英雄(ベル・クラネル)を嫌いになるのは間違っているだろうか (カゲムチャ(虎馬チキン))
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1 プロローグ

「お、お母さ……」

「来るな!! この薄汚い血が!!」

「ッ……!」

 

 中途半端に長い耳をした金髪紅眼の幼い少女が、母にすがろうとして拒絶された。

 母は潔癖で知られるエルフだ。

 それが攫われ、売られ、ここに辿り着いたらしい。

 違法な奴隷娼婦を提供する、この地獄のような娼館に。

 

 そして、少女『スピネル』は、そんな母と客との間にできた子供だった。

 妊娠が発覚した時、眉目秀麗なエルフの子供なら高く売れそうだという理由で、墮胎もさせてもらえずに産まされたらしい。

 たった今、母だと聞かされていた女性にすがろうとして拒絶されたスピネルに、娼館の職員がネタバラシとばかりにヘラヘラしながら語ったことだ。

 

 そんな理由で産まれてきたがゆえに、スピネルは幼い頃から淫技を覚えさせられた。

 5歳になる頃には、ロリコンの客を取らされた。

 ロリコン以上の変態性癖を持つ客も取らされ、何度も何度も痛くて苦しい目に合わされた。

 苦しみから逃避するために母にすがろうとしてみれば、鬼のような剣幕で拒絶された。

 

「ま、運が悪かったと思って諦めろ」

 

 職員はヘラヘラと笑いながら、絶望するスピネルの肩をポンと叩いてそう言ってくる。

 運? 運が悪かった?

 なんだそれは? そんなことで自分の人生は決められてしまうのか?

 

「ふざけるな……!」

 

 ふざけるな。

 ふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるな!!

 

 そう思えども、幼く無力な彼女にできることは無い。

 逃げ出すだけの力も無く、今日も今日とて籠の鳥。

 変態性癖持ちの客に滅茶苦茶にされる毎日。

 

「ああああああああ!?」

 

 痛い、辛い、苦しい、気持ち悪い、助けて。

 一日としてそう思わない日は無かった。

 そんな感情すら徐々に擦り切れて諦めに変わっていくような暮らしが1年続き、2年続き……。

 7年が過ぎて12歳となり、ロリコン以外のスタンダードな客の相手をさせられ始めた頃に、とうとう彼女の精神は限界を迎えた。

 諦めを通り越して爆発した。

 

 一か八か、この娼館から逃げ出そう。

 外の世界のことなど何も知らない。

 行き倒れる可能性が極めて高い。

 それでも良い。

 行き倒れて死んでもいいから、もうここにはいたくなかった。

 

 スピネルは客の相手をしてボロボロにされた直後、職員の監視が一番緩むタイミングを狙って逃げ出した。

 窓から飛び出して、我が身を顧みずにダクトの上などの危険な場所を走り抜き、外へと脱出した。

 酷い雨の日だったのが幸いした。

 彼女の音も匂いも、全てを雨が覆い隠してくれる。

 代わりに足下が非常に滑りやすくなっており、一歩間違えていれば行き倒れる前に死んでいたのだが。

 

 脱出後、スピネルは走った。

 とにかく遠くへ、誰も追ってこないくらい遠くへ。

 それだけを考えて足を動かし……やがて、どことも知れない場所で力尽きた。

 

「ハァ……ハァ……」

 

 息が切れる。体がダルくて重い。

 変態に虐げられた直後の疲弊状態でよく逃げたと言うべきだろう。

 彼女は実に10K以上の距離を走破した。

 

(あ、多分このまま死ぬ……)

 

 せめて、最期は雨を凌げる場所で穏やかに死にたい。

 そう思ったスピネルは、最後の力を振り絞って、廃墟のような建物の中に潜り込んだ。

 雨漏りが酷い場所ではあったが、どうにか屋根が機能していそうな場所まで進むことができた。

 

 その廃墟は、壊れてなお、どこか神聖な感じのする場所だった。

 自分にしては悪くない死に場所を引き当てたなと思いながら、スピネルは目を閉じ……。

 

「うぎゃー! 酷い雨! こんな日に限ってバイトが長引くとか、下界は本当に世知辛……って、誰か倒れてるーーー!?」

 

 なんか、うるさい声が聞こえてきた。

 自分とそう年頃の変わらなそうな少女の声だ。

 閉じようとしていた目を開けてみれば、霞む目に眉目秀麗な母よりも遥かに美しい、人とは思えない美少女が映り込んだ。

 

「き、君!? 大丈夫かい!? あああ、見るからに大丈夫じゃないよね!? 待ってて! 今、助けるから!!」

 

 美少女はスピネルをお姫様抱っこして、廃墟の中にあった下に通じる扉を開いた。

 地下室があったらしい。

 その中は上の廃墟と違って、ちゃんと人間が生活できそうなスペースになっていた。

 

「ッ!? 体が冷え切ってる……!? ど、どうすればいいんだ!? と、とりあえず体を拭いて布団で温めればいいのかな!?」

 

 美少女はめっちゃ慌てながら、スピネルの介護を始めた。

 まずはびしょ濡れになった服を脱がし、タオルで全身を拭こうとする。

 その時、必然的に彼女の体に刻まれた狼藉の跡を目にすることとなった。

 

「ッ!! こ、これは……!?」

 

 痛ましい姿に目を見開き、次の瞬間にはハッとして介護を再開。

 できるだけ手早く体を拭き、自分の服を着せて布団に叩き込む。

 次いで、友神に貰った回復薬(ポーション)があったことを思い出し、ダッシュで取ってきてスピネルの口に当てた。

 

「君! 飲めるかい!? というか、意識はあるかい!? あるなら飲んでくれ!!」

 

 スピネルの意識は半ば落ちた状態だったが、それでも生存本能の為せる技か、美少女が持つ薬液を少しずつ飲んだ。

 娼館にいた頃、プレイの後に飲まされたやつと同じ味がした。

 効果もまた同じで、彼女の体に刻まれていた狼藉の跡が消えていく。

 

「よし! あとは体を温めるだけだ!」

 

 そして、美少女はスピネルを毛布で包み込み、自分の体でも包み込んで、人肌で温め始めた。

 

「お、母さん……?」

 

 その温もりは、スピネルが何度も夢想し、されど決して味わうことのできなかった『母の温もり』を想起させた。

 もう殆ど意識の無いスピネルは、目の前の美少女のことを、何度も妄想した『優しい母』に重ね合わせ、弱々しい力でギュッと抱きつく。

 美少女はその言葉を否定せず、拒絶せず、ただ己の温もりを彼女に分け与え続けた。

 

「うん。(ボク)にとって、君は子供のようなものだ。だから、安心して抱きついてくれていい。……ゆっくりお休み」

「う、あ……」

 

 涙が出た。

 生まれて初めての、安心できる温もり。

 それに包まれて、スピネルの意識は落ちていく。

 介護の甲斐あって死んだわけではなく、優しい眠りに落ちた。

 

 それが、スピネルと神ヘスティアとの出会いだった。



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2 一の眷族

 この世界には、無限にモンスターを生み出す大穴がある。

 その大穴は迷宮(ダンジョン)と呼ばれ、約千年前に古代の英雄達が入り口に蓋をして封じた。

 ここはそんな封じられたダンジョンの上に造られた街、迷宮都市オラリオ。

 

 そして、この世界には『神様』がいる。

 古代の英雄達の活躍に感化され、全能の力を自ら封じて、天界からこの下界に降りてきた神々が。

 廃教会に住み着く黒髪の美少女、ヘスティアもそんな神々の一柱だ。

 下界においては全知零能、一般人と大差無い力しか持っていないがゆえに経済力も無く、こんな廃墟に住み着いているが、歴とした神様なのだ。

 そんな女神様は今……。

 

「ヘスティア様! ただいま戻りました!」

「お帰り! スピネルくん!」

 

 念願叶って一人目の眷族と巡り合い、下界に来た時にヘスティアが誓った目標、宿敵ロキに負けないほどのファミリアを作るという夢への第一歩を踏み出していた。

 

 ファミリア。

 それは神と人とが作る、家族のごとき共同体だ。

 神は例外的に封じられていない権能『神の恩恵(ファルナ)』を下界の住民(こども)達に授け、その代わりに恩恵を授かって眷族となった子供達に衣食住の面倒を見てもらう。

 

 命を救われ、生まれて初めて優しく思いやってもらえたスピネルは、誘われた時に一も二もなくヘスティアの眷族となった。

 『ヘスティア・ファミリア』の第一号、ヘスティアの一の眷族だ。

 まあ、下界に降りてきたばかりのヘスティアには地位も権力も財産も無く、オラリオに掃いて捨てるほどいる零細ファミリアの中でも最下層に位置するため、一の眷属と言っても全く偉くもなんともないのだが。

 

「今日は結構稼げましたよ! なんと、10,200ヴァリス! 1万ヴァリスを超えました!」

「おお! 凄いじゃないか、スピネルくん! いや、ホントマジで!」

「えへへ。運良くドロップアイテムが結構出まして」

 

 笑顔で本日の収入を報告するスピネルを、ヘスティアが跳び跳ねて喜びながら褒め称える。

 実際、この金額は割と凄い。

 現在、スピネルが就いている職業は『冒険者』。

 命を懸けてダンジョンに挑み、そこでモンスターを倒して、富を持ち帰ってくる仕事。

 

 下級冒険者(レベル1)の一日の平均収入は、大体5千ヴァリスほどだ。

 しかも、5人程度のパーティーを組んで、報酬を頭割りした場合の金額。

 スピネルは報酬を独り占めできるソロで活動……というより、彼女の心的外傷による人間不信+最下層ファミリア所属の新米と組もうとする相手もいないからこその必然的ソロ活動をしているが、これは報酬の独占と引き換えに、安全面に多大な不安がある。

 ダンジョンは最も安全な1階層ですら、新米が一人で行動するのは危険だ。

 

 つまり、スピネルはそこらへんのリスク管理を頑張りながら、平均収入額の二倍を稼いでみせたのだ。

 もちろん、これは今日が特別運が良かったというだけの話で、いつもは平均額を下回るくらいの稼ぎしか得られていない。

 冒険者を支援し管理する組織『ギルド』のアドバイザーに助言を貰っているとはいえ、実地で継続的に教えてくれる先達すらいない中、殆ど手探りで冒険者をやっている以上は仕方のないこと。

 だからこそ、今日のような運の良かった日は、一層の特別感がある。

 

「よし! 今日はお祝いにどこかに食べに行こう! ボクの奢りだ! じゃんじゃん食べなさい!」

「え!? い、いえ、ここは私が出しますよ! そのための稼ぎなんですから!」

「いやいや、そのお金は君の身を守る装備とかに使うべきだ。

 なーに! ボクだってバイトを頑張ってるんだ! こういう時は、素直に主神(おや)に甘えなさい!」

「……はい!」

 

 主神(おや)に甘えろ。

 スピネルはその言葉に弱い。

 彼女が最も欲していたのは『愛情』だ。

 愛してくれる人が欲しい。

 その人に褒められたい、甘えたい、よくやったと言ってほしい。

 それだけが、スピネルの望みで、喜びで、幸せなのだ。

 

 ヘスティアはそれを満たしてくれた。

 スピネルの命を助けてくれた後、事情を聞いて同情してくれて、我がことのように怒ってくれて、自分の眷族(こども)にならないかと手を差し伸べてくれた。

 スピネルに幸せをくれた。

 だからこそ、即行で懐いて眷族になったのだ。

 ヘスティアが幸せをくれる限り、彼女はいくらだって頑張れる。

 

「というわけで、お店に行くぞー!」

「お、おー!」

 

 元気の良いヘスティアに合わせてテンションを上げる。

 あの娼館では絶対にできなかったこと。

 誰一人として、スピネルをこういう風に扱ってくれる人はいなかった。

 職員は『物』を見る目しか向けず、客は『食い物』を見る目を向けてきて、実の母親に至っては『汚物』でも見るような目でスピネルを見た。

 ヘスティアのキラキラとした純粋な目に見られるのは、この上ない喜びだった。

 

 ヘスティア・ファミリア。

 苦行に満ちた人生の果てにスピネルが手に入れた、小さな幸せの世界。

 決して裕福ではない。

 地位も、名誉も、財産も、強さも無い。

 主神一柱と、眷族が一人だけの最下層ファミリア。

 

 それで良かった。

 このまま稼ぎが増えなくてもいい。

 冒険者として大成できなくてもいい。

 『英雄』になんてなれなくていい。

 ただ、ヘスティアと今日を笑い合えていれば、それで良い。

 

 これ以上を望むとすれば、せいぜい現在挑んでいるダンジョンの上層から確実に帰還できる程度の強さを求めるくらいだ。

 そのための努力だけは欠かしていない。

 背中に刻まれたヘスティアの恩恵(ステイタス)は、ちゃんと努力した分だけ着実に力を増している。

 

(ああ、この幸せがずっと続くと良いなぁ)

 

 上機嫌にお店への道を歩くヘスティアと手を繋ぎながら、繋いだ手の温もりに幸せを感じながら、スピネルは心からそう思った。

 そんな彼女の細やかな幸せは━━二人目の眷族の加入をキッカケに、徐々に歯車が狂っていく。



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3 ベル・クラネル

「スピネルくん! 紹介するぜ! 新しい家族になる、ベルくんだ!」

「は、はじめまして! ベル・クラネルです!」

 

 スピネルがヘスティアに拾われて約三ヶ月ほどが経った、ある日。

 スピネルが拾われた土砂降りの雨の日とは真逆の、よく晴れた日のこと。

 その少年は、突然現れた。

 ダンジョンから帰ってきたら、なんかファミリアの本拠(ホーム)に当たり前のようにいた。

 

「誰……?」

 

 そいつを見た瞬間、男という生き物にロクな思い出の無いスピネルは、凄いスピードで家具の後ろに隠れながら、ベル・クラネルと名乗った少年を睨みつけた。

 スピネルは人見知りだ。

 ヘスティアに出会うまで、まともな人物に出会った試しが無いから。

 最近はヘスティアの知り合いの善神やその眷族相手に多少は心を開くようになったが、それでも人見知りの完治にはほど遠い。

 

 一方、ベルの方は先輩となるスピネルを見て、内心でかなりテンションを上げていた。

 

(エ、エルフ! しかも金髪の!)

 

 彼女は少年の性癖にドストライクだった。

 正確にはスピネルはエルフではなくハーフエルフなのだが、まあ、誤差の範疇だろう。

 女の子との出会いを求めてオラリオにやって来た少年は、初手で理想のヒロイン(見た目だけなら)に出会ったのだ。

 なんとも運が良い。

 

「……ごめん。街中で迷子の子供みたいに、沈んだ様子でトボトボ歩いててね。見捨てられなかったんだ」

「うっ……!?」

 

 しかし、上がったテンションに冷水をかけるように、ヘスティアの言葉でさっきまでの自分のあまりの情けなさを再認識させられ、ベルは呻いた。

 

(ああ、なるほど)

 

 そして、スピネルは納得した。

 ヘスティアは温かな火を司る女神。

 居場所を守る炉のごとき不滅の火を司る女神だ。

 彼女は傷ついた子供を見捨てられない。

 そのおかげでスピネルも救われたのだから、文句は言えない。

 たとえ、ヘスティアと二人きりの居場所に異物が入ってくることに凄まじい抵抗感があったとしても。

 

「…………スピネル」

「え?」

「名前」

 

 だからこそ、スピネルは不満も忌避感も嫌悪感も飲み込んで、ベル・クラネルに歩み寄った。

 警戒心の強い猫のように家具の後ろに隠れながら、名前だけ告げる。

 そんなスピネルにヘスティアがダッシュで寄っていって、ギューと抱きしめた。

 

「ありがとう! よく頑張った、スピネルくん! 偉い! 偉いぞ!」

「え、えへへ……」

 

 スピネルの人見知りを知っているからこそ、ヘスティアはことさらに彼女を褒めた。

 元々、ベルを連れてきた理由の一つも、スピネルの人見知り改善のためだ。

 可愛い娘には、新しい家族を通じて人見知りを改善し、いざという時に助け合える関係を築いてほしい。

 

「よし! 今日はベルくんの歓迎会だ! 二人が仲良くやれることを祈って、いっぱい食べて飲んで騒ぐぞー!」

「え!? あ、ありがとうございます!」

「…………はぁ」

 

 目を輝かせるベルと、憂鬱そうにため息をつくスピネルを引きずって、ヘスティアは行きつけの店へと向かった。

 生活費をスピネルが稼いでくれるので、自身のバイト代を豪快に使うことができる。

 宣言通り、ヘスティアは豪快に食べて飲んで騒ぎ、ベルはなんとかスピネルの好感度を稼ごうと頑張り、スピネルはそんなベルをどうにか受け入れようと頑張り。

 

 この頃のヘスティア・ファミリアは、まだ家族として成立していた。



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4 先輩冒険者

「う、うわぁあああああ!?」

「……はぁ。何やってるの」

「グギャ!?」

 

 ベルと出会った翌日、ダンジョン1階層にて。

 迷宮最弱と名高いザコモンスター『ゴブリン』相手に恐慌状態に陥ったベルにため息をつきながら、スピネルは彼を襲っていたゴブリンを冷静に背後から刺し殺した。

 その一撃でゴブリンは絶命し、スピネルは流れるように亡骸を解体して売れる部分を取り出していく。

 噴き出す鮮血。ベルは吐いた。

 

「おぇえええええ!?」

「…………はぁ」

 

 嘔吐する後輩の姿に、スピネルはまたしてもため息一つ。

 なんとも先が思いやられる。

 ヘスティアに頼まれたから、先輩冒険者としてこれの面倒を見ることを承諾したが、正直このまま見殺しにして、ヘスティアと二人きりの生活に戻りたい。

 まあ、眷族が死ねば絶対にヘスティアは悲しむので、実現不可能な話なのだが。

 スピネルは気持ちを押し殺して、面倒を見る立場としての仕事を再開した。

 

「見て。これが魔石。私達の稼ぎの大部分」

「ハァ……ハァ……。こ、これが……」

 

 吐き疲れて息切れしたベルに、スピネルはゴブリンの亡骸から取り出した小さな紫紺の結晶を見せた。

 魔石。

 ダンジョンにいるモンスターからだけ取れる、かなり万能に近いエネルギーの結晶体。

 照明、発火装置、冷凍器など、魔石のエネルギーは幅広い応用が可能であり、それを使った魔石製品は、今や日常生活を送る上でなくてはならない存在。

 当然、世界中からの需要は高く、こんな小さな欠片でも、それなりの値段でギルドが買い取ってくれる。

 

「あ……!」

「そして、魔石を砕かれたり取り出されたりしたモンスターは灰になって崩れる。生きてても、死んでても。

 だから、相手が強くて余裕が無い時は、魔石を狙えば一撃で倒せる」

 

 まあ、そうしたら稼ぎが吹き飛んでしまうのだが、命には替えられないだろう。

 命あっての物種というやつだ。

 

「グギャグギャ!!」

「ひっ!?」

 

 その時、次の獲物が現れた。

 二匹目のゴブリン。

 トラウマでもあるのか、ベルは完全にビビりモードだ。

 

「見てて。ゴブリンと戦う時は、斜め前に踏み込んで攻撃を避けながら……」

「グギャ!?」

「すれ違った時に首筋を斬るのが一番効率が良い。少なくとも、私にできる範疇では」

 

 ゴブリンの首筋に真っ赤な華が咲く。

 異様に手慣れた戦い方だった。

 冒険者になってからの三ヶ月間、極貧のヘスティア・ファミリアに確実に稼ぎを持ち帰るために磨き続けてきた技法。

 もっとヘスティアに褒められたい。

 その一心で毎日のようにダンジョンに潜り、休みの日にも鍛錬を欠かさず、改善点を見つけ続けて洗練させた。

 無理に下の階層を目指すのではなく、自分にできる範囲のことを最高効率でこなせるように努力した。

 

「まあ、最初からできるとは思ってない。最初はとにかく攻撃を避けて、相手が勝手に体勢を崩したところに、相手の間合いの外側からリーチを活かしてナイフを叩き込めばいい。狙う場所も別に首筋じゃなくていい。当てやすいところならどこでも」

「す、凄い……」

 

 その鮮やかな手際に、ベルは憧れの目を向ける。

 彼は『英雄』に憧れて、数多の英雄を生み出した地であるオラリオにやってきた。

 目の前の自分より歳下の少女は、英雄とまでは呼べないだろう。

 けれど、過去に殺されかけたトラウマのあるゴブリンをこうも簡単に屠ってみせる姿に、ベルは『先輩冒険者』としての憧れをスピネルに抱いた。

 あと、もう一つの目的である『可愛い女の子との出会い』に関してもスピネルはドストライクであるため、彼女への好感度が天井知らずに上がっていく。

 もしも、スピネルが冷たい目でベルを見てさえいなければ、既に惚れていたかもしれない。

 

「グギャグギャ!」

「じゃあ、やってみて」

「あ、は、はい!」

 

 次のゴブリンがやってきた。

 ベルは教わった通りにトラウマに立ち向かう。

 

「ギャギャ!」

「ひっ!?」

 

 へっぴり腰回避で攻撃を避ける。

 本当ならスピネルのように、回避と攻撃を同時にできれば一番良いのだが、最初からできなくてもいいと言われた言葉を頼りに、まずはゴブリンの攻撃を避け続ける。

 そして、ゴブリンが拳を空振りし、体勢が崩れたところに、ナイフを突き出した。

 

「ああああああ!!!」

「グギャ!?」

 

 子供程度の身長しかなく、武器も持っていないゴブリンの腕では届かないところから、リーチの差を活かしてナイフを突き出す。

 教わった通りの動きはちゃんと通用し……ベルのナイフがゴブリンの肩を貫いた。

 

「ギャァアア!?」

「や、やった!」

「まだ死んでない。早くトドメ刺して」

「は、はい!」

「グギャァァァ!?」

 

 残った腕で反撃しようとしていたゴブリンに、追撃でナイフを振るった。

 狙いもつけずにとにかく振るったナイフは、恩恵によって強化された腕力によってゴブリンの頭蓋を叩き割り、絶命させた。

 

「勝った……? やった……! やったーーー!」

 

 ベルは飛び跳ねて喜ぶ。

 昔のトラウマを倒した。

 あの頃とは違う。

 もう自分は一端の冒険者なんだ、英雄への第一歩を踏み出したんだと、喜びの感情に支配される。

 

「倒したら解体して。魔石は基本的に胸のあたりにあるから」

「あ、はい……」

「それと、勝った後も周囲の警戒を怠らないで」

「はい……」

 

 しかし、直後にスピネルにごもっともな指摘をいただいてしまい、ベルはシュンとした。

 少し冷たい関係だが、それでもこの時の二人は間違いなく教える者と教わる者、ファミリアの先輩後輩として正しい関係を築けていた。

 きっと、このままだったら、いつかはスピネルもベルに気を許し、ちゃんとした家族(ファミリア)になれていただろう。

 

 ……だが、そこから約2週間後。

 温かな未来が音を立てて崩れ出す、そのキッカケとなる事件が起こってしまった。

 

━━━━━━━━━━

 

スピネル

Lv.1

 

力:E401

耐久:F300

器用:E477

敏捷:E433

魔力:I0

 

【魔法】

 

 

【スキル】

 



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5 運命の歯車が狂った日

「ハァ……ハァ……!」

「だ、大丈夫ですか、スピネルさん!?」

「なんとか……。はぁ。やっぱり、5階層なんか来るんじゃなかった」

 

 ベルの冒険者登録から2週間。

 どうにか戦力として見れるくらいにまで成長したベルの提案で、二人はダンジョン5階層にまで足を踏み入れていた。

 

 冒険者の背中に刻まれた恩恵は鍛えれば鍛えるほど、戦えば戦うほど、目に見える『数値』という形で成長していく。

 レベル、スキル、魔法と、恩恵の力は多岐に渡るが、その中で最もわかりやすい成長をするのが『基礎アビリティ』と呼ばれる項目だ。

 

 力、耐久、器用、敏捷、魔力の5つのアビリティ。

 最高値が『S999』、最低値が『I0』。

 5階層は、この基礎アビリティの評価がG~Fくらいあれば通用すると言われている。

 スピネルは無茶こそしなかったが、冒険者になってからの三ヶ月半、遊びもせずに毎日毎日ダンジョンか鍛錬のどちらかを継続し続け、ミッチリと自らを鍛え上げ、魔力を除いた基礎アビリティの平均がEに到達している。

 

 もっとヘスティアに褒められたい。

 それだけを喜びとして、他のことには一切目もくれず、積み重ねた努力の結晶。

 もっと下の階層に行きたいとか生意気なことを言い出し、バッサリ切り捨てても集中力を欠いてウザかった後輩を黙らせるため、5階層を軽く見学させて、自身の力不足を思い知らせるくらいは問題無い……はずだった。

 

「本当に、ついてない……」

 

 スピネルは思わずそう呟く。

 5階層に降りて少ししたあたりで、二人はいきなり『ウォーシャドウ』という、上層の中ではかなり強めのモンスターに襲われた。

 こいつは『新米殺し』の異名を持つモンスターの一体であり、新米のくくりから脱し始めているスピネルでも苦戦する強敵だ。

 本来なら6階層以降に出現するのだが、モンスターの階層間移動は無い話ではない。

 

 そんな強敵と、ベルというお荷物を抱えながら戦ったのだ。

 普段意識している安全マージンも何もあったものじゃない。

 滅茶苦茶な死闘となり、どうにかウォーシャドウの魔石を砕いて仕留めた時には、もう疲労困憊になっていた。

 しかも、余裕が無くて弱点の魔石を砕いてしまったため、収入は得られず、得られたのは恩恵を成長させてくれる経験値(エクセリア)だけ。

 たまに灰にならずに残ってくれるドロップアイテムも、今回は無かった。

 正直、報酬が労力に見合っていない。

 

「ふぅ。でも、これでわかったでしょ。あなたに5階層はまだ早い。大人しく上に戻りましょう」

「は、はいぃ!」

 

 ベルは泣きそうな顔で、ブンブンと勢いよく首を縦に振った。

 彼に己の力不足をわからせるという当初の目的だけは達成できたようだ。

 なら、これで良しとしておこう。

 下の階層に挑みたいなら、もっと時間をかけて努力を積み上げてからにしてくれ。

 

 そうして、4階層に続く階段へ引き返そうとした、その時。

 

「ヴヴォオオオオオオオオオオオ!!!」

「「ッ!?」」

 

 少し遠くから、そんな咆哮が聞こえてきた。

 身の毛のよだつような、怪物の声。

 声を聞いただけで、体が危険信号を発している。

 本能が、この声の主には勝てないと叫んでいる。

 新米のベルだけでなく、下級冒険者と呼べるくらいの強さに至ったスピネルも同様にだ。

 

「逃げよう。今すぐ。何を置いても」

「は、はい!」

 

 二人は一も二もなく逃走を決意。

 今の声の主はどう考えても、ウォーシャドウごときとは比べ物にならないレベルの化け物だ。

 アドバイザーに教えてもらった上層に出現する怪物の中に、これほどの威圧感を放つ化け物の心当たりは無い。

 だが、ダンジョンでは何が起こるかわからない。

 何かしらのイレギュラーでも発生したのだろう。

 ダンジョンに潜る以上、覚悟していて然るべき事態だ。

 ゆえにこそ、慌てず騒がず、最適解である逃走を選ぼうとして━━その決断は少しだけ遅かった。

 

「フゥゥゥ……!」

「!?」

「な、あ……!?」

 

 通路の先から、そいつが現れる。

 身長2M半ほどの巨体を持つ、牛頭人体の怪物。

 ミノタウロス。

 ダンジョンの中層に出現する怪物。

 レベル1では絶対に勝てない、ランクアップを果たした上級冒険者達が相手にする化け物。

 断じて、こんな浅い階層にいていい存在ではない。

 モンスターの階層間移動にしても、あれはせいぜい上下二階層という話だっただろう!

 

「走って!!」

「!?」

 

 その瞬間、スピネルはベルの手を引っ張って駆け出した。

 ウォーシャドウ戦で消耗した体力が回復していない。

 加えて、ステイタスの低いベルを引っ張って走らなければならない。

 

「ヴヴォオオオオオオオオオオオ!!!」

 

 ミノタウロスが追いかけてくる。

 速い。さすがは中層の怪物。

 あれから逃げ切る方法は……無くはない。

 簡単だ。ベルを囮にしてしまえばいい。

 足手まといがいなくなるだけでも非常に助かるし、ミノタウロスの標的がベルに向けば、スピネルは確実に生きて帰れる。

 けれど……それをヘスティアが許すとは思えなかった。

 

「ああ、もう!」

「ひぃぃぃぃ!?」

 

 結局、スピネルは足手まといを見捨てることができずに、ミノタウロスから逃げ続けた。

 一応、逃走劇が成立はした。

 奴は中層の怪物の中では遅い方なのか、それとも単に遊ばれているだけか、ミノタウロスは付かず離れずの距離で追いかけてくる。

 即座に追いつかれはしない。

 ただ、振り切ることもできない。

 

「ヴゥムゥンッ!!」

「でぇ!?」

「ッ!?」

 

 背後から一気に加速したミノタウロスが、その蹄を踏み抜いた。

 どうにか避けたが、足場を砕かれ、その砕かれた足場にベルが足を取られて転んだ。

 体力切れにつき、スピネルも転ぶベルを支え切れず、巻き込まれて地面をゴロゴロと転がり……追い詰められた。

 

(マズい……!)

 

 もうミノタウロスは目と鼻の先。

 しかも、攻撃動作に入っている。

 立ち上がって回避する余裕は無い。

 詰みだった。

 

(ああ、本当についてない……)

 

 自分の人生はいつもこうだ。

 運が悪かった。

 その一言で、あらゆる理不尽が襲ってきた。

 やっとの思いでそこから逃げ出し、ようやく幸せと呼べるものを手に入れたというのに、たった三ヶ月ちょっとで、それも終わりか。

 

(ごめんなさい、ヘスティア様……)

 

 最後に大好きな主神への謝罪の言葉を心中で呟き、せめてもの抵抗としてナイフを構えた、その時。

 ━━銀の閃光が、ミノタウロスの体を薙いだ。

 

「「え?」」

「ヴォ?」

 

 胴体、首筋、脚と、銀の閃光は何度も怪物の体を走った。

 そして、ミノタウロスが細切れとなって崩れ落ちる。

 魔石までやられたのか、亡骸は一瞬にして灰となって消えた。

 絶望が去った。

 こんな唐突に。

 

「大丈夫ですか?」

 

 誰かが声をかけてくる。

 血の滴る銀の剣を持った、人形のように整った顔立ちの金髪の少女。

 見覚えがある。遠目から見たことがある。

 

 オラリオ最強派閥の片割れ、ロキ・ファミリアの幹部。

 【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタイン。

 上級冒険者の中でも更に別格。

 4回ものランクアップを果たした、レベル5の第一級冒険者だ。

 

「あの、大丈夫、ですか?」

 

 放心していたら、再度声をかけられた。

 スピネルはようやく状況を飲み込めてきて、自分の悪運もどうやら捨てたものではなかったらしいと心底思った。

 不幸は何度も何度も何度も何度も味わってきたが、ヘスティアに拾ってもらえたことといい、剣姫に助けられたことといい、最後の最後、追い詰められた時の悪運だけは強いようだ。

 

「あの、助けていただいて、ありがとうございま……」

「うわぁああああああああああああ!!!」

「え?」

「は?」

 

 その時、ベルがなんか勢い良く逃走を開始した。

 ミノタウロスからではなく、何故か剣姫から逃げた。

 残された少女二人は呆然とするしかない。

 

(◑♧▽☆♀♦✚♂▽♠♡!?)

 

 死にかけた恐怖+助かった安堵+命を助けられた状況での吊り橋効果+憧れの英雄のようなカッコ良さ+スピネル並みにドストライクの容姿+スピネルの足を引っ張りまくった上に腰を抜かしていた今の自分の醜態。

 =この人に今の自分を見られたくない!

 頭と心の許容量を大きく越えて混乱しまくったベル・クラネルは、グッチャグチャになった思考回路で、反射的に逃走という選択肢を選んでしまった。

 そんな内心を知らぬ少女二人からすれば理解不能だ。

 本人ですら何やってんだと思うような、数分後には我に返って、やっちまったと思って、スピネルに土下座するまでがセットになるだろう謎行動。

 

 

 

 これこそが運命の出会い。

 一人の少年が美しき英雄に一目惚れし、それが本人の資質や想いを『スキル』や『魔法』という形で発現させる恩恵に影響を与え、ベル・クラネルは発現させたスキルを武器に、ここから大きく飛躍を始める。

 

 彼は『英雄』となるだろう。

 剣姫という本物の英雄と出会い、彼女を追いかけていくうちに、まるで運命に愛されるかのように、英雄への階段を凄まじい速度で登っていくだろう。

 まるで何かの物語の『主人公』のように、その歩みは多くの人々を引きつけ、神々すらも魅了し……。

 

「なんなの……」

 

 その絶大な光で、すぐ隣にいた『端役』の心を焼き焦がすこととなる。



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6 飛躍

「は?」

 

 あのミノタウロス事件から3日後。

 ダンジョン上層にて、スピネルは信じられない光景を目にしていた。

 

 この3日は、確かにいつもと違うことがいくつも起きた。

 まずミノタウロス事件。

 あれはどうやら、ロキ・ファミリアが中層で倒し損ねた奴らが上層まで逃げてきたことが原因らしく、言ってはなんだが、剣姫に助けてもらったのはマッチポンプ的なあれだった。

 もちろん、意図してのことではないのだが。

 

 しかし、ベルにとって、そんなことはどうでもいいらしく、絶体絶命の窮地をカッコ良く救ってくれた美しき女剣士に恋しちゃってる様子だ。

 シチュエーションがビックリするくらい性癖に刺さったらしい。

 当日は混乱と羞恥のあまり逃げ出したことを土下座で謝罪してきた後、何度も何度も剣姫の話をしてきて大変ウザかった。

 慈愛の化身のようなヘスティアですら、頬を引きつらせるレベルで。

 

 そして、その翌日のこと。

 ダンジョン探索の後に、色々あって三人で『豊穣の女主人』という店で外食をしたのだが……そこでもちょっとした事件が起きた。

 件のロキ・ファミリアもその店に入ってきて、幹部の一人が酒の席での話題として、アイズを前に逃げ出したベルのことを盛大にネタにしたのだ。

 

『いかにも駆け出しのひょろくせぇガキが、逃げたミノタウロスに追い詰められてよ!

 一緒にいた女は気張ってナイフ構えてやがったのに、そいつはすっかりブルッちまってたんだぜ?

 女が気張ってる横で、男が腰抜かしてるなんざ、みっともねぇにもほどがあるぜ!』

 

 ……なんというか、うん、まあ、その。

 とりあえず、そのミノタウロスを逃した張本人が言っていい台詞ではない。

 そこはロキ・ファミリア副団長にも突っ込まれてしまい、その幹部は最終的に吊るし上げ(物理)の刑に処されたのだが……。

 

『ッ!』

『ベルくん!?』

 

 ベルはあまりの悔しさにぷるぷると震え、逃げるように店を飛び出してしまった。

 

『おのれ、ロキィィィ!!!』

『げっ!? ドチビ!?』

 

 ヘスティアは大事な眷族を傷つけられたことに激怒して、宿敵ロキに殴り込みを敢行。

 そして、スピネルは、逃げたベルの捜索を頼まれた。

 

『いない……』

 

 ひと通りベルの行きそうな場所を探したが見つからず。

 

『まさか……!?』

 

 まさか、悔しさのあまり力を求めてダンジョンに行ったのでは?

 そう思い至り、覚悟を決めて夜の迷宮に踏み込んでみれば、そこでモンスター相手に八つ当たりするように暴れるベルを見つけた。

 1階層からシラミ潰しに捜索したため、発見までに数時間以上の時間がかかってしまったのだが、よくもまあ生きていたものだ。

 

 夜のダンジョン、特に上層は昼より遥かに危ない。

 日帰りできる階層を活動拠点にしている冒険者は、当然のことながら昼に働いて夜には帰る。

 すると、昼は多数の同業者に分散して襲いかかっていたモンスターが、夜は数少ない獲物に集中するのだ。

 発見した時のベルは、もう少しモンスターの密度が濃くなっていれば、あるいはスピネルが駆けつけるのがあと少しだけ遅ければ危ないという状態だった。

 どうにか無事に助け出すことができたが、一歩間違えていれば、いや運が良くなければ死んでいた。

 

 ベルを連れ帰る頃には朝になっており、当然のごとくベルはヘスティアに雷を落とされた。

 しかし、気持ちは察せられたため、最後は優しく慰められた。

 スピネルも今回ばかりは譲ってやろうと思って、ベルを抱きしめるヘスティアの様子に何も言わなかった。

 

 次の日はベルに一日休養が言い渡され、夜の戦いでは経験値を優先して魔石を一切集めていなかったベルの代わりに、スピネルは普通にダンジョンへ。

 彼女もベル捜索のために半ば徹夜していたので、ひと眠りしてからの短時間しかダンジョン探索ができず、その日の稼ぎは悪くてホゾを噛んだ。

 

 で、3日目となる今日。

 スピネルは信じられない光景を目にした。

 

「ハァアアアア!!!」

 

 ベルがモンスターの群れに向かっていく。

 スピネルと同じ武装のナイフで、ゴブリンの首筋を斬り裂き、コボルトの胸を突き刺し、ダンジョンリザードをズタズタにして、フロッグシューターの中距離攻撃を俊敏に避ける。

 どう見ても、動きが3日前までとはまるで違う。

 基礎アビリティの評価が何段階か上がってるんじゃないかと思うほど、スピードもパワーも精密さも桁違いだ。

 

「どうなってるの……!?」

 

 スピネルがあのレベルの動きができるようになるまでに、どれくらいの時間をかけただろうか。

 最低でも一ヶ月はかけていたはずだ。

 スピネルが一ヶ月かけた成長を3日で……?

 いや、昨日は休養していて、今日は始まったばかりなのだから、ベルをここまで飛躍させたのは、一日分の探索と例の夜戦で稼いだ経験値だけということになる。

 

「ありえない……!」

 

 夜戦でよっぽど頑張ったとでも?

 それなら、ベルを探して同じく夜のダンジョンを駆けずり回ったスピネルも同じくらい成長していないとおかしい。

 いくらステイタスの伸びは成長すればするほど緩やかになるとはいえ、ここまでの差が出るはずがない。

 

 神の恩恵は平等だ。

 才能の差はあるにせよ、頑張れば頑張った分だけ、努力に応じた量の経験値が入って成長する。

 そのはずなのに、ベルは明らかにスピネルの数十分の1の努力で、スピネルの数十倍の成長率を叩き出している。

 本当に、何がどうなっているというのか。

 

 だが、スピネルにとって最重要なのはそこじゃない。

 彼女にとって、一番ショックを受けたのは……。

 

「うん。スピネルくんは順当に伸びてるね。偉いぞ」

 

 ステイタスを更新してくれる時のヘスティアの様子が、明らかに以前と変わったこと。

 スピネルの努力の跡(ステイタス)を、見ているようで見ていない。

 彼女のステイタスと比較して、ベルのステイタスにばかり気が行っている。

 

 ……当然、ヘスティアにスピネルよりもベルを優先するような意図は無い。

 ただ、ベルに発現したスキルのあまりの特異性と、それがもたらすバグじみた成長速度に、どうしても気を取られてしまっただけだ。

 

 

憧憬一途(リアリス・フレーゼ)

・早熟する。

・懸想が続く限り効果持続。

・懸想の丈により効果向上。

 

 

 剣姫アイズ・ヴァレンシュタインへの憧れと恋心によって発現したスキル。

 アイズへの想いが募れば募るほど、成長速度が上がっていくという効果。

 早熟するなんて、聞いたこともない効果の特別な力(レアスキル)

 他の神に知られたら何をされるかわかったものじゃない。

 娯楽に飢えた神々にとって、珍しいものとは貪るものなのだ。

 

 それが頭痛の種となっていたから、どうしてもヘスティアの意識はベルに向いてしまう。

 そんなヘスティアの様子が……スピネルには酷く悲しかった。




ベルが最初の眷族じゃないので、ヘスティアのベルへの好感度は原作に比べれば大分抑え目です。
アイズだいしゅきのスキルが発現しても、ヤキモチとか焼かずに、普通に食事に付き合うくらいには。
もちろん、それでも大切な子供として愛してはいますが。


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7 怪物祭

「ヘファイストス! この通りだ!」

 

 ベルが無茶をした2日後。

 前日に神々の宴(暇神どもの集まり)があり、そこで再会した()友ヘファイストスのホームに押しかけたヘスティアは、彼女に土下座を敢行していた。

 

 ヘファイストスには、かなりの恩がある。

 下界に来た当初、右も左もわからなかったヘスティアを養ってくれて、グータラ過ぎて追い出された後も、ホームとして廃教会を譲ってくれたり、バイト先を紹介してくれたりと、マジで世話になりまくった。

 

 だが、ヘスティアは恥を忍んだ土下座にて、ヘファイストスにもう一つ恩を売ってもらおうとする。

 可愛い眷族達の武器を作ってほしい。

 ベルは一昨日に、夜のダンジョンに突撃するという無茶をした。

 こんなことは二度とするなと釘は刺したが、あんな神に目をつけられそうな上に悪目立ち待ったなしのスキルを持っていれば、厄介事は向こうからやってくるだろう。

 そうなれば、スピネルもそれに巻き込まれる。

 

 苦難に見舞われそうな眷族達の、せめてもの力になりたい。

 ヘスティアは強くそう思ったからこそ、ヘファイストスへの土下座を敢行したのだ。

 

「…………はぁ。今回だけよ。それと、代金は何百年かけても返しなさい」

「恩に着る!!」

 

 面倒見の良すぎる女神ヘファイストスは、ちょっと甘くし過ぎてるなと思いながらも、土下座までする()友の頼みを拒絶できずに、ついつい受け入れてしまった。

 そうして、鍛冶の神が自ら鎚を取る。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 ベルの飛躍に気づいてから3日、無茶をした日から数えれば5日が過ぎた。

 本日はお祭りの日。

 人数ならオラリオ最大派閥の『ガネーシャ・ファミリア』が開く、観客の前でモンスターを華麗に調教(テイム)してみせるお祭り『怪物祭(モンスターフィリア)』。

 地上はどこも楽しげな雰囲気が漂っている。

 そんな日に……スピネルはいつもと何も変わらないダンジョンの中にいた。

 

「ハッ!」

「ガッ!?」

 

 振るったナイフがウォーシャドウの魔石を貫く。

 前回はお荷物を抱えていたから大苦戦した強敵も、一人で挑めばそこまで怖くはない。

 ただ、強くなりたいのなら、もっと自分を追い込む必要がある。

 

「足りない……!」

 

 スピネルは次の獲物を求めてさまよう。

 稼ぎを捨て、堅実さを捨て、強くなるためだけの冒険をする。

 現在地はダンジョン8階層。

 スピネルのステイタスに見合った階層。

 彼女はここで、もうかなりの数の怪物達を灰にしていた。

 

 ヘスティアの意識がベルに向くようになってから、スピネルは悲しみと焦燥を抱いた。

 ベルは凄まじい速度で成長し続け、あと数日もしないうちにスピネルを追い抜きそうな勢いだ。

 スピネルが三ヶ月半をかけて鍛え上げたステイタスを、たった一週間かそこらで。

 あまりにも成長速度が違い過ぎる。

 追いつかれたら、もう追い越せない。

 そうなったら、ヘスティアはますます自分を見てくれなくなると思った。

 

 ヘスティアに褒められたい。

 けど、ベルより劣るようになったら、褒めてもらえない。

 だったら、ベルより強くなるしかない。

 未だ12歳。

 しかもロクデモナイ環境で育ってきた、脆く、未成熟で、視野の狭いお子様であるスピネルは、愚かにも視野狭窄に陥り、焦燥感に駆られた。

 

 ベルより強くなりたいのなら、ベルのいない間が勝負だ。

 普段はヘスティアの仲良くしてほしいという望みもあって、二人でパーティーを組んで探索をしている。

 だから、スピネルがベル以上の経験値を稼ぐ機会は、寝る間も惜しんだ鍛錬か、ベルがダンジョン以外にうつつを抜かしている今日のような日しかない。

 

 本当なら今日も二人でダンジョン探索の予定だったのだが、途中で豊穣の女主人の店員の一人『シル・フローヴァ』に財布を届けてほしいとか言われて、ベルはシルが向かった怪物祭の方へ行った。

 何やらシルに目をかけられているベルは、彼女と知り合い以上友人未満くらいの関係だ。

 その友人モドキのために、ベルは時間を使った。

 平気で鍛錬以外にも時間を使ってるくせに、あんなスピードで成長しているのはムカつくが、その怠慢が好都合なのも事実。

 この隙に少しでも経験値を稼いで、ベルを突き放さなければならない。

 

「あっ……」

 

 だが、そうは思えども、意気込みだけではどうにもならないこともある。

 

「ナイフが……」

 

 武器として使っていたナイフが、激戦に耐え切れずに刃こぼれした。

 先ほど、10階層あたりから出てきたと思われる、ダンジョン産の武器を装備したモンスターとやり合い、一気に寿命を擦り減らしてしまったせいだろう。

 もちろん、武器の破損に備えて、普段からナイフはメインと予備の二本を持っていたが……残念なことに、今刃こぼれしたのが予備の方だ。

 メインは武器を持った強敵との戦いでへし折れてしまった。

 予備のこれも、これ以上の戦いを続ければ、地上に戻る前に砕け散るだろう。

 丸腰になったら、さすがに生きて帰れない。

 

「…………しょうがない。帰ろう」

 

 数も仕留めたし強敵も倒したとはいえ、時間的にはまだまだこれからといったところだった。

 せっかくの数少ないチャンスの日に、このまま帰るのは惜しい。

 けど、それで死んだらヘスティアが悲しむ。

 そうしたら、もう褒めてもらえなくなる。

 それだけは嫌だと考えながら、スピネルはダンジョンを逆走した。

 ……滅茶苦茶後ろ髪を引かれながら。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

「……うるさいなぁ」

 

 地上に戻ってみれば、怪物祭の熱狂がダンジョンの入り口にまで届いていた。

 イライラを抱えた今の彼女には、ひたすらに煩わしい。

 

(とりあえず、新しいナイフを……手持ちが無い)

 

 今回の探索は経験値を重視し、魔石を回収する暇も惜しんでモンスターと戦い続けた。

 結果、収入無しの上に、ナイフ二本を失うという大赤字。

 新しいのを買うにしても、ホームに保管してある自分のお金を取りに行かなければならない。

 

「はぁ……」

 

 ため息が出てくる。

 最近、酷く調子が狂う。

 前はこうじゃなかった。

 堅実に、自分にできる範囲での最高効率を求めて、稼ぎも経験値もバランス良く入手していた。

 赤字なんて、ダンジョンに慣れていなかった最初の頃以外、出したこともなかったのに。

 過剰な強さなんて望んでなかったはずなのに。

 

「はぁ……」

 

 またため息をついて、スピネルは重い足取りでホームへの道を歩き出した。

 けれど……その途中で事件は起きた。

 怪物祭の会場となっている、円形闘技場の近くを通った時に。

 

「きゃあああああ!?」

「モンスターだぁああああ!?」

「ッ!?」

 

 ガネーシャ・ファミリアが怪物祭用に捕獲していたはずのモンスター達が逃げ出したのだ。

 何体もの怪物が地上に解き放たれ、恩恵を持たない一般人に襲いかかる。

 そんな悪夢のような光景の中で、スピネルは見た。

 巨大な猿のようなモンスターに追いかけられる、ヘスティアとベルの姿を。

 

「ヘスティア様!!」

 

 大好きな主神のピンチに、スピネルは全速力で逃げた二人の後を追った。

 しかし、その足は強制的に止められる。

 地面の下から飛び出してきた、植物のようなモンスターによって。

 

「シャアアア!!」

「あぐっ!?」

 

 花の部分が禍々しい口のようになっている植物型のモンスターは、咆哮を上げながら蔓の部分でスピネルを攻撃した。

 ミノタウロスより遥かに速くて鋭い攻撃。

 レベル1が相手にできる領域ではなく、スピネルは為す術もなく腹部を貫かれる。

 

「あ、がっ……!?」

 

 蔓がお腹の中で蠢く。

 まるで体内をまさぐられるように、蔓は無遠慮にスピネルの中を蹂躙した。

 想像を絶する痛みに悲鳴すら出せない。

 

「『目覚めよ(テンペスト)』!」

 

 その時、声が聞こえた。

 前にも一度自らを助けてくれた、美しい少女の声が。

 呟かれた言葉は、恐らく魔法の詠唱。

 その証拠として、美しき女剣士は『風』を纏って現れた。

 

「ハッ!」

「シャ!?」

 

 【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインが植物モンスターの蔓を斬り裂き、スピネルを救出してくれた。

 自分では手も足も出ない相手を、あっさりと退けるその姿。

 レベル5。第一級冒険者。

 相変わらず、下級冒険者(レベル1)の自分とは比較にならない強さだ。

 

「大丈夫!?」

「助かり、ました……」

 

 スピネルは腹に刺さったまま蠢く蔓を強引に引き抜く。

 さっき以上の凄まじい痛みが走り、彼女の躊躇の無い行動にアイズは目を見開いた。

 

「う、うぅ……!」

 

 痛みに耐えながら、出血多量で死ぬ前に、ありったけのポーションを傷口にふりかける。

 ダンジョン探索が途中で中断されたせいで、携帯していたポーションが残っていたのが幸いした。

 もっとも、下級冒険者の稼ぎで無理なく買えるような品質のポーションでは、この大怪我を完治させることはできない。

 それでも、動けるくらいにはなる。

 

「行かなきゃ……!」

「そ、その怪我、動かない方が……ッ!?」

 

 スピネルを心配してくれたアイズを、植物型モンスターの攻撃が襲う。

 簡単に防ぎはしたが、走り去るスピネルを引き止める余裕は無い。

 目の前の敵を放置して追いかけるわけにもいかない。

 

「ハァ……ハァ……!」

 

 アイズから離れ、スピネルは走る。

 痛みと疲労で悲鳴を上げる体に鞭を打って走る。

 ヘスティアが危ないというのは、彼女を動かすこの上ない原動力となった。

 

「どこ……!? ヘスティア様、どこ……!?」

 

 さっきベルと一緒に逃げていった方向に走り、街並みに残る破壊の痕跡を追いかける。

 ヘスティアを追いかけていたあの大猿のモンスターは、恐らく『シルバーバック』だ。

 アドバイザーに聞いた話では、11階層に出てくるモンスター。

 スピネルの適性レベルを越える階層の住民。

 さっき直接見て感じた威圧感からして、仮に体が万全でも勝ち目は薄いだろう。

 

 そんな怪物にヘスティアは追いかけられていた。

 最悪の想像が脳裏を過る。

 いや、まだだ。まだ大丈夫だ。

 背中の恩恵が消えていないということは、まだヘスティアは死んでいないはず。

 神が下界において死んだ時に発生するという、天へと還る『送還』の光も発生していない。

 

「私が、助けるんだ……!」

 

 ヘスティアの一の眷族として、大恩ある女神をなんとしてでも助ける。

 強い決意が痛みと疲労を忘れさせ、スピネルの体を強引に動かすエネルギーとなる。

 走って、走って、走って。

 

「グォォォオオオ!!!」

「!」

 

 見つけた。シルバーバック。

 大暴れしている。ヘスティアの姿も近くにある。

 今、助けに……。

 

「………………え?」

 

 スピネルが飛び出そうとした瞬間━━シルバーバックが灰になって崩れた。

 魔石を砕かれた怪物の末路。

 彼女が動く前に、他の冒険者が奴を倒したのだ。

 それ自体は喜ばしい。

 怪物を倒して女神を守った英雄が……ベル・クラネルでさえなければ。

 

「なん、で……!?」

 

 あれは万全の自分でも敗色濃厚の敵だ。

 なんで、ベルがそれに勝っている?

 まさか、もう追いつかれた?

 いや、下手したら追い抜かれた?

 

 ミノタウロス事件から、たったの6日。

 そこから実際に戦って経験値を稼いだのは、僅か4日。 

 たったそれだけの時間で……!?

 わかってはいたことだが、積み上げた経験値に対して、現在の強さがあまりにも釣り合っていない。

 一緒にダンジョンに潜っていたからこそ断言できる。

 ずっと一つ屋根の下で暮らしてきたからこそ断言できる。

 ベル・クラネルの積み重ねてきたものでは、絶対にシルバーバックを倒せるはずがないと。

 反則(チート)

 そんな言葉が脳裏を過ぎった。

 

「やった! やったよ、ベルくん!!」

「はい! ありがとうございます、神様!」

「ッ!?」

 

 ヘスティアが飛び跳ねんばかりに喜びながら、ベルに抱きついた。

 それを見て、スピネルは胸を掻きむしりたくなるような苦しみに襲われた。

 

「なんで……!? ヘスティア様……!?」

 

 なんで、そんな反則野郎をそんなに褒めるの?

 私のことは、あんな風に褒めてくれなくなったのに。

 なんで? なんで?

 

「すげぇ! すげぇぞ、兄ちゃん!」

「カッコ良かったぞ、冒険者!」

 

 周囲の住民まで、シルバーバックを倒したベル・クラネルを褒め称える。

 違う。そいつは凄くなんかない。

 何かズルいことをして、相応の努力もせずに異様なステイタスを手に入れただけの反則野郎だ。

 そう叫びたいのに、喉の奥が焼けついたように言葉が出ない。

 

「…………あ、そうだ。ダンジョンに、行かなきゃ」

 

 さっきとは違う何かが痛みも疲労も麻痺させ、スピネルは幽鬼のような足取りでダンジョンへ戻っていった。

 

(強く、ならなきゃ。ベルより、強くならなきゃ)

 

 大きなショックを受けて混乱した頭は、壊れたようにそれだけを体に命じた。

 ベル・クラネルより強くならなければ、ヘスティアに褒めてもらえない。

 そんな短絡的な考えだけが、スピネルの頭の中でグルグルと巡っていた。




ヘスティア様は命の危機を脱した吊り橋効果でテンション上がってただけです。
原作と違って、デートと洒落込んでいたわけでもありません。
責めないであげてください。


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8 すれ違う

「スピネルくん!?」

 

 ダンジョンから帰る頃にはすっかり夜になっていて、落ち着かない様子でスピネルを待っていたヘスティアに飛びつかれた。

 相当心配させてしまったらしい。

 そのことに胸が苦しくなるが……必要なことだったのだ。

 

「こんな時間まで帰ってこないなんて!? すっごい心配したんだぞ!?」

「……ごめんなさい」

 

 スピネルは小さな声でそれだけ言った。

 超越存在である神に嘘は通じない。

 だから、下手なことは言えない。

 この胸の中のドロドロをヘスティアに悟られたくなくて、スピネルは口をつぐんだ。

 

 けれど、ヘスティアだってバカじゃない。

 ここ最近、愛しい娘が悩んでいたことは察している。

 

「……ずっとダンジョンにいたんだろう? 強さを求めて」

「…………」

 

 スピネルの顔が歪んだ。

 ヘスティアの全てを見通しているような目を見ていられなくて、視線を逸してしまう。

 

「……スピネルくん、ベルくんのことは気にしなくていい。

 あの子はその、なんというか、ちょっとおかしいだけなんだ。

 無理にベルくんと張り合わなくていい。君は君のままで……」

「やだ」

 

 どうにか宥めようとして捻り出したヘスティアの言葉を、スピネルは反射的に否定した。 

 ベル・クラネルはおかしい。

 ああ、その通りだろう。

 あんな反則野郎と張り合うなんて、イカサマしてる奴に真っ向勝負で挑むくらいバカらしいことだろう。

 それでも、スピネルはやるしかなかった。

 

「だって、ヘスティア様、ベルがああなってから褒めてくれなくなった」

「!? い、いや、そんなことは……」

「あるもん! 前は『凄い』って言ってくれたのに、今は『偉いぞ』とか『頑張ったね』としか言ってくれなくなった!」

「ッ!?」

 

 子供は想像以上に親のことをよく見ている。

 ……確かに、思い返してみれば、スピネルの言う通りだった。

 どうしてもベルのアホみたいな成長速度が脳裏にチラついてしまい、スピネルの成長を頑張ってる、偉いとは思えても、凄いとは思えなくなっていた。

 ヘスティア自身ですら気づいていなかった無自覚の態度の変化が、スピネルには耐え難かったのだ。

 

「私はヘスティア様の一の眷族なのに! 今日だってそう! ヘスティア様はベルばっかり褒める! あんな奴、ただズルしてるだけなのに!!」

「スピネルくん……!」

 

 スピネルは涙を流しながら叫ぶ。

 ヘスティアは、そんな娘に何も言えなかった。

 自分の態度が彼女をここまで傷つけてしまったのだと気づいて、何も言えなくなってしまった。

 

「か、神様、どうしたんですか!? なんか凄い声が!?」

「ベ、ベルくん!?」

「ッ!!」

 

 そして、最悪のタイミングで地下室からベルが出てきてしまった。

 シルバーバック戦の疲労もあって寝ていたのだが、今の大声で起きてしまったらしい。

 

「って、スピネルさん! 帰ってたんですね! 中々帰ってこないから心配しましたよ!」

 

 ……どうやら、今の会話の内容までは聞こえていなかったらしい。

 鈍感もここまでくると罪だ。

 スピネルは、そんなベルのことを一瞬凄い目で睨みつけ、

 

「……なんでもない。今からステイタスの更新するから、どっか行ってて」

「あ、は、はい!」

 

 醜い感情を押し殺してそう言った。

 あんまり醜い姿をヘスティアに見せたくない。

 ただ、それだけの理由で。

 ステイタスは仲間内でも秘密にするようなものであり、何より更新する時は背中に刻まれた恩恵を神にさらけ出す、つまり上半身裸にならなければならないため、ベルは言われた通りにどこかへと去った。

 

「スピネルくん……」

「ヘスティア様。ステイタスの更新をしてください。大丈夫。私は絶対、ベルより強くなりますから」

「ッ!?」

 

 大丈夫じゃない。

 それは全然大丈夫じゃない。

 けれど、激情の炎に身を焼かれてる様子のスピネルを宥める方法が、ヘスティアにはわからなかった。

 

「……お願いだ。無茶だけはしないでくれ」

「…………無茶しなきゃ、勝てませんよ」

 

 どこまでも、主神(おや)眷族()はすれ違う。

 生じた亀裂が、どんどん大きく広がっていく。

 

「……なら、せめてこれを持っていってくれ」

「これは……?」

 

 スピネルと共に地下室ヘ戻ったヘスティアは、一つの木箱を彼女に差し出した。

 開けてみれば、そこに入っていたのは軽鎧一式。

 鍛冶の神ヘファイストスに土下座して造ってもらった、下級冒険者には見合わないほどの一品。

 恐ろしいほど軽く、されど凄まじく頑強な、神の鎧(ヘスティア・アーマー)

 

「スピネルくん、これだけは覚えておいてくれ。ボクは君に死んでほしくない。君が天寿を全うするまで、ずっと一緒に生きていたい」

 

 愛しい娘の手をギュッと握りながら、慈愛の女神はそう言った。

 

「その鎧は君を守るためのものだ。お守りだ。

 帰ってきてくれ。無茶をしても、死にかけても、最後はボクのところに帰ってきてくれ。お願いだ」

「……はい。わかりました」

 

 ヘスティアに心配してもらえる。

 それは嬉しい。

 嬉しいのだけれど……。

 

「ヘスティア様、その……」

「なんだい?」

 

 言いたいことがあった。

 けれど、言葉が詰まる。

 だって、これが言っていい言葉だとは思えなかったから。

 

(前に戻りたい)

 

 稼ぎは少なかったけど、二人で笑っていられて、ほんの少しずつの成長でもちゃんと褒めてくれた、あの頃に。

 過剰な強さなんて求めることのない、安全第一でヘスティアのところに必ず帰れていた、この(ひと)にこんなに心配させることなんて無かった頃に。

 あの小さな幸せの世界に、ベル・クラネルのいない日常に戻りたい。

 だから、ベルをどこかにやってほしい。

 そんなこと、言えるはずがなかった。

 

「……いえ、なんでもありません。ステイタスの更新をお願いします」

 

 結局、スピネルはその言葉を飲み込んで、ステイタスの更新を行った。

 メイン武器も予備武器も失い、モンスターの使っていた武器を奪って使い潰しながら戦い続けたのに、彼女の成長はベルに比べれば微々たるものだった。



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9 別行動

「ハァアアアア!!!」

「ぶぎゃ!?」

 

 豚頭人身の巨体のモンスター、オークの頭を棍棒で叩き潰す。

 買い直したナイフは、またもあっさり壊れた。

 今使っているのはモンスターから奪った武器、ダンジョンがモンスターに与える天然武器(ネイチャーウェポン)というものだ。

 

 現在地はダンジョン10階層。

 モンスターの武器が用意され始め、濃い霧による視界妨害というダンジョンギミックが設置された、スピネルの適性ギリギリの階層。

 ベルはいない。

 彼はシルバーバック戦を経て更に急成長した力を見せつけ、ウォーシャドウ以上の新米殺しとして有名なキラーアントの群れを一方的に蹂躙し、明らかにスピネル以上の速度と攻撃力を彼女に見せつけた。

 

 嫌な予感は現実となった。

 ベル・クラネルは、既にスピネルを追い抜いていたのだ。

 もう胸を焦がす感情が我慢できないほどに膨れ上がり、スピネルは適当な理由をつけてベルとのパーティーを解消して、別行動することを決めた。

 ベルがまだ寝ている朝早くにダンジョンへ行き、ベルが寝静まった夜中まで帰らない。

 

 そんな生活を続けて、今日で何日目だろう。

 時間感覚も曖昧になるくらいダンジョンに潜り続けたせいで、ボンヤリとしかわからない。

 

「!!」

「うっ!?」

 

 霧の中から奇襲してきたウォーシャドウの攻撃に対応し切れず、鎧を貫かれてダメージを受けた。

 痛みを無視して、即座に反撃。

 天然武器の棍棒をウォーシャドウに振るう。

 だが、当たらない。

 ウォーシャドウは速い。

 鈍重な棍棒では捉えられない。

 

「なら!」

 

 棍棒をウォーシャドウに向けてぶん投げ、それを目眩ましにして、腰から岩石のような短剣を引き抜く。

 さっき、ゴブリンから奪った天然武器だ。

 使い慣れたナイフに近い武器は温存しておきたかったが、そうも言っていられない。

 

「やぁ!!」

「カッ!?」

 

 数度の打ち合いの末、ウォーシャドウの胸の魔石を短剣で貫く。

 岩石の短剣は、それだけで少し欠けていた。

 天然武器は、鍛冶師が丹精込めて打ち上げた武器に比べれば、様々な分野で劣る。

 そうじゃなければ、誰がタダで手に入る天然武器ではなく、わざわざ高い金を払って売っている武器を買うのかという話だ。

 

「キュラアアアアア!!」

「ッ……!?」

 

 休む間もなく、次のモンスターが来た。

 バットバット。

 怪音波で集中を乱してくるコウモリ型モンスター。

 短剣を投げつけて始末する。

 あれが残っていると、他のモンスターとの戦闘が最悪なことになる。

 

「!」

 

 その時、迷宮の壁がヒビ割れた。

 

「『怪物の宴(モンスターパーティー)』……!」

 

 10階層以降で起こる、モンスターの同時多発発生。

 ヒビ割れた壁の向こう側から、オーク、ゴブリン、コボルト、インプ、バットバットと、次々にモンスターが現れる。

 さすがに、あの数を一度に相手にするのは無謀だ。

 

(けど……!)

 

 無茶をしなければ、ベル・クラネルには届かない。

 スピネルは先ほどウォーシャドウに投げつけた棍棒を拾い直して構えた。

 そんな彼女を守るように、砕かれた神の鎧がゆっくりと修復されていく。

 これが、鍛冶神が直接造り上げたこの鎧の効果。

 ヘスティアの神の血を混ぜ込んで造られた鎧は、眷族であるスピネルが生きている限り修復され続け、装着者の成長と共に強度を上げていく。

 ヘスティアに守られていることを実感しながら、スピネルはモンスターの群れに突撃を開始した。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

「ハァ……ハァ……!」

 

 鎧がダメージを軽減してくれたおかげで、ズタボロになりながらも、なんとかスピネルはモンスターの群れを全滅させた。

 一歩間違えれば死んでいた。

 この数日で、そんな死線を何度も潜った。

 さぞ経験値も入っていることだろう。

 

 これなら、少しはベルに追いつけたはずだ。

 なんか最近、ベルは荷物持ち(サポーター)との契約がどうの、そのサポーターの女の子の事情がどうので時間を使っているらしい。

 女の子にうつつを抜かしていやがる。

 つまり、今が差を縮めるチャンス。

 頑張ろう。頑張れ。

 

「さすがに、疲れた……」

 

 けれど、死ねばそれまでだ。

 無茶をすることと自殺は違う。

 帰ってくるとヘスティアと約束した以上、自殺するわけにはいかない。

 

「……帰りたくないなぁ」

 

 ホームには大好きなヘスティアがいる。

 でも、顔を合わせたくないベルもいる。

 好きなものと嫌いなものが混ざった場合、大抵の場合は嫌いなものが好きなものを塗り潰してしまうものだ。

 前はあんなに帰るのが楽しみだった廃教会が、徐々にトラウマばかりが残るあの娼館のように見え始めている。

 良くない兆候だ。

 

「はぁ……」

 

 また多くなってきたため息をつきながら地上を目指す。

 10階層から退散し、9階層、8階層と登っていって。

 他の冒険者の姿が見えないことから、多分外は夜なんだろうなと思ったりして。

 

「ん?」

 

 そして、かなり上の階層に来たところで、何やら変な音が聞こえてくることに気づいた。

 ドッカンドッカンと、何かをぶっ壊すような音だ。

 モンスターなら帰る前に最後の経験値に変えていこうと思って、音の鳴る方向に近づいてみると……。

 

「『ファイアボルト』! 『ファイアボルト』! 『ファイアボルト』!」

 

 そこには、実に嬉しそうな顔で、掌から炎の矢を撃ちまくるベルの姿があった。

 炎の矢を撃ちまくるベルの姿があった。

 あまりの光景に、思わず二度見した。

 

「………………は?」

 

 なんだ、あれは?

 いや、あの現象自体はわかる。

 『魔法』だ。

 基礎アビリティとは違う形で恩恵に刻まれる権能の一つ。

 剣姫だって、前に風の魔法を使っているところを見た。

 決しておかしなことではない。

 おかしなことではないのだ。

 ただ━━ベル・クラネルがまた飛躍したという事実があるだけで。

 

「あ、ああ……!」

 

 一応は魔法に愛されたエルフの血を引いているスピネルより先に、ベルは魔法まで習得した。

 絶望に膝を折りそうになる。

 焦燥に心を焼き尽くされそうになる。

 

「なんで……!?」

 

 なんでだ?

 こっちは死ぬほどの努力をしてるのに、なんで差が縮まるどころか広がる?

 最近のベルはサポーター関連のことに時間を使っているという話だっただろう?

 なんで、他のことに時間を使ってる奴が、寝る間も惜しんで死地に赴いてる自分より成長してるんだ?

 頑張れば頑張った分だけ確実に強くなれる恩恵のシステム上、ありえないだろう?

 ありえないはずだろう?

 

「あっ……」

「あ」

 

 その時、ベルが唐突に意識を失って倒れた。

 多分、マインドダウンというやつだ。

 魔法を使うために必要な精神力(マインド)が枯渇して気を失う現象のこと。

 バカじゃないだろうか?

 夜に一人でダンジョンに来て、後先考えずに魔法を連射して気絶とか。

 これ、冗談抜きでモンスターに食われるぞ。

 

(……それも良いかも)

 

 ベルがいなくなれば、またヘスティアと二人きりになれる。

 もう、こんな醜い感情に焼かれることも無くなる。

 別にスピネルが殺したわけじゃない。

 ただ、間抜けの醜態を見なかったことにするだけ。

 バカがバカやった結果の自業自得。

 大分擦り切れてきた心のままに、スピネルはベルが怪物の餌になることを祈って……。

 

「ん? これは……」

「あ、この子……!」

 

 そこに他の冒険者が現れた。

 ロキ・ファミリア副団長、【九魔姫(ナイン・ヘル)】リヴェリア・リヨス・アールヴ。

 そして、ベルの憧れの女性【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタイン。

 あまりにもタイミングが良すぎる登場だった。

 

「知り合いか、アイズ?」

「直接話したことは無いんだけど、あの、ミノタウロスの時の」

「なるほど。我々の不手際で巻き込んでしまった少年か」

 

 しかも、この二人にはベルを助けるに足る理由がある。

 ダンジョン内で他の冒険者が助けてくれるなんてことは、かなり珍しい幸運だ。

 誰も彼もが自分のことで精一杯。

 中には追いかけてきていたモンスターを押しつけてきたり、普通に襲ってきたりする輩だっている。

 なのに、気絶という最大のピンチで現れたのが、この二人。

 まるで誰かがお膳立てしたんじゃないかと思うほどの、ありえないくらいの幸運だ。

 

「リヴェリア……私、この子に償いがしたい」

「ふむ。なら……」

 

 更に、二人は珍妙なことを始めた。

 なんと、副団長リヴェリアの悪ノリなのかなんなのか知らないが、彼女の提案で剣姫がベルに膝枕をしたのだ。

 バカがバカやって自業自得の報いを受けるはずが、何故か憧れの女性の膝枕なんてご褒美を貰っている。

 地獄から天国だ。

 またしても、行動と報酬が見合っていない。

 いや、それどころか反転している。

 もう、なんなんだと叫びたい。

 

「さて、私は先に戻る。それと━━そこのお前。妙な気は起こすなよ」

「ッ!」

 

 立ち去る間際、リヴェリアがスピネルの隠れている方向に軽く殺気を向けた。

 軽くとはいえ、第一級冒険者の殺気。

 オラリオの最高峰、レベル6の殺気。

 全身が震えて胃が引き絞られ、吐きそうになった。

 

 レベルとは、一つ違えば大人と子供ほどの力の差が発生する、恩恵の中で最も重要な項目だ。

 一つ違うだけでそれなのに、リヴェリアとスピネルのレベル差は5つ。

 もはや、生物としての格が違い過ぎる。

 蟻が竜に睨まれたようなものだ。

 気絶していないだけ奇跡。

 こんな殺気をぶつけられて、妙な気など起こせるはずがない。

 

「ッッ……!」

 

 ほの暗い愉悦の感情すら吹き飛ばされ、残ったのはひたすらの惨めさだけ。

 なんで、こんな思いをしなければならないのだろう?

 そんなに悪いことをしただろうか?

 確かに、ベルを見捨てようとはしたが、直接手を出したわけじゃない。

 それに、こんな思いを抱いてしまうに足る理由がある。

 こっちの事情を、感情を、少しはくんでくれないものだろうか?

 

 教えてほしい。

 ベル・クラネルを嫌いになるのは、そんなに間違っているだろうか?

 

「……戻ろう」

 

 剣姫に膝枕されるベルから意識を外し、スピネルは満身創痍の体を引きずって歩き出した。

 だが、向かう先はホームではない。

 またダンジョンの奥に戻るのだ。

 

 ベル・クラネルは魔法を手に入れた。

 尋常ならざる幸運まで持っている。

 なら、もっともっと頑張らないと勝てない。

 

「頑張らなきゃ……。頑張ろう……。頑張れ……」

 

 うわ言のように、自分を鼓舞する言葉をブツブツと呟きながら、スピネルはダンジョンの奥に消えていった。



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10 差

スピネル

Lv.1

 

力:E480→D500

耐久:E499→D521

器用:E499→D522

敏捷:E490→D511

魔力:I0→I0

 

【魔法】

 

 

【スキル】

 

━━━━━━━━━━━

 

「……魔力以外のアビリティオールD。凄く上がってるよ。本当に凄い」

 

 数日間ダンジョンから帰らず、その分の経験値で一気に上げたステイタス。

 それを見て、ヘスティアは心からそう思った。

 冒険者歴たったの四ヶ月ちょっとで、魔力以外のアビリティオールDというのは、お世辞抜きで本当に凄い。

 殆ど全てのアビリティを、ランクアップする上での最低ラインに乗せた。

 かなり才能のある冒険者でも難しいことだろう。

 

「ベルは?」

「…………」

「ベルは、どうなんですか?」

 

 焦点の合わない目で尋ねてきたスピネルの言葉に、ヘスティアは答えられなかった。

 言えない。言えるわけがない。

 ベルのステイタスは魔力以外のアビリティオールDどころではなく、魔力も含めて最高峰のアビリティオールSに至っているなど。

 だが、あんなのはバグみたいなものだ。

 本来ならアビリティオールSなど、大天才が年単位の時間をかけたところで達成できない。

 本当に、ベルがおかしいだけなのだ。

 

「……そうですか。ベルには届いてないんですね」

 

 ヘスティアの沈黙の意味をそう受け取ったスピネルは、フラフラとしながら上着を着て、立ち上がった。

 

「じゃあ、もっと、頑張らないと……」

「待つんだ!!」

 

 そのまま鎧を着込もうとしたスピネルを、ヘスティアは全力で止めた。

 いけない。

 このままだと、近いうちに彼女は壊れてしまう。

 

「君は充分に頑張った! 天才でも難しいことをやったんだ! 本当さ! だから……」

「でも、ベルには届いてないんですよね?」

 

 ギョロリと、虚ろに染まったスピネルの瞳がヘスティアを捉えた。

 神ですら気圧されてしまいそうな恐ろしい目だったが、ヘスティアは一歩も引かずに、スピネルを思いっきり抱きしめる。

 

「それがどうした!? ベルくんに届いてないからって、君の努力が否定されるわけじゃない!

 スピネルくんは本当に凄いことをやったんだ! ボクの自慢の一の眷族さ! 君はボクの自慢の娘だ!」

「嘘だ」

 

 ヘスティアの心からの叫びを、スピネルは嘘だと切り捨てた。

 なんの迷いもなく、それが絶対的な答えであるかのように。

 

「嬉しくない。嬉しくないんです、ヘスティア様。

 褒めてもらってるのに、ビックリするくらい心に響かないんです。

 だから、今の言葉は嘘だ。嘘じゃなきゃダメなんだ」

「ッッ!?」

 

 スピネルの心は……劣等感に焼かれて、望んでいたはずの言葉すら素直に受け入れられないようになってしまっていた。

 ダメなのだ。

 いくら褒めてもらえても、本人がそれを嘘と感じてしまうのでは意味が無い。

 彼女の心に幸せを注ごうにも、底が焼け落ちて穴が空いてしまったのでは、注いだ端からこぼれ落ちてしまう。

 

「大丈夫。ようやく『ゴール』も少し見えたんです。

 私、頑張りますから。絶対にベルに勝って、ベルより凄くなって、嘘じゃない言葉で褒めてもらえるように頑張りますから」

「スピネルくん……!!」

 

 壊れたような笑顔で望みを口にするスピネル。

 その夢が叶うことは無い。無いのだ。

 それくらいベル・クラネルの才能はぶっ壊れていて、反則としか思えなくて、追いかけようと手を伸ばせば、強すぎる光に身も心も焼き尽くされる他に無い。

 

「じゃあ、行ってきます」

「待って!! 待ってくれ、スピネルくん!!」

 

 しがみつくヘスティアを振りほどいて、スピネルはまたダンジョンへと向かおうとする。

 必死に泣いて喚いてすがりついたが、もうヘスティアのことすら見えていないかのように、スピネルは歩みを止めない。

 

「うぐっ!?」

「ごめんなさい。帰ってきたら、ちゃんと謝りますから」

 

 それどころか、しつこいヘスティアのボディに一発入れて意識を刈り取るなんてことまでした。

 下界では一般人程度の力しか持たない神が、恩恵を授けた冒険者の一撃を前に意識を保っていられるはずもなく。

 ヘスティアは薄れていく意識の中で、必死にスピネルに手を伸ばす。

 

「スピ、ネル、くん……!」

 

 スピネルの姿が遠ざかっていく。

 扉を開けて、外へ行ってしまう。

 ダンジョンへ行ってしまう。

 

「あ、ああ……!」

 

 愛しい娘に何もしてあげられなかった全知零能の神は、絶望と共に意識を失った。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

「頑張らなくちゃ……。頑張らなくちゃ……」

 

 ヘスティアに貰った鎧に身を包み、いくつかの天然武器で武装したスピネルは、フラフラとしながらダンジョンを目指した。

 そして、その途中で見たくもない顔を見つけた。

 

「あ、スピネルさん!」

「……ベル」

 

 バグッた大天才ベル・クラネルが、元気良く手を振りながらスピネルに近づいてきた。

 その顔は笑顔だ。

 スピネルのことなど何も聞かされていないし、何も知らないのだろう。

 

「お久しぶりです! 最近いませんでしたけど、まだ神様と喧嘩してるんですか?」

 

 ああ、そういえば、ベルには彼に会わない理由として、そんな風に言っていたんだったか。

 ちょっとヘスティアと喧嘩したから、家出して頭を冷やしてくると言って、ベルと顔を合わせなくても良い理由を作った。

 まさか家出した先がダンジョンで、数日籠りっぱなしなんてことがザラにあったなんて思いもしないだろう。

 本当のことを話すにしても、ヘスティアは彼になんと説明すればいいんだという話だし。

 

「ベル様、こちらの方は?」

 

 と、そこで彼の傍らにいた少女が声を上げた。

 巨大なバックパックを背負った小人族(パルゥム)の少女だ。

 出で立ちからして、例のサポーターだろうか?

 

「あ、紹介するね! この人はスピネルさん。同じファミリアの先輩で、冒険者を始めた頃に凄いお世話になった人なんだ!」

「な、なるほど……。そうなんですね」

 

 ベルの説明を聞いて、サポーター少女は何故か複雑そうな顔をしていた。

 「これは強敵出現かもしれません……!」とか小声で呟いている。

 彼女の様子には、ベルへの好意のようなものを感じる。

 スピネルが比喩でもなんでもなく死ぬほどの努力を重ねている間に、こいつは女の子を引っ掛けていたらしい。

 

 そのサポーター、何やら面倒な事情があるという話だったろう?

 それを解決するために、どれだけの労力を使った?

 どれだけの思考をその子のために割いた?

 こっちは強くなることだけに死力を尽くしているのに、なんで、それだけのハンデがあって追いつけない?

 

 しかも、アドバイザーがポロッと漏らした話によると、どうやって口説き落としたのか、最近は剣姫との個人トレーニングまでやっているという話だ。

 恋愛的な意味でも、経験値的な意味でも恵まれ過ぎている。

 なんで、ベルだけがそんなに幸せなんだ。

 剣姫に見てもらえて、サポーターにも好意を寄せられて、その上でスピネルが死ぬ気で追い求めてる強さまで持っていて。

 これだけ頑張ってるのに、なんで全部持ってる奴の一つにすら追いつけない?

 

 そんなに沢山幸せがあるなら、せめてヘスティアくらいこっちに譲れ。返せ。

 ヘスティア・ファミリアから出ていって、どこか他所でやれ。

 とてつもなくイライラする。

 

「はじめまして、スピネル様。リリと申します」

「…………よろしく」

 

 スピネルは興味なさげにリリと名乗ったサポーターに気のない返事だけして、すぐにダンジョンの方へ歩き去ってしまった。

 大分失礼な態度に、リリはちょっとカチンときた。

 

「これだから冒険者は……!」

「あ、あはは。ごめん、リリ。スピネルさんは人見知りな人なんだ。悪い人じゃないんだよ」

 

 背後でそんな会話が聞こえる。

 どうでもいい。

 ベルが女の子にうつつを抜かしている間に、もっと強さを……。

 

「スピネルさん! たまには帰ってきてくださいね! 神様も寂しがってますから!」

 

 見当違いな言葉をかけてくるベル。

 ……そのヘラヘラとした態度が、能天気な様子が、酷く癪に障る。

 自分を超えているのなら、せめて、あなたになら負けても仕方がないと納得させてくれよ。

 自分よりも努力して、自分よりも苦しんで、自分よりも必死な顔をして、その上で力強く笑うような立派な奴であってくれよ。

 今のベル・クラネルは、どうしてもそんな立派な人間には見えない。

 スピネルはギリッと歯を食いしばりながら、ベルの言葉に答えることなく、無言でダンジョンへ向かった。

 

「あ、えっと、機嫌悪いのかな……?」

「ベル様! あんな人、放っておけばいいんですよ! 私達も早く行きましょう!」

 

 そうして、ベル達もポーションなどの必要品を買い足してからダンジョンへ。

 酷く異なる熱量の差。

 なのに、業火のように燃え盛るスピネルよりも、ぬるま湯のような環境にいるベルの方が遥かに強い。

 悔しくて、悲しくて、スピネルはこぼれ落ちそうな涙をぐっと堪えた。




・スピネルの才能
レア度で言えば、(ノーマル)
経験値を溜めて力に変えてくれる恩恵が無ければ、完全にただの一般人。
アビリティが高いのも、技量が高いのも、それだけ人よりも努力しただけ。
しかし、どれだけ努力しても、どれだけ強く願っても、恩恵を授かってから僅か半年足らずでスキルや魔法を発現させられるような『才能』は無い。


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11 限界

「ハァ……ハァ……」

 

 今日も今日とてボロボロの体で、スピネルはダンジョンを進んでいた。

 いや、戻っていた。

 焦りに支配され、適正レベルを超える11階層に足を踏み入れたのだが、これが大失敗。

 シルバーバックにぶん殴られ、ハードアーマードに歯が立たず、インファントドラゴンに殺されかけた。

 

 転がるように逃げ出して、現在地は9階層。

 こんなんじゃいけないとわかっていても、どう頑張っても一足飛びには強くなれない。

 想いだけじゃ越えられない壁がある。

 壁を越えるために必要なのは、長い時間をかけて積み上げた経験値だ。

 築き上げた足場が無ければ壁は越えられない。道理である。

 問題は、その道理を無視している存在がいることなのだが……。

 

「……ランクアップ」

 

 そんな理不尽を覆す方法として、スピネルは一縷の望みを込めてその現象の名を口ずさむ。

 ランクアップ。

 恩恵の最重要項目『レベル』を一つ上の位階へと昇華させることをそう呼ぶ。

 レベルは一つ違えば、大人と子供ほどの力の差が生じる。

 レベル1の最上位とレベル2の最下位が戦った場合ですら、一対一ならまず間違いなくレベル2が勝つと言われるほどだ。

 

 そして、レベル1とレベル2では潜れる階層がまるで違う。

 ダンジョンは奥に行けば行くほど、稼げる金額も天文学的に跳ね上がっていく。

 レベルが一つ違えば、ヘスティアへの貢献度も天と地の差なのだ。

 もしも、ベルより先にランクアップを果たすことができれば、確実にベルよりも強くなれる。

 レベル2になってバリバリ稼げば、ベルよりも遥かにヘスティアの役に立てる。

 

 頑張れば頑張った分だけ経験値が溜まって強くなるという恩恵のシステムの中で、レベルだけは少し異質だ。

 ランクアップには特殊な経験値がいる。

 その特殊な経験値は、どれだけモンスターを倒そうが、どれだけ鍛錬を重ねようが手に入ることは無い。

 位階の昇華に必要なのは『偉業』。

 神ですらも『凄い』と思うような偉業を成した時、ランクアップに必要な特殊な経験値が溜まっていく。

 それが一定量に達し、なおかつ基礎アビリティのどれかがDに到達していればランクアップできる。

 

 アビリティDは達成した。

 なら、あとは偉業を成せばランクアップできる。

 強くなれる。ベルに勝てる。ベルよりも役に立てる。

 さすがの反則野郎でも、レベルの壁まではそう安々と越えられないはずだ。

 そこまで逃げ切れば、しばらくは追いつかれる心配をしなくてよくなる。

 スピネルにとって、ランクアップこそが一つのゴール。

 何より、恩恵が偉業を認めたのなら……ヘスティアの褒め言葉を素直に受け取れるような気がした。

 

「頑、張ろう……!」

 

 痛みと疲労の蓄積した体で、スピネルは一縷の希望を支えに動き続ける。

 偉業。凄いこと。

 それすなわち、圧倒的格上に勝つとか、絶体絶命の状況を切り抜けるとかだ。

 絶体絶命の状況はもう何度も乗り越えているはずなのに、未だにランクアップは成っていない。

 なら、必要なのは格上の強敵か。

 もう一度下の階層へ行って、上層最強と呼ばれるインファントドラゴンに挑みかかってみようか?

 

「ヴヴォオオオ……!!」

「!」

 

 そんなことを考えたスピネルの耳に、聞き覚えのある唸り声が届いた。

 見れば、見覚えのあるシルエットが、迷宮の闇の中から現れるところだった。

 牛頭人体の怪物、ミノタウロス。

 角が片方欠けていて、天然武器ではない、冒険者が使うような大剣を持っている。

 

「ああ……!」

 

 強敵だ。格上だ。

 しかも、ミノタウロス。

 思えば全てが狂い始めたキッカケは、前にミノタウロスに襲われた時だったような気がする。

 上層には現れるはずのないミノタウロスが現れて、剣姫に助けられて。

 その直後くらいから、手のかかる後輩が、視界に入れたくもない存在へと徐々に変わっていった。

 

 温かな未来が破綻するキッカケになったのなら、ベルの飛躍のキッカケになったのなら。

 責任を取って、今度は自分の飛躍のキッカケになってくれ。

 やり遂げよう、格上殺し。

 またしてもイレギュラーで上層に現れたミノタウロス。

 こいつを倒して、ランクアップを果たす。

 

「ヴヴォオオオオオオオオオオオ!!!」

「ああああああああああああああ!!!」

 

 ミノタウロスとスピネルは互いに咆哮を上げて、目の前の相手に突撃した。

 ……今の声が格下を問答無用で強制停止させる、ミノタウロスの種族特性としての咆哮(ハウル)でなくて助かった。

 もしそうなら、この舞台に立つ資格すら無かった。

 ミノタウロスがそれをやらなかったのは、強者の驕りか、それとも身につけた力を振るう相手を求めていたからか。

 

「ヴヴォ!!」

 

 ミノタウロスが大剣を振るう。

 モンスターにしては綺麗な太刀筋。

 さすがの身体能力で剣速も速い。

 けれど、他のモンスター同様直線的だ。

 避けられる。

 

「フッ……!」

 

 スピネルは斜め前に踏み込んで、大剣を回避。

 そのまま、すれ違い様に剣でミノタウロスの脇腹を薙いだ。

 ゴブリンの首を狩っていた頃から磨いてきた、回避と攻撃を同時に行う動き。

 だが……天然武器の剣はミノタウロスの肉体に傷一つ付けられず、逆に剣の方が砕け散った。

 

「硬ッ……!?」

 

 ミノタウロスの肉は硬いと聞いたことはあったが、これほどとは……!

 

「オオオオ!!」

「!」

 

 ミノタウロスの反撃。

 背後へと抜けたスピネルを、後ろへ振り向きながら大剣で薙ぎ払おうとする。

 ミノタウロスが大剣を握っているのは右手。

 当然、振り向く時も、右手の大剣を後ろに回すために右回転。

 だからこそ、スピネルはミノタウロスの背中に張りつくように左手側に跳んで、薙ぎ払いを回避した。

 

「やぁあああああ!!」

 

 そして、腰から取り出したナイフを振るった。

 モンスターから奪った使い捨ての天然武器じゃない。

 いざという時のために温存してきた、結構な値段で購入した業物のナイフ。

 

 狙いは背骨の隙間だ。

 人間に似た構造の怪物なら、脊髄を断てば動けなくなるはず。

 背中側に張りついた今の状況を最大限に活かし、渾身の力を込めてナイフを突き刺す。

 

「ッ!?」

 

 だが、それも通じない。

 脅威の背筋が、スピネルの一撃を止めていた。

 盛り上がった背中の筋肉が刃を阻み、ナイフが刺さらない。

 彼女の力では、薄皮一枚裂いて、その下の筋繊維を僅かに傷つけるのが精一杯。

 もっと凄い武器があれば、あるいは力のアビリティがSに届いていれば、この一撃で勝負を決められていたかもしれない。

 しかし、それは無いものねだりでしかない。

 

「オオオオオオオ!!!」

「くっ!?」

 

 刃を突き立てられたことに腹を立てたのか、ミノタウロスがやたらめったら大剣を振り回す。

 それを避けるために、スピネルは大きく距離を取った。

 一撃でも食らえばアウトだ。

 膂力の差を考えると、受け流すことすらできない。

 全て避けるしかない。

 

「ヴヴォオオオオオオオオオオオ!!!」

 

 離れたスピネルに、ミノタウロスは突進。

 モンスターのくせに構えのようなものを使い、上段に構えた大剣を豪快に振り下ろした。

 それも恐れず、斜め前に踏み込んで避けたスピネルは、すれ違い様に今度は膝を狙った。

 関節にヒビでも入れば、動きを大きく制限できるはずだ。

 

(なんだろう。相手の動きがよく見える。痛みも疲れも感じない)

 

 疲労が一周回ってハイになっているのか、スピネルは今の自分が絶好調で動けているように感じた。

 ダンジョンに居続けたせいか、神経が鋭敏になったように、完全に戦いというものに順応したかのように、ビックリするくらい体が良く動く。

 ビックリするくらい、敵の動きがよく見える。

 死地での開花とでも言うべきか、己を削り続ける鍛錬の果てにスピネルという原石は研磨され、今の自分にできるピッタリ100%の動きを引き出せているような気がした。

 

「!」

 

 針の穴を通すように、ナイフは正確にミノタウロスの膝を捉えた。

 器用のアビリティによる補正ではない。

 純粋に、ここ最近の異様な密度の戦闘経験によって獲得した技術。

 努力の結晶。

 それでも……。

 

「うっ……!」

 

 ナイフが直撃したはずの膝は、当然のようにかすり傷。

 あと五十回は斬りつけなければ、目に見えるダメージにはならないだろう。

 なら、あと狙えそうなのは眼球くらいしかないが、

 

(高い……!)

 

 ミノタウロスの身長は2M半。

 対して、スピネルの身長は150C程度。

 眼球どころか首筋も狙えない。

 それでも、そこしか有効打にならないのなら、無理をしてでも狙うしかない。

 

「ヴヴォオオオオオオオオオオオ!!!」

 

 弱いくせに中々捉えられない敵にイラ立ったのか、より苛烈になるミノタウロスの攻撃を避け続けながら、スピネルはチャンスを伺った。

 眼球を狙えるくらい頭を下げる瞬間か、隙の大きすぎるジャンプ攻撃を確実に当てられそうな瞬間。

 受け流すこともできない暴力の嵐を避け続けながら、凄まじい集中力で隙を探し続けた。

 ……だが。

 

「あ……」

 

 戦闘開始から約1分後。

 カクンと、膝が崩れた。

 突然、足に力が入らなくなった。

 蓄積していた痛みと疲労が、ハイになってごまかされていた無茶の代償が、ここにきて彼女に牙を剥いた。

 隙を晒したのは、ほんの一瞬。

 圧倒的格上を前にしては、あまりに致命的すぎる一瞬。

 

「オオオオオオオオオ!!!」

「がはっ!?」

 

 避けられなかった。

 ミノタウロスの一撃がスピネルを吹き飛ばした。

 せめて少しでもダメージを軽減しようと盾にしたナイフがへし折られ、それを支えた腕も叩き折られ、大剣は胴体にぶち当たって、体重の軽い彼女はボールのように弾き飛ばされる。

 そのまま飛ばされて迷宮の壁に叩きつけられ、戦闘不能となった。

 

「あ、がっ……!?」

 

 体中が痛い。

 骨という骨が折れている気がする。

 ヘスティアに貰った鎧が無ければ即死だった。真っ二つだった。

 けれど、即死を免れたというだけだ。

 追撃されれば死ぬし、放置されても他の怪物に襲われて死ぬ。

 奇跡的に怪物が来なくても衰弱死する。

 むしろ、死ぬまでの苦しみが増えた分だけ不運かもしれない。

 

「フゥゥゥ……!」

 

 ミノタウロスは血まみれでピクリとも動かないスピネルを見て死んだと判断したのか、追撃はしてこなかった。

 ……結局、倒すどころか、ロクなダメージも与えられなかった。

 自分の攻撃を当てられても、敵の攻撃を避けられても、攻撃力の不足だけはどうにもならなかった。

 純粋なステイタスの不足。

 いくら己の100%を引き出せても、肝心の能力が低いのでは話にならない。

 資質も低ければ、研磨にかけた年月も足りない。

 これが冒険者歴四ヶ月半の凡人の限界。

 そして……。

 

「ひっ!?」

「な、なんで9階層にミノタウロスが!?」

 

 次にミノタウロスが目をつけたのは、年若い冒険者とサポーターの二人組だった。

 ベル・クラネルと、リリルカ・アーデだった。

 まだ目と耳は生きているスピネルの目の前で……ベル・クラネルによる、ミノタウロスとのリベンジマッチが始まる。

 冒険者歴四ヶ月半どころか一ヶ月半、スピネルの三分の一のキャリアしか持たないはずの少年が見せた、目を疑うような、到底納得などできるはずのない戦いが。

 あまりにも残酷すぎる『才能』の差を、これでもかと見せつけてくる戦いが。




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12 認めない

「君! 大丈夫か!? 生きているか!?」

「う、あ……」

 

 意識が飛んでいた。

 閉じていた目を開けると、そこにいたのは美しきエルフの女王。

 【九魔姫(ナイン・ヘル)】リヴェリア・リヨス・アールヴ。

 

「! 息はあるな! 待っていろ! 今、回復させる!」

 

 気高く慈悲深い王族(ハイエルフ)は、母に薄汚い血と罵倒されたハーフエルフのスピネルを、躊躇なく救おうとしてくれた。

 前に殺気を向けてきた人とは思えない優しさだ。

 まあ、前回のあれで顔までは割れていないからこそだろうが。

 

「『ヴァン・アルヘイム』!」

 

 まずはポーションで最低限の治療をされた後、リヴェリアは長い魔法の詠唱をして、優しい魔力がスピネルを包み込む。

 回復魔法。

 これならきっと命は繋がるだろう。

 相変わらず、普段の運は悪すぎるくせに、最後の最後の悪運だけは異様に強い。

 ある意味、バランスが取れている。

 

(えっと、何があったんだっけ?)

 

 意識を取り戻したばかりで、頭が混乱する。

 確か、自分はミノタウロスにボロ雑巾にされて、それで……。

 

「ッ!!」

 

 そうだ。ベルがいたんだ。

 ミノタウロスと戦い始めたんだ。

 それは、どうなった?

 

「あ……」

 

 その答えは、リヴェリアの後ろにあった。

 戦っている。

 ベル・クラネルとミノタウロスが互角に戦っている。

 周りには、何故か観戦するようにロキ・ファミリアの幹部達がいた。

 【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタイン。

 【凶狼(ヴァナルガンド)】ベート・ローガ。

 【怒蛇(ヨルムガンド)】ティオネ・ヒリュテ。

 【大切断(アマゾン)】ティオナ・ヒリュテ。

 ロキ・ファミリア団長、【勇者(ブレイバー)】フィン・ディムナの姿まである。

 

「凄い……」

「アルゴノゥトみたい……」

 

 彼らは、まるで陶酔するように、その戦いを見ていた。

 ベルがミノタウロスの攻撃を防ぎ、受け流し、反撃する。

 振るわれるナイフが、放たれる炎の矢が、ミノタウロスに流血を強いる。

 レベル1の少年が、一月前はただの新米だった少年が、中層の怪物と互角に戦っている。

 それを『始まりの英雄』と呼ばれた、伝説の人物と重ね合わせてすらいた。

 

「ち、がう……!」

「喋るな! 今は回復に集中するんだ!」

 

 血を吐く口を無理に動かして言葉を発しようとしたスピネルを、リヴェリアが咎めた。

 そのリヴェリアも、ベルの戦いに魅入られている。

 凄いものを見る目をベル・クラネルに向けている。

 

「ち、がう……!!」

 

 蚊の鳴くような声で、スピネルはベルの戦いを否定する。

 あんなものは、ロキ・ファミリアの、オラリオ最強派閥の強者達が褒め称えるような戦いなんかでは断じてないと。

 

「『ファイアボルト』!!」

「オオオオオオオオオ!?」

 

 炎の矢が放たれる。

 あの魔法が自分にあれば、もっと上手く使いこなせた。

 

「ああああああ!!!」

「ヴォオォオオオオ!!!」

 

 ベルのナイフがミノタウロスの大剣と何度もぶつかり合い、弾き、受け流し、斬る。

 あんなにミノタウロスと張り合えるほどのパワーが自分にあれば、最初の攻防で勝負はついていた。

 

「だぁああああああ!!!」

「ヴヴォオオオオオオオオオオオ!!!」

 

 ベルはレベル1とは思えない身体能力で動き回り、ミノタウロスを翻弄する。

 むしろ、あれだけの身体能力があって、まだ決められないのかと言いたくなる内容だ。

 確かに、ミノタウロスに比べれば遥かに劣っているだろう。

 確かに、ベルにとっては圧倒的な格上との戦いだろう。

 それでも、魔法と、パワーと、スピードと、スピネルから見れば充分すぎるほどのスペックが彼には備わっている。

 あの能力を持ってあそこにいるのがスピネルだったら、もう10回くらいはミノタウロスを殺している自信がある。

 なのに……。

 

「なんなんだよ、あいつは……!?」

「興味深いね」

 

 ロキ・ファミリアの関心が向くのは、ベルばかり。

 強者達が褒め称えるのはベルばかり。

 ついさっき、彼より遥かに劣るステイタスでミノタウロスに立ち向かったスピネルのことなど誰も知らない。誰も見ていない。

 シルバーバックの時といい、今回といい、彼は観客にまで恵まれるのか。

 

「『ファイアボルト』ォォォオオオ!!!」

「!!!???」

 

 最後は胸に突き刺したナイフを起点に魔法を放ち、ミノタウロスを体内から焼き尽くして、上半身を消し飛ばすことでベルは勝った。

 ……あれだけ深々とナイフを刺せるなら、あんな派手なことをせずとも、背骨でも刺せば終わりだったろうに。

 

「勝ちやがった……!」

「立ったまま気絶してる……!?」

 

 そして、限界まで魔法を使ったことで、ベルは立ったまま気絶。

 激闘で服が破れ、背中に刻まれた恩恵が丸見えになっていた。

 恩恵は相当の学がある者でなければ読めない神聖文字(ヒエログリフ)という神の文字で書かれているが、ここにはそれを読める識者が一人。

 

「アビリティオールS……!」

「「「!?」」」

 

 スピネルの治療を終え、マナー違反を押してベルのステイタスを確認したリヴェリアの言葉に、ロキ・ファミリアは揃って驚愕した。

 スピネルも驚愕した。

 自分より上だろうとは思っていたが、まさかレベル1の最高峰にまで届いていたとは……!

 アビリティSなんて、一つあるだけでも大天才と呼ばれるはずなのに、全てのアビリティがSだ。

 ありえない。本当に、ありえない。

 

「彼の名前は?」

「ベル。ベル・クラネル」

 

 団長の質問に、何故か剣姫が誇らしげに答えた。

 ベル・クラネル。

 その名前を、ロキ・ファミリアの強者達は心に刻む。

 新たな英雄の誕生でも見届けたかのような荘厳な雰囲気に……スピネルは堪え切れないほどの吐き気を覚えた。

 

「違う……!」

 

 傷は治ったとはいえ、疲労を限界以上に溜め込んだ小さな体。

 大きな声は出せず、掠れるほど小さなその声は、この場の誰の耳にも入らなかった。

 

 違う。違うのだ。

 そいつは凄い人達に褒められるような奴じゃない。

 アビリティオールSなんて、ズルして得た薄汚い力だ。

 だって、スピネルはずっと見てきた。

 パーティーを組んでいた頃は近くで直接。

 パーティーを解消した後も、ヘスティアやアドバイザーを通して、ベル・クラネルの積み上げたものを見てきた。

 

 薄っぺらい。

 ベル・クラネルの積み上げた努力は、経験値は、そうとしか言えないものだ。

 断じて、こんな化け物みたいな領域に到れるようなものではない。

 スピネルの方がずっと努力している。

 頑張った時間も、立ち向かった苦難の数も質も、圧倒的にスピネルが勝っているはずなのだ。

 なのに、恩恵は経験値を力に変換するはずなのに、薄くて少ない経験しか積み上げていないはずのベル・クラネルが、スピネルよりも遥か高みにいる。

 ズルだ。不正だ。何かの不具合だと声を大にして叫びたい。

 

(おかしいよ……! こんなの、絶体におかしいよ……!)

 

 スピネルの積み上げた努力は、経験値は、あんな薄っぺらいものの数十分の1の価値しかないものだったのか?

 頑張ったのに。

 頑張って、頑張って、頑張って、頑張って、頑張ったのに。

 心配するヘスティアの手すら振り払って、本当に死ぬほど頑張ったのに。

 スピネルがダンジョンで己を擦り減らしている間、地上で女の子を引っ掛けていたような奴に、こんな大差をつけられて負けた?

 

 認められない。

 断じて認めるわけにはいかない。

 それをしてしまえば、積み上げた努力の全てを否定することになる。

 だから、スピネルは絶対に、

 

(お前を、認めない……!)

 

 骨まで焼き尽くすような、強い強い嫉妬と憎悪の炎。

 禍々しい熱に包まれながら、スピネルは蓄積された疲労に耐え切れず、意識を失った。



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13 決定打

ついに……。


 気づいた時、酷く落ち着くベッドの上で、酷く見覚えのある天井を見上げていた。

 ホームである廃教会のベッドと天井だ。

 スピネルにとって、人生で唯一の幸せな思い出の詰まった場所。

 そして、今は大嫌いなものが混入してしまった場所。

 

「えええ!? ぼ、僕が、ランクアップ!?」

「しーーー! 声が大きい! スピネルくんが起きちゃうだろ!」

「あ、ご、ごめんなさい、神様!」

 

 ……悪夢のような会話が聞こえてしまった。

 微睡みが一瞬にしてかき消され、起きて早々、気分が絶望のドン底に落とされる。

 反則的な天才は、どうやらスピネルの想像など容易く越えて、レベルの壁すら軽々と飛び越えてしまったらしい。

 

「……あと、新しいスキルも発現したよ。ほら」

「え!? や、やったーーー!!」

「だから、声が大きい!!」

 

 ヘスティアも充分に声が大きい。

 オーバーキルの追撃に、気分がドン底を通り越して、もはや乾いた笑いしか出てこない。

 

「おめでとう、ベル」

「あ、スピネルさん! 起きたんですね! よ、良かったぁ」

「ス、スピネルくん!? あ、その、聞いてた?」

「聞いてましたよ。もうランクアップなんて凄いですね。本当に凄い」

「い、いやぁ。えへへ」

 

 笑顔で祝福されてベルは幸せそうな顔をし、ヘスティアはスピネルの笑顔に逆に戦慄した。

 こんな状況なのに、とても自然に見える笑顔を浮かべていることが、死ぬほど怖い。

 本当に致命的な部分が壊れてしまったようで。

 

「じゃあ、私もステイタスの更新するから、どこか行ってて。なんなら、ダンジョンでレベル2の力を試してきたら?」

「あ、はい! じゃあ、行ってきます、神様! スピネルさん!」

 

 ベルが軽やかな足取りで駆け出していく。

 順風満帆、幸せの絶頂という感じだった。

 そして、ベルがいなくなった瞬間、スピネルの顔色が虚無に染まる。

 なんの感情も読み取れない能面のような顔に、ヘスティアは心底彼女の心を案じた。

 

「ス、スピネルくん……」

「ステイタスの更新をお願いします。私も頑張ったんです。もしかしたら、私もランクアップしてるかも」

「! あ、そ、そうだね! それじゃあ、早速やろう!」

 

 そうだ。

 ここでスピネルもランクアップしていれば、多少なりとも劣等感を払拭できるはずだ。

 ベルの一ヶ月半という記録に比べれば霞んでしまうが、四ヶ月半でも充分過ぎるほど早い。

 というか、ベルを除いたランクアップの歴代最短記録が、剣姫の1年という記録だ。

 ここでランクアップできれば、スピネルは単純計算で、オラリオ最強の女剣士と呼ばれる剣姫の3倍くらい凄いことになる。

 ヘスティアはそこに一縷の希望を見出し……。

 

━━━━━━━━━

 

スピネル

Lv.1

 

力:D510→D517

耐久:D535→D555

器用:D532→D540

敏捷:D520→D526

魔力:I0→I0

 

【魔法】

 

 

【スキル】

 

━━━━━━━━━

 

「どうですか?」

「あ、いや、えっと、その……!」

 

 ヘスティアは慌てた。

 ランクアップどころか、伸び率が明らかに落ちている。

 今回は前回までに比べればダンジョンに居続けた時間も短く、加えてステイタスは上がれば上がるほど伸びなくなっていくので当然ではあるが、今はその当然が何よりも残酷だった。

 そんなヘスティア様子を見て、スピネルは全てを察した。

 

「……ランクアップには届かなかったんですね。スキルか魔法は発現しましたか?」

「え!? その、あの……!?」

「……それすら無しですか」

 

 「はぁ」と、スピネルはため息をついた。

 スキルや魔法は、本人の資質や想いによって発現する。

 それが出ないということは、まだ何もかもが足りないのだろう。

 努力も、意志も、苦しみさえも。

 

 ……もっとも、ヘスティアと違って恩恵を授けた経験が豊富な神あたりが聞いたら、どんなに努力しようが、どんなに強い想いを抱こうが、最低限の『才能』が無い限り、恩恵を授かって僅か半年足らずでスキルや魔法が発現するわけないだろうがとでも言うだろうが。

 想いは種で、才能は土だ。

 どれだけ凄まじい可能性の詰まった種でも、植えられた土に栄養が足りなければ開花は遅れる。

 

 ベル・クラネルには、憧れと恋心で『憧憬一途(リアリス・フレーゼ)』という種を芽吹かせられるだけの、最低限の才能があった。

 スピネルには、それすら無い。

 彼女の中に生まれた禍々しい想いの種を芽吹かせるには、まだ土を肥やす時間が足りない。

 

「ダンジョンに行ってきます」

「スピネルくん!?」

 

 そんな状態で、まだスピネルはダンジョンに向かおうとした。

 ヘスティアは全力で阻止しようとする。

 ロキ・ファミリアに保護された後、ベル共々、丸一日意識が戻らなかったのだ。

 本当なら、流れで行かせてしまったベルだって、引き止めてお説教の一つでもするべきだった。

 スピネルは、ベルより遥かに心身ともに重症。

 絶対に行かせるわけにはいかない。

 

「ごめんなさい」

「ぐぇ!?」

 

 しかし、前回同様、抉るようなボディーブローが飛んできた。

 力技を前にしては、ヘスティアは無力だ。

 今回は当たりどころが悪かったらしく、一瞬で気絶してしまった。

 

「……本当に、ごめんなさい、ヘスティア様。恥の上塗りばかりする愚かな娘を許してください」

 

 スピネルは気を失ったヘスティアを優しくベッドの上に移動させ……すがるようにギュッと抱きついた。

 

「行ってきます。今度こそ、ランクアップできるようになって帰ってきますからね」

 

 実の母のように思っている大切な(ひと)から離れ、代わりに貰った鎧を身に纏い、新しい武器を買うために、自分の分のお金を握りしめて、スピネルは廃教会を飛び出した。

 最近は経験値ばかり優先したせいで、蓄えもすっかり無くなってしまった。

 ランクアップしたら、バリバリ稼がないと。

 ……元々は、レベル2になることで、強さでも稼ぎでもベルを大きく突き放すつもりだった。

 今まで経験値ばかり優先した分のツケを帳消しにして余りあるほどのリターンがあるはずだった。

 けれど、今となっては、たとえランクアップできたとしても、ベルは既にその領域に踏み入っていて……。

 

「あああああああああああああ!!!」

「ギッ!?」

「グギャ!?」

 

 ダンジョンに入ったスピネルは、限界を越えた激情を吐き出すように、迷宮に八つ当たりするように、凄まじく苛烈にモンスターを殺しまくった。

 そのままの勢いで、彼女は下へ下へと突き進んでいく。

 適性レベルの10階層を越え、前回敗走した11階層すら越え、後先を考えず12階層まで走り抜けて……。

 

 13階層。

 レベル2に至った冒険者が、パーティーを組んで攻略しなければならない場所。

 最初の死線(ファーストライン)と呼ばれる『中層』への入り口を踏み越えてしまった。

 

「あああああああああああああ!!!」

 

 そこでも勢いの衰えないスピネルは、上層とは比べ物にならないモンスターの大群を、片っ端から潰していく。

 神の鎧に任せてダメージを軽減し、悪運に頼って死期を先延ばしにし、ボロボロになりながら中層をひた走る。

 もうランクアップがどうとか、そのための偉業を成さなきゃいけないとか、そんなことは頭に無い。

 偉業を求めて中層に踏み入ったわけじゃない。

 ただただ、心を焼き尽くす嫉妬と憎悪の炎に耐えられなかったのだ。

 こうして吐き出さないと、おかしくなりそうだったのだ。

 

「ふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなッッッ!!」

 

 怨嗟の声を上げながら、世の理不尽を恨みながら、そのドロドロの感情をひたすらモンスターにぶつけ続ける。

 ヘスティアに褒められたい。

 最初はただそれだけだった。

 それが、いつからこんなに歪んだ?

 

 自分よりベルの方が凄いと思われるのが嫌で、張り合っているうちに、いつしかヘスティアの褒め言葉の全てが受け入れられなくなった。

 褒め言葉を嘘だと感じるようになった。

 他ならぬ自分自身が、ベルよりも役に立てない己を認められなかった。

 幸せの受け取り方が、いつしかわからなくなっていた。

 

「戻りたい……! 戻りたいよぉ……!」

 

 一月半前までのことが、ひたすらに懐かしい。

 戻りたい。あの頃に戻りたい。

 小さな幸せを噛みしめていた、あの穏やかな毎日に戻りたい。

 スピネルは、小さな子供のように泣き喚きながら戦い続けて……。

 

「あ……」

 

 ━━とあるモンスターの攻撃を食らった。

 鎧の上から心臓を貫かれた。

 致命傷だ。とうとう最後の悪運すら尽きた。

 ベルを妬んで、嫌って、追いかけて。

 最後はこんなどうしようもない、何も残せない終わり方。

 

(…………ごめんなさい、ヘスティア様)

 

 愚かな娘でした。

 自分の感情に振り回されて殺された、愚か極まりない娘でした。

 ごめんなさい。ごめんなさい。

 

 今際の際に心中を支配したのは、ヘスティアへの尽きることの無い謝罪の言葉。

 涙を流しながら死にゆく愚かなハーフエルフ。

 そんな彼女を看取るのは、愛しき女神でも、大嫌いな後輩でもなく、彼女の胸に穴を空けたモンスター。

 

 不気味な緑色の肉を蠢かせる怪物だけだった。



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閑話 思い出

 それは、一人の少女の幸せと苦痛の記憶━━

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

「う、うぅん……」

 

 徐々に意識が浮上していく。

 すぐ近くに、温もりを感じた。

 柔らかくて、あったかい。

 今までの人生で一度として感じたことのない、酷く安心感を覚える感覚。

 閉じていた目を開けると、そこには……。

 

「………………おっきい」

 

 あまりにも大きな胸があった。

 飽満だ。豊かだ。母性の象徴だ。

 自分はそんな胸に抱かれていた。

 頭が混乱する。

 自分は確か、死ぬ覚悟であの娼館から逃げ出して、大雨の中で行き倒れて、それで……。

 

「あ! 起きたんだね! よ、良かったぁ」

 

 その時、頭の上から声が聞こえた。

 見れば、凄まじい美貌の美少女が、自分を見て泣き笑いのような顔を浮かべていた。

 彼女からは、神聖なオーラのようなものを感じた。

 自分の全てを包み込んで温めてくれるような、そんなオーラを。

 脳裏に、かつて誰かが言った言葉が蘇る。

 

『ハハハハ! 痛いだろう! 苦しいだろう! なら、神様にでも祈るといい! 地上には神があふれているんだ! きっと誰かが助けてくれるさ!』

 

 虐げてくる怖い人が言っていた。

 

『ああ、神様、お助けください……! 哀れな私達をお救いください……!』

 

 同室に押し込められた女性が祈っていた。

 祈れば助けてくれるかもしれない存在。

 そんなものは見たこと無かったし、祈っても何も起こらなかったから信じていなかったけど。

 もし本当にそんな存在がいるのなら、目の前の少女のような姿をしているのかなと思わされた。

 

「神、様……?」

「うん。そうだよ。ボクは女神ヘスティア。

 傷ついた子供を絶対に見捨てない、暖炉の火のような温もりと安心を司る女神さ」

 

 思わず口をついて出た言葉を肯定された。

 神様。本物の神様。

 なら……。

 

「助けて、くれるの……?」

「もちろんだとも」

「痛いこと、しない……?」

「当たり前さ」

 

 そう言って、ヘスティアはギュッと抱きしめる力を強めた。

 包み込まれる。

 その温もりに、その神威に。

 人ならざる超越存在(デウスデア)の抱擁。

 自分よりも遥かに大きなものに包まれる感覚。

 ヘスティアのそれは、本当に暖炉の火のように、傷ついて凍てついて震える少女の心を、魂を、優しく温めてくれた。

 まるで、何度も何度も夢に見た『母の温もり』のように。

 

「あ、うぁ……!」

 

 涙が出てきた。

 枯れたと思っていた涙が。

 

「あああ……!」

 

 小さな体の中に押し込められていた苦しみが、悲しみが、堰を切ったようにあふれ出す。

 神は、その全てを受け止めてくれた。

 

「よしよし。辛かったね。苦しかったね。もう大丈夫。大丈夫だから」

「うわぁああああああああ!!!」

 

 その後、しばらくの間、少女は女神の胸で泣き続けた。

 泣いて、泣いて、泣いて。

 そうして、全てを吐き出すことができた頃に。

 

「そうだ。これだけは聞かなきゃいけないね」

 

 ヘスティアは、一つのことを少女に尋ねた。

 

「君の名前はなんていうんだい?」

 

 名前。

 自分を呼ぶ言葉。

 少女はそれを知っていた。

 誰かがノリで付けた名前らしい。

 美しい母の『代替品』という意味が込められていると聞かされた。

 それでも、

 

「スピネル、です……」

「……スピネルくんか。『努力』の意味を持つ宝石の名前。今まで頑張ってきた君にピッタリの良い名前だ」

「!」

 

 この女神様がそう言ってくれるのなら、自分の名前にはそんな素敵な意味があると思えるような気がした。

 自分の名前はスピネル。

 代替品じゃなくて、努力の意味を持つ宝石。

 少女はその言葉を、宝物のように胸に刻んだ。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

「あ、バイトの時間……いやいや、こんな傷ついた子を置いていけるわけない。置いていっていいわけない」

 

 スピネルが泣き止んだ頃、ヘスティアがそんなことを呟いた。 

 声に出すつもりは無かったのだが、ポロッと口からこぼれてしまった。

 グータラ過ぎて()友に追い出された女神は、最近労働者の洗礼を受けて、働く者としてのイロハを叩き込まれた。

 調教師がよほど優秀だったのか、それともクビになったらガチで飢え死にして天界に強制送還させれるという危機感からか、無断欠勤への忌避感が結構強かったのだ。

 

「バイト……ってなんですか?」

「え? あー、えっと……」

 

 バイトという単語を知らないスピネルの様子に、ヘスティアは彼女の育ってきた環境の酷さを再認識して、憤慨と憐憫を抱いた。

 いつか虐げた奴らはお縄につかせてやる。

 そして、今日は無断欠勤してでもこの子の傍にいる。

 そう決めた。

 

「バイトっていうのは、つまりお仕事だね」

「お仕事……行かないんですか?」

「大丈夫。今日は君の傍にいるよ。店長には後で謝って……」

「ダ、ダメです!!」

「へ?」

 

 突然、スピネルが大声を出した。

 

「お仕事、やらなかったら、酷い目に……!」

「ッ!?」

 

 次いでガタガタと震え始めた少女を、ヘスティアは慌てて抱きしめる。

 しまった! ここにもトラウマがあったか!

 

「い、行ってください、ヘスティア様……! わ、私は、大丈夫ですから……!」

「いや、大丈夫じゃないよ! 大丈夫に見えない!」

 

 ヘスティアは悩んだ。

 言われた通りに彼女を放置して行くのは下策。

 かと言って、行かなくてもスピネルの情緒がおかしくなりそうだ。

 なら、選ぶべき選択肢は、

 

「よし、わかった! じゃあ、一緒に行こう!」

「え……?」

「バイトもする! 君の傍にもいる! これで全部解決だ!」

 

 そう言って、ヘスティアはスピネルの手を取った。

 

「大丈夫! ボクのバイトはジャガ丸くんの売り子! 断じて酷い仕事じゃないってことを教えてあげるよ!」

「ジャガ丸くん……?」

 

 聞いたことがない。

 どんなものか想像もつかない。

 

「とっても美味しい食べ物なんだ! きっと、スピネルくんも気に入るよ!」

「食べ物……」

 

 ジャガ丸くんとは、食べ物の名前だったのか。

 でも、売るものが女とかじゃなくて食べ物なら、なんとなく大丈夫なような気がしてきた。

 食べ物は何を食べても味がしないけど、とりあえず自分で動いてスピネルを叩いたりはしない。

 

「それでも怖いなら、ボクの後ろに隠れていなさい。大丈夫。ボクといれば安心さ」

「……はい」

 

 ヘスティアは安心させるように頭を撫でてくれた。

 それだけで、もう大丈夫な気がした。

 そして、スピネルは顔を隠すようなフード付きの外套を着て、ヘスティアについていく。

 街行く人々が怖かったけど、ヘスティアと手を握っていたから大丈夫だった。

 

「いらっしゃいませー!」

 

 辿り着いたバイト先の露店で、ヘスティアは笑顔で働いていた。

 エプロンをつけて、頭に変な飾りをつけて、ジャガ丸くんとやらを調理して道行く人に売りつける。

 なお、子供に良い格好を見せたいと思っているのか、いつもよりちょっと気合いが入っていたりする。

 

(これが、お仕事……?)

 

 今のところ、怖いことが何も無い。

 露店の後ろでフードを被って隠れていたスピネルは、仕事とは苦痛を伴うものだけじゃなかったのかと、結構な衝撃を受けていた。

 世界が広がる感覚がした。

 あの娼館という狭い狭い世界しか知らなかった少女の常識が、崩れていく。

 

「どうだい、スピネルくん! 怖いことなんて何も無いだろう?」

「……はい」

 

 ヘスティアは笑顔でスピネルに話しかけてきて、ついでにジャガ丸くんを揚げ出した。

 今は客はいないのだが……。

 

「ほい! 君も一つ食べてみるといい!」

「……いただきます」

 

 まだ手慣れていない感じの調理だった。

 渡されたジャガ丸くんとやらの形も、なんか歪だ。

 それでも齧りついた時……確かに美味しいと感じた。

 

「!」

 

 味がする。

 何を食べても味がしなかったのに、これはちゃんと美味しい。

 決して滅茶苦茶美味しいわけじゃないし、なんなら一部焦げてるような気もするが、それでも美味しい。

 スピネルは夢中で食べ切った。

 

「ふふ〜ん。美味しかったみたいだね!」

「はい!」

「そっか。良かった良かった!」

 

 ヘスティアが頭を撫でてくれた。

 美味しくて、嬉しくて、世界にはこんな綺麗な場所もあったのかと、また心が温かくなるのを感じた。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

「あーーーーー! やっちゃった! やっちゃったよーーー! ごめん! ごめんよ、スピネルく〜〜〜ん!」

 

 ヘスティアに拾われてから数日後。

 女神様が泣いていた。

 ちょっとバイト先でショックな出来事(発火装置の扱いを間違えて露店ごと爆発。多額の借金を背負う)があったのだ。

 それにスピネルが巻き込まれて怪我を負った。

 幸い、護身用兼家族の証として恩恵を授かっていたため、本当に軽い怪我で済んだのだが。

 

「ヘスティア様、私は大丈夫ですから」

「で、でもぉ……」

「怖いのは怪我より借金です」

「うっ……!?」

 

 ヘスティアが呻いた。

 スピネルは借金の恐ろしさを知っている。

 あの違法娼館でお金を払えなかった客は半殺しにされていた。

 いや、半殺しどころか、行き過ぎて殺されるなんてことも珍しくなかった。

 だからこそ、お金を他人に借りているという状況は、首筋に刃を突きつけられているに等しい恐怖を覚える。

 ……この気持ちをハッキリ言葉にしていたら、後に神の刃(ヘスティア・ナイフ)神の鎧(ヘスティア・アーマー)が作られることは無かったかもしれない。

 

「……決めました。私、冒険者になります。冒険者になって、お金を稼ぎます」

「ええええええ!?」

 

 スピネルの宣言に、ヘスティアはうろたえた。

 彼女は僅か12歳。

 しかも、幼少期から散々に痛めつけられてきた子供だ。

 一般常識の教育すらまだ終わっていない。

 ……というか、ヘスティア自身も下界に降りてきて間もないので、下界の常識については怪しいところがある。

 教える側すらそれなのだから、スピネルの教育の進行具合は推して知るべし。

 ヘスティアのフワッとした下界知識の中で、最も鮮明に輝いていた『ダンジョン』と『冒険者』についての説明が先行してしまったのは致し方なかったのかもしれない。

 

 結果、スピネルは数少ない知っている仕事の中から、屋台爆発炎上事件の借金を速やかに返し切れそうな職業として、冒険者を選んでしまった。

 というか現実問題として、学の一切無い、文字の読み書きすらできないスピネルが、冒険者以外のまともな仕事に就くのは無理だ。

 それでも、ヘスティアとしては許可したくない。

 借金は頑張って自分で返すから、スピネルには時間をかけてでも安全な仕事についてほしい。

 

「ずっと、ヘスティア様のお役に立ちたい、立たなきゃいけないって思ってたんです。ダメ、ですか……?」

「ッ……!?」

 

 スピネルが酷く不安そうな顔をした。

 これは、あれだ。

 地雷というか、トラウマスイッチの気配だ。

 安易にダメだと言ってはいけないと、ヘスティアの直感が警鐘を鳴らしていた。

 

 ……スピネルは愛に飢えている。

 ここ数日の間にそこから派生して『役に立ちたい』『褒められたい』という、強い承認欲求が芽生えているのを感じた。

 仕方のない話だ。

 今まで誰にも愛されなかった子供が、その分の愛情をより強く求めてしまうことをどうして責められる?

 そんな子供の気持ちをへし折ったりしたらどうなるか。

 今の君は何もできないから、時間をかけて成長してくれなんて正論を、傷だらけの脆く幼い心は素直に受け入れられるのか?

 もっと追い詰めてしまったりしないか?

 

「………………わかった。とりあえず、ギルドに行ってみよう。

 確か、あそこには冒険者をサポートする『アドバイザー』ってシステムがあったはずだ。

 冒険者をやるにしても、その人のところでミッチリ学んだ後でだよ」

「はい!」

 

 ヘスティアが苦悩の末に出した結論に、スピネルは勢い良く頷いた。

 そして、宣言通り、翌日にはギルドへ。

 (ヘスティア)が自ら頭を下げて、担当アドバイザーになってくれた『エイナ・チュール』という人物に、スピネルのことをくれぐれもよろしく頼むとお願いしておいた。

 

 エイナはスピネルと同じハーフエルフで、指導が滅茶苦茶厳しいことでも有名な女性らしい。

 彼女は差別されやすい同族のよしみ+スピネルの生い立ちをヘスティアから聞かされたことで、かなり頑張ってくれた。

 ダンジョンにおける危険を座学で徹底的に叩き込み、字が読めない、一般常識もおぼつかないと知るとそこから教え。

 他の信頼できる冒険者に自腹で依頼を出して、スピネルに戦闘術の基礎を教えるなんてことまでやってくれた。

 

 『冒険者は冒険してはいけない』。

 エイナの持論を徹底的に叩き込まれ、安全マージンに安全マージンを重ねた上で、スピネルはダンジョンに足を踏み入れた。

 その結果……。

 

「アドバイザーくん、スピネルくんはどんな感じかな?」

「すっっっごく真面目な子ですよ、スピネルちゃん。

 怖がられちゃって、中々懐いてはくれませんけど、教えたことは絶対に守ってくれるし、集中力が高くて、もの覚えもとっても良いです。

 突出した才能みたいなものは感じませんが、上層で確実に稼ぎを持ち帰るくらいなら充分にできると思います」

「そ、そっか」

 

 エイナからの評価は上々。

 実際、スピネルはダンジョンに潜るようになってから、毎日のように結構な稼ぎを持ち帰るようになった。

 

「ヘスティア様! 見てください! こんなにお金を稼げました!」

 

 そのキラキラした顔は、間違いなく『幸せ』という感情に満ちあふれていた。

 笑顔で鍛錬を頑張り、座学の復習を欠かさず、努力に応じた分のステイタスが着実に伸びていく。

 ヘスティアの借金をすぐに返し切って、役に立てたと喜ぶスピネルの顔は、あの大雨の日からは考えられないくらい輝いていた。

 

「……凄いぞ、スピネルくん。本当にありがとう」

「えへへ」

 

 頭を撫でたり、抱きしめたりして褒めてあげると、本当に嬉しそうにしてくれる。

 ヘスティアが新たな意味を与えてくれた『スピネル』という名前に恥じないように頑張り、その頑張りをヘスティアに褒めてもらえる。

 それが嬉しくて嬉しくて、だから頑張ることは苦にならなくて、無茶にならない範囲での最大限の努力を毎日毎日やり続けるから、一般的に見ればかなり早い速度で成長した。

 ある程度強くなれば、1階層や2階層で死ぬ確率は大きく下がる。

 言われたことをきちんと守る子なので、勝手に下の階層に行ったりもしない。

 

 そんなスピネルの様子に安心して、ヘスティアはいつしか心配よりも、スピネルがここまで明るくなってくれたことへの安堵と喜びを強く感じるようになった。

 ヘスティアの喜ぶ姿を見ると、スピネルはまた嬉しくなる。

 歯車が上手く噛み合っていた。

 幸せの好循環が、この頃のヘスティア・ファミリアを包み込んでいた。

 

 愛情、承認欲求、更に自己肯定感まで満たされていたこの頃の記憶は、スピネルにとって宝物だ。

 まだヘスティア以外に対する人見知りは激しくて、エイナ相手にすら身構えてしまう始末だが、間違いなく彼女は『安定』し始めていた。

 ここまま1年、2年と過ごし、その中で様々なことを経験していけば、きっとスピネルは真っ当な人間としての人生を謳歌することができただろう。

 ……けれど。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

「は、はじめまして! ベル・クラネルです!」

 

 スピネルがヘスティアに拾われて約三ヶ月ほどが経った、ある日。

 彼女が拾われた土砂降りの雨の日とは真逆の、よく晴れた日のこと。

 ヘスティアが新しく一人の少年を拾ってきた。

 当時のスピネルほどではないものの、この少年は温もりと安心を司る女神としては見ていられないくらい途方に暮れたような絶望のオーラを出していて、放っておけなかったらしい。

 そして、その少年の登場から、ヘスティア・ファミリアを回していた幸せの好循環、幸福の歯車が徐々に狂い始めた。

 

「お帰り、二人とも! ダンジョンはどうだった?」

「ベルがダメダメでした」

「うぐっ!?」

 

 最初の頃はまだ良かった。

 三ヶ月をかけてスピネルはより安定してきていたし、人見知りも少しずつ改善されていた。

 言動こそトゲトゲしかったが、教えることはちゃんと教えていて、さながら孤児院の先輩後輩のような関係が築かれ始めていた。

 だが、

 

「は?」

 

 ミノタウロスに襲われ、剣姫に出会ったのをキッカケとして、ベルが急成長を始めて。

 毎日毎日積み重ねてきた努力が、ヘスティアに褒めてもらえた努力が、自分の名前の意味である努力が、たった一週間で追い抜かれて。

 ヘスティアの視線が、ベルの方を向いて。

 自己肯定感が、音を立てて崩れ始めた。

 

「やった! やったよ、ベルくん!!」

「はい! ありがとうございます、神様!」

 

 自分が植物型モンスターにやられてる間に、ベルがまるで物語の英雄のように、強大なモンスターからヘスティア(ヒロイン)を守り抜いているのを見て。

 ベルが凄く褒められているのを見て。

 最近、ヘスティアに『凄い』と言ってもらえなくなったのも相まって、愛情に疑問を覚えてしまった。

 

「頑張らなきゃ……。頑張ろう……。頑張れ……」

 

 ヘスティアにもう一度凄いと言ってほしくて。

 膨れ上がって痛みすら感じる承認欲求に突き動かされ、名前(スピネル)に殉じるように努力した。

 焦燥に駆られて、禁じられていた無茶をした。

 エイナが叩き込んでくれたダンジョンとモンスターの知識が、先輩冒険者に依頼して教えてくれた戦い方の基礎が役に立った。

 封印したトラウマを無意識に引っ張り出して、痛みと苦痛に凄く敏感だった頃の感覚を思い出して、死地の中で『これ以上は本当にヤバい』というラインを見極める技術に昇華させた。

 悲惨な過去が彼女に与えた後遺症(ギフト)

 恩恵に刻まれるスキルには届かない、代替品。

 加えて神の鎧(ヘスティア・アーマー)による防御力(タフネス)

 それらが合わさって、ソロで適正レベルを超える階層を冒険するという無茶を可能にした。

 

「アビリティオールS……!」

 

 なのに、そこまでしても届かない。

 ベルは、スピネルが手を伸ばしても、手を伸ばしても届かなかったレベル1の最高峰に至っていて。

 

「えええ!? ぼ、僕がランクアップ!?」

 

 それどころか、次に目を覚ました時には、最後の希望だと思っていたランクアップまで先を越されていて。

 もう追いつけないと悟らされた。

 承認欲求は決して満たされないと知って泣き狂い、自己肯定感は残っていた僅かな欠片さえ粉々に砕かれた。

 幸せの好循環を支えていた三本の柱のうち、二本が完全に壊れた。

 残る『愛情』すらも、ボロボロになってしまった受け皿(こころ)では上手く受け取れない。

 なのに……。

 

「彼の名前は?」

「ベル。ベル・クラネル」

 

 全てを狂わせた元凶は、望むこと全てを叶えていた。

 英雄になりたい。可愛い女の子と仲良くなりたい。

 そんな望みがトントン拍子に叶っていくのを見せつけられた。

 こっちが苦しくて、苦しくて、苦しくて堪らない中で。

 

 日増しに、黒い感情が抑えられなくなっていくのを感じた。

 ベル・クラネルの強すぎる光が、身も心も焼いていく。

 いや、あれは光なんかじゃない。

 あれは『炎』だ。

 

 スピネルが救われていた、ヘスティアの暖炉の火のような温もり。

 そこにベルが過剰な薪と油を注ぎ込んで『炎』に変えた。

 それがスピネルの心に引火して、焼き殺そうとしてくる。

 本人にとっては夢と希望に満ちあふれた『聖火』なのかもしれないが、燃え移ってスピネルを焦がし始めたのは真っ黒な『怨嗟の炎』だ。

 

 燃やすものが違えば炎の性質も変わる。

 普通の炎も、燃やしてはいけないものを燃やしてしまえば、通常の白煙とは違う、有害な黒煙が出るのだ。

 燃やしていけないものがあるのは心の炎も同じ。

 泣き狂っていた承認欲求、粉々に砕かれた自己肯定感、受け取り方がわからなくなってしまった愛情。

 それがスピネルに燃え移った炎が焼いている薪の正体だ。

 こんな大切なものを燃やしてしまえば、さぞどす黒くて人体に有害な煙が出ることだろう。

 いや、煙どころか、炎まで黒く染まっていく。

 怨嗟の炎が真っ黒に色づいていく。

 

「ああああああああああああ!!!」

 

 少女は叫んだ。

 叫びながら暴れた。

 心に引火した黒い炎を、なんとか振り払おうとするかのように。

 熱い。熱い。

 戻りたい。戻りたい。

 『炎』がまだ、優しい『火』であった頃に。

 

 そして……。



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14 訃報

「え!?」

 

 気絶させられ、うんうんと唸りながら悪夢を見ていたヘスティアは、その感覚に飛び起きた。

 今、確かに感じた。感じてしまった。

 自らが刻んだ恩恵の消失を。

 恩恵の消失。

 すなわち、眷族の死。

 

「あ、ああ……!」

 

 二人の眷族のうち、どちらが死んだかなんてわかり切っている。

 レベル2に至り、力の試し打ちくらいではまず死なないだろうベルと、精神がズタボロで、蓄積した疲労に対する休息も足りていなかったスピネル。

 どちらの死亡率が高いかなんて、一目瞭然だ。

 

「スピネル、くん……!?」

 

 ヘスティアの初めての眷族。

 愛していた。本当に、心の底から愛していた愛娘。

 辛い過去を持った子だった。

 信頼できる相手もおらず、幸せを感じたこともない幼少期。

 そこから逃げ出してきて、ヘスティアとの暮らしで、ようやく小さな幸せを得たはずの子。

 

 彼女の望みは、本当に細やかなものだったはずだ。

 主神一柱と、レベル1の眷族が一人だけ。

 零細ファミリアの中でも最底辺のヘスティア・ファミリア。

 上級冒険者に比べれば雀の涙のような稼ぎで一喜一憂する毎日。

 英雄なんて縁の無い、世界の命運になんて関われない、物語の主役どころか端役になれるかも怪しい、その他大勢の背景のような暮らし。

 スピネルは、それだけで満足していた。

 彼女はとても幸せそうに笑ってくれていた。

 

 それが、ベル・クラネルの登場をキッカケに狂った。

 いや、正確にはベルの飛躍が始まってからか。

 『憧憬一途(リアリス・フレーゼ)』なんてスキルが発現し、ベルが異様な速度での急成長を始めてから、全てがおかしくなった。

 

 急成長と言えば聞こえは良いが、急激すぎる変化は必ず『歪み』を生む。

 もし、ベルが最初のようにただの凡人のままだったら、こうはならなかっただろう。

 天才にしたって一般的な範疇に収まるレベルだったら、ランクアップまで最低でも1年。

 それだけの時間があれば、スピネルも色々と悩んだ末に折り合いをつけられたかもしれない。

 

 だが、冒険者になってたった一ヶ月半、飛躍を始めてから数えればたったの一ヶ月で、アビリティオールSの上にランクアップというのは、いくらなんでも早すぎるし、おかし過ぎる。

 悩む暇すら与えてくれず、スピネルの気持ちを完全に置いてきぼりにして、事態は変化し続けた。

 置いてきぼりにされた心が歪んで、歪みが痛みになって悲鳴を上げて、その果てがこんな救いようのない最期だ。

 

「ボクの、せいだ……!」

 

 ヘスティアには主神(おや)として、眷族(こども)の心に寄り添う責任があった。

 なのに、その心に寄り添うどころか、ヘスティア自身の態度がスピネルを更に追い詰めた。

 

 急成長を始めてから一週間かそこらでステイタスを抜き去られ、ヘスティアの態度のせいで自分の今までの努力を否定されたように感じ、嫉妬と焦燥が心を支配していって。

 悩む暇すら与えてもらえなかった幼い心は、ベルに勝たなければヘスティアに褒めてもらえないという、短絡的すぎる結論を出してしまった。

 ヘスティアはそれを必死に否定しようとしたが、説得しようとしている間にもベルはどんどん先に進み、それがスピネルの心をどんどん追い詰めていって、どうにもならないうちにベルのランクアップという決定打が放たれてしまった。

 

 わかっていたのに。

 一ヶ月前までは安定していたとはいえ、それでもスピネルは子供だ。

 ベルより遥かに幼い子供だ。

 健全な成長の機会を奪われてしまった、最初から傷だらけの心を根底に抱えた、人一倍か弱い小さな子供だ。

 普通の人でも飲み込むのが難しそうな、圧倒的な才能の差。

 そんなものを突きつけられて歪まずにいられる強い子じゃないとわかっていたはずなのに。

 

 ヘスティアは、可愛い娘を見殺しにしてしまった。

 下界に降りて僅か半年ちょっとの、元グータラ女神。

 そんな未熟極まる主神のせいで、一人の眷族が地獄に落ちてしまった。

 

「ただいま戻りました神様! 聞いてください! 僕……」

「うわぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

「え!?」

 

 ちょうどベルが戻ってきたタイミングで、ヘスティアの心は決壊した。

 自分のせいだ。

 スピネルの前で、ベルのスキルに気を取られた自分を迂闊に見せたから。

 説得できずに、ダンジョンに行かせてしまったから。

 ステイタスの更新を拒んででも、スピネルを止めるべきだった。

 無理に止めたら、努力することを否定したら、ベルには絶対に勝てないなんて事実を突きつけてしまったら、彼女の心が壊れてしまうんじゃないかと日和って、中途半端なことをした自分が一番悪い。

 

「ごめん……!」

 

 そもそも、スピネルが冒険者になろうとするのを止めれば良かったのだ。

 ヘスティアの役に立ちたいと言い出したスピネルを否定したら、僅かでも『今のお前は役に立たない』なんて意味の含まれた言葉を言ってしまったら、当時まだ安定すらしていなかったスピネルの心を更に歪めてしまうかもと思った。

 ここでもヘスティアは日和って、スピネルを冒険者にしてしまった。

 許可を出した時の、稼ぎを持ち帰った時の、スピネルのキラキラとした顔を見て。

 アドバイザーのエイナからも、想像以上に頑張ってるし、無茶をした様子も無いと聞いて、安心してしまっていた。

 

「ごめんよ……!」

 

 あとは、そうだ。

 何故、自分はベルを勧誘なんてしたのだろう。

 スピネルが男にトラウマがあることなんてわかり切っていただろうに。

 彼女は大分安定してきていたから、油断した。

 路頭に迷ったようにトボトボとオラリオを歩くベルが何度も何度も視界に入って、すぐ近くで絶望に満ちた泣き顔を見せられたりして、全ての孤児の救済を司る女神として見ていられなかった。

 ベルの顔立ちが女の子みたいで、素朴で内気そうな様子は彼女と相性が良いんじゃないかと、行けるんじゃないかと、むしろ男慣れの練習になるんじゃないかと思ってしまった。

 けど、今にして思えば、その時の自分の思考はあまりにも楽観的すぎる。

 いくらベルがこんな爆弾だったなんて、当時は知る由もなかったとはいえ。

 

「か、神様!? どうしたんですか!?」

「ベ、ベルくん……」

 

 真っ青な顔で泣き喚くヘスティアを、滅茶苦茶アタフタしながら心配してくれる少年。

 ……彼は別に悪くない。

 ベルはただ、真っ当に努力していただけだ。

 その結果が反則にしか見えなくとも、それが恩恵が彼に与えた力である以上、反則でもズルでも不正でもない。

 自分の才能を活かして頑張ることは、何も間違っていない。

 

 ただ、彼にスピネルの現状を伝えなかったのも、逆にスピネルに彼のスキルの存在を伝えなかったのも、間違いだったかもしれない。

 ベルにスピネルの心境を伝えて、スピネルにベルのスキルのことを伝えて、二人が話し合う機会を設けていれば、あるいは。

 ……どう言えば良かったのだろうか。

 先輩が君の才能に嫉妬してるから、もうちょっと手加減してとでも言えば良かったのか?

 君は恋したら強くなるなんてふざけたスキルに絶対勝てないから諦めろと言えば良かったのか?

 火に油を注ぐ結果にしかならないだろう、それは。

 

(言えない……!)

 

 スピネルが死んでしまった今でも、彼女の考えていたことをベルには言えない。

 言えば、彼の心に大きな傷をつけてしまう。

 心の傷はスピネルの死因だ。

 それがベルにまで刻まれたら、彼まで失ってしまうかもしれない。

 スピネルに続いて、ベルまで失いたくない。

 彼女を追い詰めた元凶であろうとも、ヘスティアにとっては、二人とも大切な子供達なのだから。

 

「君は……! せめて、君だけはいなくならないでくれ……!」

「え? あの、えっと……!?」

 

 主語が無いため、なんの話かわからず、ただヘスティアを心配して混乱するばかりのベル。

 ……結局、彼にはスピネルがダンジョンで死んだとだけ伝えた。

 祖父(かぞく)の死がトラウマとなっているベルは、家族(ファミリア)の死に大いに取り乱して泣いたが。

 サポーターのリリやアドバイザーのエイナに慰められ、最後にはこれが冒険者という仕事の厳しさなんだということを学び、乗り越えた。

 

 スピネルの死は、英雄の成長のための礎の一つとなったのだ。

 そんな結末に、まるでベル・クラネルを成長させるために誰かが書いた、神ですらどうにもできない悪趣味なシナリオを見たような気がして。

 ヘスティアはそんな嫌な想像を、強引に振り払った。




・ベル加入の経緯


ベル「はぁ……」
ヘスティア(なんか、すっごい景気の悪そうな顔した子がいる……)


ベル「また、断られた……」
ヘスティア(あの子、もう十回くらいあんな顔して店の前通ってるな……。助けてあげたいけど……でも、ウチはスピネルくんがいるし……)

夕方
ベル「宿代が……」
ヘスティア(……堪えろ。堪えろ、ボク)


翌日
ベル「入れてくれない……。どこのファミリアも入れてくれない……」
ヘスティア(ぬぬぬぬぬぬ……!)


数日後
ベル「宿代も尽きちゃった……。ハハッ、もうダメだ……おしまいだ……」
ヘスティア(絶望し切った顔で泣いてる!? ああああああーーー!! なんで!! その顔を!! よりにもよってボクの目の前で!?)


ヘスティアによるベルの目撃回数、32回。
全ての孤児の保護神、我慢の限界に達する。


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15 穢れた再誕

「う、あ……」

 

 スピネルは酷く寝心地の悪い場所で目を覚ました。

 寝具の類ではない、床ですらない、地面の上での起床。

 だが、寝起きの不快感など、周囲の様子を見たら一瞬で吹き飛んだ。

 

「ひっ!?」

 

 そこは、不気味という言葉を煮詰めたような空間だった。

 恐らくはダンジョン内の広間(ルーム)と思われる開けた空間。

 その空間の全てを、緑色の肉が侵食していた。

 緑肉は不気味に胎動し、その肉に根を張るようにして植物型のモンスターが生えている。

 モンスターより人間の方が怖いという精神で、ダンジョンの恐怖を振り払ってきたスピネルだが、ここまで不気味だと、さすがにビビる。

 

「起きたか」

 

 そんな彼女の様子を見て、話しかけてくる存在がいた。

 赤髪の目つきの鋭い女性だ。

 彼女はまるでこの空間の主のように堂々と居座り、妙な色合いの魔石をかじっていた。

 魔石を、かじっていた。

 

「……………美味しいんですか?」

「味はしないな」

 

 混乱のあまり、大量にある突っ込みどころをスルーして一番にしてしまった質問に、赤髪の女性は普通に答えてくれた。

 真顔だった。

 

「思ったより落ち着いているな。直前までの記憶はあるか?」

「記憶……ッ!?」

 

 記憶を思い出すことを促され、そこでようやくスピネルの認識が現実に追いついた。

 そうだ。

 自分は無謀にも中層に足を踏み入れて、あの緑肉を蠢かせる怪物に殺されたはずだ。

 心臓を貫かれた感覚があったから間違いない。

 しかし、慌てて胸部を確認してみれば、そこには傷一つ無かった。

 

「覚えているようだな。そうだ。お前は一度死んだ。そして、私と同じ化け物として蘇った」

「死んで、蘇る……!?」

 

 死者蘇生なんて聞いたことがない。

 そんなこと、神が天界に強制送還されることと引き換えに、ルールを破って本来の力を使いでもしなければ不可能だろう。

 しかも、女性の口ぶりからするに、ただ蘇っただけというわけでもない。

 化け物とは、どういう意味だ?

 

「まあ、見た方が早いか」

「なっ!?」

 

 女性は、いきなり自身の胸部を引き裂いた。

 飽満な胸を左右に割って、肋骨の中身を見せつけてくる。

 突然のグロに吐きそうになったが、吐く前に驚愕が押し寄せてきた。

 女性の胸の中には……魔石が埋まっていたのだ。

 さっき彼女がかじっていたのと同じ、通常の紫紺とは色合いの違う極彩色の魔石が。

 

「私は人間と怪物(モンスター)の混合種『怪人(クリーチャー)』とでも呼ぶべき存在だ。今はお前もそうなっている」

「ッ!?」

 

 引き裂かれた女性の胸が再生していく。

 回復魔法もポーションも無しに。

 それは間違いなく、高位のモンスターの一部が持つとされる自己再生能力。

 本当に、目の前の女性は人間じゃない。

 彼女の言うことが真実なら、スピネル自身も人間ではなくなってる。

 

「!!」

「ほう。躊躇なく自分の胸も裂いて確認するとは。中々見どころのありそうな奴だな」

 

 信じたくないという気持ちが暴走して同じことをやらかしたスピネルに、女性はちょっと感心したような目を向けた。

 ……彼女の言う通り、スピネルの胸の中にも魔石が埋まっていた。

 目の前の女性と同じ、極彩色の魔石が。

 そして、人間なら明らかに致命傷である傷が塞がっていく。

 

「嘘……!?」

「事実だ。その証拠に、こいつらもお前を襲わないだろう?」

 

 そう言って、女性はこの場にひしめく大量の植物型モンスターを見た。

 確かに、その通りだ。

 モンスターといえば、人間に対して殺意全開で襲いかかってくるのがデフォルトなのに、この植物型モンスターはスピネルに対して何もしない。

 多分、同族認定をされているから。

 

「なんで……!?」

 

 モンスターは、人類にとって不倶戴天の敵だ。

 滅ぼすべき宿敵だ。

 なんで、自分がこんな化け物に成り下がってしまったのか。

 わけがわからなくて、スピネルは頭を抱えながら悲痛な声を上げた。

 

「お前には怪人になる素質があった。だから、あいつ(・・・)に目をつけられた。

 お前、こいつらと同種のモンスターに体を調べられただろう?」

「!!」

 

 女性は「こいつら」と言って、植物型のモンスター達に視線を向ける。

 そうだ。

 スピネルはこのモンスターに見覚えがある。

 怪物祭の時、シルバーバックに追われるベルとヘスティアを追いかけようとした時。

 いきなり現れて、蔓でスピネルの体を貫いた植物型のモンスターにそっくりだ。

 

 そういえば、あの時も腹に突き刺さった蔓で、体の中をまさぐられるような感覚があった。

 もしかして、あれは素質とやらを調べていたのだろうか?

 

「私も、こいつらも、あいつの操る触手だ。

 協力者の助力で僅かな触手を地上に出せた時、本命を探す中で偶然お前を見つけたようでな。

 それ以降、お前が触手で絡め取れる場所まで、ダンジョンの奥まで入ってくるタイミングを伺っていたというわけだ」

「ッ!?」

 

 ああ、そうか。

 結局、これもまた自分の愚かな暴走が招いた結果か。

 愚かな死が、愚かな生き恥にすり替わっただけ。

 けれど、どんな形にせよ命を繋いだというのなら、

 

「ヘスティア様……!」

 

 帰らなければ。

 約束したのだ。

 無茶をしても、死にかけても、最後は必ずヘスティアのところに帰ると。

 死にかけるどころか一回死んだらしいし、体もこんな化け物になってしまったが、それでもヘスティアなら受け入れてくれるはず。

 

「行くのか。別に構わんが、帰った後の人生に期待は持たん方が良いぞ。

 どこまでいっても、お前はもうあいつの操り人形にしかなれん」

 

 哀れみの言葉をかけてくる女性を無視して、スピネルは駆け出した。

 なんとしてもヘスティアのところに戻る。

 その一心で、彼女はダンジョンの中を駆け抜けた。

 

「グォオオオオオ!!!」

「あれって……!?」

 

 どうやら、ここはダンジョンのかなり奥地のようで、明らかにヤバそうなモンスターが山のようにいた。

 けれど、彼らにも同族認定されているのか、積極的には襲ってこない。

 それと、怪人になった影響なのか、スピネル自身の身体能力も異様に上がっていた。

 これなら走り抜けることができるかもしれない。

 

『ハジメマシテ』

 

 頭の中に声が響いた。

 怖気を感じる女性の声が。

 

『仲良クシマショウ』

 

 多分、この声の主が自分を怪人に変えた存在なのだろう。

 人間としてのスピネルを殺した存在なのだろう。

 けれど、今だけはそれもどうでもいい。

 ヘスティアのところに帰らなければならない。

 スピネルの心にあるのは、ただそれだけだった。



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16 ■■■■■■■

 走った。

 同族すら襲うような好戦的なモンスターから身を隠しながら、全力でダンジョンを逆走して上へ上へと登った。

 そうしているうちに、アドバイザー(エイナ)に情報として聞かされたことのある特徴を持つ階層に出た。

 

 もう少しだ。

 もう少しで帰れる。

 さすがに、広大なダンジョンを地図も無しにさまよったから、かなりの時間がかかってしまった。

 それに一回死んだのが原因なのか、背中に刻まれていた恩恵まで消失している。

 装着者が生きている限り修復され続けるはずの神の鎧も壊れたままだから、多分ヘスティアにも死んだと思われてる。

 

 ひょっこり帰ったら、きっと滅茶苦茶驚かれるだろう。

 そして、滅茶苦茶泣かれるだろう。

 化け物になったと知ったら、頭を抱えさせてしまうだろう。

 今から申し訳なくなってくるが、それでも……会いたい。

 

 そうして、スピネルが辿り着いたのは、ダンジョン18階層。

 別名『迷宮の楽園(アンダー・リゾート)』。

 モンスターが出現しない迷宮の『安全階層(セーフティポイント)』の一つである階層

 地上から資材を搬入して、冒険者の街まで作られているという場所。

 そこは何故か━━嫌に騒がしかった。

 

「ウゴォオオオオオオオオ!!!」

 

 楽園とまで言われた階層で、一体のモンスターが暴れ回っていた。

 暴れているのは、巨人だ。

 身長7Mを越える巨人。

 恐らくだが、一つ上の17階層の『階層主』ゴライアス。

 階層主が守護する階層を離れるなんて聞いたこともないが、上層に出るはずがないミノタウロスが2回も現れたりしたのだから、ダンジョンでは何が起こるかわからないということだろう。

 

 しかも、ゴライアスの姿は、エイナに聞いていた情報と違う。

 体色が黒い。漆黒のゴライアスだ。

 通常種とは違う変異種。あるいは強化種。

 普通のゴライアスですら、冒険者で言えばレベル4相当の強敵という話なのに、その変異種ともなれば、どれほどの脅威かわかったものではない。

 

 そんな化け物に、楽園に集った冒険者達は一丸となって立ち向かっており━━戦いは、既に終局間近だった。

 

「!」

 

 ゴォォン、ゴォォン、という音がする。

 まるで大鐘楼(グランドベル)のような音。

 音の発生源は、一人の冒険者だった。

 白髪の少年、ベル・クラネルが、一本の大剣を構えていた。

 その全身は光り輝き、そこから大鐘楼の音が鳴っている。

 

「ハァアアアアアア!!!」

 

 少年が剣を振り抜いた。

 他の冒険者達が隙を作ったゴライアスに向かって。

 

「なっ!?」

 

 とんでもない威力の攻撃が放たれた。

 その一撃は大地を抉り、爆風を生み出し━━ゴライアスの上半身を消し飛ばす。

 レベル4を超えるはずのゴライアス亜種が、レベル2になりたての人間の一撃で消し飛ぶ。

 それは実に奇跡的で、英雄的で……悪夢のような光景だった。

 

「!」

 

 しかし、その一撃でさえもゴライアスは死なない。

 上半身を完全に消し飛ばされ、体内の魔石が露出してなお、その体は再生を始めようとしていた。

 だが、早熟の英雄はその隙を逃さない。

 さっきの一撃の代償に砕け散った大剣の代わりに、神より授かったナイフを腰から引き抜いて、跳躍。

 誰よりも早く、剥き出しの魔石に神の刃(ヘスティア・ナイフ)を突き立てた。

 

「せゃああああああああ!!!」

 

 ゴライアスの魔石が砕け散る。

 再生しようとしていた体が灰となって崩れ落ちる。

 ベル・クラネルが勝った。

 他の冒険者達の協力があったとはいえ、レベル4以上の化け物を討ち取ってみせた。

 

「ベル様が……ベル様がやりましたーーー!!」

「うぇぇぇん! ベルくん! 無事で! 無事で良かったーーー!!」

「うわっ!?」

 

 パーティーメンバーであるリリルカ・アーデと……ヘスティアが、大勝利を収めたベルに抱きつく。

 特にヘスティアはわんわんと泣いていた。

 眷族の死にトラウマがある女神は、滅茶苦茶ヒヤヒヤするギリギリの戦いに戦慄し続けていたのだ。

 それが勝利で幕を閉じ、眷族が死ななかった安堵で涙腺が決壊してしまった。

 

 けれど、彼女のその反応は━━致命的な間違いだった。

 

「なん、で……。ヘスティア、様……」

 

 ベルに抱きついて泣くヘスティアを見て、スピネルは絶望に膝をついた。

 なんで?

 なんで私がいないのに、そんなに喜んでるの?

 もう私のことなんて忘れちゃったの?

 ベルがいればそれでいいの?

 

 ただでさえ限界を迎えていた彼女の精神は、化け物にされたことで更に追い詰められ、ヘスティアとの再会だけを希望に、どうにか持っている状態だった。

 それが目の前の光景を見てしまって、希望は最高の絶望へと反転した。

 自分は死んだと思われてるから。

 もう一人の眷族まで失う恐怖から解放された安堵でああなってるだけだろう。

 そんな冷静な考えを巡らせられる余裕など、今のスピネルには欠片も無かった。

 

「やるじゃねぇか、【リトル・ルーキー】」

 

 周囲の冒険者達も、ベルに称賛の眼差しを送っている。

 18階層に足を踏み入れられるということは、彼らはレベル2以上の上級冒険者達なのだろう。

 シルバーバックの時といい、ミノタウロスの時といい、本当に観客に恵まれる奴だ。

 いつもいつも、美味しいところを持っていく。

 

「やったな、ベル!!」

「ベル殿ぉ!!」

 

 ああ、ちょっと見ないうちに、サポーター以外の仲間までできたのか。

 パーティーメンバーと思われる者達に祝福され、ベルは嬉しそうに笑っていた。

 先輩冒険者達に認められ、仲間達に祝福され、主神に抱きしめられ。

 冒険者としての幸福の全てを得ている。

 

 それに引き換え、自分はどうだ?

 

 嫉妬に狂って、焦燥に焼かれて。

 限界を迎えた精神で暴走して死んで。

 それで終わることもできずに化け物になって。

 恩恵も、せっかく貰った神の鎧(ヘスティア・アーマー)も失って。

 それでも帰ろうと思ったら、主神の視線は完全にもう一人の眷族に向けられていて。

 そのもう一人の眷族が、スピネルの破滅の元凶となった奴が、ヘラヘラ笑いながら、冒険者としての幸福の全てを噛みしめている。

 

「ア、アハハ。アハハハハハハ」

 

 乾いた笑いが出てきた。

 壊れた笑いが出てきた。

 なんという格差。

 なんという理不尽。

 頑張って頑張って頑張り続けた自分が死より酷い末路を迎えたのに、大した努力もせずにヘラヘラしてた奴が最高の栄光を手に入れるなんて。

 本当に、世界というのは理不尽だ。

 

「■■■■■■■■■■!!!」

 

 そう思ったら、声にならない声が腹の奥から出てきた。

 この声ですら、距離が離れている上に、祝福の声に包まれた英雄には届かない。

 頭が痛い。

 吐き気がする。

 胸が苦しい。

 黒い感情で全身が焼かれるようだ。

 頭が、心が、グチャグチャの滅茶苦茶になっていく。

 

『彼ガ憎イノ?』

 

 頭の中で声がした。

 自分を殺した存在の声。

 自分をこんな化け物にした奴の声。

 

「憎い……!! 憎いよ……!!」

 

 真っ黒に色づいた怨嗟の炎が、胸の中で燃え上がる。

 あいつさえいなければ。

 ベル・クラネルさえいなければ。

 自分はずっと幸せでいられた。

 あいつが現れるまでの生活は満ち足りていた。

 地位も、名誉も、財産も、強さも無かったけれど。

 大好きなヘスティアが自分を見てくれて、褒めてくれて、愛してくれて。

 人生で初めて幸せを感じていた。

 それだけで充分だったのに。

 

「あいつの、せいだ……!! あいつのせいだ!!」

 

 あいつが全て壊した。

 ズルして得た力でヘスティアの関心を奪って、スピネルに劣等感を植えつけて、破滅に導いた。

 そして今は、スピネルから奪った居場所でヘラヘラ笑って幸せそうにしている。

 自分はこんなに辛いのに、あいつはとっても幸せそう。

 ふざけるな……!! ふざけるな!!

 

『ジャア、力ヲ貸シテアゲル』

 

 脳裏で悪魔が囁く。

 心の傷につけ込んで、傷口から触手を忍び込ませて、完全な操り人形を作ろうとする。

 

『彼ニ復讐デキルダケノ力ヲアゲル。ダカラ、私ノ願イヲ叶エテ』

「願い……?」

『空ガ見タイノ』

 

 ダンジョンの奥地に囚われている自分を、空の下に連れ出してほしい。

 すなわち━━ダンジョンに蓋をしているオラリオを滅ぼしてほしい。

 

「……わかった。良いよ。あなたの願いを叶えてあげる」

 

 もうなんでもいい。

 ベル・クラネルに復讐できるのなら。

 あいつが自分の幸福を奪った分、あいつの幸福を奪って踏みにじれるのなら、なんでもいい。

 ……ヘスティアに褒められたかったから、ベルに勝ちたかった。

 闇に堕ちた少女は、とうとうそんな原初の願いよりもベルへの憎悪が勝り、目的と手段が逆転してしまった。

 

「その代わり、今の言葉はちゃんと守ってね」

『ウフフ。モチロン』

 

 そうして、スピネルはダンジョンの深層に潜む災厄『穢れた精霊』の眷族となった。

 以降の彼女は、大好きな女神に褒められるためではなく、理不尽な反則に努力で打ち勝つためにでもなく。

 ただただ、その身と心を焼き尽くす黒い感情に導かれるままに、闇の道を進み続けることとなる。

 

 

 英雄(ベル・クラネル)を嫌いになるのは間違っているだろうか。

 ああ、間違っているだろう。

 これはただの醜い嫉妬で、逆恨みで、正当性なんて欠片も無いのだろう。

 それでも、どうしても許せない。

 自分の苦しみの裏で、あまりにも過剰な『幸運』に恵まれるあの少年が、どうしても許せないのだ。

 

 ━━影を作らない光など、存在しない。




新しい七つの大罪の一つ『鼻持ちならないほど金持ちになること』


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17 強化中

「ハァアア!!」

「━━━!?」

 

 羊の骨のようなモンスターに対して、怪人となったスピネルが天然武器のナイフを振るう。

 モンスターもどきとなったためか、わざわざモンスターから奪わなくとも、迷宮はスピネルに天然武器を与えてくれるようになった。

 

 それを使って羊骨モンスター『スカルシープ』に斬りかかる。

 数度の攻防の末に首を跳ねて打倒し……抉り出したスカルシープの魔石を食べた。

 ガリガリと砕いて飲み込む。

 それによって、体感できるほどに力が増した感覚があった。

 

「コホッ……」

 

 モンスターは他のモンスターの魔石を食らうことで強くなり『強化種』と呼ばれるようになる。

 怪人も同じ芸当ができるので、最近のスピネルは魔石を食らって地力を上げることを優先していた。

 あの赤髪の女性怪人『レヴィス』のように、穢れた精霊の生み出したモンスターの魔石を食べていれば、別に戦わなくても強くなれるし、実際提供される魔石も食べている。

 だが、スピネルは戦闘経験を蓄えるためにも、自力調達を積極的に行っている。

 本人曰く『錆びついている』そうだが、それでも歴戦の戦闘経験を持つレヴィスと違って、スピネルは技術的な積み重ねが圧倒的に足りていない。

 スペックだけ高くて技量の伴っていない木偶の坊にはなりたくないのだ。

 

「『ファイアボルト』!!」

「「「グキャアアアア!?」」」

 

 続いて集団で纏まっていたリザードマン・エリートを、魔法モドキで砲撃。

 強烈な火炎放射で弱って怯んだところに、接近してナイフで首筋を斬り裂く。

 絶命したら魔石を抉り出して食らった。

 

「コホッ、コホッ」

 

 魔石を食らうことによる強化は、冒険者が経験値によって恩恵を育てるよりも遥かに効率が良い。

 あれだけ頑張ってもレベル1の中堅にしかなれなかったスピネルが、今ではレベル3ほどの強さに至っている。

 闇に墜ち、怪人としての強化をし始めてから、まだ一ヶ月ほどしか経っていないのにだ。

 なるほど、これがズルをして強くなる感覚かと、スピネルはようやくベルの見ていた世界を垣間見た気分だった。

 

「ゴホッ、ゴホッ、ゴホッ」

「どうやら、あまり調子は良くないようだな」

「あ、レヴィスさん」

 

 自己強化に励むスピネルのところに、赤髪の先輩怪人レヴィスが現れた。

 なお、現在地は選ばれたひと握りの強者しか足を踏み入ることのできないダンジョンの『深層』の入り口、37階層である。

 こんな人外魔境で気安く会えるのも、こちらから仕掛けない限りは怪物が積極的に襲ってくることのない人外側になったからこそだ。

 

「相変わらず無茶をしているようだな。悲願とやらを達成する前に死ぬつもりか?」

「大丈夫ですよ。生殺与奪の権は彼女(・・)に握られてるんです。死ぬほどの無茶は物理的にできませんから」

「……奴の呪縛をセーフティーネットに使う奴は初めて見た」

 

 レヴィスは呆れたような目でスピネルを見た。

 おかしな後輩だ。

 まあ、もう一人の怪人のように陰気になられるよりは良いが。

 

「見ていたぞ。それなりに強くなったな」

「後先を考えなければ、もっと行けますよ」

「命を削るような戦法は、ここぞという時にしか使わせてもらえないだろう。そんなものを勘定に含めるな」

 

 スピネルの怪人としての適性はそう高くはない。

 身の丈に合わない外付けの力に体がついてきておらず、桁違いの再生力を誇る怪人のくせに、魔石をドカ食いした後は苦しげに咳をする。

 力を全解放なんてしたら、あっという間に死にかねない。

 それどころか普通に生きているだけでも命をすり減らし、レヴィスのように寿命を超越して永遠を生きるどころか、人間(ヒューマン)の寿命を全うすることすら叶わないだろう。

 それでも穢れた精霊にとっては貴重な駒の一つだ。

 そう簡単に使い潰してはくれない。

 

「それより、そろそろロキ・ファミリアがクノッソスに攻めてくるという話だ。お前もその戦いに参加しろ」

「わかりました。私も対人戦の経験が欲しかったので、渡りに船ですね」

 

 現在、穢れた精霊の眷族である怪人達は、オラリオを滅ぼすための計画を進めている。

 『エニュオ』と名乗る協力者の橋渡しで、かつてオラリオを恐怖のドン底に突き落とした『闇派閥(イヴィルス)』の残党と手を組んで。

 その闇派閥の拠点にロキ・ファミリアが攻め入ってくるらしいので、計画の邪魔になる彼らを、この機会に叩き潰せという命令。

 

(気合い入れていこうか)

 

 この計画は、スピネルにとって舞台作りだ。

 英雄を無惨に殺すための舞台。

 加えて、準備段階の間に対人戦の経験を積まなければならない。

 ベルを実績で追い抜くのではなく、直接的に打倒すると決めた以上、対人戦の経験は是が非でも欲しい。

 舞台作りと、自己強化。

 二つの目的を果たすためにスピネルは猛り、積極的に動いてくれる眷族の様子を察して、穢れた精霊はご機嫌になった。

 

「待っててね、ベル……!」

 

 憎悪が募り過ぎて、一周回って恋い焦がれるように頭から離れなくなった少年の顔を思い浮かべながら、スピネルは歪な笑みを浮かべた。

 彼の情報は逐一仕入れている。

 見た目は人間だった頃と変わらない姿を活かして、18階層の『リヴィラの街』で情報屋に依頼して。

 

 スピネルが怪人として強さを求めていた一ヶ月で、またベルはランクアップした。

 派閥同士の抗争で中堅ファミリアの『アポロン・ファミリア』を叩き潰し、その時の戦いが偉業認定されてレベル3に至ったらしい。

 その時に他派閥から改宗(コンバージョン)してまで助けてくれた仲間がいたらしく、彼らがそのままファミリアに入って、現在のヘスティア・ファミリアはベルを含めて四人。

 レベル3に至ったベルに、レベル2が二人、レベル1が一人。

 もしも、今もスピネルがヘスティア・ファミリアにいたのなら、一の眷族なのにワースト2の下っ端になっているところだった。

 本当に、あいつはスピネルの尊厳を破壊するのが上手い。

 

 で、抗争の勝利によってアポロン・ファミリアの立派なホームまでも接収し、ベルはそこで仲間達に囲まれて楽しくやっているそうだ。

 しかも、この世で唯一、スピネルの幸せな思い出が残るあの廃教会は、その抗争で破壊されてしまった。

 その情報を聞いた時、信じられない、信じたくないという気持ちで、顔を隠しながら廃教会に行ってみたが……誤情報ではなかった。

 ヘスティアと二人で笑い合えていた思い出の場所が、完全に崩れてただの廃墟になっていた。

 本当に、あいつはスピネルの尊厳を破壊するのが上手い。

 

(でも、それでいいよ。今は存分に、私を踏みつけにして得た幸せに浸ってると良い)

 

 どうか幸せになってくれ、ベル・クラネル。

 幸せであればあるほど、それが崩れた時の絶望は大きくなるから。

 そのことを、スピネルは誰よりもよく知っているから。

 だから、幸せに浸って待っていてほしい。

 スピネルがその全てを踏みにじり、君が泣き叫びながら生まれたことを後悔することになるだろう、その時を。

 

「うふふ」

 

 ダンジョンの奥底で、壊れてしまった少女が嗤う。

 悪意に満ちた悲願を果たす、その時を夢見て。



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18 闇の計画

 人造迷宮クノッソス。

 千年前のとある名工が『ダンジョンを超える作品を造りたい』という妄執を抱き、建設が始まった人造の迷宮。

 本家ダンジョンをぐるりと囲むような形でオラリオの地下に造られており、横幅はオラリオの街と同等、深度はダンジョンの中層である18階層にまで及ぶ。

 

 内部は天井も壁も床も全てが超硬金属(アダマンタイト)の上に魔法の効果を減衰させる特殊な石材を被せて形作られ、その上でトラップも満載。

 更に出入り口などの要所は、オラリオ最強の冒険者にして唯一のレベル7、『猛者(おうじゃ)』オッタルですら破壊できない最高精製金属(オリハルコン)の扉によって守られている。

 始祖が己の血筋に呪いをかけて作品の完成を強い、子孫達の尋常ならざる労働と犠牲を糧として、千年に渡って形作られてきた、禍々しい想いの結晶。

 

 ここが怪人達の協力者である、かつてオラリオを震撼させた悪の象徴『闇派閥』の残党達のホームだ。

 スピネルはレヴィスに連れられて、そこに足を踏み入れた。

 前々から話には聞いていたものの、まずは自らの強化に集中していたため、実際に訪れたのは初めてだ。

 

「やあ。君が新しい怪人ちゃんだね。はじめまして、俺はタナトス。闇派閥残党の主神だ」

「はじめまして、タナトス様」

 

 スピネルはローブを目深に被って顔を隠した姿で、闇派閥残党を率いる神と会った。

 顔を隠しているのはサプライズのためだ。

 ベルと再会する時は、どうせならビックリさせたい。

 覚悟を決める時間なんて無い方が、きっと絶望を深めてくれると思うから。

 

「先に名乗っていただいたのに大変申し訳ないのですが、私には名乗るに値する名前がありません。

 なので、どうぞ怪人ちゃんでもなんでも、お好きにお呼びください」

 

 随分スラスラと言葉が出てくる。

 レヴィスと話す時もそうだったが、前ならヘスティア以外の相手に、こうも流暢に喋れはしなかっただろう。

 頭のネジが全部ぶっ飛んでしまったからか、人見知りの原因となった『怖い』という感情がどこかへ行ってしまったような感じがする。

 

「……ふーん。まあ、一応嘘ではないね」

 

 神に嘘は通じない。

 つまり、彼女は本心から名乗るべき名前は無いと思っている。

 スピネルとは、既に死んだ少女の名前だ。

 名に込められた意味である『努力』を汚した。

 今の自分にはもう名乗る資格が無い。

 ここにいるのは怨嗟に取り憑かれた、ただの亡霊だ。

 

「わかった。深くは聞かない。それじゃあ、小さな怪人ちゃん。これからよろしく頼むよ」

「はい。お任せください」

 

 死神タナトスは、ニッコリ笑って名無しの怪人(スピネル)を歓迎した。

 

「おいおい、そいつが新しい用心棒かぁ? 随分小せぇが、使えるのかよ?」

「お、ヴァレッタちゃん」

 

 その時、タナトスとの話し合いに割り込んでくる女が現れた。

 毛皮付きのオーバーコートを羽織った、目つきの鋭い女性だ。

 なんとなく、全身から不吉が漂っているように感じた。

 あの娼館で自分を虐げていた者達から感じていた醜悪な気配、それを数十倍、数百倍に濃くしたような『悪意』を彼女から感じる。

 それでも怖いとは思わなかった。

 恐怖心がもう完全に麻痺している。

 

「紹介するよ。この子は【殺帝(アラクニア)】ヴァレッタ・グレーデちゃん。

 レベル5の実力者で、闇派閥全盛期から頑張ってくれてる幹部で、ウチの司令塔だよ。

 基本的には俺か彼女の指示で戦ってもらうことになるかな」

「レベル5ですか。とてもお強いんですね」

 

 レベル5。

 つまり、あの【剣姫】と同等の強さということだ。

 ああ、いや、剣姫の方もベルと同時期にランクアップして、レベル6になったのだったか。

 それどころか、最新の情報ではロキ・ファミリアの他の幹部も軒並みランクアップして、レベル6が七人もいるという話だ。

 

 さすがに、今のスピネルが幹部以上と戦ったら瞬殺される。

 そっちはヴァレッタやレヴィスに頑張ってもらうしかない。

 拝み倒して修行の相手をしてもらった時に知ったが、レヴィスは化け物みたいに強いし、クノッソスという地の利もある。

 やってやれないことはないだろう。

 

「お恥ずかしいのですが、私はせいぜいレベル3程度の力しか持っていません。

 幹部のいる場所に突撃、なんてイジワルな指示はしないでくださいね、指揮官様」

「あぁ? レベル3ぃ? ザコじゃねぇか。使えねぇな」

「申し訳ありません。何分、新米なもので。

 一応、モンスターに対する指揮権は与えられているので、幹部以外に対してはそれなりに立ち回れるかと」

「ほー。ま、適当な仕事を振っとくぜ。せいぜい役に立ってくれよ、オマケ用心棒」

 

 ヴァレッタはヒラヒラと手を振りながら、どこかに行ってしまった。

 大分軽んじられているが、そこに不満も不快感も無い。

 当たり前だ。

 レベル3相当の力も、モンスターへの指揮権も、穢れた精霊に与えられた力であって、スピネルの力ではない。

 一応、努力して得た力も混ざってはいるが、八割以上がズルして得た借り物の強さ。

 そんな奴が尊重されないのは当然だと彼女は考えている。

 

「それで、作戦開始はいつ頃の予定ですか?」

「お相手次第かなー。ま、餌はまいといたし、向こうは罠とわかってても攻めるしかないんだから、そう時間はかからないと思うよ」

 

 タナトスは確信を持った様子でそう答える。

 ロキ・ファミリアは罠とわかっていても攻めるしかない。

 まあ、確かにそれはそうだろうなと、作戦概要をレヴィスから軽く聞かされただけのスピネルでもそう思った。

 

 怪人、闇派閥残党、そして両者を結びつけた『エニュオ』なる謎の支援者。

 三者三様の思惑を持つ者達が互いを利用し合い、現在進めているオラリオ崩壊計画。

 こちらの切り札は、スピネル達を操る穢れた精霊の分身体。

 ダンジョン深層の階層主に匹敵する力を持つ『精霊の分身(デミ・スピリット)』。

 

 合計七体の精霊の分身のうち、六体を触媒にした大魔法で、オラリオを周辺一帯ごと消し飛ばす。

 ……と見せかけて、真の目的を達成する。

 ロキ・ファミリアは恐らく、裏の計画どころか表の計画の全容すら掴んでいないと思われるが、それでも既に精霊の分身と一回ぶつかっているので、それがただ地上に出るだけでもヤバいという認識は刷り込まれているそうだ。

 

 ならば、向こうはこちらの計画が成就する前に、何がなんでも潰しにくるだろう。

 突っ込んでくる獲物をクノッソスという蜘蛛の巣で絡め取り、仕留める。

 今回の作戦はそういうものだ。

 

「来い。お前には分身どもの居場所も教えておく。それと、アリアについてもな」

「アリア?」

「穢れた精霊が執着している女だ。今は【剣姫】と呼ばれている」 

「……へー」

 

 ちょっと意外な名前が出てきた。

 二度に渡ってスピネルを助けてくれた恩人であり、ベル・クラネルの想い人。

 心苦しいけれど、ベルを苦しませるための生贄として使おうと思っていた女性。

 穢れた精霊が彼女に執着しているというのなら好都合だ。

 あの滅茶苦茶強い剣姫をどうにかするのに、穢れた精霊の力を利用できるかもしれない。

 

「言っておくが、奴は私の獲物だ。手を出すなよ」

「……それは残念」

 

 できれば最高のシチュエーションで料理してベルに提供したかったのだが、先輩命令では逆らえない。

 まあ、剣姫が穢れた精霊の手に落ちるだけでも、ベルからすれば発狂物の絶望だろう。

 ひとまずは、それで満足しておこう。

 それに……。

 

(なんとなく、大丈夫な気がするし)

 

 レヴィスは強い。化け物のように強い。

 多分、まともにやり合えば剣姫にも勝てる。

 それでも、あの運命に愛されたような少年が想いを寄せる相手が、そう簡単に死ぬとは思えなかった。

 ただの勘だが。

 

(もし、本当にレヴィスさんを退けたのなら……)

 

 その時は、スピネルの手で劇的な最期をプレゼントしよう。

 今は無理でも、状況を整え、戦力を整え、最高のタイミングでベル・クラネルへのプレゼントにしよう。

 だから、叶うことならどうか、その時まで生き残ってほしい。

 スピネルはいつか殺すと決めている恩人に、悪意に満ちたエールを送った。



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19 VSロキ・ファミリア

「行こう」

 

 敵の拠点を探していたロキ・ファミリアは、オラリオの旧地下水路にて、あまりにも異質な扉を見つけた。

 最高精製金属(オリハルコン)の扉。

 恐らくオラリオ最強の冒険者ですら破壊できない材質で造られた扉が、これ見よがしに設置されている。

 まるで誘導されるように、この場所に辿り着いた。

 十中八九どころか、ほぼ100%の確率で罠。

 それでも、敵の拠点を見つけられなかったせいで、ここまで後手に回り続けてきたロキ・ファミリアは、罠とわかっていても進むしかない。

 

 そして案の定、中に団員達が踏み入ったところで扉が勝手に閉まり、閉じ込められた。

 更には━━

 

「ひゃはははははははは!!! ざまぁねぇぜ、フィ〜〜〜〜ン!!!」

「わー。レヴィスさん、強ーい」

 

 壮絶で醜悪な顔で嗤うヴァレッタと、先輩のあまりの強さにちょっと引き気味のスピネル。

 彼女達の視線の先では、ロキ・ファミリアの部隊の一つに奇襲をかけたレヴィスが、いきなり敵の団長である【勇者(ブレイバー)】フィン・ディムナを戦闘不能にしていた。

 仕留めてはいないが、強烈な『呪詛(カース)』の込められた剣で重傷を負わせた。

 一刻も早くこのクノッソスから脱出し、オラリオ最高の治療師(ヒーラー)にでも診せなければ死ぬだろう。

 

 初撃が既に決定打だ。

 最高の指揮官とまで謳われるフィンが脱落したこの瞬間、ロキ・ファミリアに勝利の可能性は無くなった。

 ここから先は、いかに被害を少なくしてクノッソスから脱出できるかという戦いだ。

 

「待ってろ、フィ〜ン! すぐに仕留めに行ってやるからなぁ!」

 

 必死の思いで逃げたロキ・ファミリアを、ヴァレッタが喜び勇んで追撃する。

 どうも、彼女は【勇者】に結構な恨みがあるらしく、復讐の大チャンスにテンションが上がっているようだ。

 その気持ち、とてもよくわかる。

 彼女とは仲良くなれるかもしれない。

 

「私もアリアの方へ行く。お前も好きに動け」

「好きにって……。一応、指揮官の指示に従いますよ。予定通り、残党狩りです」

「そうか」

「テメェらぁああああああああ!!!」

 

 この場で、奇襲を食らわない位置にいた唯一の幹部。

 【凶狼(ヴァナルガンド)】ベート・ローガが、レヴィスとスピネルに向かって飛びかかってきた。

 豊穣の女主人でベルをバカにして、吊し上げ(物理)の刑に処された狼人(ウェアウルフ)の男だ。

 レヴィスなら、その気になれば簡単に倒せるだろうが、彼女は興味無しとばかりに無視して、クノッソスの『鍵』で通路にあるオリハルコンの扉を閉めた。

 ベートはその向こうに取り残され、戦うことすら許されない。

 

「……やっぱり、気づきませんでしたね。私に」

 

 扉の向こうに消えたベートに対して、スピネルはゾッとするほど冷たい声で語りかけた。

 彼女はフードを目深に被って顔を隠してこそいるが、仮面も付けていなければ声も変えていない。

 獣人の彼なら感じ取れる臭いも変えていない。

 

 なのに、ベート・ローガはスピネルに気づかなかった。

 まあ、あの状況で、ほんの少しだけ接点があっただけの相手に気づけという方が無茶なのだが。

 それでも、彼はベル・クラネルとミノタウロスの死闘を目撃し、その名を胸に刻み込んだ者の一人だ。

 ここにいるのがベルなら、きっと彼は気づいた。

 けれど、スピネルには気がつかない。

 彼女がローブを被るだけという中途半端な変装をしているのは、お前達はベルを見ていても自分のことなど見ていないんだろう? という皮肉みたいなものだ。

 

「まあ、それはいいとして。私も行こう」

 

 さっさと行ってしまったレヴィスに続いて、スピネルも動き出す。

 剣姫の方には行かない。

 レヴィスに釘を刺されてしまったし、何より今のスピネルが剣姫とレヴィスの戦闘に割って入ったとしても、木っ端のごとく粉砕されるのがオチだから。

 

 なので、狙うのは今の奇襲で逃げた敗残兵、及び予定通りなら剣姫や他の幹部から引き離されて散り散りになっているはずのもう一つの部隊だ。

 ロキ・ファミリアは幹部以外も普通に強く、レベル2〜4の団員が大量にいる。

 彼らとなら、今のスピネルでも戦いが成立するはずだ。

 対人戦の経験値、稼がせてもらおう。

 

食人花(ヴィオラス)

「「「シャアアア!」」」

 

 スピネルの呼びかけに、大量の植物型モンスター達が応える。

 穢れた精霊の眷族である彼らが、スピネルに与えられた兵隊だ。

 敗残兵とはいえ、レベル2〜4が結構な人数で纏まっているのなら、スピネル一人ではどうしようもない。

 なので、レベル4相当の強さを誇る彼らの力を借りて、スピネルがやり合える人数以外の妨害を頼む。

 

「行こう」

 

 強さを求める未完の怪物が、弱ったロキ・ファミリアに牙を剥く。



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20 格上

「ふむふむ。なるほど」

「ぐぅ!?」

 

 スピネルの振るったナイフが、ロキ・ファミリア団員の腹部を貫く。

 同時に、相手の振るった剣もスピネルの腹をぶち抜いた。

 相打ち狙い、というより駆け引きで完全に負けて土手っ腹をぶち抜かれたスピネルが、強引に相打ちにまで持っていった形だ。

 

「よっ」

「がはっ!?」

 

 彼女が後ろに跳んだことで互いの刃が抜け、両者から同時に鮮血が噴き出す。

 だが、驚異的な再生力を持つ怪人であるスピネルは、胸の中に埋まっている魔石をやられない限りいくらでも再生し、逆に相手の方は一切の回復ができない。

 スピネルの握るナイフは、闇派閥残党の呪術師(ヘクサー)が用意したものだ。

 込められた呪いの力は『不治』。

 クノッソス建設にかける千年の妄執から派生した呪いは、並大抵のことでは解除できない。

 

「とても得難い経験でした。お手合わせ、ありがとうございます」

「くそっ、たれ……!」

 

 ペコリと頭を下げるスピネルの前で、ロキ・ファミリアの団員は出血多量で絶命した。

 周囲を見渡せば、同じようにして命を刈り取られた死体が十体ほど転がっている。

 彼らは全員がレベル2以上の上級冒険者だった。

 たった今倒した男に至っては、レベル3の上位。

 人間だった頃のスピネルでは、逆立ちしても勝てなかっただろう強者達。

 

「……何年もかけて鍛え上げた強者達が、こんな小娘に殺される。

 やっぱり、世の中って理不尽ですよね」

 

 かつての己のような犠牲者を、己自身の手で生み出してしまった。

 とてつもなく後ろめたいし、ヘドが出る。

 それでも、彼女はもう止まらないし、止まれない。

 我が身すら滅ぼす黒い炎は、他の全てを巻き込んで燃え広がっていく。

 

 スピネルは次の獲物を求めて駆け出した。

 既に三つの集団を潰し、三十人弱をその手にかけている。

 彼女の頭の中では彼らの死に様……否、死ぬ気で戦ってくれた戦闘の記憶がグルグルと巡っている。

 尊敬すべき先輩冒険者達の技術を、余さず己のものとしなければならない。

 それが、せめてもの礼儀だ。

 

「あれ?」

 

 そんなスピネルが次に見つけた集団は、ちょっと扱いに困る者達。

 

「【勇者(ブレイバー)】じゃないですか。ヴァレッタさんの獲物なのに」

「「「ッ!?」」」

 

 そこにいたのは、手負いの団長を守りながら移動する一団。

 ただ、【勇者】を背負っているという特色を除いても、先ほどまでの者達とは違う。

 なんか、どこにでもいそうな雰囲気の青年と、黒髪の美しい猫人(キャットピープル)

 【超凡夫(ハイ・ノービス)】と【貴猫(アルシャー)】。

 レベル4の実力者が二人もいる。

 

「そんな……!?」

 

 やっとの思いでヴァレッタを振り切り、どうにか逃走成功の可能性が見えてきたのに、ここにきて追撃。

 彼らの目に映るのは、血に塗れたフード付きのローブで顔を隠した小柄な少女と、彼女に付き従う食人花の群れ。

 手負いの団長を抱え、ヴァレッタ戦で消耗した彼らに絶望を与えるには充分な戦力。

 

「他人の獲物の横取りなんて絶対にやりたくないんですけど……でも、ここにいるってことは、ヴァレッタさんを振り切ったってことですよね?

 本人の落ち度なら、まあ━━【勇者】以外と適当に戦わせてもらうくらいはいいかな」

「くっ……!?」

 

 見逃してもらえるなんて都合の良すぎる可能性が完全に消え、戦闘が始まる。

 スピネルはまずどこにでもいそうな雰囲気の青年、【超凡夫(ハイ・ノービス)】ラウル・ノールドを狙った。

 情報によると、彼はロキ・ファミリア二軍のリーダー。

 レベル3程度の力しか持たないスピネルにとっては明確な格上だが、レベル差一つ分程度なら、どうにか食らいつけなくはないはずだ。

 

「ラウル!?」

「自分に構っちゃダメっす!! アキ達はなんとしてでも団長を!!」

「ッ……!」

 

 他のメンバーはそんなラウルの叫びを聞き、彼の援護に回るのではなく、行く手を阻む食人花達の相手をし始めた。

 好都合だ。

 元々、食人花達には邪魔が入らないようにお膳立てだけしてもらう予定だったのだから。

 

「うぉおおおおお!!!」

「ハッ!」

 

 ラウルの振るった剣を躱して、スピネルがナイフを振るう。

 かすり傷ですら、呪詛の宿った刃で付けられれば、決して無視できない痛手となる。

 その呪詛によって団長の回復を封じられたのだ。

 よって当然、この攻撃を受けてはいけないということを、ラウルはよくわかっている。

 

「らぁあああ!!」

「きゃ!?」

 

 剣を振り切ってしまったラウルは、渾身の力でスピネルに向かって体当たり。

 少しでも時間を稼いで仲間達を逃がすべく奮闘する。

 しかし、

 

「あ、あれ?」

 

 ラウルに当たり負けして、予想外にあっさり吹き飛んでいく少女を見て、ラウルは困惑した。

 

「よ、弱い……?」

 

 食人花を率いるようにして現れた少女。

 当然、かなりの強敵だろうと思って捨て身の覚悟をしていたのだが、今ぶつかり合った感覚からすると、むしろ食人花より弱いんじゃないかと思った。

 動きも遅いし、反応も鈍い。

 

「そうなんですよ。私、弱いんです」

 

 吹き飛ばされた少女はラウルの言葉を肯定しつつ、綺麗な受け身を取って体勢を整えた。

 そこから一拍の間すら置かずに再突撃。

 地べたを転がり回ることに慣れた者の動きだった。

 

「だから、レベル4のあなたにご指導をお願いします!」

「えぇ!?」

 

 まさか敵にそんなことを言われるとは思わなかった。

 妙な言動に、刃を振るう覚悟を鈍らせてくる幼い背格好。

 なんとも調子の狂う相手だ。

 

(けど!)

 

 今はそんなことを言っている場合ではない。

 ロキ・ファミリアは現在、過去最大かもしれない大ピンチの真っ最中なのだ。

 ラウルは躊躇と容赦を捨て、全力で目の前の敵を排除するために剣を振るった。

 

「!」

 

 ラウルが突きの構えを取り、スピネルはそれを察知して回避行動に移った。

 だが、それはフェイント。

 剣は予想と全く違う軌道を描き、スピネルの足を薙ぐ。

 直前で気づけはしたものの、レベル差によるスピードの差で完璧な対処は間に合わず、スピネルの片足が宙を舞った。

 

「よし!」

「まだですよ」

「なっ!?」

 

 その直後、スピネルは斬られた足を振り上げて、流れ出る血液をラウルに浴びせかけた。

 出血を利用した目潰し。

 さっきまでの追撃戦で倒した中にいた、やたら喧嘩慣れした感じのアマゾネスから学んだ技法だ。

 早速、学習の成果が出た。

 

「くっ!」

「あっ」

 

 視界を奪った隙にナイフを突き刺そうとしたものの、ラウルは咄嗟に飛び下がって、スピネルの間合いの外に逃げた。

 すぐに足をくっつけて距離を詰めようとしたが、顔についた血液を拭うだけの時間は稼がれてしまい、ラウルの視界が復活。

 振るったナイフに剣撃を合わせられ、ナイフごと片腕を切断された。

 

(やった!)

 

 最も厄介な呪道具(カース・ウェポン)を破壊できた。

 そう思ってしまい、達成感でラウルの気が僅かに緩む。

 スピネルはそれを敏感に察知。

 格上の見せた隙を見逃さない。

 少女の幼く小さな掌が、ラウルの腹部に添えられる。

 

「『ファイアボルト』!」

「がはっ!?」

「ラウル!?」

 

 ゼロ距離での魔法。

 発射された炎の矢が、ラウルを焼きながら吹き飛ばす。

 それを見て、彼と仲の良いもう一人のレベル4、【貴猫(アルシャー)】アナキティ・オータムが悲鳴を上げた。

 

「本当に勉強になります。フェイントの仕掛け方、咄嗟の反応、あなたほどの強者でも隙を晒してしまうタイミング。全てが学ぶことだらけ」

 

 この戦いが終わったら反芻しまくって、作戦が終わったら猛特訓しまくって、レヴィスに相手役をしてもらって、体に刻みつけなくては。

 怪人の体なら食事も睡眠もいらない。

 全ての時間を自己強化に当てられる。

 

「さあ、まだ立てますよね? 鎧越しの速射でレベル4が死ぬわけないですもんね? もっともっと教えてください」

 

 ナイフごと斬り飛ばされた腕を回収してくっつけ、失った武装の代わりに、腰から新しいナイフを引き抜く。

 こっちは呪道具ではなく、自前で調達した黒曜石のようなナイフ。

 60階層の天然武器(ネイチャーウェポン)

 殺傷力では呪武器に劣るが、斬れ味や頑丈さはこちらの方が上だ。

 

「行きます!」

「!」

 

 再び、ラウルとスピネルの攻防が始まる。

 地力ではラウルが上。

 彼はレベル4の中では上の下程度の実力であり、対してスピネルはレベル3の中堅程度。

 見た目通りに大人と子供か、それ以上の差がある。

 

 技術においてもラウルが上。

 彼の冒険者歴は10年近くだ。

 本人は自分の技量を『二流』と言って自虐しているが、10年に渡って戦い続けてきた、積み重ねてきた経験値は本物。

 駆け引きではことごとくラウルが上を行き、スピネルは何度も彼の剣に斬り裂かれた。

 だが、

 

「ッ……! 今のは危なかったですね……!」

「この……!?」

 

 攻めても攻めても、スピネルは致命傷だけは決して食らわない。

 魔石の埋まっている胸部を死ぬ気で守り、ゴロゴロと地面を転がり回りながら全力回避し、泥臭くあがき続ける。

 しかも、戦闘が長引けば長引くほどに、彼女の動きは少しずつ、ほんの少しずつ洗練されていった。

 

 今までの彼女に明確に足りていなかった、先人の教え。

 それを死闘という極限状態の中で吸収し、スピネルという原石は研磨されていく。

 ベル・クラネルが【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインに学んだように、スピネルは【超凡夫(ハイ・ノービス)】ラウル・ノールドから学ぶ。

 形は違えど、同じロキ・ファミリアの冒険者から手解きを受ける。

 これで対等だ。

 

「! そこ!」

「ぐぅ!?」

 

 そして、とうとうスピネルがラウルに一撃入れた。

 ナイフが彼の太ももに突き刺さる。

 機動力が死んだ。

 

「ラウル! 退路開けたわよ! あなたも早く……」

「どこだ、フィーーーーーーンッッッ!!!」

「「「!?」」」

 

 【貴猫】達が食人花の包囲網を破った瞬間、背後から女の絶叫が聞こえてきた。

 【殺帝(アラクニア)】ヴァレッタ・グレーデの声。

 先ほど、ラウル達が決死の思いでどうにか一杯食わせて撒いたレベル5。

 あれが来たら終わる。

 

「よそ見厳禁ですよ」

「くっ!?」

 

 だが、目の間の少女を振り切ることができない。

 足をやられてしまったのが痛すぎる。

 回復の暇も与えてもらえず、仲間達もこじ開けた退路の維持に精一杯で、ラウルに加勢する余裕が無い。

 だからこそ……彼は決断した。

 

「逃げろ……! 逃げるっす、アキ!! 自分を置いて先に行け!!」

「!? な、何言ってるの!?」

 

 ラウルの言葉に、アナキティは動揺した。

 いや、頭ではわかっている。

 もうそれしか選択肢が無いことなんて。

 しかし、感情が納得するはずがない。

 ラウルとアナキティは……アキは、それだけ仲が良かったのだから。

 

「早く!! ヴァレッタが来る!! 団長を……団長を頼むっす!!」

「ッッ!!!」

 

 けれど、仲が良かったからこそ、ラウルの決死の叫びを無駄にはできない。

 できるはずがない。

 ここは、決断しなければならない場面だ。

 そうじゃなければ、仲間達ごと全滅だ。

 

「行くわよ!」

「アキさん!?」

「早く!!」

 

 アキが団員達を引きずるように撤退していく。

 その撤退路は、すぐに食人花に詰め尽くされて見えなくなり、一人残されたラウルは、不敵にニヤリと笑った。

 

「開けるのが遅ぇんだよ、バルカァ!! フィンはどこだぁ!?」

 

 そして、荒ぶったヴァレッタが現れる。

 大分ボロボロの様子だった。

 クノッソスの扉や罠の遠隔操作をしている幹部の名前を叫んでいるあたり、『鍵』も奪われるか壊されたのだろう。

 弱った宿敵という千載一遇のチャンスを前に、この体たらく。

 なるほど。荒れるわけだ。

 

「【勇者】なら、この先に進みましたよ」

「あぁ!? って、おいおい! オマケ用心棒に……【超凡夫(ハイ・ノービス)】がいやがるじゃねぇかぁ!」

 

 たった一人残されたラウルを見た瞬間、ニチャァァと、ヴァレッタの顔が醜悪に歪んだ。

 

「ひゃはははははははは!! 傑作だなぁ【超凡夫】ぅ!!

 あれだけ頑張って、策をひねり出して、この私を出し抜いたってのに、オマケ用心棒に足止めされちまったのか!!

 それでお仲間に見捨てられて、一人寂しくトカゲの尻尾切りとか、ざまぁねぇなぁ、おい!!」

 

 ヴァレッタはひとしきり笑ってから、スピネルと同じ天然武器の大剣を構えてラウルに近づいていった。

 その途中で、

 

よくやった(・・・・・)!! 本当によくやってくれた、オマケ用心棒!!」

「わっ」

 

 スピネルの横を通り抜ける時に、ヴァレッタがフードの上から乱暴に頭を撫でてきた。

 

「私が【超凡夫】をぶち殺したら一緒に来い! お前の鍵を使ってフィン達を追撃する!

 ひゃははははは!! 待ってろよ、フィーーーーーーンッッ!! お土産も持っていってやるからなぁ!!」

「………かかってこいっす!!」

 

 ヴァレッタとラウルの戦いが始まった。

 互いに手負いとはいえ、ある程度の治療を済ませたヴァレッタと、足の大怪我を治せていないラウル。

 何より、単純なレベル差が一番どうしようもない。

 ラウルは瞬く間にボロ雑巾にされていった。

 ヴァレッタは一杯食わされた怒りを晴らすように楽しんでいるので、同じく報復を望みとする者として、スピネルは手を出さずに後ろで見学。

 見取り稽古で、二人の技術を学び取ろうとする。

 

「……よくやった、か」

 

 見取り稽古の最中、スピネルは言われた言葉と、撫でてくれた手の感触を反芻した。

 久しぶりに褒められた。

 相手はヘスティアじゃないし、それどころか、どうしようもない極悪人だ。

 褒められるようなことをしたとも思わない。

 やったのは悪いことだし、それを差し引いても、スピネルの力の八割はズルして得たものだ。

 そんな力で成したことなど、褒められるに値しない。

 

 そう思っているのに……褒められるという経験に乏しい少女は。

 優しい嘘だと感じてしまったヘスティアの言葉と違い、気を使ってお世辞を言うような性格じゃないと断言できるヴァレッタからの素直な称賛に、ほんの少しだけ嬉しいと思う気持ちを止められなかった。



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21 仮初めの居場所

 クノッソスでの戦いは終結した。

 結局、勇者や剣姫などの幹部は全員取り逃がしてしまった。

 それでも、レベル2〜3を三十人以上撃破し、二軍のリーダーだったラウルも撃破。

 ヴァレッタにお土産(ラウルの首)を投げつけられた時の、勇者達の絶望と怒りの表情は凄まじいものだった。

 初見のクノッソスという切り札を使ったわりにはダメダメだが、なんとか最低限の被害は与えられたといったところか。

 

 そんな戦いが終わった後。

 

「やぁあああ!!」

「ふん!」

 

 ダンジョン深層にて。

 スピネルはレヴィスに相手役を務めてもらい、先の戦いで先人達が教えてくれた技術を、余さず消化して己のものにするべく、ひたすら鍛錬に励んでいた。

 

「ハッ!」

「む……!」

 

 ナイフで突くと見せかけて、体を沈めながら刃の軌道を変更。

 そのままレヴィスの足を薙ぐ。

 ラウルの見せたフェイントを、自分なりにカスタマイズした動き。

 レヴィスが気を抜いていることもあって、ナイフは彼女の足を捉えた。

 

 しかし、肉体強度においてもスピネルを遥かに上回るレヴィスの足は斬れない。

 超再生を持つ相手が硬いというのは反則じゃなかろうかと、いつも思う。

 

「『ファイアボルト』!」

「ほう」

 

 カウンターを決めようとしていたレヴィスに向けて、魔法モドキの炎の矢を発射。

 それを爆発させ、爆風に乗ることで後ろに跳んで距離を取る。

 目潰しされた時、即座に後ろに逃れたラウルを参考にした動きだ。

 上手く動けた結果、今の攻防はスピネルだけがレヴィスに攻撃を当て、カウンターからも逃れるという最上の成果を上げた。

 

「明確に動きが良くなっているな。その気色悪い魔法モドキの使い方も上手くなった。どうやら、あの戦いは無駄ではなかったらしい」

「恐れ入ります」

 

 レヴィスが褒めてくれた。

 ヴァレッタに褒められた時と同様に、自分に褒められる資格なんて無いと自重はしたものの、どうしてもソワソワしてしまう。

 彼女もまた、ヴァレッタと同様にお世辞を言う性格じゃないとわかっているから。

 尻尾があればブンブンと振っていたかもしれない。

 なお、こういう時のスピネルの感情は全部顔に出ているため、レヴィスには内心がバレバレである。

 

(面白い奴だな)

 

 赤髪の先輩怪人は、小さな後輩に対して、そんな感想を抱く。

 どうせ時間は腐るほど余っているということでよく相手をしてやっているが、存外飽きない。

 自分相手に見えない尻尾を振り回すチョロさも、レヴィスからすればくだらないと思える悲願に向けて、命すら投げ捨てて突き進む黒い情熱も、近くで見続ければ意外と愛着が湧くものだ。

 とはいえ……。

 

「じゃあ、どんどん行きます!」

「さすがに待て。もう一週間は動きっぱなしだ。いい加減、ひと区切りつけるぞ」

「え? そんなに経ってましたか?」

 

 ……この後輩のストイックさは尋常ではない。

 約一週間、すなわち150時間以上ぶっ通しで修行し続けるとか、いくら凄まじいタフネスを誇る怪人でもキツい。

 冒険者で言えば現在のオラリオ最強に比肩するレベル7相当のレヴィスですら、体力的には余裕でも、精神的には結構きている。

 それをレベル3程度の能力で、しかも何度も何度もレヴィスに叩きのめされてグチャグチャのズタズタにされているのに、顔色一つ変えずに続行するのだから、本当に凄い情熱と言うべきなのだろう。

 

 聞けば人間だった頃から数日間ダンジョンに籠もり続け、食料が無くなったらモンスターの死体を食い、眠る時は昔のトラウマとやらを思い出して、何かが近づいてくれば飛び起きられるようにして、戦い続けたという話だ。

 多分、根っこの部分からして超ドストイックで、焦燥に支配されてからは更にブレーキがぶっ壊れ、怪人となったことで完全に吹っ切れてしまったのだろう。

 

 何せ、スピネルは怪人になってから、()()()()()()()()

 

 飲まず食わずどころか眠らず休まずで、延々とレヴィスやモンスター相手に技を磨き続けている。

 怪人の再生能力に任せて、体がグチャグチャになるのもお構いなしで。

 ……冒険者としての才能も無く、怪人として素質も低いスピネルだが、努力の才能だけは世界最高かもしれない。

 まあ、こんな壊れた暴走を努力と呼んでいいのかは疑問の余地があるが……。

 

「私は適当に休んでおく。お前は情報収集にでも行ってこい。

 獲物の情報が更新されているかもしれんぞ?」

「……そうですね。行ってきます」

 

 その瞬間、スピネルの瞳がドロドロの黒い感情に染まった。

 穢れた精霊の眷族として長い長い時を生きてきた自分からは、とっくの昔に擦り切れて消え去った強烈な感情。

 なんとも張り合いのありそうな人生に、少しだけ羨ましいという感情が湧いてきた。

 

「……お前は成し遂げろよ」

 

 擦り切れてしまった先人は、激情に支配された後輩にエールを送る。

 

「私のような抜け殻になるお前は見たくないからな」

「……はい。わかりました」

 

 言うだけ言って去っていくレヴィスに、なんだかんだで面倒見の良い先輩に、スピネルは深々と頭を下げた。

 決して良い人じゃない。

 躊躇なく人を殺すような人だ。

 それでも、こんな醜い目的を応援してもらえるというのは、助けてくれるというのは、嬉しかった。

 だから、スピネルはレヴィスに頭を下げた。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

「ここが……」

 

 そして、現在。

 スピネルはダンジョンからクノッソスを経由して地上に出ていた。

 その身に纏うはいつものローブとは違う、滅茶苦茶複雑怪奇な仕掛けの施された特製ローブ。

 レヴィスがくれた、神にすら怪人という正体を露見させないという凄いローブだ。

 なんでも、例の協力者エニュオに言って作ってもらったらしい。

 あの人、本当に面倒見が良い。

 いつか必ず恩返しをしなくては。

 

 だが、それはそれとして、今は。

 

「よいしょ、よいしょ」

 

 スピネルは適当な建物の屋上に登って、その建物を見ていた。

 数十人が生活できそうな立派なお屋敷。

 広い庭では、メイド服を着た狐人(ルナール)の少女が布団を干している。

 

「春姫殿……大丈夫ですか?」

「だ、大丈夫です! わたくしもファミリアの一員になったのですから、これくらい……!」

「が、頑張ってください、春姫さん!」

「はい! ベル様!」

 

 その建物の名は━━『竈火の館』。

 アポロン・ファミリアとの戦いに勝利し、ヘスティア・ファミリアが勝ち取った新しいホーム。

 そこでファミリアの団員達が、楽しそうに日常を謳歌していた。

 

「ぐぬぬ……! 新しい敵が……!」

「敵とか言うな、リリ助」

「アハハ……。ほどほどにしておきなよ」

 

 観察していて見えた人数は、情報通り六人。

 主神のヘスティア。

 レベル3に至った団長、【未完の少年(リトル・ルーキー)】ベル・クラネル。

 元ヘファイストス・ファミリアの戦闘鍛冶師、レベル2【不冷(イグニス)】ヴェルフ・クロッゾ。

 元タケミカヅチ・ファミリアのレベル2、【絶†影】ヤマト・(ミコト)

 スピネルも一度だけ会ったことのあるサポーター、レベル1、リリルカ・アーデ。

 そして、詳細不明の狐人。

 

 情報屋が入手してくれた通りの構成だ。

 新しい団員が入ったと聞いて、『その時』のために顔を覚えようとして来たが……様子を見る限りあの狐人、ベルに気があるっぽい。

 また女の子を引っ掛けたようだ。

 

「楽しそう」

 

 なんの感情も籠もっていない声が出た。

 恨めしくて、憎たらしくて、羨ましくて、腹立たしくて。

 色んな感情がゴチャ混ぜになって渋滞して、逆に表に出てこない。

 隠密行動をしている以上、今はこれで良いのだろうが。

 

「ヘスティア様……」

 

 新しい眷族達と笑い合っている、大好きな神様の姿を見る。

 自分だけに向けられていたはずの笑顔が、今ではすっかりあいつに奪われた。

 ゴチャ混ぜになった感情の中から、悲しみと怒りが一歩抜け出す。

 

「ダメ」

 

 否定の言葉が出た。

 大好きな女神の現状が、どうしても認められない。

 

「ヘスティア様は、ここにいちゃダメ」

 

 あいつが自分から奪った幸せで作り上げた、こんな忌々しい場所にいないでほしい。

 ここは違う。

 ここは本来のヘスティア・ファミリアのホームじゃない。

 

 思い浮かべるのは、あの廃教会。

 アポロン・ファミリアとの戦いで壊れた後、ヘスティアが莫大な借金をしてでも建て直したという場所。

 あの(ひと)だって、心の底ではあそこに帰りたいと思っているはずだ。

 思ってくれているはずだ。

 こんな場所で浮かべてる笑顔なんて嘘だ。偽物だ。

 ベルに騙されて、ああなってるだけだ。

 

 そうに決まってるそうに決まってるそうに決まってるそうに決まってるそうに決まってるそうに決まってるそうに決まってるそうに決まってるそうに決まってるそうに決まってるそうに決まってるそうに決まってるそうに決まってるそうに決まってるそうに決まってるそうに決まってるそうに決まってるそうに決まってるそうに決まってるそうに決まってるそうに決まってるそうに決まってる。

 

「全部、あイつのせいダ」

 

 だから、全部終わったら、諸悪の根源(ベル・クラネル)を倒したら、二人であの場所に帰ろう。

 スピネルからヘスティアを奪ったあいつから、ヘスティアを奪い返すんだ。

 

「安心シてください。そんな汚らしい仮初めの居場所なんて、ちゃんと壊してあげますかラ。

 私? 私は大丈夫です。こっちの仮初めの居場所は、意外と悪くないんです」

 

 まるで会話するように、スピネルは一人で言葉を紡ぐ。

 瞳の奥には漆黒が渦巻いていて、目の焦点も合っているようで合っていない。

 

「じゃあ、今日は帰ります。行ってきます、ヘスティア様」

 

 踵を返して、スピネルはその場を立ち去る。

 彼女がいたのは遠くの建物の上で、向こうからは見えても個人の識別などできない距離だった。

 上級冒険者の五感を持ってしてもだ。

 それでも……。

 

「え?」

 

 下界では一般人程度の力しか持たない神であるヘスティアは、その方向に酷く懐かしい誰かがいたような気がして、思わず視線を向けてしまった。

 

「どうしたんですか、神様?」

「……ううん。なんでもないよ」

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 そうして、スピネルが忌まわしい場所の偵察を終え、クノッソスに帰ってきた時。

 

「え?」

 

 その報せはもたらされた。

 

「ヴァレッタさんが、死んだ……?」

 

 極悪人だったけど、スピネルを褒めてくれて、頭を撫でてくれた人の訃報。

 悪くないと感じていた仮初めの居場所さえも、崩れていく音がした。



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22 怪物の少女

「ヴァレッタが死んだそうだな」

「はい……」

 

 元気の無いスピネルに、レヴィスはいつも通りの態度で話しかける。

 ……元気は無いものの、鍛錬は普通にやりまくっているし、今行っている自己強化のための魔石食いにも余念が無い。

 少なくとも、信念がぶれるほどのショックではないのだろう。

 

「悲しいのか?」

「いえ、そこまでは。ヴァレッタさんの自業自得ですし」

 

 ヴァレッタ・グレーデは沢山の人を殺してきた。

 あれだけやれば、そりゃ恨みくらい買うだろう。

 なら、報いを受けて死ぬのは道理だ。

 ……けれど、それならば。

 

「ただ、悲しむ代わりに思いましたよ。人を傷つけたら、報いを受けるんだなって。

 なら、私を傷つけた奴らも報いを受けなきゃおかしいって、改めて確信できました」

 

 その時、元気が無かったはずのスピネル声に……喜色が混じった。

 

「良かったぁ。殺していいんだ。踏みにじっていいんだ。

 また世界は私から取り上げた。ロキ・ファミリアを殺した報いに、あんな小さな小さな、幸福とも呼べないような幸せの欠片すら容赦なく取り上げた。

 なら、あいつらからも容赦なく取り上げていいんだ。取り上げられるべきなんだ。

 ベルも、あの娼館の奴らも、全部全部全部全部ぜぇぇぇんぶ、幸せの欠片も残らないくらい取り上げて、踏みにじって、ぶっ壊して良いんだ。

 だって、私はそうされたんだから。それが正しいんだ。それが世界の真理なんだ。アハハ、アハハハハハハハ!」

 

 壊れたように恍惚とした顔で嗤い出すスピネル。

 狂気が加速する。

 褒めてくれた人の死を経て、少女の闇はより強く、より黒く……。

 

「さぁ! 計画を進メましょう! 頑張りまショうネ、レヴィスさン!」

「……ああ、そうだな」

 

 果たして、この奪われ続けて壊れてしまった哀れな怪人は、どこへ行くのだろう。

 あまりにも痛ましい後輩の姿を見て、せめてその最期が少しでも安らかなものであってほしいと、先輩怪人は柄にもなくそんなことを思った。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 ヴァレッタの訃報を聞いてからしばらく経った、ある日。

 優秀な指揮官がいなくなってしまったことで指揮系統が乱れ、未だにワタワタしているクノッソスを訪れた時。

 スピネルはおかしな光景を目にした。

 

「うぅ……助、けて」

 

 絶望した顔で泣いている、小さな女の子がいた。

 ただし、彼女の肌は青く、竜の鱗のようなものが張りついていて、背中には翼があった。

 モンスターだ。喋るモンスター。

 もしかして、怪人(じぶん)達のお仲間だろうか。

 

「おい、化け物。逃げてんじゃねぇよ」

「あぐっ!?」

 

 そんな怪物の少女は、後から現れたゴーグルを付けた男に思いっきり蹴り飛ばされた。

 小さな女の子が虐げられている光景は、昔を思い出して気分が悪くなる。

 そうして眉をしかめたスピネルだが、

 

「助けて……ベル……!」

「は?」

 

 少女の口からその名前が出てきたことで、一瞬にして思考回路が切り替わり、憐憫の感情が吹き飛んでしまった。

 

「今、ベルって言った?」

「あぁ? なんだ、テメェは?」

「あ、すみません。私はレヴィスさんの連れです」

「レヴィス……ああ、あの化け物女か」

 

 ゴーグルの男が「チッ」と舌打ちした。

 どうやら、レヴィスに対して、あまり良い感情を持っていないらしい。

 とはいえ、あのバカみたいに強い先輩と敵対するつもりもないらしく、スピネルに何かをしてこようとはしなかった。

 

「で、なんの用だ?」

「そこの女の子が気になる名前を口走ったもので。ちょっと彼女とお話していいですか?」

「……チッ。手短にしろよ」

「ありがとうございます」

 

 許可をもらって、怪物の少女に近づく。

 フードで顔を隠したスピネルのことを、少女は怯えた目で見ていた。

 昔の自分とどこか似ているようにも感じたが、それすらどうでもいい。

 

「あなた今『助けて、ベル』って言ったよね? それってヘスティア・ファミリアのベル・クラネル? 教えて」

「あ、がっ……!?」

 

 少女の首を掴み上げて絞めながら、スピネルは問いかける。

 ゴーグルの男が後ろで「ヒュー」と口ずさんでいた。

 一方、

 

「ベルに、何する、つもり……!?」

 

 怪物の少女は、スピネルのただならぬ様子に何かを察したのか、強い視線で睨み返してきた。

 この絶体絶命の状況で、モンスターとはいえか弱い少女がだ。

 その反応だけで、知りたいことは知れた。

 

「アハハ、アハハハハハ!! 凄いなぁ! ベルは本当に凄いなぁ! とうとうモンスターの女の子まで引っ掛けちゃったんだ! アハハハハハハハハ!」

「ひっ……!?」

 

 スピネルが嗤う。

 狂ったように、壊れたように。

 それを見て、怪物の少女はとうとう恐怖に屈して、押し殺したような悲鳴を上げた。

 

 モンスターとは、人類の不倶戴天の敵だ。

 千年前にオラリオというダンジョンの蓋が出来上がるまでの間に、数多のモンスターが地上へあふれ出し、現在でもその子孫達が元気に誰かを虐殺している。

 モンスターへの憎悪を抱く者なんて珍しくもない。

 特にこのオラリオでダンジョンに挑む冒険者達は、仲間がモンスターに殺されるのが日常。

 自分でダンジョンに足を踏み入れた結果の自業自得とはいえ、それでも大切な人を奪った存在を恨むなというのは無理な話だ。

 

 つまり、この怪物(モンスター)の少女は人類に受け入れられない。

 一部の奇特な人間は情けをかけるかもしれないが、大多数の者は殺せと言うだろう。

 ベル・クラネルがこの少女を庇おうとするなら、石を投げられるだけでは済まない。

 これは、とても興味深い展開だ。

 

「決めた。君を巡る物語を観察させてもらうよ」

「げほっ!? げほっ!?」

 

 少女の首を離し、スピネルはゴーグルの男の方に近づいた。

 

「この子を捕まえているのは、あなたですよね?」

「だったらなんだ?」

「少しの間、あなたのところでお世話になります」

「はぁ?」

 

 訝しげに眉をひそめるゴーグルの男。

 彼はスピネルのことが個人的に気に入らないのか「テメェの事情なんか知るか、断る」と言っていたのだが、強引にお邪魔することにした。

 思いっきり邪険にされたが、怪人陣営との敵対を恐れてか、殺してでも排除するという対応まではされていない。

 

 そうして、闇派閥残党と強い癒着関係にある『イケロス・ファミリア』にて、持ち込んだ魔石をボリボリと齧りながら、スピネルはその時を待った。

 暇な時間を作るなんてありえないので鍛錬をしていたら、イケロスの団員がチョッカイを出してきて、その団員はいつの間にか鍛錬に巻き込まれ、他の団員も次々に巻き込まれていって乱闘みたいになり。

 収拾がつかなくなったところを、団長であるゴーグルの男『ディックス』に怒鳴られたりしている間に二日が経過。

 僅か二日で、事態は大きく動いた。



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23 想いの強さ

「リドさん!」

「なっ!? ベルっち!?」

 

 スピネルが魔石の補充から戻ってきた時、既に物語は始まっていた。

 クノッソス内のイケロス・ファミリアが専有する区画に、ベル・クラネルがいる。

 多くの喋るモンスター達と共に。

 どう見ても、彼らの味方をするような立ち位置で。

 

「ベル……!」

 

 久しぶりに手を伸ばせば届く距離で見た少年の姿に、スピネルは思わず殺したくなってしまったが、どうにか堪えた。

 まだだ。まだスピネルが手を出すには早すぎる。

 最高の舞台はまだ整っていない。

 

「『迷い込め、果てなき悪夢(げんそう)』━━『フォべートール・ダイダロス』」

 

 そして、戦いが始まる。

 クノッソスに全てを捧げさせられたダイダロスの血族、ディックス・ペルディクスの呪詛(カース)が怪物達を襲う。

 あの【勇者(ブレイバー)】を殺しかけた呪いと根源を同じくする、強烈な呪詛。

 

 ディックスの呪詛の効果は『狂乱』。

 食らった相手は理性を失い、目につく者を片っ端から襲うバーサーカーとなる。

 ベルは協力者っぽい黒ローブの魔術師に庇われて無事だったが、怪物達は全員が餌食となって、本来のモンスター同様の化け物と化した。

 それでも彼らを助けようとするベルに向かって、ディックスはニヤリと笑い、

 

「いいぜ。お前の目を覚ましてやる」

「ベル!!」

「ウィーネ!!」

 

 スピネルの会った怪物の少女、ウィーネと呼ばれた竜女(ヴィーブル)を暴走させた。

 

「アアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」

 

 暴れる少女だったもの(・・・・・)

 人の言葉を喋れるだけの知性も、愛らしい人の似姿も失って、ダンジョンで見かける竜女(ヴィーブル)というモンスターとなんら変わらない化け物に成り果てたもの。

 

「ウィー、ネ……だい、じょうぶ、だよ」

「!!」

 

 それでも、ベル・クラネルは彼女を救おうとした。

 弾き飛ばされ、叩きつけられ、噛みつかれ、引っ掻かれ。

 ボロボロの体で、なおも怪物に寄り添う。

 そんな彼に感化されたかのように、少女の成れの果ては、己の衝動に抗うように、涙を流しながら抵抗を始めた。

 

「……白けたぜ」

「ッ!?」

 

 そんなベルを、ディックスが呪道具(カース・ウェポン)の槍で攻撃した。

 

「何やってんだよ、テメェは。期待外れもいいところだぜ。

 そのナイフで怪物の腹を捌けば良かっただろうが。

 化け物を助ける義理が、価値がどこにある!?」

「ッッッ!!」

「なっ!?」

 

 ベルのナイフが、ディックスの槍の穂先を斬り飛ばした。

 

「誰かを救うことに、人も怪物も関係ない! 助けを求めてる! それで充分だ!」

 

 ベル・クラネルが咆える。

 実に英雄的な台詞を。

 それに怪物達が感化されて呪詛に抗い、レベル3のベルが、レベル5のディックスに抗うための力となった。

 千年に渡ってドロドロに煮込まれた呪いの派生が、たった一人の少年の叫びに負けた。

 

「相変わらず、ふざけてるなぁ」

 

 それを見学していたスピネルは、人間だった頃から何度も何度も見せつけられた奇跡(ご都合主義)に、怒りを通り越して笑ってしまった。

 なんだそれは? 想いの強さが生んだ奇跡だとでも言うつもりか?

 それならディックスの方が上回っていたはずだ。

 

 スピネルは知っている。負の感情の強さを。

 魔法の亜種である呪詛は、魔法と同様に、本人の資質や想いから発現する。

 強すぎる負の感情が呪詛となるのだ。

 クノッソスの創始者、作品完成のために、子孫達に恐ろしいほどの労働と犠牲を強いてきたダイダロスの呪い。

 それに苦しめられて発現したのがディックスの呪詛。

 それに染まり切って発現したのが、かの【勇者】を殺しかけた呪道具の作り手の呪詛。

 

 スピネルが抱く幼稚な呪いですら、我が身を焼き滅ぼすほどの壮絶な苦しみがある。

 そんな苦しみと、代償と引き換えにすることで、呪詛は魔法よりも強力で凶悪な力となるはずなのだ。

 呪道具の呪いは、オラリオの双頭とまで呼ばれる男を殺しかけた。

 なのに、それと根源を同じくする呪いが、あんなちっぽけな少年の叫びごときで破られた。 

 

「ふざけてるなぁ……!」

 

 ベル・クラネルに、派生した一部とはいえ、千年の呪いに勝るほどの強い想いがあるか?

 穢れた精霊という神性の欠片を有する存在の触手となったスピネルには見える。

 呪道具やディックスの呪詛に込められた呪いの強さが。

 狂おしいほどの感情の重さが。

 

 なのに、ベル・クラネルはそれを粉砕する。

 ディックスより、よほど軽い気持ちしか持っていないくせに。

 人も怪物も、全てを救う覚悟?

 違う。あれはそんな大層なものじゃない。

 ベルは守るという覚悟を決めたんじゃない。

 見捨てる覚悟(・・・・・・)が持てなかっただけだ。

 

 ベル・クラネルの魂は白い。

 穢れを知らないかのように白い。

 だからこそ、綺麗事以外のことができない。

 泥にまみれる覚悟が無い。

 全てを救うべく、残酷な現実に抗う覚悟を決めた英雄なんかじゃない。

 ただ、あの喋るモンスター達に恨まれたくないだけ、責められたくないだけだ。

 

 なのに、その程度の想いで千年の呪いを打ち破る。

 見えている側からすると、見上げるほどの巨大な竜に子兎が当たり勝っているかのような光景だ。

 ますますもって、ありえない。

 あいつは全てを踏みにじる。

 想いも、努力も、相手よりもよほど薄い積み重ねで追い抜いていく。

 本当に、腹が立って、腹が立って、仕方が無い。

 

「ぐはっ!?」

 

 やがて、ディックスが負けた。

 けれど、彼は最後の抵抗をする。

 怪物の衝動に抗う少女だったものに幻影を見せ、更に地上への直通ルートを開いて、彼女を地上へと誘導した。

 怪物を拒絶するオラリオへ。

 それを囮にして、ディックスは逃げていく。

 

「ウィーネ!!」

 

 そして、当然のごとくベルもまた少女を追いかけて地上へ。

 

「ディックスさん、ナイス」

 

 今のは、ディックスがやらなければ、スピネルがやろうとしていたことだ。

 手間が省けた。

 今度、何か差し入れでも持っていこう。

 

「さあ、どうなるかな」

 

 ベル達を追いかけて、スピネルも地上へ。

 見届けよう。この物語を。

 果たして、ベル・クラネルは人類に石を投げられてでも怪物を救う異端者になるのか。

 それとも、また何か奇跡が起きて、彼に都合の良いように世界が回るのか。

 スピネルはそれに興味があった。



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24 世界に愛された少年

 ヴィーブルがクノッソスから飛び出し、オラリオの区画の一つ、ダイダロス通りへと出る。

 ベルもそれを追い……はち合わせた。

 クノッソスに痛い目に遭わされ、その入り口を徹底的に洗い出そうとしていた派閥に。

 オラリオ二大派閥の片割れに。

 

「アアアアアアアアアアアアッッッ!?」

 

 飛来した黄金の槍が、ヴィーブルの肩を貫く。

 それを成したのは小人族の勇者。

 突然のモンスターの出現にパニックになっていた民衆に希望を与える、オラリオの英雄。

 

「ロキ・ファミリアだぁ!!」

「やった! やったぁ! 冒険者様ぁ!!」

 

 民衆達は歓声を上げて、彼らがいてくれたことに感謝する。

 良かった。これで助かる。

 命の危機を前にした時、味方となる強者が現れてくれれば誰でも思うことだ。

 一方、ベルは……揃い踏みした最強派閥の幹部達を見て絶望の表情になった。

 

「あれが今回の騒動のもと、ということでいいのかな?」

 

 完全にウィーネがロックオンされている。

 ロキ・ファミリア団長、【勇者(ブレイバー)】フィン・ディムナは、思案げな視線で怪物を見て、

 

「団長、どうするんですか?」

「無論、早急に処理する」

 

 死刑宣告を放った。

 冒険者がモンスターを殺さない理由など無い。

 まして、こんな民衆の眼前ともなれば、倒さなければロキ・ファミリアの名声が失墜するだろう。

 名声が無くなるというのは、自尊心以上の問題がある。

 いざという時に味方になってくれる者が減るというのは、あらゆる派閥にとって死活問題。

 ゆえに、ロキ・ファミリアは目の前の怪物を必ず殺す。

 

「ふぁ、『ファイアボルト』!」

「「「!?」」」

 

 そんなロキ・ファミリアに向けて、ベルが魔法を放った。

 威嚇射撃。

 手を出すなと言わんばかりの行動。

 暴れるモンスターを前に、そんな行動をすれば……。

 

「あァ?」

「ッ!?」

 

 当然、こうなる。

 ロキ・ファミリアから、そして民衆から、凄まじい感情のうねりが膨れ上がる。

 なんのつもりだと、無数の非難の眼差しがベルに注がれ、

 

「ぼ、僕の、獲物だ……!」

 

 己の行動の重さをようやく自覚したかのように震えるベルは、この場を凌ぐために、そんな言い訳を口にした。

 

「このヴィーブルは僕の獲物だ! だから、手を出すな!」

 

 ベルがそう言い切ったと同時に、ヴィーブルが肩に刺さっていた槍を引き抜いて逃走。

 彼はそれを追いかけるも、今の言い訳で観客達が納得するはずもなく、納得したとしても今の姿は『意地汚い冒険者』にしか見えず、大量の負の感情がベルに向いた。

 

「……意外とあっさりこうなった」

 

 ヴィーブルとベルを囮にするような形で、クノッソスからコッソリと出てきたスピネルは、建物の陰に隠れながら、ポツリとそう呟いた。

 英雄を目指してると言ってたくせに怪物を助けようとしたベルの姿を、白日の下に晒してオラリオと敵対させてやろう。

 その目論みが、スピネルが何かするでもなく叶ってしまった。

 ベルのデタラメな幸運を考えれば、相当お膳立てしても難しいかもと思っていたのに。

 

(とうとう運が尽きた? 今までのが偶然だっただけ? ……それとも)

 

 ここから巻き返せるだけの奇跡(ご都合主義)が起こる?

 

「「「オオオオオオオオオ!!!」」」

 

 そんな予想が即座に裏づけられたわけではないが、クノッソスからベル達に続いて、さっきベルに味方していたモンスター達が現れた。

 彼らは自らを囮とするように、ロキ・ファミリアに向かっていく。

 その隙に、ヴィーブルを追いかけるベルは遠くへ。

 スピネルは当然、隠れながらベルを追った。

 

「いたぞ! ここだ!」

「『ファイアボルト』!!」

「なっ!?」

「【リトル・ルーキー】、テメェ!?」

 

 狂乱しながら逃げ回るヴィーブルを討伐しようとした冒険者に、ベルが魔法を発射。

 当然ながら妨害目的の弱めの魔法だが、やらかしたことに変わりはない。

 明日のオラリオが楽しみだ。

 

「アアアアアアアアアアアアッッッ!?」

「ッーーー!!」

 

 やがて、徒党を組んだ冒険者達によってヴィーブルは進路を誘導され、待ち構えていた大量の魔導士達による集中砲火を受けた。

 更に、飛来した紅の槍の穂先がヴィーブルの体を貫く。

 ディックスの持っていた、呪いの槍の穂先が。

 

「ははははははははッッ!!」

 

 見れば、先の戦いで顔の半分を失った、イケロス・ファミリアの団員がいた。

 彼は壊れたように嗤いながら、報復を果たせたことに歓喜し━━上空から急降下してきたガーゴイルに踏み潰される。

 喋るモンスターの一体だ。

 あのロキ・ファミリアを振り切ったのか。

 

「!」

 

 同時に、魔法によってボロボロになっていた地面が崩れた。

 下にかなり広い空洞があったらしい。

 多分、ダイダロスがクノッソスの出入り口を設置するために作った秘密の抜け道。

 ベルとヴィーブルはそこへ落ちていき、怪物を待ち伏せた冒険者達は、次々と現れる喋るモンスター達にやられて撤退していく。

 そして……。

 

「ウィーネ!! ウィーネ!? ダメだ!! ダメだぁ!!」

 

 落ちた地の底で、ヴィーブルの体が徐々に灰になって崩れていく。

 魔石にヒビでも入ったのだろう。

 呪道具の槍で貫かれた以上、回復もできない。

 彼女の死は確定していた。

 

「ベ、ル……ごめん、ね……」

「大丈夫、だから! 僕は平気だから! だから、ウィーネ……!!」

 

 ヴィーブルの体が崩れていく。

 慈悲は無く、容赦も無く、負けた者の当然の末路として。

 

(今回はこれで終わりかな?)

 

 それを隠れて見物しながら、スピネルはそんなことを思った。

 守りたかった者を守れず、悲しみに暮れる英雄は痛みを糧にして成長する。

 まあ、王道の英雄譚といったところか。

 

「ベル……大好き」

「あ、あぁ……!?」

 

 怪物の少女の体が崩れ落ちる。

 灰となって、その魂がこの世から去る。

 人は死んだ後、天に登った魂が天界にて漂白され、遥か未来にて記憶を失って転生を果たすらしい。

 穢れた精霊曰く、怪物が死んだ時は、天界ではなく全てのモンスターの生みの親であるダンジョンへと魂は還り、こちらも転生を果たすという話だ。

 きっと、来世で再会とかベタな展開になるんだろうなと、スピネルは白けた気持ちで悲劇を見て……。

 

「『未踏の領域よ、禁忌の壁よ。今日この日、我が身は天の法典に背く』」

「ん?」

 

 声が聞こえた。

 見れば、ディックスの呪詛からベルを庇っていた黒ローブの魔術師が、魔法の詠唱を始めていた。

 

(この状況で何を……?)

「『ピオスの蛇杖(つえ)、サルスの杯。治癒の権能をもってしても届かざる汝の声よ。どうか待っていてほしい。

 王の審判、断罪の雷霆(ひかり)(しゅ)の摂理に逆らい焼き尽くされるというのなら、自ら冥府へと赴こう』」

(! 光が……)

 

 光の柱が天に昇る。

 まるで神が送還される時のような、神秘の塊のような光が満ちる。 

 

「『開け戎門(カロン)冥界(とき)の河を越えて。聞き入れよ、冥王(おう)よ。狂おしきこの冀求(せんりつ)を。

 止まらぬ涙、散る慟哭(うたごえ)。代償は既に支払った。

 光の道よ。定められた過去を生贄に、愚かな願望(ねがい)を照らしてほしい。

 嗚呼、私は振り返らない』」

 

 詠唱が長い。

 魔法や呪詛の詠唱の長さは、そのまま効力の強さに直結する。

 詠唱が長ければ凄まじい力を持った奇跡となり、詠唱が短ければ取り回しの良い武器となる。

 詠唱のいらないベルの『ファイアボルト』などが後者で、今行われようとしている魔法が前者。

 超長文詠唱。

 

「『ディア・オルフェウス』」

 

 そして、奇跡が起こる。

 光の柱が砕け散り、代わりに地下空間が無数の白光に包み込まれた。

 眩い光が視界を奪い、目を開いた時には━━ベル・クラネルの腕に抱かれる、灰になったはずの少女の姿があった。

 

「……………………は?」

 

 思わず間の抜けた声が出た。

 なんだそれは? 死者蘇生?

 穢れた精霊以外にそんな真似ができたのか?

 しかも、対象はモンスターだ。

 穢れた精霊に見初められたスピネルのように、人間からモンスターに堕ちるリスクも無ければ、穢れた精霊に生殺与奪を握られることも無い。

 あまりにも都合の良すぎる力。

 何か他のリスクはあるのかもしれないが……。

 

「……初めて、成功したよ」

 

 この奇跡を成した魔術師が、ポツリとそう呟いた。

 スピネルはそれを、ハッキリと聞いていた。

 

「八百年、か……。まったく、魔法数(スロット)を埋めるだけの無駄な希望だと、恨んでさえいたが……ああ、意味はあったんだなぁ」

 

 心底嬉しそうな声で、囁くようにそう語る魔術師。

 ……初めて成功した?

 こんな奇跡が、ベル・クラネルのいる場所で、都合良く?

 

「アハハ……! アハハハハ……!」

 

 スピネルは全力で口を押さえて、頬や顎を砕くほどの力で押さえつけて、嗤いそうになるのを必死に堪えた。

 ああ、本当に嗤える。

 なんて素晴らしい奇跡(ご都合主義)だ。

 あんな魔法を使える奴が都合良くこの場にいて、一度も成功していなかったはずの魔法を都合良く成功させて。

 それだけじゃない。

 地面が崩落してこの地下空間に落ちなければ、怪物の少女を抱きしめることもできなかっただろう。

 たまたま偶然、冒険者達が秘密の抜け道の上を待ち伏せ場所に選んだから。

 千年間崩れなかった場所が、今この瞬間に崩れたから。

 そこに、あのロキ・ファミリアを振り払ったモンスター達がやってきて、冒険者達の追撃を阻止したから。

 

「ウィーネ……! ウィーネ……!」

 

 少年が涙を流しながら、奇跡の再誕を果たした少女を抱きしめる。

 いったい、どれだけの奇跡的な確率の上に成り立った光景だ、これは?

 ベル・クラネルは、歴代の英雄達が偉業を成す過程で経験してきた悲劇すらも退けるのか?

 スピネルから全てを奪っていったこの世界で、彼だけが何も奪われないのか?

 この世の全てが彼にとって都合の良いように回るとでも言うのだろうか?

 何かに守られているとしか思えない。

 誰かにお膳立てされているとしか思えない。

 スピネルはこの瞬間、その疑いを確信に変えた。

 ……だからこそ。

 

(ああ、私に発現した呪い(ちから)が、あれで良かった……!)

 

 スピネルは嗤いを堪え切れない。

 神の恩恵を失い、穢れた精霊の加護を土台として発現した力。

 普通に生きている者には何ら影響を及ぼさない。

 目に見えるものは何一つとして変えられない呪い。

 だが、それがベル・クラネルに対しては有効であると、この光景を見て確信できた。

 

(やっぱり、この物語を見学して良かった……!)

 

 世界に壊され、世界を壊さんとする少女は、喉の奥からせり上がってくる嗤い声を、必死で堪え続けた。

 まだだ。まだその時ではない。

 彼女は待っている。

 そう遠くないその時を待っている。

 内に秘めた感情の全てを解放し、この嗤い声を響かせられる、その瞬間を。




ダンまちの詠唱、どれもこれもカッコ良すぎる……。
オサレに詠唱しとけば、なんでも許される気がするんだ。


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25 幸せを失う呪い

 怪物の少女が奇跡の復活を遂げてからも、この騒動は続いた。

 ベルを助けるために地上に出てきたモンスター達が、帰り道を塞がれて立ち往生してしまったからだ。

 彼らは複雑怪奇な地形のダイダロス通りの各所に隠れながら、クノッソスを通ってダンジョンに逃げ込むチャンスを伺っている。

 それを阻むのは、ロキ・ファミリア。

 喋るモンスター……いや、喋れることは隠しているので『武装したモンスター』と呼ばれているが、彼らを取り逃がした失態を取り返すためにも、気合いを入れて捜索と討伐に乗り出している。

 加えて、武装したモンスターには懸賞金もかけられ、多くの冒険者達が彼らを狙う。

 

 一方、ベル・クラネルは民衆達から白い目で見られていた。

 欲に駆られ、同業者の邪魔をし、街を危険に晒したクズ野郎。

 それが今のベルの評価だ。

 スピネルとしては『ざまぁみろ』って気分なのだが、どうせこれもすぐに良い感じに収まってしまうんだろうなと思うと、それほど嬉しくもない。

 いっそ、ここで呪ってやることも考えたが、あれは派手だし、なんとなくだが、そう長くは保たない気がした。

 ベルが民衆に排斥されて心折れるまで呪い続けるというのは、あまり現実的ではない。

 

(とりあえず、この騒動が終わるまでは見ていこう)

 

 持ってきた大量の魔石を齧りつつ、スピネルはそう考えた。

 そして、そうこうしているうちに数日が過ぎ、事態が動き始める。

 モンスター達の逃走作戦が始まり、それを助けたいベル達及びその協力者達と、ロキ・ファミリアの激突。

 やはりと言うべきか、モンスター達はロキ・ファミリアの陣形を突破したのだが……何故か数体が戻ってきて民衆を襲い始めた。

 

「んんん?」

 

 スピネルは首を傾げた。

 この状況で一般人に襲撃をかます理由がわからない。

 しかも、襲撃とは言ったものの、手加減して暴れているようで、死者は一人も出ていない。

 

「何がしたいの……? って、ああ、そうか」

 

 ベルの名誉回復か。

 白兎のような白髪の少年が現場に現れ、モンスター達から民衆を守り始めたところで、ようやくそのことに気づけた。

 つまり、あのモンスター達は自らベルに討たれることで、クズ野郎呼ばわりされているベルの名誉を取り戻すつもりだ。

 随分と献身的なものである。

 

「けど」

 

 ベル・クラネルは愚者だ。

 モンスターを見捨てる覚悟すら持てない愚者だ。

 それが今さら方針を変えるはずもなく、彼は一般人を襲っているように見えるモンスター達を討伐することを拒絶した。

 両腕を広げて一般人(というか、エイナだあれ)を庇い、モンスターはそんな彼への攻撃を止めてしまう。

 倒されることが目的であって、ベルを倒してしまっては意味が無いのだから当然だが、その行動はベルとモンスターが結託していると取られても仕方がない。

 むしろ、そうとしか見えない。

 ……だが。

 

「ヴヴォオオオオオオオオ!!!」

 

 もうベル・クラネルが排斥される未来しか見えない状況。

 それを滅茶苦茶に荒らして全てをごまかすように、圧倒的な脅威がやってきた。

 

 現れたのは、黒いミノタウロス。

 ここ数日で集めた情報に出てきた奴だ。

 あのモンスター達がロキ・ファミリアから逃げられた理由。

 たった一体でロキ・ファミリア相手に暴れ回り、撤退の隙を作ったという化け物。

 その時の戦いで剣姫に斬り落とされたという右腕はそのままだが、それでも凄まじい威圧感を放っている。

 そんな化け物が登場し、針の筵になる一歩手前のベルをかっ攫うように吹っ飛ばして、戦いを始めた。

 

「…………あのミノタウロス、見たことあるなぁ」

 

 彼女は、その正体を見抜いてしまって。

 

「ああ、ああ、イライラするなぁ……!」

 

 過去の出来事のせいで刷り込まれた嫌悪感が噴き出してきて、心の中で黒い炎が暴れ回るのを感じた。

 モンスターは死んだ後、その魂は母なるダンジョンへと還って転生を果たす。

 最も自分を受け入れてくれる可愛い眷族に肩入れして、穢れた精霊がスピネルに貸し与えた僅かな神性。

 それが、あの黒いミノタウロスの正体を、魂の真実を教えてくれる。

 

 あいつは━━かつて、ベルが倒した片角のミノタウロスの生まれ変わりだ。

 ベル・クラネルがレベル2に上がるための経験値となった、スピネルの破滅の決定打となった怨敵。

 それがベルと一対一で向き合い、

 

「夢を、ずっと夢を見ている。たった一人の人間と戦う夢」

「!」

 

 そんなことをのたまう。

 たった一人の人間。

 ああ、やっぱり、こいつの眼中にもスピネルの姿は無い。

 

「血と肉が飛ぶ殺し合いの中で、確かに意志を交わした、最高の好敵手」

 

 ミノタウロスはベル・クラネルだけを見る。

 まるで主人公とライバル。

 そこに、端役が割って入る隙は無い。

 

「自分の名はアステリオス。どうか、名前を教えてほしい」

「……ベル。ベル・クラネル」

「ベル、どうか━━再戦を」

「!!」

 

 そうして、ベル・クラネルとアステリオスの戦いが始まる。

 邪魔は入らない。

 またどこぞの誰かがお膳立てしているのか、ロキ・ファミリアが動かない。

 

「うわぁあああああ!?」

「モンスターがぁああああ!?」

 

 二人の戦いを、多くの者達が目撃し、

 

「行くぞ!」

「全員でたたみかけろ!」

「ヴヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」

「「「がはぁ!?」」」

 

 動かないトップ層以外の冒険者達(端役)は、邪魔するなとばかりにアステリオスに一瞬で薙ぎ払われ、

 

「が、頑張れぇ!! リトル・ルーキーィィ!!」

「お願いだ!! 頑張ってくれぇ!!」

 

 唯一抵抗できているベル・クラネルに、民衆は声援を送る。

 自分達が助かるために。

 ああ、そうだろう。

 圧倒的な力を振りまく絶望が目の前にいて、助けてくれる相手がいたら、それがさっきまで白い目で見ていた相手でも、掌大回転させて応援するだろう。

 

「……すげぇ」

 

 誰かがそんな声を上げた。

 消えていく。消えていく。

 ベル・クラネルへの非難が、彼を見ていた白い目が消えていく。

 人類の裏切り者として処断されるべき人間が、全部ひっくり返って『英雄』になっていく。

 

 彼を見る周囲の目には、酷く見覚えがあった。

 シルバーバックを倒した時の民衆。

 片角のミノタウロスを倒した時のロキ・ファミリア。

 漆黒のゴライアスを倒した時の冒険者達。

 英雄になりたいと語っていた少年の望み全てを聞き届けるように、世界が彼に全力で忖度する。

 

 

「ふざけるな」

 

 

 だから、彼女は歌った(・・・)

 呪いの歌を、怒りを込めて。

 特別扱いが過ぎる『主人公様』に、一杯食わせてやるために。

 

「『燃え移れ、怨嗟の炎。焼き尽くせ、焦燥の熱。

 我が身を滅ぼす忌々しき呪いの力よ。

 因果の糸を辿り、伝い、誰よりも裁かれるべき元凶(もの)を焼け』」

 

 穢れた半妖精(ハーフエルフ)が歌う。

 穢れを知らずにいられることを許された少年に向かって歌う(呪う)

 

「『過ぎたる幸福は大罪なり。忘れるな。汝の幸福は誰かの不幸。汝の笑顔は誰かの苦痛。

 罪を自覚せぬまま笑う、この世で最も罪深き咎人よ。

 無知もまた罪と知れ。

 知らぬ()に積み重なりし罪過を、怨嗟を、憎悪を、苦痛を、涙を、絶望を、今こそ汝も食らうがいい』」

 

 穢れの象徴のような、ドロドロの黒い感情が煮詰められた声で歌う。

 

「『我が身に巣食う嫉妬の蛇よ、牙を剥け。

 その呪い(どく)をもって、理不尽な天秤の担い手を噛め。

 許すな、許すな、許すな、許すな。

 穢れを遠ざけ、白きを守る見えざる運命(もの)よ、消え失せろ。

 代償は既に支払われた。

 天秤を正し、奪われし幸福を、(かたよ)りし幸運(あい)を、今こそ(ゼロ)に』」

 

 超長文詠唱。

 死者蘇生の奇跡に匹敵する『闇の奇跡(呪い)』が、今、放たれる。

 

 

「『ヘスティアー・フェアリーレン』」

 

 

 影からこっそりと世紀の一戦を見守っていたスピネルから、黒い魔力の奔流があふれた。

 真っ黒い炎のような、悍ましい魔力の奔流が。

 それが一瞬にして、ベルとアステリオスを飲み込む。

 

「え!?」

「ッ!!」

 

 ベルは驚愕し、アステリオスは無粋にもほどがある横槍に怒り狂う。

 ……この呪詛(カース)は直接的な破壊力も無ければ、不治も狂乱も弱体化も引き起こさない。

 目に見える範囲では何も変わらない。

 だが、その時、ベルは確かに感じた。

 今まで自分を包み込んでいた温かい何かが、焼かれて消えていくような感覚を。

 そして━━

 

「ヴォ?」

「………………え?」

 

 怒り狂っていたアステリオスが、崩れ落ちた。

 灰となって(・・・・・)崩れ落ちた。

 その灰が散って視界が開けた先には、フードを目深に被って顔を隠した小柄な少女の姿。

 彼女は、その小さな手に一つの魔石を持っている。

 どう考えても、その魔石の本来の持ち主は一人しか考えられない。

 

「アハハハハハハ。やっぱり、私のことなんて見えてなかったね」

 

 ベルの目の前で音も無く好敵手を屠ってみせた少女は、唇を三日月のように歪めて、喜色と憎悪の滲んだ声で嗤った。

 どこかで聞いたことのある声だった。

 あまりにもドロドロの感情が溶け込んで濁り切ってしまった声で、ベルはその正体に気づけなかったけれど。

 

「あーん」

「!」

 

 バリボリと、少女はアステリオスの魔石を食べ始めた。

 ベルは唖然とするしかない。

 頭がついていかない。

 アステリオスに全神経を集中していたのだ。

 その相手が更なるイレギュラーに唐突にやられて、集中していた全神経が行き場を失って呆然としてしまった。

 

「『ファイアボルト』」

「あ……ぎゃああああああああ!?」

 

 少女が、突然炎の矢をベルに放ってきた。

 自分の魔法そっくりの炎が彼の体に引火し、なんとか消そうと苦しみながら地面をのたうち回る。

 

「ゴホッ、ゴホッ。今は(・・)そうやって隙を晒しても、都合良く相手が待ってくれることはないし、誰かの助けが間に合うこともないよ」

 

 その声は、肌を焼く炎に悶え苦しんでいるベルには聞こえない。

 火力が高い。

 しかも、この炎、ベルをできるだけ苦しめるのが目的なんじゃないかってくらい、体に絡みついてくる。

 

「これはただのアドリブ。本番の時に邪魔になりそうな駒を一つ潰しただけ。本当の苦しみは、まだ始まってすらいない」

 

 炎に焼かれるベルに背を向けながら、少女は捨て台詞のようにそう言った。

 

「じゃあね、ベル・クラネル。次に会う時は、君に最高で最悪の絶望(あくむ)を見せてあげるから」

 

 そうして、少女は去っていく。

 ロキ・ファミリアと、それを止めるほどの力を持った連中が向かってくる気配があった。

 今はじっくりとベルを料理している時間が無い。

 幸い、ロキ・ファミリアに把握されていないクノッソスの出入り口が近くにある。

 そこまで早く逃げてしまおう。

 

「ああ……! でも、ほんのちょっとだけど、ベルの悲鳴を聞けたのは、とっても嬉しいなぁ……!」

 

 焼かれて苦しむ少年の悲鳴が頭から離れない。

 まるで愛しい人の声でも思い出すように、少女はしばらくその余韻に浸り続けた。




・『ヘスティアー・フェアリーレン(幸せを失う)
呪詛(カース)
対象者(ベル・クラネル)の持つ『幸運』を、一定時間の間抹消する。
……というより、焼き払っても幸運の方が一定時間で復活する。
また、呪いを常に魂に宿している使用者(スピネル)は、ベル・クラネルを守る力の影響を遮断できる。

禍々しい想いの種が、穢れた精霊の加護という十二分な栄養を持つ土に植えられたことで芽吹いた呪い。
代償は、今まで失い続けてきた自身の幸せという形で、既に支払われている。


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26 最終決戦に向けて

「ああ、ここで闇派閥を切り捨てるんですね」

「そうだ」

 

 スピネルがベルを虐めてる間に、あの喋るモンスター達がクノッソスを通ってダンジョンに帰ったのだが。

 どうも、その時に色々あったらしく、リヴェリア率いるロキ・ファミリアの一部がクノッソスに侵攻し、かなり暴れてくれたらしい。

 前回の戦いで初見というアドバンテージは失われ、更にモンスター達がイケロス・ファミリアから鍵を奪っていたのもあり。

 新しい扉の位置がバレるわ、鍵ももう一つ奪われるわ、食人花を始めとした穢れた精霊の眷族を生産する苗花(プラント)までいくつかやられるわと、やりたい放題されたそうだ。

 

 で、ここまでの失態を演じた上に、ヴァレッタという優秀な指揮官まで失った闇派閥残党に、もうそこまでの利用価値は無いと判断し。

 協力者エニュオと穢れた精霊サイドは、ここで彼らを切り捨てることを決めた。

 

 闇派閥残党の最後の仕事は『餌』。

 彼らを狙ってロキ・ファミリアと協力者達がクノッソスに踏み入ってきたところで、表の計画の最終準備を発動。

 六体の精霊の分身(デミ・スピリット)に、クノッソス全体を覆い尽くす『捕食』の大魔法を使わせ、闇派閥残党ごとロキ・ファミリアを食い殺す。

 そして、捕食によって得た魔力(エネルギー)を糧に、表の計画の要である超魔法『精霊の六円環』を発動する。

 

 精霊の六円環は、六体の大精霊を贅沢に生贄に使って発動する、古代の極大破壊魔法だ。

 発動すれば、オラリオとその周囲一帯は消し飛ぶ。

 ダンジョンの蓋は取り除かれ、穢れた精霊は望み通りダンジョンの深層から出てきて空を見られてハッピーエンドというわけだ。

 

 ただし、これだと痛いも苦しいもわからないうちにベルが死ぬし、ヘスティアまで巻き込んでしまう。

 そんなものにスピネルが乗るわけがない。

 つまり、これはあくまでも表の計画という名の囮。

 なんとしてでも阻止するために、冒険者達が動くことを前提とした罠。

 精霊の六円環を発動するには、捕食で大量の魔力を得ることを加味しても、数日がかりの莫大な詠唱時間がいる。

 冒険者達が阻止するために動くには充分すぎる隙だ。

 本当に、これを考えたエニュオとやらは性格が悪い。

 

「なら、捕食が狙いの第一戦に私の出番は無さそうですね。予定通り、その間に自分の目的を果たしてきていいですか?」

「構わん。どうせテーブルごとひっくり返す予定の盤面だ。盤上の駒がどうなっていようが関係ない」

「ありがとうございます」

 

 レヴィスの許可も改めて取り、スピネルは別行動を選択する。

 この決戦は、スピネルにとっても山場だ。

 オラリオの存亡がかかったこの決戦を、彼女は自らの最終戦と位置づけている。

 ここで全てを出し尽くし、我が身を滅ぼす禍々しい熱の全てを吐き出し、燃え尽きるつもりでいる。

 

「さあ、頑張ろう」

 

 まずは第一戦の裏側で準備するところから。

 多分、というか確実に、ここから先は温存の余裕なんて無い。

 悲願を果たすのが先か、その前に燃え尽きるのが先か。

 ここが頑張りどころで、踏ん張りどころだ。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 そして、決戦当日。

 

「オラァアアアアアアアッッッ!!!」

 

 戦いは先陣を切ったロキ・ファミリアの幹部。

 ヴァレッタの仇でもある【凶狼(ヴァナルガンド)】ベート・ローガの雄叫びから始まった。

 クノッソスの四つの入り口が敵の手に落ちた鍵によって開けられ、そこからロキ・ファミリアを盟主とした派閥連合が雪崩込んでくる。

 どの扉から敵が来たのかという報告をちゃんと聞いてから、

 

「じゃあ、行こうか」

 

 スピネルは動き出した。

 指揮権を貰った百を軽く越える食人花の群れを引き連れて、クノッソスの扉の一つから外へ出る。

 

「え?」

「あの、そちらは……」

 

 引き留めようとする闇派閥残党の連絡員の言葉を無視して、スピネルは扉の外へ。

 その扉がある場所は━━ダンジョン1階層。

 ほんの数ヶ月前まで、ヘスティアに稼ぎを持ち帰るんだという希望に満ちた気持ちで潜っていた場所。

 過去の自分を幻視し、胸が締めつけられるほどの寂寥感に襲われながら、スピネルは動いた。

 

 1階層にいるレベル1の冒険者達を蹴散らしながら。

 

「ぎゃああああああああ!?」

「なんなんだよ、こいつらぁああああ!?」

「なんで1階層にこんな化け物の大群が……ぐぇっ!?」

 

 ああ、自分もミノタウロスが上層に出てきた時は似たような気持ちだったな。

 かつての自分と似たような立場の下級冒険者達を蹂躙することを申し訳なく思う。

 それでも、どうしても止まれない。

 罪悪感を抱えながらも、ブレーキを失った激情に導かれるままに、スピネルはダンジョンの入り口へ。

 そこを破壊して、百体以上の食人花と共に地上へ出た。

 

「モ、モンスターだぁああああああ!?」

「バ、バベルから出てきたぞ!? 冒険者は何やってんだぁ!?」

 

 近くにいた民衆達が悲鳴を上げる。

 クノッソスにロキ・ファミリアが来ていて、他の主要なファミリアも多くがクノッソスの出入り口を見張るために、持ち場が定められているという状況。

 しかも、前の戦いでロキ・ファミリアのメンバーを結構ゴッソリ削ったため、足りない数を補うために、他の派閥から実力者を引き抜いたはずだ。

 それを逆手に取って、本来のダンジョンの出入り口から正面突破。

 出入り口を守る部隊は精強だったが、レベル4相当の食人花百体以上と、同じくレベル4相当に至り、瞬間最大火力なら第一級冒険者(レベル5以上)をも超えるスピネルを止めるには至らなかった。

 

「とはいえ……」

 

 もっと強い戦力が出てくるのも時間の問題だろう。

 ロキ・ファミリアはクノッソスの中とはいえ、二大派閥の片割れであるフレイヤ・ファミリアとかは普通に地上にいるはず。

 騒ぎを聞きつければ駆けつけてくる。

 食人花達は大した戦果を挙げられないまま散るだろう。

 この程度で大打撃を与えられるほどオラリオは脆くない。

 だからこそ、派手にダンジョンの蓋(バベル)をぶち破ってみせたのは陽動以上の意味を持たない。

 

「散って」

 

 スピネルは地上に出た食人花達をほうぼうに散らせる。

 少しでも冒険者達をあちこちに走らせて、時間を稼ぐために。

 その間に、急いで目的を果たさなければ。

 

「まずは第一目標から。走ろう」

 

 スピネルは走る。

 行き先は地図なんか見なくても、それどころか目を瞑っていても辿り着ける。

 だって、ほんの少し前まで毎日のように通っていた道なのだから。

 ダンジョンでの稼ぎを持った冒険者達が、それを換金するために通る帰り道。

 目的地は、冒険者の管理、支援を行う組織━━ギルド。

 

「バベルからモンスターがあふれてきただと!?」

「どうなってるんだ!? 早く詳細を調べろ!」

「そんなことより、冒険者への救援要請を急げ!!」

 

 辿り着いたギルドは、それはもうバタバタしていた。

 そりゃそうだ。

 ダンジョンの蓋である『バベル』が破られるなど、前代未聞の事態。

 ダンジョンがまだ『大穴』と呼ばれていた古代を思わせる悲劇的な事態。

 混乱して当然。むしろ、混乱してもらわなければ困る。

 

「あ、エイナさーん!」

 

 そんな悪夢のような事態の中で、スピネルはまるで友達にでも呼びかけるように、見つけた人物の名を呼んだ。

 中途半端に長い耳をした、スピネルと同じハーフエルフの眼鏡美人。

 ギルド職員、エイナ・チュール。

 スピネルとベルのアドバイザーだった人だ。

 

「すみません! 今忙し……って、スピネルちゃん!? 嘘っ!? だって、死んだって……!?」

「実は生きてたんですよ」

 

 フードから少しだけ顔を覗かせたスピネルは、笑顔でエイナに近づいた。

 いきなりやってきた悪夢の状況と、凄く心配していた少女が生きていたという喜び。

 希望と絶望の両方を同時に過剰摂取させられたエイナは、脳の処理が追いつかず、泣けばいいのか働けばいいのかわからなくなる。

 

「えい」

「…………え?」

 

 そんなエイナに向かって━━スピネルは笑顔のまま拳を振り抜いた。

 躊躇の無い腹パンが恩恵を持たない一般人であるエイナに炸裂し、激痛で意識が薄れていく。

 

「スピ、ネル、ちゃん……!?」

「エイナさん、ベルと仲良かったですよね。だから、ちょっとベルの目の前で死んでもらおうと思って」

 

 笑顔のまま悍ましい台詞を口走るスピネル。

 そこで、ようやくエイナは気づいた。

 この笑顔は……違う。

 これは断じてエイナとの再会を喜んでいるのではない。

 最初は怯えた猫のようで、そこから少しずつ少しずつ心を開こうとしてくれていたあの少女は、もういない。

 

「お世話になったエイナさんを殺しちゃうのは心苦しいけど……でも、楽しみだなぁ。

 目の前でエイナさんが死んだら、自分が何もできなかったせいで死んじゃったんだよって言ってあげたら、ベルはどんな顔をしてくれるんだろう……!

 ごめんなさい、エイナさん。本当に悪いとは思ってるんです。

 だけど私、どうしてもこの感情に抗えないんです……!」

 

 罪悪感と歓喜、喜色と悲壮がグチャグチャに混ざったような壊れた笑顔でそう語るスピネル。

 死んだと聞かされる直前の彼女をよく知っていたエイナは、ようやく悟った。

 こんな混乱の中じゃなかったら、もっと早く気づいていただろう。

 彼女がもう、取り返しがつかないほど破綻していることなんて。

 

「ごめん、ね……」

 

 どんどん傷ついていくあなたを見ているだけで、助けてあげられなくてごめんね。

 そんな深い深い後悔を抱きながら、エイナは気を失った。

 

「チュール!?」

「エ、エイナ!?」

「さて、ここも潰しておこうかな」

 

 エイナが突然襲われ、ギルド職員達の思考は更なる混乱の中に叩き込まれる。

 そんな彼らに向かって、スピネルは両手を向けて。

 

「『ファイアボルト』」

「「「ぎゃあああああああああ!?」」」

 

 密かにチャージ(・・・・)していた両腕から魔法もどきを放ち、巨大な火炎でギルドごと消し飛ばした。

 これで混乱は更に加速するはずだ。

 難関の第二目標を達成するまでの時間が稼げる。

 

「さあ、次に行こう」

 

 またフードを深く被り直したスピネルは、ここまで持ってきていた小型の食人花の口にエイナを放り込み、食べないように厳命して、隠れているように指示を出した。

 知能の低い食人花でも、そのくらいの命令なら守れる。

 小型とはいえレベル3くらいの力はあるので、発見されても強者以外には負けないはずだ。

 あとは、回収に来る予定のスピネルがどうなっているかだが……。

 

「頑張ろう」

 

 もう一度そう呟いて、スピネルは次の目的地へと向かって走り出した。



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27 下ごしらえ

 次の目的地への道は、少しだけ記憶を掘り起こさなければならなかった。

 何せ、ちゃんと行ったのはたったの一回だけ。

 この日のために何度も道順は確認してきたが、それでも過日の記憶に殆ど無い以上、ギルドのように目を瞑っていても辿り着ける、とまではいかない。

 それでも地道な確認作業は裏切らず、特に迷うことなくそこへ辿り着いた。

 

「お邪魔しまーす」

「あ、はーい!」

 

 そこは、その店は、この騒ぎの中でも嫌に落ち着いていた。

 まるで絶対的な何かに守られているかのように、店内の客は不安そうにしてはいても、災禍がここまで及ぶとは考えていない様子だ。

 情報を集めて知った事実を考えれば、それはそうだろうと思わされたが。

 

「ああ、良かった。いてくれましたね━━シル・フローヴァさん」

「はい?」

 

 そこで働く一人の女性を見て、スピネルは嬉しそうに嗤った。

 シル・フローヴァ。

 何故かベルにやたらと好意的で、彼と知り合い以上友人未満みたいな関係だった人。

 ベルをシルバーバック戦に導いたキッカケでもある。

 あれから結構な時間が経っているし、もう友人未満からは昇格しているだろう。

 仲の良い美少女。

 エイナ同様、ベルの目の前で殺す価値がある。

 ……しかし。

 

「前に見た時には気づきませんでしたが……シルさんって神様だったんですね」

「ッ!?」

 

 秘密を言い当てられて、シルの顔が驚愕に彩られた。

 スピネルを操る穢れた精霊とは、神がまだ地上に降りてくる前の太古の時代に、神に代わって地上に遣わされた神の分身『精霊』がモンスターに取り込まれてあり方が反転してしまった存在だ。

 元が神の分身であるため、穢れた精霊も神の力の断片を持っている。

 『対価』と『代償』の引き換えとして眷族であるスピネルに貸し与えられた僅かな神性が、シルの正体を見抜いた。

 

「あ、もしかして、ベルを見えない何かで守ってるのってあなたですか?

 ……だとしたら、あなた自身にも殺意が湧くなぁ」

「!?」

 

 向けられる殺意。

 その時、シルはスピネルのどす黒く染まり、不気味な触手に絡め取られたグチャグチャで傷だらけの魂を見てしまい。

 あまりの悍ましさに吐き気を覚えて、口元を押さえた。

 そんなシルに、スピネルは容赦なく、エイナにしたような意識を刈り取る腹パンを食らわせようとして……。

 

「ウチの店員に何する気だい?」

「!」

 

 突然現れた女に、拳を放とうとしていた腕を掴み上げられた。

 身長180Cほどの、縦にも横にも大きい年嵩の女性だ。

 レベル4相当に至った今のスピネルでも目で追うのがやっとのスピードで現れ、簡単に腕を掴んで拘束された。

 掴んでくる力も尋常じゃないほど強くて、このまま(・・・・)だと抜けられそうにない。

 

「アハハ。さすがはオラリオ最強派閥の片割れ、フレイア・ファミリアの元団長『ミア・グランド』。

 随分前に引退したって話でしたが、それでもオラリオ最高峰のレベル6。

 温存したまま(・・・・・・)、ササッとシルさんだけ攫って逃げる、なんて都合の良いことはさせてもらえませんか」

「む!?」

 

 その瞬間、ミアは自分より30Cは背の低い幼子から感じる圧力が、尋常ならざるほど高まったのを感じた。

 本能が危険を察知してスピネルの腕を離し、シルを抱きかかえて距離を取る。

 同時に、ミアは客に向かって叫んだ。

 

「逃げな、あんた達! ここに残る奴の面倒は見切れないよ!」

「え? は?」

「ど、どういうこった!?」

「ただのガキじゃねぇか!」

 

 察しの悪い客達に、ミアは思わず舌打ちしそうになった。

 スピネルは、そんなやり取りに全く頓着せず、

 

「うん。大丈夫。すぐに終わらせるから。やらせて? 予行練習は大事だよ」

 

 虚空に向かって不気味に話していた。

 

「ありがとう。あなたは意外と優しいね」

 

 スピネルの殺気が、改めてミアに突き刺さる。

 錆びついていたはずの冒険者としての勘が警鐘を鳴らしていた。

 これは、やばい。

 武器を取りに行く隙すら無い。

 一瞬でも背中を見せれば、その瞬間にやられると確信できた。

 

「あんた、いったい何者……」

 

 そこまで口にした時━━ミアの視界からスピネルが消えた。

 次の瞬間、彼女は既にミアの懐に入っていた。

 レベル6のミアが目で追えないほどの超スピード。

 咄嗟にガードを固めるのと、殴られたと理解したのは同時だった。

 

「ぐぅぅ!?」

 

 盾にした両腕が砕ける。

 踏ん張りが利かずに吹き飛ばされる。

 かつての英雄ミア・グランドの体が、一代で築き上げた大事な店を破壊しながら飛翔し、その後ろの建物も次々貫いて。

 数百M飛ばされたところで、頑丈な壁にめり込み、ようやく止まった。

 

「がはっ!?」

 

 その時にはもう、彼女の体は戦える状態ではなくなっていた。

 武器が無かった。実戦から遠のいて久しかった。

 言い訳できる要素はいくらでもある。

 それでも、レベル6の絶対強者が、たった一撃で戦闘不能にさせられた。

 その事実は消えない。

 

「ゴホッ! ゴホッ、ゴホッ、ゴホッ、ゴホッ!!」

 

 一方、それを成したスピネルの方もダメージを受けていた。

 ミアがカウンターを浴びせたわけではなく、全力を解放した反動ダメージだ。

 拳を振るった腕も、超速で踏み込んだ足もグチャグチャ。

 怪人の再生能力で修復はされていくが、その速度は遅い。

 肉体のもっと深いところに、深刻なダメージを負ってしまったから。

 

『後先を考えなければ、もっと行けますよ』

 

 かつて、スピネルがレヴィスに語った言葉。

 『対価』と『代償』を支払い、神性を貸し出す加護と共に、穢れた精霊に刻んでもらった恩恵モドキ。

 それによって呪詛(カース)と共に発現した力。

 呪詛が『想い』によって芽吹いた力なら、こっちは『資質』によって花開いた力。

 全力を出せば体がイカれる。

 そんな体質が、獣人の『獣化』のように、エルフの『魔法強化』のように、スキルにまで昇華したのだ。

 

 けれど、この力はあまりにも身の丈に合わな過ぎて、一瞬しか使えない。

 その一瞬だけならレヴィスをも大きく超える力を出せるが、反動で大きく命を削る。

 スピネルは凄まじく苦しげに咳をして、血を吐き散らした。

 

「ハァ……ハァ……! ふぅ……。たった一発殴っただけで、こんなにキツいんだ。

 満身創痍の隙だらけ(黒いミノタウロス)相手に加減した時とは全然違う。

 決戦の前に試せて良かった」

 

 大事な場面でいきなりこんな苦しみに襲われたら、隙を晒していたかもしれない。

 ベルが第一級冒険者の群れを率いて現れる可能性もある以上、事前にこの苦しみを予習できたのは僥倖だ。

 覚悟ができていれば耐えられる。

 

「それにしても……」

「ひっ!?」

「こ、こっち来んなぁぁぁ!?」

「助けてくれぇ!?」

 

 店内にいた客が泡を食って逃げていく。

 ……ここにいたのが客ばかりで、他の店員がシル以外何故かいなかったのは助かった。

 情報によると、豊穣の女主人の店員は、ミア以外も化け物みたいに強い。

 そんな彼女らに今の咳き込んだ隙を突かれていたら、危なかったかもしれない。

 まあ、その場合はスピネルが更に命を削る代わりに、反撃で全員死ぬ可能性が高かったので、彼女らにとっては『幸運』だろう。

 

「ミア!!」

「大丈夫。素手で殴っただけなんですから、死んではいませんよ。殺そうとしたら邪魔されそうですし」

 

 信じられないとばかりの悲鳴を上げるシルに対して、スピネルはそんなことを言う。

 

「一回噛みついてみて、なんとなくわかったんですよね。あの理不尽な幸運の特性。

 最終的には全部が全部あいつにとって都合の良い結果になるけど、その過程でピンチになるのは容認される。

 ただし、取り返しのつかない結果になりそうなら妨害される。

 あのヴィーブルが死んだ時、都合良く蘇生魔法なんて代物が出てきたみたいに。

 要はセーフティネットありきの試練ごっこをさせて、あれの恩恵を成長させたいんでしょう?

 どうです? 合ってますか?」

 

 ベルに過度な幸福を与えている疑惑のあるシルに向かって、答え合わせを求めるように問いかける。

 しかし、彼女の顔には「何言ってんだ、こいつ」と書いてあった。

 ……彼女が犯神かと思ったが、違うのかもしれない。

 

「……まあ、つまり、ミアさんやあなたをここで殺そうとしたら都合良く援軍が現れるけど、戦闘不能にしたり攫ったりする程度なら大丈夫って話ですよ」

 

 呪いが使えればこんな心配をしなくても済むのだが、あいにくあれはベルを射程内に捉えなければ使えない。

 向こうの力を遮断するという効果も、あくまでもスピネル自身の足を引っ張るデバフを無効化するだけであって、シルやミアを守ろうとする力を消すことはできない。

 対抗手段を手に入れてなお圧倒的不利でイライラする。

 そのイラ立ちの感情も、つい獲物(シル)を見る目に乗ってしまった。

 

「うっ……!?」

 

 ミアという守護者がいなくなり、スピネルの悪意が再びシルに牙を剥く。

 彼女はなりふり構わず、神としての権能を使った。

 使ったら問答無用で天界に強制送還させられる『神の力(アルカナム)』ではなく、あくまでも神としての特性。

 鍛冶神が神の力に頼らずとも、人類では手の届かぬ名工であるように。

 武神が神の力に頼らずとも、恩恵を授かった冒険者を倒せるほどの達人であるように。

 美の神である彼女の権能は『魅了』。

 シルの瞳が銀に輝く。

 見つめられた者を狂わせる、魔性の光。

 それによって、スピネルを魅了することで危機を脱しようとして……。

 

「? 今、何かしましたか?」

「ッ!?」

 

 まるで効かなかった。

 抱え込んだ負の感情が大き過ぎて、魅了が通らない。

 魂を覆うどす黒い感情の炎が、自らすら焼き焦がすほどの強大すぎる呪いが、美の神に惹かれようとする感情が芽生える前に焼き尽くしてしまう。

 どんな生き方をすれば、こんな人間が出来上がるというのか。

 

「あぐっ!?」

 

 そして、シルは今度こそ腹パンを叩き込まれて気絶させられた。

 スピネルは彼女を担ぎ上げて、最後の第三目標に向けて走る。

 レベル4相当に戻った身体能力で走って辿り着いたのは……大きなお屋敷。

 この建物の名は『竈火の館』。

 そう。ヘスティア・ファミリアの現在のホームだ。

 

「……良かった。ヘスティア様はいないみたい」

 

 極まったマザコンによって、特に何かの力を借りずともヘスティアの気配を察知できるスピネルは、ヘスティアが外出中であることを悟ってホッとした。

 これなら、遠慮なくやれる。

 スピネルの片腕が竈火の館に向けられ、その腕が歪に膨らんだ(・・・・)

 

「『ファイアボルト』」

 

 魔法モドキが放たれる。

 チャージして威力を増した爆炎の砲撃が、竈火の館を倒壊させる。

 自分から奪った幸福で形作られた忌々しい場所が、瓦礫の山へと変わる。

 かつて、あの廃教会がそうなったように。

 

「ふぅ。ようやく、これで最後」

 

 最後に、スピネルは倒壊した竈火の館の玄関前に、一通の手紙を置いた。

 これは『招待状』であり『脅迫状』だ。

 

『エイナ・チュールと、シル・フローヴァは預かった。

 返してほしければ、クノッソスの決戦に参加して取り戻しに来い』

 

 こうしておけば、ベル・クラネルは確実に来る。

 だって、彼は英雄を目指していると言っていたから。

 だって、彼は可愛い女の子との出会いを求めてオラリオに来たと言っていたから。

 だって、彼には望みの全てを叶えてくれる幸運がついているから。

 世界に、運命に愛された少年は、ヒロイン達を助ける英雄として、必ずや決戦の地へと訪れる。

 その時こそが━━ベル・クラネルの最期だ。

 

「ああ、やっと君を殺せる……!」

 

 スピネルは恍惚とした顔で嗤いながら、走り去った。

 途中で隠しておいたエイナを回収し、クノッソスのまだ知られていない出入り口を開けて中に入る。

 どうにか地上に連れ出した食人花達が全滅するまでの間に、全ての用事を終わらせられた。

 

 そして、クノッソス内でしばらく待っていれば━━予定通り、捕食の大魔法が発動した。

 蠢く緑色の肉がクノッソスを蹂躙していき、取り込まれた者を養分へと変えていく。

 結局、ロキ・ファミリアは全員逃げおおせたそうだが、逃げ遅れた協力者の派閥と闇派閥残党、合わせて百人以上が贄となった。

 

 吸収した魔力(エネルギー)は充分。

 それを使って、六体の精霊の分身達が歌い始める。

 精霊の六円環の詠唱を始める。

 冒険者達を処刑場へと駆り立てるための、破滅の旋律が聞こえてきた。




・『命削代償(リミット・ブレイク)
任意発動(アクティブ・トリガー)
命を大幅に削り、一瞬だけ全アビリティに超々々補正。
全開時には全ステイタス倍増。
魔石捕食(パワーアップ)の度に寿命減少。


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28 決戦前、分析の時間

「ゴホッ! ゲホッ、ゲホッ、ゲホッ!!」

 

 緑肉に覆われたクノッソス内部にて、ヒロイン達を攫ってくることに成功したスピネルは、苦しみながら咳き込んで血反吐を吐いていた。

 魔力に満ちた緑肉に体を接続させ、治癒の魔力を流し込まれると少し楽になる。

 それでも、完全に苦しみが消えることはない。

 

「……思った以上にダメージを受けているな」

「ええ。少しとはいえ、魔石にヒビが入ってますからね。

 まあ、元々数年も無かった寿命が更に削れただけです。

 この一戦さえ戦い抜ければ、それで良いですよ」

 

 お見舞いに来てくれたレヴィスに向かってそう言う。

 現在、クノッソスは緑肉に覆われて侵入不能だ。

 体を休める時間は稼げる。

 休んだところで削れた寿命が戻ってくるわけではないが、最後の戦いに向けてコンディションを整えることはできる。

 ただ、休むというのは冒険者になって以来初めてだったので、どうにも落ち着かない。  

 

「というわけで、レヴィスさん。リハビリに付き合ってくれませんか?」

「どう考えてもリハビリで済むはずがない。寝ていろ」

「あう」

 

 起き上がろうとしたら、額を押されて、緑肉のベッドに戻された。

 

「で、準備とやらは終わったのか?」

「地上でやるべきことは終わりました。残りは当日の作戦に組み込みます。

 できれば剣姫も譲ってくれたりすると最高なんですが……」

「あれは私の獲物だ」

「ですよねー」

 

 剣姫はかなり重要なピースなのだが、致し方ない。

 

「せめて、殺すなり生け捕りにするなりした後に、ズタズタになった剣姫を持ってきてくれませんか?」

「……まあ、それくらいなら良いだろう。どうせ最後は奴に食わせる。その前に連れ回しても何かが変わるわけでもない」

「ありがとうございます」

 

 優しい先輩に感謝だ。

 

「とにかく、お前は戦いが始まるまで、そうして休んでいろ。休んで力を温存するのも戦いだ」

「……わかりました。それじゃあ、冒険者達の監視でもやってますね」

「この仕事中毒が」

 

 レヴィスが「はぁ」とため息をついた。

 しかし、監視は体を使わないことではあるので、文句は言ってこない。

 そんな先輩を尻目に、スピネルは接続している緑肉の感覚を伝って、クノッソス全体を覆う緑肉を相手に奮闘する冒険者達の姿を捉える。

 

「……なんか、こっちの抵抗が激し過ぎて、入り口の確保とか全然できてませんね。

 これ、本当に向こうは攻められる状況まで持っていけるんですか?」

「六円環の魔法が完成に近づけば近づくほど、そちらに魔力が必要になる。

 そうなれば必然的に緑肉の抵抗は弱まり、奴らは侵入してくるはずだ」

「あ、なるほど」

 

 どうやら、このまま何事もなくオラリオ消滅エンドなんてオチは無いようだ。

 

「まあ、向こうにはベルがいますからね。あれが一切関われないまま、何もできないまま詰みなんてありえないか」

「……それに関しては、お前から話を聞いた今でも信じられんな。

 神なり精霊なりに愛された奴が加護を持つというのはわかるが、世界全体を一個人にとって都合が良いように動かすなど、規格外にもほどがある」

 

 レヴィスが訝しそうに目を細めた。

 具体例を出して説明したので信じていないわけではないようだが、それでも半信半疑といった様子だ。

 まあ、スピネルだって逆の立場だったら信じないと思うので無理はない。

 

「私もふざけてると思いますけど、あるものはあるんだから仕方ありません。

 レヴィスさんも気をつけてくださいね?

 あのふざけた幸運の加護は、ベルの大切な人まで自動で守る性質があります。

 ベルは剣姫に惚れてるので、剣姫にも間違いなく理不尽な幸運の補正が乗るはずですから」

「気をつけておこう。……しかし、その話が正しいとすると、昔のお前はベルとやらに大切な人認定されていなかったということになるな」

 

 なんか、レヴィスが哀れむような目で見てきた。

 スピネルはそんな視線に対して鼻を鳴らして、

 

「私も嫌いなので一向に構いません。

 まあ、もしかしたら、私の存在が『英雄』ベル・クラネルにとってマイナスになると、加護が勝手に判断したのかもしれませんけど。

 ……あるいは、虫唾の走る話ですけど、怪人になって敵対したヒロインを『英雄』が救って惚れられる物語をやりたかったのかも。

 私の感情が彼女の加護と混ざって、因果の糸で繋がってた幸運に干渉できるくらいの『呪い』にまで膨れ上がっちゃったのだけが計算外、みたいな」

「……ふむ。無い話ではないな。この世界は昔から英雄を欲している。

 加護を使って神為(じんい)的に英雄を造るというのは、なるほど、ありそうな話だ」

 

 レヴィスはその説明に納得した。

 古代から現在にかけて、英雄神話なんてものが腐るほど存在する世界だ。

 その中にいくつか『やらせ』が混ざっていたとしてもおかしくはない。

 存外、今のは説得力のある言葉だった。

 

「だが、それもお前の呪い、向こうにとっての計算外とやらがあれば対処できるのだろう?」

「……楽観はできません。確かに、私の呪いはあれを一時的に抹消できるし、呪いを常に魂に内包してる私自身は、向こうの影響を無視して動ける」

 

 けど、とスピネルは続け。

 

「抹消はベルに直接呪いをぶつけないと発動しないし、私一人が事態を引っかき回すように動けても、呪いの発動中じゃないと決定打は与えられない。その上、世界全部がベルを守るんじゃ、簡単に行くはずがない」

 

 例えば、何かしらの理由をつけてベルの参戦を遅らせ、その間にオラリオ最強の【猛者(おうじゃ)】あたりをスピネルに差し向ける。

 向こうは呪いを抱えるスピネルを偶然によって害せないので、シルやエイナを助けるための補正を流用して。

 そういうことをされるだけで、かなり辛い。

 そして、あのふざけた幸運はそういうことができると知っているから、決死の覚悟を決めているのだ。

 

「世界全てが守る、か。それだと、今この場で私がお前を殺すという可能性もあるんじゃないか?」

「いえ、それは多分大丈夫です。一回噛みついてみて、あのふざけた幸運にも制限があるってわかりましたから」

 

 あくまでも物語を都合良く転がすための『幸運』であって、物語的にありえないことは引き起こせない。

 登場人物の思考を極端に歪めることも、前後の流れを無視して奇抜な展開をぶち込むこともできない。

 それをしたら物語が『破綻』するか、最低でも『駄作』に成り下がるから。

 

 そして、向こうは意地でもベル・クラネルを『面白い英雄神話の主人公』にしたがっている。

 より劇的な展開を望んでいる。

 だから、シルやエイナを攫う時に妨害が無かった。

 取り返しのつかない『死』ならともかく、取り返しのつく『ピンチ』であれば、幸運による守りは弱くなる。

 そういう性質なのだ。

 そこに付け入る隙がある。

 

 やはり、呪いを一回試運転したのは正解だった。

 あの時、黒いミノタウロスと戦うベルに呪いをかけた時。

 呪いの炎がベルを守っていた力を燃やして、その燃えカスが呪いの中に入ってきた。

 穢れた精霊に貸し出された神性がそれを解析して、敵の詳細情報を随分と知れた。

 

 ……とはいえ、制限や付け入る隙があるのはこちらも同じ。

 ベルを殺すだけなら、前回不意打ちで呪いを浴びせた時に、満身創痍の隙だらけ(黒いミノタウロス)と一緒に殺せた。

 けど、ただ殺すだけじゃ足りない。

 呪いの源となった真っ黒な怨嗟の炎は、あいつの全てを奪って、壊して、踏みにじって、可能な限り苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、その上で絶望に満ちた死を与えろと命令してくる。

 そのくらい強い想いじゃないと、この呪いは発現しなかった。

 本懐を遂げなければ、誰よりも自分自身を苦しめる、この熱くて熱くて苦しくて苦しくて堪らない、禍々しい熱は消えてくれない。

 

 それがこちらの隙。

 お互いに効率重視の最善手は打てない。

 神々の言葉を使うなら、お互いに『縛りプレイ』と『魅せプレイ』を強制されている感じだ。

 

「面倒な戦いをしているな、お前は……」

「レヴィスさんだって、剣姫を直接対決で倒すことにこだわってるじゃないですか」

「……言われてみれば、そうだな」

 

 長い長い年月を、惰性となってしまった穢れた精霊のお守りに費やし、壊死してしまった感情。

 それが剣姫と戦う時だけは蘇っていた。

 あの少女との戦いに『生き甲斐』を感じていた。

 けれど、レヴィスの感情を刺激したものは、もう一つ……。

 

「まあ、なんでもいい。互いに互いの目的を果たすのみだ。せいぜい励むとしよう」

「はい! 頑張りましょう!」

 

 怪人達は待ち構える。

 緑肉に覆われ、魔城と化したクノッソスにて、間近に迫った決戦の時を待っている。




一方、その頃……。

ロキ・ファミリア
「お、俺達は、デュオニソス・ファミリアを、見捨てて……!」
「フィル、ヴィスさん……」
「喋るモンスターと手を組め!? 本気ですか団長!?」

ロキ幹部陣
「団内が鬱状態やな……。こういう時に頼りになるラウルもおらんし、アキもあの状態やし……」
「……団員達のケアをして、喋るモンスターと協力することへの言い訳を考えて、敵の狙いを推察して、黒幕(エニュオ)の正体を確かめて、あと各ファミリアとの協力を……」
「……ギルドが潰されたのが痛いな。ギルド長(ロイマン)まで死んで、機能が完全に麻痺している」
「前回の戦いの火消しすらできとらんみたいやからなぁ。民衆はパニック寸前。それを宥めるためにガネーシャんとこが過労死状態。他の派閥への協力要請は滞ったまんま」
「……神ウラノスが動いてはくれるだろうが、それだけではどうしようもないだろうね。各ファミリアへの声かけは僕らが主導でやるしかない」
「団内の問題だけでも頭が痛いというのに……」
「しかも、フレイヤ・ファミリアに協力を断られたのが痛すぎる。ラウル達がいなくなって、ただでさえ戦力が足りないのに……」
「その足りない戦力で、勝てる作戦を捻り出さねばならないのか……。勘弁してくれ。敵の計画すらまだ判明していないのだぞ……」
「ええい! 考えねばならんことが多すぎるわ!」


ヘスティア・ファミリア
「遠征から帰ったら街が滅茶苦茶で、ホームも壊されてるんですけど……」
「大変なんだ皆! これを見てくれ!!」
「脅迫状……!?」
「クノッソスに来いって、まさか闇派閥……!?」
「と、とりあえずギルドと豊穣の女主人に詳しい話を!」


豊穣の女主人
「ミア母ちゃんが死んだ!?」
「落ち着きなさい! ただの昏睡状態よ!」
「これっぽっちも落ち着けないニャ!?」
「は? ヘスティア・ファミリアに脅迫状? シルが、攫われた……!?」
「に、兄様に連絡を……!」


フレイヤ・ファミリア
「フレイヤ様が!? フレイヤ様がぁ!?」
「落ち着け、ヘルン!!」
「ま、まさか、ミアがやられるとは……!?」
「と、とにかく、冷静になりなさい! 大至急救出の準備を整えなくては……! 万が一にも失敗は許されない……! 完璧な作戦を……!」
「ヘスティア・ファミリアのところに脅迫状だぁ!? アーニャがその話を持ってきただと!?」
「ッ!? 他の派閥に情報が漏れる前に抱き込みなさい! 他から流れる情報も可能な限り遮断! こんな特大の弱味を見せてはならない!」


オラリオ、てんやわんや。

幸運さん「………………これ全部上手く纏めろとかマジで? 最低限の戦力を用意するだけで過労死するわ」(白目)


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29 舞台の幕開け

「来た」

 

 精霊の六円環の発動まで残り数時間というところで、ついに冒険者達が緑肉に覆われた魔城クノッソスへ攻め入ってきた。

 緑肉を通した感知に、凄まじい数の強者達が引っかかる。

 

 全員がレベル6を誇るロキ・ファミリアの幹部達。

 【勇者(ブレイバー)】【九魔姫(ナイン・ヘル)】【重傑(エルガルム)】【凶狼(ヴァナルガンド)】【怒蛇(ヨルムガンド)】【大切断(アマゾン)】【剣姫】。

 

 オラリオ最強の男【猛者(おうじゃ)】オッタル率いるフレイア・ファミリアの精鋭達。

 【女神の戦車(ヴァナ・フレイヤ)】【黒妖の魔剣(ダインスレイヴ)】【白妖の魔杖(ヒルドスレイブ)】【炎金の四戦士(ブリンガル)】。

 

 他にもオラリオに、否、世界に名を轟かせる第一級冒険者(レベル5以上)達が多数。

 第二級冒険者(レベル3〜4)第三級冒険者(レベル2)に至っては、もう数え切れない。

 

 おまけに、ダンジョン18階層にある出入り口からは、例のベルに協力した喋るモンスターの群れ。

 彼らの数は三十体ほど。

 全員が冒険者で言えばレベル3〜5。

 

「総力戦だなぁ……」

 

 ほんの数ヶ月前までは見上げるしかなかった英雄達の行進。

 彼らに対峙する敵の一角として、自分なんかが名を連ねているというのは、どうにも不思議な気分だ。

 場違いとしか思えない。

 

「……ベルがいない」

 

 そして、思った通り、感知できる範囲に、あの運命に愛された英雄の姿が無い。

 見つければ奇襲をかけて呪いをぶつけ、そのままこのステージへご案内できたのだが、そう上手くはいかないようだ。

 彼女の呪いは『幸運』という形無いものだけを焼き払い、形あるものには一切干渉しないため、逆にこちらも形あるものによる干渉を一切受けない。

 つまり、壁だろうと盾だろうと結界だろうと貫通し、武器や魔法で迎撃することもできない。

 おまけに射程も結構長い。

 なので、ベルを見つけられさえすれば、破壊不能の最硬精製金属(オリハルコン)の扉の向こうから一方的に呪いをぶつけることができたのだが……。

 本当に、忌々しいほど運が良い。

 

「始まった……」

 

 ベルを見つけられないまま、英雄達と穢れた精霊陣営の戦いが幕を開ける。

 六円環の準備を進める六体の『精霊の分身(デミ・スピリット)』のところへ、分散したロキ・ファミリア幹部を中心とした部隊が。

 レヴィスは剣姫との一騎討ちを始め、もう一人の怪人も戦いを始めた。

 戦場は合計八ヶ所。

 スピネルの姿は━━そのどこにも無い。

 

「ここはしばらく安全圏……だと良いなぁ」

 

 彼女がいるのは、六体の精霊の分身が配置されたクノッソス十層の真下。

 こちら側の切り札、七体目(・・・)の精霊の分身がいるクノッソス十一層。

 

 オラリオを周辺一帯ごと吹き飛ばす、精霊の六円環。

 それはあくまでも表の計画であり、冒険者達をクノッソスに誘き寄せるための壮大な餌だ。

 穢れた精霊、及び協力者エニュオの本命は、スピネルの後ろに控える七体目の精霊の分身。

 悍ましい姿の邪竜『ニーズホッグ』。

 

 六体の精霊の分身達が追い詰められたら、六円環を起動するために使っている魔力をこのニーズホッグに集中。

 その魔力を凄まじい威力のブレスとして放ち、上の階層を冒険者達ごと消滅させる。

 六円環と違ってオラリオを破壊することこそできないが、冒険者達の息の根を止めることはできる。

 六円環を餌にして冒険者達を誘き寄せ、六円環の発動阻止に躍起になっている彼らを、ニーズホッグという爆弾で纏めて消し飛ばす。

 それが協力者エニュオが描いたシナリオだ。

 

 六円環を阻止しようとすればニーズホッグが起動し、ニーズホッグを討伐するために戦力を割けば、六円環の方が止まらない。

 二段構えの策略。

 

「さてと。ここが見破られる前に、やることをやっておかないと」

 

 しかし、それがすんなりと成功するなんて、スピネルは微塵も思っていない。

 この切り札の前に、必ず奴は現れるだろう。

 いつもいつも美味しいところを持っていく、運命に愛された英雄が。

 憎くて憎くて堪らない、あの後輩が。

 だからこそ、おもてなしの準備を整えておかなければ。

 

「隙だらけだよ、ヴィーブルちゃん」

 

 まず目をつけたのは、喋るモンスターの中に交ざっている怪物の少女。

 ベルが一度失い、蘇生魔法なんて奇跡で蘇ったあの少女だ。

 シルやエイナと同じく、生贄にする価値がある。

 喋るモンスター達は、圧倒的な力を持つ精霊の分身を相手に防戦一方。

 簡単に手を出せた。

 

「え!?」

「ウィーネ!?」

 

 クノッソス全体を覆う緑肉。

 その一部、少女の足下にあった緑肉を遠隔で操作し、足を掴んでその場から連れ去る。

 他のモンスター達は、精霊の分身の相手に手一杯で、とても彼女を追いかけることはできない。

 

「いらっしゃい」

「ひっ!?」

 

 あっという間に少女はスピネルの前に、邪竜ニーズホッグの目の前に連れてこられた。

 少女(ウィーネ)は、前に怖いことをされたスピネルの姿と、悍ましい邪竜の威圧感に怯んでガタガタと震える。

 スピネルはそんなウィーネを掴んで、ニーズホッグの肩のあたりに放り投げた。

 

「あっ……!? い、嫌っ……!?」

 

 邪竜の右肩。

 そこには取ってつけたように、不気味に蠢く緑肉の塊がへばりついている。

 その緑肉に埋まるような形で、気を失ったシルとエイナの姿もあった。

 ウィーネもまた、緑肉に絡め取られて邪竜の一部となる。

 当然、すぐに殺しはしない。

 これはあくまでも、プレゼントの保管場所だ。

 

「あなたが来てくれて助かった。これで、あとはパーティーメンバーを揃えればコンプリート」

 

 スピネルが知る限りの、ベルと特別仲の良いヒロイン達。

 ここにベルのパーティーメンバーを加えれば、生贄としては充分。

 このままベルが来てくれれば最高なのだが……やはり、そう簡単には行かない。

 

「……うわぁ」

 

 緑肉を通してクノッソス全体を監視していたスピネルは気づいた。

 とある一団が、六体の精霊の分身すら無視して、まっすぐ切り札(ニーズホッグ)のもとへ向かってくるのを。

 それはオラリオにおいて『最強』の称号を持つファミリア。

 現役の冒険者で唯一、レベル7の高みへと登り詰めた大英雄の率いる派閥。

 緑肉に覆われた超硬金属(アダマンタイト)の壁を容易く破壊し、彼らがスピネルのもとに襲来する。

 

「やってくれたわね、痴れ者」

 

 最強の冒険者達を従者のように従え、その女はスピネルへと殺意に満ちた目を向けた。

 『美』という概念の化身のような、あまりにも美しき女神。

 最強派閥の主神。

 

「さあ、死になさい」

 

 女神フレイヤが、眷族達を引き連れて、直接現れた。



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30 スピネル=ニーズホッグ

ベル被害者同盟。


「……想定してた中で二、三番目にヤバい展開」

 

 眼前に立ち並ぶオラリオ最強派閥を前に、スピネルはポツリとそう呟いて、彼らの接近を感知した時から用意していた手札を切った。

 ニーズホッグの頭の上に飛び乗り━━緑色の肉で強引に自身と邪竜を繋げる。

 

「グォオオオオオオオオオッッッ!!!」

 

 ニーズホッグが咆える。

 爆弾としての運用がメインとはいえ、単純なカタログスペックだけなら、レベル7相当。

 目の前の最強と同格の怪物が、スピネルという操縦者を得て、理知と暴虐を兼ね備えた化け物へと変じた。

 これなら命と引き換えの力を温存しつつ、強敵達を相手にできる。

 

「やりなさい、オッタル!」

「オオオオオオオオオオオッッッ!!!」

 

 そんな化け物に、冒険者は立ち向かう。

 女神の命令に従い、最強の冒険者が動き出す。

 身長2Mを超える巨漢の猪人(ボアズ)の髪が逆立ち、獣のような咆哮を上げた。

 

「『戦猪招来(ヴァナ・アルガンチュール)』!!」

 

 最強の男は、初手から奥の手を使った。

 膨大な体力と精神力(マインド)を持っていかれる代わりに、擬似的な位階昇華(ランクアップ)を果たすがごとくステイタスを超強化するスキルを発動。

 疑似レベル8。

 力の化身となった(オッタル)が駆けた。

 

「オオオオオオオオオオオッッッ!!!」

 

 砲弾のように飛び出し、ニーズホッグに漆黒の大剣を振りかぶる。

 スピネルは邪竜を操って、肥大化させた腕による爪でオッタルを迎撃。

 男の大剣と邪竜の爪がぶつかり……ニーズホッグの右腕が消し飛んだ。

 

「ッ!」

 

 オッタルの冗談じゃない強さに、スピネルは冷や汗をかく。

 ニーズホッグより彼の方がよっぽど化け物だ。

 このままでは幸運とか関係なしに、圧倒的なパワーで計画が破壊される。

 

(ちょっと早すぎるけど……仕方ない!)

 

 最強に対抗するべく、スピネルは切り札を使った。

 術式によってリンクした他六体の精霊の分身に合図を送る。

 ニーズホッグの頭上に魔法陣が現れ……その瞬間、ニーズホッグが変異した。

 

「ギャオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!」

「ッ!?」

「な、なんだ!?」

 

 邪竜が凄まじい咆哮を上げる。

 突撃しようとしていた強者達の足を強制停止させてしまうほどの、尋常ならざる咆哮(ハウル)

 魔法陣から膨大な魔力がニーズホッグに注ぎ込まれる。

 オラリオを消し飛ばして余りあるほどの圧倒的な魔力(エネルギー)が。

 それを爆弾炸裂のために溜め込むのではなく、送られてくる端から消費して純粋な能力値の強化に使い、ニーズホッグは次元違いの化け物へと変じる。

 

 肉体の強度的な問題で、膨大すぎる魔力に見合うほどの超々々強化はできない。

 身の丈に合わな過ぎる力を使うと、スピネルのように一瞬で命を使い果たしてしまう。

 それでも、肉体が内側から炸裂していくのを、超強化された再生力で強引に相殺し、通常戦闘可能な限界ギリギリまで力を詰め込めば、ニーズホッグは位階の壁を二段階は突き破って昇華した。

 

「グォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!」

 

 位階の壁を二つ飛び越え、邪竜が到達した領域は━━推定レベル9相当。

 今のオッタルすら超える力。

 消滅させられた右腕を瞬きの間に再生させ、超強化ニーズホッグは、その右腕でオッタルを横から薙ぎ払った。

 

「ぬぅ……!」

 

 そんな化け物の攻撃は、さすがの最強の冒険者でも踏ん張れず、吹き飛ばされる。

 彼は超硬金属(アダマンタイト)の壁をぶち破って、どこかへ飛んでいった。

 

「グギュオオオオオオオッッッ!!!」

 

 更に、ニーズホッグの口の中に魔力の塊が発生。

 竜の代名詞、ブレスの予備動作。

 供給される魔力を溜め込む前にあらゆる能力の強化に使っているため、冒険者を全滅させるほどの殲滅爆弾としての威力は無い。

 だが、目の前の空間をフレイヤ・ファミリアごと消し飛ばすくらいならできる。

 

「させないわ! 迎撃!!」

「「「ハッ!」」」

 

 主神の命令により、フレイヤ・ファミリアの魔導士達は、迎え撃つための魔法の詠唱を開始。

 オッタルを除いても最高の人材ばかりが揃う派閥が、本気で邪竜の一撃に立ち向かう。

 

「「「━━━━━━━━━!!」」」

 

 ブレスが放たれた。

 無数の魔法が放たれた。

 何十人もの上級冒険者達が力を合わせた極大魔法と、六体の大精霊から魔力を供給された邪竜のブレスがぶつかる。

 押しているのは……ニーズホッグ。

 

「させん!!」

 

 だが、そこで最強が戻ってきた。

 【猛者】オッタルは、先の攻防におけるダメージなど無いかのように機敏に動き、仲間達が威力を削いだブレスの前に飛び出す。

 

「『銀月(ぎん)の慈悲、黄金の原野、この身は戦の猛猪(おう)を拝命せし。駆け抜けよ、女神の真意を乗せて』!」

 

 そして、オッタルもまた詠唱。

 彼の持つ唯一の魔法の力を手に持った大剣に込めて、振るう。

 

「『ヒルディス・ヴィーニ』!!」

 

 黄金の剣撃が放たれた。

 『最強』の一撃がブレスを割り、ニーズホッグの前に一本の道が出来上がる。

 

「アレン!!」

「言われるまでもねぇ!!」

 

 切り開かれた道を、流星が駆けた。

 フレイヤ・ファミリア副団長にして、オラリオ最速の男。

 【女神の戦車(ヴァナ・フレイヤ)】アレン・フローメル。

 彼はスピネルを戦慄させ、命を削る本気での迎撃を覚悟させるほどの速度で迫り……邪竜の頭部と一体化したスピネルになど目もくれず、ニーズホッグの右肩を穿った。

 

「……ああ、なるほど」

 

 戦闘開始から1分弱。

 オッタルの脅威に思考を割かなければならなかったスピネルは、ここでようやく彼らが他の精霊の分身を無視して、ひいてはオラリオ崩壊の可能性を無視してまで、脇目も振らずにここへ来た理由を察した。

 まず大前提として、あそこで堂々と眷族を従えている女神フレイヤは偽物(・・)だ。

 彼女からは、神ならば必ず持っているはずの『神威』をまるで感じない。

 

 では、何故そんな偽物がわざわざ現れたのか。

 恐らく、スピネルの目を本物から逸らすため。

 もしくは、本物の女神フレイヤとの繋がりが『捜索』に必要だったから。

 アレンはニーズホッグの右肩に緑肉で固定された三人のうち、迷わず『シル・フローヴァ』だけを救い出した。

 彼女の正体は神で、しかもフレイヤ・ファミリアの元団長が経営する店で働いていた。

 ここまでくれば、もうバカでもわかる。

 本物の女神フレイヤは、シル・フローヴァだ。

 

「もっと早く気づきなよ、私……」

 

 まさか最強派閥の主神が、あんな小さな食堂で働いているとは思わなかった。

 ヘスティアのようにバイトをしてるだけの、どこかの弱小派閥の神だとばかり思っていた。

 それでもヒント自体はあったのに、オッタルの気迫に呑まれて、戦闘に思考回路を全部持っていかれていた。

 駆け引きで負けた。

 やはり、自分程度の存在など、歴戦の冒険者達にはあらゆる意味で及ばないのだ。

 

「でも」

 

 遅くとも気づけたのなら、ここからは弱点を集中狙いできる。

 スピネルはニーズホッグに防御を捨てさせ、捨て身の攻撃でシルを狙わせた。

 シル(ヒロイン)自身は『幸運』によって守られるだろうが、守る側の眷族達はタダでは済まないだろう。

 ロキ・ファミリアの【超凡夫(ハイノービス)】ラウル・ノールドを始めとしたメンバー達は死んだ。

 あのふざけた幸運が守るのは、あくまでもベル・クラネルと交流の深い者のみ。

 本当にエコヒイキが過ぎるが、今だけはそれに救われる。

 

「グォオオオオオオオオオッッッ!!!」

「くそっ……!?」

「ついにバレたか……!」

 

 案の定、フレイヤ・ファミリアは攻撃を捨ててでも、シルを守ることに全神経を集中した。

 神が死んで天界へ強制送還されれば、眷族の恩恵は封印される。

 次の主神を見つけるまでは、恩恵を授かる前の一般人同然の状態へと戻ってしまう。

 つまり、シルが死んだ時点でフレイヤ・ファミリアの負けだ。

 彼らはシルを守る幸運の存在なんて知らないのだから、そりゃ是が非でも守るに決まっている。

 

「ガァアアアアアアアアッッッ!!!」

「くそっ……!?」

「あぎゃ!?」

「ぐっ!?」

 

 ニーズホッグが暴れる。

 本来、この邪竜は鈍重だ。

 極大ブレスで冒険者を全滅させる機能のみを追求した存在。

 そうなるはずだった。

 

 しかし、黒幕エニュオがスピネルの提言を聞き入れ、彼女の肉体に刻んだ追加術式を鍵として挿し込むことで、ニーズホッグは爆弾ではなく、六円環の魔力を自身の強化に使って暴れる、次元違いの化け物としての力を発揮する。

 穢れた精霊の加護だけでなく、精霊と親和性の高い妖精(エルフ)の血、それも人間(ヒューマン)の血によって汚れた血が流れていることが幸いした。

 母に『薄汚い血』と蔑まれた半妖精。

 だからこそ、薄汚い妖精だからこそ、穢れた精霊の術式の一部として機能する。

 あまりにも皮肉すぎる話。

 

「コホッ」

 

 だが、こんな無茶は当然、彼女の体に負担をかける。

 自前の本気を出すよりは遥かにマシだが、それでも少しずつ、少しずつ、魔石に入ったヒビが広がっていく。

 命がすり減っていく。

 それでも、こんな小娘が最強の冒険者達とまともに戦えるだけの力の代償と考えれば、安すぎるくらいだ。

 

「ッ……!」

 

 けれど、所詮はまともに戦える止まり。

 スピネルが苦しげに呻く。

 戦況は、一応優勢と言えば優勢だ。

 余波を食らっただけでも余裕で死ねる特大のお荷物。

 そんなものを抱えているという相手の隙に全力で付け込み、ニーズホッグに供給される膨大な魔力を頼りに、超強化された再生力、身体機能、ブレスに任せたガン攻め。

 

 推定レベル9相当の化け物の攻撃から、余波すら通さずに主神を守らなければならない。

 大嵐の中、虚弱体質の足手まといを、風や雨の一滴からすら守れと言っているようなものだ。

 無茶にもほどがある。

 こんな理不尽すぎるハンデがあっては、【女神の戦車(ヴァナ・フレイヤ)】の超スピードも、【白妖の魔杖(ヒルドスレイブ)】の叡智も、【黒妖の魔剣(ダインスレイブ)】の戦闘技能も、【炎金の四戦士(ブリンガル)】の四位一体の神業連携も、まともに機能しない。

 

「『我が名は黄金。不朽を誓いし女神(かみ)片腕(うで)

 焼かれること三度(みたび)、貫かれること永久(とわ)に。

 炎槍(えんそう)の獄、しかして光輝は生まれ死を殺す。

 (くる)え、(くる)え、(くる)え。

 我が身は黄金。蘇る光のもと、果てなき争乱をここに』━━『ゼオ・グルヴェイグ』!!」

 

 オラリオ最高峰のヒーラー【女神の黄金(ヴァナ・マルデル)】ヘイズ・ベルベットの規格外の回復魔法が、主神の盾となった戦士達を不死者のごとく蘇らせる。

 彼女を筆頭とした、フレイヤ・ファミリアが誇る治療師(ヒーラー)集団【満たす煤者達(アンドフリームニル)】がフル稼働する。

 

 最強の戦士達が我が身を盾とし、最高峰のヒーラー達が彼らを強引に立ち上がらせ続け、それでようやく虚弱体質の足手まとい(フレイヤ)を風や雨の一滴からすら守れという無理難題を、どうにか達成できている状態。

 主神を逃がす余裕すら無い。 

 大量の肉壁のシェルターから出たら、その時点でアウトだ。

 シェルターごと動かす?

 下手に壁を動かしてみろ。空いた隙間から破壊の雨が入ってきて終わるぞ。

 

 神々の言葉を借りるなら『無理ゲー』か『クソゲー』としか言えない状況。

 しかし、この状況を避けることは難しかっただろう。

 絶対に失ってはならない主神を攫われ、かつて同格のロキ・ファミリアが壊滅しかけた、地の利を完全に握られているという状況に自ら飛び込むしかなかった。

 ここは怪物の口の中だ。

 剥き出しの弱点を狙われ(舌で転がされ)超強化邪竜に一方的に攻められる(牙で噛み砕かれる)

 圧倒的不利は最初から確定していた。

 ただ、それだけの話。

 ……だが。

 

「オオオオオオオオッッッ!!!」

「ヘバってんじゃねぇぞ、テメェら!!」

「堪えろ!! フレイヤ様に傷一つ付けさせるな!!」

「「「うぉおおおおおおお!!!」」」

 

 彼らの気迫が凄まじい。

 それだけ恩恵の剥奪を恐れている……違う。

 純粋な主神への忠誠心。

 スピネルが何よりも大切にしたかった、なのに黒い炎に呑まれて灰となってしまったもの。

 彼女が理想とした強さ。

 

(……羨ましい)

 

 スピネルは心からそう思った。

 ベルを見た時の黒い嫉妬心じゃない。

 純粋に眩しい。

 

 彼らの数は、戦闘開始当初から随分と減った。

 レベルの低い者達から順に死んでいき、残った者達にも負傷と疲労が無視できないレベルで蓄積している。

 【猛者】ですら傷だらけだ。

 最速の【女神の戦車(ヴァナ・フレイヤ)】など、自慢の足がひしゃげて千切れている。

 最高峰のヒーラー達による回復ですら間に合っていない。

 

 けれど、彼らは倒れない。

 他ならないスピネル自身が、心のどこかで、こんなズルい小娘相手に倒れてほしくないと思ってしまっている。

 シルを守る『幸運』の補正も含まれてはいるのだろうが、そんなものが無くても彼らは倒れないと、理屈ではなく魂が叫んでいる。

 

(我慢比べは分が悪い……!)

 

 フレイヤ・ファミリアが潰れるのが早いか、スピネルが負荷に耐え切れずに死ぬのが早いか。

 そんな我慢比べでは勝てないと感じた。

 いや、たとえ勝てたとしても、このままではベルと戦えるだけの力が残らない。

 それじゃ意味が無い。

 何か、何かもう一押しが欲しい。

 ……そう思っていた、その時。

 

「『燃え尽きろ、外法の業』」

 

 そんな詠唱が聞こえた。

 

「『ウィル・オ・ウィスプ』!!」

「グギャアアアアアアアアアアアアアア!!??」

 

 ニーズホッグがチャージしていたブレスが弾けた。

 魔力暴発(イグニス・ファトゥス)

 自らの魔法を制御できない未熟者が引き起こす自爆現象。

 それを誘発させられ、ニーズホッグの顔面が吹き飛び、スピネルにまでダメージがきた。

 ブレスの威力が強すぎるからこそ、自爆した時のダメージも凄まじい。

 邪竜と怪人の再生能力をもってすれば致命傷にはほど遠いが……実質ブレスを封じられたのは痛い。

 

「今のは……!」

 

 魔力暴発を誘発する魔法。

 スピネルはその魔法の使い手に心当たりがあった。

 偏執的なまでに集めた、あの(・・)派閥の情報の中にあった。

 

「種火がデカいと、花火もデカくなるな!」

 

 そこにいたのは、大剣を背負った赤髪の青年。

 あの忌々しい場所で笑っていた連中の一人。

 ヘスティア・ファミリア団員、【不冷(イグニス)】ヴェルフ・クロッゾ。

 彼がいるということは当然……。

 

「エイナさん! シルさん! ッ!? ウィーネまで……!?」

 

 現れた。とうとう現れた。

 ニーズホッグの肩に埋まっているエイナとウィーネ、フレイヤ・ファミリアに守られているシル。

 彼女達を見て心配そうな、それでいて必ず助けるという決意に満ちた顔をした、世界に愛された英雄。

 

「ベル、くん……」

「ベルさん……!」

「ベル!!」

 

 彼の姿を見て、衰弱したヒロイン達の目に希望が宿る。

 彼ならなんとかしてくれると、そんな信頼に満ちた目だった。

 

「アハハ……!」

 

 そして、スピネルは嗤った。

 仲間達、更に助っ人と思われる強そうな者達を引き連れて現れた英雄様を見て、歓喜の表情で嗤う。

 

「待ってたよ……! ベルゥゥ……!!」

 

 ベル・クラネル。

 世界に、運命に愛された少年が、下界(せかい)の命運をかけた決戦の舞台に現れた。

 世界を救うために、ヒロイン達を助けるために。

 

「来てくれると思ってた……!!」

 

 たとえ、そこに英雄殺しの呪いが待ち受けていたとしても、彼は必ず現れると思っていた。

 だって、『英雄』とはそういうものだから。

 相応の力を手にした以上、必ず最も盛り上がる舞台に上がらなければならない。

 

 彼はいつもいつも、必ず美味しいところを持っていった。

 シルバーバック、片角のミノタウロス、漆黒のゴライアス、黒いミノタウロス。

 なら、世界を滅ぼす巨悪の『切り札(ニーズホッグ)』なんて見逃すはずがない。

 彼を愛する運命が、彼を『主人公』にしたがっている誰かが、必ず彼をここに連れてきてくれると信じていた。

 

 強大な敵(スピネル=ニーズホッグ)は、最強の冒険者達の奮闘によって弱った。

 呪いの発動を妨害できる仲間もいる。

 満身創痍とはいえ、最強の冒険者達もまだ戦える。

 

「ベル・クラネル……!」

 

 【猛者】オッタルが、ベルの名前を呼んだ。

 ああ、この男にすら名前を覚えられているのか。

 目をかけてくれている最強に助太刀し、この窮地から逆転勝利を収めた暁には、きっと一目置かれるどころではない称賛を受けるのだろう。

 実に美味しいシチュエーション。

 舞台裏の誰かの演出が光っている。

 

「さあ、始めよう!」

 

 忌々しい演出家を踏み潰そう。

 忌々しい英雄を踏みにじろう。

 丁寧に丁寧に作られた英雄譚(ステージ)をぶち壊そう。

 運命の都合で犠牲(踏み台)にされた端役の逆襲を見せてやろう。

 さあ━━壊れろ、機械仕掛けの英雄(ヘロス・エクス・マキナ)




ゴッド・ブレイズ・キャノンはロマン。


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31 英雄譚

説明が足りてなかったので、前話を少し修正してます。


「エイナさん! シルさん! ッ!? ウィーネまで……!?」

 

 決戦の場に駆けつけた『英雄』ベル・クラネルは、衰弱し切った様子の彼女達を見て悲痛な声を上げた。

 同時に、こんな状況になるまで駆けつけられなかった己の不甲斐なさを恥じた。

 ベルはチラリと、自分の左腕に意識を向ける。

 

(こんな時に限って……!)

 

 その左腕は、ほんの少し前にイレギュラーからダンジョン『深層』に落ちてしまい、そこから命からがら脱出する際に、オラリオ最高の治療師(ヒーラー)の力を借りてなお、すぐには完治しないほどに痛めてしまった。

 今も戦闘なんてもってのほかと言われるような状態なのだが、それでもオラリオの危機、何よりエイナやシル達の危機なら、ベルに動かずジッとしているなんて選択肢は無い。

 

 それでも無理なものは無理だと言うかのように、左腕は今朝から酷く痛んだ。

 そこをどうにかしてくださいと、地上に残ったヒーラー達に頭を下げて応急処置をしてもらって、なんとかギリギリ戦闘ができる状態にしてもらったのだが、その結果、こうして出遅れてしまったのだ。

 

「ベル! まだシルさんもエイナさんも生きてる!」

「ウィーネ殿まで捕まってしまったのは心苦しいですが……それでも、まだ助けられます!」

「ベル様! ここからです!」

「絶対に助けましょう!」

「皆……! うん!」

 

 ヴェルフ、ミコト、リリ、春姫。

 頼れる仲間達の声で、ベルは気合いを入れ直す。

 そうだ。

 出遅れたかもしれないが、まだ間に合う。

 勝って絶対に助ける。

 その思いで、英雄は目の前の邪竜を睨みつけた。

 

「あの人は……!」

 

 邪竜と一体化するかのように、竜の頭部と緑色の肉で接合された、フードを被った小柄な人物。

 アステリオスとの決闘に横槍を入れてきた少女。

 シルやエイナを連れ去ったという人物の特徴とも一致する。

 倒さなければならない、敵。

 

「あれがシルを連れ去った痴れ者……!」

「ミア母ちゃんの仇ニャー!」

「いや、死んではいないでしょ。……昏睡状態だけど」

「どっちにしろ、ぶっ殺してやるニャ!!」

 

 ベルの引き連れてきた強力な援軍、『豊穣の女主人』の店員達が気炎を上げる。

 リュー・リオン、アーニャ・フローメル、ルノア・ファウスト、クロエ・ロロ。

 レベル4の強者が四人。

 他にも、戦える店員は全員集合だ。

 仲間であるシルの救出と、恩人であるミアのお礼参りのために参上した。

 

 そして、戦闘開始。

 

「『燃え移れ、怨嗟の炎。焼き尽くせ、焦燥の熱』」

「グォオオオオオオオオオオオオッッッ!!!」

 

 歌い始めた少女の声をかき消す大音量で、邪竜が咆えた。

 その口の中に魔力の塊が発生する。

 再びのブレス。

 

「『燃え尽きろ、外法の業』━━『ウィル・オ・ウィスプ』!!」

「ギャオオオオオオオオオ!!??」

「何度やっても同じだ!」

 

 さっきと同じく、ヴェルフの魔法がブレスを暴発させた。

 邪竜の頭部は見るも無惨に破壊され……あっという間に再生していく。

 そして、またしても口の中に魔力が充填された。

 

「くっ……!」

 

 ヴェルフの顔が歪む。

 いくらあの凶悪ブレスを暴発させられると言っても、彼の精神力(マインド)は有限。

 あんな風に自爆を恐れず連打されたら、近いうちにマインドダウンで倒れる。

 彼が倒れるまでに勝負をつけなければ、最強派閥を追い詰めた地獄絵図が再び描かれることだろう。

 

「今、助けます!」

「春姫様! 詠唱を!」

「はい! 『愛しき(ゆき)。愛しき深紅(あか)。愛しき白光(ひかり)。どうか側にいさせて欲しい』」

 

 ベルが飛び出し、リリの指示に従って春姫が詠唱を開始。

 同時に、高速詠唱に集中する春姫をリリが、ブレスの迎撃に必死になっているヴェルフをミコトが担いで、シルを守りながら奮闘するフレイヤ・ファミリアのところへ走った。

 

「すみません! シル様と一緒に守ってください!」

「……良いだろう」

 

 許可を得て、彼らは最強派閥の庇護を得た。

 フレイヤ・ファミリアは協調性が無いことで有名だが、今は崇拝する主神の命に関わる緊急事態。

 元々、この戦いが始まる前に、豊穣の女主人経由で一応の協定は結んであった。

 まあ、主神誘拐という情報の流出を恐れた消極的な同盟であり、ベルが左腕の痛みに悶え始めたことで、待っていられるかと先走って自分達だけで解決しようとしたのだが……こうなってしまっては致し方なし。

 

「『我が身を滅ぼす忌々しき呪いの力よ。

 因果の糸を辿り、伝い、誰よりも裁かれるべき元凶(もの)を焼け』」

「やぁあああああああああ!!!」

 

 ベルが走る。

 その凄まじいスピードは、最強派閥の猛者達をして驚愕させられた。

 

「速」

「どうなってる?」

「レベル4に上がりたてじゃないのか?」

 

 【炎金の四戦士(ブリンガル)】ガリバー兄弟が、そんな声を上げた。

 現在のベル・クラネルのレベルは4。

 決着がつく前に邪魔されたとはいえ、それでも圧倒的脅威であった黒いミノタウロス(アステリオス)との戦い、及びその前のディックスとの戦いが偉業認定されてランクアップした。

 所要期間は二ヶ月。

 それだけでもうおかしいが、今のベルは更におかしい。

 

「ハァアアアア!!」

 

 今の彼は、どう見てもレベル4の最下位どころか、レベル6でも上位に入るほどの超スピードで動いている。

 その理由は二つ。

 一つは彼のスキル『憧憬一途(リアリス・フレーゼ)』によって、限界以上に蓄えられた経験値(エクセリア)

 

 通常、アビリティの限界値は『S999』である。

 しかし、ベルのスキルはその限界を突破し、数値にして1000を超える『SS』、1200を超える『SSS』などというぶっ飛んだ領域まで彼を連れていく。

 

 そして、ランクアップ前のアビリティはリセットされるわけではなく、貯金としてストックされ、潜在値として現在のアビリティにプラスされる。

 つまり、ランクアップの度に全てのアビリティを限界突破させてきたベルは、同レベル帯の冒険者達と比べても凄まじく強いのだ。

 特に『敏捷』に関しては元々の才能もあり、毎回『SSS』に到達してからランクアップするため、少し成長すればレベルが上の冒険者すら追い抜くほどの俊足になる。

 

「『二千夜(よる)の末に見つけし()恋願(おもい)

 我が名は狐妖(こよう)、かつての破滅。

 我が名は古謡(こよう)、かつての想望(そうぼう)

 鳥のごとく羽ばたく御身のために、この身、九妖(くよう)を宿す』」

 

 そして、もう一つの理由がこれ。

 超長文詠唱によって紡がれる春姫の魔法。

 対象者を15分の間だけ擬似的にランクアップさせるという反則(チート)級の魔法。

 ここに到着する前に、ベルは仲間達と共にこの魔法をかけてもらった。

 つまり、今のベルは疑似レベル5。

 そこに彼自身の圧倒的なステイタスが加わり、オラリオ最高峰のレベル6とすら、ある程度以上に渡り合えるだけの強さへと至っていた。

 

「『過ぎたる幸福は大罪なり。忘れるな。汝の幸福は誰かの不幸。汝の笑顔は誰かの苦痛』」

「『響け金歌(こうか)玉藻(たまも)召詩(うた)

 白面金毛(はくめんこんもう)、九尾の王。

 全てを喰らい、全てを叶えし、瑞獣(ずいじゅう)の尾』」

「うぉおおおおおおお!!」

「参る!」

「やったるニャー!」

 

 ベルが邪竜の体に飛び乗り、彼をサポートするように豊穣の女主人の店員達が立ち回った。

 店員達が遠距離攻撃で竜頭の上の少女を狙い、少しでも邪竜の注意を逸らし、その隙を縫うようにベルが飛び跳ね、一筋の矢となって竜の右肩を穿った。

 へばりついていた緑肉を抉り、囚われていたエイナとウィーネを救い出す。

 何故か邪竜の動きがフレイヤ・ファミリアだけを相手にしていた時より雑になっていたおかけで救出できた。

 

「ベル、くん……」

「ベル! ベルぅ!」

「二人とも! 無事で良かった!」

 

 彼女達を取り戻せたことに安堵し、ベルは歓喜の表情を二人に向けた。

 ウィーネは無邪気に喜んでベルに抱きつく。

 だが、

 

「皆! 二人をお願い!」

「わかりました!」

 

 二人をリリ達に託し、ベルは再び邪竜に向かっていく。

 モンスターであるウィーネを守ってもらえるかは気がかりだが、少なくとも強敵を前にして問答を始めるほど、フレイヤ・ファミリアにも豊穣の女主人にも余裕は無い。

 ウィーネは顔も体も隠すローブを纏っているので、『幸運』にも正体に気づかれないか、あるいはそれを口実にスルーしてくれるかもしれない。

 そうであってほしいとベルは祈った。 

 

「待っ、て……! あの、子は……!」

 

 そんなベルにエイナが何かを言おうとしたが、精神的にも肉体的にも衰弱した彼女の弱々しい声は。

 ()を擁護し、戦意を削いでしまうだろう言葉は、英雄に届くことは無かった。

 

「『罪を自覚せぬまま笑う、この世で最も罪深き咎人よ。無知もまた罪と知れ』」

「『大きくなれ。()の力にその器。数多(あまた)の財に数多の願い。鐘の音が告げるその時まで、どうか栄華と幻想を』」

 

 詠唱が進んでいく。

 春姫の魔法は、一度使うと10分のインターバルがいる。

 そのインターバルは、ちょうどピッタリこの場に駆けつけた時点で終わった。

 インターバル10分に対して、効果時間は15分。

 つまり、今の彼女が一度に疑似ランクアップさせられる事実上の限界人数である『4人』を、5分の間だけ超越できる。

 

「『知らぬ()に積み重なりし罪過を、怨嗟を、憎悪を、苦痛を、涙を、絶望を、今こそ汝も食らうがいい』」

「グォオオオオオオオオオッッッ!!!」

 

 邪竜が暴れる。

 フレイヤ・ファミリアへの的確な攻めを捨てて……いや、操縦者が他のことに意識を割いたがゆえに捨てざるを得ず、代わりに邪竜自身を狂化させて、肉体もブレスも滅茶苦茶に使いまくって暴れさせる。

 どうせ動きが雑になってしまうなら、とことん乱暴に。

 そんな開き直りの戦術。

 

「うっ……!?」

「なんて凶暴な……!」

「モンスターにしても品が無さすぎるニャ!」

 

 ジタバタと言うべきか、それともドッタンバッタンとでも言えばいいのか。

 膨大な魔力を注入され、推定レベル9相当の領域に至った化け物に滅茶苦茶に暴れられては、さすがのベルでも足場にできず、さっきのように跳躍して上への攻撃ができない。

 

「だったら!」

 

 その代わりに、ベルはもう一つのスキルを使った。

 レベル2になった時に発現したスキル『英雄願望(アルゴノゥト)』。

 彼の右手が光輝き、リン、リンという鈴のような音が鳴り始めた。

 力をチャージし、一度の攻撃に限って威力を跳ね上げるスキル。

 漆黒のゴライアスを葬ったスキル。

 

「グォオオオオオオオオオッッッ!!!」

 

 当然、黙ってチャージを進めさせてくれるはずもなく、邪竜の攻撃がベルを襲う。

 爪で、脚で、尾で、ブレスで。

 オラリオ最強の男達すら苦戦させた化け物の攻撃。

 ベルにこれを耐えられる道理は無い。

 

 もし、彼が一人だったのならば。

 

「『燃え尽きろ、外法の業』━━『ウィル・オ・ウィスプ』!!」

「『掛けまくも(かしこ)き、いかなるものも打ち破る我が武神(かみ)よ。

 尊き天よりの導きよ。

 卑小のこの身に巍然(ぎぜん)たる御身の神力(しんりょく)を。

 救え浄化の光、破邪の刃。

 払え平定の太刀、征伐の霊剣(れいおう)

 今ここに我が()において招来する。

 天より(いた)り、地を統べよ。神武闘征(しんぶとうせい)』━━『フツノミタマ』!!」

 

 ヴェルフの魔法がブレスを暴発させ、ずっと詠唱を進めていたミコトの魔法、強烈な重力の魔法が邪竜に降り注いで、その動きを鈍らせる。

 

「『今は遠き森の空! 無窮の夜天に(ちりば)む無限の星々! 愚かな我が声に応じ、今一度星火(せいか)の加護を!

 汝を見捨てし者に光の慈悲を! (きた)れ、さすらう風、流浪(るろう)旅人(ともがら)

 空を渡り荒野を駆け、何物よりも()く走れ! 星屑の光を宿し敵を討て!』━━『ルミノス・ウィンド』!!」

「『灰の空、消えた家、降るは黒、廃墟の雨、首なき瞳、尋ねし銅像(コリィ)

 なりや、なりや? 貴様は仔猫、迷子の車輪、私は涙、嗚咽の(しもべ)、家を問う。答えはなく。(とり)に問う。

 定かでなく。だから私は泣くのです。たった一人、家族(あなた)の背で唄うのです。どうか私を置いていかないで』」

 

 更に、豊穣の女主人の強者達も魔法を使う。

 リュー・リオンの広範囲殲滅魔法。

 そして、

 

「『レミスト・フェリス』!!」

 

 元フレイヤ・ファミリア所属、アーニャ・フローメルの怪音波の魔法。

 その真髄は異常魔法(アンチ・ステイタス)

 彼女の怪音波(歌声)を聞いた者のアビリティ、スキル、魔法、あらゆる能力を大幅に低下させる。

 敵味方問わずに巻き込む扱いの難しい魔法だが、今回に限ってはヘスティア・ファミリア、フレイヤ・ファミリア共に共闘することが決まっていたので、対策アイテムを全員が装備している。

 だが、

 

「グォオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!」

「ギニャー!? ミャーより音痴ニャー!?」

 

 邪竜の咆哮に怪音波がかき消され、思ったような効果が出なかった。

 この魔法は強烈な効果の代わりに、一度使うと半日のインターバルを必要とするため、この戦いではもう使えない。

 

「『永久(とわ)に滅ぼせ、魔の剣威をもって』━━『バーン・ダイン』!!」

「『 永伐せよ、不滅の雷将』━━『ヴァリアン・ヒルド』!!」

「らぁああああああ!!」

「「「「おおおおおお!!」」」」

 

 一方、アーニャの古巣であるフレイヤ・ファミリアの強者達は、ひたすらに我が身を盾にして、邪竜の攻撃から主神(と、ついでにオマケ達)を守り続けた。

 余波すら通してはならないというのは、恐ろしく体力気力を消耗させられる。

 ブレスが封じられ、邪竜が狂化し、ベルにも矛先が向いて攻撃が緩んだのは良いが、それ以上に自分達の消耗が激し過ぎる。

 頼みの綱のヒーラー達も、既に限界まで回復魔法を使ってしまい、マインドダウンで気絶した。

 

 食いしばった歯が砕けるほど悔しいが、自分達は攻勢に出られない。

 自分達だけでは、あの邪竜を倒せない。

 最優先すべきは、シルの姿をしたフレイヤの無事だ。

 彼らはプライドを捨てて、攻撃役(主役)をベル・クラネルに明け渡し、自分達は彼の引き立て役となることを受け入れた。

 

「『我が身に巣食う嫉妬の蛇よ、牙を剥け。

 その呪い(どく)をもって、理不尽な天秤の担い手を噛め』」

「『大きくなれ。神饌(かみ)を食らいしこの体。神に(たま)いしこの金光(こんこう)

 (つち)へと至り土へと還り、どうか貴方へ祝福を。

 ━━大きくなぁれ』!」

 

 だが、ここで完成した。

 春姫の魔法が。

 引き立て役を、一つ上のステージへと連れて行ってくれる反則(チート)級の魔法が。

 

「『ウチデノコヅチ』━━『舞い至れ』!!」

 

 春姫の背中に出現した金色の狐の尾。

 そのうちの4つが彼女のもとを離れ、フレイヤ・ファミリアの4人の上に、祝福の光となって降り注ぐ。

 【猛者(おうじゃ)】【女神の戦車(ヴァナ・フレイヤ)】【黒妖の魔剣(ダインスレイヴ)】【白妖の魔剣(ヒルドスレイブ)】。

 上へ行く資格を得たのは、全員がレベル6以上のこの4人。

 

「なんだこれは……!?」

「力が……!?」

 

 体の奥底から湧き上がってくる力に、彼らは少し困惑した。

 春姫の魔法はあまりにもデタラメ過ぎて、それが原因で古巣のファミリアには命まで狙われた。

 ゆえに、彼女の情報は徹底的に秘匿されてきた。

 

 事前情報無しの超強化。

 困惑するし混乱する。

 だが、それもほんの少しだ。

 この土壇場で、力が増すのは好都合以外のなんでもない。

 崇拝する女神をお救いできるのなら、その他の全てが些事だ。

 

「「「うぉおおおおおお!!!」」」

 

 疑似レベル7。

 オラリオ最強と同等の高みに至った三人が、凄まじい力で邪竜の攻撃を退ける。

 変わらず主神を守っているがゆえに攻勢には出られないが、もはや邪竜の攻撃は、彼らという鉄壁の守護騎士達を打ち破れない。

 

「ふぅぅぅぅ……!!」

 

 そして、勝敗の鍵を握るのは、やはりこの男。

 オラリオ最強、【猛者】オッタル。

 誰よりも強かったがゆえに、誰よりも剣を振るって消耗し切った男。

 彼は最後の力を振り絞る。

 春姫の魔法に加え、消耗が激し過ぎる自らのスキルまで上乗せし、疑似レベル9という、冒険者の歴史上最強の領域へと一時的に足を踏み入れた。

 

「ベル・クラネル、決定打はお前に託す」

「!」

 

 【猛者】はベルに向かってそう言った。

 情けなくも既に限界である我が身。

 今の自分では、異常な防御力と再生力を誇るあの邪竜を滅するほどの一撃はもう放てない。

 主神の前から動くわけにもいかない。

 ならば、崇拝する女神を守るため、すべきことは一つ。

 

「あの怪物を滅し、『英雄』になってみせろ」

「はい!!」

 

 可能性のある者に託し、自らは道を切り開くことにのみ徹する。

 最強の男に想いを託され、ベルは凄まじい高揚感を感じた。

 あの【猛者】が自分を見てくれている。期待してくれている。

 これに応えなければ男じゃない!

 

「オオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!」

 

 オッタルが剣を振るう。

 その剣撃はフレイヤを守る盾以上の戦果を叩き出す。

 彼の漆黒の大剣から飛び出した衝撃波が邪竜を打ち据え、暴虐の竜を押さえつけた。

 チャージを進めるベルには、指一本触れさせない。

 

「グォオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!」

「『許すな、許すな、許すな、許すな。

 穢れを遠ざけ、白きを守る見えざる運命(もの)よ、消え失せろ』」

「!!」

 

 そして、ベルの右手から鳴り響く音が、ゴォォン、ゴォォンという大鐘楼(グランドベル)の音に変わる。

 当時レベル2の身で、レベル5相当の力を持っていた漆黒のゴライアスを葬った時と同じ現象。

 4分。

 今のベルにできるフルチャージ。

 それが完了しようとしていた。

 

「行け!!」

 

 ブレスを封じ続けているヴェルフが叫ぶ。

 

「「ベル様!!」」

「ベル殿!!」

 

 リリ、春姫、ミコトの声も背中を押す。

 

「ベル!」

「少年!」

「白髪頭!」

 

 強力な助っ人、豊穣の女主人の人達の声も力をくれた。

 

「ああ、なんて美しい……!」

 

 そして、ベルの魂が放つ純白の輝きに、シル(フレイヤ)は衰弱した体も、このピンチも忘れて魅入る。

 そんな女神の様子を感じて、オッタルもまた微笑みを浮かべた。

 

「ハァアアアア!!!」

 

 チャージを終えたベルが跳ぶ。

 誰よりも速く、誰よりも高く飛躍する。

 

 

「『聖火の英斬(アルゴ・ウェスタ)』!!!」

 

 

 彼の振るう神の刃(ヘスティア・ナイフ)が、聖火のごとき炎を纏った。

 それを見て、女神は確信した。

 フレイヤが彼にかけた期待は間違っていなかった。

 彼女が事故を装って渡した魔導書(グリモア)によって発現した魔法を、こうも英雄的に昇華させた。

 シルバーバックをけしかけ、片角のミノタウロスをけしかけ、ベルの試練を演出した。

 フレイヤが用意した試練も、それ以外の数多くの試練も乗り越えて、『英雄』ベル・クラネルはこんなにも強く……!

 

「あああああああああ!!!」

「グギャアアアアアアアアアアアアッッッ!!!!????」

 

 『英雄願望(アルゴノゥト)』フルチャージによる炎の斬撃が、邪竜の胸部に直撃した。

 英雄の一撃は、邪竜の内側で暴れ回る膨大な魔力が肉体を破壊し、修復されるまでの瞬きの間をピンポイントに捉えて━━ギリギリ邪竜の魔石にまで届いた。

 

「カッ……!?」

 

 魔石を失い、邪竜ニーズホッグが灰となって崩れ落ちる。

 その英雄的な光景に、誰もが目を奪われた。

 あの【猛者】ですら、新たな英雄の輝きに魅せられて、ベル・クラネルに目を奪われて、ほんの僅かに『敵』を見るための目をベルに向けてしまった。

 ……その、瞬間。

 

「『代償は既に支払われた。

 天秤を正し、奪われし幸福を、(かたよ)りし幸運(あい)を、今こそ(ゼロ)に』」

 

 完成してしまった。

 狂化したニーズホッグに対する『頭を下げるな』『ブレスを撃ち続けろ』『私を守れ』というような最低限の命令・制御と同時進行で進め、未熟な並行詠唱のせいで時間がかかってしまった詠唱が。

 呪いが、放たれる。

 

「『ヘスティアー・フェアリーレン』」

「「「!?」」」

 

 黒い炎があたり一帯を覆い尽くす。

 凄まじい魔力と禍々しさを感じるのに、熱くも痛くも苦しくもない黒炎。

 再びあの嫌な感覚を味わうベル以外にとっては、壮大な目眩まし以上の意味を持たない呪詛。

 フレイヤ・ファミリアや豊穣の女主人の強者達は、即座にこれを吹き飛ばそうとしたが、彼らには一切干渉しない黒炎は、逆に彼らからの干渉も一切受けつけない。

 強者達は、対応を誤った。

 

「……………………………………え?」

 

 そして、黒炎が晴れた時、彼らは見た。

 あってはならない光景を見た。

 

 シル・フローヴァが、クノッソスの壁に叩きつけられている。

 

 敵は黒炎に紛れながら接近して、彼女の護衛についていた疑似レベル7達の間をすり抜け、一瞬にしてシルを攫った。

 絶対に失ってはいけない『キング』に手をかけてしまった。

 超硬金属(アダマンタイト)の壁に超速で叩きつけられたシルは、当然ながら体がグチャグチャになっており、敵はその場から即座に離れる。

 そして……。

 

 ━━天に向かって光の柱が立ち登った。

 

 神の送還。

 下界にて致命傷を負った神は、死を避けるために自動的に『神の力(アルカナム)』を使ってしまう。

 結果、下界でのルールに違反して、天界へと強制送還させられる。

 その神は、二度と下界に戻ってくることはできない。

 つまり、この瞬間━━オラリオ最強のフレイヤ・ファミリアは壊滅した。

 

「なっ!?」

「フ、フレイヤ様ぁ!?」

 

 残党達が混乱し、狂乱する。

 崇拝する神の消失。

 恩恵が消え、自身の能力が一般人に戻ってしまったことよりも、そちらの方が遥かに耐え難い。

 

「ゴホッ! ゴホッ! あーあ、やっちゃった。本当はもっと凝った殺し方するつもりだったのに」

 

 神殺しを成した少女が、今の一瞬のために使ってしまった切り札の反動ダメージをどうにか癒やしながら、残念そうにそう呟く。

 ……そんなリアクションをしていいことではないはずだ。

 神殺しは大罪である。

 邪竜にやらせたならまだしも、直接的に手を下すなど、来世以降の悲惨な運命が決定づけられるほどの大罪。

 なのに、彼女が思うのは、殺すシチュエーションを変更せざるを得なかったことへの後悔のみ。

 

「き、さま……貴様ぁあああああ!!!」

 

 崇拝する神を殺されて、フレイヤ・ファミリア残党が凄まじい形相を浮かべながら襲ってくる。

 遅い。悲しいほどに遅い。

 恩恵が消えてしまえば、最強の冒険者達も、無辜の民衆と大して変わらない。

 

「『ファイアボルト』」

「「「ぎゃあああああああああ!?」」」

 

 そんな彼らを、少女は連射される炎の矢で焼き殺した。

 【猛者】も【女神の戦車(ヴァナ・フレイヤ)】も【黒妖の魔剣(ダインスレイヴ)】も【白妖の魔剣(ヒルドスレイブ)】も【炎金の四戦士(ブリンガル)】も、こうなってしまっては意味の無い、滑稽なだけの称号だ。

 

「……残念です。本当に残念ですよ、フレイヤ・ファミリア。

 あんな偽りの光に惑わされて、ベルに目を奪われて、私を見なくなった。

 そのせいで、黒炎に紛れた最高速の奇襲に対応できなかった。

 自分達だけで戦っていれば、こんなバカみたいなミスは絶対にしなかったのに」

 

 ()最強達を蹂躙しなから、少女は本当に残念そうにため息をつく。

 命を大幅に削って叩き出す彼女の最高速度は、元フレイヤ・ファミリア団長が目で追うことすらできなかった神速だ。

 そんな切り札を持つ彼女を前に、ほんの僅かであろうと気を緩めるなんて言語道断。

 なのに、何故こんなことになってしまったのか?

 

 第一に、周辺一帯を覆い尽くした黒炎に視界を塞がれたこと。

 更に、彼らは呪いの黒炎を『黒いミノタウロスを葬った攻撃』だと認識していたため、間違ったタイミングで、間違った対処をしてしまったこと。

 あれで一手を無駄にした。超スピード相手には致命的な一手を。

 そして何より、ベル・クラネルの光に目が眩んで、『英雄譚の見届け人』という役割を運命に押しつけられて、ほんの僅かでも思考がそちらへ割かれたこと。

 光と闇の両方に惑わされて、最強の冒険者達は散ったのだ。

 

「やめろ……やめろぉおおおおお!!!」

 

 そして、残されたまだ戦える者達。

 豊穣の女主人の店員達が、混乱を振り払って飛びかかってきた。

 ベルの一撃を最後に、ちょうどピッタリ春姫の魔法の効果時間が切れたので、レベル5以上はいない。

 レベル4が数人……それだけでも充分に脅威だ。

 

「……さすがに、あなた達の相手をする余裕は無いですね」

 

 さっきの無茶で、再生が更に遅くなった。

 恐らく、次に切り札を使えば限界がくる。

 本当に、これ以上の強敵を相手にしている余裕は無い。

 

 幸い、彼女達はフレイヤ・ファミリア残党を庇っていて動きが鈍い。

 ここは退場(・・)してもらおう。

 

 少女は懐から、球体の魔道具を取り出した。

 クノッソスの仕掛けを自在に操る鍵『ダイダロス・オーブ』。

 それによって、地面がパカリと開く。

 同時に、その上を覆っていた緑肉も、波が引くように退かされた。

 

「「「!?」」」

 

 落とし穴。

 なんとも原始的なトラップだが、フロアの大部分の床が一度に無くなれば、対処できる者はまずいない。

 ニーズホッグの大暴れで床も大分ボロボロになっていたのだが、仕掛けが無事な部分に彼女達がいてくれて助かった。

 向こうばかりをエコヒイキする『幸運』が消え失せ、ようやくこちらに運が向いてきた。

 

 全員が下のフロアに落ちていく。

 この階層に残れたのは、いや残されたのは、触手のようにうねる緑肉に捕まった者達だけ。

 

「なっ!?」

「ぬぉ!?」

「きゃ!?」

「うっ!?」

「ひっ!?」

「…………!」

「!? 皆!?」

 

 少女が激痛を堪えながら操作した緑肉の触手は、自分自身とヘスティア・ファミリアの五人、それとウィーネとエイナだけを正確に捕らえた。

 

「ベル!!」

「リューさん!?」

 

 そして、触手が彼らを引き上げると同時に、床が閉じた。

 この下は広間ではなく通路だ。

 ニーズホッグがこの戦いでぶち抜いた無数の穴に、落ちた場所からでは行くことができない。

 【猛者】のような超硬金属(アダマンタイト)を破壊できるほどの強者がいれば話は別だが、いなくなってしまったので、もう彼女達がここに戻ってくることは叶わない。

 それどころか、クノッソスから脱出できるかも怪しい。

 掘り進められていた侵入経路まで辿り着ければワンチャンといったところか。

 

「ッッ!?」

 

 そして、そちらを心配する余裕のある者もいない。

 緑肉の触手はピンと一直線に伸び、緑肉の柱となった。

 それに捕らわれた者達は、肉の中に埋め込むようにして拘束された。

 その拘束を引きちぎれたのは、レベル4のベルのみ。

 時間経過で春姫の魔法も解けてしまった今、レベル2以下の力しか持たない他の仲間達に、邪竜が使い残した潤沢な魔力を含む緑肉の拘束をどうにかする術は無い。

 

「今助け……」

「『ファイアボルト』」

「ッ!?」

 

 一人だけ拘束を引きちぎったベルは、当然仲間達を助けるべく走ったが。

 少女に炎の矢を連続で撃ち込まれ、それを避けるために後退させられた。

 緑肉の柱とベルの間に、少女が立ち塞がる。

 ベル・クラネルとの一対一。

 ついに、ついに望んでいた状況を作り出せた。

 

「……ようやく、ようやくこの時が来た。

 長かった。本当に長く感じた。

 こうやって向き合える日を、本当に本当に本当に本当に楽しみにしてたんだ……!」

 

 そうして……少女は被っていたフードを取り払った。

 美しい金の髪に、宝石のような紅の瞳、中途半端に長い耳。

 背丈に違わぬ幼い顔立ちの少女に、ベルは凄まじく見覚えがある。

 

「スピネル、さん……!?」

「そうだよ。やっとまた会えたね、ベル」

 

 ニッコリと嗤うスピネルに、死んだと思っていた歳下の先輩の姿に。

 ベルはただただ呆然とするしかなかった。




敗因
「さすがです、ベル様!」「見事だ、ベル・クラネル」的なリアクション。

幸運さん「\(^o^)/オワタ」


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32 悪夢の再会

警告。
ここから先は幸運さんが匙を投げるほどの、マジの地獄になります。
スピネルちゃんの憎悪が、作者(わたし)の想定すら超えて膨れ上がってしまった……。
幸運さんと同じく、私にも登場人物の思考を極端に歪めることはできないので、スピネルちゃんはもう止まりません。
覚悟のある奴だけついてこい!


「おい、スピネルって……」

「ヘスティア様の、最初の眷族……!?」

「ま、間違いありません……! 前に会った時と同じ顔です……!」

「そんな!? どうして!?」

 

 肉の柱に磔にされたヘスティア・ファミリアの団員達が、ベルの呟いたスピネルという名前を聞いて混乱した。

 同じく磔にされたウィーネは彼女を知らないので困惑し、エイナはとうとうこうなってしまったと絶望に満ちた顔をする。

 

「なんで……。え? なんで? スピネルさんが、敵……!?」

 

 アステリオスを殺し、ベルを焼いたのも。

 シルとエイナを攫ったのも。

 ウィーネを囚えたのも。

 竈火の館を吹き飛ばしたのも。

 フレイヤ・ファミリアを壊滅させてしまったのも。

 全部、スピネル。

 

 脳の処理が追いつかない。

 シルが光の柱になって、つまり彼女が神様だったことすら仰天ものなのだ。

 キャパオーバーなんてレベルではない。

 

「どうして……? どうして、こんなことを!?」

「君とこうして向き合うためだよ」

「!? い、意味がわかりません!?」

 

 本当に、意味がわからない。

 なんで、自分と向き合うことが、こんな悪夢のような状況を作ることに繋がるんだ。

 意味がわからない。

 わけがわからない。

 

「そうだね。まあ、一応説明はしてあげようか。腐っても先輩だし」

 

 皮肉しか籠もっていない言葉。

 けれど、何も知らないまま殺すなんてダメだ。

 だから、スピネルは説明を始めた。

 どうせ理解できないだろうけど。

 

「私はね、ベルのことが嫌いなんだ」

「!」

「本当に本当に、ヘドが出るほど、吐き気がするほど、殺したくて殺したくて仕方ないほど嫌いなんだよ」

「ッ!? な、なんで……!?」

 

 思わずそんな言葉が出てきてしまった。

 これまで、人に愛される人生を送ってきたベル・クラネル。

 人に嫌われることもあったが、身近な人達はいつも自分を愛してくれた。

 祖父、ヘスティア、ファミリアの仲間達。

 エイナやウィーネ、豊穣の女主人の人達に、仲の良いファミリアの先輩冒険者達。

 

 彼は愛に満ちた人生を送っている。

 穢れの無い透明な魂を持つ少年。

 だからこそ、身近な存在であったスピネルに殺気の籠もった目を向けられているという事実を、すぐには飲み込めなかった。

 

「君は私からヘスティア様の関心を奪った。ズルしてステイタスを上げて、あの(ひと)の視線を奪った。

 君が変な成長を始めてから、ヘスティア様は私のことを『凄い』って言ってくれなくなったんだ。

 私にはヘスティア様しかいなかったのに、そのヘスティア様に褒められることだけが存在意義だったのに。

 ……自分の存在理由がどんどんわからなくなっていく感覚。

 それがどれだけ辛かったか、どれだけ苦しかったか、きっと君にはわからないんだろうね」

 

 忌々しいものを見る目で、スピネルはベルを睨む。

 怖気が走るような視線に、ベルは身を震わせるしかなかった。

 彼女の怒りに満ちた目が、恨みに満ちた声が、どんな怪物よりも恐ろしい。

 

「ヘスティア様にまた褒めてほしくて、私は無茶をした。

 頑張って、頑張って、頑張って、強くなろうとした。

 なのに、ベルには全然追いつけなかった。

 私が寝る間も惜しんでダンジョンに行って、毎日毎日死にかけてる間、ベルはサポーターを見つけただの、そのサポーターの事情がどうだの、戦い以外のことに頭と労力を使ってたのに。

 ねえ、おかしいと思わない? 恩恵は経験値を溜め込んで力に変えてくれる。

 なのに、私の数百分の1しか戦いの経験を積んでないはずのベルが、なんで私の数百倍のスピードで強くなるの?

 おかしいでしょ? おかしいよね? どんなズルを使ったの? どんな卑怯な手を使ったの?」

「ぼ、僕は、ズルなんて……」

 

 糾弾するような目で見られ、ベルは気圧されて一歩後ろに下がってしまった。

 

「おい、ちょっと待て! つまり、あれか! お前がこんなことした理由は、ただの嫉妬ってことか!?」

「そうだよ」

 

 そこで口を挟んできたヴェルフの言葉を、スピネルは肯定した。

 その瞬間、ヴェルフは頭に血が上るのを感じた。

 嫉妬? そんなことで、ここまでのことをやらかしたのか?

 エイナやウィーネを攫い、シルを殺し、フレイヤ・ファミリアすら壊滅させて……。

 

「ッッ!! ふざけ……」

「あなたにはわからないよ、ヴェルフ・クロッゾ。

 『クロッゾの魔剣』の唯一の継承者。

 嫉妬する側じゃなくて、される側のあなたには」

「!?」

 

 その言葉に、ヴェルフは押し黙った。

 偏執的なまでに、ベル・クラネル周辺の人物の情報は調べた。

 ヴェルフ・クロッゾ。

 強力な武器である『魔剣』の中でも、特に別格の代物と呼ばれる『クロッゾの魔剣』。

 没落し、それを造れなくなってしまった一族の中で、なんの因果か、唯一クロッゾの魔剣を造る能力を継承した男こそが彼。

 

 良くも悪くも、特別な才能に恵まれた人間。

 自分だけの役割がある、ベルの劣化にならなくて済んだ人間。

 スキルも魔法も無い、ランクアップの見込みも無い、特別を何一つ持たなかったがゆえに苦しみ抜いたスピネルとは、根本的なところが違い過ぎる。

 

「良いよね。特別な何かを持つ人は。私も何か、私にしかできない特別なことの一つでもあれば、ベルに負けてもここまで苦しむことは無かったかもしれないのに」

 

 彼女は寂しそうにそう呟いた。

 どうあがいてもベルの超下位互換。

 自分より遥かに薄い努力しかしていないベルに、必死に積み上げてきた自分の力を、役割を全てを奪われる気持ち。

 努力という自分のアイデンティティをこれでもかと否定され、踏みにじられる気持ち。

 それを味わわなくて済むヴェルフが、心の底から羨ましい。

 

「ヴェ、ヴェルフ様にはわからなくても、リリにはわかります! リリもずっと冒険者に嫉妬してきました!」

 

 ここでヴェルフに代わって口を開いたのは、リリルカ・アーデ。

 ついこの前までレベル1で、荷物持ちが精一杯だったサポーター。

 

「リリは小人族(パルゥム)です! 劣等種族と蔑まれる種族で、フィン様のような才覚もありません!

 昔いたファミリアでは、どうやっても追いつけない冒険者達に搾取され続けてきました!」

 

 その言葉に嘘は無い。

 スピネルは彼女の情報も集めた。

 元ソーマ・ファミリア所属。

 主神が作る依存性の高すぎる神の酒、それを買うためなら、その金を稼ぐためなら手段を選ばない、闇派閥寄りとまで言われたロクデモナイ派閥の出身。

 その中でどうあがいても強くなれない、才能の無いサポーター。

 確かに、少しはスピネルと境遇が似ている。

 

「だから、嫉妬を抱く気持ちも、劣等感を抱える気持ちも、よくわかるんです!

 あなたの気持ちはわかります! わかりますが……それをベル様にぶつけるのは間違いです! ベル様は何も悪くない!!」

 

 涙目でそう叫ぶリリルカ・アーデ。

 ああ、彼女の言う通りだろう。

 普通に考えれば、ベル・クラネルは別に悪くない。

 彼は自分の才能を活かして努力してきただけ。

 そして、得た力でリリルカのような子を救ってきた。

 彼女からすれば正義の英雄(ヒーロー)だろう。

 そんなヒーローに当たり散らすスピネルは、ただの逆ギレした悪役だろう。

 そんなことはわかっている。

 わかっているからこそ、

 

「あなたと一緒にしないでよ、リリルカ・アーデ」

 

 リリルカは、何もわかっていない。

 

「あなたはベルに救われたんでしょ? そのまま幸せに笑ってるんでしょ?

 そこまでは昔の私と同じだよ。

 辛いことと、痛いことと、苦しいことしかない人生から逃げ出して、逃げた先でヘスティア様に助けてもらえた。

 人生で初めて幸せを感じた」

 

 スピネルの唯一の救い。

 リリがベルに救われたように、スピネルはヘスティアに救われた。

 そして、

 

「その人生唯一の幸せが、ベルのせいで壊れた。

 嫉妬に狂って、劣等感に焼かれて、ヘスティア様が言ってくれた努力(スピネル)を全否定されて。

 必死に積み上げてきたものは、どうあがいても反則野郎のベルの劣化にしかならない。

 役割を全部取られる。圧倒的に上回られる。

 それが苦しくて、苦しくて、いつからかヘスティア様の愛情すら上手く受け取れなくなった。

 ベルさえいなければって、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も思ったよ」

 

 脳裏から離れない鮮明な苦しみに、スピネルは胸を掻きむしった。

 肉が抉れて骨が裂け、血が服を真っ赤に染めるほどに。

 そんな光景を見せられて、リリは息を呑む。

 

「幸せを与えられたあなたと、幸せを与えられた後に奪われた私じゃまるで違う。

 正しいとか間違ってるとかじゃない。

 『苦しい』んだよ。

 どうしようもなくベルのことが憎くて、憎くて、憎すぎて、頭と心がおかしくなるくらい苦しいんだよ。

 この苦しみをどうにかしないと、他に何もできなくなるくらい苦しいんだよ」

「ッ……!?」

 

 涙と狂気を滲ませたスピネルの眼に見据えられて、リリは息が詰まって、怖気が走って、何も言えなくなってしまった。

 かつての自分も抱えていた苦しみを何十倍、いや何百倍にも何千倍にも膨れ上がらせたような苦痛。

 ドロドロに煮込まれたそれが、こんな小さな少女の瞳に宿っていた。

 一人の人間を壊して、狂わせて、暴走させて余りあるほどの絶望が。

 

「ああ、そうだ。ここでベルを殺すから、そうしたらあなたにもきっとわかるよ。

 唯一の救いを奪われる苦しみが。

 まあ、ベルよりあなたの方が先に死んでると思うけど」

「「「ッ!?」」」

 

 その言葉に、リリだけでなく、この場の全員が戦慄した。

 ベルを殺す。

 その前にリリも死ぬ。

 この壊れた少女なら必ずやると、確信できてしまったから。

 

「じゃあ、やろうか、ベル。殺すから、頑張って抵抗してね」

「や、やめてください、スピネルさん!? か、神様だって、こんなこと絶対に望まない!!」

「……そうだろうね。ヘスティア様には本当に、心の底から悪いと思ってるよ。

 でも、しょうがないんだ。私に火をつけたベルが悪いんだから。

 私が全てを踏みにじられたように、君の全てを踏みにじって、全否定して、私と同じように苦痛と絶望の中で殺さないと、熱くて熱くて、苦しくて苦しくて堪らない私の中の黒い炎が、消えてくれないんだよ!!」

「!?」

 

 黒曜石のようなナイフを構え、スピネルが飛びかかってくる。

 彼女はベルとの戦いでは命を削る全力を出すつもりがなく、その身体能力はレベル4相当。

 時間経過で春姫の魔法が解けたベルと、決定的なまでの差は無い。

 つまり、ステイタス以外の要素が勝敗を分ける。

 

「『ファイアボルト』!!」

「うっ……!?」

 

 スピネルの魔法モドキがベルを襲う。

 相当練習したんだろう、正確な射撃。

 一発目をあえて避けさせ、避けたところに二発目、三発目が飛んでくる。

 だが、それ以上に、

 

「そ、その腕……!?」

 

 戦闘開始に伴い、スピネルが脱ぎ捨てたローブの下から出てきた彼女の腕に、ベルは驚愕してしまった。

 

「これ? 苦労の跡だよ。君の魔法とスキルを再現するのは大変だった!」

 

 『対価』と『代償』を支払い、穢れた精霊に刻んでもらった、神性を貸し出す加護を含んだ恩恵モドキ。

 その容量の全てを呪詛と命削りの限界突破に持っていかれたスピネルが、それでも欲して手に入れた魔法モドキ。

 炎の矢を撃っていた彼女の両腕は……鱗、毛皮、羽根、岩石のようなものが緑色の肉の繋ぎ目で強引にくっつけられ、両肩には魔石が埋め込まれ、掌には小さな口が付いた異形の姿に成り果てていた。

 

 ヴァルガング・ドラゴン、ヘルハウンド、ファイアーバード、フレイムロック。

 ダンジョンに出現する炎を使うモンスター達の素材を、緑肉を接着剤にして、自分の腕と合成させたもの。

 ベルの使う『ファイアボルト』と似た形の炎が出せるようになるまで、それをチャージして放てるようになるまで、大分試行錯誤した。

 自分の腕をグチャグチャに弄り回すのは痛かった。

 そんな思いをしてまで、こんなことをした理由は、ただ一つ。

 

「ハッ!」

「!?」

 

 スピネルの左腕が歪に膨らんでいく。

 まるでベルの『英雄願望(アルゴノゥト)』によるチャージ。

 あれを思いっきり悍ましくしたら、こうなりそうだ。

 

「『燃え尽きろ、外法の……うぐっ!?」 

 

 ヤバいと見てヴェルフが横槍を入れようとしたが、彼を磔にしている緑肉が口を押さえつけてきた。

 邪魔は許されない。

 

「『ファイアボルト』!!」

「うわっ!?」

 

 チャージによって強化された炎の矢、爆炎の砲撃がベルを襲う。

 自慢のスピードでどうにか避けるも、地面に当たって炸裂した余波を食らっただけで体勢が崩れる。

 そこへスピネルが踊りかかった。

 

「フッ!」

「ぐっ……!?」

 

 スピネルの振るうナイフを、ベルもまたナイフで防ぐ。

 力でも反則(チート)スキルでアビリティを限界突破させ続けてきたベルが上。

 しかし、決定的なまでの差は無いため、崩れた体勢では完璧な防御はできず、スピネルの一撃を食らって更によろめいたところで、足を引っ掛けられた。

 そのままベルは地面に倒れ、スピネルに思いっきり胸を踏みつけられる。

 

「かはっ!?」

「動きが鈍いね。そりゃそうだ。混乱してるし、闘志も上手く燃やせてないんだから」

 

 彼女はそう言って……パチンと指を鳴らした。

 

「だから、やる気を出させてあげるよ」

「あ、ぎゃあああああああああああああ!?」

「ッ!? ウィ、ウィーネ!?」

 

 その時、ウィーネを埋め込んで磔にしていた緑肉の柱が、彼女を圧縮し始めた。

 バキボキと、彼女の体が潰されて、へし折れて、壊れていく音が響き渡る。

 

「ウィーネ!?」

「ウィーネ様ぁ!?」

「そ、そんな……!?」

「やめてぇええええ!!」

 

 他の仲間達も悲鳴を上げる。

 彼らが何もできないまま、『幸運』にも都合良く助けなんて来ないまま……。

 

「あ……」

 

 ウィーネは、ブチュッと音を立てて、もの言わぬ肉塊へと成り果てた。

 

「…………………え?」

 

 滅茶苦茶な体にされて、光を失ったウィーネの虚ろな目。

 その光景が信じられなくて、理解できなくて、誰もが絶句するしかなかった。

 

「頑張って私を倒さないと、こうして一人ずつ殺していくよ」

「ッ!?」

 

 絶望するベルに、スピネルは嗤いながらそう告げる。

 

「守ってみなよ。助けてみなよ。『英雄』になりたいんでしょ?」

「ぐぁ!?」

「あぐぅぅぅ!?」

「ぎっ!?」

「ああああああああああ!?」

「皆ぁ!?」

 

 他の磔にされた仲間達にも少しずつ圧力がかけられていき、体が変形していく。

 

「う、うわぁああああああああ!!」

「えい」

「がはっ!?」

 

 踏みつけてくるスピネルの足を渾身の力で押し返し、彼らを助けに走ったベルは、完全に起き上がる前にスピネルに蹴り飛ばされた。

 

「私を倒さなきゃ助けには行けない。さあ、頑張れ頑張れ、ベル☆ 英雄なら苦難に立ち向かわなきゃ☆」

「あ、ああああああああああ!!」

 

 ベルは絶望の叫びを上げながら、スピネルに向かってきた。

 得物は同じナイフ。

 魔法とスキルも無理矢理再現したし、ステイタスも同レベル帯。

 絶望に心が悲鳴を上げているのも同じ。

 

 運命にお膳立てされてここまで来た者と、穢れた精霊の駒の一つとして配置される形で舞台を与えられた者。

 どっちも同じ操り人形で、ズルい反則をした者(チート野郎)

 そして、彼を守っていた最強最悪のクソチートにしてバランスブレイカーである『幸運』は一時的に燃え尽きた。

 

 ここまでやって、ようやく条件はほぼ互角。

 なら、ここから先の勝敗を分けるものこそ、反則によらない本人の値打ちだ。

 ようやく……ようやく、イカサマをイカサマで相殺して、本当の『ベル・クラネル』との真っ向勝負ができる。

 これが、これこそがスピネルの望んでいた状況。

 

「来なよ、ベル。君を完全否定してあげる♪」

 

 三日月のように唇を吊り上げて、穢れた半妖精はベル・クラネルを迎え撃った。




スピネル
Lv.000

力:000
耐久:000
器用:000
敏捷:000
魔力:000

【呪詛】

・『ヘスティアー・フェアリーレン』
ベル・クラネルの『幸運』を抹消する。

【スキル】

・『人怪融合(モンストルム・ユニオン)
異種混合(ハイブリッド)超越界律(ネオ・イレギュラー)神理崩壊(ステイタス・バグ)穢霊侵食(アニマ・イロージョン)

・『穢霊加護(スピリット・カース)
対価と代償を引き換えに、穢れた精霊の加護と神性を得る。

・『幸福焼失(ヘスティアー・フェアリーレン)
ベル・クラネルの『幸運』による影響を遮断する。
精神的苦痛の忘却不可。
精神崩壊加速。
憎悪が鎮火するまで効果持続。

・『命削代償(リミット・ブレイク)
任意発動(アクティブ・トリガー)
命を大幅に削り、一瞬だけ全アビリティに超々々補正。
全開時には全ステイタス倍増。
魔石捕食(パワーアップ)の度に寿命減少。


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33 完全否定

苦しい。辛い。
わかってる。
こんなことをしても意味なんて無い。どうしようもないってことくらい。
それでも、骨の髄まで焼いてくる炎が熱くて熱くて、苦しくて苦しくて、のたうち回らずにいることなんてできない。
壊れてしまうようなこの痛みを、頭がおかしくなるようなこの苦しみを、きっとあなたはわからない。


「あああああああああ!!」

 

 絶望に満ちた顔で、ベル・クラネルがナイフを振るう。

 助けなきゃ。

 助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ。

 彼の頭にあるのはそれだけだ。

 そのために、立ち塞がるスピネルを突破するべくナイフを振るう。

 しかし……。

 

「弱い」

「がっ!?」

 

 全て避けられ、防がれ、受け流され。

 反撃がベルの体に突き刺さる。

 牽制に振るったナイフを避けて、スピネルは前に踏み込みながら、ナイフではなく拳を使って、ベルの顔をクロスカウンターのような形で殴って吹き飛ばした。

 回避と攻撃を同時に行う動き。

 かつて、彼女がベルに教えた動き。

 

「ッ……! 『ファイアボルト』ォォ!!」

「『ファイアボルト』」

 

 殴り飛ばされて距離が開いた場所から放った炎の矢を、同じく炎の矢で相殺される。

 飛び散った炎を目眩ましにして仲間達のもとへ走ろうとすれば、瞬時に後ろに下がって視野を確保したスピネルに捕捉され、魔法を撃ち込まれながら接近される。

 

「それ」

「ぐぅ!?」

 

 回避も迎撃もし切れなかった魔法に体勢を崩され、接近してきたスピネルに腹を思いっきり蹴られた。

 吹き飛ばされて地面を転がり、苦しむ仲間達のところから遠ざけられる。

 

「まだ闘志を燃やせてない。戦おうとしてない。早く本気を出した方が良いよ」

「スピ、ネル、ちゃん……」

「ッ!? エイナさん!?」

 

 そうこうしている間に、人質の中で唯一恩恵を持たないエイナが限界を迎えた。

 お世話になったことへのせめてものお返しとして、彼女だけは苦しまないように、特殊な毒で意識を朦朧とさせて痛覚を切っていた。

 そんなエイナが、終わる。

 

「ご、めん、ね……」

 

 最後まで救えなかった子への後悔と罪悪感を抱えながら、エイナ・チュールは逝った。

 

「あ、あああああああああああ!!!」

「……ごめんね、エイナさん。でも、おかげでベルが少しやる気になったよ」

 

 滂沱の涙を流しながら突撃してくるベル。

 スピネルを倒さなければ皆死んでしまうと、ようやく理解したのか。

 さっきまでのような、どうにか彼女を躱して仲間達のところへ走ろうとする動きではなく、スピネルを倒しにきている動きだ。

 ……だが。

 

「はぁ……。やっぱりね。さっきより弱くなった」

「ごはっ!?」

 

 ベルの振るうへなちょこナイフを避け、反撃の拳が彼の鳩尾を貫いた。

 

「私を傷つける覚悟ができてない。そんな手抜き同然の攻撃、怖くもなんともないよ」

「あ、嫌……!? 嫌ぁあああああ!?」

「春姫さんッッッ!!!」

 

 そうして、次は唯一のレベル1である春姫が限界を迎えた。

 グチャ、バキッ、プチュッ。

 そんな音を立てて、彼女もまたもの言わぬ肉塊へと変ずる。

 

「ほら、見なよ、ベル」

「あ、あ……」

 

 鳩尾を強打されて蹲るベルの髪を掴んで顔を上げさせ、春姫だったものを直視させる。

 彼は真っ青を通り越して土気色になった顔で、カタカタと震えていた。

 

「ベルが覚悟を決められなかったから、中途半端なことをしたから、エイナさんもあの人も死んだんだよ」

「僕の、せい……!?」

「そうだよ。女の子を助けられないなんて『英雄』失格だね。……さて、残り三人だ」

「ッッッ!!」

 

 残った三人。

 ヴェルフ、リリルカ、ミコトの体も、徐々に壊されていっている。

 三人ともレベル2だからこそエイナや春姫よりは耐えているが、それも時間の問題だ。

 

「う、うううううううう!!!」

 

 掴まれた髪を引きちぎりながら脱出し、ベルは今度こそ、本当の意味でスピネルに刃を向けた。

 彼女を、倒す。

 大怪我を負わせてでも動きを止めて、その隙に皆を!

 

「あああああああああああ!!!」

 

 ベルは走った。

 自慢のスピードでスピネルに突撃する。

 

「『ファイアボルト』!!」

 

 牽制に炎の矢を飛ばす。

 

「『ファイアボルト』」

 

 当然のように、スピネルはまたしても同じ技で相殺。

 ベルは炸裂する炎を目眩ましに、今度は炎を突っ切ってスピネルに接近した。

 彼女の足を狙ってナイフを振るう。

 

「!?」

 

 しかし、振るった腕はスピネルに掴まれて、彼女はそのまま回転してベルに背中をつける。

 腰を落とし、身長の低さを活かし、ベル自身のスピードを逆に利用して、スピネルはベルに綺麗な背負い投げを食らわせた。

 

「うぐっ!?」

「『ファイアボルト』」

「ッ〜〜〜〜〜!?」

 

 投げられて地面に叩きつけられたところで、顔を掴まれてゼロ距離で炎の矢を叩き込まれた。

 顔が抉れて焼ける。

 

「アハッ! 可愛くなったね♪」

「う、ぁ……」

 

 痛い痛い痛い。

 熱い熱い熱い。

 『耐久』のアビリティも高いからこそ、顔面が吹き飛んだりはしていないが、鼻から下が大火傷。

 傷が残ったりしたら、もう外見に関係なく愛してくれる女の子以外は振り向いてくれないだろう。

 

「ほら、まだまだ踊れるでしょ?」

「がふっ!?」

 

 顔を押さえて蹲っていたところで、脇腹を蹴り飛ばされて、吹き飛ばされた。

 またしても距離が開く。

 

「それにしても弱いなぁ。私程度に良いようにやられるなんて、『幸運』が無ければこの程度なんだね」

 

 スピネルは本当に嬉しそうに嗤った。

 ようやくだ。

 ずっとずっと声を大にして言いたかったこと、証明したかったことを証明できる。

 

「せめて殺す気で来なよ。そうじゃないと私は倒せないよ?

 仮に大ダメージを与えられたとしても……この通り」

「!?」

 

 スピネルはナイフで自分の首を斬り裂いた。

 噴水のように血を噴き出した血管が、肉が、皮が、回復魔法もポーションも無しに治っていく。

 この程度なら、まだ普通に直せる。

 

「私はもう人間じゃないんだ。今の私は人間と怪物の混合種『怪人(クリーチャー)』。

 高位のモンスターと同じで、この胸の中に埋まってる魔石を砕かない限り再生する」

 

 薄い胸の中心を指でトントンと叩きながら、彼女はそう言う。

 

「そして、君がまた中途半端なことしたから、残り二人だ」

「ご、ぇ……!?」

「ミコトさん!!!」

 

 【絶†影】ヤマト・(ミコト)がミンチになった。

 彼女のステイタスは残り三人の中では最も高かったが、前に偵察した時に見た感じ、ベルに対して気があるような様子も無かったし、重要度が低そうだからリリルカとヴェルフの前に退場してもらった。

 

「くっ、そ……!?」

「ベル、様……!」

「! あ、あああああああああ!!!」

 

 残ったヴェルフとリリルカの苦悶に満ちた、助けを求めるような声を聞いて、ようやくベル・クラネルは遅すぎる決断を下した。

 なんとしても二人を助ける。

 スピネルを、殺してでも……。

 

『ごめん……! ごめんよ、スピネルくん……!』

 

 その時、ベルの脳裏にヘスティアの姿が過った。

 彼女はよく廃教会にあるスピネルの墓に行って、泣きながら謝っていた。

 

『ボクが……! ボクがバカだったから……! どうしようもなくバカだったから……! 君を……!』

 

 ベル達に隠れて行っていた墓参りを、偶然見てしまった時の記憶。

 それだけじゃない。

 ベル自身の中にもある、目の前の少女との思い出。

 ダンジョンの基礎を、戦い方の基礎を教えてくれた、ツンケンしていたけど優しかった小さな先輩の記憶が、振るうナイフの刃先を致命的なまでに鈍らせる。

 

「0点」

「あ……」

 

 スピネルのナイフが、ベルの左腕を斬り裂いた。

 鎧の無い部分を正確に狙い、ベル・クラネルの左腕は二の腕のあたりから切断されて、地面に落ちた。

 

「あ、あああああああ!!?」

 

 痛い痛い痛い痛い痛い!

 少し前の戦いでも腕を斬り飛ばされたことはあったが、何度経験しても痛いものは痛い。

 

「情けないなぁ。みっともないなぁ。

 私を殺す覚悟が持てないから、穢れと痛みを背負って前に進む覚悟が無いから、腕も仲間も失うんだ」

 

 スピネルは楽しそうに嗤う。

 ああ、心が洗われるようだ。

 ベルの悲痛な声を聞けば聞くほど、我が身を焦がすどす黒い炎が浄化されていくような感じがした。

 

「が、はっ……!?」

「あ、ぁぁぁ……! ヴェ、ルフ……」

「あーあ。また一人死んじゃったね。可哀想に。ベルがこんなに弱いせいで」

 

 スピネルはベル・クラネルを嗤う。

 彼の全てを踏みにじる。

 完全否定する。

 

「『本物』はこういう時、苦渋の決断を下してでも何かを守るんだ。

 【超凡夫(ハイノービス)】も【貴猫(アルシャー)】もそうだった」

 

 思い出すのは、ロキ・ファミリアの二軍を率いていた二人の冒険者。

 自らを犠牲にしたラウルと、彼を見捨てる決断をしたアナキティ。

 大切なものを失ってでも、別の大切なものを守ろうとした強い人達。

 

「君にはそれができてない。前の時もそうだった。

 『人も怪物も救う』だっけ? 

 あんなの『幸運』が無きゃ、今頃君達は民衆に石を投げられる異端者になってたし、あのヴィーヴルだって死んだままだった。

 ううん。それ以前にディックスさんに殺されてた。

 決断できなきゃ両方失うんだよ、普通は」

 

 願って頑張るだけで望みが全部叶ってしまう。

 頑張っても頑張っても報われず、今だって本当の望みは失い続けるばかりのスピネルは、そんなベルのことが虫酸が走るほど大ッッッ嫌いだ。

 

「ほら、せめて最後の一人くらい、ちゃんと決断して守ってみせなよ」

「ベル、様ぁ……!」

「ッッッ!! う、うぁあああああああ!!!」

 

 体と心の痛みを堪えて、ベルはナイフを振るった。

 もう頭の中が滅茶苦茶だった。

 だが、今に限ってはそれが良かった。

 オーバーヒートした頭は、ベルから余計なことを考える余裕を奪い去り、目の前の()を打倒してリリを助けることだけを体に命じた。

 

「おおおおおおおお!!!」

 

 ナイフを振るう。

 憧れの【剣姫】や、他の強い人達に教えてもらった『技と駆け引き』を総動員する。

 しかし……。

 

「弱いなぁ。薄っぺらい太刀筋だ」

「ッ!?」

 

 スピネルにはまるで通じない。

 振るったナイフは避けられ、防がれ、叩き落され、いたぶるような軽い反撃がベルの体を打ちのめす。

 

「かはっ!?」

「ちぎれた腕が痛くて動きが鈍ってる? それは言い訳にならないよ。私だって体中が痛いもん」

 

 ミア・グランドと戦い、ニーズホッグと合体するなんて無茶をし、シル・フローヴァを仕留めるために命削りの全力まで出した。

 もう彼女の胸に埋まる魔石はヒビだらけだ。

 感じている痛みは、ベルの比ではない。

 

「ああ、左腕が無いからバランスが狂ってるって言いたいの? じゃあ、これで対等だ」

「!?」

 

 そう言って、スピネルは自分の左腕を斬り落とした。

 怪人の再生能力もあえて使わない。

 だが、ここまでしても……。

 

「ほらほら! どうしたの英雄様! 隙だらけだよ!」

「あぐっ!? がはっ!?」

 

 ベルの攻撃は、スピネルにかすり傷一つ付けられなかった。

 

 一万時間の法則というものがある。

 何かの分野で超一流になるには、最低でも一万時間の努力が必要であるという話だ。

 仮に飲まず食わず眠らず休まずで頑張り続けることかできたとしても、一年以上。

 当然、努力量だけが全てでは無い。

 才能、効率、密度、指導者の存在、死地での開花。

 そういうところでも大きな差が出る。

 

 だが、それを加味しても、ベル・クラネルの積み重ねは圧倒的に足りていない。

 彼は数ヶ月前にオラリオに来るまで、最弱のモンスターであるゴブリンすら倒せないほどのド素人だった。

 

 そこから彼は何時間努力したのか?

 彼は様々なイベントを経てここまで来た。

 ヒロインを救い出す喜劇を筆頭に、色んなことに首を突っ込んできた。

 普段のダンジョン探索でも、最優先していたのは強くなるための冒険ではなく、あくまでも『探索』だ。

 レベルで劣る仲間達も引き連れていた以上、彼らを巻き込んで毎日のように死地に赴いて強くなる、なんてことはしてこなかった。

 強さを求める(パワーアップ)イベントが発生したのは定期的で、常時死ぬ気で頑張っていたわけではない。

 指導者と呼べる存在から学べた時間も、総合すれば、せいぜい百時間に届くかどうかだろう。

 

 試練(イベント)は乗り越えてきているが、圧倒的に基礎を学ぶ時間が足りていない。

 『憧憬一途(リアリス・フレーゼ)』の効果である『早熟』により、技量の方も凄いことになってはいるが、目に見える数値として伸びるステイタスと違って、技能の方には『早熟』ではどうしようもない部分がある。

 

 ━━学んでいないことはできない(・・・・・・・・・・・・・)

 

 【剣姫】などに百時間弱の即席鍛錬で叩き込まれた技術と、今までの戦いで学んできたこと、気づいたこと。

 スキルを通すことによって、それを反則としか言えない速度で吸収して自らの血肉に変えているが、逆に言えばベル・クラネルの中にはそれしか詰まっていない。

 

「うぅ……!」

 

 斬り落とされた左腕が痛む。

 片腕が無くなってバランスの狂った体幹、そんな状態で戦った経験はベルには無い。

 前に一度右腕を斬り落とされたことはあったが、『幸運』にも凄まじい治癒効果のある血液を持つマーメイドが近くにいて、そのマーメイドは喋るモンスター達の仲間で、己の血液を迷いなく使って助けてくれたため、斬り落とされた腕はすぐに繋がった。

 

「う、ぁ……!」

 

 そして、何よりも経験が無いのは、大切なものを失って、失って、失って、ボロボロになった心で戦うこと。

 ウィーネ、エイナ、春姫、ミコト、ヴェルフ。

 大切な人達を目の前で殺されて、心がグチャグチャだ。

 倒すべき敵はかつてお世話になった先輩で、冷静になんてなってしまったら絶対にナイフを振るえなくなるだろう。

 

 ベル・クラネルには、喪失しながら戦った経験が無い。

 かつて月の女神(アルテミス)を殺したことはあったが、それはもう彼女がどうしようもない状態で、殺したというよりは介錯したと言った方が正しい。

 皆にも、アルテミス自身にも、そうすることを望まれていた。

 介錯によって戦闘が終わり、戦い続けることも無かった。

 

「う、ぁぁぁ……!!」

 

 だから、ベル・クラネルは知らない。

 痛みを堪えて、喪失に涙して、倒したくない敵を相手に、それでもなお戦い続けることの辛さを。

 穢れを知らない真っ白な魂は、その負荷にとても耐えられずにボロボロになり、彼の動きを致命的なまでに鈍らせる。

 

「アハハ!」

 

 そんな『早熟』の天才が見せた綻びを、今のスピネルは突くことができた。

 モンスター、ロキ・ファミリア、そして何より時間さえあれば相手をしてもらっていた絶対強者(レヴィス)

 才能の差を覆さんと、怪人の体を活かして、殆ど飲まず食わず眠らず休まずで、誇張抜きに死ぬ気の努力を続けてきた。

 

 スピネルとの鍛錬で錆を落とし、レベル7級の肉体に釣り合うだけの技量を取り戻して攻め立ててくれたレヴィス。

 容赦の無い彼女に、魔石以外で壊されなかった部分は無いってくらいにボコボコにされながらシゴかれ続けた。

 スピネルの対応限界ギリギリの攻撃が無限に飛んでくる鍛錬を延々と続け、ズタズタのグチャグチャにされながら、あの地獄に体を慣らした。

 『殺意』という最高の集中力を引き出す秘薬を使いながら、ベルがヒロイン達とイチャコラしている間も、延々と強者から学び尽くしてきた。

 ベルよりも遥かに濃密な努力を、人間時代、怪人時代合わせて、一万時間の半分、五千時間は続けてきた。

 

 それでも、彼女はどうしようもなく凡人で、これだけ己を削り落として研磨し続けても、反則的な『早熟』を持つベルの技量には追いつけていない。

 同じく反則をしたのに、その反則(チート)ですらベルの『憧憬一途(クソチート)』に及ばない。

 こっちは大き過ぎる代償を支払って、向こうはノーリスクなのにだ。

 だが、腕の喪失にも心の喪失にも慣れていない『未熟者』の見せた綻びに付け込めるくらいの力は得た。

 

 ━━たった一つ、痛みと喪失にのたうち回りながら戦ってきた経験で、スピネルはベルを大きく上回っている。

 

「遅い! 甘い! ぬるい! 弱い! レヴィスさんの攻撃に比べれば止まって見える!」

「あぁぁぁッッ!?」

 

 スピネルのナイフが、ベルの耳を削いだ。

 ……普段なら、それでもベル・クラネルが勝っただろう。

 『幸運』が彼に今の自分にできる最善手や勝ち筋を見つけさせ、思考を誘導して精神を『葛藤』と『成長』を演出する良い感じの塩梅に整え、それでもダメなら助けが入っただろう。

 『憧憬一途(リアリス・フレーゼ)』の唯一のリスク、少しでも憧憬を疑えば効果が発揮されないという脆さ。

 その脆さが表に出ないように、彼が憧憬(アイズ・ヴァレンシュタイン)への疑いなんて持たないように、憧れや夢が砕け散らないように、純粋培養のごとく思考も状況も誘導し続け、リスクを有名無実化させ続けてきたように。

 しかし、そんな幸運も今は無い。

 

(このままじゃ……!?)

 

 勝てない。どうにもならない。最後に残ったリリを助けられない。

 強気になれる要素が一つもなく、弱り切ってしまった少年の心は、敗北の未来を強くイメージしてしまった。

 

「うわぁあああああああ!!」

 

 そんな状況でベルが頼ったのは、いつも、いつだって格上を倒してくれたスキル。

 ベルの残った右手が淡く発光し、リンリンという音が鳴り始める。

 

「さっきニーズホッグを倒した技だね。いいよ。打ってみなよ」

 

 その瞬間、スピネルの左腕の残った二の腕部分が歪に膨らみ始めた。

 形は違えど、ベルの『英雄願望(アルゴノゥト)』と同じチャージ。

 徹底的に同じ条件で叩き潰してやるという強い意志が、そこにはあった。

 

「あああああああ!!!」

「アハハハハハハ!!!」

 

 互いにチャージを進めながら斬り結び、やはりスピネルの攻撃ばかりが当たる。

 それでもスキルの発動だけは途切れさせず、ベルの手から響いてくる音が、リンリンという鈴の音から、ゴォォン、ゴォォンという大鐘楼の音へと変わっていく。

 格上殺し、一発逆転のスキルの準備が進んでいく。

 

 

「『聖火の英斬(アルゴ・ウェスタ)』ァァァ!!!」

 

 

 そして、放たれた。

 邪竜ニーズホッグを葬った技が。

 精神も肉体も魂も限界まで追い詰められ、スピネルを殺せないなんて葛藤すら置き去りにされた一撃が。

 きっと、これが決まって勝てたとしても、あとで後悔に苛まれて精神を病むだろう一撃。

 それに対して、スピネルは……。

 

「よっ」

 

 ベルが技を繰り出すタイミングを完璧に読み、その直前に、歪に膨れ上がった左腕にナイフを差し込んだ。

 黒曜石のようなナイフが、一瞬にして炎系モンスターの素材と混ざった緑肉に覆われていく。

 自分で弄り尽くした体だ。

 何ができるのかは、自分が一番よくわかっている。

 彼女はそれを、鞘から刀を抜刀する剣士のように、下から上へと勢い良く振り抜いた。

 

 

「『憎炎の怨斬(アルゴ・ウェスタ)』」

 

 

 二つの炎の斬撃が交差する。

 ベルの大振りの一撃が振り抜かれる前に、スピネルの研ぎ澄まされた一撃が━━彼の右腕を焼き斬った。

 左腕に続いて、ベル・クラネルの右腕までもが宙を舞う。

 

「あ……」

 

 ベルは一瞬、何が起きたのかわからないような顔をした後、

 

「ああああああああああああ!!!??」

 

 悲鳴を上げた。

 両腕を失い、傷口を手で押さえることもできず、ひたすら激痛にのたうち回る。

 そんな彼を見て戦闘不能と判断し、公平の証として斬り落としたままにしていた左腕をゆっくりと再生させながら、スピネルは苦しみにもがくベルへと近づいた。

 

「弱いなぁ。腹立たしいくらい弱いなぁ、ベル・クラネル。

 君がそんなに弱いから━━何も守れなかったよ」

「う、ぁ……」

 

 最後の緑肉の柱が、中に埋め込まれていたものを圧縮する。

 リリルカ・アーデが、パァンと音を立てて破裂した。

 

 そして、誰もいなくなった。

 

「リ、リ……」

「おめでとう! 何もできなかったね! 何も守れなかったね!

 きっと運命は、一回くらいはお守りが無くたって、君ならなんとかすると思ったんだろうけど、甘かったね!

 あれだけお膳立てされて完全敗北とか、本当に存在価値ゼロだね!」

 

 スピネルは良い笑顔で、ベルに拍手を送った。

 否定する。否定する。

 ベル・クラネルの全てを完全否定する。

 

「君はこんなに弱い奴だった! そんな君が今まで活躍できたのはなんでだろう?」

 

 思わず体が踊り出す。

 妖精が可憐なステップを踏む。

 

「答えは『幸運』と『反則』のおかげ!

 今までベルが成してきた『偉業』は、全部全部全部ぜぇぇぇんぶ、運の良さと反則のおかげ!

 その『幸運』を失って、ズルして上げたステイタスでも並ばれて、『ベル・クラネル』っていう人間の本当の値打ちが表に出た!」

 

 まるで演劇のように、大袈裟な動作と美しい声で、憎悪に染まった言の葉を紡ぐ。

 

「君の本性は、優しさと甘さを履き違えた、辛い決断ができない『愚者』!

 世界のエコヒイキと運命のお守りが無いと何もできない、何も守れない『弱者』!

 たった数ヶ月のぬるい努力と、お守りと反則ありきの薄っぺらい積み重ねしか持たない、上っ面だけの『英雄モドキ』!

 同じ条件で戦ったら、私程度の端役にすら負けるような弱っちい奴だったんだ!」

「あ、ぁ……」

 

 スピネルは歌い踊りながらナイフを振るう。

 言葉のナイフでベルの心を抉る。

 

「アハハハハハハハハハハ!! 君は『英雄』なんかじゃないよ!

 ズルして反則的な力を手に入れて、やること成すこと『幸運』のおかげで上手くいって、凄い人達に褒められて、可愛い女の子達にチヤホヤされて、とっても幸せだったでしょ!

 羨ましいなぁ! 羨ましいなぁ!

 相応の努力も時間も対価も代償も支払ってないのに、反則(チート)で分不相応な幸せを貰えるのは、さぞ良い気分だっただろうね!!」

「あぐっ!?」

 

 蹲るベルの頭を踏みつける。

 何度も何度も踏みつける。

 

「ふざけるな!! ふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるな!!

 お前にそんな資格なんか無かった!! お前は凄い奴なんかじゃなかった!!

 同じ条件で戦ったら、私にすら負けるようなザコだった!!

 貰った力が無きゃ、誰も救えないような奴だった!!

 なんで弱いお前だけがそんなに幸せで、お前の百倍も千倍も頑張ってきた私が不幸のドン底に落ちるの!?

 なんで全部与えられたお前が、何も与えられなかった私から唯一の幸せまで奪ったの!?

 なんで!? なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで!?」

 

 気づけば歌い踊る時間は終わり、スピネルの瞳からは涙があふれ出ていた。

 泣きながら、叫びながら、彼女はベルを踏みつける足に力を込める。

 

「お前なんかいなければ良かった!! お前が私の唯一の幸せを壊した!!

 地獄みたいな娼館で奴隷の娘として生まれて、痛くて辛くて苦しくて気持ち悪いことばっかりされて生きてきた!!

 死ぬ思いでそこから逃げて、ヘスティア様が拾ってくれて、ようやく幸せになれたと思ったのに!!」

 

 踏みつける。踏みつける。踏みつける。

 どうしようもない憤りを、黒い感情を、ベル・クラネルにぶつける。

 

「ヘスティア様は私の名前に『努力』の意味をくれた!!

 今までよく頑張ったねって言ってくれた!! 頑張ってヘスティア様に褒めてもらえることが私の幸せだった!!

 なのに、お前は私の努力を踏みにじった!!

 私の数百分の1の努力で、数百倍のスピードで強くなった!!

 恩恵は経験値を力に変えるはずなのに!! 頑張れば頑張った分だけ強くなるはずなのに!!

 お前はその法則を無視してズルをした!!

 たった一ヶ月半でアビリティオールS? ランクアップ? しかも今ではレベル4?

 なんの代償も支払わずにそれだけ強くなって、夢を全部叶えて、栄光に満ちた英雄人生?

 ふざけるな!! 才能って呼ぶにも無理があり過ぎる!!

 お前は真っ当に頑張ってきた全ての人達の敵だ!!

 お前の薄っぺらい努力モドキが、(スピネル)の全てを踏みにじって、殺して、こんな醜い化け物に堕としたんだ!!」

 

 踏みつける。踏みつける。踏みつける。

 怨嗟を、憎悪を、苦痛を、涙を、絶望を、ベルに叩きつける。

 ……だが、その時。

 

「!?」

 

 ドゴォオオオン! という音がして、緑肉に覆われたクノッソスの壁が吹き飛んだ。

 吹き飛んだ壁の向こうから、二つの人影が現れる。

 

「…………レヴィス、さん」

 

 その片方は、散々お世話になった先輩怪人のレヴィスだった。

 ボロボロの体にされていて、胸の中心をヒビだらけの細剣で貫かれている。

 魔石のある場所を、貫かれている。

 

「……すまん、負けた」

 

 彼女は最期に、この後輩からまた奪うことに罪悪感でも感じたような目でスピネルを見て━━灰となって崩れ落ちた。

 また、スピネルは失った。

 残ったのは、もう一つの人影。

 レヴィスを殺した、彼女と戦っていた冒険者。

 【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインだけだった。

 

「!? ベル!!」

 

 彼女は満身創痍の体で、両腕を失ってズタズタにされたベルを守るように動いた。

 スピネルに牽制の剣撃を振るいながらベルをかっ攫い、彼を守るような位置で剣を構える。

 

「あなたは……!」

 

 一目で人間じゃないとわかる異形の腕を隠すことなく晒しているスピネルを見て、アイズは彼女がラウル達の仇である『子供の怪人』だと悟った。

 

『うわぁあああああああああ!!!』

 

 脳裏に、涙を流して絶望する【貴猫(アルシャー)】アナキティ・オータムの顔が思い浮かぶ。

 

『許さない……!! あいつら、絶対に許さないッッッ!! 殺してやる……!! 殺してやるッッッ!!』

 

 昔の自分と同じような憎悪に囚われたアキの悲痛な声が脳裏に蘇る。

 

『アイズさん!』

『アイズ』

『アイズちゃん!』

 

 殺された仲間達の笑顔が思い浮かぶ。

 父と母と同じように、奪われた笑顔が。

 もう二度と帰ってこない笑顔が。

 

「ッ!!」

 

 怒りを糧に、アイズは握る剣に力を込めた。

 

「アイズ、さん……」

「ベル、もう大丈夫。大丈夫だから」

 

 アイズ・ヴァレンシュタインがベル・クラネルを守る。

 まるで、あの日みたいだ。

 運命の歯車が狂った日。

 ベル・クラネルの飛躍と、スピネルの破滅が始まった、あの日のよう。

 

「『起動(テンペスト)』━━『復讐姫(アヴェンジャー)』!!」

 

 アイズが魔法を使い、風を纏う。

 かつて、食人花からスピネルを守ってくれた魔法。

 しかし、あの時と違って、今の彼女の目に、スピネルは倒すべき敵としてしか映っていない。

 その証明のように、彼女の風はスキルの力まで上乗せされ、スピネルの呪いのように黒く染まっていた。

 

「『リル・ラファーガ』!!」

 

 アイズが風を纏った刺突を繰り出す。

 彼女の必殺技。

 数多のモンスターを葬ってきた一撃。

 

 ……レベル7級のステイタスと穢れた精霊による支援、スピネルとの特訓に付き合って錆を落とした技術、更には『幸運』に対する心構えまで兼ね備えたレヴィスとの戦いで、アイズは既に限界。

 レヴィスの攻撃、及び自分自身のスキルの反動で体も武器もボロボロ。

 万全の時と比べれば、彼女の動きは見る影も無く鈍い。

 正直、立っているのが不思議なくらいの状態だ。

 それでも、目の前の敵だけは確実に……。

 

「『命削代償(リミット・ブレイク)』」

「…………え?」

 

 二人が交差した後、そこには━━剣を砕かれ、首筋を深く斬り裂かれたアイズだけがいた。

 スピネルの一閃がボロボロの剣をへし折って、そのままアイズの首を斬ったのだ。

 ベルと違って、痛みと喪失に慣れ切った彼女は、仲間を失った直後でも最善の動きをした。

 代償としてナイフを振るったスピネルの腕もグチャグチャに壊れ、胸の奥の魔石に更なる致命的なダメージが入ったが、もはや、どうでもいい。

 

「なん、で……」

 

 アイズの首筋から、噴水のような勢いで血が噴き出す。

 彼女が知っている『子供の怪人』の情報は、レベル3くらいの強さという仲間達の証言で止まっている。

 レベル4のベルがやられている以上、魔石を食らって当時よりは強くなったのだろうが、さすがにレヴィスには及ばないだろうと思ってしまった。

 

 だが、今スピネルが見せたナイフの一閃は、明らかにレヴィス以上。

 命を削り、魂すら代償として差し出すことで得た、一瞬限りの超強化。

 『ベル・クラネルの完全否定』。

 ただそれだけのために、ぶっ壊れてるとしか言えない努力を積み重ね、命も、魂も、幸せも、全てを代償として差し出した怪人の力を侮っていた。

 レヴィスとの戦いで体力気力を殆ど使い果たしていたのもあり、アイズはそれを警戒することができなかった。

 目の前の敵の本質が『見えていなかった』。

 

 剣姫が血をまき散らしながら崩れ落ちる。

 ベル・クラネルを反則(チート)足らしめてきた憧憬までもが、散った。

 

「……あなたも、(端役)のことなんか見てませんでしたね」

 

 グチャグチャになったまま再生しなくなった右腕を尻目に、スピネルはアイズの死体に向けて、無表情にそう言った。

 ベルと同じようにミノタウロスから助けて、その後にも一応接点があったのに、彼女はスピネルのことを『仲間達の仇の怪人』としてしか見ていなかった。

 きっと、人間時代のスピネルのことなど覚えていないのだろう。

 聞けば思い出したかもしれないが、少なくとも顔を見ただけで気づいてはくれなかった。

 同じ境遇のベルには稽古をつけて、膝枕すらしたのに。

 

 いや、本来ならスピネルのような扱いが普通なのだ。

 天下の第一級冒険者様が、助けた相手の顔をイチイチ覚えている方がおかしい。

 例によって例のごとく、『幸運』によってベルが優遇されただけ。

 英雄を欲しているこの世界は、スピネルのような英雄の光に焼かれて苦しむ者達のことなんて見ていない。

 そんな、どうしようもない話だ。

 

「アイズ、さん……? アイズさん!?」

 

 その優遇され続けた少年が、悲鳴を上げながらアイズに駆け寄ろうとした。

 両腕が無いので立ち上がれず、イモムシのように這って、愛しの少女のもとへ向かおうとする。

 

 だが、その前に、クノッソスを覆う緑肉がアイズを捕食した。

 

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 

 ベルが壊れたような絶叫を上げた。

 同時に、スピネルの頭の中に、もう一つの声が響いてくる。

 悍ましさを感じる女性の声だ。

 

『アリガトウ! アリガトウ! アナタノオカゲデ、アリアト一緒ニナレタ!』

 

 穢れた精霊の声だ。

 古代の精霊を何体も捕食してきた彼女は、大精霊の血を引いているらしいアイズを捕食できてご機嫌の様子だった。

 

「殆どレヴィスさんのおかげだよ。……もう少しで終わるから、邪魔しないで」

『フフ。ワカッタ』

 

 声が遠ざかる。

 スピネルは壊れたベルに近づいていって……満面の笑みで、ボロ雑巾になったベルを抱きしめた。

 

「ああ、今のベルはとっても可愛いよ。初めて、君のことを好きになれた」

 

 苦しんで、壊れて、絶望の声を上げるベルは、こんなに愛おしい。

 そんなベルを抱きしめる力を、少しずつ、少しずつ強めていく。

 

「ベル。生まれ変わったら、また幸せになってね。

 来世でも英雄になりたいとかほざいて、夢を追って叶えて、可愛い女の子達に囲まれてチヤホヤされててほしい。

 そうして、君が幸せを感じた時に━━私が全部ぶっ壊しに行くから」

 

 ビクリと、ベルの体が震えた。

 恐怖でカチカチと歯を鳴らしている。

 

「来世でも、その次でも、その次でも、必ず私が君の幸せを壊してあげる。

 転生の時に魂を漂白されても消えないくらいの傷を、毎回毎回刻みつけてあげる。

 君の魂が限界を迎えて砕け散るまで」

 

 ベルが顔色が土気色を通り越して真っ白に染まった。

 

「逃げられるとは思わない方がいいよ。

 私の魂は加護の『対価』として彼女に捧げて、『代償』として縛られて酷使されるから、次は多分、寿命の無い精霊系のモンスターとして生まれ変わる。

 だから、君がどんな時代に生まれても見つけられる」

 

 抱きしめる力を強める。

 グキッ、バキッという音が聞こえ始めた。

 

「神殺しの罪過として、私の来世以降の人生は悲惨になる。

 まあ、それは今と大して変わらないけど、今回みたいにベルも悲劇に巻き込んであげるよ。

 君の喜劇を、私の悲劇で塗り潰してあげる。

 ━━一緒に地獄に落ちよう、可愛い可愛い後輩くん♡」

「ひっ……!?」

 

 抱きしめる力を強める。

 恐怖に染まったベルの背骨が砕け、肺が潰れ、口から血を吐いた。

 

またね(・・・)、ベル。次に会った時は、またその絶望に染まった可愛い顔を見せてね」

「あ、ぁ……!?」

 

 グシャッ。

 そんな音を立てた後、ベル・クラネルの体から力が抜けた。

 世界に、運命に愛された英雄が、死んだ。

 

「ああ……! やっと、やっと消えてくれた……!」

 

 その時、スピネルはようやく、ようやく心を焼き焦がしていた黒い炎が鎮火してくれるのを感じて。

 涙と笑顔を同時に浮かべながら、天を見上げた。



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34 メリーバッドエンド

 宿敵ベル・クラネルを葬った後。

 スピネルは、自分の体が指先から灰になっていくのを見た。

 

「ああ、限界か……」

 

 もう、痛みすら感じない。

 体の機能がバカになっている。

 この後は死んで、力の代償として穢れた精霊に魂を持っていかれ、しばらくしたらモンスターとして転生するだろう。

 記憶は……多分少しは残ると思う。

 人間だったらまず間違いなく消えるのだが、黒いミノタウロスは多少なり前世を覚えていたようだし、自分もそうなるような気がする。

 鎮火したとはいえ、あれほどの呪いの焦げ跡が、死んだ程度で完全に消えてくれるとは思えない。

 そして、ベルの転生体でも見た日には、残り火に油を注がれて一気にまた燃え上がる。

 そんな予感というか、確信があった。

 

「けど……」

 

 なんとなく、残るのは呪いだけのような気がした。

 ヘスティアへの愛情は、きっと転生したら消えてしまう。

 今世ですら呪いに押し潰されてしまったのだ。

 自分の親不孝っぷりを思えば、覚えていられる自信が無い。

 

「行こう……」

 

 だから、最期に会いたい。

 スピネルは朽ちゆく体を動かし、シル(フレイヤ)が天に送還される時にクノッソスをぶち抜いた穴から地上に出た。

 地上は現在、夜。

 地下から立ち上る六円環の禍々しい魔力が、夜を紅く照らしていた。

 

「……こっちが残っちゃったのだけは不本意だなぁ」

 

 スピネルからすれば、あくまでもベルの味方をしそうな冒険者達の手を煩わせるための囮だったし。

 黒幕のエニュオからしても、ニーズホッグという切り札を通すための見せ札だったのに。

 最高戦力の片割れであるフレイヤ・ファミリアがニーズホッグと引き換えに壊滅したせいで、いつの間にやら、こっちが本命になってしまった。

 

 このままだと、六円環がヘスティアごとオラリオを吹き飛ばしてしまう。 

 奮闘中の冒険者達がなんとかしてくれることを祈るしかない。

 フレイヤ・ファミリアは欠けてしまったが、ニーズホッグも消えているし、頑張ればどうにかなるだろう。

 ……最悪、オラリオが吹き飛んでも、ヘスティアは神なので、死ぬのではなく天界に還るだけで済むと言えばそうなのだが。

 

「……騒がしいなぁ」

 

 六円環以外にも悩みの種はある。

 エニュオが地上にもモンスターを放っていたようで、食人花達が元気に暴れ回っていた。

 地上に残った冒険者達が相手をしているので、嫌がらせ以上の効果は無さそうだが、ヘスティアが巻き込まれたりしていないかが心配だ。

 

「でも、あいつらは死んでてほしいなぁ」

 

 脳裏に浮かぶのは、原初の苦しみである違法娼館。

 今考えてみると、あの店のありそうな場所は、日陰者の集まるダイダロス通りが第一候補だ。

 そして、ダイダロス通りは食人花達が丸ごと蹂躙していた。

 ギルドを潰したからか冒険者達の連携が拙く、オラリオ全体は守れていない。

 あいつらもベルと同じように、苦痛と絶望の中で息絶えていてくれると嬉しい。

 

「……あっちは壊れてるけど、こっちは無事。アハハ。ようやく運が向いてきたかも」

 

 幸い、ダイダロス通りは潰れても、目的地付近にまで食人花達は到達していない。

 地下室のあるあそこは避難場所として悪くはなさそうだし、ヘスティアがそこにいてくれることを祈ろう。

 

「ッ……! ハァ……ハァ……」

 

 軽く走っただけで息が切れる限界の体を酷使して、スピネルは先を急ぐ。

 そうして、ようやく辿り着いた。

 一度は抗争で壊れてしまった廃教会。

 ヘスティアが借金してでも直してくれたという思い出の場所。

 ようやく、帰ってこれた。

 

「……ただいま」

 

 中に入ると、昔と違って地下室以外の部分も、廃墟とは言えない程度には整っていた。

 まあ、それはそうか。

 せっかく建て直したのに、わざわざボロく作るというのは、なんか違うだろう。

 ただ、思い出にある光景と違っているというのは、やはり悲しくて寂しい。

 

「え!?」

 

 けれど、そんな気持ちも、人の気配を感じたのか、地下室の扉を開けて出てきた(ひと)の姿を見れば吹き飛んだ。

 

「スピネル、くん……!?」

「……はい。ただいま戻りました、ヘスティア様」

 

 スピネルは大好きな女神様に向けて淡く微笑んだ。

 ベルに向けていた狂気的な笑顔ではなく、会えた喜びと罪悪感を噛みしめるような、泣き笑いのような顔。

 

「!?」

 

 一方、ヘスティアは死んだと思っていた大切な娘の変わり果てた姿に絶句した。

 

「スピネルくん……! その体は、その魂は……!?」

「……私はもう、ヘスティア様に意味を貰った名前(スピネル)を名乗れるような存在じゃありません。

 あなたの娘のただの残骸で、ただの醜い化け物です」

 

 隠蔽用の装備をつけていない以上、神に怪人という正体を隠すことはできない。

 ヘスティアの目には、今のスピネルの状態がハッキリとわかった。

 灰となって崩れゆく肉体。

 傷ついてズタズタになった魂。

 その魂を絡め取る不気味な触手と、重すぎる(神殺しの)罪過。

 あまりにも無惨な、目も当てられない状態。

 

「ッ……」

「スピネルくん!!」

 

 スピネルの体がフラリと傾いた。

 ヘスティアは駆け寄っていって、その体を全力で抱きしめる。

 

「ヘスティア様……ごめんなさい。私、ベル達を殺しました」 

「!」

 

 そして、その腕に抱かれながら、スピネルは罪の告白をした。

 

「今オラリオを襲ってる異変にも加担してます。ごめんなさい。どうしても、我慢できなかったんです」

 

 我が身を焼き尽くす黒い炎のような衝動に、どうしても抗えなかった。

 熱くて熱くて、苦しくて苦しくて、どうにかしてそれを消さないと何もできなかった。

 

「ごめんなさい。もう会う資格も、抱きしめてもらえる資格も無いのに……どうしても、最期に会いたかった」

 

 胸に埋まった魔石が砕けていく。

 体がどんどん灰になっていく。

 ……きっと、最期はヘスティアに罵倒されながら死ぬだろう。

 女神の目には泣き腫らした跡があった。

 きっと、恩恵の消失でベル達が死んだことを察知して泣いていたのだ。

 この(ひと)を苦しめた自分が、許されるはずがない。

 何もかも失ってきた自分は、最期に最愛の女神にすら拒絶されて全てを失う。

 殺して、傷つけて、世界を滅茶苦茶にしようとした極悪人にはお似合いの末路。

 ……けれど。

 

「!」

 

 ヘスティアは、それを聞いても、スピネルを罵倒することも、彼女を抱きしめる腕の力を弱めることもなかった。

 

「謝らなきゃいけないのは、ボクの方だ……!

 ごめん……! ごめんよ、スピネルくん……!

 ボクがバカだったから、どうしようなくバカで無能の駄女神だったから、君をこんなに苦しめた……!」

「ヘスティア様……」

 

 ヘスティアは、泣いていた。

 ベル達の死で涙は出尽くしただろうに、こんな愚かでどうしようもない化け物のために、また涙を流してくれた。

 凄く心苦しいのに……凄く嬉しい。

 

「ごめんよ……! ボクは親失格だ……!

 君の傷も痛みも知っていたのに、助けてあげられなかった……!

 むしろ、ボク自身が君のことを一番追い詰めた……!

 君の罪は、ボクの罪だ……!」

 

 ヘスティアは、崩れ落ちるスピネルの体を、必死に繋ぎ止めるように抱きしめ続けた。

 涙が止まらない。

 どうして、こんな結末を招いてしまったのだろう。

 下界に降りて零能となった我が身が憎い。

 全ての孤児の保護神のくせに、こんな小さな子一人救えなかった。

 

 生まれた時から世界に全てを奪われ、幸福を知らず、絶望と苦痛だけを味わいながら育った少女。

 そんな地獄から逃げて、ヘスティアに出会い、人生で初めての幸せを感じて……それすらも奪われた。

 ベル・クラネルの光に焼かれて、育まれ始めたばかりの自己肯定感をへし折られ、承認欲求を滅茶苦茶にされ、愛情の受け皿すら粉々にされた。

 絶望のすし詰めのような人生(パンドラの箱)の中に唯一残っていた希望は、最大の絶望に変わった。

 おまけに化け物の触手に絡め取られて、人間ですらなくなって……彼女が壊れてしまうことを誰が責められる?

 彼女を助けなかった世界の、彼女から奪い続けた世界の、いったい誰が責められる?

 少なくとも、助けられなかったヘスティアには責められない。

 

 ベル達を喪ったのは、他の誰でもない、ヘスティア自身の過失だ。

 傷ついた子供を守る神として、スピネルを救えてさえいれば、こうはならなかった。

 

「愛してる……! 愛してるんだ、スピネルくん……!」

「!」

 

 愛してる。

 その言葉が、ボロボロになったスピネルの魂の奥にまで染みてきた。

 

「どんなになっても、君はボクの可愛い娘だ……! それだけは変わらない……! 絶対に変わらないから……!」

 

 せめて、死にゆく娘に、救えなかった我が子に、彼女が最も欲していたものを。

 かつて一度は彼女を救えたはずの、神の愛を。

 それがヘスティアにできる精一杯。

 

「……そっか」

 

 その想いは、スピネルの魂の奥にまで届いた。

 自分は、ちゃんと愛されていたのだ。

 こんな姿になっても、これだけ罪過にまみれても、ヘスティアは見捨てずに愛してくれた。

 なら、ベルに勝てなくたって、きっと愛したままでいてくれた。

 あの黒い感情に焼かれた心では、上手く受け取れなくなってしまった愛情。

 それが鎮火して、ようやく素直に受け入れることができた。

 

「ああ、これだけで、満足だったのになぁ……」

 

 呪いなんて本当はいらなかった。

 あんな黒い感情を抱きたくなんてなかった。

 こんな嫉妬と憎悪にまみれた醜い化け物に、なりたくてなったわけがない。

 

 ただ、ヘスティアの愛をちゃんと実感できていれば、それで良かったはずなのに。

 なんで、そんな簡単なことができなかったのだろう。

 いや、簡単じゃないからこそできなかったのか。

 負の感情を抱かずに生きていくことなんて、本来誰にもできない。

 

 自分の努力を全否定するように、簡単に強くなっていくベルが嫌だった。

 頑張って、頑張って、ようやくできるようになったヘスティアの役に立てること。

 強さ、稼ぎ、そんな自分の存在意義を根こそぎベルに奪われるようで、胸が掻きむしられる思いだった。

 もっと褒めてほしかった。

 ズルいベルなんかより褒めてほしかった。

 

 そんな気持ちがどんどん歪に膨らんでいって、どんどん心が黒く染まっていって、願いもどんどん歪んでしまって。

 そんな自分をどうにもできず、どうにかしようと希望(ランクアップ)に手を伸ばしても、それすらベルに先を越されて、精神が限界を迎えて闇に堕ちた。

 闇から這い上がってでも帰ろうとして、目に入ったのは焼き尽くされるような英雄(ベル)の輝き。

 

 もうダメだった。

 栄光の階段を駆け上がっていくベルと、何も成せずに化け物に墜ちた自分。

 あまりの格差に、惨めさに、妬ましさに、心が引き裂かれた。

 壊れて、狂って、ベルへの憎しみを抑えられなくて。

 ヘスティアはこんなこと望んでないって本当はわかっていたのに、黒い感情に突き動かされる自分を止められなかった。

 傷つけて、傷つけて、踏みつけて、踏みにじって、殺して、殺して、殺して。

 そんなことの代償に命も魂も捧げてしまって、こんな救いようのない最悪の終わりを迎えた。

 ……けれど。

 

「ありがとう……ヘスティア様(お母さん)

 

 今この瞬間だけは、最期のこの時だけは、間違いなく救われた。

 過去も未来も地獄だけど、今だけはヘスティア(お母さん)が救ってくれた。

 スピネルは涙を流しながら微笑んで━━次の瞬間、魔石が完全に砕け散った。

 体が灰になって崩れ落ちる。

 しかし、肉体から解き放たれた魂は天に昇れず、地の底に住まう穢れた精霊に引き寄せられていく。

 

 足りない素質の代わりに、魂すら捧げる契約をした代償。

 この先ずっと、彼女の魂は穢れた精霊の手駒だ。

 穢れた精霊が討たれるまで、下手したら何千年も、何万年も囚われ続け、転生を果たしたベルと血みどろの戦いを繰り返し続けるだろう。

 そこから解放されたとしても、待っているのは神殺しの代償を支払わされる悲惨な人生の連続。

 輪廻転生を果たしてもなお救われない、苦しみの連鎖。

 

 

「させない」

 

 

 そんな未来を、彼女の親である女神は認めなかった。

 ヘスティアの体から、莫大な力があふれ出す。

 『神の力(アルカナム)』。

 地上での使用を禁じられた、使えば天界に強制送還されて、二度と下界には戻ってこられない力。

 ヘスティアはそれを躊躇なく使った。

 

「ボクの娘は渡さない。去れ」

『!!』

 

 スピネルの魂を引きずり込もうとしていた穢れた精霊の触手が、神の力によって引き裂かれる。

 触手の束縛が消えても、刻まれた傷と罪過はどうしようもない。

 断ち切った触手にしても、転生を果たした先で見つかれば、また絡め取られるだけだろう。

 一度は結ばれた契約を辿って、穢れた精霊は必ず追ってくる。

 そんな重い重い十字架を背負った小さな魂を、ヘスティアは大事に大事に抱きしめた。

 

「大丈夫。もう君を離さない。これからは、ずっと傍にいる。前みたいに、ずっと」

 

 スピネルの魂を抱きしめたまま━━ヘスティアは光の柱となって、天界へと強制送還されていく。

 神殺しの罪過と、転生しても逃してくれないだろう穢れた精霊から彼女を守る方法は一つ。

 スピネルを輪廻の輪に帰さず、自らの神域でその魂を守り続けること。

 ずっと肉体を持たない魂だけの状態では、永遠に眠り続けるだけだろう。

 贖罪の果てにあるかもしれない『人としての幸せ』を、それどころか『人としての全て』を奪い取る行い。

 安楽死させたと言っても過言じゃない。

 

 それでも、スピネルにもうこれ以上の苦しみを味わってほしくなかった。

 これ以上の苦しみを撒き散らしてほしくなかった。

 転生したベルにも、穢れた精霊に敵対する者達にも、もう彼女の力は振るわせない。

 自分自身も含めて、もう誰も傷つけさせない。

 神の酷く傲慢な責任の取り方だ。

 傷だらけの哀れな子供を、怪物側の鬼札(英雄殺し)を、ここで強制的に終わらせる。

 

「……お休み、スピネルくん」

 

 せめて、愛娘の魂に安らかな微睡みを。

 そうして、一柱の神と一人の眷族は、共に天へと昇っていった。




次回、最終話。


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IF もしも、ほんの少しだけ何かが違っていたら……

もしも、ヘスティアが2年早く天界から降りてきて、スピネルが2年早く娼館を脱走していたら。

メリバのまま終わりたい方には蛇足です。


「うぅ……」

 

 ヘスティア・ファミリアのホームである()廃教会の裏庭で、一人の少年が膝を抱えて蹲っていた。

 白髪紅眼の少年、ベル・クラネルだ。

 彼は仲間達に言われた言葉を思い出して、こんな場所でひっそりと泣いていた。

 

『は? ありえねぇだろ……。なんだよ、そのスピード……』

『ふざけんな……!! なんでお前だけ……!?』

『……最近のベル、生意気すぎない?』

『わかる。滅茶苦茶調子に乗ってる』

 

 同じファミリアの仲間達から向けられる、異物を見るような目。

 負の感情に染まった視線。

 それが怖くて、ベルは膝を抱えて泣いていた。

 

 皆との関係がおかしくなり始めたのは、上層でミノタウロスに襲われて、【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインに助けられ、そこからベルの急成長が始まってからだ。

 それまでは、皆優しかった。

 一番の後輩で、オラリオのこともダンジョンのこともわからないベルに、手取り足取り色んなことを優しく教えてくれた。

 ずっと田舎で祖父との二人暮らしをしていたベルを優しく迎え入れてくれた、同年代の少年少女達。

 ヘスティア・ファミリアは、本当にベルにとって救いだったのだ。

 なのに……。

 

「ベル」

「ッ……!?」

 

 泣いているベルのところに、一人の少女が現れた。

 ベルより二つも歳下の、金髪紅眼のハーフエルフ。

 

「な、なんでもありません、スピネルさん」

 

 好みドストライクの見た目をしている上に、歳下の女の子。

 そんな相手に、こんな情けない姿を見せたくなくて、ベルは無理矢理涙を拭って立ち上がった。

 男の子のプライドというやつだ。

 

「ベル、座って」

「え?」

「話聞くから、座って」

「い、いえ、大丈夫で……」

「座って」

「…………はい」

 

 彼女の威圧感に負けて、ベルは再び裏庭に腰を下ろした。

 自然と正座になっていた。

 幼い見た目に反して、スピネルから放たれる威圧感はかなりヤバい。

 それはそうだろう。

 何せ、ヘスティア・ファミリアで唯一の上級冒険者(レベル2)なのだから。

 

「……なんで泣いてたのか、大体見当はつくよ。皆に悪口言われてることでしょ?」

「…………はい」

 

 ベルの隣に腰掛けたスピネルの言葉を、ベルは肯定した。

 一つ屋根の下で暮らしているのだから、こういうことで嘘はつけない。

 

「まあ、理由は明らかだね。最近のベルは本当に、目を疑うくらいのスピードで強くなってるもん。

 ずっと頑張ってきたのに、あっという間に追い抜かされちゃったんだ。

 そりゃ、皆だってイライラして当然だよ」

「うぅ……」

 

 慰められるどころか、負の感情をぶつけてくる仲間達の方を擁護されて、ベルはまた泣きそうになった。

 現在のヘスティア・ファミリアは、団員数二十人ちょっとのうち、ベルを含めた冒険者志望の少年少女数人がパーティーを組んでダンジョンに入り、スピネルがその指導と護衛をしている。

 だからこそ、本当におかしいとしか言いようのないスピードで強くなるベルを近くで見てきた。

 

 急成長と言えば聞こえは良いが、急激すぎる変化は必ず『歪み』を生む。

 その歪みによってパーティーの仲に亀裂が入るのを、スピネルはすぐ近くで見てきた。

 

「ああほら、泣かないで。別にベルを責めてるわけじゃないし、君が悪いわけでもないから。ね?」

「ぐすっ……」

 

 スピネルがスッと取り出したハンカチで涙を拭かれ、より情けなさが込み上げてくる。

 いくら上級冒険者とはいえ、歳下の女の子にこういうことをされるのは、結構精神的にくる。

 

「……でも、難しいね。

 多分、吹っ切れてなかったら、私だって皆と同じようになってただろうし、本当に難しい問題だ……」

「え?」

 

 その言葉を聞いて、ベルは驚いた。

 ベルから見たスピネルという少女は、凄い人だ。

 ヘスティア・ファミリア団長、【小さな姉(リトル・シスター)】スピネル・ウェスタ。

 僅か10歳で冒険者になり、そこから2年でランクアップまで果たした。

 現在のホームだってスピネルの稼ぎで修復されるまでは廃墟だったという話だし、現在のベルのような路頭に迷った子供を二十人以上も受け入れられる土台を作った凄い先輩。

 オラリオに来た直後、行き倒れ寸前になっていたベルにとっては、直接手を差し伸べてくれたヘスティアに並ぶ大恩人だ。

 

「スピネルさんも、ですか……?」

 

 そんな凄い先輩でも、ベルに嫉妬していたかもしれないと言われて、自分が凄いという自覚の無い少年は心底驚いた。

 

「そうだよー。昔の私って、強くなって、いっぱい稼いで、それでヘスティア様の役に立てなきゃ存在価値無いとか思ってたから。

 その頃にベルと会ってたら……うん、危なかったかも」

 

 スピネルはありえたかもしれない可能性を考えて身震いした。

 今の彼女はもう、強さと稼ぎだけが全てじゃないとわかっている。

 ベルが来る少し前に、後輩達がピンチに陥って、それを助けるために無茶をした。

 その時の試練(ピンチ)を乗り越えたことでランクアップしたのだが、ヘスティアには喜ぶより先に泣かれてしまった。

 

 それが決定打だった。

 自分は愛されている。

 いなくなったりしたら、本気で泣かれるくらい愛されている。

 強くなるより、いっぱい稼ぐより、ヘスティアの傍にずっといる方が遥かに大切。

 そう心から思うことができるようになった。

 

 だから、そこからは自分が冒険者として強くなることではなく、冒険者を目指す後輩達の指導とサポートに集中するようになった。

 上層にいる間は支援するが、彼らがレベル2に上がり、よりダンジョンの奥深くを目指すようになったら、ついてはいかないだろう。

 その時は、また新しい後輩の面倒を見るか、孤児院じみてきたファミリアの運営の方に専念するかだ。

 そうして吹っ切れた今だからこそ、冷静にベルと向き合えている。

 

「ベルは確か、『英雄』になりたいんだよね?」

「……はい」

 

 この先輩に語った夢。

 物語に出てくるような『英雄』になりたい。

 少年の純粋な夢。

 

「……英雄に、特別な人間になるっていうのは、多分こういうことなんだよ。

 特別じゃない大多数の人達を踏みつけて上に行く。

 多くの人達を嫉妬の炎にぶち込みながら、その人達に『ふざけんなー!』って目を向けられながら、それでも前に進み続けるのが英雄……なんじゃないかな。多分だけど」

「そ、そんな!?」

 

 憧れと現実との、あまりのギャップ。

 英雄譚の綺麗なところだけ見てきた少年は、裏側にある汚い部分を見せつけられて強いショックを受けた。

 

「……ベル。悪いことは言わないから、君は早くウチを出ていった方が良い」

「ッ!?」

「ウチは一応探索系ファミリアって言えないことはないけど、半分以上は孤児院系ファミリアだ。

 冒険者やってるのも皆元孤児か、どこのファミリアにも拾ってもらえなかった落ちこぼればっかり。

 ベルみたいに突然大化けする子も、もしかしたらいるかもしれないけど、可能性は低い。

 君とは才能の差があり過ぎる。

 大きすぎる格差は、お互いにとって辛いだけだよ」

 

 大天才となったベル・クラネルと、弱者ばかりが集うヘスティア・ファミリアは、致命的なまでに相性が悪い。

 弱い奴らが弱い奴らなりに頑張って少しでも強くなろうとしているところに、後から現れた大天才が「テメェらとは格が違うんだよ!」と言わんばかりに、積み重ねた努力を一瞬で抜き去っていく。

 その様を、すぐ近くで見せつけられる。

 しかも、途中までは同類だと思っていた奴が、ある日を境にいきなり大天才に化けたのだ。

 『なんでお前だけ!?』と思ってしまう気持ちを誰が責められる?

 これはもう、巡り合わせが悪かったとしか言えない。

 

「もっと、自分に見合った派閥に行くべきだと思う。

 今のベルなら、きっとあのロキ・ファミリアにだって受け入れてもらえるよ。

 恩恵を刻まれてから一年間は改宗(コンバーション)ができないみたいだけど、あくまでも私達が追い出したのを向こうが拾ったって形なら行けると思う」

「ま、待ってください!?」

 

 出ていけと言わんばかりの台詞に、ベルは取り乱した。

 彼はヘスティア・ファミリアが好きなのだ。

 なんとかして皆と仲直りしたい。認めてほしい。そう思っている。

 なのに、これでは……。

 

「ベル。厳しいことを言うけど、よく聞いて。━━君にいられると迷惑なんだ」

「!!」

 

 そんなベルに、スピネルは険しい口調でそう言った。

 

「ウチにいるのは大抵、あんまり良い人生を送ってきてない子達だ。

 心に余裕の無い子も多い。

 そんな子達にとって、君の才能(ひかり)は眩し過ぎる。

 君に悪気が無いのはわかってるし、君が悪くないのもわかってる。

 けど、ただそこにいるだけで心を焼いてくる光っていうのもあるんだよ。

 ……世の中、どうしようもないことだってあるんだよ」

 

 ベルを嫌う後輩達の気持ちが、スピネルにはよくわかる。

 いくら吹っ切れたとはいえ、努力がアイデンティティである彼女の本質は何も変わっていない。

 ……ベルのステイタスは、既にスピネルが2年かけて鍛え上げたレベル1での最終ステイタスを超えている。

 急成長を始めてから、たった二週間かそこらでだ。

 

 これが常軌を逸した努力をしているとか、冒険者になる前から死ぬほど鍛えていたとかなら、まだギリギリ納得できた。

 しかし、ベルの過去は武器なんて持ったことの無い農民らしいし、鍛錬だってごく一般的な鍛え方しかしていない。

 ズブの素人状態のベルに色々教えたのはスピネルと後輩達なのだから、そのことはよくわかっている。

 なのに、2年の努力を二週間で超えられた。

 正直、彼女としても、反則としか思えないベルの急成長には思うところしかないのだ。

 だからこそ、今のベルを快く思わない後輩達の気持ちが痛いほどよくわかる。

 

「……私は団長として、ヘスティア様の一の眷族として、君にとっても、ファミリアにとっても、最善の道を選ばなくちゃいけない」

 

 滅茶苦茶オロオロしていたヘスティアに相談されたことで、ベルの急成長の秘密は聞いた。

 『憧憬一途(リアリス・フレーゼ)』。

 早熟するとかいう反則的なスキルの効果。

 

 そんな反則スキルが発現した理由は、先日のミノタウロスが上層に出てくるという事件がキッカケ。

 あの時、突然現れたミノタウロスの咆哮(ハウル)でベルを含めた後輩達は強制停止(リストレイト)状態にさせられ、スピネルは彼らを庇いながらミノタウロスと戦うことを強いられた。

 一対一ならまだどうにかなったのだが、腰を抜かした後輩達を守りながらでは、かなり苦戦させられた。

 

 そこに颯爽と現れてミノタウロスを一撃で葬ったのが、オラリオ最強の女剣士と呼ばれる【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインだ。

 そのあまりのカッコ良さと美しさに、ベルは一目惚れしたらしい。

 そして、彼女に追いつきたいという気持ちが、ベルに急成長のスキルを発現させた。

 

 ……正直、聞いた時は、なんじゃそりゃと思った。

 アイズに見惚れていたのはベルだけではない。

 後輩の男子諸君の反応は大体ベルと同じだったし、鼻の下を伸ばす男どもに女子達は冷たい視線を送っていた。

 あれでスキルが生えてくるなら、鼻の下を伸ばしていた全員が覚醒していたはずだ。

 恩恵のシステムはそんな単純ではないとわかってはいるが、少なくとも昔の自分だったら、そんな理由で急成長を始めて、積み重ねた努力をあっさり抜き去られたなんて言われても、到底納得できなかっただろう。

 

 多分、というか間違いなく、後輩達も納得するとは思えない。

 『ベルに凄いスキルが発現した』とだけ言っている今でも不満の溜まり方がヤバくて、どうしてもベルに対してキツく当たってしまい。

 それを冒険者志望じゃない子達に咎められ、ギスギスした空気のせいで小さい子達には泣かれ。

 冒険者志望の子達は、自分達が悪いと知りつつも、どうしようもない黒い感情との板挟みで苦しんでいる。

 そこにスキルの詳細なんか知らせたら、間違いなく火に油だろう。

 だから……。

 

「ウチにいたままじゃ君は絶対に『英雄』にはなれないし、周りの皆は嫉妬に焼かれて苦しむだけ。

 本当に夢を追う気があるのなら、何より皆のことを思うなら。

 君の光に押し潰されないくらい強い人達、『英雄』の仲間に相応しい凄い人達がいるところへ行くべきだ」

 

 スピネルは、ベルを追い出すという汚れ役を引き受けてでも、この状況をどうにかしようと決断した。

 この二週間、ヘスティアと一緒に頭を抱えながら色々と頑張ってきたが、事態は何一つとして改善されなかった。

 ベルの急成長を見せつけられ続けてきた冒険者志望者達と、実情を知らないからこそ、純粋な正義感でベルを擁護するそれ以外の子達の間で大きな溝が生まれ。

 その溝が日に日に深くなって、ファミリア全体の空気がどんどん悪くなってしまっている。

 このままでは、ベルという爆弾によってファミリアが吹き飛ぶのも時間の問題。

 圧倒的な手腕でもあれば上手く纏められたのかもしれないが、下界に降りて2年ぽっちの新米女神と、自分自身が安定したのすら最近のチビっ子団長では荷が重すぎる。

 

 これは自分達の手に負えない。

 だからこそ、彼女は選択して決断したのだ。

 ベル・クラネルを追い出してでも、ヘスティア・ファミリアを守るという苦渋の決断を。

 そうじゃないと、両方とも失うと思ったから。

 

「………………」

 

 スピネルの言葉は、とても12歳の口から出てきたとは思えないほどにしっかりと筋が通っていて、ベルは何も言えなくなった。

 

「……ベル」

 

 そうして押し黙るベルを。

 追い出すという決断をしてしまった後輩を━━スピネルは優しく抱きしめた。

 

「え!? ス、スピネルさん!?」

「ごめんね。でも、これだけは覚えておいて。━━お姉ちゃんは君を応援してるよ」

 

 スピネルは、【小さな姉(リトル・シスター)】と呼ばれる上級冒険者は。

 自分の思うところを飲み込んで、罪悪感も全部飲み込んで、反則としか思えないほど天才な後輩を優しく抱きしめた。

 

「嫉妬されるのはしょうがない。

 だから、嫉妬されても堂々と前を向いて、こいつになら負けてもしょうがないなって思わず周りを納得させちゃうような、そんな立派な男の子になってほしい。

 とんでもない人材を逃しちゃったなって私に後悔させるような、そんな凄い英雄様になってほしい。

 ━━頑張れ、ベル」

「は、はははは、はい!!」

 

 薄くとも柔らかい胸に顔を包まれてヨシヨシとされ、ベルは思いっきり気持ちが上向いた。

 せめてものメンタルケアは、思ったより効果抜群だった。

 それこそ、下手したら『憧憬一途(リアリス・フレーゼ)』が揺らいでしまいかねないほどに。

 好みドストライクの見た目な上に、血の繋がっていない優しいお姉ちゃんというのは、男の憧れなのだ。

 

 

 

 その後、ベルは孤児院(ヘスティア・ファミリア)を追放というか、卒業という形で脱退。

 多くの仲間達に別れを惜しまれ、冒険者としての先輩達には忌々しいものを見る目で見られながら去った。

 彼がいなくなった後のファミリアは、ヘスティアとスピネルが死ぬ気で建て直した。

 滅茶苦茶大変だったが、元凶が遠ざかってくれたのと、団員達が小さな団長に負担をかけ続けるわけにはいかないと思ってくれたのもあって。

 完全に元通りとまではいかないものの、どうにか運営に支障が無いと言えるくらいには改善されてくれた。

 

 そして、去ったベルは裏で話が通っていた(宿敵に頼み込むということでヘスティアは渋い顔をしたが、可愛い眷族のためにプルプルと震えながら頭を下げた)ロキ・ファミリアに、入団試験を受けた上で入団。

 最強派閥の中ですら思いっきり浮く超速成長で曇らせ被害者達を大量発生させたが、さすがにオラリオ最高峰を間近で見てきたロキ・ファミリアの光耐性は中々のもので。

 首脳陣の胃痛及びロキからヘスティアへの度重なる苦情(ぐち)と引き換えに、どうにか最悪の事態だけは避けて、ベル・クラネルは表向き幸運と栄光に満ちた英雄街道を爆走した。

 

 その裏で、ヘスティア・ファミリアは何人もの上級冒険者達を輩出。

 卒業して他派閥に移り、そこで冒険者の高みを目指す者。

 スピネルのように運営側として残る者。

 冒険者を選ばず他の仕事につく者と、それぞれの人生を歩んだ。

 そして、彼らの多くは、路頭に迷っていた自分達を救い上げてくれた優しい主神と団長に、心から感謝していたという。




英雄(ベル・クラネル)を嫌いになるのは間違っているだろうか 〜完〜


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