが、私たちにそう訊ねてくる。

 どうするのかと言われても、衛宮くんの家は広いという事だけは知っているが、どこにどんな部屋があるかまでは知らない。

 どこにどの部屋があるのか、まずは聞かなきゃ、と私が思っていると、急に早苗が手を挙げた。

 恐らくは発言を求める為の挙手、どこまでも律儀である。

 

「何だ、東風谷さん」

 

「はい、あのですね!」

 

 衛宮くんが早苗に向くと、相変わらずの元気印全開で早苗は語り始めた。

 さっきまで牛になろうとしていた人物とは、全くもって思えない元気さだ。

 ……だが、その元気さ故の発言だったであろう次のものは、ちょっぴり私達を驚かせる類のものであった。

 

「私は、折角のお泊まりなので、皆さんと一緒に雑魚寝したいです!」

 

「……え?」

 

 衛宮くんが困惑したような声を出す。

 心底困っている訳ではないが、さてどうしようかと悩んでしまう程度のもの。

 だが、早苗が何を早とちりしたのか、衛宮くんの声に対して、別の解釈をしたらしい。

 

「あ、その、流石に男の人と雑魚寝はちょっと……困ります」

 

 ほんのり顔を赤くして告げる早苗に、衛宮くんは頭が痛そうにこめかみを押さえていた。

 何時ものことなのよ、と告げると、どこか諦めたような表情も浮かべて。

 

「流石に女の子と一緒に寝ようなんて思わないさ。

 それより、雑魚寝ったってどこでするんだ?

 場所がないし、詰めても三人くらいしか入らないぞ」

 

 衛宮くん、意外に切り替えも早い人である。

 即座に返答してのけたのは、流石といえよう。

 そしてその答えに、早苗は少々考えてから……。

 

「じゃあ、私とアリスさんと凛さんの三人で大丈夫ですか?」

 

「いや、俺は良いけど……」

 

 そう言うと衛宮くんは私達に視線をやって。

 決めるなら自分達でどうぞ、と言わんばかりである。

 それはそれで、当たり前なのだが。

 

「どうするの、凛?」

 

「ん、私は別に良いけど」

 

 回答はあっさりしたもの、凛は即座にオッケーを飛ばす。

 無論、私も嫌がることはないので、すんなりとその要求は通った。

 その最中に桜がこっそりと、

 

「私も……先輩と一緒に寝たいなぁ」

 

 と呟いていたのが印象的であった。

 二人共、とっくの昔に一緒のお布団かと思っていたが、違っていたらしい。

 節度があると感心すべきか、スローペースと呆れるべきかが迷いどころだ。

 

「じゃ、決まりね。

 桜は藤村先生の看護でもする?」

 

「こらこら、桜に面倒事を押し付けるなよ」

 

 私が巫山戯てそう言うと、衛宮くんは呆れながら私を窘めて。

 ……でも、何故だか、桜はしっかりとその言葉に反応していた。

 あ、そうか、と何かを思いついたように。

 

「先輩、今日は私と藤村先生と先輩で一緒に寝ましょう!」

 

「なんでさ!?」

 

 丁度良い都合を見つけたと言わんばかりの桜に、衛宮くんの絶叫が響き渡る。

 気恥ずかしいのか、今まで全く進展していない関係に、桜としてもヤキモキしていたのだろう。

 まずは第一歩と、そう言いたげである。

 

「大丈夫ですよ先輩。

 藤村先生がいる中で、そういうことってあると思いますか?」

 

「……まぁ、それはそうだけど」

 

 説得力のある言葉で、衛宮くんの退路を塞いでいく桜。

 それだけ溜まっていたものがあるのだろう。

 その様子を、私達は眺めていた。

 凛はニヤニヤ、早苗はキラキラ、私はワクワクの三者三様。

 結果を楽しみに眺めていて、そして……。

 

「……藤ねぇが一緒にいる、それが絶対条件だ」

 

「はい、ありがとうございます、先輩!」

 

 桜のゴリ押しで、今日の寝床の分布は決まったのだ。

 すごいですねぇ、などと早苗と語り合いつつ、私達も自らの布団を持ち上げる。

 さて、今から布団を運ばなくては。

 

「こっちだ」

 

 衛宮くんに先導されるがままに、私達は布団を運ぶ。

 冷たい廊下を渡ってたどり着いたのは、ちょっと広めの和室。

 布団には和室が似合うと、ふと思ってしまう。

 

「じゃ、お前たちの部屋はここな。

 さて、次は俺達の部屋を探さないとなぁ」

 

「はい、先輩!」

 

 楽しげに、桜と衛宮くんは去っていく。

 きっとこれからも、ずっと続くであろう光景を幻視させながら。

 

 

 

 

 

 それから私達は、お風呂に入ったり歯を磨いたりしていると、自然と時間は過ぎ去っていく。

 気が付けば時は十二時近く。

 衛宮くん達とは、既におやすみなさいをしている。

 ついでに言うと、藤村先生は衛宮くん達と布団を並べるのに積極的だった。

 曰く、士郎がそんなことしないのは分かってるけど、保護者としてちゃんと監督しなくちゃね! とのこと。

 本人は至って楽しそうにしていたから、全く問題はないのであろう。

 そういう訳で、私たちもまた布団の中の住人になろうとしていたのだ。

 

「それじゃ、電気消すわね」

 

「よろしく、アリス」

 

 凛の言葉に従って、部屋の明かりを落とす。

 暗くなった部屋で、早苗と凛を踏まないように気を付けながら自分の布団へと潜る。

 中はまだ冷たいけれど、何れは暖かくなるだろう。

 この部屋には、私だけでなくて他に二人もいる。

 その内に、三人分の暖かさで温くなるはずだ。

 

「でも、こうしていると何だか不思議な気分ね」

 

「そうね、一緒だなんてね」

 

 私と凛の声が静かに響く。

 喧騒とは程遠いこの場所で、私達以外の声が響くことはしない。

 何だかこの場所が、世界から隔離されたような、不思議な感覚。

 不安でも孤独でもなく、静けさが齎す不可思議さの方が気になってしまう。

 

「まるで修学旅行ですね!」

 

 但し、早苗は私とはまた別の意見であったようで。

 その言葉を聞いて、成程確かにそちらの方がらしいか、と納得してしまう。

 ちょうど藤村先生もこの家にいるんだから、と。

 

「修学旅行、ね」

 

 そしてその時、凛が意味深にその言葉を繰り返した。

 多分ニヤリとでも笑っていそうな、含みのある声。

 

「なら、折角だし恋バナでもする?」

 

「わぁ、良いですね!

 まるでアリスさんとや凛さんと、本当に修学旅行してるみたいです!」

 

 凛からの提案、恋バナ。

 私も好きな話であるそれ、早苗も話したがっているのだから、拒否する理由もない。

 凛がそんな提案をするのは、少々珍しいな、とは思うけれど。

 

「凛、言い出しっぺの法則とかあるのはお分かり?」

 

「別に良いけど、そんなに面白い話があるわけじゃないわよ?」

 

 バトンを投げると、凛はあっさりとそれを受け取った。

 だとすれば、本当に何もないのか。

 もしそうならば、あまり面白くはない。

 

「で、話をするとね……私、結構モテるのよ。

 告白だって、何回かされた事があるんだから」

 

「わぁ、それ凄いですよ凛さん!」

 

「まぁ、それ程のことじゃないわ。

 早苗だってないの?」

 

「んー、私はあんまりないですね」

 

 あんまりということは、少しはあるというのか。

 何とも言えない敗北感を感じる。

 いや、私にだってあるのだが、それは……。

 

「それでは凛さんは男の人とお付き合いをしたことがあると?」

 

「いいえ、私はまだ無いわね」

 

「え、何でですか?」

 

「私はね、これでも理想が高いの。

 これだって思った人としか、そういうお付き合いはしたくないのよ」

 

「流石は凛さんですね」

 

 二人で盛り上がっているが、凛はしつこく付き纏われれば、逆上して相手をノックダウンする心のメンタルの持ち主だ。

 その後に、その部分の記憶を曖昧にさせるという悪辣さもある。

 ……だが、早苗の中に出来ているであろう、モテる凛さんの図を壊すのも忍びないので、あえてないも言わない。

 実際にモテているのだから、何か言って嫉まれているとでも思われた方が厄介だ。

 

「じゃあ次はアリスね」

 

 そして凛は、楽しげにそんなことを告げてきて。

 ちょっと嫌味でも入ってるのかもしれない、と思わず邪推せずにはいられなかった。

 

「私は凛より、もっと面白くないわよ?」

 

「いいからちゃっちゃと始めちゃいなさいよ」

 

 私の前置きを凛は一蹴し、早くするように促される。

 だが本当に、語り得るものが少ないのだから、私としてもどうしようもない。

 

「そうね、精々一回間桐くんにナンパされたことがある程度かしら」

 

「え、あのホモの人ですか?」

 

「……いい加減許してあげなさいな、早苗」

 

 

 早苗の中ではずっと間桐くんはホモの人。

 フォーエバー間桐くん、フォーエバーホモの人。

 色々と酷い、間桐くんが凛に切れていたのも納得である。

 本当にこれしか語る事がなくて困っていると、凛がじゃ、私が続けてあげる、何て感じで続きを勝手に述べ立て始めた。

 

「えぇ、そして更に補足するなら、アリスはナンパした間桐くんにその場で平手打ちをお見舞いしてるわ」

 

「凛!」

 

「何よ、本当のことでしょう?」

 

 思わず声を荒げるが、凛は全く気にしてない。

 むしろ楽しいネタでしょう? と言わんばかり。

 巫山戯た話だ、ここには早苗がいるというのに。

 

「あのね早苗、凛の話は――」

 

 大体半分くらいは聞き流しなさい。

 そう言おうとしたが、その前に導火線に火が付いたの如く早苗が反応した。

 

「アリスさんすごいです!

 さすがは出来る女、と言ったところですね!」

 

 ……思っていたよりも、好意的な反応で。

 は? と意味不明で疑問符が飛び交いまくっているが、早苗は構わず続ける。

 

「うん、こう言ってはアレですが、アリスさんは高嶺の花で居て欲しいです。

 我が儘だって分かってるんですけど、やっぱりそうあってくれた方が落ち着けます」

 

 しみじみと言う早苗に、返す言葉に詰まってしまう。

 だってそれは、要するに早苗は私に恋人ができて欲しくないと言ってるのと同義だから。

 今は全く気配は無いが、もしかしたら何時かはそのタイミングが来るかもしれない。

 だから安易に、うんとは頷いてあげれなかったのだけれど。

 

「フフ、早苗はアリスがアイドルにでも見えているのね」

 

 凛が、早苗のそんなところを、そう評したのだ。

 さてはてどうなのか、と耳を澄ませると、どこか言い倦ねている様な早苗の声が聞こえる。

 あーとか、うーとか、色々。

 早苗も早苗で、ちょっと難しそうである。

 

「そうなの? 早苗」

 

 それが気になったので、軽く背中を押す感じで私は尋ねる。

 どういう答えが返ってくるのだろうという、軽い気持ち。

 すると呻いていた早苗は、観念したのか拙く言葉を選びつつ語りだしたのだ。

 

「そうですけど、そうなんですけど。

 なんていうか、アリスさんは私だけのアイドルというか。

 私だけが知っている、凄く可愛い人だって思っていましたから……」

 

 だから、と早苗は続ける。

 

「この街に来て、少しショックでした。

 考えれば当たり前のことなのに、アリスさんは私と一番仲が良いと思い込んでいました。

 話してみれば、凛さんも桜ちゃんもアリスさんのお友達だと感じさせられて、意味も分からずに悲しくなりました。

 凛さんも桜ちゃんも私のお友達です。

 けど、アリスさんの一番は私が良いなって、今でも確かに思っているんです」

 

 饒舌に、多弁に、早苗は心の中を語ってくれた。

 それは早苗の心を、私にそっと見せてくれたようで。

 私はそれを、優しく撫でてあげたい気分になっていた。

 何というか、すごくいじらしいと感じてしまったのだ。

 

「ねぇ、早苗」

 

 だから語ろう、私の心の内を。

 早苗だけに開かせたのなら、それはあまりに不公平。

 そもそも、第一に私が早苗に応えてあげたくなっていたのだ。

 

「私はね、友達に序列とか今まで考えてきたことはなかったから、一番とかそういうのは決められないわ」

 

 どこからか、息を呑んだ気配がした。

 恐らくは早苗、きっとショックのような物を受けている。

 でも、私はこれで語るのを終えようとは思わない。

 まだ、伝えたいことがあるのだから。

 

「でもね、私は友達の中で、一番早苗が可愛いと思うわ。

 容姿の話だけじゃなくて、そういう頑張り屋で真面目なところとか、すごく一途で思っていてくれるところとか、他人のために一生懸命になれるところとか。

 それに頑張りすぎて空回っちゃうところとか、そそっかしいところさえ、全部が全部、早苗が可愛いって思えてしまうの」

 

 昼間は桜と一緒に褒め殺されたのだ。

 今ここで復讐を果たしても許される、むしろ決行しろと私の心が叫んでいる。

 

「早苗は純粋だから、私ばかりを見てくれていたのね。

 正直に言うと嬉しいし、ありがとうって思うわ。

 早苗は優しいから、一番初めになった私を一番に置き続けてくれるでしょうしね」

 

 どこも隠していない本音、早苗に伝えたいことを言葉にのせる。

 早苗の正直さには、私も自分の誠意を持って応えなければと感じたから。

 

「だからね、貴女を縛るようで悪いけれど、私は貴女が一番可愛いわ。

 それこそ、順序を付けるなんて宜しくないけれどね」

 

「……アリスさん」

 

 最後まで告げると、どこか震えている声で、早苗が私の名前を呼ぶ。

 早苗が何を感じているのか、まるで手に取るように分かってしまう。

 

「何、早苗」

 

 だから私は、淡々と返事をする。

 今は、余計な色を混ぜたくなかったから。

 

「……ありがとうございます。

 今日はもう寝ることにします、すごく幸せに眠れると思いますから。

 おやすみなさい、アリスさん」

 

 早苗にしては小さな声、だけれど照れと恥ずかしさを多分に含んでいるとも感じられる。

 やっぱり、早苗は可愛い。

 そんなことを、今日改めて確信した。

 当の本人は、布団を頭まで被っているけれど。

 

「あんたさ、男として生まれてたらきっと女の敵だったわね」

 

 そんな中で、小さく凛がそんなことを囁いてきて。

 

「煩いわよ……言われなくてもね」

 

 言おうとして、結局言葉はそこで止まってしまった。

 最後まで言う元気がなかったのか、それとも言いたくなかったのか。

 私にもそれは分からない。

 ただ、今は睡魔に身を任せようと、私は自然にそう思ったのだ。

 

「寝るわ、お休み、凛、早苗」

 

「はいはい、お休みなさい」

 

 からかう様な凛の声を受けながら、睡魔に身を任せていく。

 最後まで減らず口を、と凛の事をこき下ろしながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃ、みんな、忘れ物はない?」

 

 藤村先生の声、それに私達は揃って頷く。

 準備すべき物は全て鞄の中、忘れ物は一つもない。

 玄関先で、私達は頷き合う。

 

「それじゃ、ありがとうございました。

 衛宮くんと桜も、いきなり押しかけて悪かったわね」

 

「いや、たまにはこういうのも良いさ」

 

「あ、士郎が鼻の下伸ばしてるよ、桜ちゃん!」

 

「こら藤ねぇ、変なこと言うんじゃない!」

 

 衛宮くんと藤村先生のやり取り、何時もの事とはいえ別れ際くらいはどうにかならないか、と思ってしまう。

 そんな二人を呆れて見てると、桜が早苗に話しかけた。

 笑顔だけれど、どこか寂しそうに。

 

「早苗さん、帰っちゃうんですよね?」

 

「遠くから来てます故に、仕方ないんです」

 

 早苗も早苗で、大分残念そうに語る。

 お互いが、相手を惜しんでいるという点で、この二人は短時間で仲良くなれたんだということに、思わず笑みを浮かべてしまう。

 それは凛も一緒だったみたいで、二人揃ってこっそりと笑う。

 

「早苗さん、是非またいらして下さい。

 一緒にご飯を食べて、今度は私とお布団を並べましょう」

 

 桜は悲しげだけれど前のめりに、そんな提案をする。

 それは上手く早苗にも伝わったようで、残念そうな顔ばかり浮かべていた彼女は、今度はフフン、と何故か得意げな顔をしていた。

 

「なら、今度来た時は、一緒に料理もしましょうね!」

 

「フフ、良いですね、そういうの」

 

 中々に波長も合い、先程までの雰囲気も無くなっていた。

 けど、その和やかさを壊すようで気が引けるが、何時までもここに留まっている訳にはいかない。

 私が早苗の肩を叩くと、早苗も分かってますと言わんばかりに頷く。

 そして、大きな声で告げたのだ。

 

「お世話になりました。

 またご縁があれば、お邪魔したいと思います!!」

 

 ぺこりと、綺麗なお辞儀を見せる早苗。

 その綺麗さは、衛宮くんと藤村先生の間から争いを奪い去る事に成功する程のものだった。

 

「あ、何時でも来て良いからねー」

 

「藤ねぇが言うなよ……でも、東風谷さんも来たかったら、何時でも来て良いから」

 

「私も、待ってます、早苗さん」

 

 三者三様、衛宮家の人々は暖かい。

 早苗は彼らに笑顔を向けて、溌剌と告げたのだ。

 

「では皆さん、また逢いましょう!」

 

 それが、早苗の衛宮邸での最後の言葉。

 早苗が出て行くのに付き添って、私に凛も慌てて早苗についていく。

 出て行く間際に、凛がこっそりと優しい笑顔を浮かべていたのは、私の心の引き出しに閉まっておこうと思った。

 いつの日か、桜にでも語り聞かせようかと考えながら。

 

 

 

 

 

「ねぇ、早苗。

 本当にもう帰るの?」

 

 そして帰り際のバスの中、凛は思わずといった感じで尋ねていた。

 確かに、たった一日、それも街を回るなど特にせずの早苗に対する気遣いでもあったといえよう。

 だが、早苗はゆっくりと首を振る。

 その必要はないと、はっきり伝えるために。

 

「元々は、アリスさんに会いに来るだけの予定だったんです。

 それが新しい縁も得れて、とっても良いことだと思いました。

 もうこれで満足してるから、今回はこれで帰ろうと思います」

 

 とっても楽しげに早苗は語る。

 凛さえも、口を閉ざしてしまう笑顔で。

 

「ただ、今度来た時は、是非凛さんにこの街を案内して欲しいです」

 

「っ、任せておきなさい!

 嫌がっても隅々まで案内してやるんだから!!」

 

 けど、早苗の言葉で凛も嬉しげに言葉を返す。

 何だかんだで偏屈者の凛の心に入り込んでいる早苗は、やはり元より人好きのする性格だったのだろう。

 凛は気付いてないかもしれないが、桜に向けるのと似たような目をしている。

 流石は早苗という他ないだろう。

 

 

 

 

 

「んじゃ、私は買い物にでも行くわ。

 最後の一時くらい、邪魔するのは憚られるしね。

 じゃあね早苗、また来なさいな」

 

 バスを降りた時、凛はそう言ってこの場を去っていった。

 颯爽として何ら隙無く、凛はこの場から退場した。

 なのに、それでも彼女の余韻が残っているのが、遠坂凛という女の子なのだろう。

 あまりの鮮やかさに、さしもの早苗もボンヤリしていたが、私が肩を叩くと正気に戻ったように、目をパチクリとさせた。

 

「凛さんって、凄いですね」

 

 非常に曖昧な物言いではあるが、それは大いに頷けるところがある。

 凛はそこにいるだけで存在感を示し、居なくなるとその香りを意識させられずにはいられない。

 本当にアイドル気質なのは凛ね、と思いつつ私達は歩き始める。

 

「で、早苗はわざわざ私に会いに来てくれたのね」

 

「はい、折角アリスさんから年賀状をもらいましたから」

 

 思い出すように手を胸に当てて、早苗は回顧する。

 私からの年賀状がどれほど嬉しかったか、影響されたかということを。

 

「本当は神奈子様や諏訪子様のお世話をしなければならない身であるのに、お二人にはとても気を使わせてしまって……。

 あまりに私がそわそわしていたから、そっと送り出してくれたんです」

 

「そう、あの二柱が」

 

 目に早苗を入れても痛くない扱いをしている二柱が早苗を送り出すなど、どれほど早苗は挙動不審だったというのか。

 彼女たちからすれば、早苗への愛情が上回ったから送り出したのだろうが。

 

「帰ったら、二人に孝行しないといけないわね」

 

「はい、神様孝行です!」

 

 元気に告げる早苗に、私は頷きつつ彼女に問いかけた。

 

「早苗はさ、私が一番の友達だって言ってくれたけど……」

 

 聞こうとして、ちょっと浅ましいかなとも感じてしまう。

 そんな、何とも聞き辛いこと。

 だけれど、口はそれでも勝手に動いてしまっていて。

 

「何時か、私より好きになれる友達が現れると思う?」

 

 だけれど、やっぱり心配であったのだ。

 私が一番、と言ってくれる早苗は優しいが故に、その輪を縮めてしまうのではないか、と思ったから。

 思わず聞いてしまって、その直後に直ぐに後悔してしまう。

 だって早苗が、困った顔をして私を見ていたから。

 

「ごめんなさい、余計なことだったわね」

 

「いえ、そんな事はないです」

 

 口では否定しても、早苗はジッと私を見ていた。

 見透かそうとしているように、だけれどもその中で答えを探しているように。

 そうして私達は歩いていき……、

 

「あの、ですね」

 

 静かな、私にだけ聞こえる小さな声で、早苗は言ったのだ。

 

「正直なところ、あまり自信はないです」

 

 言った早苗は、どこか申し訳なさそうだったが、それでも安心したかのような表情をしていた。

 やっぱり、そういうところが私の心に早苗という音を響かせる。

 いけないと分かっていても、それでも嬉しさは確かにあるのだ。

 そんな事を考えてる私に、早苗は続きの言葉を述べる。

 

「でも、アリスさんより好きになることは無いにしても、もっと友達は作ろうと思います」

 

 振り返るように、目を瞑る早苗。

 昨日あったことを、思い出しているのだろうと、そう思う。

 そして数秒たって早苗が目を開けると、困った目はしておらずに、何時もの元気な娘に戻っていた。

 

「凛さんも桜ちゃんも、衛宮さんに間桐さんもみんな楽しい人でした。

 だから、きっと探せばいるんだと思います。

 私と合う人も、振り回されてくれる人も」

 

 それは、自分の胸の内から湧いてくる自信なのであろう。

 私以外に、凛達とあって、早苗の世界も広がったのだ。

 それなのに、わざわざ確かめてしまった私は、きっと早苗を過小評価をしていた。

 

「ごめんなさい、私は心配性なのね」

 

「いえ全然、ありがとうございます」

 

 早苗は軽くお礼を言って、でも、と次の瞬間には少しむくれた表情をしていた。

 

「次は、そんな意地悪な質問をしないでくださいね?」

 

「悪かったわ、本当に」

 

 再度謝ると、早苗は満足そうに笑顔を見せた。

 何だかんだ言いつつも、私としても早苗に好かれるのは嬉しい。

 だからこそ、余計なことまで言いすぎてしまうのだろうが。

 

「……今回、楽しかった?」

 

 もう、駅が見えてきた。

 だからこそ、最後に最終確認としてそれを聞いて。

 早苗は、何を今更と言わんばかりに胸を張って、そして然りと頷いたのだ。

 

「アリスさんがいて、新しい友達もできて、これほど充実した一日は無いと思いました」

 

 ですので、と早苗は上目遣いで私を見上げた。

 どこか、早苗にこの目をされると弱い自分がいるというのを自覚しながらも、私はその目を見返して。

 

「また、何時か遊びに来ますね」

 

 そんな、いじらしいことを告げられたら、私は。

 

「いつでもいらっしゃい、早苗」

 

 そう返すしかなくなるではないか。

 今回は、早苗の方が狡かった何て思いつつ、私も笑顔を浮かべた。

 何時もは出来るだけ静かな笑みを浮かべるようにしているけれど、今だけは早苗と一緒の元気な笑みを。

 

「ついちゃい、ましたね」

 

「そうね」

 

 喋ってる内に、ついに駅へと付いてしまった。

 何ごとにも終わりはあるが、今回はここが終着点だったのだろう。

 

「また会いましょう、早苗。

 私からも、会いにいくから」

 

「はい、いつでもなんどきでも、私はアリスさんをお待ちしています!」

 

 明るく告げて、早苗はこれ以上ないほどの明るい笑みを見せて、そのまま駅へと駆けていった。

 私も、敢えてそれを追いかけようとは思わない。

 ここで別れたほうが、綺麗なんだと感じたから。

 

「空が青いわ……雪が降れば良かったのに」

 

 私はそれだけ呟くと、駅から身を翻した。

 さて、今度は何時早苗に逢えるのかと、そんな事を考えながら。

 

 ――蒼空、何となく今日はそれが憎らしかった。




何が大変だったか、読み終えた皆さんはお分かりでしょう……。
これ、文字数が2万8千文字なんです(白目)。
辛かったでしょう、大変だったでしょう、お疲れ様です。

納期に収めようと手をつければ、ガバガバ過ぎたせいで文字数が増大していくばかりという悪夢。
結果が五日間の遅刻と相成りました。
削ろうかとも思いましたが、何か気力が足りずにこのまま投稿した次第です。

読者の皆様、ここまで本当にありがとうございました。
この物語はまだまだ続きますが、こんな愚行(文字数の爆発化)はもう金輪際ないと思われます(というか思い込みたいです)。
という訳で、今後も、そして今年も是非よろしくお願いします!


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第28話 天邪鬼との無駄話

どうにも先月の反動か、やる気が起こらずエロゲーしたりして日々を消化する毎日。
何とか仕上がったので、ロクに校正せずに投稿、まぁ何時ものことですね(白目)。
なお、5時に起きてしまって寝れないので書いた物体な為、後半部分はガバガバかもです。


 黄昏覆う夕暮れ時、茜色の空が燃えているように見えるのは、未だにイカロスが飛んでいるから。

 ……なんて、勿論冗談、そんなにずっと燃えたままなんて、あんまりと言える。

 元より、翼のない私達だからこそ、こんな空想に思いを馳せてしまう。

 

 天は高く、私達は地に座する。

 だからこそ、空を見上げられるのだけれど。

 

「月だけじゃなくて夕日も魔力を持っているのね」

 

 こんな下らない繰り言じみたものを私の中で囁かせる程度には、夕日も人を狂わせる。

 単に一人寂しい道程の慰めにしか過ぎない三文詩だが、夕日が唄う事を助長しているのに何ら疑いはない。

 全く、と溜息を吐くと、足を速める。

 一人よりかは二人、それが誰であろうと、一人っきりよりかは慰めにもなる。

 だから早足で、私は進んでいく。

 この時間に、一人っきりで夕焼けを眺めるのは、無条件に何だか寂しい気がしたから。

 だから私は、アスファルトで鋪装された道を影法師と追いかけっこをしながら進む。

 到着したら、ご機嫌いかが、とでも声を掛けよう、何て思いながら。

 

 カァカァとカラスが鳴く中、思い浮かべた顔は、これから訪れる彼の味のある笑み。

 特段好きじゃないけど、微妙に記憶に残っているから味はあるのだろう。

 場合によって彼の色々な感情をミックスした表情は、どうにもこびり付いている。

 良くも悪くも、それが人にその存在を然りと認識させるのであろう。

 

「だからどうって訳はないけど」

 

 誰もいないと、独り言が溢れて仕方ない。

 だから急ごう、と自然と思えるのは、我ながら子供の欠片を大事に持っていたからか。

 特段悪いことではない、それは分別さえあれば何時までも持っていて良い感情の欠片なのだから。

 未だにお人形が好きなのも、もしかしたらそれが一因なのかもしれない。

 なので私は、童心というものがそこまで嫌いじゃなかった。

 だからと言って、積極的に私が子供です、何て言うつもりは微塵もないのだが。

 

 さて、と顔を上げて、前を見る。

 もう直ぐそこに彼の家があった。

 古い洋館、世界がそこで完結しているサマは、本当に魔術師の拠点としてはしっかりしている。

 冬木魔術師の名家だけあって流石と言えるが、何故だかここの家はあまり好きにはなれない。

 

 遠坂邸も似たりよったりだけれど、あそこの方がまだお上品だと思ってしまうのは、単に私の偏見か?

 ……いや、恐らくはここは凛の家よりも更に匂いが濃いのだろう。

 それが鼻について、思わず眉を顰めてしまう。

 私は女の子なのだから、蟲の匂いはあまり好かないだけかもしれないが。

 

 だが、それに気圧されるほど、私は神経が細くはなかった。

 そこは単純に可愛げが足りてないかもしれなが、その分は他から補完するので、全くもって問題はない。

 

 なので私は臆することなくチャイムを鳴らす。

 この洋館は古いけど、何故かこのチャイムだけは近代的。

 まさかだとは思うが、あの妖怪が世間体を気にしてここだけ近代的にしたのか。

 もしそうであるのなら、何とも世知辛い話である。

 妖怪たる彼の翁も、世間という見えない怪物には恐るしかないのだと、分かってしまうから。

 

 そんな今日の晩御飯を空想するよりも不毛な事を考えていると、そのまま玄関のドアが鈍い音を立てながら開かれた。

 そこから現れたのは、何とも不機嫌そうな顔をしている彼の姿。

 

「こんにちは、間桐くん。

 取り立てて良い日ではないけれど、特段悪い日でもないわね」

 

「……そうかい、そりゃ良かったね。

 僕の機嫌は、今まさに落ちていってるところだよ」

 

「そう、それは災難ね」

 

 忌憚のない意見を述べると彼、間桐くんは露骨に顔を顰めていた。

 暖簾に腕押し、ということに気がついたからだろう。

 ご愁傷様、と私が言うには少しばかり図々しいかもしれない。

 

「それで、今暇かしら?

 暇じゃなかったら、今すぐに暇を作って欲しいわ」

 

「お前、僕の意見なんか最初から聞く気はあるのか?」

 

「大いにあるわ。

 意見を聞いてから、あなたの暇を作るお手伝いとするわよ」

 

 だが、今は図々しく行こうと、私は適当な言葉を並べ立てる。

 今回は間桐くんに聞きたいことがあってきたのだ。

 わざわざここまで来て帰るなんてナンセンス、結果を出して帰りたいのだ。

 

「フンッ、お前がわざわざ何をしに来たかは分からないが、お前に出す茶なんて一滴もないね」

 

「狭量は心の貧しさを表しているのよ?」

 

「最初に会った時、罵倒してきた人間の言葉とは思えないね」

 

「罵倒なんてとんでもないわ、囁いてあげただけよ」

 

「本質的には何ら変わりやしなさ、なぁ?」

 

「違うわよ、ナンパ師さん」

 

 睨んでくる間桐くんに、私は肩を竦めてみせる。

 やはり、最初の出会いというのは、大変に重要なものらしい。

 第一印象で、相手が苦手かどうかというのが、ここまで響いてくるのだから。

 そんな彼を宥める為に、私はもう一度言う。

 ここに来て、私が誰に会いに来たのかを。

 

「良いわ、もう一度言うからよく聞きなさいな。

 私はね間桐くん、貴方に会いに来たの」

 

 お分かり? と最後に付け足して、間桐くんを見れば、彼は眉を顰めて私をジッと見つめてきた。

 お前、何を企んでいるんだ? という声なき不審が強く感じられる。

 それに思わず私は溜息を吐きそうになった。

 間桐くんは、私を何だと思っているのか。

 詐欺師か悪魔とでも思っているのだったら、不当な妄想と訴えても良いくらいだ。

 

「極悪なのは凛、私のタチじゃないわ」

 

「ッハ、お前より遠坂の方が、断然可愛げがあるに決まってるだろ」

 

 ……あぁ、間桐くんも、何だかんだで凛の本性を知らないのか。

 流石は分厚い優等生の皮を被ってるだけある。

 だが、もしかしたらいずれバレるかもしれない。

 それはそれで、ある種の興味が働く。

 だから私は、鼻で笑っている間桐くんに、少々の哀れみを覚えながらそっと抗議を取り下げた。

 何れは、彼もその事に気がつけば良いと思いながら。

 

「何だよ、急に生温かい目をして。

 よくわからないけど、妙ににムカつくんですけど」

 

「気のせいよ、あまり気にしてはいけないわ」

 

「あっそ」

 

 怪訝そうな目がウザそうな目つきに変わっていくのを、私はボンヤリと眺めていた。

 まぁ、要するに何時もの彼が私を見る目なのだが。

 但し噛み付くのも疲れると悟っているからか、特にそれ以上追求することもなかった。

 その代わりに、背を向けて入って来いと彼は言う。

 嫌な事はさっさと終わらせようと言わんばかりの彼に、私も背を睨み返しながらそのまま家へと踏み込んだ。

 ……やっぱり、この家はどこかじめっとしている気がする。

 ついでに言えば、別に磯もワカメの匂いもしなかった。

 他意なんて別にない、えぇ、本当に。

 

 

 

 

 

 そうして玄関から暗い廊下を少し行くと、そこは居間になっていて、ソファーへと案内された。

 そして早々に、彼は急いで尋ねてきたのだ。

 

「で、お前は何の用があって来たんだよ?」

 

「せっかちね、お茶の一つくらい出せないほど貧乏じゃないでしょう?」

 

「……ッチ」

 

 これみよがしに舌打ちをすると、間桐くんは立ち上がってそのまま何処かへと去っていった。

 恐らくは本当に何か用意してくれるのだろう。

 何だかんだで義理堅くある彼に、素直でないなと感じてしまう。

 思えば彼は何時でもそうだった……というには些か交流は不足しているが、それでもそう感じずにはいられない。

 それが彼の可愛げであり、衛宮くんの言うところの味の一つであるのだと思う。

 そんな風に偉そうに評価している内に、間桐くんはサッサとお茶を入れて戻ってきた。

 お盆を一つ机に置いて、ソファーにふんぞり返る。

 

「アイスティーしか無かったけど、文句は言わせないぞ」

 

「そう、悪いわね」

 

 間桐くんが持ってきたのは、カステラにアイスティーの注がれたカップという組み合わせ。

 お茶請けを持ってきている辺り、彼も大概律儀である。

 

「で、わざわざお前は僕に、一体何を聞きに来たんだ?」

 

 そして早々に彼はそんな事を尋ねてきた。

 無駄なお喋りは一切しないと言わんばかりの拙速。

 彼の性格的には、つまりは面倒だからさっさとしろという事。

 何とも冷たい仕打ち、流石は間桐くんと言わざるを得ない。

 けど、ここでごねても仕方ないと思い、サラッと用事を告げることにした。

 

「……ま、良いわ。

 今回私がここに来たのはね、間桐くん。

 三枝さんの事についてよ」

 

「は? 三枝?」

 

 一瞬間桐くんは怪訝そうに顔を顰め、直後、何かに気が付いたように私を睨む。

 仮にも女子に向かって大人気ない視線を向けてくるのだ。

 まぁ、内容が内容だけに、彼的には思うところがあるのは分かっているつもりだから、必要以上に騒ぎも煽りもしない。

 ただカップを傾けて、アイスティーで喉を潤していた。

 

「……ふん、そういうことね。

 蒔寺か氷室辺りの差し金だろう?」

 

 流石、頭の回転は早いようで、直ぐに私の言いたい事に気が付いたようだ。

 張り詰めていた真剣さを交えた空気が、どこか穴の空いたように抜けていく。

 間桐くんの表情は、どこか馬鹿にしたようなモノに自然と変わっていた。

 わざわざそんなこと、ご苦労様とでも言いたげに。

 思わず目を細めると、彼は嘲笑混じりでこう言った。

 

「はん、馬鹿だねぇ、マーガトロイド。

 そんなどうでも良いことを聞くために、こんな苦手な場所にまで来て。

 お前、どんだけ馴れ合いたいんだよ」

 

 よく回る口、とここまでくると呆れが先行してくる。

 何時もよりも口が動いてるのではないかとすら思う。

 まぁ、即ちそれは、彼の間桐くん的に苛立ちを感じる話題であった、という事なのだろう。

 

「攻撃的ね」

 

「何が言いたい?」

 

「別に。

 返す言葉が中々見つからないから、困っていただけよ」

 

 告れば、間桐くんは鼻白んで私を見て、誤魔化すようにアイスティーに口をつけた。

 もし、ここで気持ちは分かるが云々と答えていれば、失笑と怒りを買った事だろう。

 なんて面倒臭い、そう思うのも仕方ない。

 けど、間桐くんには間桐くんの考えや感覚があるのだ。

 あまりそれも疎かに出来ないし、したいとも思わない。

 だからこその、この啄き合うような会話なのだが。

 そうして、ある種の睨み合いっこの様な様相を呈して来た時、ぼそりと間桐くんは呟いた。

 

「本当にウザイよ、お前」

 

 それ単体だと単なる悪口だが、あまりにシミジミとした口調に、反論は戸惑ってしまう。

 間桐くんは私に含むところがある。

 それは前々から、あの夜に会った後からも承知していた。

 でも、ここまで露骨に口にされたのは初めての事。

 ジッと間桐くんの目を見ると、彼も逸らすことなく視線をぶつけてくる。

 

「……あのさ」

 

 最初に痺れを切らしたのは間桐くんだった。

 視線は逸らさずに、そっと呟く。

 

「別に、魔術師になろうなんて、今は思ってないさ」

 

 勿論、使えるのなら使ってみたいけどね、と続ける彼。

 珍しく、本当に珍しく、本音で語っているように見える。

 もしかしたら、彼の心の内に秘めたものが、つい溢れ出てしまっているのかもしれない。

 私相手に、いや、弱みを見せてしまった私だから、と自惚れがてらに思ってしまう。

 だからか、今は何も口にせずに間桐くんの言葉に耳を傾け続ける。

 吐き出すものを、全て吐き出させてしまおうと思ったから。

 

「だけどね、言ったように憧れだって簡単に消える訳がない。

 僕のこれはね、妄執に近いんだ。

 間桐の血統の、ある意味で悪い部分がしっかりと僕にも現れたわけだ」

 

 間桐くんの、自嘲にも似た一人語り。

 ずっと悩んでいたであろう、苦悩の断片。

 私になんか愚痴っている辺り、もはやこれはヤケクソというのかもしれない。

 

「三枝はね、正直僕にとってはどうでもいい奴だったね。

 ただね、あいつがちょっと変だって事に気が付いた時の僕、あの時は少し哂ったよ。

 お前もそうだったのかってね。

 だから三枝はどうでもいい奴から、気に入らない観察対象へと変わった訳さ。

 魔術的な素養はないけど、それでも何かの力を持ってるって、不可思議な存在としてね」

 

 彼の中では、鬱屈のようなものが溜まっていたに違いない。

 三枝さんは切っ掛けに過ぎない。

 もし他の同じような誰かを見て、もしかして自分にも何か特別なものが、と夢想することは多々あること。

 そして結局、自分には特にそういうものがなかったと気が付いた時の失望、それは特に酷いものになるだろう。

 ……私にも、手の届かないものに対しての羨望を覚えることがあるから、間桐くん程はないにしろ分からなくもない考えだ。

 

「だから、今回三枝を見ていたのは観察。

 それ以上でもそれ以下でもないさ」

 

「人はね、それをストーキングというのよ」

 

「ッハハ、相変わらず巫山戯た事を言うね、マーガトロイド」

 

 こめかみをヒクつかせながら、間桐くんは引き攣った笑みを浮かべている。

 半分ほど無意識でのツッコミであったが、丁度空気を和らげるには最適であったようだ。

 間桐くんは一つ、はぁ、と小さな溜息を吐くと、嘲笑を引っ込めて何時も通りの彼に戻っていた。

 何時も通りの、どこか小馬鹿にしているような、だけれどこちらを伺ってるようにも感じる顔。

 それだけで、やっぱり間桐くんは面倒な人だな、とわかるものだ。

 

「それで? 三枝さんの事、ストーキングは止めるのかしら?」

 

「……その言い方、止めてくれないかな?」

 

「あなたの返答次第ね」

 

 嫌な奴だ、と小声で呟いた間桐くんは、然りと一つ頷いた。

 つまりは、もう三枝さんの露骨な観察と称した視姦は行わないということ。

 間桐くんとしては大いに気になることの一つであろうが、それを押し退けてでも私の言葉を受諾してくれた。

 提案したこちらが思うのも何だが、どうして? という感情は自然と湧き上がってくる。

 だから馬鹿を承知で訪ねてみた、どうして受け入れたのかを。

 

「ね、間桐くん、理由は?」

 

「お前も、割合面倒臭い奴だよ」

 

「貴方ほどじゃないわ」

 

 全く、と零しつつ、間桐くんはどうでも良さげに答えた。

 彼にとって、本当にその程度だと言わんばかりに。

 

「三枝ね、思った以上に普通だった。

 普通すぎて、面白みも何もなかったよ。

 平凡の極地にいる女、それがあいつさ」

 

 だから、と彼は言う。

 これこそが真実だと、伝えるように。

 

「見ている内に分かったんだよ。

 あいつは変なものが見えるけど、それだけであいつは特に特別な奴じゃないんだって。

 ごく普通の、そこいらにいる、衛宮よりも特色がない貧乏庶民なのさ、あいつは」

 

 つまらなさそうに、間桐くんはそう、一語で切って捨てた。

 そこには、氷室さんが期待したであろう恋愛の芳香など、一片たりとも存在しない。

 哀れというか、むしろ三枝さん的にはよろしかったというべきか。

 間桐くんは三枝さんに興味が持ちきれず、三枝さんとしても間桐くんの視線は心地悪かった。

 ならば、これで一件落着とでも言って良いだろう。

 

 何ら難しいことなどない。

 既に間桐くんは惰性で三枝さんを観察していたに過ぎず、普通だと内心では判断を下していた。

 いずれ、私が言わずとも近い内に自然消滅していた案件に過ぎないのだから。

 

 

 

「面白みはないけれど、妥当なところで落ち着いたわね」

 

 取り敢えず果たすべき用事を終えた後、私は弛緩した空気の中でボソリと呟いた。

 すると、この独り言を間桐くんは耳聡く聞きつけていたようで、へぇ、何て言って私に振り向いた。

 ポロリと漏らした弱音を追いやるためか、少々ばかり絡んできたのだ。

 

「面白い展開ってどういうモノだよ、マーガトロイド?」

 

「貴方と三枝さんの隠れた愛、なんてどうかしら?」

 

 氷室さん説をそのまま言うと、間桐くんは馬鹿にしたように鼻で笑った。

 有り得ないと、私が氷室さんから聞いて思ったみたいに。

 

「三枝はね、普通すぎるんだよ。

 凡人にしたって、衛宮の方がまだ面白みがある。

 あそこまで平和ボケしてるのは、僕としては願い下げだね!」

 

「どうして比較に、一々衛宮くんを持ち出したのかしら?」

 

 しかも恋人云々のところで。

 学校で怪しい、なんて巫山戯半分で噂されているけど、間桐くんのこういう部分があるから、そういう話が広がるのだろう。

 そんなことを考えていると、私の心を読み取ったかのように間桐くんの顔が赤くなる。

 無論、照れているのではなく、切れているということであるが。

 

「あのさぁ、俗の事には興味ありませんなんて顔しといて、俗物そのものな事を言うよね、お前」

 

「知らなかったの?

 私は普通の俗物よ」

 

「お前、顔からして浮世離れしてるんだよ。

 普通はそんな事考えてるなんて、誰も露にも思ってないだろうね」

 

「……これが人種差別ね」

 

 それも違うだろ、という間桐くんの声を無視して、私は思うのだ。

 一々意味深に聞こえてしまうのは、私の脳が腐ってるからではなくて、間桐くんの物言いに大きな責任が帰せられる、と。

 実際、間桐くんは衛宮くんが大好き。

 この点は、本人は否定するだろうが曲げようが無いだろう。

 

「なんだよ、鬱陶しい顔して」

 

「間桐くんは器用だけれど、局所的に不器用なのね、と思っていただけよ」

 

「……何考えてるか分からないフリをするけどね、今のお前の考えてること諸々が下衆の勘ぐりなんだよ」

 

「そう? 柳洞くんも混ぜて考えると、中々に楽しいけれど」

 

「柳洞を引き合いに出すってことは、明らかに意図して狙ってやってるんだろ!」

 

 打てば響くと言わんばかりに、反応が大きくなる間桐くん。

 何時ぞやの柳洞くん並みに面白い。

 この二人は、嫌でも衛宮くんの名前を出すと反応してしまうところなんて特に。

 

「あらあら、こういう時、日本ではカルシウムが足りていないって言うのよね?」

 

「明らかに相手を馬鹿にするときに使う言なんだよ、馬鹿っ!」

 

 しかし、中々に沸点が低い。

 本人見てれば分かる通りに伊達者を気取っているから、そういう噂が腹立たしいのか。

 気持ちは分かるし理解できるが、逆に言えば馬鹿らしいと一蹴できないくらいに、衛宮くんに入れ込んでいると言える。

 ……いや、流石にここまでくれば、邪推の一語で切り捨てられるだろうが。

 

「楽しいわね、間桐くん」

 

「お前は僕を玩具にしたいのか?

 だったら直ぐに帰れ、お前に茶を出したのも間違いだった!」

 

「客人にあまりの暴言は良くないわよ?」

 

「客人? ハン、馬鹿を言うなよマーガトロイド。

 客人って言い張りたいんなら最初から最後まで、それ相応の態度ってものがあるんじゃないかい?

 誠意を示せよ、せ・い・い・を!」

 

 後半のイントネーションは、からかわれた反動か、こちらをおちょくるニュアンスを多分に感じる。

 あぁ、成程、間桐くんは魔術師でなくても、そのヤらしさはしっかりと遺伝として受け取ってしまっていたようだ。

 このねちっこさ、間違いなくあの妖怪の血筋に違いない。

 だからか、それに相応しいものがあった気がするので、通学鞄の中を探す。

 すると中から、無事にそれらしき物があったので、それを取り出した。

 

「仕方ないわね……呪いの藁人形だけど、いる?」

 

「いらないよ!

 というか、なんで持ち歩いているんだよ、お前!?」

 

「淑女の嗜みね。

 そうね、アイスティーを出してくれたお礼に、ここに名前を書いてあげるわ。

 今日からこの人形は、まとーシンジくん人形よ」

 

「おい馬鹿やめろ!」

 

 しかし私も魔術師、いや、人の子。

 ねちっこさでは、多分負けていない。

 それを察知してか、明らかに危ない人を見る目に変わってきている間桐くん。

 正に無礼千万、なので容赦なく油性マジックで書きづらいが、間桐慎二の名前を刻む。

 思わずといった風にソファーから立ち上がった間桐くんだが、最早手遅れ。

 やや歪んだが、無事にまとーシンジと名前は書かれてしまった。

 

「お、お前」

 

 間桐くんの顔が引き攣り、声が震えてる。

 このアマ、やりやがったと言わんばかりに。

 なので私はとびっきりの笑顔で、こう答えたのだ。

 

「大丈夫よ、きっと柳洞くんの恩讐も詰まってるから」

 

「お前、本当に何なんだよ!?

 というか、それはどこ産だ!」

 

「柳洞寺のお墓で作ったわ。

 しっかりとお墓の空気を吸って、呪う相手に効果を発揮するモノよ」

 

 罰当たり、といった視線を受けるが、私は止まる気はない。

 性格が悪いと知りながら、ニコニコして続けるのだ。

 

「私知ってるわ、こういうのって玄関に飾ってると厄除けになるんでしょう?

 今すぐ飾ってきてあげるわ」

 

「しめ縄と一緒にするな!

 あと、飾られたら全部僕に厄が来るって事じゃないか!」

 

「良かったわね、魔除けの鈴でもいる?」

 

「今すぐにお前を殺せる道具が欲しいね」

 

「よく考えなさい、間桐くん。

 迂闊な発言をすれば、この子の命は絶たれるわよ」

 

 物騒な一言を言うと、間桐くんの目は寸分違わず私の持っているまとーシンジくん人形に釘付になった。

 今後、このまとーシンジくん人形がこれほどの熱視線を浴びることがないと考えると、今こそがこの子の最盛期かもしれない。

 

「おい、マーガトロイド!

 今すぐその人形を何とかするんだ。

 なぁ、頭の良いお前なら分かるだろう?」

 

 急に阿り始めた間桐くん。

 先程からの態度と比べての豹変ぶりに、嗜虐的な心が擽られるのも仕方ない事だろう。

 

「何とかって?

 キリストごっこでもするの?

 やるならまとーシンジくん人形が、民衆から石を投げられて磔にされる役よ」

 

「お、おい、早まるな、早まるなよ……」

 

 告げると、目に見えて顔が蒼くなっていく間桐くん。

 まるでそれは、売られる子牛の様。

 流石に見ていて、哀れさを誘われる。

 だから、そろそろからかうのもお仕舞いにしようか、何て思ったのだ。

 十分に遊んだし、仕返しもしたから。

 

「ねぇ、間桐くん、良いことを教えてあげる」

 

「な、何かな?」

 

 愛想笑いを頑張っている間桐くんに、私は出来るだけ優しい表情で告げた。

 次に起こる反応に、おおよその目星をつけながら。

 

「呪いの人形はね、呪うべき相手の一部、例えば髪の毛とかが存在しないと無意味なのよ」

 

 落ち着いて、窘めるように。

 私はゆっくりと告げた。

 すると間桐くんは、一瞬訳の分からなさそうな顔をして、そして持ち前の頭の速さで結論を出したのであろう。

 次の瞬間には顔を真っ赤にして、私の方へと顔を向けていた。

 浮かぶ表情は勿論慕情などではなく、憤怒のもの。

 あ、これはからかい過ぎたかな? と今更ながらに思う次第である。

 

「お、お前ぇぇぇ!!!」

 

「落ち着きなさい間桐くん。

 あら、このカステラ美味しいわね」

 

 これはそろそろ帰る事になりそうなので、未だに手を付けていなかったカステラに手を伸ばすと、中々にお上品な味がした。

 流石は名家に置いているお菓子、良いのもだと素直に感心できる。

 

「何普通に食ってるんだよ!

 お前に出すものなんて、もう塩しかないよ、理解してるよなぁマーガトロイド!」

 

「なら、今度から自分でお土産の品を持参することにするわ」

 

 モグモグとカステラを出されたフォークで分割し、口に運び続ける。

 そしてやや無理気味に全てのカステラを押し込むと、アイスティーで口の中を洗い流す。

 口の中に残っていたカステラの風味は流れて、後には何も残らない。

 ただ漠然と、どうせなら温かい紅茶の方が好みだわ、と漠然と思う程度。

 

「ごちそうさま」

 

「食ったな?

 よし、さっさと出て行け、この疫病神!」

 

「……そうね、そろそろお暇しましょうか」

 

 間桐くんも怖いし、と言うと、彼は憤慨した表情で立ち上がる。

 そして玄関へと続く扉を開けると、今すぐに出て行けと言わんばかりに玄関を指差した。

 口も利きたくない、ということか。

 やれやれと思いつつも、私はその場を立つ。

 そろそろ時間であり、引き時でもあると思ったから。

 間桐君との会話が幾ら楽しくとも、長居をし過ぎるとどこぞから妖怪が這い寄ってきそうな空気が、この家にはあるのだから。

 

 なので私はそのまま玄関へと向かい、そこで靴を履く。

 そして、では、と立ち上がろうとした時だった。

 急に、目の前の玄関の扉が開く。

 何かと思い顔を上げれば、そこには桜の姿。

 何か用があってこの家に戻ってきたのかと考えていると、桜も私に驚いたように固まっている。

 絶句して、マジマジと私を見つめてくる。

 何を驚いているのかは分からないが、取りあえずは何時も通りに挨拶を交わす。

 

「こんにちは桜。

 最近だと、こんばんはに近い時期になってきたわね」

 

 そう告げると、半ば呆けていた桜も意識を取り戻したようで、すぐにこんにちはと返事をしてきた。

 さて、と立ち上がって桜を見ると、どこか元気がなさそうな顔。

 取り立てて他の感情が見受けられるという訳ではないが、それでも桜はそういう感情をすぐに隠してしまうから私から見ると、とてもよく目立っているように見える。

 だからか、私は軽く彼女に問いを投げていた。

 

「浮かない顔だけれど、何か嫌な事でもあったのかしら?」

 

 そう問うと、桜は曖昧に笑いながら、明確に答える事はなかった。

 ただ、漠然と桜に、何か望まないものがある、もしくはあったのではないか? と推測させられる程度で。

 代わりに、桜ではなくて後方から声が聞こえきた。

 振り向けばさっきまで口を聞きたくなさそうにしていた間桐くんの姿。

 渋々といった体ではあるが、間桐くんは口を開いていたのだ。

 

「家の用事さ。

 これから面倒くさいことがある、それだけだ。

 これは間桐の家の問題だ。

 だから余計な事はするな、わかるだろ?」

 

 間桐くんの億劫げな口調に、嘘はついてないな、と感じるものがあった。

 桜に視線を向けると、小さく頷く。

 ならば、きっと本当の事で、私が深く突っ込んではいけない事なのだろう。

 

「すみませんアリス先輩、そういう事なんです。

 ところでアリス先輩は、どうして家に?」

 

「間桐くんに確かめたかった事があったの。

 それから、間桐くんと遊びたかったのかもしれないわ」

 

 そう告げると、納得したように桜は首肯した。

 そして僅かに微笑んで。

 小さな唇を開けて、言ったのだ。

 

「これからも、兄さんを気に掛けてあげてください」

 

 そう言うと桜は、ぺこりと頭を下げて、そのまま靴を脱ぎ、奥の廊下へと姿を隠す。

 その時見えた彼女の背中は、どうしてだか儚く見えた。

 

「ッチ、余計なことを言いやがって」

 

 けど、それを感じさせやしない為か、間桐くんは口を開いた。

 どこかさっきまでと違い、ぶっきらぼうに。

 

「おい、マーガトロイド」

 

 だからその呼びかけにも、自然と何? と返していた。

 その口調から、何かを伝えようとしている気がして。

 

「お前は僕には一切構わなくて良い。

 だから、その分桜を気にかけろ。

 お前が間桐の家にするのは、それだけで良い」

 

 ご丁寧にそう告げると、桜に倣ってか彼の直ぐに背中を向けた。

 そのままドシドシと奥へと引っ込もうとする。

 そんな彼に、私は聞こえているか分からないが、声を掛ける。

 自分の所感を、そのまま言葉にして。

 

「貴方が望む望まないに関わらず、私は桜とは仲良くし続けるわ。

 ただね、間桐くん。

 私は貴方のこと、そこまで嫌いじゃないの。

 それは覚えていてね」

 

 一瞬、足が止まったから、きっと聞こえはしたのだろう。

 私はそう思い、そのまま玄関を出た。

 最初から最後まで、やっぱり彼は素直じゃなかったな、とぼんやり思いながら。

 そしてある程度歩いたところで、私は間桐邸を振り返る。

 どこか陰気で、篭った屋敷。

 そこに向かって、私は囁いたのだ。

 

「あなたがどう思ってるかは分からないけどね、私はあなたを友達だと思っているわ」

 

 聞こえない所で言うのは、男の子にこんな事を真顔で言うのは恥ずかしかったからだ。

 なのでこっそりと、誰にも聞かれない所で言った。

 ふう、と溜息を吐くと、そのまま私は帰るべき場所である遠坂邸を目指す。

 どうにもきな臭いから、衛宮くん辺りにでも桜の事を訪ねてみようかと思いながら。

 

 辺りは暗く、電灯がチカチカ光っている。

 それに目をやりながら、私は歩を進めていく。

 

 帰り道は、足は軽くも、何故か重く感じた。




そしてワカメ兄さんから見た、周りの人の評価。

臓硯おじいちゃん:妖怪目化物科
         ただひたすらに怖い人、兄さんにとってのラスボス。
         何時かぶちのめしたいと思ってる(思ってるだけ)。

士郎:友達目親友科
   唯一の男友達にして、本人は決して認めないだろうが親友。
   使える奴、とはワカメ兄さんの中でかなり高評価な人物評であり、それを士郎に言いまくっているあたりに、どれほど入れ込んでいるかが分かる(この小説では、ですが)。
   そのせいでホモ扱いされるのは、玉に瑕。

凛:恋愛目トキメキ科
  完璧無比の優等生、遠坂凛は皆の憧れ!
  無論それは慎二にも当てはまり、何時か恋人にしたいと思っている。
  話しかけたら笑顔で応答して(いるけど、実は口説かれ続けてるせいで右手を強く握りしめてプルプル震わせてイライラしている)くれるから、脈はあると思っている。
  ……だが、その幻想もクリスマス・イヴに打ち砕かれる……。

桜:妹目ポンコツ科
  アリスに絡むまで、本当に魔術関連で恨んでいたけど、最近は可愛げがあるにはある、鈍臭い妹に認識が変わった模様。
  何とかしてあげたいと思い色々と探っているが、手掛かりが殆ど見当たらない。
  一回、彼女のこと関連で、蒼崎橙子の住処を無駄に高い推理能力で割り当てて訪ねたことがあるが、体を全て人形に置き換えるという発言にドン引きして、もっと他に良い方法が無いかを詮索中。

アリス:天敵目タンコブ科
    現在アリスにワカメ兄さんは、冷たい目で罵られる(初対面)、海産物呼ばわりされる、弱みをぶちまけた挙句殴りに掛かる、一成や士郎との三角関係を見世物代わりに見物される、この話でおちょくられまくる、と順当に戦績を上げていっている。
    但し、嫌いではなく、苦手という分類。
    忌々しいと思っても、憎悪することはない。














どうでもいい無駄話をすると、ワカメ兄さんはアリスにはアイスティーを出しても砂糖は自分で入れさせますが、士郎には自分で砂糖を入れてあげます。
本当にどうでもいい話ですが。


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第29話 悩みの中で取る行動は

何か、14話以来のガバガバっぷりを発揮する今回の話ですが、出来ればスルーして頂ければ助かります(白目)。
というか、全体的にガバガバですが、許してください。


「ねぇ、衛宮くん、ちょっと良いかしら?」

 

 それは学校のお昼休み。

 少しばかり聞きたいことがあって、私は衛宮くんに話しかけていた。

 気になる事、と言っても些細に感じた違和感の事だけれど。

 

「ん、何か用事か、マーガトロイド」

 

 彼、衛宮くんは至って何時も通り。

 何時もと変わらない、ムスっとした顔で私に振り向いた。

 そんな彼に、私はその気になっていた事を、単刀直入に尋ねる。

 些細な違和感だけれど、何故だか引っ掛かったから。

 

「桜、昨日は貴方の家に桜は居たの?」

 

「居なかったけど……」

 

 それがどうしたんだ? と衛宮くんが不思議そうに私を見ていた。

 反応を見るに、桜に何があったか、なんて聞いても衛宮くんには特に知ってる事もないだろう。

 恋人だからといって、無条件で何でも知っている訳ではないということか。

 いや、そもそもが私の単なる私見に過ぎないのだけれど。

 ……それでも、あの雰囲気が気になるのだ。

 憂鬱げな、諦めたような、桜の空気が。

 

「間桐くんの家でね、あまり元気のない桜を見たの」

 

 ただ、私一人では、きっと悩みは聞けても解決はできない。

 普段なら受け流すかもしれない事だが、間桐くんも家の事情という怪しい言葉を使用していた。

 あの妖怪が関わっていることは、まず間違いなんてない。

 それが、余計に気に掛かって仕方なく感じてしまうのだ。

 桜は強がる子だから、どんな事をされても大抵のことは何でもないです、で誤魔化されてしまう。

 だったら、と私は衛宮くんに桜の事を話していく。

 

「その時の雰囲気が、ちょっと気に入らなかったの。

 気に入らないから、何とか解決できないかって思ったのよ」

 

 衛宮くんなら、桜はポロリと弱みを見せるかもしれない。

 だから、彼を巻き込んでしまえと、私は口から言葉を紡ぎ出す。

 さぁ、こちらにおいでと誘うように。

 

「桜のことは、衛宮くんがスペシャリストでしょう?」

 

 そう言うと、衛宮くんは何だか面食らった顔をして、それから桜が、と小さな声を上げた。

 気付いていなかったのか、それとも桜は衛宮くんの前では落ち込まないように隙を見せなかったのか。

 もしかしたら、桜はそんな姿を衛宮くんに見せたくないのかもしれない。

 ……だけれど、桜には悪いが、そんな事を許そうとは思わない。

 多少みっともなくとも、好きな人に困り事の相談くらいは出来るようにならないと、何時か桜は困った時にどうしようもなくしてしまう。

 彼女からしてみれば余計なお世話で、衛宮くんまで嗾けたのは激怒する案件なのかもしれない。

 

 だが、私に見つかったのが運の尽きだと思ってもらおう。

 彼女は私の友達で、そして可愛い後輩。

 性格的に彼女は巣穴に潜り込むだろうから、思わず引っ張ってしまうだけのこと。

 

「私、氷室さん曰くお人好しらしいの」

 

 そんなこと無いのに、と(おど)けて言うと、衛宮くんは、いや、と私を真っ直ぐに見て言うのだ。

 

「お前は充分良い奴だよ、マーガトロイド」

 

「……そうじゃないでしょうに」

 

 そこは精々、お節介! と罵るところなのに。

 真顔で、真実を告げるようにイイヤツ、などと言うのだから困ってしまう。

 

「衛宮くんのそういうところこそが、本当の意味でのお人好しね」

 

「俺のは……そういうのじゃないから」

 

 私が言い返すようにして言うと、困った様に頬を掻く衛宮くん。

 言い倦ねていて、上手い言葉を必死に探しているという感じ。

 思わず、クスッと笑ってしまう。

 

「何だよ」

 

「そういう言葉で出来ないのに助けてしまう辺りが末期ね」

 

 不満そうに言う彼に、追撃を掛ける。

 衛宮くんが照れ隠しをすると、意味もなく心根を暴いてみたくなってしまう。

 そんな態度が透けて見えたのか、ムッとした顔を衛宮くんはして、それから誤魔化すようにこう言ったのだ。

 

「俺は、将来的になりたいものがある。

 将来の夢、だな。

 それの為に、俺は頑張ってるって感じだ」

 

 それは? と問いたくなるところであるが、どうやら衛宮くんはこれ以上語ってはくれないらしい。

 むっつりとした顔で黙り込んで、私の方に視線をやっていた。

 どうするのか、私に桜へとどうするかという意見を聞きたいのであろう。

 なら、と私は、ちょっと惜しかったが、本来の話題に戻ることにする。

 衛宮くんは可愛いから、ついついからかいすぎてしまうのが困った癖だ。

 

「私は、そうね……」

 

 少し、これからどうするかを整理する。

 桜は何かあったかと聞いても、何でもありませんとしか答えそうにない。

 間桐くんに言っても、ウチの問題だと切り捨てられる……場合によっては衛宮くんにチクったと酷く恨まれるであろう。

 あの妖怪は……言うまでもないことだ。

 衛宮くんでも辛いとなれば、ここは搦手で行くべきか。

 

「決めたわ、今日衛宮くんの家に行けるかしら?」

 

「……え?」

 

 私が尋ねると、衛宮くんは思わぬことを聞いたと言わんばかりに、目を真ん丸にしていた。

 何を驚く必要があるのか、彼の困惑を他所に、私は話を続けていく。

 

「良い方法が見つからないから、対処療法的に行くしかないけれど仕方ないわね。

 衛宮くんの家で騒いで、少しでも桜に嫌な事や憂鬱なことを忘れさせましょう」

 

 結局、何も思いつかなかったということ。

 思ったよりも私の発想の源泉は貧弱だったらしい。

 実際に桜が困っていても、手を差し伸べることはできても、それ以上の事はできないようだ。

 歯痒い思いはあるが、それでも何もせずにはいられない。

 矛盾している様な、ある種の衝動を内包した提案。

 だが、その分だけ逆に張り切っている自分もいる。

 想像以上に、私は桜のことがお気に入りだったらしい。

 だから、と衛宮くんに私は言うのだ。

 

「桜が気遣わないように、それでも楽しくなれるように……。

 私達も全力で楽しみながら、何か楽しい事を始めましょう」

 

 自分からこういう行動を起こすのは苦手だが、それでもこれが正解だと思ったから。

 後は精々空回りしない様に気をつけるだけ。

 

「良いでしょう? 衛宮くん」

 

 否定はしないでね、と意味合いを込めて言えば、衛宮くんはちょっと迷ってから、ゆっくりと頷いた。

 ならば、今日の放課後の予定は決定である。

 ――初の、衛宮くんの家への訪問だ。

 

 ほんの少し、本来の目的から外れているけれど、楽しみに感じている私がいて。

 放課後までの時間に、何をするかを考え始めた。

 まるで遠足を楽しみにしている子供。

 一瞬だけれどそんな事を考えてしまい、直ぐに頭を振って思索に戻る。

 放課後に、桜に何をしてあげられるかと、青い空を見つめながら。

 

 

 

 

 

 そうして、時は放課後。

 思っていたよりも早く秒針は進み、ロクに考えの纏まらないまま私は衛宮くんと共に歩を進めていた。

 

「マーガトロイド、なにか思いついたか?」

 

「いえ、衛宮くんは?」

 

 尋ねると、一つだけ、と答えを返した。

 流石は衛宮くん、同居してるのは伊達ではないということだろう。

 

「以心伝心ってところ?」

 

「そこまで桜のこと分かっていれば、こんな事マーガトロイドに言われなかったさ」

 

「人間だもの、そういう事もあるわ」

 

 呆気なく否定されると面白くないが、それだけ衛宮くんも真面目という事だろう。

 そうして会話を交わしている内に、衛宮くんは商店街である屋台へを見つけ、近づいていく。

 その屋台からは上品な甘い香りがし、お腹が空いている訳でもないのに、キュゥ、とお腹の悲鳴が聞こえてくる。

 恥ずかしくなり衛宮くんを見れば、喜ばしいことにこちらには気付いて居らず、屋台でたい焼きや大判焼きを購入していた。

 その甘美な香りの中で、私はこの屋台の名前を思い出す。

 確か江戸前屋、一個80円のたい焼きが学生達の味方と定評のある人気の屋台だ。

 

「やぁ、士郎君。

 今日は桜ちゃんじゃなくて、アリスちゃんなんだね。

 全く、隅に置けないねぇ」

 

「ち、違います!

 マーガトロイドとはそんなんじゃなくて、友達です!」

 

「……なんか、言い訳が本気でソレっぽいな」

 

 しかも衛宮くんは常連らしく、見事なまでに店主とじゃれあっていた。

 衛宮くんの顔を覗けば、赤い訳ではなくて、困惑のそれ。

 ……ちょっと面白くなくて、私もおふざけに便乗してしまう。

 

「キャー、エミヤクンノイジワルー」

 

「ワタシノコトハアソビダッタノネー」

 

 懐から上海と蓬莱を取り出し、わざとらしく舌っ足らずにセリフを棒読みする。

 そうすれば、衛宮くんは何事かと確かめる様にこちらに振り向いた。

 

「一体どうしたんだ、マーガトロイド」

 

「女の子には、もう少し気遣うべきよ」

 

 前にお出かけした時の衛宮くんはどこに行ったの?

 そんな感じに聞けば、衛宮くんは悪い、とだけ言って頬を掻いていた。 

 その後ろで、屋台の店主が面白そうにこちらを見ていて。

 

「アリスちゃんの、商店街の話題になっている人形劇ってそれかい?」

 

「劇自体は、もっとしっかりしたものです」

 

 店主の質問に、私は即刻返答する。

 流石に今のレベルが私だと思われるのは、業腹極まりない出来事だから。

 そうして彼の言葉を否定した私に、店主は興味深そうにこんな提案をしてきた。

 

「なら、その人形劇、今見せてもらってもいいかい?」

 

 なるほど、と得心がいった。

 私の人形劇が話題になっている、と彼は言った。

 中々に嬉しい、思わず口角が上がってしまいそうな言葉だ。

 ……だから、私はこう返事をする。

 

「折角ですから、是非見に来てください。

 居酒屋コペンハーゲンを宜しくお願いします」

 

 私の人形劇が話題になる切っ掛けになったお店のことを、恩返しがてらに宣伝する。

 すると店主はキョトンとして、その次には笑い出す。

 

「ハハハ、こりゃ一本取られた!

 アリスちゃんは上手いねぇ。

 たい焼き一個オマケしてあげよう」

 

「ありがとうございます」

 

 お礼を言うと、良いよ良いよと言いながら、一個の筈が二個オマケのたい焼きを袋の中に放り込んでくれた。

 気持ちも気前も良いのだろう。

 頭を下げれば、今後もウチをご贔屓に、とのこと。

 なるほど、上手いことやり返された気分である。

 

「さ、衛宮くん、行きましょうか」

 

「あぁ、随分と楽しそうだったな」

 

「そう? あちらが大人だっただけよ」

 

 ありがとさん、という言葉を背に私達は屋台を離れ、そのまま再び歩き始める。

 衛宮くんの言っていた宛てとは、いま手に握られているその大判焼きやたい焼きの事であるのだろう。

 笑っていないけれど、ちょっと嬉しげな顔を衛宮くんはしているから、大体理解できる。

 

「これで、桜は元気になるの?」

 

 尋ねると、衛宮くんはそれはどうか分からないけど、なんて言って。

 不安になる答えに衛宮くんの顔を見たら、でも、と衛宮くんが続けたので、私は黙ってその続きの言葉を聞く事にする。

 

「江戸前屋のお菓子を買って、緑茶を入れて会話してると、すごく落ち着くんだ。

 それは桜も一緒で、多分心地いいって感じてくれていると思う」

 

 俺の主観だけどな、何て付け足す衛宮くん。

 照れ隠しか、そのまま真実を告げただけか。

 どちらにしても、私は思ったのだ。

 

「まるで老夫婦ね、貴方達」

 

 その情景を想像すると、あまりに穏やかで、時間の流れなんて無いにも等しいんじゃないか、なんて思ってしまう。

 それが可愛らしく思えて、思わず頬が緩む。

 こういう二人だから、私はきっと友達をしているんだ、何て思いながら。

 

「そんな良いもんじゃない」

 

「嘘おっしゃいな」

 

 今度は分かる、ぶっきらぼうだが顔が真っ赤だから。

 衛宮くんが照れているのが、手に取るように分かってしまう。

 その赤色は、彼の髪より紅い色。

 桜もいれば、より可愛くなるのだろう。

 からかわれるのに慣れてきた、何て言っていたけれど、まだまだ全然と見て思う。

 それでこそ衛宮くんだ、何て思ってしまうのは悪癖か。

 

「分かったわ、確かに初々しさも残っているから、老夫婦とまではいかないわね。

 新婚さんかしら?」

 

「わざわざ話をそういう方向に持っていこうとするな」

 

「私は楽しいのよ」

 

「趣味が悪い」

 

「イイ趣味だな、くらいは言って欲しいものね」

 

 何がさ、と口元をひん曲げる衛宮くん。

 それを私は笑って見ていた。

 これが間桐くんなら鼻で笑い飛ばし、柳洞くんなら高尚な趣味だな俗物、程度は容易に言ってのけるに違いない。

 だから衛宮くんは可愛いのだ、何て言うと変な物言いになるが、実際そうなのだからそうとしか言い様がない。

 衛宮くんは趣味が悪いと言ったが、実際のところは性格が悪いが正しいのだろう。

 

「ごめんなさいね、性悪で」

 

「……別に、そこまでは言ってない」

 

「言ってないだけ?」

 

「そういうことをわざわざ聞くのは、性格が悪いと思うぞ」

 

「あら、ごめんなさい」

 

 ご尤もな話だ、否定のしようがない。

 でも、ある意味で性分だから、それこそ仕方がないのだ。

 私は笑顔で、衛宮くんは仏頂面。

 途中から会話なく歩いている通学路。

 秋風に乗る紅葉が舞い落ちるのが綺麗だと、周りに目をやって気が付いた。

 そんな中で、衛宮くんは立ち止まる。

 どうかしたの? と聞けば、衛宮くんは一つの大きな建物に目をやってから、言ったのだ。

 

「ここが、俺の家だ」

 

「え?」

 

 漏れてしまった言葉は、純粋な驚き。

 何というか、想像以上だった的な意味合いで。

 見上げてみれば長い塀に囲われていて、しっかりとした門構えには背を正されそうな迫力があった。

 

「じゃぱにーず、ニンジャ屋敷……」

 

「忍者じゃなくて武家屋敷な」

 

 驚いて口にすれば、即座に衛宮くんからのツッコミが入る。

 それくらい私も知っているわ、何て適当なことを言いつつ、私は衛宮くんの後ろに付いたまま、その家の中に入っていく。

 ある意味でワクワク、ドキドキする展開。

 さて、中はどうなっているのか? とある種のトキメキを覚えながら私は門を通って玄関へ。

 その時の私は、まるで田舎から上京してきた女学生の気分であった。

 

 

 

 

 

 

『アリス先輩は魔術師なんです。

 基本的には凄く良い人で魔術師とは思えないくらい信頼できるんですけど、致命的な隙は見せないでくださいね、先輩』

 

 桜はずっと前に、俺にそんな事を告げてきた。

 魔術師? あのマーガトロイドが?

 そんな疑問に桜は、はい、とだけ簡素に返答をした。

 疑念を挟む余地はなく、紛れもない真実だと分からせる為に。

 更に、トドメと言わんばかりに桜はこんな事を付け足して言ったのだ。

 

『あと、魔術師はセカンドオーナーに、地代を支払わなきゃいけないんですけど……』

 

『地代?』

 

 はい、と言って桜はザッとこんな物です、と金額を電卓で提示する。

 その金額、明らかに桁が一つ間違ってるんじゃないか、と言わんばかりのもの。

 

『た、高すぎないか?』

 

『現在、霊脈のある土地は少ないですし、これが定価くらい何です』

 

『そうか……もし支払ってないことがバレたら?』

 

『厳しく取り立てられるか、それこそそれを弱みにして、こちらに何らかの要求をしてきます。

 遠坂先輩がセカンドオーナーって事は前にも言いましたよね?

 なら、そこにホームステイしているアリス先輩は、明らかに遠坂先輩と繋がっています。

 二人共優しいタイプの人ですから、酷いことはされないと思いますけど……』

 

 でも、二人は魔術師ですから……と桜は困った顔をしていた。

 だが、問題はそこではない。

 明らかにアウトローな魔術師の世界、やはり爺さんの言葉は正しかったんだ! と言わんばかりの桜の説明。

 ヤの付く職業の上納金を思わず連想させられる土地の貸付。

 遠坂とマーガトロイドのことだから手荒な真似はしないと思うけど、覚えておくに越したことはないと記憶の片隅にとどめていた記憶、それが薄らとだが再生された。

 

 マーガトロイドは学校でもバイトでも一緒で、時折遊びに出かける仲で、桜を本気で心配してくれたからつい家まで案内してしまったが、これからは気を引き締めよう。

 そう思いながら家の中に招き入れる。

 マーガトロイド自身は、武家屋敷が珍しいらしく、あちこち目を輝かせながらキョロキョロとしていた。

 時々子供っぽいよなこいつ、と思わせられる場面。

 ……もしかして、やっぱり大丈夫そうか?

 そんな事を、複雑な目をして考える。

 マーガトロイドの表と裏、コイツの場合は基本表しか見たことないし、それ以外は想像できないから。

 

 だから家の中を舐めるように見ている金髪を他所に、俺は黙々と茶を入れ始めた。

 マーガトロイドの事も気になるが、それ以上に桜が落ち込んでいたというのも気になるから。

 慎二はちょっと前に元に戻ったし、もう暴力を振るうはずはない。

 では何故? 他に桜が落ち込みそうなことはなんだ?

 考えて、考えて、そして気付く。

 

 ……しまった、お茶っ葉入れすぎて恐ろしい程苦くなってる、と。

 

 

 

 

 

 

 

「悪いわね、衛宮くん」

 

「いや、ティーバックの奴しか出せなくて悪いな」

 

「ううん、折角だから、衛宮くんの入れた緑茶を飲みたかったけど」

 

「桜が帰ってきてからで」

 

「はいはい」

 

 衛宮邸の居間、これだけ広い屋敷であるが、ここは程よい広さであり、かなりの生活感に溢れ返っている。

 ここが衛宮君達の交流の場なんだ、と暖かな光景が容易に脳の裏に浮かぶ。

 ご飯を食べたり、のんびりとお茶を飲みながら話したり、皆で並んでテレビを見たり。

 優しい、どこにでもある家族の像が、ピントが合った眼鏡の様に空想できる。

 

 衛宮くんと桜の家、二人は既に夫婦であった……なんて。

 半ば冗談じゃないのが現実だろう。

 そんなこの空間が、優しい感じがして好きだと言える場所であった。

 愛の巣というよりは、止まり木の様な安らぎを感じるから。

 

「貴方達はここで暮らして、日々を過ごしているのね」

 

「? マーガトロイド?」

 

「いえ、何でもないわ」

 

 それって素敵ね、なんて言葉を飲み込む。

 急に言われても困惑するだろうし、折角だから桜が帰ってきたらからかい混じりに二人に言ってやろうと思って。

 

「そういえば、ここで藤村先生も一緒に暮らしてるって言ってたわね」

 

 話題転換に尋ねれば、衛宮くんは暮らしてるというよりは、と語りだす。

 

「風呂や寝泊りはしてない。

 どっちかといえば、入り浸ってるが正しいと思うぞ」

 

「どっちも変わらないわよ」

 

 あっさりと、そりゃそうか、と衛宮くんは肩を竦めた。

 彼と桜と藤村先生、外から見ても分かるくらいにとても仲が良い三人。

 ここは衛宮くんと桜の家であると同時に、藤村先生の家でもあるのだろう。

 だから、藤村先生もこの家の家族なのだ、きっと。

 

「仲の良いお姉ちゃんってところ?」

 

「最近は駄虎と化しつつある」

 

「猛獣の類なのね……」

 

 そういえば、今日も藤村先生の授業は大分アクティブだった。

 お昼時の英語の時間、食後のエネルギーを溢れさせた藤村先生は元気百倍、勢いに乗っていた。

 

『ハンプティダンプティ、壁から落ちてドッギャンバッタンッ、大爆散!

 うん、大体こんな感じなの』

 

『それはおかしい』

 

『何よ士郎! ……ケホン、なら衛宮君が翻訳して、ほら!』

 

『えぇ……』

 

 結局衛宮くんは答えられず、私がハンプティダンプティが落ちるまでの過程を和訳することに。

 どうでも良い話ではあるが、あの卵の中身は腐ってたのではないかと、未だに私は思っていたりする。

 

 と、そんな事はさて置き、互いに遠い目をしていた私達は、ケホンと小さく咳をしてから話題をまたもチェンジした。

 今度私が振った話題は、最初に提議した本来の目的。

 

「桜のこと、本当に心当たりはないのね?」

 

「あぁ……あ、いや」

 

 しつこい様に尋ねると、衛宮くんはふと思い出したように、こんな事を言ったのだ。

 

「そういえば、桜は二週間に一回のペースで実家に帰るんだ」

 

「……間桐邸に?」

 

 頷く衛宮くん。

 その顔は神妙で、何故? という疑念がありありと浮かんでいて。

 困惑気味の彼の顔を見ていて、ふとある事が気になった。

 何が、と問われれば、とても簡単で、そして何より重要なこと。

 それは……、

 

「衛宮くん、重要な事を尋ねるわ」

 

 唐突気味だが、私はゆっくりとした口調で、探るように衛宮くんに尋ねた。

 それが露骨すぎたのか警戒した顔をした衛宮くんに、私は警戒を解くように出来るだけ明瞭に言葉を発する。

 

「衛宮くんにだからいうのだけれどね、桜は人には話せない事柄があるの。

 それが何なのか、私は知っているわ。

 もしかしたら、それが悩みの種なのかもしれないとね」

 

 明瞭に喋っていた口は饒舌に、勢いを付けての捲し立てへと変化する。

 けど、止める気はなかった。

 何せ重要なことで、衛宮くんも完全にこちらの言う事を聞き入ってるから。

 

「その事情には間桐の実家も深く関わっていて、それが桜を苦しめていると予測できるわ。

 良くも悪くも、それが彼女を縛る鎖でしょうから」

 

 ある日の夜、間桐くんは自分に魔術回路がなく、桜が間桐の当主になると吐きだした。

 その関連で、もしかすると魔術刻印の移植でも行われているのかもしれない。

 二週間に一回の帰宅、恐らくは桜への魔術の訓練であろうが、魔術自体を桜が好いていない可能性もある。

 

 考えれば考えるほどドツボへと向かう思考。

 螺旋階段を上っているかの様な感覚麻痺。

 その痺れにも似た感覚を放り投げ、私は衛宮くんに真っ直ぐに尋ねたのだ。

 

「ねぇ、衛宮くん。

 貴方は、その桜の事情のこと、知っているのかしら?」

 

 覗くように、それでいて睨む様な視線を、衛宮くんの目に向ける。

 私の目を真っ直ぐに見つめてしまった衛宮くん。

 そこにあったのは逡巡と思索、情報を処理する意思が介在する目。

 覗き込んだ彼の目を見て、言い倦ねている彼に、私は読み取った結論を告げた。

 

「黒ね、動揺し無さ過ぎてるわ」

 

「なっ!?」

 

 言った途端に、衛宮くんの中で動揺が生まれた様で。

 驚きと焦りを伴った視線を私に向けて……暫くして、降参したように溜息を一つ吐いた。

 

「はぁ……桜がマーガトロイドは優しいけど油断するなって言ってた意味、ようやく分かった」

 

「そうね、私は悪い魔女で、桜のご同輩だもの。

 桜から、私が何なのかは、しっかりと告げられているようね」

 

「魔女、という部分に何ら誇張がない程度のことは」

 

「結構よ、それだけでも充分なファクターだわ」

 

 私が聞きたかったこと、それは衛宮くんが桜の魔術という要素を知っているかという事。

 あの娘の事だから、もしかしたら黙っている可能性もあると思っていただけに、正直に衛宮くんに事を告げていたのは僥倖だと言えるだろう。

 また、衛宮くんに魔術の詳しい内容を話せないで、余計に暗くなっているという推論も立てられる。

 

 まぁ、そんな事が分かったからといって、他家の魔術の事情に干渉できるわけではないが。

 精々、こうして桜を慰める準備をするのが関の山。

 あの間桐臓硯が地獄に落ちれば、その限りではないが。

 

「分かってもどうしようもないのが、凄く歯痒いわね」

 

「……マーガトロイドはさ」

 

 苦々しく呟けば、その声に響いたかの様に衛宮くんが言葉を手繰る。

 私と同じく、呟くような声量で。

 掠れ声と聞き間違えるような響きで、彼は問を投げてきた。

 

「魔術師云々の事情を抜きにして、桜の事を助けてくれるのか?」

 

 何かと思って身構えてみれば、尋ねてきたのはそんな些細なこと。

 愚にも付かないと一笑しても良い内容。

 だけれど、それに私は至って真面目な顔で、キチンと衛宮くんの目を見て答える。

 彼だって桜のことが心配に違いないのだから。

 

「勿論、最初からそうだったわ」

 

 気負い無く、少しの懐かしみと共に答える。

 最初に桜にあった時は、コペンハーゲンで衛宮くんと一緒に。

 警戒と緊張の中にいた彼女に見せた演目は何だったか。

 

「衛宮くんも桜も、私にとっては唯の友人だもの」

 

 唯の友人、つまりは変えようのない大切なもの。

 無くしたくないし、一緒にいると心地良い。

 そういう関係が、私は嫌いじゃない。

 

「衛宮くんが衛宮くんでいてくれる限り私は優しくするし、桜が桜である限り、私はあの娘を助けるわ。

 貴方達がどうとか関係ないの、純粋に私が貴方達を好きなだけだもの」

 

 だからそこに、魔術師がどうとかいう理屈が交じることはない。

 ね、衛宮くん、と私は少しやわっこい声で続けた。

 

「貴方だって、きっとそうでしょう?」

 

 そこまで言うと、衛宮くんは、はぁ、と色が付きそうなほど濃い溜息を吐く。

 安堵からか、杞憂からか……少なくとも、彼のことだから私を信じられずに吐いた溜息という事はないだろうが。

 

 少し彼を観察していると、衛宮くんはしばらく黙っていて、沈黙が訪れる。

 私はその間に、薄いティーバックの紅茶を啜り、机の上に置いてあったお菓子をパキパキと音を鳴らしながら頬張っていた。

 うん、濃ゆい醤油の味がする。

 しかし、微妙に紅茶とはミスマッチ。

 衛宮くんらしからぬ失敗。

 もしかしたら、私を家に招き入れるという事で、少々ばかりの緊張を強いられていたのかもしれない。

 そんな事を考えている、最中でのことだった。

 

「やっぱ良い奴だな、マーガトロイド」

 

「二度ネタは新鮮じゃないのよ」

 

「なんでそうなる」

 

 ジトッとした視線を向けられたので、対抗するように同様の視線で対抗する。

 見つめ合うこと約五秒、特に恋に落ちることもなく、逆に凄く呆れられた視線に、衛宮くんの目は変わっていた。

 ……無性に、私の方が子供っぽく感じてしまって、目を逸らしてしまう。

 

「女の子を辱めるなんて、衛宮くんは卑怯ね」

 

「勝手に自爆しただけだろ」

 

 しかも容赦ない。

 女の子に優しく、がお父さんと交わした約束だろうに、良くもここまで言ってくれる。

 友達の気安さと言ってしまえばそこまでであるが、流石に一方的なのは納得したくない。

 むしろ、遣り返したくなる質なのだ。

 何か反撃の伝がないか、探すように部屋の中をキョロキョロと見回す。

 

「む……微妙だ」

 

 一方の衛宮くんは、睨み合いに飽きて紅茶と煎餅を口にし、その組み合わせに顔を顰めていた。

 そして徐ろに立ち上がると一言、

 

「緑茶入れてくるから、ちょっと待っててくれ」

 

 それだけ告げると、この場を離れて。

 私はその隙に、更に露骨に部屋を見回す。

 ……が、ここは元より藤村先生も来る居間。

 変なものが置いてある訳もなく、あったのは精々レーザービームを放つ野球選手のポスターだけ。

 なので、私はフラリと立ち上がった。

 

「衛宮くん、お手洗いはどこかしら?」

 

「あぁ、奥に入ったところにあるぞ」

 

「ありがとう」

 

 別に、トイレの場所を間違えてしまって、広い屋敷の中を彷徨う事になっても、それはそれでしょうがない。

 衛宮くんに見えないところで悪い笑いを浮かべて、立ち上がったのだけれど……。

 

 ――どこからか、シャンシャンシャンと響く音が聞こえてきた。

 

 聞いていると、重圧な鈴の音だという事が分かる。

 唐突に、どこからか鳴り響く音、私は訳も分からずに呆然と立ち尽くしていると、衛宮くんが驚いた様にこちらを向いていた。

 その表情は驚きに満ちていて……そしてそれが、次の瞬間には険しくなっていたのだ。

 

「マーガトロイド、今何をしようとした?」

 

 思ったよりも重い声で、衛宮くんは問いただす。

 それに私は、何らかの仕掛けに困惑しつつ、正直に答えを返した。

 

「言い負かされて腹が立ったから、衛宮くんの部屋を荒らしてやろうと思っただけよ」

 

「はぁ?」

 

 困惑し、呆れた声が聞こえてくる。

 衛宮くんの怖かった顔は、直ぐにポカンとした緩いものになっていて。

 私は堂々と、要するに開き直りながら、事の次第を告げたのだ。

 

 えっちな本を見つけられれば御の字で、衛宮くんの部屋を探そうとしていた事。

 そんな気持ちの旅立ちをしようとしていたところを、現行犯で逮捕された気分な事を。

 

「もしかして、マーガトロイドは馬鹿なのか?」

 

「……人間、時折童心に帰りたくなるものよ」

 

 我ながら苦しい言い訳である。

 だが、そんな事よりも、だ。

 中々に興味深い展開だと、私は思う。

 

「ねぇ、衛宮くん、一つ聞きたいんだけれど」

 

「……聞かないでくれると助かる」

 

 ことの次第に気が付いたのか、顔を引き攣らせる衛宮くん。

 それに私はやんわりと笑って、衛宮くんの笑みを受け止める。

 先程の鈴の音、明らかに魔術を持って発動したもの。

 発動条件は、恐らくはこの家や、住人に敵意を持った時に鳴り響くのだろう。

 結界が敏感すぎて、明らかになるべき場面でないところで鳴ってしまったのだが。

 

「馬鹿ね、衛宮くんは」

 

 意趣返しの様に告げると、衛宮くんは段々と絶句してしまって。

 それは、暗に彼が認めたという事。

 何を認めたかといえば、それはこの結界が桜のモノではないという事実をだ。

 何故ならば、この結界はあまりにも高度で、並みの魔術師が張れるモノではないから。

 桜は才能はあるのだろうが、現時点ではこの様な結界を張れる技量は存在しない。

 実際の桜の魔術の腕を見た訳ではないから断言できないが、彼女は魔術の匂いをそこまで感じないから、ほぼ間違いはないと言っても過言ではない。

 なら、この結界は誰が張ったのか?

 答えを考えるなら、誰だって見つけてしまえる記号の連鎖だ。

 

「衛宮くん、魔術師の家系だったのね」

 

「だったら、どうするんだ?」

 

 衛宮くんからも魔術の匂いは殆どしない。

 ならば、後は衛宮くんの家系の誰かが張ったと考えるのが行き着く答え。

 間桐臓硯が張ったにしては、あまりに優しすぎる結界だから、これは真実であると、半ば確信があったから。

 ……だから、私は出来るだけ呆れたような口調で、こう言ったのだ。

 

「馬鹿ね衛宮くん、友達だって言った途端に掌を返すわけ無いでしょうに」

 

 そう言うと、緊張気味だった衛宮くんの顔が解れて、私の話を聞くような体制になっていた。

 なので、今度は柔らかく告げる。

 

「喩えそれが、本当は魔術師だってしてもね」

 

 ま、衛宮くん達は特別な面もあるけれど、と彼に言って、少し笑う。

 衛宮くんが魔術師だとしても、あまりにそれらしくないから。

 

「特別?」

 

「全然魔術師らしくもなんともないって事ね」

 

 軽く告げると、衛宮くんは何とも言えない顔をする。

 だから私は、その調子で言葉を付け足す。

 

「勿論、良い意味でよ?」

 

 血の匂いも、魔の香りも、打算の暗さも全然していない。

 魔術師としては失格なのかもしれないが、だからこそ衛宮くんなのかもしれないと思って。

 

「……俺、魔術についてはからきしだからな」

 

「衛宮くんはそれでいいと思うけれどね」

 

 それこそ、衛宮くんからその匂いが濃くなれば、衛宮くんが衛宮くんらしくないと私は思う。

 切り捨てるかどうかは、また別の話だが。

 そんな事を考えながら、私はそっと立ち上がった。

 私を見上げている衛宮くんに、そっと告げたのだ。

 

「今日は桜が帰ってくる前に、退散するわ。

 桜を労うどころの話じゃ無くなってるものね」

 

 むしろ、このままここに居座れば、余計な心労だけを掛けるだろう。

 そうと決めたら、さっさと退いた方が何倍も良い。

 そう思い立ち上がると、衛宮くんも釣られたように立ち上がった。

 

「何?」

 

「いや、帰るんなら送らなきゃと思って」

 

 本当に魔術師か疑いたくなる発言。

 しかも、顔には善意しか存在していない。

 はぁ、と溜息を吐いてしまったのは仕方ないだろう。

 本当に毒気が抜かれる、流石は衛宮くんといったところか。

 

「良いわよ、別に。

 桜が帰ってきた時に衛宮くんがいないんじゃ、寂しくて仕方ないでしょうしね」

 

「そうか」

 

 色々と諦めてしまったように座り込んだ衛宮くん。

 そんな彼に、私は彼の心配事であろう事について告げた。

 

「大丈夫よ、凛には報告するけど、悪いようにしない様に言うわ。

 ま、一括払いじゃなくて、分割払いにする程度だと思うけれど」

 

 幾ら凛といっても、それ以上は譲歩する事はないだろう。

 それを衛宮くんに聞かせれば、はぁ、と溜息を吐きつつ頷いた。

 納得したというよりは、諦めたといった風に。

 どこか遠い目をしている衛宮くんを横目に、私は玄関でトントンと靴を履いて、そして振り向く。

 

「ケセラセラ、なるようになるわ。

 衛宮くんは桜への言い訳だけ考えておきなさい」

 

「だったらいいけど」

 

 どうしたものか、と悩み気味の衛宮くんに安心させるような笑みを浮かべて、私はそのまま衛宮邸を後にする。

 さて、凛にどう報告したものかと悩みながら。

 

 空を見上げれば夕闇色。

 未だ、桜は衛宮邸には帰って来ていない。

 ……今日の足取りも、やはりまた重かった。




こんな事で結界鳴るはずないだろ、いい加減にしろ!
そう言われれば、反論の余地は全くもって無いです。
なんというかね、今回の話は桜の話に繋げるための云々(言い訳)。

……何か、その、ごめんなさいorz
もしなにか思いついたら、別の展開に差し替えるかも、です(思いつかなかったから投稿したのですが)。


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第30話 踊る議論と、回る気持ち

おうふ、先月投稿しそこねました。
何というか、申し訳ございませんでした!
あと、結構書きなぐってるので、結構誤字を起こしているかもしれません、すみません。


 事件とは、備えている時にはやってこない。

 どちらかといえば、油断している隙をついてやってくる。

 事故もそうで、自分にはまさかねと思っていても、見事に裏切られる。

 二つに共通する事があれば、両方共に運が悪ければ巻き込まれるという事で。

 まぁ、何が言いたいかといえば……。

 

「こんにちは、衛宮くん」

 

「……遠坂、か」

 

 衛宮くんは、今日という日はとてもツイていなかったという事だ。

 尤も、人徳には恵まれていたようで、衛宮くんの後ろから彼を守る様に間桐兄妹が姿を現す。

 二人に目配せすれば、間桐くんは睨みそうな顔をし、桜に至っては顔を合わせようとすらしてくれない。

 流石に面白くないけど、今回は私が通報したものだし、二人の態度はごく自然なものだろう。

 なので凛を人差し指でツンツンとつつきせっつくと、彼女は徐ろに前に出る。

 

 現在、衛宮邸の玄関口、前日には遊びに来ていた場所。

 けど、今回は友人の家にやって来た、という名目でここに居るのではない。

 凛のお付き、野良魔術師の衛宮くんとセカンドオーナーたる凛の立会いの場に、仲介人として立っているのだ。

 

 気分的には、アウトローの大物に付き従う小物。

 仲人と言えば聞こえはいいが、凛は自分で主導権を握りたがるタチだし、桜や間桐くんは怒らしてしまうしで、私に出来ることは非常に限られている。

 精々、出来る事といえば喧嘩に成りそうな時に仲介すること……しかも、私自身が火に油を注ぐ事もありうるという、あまりに逃げ場のない状況。

 せめてのも癒しは、衛宮くんは私にあまり怒っていないという事だ。

 まぁ、だからと言って私に好意的であるかは別であるが。

 

「別に取って食べたりなんてしませんわ」

 

 警戒する桜と間桐くんに、凛はそう言って宥めに掛かって。

 間桐くんもいるからか、こんな時でもネコを被る図太さには敬意を評さずにはいられない。

 間桐くんもしっかりと引っかかって、まぁ、遠坂がそう言うならそうかもしれないね、と一旦は矛を収める。

 ずっと、玄関先で話をするのもな、という気持ちもあったのだろう。

 とりあえず中へ、と先導する衛宮家の三人に続き、私と凛も二人に続いて進んでいく。

 

「桜」

 

「……何ですか、アリス先輩」

 

 その途中で、私は桜に声を掛けた。

 返ってきた声は不機嫌さを滲ましたものだったけれど、キチンと口をきいてくれるだけマシなのだろう。

 なので私は、少しだけ言い訳という名の弁明を開始する。

 このままでは、あまりにギスギスしすぎているから。

 

「今回、割と私は衛宮くんに好意的に接するわ。

 ……報告はしたけど、悪いとは思ってるから」

 

 でも、出た言葉は自分で意識していたよりも、下手に出ていたもので。

 私が悪かったわ、と認めているものであった。

 別に凛に報告したのが間違っていたとは思わないが、それでも些かの気まずさと後ろめたさがあった裏返しなのかもしれない。

 

 そして桜は、私のそんな葛藤を汲み取っていたのだろう。

 一言、分かってます、と返してきて。

 三秒の沈黙後に、言葉を付け足した。

 

「分かってるから、拗ねてるだけなんです。

 兄さんも、一緒ですから」

 

 それだけ言うと、スタスタと早足で歩いて行ってしまった。

 そんな桜の後ろ姿を見て、頬をつい掻いてしまう。

 桜はつまり、拗ねているだけだから放っておいたら、また元通りにもなります、と言いたいのだ。

 そんなことを言われても、私は仲介人なのだから、嫌でも口をきかなきゃいけない。

 必要最低限度の事以外、喋らないでという事か。

 

「……ままならないわね」

 

「貧乏クジね、アリス」

 

 溜息を吐くと、凛は楽しげにそんな事を告げてきた。

 彼女としても、そこまで酷いことをするつもりなんて無いのだろう。

 だから気分は軽く、適当におちょくって帰ろうとしているに違いない。

 

「普通なら、役人の貴方が嫌われる筈なのに」

 

「普通の敵より、裏切り者の方が憎いに決まってるでしょう?」

 

 返す言葉もなかった。

 ついでに去来するのは、どうしたものかという頭の痛さ。

 

「衛宮くん、私はどうするべきだと思う?」

 

 思わず衛宮くんに馬鹿なことを尋ねてしまったのも、仕方のない事だろう。

 しかし衛宮くんは、マーガトロイドが遠坂に言ったんだろう、って言いながらも、真剣な顔で考えてくれて。

 ちょっとしてから、じゃあこうすれば良いと耳打ちでしてくれたのだ。

 その方法は、聞いていると衛宮くんっぽいか、と納得できるものだった。

 

「ありがとう、頑張るわ」

 

「その代わり、こっちも頼むからな」

 

「えぇ、任せて」

 

 僅かばかりだが、私と衛宮くんの周りだけには和やかな空気が流れる。

 幸いなことに、衛宮くんは私を恨んでいない。

 助かることではあるが、逆に衛宮くんが心配を感じてしまう一幕。

 私が通報した、という後ろめたさが、余計にそう感じさせてしまっているのだろう。

 

「その分、援護はするわよ」

 

 主に、私の罪悪感と友情の分だけは。

 それに元より凛は、衛宮くんが魔術師だということに関して、驚きはしたが逆に嬉しそうでもあった。

 理由は分からないが、恐らくは桜関連での心配事であろう。

 何だかんだで、凛は何故か桜に甘いから。

 

 だからきっと、なるようになる。

 どさくさにまぎれて桜や間桐くんと仲良く出来たらなお良し、としておこう。

 そんな狸の皮算用をしながら、私達は前に来た居間へと案内されて。

 半ば、結果の見えている会談が始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

「まずは、そちらの言い分を聞かせてくれるかしら?」

 

 初めに口火を切ったのは凛。

 口調と表情はとても笑顔ではあるが、その実、言い訳はある? と意味合いを含んでいる質問。

 意味の分かった私は無表情を、桜は表情を固くし、衛宮くんと間桐くんは文字通りにそれを受け取っていた。

 やはり桜は、何だかんだで凛を良く知っているらしい。

 でなければ、あからさまな態度を取ることはなかったであろうから。

 

「……まず、最初に言っておきますが、先輩に魔術師としての常識は殆どありません。

 それは間桐と接触してからも同じで、最低限度の事しかか教えていません」

 

 そしてやはり、言葉を返したのも桜で。

 第一原則として、衛宮くんの擁護すべき点を上げた。

 それに凛は頷きつつ、ちらりと横目で衛宮くんを見る。

 凛の視線の先には、衛宮くんが居心地の悪そうに座っている姿があって。

 状況が状況だけに気持ちは分かるが、もう少し背筋を伸ばしておかないと、凛に好き勝手されてしまうだろう。

 

「衛宮くん、貴方は桜から最低限の事は教えて貰ってたんですよね?

 なら、私の事も聞いていて当然な筈」

 

「えっと、魔術師って事は聞いてた」

 

「他のことは?」

 

「セカンドオーナーっていう事、法外な土地代を要求されるとも言った覚えがあるね」

 

 そんな衛宮くんに変わって、間桐くんが庇う様に衛宮くんの代わりに言葉を紡ぐ。

 凛からは、アンタじゃないのよアンタじゃ! と剣呑な視線を向けられているが、全く気にもしていない。

 ……本当のところは、気にしてないじゃなくて気付いてないだけだろうけれど。

 

「語弊があります。

 霊脈を宿している冬木の土地を使用しているんですから、当然の対価です」

 

「いいや違うね。

 衛宮はそもそも霊脈なんか、全く手を触れてすらいない。

 その論法で行くと、冬木の土地に魔力的干渉をしていないんだから、衛宮は一般市民と変わらないだろう?」

 

「……屁理屈」

 

 小さく、けれどもイラっとした感じで凛が呟いた言葉が、確かに聞こえた。

 確かに、そんな論法を許せば、どんな無法も言い訳一つで通るようになるだろう。

 なので凛は、話題を挿げ替えるようにして、こんな事を言い始めた。

 

「そもそも、セカンドオーナーに届出が必要なのは、魔術師を管理するためです。

 神秘の漏えいが起きた時に、適切に対処するために必要なこと。

 なので、報告されないと困ります」

 

 最もらしい事を言っている凛。

 けど、その内実は相手を言い負かしたいのだということに、私は気がついている。

 私が凛に衛宮くんが魔術師だと報告したとき、凛が真っ先にした行動は貯金通帳を眺めるという奇行だったのだから。

 

 そんなにお金が欲しいのか、遠坂凛。

 恐らくであるが聞けば、欲しいに決まってるでしょう! と家訓を忘れて笑顔で言うに決まっている。

 魔術はお金に足が生えさせる、しかも全力で逃げていく。

 凛は宝石魔術師なのだから、特にそれが顕著である。

 だからこそ、得られる収入は確保しておきたいと考えているのであろう。

 ……凛に欲が無いかといえば、別問題になるのだろうが。

 

「そんな事必要ないくらいに、衛宮の魔術はしけたものだったのさ。

 強化の魔術を延々と、バカの一つ覚えみたいに繰り返してるだけだったのさ」

 

 そしてまたも、間桐くんが口を開く。

 口から出るのは、擁護とも罵倒とも付かない言葉。

 しかし、明らかに衛宮くんを守るための思いやりはある。

 間桐くんも大概だな、と思わずにはいられない風景である。

 

「先輩の魔術は、内に内に潜ってました。

 外に漏れる心配なんて、万に一つもありません。

 ……それでも、ダメですか?」

 

 訴えるように桜も加勢し、凛へと詰め寄る。

 しかし、凛は微塵も動じた素振りを見せず、だからどうしたと言わんばかりで。

 全く口撃が通用しない、無敵遠坂マネーイズパワーを発露してしまっている惨状である。

 

「内に潜っていっても、器から溢れて惨事が起こることもあります。

 そんな事、私は看過するつもりはありません!

 そもそも、間桐家も衛宮くんの事を隠しだてしていた罪は、それ相応のものがあります」

 

 断言するように言う凛に、弱いところを突かれた間桐くんと桜は口を噤む。

 更に追い打ちを掛けるように、凛は追撃の言葉を吐き出していく。

 

「でも、私達は学友、言うなれば友達。

 だから加減することも吝かではないです。

 ……でも、皆さん気付いてますよね?

 どうあがいても、支払いからは逃れられないって」

 

「……そういう話だったか?」

 

 あまりの言葉に、今まで口を閉ざしていた衛宮くんが素で突っ込んでいたが、誰も反応せずに受け流す。

 お金、大事、絶対、つまりはそういう事である。

 尤も、間桐くん達は契約としての観点から、凛は単に現金が欲しいというすれ違いがあるのだが。

 

 しかし何にしろ、今の一撃で空気は明らかに凛の方へと傾き始めた。

 桜の顔色は宜しくないし、間桐くんなんて露骨に顔を顰めているし、衛宮くんも空気的に支払い前夜が近づいているのを察知して、ダメでござるか、と何かを悟り始めた表情を浮かべ始めている。

 私から見ても、これはマズいといえるものがあって……。

 

「そういえば、私渡す物があるんだったわ」

 

 だから態とらしく、会話に介入した。

 何を言っているんだコイツは、という視線が私に集中するが、それにメゲずに持ってきていたカバンの中から、私はビニールの包みを取り出す。

 今朝、遠坂邸のオーブンで焼いてきた自信作。

 

「クッキー?」

 

「えぇ、紛うことなきクッキーよ。

 ……仲直りの賄賂として、用意していたの」

 

 今やる事ではないのは分かっている。

 でも、このまま一方的に凛が口撃を続けるのは、些か宜しくない。

 なので、一回怪しい空気を改めようとしての行動であった。

 凛からは余計なことをするなと睨まれるが、流石に一方的にやりこまれるのを見ているだけというのは、私が耐えられそうになかったのだ。

 これでは、話し合いというよりも通告に過ぎないのだから。

 

「衛宮くん、台所を借りていい?

 ついでにどこに何があるか、教えてくれると嬉しいわ」

 

「あ、あぁ、分かった」

 

 それに最早、私と衛宮くんはこの場において空気に等しい。

 イタリアのドゥーチェを気取っていたはずの私であるが、結局のところ折衝に茶々を入れる程度のことしか出来ていない。

 この場において当事者の筈の衛宮くんは元よりハブられており、余計に物悲しさが増していたからこその提案であった。

 

「分かりました、美味しいお茶をお願いね」

 

 ニコッと凛は笑いつつも、さっさとどっかに行けと言わんばかりに目だけは据わっていて。

 桜は私が台所に踏み入れると聞いて何か逡巡しているが、座ってろバカ、という間桐くんの声に従って、仕方なくその場に留まっていた。

 因みにであるが、間桐くんはさっさとどっか行けと口に出していた、失礼な事この上ない。

 けど、折角の仕切り直しの機会でもあるので、一時私と衛宮くんはこの場を離脱する。

 ……さて、どうしたものかと思考の糸を張り巡らせながら。

 

 

 

 

 

「悪い、マーガトロイド、助かった」

 

「大した事じゃないわ、そもそもあれはミュンヘン会談よ」

 

「……ドナドナの歌が聞こえてくるぞ」

 

「自覚している様で何よりだわ」

 

 今にも溜息を吐きそうな衛宮くんに、耐えなさいなと励ましつつ、お茶の在処を尋ねる。

 衛宮くんの指差した方向を探せば、そこには茶筒があって。

 置いてあったのは、緑茶の茶葉。

 これも独特の渋みが、また癖になるので紅茶と比べても悪くない。

 飲み慣れているという意味でなら、紅茶の方が好みではあるが。

 茶筒を振れば、勢い良く中身が飛び出してきた。

 これで茶を入れれば、渋さのあまり卒倒すること間違いなしと保証できる。

 

「なぁ、どうすれば良いと思う?」

 

 出しすぎた茶葉を戻していると、衛宮くんは唐突にそんな事を尋ねてきて。

 私としてもどうしたものか、と考えているのだから、容易に答えられなんかしない。

 このままいけば、凛は埋蔵金ゲットと言わんばかりに衛宮くんに支払いを要求するだろう。

 それが悪いとは言わないが、少しは容赦して欲しいものである。

 

「衛宮くん、ご両親はいないって言ってたわね」

 

「あぁ、桜や藤ねぇがいるから、別に天涯孤独なんて事はないけどな」

 

「有難い話よね」

 

「あぁ、全くだ」

 

 シミジミと呟く、衛宮くんと私。

 揃って、感傷は無きにしも非ず、といったところか。

 まぁ、それは兎も角として、これで分かったことは、衛宮くんには所得はないという事。

 バイトだって、そんな大した額を稼げている訳ではない、精々学生のお小遣い程度である。

 本来責任を持つべき親は、既に他界してるとのことだし、既に衛宮くんは袋小路の真っ只中。

 衛宮くんは、他人に迷惑を掛けれない、と頼ることをあまりしないであろう。

 

「……支払う気はある?」

 

 既に凛達が話し合っているであろう内容について、私は衛宮くんに振る。

 それに衛宮くんは、ゆっくりとだが頷いて。

 なら、と私は提案する。

 

「それなら、分割払いをお勧めするわ。

 貴方からすれば、いきなり意味不明なイチャモンを付けられてお金を巻き上げられようとしていると思うでしょうけどね」

 

「いや、俺がルールとか、そういうのを知らなかったのがいけないんだ。

 キチンと自分で払うさ。

 一応だけど、俺も魔術師だし」

 

「一応、ね」

 

 あまり自信がないのか、少し気になる言い回しだけれど、今はそれよりも大事なことがある。

 衛宮くんが支払うと、自分の意志で決めたのだ。

 私としては、お金は人間関係を拗らせるので、早々に解決してくれそうなのは有難い。

 尤も、私が横からこんな事を言うには、自分でも中々に気まずいものがあるが。

 

「お湯が沸いたぞ、マーガトロイド」

 

「分かったわ」

 

 けど、衛宮くんは気にせずに私と接してくれる。

 助けられる反面、自分が小さく思えてならない。

 

「ん、これで良いわね」

 

「後は運んで、マーガトロイドのクッキーを配って、小休止を入れるだけだな」

 

「終わったら、それからは……」

 

「あぁ、自分で言うさ」

 

 お盆を用意してもらい、そこにカップを載せていく。

 幸いなことに、何とか落着しそうな空気を感じて、少しばかりではあるが安心していた。

 利己的、と自分の事ながら自嘲しそうになるが、魔術師って大概そういうもの、と開き直ってるところがあるのも、また事実で。

 そう言う意味では、衛宮くんはやはり天然記念物なのかもしれない。

 魔術師である前に、衛宮くんは衛宮士郎という個人で有り続けているのだから。

 

「ありがとう、衛宮くん」

 

「唐突にどうした?」

 

「ううん、言いたくなっただけよ」

 

「なんでさ」

 

 戻る前に、少し気持ちを込めた感謝をする。

 不思議そうにしている衛宮くんを見れると、僅かばかり笑顔を浮かべてしまう。

 こちらが不思議と元気を持たされてしまうのは、ある意味で衛宮くんの人徳か。

 

「じゃ、行きましょうか」

 

「そうだな」

 

 短く言葉を交わして、私達は居間へ戻る。

 さて、一休みだと茶を携えて。

 そしてそこには……、

 

「じゃあ、間桐の家が全額支払うってことで良いんですね?」

 

「あぁ、その代わり衛宮の生殺与奪は、こちらの自由にさせてもらうぞ」

 

「えぇ、構いませんわ」

 

「なんでさ!?」

 

 見事、衛宮くんの決意を吹き飛ばすような取引が行われていた。

 その現場は、悪代官と越後屋の密談の如き空気が漂っていたようにも思える。

 

「本当に売り飛ばされたわね、衛宮くん」

 

「冷静に言ってる場合か!

 どうなってるんだ、一体……」

 

 困惑したような衛宮くんの声、表情も押して知るべし。

 私は聞いた瞬間、瞬時に察してしまえる状況であった。

 そしてそんな衛宮くんに、桜が話しかける。

 今の決定を、間桐くんに対するフォローを交えながら。

 

「兄さんは照れ屋ですから、ちょっと言い方を過激にして、誤魔化してるだけなんです」

 

「いや、それでも何か言わないと不味いだろ」

 

 ご尤も、生殺与奪を握ったぞと言われて、ウンと笑顔で返す輩はネジが何本か飛んでそうである。

 

「それはそうですね、ごめんなさい先輩。

 ……それで、ですね。

 今の話し合いで、決まったことなんですけど」

 

 桜は言う、要するに今までと変わる事はないのだと。

 凛は干渉しない、衛宮くんは間桐の庇護下に置かれる、しかし衛宮くんの自由は間桐が保証する。

 大まかに纏めると、この三点が今回の話し合いで決まった事だそうだ。

 むぅ、と唸っている衛宮くんを傍目に、私は凛へと小声で話しかける。

 

「悪辣よ、凛。

 衛宮くんがいないところで、さっさと決めてしまうなんて」

 

「いられちゃ、気になって話が進まないでしょう?

 円滑な話し合いのため、ある意味で上出来よ、アリス」

 

「私が片棒担いだかのように言うのは、止めてもらいたいものね」

 

 サラッと私まで悪人扱いしようとする凛に、私は辟易とした目を向ける。

 けど、凛からすれば、どちらにしろ同じことらしい。

 

「衛宮くんの事、通報した時点であんたはこっち側」

 

 そう言われれば返す言葉がないので、本当に卑怯だと言わざるを得ない。

 どうあがいても、良い顔をしていても、結局私は衛宮くんの側に立てないのだ。

 当たり前で本当に基本のことだが、台所での事を思い返せば、私は衛宮くんの好意におんぶに抱っこ。

 あまり格好が良いものとは言えない。

 

「……意地の悪さは、相変わらず天下一品ね」

 

 結果、出てきたのは正に負け犬の遠吠えそのものと言える、捨て台詞のみ。

 それを聞いた凛は、ツンとした笑みを浮かべながら、楽しげに言う。

 

「当たり前、私は魔術師だもの」

 

「その前に、守銭奴」

 

 お金を集めて悦に浸る凛の姿は、前世がカラスであったであろう事を想起させる。

 溜め込んで使いたがらないところなんて、本当にそっくり。

 

「ピグマリオンコンプレックスがよく言うわ」

 

「そこに愛情はあるもの」

 

「私にだって愛情はあるわ」

 

「金銭への愛情なんて、どどめ色に輝いてるわね」

 

 誹謗と紙一重の応酬、けれども楽しいのはどうしてか。

 低レベルだけれど、楽しくてつい小突きあってしまう。

 多分、私の顔は笑っている。

 凛の顔もそうなのだから、恐らくは間違いない。

 

「調子、出てきたわね」

 

「お互い様で」

 

 しかも、これでも凛は気を使っているというのだから、全くもってヒネクレ者だ。

 でも、有難いと思ってしまう私も、もしかしたらズレているのかもしれない。

 ついでにヒネクレ者で繋がりで、すぐ隣に目を向ける。

 そこにはモロに上から目線で、衛宮くんに得意げに語りかけている間桐くんの姿が。

 

「要するにだ、お前は今日から僕の奴隷なんだよ。

 精々使えるように、今から準備をしておけってことさ」

 

「困る、それ以前に断る。

 そんな巫山戯た提案、受けられるはずないだろっ」

 

「はぁ? 衛宮ァ、お前立場が分かってないな。

 ハハッ、よく聞けよ?

 お前に決定権は無い! 全ては僕が決める権利があるんだよ」

 

「兄さん、言い過ぎです」

 

「何言ってんだよ、桜。

 僕達はコイツを遠坂から金で買ったんだぞ?」

 

「だからそこからして、違うって言ってんだ。

 俺だって、何年か掛ければ返済はできる」

 

「じゃあ相手が遠坂から僕にスゲ変わったと考えろよ。

 それとも何? そんなに僕の犬は嫌なの?

 柳洞の犬には喜んでなるのに?」

 

「そんな無茶苦茶な……」

 

 とても生き生きしている。

 その姿は、最早好きな子をイジメる男の子そのもの。

 最高に輝いている間桐くんに、困った顔の衛宮くん。

 それが余計に間桐くんをそそっているとは、露にも気付いていないみたいで。

 桜は気付いてはいるが、あまりに楽しげなコミュニケーションを取る二人の前に、あまり口を挟めていない様子だ。

 

「男の子同士でも、イチャイチャはするのね」

 

「友情って複雑ね」

 

「形は人それぞれだもの」

 

「……深読みするべきかしら?」

 

 思わず呟くと、即座に凛はニヤついて。

 即刻私の言葉尻を捉えに来る。

 おもちゃが欲しいのね、と白い目を向けてしまいそうなほどに。

 

「アリスったらやらしいわね」

 

「凛の性格ほどじゃないわよ」

 

 今この時が言葉の通り、凛の素早さは泥棒猫並み。

 皮肉混じりに返せば、当然返ってくるのは同数の皮肉。

 雪合戦で雪玉を投げつけ合うのにも似ている、そんな会話。

 

「まぁ、良いわ、そんなことは。

 それよりも」

 

「何よりも?」

 

 尋ね返してくれた凛に私は視線で、言いたいことを示す。

 すると凛は、あぁ、と納得した顔になって。

 

「犬も食わないわよ」

 

「楽しげだけれど、ずっと続かれても困るのよ」

 

「そう? 幾らでもイチャつかせとけばいいじゃない」

 

「桜が不憫でしょう?」

 

 私が口にしたのは、未だに男の子同士で楽しそうにしている二人。

 それをジッと見ている桜は、口元は綻んでいるが、ずっと聞いているだけで。

 衛宮くん達を見守っているという風情であるが、このまま放置されているのは可哀想に思えたのだ。

 ね、と私が凛に了解を求めたら、凛は面倒くさそうな顔をしつつも、決して拒否はしない。

 やっぱり、凛は桜に甘い。

 本人に直接言えば酷く複雑な顔で、そんな事ないわ、と否定してくるのだが。

 ちょっと卑怯かもと思っても、ついつい伝家の宝刀的に使ってしまう常套句であった。

 

「衛宮くん、間桐くん、話し合いは終わらなくて?」

 

 そして凛は、半ば思惑通りに二人の間に割って入る。

 衛宮くんはジト目で、間桐くんは元気よく凛を迎えていた。

 ここまで二人揃って顔に出るのだから、ここには正直者しかいないのではないか(凛を除く)と思えてしまう。

 

「とぉさかぁ、お前からも言ってやってくれよ。

 衛宮が売り渡して、僕にコイツの責任はあるって」

 

「いや、マテ慎二。

 キチンと代金は何年掛かっても返す。

 そこが焦点だろ?」

 

「いいや違うね。

 衛宮が間桐の、いや、僕に従うかどうかって話だよ」

 

「はい、二人共、少し静かに」

 

 不毛な言い争いを続けようとする二人に、凛は優しく、けれども謎の迫力を持って中断させる。

 衛宮くんと間桐くん、二人揃って開いた口を閉口して。

 流石は遠坂凛と褒め称えてもいいほどに、鮮やかな手腕だ。

 

「論点がズレてるんです。

 そんなの、何時までも終わるはずはないですよね?」

 

 すごく笑顔だけれど、無条件で肯定しろという空気を出している凛。

 それに感化されて、衛宮くんは無言で首肯し、間桐くんも顔を引き攣らせている。

 凛はそんな様子を見て、よろしいと話を進めていく。

 

「衛宮くんは、立て替えてもらうであろうお金をキチンと間桐くんに返したい。

 そういうことですよね?」

 

 尋ねられれば、衛宮くんはあっさりとそれを認める。

 義理堅く律儀な衛宮くんらしい、明確な理由だ。

 そして次に凛は、間桐くんに向かって話しかける。

 

「間桐くんは、衛宮くんを束縛していたいの?」

 

「……遠坂、そんな気色悪いこと、僕が考えるわけ無いだろう?」

 

「だったら?」

 

「僕はね、衛宮が僕にかしずけば、それだけで良いって言ってるだけだよ」

 

 妙に自信有りげに語る間桐くん。

 何がそんなに胸を張れるのかは分からないが、ここまで堂々としていたら開き直っている用には見えなくなってくる。

 それが当たり前、と間桐くんが信じているような気がするから。

 

「要するに、構って欲しいだけね」

 

「えっと、間違ってないと思います」

 

 小声で桜に話しかければ、桜は微笑みながら返してきて。

 その反応が意外で、私は思わず桜を凝視する。

 だって桜は、さっきまではすごく私に腹を立てていたから。

 

「怒ってないのかしら?」

 

「クッキーで手打ちなんですよね?」

 

 あまりに自然に返してきたので、私は反射で頷いてしまって。

 桜のニコニコとした笑顔に、飲み込まれてしまっていた。

 この娘も、中々に強かになったと感心せざるを得ない。

 

「優しいわね、桜」

 

「あのクッキー、甘くて美味しかったですから」

 

「ありがとう」

 

 何だかんだで桜も甘い。

 怒っても、すぐに許してくれるのだから。

 しかも褒めてくれまでするのだから、つい上せてしまいそうになる。

 

 そうして私が桜と和やかに会話している時、一つの言葉が向こうの方から聞こえてきた。

 大声だったのでよく響いて、そして内容はあまりにも男気に満ちたもの。

 

「そんな事、言われなくたってやるさ。

 友達の頼みなら、巫山戯たもの以外なら手伝うに決まってる。

 だからこそ、お前や桜に金でしがらみを作りたくないんだ!」

 

「……そうかよ」

 

 間桐くんは結局、衛宮くんの無条件の尽くす精神の前に屈してしまった。

 無謀な献身は無事に間桐くんの心にも届いたのだから、決して無駄なものではないのだという証左に他ならない。

 流石は衛宮くん、皮肉なしで素直に褒めちぎれる。

 その分、心配も乗数的に増えていくのだけれど。

 

「これで決着ね」

 

「見事な大岡裁きね、お疲れ様」

 

「どこでそんな言葉習ってくるのよ」

 

「大抵は柳洞くん」

 

 あっそ、と気のない返事をして、凛ははぁ、と溜息を吐いた。

 この場で間桐くんに気を使って猫を被っているのだが、それで疲れるならいっその事やめてしまえば良いのに。

 素直に耳元でその旨を伝えたら、そうね、考えておくとだけ返事をしてきた。

 なんにしろ、これでようやく、私も動けるというものだ。

 

「ねぇ、少し良いかしら?」

 

「あん? 何だよマーガトロイド」

 

 何時もながらに私を無意味に警戒している間桐くんを他所に、私はこの場を見回す。

 

「一件落着で良いわね?」

 

「そうだよチクリ魔」

 

「そう、それは良かったわ」

 

 間桐くんの言葉を流すと少し不機嫌そうな顔をされたが、私はそっとクッキーの残りを差し出すと、皆に提案する。

 衛宮くんに話し合いが始まる前に提案されて、ずっと言い出す機会を伺っていたものを。

 

「ねぇ、これからここでお料理会を始めましょう?」

 

 返事は、は? とか、はい? とか、はぁ? と大体が微妙なもの。

 でも、その中で一人だけ、私の言葉に乗ってきた人がいて。

 

「いい考えだな、マーガトロイド。

 冷蔵庫に、賞味期限切れ寸前のも結構あるんだ」

 

「ついでだし、少し和食を教えてくれると嬉しいわ」

 

「任せとけ」

 

 乗ってきたのは衛宮くん。

 元々が彼が私にこうしたら? と発案してきた計画者であるのだから、ある意味で予定調和。

 ここに残っている僅かな気まずさ、それごと全てを流してしまおうと考えての計画。

 単純に、私達の趣味が合致したというのもある。

 

「さ、そうと決まれば準備をしましょう。

 凛、桜、立ちなさい。

 間桐くんは、どうするの?」

 

「味見係でいいだろ」

 

「妥当ね」

 

「お、おい、何勝手に決めてんの?」

 

 さっさと話を進めていく。

 文句を垂れる声が聞こえた気もするが、幻聴として無視して事を進める。

 

「ちょ、ちょっと!」

 

「アリス先輩?」

 

 凛と桜、二人の手を揃って引き上げると、二人は目を丸くしていたが、私が笑顔でこっちよというと、揃って仕方なさげについてきて。

 凛と桜は目が合うと直ぐに逸らし合うという、ある意味で息ピッタリな連携を見せてくれていた。

 

「あんた、元から機会を狙ってたわね」

 

「だから?」

 

「……良いわよ、乗ったげる。

 桜も、今は良いわね?」

 

「は、はい、頑張ります!」

 

 一瞬目を鋭くした凛と、緊張気味の桜。

 先程までの論争してた毅然とした女の子達は、既にこの場にはいない。

 

「さぁ、衛宮邸料理大会の始まりよ」

 

 ずっと仲直りする機会を待っていた。

 遺恨を完全に吹き飛ばす機会を。

 だから、緩んだ今が好機と感じたのだ。

 

「色々と教えてね」

 

 誰に告げるでもなく、敢えて言うならこの場の皆に言った言葉。

 それにどこからともなく、”はい””おう””えぇ”などの、統一性のない返事が返ってきて。

 勢いとノリで形成した出来レース、私はそれを煽りつつも全力で楽しみはじめる。

 

 ――さて、では楽しいパーティーを始めよう。

 

 伊達と酔狂、それに酔いながら私達はそれぞれに話しながら、行動を開始する。

 今日は、夕飯もここで頂こうなんて、図々しい事を考えながら。

 私なりの、仲直りを始めたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あと、蛇足的な事ではあるが、夕飯には和食に洋食、更には中華と食い合せを全く考慮していないものが立ち並んだ。

 味見という大義で毒見をさせ続けた間桐くんは、食べる前からグロッキー。

 作りすぎたか、と全員で冷や汗をかき、全員の目が泳ぐ羽目になった。

 さて、と各々が責任を感じ始めたとき、そこに彼女はやってきた。

 

 藤村先生、ハイテンションで帰宅。

 珍しくその背中には、後光が差して見えたのは、何も私だけの話ではないだろう。

 私と凛がいることに驚きつつも、藤村先生は食卓に並んだ色とりどりの料理群を次々と捕食していったのだ。

 プレデター、と衛宮くんがこっそり呟いていたのが、何とも印象的な食卓であった。

 

 あと、肉じゃがの作り方をマスターできた、レパートリーが捗る。

 それを考えると、中々に有意義な一日だったと言えよう。

 帰る頃には柔らか、というには弛緩しすぎている堕落した空気があったから、本来の目的も達成できている。

 だから私と凛は、気分よく衛宮邸を後にした。

 ……何かを忘れている気がしたが、それが思い出せなかったのは、ある意味でご愛嬌なのかもしれない。




今話で30話、しかしstay night本編はまだ遠いという……。
とってもファッキンですね、えぇ。
でも、これからものんびりとやっていくので、是非とも宜しくお願いします。














ところでですが、自分の他に投稿している小説に、ペンギンのおもちゃ箱なる格納スペースがあるのですが、そちらに一ヶ月遅れで書き終えた冬木の街の人形師のエイプリルフール短編があるので、お暇な方は是非どうぞ(ダイナマイトマーケティング)

……なぜこっちに投稿しなかったか?
それはですね、エイプリルフールはとっくの昔に過ぎ去ったのに、今更投稿なんて出来なかったからですよ!(白目)


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第31話 暗さの中で見えるもの

何か始め3000文字程度で適当に書こうと思ってた導入のお話が、作者が楽しすぎて文字数が増大し一話分の量になってしまった模様。
なお、何時も通りに深夜テンションで強硬して書いた為のガバガハさです、はい(白目)。


 ある日の夕方、夕日は既に暮れて、空は黒のカーテンに包まれた、夜とも言える時間帯。

 外に出れば、そよ風が凪いでいるみたいに涼しくて、けれども風が過ぎ去った後には肌寒さが目立ち始めている。

 薄着はそろそろ自重しなくては、なんて事を思ってしまう季節。

 

 そんな日に、私は学校に来ていた。

 我らが母校、穂群原学園の夜の教室に。

 私一人かといえば否と答える。

 ではクラスの全員がそこに居るのかと聞かれても、違うと答えるのだが。

 

 現在ここにいるのは、楓、氷室さん、三枝さんと私の四人。

 陸上部の片付け、それら諸々が終わって、皆が帰った後に私達は教室を占領したのだ。

 

 無論、学園側に許可は取ってある。

 まぁ、学園側といっても、本当のところは宿直の人に話を通してこっそりと教室を間借りしただけなのだが。

 クッキーなんかの賄賂も、印象を良くするのに大きな役割を持たせられたのだろう。

 学生時代は云々と語りたがるおじ様が相手だった(というより、元より氷室さんの指示でその人を狙い撃ちにした)というのが、最大の勝因か。

 しかし、私達は勉強をしに集まったのでも、部活動云々の関連で集まったのでもない。

 もっとくだらなくて、お馬鹿な暇潰しの企画の為に集まったのだ。

 では、それは何か?

 ……などと勿体ぶるほど大層なものでもなく、楓の口からあっけなく宣言される流れと相成った。

 

「それではこれより、陸上部美人三人娘プラスオマケによるチキチキ秋の怪談大会、寒さなんて怖くないっ、の始まりだーっ!

 ついでに言うと、怪談なんて怖くないけど、怖い話したらぶっ飛ばすからなーっ!」

 

「わー、パチパチー」

 

 高らかな楓の宣言、響き渡る三枝さんの手と口からの賑やかし。

 この異様なテンションの高さは、楓特有の明るさ故か。

 辺りは暗く、楓の手にある懐中電灯だけが光源であるが、そんな事は関係ないと言わんばかりのテンション。

 楓も三枝さんも大概ノリが良いのが、大変に微笑ましい。

 そんな中で私と氷室さんは、顔を見合わせて小声で囁きあう。

 

「ネーミングセンスが皆無ね」

 

「一周回って高尚に聞こえない事もない、か?」

 

「360度回っちゃってるから無理よ」

 

「ふむ、返す言葉もない」

 

 だからこそ楓らしいとも言えるが。

 人によっては、分かりやすくて良いと言う人もいるだろう。

 この勢いの良さこそが、楓を楓足らしめているのだから。

 要するに、何時もの彼女と言うだけのこと。

 態とらしい釘の刺し方も、素直じゃないけど正直者な楓そのものと言えよう。

 つまりは別段、特に気にする程の事でもない。

 

「おーい、全部聞こえてんぞ、お前ら」

 

 コソコソと話をしていたら、その言葉と共にジト目を向けてくる楓。

 相変わらず勘が鋭く、わざわざこちらに耳を澄ましていたらしい。

 地獄耳、凜と一緒ね、とでも言えば喜ぶか。

 

「ごめんなさい、正直者で」

 

「問題はない。

 勘は犬並みだが、知能も似たり寄ったりだ」

 

「違う違う、アイアムクロヒョウ!」

 

「訂正するとこ、そこなんだマキちゃん……」

 

 三枝さんが微妙な顔で楓を見ていた。

 それ以上の色を浮かべてないのが三枝さんの優しさか、若干感心している辺りに天然なのかもしれない。

 この中で三枝さんが一番女の子らしい感性を持っているが、それと同時に不思議な感覚も持ち合わせているらしい。

 前の間桐くんの事件で、三枝さんもちょっとだけズレているという事も、目のフィルターの設置を後押ししている。

 

「由紀っち、細かい事は気にしたら負けなんだよ」

 

「犬も狼も同じに見える輩が、何か言っているな」

 

「さっき細かいこと言ってたの、マキちゃんだよぉ」

 

「違う! 黒豹は細かくない!!」

 

 でも、三人で楽しそうに話している姿は、どこにでもいる女子高生で。

 やっぱり、間桐くんの言う普通の女の子なんだなって結論に落ち着く。 

 

 笑顔がほわわんとしている、普通な不思議少女。

 今のところのそれが、私の三枝さんへの評価。

 相反している様に感じて、けれども矛盾していない彼女の存在。

 

 一緒に居ると、そこはかとなく癒される空気を感じれた。

 今までに幾度も、そのキラキラした純粋な目で、凛の良心を揺さぶり続けてきただけはある。

 そう思い思わず口元を緩めると、氷室さんがこちらに気付いたようで。

 

「おや、どうしたのかな、マーガトロイド嬢」

 

「ん、三枝さんは見ていて癒されるな、と思っただけよ」

 

 簡素に答えると、あぁ、と氷室さんは納得を滲ませた声を出して。

 それだけで説明がつくのは、普段から氷室さんも彼女のほんわりオーラに癒されていた、という訳だろう。

 氷室さんは何時もの俯瞰した表情ではなく、柔らかな微笑みを携えて。

 

「我が部自慢の看板娘、と言ったところか」

 

「素朴で素敵な看板ね」

 

 看板娘、これほどまでに三枝さんにぴったしな言葉はないだろう。

 少なくとも、ネコさんや楓よりは余程サマになっている。

 ……尤も、楓は猫を被って、黒豹を自称している癖に、にゃあ、と鳴くが。

 実家のお店の為だから仕方ないのだろうが、普段が普段なだけに違和感が拭えない。

 もしかしたら、化け猫などと呼ばれている類いのモノか。

 

「楓、にゃあと言ってみなさい」

 

「はぁ?」

 

「……ごめんなさい、何でもないわ」

 

 気の迷いでおかしな事を口走ってしまう。

 案の定、おかしな目を楓から向けられ、面白そうに口角を上げる氷室さんを視界に収めるハメになる。

 猫? と首を傾げている三枝さんが、心の清涼剤であった。

 

「猫被りと掛けたか」

 

「裸の王様は、実は猫の毛皮を纏っていたのよ」

 

「意味わかんないぞ、マガトロ」

 

 私の楓に向けていた視線から考えていたことを推察してしまう氷室さんは、本当に流石というしかない。

 そして豹と嘯いている猫は、自分の事とはいざ知らず。

 彼女が猫の毛皮を着ていると指摘出来る者は、些か彼女に生暖かい視線を向けすぎていた。

 つまりは彼女は、今日も変わらず楓であると言うことだけ。

 尤も、指摘したとしても、楓に見る目ないなぁ、と断じられるだけなのだけれど。

 

「ま、いっか。

 それよりほら、懐中電灯を用意してっと」

 

「……ロウソクじゃないのね」

 

「教室で火を付けるわけにも行かんだろう」

 

 結局自己完結した楓は、さっさと事を始めたいらしく準備に取り掛かる。

 懐中電灯を自分の顔に当てている楓は、不気味というよりも気持ち悪い顔をしていた。

 ニタァとでも形容すべき、とっても悪い表情。

 今までも悪事を働いてきたのね、的な。

 

「まずは罪状から確かめるべきじゃない?」

 

「確かに取調室の犯人の様にも見えるが、残念ながら無実だ」

 

 私が言うこと一つ取っても、氷室さんは当意即妙に答えてくれる。

 これは中々に気分が良い事だ……ネタにされている楓からすれば溜まったものではないだろうが。

 

「それじゃ、レッツらゴ~!」

 

 カチカチと懐中電灯の電源を切ったり入れたりしている楓の声を合図にして、私達は椅子を集めて一つの机を囲む。

 楓は上機嫌、最初は自分が何か話すんだという気概に満ちている。

 氷室さんは何時もと変わらず無表情で、三枝さんは話すよりも聞く方に重点を置いているらしく楽しげに楓の方を見ていた。

 私としても、一体どんな話を聞かせてくれるのかと気になっていて。

 

「それじゃあ、まずは私が先陣を切る!

 ヘヘン、この日の為に面白話を沢山集めたんだからな!!」

 

 怪談ではないのか、なんてツッコミは意味はないだろう。

 聞かないし、効かないから。

 なので流れに任せて一つ、楓の面白話とやらに耳を傾ける。

 何のネタが飛び出してくるか、ちょっと楽しみに思いながら。

 

「それじゃあ、はじまりはじまり」

 

 ――これは、私の知り合いの話なんだ。

 ――何? 友達じゃないのかだって?

 ――バカ、そんなこと言ったら顔が割れちゃうじゃんか!

 

 語り始めた楓、一人ノリツッコミに勤しむ様は流石と言えよう。

 しかし尤もだと言わんばかりに楓の語りに一々頷いている三枝さんは、流石に人が良すぎるのではないかとしか言い様がない。

 ただ、楓の語りも身近で些細で、それだからこそ引き込まれ易いものがあるのだろうけど。

 

 ――兎に角、私の知り合いが夜中の遅い時間に出歩いていた。

 ――勿論、辺りは真っ暗。

 ――薄暗い街灯の明かりだけが頼りの、心もとない世界が一面に広がっていたんだ。

 

 ――でも、流石にどんな奴だって帰り道は分かる、犬でも分かる。

 ――だからそいつは、帰り道をひたひたと進んでいた。

 ――だが、ふとおかしな事に気が付いたんだ。

 

 ゴクリと、誰かが息を飲んだ声が聞こえる。

 多分、三枝さんだと思われる。

 というか、それくらいしか該当者が見当たらない。

 戦々恐々、というよりは続きが気になるといった風ではあるが。

 それは私も、心を同じくしているところで。

 

 ――何時もと同じ道を歩いているはずなのに、急にその道が正しいのか分からなくなったんだ。

 ――それどころか、ここが正しい道なのかも認識できなくなった。

 ――そこで不安になって、そいつは後ろを振り向く。

 

 ――すると、そこには……

 

 一息、言葉が途切れて間が出来た。

 溜め込んで、けれど叫ぶ前兆にも見られない。

 それが余計に、不気味さを煽っている様にも感じさせられた。

 

 ――バカみたいにデッカイ時計塔が一つあって、街並みは全て洋風のものに入れ替わっていた。

 ――そして、何かがこちらに全力で近づいてくる足音まで聞こえてくる。

 ――そいつは驚きながらも、それとは出会ってはいけないんだと本能で理解して走り出す。

 ――振り向いたら、そこで食べられるかもしれない、なんて思いながら。

 ――けど、いくら走っても足音は消えずに、むしろ段々と近づいてきて……。

 

 ――だから必死に逃げていたのに、耐え切れなくなって足を止めてしまう。

 ――そして、遂に振り向いてしまったその先には!

 

「ニタリと笑う自分の影の姿があったんだよ、こんちきしょぉーーー!!」

 

「キャーーーーッ!」

 

 大声で叫ぶ楓に、黄色い悲鳴を上げるノリノリな三枝さん。

 割と勢いだけではあるが、そのノリは嫌いではなかった。

 評価する点があるとすれば、楓らしさとでも言えば良いのか。

 

「自分の影に怯えてたってことは、結局は外的要因は無かったのね。

 ドッペルゲンガーとも違うし、ある意味で自給自足と」

 

「ふむ、幽霊の正体見たり枯れ尾花、か」

 

「それは分かるけれど、前半の時計塔やら洋風の街並みやらは何の伏線なの?」

 

 けれども穴があるのも事実。

 そこを尋ねれば、楓はよくぞ聞いてくれたと言わんばかりに頷いて。

 

「実はな、この話は前半だけが広まっていて、後半の話が流言飛語が飛び交っていてどれが本当なのかわからないんだ。

 メアリーさんって話なんだけど、聞いたことない?

 確か口癖は、子猫(キティ)って呼ばないで! だったと思うけど」

 

「詳しくは知らないけど、都市伝説で有名なものよね」

 

「そうだよ、マーガトロイドさん

 私も、弟から聞いた話で知ってるの」

 

「私も、少々聞いた覚えがある」

 

 ただ、皆が皆、楓の語った話とは別のものを知っていただけであったが。

 それは氷室さんも、三枝さんも、別々の話で。

 

「私はメアリーさんって捨てられたお人形が携帯電話で電話してきて、”私メアリーさん、今どこどこにいるの~”って定時報告しながら近づいてくるって話だよ。

 最後は電車に乗って離れていく御主人に、”私絶対にあなたのそばに戻るから!”って全力で走りながら告げるんだって」

 

「私が聞いたところによると、作家のメアリーさんなるもののところに、自分のドッペルゲンガーを名乗るメアリー・スーと呼ばれる怪物が現れる。

 夜な夜な自分の作品のキャラクターを徐々に徐々に歪めて、侵食して行くそうだ」

 

「みんな別の話ね」

 

 個人的には三枝さんの話が気になるが、何故こうまで食い違いが発生しているのか、そちらもまた気になる。

 こういう時に優秀な氷室さんに目を向ければ、彼女はひとつ頷いて語りだす。

 

「私が思うに、このメアリーさんなる都市伝説は、様々な消化されない事象や噂の受け皿になってるのだと思う。

 メアリーなる者は、ある意味でジョン・スミスやジェーン・ドゥ的な役割を担わされているのだろう。

 だからこそ、ここまで話が大きくなり、そして広まっているのだと思われる」

 

「なるほど、確かにそれで説明は付くわね」

 

 詳しくなんて分からない。

 だからこそ推測で物を言うしかなくて、氷室さんのそれはかなり妥当だと思われる考えで。

 ウンウンと、納得のいく説明で結論であると、私の中で選ばれたのであった。

 

「ふーん、ま、そんなもんかね」

 

 一方、この話題を持ち込んだ楓は、あまり話が膨らまなかった為か、詰まらなさそうな顔をしていた。

 つまらないオチが付いた、とでも思っているのだろう。

 それが悪いとは言えないが、面白くないと言わんばかりだ。

 

「現実なんて得てしてそんなものよ」

 

「面白くないぞー、マガトロー」

 

「はいはい、拗ねた声出さないの」

 

「拗ねてなんか無いやい。

 不貞腐れてるってだけだぞぉ」

 

「あんまり変わらないよ、マキちゃん」

 

 夢はでっかく北海道並みに! なんて訳の分からない標語を掲げる楓を尻目に、次は誰が話すのかと周りを見れば、うずうずモジモジしてしている三枝さんの姿が目に入って。

 氷室さんと目を合わせると、彼女も気付いていたようで頷かれる。

 

「三枝さん、次のお話、貴方が聞かせてくれる?」

 

「え、あ、はい!

 私で良いなら、話させてもらいます!」

 

 ふんもっふ、と気合の入った声を上げる彼女に、私達はそっと顔を合わせて緩めてしまう。

 何というか、小動物を見た時の可愛さの様なものを感じたから。

 横で面白くねーなー、なんて言いつつ耳がぴくぴく動いてる楓も、また別の生き物としての可愛げはある様な気もしなくもない。

 やっぱり猫ね、と結論を脳内で付けると、三枝さんの方を覗き込む。

 さて、彼女はどんな話を聞かせてくれるのかと期待に胸を膨らませながら。

 

「うんっとね、これは実際にあった出来事なんだけど……」

 

 思い出すようにして、三枝さんは言葉を紡ぐ。

 チラリと私の方を一瞬見て、そして語りだす。

 ……何故だか、嫌な予感がしてならなかった。

 

「ある日の夜の事なんだけどね、その日は私は弟達とゲームしてて、罰ゲームを受けちゃったの」

 

「何してたんだよ、由紀っち」

 

「早口言葉勝負」

 

「なるほど、見事に分が悪いな」

 

 あっちゃー、という顔を楓がし、氷室さんは小さく頷くだけ。

 私は、どちらかといえば楓寄り。

 確かに罰ゲームのある方が盛り上がるとは言うが、三枝さんの場合は笑顔で罰を受け入れてしまいそうなのが恐ろしいから。

 鼻からスパゲッティ食べろと言われたら、最初は嫌がってもゴリ押しされたらきっと拒否できない。

 そんな押しの弱さがあるから、三枝さんを支えなきゃという気持ちがムクムクと湧いてきてしまう。

 庇護欲と判官贔屓、それらを同時に拗らせてしまうのだ。

 しかも天然物だというのだから恐れ入ったと平伏すしかないのが、三枝さんという女の子なのである。

 

「で、どんな罰ゲームだったんだ?」

 

 楓は当然の様に聞く。

 もし酷いものだったら、あのバカ達(弟共)懲らしめてやる、なんて呟いている。

 殺る気満々なのが、中々に恐ろしいところだ。

 けど、三枝さんは大丈夫だよ、と楓の顔を見ながら言って、こんな内容だったんだ、と優しく告げる。

 

「気分転換の、夜のお散歩。

 夜のお寺って、凄く雰囲気あるの!」

 

 石段登るのも、お昼と違ってワクワクしたんだよ!

 なんて、実に楽しげに告げているから、三枝さんも決して嫌だったわけではないのだろう。

 楓も理解したようで、あっさりと引き下がる。

 そんな私たちを確かめながら、三枝さんは語っていく。

 演技のような口調ではなく、ごくごく普段通りの口調で。

 

「石段を登ってると、トントンって音がしてね。

 私の足音だって分かってても、つい後ろを見ちゃうんだ。

 誰かいませんかって、そんな気になっちゃう」

 

 不思議だよね、と三枝さんが言うのに頷く。

 理屈では分かっていても、本能的に背筋に走るものがあるから。

 一人と暗さと不安、これらが合わされば何かを幻視してしまうし、逆に何かに見られている気がしてしまうのが人間の性なのだろう。

 

「お、おいマガトロ。

 怖いなら手を握ってやるよ……」

 

「静かにしてなさい、楓」

 

 急にキョドりだした楓を無視して、私は三枝さんの語りに再び耳を傾ける。

 ゆったりとした口調に、共感を感じれる素朴さ。

 想像以上に、三枝さんは話すのが上手いと感じながら。

 

「まだ、ちょっと熱くなる前の、夏前の事だったからかな。

 不思議と周りが涼しかったの。

 風がそよいだりしてないのに不思議だねって、そう思いながら歩いてたんだ。

 それでね、気付いたらもう門の前なの。

 何だかどこかに繋がってる気がして、夜のお寺の門は通って良いか迷っちゃうね」

 

「由紀香が言うと洒落にならないな……」

 

「氷室ぉ、メガネ光らせながらヘンなこと言うなぁ!」

 

 ずり落ちて来ていたメガネをクイッと上げている氷室さんに、楓が情けない声を出して。

 そう言えば、楓はオカルトが苦手と前に言っていたなと思い出す。

 このイベント、もしかしなくても楓が企画したのではなく……。

 隣を見れば、楽しげに話を聞いている氷室さんの姿。

 相も変わらず食わせ物、実にイイ性格をしている。

 

「でも、折角ここまで来たんだしって思って、中に入ったの。

 そしてらどこからか分からないけど、何かが打ち付けられる音が聞こえてきてね。

 最初、もしかして鐘でも鳴らしてるのかなって思ったけど、それにしては全然響いてなくて、鈍い音しかしてなかったんだ。

 だからね……もしかしたら、呼ばれてるんじゃないかって、そう思ったの」

 

「んなわけあるか!」

 

 小さな声で、けど急に私の手を握り出す楓。

 微妙に汗ばんでるのが嫌だけれど、仕方ないのでそのまま握り返してあげる。

 このまま放置していると、多分奇声をあげて走り出しそうだから。

 

「それで私、気になってそのまま音の方まで歩いて行ったんだ。

 そうしたらね、すごく音が良く聞こえるようになってきたの。

 近づいてるって、すごく実感できちゃうんだ。

 それでね、段々と何の音か、はっきり聞こえてくるようになってきてね。

 何か分からないから、余計に気になっちゃったんだ」

 

「いやいやいや、そこは全速力で後ろにランしてだな」

 

「底なし沼に沈んでいくのね」

 

「いやおかしいだろ!?

 どこから湧いて出たんだ底なし沼は!」

 

「そこな二人、静かにしていろ。

 騒ぎたいなら、校庭を走りながらか屋上で叫べ」

 

 氷室さんの冷たい言葉に、ごめんなさいと二人して謝る。

 楓がお前のせいで怒られただろ的な視線を向けて手を強く握ってくるが、私も同様にやり返す。

 けど、三枝さんの話はまだ続いており、折角の話なので馬鹿な事はやめて再び耳を傾けた。

 ここで楓とお馬鹿な事をしているよりかは、遥かに有意義であろうから。

 

「聞こえてくる音がはっきり分かって、ちょっと足早になっちゃった。

 ごっすん、ごっすんって、とっても低い音。

 響いてる音がとっても本物で、怖いからそっとお寺の物陰に隠れながら私、何があるのかを見たの。

 するとね、そこにはね……」

 

 楓が握っていた手に力を入れて、唐突にバイブレーションを開始する。

 横目で見れば、本気で震えている楓の姿。

 心なしか白目を剥いている様に見えるのが、下手な怪談よりも怖いことこの上ない。

 けれど、三枝さんは話すのを止めたりなんかしない。

 むしろスルリと、呆気なく結末を告げてしまっていた。

 

「遠目ではっきり見えなかったけど、ビックリするぐらい美人な人がいたの。

 後ろ姿しか見えなかったけど、その後ろ姿を見ただけで分かっちゃうから不思議だね。

 何か、特別な力でも働いてるみたいに」

 

「へ、変なこと言うなよぉ、由紀っち!」

 

「いや、存外本物の幽霊かもしれんぞ」

 

「そこのメガネもだ、お調子者ぉ!!」

 

 クク、と悪い笑いを漏らす氷室さんに、どこか遠くを見ている三枝さん。

 楓といえば、無駄に想像を膨らませてしまい、怯えが抜けていない模様で。

 

「そんな人が黒い服を着て、無言でずっと大木にハンマーを叩きつけたの。

 私、すごく驚いて、どうすれば良いか分からなかったから……」

 

「から、何?」

 

 私が聞き返せば、三枝さんは恥ずかしそうに頬を掻きながら、うん、と小さく返事をして。

 

「確かめずに、そのまま帰っちゃった。

 怖いっていういうより、本当に驚いちゃって。

 なんで私、走って帰ったんだろうなって、今更ながらに思っちゃうんだ」

 

「……そう」

 

 それを聞いて私は、ちょっとホッとしていた。

 些か以上に、彼女の言う黒い服を着た人物に心当たりがあったから。

 その正体まで気付かれていなかったのは、幸か不幸か。

 

「く、黒でハンマーで美人ってなんだよ!

 狙ってんのか! 呪ってんのか!」

 

「明らかに呪っているいるな。

 ところで蒔の字、後ろに何かあるようだが……」

 

「ヒエ!?」

 

 楓は慌てて私の手を離し、持っていた懐中電灯を後ろに照射する。

 しかしそこには何もない、人も影も、もちろん人形も。

 

「くっそー、嘘ついてんじゃねぇよ!」

 

「いやはや悪い、過剰反応があまりに面白くてつい調子に乗ってしまった」

 

「言って良い嘘と悪い嘘があるだろっ」

 

「そしてこれは良い嘘だと」

 

「悪いに決まってんだろ、こんにゃろ~!」

 

 ワイワイと戯れている楓と氷室さん。

 じゃれてくる楓を、氷室さんが適度に構ってあしらっている、というのが正しいのだろうが。

 その彼女達の横には、優しい目でその様子を楽しげに見守っている三枝さんがいて。

 三枝さんの目は優しくて正直者の目だったから、つい気になったことを尋ねてしまう。

 聞いている最中に、感じたことのままに。

 

「ねぇ、三枝さん」

 

「ん? どうしたの、マーガトロイドさん」

 

 物思いに耽っていた三枝さんに声を掛けたら、彼女はゆっくりと私に振り向いて。

 何の警戒も見せない表情に擽られる様な感覚を感じながら、私はそっと彼女に訊いたのだ。

 

「貴方が見た美人さん、本物か幻想、どっちだと思う?」

 

 美人さん、なんて妙なフレーズだと思いつつも、つい尋ねずにはいられなかった。

 彼女から見たその人物が、一体どう見えたのかを。

 ちょっとした認識の確認と、外から見られる風景について、確かめたかったから。

 

「えっと、私の見た感じなんだけどね」

 

 そんな前置きから始まった、三枝さんの言葉。

 彼女の顔は頬が緩んで、とてもリラックスしていて。

 悪い感情は、一切見受けられなかった。

 

「良く分かるほど見てなかったけど、イヤな感じは全然しなかったよ。

 むしろ、後から考えたら、お話ししてみたいくらい」

 

「つまり?」

 

「人でも幽霊さんでも、どっちでも良いかなぁっていうのが、私が言いたいことかな?」

 

 三枝さんの物言いに、思わず口を噤んでしまう。

 悪い意味ではなくて、彼女の柔らかさが胸にまで染みてきた気がして。

 暖かいなと、心で感じることができたのだから。

 

「マーガトロイドさん?」

 

「ん、何かしら、三枝さん」

 

 今度は、三枝さんから私に話しかけてきて。

 疑問を宿したイントネーションに、私もまじまじと彼女を見つめ返す。

 すると彼女は、ほにゃりと微笑んだまま、少し首を振るとこんな事を尋ねてきた。

 

「マーガトロイドさんは、幽霊っていると思う?」

 

 真意の読みきれない質問、三枝さんの表情は気楽そうに微笑んでるまま。

 けれど、さっき私の質問を答えてくれたのだから、今度は私が答えるのが筋だというのは確かで。

 

「いるわ、普通の人には見えないだけで」

 

 なので、キチンと思うがままに答える。

 望まれている返答が分からない以上、私は所感を述べる他にないのだから。

 

「確信的なんだ」

 

「吸血鬼のいる国が出身だもの」

 

 まぁ、うちの国の英雄は悪し様に罵られて吸血鬼扱いなのだが。

 げに恐ろしきはローマカトリックの影響力か。

 本人が聞けば立腹するかもしれない、なんて考えて。

 そこまで考えて、関係ない方向に思考が及んでいるのを頭を振って振り払う。

 

「兎も角、ヨーロッパはオカルトで満ちているの。

 幽霊なんて、散歩すればぶつかるのよ」

 

「成仏できてない人で沢山なんだ……」

 

「それとこれは、また別問題よ」

 

 なんて暇潰し程度にしかならない会話を交わして。

 私はじっと三枝さんを見る。

 さっきの質問の真意を探るように、真っ直ぐ。

 すると、三枝さんもそれに応えるように、私の視線にこう答えたのだ。

 

「少し、私が見た人はマーガトロイドさんに似ていた気がするから」

 

 こんなこと言って、気を悪くしないで欲しいな、と三枝さんは困った様な顔で言って。

 髪も金髪だったし、と小さく付け加えた。

 些か心当たりがありすぎて辛いのが何とも言えないが、私はそれを黙って聞く。

 

「だったら、お寺で見た人も、きっと素敵な人なのかなって」

 

「そうね、きっと気に入った子に取り付いて、執着するのかもね」

 

「はは、そうなったら家族になるしかないよ」

 

 話していると、こちらまで緩々になってしまいそうな三枝さんの世界。

 浸っていたく感じるが、あまりにズブズブと入れ込み過ぎると出られなくなりそうなのが恐ろしいところ。

 

「そろそろ、次のお話を始めましょうか」

 

「次はマーガトロイドさんが?」

 

「そうよ、話す内容は、寝起きの遠坂凛には悪霊がついている、なんて内容で」

 

「え、どういうことなのかな?」

 

「文字通りの意味合いよ」

 

「ちょっと待った、マガトロォ!

 私にも聞かせろおぉ!!」

 

「静かにしてたらキチンと聞かせてあげるから、少し落ち着きなさい」

 

「だそうだ、蒔の字」

 

 一瞬にして、私の周りに楓が戻ってきて、氷室さんもその隣で興味深そうな目で私を見ている。

 そして三枝さんも、私を真剣な目で見て、じっと話が始まるのを待っていた。

 遠坂凛という名前が持つ魔力のお陰か、さっきまでの雰囲気がどこぞへと旅立ってしまったようで。

 流石は凛ね、と感心しつつ、私は楽しくなって語り始める。

 凛の寝起きの悪さと、その時の眼光について。

 

 知ってる面と知らない面、それらは全部表裏一体。

 語り終わった時に凛の評価がどうなっていたのか、それは私だけが知る秘密としておこう。

 唯、敢えて一言言うならば、相変わらず優等生な凛の周りには喧騒が絶えてないということだけ。

 

 そんな私の小話の後に、氷室さんは愉快そうに一つ、話を始めて。

 それがあまりに恐ろしく、楓が絶叫し宿直の人が駆けつけてきたのは、割とどうでも良いお話。

 みんなで怒られたのは頂けないが、ある意味で青春の一ページと銘打つことも可能であろう。

 今日のお話は、悪くないかなと感じることができたから。

 また、お寺に顔を出してみようかと気紛れの発作を起こしたのも、それはそれで良いかなと感じれて。

 

 私はそっと三枝さんを見ると、彼女はやはり優しそうに笑っていた。

 きっと、彼女は今日私にどれほど影響を与えたかなんて知らないのだ。

 人は心を覗けないのだから、当たり前のお話。

 だけれど、それでも私の水面に波紋を起こしたのは、間違いなく彼女で。

 間桐くんが普通の子と称した彼女は、私も今は意見を同じくするところだが、それでもと思うのだ。

 彼女には、普通が故の非凡さがあると。

 

「三枝さん」

 

「はい?」

 

「今日はありがとう」

 

 彼女に感謝を、彼女のお陰で楽しいと沢山感じれたのだから。

 そんな私にキョトンした目を向けてくるが、それ以上は私も語ろうとは思わない。

 フフ、と思わず笑いが溢れたのは、普通な非凡さという特異な属性を感じれたからか。

 黒髪メガネの優しい青年を少し思い出したが、もしかしたら包容力が彼に似ているのかもしれないと思って。

 

 少しばかり、私は雰囲気に酔っていた。

 学生らしい、楽しくて、愉快で、ちょっとお馬鹿なささやかさに。

 この時ばかりは、私は自分が普通で良いわ、と思えていたのだから。

 

 だから、もう少しばかり仲良くなりたいわね、と三枝さんを見て感じずにはいられない。

 ちょっと、私が彼女を気に入ってしまったから。

 私が幽霊ならば、ちょっと執着してしまうかもって、思ってしまうくらいに……なんて、ね。

 

 

 そんな事を感じたこの時、空を見上げれば黒色のキャンバスに星が散りばめられて。

 何が空に描かれているのか、占星術や天文学は分野でないから分からないけど。

 けれど、きっと素敵な願いが込められた星座がそこにあるのねと予感出来て。

 だからそれは、今日は楽しかったと感じれた、確かな証なのだろうと理解できたのだ。

 

 だから帰ろう、凜がいる遠坂邸へ。

 そしてまた、皆で話すネタを探そう。

 なんて、お馬鹿な事を考えながらの帰り道。

 思わず笑ってしまった私の声は、この暗闇に溶けていった。

 また、新しい機会が得れたら良いなという気持ちと共に。




三枝由紀香嬢、最後までどんな口調にすれば良いか分からなかったとかいう悲劇。
違和感があれば、ご報告頂けると幸いです。


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第32話 柳洞寺でもう一度

 時を隔てて幾数月、変化は常に訪れるが、変わらないものはトコトン変化は無い。

 そもそも、数ヶ月で変わり得る事なんて、劇的なことがなければ殆ど無いのであるが。

 月下の下で、聳え立つ寺へと続く石段を見て、つくづく私はそう感じる。

 

 あの日の夜との違いは、虫のさざめきがより聞こえること。

 甲高いその声が耳によく響いて、私の中で反響する。

 意味もなくノスタルジーを掻き立てられる彼らの声は、一体何を囁いてるのか。

 見上げた月は雲に隠れる事もなく、笑って私を見下ろしていた。

 答えは、自分で考えなさいとでも言う様に。

 

「元より、答えなんて求めてないわ」

 

 一人、涼やかでヒンヤリとした階段に足を踏み出しながら、独りごちる。

 一歩登る度にカツンと靴裏に合わせて鳴る音は、私の無関心さの証明。

 この場に用はないと言うように、唯々上り詰めていく。

 そんな私に物申す人も生き物も物も、今はここにいない。

 なので私は先へ、目的を果たす為に寺へと続く石段を登り続ける。

 夜のこの場所は、まるで切り取られて輪っかにされた絵の様に似た風景を連続させられた。

 

 けれども、途切れる事のない歩みも、行き先があるならば有限で。

 無限に続くかの様に思える道のりも、目的地は薄らと暗闇の中に姿を現す。

 登っている最中に木々がそよ風で揺れているのが、まるで私を応援している様に感じるのは流石に都合が良すぎるかと、先程の私の気持ちを振り返りながら少し笑って歩いて。

 

 そうして、気付けばもう門はそこにあった。

 目的はある、迷いはない、つまりは進むしかない状況。

 なので、残り一段になっても、私は何の感慨もなく踏み出す。

 そうして全ての石段を登りきったところで、私は振り返った。

 目に映るのは、揺れる木々と、街灯によって穿たれた穴空きだらけの街並みに、欠けたお月様。

 

「ついたわ」

 

 登りきったのだと、誰かに報告する様に呟く。

 それは恐らく、揺らめいていた木と、照らしてくれていた三日月に対して。

 自分でも良く分かっていない独り言だけれど、彼らに対して感謝の念は確かにあったから。

 ポツリと、溢れる様に私は言って、そうしてから再び前へと進みだす。

 帰り道も、またよろしく、なんて思いながら。

 

 

 

 

 

 そうして着いた柳洞寺。

 出迎える人は誰も居らず、せせらぎみたいな自然さだけがそこにはあった。

 人工の建物なのに自然と調和できている、ちょっと不思議な場所。

 少し前に、柳洞くんがそれを、和の心と評していたのを思い出す。

 だとしたら、宗教的には渡来したものだけれど、すっかり日本のモノになったのだと、深い感心を覚えずにはいられない。

 もしかしたら、夜のこの時だからこそ感じる感覚なのかもしれないと考えると、昼間も見学に来てみようかなんて思ってしまう。

 夜の暗闇の故の連結か、それともそれさえもこの建物を造る時に計算されていたのか。

 興味は尽きなく、調べてみたいとも思う……が、残念ながら今日はそれが理由で訪れた訳ではない。

 

 だから、私は本堂から踵を返し、そのまま別の場所へと向かう。

 目指す場所は柳洞寺の裏参道、及び地下へと続く道。

 裏参道は墓へと続き、地下は例のアレが存在する。

 私はその場所に用が有り、しなくちゃいけない事が少しあるのだ。

 けど、その前に……。

 

「誰?」

 

 端的に、かつ明瞭な問いを投げる。

 今、微かにだけれども人の気配を感じたから。

 自然物だけだった世界に、僅かながら人の足音がしたのだ。

 普段だったら気づかないけど、今はほんの少しの些細なことでも、目立ってしまう場所だから。

 間違ってないと確信しての問いかけで、そしてそれはやはり正解であった様だ。

 

「アハハ、見つかっちゃった」

 

「……こんばんは、三枝さん」

 

「うん、こんばんは、マーガトロイドさん」

 

 声がして、建物の影から姿を現したのは、最近霊能少女だと分かった彼女。

 三枝由紀香、何時も楓達と一緒にいて、私とも会話をする事があるおっとり気味の少女。

 そういえば、彼女は前にもこの場所に来たことがあったなという事を思い出した。

 

「今日はまた罰ゲーム?

 それともこんな季節に肝試し?」

 

「ううん、今回は両方違うかな」

 

 少しバツの悪そうな顔を浮かべながら、彼女はゆっくりと私の前まで歩いてきた。

 見つかっちゃったと言っていたから、私を見て隠れていたのだろう。

 それが反射的なものか、意図的なものかはさて置くとして。

 

「ふぅん、深夜の散歩が趣味なの?」

 

「散歩は趣味じゃないけど、ここ最近はここを覗きに来てる時はあるかな」

 

「どうして?」

 

 訊ねると、三枝さんはそれはね、マーガトロイドさん! と声を弾ませながら楽しそうに答える。

 おとなしめ、ところにより元気な彼女の言葉。

 それにそっと耳を傾けていると、入ってくるのは学校でやった肝試しの時の事。

 

「私、マーガトロイドさんに、もしあの時にお寺で見た人と会ったら、お話してみたいって言ったよね?

 初めて見た時はビックリして逃げちゃったから今度こそはって、そう思ったんだ」

 

 中々見つからないけどね、と困った様に笑う三枝さん。

 その顔に、チクリと針で刺されたみたいな、罪悪感が湧き出る。

 だって、それは。

 

「ここ数日?」

 

「うん、そうだよ」

 

「あの日、怪談をした日から?」

 

「そうだよ、けど、流石に毎日じゃないから」

 

 弟達の世話もあるし、とエヘヘと笑いながら言う。

 その笑顔は屈託なくて、けれど私にはキツいもの。

 だって、やっぱり予測通りに彼女は、あれからあの時の私から逃げた事を気にしてしまっていた様だから。

 

「マーガトロイドさん、どうしたの?」

 

 三枝さんが、様子を窺うように私の顔を覗き込む。

 多分それは、私の表情が曇ってしまったから。

 最初にバツの悪い表情を浮かべていたのは三枝さんでも、今度は私にそれが移ってしまっただろうからだ。

 

「ちょっとね、思う所があったの」

 

「聞かせてもらっても、良いかな?」

 

「興味本位?」

 

「それもちょっとあるけど、でもそんな顔をされたら誰だって気になっちゃうよ」

 

「……そう」

 

 そうである、彼女はあの陸上部の良心、優しく可憐な三枝由紀香だ。

 私が困ったり、気まずそうな顔を浮かべていたら、心配しない訳がない。

 私は自分の後ろめたさで、思わず配慮に欠ける表情を浮かべてしまったのだ。

 ならば、とどうするべきか頭を廻らせる。

 ここで私が、後ろめたさを吹き飛ばして、三枝さんに対して取れる行動は……。

 

「そうね、貴女には聞く権利があるわ。

 そして私にも、話す義務があるのね。

 貴女と私の間にある齟齬の事を」

 

 三枝さんが、夜のこの場所に、居もしない影を探し求めていたと知ってしまったから。

 彼女の行動と心の内を聞いた私は、行動しなくてはならない。

 素知らぬ顔で、さあ誰でしょうとは言える根性は、私には無いのだから。

 

「マーガトロイドさん、良いの?」

 

「私が話したいの、でないとスッキリしないわ」

 

 心配そうに覗き込む三枝さんに、私は澄まし顔でそう答える。

 自分で撒いた種で、三枝さんを惑わしていたのだ。

 だったら私は、まずはその責任を取らなくてはならないと考えるのは当然の事。

 むしろ偉そうにできる立場ではない。

 なので、私を気遣って、話しにくい事なら……という彼女を制して、私は話し始める。

 彼女の見た影と、あの時の事について。

 

「あの日貴女が見たモノ、私に似てるって言ってたわよね」

 

「え、うん、マーガトロイドさんと、雰囲気が似てるって思ったの」

 

 金髪だったし、という呟きが聞こえて来て、苦笑を浮かべてしまう。

 その場に居たのが氷室さんだったら遠目でも看破し、楓だったら怯えつつも突っ込んできただろうから。

 たまたま、そこに居てたのが三枝さんだったから生じた事態。

 そう考えると、少し間が悪かったのかもしれないわ、なんて思ってしまった。

 

「そう、ならその感性は正しかったと言えるわね。

 あの時に丑の刻参りをしていたの、あれは私よ」

 

 半ば開き直って告げた、私の馬鹿丸出しの話。

 それを聞いた三枝さんは、あぁ、と納得した様な声を上げただけで、特に驚愕しても無い。

 ただ、そうだったんだと自然に受け止めているだけ。

 

「驚かないのね」

 

「だって、マーガトロイドさんだって言われて、納得出来ちゃったから」

 

 雰囲気が似てたのも納得だね、と笑っている彼女。

 特に文句を言う事も無く、怒りもしない。

 何時もの、柔らかくて包容力のある三枝さんのまま。

 

「楓なら驚かせやがって! って怒ってるところね」

 

「蒔ちゃん、怖がりだからね」

 

「氷室さんなら、皮肉の一つでも飛んできそうよ」

 

「鐘ちゃんは優しいから、その後でフォローしてくれるよ」

 

 例えとして持ち出した友人達の事も、うん、そうだねとそのまま受け入れる。

 でも、私が聞きたいのはそういう答えでは無くて。

 もっと単純な、そして気になってる事。

 だから気になって、そわそわしてしまう私に、三枝さんは一言こう言った。

 

「怒って無いよ、マーガトロイドさん」

 

 私の気になっていた事は、正しく三枝さんに伝わっていたらしい。

 柔らかい、まるで姉であるかの様な笑顔を浮かべて。

 もう一度、うん、怒って無いよと言ってくれのだ。

 

「……ごめんなさい、無駄足を踏ませたわね」

 

 なので私が出来る事は、素直に謝ってしまう事だけだった。

 出なければ、私は三枝さんの顔を真っ直ぐに見る事が出来そうになかったから。

 三枝さんの慈悲に満ちた態度は、私の疾しさを、見事に射抜いてしまっていた。

 

「マーガトロイドさんは素直だね。

 うちの弟達なんか、反抗期丸出しなんだよ」

 

 いっつも大変なんだ、そう語る三枝さんは、本当に優しい顔をしていた。

 そっと触れる様な、ゆっくり頭を撫でられてるかの様な、総じて言えば甘やかされている様な感覚。

 嫌いじゃないが、どちらかと言えば甘やかしたい私としては、何とも言えないむず痒さを覚えずにはいられない。

 

「私は三枝さんの妹?」

 

 思わず耐えきれずに聞けば、三枝さんは面食らった顔で、え? と声を上げたが、次の瞬間にはほにゃりと楽しげな笑みを浮かべて。

 だったら凄く楽しいね、と嬉しそうに言ってくれる。

 それを聞いて、彼女に何故楓達が勝てないのか、物の見事に理解してしまって。

 少し負けた気分が胸の中に広がるが、それは決して悪くない気分で。

 私も彼女に、勝てそうにないな、と思わせられてしまう。

 なので、つい口から余計な言葉が漏れてしまうのだ……こんな風に。

 

「おねぇーちゃん」

 

 正直、少し笑ってしまっていた。

 だって、三枝さんはこんなにも優しくて暖かいから。

 すると彼女も、フフっと笑い声を漏らして、私の方を向いたのだ。

 

「マーガトロイドさんって、結構お茶目だよね」

 

「もしかしたら、調子に乗りやすいだけなのかもしれないわ」

 

「調子に乗ってるマーガトロイドさんって、あんまり想像できないかなぁ」

 

 そ、ありがとうと口早に答えて、私はそっと三枝さんから視線を外す。

 照れくさいからというよりかは、そんな事ないわという気まずさから。

 そんな私に、三枝さんは楽しげに声を掛けてきてくれる。

 ちょっと懐かしむような、優しい感じで。

 

「こうしてマーガトロイドさんと二人きりで話すのって、ちょっと珍しいね」

 

「そうね、二人で話すには、周りが騒がしすぎたもの」

 

 楓に氷室さん、あの二人と三枝さんは何時も合わせてセットで行動している。

 そんなイメージすら浮かぶ程に、彼女達は一緒にいて。

 だからこうした機会は本当に貴重で、思わず目的を横に置いて、一時ここに足を縫い付けられてしまったのだ。

 

「実はね」

 

「ん?」

 

「最初、マーガトロイドさんを見た時、驚いちゃうほど綺麗で、ちょっと怖い人かもって思っちゃってたの」

 

 それにこんな事まで三枝さんは語っているのだから、余計にここに留まってしまう。

 逃れられないように、ギュッと。 

 それは、私自身が三枝さんの話を聞きたいから。

 だからこうして足を止めていて、彼女の言葉に耳を傾けているのだ。

 

「間桐君を引っぱたいたとか、とっても冷たい目を向けられるとか、最初はそんな噂ばっかり流れてた。

 今なら、マーガトロイドさんがそんな事をする訳無いのにって分かるのに」

 

 間桐くん、引っぱたく、廊下で…………覚えが無きにしもあらずであるが、話の腰を折る訳にもいかず、そのまま三枝さんの言葉を聴き続ける。

 彼女は淀みなく、つまりは溢れて来る自身の言葉の泉の導くがままに語り続けていた。

 

「けど、マキちゃんや鐘ちゃん達を通じて、段々とマーガトロイドさんの事が分かってくると、怖い人じゃなくて親しみやすい人だって分かったんだ。

 もっと知りたくなって話しかけて、すると楽しい人だってわかって、段々と勝手に親近感を覚えていったの。

 だから最初は怖くて敬語で話していたけれど、思い切ってタメ口にしてみたんだよ?」

 

 マーガトロイドさん、全く気にもしなかったけど、と小さく呟く三枝さん。

 拗ねている……というよりは落ち込んでいる空気を感じる。

 私なんて、というネガティブなもの。

 苦笑を浮かべているところから単なる自虐であるのであろうが、些か以上に気になってしまう仕草であった。

 ……なら、と私は三枝さんの頬っぺたに、軽く手を当てた。

 え、と顔を上げた三枝さんに、私は穏やかに、凪いだ風の様に言葉を伝える。

 普段の三枝さんの顔が見たくて、暗い表情が似合わないと思ったから。

 

「ごめんなさい、それと……ありがとう」

 

 本当に気がついた時に、三枝さんは私に敬語ではなくて友達のような、気軽な喋り方をしてくれる様になっていた。

 何時の間にか、本当に自然に、三枝さんと私は友達になっていたのだ。

 切っ掛けとか、劇的な何かとか、そう言った特別なものは私達の間には何もなかった。

 けれども、本来は友達ってそうやって作っていくものだと、私はそう思っている。

 

 三枝さんは、良い意味で空気なのだ。

 その場に居てくれたら自然に馴染んでいて、急に居なくなられたら息をする度に感じていた甘味を見失ってしまう。

 それが私にとっての、三枝由紀香という女の子。

 天然で霊視してしまうけどどこまでも普通で、甘えたくなってしまう友達。

 

「私は三枝さんがそうして歩み寄ってくれて、本当に感謝してるわ。

 私はそういう事、自分からは切り出せないタチだもの。

 三枝さんが近付いてくれなかったと仮定したら、私は飄々としながら距離を測りかねていたわ。

 もしそうだとしたら、今の関係は大きく違ったでしょう?」

 

 確かめる様に、けれども半ば決め付けて私は言う。

 さっき言ったように、三枝さんはそっと寄り添ってくれるタイプだけれど、私は気付かなければ省みない性分で。

 きっと気付けずに、そのまま歩いて過ぎ去ってしまっただろうから。

 だから、と私は繋げる。

 

「私は、三枝さんが友達になってくれて、良かったと感じているの。

 それは変えようのない真実で、貴方も一緒だと思っているのだけれど?」

 

 三枝さんの顔を覗き込みながら、私は淀みなく言う。

 あなたはどう? とゆっくりと探りながら。

 暗い夜の場所でも表情が分かる程に近い、三枝さんとの距離。

 息を飲んでいる三枝さんの頬は、色は分からずともその体温は伝わってきて。

 ――彼女の吐息は、思っていたよりも熱かった。

 

 

「……マーガトロイドさん、近いよ」

 

 小さく、尻すぼみな声。

 恐がっている様な、怯んでいる様な、いや、どちらかというと困っている声音。

 交じり合う視線、返されるそれは困惑。

 嫌がっている訳じゃないけど、近すぎる距離にどうすれば良いのか判断しかねている様な、そんな感じ。

 

「ん、そうね」

 

 思っていたよりも真剣に成り過ぎていたようだった。

 何が、と問われれば、三枝さんの表情を明るくしたかったと答えよう。

 唯、それが上手くいったかは別の話であるようだが。

 

「ごめんなさい」

 

「ううん、大丈夫。

 それに、マーガトロイドさんにさっきみたいに言ってもらえて、正直に言うと嬉しかったかな」

 

 私が距離を取ってから、三枝さんはようやくそう言ってくれて。

 さっきまでの暗い表情ではなくて、明るい表情を見せてくれた。

 お日様というよりかは、陽だまりの様な優しい笑顔を。

 

「こうして言葉を交わさないと、中々に分からないものね」

 

「そうだね、だから話し合うって事って、きっとすごく大切。

 私とマーガトロイドさんが、そうだったから」

 

「友達同士で分かり合えることはあっても、分からない事の方が遥かに多いもの。

 だからこそ、相手の事が知りたいと思うのだけれど」

 

 そうして、友達は形作られていくのだ。

 三枝さんと私がこうして親しくなれたのも、三枝さんがこちらに飛び込んできてくれたから。

 お陰で三枝さんの事が少しだけ分かって、もっと知りたいと思うようになって。

 後はそれを繰り返す度に親しくなっていく。

 好循環のスパイラル、親しくなる為の方程式。

 それが上手く嵌ったのが私達。

 

 軌跡と呼べるものは見えないけれど、見えない気持ちが縁を繋げて。

 今日もこうして、この場所で出会うことができた。

 不思議といえば不思議だけれど、今この時に三枝さんは私と友達なのねと強く感じているのは確かで。

 今までの私の友達とは在り方が違うのに、妙にしっくりと感じてしまう。

 

「おかしなものね。

 私、楓と三枝さんを同じ友達のカテゴリーに含んでいるのに、扱いは全く違うの。

 友達にも種類があるのかしら?」

 

「うーん、多分だけれど、友達というより人付き合いの関係だと思うな。

 この人はこんな感じだからこう付き合いたいって……考えると難しいね」

 

 上手に言えないなぁ、と漏らす三枝さんだが、ちょっと成程と思ってしまった。

 相手によるイメージで、私達は付き合い方を変化させる。

 区別されて、細分化し、その人との付き合い方を確定させて。

 友達だと意識しても、人によって態度を変えてしまうのはこのせいだったのかと、納得したのだ。

 

「ううん、それで充分よ。

 三枝さんは本質を捉えるのが、上手なのね」

 

「えっと、どういたしまして?」

 

「なんでそういう回答になるの」

 

 ズレた答えに、思わず笑ってしまう。

 それに対して三枝さんは、アワアワと何を言って良いのか詰まらせて。

 思わず、そんな姿を見てるとからかいたくなってしまう。

 きっと、凛から伝染させられた、とってもタチの悪い病気なのだろう。

 私に元々あっただなんて思えないくらいに、私を衝動的に動かそうと本能がしてくるのだから、まず間違いはない。

 だから、気持ちの赴くがままに、私は口を開いていた。

 

「可愛いわね、三枝さん」

 

「も、もうっ、マーガトロイドさんったら、私で遊んでる!」

 

「ごめんなさい、困っている三枝さんを見てると、ついね」

 

 ひどいなぁ、と呟く三枝さんに、ごめんなさいねと言って慰める様に頭を撫でる。

 ほわっ!? と驚いた声を三枝さんが上げるが、私は構わずにそのまま続けて。

 

「マーガトロイドさん?」

 

「慰めるっていう口実なの。

 このままもう少し、三枝さんの髪の毛を感じさせて」

 

 そう言って、私は手櫛の感覚で三枝さんの髪を感じ続けて。

 三枝さんは、私ので良いのかなぁ、と少し自信無さげにボヤいていたが、私的には今の三枝さんだからこそ、頭を撫でたくて、それでいて髪に触れたくて。

 なので結局、それから十分くらい三枝さんはされるがままであった。

 私の心の衝動的な部分は、しっかりと鎮められる事と相成ったのだ。

 

「マーガトロイドさんって、ちょっぴり意地悪だね」

 

「うん、そうなの、知らなかった?」

 

 終わった後で三枝さんがポツリとそう言って、私はにこやかに肯定する。

 もしかしたらチョッピリじゃないかも、と再び言う彼女に私はごめんなさいね、と今日で何度目になるかも分からない謝罪をして。

 三枝さんと、計ったように顔を合わせて、そして笑い合う。

 何してるんだろうとか、バカしてるんだねとか、おおよそに言うとそんな感覚を感じたから。

 

 ちょっとした戯れ。

 嫌いじゃない、むしろ好きな方な友達との交流。

 そっと笑い合えているのは、それが良いと、それで良いと感じれているから。

 夜の寺の、三日月が笑っている空の下で。

 

「こういう時って、何となくフォークダンスでも踊りたくなるね」

 

 踊れないけど、と三枝さんが矛盾した、不思議な事を言い出す。

 どうして? と尋ねれば、女の子の、ちょっとした憧れかな、と帰ってきて。

 そういえば、前に美綴さんに借りた漫画の中で、そんなシチュエーションがあったのを思い出す。

 好きな人と、夜のガーデンで手を取り合って遠く響く音楽を頼りに、ステップを踏んでいく、なんていうベタな展開。

 三枝さんも、似たようなものを想像しているのかと考えると、こんな場所でもそれらしく見えてくるかも、と思ってしまう。

 

「一つ、踊ってみる?」

 

 何気なしに提案してみるが、三枝さんは首を横に振る。

 流石に想起させられても、ここではそんな空気にもならないという事か。

 そう、と呟いて引き下がると、三枝さんは暗い空を見ながら、こう言った。

 

「出来れば、好きな男の子と、一緒に踊りたいかなぁって」

 

 純真無垢に、気負い無く告げられた言葉に、思わずこっちが赤くなりそうになる。

 三枝さんの透明さが、透き通って私を貫いた感覚がしたから。

 

「夢があるわね」

 

「うん、夢みたいな事って分かってるけど、想像したらワクワクしちゃうんだ」

 

 エヘヘ、と照れ笑いする三枝さんは、やっぱり可愛い女学生で。

 彼女が妙なものが見えるなんて、ちょっと信用し難いことにも思えてしまう。

 

「三枝さん、私以外にこの場所に、他の誰かが居たりとかするのかしら?」

 

 だから、つい確かめる様な事を尋ねてしまう。

 魔が差したとも言える、空気を読めていない質問。

 三枝さんからしても急だったようで首を傾げていた……けれども、特に何も尋ねることなく、彼女は私の質問に答えてくれる。

 私が空気を読まなかった分、三枝さんが読んでくれた形だ。

 

「え、えっとぉ、誰かが居るってわけじゃないけど、ただ……」

 

「何?」

 

「……何か、気持ちがある気がする。

 誰かを想ってるとか、これがしたいとか、そういう気持ちみたいなのかな?

 それがね、ポツンと、このお寺に存在してる気がするの」

 

 変だね、何言ってるんだろう私、と三枝さんは困った顔をしていた。

 が、それもあながち間違いではないと、私も同意できる。

 だって、何時しか来た時に、そういうモノを私も感じたから。

 まるで誰かの忘れ物の様に、寂しげなモノがそこにはあるのだ。

 

「分かる気がするわ」

 

「そうかな?」

 

「えぇ」

 

 遥か昔に、置き忘れていった大切なもの。

 風化して、今にも解けてしまいそうな、儚く淡い形のない形。

 触れられないから、ずっとそこにあり続けた見えない想い。

 普段は気付かない様に空気に溶けているそれは、夜という黒色に一面を染められた今だからこそ感じれるもの。

 

 ……けれど、そんなものはどうしようもない。

 触れられない、形無き芳香は、結局のところ私の手に負えないのだ。

 この場にいて、気付かないはずのモノに気付いてしまえば、後は気まずさが積み重なるのみ。

 こういうのは、最終的には徳の高い宗教家が事を片付けるモノなのだ。

 まぁ、つまりは柳洞くんの実家に投げるしかない、詮無き事に過ぎない。

 

「行きましょう、三枝さん」

 

「置いてっちゃって、良いのかなぁ……」

 

「どうしようもできないのなら、そっとしておいてあげるのが慰めよ。

 何も分からないのに何かしようとすると、大抵はヤブヘビになるもの」

 

「……そっか」

 

 私の言葉に納得してくれたのか、三枝さんは頷いてくれて。

 だから私達は、脇道に逸れるように、その場を後にする。

 元よりこの場所に用事なんて無かったし、こんな場所に長く居続けたいとも思えなかったから。

 見捨てる様に、この場より退散する。

 ……残された想い、何かを追い求めている有り様は正に情念で。

 その形は、未練を残す様に、今もその場で燻り続けていた。

 

 

 

 

 

「あの、マーガトロイドさん?」

 

「何?」

 

「どこに向かってるの?」

 

「この道、貴方も知ってるでしょう?」

 

 本道を後にした私達は、現在裏手へと続く道を歩いている。

 ついてくる三枝さんはどこか不安な顔をして、けれども足取りはしっかりとしたものであった。

 なので、そこまで怖がっている、という事ではなくて、暗闇が疑心を擽っているだけの話。

 だったら、話をして紛らわせてしまえば良いと、私は三枝さんに返事を返す。

 

「霊園、要するにお墓ね」

 

「こんな時間にお墓参り?」

 

「参ると言っても、私がしたのは丑の刻参りだけれど」

 

「あぁ、この前の……」

 

 思い出したのだろう、その声には色々な気持ちが含まれてる様に聞こえた。

 だが、極力気にしない様にして、私は三枝さんにこう語りだす。

 

「そういえば、三枝さんには私がここに何をしに来たのか、まだ話してなかったわね」

 

「あ、そうだね。

 確かにまだ聞いてなかったなぁ」

 

 思い出したと言わんばかりに呟いて、それでマーガトロイドさんは何をしに? と三枝さんが視線を向けてくる。

 なので、それはね、と枕詞につけて勿体つけて話す。

 視線で、この暗い道の先を見据えながら。

 

「この先の場所に、私は用があるの」

 

「丑の刻参り?」

 

「その結果を見にね」

 

 良く分からないといった顔をする三枝さん。

 正直、今の発言で分かるとも思えないから、私の不親切なのだろう。

 けれど、百聞は一見に如かずとも言う。

 三枝さんは一回見て貰った方が早いという判断である。

 

 そういう訳で程々に足早く、先へと進んでいく。

 見えるモノは薄暗くて、先が見えづらいが足が道を覚えている。

 けれども三枝さんは慣れていないのか、ちょっとおっかない感じの足取りで……。

 

「手、借りるわね」

 

「え?」

 

 このままでは待ち合わせに遅れる、と私は三枝さんの手を握った。

 驚いた声を出している彼女を無視して、私はドンドンと目的地に向かう。

 この先にあるモノ、それはある意味で寺にあるには相応しい霊の集う場所。

 教会の裏庭が十字架で埋め尽くされているように、寺は墓石が存在する。

 霊園とは即ちそういう場所で、だからこそ私が目を付けた所でもある。

 

 

 

「到着、ね」

 

 そうして急ぎ足で来た結果、中々の速さで目的地に到着する事ができた。

 暗い世界の、静けさに満ちた墓石の苑へ。

 

「マーガトロイドさん、ちょっと強引だよぉ」

 

「ちょっと急ぎたかったの。

 ごめんなさいね、三枝さん」

 

 最早誠意があるのか怪しい形式上の謝罪を行いつつ、私は三枝さんに語り始める。

 この場所の、ここに何を求めてきたのかを。

 私の目的、それらを取り留めもなく、流れるように。

 

「ねぇ、三枝さん。

 ここはお墓、死した人が眠っているの」

 

「え、うん、そうだね」

 

 急に何を言いだしたのかと不思議そうな顔をしている三枝さんに、私はゆったりと喋りながら歩く。

 場の静けさと、この場の空気に寄り添いながら。

 墓の桶置き場にへと足を進めて、足をピタリと止める。

 ――どこからか、虫のザワめきが聞こえた。

 

「なら、その人の魂はどこに行くの?

 灰になって燃え尽きるのかしら?

 それとも黄泉の国へと旅立って、最後の審判を受けるの?

 もしかしたら、集合無意識として、桜の木の下で皆が眠っているのかもしれないわね」

 

 一方的に私は語る。

 本当のところ、今語っている内実なんてどうでも良い事だ。

 しかし、つい悠長に口が動いてしまうのは、三枝さんがしっかりと真面目に聞き逃さずに聞いてくれるから。

 それが嬉しくて、つい無駄な話を長々と続けてしまう。

 が、あまり時間もないので、適度に省略しながら私は、本当に語りたいところへと話を繋げていく。

 墓にある魂、それらの行き着く場所、そしてそこから溢れる副産物について。

 

「でもね、死んでしまった後に、確かに溢れてしまう人達がいるの。

 それも一定数、体のない魂だけで、この地上を彷徨っている。

 思考する能力も、行動する力も無いのに、それこそ夢遊病の患者の様に。

 それを、人は幽霊と名付けたの」

 

 触れないのにそこに在り、意思がないのに出歩いて。

 それはきっと死んだ人の忘れ物として、幽霊はそこに居る。

 無念、渇望、未練……霊になる理由なんて、そこら中に落ちているから。

 

「私はね、そんな霊の、所謂怨霊と言う類のモノが捕まえられたらって考えたの」

 

 桶置き場の下の方へ手を伸ばす。

 そして、少しチクリとした感覚が手に走って、手に何かを握った感覚と共に、私は力を入れてそれを引っ張る。

 木製の桶置き場から、何かが引き抜かれる。

 そうして引き抜かれたもの、それは私の手の中にあって……。

 

「藁、人形?」

 

「そうよ、流石に五寸釘じゃなくて、普通の釘で留めてたのだけれどね」

 

 私の手の中にあったものは藁人形。

 何時しかのではなくて、新しく新造したモノ。

 悪霊や怨念が入り易い様に、意図的に空洞を用意した人形の形。

 

「ねぇ、三枝さん、この藁人形……怖いと思う?」

 

 そっと、三枝さんの前に藁人形を突き出す。

 この藁人形に何があるのか、見えるものがあるのかという問いかけ。

 さぁ、答えて、と私は彼女に告げて。

 

「……怖くはない、かな。

 それに、多分その藁人形さんは空っぽだと思うな」

 

 だからその答えが返ってきた事に、納得が心を支配したのであった。

 ある意味で、ここに三枝さんを連れてきたのは、それを確かめる為の最終確認だといっても過言ではなかったから。

 折角こんな珍しい時に会えたのだから、という機会主義的な発想で、私は三枝さんをここに連れてきたから、ある意味でここに来た目的は達成したといえよう。

 

「そう、ここのお墓の霊魂は、おおよそお盆休みにでもならないと、帰ってこないみたいね」

 

 確かめて、検分して、そして出た結果を、他の人に確認してもらう。

 こうする事で、正しく物事を見る視線を、固定しようとしたのだ。

 三枝さんからすれば、いきなりこんな所に連れてこられた挙句、呪いの藁人形に類似した品を見せつけられたのだから、溜まったものではないだろうが。

 

「今度、私の奢りでどこか行きましょう」

 

 だから、そんな事を私は口にしていた。

 罪悪感と感謝とが入り混じった、私の謝罪。

 今日は謝罪の言葉は便利に使いすぎたからこその、私なりの誠意の見せ方。

 物で誤魔化そうとしている訳ではないけれど、これが一番目に見えて伝えられる精一杯であるから。

 それに三枝さんが許してくれるなら、私の人形劇を添えて楽しんで貰いたいとも思っている。

 

「えぇ!? そんなの悪いよ。

 私なら、全然大丈夫だから!」

 

「三枝さん、これは私がこうしないと収まりが付かないからこう言ってるの。

 私の為に、どうかお願い……」

 

 三枝さんの目を、覗き込みながら私は頼む。

 今日はこんな時間に、三枝さんを振り回してしまったから。

 そうして私達は交わり、互いにじぃっと見つめ合っていると、急に三枝さんは顔を崩して笑顔を浮かべる。

 なんだと思っていると曰く、前にもこんな事あったねと、彼女は言ったのだ。

 

「前? ……あぁ、デパートの時ね」

 

「うん、あの時も、マーガトロイドさんは、同じ事を言ってたよ」

 

 言われて頭に過ぎったのは、例のメガネを買っていた時の事。

 楓に笑われた事は、絶対に忘れないであろう出来事。

 けれど、あの時の三枝さんだけじゃないけれど、突発的に付き合って貰っていたなと思い出す。

 そう考えると、ある意味で私の特性なのかもしれない。

 

「メガネ、似合ってくれると言ってくれて、嬉しかったわ」

 

「マーガトロイドさんは美人で、とっても可愛いんだって、私はあの時には知ってたんだよ?」

 

「お上手ね」

 

「本音だよ」

 

 そこまで堂々と言われると、気恥ずかしくて仕方がない。

 だから照れ隠しがてらに、私はちょっと話をズラす。

 このままでは、三枝さんの和みワールドに何時の間にか誘われてしまうから。

 私は、不思議の国か鏡の国に誘われるのが鉄則というのに。

 

「今度はあの時の喫茶店よりも、豪華な方が良い?」

 

「ううん、本当に無くて良いの。

 でも、その代わりに一つだけお願いしても良いかな?」

 

 三枝さんは、こんな事を頼むのはちょっと図々しいかもしれないけど、と本当に自然にこんな頼み事をしてきた。

 それは些細で、細やかで……とっても、優しさに満ちたもの。

 私の照れ隠しなんて、それこそ一撃で吹き飛ばしてしまう類の。

 

「私の家にね、人形劇をしに来て欲しいの。

 私も見てみたいし、弟達にも見してあげたいから」

 

 前から気になってたんだけれど、ダメかな? と私を上目遣いで覗き込んでくる三枝さん。

 ……正直、痛烈な一撃であったと言わざるを得ない。

 何がといえば、三枝さんのお願いの仕方と、内容と、その気持ちが。

 何より、私の人形劇を見たいと言ってくれたのが、何よりも嬉しくて。

 

「任せなさいな。

 沢山お見上げを持って行くから、しっかりと道案内を宜しくね」

 

「っうん!」

 

 私が笑って、三枝さんも笑っている。

 この娘は、本当に和やかにさせてくれると、心のそこから感じているのだ。

 それが彼女の良いところで、私も抵抗を諦めて彼女の世界に少しばかり浸ってしまう。

 ひどく暖かくて、何時までも浸かっていたいぬるま湯に。

 

 

 

 それは三日月昇る11月の、淡い光と暗い夜の中でのお話。

 移りゆく季節は、秋から冬へと移りゆく。

 そんな肌寒く感じてきた季節に、三枝さんの優しさはじんわりと熱を持って伝わってきた。

 心のモノが、体まで伝わってきた、ささやかだけれど離したくない、そんな日のこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「マーガトロイドさん、本当にここでお別れなの?」

 

「えぇ、私はもう少しばかり用事があるの」

 

 あれから、私達は月を見上げたり適度に会話しながら、本道のところまで戻ってきていた。

 時間の針が進むにつれて、冷たさは徐々に大きくなっていく。

 そろそろ防寒着も必要ね、と思わせられる夜だ。

 そんな中で、私は三枝さんとお別れをしていた。

 藁人形の他にもう一つ、やらねばならない事があったから。

 

「もうこんな時間だよ?」

 

「こんな時間だからこそよ」

 

 意味を汲み取ろうとして首を捻っている三枝さんに、私は考えなくて良いわと告げる。

 実際、考えても不愉快なだけだから。

 

「あまり遅いと、三枝さんは弟達が心配するでしょう?

 なら、早めに帰ってあげなさい」

 

「マーガトロイドさんも、遠坂さんが心配するよ?」

 

「凛は夜行性だし、私は放し飼いにされてる様なものだから、気にしなくて大丈夫よ」

 

 ね、だから、と真っ直ぐに目を見ながら言うと、三枝さんはうぅん、と後ろ髪を引かれる感覚を患いながらも、うん、それじゃあまた明日と告げてきた。

 私も、三枝さん、また明日と返して、そこでお別れ。

 珍しく二人っきりになった私達の、実に呆気ないさようならであった。

 名残惜しくは思うけれど、だからと言ってやらねばならない事を先延ばしにする訳にもいかない。

 だから、私は踵を返して再び道を戻り始める。

 ただ、途中でお墓へと続く道を逸れて、外れの細い道を歩いていく。

 忘れ去られて、少し荒れている道を。

 

 

 

「……少し、寒いわね」

 

 口から、ポロリと言葉が溢れる。

 意味のないけれど、愚痴の様に衝動的に飛び出した言葉。

 きっと、三枝さんと居た時の温度差に、心が息を吐いて温めようとしているのだ。

 ましてや、この先に進むと、もっと冷えるだろうから。

 温める代わりに、私はメガネをそっと掛ける。

 お守りの様に、悪いことから守ってくれます様にと、あの時に買った赤色のメガネを。

 

 そうして、しばらく歩いていると、小さな洞穴へと道は繋がっていた。

 中は暗いけれど、微かに光があって、申し訳程度に整備されているのが分かる。

 その中へ、私は躊躇なく入り込む。

 ひたすら前へ、道を曲げる事なく進んでいく。

 

 そうして、どの程度歩いただろうか、5分か10分か、はたまたそれ以上か。

 暗い洞窟の中では、時間感覚が断絶するから幾ら時間が経ったのか、てんで見当がつかない。

 ……けれど、キチンとゴールは用意されていたようで。

 

 大きく拓けたところへと、そこは繋がっていた。

 しかし、その場には何もなく、まだ続く道のみが存在する。

 

 ――そんな場所に、一人の老人が立っている。

 ――私の足音に反応して、むくりとその躰をこちらに向けた彼は……。

 

「間桐、臓硯」

 

 呵呵、としわがれた笑いが木霊する。

 私がしていた、約束事の一つ。

 この場所で、彼と会うというもの。

 彼の笑い声が、無条件で憎たらしく聞こえたのは、正しく私の心情を映しての事だったのだろう。

 ……憂鬱が、雨の様に私の中に広がり始めた瞬間であった。




三枝さんの口調が掴めなくて、すごく難産でした(小並感)。
あと、別に次の話でサーヴァントを召喚したりとか、そういうのではないです、はい。


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第33話 目指す場所への指針

気が付けば8月も後半。
たまげるなぁ、としか言えないです。


 暗い洞窟、外界と遮られた密閉空間。

 そこで、私は一人の妖怪と対峙する。

 あまり関わり合いに成りたくないけれど、その理由だけでそっぽを向くには惜しいパイプを持っている人……間桐臓硯と。

 

「呵呵、よく来たのぉ、マーガトロイドの小娘よ」

 

「あなたがこの場所に呼びつけたからよ。

 本来なら、自分の家で持て成すのが筋じゃないかしら?」

 

「主の事情の事じゃろうて」

 

「わざわざ、こんな所に呼び出す理由が分からないと言ってるのよ」

 

 来て早々に惚けた事を言うこの目の前の人物に、ガン付ける感覚で睨みつける。

 分かってて言ってるのだろうし、深い皺が刻まれた顔が見事に愉快そうに歪んでいるのだから、まず間違いない。

 相変わらずの性格の悪さで、辟易してしまう。

 辺りの暗さとこの妖怪の嗤い声が、この場に漂う不気味さを倍増させられ、余計にこの場に居る憂鬱さが加速していく。

 

「理由など、無いに等しいのぅ」

 

「は?」

 

 だからそれを聞いた時、余計にここに来てしまった事を後悔してしまっていた。

 反射的に睨み返すと、静かに、けれども口元を歪ませてニタリと笑う臓硯。

 眼鏡越しに見える彼の姿は、やっぱり何を考えているか分からなくて。

 

「強いて云うなれば、たまの外食を行っていただけじゃて」

 

「外食?」

 

 問い返せば、目の前の妖怪は頷いて、変わらぬ調子で話し始める。

 そう、それは間桐家の食卓事情が変わったのじゃ、というところから。

 

「あれは今年の春じゃったか。

 儂の孫、桜めが外泊を始めた事が始まりであった。

 次第に、桜は家と外泊先の比重が逆転しての。

 家に居る事の方が、珍しくなった」

 

「そう、それは健全で喜ばしい事ね」

 

 皮肉がてらに口を挟めば、呵呵と何時も通りの不快な声の嗤い声を上げて。

 意味深に私を見て、さてはてと言葉を漏らす。

 

「誰が、桜を扇動したのかのぅ」

 

「――誰が、なんて問題じゃないわ。

 だって、彼女が自分で、変わりたいって思ったんだから」

 

 見事に皮肉で返される結果となったが、私は厚顔さと真実を武器に、素知らぬ顔で桜を想う。

 あの娘は少し怖がりだから、ちょっと見つめてくれて、背中を押してくれる人を欲しがっていただけで。

 それを、たまたま私が担っただけ。

 場合によっては凛だって、もしかしたら何かが間違って間桐くんがその役目に付いていたのかもしれない。

 そう、だから誰が桜を励ましたとか、そういう事は全く持って関係ないのだ。

 誰がお呪いを掛けても、桜は自分で一歩を踏み出したのだから。

 

「そうか、そうか、桜は余程友人に恵まれたと見える」

 

「思ってもない事を口にしてると、本当の言葉が吐けなくなるわよ?」

 

「いやいや、真実そう思っているのだよ」

 

 胡乱げな目で、臓硯を私は睨んでいた。

 胡散臭いって、素直に感じたままの感想を、彼にお届けする為に。

 ここの空気みたいに、ジトっとした目。

 それで真意を探るべく、ずっと睨み続けていると……。

 

「やれやれ、最近の若いのは疑り深い」

 

「貴方の日頃の態度を振り返りなさい」

 

「心外じゃのぅ、日々魔術師としての研鑽を怠ったことなぞ無いぞ」

 

「魔術師すぎるから、余計に信用できないのよ!」

 

 惚けた事を言うのでハッキリと、それも鋭く告げればまたもニヤリと言葉なく嗤う。

 そういうところが、余計に信頼など出来るはずもないというのに。

 魔術師といっても、人格的に信用に足る人間は冬木の街には探せば結構いる。

 凛然り、桜然り、衛宮くん然り。

 それ故に、その中で余計に、この目の前の人物の事が信じられなくなるのだ。

 だからこそ、用いる分には、丁度良いと言えるのかもしれないが。

 

「……はぁ、まあ良いわ。

 それで、実際のところはどうなの?」

 

「言っておろうが、外食しかしてきてないと」

 

 飄々と答える臓硯。

 もしかしたら、本当にご飯を食べて来ただけなもかもしれない。

 だとしても、それはそれで業腹なのだが。

 仮にもしそうだったとしても、こんな場所で外食とは。

 精進料理でも食べに来たのか、そもそも普段は何を食べて生活しているのか。

 疑問は尽きないどころか、増えていくばかりだ。

 

「分かった、もうその話は良いわ。

 本題に入りましょうか」

 

「うむ、そうじゃのぅ」

 

 埒が明かない上に至極どうでも良い話なので、ここで一旦切り上げ、本来の目的に話をシフトする。

 この人も、そこには同意だったらしく、多くを語らずに頷いていた。

 故に、私はすぅっと、軽く深呼吸を行う。

 気分を入れ替える為に、この洞窟の中のジメジメして湿度の高い空気を吸い込み、そして吐き出す。

 あまり気分の良いものではないけれど、それだけでスイッチが切り替わったかの様な気分になれる。

 流石に、魔術回路を入れた時の、あの鋭さには及ばないけれど。

 でも、今の気分的にはそれに近いものがある……目の前の、この人物のお陰で。

 だから、油断なく、隙なく、私は意思を持って彼に尋ねる。

 つまりは、今後の展望のようなもの、その方向を。

 

「おおよそだけれど、英霊の召喚についての原案が纏まったわ。

 勿論、私一人では無理で、貴方達の協力が必要なのだけれど」

 

「呵呵、達と来たか」

 

「えぇ、そう、貴方”達”」

 

 他意は勿論あるわ、とニュアンスを含んでの言葉。

 露骨に隠す気のない私の物言いに、けれども臓硯は全く怯まない。

 逆に、それで? と威圧感すら感じれるのだから、年の功を発揮していると言えるか。

 

「だって、貴方一人で遠坂やアインツベルンに了解なしだと、虎の尾を踏むようなものでしょう?」

 

「いやはや、全く持ってその通りじゃの。

 そう、儂とお主だけでは、事を運ぶことは出来ない。

 御三家の中で、どれか一つの家が反対すると失敗する」

 

 私の言葉に、意趣返しじみた返事をする臓硯。

 けれど、それで私は怯まない。

 むしろ、そちらこそ良いのかしら? と態度を強めに押し通る。

 下手にこちらが引こうものならば、つけ込まれるのは目に見えているのだから。

 

「これは研究で、今は思考実験段階。

 次の実際に工程を経ての実験へ至る為には、貴方の協力がなければ成し得ないのは事実だわ。

 けれど、ここに来て妨害をしようものなら、それは研究の報告が止まる事を意味している。

 ここまで来て、貴方は気にならないの?

 もしかしたら、独自の技術が拡張されるかもしれないというのに」

 

 半ば開き直っての言葉であるが、真実として資料は少しづつ蓄積されている。

 ここで協力を惜しむようならば、間桐家に成果を提示する事を私はしなくなるだろう。

 臓硯が私に協力していたのは、やはりリスクなく資料が手に入るから。

 自力で研究するには、やや無駄が多く面倒な分野でもあるのだから。

 

 発言の反応を見る為に彼を見れば、何時も通りの能面の如き笑みしか浮かべておらず、全く動じていないのが想像できる。

 それで? と問うた私に、臓硯は全く堪えていなかったのだ。

 それに連動して、彼はこうも言った。

 

「確かにここで研究を投げ捨てられても、確かに儂としては残念な事になる。

 しかし、逆に言えば惜しいだけとも言える。

 それは、分かっておろうな?」

 

「えぇ、勿論」

 

 何時もと変わらない顔で、古井戸の如く私を見ながら脅す。

 流石に年季が入っているだけあって、迫力もバカにできない。

 睨み返してもどこ吹く風なのだから、全く持って大したものだ。

 

 故に、さて、と思案する。

 どうにも、ここであまり敵対的に反応しても、賢いとは言えなくなってきたから。

 逆に、言質を引き出す方向にシフトした方が、余程成果は得られるかも、と予想出来てしまったから。

 別にそれは良い、やぶさかではない。

 けど、それをこの人物に強制されたかと思うと、何とも言えない敗北感が胸に広がって……。

 

「貴方が協力してくれる限り、私はこれまで通り貴方に資料を供給し続けるわ」

 

 結局、その敗北感を抱えたまま、私は現実と妥協する。

 ここは、強がる場面じゃないから。

 無理をする時まで、強がりは持ち越すことにした。

 きっと、この妖怪相手なら、何時かその時は来る。

 だから、今は我慢して、力を蓄えておくべきなのだ。

 

「呵呵、そうじゃ、それで良い。

 儂も、主が裏切らぬ限りは協力しよう」

 

 楽しげな声、けれども微塵も愉快さなど感じていないであろう臓硯に私は辟易としつつ、話を取り纏めていく。

 つまりは、これからどうしていくのか、というお話。

 結局は私が半分折れる形だけれど、半ば一蓮托生なところがあるので裏切られはしないはず……役立たずと、そう思われない限り。

 

「そう、結構な事ね。

 話を詰めていきましょうか」

 

「うむ、結構。

 まずは方法とやらから聞こうかのぅ」

 

「分かったわ」

 

 言葉数は少なく、頭の中で話す内容を選択していく。

 どれを話して、それを話さないか。

 流石に一々全てを話していると時間も、そして私の労力にも見合わない。

 なので取捨選択して、言葉を発していく。

 まずは、一番重要であろう英霊の召喚方法から。

 

「まず、予めに言う事があれば、英霊召喚には聖杯が必須だという事。

 でなければ、抑止力に睨まれて、召喚直後に隕石でも降ってきて私達はあの世行きよ……極端な例だけれどね」

 

「然り、じゃのぅ。

 それに加え、英霊を召喚するには、大量の魔力と維持の為の魔力、この二つが必要。

 よしんば英霊の召喚に成功したとしても、それをどう支えていくつもりか?」

 

「それについては問題ないわ」

 

 ほぅ、と呟いた臓硯に、私は簡単な話、と前置きして続ける。

 つまりは、こうすれば良いのだと。

 

「要は維持できれば良いのよ。

 つまり、本来の英霊の如き権能を振るえなくても、何ら問題はない。

 私が求めているのは、偉大な魔術師の頭脳であって、その戦闘能力じゃないわ」

 

「……弱体化させる訳じゃな」

 

「当たりよ」

 

 頷き、私は一つの用紙を臓硯に渡す。

 内容といえば、召喚の際に敷設する魔法陣について。

 

「成程、nauthiz(欠乏)のルーンを刻むか」

 

「そうよ、これなら意図的に召喚する英霊を弱体化できる。

 必然性の欠乏、陣に組み込むならこれが適切なルーンでしょう?」

 

「ふむ、確かに可能じゃな。

 これならば、魔力消費が微量で済む」

 

 渡した用紙を肯定しながら見る臓硯に安堵しつつ、次の事に頭を巡らせる。

 と言っても、次にするべき事は技術的なものではなくて、この目の前の妖怪に取り入る事なのだけれど。

 

「それで、結構かしら?」

 

「穴がないとは言わんが、概ねはの」

 

「分かったわ、更に詰めておくわね」

 

 それで、と私は切り出す。

 儀式を成功させる為の補完を行うには、この目の前の人物が必要だ。

 協力するとは言って貰えた。

 故に、内容を煮詰めて、援助するという更なる確認が必要である。

 言葉だけの援助など、私は求めていないのだから。

 

「それで、令呪とアインツベルンに対しての折衝の事だけれど」

 

「令呪の運用については、こちらで対処しよう。

 但し、令呪そのものについては教会に存在しているが故に、言峰綺礼に話を通せ」

 

「言峰神父は、御三家の同意があるのならば、令呪の開放はやぶさかで無いと言っているわ」

 

「そうか、では後はアインツベルンじゃのぅ」

 

 流す様に、臓硯はアインツベルンに話を持っていく。

 つまりは、彼自身は協力するという言葉通りに動いてくれるという事。

 憂いは、彼の言うところのアインツベルンのみになる。

 そう考えると、私の考えていた事も、もう直ぐで達成できそうで気分が高揚してくる。

 一歩一歩、着実に前進しているのだから。

 

「お主は、彼奴等を納得させ得る条件を持っているのかえ?」

 

 だから、後はこの試練を乗り越えれば、残りの頂きが見えてくる。

 人形に意思を持たせるという作業の手段に過ぎないけれど、それでも目指していたものが目の前に近づいて来ていると考えたら、奮起せずには居られない。

 

「ごめんなさい、それはまだよ。

 アインツベルンが何を望んでいるのか、それを分かっていないもの。

 でも、ある程度の条件なら飲むわ」

 

 ここまで来たら、多少の譲歩も必要だろう。

 いや、譲歩出来るだけ譲歩するのが、ここまで来たら正しい選択か。

 この状況で後退なんてしたくないというのもあるが、調子の良い時に進めるだけ進むというのも定石であるから。

 

「ふむ、まぁ、儂の方から当てを付けておくとしよう。

 乗りかかった船、という奴じゃ」

 

「……ありがとう」

 

 一瞬、その船に穴を開けられないかとも思ったが、ここまでくれば呉越同舟。

 行き着く所まで、手で船を漕いでいくしかない。

 なので今は信用できる、と思っておこう。

 そんな思考の道を辿って、私は臓硯に感謝を伝えた。

 正直な話、信頼は出来ないけれど、それでも彼を頼りにするしか今は手段がないから。

 

「儂もお主を利用する、お主も儂を利用する。

 健全で理知的な判断じゃ。

 それで良し、考える事はない」

 

「それが貴方の長生きの秘訣ね」

 

 万人に取っての健全さとはズレている、と皮肉混じりに揶揄するが、やはり全く効果はない。

 むしろその正常さこそを吸い取って、彼の寿命に変換しているかの様。

 間桐臓硯という妖怪が言いたいのは、魔術師にとっての健全さだということは分かるが、彼の言葉だと自然と嫌厭してしまうきらいがある。

 これもそれも、彼の人徳のなせる所業であろう。

 積み重ねてきた徳が今の彼を構成しているのだとすると、失笑すら起こらない。

 

「お主も、長生きする為には弁える事じゃな」

 

「私は人間らしく、いえ、私らしく在るわ。

 それで良いでしょう?」

 

「……それで満足するのであればな」

 

「なら、大丈夫よ」

 

 掛け慣れてない眼鏡がずり落ちて来たのを右手でクイッと直して、私は間桐臓硯に向き直る。

 貴方だって、そうしてきたのでしょう? と、確かめる様に見つめながら。

 すると、彼はゆっくりとこちらを向いて。

 

 ――瞬間、ニタリと骸骨の如き微笑みが、暗がりのそこに浮かんでいた。

 

 ゾクリと、背中が泡立つ。

 冷たい氷塊で何度も撫で付けられるような不快感が、全身を包んでいく。

 

 発信源は、目の前の人物。

 その笑みと、言い知れえぬ情念が私を包覆い隠そうとする。

 僅かにそれだけで、私は動きを封じられてしまっていたのだ。

 最後の、話が纏まりかけたこのタイミングで、この妖怪は釘を刺すのを忘れなかった。

 前の時もそう、この爺は油断させて、それから付け込むのだ。

 

「呵呵、呵呵呵。

 そう、儂は好きな様に生きてきた。

 求めたモノの果てに、ここに居る。

 ゆめ忘れてくれるな、小娘」

 

 奇怪な笑い声と共に、彼は杖をつき、木と石の反響を奏でながらこの場を後にする。

 妄執を思わせる迫力を、私の胸に残して。

 残された私は、呆然とその後ろ姿を見送るしかなくて……。

 

「見誤ってたわ、間桐臓硯。

 貴方、眼鏡を掛けてなくても、十分に危ない人ね」

 

 見た目だけでは無く、心の中から溢れ出るものがあった。

 黒くて、熱くて、私の中にはとてもじゃないけど入り切らないモノが。

 不覚ながら、怖いと、確かに私は感じてしまっていたのだ。

 

「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらを覗いているのよ。

 貴方には、一体どこまで見えているのかしらね?」

 

 ポツリと、私以外誰も居なくなったこの場所で一人呟く。

 暗闇は深く、私の問いは黒の中に消え行くのみ。

 辺りに広がる暗がりは、まるで全てを溶かしていくように、今の私には感じられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ん? ……何よ、アリス」

 

「何でも良いわ、無条件で甘やかして」

 

「はぁ? 何気持ちの悪い事言ってるのかしら。

 何? 急にホームシックでも患ったの?」

 

 トボトボと暗い道を帰ること少々。

 遠坂邸に直帰してから直ぐに、私は凛の部屋に雪崩込んでいた。

 理由など、自分で考えたくもなく稚拙なもので。

 

「私が甘えたら気持ち悪い?」

 

「急に来るから、意味分かんないって言ってんの」

 

「急じゃなかったら良いの?」

 

「そういう問題でもないでしょ」

 

 つれなく対応する凛に、私はひたすらに、自分でも鬱陶しいと分かりながらも絡み続ける。

 構ってよって、うざがっても良いから甘えさせてと。

 

「あー、もぅ、何なのよ、本当に!」

 

「良いじゃない、凛は私のこと嫌いじゃないでしょ?」

 

「だから気持ち悪い言葉禁止!」

 

「分かったわ。

 でも、この部屋に居て良い?」

 

「……はぁ、勝手にしたら?」

 

 粘り勝ち、投げやりの言葉だけれど、それはやっぱり認めてくれたという事で。

 何だかんだで、凛は私を甘やかせてくれる。

 なので、私もその言葉に存分に甘える事にして、ベッドの上に座らせてもらう。 

 凛は現在進行形で、机の上の試験管をイジっているので、何ら障害はない。

 

 でも、流石にこの上で、更に言葉を投げかけるのは気が引けて、仕方がなく上海と蓬莱を懐から取り出す。

 解れた所がないかチェックして、皺がある所は綺麗に直すために。

 手持ち無沙汰になる故に、仕方のない行動である。

 

 睨めつける様にして見てみれば、スカートの解れが上海にあって。

 チクチクと、ソーイングセットから取り出した針と糸で、スカートを直し始める。

 少しだけの解れだから、大した時間は掛かりはしない。

 ……本当に、すぐ終わってしまった。

 上海のスカートは、あっという間に元通り。

 頭を撫でれば、ちょっと嬉しそうに微笑んだ気がする。

 元から、笑うはずなんてないのに。

 

「女の子だから、身嗜みはしっかりね」

 

 上海と蓬莱のスカートを人差し指で軽く叩いて、皺を伸ばすと完成。

 何時も通りの、フリフリで可愛い二人がそこにいて。

 何となく凛のベッドの上に並べたら、まるで童話の登場人物。

 姉妹揃って、可愛く健気な小人さん。

 この子達が小人さんなら、状況的に凛が白雪姫?

 ……何だろう、絶望的に似合わない。

 

「ねぇ、凛。

 貴女、ドレスとか着たら大人しくなる?」

 

「いきなり過ぎて訳分かんないけど、どう言う意味よ、それ!」

 

「ちょっとした仮定よ」

 

「前提条件からして気に入らないけど……そうね、ドレスなんて戦闘服みたいなもんだし、何時もよりも張り切るかもね」

 

「成程、何時もよりもジャジャ馬になるのね」

 

「喧嘩売ってんの、アンタ!」

 

「違うわ、凛がどれだけ白雪姫に不適格か、勝手に測ってただけだから」

 

「腹立つわね、やっぱり喧嘩売ってんじゃない」

 

 イイ笑顔を浮かべて、凛がこちらに振り返ったが、私も微笑み返してその場を収めようとする。

 ……凛の笑みに、何故だか深みが増してきた。

 深夜で少し落ち着いていた凛のテンションが、徐々に上がってきているのだ。

 好戦的になってきていると置き換えた方が、正確かもしれないが。

 

「……良いわ、構ってあげる。

 差し当たっては、アンタを虐めることにする」

 

 そう言って凛は、机からこちらのベッドに座り直す。

 私の隣、何時もの意地悪さに満ちた顔をして、でもその顔はちょっと楽しげ。

 やっぱり、凛は悪巧みしている時が、きっと一番楽しいのだって伝わってくる。

 何とイケナイ女の子、桜や早苗にはこうはなって欲しくない。

 けど、ちょっとそういう凛の顔が見れるのは、不思議と優越感があったりする。

 変だけれど、でも自分のそんな気持ちも、ちょっと理解できたり。

 だって、凛がそういう顔をする相手というのは……。

 

「どうやって?」

 

「うーん、そうね。

 ちょっと髪の毛でも弄らせて貰うわ」

 

「引っ張らないでね」

 

「ふーん、あっさり了承しちゃうんだ」

 

「凛なら、酷いことしないもの」

 

「虐めるって言ってるでしょ」

 

「じゃあ、虐めて」

 

「……アリスってマゾだったの?」

 

 ちょっと引き気味の言葉。

 にまにまとしてた顔が、急に真顔に戻っている。

 でも、ちょっと心外である。

 私は完全にノーマル。

 局所的に外れていたとしても、性癖は全く持って普通だというに。

 

「私がマゾだったら、凛はサドになるわね。

 マルキ・ド・サドが愛読書?」

 

「だったら、アリスはマゾッホに傾注してることになるわね」

 

「凛の変態」

 

「何でよ!?」

 

 今日も凛のツッコミは冴え渡っていて、聞いていると心が落ち着く。

 思わず、クスクスと笑い声が出るくらいには。

 そこで凛もからかわれていたと気がついて、頭に血が上った顔から一変してとっても良い笑顔を浮かべ始めて。

 そうして、ヘアゴムを片手ににじり寄ってきたのだ。

 

「ひとつ前に言っとくけど……問答無用だから」

 

 ニコリと笑うその笑みは、大輪咲き誇るバラの花。

 然れども、滲み出る瘴気は毒の花。

 全く持って、極端から極端に走り出す事この上ない。

 

「髪には優しく、ね」

 

「それくらいは分かってるわよ。

 女としても、魔術師としても、大切だもの」

 

「だったら好きにすれば良いわ」

 

 ッン、と頭を凛の方に突き出す。

 巻くなり結ぶなり好きにしろと、そんな感覚で。

 

「分かってるじゃない」

 

 すると凛は溌剌とそんな事を言いつつ、まずは後ろ髪を綺麗に束ねてヘアゴムで一括りにする。

 後ろ髪が縛られている感覚があるが、何というか……足りてない。

 

「ちょんまげ?」

 

「切り捨てるわよ」

 

 手鏡で見てみると、ピョコっとひと房程度の髪の毛が纏められていて。

 凛みたいに可愛げのある髪には、長さが足りてないと思えてならない。

 もうちょっとあればとも思うけれど、人形の材料に使うからどうしようもない。

 

「羨ましい?」

 

 気が付けば、私の視線は凛のツインテールに注がれていた様で、からかう様に凛からそんな言葉が飛んできて。

 私は、ちょっと考えてから、横に首を振る。

 確かに髪を弄れないのは少し寂しいけれど、それ以上に自分は納得して人形を作っているから。

 すると凛はふーんと声を漏らして、私のショートポニーを解き始めた。

 ちょっと楽しげなのが、凛の今の心境か。

 ノリノリで、今度はサイドショートに結び始めて。

 ……手鏡で覗けば、さっきより何か悪化していた。

 

「なんで短いのに、わざわざそんな髪型を選ぶのよ」

 

「仕方ないでしょう?

 本当なら三つ編みなんかしてみたいけど、仕方なく我慢してるんだから」

 

「当たり前よ」

 

 そもそも不可能なんだから、長さ的に。

 でも、だからこそ凛は好きな様に髪の毛を弄るのだろう。

 成程、確かにこれは何だか意地悪チックだ。

 何より、凛に好き勝手やられるというのが、何とも言えない感覚を心に巡らされる。

 

「もうちょっと可愛く出来ないの?」

 

「アリスは元から十分可愛いんだから、全然問題ないでしょう?」

 

「そういう意味合いじゃないわ」

 

「分かってる、でも十分可愛いんだもの」

 

 手鏡で凛の顔を覗けば、ニヤニヤしているのが丸分かり。

 どうやら凛が飼ってる猫は、チェシャ猫で間違いないらしい。

 それくらい、腹の立つ顔をしていた。

 

「凛、頬っぺたをムニってイジっても良い?」

 

「ダメに決まってんでしょ」

 

「……意地悪ね」

 

「そうだけど、今のはアンタが意味不明」

 

「そのニヤニヤ顔を、懲らしめてやりたいのよ」

 

「だーめ、今夜のアンタは私の玩具なんだから」

 

「サイテーね」

 

 力無く言って、私はどうにでもなれと力を抜く。

 でも、口からは色々な言葉が出てくるけれど、嫌じゃないのがちょっぴり悔しかった。

 凛め、と悔しさ紛れに思っても、全然力が入らない。

 

「……そういえばだけれど」

 

 ふと、思い出した様に、凛が口を開く。

 さっきまでの声音とは違い、真剣な色が混じっている。

 なので大人しく耳を傾けると、凛はこう切り出してきた。

 

「アンタ、今日臓硯に会ってきたのよね?」

 

「えぇ、色んな意味で疲れたわ」

 

 それが原因で、と小さく呟いたのが聞こえてくる。

 多分、この部屋に私が雪崩込んできたことだろう。

 でも仕方がない、自業自得だけれども甘えたくなってしまったのだから。

 

「馬鹿ね、全く。

 ……ま、良いわ。

 それよりアリス、貴女今日は臓硯と何を話してきたの?」

 

「英霊を呼び出す為の儀式、どうするかって話よ」

 

「何か決まった?」

 

「向こう側、の報告待ちよ」

 

 気怠げに私はそう答えて。

 背中にいる凛に、もたれ掛かる。

 ちょっと! と抗議の声が聞こえてくるが、全く持って耳に入らない。

 凛の暖かさが、何だか心地よい。

 そのせいで、ハッキリしていた意識が急に朦朧としてきて。

 

「アリス、アンタここで寝る気?」

 

「良いじゃない、別に」

 

「よかないわよ! アンタをここで寝させたら私は何処で寝るのよ!」

 

「……一緒に、寝たら良いじゃない」

 

「馬鹿言ってんじゃないわよ!」

 

「…………ごめん、眠いの。だから、寝るわ」

 

「話聞きなさいよ!」

 

「……………」

 

「……ホントに寝てるし」

 

 呆れた凛の声が聞こえた気がしたけど、何を言ってるかは聞こえない。

 ただ、凛の暖かさだけが、今の私に感じれる唯一のモノ。

 ……お休みなさい、凛。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝、目が覚めれば凛に私はしがみついていた。

 強くギュッと、抱き枕にする様に(何故か凛に抱きついたまま、どうやったのか背中越しに足を回していた)。

 そのせいか凛は、うーん、うーんと魘されていて、”やめなさいこのバカ杖、締め付けるなぁ”と良く分からない寝言を漏らしていた。

 

 ……寝る前の仕返しに、もうちょっとだけギュッと締め付ける。

 仕返し、だけれど、抱きついてたら凛の匂いがして。

 それは、嫌いじゃない、むしろ好きな部類の匂いで。

 ――もうちょっとだけ、このままでもいっかと思ってしまったのは、別に悪い事では無いはず、そんな朝の始まりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 後日の事、間桐君経由で、臓硯から通達があった。

 ひどく面倒くさそうな顔で間桐君曰く、ドイツから招待状が届いたらしい。

 宛名は――アリス・マーガトロイド。

 つまりは、私宛の呼び出しだった。




臓硯お爺ちゃんに2週間、凛パートは3日で書けたという事実。
おのれ間桐臓硯、桜だけでなく作者にまで苦痛を与えるとは!?
臓硯お爺ちゃんとか、書いてるだけで何すれば良いのか分からなくなるから辛いです……。
いや、むしろ凛が癒しなのでしょうか?(混乱)


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第34話 白き道のり

ギリギリセェーフ!
何とか9月に投稿できました(話が進むとは言っていない)。


 とある日の朝、起き上がると肌寒くて、思わずシーツを手繰り寄せてしまう。

 屋内であるはずの部屋は全体が冷たく、兎に角寒いから、膝を抱えて丸くなって、寒さをやり過ごそうとする。

 勿論、真っ白なシーツは深く被ったまま。

 肌寒い日のシーツには魔力があって、その仄かな暖かさから逃れられなくなるのは、人間の生理的、本能的、感情的に抗えない事。

 だからもう一度眠りに誘われようとして……。

 

 ――そこで、僅かに開けていた目の隙間から、机の上から見下ろしている上海と蓬莱の姿が見えた。

 

 表情はなくて、何を考えているか分からないけれど、何故かその目が、また寝るの? と問いかけて来ている気がしたのだ。

 

「寒い?」

 

 上海と蓬莱に問いかけるけど、喋りだしたりなんてしない。

 ただ、冷たい机の上から私を見下ろしているだけ。

 けど、それが無言の抗議の様な気がして、とてもではないが二度寝する気には成れなくなって。

 

「おはよう、上海、蓬莱」

 

 結局、シーツを城壁に、ベッドを牙城とした難攻不落と思われたこの場所は、上海と蓬莱の視線のみにて陥落した。

 故にのそのそと、寒いのを堪えながら、ゆっくりと体を起こす。

 軽く背伸びをして、意識をハッキリさせると、そのまま私は服を着替える為に床に足を付けて……。

 

「ひぅっ」

 

 小さく、反射的に声を上げてしまう。

 鋭い冷たさが、足元には満ちていたから。

 思わず床を睨めつけるが、急に暖かくなる事なんて無くて。

 

 仕方なく、近くにあったスリッパを履いて、クローゼットから服を選び出す。

 最近は厚手の服を着て、寒さをやり過ごしている。

 今日はセーター、白い生地の毛編みのモコモコさが心地良い。

 昔はこの上から、よくジャンパースカートを羽織っていた記憶がある。

 今は流石に子供っぽすぎるから、着れなくなってしまってるけど。

 下はロングスカート、ジーンズを履く時はあるけど、今日はこっちの気分だったから。

 なので、着衣の乱れを整えて、鏡の前で一回転。

 

「悪くは……ないわね」

 

 何時もみたいにスカートがフワリと浮き、少し心も浮かぶよう。

 今日は、ある意味で大切な日になりそうだから。

 部屋にある時計を見れば、今はまだ朝の五時。

 秒針はゆっくりと、時間の流れを緩やかにして動いている。

 多分、それは今が寒い朝だから……。

 

 部屋で息を漏らすと、白い霧になって部屋を濡らす。

 もうこんなに、と季節の入れ替わりを実感せずにはいられない。

 いま窓を開けたら、きっと気持ちの良いけれど体を凍らせられると錯覚してしまう風が全身を撫でるのだろう。

 流石にそれは御免こうむりたい。

 なので、代わりに洗面所へと向かう。

 そこで顔を洗って、次に朝食。

 何時も通りの朝、ちょっと何時もよりも早い時間だけれど。

 

 そうして、やや寝惚け眼で洗面所へ。

 白の洗面器を前に、蛇口を捻り水をひと掬い。

 やっぱり冷たくて、この雪解け水の様な冷水は私の顔から脳へと直接大声で朝だと告げてくる。

 もう起きてるわよと言い返したいところだけれど、残念ながら水に何を言っても形を変えて受け流されることは請け合いで。

 その代わりに顔を洗えば、揺らいでフワフワしていた意識は、すっかりこの体に定着していた。

 全く、と思わなくもないけれど、代わりに白のタオルでゴシゴシと顔を拭く。

 拭き終わったあとに、冷えた手に軽く息を吹きかけて、手を擦り合わせた。

 やっぱり、冷たいものは冷たく、手から体中へとゆっくり冷たさが広がっていく錯覚すら覚える。

 

 この冬の冷たさは、身を凍てつかせられて、それどころか世界までも永久保存しようとしてるのかと邪推してしまう。

 だって雪は、氷は、陽さえ遮れば永遠を生み出せるから。

 銀世界には一面に白が折り重なって、シンシンと雪が降り積もる。

 そこで動き回れる子がいたとすれば、それはきっと人間ではなくて妖精なのだと私は信じるだろう。

 

 ふと窓から外を見れば、極々普通の晴れ模様。

 私の想像した冷たく冷え切った雪景色はそこにはなくて、太陽の暖かさも微かに感じる事ができる。

 ――だから、

 

「ここに永遠はないのね」

 

 なんて呟いてしまったのは、きっとまだ頭が寝起きのままだったせいなのだろう。

 外にある抜け落ちてしまった木々は、そよ風一つで身震いして。

 でも私は、そんな動いている世界が好きで。

 動かない世界も悪くなんてないのだけれど、今はこちらが落ち着くと感じて、クスリと声を漏らした。

 禿げ上がっている木に、春が来れば芽吹くわよ、と小さく声をかけて。

 私はそのまま台所へと向かう。

 冷たい空気に、ようやく少し慣れながら。

 

 

 季節はもう十二月、振り返れば紅葉は枯葉となり、風に乗って舞い散っていた。

 色とりどりの季節から、白に染まる季節へと変わりゆく季節へ。

 時さえも凍らせてしまいそうな中、私は妖精の様な彼女と出会う――

 

 

 

 

 

「忘れ物無いわね、アリス」

 

「キチンと確認してるから大丈夫よ」

 

 お母さんみたいなこと言うのね、と凛に言えば、彼女は別に、と言うだけで。

 制服を着込んだ凛に、私は手を振る。

 大きくではなく小さく、行ってきますとの声を乗せて。

 

「……行ってらっしゃい」

 

 朝だからか、そんなに大きくない声で凛は告げて。

 赤のコートを翻して、学校への道を辿り始めていた。

 私も茶色のケープコートにマフラーを揺らしながら、凛とは別の方向へ、バス乗り場の方へと向かう。

 キャリーバックを引いて、ゴロゴロと音を立てながら。

 

 

 

 アインツベルンからの招待状、それに私は応じた。

 そしてその日が今日で、故に学校やアルバイトは全面的に休止。

 今回はアルバイトの方には、桜が入ってくれる事になっている。

 学校の方には、唯一身上の都合により、欧州に戻らなくてはならないとしか伝えていない。

 けれど、わざわざ向こうまで戻らないといけない用事なら、と渋々ながら認めてもらっている。

 近々あるテストについては自己責任になるが、と釘は刺されたのだが。

 なので、あとは飛行機に乗って向かうだけ。

 チケットは既にミュンヘン行きのモノがあり、関西空港から飛び立てば十二時間ほどで現地に到着する。

 それからアインツベルンからの迎えが来るらしいから、到着後は私の口先三寸で何とかする他にない。

 

 何を要求されるのか、何を求められるのか。

 どうやってアインツベルンを納得させられるのか、私は何ら解決策を見出してないが、守るべき一線を除いて、基本的には頷いて行くしかないだろう。

 それで、私の目的へと大きく飛躍する事ができるのだから。

 

『関西空港発、ミュンヘン空港行き、810便はただ今離陸します。

 シートベルトを締め、アナウンスがあるまで座席の移動はご遠慮下さい』

 

 さて、そろそろらしい。

 バスと電車、それからまたバスを乗り継いで、ようやくたどり着いた空港。

 忌々しいことに一時間ほどの待ち時間があったが、つつがなく飛行機に乗ることが出来た。

 あとは、この飛行機が向こうに着くのを待ち続けるだけ。

 その間、昨日は夜中に中々眠れなかったし、少しばかり惰眠を貪るのも良いかもしれない。

 離陸する重力の違和感に耐えながら、私はそんなことを考えいた。

 考えて、重力の違和感がなくなった途端、ゆっくりと目を……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇ、セラ、今日お客さんが来るそうね」

 

「はい、お嬢様、お客人というよりはネゴシエーターらしいですが」

 

「ふぅん、どっちでも良いけど。

 ここに来るなら、例えどんな目的を持ってたとしてもお客さんよ」

 

「無礼者はその限りではありませんが」

 

「マナーを弁えてないお客さんは招かれざる客ね。

 ふふ、その時はその時、楽しい舞踏会の時間の始まりよ」

 

「その様な不埒な輩であるのなら、お嬢様の手を煩わせる事も、ましてやお顔をお見せすることもありません。

 ですので、お嬢様におきましても、あまりはしゃがれない様に」

 

「えぇー、そんなのつまらないわ。

 タイクツだもの、そんな時に滅多に現れないお客さん。

 気にならない方が不思議よ」

 

 ベットの上で足をぶらつかせる主に、お付のメイドであるセラは溜息を漏らさざるを得なかった。

 どうにも、アインツベルン家当主であるユーブスタクハイトが、ポロリと要らない事を言ってしまったらしい。

 お陰でお姫様は興味津々。

 稼動早々このお姫様、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンの家庭教師を勤めているセラとしても、些か以上に疲労を感じずにはいられなかった。

 

「それにしても、わざわざこんな所まで、何の御用かしらね」

 

「……わかりかねますが、もしやアインツベルンの技術を盗みに来た野盗かもしれません」

 

「それだったら、おじい様が招待する訳ないでしょう?」

 

「ですが、得体の知れないものであるのは確かです」

 

 警戒は怠らない方が良い。

 そうセラはイリヤスフィールに告げて、優雅に一礼し部屋を辞する。

 それを見送ったイリヤスフィールはつまらなさそうに外を見やり……唐突に、閃いたと座っていたベッドから飛び降りた。

 その顔には、イタズラっけが十二分に混じった笑みがハッキリと示されていて――

 

 

 

 

 

「ねぇリズ、リーゼリット。

 貴方、今はする事ないのよね?」

 

 私はこっそりと自分の部屋を抜け出して、使用人室を訪ねていた。

 目的? 在るわ、とっても重要なのが。

 想像すると、楽しくて愉快なものが。

 

「……何、イリヤ?」

 

 いま使用人室に居るのはリズだけ、他の皆はお仕事の最中。

 だから丁度いいの、リズは私に優しいから。

 ちょっと眠たそうだけれど、それは寝起きだから。

 半日も寝てて、一時間前に起きたばっかり。

 リズはそういう娘だから仕方ない。

 逆に考えて、だからこそ今は私と遊べるもの。

 

「一緒に遊びましょう」

 

「今日はおママゴト?」

 

「しないわ、そんなの。

 今日はリズの趣味には合わせてられないの」

 

「私の趣味だったんだ……」

 

 初めて知ったって顔をして、リズは無表情に呟いていた。

 リズったら、そういう所は無意識で困っちゃうわ。

 でも、そんなリズだから全力で遊んでくれるのだけれど。

 

「今日するのはね、セラやみんなと隠れんぼ。

 ドキドキするし、ハラハラだってするわ。

 それでね、今日来るお客さんに会うの!」

 

「お客さん?」

 

「うん、ここに来るっておじい様が言ってた」

 

「……悪い人?」

 

「分からない、けど会ってみたい」

 

 だからね、と私はリズに手を差し出す。

 一緒に行きましょう? と。

 私と貴女ならやれるわ、と。

 

「イリヤ、会いたいの? どうしても?」

 

「うん、誰だか知らないモヤモヤの人。

 でも、だから顔を見たいの。

 それでね、外の話を聞きたいわ。

 私、何にも知らないもの」

 

「堂々と、会いに行ったら?」

 

「言ったでしょう、おじい様のお客さんだって。

 だからこっそり、バレないようによ。

 バレたらお仕置きされちゃうもの」

 

 無表情のおじい様の顔を思い出すと、今でも溜息が出ちゃう。

 怖いし、酷いから。

 多分、今回程度ならそこまで酷いお仕置きはされないだろうけど。

 

「アハトの耄碌じじい、早く死なないかな」

 

「そんな事になったら、アインツベルンを管理する人がいなくなっちゃうわ」

 

「イリヤに遺産が横滑り、がっぽがっぽ」

 

「嫌よ、面倒くさいもの」

 

「なら、仕方ない」

 

 それに、リズはあまりおじい様が好きじゃないみたいだけれど、私は嫌いじゃないから。

 お仕置きのせいで私に酷いことするって、リズは考えてるみたいだけれど。

 でも、おじい様は色々、教えてくれるから。

 キリツグの事とか、日本の事とか、いっぱい……。

 

「リズ」

 

 色々と想いを絡ませて下からリズを見上げると、リズはくしゃりと私の髪の毛を撫でてきた。

 ……ちょっと、いきなり何してるのって感じだけど、嫌いじゃない。

 でも、絶対にレディにする事じゃないし、どう考えてもリズは私を子供扱いしてる。

 

「リズが頭を撫でられる方よ、私じゃないわ」

 

「イリヤは、可愛いね」

 

「話を聞きなさい、リズ!」

 

 強く言うと、リズは頭を撫でるのをやめたけど、全然反省した顔はしてない。

 だから文句の一つも言いたくなっちゃうわ。

 ……けど、リズは。

 

「じゃあ、イリヤ。

 作戦会議、しよっか」

 

 マイペースに、急にそんな事を言い出して。

 どうしたの? イリヤ、と私の顔を覗き込んでくるのだから、むぅ、と唸るしかなくなっちゃう。

 ズルい、そういうリズの天然なところは本当にズルい。

 

「イリヤ?」

 

「良いわ、今日のところはこれまでにしといてあげる」

 

 しょうがなく、大人の私の方が譲歩する。

 リズは首を傾げていて、やっぱりリズはお子様何だって分かっちゃう。

 だから、寛大な私は許してあげちゃうんだ。

 

「それじゃ、作戦を練りましょう、リズ」

 

 そう言うとリズは頷いて、でも直ぐにこんな事を言い出す。

 

「イリヤが考えて、私は無理だから」

 

「リズったら、しょうがないわね。

 その代わり、私が決めた事にはちゃんと言うこと聞くのよ」

 

「うん」

 

 ちょっと困らせられるけど、リズはどこまでも素直。

 従順な娘は好き、だから私はリズが好き。

 勿論、セラも嫌いじゃないけど。

 

「じゃあリズ、作戦開始よ!」

 

「まだ、作戦決まってない」

 

 リズ……無粋なツッコミよ、それ。

 リズを睨んで、でも言われた通りに作戦も考え始める。

 セラ達の監視を躱しつつ、どうやったら会えるだろうって。

 ちょっと悩んで、ふと顔を上げて外を見やったら。

 

「白いね」

 

 リズが呟いた通りに、白が窓の外は広がっていた。

 この雪は、お客さんを歓迎してるのか、それとも……。

 

「イリヤ」

 

「私は――だと思うな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……腰が、痛いわ」

 

 飛行機から降り、ドイツに一歩踏み出した私の最初の一言はそれだった。

 情緒が無いにも程があるけれど、実際に腰は悲鳴を上げている。

 何時間も座りっぱなしだったツケが、今ここに現れていたのだ。

 こう、重石でも乗せられてるような、背中全体に圧力が掛けられている感覚。

 冬木に来た時も味わったけど、久々のこの感覚との再会に思わず涙が出そうになる。

 無論、悲劇的な意味合いで(人に寄っては喜劇になる)。

 

 けれど、飛行機から降りたらそのまま人の波は止まる事なく、そのまま空港のターンテーブルへと足を運んで。

 私もその波に流されて、腰を労わる暇さえない。

 まぁ結果的に、立ってる間に痛みとはサヨナラを告げられたのは幸運と言わざるを得ないが。

 代わりにキャリーバックと再開し、私はそのまま中央出入り口から外へと向かう。

 片手間にケープコートを着込み、マフラーを巻いてそのまま空港外へと一歩を踏み出す。

 すると……、

 

「これが、ドイツの冬なのね」

 

 想像以上の寒さに襲われ、身震いしながらキョロキョロと辺りを見渡す。

 確か、アインツベルンからのお迎えがあるという話だったから。

 周りを見たところ、まだそのお迎えとやらは来ていない様だ。

 なので適当に、自販機の傍でゲオルグのコーヒーを買って時間を潰し、その間にどんな風に迎えが来るのかと思いを馳せる。

 

 歴史ある大家のアインツベルンのお迎えとは、一体どんなものなのだろうか?

 魔術師の家系は、そもそも機械の類は忌避するものである。

 遠坂の家だって、機械類の類は極めて少ない(生活に必要なライフラインは整えてはあるが)。

 遠坂の家より更に苔の生えてるであろうアインツベルンが、何で来るのかは全く持って想像がつかない。

 よもや、馬車で来るとは思えないが。

 

 考えれば考えるほど、興味が尽きない。

 もしかすると、徒歩で行軍する事になるのか。

 もしそうならば、私としては遺憾の意を表明する他ないだろう。

 仮定の話ではあるが、現実になったのなら地獄だ。

 憶測でモノを言うのは大変に宜しくないが、考えれば考えるだけ、悪い予感は募っていく。

 それこそ、思わず貧乏揺すりをしてしまうくらいに。

 

「……もし」

 

 そんな時であった、私が声を掛けられたのは。

 振り向けば、そこには全体が白の装いで統一された人物の姿。

 白の頭巾にメイド服、あまりにも目立ちすぎる彼女から、強制的に理解させられる。

 つまりは、彼女こそがアインツベルンからの使者であるということを。

 

「アリス・マーガトロイド様で、相違ないですね?」

 

「えぇ、私がそうよ」

 

 首肯すると、彼女は一礼してからこう述べた。

 

「ご足労頂き、ありがとうございます。

 これより、当家へとご案内させて頂きます。

 どうぞ、こちらへ」

 

 彼女は私に付いてくるように促してから、そのまま駐車場へと案内される。

 多くの人混みの中、彼女が気にされないのはメイド服に何らかの魔術が仕込まれているからか。

 流されぬように、誰も気にしない彼女の背中に付いて行く。

 そして彼女が足を止めた先にあったものは……、

 

「ベンツ?」

 

「はい、メルセデス・ベンツ300SLクーペです。

 アインツベルン所有の自家用車。

 この車の色違いも、アインツベルンには保管されています」

 

「そ、そうなの」

 

 正直に言おう、驚いたと。

 まさか、アインツベルンが近代的な車を持っているとは。

 空から馬車できた方が、まだらしいと思えてしまう辺りが恐ろしい。

 ある意味で車で来てくれた方が、常識的ではあるのだが(魔術師的にそれで良いのかは脇に置くとして)。

 思わずこの黒塗りの高級車に、まじまじと見入ってしまう。

 

「どうぞ、お乗りください」

 

 淡々と、彼女はカモメの翼みたいに開いた車のドアの、助手席の方を勧めてくる。

 ……これは、もしかするとスポーツカーなのか。

 目を丸くする私に、彼女は特に反応を見せず、再びどうぞと言う。

 なのでそれに従うように搭乗すれば、彼女は運転席へと座り込み、素早く扉を閉めた。

 そして徐ろにイグニッションキーを回し、エンジンを入れる。

 

「あ、安全運転よね?」

 

「この車には、認識阻害の魔術が掛けられてます。

 ご心配には及びません」

 

「どう言う意味かしら、それは!」

 

 少し語気を荒げると、彼女は私の方を向いて。

 初めて、笑顔を私へと向けた……残念な事に、安心させる類のモノではなく、とっても不敵なものだったけれど。

 

 

「では、参ります」

 

「ちょっと、ねぇ!」

 

 私の抗議はどうにも耳に入ってない様で、思いっきり、何ら躊躇なくアクセルを踏み抜いたのだ……解せない。

 

「ちょ、ちょっと!」

 

「アウトバーンは疾走するのが礼儀ですので」

 

「ふ、巫山戯ないで!」

 

「至って真面目です」

 

「ドイツ人のジョークは笑えないわ!」

 

「? どこがジョークでしたでしょうか」

 

 真面目におかしいのか、窓の外の風景は次々に流れていく。

 まるでテレビの録画を早送りするかの様に。

 パラパラ、パラパラと、気分的にはアトラクション。

 時速100km出ている、メーターの針がそう示している。

 全く持って巫山戯た話、私から出てくるのは悲鳴だけ。

 しかも、運転している彼女はとっても飄々としているのだから、とてもじゃないが納得いかない。

 もっとお淑やかに運んで貰えるものと思っていたのだから、とんだ計算違いといえよう。

 

「叫んでも良いのかしら!?」

 

「錯乱なさりましたか?」

 

「貴方は素でそう言ってるのよね!」

 

「そうですが?」

 

「きっとジェットコースターに乗っても、顔色一つ変えないわ、貴方は!」

 

「アインツベルンのメイドですので」

 

 あまりにトンチキな回答に、私は沈黙しか答えるすべを持っていなかった。

 なので、ひとまず落ち着くように軽く深呼吸する。

 こんな中であまり効果があるとは思えないけれど、気休め程度に。 

 そのお陰か、心なしか落ち着いた気がしたので、ひとまずホッとする。

 そして落ち着いて最初に浮かんできたのは、やはりこの状況に対する不満であった。

 

「普通の車は無かったのかしら……」

 

 主に、スポーツカーではなくて。

 ようやく慣れてきたスピードの中でそう文句をつけると、惚けた顔で彼女は言う。

 それならば、と更に巫山戯た事を。

 

「車はお好きではないのですか?

 ならば、クラウザー・ドマニ1100cc ssiでお迎えに上がれば良かったですね。

 アウトバーンでならば、時速200kmで走れます」

 

「真冬のドイツでそんなスピードで走ってみなさい、それだけでシベリアな気分になるわ」

 

「えぇ、ですので車でお迎えに上がりました」

 

「スポーツカーでしょう……普通の車は?」

 

「メルセデス・ベンツはれっきとした車です。

 よもや、Ⅳ号戦車で来る事をお望みでしたか?」

 

「普通の車って言ってるじゃない!」

 

 そもそも、なんで魔術の大家であるアインツベルンが車だけでなく戦車など持ち合わせているのか。

 自動車大国のドイツだから、魔術師もそれに合わせて近代化したとでも言うのか。

 全くもって謎だし、疑問は募るばかり。

 溜息が溢れるが、残念ながらお隣には全然聞こえてない(むしろ意図的に無視されている感がある)ので、幸せに足を生やさせ逃がしている様な不毛な感覚に襲われる。

 

「アインツベルンは随分と車好きなのね」

 

「はい、歴代のお嬢様方の趣味ですので」

 

「多彩なご趣味ね、それは」

 

「全くもって」

 

 皮肉混じりに言っても、全く通用しない。

 あと、そこなメイドの趣味も、絶対に反映されている。

 でなければ、こんなにノリノリな筈は無いのだから。

 

「そろそろ減速してます」

 

「それはまた急ね」

 

「アウトバーンを抜けて、外れた道を通りますので」

 

「そう、ようやく……」

 

 言葉通り、加速が止まなかった車は、徐々に外の景色を早送りでなくありのままで映し出し始めた。

 それを確認すると、色々どっと虚脱してしまう。

 恐らく今の私は、どこか遠い目をしている事だろう。

 過ぎ去った先程の事を考えれば、機内食とご対面しなかった事が奇跡的な事象に感じて仕方がない。

 できればそういう事態は、一人の女の子としては避けるに越したことはないので、大いに結構なのだが。

 

「おや」

 

「何かしら?」

 

 急に彼女が声を漏らしたので、何事かと思ったが、その疑問は即座に解消される。

 一目瞭然、というのが一番正しいのだろう。

 だって、窓の外には、風に乗って舞い散っているモノがあったのだから。

 

「雪……」

 

「はい、どうやら降り始めて来たようですね」

 

 降り始めの、穏やかな雪。

 積もるかどうかは分からないが、見ていて目が離せなくなる。

 思えば、ブクレシュティで見る雪も、そんな気持ちにさせられた。

 幼心で見た時も、一人空を見上げた時も、気性こそは変われど、その純白さは変わる事なくそこにあり続けた。

 だから、いま雪を見ても、同じ気持ちになるのだろう。

 

「雪は、お好きですか?」

 

「え?」

 

 そんな私に、彼女は急に声を掛けてきた。

 急に、そんなロマンチックさを感じる質問をされるなんて、考えていなかったから。

 振り返れば彼女は無表情で運転していて。

 けれども言葉に、いま降り始めた雪の様な柔らかさを感じたから。

 

「ん、見てる分にはね。

 触ると、冷たくて吃驚してしまうもの」

 

「そうですか」

 

 ごく自然に、私は返事を返していて。

 彼女も、素っ気ないけれど、僅かに口元を緩めて言葉を返してくれたのだった。

 まじまじと不躾な視線を彼女に寄越せば、それだけで察してくれたのか、短く言葉をくれる。

 

「今代のお嬢様は、雪が好きな様ですので」

 

「お嬢様って、アインツベルンの?」

 

「はい、お嬢様にとって、雪とは馴染み深いモノがあるのでしょう」

 

「積もるものね、ドイツの雪は」

 

「お陰で毎年の雪掻きは大変でした」

 

「今年もきっとお疲れ様」

 

 からかうニュアンスを持たせての言葉に、彼女は返事をくれなくて。

 その代わりに、饒舌になっていたそのお嬢様の事が、きっと大切なのねという事だけが伝わってきた。

 アインツベルンのお嬢様、そんな人がいると聞けば何時もの好奇心と名付けられた猫がひょっこりと顔を出すのが私の悪癖。

 

「会えるの?」

 

「お嬢様にご用事はないでしょう」

 

「そうね、でもそれこれは可分できなくて?」

 

「ご当主様が決める事ですので」

 

「そう……」

 

 ならば、アインツベルンの翁に、私的なお願いとして尋ねてみよう。

 もしかすれば、会わせて貰えるだろう。

 出来ないと言われるのなら、それまでだろうが。

 

「それよりも」

 

「何よりも?」

 

 左手の人差し指で、前の方を軽く指さす。

 なので前を見てみれば森が広がっており、その中へと続く道は車が何とか通れるほどの車道だけ。

 しかも、どうにも森全体に人除けの魔術が張り巡らされてる。

 大規模な魔術、魔力が感知できる人物ならば、ある意味で悪目立ちしそうではあるが、逆にこれ程のモノになると侵入者があれば直ぐに探知できるであろう。

 そういう意味では、この結界はアインツベルンの自信の表れとも見える。

 

「立派なものね」

 

「この程度の施設、大家であるアインツベルンにとっては造作もない事です」

 

 事も無げに言われれば、こちらとしてもそれ以上何かを言おうとする気にもなれない。

 そうね、と短く返して、同じ風景が続く森へと視線を走らせた。

 

 冬のせいか、鳥一羽見つからない森。

 けれど、時々小動物、リスや兎が顔を出す。

 ……本来は、冬場では殆ど見かけなくなる動物達が。

 

「あれは?」

 

「ご当主様が作られた人工生物です。

 同時に使い魔でもあり、この森の監視の任務に従事しています」

 

「結界があるのに?」

 

「もしも、結界が破られた時の備えです。

 その他にも、お使いには便利な子達ですから」

 

「そう、勤勉なのね」

 

「アインツベルン製ですから」

 

 その物言いに、思わず苦笑してしまう。

 老舗の意地を感じさせられるモノであるし、絶対の自信を感じたからでもある。

 流石のアインツベルンと言えば良いのか。

 

「そろそろです」

 

 そんな私の思考を遮って、彼女が告げる。

 森の続いた光景は、遂にその果てへと至る。

 正面から見える景色は、段々と拓けて、そして……。

 

 ――ハッと、息を飲む風景が目に飛び込んできた。

 

 雪降る古城、寓話の箱庭。

 私の想像していた、いや、それ以上の偉容。

 千年の積み重ねの幻想とも言えるそれに、彼女は事もなさげに到着です、と告げたのだ。

 

 遠き日に、置き去りにされた場所――アインツベルン城。

 古錆びた城は、雪に寄って白亜に染め上げられているようにも見えた。




本当はイリヤと会うまで進めたかったけど、キリが良かったので区切りました。
あと、迎えのメイドさんは名無しのメイドさんで、今月に引退予定とかいう脳内設定があったりします(どうでもいい話)。


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第35話 雪の妖精の足音

お久しぶりです、皆様。
先月は何故か暇人な僕が忙しくて、更新が出来ませんでした、すみませんでした……(白目)。
リハビリ中みたいな文章ですが、ご堪忍下さい。


 まるでお伽話のお城、寓話の世界。

 それが、私がこの城に抱いた感想。

 けれど、いざ車から降りてみるとその迫力は否が応でも感じずにはいられない。

 積もるであろう雪の中で泰然とある城は、無言ではあるが実に雄弁さを感じさせられて。

 逆にこちらが饒舌になってしまうであろう有様、気分的にはお上りさんのそれ。

 それだけの現実感が質量としてそこにあり、私はこれが現実にあるのだと理解させられる。

 

 そんな私に対して、彼女はそっとお城の扉を開けた。

 どうぞと、私に中に入ることを進めるのだ。

 思わず見蕩れてしまう程に荘厳な城であるが、彼女に言われて気がつく。

 自分の手が、とても冷たくなっている事に。

 勿論手だけでなく、他の場所も冷えつつあり、耳などは痛さすらも感じる。

 なので堪らず、彼女の言に一も二もなく飛びつき、そのまま誘われるがままに古城へと足を踏み入れて。

 

「ようこそ、当家へといらっしゃいました。

 アリス・マーガトロイド様ですね、歓迎いたします」

 

 ――現れたのは、私を運んでくれた彼女と、同じ顔。

 

 空気が、凍った気がした。

 白の肌にメイド服、立ってる姿にそこにある在り方まで。

 寸分違わず、同じのモノに見えたのだ。

 

 隣を見やれば、やはり彼女は無表情で沈黙を貫いている。

 双子かと思ったが、それを超えた所での同一性を感じてしまう。

 持っている個人としての雰囲気は違うのに、どうしても恣意的な画一性がそこには確かに存在していた。

 そう、例えば……工場で量産される人形の様な。

 

「どうかされましたか、アリス・マーガトロイド様」

 

 しかし、そこで私の思考は中断される。

 無言の沈黙を続ける私に、ツンとした雰囲気を纏っている彼女は、事務的に私のフルネームを呼ぶ。

 探る様に、露骨に怪しむ様に。

 私の中身を、瞳を通して覗こうとしているかの如く。

 

「いえ、ビックリしただけよ」

 

「……当家が、アインツベルンが、錬金の大家だと伺ってお出でですか?」

 

「えぇ、聞いているわ」

 

「そうですか、ならそういう事ですので」

 

 何がそういう事なのか、それを聞くほど私は鈍くは無かった。

 要するに、驚くべき事に、この目の前に居る彼女達は……。

 

「ホムン、クルス?」

 

「その通りでございます」

 

 思わず、目の前の彼女と、迎えに来てくれた彼女を見比べてしまう。

 同じ顔、同じ造形、同じ構造、見事なまでに重なっている。

 だが、迎えに来てくれた彼女と言えば……。

 

「アインツベルン製ですので」

 

 無表情ながら、何故か自慢げにそんな事を口ずさむ。

 そのお陰か、自然と白い息を吐いてしまう。

 ここまで完璧に等質な鋳型でも、その中身は違う中身が注がれているのだと、自然と実感できたのだから。

 

「無駄口が過ぎますよ」

 

「誇りは大切、誇るべき場面も」

 

「客人の前です、弁えなさい」

 

 朗々とした自慢げな彼女に、気難しそうな彼女がぴしゃりと声を張る。

 それだけで、シンとした空気が場に満ちた気がした。

 静かというよりは厳かな、この場所が千年を超えて存在する異界である事を思い出させるように。

 

「……お役目御苦労、下がりなさい」

 

「心得た、後はよろしく」

 

 彼女達はそれだけの言葉を交わし、空港から一緒だった彼女はこの場より退去する。

 その去り行く背中は、何故だか儚い様にも見えて。

 不安が胸に過り、気が付けば私は言葉を投げていた。

 多分、不安を払拭しようとした、明るい言葉を。

 

「ありがとう、ここまで助かったわ」

 

 静かで、冷えた空間。

 意図しなくても響く声に、彼女はゆっくりと振り返って。

 

「私の方こそ、その言葉で送って頂けるなら、これ以上の喜びは無いでしょう」

 

 ゆっくりと、微笑み返す。

 白と、静けさの間の静寂。

 何故だか、余計に彼女の儚さが増した気がした。

 

「ねぇ――」

 

「アリス・マーガトロイド様」

 

 そんな彼女に更に声を掛けようとしたが、別の方角から彼女と同じ声が飛んできた。

 淡々としている様で、だけれども境界線を私と彼女の間に設けた声。

 振り向けば、無表情ながらに鋭利さを舌に乗せている彼女の立ち姿。

 

「こちらへ、部屋までご案内申し上げます」

 

 丁寧ながらも有無を言わせぬ口調。

 一語で形容するならば、慇懃無礼と言わざるを得ない彼女に、私はそれ以上の言葉を紡ぐ事は出来なかった。

 ただ、会釈を一つ、彼女に私はして。

 再度促してくる苛立たしげな彼女に、私はようやく着いて行くことにしたのだ。

 

「悪いわね」

 

「いいえ」

 

 無限と続く様に思える瀟洒で静かな廊下の道中。

 そこでの彼女は、言葉とは裏腹にどこか陰がある声。

 ここまで案内してくれた彼女とは違い、つっけんどんな彼女は私を露骨に警戒している。

 もっと言うなれば、不審な目を隠そうともしていない。

 もしかすると、私は彼女にとってこのアインツベルンの城にコソ泥にでも来たように見られているのか。

 だとしたら、心外という他言葉を持てない。

 

「私は話し合いをしに来たの。

 趣味の悪い真似なんてしないわ」

 

 牽制を交えて彼女の背中に声を投げると、静かに足音無く歩いていたその足が止まる。

 そして一言、

 

「私は、一介のメイドでございます」

 

 それだけ言うと、再び歩を進め始める。

 何処までも突き放した言葉、語る言葉を持たないと言う事だろう。

 ここまで言われると、私としても言葉を返そうとは思えなくて。

 さっきまでの様な静寂さに、少量の気まずさをブレンドしての歩み。

 堪らずに肺から吐息が漏れてしまったのは、きっと私の不満の表れ。

 白い気体は、ゆっくりとその場に溶けて行くのだった。

 

 

 

 

 

「こちらのお部屋でお待ちください」

 

 そう言われて案内されたのは、整頓された明るい部屋。

 シンプルだが些かに大きめなベッドが目立っていて、小物類は少ないが良く気遣われて手入れがされている事が分かる。

 正直、ここまでの彼女の扱いからして、もっと酷い部屋に案内されるんじゃなどと想像していただけに、これは正直に言って想像以上であった。

 一応は、客人であるという事を認識してもらえてる様だ。

 

「どれくらいここに居れば良いのかしら?」

 

「ご当主様の準備が整うまでです」

 

「そう……」

 

 けれども、冷たい彼女の口調は変わらず。

 最後まで打ち解けられず、途中からは無言の空間を作り出してしまった事を思い出すと言葉数は少なくなってしまう。

 何て言葉を掛ければ良いのか、少なくとも今下手に言を弄ると余計に不興を買う事だけは分かっている。

 なら、と去ろうとする彼女に、必要な事を一つ尋ねる事にした。

 距離を詰める為の、第一歩を。

 このままで終わるには、ちょっと悔しかったから。

 

「では、私はこれで――」

 

「貴女、名前は?」

 

 やや不躾に、私は尋ねる。

 余計な言葉を付け足していると、するりと逃げられてしまいそうに感じた故に。

 

「必要ありません」

 

「識別は必要でなくて?」

 

「言ったはずです、一介の使用人に過ぎないと」

 

「えぇ、言っていたわね。

 なら、名を尋ねられて断るのは、無礼ではないかしら?」

 

 やや卑怯な物言いで彼女に尋ね返すと、十秒程の沈黙の後に声が聞こえた。

 明瞭だけれども、極力感情を排除した声で。

 

「……セラと、お呼び下さい」

 

 それだけ、告げられた。

 気のせいか、どこか強がっている様にも聞こえたのは私の偏見なのか。

 それを確かめる間もなく彼女、セラはこの場を後にする。

 残された私は少しの満足感と共に、そういえばと思った事があった。

 結局、私をアインツベルン城まで連れてきてくれた、彼女の名前は……。

 

「結局、何だったのかしらね」

 

 聞けなかった事を残念に思うしかなかった。

 だって彼女とは……何故だか、また会える気がしなかったのだから。

 思わず溜息を吐くが、部屋の中は暖かくて、息は透明なまま。

 代わりに、窓から見える風景は、森を一面染め行く白一色。

 私は頬杖をついたまま、その風景を眺めていた――

 

 

 

 

 

「リズ、今度こそ作戦開始よ!」

 

「お客さんは、来たの?」

 

「来たわ、そうじゃなきゃこんなに騒がしくないもの」

 

「静か、だよ?」

 

「人じゃないわ、雪が騒いでるの」

 

「へー……」

 

 リズの望洋とした目は、白色の感情のまま。

 だけど、私の言ってる事はキチンと聞き届けてくる。

 今日も、私の共犯者になって、遊んでくれてるんだから。

 

「セラは多分お出迎え、急いでたから。

 だったら、いわゆるスキアリ! って奴なの。

 おじい様が言ってたわ、日本人は隙があると襲い掛かってくるって」

 

「お客さん、襲うの?」

 

「違うわ、セラの隙を突くの。

 絶対に見つかっちゃダメよ、リズ。

 見つかったら最後、セラにとっても酷いお仕置きをされるわ」

 

「それは、ヤだね」

 

 リズが頷くのと一緒に、座ってたベッドから降りて、ワクワクに胸を高鳴らせる。

 お客さんってどんな人? 変なおじさん? それとも時計塔の魔術師? もしかすると人間ですらない?

 考えたら、リズに早くって急かしたくなっちゃう。

 でも、急ぎすぎるとこわーいセラに見つかっちゃうから、気をつけなきゃいけない。

 

「絶対に見つかったらダメなんだからね!

 それじゃあリズ、行くわよ」

 

「うん、行こっか」

 

 二人で、そっと部屋を出る。

 誰もいない、無人の廊下。

 でも、みんな足音なんて立てないから、どこからどう現れるかなんて分からない。

 ……分からないけれど、でも。

 

「きっと行けるわ、出会うべき時ってあるもの」

 

 ピーターパンがウェンディと出会うように、ラプンツェルが王子様と出会ったように。

 出会いはどこにでも落ちていて、それを拾えるかが重要なのよ。

 だから私は、お客さんに会いにいくの。

 今日がその出会うべき日であるって、どこかの記憶が囁いているから。

 

「イリヤには、分かる?」

 

「分かるわ」

 

 迷いなく、廊下の赤い絨毯を歩んでいく。

 真っ直ぐな一本道、もし誰かがいたら、隠れる場所なんてない。

 けれど、迷ってなんか全然ない。

 何だか良く分からないけど、とってもワクワクしてるもの。

 この道の先にいるお客さんに、どんな顔をしているのかを見てみたい。

 お話して、どんな人か知ってみたい。

 それでもし、気に入ったら……。

 

「おじい様のお客さんってところが、問題ね」

 

 そもそも、そんなに好きになれる相手は居ないし。

 もしかしたらの暇潰し程度の考え、お人形遊びにしかならないと思う。

 会わない内にこんな事を考えてるなんて私、お客さんにかなり期待してる。

 

 なんて、考えている時の事だった。

 リズが、私の袖を引っ張る。

 何? と振り向けば、小さな声でリズは言う。

 

「来るよ」

 

「分かったわ」

 

 それだけ答えて、曲がり角を睨みつける。

 誰か、来る。

 鋳型が同じリズだから分かるんだ、同じ娘が来てる事が。

 

「どうする、イリヤ?」

 

「考えてあるわ、安心して、リズ」

 

 そう言って、余裕を持って私は同じ方向に歩いていく。

 コツ、コツ、コツと足音を響かせながら。

 そうして、曲がり角でバッタリ。

 

「これはお嬢様、何か御用でしょうか?」

 

 少し目を見開いて、目の前の見回りに来た娘は驚いてる。

 お客さんが来てる日に、私が部屋を出ているなんて思わなかったのね。

 好都合、と私は彼女としっかり視線を合わせる。

 

 ――瞬時に、私は魔術回路に火を灯した。

 

「貴女は何も見てないわ、そうよね?」

 

「……はい、何も見ておりません」

 

 ガラスの様な彼女の目を通して、私は彼女の中に語りかける。

 内から外に、響かせる様に。

 

「そう、だったら早く仕事に戻りなさい」

 

「はい、失礼いたします」

 

 どこかボヤけた目で、彼女はフラフラとこの場を去る。

 足取りは確かだから、問題なんて全くない。

 つまり、これで正解なのよ。

 

「……イリヤ」

 

 ムフッと乗り切った事に対して会心の笑みを浮かべていたら、何時の間にかリズが近くにいて。

 ジーッと、何か言いたそうに私の目を覗き込んでいた。

 

「何よ」

 

「イジワル、ダメ」

 

「虐めてなんか無いじゃない!」

 

「ダメ」

 

 断定口調にムッてするけど、でもリズの言うことも少し分かる。

 私達はおんなじなんだから、あんなのしなくてもって事でしょう?

 でも、と言い返そうとすれば、リズは更に深く私の目を覗く。

 同輩に問答無用すぎるって、何より目が語っていた。

 こんな事、してる時間が勿体ないし……。

 

「分かったわ、気を付けるから」

 

「ん」

 

 取り敢えず、口約束。

 本当はしたくなかったけど、私も無闇にあの子達を傷付けたりなんかしないし。

 それに、約束を破る事はイケナイ事だから、多分これからもしっかりと守っていくと思う。

 

「じゃ、行こ?」

 

「……リズってば、本当にマイペース過ぎるわ」

 

「私もイリヤ、だから」

 

「どう言う意味よ、それ!」

 

「そう言う意味、かな?」

 

「もぅ!」

 

 全く意味の分からない事を言うリズ、本当に困った娘。

 だから答える代わりに、私は足早にこの廊下を進んでいく。

 リズ相手には、あんまり酷い事を言う気にもなれないから。

 

「リズ、リズの方がイジワルよ」

 

「イリヤがイジワルしたら、私もそうなる」

 

「さっきから適当な事ばっかり言ってる」

 

「事実」

 

「違うわ」

 

「違わない」

 

「……もぅ」

 

 リズは頑固、一度言い始めた事は中々撤回しない。

 これ以上何か言おうと、私の方が正しくても、リズは意見を曲げない。

 リズは、他の娘と違って、私に優しいけど従順じゃないから。

 別に、それは良いけど。

 ただ、何か面白くない、だから足早になっている。

 

「拗ねた?」

 

「リズ、口を慎みなさい!」

 

 でも、わざわざ止めを刺されるような事を言われると、やっぱり怒っちゃうけど。

 ぷいっとリズの方を、しばらくの間、私は振り返る事はなかった。

 ……ちゃんと、ついて来てくれてるのは分かっていたから。

 

 

 

 

 

 ホムンクルス、人の手によって形作られた人型。

 そう言う意味では人形も同じだけど、一つ違う点を挙げるとすれば、それは彼ら彼女らが受肉しているという点。

 人形には伴っていない生の肉体、人間と遜色ない、時には超える様に鋳型を整えられてすらいる。

 人の手で人をデザインするという、神を冒涜しかねない大いなる試み。

 多くの錬金術師達が挑戦し、成功したのは五大元素(アベレージ・ワン)の使い手であるパラケルスス一人のみであるというのだから、それを成すのがどれほどに過酷なのか、想像に難くない。

 だが、このアインツベルンという家は何代も前から、それこそパラケルススが生まれるずっと前から、その大事業に取り組んでいる。

 

 なら、とも私は考えてしまう。

 鋳型に沿って素晴らしい肉体が出来たとして、それに見合う様な魂は一体どうやって吹き込んでいるのか、と。

 ホムンクルスとは、そこまでやってようやく稼動するのだ。

 でなければ、単に肉体を持った自動人形(オートマタ)に過ぎないのだから。

 

 では、その方法とは?

 案内された部屋で、ポツンと一人いる私の、暇潰しそのものである推測。

 ホムンクルスには前々から興味を持っていたので、ある意味でこの思考はそれを掘り下げているとも言える状況。

 例え、私一人では答えの返ってこないモノだとしても、これはこれで嫌いではなかった。

 こうして考えるのも、私は結構好きなのだ。

 普段は、それよりも外の方に出歩いている方が、楽しくはあるのだけれど。

 なんて、そんな無体を考えていた、空白の時間での事。

 

 ――急に、何かが駆けてくる音がした。

 

『リズ、急いで!』

 

『イリヤ、騒いでいたら聞こえる。

 セラは、地獄耳』

 

『リズが言ったのよ、私にあーゆーコトしちゃダメって!

 だから私は、こうして急ぐしかないんじゃない!』

 

 賑やかな声をも伴って、心なしか段々と私の部屋へと近づいている。

 それも、結構足音を響かせて。

 何だか、この部屋に向かってるようね、と感じて。

 

 そして、それは見事的中する。

 バタンと、勢い良くドアは開けられたのだ。

 

「リズ、直ぐに閉めて!」

 

「了解」

 

 入ってらすぐ、扉を閉めて部屋へと転がり込む。

 何事かと侵入者を見てみれば、メイドに小さな娘の二人組。

 女の子の方は、走ってきたのであろう事が分かるくらいに息を切らして、その場にへたり込んでいた。

 それをメイドの方が、甲斐甲斐しく背中を摩って落ち着かせようとする。

 見ていれば、二人が主従というのが何気なく理解出来る。

 お互いが、それを当たり前として行動しているのだから。

 半ば脳が思考停止しながら、ボンヤリと主従二人を眺めていた私だけれど、一段落着いたのであろう。

 ゆっくりと、へたり込んでいた彼女が立ち上がった。

 長くて白い髪に見えなかった顔が、ゆっくりとこちらを向く。

 

 ――思わず、息を飲んでしまった。

 

 完成された造形美の様で、それでいて未完成である幼さが存在している。

 矛盾していて、でも正しいと思ってしまう存在感。

 あぁ、彼女こそが――そんな感慨さえ、私は覚えてしまって。

 

「こんにちは、妖精さん」

 

 微笑みながら、立ち上がって彼女に話しかけていた。

 親しみを込めて、できれば彼女には好かれたいと思いながら。

 

「貴女が、お客さん?」

 

「そう、この家の当主に招待されたの」

 

「へぇ、貴女が……」

 

 彼女は小さく呟くと、私の顔を覗き込む。

 一歩ずつ近づきながら、ジロジロと擬音が聞こえてきそうな程に。

 ちょっと楽しげで、いたずらっぽい笑顔を浮かべながら。

 

「何かしら?」

 

 少し背中がゾワゾワしたので尋ねてみても、彼女は無言のまま。

 でも、近づいてくるのだけは止めなくて。

 一歩下がろうとしたところで、彼女はその歩みを止めた。

 丁度、下から上へ私の顔を覗き込める位置。

 かなり近い距離、背伸びをしたらおでこをぶつけてしまうかもしれない程に。

 

「ち、近いわ」

 

 あれだけ綺麗な顔が近くにあって、まじまじと私を見ている。

 そんな状況にむず痒くなり、またも一歩後退しようとしてしまう。

 小悪魔チックな表情が、可愛いけれども実に憎らしい。

 でも、彼女は……。

 

「逃げたらダメなんだから」

 

 そう言って、下がろうとしていた私の手を掴んでしまう。

 少しヒンヤリしている、小さな手で。

 

「何、かしら?」

 

 さっきと同じ言葉を、吃りながら尋ね返すと、彼女は答えの代わりにこんな問いを寄越した。

 腰に手を当てて、それでいて私の顔を覗き込みながら。

 

「ねぇ、貴女。

 名前を教えてくれないかしら?」

 

「……アリス・マーガトロイド」

 

「ふーん、不思議の国から来たの?」

 

「私にとっては、このお城こそ不思議の国よ」

 

 そう答えると、彼女はキョトンとした表情を浮かべた後に、クスクスと笑い始める。

 自分達の特異性に気が付いたのか、単に洒落が利いていると思ってくれたのか。

 どちらにしても、反応としては悪くないものだ。

 だからなのか、彼女は一歩退いた。

 そうして、優雅に礼を一つする。

 さっきまでのいたずらっ子の彼女は擬態だったかの様に、淑女を絵に掻いた様な流麗さで。

 スカートの両端をチョコンと上げて、そのまま頭を下げる。

 

「お初にお目にかかるわ。

 私はイリヤスフィール・フォン・アインツベルン。

 会えてコウエイよ、アリス」

 

「えぇ、こちらこそ。

 よろしくお願いするわ、イリヤスフィール」

 

「うん!」

 

 手を差し出すと、彼女、イリヤスフィールは躊躇なく握り返してくれた。

 やっぱりヒンヤリとしていて、だけれども何だか暖かさが篭っている手。

 それが子供特有のモノなのか、それともこの娘が特別なのか。

 全く持って謎ではあるけれど、私はこの娘の手は嫌いじゃなかった。

 柔らかくて、小さくて、それでいて綺麗。

 ずっと握っていたくなる魅力が、そこにはあるのだから。

 

「……何でにぎにぎしてるの?」

 

「形を確かめてるのよ」

 

「何で?」

 

「気に入ったからかしら」

 

「私の手が、そんなに良いの?」

 

「綺麗だもの」

 

「変なの」

 

「そうでもないわ」

 

 そうして手に握り続けていると、イリヤスフィールも許してくれたのかそのまま特に文句を言う事もなかった。

 なので、そのまま一分程、彼女の手を握り続けたのだった。

 

 

「ん、ありがとう」

 

「もう良いの?」

 

「十分、良く分かったわ」

 

「手の形が?」

 

「そう」

 

 そうしてイリヤスフィールの手を話すと、彼女は自分の手をジッと見ていた。

 もしかすると、自分の手が綺麗な事を今まで知らなかったのか。

 もしそうだとしても、飾り付けたりする必要なんて感じないくらいだけれど、と内心で評価を下していると、イリヤスフィールは手から顔を上げて、そして言う。

 

「アリスの手は、暖かいね」

 

「そうかしら?」

 

「うん、何だか懐かしいわ」

 

 何が懐かしいのか、なんて思ったが、どこか遠いところにイリヤスフィールは想いを馳せているようで。

 迂闊に声が掛けられず、代わりにといった感じで、私はイリヤスフィールの傍にそっと控えていた彼女に声を掛ける。

 

「貴女は……」

 

「イリヤのメイドの、リズ。

 リーゼリット、よろしく」

 

「えぇ、よろしく。

 リズって呼んでも良いのかしら?」

 

「うん、大丈夫」

 

 見た目は今まであった二人のメイドと一緒の彼女は、けれども中身まで一緒ではないらしい。

 ゆったりとした口調で、それでいてタメ口。

 他のメイド達とは違っていて、けれども不快さは全く持って感じない。

 何故かなんて分からなかったが、彼女は独特のテンポを持っているんだと、それだけは理解できた。

 

「貴女は、イリヤスフィールのメイド?」

 

「そう、イリヤのメイドさん。

 今日は、謎に満ちたお客さんに会いに来た」

 

「私が来た目的までは知らないのね」

 

「イリヤにとって悪い事?」

 

「アインツベルンとしてはどうか分からないけれど、イリヤスフィールに害意を持ってる訳じゃないわ」

 

「なら、良い」

 

 それだけ聞くと、リズは黙り込んでしまう。

 それ以上は、聞くことも無いと言いたげに。

 だから私は、彼女はイリヤスフィールのメイドで、アインツベルンのメイドでは無いのかもしれない。

 そんな事を考えて、リズはイリヤスフィールの事が大好きなのね、という事だけは伝わってきたのだ。

 

「そういえば何だけれど、貴女達はどうして――」

 

 私の所に来たのかしら?

 そう続けようとした私の言葉。

 けれども、その言葉は遮られる事となる。

 急に近づいてきた、このお城らしからぬ足音によって。

 

「イリヤ」

 

「……もしかして、セラ来ちゃった?」

 

「みたい、結構怒ってる」

 

「不味いわね」

 

「どうする?」

 

 ひどく渋い顔を浮かべるイリヤスフィールに、変わらず淡々としたままのリズ。

 何がなんなのか分かっていない私に、イリヤスフィールは素早く、けれども小さな声で私に尋ねた。

 

「ここ、隠れても良い?」

 

「別に良いけれど……どうして?」

 

「細かい説明は後で、今セラに見つかると不味いの!」

 

 それだけ告げると、イリヤスフィールは慌ててリズを引っ張って、クローゼットの内側へと篭城してしまう。

 陥落させるには、内通か居場所を看破するかの二択のみ。

 勿論、後が怖いから売り飛ばすのは以ての外なのだけれど。

 

 そうして、部屋に堂々と姿を晒しているのが私だけになった時の事。

 トントントンと、規則正しく三回扉を叩かれる。

 どうぞ、と言えば、失礼しますという声と一緒に入ってきたメイドが一人。

 ……私を案内してくれた、あの不機嫌な彼女だ。

 

「ご休憩中のところ、誠に申し訳ございません。

 不躾で大変恐縮ですが、この部屋にお嬢様、小柄な体格の気品のある女性が尋ねてこられませんでしたか?」

 

 入ってきて早々、彼女はその様に捲し立てた。

 急いでいるというか、焦っている。

 私が答える前から、キョロキョロと部屋を見回っているのだから、本気で探し回っていると見て間違いはない。

 なので、私もそれに合わせて手早く答える。

 

「見てないわね」

 

 私が見たのは、整った顔立ちの、だけれども小悪魔っ子な美少女だから。

 ……我ながら、かなり苦しい詭弁ではあるが、そこは目を瞑っておこう。

 そして彼女は、切羽詰っているのかその答えを聞いても疑問を浮かべることなく、この部屋からありがとうございますとだけ言って退出しようとする。

 そんな彼女に、悪いと思いつつも、私は背中に声を掛けた。

 個人的に、気になった事を。

 

「私とそのお嬢様が会うのは、何か問題があるのかしら?」

 

 尋ねて振り返った彼女はかなり煩わしげな顔をしていたが、一言だけ返事をくれる。

 やはり、ちょっと陰が乗った声で。

 

「お嬢様は、何もかもが白く御座いますので」

 

 それだけ告げると、部屋の扉を静かに閉めて、だけれども足音を響かせながら走り去っていった。

 ……後に残った私が感じた事は、納得いかないという感情であったのは、何とも言い難い心のしこりであるのだが。

 

「墨に近づけば黒く、朱に交われば赤く、とでも言いたげね」

 

 全く、と溜息を吐くしかなかった。

 どうにも、私は病原菌か何かの様に扱われている様でならない。

 彼女との今までの会話を思い出すと、どうやら本拠地であるアインツベルンの城に乗り込んできてしまったのが既に不快である様だが。

 

「招待状を送ってきたのは、貴女達のご当主でしょうにね」

 

 少し皮肉げな独り言を言ってしまうのも、致し方ないだろう。

 流石に、理不尽と思えてしまうのだから。

 

「セラは頑固」

 

「そうね、頭に石でも詰められてるわ。

 猟師でも、きっと取り出せないの」

 

「赤い頭巾は何処なのかしらね」

 

 急に聞こえてきた声に、私は呆れた声を出してしまった。

 振り向けば、クローゼットから出てきた二人がしたり顔でさっきの彼女について話している。

 恐らくは、何時も彼女の手を焼かせているのだろう。

 さっきは我慢できずに愚痴を漏らしてしまったが、ちょっと同情してしまう。

 何時も鬼ごっこをしているのだとしたら、かなりの重労働に違いないのだから。

 

「ところでイリヤスフィール」

 

「イリヤで良いよ、長いでしょうし」

 

「そう、それならイリヤ。

 聞いても良いかしら?」

 

「良いわよ、どうかしたの、アリス」

 

 鬼ごっこしている彼女に、お引き取り願ったのだ。

 だったら、それ相応に理由があると思いたい。

 そう考えて、私はイリヤに、どうして、と尋ねる。

 きっと、彼女も私に何か用事があっただろうから。

 

「イリヤは、私と会って何をしようと思っているのか、教えて欲しいわ」

 

 ジッと、イリヤのルビーの様な宝石みたいな目を見つめる。

 見つめていると、段々と魅入られてきそうな、魔性の瞳を。

 

「あ、えっと、ね。

 それ、なんだけど」

 

 すると、さっきまで勢い良かったのはどこへやら。

 急に、しおらしくなって、モジモジとし始める。

 何とも可愛らしい仕草に釘付けになっている私に、イリヤは潤んだ瞳で私を見上げて。

 

「こんなこと言うと世間知らずって言われちゃいそうなんだけど……聞きたいの、外のこと」

 

「外?」

 

「うん、そう。

 私、外には出たことないから」

 

 精々、この森林を出歩くくらい。

 それだけ漏らすと、イリヤは答えを求める様に私の目を見つめ返してきて。

 色々と、私としても胸にくる仕草であったのは、確かである。

 だから、自然と答えも優しいモノになっていて。

 

「良いわ、色んなことを聞かせてあげる」

 

 そう、不安げなイリヤに、笑顔で私は答えていたのだった。




イリヤ登場!(話が進むとは言ってない)
少し前のFGOの魔法少女イベントで、1万円外道錬金でイリヤちゃんを召喚したせいか、stay nightのイリヤがどんなんだったかが中々思い出せない不具合。
これも全部、魔法少女とかいう業の深い彼女がいけない。
この世界線でルビーを遠坂邸より引っ張ってきたら、ルート分岐する可能性が微レ存……?


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第36話 混じり合う思惑

先月は更新できなかったので、何とかもう一話更新です(月末スライディング)。


 聞きたい、と彼女は言った。

 聞かせてあげる、と私は答えた。

 けれど、今は部屋には私一人。

 

 イリヤは、答えた私にとても嬉しそうな表情を浮かべていた。

 形容するなら、冬に咲いた向日葵みたいに。

 それまでのいたずらっぽい笑みではなくて、純真な子供の様な。

 でも、とイリヤは言う。

 時計を見て、私を見て。

 

『また、後で。

 夜が来た後、またこっそりと来るわ』

 

 今は、セラが怖いからゆっくりできないし。

 イリヤは、はぁ、と溜息一つ吐いてそう言っていたが、恐らくはあのメイドの方がもっと深い溜息を出したいだろう。

 でも、もしこの部屋でイリヤが見つかったら、私もイリヤも連座で睨まれ……いや、私の方は即刻叩き出されるかもしれない。

 と、そういう訳で、イリヤとリズはこの部屋から退避した。

 逃げるというには大胆であり、隠れながらというには軽い足取りで。

 この分では、多分イリヤは捕まらない自信があるのね、と私に信じさせる足取りで。

 

 ただ、それから十分後に聞こえてきた声は……。

 

『あぁーっ! セラずるい!!

 部屋の中でマチブセなんて、主人にする事じゃないわ!!』

 

 ……どうにも、イリヤの作戦負けを知らせるモノであった。

 

 はぁ、と息を吐き、イリヤに黙祷する。

 生きているけれど、きっとお説教コースは確定だろう。

 あの不機嫌な彼女は欠点を一つずつ論っていくタイプと見たので、終わった後はイリヤの口からエクトプラズムが見えるかもしれない。

 でも、多分だけれどイリヤは私の事を漏らさないでいてくれると、私は何故か信じていた。

 後でまた来ると言っていたから。

 あの目で、外の話を聞きたいと言っていたから。

 都合の良い解釈だけれど、そう想えるのがイリヤだった。

 もしかしたら、また絶対に会いたいな、という私の願望の反映なのかもしれないけれど。

 もしそうだったら、私はイリヤに入れ込みかけているわね、と笑ってしまいそうになる。

 彼女の中身か容姿、両方共に私は気に入っているのだから。

 

 ――だからイリヤ、また絶対に後でね。

 

 誰にも聞こえない様に心の中で、祈る様に呟いた。

 顔はきっと、笑っていただろうけど。

 

 

 

 

 

 そうしてイリヤの叫び声が聞こえてからしばらく、無聊の時が訪れる。

 恐らくはイリヤはお目付け役の様な、あの不機嫌な彼女にお説教をされている頃だろう。

 私には遠く離れた所を視る目は無いから、その実態は分かる訳ないのだけれど。

 

 自然と頬杖をついて、外の景色を眺めていた。

 雪が降り積もりつつある、白のカーテンと言っても過言ではない風景が目に飛び込んでくる。

 これは止んだ後が大変ね、カタカタと窓を揺らす風の音に耳を傾けながらそう思ってイリヤの事を考える。

 雪の白さが、彼女を連想させたから。

 

「雪の妖精さん、なんてね」

 

 冗談めかして呟いてみたけれど、強ち間違ってないと感じてしまう辺り、私は彼女に神秘的なモノを感じているのだろう。

 透き通るような白い髪に、ルビーを溶かして凝縮したような赤い目、それに彼女の可愛いとも綺麗ともいえる容姿が合わさって、人間離れした雰囲気を醸し出していたのだと思う。

 夜の雪原を彼女を見た日には、本人が否定しても妖精だと断じてしまう魅力がイリヤにはあった。

 悪戯っぽい目に赤さを隠している所が、余計にそう思わせられるのだ。

 本当に綺麗……思わず、人形さんにしたくなるくらいに。

 

 そこまで考えて、ちょっと苦笑してしまう。

 可愛く仕上げるか、それとも精巧に生きているかの様に緻密に作り込むのか。

 職人としても、少女としても、迷って仕方がないのだ。

 どっちも作れば? なんて野暮な考えが過ぎって、我ながら愚にも付かないと頭を振る。

 私が作りたいのは量産品ではなく、一つっきりのお人形だから。

 

 頭の中で、小悪魔なイリヤと天使の振りをした小悪魔なイリヤが、ガヤガヤと騒ぎ始める。

 等身大にしちゃう? とか、髪はやっぱり本物に近付けるべきねとか、ココアはバンホーテンのモノが良いわ、とか。

 最後は意味不明だったけれど、概ね私の脳内会議に出席しているイリヤは、如何に自分の人形の価値を釣り上げようとしているのかに終始している気がする。

 まぁ、本当に私の脳内会議なだけだから、全く持ってイリヤの意見なんて微塵も入ってないのだけれど。

 

 内からムクムクと溢れてくる創作意欲に、私は鉛筆とスケッチブックを取り出す。

 湧き出る熱が収まらない内に、紙の中に想いを全て閉じ込めてしまおうと、そう思って。

 だけれど、そんなタイミングで扉がコンコンと叩かれる。

 ……率直に言って、とても間が悪いと思ってしまったのも仕方ないだろう。

 

「失礼します、マーガトロイドさま」

 

 入ってきたのは無表情な、今まで見たことのないメイド。

 と言っても、顔はやはり一緒で、違うのは雰囲気くらいなモノだけれど。

 その入ってきた彼女は、スケッチブックを持っている私に一目しただけで、要件をサラリと告げる。

 特に抑揚なく、お仕事ですからと言わんばかりに。

 

「お館様がお呼びです、よろしいですね?」

 

「えぇ、望むところよ」

 

 どうやら、待っていた時が来たみたい。

 私の目的、その手段に近づく為の話し合いが。

 それまで考えていた事を、頭の中の小物入れに仕舞う。

 ベッドに座っていた状態から立ち上がって、自分の状態を確認する。

 時差も有り、朝の八時に日本を出たけれど、現在のドイツは昼の三時。

 飛行機に揺られた十二時間は、確実に私の体のリズムを崩したけれど、決して悪い気分ではなかった。

 むしろ、高揚してきてるといっても過言ではない。

 

「では、こちらへ」

 

 立ち上がった私を一瞥し、先導し始めたメイドの背中、それに付いて行く。

 けど、足こそは彼女に続いているとはいえ、彼女の背中ではなくその先にある話し合いに付いて私は考え始めていた。

 これまでとこれからの事、行き着く先々に想いを巡らしてしまうのだ。

 だって、この一年に冬木でしてきた事、それらが無駄に成るか成らないか、恐らくはこの会談で決定するから。

 そう考えると、背筋は何時も以上に真っ直ぐと伸びて、懐に居る上海や蓬莱に語りかけたくなる。

 ねぇ、私はね、今から頑張って話し合うのよ、貴女達と話せる様になる為に、と。

 

 とても先、この会談が成功した先の事を考えて、まだまだ荒唐無稽ねと一人苦笑する。

 でも、この話し合いで結果が出せれば、そんな事も夢物語じゃ無くなるのかもしれないのだ。

 ここが踏ん張りどころと、自覚して然るべきなのだろう。

 意識すると、自然と力が入る。

 頑張らなきゃと、気力が充実してくるのだ。

 

 そうして決意して、どれほどの廊下を歩いただろうか。

 距離感が分からなくて、まるで永遠に同じ場所を徘徊している気もする。

 もしかすると、そういう認識阻害の魔術が張り巡らされているのか。

 ……だとしたら、非常に気になる事この上ないが、下手に抵抗なんてできない。

 したら最後、四方から私を処刑する為のギミックが作動するだろうから。

 なので息を殺して粛々と、私はメイドの後をついて行って……。

 

 ――気が付けば、大きな扉の前に立っていた。

 

 どういう道を辿ったのか、まるで思い出せない。

 けれども、扉は目の前にあって、メイドは静かに私を見ていた。

 準備は良いのかと、その目が告げている。

 言葉なんて返す必要はない、出なければこんな所まで来ていないのだから。

 ……なので、私は静かに頷いた。

 

 ――扉が、開く。

 

 広がっている風景は、静謐という文字に荘厳という意味を付け足したような場所。

 もしかしなくても、冬木の言峰教会よりも余程立派な、されど神への信仰なんて微塵にもなされていない、不思議な矛盾に満ちた場所。

 扉を開けた向こうから、冷ややかな空気が流れてくる。

 私に対する当て付けの様に、生の感情をそのまま載せてしまっている様に。

 

 沈黙している私に、メイドがお越し下さいと促し、私も頷いて彼女に続いていく。

 一歩その場に足を踏み入れれば、コツコツという大理石と靴が反発する音が、辺りへと響き渡る。

 周囲の壮麗な建築が、その音も合わさって私を威嚇しているのかと思ってしまう。

 でも、後になんて引けるはずもないので、澄まし顔を取り繕ってそのまま真っ直ぐと歩いていく。

 そして、奥の祭壇の場所で……。

 

 ――ゆらりと揺らめく白い影。

 ――景色と同化していた人物が一人、そこには居た。

 

「アリス・マーガトロイド、冬木から訪れた客人で相違ないな?」

 

「えぇ、お会い出来て光栄です、アハト翁」

 

 朴訥が語り出せばこの様な声になるのか、そう思わせられる声に、私は礼を失しない様に答える。

 前を見据えれば、まるでモノを見る目で私を見ている、長身のギリシア彫刻の様な老人がそこには居て。

 この人物こそが、と私は息を呑む。

 

 ――ユーブスタクハイト・フォン・アインツベルン、この城の支配者にして小聖杯鋳造の担い手。

 

 何百年もの間、聖杯とその先の第三魔法を求めてやまない執念の塊。

 程度で言えば、間桐臓硯に匹敵する。

 けど、どうしてだか間桐臓硯と違って、生々しさを感じる事はない。

 凄みを感じる事はあっても、どうしようもない程の欠落を感じるのは、間桐臓硯とは違うベクトルで壊れてしまったからか。

 間桐臓硯は常に裏があると読める人物ではあるが、目の前の老人はそういうモノを一切感じさせない。

 ただ、そこにあるだけと思えてしまう。

 

「間桐臓硯からの紹介状は、お読み頂けましたか?」

 

 それ故に気が反ったのか、口火を切ったのは私からだった。

 アハト翁は表情を動かさず、代わりに私の目に視線を合わせる。

 ……まるで無機物の様な目に、彼の瞳は固まっていた。

 

「間桐の家も酔狂者を寄越すとはな。

 一体、何を考えておるのやら」

 

 呆れているのか、吐き捨てているのか、判別が付かない口調。

 どちらにしろ、あまり友好的でない事だけは確かである。

 

「英霊を、それもキャスターを召喚したいと、確かそう書いてあった。

 目的は、それらに師事する為ともな」

 

「はい、その通りです。

 この通りの若い身空、若輩者は近道をしたがるモノです」

 

「小娘よ、ぬけぬけと言うな。

 間桐にどうやって取り入ったかは知らぬが、我らに道理を通すのであればここで潔く立ち去るが良い」

 

「そういう訳にも行きませんから、今ここに立っています」

 

 行き成りの無理難題、間桐臓硯ですら日本を出る前に、頑固者と評していた意味を如実に理解出来た。

 その口調と、木石な目を見ていれば、彼が極度な保守主義者である事が見受けられる。

 聖杯なんて手段にも関わらずに、二百年にも渡り同一の手段しか取ってないのは、その表れか。

 もしくは、アインツベルンにとって、二百年とは瞬きするに等しい時なのか。

 推測は他所に、話し合いは進んでいく。

 冷たく、まるでこのドイツの冬の様に。

 

「ならば小娘よ、一体貴様は何を齎すのだ。

 我らは魔術師、何を持ってアインツベルンの利とする。

 我らの技術に伍する、その形を述べよ」

 

「ノウハウの蓄積と研究の成果の提供。

 後は現界した英霊の観測をする事による、英霊の運用形態の構築などですね」

 

「等価交換というには、釣り合いが取れておらぬ。

 それに、それらは御三家全てに共通して、饗されるモノであろう」

 

 淡々と、だけれども目を鋭くして指摘するアハト翁。

 言葉に露骨さを滲ませる様は、間桐臓硯とは違い正直ではあるが、だからと言って快いかと言われれば正反対である。

 要するに、露骨な賄賂の要求でもあるのだ、面白いはずがない。

 しかし、ここで折れなくては話が頓挫するかもしれないのも、また事実である。

 

「……何か要求はありますか?」

 

 思わず、敬語をかなぐり捨てそうになったが、なんとか我慢する。

 少し声も震えていたかもしれないが、向こうはそんな事気にしてないし問題はないだろう。

 そもそも、私の方が温いと言われても仕方ないのだから。

 そんな私を尻目に、アハト翁は淡々と、だが明確な意志を持って告げる。

 

「貴様の行っている研究を随時、その成果を全てアインツベルンに公開する事を要求する」

 

 けど、それは……私が思っていた要求とは、また別のものであった。

 てっきり、現実可能でイヤラシイ範囲での、そう、例えば遠坂や間桐の情報を垂れ流す、間諜の役割だとか。

 しかし実際に要求されたのは、私よりもアインツベルンの方が遥かに蓄積しているであろう技術の提出である。

 面食らわなかったと言えば、嘘になるだろう。

 

「良いのですか?」

 

「かまわぬ、というよりも、大して期待などしておらん」

 

 無機質に、淡々と彼は吐き捨てる。

 わざわざ相手をするのも馬鹿馬鹿しいと言わんばかりで、だがと彼は続けた。

 

「魔術師とは、根源に辿り着く手段に過ぎない。

 だからこそ、その方法もまた、多い方が良い。

 聖杯戦争も然り、貴様の求道も然り。

 貴様の研究は、アインツベルンの分野にも重なる事がある故に」

 

 間桐臓硯は手紙を長々と書いていたらしい。

 概ねの事情はアハト翁も察知している様で、小憎たらしげに言葉を次々と吐いている。

 普通の魔術師なら、到底呑める条件ではない。

 自らの研究の成果の秘匿、それは確実に成されなければならない重要事項。

 系列として引き継いで、次代へと託していくバトンなのだから。

 しかしそれは……私に限っては、また別の話であった。

 

「その条件を呑めば、了解は頂けますか?」

 

「了承できるのであればな」

 

 念を押すように確認しても、彼は是と言っている。

 私からすれば、千載一遇のチャンスで、付け入る隙以外の何者でもない。

 だって……どうせ、この研究は自己で完結するモノでしかないのだから。

 よしんば他家に術を教えても、私が困る事なんてその術を拡散されて精度を落とされる事くらい。

 

 しかしアインツベルンとて、そこまで愚かな真似はしない筈。

 根源を目指しているのなら、技術は秘匿するもの。

 しかも私の術を応用できたら、という発想なのだ。

 間桐臓硯辺りが手紙で研究内容を教えたのであろうが、今回ばかりはそれが幸いした。

 鬼の霍乱という奴なのだろう、間桐臓硯がこのような事を援護をしてくれるなんて。

 

「分かりました、承諾しましょう。

 ギアスが必要なら、書面を用意して頂けると助かります」

 

 私は至って普通な顔を装い、焦りなんて微塵も見せずに告げる。

 災い転じて福となす、いや、この場合は私の早とちりだったのか。

 内心で緊張が高まりつつある私に対して、鉄面皮のアハト翁はただ淡々と首肯して。

 ――思わず、手を握りしめてしまっていた。

 

「格別のご配慮に感謝致します」

 

 さっきとは違う意味で震える声、表情を隠すために頭を下げる。

 何か、遠いところに手が届いたような、そんな気分。

 ドキドキと心臓が破裂しそうなくらいのテンポで、リズムを刻んでいる。

 知らず知らずの内に、大きく力んでしまっていたらしい。

 思わず漏れてしまいそうな笑みを、私は我慢するのに必死だった。

 

「後ほど、使いの者に書面を運ばせる、部屋で待っておれ」

 

 彼の声に反応して、今までずっと後方で待機していたメイドが、再び私を部屋に案内してくれようと、私の前に上品に歩いて来て、こちらへと小さく告げる。

 それを確認して、私はまた深々とアハト翁に頭を下げると、そのまま来てくれた彼女について行く。

 高揚はそのまま、冬の廊下が少しは私に落ち着きを取り戻してくれるのかな、なんて考えながらの歩みであった。

 

 

 

 

 

「宜しかったのでしょうか、ご当主様」

 

 アハト翁しかいないと思われた祭壇に、もう一人の白い影が現れる。

 厳しい顔をした、アリスにキツく当たっていたメイドだ。

 彼女はこの場の伏兵として、アリスがアハト翁に害を及ぼそうとした時に誅する役割を与えられていた。

 本来は戦闘用でない彼女も、魔術師としては一級品である為に伏せておく手札としては最適だったのである。

 

「……構わない、むしろ天佑である」

 

「天佑、ですか?」

 

 普段は必要ない時は口を開かないアハト翁だが、この時ばかりは口元が滑らかであった。

 口が滑ったとも言えるが、アハト翁自身がそれに気付き、即座にセラに下がるように申し付ける。

 セラも口が過ぎたと思ったのか、素直にそれを受け入れて下がる姿勢を見せた。

 

 その場の祭壇に残ったのは、これで文字通りにアハト翁ただ一人。

 それを知ってアハト翁は、自然と口を開いていた。

 誰に聞かせるでもなく、ただ事実を確認する為に。

 

「時が満ちる、我らが望んだその時が」

 

 淡々と、何ら感情を見せる事なくアハト翁は呟く。

 しかし、聞く者がいれば、背筋を震わせる悪寒に囚われたかもしれない。

 耳から絡みつくような、まるで恨みがましい言葉でも聞いたかの様に。

 

「あと一年で再び始まる、我らの闘争。

 小娘、残念であったな」

 

 空に告げるアハト翁は、この時だけ、今この場にいない少女に声を掛けていた。

 器を作る技能があるアインツベルンだからこそ、この時期に感知する事ができていたのだ。

 ――大聖杯に力が満ちつつあるのを、彼こそは知っていた。

 その様な時期に、自ら生贄の様に現れて、寄りにもよって最弱クラスのクズ札を持っていったと、アハト翁は認識していたのだから。

 

「日本では確かこう言うらしいな。

 ”飛んで火にいる、夏の虫”と」

 

 彼の記憶ではその言葉は、日本人が食料のない夏場に現れた虫を取って食うという、恐ろしく野蛮な文化の象徴であった。

 出典は民明書房と言われる辞典で、それをドイツ語に訳したのはフィンランドの名家であるエーデルフェルト家だと言われている。

 彼はそれで日本について勉強し、自身の中の日本観を育ててしまっていた。

 そしてそんな野蛮な日本の冬木で、あの少女は自らを饗そうとしている。

 あまりの滑稽さに、クク、と普段笑わないアハト翁が、声を漏らしてしまった程の事。

 

 彼は彼女の、アリスの研究成果などどうでも良かった。

 ただ勝手に、唯でも最弱な手札を余計に弱くして、自らの首を絞めている少女の愚かさに嘲笑を浮かべずには居られなかったのだ。

 だからこそ彼は、今回の事もただそれらしく振舞ったに過ぎない。

 いずれは殺す者に対する、彼なりの策略であった。

 

「もしやそういう意味であったか、間桐家め」

 

 もしかしたら、アインツベルンだけでなく間桐家も感知していたか、と邪推するアハト翁。

 どれだけ間桐の家に粉を掛けられているかを確かめるべくこの城に呼んでみたが、アレは本当の意味で野良魔術師だと彼は判断していた。

 その目は不敵な輝きに満ちていて、間桐が溢れさせている暗さとは対極にあった。

 そういう分かりやすさを、人を見る目のない彼は信じる事にしたのだ。

 ある意味で、アリスという少女は幾ら取り繕っても、純朴さを隠せてはいなかったのだから。

 間桐家も、その様な策略で優秀な魔術師を潰そうとしていると、彼が邪推してしまったのも、思い込みの強さ故かもしれない。

 

「まぁ、良い。

 どのみち勝つのは我らがアインツベルン。

 冥土の土産に、残りの余生を楽しむがよかろう」

 

 それは、アハト翁なりの慈悲であり、余裕であった。

 今度は最強の手札を、彼は引き寄せているのだから。

 ただその場に、彼はジッと立ち続けて、次こそはと情念を燃え上がらせる。

 その老人は少女を、どこまでも見下していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もう、夜ね」

 

 気が付けば、もう既に夜の十時を回っていた。

 あれから部屋に戻った私はする事もなく、イリヤのラフ画を描いてみたり、ここのメイド服がどういう構造なのかを調べたりしてみていた。

 実に興味深く、思わず熱中してしまったのは、このアインツベルンの成せる魔力か。

 

 それから部屋に届けられた夕食についても、ある意味でアインツベルンは流石であった。

 カルトッフェル・ズッペ(芋のスープ)にポテトパンケーキ、付いていたヴァイスヴルストとザワークラフトにパンのセットにも、そのまま茹でたジャガイモが塩で味付けして大胆に一個まるまる出されていた。

 凄まじい勢いでの芋攻め、ドイツらしいというのか何というか。

 味に関しては文句の付けようも無かったから、これはこれで良かったのだけれど、お陰でお腹はいっぱいいっぱいだ。

 思わずお腹周りが気になって、さわさわと食後のお腹を触ってしまっていたのも、仕方ないだろう。

 

 そしてそのまま、大きな風呂へとメイドに連行されて、何から何まで綺麗に清められてしまった。

 まさか、服までメイドに剥がれて、手洗いであんな所まで洗われてしまうとは……。

 とても事務的な作業だったけれど、恥ずかしい事に変わりがない。

 何時かの早苗とお風呂に入った時の事を思い出して、必死になって遠い目をするのに必死であった。

 何げに他人に体を洗われるのは、中々に恥ずかしい事なのねと、ちょっと分かってしまったこの時。

 早苗がどうして私に体を洗われるのを嫌がっていたのか、ようやく少し分かった気がした……洗ってあげている分には、とっても楽しいのだけれど。

 

 お風呂から引き上げられた後は、白いネグリジェを着けさせられて、ようやく部屋に帰還。

 服は明日辺りに、洗って返すとの事。

 恐らくは今頃、メイド達が洗濯機を回している……のか手洗いなのかは知らないが、服を洗ってくれている事に違いはない。

 色々とこの城のメイドは、色々と大変である事が伝わってくる状況である。

 まぁ、私は客人として甘えるしかないので、後日に礼を述べるくらいしか無いのであるが。

 

 でも、ようやく気持ちが落ち着いた事もあって、はぁと息を吐く。

 ちょっと気疲れしたかもしれないし、達成感から出てくる安堵の息かもしれなかった。

 だって、これでようやく……。

 

「私の目的への第一歩、それを踏み出せるものね」

 

 クスッと、人知れずに笑ってしまう。

 嬉しいというか、楽しみというか。

 前途は決して明るい訳ではないけれど、それでも前に進めるというのは実に励みになるから。

 先だっては、英霊召喚にどの人物を呼び寄せるかとか、そういう事まで考えていた。

 捕らぬ狸の皮算用なんて、言わせたりなんかしない。

 これは正当な計画なのだ、今後の予定、明日の献立を考える様なものなのだから。

 

「上海、蓬莱、待っていなさい。

 私はきっと、貴方達とお喋りをするし、遊んだりもするんだから」

 

 今は部屋にある机に鎮座させている彼女達に、私は喜びの声を掛ける。

 二人を引き寄せて、ギュッと抱きしめてしまう。

 はっきりと分かる、今の私はテンションが高いと。

 

「私と貴方達は、ずっと一緒だったものね。

 ……もし動ける様になったとして、貴方達は今までの事は覚えてくれてる?

 覚えてないのなら仕方ないけれど、もし覚えてくれてるのなら……」

 

 掌にある彼女達に、私は染み渡らせるように語りかける。

 気持ちが届いて欲しいと、願いを込めて。

 貴方達二人に届けと、確かな意志を持って。

 

「昔の事を語りましょう。

 私と貴方達と、それからね……」

 

 それ以上、私は言葉を紡がなかった。

 いや、紡げなかったが正しい。

 色々と気持ちが溢れて、ただ彼女達を握る手を強くしてしまう。

 まだまだ先の話なのに、夢想は止まらなくて、それどころか零れてしまうくらい。

 こぼれた感情が、上海達に届いてと、そう祈ってしまうのは贅沢な願いか。

 いいや、そんな事はないと自分に言い聞かせる。

 きっとそれは、この娘達も分かってくれていると。

 

 そこまで考えて、やっぱり苦笑してしまう。

 気持ちが浮ついているのは自覚できてるけれど、それでもここまで酷いとは自分でも想像していなかった。

 なでりなでりと、上海と蓬莱の頭を撫でながら、そんな事を考えていた。

 人は嬉しいと、人知れず興奮してしまう事を学んだ一日である。

 そっと、上海達を机の上に座り直らせた。

 ようやく、この時間帯になって、眠気が巡ってきたのだ。

 だって、時差もあったとは言え、もう既に二十時間以上は私は動いていて、それなりに疲れてもいるのだから。

 

「お休みなさい、上海、蓬莱」

 

 何時もの挨拶をして、私は自然と瞼を閉じる。

 明日は良い日になると、無条件で信じられる気分でのお休みの挨拶。

 来る時は不安もあったが、枕を高くしての心境だったのが、とても安心できたのだった。

 

 

 

 ………………

 ……………

 …………

 ………

 ……

 …

 

 

 

 何だか、体が重い。

 夢を見ているのか、だとしたら一体何の夢を見ているのか。

 強く意識すると、不思議な情景を浮かび上がってくる。

 ふわりと、羽が風に乗る感覚で――

 

 

 

「ア~リスさん!」

 

「……早苗、貴女、自分が何をしてるか分かってるの!」

 

「分かってます、私、そんなに子供じゃないです!」

 

 気が付けば、私は畳に敷かれた布団の上で、早苗に馬乗りにされていた。

 手は縛り上げられて、お腹の辺りに早苗が乗って私を見下ろしている。

 

「そう、だったら直ぐに離れて。

 悪いことは言わないわ、それが貴女の為よ」

 

「何でそんなこと言うんですか……」

 

「早苗?」

 

 早苗の顔を覗き込むと、上気した頬に潤んだ瞳が私の目に写りこんで……。

 

「アリスさんは何時もそうです。

 アリスさんがいっぱい触れてくれて、私をときめかせるクセに、私からは触れさせてくれません。

 狡いです、横暴です!」

 

「早苗、だからと言って、こんな事をして良い事にはならないのよ」

 

「自分が間違ってるなんて分かってます。

 でも、我慢できないんです!

 全部、アリスさんの意地悪のせいなんですからね!」

 

「早苗!」

 

「今はアリスさんの言うことなんて聞きません。

 問答無用です!!!」

 

「何を、する気?」

 

「こう、するんです」

 

 そう言うと、早苗はゆっくりと私に顔を近づけてきて。

 可愛い唇を突き出して、そのまま……。

 思わず私は目を閉じて、ジッとその時が訪れるのを待っていて、そして。

 

 

 

 

 

「……夢?」

 

 ぱちくりと、目を覚ましてしまう。

 額には汗、体は驚く程に熱かった。

 

「……悪夢、なのかしらね」

 

 判断がつかない状況に、ぼそりと呟く。

 ――そんな呟きに、幼い声が返ってくる。

 

「早苗って人、嫌いなの?」

 

「嫌いな訳ないわ、大切な友人よ」

 

「なら、別に悪夢じゃないわ。

 嫌いだったら、無条件で責め立てたくなるんだから」

 

「そうね……ん?」

 

 重い瞼で会話をしていたが、途中で違和感に気が付く。

 私は一体、誰と会話しているのかと。

 そして、どうして私のお腹はまだ重いままなのかと。

 ゆっくりと、錆び付いた機械の様に、視線をお腹の辺りに向ける。

 すると、そこには……。

 

「えへへ、来ちゃった」

 

 小悪魔っぽい笑みを浮かべた、妖精さんの姿が。

 思わず絶句する私に、彼女は穏やかに言う。

 反して、目の輝きは増していくばかりだけれど。

 

「こんばんは、アリス。

 今日は良い夜よ。

 だから、いっぱいお話を始めましょう――」



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第37話 静かな夜の密会

 お腹が重い。

 でも、それは気分の悪い重さじゃなくて。

 逆に、このままで良いかと思えてしまう重さで。

 ただ、いきなりの事でビックリしている。

 なので私は、ジトっと、お腹に跨っている彼女に視線を向けた。

 

「ご挨拶ね、イリヤ」

 

「うん、おはようアリス」

 

「……そう言う意味じゃないわ」

 

「知ってる」

 

 その返事に、何て悪い子と頬っぺたをムニっと摘む。

 どこかイリヤは、擽ったそうに身を捩っていた。

 相変わらず、お腹に乗っているのは変わらずに。

 

「重いわ、イリヤ」

 

「アリスはウソツキね、私は羽のように軽いのよ」

 

「その自信は、一体どこから来るのかしらね?」

 

「私、全然太らない体質なの」

 

「そう、奇遇ね。

 私も同じ体質よ」

 

「アリスはおっきいでしょう!」

 

 だから何? とも思ったが、イリヤは気にした風も無く、そのまま私のお腹の上を定位置に置いたようだ。

 すっごくニコニコしているのが、憎たらしい様な、可愛いらしい様な、そんな微妙な心持ち。

 確かめる様に、イリヤの頬をもう一度摘んでみたら、すごく柔らかくて。

 やっぱり、可愛らしさの方が十枚以上も上手ねという結論を下す。

 イリヤは可愛い、彼女の頬っぺたの弾力性を確かめながら感じた私の素直な感想。

 

「……アリスも結構失礼じゃない」

 

「イリヤの可愛らしさがいけないの」

 

「そういうの、責任転嫁っていうのよ」

 

「違うわ、これはイリヤの自業自得。

 わざわざ私のお腹に乗ってるんだから。

 これくらいは我慢しなさい」

 

 一口で言えば尽善尽美なイリヤに、こうして触れられるのは本当に創作心がムズムズと蠢き、刺激される。

 隅々にまで体に触れて、どの様に設計するかを考えて、そうして実行に移す。

 私の、何処までも楽しい妄想。

 人形の設計図を脳裏に広げて、イリヤに当てはめて行く様はパズルのピースを揃えて行く様な快感がある。

 

「だからね、イリヤ。

 貴女が悪いの、私の手の触れられる状況を作ってしまう貴女が」

 

「アリスが何を言ってるかなんて分からないけど、詭弁だってことだけは分かるわ」

 

「だったら、イリヤはどうするの?」

 

「……こうする」

 

 言った瞬間に、イリヤは私の頬に手を伸ばす。

 私がやった様に、私の頬っぺたに。

 ムニムニと、まるで報復の様に私の頬っぺたを弄ぶ。

 ……それで私は、なるほどと思った。

 これは、やられる方からすれば、中々に辛いモノがある。

 主に、他人に触れられる気恥ずかしさや、為すがままになってしまう自分の身が恨めしくて。

 

「恥かしい、わね」

 

「アリスも、私の気持ちが分かった?」

 

「えぇ、十分に」

 

「だったら、頬っぺたから手を離して」

 

 頷いて、イリヤの言ったとおりに頬っぺたから手を離す。

 手から損失した柔らかさが、そこはかとない切なさに変換される。

 さっきまであった温かさに、手が悲しみを覚えているのだ。

 けど、無理矢理するというのは、全く持って言語道断。

 なので、私は我慢するしかないのだけれど……。

 

「イリヤ、貴女は何をしているの?」

 

「アリスの頬っぺたを触ってるの」

 

「貴女、嫌がってなかったかしら?」

 

「アリスにやられた分、私もお返ししなくちゃいけないの」

 

 そう言って、イリヤは二コリと可愛らしい笑顔を浮かべる。

 が、しかし、それは何処までも小悪魔なモノ。

 言葉にして現すならば、いじめっ子の笑み。

 ムニムニ、ムニムニと、私がしていた様に、イリヤは私の頬っぺたを摘んで、撫でて。

 私の背中がムズムズするのなんてお構いなしで好きなように、まるでお気に入りの人形で遊ぶ様に触っているのだ。

 

「楽しい?」

 

「とっても」

 

「それは良かったわね」

 

 良くないわ、と私は内心で呟き、でもどうしようもないから為すがままになってる。

 唯一良いと言えるのは、イリヤがとっても楽しそうにしてる事。

 イジめっ子の表情から、段々と楽しそうな女の子の顔に変化し、えいえいっと私の頬を伸ばしたり指でつついたり。

 ……流石に、そろそろ勘弁して欲しく思ってしまうのは、仕方ない事だと私は思う。

 ゆっくりと、イリヤの手を握って、言い聞かせる様に言う。

 

「イリヤ、ここには何しに来たの?」

 

「んー、アリスで遊びに」

 

「せめてアリスと遊びに、と言って欲しいものね」

 

「嘘よ、分かってるわアリス」

 

 クスクスとイリヤは笑って、ようやく満足したのか、私のお腹の上から退去した。

 お腹にはまるでまだイリヤが居る様な感覚が残っているけど、彼女は立ったままベッドに居る私の顔を覗き込んでる。

 さ、起きて、とイリヤは私に囁いてくるのだ。

 だから私もそれに応えて、ゆっくりと体を起こす。

 イリヤと、昼に交わした約束を守るために。

 でも、イリヤに寝起きを襲われたせいか、頭が少しフラッとしてしまう。

 そのまま、こてんとイリヤの方に頭が傾いて……。

 

「っきゃ!?」

 

 見事、その胸に受け止められる。

 ……こつんと、固い感覚がした。

 想像以上に実が無くて、まるで固いベッドねと思ってしまう。

 

「もぅ! アリス、いきなり何するのよ!」

 

「ごめんなさい、寝起きに弱いつもりは無かったけど、思ってたより疲れてたみたい」

 

 声を荒げるイリヤに謝って、私はイリヤの胸から離れる。

 なんら未練も無い平地だったのが、ここでは幸いと言えよう。

 ……どうにも眠くて、思考能力が落ちている気がしてならない。

 

「何か失礼なこと考えてない?」

 

「硬いわ、イリヤ」

 

「~~~っ、アリスは私に喧嘩を売ってるの!?」

 

「正直な所感よ」

 

「アリスだって、人にモノを言えるくらいに大きくないクセに!」

 

 そう言うと、イリヤは問答無用で私の胸に手を伸ばして――一瞬の隙を突き、容赦なく鷲掴みにした。

 ゾクッと、よく分からない感覚が背中を走り、完全に目が覚める。

 けど、イリヤはそんな私にはお構いなしで、怒った表情のまま確かめる様にモミモミと、手の中にある私の胸を揉んで……。

 

「掴めるだけ、ある」

 

 小さく、そう感想を残した。

 残して、そして……。

 

「――もげなさい」

 

「止めなさい」

 

 そのまま無表情になって胸を揉みしだくイリヤに、私はデコピンを一つ放つ。

 うきゅ、と小さく声を漏らして、イリヤは一歩私から後退した。

 思ったよりも力が入ってしまったのか、イリヤはおでこを押さえて私を睨んでいる。

 でも、流石にもげろと言われながら胸を鷲掴みにされては、私としても抵抗するしかないのだから、しょうがない、えぇ。

 

「デリカシーがなかったわ。

 ごめんなさい、イリヤ」

 

 けど、私にも悪かった点があるので、これ以上怒らせる前に本日二度目の謝罪をする。

 女の子の胸にもたれかかってしまって、言うに事欠いて固いは失礼の極みなのは分かっていたから。

 ……言い訳をさせてもらえるなら、寝ぼけていたと私は声高に叫びたい。

 

「私にあんな事しておいて、それだけで済ませるつもりなの?」

 

「私はイリヤにずっと胸を揉まれたわ、だからこれで手打ちよ」

 

 むしろお釣りが来るくらい、その言葉を嚥下して私はイリヤに微笑みかける。

 仲直りしようと、暗に語りかけながら。

 

「他に、する事もあるんでしょう?」

 

「そう、ね、確かに」

 

 そう追撃すると、イリヤが渋い顔ながら確かに一つ頷いた。

 理解ができたから、納得もとりあえずしてあげるといった、そういう渋々感を漂わせて。

 なので私もこれ以上は何も言わず、ベッドに腰掛けてイリヤにも隣に座ることを勧める。

 ずっと立たせたままなのも問題だから。

 そして、イリヤもそう思ったのだろう、あっさりとさっきまでのわだかまりを捨てて、私の隣に腰を落とす。

 もぅ、アリスったらお客さんなのにナマイキ、と呟いているイリヤは、やっぱり年相応の子供なんだなと思わせられて、小さく声もなくイリヤを怒らせない様に笑う。

 さて、どんなお話をしてあげようかしら、と考えながら。

 

 

 

「イリヤは、外の話が聞きたいのよね?」

 

「そうよ、言ったじゃない」

 

「うん、でもね、外といっても広いの。

 だからどんな話をすれば良いのか、ちょっと迷っちゃうわね」

 

「ふーん、だったら、アリスの周りの話で良いわ。

 アリスが知ってる、外の話をして」

 

「分かったわ、任せなさい。

 思い出話がてらに、色々話してあげる」

 

 イリヤが横に座ってから、少しして。

 ようやくお互いに落ち着いて、少々ばかりのお話が出来るようになっていた。

 だから、本来イリヤがこの部屋に来た目的を、ようやく話し合える。

 そういう訳で、二人で探る様にして話し合いを始めたのだ。

 ベッドに腰掛け、イリヤは浮いた足を揺らしながら。

 

「じゃあ、私が生まれた国のお話をしましょうか」

 

「アリスはどこ出身なの?」

 

「ルーマニア」

 

「あぁ、ローマ人気取りの国って、おじい様が言ってた」

 

「神聖ローマ帝国だって似たようなモノじゃない」

 

「あれはハプスブルクで、今のドイツじゃないわ」

 

「……やめましょう、話が進まないわ」

 

「それもそうね」

 

 開始早々、恐ろしく不毛な応酬が交わされる。

 幸いな事といえば、イリヤも直ぐに馬鹿馬鹿しいと分かってくれた事くらい。

 こういう事で細かい話をしようとするものなら、面倒くさい事になるのが目に見えているから。

 なのでお互いに無かった事にして、話を続ける事にする。

 小さく、国家なんて関係ない私視点の、ミクロだけれど良く知っている世界を。

 

「ルーマニアのブクレシュティが、私の生まれた街。

 最近はマシだけれど、一時期はスリなんて割とザラにある街だったわ。

 あまり国としては宜しくない状況で、教会と政府も影で頻繁に衝突を繰り返していたの。

 まぁ、革命が起こってからは、少しづつ融和したみたいだけれどね」

 

 記憶の朧げな部分をどうにか拡大して、知識と意識を合わせて思い出す過去の風景。

 私はよくお母さんに連れられて、ルーマニア宗主宮殿の魔術師達の会合に参加されられた記憶が存在する。

 そこで、よくお世話されてしまって、今でもたまにやり取りをする、お母さんの友達のエセ紳士とも出会ったのだ。

 

「ルーマニア宗主宮殿って建物があって、そこは宗教家や魔術師やその他アウトローの隠れ家に一時期なってたの。

 ある意味で治外法権的な場所、中にある図書館は本当に整理されていて使いやすかったわ」

 

「私も聞いた事あるわ。

 おじい様がね、ノーレッジっていう魔術師を扱き使って整備させたって」

 

「そうらしいわね、でもそのせいで逃げられたんだから世話ないわ」

 

「ろーどーきじゅんほういはんってヤツね」

 

 時計塔ならば色位は確実と言われていた魔術師に、使い潰す様な真似をして逃げられて、そして慌てて探し始めるのだから馬鹿らしいの一言以外に掛ける言葉なんてありはしない。

 しまいには日本に渡った私にまで泣きついてくるのだから、本当に目も当てられない。

 まぁ、それ以来、教会も労働環境の改善とやらを行って、私が居た時には多少はマシになっていたようだけれど。

 

「あそこに居てた人達は、国の国策と相まって孤立してたから、魔術師同士仲良くなんて出来ないけど、無駄に敵対なんかせずに一枚岩で固まってたわね。

 だから扱き使われても、パチュリー・ノーレッジみたいに出走せずに、淡々と従ってたの。

 今でも、その名残なのでしょうけど、魔術師と教会の間柄の癖に、みんなそれなりに付き合いがあったりするわ」

 

 尤も、それは派閥が出来て敵対するくらいの実力者がいないから、という理由の裏返しでもあるけれど。

 船頭無くしては、羊同士は群れ合うしかない。

 それが、ルーマニア宗主宮殿という場所。

 でも、その雰囲気が好きで、もしかしたらそれが原因で、冬木に渡ってからも凛や皆と仲良く出来てるのかもしれない。

 そう考えると、妙に愛着が湧いてくるのだから、不思議な感じがする。

 尤も、面倒事はもう懲りごりだけれど。

 

「他の話も聞きたいわ。

 折角なんだもの、ブクレシュティがどんな場所かとか聞きたい」

 

「ずっと魔術の話も詰まらないわね、分かったわ」

 

 イリヤの言葉に従ってブクレシュティを思い出せば、まず最初に浮かんできたのは私と何時も一緒にいた、今も一緒にいる二人の姿。

 今も机の上にちょこんと腰掛けて、私とイリヤを見守ってくれている。

 あの街こそが、私にとっての、人形師としての始まりだったから。

 だから最初に、まずはこれを語ろうかと自然と決められたのも、ある意味で当然の流れだったのかもしれない。

 

「私は人形劇をするのが好きでね、良く路上とかで練習がてらに小さな頃から広場で人形を動かしてたわ」

 

「アリスは人形師なのね」

 

「そう、大好きなの」

 

 ちょっと首を傾げて、どうしてそんな話をし始めたのか不思議そうなイリヤだけれど、そのまま私は語っていく。

 机の上に置いていた上海と蓬莱を私の膝の上に移動させて、ね、とイリヤに見せながら。

 浮かぶのは、ルーマニアで出会った人達の顔。

 ここ一年で、少し古ぼけた記憶の写真に成りつつある、私の原風景。

 

「ブクレシュティにはね、結構な数のストリートチルドレンがいるの。

 日がな一日バイトしたり、スリをしたり、乞食をしたり、色々と忙しい子達。

 でもね、たまに足を止めて私の人形劇を見ていってくれるの。

 それがちょっと、私の誇りだったわ」

 

 イリヤに聞かせるのは、私のブクレシュティでの人形師としての生活。

 始めたばかりの頃は下手くそと直接言われて、屈辱でどうにかしてしまいそうだったけれど。

 でも、段々と慣れていくにつれて、唯々魅入っていく彼らの姿が、私にとっては成果の証だったから。

 

「たまにチップを盗んでいくのは腹立たしかったけど、見てくれるだけで嬉しかったの。

 他にも、同じ学校の同級生や、近所の奥さんも見に来てくれる事が多かったわ。

 多い時は、三十人くらい集まる事だってあったのよ」

 

「多いのか少ないのか、良く分からない数字」

 

「私が見たのは人だったから、十分に多いわ」

 

「そうなんだ、アリスは人気者なのね」

 

「人気だったのは、上海と蓬莱の二人よ」

 

 胸を張って言うと、イリヤはどこか呆れた顔をしていたけれど、私にとってはこれは譲れない線なので堂々と開き直る。

 それを気にしたのかしてないのか分からないけど、イリヤに続きを促された為に、私は話を続ける。

 

「そうやって小さな私でも三十人を集められるくらい、ブクレシュティの人口は多かったわ。

 特に広場なんて、私の他にも音楽とか演劇とか、路上でやってる人を見かけるなんてザラなの。

 そっちに人がいっぱい集まってるのは悔しいけど、ちょっとした連帯感はみんな持っていたわね」

 

 よく演劇をしていた女性が、私にクッキーやら何やらくれたのは今でも思い出せる。

 時々苦くて焦げてたから、きっと手作り。

 お返しをする為に、私もお母さんにお菓子の作り方を習い始めたのだ。

 初めて焼いたクッキーは、ちょっとほろ苦かった。

 

「いっぱいって、どのくらい?」

 

「ひっきりなしって程ではないけれど、時々歩くのが面倒になる程度ね。

 この部屋で例えるなら、メイドさんが十人ほど等間隔で入る感じよ」

 

「……嫌ね、狭いわ」

 

「そう言ったはずよ」

 

 クスクスと笑えば、イリヤは続きを早くと強請ってくる。

 笑われた事に怒る暇もなく、自分の知らない世界を知りたいとイリヤは思っているのだ。

 思わず餌を求める雛鳥を思い出して、自然とイリヤの頭を撫でていた。

 可愛い、可愛い、と。

 衝動的に、我慢できずといった体で。

 

「アリス?」

 

 ちょっと不満げなイリヤの声。

 お話もせずに、急に無礼な事をし始めた私に、ようやく怒りが追いついたのか。

 確かにいきなりで失礼だったと、ペコリと頭を下げる。

 

「ごめんなさい、可愛かったから、つい撫でてしまったの」

 

「……アリスって、やっぱり変ね。

 バカじゃないけど、とってもバカっぽいわ」

 

「ここは、イリヤが可愛すぎるのがいけないのよ、と返すべきかしら?」

 

「ごめんなさい、バカっぽいじゃなくてバカなのね」

 

「可愛いと言われるのは嫌い?」

 

「……別に、嫌いじゃないけど」

 

 もう一度頭を撫でれば、イリヤは反応を見せずにされるがまま。

 上目遣いで、私をジッと見上げている。

 その仕草が、何だか桜や早苗を思い出させて、余計に可愛いと思えてしまう。

 

 

「ん、気持ち良かったわ、イリヤ」

 

「アリスも気持ち良いのね」

 

「イリヤの髪の毛、柔らかくて絹みたいだもの」

 

「ありがとうアリス。

 私の髪はね、お母様譲りの自慢の髪なのよ」

 

 多分一分間ほどイリヤの頭を撫で続けて、時には梳く様にして、終わった後に二人で顔を見合わせればイリヤの顔は僅かな微笑みが浮かんでいた。

 誉められたのが嬉しいのか、今この瞬間の居心地が良いのか。

 もしそうだったらなら、私も今は心地良いと伝えたい。

 イリヤと同じで、この瞬間に優しさを感じているのだと。

 だから私は、その延長で、髪を褒めるつもりで、こんな事を尋ねた。

 ……直ぐに、後悔する事になるなんて気がつかずに。

 

「そういえば、イリヤのお母さんにご挨拶をしてなかったわね。

 明日の帰り際くらいには、顔を見せておきたいのだけれ、ど?」

 

 

 言い終えてから、イリヤの表情が変化している事に気がつく。

 あれだけ居心地の良かった雰囲気に、どこかで音が響いて壊れる様な。

 

 ――だってそれは、イリヤの表情は……。

 ――どこまでも能面で、色が無くなっていたのだから。

 

「イリヤ?」

 

「お母様、もういないから」

 

 何も見せないと言わんばかりに、淡々と答えるイリヤ。

 さっきまで居た、無邪気な顔で強請ってくる彼女の姿は、もう影すら感じない。

 唯あるのは、瞳の奥に存在している、深くどこまでも落ちていってしまいそうな穴だけ。

 

「そういう役目だったから仕方ないけどね、死んじゃったの。

 それも、とっても無意味にって、おじい様が。

 ――だから、許せない」

 

 何が許せないのか、死んでしまったというお母様が?

 聞こうにも、冷たい雰囲気を纏ったイリヤには、人を寄せ付けないオーラがある。

 下手な事を言おうものなら、胸を深々と刺されて死んでしまうような。

 もうどうしようもない程に、壊れてしまった空気。

 

 でも私は、さっきまでの雰囲気が好きだったから。

 どうにかしたいと、そう思ってしまうのだ。

 だったらどうするべきか、話を考えて、それで……。

 

「お母様が死んだのは、八年前?」

 

「――そうよ、お母様は、だから死んだの」

 

 おおよそのアタリを付けて尋ねれば、答えは是と返って来た。

 私の推測、もしかしたら聖杯戦争で死んだのではないか、というモノ。

 イリヤの物言い的に、知識さえあれば簡単に考えられる事。

 でも、あまりに現実味がなくて、砂でも掴む様な話にも聞こえる。

 

「アリスは知ってたのね。

 もしかしたら、今日はそれ関連のお話をしに来たの?」

 

 淡々と、けれど無味乾燥というには、内に篭っているモノを感じずにはいられない声。

 場合によっては、私はイリヤにこの場で八つ裂きにされるかもしれない。

 それだけの冷たさが、今のイリヤには……ある。

 だからこそ私は、今日ここにやって来た目的を、分かりやすく直ぐに伝わるようにイリヤへと語り始める。

 もう一度、あの空気が取り戻せないかと、そんな期待を抱きながら。

 

「関係があるけれど、違うわ。

 私はね、冬木の聖杯のシステム、英霊召喚に興味があってきたの。

 聖杯戦争自体には興味なんてなくて、気になって使いたいのは英霊だけよ」

 

「英霊なんて単なるじゃじゃ馬よ。

 そんなのが気になるなんて、何で?

 珍しいからとか、そういうのじゃないんでしょう?」

 

「そうね、私は魔術師の英霊を召喚して、そこで師事したいの。

 私には夢があって、それを成したいからその為の近道。

 根源まで行く必要があるのなら、その果まで行く事に躊躇は覚えないわ」

 

「……夢って?」

 

 イリヤの目に、冷たいモノ以外の何かが過る。

 荒唐無稽な方法論なんて、イリヤにとってはどうでも良いのだろう。

 ただ、私が何をしようとしているのか、それだけを気にかけているようだ。

 なので、この勢いのままに私は語る。

 イリヤに隠し事をせずに、私が抱いている大願をありのままに伝えよう。

 それが、きっとこの場でイリヤが求めている事だから。

 

「私はね、この娘達を動かしたいの。

 それはただ単にお人形として扱うのではなくて、この娘達が確かな意志を持って、自分で動ける様にしたいのよ。

 それが……小さい頃からの、私の夢」

 

 膝にいる二人の頭を撫でながら私はイリヤに、昔に決意して今も願っている夢を告げた。

 過去から現在まで続いている道筋に、我ながら一途ね、なんて苦笑しながら。

 

「……………………アリスは、子供のまま大きくなっちゃったのね」

 

 そこでようやく、イリヤの目から冷たさが薄らいだ。

 言葉は多分に呆れを含んでいるけど、さっきまでの状況と比べれば愛嬌とも言い換えられる。

 兎に角、どうやら私は危機を乗り越えられたらしい。

 ホッと一息、重い溜息が口から溢れるのを、私は止める事が出来なかった。

 そして、重い溜息を吐いた後は相対的に口が軽くなったのか、滑らかに言葉が出てくる様になっていて。

 

「女の子は何時までたっても女の子なの。

 そうじゃない、イリヤ?」

 

「分かるわ、けどアリスはおっきいからね」

 

「イリヤも直ぐに背が伸びて、将来は美人になるわよ」

 

 安堵の微笑みを添えながらそう言えば、イリヤは少し困った笑みを浮かべながら、そうだったら良いね、と呟く。

 何か、また変な事を言ってしまったのかと思ったが、今度は一瞬だけイリヤの表情が変わっただけで、後は然程気にした風もない。

 直ぐに人懐っこい、可愛いイリヤの笑顔を浮かべて、私の隣で微笑んでいる。

 ……さっきまでの事があるから、今回ばかりは迂闊な事は私は聞けそうになかった。

 

「イリヤ、お話の続きは聞きたい?」

 

「話してくれるの?」

 

「イリヤに頼まれたなら、喜んで」

 

 だから今は、出来るだけ楽しい雰囲気に持っていこうと、私は話の続きを持ちかける。

 それにイリヤは、アリスったら格好つけねと笑いながら、頷いてくれて。

 ホッとして、私は途切れてしまった、さっきの続きを話し始めた。

 そろそろ、昔の私じゃなくて、今の私の世界を聞いて貰おうと考えながら。

 

「蒸し返すようで悪いけれど、私の目的の為の手段を話したわね」

 

「すっごく遠回りな、面倒くさがり屋の案ね」

 

「それでも、普通にするよりかは近いかもしれないのよ」

 

「魔術師モドキの考え」

 

「変な渾名をつけないで、イリヤ。

 試行錯誤の最中なの」

 

「そんな事より、話の続き」

 

「はいはい」

 

 お互いに口は軽く、朗々と会話が出来ている。

 私も、多分イリヤも、今を良いと思えている。

 だからもう、大丈夫だと、さっきまでの雰囲気を吹き飛ばせたと、そう確信できた。

 なので、この和やかさの中で、私はイリヤを楽しませる為に言葉を繰っていく。

 

「私は今、目的の為に冬木市に滞在してるの。

 始まりの御三家の遠坂の家、イリヤは知っているでしょう?」

 

「えぇ、知ってるわ。

 おじい様が没落貴族の家って言っていたの」

 

 さっきから出てくるおじい様、これは疑い様もなくアハト翁なのだろうけれど、本当にロクでもない事しか教えていないらしい。

 偏見を植え付ける為にしても、イリヤの教育上もっとマトモな事を教えてあげられないものなのか。

 もし本気でアハト翁もそうであると信じてるとか、そういう事があったのなら流石に私も失笑せざるを得ないが。

 流石にないだろうと一笑に付し、話の続きを語り始める。

 それでね、とイリヤの顔を見つめながら。

 

「没落というには家はやっぱり立派よ。

 まぁ、流石にここと比べたら、どの家もドングリの背比べになるんでしょうけど」

 

「アインツベルンは何処にも負けない大家だから。

 比べちゃったら、どんな家でも負けちゃうわ」

 

「それはそうね、聞くまでも無いことよ。

 でも、貧乏というには普通の暮らしをしてるわ。

 ……凛、遠坂の当主は、貧乏ではないけど、極度の貧乏性なの」

 

「お金がないと、心も貧しくなるのね」

 

 サラリと凛を酷評しているイリヤに苦笑しつつ、預金通帳と睨めっこしている凛を思い浮かべる。

 その姿は、家計簿を付ける主婦の様でもあるし、資金繰りに苦慮する会社の社長にも見える。

 その真の姿は遠坂家当主、天才の名に恥じぬアベレージ・ワンなのだから、世の中は全くもって分からない。

 

「で、私はその遠坂家の凛の所に居候しているの。

 聖杯の研究とか、実験とか、地元でやった方が手っ取り早いものね。

 今はお陰でのびのびと暮らしているわ」

 

「ふぅん、まぁ、時計塔に行くよりはアリスらしいわね」

 

「今日昨日の関係なのに、イリヤには私がわかるの?」

 

「アリスは分かりやすいもの」

 

 ……馬鹿にされているのかそうでないのか、どうにも反応に困る言葉。

 イリヤの表情を見るに、親しみは持ってあるみたいだけれど。

 

「イリヤも、人の事は言えないじゃない」

 

「そうかもね。

 でも、私は隠す事がある何て疚しさは無いもの」

 

 フフンと胸を張るイリヤに、私は肩を竦める。

 事実としてそうであったも、こうまで臆面なく言われれば流す他に受け答えなんてしづらいのだから。

 

「イリヤはイリヤなのね」

 

「誰だって、自分は自分よ。

 アリスだってアリスじゃない」

 

「そうね、当たり前の事を言っちゃったわ」

 

 二人で笑って、話を続ける。

 どこまでも続く様に、まだまだ夜は終わらないのだと示すかの様に。

 

「アリスは普通の学校に行ってるんだ。

 どんな場所なの?」

 

「他の、普通の女の子や男の子に混じって、普通の勉強をする場所よ。

 国語とか数学とか英語とか、将来の役に立つためのね」

 

「アリスには必要ないんじゃない?」

 

「そんな事はないわ。

 もしかしたら、ふとした事が何かも役に立つかもしれないし……それに、何より楽しいもの」

 

「楽しい?」

 

「そうよ、イリヤ。

 友達と話したり、お昼ご飯に悩んだり、一緒に勉強している連帯感だったり。

 そこにいるだけで、感じれるモノはあるの。

 だから、私は学校が必要だし、好きよ」

 

「そうなんだ、ちょっとだけ楽しそうね」

 

「アインツベルンじゃ、そういうのはやっぱり難しい?」

 

「学校に行かなくても、知識はメイドが、最近ではセラが教えてくれてるもの。

 行く必要がないの、私はね」

 

 ごく普通に語るイリヤに、私はそういうモノなのねとアインツベルンについて理解する。

 恐らくは、彼らには社会というものが欠落してるから、自分達だけで完成してるからこその処理なのだろう。

 だって、大抵の魔術師は、殆どはどれだけ将来について渇望されていても、学校には社会を学ぶ為に通わされているのだから。

 

「イリヤがそれで良いのなら、私は別にいう事はないわ。

 でも、不自由じゃなくて?」

 

「うん、外の事は気になる。

 でも、不便はしてないわ」

 

 平然と答えるイリヤは、何の迷いもない。

 こういう生き方をしてきたのだと、それだけはキッチリと伝わってくる。

 それに、とイリヤは更に付け足す。

 

「みんな居るもの、このお城には。

 セラもリズもね、だから大丈夫」

 

「そう……」

 

 でも貴女のお母さんは……、脳裏に過ぎった言葉を、私は躊躇なく闇に葬る。

 余計な事も、足りない言葉も必要ないから。

 代わりに、偉いねと気持ちを込めて頭を撫でた。

 さっきまでの様に、絹の様なイリヤの髪を。

 

「……アリスって頭を撫でるのが好きなの?」

 

「そうね、髪を触ったりしてると、心が落ち着くわ」

 

「落ち着くの?」

 

「えぇ、好きな子の頭を撫でていると、とっても心地いいわね」

 

「変な趣味」

 

「趣味じゃなくて、本能みたいなものよ」

 

 そう言えば、イリヤはまた変なのと呟く。

 でも、どうしてもこういうのはクセになってしまうから、どうしようもない。

 だからできるだけ丁寧に、イリヤの頭や髪を撫でる。

 ヒンヤリしていたイリヤの手と違って、頭の方はほんのりと暖かかった。

 

 

 ………………

 ……………

 …………

 ………

 ……

 …

 

 

 それからしばらくして、私はイリヤにポツリポツリと合間に頭を撫でながら、冬木での私の世界、イリヤにとっての遠い外についてを語っていった。

 やれ遠坂家の当主は中華殺法の使い手だの、間桐の家は愉快さと不愉快さが混じっているだの、教会の神父は油断ならない破戒僧で神父にも牧師にも向いてないだの。

 私が知っていて、イリヤも少し知ってる事を伝えていく。

 それは知らない事では無いのかもしれないけれど、見えてない一面を届ける事にもなっていると私は思ったから。

 それにイリヤは興味深く耳を傾け、私の話に聞き入ってくれて。

 間違いなく、イリヤは私の話に興味を持ってくれていたという事は、確信できていた。

 

「うん、ありがとうアリス。

 貴女、とっても話し上手ね」

 

「人形劇は語り聞かせるものでもあるのよ。

 イリヤはしっかりした聞き手だから、話しやすかったというのもあるけれど」

 

 そうして、これ以上語るには再び睡魔の膜が私達を覆いつつある時に、イリヤは感謝の言葉を告げてきた。

 雪の只中、閉じ込められたかの様な二人っきりの部屋で、私達は笑い合う。

 たった一日、僅か一晩だけなのだけれど、それだけでも十分に通じたものはあったから。

 語った私も、聞いていたイリヤも、二人で共感しあい、分かり合いながら一緒にいた。

 多分、お互いにお互いを気に入っていたから、ここまで仲良くなれたのじゃないかと、私はそうも思っていて。

 

「ねぇ、アリス」

 

「なに、イリヤ」

 

 居心地の良いこの時、深夜で静かな私達の時間。

 微睡みの中での、そんな一時。

 だからイリヤが口を開いて、その言葉を聞いた時、私はほんの僅かに逡巡してしまった。

 

「どうせなら、ここで暮らしたら?」

 

 冗談かもしれない言葉。

 イリヤは微笑んだまま、何を匂わせるでもなく静かに私を見つめている。

 全てを私に、本気にするのも冗談にするのも、そのまま私に委ねていた。

 ただ、イリヤの目が、ねぇ、返事をして? と問いかけてきていて。

 それに、私は……。

 

「素敵なお誘いだけれど、イリヤのお誘いには応えられないわ。

 ここもイリヤのお陰で嫌いじゃないけれど、冬木の街はもっと好きだもの」

 

「そっか……」

 

 ゆっくりとイリヤは頷くと、それ以上の追求もしなかった。

 納得したのかは分からないけれど、私の気持ちを理解してくれたと思っておこう。

 そう考えて、そっと私は微笑んで。

 小さく、手で口を隠しながらイリヤがあくびをした為に、そろそろ寝ましょうかという話しになる。

 ぴょんと、私の隣に座っていたベッドから飛び降りて、クルリと私の方に振り向く。

 快活で、でも今はちょっと眠そうな可愛らしい顔。

 見ていて顔が綻ぶ表情を浮かべながら、イリヤは最後にちょっと聞きたい事がと尋ねてきた。

 何、と聞き返せば、一つだけとイリヤは前置きして……そして、こんな事を尋ねてきたのだった。

 

 

「――ねぇ、アリス。

 冬木にいるって聞いたんだけど、それで赤髪の男の子らしいんだけどね、――――って子、知ってる?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「イリヤ」

 

「なに、リズ」

 

「アリス、帰っちゃった」

 

「そうね」

 

 窓から外を見つめるイリヤに、リズはそっと寄り添って話しかけていた。

 話し合っているのは、昼頃に出て行った人形遣いを自称する少女について。

 といっても、リズはアリスの事を殆ど知らず、イリヤから話を聞く側なのだが。

 

「残念?」

 

「分からないわ」

 

 どうなのかしら、と小さく呟くイリヤの脳裏には、律儀な変人であるアリスの姿が。

 人形が大好きと言い、膝に乗せていた二つの人形の事を慈しんでいたアリス。

 その姿に、どこかイリヤも惹かれるモノを感じていた。

 それは共感としてか、友達としての姿なのか。

 今のイリヤには経験が足りず、分からない事だらけ。

 穴だらけの知識の中でイリヤが解る事といえば、唯一つ。

 

「でも、アリスは友達よ」

 

「そう」

 

 外の雪、前日の雪は降り積もったけれど、雪掻きを終わらせれば出せるくらいの積もり方だった。

 一日降り続いたのに、何でもっと積もらないのよ! とイリヤが理不尽な気持ちを抱いたのは、きっとまだ別れたくなかったから。

 でも、イリヤは昨日の内に、アリスに託した事があった。

 それを彼に伝えて欲しくて、本当は自分で伝えたいのだけれど、今はどうしようもないから。

 イリヤはずっとこの城で暮らしていて、外に出れる事なんて滅多にない。

 それ故に、アリスに託す他になかった。

 だから、アリスが来てくれたのは本当に喜ばしいことだけれど、帰ってしまったのが残念かどうかはイリヤに検討は付いていなかったのだ。

 

「イリヤ、それ、どうしたの?」

 

 そうして深く考えこんで、それでいて複雑な気持ちを絡ませていたイリヤに、ふとリズが尋ねてきた。

 そのリズの視線の先には、ちょっと荒く縫われた人形の姿。

 極度にデフォルメされた、赤髪の男の子のお人形。

 

「ん、それはね、リズ」

 

 それに、イリヤは複雑な心持ちながらも声を弾ませて、ナイショだよと小さく告げる。

 徹夜で寝ずに縫ってくれた、もうここには居ない彼女の事ともう一人の事を思い浮かべながら。

 

「――私達の、ユウジョウの証」

 

 彼女が出て行くお昼頃に止んでいた雪は、再びしんしんと降り積もり始める。

 優しく、誰かを慰める様に。

 イリヤは、その雪に母の面影が見えていた。

 

「私、何時か絶対に冬木に行く。

 それで、アリスに会ったり、あの子を生かすか殺すかも決めるの」

 

「イリヤの、好きな様にすれば良い」

 

 空を見上げて、イリヤが思い出すのは懐かしき、まだこの城にイリヤが大好きなあの二人がいた頃の事。

 あの時が幸せだったから、考えれば考える程に許せないと思ってしまう。

 でも、そんな想いを抱えてしまう程に、確かに気になっていて。

 どうすれば良いのかと空に問えば……。

 

 ――雪空に見えるお母様は、笑っていた。

 

 少なくとも、イリヤにはそう見えていた。

 だから、とイリヤは申し訳程度に選択肢を増やす。

 ……そんな雪の日の事。




イリヤは乙女だから、複雑な気持ちを抱いている。
……勿論、赤毛の男の子の方に。
これだけ想っているなんて、まるで恋する乙女ですね(適当)。


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第38話 運命の夜、契約の時




胎児よ
胎児よ
何故踊る
母親の心がわかって
おそろしいのか
            夢野久作『ドグラ・マグラ』より





 その日、冬木には雪が降っていた。

 降り積もる程ではなく、切なく淡い、路傍に消えゆく泡沫の白。

 触れれば溶けて水となり、墜ちれば積もらず土に還る。

 それを見ていると、何故だか優しいのね、と思えて。

 私は、この冬木の雪が嫌いではなかった。

 だから、どうか――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 空を見上げれば雪が、地を見下ろせば人が疎らに。

 幽霊屋敷と名高い遠坂邸からの風景は、何時もとほんの少しだけズレていた。

 何故といえば、新年を迎えたから。

 雪も風も静かだけれど、どうしてだか空気がざわめいている様に思えるのだ。

 もしかしたら、それは私の心が落ち着かないからかもしれないけれど。

 

「アリス」

 

 私の鼓膜を、軽やかな声が撫ぜる。

 窓際から離れ、振り返れば、そこには凛の姿。

 先日までは遠坂神社絶賛営業中との事で巫女服だったけれど、現在は普段着で何時も通りの服装。

 アレはアレで面白かったのだけれどね、と忍び笑いを浮かべてしまう。

 そんな私に、凛は怪訝そうに”何?”と短く聞いてきて。

 

「巫女服、似合っていたのになって思っただけよ」

 

「家の中まで着てたら変態じゃない」

 

「そうかもしれないけれど、少し残念ね」

 

「アンタも着てたクセに」

 

「自分で着るのも良いけれど、他人のを見る方が私は好きよ」

 

 そう言うと、凛は何とも言えない目で私をジッと見て、はぁと溜息を吐いた。

 何が言いたいのかと一瞥すれば、何とも言えない口調で凛が尋ねてくる。

 

「もしかしてアリスって巫女服が好きだったりするの?」

 

「? 嫌いじゃないわね」

 

「それは、早苗の影響?」

 

「そうかもしれないけれど、凛のは素直に似合ってたからよ」

 

「あっそ」

 

 この誑し、と小さく呟いた凛は、どこか呆れた風でいて。

 女の子同士なんだから問題ないわよ、と私は事実その通りのままに返事をする。

 単に、感じたままの思いで、特段歪める必要などないのだから。

 フッと、凛は私から視線を外し、窓際に近づいて空を見る。

 シンシンと、雪がゆっくり降っている光景を。

 

「降ってるわね」

 

「そうね……凛、雪は嫌い?」

 

「別に、綺麗だし好きよ。

 寒いのはちょっと勘弁だけど」

 

 遠い空を凛は眺めている、空の果てに何かあるみたいに。

 一体凛が何を見ているのか、そんなのは私は全く分からない。

 ただ、凛は静かに空を眺めていて。

 懐かしいモノが、空の向こうにはあるのかなと思えた。

 

「冬木は雪が積もる時はあるかしら?」

 

「ん、滅多に無いわね。

 積もっても、そんなに積雪は無いけれど」

 

「そう」

 

 凛に倣って、私も再び空を眺める。

 雪はまるで彩る様に、綺麗に宙を舞っていた。

 冬木の街を、粧し付ける様に。

 それに拐かされた様に、私はそっと窓を開ける。

 すると、冷えた空気が私と凛を歓迎して。

 

「寒いわよ、アリス」

 

「凛は寒がりなの?」

 

「冷え性よ」

 

「分かったわ――でも、もう少しだけ」

 

 凛にそう言えば、一つ彼女は頷いて。

 私は、手を窓の外に伸ばす。

 降り積もっている雪の一粒、それを掌に掴もうとして。

 

「……やっぱり、駄目ね」

 

 でも、手にした物は、雪ではなくて。

 溶けて水になった、雪だった物。

 触れれば、私の体温と混じった生温さが伝わってくる。

 はぁ、と溜息一つで、私は窓を閉めた。

 どこか残念で、何故だかフラレた感覚が胸に過る。

 

「雪を掴めるとでも思ったの?」

 

 そんな私に、凛は不思議そうに尋ねてきて。

 何となく、と前置きして私は答える。

 不思議な事じゃないのよ、と思いながら。

 

「ここの雪は柔らかい感じがするから、何となく手に残ってくれる様な気がしたの。

 雪は触れたら溶けるなんて、子供でも分かる事だけれど」

 

「ふぅん、そうなんだ。

 ま、気持ちは分かるわ。

 こういう時って、何故だか出来そうな気がするもの」

 

 私はしないけどね、と凛はいたずらっぽく付け加えて。

 どこか、私がひどく子供っぽい真似をしてしまった気がして、頬を掻いてしまう。

 照れ隠しというよりは、どこかバツの悪さを覚えたから。

 指先から感じる感覚はとても冷たくて、きっと雪の魔術ね、と私には思えた。

 

「凛は」

 

「何?」

 

「凛は、よく許してくれたわね」

 

「ま、ね」

 

 何が、と凛は聞かずに、とても小さく返事をする。

 言わずもがな、彼女は何の事か分かっていて。

 私は凛の方を向かずに、宙に視線を彷徨わせながら言葉を続ける。

 出来るだけ然りげ無く、ちょっとした事を語るように。

 この一年の、私にとっての挑戦の事を。

 

「英霊召喚、それに大聖杯の魔力を行使するなら、宝石だけじゃなくてもっと対価を要求されるって思ってたわ」

 

「大聖杯に蓄積されてる分なら、霊脈を傷つけないもの。

 それに、どうせ何か起こるとしても、遠い日の話。

 六十年が七十年に変わったって、そんなに大差ないって話なだけ」

 

「……ありがとう」

 

「出世したら返してもらう事にするわ」

 

「……高く付きそうね」

 

 凛は笑みを浮かべて、私もそれにつられて笑う。

 その言葉は、魔術師じゃなくて友達としての凛の言葉だったから。

 信頼してるって、言葉でなくても伝わってくる。

 それがありがたくて、擽ったくて、暖かい。

 冷たい冬には良く染みる、凛の優しい心遣い。

 この一年での研究の事を知ってるからっていう理由での、等価交換よりもやや安い取引。

 それは単純に、凛が優しいから出来た事。

 もしかしたら、凛はこの一年で大分に緩くなってしまったのかもしれない。

 けど、その緩さは、私にとってはとても心地良くて。

 私は何気なしに、凛に甘えたい気分になっていた。

 具体的に言えば、ちょっと肩を預けて、寄り掛かりたい気分に。

 

「ねぇ、凛」

 

「何、ってきゃっ!?

 あ、アリス、イキナリなにすんのよっ」

 

 でも、窓際に立ったままではそんな事できなくて。

 代わりに、私は凛の背中にもたれ掛かっていた。

 凛なら、これくらいの事をしても、許してくれるかな、と思って。

 ……冷えた体に、凛の体温はとてもとても暖かい。

 この寒さの中でなら、ずっと引っ付いていたくなる程に。

 

「寒かったからつい、ね」

 

「何がつい、よっ。

 重いから今すぐ退きなさい」

 

「じゃあ急に腰が抜けた事にするわ」

 

「適当すぎるわよ!

 あーもうっ、邪魔よアリス!」

 

「分かってるけれど、もうちょっとだけここにいさせて」

 

「女の子でも見境なしか、あんたは!」

 

「見境なしじゃなくて、凛だからよ」

 

 逆に、男の子相手には、恥ずかしくてこんな真似は出来ないもの、と内心で思う。

 凛だからこそ、こういう事を気安く出来るのだと。

 そして当の凛は、ウガーッと吠えているけれど、一向に暴れる気配は見せない。

 振り解こうと思えば、凛は何時だって私から逃れる事が出来るのに。

 だから、それはきっと黙認なのねと勝手に判断して、もう少しだけ凛の背中で丸くなる。

 

 その背中で想うのは、今までに無い程に濃かった昨年の事。

 ルーマニアに居た頃も愉快な事はあったけれど、この街ほどに密度が濃かったかといえば、否と答える他にない。

 日本人は遠慮がちな恥ずかしがり屋とは、一体誰が言った風評であろうか。

 凛に間桐くん、それに楓なんかはその日本人観からは見事に外れている人物の典型例だ。

 藤村先生なんかに至っては歩く拡声器で、割とファンタジー世界の住人である。

 もしかしたら冬木だけが特別におかしいのかもしれないけど、取り敢えず暫定で私の日本人観は変な人が多い、といったところか。

 

 そのお陰で退屈なんて全然しないけど、時々騒がしすぎると思ってしまう事もある。

 けれど、そんな事も含めて、私はすっかりとこの街の事が好きになっていた。

 この時折煩わしい喧騒があるから、私は寂しくないと自覚できているのだから。

 一人で静かだと、時々余計な事を思い出してしまう。

 それをこの街の皆は、全てかき消して楽しい気分にさせてくれる。

 明日も良い日になると、信じさせてくれるのだ。

 だから、そんな冬木の街や人が、私は大好きだった。

 掛け値なしに、大切だと公言出来る程に。

 

「ん、凛、ありがとう」

 

「ありがとうじゃないわよ、バカ」

 

 凛の背中から、微睡んでいたい誘惑を振り切って離れると、照れれば良いのか怒れば良いのか分からない顔をした凛の姿があって。

 最終的に、ジトっとした目で私を睨むところで落ち着いた様だ。

 アンタ、何してくれてんのよ、と今更ながらに怒る方向に感情がシフトしていた。

 だから私は、気にした風もなく平然と凛を見返す。

 言いたい事があるなら聞くわ、といった姿勢で。

 

 ――そうすると、やはり先に折れてくれたのは凛だった。

 呆れたと言わんばかりに、疲れたと示さんばかりに溜息を吐く。

 それが凛の和解の合図で、凛に甘える形で私は彼女に微笑む。

 この街に来た頃はもう少しばかり抵抗されていたけれど、今ではすっかりと凛は私の事を知り尽くしてしまっていて。

 この場合、私が屁理屈でごねてしまう事を知っているから、彼女の方から折れてくれるのだ。

 筋が通らないのなら断固としても凛は噛み付いてくるけれど、一周回ってあまりに馬鹿馬鹿しい話であるなら妥協してくれるしなやかさもある。

 そして私も、凛がおおよそで妥協してくれるだろうと考えていたから。

 

 ……これは甘えなのは分かってる。

 でも、もう居心地の良さに溺れてしまってるから、早々に抜け出す事なんて出来そうに無くなってしまってるのだ。

 だから、と私は誤魔化す為に、外の風景を眺める。

 何時もと同じなのに、今日だけは違う風に見えてしまう風景を。

 

「凛」

 

「何よ」

 

「私の夢、叶うと思う?」

 

 凛の顔を見ず、私は空の向こうを見ながら尋ねた。

 ある意味では独り言な、答えのない問いを。

 どう答えて欲しいかなんて、私自身にも分からない。

 だけれど、凛に何でも良いから答えて欲しかったというのは、確かな事で。

 だから……、

 

「さぁ、私はアンタじゃないから分からない」

 

 その答えが、少し残念で。

 気分を切り替えようとした瞬間に、凛は”でも”と待ったを掛けてくる。

 凛の声は、どこまでも透き通っていた。

 

「私がアリスなら、絶対に成功させるわ」

 

 その言葉に、思わず振り向けば、そこにあったのは何時もの不敵な笑み。

 遠坂凛の、純粋で直向きな眩しい姿。

 どんな事だって自分なら乗り越えられると思っている、ちょっと傲慢だけれど、それでも可能性を信じさせてくれる彼女がそこに居たから。

 

「凛らしいわね」

 

 私なりの賞賛で、彼女に感謝の意を伝える。

 さっきのは、凛なりの発破で、それでいて励ましであったから。

 どこまでも走っていけそうな程の活力を、その言葉に私は吹き込まれる。

 弱気なんて無かったけれど、漠然とした不安だけは胸に微かに存在していて。

 だけれど、今ので私は、そんなモノを気にせずいられる。

 自分だけを信じて、真っ直ぐに突き進んで行ける様になったから。

 

 もう少しだけ外を見ていたいと言った私に、凛は程ほどにね、とだけ告げてこの場から立ち去った。

 ただ一人、その場に残った私は、少し曇っていた窓ガラスを一撫でして、少しばかりの感慨に耽る。

 これまでの事と、これからの事を夢想して。

 

 

 

 ――この日、私は運命に出会う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まるで刺す様に鋭い寒さだった。

 ゲリラ的に降る雪は積もらず、だからと言っても止まなくて。

 寒さが雪を降らせるのか、雪が寒さを引き寄せているのか。

 見ているだけなら美しいのに、と何人もの人が残念がったか。

 そんな事、私には分からない。

 ただ、春を待ち望む人の気持ちが、この時ばかりは良く理解できた。

 

 そんな現在は、辺り一面が暗くて、空を見上げれば雪降る雲の合間から、僅かな月の光が漏れていた。

 既に夜で、痛い程に静かで、暗闇が誘っている様に見えるくらいに、魔術師の時間が訪れている。

 私はそこに、今回もメガネを掛けて訪れていた。

 

「凛、やっぱりここなのね」

 

「アンタは来たことあったっけ?」

 

「一回だけ」

 

 隣にいる凛に話しかければ、彼女は赤のコートを揺らしながら私の顔を覗いて。

 何したの? と言いたげな表情で、ジッと私を見つめてる。

 それに私は内緒と答えて、肩に掛けているポーチを揺らしながら、そのまま足を進めていく。

 

 目の前には、少し前に来た洞窟。

 狭くて暗く、けれども深く遠い場所。

 ――大聖杯へと繋がる入口。

 

 まるで深淵にでも繋がってそうだと、そう思ってしまえる暗闇で。

 私と凛は、そこに躊躇する事なく足を踏み入れる。

 魔術師にとって、その闇の向こうにこそ手にすべきモノがあるのだから。

 この暗闇こそ、私達にとっては友なのだ。

 

「凛はここに来た事ある?」

 

「こんな所、理由なんて無いのに来る事なんてないわよ」

 

 道中、凛と話しながらデコボコの道を歩く。

 道のりは険しいというには平坦であるが、煩わしく感じる程度には鬱陶しい。

 一応は真っ直ぐ歩けるくらいに整えてあるのが、何とも言えない感覚を呼び起こす。

 来たいものだけが、この道を通るが良いと言われてる感じがするのだ。

 こんな場所、来たくて来る人なんて、きっと変人しかいないのに。

 

「御三家の遠坂なんでしょう?」

 

「セカンドオーナーは暇じゃないの。

 こんな辺鄙な所、わざわざ足を運ぶ暇なんてないし。

 それにさ、ここって柳洞君の実家でしょう?」

 

「あぁ……」

 

 下手に理屈を並べられるより、余程説得力のある言葉であった。

 柳洞くんと凛、水に油で蛇とマングース、ついでに言えば魔女と坊主。

 分かり合える事はあっても、凛と柳洞くんの性質上、相容れないと相反するしかない二人。

 その様は、磁石のN極同士が反発してしまうのを思い起こさせられる。

 故に、凛がここにいると知ったら、柳洞くんは比叡山だと高らかに叫ぶことだろう。

 つまり、凛がこの寺の近くまで来るのは、中々にリスキーな行動だという事。

 好んで近づこうなんて、面倒くさくて嫌だろう。

 ……まぁ、学校で柳洞くんを見かけたら凛は、時々玩具の様におちょくってるけれど。

 

「そういえば、凛は柳洞くんとは、どんな接点で縁が出来たか聞いても?」

 

「別に大した事じゃないわ。

 ただ、中学生の時に柳洞君が生徒会長で、私が副会長だっただけだもの」

 

「推薦?」

 

「そうね、嫌だったけど、クラスで無理やり立候補させられて、都合の良い事を喋ってたら見事当選ってトコ。

 何で宝くじは当たらないのに、こういうのだけは上手くいっちゃうのよねぇ」

 

「凛はそれ以前に、宝くじなんて買ってないもの」

 

「アレ、一等の確率を言うと、根源掘り当てる並みに難しいモノよ。

 そんなの、買う方が馬鹿げてるでしょう?」

 

「堅実ね」

 

「お金は幾らあっても足りないもの。

 預金口座、幾ら見ても増えないのよね」

 

「増えてたら魔術とか魔法の前に、詐欺を疑うべきところね」

 

 話しながら、足を進める。

 既に、この前間桐臓硯と話した、大きく開けた所には出ていた。

 今回は、更にその先へと私達は向かう。

 けれど、その今から向かう場所に対して、私達が話している内容は普段の会話そのものであった。

 なんの気負いもなく、私達は日常の延長とばかりに会話をしている。

 この一年を通じて、私がして来た事の結果。

 それが分かるのが、怖い様な、嬉しい様な、不思議な感覚。

 緊張はしてないけれど、気を紛らわせたくなる気分だから、こうやって会話してるのだ。

 

 飾らないで理由をいえば、単に凛と話をするのが心地よいというだけなのだけれど。

 この街に来て、どんな時だって、凛と話していると楽しくて。

 だから今も、こうして二人で話している。

 ただ、それだけの事で。

 

「あ――」

 

 でも、直ぐに終わりはやってくる。

 道は無限に続いている訳ではなく、薄明かりの灯っている道の先に、ポッカリと空いた空洞があって。

 どうしてだか、その穴が口の様に私には見えた。

 

「もう、来てるのかしらね」

 

「さぁね……でも、綺礼の奴だったら、もう来てるに決まってるわ」

 

「どうして?」

 

「陰湿さが几帳面さに繋がってるのよ、アイツ。

 こういう事に関して、裏があっても手を抜いたりしないもの」

 

「欠点が時には長所にもなり得るのね……」

 

「違うわ、欠点が短所と融合して最悪になってるだけよ」

 

 あまりにあんまりな人物評に成程と納得して、私達は開けた場所へと一歩踏み出す。

 胸の中に、僅かな震えと、溢れそうな何かを抱えて。

 

 そして、そこで見たものと言えば……。

 

 

「ほぅ、死に急ぐか、妖怪」

 

「呵呵、何時にも増して好戦的だのぅ、綺礼よ」

 

「生憎と切開は私の生業だ、余計な手出しは止して貰おう」

 

「さて、儂は疼いておるなと、告げただけなのじゃがな」

 

 とても最悪な組み合わせが、不愉快さを撒き散らしながら睨み合っていた。

 いや、睨んでいるのは神父だけで、間桐臓硯は愉快そうにニヤついていて。

 それが余計に、神父の神経を逆なでしている様であった。

 その光景に、私も凛も、珍しいものを見たと言わんばかりに顔を見合わせる。

 あの神父にも、苦手で嫌いなモノはあったのかと。

 

「ふむ、どうやら儂ら以外にも、ようやく到着したようじゃな」

 

 声に不快さを滲ませている神父を他所に、臓硯は口元の口角を上げて私達を向かい入れる。

 ……そんな彼に、凛と揃って、無条件で不愉快な気持ちになってしまったのは仕方ない。

 何というか、彼の笑顔は、その皮の下に何か妖怪でも潜ませているのではないかと、そういうことを邪推してしまうモノだから。

 恐らくは初めて、そこにいる神父と同じ気持ちになった事だろう。

 

「こんばんは、意外に楽しそうで何よりだわ」

 

「呵呵、マーガトロイドの小娘よ、お主にはそう見えるか」

 

「えぇ、貴方は特にね」

 

 挨拶代わりの皮肉を、臓硯は面白い事を聞いたと言わんばかりに笑い声を上げて。

 その隣に居た神父は、僅かに表情を歪ませた以外は無表情で通している。

 実にこの場において対照的な二人で、神父にとってこの組み合わせは相性が著しく悪いと伝わってくる。

 腐っていても年の功という訳なのか、それとも単純に臓硯の不快さにアテられてしまったのか。

 もしそうだとしたら、あの妖怪を不快に思う感性が、あの神父にあった事そのものが驚きなのだが。

 

「相変わらずの様だな、アリス・マーガトロイド」

 

「貴方は何時も通りではないみたいね、言峰神父」

 

「なに、人間は善人であれ悪人であれ、内を暴かれるという行為は不快に思うものだ。

 この翁は、からかい混じりに、それも悪意を持って実行するのだからタチが悪い」

 

「アンタが言うな」

 

 神父の重い質の声ながらも朗々と述べる言葉に、凛が小さく悪態をつく。

 日頃からいびられてるせいで、絶対に用事が無い限りは教会に近づかない凛らしい言葉。

 それを聞いた神父は僅かに口元をつり上げ、僅かに微笑みを湛えながら凛の方へ向く。

 げ、と小さく凛が声を漏らすが、物の見事にヤブヘビここに極まれりだった様だ。

 嬉々として、神父は口を開く。

 

「兄弟子の下に姿を見せない不良娘に言われるとは、これはまた心外だな、凛。

 私は、何時もお前には手を焼かされていた記憶があるのだがな」

 

「煩い、懐かれたいんだったら、もう少し真人間になる事ね。

 もし更生したら、偽物と断じて殺してあげる」

 

「ッフ、天に旅立った時臣師も、さぞかし嘆いておられる事だろう」

 

「そうね、こんなロクデナシを弟子にした事、お父様もずっと後悔してるに決まってるわ」

 

 顔を突き合わせた途端、凛も神父も激しい皮肉の応酬を開始する。

 柳洞くんと会った時も同じ様な光景が見られるが、その時は凛は楽しげに言葉を交わし合っている。

 一方、目の前の神父の事になると、顔を憎々しげに変化させるのが最大の相違点。

 凛にとっての天敵が誰であるか、見れば一目で分かるのだから、どれだけ苦手なのかが伝わってくるというもの。

 それに凛は、臓硯に至っては口を利こうともしない。 

 そこの神父以上に、露骨に警戒しているのが目に見えて分かる。

 どうやら、ここに集まっているのは、お互いに身包みを剥がされない為に警戒し合うしかない連中ばかりの様で。

 御三家と監督役、二百年もの因縁の深さは、殺し合いをしてきた事も含めて、他の追随を許さない領域にあるだろう。

 ……まぁ、凛と桜はかなり仲が良いから、陰湿な神父と陰険な妖怪が凛は気に召さないだけだと思うけれど。

 

「何か言いたそうだな、マーガトロイド」

 

「変に目敏いと、デリカシーがないって言われるわよ」

 

「それは、お前に対して必要なモノなのか?」

 

「……貴方、女の子を敵に回す発言を、平然とするわね」

 

「なに、外見だけ繕って中身がないのならば、狗にでも食わせてしまった方が為になるだろう」

 

「凛、やっぱりこの神父は最悪よ」

 

「言われるまでもなく知ってるわ」

 

 まぁ、今現在は魔術師としてここに立っているのだから、女の子扱いされるのは何とも言えないが、もう少し言い方というものがあると思う。

 何時もこの神父は、複数ある選択肢の中から最悪なモノを選び出し、しかも意図的にそれを行っているのが分かるので引っ叩きたくなる。

 女の敵というよりかは、性悪男という意味合いで。

 更に何か言い返そうかと言葉を練り始めた時、急にしわがれた声が私に向けられる。

 面白そうに事態を見守っていた臓硯が、止めに入ってきたのだ。

 

「楽しそうなところで悪いがの」

 

「何がよ」

 

「気を逆立てるでない。

 ほれ、どうやら最後の客が訪れたらしい」

 

 そう言うと臓硯は杖を、私達が来た道の方へと向ける。

 杖が指し示した方向。

 そこを見れば、音もなく静かに歩いてくる白の姿。

 何時しか見た、アインツベルンのメイド装束……。

 

「お待たせ致しました」

 

「呵呵、ユーブスタクハイトはこの様な島国には足を運びたくもないか」

 

「――ご当主様は、現在多忙の為、私が代行を務めさせて頂きます」

 

「こんな所に集まれるほど、暇人ではないという事じゃな」

 

「………………」

 

 臓硯に絡まれたメイドは、答える事なく鋭い視線を向ける。

 まるで軽蔑するかの眼光、それを受けても臓硯は心地よさげで。

 間違いなく変態の所業であると、こればかりは断定できた。

 耐え切れずにメイドの方へと視線を逸らすと、彼女もこちらに歩み寄って来て。

 ジッと見ていると、どこかそのメイドの表情に既視感が過ぎる。

 あの城で見た、感じた雰囲気を纏っていたから。

 

「貴方、あの時の……」

 

「アリス・マーガトロイド様、お久しぶりです」

 

「えぇ、そうね」

 

 無感動に返してくる彼女に、私も言葉を選ばざるを得なかった。

 確か、このメイドはイリヤにセラ、と呼ばれていた人。

 あの時同様に、今も無表情でこの場に立っている。

 ここも、城も、大して変わらないと言わんばかりに。

 

「では、早速始めましょう」

 

「そうね、ずっとこんな所に居たいわけじゃないし」

 

「私も、出来る事なら早く取り掛かりたいわ」

 

 今も手早く、成すべき事だけを一直線に取り掛かろうとする。

 他の余分なものは排除して、自らの仕事のみを果たしに来たと示さんと。

 その事実に、私と凛は非常にありがたくて直ぐに飛びつく。

 だって、神父と臓硯に囲まれてお話なんて、罰ゲーム以上に拷問にも等しい行為なのだから。

 

「ふむ、そういう事ならば良いじゃろう。

 この歳で冬は堪えるでな」

 

「嘘吐きなさいな、そんな軽装で出て来てるのに」

 

 呵呵、と笑っている臓硯が着ているのは、何時もと変わらぬ詠鳥庵仕立ての和服。

 寒いと嘯くのならば、もう少し厚着して来いと言いたくもなる。

 まだ、そこな神父のカソックの方が暖かく見えるのだから、臓硯の言葉はわざとらしいにも程があった。

 

「アリス、構ってないで準備して」

 

「……了解」

 

 あまりのわざとらしさに思わずツッコミを入れてしまったが、それに対して凛からのお叱りを受ける。

 思うところはあるけれど、それでも確かに早くここから去りたいのなら、儀式を的確に終わらせる他にない。

 なので、私も早々に、振り返らずに準備に取り掛かる事とする。

 

 具体的には、大聖杯から魔力を引いての召喚陣の作成。

 材料といえば、家畜の血に宝石を溶かし、混ぜた物。

 大聖杯へは、アインツベルンの彼女がアクセスし、魔法陣と連結させる作業を担っている。

 神父は私への令呪一画の供給、凛は私の召喚における魔法陣の補佐を。

 臓硯はこの召喚を観察、一歩後ろから俯瞰した視線でこの実験を見守るとの事だそうだ。

 ……一人、良いご身分が混じっているけれど、きっと気にしたら負けなので気にしない様に努めよう。

 

告げる(Set)

 

 ポーチから、ペットボトルを取り出す。

 魔力を帯びた、血と宝石が混ざり合ったものを。

 そのまま蓋を開けて、真下の地面へと注ぎながら私は囁く。

 

設置せよ(Installation)

 

 私の声に従って、地と混ざった液体は、赤の陣を描いてゆく。

 ある種の指向性を持って、血は円を作り、円は模様を語り、模様は形を作る。

 そうして、出来上がったのは弱体化の陣。

 この陣は混ぜた宝石に干渉されており、サーヴァントを召喚する際はランクが弱体化して、サーヴァントとしては霊格がダウンして召喚される仕組みとなっている。

 こうしてスリムになった英霊は、私の小源(オド)だけでも運用可能になる様に設定されている。

 キャスターなんてクラスならば、余計に維持費は少なくて済む事は計算済み。

 多少は圧迫される事はあっても、これなら私の魔術回路にもある程度余裕が生まれる。

 私が、何度も計算を破棄しては作り直した努力の結晶だ。

 

「準備、出来たわ」

 

「よろしい。

 ならばこれより、令呪を授けよう」

 

 淡々と、神父は告げて自らの手を掲げる。

 そこにあるのは、一画の令呪。

 まるで刻印の様に、くっきりとそこに姿があって。

 見入る私に、神父は私に腕を出す様に要求する。

 それに従って、私はゆっくりと手を前に差し出し……。

 

「では、始めるとしよう」

 

 私の手に、神父の手が重ねられる。

 一瞬、反射的に振り解こうとしてしまったが、落ち着けと自分に言い聞かせてそのままジッと耐え続ける。

 その合間に、神父は何か呪文を唱え、鈍く手の令呪が発光し始めて。

 僅かに私の手の甲に焼けた感覚が走り、そして――

 

「完了した、この令呪は君の物だ」

 

 胡散臭い笑みを浮かべた神父が、そう告げて。

 手の甲に、私は視線を落とす。

 まじまじと、食い入る様に。

 心臓が強く脈打つのを自覚しながら覗いた先には……確かに赤い証が刻まれていた。

 

「おめでとう、これで君の願いは叶う」

 

「今更神父振って、どうするつもり?」

 

「今更も何も、私は元より神父だ。

 それ以上の理由が必要かね?」

 

 何時も通りに飄々と告げる神父に、私は溜息混じりに口を閉じる。

 あまりの不毛さに気付いたとも言えるし、こんな所で時間を潰すのも馬鹿馬鹿しいと感じたから。

 なので代わりにアインツベルンのメイドの方に目を向けると、ずっとタイミングを見計らっていたのだろう。

 

 静かに彼女が近づいて来て、こちらをとある物を差し出してくる。

 それは、私が取り寄せて貰える様に頼んでいた、ある聖遺物。

 権限の無い私に変わって、彼らが時計塔より借り受けてきた神代の品。

 ギリシャの伝承に伝わるモノの、僅かな欠片。

 ボロボロに擦り切れて、だけれども未だにその輝きを失ってはいない。

 

「ありがとう……これで全て揃ったわ」

 

 この聖遺物さえ有れば、確実に目当てのサーヴァントを召喚できる。

 何か間違っても、まさか幻想種である竜は召喚されないし、まず間違いない。

 古代コルキスの品で、レプリカである事もまずないとお墨付きもある。

 なので、堂々と私はここに、彼女を呼び込むだけで良い。

 

 心臓の音を自覚する、ドキドキと高鳴っているのが聞こえてくる。

 緊張ではなくて高揚、もう直ぐ手が届くところまで来た歩みへの震え。

 色々と胸に去来しそうなのを押し止め、私は最後の作業へと移る。

 全てが終わってから、それまでは油断大敵と自分に言い聞かせて。

 

 ――私は、目の前の魔法陣へと向き合う。

 

 

 

「始めるわ」

 

 後ろにいる凛達に、それだけを告げる。

 答えなんて聞かない、今は自分の世界に没入するのみ。

 手の神経が痺れて、どうにかなってしまいそうになるが、全てを押さえつけて。

 ――静かに、右手を伸ばす。

 

「素に銀と鉄。 礎に石と契約の大公」

 

 声は朗々、誓うはこの身で。

 

「降り立つ風には壁を。

 四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」

 

 座より来たりしは遥かな彼方、人理に刻まれし黄金の系譜。

 

閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)

 繰り返すつどに五度。

 ただ、満たされる刻を破却する」

 

 遠い日の、世界の記憶。

 刻まれた証を望む。

 

「――――告げる」

 

 扉は開かれ、器はここに。

 

「汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。

 聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」

 

 貴方には私の名を、私には貴方の名を。

 捧げるのは、私の想い。

 

「誓いを此処に。

 我は常世総ての善と成る者。

 我は常世総ての悪を敷く者」

 

 成すべき情理、課すべき合理、全てを認め、私は果たす。

 

「汝三大の言霊を纏う七天。

 抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ―――!」

 

 だから私の声に応えて、今ここにその姿を現しなさい。

 コルキスの魔女、悲運の姫っ!

 

 

 ――魔力が回る、大源(マナ)が震える。

 ――常世に亡い彼女を呼ぶ為に、幾何学的な魔法陣が回転する。

 ――溢れ出る本流、そうして――

 

 

 

 

 

「っ」

 

 誰かが、小さく声を噛み殺した。

 それにどんな感情が込められていたのか、全く検討が付かない。

 でも、そんな事よりも、私は声が出なかった。

 だって、これは――

 

 "――帰して、ください"

 

 小さく、声が聞こえる。

 か細く弱い、空虚な声。

 だけれど、何よりも想いの詰まった切実な本音。

 

 "――帰りたいんです――"

 

 呆然と、私は声の主を眺めていた。

 何かが噛み合わなかったのか、何かを違えてしまったのか。

 ただ、ジッと耳を傾けずにはいられない、それは……。

 

 "――私の国に、自分の国に帰りたいのです――"

 

 遠くて、空虚で、だけれど溢れている――

 響くそれは、どこまでも深く、引き摺られそうなモノ。

 

 視線の先に居る、声の持ち主。

 彼女は……、

 

「女、の子?」

 

 ――虚ろな目をした、女の子の姿。

 ――どこからか、形のない哄笑が響き渡る。

 ――それを、私はひたすらに聞き入る他になかった。







──聞こえた嘲笑は誰のモノか
──答えは心臓のみが知っている









…………明けましておめでとうございます(小声)


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第39話 朝焼けの日

今月もギリギリ更新完了です!
あと、1時間後にとっても面白い(というよりかは、驚き?)の小説を連続で更新します。
知ってる人は驚いて、知らない人は直ぐに知る為にスコップを握ってください!


「これより、緊急対策会議を行うわ」

 

 後ろのホワイトボードを背景に、凛はメガネをキラリと光らせながら言う。

 場所は遠坂邸の凛の部屋、二人だけでの会議。

 他の面々と言えば、召喚の結果を見届けてから、私が一時解散を告げてお開きとしたのだ。

 これから原因を調べる、それだけ言えばその場に居る全員は了解してくれたから。

 お互いに何かしらの思惑があり、だからこそあの場は各員が保留にしておきたかったというのも勿論あるだろうけれど。

 

 そんな事を考えながら、凛のベッドに座っていた私は、静かに挙手した。

 わざわざそんな手順なんて踏まなくても良いけれど、凛のメガネがそれを強制してくるのだ……こう、光の反射的に。

 

「はい、アリス」

 

「内容は、原因の追求で良いのよね?」

 

「そうね、何か心当たりある?」

 

「なくもないわ」

 

 そう返事をすると、凛は促す様にホワイトボードをコンコンと叩いて。

 だから私も、頷いて原因を述べていく。

 あの時に来てくれた彼女、私が呼んだ英霊。

 まだ名前を聞いてないけれど、遠い神代の時に生きていた魔術師。

 彼女が、どうしようもなく擦り切れた状態で召喚された、その要因を。

 

「言ってみなさい」

 

「まず、魔力消費を抑える様に、弱体化の術式を刻んでの召喚だった事。

 二つ目に、六十年周期じゃないイレギュラーな状況での召喚だった事。

 最後に、私が聖杯戦争に置ける、正規のマスターではない事。

 パッと出てくるだけで、これだけの理由があるわね」

 

「……アンタ、良くもそんな問題だらけで、召喚しようだなんて思ったわね」

 

「避けられなくて、どうしようもない問題だもの。

 だったら、もう後は勢いが大事でしょう?」

 

「それでこの結果なんだから、大したものね」

 

 緊急対策会議、名前の仰々しさに関わらず、ものの十秒で結果が出てしまっていた。

 凛は容赦なく、黒板に”アリスのせい!”と書き綴り、私を睨みつけてくる。

 目が、どうすんのよ、これ、と怒りとジト目の合間で問い掛けてきている。

 下手な返事をすれば、私は家無き子になってしまうくらいの迫力を感じて。

 言い訳も何も、ここまで協力してくれていた相手に、あまり不義理な事はしたくなくて。

 だから、私は軽く息を吸って、そして溜息を吐く様に凛へと答えを返す。

 

「彼女が回復するまで、私が面倒を見るわ。

 判断は、それからでも遅くないでしょう?」

 

「延長戦って訳?」

 

「そう、彼女は私の呼びかけに答えてくれた。

 礼装を用意していたから、運命じゃなくて必然だけれど。

 でも、だからこそ、私は責任を取りたいわ」

 

 真っ直ぐと、凛の顔を見て私は告げた。

 私は失敗した、けれども譲る気なんて毛頭ない。

 譲れないのだから、私は開き直る他に道はなくて。

 我が儘、そう、凛にとっては顔を顰めてしまうかもしれない我が儘で、私は我を通す。

 視線の先の、凛の瞳へと。

 真っ直ぐに見つめて、答えてと私から促す様に。

 

「そう、そういう気があるなら良いの。

 部屋なら貸したげるから、好きにしなさい」

 

「……凛は良いの?

 そんなにあっさり、決めてしまって」

 

 だから、あっさりとそんな返答が帰ってきた事に拍子抜けしてしまう。

 さっきの怒り気味の表情を思い出せるだけに、唖然という方が正しいのかもしれないけれど。

 思わず、さっきとは違う目で顔を覗き込んでしまう私に、凛はやや呆れた表情で答えてくれる。

 落ち着きなさいと、ボンヤリしている私に言葉を添えて。

 

「別に魔力を使って召喚する事は、私は元から許可していたもの。

 そこでとやかくなんて、言うつもりはないわ。

 そもそもね、成功してたらこの家追い出してたから」

 

「そうなの?」

 

「そうよ、だって考えてもみなさい。

 アリスがマスターだからって、英霊にまでなっちゃった魔女と一緒に暮らせる訳無いでしょう?

 私はね、そこまでお人好しじゃないの」

 

 嘘吐き、と反射的に言葉が出そうになるのを、口を結んで我慢する。

 お人好しだから、誠意を持って泣き落としをすれば、きっと凛は妥協してくれるだろうから。

 尤も、私にもプライドはあるから、それは最終手段に過ぎないけれど。

 

「でも、置いてくれるのね」

 

「あの娘が落ち着くまではって話。

 あんな状況で放り出したら、アリスまで共倒れになりそうじゃない。

 それは流石に、目覚めが悪いっていうか……」

 

 もにょもにょと、口を動かしながら、凛はそんな事を言う。

 人、それをお人好しというのだけれど、凛に告げれば即座に激高するだろうから、口は噤んだままで。

 代わりに、精一杯にこういう他に無いのだ。

 

「ありがとう、凛」

 

「良いわよ、別に」

 

 実に短いやりとり。

 でも、それだけで私達は十分に通じ合っていた。

 むしろ、これ以上語ればお互いに恥ずかしくなってしまうから、ある意味での自衛とも言える。

 だから私も凛も、それ以上は何かを言う事はなくて。

 

「今日は部屋に戻って、あの娘の面倒を見るわ」

 

「ん、分かった。

 ところでアリス、寝る場所はどうするの?」

 

 そろそろ戻ろうと立ち上がった私に、凛は一つ尋ねごとをしてきた。

 現在、私はあの娘を一人っきりに出来なくて、一緒の部屋に住まわせる事にしたから。

 今は私のベッドの上で眠っている。

 ずっと彼女は、郷愁そのものである切ない囁きを続けていたから、私と凛で急遽寝かしつけたのだ……魔術的なお薬を使って。

 

「お布団ってあるかしら?」

 

「探せば、どこかに?」

 

「分かった、明日辺りにでも買いに行くわ」

 

 言外にアテにしないと言うと、そ、とだけ凛は答えて。

 私は今度こそ立ち上がって、凛の部屋を後にする。

 結局、原因の究明なんてあの状況では出来ないし、これからどうするかという話し合いをしに来ただけだった。

 でも、そういう事は後々出来る事で、恐らくは直ぐに目の前の事で手一杯にになってしまうから。

 だからありがとう、と凛に聞こえない場所でもう一度囁き、私は自分の部屋へと足を進める。

 私の下に来てくれた彼女は、どんな寝顔をしてたかしら、なんて考えながら。

 

 

 

 

 

 そっと、音を立てない様にドアを開ける。

 ベッドを確認すれば、仰向けで目を閉じている少女の姿。

 ホッと、息が漏れるのを私は止め様がなかった。

 もしかしたら、居なくなってるんじゃないかって危なさが、彼女にはあったから。

 寝ていても夢遊病の様に、フラフラと幽霊みたいな足取りで。

 故郷を探す旅に出てしまはないか、少し心配だったのだ。

 

「さて、ね」

 

 そんな彼女を前に、私は既にパジャマ姿。

 白色を基調とした、フリフリとしている可愛らしい物。

 そしてベッドの上の彼女は、薄紫のシルクで出来た可憐なドレス姿。

 何かを間違えば、非常に宜しくない現場の様にも見えてしまう。

 

 が、私はそんな事を気にせずに、そっとベッドに入り込む。

 現在この部屋にはベッドは一つしか無いのだから、致し方ないのだ。

 そんなにベッドは大きくないので、結果として寄り添う形となる私達。

 彼女から感じる体温は確かに暖かくて、とてもエーテル体のモノだとは思えない。

 これが英霊なのね、と不思議な感慨に襲われるが、目の前にある顔は極々普通の、けれどもとっても可愛い女の子のモノ。

 伝承によれば、この頃がきっと彼女が一番幸せだった頃なのだと、そう思わせられる年齢の。

 

「…………え?」

 

 でも、彼女は空虚な目をしていて。

 ――そして今も、閉じた目から一筋の涙が流れ落ちる。

 悲しい事があったのか、耐えられない事があったのか、それを私は知っている。

 だから、彼女が召喚された時に言った言葉の意味も、分かっているのだけれど……。

 私には、どうしようもなかったから。

 貴女の故郷にはいけないわ、なんて残酷な言葉は吐けるはずもなく。

 

 対処療法的に、私は彼女をそっと抱きしめた。

 寂しさを紛らわす為に、落ち着かせる為に。

 貴女の居場所は、仮にだけれど私のここにあるんだと示す為に。

 撫でり、撫でり、と背中を摩る。

 安心してと、気持ちを体温に乗せて。

 

「幸せな夢を見なさいな。

 悲しい夢と表裏一体だもの、直ぐに見れるわ」

 

 彼女の涙を拭って、私も抱きしめたまま目を閉じる。

 せめて、こうしている間だけは、彼女が悪い夢を忘れられます様に、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――夢、そう、夢を見ていた。

 ――どんな夢かは、もうボンヤリしている。

 

 ――ただ、少女は魔女となり。

 ――荒野を、大地を、ギリシアを、ひたすらに彷徨い続けていた。

 ――どこか遠い、嘆きを口にしながら。

 

 

 

 

 

 パチクリと、不意に目が覚めた。

 朝の太陽はまだ昇りきらず、少し顔を覗かせている時間帯。

 まだ寝れるわね、なんて考えていると、目元からポロリと何かが零れ落ちる。

 そっと頬に手を当てれば、一筋の濡れた感触を感じて。

 

 目の前には、抱きしめて眠った少女の姿。

 良く良く気がつけば、私は抱きしめたまま、片腕は少女の下敷きになってすっかりと痺れていた。

 

「……起きた方が、良いかしら」

 

 まだ、ぼぉっとする頭で思考しながら、そっと少女の下敷きな腕を開放してもらう。

 自業自得だけれど、今日一日は響くかも、なんて思いながら。

 まぁ、後悔なんて微塵もしてないから何も問題はない……結構痺れるけれど。

 

 体を起こせば、まだ肌寒い冬。

 直ぐに冷気に素肌を撫で回されて、少し不快な気分が過ぎる。

 だからか、折角起きたのに、活動を始めよう何て気持ちになれなくて。

 思わず、シーツを被り直してベッドの中に籠城してしまう。

 暖かい方に体を寄せれば、必然的に彼女のすぐ近くで。

 とっても心地よい体温に、思わず擦り寄ってしまいながら。

 緊急避難、そう、これは緊急避難なのだと自分に言い聞かせて。

 

 暖かいと、人は気が付けば眠りに誘われていく。

 それも人肌で心地よい体温ならば、尚更で。

 だからこれは仕方ないのよ、と小さく言い聞かせながら私の意識は暗転する。

 お休みなさい、と目の前の彼女に告げてから。

 ゆっくり、ゆっくり、呑まれる様に……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――夢、そう、夢を見ている。

 ――夢の内容は、とても穏やかだった。

 

 

 

 見えていたのは、そこそこに広い、だけれども人の気配があまり感じれない洋館の中。

 けれども、綺麗に行き届いている洋館からは、生活の匂いが感じれて。

 恐らくは入口であろう扉と、床に敷かれた絨毯から、トテトテと小さく走る音が聞こえてきた。

 

『おかーさん』

 

 そして、柔らかな声が響く。

 絨毯の上で、金色の髪をした少女が駆けていた。

 瞳は蒼く爛々としていて、笑っている姿は幼子らしくて。

 青のリボンを揺らしながら、一つの背中を追いかけていたのだ。

 

『アリスちゃん、どうしたの』

 

『ううん、呼んでみただけよ!』

 

『あらあら、甘えん坊ね、アリスちゃんは』

 

 振り返って、近付いてきた幼き少女を抱き上げたのは、銀色の髪が美しい女性。

 よしよしと抱き上げた少女の頭を撫でて、それに対してアリスと呼ばれた少女は嬉しげに微笑んでいた。

 ただ、女性の耳元で、彼女は私は大人よ、と囁いているのがとても可愛らしい。

 どう見ても、甘えたがりの少女なのだから。

 

『おかーさんは、最近忙しいんだよね』

 

『ごめんね、あまり構ってあげられなくて』

 

『ううん、良いの。

 おかーさん、忙しいもんね』

 

『忙しかったら子供を放っていても良いって、そういう事にはならないんだけどね』

 

『わたし、我が儘はたまにしか言わないわ』

 

『そこで、言わないなんて断言しないのは、とっても可愛い。

 正直な娘に育ってくれて、お母さん将来が心配よ』

 

『大丈夫! 将来は魔術師じゃなくて、お人形屋さんになるから』

 

『別に良いんだけれど……そうねぇ』

 

 女性は頬に手を当てて、少し困った表情をしていた。

 このままで良いのかしらという心配と、このまま大きくなって欲しいという相反した願い。

 あまりの擦れて無さに、この娘は魔術師として育てられた訳では無いのが如実に伝わってくる。

 母子の間にある絆も、愛情も、全て。

 在りし日の自身の姿を思い出し、懐かしく思ってしまう程に。

 

『だからね、おかーさん。

 お人形さんの縫い方を、作り方を教えて欲しいの。

 ほら、しゃんはいもほーらいも、とっても可愛いもの!』

 

 降ろしてもらった少女は、大きなポケットより人形を二つ取り出す。

 赤のリボンでそれぞれオシャレをしている、一見で可愛いと思える二組の人形。

 少女の言葉から、この女性が縫ったのだろう。

 女性は困り顔を嬉しそうに綻ばせて、フフッと声を漏らす。

 そうしてまた、少女の頭を撫でるのだ。

 

『アリスちゃんのお誕生日だったから、お母さんも気合入っちゃたわ。

 我ながら、中々の出来だと思うもの』

 

『うん、おかーさんすごい!』

 

『アリスちゃんはお人形さんが大好きだものね』

 

『うん、家族よ、私はみんなのおねーさんなの』

 

『……アリスちゃんよりも年上のお人形さん、実はあそこにいるのよ?』

 

 そう告げられると、少女は途端にショックを受けた表情になる。

 そんな馬鹿な、と言いたげに。

 

『わ、私お姉さんじゃないの!?』

 

『アリスちゃん、年上の女の子におねーちゃんって呼んでって言える?』

 

『……私の方が背が高いもん。

 だから、私がおねーさん』

 

 聞いていても分かる通りに、とても苦しい言い訳。

 女性の方も、堪らず笑ってしまって。

 少女は、とってもむくれた顔を浮かべていた。

 

『おかーさんの意地悪』

 

『ごめんなさいね、アリスちゃん。

 でも、私の子供はアリスちゃんだけだから』

 

『おかーさん、おかーさんはしゃんはいとほーらいのおかーさんよ?』

 

『……言われてみればそうね。

 確かに、私の手作りは、あの娘達だけだものね』

 

『うん、だから私はしゃんはいとほーらいのおねーさん』

 

『はいはい、アリスちゃんはお姉さんだわ』

 

 女性に認めさせた事で満足したのか、満足げにウンウンと頷く少女。

 お姉さんというのに拘りがあるのか、それとも人形は全て妹とでも思っているのか。

 少女は、そっと女性の服の袖を掴む。

 ねぇ、おかーさんと声を掛けながら。

 

『だから、今度は私がおかーさんになるの。

 お人形さん、作るから』

 

『あ、アリスちゃんにお母さんはまだ早すぎるわ!!』

 

『……ダメ、なの? おかーさん』

 

『え? えっと、ダメかというとやぶさかではないんだけれど、そのおかーさんという表現は、ちょっと違うんじゃないかなーってお母さん思うの』

 

『じゃあ、何?』

 

 少女に潤んだ目で見上げられて、女性は慌てていた。

 あわあわと、母というよりは困った質問をされた姉の様に。

 でも、少女の圧力に屈したのか、僅かに考えてから、少女へと語りかける。

 それはね、と少女の目線まで腰を下げながら。

 

『人形師って言うの。

 お人形さんを作ったり、お人形さんで劇したりして、お人形さんと一緒に暮らしている人の事よ』

 

『にんぎょうし……』

 

『そう、だからアリスちゃんは、お母さんじゃなくて、人形師になると良いわ』

 

 そう女性が告げると、少女の顔には何だか楽しげな色が広がっていく。

 素敵、と顔に書いてあるかの様に。

 にんぎょうし、ともう一度口の中で言葉を転がして。

 

『じゃあ、おかーさんも、にんぎょうしなんだ』

 

『そうね、私も人形師よ』

 

『なんか、カッコイイね』

 

『お母さんは、アリスちゃんの為なら、幾らも格好良くなれる生き物なのよ』

 

『それは何だかカッコ悪いよ、おかーさん』

 

『えー、何でよ、アリスちゃん』

 

 アリスちゃんに意地悪されたー、と拗ねている女性と、微笑んでいる少女。

 よしよしと、今度は少女に頭を撫でられる始末で。

 でも、何だか二人揃って楽しそうな光景。

 これが幸せなのだと、私も理解できる二人組。

 私にも、こういう時はあった事を思い出すと、何故だか胸が暖かくなっていく。

 心に空いた穴が、まるで埋まっていくかの様に。

 

 ――あぁ、何て穏やか。

 二人の笑い合う姿が、段々とセピア色に染まっていく。

 まるで記憶の一枚画。

 色褪せていて、それでもその笑顔はどこまでも色濃く心に残っていて。

 大切なんだと、私の胸に自然と届けてくれていた。

 

 

 

 

 

「わた、し……」

 

 目が、覚めた。

 不思議な夢、だとは思わない。

 繋がるモノと、自然に理解できるから。

 

「ん……」

 

 隣で寝ている彼女、恐らくはこの人が、さっきの夢の中の少女。

 成長して、背も伸びていて、大分に変わっているけれど。

 それでも、面影があって、可愛いのは変わらなくて。

 

「わた、し」

 

 自分がどこに居るのか、分からなくなりそう。

 自分が何者かすら、忘れてしまいたいくらいに。

 

 私の居場所はどこ?

 私は何処に居るべきなの?

 私は何処に行きたいの?

 

 全部が全部、自らに尋ねては、首を振って払い落としてしまう。

 違う、違うの、と。

 私はここに居る、けれどもここは居場所じゃない。

 先ほど見た夢、あの夢の様な場所こそに、帰るべき故郷がある。

 

 だから……だから?

 私はどうするべきなのか、どうしなくてはいけないのか。

 考えれば考える程、嫌な事を思い出して、嫌な事が頭に過ぎっていく。

 起きているのに悪夢を見ている、覚められないというのは、なお悪い。

 どうして、ただそれだけしか、感情は湧き出てこない。

 

 さみしい、かなしい、かえりたい。

 揺り動かされるのは、心の奥の原風景。

 お師匠様や姉弟子と過ごした、代え難き日々。

 どうして、私はこんな所に居るんだろう、と再び思ってしまって。

 

「泣いて、いるの?」

 

 だから、不意にそんな声を掛けられて、ビクリと体を震わせてしまう。

 見てみれば、さっきまで泣いていた彼女は、目を開けて私を見上げていた。

 何故だか、綺麗な瞳に涙を溜めて。

 

「貴女も、泣いてます」

 

「私は貴女に泣かされただけだから、何も問題はないわ。

 でも、貴女が泣いているのは問題なのよ。

 泣いているのは、私のせいじゃないでしょう?」

 

 優しく、私に語りかけてくれる彼女に、私は一つ頷いていた。

 私と彼女は繋がっていると分かっていて、恐らくは私の夢を見てくれていたから。

 彼女が私に泣かされたといったから、彼女はすごく優しい人だと、そう思えたのだ。

 

「泣きたいの? 泣きたくないの?

 それだけ、今は聞かせてくれるかしら?」

 

「私は、わたしは……」

 

 どうしたいのと聞かれても、どうすれば良いのだろうと困ってしまう。

 涙なんて、自然と流れていくもので、だから泣きたいなんて思った事はなくて。

 でも、泣くのを止めたいなんて、そんな事も考えた事はなくて。

 

「そう……貴女は泣きたいのね」

 

 自然と、涙は流れていくもの。

 だからか、今も勝手に流れてしまって。

 彼女は、それを泣きたいと解釈してしまったみたいだ。

 泣きたくて、泣いてる訳じゃないのに。

 

「だったら、今は泣いておきなさい。

 泣くのに疲れたら、泣き止めば良いわ」

 

 そう言って、彼女は夢で女性がしていた様に、私をギュッと抱きしめてくる。

 暖かくて、ホッとして、涙腺が余計に刺激されて。

 さっきよりも、涙が多く流れてきて。

 なんでとか、どうしてとか考える前に、泣いちゃおうと心が勝手に思ってしまっていた。

 私は、昨日知り合って全然会話もした事のない人の胸で、声を出さずに泣いている。

 

 不思議な感覚、けれども分かる。

 夢だ、さっきの夢のせいだと。

 あの夢のせいで、私は涙が止まらなくて、懐かしくて、彼女ならと思えてしまって。

 彼女はさっき、貴女に泣かされていると言っていたけれど。

 今は私が、貴女に泣かされているの、と心より思ってしまう。

 虐められた訳じゃないのに、女の子に泣かされるなんて。

 そんな事を考えながら、私は彼女に泣きすがっていた。

 言われるがままに、疲れるまで泣いてしまおうと、そう思えてしまったから。

 

 ……彼女は、どこか優しい、女の子の匂いがした。

 

 

 

 

 

「ご機嫌如何かしら?」

 

「泣いてしまわないくらいには、大丈夫です」

 

 あれから、少しして。

 私の胸で泣き止んでいた彼女は、目を腫らしつつも泣き止んでいた。

 ティッシュで涙の跡を拭うと、ありがとうございますと小さく声が返ってくる。

 そうして、そのまま私を見上げてきて、泣いた後で赤いけれど、綺麗な顔がジッとこちらを見つめていた。

 なので、何かしらと尋ねると、彼女はこんな事を聞いてきたのだ。

 

「貴女の、名前が知りたいです」

 

「名前?」

 

「はい、貴女の名前です」

 

 住んで瞳で、純粋にこちらを見つめる彼女。

 私に、一体何を求めているのか。

 深いところなんて分かるはずもなく、だから素直に名乗る事にする。

 取りあえずは、それが取っ掛りに丁度良いのは事実であるから。

 

「アリスよ、アリス・マーガトロイド」

 

「アリス、やっぱり……」

 

 呟きながら、彼女は俯いてしまう。

 何がやっぱりなのか、サッパリ私には分からない。

 ただ、彼女が納得しているのだけは確かで。

 彼女が何か言い出すまで待っていると……僅かな時間の後に顔を上げて。

 その顔を上げた彼女は、何故だかとっても決意に満ちた顔をしていた。

 

「あの、お願いがあります!」

 

「何かしら?」

 

 言ってみなさいと言うと、彼女は頷いて、けれども驚くべき事を言い出す。

 

「わ、私、マスターの事なのですが、アリスちゃんって呼びたいんです!」

 

「アリス、ちゃん?」

 

「はい、そうです!」

 

 記憶が刺激されて、懐かしき日々を思い出すが、それ以前に何を言っているのだろうかこの娘はという気持ちが強くて。

 まじまじと顔を覗いても、至って本気という以外に読み取れるものはなかった。

 

「本気なのよね?」

 

「はい……やっぱり、駄目ですか?」

 

 正気なのかどうなのか、大変に怪しいところはあるけれども。

 酷く残念そうな顔をしている彼女に、あまり無粋な事は言いづらい。

 なので、私は良いわ、と彼女に告げる。

 

「アリスちゃんでも何でも、好きに呼びなさい」

 

 パァ、っとそれを聞いた瞬間に、彼女の顔が分かりやすく明るくなる。

 劇的という程ではないけれど、それでも今までの暗い顔よりかは明確に分かるくらいに明るくて。

 そもそも、楓からはマガトロ呼ばわりされているのだ。

 今更、アリスちゃんと呼ばれて怯むなんて早々ない。

 単に、彼女のイメージから外れていた物言いな気がしただけなのだ。

 

「うん、ありがとう、アリスちゃん」

 

「……えぇ、どういたしまして」

 

 ただ、どうにもむず痒い。

 名前にちゃんを付けられているだけなのに、どうにも落ち着かなく感じてしまう。

 そわそわと、記憶が心と連動して、私に良いの? と問いかけてくるのだ。

 それに良いのよ、と私は言い聞かせて。

 代わりに、彼女へと私も質問を向ける。

 

「貴女の真名も、教えて貰えるかしら?」

 

「知っていて、召喚なさったのではないのですか?」

 

「勿論、その通りよ。

 でも、実際に貴女の口から聞きたいの」

 

 本来なら、キャスターと呼べば事足りる。

 でも私は、元々彼女に師事するつもりで召喚したのだ。

 そんな相手に、クラス名だけで呼ぶ事は憚られてしまう。

 そもそもが、今は聖杯戦争中でないのだから、真名で呼ぶ事に何ら戸惑いはないのだから。

 

「だから、教えて欲しいの」

 

 先ほど私が頷いた事への対価、等価交換とも言えるかもしれない要求。

 でも、それを彼女は、それで良いのなら、と了承してくれる。

 儀礼的なモノでしかないにしても、彼女はそれを是としてくれたのだから。

 少し嬉しくて、同時にワクワクする。

 相手から名前を聞くという行為が、私としては嫌いじゃないから。

 

「メディア、私はコルキスのメディアです」

 

「宜しくお願いするわ、メディア」

 

 手を差し出せば、彼女はおずおずとだけれども握り返してくれる。

 冬だからか、ちょっと冷たいけれど少し暖かな手。

 まるで今の彼女の様で、少し苦い顔になってしまう。

 

 彼女、メディアはコルキスの王女とも、単なるメディアとも答えなかった。

 色々と入り混じっている状況で、不安定なのだろう。

 だから不安で、沢山泣いてしまうのかもしれない。

 故郷への強い思いが、そう名乗らせたのかもしれない。

 未だに胸が空虚さが燻っているのかもしれない。

 

 大体がしれないで、私はまだあまりにも生の彼女について知らない。

 だからこそ、もっと知らないと、知りたいと思ってしまう。

 とても今の彼女の精神状態で教えを請う、何て事はできそうにないのだから。

 

「私の方こそ、宜しくお願いします」

 

 小さな声で告げたメディアは、そっと握手を終えると、そのままキョロキョロと部屋を見渡し始める。

 この部屋が珍しいというのではない。

 むしろする事がなくて、所在無げにしてしまっていると言った方が正しいだろう。

 なら、最初に何を勧めれば良いのか。

 ご飯か、お風呂か、それとも……。

 

「……あ」

 

 そんな少しばかり、お馬鹿な方に頭が傾きかけていたら、唐突にメディアの小さく漏らした声が聞こえてきて。

 振り向いたら、彼女はジッと真っ直ぐに見つめているモノがあって。

 私が視線の方向に目を向ければ、そこには……。

 

「あら、上海、蓬莱、おはよう」

 

 朝から何か慌ただしく、朝の挨拶を二人にするのを忘れていた。

 だから早々に挨拶をして、それからメディアがどうしてこの娘達に反応しているのかを考え始める。

 あの娘達に特別何かがあるのか、それとも単に人形が好きなのか。

 全くもって謎であるが、後者であるのならば私としてはとても嬉しい。

 共通の趣味として、長く語り合っていけそうだから。

 

「メディアは、人形が好きかしら?」

 

「はい、人並み以上には好きです。

 でも、ですね……」

 

 メディアは、そっと上海と蓬莱に手を伸ばした。

 優しく柔らかく、二人の頭を人撫でする。

 

「この娘達は、特別他の娘達よりも好きになれそうです」

 

「そう」

 

 一体メディアは何を感じてくれているのか、全然私には読めない。

 だけれど、私が好きな二人を好きと言ってくれて、私としても嬉しいから。

 

「ありがとう、私も貴女が好きになれそうよ」

 

 そっと、メディアがした様に、私も彼女の頭を撫でた。

 目を瞑っていた彼女は、どこか心地良さげに見えて。

 今日は良い日になるかしらと、自然と思えたのだ。

 

 

 

 これが、私と彼女の実質的なファーストコンタクト。

 これから始めていく、二人の道の第一歩。

 色々と問題はあるけれど、ゆっくりで良いから前へと進んでいきたいなと、私は思えて。

 麗らかな空が、せめて私達を祝福してくれます様にと、そっと願うのだった。



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番外編 紅茶に混ぜるは、麗しの白

こちらの小説は東方作品、『その鴉天狗は白かった』のドスみかん様から頂いたものです。
こちらからアリスのセリフと作中のシーンを幾つか提案させて頂きましたが、全文に渡ってドスみかんさんに執筆してもらっています。
作品の内容は、この作品の冬木市に、『その鴉天狗は白かった』の主人公である刑香が、とある理由で来訪したというお話です。


読まれる前に注意を少し。

①今回のお話は、本編からは外れている為に、起こりうる事象の一つでしかありません(つまりは、本編と関わり合いがあるのかどうか、定かではないのです)。
②キャラクターに、些細な差異があるかもしれません(自分で見た感じでは感じませんでしたが)。
③舞台はこちら冬木市、幻想郷は次元の壁の向こう側です(突破するには、紫様へ直訴ください)。
④コラボ作品ですので、そういうものが苦手な方はご注意ください(その鴉天狗は白かったをお読みでない方は、とても面白いですので是非読んでみてください)
⑤今日はこちらの小説を含めて二話更新してますので、まだ前話を読んでない人はリターンなされてください。

以上の点が宜しければ……



――ようこそ
――色香る、穏やかな冬木の断片へ


 程よく雲が浮かぶ、伸びやかな一日だった。

 アフタヌーンを回った時計が約束の時間を指し示すのを確認して、私は椅子から立ち上がる。同時にシュンシュンとヤカンが沸騰を始めたので、その中身をティーポットへと注いでいく。

 お湯の中でジャンピングする茶葉はセイロンティー、癖の強くないということで選んだモノ。くるくると廻っている様子から見るに仕上がりは悪くはならないだろう。紅茶が出来上がるのを待つ間、お手製の焼き菓子を並べていくことにする。

 

 ふむ、そういえば人間以外の舌に私のレシピは通用するのかしら?

 

 地域や人種によって味覚は少なからず異なる、まして人外が相手となれば言わずもがな。ひょっとしたら口に合わないかもしれない。予測が足りなかった、これは私らしくない失態だ。

 玄関のチャイムが鳴ったのは、ちょうど準備が終わろうかという頃合い。ここまで来れば仕方ない、初めから作り直す時間なんて無かったのだし、当たって砕けるしかない。

 

 エプロンを外し、軽く畳んで椅子にかける。そして温めておいたティーカップを二組用意して完成だ。そういえば凛は私を迎える日に気合十分でドアを開け、突っ立っていた宅急業者に全力の優雅さを発揮してしまったらしい。後から聞いた話では性悪神父の策略だったということだが、あれも実に歪んだ男なりの親愛の証だったのだろう。まあ、私には関係のないことだが。

 そんな実にどうでもいいことを考えながら、私は気持ちだけ足早に玄関へと向かった。

 

 

「ごめん、少しだけ遅れちゃったわ」

「遅刻は遅刻だけど、タイミング的にはベストだから気にしないでいいわよ」

「それはどういう……ああ、そういうことね。アリス」

 

 

 ドアを開けた先には待ち焦がれていた相手。

 私と同じくらいの背丈の人影が、まばゆい太陽を背景にして佇んでいた。ほんの少しだけ早まった胸の鼓動を誤魔化すために、小粋なジョークでも挟もうかと思ったが私はそこまで饒舌というわけではない。幸いにして相手もそれは同様なので、挨拶も程々にして家の中に入ってもらうことにした。

 

 

「今回はどのくらい滞在できるの?」

「アイツが言うには丸二日くらいが限度らしいわ。それ以上は私に負担がかかるから、あまり勧めたくないって」

「ふぅん、また随分と短いものね。そんなに貴重な時間を私とのお茶会に費やして良かったのかしら?」

「構わないわよ、今はまだ身体を慣らしている時期だし。それに貴重な時間を使っているのは、そっちも同じでしょう、多忙な学生魔術師さん?」

 

 

 ただ色素が薄いのではなく、透き通るような白色が彼女のトレードマーク。肩にかからない程度で整えられたミディアムショートの髪も、露出の少ない服装からチラリと見える肌も、磨き抜かれた純白だ。例え魔術を併用してもこの色彩を表現するのは苦労しそうである。そのうちに人形作りに取り入れてみたいとも思っているのだが、どうなることやら。

 さて、観察はこのあたりにしておこうと思う。

 

 

「ふふ、そうね。時間がないのはお互い様、それなら手早くお茶会を始めましょうか。歓迎するわ、刑香」

 

 

 少女の名前は白桃橋刑香という。

 今は隠しているようだが、本来はその背中には双翼があり、もちろん人間ではない。この国に住まう鴉天狗という種族らしく、これでも千年近く生きているとか。長く生きた者に特有の威圧感があまり無いので、そうは見えないが。

 つまり彼女は裏の世界に足を踏み入れた者でも、近頃はめっきり出会うことの少なくなった幻想種だ。それも千年モノとなれば極めて希少な存在である。髪の毛の一本でも採取できれば、必ずや何らかの役に立つだろう。そんな打算的な考えは生憎と、今の私にはないんだけどね。

 

 

 

 世にも珍しい私たちの出逢い、始まりは数週間前へと遡る。

 

 

 

 その日、私は通学路で変なモノを見つけていた。

 いや正確にいうなら変な『者』というべきなのだろう。日曜日ということもあり、淑女としてどうかと思うくらい朝に弱い家主をそのまま寝かせて、いつもの商店街へ買い物に向かっていた最中のこと。

 曲がり角を曲がったところで食パンくわえた何者かにぶつかることはなかったが、代わりに出食わしたのはブロック塀に背中を預けて座り込んでいる女の子だった。血色の悪い顔で気を失っており、背丈は私とあまり変わらない程度で年齢も同じくらい。意識の無い相手を放っておけるほど、私も非情ではなかったので助けることにしたのだ。

 

 情けは人のためならず、ならば貸しはあちこちに作っていて損はない。そんな言い訳を魔術師としての自分にしてやりながら、しかし不用意に少女へ近づいた私は言葉を失うことになる。

 

 

「ねぇ、あなた、大丈夫かしら……?」

 

 

 思わず立ち止まる。

 道端で倒れていた相手の背中に『翼』があるなんて誰が予想できただろうか。間抜けな声を上げてしまった私の反応は至極妥当なものだと、日記を書くことがあるなら明記しておくとしよう。

 細い肩と腰回り、無駄な肉が一切ない無い手足、総合的に見て、かなり華奢な身体つきをしていた謎の少女。それこそ絶対にしないだろうが、仮に殴り合いになったとして私でも勝てそうな体格であった。そんな身体の背後から生えた双翼が雄々しく、誇らしげに存在を主張している。私はしばらく指先を動かすことすらままならなかった。

 

 

 驚いたからではない、いや確かに驚愕もしたが些細な問題だ。

 畏れたからではない、後から考えれば失礼だが恐怖はなかった。

 私の心にあるゼンマイを停止させたのは、もっと別の理由。

 

 

「…………綺麗」

 

 

 雪の少女とはベクトルの違う美しさ。

 人工的に生み出された白銀と、自然のままに零れ落ちた純白。どちらが上というわけではない、どちらも手を延ばして触れたくなってしまう『魔』が宿っていた。それは私にとって、人形作りのインスピレーションが湧き出す泉のようなモノだ。この瞬間から私の中では、この人間かどうかも分からない存在を取り零すという選択肢は無くなった。

 

 今から考えると、頭がどうかしていたとした思えないのだが、あの時の決断は我ながら迅速だった。

 

 強化の魔術で自分の身体能力を向上させて、さっさと少女を遠坂邸に運び込んでしまったのだ。聖堂教会の関係者に知られてしまえば面倒なことになるのは確実で、得体の知れない者をホームステイ先の家に連れ込むなど凛が許すはずもない。普段の私なら有り得ない行動だった。

 ええ、きっと正常な思考を失っていたのね。それくらいあの『白』は魔的で病的だったのだから。

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 ーーそんな訳で、ちょっと外の世界を見てきてね?

 

 

 どういう訳だと小一時間は問い詰めたい。

 いきなりやってきたかと思ったら、こちらの事情も聞かずにスキマを足元に開いてきた。そうなってしまえば抵抗なんて出来るわけもなく、気づけば見知らぬ街に放り出されていたのだ。

 座り込んだ自分の前に広がっていたのは、あまりにも人工的過ぎる世界。石でも鉄でもない素材によって覆われた地面は硬く、雲一つないはずの空は埃にまみれたかのごとく煤けてしまっている。

 

 しばらく周囲を伺うこと数十秒。特に危険があるわけでもなさそうだと判断して、ため息をついて立ち上がる。やることは突拍子もないが、あの賢者の行動にはいつも意味がある。とりあえずは探索でもしていれば、何か指示の一つくらいはしてくるだろう。

 悪寒が背筋を突き抜けたのは、その瞬間だった。

 

 

「これ、は……!?」

 

 

 世界から自分が『否定』されるような感覚。

 グラつく視界と共に体力がごっそりと持っていかれる。幻想の許されぬ外界という場所を甘く見ていた、ここまで妖力が不安定になるなんて思わなかった。

 自らの生命を支える『能力』のバランスを失ったことを感じ取りながら灰色の塀に背中を打ち付ける。ガリガリと一本歯下駄が地面を擦るが、とても身体を支えられない。意識を手放し、糸の切れた人形のように倒れ伏すことになった。

 

 

「ああ、目が覚めたの?」

「っ!?」

 

 

 微睡みを彷徨っていた意識が覚醒する。

 頭を殴られたような衝撃とともに目覚めた思考は、自分が寝具の上で横になっていたことを認識する。すくに起き上がろうとするが、しかし身体は思うように動かなかった。シーツに付いた手の平は震えるばかりで、体重を起こせるだけの力はない。しばらく試みてみるが、どうにも駄目らしい。そのまま力尽きて、洗濯したばかりの清潔な匂いのする枕に再び顔を埋めることになった。

 

 

「安心して、なんて言葉が信じられるはずもないでしょうけど、私はアナタに危害を加えるつもりはないわ」

 

 

 どうにか顔だけを声のした方へ向ける。

 そこにいたのは骨董品らしい木製のチェアに腰掛けながら、人形のようなモノを弄っている少女だった。背丈は自分と同じくらい、もしくは少し高い程度のもの。光の粒子を散りばめたように美しい見事な金髪と、青いガラス玉を思わせる碧眼が、まるで人形のごとき印象を与えてくる。その瞳をこちらに向けることなく、少女は小さな部品を組み立てていた。片方の目にはモノクルをぶら下げており、それが冷たくも知的な雰囲気を漂わせる。

 少なくとも、いきなり襲い掛かってくるような相手には見えなかった。なので、ひとまず起き上がることは諦めて問いかける。

 

 

「ここは、アンタの家?」

「お世話になってる友人の家よ。道端で倒れているアナタを見つけてね、放っておけなかったから私の部屋に運んだの」

「それは、お礼を言うべきなのかしらね」

「別にいいわ。それより名前、教えてくれない?」

「……刑香、白桃橋刑香よ」

 

 

 言葉の全てを信じたわけでないが、寝床を借りている以上は名前くらいは教えてもいいだろう。まだ『能力』が安定していない、今の自分は単なる人間にすら勝てないかもしれない。心臓が警鐘のように鳴り出すのを感じる。目の前にいる人物が何者なのかは知らないが、善人であろうと悪人であろうと何かをされた際に抵抗が出来ないのは望ましくない。

 刑香からの答えに人形のような少女は手を止める。

 

 

「ちょっとだけ意外ね、ファミリーネームがあるとは思わなかった。それにファーストネームにしても予想していた候補が尽く外れたわ。聖書にある名前を片っ端から思い浮かべていたのだけど、やっぱりアテにならないものね」

「いや、何の話よ?」

「こっちの話、ところで名乗ってもらったんだから私も名乗り返すべきかしらね」

 

 

 残念そうな様子はどこにもなかった。

 本人が言ってる通り、純粋に予想が外れたことが意外だっただけなのだろう。そして金髪の少女はモノクルを机に置いて椅子から立ち上がる。

 

 

「私の名前はアリス、冬木の街の人形師よ」

 

 

 勝ち気そうな一方で聡明な光を宿した眼差し。

 青いワンピースがふわりと揺れて、それに合わせるかのように部屋に置かれた人形たちもまた立ち上がる。そして一糸乱れぬ様子で一礼した。小人の国の女王、もしくは楽団の指揮者とでも言い表せばいいのだろうか。いずれにしようと見事だった。後から気づいたことなのだが、この時に自らの手の内をみせたのはアリスなりに警戒していたかららしい。

 魔術師として、妖怪として、それぞれが危険度の低い相手と向かい合っていたと分かった今となっては笑い話だ。

 

 

 こうして、アリス・マーガトロイドと白桃橋刑香、魔術師と鴉天狗は出会うこととなった。

 

 

 ◇◇◇

 

 

「あの時は、てっきり空から天使が落ちてきたのだと思ったわ」

「ぶっ!? ……随分と恥ずかしいことを口にするのね、アンタ」

「するわよ、本心なんだから」

「何がどうなったら妖怪である私がそんな存在になるんだか。審美眼はキチンと鍛えておきなさいよ、そのままだと節穴よ?」

「空から降ってくるのは、雨か雪って相場が決まっているの。だから貴女は特別……敢えて言うなら御使いに見えてしまったの」

 

 

 バツが悪そうに顔を背ける刑香。

 どうにも自己評価がそれなりに低いせいで、褒められること自体に慣れていないらしい。

 

 

「これでも昔よりは前向きになったんだけどね。荒れてた時期なんて親友以外から何を言われても皮肉か罵倒にしか聞き取れなかったものよ」

「それは難儀なことね、会話もままならないわ」

「そもそも私と会話してくれる相手がいなかったから問題なかったのよ。まあ、これは楽しい話でもないから気にしないで……興味を持つのは勝手だけど」

「ええ、興味はあるかもね。でも尋ねるのは止めておこうかしら。私が出会った刑香は今の刑香だから、過去は過去ということにさせてもらうとするわ」

「そっか、ありがと」

「どういたしまして」

 

 

 そう言ってティーカップを傾けた。

 紅茶に添えたフレイバーは桃のマーマレード、わざわざ手作りした自家製だ。溶けたフレッシュな甘みが舌の上を優しく転がっていく。そんな風味を楽しみつつ、二人は焼きたてのスコーンをお皿に取り分ける。

 簡単に説明するなら外側はビスケット、中身はパンに似た食感をしたスコットランド料理であるスコーン。その表面にジャムを塗ってから、滑らかなクロテッドクリー厶をたっぷりと乗せていく。カロリーなんて気にしない、甘いモノ好きな乙女の夢もついでに乗っけてやるのが良い。

 このまま口に含んで、そのまま紅茶を飲んでやるとスコーンが溶けて、クリームとジャムが混ざり合う。その伝統ある味わいを楽しむのが、この焼き菓子の食べ方の一つである。

 懸念していた味覚の相違については、問題はなかったらしく刑香が小さく笑みを浮かべた。

 

 

「……うん、美味しい。アリスは料理が上手いわね。やっぱり人形を作っていると、他のことに対しても手先が器用になるのかしら?」

「それはあまり考えたことがないわ。必要に迫られてこなしていたら、いつの間にか上達していた。世の中の万事はそんなものよ」

「いつの間にか上達していたのなら、才能があったのよ。魔術師だけじゃなくて、洋菓子屋でも上を目指せるんじゃない?」

「パティシエになるつもりはないわね、魔術師を廃業したら考えてみようかしら」

 

 

 何でもない話が繰り返される。

 ちなみに二人がいるのは、古色蒼然という言葉が似合う衛宮邸。家主が後輩と一日デートで帰らないから留守番をしてやる条件で借りているのだ。遠慮はいらないと言われているので、気楽なものである。もちろんアリス・マーガトロイドならば下手なことをしないという信頼があるからこそ、あそこまで簡単に了承してくれたのだろうが。

 妖怪を連れ込んでいると知られたら、どんな顔をするのか少しだけ見てみたい気はする。正義の味方的には自宅に人間の敵である妖怪がいるのはアウトなのか、セーフなのか興味がないこともない。

 

 

「茶葉は同じみたいだけど、この間のやつとは少し違うわね?」

「ええ、今回はジャムを入れてみたの。一応はロシアンティーという名前になるわね。まあ。本場では紅茶を飲みながらジャムを舐めるというものなので、まったく別だったりするんだけど」

「ふーん?」

 

 

 ちゃぶ台で頂く紅茶というのも案外と悪くない。

 元は古い武家屋敷であったのを、士郎の亡き父親が買い取ったらしい邸宅。瓦葺きの木造建築、そこまで大きくないとはいえ庭や土蔵まで付いているのだから立派なものだ。しかし流石に洋室は無かったので、こうして和室でのお茶会となっている。ミスマッチでアンバランス、しかし参加者が世間から外れた魔術師と妖怪ならば許されるだろう。別に誰かから許しが欲しいわけでもないし、許されなくても強行するだけなのだが。

 まさか居間に写真が飾られている故人も、こんな怪しげな二人組が自分の家で談笑する未来など予想もしなかったに違いない。気のせいか写真の顔が困ったように笑っている気がした。

 

 

「そこの花はアリスが飾ったの?」

「ああ、あれは家主さんの可愛い後輩が持ってきたのよ。今は二人でデートの最中ね」

「デート?」

「要するに逢引よ、逢引」

「あ、ああ………なるほどね」

 

 

 少し顔を赤くした刑香が指摘したのは、小さなガラス瓶に挿されていたスミレの花。何日か前に桜が持ってきたもので、基本的に殺風景なところのある居間を可愛らしく彩っている。花言葉は『小さな幸せ』なのだから、あの子らしい花なのだと思う。もちろん衛宮士郎はそのことには気づいていないし、周囲の人間も教えてあげるつもりはない。知らなくても気づかなくても、あの子からの想いが色褪せることはないのだから。

 しかし鉢植えならともかくとして、花瓶に挿された花の寿命は短い。もう既に花は枯れかけており、間もなく生命を終えるだろう。せっかく今日はデートなのだから、せめて二人が帰ってくるまでは元気に咲いていて欲しかったが。

 すると、おもむろに刑香が立ち上がった。

 

 

「どうかした?」

「余計なお世話かもしれないけど、お茶代の一部くらいは払っておこうと思ってね。まあ、気楽に見ててくれると助かるわ」

 

 

 かざした右手、溢れたのは魔力に似た青いチカラ。

 単なる魔術の行使でないことは即座に理解できた。人間とは根本的に違う、世界に定められた概念そのものに抗う何か。きっと魔術師の理解を超えたモノ、身構えはしたものの不思議と恐怖を感じることはない。清らかな空気の流れが髪を梳いていくのを私は黙って見守っていた。しばらくすると、刑香が手を退けて振り向く。

 

 

「こんなところね。きちんと水を変えて、陽射しに気をつけてあげれば、この子もあと二日くらいは持ってくれるはずよ」

「……何を、したの?」

「ちょっと『寿命』を延ばしてあげただけよ。草花は私よりもっと詳しいヤツがいるから、いつもは手を出さないんだけどね」

 

 

 スプーンが手の平が零れ落ちた。

 ちょっと待ってほしいとアリスは絶句する。枯れかけていたはずの花が甦っているのだ。もし魔術に疎い者が見たとしたら、ちょっとした手品だと思うくらいだろう。しかし今、目の前で起こったのは『現実』だ。

 魔術でも同じようなことは出来る。しかし難解な術式を組み立てる必要があるため、ここまで簡単に出来ることではない。それに出来るのは時間の流れを逆流させたり、生命の規範から対象を逸脱させるモノ。封印指定、その単語がたやすく浮かんでくるレベルの禁忌である。

 

 他の魔術師なら、この瞬間に白い少女を研究サンプルとして捕らえるために襲いかかっているのは間違いないだろう。それなのに刑香は何でもないことのように、アリスへと語りかける。

 

 

「これが私の鴉天狗としてのチカラよ。どうかしら、私に話しかけるヤツがいなかった理由が分かったんじゃない?」

 

 

 アリスを試すような光が空色の瞳に揺らめいていた。

 自分を狙うかもしれない相手の選別、そして自分と付き合うことによるリスクの提示といったところだろうか。わざわざ手の内を明かしてしまうとは、とんだお人好しである。

 それが可笑しくて、我慢できなくなった少女は笑ってしまう。寿命の延長、それは人類における永遠の課題だろう。しかし生憎だがそんなもののために友人を犠牲にするほど、アリスという魔術師は切羽詰まっていないのだ。そういったものに異常なほどに執念を燃やしていそうな蟲の翁がいるにはいるが、それはそれ。対策は追々に考えよう。

 しばらくして怪訝な顔をしているお人好しの妖怪へとアリスは口を開いた。

 

 

「貴方の白は、人を惹きつける。可憐で、透き通っていて――病的だもの。色々な意味で目が離せそうもないわ」

 

 

 答えはこんな感じだ。

 こんな東の端にある世界で、これまでも多くの出会いがあった。それでも抱えきれないくらいの思い出なのに、ここに来て更に土産話が増えてしまったと、西洋産の少女は笑う。どれも捨てるつもりはない。一つ残らずトランクに突っ込んで、いずれホームステイが終わる時は故郷へ帰ってやるつもりなのだから。

 それは、目の前にいる天狗少女とて例外ではない。

 

 

「そう……後悔するかもしれないわよ」

「反省はするかもしれないわね、でも後悔はしないつもり。これでも訳ありの知り合いには事欠かないの、今更一人くらい増えたところで関係ないわ」

「私もそういう顔見知りは大勢いるわ。それこそ同族の天狗から吸血鬼、覚妖怪や鬼とか色々ね。あとは今、金髪の人形師が加わったかな」

「私も白い翼の天狗が加わったところよ。ところでその吸血鬼とか他の妖怪の話、聞かせてくれるかしら?」

「ええ、もちろん」

 

 

 心地良い風の吹く休日、午後三時のティータイム。

 多めに用意されたお茶菓子はまだまだ尽きる気配がなく、紅茶のポットもまた豊かな香りを立ち昇らせる。ならばお茶会が続かぬ理由はどこにもなかった、お互いの友人のこと、学校や寺子屋のこと、魔術のこと、能力のこと。尽きぬ話の種は春に芽吹く草花のごとく、その一つ一つが小さく心を彩っていく。

 ずっと昔からお互いを知っていたような、そんな気持ちさえ浮かんでくるアフタヌーン。のんびりと葉を揺らすスミレの花が見守る中、人形使いと鴉天狗の少女はいつまでも語り合う。

 

 

 それは、何でもないお昼の一幕にあったお話。

 

 

 




この場において、ドスみかんさんへ格別の感謝をさせて頂きます。
綺麗で落ち着ける作品、ありがとうございました!



……あと、タイトルはこちらで付けました。


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第40話 朝と凛との合間の少し

ちょっと最近忙しくて更新できなかったのですが……土日に少しずつ書き溜めてたら1話書けてしまいました。
なお、毒にも薬にもならない感じです(白目)。


 あの朝から、少しして。

 私とメディアは、遠坂邸のキッチンへと降りていた。

 遠慮気味に”私は英霊で……”と呟く彼女を抑えて、そのまま手を引いての移動。

 アリスちゃんって強引なんですね、と何故だか感心した様な彼女に、おでこをツンと人差し指でつつきながら歩いて。

 そうして、肌寒いキッチンにたどり着いた時――そこでメディアが驚きの声を上げた。

 私と彼女の目の前には、のっそりとした足取りで歩く怪奇の姿があったからだ。

 ……まぁ、それは流石に言い過ぎなのだけれど。

 

「おはよう、凛」

 

「おはよ……」

 

 地の底から、響いてくるかの様な声。

 触れれば最後、丸呑みにでもされるかといわんばかりの。

 何時も通り、家主たる凛は今日も今日とて低血圧。

 可哀想に、メディアは”ひぅ”と小さく声を上げて、私の背中に隠れてしまって。

 けれども、ダウナーがキマっていて、怖いじゃなくてヤバい雰囲気の人間でも、私以外の人ということで興味があったのだろう。

 私の服の袖を持って、恐る恐ると隠れながらも小さく背中から覗く様な位置で声を掛ける。

 

「あ、あの、コンニチハ」

 

 震える声での、少々怯えつつの挨拶。

 そんなメディアに、凛は……。

 

「あ?」

 

「きゃぅ」

 

 メドゥーサすら射殺せそうな眼光で睨みつける凛、彼女は現代に生きる魔物であった。

 そして、その邪眼でモロに見つめられたメディアは、怯えながら私の背中に抱きついて。

 

「牛乳、いる?」

 

「……ちょーだい」

 

 何時もの事と私は溜息を吐きながら、メディアを引き摺りつつ冷蔵庫へ。

 途中、凛を横切った時にメディアがどんな顔をしていたのかは、残念ながら見ることは出来なかった。

 けれど、ギュッと私の服を掴む力が強まったので……流石は寝起きの凛と言わざるを得ない。

 

 そうして、引っ付き虫のメディアと一緒に冷蔵庫を開けて。

 牛乳をコップに注ぎ、そのまま凛へと渡す。

 勿論、凛はゴクゴクと一気飲み。

 何時もの光景だけれど、あいも変わらず男らしい瞬間。

 正に鎧袖一触と言った体で、牛乳を飲み干してしまったのだ。

 そうして振り返れば、口をあんぐりと空けたメディアの姿が。

 愛らしいその姿は、まるで栗みたいね、と笑いそうになってしまう。

 

「アリスちゃん」

 

 ただ、それに気が付いたのであろうメディアは、ムッとした顔で私を見上げている。

 なので宥める様に、思わず彼女の頭を少しばかり撫でてしまっていた。

 すると、メディアは困惑へと表情を移ろわせて。

 

「何で頭を?」

 

「敢えて言うなら、丁度良い位置にあったからかしら」

 

「いじわるです……」

 

「私なんて、とても優しい方よ」

 

「じゃあ、優しいいじわるさんです」

 

 むぅ、と頬を膨らませて、私を見上げるメディア。

 可愛らしくて、つい癖になってしまいそうな表情。

 確かに、このままだと私も凛みたいになってしまいそうね、何て思ってしまえる顔。

 ふぅ、と軽く息を吐き、メディアから少し視線を逸らす。

 このままだと、変な扉を開けてしまいそうで、危なさを感じたから。

 

「あれ、あの人は?」

 

 そのお陰か、意識が私から離れたメディアが、この場から居なくなっている凛に気が付いた。

 何時も通りに、顔をバシャバシャと洗いに行ってるだけなのだけれど。

 牛乳を飲む、顔を洗うの過程を経なければ、凛はゾンビとしてこの屋敷を徘徊してしまうから。

 牛乳がなければ、妙に濃い紅茶かコーヒでも代用可能。

 但し、とっても渋い顔の凛を見る事となるが。

 

「その内に、着替えて戻ってくるわ」

 

「あぁ、お着替えでしたか」

 

「そうね、だから今の内に、朝ご飯でも作ってしまいましょう。

 メディア、貴女は料理が出来る?」

 

「え、えっと、コルキスのお料理と、ギリシアのでしたら……」

 

「どんな料理かしら」

 

「えっとですね、羊さんのスープにお魚さんのスープとか、他にも穀物のごった煮スープとか」

 

「モノの見事にスープまみれね……」

 

「私、お菓子作りなら兎も角、料理はあまりさせてもらえなかったんです」

 

 アルゴー船に乗ってた時は、お手伝いしたんですけど、と小さく呟く彼女に、これ以上はいけないと思い話題を転換する。

 ついでに、だったらという事で。

 

「そういう事なら、私が教えてあげるわ。

 メディア、見てるだけでも良いから、こっちに来なさい」

 

 凛がたまに着て、所々に油の跡があるエプロンを、私は差し出す。

 出来ないのなら、覚えれば良いのだから。

 それに、私がメディアに何か教えてあげたいと思っている。

 だから、と私はメディアに言って。

 

「良いんですか?」

 

「私が誘っているの、だから問題なんてないわ」

 

 おまけにちょっと明るめに微笑むと、彼女はそれなら、とおずおずとした手付きでエプロンを受け取った。

 それを身に纏うと、凛より小柄な彼女にはちょっと大きめでブカブカで。

 でも、それがとても微笑ましくて。

 

「さ、今日は見ておくだけで良いわ。

 次からは、少しづつ手伝って貰うかもしれないけどね」

 

「は、はい。

 頑張ります!」

 

 とても元気の良い声、沈んでいた彼女からは考えられない位に。

 なのでこれで良いと、確かに思えて。

 そのまま冷蔵庫を開けて、食材を取り出していく。

 後ろから覗き込むメディアは、雛鳥を連想させられた。

 

 

 

 

 

「で、これ何」

 

 そうして凛がキッチンに戻ってきて、出来上がったモノを見た時の第一声がそれであった。

 私達の目の前には、マーマレードを添えたトーストとベーコンエッグ、ちょっと雑だけれどもインスタントのコーンスープ……ここまでは問題ない。

 が、他にも、凛がチャーハン用に取っていた冷凍されたお米が目に入り、ついついトーストがあるのにピラフを作ってしまうという凶行に出てしまった。

 更に、ついでと言わんばかりに前に作っていたカスタードプティングを用意してしまっていたのだ。

 思わず凛がジト目になるのも理解できる惨状、悲しい事件である。

 だから私は勇気を出して、凛に告白する。

 

「凛」

 

「あによ」

 

「私ね、案外見栄っ張りだったみたいなの」

 

「んな事とうの昔に知ってたわよ!」

 

 スっと視線を逸らした私に、凛はお馬鹿と言わんばかりに声を荒げた。

 が、その直後に大きな溜息を吐いたのが、私にも聞こえて。

 呆れてるわという気持ちが、吐息に乗ってここまで届いてくる。

 

「良い格好しぃなのは、アリスがこの家に来て人形劇した時から知ってるわ。

 でも、限度を知れって言ってるだけよ。

 早速、仲良くなれてるみたいだし、気持ちは分からなくはないけど」

 

「凛だって、桜の前だと似たようなものじゃない」

 

「私はアリスほど極端じゃないもの」

 

 言い返そうとも考えたけど、目の前の光景が凛の言葉を何よりも証明していて私は口を噤んでしまう。

 凛だって、という気持ちが無い訳ではないけれど、それで言い返しても泥沼になるだけ。

 そう言い聞かせて、ふぅ、と小さく息を漏らした。

 少しばかり、負け犬チックな感覚。

 なので、吠える代わりに提案する。

 

「……食べるわよね、凛」

 

 ジッと、凛を見つめる。

 この状態で、この場を去るなと意思を込めて。

 逃げたら道連れよ、なんて思いながら。

 けれど、凛はそんな私の視線なんて一顧だにもしていなくて。

 

「ま、作っちゃたんなら仕方ないわね。

 冷める前に食べちゃいましょう、アンタも一緒で良いのよね?」

 

 何の気負いもなく、そんな事を言ってのけてくれたのだ。

 確認の言葉をメディアに向けて、規定事項の様に椅子を引いて座る。

 その流れる様な動作に、事の成り行きを見守っていたメディアは、え? と小さな声を漏らしてキョトンと、まるで化かされたみたいな顔をしていた。

 

「メディア、座りなさいな」

 

「はい、それは良いんですけど……喧嘩は終わりなんですか?」

 

「何時もの事よ、喧嘩なんかじゃないから良いの」

 

「そう、何ですか」

 

 感心した様に呟く彼女に、私はそういうものだから、と小さく返して凛へと視線を向ける。

 何か言いたそうにしている彼女に、今この場は口を出さないでと。

 一瞬の逡巡の後、ま、いっか、と言わんばかりの表情で、小さく凛は頷き返してくれた。

 なので、ようやく私はこの言葉が言える。

 

「それじゃあ、頂きます、よ」

 

「はいはい、頂きます」

 

「えっと、頂きます?」

 

 首を傾げながら復唱したメディアに、日本のご飯を食べる時の挨拶みたいなものよ、とだけ伝え、食べる様に勧める。

 私もトーストを咥えて、でも目線はメディアへと向けたままで。

 もしゃもしゃと、マーマレードの柑橘味を舌で転がしながらも意識は食べるのとは別の方向へ。

 ……つまりは、メディアの反応を伺っている、という事なのだけれど。

 

「――これ、は」

 

 最初にどれを食べるか、逡巡していたメディア。

 そんな彼女が最初に手をつけたのは、手にスプーンを握っていたのが決め手となったのかピラフであった。

 一口食べて、思わずと声を漏らす。

 

「どう?」

 

 微笑みながら、返事を待つ。

 何らメディアは悪感情を見せてないから、ちょっと気楽に、それでいて自信有りな感覚。

 そんな私に返って来た感想は……。

 

「すごく、美味しいですっ」

 

 私が笑顔を浮かべるのに、十分過ぎる理由をくれる言葉であった。

 お上品に、けれども目を輝かせながらスプーンを運んでいくメディア。

 見ているだけで嬉しくて、どこかこそばゆい。

 朝の日差しはこの場に差し込んでいないけれど、どこか眩く感じてしまう。

 これが王女の気品か、などと少し巫山戯た事を考えていたら、飛んでくる視線が一つ。

 その主の方に振り向いて、アイコンタクトを交わす。

 

 ――可愛い、でしょ?

 

 ――わざわざ、それが言いたかった訳?

 

 ――そうね。

 

 ――バッカみたい。

 

 ――でも、凛は分かってくれるでしょう?

 

 そんな感じで笑いかければ、ジトっとした視線を凛は寄越して。

 けれども、メディアに何か言いたげだった視線を、引っ込めてくれた。

 もうしばらく、私達に猶予をくれたのだ。

 つまりは、キャスターのサーヴァントを家に置いておけない、というごく常識的な凛の言葉を飲み込んでまで。

 ここには魔術師ではなくて、普通の人として居るのだと露骨にアピールしたから。

 ……まぁ、しばらくメディアから魔術と引き離していたい、とそういう気持ちもあったからだとは思うのだけれど。

 遠坂凛は情が深い女の子だから、必要以上に甘えてしまう。

 凛も嫌がりながら、けれども甘やかしてしまう。

 それが私達の関係、だからこそ今日もこのお屋敷でこうしていられる。

 

「ありがとう、凛」

 

「口に出すな、バカアリス」

 

 照れ隠しなのか、凛がコーンスープで満たされたスプーンを私の口に突っ込んでくる。

 対して冷めてもいない、熱々のそれは見事に私の口内で躍り狂った。

 具体的に言えば、灼熱の液体が私の口を蹂躙したのだ。

 

「ん~~~~~~っ!?」

 

 味なんて感じる暇なんてない。

 唯々熱いそれは、口の中の粘膜を丁寧に溶かしていっている様にさえ感じてしまう。

 本能的に冷たい物を求めて、コップを掴んで冷蔵庫まで一直線。

 口の中にあったスープは既に嚥下したけど、そのせいで気持ち喉までひりついている気がする。

 なので容赦なく冷蔵庫を開け、置いてあった牛乳をコップに注いだ途端に飲み干していく。

 感覚的に、鼻にツンと来るモノがあるけれど、それよりも今はこの喉の潤いこそが何よりも有難かった。

 

 ……さて、と顔を上げる。

 幸いな事に、牛乳を鼻から垂らすという古典的芸能は回避出来ていたみたいで、まだひりついている喉以外は至って快調である。

 流石に不快なので、少し魔力を通して体調は整えるのだけれど。

 真っ先に、私は顔を上げて見た人物は、無論ツインテール垂らしてる方で。

 

「何か言い訳があるなら聞くわ」

 

「……悪かったわよ」

 

「良かった、返事次第では凛を泰山の麻婆送りにしていたわ。

 もれなく神父のおまけ付きよ」

 

「毒喰らって死ねって事ね」

 

「今度酷いことされたら、間違いなく実行するわよ、凛」

 

 露骨に嫌そうな顔で顔を逸らす凛に溜息を吐きつつ、落ち着いた足取りで席へと戻る。

 あまりに慌てていて余裕のなかった私なんて、いなかったと言わんばかりに。

 こっちを見ているのは、現状ではメディア一人だけ。

 食べて良いのか分からずに、ジッと私を伺っていたのだ。

 まるで飼い犬みたいね、と少しばかり失礼な事を考えながら私は席に着いて。

 待っていた彼女に、大丈夫だから、と告げる。

 

「気にしないで、食べてしまいなさい。

 私もそうするから、ね」

 

「は、はい。

 でも、アリスちゃん、本当大丈夫ですか?

 痛かったら、私が治しますけど」

 

「問題ないし、自分で解決したわ。

 でも、今度私が凛に意地悪されたら助けてね」

 

「勿論です!」

 

「……そこ、私が悪いみたいな体で話を進めてるんじゃないわよ」

 

 何時の間にかジトっとした視線を凛が向けていたので、恨みも込めて同じ視線で見つめ返す。

 イジワル、イジワルと気持ちを込めて。

 膠着する視線、絡み合いながら睨み合う私達。

 ……そうしていると、先にアクションを起こしたのは凛だった。

 はぁ、と分かり易い溜息を一つしただけだけれど。

 

「子供かアンタは」

 

「凛にだけは言われたくない言葉ね」

 

「私のはもうちょっと違うわよ」

 

 凛の言葉に、そういえばと少し口を休める。

 代わりに思い返した事柄があったのだ、たまたま知った四文字熟語を。

 

 

 そう、それはある日のこと。

 教室でのんびりとしている時に、たまたま聞こえてきた話の内容。

 

『え~、本当に知らないでござるか、衛宮殿!』

 

『さっきから知らないって言ってるだろ。

 なんだよ、その……つんでれ? とか言うやつは』

 

『カーッ、嘆かわしい!

 それでも日本男児でござるか!』

 

『何で怒られてるんだ、俺?』

 

『いや、拙者も言いすぎたでござる。

 衛宮殿は真面目が故に、やや世情には疎い模様。

 故に、教えてしんぜよう。

 ツンデレとは、普段はツンツンと素っ気ないくせに、ふとした切っ掛けでデレデレとする人の事でござる!

 イイ、むっちゃイイのでござるよ。

 文化、そうこれは文化! 分かるでござるか、衛宮殿!!』

 

『……えっと、素直じゃない奴が素直になったら可愛いって事か?』

 

『いぐざくとりぃ! 流石は衛宮殿、話がわかる』

 

『……それよりも次は倫理だぞ、レポートあったけどやってきたか、後藤』

 

『だ~いじょうぶでござるよ。

 遂に我が秘技、ジャンピングアルティメット土下座を見せる時!』

 

『大丈夫じゃないだろ、それ。

 それが切腹にならなきゃイイけどな』

 

 

 あとで、葛城先生の無言の圧力の前に泣きべそを掻いていた後藤くんだったけれど、その妙なテンションのせいで頭にこびり付いてしまっている。

 つんでれ、素直じゃない人の事。

 

 チラッと、凛へと視線を向ける。

 何よ、と私の方へと目をやってる凛。

 素直じゃない、ツンツン……何だろう、親和性はあるけど、少しズレてる様な感じ。

 凛は自由に振舞っているからか、それともトコトン優しいからか。

 ふむ、と一瞬考えて、私は口を開いた。

 

「凛って自分がつんでれだと思う?」

 

「……はぁ?」

 

 良く意味が分からない、凛の目は大体そんな目だった。

 なので概要を説明すると、今度は心底バカにした目を私に向けてきて。

 

「そんなスラング、とっとと忘れてしまいなさい。

 というか、さっさと食え!」

 

 そこでバッサリ、一刀両断。

 もうこれ以上不毛な口を開くなと言わんばかりに、凛は料理を急ぎ気味に詰め込み始める。

 まぁ、確かに料理を沢山作った私が一番食べないというのも迷惑な話なので、私も料理をモグモグと食べるスピードを上げていく。

 無言の時間が、やっとの事で訪れたのだ。

 

「とっても、仲が良いですね」

 

 そんな私達を見て、どこか羨む様な目をしたメディアが小さく呟いて。

 ポンポンと、私はメディアの頭に手を置いた。

 気にしないでという様に、大丈夫よと伝える為に。

 

「私と凛は一年間ずっと一緒だったもの。

 メディアだって、直ぐに私とも凛とも、これくらい仲良くなれるわ」

 

「アリスちゃん……」

 

 瞳を揺れさせながら、私を覗き込むメディア。

 何を思っているのか、感じているのか、それは分かりやすいぐらいに伝わってくる。

 出来るのかなという不安と、怖いという感情。

 ただひたすらに後ろ向きなメディアの姿勢だからこそ、分かってしまう。

 

 ずっと不安がってる、それが今のメディア。

 パスを通じて、表情を見て、瞳を覗いて分かってしまう。

 それも、恐らくは私のせいで、とそういう事まで。

 不安定に召喚したから、メディアの心も不安定で揺れているのだ。

 時間を掛ければ抑えられると思うけれども、それまでずっと付きっきりで見ていてあげなくちゃいけない。

 私のせいだから、私が呼んだから――私の為に、来てくれたから。

 

「私もメディアとは仲良くなりたいわ。

 だから……そうね、暫くは鬱陶しがられてもメディアの傍に居たいの。

 良いかしら?」

 

「え、えぇ、アリスちゃんが良いなら、私はとっても嬉しいですけど」

 

 少し面食らった顔をしたメディアに、思わず笑みを浮かべてしまう。

 構ってあげたくなるから、彼女は笑ってくれるかと考えてしまうから。

 さわさわと、ほんわかと、軽く抱きしめて頭を撫でる。

 メディアには不思議な魔力があるのか、思わずそうせずには居られないのだ。

 

「あ、アリスちゃん、私いまは大丈夫ですっ」

 

「メディアが心配だから抱きしめてるんじゃないわ。

 ただ、私がそうしたいからそうしてるの、分かる?」

 

「恥ずかしいですよぉ」

 

「ごめんなさいね」

 

「謝るのは離してからにしてください!」

 

 うーっ、と私の胸元で唸るメディアに、ハイハイと笑いながら彼女を解放する。

 メディアには悪いけれど、つい反応が良いからからかいたくなってしまう。

 最近みんな擦れてしまい反応が薄くなってしまったから、そういう意味合いでは特に。

 

「これからもしてしまうかもしれないわ、その時はお願いね」

 

「……強引な上に意地悪さんだったんですね、アリスちゃん」

 

「友情の発露、これが芽生えね」

 

「人肌は暖かすぎて、芽が萎れちゃいそうです」

 

「友情の芽は人肌で暖めるのよ」

 

「アリスちゃんって、割と屁理屈が得意なんですね」

 

 ボソッと、小さくそんな事を呟いて、メディアはしょうがないですねと言わんばかりに反論をそこで止めた。

 ただ、僅かに頬を染めて、一言だけ更に付け加えて。

 

「人前だと恥ずかしいですから、意地悪しないでくださいね」

 

 チラリと凛の方を見ながら、メディアはそう囁いたのだった。

 

 

 

 

 

「で、十分にイチャつけた?」

 

「えぇ、凛に皮肉を貰える程度には」

 

「そう、それは良かったわ」

 

 なんて言葉を交わしながら、私とメディアは凛と向かい合っていた。

 こっちを見ている凛は、至って澄まし顔。

 けれども、ふとした拍子にお腹を気にしているのは、お腹周りを気にしてのことだろう。

 余分なお肉は密かに忍び寄っている、油断も隙もありはしない。

 こちらも同様に、体内エネルギーが食べ過ぎたご飯を消化するのに振り向けられてるのだからお互い様だけれど。

 

「ごめんなさいね、食後のお茶は用意できそうにないわ」

 

「良いわよ別に……これ以上お腹に入れたらタプタプになっちゃうし」

 

 アンタもでしょ? と目を向けられれば、私としても同意せざるを得ない。

 兎角、女子にお肉は天敵なのだ。

 自業自得とは言え、今回は凛ごと巻き込んでの自爆と言える。

 

「溜めるのは簡単なのに使うのは一苦労。

 贅肉はままならないわね」

 

「お金とは正反対で、たまったもんじゃないわ」

 

「凛の宝石には足が生えてるものね」

 

「アリスは結構隠し持ってるみたいだけれど」

 

「あげないわよ?」

 

「私は乞食じゃないし、必要なら自分で手に入れる」

 

「こうして今日も、預金口座が減っていくのね」

 

 そう言うと、まるで株が暴落した投資家みたいな顔をした凛が遠い目で天井を見上げ始める。

 今日も今日とて、遠坂家の家計簿は赤字続き。

 借金まではまだ遠いけれど、減っていく通帳の数字は凛を持ってしても覆らない。

 魔術とは、斯も残酷な現実との戦いであった。

 

「と、そんな事はどうでも良いのよ、凛」

 

「良くないわ、全然これっぽっちも良くないのわよ!」

 

「嘆いていても、空からお金は降ってこないわ。

 それより、今はもっと大事なことがあるもの」

 

 ね、とメディアの方へと視線を向ける。

 声を掛けた瞬間、ビクリとメディアは震えたけれど、それでもうんと一つ頷いて。

 あの、とか細い声で凛へと声を掛けた。

 

「私の名はメディアと言います。

 アリスちゃんのサーヴァントで、えっとその……」

 

 何を言えば良いのか、凛に何を伝えるべきなのか。

 必死に言葉を探して、気持ちをどう乗せるかに頭を悩ましている。

 そんなメディアに、凛は口を挟む事なくジッと耳を傾けていて。

 

「こ、これからは凛さんとも仲良くしたくて。

 お世話になっても、宜しいでしょうか!」

 

 ここに降りてくる前に、ほんの軽くだけれどメディアに今の状況を説明した。

 内容を並べれば、マスターは私、凛は家主、聖杯戦争で呼んだ訳ではない、凛はキャスターのサーヴァントであるメディアを警戒している、暫くは貴女とここで暮らしていたいから頼み込んで、などの事を。

 だからこそ、ここで勢い良く頭を下げているメディアがいて、凛に恐らくは心臓をバクバクと鳴らしながらお願いをしている。

 メディア自身が無茶だと思っていて、けれども私を信じて頭を下げてくれているのだ。

 自然と、私は視線を凛へと集中させてしまう。

 未だに口を開いてない凛に、あまり苛めないであげてと視線を向けた。

 ……もう、答えなんて決まってるのでしょう、と。

 

 それに気がついたかどうか、凛はこちらを一瞥すらしないから分かりようがない。

 ただ、少しの沈黙の後に、凛は短く答えた。

 単純に、あるいは投げやりに。

 

「……魔術に関係する活動をしちゃダメ、それが条件よ」

 

「はいっ、ありがとうございます!」

 

 メディアが嬉しそうに返事をし、対して凛は本当にそれで良いのかと言いたげな目をしていた。

 凛からすれば、メディアは私が師事する為に呼んだサーヴァント。

 それが師事どころか、サポートすらしないのはどうなのだろうと思うのは至極自然な事だろう。

 尤も、今のメディアに何かやらしても、手に付くとも思えないから全然問題はないのだけれど。

 半ば納得気味に、けれども安堵混じりの溜息を吐く私を他所に、凛はもう一言だけ付け足した。

 勿論私にではなく、メディアに。

 

「私は遠坂凛、この街のセカンドオーナーよ。

 聖杯に知識貰ってるだろうし、分かってると思うけど」

 

「は、はい。

 遠坂さん、よろしくお願いします」

 

「凛で良いわよ。

 凛ちゃん、はちょっとキツいけど」

 

 チラリと私を見て、凛はそんな事を言う。

 どう言う意味よ、と睨み返したいけれど、単純に気恥ずかしいだけだろう。

 実際、凛ちゃん何て外で呼ばれた日には、対面的に問題があろうから。

 

「はい、では凛さんとお呼びします。

 これからお願いしますね、凛さん!」

 

「はいはい、よろしくメディア」

 

 手を差し出した凛に、握り返すメディア。

 少し緊張気味だけれど、それでも笑っているメディアを見れて、少しホッとする。

 このまま順調にメディアが落ち着いていくかもと、そういう道筋が見えてきたから。

 

 現在のメディアは、どうやら人生の転落期の状態が色濃い形で召喚されてしまっている。

 だからこそ、何かにつけて怯えずにはいられなくて、私に気安いのは夢やラインを通じて私という形が何となくで伝わっているから。

 もし私が何か間違ってしまえば、メディアに愛想を尽かされるかもしれない。

 凛と仲良く出来そうになってるのは、元からあったメディアの人の良さに、凛の人柄が信じてみたいと思わされたからだろう。

 だからこそ、今は魔術という手段は横に置いて、メディアに付いていてあげたい。

 呼び出しておいて”ごめんなさい”なんて言えないから、せめてメディアが今を楽しいと思ってくれる様に努力する他にないのだ。

 

「話は付いたわね」

 

「わざわざ誘導してたくせに、よく言うわ」

 

「メディアとの会話は茶番だって、そう言いたいの?」

 

「別に、そこまでは思ってないわよ。

 アリスがわざとらしいって言ってるだけ」

 

 全くもう、と凛が呟いているのに、私はクスリと笑って頷く。

 実際凛の言う通りで、上手く落着してくれた事には安堵している。

 まぁ、凛がうまくこちらの思惑を察して乗ってくれた事が大きいのだけれど。

 

「ありがとう、凛」

 

「自分が不利になったら、露骨に誤魔化そうとするんだから」

 

「誤魔化しているだけじゃないわ」

 

「分かってるわよ、尚の事タチが悪いって事でしょ?」

 

「そこまで言われる程の事でもないわ」

 

「言っとくけど、褒めてないから」

 

「知ってるわ」

 

 分かりやすく凛の顔が顰められて、こいつはと小さく呟く。

 全く持って心外だ、私はいつも正直に努めているだけなのだから。

 凛からすれば、調子の良い奴と見えてしまっているのかもしれないけど。

 

「良かった、ところで凛。

 そろそろ時間も良い頃合よ、着替えて学校に急がないと初めての遅刻になるわ」

 

「なぁっ!?」

 

 思わずといった感じで、凛が椅子を蹴飛ばして立ち上がる。

 時刻は八時十分、凛でも全力で走って十分であるから本当にギリギリの時間帯。

 それに凛的には、あまり走っている姿を見られるのは宜しくないらしい。

 こう、家訓的な意味合いで。

 

「決まり事とは言え、大変ね」

 

「あれ、アリスちゃんも学校という所に通ってるんじゃないですか?」

 

「そうね、でも今日は良いの。

 お休みするって伝えたから」

 

 遠坂家の黒電話、彼は今日とて現役選手。

 学校にはそれだけで連絡が取れるのだから、実に良い時代と言わざるを得ない。

 魔術云々を置いておいて、便利なのは基本的には良い事なのだから。

 

「どうしてですか?」

 

「言ったでしょう、今日一日はメディアと一緒にいるって」

 

 ドタバタと凛が行ってきますと声を出したのを確認しながら、私はメディアへ語りかける。

 彼女の姿に、下から上までゆっくりと視線を向けて。

 

「何時までもその格好じゃ外を出歩けないわ。

 とっても似合ってて素敵だけれど、もう少しカジュアルじゃないと街中を歩きづらいの」

 

 メディアが現状着ているモノは、ドレス風味で透明感のある装い。

 正直に言って、街中で見たら二度見した挙句に目を離せなくなるだろう。

 私としてはすごく良いと思うけれど、女の子なら服は幾らあっても困るものではない。

 無駄遣いにならない程度に、だけれどもバリエーションを考えて購入しなくてはならないのだ。

 

「アリスちゃん、良いんですか?」

 

「問題ないわ、むしろ私から頼みたい位よ」

 

「ありがとうございます!」

 

「えぇ、買ってからもう一度言ってちょうだい。

 ……それに、今日は一日それで過ごすつもりなのよ」

 

「あれ? 何だか一瞬悪寒がしました。

 サーヴァントは風邪を引かないんですが、一体どうしたのでしょうか」

 

「気にしては駄目よ、メディア。

 それより、付いてきなさい。

 行きは私のお下がりを着せるから、今から選ぶわよ」

 

「は、はい!

 アリスちゃん、宜しくお願いします!」

 

 トコトコと私の後ろを雛の様に付いてくるメディアに、私は笑みを零しながら彼女の手を引く。

 今日は幾つか服を買ってあげようと、そんな事を考えながら。

 出来るだけ楽しい思い出を、メディアへと届ける為に。

 なので、私は想いながら行動する。

 

 

 ――どうか今日も、明日も、メディアにとって素敵なモノでありますように、と。




よーし、これからは調子も出てきたし、また月1更新だ!
……と行きたいのですが、まだ忙しくてちょっと無理そうです。
また、暇な時間帯には書き溜めていこうと思うので、不定期ですがこれからも宜しくお願いします!(次の投稿まで遠そうですが……)


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第41話 心の中で微睡む君は

|ω・`)チラ


( ´・ω・`)_且


 風荒ぶ、星が見えない冬の日の夜。

 カタカタと揺れる窓を背景に、憂鬱混じりの溜息を吐きだした。

 部屋の中に居るのに息が白い。

 寒いと感じてしまうのは、この気温だけの事だろうか?

 ……もし問いかけられたのなら、私は否と答える他にない。

 

「そういう訳で、私は暫く身動きは取れないの」

 

 というのも簡単な話、それは私に突き刺さっている視線のせい。

 向けているのは約一名、約を付けているのは他の輩の内心が推し量れないため。

 どういう状況かといえば、報告会といえば良いのか。

 集まっているメンバーは、私がメディアを召喚した時のそれと一緒であるのだから。

 

「端的に言えば……失敗ということじゃな」

 

「成功はしているわ」

 

「内容がアレでは、失敗の謗りは免れんじゃろうて」

 

 冷え冷えとした場に響くのは、嗄れた老人の声。

 嫌な事に、慣れてしまいつつある妖怪(仮)の声である。

 淡々とした口調ながら、口角が上がっているのが実に嫌らしくて不愉快極まりない。

 

「少なくとも、どういう結果になるかは分かったわ。

 召喚が可能であるという事も」

 

「意外と負けず嫌いよね、アリス」

 

 凛がボソッと何か言ったようだけれど、何も聞こえないフリをしておく。

 自分にも誤謬があったと認めるのは吝かではないけれど……他人にそれを指摘されるのは面白くないのだ。

 

「――それで、弁明は終わりですか?」

 

 その時、特段に冷ややかな声を浴びせられる。

 声の方向には、白を基調としたメイド服に身を包んだ彼女の姿が。

 明らかに、今の現状を揶揄している物言い。

 口調だけでなく、私を見つめる目まで冷ややかで。

 

「何か言いたい事が?」

 

「いえ、単にこの茶番は何時まで続くのかと思っただけです」

 

「……そう」

 

 売られている、明らかに喧嘩を吹っ掛けられている。

 しかも、もし私が反駁して買ったならば、十分に叩き潰せると思っているのだろう。

 表情は動かなくても、好戦的なもの言いだけで分かってしまう。

 そして実際、口論に発展したら私は容赦なく言い負かされる。

 なら、と私は矛先をズラす事にした。

 

「イリヤに会えなくて、寂しい?」

 

「なっ……」

 

 正直、恐ろしく無礼な物言いである。

 けれど、挑発に微笑みを返せる程に私は人間ができていないのだ。

 それに、当て付けがましいけれど、そこまで的外れとも無いだろう。

 事実、僅かばかりであるが表情を動かしている。

 他の人物であれば大した事ではないが、この鉄面皮を纏っている彼女の場合においてはその限りではない。

 事実、新雪の如く白い肌は僅かに赤い。

 照れというよりかは羞恥で、羞恥というよりかは怒りで、だ。

 

「悪かったと思っているわ」

 

「………………左様、ですか」

 

 先制して予防線を張っておくと、静かな声がその場に溶ける。

 けれども怒りが消えた、というよりかは火に油を注いだ感が強い。

 何故だか、大炎上するアインツベルン城が脳裏に過ぎった。

 火を付けまくっている体操服なイリヤと、激昂しながら火消しをしている彼女の姿もだ。

 

「そこまでにしておくのだな」

 

 爆発一歩手前、正にそんなところで低いくせに通りの良い声が私の助け舟としてやってきた。

 黒のカソックを纏った神父が、待ったを掛けたのだ。

 ……なんだろう、この助かったという気持ちと、助けられてしまったという微妙な感覚は。

 これが世に言う、呉越同舟というやつなのだろうか。

 

「何がでしょう?」

 

「我々が今日ここに集まった目的は、こうして戯れ合うことであったかな?」

 

 今度は分かりやすく、彼女は顔を顰めた。

 正論だと認めたのだろうけれど、侮蔑の意味合いでも見出してしまったか。

 神父は常時がこれなので、わざわざ気にするだけ無駄だろうけれど。

 

「そうね、ごめんなさい」

 

 皮肉の一つや二つ、当然の如く頭に浮かぶ。

 けれど、今はそれ以上に彼女の怒りを買うのが些か以上に面倒だったから、そのまま素直に便乗した。

 他人に宥められ、噛み付いていた私も直ぐに頭を下げた状況。

 さしもの彼女も、これ以上何かを言いづらい。

 そうして案の定、すぐにお騒がせしました、と綺麗に頭を下げた。

 ホッと、少し息を吐く。

 毎回こうだと、どうにもやりにくいと感じながら。

 

「それで、どうするのだね?」

 

「……そう、ね」

 

 落ち着いたと見たか、早速神父が尋ねてきた。

 どうする、とはこれからの研究の事でありメディアの事である。

 これまで協力してきた分、これからの行動について確かめるのは当然のこと。

 まぁ、もう既に召喚してしまったのだから、どうするもこうするも研究は理論のみでしか続けられそうにないのだけれど。

 

「曲がりなりにも召喚だけは出来たからのぅ」

 

「まるで、失敗すればもう一度実験できたと言いたげね?」

 

「呵呵、その通りよ」

 

「ほざきなさいな」

 

 だからどうした、としか言えない。

 やり直せないし、よしんばやり直せてもやり直そうとは思わない。

 ただ、あの娘を見捨てられそうにないから。

 

「それで……」

 

「もう良いわ。

 だから、聞きなさいな」

 

 間桐家の妖怪が何か言いかけたところを遮る。

 私の中には、既に結論が存在しているのだから。 

 今は伝えるべき事を伝えようと、更に言葉を続けた。

 私の決めた事、これからのメディアの事。

 規定事項として淡々と口にする。

 

「メディアは私が保護するわ」

 

 明瞭に、簡潔に、結論をまず伝えた。

 皆、とにかくそれをまずは聞きたかっただろうから。

 一瞬の、僅かな静けさが訪れる。

 その中に多分な訝しさが混じっていたのは、想像の通りであった。

 

「――つまりは」

 

 静けさの間の後、最初に声を発したのはアインツベルンの彼女であった。

 眼力だけで鉄も両断しそうな雰囲気で、ジロリと私を睨む。

 

「権益を貴女の手元で囲うという事ですか?」

 

「穿った見方ね」

 

 発された邪推に、私は間髪を入れず否定する。

 元よりメディアは私の管轄で、研究成果を提供するという締約だった。

 何らこの決定には問題ないのだと、そう続けた。

 

「しかし、現状彼女は魔術を扱える状態ではない。

 つまりは、君の締約は履行できない。

 私の見立てではそうであるが、どうかな、凛」

 

「決めるのはアリス、私じゃないわ」

 

「ほぅ、随分と甘いことだ」

 

 フンッと、凛がそっぽを向く。

 神父に向けて、つまらない事で煩わせるなと言わんばかりに。

 私に向けて、さっさと片付けろと意思を込めて。

 だから、ふぅ、と一つだけ息を吐き出した。

 言葉を滑らかに、滑るように飛び出させる為に。

 

「メディアが不安定なら安定させて、魔術の研究ができるまでに回復させれば良いの。

 全てはそこからよ。

 安易に研究の材料にして、消耗し尽くすなんて愚劣極まる行為だわ。

 全てを急いて運ぶことはない、そうでしょう?」

 

「ふむ、それは確かにそうじゃがな」

 

 私の言葉に、直ぐに反応してきたのは間桐臓硯。

 だが、その昏い目が、出来るのか? と尋ねていた。

 それに、私は迷い無く頷く。

 

 彼女は今、とても辛い記憶の中を微睡みながら召喚された。

 正直に言えば、魔術の行使自体が嫌な記憶を思い出す鍵にもなっている。

 だから、暫くは魔術の行使はさせられない。

 

「傷には瘡蓋を、トラウマには優しさを、時間の流れの中で包んでいく他にないのよ。

 メディアには、冬木聖杯戦争十年分のコストがあるでしょう?

 やすやすと捨てるのは、間違っていると断言するわ」

 

 どう? と周りを見渡せば、無言の中にでも感じれるものがあって。

 嗤う者、苦い顔の者、変わらぬ者、様々な顔であるが概ねの趨勢は決まっていた。

 つまりは……今回は私の弁で押し切れた、という事だ。

 

 メディアのコストは莫大だからこそ、安易な一歩が大きな過ち。

 繰り返したのはその事だけだったけれど、聖杯戦争なんてものを二百年もの間続けている人達。

 お陰で気が長かったのか、全員が良しとしてくれたのにはホッとせざるを得なかった。

 取り敢えず、暫くはメディアの安全が確保出来たのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「疲れたわ……凛、膝枕して」

 

「嫌よ」

 

「ケチね」

 

「アンタって時々、素でおかしくなるわよね」

 

 あの会談から時間にして一時間、私達は二人で遠坂邸に戻ってきていた。

 会談があった場所、今では誰も使っていない館での話し合い。

 メディアの今後の去就を決める会議。

 その決着は、私が望むモノへと無事に譲歩を引き出せた。

 正確には、”してもらった”が正しいのであるが。

 

「甘えたくなる時ってあるでしょう?」

 

「別に無いわよ、そんなの」

 

「……本当かしら?」

 

「仮にあっても、絶対アリスになんか見せない」

 

「意地っ張りね」

 

「そもそも、同じ歳の女の子に甘える方がおかしいの」

 

 お分かり? と不審そうに私の顔を覗き込む凛。

 やや下方向、半ば上目遣いの凛は今日も可愛いかった。

 なので、これは恐らく反射であったのだろう。

 こう……ムニっと、凛の頬っぺたを私の人差し指がつついていた。

 ツンツン、ツンツン、と。

 

「……何してるのよ、アンタ」

 

「柔らかそうな肌があったの、仕方がないわ」

 

 明らかに、凛の目はバカじゃないの? とその眼力が物語っていた。

 でも、止めない。

 意地悪で不愉快な変態達に虐められた私の傷は、存外に深い。

 凛に、体で払ってもらいたいと思ってしまう程に。

 そもそも、こんなにキメ細やかで触り心地の良い凛の肌がイケナイのだ。

 

「………………疲れすぎて、脳みそ溶けてるのね」

 

 私の指を掴んで押し戻しつつ、頭痛がしている様に顔を顰めている凛。

 まるで”駄目だこいつ、早く何とかしないと”と思っているかの様で。

 確かに、と自分の事ながら頷かずにはいられなかった。

 

「ごめんなさいね、凛」

 

「謝るくらいならやめて。

 それと、今のアリスに必要なのは、さっさと寝て忘れる事。

 愛しのメディアが待ってるわよ、つつくんならそっちにしときなさい」

 

「メディアに甘えるなんて、みっともなくて出来る訳ないでしょう」

 

「だからって私に懐くなっ!」

 

「凛だから良いのよ」

 

「気持ち悪いこと言ってんじゃないわよっ」

 

 嫌なことは全部忘れよう、そうしよう。

 そんな決意の元、凛にもっとじゃれるために撓垂れ掛かろうとして。

 嫌がる凛と戯れる私、非常にノンビリとしたキャットファイト。

 このままもう少し遊んでいたい、そう思って――あ、と声が漏れた。

 ――何時の間にか、凛がとってもイイ笑顔で私に笑顔を向けていたのだ。

 不味いと思ったけれど、時すでに遅し。

 ゲンコツが一つ、綺麗に私の頭に降ってきたのだった。

 

「い・い・か・げ・ん・にっっっ、しろーーーっ!!」

 

 気合一閃、私の頭をヒヨコが踊る。

 凛の一撃は、上手い具合に私の頭をシェイクしていた。

 痛みが追いついてきた、ズキリと頭蓋に稲妻が走る。

 

「痛い、とっても痛いわ、凛……。

 お酒飲んだ訳じゃないのに、頭が割れてる気がする……」

 

「自業自得、酔ってないのに前後不覚になってたでしょう?

 これで、目は覚めたでしょ」

 

「キツすぎる処方箋ね……」

 

「処置なしだったもの、仕方ないわ」

 

「半分は、優しさで満たして欲しかったわね……」

 

「バファリン鼻に突っ込むわよ!」

 

 痛みのせいか、凛の声が頭に響く。

 まるで二日酔いみたいと、この理不尽を嘆かずにはいられない。

 酔ってもいないのに、酔いどれ感覚で凛に構い続けた罰なのか。

 凛の言う通り、どこまでも自業自得なのだから目も当てられない。

 

「部屋に戻って、寝るわ」

 

 痛む部分に手を当てながら言えば、さもありなんと凛は頷いた。

 私の所業はさておいて、殴ったのは凛であろうに。

 はぁ、と小さく溜息を零してしまったのは、どう考えても凛に文句を言うのはお門違いすぎるから。

 

 単に、外道二人に極寒メイドを相手にして疲れたから、凛に構ってもらおうと思っただけだったのに。

 ……まぁ、興が乗りすぎて暴走したのは否定しようがないけれども。

 最近、凛は構ってくれていなかったのも大きいかもしれない。

 拗ねてる訳ではないけれども、面白くもなかったから。

 

「凛」

 

「なに?」

 

 だから部屋に戻る前に、少しだけ凛と話してから戻ろうと思った。

 不機嫌そうな声、面倒くさそうな声。

 でも、そんな事は一向に気にせずに告げる。

 

「メディアに掛かり切りになるからって、凛が煩わしくなる訳じゃないわ」

 

 むしろ、何時もと同じくらいに構ってくれないと調子が出ない。

 そう告げると、凛はまたも頭痛を患った様にこめかみを抑えて。

 もう、コイツはっ! と呟いて顔を上げた時、顔が真っ赤に染まっていた。

 照れているとか、恥ずかしがってるとかではなく、単純に怒っていたのだ。

 微妙にプルプルしてるのが、噴火前の火山そのものっぽくもあった。

 そしてお約束の如く、即刻爆発していた。

 

「こんっの、寂しがり屋っ!

 わざわざ恥ずかしい事言ってんじゃないわよ、魔術師のクセに!

 別に好きでも何でもないのに、恋人みたいなこと言うな!!

 言っとくけど、私はアリスなんて好きでも何でも無いんだからねっ!」

 

 捲し立てながら言う凛は、妙なところで照れ屋であった。

 何か凛の中でツボでもあるのだろう、こういう時に爆発するみたいな。

 最近、稀に衛宮くんも爆発させてるのを見るので、間違いないだろう。

 難儀な性格、だからこそ遠坂凛でもあると思うのだけれど。

 

「ごめんなさいね、半分は戯言よ」

 

「半分って何よ」

 

「もう半分は……何かしらね」

 

 優しさかしら、と戯けながらその場を離れる。

 流石の私も、面と向かって本気よ、と言い放つのは些か以上に恥ずかしかったから。

 早歩き気味だったのは、多分逃げたかったのだと思う。

 ”アリスってば……”と小さく呟いた凛の声は、仕方がないわね、というニュアンスに溢れていた。

 

 

 

 

 

「メディア、居る?」

 

 自分の部屋の戸を、そっと開ける。

 部屋の中は何故か真っ暗で、無音が命の気配さえ感じさせない空間を作っていた。

 もしかして、こんな時間だけれどメディアは部屋を空けているのかと、そう思ったけれど……。

 暗闇の中に、吐息を感じさせない影が一つ、まるで影法師の様にそこにあって。

 

「メディア?」

 

 問いかけても、答えはない。

 ただ、息吹さえ感じない空間に、目を閉じたまま彼女は存在していた。

 動いているメディアを見た事ない人は、一見すると彼女を盲目の彫刻や人形と見間違うかもしれない。

 でも私は、彼女が動き、喋り、表情を変える事を知っている。

 そっと彼女の手を握れば、冷たく凍えてしまっていても、確かに脈動を感じとれた。

 ここに居ると、私に確証を与えてくれたのだ。

 

「冷たいわ、メディアの手」

 

 暖も取らずに、寒い部屋でジッとしていたからだろう。

 何故? とか、どうして? と疑問が過ぎるけれど、今はそんな事はどうでも良い。

 肝心なのは、メディアが寒くない様にしてあげることだ。

 はぁ、と私の吐息をメディアの手に吹きかけ、そのまま彼女の手を摩る。

 昔日の冬、私が何時しかしてもらった様に。

 寒さなんか忘れちゃえと、懐かしさを溢れさせながら。

 

 何となく、私にこうしてくれていた人の気持ちが分かった。

 冷たさというモノは、常に人を苛んでいくから。

 ほっとけない子なら、つい駆け寄ってしまう。

 鬱陶しく思われるとしても、それで良いとはた迷惑なお節介を焼きたくなるのだ。

 

 それに、暗くて一人ぼっちだと、つい此処ではない何処かに思いを馳せてしまうものだから。

 今のメディアは、あまり面白く無い事を思い出してしまったのだろう。

 でなければ、こうして寂しげに虚空を眺めてなんていないだろうから。

 そんなメディアの姿が、どこか捨てられた子犬を想起させられた。

 

「ねぇ、メディア。

 もう眠たい? それとも少しお話でもする?」

 

 話しかけて……でも、反応は返ってこない。

 まるで抜け殻、この分だと幾ら話しかけても答えは無いのだろう。

 恐らくは心の、少し奥の方に引き篭ってしまってるのだ。

 僅かでも、メディアの事を感じられるから。

 ここに居ると、彼女の魔術回路が教えてくれているから。

 

「そう、ね。

 なら、こうしましょうか」

 

 呟いて、そっと私の指に、何時も携帯している針をチクリと刺す。

 一滴の血が、プックリと指のお腹に出てくる。

 何をするか、なんて簡単な話。

 メディアが奥に引き篭っているのなら、呼びに行けば良いだけの事だから。

 ――私の指を、メディアの口に躊躇なく含ませた。

 押し込む様に、奥へ奥へと。

 

「本当は粘膜と粘膜が一番良いのだけれど……まぁ、論外ね」

 

 反対の手をメディアの頭に充てて、魔術回路を一本だけ起動させる。

 この方法はやや不確かだけれど、やってやれない事はない。

 強く自分を持ってさえいれば、つまりは何時も通りの自分でいれば問題ないから。

 覚悟を決めて、メディアと私の魔力を同調させながら、小さく告げた。

 

「お邪魔するわね、メディア」

 

 

 

 

 

 ――落ちて行く。

 

 暗闇の中を、真っ逆さまに。

 

 ――落ちて往く。

 

 他の人の心に、溶けゆく様に。

 

 ――奈落の底へと、堕ちていく。

 

 

 

 本来なら有り得ない、侵入不能な心の迷宮。

 誰も心なんて覗けない。

 よしんば、覗けた時点で封印指定を受けるであろうそれを、私はいとも簡単に行使できていた。

 それは私の能力が高いからとか、何か特別な才能があるからとか、そういう話ではない。

 単に、私とメディアにはパスが繋がっているから、それを通じて辛うじて干渉できているだけ。

 事実、私が一瞬でも気を抜けば、恐らくは取り返しのつかない事になる。

 

 ――私は貴女、貴女は私。

 

 心の中に、自分以外が居るという矛盾を、メディアの深層は排斥ではなく同化する事で解決しようとしているから。

 自我を強く持ってないと、あっという間に溶かし尽くされてしまう。

 私はアリス・マーガトロイド。

 他の何者でも無いと言い聞かせながら、心の中に沈んでいく。

 

『こわ、かった』

 

 そうして降っていく中で、聞こえてくる声。

 私が聞きたかった、メディアの鈴の音。

 どこか影を感じさせる声音だけれど、彼女の声が聞こえて僅かばかり安堵する。

 

『どこからどこまでが”少女()”で、”女性()”なのかが分からなくなっていたから。

 どちらの記憶もあって、生々しさも一緒。

 だったら、私は女性()であるべき、ですけど。

 召喚された私は、どこまで行っても不完全。

 どうあるべきか、なんて私にも分からない』

 

 それは、トコトンどこまでも独り言だった。

 私が侵入している事にも気がつかない、唯々愚痴を呟いているようなモノ。

 更に言えば、私はそれを立ち聞きしているという、相当に趣味が悪い娘であるとも。

 けれど、幾ら私が申し訳なく思っても、メディアは独り言を止めたりなんてしない。

 むしろ、どんどんと内容を鮮明にさせていく。

 

『姫と敬われた私が居ました。

 魔女と罵られた私が居ました。

 どちらも生々しくて、色褪せていない記憶の欠片。

 でも、そのせいで開き直れない。

 どちらかに偏っていれば、私は決められるのに。

 姫であるか、魔女であるか』

 

 メディアの不安定さの、その発露とも言える呟き。

 嘆きとも言えるそれは、どこまでも苦悩に満ちていて。

 彼女の言葉の一つ一つが、私に突き刺さっていく。

 だって、彼女をそんな風に召喚したのは私だから。

 自分の研究成果に満足してここまで考えなかったのは浅慮だったかと、羞恥にも似た感情が私を苛んでくる。

 

『でも、私はどちらでもあって。

 両方が、共に私なのを知っている。

 けれど、だからこそ、私はどちらでも無いと思えてしまう。

 私はこうだと、自分に自信を持って言えない。

 (少女)(女性)は、もう別人と言って良い程に違ってしまっているから。

 その合間の私が誰なのかなんて、もう私にも分からない、分からないです……』

 

 ここに来て、最初にメディアが呟いていた言葉を、自然と思い出してしまう。

 ”こわ、かった”と、確かにメディアは呟いていた。

 自分自身の境界が曖昧で、存在自体も何者か決めかねている。

 自分の事なのに、分かっているのに分からなくなる。

 

 それは、どれだけ苦痛な事なのだろうか。

 自分が自分であると、本来自身が確立しているであろう自我が、彼女は不安定であるのだ。

 自分が誰であるかなど、本来自分が一番理解している。

 それなのに、今のメディアはそれが出来ていない。

 原因は……言わずもがな。

 

『私は私を決められない。

 私はメディア、そうとしか答えられない伽藍堂。

 姫であり魔女である私は、その実何者でもないのです。

 あるのは郷愁だけ、だから寂しい。

 でも、魔女の私は人が信じられません。

 自身のマスターでさえ、信じられていないのですから。

 ただ、寂しさ故に、彼女の優しさ故に縋っているだけ。

 だから、私は――』

 

「メディア!」

 

 切なさの滲む、切実さが溢れ出る独白。

 それに対して、私は反射的に叫んでいた。

 聞こえてるかなんて分からないけれど、それでも私は耐えられなかったから。

 このままでは、メディアは自身の自己嫌悪に押しつぶされてしまう。

 それが、どうしても堪えられなかったから。

 

「それでも、私は!」

 

 だから、叫ぶ。

 考えなしに、感情で。

 ここは心の中なのだからと。

 

「私は、貴女に会えて嬉しかったわ!

 貴女は、私の誘いに乗ってくれた!

 それが何より――」

 

 出会ってまだ数日だけれど。

 それでも、彼女と私は上手くやれそうだと、そう彼女が確信をくれたから。

 他でもない、今ここに居てくれる彼女が。

 

 

 私の叫びが届いてるか、そんな事は分からない。

 けれど、もう心の中心はそこにあって。

 どこまでも続くと思われた落下は、もう終わりを告げようとしていた。

 

 ――僅かな衝撃を伴って、私はメディアの心へと降り立つ。

 ――底へ、抜けたのだ。

 

 そこは暗い訳でも明るいわけでもない場所で、メディアがポツンと一人で立っていた。

 所無さげに、何をするでもなく。

 ただ、私の姿を見たら、目を真ん丸くして驚いていたけれど。

 

「アリス、ちゃん?」

 

「こんばんは、メディア。

 今日のご機嫌いかが?」

 

「……どう、して」

 

 分からない、といった風にメディアは呟いていた。

 私がここにここに居る事に、私と話をしている事に。

 

「私は主で貴女は従者。

 契約があるのだから、繋がってるのは道理なのよ」

 

 それで、と私はメディアの顔を覗く。

 どうしてこんな深い所に居るの? と、問いかけながら。

 すると、メディアは少し困った顔で、答えを返してくれた。

 

「色々、考えすぎちゃったみたいで。

 余計な事ばかり考えたから、ダメダメだったんです」

 

 ニュアンスに満ちた言葉、だけれども大体の想像は出来る。

 メディアには私のせいで、ややこしい問題を背負わせてしまっているから。

 そう、他ならない私のせいで。

 

「そんなところだと思ったわ。

 でも、だから迎えに来たの。

 大丈夫よ、貴女には私が居るもの。

 私はメディアが子供でも大人でも、どっちでも良いの。

 今、ここに居る貴女に、私の傍に居て欲しいだけよ」

 

 そう告げると、メディアは絶句して私を見ていた。

 表情はやや驚いた様に、だけれども段々と羞恥の赤に染まって言ってる。

 何故、と首を傾げそうになっていると、メディアは堪らずといった風に叫んでいた。

 

「な、何でアリスちゃんが知ってるんですか!?」

 

「何を……」

 

 問い返そうとして、それが何なのかに思い当たった。

 メディアの悩み、それを何故私が知ってるのかと言う事。

 それは簡単な事よ、とメディアに軽く説明する。

 普通なら言葉にせずとも気付いていたであろう、今は動揺して気付けていない程度のモノ。

 

「ここは何処?」

 

「私の、心の中です」

 

「私は誰?」

 

「アリスちゃんです……あっ」

 

 言葉を二つ掛けるだけで、簡単に理解できたようで。

 ”そういう事ですか”と小さく呟いていた。

 そうして、また顔を赤くする。

 それも、さっきよりも赤く。

 羞恥を怒りを、8:2でブレンドした紅さ。

 

「アリスちゃんの……」

 

「何?」

 

「アリスちゃんのえっち!」

 

 何が、と言おうとした時点で、ポカポカと胸をグーで叩かれていた。

 全然力が入ってないせいか全く痛くなんてないけれど、異様なムズ痒さを覚える。

 どうしてこんな事になっているのか。

 簡単に想像は付くけれど、だからと言ってどうしようもない事だから。

 

「人に心を見られるなんて、裸を見られてドキドキしちゃうくらいにヒドイ話なんです!

 アリスちゃんは人の裸を見て、真顔で見たわって言ってるえっちさんですっ!

 むっつり! アリスちゃんのむっつりすけべ!!」

 

 あまりに、あまりにも酷い言い掛かりを付けられていた。

 裁判所に訴えたら、閻魔様が直々に出張って来て裁いてくれるくらいに。

 

「メディアが部屋に引き篭ってるからよ。

 引きずり出そうとしたら、貴女がたまたま全裸だっただけよ」

 

 痴女はどちらだと聞き返せば、メディアは天を仰いでから、静かに溜息を吐いたのであった。

 明らかに納得してなさそうな表情が、色々と物語っている。

 でも、わざわざ蒸し返しても不毛なだけ。

 だから、これ以上はメディアもこの事について、兎や角いう事はなかった。

 ……もしメディアの中で、私が変態認定されていたのだとしたら、非常に思うところはあるのだけれど。

 それは兎も角として、メディアに手を差し出す。

 キョトンとする彼女に、私は軽く告げた。

 

「帰りましょう、メディア」

 

「そう、ですね。

 アリスちゃん、迎えに来てくれてありがとうございます」

 

 微笑みながら、私の手を取ろうとして。

 手を手が触れ合う……その直前、ピタッとメディアの動きが止まった。

 何かと思ってメディアの顔を覗くと、彼女もまた上目遣いで私を見上げていて。

 

「今度、またこうなっていても、迎えに来てくれますか?」

 

 そう、どこか試す様に、揺れる様に尋ねてきて。

 不安、とはまた違う、私の口から答えを聞きたがっている様な口調。

 安心したいが為か、私の反応を見たい為だけなのか。

 真相は、メディアの心の奥底に居るのに分からない。

 ただ、私に望まれている事と私が望んでいる事は一致しているから……。

 

「えぇ、何度でも、何時だって来るわ」

 

「――アリスちゃん、ありがとうございます」

 

 私が告げた瞬間、メディアが微笑みながら私の手を取って。

 下から上へと、重力に逆行して引き上げられる感覚に見舞われる。

 心の底から現実へ、浮上しようとしているのだ。

 そんな中で、ポツリとメディアが思い当たった様に言葉を漏らしていた。

 

 

「そういえば、アリスちゃんがここに来た方法って……。

 私とアリスちゃんを繋ぐには、あーいう接触が必要ですけど。

 もしかしてアリスちゃん、私にキ――」

 

 メディアの呟きが終わる前に、メディアの底から引き上げられる。

 それにこれでオシマイと、ちょっとした安心感を感じながら、少しこれからの事を考えていた。

 メディアのこれから、私が彼女にしてあげられる事なんかを。

 多分、先はとっても長くなる、そういう付き合いの仕方だから。

 先立っては、メディアの寂しさを無くしてあげようと、それを第一目標に定めながら。

 

 ――世界を抜けて、現実へと帰還する。

 

 戻ったら、まずはお風呂に入ろうかしら、二人で。

 なんて考えてたのは、きっと寒くて冷たかったから。

 暖めてあげたいな、と純粋にそれだけ思えていたのだ。












おまけ

 上から下へ、いいえ、いいえ。
 下から上へ、底の底からの帰還の最中。
 私を心を染めていたのは、たった一つの事だけでした。

 具体的には、アリスちゃんの事。
 私のここへと来る手段、それを考えた時に最も容易な方法は……即ち、対象の粘膜と自身の粘膜の接触。
 つまりは口付け、そう口付け……。

 アリスちゃんは多分、私にチューしてここに来たという事です。
 女の子同士で、なんて…………不潔です、とっても!
 女の子と女の子でそんなの、すごく変です!
 何か、イケナイ方向に倒錯しています!!

 頭に浮かぶのは、アリスちゃんの唇。
 そっと目を閉じて、優しくキスされて…………何かじゃなくて、粘膜と粘膜を擦り合わせる様に深く深く、それこそ舌が絡み合っている光景。

 ――――――えっちです、不潔です!!!

 やっぱり、アリスちゃんは不潔です!
 わざわざ、そうまでして迎えに来てくれたのが嬉しくて、また来てくれますか? なんて聞いてしまいましたが、それ即ちまたキスされるということ。
 ……今、気が付きましたが、自分から不潔な道へと歩んでる気がします。

 別に望んでそうなる訳ではないのに、結果的にそうなってるなんて……とっても変な感じです。
 と、それよりも、アリスちゃんの事です。
 口付けされている真実が、何よりも重要です。
 大人である私の記憶があっても、心がファーストキスだと思っているのに。
 想像すると、甘くとろけるミルクの味。
 そんな感じのが、アリスちゃんからする気がします。
 アリスちゃんのミルク味と、ネチャネチャ、ネチャネチャ……。
 アリスちゃんの匂いも合わされと、多分もっと変な感じが……。

 ………………ダメです。
 戻ったら、真っ先にアリスちゃんをとっちめなくてはいけません!
 むぅ、と怒りながら引き上げられて、現実に戻るこの瞬間。
 私に広がっていたのは……。

 ――何故だか、血の味でした。

 初キスが鉄の味!?
 斬新すぎて、思わずたじろぎます。
 しかも深い!
 喉元まで……アレ? とここでおかしさに気が付きました。
 どう考えても、アリスちゃんの舌の感触ではなかったですから。
 恐る恐る、目を開けます。
 すると……、

「起きたのね、メディア」

 微笑んでるアリスちゃんが、自分の指を私の口に突っ込んでいます!
 …………フフッ。





 ある意味で私の純情を穢したアリスちゃんと、ツンとした態度を取りながら一緒にお風呂に入ったのは、また別のお話です。












お久しぶりです、皆様。
最近は少し涼しくなりましたが、未だに熱さが抜けません。
しかし、小説の中では冬だということを思い出して憂鬱になったここ最近です。
未だに定期での連載は難しいですが、これからちょこちょこ時間を見つけて書いていこうと思いますので宜しくお願いします。
……次の投稿はいつかなぁ(遠い目)。


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第42話 迷いと悩みのお節介

書きました(質を投げ捨てての行軍)。


「もしもし? お久しぶりです。

 アリス・マーガトロイドです」

 

『アリすん?

 いやぁ久しぶり、元気してた?』

 

「お陰様で、ネコさんも元気そうで何よりね」

 

『本当は暖かくして寝ていんだよ?

 ほら、ネコは炬燵で丸くなってるのが相場でしょ?

 でもさ、飲んだくれ共はひっきりなしだからねー』

 

「忙しくて暇がないのは良い事よ。

 暇も悪くはないけれど、つまらないもの」

 

 遠坂邸にある黒電話。

 少し古びた家人越しに、久方ぶりの声と私は会話していた。

 電話先はコペンハーゲン、冬休みからずっと休んでいた私のバイト先。

 どうしてそこに電話したのかと言えば、それは勿論世間話が主な内容ではなくて……。

 

「ねぇ、そろそろ復帰しようと思うのだけれど。

 人手はいる時期かしら?」

 

『居れば助かるかなぁ。

 えみやんのお陰で回せなくはないって感じだけど、無理させてるからね』

 

「そう、分かったわ。

 ところでネコさん、ちょっと良いかしら?」

 

『何だいアリすん』

 

「ちょっと、あって欲しい娘がいるの」

 

『アリすんがわざわざそんな事言うなんて……もしかして、桜ちゃんの時と同じかな?』

 

「そうなるかもしれないわね」

 

 ほぅほぅ、だったら助かるにゃあ、とわざとらしい語尾で嬉しげなネコさんに、くれぐれもお願いしますねと頼み受話器を置いた。

 軽く息を吐いたのは、少し安心したからか。

 全て事もなしとはいかないけれど、悪くない滑り出しに感じたのだ。

 それは、メディアの為に私に出来ることの第一歩。

 独善的かもしれないけれど、何かしたいと思ってしまったのだから。

 

 その第一関門は、クリアできた。

 凛に頼んで、メディアの戸籍も手に入った。

 滑り出しは悪くなく、むしろ順調……。

 そこまで考えて、またも息を吐いてしまう。

 今度は安心からでも不安からでもなく、ある意味では憂いと呼べる溜息だけれど。

 

 手放しで喜ばれる、なんて微塵も考えてはいない。

 今のメディアは、人と関わるのをあまり喜べない娘になっている。

 でも、と思ってしまった。

 決して、メディアは人間嫌いではないのだ。

 ただ、人間不信なだけで、本来は人の温かさを感じていたい娘だから。

 なので、もっとなんとか出来たらと、そう感じたから……。

 

「難しいわね、メディア」

 

 返事のない独り言は、最早愚痴と何ら変わる事がない。

 もしかしたら、虚空に溶けた言葉が、そのまま彼女の胸に混ざるのを期待しているのか。

 どうしようもない事を呟いたのは、一方的に理解を求めてしまいたいからかもしれない。

 ただ、嫌われたくはないから分かって欲しいというのは、間違いなく私の我侭だから。

 前の逆みたいに、メディアに心を覗かれたら私は死んでしまう。

 だから、素知らぬ振りでメディアを外に連れ出さなければならいのだ。

 

「複雑ね、本当に」

 

 自分の事か、メディアの事か。

 このぼやきがどちらのことなのか、私自身も分かってはいない。

 ただ、全部が上手く行く様にと思っていたのは、確かな願望だった。

 

 

 

 

 

 ここ最近、バイトに入る頻度が少し増えている。

 理由は単純で、バイトに来れない奴がいて、抜けた穴があるからだ。

 それも、ここ一ヶ月の間。

 

 居酒屋コペンハーゲンは何時だって忙しい、書き入れ時は特に。

 だから必然的に、抜けた穴には誰かが塞がなくちゃいけない。

 結果として、俺のシフトも必然的に多くなる。

 だからどうこうって訳じゃないが、それがようやく収まると聞けば、結構長かったなと感じてしまう。

 理由があるなら仕方ないけども。

 帰ってきてくれるなら、それで御の字だろう。

 最近忙しくて、慎二が妙にあのさぁ、と睨みつけてくる事が多かったから。

 これで、ようやく落ち着ける。

 

 ――はずだけれど、それだけでは済まないらしい。

 曰く、誰かバイトが増えるかもしれない、とはネコの談での情報で。

 その事について今日、話があると俺はコペンハーゲンに呼び出されたのだ。

 ……何故か、マーガトロイドに。

 

 一体何があるのか、それが休んでいた時の何かに関連しているのか。

 全くもって分からない、けど……。

 そんなに悪い事にはならないのだろうな、とは思ってる。

 マーガトロイドは、変な奴だけど悪い奴じゃないから。

 ただ、何かは起こる予感だけは、漠然とあるけれどもあった。

 マーガトロイドが何かをする時、何かしらの変化が発生するのだ。

 だから、コペンハーゲンにこれから何かしらの変化があるのだろう。

 それが新しいバイトがそうなのかということについては、これから行って確かめなければならない。

 

 どうなるのかと考えながら、玄関で靴を履く。

 もう、その呼び出された時間に近いのだ。

 すると、奥の方からトテトテと、こちらへ向かってくる足音が聞こえた。

 十秒もせずに現れたのは、言わずもがな桜である。

 最近は、よくエプロンが似合うようになってきた。

 

「じゃあ桜、行ってくる」

 

「はい、先輩。

 今日は早く帰って来れるんですよね?」

 

「あぁ、今日は会議みたいなのだけだからな」

 

「分かりました。

 あ、今日のお夕飯は鰤の照り焼きにしますね」

 

「はいはい、と。

 もし藤ねぇが暴れたら、先に食べてて良いから」

 

「先輩、ちょっと意地悪です。

 藤村先生、先輩が九時までに帰ってきたら待ってるじゃないですか」

 

「その度に、”おっそーいっ!”って怒鳴られてるんだぞ。

 それに、何時もより多く藤ねぇが食べるから、すぐご飯が空になるんだ。

 あれはあれで問題だぞ?」

 

「今日は先輩が早く帰ってくるから、問題ないです」

 

「そうだな、できるだけ早く帰ってくる。

 ……最近、桜にばっかり飯作らせて悪いな」

 

「いえ、私が好きでやってるんです。

 私のご飯、美味しいって先輩が言ってくれるから……」

 

 染みる様に胸に手を当てて語る桜に、一瞬言葉に詰まってしまう。

 事実として美味しいのだから思った通りの感想なのだが、それを特別なことの様に言われると困惑してしまう。

 

「ん、それじゃ行って来ます」

 

 結局、その場で口にできたのは、逃げの口上の様な行って来ますだけ。

 けど、桜はそれでも、何時もの通りに笑顔を見せてくれる。

 

「はい、いってらっしゃい、先輩」

 

 もう慣れたけれど、それでも藤ねぇ以外にそう言われるのは何だかこそばゆいモノがあって。

 ……少しだけ、冬の寒気が和らいだ気がした。

 

 

 

 

 

 私達のバイト先であるコペンハーゲンは、冬木市の居酒屋として活動している。

 しかし、その内装は居酒屋を自称する割には、些か整いすぎていた。

 等間隔に配置されている円卓、カウンターの背後に並べられている酒類、部屋を温め続けている暖炉。

 実質、バーと呼んでも差支えはない。

 お陰で人形劇もやりやすく、バイト先ではここが私にとって最良とも言える場所。

 客層も良く、酔いどれながらも人形劇を楽しげに鑑賞してくれる。

 だから、私はこのバイト先が居心地が良いと思っている。

 ここの雰囲気は、陽気なのだ。

 だからこそ、連れてきた彼女にも、この場所を気に入って欲しい。

 無理にとは言わないけれど、それでも。

 

「どしたのアリすん、考え事?」

 

「えぇ、少しね」

 

 少しだけボンヤリとしていた私を、ネコさんはひょいっと覗き込む。

 フムフムと謎に頷いているネコさんは、どこか妙に楽しげで。

 その視線がチラチラと私の隣へと向いていたので、何かしらの関連付を行ってるのだろう。

 ……ハズレではないのが、何ともむず痒い気持ちにさせられる。

 そして、視線を向けられた当人は、居心地悪そうに椅子を私の近くに寄せてきていた。

 

「怖くなんてないわ。

 ネコさんはおかしな人だけど、安心して」

 

「おかしな人って、アリすんてばひどいね」

 

「ネコさんは時々読めなくなるから、ちょっと怖い時があるのよ」

 

「大河だって似たようなもんじゃない。

 いや、アタシは全然アイツと違うけどさ」

 

「藤村先生は何を仕出かすか分からないだけで、そこら辺はハッキリしてるわ」

 

「このネコさんは、何時だってフレンドリィ。

 だから、意地悪アリすんに騙されちゃダメだぞ」

 

 読めない表情で、でも私の隣に居た彼女……メディアが安心する様に穏やかに話しかけるネコさん。

 はい、と小さく返事をしたメディアは、未だに馴染めないままで、時折私に視線を寄越してくる。

 つまりは、アリスちゃんは本気なのですか? と。

 困ったような視線で、私を見るのだ。

 でも、私は気付かないふりをしてネコさんとの会話を続ける。

 ここに居るのは、彼女の本意ではないのだとしても、私の我が儘ではあるのだから。

 

 事の始まりは、私の言葉が切っ掛けだった。

 ”メディアと離れたくないの。バイト中も一緒にいて欲しいわね”、という言葉。

 自分でも過保護が過ぎるとは思っていたけれど、今のメディアは放っておけない儚さがあるから……という名分で、私は彼女を連れ出した。

 本音のところは、私とメディアと凛の三人だけの完結した世界に閉じ込めたままにしておけなかった、といったところで。

 半ば無理を言って、私がメディアを外に連れ出したのだ。

 だから、メディアが納得いかないと言い出したりしても、何ら不思議はない。

 むしろ、ようやく言ったかと思うかもしれない。

 でも、メディアはまだ何も言ってないから、私はこのままこうしているのだ。

 

「そろそろね」

 

「もう直ぐ五時か、話してるとあっという間だねぇ」

 

 ネコさんが時計を見てしみじみと呟いているのに同意しつつ、出されていたコーヒーカップに目を落とす。

 ほんの少しだけ残っている液体は冷めていて、大変飲みずらいモノへと変わっている。

 一方で、メディアのカップは既に空、途中から手持ち無沙汰になっていて。

 カップの中身が暖かかった頃から、メディアは殆ど言葉数は少なかった。

 それが申し訳なくて、罪悪感がチクリと胸を刺す。

 ごめんなさいなんて、決して言えた口ではないのだけれど。

 

 チラリとメディアを見ると、ちょうど彼女もこちらを見ていたのだろう。

 視線が絡み合い、膠着する。

 ジッと見つめ合い、相手が何を考えているのかを読み取ろうとする。

 ……メディアも、同じ事をしていて、だからか。

 目に見える色合いで、メディアの中で困惑が拡大してるのは。

 誤魔化す様に、何か言おうとする。

 流石に、メディアに嫌われたくてやっている事では無いのだ。

 目標は達成したけれど嫌われました、何ていうのは具合が悪すぎる。

 なんて言うべきかしら、なんて考え始めようとした時だった。

 店の扉が開いた。

 開いた扉からは、学校で何時も見ている赤毛の男の子の姿が。

 そうだった、もうそんな時間だったのだ。

 

「こんにちは、衛宮くん。

 急に呼び出して悪かったわね」

 

「いや、別に構わないさ。

 それより……」

 

 到着したばかりの衛宮くんの視線が、私の横へとズレる。

 ピクリと、メディアが震えたのが分かった。

 

「この娘はメディアっていうの、メディア・マーガトロイド。

 苗字は私と同じだから、メディアって呼んであげて」

 

 私が代わりに紹介すると、衛宮くんは頷いて、メディアはちょっとだけ嬉しげな表情を浮かべた。

 私も、メディアと同じ苗字というのはなんともこそばゆい物がある。

 少し前の話、凛に頼んでメディアが冬木の街で活動できる為に戸籍を用意したのだ。

 尤も、そういう工作は神父経由から行わなくてはいけないから、私と凛の二人共が恐ろしく嫌な顔をしながらの作業だったけれど。

 終わってしまえばこの通り、メディア・マーガトロイドの誕生である。

 

 体裁としては私の親戚で、両親は国際結婚をしたギリシャ人。

 親戚の私を頼って、日本に留学してきた女の子。

 来年からは穂村原学園に入学予定、といったところか。

 メディアの学力は聖杯からの知識か、一部を除き問題がなかった。

 留学生という事も鑑みられて、一部の学力的課題は大目に見られたという事実がある。

 そんなこんなで、今年の四月からはメディアは高校生という訳だ。

 

「メディア……で、良いんだよな?」

 

「は、はい」

 

 おずおずと、メディアは衛宮くんの問いかけに答えて。

 私と衛宮くんを交互に見て、落ち着かなさそうにそわそわとしていた。

 衛宮くんを前に、緊張してるのだ。

 召喚されてから今日まで、メディアは男の子とお話をした事はなかったから。

 男の人が得意でないらしいのも、一つの要因なのだろう。

 

「少し、人見知りする娘なの。

 悪い娘じゃないから、良くしてあげて頂戴」

 

「あぁ、こっちこそよろしく」

 

「は、はぃ、よろしくお願いします……」

 

 ぺこりと、メディアは頭を下げる。

 どこかへっぴり腰な言葉が、メディアの今の心境か。

 衛宮くんはそれを感じ取ったのか、無理に話しかける事もない。

 尤も、多弁な衛宮くんというのも、中々に想像しづらいモノがあるのだけれど。

 

「妹か?」

 

「親戚よ、血としては遠いけれど」

 

 素朴な疑問といった感じで尋ねてきた衛宮くんに、私は元より決めていた設定通りに話す。

 取り敢えずは、手に入れた戸籍的にはそうなっているから。

 衛宮くんになら後で詳しい事情を話しても良いけれど、今はネコさんの手前だから正直に話せなかった。

 けれども、衛宮くんは特に気にした風もなく、そういうモノかと納得してくれているけれど。

 とにかくアレコレは、お話が終わってからで。

 そう決めて、私は少しメディアを見遣った。

 落ち着かないのは、この場に居る事に気後れしてしまっているのか。

 やや困惑が強い表情からは、戸惑っているというのが正しいのかもしれない。

 だったら、と私はメディアにきつけ代わりとして、軽くテーブルの下から、彼女の手を握った。

 大丈夫だと、ここは貴女が居て良い場所だと安心させる様に。

 一瞬、メディアはチラリと私へ視線を向ける。

 僅かな間、メディアは何ら表情を見せる事はなかった。

 ただ、返事をする様に、ギュッと手を握り返してきたのが彼女の唯一の返事で。

 それをどう受け取れば良いのか、迷ってしまった、けど。

 私は都合よく、”アリスちゃんにお任せします”と、そう受け取る事にした。

 今日の私は図々しく、そう言い聞かせながら。

 

「それで、衛宮くん。

 来てくれて早々、悪いけれど本題に入っても良いかしら?」

 

「頼む、マーガトロイド」

 

 特に何か言うことなく、僅かに視線をメディアに向けて、直ぐに衛宮くんは私の方を見た。

 恐らく、大体の状況は察しているのだろう。

 促す様に、衛宮くんは言葉なく耳を傾け始めていた。

 

「それではネコさんも。

 今回集まってもらったのは、ここに居るメディアについてよ。

 詳しくは、今から話をするわ」

 

 一瞬間をおいて、軽く息を吐く。

 正直、この話を聞いて一番戸惑うのは、メディアだろう。

 でも、どうか私の我が儘を今は通して欲しい。

 いきなりの切り出しで戸惑うかもしれないけれど、きっとここが気に入ってくれると思うから。

 繋いだ手は、そのままに。

 前置きから、話を始めた。

 

「まず、これは私がこうして欲しいという話よ。

 実を言うとね、まだメディアに了解を取ってないの。

 けれどね、まずは聞いて欲しいわ」

 

 衛宮くんは少し訝しげな顔をし、ネコさんはそれで? と続きを待っている。

 なので、私は話を繋げて、そのままここに呼んだ理由を語っていく。

 どこか落ち着かないのは、私も緊張してしまっているのだろうか?

 もしそうなら、ある意味で滑稽でもある。

 

「メディアは冬木、もとい日本には今年やってきたばかりなの。

 知らない事が沢山あって、出来ない事もきっとあるわ。

 それに、今はナイーブになってて、そこを私が無理矢理に引っ張ってきたの」

 

 今ここに居るメディアは、私が呼んできてくれた優しい娘。

 だけれど、私のせいで苦しんでもいる。

 それを緩和できたら、どれだけ良いだろうか。

 強く、思わずにはいられない。

 

「込み入って詳しくは話せないのだけれど、メディアはある事情でダウナー気味になっているわ。

 私と凛以外、日本での面識も殆どない。

 でもね、本当はもっと明るい娘なのよ。

 だから、メディアにとって余計なお世話だって事は百以上承知で、ここに連れてきたの。

 衛宮くんやネコさんなら、きっとメディアに優しくしてくれるから。

 そうね、率直に言えば、迷惑な話だけれど期待してるといっても過言ではないわ」

 

 衛宮くんやネコさんからしたら、急すぎて話についてこれてないかもしれない。

 そう思って二人の顔を見たら、衛宮くんは真面目な顔で話を聞いていて、ネコさんはウンウンと納得したかの様に微笑んでいる。

 意外、とは言えない。

 そもそも、期待していたといったのは私の方なのだから。

 こういう反応を望んでいた、とすら言えるだろう。

 

「そういう事だから、メディアちゃんをここに置いて、ついでに言えばバイトさんとして働かせて欲しいって事なんだよね?」

 

「まぁ、結論だけを伝えるなら」

 

 なるほどー、とネコさんは呟いて、メディアの方に顔を向ける。

 メディアを見るネコさんの目は、どこか探る様で。

 怯んだのだろう、メディアは私の手を握る力を強めて。

 ジッと、ネコさんが口を開くのを待って、それで……。

 

「メディアちゃんは、それで良いの?」

 

 ネコさんは変わらない口調で、ある種の素っ気無さを伴ってメディアに尋ねた。

 ドキドキしてたけれども、ちょっと力が抜けてしまうくらいに。

 それは、ネコさんなりの気遣いなのかもしれなくて。

 だからか、メディアも言葉数は少ないけれど、キチンと返事が出来ていた。

 

「はい、良いです。

 アリスちゃんが、居てくれるなら」

 

 メディアの答えに、僅かにネコさんは沈黙して。

 澄み切った静寂のあと、そっか、と小さく漏らしたのだ。

 

「メディアちゃんがそれで良いなら、働いて欲しいかな。

 アリすんが、良いんだよね?」

 

「はい、アリスちゃんが良いんです」

 

「なら仕方ないね、分かった。

 今日から、メディアちゃんは居酒屋コペンハーゲンの従業員さ!」

 

 意味深な会話のあとで、何かが通じ合ったのか二人で頷き合うメディアとネコさん。

 ネコさんはメディアに握手を促しながら、手を差し出して。

 ネコさんが差し出した手を、メディアは恐る恐るに握る。

 ブンブンと腕を振るいながらメディアの肩を叩いているネコさんは、さっきまでの奇妙な圧は無くて。

 繋いでいた手が解けてしまったのは少し寂しいけれど、居心地の悪そうだったメディアの雰囲気が和らいでいたのは何よりも安心できたのだ。

 

 そうして暫く、ネコさんはあれやこれやとメディアに質問したりしていたのだけれど、それも一段落着いたのか。

 ひょこっと、立ち上がって私の前までやってきた。

 私を何時もと変わらない顔で見下ろしているネコさんに、何かなと思い見つめ返す。

 すると、ネコさんは耳元に顔を近づけてきて、小さな声で私にこう囁いたのだ。

 

「あんまり、メディアちゃんに構いすぎるのも問題だよ、アリすん。

 大好きでも、縛って良いのは恋人だけなんだ。

 このままだと、二人共依存しちゃうかもね」

 

 ――ドキリと、自分でも分かるくらいに心臓が脈打った。

 自覚のなかった事を、ネコさんは見事なまでに可視化出来る様にしたのだから。

 言葉にされて、それがハッキリと分かってしまったのだ。

 このままでは、私もメディアも雁字搦めになって、身動きが取れなくなってしまう事を。

 しかも、更にタチが悪い事に、別に嫌でもないと思ってしまっている自分自身が、身勝手そのものな気がして、羞恥が顔を巡りかける。

 

 顔を見上げてネコさんの顔を見れば、何時も通りの顔がちょっとだけ真面目になっていて。

 心配だから、大人としての親切心を、ネコさんは覗かせていたのだ。

 それが有り難くて、何ともバツが悪い。

 

「肝に銘じておきます」

 

「うん、アリすんを信じるね」

 

 朗らかに、軽やかにネコさんは頷いた。 

 それでお仕舞い、ネコさんはそれ以上何か言う事はなかった。

 言葉通りに、私を信じてくれたのだろう。

 

 メディアを縛り過ぎず、私もメディアに縛られすぎない。

 ……少し、難しいかもしれないと思ってしまった私は、些か病気気味だったのかもしれない。

 もっと、メディアの事を知りたいと思っている私も、確かに居るのだから。

 

 私が喚んで、しかも不安定な状態で顕現させてしまった彼女。

 だからこそ、深く知りたいと思った事は間違いだとは思っていない。

 でも、だからと言って、私の下に縛り付けていたいというのも違う。

 自由で対等、サーヴァントとしてあらゆる束縛を施した私が言葉にするにはあまりに厚顔無恥な願い。

 それを、今度はメディアに押し付けようとしている。

 そして、そういう立ち位置にメディアが居てくれると、私も嬉しいのだ。

 切っ掛け、という程の事でもないけれど、それはメディアの心の中にお邪魔をした時。

 心の声が聞こえて、その中でも堪えた言葉があった。

 

 ――自身のマスターでさえ、信じられていないのですから。

 

 振り絞る様に独語されていた言葉、飾らないメディアの本音。

 これは、客観的に見ればメディアから言われても仕方がない言葉だ。

 魔術でメディアに枷を掛け、子供と大人の境界を曖昧にし、それでいて令呪を持っている存在。

 信用しろと言われても、出来るものではないだろう。

 サーヴァントとしての在り方があれど、ここに聖杯戦争はないのだから。

 ただ、メディアは優しいから。

 彼女の言う少女の側が、私に居てくれても良いと思ってくれているのだろう。

 それが嬉しくて、悔しくて……。

 何か、メディアの為にして上げたいという傲慢な感情と共に、今回のお節介へと発展してしまった。

 要は、良い格好がしたくて、先走って余計なお世話を焼いていたという事なのだ。

 

 メディアを横目で見遣ってから、溜息を一つ吐いて立ち上がる。

 何か、何でも良いから声を掛けたくなったのだ。

 

「ねぇ、メディア」

 

「はい、アリスちゃん、どうしましたか?」

 

 椅子に座ったまま、こちらを見上げているメディア。

 そんな彼女に、何を言うのか僅かに考えて。

 別段、何がどうとかそういう話をしたい訳ではないという結論を出し、メディアの耳元で囁いた。

 

「好きよ、どんな貴女でも。

 勿論、変な意味じゃないけれどね」

 

「…………え、えぇ?」

 

 急にそんな事を言われて、意味が分からなそうにするメディア。

 何か説明するべきかもしれないけれど、今は良いかと脇に置く。

 ただ、戸惑っているメディアを見ているのは、何だか愉快で。

 こうしていると、やっぱり普通の女の子だと安心してしまう。

 きっと、直ぐにコペンハーゲンの皆とも仲良くなれると、そう思えるから。

 

「それじゃあ、メディアのシフト決めを始めましょうか」

 

 困惑を深めるメディアを他所に、私はそう言って。

 笑みを浮かべてしまったのは、ある種の疑問が解決した爽快感の為か。

 もしくは、課題はこれから解決していこうという開き直りの類だったかもしれなかった。

 

 

 

 

 

 それから、あーでもないこーでもないと話し合い、私が居る日にシフトを多めに入れる事となった。

 私がいない日も、衛宮くんにサポートをお願いしたから、恐らくは大丈夫だろう。

 それで、メディアに関しての用事は終了。

 なので、今日の用事はこれにて終了……という訳には、残念ながらいかない。

 私には未だ用事、というよりも伝えなければならない事があるのだから。

 

「衛宮くん、この後ちょっと時間を貰っても良いかしら?」

 

「良いけど、何かあるのか?」

 

「えぇ、友達から衛宮くんに伝言を託されてるの。

 話すのに時間が欲しいのだけれど……」

 

「あぁ、あ、いや、ちょっと待ってくれ。

 ネコさん、家に電話を掛けたいんで電話を借りても良いですか?」

 

「好きにすると良いよ~。

 エミやんが帰ってくる遅いと、桜ちゃんも心配するだろうしねぇ」

 

 クツクツと笑うネコさんに苦い顔をしながら、衛宮くんは電話をしにこの場を離れる。

 ネコさんも、そろそろ営業時間だし準備しなきゃね、と立ち上がって小走りで駆けていってしまった。

 残ったのは、私とメディアの二人だけ。

 トコトコと私の傍に寄ってきたメディアは、思案顔を浮かべた後に”あの”、と質問を投げかけてきた。

 

「アリスちゃん、後の衛宮さん? との話し合いには、私も着いていって良いでしょうか?」

 

「ごめんなさい、結構込み入った話なの。

 メディアが居ると、話しづらくなる事でもあるわ」

 

 ごめんなさいね、ともう一度言うと、メディアは不満そうな顔は浮かべたものの、分かりましたと頷いてくれた。

 私としても、本当は一緒に帰りたかったところだけれど、もしかしたら話が長引くかもしれないし、待っていてとは言い難かったのだ。

 そういう訳で、ここでメディアとはお別れ。

 また会うのは、遠坂邸に帰ってからになる。

 

「悪い、待たせた」

 

「それじゃあ行きましょうか。

 メディア、また家でね」

 

「また、後で」

 

 メディアに別れを告げて、私達はコペンハーゲンを出て喫茶店へと向かう。

 寒い中で話をしても、あの娘を思い出して笑みが浮かぶだろうけれど、衛宮くんにはそれは伝わらないだろうから。

 向かった場所は、前に衛宮くんと一緒に訪れた雰囲気の良い行きつけの喫茶店。

 扉を開ければ、相変わらず皺の似合った店主がいらっしゃいと声を掛けてくれた。

 思えば、ここにも暫く来ていなかったと、店内の紅茶の匂いで思い起こせられる。

 冷えた体を温めるべくその紅茶を頼むと、私はそのままテーブル席に腰掛けて衛宮くんと向かい合った。

 座った場所は、お気に入りの窓側の席。

 冬なせいもあり、もう辺りは暗くなって景色なんて見える事はなかったのだけど。

 

「それで、話って何の事だ?」

 

 その暗さを気にしてか、衛宮くんも早々に話を振ってきた。

 もう少しすると、ただでも寒いのに堪えるレベルになるというのもあるだろう。

 だから、私も早速それに応える。

 まぁ、直ぐに終わる話ではないので、どちらにしても帰るのは遅れてしまうのだけれど。

 

「えぇ、今から話すわ」

 

 一瞬、間を空け、軽く深呼吸をする。

 何から話すかは、大よそ決めているけれども、かなり重要な事だったから。

 脳内を過ぎるのは、あの時に見た妖精みたいな彼女。

 ……これから話そうとしている、衛宮くんにとって関係がある少女の事。

 

「――貴方の家族に関わる事について。

 女の子から、衛宮くんに言伝を託されているわ」

 

 言った瞬間、衛宮くんの目が僅かに戦慄いていた。




皆様お久しぶりです、最近はめっきり寒くなりましたね。
自分はコートを引っ張り出してきましたが、皆様は如何でしょうか。
冬といえば、ついにこの物語、今年中に冬を抜け損ねましたよ(白目)。

と、それはさて置いて。
久しぶりの更新のせいか、話のバランスが取り辛いです、うーむ(士郎とのくだりを切断しながら)。
あと、ネコさん久しぶりに登場(今まで空気にしてごめんなさい)。
そんなネコさんですが、メディアの渾名をネコさんに決めさせようとしたら、ファンブルを出して渾名がメディすんと化したので桜と同じちゃん付けで妥協しました。
流石はタイガーと同級生、油断ならないです……。


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第43話 異国からの言伝

皆様、あけましておめでとうございます!
今年もどうか、よろしくお願いします!


 喫茶店の、とある一角。

 私と衛宮くんが座っている席の間に、沈黙が訪れていた。

 張り詰めた静寂、まるでゴムが限界まで引き伸ばされた時の様な緊張感。

 衛宮くんの雰囲気が先程までと違い、コペンハーゲンのメディアの話を聞いた時以上に真剣な顔に切り替わっていて。

 まるでスイッチを切り替えたかの様に、などと形容してしまうのは衛宮くんが魔術師だからか。

 私を見つめている衛宮くんは、些か以上の動揺が未だに胸に残っているようだけれど、それでも話を聞きたいという意思は痛いほどに伝わってきて。

 彼の混乱が収まるまで、私は静かに、ゆっくりと衛宮くんの頭の中が整理されるのを、揺れるコーヒーの水面を見ながら待ち続けていた。

 

 

 それから、時間にして約三十秒。

 僅かな間からの混乱を心の端に押し込めたであろう衛宮くんは、私の目を見ながら続きを話す様に促してきた。

 

「悪い、マーガトロイド。

 続きを聞かせてくれ」

 

「大丈夫そう?」

 

「あぁ、問題ない」

 

「そう、なら良いわ。

 これは、去年の十二月の時の事よ」

 

 語りだし、思い出すのは雪化粧された白亜の城。

 そこに住んでる、真っ白な彼女。

 まるで幻想みたいで、けれども確かに私に足跡を残していったイリヤスフィールの事を。

 

「私は所用が諸々あって、外国に出かけていたの。

 魔術師の家ね、冬木市にも関係がある大家よ。

 そこでね、出会ったの」

 

 ほんの一日だけの邂逅、それも夜だけの。

 でも、あの瞬間だけで、私達は確かに友達になっていた。

 語り部だった私と、聞き手だったイリヤは上手に噛み合ったのだ。

 

「白く透き通った、妖精みたいな娘。

 楽しく人をからかう姿は、そのまま悪戯好き(パック)って感じだけれど」

 

 深夜に、私の寝ていた部屋に侵入してきたイリヤ。

 馬乗りされた時は流石に驚いたけれど、やや眠さの方が優っていた。

 けれど、話をしている内にそんなものは段々と溶けて消えて。

 話を強請ってくるイリヤが、とっても愛らしく感じてしまっていたのだ。

 

「でもね、悪戯をするのは寂しさの裏返し。

 少なくとも、彼女のアレはそう感じたわ」

 

 何となく、そういうのは分かってしまう。

 メディアが寂しがっているというのが分かるのと同じで、イリヤのそれもそれとなく感じ取れた。

 私が、そういう事に敏感だから。

 

「寂しがっているの、えぇ。

 衛宮くんの事を知っていて、会いたがっていた彼女は。

 衛宮くんに会いたいって、そう思ってるのね」

 

 思いが強く、思い入れも底なしで、だからこそ想い過ぎる。

 箱入り娘のイリヤは、空想する事でしか衛宮くんに会えないから。

 どんな事を思っていても、考えていても、一番想っていたのは衛宮くんの事だって、彼女はそう言っていたのだ。

 だったら、と私は思う。

 伝えるのを躊躇してしまう言葉だけれど、そのまま衛宮くんに伝えようと。

 今まで、そのまま伝えるには毒が強いと思っていたけれど、それでもイリヤの気持ちも一緒に伝えれば大丈夫だと思えたから。

 言葉を途切れさせて、息を吸った。

 曖昧な言葉で誤魔化す様な紹介から、確かに衛宮くんの心に彼女を住まわせる為の言葉へと切り替える為に。

 ……そして、

 

「その、寂しがり屋の女の子の名前はイリヤ。

 イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。

 衛宮くんのお父さん、キリツグさんの娘さんだそうよ」

 

 ただ、シンプルに必要な言葉だけをまずは紡いだ。

 飾り立てる必要なんてなく、けれども衛宮くんが一番知りたがっていた情報を。

 その方が、分かりやすく衛宮くんに届くから。

 事実、衛宮くんは彼のお父さんの名前で息を飲み、娘さんと告げたところでどこかが傷んだ様な表情を僅かにだけ浮かべた。

 痛み、衛宮くんの中で伴って刺さっているもの。

 それは、お父さんに自分以外の子供がいた衝撃か。

 それとも、その事を知らなかった、自分に対しての自己嫌悪か。

 どちらにしても、衛宮くんの中ではかなりの衝撃が渦巻いているだろう。

 

 衛宮くんを慮るなら一旦言葉を留めるべきだけれど、口が滑って止まらない。

 間を置けないのは、まだ重要な事を伝えてないから。

 イリヤの言葉を、何一つ告げてあげてなかったから。

 

「イリヤは、こう言ってたわ。

 ”私とお母様を捨てたキリツグが憎いの。だから、キリツグが子供にして愛したシロウって子も憎くて仕方がないわ”って。

 貴方のお父さんは、イリヤを迎えに来る素振りすら見せなかったそうよ。

 悲しくて、寂しくて、それを別の気持ちに変えないと、どうにかしてしまいそうだったんでしょうね」

 

 甘い声で毒突く様に、不愉快そうにしながらも熱を込めて、呟かれていたイリヤの言葉。

 憎いの、なんて言葉がイリヤから出てきた時点で、既に彼女も気持ちを制御出来なくなっていたのだろう。

 イリヤの言葉は、イリヤが流したであろう涙の怨嗟も詰まっていた。

 恨み節で、染み付いて忘れられそうになくて、色々な気持ちがごちゃ混ぜになっていた女の子の言葉だったから。

 これはイリヤの弱音なのね、と察してしまえたのだ。

 

「……それは」

 

 雪崩を起こした様に告げた、イリヤの言葉。

 それを聞いた衛宮くんがどう受け取ったかなんて、私には分からない。

 ただ、噛み締める様に、真剣な表情を苦みばしったモノへと変えて。

 衛宮くんは、私に尋ねる様に、迷える様に言葉を発した。

 

「それは、俺が親父を、じいさんを取ったからなのか?

 衛宮切嗣を俺が縛り付けてたから、娘に会いに行けなかったのか?

 だったら……」

 

 紡がれていた言葉は、問い掛けの様で、その実衛宮くんの中で完結している。

 きっと、責任感の強い衛宮くんだから、自分を責める以外にどうしようもなくなってるのではないだろうか。

 もしそうならば、待ったを掛けなくてはいけない。

 衛宮くんが、イリヤの事を憎んでいるだけと思い込んでしまったら、それこそ贖罪をイリヤに捧げてしまうかもしれないから。

 だとしたら、二人にとってあまりにも不幸すぎる。

 

「まだ、全部を話し終えてはいないわ。

 勿体ぶって御免なさい。

 ただ、順序通りに話してたら、誤解を与える印象を与えてしまったわ。

 だから、待って。

 最後まで、私の話を聞くべきよ」

 

 なので、慌てて衛宮くんを制した。

 どうにも、思い出話に浸りながらの話は、取り留めもなくなりがちで。

 これから伝えなくてはいけない、重要な事と大切な事。

 それを、私は全く伝えられてはいないのだから。

 イリヤにとって、貴方の価値はそれだけではないのだという事を伝えたくて。

 

「……分かった、続きを頼む」

 

 衛宮くんは他には何も言わず、ただそれのみを望んだ。

 これから私の話す内容によって、イリヤに対する態度は固定されるだろう。

 衛宮くんは、それしかイリヤに対する情報は得られなくて、それでもイリヤを意識せざるを得ないのだから。

 だったら、せめてイリヤのもう一つの感情も伝わって欲しい。

 憎悪、なんてモノだけじゃない事を。

 それを明らかにすべく、私も一つ頷いただけで続きを話し始めた。

 

「えぇ、イリヤは確かに衛宮くんを恨んでいる。

 でもね、それはイリヤが貴方のお父さんを好きすぎたからよ。

 衛宮くんに対するイリヤの恨みは、それこそ逆恨み。

 貴方が気に病む事じゃないの。

 でも、どうしたって衛宮くんは気にしちゃうわよね」

 

 真面目で、常に緊張が走ってる衛宮くんだから。

 負わなくても良いものまで、つい背負ってしまう。

 それが生真面目さ故か、それとも別の何かなせいかは分からないけれど。

 

「俺が、その娘の親父を取ったんだ。

 そう思われていても、仕方ない」

 

「普通だったら、まずは理不尽だと怒るところよ。

 まぁ、良いわ。

 衛宮くんのそういうところ、私は好きだもの。

 でもね、そういう衛宮くんだからこそ、この事も覚えていて欲しいの。

 ――イリヤは、貴方の事が好きって事も」

 

 矛盾した言葉、憎悪と愛情の両立。

 言った瞬間、衛宮くんは意味が分からないと言わんばかりに顔を顰めた。

 二律背反もここに極まれり、言説に一貫性が無いようにも感じられる。

 

「理解できて?」

 

「……マーガトロイドが俺を言いくるめようとしてるんじゃないか、なんて疑うくらいには」

 

「憎さ余って可愛さ百倍って言葉は知ってるわよね?」

 

「いや、それ反対だから」

 

「そう?

 でも、こっちの方が可愛いでしょう」

 

「そういう問題か?」

 

「そういう事だから、意味合いはこっちで合ってるの」

 

 心の中で、多分ね、と小さく付け加えて。

 イリヤは確かに意識していて、実際に想っている。

 ただ、その愛憎の比率が如何ほどかは、正直私には分かりかねているから。

 恐らくはどちらも相応に重くて、だからこそ衛宮くんにイリヤは執着しているのだろう。

 難儀なものね、と思わざるを得ない。

 

「大丈夫、衛宮くんがいるからイリヤは天涯孤独でない事を知ってるの。

 貴方がいるから、イリヤは憎んだり愛したり出来ている。

 そういう繋がりは大事よ、えぇ。

 居なくなったら、そういう事すら出来なくなるのだもの」

 

 孤独は寒い、冷たいのだ。

 イリヤは寒い冬のお城で凍えている、そして飢えているのだ。

 温かいものが欲しい、満たされていたい。

 それを齎してくれるのが、イリヤにとっての家族で。

 

 ”シロウは憎いけど、でもね、アリス”

 

 どこか浮かされてるみたいに、イリヤは言ったのだ。

 憎い憎いと言いながら、でもね、と。

 

 ”会いたいの、お話したいの、手も……繋いでみたい。

  それで、キリツグの話を聞いて、許してあげる。

  キリツグが私に謝ったなら、全部許してあげるの。

  だって、シロウが悪くないの、本当は私も知ってるんだもの”

 

 紛れもなく、それはイリヤの願望だった。

 夢見る少女の、たわいのない空想。

 優しい夢を思い浮かべる様に、それを語っていたのだ。

 正直、聞いていると物悲しくて、寂しいわね、なんて余計な一言を漏らしてしまったくらいに。

 だけれど、その言葉にイリヤは、そうかもね、と一言だけ返事をしただけであった。

 だからこそ、分かる事もある。

 イリヤにとって、衛宮くんは……。

 

「衛宮くんはイリヤにとって篝火なの。

 そうね、正確には家族が、となるけれど。

 衛宮くんと衛宮くんのお父さん、二人が今のイリヤの心の支え。

 イリヤにはね、家族と言える人が居ないの。

 祖父のユーブスタクハイトの事は嫌いじゃないみたいだけれど、アレは正真正銘に大家アインツベルンの機構みたいな魔術師よ。

 イリヤにとって、暖かいモノではないのね」

 

 だから、まだ見ぬモノに期待してしまう。

 それが、かつて暖かさをくれた人なら、尚更。

 衛宮くんのお父さんに衛宮くん、本能的にか直感的にかは分からないけど、イリヤは二人が暖かいと思ってるのだろう。

 事実、私は衛宮くんの事を良い人よ、と称した時にイリヤは、そうよね、と小さく漏らした。

 ついでに言うと、好みかどうかと聞かれたので、割と……と答えた覚えもある。

 が、今はそれはどうでも良くて。

 イリヤにとって衛宮くんは、取られたという気持ちの他に、まだ見ぬ価値があるのだ。

 見た事がないから空想して、期待する。

 本物を見た時、イリヤがどういう反応をするかは分からないけど、ガッカリとはしないだろう。

 

「だから、覚えておきなさい衛宮くん。

 貴方がイリヤを想っていてあげる限り、貴方はイリヤの家族なの。

 見知らぬ誰かを……なんて困惑はあるかもしれないけれど、衛宮くんなら脇に置いてくれるでしょう?

 例えそれが難しくても、心の隅でも良いから覚えておいてあげて」

 

「あぁ、分かってる。

 親父が残した子供なんだ、絶対に見放すことはしない」

 

 衛宮くんは、そう言って深く頷いて。

 その一方で私は、衛宮くんのその言葉の意味を咀嚼しかねた。

 だって、それってつまりはそういう事で……。

 

「衛宮くん、もしかしてこの前にお邪魔した時、貴方のお父さんが居なかったのは……」

 

「マーガトロイドには言ってなかったっけ。

 あぁ、居ないんだ、もう。

 ――親父、衛宮切嗣は死んでいる」

 

 五年前の事だ、なんて衛宮くんの淡々とした言葉が、どうしようもなく遣る瀬無かった。

 だってイリヤは、”キリツグの怨念返しをするの!”だなんて言いつつも、会えるのを楽しみにして、鬱憤を晴らそうとしていたのだ。

 なのに、その当の本人は既に墓の中。

 イリヤはまた、大切な人を失っていた。

 復讐すると誓いながら、その実で甘えたかったであろう親という偶像を。

 それに、だとしたら衛宮くんも、イリヤと同じ事を思っていてもおかしくはない。

 だって、衛宮くんにとっても、代え難き親なのだから。

 

「……そう、衛宮くんは寂しくなかったの?」

 

「俺は親父の死に目に会えたから、大丈夫。

 それに、大事なモノを託してもらえたから、さ」

 

「大事なもの?」

 

「あぁ、何に変えたって叶えたいモノを」

 

 衛宮くんの顔を覗けば、そこにはどこか透明な表情があって。

 どこか、何時もの衛宮くんの顔のハズなのに、現実離れしている様にも見えた。

 まるでそこに居ないみたい、遠い何処かを見ているようで……。

 

「まだ、ここに居なさい」

 

「うん?

 どう言う意味だ、マーガトロイド?」

 

「何処かに行ってしまいそうだったから、声を掛けたの。

 桜も藤村先生も居る事を、忘れないであげて。

 勘違いだったら、聞き流してくれても良いけれど」

 

「それは……」

 

 一瞬、僅かに衛宮くんは言葉を詰まらせた。

 迷いの様なモノが、衛宮くんの中にあるのだろうか。

 恐らく、大切なものなのだろう、そのお父さんから託されたモノというのは。

 桜達とそれ、どちらか迷ってしまうくらいに。

 でも、衛宮くんが視線を彷徨わせたのは一瞬で。

 

「まだ、どこにも行かない。

 行けないんだ、今の俺じゃあさ」

 

 どこか現実離れしていた彼が、確かに戻ってきていた。

 何もなかったかの様に、衛宮くんは目の前に座っている。

 はぁ、と溜息を吐いているのは、手の範囲の狭さを嘆いての事か。

 

「何時かは、何処かに行けるようになってしまうわ。

 だから、今は大人しく力を貯めておきなさい」

 

「マーガトロイドは体が軽いみたいだけどな」

 

「そうね、だって私だもの。

 大抵のことを、上手く出来る自信があるわ。

 でも、出来ない事もあるの。

 こうしてこの場所で力を貯めているのも、そうよ。

 出来る事を増やす為に、色々とね。

 だから、今の私と衛宮くんに大差はないわ」

 

 今は、ともう一度繰り返して、私もまた溜息を吐いてしまう。

 メディアの召喚時の不備、そもそもが魂の創造ともいえる魔法への道程。

 正直な話、どれほど長い道のりになるか、考えたくもない。

 でも、私も衛宮くんと同じで、出来る事を積み上げて行く他にないのだ。

 それが、魔術というものだ。

 宝くじに当たるみたいに魔法を掘り当てられる可能性なんて、それこそ数える程しか無いのだから。

 

「ゆっくり、この街で揺られなさい。

 イリヤも、きっと衛宮くんに会いに来るから。

 素敵な事が、この街には沢山あるの。

 それはきっと、これからも」

 

 桜や間桐くんだって、その一つだろう。

 それを、衛宮くんが分からない筈がない。

 ただ、翼を生やして羽ばたきたくなる気持ちは、確かに分かるのだけれど。

 ここは心地が良い街だから、頑張り過ぎる衛宮くんは、もう少しゆっくりとした方が良いかもと思ってしまったのだ。

 

「少なくとも、私は卒業するまではそうするつもり。

 卒業後も……まぁ、場合によるけれど、ここに残るかもね。

 だから、衛宮くんも急いで居なくなろうとしないで。

 友達がいなくなると、寂しいでしょう?」

 

「お前……臆面もなく良く言えるな。

 照れたりとか、恥ずかしくなったりとかしないのか?」

 

「言えるわ、実際に居なくなられる方が堪えるもの」

 

 思うままに答えると、衛宮くんは気まずげに視線を落とした。

 それがどう言う意味を持っているのかは気になるけれど、今は横に置く事にする。

 脳裏の隅には留めておくけれど、今はそれ以上に重要な事があるから。

 

「衛宮くん、私からお願いがあるの」

 

「……言ってくれ」

 

 大切な事、それは衛宮くんなら言わなくてもそうしてくれる、けれども中々に難しいもの。

 わざわざ口にしようと思ったのは、衛宮くんは交わした言葉を意地でも守ってくれると思ったから。

 信じてない訳ではない、ただ衛宮くんに強く強く意識して欲しいだけ。

 勿論、既にそういう領域を超えて意識してくれてるだろうけれど、イメージを少しでも正確なモノにしたかったから。

 

「イリヤ、イリヤスフィールが来たら、どんなに憎まれていても、嫌いって言われても、それでも家族だって言ってあげて欲しいの。

 勿論、衛宮くんにとっては急に現れた他人にも等しくて、見た事もない娘なのは承知してるわ。

 でもね、寂しくなんてなくなるから。

 もしかしたら、衛宮くんはもう寂しいなんて思ってないかもしれないけれど、でもイリヤにも暖かさを分けてあげて欲しいの。

 イリヤには、衛宮くんの温もりが必要だから」

 

 きっと、一度触れてしまえば、ベッタリになってしまうけれど。

 でも、家族はベタつく位で、丁度いいと思うから。

 桜には申し訳ないけれど、衛宮くんにしかどうにも出来ない事で。

 イリヤと出会う事で、衛宮くんにも多くの幸があると思うから。

 

「ね、衛宮くん。

 きっと、イリヤは貴方を愛するし、衛宮くんもイリヤの事を好きになれるわ。

 だから、もし出会えたら、”こんにちは、妹”って言ってあげて欲しいの」

 

 それだけが、イリヤに救いが訪れる道だから。

 二人のお父さんは既に亡くなっている、もう残されている繋がりは義理の兄妹という淡いモノだけだけれど。

 繋がりを自ら絶たない限り、会いたいとどちらかが想っていれば、必ず出会う事はできるだろうから。

 

 私の言葉を聞いた衛宮くんは、私に真っ直ぐな視線を向けてきた。

 真摯さ目に見える程に、揺らぎない目。

 ある種の純朴さ故に、衛宮くんらしくて安心できる目。

 

「……言われるまでもない。

 ちゃんと、その娘に向き合いたい。

 親父の事や、他にも話さなきゃいけない事は沢山あるんだ」

 

「うん、そうね」

 

 そうして、衛宮くんはやっぱり約束をしてくれた。

 まだ見ぬ妹の為、そして恐らくは亡くなられたお父さんの為なのだろう。

 揺るぎない視線は、何よりも衛宮くんが信用足り得る事を証明してくれている。

 だって、衛宮くんは演技でそんな顔を出来る程、器用ではないのだから。

 手先は器用でも、生き方が不器用でどこか硬直している衛宮くんだからこそ、決めた事には一直線に頑張ってくれる。

 それが、自分の事でないにしても、とても喜ばしくて。

 

「やっぱり、衛宮くんは優しいわね」

 

「別に、そういうのじゃない。

 当たり前にしなくちゃいけない事なんだ、きっと。

 親父も、その娘の事を気に掛けてたから」

 

「分かるの?」

 

「良く家を空けて、外国に出かけてたんだ。

 親父は人助けが趣味だから気にしてなかったけど、それ以外にもその娘の事をなんとかしようとしてたんだと思う」

 

 何処か衛宮くんが遠い目をしているのは、彼のお父さんを思い浮かべているからだろう。

 衛宮くんとイリヤのお父さん、衛宮切嗣。

 彼のお父さんがどんな人なのか、人伝てにしか聞いた事のない私は断片的にすら分かってはいない。

 けれども、衛宮くんにここまで想われている人が、育てた人が、悪い人だとも思えない。

 イリヤに憎まれているのも、裏返せば元は大切に育てていたから。

 だから私が分かる事といえば、二人のお父さんが人並み以上に自分の子供に愛情を注げる人だったという事だけ。

 

 アインツベルンと繋がって子供を産んだのは、何かしらの事情があったのだろう。

 魔術師としての事情か、それとも他のモノだったのかは分からない。

 推測できるのは、何かが拗れた結果、アインツベルンを去ることになった事だけ。

 その時に、イリヤを連れて行かなかったのか、連れて行けなかったのか。

 不明だけれども、どちらにしても、それが不幸の始まりで。

 衛宮切嗣という人にとっても、それは不本意な事だったのだと思う。

 

 推理、というよりも想像の類になってしまうけれど、もしかしたら衛宮くんのお父さんは魔術師になり損なってしまったのかもしれない。

 愛情が深い人だから、魔術師たれと子供を律せなかったのかもしれない。

 それ故に、魔術の大家のアインツベルンを追い出されたのかも。

 ……なんて、全部想像に過ぎない。

 ただ、だとしたら、非は誰にあるのだろうか。

 魔術師に成りきれなかった衛宮切嗣?

 それとも、根源を目指す呪いと化したアインツベルンに?

 どちらにしても、双方共に報われない。

 家族と離散した彼に、魔術師としては些かズレてしまって残されたイリヤ。

 誰が幸福になったのか、答えは誰も、と虚しさしか残らない回答だけ。

 

「世の中、思い通りに行かない事が多いわね。

 イリヤも、二人のお父さんも。

 私も衛宮くんもね」

 

「けど、マーガトロイドはどうにかしようって、今日来てくれたんだろ?」

 

「そう、ね。

 頼まれ事だけれど、どうにかなって欲しいとは思っているわ」

 

「だったら、マーガトロイドも十分良い奴だよ。

 ありがとう、マーガトロイドが知らせてくれなかったら、俺はずっと知らないままだった」

 

 ままならない事に溜息を吐いたら、衛宮くんはそれを打ち消す様にお礼を言ってくれた。

 しっかりと、私の目を見つめて。

 思うままに気持ちを伝えてくれているというのが伝わってきて、思わずムズムズとしてしまう。

 ここまで正面切ってお礼を言われると、凄くむず痒いのだ。

 

「私はただ、知らせただけ。

 これから、衛宮くんがイリヤが来た時に、どうにかしてあげるしかないの。

 無責任な言葉だけれど、これは衛宮くんだけが出来る事よ」

 

「それでも、マーガトロイドは良い方向に持っていこうとしてくれてる。

 今回だけじゃない、毎回助けてくれる事に感謝してるんだ」

 

「……イリヤと和解できてから、また言ってちょうだい」

 

 顔、赤くなってないかしら。

 思わずペタペタと頬っぺを触ったけれど、普段と変わらない体温で安心する。

 そういう事を真顔で言うから、桜がメロメロになってしまうのだ。

 そういえば、そういう英才教育を施したのはお父さんだって、衛宮くんは前に言ってた様な気がする。

 ……衛宮切嗣、もしかしたら、彼は女の子の敵だったのかもしれない。

 衛宮くんはそうならない様に、是非とも気をつけて欲しい。

 少なくとも、女の子に”このドン・ファン!”なんて言われない程度に。

 

「コホン、それは一旦横に置いておいて。

 衛宮くん、今日はありがとう。

 衛宮くんなら問題ないと思ってたけれど、こうして分かり合えると嬉しいものね」

 

「こちらこそ、だな。

 知れなかったじゃ済まない事だし、知っておきたいことだった。

 感謝してもし足りない」

 

「今日はもう、衛宮くんには沢山お礼を言ってもらったわ。

 あとはもう、帰ってから桜にでも言ってあげなさい。

 何時もありがとう、これからも宜しくお願いしますってね」

 

「分かった、そうする」

 

 迷い無く頷いた衛宮くんに微笑んで、最後に、と私は懐から一人、人形を取り出した。

 白い髪の、デフォルメされた三頭身。

 コートを着込んで、ちょこんと帽子を被っている彼女。

 

「この娘、衛宮くんに上げるわ」

 

「この人形は?」

 

「渡してって頼まれてるの、作ったのは私だけれど。

 持っててあげて、お守りにもなるから。

 きっと、悪い事からも守ってくれるわ」

 

 壊れ物を運ぶ様に、彼女を衛宮くんに手渡す。

 懐に入れてたからかほんのり暖かいそれは、私の体温以外にも何か熱を感じさせられる。

 それは感性が訴えてるだけで、実際にそういう訳ではない。

 けれど、確かに私はそこに熱を感じているのだ。

 それはイリヤの熱、想い、暖かさ。

 ただ、持っているだけで感じるものが、そこにあった。

 

「可愛いでしょう?」

 

「そう、だな」

 

 デフォルメされたこの娘に、どう答えれば良いか答え倦ねている衛宮くんに、私はそっと告げた。

 

「実はね、その娘は片割れでもう一人の人形とセットになってるの。

 だから、もし見つけたら並べてあげて。

 その内に巡り会えると思うから」

 

「……なぁ、マーガトロイド。

 一つ、聞いても良いか?」

 

 衛宮くんは、難しそうな顔を神妙な表情へと変えながら、視線を人形へと落としている。

 マジマジと、彼女を見ているのだ。

 ボンヤリと、ボヤけながら、衛宮くんの視点は何かの像を結ぼうとしていた。

 

「どうぞ」

 

 故に、何を尋ねようとしているかは手に取るように分かる。

 私はただ、静かに衛宮くんの像のポイントが合うのを待っていた。

 それが、衛宮くんが彼女に思いを馳せる、貴重な材料になっていると理解できたから。

 

「あのさ、この娘ってもしかしてだけど。

 ……俺の、妹なのか?」

 

「そうよ、衛宮くんの妹」

 

 ただ、簡素に、素っ気なく返事をする。

 衛宮くんの思索に、私の声は殆ど必要なかったから。

 僅かな静寂の後、衛宮くんはポツンと呟いた。

 

「じいさんに似なかったんだな……」

 

 あまりにもシミジミとした言葉に、クスッと笑い声が漏れてしまった。

 確かに、イリヤとイコールで日本人のお父さんは繋がらない。

 でも、それは言わないお約束、と言える状況での言葉だったから。

 

「意地悪ね、衛宮くん」

 

「いや、だってさ」

 

「母方の血なんでしょう、そういうのが強そうな家系だもの」

 

 何だかなぁ、とぼやいてる衛宮くんは、誤魔化す様にあまり口を付けていなかったコーヒーへと手を伸ばす。

 一口飲んで、何とも言えない表情で顔を顰めたのは、やっぱり苦かったからか。

 どうにも、こういう類の話をしていると、コーヒーを冷ましてしまうきらいがあった。

 

「お砂糖増して、飲むしかないわね」

 

「入れすぎはよくない」

 

「良いのよ。

 女の子はお砂糖にスパイス、それに素敵な何もかもで出来てるもの」

 

「太るぞ」

 

「煩いわね」

 

 ジトっとした視線を衛宮くんに向けながら、私はコーヒーを飲み干した。

 ちょっと甘くて、けれども苦い。

 冷めたコーヒーは、何とも独特なコクがあった。

 そんな味の、コーヒーカップの底を見て、今日伝えた内容を振り返る。

 

 混ぜた砂糖は、私のテコ入れ。

 冷めたコーヒーは、衛宮くんとイリヤの関係。

 底に残ったお砂糖は、さて何を暗喩してるのか。

 

 スプーンで掬って、チロリと舐めればやっぱり甘い。

 家族なんだもの、これくらいの関係が丁度良いかもね、なんて。

 私はボンヤリと、これからの二人の事を想像して、ささやかな願望を抱いていた。

 どうか、優しくお砂糖が溶けていきます様に、と。

 

 

 

 

 

「それじゃあ、桜によろしくね」

 

「あぁ、じゃあな、マーガトロイド」

 

「えぇ、衛宮くんも、また明日」

 

 あれから少々して、用事を果たした私達はまたね、と言葉を交わしあっていた。

 家に待たせている人がいるから、私も衛宮くんも席を立ったのだ。

 途中まではバスで一緒、冬木大橋を越えたバス停で衛宮くんとお別れして。

 トコトコと、暗がりの人気のない道を歩いていく。

 

 寒いわ、と特段に意識してしまうのは、一人ぼっちの道であるのも理由の一つだろう。

 ただ、元より寒空は暗くなればなるほどに、その威力を増していく。

 必然的に、後ろを振り向く事もなく、ただ家への帰路についていた。

 寒い場所では、人肌が恋しく、暖炉に恋慕を抱いてしまうから。

 

 雪は降っていない日、だからと言って寒いのには変わりがない。

 程度の問題かもしれないけれど、肌を指す痛みは未だに拭えていなくて。

 ずっとこんな場所にいたら、体だけじゃなくて心も冷えるわ、何て考えていて。

 

 ――だから、その姿を見た時、私は呼吸を止めてしまっていた。

 

 

「…………メディア?」

 

 呆然と、彼女の名前を呼ぶ。

 そこには、どこか青白く見える顔をした、メディアが淡い笑みと共に立っていたのだ。

 

「待ってました、アリスちゃん」

 

 待ってました、その言葉で私は正気に戻る。

 どうしてメディアがここに居るのか、その言葉だけで十分に察せた故に。

 だから、私はメディアの手を握っていた。

 想像通りに、冷たく凍えた彼女の手を。

 

「馬鹿ね、ここでずっと待ってたの?」

 

「はい、アリスちゃんは帰り道にここを通ると思ってましたから」

 

 平然と答えるメディアに、私はどんな顔をしていただろうか。

 多分だけれど、苦い顔だったかもしれない。

 だって、今日のコペンハーゲンでの私の行動は、メディアにとって突き放されていると写ったのだと分かってしまったから。

 

「メディアは、心細かったの?」

 

「それも、ちょっとあります。

 でも、それ以外に伝えたい事があったんです」

 

「……何かしら?」

 

 冬場の道端で、ジッとメディアは待っていた。

 一刻も早く、私に会いたかったのだろう。

 それはつまり、今日の事でメディアとしても思うところがあったということ。

 余計なお世話と言いたいのか、それとも今までのベッタリとしていた状況でいたいという事か。

 何よりメディアの言葉が気になって、私は心臓の鼓動を感じながら問いを投げていた。

 平然とした顔を装いつつ、メディアに非難されたくない、なんて考えながら。

 でも、彼女の言葉は、私の思っていたのと、どれも違っていて。

 

「アリスちゃんは、何も後ろめたく思わないで欲しいんです」

 

 どういう意味か測りかねて言葉を詰まらせていると、メディアは”アリスちゃんはですね”と続きを述べていく。

 私が口を挟む暇もなく、静かだけれど滑らかに。

 

「アリスちゃんはずっと、私にとっても優しい。

 でも、それはずっと引きずっているから。

 私が不完全なのは、困っているのは、全部アリスちゃんのせいって、ずっとアリスちゃんがそう思っているからです」

 

 私は絶句を余儀なくされていた。

 間違いなく、確かにメディアの言うことは私の思っている事と同じだったから。

 でも、メディアはそんな私に気がついた風もなく続けて。

 

「私は、アリスちゃんの優しさが心地いいです。

 アリスちゃんが甘えさせてくれるのが、とっても大好きで。

 サーヴァントなのに、私を尊重してくれるアリスちゃんの甘さが安らぎなんです。

 アリスちゃんは暖かいんです。

 ……だから、アリスちゃんを苦しめたくなんて、ないんです」

 

 メディアが、上目遣いで私の顔を覗いている。

 揺れる彼女の瞳を見て、ようやくメディアの不安が分かった気がした。

 自分に優しい理由がそういう事ならば、誰だって気になってしまう。

 その上で、今日の距離を置くような行動のせいで、不安が一気に噴出してしまったのだろう。

 その内にメディアが大丈夫になったら、私はメディアを放ってしまうのでは、そういう気持ちが彼女の目から痛い程に伝わってくる。

 だからか、ダメだって思っていても、それでも反射的に私は口が動いてしまっていた。

 

「私、ちゃんと言ったじゃない。

 メディアの事が好きって、ね」

 

 もう、馬鹿ね、ともう一度行ってメディアを撫でる。

 本当に、この娘は心配性だと思いながら。

 そんな事、わざわざ気にしてしまうくらいに、私の事を好いてくれている。

 それが嬉しくて、私の言葉が信用されていない事が何となく苦くて。

 不思議な感情のまま、キョトンとしているメディアに告げていく。

 

「私がメディアに優しいのは、確かに後ろめたいという理由もあるわ。

 でもね、それ以上に私は貴女が気に入っている。

 もっと知りたい、もっと仲良くなりたい、もっと信頼されたい。

 そんな我が儘を抱いて、行動してしまうくらいにね」

 

 メディアに対して、私は責任を負っている。

 だからその義務感だけで動いているのではないか、なんて個人的には些か以上に不満な邪推。

 好きって気持ちを伝えるのは、どうしてこうも難しいのか。

 見えないものだから、信じるしかないというのが本当に大変だからか。

 仕返しに、ギュッとメディアを抱き寄せながら、私は耳元で囁いていく。

 

「今日メディアをコペンハーゲンに連れて行ったのは、メディアが今は私しか居ないと思ったから。

 それは寂しい、なんて我が儘を思ったからよ。

 それで不安にさせるなんて、本末転倒ね。

 大丈夫よ、メディア。

 私は貴方と一緒にいるって、信じなさいな」

 

 メディアの顔を覗き返すと、目を白黒させて告げられた情報を処理していた。

 けれど、それも少しの間だけで、次第に落ち着きを取り戻して。

 拗ねたような口調で、メディアは呟いていた。

 

「アリスちゃんは好きって簡単に言っちゃうから、信用しづらいです」

 

 でも、信じます。

 本当に小さな声で、メディアは言って。

 ある種の降伏勧告であるそれに、私は莞爾と笑みを浮かべていた。

 

「帰りましょうか、メディア」

 

「はい、アリスちゃん」

 

 自然と、私達は手を繋ぎ合って、帰路についていた。

 私とメディアの手は、すっかり冷えて繋いでも暖かくならない。

 けれど、どこか擽ったい様な感覚が心地よくて。

 ネコさん、ごめんなさい、と心の中で小さく呟いてしまっていた。

 どうにも、今はベッタリで良いかもしれません、と。




イリヤが再登場するのは、一体何時頃になるのでしょうね……(どうして作者にもわかってないのか、謎です)。


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第44話 顰めっ面な彼女

皆様、お久しぶりです。


 どこからか、妖精の笑い声が聞こえた気がした。

 ……なんて、メルヘンな物言い。

 きっとそれは、花粉が舞い散っているが故に。

 

 冬眠明けの動物達に混じって、羽を生やした小人が行進し始める季節。

 積雪した小雪を押しのけ、地面に顔を出し始める若葉を見た時、人は何を思うのか。

 感動、などといえば行き過ぎているけれど、儚そうにみえたモノが、実は強かであったなんて事に笑うかもしれない。

 そんなモノを見ると、軽くダンスでもしたくなる気分で、鼻歌交じりに素敵な歌を口ずさむかもしれない。

 要するに、浮かれる季節がやって来た。

 即ち、芽生えの春の季節。

 暦で言うところの三月、まだ寒さは抜けきっていないけれども、何処か太陽に活力を与える魔力が宿り始める時期。

 どこかで、素敵な事に出会いそうな予感がした――

 

 

 

 

 

「……」

 

「…………」

 

「………………」

 

「……………………」

 

「…………………………」

 

「………………………………」

 

 それは、活気の溢れる深山町の商店街で。

 まだ肌寒さが残りつつも、陽の光で喧騒と活気を生み出している現場の一角。

 買い物の帰りに、メディアと凛にたい焼きでも買っていこうかとお店に寄った時の事。

 何故だか、そのたい焼き屋に、異様なまでに浮いている風景が浮かび上がっていたのだ。

 別に、お店が変だとか、たい焼きの変な味が発売されているとか、そういう訳ではない。

 ただ、そこにいた買い物客が、おかしな事に白いメイド服を着ていただけである。

 その場で、彼女と私の視線が、交わっていた……。

 

「……何か、御用で?」

 

 嫌な静寂を私達の周りだけが包んでいた中、先に痺れを切らした方はメイドの方だった。

 嫌なモノを、嫌な人に見られてしまったかの様な顔が、何とも味わい深い。

 口調も正に、文句があるなら蜂の巣にして差し上げますのでどうぞ、といった風情がある。

 尤も、公然の魔術行使を施すほど、このメイドも常識知らずではないのだが。

 

「たい焼きを買いに来たの」

 

「そうですか、それでは私は関係無いのですね」

 

「えぇ、そうね」

 

 無表情ながら、忌々しそうな気配を隠しもない。

 用事があって探してたのならばまだ格好はつくかもしれないけれど、最早この状況では偶然を憎むしかないのだから。

 尤も、偶然以前に私に対して悪意を向けられそうな勢いだけれど。

 

「でも、丁度良い機会ね。

 良かったら、少しお話できる?」

 

「お断りします」

 

 なんだこいつは、と訝しげを通り越して変態を蔑むかのような視線で、彼女は私を見ていた。

 訴訟も辞さない行為である、到底許されるべき事ではない。

 けれども、そんな湧き上がる気持ちを抑えつつ、急だったけれど、と続けて言葉を紡ぐ。

 

「前からもう少し、貴女の事を知りたかったの。

 色々と印象深い分、記憶にも残っているもの」

 

 折角の機会でもあるから、とややゴリ押し気味に話を進める。

 実際に、今まで嫌われているお陰か、取り付く島もなくあしらわれて来たのだ。

 もうこの時を逃せば、このメイドと話し合える機会なんて早々訪れる事はないだろう。

 だったら、という事である。

 上手く仲良くなれれば、イリヤの事でも便宜を取り計らってもらえるかも、という下心もなきにしもあらず。

 ただ、そんな私の考えなんて知る由もない彼女は、本気で意味不明な生物と出会ったかのように私を見ていた。

 観察している、が表現的にはより正しいのかもしれない。

 

「何か?」

 

「……理解不能で絶句していたところです」

 

 何の謀略だ、言え、と彼女の目が語っていた。

 魔術師故に、権謀術数はお手の物とでも思っているのか。

 もしそうならば、もう少しばかり私も嘘を吐き慣れた方が良いのかもしれない。

 そうでなくとも、元よりそういう方面には弱いからつけこまれやすいのだ。

 まぁ、今はそういう事は必要としないし、むしろ誤解を解くところから始めなくてはならないのだけれど。

 

「残念ながら、単に仲良くなりたいだけよ。

 強いて言うなら、イリヤとのパイプを強化しておきたいってところかしら」

 

「それを聞いて、やすやすと応じるとでも思っているのですか?」

 

「思ってるわ、だってイリヤにとっても楽しい事だもの」

 

「……私は、今はお嬢様の従者ではありません。

 アインツベルンと貴女の連絡役です。

 その観点から、貴女の話を聞く価値など微塵も見出すことが出来ません」

 

 何処か恨みがましい声で、彼女はそう答えた。

 恐らくは、ここしばらく日本に滞在する事となって、イリヤのお付を解任されてしまった事を恨んでのことか。

 だとしたら、私としても謝るしかないのだけれど、今謝れば取り逃がすことになるから、それは後回し。

 逆に、私は少し意地の悪い事を言い出していた。

 

「その手に持っているのは?」

 

「……たい焼きですが」

 

「貴女はたい焼きを食べながら、職務を遂行するの?」

 

「今は休憩時間です、何ら問題はありません」

 

「だったら、別に私とお茶をするのも、問題ないんじゃなくて?」

 

「それは……」

 

 揚げ足取り全開で告げると、すごく嫌そうな顔を彼女はしていた。

 正直なところ、穴だらけで直ぐにでも反論できる意見である。

 実際、顔にありありと、貴女が好きではないのですよ、言わせるつもりですか……と書いてある。

 書いてあるけれど、でも敢えて知らないフリをして、ねぇ、とせっつく。

 答えは? と嫌らしく尋ねながら。

 私は一つだけ、仮定だけれど勝算を見出していたから強気で。

 

「ねぇ、一つ聞いていいかしら?」

 

「……何でしょう」

 

「今こうして私と話すのは、公事かしら、それとも私事?」

 

「……公事、です」

 

 勝った、思わず口角が上がるのを自覚する。

 そうなのである。

 何故かこのメイドは、私と距離を取って常にアインツベルンのメイドとして接する様に心掛けているのだ。

 何故なのか、私が気に入らないのか単に距離を取りたい人種なのかは分からない。

 しかし、私としてもこのままいびられ続けたり、あしらわれ続けるのは面白くない。

 何より、アインツベルンのメイドは造形が美しいのだ。

 それだけで、多少気に入らなくても、仲良くしたいと思わずにはいられない。

 だから、こうして一々構おうとしてしまう。

 

 苦々しげな顔をしている彼女の顔を、改めてまじまじと眺める。

 髪は頭巾に隠れて見えないが、知性を称えている赤い目は鋭く、シャープな顔立ちは怜悧さを際立たせている様に感じられる。

 あまりに整い過ぎていて、けれどもそれが自然だと思わせられる。

 ホムンクルスとは、実に不可思議に満ちていた。

 

「別に、貴女達の拠点に上がり込もうなんて図々しい事は考えてないわ。

 ただ、そこらの喫茶店でも良いから、私を歓待してもらえたら嬉しいわね」

 

「招かざる客には、武具を持って持て成すのが流儀です。

 お立会を所望なされますか?」

 

「野蛮なイメージを持たれるわよ。

 余裕を持って優雅たれ、家訓で遠坂の家に負けてるけれど良いのかしら?」

 

「何て厚顔無恥な」

 

 最後、彼女の呟きが本当に小声だけれど、神経を尖らせていた為に聞こえてしまっていた。

 それに私は、凛に猫の着方を教えてもらったもの、なんて冗談めかしながら胸を張っていた。

 無論、口には出さない礼儀というものは、私にもあるからダンマリを決め込んでいたけれど。

 

「…………良いでしょう、分かりました」

 

 本当に、心の底から御免こうむると言わんばかりの声を出して、彼女は私を睨みつけていた。

 そして、掛けられた呪いを返す様に、嫌々とその言葉を口にする。

 

「私の貴重な休みの時間を、貴女に割く事と致します。

 貴女は、私の休みを削っていると自覚して、粛々と事を済ませてください」

 

「ねぇ、茶飲み話なのだけれど」

 

「いいえ、接待です」

 

 苦々しげに吐き捨てる彼女に、そんな接待は無いと言いそうになる。

 が、元々が私が原因なのだから、そう言わせたようなもの。

 これ以上は藪蛇になる為に、笑顔で返事をするだけに留まった。

 

「ありがとう、フフッ」

 

「笑われるとは、なんという屈辱……」

 

「そういう意味で、哂っているのではないわ」

 

「同じ事です」

 

 もうそれ以上、話をするのも忌々しいと言わんばかりに、彼女は歩き始める。

 付いていかないと、このまま振り切られてしまうかもしれない。

 なので、肩を竦めつつ、私もそれについていって。

 早歩き気味の彼女の後ろ、そのやや斜めの位置をキープする。

 そうして、暫く歩いた店の先で、彼女は足を止めた。

 

 

 

 そこは、普通の喫茶店というには些か古びた、手入れがあまり行き届いていないお店。

 深山商店街の裏通りにあるそのお店は、大抵の人が寄り付かない場所であろう。

 彼女は、そのお店に容赦なく足を踏み入れる。

 一瞬だけ躊躇するも、迷いのない彼女の足取りは確かなお店の証明だろうと割り切り、私もそれに続く。

 

 足を踏み入れた店内だが、僅かに薄暗く、日当たりは余り良くなかった。

 電気は付いているが、その主張はささやかなもの。

 僅かに居る客も、本などは読まずポータブルCDと呼ばれている音楽プレイヤーを、イヤホンなんかで聞いていたりする。

 または、小声で雑談など、独特な雰囲気がこの場所にはあった。

 まるで、幼い頃に出来心で作ってしまった秘密基地の様な。

 

 尤も、私としては、他人の秘密基地に招待された気分ではあるけれど。

 嗅ぎなれていない匂いの中に、微かに紅茶が香る。

 くすぐったく感じるのは、それが好きな匂いだからか。

 メイドがテーブルに着いたのに続いて、私も椅子に座る。

 ヒンヤリとした椅子の感覚が、どこか心地良かった。

 

「それで――」

 

 しかし、他人から冷ややかに接せられるのは、全くもって望まぬところ。

 今は、致し方ない事にしても。

 そう考えて、メイドの顔を真っ直ぐに見る。

 無表情に見えて、表情豊かな無愛想を。

 

「注文は、私が致します。

 異論は無論、受け付けておりません」

 

「……そうね、貴女のお勧めをお願いするわ」

 

 メニュー表を真剣に眺めながらの、有無を言わさぬ言葉。

 しかし、一応接待という名義なのだから、彼女が為すがままというのも悪くないかと思えて。

 彼女がどんなものを注文するのかという好奇心が、ワクワクといった感覚と一緒に湧いてくる。

 一体どんなお菓子が出てくるのか、これではまるで食いしん坊ね、と自分に笑いながら。

 

「お決まりで?」

 

「はい」

 

 短く返事をすると、ジッとメニュー表を見ながら彼女はマスターを呼ぶ。

 彼女の、分かりやすくキビキビとした声がその場に響いた。

 

「ケーキセットを一つ、飲み物は紅茶で」

 

「以上で?」

 

「はい」

 

 反射的に彼女の方を向くと、彼女もまた私を見ていた。

 そして、臆面もなくこんな事を言うのだ。

 

「形だけですが、接待ですので。

 同じ席での食事は頂けません」

 

「店にとっては、貴女もお客よ」

 

「使うテーブルは一つだけですので、一人でも二人でも変わりはありません」

 

「気になるでしょう、私が」

 

「でしたら、早々に召し上がってご帰宅なされるが宜しいでしょう」

 

 幾つか言葉を交わしても、立て板に水といった感じに返され、彼女は折れることがない。

 結局、妥協という名の敗北を喫した私は、やや不機嫌顔でケーキセットが来るのを待ち続ける事になったのだった。

 

 

 

 

 

「……」

 

「…………」

 

「…………ちょっと」

 

 シットリとしたスポンジのケーキ、生クリームにコクがありまろやかな味わい。

 そうして甘くなった口を、紅茶の味が慰める様に優しく包んでいく。

 それは良い、とても当たりのお店だと私も思う。

 だが、それでもこんな状況では、美味しいけれども楽しめない。

 沈黙が、こんなにも重いのだから。

 

「何か喋ったりしないのかしら?」

 

「必要ありませんので」

 

「私が必要に感じているのよ」

 

「迷惑です」

 

 彼女は一瞬の迷いもなく、一刀両断に私の言葉を断ち切った。

 そして、それ以上の言葉もなく、仏頂面で私を見つめている。

 急かす様に、揺れる事なく、ただ私を見つめて……。

 それで、ようやく理解する。

 これが、彼女なりの当て付けである事を。 

 

 気まずいでしょう、そうでしょう。

 だったら、成すべき事は分かりますね? という事だろう。

 全く持って、性格が悪いとしか言い様がない。

 連れ込んだ私のせいだと言われればそれまでだが、だとしても良い様にやられっぱなしというのは面白さの欠片もない。

 むしろ、どうにかしてやり返したくなってくる。

 ”目には目を、歯に歯を”は、正しく私の性格と合致しているのだ。

 だから、そのどうにかを考えなくてはいけないのだけれど……。

 

 無言の合間、ケーキを口に運ぶ間に彼女の顔を盗み見る。

 基本、私を見ていて目が合って睨み合いが発生するのだけど、時折彼女の視線が逸れている事がある。

 それがどこにかというと……。

 

「ん」

 

 パクリと、ケーキをまた一口食べる。

 まろやかで、コクのある味。

 食べ過ぎると、体重計のお世話になる事が請負であるそれ。

 そのケーキに、彼女は惑わされる事がある様だ。

 しかも、面白くなさげに、私を睨んでくるのが何とも露骨で。

 

「えぇ、美味しい、美味しいわ」

 

 わざとらしく、彼女に聞こえる様に呟いた。

 大きな声ではないけれど、この店は静かなので私の声は良く彼女に届く。

 結果、ピクリと彼女は反応した。

 青筋がオデコに走ったのは、決して何かの見間違いではない。

 恐らく、”この女……”と思っている事だろう。

 元々、彼女なりに厳選したであろう店なのだ。

 自分が食べないと課している状況で、わざわざ煽られれば腹は立つだろう。

 

 でも、お陰で反応は確かめられた。

 これは、ゴリ押しならば通せる。

 少なくとも、食べ物に罪が無い事を知っているだろうから。

 

「マスター、同じセットをもう一つお願いできる?」

 

 私の問いに、彼は僅かに目を細めて、頷いてから行動を始めた。

 ただ、それに対して目を剥いたのは、私の目の前に座っている彼女。

 その目が、何してるのだと露骨に訴えている。

 

「何の真似ですか?」

 

「美味くて、つい衝動的に頼んでしまったわ。

 でも、二つ食べると確実に増えるわね、体重」

 

「人間の浅ましさですね、限度を知らないと言う事は」

 

「そうね、だから反省したわ。

 私の代わりに、貴女が食べなさい」

 

 そう言うと、彼女は露骨に、馬鹿馬鹿しいと言わんばかりに顔を顰めた。

 わざとらしすぎるのもそうだし、私の行為そのものが幼稚に過ぎるから。

 でも、だからといって引き下がるつもりはない。

 彼女が喜ぶと思ってやった訳ではなく、文字通り意趣返しそのものなのだから。

 屈辱に悶えながらケーキを食べてみなさい、といった具合に。

 

「馬鹿にしているのですか?」

 

「とても食べれそうにないの、えぇ。

 完璧に作られている貴女達は、リソースを無駄にしたりしないわよね?」

 

「……茶番を」

 

「そうね、でも付き合ってもらうわ。

 何があっても、私はケーキに手を付ける事は無いもの」

 

 彼女は半ば吐き捨てる様に言葉を吐いたが、決して届けられるケーキは粗雑に扱われる事はないだろう。

 好きだからこそ、接待なんて名目でここに連れてきてくれたのだから。

 言わば、卑怯な事だけれど、人質ならぬ物質(ものじち)を取ったも同然なのだ。

 そう、今の私は、最高に魔術師をしていた……。

 

 

 

 

「…………」

 

「………………」

 

「……………………」

 

「…………………………私を辱める事が出来て、そんなに嬉しいのですか」

 

「見つめているだけでその言い様、酷いと思わない?」

 

「恥を知りなさい」

 

 新たなケーキのセットが運ばれてきて少し、迷う手つきでフォークを手にした彼女は明らかに渋い顔をしていた。

 運んできたマスターに、絶対零度の視線を向けるなどしていたといえば、彼女の様子は分かるだろう。

 

「……何を勝手な事をしているのですか」

 

「顔が苦そうだったから、砂糖が足りてないと思って」

 

「ですから、何を勝手に私の紅茶に砂糖を放り込んでいるのですか!」

 

「角砂糖を三つだから、きっと虫歯になるほど甘いわ」

 

「私の紅茶は蟻の餌で十分だ、と」

 

「人生渋そうに生きているみたいだから、紅茶くらい甘くても良いじゃない」

 

「そう見えるのなら、九割がた貴女のせいだと自覚して頂きたいものですね」

 

「甘い紅茶はそんなにお嫌い?」

 

「甘いケーキに甘い紅茶、センスが欠片もありません」

 

 品性を疑います、と顔を顰めて言う彼女に、そんなに喜んでもらえて嬉しいわと返事をして、僅かに笑みを浮かべた。

 こんな内容だけれど、確かに会話として話が成立しているのだから。

 さっきまでとの雰囲気とは大違い、思わずニンマリしてしまうのも仕方ない事なのだ。

 

「してやったり、とでも思ってるのですか」

 

「そうね、でも砂糖は女の子の血液なの。

 たまには過多に取っても、問題はないのよ」

 

「貴女の将来が楽しみですね」

 

「そうね、麗しき人形師として名を馳せているわ」

 

「既に厚顔な様で」

 

 吐き捨てる様に言うと、彼女は持っていたフォークをケーキに入れ、そのまま口に運ぶ。

 私と喋っているよりも、その方が建設的だと言わんばかりに。

 きっとそれが、彼女の可愛げなのね、と思うと悪い笑みが浮かびそうになってしまう。

 その表情が、僅かに柔らかくなったのが、更にそれを加速させる。

 もしかしたら、私は性格が悪いのかもしれない。

 

「何でしょうか、先程から不躾な視線を感じますが」

 

「美味しいわね、と思っただけよ」

 

「……今の言葉で、味がしなくなりました」

 

「お砂糖、まだいるの?」

 

「巫山戯た真似をしたら、本家に帰らせていただきます」

 

 殺意の篭った真顔での言葉に、私は微笑みながら角砂糖を引っ込めた。

 嫌がって饒舌になる彼女は見たいけれど、嫌われたくなどない。

 悪巫山戯も、加減を知らないと嫌な奴になってしまうのだ。

 匙加減の難しさが、何とも困りもの。

 構ってくれるからといって、好きな娘にちょっかいを掛ける男の子にはなりたい訳ではないのだから。

 

 でも、沈黙に支配されている方が好きかと言えば違う。 

 なので、今まで気になっていた事を聞いてみようと思った。

 そのせいで、更に彼女が口を閉ざしてしまうかもしれないけれど、分からないままというのは何ともモヤモヤしてしまうものなのだ。

 

「ねぇ、今まで気になっていたの。

 だから一方的に聞くけれど、言いたくなかったら答えなくても良いわ。

 ケーキが美味しいのだもの、聞き逃す事だってあるはずだから」

 

 答えはなく、彼女はケーキを食べ続けていた。

 促す訳でもなく、拒絶する訳でもなく、沈黙。

 所謂無視とも判断出来るけれど、彼女の場合は喋りたかったら喋れという事だろう。

 このメイドは、NOと言えるメイドなのだから(場合によりけりだけれど)。

 

「それで、質問というよりは、一方的に話すのだけれど。

 ……貴女は、私の事が気に入らない、そうよね」

 

 話を切り出して、彼女の顔を覗いた。

 するとそこには、特に色はなく、今更ですかと言わんばかりの呆れ顔があって。

 馬鹿馬鹿しいと言わんばかりに、ケーキを口に運んでいた。

 

「理由は細かく上げれば幾つかあるけれど、一番大きなモノはイリヤに余計な事を吹き込む悪い虫だから。

 ”朱に交われば赤くなる”、この国の諺らしいけれど、けだし名言ね。

 ご尤もと言わざるを得ないわ」

 

「……ようやく、戯けた世間話から本題に入ったと思ったら、わざわざ自虐をなさりに来たのですか?」

 

 赤い瞳が、僅かに細められていた。

 前置きは良い、さっさと言えという無言の圧力を感じる。

 きっと、ミステリー小説の探偵にイライラしてしまうタイプなのだろう。

 まぁ、わざわざ無理矢理付き合わせれて、勿体ぶられたら怒るのも分からなくはない。

 もう少しばかり、余裕を持っても良い気はするけれど。

 

「そう……そうね。

 それなら、結論から先に言う事にするわ」

 

 一口、紅茶で口を落ち着けてから、口を開いた。

 つまりは、と結論を言う為に。

 

「仲良くなりたいの、貴女と」

 

 本当に結論だけ、その間の思考を放置し提示した。

 こうして言うと、中々に気恥ずかしいわね、なんて考えながら。

 チラリと、彼女へ視線を向ける。

 

「…………………………」

 

 渋い顔だった、まるで煮詰まった茶葉でも食べさせられたかの様な。

 ここまで露骨に嫌がられると、逆に一周して面白くも感じる。

 愉快かどうかは、隣に置いておくとして。

 

「すごい顔ね」

 

「誰の、せいだと思ってるのですかっ」

 

「誰のせいでもないの、これは仕方がない事だから」

 

「訳の分からない事を。

 明らかに、他の誰でもなく、貴女です!」

 

「そう、にらめっこの最中だったかしら。

 面白いけれど、綺麗なお顔が台無しよ。

 だから、もうちょっと柔らかく、ね」

 

「喧嘩を売り歩く商売をしていらっしゃる様で。

 残念ながら、堪忍袋の緒が切れてしまいそうです」

 

「それなら、理由を聞いて貰っても宜しい?

 聞いたら、もう少し寛大な気持ちになれるかもしれないわよ」

 

「何をどう聞いても、怒りの感情を持て余す事になりそうですが……。

 まぁ、良いでしょう」

 

 恐ろしく不服げではあるが、話が進まないのは更に御免だと考えている様で。

 素早く、手短にお話し頂けると幸いです、と彼女は私を促した。

 ふぅ、と僅かに息を吐いて、私も話し始める。

 何故、どうして、という事を、出来るだけ簡素に。

 

「イリヤとね、話がしたいの。

 勿論、こうして会って楽しくっていうのは無理だと分かっているわ。

 だったら、どうすれば良いか。

 それを考えて、一つ思いついたのよ。

 そうだ、手紙を出そうって」

 

 僅かに、彼女の眉が動いた。

 明らかに、この女……とでも思ってそうな視線も感じて。

 でも、怯んだらその時点で負け、彼女にそっぽを向かれて終わってしまうだろう。

 故に、そのまま私は話を続けた。

 

「勿論、アインツベルンの箱入り娘だもの。

 イリヤに届く前に、全て処分されるでしょうね。

 だからこそ、貴女に話を付ける必要があるの」

 

 分かるわね、と視線で問うと、彼女は”だから?”と言いたげな目をしていた。

 はぁ、と溜息の一つでも出そうになる。

 

「当たり前の事です。

 お嬢様に悪影響を与えます」

 

「そうね、朱に交わればって私が言ったもの。

 だから貴女も私が嫌い、どうしようもない事実だわ」

 

「でしたら、速やかに諦め、お嬢様の事はお忘れください」

 

「無理よ、私だってイリヤが好きだもの」

 

「ぬけぬけと、良く言えますね」

 

「誰も私が一番イリヤを愛してる、なんて言ってないわ。

 そんなに、ツンケンしなくてもね」

 

「その様な言葉、吐いた時点で舌を切りましょう」

 

 相も変わらず、眼光が鋭い。

 ことイリヤの話になると、特に。

 それが愛情なのか、忠誠心から来るものかは分からないけれど、何よりも彼女がイリヤを大切に思っているという証。

 きっと、イリヤが彼女の存在理由なのだろう。

 だから、こんなところで連絡役なんてやらされて、イリヤと離れる事になったから私の事が余計に気に入らない。

 好かれようとしてもどうしようもなくて、余計に泥沼に嵌るのかもしれない。

 ……けれども、

 

「そうね、イリヤの事だけを考えている貴女に、私如きがとやかく指図出来る権利を持ってるなんて思ってないわ。

 でも、そんな貴女だからこそ聞いて欲しいの。

 ――イリヤは、今を楽しいって思って過ごしているのかを」

 

 私がそれを口にして、彼女を見やる。

 無機質で無表情な、彼女の表情を。

 一切の言葉はない、ただ冷徹にも見える目がそこにあるだけ。

 メイドとしての彼女でも、毒舌家な彼女の姿でもない。

 アインツベルンの機構としての彼女が、唯そこにいる様に感じて。

 ――我を曲げずに、私は言葉を続けた。

 

「イリヤは私にね、外の話を聞かせてって頼んできたの。

 退屈だからって、刺激を求めてね。

 他にも、この城の周りから出たことないって事も聞いたわ。

 イリヤ自身、飼い殺しにされてるのは自覚しているのよ。

 多分、不満なんかはないの、一口もアインツベルンを出たいなんて言ってなかったから。

 けれど、ならば幸せかと問われれば、それも違うの」

 

 不幸ではない、けれども幸せでもない。

 限りなく色がない、無菌室の様な境遇。

 私が悪い虫呼ばわりされるのも、ある意味で当然。

 事実として、あの城に居るイリヤにとって菌の様な存在であろうから。

 でも、菌が存在しない空間というのは、無味無臭の極みとも言える。

 何事も、味が感じられなくて、つまらない事この上ないであろう。

 

「少し彩りを添えるだけで、世界がもう少し明るくなるわ。

 色褪せて見えた光景が、鮮明になったりするの。

 そうすれば――イリヤの寂しさも、少しは紛れるでしょう?」

 

 ピクリと、初めて彼女が動いた。

 動揺ではない、ただ反射的に反応してしまっただけ。

 けれども、彼女は先程までの無機質な目から、僅かに感情が揺れる瞳に戻った様に見える。

 だったら、と話を続けようとして……。

 

「お嬢様には、使命があります。

 アインツベルン一千年の、かつて失った栄光の為の。

 魔術の大家たる者の責任が、あるのです。

 それに、その様な感傷など不要です」

 

 彼女は口を開いた、アインツベルンにとっての模範解答を。

 ただ、彼女の瞳は、僅かに揺らめいていて。

 

「そうね、確かに魔術師の家の後継者としては、それは要らないかもしれないわ。

 でも、イリヤにとっては、そうではないの。

 物分りが良くても、魔術師の家系の業を理解していても、イリヤは感情豊かな女の子よ」

 

 お母様はもう居ないと語った、イリヤの冷たい表情を思い出す。

 衛宮くんに言伝を頼んだ、イリヤの不安に揺れる瞳を思い出す。

 私と話している時の、天真爛漫で愛らしい笑顔を思い出す。

 全部全部、イリヤスフィールという、少女の素顔。

 それを使命の一言でそれを押しつぶすのは、どうにも耐え難い。

 本人が、それを受け入れていたとしても。

 

「使命に殉じるのは仕方ないわ、それが魔術師としての姿だもの。

 けれど、だからと言って、笑うのを禁じる事もないでしょう?

 確かに、余計な事かもしれない。

 けれど、余計だと思っているものが、時に必要な事もあるのよ」

 

「…………」

 

 反駁はなく、彼女は眉根を寄せて考え込んでいた。

 正しい事を全て、正しいからと押し通しきれない。

 それが、彼女のイリヤへの愛情なのだろう。

 イリヤが幸せである、そうあっても良いと、彼女は思えているのだから。

 

「それで、良いかしら?」

 

 そっと、添える様に、私は言葉を付け加えた。

 背中を、ちょんと押す様に。

 私達の間は、沈黙に支配された。

 短くない、緊張を走らせる様な静寂。

 逡巡の後、彼女はゆっくりと口を開いた。

 

「確かに、そうかもしれません」

 

「ならっ」

 

「しかし、外部の者は信用できません」

 

 ぴしゃりと、彼女は言い切った。

 私だけでなく、外部の者という条件付けで。

 

「それは、どうして?」

 

「第四次聖杯戦争、その時にアインツベルンに婿入りした衛宮切嗣は裏切りました。

 機会があったにも拘らず、アインツベルンに聖杯をもたらさなかった。

 だから、信用できません」

 

「衛宮くんのお父さんが……?」

 

「えぇ、ですので無理です」

 

 どういう事か、詳しく聞きたいと衝動的に思ってしまった。

 しかし、今はそれに構っては、今日の話は全て水泡へ帰してしまう。

 だったら、今は何より、信用を得る事が大切なのだろう。

 そう考えて、私は彼女に真っ直ぐ視線を合わせた。

 

「私は詳しい事情を知らないから、込み入った事は分からないわ。

 けど、貴女達に出来ない事を、私は出来る」

 

「私共に出来ない事?」

 

「そう、イリヤに馴れ馴れしく接したり、巫山戯たり。

 貴女達に言わせれば、無礼で悪い虫な行為。

 でも、それでイリヤは笑ってくれるわ。

 僅かでも、寂しさの慰めになる」

 

「……本当に、無礼な事この上ないです。

 許可すると、お思いで?」

 

 彼女の目に、僅かな呆れが混じり始めた。

 もう少し頭を捻れと、そういう事だろう。

 

「そうね、確かに私一人だと行き過ぎてしまうかもしれないわ。

 だから、ね」

 

 私は、彼女に微笑んだ。

 ニッコリと、露骨に。

 即座に嫌そうに顔をされたのは、きっと気のせいに違いない。

 

「貴女が検閲すれば良いのよ。

 駄目そうなら黒で塗りつぶして、イリヤに渡せば。

 貴女の手が入っているなら、何ら問題はないでしょう?」

 

「は?」

 

 彼女は、何を言っているのだろうか、みたいな目をしていた。

 今まで以上に、小馬鹿にしている様な感じの目を。

 

「図々しいとは、この事ですね。

 信用をどうするかと問われて、私に丸投げするとは」

 

「私が信じられなくても、貴女は自分を信用できるでしょう?」

 

「えぇ、ですが、私に責任を全て丸投げする態度が、何とも気に入りません」

 

「今すぐ、貴女を納得させて見せろと言われても、無理だと悟ったからよ。

 それに、イリヤはきっと喜んでくれるわ」

 

 イラっとした雰囲気を、彼女は醸し出していた。

 好き勝手言いやがって、とでも言いたいのだろう。

 でも、それは冷たい拒絶ではなくて、受容故に面倒くささから来るもの。

 雰囲気が、先程とは違い、冷たいモノではなくなっているのだから。

 ”全く、本当に、本当に……”と小さく彼女は呟いて、僅かな躊躇。

 その後、私の方を彼女の意思で初めて、真っ直ぐに見てきたのだ。

 

「――良いでしょう」

 

 その言葉に、口角が上がりそうなのを無理やり抑える。

 笑うな、少なくとも今この場では、と。

 そんな私に、但し、と彼女は続けた。

 

「私が日本に滞在する間、二ヶ月間だけです」

 

「……二ヶ月?」

 

「えぇ、貴女のサーヴァントの経過観察としての期間が、その二ヶ月です。

 それ以降は、アインツベルンは干渉する事はありません」

 

「監視はなくて良いの?」

 

「えぇ、高々キャスターのクラス。

 それも枷を嵌めた状態のサーヴァントなど、問題ではありません。

 我らのホムンクルスは、戦闘用に調整された個体もあります。

 その戦闘力は、三騎士のサーヴァントの膂力に迫るものがありますが故」

 

 遠まわしに、変な気は起こすなよと警告し、彼女は二ヶ月を条件として提示した。

 恐らく、これが彼女に出来る最大の譲歩。

 イリヤに思い出はあげたいけれど、あまり深く突っ込み過ぎるなという釘刺し。

 これ以上駄々をこねるのなら、その時点でお話は終わりということ。

 ……ここら辺が、潮時なのだろう。

 

「ふぅ、分かったわ。

 二ヶ月の間、宜しくお願い」

 

「承りました、お嬢様にお手紙は届けましょう」

 

 渋々といった顔で、致し方なしと彼女は割り切った様に返事をした。

 それは、彼女なりの優しさで、私に見せた初めての優しさでもある。

 それに、僅かに顔が、ほころんでしまって。

 

「……何か?」

 

「ありがとう」

 

 自然と、感謝の言葉が溢れていた。

 単純に、イリヤに私が手紙を送りたかった側面も、確かにあるのだから。

 私の為でなくとも、本当にありがたかったのは事実なのだ。

 

「別に、貴女のためではありません」

 

「えぇ、知ってる。

 でもね、それでもなのよ」

 

 迷惑を掛けるから、感謝しているから、それぞれ思うところはあるけれど、僅かでもイリヤに伝える事が出来るのだ。

 それは、きっとイリヤが欲しいモノだから。

 

「うん、やっぱり、私は貴女の事が嫌いじゃないわ。

 むしろ、好ましく思う事もあるの」

 

「そうですか、私は非常に忌々しく思っております」

 

「そんなに意識してくれて、すごく嬉しいわ」

 

「そういうところですっ」

 

 本当に、本当に……っ、と呟いている彼女は、すっかり疲れきっている様な表情で。

 苦手に思われているのだけは、何時しかどうにかしたいと思わずにはいられない。

 

「ねぇ、ちょっとだけ良い?」

 

「これ以上、何かあるのですか?」

 

「いいえ、大したことじゃないの。

 ただ、私がちょっとだけ気にしている事を確かめたいだけ」

 

「何でしょう?」

 

 ジッとこちらを見つめている彼女に、私はちょっと今更気恥ずかしいけれど、と思いながらこう彼女を呼んだ。

 

「セラ」

 

 そう、名前。

 アインツベルン城で、彼女に名前を教えてもらった。

 ただ、その名前で呼ぶと、彼女は……。

 

「…………はい」

 

 すごく嫌そうな顔をして、返事をするのだ。

 あの時は名前を呼ぶと、無表情で即答していたのだけれど、今ではややこなれてきた為か表情がすごく分かりやすい。

 良い事か悪い事なのか、判断に苦しまずにはいられない。

 

「何時か、貴女の名前を呼んでも、嫌な顔をされない様にしたいの。

 これは目標で、たった今宣言した事。

 是非とも、覚えていてね」

 

 彼女の顔は、煮出し過ぎたコーヒーでも飲んだ様な顔をして。

 何時か、この顔をもう少し楽しげにしてやろうと決意したのだった。

 何故なら、何よりもやはり、彼女は美しく完成しているのだから。

 

 

 

 ――とある春先の、ちょっとした出来事。

 ――イリヤに、手紙を送り始める切っ掛けの日のこと。

 

 

 

 

 

 その後、彼女と別れた私はそのまま帰り、凛とメディアに購入していたたい焼きをプレゼントしたのだけれど……。

 

「アリスちゃん、冷めてます」

 

「これ、トースターで温めた方が良いわね」

 

 三人で食べたたい焼きは、ちょっぴり焦げた味がしていた。

 今日の彼女との会話の、その内容の様に。

 もしかしたら、会話が上手くいっていたら、もう少し甘い味がしていたのかもしれない。





この度は投稿が遅れて、申し訳ございませんでした。
何というか、”りゅうおうのおしごと!”ってラノベを読んでからクソ雑魚将棋の勉強を始めまして。
時間は有限で、将棋の勉強で何が割を食ったかといえば執筆時間!(震え声)
今度から、今度からもう少し早く投稿出来るように頑張りますっ!

内容、もうちょっと進めていきたいですね。
あと、喫茶店で茶をしばくパターンも……。


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第45話 春先頭は洋々と

お久しぶりです、皆様。
今年これ合わせて三回しか投稿してないとか……うせやろ?(白目)


 三月、生き物達が微睡みから重い瞼を擦り始める季節。

 春の玄関口である時期であり、また日本では四月に向けての準備をする期間。

 大人達は忙しなくなり、春休みという春眠を学生達が笑顔で抱きしめる。

 そんなモラトリアムを、私達は過ごしていた。

 尤も、凛は魔術に没頭して、私はそこそこにメディアに構ったりしていたから、何時も通りと言えばその通り。

 平日と休日の狭間が曖昧なのは、魔術師が魔術師足る所以か。

 

 そんな日々の中、私はふらりと凛の部屋へとやって来ていた。

 たまたま暇で遊びに来たのではなく、明確な目的を持って。

 凛は、目にクマを作りながら、何よ……と胡乱げな視線を私に向けていた。

 

「ねぇ、凛。

 少し良いかしら?」

 

「良くないわ、また厄介事でしょう?」

 

「そうかもしれないわ、でも凛が良いの」

 

「イヤって言ってるの、聞こえない?」

 

「私は気にしないわ」

 

「気にしなさい、馬鹿。

 ……で、なんなのよ、一体」

 

「だから好きよ、凛」

 

「煩い、さっさと用事を済ませて帰って」

 

 邪険に、濡れた犬でも追い払うかの様な声を出す凛。

 徹夜明けで、あまり機嫌が宜しくない。

 恐らく、このままくだを巻いて部屋に居着こうものなら、即座にガンドが五発くらいプレゼントしてくれること間違いなしである。

 なので、大人しく私は用件を切り出した。

 つまりは、何時もの通りメディアの事なのだけれど、と。

 

「――学校に通わせたい?」

 

「そう、学校」

 

 切り出した要件に、まるで猫が二足歩行で歩いている姿を見たかの様な、珍妙な顔をする凛。

 何を言っているんだと、口以上に表情が語っている。

 

「ずっと家に置いておくのは忍びないもの。

 今は魔術にも触れようともしないし、だったらって思って」

 

「一応言っとくけど、サーヴァントよ?」

 

「えぇ、分かっているわ」

 

 淀みなく答えると、凛は相変わらず何か言いたげにしていたけれど、何も言わずハァと溜息を一つ吐いて頷いた。

 ただ、目は呆れたモノを見る目になっていたけれど。

 

「全く、何の為に召喚したのかしらね」

 

「そうね、凛が言いたい事は分かるわ。

 でも、思っていた以上に、メディアが可愛げがあったの。

 仕方ないでしょう?」

 

 そういうと、凛は処置なしと時折見せるどこか投げ遣りな顔で宙を仰いだ。

 馬鹿ね、と聞こえた気がするのは、多分聞き間違いでは無いはず。

 

「分かった、好きにすれば良いわ。

 ただ、身元を預かる事にするだけだから、他の手続きは自分でやって」

 

「十分よ、ありがとう凛」

 

「ほら、用事が終わったならさっさと出てく!」

 

 凛に、犬でも追い払う様に部屋を追い出される。

 キッチリと話を聞いて追い出す辺り、本当に凛は優しい。

 もしくは、絆されたらかなり甘くなるのか。

 兎に角、凛に感謝が絶えない事だけは確かな事で。

 

「似合うかしらね、制服……」

 

 尤も、今私は全く別の事に気を取られていたけれど。

 楽しい気分、とまではいかないけれど、気分は上々だった事は確かで。

 メディアに言ったらどんな顔をするかしら、と今はそれが頭の大部分を占めていたのだった。

 

 

 

 

 

 穂群原学園の春休みは、部活動の生徒達の為に解放されている。

 今は陸上部や野球部のランニングの掛け声などが大きく、朝方……というには些か遅い時間という事を除いても、その元気さには感心するしかない。

 どう足掻いても、私はあそこまで大きな声は出せそうにないから。

 時々、”女のいかーりかー、女の怒ぁりかぁ、穂群ンのンくろひょうおぅおお♪”とどこぞで聞いた声の胡散臭い替え歌が響き渡ってくるのは、最早名物なのだろう、主に陸上部の。

 よくも走りながら熱唱できるものだと思いつつ、私は私の用事を済ませに、その足を職員室へと向けていた。

 後で、久しぶりに楓に構おうか、なんて考えながら。

 

 コンコンと、二回ノックすると、数秒後に職員室の扉が音もなく開く。

 目の前に、気配のない人物が、何故か実像を持って立っていた。

 一瞬背中が冷えるが、顔を上げればそれも霧散する。

 見覚えのある長身の、枯れ木の様な人物が、私の目の前に朴訥として存在していた。

 

「葛木先生、おはようございます」

 

「マーガトロイドか。

 話を聞こう、要件は何だ」

 

 分かりやすいまでの切り出し、前置きなどを考えない何時もの葛木先生だ。

 数日ぶりに聞けば懐かしいかとも思えば、別にそんな事は微塵もない。

 恐らく、この先生は死ぬ時まで、ずっとこのままなのだろう。

 そのらしさに、変わらないわね、とある種の安心感を覚える。

 ずっと変わらないというのは、奇妙でもあるけれど落ち着きをもたらすものなのだ。

 

「私の従妹が、この学校に留学してくるの。

 大丈夫、手続き自体はもう済んでるから。

 校長先生から、お話は聞いてません?」

 

「聞いている、一週間前に留学生の受け入れは職員会議で決定した事だ」

 

「そう、それは良かったわ。

 私はその書類を持ってきたの」

 

 はい、と葛木先生に封筒をポンと渡す。

 偽装でメディアが通っている事になっている学校の成績証明書と推薦状の二つ、その他の書類は既に学校側に届いている。

 これで、校長先生の決済を経れば、無事にメディアはこの学校の生徒という事になる。

 それを想像すると、ちょっとだけ笑みがこぼれそうになった。

 

「受け取った、用事は以上か?」

 

「はい」

 

 そうか、と抑揚なく呟いた葛木先生に、そういえばと一つだけ質問をする。

 特に意味のない、単なる願望を込めた言葉。

 

「転校してくる娘なのですが、私と同じクラスには出来ませんか?」

 

「それは私が決めることではない。

 校長、もしくは職員会議で決定する事だ」

 

 案の定、答えは予想していたもの。

 聞くまでもない、けれど反射的に聞いてしまっていた事柄。

 そうね、詮無いことね、と確かに思う。

 けれど、それでも私の口は勝手に動いていた。

 

「できたら、あの娘の事を気に掛けてあげてくれませんか?」

 

 葛木先生と視線が交わる。

 色が見えない、枯れ果てた穴。

 何も見えず、暗いとさえ感じるそれは、日常に居るごく普通の人間の目。

 ただ、揺らぎのないそれは、少しだけ落ち着きをもたらしてくれる。

 怖いと感じる時もあるだろうけれど、今はそうは感じない。

 味方であって欲しいからと考えているからか、葛木先生の落ち着きのお陰かは分からない。

 ただ、先生の……、

 

「分かった、覚えておこう」

 

 この言葉だけで、やはり安堵に胸を包まれたのを感じた。

 だって、葛木先生は約束を破らないだろうから。

 得体の知れない人だけど、それは無条件に信じられる。

 葛木宗一郎という人間は、そんな気配がある人なのだ。

 

「宜しくお願いします」

 

 頭を下げ、私は職員室を後にする。

 足取りは軽く、不安よりも期待が大きい。

 どうしてだろうと考えると、そこにはやはりメディアが過ぎる。

 彼女に、穏やかな日常を味あわせたい。

 そうして、自然な笑顔を浮かべるところが見てみたいのだ。

 ずっと、俯きがちにいる彼女の。

 私の期待の押し付け、けれど安らぎを彼女は得る権利があるのだから仕方がない。

 具体的には、マスターである私が保証しているのだから。

 

 不意に、私は振り返る。

 リノリウムの床が広がる廊下、グラウンドから聞こえてくる声以外に音がない無人の場所。

 それが、何故だか素敵なモノに見えた。

 

「そうね、待ってて」

 

 それだけ言い、踵を返した。

 どうやら人は感情が揺れていると、誰かに聞いて欲しいらしく独り言を言ってしまうらしい。

 私は、どうにもそれくらいに楽しみらしいのだ。

 クスリと、僅かに笑みが溢れたのを自覚した。

 

 

 

 

 

 そんな訳で用事は終わり、さて帰ろうと昇降口に。

 靴を履いたらさようなら、このまま家まで一直線、のはずだったのだけれど……。

 

「お、マガトロじゃん。

 何で学校にいるんだよ……あ、もしかして補習か!」

 

「何時もに増して無礼極まりないわね、楓」

 

 ジャージを着込んだ部活少女が、どうやら私の存在に気が付いてしまったらしい。

 何時の間にか、ひょこっと傍までやってきていた。

 休憩中だったのだろう、他の陸上部の面々も三枝さんから受け取った飲み物を飲んだり息を整えたりしている。

 

「春休みに補習なんて特別授業、楓くらいしかお世話にならないわね。

 そもそも春に補習なんて、うちの学校には無い制度だもの」

 

「うるさいやいっ、前のテストは全部30点以上だからセーフだった!

 日本史に至っては98点!」

 

「そう、氷室さんに感謝するのね」

 

「前提がおかしいだろ!

 何で氷室っちを頼った事が確定になってるんだよ!!

 そこは、楓サマはやれば出来るって褒めろよ!!!」

 

「30点で良く出来ました、ね。

 楓にしては良く出来た方なのかしら?」

 

「バカにすんな、何時もこんくらい取ってるからな!

 30点ぐらい、ちゃんと一夜漬けで何とかなる!!」

 

 無駄にしてやったりという表情をしている楓だけれど、あまりに大声過ぎたらしい。

 殆どの陸上部員が楓の方を見て、”なんだ蒔寺か”みたいな表情で顔を逸らす。

 心配するまでもなく、どうやら楓の勉学における評判は地に落ちているようだ。

 氷室さんは呆れた様な表情で、三枝さんは苦笑い気味。

 ただ、私に気が付いたのだろう。

 二人して、私と楓の下へとやってきた。

 

「珍しいな、マーガトロイド嬢」

 

「こんにちは、マーガトロイドさん。

 どうしたのかな、今日は」

 

 メガネをキラリと光らせ、探る様な表情をしている氷室さん。

 それと、フワッとした笑みで私に語りかけてくる三枝さん。

 それに楓を加えた三人の表情が、まだ休みに入って少ししか経っていないのに懐かしく感じる。

 きっと、それだけこの三人とも馴染んでいたという事なのだろう。

 

「何しに来た様に見える?」

 

 そのためか、甘える様に、ちょっとしたからかいを交えて私は応答していた。

 さて、問題ですと言った風情で。

 こうして話しているのが楽しいから。

 三人の表情を覗きながら、さてと尋ねる。

 

「え? えっと、先生に何か用事があったのかな?」

 

「そうね、間違ってはいないわ」

 

「何か、大事な用事なのかな?」

 

「えぇ、とっても」

 

 三枝さんは真剣に考えてくれているみたいで、呟きながら整理をしている。

 一方、楓はバカ真面目……などというと些か語弊があるが、お馬鹿な考えを真面目に推論しているらしい。

 ”先生、大事な用事……ッハ!? もしかして、凶悪すぎて遂に退学に”などと小声でほざいている。

 私が凶暴すぎて退学処分にされるなら、楓は保健所送りにされていてもおかしくないだろうに。

 

「ふむ」

 

 そんな中で、氷室さんがメガネを光らせていた。

 もしや、と一言漏らしたのは、一体何に行き着いたからか。

 気になって氷室さんに注視していると、彼女は唐突にこんな事を言い始めた。

 

「転校、というより祖国に帰る……などという事はあるまいな?」

 

 氷室さんの急な問い掛けに、思わず意表を突かれてすぐに答えを返し損ねる。

 そのせいか、他の二人も驚いた様に私に顔を向けていて。

 

「……違うわよ、全く逆だから安心なさい」

 

 だからか、私がそう答えた瞬間に目の前の二人は揃って脱力したのだった。

 安心したというより、緊張が溶けたといった感じで。

 

「びっくりさせるなよ氷室っち!」

 

「そうだよ、鐘ちゃん。

 折角仲良くなったのにって、悲しくなっちゃいそうだったんだから」

 

「マーガトロイド嬢があまりに思わせぶりだったからな、少しからかってみたくなっただけだ。

 それに、機嫌が良いみたい故、そんな話ではないと分かっていた」

 

 他意はない、悪かったと氷室さんは素直に謝っていた。

 単に、私の虚をつきたかっただけなのか。

 全く、氷室さんと話すのは楽しいけれど、油断も隙も作れない。

 何日か会ってないだけなのに、見事にからかわれてしまったのは悔しい。

 ジトっとした目で氷室さんを見ると、口元を緩めてニヤリと笑う。

 白の頬が僅かに上気しているのは、先程まで走っていた為か。

 

「そんなに意地が悪いと、将来は灰かぶりな女の子を虐める様になるわね」

 

「やられっぱなしで居るタチではあるまい。

 それとも、今からサンドリヨンを自称するかな?」

 

「自分で言い始めたら、それこそシンデレラじゃなくなるわ。

 彼女は夢見がちだけれど、内気な女の子だもの」

 

「それに、シンデレラは柄ではない、か?」

 

「そうね、まだ楓の方が似合うでしょう」

 

「ほぅ、由紀香ではなく?」

 

「そっちの方がコミカルでしょう?

 三枝さんは似合いすぎてて、重ね過ぎてしまいそうだわ」

 

 氷室さんと一緒に二人の方へ視線をやると、揃ってキョトンとした顔をする。

 特に楓なんて”何話してんの、こいつら”とでも言わんばかりの顔をしていた。

 成程、これはこれで可愛げね、なんて思ったのはさっきまで二人のシンデレラを想像していたからか。

 

「楓がシンデレラなら、きっと剽軽者で苛められそうにないって話をしてたのよ」

 

「あ”? 誰が苛められるどころか姉共をイジメ返すシンデレラだって!」

 

「そこまでは言ってないわよ、そこまでは」

 

 芸風が藤村先生に似てきたな、と氷室さんがボヤくと、楓は一瞬嬉しそうな顔をしてから、微妙そうな表情をした。

 よくよく考えると、微塵も嬉しくない事に気が付いたのだろう。

 そもそも、そこまで行くとシンデレラでもなんでもなくなっている。

 楓は楓にしかなれないというと格好もつくけど、単に灰汁が強すぎるだけの話か。

 

「そ、れ、に!

 私には元々、穂群の黒豹の異名があるんだよぉ!

 シンデレラよりも、そっちで呼べよな」

 

「誰もシンデレラなんて、一欠片たりとも思ってないから、安心なさい」

 

「あ”?

 なんでだよーっ!」

 

 それはそれで許せない乙女心があったのか。

 ムカツクーッ、とプリプリしている楓は、何だかちょっと可愛かった。

 本人には本人にしかない可愛さがある、楓はその分かりやすい例なのだろう。

 

「ところで、その異名は自称でしか聞いた事がないけれど、広まってるの?」

 

「いや、誰も呼んでない、第二の藤村先生を作りたくないのだろう。

 こういう渾名は、言霊となって災禍を呼び寄せるとは寺の子の言だったか」

 

 なんで藤村先生がとも思ったけれど、そう言えば渾名というか異名が冬木の虎らしい。

 確かに、藤村先生は意味もなく虎っぽく感じる時がある……楓も黒豹みたいになられては適わないということなのか。

 

「でも、もう半ば手遅れよ?」

 

「そうだろうな。

 だが、だからと言ってわざわざ呼ぶ理由もない。

 ”あれが冬木の黒豹だ”などと囁かれるよりも、”アレが蒔寺楓だぞ、やべぇ”と引き腰気味に噂されるのが殆どだ。

 蒔の字の存在自体が意味を持ってしまったからな、もう誰も呼ぶまいよ」

 

「そう、正に楓ね」

 

 そっと楓から目を逸らして、今後もその名を轟かせるであろう事に思いを馳せる。

 きっと、良い意味合いでも、悪い意味合いでも、その存在感は変わらないモノがあるだろう。

 楓はもう、存在感だけなら藤村先生と同じなのだ。

 

「ところでマーガトロイド嬢、一つ良いかな?」

 

「何かしら?」

 

 そんな楓のことは横に置き、氷室さんの眼鏡が若干怪しくきらめいていた。

 アレは、推理を楽しんでいる氷室さんに、時々見かける怪しい現象。

 一体何をと考えれば、たどり着くのは必然的に一つの答えのみ。

 

「確か、地元に帰るのかと問うた時、全くの逆と答えたな」

 

「そうね」

 

「ならば、その逆とは何か。

 わざわざその様な表現をするのは、どういうニュアンスがあったのか。

 それを考えれば、自ずと答えは出てくるだろう」

 

 氷室さんは、自信を持って告げる。

 私がつい、口から零してしまった言葉の分析を。

 

「誰か、君の知人が来るのだろう?

 日本に、というよりもこの冬木に。

 それも、親しい誰かがだ」

 

 ……点数をつけるなら、100点中90点。

 大よそ、これといって瑕疵のない推測だから。

 と、そんな事よりも、だ。

 私が、そんなに浮かれていた事の方に驚いてしまう。

 色々と複雑で、言い表しづらいけれど、メディアに抱いている感情は、大きい事に間違いはない。

 ただ、それを見透かされた気がして、何とも言えない気持ちになるのはどうしてか。

 

「えぇ、その通りよ」

 

 ただ、その言葉だけを返すと、氷室さんは”やはりな”と呟いて、メガネをクイッと上げた。

 ちょっと気持ち良さげなのが、何とも憎らしい。

 ただ、それだけで済まなかったのが、残った二人だ。

 いや、正確には黒いの一匹と称しても良いかもしれない。

 

「マガトロの親しい人って事は、つまりは友達って事だろ?

 いやぁ、お前向こうで友達居たんだな。

 絶対ぼっちだと思ってた」

 

「死ぬほど失礼ね。

 あと、それは自分が変態だと自己申告してる事になるわ」

 

「変態とは穏やかではないな、せめて変人辺りにしておくと良い。

 でなければ、由紀香にも流れ弾が飛ぶ」

 

「然も自分は違うって顔をするな!

 てか、お前が一番変態だ!」

 

「二人共、ちょっと落ち着いて、ね。

 もう、みんな二人がちょっと変わってるのは知ってるよ。

 それより、マーガトロイドさん、来るのってどんな人かな?」

 

 三枝さんが、地味に辛辣な評を二人に突きつけつつ、好奇心の顔を覗かせながらそんな質問をする。

 歓迎会とか必要ですか、と笑顔でいう彼女は、どこまでも眩しい。

 そんな彼女に私は心を穏やかにされながら、口調も柔らかに答えた。

 

「そうね、恥ずかしがり屋だから、距離を詰められすぎると逃げちゃうかもしれないわ。

 だから、少しずつ、仲良くしてあげてね。

 この学校に、転校してくるから」

 

 最後の言葉は、三枝さんにだけ聞こえる様に囁いて。

 驚いた顔をした後に、日だまりの様な笑顔で、返事をしてくれた彼女は、本当に頼もしかった。

 他の二人に教えないのは、ちょっとした意趣返しだ。

 単純に、当日に驚かしてやりたいという、悪戯心ともいう。

 

「それじゃあ、そろそろ帰るわ。

 午後からも部活があるのよね、早くお弁当を食べてしまいなさい」

 

「げ、あと二十分しかない!

 由紀香、食えるか?」

 

「私は大丈夫だけど、鐘ちゃんは?」

 

「……まぁ、半分ならばな」

 

 それ以上は、腹痛に悩まされる、とやむを得ない感じに呟く氷室さんに溜飲を下げながら、私はその場を後にする。

 ”なら、残りをよこせーっ”と食い意地を張っている楓はお腹を壊せば良いのだ。

 この騒がしさなら、寂しい思いはさせないか、なんて思いながら。

 

 

 

 

 

「ただいま」

 

 あれから真っ直ぐ、そのまま家に帰って来た。

 けれど、辺りは静寂に包まれていて、返事は一切ない。

 恐らく、凛は寝ているのか、研究の続きをしているのか。

 そのどちらかだろうが、今手を離せないのは確かだろう。

 でも、そうだとしたらメディアは、一体どこにいるのか。

 そのまま彼女を探していると、どこからか何か匂いがした。

 不快なものではなくて、どちらかといえばお腹をくすぐる様な暖かな匂いが。

 誘われる様に私が足を進めると、そこはキッチンで。

 新しく買ってあげたエプロンをしたメディアが、楽しげに鍋を混ぜていた。

 

「焦げないように、焦げないように♪

 煮崩れしないで、ゆっくり混ぜて♪」

 

 即興で思いついたであろう、可愛い事を口ずさみながらメディアは市販で買えるシチューの素を投下する。

 メディアの手元には、一冊の本が。

 あれは確か、私が気紛れで買った、簡単に作れる日本食レシピ攻略ガイド! と題されたレシピ本。

 衛宮くんの家で食べたご飯を思い出して、つい買ってしまった物だ。

 あまり読まずに、そのまま積んでしまっていた筈の。

 

 多分、暇に飽かして本を読んでいて、その一冊がアレだったのだろう。

 やや大きめの鍋だから、自分以外のご飯も作っている。

 その姿を見ていると、どこかホッとした私がいた。

 彼女の後ろ姿が、近くに思えて。

 儚さよりも、身近さの方が感じ取れるから。

 

「メディア」

 

「あ、アリスちゃん、おかえりなさい」

 

 メディアはこちらに振り向き、笑顔で私を迎えた。

 楚々とした笑みが、どうしてだか少し女の子を感じさせる。

 もしかすると、彼女が身に着けている白のエプロンのお陰か。

 ”汚れた分だけ私が頑張った証になりますから”と言って、本当に何も描かれていない真っ新なエプロン。

 その無垢さの中に、シチューの匂いと柔らかな笑みが加わると、不思議と幼妻を目の前にしているという感覚があった。

 誰かの奥さんなんて域を超えて、そう言う概念を詰め込んだかの様な。

 

「ただいま、今日はシチューなのね」

 

「はい、今度こそ美味しく作れてたら良いですけど」

 

「大丈夫よ、市販の物は大体がそれなりの味に収まるもの」

 

「むぅ、それはそれで面白くないです」

 

「メディアがご飯を作ってくれてる事自体、私にとって嬉しいわ」

 

「お母様じゃないんですから……。

 私はアリスちゃんに、美味しいご飯で喜んで欲しいです」

 

「なら、焦がさないように鍋から目を離しては駄目よ。

 ほら、混ぜる作業に戻って」

 

「あっ、焦げたら困ります!

 アリスちゃんに美味しいご飯を食べさせてあげたいのに!」

 

 プリプリ怒りながら、メディアは再び鍋に向き合った。

 既に火を通すだけの作業のため、レシピ本はテーブルに置いている。

 私は一生懸命に鍋と睨めっこしているメディアを、穏やかな気分で眺めていた。

 何となくだけれど、こうしてメディアの背中を眺めていたいと感じて。

 席について、ジッとその背中を見つめる。

 

 頑張っているその姿を見ていると、つい頭を撫でたくなるのはきっと私の悪い癖。

 可愛い子には旅をさせず、猫可愛がりしてしまう。

 正直、客観視すると鬱陶しいと思うレベルで。

 ……まぁ、微塵も私のスタイルを変えるつもりはないけれど。

 そこが、ネコさんに釘を刺される要因か。

 

「出来ました!」

 

 コトコト煮ること数分、メディアが喜びの声を上げる。

 フンフンと嬉しそうに、お皿にシチューを盛っていくメディアは、私の方を見てにっこり。

 

「アリスちゃんに美味しいって言って欲しくて、作ったんです」

 

「それは食べてから判断するわ。

 ……ありがとう、メディア」

 

「はい、凛さんも呼んできますね!」

 

 タッタッタとキッチンから駆けていくメディアを見送り、他にも用意されていたパンの香りに頬が綻ぶ。

 鍋を掻き混ぜる料理なら、とメディアは言っていたけれど、確かに卒なくこなしていた。

 でも、初めて作る料理だから、不安がないといえば嘘になるだろう。

 そもそも、食材が過多になっている現代の料理は、メディアにとっても複雑に感じる筈。

 だから、本当に食べてみるまでどんな味になっているのかわからない。

 それが、ちょっと楽しみで。

 

「アリスちゃん、凛さんに廊下に置いておいて後で食べるからって言われました」

 

「サランラップをして言う通りにしておきなさい。

 どうせ、研究が一段落するまで出てこないわ」

 

「分かりました、ちょっと待っててくださいね」

 

 一回戻ってきたメディアが、直ぐに引き返す。

 その表情は、ちょっと残念そうだった。

 凛が食べた時の反応も、気になっていたのだろう。

 何だかんだでメディアは、凛にも少し距離はあるが、恩は感じているのだ。

 

「はい、今度こそ戻りました」

 

「じゃあ、頂きましょうか」

 

「はい、アリスちゃんどうぞ」

 

 椅子に座ったメディアは、スプーンを持たずに私をジッと見ている。

 恐らく、どんな感じで私が食べるのかを見ていたいのだ。

 さっきとは立場が逆、更に言えばこうして意識していると中々に気にしてしまう。

 でも、だからと言って、気になっているものはどうしようもない。

 なので、私はスプーンを握って、そのままドロリとした液体を口に運ぶ。

 ……まず、最初に感じたのは甘い舌触りの様なもの。

 日本のシチューのルゥ特有の、濃い味が舌を覆って、私は微笑んだ。

 

「美味しいわ、メディア」

 

「本当ですか?」

 

「えぇ、もう少し自信を持って良いのよ」

 

 玉ねぎやじゃがいも等は少し煮崩れているけれど、ホカホカしてて本当に美味しい。

 温かい具材を、シチューのソースが柔らかく包んでいて、食べていて本当に落ち着く。

 メディアが作ってくれたから、というのも過分にあるのかもしれないけど。

 

「冷めない内に、メディアも食べてしまいなさい」

 

「……はい」

 

 返事をしつつも、メディアの目は私から離れない。

 私が食べ終わるまで、本当に目を離すつもりはないのだろう。

 仕方ない、と私はスプーンを掬う速度を上げる。

 美味しいと感じつつも、この時間がちょっとだけ惜しかった。

 

「ごちそうさま」

 

「はい、どういたしまして」

 

 でも、何だかんだで直ぐに片付いてしまった。

 その間にメディアは2、3口食べただけだったけれど、殆どは私を見ていてニコニコしているだけで。

 それに対して、私も気が付いたら、席を立ってメディアの頭を撫でていた。

 いじらしい姿が可愛すぎたのだから、もう仕方ないと開き直って。

 

「また、そういう事をしてくる」

 

「嫌?」

 

「……嫌じゃないです」

 

「正直ね」

 

 本当に仕方のない娘ね、とブーメランで帰ってきそうな事を思いつつ、私はメディアの頭を撫で続けて。

 そして、ふと思い出したかの様に、メディアに言ったのだ。

 

「メディア、私が学校に行っている間、ずっと一人ぼっちになっちゃうわね」

 

「大丈夫です、ちゃんと待ってられます」

 

「えぇ、そうね。

 でも、私はそれが嫌。

 だからね、考えて決めたの。

 メディアにも学校に行ってもらおうって」

 

「…………え?」

 

 嬉しそうな顔から一転、びっくりした顔をしたメディアに、私は畳み掛ける様に続ける。

 

「大丈夫よ、きっとメディアには穂群原の制服も似合うはずだから」

 

 新しい服をプレゼントする感覚で、私はそう告げて。

 メディアの目は、やはりまん丸に固まったままだった。




今年は本当に更新が少なく、すみませんでした。
来年、来年こそは……。
あ、それから、ないかもしれませんが、一応番外編みたいな感じで何か書いてみようと思ってます(リハビリがてらに)。
多分、時系列とか関係なく、不思議時空でのお話になるかもです(書ければ、なのですが)。


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第46話 春風に誘われて

皆様、お久しぶりです。
前回の投稿が去年の大晦日、そして今はこんにちは8月。
……どうにも、気分は浦島太郎です(遠い目)。


 ヒラヒラと、ユラユラと。

 花弁が風に乗り、色鮮やかに舞っている。

 強い風が私の髪を靡かせ、薄いピンク色がくっついていた。

 花が散るのは儚いなんて形容されるけれど、それさえ生命力を感じるのは暖かさが駆け抜けて行ったからか。

 

「春、ね」

 

「春です」

 

 私の隣で、メディアが微笑む。

 通学路、公園の桜並木の近くにて。

 私は強く、春を自覚していた。

 暖かな風も、桜の花弁もそうだけれど、それよりも……。

 

「折角の新しい制服が花弁塗れね」

 

「麗らの証拠ですけど、ちょっとだらしないです」

 

 パッパと花弁をはたいているメディア、その彼女の服は制服で。

 今日は新学期の初日、穂村原の制服がチラホラと行き交っている。

 その中で時折視線を感じるのは、制服を着た外国人が一人から二人に増えたからだろう。

 

「綺麗な光景、です。

 連なっている木々が花を咲かせて、皆に春を知らせている。

 きっと、妖精の代わりなんですね!」

 

「春の花は、きっとアーモンドの方が有名でしょう。

 けど、この国では、満開に咲き誇る桜の声が聞こえるのね」

 

 だけど、メディアはそんな視線には微塵も気がつかずに、頭上の桜に夢中な様で。

 芽が出ていた頃から気にしていたので、きっと待ち遠しかったのだろう。

 私も、去年に似た事を思った覚えがあるので、少し懐かしく思ってしまう。

 メディアの様子が微笑ましくて、私はメディアの任せるままにその様子を眺めている。

 あなた自身が妖精みたい、なんて思ってしまうのは私の贔屓目なのだろうか?

 いや、誰だって今の彼女を見れば、そう思うはずなのだ。

 恐らくは、思わずといった風にこちらを見ている人達も。

 

「さぁ、行きましょう、メディア」

 

 花舞う風に背を押され、ユルりと私は歩いていく。

 きっと、何もかもがメディアを歓迎してくれているわよ、と彼女の耳に語りかけながら。

 そして、そうして……。

 

 

 

「桜が学校を覆って、雲隠れしないでしょうか……」

 

「もう目の前にあるでしょう」

 

 後は校門に入るだけ、というところで、メディアが急にぐずり始めた。

 嫌ですというよりは、困りましたといった顔。

 沢山の人集りが出来ているのが、その要因か。

 

「見られてませんか?」

 

「メディアが可愛いからよ」

 

「可愛くなんて……ないです」

 

 意地悪を言わないでとニュアンスを含んで、拗ねた風に呟く。

 厳然たる事実なだけだけれど、それでもこの視線がメディアにとっては毒らしい。

 メディアを惑わしてくれていた桜並木の幻影はもう無くて、ただありのままに視線が刺さる。

 メディアは私を盾にして、その幾つもの視線から逃れる。

 その様子はまるで小動物そのもので、それを見た一部の生徒(恐らくは同じ学年の2年生から)から囁き声が複数聞こえた。

 

 

 ――可愛い

 

 ――キツイ性格じゃなさそう

 

 ――どっかのパツキンは鬼だったからな

 

 ――間桐が公開処刑されたんだっけ?

 

 ――悲しい……事件だったね……

 

 

 周りの囁きの中に、どうにも幾つか私に思うところがある人がいるらしい。

 死ぬほど余計なお世話な上に、アレは自業自得だ。

 メディアに、あの時の間桐くんと同じチョッカイを掛けようものなら……いや、過保護になりすぎるのも良くないだろう。

 メディアは意外に一刀両断は得意で、断るくらいは自分で出来る、筈だから。

 まぁ、それはさて置き。

 今出来る事をやらなければ、そう思ってメディアの手を引く。

 

「どのクラスか見に行きましょう。

 ここにいても、余計に目立つだけよ」

 

「……はい、アリスちゃん」

 

 私達は校門を離れ、2年のクラスが掲示されている所に足を運ぶ。

 特別人数が多いわけでもない学校が、今ばかりはマンモス校だったのかと思える位の人集り。

 目にするメディアは少し困った顔で、それを眺めていて。

 怖い、というよりは、直ぐにここから立ち去りたいと思ってるのだろう。

 ただ、そういうことならば、今回は助かったと言えよう。

 何故なら、私達の名前は嫌でも目立つ長いカタカナ表記だったのだから。

 

 

 アリス・マーガトロイド

 ……

 ……

 ……

 メディア・マーガトロイド

 

 

 なんて堂々と表記がされている。

 ”あ”から始まる私の名前は、堂々と頂上に輝いていて、直ぐに見つけることが出来た。

 故に、メディアが同じクラスである事も確認でき、少しホッとする。

 他にも、知ってる名前が散見してて、思わず笑ってしまいそうになる。

 ただ、私を知っている人には、思わず二度見してしまうくらいに、マーガトロイドという苗字のパワーがそこにはあったのだろう。

 お陰で、メディアにまたも視線がチラチラと集中し始めていて。

 

「行きましょう、メディア」

 

 また声を掛けた時に答えはなくて、メディアはただ、手を強めに握り返したのだった。

 

 

 

 

 

 そうして、向かった場所は職員室。

 最初は先生経由で、皆に挨拶が為されるようだから。

 少しの間だけ、ここでお別れとなる。

 

「幸いな事に同じクラスよ。

 自己紹介の時、困ったら私の方を見て喋りなさい。

 少しくらい、気は紛れるから」

 

「……分かりました」

 

 いつも以上に口数が少なく、起伏のない声で返事が返ってくる。

 緊張と困惑がブレンドして、さて困ったとなっているところか。

 

「大丈夫、自分の名前と私の親戚だって言えればそれで合格よ」

 

「分かってますけど、なんだか場違いな気がして」

 

「そうね、分かるわ。

 でも、家でジッとしているより、目に見える場所にいてくれた方が安心するの」

 

「そう、ですか?」

 

「えぇ、誰も貴女が居ちゃいけないとも思ってない。

 だから安心して、色々やってみなさい」

 

 学校は勉強するところですけどね、と少し笑って。

 また後でと言葉を交わし、私はその場を後にする。

 幸いな事に、今回の担任は葛木先生だ。

 怖いと感じている生徒は多いみたいだけれど、メディアにとっては静かで許容できる先生だろう。

 でも、今回はかしまし三人娘ともクラスが別で、そればかりは残念だった。

 まぁ、休み時間に会いに行けば良いだけの事なので、問題ではないのだけど。

 

 そんな事をつらつらと考えながら、私は扉を引く。

 新しい教室、2年からのホームグラウンドへと一歩を踏み出し……そうして気がつく。

 

「凛以外に友達がいないじゃない」

 

「なにか?」

 

 ボソリと呟いた一言を耳聡く聞きつけたのだろう。

 後ろの窓際の席で外を眺めていた凛が、僅かに目を細めて私の方へと振り向いた。

 流石に教室では猫かぶりモードで、いきなり毒を吐いたりはしなかったけれど。

 

「別に、自分の交友関係の狭さに辟易としてただけよ」

 

「そう、でもそういうものです」

 

「そうね、貴女も似たりよったりだものね」

 

 そう言うと、一瞬だけお前と一緒にするなと言わんばかりの嫌そうな顔をしていた。

 実に失礼極まりないが、向こうも同じことを思ってそうだ。

 まずマーガトロイドさんは、と学校用の猫を被りながら凛は話を続ける。

 

「外国人で、ツンとしているから、みんな近づきづらいんです。

 もうちょっと、みんなに優しくしてあげたらどうです?」

 

「比較的に優しいわよ、直ぐに逃げられるけど」

 

「立派な人望ですね、日頃の行いがよく表れてます」

 

「……胡散臭い敬語ね」

 

 分かりやすく問題児と詰られ、思わず逃れる様に言葉が漏れた。

 学校での凛は本当に優等生で、言い返せるところがなかったから。

 ただ、私にとっては苦し紛れの一言だけど、凛にとってはシンプルに罵倒だったのだろう。

 こめかみがピクリと動き、笑顔の輝きが少し増していた。

 

「ちょっとお話がしたいのだけど、屋上に来れる?」

 

 意訳、面を貸せワレ。

 ついて行ったら最後、哀れな変死体として発見される可能性がある。

 凛はやるときはやる女で、半殺し程度なら許されると思ってるのだから。

 

「もうすぐチャイムが鳴るわ。

 新学期のホームルームからいないというのは、如何にも不良よ。

 ……言い過ぎだったわね、ごめんなさい」

 

「貸し一つですね」

 

 そう言った凛は、しめたと言わんばかりの悪い顔。

 お金が増えた預金通帳を見つめる凛の横顔に、少し似ていた。

 ……皆に、その顔を見られてしまえばいいのに(特に楓辺りに)。

 

「追々ね」

 

「利息は十一で」

 

「返しきれそうになかったら、自己破産するわ」

 

「その前に取り立てるから安心して」

 

 遠坂金融、全くもって高利貸し過ぎる。

 その内に摘発されてしまうくらいに、とっても邪悪な取り立て屋でもある。

 尤も、私は既に負債塗れで、凛の一言でイエスマンになりかねないレベルだけれど。

 

「覚えていたらね」

 

「覚えておいてね」

 

 圧を掛けられているのに気が付かないフリをし、私は近くの席に座った。

 因みに名前順ではなくて、皆がそれぞれ好きに席を選んでいる。

 先生が来て、何か指示をするまではそれで良い様だ。

 

 そして、タイミングを見計らったかの様に、チャイムは鳴る。

 皆がそれぞれ席に座り……何故か、私の隣には誰も座っていなかった。

 別に問題はないのだけれど、何とも言えないのは何故なのか。

 凛を少し見遣ると、軽くであるが隣に座った女子と会話をしている。

 騙されないで、化け猫か妖魔の類よとその子に思念を送っても、もちろん気付かれることはない。

 凛に化かされているその子は、楽しげだったのが唯一の救いだけれど。

 

 ガラガラと、突然扉が開く。

 どうやら、今年の担任が姿を現す。

 静かな、影のみたいな人。

 のっぺらぼうだから余計にそう思うのだけれど、彼はそれが普通なのだろう。

 皆の背筋が伸びた事が、緊張が走った事で分かる。

 

「葛木宗一郎だ、一年間君達の担任を務める」

 

 彼の自己紹介はそれだけで、多くの生徒の目が点になる中、それから転校生を紹介するとそのまま彼は廊下に呼びかけた。

 

「来なさい」

 

 そう呼ばれて、一瞬扉を開くのを躊躇した気配が伝わってくる。

 扉に手に掛けたけど、迷いがあるのだろう。

 まぁ、嫌でも注目されるのだから、仕方ない事だろうけれど。

 

「くしゅん」

 

 音がしなかった教室の中で、くしゃみっぽい音が響いた。

 ……私がした、くしゃみっぽい何かである。

 

「花粉かしら?」

 

 そう言うと、幾らかの注目が私に集まった。

 小さな声で、アイツもくしゃみをするのかと呟いた狼藉者もいた様だ。

 誰なのかは分からないけれど、縁があったら厄払いをしてない流し雛を一つばかりプレゼントしてあげても良いかもしれない。

 そんな事を思っていると、意を決したのか扉がやっと開いた。

 教室に足を踏み入れたのは無論、私の親戚、という事になっている彼女の姿。

 教室を見回していた彼女の視線が、一瞬私に留まったのは間違いない。

 緊張の糸を引いていて、恥ずかしそうなのはご愛嬌である。

 

「自己紹介を」

 

「はい……メディア・マーガトロイドと申します」

 

 その名前を聞いて、思わず私の方に振り向いたのは何人いたか。

 私が意識してニッコリと笑えば、恐ろしいものを見たかの様に振り向いた全員が顔を背けた。

 心のメモ帳に全員分の名前を記載しつつ、私はメディアを見守る。

 大丈夫よ、メディアならと思いながら。

 

「そちらに居るアリス・マーガトロイドさんの親戚です。

 今日からご縁があって、穂群原学園に通わせて頂く事になりました。

 ……よろしくお願いします」

 

 小さく頭を下げたメディアに、パチパチパチと拍手が鳴る。

 私と、ついでに凛だ。

 もう終わりかという顔をしていた人も、私達に釣られるように拍手をする。

 決して万雷の喝采みたいなものではないが、疎らなそれは今のメディアをホッとさせるには十分だったのだろう。

 安心して、席に座れとの先生のお達しに従いこちらに歩いてきた。

 何故なら、私の隣は空席だから。

 

「お疲れ様」

 

「いえ、緊張しただけです。

 でも、もう少し笑顔でも良かったかもしれません」

 

「笑えるの?」

 

「最近、笑顔の作り方を思い出してきましたから」

 

「愛想が良いのね」

 

「アリスちゃんよりかは、良いかもです」

 

 小さな声で、こそこそとお喋りをする。

 緊張の糸が解れたからか、ちょっとだけメディアは饒舌で。

 この分なら、クラスに溶け込むのも案外直ぐかもしれないと思えた。

 ……尤も、ここまで調子良く皆の前で喋れるならと但し書きは付くけれど。

 

 

「静粛に。

 では、各々自己紹介を」

 

 葛木先生が告げると、ザワめきは波の様に引いていく。

 この先生の独特な気配が、有無を言わせないのかもしれない。

 そうして、前から順の自己紹介が始まった。

 新鮮だけれども懐かしい光景、一年前にも見た光景。

 ただ、このクラスでは担任が滑っても助け舟を出してくれないので、ひどく真面目な自己紹介が殆どになるだろう。

 ここに後藤くん辺りが居れば、壮大に滑って勇者と呼ばれるのかもしれない。

 

「遠坂凛です。

 去年同じクラスだった人も、今年から一緒の人も、よろしくお願いね。

 家の用事が忙しくて部活動には入っていません。

 放課後は遊べないけど、学校では話しかけてくれたら嬉しいです」

 

 凛はソツのない挨拶を、面白みもなくスラスラと述べていく。

 ただ、如何にも優等生な顔を見た者は、いたく感心した風に流石は遠坂さんなんて呟いている人もいて。

 独りでに、勝手に高嶺の花へと押しやり、遠坂凛を見守る会でも発足させかねない勢いだ。

 本当はラフレシアだと気付く人は、今年は何人居るだろう。

 

「アリス・マーガトロイド。

 趣味は人形劇、特技は裁縫、以上よ」

 

 幾つか順番を挟み、今度は私の番。

 代わり映えしない挨拶をし、去年より一言だけ多く添えて私は席に着席する。

 そういうところなんだよなぁ、マーガトロイド、と聞こえてくるのは良くも悪くも皆が私に慣れてしまったからか。

 去年は”え? それだけ?”なんて空気に包まれていたが、今年はハイハイと言わんばかりの空気が漂っている。

 1年も一緒だと、あまり交流がなくてもどういう人物かというのは皆感じ取れるものらしい。

 

「メディア・マーガトロイド、です。

 その、よろしくお願いします」

 

 喋りたいこと、というよりは語りたい内容がないのだろう。

 2回目の自己紹介であったのもあり、それだけ言うとメディアは座ろうとして。

 一言だけ、漏らすように言った。

 

「あの、頑張ります!」

 

 それは、今の自身に向けていった言葉なのだろう。

 逃げ出さない様に、踏み止まるための楔の言葉。

 多分、ここに連れてきた私を思っての。

 少し無理をさせているかと思ったけれど、でもメディアは頑張りますと言った時、俯いてはいなかった。

 だから、まだ大丈夫。

 ここまでお膳立てをしておいて、直ぐに猫可愛がりをする様では、一体何をしたいのか分からない。

 

 まずは、メディアが居て良いと思える場所を増やそう。

 寂しさを感じても、俯かずに前を向いていられる場所を。

 駆け寄るのは、転けそうになった時。

 獅子は我が子を崖に突き落とすというけれど、この学校は崖よりも傾らかで登りやすい場所なのだから。

 

 ”健気だ””かわいい””これは……トキメキ!”なんんて囁き声が小さく聞こえる。

 静かな教室なだけあって、小声であっても聞こえてきてしまうのだけれど、決してそれは悪いニュアンスのものではなくて。

 メディアの方を覗き見ると、彼女もまたこちらを見ていて。

 視線が交わると、照れていたのだろう。

 頬が、ほんのりと赤かった。

 

 

 

 

 

 それから、順調に自己紹介が終わり、今日は大した連絡も無くてホームルームだけで終了した。

 先生からは、次回からは名前順で、というお達しくらいが連絡と言える連絡だ。

 授業は次回からという事で、既に各々が自分の思うままに過ごしている。

 

「遠坂さん、カラオケ一緒に行かない?」

 

「ごめんなさいね、帰ってやらなきゃいけない事があるから」

 

「今日もダメなんだ」

 

「えぇ、そうなの。

 でも、誘ってくれてありがとね」

 

 凛は当たり障りなく受け答えをして、スラリと教室から居なくなっていた。

 相も変わらずの逃げ足である。

 本人の言うところでは颯爽と、という事らしいけれど。

 

「他には……」

 

 さっき凛を誘っていた娘が辺りを見回して、私……というよりも、隣に居るメディアに目を付けたのだろう。

 どうしようかと、躊躇する様に視線を彷徨わせていた。

 

「メディア、帰るわよ」

 

「はい、アリスちゃん」

 

 立ち上がって、二人でそのまま教室を後にする。

 さっきの娘には悪いけれど、まだメディアも本調子ではない。

 声を掛けられても困るだけだろうから、私が決断してしまった方が良い。

 小さく、あっ、と後ろから声がしたけれど、私は聞こえない振りをして、そのままその場を立ち去る。

 今はその親切が、彼女にとっては毒だから。

 困っている時に、その優しさを分けてあげて欲しい。

 トコトコと隣に付いてくるメディアを横目に、頑張ったから今日は帰りにはどこかに寄って行っても良いかも、なんて考えていた。

 

 

 

 

 

 そうして、私達は帰宅しようと校門を出たところで。

 ふと、誰かが私の名前を呼んだ。

 アリス先輩と、思えば久しぶりだと感じる声。

 あまり大きな声ではなかったけれど、それでも私の耳にはハッキリと聞こえた。

 振り返れば、そこにはやはり、今年から名実共に先輩後輩となった彼女の姿が。

 

「桜、久しぶりね」

 

「はい、お久しぶりです」

 

 微笑んでいる彼女は、とても春が似合う少女だった。

 柔らかくて嫋やかだから、自然とそう思ってしまうのかもしれない。

 

「本当は少し顔を見せられたらと思ってたけれど、色々とやりたい事が多くてね。

 同じ学校なら、これから気軽に声が掛けられそうね」

 

 放課後に寄り道も出来そうだしと言うと、程々にですけどね、と笑顔で釘を刺される。

 大方、あまり帰りが遅くなって、衛宮くんに心配を掛けたくないのだろう。

 いじらしくも、去年の内に少し強かになった。

 こうなればいっその事、衛宮くんの事をお尻に敷けるところまで行き着いて欲しいとも思わなくもないが、そこは本人達次第と要観察が必要であろう。

 

「ところでアリス先輩、そちらの方は……」

 

 私の影に隠れる様に姿を隠していたメディアに、桜は恐る恐るといった風に意識を向けた。

 恐らくは、あの妖怪辺りから何か聞かされているのだろう。

 警戒されているけれど、怖いとも恐ろしいとも思われていない事は幸いだった。

 

「アレから聞いた?

 説明は必要かしら?」

 

「いえ、概要は知ってます」

 

 そう返した桜の声は、少しだけ硬い。

 妖怪のいう事を1から10まで間に受けた訳ではないだろうが、それでも警戒してしまうのは魔術師として当然だろう。

 むしろ、そういうところまでノーガードで来られたら、私の方が心配してしまうのだから、その点では安心したといっても良い。

 尤も、常に重苦しくなられては困るので、少しばかり打ち解けてくれたらと思わなくもないけれど。

 

「アリスちゃん、この娘……」

 

「分かるわよね。

 えぇ、彼女も魔術師よ」

 

 メディアが、小さな声で話しかけてくる。

 その様子は、まるで初めて会った相手を隠れながら見つめる子犬の様だ。

 尤も、メディアは何かが引っかかっている様な、そんな感覚があるみたいで。

 

「……魔術回路? それとも体の方?

 何でしょう、何かがある様な……ううん、気のせい?」

 

「どうしたの、メディア」

 

「何でもない、と思います、多分」

 

 何か引っ掛かる物言いながら、私の背中からひょっこりとメディアが出てきた。

 そうして、ペコリと桜に頭を下げる。

 

「初めまして、メディア・マーガトロイドです。

 アリスちゃんの従姉妹、です。

 アリスちゃんのお友達の方ですよね、よろしくお願いします」

 

 その自己紹介を聞くと、桜は何だか変なものを見たかの様に、目をパチクリとさせる。

 従姉妹、という言葉を小さく反芻するのは、恐らくマジで? という言葉と同義語だったのだろう。

 戸惑いはそのまま声に、桜はメディアにこんな問い掛けをしていた。

 

「その、メディア・マーガトロイドって名前は、本名なんですか?」

 

「はい、アリスちゃんがくれた、大事な名前です」

 

 微笑んだメディアに、桜は何かを感じ取ったのか。

 もう一度、メディア・マーガトロイドと転がすように呟いたのだ。

 そんな、独特の空間を形成しつつあった二人に、私は声を掛ける。

 本当はもう少し見ていたかったけど、今は場所が悪かったから。

 

「桜、一緒に帰りましょう。

 校門前で何時までも喋ってるのは邪魔よ」

 

 そう声を掛けると、桜はハッとして、”そうですね”と恥ずかしそうに同意する。

 メディアもまた、周囲の視線に気が付いたのだろう。

 そそくさと、また私の後ろに隠れてしまったのだった。

 

 

 

 そうして、校門から退去し、帰り道の道すがら。

 必然的に、私達の話題はメディアの事に終始していた。

 真っ先に話題になったのは、メディアの真名について。

 

「あの、もしかしてメディアさんって、コルキスのメディア、さんでしょうか?」

 

 メディアという名前は、それこそ名が知れている。

 それこそ、遠く離れた日本にまで。

 それもあまり良い意味合いではなくて、裏切りという言葉を添えられて。

 やっぱり気になるのはそこか、とメディアの代わりに私が答える。

 

「この娘はマーガトロイドさんの家のメディアちゃん、その内に裁縫を仕込むつもりよ」

 

 少しおどけて言うと、桜は申し訳なさそうな顔で、無神経でしたとメディアに頭を下げる。

 それに対して、メディアは複雑そうな顔を浮かべながら、桜に対して自分は、と語り始めた。

 

「想像の通り、私はコルキスのメディアです。

 でも、コルキスという国は私にとって愛おしい故郷で、その出自に恥じ入るところは微塵もありません。

 だから、ありがとうございます。

 もし違う呼び方をされていたら、貴方の事を嫌いになっていたかもしれません」

 

 普段はもう少し物怖じしているメディアが、ハッキリと、それも真っ直ぐに回答をした。

 恐らくは、故郷の名前が出たからか。

 コルキスのメディア、ギリシアの果ての王女。

 その想いが、メディアの中には未だに息づいて居るのだろう。

 桜もそれを感じてか、それ以上メディアの身の上について触れる事はなかった。

 詮索しすぎると、図らずもがなメディアの触れられたくない部分にまで触れてしまうだろうから。

 

「嫌われなくて良かったです。

 アリス先輩の家の娘ですし、これからも会うと思いますし。

 ……あの、メディアさん、と呼んでも良いですか?」

 

「はい、どうぞ桜さん」

 

 メディアの返事に、ホッとした表情を浮かべる桜。

 こうして話をしている内に、メディアが話が通じる人であると感じたのか。

 さっきよりも、桜の態度が少し柔らかになっていた。

 ただ、桜は少し思い違いをしている事がある。

 少し悪戯心が擽られ、桜にあのね、と切り出していた。

 

「桜、メディアの方が年上よ」

 

「サーヴァントですからね、分かってます」

 

「違うわ、メディアは2年生。

 実は戸籍の上でも、貴方の先輩なの」

 

 そう言うと、先輩なんですか、と虚を突かれた様にメディアの顔を見る桜。

 見つめられたメディアは、さっきまでの勢いはどこへ行ったのか、私の背中にそそくさと隠れて。

 それで、桜は何かを悟ったのだろう。

 過保護ですね、と少し呆れながら私に呟いたのだ。

 恐らくは、私がメディアを近くに置いておきたくて、同学年にした事を看破している。

 悪びれずに、サーヴァントは近くに置いておくものでしょう? と言えば、そうですけどね、と苦笑される。

 そうして、メディアにまた一つ問いを投げかけたのだ。

 

「メディアさんは、先輩と呼ばれるか、さん付けで呼ばれるか、どっちが良いですか?」

 

「桜さんの、お好きな方で」

 

 そう返されると、桜はあまり悩まずに、ではメディアさんでとあっさり決めたようだ。

 珍しいと思って桜を見遣れば、ごく自然な事だというように、彼女は注釈を付けた。

 

「別に大したことじゃなくて、さん付けの方が自然に感じただけです。

 アリス先輩のサーヴァントで、この時代の人でなくて。

 単にメディアさんを、先輩と括るのが難しかっただけなんです」

 

 ……まぁ、確かに。

 他人のサーヴァントを学生と区分して、先輩と呼ぶのは些か奇妙な感があるのは確かである。

 そもそも、メディアを学校に通わせる事自体、桜……というよりも、その向こう側に居る奴らは滑稽に感じているだろう。

 

 なら、それはそれで良い。

 偏屈な老人どもが何を思って様が、今はメディアの事を第一に考えていれば。

 元々メディアを召喚した目的は、魔術の教えを請う事だったけれど……。

 それも、メディアが良いと思えた時、彼女の心の傷が和らいだ時で。

 案外、遠くない事かもしれないのだから。

 

「私も桜さんって呼びますから」

 

 メディアは事も無げに桜にそう言い、少し空を見上げた。

 そこには、時折舞っている桜の花弁。

 宙に舞うそれを手にし、メディアは少し微笑んだ。

 

「素敵な名前だと思います、桜」

 

 花の名前だけれど、それでもドキリとしたのだろう。

 まるで呼び捨てにされた様に、桜は少し顔を赤くしていた。

 

「あ、ありがとうございます。

 あの、それではこの辺りで」

 

 気がつけば、もう分岐路。

 桜は照れているのを見られるのが恥ずかしいのか、急ぎ足気味にその場を後にしていった。

 私に言われても、はいはいで済ませていたけれど、シミジミと純粋な気持ちで言われればああなるのだろう。

 舞い散る花弁を背に帰る姿は、隠れてどこかに消えてしまうのではと感じる儚さがあった。

 だからだろうか、と私はメディアに声を尋ねていた。

 

「凛相手にはもう少しそっけないのに、桜には緩いのね。

 もしかして、気に入ったの?」

 

「そんな事はないですよ」

 

 素っ気ないと感じるけれど、どこかメディアの口調は重さが伴っていて。

 無言でいると、でも、とやっぱり言葉が続いた。

 

「どこか、放っておけない気がして」

 

 モヤモヤがあるのか、メディアは消化不良気味に、遠くなる桜の背中を眺めていた。

 メディアは桜に似てると思う何かがあるのか、あるいは無意識に共感しているのか。

 分からないけれど、そう言えばと思い出す。

 時折、桜は暗い雰囲気を纏っている事を。

 それを、メディアもどこかで感じ取ったのかもしれない。

 ただ、それを祓えるのは、恐らくは私たちじゃなくて……。

 

 

「帰りましょう、メディア」

 

 そっと、メディアの手をとり、促す。

 メディアは、やんわりと手を握り返してきて、何でもないという風に頭を振りかぶり、そのまま一緒に帰路へと着いた。

 時折、顔を上げてメディアが見上げているのは、桜の花。

 妖精の囁き声が、もしかしたら間桐桜という少女と重なったのか。

 風が吹く度にフワリと舞う桜の花弁が、メディアには別のモノに見えているのかもしれない。




次回からは、流す様に季節を進めていきたいです。
まぁ、投稿が何時になるかは分からないのですが(白目)。
ちょっとずつ、書き溜めれていければなぁと思います、はい(失われていく語彙力に苦しみながら)。

7月中旬に更新すると小声で公約を出していましたが、案の定遅れてしまいました(活動報告版で)。
今度締切提示するときは、守れる様にもう少し努力します(きっと、たぶん、おそらく、めいびー)。


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第47話 複雑模様な心の雲は

皆様、明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

……去年一回しか更新してないとか、うせやろ?(震え声)


 カランコロンと音がする。

 お客様をお出迎えする、ドアベルの甲高い音。

 いらっしゃいませと、小さな、けれども彼女にとっては精一杯の声が聞こえる。

 来店したお客も、少しはそれに慣れたのか、ハイハイと気にすることなく椅子へと座って。

 注文されたお酒や料理を、間違いなく運んでいくのを見て、少しホッとする。

 

「なぁ、マーガトロイド」

 

「何かしら、衛宮くん」

 

 働く彼女、メディアに視線を向けていた私に、赤毛のバイト戦士が声を掛けてきた。

 勤務中のため、黒色のエプロンを身に纏っている彼は、何とも言えない顔をしていた。

 

「わざわざ来て見守ってるなら、助けてやっても良いんじゃないか?」

 

「別に、助けようと思って来たわけじゃないの。

 ちょっと、気になってるだけよ。

 それに、終わったら一緒に帰るもの」

 

「来てる時点で、ちょっとじゃないけどな。

 これ、注文の肉豆腐」

 

「ありがとう、貴方も同じ境遇になったらきっと世話焼きになるわよ。

 だって衛宮くんだもの」

 

「流石にお前ほどじゃないと思うけどな」

 

 そんな事を言っている衛宮くんだけれど、メディアが困った事にならない内に全部手を回してくれている。

 一家に一台、衛宮士郎とは学園での彼の風評だったか。

 そんな彼の行動故に、言葉に全く説得力が感じられなかった。

 本当に、ありがたい限りである。

 

「そうか、やり口が慎二と一緒なんだ」

 

「は?」

 

 余計な事を言いだした衛宮くんに視線をやると、そそくさと流れる様にその場を去っていった。

 間桐くんの事は嫌いではないが、同類にカテゴライズされると何故だか拒否反応が出るのは、日頃の行いというものだろう。

 衛宮くんも、時々トンチキになるから困る。

 本人は至って真面目に言っているのが、何とも衛宮くんらしい天然さなのだが。

 酷い話ね、と届けられた肉豆腐をモグモグ食べながら、脳内で楽しげに笑っている間桐くんを張り倒す。

 彼に罪はないが、間桐慎二という存在そのものが愉快すぎていけないのだ。

 

 それは兎も角、と私はまたチラリと視線を向けた。

 視線の先には勿論メディア……と衛宮くんの姿。

 やっぱり、衛宮くんという生き物は、困った顔を見過ごせないらしい。

 ただ……、

 

「ありがとうございます、衛宮さん」

 

「これくらい大したことじゃない。

 それより、皿洗いを片してくれてて助かった。

 メディア(・・・・)も、大分慣れてきたな」

 

「はい、お陰様で」

 

 ……なんか、距離感がおかしいと思うのは、気のせいなのだろうか?

 あの人間不信気味のメディアが、薄くではあるけれど衛宮くんに笑いかけているのだ。

 正直、何があったのか、400字詰めの原稿10枚ほどの提出を求めたいレベルの話である。

 それに、私との区別を付けるためとはいえ、衛宮くんはメディアの事を名前呼びしている。

 そのお陰で、何だか二人が妙に近く感じるのだ。

 

 桜がこの光景を見たら、どんな顔をするだろう。

 膨れている様な顔か、なんだか怖い笑顔を浮かべるのか、一周回って無表情か。

 どちらにしろ、面白くはないだろう。

 ただ、この状況は、桜も把握しているところの話で。

 メディアが私の、マーガトロイドの家の娘という宣言を聞いて、少し見守る姿勢を取っているのだとか。

 尤も、一度メディアが衛宮さんと気負わずに呼びかけたのを聞いて、無言で私に微笑みかけてくるのはやめて欲しい。

 私としても、理由が知りたいところではあるのだから。

 

 衛宮くんは、メディアと接する時も至って自然体。

 桜からメディアの事情、彼女がサーヴァントである事はきっちりと聞いているはずなのに、普通の人と接する様な態度の衛宮くんは、神経が鋼か何かでできてるのだろうか?

 それとも、サーヴァントという概念を、良く理解できていないのか。

 ……なんて事を考えるのは、愚問なのだろう。

 大抵の事は、だって衛宮くん(お人好し)なのだから、で片付いてしまう。

 本当に彼は魔術師なのだろうか、時折疑ってしまうのは9割方衛宮くんに責任があるだろう。

 

 ……まぁ、それにしても、限度というものがあるのだけれど。

 ふぅ、と溜息をついたのは、メディアと衛宮くんの事を考えてか、それとも彼のお人よしさ加減に頭が痛くなったからか。

 おそらくは両方なのだけれど、だからといって衛宮くんにあたるのは、八つ当たりが過ぎるというものだろう。

 

 ただ、少しお話をする必要があるかもしれないとは思った。

 これも、それも、あれも。

 思っていたよりも、衛宮士郎という人間は、私の人間関係の中では複雑な蜘蛛の巣に絡めとられているのかもしれない。

 聞きたいことも色々あるもの、と今後の予定を考えて。

 そっと、私は手紙をしたためる事にしたのだ。

 

 

 

 

 

 とある日の朝、下駄箱での事だった。

 朝登校して、上靴を履こうとした時。

 下駄箱から、一枚の封筒がフラッとこぼれた。

 蝋で口を閉じられたそれは、どこか時代錯誤な上品さを漂わせていて。

 

「なんだ、これ」

 

 いぶかしげながら拾って開封すると、そこにはこんな文字列が。

 

 ”放課後、衛宮くんに大事なお話があります。屋上でお待ちしています。”

 

 それだけの、素っ気ない文面。

 文面は丁寧だが、その実のない内容は手紙として落第点だろう。

 だから、これは……。

 

「果たし状、か?」

 

 微妙な丁寧さ、必要最低限さ、古臭さがそれっぽかった。

 少なくとも、これに他のニュアンスを見出すことが出来ない。

 心当たりは全くないが、手紙に衛宮くんと指定されてまでいるのだ。

 無視するのは悪いだろう、そう考えて手紙を鞄にしまう。

 

「藤ねえ……だったら、もうちょっと凝るよな」

 

 悩みつつも、答えは出ずに。

 そのまま教室へと向かったのだった。

 

 

 一方その頃、放課後に話ついでに偶には自分の茶でも振舞うか、と魔法瓶に紅茶を注いでる女子がいたらしい。

 ついでに、クッキーも焼いたとかなんとか。

 

 

 

 昼休み、何時もと同じく生徒会室に向かおうとすると、慎二が声を掛けてきた。

 時折ある事で、何時もの気紛れみたいなものだろう。

 

「衛宮、外で食おうぜ。

 特別に奢ってやるからさ」

 

 機嫌よさげな慎二だが、奢るとまで口にするのは珍しい。

 多分、何か頼みごとがあるのだろう。

 だったら、別に気にしなくて良いと口を開く。

 

「何か頼み事か?

 言ってくれたら手伝うぞ」

 

 そう尋ねると、慎二は、はぁ? と露骨に表情を変えて、少し不機嫌そうな顔になった。

 どちらかといえば、こちらの方が何時もの感じに近いが、どうやら機嫌を損ねたらしい。

 

「悪い、慎二」

 

 慎二はどれが正解か分からない複雑さがあって、正解はどれかが難しい。

 だからこういう時は、素直に謝るのが一番だと頭を下げたのだけれど……。

 

「何が悪いか分かってないよね、衛宮は。

 馬鹿だからさ」

 

 吐き捨てる様に言って、その場を後にする。

 最近は慎二をムカつかせる事が多く、それについては本当に悪いと思ってるのだが、それが余計にイラっとさせるらしい。

 大人しくその場を退散し、そのまま生徒会室に向かう。

 

「衛宮、待っていたぞ」

 

 生徒会室の扉を開けると、嬉々とした表情を浮かべる一成の姿が。

 その視線は、俺というより、持ってきたタッパーの方に目が行ってるのだが。

 

「茶は用意できている、席に座れ衛宮。

 ……して、浅ましくて憚られるのだが、持ってきているか、衛宮よ」

 

「あぁ、今日は唐揚げを持ってきた」

 

「おぉ!」

 

 子供みたいに顔を輝かせている一成は、毎日が精進料理みたいな殆ど緑一色の弁当に参ってるらしく、こうしておかず、主に肉を持ってくると、びっくりするくらいに喜ぶ。

 ただ一成は、食べ終わった後に、申し訳なさそうな顔をする事がある。

 

「すまんな、衛宮。

 こうして上手い手料理を振舞ってもらっても、中々返せるものが見当たらん」

 

「だからさ、一成。

 こういう時は、ご馳走様、美味しかったって言ってもらえるのが一番なんだ」

 

「菩薩にでもなるつもりか、衛宮。

 少しは見返りを求めてもよかろう」

 

 そうさな、と一成は少し考え、そういえば、と鞄から何かのチケットを二枚取り出した。

 それは、最近話題の映画のチケットで、流行り物に興味がない一成が持ってるというのは少し不思議なものだ。

 

「商店街の福引で当たったものだ。

 確か、仲の良い婦女子が居ただろう。

 一緒に行ってくると良い」

 

「いや、桜はそういうのじゃなくて、家族だからさ」

 

「古典的だがな、衛宮。

 誰も間桐の妹だとは言っていない」

 

 本心を告げたつもりでも、一成は微塵もそう受け取ってくれない。

 むしろ、生暖かい目をされるのだから、始末に困るとはこういう事か。

 はぁ、と溜息を吐くが、誤解は解きようもないので諦めるしかない。

 大人しく食べ、素直にご馳走様をして立ち上がった。

 

「ん? 衛宮、もう行くのか」

 

「あぁ、桜が藤ねえにさ、弓道部に来ないかって誘われてるらしくて。

 昼に見学に行くらしくて」

 

「そういう事か、それならばここに寄らずさっさと行ってやれば良いものを」

 

 

 早くいけ、と今度は逆に追い出す様にする一成に、また後でと告げて生徒会室を後にする。

 一成らしい気の使い方に感謝しつつ、道場を目指していた道中――

 

 

「ふぅん、柳洞と食ってたんだ」

 

「慎二か」

 

「ふん、来いよ、衛宮」

 

 急に現れた慎二に、少し面喰いながら立ち止まる。

 さっきと同じ様に不機嫌そうな顔だが、今は怒ってるというほどでもないらしい。

 だけれど、見逃してくれる気もないらしく、そのまま隅の階段まで引っ張られる。

 そこで、慎二は壁に手をつき、覗き込むような眼で話しかけてくる。

 

「あのさ、衛宮。

 別にどうこう言うつもりはないけど、僕はね、話があったんだ。

 それを一々、柳洞への餌付けで不意にされても困るんだよ」

 

「慎二と話ならどこでもできるだろう、それだってここでも。

 あと、餌付けなんてしてない」

 

「確かにそうさ。

 でも、それがアッチの事だったから、腰を据えて話したかったんだ。

 長い話になるから、面倒だろう?

 それに、最近はそれだけじゃない。

 一々一々! 衛宮と話そうとすると茶々が入るっ。

 衛宮、お前に友達面して利用してくる奴らの事は無視しろ。

 もっと大事なことがあるだろう、なぁ?」

 

 諭す様な、けれどもどこか言い聞かせる様な声。

 ただ、慎二には悪いが、訂正しなくてはいけない。

 その思いに駆られて、口が勝手に動いていた。

 

「別に、俺がしたいからしてるだけだよ、慎二。

 でも、慎二を疎かにしてたのはそうかもしれない、ごめん」

 

「別に、お前に構ってほしい訳じゃない!

 魔術の話があったんだ!

 勘違いするなよ衛宮!」

 

 早口気味でそう捲し立てた慎二の顔は、やや赤い。

 飄々としてるようで、直ぐに頭に血が上るのが慎二の特徴だ。

 こういう時は、普通に謝っても納得してくれない。

 どうするか少し考えて、丁度ポケットに手掛かりが存在していたのを思い出す。

 

「慎二、映画のチケットがあるんだ」

 

 二枚のチケットを取り出すと、慎二は怪訝な顔をする。

 

「お前、映画なんて見ないだろ」

 

「一成に貰ったんだ」

 

「……あっそ」

 

 そのまま事実を告げると、慎二は興味を無くしたかのように素っ気なくなる。

 どうにも、慎二は一成の事が苦手なのか、度々衝突しているところを見かける。

 一成の名前を出したのは失敗だったか、と考えていると、慎二はふっと、何かを思いついた様な顔をした。

 時々見かける悪い顔、正直な話ロクでもない事を考えている時の慎二の顔だ。

 

「衛宮ぁ、放課後に時間を空けろ。

 一緒に映画館に行くぞ」

 

「はぁ?」

 

 と思ったのだが、もしかしたら勘違いだったのか。

 思っていたよりも、ずっとまともな提案だった。

 

「別に、女の子と一緒に行ってくればいいぞ」

 

「いや、お前じゃなきゃダメだ、衛宮」

 

 そう力強く断言する慎二に、まぁそれならと承諾する。

 今日は幸い、バイトも無いし用事もない。

 いや、何かあったような……。

 

「断るなよ、衛宮」

 

 強い口調で告げる慎二に思考が妨げられて、俺は素直に頷くしかなかった。

 最近は慎二と出かける事も少なくなっていたし、丁度いい機会かもしれないと思いながら。

 

「そういえば慎二、今から桜の所に行くけど、一緒に来るか?」

 

「弓道がどうとかってヤツ?

 藤村も面倒な事に誘うね、全く。

 桜も、さっさと断れば良いものを」

 

「そういうなって、もしかしたら興味が出るかもしれないだろう?

 桜の好きにさせてやろう」

 

 ぶつくさ言いながらも、慎二はしっかりとついて来ている。

 素直になれないのが慎二らしさではあるが、これで結構優しいのだ。

 もう少し、それを桜にも素直に示せたら、つっけんどんにならずに済むのにと思ってしまうのは、やや贅沢なのか。

 去年の、かなり冷たい時期の慎二と比べると、これでも雲泥の差なのだから、これでいいのかもしれない。

 そんな事を考えながら、その場を後にする。

 ――隣に慎二がいたからか、小さく囁かれた誰かの言葉に気が付くことはなかった。

 

 

「すごいもの、見ちゃったかもしれません」

 

 呆然と呟いたのは、紫髪をポニーテールに結んだ少女。

 今日は、彼女のマスターが髪をセットする時間がなかったので、自分でしたものだ。

 濃密ですね、と再び小さく呟いた彼女は、3割方何かを勘違いしている。

 残りの7割は、差異はあれど、円周率のおよそ3みたいなものだ。

 トコトコとその場を後にする彼女が、思わずこの事を金髪の少女に報告してしまうのは仕方ないものだったのだろう。

 

 

 

 

 

「すっぽかされたわね」

 

 夕方、屋上で体育座りしていた少女が、無表情で呟いた言葉には、幾分かの毒があったことは否めない。

 少女は、その場でノートを一ページ分破り、再び手紙を作成する。

 筆圧強めに、固めの字で。

 流石に圧が強すぎるかもと、空白部分に妙にリアルなフランス人形の絵を描いたのはご愛嬌……なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 翌朝の事、衛宮士郎が下駄箱を開けると、昨日と同じ様に手紙がふわりと落ちてくる。

 そこで、そう言えばと罪悪感を抱いた彼は、手紙を拾い開封して――そして、凍り付く。

 

 

 衛宮くん、放課後、屋上、来てください、来い

 怒ってます、でも我慢しますから

 次、来なかったら、人形に 蹴ります

 

 

 心なしか、文字が震えて見える。

 添える様に描かれているフランス人形も、見張っているぞと言わんばかりの眼力で士郎の方を向いていた。

 それ故か、今度無視すれば次が酷い事も想像出来てしまう。

 そう、例えば……。

 

 

 

『はろー! えぶりばでぃ。

 急転直下で即座にドボン、奈落の底な貴方の命綱なコーナー。

 タイガー道場でーす!

 って、まだ本編始まってないのに死ぬとは何事かーっ!!』

 

『師しょー、今日もツッコミが冴えわたってるっす』

 

『うむ、まだ会った事の無い、未来の愛弟子一号よ』

 

『それよりも、師しょー』

 

『どしたの、弟子一号』

 

『無茶苦茶言いたい事がありますっす』

 

『聞こうか』

 

『それなら言わせてもらうけど……アリスに先をこされたーーー!』

 

『チェストッ!』

 

『あいたっ!?

 そのクソ痛竹刀で叩かないでぇ!』

 

『愛憎混じってイケない事する弟子は、即座に指導これ鉄則』

 

『でもぉ、私がシロウにしようとした事、先にされたのは納得いかなーい』

 

『うん、でもこれはまた忘れた士郎が悪いわ』

 

『残酷、冷酷、非道!

 血の通って無い者の方が好きかー! アリスー!』

 

『怒らせたらダメな相手を怒らせると、本当に怖いことになっちゃうんだから。

 気を付けるのよ、士郎』

 

『シロウ、今すぐセーブデータをロードして、ちゃんと屋上にイケー!

 私以外のモノになるなんて、ユルサナイんだからーっ』

 

『悪魔っ子の戯言は兎も角、マーガトロイドさんはお人形でも友達なのよ。

 そこのところ、留意しておかないと後がヒドイぞ☆』

 

 

 

「ウッ、頭が」

 

 何か、質の悪い白昼夢を見たのだろう。

 本能からの警告か、もしかしたら将来就職先候補の抑止力からの優しい忠告なのかもしれない。

 故に、次は忘れてなるものかと、彼の心のメモに明記したのだった。

 

 

 

 

 

 六限目が終わるチャイムが鳴る。

 帰る人や部活に精を出す人、その他諸々の人を掻き分け、やってきたのは無人の屋上。

 この学校には、高いところや煙が好きな人が少ないのか、あまり利用者がいない場所なので、手軽に話し合いをするにはとても便利な場所。

 そこで静かに、彼を待つ。

 手に持っている赤毛の人形に、他意は少ししかない。

 

 ぎぃ、と鉄が擦れた音がする。

 少し古くなった屋上の扉が開かれた音、誰かが来たのだ。

 その相手について確信しつつ、私は下を見下ろしながら声を掛けた。

 

「今日は校庭を見張ってたのだけれど、ちゃんと来てくれたのね」

 

「悪い、言い訳しようもないけど、昨日は忘れてた」

 

「そうね、間桐君とのデートは楽しかった?」

 

 振り向くと、衛宮くんは怪訝そうな表情をしてそこに立っていた。

 恐らくは、なんで知ってるんだというところだろう。

 まぁ、だからといって、わざわざ答える義理はないのだけれど。

 

「マーガトロイドだったんだな、この手紙」

 

「えぇ、衛宮くんとお話ししようと思って」

 

 本当は、もう少し和やかな雰囲気で話すつもりだったのだけれど、今用意できてるのは微妙に硬くなってしまったクッキーくらいだ。

 尤も、これ以上何か意地悪するというつもりにもなれてないが。

 

「そうか、でもそれなら言ってくれれば良かったのに。

 あの手紙、果たし状か何かかと思ったぞ」

 

「女の子はね、一度くらいは手紙で男の子を屋上に呼んでみたいものよ」

 

 もちろん、浪漫はここにはない。

 手紙にしたのは、別のクラスになったので、わざわざ衛宮くんの教室まで行くのが億劫だっただけの事。

 まぁ、男の子に手紙を出す事は、本当に一度やってみたかった事なので、私情が入り混じっていた事は否定しないけれど。

 

「今度からは、もう少し可愛い手紙を出す事にするわ。

 ピンクの便箋に、可愛いシールを貼ってね」

 

「いや、いい。

 それはそれで、疲れそうだ」

 

「我儘ね、衛宮くんは」

 

 既に疲れた顔をしている衛宮くんは、何をげっそりとしているのだろうか。

 昨日、一日忘れられていた私の方をこそ、労わってほしいものだ。

 何なら、一日衛宮くんがバトラーとして私に仕えてくれるとか、そんな感じの請求を通してくれたりとか。

 

「それで、なんの話なんだよ、マーガトロイド」

 

 けれども、私の内心なんてお構いなしに、衛宮くんは話を進める。

 このままだと、私の玩具にされると思っているのだろう。

 でも、確かに話が進まないのも落ち着かないので、素直に流れに乗る。

 

「メディアの事と、サーヴァントについて。

 桜や間桐君から聞いてくるでしょうけど、一応ね」

 

 半ば、私が探りを入れる為の話題選択である。

 衛宮くんも、それは理解できているだろう。

 彼が拒否するのなら、それはそれで仕方が無い事だと思う。

 だけれど、衛宮くんはそんな素振りも見せずに、素直に分かったと頷いた。

 別に、何ら困ることはないという事だろうけれど、ノーガードな姿勢にはこちらが逆に心配になってきてしまうのだから、困り者だ。

 

「あの娘が普通とは違っている事、あなたは知っているでしょう?」

 

「あぁ、サーヴァントってヤツで、確か聖杯戦争で活躍する使い魔なんだろう」

 

「えぇ、そう、使い魔。

 人間じゃないの、魔術師はサーヴァントを使い潰す為に呼ぶの」

 

 そう告げると、衛宮くんは表情を変える。

 真剣で、少し透明な。

 何かのスイッチが入りかけている衛宮くんの顔。

 

「でも、マーガトロイドはそうしない。

 すごくあいつの事を大切にしてる。

 俺に、メディアの事を頼むって言ったのだってそうだ」

 

 もし、私が間違っている、残酷な事を言えば、衛宮くんはどうするのか。

 申し訳程度の興味はあったけれど、この場でそんな事を口走るほどに私も馬鹿ではない。

 事実の確認をするために尋ねた彼の言葉に、頷く。

 

「そうね、おためごかしではあるけど、それが全てじゃないわ。

 家族よ、あの娘は」

 

「……素直じゃないって言われないか、マーガトロイド」

 

「いいえ、私は常に正直よ」

 

 空気が、霧散する。

 衛宮くんは何時の間にか呆れた表情をして、謂れの無い事を言ってくる。

 きっと、彼の鈍い唐変木なところが、そう感じさせているに違いない。

 

「それでマーガトロイド。

 なんでメディアを、サーヴァントを召喚したんだ。

 元々は、聖杯戦争の時に呼ぶものなんだろう?」

 

「ちょっと研究している事があってね。

 お手伝いしてもらうために来てもらったの」

 

 尤も、全く進んでいないのだが。

 今は、それどころではないといったところか。

 

 今、メディアは自我が少女と大人の合間にいる。

 混濁していて、謂わばコーヒーとミルクが混ざり合った状態。

 子供の彼女と、大人の彼女では、恐らく別人な程に乖離があったのだろう。

 早く自己を確立しなければ、何れは自我が崩壊する恐れすらあるのだから。

 故に、決めたのだ。

 メディアが、メディアとして立っていられる様にしようと。

 

 勿論、私が彼女に優しくするのは、元気になった時に手伝ってほしいという打算はある。

 それ以上に、入れ込みすぎてしまっているのは……否定のしようがないけれど。

 

「メディアは可愛いわ、色々と。

 だから、優しくしてしまうの」

 

 でも、全てという事なんてなくて。

 一部の、ほんの端っこだけを伝えて。

 凄く微妙な顔をされているのは、何だこいつとでも思われてるからだろう。

 でも、残念ながら衛宮くんに対しての話はこれからなのだ。

 

「その可愛い娘がね、最近男の子と仲が良いみたいなの。

 人見知りの子が、笑顔を見せるくらいにね」

 

 何か、空気が変わった事を感じたのであろう。

 衛宮くんは戸惑った顔をしてから、もしかしてと口にする。

 

「俺、か?」

 

「えぇ、そう。

 女誑しの衛宮くん。

 桜だけじゃ満足できない?」

 

 軽い冗談、全く本気ではない戯言。

 僅かに、釘を刺す程度の。 

 でも、衛宮くんといえば、面白いくらいに慌てていて。

 

「ちょっと待て、冤罪だ!」

 

「そうね、冤罪ね。

 衛宮くんが変な事なんて、する筈ないもの。

 けれど、距離が近い事は確かよ。

 ――何が、あったの?」

 

 自分でも、驚くくらいの猫撫で声。

 ただ、正直に話しなさいなと促しただけの事だけれど。

 衛宮くんは焦った顔をして、けれども難しそうに”うーん”と唸っている。

 もしかすると、本当に心当たりも、覚えもない?

 ジィっと、衛宮くんを窺っているといると、そういえば、と一つだけ出てきた話題があった。

 

「一度だけ、メディアと下校した事がある。

 確か、その時にメディアと呼んでくださいって言われたな」

 

 本当に、ちょっとした事を話す様に言う衛宮くん。

 彼からしたら、事実としてそうなのかもしれない。

 でも、メディアから提案したのは、やっぱり彼女が何か感じた事があったからで。

 

「何を話したか、覚えてる?」

 

「確か、コペンハーゲンの事と、学校の事。

 あとは、マーガトロイドと桜の事を話したな」

 

「私と桜の?」

 

「あぁ、一年生の時のお前の事と、桜が家に下宿してる事を軽く」

 

 別に、それも大して話してないという衛宮くん。

 何とも不可思議そうな顔をしている彼から、これ以上探れる事はないだろう。

 そう思い、私は衛宮くんにビニール袋を一つ手渡した。

 

「そう、ありがとう。

 これは、ほんの気持ちよ」

 

 渡したのは、少し前に焼いたクッキー。

 本来なら昨日渡すはずだったもの。

 別に、意趣返しなんてつもりはない。

 ただ、ちょっと固くなって食べにくくなってるだけだ。

 

 そのまま、私は屋上を後にする。

 帰って、メディアに話を聞くために。

 ただ、その私の背中に、声が掛けられた。

 

「マーガトロイド、昨日は忘れてて悪かった。

 この借りは、また返すから」

 

 ……本当に、こういうところであろう。

 抜けているところもあるけれど、とても律儀者で。

 きっと、この借りとかいうのを、衛宮くんは忘れることが無く返してくれる。

 私は、また鞄から取り出した物を、衛宮くんの方に二つ放った。

 無事にキャッチした衛宮くんはそれに目を落として、それの名前を呟く。

 

「マーマレード?」

 

「借金は貸した分が多いほど、利息も多いもの。

 しばらく、返済は受け付けないわ」

 

 本当は、バイトでメディアを助けてくれる分だけで十分助かっているけれど。

 衛宮くんは、それを何とも思ってない。

 自分が困らせたら、今までの事を他所にして、動かずには居られない人。

 そうしてしまう衛宮くんが、やっぱり私は嫌いではなかった。

 

 

 

 

 

「ねぇ、メディア」

 

「はい、アリスちゃん」

 

 遠坂邸の自室で、カップを片手に。

 何でもない風に、日常会話の延長として尋ねる。

 わざわざこんな事で、と煩わしく思われるかもしれないが、それでも何か手掛かりになると思ったから。

 

「メディアは、衛宮くんの事、好き?」

 

「え? ……え?」

 

 質問の内容に、意味が分かりませんと言わんばかりに目を白黒させるメディア。

 いきなりこんな質問をされても、こうなるだろう。

 むしろ、当たり前の反応と呼べる。

 けれど、どう? と促すと、メディアは困り眉になりながら、素直に答えてくれた。

 

「嫌いではないです、衛宮さんの事は」

 

「そうね、私もそうよ。

 衛宮くん、一生懸命だものね」

 

 人助けとか、他人のためとか、そういう事に。

 衛宮くんは、誰にも手を伸ばしてくれるから。

 だからか、と思ったけれど、メディアは小さく首を振る。

 どうにも、私と感じている事が違うのか、何とも言いにくそうな顔をしている。

 そこに、恋情も友情も見当たらず、むしろ後ろめたさも感じてそうで。

 

「無理に、言わなくてもいいわ」

 

 そこで、詮索を打ち切った。

 そんな顔をさせてまで、聞き出す事でもない。

 元々、メディアの交友関係にどうこう私が口を出すのは、余計なお世話が極まっている。

 そうしてしまわずにはいられないが、それも度が過ぎれば害悪そのもの。

 お茶でも飲んで、忘れてしまいなさいと言おうとした。

 その時に、小さな囁きだが、確かに聞こえた。

 

「――すごく、辛そうですから」

 

 誰が?

 決まっている、話の流れ的に衛宮くんこと。

 何故? その答えを、私は知らない。

 でも、それをメディアは感じたのだろう。

 

 もっと、詳しく。

 そう思ったが、私は口を噤んだ。

 メディアが、酷く後悔した顔をしていたから。

 

「苦い紅茶には、砂糖を混ぜなさい。

 そうね、沢山入れれば入れるほど、素敵なスパイスになるわ」

 

 私とメディアの二人分のカップに、何杯も砂糖を掬い、投入する。

 本来の味は損なわれて、それはただの甘いお湯になっていく。

 でも、今はそれで良いと思えた。

 

 衛宮くんの事を同類だと思ったのか。

 それとも、辛そうだと感じた衛宮くんを見て安心したのか。

 それ以上、聞き出す気になれない。

 でも、きっとそれは綺麗なものではなくて、どこか粘ついたものなのだろう。

 

 だから、今は砂糖が必要なのだ。

 柔らかく、丸く、心をするのにはそれが一番なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暫しの沈黙、無言で砂糖水を飲む私達。

 気まずさと同居している静けさ、それを掃おうとメディアに声を掛けた。

 

「手紙、持って来てくれたのね」

 

「はい、アインツベルンと東風谷さんという方から」

 

 作業台の上に置いてあった二通の手紙。

 文通友達ともいえる二人からの、恒例のモノだ。

 

「メディアも、誰かと文通する?

 桜なら、きっと受けてくれるわ」

 

「そうですね、私はアリスちゃんとしてみたいです」

 

「それなら文通じゃなくて交換日記ね。

 そうね、一度くらいやってみたかったの」

 

 会話しながら、そっとペーパーナイフで封を切る。

 目を通して、会話の種にでもしようと思ったから。

 

「……ねぇ、メディア」

 

 目を通して、確認したのは早苗からの手紙。

 そこに書いてあった内容は、パターン的には今までであった事。

 端的に、その内容をメディアに伝えた。

 

「――私の友達が、近い内に遊びに来るらしいわ」




活動報告で新年の挨拶をしようとしたところ、間違ってタブを消してしまったので大人しく本編を書いて更新しました……。
次は近い内に更新……これ、前にも言ってた気がしますねぇ(遠い目)。


補足説明

慎二、一成のチケットで士郎と二人で映画を見て、翌日感想をペチャクチャ一成の前で喋ったとかなんとか。
なお、最近は士郎の事を”変な奴”から”おかしい奴”に格上げしたとかなんとか。
慎二の好感度を適度に上げないと、士郎的には苦労するかもです(新たなタイガー道場への扉)。


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