推しの子 その瞳に映るのは (ノックスさん)
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第一話
私には愛が何なのか、わからなかった。
お母さんは盗みを働いて捕まった。育ててくれる人がお母さんしか、いなかった私は施設に入るしかなくて
施設で育ったんだ。
愛情が何か理解できない。
他人にどう接すれば、いいのか本当にわからなかった。
施設でどれだけ待っていても結局、お母さんは迎えに来ることはなかった。
そして気づいたんだ。
私は実の母親に捨てられたんだって。
「これが悲しいってことなんだね」
施設の人からお母さんが釈放されたって言われた時はうれしかった。
また一緒に暮らせるんだって来る日も来る日も同じ場所で待ち続けたの。でも迎えに来ることはなくて私はいらない子だったんだって理解しちゃった。
無意識の内に目から涙が溢れ、視界がぼやけて視界が歪んで見えた。
施設の人も私の背中を撫でてくれけど、その視線には憐みの感情が載せられているような気がする。
それからかな、私は周りの目を気にして会話に嘘を織り交ぜるようになったのは。
人は誰もが本心を話している訳じゃないのがわかってきた。小さなころはわからなかったことも成長するにつれて少しずつ、少しずつ理解する。
「ずっと嘘をついて疲れない?」
そんなとき、施設に一人の男の子がやってきた。
桃色に近い髪色をした同心円状の瞳を持つ特徴的な目をしている男の子。新しい子が施設に入ってきたのかと思ったけど、違ったみたい。
その子が私を見て呟いたのがその言葉だった。
「な、何を言ってるの?」
「無意識? 違うよね、君はわかってるはずだよ」
ドクンっと心臓の鼓動が大きく聞こえた。
あの時から私は自然な笑顔、行動、立ち回りをしてみんなから不自然に思われたことはなかった。ある程度、付き合いが長くなった子には小さな違和感を感じられたことはあったけど……。
初対面で私にこんな事を言ってきた男の子は初めてだった。
駄目だ、あの瞳に覗き込まれると私の内面が見透かされるような気する。
「初めて会ったんだよ? 私の何を知ってるの?」
「何も知らないけど、君の言葉からは違和感しか感じられないよ。本心をひたすら隠して演じようとしているような……」
「言い過ぎよ、奏君。初対面の女の子に何を言ってるの?」
私がひた隠しにする内面を解き明かすように次々と紡がれる言葉を否定することはできなかった。
私は嘘で出来ているというのは嘘じゃない。愛を知らないから嘘という表現で周りから孤立しないようにしたし、合わせてきた。
自分を否定されているようで涙が出そうになった。
その時、彼の母親らしき人が初対面の人にいう言葉じゃないと叱っていた。
「ごめんなさい、言い過ぎたよ。僕は牧野奏、自己紹介もしてなかったね」
「あ、うん。私は星野アイ」
「星野さん、ごめんなさいね」
「はい、大丈夫です」
本当に親子なんだと思った。
しゃがんで私に視線を合わせて頭を撫でながら言う姿はお母さんっていうのはこんな感じなのかなと思ってしまう。
私の知っているお母さんとは何もかもが違った。
「でも、奏君のいう事もわかる気がするわ」
透き通るような声で彼の言葉に同意する言葉が耳に入る。
それで不意に視界が真っ白になって温かい感触に頭が包まれた。いきなりの事で頭が混乱したけど、落ち着いて周りを見ると私はこの人に抱きしめられているんだってわかった。
「寂しかったね、星野さん。今は自分に素直になってもいいのよ?」
「……っ」
「きっとこの出会いには意味がある。あなたの未来に幸福がありますように―」
自分の感情を抑えきれなかった。
目から涙が溢れ、声を上げて泣いてしまった。周りの子達はどうしたんだとこっちをちらちらと見ているみたいだけど、気にする余裕はなかった。
あぁ、これが母親が子供に向ける愛情なのかな。
どれくらい泣いただろう? きっと私の目は真っ赤になっているに違いないだろうなと思った。
「ご、ごめんなさい。洋服、汚しちゃった」
「ふふ、良いのよ。これくらいどうってことないわ」
「使っていいよ」
「え、ありがとう」
涙で洋服を汚してしまったことを謝ったら微笑んで許してくれた。
そしたら奏君が私にハンカチを差し出し、これで涙を拭けと言ってくれているのが分かった。その時の私は本当の意味で自然に笑えていたんだと思う。
だって奏君も笑ってくれていたから。
これが私の始まり。
星野アイという人間の起源かな。
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第二話
身寄りのない子供達が保護されて生活を送る施設に訪れたのは偶然だった。
そこの施設長とお母さんが知り合いだって事もあって少し寄り道をすることになった。僕と同年代の子も施設に居る姿を見ると人はみな平等ではないと思ってしまう。
「そこで出会ったのが彼女」
その中でも周りのみんなと一緒に笑ったりしているけど、一人だけ違和感しかない子が居た。
普通に見ていれば、別に何もおかしなことはないと思う。だけど、僕からしてみれば嘘を張り付けているようにしか見えなかった。
僕も昔から物事の本質を見ることが出来た。
きっと今のお母さんじゃなければ、気持ち悪いと言われて施設に入れられていたかもしれない。
"星野アイ"
彼女の瞳を見た時、白い星が見えた。
瞳に星が宿った子を見たのは2人目だった。
彼女の本質はおそらく愛されたい、愛したいじゃないかな?
母さんから少し話を聞いたけど、幼少期に母親に捨てられて酷い言葉を浴びせられていたらしい。本当に愛されるという感覚がわからないんだと思う。
お母さんに優しい言葉を掛けられ、抱きしめられていた時の姿が彼女の求めていた物。
あの涙は嘘ではないと思う。
もし、あの涙や表情、それらが嘘で出たのなら彼女の本質はわからないとしか言えない。
「…君、奏君?」
「お母さん……?」
「何を考えていたの? 私の声が聞こえないくらいに集中していたみたいだけど」
視線を上げると母さんと目が合う。
僕と同じ同心円状の瞳を持つ者同士で見つめあう状態。きっと僕の瞳もお母さんからの遺伝なのだと思った。
お母さんも僕と同じように相手の本質を見抜くことが出来る。
だから誰よりも僕の事を理解しているんだと思った。時々、そういった行動をしていることが多いから。
「星野さんのことを少し」
「可愛い子よね。でも奏君が気になっているのは内面……でしょ?」
やっぱり、お母さんにはバレていたみたい。
たぶん、嘘で自分を保っているんだと思う。同世代であそこまで嘘で自分を作っているのは環境が環境だっとはいえ珍しいと思った。
星野さん自身も自分に嘘で出来ていると言い聞かせているのかもしれない。
環境が違えば、今とは違った彼女の姿を目にしていたのかな?
「ふふ、わかりやすいね奏君は」
「そうかな?」
「母親だからなのかもしれないわね。私も彼女は愛に飢えていると思うの。幼少期っていうのは無意識にそういうのを求める子達も多いから」
お母さんの言葉は奥が深い。
彼女は愛に飢えているというのは僕も同意する。
「嘘を付き続けるには才能が必要なの。たとえ嘘でも周りがそれを真実だと思えば、それは紛れもない真実になる」
「だから嘘を付き続けるには才能が必要?」
「そう。嘘はバレたら意味がないの。だから嘘を付く人は嘘には敏感になるわ。自分が嘘つきだからこそ、相手の嘘に気付く」
「でも僕は嘘をあまり言わないけど、彼女が嘘を付いていることに気付けたよ?」
「奏君、君は相手を見る時、どこを一番最初に見る?」
微笑みながらそんな質問をされて考えた。
僕が相手を見る時に一番最初に見る場所は……目かな。後ろめたいことがある人はジッと目を見ていると反らしたりするときが多かったから。
「目かな」
「そう。奏君は相手に気付かれないように無意識に観察しているの。だからこそ、相手の目の動き、瞬きの回数、言葉に対して違和感を覚える。無意識化でこの人は嘘を付いているかの判別作業をしているの」
「え、そうだったの。それはあんまり意識したことなかったかもしれない」
「だから無意識なのよ」
あぁ、だから相手の本質がわかるんだ。
僕は常に相手を無意識に観察していたらしい。その過程で違和感を覚えてその人のあるべき姿と違う事に疑問を覚えていたのか。
「彼女はもしかすると芸能界にいく事になるかもね」
「可愛いから?」
「それもあるけど、星野さんには人を惹きつけるカリスマ性もあるかもしれないわ。まだまだ原石のままだけど、磨けばきっと一番星にも手が届くかも。奏君も幾つか、スカウトを受けてるでしょ。あなたから見て彼女はどうだった?」
「お母さんの言う通り原石だと思う。本当に芸能界に足を踏み入れるなら色々勉強しなきゃいけないと思うけど」
確かに彼女には人を惹きつける魅力はあると思った。
お母さんの言う通り、芸能界へと足を踏み入れるにしても星野さんの容姿なら受け入れられるはずだ。僕もスカウトをしに来た人達を何人か見たけど、全然劣っていないと思った。
むしろ、今の段階であの状態なら成長したらもっと綺麗、もしくは可愛くなるんじゃないかな。
カリスマ性で言ったらお母さんも絶対にあると思うけど、自分からは詳しく話そうとはしてくれない。
スカウトに来た人達はお母さんの姿を見るとぺこぺこと頭を下げていたことを覚えてる。
あれは尊敬、畏怖、憧れ、色んな感情が混ざったような目をしていたから。
「いずれにせよ、私は時間の問題だと思うの。もし、そうなったら応援してあげたら?」
「そうするよ」
「(彼女が一番星に手が届くかもしれないように、奏君……あなたも同じなのよ?)」
芸能界って闇が深いって聞いたことあるけど大丈夫かな。
たぶんというか、間違いなく僕もそっち方面に行くことになると思うから出会えたならお互いに頑張ろうって声をかけよう。
もし、本当にお母さんの言う通りに彼女にスカウトの話が来たらだけど。
でも本当にそうなるんだと思う。だって自信をもって言い切った言葉を聞かされた時はほとんどその言葉通りになっていたからね。
きっと予感があるんだろうなと思った。
◆
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第三話
あれから1,2年経って母の言っていた通り、彼女はアイドルにスカウトされた。
小さな芸能事務所みたいだけど、そこの社長さんの熱意に負けたのか、それとも心境の変化があったのか知らないけど、少しだけ吹っ切れたみたい。
「奏君、スタンバイお願いしまーす」
「はい」
僕も複数ある事務所の中から母に勧められた所に所属することになった。
初めは歌手としてデビューしたけど、何処からか聞きつけたのか、役者にも挑戦してみないかと言われ、そちらの方面にも徐々に力を入れることに。
今日はそのドラマのワンシーンの撮影日。
僕は舞台で歌う若手歌手の一人という設定だ。ドラマといえ、立ち位置が今の僕と同じなのはわざとなのかな?
「――♪」
初めての舞台で緊張している風に歌ってくれと言われ、緊張している風に声を僅かに震わせた。
体の動きも少しぎこちなくして、精一杯声を張り上げて歌っている感じ。監督さんに何度か、参考になるような映像を見せてもらったけど、特徴は捉えられたんじゃないかな?
「カット!」
「いいねぇ、牧野君! 緊張しているっていうのが目に見えてわかったよ。やはり、君に依頼して正解だった!」
「はい、ありがとうございます」
監督さんからOKをもらったから今の感じでよかったのかな?
汗を拭って用意された椅子に腰を下ろした。現場のスタッフさんからお疲れ様ですと声を掛けられてドリンクとタオルを手渡される。
「牧野さん、お疲れ様です。歌って役者まで! 憧れちゃいます!」
「ありがとうございます、二宮さん」
「ここ1、2年で一番勢いのある牧野さんと共演できるなんて夢見たいです」
さっきまで一緒にドラマ撮影をしていた若手女優の二宮瑞樹さんが僕に声をかけてくれた。
二宮瑞樹、グラビア出身でその演技力を買われて女優業にも力を入れ始めた人だ。僕も芸能界の情報はある程度、頭の中に入れているからわかっていた。
「僕も皆さんと共演出来て嬉しいですよ」
「キャー、そんなこと言われたら私も嬉しいです!」
この人ってほとんど本心で喋ってるな。
芸能界に入ってここまで本心だけで喋ってる人も珍しいと思う。何かしら建前と本音があるはずなんだけど、こういった人もいるんだ。
「あ、そうだ。牧野さんって今の芸能界の若手で伸びそうな人って誰だと思います?」
「伸びてきそうな若手ですか?」
「はい! 私は一度だけしか会ったことないんですけど劇団ララライに所属しているカミキヒカルっていう役者さんがすごいと思うんです! なんて言うんですかね、人を惹きつけるっていうか上手く言えないけど、伸びてきそうな気がします!」
劇団ララライ所属のカミキヒカル。
もちろん、知っているよ。だって僕が初めてあった瞳に星を宿していた人だからね。あれはアイと出会う少し前の話になる。
『やぁ、君が牧野奏君だね?』
『はい、初めましてカミキヒカルさん。ご活躍の噂は聞いています』
『あはは、硬いな。同じ年齢くらいだよね、もって気軽に行こうよ』
一目見てわかったよ、こいつは常人の思考をしていないって。
とても優しそうで笑顔を絶やさない少年っていう印象を受ける人がほとんどだと思った。だけど、彼の本質は違う。
その瞳に宿る黒い星は彼の心を現しているんじゃないかと思う。
確かに才能も豊かで、人受けも良い。それに困ったときに優しく助言して助けてくれそうな雰囲気を纏っている。
でも、違う。
カミキヒカルという人間の本質はもっとドロドロしたものだ。笑っているけど、彼の目は決して笑っていない。
『なら一つ聞いても良いかな?』
『ん、何だい?』
『人の本質は何だと思う?』
『? 不思議な事を聞くなぁ。それは幸せに生きて死を迎えることじゃないのかな』
『なら尊敬する人が亡くなりそうになったらどう思う?』
『……もちろん、助けるよ。助けられる手段があるなら』
後半の質問に対して彼は僅かに反応を示した。
ほんの、ほんの一瞬だけ瞳の奥にある感情が見えた気がする。やはり、カミキヒカルもまた一種の問題を抱えている。
すぐに元の状態に戻ったけど、おそらく彼の心の奥にあるのはある願望。
"死"という言葉にも少しだけ反応していたし、間違いないだろう。破滅的な願望が存在していると思う。その願望が何かと言うのはこの会話だけではわからない。
『だったら僕も質問をしても良いかな?』
『構わないよ』
『人はいつか死ぬ、それは逃れられない運命だ。無意味な死を迎えるくらいなら価値ある死を与えられる方が良いと思わないかい?』
質問の意味を理解するのに少し時間が掛かった。
人はいつか必ず死ぬ。それは当然だ、永遠に生きられる人間なんてそれこそ創作上の登場人物でしか存在しないし、現実ではありえない。
『……日本中が熱狂させるような人は一番良い時に死を迎えるべきだと?』
『そう! そうだよ!』
この興奮の仕方は本心。
彼の瞳の黒い星も輝きを増したような気がする。あぁ、どうして初対面なのに嫌悪感を覚えたのか、わかった。
カミキヒカルは価値のある人間が一番良い時に死を迎える事を願っているのか。
たぶん、自分が良いと思った人間がそんな状態になったら狂喜乱舞しているのんじゃないかな。
『君もそう思うだろう?』
『確かにそんなことになれば、永遠に記憶、記録にも残り続けると思う。だけど、それが人としての正しい死だとは思わない』
『……』
『人は死ぬ、それは間違いない。でもその死を決めるのは誰でもない、天のみが知る』
『そっか、君はそう考えるんだね。とても参考になったよ、奏君』
そう言うと彼は僕を色々と案内してくれた。
なんでもないような会話をしながら、時々何かを探るような質問をしてきたけどそれ以外は変わったことは何もなかった。
時々、電話とかメールが来ることがあるけどそれ以外は別に何もない。
直接会うことはここ最近、何もないしね。
彼の名前を言われて当時の事を思い出してしまった。
「ヒカル君は確かに大成するだろうね」
「ヒカル君? もしかして知り合いだったんですか?!」
「芸能界に足を踏み入れる前に少しだけね、独特な感性を持っていると思ったよ。それで若手で誰が伸びて来るかだったよね?」
「あ、そうでした。牧野さんは誰だと思うんですか?」
「僕は星野アイかな」
僕と彼が知り合いだと知って二宮さんは更に興奮していた。
これから芸能界で上り詰めていくと思っていた人と僕が知り合いだったことに驚いているんだろう。少なからず何処かに縁があったんだと。
「星野あい?…………あ、もしかして苺プロのB小町ですか?」
「よく知ってたね? まだそんなに有名にはなっていないはずだけど」
「ふふん、若手の人達はみんなチェック済みなのです! 確かにあのグループの中では目立ってましたけど、私にはまだピンと来ないです。先見の明ってやつですか?」
「歌と演技力はまだ平凡かもね。でも彼女はきっと輝けるよ」
「牧野さんが言うなら私も注目してみます!」
まだまだ知名度が低いのに彼女もよく知っているなと素直に感心した。
苺プロはまだ弱小プロダクションと言っても過言ではない。B小町もアイが居るから成り立っていると言われている。
まだアイドルとしての魅せ方をわかっていないからだ。
母さんも言う通りなら間違いなく一番星にも手が届きうる存在になる。
「お疲れさまでした!」
「お疲れ様です。またよろしくお願いします」
「牧野君も二宮さんもお疲れ様、良い撮影だったよ!」
いつも通りに挨拶をかわし、撮影現場を後にした。
仕事を終えタクシーを拾うと運転手に都内にあるレッスン場まで車を走らせてほしいと告げる。もちろん、サングラスや帽子を被って身元がバレないように変装している。
30分くらい車を走らせると目的地へと到着した。
タクシーから降りると階段を登って自動ドアを通る。受付の人に会員証を見せて一礼すると一番奥にあるレッスン場へと足を踏み入れた。
「―♪」
中では自分の曲の振り付けを鏡を見ながら必死に練習する女性の姿がある。
流れている音楽が止まり、床に汗がポタポタと滴る様に落ちていた。荷物を下ろすとカバンからタオルを取り出して彼女の頭の上に掛けた。
「ん? あ、奏!」
「お疲れ様、アイ」
下を向いていたから誰が来たのか、わからなかったのだろう。
タオルを掛けられたことに気付いて視線を上げた彼女は鏡越しに僕の姿を捉えると振り返って嬉しそうに笑っていた。
星野アイ、B小町のセンターにして未来の一番星候補。
僕は彼女がより輝けるために個人的なレッスンを請け負っていたのだ。
この事を知っているのは本当に一握りだけだ。
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第四話
僕が来るまでに曲に合わせて踊っていたみたいだから少し休憩の時間を取った。
撮影が早く終わったこともあったからまだまだ時間には余裕がある。がむしゃらに練習すれば、必ず上手くなるわけじゃない。
大事なのはどれだけ効率よく練習を行っていくかも重要だ。
時間は無限ではなく有限だからどのように使うかも大事なんだから。
「奏は、すごいね」
「急にどうしたんですか?」
「佐藤社長も言ってた。牧野奏は紛れもない天才だって」
「ありがとうございます。相変わらず、人の名前は間違ってますよ。斎藤社長では?」
「そうだっけ。どうしても人の顔と名前を覚えるのだけは苦手なんだぁ」
天才か、その言葉はあまり好きじゃない。
確かに周りにはそう言って天才だから簡単に出来るんだとか才能が違うとか言ってくる人達は居る。でも何の努力もせずにそんなことを出来るのは本当に一握りの人間だ。
僕がどの立ち位置に居るかというのは自分で判断するのは難しい。
歌が上手くなるため、演技が上手くなるため、様々なレッスンをしてきたという自覚はある。それこそ、上手くいかなくてずっと悩んでいたこともあったくらいだ。
「この業界では人との繋がりは大事だよ。顔と名前を覚えておいて損はない」
「そっか、私も頑張ってみる」
「もう少し休んだらレッスンを始めるよ」
「うん。……私、奏には感謝してるんだ。施設に居た時、私は他人の接し方がわからなかった。君に初めて嘘を付き続けて疲れないかって言われて驚いたの。長い間、一緒に居た子達は時々首を傾げて不思議に思ってくることはあった。でも初対面でいきなり嘘を付いている事に気付いたのは奏が初めてだった」
「……」
小さなアドバイスを彼女にすると膝を抱えるようにして俯きながら言葉を続けた。
僕達が施設で初めて会った時の話か。今思えば、僕も初対面であんなことを言ったから失礼だったなと反省している。
「奏とお母さんに会って、母親から与えられていた愛は偽物だったんだってわかった。怖かった、あの思い出を否定したら私が私じゃなくなっちゃうんじゃないかって。だからあれが愛なんだって思い続けた。奏たちに会うまでは」
「……」
「愛情ってさ、温かかったんだね。君のお母さんに抱きしめられたとき、心もポカポカして本当の愛情は痛くないって安心して涙が止まらなかった。ふふ、あの時の施設のみんなの顔は今でも忘れられないなぁ」
「……」
俯いたアイが顔を上げるとやはりと言うべきか、目から涙を流していた。
痛みを愛だと覚え、本当の愛情が何のかを理解できなかった幼い子供。そう表現するしかない状態だった。
愛とは何かというのは本当の意味で理解することはきっとできないだろう。
僕だって愛を説明しろと言われて、即答するのは難しいと思う。それはきっと大人にならないとわからないのかもしれない。
そう思っているとアイが僕の頬に手を添える。
「私ね、わかっちゃたんだ。奏とは短い間だけど、一緒に遊んだり過ごしたりした。だから君の瞳は物事の本質が見えてるんでしょ?」
「どうして……」
「嘘つきは常に周りをよく見るんだよ? 嘘で塗り固めた私に放った第一声でなんとなくわかってた。この子は本質が見えてるんだって。でも嬉しかったんだ、本当の私に気付いてくれたのも君が初めてだったから」
なんとなく気付いているんだろうなとは思っていた。
でも言葉にして伝えらえるのは初めてだったな。確かに物事の本質を捉えることが出来るけど、それが必ずしも良いことではない。
気付かなくても良いことに気付いてしまって辛い思いをしたこともあった。
「私の瞳に星があるように、奏の瞳には光がある。私にとっては……君は光なんだよ?」
「それ、言ってて恥ずかしくないの?」
「な、なんてこと言うの! 恥ずかしいに決まってるよ!?」
うん、聞いていた僕も恥ずかしく感じたし、言ってる本人はもっと恥ずかしいと思った。
案の定、アイは顔を真っ赤にして恥ずかしいと言っている。それはそうだろうねと思わず、クスリと笑ってしまう。
彼女も随分と僕の前では自然体の笑顔が出せるようになってきたと思う。
これが他の人達の前でも出せるようになれば、もっと人気が出て認知もされてくるだろうね。
「だったら君も早く登ってきなよ」
「そうだよね、私は皆の期待に応えるためにも一番星になる!」
「アイ、人を惹きつけるには魅せ方というのがある。僕も母さんから教わったからわかるけど、それを出来るかできないかで大きく変わる」
よしっと気合を入れた彼女の瞳に映る星は輝きを増した。
アドバイスするのは魅せるための立ち回り方。それをものにすることが出来れば、人を惹きつける才能は一気に開花すると思う。
特にアイドルならファンが多くできるだろうからそちらに対する事も知識として教えておく。
教えておくと言っても母さんからの受け売りになるけど、間違いなく必要な事だから覚えてもらおう。
「アイドルって覚えること、たくさんあるんだね」
「まだまだ序の口だよ。僕は全部覚えたからこれを貸してあげるよ」
「……え?」
「ん?」
「これって辞書でしょ?」
「違うよ。魅せ方の心得っていう母さんからもらったお手製の本。これを全部、頭の中に叩き込もうね?」
僕がカバンから取り出した付箋がいっぱいつけられた分厚い本を見てアイの表情が引き攣っていた。
これを全部頭に叩き込んだ時の事を思い出して僕は思わず、遠くを見つめてしまった。僕の遠い目をしているのに気付いたのか、更に顔を引き攣らせる。
「ま、待って。奏がそんな顔をするってことは難しいことがいっぱい書いてあるんでしょ?!」
「……そうでもないよ?」
「目を逸らさないでよ! 私ってバカだからそんな難しいこ……」
「大丈夫。大丈夫だから、何も難しいことないよ。この内容を頭に叩き込むだけだから」
「ま、待って! お願い待って!」
時間は有限だから無駄にせずにいこうと一緒に本を開いた。
何も今日だけで全部を覚えろってわけじゃない。これだけの分厚さの本だから僕でも覚えるのに一週間はかかった。
でも全部覚えたら本当にどうやって魅せたらいいのかって言うのが理解できた。
身振り手振り、表情の作り方、声のトーンとか、本当に様々な事で印象は変わるんだってわかったし、まだまだ自分が未熟だってことも改めて認識できた。
「…………も、うだめ」
人って限界が来ると本当に目がぐるぐるってなるんだ。
ずっと鏡に映る自分の姿と向き合いながら魅せ方の勉強を実践を挟んで行っていた。ぶっ通しで行っていたらついに限界が来たのか、アイは目を回して倒れてきた。
床に倒させるわけにもいかないから受け止めて、その場に寝かせた。
枕もないから仕方ないか。
「お疲れ様、アイ」
そう言えば、膝枕をするのって初めてかもしれない。
無意識に彼女の頭を軽く撫でてしまったけど、僕も心の何処かでアイの事を意識しているのかな? そんな事を考えていると不意に手が握られた事に気付く。
視線を向けると彼女が僕の手を掴んで微笑んでいた。
「人を好きになるってこういう気持ちなのかな。君が傍に居ると胸が温かいんだ」
「それは……」
アイの問いに僕は答えることはできなかった。
僕自身が告白されることはあっても人を好きになるという経験自体があまりなかったからだ。好意を寄せられることは多かった。
僕の容姿は母さんの方の遺伝子が色濃く出たのか、美しいやら綺麗と言われることが多かった気がする。
個人的にはかっこいいと言ってくれる方が嬉しかったりするのだけど、そこまで気にしたことはなかった。
「わかってるよ。奏は人を好きになったことがないんでしょ?」
「そうかもしれない」
「この気持ちはきっと嘘じゃない」
彼女の言う通り、その言葉は嘘じゃないと思う。
前みたいな嘘を張り付けている感じでもないし、きっと本心から出てきた言葉なんだろうね。胸がポカポカするか……。
少しだけ恋愛描写を入れました。
今感じでいいのかな。
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第五話
マルチで活躍する若手歌手の奏との秘密のレッスンはやっぱり凄かった。
ファンに魅せるための心得はきっと世界で一つだけの本なんだと思うんだ。私だってアイドルとしてスカウトされて、社長に嘘でも言い続ければ本当になるって言葉を信じてやってきた。
社長達に勧められた本を読んで勉強したけど、いまいちピンとこなかったんだぁ。
それ通りに踊ったり、声の発声練習をしたよ? でも逆に変な癖がついて普段よりも変になることだってあった。
目指すべき見本がどんなものかを想像することが出来なかったの。
ひとえにアイドルって言っても色んな人がいるから。苺プロダクションにはユニットを結成したB小町以外にグループもないし、誰にもアドバイスを求める事ができない状態だったし。
そんな時に声を掛けてくれたのが既に歌手でもあり俳優でもあるマルチタレントとして活躍してる奏だった。
ジャンルは違うけど、同じ歌手としてどうすればいいかってアドバイスをくれた。
「アイ、聞いてるのか?」
「え、佐藤社長何か言った?」
「しっかり聞いとけよ!それと俺は斎藤だ」
「ごめん、なんだったっけ?」
「今日のライブは芸能界の大手のプロデューサーも見に来てるって話だ。なんでこんな小さなライブ会場に来てるかは知らんが、これはチャンスだぞ。何としてもその手に掴むんだ!」
少し昔の事を考えてたらぼーっとしちゃってた。ダメダメ、しっかり気合を入れないと。
センターの私がしっかりしなきゃ! 気の抜けた表情じゃ、みんなに迷惑をかけちゃう!それで社長の話は要約すると何が何でも成功させろって事で良いのかな?
「まかせて! みんな頑張ろうね!」
私の掛け声で拳を突き上げるとメンバーのみんなもオーっと拳を突き上げてくれた。
う~ん、最近はみんなと仲良くできてるって自覚はあるんだけど、顔と名前が一致しないよー。ギスギスした空気で一緒にするって辛いもんね?
「お前達って存在を知らしめてやれ!」
「スタンバイお願いしまーす!」
ライブ会場のスタッフさんからスタンバイの合図が来た。
私達は各々の踊りだしの位置について曲がスタートするのを静かに待った。小さなステージだけど、正面には私達のファンの人達が期待して待ってくれてる。
まだ本物にはなれない、でも嘘で固めた私なら彼らの理想とするアイドルになれる。
意識の切り替えっていうやつかな? 自分を絶対だと疑わない事が動きにも現れてくるはずだよって言葉は嘘じゃない。
「5秒前、4、3、2……」
カウントが0になるって私達の曲がライブ会場に流れる。
両サイドからスポットライトが当たって中央に来た。それに合わせてステップを踏んで振り返る!
「あなたのアイドル!」
私達の代表曲の一つを皆で熱唱する。
目線、動き、表情の角度、奏からのレッスンで教え込まれた成果をここで見せる。ファンの皆が曲に合わせていつもみたいにサイリウムを振ってくれるけど、戸惑いが見える?
「な、なぁ、アイっていつもこんなキラキラしてたか?」
「お前も思った? 俺もなんだよ。今日のアイはいつも以上に……!」
歌と踊りに集中してるからすべてを聞き取ることはできなかったけど、それと目の前の反応で十分だった。
これが魅せ方で変わるっていう意味だったんだ!
5分っていう短い間だったけど、皆には夢を見せることはできたのかな?
大きな歓声と共に巻き起こるアンコール、私達はスタッフさんに目配せすると頷いてくれたからもう一度、マイクを強く握った。
◆
「……マジか」
開いた口が塞がらないっていうのはこの事だな。
ライブ前にボーっとするアイを見て心配だったが、今日のアイは今までと全然違った。多くのファンに夢を与え、強すぎる光で皆を照らすアイドル。まさにそれだった。
アイのおかげで俺が作ったユニットのB小町は持っている状態だったっていうのは否定できん。
他のメンバーに比べてあいつを贔屓していなかったと言えば、嘘になるがアイが居なかったらB小町は解散していてもおかしくなかった。
「やっぱり、あいつの影響か?」
ここまで劇的な変化をみせた原因は一つしか思い当たる節はなかった。
牧野奏、若手歌手でNo.1と言われ俳優業もこなすマルチタレント。アイをスカウトする時にあいつ自身の口から語られたことは今でも覚えている。
『私をアイドルにスカウト?』
『そうだ。B小町って名前でユニットを組むつもりなんだ。君ならセンターを狙える逸材だ』
『あまり興味ないかな? アイドルって皆に夢を与える人達でしょ。母親からの愛も知らず、人を愛した事もない私はアイドルなんて慣れないよ』
諦めるわけにはいかなかった。
星野アイ、彼女がアイドルユニットのセンターを飾れば、必ず大成してくれるはずだという予感があったんだ。
俺の勘が絶対にこいつだけは逃がしては駄目だと訴えかけてくる。
『愛してる、愛を知らない私が簡単に言っていい言葉じゃないよ。私が言ったら嘘になるし、アイドルってキラキラしたものでしょ? 皆を笑顔にできる才能は私にはないと思うよ』
『嘘でもいいんだよ。嘘も言い続ければ、いつかきっと本当になるかもしれないぜ』
『そんなに簡単に言わないで!!』
愛を知らない、それもまた個性だと俺は思った。
こいつの持つアイドル像は芸能界を知らない奴らが抱くそれだ。まだ中学生の子供だからそう思い描くのは間違いじゃねぇ。
でも現実はもっと過酷だ。
何千、何万というアイドルがライバルを蹴落として蹴落とした屍の上に立っているのが現実だ。
だから俺は嘘でもいいと気軽に口にしてしまったんだ。
『嘘はバレなければ、嘘じゃない。そう言いたいんでしょ?』
『そうだ。嘘は嘘だとわからなければ、それは本当になるはずだ』
『そんなの無理だよ。嘘をわかる人にはわかるんだよ。私の嘘は彼にはすぐに見抜かれた。嘘だけじゃない、私の内面もきっと見透かされてた』
『彼って誰だ?』
『少し前に私の居る施設に来た男の子。牧野奏君』
『牧野奏!? そいつはどんな特徴のやつだ!』
『すごく珍しい瞳の形をしてたよ』
牧野奏、断られたが俺もスカウトをしに行ったやつだ。
ただ名前が同じだけかと思ったがアイがこんな瞳をしてたと書かれたのは同心円状の瞳。これは間違いなく牧野本人だと確信した。
嘘がすぐに見抜かれた。
それはそうだろうさ、俺だってスカウトの時に嘘を織り交ぜた話をしたが的確に嘘の部分だけを指摘してきやがった。
それどころか、アイも言っていたように内面を見透かされたって表現は間違ってない。
芸能界に身を置いてる俺でそうなんだ。幾ら嘘が上手くても中学生、見抜かれない方がおかしい。
『それなら仕方ない。あいつには嘘が通じない』
『おじさんも知ってるの?』
『あぁ、知ってるさ。俺の芸能事務所に来てほしくてスカウトしに行ったからな。お前、あいつの母親にもあったんだろ? あいつが1人で施設に行っているはずないからな』
『そうだったんだ。奏君のお母さんも一緒に居たよ。母親の愛情ってさ、温かいんだね。奏君のお母さんに抱きしめられて……っ』
施設であった時の事を思い出したのか、アイは泣いていた。
聞いていたなんだか俺も目じりが熱くなった。いかん、感情移入し過ぎたか。こいつの話を聞いてるとこっちまで悲しみが伝わってくるぜ。
『だったら嘘を本当にしてみろよ』
『……え?』
『愛を知らない、でもお前は愛の一端を学んだ。その出会いには意味がある』
『その言葉……』
『俺がお前を本当のアイドルにしてやる!』
その俺の言葉がアイの何かに響いたのかはわからない。
だが、あいつは俺の手を取ってアイドルになることを決意した。それは決して楽な道のりじゃないが、それでもきっとこいつなら本当のアイドルってやつにな。
俺もスカウトとして人を見てきたからわかるぜ。
こいつも本当は愛したい、愛されたいと望んでいるんだってな。
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第六話
芸能界は楽じゃない、それはわかっていたことだけど少しハードスケジュール過ぎないか?
確かに僕は大手のプロダクションに所属しているし、それも理解できるけど若手にどれだけ仕事を振って来るんだと言いたくなる。
「奏さん、お疲れですね」
「ありがとうございます」
事務所の休憩室で体を伸ばしていると後ろから声をかけられる。
振り返るとお盆にお茶を入れて持ってきてくれた僕専属のマネージャーの姿があった。この人は母さんが直々に紹介してくれた人で小早川亜紀っていう名前だ。
すごく気配りが出来て僕よりは2,3歳くらい年上らしい。
その年で大手プロダクションで専属のマネージャーを出来るって凄いって思う。口も堅くて今まで僕の口から話した事が他には漏れたことがない。
ふと思ったけどなんでマネージャーをしているんだろう?
モデルでも女優でも普通にできる雰囲気はある。母さんと同じでこの人も時折、ミステリアスな雰囲気を醸し出す時がある。
「私の詮索をしても何も出ませんよ」
考えていることがバレているし。
表情にも言動とかにも出てないはずなんだけど、やっぱり母さんと繋がりのある人は何かが違っている気がするのはきっと気のせいじゃない。
「奏さん、彼女はあなたの期待に応えることが出来ましたか?」
「答えるまでもないですよ」
その答えは僕が語るまでもないだろう。
先ほどまで読んでいた週刊雑誌を目の前に広げて大きく一面に書かれた記事を亜紀さんにも見えるようにテーブルに置いた。
"B小町センター星野アイ 若手女性アイドル部門堂々1位!"
"伝説の始まりか、ファンが見た本物のアイドル!"
などなど色んな週刊誌や雑誌にこのような記事が一面で書かれている。
あのレッスンはしっかりと生きているようで安心したよ。
「これは本当に一番星になる日も近いのかな?」
「それはどうでしょうか。私が思うに、奏さんの方もすごいと思います」
そう言って彼女は事務所にあった別の週刊誌と雑誌などをテーブルへと広げる。
そこにはアイの記事ではなく、僕の記事が一面に書かれて特集が組まれているものが幾つもあった。
"牧野奏 若手男性アイドル部門堂々1位!"
"牧野奏、新曲3週連続1位!"
"歌うだけじゃない! 牧野奏の演技力!"
などなどアイのものに負けないインパクトでこちらも色々と記事が書かれていた。
あんまり目立つのは嫌なんだけど、こればっかりはこちらでどうこうできる問題でもないし、諦めるしかないか。
「今では若手歌手の人気投票では星野アイさんと奏さんで票が真っ二つに分かれている状態ですよ?」
「その判断基準はどこなんだろうね」
「それはやはり一番は容姿でしょう。お二人とも非常に整った容姿をされていますし、握手会なども長蛇の列が出来るほどですから。歌唱力と演技力では間違いなく奏さんに天秤は傾きますね。奏さんのアドバイスもあって彼女もとても魅せ方が上手くなりました。しかし、素のベースを基準に見るとやはりこちらに部があるかと」
「そういうものなのかな」
やっぱりファンが一番最初に見るのは容姿か。
一目で判断が出来るところだし、仕方ないことなのかもしれないな。同じ歌唱力同士だったらそれは容姿が優れた方へと行くのも理解できる。
「スケジュールの方は調整可能ですが、いかがいたしましょうか」
「……どれくらい調整できる?」
「私の把握しているあちらのスケジュールと合わせると2,3日ほど」
「その方向で調整をかけてくれますか」
「ではその様に致します」
これは確信をもって聞いてきてるな。
それにどうやって苺プロの方のスケジュールを把握しているんだろう。聞いても禁足事項ですって言って教えてくれないし。
彼女の方にも連絡を入れておこうか。
この日程なら問題ないよっと、送信。
「え、もう返信が来た……」
「ずっと待っていたのでは?」
クスリと揶揄うように笑った亜紀さんに僕は苦笑いするしかなかった。
◆
その場所は芸能人が内緒で隠れて食事をしたりする複数ある場所の一つ。
どちらのスケジュールも調整して、仕事のないフリーの日を2,3日作って時々、こうやって二人きりで食事をすることが最近は多くなった気がする。
「お待たせ、奏!」
「全然、待ってませんよ」
帽子にサングラス、黒いマスク。
僕らがファンにバレないように変装する時に使う必需品だ。奥の個室に入るとそれらをすべて外し、軽く息を吐いた。
最近はますます綺麗になったんじゃないかと素直に思った。
以前に会った時よりも瞳の星の輝きが僅かに増している気がする。彼女の方も僕の瞳をジッと見つめて嬉しそうに笑っていた。
同じことを考えていたのかな?
首からはお揃いのモデルのネックレスが見えていた。
「嬉しそうですね」
「うん、奏と私。2人が揃って一緒に芸能界の若手のホープって言われているのが嬉しいんだぁ。芸能界に入るきっかけをくれた社長には感謝してる」
「初めは僕の所にも来たくらいですからね、あの人」
「私をスカウトする時にも言ってた。でもその時の言葉が背中を押してくれたのも事実なんだ。嘘を本当にしてみせろって」
嘘を本当にしてみせろってそんなこと言ったのか、あの人。
それがどれだけ難しいことか、わかって言っていたなら相当な自信家だと思う。まぁ、関係ない話は考えないでおこう。
「今の私があるのは奏のおかげなんだ。アイドルとして伸び悩んでいた時、真っ先にどうすればいいかってアドバイスをくれたでしょ?」
「はい」
「この業界は生き残るのが簡単じゃないのに、どうしてアドバイスをくれたの?」
「……付き合いのある人が悩んでいれば、助言の一つでもするよ」
「それは本当に奏の本心? 私は嘘を付く。アイドルとして皆に夢を見せるための嘘、でも今から言う言葉は。ううん、奏の前で言う言葉に嘘はないの」
僕がアドバイスを上げたのは伸び悩んで悲しい顔をしたアイを見たくないから?
そうじゃない、そうじゃないはずだ。
「ずっと考えてた。あの時からどうして奏の事が気になるんだろうって。それでやっと私は自分の気持ちがわかったんだ。君が傍に居ると胸が温かくて、鼓動が大きく感じられるんだ。ほら、わかるでしょ?」
「な、なにをして……っ!」
いきなり僕の手を取ったアイは心臓のある左胸に僕の手を抱きしめるように抱えた。
女性に、それも自分が気になっているかもしれない女性にそんな事をされてしまって顔が急に熱くなっていく。
「私、星野アイは牧野奏を愛してる」
「なっ……」
「やっと……自分の気持ちに素直になれた。嘘じゃない、これは紛れもない私の本当の言葉……。奏ならわかるよね?」
嘘じゃない……。彼女は本心から心の底から本当にそう思ってる。
じゃあ、僕はどうなんだ? 僕はアイの事が好きなのか、それともこの気持ちは……。
「相手の本質を見抜けても自分の気持ちには疎いんだね、奏。それにね、私がこの気持ちに気付いたのは奏からもらったこのプレゼントのおかげでもあるんだよ?」
「プレゼント?」
そう言って彼女が見せてくれたのは僕とお揃いのネックレスだった。
どうしてかわからないけど、無意識の内にこれを手に取って購入していたのを今でも覚えている。何も考えずに買ったのはそれが初めてだったから。
「このネックレスはね、こういう意味が込められてるんだって。――永遠の愛」
「あ、そうだったんだ」
その言葉を聞いて僕の心にストンっと何かが収まった気がした。
僕は意識していなかったけど、アイの事が好きだったんだ。それじゃあ、今までの行動もすべて?
「僕もアイのことが好きだったんだ」
それは自然と僕の口から出た言葉だった。
それを受けてか、彼女は瞳から涙を流して微笑んでいた。そして僕の体を抱きしめて互いの心臓の鼓動を感じられた。
◆
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第七話
もう私の気持ちを抑えることが出来なかった。
こうして逢瀬を重ねて、日に日に奏に対する思いは大きくなってた。それは嘘じゃない私を見てくれる人、嘘で作ったアイドルじゃなくて本当の私で居させてくれるから。
「奏、大好き」
奏の隣に座って腕を抱え込んで肩に頭を預けた。
戸惑いながらも私の方に手を回して、私を自分の方へ抱きしめるように動いてくれる。温かい、この温もりを手放したくない。
やっと言葉に出来た私の気持ち。
奏が無意識の内に私の事を意識しているのはわかってた。時々、熱に浮かされたみたいにボーっとして私のことを見てたのも知ってる。
目線を胸元に向けると光に反射して銀色に輝いているネックレスがある。
少し前に奏からお揃いのプレゼントを用意しましたって言われて渡されたネックレス。海外の有名なデザイナーがプロデュースした世界に数点しか存在しない貴重なものだって知って驚いたのを覚えてる。
「アイ、本当に僕でよかったの?」
「ううん、奏じゃないと駄目だよ。もし、奏に会ってなかったら私はこんなにも早く愛を知ることが出来なかった」
耳元で囁かれる言葉にいつも以上の優しさを感じた。
あぁ、駄目だ。奏に対する思いがとめどなく溢れ出してくる。きっと今の私を見たらファンの皆は幻滅する事になっちゃうな。
俺達のアイドルはそんな顔をしないって。
鏡には頬がほんのり赤く上気して瞳が潤んで、幸せそうな顔をしている私がそこに居た。
私ってこんな顔もできたんだ。
「アイ」
「なに、奏……んっ」
名前を呼ばれて顔を上に向けるとすぐ目の前に奏の顔があった。
顎に手を添えられると唇に温かくて柔らかい感触が訪れたの。驚いて目を見開くけど、すぐに瞳から涙が溢れだした。
悲しみの涙じゃない、嬉しかった。
奏がキスしてくれた、自分から。私の初めてのキスを彼に貰ってもらえた。
優しいキス、私と同じように自分の気持ちを自覚した奏。
一瞬のはずなのに時間が永遠にも感じられた。もっと私を求めてほしい、高鳴る心臓の鼓動に衝動を抑えることが出来そうになかった。
「っ……!?」
触れるだけのキスから大人の深いキスへ。
目を見開いて硬直する奏をよそに舌同士が触れ合って、いやらしい音が静かな個室に響いた。
「……」
私はゆっくりと唇を離すと私達の唾液で出来た銀色の橋が伸びる。
顔を真っ赤にする奏はとても可愛くて、それでいてとても愛おしく感じた。人を好きになる気持ちがわからなかったのは奏も同じだもんね?
だからこういった行為は俳優業でも基本的にはやったところを見たことなかった。
見えないはずだけど、頭から湯気が出て目がぐるぐる回っているに見えた。
「ふふっ……愛おしいな、奏」
力なく私に体を預けるように意識が朦朧としている奏の頭を膝の上に乗せた。
あの時と状況は違うけど、私が膝枕をするのはこれが初めてだね。一定の間隔で呼吸する奏の頭を撫でると触り心地の良い髪が手に触れる。
奏のお母さまと同じ触り心地。
内緒にしてたけど、本当は真莉愛さんから聞かされてたんだ。初めて会った時から奏はあなたを意識してたわよって。
「その気持ちが何なのか、二人とも理解するのに随分と時間が掛かっちゃったね?」
「……」
「聞こえてないだろうけど、言うね。"この出会いには意味がある"、その答えが今ここにあるのかなってさ」
もしかしたらあの時から真莉愛さんは私達がこうなることをわかってたのかもしれないね。
奏と同じ瞳を持った、違った。あの人からの遺伝で奏が同じ瞳を授かったっていうのが正しいのかな。なんだか悔しいなぁ、全部お見通しだったみたいでさ。
「なんだか、妬けちゃうなぁ。奏のことを一番知ってるのは私だって言われたみたいで」
「聞こえてるよ」
5分くらいで元の状態に戻った奏が起き上がった。
まだ顔は少し赤いけど、しっかりと私の瞳を見つめている。私もその瞳をしっかりと見つめ返す。少し恥ずかしそうにするけど、それでも奏は目を逸らさなかった。
「この出会いには意味がある。確かに母さんはそう言った。その時にほんの一瞬だけ僕とアイへと視線を向けてた。だから初めて君と僕があった時に僕らは互いが惹かれていた事に気付いていたんだと思うよ」
「やっぱり、そうだったんだ」
奏だけじゃなくて私の事もお見通しだったんだ。
あの時は他人も信用できなくて、好きってなんなのか、愛情って何なのかをわかっていない時だったのに。私が奏を無意識に意識してるって見抜いてたのか、なんでもお見通しなんだ。
「もし、あの時にアイと出会わなかったら今の僕はないんだろうね。芸能界には進んでただろうけど、君という存在が傍にはいなかったかもしれない。僕はまだ人を好きになるってことがわからなかったかもしれない」
「それを言うなら私もだよ。奏と出会わなかったら今の私はきっと……なかったと思う。スカウトされてアイドルにはなってたかもしれなけど、嘘の愛しか知ることが出来なかったかもしれない」
そう、きっと施設で奏達との出会いがなかった今の私はなかった。
本当の母の愛情っていうのがどんなものを知ることもできなかっただろうし、ずっと嘘で塗り固めた私を演じ続けなければならなかったかもしれない。
今に思うとこの出会いこそが運命の出会いってやつだったのかな?
「小さい頃からずっとわからない事があった。人を好きになるってどういうことなんだろうって。周りの友達が好きだって告白していたり、僕に好きだと告白したり」
「うん」
「どれだけ綺麗な人、可愛い人に告白されても心は動かなかった。でも、アイと出会ってから自分の中に何かが生まれた気がしたんだ。月日が経過するごとに大きくなっていく何か……」
「……」
奏の話を私は黙って聞いた。
その言葉には理解できない感情に対する苦悩を感じる。それはまるで愛を知らない時の私と重なって見えた。
「僕はわかったんだ。あの時に生まれた何かは……人を好きになるっていう気持ち」
あぁ、奏もずっと悩んでたんだ。
私達は意識せずも似た者同士、だからあの時からずっと惹かれてた。
「改めて言うよ」
「うん」
「僕、牧野奏は星野アイを愛してる」
「うん、うん。私も愛してる」
今度は私からじゃなくて奏の口から愛してるって告白してくれた。
嬉しい、愛おしい、ずっとそばに居たい。そんな感情がまた心から溢れ出してくる。ずっと手にしたかった幸せが私の目の前にあった。
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第八話
今回は少し短いです
恋は人を変えるって言葉を聞いたことがある。
まさか、自分がその当事者になるとは思わなかった。アイへの気持ちを自覚して、愛してると嘘偽りない気持ちを伝えた。
本当に嬉しそうに笑う彼女に僕も自然と笑みがこぼれた。
両思いになって本当の意味で恋人に成れたんじゃないかな。ここじゃ、落ち着いて話せないからもっといい場所があるんだと言われて連れてこられた場所。
「え……?」
何で部屋にアロマの匂いが漂ってるの?
冷静に考えて、ここってあれじゃないのかな。いや、絶対にそうだと僕の勘が言っている。
ラブホテルだよね、ここ。
色んな情報が入って来るからこの手の場所の話も知らない訳じゃなかった。内装とその作り、ベッドとかそういった類のものとかも聞いた記憶と一致する。
「落ち着け、僕。何でここに来るまでに気付かなかった? 恋は盲目ってやつなのか?」
自問自答を繰り返していると小さな衝撃と共に後ろから優しく抱きしめられた。
肩に僅かな重さを感じ、少しだけ顔を横に向けるとアイの顔が視界に入る。相変わらず、瞳の星は輝いているようだ。
「奏、聞いてる?」
サラサラの髪がうなじに当てって擽ったい感覚と背中に当たっている感触。
加えてほのかに香るいつもアイが愛用している香水の香りと耳元で囁くような彼女の声にまた自身の体温が高くなってくるのを感じた。
「どうして、ここへ?」
「ここなら誰にも邪魔されないでしょ?」
確かにここなら誰も来ないだろう。
気密性があるっていう意味ではこの場所も間違ってはいないけど、わかって連れて来たのか。それとも、偶然ここを知って……。
いや、それは絶対にない。
ここがどういう場所か、知らないで来るなんて普通に考えたらあり得ない。
「男と女の二人がこの場所に来た意味、言わなくてもわかるでしょ?」
ドクンっと心臓が高鳴るのを感じた。
間違いない、彼女は確信犯だ。
「私と奏は本当の意味で自分の気持ちを自覚して両思いになったよね?」
「そうだね」
「でもね、まだ心の何処かで不安を感じる私がいるんだ」
「不安ですか……」
僕を後ろから抱きしめている状態で僅かに声を震わせて不安だという言葉を呟いた。
「これは私が望んだ夢なんじゃないかって。本当は幸せな夢を見ているだけで、いつか覚めてしまうんじゃないかって」
「……」
「だからね、これは夢じゃないっていう証が欲しいんだ」
物事が上手く推移すると誰もが一度は夢じゃないよねと不安に思う時がある。
今までずっと悩んでいた事が解決したり、物事が一気に良い方向へと傾くんだからそういう不安を覚える人は少なくない。
密着しているアイの体が震えていた。
きっと今、言ったことの意味をわかっているから。
僕がそれを嫌だと拒絶しようものならおそらく彼女は壊れてしまうかもしれない。
一度彼女の腕から抜け出して、後ろに振り返る。不安そうな表情で僕を見上げる彼女を視界に収めた。
「自分が何を口にしているのか、わかっていますよね?」
「うん、わかってる。わかった上で奏に言ってるんだよ」
「僕も男です。愛する女性が不安げな顔で、そんな事を口にしたら止まれませんよ?」
可愛くてスタイルも良くて、僕を求めてくれるアイ。
今の表情を見て、それに加えて不安そうに瞳を潤ませる姿に誰が冷静な判断を下せるだろうか。それに嘘ではなく本心からなる言葉だったならなおさらだ。
「ううん、私はそれを望んでるよ。それにもし嫌われたって一人ででも育てるつもりだから」
「あなたを一人にはさせません」
アイがベットに背中から倒れ、こちらに両手を伸ばしながら言葉を紡いだ。
「……私に奏のものだっていう証をちょうだい?」
その言葉がスイッチとなって僕はアイに口付けを交わし、僕達は体を重ねた。
詳しくは語るまい、ただ言えるのは彼女は本当に幸せそうな表情をしていたってことだけだ。
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第九話
皆様のおかげです。ありがとうございます。
薄暗い室内でサイリウムを手にテレビに視線が釘付けになっていた。
「アイ―! やっぱりB小町のエースはアイしかいない!」
今は国民的アイドルっと言っても過言ではないB小町のアイ。
何度見てもその姿は輝いて見えた。頬を伝う汗もキラキラと輝いているようだった。既に業界では常にトップ争いをしているアイドル。
人気投票でも必ず1位か、2位になっている。
どうしてずっと1位を継続できていないか。
それはもう一人、飛び抜けて人気のある男性アイドルが居るからさ。
牧野奏っていうアイと並ぶと言われている青年だ。
女性からは圧倒的な支持を集め、同性からもその歌声や演技に称賛をもらっているからだ。
「二人が一緒に揃ってデュエットした時はアクセス数が多すぎて処理落ちするって事もあったくらいだからな」
「先生、ここ病室なんだが……」
「そうですよ、先生。何で患者さんの部屋を薄暗くしてDVDを見てるんですか? いつもの布教活動ですか? 普通に考えておかしいでしょう」
あ、見つかってしまったか。
「価値観の共有は大事な事だぞ?」
「時と場合を考えてください。それより、もう休憩時間も終わりますよ? 既に初診に見えている方がいらっしゃってますよ」
「もうそんな時間か。わかった、ありがとう」
「あ、そうだ。先生の推しのB小町のアイのことがtwitterの急上昇に上がってましたよ?」
俺は雨宮吾郎、この病院に勤めるしがない産婦人科医だ。
もう少しDVDを見て、アイの姿をこの目に焼き付けておきたかったが、仕方がない。椅子から立ち上がってその言葉を耳にした俺はTwitterにアクセスして目を見開いた。
そこにはB小町のアイが体調不良で活動休止という記事が一番上に来ていたからだ。
心配だが、仕事の時間だ。意識を切り替えてこのことは仕事が終わったらゆっくりと調べようと決意した。
「お待たせしました、初診の方ですね。事前に書いていただいた用紙をいただきます」
金髪にサングラスの中年と帽子を被った高校生くらいの女の子。
パッと見た感じだとお腹の膨らみ具合から20週くらいか? 訳アリか。
どれどれ、名前は星野アイ。
年齢は16歳で……ん? いや、そんな偶然はないだろう。
「あなたは親御さん?」
「書類上はそうなります。彼女は施設の出身ですので、一応形式上は身元引受人っていう形になっています」
どこかで聞いたことのあるような情報だな。
いやいや、それこそ偶然だろう。俺が目の前の現実を否定しようと必死になっているとその女の子は不意に帽子を脱いだ。
帽子で隠れていた両目が露わになり、そこには白い星が宿っていた。
そっくりさん、そんなはずはない。あの子と一緒に何百回と一緒に見ていた人物だ、見間違うはずがない。
B小町のアイだ。
推しのアイドルが妊娠? あぁ、駄目だ、目の前がチカチカしてきたぞ。冷静になるんだ、俺。
「で、では検査を行いますので少しお待ちください。準備をします」
何とか冷静さを保ち、いや、保ってはいないが一度部屋から出た。
これが活動休止の理由か!? それは活動することはできないだろうな。こんなことがバレたらスキャンダルもいいところだ。
少しだけドアを開けて中を確認するとやはり本物は違うなぁと思ってしまう。
中から先ほどの男性とアイの会話が聞こえて来る。
「相手は誰なんだ? 何で社長の俺に何も相談しない。もっと早く知っていれば、少しは対処の仕様が……」
そうだ、いったい誰がアイを妊娠させたんだ!?
本当ならこういった話は聞き入ってはいけないが、推しのアイドルの事なのでどうしても気になってしまう。
「う~ん、誰なんだろうね? こればっかりは秘密かな」
なんだ、この思わせぶりな言い方は?
わかる人にはわかる? これじゃあ、まるで私の事を本当によく知るなら相手がわかるって言っているように感じるぞ。
「まさか、あいつなのか? いや、だがそれならいったいいつ逢っていたんだ? しかし、アイの交友関係からしたら……」
アイが社長って呼んだってことはこの人は苺プロダクションの社長か。
彼女を妊娠させた相手が誰なのか、思い当たる人物が居るような反応をしているが確証を持てていないみたいだな。
いかん、一度すべてリセットするんだ。
すぐに検査を準備に取り掛かって、血液検査やエコーでの検査を行った。検査結果は最初に見て思った通り、20週。
加えて双子を妊娠していた。
出産をするとしてアイの体型から少し心配になるところもある。社長からしたら今の大事な時期に出産はしないでほしいと思ってしまうだろう。
「双子かぁ、どんな子達になるのか楽しみだなぁ」
「アイ、本当に生むつもりなのか。この事が世に知れたら俺達は終わりだぞ」
「私の気持ちは変わらないよ。彼との愛の証がここにある。それはずっと欲しかった私の願いの根幹にもあるもの」
双子と聞いて彼女は愛おしそうに膨らんでいるお腹を手で撫でていた。
その表情は新たに宿った命に感謝を、そしてその父親と思われる人物の子供を産むことが出来る幸せを噛みしめているように見えた。
一ファンとしてはやはり辛いものがある。
アイに夢を求め、ずっと見せてもらってきた。そんな究極で完璧なアイドルが妊娠している事実を知れば、ファンは失望するだろう。
「先生も何とか言ってもらえないか?」
「最終的な決定権は彼女にある。医師として、私の口から言えることはこれだけです。ここからは独り言です。一ファンとしては夢であってほしいと願ってしまう人達も多いでしょう。だけど、アイドルである前に彼女は一人の女性です。幸せを掴んでほしいと願うのは間違いですか……?」
「センセ……」
俺の口から生むべきではないと言わせたかったのだろうか。
でも医師としても一人の人間としてもそれを口にするわけにはいかない。俺の言葉に彼女が感心しているのがなんとなくわかった。
「お前の意志は固いんだな、アイ」
「当たり前だよ、社長。私は何を言われてもこの子達を産む。その気持ちは変わらないよ」
「わかった、俺も覚悟を決める。先生、アイの事をよろしく頼みます!」
これで良いんだ、これが一番正しい。
アイドルの前に一人の女性、幸せをつかむ権利は誰にでもある。それを俺達部外者が邪魔しちゃダメなんだ。
でも本当に彼女の相手は誰なんだ?
今のアイは国民的スターだ、そんな彼女が熱愛するほどの相手と言ったら……?
◆
しかし、まさか東京からわざわざ宮崎の地方の病院へ来るとはびっくりだ。
それも俺の居る所に来るなんて、俺にとっては都合がいいのか悪いのか。アイドルは偶像、それは知っていたはずなのにな。
日が落ち、夜空に星々が光り輝く。
「あれ、センセも星を見るの?」
「夜風は体に障りますよ」
「平気だよ。私のこと知ってたんだね」
「俺の推しの子が君の大ファンだったからね。もちろん俺もその影響でファンになった」
屋上の扉が開き、そこにはアイが居た。
冷たい風は良くないと告げるが、大丈夫と言って彼女も夜空に煌めく星々を見上げている。
「そっか。失望しちゃった?」
「ショックが無かったと言えば、嘘になる。アイドルをやめてしまうんだろう?」
「? 私はアイドルを辞めないよ?」
「アイドルを辞めない? だって子供を……まさか!」
アイドルも辞めず、子供も産むだって?
一瞬、何を言っているのか理解が遅れたが、それはつまり子供の存在を表には出さないってことか。
「そうだよ、子供の事は公表しない。この世界はさ、嘘が武器になるんだよ? いずれ時が来るまで隠し通して見せる。だって私は嘘が得意なアイドルだもん」
「一つ聞かせてほしい。今は幸せか?」
「すごく幸せだよ。彼の子を宿せて、それがもうすぐ産むことが出来る。ずっと叶えたかった夢が手の届くところまで来てるんだから」
アイドルとしてステージで歌っている姿よりも今の表情の方がずっと自然体だな。
アイドルとしての彼女、アイドルではなく星野アイとしての姿はやはり違うんだなって改めて思う。誰もが知るアイにこんな幸せそうな表情をさせる相手に嫉妬してしまう。
「あ、到着したの? 今は屋上に居るよ」
その時、彼女の電話に着信があった。
すぐに電話に出ると俺の方を一度、見て屋上に居ると言って着信相手と話を続けていた。
「私の出産時の担当医になってくれる先生が居るだけだよ? うん、わかった」
アイは俺の事を電話の相手に説明しているようだった。
2分ほど電話を続けていると電話を切ってこちらへとゆっくり歩いてくる。
「ねぇ、先生は秘密を墓場まで持っていける人? それとも私の秘密を世間に公表する?」
「公表しない。君のファンだが、俺にだってプライドはある。幸せを掴もうとする女性を貶めるような真似は絶対しない」
「それを聞いて安心した。私は大丈夫だと思うよ? この先生は少なくとも嘘を付いてない」
嘘を言う事は許さないという雰囲気を纏わせた彼女だったが、もとより嘘を言うつもりはなかった。
推しの不幸を願うファンはファン失格だ。少なくとも俺はそんな奴らと同じになるつもりはない。
彼女の視線が俺から後ろの屋上の扉がある場所へと向けられた。
「アイがそういうなら僕も信じましょう。信じますからね、雨宮吾郎先生?」
俺も彼女の視線先を見るために振り向くとそこには一人の青年の姿。
こちらを見据える姿はアイと同じで嘘を言う事を許さず、彼女を不幸にする要因を作ろうものなら決して許さないという雰囲気を纏っていた。
聞き覚えのある声と一度見れば忘れることはできない特徴的な瞳を持つ男性アイドル――牧野奏の姿がそこにあった。
彼に嬉しそうに歩みより寄り添うアイの姿にしばらく思考が停止したのは言うまでもなかった。
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第十話
やっぱり東京から宮崎は遠いな。
でもここならよほどの事が無い限り、安心することは出来るかな。
「牧野……奏?」
アイが僕の隣に寄り添って並んでいる姿に雨宮先生は目を見開いて驚いてるみたいだ。
それは普通の反応だろうね。国民的アイドルまで上り詰めているアイが妊娠している事実に衝撃を受け、更に言えば、子供の存在を公表せずにアイドル活動を続けるとまで聞いているんだから。
その相手が僕だって事実も追い打ちをかけているのかもしれないけど。
「初めまして、雨宮先生。僕の事は知っているみたいですね?」
「あ、あぁ初めまして。知らないはずがないだろう。君も彼女と同じく最も勢いのあるアイドルなんだから」
冷静さを保っているように見せているけど、まだまだ頭の整理が出来ていない感じか。
アイも言ってたけど、嘘はついてない。でも、心の奥底にある複雑な気持ちを蓋をして隠しているのかな? 嘘はついてないけど、本心を言っている訳でもないな。
「じゃあ、彼女の子供の父親は……」
「僕がその子供達の父親ですよ」
「奏は私の旦那様だよ!」
「(マジか!? いや、考えてみれば思わせぶりなシーンはあった。牧野奏とデュエットした時はいつもよりキラキラしていたのを覚えてるぞ)」
タイルに膝をついて項垂れてるけど、本当に大丈夫かな。
アイが信用しても大丈夫そうと言い切ったんだ、僕から見ても悪い先生には見えないから問題ないはずだ。まぁ、熱烈な彼女のファンって意味ではとてもダメージを負っていそうだけど。
「今幾つなんだ……?」
「僕は16歳、アイも16歳ですね。彼女の方が生まれは早いですが……」
「どういう経緯で彼女と……」
「それは内緒だよ、先生。私と奏の大切な思い出だもん、簡単には教えられないよ?」
僕が言う前にアイが先にはそう言う事は説明するつもりはないっと言い切っていた。
一ファンとして僕達の出会いを聞きたいのはわかるけど、確かに馴れ初めを初対面の人に説明する必要もない。
「そうですね。雨宮先生、日も落ちて少し肌寒くなってきたので中に戻りませんか? 夜風に当たりすぎるのも良くないでしょう?」
「あぁ、そうだな。これからの方針も説明したいから診察室の方へ行こうか」
「だって行こ、奏」
「そうしましょう」
僕がそう提案するとそうした方が良いと先生も頷いて中へと戻っていく。
体の重心をほんの少しだけこちらへと預けるように手を繋いで歩く。顔を見合わせると互いに少し笑って先生の後ろに続いた。
診察室へと足を踏み入れるとそこには先生以外にもう一人先客が居た。
僕の姿を見つけるとサングラス越しに目を見開き、こちらを指さして口をパクパクとさせている。
「や、やっぱりお前か!? 真っ先に浮かんだのがお前だったが間違ってなかった。牧野、お前なんてことを……!」
今の言い方からすると斎藤社長は僕をアイを妊娠させた人物の第一候補として考えてたのか。
まぁ、彼女の交友関係とか、僕らの出会いも知っている人からしたら真っ先に来るのも当然かな。でも驚いたのは斎藤さんにもアイが妊娠したことをすぐに打ち明けなかったことだ。
妊娠したと連絡を受けた時は僕も嬉しかった。
だって愛する女性との間に新たな命が宿ったってことはとても素晴らしいことだ。
でもそれを公表する訳にはいかないという部分もあった。
お互いに名前が知れているアイドル同士で、かつ16歳っていう年齢の事もある。斎藤さんからしたらバレたら事務所が終わってしまうから。
「やめてよ、佐藤社長。これは私が望んだことなんだよ、自分の気持ちに嘘を付きたくなかったの! 私の境遇は知ってるよね」
「俺は斎藤だって言ってるだろ。あぁ、もう。わかってる、頭ではわかってるんだが、それでもだな」
「あの、あまり興奮するのは体に良くないので落ち着いてください。改めてこれからの予定を説明します」
双子がお腹の中に居るアイに興奮させるのはよくないと真っ先に止めたのは先生だった。
さすが産婦人科医の先生だと思った。患者の事を一番に考えるからこそ、真っ先にその言葉が口から出たんだろう。
それとアイ、いい加減に斎藤さんの名前を憶えてあげてほしい。
人の顔と名前を覚えられないのは今でも治らないみたいだ。でも僕は顔も名前も一度も間違えられたことが無いんだけどなぁ
「さっきも説明した通り今は20週目。そこから逆算すると出産予定日はこの日取りになると思います。ただ少しだけ不安な点もあります」
「不安な点?」
「星野さんの体の大きさだと、子供の頭蓋骨の大きさによっては帝王切開も視野に入れないといけません。もちろん、そうならないように出産に対応できる体つくりを行っていくつもりです。骨盤の開きさえ問題なければ、無事に自然分娩でも問題ありませんが……」
確かに先生の言う事はもっともだと思う。
双子を妊娠していることを考えると母体を優先するなら帝王切開を進めるべきだと思うけど、彼女の体にメスは入れてほしくないというのが本音だ。
僕の考えていることがわかったのか、アイが優しく手を握ってくれる。
こちらを見て頷いて言葉を紡いでいく。
「私は元気だし、自然分娩で問題ないよ。それに私と奏の子供達だよ? 小顔に決まってるよ」
「こちらとしても自然分娩で進めるのが大前提です。しかし、もしもの場合は考えておいてください。こればかりは経過を観察しないと判断のしようがない」
「心配しないで、奏。愛を知った私は無敵なんだよ?」
「そうだったね。僕も君を信じてるよ」
「んんっ! 続けますよ」
僕とアイのやり取りが惚気ているように感じたのか、説明の途中だから後にしてくれと言う意味なのか、先生はわざとらしく咳き込んで話を続けた。
出産予定日はオフにしておかなくちゃ。
すぐに電子手帳に丸印を書いてその日の前後は必ず予定を入れないように決意した。何があってもこの日程だけは譲れない。
◆
アイはこの病院で出産まで過ごすことになる。
もちろん、このことはトップシークレットだから関係者以外誰も知らないはずだ。何処かで情報を仕入れた良からぬ人が居ない限りだけど。
付き添いとして斎藤社長も近隣でホテルを借りて一緒に過ごしてくれると言っていたから安心だ。
僕も本当ならずっとそばに居てアイと過ごしていたいけど、今後の事も考えるとそうも言ってられない。
「お前はアイといつ逢ってたんだ? あのハードなスケジュールの中でどうやって調整できた。いや、そもそもどうやって俺の事務所の仕事スケジュールを把握してたんだ」
「優秀な専属マネージャーが居るとだけ言っておきます」
「16歳、最近の若い奴はみんなこうなのか? 俺達の時はなぁ……」
斎藤さんは互いにあの忙しさの中でどうやって逢っていたのか、そもそもどうやって仕事日程を把握していたのかと問い詰めてきたが、僕も禁則事項ですと告げておいた。
だって、僕も亜紀さんがどうやってその手の情報を把握しているのか詳しくは教えられていないから答えられないし。
「それよりも僕が傍に居られない分、お願いしますよ?」
「けっ、わかってる。俺の事務所の未来も掛かってるんだ、しっかりと守ってやる」
「おやすみアイ、また時間を見つけて必ず来るからね。出産予定日には何があっても来るからまたね」
ベッドで寝息を立てるアイの髪を撫でた。
斎藤社長に彼女の事をお願いしてその部屋を後にした。アイならきっと大丈夫、それに先生も必ず無事に産ませてくれると言ってくれていた。
今の僕に出来るのは信じる事だけ。
だから僕には僕しかできないことを続けようと思う。それが必ず先で役に立つ時がやってくるんだから。
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第十一話
アイの出産日予定日まで残り僅か。
僕は歌手としての活動や俳優としての仕事もしっかりと取り組んでいく。大御所の歌手や映画監督、有名なテレビのプロデューサー達とのコネクションも構築も忘れない。
いざという時にこういった繋がりは必ず役に立つ。
「本日のスケジュールはこれにて終了。後はレコーディングを終えれば、しばらくは何の予定もありません」
「ありがとう、亜紀さん」
今日も無事に仕事を終えた僕はマネージャーの亜紀さんと今後のスケジュール確認を行っている。
残すは新曲のレコーディング作業か、これは室内で行う仕事だから気持ち的に少し安心した。歌う事だけに集中していればいいからね。
「私は私の出来ることをしているだけですよ?」
「それでも僕が不自由なく仕事もプライベートも過ごせているのは亜紀さんのおかげ。その事実は変わらない」
「ありがとうございます」
自分のできることをしているだけか。
その出来ることを完璧にこなして実績を残すことが簡単じゃないのは僕にもわかってる。本当に母さんはどこで亜紀さんの事を見つけたんだろう?
僕が生まれる前に何処かで見つけた?
でも、そうなると亜紀さんの年齢からして会った時は2,3歳って事になるけど……。
「私は真莉愛さんと初めて会ったとき、奏さんは産まれていませんでしたよ」
「もしかして、口に出てましたか?」
「いいえ、そう考えていると思いましたので」
これはもしかして読心術っていう高等技術なんじゃないのかな?
いや、でも僕も本質を見抜けるっていう点では頑張れば、相手の考えていることを読めたりするのか?
亜紀さんの言葉からやっぱり、2,3歳くらいの時に母さんに会ってることになる。
う~ん、わからないな。彼女の親が芸能界に居るって話は聞いたことがあるけど、それ繋がりで知り合ったという事でいいのかな。
「内緒です。女性には秘密が多いんですよ?」
何も言ってないんだけどなぁ。
亜紀さんは間違いなく読心術を使えてるよね、これは。自身の口元に人差し指を立てて、そういう姿は妙に様になっていた。
本当になんで専属マネージャーをしているんだろう。
僕としてはすごくありがたいし、感謝しかない。贅沢な願いを言うならこのまま専属マネージャーを続けてほしい限りだ。
◆
新曲のレコーディング作業を終えた僕はすぐに宮崎へと向かった。
伝えられていた出産予定日よりも少し早い到着になるけど、しばらく逢えていなかったからアイとゆっくりと過ごせると思うと不意に笑顔がこぼれた。
最寄りの駅からタクシーで彼女の居る病院まで向かう。
30分くらいで病院へと到着して、僕は彼女の居る部屋まで歩いて行った。何度か来ているから病院内で迷うことはなかった。
コンコンと病室のドアを叩いた。
「はーい!」
「入りますよ、アイ」
彼女の元気のいい返事を聞き、僕は扉を開いて中に入った。
そこにはベッドに背中を預けて前見た時よりもお腹が大きくなっているアイの姿がある。今で40週目、いつ産まれてきてもおかしくない状態だ。
「奏、こっちに来て」
「はい」
「ほら、あなた達のお父さんだよ」
私の傍に来てと僕を呼び、彼女のすぐ隣に移動する。
アイは大きくなったお腹を愛おしそうに撫でながら君達のお父さんが来てくれたとお腹にいる子供達に聞かせるように話す。
「触ってあげて? 奏が来たことを理解してるんじゃないかな。今もお腹を蹴って来るんだ」
「あ、ほんとうだ」
彼女のお腹に触れると確かに時折、動いて蹴っているような感覚がある。
まさか本当に僕が来たことを感じてる? それともアイの言っている言葉をなんとなくわかってるとか。胎教目的で僕も彼女と一緒に軽く歌を歌ったりした。
僕の場合は主にリラックスさせること目的にしたものだけど。
20週目の時点で一般的には聴覚も発達し始めるって聞いたから無駄ではないだ。
「もうすぐ会えるんだね?」
「うん、あと少しでこの子達に会える。その手で抱きしめてあげることが出来るんだよ」
僕の手に自分の手を重ねて一緒にお腹の子達を考えるアイ。
幸せの到達点の一つがすぐ掴めるところまで来ている。それは初めて会った時から動き出した運命だったのかもしれない。
「牧野君、星野さんには伝えてあるが自然分娩で出産することが出来そうです」
「本当ですか? それを聞いて安心しましたよ」
「だから言ったでしょ? 私達の子供なんだから何も問題ないってさ」
「はは、そうだね。雨宮先生、本当にありがとうございます。アイのために時間を割いてくれたと彼女から聞いてます」
これから生まれて来る子供たちをもうすぐ自分達の手で抱きしめることが出来る。
幸せな未来を想像して見つめ合っていると扉が開いてアイを担当してくれている雨宮先生が姿を現した。見つめ合う僕達の姿を見て何とも言えない表情をしているのがわかる。
一呼吸おいた後、改めて出産についての説明をしてくれた。
自然分娩で問題なく出産できるといわれ、安堵の息を吐いた。彼女の体にメスが入ることを想像するだけでも悲しくなるからだ。
「私は必ず星野さんを安全に出産させるとあの時に言いました。だから医師として当然のことです」
「それでもお礼を言わせてください」
「その言葉は彼女が無事に出産を終えてから改めて受け取ります。必ず安全に出産させる、それこそ今の私の本懐です」
「わかりました。では改めてその時にお礼を言わせていただきますね」
業界は違ってもこれがプロなんだなと改めて思う。
自分の受け持つ仕事は責任を持ってやり遂げることが第一か。本当にアイを担当してくれたのが、この先生でよかったな。
まぁ、今でも内心は複雑そうな感じがあるのは否めないけど。
そういうと先生は僕達に気を使ってくれたのか、必要な事だけ伝えて部屋を後にして出て行った。
「仕事の方は大丈夫なの?」
「問題ないよ。教えられた出産予定日からスケジュールも調整してもらって絶対にこの期間はオフにするって決めてたから」
「そっか。じゃあ、しばらくはずっと一緒に居られるんだよね?」
「もちろん、そのつもりで僕も来ましたから」
「ふふ、嬉しいな。やっぱり、奏が傍に居ないと寂しいよ」
仕事のスケジュールなどはアイには伝えていなかった。
自分の体と出産の事だけに集中して欲しかったし、余計な事を考えてほしくなかったからだ。第一声で僕の身を案じてくれているのはやっぱり嬉しいな。
しばらく一緒に過ごすことが出来るとわかるとアイも笑顔になった。
既に近くのホテルも抑えてあるし、時間が許す限りは病院で彼女と過ごすつもりだ。さすがに消灯時間になってしまうと僕もここには居られないだろうから。
「僕もアイが傍に居ないと寂しいな」
「一緒だね? 奏、もっと傍に来て」
無言で頷くとパイプ椅子をもっとベッドの方へと寄せた。
すると彼女は触れ合う距離まで接近するといつかと同じように僕の肩に頭を預け、僕と手を重ねる。アイは深呼吸するように大きく息を吸って吐く。
「あぁ、やっぱり落ち着くなぁ。こうしていると私は本当に奏のことが好きなんだって思う。心も体も温かくなるんだ」
「初めて僕に告白してくれた時を思い出しますね」
「そうだね、私も奏もあの時はこの気持ちが人を好きになった時に感じるものだって知らなかったもんね」
アイがそう感じているように僕も身も心も満たされているように感じた。
好きな人、いや愛している女性とこうして触れ合い過ごすこと。少し前の僕に言ってもきっと信じてもらえないかもしれない。
「誰かを好きになる気持ち、それは僕も知り得なかった。でもアイとの出会いが僕にその答えを与えてくれた」
「うん!」
「そしてその思いの結晶がここに居る」
その答えを得ることが出来たから今の僕とアイがある。
僕と重ねている手とは逆の手で彼女はお腹を大事そうに今も撫でている。もうすぐ、会える。
だからその時はこの言葉を贈らせてほしい。
産まれてきてくれてありがとうって。
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第十二話
推しのアイにあんな顔を見せられたらこの気持ちに蓋をするしかなかった。
医師としての俺、ファンとしての俺、どちらも納得させたつもりだったけど、やっぱり複雑な気持ちだ。推しのアイドルはやはり尊い。
本当に幸せだという事は彼女の表情を見ていれば明らかだ。
アイドルは偶像、嘘を重ねることでより強く輝ける。嘘という魔法を纏うことでファンに夢を見せ、ステージで輝けるか。
「そう、アイドルは嘘を重ねる。それは何もアイだけじゃない」
嘘という愛で皆を幸せにすると。
真実の愛には嘘の愛で打ち勝つことはできない。それは彼女のアイドルとしての活動をずっと見ていた者からしたら明らかだろうな。
一ファンの俺でも途中からアイが変わった事には気付けていた。
それはもちろん、より輝けているという意味でだ。そのきっかけを与えたのは間違いなく牧野奏であることは間違いない。
俺の場合は彼女を妊娠させた人物であり、旦那だと言われたから確信を持てただけだが……。
やっぱり辛いものは辛いんだよ!
あんな眩しい笑顔で言われたら何も言えないじゃないか! むしろ、本物のアイが俺に微笑んでくれている!と狂喜乱舞になるくらいだった。
「彼女たちとの関係もこれで終わりか……」
病院を出て家に向かう途中でそんな事を考えた。
国民的アイドルのアイが妊娠して田舎にあるこの病院を訪れてくれたからこそ、出来た繋がり。普通ならアイドルと一ファンという関係しかなかった。
その点だけ言えば、俺は彼女と話すこともできたし、本当のアイを知ることが出来た。
複雑な気持ちなのは変わらないが少し感謝している部分もある。
きっとあの二人は自分達の進もうとする道が茨の道であるとわかっていて進むのだろう。
俺に出来るのは2人の子供を安全に出産させることだけだ。今できることをしよう、それが夢を見せてくれたアイドルに出来る最高の恩返しになることを願ってな。
家に着いたら少し眠ろう。いつ電話が来てもいいように……。
「ねぇ、あんたが星野アイの担当医だよね?」
後ろから声を掛けられ、振り返ると黒いフードで顔を隠した男が居た。
考え事に集中し過ぎたのか? こんな怪しい奴がすぐ後ろに来ていることに気付かないなんて。
いや、待て。それよりもこいつは今なんて言った?
星野アイの担当医って言ったのか?
あり得ないだろう。確かにカルテにはその名前が書かれている。だが、すぐに偽名に変えて彼女がここに入院していることは外部には漏れないように徹底しているんだぞ。
「何のことだ。ここに星野アイという患者は入院していない」
「嘘を言ったって無駄だよ。ここにアイの所属するプロダクションの社長が出入りしているのも確認した。活動休止の発表、この病院への出入り、これだけの情報があれば答えに辿り着く」
「……」
何でそんなことまで知ってる!?
まさか誰かが漏らしたのか? いや、それはあり得ない。彼女の所属する事務所はB小町こそ有名ではあるが、社長自身はそこまで有名じゃない。
苺プロのホームページにだってその写真は載せられていない。
つまり、一般人が斎藤社長の事を知ることは不可能に近いんだ。可能性があるとすれば、芸能関係に詳しい何者かが情報を漏洩させたってことだろう。
「彼女のストーカーか!」
「さぁ、どうだろうな」
情報漏洩も問題だが、重要なのは目の前の男を今の彼女に近づけないことだ。
いつ産気づいてもおかしくない状態だ。このタイミングでストーカーらしき男がやってくるなんて最悪って言葉しか浮かんでこない。
襲ってくるのかと思ったが、踵を返して俺から離れていった。
しかし、このまま逃がすわけにはいかない。
街灯も少なく薄暗い道を走って追いかけた。
「どこに行った!?」
もともと運動が得意じゃないのに走らせやがって!
見失ったか? 途中で山道の方へと逃げられて追いかけたが、余計に光がなくて黒い衣服を着ていたこともあって姿を捉えにくかった。
手持ちの携帯のライトで照らしてもその姿を見つけることが出来ない。
「まずい、病院に電話を……」
「……さようなら、あんたが悪いんだ」
「しまっ……」
完全に見失ってしまった。
とにかくアイのストーカーが居ると病院に連絡を入れないと駄目だ。すぐに病院の電話番号をダイヤルしようとしたとき、小さな声と共に後ろからくる衝撃に体が宙に浮いた。
振り返りざまに見えた男の顔ははっきりとこの目に映った。
俺の立っていた場所は崖とも言える場所だ。そこから突き飛ばされ、至る所にぶつかりながら落下していった。
「体が…うごか……ない」
意識が朦朧とする。
少し意識を失っていたのか。体を動かそうにも骨折に加えて脊椎も痛めてしまったようで体をピクリとも動かすことが出来ない。
辛うじて言葉を発することは出来るが、消えてしまいそうなほど弱かった。
呼吸をするたびに肺から激痛が伝わって来る。これはたぶん、肺に骨が突き刺さっているというのがなんとなくだがわかる。
その時、俺の電話に着信があった。
視界も徐々に失われていくが、携帯に表示された名前を見ることが出来た。そこにはアイの偽名として使っている斎藤という文字が見える。
「アイが……産気づい……たの……ぁ」
予定よりも少し早い。
俺は必ず安全に出産させると約束したんだ。行かなくては……いかなく……ちゃ。
駄目だ、意識が……体が冷たく……なって。
あぁ、これが走馬灯ってやつなのか。
今まであった出来事が次々と流れて来る。短い人生だったな。
心残りがあるなら無事に君達の子供を出産させてあげたかった。
最後まで君達の姿を見ていたかった。すまない、アイ、牧野君……皆。
俺の意識は完全に黒く塗りつぶされた。
◆
なぜ電話に出ないんですか、雨宮先生。
必ず無事に出産させてやると約束したのに……。アイも雨宮先生に僕達の子供の出産を任せると信じていた。
「どうなってんだ!? 何で先生は電話に出ないんだ!」
「私に言われても困ります! 他の先生を呼んできます!!」
目の前で斎藤さんとアイの身の回りの世話をしてくれていた看護師の女性がパニックになっている。
既に分娩室に移動しており、あとは雨宮先生が来るだけとなっているんだけど、電話にも出ないし、待てども来ない。
アイはつい先ほど産気づいて破水し、陣痛の痛みが襲い掛かってきていた。その痛みは女性にしかわからない、きっと尋常ではない痛みなのだろう。
それでも彼女は表情を歪めながらもこちらを見て安心させるように微笑んだ。
「奏、ずっと手を握っててね。私、絶対に元気な子を産むから……っ」
「うん、絶対に離さないよ」
しばらくして別の先生が分娩室へと連れられてくる。
すぐに呼吸を一定に保って先生や助産師さんの指示に従っていきみを調節していく。徐々にアイから伝わって来る力が強くなってくるのを感じた。
先生達がこのタイミングだという時に合図を送り、それに従って彼女も体に力を込めていた。
そして、ついにその時はやってきた。
聞こえて来る元気な赤ん坊の泣き声。
僕達の子供達が産まれた。
その姿を見て僕は無意識に涙を流していた。いや、それはアイも同じでまだ荒い呼吸を繰り返しながらも瞳からは涙が流れている。
「元気な男の子と女の子ですよ?」
助産師さんから抱き上げられた赤ん坊は適切な処置が行われた。
アイも出産の疲れで倦怠感を感じているが、それ以上に自分達の子供のことが気になっているはずだ。白い布に包まれている双子を助産師さんが彼女のすぐ傍に移動させた。
「あぁ、可愛いなぁ、私達の赤ちゃん」
「そうですね。アイも本当によく頑張ってくれました」
「奏がずっと手を握ってくれて、その思いも伝わってきたよ。ほら、よく見てあげて? 目元は奏に似てるかな」
「うん」
アイの言う通り、男の子は僕に目元をしているかな。
女の子の方は彼女に目元が似ている気がする。これから大きくなっていく姿を想像すると僕も父親になったんだと実感が湧いてきた。
「アイ、本当にありがとう。そしてこの出会いに感謝を……産まれてきてくれてありがとう」
「それは私のセリフだよ。あぁ、家族が出来るってこんなにも幸せな事なんだね?」
「はい。これからは僕達4人で幸せな家庭を作っていきましょう」
「うん!」
その言葉を言うとアイも緊張の糸が切れたのか、ゆっくりと目が閉じられていった。
体の倦怠感も限界を迎えて、疲れて眠ってしまったんだろう。僕や斎藤さんも先生たちの指示に従って退室し、これからの事を話し合った。
でも雨宮先生はなぜ来ることが出来なかったんだろうか。
その事だけが気がかりで仕方がなかった……。
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第十三話
出産を終えてしばらくしてアイももう少しで病院を退院できるようになる。
子供たちの方はまだ病院に居る必要があるらしく、まだ東京には戻らず宮崎でリフレッシュ休暇となっていた。
当然、アイの復帰にはまだ時間が掛かる。
それでも復帰を急ぐ必要はないと思っている。それは疲れを癒すという意味でもあり、家族四人で一緒に過ごす時間を多くとるためだ。
「雨宮先生はあれから家にも戻っていない。行方不明で捜索願も出されたみたいだけど、未だに見つかっていないか」
斎藤さんが聞いた話だと、家に戻った形跡がなかったらしい。
病院から歩いて数分の所に家があるのだから戻らないはずがない。やはり、アイが出産した日に何かがあったと考えるべきだろう。
でも、先生の身に何が起きた?
電話にも出ず、病院にも姿を現さない。あの夜に一瞬だけ聞こえて来た複数の鳥の羽ばたく音と鳴き声が関係している?
最悪の可能性を考えるなら先生は既にこの世にいない。
その原因が事故なのか、それとも別の要因が関係しているのかは僕にはわからない。その判断材料が存在していないからだ。
「牧野、何してるんだ?」
「斎藤社長こそ、どうしてここに?」
「俺はあれだ。これからの事を考えて頭から火が出そうだったから息抜きだ。都会と違ってここは空気が新鮮だからな」
様々な考察を頭に巡らせていると斎藤社長が僕の姿を見つけて近づいて来た。
しばらくはアイを復帰させないだろうから考える時間はたっぷりある。一番の問題はアイと僕の子供達をどのように対応していくかだろう。
選択を一つでも間違えれば、すべてが終わると考えているだろうし。
「僕は少し考え事ですよ」
「何か気になることでもあるのか?」
「雨宮先生の事を考えてました」
「……どこ行っちまったんだろうな」
斎藤さんも先生の名前を出すと本当に心配しているという表情をしていた。
色々な話はおそらく僕よりも聞いているはずだから捜索の現状なども理解しているんだろうな。
「僕も先生が無責任に約束を破るとは思わない。斎藤社長は今どういう状況なのか知ってるんでしょう?」
「……お前、本当に16だよな? あぁ、確かに俺は知ってる。完全にお手上げ状態らしい。ここは山々に囲まれている場所だ。もし、この山で亡くなっているなら見つけることは難しいらしい」
「だったら一つの可能性にかけてみましょう。僕としてはこの可能性を否定したい。先生の携帯の番号はまだ残っていますか?」
「それはまだ消していないが……」
「電話をかけてください、その番号に」
「は? お前、何を言って――」
有無を言わせない僕の眼差しにしぶしぶ携帯をズボンから取り出した。
そして電話帳から雨宮先生という名前を探し出して、斎藤さんは電話をかける。先生が姿を消して、約一週間が経過していた。
可能性は極めて低いが、まだ携帯電話のバッテリーが生きているのなら……。
「繋がったな」
「まだバッテリーは生きてるみたいですね。そして答えはすぐそこにありそうですよ」
電話が繋がった瞬間にある方角で鳥たちが一斉に空へと飛び立った。
しかし、数コールだけ繋がったけどバッテリーが無くなったのだろうか。それとも電話が切られたのだろうか、わからないがこれ以降繋がることはなかった。
「お、おい、どこに行くつもりだ?」
「もちろん、先生を見つけるためですよ。今、鴉が一斉に飛び立った場所へ向かいます。ここは高い場所ですから位置の把握は出来ました」
「まさか、着信音に鴉が驚いて飛んだっていうつもりか? 確かに可能性はあるだろうが、そんなまさか……」
「何もなかったらそれで良いんです。僕の考え過ぎだって思えれば、それが一番良いんですから。むしろ、考え過ぎであってほしい」
「ったく付き合ってやるよ。場所を教えろ、俺が先に歩く」
そう、考え過ぎであってほしい。
先生は今もどこかで生きていてただ連絡を取ることが出来ない状況であるだけだって。ヒカル君が言ったように人はいつか死ぬ。
でも、先生はまだまだ若い。
これからも推しのアイドルって言ってたアイの事を応援してもらわないといけない。
GPSを使って位置を忘れないようにマーキング、その場所へと二人で歩みを進めた。
「……斎藤社長、何か腐敗しているような匂いがしませんか?」
「まさか、冗談だろ……。牧野、そこから動くなよ!」
マーキングした地点まであと少しと言うところで僕達は足を止めた。
それは風に乗って何かが腐っているような匂いが辺りに漂っているからだ。斎藤さんは僕に動くなと告げて、匂いが強くなってくる方向へと走っていった。
遠いけど、マーキング地点で立ち止まった姿を視界に収める。
携帯をしまって動くなと言われたけど、僕もその場所へと歩みを進めた。鴉の鳴く声が妙に耳に残る、今も一定間隔で鳴いている。
そこには一羽の鴉と腐敗が進んでいる人の遺体。
白衣、眼鏡、そして胸元にある見覚えのあるアイのキーホルダー。
「見るな、牧野!」
「……雨宮先生」
「とにかく俺は警察に連絡を」
僕も母さんと一緒である種の予感を感じることがある。
信じたくない可能性を考えてしまったが故に感じた嫌な予感。それがまさか目の前に現実となって現れるなんて……。
斎藤さんはすぐに警察に電話をかけて山中で行方不明になっていた先生らしき人物の遺体を見つけたと連絡していた。
「なぜ、こんな洞窟のような場所に?」
人間の腐敗した匂いはずっと嗅いでいたいものじゃない。
風上へと移動して、この匂いから解放されることを体が望んでいた。大きく深呼吸して新鮮な空気を肺へと送り込む。
心を落ち着かせ、冷静な判断をするんだ。
あの夜、先生が僕達の元へと現れることが出来なかったのは偶然じゃない? 自宅に帰るだけだって言ってた。
こんな人に見つかりにくい場所に来るはずがない。
だったらなぜこんな場所に居るのか――――答えは一つだけだ。
誰かが先生を手に掛けた。
そして見つからないようにこの洞窟のような場所へと移動させた。偶然の死じゃない、誰かの手引きによって引き起こされた?
しばらくして警察が到着し、すぐに先生の検視が行われた。
後から斎藤さんから聞いた話だと頭蓋骨が陥没している箇所があり、他の場所にも打ち付けたような痕があったらしい。
高い場所から落ちた時によくある痕らしく高所から突き落とされた可能性が高いとの見解らしい。
人の手によるものだと判断されたのは落下した場所と遺体があった場所が異なる位置だったからとのこと。
「大丈夫か、牧野。まさか、本当にお前の言ったとおりだったとは……」
「えぇ、僕は大丈夫。少し動揺はしていますが、問題ありません」
「(大した奴だぜ。やはり、あの母親の息子だってことか)」
発見時の状況などを警察に尋ねられていた斎藤さんが戻ってきた。
飲み物を手渡された僕は自然な動作でそれを呑んで一呼吸おいて答えていた。
「斎藤社長」
「わかってる。このことはアイの耳には入らないようにする。周りの奴らにも知らぬ存ぜぬで通してくれって頼んでおく」
「お気遣いありがとうございます」
僕の言おうとしたことがわかっていたようだ。
まだ不安定な状態であることには変わりないので、余計な心配をさせないように彼女の耳には届かない方が良いという判断だ。
斎藤さんの言うように僕もオフの期間に体も心も休めよう。
どういう状況でこのような事件が起こったのかは謎のまま、その答えを知る先生も既にこの世にいない。
死人に口なしか……。
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第十四話
奏の子供を無事に産んだ私は幸せの絶頂にいた。
奏が居て、私が居て、この子達も居る。愛を知らなかった私が愛を知って、母親になれた。改めて母親になったことへの実感が湧いて幸福感を感じてる。
「しばらくはゆっくり出来るんだね?」
「はい。マネージャーの亜紀さんがスケジュールを完璧に調整してくれてますから」
「真莉愛さんが紹介してくれた人だね」
静かな場所で奏達とゆっくり過ごすことが出来る。
都会と違ってここでの生活は体を癒すのに良かったんだと思う。本当なら先生にも私達の子供を見てもらいたかった。
でもあの日から先生は姿を消してどこにいるかわからない。
奏や佐藤社長に聞いても、こっちから連絡しても繋がらないって教えてくれなかった。何かを隠してる? でも意味なく奏がそんなことをしないのは私が一番知ってる。
だから彼の口からその事が語られるまで私は待つんだ。
「えぇ、母さんの紹介なので信頼してもらって大丈夫ですよ」
「もちろん、疑ってないんていないよ? でもマネージャーって事は奏と行動を共にしてるってことでしょ? 愛されてるってわかっても妬けちゃうなぁ」
もちろん奏が不貞を働くだなんて思わないよ。
でも、私以外の女の人と長い時間一緒に過ごしているという事実に嫉妬してしまう。奏は私のものだと体が無意識に彼の腕を胸に抱え込んだ。
それがわかってか、奏は笑って私の頭を撫でてくれた。
あぁ、やっぱり奏は私の気持ちもお見通しなんだね。体を更に押し付けるようにくっついて彼の温もりを感じる。
ドクンドクンって心臓の鼓動が高鳴る。
奏の胸に耳を当てると同じように鼓動が高鳴っていた。私を感じてくれているんだ――。
「僕が好きなのは後にも先にもアイだけですよ」
「うん、私も。きっと奏以外にはそんな人は出来ないと思うんだ」
奏の黄金色の同心円状の瞳が私の瞳を覗き込んでる。
この瞳が薄暗い闇の中に居た私を見つけ出してくれた。私の内面を見通して、光という希望で私を救い出してくれたんだ。
奏の頬に手を添えて、唇を奪った。
時間にしたらほんの数秒だけの口付け。互いの唇が離れて、奏から甘い吐息が吐かれる。
また気持ちを抑えられなくなりそう。
ずっとこのままでいたい、彼の傍に居るとき私は本当の私のままでいられる。アイドルとしてのアイじゃなくて、星野アイとしての姿。
「いきなりはびっくりします」
「ふふっ、でも嫌じゃないでしょ?」
「うん、嬉しいよ。だって星野アイは僕だけを愛してくれてるんだから」
「……もう、ズルいなぁ」
もう、急にそんなこと言うなんて奏はズルいよ。
今の私は顔が赤くなっていると思う。だって頬が熱くなっているのを感じるし、今の奏を見ることが出来ない。
恥ずかしくなった私は顔を見られないように彼の胸に顔を押し付けて奏から見えないようにした。
愛してる、その言葉を不意に言われるとまだ幸せと恥ずかしさを感じる。でも、きっと他の人から言われてもこうはならない。
私がこんな姿を見せるのは奏だけだから――。
しばらく奏に寄り添ってこの時間を満喫した。
それで今後、どのようにして生活していくかを話し合う。
「ベビー用品は斎藤社長達が買い揃えてくれるって言ってたから僕達は住居を決めないとね」
「新しい住居かぁ」
表立って私達の子供だって公表することはできない。
だから事前に話し合って決めた通りに表向きこの子達は佐藤社長の子供って事になるんだよね。でも住居に関してはどういった物件が良いのかな?
「と言っても候補は既に決めてありますよ。完全に情報の漏洩を防ぎたいなら僕達は別々に住居を用意して暮らした方がいいけど……」
「いや! そんなの絶対に嫌だ!!」
頭では理解してる、でも心がそれを拒んだ。
私は奏がそう言い切ったと同時に嫌だと拒絶の意を示した。やっと一緒に暮らせるんだよ? スキャンダルっていう危険に怯えてたら何もできない。
だから私はそう叫んだ。
嫌な女だと思われるかな? 自分の欲のために奏達を危険に晒してしまうことになっちゃう。恐る恐る私は彼の顔を見ると微笑んでいた。
「だったらこの場所にしましょうか」
私が別々に住むことを拒絶するのは奏はわかってたんだ。
携帯を操作して幾つかある物件の中から一つの物件を選んで見せてくれた。そこは特殊な作りなっている物件で安全面とプライバシーを守るって意味ではすごく評価が高いって言われている場所だった。
私も奏と付き合うようになってから物件についてリサーチしたことがある。
その時に見つけた物件の一つだった。でもここはそういう面が優れているだけあってすっごく高い部屋だっていうのを今でも覚えてる。
「え、でもここって月々の料金がすごく高い場所だよね?」
「そうですね。まぁ、これくらいかな」
教えてもらった月々の値段は思っていた以上に高かった。
奏のおかげで私はB小町で色んな人達から注目を浴びて、色んな場所で歌えるようになった。テレビで特集を組まれたり、CMにも呼ばれた事もある。
呼ばれたのは私だけだったからメンバーの皆には申し訳なさを感じることもあったけど。
皆は苦笑いしてたけど、わかってた。その目に映るのは嫉妬、憎悪、憤怒、悔しさ、諦め。
みんなわかってるんだよ。
芸能界って世界で生き残るのには才能が必要なんだって。このまま芸能界に身を置くなら今は悔しくても自分の感情を抑えるしかない。
だから私のお給料はみんなよりも多い。
多いと言っても苺プロはまだ大手のプロダクションとは言えないからそこまで多くのお給料は支払えない。月々の支払いを考えると本当にこの場所に住めるのかなと思ってしまうんだ。
「高いよ!? 私のお給料とあまり変わらないよ!」
「僕が支払うから大丈夫ですよ」
え、奏が支払うって言ってもそんな簡単に払えるものなの?
そう言えば、私って奏がどれくらいお給料を貰っているとかの話を聞いたことなかった。いったい所属しているプロダクションからいくら貰っているんだろう?
歌手としても俳優としても名が売れている奏。
CMだって私よりも遥かに多く出てるし、ドラマも主演で出ていた時もあった。本当の意味でマルチで活躍できる歌手だって世間では言われ続けてる。
「私も頑張るから!」
「無理はしないでくださいね」
ぐっと両拳を握り締めて頑張るよってアピールすると奏は嬉しそうに笑ってくれた。
私の顔を考えてたことがわかったのかな。本当に小さく耳元で私だけに聞こえる声で囁くように言葉を紡いでくれた。
吐息が当たって擽ったかったけど、言われた内容に一瞬体が固まった。
それは奏が芸能プロダクションからもらっている月々のお給料。私と同じ年齢でそんな金額が貰えるのと思ってしまう。
奏って私が思っている以上に凄かったんだ!
「今はまだこの時間を満喫しましょう」
「うん、そうだね」
奏の言葉に私は頷いた。
そう、今はこの時間を大切にしたい。今だって私を愛してくれるし、その思いも伝わって来るよ。それに私の全てはもう奏のものなんだから。
でもいつかきっと奏の全てを手に入れるよ――だって私は欲張りなアイドルだから。
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第十五話
人生ってやつはわからないものだと思った。
俺は冷たくなっていく体と暗くなっていく意識の中で死んだ。何を言っているのか、理解できないかもしれないが間違いなく俺は死んだはずだった。
アイのストーカーと思わしき男に突き落とされ、誰にも気付かれぬまま。
必ず、この手で子供達を出産させると誓ったが叶わぬ願いとなった。
だが、今俺の身に起こっていることはどう説明すればいいんだ!?
「あ、起きたの?
目が覚めると俺は推しのアイドルの子供になっていた。
ここは天国なのか? アイに対する執念が転生という形で願いを叶えたとでも言うのだろうか? 星野アイの子供という事は父親は当然、牧野奏ということだ。
アイに高い高いと体を持ち上げられ、浮遊感を感じている。
なぜ、こんな事になっているのかはわからない。それでも今はアイの赤ちゃんという立場を堪能させてもらおう。
「アイ、
赤ちゃん生活を満喫しようと決意した時、対面から声が聞こえて来た。
そっちを見るともう1人の赤ん坊のルビーが俺達の父親に抱えられている。少しグズッているけど、奏に抱えられているのは満更でもないみたいだ。
しかし、アクアマリンにルビーって凄い名前を付けたな。
絶対に漢字で書けって言われてもすぐに出てこないぞ。まさかキラキラネームってやつで名前を付けられるとは思わなかった。
それにしても凄く高そうな賃貸だな?
窓から見える景色から判断してもかなり高層階の一室なんじゃないか? そんな事を考えていると呼び鈴の音が聞こえた。
アイが立ち上がり、壁に設置された機器から訪問者の姿を確認している。
社長達だって言って、近くのボタンを押して玄関の扉のロックを解除していた。扉が開けられ、社長達が室内へと入って来る。
……ほんとにこの部屋は幾らするんだ? 東京ってこんな最新鋭な賃貸ばかりなのか?
前世の自分が居た場所とは違い過ぎて困惑する。
「相変わらず、羨ましい限りだな。俺達よりも良いところに住んでないか?」
「はは、褒めても何も出ませんよ。社長と大手のプロダクションに所属する僕とでは立場も何もかも違います」
「嫌味か、お前は!」
「急に大きな声を出さないでくださいよ。ルビーがびっくりするでしょう?」
アイが所属する苺プロダクションの社長が大きな声を出したのでルビーが驚いて泣き出した。
よしよしっと奏が背中を擦ると同時に一定の間隔である動作を繰り返したことで、すぐに泣くのが収まっていた。
こういうところでもプロなのか。
瞬時にどうすれば、最適な答えであるかがわかっているみたいな動き方だった。
「す、すまん」
「ミヤコ夫人、お久しぶりですね?」
「は、はい! 牧野君も久しぶり」
そして社長夫人のミヤコさんだ。
イケメンが好きらしく、この社長と結婚したのも芸能事務所に居れば、美少年とお近づきに成れるからとかいう不純な理由があったという話をアイと奏が話しているのをコソッと聞いたことがあった。
だから奏が自分に対して笑って話すと時折、顔を赤くしている姿を見せている。
俺からしても父さんってカッコいいというか、綺麗というか美青年であることには間違いなかった。
「アイ、ルビーをお願いするよ。僕はお茶の準備をするから」
「わかった。奏……ん」
「もう、皆が見てますよ」
社長達が来たからお茶を用意するとルビーをアイに預けてキッチンの方へと歩いていこうとした。
その時、彼女が奏の名前を呼んで振り向きさまに触れるだけのキスをしている。目の前で急に見せられたキスに複雑な気持ちだ。
そしてアイがまるで奏は私のものだと言わんばかりの表情でミヤコさんに向かって笑っていた。
なんだろう、二人の間に火花が散っているような気がするぞ?
「俺達が来た理由はわかってるな?」
「私の復帰の事だよね?」
「そうだ。今日の生放送の歌番組、ここが復帰第一弾となる。しかもだ、今回は牧野も参加するとあってかなりの視聴率が想定されている」
「楽しみですね、アイ?」
「うん、復帰第一弾が奏と一緒なんて最高だよ! デュエットならもっと最高だったのになぁ」
そう、今日アイはアイドルとして現場復帰する日なんだ!
B小町の永遠のセンターとして復帰する。彼女が活動休止していた期間は活動していたみたいだけど、あまり活躍できていなかった。
アイあってのB小町だっていうのを意識させられる案件となったらしい。
もちろん、メンバーも技術を磨いて更なる躍進を目指したみたいだけど難しかったようだ。
「贅沢を言うな。わかってるのか? 牧野は様々な業界で今や引っ張りだこなんだぞ。大手に所属してるし、まだ弱小とは言わないが知名度が中間くらいの俺達じゃ頼むのも一苦労なんだ」
「え、でも前はデュエット出来たよ?」
「あれは番組の企画でそうなっただけだ。想像以上に反応がよかったから俺も驚いたがな!」
アイと奏のデュエット。
アクセス数が多すぎて処理落ちするという事態を引き起こした珍事。前世の俺も途中で影響を受けて見れなくなって悔しかったのを覚えている。
斎藤社長としてはまた組ませてやりたいって気持ちはあるだろうけど、組織としての差が大きすぎた。
奏の所属するプロダクションは業界で1,2を争うくらいの超実力派なんだからな。
アイは社長の言葉を受けて少し悲しそうにしている。
ティーセットを持った奏がキッチンの方からやってきて皆の前にカップを置いた。
「あのデュエットは僕も楽しかったですよ。練習なしのぶっつけ本番でやりましたけど、息ぴったりでしたから」
「そうだよね! 私と奏だもん!」
「お前がアイに合わせたんだろうが……! 普通は練習なしであそこまで魅せることはできないんだ! 少しは自覚しろ!?」
当時を楽しかったと語る奏に嬉しそうに相性抜群と言いたげなアイ。
でも社長の言うことはもっともだ。普通は練習もせずに本番で全員を魅了するような歌や踊りを披露できることは非常に稀だ。
だから多くの分野で本番前のリハーサルが行われるんだ。
「何で仕事の前からこんなに疲れなきゃいけねえんだ。はぁ、仕切りなおすぞ」
そう言って何処からか取り出したボードに今回話し合う議題を書き出した。
●B小町アイの復帰
●子供の扱いについて
「前者についてはさっき話した通りだ。生放送だが、問題ないな?」
「もちろん!」
「問題はお前らの子供の扱いだ。これは最重要事項だ。選択肢を一つでもミスったらお終いだからな」
16歳、アイドル、二児の母、どこかに漏れたら大騒ぎになる。
アイの強い要望で奏と一緒に暮らすっていう危険を冒しているんだ。外に出るようなことがあるならそれこそ常に目を光らせないと駄目だ。
「アイが仕事の間は妻のミヤコが子供達の面倒を見る。牧野、お前はどうだ?」
「僕の方も仕事がオフの時は極力子供たちの面倒を見たいです。僕とアイの子供達ですから」
「私も休みの時は奏と一緒にアクアとルビーと過ごすんだー」
「そうか。ならその方針で話を進めるぞ」
それぞれ所属事務所も違って一緒に暮らしてる。
でも目の前で話されているのは苺プロの仕事の話。これって大丈夫なのか? 斎藤社長が問題ないというなら何も問題にならないんだろうけど。
「基本的には子供を連れて行くのは絶対にお前らの子供とバレないことが大前提だ。もし、どうしても連れていきたいというなら俺達の子供という事で現場に連れていく」
「現場に連れていくならアイの仕事場という事になりますね」
「あぁ、お前らの子供の事を知っているのは俺達を除けば、3人だ。アイは苺プロ所属、俺達が仕事場に連れて行っても違和感はない。だが、牧野の場合は仕事上の接点しかないからな……表向きはな」
アイの仕事風景を見てみたいというのは前世から思っていた。
社長達が話していた設定を利用すれば、見に行けないことはない。が、それはバレたら終わりという危険と隣り合わせだ。
それにしても社長達を除いて俺達の存在を知っている人が3人?
1人は奏の母親、1人は奏のマネージャー、あと一人は誰なんだ……? 実際に俺達があったことのない3人目。
「もっとも牧野に関しては何も心配していない。アイ、頼むから変な事を口走らないでくれよ? 16歳、アイドルで二児の母だとバレたら俺も責任を取らされて事務所は終わり。それに牧野もただでは済まなくなる」
「それは私も重々理解してる。だから安心して見守ってよ」
「心配だが、信じるぞ」
赤ちゃん生活の中で見てきたアイの姿から想像すると何かの拍子に口から秘密が漏れてしまうかもと思ってしまっているのは秘密だ。
でも奏が関わっているときはそんなボロを出している所は見たことがなかった。
それほどまでに父さんの前ではアイはしっかりしている。これも愛があるからこそなせる業ってことなのかな?
「そろそろ時間だな。アイ、俺達は先に向かうぞ。ミヤコ、こいつらの子供の世話を頼んだ」
「はい……」
「じゃあ、行くね。アクア、ルビー」
お、おでこにキス!?
こんな幸せな事があっても良いのか!? 推しの子供に生まれて来れてよかった! 前世では絶対にありえないことに思わず舞い上がってしまいそうだ。
「奏はまた現場で会おうね」
「えぇ、行ってらっしゃい。僕ももう少ししたら向かいます」
そうか、一緒に出ていく事は出来ないから時間をズラさないと駄目なんだ。
ここに二人が一緒に住んでいるのは極秘中の極秘。アイドルって内側から見るとやっぱり大変なんだと素直に思ってしまった。
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第十六話
誤字報告ありがとうございます。
アイとは時間をズラしてテレビ局の方へと向かう途中で考えていた。
僕達の子供の名前は幾つか候補があったんだけど、どうしてもこの名前が良いって彼女が引かなかったんだ。いわゆるキラキラネームっていうやつ。
まだルビーの方は女の子だし、問題ないけど……。
略称でアクアって呼んでいるけど、本当の名前はアクアマリン。漢字では愛久愛海、絶対に初めて見た人は読めないと思う。
愛久愛だけの方が良かったかな?
「奏さん、あと10分ほどでテレビ局へと到着しますよ」
「いつもありがとう、亜紀さん」
「これもマネージャーとしての務めですから」
運転してくれているのは専属マネージャーの亜紀さん。
タクシーでも良かったんだけど、私が運転した方が確実ですと言われて以降は仕事場への送迎は彼女に行ってもらっている。
亜紀さんに運転してもらっているときは周りの目を気にする必要がないというのも大きい。
タクシーではプライベートな話もすることはできないからね。
亜紀さんも僕達の子供のことは知っている。
もちろん、所属プロダクションの方はアイとの間に子供が出来たなんて知る由もない。亜紀さんの協力のおかげでこの辺りの情報はコントロールされている。
「アイさんの復帰は楽しみですね」
「そうですね。また日本中を熱狂させるアイドルへの足掛かりとなることを願っています」
「しかし、本当にそうなりたいならある選択を迫られると思いますよ?」
「……その選択をアイは悩んでいるみたいだよ」
復帰したアイが再び日本を熱狂させるのは間違いないだろう。
だって彼女は人に魅せる方法を知り、愛とは何かを学んだ。より自然な笑顔で多くのファン達を魅了するだろうね。
そして亜紀さんの言う通り、彼女が一番星に早く手を届かせたいなら一つの選択が迫られる。
B小町は確かに成功しているけど、その中心にいるのはアイだ。あまり言いたくはないが、歌唱力にはまだ飛び抜けて差はない。
けれど、カリスマ性という点においては飛び抜けている。
諦めてはいないメンバーも多いが、それでも強すぎる光に対抗することが出来ていない。加えて言うならアイが活動を休止してから今まで大きな仕事を取れていないというのも大きいな。
「時には切り捨てるという選択をする必要があります。それがたとえ、同じ事務所に所属するグループだとしてもです」
「まぁ、そうですね。世間からも業界からもアイが居てのB小町と思われている部分はある。メンバーからの負の感情は強いでしょうね」
「だからこそ、彼女は選択を迫られます。このまま仲間と共に頂を目指すのか、それとも奏さんと並ぶために切り捨てるのかを」
そう、芸能界っていうのはそういうところだ。
弱者はいつも強者の糧にしかなれない。人は誰しも平等じゃない、環境によって価値観が左右され完全な人は生まれない。
アイも母親からの与えられたものが愛だと覚え、愛は痛いものだと信じ続けていた。
きっと昔の彼女にそれは偽りの愛だと教えてもすぐに信じることはないだろう。
「アイがどちらを選んだとしても僕は否定しません。きっと当分は悩むことだろうし、簡単に決断できることでもないから」
「皆さん、努力はしておられると思います。けれど、芸能界は努力だけでは壁を越えられません。奏さんの所属する事務所では特に。超実力主義の事務所ですし、それ故に結果を残すものには寛容です」
「そうですね。金の成る木は手放したくないという事ですね」
「悪い言い方をすればですが……」
いずれ選択の時は迫られる。
どの選択をしようとも僕はアイを支えるだけ、最愛の女性としても良きライバルになってくれる歌手としても。
ただ、本音を言うならグループ内で表面上は何も起こってないけど、裏でこそこそとされるのは面白くないのも事実。
もし、今後それが顕著になって来るなら口を出すこともあるかもしれない。
僕が言う前に斎藤さんが気づいて何とかしてくれることを祈っているけど……。斎藤さんが何か言っても逆効果かな? アイを他のメンバーよりも少し贔屓しているのは事実だし。
「それだけの評価をしてくれている。今はそれだけで十分ですよ」
「奏さんがそういうなら私としても問題はありません」
亜紀さんも納得してくれたようだし、そろそろテレビ局だ。
アイも居るし、今日も頑張っていこうか。
◆
歌番組のスタジオに到着し、スタッフさんや番組を進行してくれる司会者にも挨拶していく。
「牧野君、久しぶり。最近どう?」
「お久しぶりです。いつもと変わりませんが、絶好調ですよ」
「それは良かった。今日もよろしく頼むよ」
簡単な挨拶を交わした僕は番組進行のスケジュールが掛かれた台本を改めて確認する。
生放送で行われるため、極端なアドリブを入れて番組を混乱させてはならないという暗黙のルールも存在したりする。
もちろん、すべてが決められているわけではない。
台本に書かれているフリートークという部分には決まりはないので、ここではある程度自由にすることもできる。
「僕の出番はB小町の後か……最後なんだ」
「牧野君、今日も期待してるよ。君が番組に出ると視聴率も高いからね、こっちとしては毎回でも来てほしいくらいだよ」
「頑張ります。でも、それってあんまり大きな声で言わない方が良いんじゃないですか?」
「はは、ここのスタッフの皆は言わなくてもわかってるよ。私達も数字で評価されるからね、だから君が来てくれると本当にありがたいんだ。それに大きな声では言えないけど……ほんとならB小町のアイとデュエットの方が良い。数字が跳ね上がるからね」
「僕は何と答えるのが正解なんですか?」
「別に答えなくてもいいさ。あくまで私達が数字をあげるためにどうすればいいかという答えの一つと言うだけさ」
出番前に軽いトークが入って、そこから生歌を披露という順番だ。
この辺りは前に呼ばれた時とあまり変わっていないようで安心した。台本を確認していると番組の責任者の人がこっちに来て話しかけて来る。
内容は隠すつもりもないのか、やはり番組視聴率のことだ。
僕らはそういう数字はあまり関係ないが、この人達の場合はその数字がすべて。だから質の高いパフォーマンスを行ってもらうために様々な嘘を付く。
思ってもみないことを普通に言ってくる。
笑顔の裏に打算ありということだ。高い結果を残すために手段としても間違っていない。誰もが一度は通る道というところかな。
笑いながらよろしく頼むと言って裏の方へと行ってしまった。
やるからには僕もプロとして必ず結果を出せるように全力で行うのは当然の事だから言われるまでもない。
そして番組がスタートした。
「本日のメインB小町の皆さんと牧野奏さんです!」
それぞれが呼ばれ、入場用の入口からスタジオへと入っていく。
僕が後ろに居ることに気付いたアイが気付かれないようにウインクをしてくる。公共の場では親密そうには見せないようにと言われているのに。
僕もそれに合わせてウインクを返す。
満足そうにした彼女はB小町のメンバーと先に入場した。でも、明らかに誰の視界にも入ってないタイミングで行ったことから見てもカメラの配置とかも全部把握しているっぽいな。
「本日、活動再開となるアイさんです。」
「どう、絶好調?」
「はい! 心配をかけましたけど、元気いっぱいです!」
やはり、最初に話題を振られるのは当然アイだ。
今回のメインの中でも中心となるのは活動休止明けとなる彼女しかいない。振られた話題に対してリハーサルでもやったように無難な返しを行っている。
これなら問題なさそうだ。
斎藤さんがだいぶ心配していたからどうかと思ったけど、心配する必要はなかった。
「牧野君からも何かある?」
「そうですね。やはり第一声は復帰おめでとうと言わせてもらいます。同世代ですし、高みを目指すライバルとして戻ってきてくれて嬉しいです」
「おぉ、メラメラ燃えてるね。若いっていいね」
このタイミングで僕に話を振って来るってどこにも書いてないんだけど。
一瞬だけ司会者へと視線を移すとニヤっていう感じで笑ってた。……わざとやったなこの人。たまにアドリブを入れて来るのは知ってたけど、生放送でしてくるなよと言ってやりたい。
そしてスタッフの人達も苦笑いしてないで、止めてほしかった。
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第十七話
アイの復帰第一弾の歌番組、今のところは順調だ。
ボロも出てないし、何よりも司会者のアドリブに上手く合わせることが出来ている。が、まだ所々危ういところもあるな。
まだ牧野のように場馴れしていない。
活動休止期間もあいつは今みたいに様々な方面で経験を積んでいたから当然と言えば、当然だが。
「なぁ、B小町どう思う?」
「……アイが居なかったら解散してるだろ」
「なんだ、いつもみたいに興味ないって言わなんだな?」
「牧野奏と一緒に歌ったアイが居てこそのグループだろ。一夜の夢を見せてもらったからな」
アイが居なかったら解散してるか。
それを否定できないのが辛いところだな。社長の俺がもっといい仕事を引っ張って来れたらよかったんだが、プロダクションとしての格の差がそれを難しくさせている。
芸能関係者の間でも牧野とアイが一緒に歌ったことは誰でも知ってるよな。
さっきのやつが言ったように一夜の夢という表現は間違ってないだろう。それほどまでに破壊力が強い歌唱だったんだからな。
だから見せつけてやれ、B小町はまだ終わってないところをな!
「10秒前!9、8、7、6、5……」
カウントが始まって歌いだしの準備に入る。
嘘が闊歩する芸能界で生き残るために皆嘘を付く。上等だ、こっちは本物を見せてやる!
B小町の代表曲が流れ、リズムに合わせて歌と踊りが始まる。
最初の歌いだしのインパクトでアイの姿を目に焼き付けろ。再び、アイはここに戻ってきたんだ‼
「良い感じだ……!」
関係者の顔つきが変わったな。
あまり期待していないって感じだったが、それでも心の何処かには期待はあったはずなんだ。その燻っていた心に火を付けろ。
嘘でアイに勝てる奴はごく僅かだ。
牧野も言っていた、嘘つきは常人よりも観察力に優れていると。それは自分の言ったことが嘘だとバレないように新たな嘘を張り付け気付かれないようにするためだ。
まぁ、今のアイは奏のために歌っている。
あいつへの思いに嘘はないだろうぜ。俺だって外から見ていたらそれくらいはわかる、年の功ってやつだな。
「よし、もう終盤。決めろよ」
曲も最後のパートに入って若干の乱れが見えた。
まだ気になるレベルじゃないが、僅かにズレてるな。アイの踊りのキレが他のメンバーよりもいいんだ。牧野が見ているってだけでも期待に応えようとする。
それ以上に一緒にこの番組で共演できることが出来て実力以上の力を出そうとしてるのか。
今回はそれがあだになったかもしれねえな。
「B小町さんでした!」
何とか無事に終えられたか。
これは後で反省会だな。他の奴らもずっとトレーニングを積んできたし、アイが復帰するとあって気合も入ってた。
しかし、ブランクを感じさせず前回以上のパフォーマンスを見せたアイに唖然としている。
合同で練習もしたんだが、緊張もあって合わせきれなかったか。
「最後は牧野さん、準備お願いしまーす」
「はい」
「今回の曲は――」
B小町の出番が終わり、番組の締めを飾る牧野が登場する。
しかも今回の曲はあいつにしては珍しい曲調の歌だ。リハで軽く歌っていたが、あれは誰かに対して歌っているような曲にも思えた。
ファン、いや違う。確かにファンの事も含まれているだろう。
だが、あれは……。
導入からいきなりサビの部分を歌いだす曲。
「……アイ?」
牧野が歌いだした瞬間、俺はそこにアイが居るような姿を幻視した。
もちろん、そこにアイはいない。歌っているのは牧野だ、そこに居るはずがない。だが、この歌詞は明らかにアイに対して歌われている。
歌詞の一部に使われる嘘という表現。
俺が初めて星野アイと出会った時の事を彷彿とさせる。途中から曲調が早くなって牧野のパフォーマンスも更に鋭さを増す。
そしてフィニッシュを迎え、最後の動作。
正面を指で差し、自分の方へと腕を寄せながら握り締めていた。
「……まさか」
俺はふとあることを思い出し、アイの座っている席の方を見る。
そこにはボーっとして奏を見つめ、頬をほんのり赤くしている姿があった。やっぱり、そういうことかよ!
あの歌詞の内容はある種のこいつらの共通点とも言える部分が多くあった。
それはもちろん俺もこいつらの事をすべて把握している訳じゃないが、それが当事者同士の間ならどうなるか?
今のアイの顔を見たら明らかだ。
最後の歌詞の部分に君の全てを手に入れるとまで歌っているだから間違いないだろう。
生放送中になんてことしやがる!?
「誰も気づいてねぇな」
さすがにこれがアイに対して歌われたものだとは思うまい。
牧野はボロを出さない、それは間違いない。あいつは何も違和感を与えずに全国放送で告白まがいのことを誰にもバレずに堂々とやりやがった。
「牧野奏さんでした!」
一礼して歌い終えた奏は軽く汗を拭いてから席に戻っていた。
アイとの関係を知っている俺からしたら心臓に悪すぎる! 何でこんなに冷や汗を搔かなくちゃいけねぇんだよ。
とにかくこれでアイの復帰第一弾も無事に終了だ。
関係各所への挨拶を済ませた俺は次のスケジュールの確認を行ってからテレビ局を後にした。
アイに確認したが、やはりあの歌は自分に対して歌われていたものだと顔を赤くしながら語られた。
人を好きになる気持ちがわからない、私も奏も人を好きになるって気持ちがわからなかったと言われ、最後の歌詞の部分はお互いがお互いの全てを手にするという意味だったらしい。
簡単に言えば私の全てはあなたのものだっていうことだ。
帰りに一番苦いコーヒーでも買わないとどうにかなりそうだぜ、まったく!
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第十八話
恋愛描写は難しいですね、やっぱり。
無事に生放送の歌番組を終えた僕達はマンションへと帰宅した。
僕達が居ない間にアクア達の面倒を見てくれたミヤコさんにお礼を言って斎藤さんと一緒に帰っていった。社長の方はすごく疲れた表情をしていたが、どうしたんだろう?
夜も遅いからベビーベッドにはアクア達が寝息を立てて眠っている。
ソファーに座り、今日の事を振り返っていると僕の両腿へと跨るようにアイが座ってきた。ふわりと彼女の良い香りがした。
「奏、私のために歌ってくれたんだよね?」
必然的にソファーの背もたれに押し付けられているような体勢になった。
アイの口からは甘い吐息が漏れ、その瞳は潤んでいるのが見てとれる。いつにも増して妖艶さが醸し出されている状態だ。
それはやはり先ほど終えた歌番組で僕が歌った曲のことが影響しているのか。
アイなら当然、歌われた歌詞の内容が何を指し示しているのかに気付く。
「そうですね。一般的に見れば、あの曲は誰かに対して歌われている曲だと気付きます。好きな人に対して歌いたい曲と言うテーマで作られている」
「あの歌詞は私達の出会い、人を好きなる気持ちがわからない苦悩、最後に互いのすべてを捧げますっていう告白だって私は気付いちゃった」
だからアイはスタジオの席でほんのりと頬を赤くして僅かに俯いていたんだ。
向けられているカメラとかは把握してるからバレてないけど、斎藤さんとしては心臓に悪かったんじゃないかなぁ。
あ、だからさっきあんな疲れた顔をしてたのか。
僕の両頬に彼女の両手が添えられて、おでこが触れるほど顔が近くなる。
視界には彼女の美しい星のような瞳しか見えない。その瞳に魅入られてしまいそうだ。同時に彼女もまた僕の瞳しか見えていない状態だろうか。
それほどまでに距離が近くなっている。
既に体は密着してアイの体温を直に感じられた。触れ合った肌はいつもよりも体温が高く、頬も赤くなっているのかな?
「私ね、本当に奏が居なかったら生きられない体にされちゃった」
「僕も同じですよ。アイの今日のパフォーマンスはいつもよりもキレてた。あれは僕に魅せたかったんでしょう?」
「ふふっ、やっぱりなんでもお見通しなんだね」
彼女は僕が居なかったら生きられないと言うように僕もまたアイが居なければ生きられない体にされてしまったのかもしれない。
目を瞑ったアイが顔を少し前に持ってきたことで僕達は口付けを交わす。
触れるだけの口付け、その度に僕の体は蕩けそうな感覚に襲われる。きっと今の顔は他の人には見せられない表情をしているだろう。
「好き、好き、大好き」
「僕も大好きです」
互いが互いを求めるようなキスへと変わった。
堪らなく愛おしくて彼女の事を手放したくないという気持ちがさらに強くなっていく。駄目だ、本当に僕は彼女無しでは生きられなくなってしまうかもしれない。
静かな空間で僕達の舌が絡み合い、厭らしい水音と子供達の寝息だけが耳に入って来る。
もし、アクア達が目を覚ましても何をしているかは理解できないと思うけど見られるかもしれないという背徳感はあった。
「ぷはぁ……」
「……」
僕とアイの唇が離れると唾液で出来た銀色の橋が伸びてプツリと切れる。
呼吸も忘れるほどのキスに僕は大きく深呼吸して肺へと酸素を取り込んだ。だけど、逆に彼女の良い匂いを更に感じることになってしまう。
視界が真っ暗になると同時に顔が温かい何かに包まれているような感覚がある。
ずっと包まれていたくなる感触とドクンドクンと感じる鼓動。そう、僕はアイに胸元へと頭ごと抱きしめられていた。
「こうしていると奏が私だけのものだって感じる。私って独占欲が意外と強かったのかな?」
僕もアイの背中に手を回して抱きしめるように自身の方へと引き寄せる。
ただでさえ密着しているのに更に距離が縮まったことでより彼女を感じることが出来た。それはアイも同じようで伝わってくる鼓動が強くなっている。
彼女は愛を知った今でも愛に飢えているのはわかっていた。
幼少期の経験とはそう簡単に取り除けるものではないし、それがより辛い過去なら上書きする意味でも幸せを意識せずとも求めているんだ。
「それは僕も同じだよ。独占欲が強くないと君の全てを手に入れるって言葉は使わないよ」
「嬉しいな。でも私の全てはもう奏のものなんだよ?」
「僕もアイの虜ですよ。そうじゃないと生放送であの歌は歌いませんから」
僕も彼女が言っているように独占欲は強いと思う。
アイが僕の虜と言うように僕もアイの虜になっている。お互いがお互いの虜になっていて、今なお幸せを感じた。
人を好きになるってやっぱり素晴らしいことなんだなと改めて思ったな。
アクア、ルビーもまだまだ小さいけど、僕達と同じように幸せをその手に掴んでほしい。
「奏、もう一回しよ」
「はい」
そして僕とアイは再び大人のキスをする。
こうやって求められても嫌だという気持ちにならないってことは僕も本当に彼女の事が好きなんだと再認識した。
ふと耳を澄まして僕らのキスの音しか聞こえず、先ほど聞こえていた音が聞こえてなくなったことに気付いた。
そう、子供たちの寝息の音が聞こえなくなったのだ。
チラリと視線をベビーベッドの方へと向けるとアクアとルビーが目を覚ましている。目を覚ましても泣くこともないし、こちらをじっと見ているような気がする。
赤ん坊にしては瞳に理性が宿っている。
普通に考えて早熟すぎる気もするが、アイに言えばきっと私達の子供だから天才なんだよと言いそうな気もするな。
その理知的な瞳に何か感じるものがあるけど、今はあえて知らないふりをしておこう。それがきっとアクアとルビーのためになると信じて――。
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第十九話
赤ん坊の体は常に睡魔との戦いだ。
お腹が満腹になったりしたらすぐに眠くなってしまう。それに加えてアイの復帰番組のNステを見ていたから眠りにつくのも早かった。
まさか妹のルビーも前世の記憶があると知って驚いたな。
俺と同じく前世からアイの事を推している大ファンだと自負していた。それに父親が奏だと知って更に喜んでいたのは記憶に新しい。
どうやら二人はどちらも推していたアイドルだった。
昼間はテレビを見て騒いでいた俺達だけど、体質には勝つことが出来ずにぐっすりと眠りについていた。
アイと奏の二人が帰宅して甘やかされてルビーと同じベビーベッドで眠っていたんだけど……。
「……」
何かの音で俺は目を覚ました。
耳に聞こえて来る水気のある音はなんだろう? 隣に目を見やるとルビーが顔を真っ赤にして何かをジッと見つめている。
俺もそっちを見ると顔が赤くなっていく。
父さんと母さんがソファーの上でキスをしていた、それも舌を絡ませる大人のキスだ。
座っている奏の上に跨る様に座ったアイが相手を抱きしめながら口付けをしていたんだ。
推しのアイドルが前世の俺よりも若い奏とあんなに厭らしいキスをしている。今、いったい何時だと思ってるんだ!?
そもそも自分達の子供の前で何やってるんだよ?!
「……パパ、ママすごい」
「……おい、いつから見てるんだよ?」
顔を赤くしながらも二人がキスしている光景を指の隙間から見ているルビーに俺は問いかけた。
俺よりも先に起きてたってことはファンからしたら絶望級の光景を見続けていたことだよな。前世の俺が見たら血の涙を流してるかもしれない。
いや、今でも目から血の涙が出そうだ! まぁ、出ないけど。
「……10分くらい前」
「……10分!? 10分もこんな感じでイチャついてるのか!?」
「静かにしてよ、ママ達が不審に思うでしょ」
ルビーの中ではある方式が成立しているんだな。
前にこんな事を言っていたのを覚えている。推し×推し=尊いとかいう謎の方程式を呟いていたけど、その答えが目の前でイチャついてる2人だって言うのか?
赤ん坊は喋ることが出来ないけど、俺達は前世がある影響なのかわからないけど既に今の時点で喋ることが出来る。
もちろん、喋るようなへまはしないけどルビーと二人だけの時は普通に喋ったりしていた。
こうして話している間もルビーはアイ達から視線を外さない。
というよりもガン見していると言った方が正しい。心なしか吐き出す息が荒くなっていないか?
「お、おい。もう寝るぞ、このままじゃ色んな意味で良くない」
「もう少し、もう少しだけ――」
ルビーの腕を引っ張って俺も含めて精神的に良くないと寝ることを提案する。
しかし、もう少しだけ見ていたいと視線はずっと二人の方を見続けていた。どれだけ二人のことが好きなんだ!?
その時だった。
不意にアイとイチャついている奏の瞳がこちらへと向けられた。
「っ……」
俺達が見ていたことに気付いたんだ。
瞳と瞳が合っている。前世の時にも感じた本質を見通されるような感覚、奏の前では偽りを許されないような感覚に襲われた。
でも、すぐに視線が外されてアイを抱きしめて耳元で何かを小声で話している。
すると彼女も俺達の方に視線を向けた。
「あ、本当だ。アクア達が起きる」
「少し煩かったかな?」
ソファーから立ち上がった二人が俺達の居るベッドに歩いて来た。
いつもはぐっすり眠っている時間に起きているから少し驚いているみたいだな。俺達は夜泣きもしないし、知識とは当てはまらない部分があるし。
腕を伸ばして赤子らしく演じているルビーをアイが抱え、俺は奏に抱えられた。
駄目だ、この体に加えて父さんにあやされると一気に睡魔が襲ってくる。相変わらず、どうすればいいかを理解しているとしか言えない。
「そのままお休み、アクア。赤子は眠ることが仕事だよ?」
「ばぶっ」
はっ! 無意識にバブって言葉が……!?
しかも今の声は聞いているだけで落ち着くような声色で話しているのか。声の質の使い分けってやつか、歌の特性によって使い分けてる奏の代名詞とも言える技術。
瞼が重くなって、これ以上は目を開けてられない。
まだ目を開けていたいという俺の意思とは反対にどんどんと睡魔が強くなる。ベッドにゆっくりと寝かされ、隣には既にルビーが寝息を立て始めていた。
「はぁ、私達の子供はやっぱりかわいいね」
「当然でしょう? だって僕達の子供ですよ。可愛くないはずがないですよ」
「将来が楽しみだね。私達と同じアイドル? それとも――」
また惚気だしているがもう意識が限界だ。
瞼がゆっくりと閉じられ、俺の意識は黒に塗りつぶされて睡魔に抗う事は出来なかった。
◆
昨日の夜、水の音みたいな音が聞こえて目を覚ました私はソファーにママとパパが居るのを見つけた。
ママは前世で一番推していたアイ、パパも同じくらい推していた牧野奏。病気で死んだはずの私が二人の子供に生まれ変わったなんて夢のようだった。
私も生きていれば、二人と同じ16歳。
ゴロー先生と一緒に二人の応援をしていたのは今でも思い出すことが出来る。16歳まで生きていられたら先生に……。
今はどうしてるのかな? 大きくなったらまた会いたいな、先生。
話が逸れちゃった。
ママとパパがソファーに居て、き、キスしてたの!! 推し同士がくちづけを交わす光景に目を逸らすことが出来なくてずっと魅入るように見つめちゃってた。
見てるだけでドキドキして私の息遣いが少しずつ荒くなっていくのを自覚した。
顔がどんどん熱くなって無意識に興奮しているんだってわかる。見てちゃダメなのに、目を離せなかったの。
見ているだけでママが本当にパパの事を大好きなんだって伝わって来る。
顔を赤くして、パパを見つめる姿は恋する乙女だもん。好き、大好きって言葉だけじゃ言い表せないって気持ちが溢れだしてた。
そ、それにあんな舌同士を絡めてっ!
思い出すだけでも恥ずかしくなっちゃうよ! あれが大人のキスってやつなの!? 私の知ってるキスは唇を触れさせるだけだった。
それで耳に残る厭らしい音の正体はその大人のキス。
普段見るママと違ってその姿はとてもえっちな感じがして、同じ女の子なのに私までドキドキしたよ。
「おい、顔が真っ赤だぞ。また昨日のことを思い出してたのか?」
昨日の光景を思い浮かべていると隣から声がかけられた。
私の双子の兄で私と同じ前世の記憶を持っているオタク。アイちゃん推しでその子供に生まれ変わることが出来て喜んでる姿を見て普通にキモかった。
でも本当にアイちゃんが好きだっていうのは伝わってくる。
だからパパと幸せそうにイチャイチャしている光景を目の前で見せつけられると目が死んだようになっているのはいつものこと。
「そ、そんなわけないじゃん」
「動揺してるのがバレバレだぞ?」
「うるさいなぁ。昨日だってあんたが騒がなかったらもっと見れたのに」
そうだよ。アクアが騒がなかったらもう少し見ていられた。
小言を言ってくるのを無視して私は文句の一つでも言ってやる。もっと見ていたかったというのは本当。だって二人の姿を私とゴロー先生の姿に置き換えて妄想してしまっていたから。
今でも思うんだ。
もし、前世の私が病気で死なず、16歳になっていたら先生とああいう関係に成れたのかな?
先生、私が大きくなったら会いに行くからね――。
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第二十話
アクア達は赤ん坊にしてはやっぱり精神が成熟している気がする。
僕とアイが自宅で口付けを交わしていた時も反応が赤ん坊らしくなかった。普通は何をしていたのかを理解しているはずがないんだけど、心なしか二人はわかっているような反応をしていた。
次の日に朝から僕とアイを見たアクアはなぜか目を合わせようとせず、顔を背けていた。
顔も少し赤くなっていて風邪かと思ったけど、そうじゃなかった。
そう、あれはどちらかと言えば恥ずかしがっているというか気まずいという感じの反応の仕方だ。
「ミルクを哺乳瓶でしか飲まないのか」
「奏ー、ミルクは温まった?」
「もうすぐできますよ」
そして赤ん坊だというのになぜか、アクアはアイから授乳されようとしない。
ルビーは進んで欲しがっているけど、正反対の反応を見せている。女の子と男の子だからというだけで説明するのは難しいような……。
この時期はそんなことを考える思考力とかもないはずだし、ギフテッドとやつなのか?
そう考えるなら一応は説明できるんだけど、違う気がするし。僕達の子供だし、可愛いから別にそこまで気にすることでもないんだけどさ。
「うん、いい感じの温度だね。アクア、ミルクだよ」
「ばぶっ」
僕の手からミルクの入った哺乳瓶を受け取ると勢いよく飲み始める。
アクアから視線をアイの方へと向けると胸の片方の下着を外して、ルビーに授乳している姿がある。これが普通の赤ん坊の反応の仕方だと思うんだけどな。
「奏も飲む?」
「子供達の前でそういうのはいけませんよ、アイ」
「えへへ、冗談だよ。…………奏にだったら飲んでほしいんだけどなぁ」
「何か言いましたか?」
「ううん、なんでもないよ!」
冗談だと言った後に何かを言っていたみたいだけど、それは聞き取ることが出来なかった。
アイに聞き直したけど、なんでもないって言って教えてくれない。あまり重要な事ではなかったのかな? それなら別に問題ないだけどね。
「そろそろ仕事ですね、アイ」
「うん、社長達もすぐ到着するって言ってたし、いつでも出発できるよ」
「またミヤコ夫人に迷惑をかけると思うと少し忍びなく感じてしまうな。今の現状ではそれが最適であるとはわかっているんですけど……」
社長夫人に子供の面倒を見てもらうというのはどうしても抵抗感が生まれてしまう。
もちろん、納得してくれた上でやってくれているのだから僕からしたら感謝しかない。でもストレスも溜まってしまうんじゃないかな?
何か恩返しでも出来ればいいんだけどな。
そんな事を考えていると不意にアイが僕の近くまで移動してきていた。
ルビーの授乳を終えて、いつの間にか服も着替えていたようだ。
彼女はジッと僕の目を見つめて無言でこちらを見続けている。どうしたんだろうと思いながら僕もアイの目を見つめた。
すると満足したのか、微笑んで踵を返していた。
何か気になることでもあったのかな?
「(本当に申し訳ないと思ってるなぁ。ミヤコさんには少しだけ注意しとこ)」
「仕事の時間だ。アイ、行くぞ」
数分後、斎藤さん達も到着してそれぞれの仕事へと出発した。
ミヤコさんにすれ違いざまに今日もお願いしますと伝えて僕も部屋を出た。アイが彼女に何かを言っていたようだけど、何を話していたんだろうか?
◆
私は斎藤ミヤコ、苺プロダクションの社長夫人。
今任されている仕事はB小町の星野アイの子供の世話をすること。社長夫人の仕事がこれっておかしくない?
そもそも壱護と結婚したのはイケメン俳優とかイケメンアイドルと一緒に仕事が出来ると思ったからなのに……!
今やってる仕事が子供の世話?
明らかにおかしいでしょ!! しかも相手は1,2を争う大手プロダクションの看板とも言える立場になりつつある牧野奏君。
2人とももうすぐ17歳になるってことはやったのは16歳になってそこそこってことでしょ?
私達は子宝に恵まれなかったから仕方ないけど、最近の子達って色々と早すぎない?
「うあぁぁん」
「はいはい」
ルビーちゃんがぐずり始めた。
私はもう慣れた手つきでオムツを手に取ってすぐに取り換える。だいたい、ぐずり方で何を求めているかがわかり始めた時点で私も末期だわ。
あぁ、考えれば考えるほど嫌になってくる。
私ほんとになにやってるんだろう。はぁ、もうどうでもよくなってきたわね。
「そもそもこれって不祥事の隠蔽よね?」
「「っ」」
「このネタを週刊誌に売ったらかなりのお金になるわよね。快進撃を続けるアイとその先に居る奏君、そうだ。アイの隠し子って情報だけを売れば、奏君の名は傷つかない。ショックを受ける奏君を慰めてあげれば、私の株も上がる?」
そうよ、子供が居ると言ってもまだ16歳。
まだまだ誰かが隣に居て支えてあげないと駄目よね。私の中の悪魔が耳元でそう囁いているように感じた。これこそが私が幸せを掴むための道だと。
立ち上がって母子手帳の保管されている引き出しの場所へと向かう。
後ろでアクア君たちが動いている音が聞こえるけど、今の私には関係ない。
引き出しから星野アイと名の刻まれた母子手帳を手に取って携帯のカメラを起動する。
ブレないようにピントを合わせて1枚、2枚と何枚も写真を撮った。後はこれを週刊誌の記者に売りつければ……ふふふふ。
「哀れな娘よ、愚かな行いはやめよ」
「っ誰!?」
私以外には誰も居ないはずなのにそんな声が聞こえて来たわ。
驚いてすぐに振り向いたけど、そこに居るのはいつの間にかテーブルの上に並ぶように座っているアクア君とルビーちゃん。
でもこの時期の赤ん坊は言葉を話すことはできない。
だから私は周りを色々と見るけど、他には誰も居ない。ある可能性を除いてあり得ないと思っていたら再び言葉が聞こえてくる。
「我は神の使いなるものぞ。貴様の行いはこれ以上見過ごせぬ」
「は? 赤ん坊が喋ってる……?」
アクア君の口からスラスラと述べられる言葉に思考が追い付かない。
目の前ではあり得ない事が起こってるからなおさらよ。1歳にもなってない赤ん坊が言葉を話すなんて常識的に考えてあるはずがない。
頭を振って目の前の現実を否定する。
そして浮かんでくる一つの可能性。いや、これしかありえないわ!
「あ、ドッキリか……いや、ここは奏君が周囲に絶対にバレないようにするために借りた高層階の賃貸。この場所の事を知っているのは限られてる。それをドッキリなんて仕掛けられるはずがない……。だったらこれはほんとに?」
「(なんか知らないけど、良い具合に勘違いをしてくれてる! チャンスだ)目の前に現実を受け止めよ」
「じゃあ、本当に赤ん坊が喋っているの!?」
「言葉を慎め、我は神の化身なるぞ。今、やろうとしている行いは主の天命にあらず。神たる我が命ず、世から時が来るまで星野アイと牧野奏の子供達を守護せよ。それが主の天命じゃ」
目の前で起こっている現実を否定したくても否定できない。
ルビーちゃんが神の化身? アクア君が神の使い? まさか本当にそうだって言うの。確かに赤ん坊にしても大人びていると時々思ったけど、まさか……。
「その使命を全うすれば、主には幸福が訪れよう」
「幸福?」
「それは……」
私に幸福が訪れると言われたその時だった。
インターホンが鳴らされ、目の前の現実を否定したくて立ち上がってモニターを見る。そこには奏君と同じ髪色と瞳をした女性が立っていた。
彼のお母さまである牧野真莉愛様がそこに居た。
すぐにドアロックの解除ボタンを押して私は彼女を部屋へと招き入れる。
「こんにちは、ミヤコさん」
「こ、こんにちは真莉愛様!」
彼女が中へと入って来ると一瞬だけ視線が周囲を観察するように動いているのが目に入る。
そしてある場所で真莉愛様の視線が止まった。私もその場所に視線を向けると床に落ちている母子手帳とカメラが起動している携帯がある。
それを見て一気に全身から血の気が無くなっていくのを感じた。
ま、まずい何とか誤魔化さないと!! 今の私にはアクア君たちが神の化身やら使いなんてことを頭で考える余裕はなくなっていた。
「これ、どうしたの?」
「え、いや、これは……その」
「これってアイちゃんの母子手帳だね。何で携帯のカメラが起動状態なのかな?」
「落とした時に起動しちゃったんですかね? あははは……」
否定しないと私はそんなことをしないと否定しなければ。
母子手帳と起動中のカメラ、その二つが導き出す答えは真莉愛様にとって辿り着くのは容易だ。ゆっくりと近づいてくる彼女に私は腰砕けになってその場に座り込んで俯いてしまう。
「ミヤコさん?」
「わ、私は……」
「私の目を見なさい」
「え……?」
「私の
俯いた私の顔が不意に正面に向かされる。
その言葉と共に私は真莉愛様の黄金色の同心円状の瞳を見つめ、囚われてしまう。そして私の全てが見透かされて、何もかも――。
その瞳をずっと見続けていると急に頭に靄が掛かったような錯覚に襲われる。
どうして急に頭が……? それはまるで酔っているような、冷静な判断を下せない。
「私のお願い聞いてくれる?」
「はい、真莉愛様……」
「良い子だね、ミヤコさん。君は奏が良しと言うまで秘密を胸にしまっておくこと、出来る?」
「はい」
意識がふわふわしてる。
私は真莉愛様に言われるがままに頷いて返事をした。
◆
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第二十一話
突然の訪問者に俺もルビーも理解が追い付かない。
ミヤコが部屋へと招き入れたのは奏の実の母親だった。彼女は部屋に入って落ちている母子手帳と携帯電話をすぐに見つけて問い詰めていた。
ミヤコが何を行おうとしていたかをすぐに理解したからだ。
奏の子供の俺達の事をスキャンダルとして売ろうとしたことに気付いたってことだ。必死に言い訳を考えていた彼女は言い訳をすることも許されずに奏の母親に何かをされていた。
「そこのソファーで休んでていいよ」
「はい」
これは瞳に光が無くなってる?
一種の催眠状態とも言える状態か? 前世が医者だったおかげでそういった患者の事も少しは勉強していた。じゃあ、さっきの行為は暗示をかけていたのか?
奏の母親はいったい何者なんだ?
あの息子にしてこの母ありとでも言うべきなのか。とにかく、俺達のことは普通の赤ん坊として扱われるように振舞わないと。
「ほら、そんなところに登ってたら危ないよ。こっちにおいで?」
それにこの声、奏と同じで耳に入って来るだけで安心感を覚える。
ルビーは無意識にそれを受け入れて、彼女の腕の中に納まっていた。俺の方にも差し出された手の方へと進んで、その腕の中に納まる。
ミヤコが横たわるソファーの体面にあるソファーへと腰かけて俺達を膝の上に乗せて抱きしめた。
ちょうど頭の部分が柔らかい何かが当たっている。その正体に気付いて抜け出そうもするが、しっかりと抱きしめられているので逃げ出せない。
これは天国なのか、それとも地獄か!?
い、今はこの感触を受け入れるしかないのか。こ、これは不可抗力なんだ!
だから俺をそんな目で見るんじゃないぞ、ルビー!?
「うん、賢い子だね。さすが奏君とアイちゃんの子供達だ」
「ばぶ?」
「この近くで会議があってね。すぐに終わったから君達に会いに来たんだ」
ルビーがあざとく首を傾げながら彼女を見つめていた。
本当の赤ん坊みたいな動きと言動を行って違和感をあまり感じないほど馴染んで見える。さっきの神の化身だって言った時も様になっていたから演技の才能はあるんだろうな。
俺の方は棒読みだったからあまり信じてもらえなかったけど、ルビーは迫真の演技だった。
「アクア君の目元は奏君に似たのかな。ルビーちゃんはアイちゃんによく似ているね」
一人ずつ高い高いをされ、見上げる姿は母親のそれだ。
自分が産んだ子供の赤ちゃんだからやはり可愛く感じるんだろうな。本当なら普通の赤ん坊として生を受けたかったけど、何の因果か前世を持つ俺達が宿ってしまった。
それが必然だったのか、それとも偶然だったのかを判断することはできない。
それこそ神のみが知るという答えを返すことしかできないだろう。
「うん、確かに奏君が言う通り赤ん坊らしくないね?」
「っ……」
「私の胸が頭に当たって恥ずかしいのかな」
更に強く胸を俺の頭に押し付けるように抱えられた。
さっきよりもその感触を強く感じて顔に血液が集まり、顔が赤くなっていくのを自覚する。バタバタと腕を動かしても笑うだけで離そうとしてくれない。
そもそも赤ん坊の力で大人の女性から抜け出すことはできない。
されるがままの状態にどうしようもなくて抵抗する力も自然となくなってしまう。その間もルビーからは冷たい目を向けられる。
耳元で妹に聞こえないような小さな声で呟かれた。
「本当に面白いね、君達。その理知的な瞳の奥にある感情は何なのかな?」
「ばぶぶ!?」
その妖艶な声に俺は思わず、声を上げてしまう。
今の言葉はいったいどういう意味で言ったんだ? 拘束が緩くなって体を自由に動かせるようになり、振り向いて真莉愛さんの顔を見る。
同心円状の瞳が俺の瞳を覗き込んでいた。
俺という存在の全てを見透かされてしまうような感覚に陥ってしまう。まさか、俺達の秘密を知ってる……?
「秘密があるの?」
その言葉にビクッと体が反応してしまった。
考えていたことが見抜かれたのか? それともただの偶然? いや、偶然にしては質問のタイミングが良すぎる!?
読心術ってやつか。
相手の考えていることを見抜く。聞いたことはあったけど、使える人にあったのはこれが初めてだ。
心を無に、何も考えるな。
でも、秘密を知られてもそれを悪用する? いや、奏から聞いているイメージからしたらそんな事をする人物じゃないはずだ。
「私は君達がどんな存在でも息子の子供である事には変わりないの。それに奏君は何かの秘密があった所で愛してくれるよ」
「……」
「互いに似た者同士の奏君とアイちゃん。人を好きになる気持ちが理解できなかった者同士、少しだけ依存しているのかな」
人を好きになる気持ちがわからないか。
俺がアイを好きなのとはきっとベクトルの方向が違うのかもしれない。確かにアイは好きだし、ずっと応援していた。
でも、それが愛かと言われると違うと思う。
もしかしたら俺も人を好きになる気持ちがよくわかっていない? 前世で担当した患者のさりなちゃんならきっと理解してくれるかもしれないな。
「どうしたの?」
俺が考え込んでいるとルビーが彼女の服を引っ張っていた。
赤ん坊の体だから眠そうにウトウトとし始めている。その行動を見て、ルビーを抱えるとベビーベッドの方へと歩いて行く。
「私はもう行くね。いつか、君達が奏君とアイちゃんにその秘密を話せる時が来るといいね?」
「おかえりになられますか」
「うん。この子達の事は頼むね、ミヤコさん」
「はい」
振り返った真莉愛さんはそう言うと玄関へと向かって歩いて行った。
まだ瞳から光が消えているミヤコは彼女の玄関まで一緒に歩いていき、彼女が部屋から出ていくまで見送っていた。
奏の母親ってやっぱり謎が多い存在だな。
でも愛されてるってことで良いんだよな? 敵意とかがあったわけじゃなかったし、俺も今は眠ろう。
◆
仕事を終えて帰って来ると玄関にミヤコさんが立って出迎えてくれた。
いつもと同じようにおかえりなさいと言ってくれるけど、彼女の顔を見て違和感を覚える。
「どうか致しましたか?」
「母さんからアクア達に会いに行ったよって連絡をもらいましたけど、来ましたか?」
「はい、真莉愛様は少し前に帰られました」
ジッと彼女の瞳を覗き込むとあることに気付いた。
同じなんだけど、同じではない姿。瞳から光が消えて、感情が表に出てきていない。これは……あれだな。
「簡単な暗示が掛けられてるのかな」
そして僕はミヤコさんの目の前でパンっと手を叩く。
その直後、一瞬だけ彼女が硬直して瞳の中に光が戻った。うん、これで元通りだね。
「あれ、私何をして……?」
「いつもアクア達のお世話をありがとうございます、ミヤコ夫人」
「え? いや、これは合意の上で私も賛同した事ですから」
「それでも感謝を伝えたいんです。朝、アイから何かを言われていたようですけど?」
「あはは、別になんでもありません。女同士のコミュニケーションです」
改めて感謝を伝えると同意したのは私も同じですと言われた。
その時にふと朝の事を思い出して聞いてみると苦笑いで誤魔化されてしまった。女性同士の話題ってことなのかな?
そしてまた来ますと言って玄関からミヤコさんも出て行った。
僕はアクア達にただいまと言ってアイが戻ってくるまで一緒に過ごす。時間もあるし、今日は僕が料理でも振舞おうかな?
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第二十二話
ミヤコさんが暗示に掛かっていたのはおそらく母さんがやったんだろうな。
何が目的で暗示をかけたのかは未だに謎だけど表面上は特に問題なさそうだった。おそらく深層心理の域まで暗示が掛けられていたら僕でも解除するのは時間が掛かってしまう。
「どういった経緯でミヤコ夫人があんな状態に?」
考えてもその原因がわからない。
状況を整理して、その状態に至った要因を考える。そもそも母さんは基本的にそういったことはあまりしないけど、そうさせたってことは何かミヤコさんが悪いことをしそうになった?
社長夫人なのにアイドルの子供のお世話をさせられストレスが溜まっていた。
それで良からぬことを考えてその現場を母さんに見られたとか……?
「それなら説明が出来るけど……ん? どうしたのルビー?」
考え込んでいるとルビーが僕の隣にハイハイで移動してきて服を引っ張ってきた。
何やら必死にある方向を指さしており、僕に何かを伝えたいようだ。よしよしと抱えるとその場所に向かって歩いていく。
するとある場所を必死に指さしている。
そこは記録帳やアイの母子手帳などが保管されている引き出しだ。もしかして、ミヤコさんはここを開けて何かをした?
「……ありがとう、ルビー」
引き出しを開けると少しだけ触られた形跡が見られた。
暗示、何かを触った形跡、ストレス……あぁ、そういうことか。それなら母さんがミヤコさんに対して暗示をかけた理由も繋がった気がした。
「母子手帳か」
ということは深層心理まで届いている可能性は高い。
彼女は無意識の内に僕達を危険に晒すような行動は取れなくなっているはず。僕がしたのは表面上に掛けられた暗示を解いただけ。
優しく注意しておこう、そう優しくね。
もう大丈夫だと思うけど、これはきっと必要なことなんだよ。アイを、子供達を、危険に晒すわけにはいかないから。
「(パパ、さっき来たパパのお母さんと同じ顔をしてる)」
「(怖っ、父さんて怒るとこんな感じなんだ。滅多な事で怒らない人を怒らせると怖いってこういう事だったのか)」
ん? アクアが何やら僕に対して警戒してる?
少しだけ笑ってあげると体をビクッと震わせて反対方向を向いてしまった。怖い表情でもしてたかな? ルビーを抱えていない手で顔を触るといつもと変わりない表情をしていた。
「ただいまー!」
そんなことをしているとアイが帰ってきた。
ルビーを抱えたままで迎えるために玄関まで歩みを進める。彼女の姿を確認するとルビーもお帰りとでも言うようにきゃきゃっと声を出していた。
「おかえり、アイ」
「うん! あれ? 奏……?」
「どうかしました?」
玄関で出迎えるとアイも僕の顔を見て首を傾げていた。
スッと両手で僕の顔を掴むと彼女の瞳が僕の瞳を覗き込んでくる。相変わらず、その瞳はキラキラと星の様に輝いていた。
「何か、嫌な事でもあったの? 奏、怖い顔してるよ」
「何でもありませんよ」
「嘘。私、奏の事ならわかるもん」
アイもアクアと同じで僕の表情に違和感を感じているのか。
なんでもないと言う言葉はすぐに彼女に否定されてしまう。僕の事なら何でも知っているからとその言葉からは自信が見てとれた。
「いつもの奏の方が好きだよ。――」
「ん……」
すると不意に僕の唇をアイが奪った。
見送るときに行うような触れるだけの口付けではなく舌を交える大人の口付けだ。ルビーを抱えた状態でするようなことではないんだけど、思いながらも僕もそれに答える。
何秒だったのだろうか。
互いの息が切れるまで交わされる口付けは永遠にも感じられた。互いに与えられる快感に次第に息が荒くなっていく。
「ぷはっ――」
「……ふぅ」
「(や、やばい! これヤバいよ!? 推しのママとパパのディープキスがこんな至近距離で?! これはご褒美なの!?)」
僕とアイの唇が離れると唾液がポタポタと滴る。
その一部がルビーの頬にポタリと落ちた。顔を真っ赤にしている娘をよそに僕も彼女も大きく息を吸い込んで肺へと酸素を取り込んだ。
それにしてもルビー、興奮しすぎてないかな?
やっぱり、アクアもルビーも早熟なのかな。アイの方に再び目を移すと彼女も瞳に悦びの感情が浮かんでいるように見えた。
「いつもの奏に戻って」
「はぁ、僕の負けかな」
アイにこんな表情をさせるつもりはなかった。
キスで誤魔化されたけど、本命はこっちか。さっきのも深いキスもやりたかったことではあるけど、僕の感情を抑えるためにわざと別方向へと意識を向けさせたんだね。
それにこんな懇願するような顔をされては今は諦めよう。
でも、何があったかまでは言うつもりはない。所属している事務所の不祥事に繋がりかねない情報漏洩にあたることだから。
「やっぱり、今の奏の方が好き。好きな人には笑っていてほしい」
これが惚れた弱みっていうやつなのかな。
微笑むアイに僕もつられるように笑みを浮かべた。僕の隣へと並ぶと腕を抱え込んでそのまま一緒にリビングへと歩いて行く。
ソファーで横になっていたアクアを見つけると帰ったよーと言いながら高い高いをして構っている。
アクアも満更ではないようで笑みを浮かべているのが目に入った。
「アイ、夕食を作るからルビーも一緒にお願い」
「うん、わかった!」
ルビーをアイに預けて僕は本日の夕食を作っていく。
本当ならワインとか、アルコール類があれば合うんだけど僕らは未成年だからそれはNG。普通の飲料水で代用しておこうかな。
料理が完成し、テーブルの上に並べていく。
アクアは相変わらず哺乳瓶に入れたミルク、ルビーはアイから授乳されて満足そうにゲップしていた。
「ほんとに奏で料理も作るの上手だね」
「母さんから覚えておいて損はないと言われたので、色々とついでに勉強した結果かな」
「今度、私も美味しい料理を奏に振舞いたいから一緒に勉強しよ?」
「構いませんよ」
そして高層階の窓から見える夜景を楽しみながら料理を堪能していく。
自分の作った料理を美味しそうに食べてもらえる姿は嬉しいものだとアイの食べる姿を見ながら僕も食を進めた。
もう少し薄味の方が良かったかな。
作った料理を食べながら自分で批評していく。今度作るときにより美味しいものを提供するためにこの工程だけは省くわけにはいかない。
「ご馳走様でした! 奏の料理はやっぱり美味しいね」
「ふふ、お粗末様です。ありがとうございます」
ゆっくりと途中で話を挟みながら料理を食べ終えると一緒に食器を片付ける。
洗い物は一緒にするって言い、アイが僕の隣に並ぶように食器を洗剤で軽く洗っていく。その後に洗浄機へと入れて作業完了。
「聞いても良い?」
「どうしたんですか?」
「奏が怒ってたのは私の事が関係してるんでしょ?」
「……」
「奏が怒るときは大切な人に危害が加えられそうになる時ばかりだった。原因は……ミヤコさん?」
さすがに鋭い。
僕の事をよく見ていると言わざるを得ないな。もちろん、僕もアイの事ならすぐにわかってしまうから当然なのかもしれない。
そう、僕は大切な人が傷つけられるのは嫌いだ。
特に自分の気持ちを自覚させてくれた愛おしい存在なら余計にだ。
「それは言えない。言ったらアイとミヤコ夫人の仲が悪くなるから」
「私が朝に言ったことが原因なのかなぁ。私ね、今日の朝ミヤコさんにこう言ったんだ」
"奏は私のもの、誰にも渡さないって"
朝、彼女に言っていたのはこういう事だったのか。
何かを言っているのはわかっていたけど、内容までは聞き取れなかったから。それを聞いたミヤコさんがあの行動に出たって事か。
「未遂でも罪には罰が必要です。同じことを二度と繰り返さないように――」
「奏……(あの時の奏だ。見ているだけで震えが……。駄目、弱さを見せちゃ駄目。奏を心配させちゃう!!)」
「大丈夫、何も起こりませんよ。いつもの日常がすぐそこにあるだけです」
あぁ、駄目だ。
考えだしたら感情を抑えられなくなりそうだ。アクア達の面倒を見てもらっているから悪くするつもりはない。
けれど、アイに何かしらの影響を出させるわけにもいかない。
そう、母さんが深層心理に刻み込んだ暗示を利用させてもらおうか。
「アイ、君は何も心配することはないから」
「あ、あれ? 何で急に睡魔が……? さっきまで何も眠くな……かった……のに――」
「お休み」
瞼が徐々に下がって眠りに向かうアイを抱えてベッドへと寝かせた。
今はしっかり休んでね、アイ。大丈夫、次に起きる事にはすべて終わっているから。
ふふ、何もミヤコさんに危害を加えようっていうわけじゃないんだから。
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第二十三話
明日はアイも休みだという事は既にスケジュールを確認して把握済み。
仕事ない日はゆっくりと眠るようにと僕もよく言い聞かせているので、お昼ごろまでは目を覚ますことはないだろう。
もちろん、それだけが要因で起きない訳じゃない。
もっと他にも理由があるけど、それはここで語ることでもないだろう。
「もしもし、ミヤコ夫人ですか?」
「牧野君? 君から私に電話なんて珍しいね」
「少し二人きりで話したいことがあります。明日の9時頃に会えませんか?」
「二人きり!? も、もちろん大丈夫よ!」
「では明日、午前9時に」
携帯からミヤコさんの電話番号を選んで電話をかける。
すぐに応答があって二人きりで会いたいと告げると電話の向こう側からドタバタという音が聞こえて来る。返答はもちろんOKの返事が返ってきた。
電話を切ると僕も明日、ミヤコさんと会うために眠ろう。
すべてはアイが目を覚ます前に終わるだろうから。だから安心して眠っていてね、アイ。
ベッドで眠るアイの額に口付けを交わした僕も目を瞑って眠った。
◆
いつもと同じ時間に起床し、服を着替えて家を出る。
昨日、連絡した時に告げた待ち合わせ場所は東京の郊外にある小さな個店。ここの経営者の人とは仕事を通じて仲良くなってプライベートでも使わせてもらっている。
ここで話す内容は絶対に漏れないと言えるほど、管理が徹底されている場所でもある。
あまり知られていないけど、知る人ぞ知る隠れ店舗という表現がぴったりかもしれない。個室の一つ一つは防音設備もしっかりとしているのも好印象だった。
「牧野君、お待たせしました!」
「いいえ、僕も来たばかりですから。さぁ、中に入りましょう」
「は、はい!」
お洒落な衣服を身に纏ったミヤコさんが姿を現した。
外出するとあってやはり、家でアクア達の面倒を見ているときは着ているものも違っている。最近の流行を取り入れたファッションだなと思った。
今度、アイも一緒に連れてショッピングに行こうかな。
彼女は服に関してはかなり疎いし、いつも似たような服を着ていたのも気になっていたし。
「いらっしゃいませ、牧野様。既に奥の部屋は準備してあります」
「ありがとう店長さん。いつも悪いですね」
「いえ、牧野様からのお願いならば、私共は喜んでご提供させていただきます」
店に入ると既に店長が出迎えて待っていてくれた。
到着も時間通りだったから既にそろそろだと思っていたのかもしれない。既に準備されているという奥の部屋へと通され、僕とミヤコさんは案内された。
「変わった店ね、なんというかアンティークって言うのかしら?」
「良い雰囲気でしょう。こういう店も嫌いじゃないんですよ」
今までに来たことのないタイプの店だったのか、ミヤコさんはキョロキョロと周りを見渡していた。
薄暗い通路に両サイドから灯りが宿り、部屋までの道を照らしている。店長がその扉を開けると真ん中にテーブルと椅子が二つ設置されている。
既に料理もコースで準備がされているため、一品目がすぐに運び込まれてきた。
席に着いた僕達は椅子に座って少し間をおいた。先に口を開いたのはミヤコさんだ。
「牧野君、私と二人きりで会いたいなんて……どうしたの?」
「……いつもアクア達の面倒を見てもらってミヤコ夫人には本当に感謝しているんですよ? あなたが居なかったら僕達はもっと大変だったと思います」
「えぇ、ありがとう。前にも言ったけど、これは皆で話し合って決めた事だから不満はないわ。だから改めてお礼を言う必要なんて――」
まずは本当に感謝していると彼女に伝えた。
これは紛れもない僕の本心だし、この気持ちに偽りの気持ちはない。だからこそ、本当にミヤコ夫人には残念だと思ってしまうこともある。
食事を続けながら言葉を続けていく。
「それでも感謝は伝えたいんです。でも……」
「でも?」
「だからこそ、僕はとても悲しかった」
「悲しい? それってどういう意味――」
グラスに入れられた水を一飲みした僕はミヤコさんの瞳を見据える。
その刹那、彼女の口から小さな悲鳴が漏れた。何かに怯えるように、僕の姿を通して誰かを思い浮かべるように体が僅かに震えている。
「あの日、僕の母さんがやってきたそうですね? アクア達に様子を見に来てくれたそうです」
「い、いや、あの……」
「もちろん、僕は母さんから何も連絡を受けてません。子供達の様子を見に行ったとだけ連絡が来ていました。それ以外には何も連絡はもらっていませんし、何があったのかも教えてもらっていない」
「違うの……それはちがっ……あ」
僕が席を立ちあがり、ゆっくりとミヤコさんの元へと近づいていく。
違う、違うと何かを否定するように頭を左右に振りながら同じ言葉を繰り返している。俯いている彼女の顔を両手で掴んで僕の方へと向かせた。
そして彼女の瞳が僕の瞳を捉えた瞬間にミヤコさんは全身の力が脱力していた。
小さく悲鳴のような言葉が聞こえるが、その言葉は僕の心には響かない。
「自分が何をやろうとしていたのか、わかっているんですか?」
「……」
「一時の感情でアイ、子供達に心に大きな傷を残すかもしれなかった。まだ未遂ですから僕は軽く注意をするだけで済ませます」
「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい」
瞳から光が消え、同じ言葉を繰り返している。
感情の起伏が消え失せ、母さんが去った後のミヤコさんの状態と同じになっていた。これは同じ同心円状の瞳を持った僕の瞳を近くで覗き込んだ事による一種のトラウマだ。
母さんのそれとは違うだろうけど、目の前で壊れたラジオの様に同じ言葉を繰り返している彼女を見ると心の奥底まで刻み込まれているというのがよくわかる。
「謝罪の言葉は要りません。僕が欲しいのは二度と同じことを繰り返さないという誓いです」
「……」
「心の底から過ちを認めているなら誓えるはず」
僕は遠回しに二度目はないとミヤコさんに警告する。
さっきも言ったけど、アクア達の面倒を見てもらっていることは本当に感謝しているのも事実。だから、ここで彼女を失いたくない。
きっとミヤコさんならわかってくれると思うんだけどな……。
◆
怖い、体が自分の意思に反して動いてくれない。
牧野君に話があると言われて二人で来た古風なお店。少し遅い朝食を食べながら話される内容は私の心のトラウマを蘇らせるには十分だった。
牧野真莉愛様、牧野君の母親でこの世界では敵に回すなとまで言われている女性。
私は現在の仕事に対するストレスから一時の感情でアイの母子手帳の写真を週刊誌へと流そうとした。
その時に偶然にやってきたのが真莉愛様。
黄金色の同心円状の瞳に魅入られた私は彼女の言葉が頭の中で繰り返される。あの人の言葉には不思議な力を感じたの。
体が逆らう事を拒絶するような、本能が従えと訴えていた。
そして私はまた同じ瞳を持つ牧野君に冷徹な眼差しで見下ろされている。体に力が入らない、その瞳を通してあの人の姿が見えた。
「私は……二度とこのようなことはしません」
「
牧野君の瞳が嘘を言う事を許さないと私の瞳を覗き込む。
それと同時に囁かれる言葉が二重に聞こえた。牧野君の声と真莉愛様の声が一緒に聞こえて来るの。そこに彼女は居ないはずよ、居るはずがない。
私は絶対に過ちを繰り返さないと強く思い、必死に牧野君に訴えた。もうこんな思いは嫌、こんな怖い思いをするくらいなら私は従順な犬と言われても良い。
その私の気持ちが伝わったのか、脱力している体に力を入れられるようになった。
彼の瞳をしっかりと見据えて頷いたわ。
「
信じるという言葉と同時に声がダブって真莉愛様の声が聞こえる。
どうして、どうしてまた彼女の声が聞こえるのよ!? 根源的な恐怖で頭がおかしくなってしまったの? それにこんな事を言っても誰も信じてくれないわ。
私は今もまだあの瞳に囚われている。
もし、過去の自分に忠告できるというなら絶対にあんなことはしてはいけないと声を大きくして教えたいと願った。
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第二十四話
皆さん、ありがとうございます!
奏の様子がいつもと違った日から数日が経過した。
仕事がオフの日にお昼ごろに目が覚めて身支度を終えるとリビングで紅茶を飲んでいる奏の姿がある。いつもと変わらない姿に安心感を覚えた。
「おはよう、奏」
「おはよう、アイ。よく眠れましたか?」
「うん、ぐっすりだよ!」
おはようの挨拶をすると私に微笑んでくれた。
うん、やっぱり奏は笑っている顔が一番好き。真剣な表情、考え込んでいる表情、眠そうな表情、どれも好きだけど笑顔が一番!
「アイも紅茶は要りますか?」
「頂こうかな、ミルクも忘れないでね」
「わかってますよ」
ティーポッドから注がれる紅茶にミルクを入れて私の前に置いてくれた。
一口飲むと茶葉の風味がミルクと混ざって私好みの甘さになる。うん、やっぱり私はこれくらいの甘さがちょうどいいかな。
休みの日はこうやってゆっくりと過ごすのも良いなぁ。
アクアもルビーもまだ眠ってるし、昨日は遅くまで起きてたみたいだったから当分起きないかな?
「ねぇ、奏はミヤコさんに何をしたの?」
「特に何もしてませんよ。僕がしたのはあくまで同じことを繰り返さないでくださいという注意喚起です」
「でも、来た時さ……」
奏がしたのは注意をしただけだって言うけど、それだけであんな状態で来るものなの?
いつもと同じ時間に社長と一緒にやってきたミヤコさんだったけど、様子がおかしかった。大丈夫?って聞いても大丈夫よって言うだけ。
それは明らかに嘘だっていうのがわかる。
社長達には少し先に外で待ってもらって私とミヤコさんが二人きりになれる状態を作った。
そしたらびっくり、急に私の前で膝をついたんだ。
『アイさん、ごめんなさい。私は愚かでした、一時の感情で貴方達を!』
『急にどうしたの!?』
『週刊誌に子供達の存在を売ろうとして――』
ストレスで感情に任せて私達に子供が居ることを売ろうとした。
その言葉を聞いたときに、どうしてミヤコさんがこんな状態になっているのかをわかった。この精神的に弱りきった姿を私は知ってる。
奏は大切な人が傷つくことを嫌う。
だからミヤコさんがやろうとした行為は私達が傷つき、危険に晒されることを意味していた。それに加えて目の前で弱っている状態を見たら気付く。
奏、もしくは真莉愛さんが何かをしたってことに。
『そんなことをしようとしたの? 私達の幸せを壊すの?』
『もう二度としません! 牧野君に誓いました!』
きっと今の私は怖い顔をしてるんじゃないかな。
自分でもこんな冷たい声が出るなんて思わなかった。私ってこうやって怒りを露わに出来るようになったんだね。
ふと鏡に映った私の顔を見たら奏が好きだって言ってくれた瞳の中の星が白から黒へと変化していたの。
私の気持ちが暗い方向へと流れたから星の色が変化したのかな? たまに瞳に星を宿す人たちは基本は白色だけど、黒い星を宿す人を一人だけ私も知ってる。
劇団ララライに居たカミキヒカルっていう役者さん。
もし、私が奏と出会わなかったらこの人に色々相談をしていたかもしれない。そういった悩めることを相談できそうな雰囲気を醸し出してた。
『奏が許したなら私も許すよ。だからこれからもアクア達の事を頼んでもいい?』
『は、はい。私でよかったらアクア君たちのことをお世話させてもらいます』
『ふふ、じゃあお願いします』
感情の変化で瞳の星の色が変化するんじゃないかと奏は言っていた。
確かに昔、社長にスカウトされた時には私の瞳には黒い星が宿っていたのを今でも覚えている。あの時は確か、お母さんが迎えに来なかったと言って暗いことを話していたはずだったよね。
それで白から黒に変化を起こしていたと考えるなら感情が影響しているって考えるのは答えの一つになるんだと思うんだ。
話が逸れちゃったけど、それで私はミヤコさんの事は許したよ?
私が許す許さない以前の問題だと思っちゃったんだ。だって彼女は既に真莉愛さんに目を付けられちゃったみたいだし、私や奏が許してもお義母さんが許すかは別だもんね。
「自業自得なのかな?」
「未遂ですからこれで済んでいるんですよ? もし、本当にアクア達の事が週刊誌へと情報が流されていたら社会的にも精神的にも母さんに終わらせられていたかもしれませんよ」
「あー、真莉愛さんってそういうところは厳しそうだもんね」
未遂だからこれで済んでいるかぁ。
それでもミヤコさんが可哀想に思えてしまうのは仕方ないのかな? 許してほしいって懇願する姿に嘘はなかったし、本当に心の底から思って出た言葉だと思う。
それほどまでに真莉愛さんが行ったことは強烈なんだと思った。
奏から教えられた内容は本当に人の心の奥底まで影響を与える暗示みたいな事が出来るんだって感心するばかりだった。
「あ、ルビー達も起きたのかな」
「じゃあ、僕はアクアのミルクを作るよ」
私達がミヤコさんの事で話しているとルビーの泣く声が聞こえて来た。
そろそろ良い時間だし、お腹が空いて目が覚めたのかな。奏はすぐにアクア用のミルクの準備をしてくれてる。
アクアは私からの授乳が嫌なのかなぁ?
ルビーは今も喜んで飲んでくれてるし、そういうのが嫌いな子も居るって聞いたことあるけど飲んでくれないのはやっぱり寂しいな。
でも意地でも飲んでくれないし、やっぱり恥ずかしがってる?
「一杯飲んで大きくなろうね、ルビー」
「ばぶぅ」
今も奏からミルクを渡されて飲んでるけど、チラチラこっちを見てる。
体は求めてるけど、理性がそれを否定してる感じかな? 今の時期でそんなことってある? いくら何でも早すぎる気がするけど、もしかして天才!?
私と奏の子供だからその可能性は十分あり得るよね!
でも、私って頭はそんなに良くない方だからそっちは奏に似たのかな? 今からでもこの子達の将来の事を考えると楽しみ!
「アクア」
「ばぶ?」
「ルビー」
「んぶ?」
「奏」
「どうしました?」
私が1人ずつ、名前を呼ぶと皆がこっちを見てくれる。
私がずっと欲しかった家族。奏と私が愛し合って生まれた子供達。きっとこれからもずっとこの生活が続きますようにと私は願う。
だって私は幸せの意味を身をもって知ることが出来たから。
芸能界という世界は嘘に満ち溢れてる。それでも嘘を付けるのは武器になること、違和感のない嘘は虚もまた真実になる。
だから私は外では嘘を付く。
本当の私を知るのは奏達だけでも十分だから。
「大好き」
私は奏の前では嘘を付かない。
ううん、嘘を付きたくない。だからこの気持ちに偽りはないし、ずっとこれからも言い続けるよ。もちろん、アクア達も一緒だけどね?
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第二十五話
最近、アクア達に対するミヤコさんの態度が少し変わった気がする。
例の件があってから今まで以上に子供達の世話を十二分に行ってくれている彼女だけど、アクア達をB小町の抽選を通り抜けた人達しか参加できない限定イベントに連れて行ったりすることがあった。
世間的には斎藤夫妻の子供という事になっているから問題はない。
でも、なんだろう。アクア達を見る目が神聖なものを見ているような時があるのも事実。
しかし、サイリウムを持ったアクア達がTwitterでバズっているのを発見してびっくりした。
赤ん坊がヲタ芸を凄まじいキレで行ってるから驚くしかないよね。それにますますある可能性が脳裏に浮かび上がって来る。
普通に考えれば、鼻で笑われてしまう一つの推測。
でも、今までの行動を考えれば一つの結論として導くことは十分に出来る。
「ま、あくまで可能性に過ぎないけどね」
「ん? なんの可能性?」
「いえ、まだ仮説段階の話ですよ」
「? そうなんだ。また確信を持てたら教えてほしいな!」
どうやら僕の独り言をアイに聞かれてしまったようだ。
今は若手芸能人に迫るって番組の撮影が休憩中だ。出演者は各分野の有望な若手が集められ、司会者から振られた質問に答えていく形式が取られている。
だから僕とアイの関係は表向き、互いに切磋琢磨して競い合うライバルということになっている。
グラビアやモデル、本当にいろいろな分野の人達が居た。僕の知り合いも何人も居るからあまり物珍しさは感じない。
女優ではドラマ撮影を一緒にした二宮瑞樹。
役者ではアイも面識のあるカミキヒカルも居たりする。
「牧野さん、ドラマの共演して以来ですね! お久しぶりです!」
「二宮さん、お久しぶりです。活躍しているようで何よりです」
「そんなことないですよ~。あ、貴女はB小町の!?」
「B小町のアイです。私も二宮さんのドラマいつも見てます」
すると僕の姿を見つけた二宮さんが小走りで近づいて来た。
笑いながら久しぶりだと挨拶を交わすと彼女も僕の隣に居るアイを見て驚いている。アイも違和感なく挨拶を交わすが、一瞬だけ僕の方へと気付かれないように視線を送ってきた。
そう言えば、アイには二宮さんの話はしたことがなかったな。
この女の人とはいったいどういう関係なんだという意図が含まれている視線。彼女自身も二宮さんの出ているドラマはよく見ていたのでどういう人物かは知っている。
今度、アイにもいろいろと説明しておこうか。
「それにしても本当に凄いです! 牧野さんが言っていたことは本当でした!」
「どういうこと?」
「私が牧野さんとドラマを共演した時、尋ねたんです。これから伸びてきそうな人は誰かと。そしたら
B小町のアイだと断言しました。私も名前だけは知ってましたけど、本当にここまで有名になられたのでさすがだと思ってたんです!」
「そ、そんなことがあったんだね」
純粋に感心する二宮さんに対してアイは表情には出ていないけど、僅かに動揺している。
その変化はほとんどの人には気付かれないほどだけど、アイと親しい人間なら僅かな違和感には気付くだろうね。
もちろん、僕は気付けたよ。
どれだけアイと一緒に過ごしたと思っているのかな? これでわからないって言ってしまったらそれこそ旦那失格だよ。
「人を惹きつける何かを感じたから。こういう直感力っていうのは大切だと思うし、磨いておいて損はなかった」
「私も今ならわかりますよ! 今や国民的スターにもなりつつあるアイさんを見抜いたその力はスカウトにも向いていると思うのです!」
「スカウトはあまり考えたことはありませんでしたね」
「いずれはご自身で芸能プロダクションを立ち上げるのも夢じゃないんではないでしょうか!?」
「二宮さん、近いです」
「はっ! す、すいません。私ったら興奮しちゃって――」
自分で芸能プロダクションを立ち上げるか。
それはあまり考えたことがなかったな。だって僕はまだ17歳になったばかりだし、まだまだそっち方面の知識は乏しくて勉強中だ。
もし、立ち上げるとしたらもっと芸能界での繋がりを多く確保しておかないと駄目だろう。
そういう意味では小さいけど芸能事務所を立ち上げた斎藤社長はすごいと思う。自分の夢を叶えるために使えるものを全部使って事務所を作ったんだから。
興奮して僕との距離がかなり近くなった二宮さんに笑って注意した。
自身の顔の近くに僕の顔があることに気付いたのか、彼女は顔を赤くして後ろに一歩下がる。二宮さんの行動は後ろめたさがない。
ここまで素直に生きて、芸能界で生き残れているのは彼女の人柄がそうさせていると思う。
会話に嘘が混ざらない純粋な性格と人柄、それこそが二宮さんの魅力でもある。ある意味では昔のアイと正反対の立ち位置に居た人間だ。
嘘でファンを魅了するアイドル。
本心で周りを惹きつける女優。
こうして考えるとほんとに正反対の立ち位置だったのかもしれない。
「二宮さんは……」
「瑞樹でいいですよ?」
「そう? 瑞樹さんは牧野君が好きなのかな?」
「え、私が牧野さんをですか? うーん、好きですよ」
雲行きが怪しくないか、これ?
今の反応を見て面白くなかったアイが探りを入れてるな。アイから見ても二宮さんが嘘を付いてないことはわかってるはずだから本心を知りたくなったのかな。
彼女の瞳をしっかりと見据えてアイはその答えを待っている。
少し考え込んだ末に紡がれた言葉は好きだというワード。
その刹那、アイの視線が鋭さを増したけど――。
「弟が居たらこんな感じなのかなって」
「え、弟?」
「そうです! 私って一人っ子だから弟が居たら牧野さんみたいな感じになるのかなって。人として好きですけど、これは恋愛感情じゃないです。どちらかというと友愛みたいな感じです!」
「そ、そうなんだ」
続けて二宮さんの口から紡がれた言葉に目を丸くしていた。
そう、彼女は僕に恋愛感情は抱いていない。人として好きだけど、それは友愛。だからアイが心配するようなことにはならない。
しかし、今の質問と反応を見て二宮さんが微かに笑う。
そしてアイに近づいて耳元で何かを呟いている。
「……可愛いですね、アイさん。私は牧野さんに恋心はありませんよ?」
「っ……」
「……こんな揺さぶりで動揺しちゃ駄目ですよ? こう見えても私、人を見る目はあるんですから」
チラッと僕を見ながら二宮さんが何かを言っている。
距離的に僕には聞こえないけど、アイの反応の仕方や視線からして僕の事を言われているのかな? 聞いても教えてくれないだろうな。
女性同士の秘密ってやつか。
すると二人がなぜか、握手を交わして頷いていた。何か賛同する内容でもあったのかな? それとも二宮さんとは仲良くしていた方が良いと思ったのか。
「瑞樹さん、私達はずっと友達だよ!」
「私もアイさんとはずっと友達です!!」
今度は目の前で抱きしめあってる。
男にとって女心を完全に理解することは難しいのかなと僕は思った。あの短い間にいったい何があったんだろうか?
「やぁ、久しぶりだね……奏君」
「うん、久しぶり――ヒカル君」
そしてもう一人、僕の元へと近づいて来た人物。
僕とアイにも数年前に関わりがあり、かつて劇団ララライに所属していた役者―カミキヒカル。
その瞳に今日も黒い星を宿しながら笑っていた。
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第二十六話
皆さん、ありがとうございます。
テレビ番組で奏君と一緒に出演できると知った時、僕は嬉しかったよ。
劇団ララライに居た頃に出会った年の近い男の子。いつもと同じように人に受けやすいような演技をして施設の案内を行った。
話している中で彼は他の人とは違う特別な価値ある人物だということがわかる。
僕の心の内を見透かしたような質問をしてきたときには取り繕うのに苦労したよ。きっと僕の心は誰にも理解されないし、されても賛同されることはないはずだから。
「テレビの番組に出るとは珍しいね。役者一筋だと思ってたけど――」
「こういう経験も積んでおくべきだと言われてね。でも、出演依頼を了承してよかったよ、奏君が居るとは思わなかったからね」
奏君が言うように僕は基本的には役者の仕事しか請け負っていない。
こういったテレビの依頼は断るし、自分から出演したいということはほとんどしない。今回は新規の芸能プロダクションを立ち上げるなら経験を積んでおくべきだと言われたから出演したに過ぎないんだ。
「経験を積むこと自体は損じゃないと思う。僕も色々な現場や番組に出させてもらって経験を積ませてもらってるから」
「君がそういうならきっと無駄にはならないんだろうね」
若手の芸能人の中で最も勢いがあり、多分野で活躍する人物と言われたら真っ先に名前は上がるのが奏君だ。
まだまだこれからも活躍することが予見され、まだ底を見せていない。まだ一番の輝きを放たず、頂点へと昇っていく途中。
君の命はいったい何人の分と等価になるんだろう?
君の輝きは今なお、僕を焼き切るほど眩しく照らし続けている。強すぎる光は多くの影を作り出してしまう事も知っているのかい?
「カミキ君、久しぶり! 劇団ララライで会って以来かな?」
「やぁ、アイさん。お久しぶりです」
そしてB小町のアイ、今やファンを魅了してやまない一番星を目指すアイドル。
奏君と同じく命に価値を見出したアイドルだ。劇団ララライが開催したイベントで見た時、この子はきっとスターに成れる素質を持っているとすぐにわかった。
僕と同じ、感性が壊れているような感じがしたけど奏君との出会いがそれを変えていた。
もし、彼女が奏君ではなく僕と先に出会っていれば、違った未来の景色が見れたかもしれない。
これはあくまでIFの可能性の話でしかない。
でも、もし価値ある命である事には変わりない。彼女は今や国民的スターと言っても過言ではない立ち位置になりつつある。
そんな彼女の僕の手で命を散らすような事態になってしまえば、僕は彼女の命の重みを背負わなければならない。
あぁ、想像するだけで溜まらないよ。
それがどんなに素晴らしいことなんだろうか。きっと最高の気分になれる事だろうね、本当に。
「聞いたよ? 近いうちに事務所を立ち上げるんでしょ? すごいねー」
「誰に聞いたんですか? まだほとんどの人は知らないはずなんですが……」
「んー、内緒かな」
僕が事務所を立ち上げる話をどうして彼女が知っているんだ?
この話はほとんどの人間には話していないから知らないはずだけど、なぜアイさんが知っている? 探ろうにも彼女は嘘と真実を織り交ぜて真意に辿り着くことが出来ないようにしている。
ある時期から彼女は嘘だけではなくなった。
そこから一気にアイドルとしての魅力が高まり、多くのファンを魅了し始めたんだった。だから彼女の本心を探るのは僕でも難しい。
そもそも妙にガードが堅くて情報を引き出せない。
聞きたい情報ものらりくらりと交わされてしまって、本質へと辿り着けない。劇団ララライであった時もそうだった。
それでも一つだけわかっている事がある。
アイさんは奏君の事をおそらく好きだ、いやあの感じからして愛しているという感情に近いものを持っている。
何せ二人の情報はかなり厳重に守られていて情報を手に入れることが極めて難しい。特に奏君の場合は国の最重要データバンクにアクセスした事があるハッカーでも情報を抜き出すことが出来ないほど、厳重に情報が守られている。
ただアイさんの方は一瞬だけデータを引き抜くことが出来たらしい。
その人の話によれば、彼女は誰かの子供を出産したという情報が確認できたらしいけど、真相を確認する事が出来なかった。
どうしてか? それはその話を聞いた数日後に原因不明の死を遂げた。
そしてこんな事をずっと言い続けていたらしい。
"黄金色の瞳がずっと俺を見ている。目を瞑っても耳を塞いでも聞こえて来るんだ"と。
最後には自分の耳に尖ったものを突き刺して死んでいたらしいんだ。らしいというのは警察関係者から流れてきた話を耳にしたからだよ。
「内緒か、それなら仕方ないですね。そうだ、奏君もアイさんも今度講演会をするんですが、見に来ませんか?」
「講演会ですか?」
「えぇ、役者に興味のある子供達に素晴らしさを伝えるために講演会を行う予定なんです」
「日程次第ですね」
「私も社長に確認してもらわないと駄目かも」
講演会に誘ったのは2人との接触機会を増やすための口実だ。
それぞれが違う分野で活躍するから接点を多く持つことが出来ない。だから、それを補う意味でも勉強になるという意味も兼ねて誘った。
最近は奏君もアイさんもドラマや映画の撮影にも出始めているからね。特にアイさんはそういった意識を持てばさらに命の価値を高めることもできるだろうから。
しかし、僕以外に彼らの命を狙っている人物が居るのかな?
宮崎総合病院の医師がアイさんの出産日と思わしき日に死亡しているという話もあった。アイドルは偶像だ、だからファンの真理からすれば子供が居るなんてことは許されない。
狂信的なファンを使って犯行に及ばせた?
少なくとも僕以外の誰かが行ったのは確かだ。ただの一般人が極秘出産する予定の病院を知る手段があるわけないからね。
あぁ、早く一番星の輝きを手に入れてほしいよ。
そして僕に命の重みを感じさせておくれ、奏君、アイさん。
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第二十七話
アイさん、無意識ですか。イチャイチャ回?
あれから一年が経過した。
ヒカル君の講演会や様々なイベントに参加して忙しい日々を送っている僕達。アクア達も自分で歩いたり、喋ったりできるようになった。
変わったことと言えば、アイが今まで以上に僕に甘えるようになったことかな。
僕を甘やかしたりと逆パターンもあるけど、仲の良さは相変わらずだ。二宮さんからファッションの事も教えてもらったりして服装も流行に後れを取らなくなってきた。
けど、夜は僕の服を着たりすることがあるから何とも言えない気持ちになる。
「ん?」
ふと目が覚めると体が動かなかった。
自分の体の上に誰かが乗っているような感覚があって、これがもしかして金縛りってやつなのかと思ってしまった。
僕も寝起きだって事があって思考力が鈍っていたからそう判断をしたんだ。
でも、視界がはっきりとしてくるとどうしてそういう状況になっているのかがわかった。僕の体に覆い被さるようにアイが抱き着くように眠っている。
「アイ、起きて。もう朝ですよ」
「……」
熟睡しているようでアイが起きる様子はない。
しかもその恰好は男にとっては目に毒だ。春先で徐々に暖かくなってきたから最近では薄着で寝るようになってきていたので、彼女の寝間着も割と薄着だ。
胸に伝わる心地の良い感触とアイの良い匂いが香ってくる。
服の間から黒い下着も見えて、非常に眼福ではあるけどさっきも言ったように目には毒だ。それにたまに動くからいけない感覚になってしまいそうだ。
軽く揺すっても起きないし、どうするべきだろう。
別に仕事はないから急いで起きる必要もないからこのまま起きるまで待つのもありだけど……。意識してしまったら心臓の鼓動が早まっていくのを自覚する。
「かなでぇ……もっと――」
「っ」
いったいどんな夢を見ているんだ!
寝言で甘い声で呟かれた僕の名前に思わずドキッとしてしまった。もぞもぞと動くアイが更に体を密着させて僕の首に腕を回される。
抱き寄せるような形にされ、数cmもない距離に彼女の顔がある。
時折、唇が乾燥するのか舌で唇を舐めるような動きをしていた。近くにある顔、艶めかしい吐息、加えて甘い声で言われる寝言だ。
これは鋼の精神で耐えようにも意思が揺らいでしまいそうになる。
本当に寝ているんだよね?
「……」
間違いなく眠っているはず。
起きたいんだけどうまい具合に起点となる場所へと体重が掛けられて起き上がることができない。眠っているんだけど、無意識でそういうことを行っているのかな?
うん、そんな偶然があり得る?
でも違和感もないし、寝たふりをしているわけでもない。うむむ、考えても答えに辿り着けないな。
その刹那、僕の唇に柔らかい感触が訪れる。
「んぅ?!」
思考の海に意識を向けているとアイが僕に口付けをしていた。
何度も軽く唇が触れるだけのキスだったが、すぐ口の中に舌を入れられる。一瞬だけ思考が停止しかけたが、すぐに僕も応戦するように舌を絡ませていた。
静かな寝室に響き渡る水音。
互いが互いの貪るように舌を絡め、徐々に体温は高くなっていく。
「はぁ、はぁ、絶対起きて……ない!?」
「もっと、もっとちょうだい――」
「っ! まっ……ん!」
呼吸が苦しくなって強引に唇を離すと銀色の橋が伸びて、ぷつりと途切れた。
息苦しさと体に訪れる幸福感に冷静な判断が出来ず、とにかく肺へと空気を送り込む。呼吸を整えて、アイを観察するけど本当に起きていないんだ。
どんな夢を見ているのか、わからないけど夢での動きが現実にリンクしてる。
無意識の領域で行われる動作が僕に向けられているんだ。少し待ってと言おうにもすぐに僕の口は彼女の唇で塞がれる。
繰り返される大人の口付けに僕は抵抗する気力を徐々に失っていく。
僕の意思とは反対に体が本能のままに身をゆだねるんだと訴えてきているようだった。愛する女性から齎される快楽に体が悦んでいるのか。
それからどれくらい口付けをしていたのだろう?
正確な時間を把握するほどの余裕が僕にはなかった。体に力が入らず、僕とアイの唾液で口元が少し濡れている。
「お、終わったのかな?」
やっと満足したのか、唇が離れていく。
これで解放されるという安心感ともう少し味わっていたかったという気持ちがあった。しかし、次の瞬間には首元に強く吸いつかれるような感覚が襲い掛かって来る。
終わってなかったの!?
アイの頭の位置がやや下がって僕の首元に強く吸いついてキスマークを付けていた。僕は私のものだという証を刻み付けるようなマーキングだ。
僕もそれに応じてアイの首筋に唇を押し付けてキスマークを付ける。
もちろん、彼女ほど強くはしていない。肌の露出が大きいからあまり目立つようにはしていけないという最低限の配慮は行った。
「今度こそ、これで終わりだよね?」
「うぅん……」
体に加わる力が弱まっていき、今度こそ終わったんだと安堵する。
起き上がろうとして体に力を入れるんだけど、さっきよりも動かないのはなぜ? 恐る恐る目を開けるとそこには僕のお腹の上に跨る様な体勢へと変わっているアイの姿があった。
しかも、寝ぼけているのか未だに意識がはっきりとしていない。
あ、なんかデジャヴな感じが……。
「んむぅ!」
「かなでぇ」
僕の頭を胸へと抱えたアイによって僕は幸せな感覚に包まれる。
まだまだ成長期だという事を実感させられる胸部装甲、真正面から抱きしめられているため視界は何も見えない。
幸福感は間違いないが思いのほか、強く抱きしめているため呼吸が上手くできない。
腕を叩いたりして、何とか起きてくれと合図を送るけどまだ起きない。
は、早く起きてよ、アイ!
◆
とっても幸せな夢を見ていた気がする。
夢の中でずっと奏とイチャイチャして互いを甘やかし合って幸福感に満ち足りている夢。夢の中でも奏とそういうことをしたいって頭が考えちゃってるんだ。
私って本当にえっちな女の子に成っちゃったんだなって時間する。
目が覚めてゆっくりと目を開けると最初に視界に映ったのは奏の髪だった。
「え……?」
「あ、アイ……早くめざめて――」
弱々しく聞こえて来た奏の声で意識が覚醒する。
目を回して顔を赤くしている彼が私の胸の中に居た。え、どういう状況なのこれ? 奏の首筋にはキスマークが付けられてるし、口元は少し湿ってる。
「も、もしかして……私、またやっちゃったの!?」
「きゅぅ……」
「か、奏ー!?」
目を回していた奏から力が抜けて意識を失っちゃった!
前に奏から聞いたことがあった。夢を見ている状態で現実と動きがリンクするって話、それで私は時々そういう状態になることがあるって。
あの幸せの夢は現実でも奏にそういうことを行ってたってことなの!?
それで奏を為すがままにして抵抗させずに今の状態に至るってことなのかな。どうして、すぐに意識を覚醒させなかったんだと後悔。
「と、とにかく奏をゆっくり寝かせてあげないと」
私は奏をベッドに慎重に寝かせた。
今の無防備な状態の彼を見ると無意識に唇を舌なめずりしている私が居る。やっぱり私は無意識でも奏を求めてしまっているんだと自覚した。
そう、瑞樹ちゃんと知り合ってからその傾向が強くなって気がするんだ。
恋する乙女はいつまでも経っても恋する乙女なんだって言ってたし、やっぱりそうなんだよね?
「こ、これくらいは良いよね?」
「……」
寝息を立てている眠り始めた奏のおでこに触れるだけのキスをした。
私の愛おしい旦那様、これからもずっと皆で幸せでいることが出来ますようにという願いを込めて――。
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第二十八話
芸能界での繁忙期も終わり、今はオフシーズン。
僕、アイ、アクア、ルビーの四人で小旅行へと向かっている。もちろん、僕らが家族という事は極秘なので僕とアイは変装して絶対にバレない格好で来ていた。
「奏、私達はどこへ向かってるの?」
「空気が澄んで夜空が綺麗な場所とだけ言っておきましょう」
「まだ秘密ってこと? いいよ、今は騙されてあげる」
後からミヤコさんが一応、保護者として合流する予定になっている。
アイ達には行き先を伝えていないが、彼女にだけは既に伝えてある。別に僕らだけでも問題ないけれど、もしものために引率する役目をになってもらうつもりだ。
「(俺達にも行き先を教えず、いったいどこに父さんは行くつもりなんだ?)」
「私にも教えてくれないの?」
アクアは賢い子だから僕が向かう場所の答えを考え込んでいる。
ルビーは素直に教えてよと甘えて来るが僕は頭を撫でて誤魔化した。それでも頭を撫でられたことで満足したのか、ニコニコとしている。
「今はお休み、きっと目が覚める事には到着しているからね」
「はーい」
「はーい」
ルビーにだけ言ったつもりだったんだけど、アイも一緒に返事をした。
アイに抱きしめられる形で目を瞑ったルビーはゆっくりと瞼を閉じる。しばらくすると寝息が聞こえ始め、それに呼応するようにアイもまた瞼を落とす。
アクアは眠らずに携帯を弄って何かを調べている。
チラッと携帯の画面を見ると今までに通過した経路から目的地を絞ろうとしているようだ。うん、やっぱりアクアは賢いね。
「目的地はどこなの?」
「……そんなに知りたい?」
「うん」
「アクアはどこだと思う?」
「今までの経路から考えると西日本方面、四国、中国、九州地方の何処かだと思ってる。たぶん、今のルートで行くと中国地方、もしくは九州地方」
相変わらずの推理力だな。
まだ2歳にも至らない子供の思考力じゃない。これが生まれ持った才能なのか、もしくはもう一つの仮説を確定させる要因となるのかな。
でも、素直にその考えには拍手を送ろう。
たとえ、アクアがどんな存在だろうと僕とアイは愛そう。僕らの子供である事には変わりないんだから。
僕はアクアに顔を近づけて耳元で小さく目的地を呟いた。
「宮崎県の空気が美味しくて星空が綺麗なところだよ」
「!」
僕がそう言った瞬間にアクアは目を大きく見開いた。
どうして宮崎県と言ったときにそのような反応を示したかはわからない。けれど少なくともこの子にとってその場所は何かがある様子だ。
「アクア、どうしてそんなに驚いているんだい? 初めて行く場所に興奮したのかな」
「は、初めての場所だから少しビックリしちゃったんだ。自分にとっての未知ってワクワクするから」
「それなら良かった。見知らぬ土地って不安を覚える人とアクアみたいに楽しみを覚える人の2種類居るからね。後者で良かったよ」
この反応の仕方は嘘を言っているな。
瞳孔の開き、視線の泳ぎ方、声色の変化、アイと違って嘘を本当だと演じ切れていない。アクアは嘘を付くことは得意じゃないみたいだ。
別に嘘を付く必要もないし、暴こうとも思わないけど。
それだとわかる人には何か隠し事をしているとバレてしまうよ?
「楽しみだなぁ(なんで宮崎に行く必要があるんだ? もしかして俺達に自分達はここで生まれたんだと教えるためにわざわざ?)」
「アクア、君も眠っていていいよ。到着したら全員起こしてあげるから」
「わかった(父さんの目的がわからない。その地で何をするつもりなんだ?)」
僕の言葉に従ってアクアもまた瞼を閉じた。
あと数時間もすれば目的地である宮崎県へと到着する。リフレッシュするにはぴったりの場所だし、東京よりも自然が多くて空気も美味しい。
都会では見れない夜空の星々を皆で見るのも良いものだ。
僕は到着してからの予定を見直しておくか、美味しいものも食べて心身ともにやすらぎを覚えてもらうために。
◆
電車を降りて目的地へとタクシーを調達して向かう。
この年代の運転手さんはあまり僕らのことを知らないみたいで一安心だ。もう少し若かったら僕達の事にも敏感だったかもしれない。
「私達を連れていきたいところって宮崎だったんだね」
「はい。ここも僕達の思い出の場所には違いありませんから」
「うん!」
後部座席に座った僕達は僕がアクアを、アイがルビーを膝に乗せるように座っている。
落とさないように抱きしめる一方でアイが僕の手を指と指を絡めるように握っていた。簡単にいうと恋人つなぎをしてる。
ルビーとアクアは互いに顔を見合わせていた。
その表情は一方は呆れているような、もう一方は眼福だというような感じの顔だ。そうしているうちに目的地へと到着する。
「ここは……」
「ここがアクア達が生まれた病院なんだよ」
「私達が生まれた病院? 宮崎総合病院……!」
病院の前に到着するとアイが振り返ってアクア達に手を広げながらそう告げる。
しかし、二人の反応は彼女が想定していたものと違っていたようだ。アクアはどこか苦しむような、ルビーは病院の名前を見て今まで以上に反応を示している。
「あれ? 思っていた反応と違うなぁ。2人とも、この病院の事を知ってる? いや、そんなことないよね。だって私も奏も初めてアクア達が生まれた病院の事を話したわけだし――」
「マ、ママ! 誰がママを担当してくれたの!?」
「え、え? 私を担当してくれたのは私のファンだった雨宮吾郎って先生だよ?」
アイに抱き着くように詰め寄るルビーに驚いているようだけど、当時の担当医の名を告げた。
するとルビーは目を見開いてかなり驚いている様子が伺えた。雨宮先生の名前に反応を示している? その名はアクア達の前では一度も言った覚えはない。
当然、アイも二人の前では話していないと言っていた。
「じゃあ、私とお兄ちゃんを取り上げてくれたのも?」
「ううん、それは違う先生なんだ。本当なら吾郎先生がルビー達を取り上げてくれるはずだったんだ。でもね、私が産気づいたとき何度も連絡したんだけど電話は繋がらなかったの」
「え……?」
「あれからずっと行方が分からないんだって」
ルビーは雨宮先生を知っている?
この喜怒哀楽の現れ方はどう考えてもその人物を知っていないとできないような反応をしてるし、アクアに関してはその名前が出た瞬間に表情が暗くなった。
うーん、これはますます僕が考えていた仮説が現実性を増してきたのかな?
幼子とは思えないような動き、知識とか言い出したらキリが無いけど、二人にある事象が発生していた場合は全ての行動にも説明がつく。
「奏。奏は知ってるんでしょ?」
「え? パパ、パパは何か知ってるの? その人について何か知ってるの!?」
「アクア達が生まれて、すぐに奏と佐藤社長は吾郎先生の事について嘘をついてた事には気付いてたよ。でも、それは私の状態を考えてわざとだったんでしょ?」
「さすがにお見通しだったんですね、アイ」
「奏が意味のない嘘はつかないのは一番よく知ってるつもりだよ」
やれやれと僕は大きく息を吐いた。
やはり、あの時から僕と社長が嘘をついていたことにアイは気付いていたか。いや、気づかない方がおかしいのかな。
あの時の真実を話す時がやってきたのか。
それにアクアとルビーにも聞かせるのも忍びないけど、もしかするかもしれないしね。
「僕は出産時に夜なのに鳥が羽ばたく音と鳴き声を耳にしたんだ。その時は気にならなかったけど、数日してある可能性を考えた」
「ある可能性?」
「そう。あの日、先生の身に何かが起こったんじゃないかって。だから社長に頼んで先生の携帯へと連絡してもらった。一種の賭けだったけど、その僅かな可能性に僕は勝った。電話は一瞬だけ繋がり再び森の鳥達が羽ばたいたよ」
「奏、それってまさか……」
「アイの思っている通りだよ。僕と社長はその場所へと向かい、そこで見つけたんだよ…………先生の遺体を」
僕がそう言った瞬間、吹いていた風は止み静寂が場を支配する。
アイに嘘を付いてでも秘密にしていたのは雨宮先生が既に亡くなっているという情報だ。不安定な状態のアイにこの話をするわけにもいかなかったしね。
少しの間だけ隠していた秘密を暴露したけど、アイはなんとなく気付いていた感じか。
その場に膝をついて目から涙を流していた。僕が居なかった間に色々とお世話をしてくれた先生だからそうなって当然か。
「嘘だ、嘘だよ。そんなわけないよ、ゴロー先生は約束したもん」
「ルビー?」
「約束? いったい何を言っているの?」
「だって、だって……さりなはゴロー先生のこと」
「(さりなだって!? まさか、ルビーの前世はさりなちゃんなのか!?)」
不意に出た"さりな"という名前は僕の仮説を確定させるには十分すぎる材料だった。
そしてその名前に大きく目を見開いて反応を示しているアクアの姿を僕は見逃さない。どうやらどちらもそういうことなのかな。
全てのピースが嵌った。
仮説は仮説ではなくなり、僕の考えは間違いじゃなかったことが証明された。
アクアとルビーは前世の記憶を持っている。
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第二十九話
もし、ルビーが精神的に大人になっていれば僕達の前でその名を出すことはなかったかもしれない。
たとえ前世が大人だったとしても今のように衝撃を受けて精神的に弱い部分が出たことで生まれ変わる前の名を出してしまうこともある。
普通は前世持ちということ自体が極めて稀であり、ほとんど前例が存在しない。
「か、奏? どういうことなの? ルビーは自分の事をさりなって言ってるよ!?」
「少し冷静になろうよ、アイ。なんとなくはわかってるんでしょ?」
「頭ではわかってるけど、そんなの漫画とか物語の中での話だと思ってた!」
アイが僕の傍へとやってきて二人には聞こえないように小声で話しかけてきた。
理解は出来ているけど、目の前で起こった現実としてはなかなか認めることが出来ないらしい。まぁ、それが普通の反応だと思う。
「奏は知ってたの? ルビーに前世の記憶があるって――」
「確証はありませんでしたよ。でも普段の行動を見ているともしかしてと思ったときはあります。それにおそらくアクアも同じ可能性が高い」
「私達の子供ってそういう運命の下に生まれた? でも二人にそういった記憶があった所で私達の愛の結晶を否定するつもりもないよ?」
「当たり前ですよ。それも一つの個性という事で僕も否定するつもりもありませんし、それにむしろ感謝しているくらいですよ」
早い段階から可能性としては考えていた。
赤ん坊の世話とかいろいろと調べるうちにアクア達は常識と当て嵌まっていない点が多く存在することに気付いた。だからもしやという予感はあった。
それに母さんから聞かされていた話もあったしね。
『奏達の子供は本当に数奇な運命の下に生まれたね』
『それはどういうこと?』
『真なる母を得られずに散った二つの魂は死する運命にあった器へと導かれん』
『……そういうことなの?』
『まだ奏君には視えないみたいだね』
この言葉が意味するところは前後の会話から繋げるとある仮説へと導かれるんだ。
本当は考えたくもなかったけど、母さんの言葉をわかりやすく言うとこうなる。
母の愛を知らずに死んだ二つの魂は死ぬはずだった子供へと宿るって。
あくまで僕の解釈だけど、僕達の子供は本来なら死産する運命にあったということ。なぜ、そうなのかは理解したくないけど、あの確信めいた言葉は間違いなくそうなんだ。
いったい母さんには何が視えているのか? 知らない方が幸せな事もあるとその目が語っていた。
だから僕はアクア達には本当に感謝している。
無事に生まれてきてくれてさ、たとえ前世の記憶があったとしてもね。だけど、この話だけはアイにするわけにはいかない。
もちろん、母さんも彼女には話すつもりはないだろうけど。
「ルビー」
「っ!」
僕が名前を呼ぶとビクッと体を反応させて恐る恐るこちらを見ている。
ほんの少しだけ冷静になったことで僕達には知られてはいけない前世の記憶を持っているという秘密を口走ってしまったことに気付いたみたいだ。
その瞳には怯え、不安、後悔、期待といった感情が見てとれる。
普通の子供ではないと知った親が取る対応を想像してしまったのだろうか。
「何をそんなに怯えているんですか?」
「気持ち悪くないの? 私は前世の記憶があるんだよ。本来産まれて来るはずだった二人の子供の存在を――」
「罪悪感を感じているのかな? ルビー、その言葉を言っては駄目だよ。その言葉は産まれてから今までの自分を否定することになる」
「でも、でも!」
「ルビー、僕とアイの子供として産まれてきたは不幸だったの?」
「そんなわけない!!」
自分は異端者だと言って自分自身を追い詰めているようだ。
本来、あるはずだった子供の未来を自分が宿ってしまったことで潰してしまったと思っている様子。母の言葉を知る僕からすると感謝することはあっても怒る要素はどこにもない。
ルビーの口からその言葉を出させるわけにはいかなかった。
それは僕達の子供であることの否定、生まれてこなければよかったと言っているようなものだから。
その刹那、ルビーは大きく叫んでいた。
「私はずっと病気で母親も会いに来ることもなかった。母の愛ってどういうものかを知らないの。でもね、ママとパパの子供に生まれて来られて愛がどういうものかをわかったんだ。そんな温かい愛情を育んでくれる二人の子供であることが不幸なはずがないよ!!」
「ルビーも私と同じだったんだね?」
「ママ?」
話をずっと黙って聞いたアイがルビーを後ろから抱きしめた。
彼女の口から言われた同じという言葉は2人の共通点を示している。それは母からの愛、愛情を知らなかったという点だ。
愛は痛みを伴うと初めの頃は思っていたアイとルビーの口から言われた内容には確かに似ている。
だから数奇な運命の下に産まれたという言葉はあながち間違っていないと僕も思ってしまう。
「私も奏に会うまで愛って何かわからなかったんだ」
「ママも?」
「うん。奏、真莉愛さんが教えてくれた愛。それを知ったから今の私が居るんだ。奏と愛し合って産まれたルビー達の事は愛してる。この言葉は嘘じゃないし、気持ちを偽りたくないの。だから産まれてこなければよかったなんて思わないで」
「私、ママ達の子供で居ていいの?」
「もちろんだよ。ううん、ルビーとアクアじゃなきゃ駄目」
「ママ、ママ!! うわぁぁん!」
自分と言う存在を認めてもらえた安堵感からルビーはアイに向き直って胸元に顔を押し付けるようにして泣いた。
それはさりなという少女が偽り演じ続けたルビーではなくきっと本来の彼女の姿だったんだろう。
これでルビーはもう大丈夫だろう。今までと関係も変わらないし、前世があろうと今はルビーなんだからね。
「アクア、君もそうなんでしょう?」
「いつから、いつから俺が前世の記憶を持っていると――」
「確信したのはついさっきですよ。さりなという名前に動揺したでしょう? それにこの病院に着いた時も複雑な感情を抱いたようですし、それに――」
「それに?」
「僕の携帯で調べていたでしょう? 駄目ですよ、隠したいなら履歴も削除しておかないと」
「履歴?……あ」
そう、確信を得たのはついさっきだけどアクアの前世については一人の男性を想起させた。
僕の複数ある携帯の一つをアクア達が使っていたのは知っている。当然、僕もそれを使うから検索キーワードが出てくるよね?
そこに自分が打った覚えがない履歴があった。
雨宮吾郎 医者 失踪 宮崎県という検索ワードが出てきたのだ。
こんなピンポイントで打ち込まれていたらそうと思わずにはいられないだろう。
失踪ではないが、確かにネットには既に死亡したという記事は出ている。小さな記事だから知らない人は知らないし、犯人も未だに不明だ。
「その反応で十分です。アクア……いいえ、今のタイミングならこう呼んだ方が良いですか?――雨宮吾郎先生」
「え?」
「え……吾郎先生? パパ、今お兄ちゃんの事を吾郎先生って呼んだの?」
その名前に反応したのはアクアだけじゃない。
当然、ルビーも反応を示して信じられないような目でアクアの方を見ている。それはそうだろう。つい先ほど呟いていた言葉に先生との約束というものがあった。
アクアの前世が本当に雨宮吾郎であるならルビーが反応しないはずがないんだ。
だから今も穴が開きそうなほど見つめている。
「……はぁ、前世から思ってたけど父さんは色々と規格外だよ。わかっていて俺にそう聞くなんて卑怯だな」
「母さんからの受け売りですよ」
「ルビー同様に前世の記憶があるよ。父さんの言う通り、俺の前世は雨宮吾郎だよ。死んだと思ったら二人の赤ん坊に生まれ変わってた」
大きなため息を吐いた後、アクアは前世が雨宮吾郎であることを認めた。
ずっと秘密にしていた事を吐露したことでその表情はいつもよりもスッキリしたものへと変わる。おそらく、前世があること自体はルビーと共有していたかもしれない。
けれど、その前世がどういった人物であるかというのは彼女の反応からして話していなかったのだろう。
その証拠にルビーの目からは悲しみとは違った涙が溢れ始めていた。
「本当に吾郎先生?」
「そうだよ、前世で君と一緒に病室でアイを推していた雨宮吾郎だよ。久しぶりというのが正しいのかな」
「先生、先生ー!!」
「わっ……」
アクアが先生であるとわかった瞬間、ルビーが走って抱き着いていた。
嬉しさから涙を流し、何度も先生と呼び、そこに確かに居るという事実を確認するように強く抱きしめている。
勢いが強すぎて芝生の上にアクアが倒されてしまったが、なんとも言えない表情をしていた。
ルビーからはもう絶対に離さないという強い意志を感じる。彼女が前世で先生へと向けていたものが恋愛感情なら色々と複雑だな。
「これで良かったのかな?」
「複雑ですか?」
「ううん、こういうのも良いのかなって。私が望んでた賑やかな家族って意味では本当にそうなりそうだもん」
僕の傍へと腰を下ろしたアイが手を握りながら告げた。
アクアとルビーは明かせない前世という秘密を暴露したことで心の重荷は軽くなっただろう。これで思い悩むこともなくなってくれると父親としては嬉しい限りだ。
僕は2人の行く末を考えながら視線はある方向に向けていた。
そこには木々に止まって翼を休めている複数の鴉とこちらを興味深そうに見ている1人の少女の姿があった。
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第三十話
皆様のおかげです。これからも頑張って執筆していきます。
少し独自解釈を含みます。
僕らを見ている一人の少女はアクアとルビーを見てクスリと笑った。
そしてアイと僕へと目を向けると一瞬だけピクッと何かに反応して見せる。
「せっかく、真なる母を得られずに散った二つの魂は死する運命にあった器へと導いてあげたのに――」
その言葉は母さんが言っていた言葉と同じ意味のもの。
目の前の少女はアクアとルビーを転生させた神様とでも言うのだろうか? いや、本当にそんなことがあり得るのかな。
確かに輪廻転生という現実ではあり得ない体験をした二人が居る。
だったらそれを行った神様と思わしき存在は居てもおかしくはない?
「君は誰かな?」
「さぁ、私は誰だろうね?」
「答えるつもりはないという事ですか。アクア達を転生させたのは貴女ですか?」
「私かもしれないし、私じゃない別の存在かもしれないよ?」
「そうですか。じゃあ、これだけは言わせて欲しい」
「なに?」
「ありがとう」
目の前の存在は僕からの質問に答えるつもりはないようだ。
日本には八百万の神々という概念があるし、少女が本当に神という可能性も無きにしも非ず。だけど、少なくともアクア達と無関係と言うことはあり得ないのは先ほど発した言葉からも明らかだ。
だから僕は素直に彼女にお礼を言った。
いきなりお礼を言われた事で何に対して言っているのだという表情でキョトンとしている。
「それは何に対してのお礼なの?」
「君はさっき言ったでしょう? 死する運命にあった器へと導いたと。その言葉が真であるなら認めたくないけど、僕達の子供は死産してこの世に生を受けることは叶わなかった」
「……」
「だからどんな形であれ、僕達の子供としてアクア達が産まれてきてくれたことには父親として感謝をするのは当然でしょう?」
「あは、そういう捉え方も出来るんだね。本当に君は面白いや」
「それに常識外の存在という事は今のアイ達を見れば、嫌でもわかるよ」
物理的にあり得ない現象が起きているのだから認めざるを得ない。
アイ達が止まっているんだよね。目の前で手を振っても反応しないし、呼吸すらしていない。時間という概念が仕事を放棄している。
こんな事を出来るのは人知を超えた力を持った存在でなければ不可能。
だから目の前の少女がそういった存在であると認めざるを得ないんだ。
「普通はこんなことが起こったら動揺するはずなのに、お兄さんは冷静だね?」
「動揺していますよ?」
「嘘ばっかり。私が何者なのかを考え続けてるくせに――」
「気になるに決まっているでしょう? こんなことを出来るあなたが何者なのかと気にならないはずがない」
「私は本来ならその二人にしか見えないはずなの。でもお兄さんは私を捉えているのはなぜかな?」
考えても少女の正体が推測の域を出ない。
それに気になることも口にしている。アクアとルビーを指さして本来なら二人にしか見えないというのは転生した存在にしか感知できないということだろうか?
「ノーコメントかな」
「そこの二人はもう少し大人にならないと私のことは見えないかもね。魂が肉体に馴染みきっていないし、未熟だもん」
「そこまで喋るならあなたの正体を教えてくれてもいいんですよ?」
「んふふ、内緒だよ。私もお兄さんの事が気になってきちゃった」
魂が馴染むとか聞きなれない言葉が飛び交っている。
常人の会話ではないよ、これは。健全な魂は健全な肉体に宿るとかいうやつなのかな? そう解釈すれば、アクア達はまだ魂が馴染んでいない不完全な状態になるのか?
それにいつの間にか少女が僕の前に立っているし、どうなってるんだろう。
さっきまで10mくらいは離れていたはずなのに……。少女の瞳と僕の瞳が交差する。
「っ……これ以上の深入りはやめておくね。お兄さんは随分と愛されているみたい、私も自ら危険地帯に足は踏み入れたくないから」
「?」
僕の中に何かを見たのか、一瞬だけ少女が怯んだ表情を見せた。
僕も少しだけ彼女の存在がどういったものかを理解できた気がする。あの子の瞳の中に見えたそれは確かに常識では測れないかもしれないね。
「覚えておいて、その子達の転生には本来なら意味がある。でも……何事にも例外は存在するの。一つのイレギュラーが原因で本来の運命から外れることもある」
「運命?」
「狂った歯車は元には戻せないんだよ? 戻そうと思ったら大きな犠牲を払わないとだめ。そんな危険を冒してまで元の歯車に戻そうとする意味はあるのかなってこと」
「狂った歯車、元に戻す、大きな犠牲?」
「もう時間みたい。私も本当はお兄さんに干渉するつもりはなかったんだけど、私を見つけることが出来たご褒美だよ。じゃあね、
そういった瞬間、世界に色が戻って時間が流れ始めた。
先ほどの少女は姿を消し、目の前にはアクアに抱き着いてキスしようとしているルビーの姿がある。僕は周りを見渡したけど、どこにも先ほどの女の子の姿もなく何匹も居た鴉も居なくなっていた。
「どうしたの、奏?」
「いえ、なんでもありません。ただの気のせいです」
「と、父さん! ルビーを何とかして!?」
「仕方ないですね。アイも手伝ってくれますか?」
「もちろん!」
アクアの助けを求める声にやれやれと首を振って立ち上がる。
アイに協力してもらい、二人を引き離した。息を荒くして僕の後ろに隠れるようにアクアはルビーの事を見ている。
色々と複雑なんだろうな。
前世では医師と患者、今では兄と妹だ。しかも妹は兄に恋をしているという状況。たぶん、好きではなく愛してる方だと思う。
親としてどうやって説明をしたらいいのかな。
血の繋がりがある二人を応援するべきか、それとも新たな恋を見つけなさいと言うべき?
「ママ、なんで止めるの!? 女には譲れない思いがあるんだよ!」
「う~ん、まだルビーには早いかな。もう少し大きくなってからね?」
「うぅ、ママはわかってないよ。アクアは大きくなったらきっとモテる。パパとママの子供だからそれは間違いないもん。しかも前世からの思い人なんだよ!? 今のうちに――」
「その気持ちは私もわかるよ? でも駄目なものは駄目だよ」
「わかった。今はそれで納得する」
どうやら無事にルビーを説得することが出来たみたいだ。
やっぱり、ああいったことは同姓じゃないとわからないことも多いからアイに対応してもらって正解だったね。
僕は僕でアクアを何とかしないと。
後ろに隠れるように見ているアクアを僕の正面へと移動させる。
「吾郎先生と呼ぶべきですか?」
「いいよ、俺は愛久愛海。2人の息子だから今までと同じでアクアでいい」
「そう。アクア……将来は安泰ですね」
「ちょっと待って!! 冷静に考えてよ、父さん。血が繋がった妹だよ? いくら好きで居てくれるからって――」
「ほら、よく言うじゃないですか。愛があれば問題ない、愛は全てを解決するとか?」
「冷静になろうよ!」
「アクアこそ、冷静になりましょう。前世から好きで居てくれて今世でも好きなんですよ。これは運命の赤い糸というやつですよ。たぶん、ルビーはそう考えてると思いますよ」
アクアも混乱しているな、これは。
しかし、同じ病院に居た者同士が僕達の子供として生まれて来るなんて何かの因果があるのかな? さっきの少女も言っていた運命とやらが関係しているのか、それとも別の――。
近親婚か、少しだけ調べておくか。がんばれ、アクア。
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第三十一話
仕事が忙しくなってきましたので更新速度は落ちます。
ルビー以外には転生したことを教えずに墓場まで持っていくつもりだった。
でも、父さんが俺達を宮崎へと連れて行ったことで事態が急変。ルビーの前世はさりなちゃんだという事が判明し、俺もその時の担当医だった雨宮吾郎だという事がバレた。
もともと父さんには俺達が早熟すぎている事、言動が年相応じゃないことなどでそうじゃないかとは疑っていたと言われた時はびっくりしたな。
「ルビー、くっ付き過ぎじゃないか?」
「そんなことないもん。これが普通だもん」
そして俺の前世がルビーにバレてしまってからというもの。
常にこの子が俺の横に居て今も腕を抱きしめるようにされ、身動きが取れない状態になっていた。肉体に精神が引っ張られて今のところは大丈夫だけど、ルビーが女性らしくなっていき同じような事を続けられると色んな意味で危ないかもしれない。
俺の体が――。
「奏、今度の映画撮影のことなんだけど――」
「ん? あぁ、その事ですね。それならこの台本のこの部分を……」
ルビーとそんな状態になっている俺はさておき、父さん達は映画の台本の読み合わせを行っている。
少し前に俺が出演する事を条件にアイが映画に出演した。それをきっかけにメディア露出も今まで以上に増えて、父さんと一緒に映画でW主演を行う事になっている。
しかも両方の芸能事務所がキスシーンのOKを出したため、映画内でそういうシーンが何度か撮影されるらしい。
もちろん、奏とアイの二人で行うシーンでだ。
「今でも複雑だなぁ」
「何が複雑なの?」
「今度の映画で二人がキスシーンを撮影することだよ」
「なんで? 推しと推しが目の前でキスするんだよ? 目の保養にもなるし、ご褒美でしょ」
あぁ、そうだった。こいつはそういう感性だもんな。
赤ん坊の時も二人が大人のキスをしているときも顔を赤くしながらもずっと見ていたし、ルビーにとっては最高のご褒美なんだった。
「それにさ、ママが最初に出たドラマの事を覚えてる?」
「あぁ、覚えてる。あんなにたくさん撮ったのに一瞬しか映らなかったやつだろ?」
「そうそれ。あの時はママと他の女優さんが並ぶと絶対にママの方に目が惹かれる。ただでさえ、人を惹きつけちゃう魅力があるのに同格じゃないと相手が霞んじゃう」
「だからカットされたんだろ。事務所の規模の差ってのもあったけどな」
「そう。でも相手がパパだったら? 同じ画面にカリスマ性を持った二人が映れば、きっとみんなは光に焼かれてしまう」
それはそうだろう。だってアイに人に魅せるやり方を教えたのは父さんだ。
アイ以上にその手の事に関しては詳しいんだぞ。そんな二人が揃ってしまえば、ファンでなくとも強すぎる光に脳を焼かれてしまう。
だから今回の映画はきっと二人の仕上がり次第で大きく評価を変えると思う。
まぁ、仕事を完璧にやり遂げ続ける父さんがそんなヘマをするとは思えない。問題は2人がキスシーンを行う上で抑えが効くかどうか。
わかってる、わかってるんだけどどうしても想像しちゃうんだ。
普段の様子と演技では当然、雰囲気も違うし、その人物に成りきる必要がある。どのように魅せれば、より良く見えるのか。
登場人物の心情を理解し、役に成りきる。
一種の自己暗示とも言える方法で自分自身を登場人物本人として演技をするんだという話を聞いたことがあった。
その答えが目の前の光景なんだけど――。
「どうしても行くの?」
「はい。僕が行けばすべて解決します」
「でも、あの場所は……っ」
「それ以上は言わないで」
無実を証明するために危険を顧みずにある場所へと向かうという場面。
アイが言葉を続けようとすると父さんがその唇に人差し指を立てて言わないでと告げて踵を返す。微笑んで何も言わずに歩く奏にアイが行っちゃ駄目と後ろから抱き着いて止める。
このシーンは行かせたら後悔するという表現に力を入れるとメモ書きがされていて、それを視聴者が見てもわかるように演じなければならない。
「わかってる。皆を守るために行くんでしょ?」
「……」
「でも、その中に君は居るの? 君が居ない世界なんて私は――」
練習とはいえ、ここまで本気で演じるんだ。
アイの瞳から涙が流れて、父さんの服を濡らしていく。立ち止まった父さんは振り返ってアイの瞳をジッと見つめる。
必然的に潤んだ目で上目遣いをしているアイになぜかこっちが顔を赤くしてしまう。
アイを抱きしめて耳元で小さく呟いた奏が優しく彼女の唇に口付けを交わした。触れるだけのキスだけど、次第にアイの目がトロンとし始める。
「はぁ、はぁ……」
何で俺の耳元で荒い呼吸音が聞こえるんだ?
そっちへと目を向けるとルビーが目をキラキラさせながら二人の演技を見ている。それだけならいいんだけど、明らかに興奮しているんだよなぁ。
なんで、俺の方を見るんだ?
いや、変な期待をするんじゃない。その瞬間、急に体のバランスが崩れて俺はソファーに倒れてしまう。ルビーが力の入れ方を変えたことで重心がズレたんだ。
「は、早まるなルビー!」
「はぁ、はぁ、お兄ちゃん。やっぱり我慢は体に良くないと思うんだ」
俺の体の上に跨り、腕を足で挟み込むようにして拘束された。
み、身動きが取れない! や、やばい。これは非常にまずい体勢だ。徐々に近づいてくるルビーの顔は獲物を捕まえた肉食獣のような雰囲気をしていた。
父さんに助けを求めようと口を開こうとした瞬間に口を手で塞がれる。
ルビーに行動を先読みされて、声を出すことが出来ない。出来てもくぐもった声であちらにはきっと聞こえない。
「駄目だよ、お兄ちゃん? 今なら初めてのキスは私のもの――」
「んぅ! んぅぅ!!」
「あは! 擽ったいなぁ」
冷静に考えておかしいだろ!
前世から合わせて精神年齢が倍以上違うんだぞ。やっぱり俺の正体がバレた事で歯止めが利かなくなったのか!?
考えろ、考えるんだ! きっと最善の方法があるはずだ。
考えたところでどうやって止めるんだ? 今の状況で言葉で止まるのか、それでもやるしかない!
「よっと」
「パパ!?」
行動に移そうとした瞬間、俺の体が拘束から解放された。
父さんがルビーの脇に手を入れて抱え上げて自分の腕の中へと抱えている。気配もなく近づいていきなり抱えられたからルビーもびっくりしているみたいだ。
俺はというと安堵の息を吐いた。
肉食獣に捕食される草食獣ってこういう気持ちなのかと不意に思ってしまった。あのまま父さんが来てくれなかったら俺はキスされていたんだろうな。
「まだ演技の練習をしてたんじゃないの?」
「もう終わりましたよ。アイも要領よくて一回で問題ありませんでしたから」
「もちろん! 私だってやるときはやるんだよ!……本当はもっと奏とキスしたかったから失敗しようか悩んだのは秘密だけど
最後に小声で言ったこと聞こえてるぞ、アイ!
く、目の前で演技練習とはいえイチャイチャを見せつけられるのも辛い。だけど、さっきのような状況で居るのも辛い。
どうしての精神年齢を加算した年齢で考えてしまうから厳しい。
今でも一番の推しはアイだ、これは変わることはないはずだ。
「うー、パパも邪魔してくるなんて」
「ルビーにはまだ早いです。初めてのキスと言うのは本当に好きな人のために取っておきなさい。大きくなって気持ちが変わらないなら――」
ルビーに何かを言っているけど、今はとにかく助かった。
俺を好きでいてくれることは嬉しいけど、このままだと本当に喰われる。何とかしてルビーに俺以外で好きな人を見つけてもらわないと。
「わかった。今はそれで納得する!」
「ありがとう、ルビー」
「へ……?!」
父さんの説得で何とか納得したルビーだったけど、不意に頬にキスされたことでキョトンとしていた。
すぐに自分が何をされたのか、わかってボンっていう音が聞こえそうなくらいに一気に顔が赤くなる。それを見たアイが私もというかのように反対側の頬にキスをした。
「あれ? ルビー?」
「気を失っちゃいましたね。ベッドに寝かせましょうか」
「そうだね、アクアもおいで」
「わ、わかった」
推し二人からのキスはルビーには破壊力が高すぎて脳が処理できずにショートしてしまったみたいだ。
俺もアイからあんな事をされたら同じような状態になってしまうかもしれない。いや、でもそれはそれで嬉しいよな?
とにかく今日の危機は乗り越えられたんだ!!
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第三十二話
ありがとうございます!
無理ないペースで更新していきますね。
今やアイは国民的スターまで駆け上がったアイドルになった。
ドラマや映画、化粧品などのCMにまで抜擢され街中であいつの宣伝広告を見ない日がないくらいには知名度も上がり続けている。
やはり、俺の目に狂いはなかった。
あと1,2年もすればドームでのライブにも手の届くところまで来ている。B小町としても上々なのだが、やはりアイの存在が大きい。
他のメンバーももちろん、頑張ってくれはいるがアイという輝きが大きすぎて活躍しきれていない。
その証拠にCMやバラエティーなど呼ばれるのはあいつばかりで他のメンバーはあまり呼ばれたことはなかった。そのせいで気が付いた時には、俺とアイはニノ達B小町創設期メンバーとの間に深い溝が生じてしまっていた。営業自体は俺自身もかけて、あいつらを押しているが殆どの制作側が首を縦に振ってくれない。
「グループとしては一人だけが大きな輝きを放ち続けるのも問題か」
あいつと同等の輝きを持つ者じゃないと同等にはなれないか。
俺の事務所もアイのおかげで中堅クラスと言っても過言じゃない大きさまでには成長できた。逆に言えば、アイが居なければここまで大きくなれなかったってことだ。ニノ達もそのことを理解しているからこそ、どうにか堪えることが出来ていたのだろう。
しかしそれもやがて限界が来る。今はアイに憧れて入ってきた後期のメンバーが間を取り持ってくれるおかげで最悪の事態は避けられているが、ニノ達の不満が何かの拍子で爆発してB小町が解散してしまうような事態になれば、ソロデビューできる基盤を持っているアイを除いた他のメンバーはおしまいだ。
社長として何としてもアイをグループ内に留まらせなければならない。今になってアイを贔屓していたことが仇となっちまったとは。しかし、当初は事務所の力が弱すぎてB小町の存在を世間に認知させて基盤を作り上げないことにはどうにもならなかったから、アイを贔屓せざるを得なかったが、アイの資質が想定を超えていたせいで強くなりすぎたあいつの輝きに俺は目を奪われれるままやりすぎちまったのがいけなかったのだろう。
「壱護、スケジュールよ」
「おう、いつもすまん!」
「いいの。社長夫人としてこれくらいは当たり前だから」
そしてもう一つ問題が発生している。
俺の妻のミヤコの様子がある時期からすっとおかしいんだよな。時期的にはちょうどアイと牧野の歌番組で復帰共演した時くらいか?
表面上は普通に見えるんだが、明らかに以前に比べると感情の起伏が弱々しくなってやがる。
何かあったのかと聞いてみても帰って来るのは"なんでもない"や"いつもと一緒よ"という言葉が返って来るばかりだ。
ただ一つだけ明らかなことがある。
牧野という単語に体が無意識に反応しているということだ。その時に自分の腕を強く跡が残るほど強く握りしめているのを見た覚えがあった。
一度、牧野に問い詰めてやるとミヤコの前で言ったことがあった。
その時の反応は顕著で"絶対にやめて"と強く言ってきたのが記憶に残っている。もうこの反応を見たら牧野が関わっているのは明らかだ。
「すまねえな、ミヤコ」
「どこか行くの?」
「あぁ、少し出て来る。今日中に終わらせるから心配すんな」
「……気を付けてね」
俺の言葉が聞こえていたのかはわからねぇ。
それでも俺が何をしようとしているのか、わかっているのか気を付けてという言葉を送ってくれた。もし、解決させる可能性があるならやるだけだ。
今までいろいろな苦労をさせてきたミヤコのために動かなくて何が男だ。その先で何が起ころうと俺は必ずお前を元に戻してやる。
◆
今日は牧野がオフだという事は既にアイから連絡を受けているから知っていた。
牧野と二人きりで話がしたいと伝え、話が漏れることがない店を指定してそこで会う約束を取り付けてある。
その店に入ると店長から既にお連れ様は奥でお待ちになっていますと言われ、牧野が既に到着していることがわかった。
「斎藤さん、忙しい時期なのにどうしたんですか? 僕と二人きりで話がしたいなんて珍しいですね」
「あぁ、少し野暮用があってな」
「野暮用ですか……?」
案内された部屋に入ると既に牧野が席について待っていた。
何かの本を読んでいたみたいだが、なんで護身術の勧めって本を読んでんだ? もしかして前の映画の影響か?
まぁいい、俺も椅子に腰かけて牧野をサングラス越しに見据えた。
「お前に建前は必要ないだろう。単刀直入に言わせてもらうぞ」
「えぇ、確かに建前は必要ないですね」
「俺の妻のミヤコの様子がおかしいんだ。以前にも増して感情の起伏がなくなった。時期的にはちょうどアイと牧野が復帰番組で共演したくらいか」
「体調が悪いとか、そういう時期なのでは?」
淡々と俺の話を聞いているが、牧野からは動揺の色すら見えねえ。
俺から目を逸らそうともしないし、誤魔化している様子もない。牧野が関わっているっていうのは俺の思い過ごしなのか?
「斎藤さんが仕事に集中し過ぎて夫婦間のスキンシップを怠ったのが原因かもしれませんよ?」
「そうかもしれねぇ。だが牧野という言葉に無意識に反応してる、それに聞こえたんだよ」
ちょうどミヤコが一人の時にふと呟いていたのが聞こえた。
許してください、二度と過ちは繰り返しません。だから許して牧野――。
聞こえたのはここまでだ。
まだ続きがあったような言い方だったが、牧野という単語が出た以上、俺達に関わりのある牧野と言えば、二人しかいない。
牧野奏と牧野真莉愛……この二人だけだ。
「それは僕達に対して何か取り返しのつかないことをしようとしたことに対する謝罪。本人に教えてくれるまで聞いた方が良いと思いますよ」
「……ちょっと待て。何で僕達なんだ? 俺は牧野という言葉に反応すると言っただけでどうして複数人が対象だって思ってるんだ?」
やはり、牧野はミヤコの状態に関して何かを知ってやがる!!
のらりくらりと嘘は言っていないが本当の事も言わない牧野に俺は立ち上がって胸倉を掴んだ。ここで何かを掴めなければ俺はきっと後悔する。
それを知っているであろう牧野に証言させる必要がある。
芸能界に身を置く身として大手の稼ぎ頭筆頭に胸倉を掴むことは常識ではあり得ない。だが、俺だって社長の前にミヤコの旦那だ!!
「斎藤さん、離してくださいよ。暴力から何も生まれませんよ?」
「教えろ!! ミヤコに何をしたんだ!?」
胸倉を掴んでいるのに何でこいつは表情一つ変えないんだ?
それでもあいつの瞳は俺から目を逸らさない。くそっ! あの瞳に見られていると嫌な気分になるぜ。親子そろって本当に底が見えねえ。
胸倉を掴み続けている俺の手首を牧野が掴む。
その刹那
「いっ?!」
「離してくださいよ、斎藤社長」
突如として襲い掛かる激痛に俺はあいつの胸倉から手を離さざるを得なかった。
それと同時に牧野も手を離していたが、激痛が未だに残った手首を見るとあまりに強く掴まれたことで内出血を起こしていた。
「僕もこういったことは好きじゃない。ミヤコ夫人からあなたに言わないのは自分のしたことで許されないことだからですよ」
「教えろ、何が原因でミヤコはああなったんだ! それに原因ってなんだよ!!」
「本当は僕の口から言うべきことではありませんが……。わかりましたよ」
乱れた衣服を整えた牧野が椅子に座って水を飲む。
俺も手首を抑えながら椅子に座って冷えたおしぼりを手首に当てて冷やした。そこまで冷たい訳じゃないが何もしないよりはマシだろう。
「いいですか、ミヤコ夫人の心情どうだったかは知りません。ですが、彼女のやろうとしたことは僕やアイ、子供達を危険に晒す行為です」
「なんだと……?」
「アイの母子手帳を撮影して週刊誌などへの情報機関にそれを流そうとしたんですよ」
「なっ……!?」
ミヤコがアイに子供が居ることを週刊誌にリークしようとした!?
確かにそれが本当なら妻のあの時の言葉にも納得がいく。しかしだ、どうしてそんな馬鹿な事をしようと考えたんだ!!
「どうしてそんなことをとか考えてます?」
「だったらなんだ?」
「結婚もしていない僕が言うのもあれですけど、家族との時間を作ってますか? 奥さんにやらせている仕事が僕達の子供の世話。表面上では納得しても不満を持たないわけないじゃないですか。ミヤコ夫人の心のケアをしっかりとした方が良いですよ?」
言い返せない自分が情けないぜ。
確かに牧野の言うように最近の俺はミヤコと夫婦の時間を十分に取っていなかったかもしれない。アイという光を携え、B小町内に生じてしまった亀裂を修復し、俺の夢であるドームでのライブをする為にその事だけを考えてきた。
だからミヤコに対する態度も素っ気なかったと言われても否定することはできないだろう。アイとニノ達との間に生じた確執といい、もっと早く俺は一度立ち止まって周りを顧みるだったんだ。
だが、なんでこいつがそんなことを知っているんだ?
「これがミヤコ夫人がやろうとしたことですよ」
「待て。ミヤコのやったことは確かに許されることじゃねえかもしれない。俺の不甲斐なさが原因でそうさせてしまったことは認めざるを得ない。原因はわかったが、今のミヤコの状態がどういうものかを説明してもらってねぇぞ」
「……簡単に言えば、常に暗示に掛かっている状態と言えばわかりやすいかな」
暗示、催眠術とかでよく聞くあれか。
ミヤコはそれに掛かっているからあんなに感情の起伏も弱々しくなっているっていうのかよ!!
「あ、一つ言っておきますけど……僕がしたのはあくまで深層心理にまで根付いたトラウマを利用した暗示ですからね。元々掛けられていたものを使ったに過ぎません」
「ま、まさか……お前の母親――」
「僕はそれしかないと思いますよ。ちょうど、あの日は母さんも僕達の家に来たみたいですからね。その現場を見られたんじゃないですか?」
ミヤコをあんな状態にした張本人はこいつの母親かよ。
明らかに非がこちらにある上に牧野以上に頭がキレて、こっちを見透かしているとまで言われる観察力を持った牧野真莉愛。
最悪だ、厄介なことになったぞ。
下手したらミヤコはずっとあのまま――。
「本人は思った以上に罪悪感を感じているんじゃないですか。暗示と言っても日常生活に影響が出るレベルではないですし、あくまで特定の行動をさせないために無意識で考えないようにさせているだけ」
「……」
「つまり、今の状態はミヤコ夫人が罪悪感に押し潰されそうになっているか、もしくは――」
「もしくは?」
「常に頭の中で誰かの声が囁いているとか? 疑心暗鬼になっているなら幻聴が聞こえるという事もあると聞きますが」
原因もやったと思われる人物もわかっても打つ手立てがねえ。
カウンセリングを受けさせて少しずつ精神を安定させるのが一番良いのか? いや、本当にミヤコのためを思うなら牧野の母親に何とかしてもらうのが良いんだが……。
果たして許してもらえるだろうか?
やらないよりやって砕けろの精神だ!!
俺は牧野に頼み込んで母親に会わせてもらえるように約束を取り付けた。
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第三十三話
まぁ、人には好き嫌いの好みがあるので当然ですけど。
今回は32話の続きのお話。
奏から都合のいい日はないかと聞かれてスケジュール調整を行った。
ちょうど仕事も入ってないオフの日に料亭に予約を入れ、現地にて集合するように手配する。私が会合などで使っている場所へと向かった。
「それで私に直接お願いしたいことがあるって言うのは何かな?」
「…………」
「言葉にしてくれないとわからないよ、壱護君」
畳の上で私に向かって膝をついて頭を畳に擦り付ける様に下げる男性。
苺プロダクションの社長の斎藤壱護君、私が襖を開けて入ると既にその体勢で待ち構えていた。何も言わず、ずっと同じ姿勢でいる。
「妻を、ミヤコを助けてください」
「どうして私が助けるのかな。私が助ける必要があるの?」
私に直接会いたいというから用件はそうだと思っていた。
深層心理まで届いている暗示を解いてくれというお願いだろうね。でも、私が行ったのは奏が良いと言うまで秘密を胸にしまっておくこと。
ただそれだけを守り続けるように言っただけ。
「妻のやろうとしたことは許されることじゃない。それはわかっていますが、それでも俺は日に日に弱っていく妻をこれ以上見たくない」
「罪には罰が必要だと思わない? 戒めは必ず必要だと思うの。そうすることで同じ過ちを繰り返さなくなる。そう、これは動物で言う躾と同じだね」
「もう十分でしょう! ミヤコはずっと苦しんでる! あの日からずっと罪悪感に囚われて何かに怯えるように過ごしています。だからお願いします、妻を解放してください!!」
私には昔から少しだけ人とは違った能力があった。
まず、奏も持つ同心円状の瞳は世界中を探してもおそらく私たち以外には存在しないんじゃないかな。それくらい珍しい形状の瞳をしている。
人の本質を見抜き、嘘を暴く。
だから私は幼少期のアイちゃんがずっと嘘を付いている事にも気付いたし、愛に飢えている事もすぐにわかった。
「その言葉に嘘はないんだね」
「これは紛れもない本心です」
「ふぅん、確かに嘘はついていないね」
サングラスを外して私の瞳をしっかりと見て話す壱護君の言葉に嘘はない。
これだけ奥さんの事を大切に思えるならその気持ちをもっと表に出して彼女に伝えれば夫婦の仲ももっと深まっていくのにね。
「いいよ。そこまで言うなら彼女に掛けた暗示は解いてあげる」
「本当で……‼」
「ただし、私がするのは暗示を解くだけ。心のケアとかは専門外、だからしっかりと寄り添ってあげなよ、壱護君」
暗示は一種の催眠状態に近いから解くことは容易。
でも、制限を掛けただけだから心の中で何を思っているかは当人にしかわからないよ。私や奏のような例外を除けば――。
「はい、わかってます」
「それと彼女にも前には言ったんだけど……二度目はないからね」
「っ!! もちろん、わかってます」
どうしてそんなに怯えた表情をしているのかな。
私は何も怒っていないし、約束をしっかりと守ってくれる人には優しいつもりだよ。約束を守らなかった悪い子はどうなったのかな?
「ねぇ、壱護君。私はね、奏君の事を愛してるの。たった一人の息子であり、私の理解者でもある。アイちゃんとの出会いがあの子をより強くしてくれた。欠けていたピースの一つが嵌り、より高みへと歩むことが出来る」
「は、はぁ」
「アイちゃんと奏君の映画はどうだった? アイドルがキスシーンを撮影するということの意味はわかっているよね」
「炎上すると思ってました。でも結果は一部の人間を除いて全員が称賛していた。常識で考えれば、多くのファンを持つアイドルのそういうシーンが取られると一斉に叩く。でも、あの二人の場合は違った」
「人を魅了できるカリスマ性を持った二人だもの。そういう方向へと流れるのは自然だよ。だって演技とは言え、本当に愛し合う二人。演技であってあれは演技じゃない。アイちゃんと奏君の秘密を知る人からすれば、完全な自然体。だからぴったりの配役だったのかもしれないね」
アイドルのキスシーンはファンに叩かれてしまう場合が多い。
それは自分達がずっと推している偶像を穢されてしまうから。だったら彼らに納得できるように動けばいいんだ。
自分勝手な理由や思い込みでアイドルの理想の姿を思い描くファンは多い。
だから二人がキスをする光景を正しいと思わせればいい。つまり、アイちゃんの相手になるのは奏しかいないと思わせたら炎上する理由もなくなっていく。
「壱護君、私を失望させないでね?」
「も、もちろんです!!」
「今度会う日はアイちゃんがB小町としてドームでライブをする時かな。でも、その夢だってまずアイちゃんと他の子達が仲直りしないことには潰えてしまう。B小町内に生じた亀裂を修復するのは壱護君とミヤコちゃん達がやらなきゃいけない仕事だからね」
「そこまでご存知でしたか。必ず実現させます。ミヤコの事はよろしくお願いします」
「うん、約束は守るよ」
彼は私に頭を下げて失礼しますと出て行った。
せっかく用意したけど、彼にとって料理を食べる余裕もなかったみたい。ここの料理人は一流の腕前だからとっても美味しいのに損してるね。
「失礼します」
「亜紀ちゃん、お疲れ様。奏君はどう?」
入れ替わるようにして入ってきたのは亜紀ちゃん。
私が奏のマネージャーとして紹介した女性で、奏達に子供が居ることを知る数少ない人物。彼女も訳ありだから私の保護下に居た方が色々と都合がいい。
もし、アイちゃんとの出会いが無ければ私は奏に亜紀ちゃんを薦めていたかもね。
容姿端麗だし、仕事もできて料理も出来るし、私から見てもとってもいい子だと思うから。
「はい、奏さんは何も問題なく仕事もプライベートも過ごせています」
「そう。いつもありがとうね、亜紀ちゃん。君が居てくれるおかげで奏君は不自由なく過ごすことが出来てるから感謝してるよ」
「真莉愛さんにそう言われると悪い気はしませんね」
「照れてるのかな? 可愛いね、亜紀ちゃんは」
「や、やめてください」
奏のために色々と動いてくれているのは知ってるから素直に感謝を伝えた。
すると亜紀ちゃんは頬を赤くして少し俯きながら私に返事を返してくる。やっぱり、この子は全然変わらない。
恥ずかしそうに目を逸らす彼女の顎を軽く掴んで私の方を向かせる。
奏とは違うけど、この子も人の心の動きを察知する精度は高い。彼女は独学で読心術を身に着けた秀才でもあるし、その才能は多彩。
「ま、真莉愛さん、恥ずかしいです」
「ふふっ、君のそういうところは好きだよ」
ボンっという音が聞こえそうなほど一気に顔が赤くなった。
亜紀ちゃんは恋愛面では奏と同じで疎いところがあるから私にこういう事を言われると赤面してしまうことも多い。
でも、それは身内に対してであり、見知らぬ人に言われても顔色一つ変える事はない。
私と接していた時間もそれなりに長いから感性も私に近いものを持っているし、非常になれる冷酷さも兼ね備えている。
「こ、これ、頼まれていた資料です。ふぁぁ……っ」
指で亜紀ちゃんの首筋を撫でると普段では絶対に出て来いない嬌声が漏れる。
私は彼女を可愛がりながら渡された資料を手に取った。足を組み替えて並べられた資料を捲っていく。ここに書かれているのはアイちゃんの親の事や今までに関わった事のある芸能関係者に至るまでの情報が書き連ねられている。
雨宮吾郎――死亡。
死因は高所から突き落とされたことによる頭蓋骨陥没、脊椎損傷、全身打撲、何者かに突き落とされた可能性あり。出産時の星野アイの担当医を任されており、当日に行方不明になる。
奏さんと斎藤壱護により後日遺体で発見される。
警察は未だに犯人の特定が出来ず、捜査打ち切りの可能性あり。出産日当日にフードを被った人物の目撃情報があったが特定できず。
誰かが星野アイ入院したという情報提供を行った可能性大。
「ふぅん、日本警察の捜査の網を潜り抜けていることを考えると警察関係者も関わっている可能性が高いのかな」
「ざ、残念ながらこれ以上は調べることが出来ませんでした。私の情報網でも犯人の特定は難しく、データベースにも有力な情報はありません」
「亜紀ちゃんでも無理ならこれ以上の進展は現状では望めそうにないね。せめて唯一、犯人の顔を見たであろう雨宮先生が生きていれば対策も出来るけど、死んでしまっては喋ることもできないし……」
「あ、あの、真莉愛さん……もう許し……て――」
まさに死人に口なしというやつだ。
相手の名前も顔もわからないとさすがに手の施しようがないか。もし、当時病院に現れた目的がアイちゃんだったなら再び現れる可能性が高いし、熱狂的なファンを使った可能性もありそうだね。
これ以上、考えても進展は望めなさそう。
私は壱護君との約束を守るために彼女に掛けた暗示を解きに行こうかな。
その前にもう少しだけ亜紀ちゃんを愛でておこう。
あんまり甘えてくれることもないし、遠慮してリラックスする姿も見せない子だからね。
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第三十四話
アンケートのご協力感謝します。一応、6/11日まで実施します。
アクアが吾郎先生の転生した姿と知って私はより積極的になった。
一緒に居る時は常に傍に寄り添うように、さすがにお風呂は先生だってわかってからは別々に入る様になっていった。
ママもパパも相思相愛で人を好きになる気持ちがわからなくて似た者同士だったみたい。
だから今も二人は休日や家で過ごしているときはイチャイチャしてる。もちろん、私達をほったらかしにしているんじゃなくて構っている上でそういうことをしてるから嫌悪感もない。
私にとってはご褒美だし、アクアは……死んだような顔をしているから前も言ったようにあまり受け入れたくないって感じかな。
「パパ、パパ、少し聞いても良い?」
「何ですか、ルビー?」
ママが仕事でパパがオフの日。
ソファーで寛いで本を読んでいるパパによじ登って膝の上に座りながら尋ねたんだ。読んでいる本の表紙には"サイコパスの思考回路とは"っていう何とも言えないことが書かれている。
「パパはルビーの恋を応援してくれる?」
「人の恋路を邪魔するつもりはないよ。でも、兄妹で結婚と言うのは少しだけ考えてしまうね」
「お兄ちゃんの味方をするってこと?」
「う~ん、味方とかではなくて結婚となると法律によって禁止されていることが多い。健康面、周りの人達からの評価とか色々と困ることが多いかもね。結婚せずにずっと一緒に暮らすだけなら兄妹の仲がとても良いんだと思われるだけです」
「大人って難しいんだね。私はお兄ちゃんとずっと一緒に居られるだけでも満足なんだ。大きくなったら自分の気持ちにどういった変化があるのかわからないけど、一つだけ言えるのは好きって気持ちは絶対に変わらないってこと!」
やっぱり兄妹同士の結婚とかはかなり厳しいんだ。
パパが言っていた健康面って言葉には前世の自分が重い病気で命を落としたから敏感になっちゃう。結婚をしなければ、ずっと一緒に居ても違和感はないんだ。
「兄妹の仲が良いのは素晴らしいことです。僕としても二人の仲がずっと続くことは親としても思っていますよ」
「大丈夫! 私はお兄ちゃんを嫌いにならないから。そうだ、パパとママはどっちが先に好きになったの?」
「どっちが先に好きになったか――」
パパとママが仲良しだってことは見ていたらわかるんだ。
だけど私もアクアもどちらが先に告白して好きになっていたのかは知らない。2人の始まりがどういったものかは聞いたことがなかった。
私の見立てだとママの方が最初にパパを好きになったと思うんだよね。パパって自分からあんまりそういった事を積極的にするように見えなかったもん。
「たぶん、アイかな。彼女に告白されて初めてずっと抱いていた気持ちが人を好きになる気持ちなんだって教えてもらいました。そう、人から向けられる感情には敏感でも自分の気持ちにはずっと疎かったんだ」
「運命の出会いってやつなの?」
「そうかもしれませんね。僕とアイが出会わなかった世界、ルビー達が僕達の子供ではなかった世界もあり得たかもしれない。そう意味では僕達の出会いは運命だったんだと思います」
運命の出会いかぁ。
もしが許されるなら、私の病気が治って吾郎先生と恋人になる世界もあったのかもしれないってことだよね?
でもパパ達の子供に産まれて、アクアの前世が私の好きな吾郎先生。
これこそ、本当に運命ってやつじゃないのかな! 死してなお、生まれ変わり出会うめぐり合わせ。きっと他の人に言っても信じてもらえないかもしれないけど、それでもこの事実は消えない。
「IFの世界かぁ。そうだ! パパって占いが出来るんだよね? ママからタロット占いが出来るって聞いたんだけど……?」
「できますよ。何か占ってほしいことでもあるんですか?」
「うん! 私を占ってほしいんだ」
「漠然としたものですけど、やりましょうか」
パパがそう言うと私をソファーに座らせて、棚に置いてあるケースに入れられたタロットカードを手に取った。
私の対面のソファーに座ったパパはカードをシャッフルしてカードを3枚置いた。
「これはあくまでも占いですから当たるとは限りません。そのことを頭の片隅に置いてくださいね」
「うん! この裏向きの3枚のカードの位置には意味があるの?」
「一応、過去・現在・未来という区分でそれぞれに意味があります。では過去の場所に置いたカードを捲りましょう」
どんな結果になってもあまり信用し過ぎないようにと注意され、私は頷いた。
そして過去に位置するカードをパパがゆっくりと捲って表に向ける。そのカードはパパから見ると反対を向いていて、"THE FOOL"って文字が書かれていた。
「愚者の逆位置か……」
「どういう意味なの?」
「色んな意味がありますけど、今のルビーの境遇からするとこの意味が一番合うんじゃないかな。――終わりからの再生」
終わりからの再生?
それって前世で死んだ私がパパ達の子供として転生した事を意味しているの? それじゃあ、これは当たってるってことなのかな。
「次は現在に位置するカードを捲りますよ?」
「う、うん」
そして次は現在に位置するカードを捲っていく。
ゆっくりと表に向けられたカードには"THE LOVERS"と書かれていて、パパから見ると正位置でいいのかな?
「恋人の正位置ですね」
「それって良い意味だよね?」
「まぁ、そうですね。恋愛での成功とか、そういった意味があります」
それってアクアとの恋が成就するってことだよね!?
いや、冷静になろうよ。パパも言ってたじゃん、これはあくまでも占いだから信用し過ぎるなって。でも、たとえ占いでも恋が叶うって意味なら嬉しいな。
そして最後のカードは未来に位置するカード。
「最後ですね。それでは未来に位置するカードを捲りましょう」
「お願いします」
ただの占いなのに心臓がドキドキしてきちゃった。
一枚目のカードが当たっていたから余計に緊張してしちゃう。ゆっくりと捲られるカードに意識を集中させる。
表に返して置かれたカードに描かれているのは――。
"THE WORLD"という文字。それがパパから見て正位置に置かれる。
「お、世界ですか」
「せ、世界?」
「このタロットカードにおける最も強く、最も良い意味を持つカードですね。それの正位置――」
「も、もちろん良い意味なんだよね!?」
今の言い方からしたらこのカードは一番良い意味を持つ。
それが正位置になっているってことは絶対に悪い意味じゃないよね!? そうなんだよね、パパ!?
「目的の達成、念願の成就、成功とかそういった意味を持っています」
「じゃあ、私の恋も実るってことなんだよね!!」
「まぁ、占いではそうですね。ルビー、何度も言いますけど、これはあくまで占いですから信じすぎないようにね」
「わ、わかってる。あくまで占いだもんね?」
口ではこう言っているけど、顔がにやけるのを抑えられない。
そっか、そっかぁ。私の恋の願いは成就するってことはやっぱり、私と吾郎先生は結ばれてもおかしくないってことなんだもんね。
えへへ、なんだか心が弾んでる気がする。
「え、嘘だろって? いや、占いですからね。僕は必ず当たる占い師でもないので、何とも言えませんよ。後で俺も占ってほしい? それは構いませんけど――」
パパとアクアが何か喋ってるけど、私の耳には聞こえてこなかった。
今は明るい未来が待っているんだという気持ちに酔っておこうと目を瞑る。きっと大きくなったら願いが成就しますように――。
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第三十五話
お気に入りが1000件突破してました!
少し時系列が飛びます。
ドーム公演前日のお話。
アンケートは明日で終了します。
時間が経つのは本当に早いなって最近思っちゃうな。
アクアとルビーも大きくなって幼稚園に入ってお遊戯会とかもしちゃってさ。本当なら堂々とお母さんだよって言ってみたかったけど、アイドルとしての立場が邪魔して変装して見る事しかできなかった。
ダンスに苦手意識を持っていたルビーは私と奏でレッスンを組んで今ではキレキレのダンスを踊ることが出来るようになったし、将来は私と同じアイドルに成れそうだね。
「明日はB小町としての初ドームかぁ。やっとここまで来たって感じかな?」
「おめでとうございます。ドームは他とは違いますから楽しいですよ」
「奏は何回もドームで歌ってるから慣れてるんだよね」
そう、明日は社長がずっと夢に見ていたドームでのライブ。
自分がプロデュースしたB小町がそこで歌うんだからさっきまでお酒を飲んで楽しそうに笑っていた。ミヤコさんも憑き物が落ちたように優しくその光景を見守ってた。
それはまるでずっと悩まされていた何かから解放されたようだった。
きっとその表情が本来のミヤコさんなんだと私は思った。少し前までと違って本当に笑えていたと思うから。
「ドームでのライブに関しては僕の方が先輩ですよ?」
「芸能界に関しても奏は私の先生だよ。でも明日の主役は私達がなるんだ。特等席で奏には見ていてほしいんだ」
「もちろん、僕もそのつもりです」
それにこのドームでのライブを終えたらアイドルとしては一つの終着点を迎える事が出来る。
アイドルを卒業するには最高の機会だと思ってる自分も居るんだ。始まりは愛が何かを知るためだったけど、奏と相思相愛になって愛も知れて、アクアとルビーの二人の子供を産むことが出来た。
もちろん、アイドルをしていて楽しい。
ファンの理想像であり続けなければ、いけないこともあるし、色々と縛りも多いんだ。もちろん、バレないように隠して行くこともできる。
でも親としてアクア達の授業参観とか、そういった行事にも参加したい気持ちも当然ある。
だから――。
「ねぇ、奏。私ね……」
「アイドルを卒業したいんでしょ?」
「! 知ってたの?」
「知ってますよ。ずっとアイを見て来ましたし、前のお遊戯会の時に他の親御さんを羨ましそうに見ていたでしょう? 僕達も親だから堂々と見に行きたいという気持ちはわかります」
そっか、やっぱり奏にはお見通しだったんだ。
アイドルを卒業して奏みたいにマルチで活躍できる俳優みたいな立ち位置になることが出来たら理想かな。そしたら堂々と奏と結婚するって宣言する事も出来るはずだから。
もちろん、世間からの批判とかもあるだろうけどさ。
「前々から社長には相談してたんだ。社長の夢を叶えることが出来たら卒業しても良いかって」
「でも反対とかされなかったんですか?」
「それが意外と反対されなかったんだ。別に佐藤社長の芸能事務所から抜けるわけじゃないし、所属自体はそのままだから良いって。B小町の皆も私が卒業しても輝き続けるって気合を入れてたよ」
「斎藤社長ね。それは意外でしたね、僕はてっきりアイが抜けることは渋ると思ってましたよ」
本心はアイドルとして続けてほしいっていう部分もあったと思う。
でも、自分の夢を叶えてもらうから頑張ったご褒美っていうのかな? それで許可をくれたんじゃないかと思ってる。
他に理由があるとすれば、奏の存在が大きいんじゃないかな。
アイドルとして芸能界で生き残るための何たるかを教えてくれたのは他でもない奏だし、これからも奏と一緒に芸能界で輝き続けるだろうという確信があるとかね。
「やっぱり名前を覚えるのは苦手だよー。最近はB小町としての仕事よりもモデル、ドラマ、映画、バラエティー番組の仕事も増えたでしょ?」
「そうですね。以前にも増してアイドル活動よりもそちらへの依頼が増えていると聞いています」
「ミヤコさんにお金の帳簿を見せてもらったら結構な金額が入ってた。だから事務所的にはそっちで活躍を続けてくれた方が金銭的には助かるのかなって」
「まぁ、アイドル業はグッズとかが売れないと出費の方が大きくなりますし、間違ってはいないと思いますよ?」
色々な方面の仕事に呼ばれるようになってからはお給料も前よりもだいぶ増えた。
アイドルグッズが好調の時はお給料も良かったけど、安定した収入とは言えなかった。でもアイドルとしての活動は楽しいし、ファンの人達から直接面と向かって応援してると言われた時は嫌な気持ちはしなかった
。
ただファンにも色んな人達が居るのも事実。
熱狂的な人は毎回握手会に来て、握手以外の事もしようとした人が居たなぁ。警備の人に取り押さえられて連れていかれたのはびっくりしたけど。
"幾ら使ったと思ってんだ‼ 抱きしめるくらいさせろよっ‼"って叫んでたのはさすがに気持ち悪かった。
私達のためにグッズを買ってイベントに来てくれる人達は大切にしたい。
でも、そういうのは違うと思うんだ。アイドルだって一人の人間だし、私は奏以外からはそういった事をあまりしてほしくないもん。
「アイドルとしてやりたいことはできたと思うんだ。"愛してる"って言葉は嘘では言いたくない。社長にスカウトされた時に言われたけど、ファンは綺麗な嘘を望んでる。だから私はアイドルとして愛してると皆に嘘を付き続けた。でも、それは本当の愛じゃない」
「そうですね。ファンが望むアイは彼らが理想とする完璧なアイドル。嘘で塗り固めた偶像であり、偽りの姿です」
「もちろん、本当の私を見たいって人も居ると思う。でも多くはアイドルとしての私を望んでる。この業界では嘘は武器になるって言葉は今となってはよくわかるんだ。もともと自分を守るために嘘を付き続けてきた私だからこそ」
「バレない嘘は嘘じゃない。それは虚もまた真実となるってやつですね」
息をするように嘘を付けるのは一つの才能。
どういう言葉を言えば、周りが嫌な顔をしないか、どうすれば周りに馴染むことが出来るのか、無意識に口から言葉が出ていた。
きっと奏と出会わず、アイドルをしていたらこういう言葉を言っていたんだと思うんだ。
"嘘は愛"
もしもの可能性でしかないけどね?
「奏、私を強く抱きしめて?」
「わかりました」
IFの可能性について考えていたら少し怖くなっちゃった。
奏達に出会えなかったら、この温もりも感じることが出来ないだろうし、心も冷たいままだった。隣で抱きしめてくれる奏に強く抱き着く。
私はここに居ても良いんだと証明するように強く、強く――。
「考え込みすぎるのも良くありませんよ?」
私の不安が伝わったのか、奏が覗き込むように私を見る。
必然的に私と見つめ合う状態になって彼の特徴的な瞳をジッと見つめていた。昔の私だったら心の内を見抜かされてしまうような恐怖を感じている。
でも、今は安心感を覚えてるんだ。
だって施設での出来事が無ければ、今の星野アイはここに居ないんだから。
「今日はこのままベッドで一緒に寝てほしい」
「? いつもそんなことは言わなくても一緒に寝ていますよ?」
「ううん、言葉にして伝えたかったんだ。明日の事もあるし、私も少し弱気になってたのかな?」
なぜか、わからないけど今日は言葉にして伝えたかったんだ。
私からのお願いを奏は基本的には嫌とは言わない。もちろん、本当に嫌ならきっと拒絶するだろうけど、私も奏からのお願いは嫌だと言わないし。
私の膝下に手を入れてお姫様抱っこでベッドの方まで移動していく。
私も奏の首に手を回して落ちないようにしっかりと抱き着いている。既にアクアとルビーも眠っていた。ドームでのライブがあることを知らせているから早めに眠ったんだね。
「おやすみ、アイ」
「うん、奏もおやすみ」
奏にぴったりと体を密着するようにして私も瞼を閉じる。
彼の体温を感じたまま、明日に備えて眠りについていく。徐々に眠りに誘われるように意識もボーっとし始める。
絶対に明日は成功させるんだ。
でも、この言いようのない不安は何なのかな? 今までに感じたことのない不安、重大な発表を控えるから緊張してる?
いや、そんな感じじゃない。これは虫の知らせってやつに近いのかも……。
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