英雄cp妄想 (あほうどり)
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ebur

頭上に広がる雲ひとつない空。

夏が近づいてきたせいか日差しは強く、額には僅かに汗が滲む。

 

優等生につもりなんて無いけど、それでも、他のみんなが授業を受けているのに1人だけサボるのは、多少罪悪感があった。

 

「……めんどくさ」

 

私がもっと適当なら、罪悪感も感じることなくサボってるだろう。

私がもっと真面目なら、サボることなく高校生活を謳歌しているだろう。

だけど、結局私は中途半端でしかない。

 

自分の思考を断つように、隣に置いていたペットボトルの蓋を開ける。

プシュッという音と喉を刺す炭酸は、今日の空に似て、憎たらしいほど爽やかだ。

 

「何やってんだろ、私」

 

クラスのみんなは優しいし、教室の居心地だって決して悪くない。

なのに何故か逃げ出したくなるのは、私がどうしようもない人間だからだろうか。

 

腰掛けていた高めの段差から降り、ゴツゴツして最悪なコンクリートに寝転がる。

視界いっぱいの青い天井は、私と違って元気そうだ。

 

全身の力を抜いてボーッと空を眺めていると、ふと何かの音が鼓膜に届いた。

 

規則的に響くそれに耳を澄ます。 少しずつ大きくなる軽快な音は、どうやら足音のようだ。

どれだけ待っても聞こえてくるのは1人分だけで、それはつまり、授業で屋上を使ったりするのではないと言うこと。

 

もしかしたら、担任が私を連れ戻しに来たのかもしれない。

 

そう考えて体を起こし、ペットボトルを持って、備え付けのソーラーパネルの陰に隠れる。

いつまでも隠れ続けるのは無理だろうけど、一瞬だけなら誤魔化せるはずだ。

 

息を潜め、金属製の扉をじっと覗く。 足音は階段を登り始めたくらいで、数秒後にはその扉の向こうに辿り着くだろう。

 

来た……!

 

扉の前で足音が止まり、ドアノブが捻られる。

扉が開き始めたタイミングで顔を引っ込めて、覗くのを辞めた。

 

「え、なんか開いてね。 まじか」

 

耳に届く男の声。

聞き覚えの無い声で、少なくとも担任では無いのは確か。

 

もう一度陰から顔を出す。

後ろ姿しか見えないが、紺色のブレザーを見るに同じ生徒だろう。

染めているのか、綺麗な色の金髪が、陽の光でキラキラ輝いている。

 

「はぁーーーー……」

 

大きく脱力。

先生かと警戒してみれば、やって来たのは私と同じサボり。 さっきまでの緊張を返して欲しい。

 

私が座っていた場所に腰掛けてスマホを弄るソイツは、まだ私に気付いてないみたいだ。

 

「ちょっと」

 

「ぅおえ!?」

 

ソーラーパネルの陰を出て声を掛ける。 驚いて叫び声を上げる金髪の男。

 

私に振り向いた顔は、此方こそ驚いてしまうくらいには整っていた。

 

「そこ、私が座ってたんですけど」

 

「え、え? あなた誰ですか!? あなた誰!?」

 

「そっちこそ誰ですか?」

 

「え、あ、私エクス・アルビオって言います……」

 

エクス・アルビオ。 聞き覚えは特に無い。

学年証は私と同じ1年を示しているけど、金髪でこんなに背の高い男は入学式でも見た記憶が無い。

 

「あの、どちらさまですか……?」

 

ずっと同じ質問をする金髪の男ことエクス・アルビオ。

答えなくてもいいけど、向こうの名前を聞いた以上は答えてあげる方が良いか。

 

「私一ノ瀬うるはって言います。 エクスさん? はサボりですか?」

 

「あ、はい、サボりっす。 あとエクスアルビオって言いにくいならエビオでいいっすよ」

 

「エビオ……?」

 

ニックネームだろうか。 斬新というか独特というか、名前から変な切り取り方をしている。

というか、初対面でニックネームを呼ぶのは中々ハードルが高いのだが。

 

「そこ座っていいですか?」

 

「あ、はい。 どうぞ。 一ノ瀬さんもサボりっすよね?」

 

「そうですけど」

 

「っすよねー」

 

距離感を掴めない気まずさ。

初対面のサボり同士、何を話せばいいのか全く分からない。

 

どうすればいいのか分からず、持っていた炭酸飲料を呑む回数だけが増えていく。

 

「あー、一ノ瀬さんって何組ですか?」

 

「私は2組です」

 

「2組って事は、あれか。 小森めとって居ますよね」

 

「え、エクスさんってめとの事知ってるんですか?」

 

エクスさんの口から出た予想だにしない名前に驚く。

 

めとは小さい頃からの幼馴染で、私の親友とも言える存在。 エクスさんとどういう関わりがあるのか、かなり興味がある。

 

「僕の友達がそのめとさんの友達で、そこ繋がりで一緒にゲームしてるんですよ。 偶に。 まだ直接会ったのは2回だけですけどね」

 

「へぇ、じゃあめととは友達なんですね」

 

「っすね。 なんか適当に話しても通じるから楽しいっす」

 

「ふ〜ん……」

 

屋上で出会った同じサボり魔が友達の友達だった、なんて凄い偶然だ。

 

こうして話している感じ、めととエクスさんは気が合いそうだし、仲良くなるのも頷けるけど。

 

「私めとと幼馴染なんですよね」

 

「へぇ〜、凄いですね。 なんかこういう事あると、世界狭いなって思います」

 

「ですね」

 

ポツポツと続いていく会話。

気まずさはあるけど、一人で憂鬱な時間を過ごすよりはこっちの方がいい。

 

知らない人と話すのは得意な方では無いけど、完全な初対面だからこそ話題には困らないし。

 

「エクスさんって何組なんですか? 入学式で見た記憶無いんですけど」

 

「俺3組です。 入学式は普通に寝坊したんで参加してないです」

 

「え、ほんとに言ってます?」

 

「やばいっすよね。 全然春休みの気でいたら入学式当日でビビりましたもん」

 

話しながらコロコロと表情を変えるエクスさん。

よく笑うし、不思議と良い人そうなのが伝わってくる。

 

まだ会ったばかりだし、実はクソ野郎の可能性もあるけど、ちゃんと仲良くなりたいと思える人だ。

 

「俺、またここ来てもいいっすかね。 一ノ瀬さんが嫌なら違う場所探しますけど」

 

「いや、良いですよ。 私もずっと居るわけじゃないし、エクスさんが自分で見つけたじゃないですか」

 

「っす、じゃあ偶にサボりに来るんで、その時はよろしくお願いします」

 

エクスさんが勢いをつけて段差から立ち上がるのと同時に、授業の終わりを知らせるチャイムが鳴った。

 

「俺今日はもう帰るんで、また会ったら仲良くしてください」

 

「此方こそ、これからよろしくお願いします」

 

軽く頭を下げ、手を振りながら去っていくエクスさんを見送る。

最初はどうなるかと思ったけど、なんだかんだ良い結果になって良かった。

 

校門を出ていく2人組を見下ろす。

次に会うのは何時になるだろう。

 

 

 

★★★

 

 

 

チャイムが鳴った瞬間教室を飛び出す。

この数日間ずっと真面目に授業を受けていた反動か、今にも息が詰まりそうだ。

 

人が見ていないのを確認して屋上への階段を登り、金属製の扉を押す。

風が強く吹き込んできて、夏特有の少しじめっとした空気を感じる。

 

青空に晒されたコンクリートに1歩踏み出すと、いつもの場所に座るサボり魔を見つけた。

 

「うぃーす、エビオさん久しぶり〜」

 

「お、のせさんじゃん。 久しぶり。 1週間ぶりくらいじゃん」

 

「うち超頑張ったわ……。 もうマジでしんどい」

 

倒れ込むように段差に腰を下ろす。

日光の力によって熱を持ったコンクリートは、スカート越しに私の体を焼こうとしてくる。

 

「のせさんこれ敷きな。 熱いでしょ」

 

「マジ助かる〜」

 

エビオさんから柔らかいタオルを受け取る。

有難くお尻の下に敷かせてもらうと、格段に座りやすくなった。

 

「ほんとにしんどそうね。 これ口付けてないから飲んでいいよ」

 

「至れり尽くせりじゃん」

 

もらったカルピスの蓋を開け、ペットボトルを傾ける。

冷たさと甘さが、まるで身体の隅々まで染み渡っていくみたいだ。

 

「っはぁ、ありがとねエビオさん。 お陰様で生き返ったわ」

 

「のせさん相当疲れてそうだったしね。 ここでのんびりしようぜぃ」

 

「ねー」

 

狭い段差の上で上半身を倒す。

真上には、やる気を出し始めた太陽がこれでもかと輝いていて、半袖だと言うのにとてつもなく暑い。

 

腰付近はタオルがあるけど、肩甲骨なんかはコンクリートの熱まで伝わってきている。 これじゃ休めるわけが無い。

 

「ねぇエビオさん、寝れないんだけど」

 

「じゃあ日陰に行けば良くない?」

 

「つまんない男だね」

 

「は? やばお前」

 

中身のない会話の途中で、柔らかい何かが突然顔に被さる。

びっくりして持ち上げたそれは、私が敷いているものと似たタオルだった。

 

パッと顔を上げると、金髪の上半分が段差から突き出している。

エビオさんは段差を背もたれにして、地面に座っているみたいだ。

 

「ありがとエクスさん」

 

「疲れてるなら早く帰った方がいいぞ、マジで」

 

「ちょっと寝たら帰る……」

 

貰った2枚目のタオルを背中に敷く。

ぐっと体を伸ばすと無意識に欠伸が零れた。

 

先週の木曜から1度もサボることなく迎えた金曜日。

他のみんなと過ごすのは楽しいし、授業だって嫌じゃない。 ただ、時々こうやって息抜きをしないと息が詰まる。

 

……そういえば、エビオさんは何でここにいるんだろう。

 

頭の片隅に湧いた疑問。

エビオさんとは一月くらいの付き合いだけど、私の知る限り、エビオさんは私みたいに息抜きが必要な性格とは思えない。

 

勿論私が見たものが全部じゃないだろう。 だけど、私に似ているとはどうしても思えない。

 

「エビオさんは何でサボってんの?」

 

「え? めんどくさいから」

 

返ってきた簡潔な答え。

なんともまぁエビオさんらしい返事に、思わず笑ってしまう。

 

「勉強とか好かんのよな、俺。 最低限しか受けたくない」

 

「エビオさん真面目に授業とか受けそうなのにね」

 

「そう? サボれるなら普通にサボるよ」

 

話しながら私の方へ振り向くエビオさん。

金色の髪も空と同じ色の瞳も、白いシャツと相まって夏空によく映える。

 

「エビオさん顔良いしめっちゃ目合うし、普通にモテそう」

 

「うわ、そういうこと言うんだ。 モテないのにモテそうって言われた時が人間いっちゃん傷つくんだから」

 

「おもろ」

 

傷口を抉ってしまったみたいで、エビオさんが呻き出す。

 

エビオさんに恋人が居ないのは少しだけ驚きだ。

イケメンだし性格も良いし、たまにデリカシーが抜けてることを気にしなければ幾らでも恋人なんて作れそうなのに。

 

意味もなくエビオさんの恋愛事情を考えながら目を閉じる。

 

深呼吸をすると、息を吐くのに合わせて体の力がゆっくりと抜けていき、眠気が瞬く間に全身を支配していく。

 

……流石に男子の前で寝るのはやばいかな。

 

意識が落ちる直前に浮かんだ思考は、そのまま黒に塗りつぶされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どこからか聞こえる誰かの声。

それはとても聞き覚えがある気がして、誰だろうと考える。 そして、今私が寝ていることを思い出した。

 

「のせさん!」

 

強めに体を揺すられ、瞼が開く。

 

「ガチ寝じゃん。 もう帰るよ」

 

「え、めと……?」

 

のっそりと体を起こすと、目の前には何故かめとが立っていて、ついさっきまで真上にあった太陽は大きく傾いている。 コンクリートも今は熱いという程でも無い。

 

上手く働かない頭のままカルピスを口に含む。 冷たかったはずのソレはすっかりぬるくなっていた。

 

「……え、もう夕方?」

 

「もう5時過ぎてる。 エビオさんが教えてくれなかったら、のせさんここに取り残されてたよ」

 

呆れた表情のめとを見て、だんだん状況が飲み込めてきた。

周囲を見回してもエビオさんの姿は無く、私使っていたタオルだけが取り残されていた。

 

「エビオさんは?」

 

「ちょっと前までここに居たみたいよ。 流石に時間やばいからって言って私んとこに来たもん」

 

「まじかぁ……」

 

今までの人生、学校でここまで熟睡したことは無い。

寝顔とかタオルとか申し訳なさとか、色んな単語が頭のなかでぐるぐると渦を巻く。

 

ついさっきまで。 という事は、5時前くらいまでは私が起きるのを待っていてくれたと考えていい。

 

学校は4時頃に終わる。 つまり、私は1時間近くエビオさんを待たせていたわけで。

 

「死にたい」

 

罪悪感と羞恥心で顔を覆う。

 

親しくなったとはいえ、流石に油断しすぎでは無いだろうか。

ちゃんと迷惑をかけるのも、寝顔を見せるのも、覚悟が全く足りていない。

 

「荷物持ってきてあげたから、さっさと帰るよ」

 

「ごめん、ありがと」

 

通学用のカバンを受け取り、エビオさんのタオルをその中に仕舞う。

明日にでも洗って返そう。

 

「のせさんここでサボってたんだね〜。 エビオさんが屋上に上がってるのは知ってたけど、サボり仲間的な?」

 

「そんな感じ。 1人よりも退屈しなくていいわ」

 

「うちも今度サボり来ようかな」

 

「まじ? ちなみに今の時期めちゃくちゃ暑いよ」

 

寝てる間にすっかり人気の無くなった校舎を2人並んで降りていく。

 

「エビオさん、明日も屋上来るかな」

 

窓から覗いた夕焼けに染まりかけた空は、サボり魔の髪と同じ色をしていた。

 

 

 

★★★

 

 

 

夏真っ盛りの屋上、話し声のバックに夥しい量の蝉の声。

日をたっぷり浴びる椅子替わりの段差とはサヨナラして、今は2人並んで日陰の中。 地面がひんやりしていて気持ちいい。

 

「エビオさん、イブラヒムさんと付き合ってんの?」

 

「え、付き合ってないけど、なんで?」

 

最近気になっていたエビオさんの噂を聞いてみると、本人によってバッサリと切り捨てられる。

当然無いとは思っていたけど、まさかここまで呆気ないとは。

 

「いや、エビオさんとイブラヒムさんが2人でサボってデートしてたって噂で聞いて」

 

「サボってゲーセンとかは行ったけどデートじゃないぞ、別に」

 

「まぁそうだよね。 普通に親友って感じするし」

 

付き合ってるなんて噂が立つくらい、エビオさんとイブラヒムさんは仲がいい。

月に2回くらい、エビオさんは屋上に来たあとイブラヒムさんと帰ってるし、街でも時々2人でいるのが目撃されている。

 

友達という言葉を中々使わないエビオさんが、イブラヒムさんを親友と言ったときは素直に驚いた。

 

「エビオさんとうちって友達なん?」

 

「友達じゃない? この学校だとのせさんは断然仲良い方よ」

 

「おー。 ちなみにうちの中でエビオさん3番目だよ」

 

「それどう反応したら正解なの?」

 

エビオさんの困り気味なツッコミに2人して笑う。

別に面白いことを言ってるわけじゃないのに、空気感のせいで面白くなってしまう。

 

笑ったせいで体温が上がったのか、首筋を汗が流れて擽ったい。

 

「にしても暑くね。 これクーラーついてる教室の方が絶対良い」

 

「扇風機もってないの?」

 

「それどこで買うの?」

 

「調べたら出てくるよ」

 

充電式のハンディ扇風機の風を向けると、エビオさんは涼しそうに目を細める。

 

「逆にエビオさんのそれ、ゴリ押し過ぎじゃない?」

 

「ちなむとこれ超涼しいぞ」

 

保冷バッグの中にパンパンに詰められた保冷剤の山。

貸してもらった保冷剤をひとつ首筋や太ももに当てると、当てた部分の熱が急速に奪われていくのが分かる。

 

「これ溶けなかったらほんと最強だわ……。 エビオさん?」

 

横目で見たエビオさんと珍しく目が合わない。

いつもなら、こっちが恥ずかしくなるくらいには目を見て話してくるのに。

 

「のせさん、保冷剤当てるときにあんまり服とか捲らんでほしい。 普通にビビったんだけど」

 

「あー、そういうこと。 エビオさん紳士じゃん」

 

「紳士とかじゃないだろこれは」

 

考えずにやってたけど、確かにスカートとかシャツとか結構ズラしてたかもしれない。

着ている私はあの程度じゃ下着が見えないのがわかるけど、エビオさんからは分からなくて当然。 視線を逸らしたのも納得できる。

 

「エビオさん育ちいいなって時々思うわ」

 

「良くは無い。 普通だろ普通」

 

「その普通が出来ないんだって」

 

タオルで滴る汗を拭い、奢ってもらったポカリを1口。

冷たさを失った液体が喉を伝う。

 

「……もうすぐ夏休みだね」

 

「ね。 のせさん何か予定とかあんの?」

 

「特には。 エビオさんは?」

 

「友達と6人くらいで旅行行くかも」

 

「へ〜、いいじゃん」

 

日向と日陰の境目をボーッと眺めながら、エビオさんの言う6人の友達を考える。

 

めとは……無い。 旅行に行くなんて話しは聞いてない。

エビオさんの友達ならイブラヒムさんは入ってるとして、あと5人、誰だろう。

 

特に意味は無いけどやることもないから考えてみて、はたと気づいた。

 

「うちさぁ、エビオさんのこと思ったより知らなくない?」

 

イブラヒムさんとめと以外に仲のいい人を聞いた事がない。 それどころか、趣味も好きな食べ物も何もかもを知らない。

 

屋上で会っても話すのも近況や雑談ばかり。

自己紹介をした事は無く、自分の事もさほど話さない。

 

記憶を探っているのか、エビオさんは視線を空に向けながらあー……と呟き、軽く頷く。

 

「言われてみればそうだわ。 俺ものせさんのこと全然知らない」

 

「だよね。 なんか自己紹介とかやっとく?」

 

「今更自己紹介? 遅くね?」

 

「でも手っ取り早くない?」

 

「早くはあるけど、別にそこまで気にしなくても良いでしょ。 1年後とかにはどうせ色々知ってるし」

 

「え、まぁ……そうだね?」

 

さも当たり前みたいに1年後も一緒にいる前提で話すエビオさん。

不意をついたその発言に、無性に恥ずかしさが湧いてきた。

 

コイツ、ほんとに距離感グイグイ詰めてくるな……。

 

外気に負けじと熱を帯び始めた頬を隠すように、タオルで顔の汗を拭う。

朝からメイクを面倒くさがったおかげで、こういう事をしても崩れる心配が無いのは気楽でいい。

 

「エビオさん、これからもサボり仲間としてよろしく」

 

「おぉ、よろしく……。 急にどうした?」

 

「何となく言っとこうと思って」

 

「なるほどね」

 

下の階から授業の終わりを知らせるチャイムが聞こえる。

横目でエビオさんの様子を伺うも、動く気は無いみたいだ。

 

私も汗だくのまま廊下を歩くのは気が引けるし、今日の残りは全部ここで過ごすとしよう。

 

最初の頃とは違う、気まずくない無言。

ハンディ扇風機の駆動音と蝉の音が混じる真夏の屋上は、2人なら不思議と過ごしやすい場所だった。

 

 

 

 

★★★

 

 

 

すれ違う人たちの視線を受けながら我武者羅に走る。

まだまだ消える気配のない夏の暑さから汗の雫が流れ、首筋を落ちていく。

 

特別な何かがあったわけじゃない。 ただ唐突に、これ以上は無理だと感じてしまった。

 

体調が悪いと嘘をついて教室を離れ、人が居ない場所を求めて学校すら飛び出した。

屋上に行くことも思いつけないくらいめちゃくちゃな思考で、今はただ前に進むことしかできない。

 

一人になりたいという漠然とした考えだけでアスファルトの地面を駆け、辿り着いたのは小さな寂れた公園。

理想通り人は居らず、滑り台やブランコなどの遊具が幾つか佇んでいるだけ。

申し訳程度に置かれたボロボロのベンチに腰掛け、乱れた呼吸を整える。

 

……悪いことしちゃったな。

 

ベンチにもたれ掛かり、思い浮かべるのは友人達のこと。

いきなり学校を飛び出した私を心配してくれているだろうか。 それとも、またサボりだといい加減呆れているだろうか。

 

一緒に過ごすのは断じて嫌じゃない。 だけど、学校の空気が私にはどうしても耐えられない。

 

「……ほんとに何してんだろ」

 

教室にいるみんなと今の自分を想像して、視界がぼやける。

 

一人にはなりたくないのに、大勢の人と長い時間居ることが苦痛でしかない。

こんな面倒な自分が嫌だ。

 

「寂しい……」

 

ポロリと本音が溢れる。

誰か一人でいい。 誰か、私と一緒に居てくれる人は……。

 

「……え」

 

スマホがポコンとメッセージの送信音を鳴らし、ハッと我に返る。

 

ほぼ無意識のうちに送ったメッセージ。

内容は? 相手は? 両手で持った金属板の液晶に目を走らせる。

 

相手は……エビオさん。 メッセージは、『いっしょにいてほしい』……?

 

全部を理解し、急激に脳が思考速度を速くする。

 

なんでエビオさんに送った? めとじゃなくて? サボり仲間だから? というか、今授業中じゃん。 しかもこの内容、メンヘラみたいじゃない? これどうすればいい?

 

ぐちゃぐちゃの思考のままメッセージの送信取り消しをタップ。

エビオさんに迷惑かけたいわけじゃなくて……。

 

「うぇっ!?」

 

爆音を奏でながら震え出すスマホ。

思わず取り落としそうになるのを堪える。

 

画面にはエビオさんの文字。

……これ、通話?

 

「……も、もしもし」

 

『もしもし。 のせさん何かあった?』

 

スマホから聞こえるエビオさんの声。

落ち着きを取り戻していない脳では上手く会話を消化できず、疑問が口をついて飛び出した。

 

「今授業中じゃないの?」

 

私が学校を飛び出したのが休み時間で、そこから10分以上経っている。 となれば、今は授業が始まったばかりのはずで。

 

『え、サボってるけど……。 今更すぎじゃない?』

 

私の質問に戸惑うように答えるエビオさんの声。

 

男の人にしては通りやすいその声を聞いて、胸に巣食っていたモヤモヤしていた気持ちが1粒の涙になって頬を流れた。

 

『のせさん?』

 

「……っ、ごめん。 場所送るから、暇なら来てくれると嬉しい」

 

『おっけ。 すぐ行くね』

 

即座に返ってきた返事に胸の中心が締まる感覚がして、左手で抑える。 いつの間にか口角も上がっていた。

 

「じゃあ待ってる」

 

『は〜い。 じゃね』

 

「うん」

 

終了ボタンをタップした時には、まるで生まれ変わったみたいに気分は楽になっていた。

初めて会った時も、今も、エビオさんと話すと鬱蒼としていた気持ちがすっきりする。 エビオさんはまるで私の太陽みたいだ。

 

…………そういうこと、なのかな。

 

胸を掴んでいた左手を視線の高さに持ち上げる。

エクス・アルビオはただのサボり仲間で、友達だ。

顔も、声も、スタイルも、性格も良い。 だけど、想像していたような男性像には程遠い。

 

そういう考えは、息が上がったエクス・アルビオの姿を見た瞬間に吹き飛んだ。

 

 

 

◾︎◾︎◾︎◾︎◾︎◾︎

 

 

 

電話が切れたのと確認し、勢いをつけて立ち上がる。

スマホも財布も持っている。 カバンの中のモバイルバッテリーだけが心残りだけど、その辺はイブラヒムに頼めばいい。

 

メッセージに届いた場所は見知らぬ公園。 学校からはそこそこ距離があって、なんでそんな場所にいるのか疑問に思う。

 

「っし、行くか」

 

重い扉を通って校舎の中に入り、階段を掛けおりる。 これからずっと走ることになるし、スタミナは温存しないと。

 

一目見た時に受けた、雷に撃たれたと勘違いするくらいの衝撃。

風に靡く黒と青の髪も、憂鬱の色を湛えるアメジストの瞳も、どうしようもないくらいに網膜に焼き付いた。

屋上で後ろから声をかけられたあの瞬間から、俺は一ノ瀬うるはという存在に落ち続けている。

 

校門を抜け、人の行き交う歩道を走る。

運動が得意な自分に人生で1番感謝した。

 

こうして頼られておいて到着が遅かったらかっこ悪い。

出来るだけのせさんにはかっこいいところを見せて、是非とも俺を好きになって欲しい。

3番目じゃ、満足出来ない。

 

右手に持ったスマホで道を確かめながら、着々と目的地へと近づく。

 

今更だけど、汗臭いんじゃないか。 でもシーブリーズとか制汗シートはカバンの中じゃん。

どんどん浮かんでくる余計な思考を振り切り、公園の入口に辿り着く。

 

速度をゆっくり落としながら、奥のベンチに座るのせさんの元へと歩いていく。

 

「……お待たせ」

 

「速いね。 ……来てくれてありがと」

 

目の前まで来ると、のせさんはフッと口元を緩めた。

 

息は切れて。 汗だくで。

でも。

少しだけ潤んだ瞳で微笑むその顔を見れただけで、走った甲斐があった。



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独占欲ebna

洗面所の鏡に映る上裸の俺。

シャワーを浴びる前は寝起きだったこともあり、不覚にも気が付かなかった。 だが、シャワーを浴びた今は血色が良いのもあってソレがよく目立っている。

 

深呼吸で自分を落ち着けて、シャツに腕を透す。

脱衣場からリビングへと通じる扉を開くと、のあさんがソファに座って寛いでいた。

 

後ろから首に腕を回して凭れ掛かる。

柔らかい髪に顔を埋めると、俺より先にシャワーを浴びたからだろう、シャンプーの甘い香りが鼻をくすぐる。

 

抵抗する気のないのあさんを抱きしめ、耳元に口を近づける。

 

「のあさんさ、昨日俺が言ったこと覚えてる?」

 

「何が? ていうか髪ちゃんと乾かしなよ。 事務所行くんでしょ?」

 

「そうなんだよ、俺事務所行くんだよ。 なにこれ?」

 

のあさんから腕を離してシャツの襟元を引っ張り下げる。

首から鎖骨くらいまでをのあさんに見えるように晒すと、のあさんは首を反らして俺を見上げた。

 

ついさっき鏡で見て気がついた、首筋から鎖骨にかけてポツポツと浮かぶ紫斑。

人によっては虫刺されや痣に見えるかもしれないけど、これが何か、わかる人にはひと目でわかるだろう。

 

「見えるとこにキスマーク付けないでって言ったよね? 俺。 しかも俺が寝てる時に付けたでしょ」

 

そこまで余裕があったわけじゃないが、昨日の夜に付けられた記憶は全くない。

つまりのあさんは、わざわざ俺が寝てる間にキスマークを付けたことになるわけで。

 

俺を見上げる翡翠の瞳が俺の顔から首元へと移る。

そして、こちらへ体を向けたのあさんが、今度は俺の首に腕を回して俺を抱き寄せた。

 

首筋に柔らかいものが当たる感触。

 

「……俺怒っていい?」

 

「──っは。 だめ」

 

長いリップ音の後に残る赤い痣。

新しく増えたキスマークを見て嬉しそうに微笑むのあさんは可愛いが、この流れで更に増やすのはちょっと俺を舐めすぎだと思う。

絆創膏をつけたところで、数が数だけにバレるのも目に見えている。

 

えらくご機嫌なのあさんに対し、俺は人前に出る気分じゃ無くなっていた。

 

「せめて理由は聞かせてくれん? じゃないとほんとに怒るよ」

 

湿って重くなった前髪越しにのあさんへ視線を送ると、のあさんは首を傾けてキョトンとした顔を見せる。

 

「だってエクスさん、事務所行くんでしょ?」

 

「そうだけど」

 

「にじさんじってめっちゃ人多いし、他の人にエクスさん狙われるかもしんないじゃん。 だからアピールしとこ思て」

 

のあさんからの返答に動かしていた手が止まる。

 

嫌がらせとかのネガティブな理由じゃない事は分かってたけど、え?

俺が他の人に靡くと思われてる? 嘘でしょ?

 

「俺、ちゃんとのあさん一筋だけど」

 

「そんなん分かっとるわ。 でもそれとこれとは別で、ぼくのエクスさんって見て分かるようにしときたい」

 

俺の顔から襟元までを眺め、のあさんが満足気に答える。

 

可愛らしい独占欲を見せられるくらいに愛されているのは嬉しいけど、本当に無関係の人にまで見られる俺の身にもなって欲しい。

 

「スタッフさんにまで見られんの、シンプルにめっちゃ恥ずい」

 

「まぁ、ぼくを選んだエクスさんの責任ってことで。 ちな、今更逃がさへんからな?」

 

「いや逃げんけども。 あー、これ絶対弄られるに決まってるわ」

 

今日はなるべく事務所に人が少ない事を祈るしかない。

仲良いライバーならともかく、ほぼ関わりがない人に見られるのが1番恥ずかしい。

 

恋人からのマーキングの跡をさすりながらソファに腰を下ろす。

手触りに変わりは無いけど、愛されてるのが指先に伝わってくる気がした。

 

…………次に事務所行く時ものあさんに伝えるようにしよう。

 

 

 

 

 

★★★

 

 

 

 

 

全身鏡の前で体を回す。

メイクOK、髪のセットもOK。 服もちゃんと可愛い。

 

セナとの約束の時間までには余裕があるし、待ち合わせ場所まで歩いて向かっても間に合う。

カバンに最低限の貴重品を詰めて肩にかける。

 

準備を終えて自分の部屋を出ると、エクスさんがリビングから顔を覗かせた。

 

「のあさん、今日俺の香水使う? この前好きって言ってたやつ」

 

エクスさんが右手に持った小瓶を揺らす。 そういえば一昨日にそんな話もしたっけ。

 

エクスさんいつもが使っている、爽やかで優しいエクスさんらしい香りの香水。

気持ちは有難いし、付けたい気持ちも無いわけじゃないけど……。

 

「ごめん、もう自分の付けちゃったんだ」

 

「あー、おっけー。 行く時気をつけなよ」

 

「うん、ありがと」

 

特にガッカリした様子も無くリビングに戻っていくエクスさん。

わざわざ覚えててくれたのだろうか。 だとしたら、ちょっとは嬉しい気持ちがないでも無い。

 

『気をつけなよ』なんて、心配ならちょっとくらい着いてきてくれればいいのに。

 

そんな事を考えながらブーツを履いていると、再びリビングのドアが開く音。

他に用事があったのかと思って後ろを振り返ると同時に、ぼくの隣に何かが置かれる。

 

「今日俺のパーカー着ていきな。 ちょっと寒くなるらしいから」

 

軽く畳まれた白いパーカー。

エクスさんが愛用していて、ぼくも度々使っているものだ。

 

「エクスさん今日使わんの?」

 

数ある洋服の中でも、赤い英雄シャツに並んでこのパーカーはエクスさんのお気に入りだったはず。

そう思って聞いてみると、エクスさんは優しく笑った。

 

「俺強いから平気よ」

 

左手でガッツポーズをつくるエクスさんを見て、ぼくも思わず笑ってしまう。

そういう事なら使わせてもらおう。

 

「じゃあ借りとくね。 いってきます」

 

「いってらっしゃい」

 

玄関の扉を開いてマンションの廊下に出る。

歩きながら借りたパーカーを羽織ると、ふわりとエクスさんの匂いに包まれた気がした。

 

 

 

 

 

待ち合わせ予定の駅前に到着すると、先に着いていたらしいセナがベンチに座って待っていた。

時間は丁度ピッタリくらい。 もうちょっと急いでも良かったかもしれない。

 

「セナ、お待たせ」

 

「うぃーす、のあ先ぱ……うわっ」

 

「は?」

 

駆け寄ったぼくにセナが顔を顰める。

そんな反応をされるとは想像もしていなくて、思ったことがそのまま口から漏れた。

 

そこまで変な格好はしてないはずだし、駆け寄ったと言っても髪が崩れない程度の速度。 そんな引かれるような反応をされるのは絶対におかしい。

 

「『うわっ』てなんや、『うわっ』て。 そんな顔される覚えないぞ」

 

「え、のあ先輩気づいてないの?」

 

「なにが?」

 

問いには答えないまま、セナがぼくをあらゆる角度から見回し、顔を近づけてくる。

周囲をぐるぐると回りながら見られるのはファッションチェックみたいでどこか恥ずかしい。

 

そのまま1周し、2周目の背中側に行ったところでセナが足を止める。

 

「……のあ先輩、これエビオさんの?」

 

「そうだよ」

 

サイズ大きいでしょ? とブカブカの袖を広げてみせる。

後ろに居るから分かりづらいけど、セナが思いっきりため息をついた事だけは分かった。

 

「なんか、まぁ……大事にされてんね」

 

パーカーのフードを引っ張りながら言葉を濁すセナ。

フードの中に何かが入っている感触も無いけど、テープとかが付いていたのだろうか。

 

「なんかあった?」

 

「んー、そんな感じかな。 そのパーカー、エビオさんに何て言って渡された?」

 

「『今日ちょっと寒いから』って」

 

「……ちなみに今日、暖かくは無いけど寒くもないよ」

 

「そうなの?」

 

ぼくも天気予報の気温まで覚えてないから分からないけど、エクスさんの勘違いか?

パーカーを着てても暑くないし、別にどっちでもいいけど……。

 

「まぁ着てて良いと思うよ」

 

投げやり気味にそう言ったセナがフードを被せてくる。

髪もセットしているし抵抗すると、元々本気でもなかったのかすぐにフードから手を離した。

 

……あれ。 なんか一瞬、エクスさんの匂いが強くなったような……。

 

「行こ」

 

「あ、うん」

 

呆れたような雰囲気のセナに並んで、駅の中へと足を進める。

今は何の違和感も無いし、気の所為か。



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ebnaおまけ

事務所のソファで顔を覆う。

視界には自分の両掌しか見えていないのに、前後左右のあらゆる方向からニヤニヤ笑いが向いているのが分かる。

 

正直、覚悟はしていた。

ここに来る以上は知り合いにもそうでないひとにも会わざるを得ない。 何人かに弄られ、広められるのは承知の上だった。

 

だけどこれはちゃうやん。

 

「ね、エクス。 僕には話してよ。 僕とエクスの仲じゃん」

 

「俺、エビオとのあちゃんが上手くいってるみたいで嬉しいわ。 なぁ、顔上げろよエビオ」

 

「それにしても虫刺され多くね? なぁエビオ。 お前そんなに好かれてんの? あ、あくまで虫の話ね」

 

「無視しないでよエビオさん。 折角会ったんだしさぁ、俺にだけでも色々聞かせてほしいなぁ?」

 

奇跡的にも今日は、ろふまおとくろなんの収録日。 その上どこからか湧いたローレンも参戦し、俺は見事首に付けられた大量のキスマークを追求され始めたのだった。

 

初めは隠そうとも思っていたけど、絆創膏で隠したところで数が多すぎてバレるし、これから夏に向かう今の時期にタートルネックは暑い。

というかそもそも、これだけの知り合いが居るとも思っていなかった。

 

「エビオさんもキスマークつけてるん?」

 

「もう頼むからどっか行ってくれ……」

 

「つれないこというなって。 俺らAQFで12位とった仲間だろ?」

 

恥ずかしさと鬱陶しさでツッコミをする気力も起きない。

見逃してくれるように頼むも、このメンバーが言うことを聞いてくれないのは自明の理だ。

 

「大丈夫。 僕達収録終わったし、まだお昼だから」

 

「俺らお前の為なら全然飯とか奢るから」

 

「スプラとかやりたいゲームあったら幾らでも付き合うぞ」

 

「なんならスパチャとか投げるしな。 赤スパよ赤スパ」

 

「嫌やー! もう帰らせてくれー!」

 

囲まれていては逃げ道なんてないし、英雄のフィジカルを使おうにも葛葉さんが居るのが厄介すぎる。

有り体に言えば、詰みでしかなかった。

 

 

 


 

 

 

「……ん?」

 

ふと感じた奇妙な感覚。

自分の左腕の匂いを嗅ぐと何故かエクスさんの匂い──と言うよりは、エクスさんの香水の匂いがした。

 

だんだん暑くなって脱いだパーカーを左手にかけていたとはいえ、移るほど強い匂いがパーカーに付いてるのはちょっとおかしい気もする。

 

トイレの前で待っているセナの元に戻り、預けていたパーカーを受け取る。

広げて袖や首元に顔を近づけてみると、フードの裏に予想通りエクスさんの香水の匂いが染み付いていた。

 

「やっと気づいたんだ」

 

「え、セナ分かってたの?」

 

「普通に分かるよ。 来た時からずっと、のあ先輩の香水と男物の香水の匂いが混ざってるし」

 

「うぇ、まじかよ。 最悪なんだけど」

 

呆れた表情のセナ。 今日1日態度がおかしかったのはこれが原因か。

 

エクスさんなりにぼくの事を想ってくれた結果なのは分かるし、嬉しい気持ちもちゃんとある。 だけどそれ以上に、ぼくのお気に入りの香水を台無しにされたことに腹が立つ。

 

「あいつまじ帰ったらこう! こうしてやる」

 

「愛されてるじゃん」

 

ぼくの拳を突き出すジェスチャーに、セナはまるでバカップルを相手にするみたいに適当に言葉を発した。

 

 

 

 

 

 

 

玄関のドアが開いた音とヒールが地面にあたる音。 続けて廊下を進んでくる1人分の足音。

 

「おかえり」

 

「てめぇぶっ飛ばすぞ!」

 

帰ってくるなり、俺の顔目掛けてパーカーを投げつけてくるのあさん。

バレたか。

 

「おめーよぉ、今日1日ぼくがセナにどんな反応されてたか分かるか?」

 

「俺もこの前事務所行った時やばかったよ」

 

「キスマークの方がマシだろ! なんで香水つけたって言ってんのに、パーカーに香水の匂いつけてんだ!」

 

のあさんは見るからにご立腹らしく、目を釣りあげて拳を振り上げている。 レッサーパンダの威嚇みたいだ。

 

「まじゆるさん。 エクスアルビオ泣かせてやる」

 

「別れる?」

 

「別れへんわ!」

 

「じゃあ良いか」

 

「なんも良くないですけど?」

 

後ろから伸びてきた手が俺の頬を全力で引っ張った。

痛い。



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ebtg夢

腕を引き抜く。

ぬるりともどろりともとれる、不快な感触。

 

つい数秒前まで俺と同じ人間だったものが支えを失ったように倒れ、地面を赤で汚し始める。

皮でできた手袋は水分を吸って随分重くなり、茶色かった色は黒に染まって見る影もない。

 

そこかしこで聞こえる金属音や断末魔をバックに、血で濡れた地面に腰を下ろす。 木々の向こうから聞こえる鳥の鳴き声だけが癒しだ。

ポーチから紙を取りだして斜線を1本。 これで37本目。

 

「……長いなぁ」

 

予定では15日ほどで終わるはずが、実際にはその倍の日数が経っても終わる気配がない。

 

体はピンピンしているが、それはそれとしてシャワーが浴びたくなってきたのも事実。

冷たい川の水ばかりだと夜が寒い。 暖かいお湯が恋しい。

 

ふと目に付いた、さっき殺した人の死骸。

生き物の体内は暖かいという話を思い出し、自分で開けた胸の穴に手を突っ込んでみる。

 

……いや、思ったほど暖かくは無いな。 手触りもぬたっとしてる。

 

じんわりとした熱は手袋の不快感を増やしただけ。 やらなきゃ良かった。

手を引き抜いて滴る血を地面に擦り付ける。 きっと草木の良い栄養になるだろう。

 

「──っ、英雄が居たぞ! 全員こっちに来い!」

 

背後から聞こえた声。

立ち上がりながら落ちていた拳大の石を拾い上げる。

 

「おらっ」

 

振り向きざまに全力投球。

当たればいいやの気持ちで投げた石は見事、叫んでいた男の右肩にヒット。 ちぎれた腕が宙を舞う。

 

男の目線が俺から自分の右肩へと移り、口が大きく開く。

 

「うわ──」

 

2歩で距離を詰めて右拳を顔に叩きつける。

ぶぎゅっと音が鳴り、男の顔がぐしゃぐしゃにひしゃげた。

仲間を呼ばれる分には構わないけど、絶叫されるのはうるさいし不愉快だ。

 

男の声を聞いたらしい奴らの鎧が擦れる音が聞こえてきたし、なぐって血がついた手もいい加減洗いたくなってきた。 一旦ここから離れた方がいいか。

 

幸いにもここは森の中。 撹乱は容易だし、本当に運が良ければ追っ手は全員殺せるかもしれない。

 

紙を入れているのとは反対側のポーチから火打石を取り出し、転がっている死骸の服を剥いで火をつける。

その辺に落ちている枝も焚べれば、まもなくこの辺りを火が覆い尽くすはずだ。

 

面倒臭いし、今来てるヤツら全員巻き込まれてくんないかな。

もくもくと立ち上る煙を背に川の方へと歩き出す。

 

ずるずる続いてあんまり長引くと面倒だし、明日は相手の拠点に殴り込みにでも──

 

「エクス」

 

か細く、それでも確かに聞こえた声に足を止める。

自分達の拠点側ならともかく、敵地ど真ん中のこの場所に俺の名前を知ってるやつがいるはずが無い。

 

警戒レベルを引き上げて周囲を見回す。

追っ手以上の人影は無い。 草むらにも動物が潜んでいる様子はなく、木々から伸びる影も不振な点は見当たらない。

 

「エクス」

 

今度ははっきりと聞こえる声。

どこから聞こえてくるのかが分からないそれは、不思議と聞き覚えのある声にも感じた。

 

とにかく身を隠そうと、1番近くの樹木の枝に飛び乗る。

俺の重みで太い枝が揺れるも、軋んだり折れたりする心配は無さそうだ。

このまま木の枝を飛び移りながら川の方へ移動しよう。

 

「エクス!」

 

小さい手が、俺の両肩を掴んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────っ!」

 

体を起こした反動で被っていたブランケットがずり落ちる。

シャツの胸元や脇は汗で湿り、気持ちが悪い。

顔を伝う汗を右手で拭いながら額を押さえる。

 

…………夢、か。

 

体の力が急激に抜けていき、手や足が力無く震えだす。

 

鮮明に呼び起こされた匂いや感触に汗が止まらない。

耳元に心臓があると錯覚するくらいに、動悸が激しくなっていた。

 

「大丈夫?」

 

隣から聞こえた、夢の中で聞いたものと同じ心配そうな声。

 

首を左側へ向けると、月の光に晒された青い髪が柔らく輝いて見えた。

紅い瞳には不安の色が見え隠れしている。

 

安心させる為にも大丈夫の一言を伝えようとして、だけど、口が思ったように言葉を紡がない。

 

「………っ、ごめん」

 

必死に口を動かして、掠れた言葉を1つ発するのが精一杯。

泣きたいような、イラついたような、寂しいような、ぐるぐるとした気持ちが俺にのしかかる。

 

命を奪った感触の残る右手がいやに重く、身体中の震えが止まらない。

 

こっちの世界に来てからずっと見せつけられる、俺が積み重ねた死体の山。

正しい倫理観を身につけたからこそ、のしかかる罪の重さに押しつぶされそうになる。

 

「大丈夫だよ、大丈夫……」

 

頭を抱き寄せられて、青い髪のかかる首元に顔を埋める。

子供をあやすみたいに頭を撫でられて、ぎゅっと手を握られた。

 

何かに寄りかかっていないと折れてしまいそうで、暫くの間そうして小さな体に身を預ける。

 

抱きしめられたまま深呼吸を繰り返していると、次第に震えが落ち着き、散らかっていた思考がゆっくりとまとまっていった。

 

握っていた手で震えが止まったのを感じとったのか、チグサが俺の頭を優しく叩く。

 

「落ち着いた?」

 

「うん、いつもごめん。 ありがと、おちぐ」

 

「んーん。 エクスの方がキツいっちゃけん、辛くなったらうちが何時でも支えるよ」

 

今が幸せだからこそ、英雄としての『これまで』が俺の心をズタズタに裂いて、その度に死にたくなるくらいの痛みを与えてくる。

 

抱きしめてくれるチグサの存在だけが、この世界で生きる俺を肯定してくれていた。

……本当に、助けて貰ってばっかりだ。

 

「絶対、幸せにするから」

 

「期待しとくね」

 

返事の代わりに、小さな体躯を強く抱きしめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……魘されるエクスを見るのは、もう何度目だろう。

穏やかに寝息を立てるエクスを見下ろし、唇を噛む。

 

たとえばイブラヒム先輩だったら。 エクスが背負う辛さを理解出来るからこそ、一緒に抱えて、隣で手を差し伸べることが出来るだろう。

 

たとえばアルス先輩だったら。 体は小さくとも、その頼りになる魔法でエクスを救ってあげられるのだろう。

 

社さんは大人としてエクスの助けになってくれるだろうし、にゃらかは人外故にきっとエクスの闇を払える。

他にも、葛葉さんだったら。 不破さんだったら。 めとちゃんだったら。 のあちゃんだったら。 ……私じゃ無かったら。

 

私と『エクス・アルビオ』を隔てる厚い壁に、堪えきれない雫が流れ落ちてくる。

苦しんでいるエクスを見ても何も出来ない自分が、どうしようもなく嫌いだ。

 

隣にいるだけで、エクスが当たり前のように眠れる存在。

私がいつかそうなれる事を夢見ながら、暗闇の中瞼を閉じた。



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