カルデアM.U.G.E.N.の座 (シン・いしい)
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第一節. 承太郎、まさかの異世界転生

 深夜。

 

 大きな川を跨ぐ広い橋の中央に、二人の男が対峙していた。そこは日中なら自動車やトラックが無数に行き来する高速道路であり、堂々と生身で構える彼らはあまりにも異様であった。

 

 片や日本のガクランを纏う長身の青年。一見スマートでありながらもシャツの上から隆々とした筋骨が見て取れるほど剛健。

 

 片や雷のような金色の短髪で天を衝く、これまた負けず劣らずの巨漢。しかしてその(からだ)を地に擦り、膝からは止め処なく血が流れていた。

 

 ガクランの青年は、憤怒の炎を瞳に宿す金髪の男を見下ろしていた。

 

「……」

「…………」

 

 波の弾ける音だけが聞こえる中、ゆっくりと金髪の男が立ち上がろうとしていた。

 

 そして。

 

「過程や……方法など……どうでもよいのだッ!」

 

 金髪の男ーーDIO(ディオ)が叫ぶと同時、彼の膝から血飛沫が舞い、青年ーー承太郎(じょうたろう)の目に噴きかかる。

 

「ぬううッ!」

「どうだ、この血の目潰しはッ! 勝った! 死ねいッ!」

 

 


 

 空条承太郎(くうじょうじょうたろう)は暗闇の中で目を覚ました。

 きつい埃のにおいと湿気が絡みつく暑さに頭痛を感じながら体を起こす。

 天から降る弱い光シャフト、手のひらには温かい砂の感触、籠もった音の反射。承太郎はどこか瓦礫の下にでも閉じ込められているのだろうと思った。

 

「……」

 

 自身の体を軽くさすり、傷がないか確かめる。

 

 無傷だ。

 いっそ気味が悪いほどに。

 

 気を失う前、ディオとの戦いで不意打ちを受けた。闇雲に反撃を試みたが……そこからの記憶はない。

 そこで承太郎は気がついた。ディオから受けた打撃傷やナイフが突き刺さった傷さえもないことに。

 

 新手のスタンド使いの攻撃か?

 一瞬そう思案したが、あまりにも不可解すぎた。場所移動し、気を失い、怪我が治り……能力てんこ盛りで目的は不明、仕掛け人の姿もなし。

 

 とにかく状況を確認しなければ。敵の気配はないが、ここにいれば安全とは到底思えなかった。

 

 承太郎は落ちてしまっていた学帽を被って起き上がり、壁に半身を預けながら歩いた。

 異様な倦怠感があった。飢餓や喉の渇きにも似た焦燥と衰弱。何かは分からないが決定的に何かが不足している。それは死さえ予感させるような強烈な感覚だった。しかしそれが何なのか全く分からない。

 

「スタープラチナ!」

 

 承太郎はスタンドを呼び、なけなしのパワーを振り絞って拳を放った。道を閉ざしていた瓦礫はダイナマイトで吹っ飛ばされたように砕け散る。

 

 疲れ切った体を引きずって外に出る。

 外に出られたら何らかの情報は掴めるだろう。そう期待していた。

 

「……ここは……どこだ?」

 

 思わず口にしてしまうほどに、想像を絶する光景が広がっていた。

 見渡す限り倒壊したビル、焼け崩れた民家、横転した自動車、せり上がった道路。そしてそれらを囲む炎の海、灰の空、濁った雨、止まない地鳴り。

 さながらポスト・アポカリプスの映画のように荒廃した様は正しくーー地獄であった。

 

 俺は死んだのか?

 ふと承太郎の脳裏をそんな疑問がよぎった。

 

 あの時ディオとの差し合いに敗れ死に、地獄へ落ちたというのか。それは納得いかないことだが、ここが地獄というのなら、なるほど説得力はあった。

 承太郎は死後の世界など考えたこともなかったが、スタンドという存在が精神の具現であるならば、魂というものの帰るところがあっても不思議ではないのかも知れないとも思った。

 

 とにかく承太郎は歩いた。

 

 ポルナレフは無事だろうか? ジョセフ(じじい)は?

 もう一度辺りをざっと見回すが、人っ子一人見当たらない。

 

「……」

 

 歩けども歩けども、ずっと同じ風景が続く。やたらと蒸し暑い。正体不明の飢餓感は益々強くなる。そして自分は死んだのかという不安。すでに空は星さえ見えぬ暗黒に覆われているに、大地が轟々と燃え盛り辺りを照らしている。

 彼の精神力をもってしても耐え難い苦痛であった。

 彼が目覚めてから半日以上も経っていた。

 

 だから、視界の端をかすめる人影に気がついたとき、彼にあらざる無防備さで声を掛けてしまったのも無理はなかった。

 

「おい、あんた!」

 

 呼びかけ、崩れた建物の陰に入っていく人影を急いで追う。角を曲がると、そいつは背を向けて止まっていた。

 

「急に呼び止めちまって悪いな。訊きたいことが……ッ」

 

 承太郎は声を詰まらせた。

 未だ背を向け続けるその人物は、擦り切れたボロ雑巾を編んだような薄汚いコートをはおっており、腕はチキンの骨より細い。靴は履いておらず、踵からは膿が垂れている。その手には……血糊が付いた手斧を持っている。

 既に汗まみれの承太郎の背に冷たい汗が這った。

 一歩後退りする。

 

 キチキチと乾いた音を鳴らしながらその男が振り向くーーと、

 

「キイィィィーーー!」

「なッ!?」

 

 男が斧を振りかぶって襲いかかってくる。男ーー否、それは最早人間ですらない。穴が空いた頭蓋に虫が湧いており、辛うじてそこに引っ付いている眼球は左右別々の方向に向いている。顔の皮膚は半分もなく、顎の骨が露出している。

 

「オラァ!」

 

 即座に彼の精神能力であるスタープラチナを顕現させ、いわゆるゾンビらしきその男を殴り伏せた。男の鎖骨は鉛筆のようにへし折れ、片肺は地面にぶち撒けられた。

 軽く目眩を覚えるほどの悪臭が周囲に撒き散らされる。

 承太郎は手で鼻頭を隠しながら思い出していた。以前、ゾンビを作り出す霧のスタンドと戦ったことがある。しかし周囲に霧のスタンドの気配はなく、このゾンビも実体だ。

 

 そしてやはりというべきか……ほぼ半身を失ったにも関わらずゾンビの男はゆっくり立ち上がり、百年の呪詛を吐くように呻いて九十度折れ曲がった首で獲物を向く。

 

「やれやれたぜ。ある意味ディオのヤツよりタフそうだ」

 軽口叩きつつも承太郎はべったりした汗を拭った。ベストコンディションなら、否、せめて普段の五割程度の力が出せれば何の問題もなく倒せる相手だ。が、体調不良で片付けるにはあまりに病的な衰弱により、承太郎はスタンドを持続して出すことすらできずにいた。

 もともと瞬発力寄りの能力であるスタープラチナならば尚更。

 

 千鳥足のように歩いてにじり寄るゾンビに、スタープラチナの振り下ろす拳で頭を粉砕した。巨岩をも簡単に粉々にできる威力の一撃。スタンドは精神力の(あらわ)れであるからして、自身の衰弱にも関わらずここまでの力を発揮できるのはひとえに承太郎という人間の心の強さでしかない。

 

 さしものゾンビも頭を失っては沈黙した。

 しかし謎は深まるばかりだ。

 このゾンビのようなものはスタンド能力が生み出した存在なのか? この空間自体は? 衰弱は?

 様々な根拠のない予想が思い浮かんでは否定され、承太郎は考えるのをやめた。それ自体が億劫なほどに目眩が強かったのもあるし、考えても答えが出ないだろうというのもあった。が、それ以上に、周囲に何者かの気配を感じ取ったからだ。

 

 確実にいる。取り囲むように複数の気配。引き摺るような足音、瓦礫を蹴る音、微かな呻き声。おそらくは先ほどのゾンビと同種のモノだろう。

 

 承太郎は気配の薄い方にアタリをつけて走り出した。走る……というより早歩きに近い。もともと舗装されたコンクリの道路だったようだが、今はちょっとした山道より状態が悪い。承太郎は何度も転びそうになりながら逃走した。

 

「ギィイゴゴゴッ!」

 突如、裂けた地の中からゾンビが現れてつかみかかる。即座に反応しスタープラチナがゾンビの首を手刀で斬り飛ばすが、ゾンビはそのままの勢いで承太郎もろとも倒れ込む。

 振り払って立ち上がった頃には、八方にゾンビどもの群れができていた。

 ふと、足元に銀色に光る結晶が目に入った。少し気になったが構っている暇はない。承太郎はすぐに敵に視線を向けた。

 

「チッ……やるしかねーようだな」

 

 承太郎を囲む群れが徐々に迫ってくる。承太郎は一歩も動こうとはせず、敵が近づいて来るのを待った。

 彼のスタンド能力であるスタープラチナは近距離パワー型。射程を犠牲に圧倒的なパワーとスピード持つ戦闘特化スタンドなのだ。

 

「もう少し左へ来てくれるとベストだが……まあいいだろう。イマイチ気に入らないが、ギリギリだ」

「ウゴォォオオッ!」

 

 雄叫びを上げてゾンビが押し掛けてくる。承太郎はそこでようやくスタープラチナを呼んだ。

 

「おおおおおおおおッ!」

 強く、スタープラチナが輝いた。ここに来てずっと霞のように儚げな輪郭を描いていたスタープラチナは鮮明な守護霊となって現れた。

 

「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラァッ!!」

 

 目にも留まらぬ超光速の連打。ゾンビが一歩を歩く前に百発以上もの拳が突き刺さる。四方八方から襲い掛かってきたゾンビどもは瞬く間にバラバラに飛散する。その肉や骨は弾丸の如く後方のゾンビをも貫き、群れを成していたゾンビどもはたった数秒で全滅だ。

 

 承太郎は疲労に膝をつき、考えた。

 二つだけ分かったことがある。

 

 一つは、こいつらは何者かのスタンド能力でコントロールされているわけではないということ。一体一体が独自の思考を持っていて、思い思いに獲物を追っている。息を合わせて一斉攻撃されたならこうも簡単にいなすことは出来なかっただろう。

 もう一つは、統率されているわけでもないゾンビどもに囲まれたその理由。即ち、こいつらは何処にでも居るということだ。

 

 半壊した建物の陰から、土の中から、車の下から次々とゾンビが現れる。先刻よりもさらに多い。一方承太郎の方は……放って置いても衰弱死しそうな状態だ。

 

 万事休すか。

 承太郎は簡単に諦める性格ではなかったが、今回ばかりは助かりそうにないと感じていた。それでも朦朧とする意識をなんとか手放さず、敵を睨め付け、反撃の機会を窺う。

 

「ゴォアォオッ!」

 ちょうど目の前にいたゾンビが突進してくる。承太郎はタイミングを見計らい、スタープラチナの拳が届く距離まで引き寄せた。しかし……

 

「……スター……プラ、チナ……」

 もはや承太郎にはスタンドを現出させるだけの気力は残っていなかった。承太郎守るはずのスタープラチナは彼の背後から淡い光を放つだけにとどまった。

 自分にはまだやることがある。どうしてディオを斃さねばならないのだ。それを思い出すも体は全く動かない。

「フ……やれやれだぜ。こんなところで……」

 承太郎は諦念と自嘲に笑った。大きく振りかぶったゾンビの凶器が迫ってくる。承太郎の体を引き裂くまであと一秒のところでーー頭上を影が舞った。

 

「やあぁッ!」

 

 同時に聞こえる、まだ幼さの残すも凛々しい少女の声。次の瞬間、大地が揺れ土煙が立ち昇る衝撃とともに眼前のゾンビどもが肉塊となって吹っ飛んだ。

 

 何が起こったのか、承太郎には一瞬理解できなかった。

 目頭を押さえながら、ぼやける視界でやっとのことその姿を捉える。

 

 片目を隠す薄紫のショートヘア、人形のように美しい白肌、紫のラインが入った細身の黒鉄鎧。そしてその右手に持つは自身の身の丈を優に超える巨大な……盾。

 

「こっちです!」

 

 少女の手が承太郎の腕を掴み、起き上がらせる。ほんの少しとは言え休息を取れた承太郎は少女の助けを借りて走ることができた。

 

 少女は承太郎の手を引き、自身の大盾でゾンビの群れを斬り拓いて走る。ゾンビどもの走行スピードは決して速くはないが、何処からともなく現れるゾンビどもに行手を阻まれ、此方も思うようには進めない。勢力を増しつつ追跡するゾンビの大群に捕まったら終わりだ。

 承太郎は逃走中、自身の腕を捕まえていた少女の手を払った。最悪、彼女だけでも逃げなければならない、と考えたからだ。

 

「走ることくらいならいちいち手を引かれるまでもねーぜ」

 

 少女は半身を振り向き、短く頷くと走り始めた。承太郎もその後を追う。しかしゾンビどもは諦め悪く追跡をやめる気配はない。

 承太郎は歯噛みした。敵のスピードなら目の前の少女独りなら逃げられるであろうが、疲弊した承太郎の走る速度に合わせていることが分かっているからだ。

 

「あのビルです! 走って下さい!」

 少女が指差すビルを見る。比較的、外形を保ったそのビルの入り口は隣の建物の柱やら看板やらが倒れ込んでおり、それが絶妙に人一人が匍匐前進すれば入れる程度の隙間を地面との間に作っていた。

 承太郎は半ば倒れるようにスライディングでビル内に滑り込んだ。背後を守っていた少女も続いて腹這いになって入ろうとするが、

 

「あっ……!」

 承太郎を先に通すためにスプリントの勢いを殺していた彼女は素早く滑り込めず、ゾンビに足を取られてしまう。しかし今度は承太郎が彼女の手を引っ張り、ビルに引き入れる。同時にスタープラチナの手刀で彼女の足に引っ付いてくるゾンビの腕を切断した。

「わっ……

あ、ありがとうございます」

 

 少女はさっと起き上がり、腰から懐中電灯を取り出した。

 

「オオオォォオォォ……

ウウゥグゥオオオ……」

 

 ゾンビどもは悔しそうに入り口の柱を叩くが、常人とそう大差ない膂力ではどうすることも出来ず、ただただ鬼哭するばかりだ。

 少女はそれを見て「ふぅ」と一息つき、ライトで道を示す。

 

「ひとまず大丈夫だと思いますが、ここも安全ではありません。ついて来て下さい」

「……」

 

 素性も知らない人物ではあるが、ここまで助けられれば今更怪しむこともない。承太郎は素直に彼女に従った。

 

 彼女の背を追い、暗闇を歩く。やはり建物の中も悲惨な様子だ。暗くてよく見えはしないが、天井が落ちている箇所が幾つもあり、床にも大きな穴が散見される。承太郎がそんな様を流し見ていると、唐突に少女が振り向いた。

 

「階段を降りますので、肩をお貸しします」

「やれやれ、いちいち構うな」

「えっ、あ、すみません……その、かなり疲れていらっしゃったようなので……」

 申し訳なさそうに、がっかりした声で少女は謝った。承太郎は彼女に無意味に謝らせてしまったことに居心地の悪さを感じつつも、押し黙った。

「足元に気をつけて下さいね」

「……ああ」

 

 その後数分、承太郎たちは階段をいくつか降りて行った先、小さな部屋にたどり着いた。一瞬ライトで照らされたドアプレートには切符売り場と書かれていた。少女は引き戸をカラカラと開け、入って行く。

「どうぞ、入って下さい。

ようこそ、私の秘密基地へ」

 少女は少しいたずらっぽく陽気な声で案内する。

 

 部屋の中は外と比べると幾分破壊がマシに見えた。安っぽいがまだ汚れの少ないソファー、木製の大人しめの椅子が幾つか、小さいテーブルもある。部屋の隅の棚に置かれたランプの優しい光が部屋を満たしていて、中々にロマンチックで心癒される雰囲気だ。

 

 承太郎は多少の安堵感と疲れでその場にずるずると座り込んだ。それを見た少女は思い出したように部屋奥の棚を漁り始めた。

「ライダーさんですか?」

「……? なんだそれは」

 

 唐突な質問に承太郎は首を傾げた。それを見た少女の方もまた、不思議そうに目を丸め、一瞬の沈黙ののち訊き返した。

 

「ライダーのクラスですか?」

「すまんが、何を言っているのか分からない」

「え……」

 

 少女は困った表情で顎に手を当て、やがて一つの宝石のようなものを取り出して承太郎に手渡した。

 

「何だこれは?」

 

 宝石に見えたが違う。黄金に輝く片手大の石は微かだが自ら光を放っており、硬いにも関わらず握れば指が沈む。まるで硬度を持つ光を掴んでいるようだ。

 

「種火です。砕いてみて下さい」

 

 言われるまま種火とやらを握り潰す。すると光の粒が溢れ、承太郎を包み込んだ。

 

「……!」

 一体如何なる原理なのか、謎のワープが発生してからつい先ほどまでずっと承太郎を苛んでいた飢餓感や疲労感が一気に吹き飛び、鎖で絡め取られていたかのような体も綿のように軽くなるのを感じた。

 驚く承太郎をよそに、少女は少し残念そうに言った。

「違いましたか。ではまさかエキストラクラス……?」

 うーん、と考え込み謎の独り言を言う少女。

「何の話か知らねーが、感謝するぜ。危ないところを助けられちまったな」

「いえ、無事で何よりです」

 

「空条承太郎だ。見ての通りスタンド使いだ」

 

「シールダー、マシュ。

マシュ・キリエライトです」

 

 

 

 




~以降ステマ~

空条承太郎は、漫画「ジョジョの奇妙な冒険 第三部 スターダスト・クルセイダース」の主人公です。

ジョジョシリーズはたくさん面白いところがあって、その名の通り「社会の中で実はひっそりと起こっている事件」というところもあるのですが、個人的には「異能+知能バトル」が大好きな部分です。

バトル漫画って、主人公や敵の能力が読者に提示されてなくて、いきなり新必殺技で主人公が勝っちゃう...みたいなことがよくあると思うのですが、ジョジョはそこが上手い。今できることの中から解法を見つけ出して勝つ!そこに痺れる憧れるゥ!


ジョジョ関連で一番好きなBGMはゲーム「黄金の旋風」のポルナレフのテーマです。未来への遺産の時からポルナレフのテーマ好きだったから鳥肌立った!


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第二節. ジョジョの奇妙な聖杯戦争

 マシュと名乗る少女は自己紹介ののち「よろしくお願いします」と付け加えた。

 

「ところで……」

「その……」

 承太郎とマシュは同時に口を開いた。互いに聞きたいことがあるようだ。

 マシュがどうぞ、と承太郎に促すと、承太郎は質問が多いから先に、とマシュに投げ返した。マシュはそれではと話を続ける。

「スタンド使い、というのは何でしょうか」

 承太郎はスタープラチナを現出させて見せた。マシュはそれを認め、目を細めて観察する。

「使役霊体のようですが……」

「これがスタンドだ。守護霊のようなものだと思ってくれればいい」

「なるほど。スタンドを使役するのがスタンド使いというわけですね」

「そうだ。しかし、スタンドはスタンド使いにしか見えないはずだぜ」

「私は見えています」

「ああ。そのようだな。触れられるか?」

 マシュは遠慮がちに、差し出されたスタープラチナの腕に触れる。マシュの体温低い手に触れられた感覚はスタープラチナを通じて承太郎にも分かった。

「触れられるみたいです」

「……」

「……?」

 承太郎は少しの間思案した。スタンドはスタンド使いにしか見えず、スタンドでしか触れない。つまりルールに則るなら彼女の纏う鎧や大盾がスタンドということになる。しかしながら事はそう簡単ではない気がしていた。

「他に聞きたいことは?」

「いえ、大丈夫です」

「オーケーだ。助けて貰って早々にすまないが、こっちは聞きたいことが山ほどある」

 マシュは真剣な顔つきで頷いた。薄々、承太郎が並々ならぬ事情でここにいることは察しているようだ。

「まず……ここはどこだ? 日本のようだが」

「……!」

 そこからとは、と流石にマシュも驚きを隠せない様子。

「日本……冬木です。聞き覚えありませんか?」

 承太郎は地理に詳しい人間ではない。首を横に振った。

「なるほど。記憶に錯乱があるようですね」

「どういう意味だ? その冬木ってのはそんなに有名な都市なのか?」

「いえ、そうではありません。どうやら相当記憶を失っているようです。

承太郎さん、ご質問は後にして、一から説明させて頂けませんか?」

 その方が早いというのは承太郎も何となく気がついていた。マシュの常識と自分の常識にはかなり大きな隔たりがあるように思えたからだ。

「願ったり叶ったりだ。是非よろしく頼むぜ」

「では、もしも知らない言葉が出てきたら都度説明いたします」

「ああ。助かる」

 

 マシュは一呼吸置いてから言った。

 

「これは聖杯戦争です」

 

 承太郎は静かに手を挙げた。

 


 

 聖杯戦争。

 七人のマスターとそのサーヴァントが万能の願望器である聖杯を巡る争い。マシュはそれをサーヴァントであるはずの承太郎が知らないことにはもう驚かなかった。

 

「長くなりそうですね。

どうぞこちらにお座り下さい」

 マシュに勧められ、承太郎はソファーに腰掛けた。マシュはその辺の木の椅子を取り、テーブルを挟んで承太郎の対面に座った。

 

「語弊を恐れず説明させて頂きますが……

聖杯戦争というのは一種のサバイバルゲームです。

異次元や異世界から英雄が集い、聖杯を取り合う戦争。この冬木を舞台としたバトルロワイアルと言ってもいいでしょう」

「トンデモない話だぜ」

「ええ。私も承太郎さんも、その選ばれた英雄……いえ、巻き込まれたと表現するのが正しいかもしれません。

ここは私たちにとっては異次元の世界なのです」

 にわかに信じがたい、と言いたいところだが、もはやそれくらい信憑性のない話の方が却って納得感があった。マシュが嘘を言っているとも思えない。

「聞けば聞くほど疑問が出てきそうだ。

なぜ聖杯とやらを取り合う?」

「私たちが元の世界に帰るには聖杯の力が必要だからです。

さらに、聖杯の力の行使は一度きり。つまり……」

 なるほど、と承太郎は頷いた。

「召喚された英雄ってやつのうち、一人しか元の世界に帰れないってわけか」

 マシュは真剣な表情で頷いた。

「こういったルールは英雄が召喚されるときに記憶に埋め込まれるはずなのですが……」

 その件についてはマシュもお手上げのようだ。つまり、本来与えられたはずの知識が承太郎にないという事実。

「いいや、異次元から人を無理矢理引っ張るなんて荒業かましたんならそれくらいは誤差だろうぜ」

「まぁ、そうなのかも知れません」

 マシュはあまり納得できていなさそうに視線を泳がせる。が、結局思い当たるフシもなく今は考えないようにしたようだった。

「引き続き質問させてくれ。

おれは当然元の世界に戻りたい。が、こっちの世界で経過した時間はどうなる? 元の世界でものっぴきならない状況でな」

「なるほど。それは安心してください。

あなたが召喚された時間に戻ることができるはずです」

 承太郎はそれを聞くとホッと胸を撫で下ろした。特殊な病で余命宣告をされた母親を助けるために旅をしているところなのだから、承太郎にとっては一大事だった。

「もう一つ、さっきおれにライダーかと聞いたが、ありゃあ何だ?」

「ライダーはクラスです。簡単にいうと英雄のタイプですね。何かを使役して戦う英雄や豪快さを持つ英雄に多いのです」

 承太郎は「ああ、それでか」と納得した。スタープラチナを使って戦う姿は使役と豪快、その両方の性質に当てはまる。

「じゃあおれは何のタイプだったんだ?」

「あ、その、それは分かりませんでした。種火の効き目からライダーではないことが確定していますが……」

 承太郎は種火の種類によってタイプ別に効き目が違う、というところまで察した。そして彼女の予想が外れて承太郎がライダーではなかったから、ライダー向けの種火の効果が今ひとつであったことに対してがっかりしていた、という理屈だ。

 承太郎は「充分効いた感じはしたが」と小さくぼやいた。

「あのゾンビどもは?」

「分かりません。聖杯戦争とは直接関係なさそうですが、おそらく英雄召喚時の空間の乱れがあれらを呼んだのかもしれません」

 承太郎は他の英雄の能力なのかが気になっていたが、そうではないようだ。

「最後の質問だ。聖杯戦争ってのには直接関係しないが、あんたの持っていたデカい盾はどうした? まさか……」

 承太郎はマシュに助けられる際、仕方なく捨ててきてしまったのかと心配していた。もしそうなら、それを承太郎が回収して彼女に返す義務があると思ってのことだ。

「それについては心配ご無用です」

 マシュが虚空に向かって手をかざすと、光の粒が収束して先見たシールドが現れた。

 恐らく彼女の武器であり盾でもあるそれは、承太郎のスタープラチナのようにいつでも出し入れできるものなのだろう。

 承太郎は安堵に溜息をついた。

「ここまでの私の話は信じて頂けましたか?」

「……」

 彼女に命を助けられたということもあり、承太郎は彼女を疑ってはいなかった。真摯で誠実な彼女の態度も信頼に値すると考えていた。何より、彼女が自分を騙しているというなら決定的に言えないことを既に口にしているのだ。それはつまりーー

「あんたの話を信じるなら、おれたちは敵同士ってことになるな」

「はい。その通りです」

 臆することなく即答するマシュ。一切の敵意を感じないが、それでいて油断なく鋭い目。DIOから送られてきた様々な刺客と戦ってきた承太郎だが、こんな目の色をする“敵”は初めてだった。

 二人は無言で視線を差し合う。承太郎は彼女が何を言いたいか分かっていた。

 

「英雄は七人います。聖杯が手に入るまで、承太郎さん、私と組みませんか?」

「……組む、か」

「はい。しかしいずれは敵同士ですから、護ってくださいと言っているわけではありません。

あくまでも不可侵条約。共に行動して、お互いに攻撃しないくらいの口約束と思って頂ければ」

 

 承太郎にとっては願ってもない申し出だった。一応の知識は共有されたとはいえ地理面ではやはり頼りになるし、何よりも助けてもらった手前、マシュとは戦いづらいとも思っていたからだ。

 

「……いいだろう。あんたには借りがあるからな。そのうち返す機会があるかもしれん」

 聞くと、マシュは目を丸くして驚いたのち、年頃の少女らしくにっこりと屈託ない笑顔を作る。

「では、期待していますね」

 承太郎は帽子を深く被り直した。

 とんでもなく面倒な相手に借りを作ってしまった、と。

 

「それでは、今から私たちはチームです! 改めてよろしくお願いします、承太郎さん」

「ああ。よろしくたのむ」

「あ、チーム名などは要りますか?

例えば、そうですね……あっ、バイバイボッチ団、略してBB団なんて」

「……勝手に考えておいてくれ……」

 承太郎はソファーに寝転がった。

 

 マシュも聖杯戦争に関する全てを説明するつもりはないだろう。最終的に勝つための知識は秘匿しておいているはずだ。そこは承太郎にとっても気が抜けないところだが、少なくとも彼女が約束を違えることはなさそうだとも思っていた。

 

「分かりました。チーム名は後ほど候補を提出するとして、まだ話は終わっていませんよ」

「……何だと? まだあるのか?」

「当然です。種火や各クラスの大まかな特徴、相性、ここ冬木のことなど。聖杯戦争を勝ち抜くには、むしろここからの話が本番です」

「……やれやれだぜ」

 

 



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第二節. ジョジョの奇妙な聖杯戦争-2

 承太郎は片手に持っていたリュックサックをテーブルの上に置いた。中には金銀に光る宝石が溢れんばかりに詰められている。英雄にとっては食事であり水分補給であり、力の源でもある最重要リソース。種火だ。

「今日はこんなところだ」

「これは……凄いですね。こんなに沢山の種火をどこで?」

「ゾンビどもを狩っていたら竜みてーな奴が来てな。そいつをブッ叩くと多めに落としやがった」

「竜というと、きっとワイバーンですね。

何となく分かっていましたが、承太郎さんの戦闘能力は驚異的です」

「どうも。で、そっちはどうだ?」

「はい、こちらも完了です。これで、他の英雄たちに私たちの位置を魔力探知できないはずです」

「そうか」

 

 承太郎は新しく持ってきたベージュのソファーに寝転びつつ、魔力の源である種火を一つ取り出して砕いた。

 

 承太郎とマシュがチームを組んだあの日から一週間もの時間が経過していた。

 

 まずマシュが提案したのは身を隠す結界を張ること。サーヴァント(英雄)や種火が一か所に多く存在すると魔力空間に歪みが生じ、他の英雄に潜伏場所を察知されやすくなるのだとか。

 そこでマシュは数段階に分けて結界を張り、歪みを消すことに専念していた。その間、承太郎は結界に必要な種火を集めていたというわけだ。

 

「種火収集、お疲れさまです。ゆっくり休んでください」

「そうさせてもらうぜ」

 ランプの光を嫌って、承太郎が帽子で目隠しすると、マシュがそれを見て「ふふ」と微笑む。承太郎が不思議そうに帽子をずらしてマシュを見る。

「あっ。お邪魔しました」

「……」

「いえ、その、案外信頼されてるんだなあと思いまして」

 如何に同盟相手とはいえ未来のライバルの目の前で無防備に眠ろうとしているこの状況のことを言っているのだろう。

「騙し討ちしてくるような奴の方がよっぽど楽だぜ。後腐れなくブッ叩けるしな」

 マシュは少し沈黙して考えた。

「もともと遠慮ご無用ですが」

 承太郎はそれを言うやつだから余計に面倒なのだと口にはしなかった。

「あんたの方は警戒しているようだがな」

「え、そうですか?」

「ああ。おれはあんたが寝てるところを見たことねーんでな」

 承太郎が抜け目なく観察していたことに対して、マシュは感心半分照れ半分の表情で「ははあ」と声を漏らした。

「それは、その……一応、殿方の隣でスヤスヤというのもどうかと思いまして」

「なんだそんなことか。心配するな」

「それはそれでショックです」

 承太郎つい口元を歪めて笑うと、マシュもそれにつられて頬を緩める。

「それでは、今日は私も休みます。灯りを落としますね」

 

 拠点の整備は完了した。

 明日は聖杯の魔力反応があったらしい冬木の学校へ調査に行く予定だ。聖杯は時が来なければその力を発揮しないゆえに、手に入れれば聖杯戦争が終わるわけではないが、それでも位置を把握する意味は大きい。

 

 なればこそ、他の英雄と出会うこともある。

 異世界の英雄とはいかなるものか。承太郎は思い巡らせながら眠りについた。

 


 

 承太郎とマシュは冬木の地上を移動していた。周囲に気を配りつつ、遮蔽物に身を隠しながら素早く。

 

 承太郎は瓦礫の上からひょっこり顔をだし、左右に視線を流した。

「……妙だな」

「ええ。この近辺は以前、亡者の大群がたむろしていました。

そのせいで、一旦聖杯は諦めていたのですが」

 ゾンビどもはひと所にとどまる性質があるわけではないが、大挙して移動することもないはず。なのにたった一週間程度でもぬけの殻。

「他の英雄の誰かを追って行った可能性もあるが」

「ここら一帯のエネミーが全てそうしたとは考えにくいかと。特に亡者は探知能力は高くないエネミーですので」

「では、英雄に始末された?」

「……そうかもしれません。しかし……」

 マシュは辺りの地を見回した。

 特に戦闘があった形跡はない。ゾンビやワイバーンは斃されればエネルギーが結晶化して種火となるが、体を構成する血や肉は当然実体であり、死んでも骸の一部は残る。しかし死骸はおろか血の跡すら見つからないのだ。

「だとしたら、かなり手強そうですね」

 承太郎はもう一度周囲を見渡し、静かに頷いた。

 

「ところで、聖杯ってのがあった学校ってのはあれか?」

「はい。高校校舎の中に」

 承太郎はくだんの高校を眺めた。至って普通の学校に見える。

「……」

 いや、何かが違う。

 形容し難い悪寒が背筋を這う。生来刻み込まれた本能が拒否しているような感覚。ネズミは蛇の匂いだけで逃げ出すというが、承太郎はそれを思い出していた。胸を強く圧迫されるかのような息苦しさを覚えて目を背ける。

「確かに何かはありそうだ」

「行ってみましょう」

 あわよくば聖杯を取得し隠すという計画だが、聖杯にどの程度魔力が溜まっているか確認するだけでも成果はある。聖杯の魔力蓄積は英雄の脱落を意味するから、だそうだ。

 

 マシュと承太郎は相変わらず、いや更に警戒を強めて学校に向かう。校門には割れてしまって文字の読み取れない表札がかけられている。学校も例に漏れず廃墟同然の崩壊具合だ。承太郎とマシュは校門から十数メートルのところで一旦立ち止まった。

 

「結構広いな。どの辺にあるか分かるか?」

「校舎の中の可能性が高いと思いますが……」

「おれが校舎の左半分を探してみるぜ」

「了解です。では私は右を。

突入します。準備はいいですか?」

「いつでも」

 マシュは頷き、カウントの合図を送る。そして二人は同時に学校グラウンドに走り込んだ。

 

 聖杯が持つ瘴気は校舎に近づくにつれ一層強くなる。

 承太郎は僅かばかり吐き気を覚えた。そして聖杯ってやつは想像よりずっとロクでもないものなのだろうと感じていた。斯様に邪気を撒き散らすこれは聖遺物どころか悪魔のアナフェマ、破滅を予言する黙示録の書と言われた方がしっくりくる。

 こんなものが元の世界に戻る鍵だというのか。

 承太郎は当てられた瘴気に一瞬立ちくらんだ。近づくのも躊躇われる圧倒感。まるで空間そのものが承太郎を拒んでいるような……否、これはーー

「結界です!」

 マシュの叫びにハッと我に返った。そしてそこで大地が微かに揺れていることに気がつく。その揺れは一秒ごとに震度を増し、ついにはグラウンドを真っ二つに割ってクレバスを作った。

「……新手の英雄かッ!」

「来ます! 構えて!」

 マシュの声が火蓋を切る様に、クレバスから無数の黒緑の大蛇が噴水のごとく湧き出てくる。大きさもまばらだが、クレバスに隠れる部分を除いても優に十メートルはあるバケモノどもだ。その全てが承太郎やマシュを双眸に捉えている。

 大蛇。一言で表すとそれが適切であろうが、それはゾンビやワイバーンとは異質の存在であることもひと目でわかる。体全体に霞を纏っており、よく見ると背景が透けて見える。輪郭もはっきりせず、僅かに光を放っている。

 きっとこれは何者かの、魔力というやつで作られた存在なのだろうと承太郎は予想した。承太郎にとってはむしろワイバーンなんかよりずっと馴染みがあるとも言える。

 

「シャァアアアァッ!」

 多勢の魔力の大蛇がマシュ、承太郎に向かって乱雑に猛進してくる。

「シールド展開! 承太郎さん、私の後に……」

 承太郎は避難を勧告するマシュを横目に、フンと鼻で息を吐いた。

「おおおおッ!

オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラァ!」

 牙を剥き襲いかかる多くの大蛇を、スタープラチナが全て叩き落とす。一見荒々しく大雑把にも見えるが、精密的確に頭部を捉えている。自動照準のついたマシンガンのようなラッシュだ。頭を砕かれた大蛇どもはガラスが割れる音を響かせながら粉微塵になっていく。

「さすがです」

 唖然と怒涛の猛攻を見ていたマシュは承太郎を讃えるが、

「しかし……」

 鋭い目つきで周囲を見回す。蛇どもは全て破壊したにも関わらず結界は依然効果を弱めていないどころか、結界に篭る魔力は増大しているようにすら感じた。

「ああ。どうやら終わってはいないようだぜ」

 突如、ごおっと突風が巻き起こりグラウンドの砂を舞い上げる。あまりの強風に承太郎は腕で顔を覆い、マシュは盾に身を隠す。

「……!」

 承太郎は先ほど粉砕した蛇が塵となり、竜巻の中心に収束していくのを見た。そして次の一瞬で風がぱったりと止む。

「承太郎さん、大丈夫ですか!?」

 砂煙に視界を塞がれ、状況を把握できないでいるマシュが声を張る。

「問題ないぜ。今のところは、な。

どうやら真打ち登場のようだ」

 砂煙が落ち着くと、そこに居たのは斃した大蛇どもを束ねたような大きさの巨蛇と、その頭の上で胡座かく若い男。

 男はこれまた蛇をイメージさせるような細長い体躯をしていた。フードの付いた長い黄色のコートをはおり、黒のスーツをラフに着ている。ちらりと覗かせる瞳が妖しく黄金に光る。

 承太郎たちを見ると、男は邪悪な笑みを作る。

「てめぇらよォ。よく見るとゾンビじゃねぇなァ」

「よく見なくてもゾンビではありません。シールダーの英雄、マシュ・キリエライトです」

「……ふーん。英雄、ね。英雄……あ〜」

 男はとぐろを巻く蛇の上に座ったままマシュを見下ろす。

「でもお前雌じゃん。ヒャッハハハハッ!」

「……」

「……」

 承太郎とマシュは瞬き一度分、互いに顔を見合わせた。英雄同士は遭遇すると闘わなくてはいけないというルールはない。例えばちょうど承太郎とマシュのように手を組むということもできる。

 が、目の前の男はとてもじゃないが話が通じるとは思えなかった。有無を言わせないオーラがあった。

「あんま意味ねぇだろうけど、折角だから俺様も名乗っておくぜぇ。

キャスター、ユウキ=テルミだ」

 キャスター。承太郎はマシュの解説を思い出していた。しもべの召喚、結界の作成など高い魔力を使ったトリッキーな戦術を得意とするクラスらしい。とするとなるほど彼の宣言に偽りは無さそうだ。

「で、そっちのライダーは……」

「……空条……」

「あっ。やっぱいいや。すぐ忘れそうだしィ!」

「……」

「アヒャヒャヒャッ! 怒った? 悪ィ悪ィ、そうカッカすんなよ。

まぁ、えーと、そっちの……マッシュルームライトさん? の方は……三分だけ覚えといてやるよ。

だからよォ」

 テルミがすらりと立ち上がる。そして右手を天に掲げると、彼の周囲の空間に黒と緑の複雑な紋様が浮かび上がる。高密度の魔力の集積ーーその魔術がいかに凶暴なものかは、魔術に疎い承太郎でも直感的に分かった。

「三分以内に死ねオラァ!」

 魔法陣から再び無数の大蛇が召喚され、承太郎たちに襲いかかる。しかし先ほどと比べると圧倒的に速い。

「気を付けてください! 噛まれたら魔力を吸われます!」

「チッ……!」

 承太郎はスタープラチナで蛇の頭を叩き潰す。速度は増してもスタープラチナに対応できないほどではない。一方マシュはガードしつつも大盾で蛇の胴体を叩き斬る。が、切断された蛇の頭部のみが滑らかに動き、鎌首もたげてマシュに噛み付いた。

「なっ……!?」

 承太郎がすぐにフォローし、それの頭を殴り払う。続く蛇どもをマシュが結界を張って防御した。

「大丈夫か!?」

「ええ……私はこのテの魔術に一定の耐性がありますが……」

 頭部を的確に叩かないと攻撃は止まらない。このスピードで彼方此方縦横無尽に動き回るポイントを捉えるのは並大抵では無理だ。

「おいおい、こんなので参っちゃうの?

も〜ちょっと本気出したいんだけど、ダ〜メですかァ?」

 マシュが張った結界に蛇が噛みつくと、結界がいとも簡単に綻び、溶かされていく。魔力を吸収しているのだ。

「いくらキャスターとはいえ、こんな簡単に私の防御結界を…!

……っ! 突破されます!」

 結界が破られ、再び魔力の蛇が向かってくる。

「後ろを守っててくれ」

「はい!」

 承太郎とマシュは二人背中を合わせて防御態勢をとる。承太郎は前面の蛇の頭を正確に射抜き、マシュは防御に徹して背後を固めた。マシュはこと護りに関しては一級のスキルを持っているし、承太郎のスタープラチナは精密な攻撃を最も得意としている。攻防が息の合ったコンビネーションにより、数多の魔力蛇ですら攻めあぐねている。

「おい、雑魚どもばかりで飽きたぜ。そろそろそのデカいのを使ったらどうだ?」

 承太郎はテルミが乗っている巨大蛇を指差して挑発すると、テルミは愉快そうにくつくつ笑うだけで姿勢すら変えはしない。

「ったく、調子くれちゃって。まぁでもお客様にヒマさせるのも何だし? 少しだけサービスしてやる……よッ!」

 テルミが再び蛇を突撃させる。見た目は先ほどと何も変わらない。

「全部叩き落としてやるぜ」

「……承太郎さん、危ないッ!」

 蛇の頭を攻撃しようとする承太郎に、マシュが突如割り込んできてガードする。その瞬間ーー蛇の頭部が激しく光り、榴弾のように爆発を引き起こして二人を大きく後方に吹っ飛ばす。

 防御していなければ致命傷になり得た威力だ。

「どーよ! 痛い? ねぇ痛い?」

 すぐさま立ち上がる二人を大量の蛇どもが取り囲む。

「チッ、器用な野郎だ。

マシュ、さっきの爆発する蛇は見分けがつくのか?」

「ええ、何とか。よく見れば、ですが……」

「……なるほど。状況はだいぶ悪そうだ」

 承太郎はその洞察力で、マシュは魔力の流れを見て気付いていた。先ほどから術を放つテルミの魔力リソースはほぼ減っていないということに。

「ウロボロス……無限の循環ですね」

「何?」

「彼の足元の巨大な蛇、あれが壊れた魔力リソースを回収しているのです」

 承太郎が破壊した蛇がチリとなり、それを巨大蛇が吸う。こうしてリサイクルを繰り返している限り攻撃は止むことはない、ということ。

 承太郎もマシュも戦慄していた。目の前の男は魔術において威力と器用さを持ち合わせ、一見浅慮で軽薄に思えるが恐ろしいまでに戦略的だ。

「ケッ……何が三分で死ね、だ」

 リソースと精神の削り合いに持ち込まれているとするとテルミの狙いは長期戦ということになる。承太郎もマシュも、とにかく攻めなければ活路は開けないという点において同意見だった。

「あれが魔力回収の役割だとしたら、彼はあそこから動けないという可能性があります」

「期待できるのか?」

「半分程度かと」

「上等な方だぜ」

「私の障壁でも、少しの間だけなら承太郎さんへの攻撃を防ぐことができます」

「……! いいだろう」

 二人は同時にテルミに向かって走り出した。承太郎の背にマシュがピッタリ張り付き左右背後を護り、前方の蛇は承太郎が払う。

「そんなのが届くかよォ!」

 テルミが手をかざすと、一段と多くの魔力蛇が出現する。今までよりも、多く、速く、早く。

 しかし内心、承太郎はマシュの予想が当たっていると確信した。彼は攻めに滅法弱いタチだからこそ魔力リソースを防御用に取っておいたのだ。

「承太郎さんっ! 今です!」

 マシュが承太郎の背すぐ後に盾を掲げる。承太郎はそれに足を掛けた。

「やあぁっ!」

 マシュが勢いよく承太郎を弾き飛ばし、同時に承太郎もマシュの盾を蹴って高く跳んだ。目標はテルミの待つ巨大蛇の頭部。高さにして約十メートル。速度はテルミが操る蛇に劣るものの、蛇は一瞬だけマシュの防護結界に絡めとられ、承太郎への攻撃は届かなかった。

「へぇ〜っ」

 テルミは承太郎のスタンド、スタープラチナの射程に入って初めてその傑出した能力に気がついた。機械の如く精密で弾丸よりも速い攻撃。さらにそのパワーはブルドーザーを彷彿とさせる重量と威圧を持っている。

 そしてテルミは考えた。

ーー単純な戦闘能力だけじゃねぇ。まだ切り札を隠し持ってるな?

ーーなぜ今それを使わない?

ーー使用回数の制限? 魔力不足? それとも単にタイムラグ?

 テルミは尚も余裕の表情を崩さない。

「オラァ!」

 生身でもらえば五体バラバラになるほどの威力。承太郎が文字通り必殺の叩き下ろしを放つ。が、その拳がテルミに届く前に、眼前の巨大蛇の頭部が膨らみ、弾けた。

 威力はない。

 一瞬の目眩しか? このまま拳を振り抜けば当たりそうだ。その考えが頭をよぎるも、承太郎は言い得ぬ戦慄を感じて咄嗟に、あるいは本能的にスタープラチナで本体をガードした。その刹那、ハンマーで殴られたかのような大きな衝撃が横っ腹を貫いた。

「ッ……ぐっ!」

 口元から血を流しながら、承太郎は人影が自身の眼前に躍り出るのを見た。テルミの魔力による攻撃ではないーーこれは新手の英雄ーー!

「蹴る!」

 という声の直後、その男は怯む承太郎に追撃、宣言通りの蹴りを放つ。承太郎は辛くも防御したが、テルミへの攻撃は完全に防がれたうえに距離も大きく離れしまった。スタープラチナの射程外だ。

 承太郎が空中で身を翻して着地する、それを見計らったように新手の英雄も着地点に突進して来た。

「スタープラチナッ!」

 迎撃のストレート。しかしその英雄は上体逸らし、スウェーでそれをかわした。

「!」

 まさか自慢のスピードがかくも鮮やかにいなされるとは、と承太郎は一呼吸分驚いた。

 続いて、英雄はそのままの勢いで体を捻って回し蹴り。承太郎はそれをスタープラチナの両腕でブロックするが、衝撃を殺しきれず後方へ後退る。

 マシュがすぐさま承太郎を助けに向かおうとすると、蛇の大群がそれを阻んだ。

「行かせるかよ。てめぇの相手は俺様だろ?」

「キャスター・テルミ……!」

 マシュとテルミの相性は良くない。承太郎と謎の英雄の方は、インファイトなら承太郎に分がありそうだが、突進力は負けている。勝負は大きくテルミ側に傾いていると言えよう。それはマシュも承太郎も重々承知であった。

「つーかよ、出てくんの遅くない? マルコちゃん」

 マルコ、というのが英雄の名であろう。マシュは横目にマルコを見た。

 直ぐに目に入るのはその隆々とした筋骨。白いシャツがパンパンに張るほど筋肉が盛り上がっており、いかにも肉体派と言った雰囲気だ。それも実戦で磨き上げられた肉体のようで、バランスがよく無駄がない。

 服装はスリーブがないベスト、ジーンズ、革靴のシンプルで現代的なもの。異世界の英雄と言ってもテルミのそれとは随分違う。

「……バーサーカー、ですか」

「ご名答! まっ俺様も良く知らねーんだけど」

 マシュの推理にテルミはパチパチと手を叩く。

 バーサーカーは単純な戦闘能力に最も優れるクラスで、己の肉体を武器として戦うものも多いという。意思疎通が難しいこともあるらしいが、彼はそうでもないようだ。

「何故最初から二人で戦わなかったのですか?

そうすればあなたたちは簡単に勝てたはずです」

「はァ? 俺様独りじゃ簡単に勝てないみたいな言い方やめてもらえますかァ?」

「……」

 マシュたちの実力を測っていたのか、それとも単に侮っていたのか。あるいは……

「あなたの蛇の魔術……無差別範囲攻撃ですね?」

 戦闘が始まる前からずっと不気味な笑みを作っていたテルミの表情が少し歪む。

 テルミの魔術は実に多芸だった。破壊されたリソースの回収と修復、結界の解析と溶解、爆破。キャスターと言えど全てを同時に簡単に扱い切れはしないだろう。であれば、幾つかの戦術を自動で実行する魔術という推測は立つ。

 さらに、今になって仲間が出てきたのも、巻き添えを喰らわぬためだと考えれば矛盾しない。

「それがどうしたよ?

どのみちてめーじゃ何もできやしねぇよ!」

 テルミの蛇が再びマシュを襲う。マシュは結界や盾を用いて耐えるが、防戦一方だ。しかしながらテルミの攻撃が敵味方無差別なら、バーサーカー・マルコの近くに行けば同士討ちを恐れてテルミが攻撃を躊躇うかも知れない。マシュは蛇の攻撃の雨の中、必死に機会を窺った。

 

 一方で承太郎と相対するマルコもまた一筋縄でいく相手ではなさそうだった。

「ヤ○ザのオジサンとオバケの人、聖杯をマルコに渡して! そうすれば見逃してあげるよ!」

「おれはヤ○ザでもオジサンでもじゃあねえ。空条承太郎だ」

 ちなみに幽霊ではなくスタンドだ、というのは喉の奥に引っ込めた。

「何でもいいから早く聖杯を渡して! マルコは獏兄ちゃんのところに帰らないと行けないのよ!」

 見た目の年齢やガタイに似合わぬ物言いに、承太郎はまるで小学生とでも話している気分になっていた。マルコーー彼は人体実験により卓越した戦闘能力を得た代わりに脳に損傷を負った英雄なのだ。

「残念ながら持ってないぜ。おれたちもそれをとりに来たんでな」

「渡さないなら……蹴る!」

「……!」

 スタープラチナのガードの上からでも骨を軋ませる蹴撃。本体に食らえば一発でアウトだ。

「オラァッ!」

 承太郎の右フックをするりと際どくかわし、またもカウンターのハイキックが飛んでくる。承太郎もそれをまたガードした。次いでスタープラチナが放つ拳にマルコが肘を合わせ、その衝撃力で互いに弾かれて距離が開く。

「オジサ……お兄さん強いね」

「てめーもな」

 

 戦闘のセンスでは圧倒的に負けていると、承太郎は素直にそう考えていた。スピードもパワーも負けていない。それでもなお接近戦に押し負けているのは……勘だ。

 次に相手のとる行動は?自分にできることは?その瞬間的判断で組み立てる戦術には美しさすら感じる。細かな仕草で攻撃を誘導し、敵の行動範囲を狭める。死角に潜り込むように攻撃をかわし、それを追う相手に新たな死角を作る。

 一体どれほどの人間と戦ってきたら……いや、殺してきたらこのように戦闘に特化できるのか。

 

「……だが、戦略の方はイマイチのようだな」

 迫るマルコの攻撃をガードする直前、承太郎は軽くジャンプして体を浮かせる。地面の抵抗力をなくすためだ。

「あ゛っ!?」

 マルコが気付いた時には既に遅し、トラックに撥ねられたかのような強打の蹴りを受けた承太郎は葉っぱが舞うかの如く吹っ飛び……やすやすとクレバスを越えて、テルミの頭上まで到達した。

「なッ! クソがッ!」

 驚くテルミの脳天目掛けてスタープラチナが拳を放つ。寸でのところで魔力の蛇が割り込んできて爆発し奇襲は失敗に終わったが、テルミも爆発に巻き込まれて巨大蛇の上から転げ落ちる。

「承太郎さん! ナイスです!」

「ああ。今のうちに」

「はい!」

 特に示し合わせた訳でもなかったが、二人は同時に同方向に走り出した。校門へ、だ。つまりは、

「逃すかァッ! ノロマどもがァアッ!」

 逃走を阻止しにテルミの蛇が一直線に二人に向かう。

「種火を撒いて下さいっ!」

「!?」

 承太郎はマシュの指示通り、魔力補給用に持ってきた種火をばら撒き捨てる。すると、蛇どもはその種火に吸い込まれるように喰らいついた。

 自動追従する蛇、これは魔力を追っているのなら種火と英雄の区別をつけられていない。マシュの勘は見事に的中していた。

「くっ! 逃げるなんて卑怯よ!」

 マルコが追おうとすると、テルミはそれを制止した。テルミは離れていく二人を見ながら溜息をつく。

「……もう追う必要ねーよ。結界の外だし」

「いいのか? テルミの弱点知られたよ」

「あ〜? 自動追従は元々ゾンビ狩りに組んだ結界使い回してただけなんだよ。そんな欠陥この俺様にある訳ねーだろ、アホ」

「なっ! マ、マルコはアホじゃない! アタマ良くないだけ!」

「はいはい。ちょっと黙ってね」

 テルミは腕を組みつつ、目を瞑る。

「……? テルミ、考えごとか?」

「ん〜。ああ。英雄って言葉が気になってな。何か違和感がある」

「英雄の雄は"オス"という意味。なるほど……マルコも気付いていた。実はあの姉さんは男……」

「いやちげーから」

「え!」

「何かよく分かんねーけど、間違ってる気がすんだよなァ。俺様は元々英雄だけどな。まっ、お前に言ってもしゃーないわな」

「……ところでテルミ、本当にあの人たちは聖杯を独り占めする悪い奴らか? マルコにはそうは思えない。聖杯も持ってないっていってたよ」

「チッ。面倒なこと考えてんじゃねーよ。それより、さっきの話の続きだ。その、トキってやつのこと教えろよ。死にかけてたところを助けられたんだろ?」

「……!

トキは世紀末覇者ラオウの実弟!

無敵の暗殺拳、北斗神拳の伝承者の第一候補でありながら弟を守るためにシェルターのバ……」

「あ〜。とりあえず会った場所だけ教えて?」

「……」

 

 

 




~以降ステマ~

テルミは業界老舗のアークシステムワークスが開発した格闘ゲーム「BlazBlue(ブレイブルー)」シリーズに登場する敵キャラクターの一人です。
六英雄とも呼ばれ、かつて黒き獣と呼ばれる災厄モンスターとも戦いました。

BBはビジュアルノベル的な部分も強く推しており、フルボイスでギャグシナリオもあるというシナリオの豪華さも人気を博した理由の一つ。

格闘ゲーム部分では「ドライブ能力」という特殊能力設定がキャラクターの個性を強く尖らせており、キャラクターによって全く別のプレイ感を味わえるところが素敵なところです。

テルミは相手のいわゆる必殺技ゲージを吸収するドライブ能力「フォースイーター」を使って戦うキャラクターです。



ちなみに、GGSTではカイを使っています。対よろ。


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第三節. 最初かもしれないだろ?

 荒れ果てた冬木の都会を少年少女が肩を並べて歩いていた。

 中肉中背の少年はやや茶色掛かった金髪に青い瞳、小麦色に焼けた肌を胸元から晒している。群青のオーバーオールは左右の脚丈が違うという独特な格好だ。着用するシャツも黄色で、背負っている剣は妙に歪曲しており、エメラルドブルーに輝いている。本人の髪の色味も相まってとても目立つ少年だ。

 少年よりやや小柄な少女もこれまた金髪で、長さは腰を隠せるくらいに伸びている。腰下が短い白のワンピーススカートの上に黒紫のベストを着こなし、ロングブーツを履き、赤いマントを軽く羽織る。ゾッとするほど美しい白肌と碧の瞳、それらを差し置いて彼女の異物感を際立たせるのは、尖った耳。ファンタジーなら、いわゆるエルフというやつだ。

 

 少年は歩きながら、楽しげに話している。

「そこで! 仲間の渾身のパスを受けたオレが相手チームのディフェンスを二人抜き! スピンの効いた華麗なシュートで見事ゴール! 大逆転したって感じッス!」

 少年は身振り手振り、ボールを蹴るような動きを交え、ふんすと鼻から息吐き腕を腰に。

「へー! ぶりっつぼーる?はよく分かりませんけど、ティーダさんはすごいんですね!」

「そ! ザナルカンド・エイブスのエース! アリサも今度やってみる? 俺がプロになれるくらい鍛えてやるよ」

「あ……でも私、ロザリアやみんなを探さないと……」

「そッスか。気が向いたらいつでも言ってくれていいッスから」

「はい、ありがとうございます」

「……それにしても……」

 少年、ティーダは首をぐるり回して辺りをボンヤリ見た。

「ここどこッスかね」

「どこなんでしょうか……」

 彼らにとっては日本の建物も元よりなじみないものではあるが、それがこうも損壊していれば何が何やら。

 ここらはゾンビなどのエネミーも少なく、延々燃え続ける火の手も控えめであったが、感受性豊かな年頃の少年少女は景色を見ただけでも気落ちしている様子。気分を盛り上げるための自慢話も飽きたらしく、ティーダは溜息を吐いた。

「瓦礫ばっかじゃん……」

「きっと、これって人の住んでいた家なんですよね」

「うん、多分」

「でも、誰も居ないですね」

「みんなどっかに逃げたか隠れたんじゃないッスかね」

「……どうしてこんな酷いことに」

 アリサはティーダに問うでもなく漏らした独り言であったが、ティーダはそれを聞くと眉間に皺を作り、遠くを見つめながら真剣な表情で答えた。

「……シンだ」

「……え?」

「これはシンってヤツの仕業なんだ……」

「な、何なんですかそれ?」

「所構わず暴れ回る酷いヤツで、スゲーでかい。この世界のみんな、シンに怯えながら暮してるんだよ」

「そんな……どうしてそんな事するんですか!」

「何かさ、機械を使った罰とか罪とかってみんな言ってる。オレ、ムズカシイこと分からない。でも、あれを止めなきゃダメだってのは分かる!」

 ティーダは声を大にして叫び、握り拳を作る。

「私も、手伝います。シンさんを止めます!」

「え、マジ!? 実はオレ、シンを倒すために旅してんだ。アリサも一緒に来てくれる?」

「はい! もちろんです! こんなことする人、放っておけません」

「まっ、人じゃないけど……あ、いや人か……?」

 


 

 という二人の成り行きを、承太郎とマシュは瓦礫の影に隠れて見ていた。

 承太郎は静かな声でひそひそとすぐ隣のマシュに話しかけた。

「……シンとは?」

「……分かりません……」

 マシュは困ったような、申し訳なさそうな、何とも言えない表情で二人を見守りながら答えた。

 承太郎もまた彼らに視線を戻す。

「この惨状はシンってヤツの仕業らしいが」

「いえ。違いますね。前の聖杯戦争の残滓なので、全然関係ないと思います」

「……あいつらも英雄……なのか?」

「そのはずです、よね?」

「まさか記憶を失っているのか?」

「可能性はありそうです」

 

 承太郎とマシュは新たな仲間を探していた。

 キャスター・テルミとバーサーカー・マルコの能力を目の当たりにした二人は現状の戦力不足を認めた。テルミの単体の強さはもちろんのこと、彼もまた仲間を集めていたわけで、七人しかいない英雄たちをこれ以上持っていかれると戦力差はさらに広がる。

 故にある程度の危険は顧みず仲間集めに奔走すべきでもあった。

 

「接触してみましょう」

「いいだろう。だが俺はここで待つ」

「えっ」

 

 交渉するなら身長百九十五センチあるガタイ良い男と二人よりも見た目麗しい少女だけの方がよいだろう。マシュは承太郎を見てぱちくり瞬きしたのち、それが理解できたようで気の締まらない表情で頷いた。

 

「心配するな。戦闘になったらすぐ出るさ」

「お願いします。それでは、行ってまいりま……」

 マシュがティーダとアリサの方に向き直ろうとすると、

「あの〜。そこで何してるんですか?」

「わぁっ!?」

 

 マシュたちが隠れ見ていたエルフの少女、アリサが瓦礫の上から顔を出してみていた。

 

「あっ、あの、私たちは決して怪しい者ではありません」と、怪しい感じで弁明するマシュ。

 アリサに続いてついてきたティーダも現れた。

「誰か居たんスか?」

 ティーダはマシュと承太郎を見ると驚くとともに安堵の溜息を吐いた。

「いや〜やっと誰かに会えたッス。あんたたち、この辺に住んでた人? 他の人たちはみんな逃げれたんスか?」

 承太郎とマシュは顔を見合わせた。彼らの、あまりの緊張感なさに。もしも英雄ならこの状況は戦闘になってもおかしくないはず。なのに彼らは腰に携えている武器に触れようともしない。

 承太郎はこの際と思い、一歩前に出て質問した。

「俺たちは聖杯戦争の英雄だ。あんたらもそうか?」

 ティーダと承太郎の距離は三メートルくらいしかない。さらに一歩踏み出せばスタープラチナの射程内に完全に捉えられる。それに気付いたマシュは承太郎が質問すると同時に何気なく横に退いた。

 が、当の二人はこの期に及んでもまだ無警戒のようだ。

「せいはいせんそう? なんスかそれ」

「何のことか分かりませんが、違うと思います」

 マシュも承太郎も、先刻からの態度やこの反応が謀りとは思えなかった。

「……」

 マシュは目を細めて二人を見る。その後、見比べるように承太郎も確認し、再びティーダとアリサに視線を向けた。

「いいえ。やはりあなたたちは聖杯戦争の英雄です。本来与えられるべき情報を持っていないようですね」

 これを聞いてもやはりというべきか、ティーダとアリサはさっぱりという風に首を傾げる。

「単刀直入に言います。あなたたちはこの世界の人間ではありません」

「はぁっ?」と当然の反応をするティーダ。

「あ、はい。そうですけど……」と、アリサ。

「信じられないと思いますが…………

って……え?」

「え」

「え」

 承太郎は、何だか余計にややこしそうな気がしていた。

 

 



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第三節. 最初かも知れないだろ?-2

 マシュの種火の効き目チェックにより、新顔の二人は無事(?)異世界の英雄であることが証明された。ティーダはセイバー、剣士のクラス。アリサはアーチャー、弓兵のクラスだ。

 

 一行はとりあえずマシュの秘密基地に移動し、そこでマシュが承太郎にした解説をティーダとアリサにも聞かせた。二人は一時的にマシュおよび承太郎と同盟を組むことを承諾し、マシュのチームも四人の大所帯となっていた。

 

 二人のためにモールから拝借してきたソファーを設置し、しばしの雑談していた。

 

 紛らわしいことに、アリサという少女はもともと異世界に渡っている途中にこの世界に召喚されたらしい。

 

「ベルフォメットっていう人が悪さしていると聞いて次元を渡っていたんです」

「何かよく分からないスけど、そのスゲー力で元の世界に戻れないの?」

「次元を渡るのは私のチカラじゃないんです。ユアンさんの特別なチカラで」

「そッスか……はぁ〜っ」

 ティーダががっくり肩を落とすと、アリサが焦って「お役に立てなくてごめんなさい」と謝る。

「しかし異世界なんてまさかあると思わなかったッス。貴重な体験なのはいいけどさ、みんな敵っていうのは嫌ッスね……」

「その聖杯っていうもののチカラを使わずに、みんな元の世界に戻る方法を探してみませんか?」

 アリサの案を聞くと、椅子にぐったり背中を預けていたティーダがいきなりに立ち上がった。

「それだよ! みんなで頑張って探せば何か絶対見つかるって!

現にアリサは次元とかゆーのを移動していたワケだし!

なぁ、どうなのよこの案!?」

 ティーダはマシュと承太郎に呼び掛ける。ソファーで寝転んでいた承太郎はもそっと起き上がった。

「闘わないに越したことはない。前例があるなら調査する価値はあるかもしれんが……マシュ、お前はどう思う?」

 マシュは困ったという風に眉をひそめる。

「正直、見当もつきません。今のところ、一切材料なしです」

 ティーダとアリサは落胆に溜息を吐いた。

「いずれにせよ、最低限の自衛は必要です。私たちがどう思っていようと、他の英雄にとって私たちは敵なのです」

 マシュが力強く念を押す。

「了解ッス。でもこれからどうすんの? そのテルミって英雄を倒しに行くの?」

「いえ、まずは種火を集めましょう。そして他の英雄の調査です。敵を知れば百戦危うからず!です!」

 


 

 チームは二手に分かれた。西へ種火を回収しに行く承太郎&ティーダ、英雄の調査諜報を行うマシュ&アリサ。クラス傾向から戦闘力と隠密性で分けた、マシュの適切な配分だ。

 

 

「思ったよりずっと闘えるようだな。安心したぜ」

 辺りのゾンビどもを一通り狩り尽くしたあと、種火を回収しながら承太郎がティーダに言った。

「だから俺はデッケー怪物を倒す旅をしてたって言ってんじゃん。モンスター退治はお手の物だっつーの」

 

 彼、ティーダは移動スピードで敵を撹乱して戦う近接ファイターらしい。しかも、敵の動きを鈍重にし自分のスピードを上乗せするという魔法じみたものも使えるようだ。

 英雄ってのは誰もがつくづく油断ならない存在なのだと、承太郎は改めて思った。

 

「さてと、種火も集まったし、早いとこ帰ろう」

 と、種火を詰めた袋を見たティーダが「あれ?」と首を捻る。

「どうした?」

「いや、セイバー用の種火が全然ないなってさ」

「ああ、なるほどな」

 承太郎はがさがさ種火の袋をかき分け、剣の紋様が入った銀の種火をティーダに手渡した。

「今日は水曜日だからだ。曜日によってどの種火が出やすいかが違う」

「ようび? ようびって何?」

「……そうか」

 ティーダの世界には曜日というものはないのか、と承太郎は察した。

「簡単に言うと七日の周期だが、まぁ種火の種類のタイミングくらいしか意味のないものさ。今となっては、な」

「ふーん。じゃそのうちセイバー用の種火も出やすくなるわけだ」

「そういうことだ」

 承太郎は今更ながら、異世界と言っても様々だと思った。そして自分のいた世界はこの世界にかなり近しい部類なのだということも。

「……!」

 そこで承太郎はもう一つの違和感に気がついた。よく考えなくても簡単に分かることだ。今まであまりにも違和感があり過ぎたことに。

 それはすなわち、言葉が通じているということ。

 

 適当に周囲の壊れた瓦礫を漁り、看板を見つけてティーダに差し出した。

「これが読めるか?」

「え?」

「いいから読んでみてくれ」

「……芋タルト。何なのさ、それ」

「……デザートの一種さ。ありがとよ」

 読める。

 そして、読みはできても何かは分からない。マシュとの会話で分かったことだが、ティーダもアリサも日本を知らなかった。日本語はわかるというのに。

「ジョータロー、置いてくッスよ〜」

「あ、ああ。今行く」

 

 マシュは以前、英雄は召喚される時に記憶が移植されると言っていた。言語が通じるということはそれがある程度成功していたということになるのか。そしてティーダは芋タルトを知らず、聖杯も知らない。

 

「……」

 考えても益ないことか、と思考を止めた。

 

「……? ティーダ……?」

 辺りを見渡せども、いつの間にやらティーダの姿はない。本当に置いて行きやがった……わけではないだろう。

「おいッ! 何処にいる!?」

 まさかこの一瞬、目を離したスキに他の英雄に狩られたのか?という疑念が頭をよぎる。

 しかし恐らく違う。承太郎は先ほどティーダの戦闘を見ていたが、あのセイバーが音もなく一瞬で無力化されるなんてことはないはずだ。であれば、ティーダが自分から隠れている?それならあり得る話だ。

 承太郎とティーダ以外に誰もいないこの状況、将来のライバルとなる承太郎をティーダが消そうと画策していても何の不思議もない。

 

「聞こえるか、ティーダ! 今すぐに出てこなければ敵と見なすぜ!」

 叫ぶも、何の返事もない。

「チッ……」

 もしも敵に襲われているなら助けてやりたいが、まだティーダを信用しているわけでもない。

 何より承太郎にはその手のスキルが備わっていないゆえ、探してやることはできない。

 

「ま、元々仲間ってわけじゃねーんだ。無事は祈ってやるぜ」

 

 


 

「イタたた……」

 ティーダは尻を押さえながら立ち上がった。

「何なんだよ、一体」

 悪態つきながら周囲を流し見る。そこは薄暗い一室。

 ついさっきまで地面に瓦礫が空に赤煙が広がる屋外にいたというのに、瞬きの間に四方はコンクリートの壁に囲まれていた。

 ティーダは今し方、己に起こった出来事を思い起こした。

 承太郎と種火集めの後、どこかうわの空だった承太郎から離れすぎないように歩いていた。そこでふと目に留まった種火。ひしゃげた車両の下に隠れていたそれを見つけたティーダはラッキーくらいの気持ちで近づき、手にした瞬間、激しい光に視界を塗り潰され……気づくとここにいた。

「転移スフィアみたいなものかな」

 ティーダは入手した種火をコロコロ弄りながら呟いた。転移スフィアとは触れるだけで瞬間移動できる魔力装置の一つだ。それと全く同じものではなかったが、ティーダの世界でいうなら最も近いだろう。十秒前に見た景色は毛ほども残っていない、屋内だ。

 鉄筋コンクリ製の床と壁はかなり年季が入っているのか、ヒビや欠損が目立つ。骨が露出している箇所もあるくらいだ。電気は通っているようだが、部屋を辛うじて照らす電灯は秒ごとに明滅している。

 部屋にはテーブルが一つ、椅子が三つ。そしてドアも一つ。

 「なんかヤバイものでも出そーな雰囲気だな」

 ティーダは背負っていたブレードをゆっくり抜いき、ドアに歩いた。

 そっとドアに耳をつけてみる。とても静かだ。

「……ヘイスト!」

 ティーダが自身の胸に手を当てて呪文を唱えると、赤く光る魔法陣が現れる。呪文の対象の時間を加速させ一時的にスピードを大幅にアップさせる、ティーダの得意とする時間魔法だ。

 ティーダは意を決してドアを開け放ち飛び出した。……が、廊下にも誰もいない。

 ティーダにとっては見たこともない建物だったが、それは所謂オフィスビルというやつだった。

「あ〜もう。ビビらせるのやめろよ、誰か知らないけどさ」

 ティーダは長く続く廊下に窓が付いているのに気がついた。

「んん? あれ?」

 しかし窓の外は暗闇。飛び降りようものなら永遠に落ちて行きそうな、はたまた地獄にでも繋がっているかのような途方もない闇だけが広がっている。

 ごくり、と固唾を飲む。

 ここにいてはマズい、と本能が告げていた。

「つってもどこに行けばいいのさ」

 当て所なく廊下を歩き始めた矢先ーー

 

 

「オオオオオォォオォォオオオォォォォオッ!!」

 

 

「おわっ!?」

 ティーダは驚きのあまりすっ転びそうになる。

 

 声だ。

 

 下の階から、ボロいビルが倒壊するかと心配するほど大音量の雄叫びがコンクリの床を貫通してティーダの鼓膜をぶち抜いたのだ。

 

「ゼッテーヤベーやつじゃん……」

 人にしては大き過ぎる、猛獣にしては鋭過ぎるその声は不吉な欲望に染まっていた。意味もなく命を刈り取る存在……死神や悪魔を連想させる。

 

 ぶるると震える肩を抱きながら、ティーダは歩いた。

 

 そして廊下の先に見つけたのは上下に分かれた階段。

 建物を出るなら下に行くべきだが、ティーダは先ほどの声が下から聞こえてきたのが忘れられず、暗がりに溶ける階段を見つめた。

 

「……ごくり」

 


 

ーーミシッ、ミシッ……

 

 不意に降る階段から聞こえてきた足音に、ティーダは飛び上がりそうになった。

 何かが居る。下の階からこの階に上がって来ている。

 恐らくは先ほどの咆哮の主。

 隠れなければ。

 直感的にそう判断し、息を殺しながら来た道を戻る。階段すぐ横の部屋は少しだけドアが開いており、ティーダは音を立てないよう慎重に中に入った。

 

「……」

 

ーーミシッ、ミシッ……

 

 足音が近づいて来る。

 

 それはティーダの居る階でピタリと止まった。そして、変わらぬ歩調で進み始めた。

 どうしてこの階に?

 ティーダはそれを不思議に思いつつも、見つからないことを願った。

 

 コンクリートを踏む音はそのままティーダの居る部屋をあっさり通り過ぎていく。

 

 ドアの隙間から様子を覗き見る。

 

 ……ヒトだ。

 足音の正体はバケモノでも何でもなく、二本の足で歩くヒトだった。

 簡素な兵装で、上半身は薄いシャツ一枚のみ。胸囲にはベルトが巻かれており、ナイフの装備も見える。下半身はミリタリーパンツと丈が長めのブーツ。ティーダの世界でも一応は存在するものだ。服装だけを言葉で表すなら地味ではあるが、しかしその肉体は随分と人間離れしている。膨れ上がった筋肉や幅広い骨格は戦闘員としても異常なレベルだ。逆立つ黒髪は無数の角のように乱れており、悪鬼と言われれば納得いくだろう。

 

 確認できるのは後ろ姿のみで顔は見えなかったが、ティーダは恐らくこれが異世界の英雄というやつなのだろうと思った。先ほど戦っていたゾンビやワイバーンといったエネミーとは一線を画すプレッシャーだ。

 そして英雄であるなら見つかれば恐らく戦闘になるであろうことも理解していた。

 他の英雄に無闇に接するべきではないとマシュから忠告を受けていなかったとしても、アレには近づかなかっただろうが。

 

「おっかねえー。キマリのやつよりスゲー体してるな……とりあえずやり過ごそう」

 

 ティーダは悪鬼の背中が遠のくのを待った。

 

「……もう大丈夫かな」

 ドアの隙間からそろっと半身を出し、安全確認。悪鬼の姿はもうなかった。

 とにかく一刻も早くここから脱出したい。徘徊する悪鬼といい、窓の外に広がる途方もない闇といい、不気味なことこの上ない。

 ティーダは時々後を顧みながら階段へ向かった。

 この建物から出るなら階段を降りるべきなのだろうか。窓からの景色を見る限りでは、エントランスへ向かっても外は闇の中……ということもあり得そうに思えた。元々ここへも転移して来たということに鑑みれば、どこかに脱出用の転移門があるかも知れない。そしてそうであるなら、それは出入口である必要はない。

 ティーダが最終的に下へ降りようと思ったのは例の悪鬼のためだ。悪鬼が下から来たということは、此処から上へ上へと上がって獲物探しているのかもしれない、と思ってのこと。

 音を立てないよう、ゆっくりと慎重に階段を降りて行く。

 

「……」

 階段のすぐ横に4Fと示されている以外は、上階と何も変わりの無い外観だ。天井にぽつぽつ点いている頼りない電灯、幾つかある部屋のドアも窓も一部欠けていたり割れていたり。部屋の前にはドアプレートが掲げられているが、暗さと破損のせいで文字は読み取れない。

 剣を片手に、ドアをためらいがちに押し開ける。

 

 中も最初にティーダがいた部屋と同じつくりで変わり映えしない。

 ティーダも一端の英雄であり、空間を歪めるほどの魔力をもつスフィアや装置があれば一目で見分けがつく。が、特に変わったところはなさそうだ。

「ハズレか……」

 このまましらみつぶしに部屋を探索していくとなると中々に骨が折れそうだ。

「どっかの寺院みたいじゃん」

 この迷宮を脱出するための謎があったりするのかしらとも考えたが、どうにもそういった頭の体操は苦手で、ティーダは悪鬼のことを思い出して手早く行動することにした。

 

 ドアを背越しにカバーして、再び左右安全確認。廊下に気配はない。

「誰もいない、よな」

 ティーダは深呼吸してから、室外に出た。

 ここは四階らしいがまだまだ調べる部屋はある。悪鬼が上の階を探している間に何とか……

 

 不意に、窓の外の白い何かが目に入った。黒く塗り潰されたキャンバスのように光を吸う闇の中に、鈍く光るそれーー

 ティーダはそれに気がついた瞬間、思わず息を呑んだ。身の毛がよだつのを感じた。氷の手で心臓を掴まれたような恐怖と衝撃。

 

 白いものは、仮面だった。

 

 仮面の奥からギョロギョロと虫の如く蠢く双眸が、ティーダを捉える。

 あの悪鬼だ。いつから居たのか、外の窓にクモのように張り付いていたのだ。

 

「うひゃあっ!?」

 ティーダの素っ頓狂な叫び声に反応するように、悪鬼が窓ガラスをバラバラに砕いてビル内に侵入する。ティーダは尻餅つき、その後すぐに慌てて立ち上がった。

 

「コォォオオオオ……」

 悪鬼がこの世のものならざる音を喉から発する。ティーダは戦々恐々に後退りして、

「……あっ、あのさ、ごめん。何か分かんないけど、邪魔する気はないんで……はは……」

「ロオオオォォ……」

「えっと、その、よかったらさ、出口教えてくんない? いきなりここに飛ばされちゃってさ」

 と言いながらティーダはゆっくり悪鬼から離れていく。

「スゥゥゥゥウ……」

「えっ?」

「コロォォォォオオオオスゥゥゥゥッ!!」

 

 耳を塞ぎたくなるような絶叫。大気が震え、窓ガラスがカタカタと揺れた。

 コイツは話が……否、それどころか言葉すら通じる相手じゃない。

ーー来る。

 

 ティーダがそれを理解した時……既に来ていた。

 

「ーー!?」

 

 たったの一歩。

 ティーダと悪鬼の間数メートルをその一歩で、その巨躯を、初動の隙なく、圧倒的スピードで走らせたのだ。コマが飛んだように、ティーダの眼前に悪鬼の白仮面があった。

 

「がはッ!?」

 

 いつの間に、と驚いた時にはティーダの躰がいとも簡単に弾き飛ばされていた。悪鬼の低姿勢からの蹴り上げだ。及び腰で身を引いていたことと剣が偶々盾になったのが幸いし、衝撃力は後方に大きく逃げていた。それでも激突したコンクリの壁に大きなヒビが入るほどの威力。

 

「ゲホッ! ゲホッ…!」

 ティーダは朦朧とする意識のなか、何とか足元をふらつかせながら立ち上がり、剣を構えた。

「こんの野郎……次来やがったらぶった斬ってやる……」

 敵を睨みつけ奥歯を噛んで威圧するも、闘える気はしなかった。ティーダはあの一瞬で何をされたかすら分からなかった。

 

 パワーは勿論のこと、時間感覚を大幅に増強させるヘイスト効果をもってしても目にも留まらぬ突発能力。戦意を失うのも無理からんこと。

 

 マシュからの情報によると、これは恐らくバーサーカー。しかし聞いていた以上のバケモノだ。

 

「コォォオ……」

 悪鬼が不気味に喉を鳴らしながら近づいて来る。

「今だッ! スロウ!」

 ティーダが呪文を唱えると、悪鬼の足元に青色の魔法陣が浮かび上がる。エリアの時間速度を低下させる結界魔法だ。

 悪鬼の歩行は水中を歩くように遅くなる。

 ティーダは効き目があるのを確認すると、すぐさま背を向けて逃げ出した。先ほどのダメージが腹に残っており、移動は速くなかったが、それでもスロウの結界の中を通る悪鬼から逃げるのには十分だ。

 

 走った先に見えて来たのは、またもや階段。どうやらビルの両端に階段がある造りらしい。ティーダは自身の血を降り階段に少しだけまぶし、五階へーー上に向かった。

 血の跡を追って行けば下の階に行ってくれるはず。少しは時間稼ぎ出来るだろう。

 

 ティーダが五階に着くと、下の階からはスロウの結界を振り解いた悪鬼が疾走する音が聞こえ、すぐに先ほどティーダがささやかな罠を撒いた階段に到達する。

 

 下へ降りろ、とのティーダの願いとは裏腹に、悪鬼は迷いなく五階へと走る。

 

「なっ……何で……!」

「オオオオオオオッ!」

「ちっくしょぉおおッ!」

 

 突撃する悪鬼に剣を合わせる。悪鬼はそれをするりと体を捻ってかわし、ティーダが剣をもつ右腕の関節を蹴る。

 バキン、と嫌な音が響いた。

「あッがあアァッ!」

 そしてティーダの悲痛な叫び。ティーダは自身の腕が関節と逆方向に曲がっているのを見た。手指の感覚はもうない。ティーダは右手から滑り落ちた剣を左手で空中キャッチする。そのまま悪鬼の首へ斬撃。ヘイストの速度上昇効果がのった、しかも悪鬼にとっては慮外の一撃。

 スッパリいくか、そうでなくても避けられればその隙に距離を取って仕切り直す。

 ティーダはその思考が甘かったと痛感した。

 悪鬼は逆にティーダの懐に飛び込み、剣ではなく左腕をふわりと受けた。勿論悪鬼に一切ダメージはない。

 辛うじて戦意を保っていたティーダの表情が凍りつく。

 

 なんだコイツ。

 強すぎる。

 

 ティーダの正直な感想であった。

 

 悪鬼がティーダの左腕を掴み、壁に叩きつけると壁はバラバラに崩れ、ティーダは血にまみれながら部屋の中に投げ出された。

 

「マジかよ……へへっ……ツイてないな」

 

 悪鬼の大きな手が視界に迫る。

 ティーダの意識はそこで途切れた。

 




~以下ステマ~

マルコ(ロデム)は漫画「嘘食い」の主人公(班目獏)のオトモであるバトル担当キャラクターです。

嘘食いは個人的に最も好きなギャンブル漫画の一つであり、最も好きなバトル漫画の一つでもあります。いや、それ混ぜられへんヤツやろ!と思う方もいらっしゃると思いますが、マジで両方最高なんです…

唯一の欠点はエアポーカー編が面白すぎてその後が相対的にどうでもよくなってしまうということですね。



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第四節. 単独行動A+

「あっ、承太郎さん。おかえりなさい」

「ああ……」

 

 既に基地に戻っていた女性陣が種火を持って帰って来た承太郎を暖かく迎えるが、ティーダの姿がないことに気づいたマシュの表情が少し硬くなる。

「やはり……帰って来てない、か」

「途中ではぐれてしまったんですね」承太郎の呟きに対してマシュが応答する。

「大丈夫なんでしょうか……?」アリサも心配そうな面持ちだ。

「ちょいとヤツの戦闘を見たところ、ゾンビどもに遅れは取らなさそうだが」

「どのように見失ったのですか?」

「雑魚どもを一頻り狩り尽くした後、少し目を離したらもう居なくなっていた。すまん、俺のミスだ」

「いえ。元々過度に助け合うのも道理ではありませんから」

 マシュが冷たく言うと、アリサが悲しそうに詰め寄る。

「ティーダさんは悪い人じゃありません! 何かあったのなら助けないと。私、ティーダさんを探したいです」

「分かっています。今から探しに行きましょう」

「ほんとですか!」

 アリサはぱあっと明るい笑顔を作る。一方承太郎は顔をしかめた。そういう流れになるような気はしていたが、即決とは。

 承太郎は、仲間としての頼もしさ以上に戦闘員としての詰めの甘さを二人に感じていた。

 こいつら本当に大丈夫なのか、と。

 

「承太郎さん、ティーダさんとはぐれた場所について詳しく教えて頂けませんか? 私たち二人で探してきます」

 マシュに問われると、承太郎は帽子を深くかぶって溜息をついた。

「……? 承太郎さん?」

「……俺も行くぜ」

 承太郎の一言に、マシュは意外そうに目を丸くした。アリサが笑顔でお礼を言いかけるのを遮り、承太郎は「ただし」と続ける。

「勘違いするな。どこではぐれたかなんて口で説明するのが面倒なだけだ。どこも同じような風景だしな」

 それこそ何の責任もない女二人が危険を顧みず仲間を助けに行くというのだから、承太郎の性格からして秘密基地で一人休んでいるわけにもいかなかった。

 

「承太郎さん、ツンデレですね」

 ちょうど秘密基地を出ようとした時に、背中から飛んできたマシュの一言は聞かなかったことにした。承太郎にその属性はないが、元々不良である彼は男気を見せられるのに案外弱いのだ。

 


 

 承太郎たちは種火の狩場を捜索していた。数時間前にはティーダとともにエネミーを一掃していた場所だ。

 辺りには死骸もちらほら残っている。

 

「ここから基地へ帰る途中、いつの間にか居なくなっていた。音もなく、だ。」

「了解です。辺り一帯の魔力の道筋を探ってみます」

 

 マシュは彼女の武具である大盾を顕現させ、その下部のエッジを地面に叩きつけた。すると、彼女を中心にして波紋のように魔法陣が光り浮かび上がった。

 

 魔法陣のあちこちで小さな閃光がちりちり発生する。マシュはそれを確認すると渋面を作る。

「これは……」

「……どうですか? 何か分かりそうですか?」

 アリサが急かすと、マシュは俯いて首を横に振る。

「申し訳ありません。この辺りに何らかの魔力干渉があるのは確かなのですが、エネミーの残留魔力と妨害の結界で発生源の特定まではできません」

 エネミーの残留魔力はともかく、サーチを妨害する結界が張られているならば、つまりは狙われていたということになる。どこかの英雄が種火の発生場所に何らかの罠を張っていたというところだろう。

「なるほど。何かがあったのは確実か」

「そのようです」

「そんな……」

「英雄を瞬時に消滅させることなどできませんから、現時点でまだ生きている可能性は大いにあり得ます」

「なら、手分けして探しましょう! 私は向こうを」

 言いつつ、西へ走ろうとするアリサをマシュが肩を掴んで止めた。

「闇雲に探せる範囲ではありません。それより、今ある情報を活用するのが賢明です」

 アリサと承太郎は振り向いてマシュを見る。

「何か他に分かることがあるのか?」

 承太郎の問いに、マシュは静かに頷いた。承太郎はマシュのその様子から、何となく無茶なことを言いそうな気がしていた。

「まず、この罠を仕掛けたのはおそらくキャスターです」

「あの野郎か……」

 承太郎はテルミの戦闘を思い出していた。シールダーであるマシュよりさらに優れた結界術と攻防一体の魔力吸収、相手に合わせた戦術を行使する万能の能力。

 マシュが言いたいのは、これほどの器用な結界や罠を張ることができるのはキャスターくらいだろうということなのだろう。

「それから、承太郎さんにはまだお伝えしていませんでしたが、私とアリサさんでキャスターやバーサーカーの根城であった例の高校を調査してきたんです」

 マシュいわく、そこに既にキャスターの姿はなかったという。魔力を勝手に食らう聖杯がまだそこに放置されていたことから、キャスターは自身の魔力と相性のよい霊脈を求めて次の拠点に移った可能性が高い、とのことだ。

 霊脈は冬木にいくつもあるが、めぼしいのは限られている。キャスターはその何処かにいる。

「なので、直接乗り込みましょう」

「ま、その方が好みだぜ」

「ただし、すべてしらみつぶしに確認する時間はありません。可能性の高い三つの霊脈を手分けして同時に当たります」

 つまり、ここからは各々が散開して単独で捜索する必要があるというわけだ。

「……一応言ってみるが。危険すぎるぜ」

 テルミやマルコと戦ったのはつい最近だ。やつらの恐ろしさを忘れるほど耄碌していない。連携は得意そうではなかったようだが、そもそも一人当たりの戦力にすら差がある。

「ティーダさんがまだご存命だとすると二対二に持ち込める可能性はあります」

「ほぼゼロだとは思うがな」

「私たちが聖杯を確認した時はまだ魔力がカラでした」

 英雄が死ぬと聖杯に魔力が注がれるという事実から、逆に魔力の充填量に変化がなければ誰も死んでいないと分かる。

「手伝ってくださいとは言えません。私はやります」

「私も、ティーダさんを助けたいです!」

 マシュの宣言にアリサも乗っかる。承太郎は気乗りしなさそうだったが……

「そういえば……アンタには借りがあったな」

 マシュは何度か見せた柔らかい笑顔を作る。

「それ、言うと思いました」

 承太郎もふん、と鼻を鳴らしてそっぽ向く。承太郎はそれもまた、マシュなら言いそうだと思っていたわけだ。

「で、具体的にどこを探せばいい?」

「一番可能性が高そうなのは」

 マシュは言いながら、東を指差す。

「ここから真っ直ぐ東に大きな川があるんですが、その向こうの森が最有力候補でしょう。近くに墓地や教会があり、キャスターの好む陰の霊脈が流れています。

他には、高校から北西にある寺です」

「高校の近くなら、まずは聖杯を確認する時間があるんじゃないか? 前回の確認から随分時間が空いている」

 聖杯に魔力が蓄積していたならティーダの生存は絶望的。わざわざ危険を冒して敵の本拠地に単騎特攻する必要はなくなる。承太郎のもっともな指摘にマシュも頷く。

「では、承太郎さんはそちらをお願いできますか? 私は残りの……」

「いや、ちょいと待ちな。別に俺はこの後に及んでビビッてるわけじゃあないぜ。俺がその教会やらがある森ってのに行こう」

 マシュは地雷を踏んでしまったと思ったらしく、憂苦に頬を痙攣らせる。

「すみません。そういう意味ではありませんでしたが、そう言ってくださるのであれば」

「……やれやれだぜ」

 マシュが言葉を区切る前に、承太郎は先ほどマシュが示した森の方をなぞって指差した。

「えっ?」

 マシュが振り返ると、既に百メートル以上先に、ビルを跳躍して進む影が見える。赤いマントと長い金髪を揺らめかせながら、みるみる離れていくアレは。

 アリサだ。

「……先を越されましたね」

「別に何の問題もないが、チームワークのカケラもないぜ」

「アーチャーにとってはこれもチームワークです」

 承太郎が怪訝な表情でマシュを見ると、マシュは何かを思い出したように小さく呆れ笑いする。

「好きなんですよね。単独行動」

 意味深な言い様に承太郎は問い返したくなるが、その前にマシュが続けて口を開いた。

「さて、私たちも急がなくてはなりません。東の森はアリサさんにお任せするとして、移動しながら担当を決めましょう」

 マシュは話しながら、ひょいとジャンプして大きな瓦礫を飛び越す。承太郎は障害物を迂回しつつ追従した。

「最後の候補は郊外にある西洋風の廃城です」

「日本にそんな城があるのか」

「ええ。とても遠いところにありますから、やはりこちらは私が調査します」

 承太郎はマシュと自身の機動力の差を慮り、なるほどと頷いた。

「了解だ。結局俺は寺の方か」

 岐路に至り、不意にマシュが立ち止まった。

「ここからは各員のルートを行くことになりますが、その前に少しだけキャスターの能力について補足させてください」

「あいつまだ何かあるのか……?」

 と、唖然とする承太郎。

「可能性の話です。キャスターは他の英雄を操って手駒にしたりすることがあります」

「そいつは厄介すぎるな」

「操られている場合は一目見ただけで様子が違うと分かるはずです。ティーダさんにも十分ご注意を。

とはいえ、この短期間でそれを実行するは難しいはずです」

 マシュは話をややこしくしない為に敢えて深くは解説しなかった。

「しかしなるほど。納得したぜ。

たかが一時的な仲間のために危険を冒すのはどうにも腑に落ちなかったが、敵の戦力を増大させる可能性があるなら話は別だ。

テルミをこれ以上優位に立たせるのはマズい」

 承太郎がいやに満足げな顔をするもので、マシュはぱちくり瞬きする。

「あんたがタダの甘ちゃんじゃなくてよかった、ってことだぜ。リーダーがそんなのじゃ先が思いやられるからな」

「私はリーダーではありませんが」

 マシュは僅かに童顔を綻ばせる。

「最初から打算的ですよ」

 

 

 



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第五節. 聖晶石は投げ捨てるものではない

 ひしめくゾンビを大盾で蹴散らしながら考えた。

 恐らくここはハズレだろう、と。

 

 都市郊外にある西洋風の城、マシュはそのだだっ広い庭園内に到着していた。強い霊脈が流れており、魔力に長けるキャスターなら垂涎(すいぜん)の拠点になり得るフィールド。庭のほぼ全域が森林に囲まれており、身を隠すにも打ってつけだ。

 しかしながら。

 

「はぁぁっ!」

 

 走りながらスピードを落とさず盾をトンファーのように振るい、邪魔なゾンビを払い抜けていく。数が多い。時間的にも体力的にも、全てを相手する余裕はない。

 

 もしもここがテルミの拠点であるなら、これだけの数のエネミーが居るのはおかしい。エネミーは魔力に集まる性質があるため、彼がこれらを敢えて残し護衛代わりに使うのはリスキーだし、彼の魔力変換比率から考えるとリソースとして狩った方が得策だ。

 

 これ以上の先を調査する必要はなさそうだ、と思いかけたとき、マシュは視界に横たわる大きな影を見つけた。

 

「……これは……」

 

 それそのものは珍しいものでもない。

 ワイバーンの死骸だ。鋭利な刃物で喉を貫かれ絶命しているようだ。

 しかしその他の箇所に一切の傷がない、急所のみを狙った一突き。死んだことにさえ気付かず墜ちるワイバーンが目に浮かぶような、何とも至妙な手管だ。

 

 間違いなくサーヴァントの仕業。

 

 マシュは目を細めてそれらを眺めた。

 それら――眼前に溢れるワイバーンの死骸の数々。否、マシュが見ていた事象を正しく表現するなら、ワイバーン以外の死骸がない、ということ。

 

 ワイバーンはドロップする種火の質が良く量も多い。可能であれば、マシュもゾンビを相手にせずワイバーンのみを狩るであろう。しかし勿論マシュには不可能だ。マシュでなくても、これだけのエネミーの中で機動力の高いワイバーンのみを選び狩るなど到底できるものではない。

 

「本当に、今回はハズレですね」

 マシュは自嘲気味に呟いた。

 

 間違いなく手練れの、アサシンか、或いは……

 

「……!」

 

 マシュは不意に城の塀に小さな影が動いたのを見た。

 遠くてはっきりとは分からないが、小柄な少女に見えた。後頭部に結って垂らした髪は血の様な紅色と、同色のドレスも印象的だった。それがマシュを認識したのかは不明であるが、逃げるように塀の内側へと姿を消した。

 


 

 例の高校、その道中はエネミーの気配すらなかった。恐らく拠点の引越し前にテルミが狩り尽くしたのだろう。と言っても、彼には自動攻撃を行う結界魔術があるのだからそう手間でもないはずだ。

 

 種火は英雄にとっていわば兵糧。それを労せず大量に集められる彼の優位さに承太郎は舌打ちした。おかげで、と思いたくもなかったが、承太郎は高校まで障害なく来られたわけだ。

 

 傾覆(けいふく)したトラックを背にカバーリングし高校校舎を覗き見る。校舎からは未だに以前と変わらない威圧を感じる。以前ここに来た時はテルミの魔術の所為かとも思ったが、ここにテルミが居ないのならばやはり聖杯から放たれる邪気であろう。

 承太郎は頬をペシペシと軽く叩き、気合を入れ直した。

 数々の英雄を見てきた承太郎は、機動力において自身がディスアドバンテージを持っていることをはっきりと感じていた。他の英雄と戦闘になると逃げ切ることは難しいであろうから、タイムリミットのある任務を抱えている身としては目立たぬよう行動しなければならない。

 それを念頭に、素早く校庭に入り込む。以前の戦闘でテルミが作ったクレバスを迂回し、壁の穴から校舎へ侵入した。直前、周囲を手短に見渡したが怪しい影はない。

 

 承太郎はなるべく足音を立てないよう、しかし迅速に歩いた。

 

 所々崩れた校舎の階段を登る。調査に赴いたマシュやアリサの情報では二年C組の教室に聖杯があるそうな。

 

 慎重に近づいていくと、少しばかりの違和感に気付き、眉を釣り上げた。この辺りだけ破損が小さい。他の教室の壁の穴で繋がってしまっているほどだが、ここはそうではない。

 仕方なく、教室のドア窓から中の様子を確かめる。室内は荒れているようだが、椅子や机が散乱している程度で、他の部屋の様な破壊跡はやはりない。

 

「聖杯はあれか……。

そしてやれやれ、先客も居やがるぜ」

 

 視線の先にはマシュから聞いていた通りの、金色の地味な杯。それは空中に見えない糸で固定されているように教室の中央に佇んでおり、豪勢な飾り付けを必要としないオーラを存分に放っている。

 そしてもう一つ。

 ドアに背を向けて座っている、逞しい大男。顔は確認できない。素朴な服装で、左の肩当てにタスキ掛けされたベルト、ノースリーブのシャツ、リストバンドにブーツ。特徴的なものはほぼない。肩までのロングヘアは灰色でよれていて、どこか病的なものを思わせる。しかし鍛え上げられた筋肉は鋼のよう。承太郎も体つきにはそれなりに自信があったが、アレと張り合おうとは思えないほどだ。

 

「……」

 そして何故か正座。

 

「入りなさい」

「!」

 教室内から声をかけられる。

 こちらの姿は見えていないはずだし、それなりに気を払って静かに歩いていたのに、と承太郎は少なからず驚いた。

 観念して教室のドアから入室すると、男はゆっくりと立ち上がり、振り向いた。

 

「お前を待っていた。空条承太郎」

 男は精悍ながらもどこか悲しみを宿した眼差しで承太郎を見据える。

 承太郎が「なぜ俺の名を知っている?」と問う前に、男は口を開いた。

「言の葉にて語るか、拳にて語るか」

「……む」

 承太郎は少し面食らって沈黙した。

 男が問うているのは、闘う意思はあるかということだろう。静謐な雰囲気とは裏腹に喧嘩っ早いらしい、と承太郎は思った。

「あんたが決めな。俺はどっちでもいいぜ」

 時間に制限がある今、承太郎としては戦闘は避けたい気持ちはあった。しかしこの異世界において英雄とは根本的に闘争を義務付けられているゆえ、相手がその気なら逃げるつもりはない。

 

 承太郎は男を睨み臨戦態勢に入るが、男は構えを解いた。

「そうか。ならば拳を交える意味はあるまい」

 いくぶん、残念そうに見えたのは気のせいだろうか。男は続ける。

「私はトキ。アサシンだ」

「……待っていてくれたところ悪いが、俺も暇じゃないんでね。闘らないなら退いてくれ」

 トキと名乗る男はフッと笑った。

「聖杯に魔力は捧げられていない。探し人は生きている」

「何様か知らねーが、預言者ぶってカッコつけてんじゃあねえぜ。それをこの目で確かめに来たんだ。そこを退きな」

 マシュから見分け方は聞いている。今更、初対面の敵に教わるまでもない。

「急がなくてもよい。この先の寺にも探し人はいない。無論、キャスターもだ」

「信じると思うか?」

「信じるさ」

 トキはまたニコリと笑った。

「それでも、この先に進みなさい。お前になら分かるはずだ。因果の糸が()られたのだ」

「……! まさか……」

 承太郎は薄々感じていた。

 この異世界にあるはずのないあの存在を、所々で少しずつ。トキの言により、それは今やより鮮明な感覚となって彼の第六感に訴えかけている。

「てめー、何故……

ッ!?」

 トキの思いも寄らない一言に承太郎の警戒がコンマ一秒逸れる。その小さな隙にトキは入り込んだ。前触れのない接近ののち、流れるような貫手。スタンドが顕現する前に、トキの拳が承太郎の鳩尾に突き刺さる。

「がはっ……!」

「……安心しなさい。私はお前を殺す気はない」

「て、てめえ……」

 承太郎は瞬時に意識が遠のくのを感じつつも反撃に打って出る。

「……スタープラチナッ!」

 トキとの距離は二メートル。近距離タイプである承太郎のスタープラチナが最高のパフォーマンスを発揮する距離だ。しかし。

「まだ動けるか……」

 トキは巨岩をも一撃で粉砕するスタープラチナの渾身の拳打を片手でするりと受け流した。まるで暖簾を押すような手応えに、承太郎は避けられたのかと錯覚したほどだ。

「目が覚めたなら、宿敵を追いなさい」

 トキのその言葉を聞き終わった瞬間、承太郎は眠るようにその場に倒れ込んだ。

 




次回更新は本日の19時です。


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第六節. ズッ友だょ

 アリサは軽やかに身を躍らせながらも、重苦しい表情で周囲を見渡した。

 

 残骸の上を疾駆り蠢くゾンビの合間を縫って到達したのは、瘴気を醸し出す妖しげな森。これまでの冬木の様子からして長閑な自然を期待していたわけではなかったが、大地の魔力と(ゆかり)あるエルフのアリサには、この森の異常さが一層深く理解できていた。

 

 森が苦しんでいる。

 汚濁したマナで大地を穢され、根の先から葉まで犯し蹂躙されている。死ぬことも許されず、実は腐り花は枯れながら生かされ続ける地獄の責め苦。

 アリサは思わず目を瞑り呻いた。

 

「今はティーダさんを探さないと」

 

 ひょいと高い木の上に登り、森を俯瞰する。マナの流れを認識するのはエルフの得意技術であり、流れの不和を追跡するのはハンターの必須技能だ。そのどちらでもあるアリサは、すぐに歪な魔力を察知した。

 教会の方だ。

 あそこに行けば何か分かるかもしれない。

 アリサはそう思い、再び穢れた森の中へ跳び込んだ。

 

「……!」

 

 足先が地に着くと同時、黒と緑の紋様が地面のあちらこちらに浮かび上がった。マナの流れからアリサにも分かる、禍々しいオーラを帯びた結界だ。

 

 そして木の傍らにいつの間にか……まるで雨上がりの虹のように自然に、男が座っていた。あるいは最初から居たのかも知れない。

 

「あなたは……テルミさんですね」

 

 マシュからキャスター・テルミの話は聞いていた。魔術特性、戦闘能力、容姿も。蛇のような瞳孔、原色に近い緑の髪、おおよそ聞いた通りだ。

 

「あらあら〜。オレ様もうそんな有名になっちゃったの?」

 テルミの飄々(ひょうひょう)とした態度にアリサは声を荒げた。

「ティーダさんはどこに居るんですか!」

 刺すような視線を向けられたテルミは「はて」と狐に摘まれたように不思議がる。座ったままの姿勢でキョトンとアリサを見上げて二、三秒硬直する。

「あ、あれ……? まさか」

 アリサは演技とは思えないテルミの表情を見て、ティーダ失踪の件はテルミとは無関係なのではと思いかけた。

「あの雑魚ガキに何か用?」

「っ……勿論、助けに来たんです!」

「お前アイツの何なの?」

「仲間で、友達です」

「……いつからいつまで?」

「この世界に来てから、ずっとです!」

 テルミはアリサの返答を聞くと、顔を隠すようにフードを深く被った。微かにわなないており、一見苦しんでいるように見間違いそうな振る舞いだ。

「く……」

「……?」

 (うずくま)るテルミをアリサが恐る恐る覗き込んだ瞬間、

「アッヒャッヒャヒャヒャッ!」

「……わっ!?」

 テルミは唐突に大声で腹を抱えて笑い始めた。甲高く奇怪に。

「ひぃーッ!

ケヒヒヒッ!

とっ、とっ、ともだッともだち〜ッ!?」

「急に、何なんですか」

 胡乱(うろん)な目つきを寄越すアリサなどどこ吹く風、テルミはさらに笑い転げる。涙目になりながら、地面をバンバン叩き、これでもかというくらいに破顔して。

「ともだち〜?

ずっとおっともだっ……ちぃぃぃ〜?

ひゃっひゃっひゃっ!

ずっともっ……あひひひひっ!

わ、笑い死ぬっ!

アッヒャッヒャヒャヒャッ!」

「いい加減にしてください!」

 テルミはぜえぜえと肩で息をしながら、辿々(たどたど)しく立ち上がった。

「悪い悪い。でもそっちもマナー違反なんじゃないの? 聖杯戦争が無情のバトルロワイヤルとはいえ、いきなり超ド級オトモダチ爆弾かますなんてよぉ」

「何ですかそれ……」

 テルミはフードに付いた土を軽く払う。

「なーんでわざわざ敵を助けようとするかねぇ」

「だから、仲間です!」

「仲間でも敵だろ?」

「……敵なんかじゃないです」

「はぁ〜、理解に苦しむね。けど、居場所くらいは教えてやるよ。セイバーのガキならそこの教会に居るぜぇ」

「え……」

 案外素直に教えてくれたことに驚くアリサ。マシュや承太郎が言うにはテルミは交渉や説得ができる相手ではないとのことだったし、アリサの第一印象も勿論同じだった。

「本当ですか? 罠とかじゃないですよね…?」

「それ訊く意味あるゥ? 俺様が正直者でも嘘つきでも答え一緒じゃん」

 テルミはこれ見よがしに、やれやれと溜息を吐きながらお手上げのポーズ。

「ま、でもオレ様は嘘が大嫌いでね。

誓って言うけど、これホント。

ティーダちゃんなら怪我してたからオレ様が保護してやったのよ、心配はいらないぜぇ」

「え、そうだったんですか……!?

ありがとうございます!」

 アリサは「急ぎますので」と言いつつテルミの脇を通り抜けていく。教会の方向へだ。

 

 ふと、枯葉がざわめくのを感じた。ほんの一瞬だけ風の向きが変わったようなーー

 

 アリサは咄嗟に身を屈めた。

「……ッ!?」

 はらりと彼女の金髪が裂かれ、宙を舞う。そこに見たのはテルミ、それと彼が腕に宿す黒緑のオーラ。背を向けたアリサに対し、テルミは不意打ちの攻撃を行ったのだ。

 巻き込まれたアリサのマントが強酸に一晩浸けられたように枯れ落ちる。もしもあの腕に掴まれていたなら、アリサもそうなっていたであろう。

 

「オレ様、嘘は嫌いだけどよォ。

騙すのは好きなんで♪」

 


 

「ふっ」

 短く息を吐き、アリサは屈んだそのままの姿勢から身を翻してムーンサルトの蹴りを放つ。テルミは半身を傾けて最小限の動きでそれを躱した。

「!」

 さすがのテルミも目の前数センチのところまで矢が迫っていたことには驚きを隠せなかった。

「おっとォ! 危ねえじゃんッ」

 テルミの体表付近に魔力の影が現れ、飛来する矢を絡めとる。

 アリサは接近での宙返り蹴りで攻撃しつつ距離を取り、その動作の中に弓を引く動きを隠していたのである。アリサの洗練された動きを長いマントの陰越しに察知するのは不可能だ。

「よかったよかった。暇潰しくれぇにはなりそうだぜ」

 テルミは不敵に笑い、腕に再び魔力を集中させて直進しアリサに再び掴みかかる。テルミの機動力はティーダやマルコと較べるべくもないが、纏うオーラのぶん射程は長い。

 アリサはバックステップで大きく後方に飛び避けつつ、矢をつがえた。

「見誤ってんだよォ、雑魚が!」

 テルミが叫ぶと同時に腕に渦巻くオーラが爆ぜ、うねる蛇となりアリサを襲う。

 テルミの攻撃タイミングは寸分狂いなくピタリだ。空飛ぶ能力でもなければ、宙に居るアリサに避けるすべはない。しかしアリサは太い木の枝に脚を引っ掛けて空中で軌道をずらし攻撃を逃れる。ベストかと思われた攻撃はアリサの脇下を掠めるだけに終わった。

 テルミが「おおっ」と感嘆の声を上げる。

 追い討ちに蛇をさらに三体召喚して突攻させるも、周囲の木を蹴り飛び跳ね変幻自在のアクロバットを見せるアリサを捉えることはできない。平地であればこうはいかないだろうが、森はアリサのフィールドだ。

「へぇ〜っ。なかなか上手いじゃん。

猿の真似♪」

 悠然と構えるテルミだが、一方でアリサの能力を評価もしていた。

 視界からアリサ消えるその一瞬が訪れるたびに放たれる矢その狙いは正確無比であるが、攻撃の方向、リズム、速度までもが不定的で読みづらい。

 隙を突くことに徹底したスタイル、攻防両面で立体空間を利用する戦術はアーチャーというよりもアサシンのようだ。

「でもパンツ見えちゃってるぜぇ」

「じゃあ、目を瞑っててください」

「ハッ」

 

 一分にも満たない差し合いだったが、互いにこう思っていた。何かおかしい、と。

 

 それは戦闘中に思考を割くほどでもない小さな違和感。

 それはすなわちあまりにも順当に戦闘が展開されている、ということに対する微かな心の引っ掛かり。しかし互いにそれが何なのか、まだ分からなかった。

 テルミの知性が語っていた。早めに決着を付けるべきだ、と。

 アリサの勘が囁いていた。時間を稼ぐべきだ、と。

 

 テルミは胸を地面に擦るかと思うくらいに腰を落とし、蛇のように地を這ってアリサの移動先に詰め寄る。執念深く自動追尾する三匹の蛇とテルミに四面を挟まれて袋のネズミとなったアリサに、魔力を宿した腕を振るう。速度はアリサに見切れないほどではない。しかし――

「――!」

 テルミが薙いだ半径数メートルの木々が粉々に爆砕し、瞬時に黒い灰となって空に溶けた。それは途轍もなく凝縮された魔力の波。先ほどまでの攻撃よりもさらに出力も高く攻撃範囲も広い。

 間一髪、射程外に逃れていたアリサはそのまま反撃の矢を放つ。が、砕かれた木々から変質した黒い灰は魔力の蛇と化し、矢を噛み砕いた。

 ひえっ、と肝を潰すアリサに、黒蛇が地を滑り襲いかかる。対して咄嗟に腰から短刀を抜き払って蛇を裂くが、アリサの攻撃に合わせるように蛇の頭が爆発した。

「きゃああっ!」

 轟音とともにアリサは吹っ飛び、木に激突して地に伏した。すぐさま立ち上がるが、重心が定まらず木に体を預ける。腕や腹からは血が流れ、痛みに息が浅い。ダメージがあったのは明白だ。

 

「あんたさぁ、何か企んでる? それとも、やっぱタダの雑魚?」

 テルミがゆっくりとアリサに歩み寄る。まるで故意に隙を与えるような鈍い動きだ。

「さすがにもーちょっと何かあるよなぁ?」

 アリサは肩で息しながら何とか矢をつがえて放つが、狙いもタイミングも雑な射撃がテルミに当たる筈もなく、ひらりと涼しい顔でかわされる。

「……お?」

 再びテルミがアリサに向き直った時には、アリサの姿はなかった。

「ったく、また鬼ごっこかよォ」

 開幕でテルミが張った結界は内部にいる敵の位置を察知できるものだったが、アリサの隠密能力も高く、正確な位置は分からないようだった。

「マジでアサシンみてぇなヤツ」

 テルミはそうボヤいて歩き始めた。結界のお陰で大凡の方向は分かる。さらに結界の感度を強めれば位置も分かるかもしれない。

 ――が、そうするまでもなく突如テルミの結界が大きな魔力反応を検知した。否、もはや魔力を検知することすらも必要なく。

「……へぇ、こりゃあ……」

 三時の方角、距離にして約五十メートル。エメラルドに美しく輝くエネルギーの奔流は渦となり、森全体を包み込ように広がる。蛍を彷彿とさせる柔らかな光の泡が湧き立ち、荒れ狂う風の中を、しかしてフワフワと漂いながらも吸い寄せられるように渦に集まっていく。

「おっとと」

 テルミは巻き起こる旋風に足をもつれさせながらも渦の中心を見やる。まるで童話のワンシーンのように神秘的な情景、その台風の目に立ち輝く深緑の弓を引くエルフの少女を。

「大地に息吹く生命よ、雨粒に宿る元素よ。

 そして輪廻の狭間に揺蕩う(たましい)よ――応えて。

 我は守護者、罪人、大いなる環に繋がれた贄。その名のもとに再生の刻を宣言する!

 流転なりし鼓動を継ぐものたち、信ずるならその火を空に還せ!」

 風が止み、音が消える。まるで時間の概念を失ったかのように。今というこの時、この場の全てがそこに集約されているようでもあった。

 綿密な術式に編まれた膨大なエネルギーを目前に、しかしテルミは一切の恐れもなく含み笑いする。

「異世界の魔術、期待してるぜぇ」

 テルミが腕を掲げると、足元に幾重もの蛇紋が現れる。それらは泡立ち沸騰し始め、やがて石油のようにドロドロの液体となって波打つ。捕まるすべての光を飲み込み暗い影を伸ばす様は、まるで空間を捕食しているようだ。

 おぞましきうねりはさらに鳴動し、彼の脚をずるずると這い上がって体全体を包みこむ。

「さぁ、せいぜい足掻いてみせろ」

「森よ、お願い。力を貸して……!

 根源への回帰(アトモス・ディニミトラ)!」

 そして極限まで収斂した魔力の点が線となって放たれる。音を置き去り穿つ光で奔る、桁外れの熱量。それはそよ風のように木々をすり抜け、テルミという敵ただ一つを貫かんと輝く。

 万物をアトモスへと還す矢がテルミへ到達するその刹那……纏う黒い靄が蛇のように大きく口を開いた。

「アークエネミー・ウロボロス……喰らい尽くせ!」

 呼応するように靄が光を掴むと、地を揺らし轟雷を響かせ大気を裂きながら光と影が衝突し、のたうつ。

「そおら、ぶっ潰れろォッ!」

 陰陽二つの力は混じり合い対消滅する。

 アリサの放った渾身の奥義は敢えなく大蛇に喰らい尽くされたのだ。

 エメラルドの光は虚しく冷たい風となり潰えていく。

 

「中々いい魔術じゃん? 特に夏場は涼めそうだよな、ん?」

 魔力を使い果たしてうつ伏せに倒れているアリサのもとに、事もなさげにテルミが現れる。あれだけの魔力を使ったというのに、一向に疲労や摩耗が見受けられない。

「そん……な…」

 テルミに全くダメージがないのを認識すると、アリサは悲痛な表情で歯噛みする。

「あっ、お疲れのようなので寝ていても結構ですよ?」

 息も絶え絶え、立ちあがろうとするアリサの頭を踏みつけ倒した。苦悶の声を上げるアリサを見て、テルミは上機嫌に鼻歌をうたう。

「そーいや、一つ気になってたんだけどよ。

さっきの魔術……あれにオレ様を殺す力はないな?」

「……え」

 そう。確かに、エルフの秘術"根源への回帰"には殺傷能力というものはなかった。局所に集まったマナの流れを発散させ最小要素(アトモス)に還す、それを真髄とする奥義だったのだ。

「魔力の素をさらい無色化し、反魔力粒子の拡散によりリソースを根源事象に戻す……って感じかな?」

 アリサは「はっ」と息を呑んだ。

「どうして……」

 それが分かったのか。アリサは今更になってテルミの恐ろしさに戦慄していた。秘術自体に仕組みを隠す工夫があるわけではないが、エルフの大地信仰の長い長い歴史の中で培われ研鑽された神秘であるその術式は、蜘蛛の糸を編んで作られた羽織の如く精緻でか細いバランスで成り立っているのである。

 その本質を一度相対しただけで理解するーーアリサにとってはそんなこと考えたくもない事実。

「んで、気になるのは、よオ」

 言いながら、アリサの顔を踏みつけていた脚を大きく振り、思い切りアリサの腹を蹴り上げる。

「あぐっ……!」

 軽い躰が宙を舞い、力なく地面に転がる。

「てめぇオレ様を舐めてんのか?」

 咳き込み口から血を垂らすアリサに、テルミはさらに追い討ちをかける。魔力蛇の突進をかわせるはずもなく、やすやすと体を絡め取られる。アリサの腰よりも太い蛇に体をひょいと持ち上げられ、木ごと巻きついて拘束される。アリサが全快の状態でも逃れ得ない強度だ。

「なぁんでよォぉ、マジに殺しにこないかねぇ? あんな阿保な芸ができるくらいなら、全部壊しにきたら少しはマシだろうによ」

「……そんなこと……あなただって」

「あぁ?」

 アリサの意外な一言にテルミは眉を吊り上げた。

「あなただって、殺すつもりなんてないくせに……」

「……」

 戦闘開始直後からアリサが感じていた違和感の正体――テルミは殺意をもってアリサを攻撃してはいなかったということ。明確で容赦ない敵意であっても、殺意とは根本的に異なるものだ。尤も、アリサもそれに気が付いたのはついさっきだが。

「本気で私を殺す気なら、すぐに終わっていたはずです」

「ま、そりゃあな。くっそ弱ぇ猿縊るくらい手こずるわきゃあねぇよ」

「だったら、もうやめてください……本当はあなたも……」

 テルミは憮然として溜息を吐く。パチンと指を鳴らすと、アリサを拘束する蛇が一層強く縛りつける。アリサの言葉は終える前に悲鳴に変わった。

「さすがに阿保過ぎてそろそろ笑えねぇ」

 魔力も底をつき体中傷だらけのところに緊縛の責苦。アリサは気が遠のくのを自覚しながら、それでもテルミを見据えた。

「でも、まだ私も殺してない……ティーダさんも、殺してないんですよね……?」

 アリサの予想は当たっていた。テルミは、その狙いは兎も角として事実、ティーダを殺してはいなかった。

 何者であれ見下している彼が、アリサにそれを見透かされたのはどうやら癪に障ったようだ。テルミは外面笑っているようにも見えたが、その目は怒りに満ちている。

「いちいち苛つく猿だ。

いいぜ、教えてやるよ。確かにあのガキもてめぇも殺してちゃいねぇ。

だがそれは英雄ってモンの正体を調べるために生かしておいてるだけなんだよォ!

分かる? 最終的にはみーんな殺すってことだ!」

「……間違ってます……誰かに、勝手に敵同士にされちゃうなんて、悲しいじゃないですか。

みんなで手を取り合って、元の世界に戻る別の方法を探しましょう。そうすれば……」

「カンケーねーの!

聖杯戦争なんて知ったこっちゃあねーんだよ、ボケッ! その聖杯の力以外の方法ってのがあったとしてもそれを使うのはオレ様一人だ!」

「……」

「やっと分かってくれた? ったく、しょーもねぇこと叫ばせやがって。あー、マジ疲れる。さっきの矢ァ潰すよりよっぽど疲れるわ、コレ。もしかしてお前の真奥義?」

「……だったら」

「……?」

「だったら私は最終的にあなたを殺しません」

「…………

…………は?」

「あなたは最終的に私を殺すと言いました。私はそれを間違ってるって言ったんですから。

だから、私はあなたを殺しません」

「え? え? え?

何何何何何何何何ナニナニナニナニ??

え? いやいや、聞き間違いだよなさすがにね?

悪いけどもう一回言ってくんない? 猿語はもちろんナシで」

「……言いますよ、何度でも。

……私はあなたを殺しません」

「どう考えても……殺せない、の間違いだよなぁ?」

「殺せないのは、正しいです。でもできるかどうかに関係なく殺しません」

 数秒の沈黙が流れる。ティーダを救出しに来たと宣言したアリサを笑った時のように、俯いて表情は見えない。

「テメェは本当によ……」

 みしり、と重い音が何処からともなく響く。とともに何もないはずの空間に小さな亀裂がいくつも走り、黒緑のタールが染み出してくる。

「イラつかせるのがクソ上手ぇ猿だッ!」

 テルミの怒声に呼応するように、暗く濁ったオーラがそこら中に間欠泉の如く噴き出す。見た目こそ似通ってはいるが、魔力の濃度は段違いだ。溢れるオーラに触れただけで木や草は瞬く間に溶け落ち吸収されていく。

「予定変更だ……!

テメェは今ここでぶっ殺す!」

 木に縛り付けられるアリサにテルミが一歩ずつ寄るたび、まるで巨象が暴れているかと思い違うほど大きく地が揺れる。同時に、周囲を満たす魔力がテルミに引き寄せられて集まってくる。

 アリサはテルミを見据えることしかできない。ダメージと消耗から考えると、拘束されていなくても反撃など望むべくもない。曰く絶体絶命という状況だ。

 テルミの魔の手がアリサの目の前までゆっくりと迫る。彼女に死の恐怖をしっかり味わわせるように。

 彼女の体が灰に変わるまであと十数センチ、または二、三秒のところで――

「消え失せろ。跡形も……」

 ――不意に、息が詰まったようにテルミの言葉が途切れる。言葉だけではない。アリサを捕食しようとしていた彼のオーラもその腕も、ピタリと動くのをやめていた。

「……なに……!?」

 テルミの顔に驚愕の表情が張り付く。

「こ、れは」

 そのまま、先程まで何のダメージもなかったテルミが膝を地につけ胸を押さえる。

 いつの間にか、周囲の凶悪なオーラも消え失せていた。アリサを拘束していた魔力の蛇も、風に乗って消失していく。

「魔力の反発……か」

「……はい。周囲から魔力を摂取するあなたの能力を利用させてもらいました」

 テルミもまた、ずっと感じていた違和感の正体を理解した。アリサはただ闇雲に逃げていたわけではない。森のマナの流れを観察しテルミの能力を看破、さらに矢に込めて散布した浄化の魔力をテルミに吸収させるために移動先を誘導していたのだ。まるで、風上から毒を流すように、澱みへと追いやって。

 秘術"根源への回帰"を相殺したテルミの魔力比率が大きく傾き、浄化の魔力の反発作用が現れたのだ。

「ただの発作ですから、安静にしていれば動けるようになります」

「……! てめぇ、この後に……及んで……」

 宣言通りテルミにとどめを刺すことはせず、アリサは背を向けて疲労困憊の体を引きずり教会へ向かう。

「待ち、やがれッ! クソッ!」

 一層恨言を連ねるテルミを尻目に。

 

 

 




~以降ステマ~

アリサは絶賛配信中(2023年5月現在)の大人気エロメンコDCG、シャドウバースの八人の主人公キャラクターのうちの一人です。

シャドウバースは何といってもコンテンツが豊富で、対人対戦はもちろんソロモードもパズル、ストーリーと楽しめるところが多いです。イラストも豪華で、ボイスの種類もいちいち多い!しかも無課金でも最強デッキを組むこともできる親切設計なのです。

なお、アリサのクラスは「エルフ」。
カードの連続プレイによって大きな力を発揮するクラスです。


シャドバ関連で一番好きなBGMは「アリサのテーマ」です。ケルトっぽい雰囲気がたまらない…いつも聞いているけど全然飽きない名曲。


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第六節. ズッ友だょ-2

 アリサがテルミとの戦闘を制した一方そのころ、マシュは近傍の霊脈である寺へ急いでいた。墓地に隠れていたので当然ではあるが、郊外の城にテルミの姿はなかったため踵を返し、そのままの足で寺へ向かった流れだ。

 

 途中、高校校舎から出てくる承太郎を見つけた。

「承太郎さん!」

 マシュを認めると承太郎は軽く頷き、近くの住居の残骸へ二人して身を隠す。

「郊外の城はハズレでした。新たな英雄を発見しましたがクラスは不明。戦闘はありませんでした」

「了解だ。こっちの方は……聖杯はカラだった。まだティーダのヤツは生きてるってことになるか。寺はまだ確認できていない」

 両人とも進捗を報告すると、マシュは「では、寺へ向かいましょう」と立ち上がった。が、承太郎は首を横に振る。

「寺にはテルミもティーダもいない」

 聞くとマシュはやや驚いた様子だ。先ほど承太郎から寺は未確認と聞いているわけだが、承太郎がそれを知るのは一体どういう理屈か。しかしマシュは詳しくは問わなかった。

「マシュ、お前はこのまま墓所へ向かってくれ。借りを返すとか言っておいてすまないが、寺に個人的な用事ができちまってな」

 承太郎が「どうしても行かなければならない」とだけ付け加えると、マシュは迷いもせず頷いた。

「分かりました。そちらはお任せします」

「……感謝するぜ」

 承太郎は小さな声で言った。

「それでは、ご武運を」

「てめーもな」 

 

 二人は反対方向に走り出した。マシュは墓所へ、承太郎は寺へ。承太郎は途中、振り返った。マシュの姿はもうなかったが、もう一度「ありがとよ」と呟いた。

 


 

 件の寺は山の中にあった。敷地内は枯れ落ちた草木に荒れており、石造りの山道も無惨に破砕している。とはいえ、ここが一層の惨状というわけではなく、基本的にここ冬木という場所はそういうところだ。マシュによると聖杯戦争が続いた傷痕だとか。

 承太郎はそういった顛末が気になっていたが、敢えて考えないようにしていた節もあった。彼はどちらかというと頭のキレるタイプであったが、生き死にのバトルロイヤルにおいて雑念を持ちたくなかったし、自身の出来ることの限界もよく弁えていたからだ。

 

 根っこのルールはとてもシンプルだ。勝って生き残れ。その部分はどうあれ変わらない筈だ。

 と、そう思っていた。

 

 しかしながら承太郎は今、異世界において新たな使命を課されようとしていた。それはある意味、承太郎にとって元の世界に戻るよりも聖杯戦争よりも、優先度の高い任務だ。

 

 

 石造りの階段を駆け上がるとすぐ見える門は開かれている。その境内から聖杯ともまた違った邪気が空気に乗って吹き抜ける。

 

 これは後天的に邪気と名付けた感覚であり、それ自体に聖も邪もない。

 この世界に来る前、強烈に邪気として脳に焼き付いた。

 この世界に来てスッパリ消えてなくなった。

 そしてある時から次第に強くなっていた。

 

 寺の中央部に鎮する特徴的な香炉。その縁に身体を預け、分厚いハードカバーの書物を読み耽る男がひとり。

 承太郎は呟いた。

「やはりか。てめー……DIO(ディオ)……!」

 

 ディオ、彼は承太郎と同じ世界から喚ばれた最悪の宿敵。数多の凶悪なスタンド能力者からも心酔される悪のカリスマであり、自身も最強の能力"世界(ザ・ワールド)"を操る不死身の吸血鬼である。見る者を凍りつかせるほどの美貌と淡い表情、肉体は古代ギリシャの彫刻のように神々しく間然するところない。

 

「……承太郎、か……?」

 ディオはパタンと本を閉じ香炉に立てかけ、おもむろに立ち上がった。

「フフ。よもや異世界まで追ってくるとは恐れ入った、ジョースターの血筋よ」

 言いつつ、深呼吸するように長く息を吐き、近くの柱にもたれ掛かる。

 

「ごたくは結構だ。さっさと決着を付けようぜ」

 承太郎は一歩前に出る。接近戦において無類のパワーを誇る彼のスタープラチナは遠距離に対する攻撃方法を持たない。同じタイプのスタンドであるディオの能力もまた同様であった。

 が、承太郎はそれ以上進まない。いや、進むことができないでいた。

 ディオのスタンド、ザ・ワールドその恐るべき能力とは――"時を止めることができる"。数秒の間とはいえ、自身以外の全てが静止した世界を自由に行動できるという、正に頂点の能力だ。

 承太郎はその力を解き明かし、瞬き程度の間ならば止まった時の中を動くことができるようになっていた。が、それでも能力差は歴然。

 不用意に近づけばゼロ秒で死ぬ。

 しかしディオは未だに身構えることもせず、彼のスタンドであるザ・ワールドも喚ぶこともせず……くつろいだ姿勢のまま話し始めた。

「とある学者によると、言葉とは人類の最も偉大な発明だそうだ。

文明の親となった治水技術でも、大量生産の時代を築き上げた機械でもなく」

「……何の話だ?」

「話をしよう、という話さ。空条承太郎」

 ふと、承太郎はディオの様子に違和感を覚えた。確かに姿形は承太郎の知るディオという男そのものであったが、立ち振る舞いは大きく違う。アヴドゥルや花京院……彼の旅仲間から聞いていたディオの人物像により近い気がしていた。

 彼の一面である凶暴な悪はすっかりナリを潜めている代わりに、冷徹で計算高い悪が顔を出している。

「私は常々考えるのだ。最高の相棒(パートナー)の条件についてだ」

 承太郎は顔をしかめた。彼の知るディオは絶対の帝王であり、パートナーどころか下僕にさえ選考する傲慢な男だったからだ。

「私生活なら信頼という言葉は実に使いやすいだろう」

「いずれ誰もが敵の戦場では邪魔だと言いたいんだろ?」

「その通り」

 ディオは背もたれていた柱から離れ、段差を降りて境内に立った。承太郎はそれを見て、やや後方に下がる。ザ・ワールドの射程を考慮した行動だったが、ディオはそれを見て少し意外そうに鼻を鳴らした。

 

「その意味で……我らほど相性のいい組み合わせはあるまい。

何も、寝食を共にしようと言っている訳ではないのだ」

 承太郎とディオは同じ世界からの来訪者だ。その能力の制限や勝手も理解しやすい。これはチームとしても敵としても重要な要素だ。さらに、彼らはあまりに強い因果故か、お互いの距離が何となく分かる、という特性がある。承太郎はこの特性のお陰でここに来る前にディオが寺に居座っていることを知っていたし、ディオもまた承太郎が近づいていることを分かっていただろう。

 そしてディオの言う通り、同盟が決裂し最後の戦いとなった時も、これほど後腐れなくブチのめせる相手は居ない。

「ならば、承太郎。

我らが開いた手を合わせるのはごく自然な成り行きとは思わないか?」

 一見、納得できる提案に思えた。

 しかしながら。

「テメーを今ここで斃せば少なくともお袋は助かる」

 承太郎の母親、ホリィは因果によって発現した能力に苦しめられ、死の淵を彷徨っている。それは因果の元であるディオが生きている限り続く。つまり、承太郎は自身の世界へ帰還すると同時に、ディオを帰還させないことも重要事項なのだ。

 尤も、承太郎が帰還するということは必然的にディオは帰還できないことになる。とはいえ、逆に承太郎が帰還できなかったとしても、ディオも元の世界に返さなければ母親は助かる。

「その戦いを最後にしようと言っているのだ」

「いいや、今だ」

 承太郎の力強い否定を聞くと、ディオは不敵に笑う。

「なるほど、そうだろうな。ジョースターの血族はそういう宿命だ。だからこそ、このディオが最も恐れているのだ」

 ディオはさらに二歩、承太郎に近づく。承太郎はそれに応じてスタープラチナを顕現させる。いつ仕掛けてくるか、承太郎はその時を注意深く探る。主導権は常に相手にある。

 が、ディオは再び口を開く。

「では、こういうのはどうかな?

我らが聖杯戦争に勝った暁には……承太郎、お前に聖杯を使う権利を譲ろう」

「……!?」

 聖杯を使って元の世界に戻れるのはただ一人。承太郎にそれを譲るというなら、ディオはこの世界に残るというのか。

「そりゃあ一体どういうことだ?」

「お前が訝しむのも無理はない。

お前の疑問は二つ。

順番に説明しよう」

 ディオをゆっくりと境内を歩く。承太郎もまた一定距離を保つため、ディオに合わせて歩き始めた。付かず離れず、ディオと並行に移動し続ける。

 ディオも構わず話を続ける。

「一つ目。聖杯戦争は最後の一人になるまで終わらず、結果聖杯の力も使えない。つまり、私が死ななければ聖杯の力を使えないのではないか?

ということ」

 承太郎は頷いた。それは考えるまでもないとても単純な話だ。

 ディオの提案に乗るかどうかというよりも、ディオの知る聖杯戦争の情報に興味があった。

「しかしそれは正確ではない。聖杯に捧げられるべき魂は六つ。これは聖杯戦争が七基のサーヴァントによって行われるためだが……」

「……七基の……サーヴァント……」

「既に八基以上のサーヴァントが現界している」

 承太郎もそこは気が付いていた。

 承太郎、マシュ、テルミ、マルコ、ティーダ、アリサ、トキ、そしてディオ。聖杯がその力を発揮するために聖杯戦争の敗者から魔力を得ているというのなら、ディオの言う理屈は納得できた。

「つまり我々のうち少なくとも一人は、聖杯戦争の敗者でありながら生き残ることが可能なのだ」

 それでも、承太郎の疑問はまだ残っている。

「もう一つ。何故、荒廃を極めたこの世界に残ると言うのか?」

「……」

 承太郎は無言で応えた。

「と言っても、だ。

ご理解頂けるとは思うが、私は最初から元の世界に未練などないのだ」

 ディオは不死身の吸血鬼。眠って起きたら百年後……とくれば彼にとっては元の世界だって異世界のようなものだろう。承太郎のように家族がいるわけでもない。

 承太郎はフンと鼻を鳴らした。

「だろうよ。俺が聞きたいのはお前の狙いだぜ。何を企んでる?」

 ディオは口端を歪め、悠々と数秒使ってゆらりと体を承太郎の方に向けた。

「――聖杯だ。私は聖杯が欲しい」

 

 

 




次回の更新は6/1木の朝7:00です。


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第七節. 個を消すペルソナ

「聖杯……」

 承太郎は呟き、かの聖遺物を思い起こしていた。圧倒的な存在感と異彩なオーラを放つ謎の盃。不良である承太郎には大した知識はない。朧げな記憶を手繰り、聖杯とは主キリストの血を受けた杯だったか、という程度の想起にとどまった。

 実のところ、承太郎はそんな上等なものとは思っていなかった。が、異世界の聖杯ともなると承太郎の知る聖杯と伝説が違っても不思議はない。気にかけてはいなかった。

 

 ディオはふと遠い何処かを見つめながら独り言のように語った。

「天国に行く方法があるかもしれない」

 承太郎は狐につままれたような表情でディオを見る。

「おい、妙な顔をするな。天国とは精神の向かうところ……死ぬってことじゃあない」

「てめーが死ぬなら願ったり叶ったりだぜ」

「フフフ。そうだろうな。もしくは、異世界に取り残される、か」

 承太郎は苦虫を噛み潰したような表情で舌打ちする。この男は数多くの凶悪なスタンド使いを自らの手足のように操るカリスマだ。話をしているだけでもペースを握られているわけで、手ずから話を長くするなど愚かな行為だと思い出した。

「……聖杯と何の関係がある?」

「より多くの魂を、私一人で所有する。それが天国へ行くのに必要なのだ。そんなことは簡単にできはしないが、聖杯は魂を力にする。そのシステムがあれば諸問題の多くは解決する」

 ディオは委細を話さなかったが、口ぶりからして承太郎はこの場を誤魔化すためにでっち上げた話とも思わなかった。尤も、天国云々も信じた訳ではない。少なくともディオはそう考えているのだろう、というだけだ。

「ま、やりたいことは理解したぜ」

「それは僥倖(ぎょうこう)。では、私の提案は受け入れるかな?

お前は元の世界に帰る権利を、私は聖杯を……」

「……」

 言わずもがな、承太郎はディオと戦わずして決着がつくならそれが最善であることは心得ていた。

 ディオの能力はテルミと同等かそれ以上に凶悪。ディオからしても、唯一時の止まった世界を意識することができる承太郎はまた唯一の天敵であった。

 それにディオとてこの聖杯戦争を必ず勝ち抜けるとは限らない。いずれかの英雄に狩られる可能性だってゼロではないのだ。

 ここでディオを、このとんでもなく強大な敵を相手取るのは間違いなく貧乏クジだ。元の世界とは事情が違う。

「もしよければ、お前が元の世界に戻るまで私は聖杯に近寄らないと約束しよう。他に条件があるなら言ってくれたまえ」

 あわよくばテルミと潰しあってくれるかも知れない。そう考えると、ディオと組むかどうかはさておきここで戦うのは勝利から遠ざかる行為だ。

 だが……

「だが、忘れたとは言わせねぇぜ。

じじいも、花京院も……ディオ……!

てめーが殺したってことをな。

てめーみてーなクソ野郎がのうのうと生きてるってだけで気持ちよく眠れねぇんだよ」

 陰でディオの表情はよく見えなかった。が、はたと顔を上げ硬直するその様は少しばかり驚いているようであった。

「……なるほど……交渉決裂か」

「貴重な情報をありがとうよ。もうそろそろ用無しだ」

 ディオは薄ら笑みを浮かべ、ムカデが巣穴に逃げ込むようにヌルリと暗い寺の中に入っていく。

「チッ! 逃さねーぜ!」

 承太郎はディオを追って寺に踏み込む。

 

 やつの能力を持ってして距離を取ったり隠れたりするあたり、やはり本調子ではないのだろうかと承太郎は考えていた。彼の知るディオなら、さっきの距離は仕掛けてきてもおかしくない。いや、承太郎はそのギリギリの距離を保ち、迎え撃とうとしていたのだ。

 しかしこの時、焦ってディオを目に捉えようとした承太郎は拙策を後悔することとなった。ディオは逃げてなどいない。あと一メートルの距離を詰めるために暗がりに身を隠し承太郎を焚き付けたのだ。

「フフ……入ったな、承太郎。

我がスタンド、ザ・ワールドの射程内に……」

「ッ!?」

 承太郎は急いで間を取ろうと地を蹴る。が、同時にディオもそれを逃すまいと疾駆する。数歩分の距離は承太郎には遠いがディオには近い、死の間合い。如何なる能力者であれ無力と化す絶対なる空間――

「見るがいい、これが我が世界。時よ止まれ」

 ゆらりと立ち昇る蜃気楼のようなスタンド……ザ・ワールドが顕在化するや否や、空間がどくんと波打つ。景色がネガ反転したかと思うと、徐々にその色は褪せ、やがて全ての景色が灰色に落ち着いた。

 時間が止まっている。

 寺内を舞う埃も、境内に吹く風が巻き上げた砂も、録画された映像を止めたように微動だにしない。後方へ跳躍していた承太郎の身体も両足を床から離したそのままの姿勢で宙に縫い付けられている。

 この宇宙においてディオを除いて動く存在はなかった。

「……」

 そしてこの世界を誰も意識することはできない。時が再び動き出したとしても、よもや時が止まっていたなどと誰が思うだろうか。この二人以外は――ザ・ワールドを操るディオ、そして因果の渦中にいる承太郎。

 ただし二人の能力には明確な差があった。止まった時を動ける秒数だ。ディオは体調次第では最長十秒を超えるのに対し承太郎は長くても三秒程度。いつ動く権利を行使するのか、承太郎は慎重に思考を巡らせていた。

 ディオが一歩近づく。

 まだだ。

 もう一歩近づく。

 もう少し我慢だ。

 さらに一歩近づき……

「……!?」

 承太郎は困惑していた。

 何のつもりだ? ディオ……絶対有利のこの間合いで、何をもたついているのだ?と。

 時が止まって既に三秒、ディオは未だに攻撃を仕掛けてこないでいた。如何に能力差があるとはいえ、値千金の一秒を無為にするなど怠慢で済む話ではない。何かの策かと勘繰るが、そもそも現時点で暫定勝利を掴んでいるディオに策など無意味。そのあまりの下策ぶりに、承太郎は目の前に迫る男がディオであることを一瞬疑った。

 その直後にディオの金髪がキラリと光を放つ。髪が逆立ち広がったかと思うと、いつの間にやら無数の長い針が彼の周囲に並んでいた。

 承太郎はその針の尻に付いている小さな心臓を見て思い出した。これは肉の芽。吸血鬼であるディオがもつ謎の深い能力の一つで、脳に侵入し宿主の思考を操る力を持つ。寄生された者はディオの手足となり敵を排し、役目を終えれば芽に脳を食い破られ死ぬ。

 ディオはやはり承太郎を手駒とする気だったようだ。

 しかし今、ディオはあっさりとスタープラチナの射程のラインを越えている。無論、むざむざこれを受ける承太郎ではない。

「オラァッ!」

 グシャリとスタープラチナの拳がディオの頭蓋に突き刺さる。さらに、大きく身体を傾けるディオに続けて剛拳を叩き込んだ。

「オラオラオラオラッ!」

「ぐうッ! ザ・ワールドッ、私を護れッ!」

 ここに来て、承太郎はやっとディオのスタンドの実体を見た。稚拙な予想が当たっていたのか、その姿は本調子とは程遠いナリだ。異世界に飛ばされて間もない頃のスタープラチナの様にエッジの利かない薄くぼんやりした輪郭を描いている。

 しかしパワーは衰えてはいないようで、スタープラチナの光速のラッシュを拳で返す。拳と拳がピタリかち合い、空間が歪んで見えるほどの衝撃が二人を弾き飛ばした。

 ディオは大きく後退り、両手で頭を抱え込む。世界が時間を刻み始めたのは、何度か深い息を吐いたあとだった。

「ゲホッ……」

 未だディオは膝をついてはいない。彼の頭骨は削岩機に掛けられた岩の様にぼろぼろで、抉れた脳が露出しているというのに。常人であれば咳込むことも苦しむこともできないほどの明らかな即死ダメージに、不死身の吸血鬼といえど悶えている。

 ディオは血と共に恨言を吐く。

「……こともあろうに!

ジョースターの末裔が……」

「……?」

 承太郎は、その続きを聞くことが出来なかった。既視感のある光景とセリフに何か大切なことを閃き掛けたが、ディオの言葉とその思考は突如響き渡る重低音に掻き消されたのだ。

――ドルンッ

 と、空気を破裂されるその音は不良の承太郎でなくともすぐに正体を察する、特徴的なもの。自動二輪車、所謂バイクというやつのエンジン音。威嚇するような音が背後から聞こえてきたのだから、承太郎は慌てて振り返る。それと同時、承太郎とディオに強烈な光が照らされた。

「!?」

 まさかディオの仲間か、あるいはディオに操られた手下か。承太郎は突然の光に薄目になりながらも新手の姿を見る。

 大型のバイクに跨る華奢な女性……バイクのヘッドライトが放つ逆光で貌はよく見えない。微かに見て取れるはその構え、その片手に持つ武器――大口径の拳銃を向けて――

 ダン、ダン、ダンと大きな銃声が三発続けて鳴り響く。承太郎は慌ててスタンドで身を護るが、弾丸は承太郎の右を通り過ぎる。その三発の向かう先は承太郎ではなくディオの方だった。

 弾丸はそれぞれディオの額、胸、腹と急所を的確に貫く。

「がはァッ!」

 大きな口径だけあって威力も半端ではない。ディオは弾の質量によろめき、二、三歩大股に後退った。その女性は拳銃を撃ち終えるや否や、再びエンジンをふかす。

 停止状態からの急加速。承太郎の知る普通のバイクではあり得ない加速力で、またも承太郎の横を掠めていく。狙いはディオのようだ。銃弾をモロに食らって怯むマトに、追い討ちで大型バイクのタックル。これもまたクリーンヒットだ。時速百キロ近いスピードで鉄の塊に激突されたディオは放たれた矢の様に真っ直ぐ、寺の柱を折り、壁を貫いてぶっ飛んでいった。

 

 バイクは地面を擦りながらターンし、承太郎に横腹を向けて急停止する。

「……」

 

 薄目で確認できた髪型体型などのシルエットはマシュとよく似ていたため、援護に来てくれたのかもと期待したが違った。ここに来てまた新たなサーヴァントだ。

 まず目に付く大型バイクは滅多にお目に掛かれないくらいに珍奇。青く光る鉄で全身覆われ、前輪から後輪まで隠れている様は西洋の甲冑武者を彷彿とさせる。フロントには女性の顔の造形があしらわれていて、ちょうど両眼の部分がヘッドライトになっている。なんとも前衛的なデザインだ。

 それに跨る女性は……前時代的というか時代錯誤というか。棘付き肩パッド、全身にぴったり張り付くライダースーツ、手にはメリケンサックと大型リボルバー式ハンドガンを持つ。退廃感漂う全体におかっぱの髪、鼻から上を隠す仮面。

 仮面の所為で顔は見えないが、歳は随分若そうだ。恐らく十代後半くらいか。

 

 女性は、今度は承太郎に銃口を向けて、こう言い放った。

「サーヴァント・ライダー、新島真(にいじま まこと)

 

 

 




次回更新は6/4(日)の朝7:00です。


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第七節. 個を消すペルソナ-2

 新島真(にいじま まこと)

 日本人らしいその名を聞いて、承太郎は比較的自分と近い異世界から来たのかも知れないと思いかけた。彼女の服装を見て考えを改めたが。

 お前の日本荒廃しすぎだろ、と。

 

「……名乗りなさい」

 

 呆気に取られていた承太郎に痺れを切らしたマコトが鋭い口調で催促する。

 

「……空条承太郎」

 聞くと、マコトは確認するようにポツリと承太郎の名を呟く。彼女も承太郎と同じく、日本風の名前に思うところがあったのかも知れない。

「クラスは?」

 

 承太郎は溜息をついた。

 彼は未だに自身のクラスを知らなかった。相手が名乗る以上は礼儀を返したいのは山々なのだが。仕方なく適当にライダーとでも名乗って誤魔化そうにも、目の前の相手が見るからにライダーである。一度の聖杯戦争につきクラスは被らないそうだから誤魔化しが利かない。

 

「さぁな」

「答えなさい!」

 

 承太郎は片眉を吊り上げた。

 クラスは確かに戦略のタイプを決める重要な要素ではある。が、彼女は自らライダーを名乗ったわけで、また戦闘場面をも先んじて披露しておいてその情報を重視するのはやや矛盾している。

 何か他に意味があるのだろうか。

 しかしいずれにせよ、承太郎が出せる答えは決まっている。

「凄まれても知らんものは知らんぜ」

 

 承太郎の発言を戯言と断じたか、マコトは忌々しげに歯を覗かせる。

 

「じゃあ……敵ね」

「!」

 直後、三発の発砲。それが戦闘開始の合図となった。速射……というほど速くはないが、狙いはいい。幅広い胴体に44マグナム弾が飛来する。熊などの猛獣をも狩れるパワーを持つ弾だ。

「スタープラチナ!」

 承太郎の呼び掛けに出現したスタンド、スタープラチナが弾丸を右手の指のみで器用に摘み止める。

 その所業を見たマコトが驚愕する。が、戦意は全く失われていないようで、鋭い眼差しを寄越したあと、バイクを走らせて承太郎を中心に円を描く。その軌跡にパラパラ落ちるのは薬莢。マグナム弾のリロードだ。

 スレンダーな女性がまるで玩具の銃のように拳銃を扱う様を見て、承太郎はライダーの特色を思い出していた。豪快でパワー重視が多く不器用な面もあるが、大局観に優れる戦略家でもあるという。

 マコトの戦略は事実として弱点を突いていた。承太郎は接近戦においてパワーもスピードも強力無比であるが、遠距離からの攻撃に対して反撃する手段は少ない。投石程度が関の山だ。故にこうして射程外をキープされるのは実に難儀なことなのだ。

 マコトはバイクを疾走らせながら、またもリボルバーガンの引き金を引く。承太郎は余裕の表情でそれをスタープラチナの拳で打ち弾いた。

 余裕ーーそれはマコトも先程のやりとりから承知の上であった。放たれた弾丸を指で摘むほどの敵に同じ攻撃を繰り返し試しているのは、能力の持続性。基本的に高い出力を維持するには相応のエネルギーが必要となる。

 それだけの力をいつまで発揮していられる?

 マコトの二つ目の問いも見事、スタープラチナの死角。承太郎の弱点はピシャリ正解、射程と持続力だ。この異世界に来てからはより持続力に衰勢を感じていた。スタンドを常に現出させているだけでも体力の消費を感じるほどだ。先ほど止まった時間の中を動いたのも中々に響いている。

 しかしながら承太郎は、マコトの銃撃をいなし続ける。

 なぜなら射程と違い、持続力は勝負が決まって初めて分かることだからだ。今、承太郎が苦しい戦いを強いられているという事実はマコトには確認しようがないのだ。

 だから承太郎は焦って攻めることもせず冷静にアピールする。

 その攻撃は通じないぜ、と。

 

 度々の攻撃にも策を弄する様子を見せない承太郎に業を煮やしたか、マコトは垂直にターンして承太郎に突進する。先ほどディオをふっ飛ばした体当たりだ。今度は承太郎のパワーを探ってやろうという肚なのだろう。

 承太郎は目眩しの射撃を払い、マコトを迎え撃つ姿勢だ。

 マコトは仮面の下で顔をしかめた。正面から猛スピードで迫る大型バイクに物怖じすることなく立ち向かうというのだから訝るのも無理はない。

「力比べにも自信がありそうね」

 マコトの小声はバイクのエンジン音に混じり承太郎には聞こえない。

 承太郎はマコトが射程内に入るのを静かに待つ。あの速度ならコンマ三秒もかかるまい。スタープラチナの拳が届く範囲に入れば勝負は一瞬だ。既に承太郎の脳内にはスクラップになったバイクのイメージだけがあった。

「おおおッ!」

 承太郎が渾身の拳を放とうとしたその瞬間――マコトはバイクを蹴って跳躍した。

「!?」

 承太郎の頭上を通り越して背後に立ったマコトは、そのまま地を蹴り、承太郎に突進する。

「はああッ!」

 大きく右腕を振りかぶり、メリケンサックを嵌めたグローブで殴りかかる。バイク程でないにせよ威力はありそうだ。

 前方には未だバイクが承太郎に向かって直進しているーー所謂、挟み撃ちというやつである。

 とことん此方の嫌な戦略を取ってくる奴だ、と承太郎は感心した。正面と背後を同時に護るのが難しいのは、スタンドと本体が切り離れている故にそれを看破されやすいとは言え。

 承太郎の判断は当然、横に退避。マコトはともかく乗り手を失ったバイクは直進しかできない。避けたバイクがマコトに衝突し同士討ちを狙えるかも知れない、というのは出来過ぎにしても。

 承太郎は大きく右に避けてから……気が付いた。彼女、マコトは承太郎のスタンドに対して嫌に理解が早かった。ともすれば二人のサーヴァントが並んでいる風にも見えなくはないスタープラチナを、承太郎の能力だと即座に把握し、その制限や弱点を探りに来た。それはまさか、彼女も同じような能力を持っているからではないか。ならば、今まさに承太郎を轢き殺さんと迫るバイクこそ……

「ヨハンナッ!」

 マコトが叫ぶと、バイクはカクンと鋭く方向を変える。勿論、承太郎の方へだ。

「ちッ……!」

 やはり、搭乗していなくても操作できるのか。承太郎がそう思い至った時、状況は更に悪化していた。急いで身をかわしたせいで体勢は崩れ、そこに大型バイクとマコトが前後から追撃に迫る。

 避けられない。

 マコトは勝利を確信した。先程の動きから、承太郎の機動力は生身の人間とそう大差ないことは明白。であれば、よほど物理法則に反した動きをしない限りは回避不可能のはず。

 尤も、彼は万物を支配する物理法則を操る能力を持つ。

「スタープラチナ・ザ・ワールド! 時は止まる……!」

「……えっ!?」

 マコトが握り固めた拳を振るう直前、目の前に承太郎は居なくなっていた。瞬きすらしていない。物理的な限界速度を超えて、今し方倒れかけていた男が掻き消えたのだ。

 承太郎の切り札、時間停止だ。

「こっちだぜ」

「はっ……!」

 突如背後から聞こえる声に振り返ると、バシンと平手打ちが顔面に一発。

「あうっ」

 マコトはよろめいて三歩後退りする。そのあと、突進をスカしたバイクがぐるりと大回りしてマコトの後ろについた。

「……」

「……はあ」

 マコトは所在なさげに承太郎を上目で見る。

「私の負けみたいね」

 マコトが仮面を外すと、それはホラーチックな青色の炎となって宙に溶ける。続いてバイクも燃えるように無くなった。

 仮面を取ったマコトは髪型こそマシュに少し似ているものの、目端がやや吊り上がっていて意志の強そうな印象を受ける。マシュ、アリサに続きかなり整った顔立ちに見えるのだが、異世界から連れてこられる選考基準に容姿も含まれているのだろうか、と承太郎は思った。

 

「レディの顔をぶつなんて、貴方の世界にマナーはないのね」

「平手打ちだろ。許せ」

「ふふっ。そうね。でもどうして本気で攻撃しなかったの?」

「なに、あんたのさっきの発言が気になってな。

英ゆ……サーヴァントのクラスと敵味方に関係があるのか?」

「……なるほど。それは……」

 マコトは開きかけた口をまた閉じ、ううん、と唸りながら視線を泳がせる。

「あなたのクラスを聞かないと答えられないわ」

「ったく。こっちは殺されかけたってのに手加減してやったんだぜ?」

「私は頼んでないし? それとこれとは話が別」

「……やれやれだぜ」

 承太郎は一言二言で彼女の性格が何となく分かった気がした。

「秘密にしてる訳じゃない。俺自身もクラスが分からないんだ」

 マコトは「ううん」と下顎に手をやり考える素振りを見せた後、

「エキストラクラスってわけね。なら仕方ないわ。質問を変えてあげるわ。

あなたのその能力は、ペルソナなの?」

 きっと彼女がもつ能力、バイクのスタンドのようなものの総称を彼女の世界ではペルソナというのだろう。

「いいや。これはスタンドと呼ばれている。恐らくあんたの世界にある能力とは別物だろうぜ」

「……まあ、そうよね。似ているところもあるけど、あなたには仮面がないもの」

 承太郎は、仮面を剥がすとヨハンナ――彼女がそう呼ぶペルソナというものーーが消えたことを思い出していた。

「異世界って言っても色々あるのね。あなたの世界と私の世界もかなり似ていそうだし」

「……そうなのか……」

 承太郎はもう一度マコトの世紀末感溢れる服装を見て、心の中でそっと否定しておいた。

「それで、だ」

「ええ、分かってるわ。あなたの知りたがってることを教えてあげる。

と、言うより……ぜひ聞いて欲しいわ」

 諸々と情報交換の体裁で聞いておいて、今更むしろ聞いて欲しいなどとは中々に食わせ者だ、と承太郎は思った。

「私は……いえ、私たちはとあるサーヴァントを追ってるの。

サーヴァント……アルターエゴを」

 




次回更新は本日の17時です。

~以降ステマ~

新島真(マコト)はJRPGの代表格「ペルソナ」シリーズのナンバリング5作目「ペルソナ5」のヒロインの一人です。

ペルソナ5は主人公が高校生というのもあり、ヤングアダルト向けという面もあると思いますが、実はオッサンこそ一番楽しめるんじゃないかと思っています。
「みんなは知らない、日常に潜む不思議」といった、ある種の年齢制限がかかった体験を提供してくれるのです。大人になると信じれなくなるロマンを思い出させてくれるのです。

もちろん、女の子がかわいいのもイイところですけどね!



神曲の宝庫ぺルソナの中で一番好きなBGMは……迷うけど「カネシロパレス(前半)」のBGMです! 全人類に聞いてほしい神曲。


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第七節. 個を消すペルソナ-3

「……アルターエゴ……」

 承太郎はその名を繰り返した。能力や出自に謎多きクラスであり、ある者の自我の一側面を切り出した存在であるともされる。アルターエゴについてはマシュからも多くの情報を得られていない。

 マシュが言うには傾向として精神的に歪な者が多く、承太郎は恐らくアルターエゴではないだろう、とのことだった。こうしてマコトがその話をするのも、マシュと同じ判断を下していたかもしれない。

 

「聖杯戦争はバトルロワイヤルだろ? その、アルターエゴを目の敵にする理由は何だ?」

 

 今までの様子からして、マコトはそのアルターエゴの姿は勿論名前も知らない。

「それは……」

 マコトが言の葉を紡ごうとしたときーー唐突に男の声が重なった。

「それは……オレ様が教えてやるよ」

 ちょうど承太郎の真後ろ、境内の入り口方向だ。

「!」

 承太郎は使い込んだドスのような危なげな声にギョッとして振り返った。聞き覚えのある声の主は、

「……テルミ」

 マコトが答えてくれた。ツカツカと靴音を響かせ、黒いスラックスのポケットに手を突っ込み、肩で風を切り歩く。

「てめぇ、居やがったのか」

 承太郎が威嚇にスタンドを現出させると、テルミは掌を突き出し待ったのポーズ。

「いんや、今ポータルで空間転移して来ただけ。

争う気はねーよ」

 こちとら随分走り回ってここまできたのにコイツはしれっとワープなんてするのかよ、と承太郎は内心毒づく。

 マコトは承太郎の横に出てテルミに向く。

「随分早いようだけど、そっちの方は終わったの?」

「あぁ。予定通り、アーチャーのメスガキにセイバーのクソガキをお持ち帰りさせてやったよ。

奴らの隠れ家も直き分かるぜぇ」

「……!」

 哀れティーダ、ダシに使われたか。折角マシュが張った結界が無意味になってしまうのは悲しいが、今慌てて隠れ家に帰っても対策は間に合わないだろう。アリサに尾行が付いているなら彼女らの身も危ないが、マシュもそちらに向かっているはず。

 むしろ、今し方のやりとりから同盟であろうキャスターとライダーのサーヴァント二人に囲まれている承太郎の方がよっぽどピンチだ。

 尤も、彼らに戦う意志はないそうだが。

「あなたから説明してくれた方がありがたいわ、テルミ」

「そうさせて貰うぜぇ。新情報もあることだしな。

だが、先におさらいだ。

まず、何で俺らがアルターエゴを探しているのか……」

 承太郎は軽く頷いた。

「スゲェ単純な理由だ。

アルターエゴがよ、一番危険だからさ」

 承太郎は目を丸めて驚いた。いかにも唯我独尊の雰囲気を隠す素振りないテルミをしてそう言わしめるとは、と。

「あ、あ、勘違いするんじゃねぇぞ?

トーゼン一番強えのはこの俺様よ」

 テルミは承太郎の表情を見てすかさずフォローを入れる。変に楽しげなのはそういう性格なのだろう。

「アルターエゴは危険なんだ。データを見るとよぉ、どうにも対処しねぇわけにいかねぇのよ、完璧主義の俺様としては」

「データだと?」

 承太郎は思わず口を挟んだ。

「そーそー。ま、万能の俺様にかかれば聖杯戦争の過去の経緯も見れちゃうワケ」

「……」

「……」

 実際に、ちょっと過ぎるくらいに万能のようなので特にマコトも承太郎もツッコミを入れず呆れた顔でテルミを見やる。

「と言っても流石に映像を見てるわけじゃねーし、聖杯の解析も不十分だ」

 テルミは少し間を置いて「しかし」と続ける。

「コイツは確かな情報だ。

聖杯戦争は一回こっきりのゲームじゃねぇってのは知ってるか?」

「ああ」

 マシュから聞いているが、この地でも別の場所でも幾度もあった戦いらしい。

「前回の聖杯戦争の勝者……それがアルターエゴだ」

「……」

 承太郎はほんの少し考えた。

 いずれかのクラスは勝者になるはずだし、何より前回の勝者なら当然元の世界に戻っているはず。警戒の理由にはならない。

 もしも前回の勝利クラスというものがそれだけで警戒されるとすれば、つまり……

「そのさらに前回の勝者も、アルターエゴってとこか?」

 テルミは満足そうにニヤリと笑った。

「察しがいいねぇ! その通り!」

 テルミはさらに続ける。

「前回も、前々回も、その前も、さらにその前も、さらにさらにその前も!

聖杯戦争ってのはよォ、アルターエゴしか勝ったことがねぇんだッ! ヒャッハハハハハハッ!

どぉだい? 愉快だろォ!?」

 承太郎はテルミの情報を、冷や汗かきながら反芻していた。

 その情報が事実なら他のサーヴァントは互いに争っている場合ではない。

 アルターエゴを皆で叩く。まずはそうしなければ聖杯戦争自体始まらないと言ってもいい。

「ま、十回くらい前までしか確かめてねーけどよ。偶然じゃねえって言うに充分だよな?」

 承太郎が押し黙ると、今度はマコトが補足する。

「彼、かなり胡散臭いけど嘘はつかないわ」

「お、心に侵入するとかいうマコトちゃんの能力で見てみたってワケ?」

「……勝手に人の力を暴露しないでもらえる? というか知ってたのね」

 マコトが不満げに言うと、テルミはまた満足そうに笑う。

「そーいうのはすぐ分かるんだよ。

しかしまぁ、確かに俺は嘘つかねーが、そう思われてんのもそれはそれで多少イラつくな」

「面倒臭いわねあんた!」

 二人が和んでいる間に承太郎はアルターエゴがどんな奴なのか思い描いていた。精神が歪んでいて、恐らく聖杯戦争勝者と目される強さ。ふとディオが思い浮かぶ。

 

「それで、新情報っていうのは何なのよ」とマコトが促す。

「あぁ〜そうそうそれ。

こっちは大部分予想入っちゃってんだけどよ。

……アルターエゴの正体がわかった」

「……!」

「自称シールダーのサーヴァント……マシュ・キリエライトだ」

 


 

 もし、マシュかテルミのどちらを信用するかと問われれば、当然ながらマシュの方だ。故に承太郎はテルミの宣言にそこまで狼狽はしなかった。順当に考えればテルミが仲間同士の争いを誘って虚言吐いている方が真実味ある。

 

「根拠は?」

「シールダーなんてクラスが存在しないからさ」

「……ほう」

 

 承太郎が疑惑の目を向けると、テルミは説明を始めた。

 

「聖杯戦争ってのには俺たちサーヴァントが不可欠な訳だが、俺はその召喚システムにアクセスしてみたワケよ」

 原理も理屈もよく分からなかったが、承太郎もマコトもとりあえず頷いた。

 

「で、ガチャガチャっと召喚のシミュレーションをやってみたんだがよ。

シールダーなんてクラスのサーヴァントは一体たりともでねぇんだわ、これが」

「試行回数は?」

「条件を変えて千回以上。何かよくわかんねーけど十回に一回は二体同時に出るみたいだが、とにかく何回やってもシールダーだけが出やがらねえ」

 承太郎は腑に落ちない表情だったが、それでもかなり濃い容疑者であるには違いない。対して、マコトは強く頷いた。

「なるほど。そのマシュって人に私の能力で探りを入れてみる」

 言い終わると、マコトが承太郎に強い視線を投げかける。

「あなた、確かそのマシュと手を組んでいたそうね」

「そうだな」

 何が言いたいかはおおよそ察しがつく。承太郎はまた厄介なことになったと思っていた。

「あなたもアルターエゴについては知らないフリをして情報を聞き出して」

「なんなら、寝首掻いてくれてもいいんだぜぇ?」テルミが煽りを入れる。

 万一テルミの予想が外れていたとしても元々敵が減るだけだ。同盟を失うことにはなるが、はなからいつ失われるか分からない関係だ、というところなのだろう。

「それとなく聞いておくことはしよう」

「ま、急ぐ必要はねーと思うが。俺はもう少しこの世界のことを掘り返してみるつもりだしな」

「今も、他のサーヴァントがアルターエゴに襲われている知れないのに呑気ね」

 マコトが渋面で言う。

「前にも言ったがよぉ、アルターエゴは単に戦闘能力が高いわけじゃねー。恐らく、聖杯戦争の仕組み上有利な何かを持ってやがるんだ」

 そうでなければいくら何でも十連勝はしないだろう。セオリーとして、出る杭が打たれるからだ。

「殺し合いだけの話ならとっくに俺様がアルターエゴをやってるに決まってんだろォ?」

 テルミはやれやれと溜息を吐く。

「正体が分かれば今は十分だし、気になることもある。洗脳のような術を使った形跡があることだ」

 承太郎はもちろん、マコトも驚いていた。これも最新情報というわけだ。

「確かか?」

 承太郎が問うと、テルミは珍しく困った表情で頭を掻く。

「三十パーくらいじゃねぇか? でもアルターエゴってクラス名も、何か精神にカンケーする能力持ってそうじゃん?」

「名前かよ……」

「ん〜。解析しねぇ奴には分からねーだろうが、名前ってのは案外大事なんだぜ? 元々少ない材料でやってんだからな」

 承太郎は興味なさげにふうんと鼻を鳴らす。

「とにかく、暫定ホシが上がったからには、エキストラクラス皆殺し作戦は一旦中止だ。撹乱は駒が多いに越したことはないからな」

 平然と本人たちを前に駒扱いとは傲慢なやつだ。と思うものの、付き合っていたらキリがないので承太郎もマコトも溜息吐くだけにとどめた。

 

「あの子は大丈夫なの? ランサーの」

 マコトが思い出したようにテルミに問う。

「……あ〜。

あいつはまぁ、実験だ。アルターエゴと接触すれば何らかのデータが取れるかも、ってのもあるし」

「さすが極悪人ね」

 非難口調でもなくマコトが言うと、テルミはくつくつ笑う。

「悪人は認めるが、あいつが自分でやるって言ってんだ。折角だし止める理由もねぇだろ」

「そう……」

 マコトは複雑な表情で視線を外す。テルミと違って本来悪人でもなさそうだし、年齢から言っても殺し合いのバトルロワイヤルなど精神的には相当厳しかろう。承太郎はそう思ったが、自分も同年代であることを思い出し、呆れ笑いした。

 

「空条さん。

とりあえず、アルターエゴをどうにかするまで手を組めないかしら?」

「いいや、組むって程のこともないさ。逐一ってわけにもいかないが、もし何か分かったら連絡するぜ」

 承太郎の返答にマコトは少し冴えない表情をしつつも「了解」と返す。

 

「じゃ、用事も終わったところでお仕事に戻るとするぜ」

 テルミが背を向けて境内の出口へ向かう。

 マコトも、それに続いて小走りに出口へ向かう。しかしその途中、はたと振り返って承太郎の方に向き直る。

「そうそう、忘れるところだったわ。その、アルターエゴの容疑者に伝えて。

『アルターエゴへ、あなたの歪んだ欲望を頂戴する』

って」

「……それが、心に侵入する能力のトリガーってわけか」

「そういうこと。もうアイツにバラされちゃったから言うけど、大した力じゃないわ。

心に侵入する条件はその人の名前と、その人が『この世界をどう思っているか』を当てる。さっきの予告は正体を探る布石なのよ」

 能力を告白すれば信頼を得られると思っているのだろう。承太郎もその狙いは分かっていたが、それでも一定の効果はあった。

「心に侵入してアルターエゴを処理できるのか?」

「……確かに心の世界で決着をつけることはできるけど、それができるなら現実でもできるわ」

 簡単に条件を満たすものは大きな成果を得られない、というのは承太郎にとっては馴染み深い制約だ。

「ライダーのくせに随分と繊細な能力だな」

「ま、私の能力じゃないからね」

「……?」

「はい、尋問タイムは終わり。予告の件はお願いね」

「伝えておく」

 

 マコトは今度こそ踵を返して去ろうとしたが、それを承太郎が引き留めた。

「おい、仮面を忘れてるぜ」

「え?」

 マコトはキョトンとした表情で承太郎を見る。

「仮面? 何のこと?」

 それを見た承太郎もまた首を捻る。承太郎は、彼女が仮面を外したことでバイクの能力が消えていたことから、てっきり仮面が能力行使に必要なものと判断していた。そのマコトに仮面というのだから、当然その仮面のことだ。

 一方で、マコトにとってはペルソナとは自分自身と同一のもの。そこにペルソナを置いて来てしまったなどと言われると哲学的に難解な疑問が生じる。

「ほら、そこに落ちてるぜ」

 マコトの疑問をつゆ知らず、承太郎は地面に転がっている仮面に目配せする。

 確かに、仮面は落ちていた。

 マコトはそれを認めると、眉間に皺を作りながら仮面に近づいて凝視する。その後「んん?」と声を吃らせ、

「……何これ?」

 と第一声。

 

 釣られて、承太郎も仮面をよく見る。発見したときは暗さのせいでしっかり確認していなかったが、確かにマコトの仮面とは違っていた。

 思い出すにシンプルな鉄仮面であるマコトのそれと比べて、ペイントが入っており、赤や緑や黒、黄色と随分派手な意匠だ。仮面の周りにもカラフルな棘が付いており、子供向けのオモチャのようでもあるし、不気味な儀式の呪具のようでもある。

 

「すまん、見間違いだった」

「いえ、ご忠告ありがとう」

 

 マコトは不思議そうにしばし仮面を見つめていたが、やがて興味を失ったようで、カツンと仮面を蹴り飛ばした。

 

 




次回更新は6/5(月)の朝7:00です。


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第八節. 黒っちろいガキ

 森と市街地の境目を、少年少女がゆっくり歩いている。

 アーチャーのアリサと、彼女にたった今救出されたセイバーのティーダだ。

 

 両名とも、見るからに満身創痍といった様子だ。アリサは身体中傷だらけで、マナの欠乏により顔色も良くない。ティーダの方は目立った外傷はないものの、呼吸も浅く、歩くのも精一杯なくらいに弱り果てているようだ。

 

 途中、ティーダがコンクリートの割れ目に足を取られて転ぶ。アリサは肩を貸してティーダを起き上がらせた。

「もう少しです。頑張ってください」

「うん……」

 ティーダの気のない返事に、アリサは心配そうな表情だ。

「少し休みますか?」

「あ、いや。大丈夫。

ただ、ちょっと……落ち込んでただけ」

「どうしたんですか?」

 ティーダは聞いて欲しくなかったようだ。乾いた笑いをこぼす。

「いや、どうしたっつーかさ、ボコボコに負けた挙句、女の子に助けられてさ……ダサ過ぎじゃんオレ」

「そんなことないですよ」

 ティーダはその言葉を励ましのつもりだろうと思ってはいた。が、アリサの迷いない即答につい顔を上げる。

「自分の弱さを認められる人って、かっこいいと思います」

「はは……優しいよな、アリサはさ」

「えへへ。それだけが取り柄です」

 

 しばらく歩きながらの閑談に興じていた二人だったが、アリサがふと何かに気がついたように空を見上げる。

「どうしたのさ?」

 ティーダの質問から数秒間をおき、

「足音が近づいてきます」

 ティーダは耳を澄ますが、地鳴りや地崩れの音も空気に混じってろくに何も聞こえはしない。

「この足音は、きっとマシュさんです!」

 それ足音で分かる?と疑問に思うが、アリサの長い耳を見て、聴覚に優れた英雄なのかもと思い直した。

 アリサは喜び、マシュの名前を呼ぶ。今のアリサたちはゾンビどもとすらまともに戦えないほど消耗しているのだ。一刻も早く合流したいのは当然。

「マシュさ……」

「ちょっと待って!」

 アリサがマシュを呼ぶのを引き止める。アリサが不思議そうにティーダを見たあと、周囲をぐるり見回す。警戒すべき相手がいるのかと。

 しかし辺りにゾンビどもはいない。

「その、あんまり疑うわけじゃないんだけどさ。

この状況ってマシュが俺たちを助けてくれる保証はないかもと思ってさ」

 ピンピンしている元気な戦士なら仲間として迎えてくれるだろう。しかし最終目標はどうあってもオンリーワンの勝利。労せず事を為せるなら弱った二人を抹殺し、数を減らしに来ても何ら不思議ではない。

 アリサはキョトンとしてティーダを見たあと、発言の意味を正しく理解したらしく、それでも和かに笑った。

「大丈夫ですよ。もともと、マシュさんもティーダさんを助けにあちこち探し回っていたんです。ジョータローさんも一緒に」

「え、二人も」

「はい。お二人とも、すごくいい人だと思います」

「そっか……」

 アリサの話を聞いてもティーダは不安を拭い切れなかった。アリサの人物評価はアテにならないとして、助けに来てくれた事実があるなら今は信頼していいのだろう。しかしティーダは訳もなく、マシュに言いようのない何かを感じていたのだ。悪寒……と言うほどのものでもない。単なる苦手意識のような。

 いっそのこと承太郎が来た方が安心できた。

「あ、やっぱりマシュさんです! こっちですー!」

 ティーダは自分の思い過ごしだと断じ、アリサと一緒にマシュを呼んだ。

 隣のアリサは手を振っている。

 

 ティーダとアリサの姿を認めると駆け寄ってくる。隙間から種火の発光が漏れるバッグを持って、傷ついた二人の様子を見て急いで走る。ティーダは自分の心配は杞憂であったと安心し、また助けに来た仲間を疑う心を恥じた。

 ああ、このツケはどこかで返さないと。

 と、そう思っていた。

 

 ――が、二人との距離が十数メートルに近づいたとき、はたとマシュの瞳の色が変わるのを見た。

 

 大きく見開いた目は相手を視界から逃さぬように。

 少し丸めた背は瞬発力のバネに。

 

 マシュが地を蹴る。速い。この距離、このスピードでは急に止まることはできない。

 

「……ッ!?」

 

 左側に大きく振りかぶった手に現れる大盾を見た時、ティーダはやはり久々に勘が当たってしまったのだと嘆いた。やはりマシュは自分たちを始末する気なのだと。

 もはや逃げることも叶わない。ティーダが覚悟を決めた時、

 

「伏せてっ!」

「!」

 

 マシュの叫びを聞き、ティーダとアリサはその場にすっ転ぶように伏せる。その頭上をマシュの大盾が薙ぎ払った。

 ガキン、と乾いた音が耳もとで鳴り響く。金属と金属がぶつかったような冷たい音だ。目の端をかすめたのは黒い靄。その中にわずかに幼い子供の輪郭を見た。

 それはマシュの攻撃を受け、真横に吹っ飛んで瓦礫に激突した。爽快なほどのアタリだ。

 

「驚かせてすみません……!

無事ですか!?」

 ティーダもアリサもあまりの早い展開に驚き、こくこくと首を縦に振って返事するだけだ。

「今のは何なんですか?

また異世界の英雄……なんですか?」

 アリサがマシュに向いて質問するも、マシュは鋭い視線をある一点に向けたまま動かない。

「おそらくアサシンです」

 立ち昇る土煙の中から、ぬうっと黒い影が現れる。初見の見立て通り、小さな子供だ。しかし、黒い靄は濃く、男女の判別すら難しい。両の手には一つずつナイフが逆手に握られている。

 会心にみえたマシュの攻撃もそれほど効いてはいなかったのか、ダメージは見て取れない。

 

「まずは種火で回復を。私が時間を稼ぎます」

 マシュは種火が入ったバッグをその場に落とすように置き、二人の前に出る。

 

「うそつき……」

 アサシンらしき影が声を発する。幼い少女の声だ。十歳かそこらの、可愛らしい声が悲しさなのか怒りなのか、とにかく負の感情を凝縮した低い音で唸る。声質と籠った感情のギャップに三人はぎょっと目を見開く。

「聖杯は何も与えない。

聖杯は何も創造(つく)らない。

聖杯は何も生まない」

 アサシンの立つ地から塊のような質量感を持つ靄が溢れてくる。

「何の……」

 

 何の話ですか。マシュはつい喉まで出かかったその問いを呑み込んだ。眼前の敵から猛烈な殺気を感じ取ったからだ。

 

「備えて! 攻撃が来ます!」

 

 ぬるりと纏わりつく靄の中をアサシンが揺らめく。並の戦士では動きの軌跡すらも見極めることのできないほどに濃い靄に隠れる敵の意志を捉える。防御に長けたマシュにしか為せない業だ。

 

 マシュが盾を構えると同時、黒い影が伸びるように三人に向かう。マシュは一歩前に出てアサシンを迎撃した。

 アサシンが鋭利に躍らせるナイフを、大きな盾がガッチリと受け止める。火花を散らしながらも斬撃を流されたアサシンは、そのままマシュの盾を足場に跳躍し、今度はティーダの方へナイフを振るった。しかしそれは空間に突如現れた魔法陣に阻まれ、耳を(つんざ)く摩擦音を撒き散らすにとどまった。

 マシュの防護結界だ。

 

「はああっ!」

 

 二度の攻撃に失敗し隙を晒すアサシンに、マシュが盾で兜割りのように殴り下ろす。微かに手応えを感じるが、靄に視界を阻まれダメージのほどは確認できない。しかし靄を掻き混ぜるように動き回る様子にダメージは感じられない。

 続いてティーダが斬撃を放ち、アリサが矢を撃つも、その両方が虚しく空を切る。お返しとばかりに飛んできたアサシンの投げナイフに二人は手傷を追う。大したダメージはない。相手もまた投擲の狙いはよくなさそうだ。

 マシュの追撃を躱すと、アサシンの影は飛び退いて距離を取った。

 

「うそつき、うそつき、うそつき」

 アサシンはまたもうわ言のように単調な言葉を繰り返す。

「どういう意味なんでしょうか? 何か、悲しそうに見えます……」

 アリサが気重に言うと、マシュは首を横に振る。

「分かりません。が、敵には違いありません。

お二方、今のうちに回復を」

「ああ。こっちはもう、大丈夫」

「戦えますか?」

「何とか。アリサはなるべく離れていて」

 元々外傷は治癒していたティーダは魔力さえ戻れば戦闘に支障ない。対して肉体にダメージがあるアリサは復調に時間を要する。アリサは素直に頷いた。

 

 身のこなしもさることながら、靄がマトをブラして的確な攻撃を邪魔立てする。まさに話に聞いたアサシンといったところだ。靄で攻撃の初動を隠すのも厄介だ。

「速攻で勝負をかけましょう。ティーダさんに防御結界を付与しました。何度かは攻撃を防げるでしょう。

アサシンを追い立てて下さい」

「……え、オレがその役?」

 ティーダが少しばかりの寂しさを覚えたのは、セイバーである自分が攻撃を任されなかったからだ。シールダーのマシュが攻撃役を買って出るほど自分は頼りないのかと。

「厄介なのはあの靄です。アサシン自体はそれほどスペックは高くありませんから、私の攻撃でも十分事足ります」

「でも、だからってさあ……」

 ティーダに反論の時間はなかった。アサシンが靄を巻きながら蛇行して走る。

 ティーダはバックステップでアサシンの攻撃を避けつつタイミングを合わせて斬撃。距離感はピッタリだがやはり靄を裂くだけだ。追い討ちに向かうマシュは盾を前面に構え、そのまま体当たりする。威力はそれなりだが、靄ごと叩き飛ばす攻撃は確実にヒットしている。

 さらに二人はアサシンを追う。スピードでマシュに勝るティーダは先手を取ってしなやかに剣を振るう。マシュの攻撃で転倒していたアサシンはすぐに体勢を立て直し、攻撃をひらりと避ける。尤も、ティーダには避けたのかそもそも当たらなかったのかも判別できていない。

 攻撃をスカしたティーダはそのまま走り抜け、重なるように後を走るマシュが間髪入れず盾で殴打。これは掠める程度に当たりだ。

 ティーダはここに来てようやくマシュの作戦に合点がいった。

 例えば矢を使うアリサの攻撃は点。ティーダの斬撃は線。巨大な盾をハンマーのように叩きつけるマシュの打撃は面だ。非常に単純だが、敵に当たる面積が大きい。こういう手合いは有利というわけだ。

「そういうことなら!」

 ティーダがマシュに向けて手をかざし、呪文を唱える。ヘイスト――対象の時間を加速させ、大きくスピードを上げる魔法だ。

 グンと移動速度が上がったマシュは続けてアサシンを二度三度と攻撃する。またもや盾の面を使った面積の大きい攻撃をヒットさせる。

 そしてティーダはマシュが指摘していたもう一つの事実も認めた。それは、こいつは強くない、ということ。

 靄に隠れているために余計にダメージのほどが分からなかったが、この英雄は頑丈なわけでも、攻撃を巧く受け流しているわけでもない。ただ、ダメージに対して人間的な反応……つまり痛みや怯みがなかっただけなのだ。

 現に、幾度もの攻撃を受けて体の限界を迎えたアサシンは途端に動きが鈍くなり、覆う靄も薄くなってきた。

 

「これでトドメです!」

 

 跳躍し重力をのせたマシュの重い一撃が直撃する。地面に大きなヒビが入るほどの衝撃に当てられたアサシンの手足は崩れ、その場にパタリと倒れた。

 戦闘の終わりを悟ったマシュもティーダも「ふう」と一息つく。

 

「終わりました」

「……うん」

 

 すでに靄を纏うこともなくなったアサシンの体は徐々に薄くなっていき、やがて眩い光がアサシンを包み始めた。

 

「これ、何なの?」とティーダがマシュに問う。

「消滅です。召喚された英雄はこうやって退場するのです」

「……そっか」

 要するに死んで聖杯に魔力を回収されているわけか、とティーダは考えた。(むくろ)すら残らないとは随分と残酷だ、とも思った。アサシンの死に様に憐憫さえ覚えた。そしていずれは己の末路か、そうでないなら己の手で他の誰かを下すことになる。

 ティーダは英雄の死を見て、ようやく聖杯戦争という理不尽を認識できたのだ。

 

「うそつき……うそつき……」

「だから……何だってんだよ、それ!」

 ティーダがアサシンに叫ぶ。アサシンは再び、低く唸った。

「聖杯は奪うだけ。

聖杯は壊すだけ。

聖杯は殺すだけ。

あぁ、あぁぁぁぁっ。

アァァァァァァァァッ!」

「……っ!?」

 

 二人が――マシュとティーダが気付いた時には遅かった。アサシンの突然の疾駆。うつ伏せの姿勢から体をボロボロと崩しながら、数メートル前方のマシュを通り抜けて。

 向かう先はアリサ。

「しまったっ……! アリサさん、逃げて!」

 マシュが叫ぶ。

 

 テルミとの戦いの傷は未だ癒えていないアリサに素早く動くのは無理だ。アリサは咄嗟に腰の短剣を抜き払いざまに投げる。それはアサシンの体を貫くも、己の体すら魔力に変換したアサシンは止めることはできない。

 

「アァァァァッ!

わたしたちの、お母さんッ!」

 脈絡のない言葉を発するアサシンの後を、マシュとティーダが追う。が、アサシンの凶刃がアリサの喉元に迫る。間に合わない――

 

「そう来ると思った! ってわけじゃないけどさ!」

 アリサの目の前まで到達したアサシンの動きが途端に鈍くなる。足元に浮かび上がるは青の魔法陣。ティーダの結界魔法、スロウだ。アリサと戦線の間に、予めトラップのように張っていたのだ。

「道連れなんてダセーんだよ!」

 あっという間にアサシンに肉薄し、縦横に二連の斬撃。既に崩れかかっていたアサシンの体はバラバラに四散したあと、光に包まれて消滅した。

 

「ありがとうございます。危なかったです」

「……うん。無事でよかった」

 暗い表情のアリサが礼を言い、沈鬱な表情でティーダが返答する。正当防衛とはいえ、敵にもまた自分たちを狙う正当な理由があり、決して悪ではない英雄を討ったのだ。彼らとて戦場に身を置く者だが、やはり気持ちのいいものではない。

 

「気に病むことはありませんよ」

 マシュが顔を伏せる二人に声をかける。

「仕方のないことです」

「分かってる。でもさ……」と、胸中語ろうとするティーダに、

「聞きません」

 マシュはフイとそっぽ向き、即座にきっぱりと答えた。

「へっ?」

「言いたいことは分かります。でも、聞きたくありません。

私だってできれば正義のために戦いたいですよ」

 ティーダはハッと顔を上げた。曲がりなりにも、ティーダはアサシンにトドメを刺したのだ。勝者が敗者を憐れむなど侮辱行為。善悪がない戦いだからこそ勝者は堂々と喜ぶべきなのだ。

「そうだよな。女々しくてごめん」

「私と戦うことがあれば手加減してくれるのは大歓迎ですが。もちろん私は手を抜きません」

「はは……手厳しいな」

「アリサさんも、敵は甘くないということを忘れないでください」

 アリサも、眉をハの字に寄せながらも、強く頷いた。

「肝に銘じておきます」

 

 ティーダはもう一度自分の右手を見て、グッと拳を握る。一人の英雄を斃し、元の世界に帰る権利を剥奪したのだ。もう泣き言を言っていられない。

 

「さて、覚悟が固まったところで、ですが」

 マシュが視線を左右に流し頬を微かに赤らめながら、しどろもどろそう言う。厳しい表情から一転して優柔不断な態度を見せるマシュに、ティーダとアリサは目をぱちくりさせる。

 

「先ほどのアサシンは英雄ではありません。

いわば英雄の亡霊、或いは影。あれに明確な意識は存在しません」

「えぇ~っ」

 




次回更新は6/8(木)の朝7:00予定です。


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第八節. 黒っちろいガキ-2

「あのさ」

 ティーダは数歩先を先導するマシュに控えめな声を掛けた。

 

 冬木の地下の道……倒壊していなければ電車が走っている路である。地上よりは幾分原型をとどめていて、路線を外れている車両も汚れや傷は酷いが整備すれば動きそうと思えるほどだ。

 

「さっきのアサシンさ、亡霊みたいな奴だって言ってたけどさ」

「ええ。聖杯戦争の参加者ではありません」

「オレも死んだらあんなのになるの?」

「……その可能性はあります。ただ、アレは魔力や空間の乱れが偶発的に形を得たものです。

亡霊といっても本人とは全く別の存在。

今回に限っていうなら、英雄よりもゾンビやワイバーンに近いでしょう」

「うーん、そうなんだ……

ゾンビなんかよりずっと強かったけど」

「はい。保有している魔力も桁違いです」

 マシュはそう答えてから、ライトで左右に枝分かれする道を照らし、「こっちです」と案内する。ティーダやアリサには分からないことだが、地下鉄の路線を辿ればこの街の多くの場所にアクセスできる。さらに地上よりも危険なエネミーが少ないため比較的に安全なのだ。

 

「私も一つ訊かせてください」

 次いでアリサが尋ね、マシュは時折地図を確認しつつ歩きながらも「どうぞ」と促す。

「さっきの影みたいな敵は”私たち”と言っていましたが、ゾンビみたいにいっぱい居るんですか?」

 

 その問いに、マシュは突然ピタリと足を止めた。

 

「……?」

「どしたのさ」

 

 そこから数秒もの間無言で立ち尽くすもので、アリサもティーダも不思議そうにマシュの背を見つめる。

 マシュは半身だけ振り向いた。その表情は戦闘時のように険しい。

 

「先ほど申しました通り、アレは魔力の乱れが生んだもの。そのため乱れが大きいほど強い敵として現出します。

そして魔力の乱れを生む最たる事象は、英雄の召喚なのです」

 

 マシュの話を聞いた二人は息を呑んだ。その意味するところは鈍感な彼らにも十分伝わったらしい。

 

「今後、英雄の影が立て続けに現れるようなら……私たちより遥かに強力な英雄が新たに出現した可能性が高いです」

 


 

 折れた柱や椅子、テーブル、窓ガラスの破片などで足の踏み場もないほど荒れ果てており、焦げた天井は今にも落ちてきそうで、割れた床から土が盛り返している。

 教会……という要素は一目で見当たらなかったが、少なくともその場所はかつて教会であった。

 よく見ると蝋燭台、十字架の箔が入った分厚い本もところどころに散らばっており、控えめに教会である事実を主張している。

 辛うじて形を保っている長椅子には男が一人。染みつくような埃やカビの匂いを気にも留めず、背もたれに肩を広げ、脚を組んで腰深く座っている。

 

 彼、テルミは物思わしい顔つきで窓の外に広がる炎に目を細めていた。

 

 テルミはこの世界に来るに際し、能力の殆どを失っていた。いつぞや六英雄と呼ばれたころの魔力は影形なく、汎用性、強度、持続力、その全てにおいて全盛期を大きく下回っていた。

 故に、彼はまず力を取り戻すことを先決として動いた。エネミーを狩って集めた魔力でより効率よく魔力を回収する術を編み、自動で狩りをする結界を張った。

 これにより、彼はいち早くリソース面で他の英雄よりも優位に立つことができた。それでも元々の魔力には到底及ばなかったが、彼は魔力リソースの使い道を狩りから解析にシフトした。

 

 彼は力が多くの問題を解決することも、力では解決できない問題は往々にして難題であることもよく知っていたからだ。

 

 しかし、彼の調査は行き詰まっていた。

 聖杯戦争にはまだ知るべきことがあるはず。が、それが何かは分からない。

 さらに大量の魔力リソースを使って聖杯を調べてみるか? それも危険であろう。全てのサーヴァントが敵である以上、ある程度の戦力は維持しなければならない。加えて、聖杯は高度に暗号化され秘匿されている領域が存在する。深追いしたとて成果が確約されているものではないのだ。

 だから彼は何を知るべきか、から思考しなければならなかった。

 聖杯戦争を勝ち抜くため。

 単に、知的好奇心。

 この世界のルールに対する反骨精神。

 

 テルミが黙考に煮詰まり足を組み替えたとき、教会のドアが音を立てて開いた。

 

「マコっちゃん、何か分かった?」

 

 テルミは振り向きもせず質問を投げかけた。

 

「ごめんだけど、まだ何も」

 

 穴だらけのドアを、今度はゆっくり閉めながらマコトが答える。アルターエゴの調査についてだ。

 

「……話変わっけどよぉ、お前リスとなんか関係あんの?」

「え? はぁ?

ううん……ごめん、もう一度お願い」

 

 あまりの会話突然変異ぶりに、マコトが面食らって聞き返す。

 

「リスって知らねぇか?」

「リスっていうと、尻尾がモフモフしてる小動物の? 確か、ええと、ドングリとかを食べる……」

 

 テルミはヒョイと椅子から飛び起き、マコトの方に向き直る。

 

「そーそー、そのリス!

で、どうなのよ? リスとお前の関係」

 

 嬉しそうに顔を綻ばせるテルミを、マコトはより一層怪訝な目つきで見る。

 

「関係って言われてもね。見たことはあるくらいかしら」

「そうか……」

「何でそんな残念そうなのよ。リスと関係ある人なんて割とレアでしょ」

 

 テルミは「まあな」と雑な返事をしつつ、軽く屈伸する。

 

「あ〜。もう一回話変わるんだけどよ」

「リスの話はどういう意図だったのか気になるんだけど」

「気にすんな」

 

 度を越したマイペースぶりにマコトは呆れ笑いするが、テルミに何を言っても無駄そうなので特に追及すなかった。

 

「全く、もう。何なのよ」

「そこ」

 

 くつくつ笑いながら、テルミはマコトの右後ろを指差す。

 

「あと、そっちと、こっちと……」

 

 順番に左、右、最後に親指で自分自身の後を指差す。テルミの楽しげで凶暴な笑みを見たマコトは、さらに不機嫌そうに眉間に皺を寄せた。

 

「……いつからなの?」

「マコっちゃんが来る前から」

 

 マコトは盛大に溜め息をついた。

 

「そっちを最初に言いなさいよッ!」

 

 マコトが叫ぶと同時に教会全体が揺れる。突如として左右の壁が割れ、二つの影が躍り出る。鞭のように長い日本刀を持つサムライ、短剣二本をもつ戦士……そのどちらも、皮膚から溢れる黒い靄によって姿形をぼやかしている。

 マシュたちが戦っていたものと同質の敵、“英雄の影”だ。

 その二体は息を合わせたようにテルミに斬りかかる。対するテルミは避けることもなく地に手を付ける。すると、空気を裂く音とともに黒緑の泥が現れテルミを囲み、二体の影の斬撃を受け流した。直後、テルミの魔力の泥がミキサーの刃のごとく回転して影を斬り飛ばす。が、ダメージは浅い。テルミと二体の影は互いに後方に飛び退いた。

 マコトも教会の外から放たれる幾つもの矢を拳で叩き落としつつ、テルミと背中を合わせた。背後を守り死角をフォローする形だ。

 

「こいつら何なの!?

サーヴァントっていうか、モブくさいんだけど!」

「こいつらは、サーヴァントの成り損ないみてぇなモンだ。そう……シャドウサーヴァント」

「……!

シャドウですって!?」

「中々イイ名前だろ? 今考えた」

「って勝手に名前決めるな! 紛らわしい!」

「おっ。マコっちゃん、飛ぶぜ!」

 

 二人の足元に薄く浮かび上がる白の紋様は機雷の魔法陣だ。テルミとマコトが跳躍し距離を取った瞬間、光の柱が迸り教会の床を焼き払った。範囲は小さいが密度の高いエネルギーだ。

 

「中にはクラス不明の二匹、外には……」

「アーチャーとキャスターね!」

 

 マコトは回避に時を置かずしてマグナムのグリップをとり、引き金を引く。ターゲットは二刀流の戦士。弾倉が空になるまで六発全てを撃ち切り、戦士の持つ二本の剣を力押しで叩き落とした。

 

 武器をあっさり手放すあたりパワーは大したことなさそうだ、とマコトは思った。

 

 するりと柱の影に隠れる戦士。マコトはそれを見て空のシェルを棄てる。隙を見たリロードタイムだ。が、その一秒後に出てきた戦士の両の手にはいつの間にか再び短剣が握られていた。

 

「……!」

 

 剣をマコトに向かって投擲。不意を付かれたマコトは後ろに退きながらも飛来する剣をメリケンサックで何とかガードする。一息つく暇もなく、窓の外から矢が放たれる。アーチャーの攻撃だ。マコトは咄嗟に首と頭を庇ったが、矢は防御するまでもなく黒緑の泥に握りつぶされる。テルミの魔術がマコトを護ったのだ。

 

「アンタに助けられるなんてね」

「おおっとぉ~。まさかのラブコメ展開始まっちゃう?」

「アホ!」

 

 テルミは随分と余裕そうに振る舞ってはいるが、実際のところ戦況は良くない。サムライは身の丈程の長い刀を悠々と走らせ、キャスターは姿すら見せず高威力の魔術を乱発する。テルミとて手一杯のはずなのだ。

 マコトは悔しさに唇を噛んだ。

 この窮した状況で本来は敵であるテルミに助けられるなんて、と。

 

「ま、使えねー雑魚を助けたつもりはねぇぜ」

 

 マコトの心中察したか、テルミはまだ余裕そうに言った。

 

「マコっちゃん、てめぇは外のアーチャーを片付けてきな。残りの糞共は俺様が便所にでも流しておくぜ」

「……三対一よ。大丈夫なの?」

「たりめーだろ。そっちこそ便器詰まらせんなよ?」

 


 

 教会の外は森だ。木々の影や草の中、地形の起伏など、身を隠す場所には困らないはず。マコトが少し面食らったのは、意外にもアーチャーがすぐに見つかったからだ。

 木の上から機敏に飛んで岩陰に移るアーチャーは姿形は黒い靄のせいでよく分からなかったが、長いフードを被っているように見えた。

 

 或いは、アレはアーチャーではない可能性も考えた。精度はともかくもして射撃威力が低すぎるからだ。簡単に姿を見せたのも、実は接敵されることに大した危機感はないからなのかもしれない。

 

 焚き付けるようなアーチャーの射撃を躱す。マコトはこのまま接近することに嫌気を感じたが、迷っている時間はない。一刻も早くアーチャーを処理してテルミに加勢しなければならないのだ。

 

 マコトはマグナムを構え、走りながら引き金を引いた。アーチャーは撃たれる寸前に岩陰に隠れ、数発の射撃を難なくやり過ごす。尤も、マコトもこれに当たるとは思っていない。接近のための威嚇射撃だ。

 

 このまま一気に走り抜けて近接で叩き伏せる。マコトは意気込んでアーチャーが隠れる岩陰に疾駆した。が、アーチャーまでの距離あと数歩のところで、マコトは足元からカチリと嫌な機械音が鳴るのを聞いた。

 

「うっ……」

 

 直後、轟音とともに予想通りの爆発。直に爆風に当てられたマコトは大きく空中に投げ出された。

 

「きゃああっ!」

 

 地に叩きつけられるも、片膝立ちに身を起こす。発破が巻き上げた土煙を貫いて飛んでくる矢を辛くも避けながら立ち上がった。

 

「地雷、ね。

なるほど。用意周到じゃないの」

 

 テルミ曰く敵は少し前から潜んでいたらしいから、その間に仕掛けていたのかもしれない。だとしたら、これ一つではないだろう。

 

 マコトは口元に滴る血を拭い、再びアーチャーに向かって走った。なるべく同じルートを通り、自分自身の足跡を踏むように移動すれば地雷を踏む可能性は低くなるからだ。

 それを見たアーチャーもまた、素早く森の奥へ逃げて行く。

 ヨハンナ(バイク)は森では使いにくいが、生の脚でも追いつけそうな速度だ。それを確認したマコトは、足を止めた。

 

「……詐欺紛いね。

誰がその手に乗るかってのよ。

そっちがその気なら……」

 

 逃げた方向がマコトから一直線でなかったということは、誘い込む場所を選んでいる証左。しかしそこまで逃げるなら、こっちも逃げる、だ。

 

 マコトは踵を返して教会へ走った。如何にアーチャーとはいえ木々の合間を縫って攻撃するのは難しいだろう。ならば森の奥まで逃げるアーチャーを追うより、教会に戻ってテルミと力を合わせて残りの敵を倒した方が賢明だ。アーチャーはそのあと二人でゆっくり追い詰めればいい。

 

 教会が視界内に入ったころになって、マコトは後方十数メートルに気配を感じて振り返った。姿は見えないが、確実に居る。

 

「やっとその気になってくれた?

押してダメなら引いてみるってのも悪くないわね」

「……。

オレは……英雄じゃない。

伝説じゃない。

オレは、代替。しかしお前は、代替ですらない」

「……?」

 

 マコトはサーヴァントの影が宣う呪文のようなセリフに多少の興味を惹かれたが、すぐに思考を切り替えた。

 声のする方に注意を向けさせようとしているのか、そこに誘い込もうとしているのか。

 

 マコトの疑念を裏切るように、アーチャーはあっさりと木の影から飛び出した。腕に装備されているボウガンを引き、一発マコトに撃ち込む。マコトはそれをメリケンサックで弾き落としてマグナムで応戦する。

 しかし遮蔽物を転々と移動するアーチャーに当てることは出来ない。アーチャーの方も決定打はなかったが、時間を稼がれているだけでもマコトにとって不利な駆け引きだった。

 

 マコトは承太郎との戦いを思い出していた。

 あの時は相手の冷静さを前に敗北を喫した。というのも、何かと頼ることの多いマグナムは実弾であり、キャスターやアーチャーがよく使う魔力の矢とは違って補充ができない。それがマコトの決定的な弱みであり、持久力はあるにも関わらずなるべく持久戦をしたくないという矛盾した性格をもたらした。

 

 ――弾薬自体はまだまだある。ヨハンナにボックスを積んでいる。けど無駄撃ちはできない。だから、六つのシリンダーには銃弾を、銃弾には意味を籠める。

 

 幾度かの間合いの奪い合いと射撃合戦はお互いに能力を測り合うやり取りでもあった。

 やはり敵の本命は地雷などの罠であろうとマコトは予想した。矢毒くらいは入れているだろうが、リロードの不便さや弾速の遅さから考えると、面と向かって矢を当てる以上の策は用意しているはず。

 

 ならばこちらの弱みを見せることで戦況を動かそう。マコトは排莢の間にそう思いついた。

 

 木陰に潜むアーチャーに大回りして射線を通す。最短距離での移動は往々にして誘導されがちだからだ。そこから大雑把に狙い一発。進行方向へ偏差射撃のつもりだったが見事に大木にヒット、失敗の大穴を穿つ。返しのアーチャーの矢はマコトの足を目掛けて飛んでくる。

 

「おっと……やっぱり毒くらいは塗ってそうよね」

 

 掠らせる狙いの矢の軌道にマコトは毒の矢と確信を持つ。

 

「テルミにもう一回礼言っとかないとね。ムカつくけど」

 

 続けて、敵が矢を番える前に二発目、三発目とマコトの銃撃。矢はリロードは早いが一発ずつ番えないといけないためマグナムが有利だ。

 

 とは言ってもマコトとてアーチャー相手に遠距離戦を挑むつもりはない。隠れる木や岩の少ないエリアに追い込んでいるのだ。抜け目ない猟師のように、自らの立ち位置と射撃の微妙な方向で逃げ道を絞って、少しずつ。

 

 狙い目は教会裏の道として整備された区画。荒れ様はともかく、森中と違って木や岩もほぼない。そこでは追う側が圧倒的に有利だ。

 

 そしてマコトが仕掛けるポイントまであと数歩。

 

 マコトはここぞとばかりに四発目、五発目を放つ。丁度六発目を撃ち切ったとき、アーチャーは整備区画に足を踏み入れた。

 

 意を決して走り込むマコトに、アーチャーは地を蹴って真後に退く。マコトも全力で走るが、整備区画は広くはない。マコトが接近する前に敵は逃げおおせるだろう。

 足止めの射撃でもできれば或いは。しかしリボルバーの装弾数は六発。追い込みに撃った後のリロードはできていない。それは敵も認識しているところだ。そのリロードタイムを計算に入れて区画に逃げ込んだのだから。

 マコトは、それでも銃を構えた。

 

「スピードローダーなんて使ってなくてね」

 

 リボルバーは弾を撃ち切らなくてもリロード自体は可能。最初の一発を撃った時点で、一発分だけ弾を装填していたのだ。つまり、リボルバーにはまだ最後の弾が残っている。

 マコトは敢えて連続で六発を撃ち切り、弾切れを誤認させたというわけだ。

 

 そこまでは敵も見越している。それでも逃げ切れる、否、マコトを討てると踏んでこのエリアにワザと追い込まれるフリをしていたのだ。

 

 しかし――マコトはさらにそれも読んでいた。

 

「見え透いてるのよッ!」

 

 リボルバーのトリガーを引き絞る。銃口の向く先は敵本体ではない。そのすぐ目の前の、地面だ。

 

「……!」

 

 着弾と同時に激しい爆発。マコトの放った七発目の弾丸は見事にアーチャーの仕掛けていた地雷にヒットした。

 障害物のない場所はアーチャーが追い詰められやすいからこそ罠が張ってあるのは当然。マコトの推測は百二十点の正解だった。

 

 自身の地雷の爆風に巻き込まれたアーチャーは盛大に吹き飛んだ。直撃は免れたらしく、宙で身を翻して受け身をとろうとした。が、その足が地につくより先にマコトが飛び上がり接近する。

 

「はああっ!」

 

 アーチャーはボウガンの引き金に手をかける。

 遅い。その動作は勿論、眼前のライダーの拳を上回るものではなかった。一撃目の拳がボウガンごと腕を砕き、二撃目の脚がアーチャーの首をへし折った。

 

 勢いよく地面に叩きつけられたアーチャーはその後身じろぎもせず、体が光に包まれ始めた。

 

「……終わった……ってことでいいのかしら?」

 

 マコトは消え行くアーチャーをしばし見つめていたが、テルミが加勢を待っていることを思い出して教会へと走った。

 

 




次回更新は6/11(日)の朝7時を予定しています。

ちなみにアサシンの影は第一人称が「私たち」なので、自分ひとりでも「私たち」を自称します。


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第九節. 宿帳ですよぉ~っ

 マコトが教会付近に到着した時、その静けさに「まさか」と思った。テルミの魔術も耳にうるさい類だし、敵キャスターも爆発の魔法を使っていた。それら戦闘音が聞こえてこないということは。

 

「テルミ!」

 

 教会のドアを蹴って入る。テルミは……背を向けて部屋の中央に座り込んでいた。その付近にシャドウサーヴァントたちが()しているのも見える。光に包まれ風化していく様は、先ほどマコトがアーチャーを下したときと同じだ。

 一方、テルミの方は傷一つない。多少服が汚れている程度のものだ。

 

 マコトは溜息を吐いた。

「アルターエゴより先にアンタを(たお)しておいた方がいいんじゃないかと思えてきたわ」

「……」

 マコトの冗談にテルミは応えない。

「……?」

 テルミは屈んで何かを凝視しているようだった。テルミが珍しく神妙な表情をしているもので、マコトも気になったらしい。そっと視線の先を覗き見る。

「……本?」

「ん? あぁ。キャスターだ」

「え」

 マコトはもう一度それに視線を流す。確かに他のシャドウサーヴァントと同じく、黒い靄、消滅の前兆の淡い光も見える。しかし馬鹿にデカいことを除き、どこをどう見ようがその形は本であった。

「キャスターの装備とかではなく?」

「そーそー。これがキャスター本体だ」

 テルミはその本、キャスターのシャドウサーヴァントに手を伸ばした。すると、空間に黒く光る文字が現れては消えていく。

 これまでしてきたように敵の性質や素性を調査しているのだろうとマコトは思い、しばらく腕を組んで待つ。が、テルミの魔術的侵入に耐えられずキャスターの体の崩壊は進み、タバコの灰のようにボロボロと落ちていく。

「チッ。これ以上は無理だ。下らねーカスめ」

 テルミがボヤいたとき、どこからか声が聞こえてくる。女性の、透き通った声。

「……アナタの、夢を……聞かせて?」

 テルミはちらりとマコトを振り向いて見た。

「私じゃないわよ。こんな綺麗な声してないもの」

「それな」

「殴るわよ」

 ここにはテルミとマコト以外には、既に体躯の八割がた塵と化した二刀流の男、長刀のサムライ、そして……本だけだ。

「でも、アナタの物語は、小さな……子には早い……かも…」

 密閉空間に響かせるような耳に残る声は、キャスターであるその本が崩れるにつれ小さく、歪んで聞こえる。

「喋るなんて、なかなか個性的な本ね。内容はよく分からないけれど」

「こいつらの作りからすると喋れるだけでも不思議なモンだぜ」

「……シャドウサーヴァントって言ってたわね。何処かに"本体"みたいなものがいるってことなの?」

「ああ、アタリだ。ただ既にくたばってる雑魚だろーけどな」

「幽霊ってこと?」

 テルミは何か答えようと口を開いたようだが、言の葉を紡ぐことなく息を吐く。テルミが答えたのは、一拍の思考時間を挟んだのちだった。

「少し違う……たぶん。

こいつらは半自動的に目的を遂行する機械。

喋ることはできても会話はできねー……はず」

 もし彼らシャドウサーヴァントが本体、つまりは元となったサーヴァントの無念を晴らす怨霊のようなものならば、きっとその目的というのは他のサーヴァントを斃すことなのだろう。少なくともマコトはそう考えた。

「……」

 彼らに降り掛かった不幸は他人事ではない。マコトはしばし押し黙った。彼らは一体どのようなサーヴァントだったのか、どのような思いで死んでいったのか。

 マコトは自身が戦ったアーチャーのことをしんみり思い()せていた。

「あ、そういえば。

外で闘ったアーチャーも何か言ってたわ。

まぁ、大した意味なんてないと思うけど」

 テルミは興味深そうな表情で立ち上がる。

「へえ、そいつもか。

自動的に動くからこそ余計な機能は付いていない。

つまり少なくともこいつらにとっては意味があるはず。

で、何て言ってたんだ?」

「ううん、確か『俺は伝説じゃない』とかだったかしら。

戦闘中で余裕なかったから、あまり覚えてないわ」

「ふむ……」

 テルミは目を細め、睨むようにキャスターを見る。そこには既にキャスターの姿はない。完全に消滅したのだから。それでも、テルミは虚空に視線を留め続けた。

 何か、大切なことを思い出そうとしているかのよう。

「あと『俺は代替だが、お前は代替ですらない』ってことも言ってたかしら。

ねえ、やっぱり意味なんてーー」

 マコトは、いつの間にかテルミが本のキャスターから視線を外し、彼女を凝視していることに気が付いた。

 

 そして思わず、後ろを振り返りかけた。

 

 それほどまでにテルミがマコトに向けた視線は異様だった。一体何を見たら斯様に驚愕の表情を作れるのか。寝耳に氷柱をねじ込まれてもここまで驚いてみせれまい。

 

 それが不遜で不敵なテルミであれば尚更。

 

 否。確かに焦点はマコトに合っていたが、それでも何か別のモノを見ているような気さえしたのだ。

 

「まさか……」

 

 テルミはそのあと僅かに呟いたが、それは掠れ声でマコトには聞こえなかった。

 

「何なの?

何か分かったの?」

 

 テルミはマコトの質問には答えず、ゆっくりと自分の掌を見つめ始めた。

 やがて、フードを深く被り直し、表情を隠して、

 

「くふっ……」

 

 笑い出した。

 

「キヒッ……

ヒャハハッ!

ハハハハハハハハッ!」

「ちょっとテルミ! 一体さっきから……」

「ヒャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ! ギャハッ! キヒヒヒヒヒヒヒヒッ!」

 

 マコトはゴクリと固唾を飲んだ。テルミは笑いと嗤いの区別が付きにくい男だが、これはハッキリと分かる。

 嘲るような、嗤いだ。

 一体何に対して?

 マコトには想像も付かなかった。だが、彼の目に映っているのはマコトでも他の敵対サーヴァントでもない、もっと巨大で途方もない何かーー決して抗えない運命や摂理を捉えているように思えた。

 

 突然、テレビのスイッチを切ったようにピタリとテルミの不快な高笑いが止まるもので、マコトは心臓がギュッと縮まるのを感じて半歩後退る。

 

「マコっちゃんよぉ」

「う、うん……」

「ちっとやり合わなきゃいけねえヤツがいる。お留守番しときな」

「えっ……」

 

 戦うなら私も居た方がいいのでは?

 やり合なきゃいけない相手って誰?

 そもそも、何か新しい情報が分かったの?

 

 と、諸々の質問が思い浮かんだが、マコトは直感的に理解した。今は少なくとも関わるべきではないと。

 

 マコトはコクコクと首を縦に二度振った。

 

「それと、これからは絶対に聖杯に近づくなよ。フリじゃねぇぜ?」

「……聖杯に? どうして?」

「念には念を、てな。即死トラップでも仕掛けておくつもりだ」

「えぇ……怖っ……」

「んじゃ、いっちょ殺ってくるわ」

 

 マコトの横を通り過ぎ教会の外へ向かう。そのドアを跨いだところで、テルミは足を止めた。

 

「そうそう。一つ忠告しておいてやるよ。

聖杯戦争もそろそろ本番だ。

こっから先はよ……

油断してっとマジで死ぬぜ?」

 




次回更新は本日の17時予定です。


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第九節. 宿帳ですよぉ~っ-2

 冬木、地下鉄の駅の一室。

 簡易的なカーテンが取り付けられたガラスの自動ドアを手動でコロコロと開き、マシュたちは中に入った。

 無事、秘密基地に帰還だ。

 英雄の影――アサシンのシャドウサーヴァントを退けてからは、地下道を通ったおかげで他に戦闘もなく帰ってくることができた。

 

「もうクタクタです〜」

 アリサは部屋に入るや否や、自分のスペースである緑色のソファにべったりダイブする。

「よく休んで下さい。魔力は種火で回復していると思いますが、身体のダメージは休まないと完全には治癒しません」

 

 言いつつ、マシュ自身も木の椅子にゆったり座って一息ついた。ティーダはというと、ドア付近に突っ立ったままだ。

 

「マシュ、アリサ。

その、改めて……ありがとな。助けてくれて。

ホントもうダメかと思った」

 

 ティーダは二人に向かってペコリと頭を下げた。

 

「いえ、生きて帰れば結果オーライ。むしろお手柄です」

 マシュの返答に、ティーダは頭にクエスチョンマークがつく。

「聞かせて下さい。

承太郎さんと離れてから、一体何があったのですか?」

「ああ、なるほど。

ごめん、その前にジョータローは無事かな?

何かさ、ほら、オレを助けに来てくれてたらしいけど……」

「ええ。彼は今、別件で動いています」

「分かった。じゃあ、話すよ」

 

 ティーダは自身の身に起こったことを掻い摘んで説明した。

 落ちていた種火を拾おうとすると突然ワープしたこと。

 恐ろしげなビルを歩いたこと。

 そしてそこにバーサーカー……人の形をした悪魔に襲われたこと。

 情けないながら、全く歯が立たなかったこと。

 

 目が覚めるとテルミの尋問、拷問。

 

 マシュは真剣な表情で頷きながら聞いていた。アリサもだらしなく寝転がりながらではあるが耳を傾けているようだ。

 

「あ、因みに拷問されたって言っても秘密基地の場所とかは言ってないから。

と言うか……聞かれなかった」

「では、何を聞かれたのですか?」

 

 隠れ家など簡単に場所を移せるとテルミも考えているだろうから、それをアテにしないも納得できる。マシュやアリサの能力や弱点を聞くことはあり得ただろうが、これはそもそも本当に知らない可能性が高い。

 マシュは、テルミがわざわざ逃げられるという危険を冒してまでティーダを生捕りしたことが不思議でならなかった。

 

「それが……オレの故郷のこととか、過去に聖杯戦争をしたことがあるのかとか……そんなのばっか。

自己紹介でもしてる気分だった」

「ふむ」

 マシュは眉をひそめた。

「キャスター・テルミは、聖杯戦争に関する記憶を失っているような素振りはありましたか?」

「たぶんなかったと思う」

「どうにも危険なニオイがしますね……テルミが何のつもりなのか全く理解できません。

本来は私たち全員ですぐにテルミに当たるべきなのでしょう。

しかし、英雄の影のこともあります」

 ティーダはそれを聞いて、地下道で聞いたことを思い出した。より強い英雄の現界のことだ。

「それだったら心当たりがあるよ。たぶん、オレが闘った英雄! 闘ったっていうか、一方的に殴られてただけだけど……」

「バーサーカー・マルコのことですか?

タイミングを考えると恐らく違うかと思いますが」

 マシュと出会った日に聞いていたテルミやマルコの情報を思い出しながら、ティーダは腕を組んで「ううん」と唸る。

「そのマルコってヤツとちょっと違う気がするんだよな。実はバーサーカーが二人いるってことはない?」

「ほぼないはずです」

 マシュがあり得ないと言い切らなかったのはキャスターによる新たな英雄の召喚を考慮してのことだった。

「いかにキャスターと言えど、ティーダさんを圧倒するレベルの英雄をそう簡単に召喚できるとは思えません」

「それは……オレがそんなに強くないだけじゃん……

全然戦えてないし」

 ソファで抱き枕に身を絡ませていたアリサが寝返りうって口を挟む。

「そんなことないですよ~。私を助けてくれたじゃないですか」

「まぁ、こっちは二回も助けられてるし……

というかさ、もうちょっと、ほら、何というか」

 アリサの短いスカートからチラチラ覗く白い脚にドギマギしながら言葉を濁すティーダに構わず、マシュは話を続けた。

「これは断言できます。ティーダさんはかなり優秀な戦士です」

 ティーダは眉のシワを寄せて目を細め、マシュを見る。

「そんなフォロー要らないって」

「本当です。

聖杯戦争においてセイバーというクラスは、戦略的な器用さと不得手の少なさから最優とも言われます」

「最優……」

「はい。汎用的に使える時間魔術にバランスの取れた能力値。ティーダさんは最優と言われる所以を体現したセイバーだと思います」

「でも……バーサーカーに手も足も出なかった」

「それなんですよね。ティーダさんが全く敵わなかったというのは(いささ)か不自然です」

 マシュは目を伏せて考える素振りを見せる。

「何かカラクリがあるはずです。

もう一度、詳しくバーサーカーとの戦闘について聞かせて下さい」

 ティーダも腕を組んで、足で床をパタパタ叩きながら記憶を探る。

「すげー力で……すげー速くて……ううん。

白い仮面を被ってた……」

「ふむふむ」

 一聞無価値に思えるようなティーダの情報にもマシュは真剣な表情で聞く。

「ええと、あとは。

声がデカかった! 建物の中でさ、下の階から叫び声が聞こえてきたんだけどそれがうるさいの何の」

「声ですか。意味のある会話はできましたか?」

「いや、全然。叫び声と『コロス』しか聞いてない」

「まさにバーサーカーといった感じですね。

他には変わったところはありませんでしたか?

どんな些細(ささい)なことでも構いません」

 ティーダは困ったという風に頭を掻いた。

「どうなのかな。よく分からなかったんだけどさ、気になったことがあって。

ずっと隠れたり静かに歩いてたりしたんだけど、どうもオレの位置がバレてるような感じがしたんだよな。でも、ちゃんと隠れれた時もあったりして……」

 要領を得ない情報を漏らした自覚があるらしく、ティーダは「ごめん、やっぱ今のナシ!」と付け加えた。

「いいえ、それです」

「へっ?」

 マシュは答えを得たりとばかりに強く頷いた。

 

「何となく分かってきました。

ティーダさん、今すぐ二人で――

バーサーカーを討ち取りに行きましょう」

 


 

 と、その流れでマシュと拠点を飛び出したティーダであったが、血色はよくない様子。

 

 冬木西側の狩場、以前ティーダと承太郎が共闘して種火を集めた場所であり、ティーダを見失った場所でもある。二人はその近辺まで来ていた。

 なお、アリサはお留守番。

 自分も行くと言い張ってはいたが、足手まといになるからとマシュに強く押され、拠点で休んでいる。アリサが回復するまで待つ方針もあったが、一刻も早く攻め入らなければワープポータルの位置を変えられて余計に厄介になるとの判断だ。

 

 運悪く既にエネミーが湧いていたため、二人は物陰に隠れてゾンビの集団をやり過ごそうとしていた。

 

「ホントにアイツとやる気かよ~。マジでめちゃくちゃ強いんだからな?」

 ティーダが静かに、けれど強く声を出す。

「怖いですか?」

「うっ。ま、まあそりゃあ」

 英雄とはいえ女性にそれを訊かれると答えづらいティーダであったが、前回の惨敗からして強がることもできず渋々肯定した。

「正直、二人掛かりでも勝てると思えないんだよな」

「……困りましたね。私としても、ティーダさんの戦闘能力はすごく頼りにしているのですが」

 と、残念そうな表情でティーダを見やる。

「またそうやっておだてようとして」

 ティーダのジト目に、マシュは今度は笑顔で返した。

「ぃよっ! 最優のセイバー!」

「仕方ないなーほんともう今回だけだからな。

……ってなんねーよ!」

「あら、ダメでしたか」

 マシュは悪戯っぽくクスクス笑い「アリサさんに言ってもらうべきでした」と付け加える。

「い、いや、そそそんなんじゃねーから!」

 焦って声が大きくなったティーダに、マシュは口に人差し指を立てて静かにと諭す。辺りのゾンビは少なくなっていた。

「そろそろ進みましょう」

 

 ティーダは以前に承太郎とここへ来たルートを思い出しながら歩いた。

「この辺なんだけど……」

「もしかして、これですかね?」

 凹んだ一般乗用車の下を屈んで覗き込みながらマシュが指差す。目を凝らせば違和感に気づける、蜃気楼のように揺らめく空間。それに微妙な魔力の変容を感じて手を引っ込めた。ティーダはそれを見て「あっ」と声を上げた。

「これだ!

どう? まだ転移できそう?」

「ええ。魔力にほんの少しの乱れがあります。

しかし、これ程の隠蔽能力があるとは。

ティーダさんから情報を貰っていなければ私も罠に掛かっていたでしょう。キャスターの結界魔術にはほとほと驚かされます」

 マシュはやや頬を膨らませながらも評した。

「バーサーカーにしてもそのキャスターにしても、強すぎだよな」

「はい。なので、私たちは連携して各個撃破に当たりましょう」

「うん……」

 ティーダの頼りなさげな返答のあと、マシュは「それでは」と結界に手を伸ばす。が、ティーダが慌ててそれを制した。

「聞き忘れてたんだけどさ、バーサーカーの弱点とか分かったんだよな?

今のうちに教えて欲しいんだけど」

「ああ、そうでしたね」

「うんうん」

「分かりません」

「うんう……ん!?」

 ティーダの余りの動揺ぶりにマシュは誤魔化し笑いに目を背け「今は……まだ……」と付け加えた。

「どうやって戦うのさ!? まともに戦える相手じゃないんだって!」

「弱点が必ずある、というところまでは分かっています」

「……どういうこと?」

「バーサーカーが異様に強かったのは、物語による加護を受けていたからと予想できます。

英雄はいずれも、後世に残るような活躍をした人です。その活躍の再現である場合、通常からは考えられない力を発揮することがあります。これが加護です」

「ううん、つまり、ええと?」

「簡単にいうと条件付きの強者ということです」

「……なるほど。

でも、だからといって弱点があるかは分からないような……」

「今回に限っては必ずあるはずです。物語は、攻略されなければ紡がれないからです」

 ティーダはそれを聞いて、少し理解した気になって、完全に理解することは諦めた。

 

 ティーダは後になってから、これの真意を理解することになるのだが。

 

「分かった。信じるよ」

 ティーダは罠の結界に手を伸ばした。マシュはティーダの急な行動に少し驚いたようだが、彼の小さな意地っ張り……つまりは女性を先に戦場へやるのを避けたのだと分かり、微笑んで見送った。

 




タイトルはエンヤ婆です。(Q太郎)

次回更新は6/12(月)の朝7:00です。


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第九節. 宿帳ですよぉ~っ-3

「イタたた……」

 ティーダは尻を押さえながら立ち上がった。転移先は空中、それを思い出した時には既にティーダは硬いコンクリの床に尻を打ちつけていた。

「あっヤバい」

 もう一つ脳裏に浮かぶはマシュの姿。慌てて立ち上がり、マシュがワープしてきた時にうまくキャッチ出来るよう身構える。

 が、強烈な光と共に現れたマシュは、ティーダが眩しさに目を覆っている間に何の苦もなく綺麗に着地した。

「ふう。ここが例のビルですか。

……?

ティーダさん、何ですか? その謎の構えは」

「あっ。いや、別に……イキナリ空中に投げ出されてよく転ばなかったなと」

「転移先が空中なのはお約束。むしろこれくらいは優しすぎて驚きです」

「え、そうなの」

「……いえ、今のは……冗談です」

 マシュは少し赤面して、それから気を取り直し周囲を軽く見回した。

 ティーダもつられて同様に部屋を確認する。彼にとっては見慣れない建物の部屋などどれも大差ないように見えただろう。実際のところ、以前飛ばされた時と全く同じ部屋だった。

 マシュは静かに屈み、手のひらをペタリと床に押し当てる。

「防護障壁の魔術がかけられているようです」

「床に……?」

「はい。これも物語の加護を受けていますので、相当な強度です」

 マシュは唇をきゅっと縛り、眉をハの字にして黙考した。

「何か分かりそうなカンジ?」

 ティーダがそう問うのは勿論バーサーカーの弱点のことだ。マシュは残念そうに首を振る。

「まずは材料を探しましょう」

 マシュが部屋を出ようとドアに向かうと、ティーダは横から入ってドアノブを握った。

「危険だから、オレが先に行くよ」

 見栄張りながらもやはり緊張しているようで、深呼吸一つの後、ゆっくりドアノブを捻る。隙間から顔を少し出してチラチラと慎重に周囲を窺う姿は控えめに言っても不審者である。

 

「誰も居ないな、うん」

 

 ドアを人一人分だけ開き、壁を這うように部屋を出る。

 

「マシュ、バーサーカーは居ないみたい。出てきて大丈夫」

 

 マシュはニコニコ笑いながら半開きのドアを開いて部屋を出る。

 

「ティーダさん、お気持ちは嬉しいです。

しかし、私も曲がりなりにもシールダーですから、防御能力にはささやかな自負があります」

「うん……分かってるんだ、けど」

 

 ティーダの心配事、それはマシュはバーサーカーの恐ろしさをまだ知らないということ。一瞬のやり取りで命を奪われる可能性を考えると、ファーストコンタクトをマシュに任せたくはないという思いはどうしても強かった。

 もしも例えばここでばったりあの悪魔に出くわしたなら……その恐ろしさを理解するのは天国での話になるだろう。

 

「せめてさ、あのデッケー盾を出しててくれない?」

 

 マシュの巨大なラウンドシールドはいつでも顕現できる。が、わずかながらタイムラグはある。マシュはその一瞬の隙を憂慮されることに目を丸めた。

 

「ティーダさん……そんなにも」

 

 マシュの発言は――ティーダの耳には届かなかった。至近距離で話すマシュの声をかき消すほどの大きな聲……否、轟音がビル全体に響いたからだ。

 

「オオオオオォォオォォオオオォォォォオッ!」

 

「――!!」

 

 マシュとティーダは同時に手で耳を塞いだ。還暦を通った人なら卒倒しそうな大音量。

 

「今のは……!」

「同じだ……一回目にここに来たときと同じパターンだ!」

「……!」

 

 マシュは廊下の闇に刺すような視線を向ける。そして、静かに彼女の巨大盾を右手に顕現させた。

 

「これは、何かのルールに基づいたゲームかも知れません」

「げーむ……?」

「はい」

 

 返事をしながら、マシュは窓の外を覗いた。

 

「例えば宝探し、かくれんぼ、このビルで出来そうなゲームはそれなりにあります。お題をクリアすることがこの戦いの終結に繋がるなら……今の声はゲームスタートの合図でしょう」

「うえ……やっぱ寺院みたいなヤツか」

「奥にも部屋があるみたいですね」

「そこは前も入ったけど特に何もなかった」

「そうですか。では、前回と全く同じなのか見てみましょう」

 

 ティーダはマシュの返答に少し驚いたが、頷いた。

 

「前回と同じなら近くの階段からバーサーカーが上ってくるかも。調べるなら早めに」

「分かりました」

 

 二人は忍び足で早歩きし、音を立てないように件の部屋のドアを開けた。中に入り確認したところ、少なくともティーダは前回との違いを見つけられなかった。目配せするマシュに、ティーダは首を振って返答。

 マシュはティーダに近づき顔を寄せ、小声で耳打ちする。

 

「一旦、この部屋に隠れましょう」

 

 ティーダは頷き、素早く配置につく。二人はドア近くの壁に軽く耳を当て、廊下の音を拾いつつ静かに待った。

 

――ミシッ、ミシッ

 

 コンクリートの階段を踏む音を聞いた二人は顔を見合わせ、各々の武器を構えた。

 もしもこのままバーサーカーが部屋に踏み込んできたら奇襲を仕掛ける。その合図だ。

 

――ミシッ、ミシッ

 

 足音が近づくにつれ、ティーダは心拍数もバクバク上がってくるのを感じた。しかしティーダとて常日頃と戦いに身を置く戦士。無惨な敗北を忘れて闘志を燃やすことくらいはできる。

 といっても彼の考えは「来るなら来やがれ、こっちは二人掛かりだ。不意打ちしてやる!」という、後めたいものではあるが。

 ティーダの覚悟が無駄になったか、あるいは祈りが通じたのか……足音は部屋を素通りして去っていった。

 

 ティーダはホッと短く息を漏らす。それから、ドアをほんの指二本分開けた隙間から廊下を覗いた。

 

「うん……もう行ったみたいだ」

「早めにフロアを移動しましょう。もう少し建物の観察が必要です」

 

 部屋を出た二人はすぐに階段を見つけた。バーサーカーが上がってきた階段だ。

 

「前回は階段を降りたらアイツに待ち伏せされてた」

 

 マシュはティーダの体験談を聞くと、階段にそっと手を触れた。

 

「感知の結界のようなものはなさそうに思えますね」

「なら下に行ってみる?」

「いえ。この辺りで前回と行動を変えてみるのも手かと。六階へ上がってみませんか?」

「オッケー」

 

 相変わらずティーダは率先して前を歩く。マシュは一段一段、結界の有無を入念に確認しながら階段を上った。

 

「四階と全然違わないなあ。狭いし、迷路みたいだし……」

 

 六階の内装を見てティーダが感想を漏らした。

 

「何か分かる?」

 

 目を伏せ申し訳なさそうにティーダはマシュに尋ねる。もちろんティーダに思い当たるところはない。

 マシュはというと――何かに気が付いたようにハッと顔を上げた。

 ティーダはそんなマシュの様子を見て期待を込めた瞳を向けた。もしかしてバーサーカーの弱点が分かったのかと。

 しかし。

 

「ティーダさんッ! こちらの位置が捕捉されています! バーサーカー、接敵します!」

「えッ……!?」

 

 直後、ティーダが聞いたのは鉄の太鼓を打つような不快な炸裂音の連続。それは地を跳ね壁を蹴るバーサーカーの足音。六階通路の奥から濃密な殺気とともに躍り出た悪魔は、あっと言う間に接近し、二人の獲物の前で急停止した。

 

「オオォォオオ……」

 

 獲物を見定める餓えた虎のようにバーサーカーの喉が鳴る。

 

「彼が……」

「ああ、俺が言ってたやつ」

「……間違いありません。バーサーカー・マルコです」

 

 そう確信はしていたものの、マシュは戸惑っていた。話に聞いていた通り狂化状態であるところは分かったが、ここまで変貌するものとは、と。マルコのことはもとより筋肉質な英雄と記憶していたが、目の前の男はそれよりもさらに隆々とした筋骨で体格は一回り大きい。顔は白い仮面で見えない。

 

「殺シタイ殺シタイ殺シタイ殺シタイ殺シタイ殺シタイ殺シタイ殺シタイ殺シタイ殺シタイ殺シタイ殺シタイ殺シタイ殺シタイ殺シタイ殺シタイ殺シタイ殺シタイ殺シタイ殺シタイ殺シタイ殺シタイ殺シタイ殺シタイ」

 

 初見のマシュも、一度彼を見たティーダも、その狂気の振る舞いに怖気立った。彼から放たれる殺気が語るに、その目的はただただ殺すこと――聖杯戦争に勝って元の世界に戻ることも、他の英雄から身を守ることも、最早彼の頭の中にはあるまい。

 

 抑揚のない殺気の中、マシュはごく僅かなバーサーカー心の動きを読み取り、防御態勢を取る。基本的に相手の攻撃の直前に防御を合わせる“攻撃的防御”とでもいうべきマシュが、今回に限って早めの防御に転じたのは少しばかりの恐怖心ゆえであった。

 それは功を奏した。

 

「――!」

 

 意識の隙間に入り込むような速度、野生動物の狩りように無駄のない動きで死角にバーサーカーが踏み入る。その動きは明らかに人を殺すための、人だけを殺すための技術だ。マシュは瞬時にそれを理解し、背筋が凍るのを感じつつも盾で自身の死角をカバーした。バーサーカーの位置は確信できていない。だが、同時にティーダとマシュの二人の死角となる場所は限られている。マシュの読みはおおよそ当たっていた。

 無音のうちに放たれたバーサーカーの低姿勢からの蹴りを、マシュが的確にガードする。それに反応しティーダが剣を振りかぶった。敵の攻撃ターンをマシュがやり過ごし、ティーダが反撃するという王道パターンだ。

 しかし。

 

「なッ!?」

「うおぁッ!?」

 

 マシュにとっても予想外のパワー。“物語の加護”を計算に入れても大きすぎる衝撃が、ガードしていたマシュを、その後に反撃の機会を窺っていたティーダごと巻き込んで吹き飛ばした。

 

 二人は受け身をとって上手く着地する。ダメージはないようだが。

 

「盾ごと弾き飛ばされるなんて……」

「一旦退く?」

「いえ。今逃げたとて数秒の時間稼ぎにもなりません」

「……オッケー。やるしかないってか」

 




次回更新は6/15(木)の朝7:00予定です。


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第九節. 宿帳ですよぉ~っ-4

 マシュの手が震えている。恐怖なのか、あるいはバーサーカーの打撃が盾を貫き骨を軋ませたのか。いずれにせよ、たった一度の攻撃ではあるがマシュは目の前の悪鬼の恐ろしさを認識しただろう。

 

「こちらから攻撃を仕掛けましょう。バーサーカーを自由に行動させては勝ち目がありません」

 

 ティーダは苦笑いした。防御のスペシャリストであるマシュをして“受け切れない”と言わせるとは、と。マシュの思惑はもう一つ、バーサーカーの回避能力は高いものの防御力は低いだろうということもあったが。

 

「分かった。左から行くよ」

「では、私は右へ」

 

 寒気を覚えるほどの殺気を撒くバーサーカーに、息を合わせて突進する。先に攻撃を振るのはティーダ。英雄アサシンの影との戦闘でも活躍した連携……波状攻撃だ。

 対するバーサーカーは上に跳躍してティーダの斬撃を躱す。マシュが間髪入れず盾で殴り掛かるが、バーサーカーはティーダを空中で蹴りつけ、その反動で重心をずらしてマシュの攻撃をやり過ごす。

 怯むティーダの代わりに、再び宙へ逃れたバーサーカーをマシュが追う。しかしバーサーカーは天井を蹴って勢いをつけ逆襲する。突然の掌底打ちに、マシュは慌てて盾でガードした。が、バーサーカーはその手で盾を捕まえて、ひらりマシュの側部に回った。そのままハイキックがマシュの左腕を薙ぎ払う。

 

「あぅっ!」

 

 防御結界を貫き、黒鉄のガントレットを粉砕してなお大きなダメージを与える威力。蹴り飛ばされたマシュは壁に叩きつけられて片膝をついた。

 バーサーカーの足が地につく前に、何とか体勢を整え直したティーダが攻撃に転じる。突進しつつ斬り上げた剣は、しかし両手の掌でピッタリと捕らえられた。曰く、白羽取りというやつだ。ボディバランスが崩れた姿勢からの攻撃だったとはいえ、まさかの防御方法にティーダは大きく目を見開いた。

 

「うっそだろッ!?」

 

 と驚く次の刹那にバーサーカーの前蹴り。空気を裂くような鋭い脚捌きにティーダは反応できない。そのクリティカルな攻撃は、寸での所で割り込んだマシュの盾が防いだ。防いだ……と言えるほどのものではない。左腕のダメージからか真芯で攻撃を捉えられず、大きくバランスを崩して床に転げてしまう。

 バーサーカーは少し離れたところに鳥の羽のようにふわりと着地する。あれだけの重さと鋭さをもった攻撃からは考えられないくらい軽やかな動きだ。かと思いきや着地と同時に地を蹴り、砲弾のように荒々しくも高速に接近する。狙いはティーダ。彼が後ろに退く前に、バーサーカーの左拳がティーダの鳩尾を抉る。ティーダの体が「く」の字に曲がり、ぐらりと前に倒れ込む。そこにバーサーカーの流れるような追撃、軽い一歩踏み込みから蹴り上げ。ほぼ垂直跳ね上げられた足刀が腹に突き刺さり、ティーダは真上に吹っ飛び天井に床にとバウンドする。

 さらに続くバーサーカーの攻撃はマシュへとターゲットを変更する。ティーダを蹴り上げた脚で器用にそのまま回し蹴りを放つ。マシュががむしゃらに振った盾がたまたま防いだが、衝撃力を殺すことはできず、大きくよろめいた。バーサーカーはその防御の隙間に入り込み、マシュの首根っこを右腕で掴み上げる。

 

 持ち上げられたままの姿勢で、マシュは最後の抵抗の蹴りを放つが、その脚は呆気なくバーサーカーの左腕に捕らえられる。

 

「う……ぁっ……あ」

 

 バーサーカーが右腕に力を入れマシュの首を絞めると、ミシミシと嫌な音を立てる。マシュはすでに目は虚ろに、やがて呻くこともしなくなった。持っていた盾がガランとその場に落ち、緩やかにフェードして消える。

 揺れる視界の中でティーダが立ち上がる。しかしそれも気合九割、立っているだけでやっと、という体たらく。やたらと重く感じる剣を握る感覚と、眼前で喉を握り潰される相棒の姿が薄皮一枚分の意識を繋いでいた。

 

「その汚い手を、放せよ……バケモノォッ!」

 

 ともすればマシュごと斬ってしまいかねない雑な突攻。ティーダもこれがバーサーカーに通用するとは思っていない。

 バーサーカーは掴んでいたマシュを野球バットのようにスイングして投げつけ、ティーダにブチ当てる。二人は通路横の壁を突き破り小部屋に放り出された。

 

「けほっ、けほっ」

 

 マシュは血の咳を吐きつつも、何とか意識を取り戻した。マシュが持っていたサイドバッグの中の種火がぶちまけられ、それが運良く砕けて二人を微量ながら治癒したのだ。

 

「うう……

種火を、種火を……

もう少し、魔力があれば……」

 

 魔力が戻れば治癒能力が促進され、戦線復帰に繋がる。マシュは必死に種火を砕いた。

 

「マシュ、もう、戦えないっての。

そんな事してないでさあ、逃げないと」

「魔力が、必要なんです……種火が……」

 

 崩れた壁の端からぬうっとバーサーカーが現れる。ティーダは剣を杖にして立ちあがり、うわ言のように種火をと呟くマシュとバーサーカーの間に立つ。恐らくこれが最後の差し合いになるであろうと思いつつ。

 

「一傷くらい、付けてやらァ」

 

 そう呟いたとき、ティーダはふと背後から温かい光が差しているのに気が付き、思わず振り返った。

 

「真名、開帳。私は、災厄の席に立つーー」

 

 一陣の風が廃ビルの土埃をさらい、溢れる光が暗闇をはらう。誠実であり厳格、慈悲深くどこか潔癖な守護の力。正しくシールダーの力。

 

「それは全ての疵、全ての怨恨を宿す我らが故郷……」

 

 高密度の魔力の輝きより煌めく彼女の瞳は意志の灯火。それは幾多の絶望に立ち向かった証。戦い続けたものだけが持ちうる色。

 

「顕現せよ! 永遠に届かぬ理想の城(コールド・キャメロット)!」

 

 マシュが詠唱とともに盾を地に叩きつけると、眩いばかりだった光が集まり壁を形成する。背後に浮かび上がる白亜の城の像は鉄壁の守りの象徴だ。

 

「オオオオォォッ!」

 

 バーサーカーが雄叫びを上げて殴り掛かって来る。しかし――渾身の打撃は光の壁を前にピタリと止まった。まるで自らの意志で攻撃をやめたようにも見えるほどにあっさりと。

 

「……!」

 

 さしものバーサーカーもこれには怯んだ。彼の白い仮面の奥の狂気の瞳が僅かに揺れる。驚く余裕もないティーダはその場にドタンと座り込んだ。

 

「こーゆーことできるだったら早めにやってくれっつーの」

 

 溜息を漏らしながら物申すティーダだが、的外れな言い分であることはもちろん承知している。バーサーカーから逃げたいのではなく討ち取りに来たのだから。

 

「宝具を展開している間は安全です。ティーダさん、今のうちに種火で魔力回復を」

「うん」

 

 ティーダがいそいそと種火を砕く間、バーサーカーは結界の周りを徘徊するのみだ。あのバーサーカーに“これ以上の攻撃は無駄”とすぐに分からせたマシュの防護壁の強度は推し量れよう。

 それでもなお殺意のこもった眼を二人から外そうとしないバーサーカーもさすがと言ったところだ。

 

「この結界ってさ、どれくらいもつ?」

「後先考えないなら、十数分くらいは。ただ……」

 

 ティーダは少しの安堵に長い息を吐きつつも、マシュのセリフの続きも理解していた。いつまでもこうしているわけにはいかない、ということ。

 

「本当に、ごめんなさい」

「ん?」

「完全に見当違いでした……こんなはずでは……」

「いや、まあ……俺も全然役に立ってないし……

それより、何とかアイツをぎゃふんと言わせる方法を考えないと」

「はい」

 

 マシュの力強い返答に、ティーダは幾分気力を取り戻す。ぐっと固めた握り拳を支えに立ち上がった。

 

「でもとりあえず距離は取りたいッス」

「……ですよね」

 

 ティーダは寄りかかるように近くの壁に手を置いた。ふと思い出すに、この壁の向こうは階段。ティーダは壁を壊して階段へ逃げることはできるだろうかと考えた。

 

「ん……? あれ……?」

 

 そこで釣られて頭に思い浮かんだのは前回のバーサーカーとの戦い……あの時も今のようにバーサーカーに吹っ飛ばされ壁をブチ破って部屋に投げ出された。今回もだ。

 

「マシュ、一つ聞きたいんだけど」

「はい。なんでしょう」

「壁にも物語の加護ってヤツが付いてるの?」

「……!」

 

 鳩が豆鉄砲を食らったように驚くマシュ。半身をティーダに向き、

 

「いいえ、壁には加護はありません!

あるのは……床だけです!」

 

 マシュとティーダは顔を見合わせた。

 物語の加護はストーリー通りであることを補強する仕組みが基本となっている。裏を返せば、床を破ることだけは物語としてあってはならない反則事項だということだ。

 

「ってことはさ、もしかして!」

「ええ。このゲーム内容は高確率で、このビルから出ること……! 恐らく一階の出口から」

 

 


 

 

「もう一つ、分かったことがあります」

 

 マシュは先程よりもずっと生気に漲った声で言った。

 

「バーサーカーは私たちが階を移動したことを認識しています。いえ……より正確に言うならティーダさん、貴方が階を移動したことを、です」

「え……!? どういう事!?」

「ティーダさんが最初にこのビルにワープさせられた時のことです。覚えていますか? あなたは種火を取ったと言いましたね」

 

 ティーダは何気なく種火を手に取ってしまったが故に罠に掛かったわけだが。

 

「なるほど……これが発信機になってたんだ」

 

 ティーダはポケットから種火を取り出した。

 

「ちくしょう、こんなもので……」

「砕かないよう注意して下さい。何らかの魔術の引き金になる可能性があります」

 

 ティーダは奥歯をぐっと噛んだ。いつの間にか敵に己が身を利用されて仲間に迷惑を掛けていたなんて、と。

 

「むしろそれを利用してバーサーカーを誘き寄せましょう。私に……それを下さい」

「……! まさか……」

 

 マシュは力強く頷いた。

 

「はい。私が囮になります」

 




次回更新は6/18(日)の朝7:00の予定です。


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第九節. 宿帳ですよぉ~っ-5

 マシュの作戦は至って単純。発信機となる種火を持ったマシュが上階へ上り、バーサーカーを誘き寄せる。その間にティーダがビルの出口へ向かい、このビルを脱出する。マシュの予想が正しければ、エントランスから出ることでバーサーカーは物語の加護を失うはずだ。

 作戦というより最早他に手段がないだけの話である。が、ティーダの考えは少し違った。

 

「さあ、ティーダさん。種火を私に」

 

 バーサーカーに聞かれないよう静かに言うマシュに、ティーダはしっかり彼女を見据えて……首を横に振った。

 

「イヤだ」

「……!?」

 

 マシュは久方ぶりの憤った表情でティーダを睨む。

 

「ティーダさん……遊んでいる場合ではありません! このままでは二人とも……」

「オレが囮の役をやるよ」

「……」

 

 マシュは表情を変えないまま、一呼吸置き、呆れ声を発した。

 

「今となっては説得力がありませんが、私はシールダーです。どう考えても私の方が囮に向いているのです」

 

 マシュの小言のような説得は長かったが、話すにつれ声が小さくなっていくのは、ティーダに何を言っても無駄だと分かっているからだろう。

 

「私にはティーダさんを巻き込んだ責任もあります。犠牲になろうというのではありません。勝つために必要なのです」

「でもさ、マシュの予想が当たってるかどうかも分からないじゃん」

「だからって……!」

 

 少し声が大きくなったマシュのセリフに被せるように、すぐティーダが口を開く。

 

「任せろって、時間稼ぎくらいはさ。まぁ、ほら。最優のセイバーってやつに」

「……はぁ」

 

 マシュはこれ見よがしに溜息を吐く。説得しても彼が折れると思わなかったから、これはマシュの精一杯の批難だった。

 ティーダから視線を外し、さらに数秒の沈黙。

 

「別に……(たお)してしまっても構いませんよ?」

「無茶ゆーなって」

 

 マシュは口の端を吊り上げて「ふっ」と少し笑うが、その目はどこか寂しさを思わせる。諦観、ある種の達観じみた気配。それも一瞬のこと、マシュは目をぎゅっときつく瞑り、見開いたときには憂いの表情は消え失せていた。

 

「合図を出します」

 

 ティーダは無言で頷いた。殺気を嗅ぎ取られないよう慎重にさり気なくバーサーカーを横目に確認する。依然として結界の境界線を踏み、食い入るような目付きでティーダとマシュを見ている。ずっとそうしていたというのだから中々に見上げた一途ぶりである。付き合って間もない恋人でもここまで焦がれまい。

 

「ふぅ」

 

 ティーダはバーサーカーから目を背けた。しかし気圧されたのではない。次の一瞬に備えるためであり、また少しでもバーサーカーの虚を突くためでもある。

 大盾に身を隠すマシュがコツンと踵を鳴らす。作戦開始の合図、そのカウントひとつめ。

 

 ティーダはふと、英雄という呼称が気になった。この世界に呼ばれるのは名を残すような人物なのだと。いわくそれが英雄というところだが、ティーダにはどうにも納得できなかった。

 

 二つ目のカウント。マシュが再び踵を鳴らす。

 

 英雄、その定義が確かなら、彼の世界であるスピラにはもっと上等な候補がいたはず。ティーダは何人も思い当たりがあった。己の不幸を嘆いたこともある。なぜオレが?と。同じセイバーなら例えば……アーロン。彼は高名であり強さも精神力も申し分ない。それでも自分が選ばれた理由はあるのだろうか?

 ふとそんな事が気になったのだ。

 

 三つ目のカウントーーマシュが大きく踵で床を踏みつけた瞬間――彼の頭にはもう雑念はなかった。

 

「うらあぁっ!」

 

 弛緩状態からの奇襲。全身のバネで体躯をしならせ跳び、ティーダがバーサーカーへ攻撃。同時にマシュは結界を解除し、大盾を叩きつけて部屋右の壁を粉砕した。その先は階段――巻き上がる土埃に身を溶かし、姿を眩ます逃走の一手。

 一方ティーダの剣撃は彼の雄叫びの割にはショートで小振りなモーションだったが、案の定バーサーカーは難なくダッキングで避ける。しゃがんだままの姿勢で繰り出された反撃の足払い蹴りは、ティーダもそれを躱した。逃げるようなバックステップ。否、本当に最初から逃げるつもりなのだから、カウンターがヒットする道理はない。

 

「ほっんと危ねーなぁっ!

お前なんかと戦うか! バーカ!」

 

 気の利かない捨て台詞を吐き散らかし、ティーダもマシュに続いて壁の穴へ、つまりは階段の方へ逃げる。しかしそこからの行き先は真逆。マシュは下へ、ティーダは上へ。

 マシュは一瞬ティーダに視線を寄越したが、それは土埃に遮られて彼には届かなかった。

 

「どうかご無事で……」

 

 バーサーカーに悟られぬよう、踊り場の影に身を隠しているマシュは、それでも静かに呟いた。

 

 


 

 

 ティーダは考えた。どのくらい時間を稼げばいいのか? マシュの速度ならゴールまでそう時間はかからないだろうとは思ったが、このまま何事もなくゴールできるとも思えない。

 下の階に行けば罠や結界が張られているとすると。

 

「長くても……三分。

てことでいいかな」

 

 根拠ない予測を呟きつつも、厳しい戦いになりそうだと予感していた。バーサーカーは強さもさることながら攻撃一辺倒のスタイルは短期決戦向きだ。これまで戦闘結果と鑑みるに、普通にやり合えば一分もてば大金星という具合。

 

 階段を駆け上がり、通路の奥を走る。振り返ってはいなかったが、バーサーカーが追ってきていることは確かに分かる。階段を蹴る音、隠す気のない殺気、そして、

 

「殺ォォオオスッ!」

「……」

 

 絶叫の殺戮宣言。ティーダは足を止めて振り返った。

 眼前に迫る悪鬼。

 圧倒的な戦闘力で死を振り撒く、言葉通じぬバーサーカー。

 

 ティーダはそれを見た途端、冬の湖の水面のように心が鎮まるのを感じた。既に二度も大敗を喫した難敵が己を殴殺せんと脇目も振らず猛進して来ているというのに。

 彼にとっては不思議な感覚であったが、元来の性質として彼は誰かを護る時に力を発揮する霊基。それも当然のことだった。

 

「くらえっ!」

 

 かざしたティーダの掌が仄かに青く輝く。その空間に足を踏み入れた対象の時間を遅くする罠の魔法、スロウだ。どこに仕掛けられたのか……それは術者にしか分からない。

 バーサーカーにはもちろん結界を探知する能力はない。しかしティーダの戦術は既に一度目のバトルで学習済みだ。かざされた掌が光を放つ前にぐるりカーブを描いて接近する。折角の罠の魔法も面と向かって撃っては意表をつくことはできなかった。

 

 しかしティーダは既にその回り道に斬撃を合わせていた。罠が不発に終わると見越した誘い込み、そちらの方はバーサーカーにとっても予想外だったようだ。

 

「……!」

 

 バーサーカーはそれを上体逸らしで避け、そのまま宙返りして距離をとる。

 バーサーカーの胸部にほんの少しの血が滲んだ。それを彼は指で掬い上げ、目を丸くして見つめる。

 物語の加護を受けてから、初めての傷であった。

 

「どーしたよ?

今更ぶった斬られるのが怖くなったかよ」

 

 仮面の奥の眼が一層の殺意を帯びた。それは同時に悦びのようにさえ思える、凶悪な瞳の色。

 

「生粋の快楽殺人鬼ってことね。

いいぜ! 成敗してやっからな!」

 

 今度はティーダが先んじて仕掛けた。振り下ろす斬撃は明らかに逃げ先を誘導している――つまり、先程張った結界の罠の方向へ。しかしバーサーカーは動かない。「当たった」とのティーダの確信は弾ける金属音がかき消した。いつの間にやらバーサーカーの手に握られたサバイバルナイフ、それがティーダの剣を容易く受け止めていた。片手に持ったナイフが両手で振りかぶった剣を止めたことには最早驚かなかった。

 バーサーカーの反撃はスナップのきいた鋭い振りで繰り出されるナイフ。ティーダは後ろに倒れるように退くが、素早い攻撃を避けきることはできず、肩から腰にかけてバッサリと切り裂かれ、大量の血が迸る。

 

 しかしティーダは歯を食いしばって踏み止まる。斬撃のダメージは大きかったが、衝撃力は打撃ほどではない。

 

「これくらいで、怯むかよっ!」

 

 飽かずに再度の縦斬り。逃げ先を誘導し、スロウの罠エリアに追い込もうとしていたのはバーサーカーも承知の上だった。が、それも逃げ道を限定する意味で役立っていた。バーサーカーは後退するしかなかった。ティーダはそれ幸いと返しの斬り上げで追撃。しかしバーサーカーはティーダの渾身の攻撃を、垂直に跳躍して躱した。

 さらにティーダの追撃。宙に跳んだことで今度こそ逃げ場を失った敵に、大振りの一撃を見舞うべく剣を強く握る。しかし、突如右肩に走った激痛に一瞬動きが止まる。

 

「ぐっう……!?」

 

 右肩にキラリと光るはサバイバルナイフ。深々と刃がティーダの肩を突き刺していた。バーサーカーはティーダの斬撃を避けると同時にナイフを投擲していたのだ。

 バーサーカーは素早く軽い蹴りでティーダの肩に刺さったナイフを踏みつける。既にティーダの肩に半分埋まっていた刃がさらに肉を裂いて肩を貫通した。

 ティーダは苦悶の叫び声を呑み込み、剣を左手に持ち替える。敵の着地を狙って薙ぎ払う攻撃に転じるが、体に刻まれたダメージからか剣捌きにキレがない。バーサーカーの突進がほんの一瞬だけ上回った。

 

 バーサーカーの跳び膝蹴りがティーダの腹に直撃した。

 

「おごえッ……」

 

 コンクリ床をべったり赤く染めあげるほどの量の血がティーダの喉から吐き出される。咳き込むたびに血を噴き出しながらも、何とか倒れまいと壁にもたれ掛かった。それを“立っている”と言えるのかは際どいところだったが、何にせよ心は折れてはいないようだ。

 

 子供の体当たりでぶっ倒れそうなティーダに、バーサーカーは追撃を……行わない。

 

「……?」

 

 仮面の奥の表情は分かりづらかったが、確かに困惑している。右へ左へと視線を流しては、ごろごろと喉を鳴らす。

 

「余所見してんじゃねーよ!

オレを殺すんじゃなかったのか?

言っとくけど、お前の攻撃なんか全然効いてないからな!」

 

 生まれたての子鹿の如く脚をガクガク震わせながら虚勢を張るが、バーサーカーは取り合わない。話が通じているのか怪しいところではあるが、彼の意識は既にティーダにはなかった。

 

「……ウゥゥ……」

 

 唸る悪魔は、連携における守備の要となっていたあの少女の姿を探していた。いつ急襲してくるかと警戒していたのに、その様子は全くない。何度も乱入のチャンスはあったし、既に相棒も虫の息だというのに。

 

 すなわち、

 

「オ……オォォッ……

オオオオオオオォォオォォッ!!」

 

 咆哮。今までのそれとは違う。純粋な殺意のみではない、怒りや焦りを含んだ咆哮だ。

 バーサーカーは、ティーダは囮であると気が付いたのだ。

 

「――!」

 

 バーサーカーの突然の疾駆。ティーダに背中を向けて急加速する。つまり、死に体を無視してマシュを追う決断だ。ティーダも逃すまいとバーサーカーを追う。が、二人のスピードの差は歴然だ。元々全快だったとしても追いつくはずもないうえ、瀕死の重傷であれば尚更。

 

 バーサーカーは考えていた。

 卑怯にも己を謀った矮小な弱者どもを赦しはしない。まずは出口に向かう女の脚を砕き腕を引き千切り、嬲り殺しにしたあと首をもぎ取り男の元に届けてやろう。その後、絶望する男も体中を切り刻んで殺す。ああ早く早く早く殺したい殺したい。

 

 彼の思惑は、もしもマシュに追い付いたなら、いとも簡単に達成されるであろう。そしてマシュに追い付くこと自体も簡単に達成される――少なくともバーサーカーは現時点でそう思っていたのだ。

 

 しかしバーサーカーはその矮小な弱者どもの覚悟を見誤っていた。そして直後に理解することになった。自身の足元に浮かび上がる青の陣……ティーダのスロウの結界を見た時に。

 

「!?」

 

 なぜ? 今し方走った道は初手の攻めで既に通ったルートなのだ。罠が張られているはずはない。

 いいや。違う。

 ティーダはあの時、バーサーカーの目の前に結界を設置したのではない。背後に設置していたのだ。迫り来る悪鬼を前に、当たるはずのない位置に罠を張っていたのだ。

 

 彼がどこまで考え、どこまで先読みしてこの行動を取ったのかは謎であるが、彼は自分が助かる確率ではなく勝利の期待値を取った。その行動がバーサーカーの裏を突いたのだ。

 

「グアオォォッ!」

 

 とにかくバーサーカーは結界を抜けようと走る。ここに来てやっとのこと全力を出し始めたバーサーカーはさらに加速し、スロウの結界を突破しようとしていた。ティーダも負けじと走るが、それでもあと一歩足りないか。

 

「待てよ怪物野郎ッ! ゼッテー逃さねー!」

 

 ティーダは左手に持っていた剣を大きく振りかぶり……投げた。あと一歩の距離のために、躊躇いなく、何度死にかけても手放さなかった剣を。

 スロウの時間遅延効果を受けているバーサーカーにとっては弾丸の如きスピードの投擲だ。

 

 それでも走る姿勢のバーサーカーは身を屈めて投擲を回避する。恐るべきはバーサーカー、そして加護の力。

 蒼い剣がバーサーカーの頭上をすり抜けたとき、ティーダの最後の手段は無為に終わった。剣なきセイバーに何ができるというのか。彼は戦いに於いて最も重要な武器を失ったのだ。

 

 いいや。やる。

 こいつは何かやってくる。

 

 バーサーカーはそう直感した。

 

 何だ?

 何をやってくる?

 新しい魔法か? 仕込み武具?

 ここまでやったのだ。命をかけ決死の策を通したのだ。このまま手詰まりのはずは――

 

「うおあああああッ!」

 

 奥の手などなかった。ティーダの最後の攻撃はただのタックル。前のめりに跳び、相手の腰を捉えて全力で押し倒す。敵にダメージなどほぼありはしない、ただ一秒でも長く時間を稼ぐだけの行為。

 何とも無様な英雄だった。

 しかしティーダは気が付いた。

 英雄とは、力のある者でも名のある者でもなく、最後に心で活路を拓く者のことなのだと。

 

 

 




次回更新は本日17:00です。

~以降ステマ~

ティーダは言わずと知れた世界的人気RPG「ファイナルファンタジー」シリーズのナンバリング「FF10」に登場する主人公です。

FFシリーズというと、感動的なストーリーを思い出す方も多いと思いますが、声を大にしていいます。最もストーリーが素晴らしいタイトルはFF10だと!

語り始めるとネタバレしそうなのでやめておくとして…今週(6/22)はFF16リリースですね!体験版はすごく気になる終わり方だったので待ち遠しいです。


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第十節. あなたのすべてを目指した

 冬木市のとある邸宅の広い庭に、黙して座る男が一人。その様は崩壊した都市の中にあっても驚く程に自然に周囲に溶け込んでいた。ぴくりとも動かぬそれはまるで仏像のようでもある。

 

 そこへ細身の男がフラリと現れた。

 

「そうか……来たのは、お前か。

キャスター・テルミ」

 

 座禅していた男、トキはゆっくりと立ち上がった。対するテルミはトキを見るなり、目を細めて残虐な笑みを浮かべる。

 

「用件は分かってんだろ?」

 

「……言の葉にて語るか、拳にて語るか」

 

 テルミはくつくつと静かに笑う。

 

「コブシなんて暑苦しいマネするわけねぇだろ。

語るのは……コイツで、だァ」

 

 テルミが懐から取り出したのはバタフライ・ナイフだ。トキはそれを見ると柔らかい表情で返す。

 

「では、やってみるがいい」

 

 二人の間に熱い風が流れた。

 過去に如何様な惨劇があったのか、冬木にはそこかしこで未だ火の手が回っている。建物や大地は崩壊し続け、轟音も絶えない。

 

 対峙して幾度めかの地響きに合わせる様にーーテルミが大地を踏み鳴らした。するとトキの四方八方、地を破って魔力の蛇が顔を出す。

 

「ふむ、既に忍ばせていたか。抜け目ない」

 

 一斉に突撃する魔力蛇にもトキは表情一つ変えず、ゆらりと斜め前に倒れ込むように包囲を逃げる。重力に体を任せるだけの緩慢な動きだ。

 

「寝ボケてんのかよッ! クソジジイ!」

 

 魔力で練られた蛇たちは自動操縦だ。各々の意思を持ってトキを追尾する。緩やかなトキの動きでは到底避けられるものではない。が、トキがそれらの一つを掌で撫でるように押し返すと、一匹の蛇の攻撃軌道がズレ、他の集合と絡み合うように衝突して消滅した。

 

「な……にィ!?」

 

 数秒でテルミはトキの実力の程を理解した。

 最小限の力で最大限のパフォーマンスを得る動き……ここまで洗練された闘技をお目にかかることはテルミの長い人生でも滅多にない。

 

「次はこちらからゆくぞ」

「……ッ!」

 

 地面を滑るようなトキの接近。テルミはそれを見越していたか、すでに左腕に魔力の盾を作り出していた。そこへトキの鋭い貫手。テルミの分厚い魔力を突き破り、彼の手のひらにぐっさり突き刺さる。

 

「ぐぅっ!」

 

 テルミは呻いたが、それは痛みではない。驚きだ。テルミの魔力は触れるだけでも激痛をもたらす猛毒を含んでいる。それに生の手を突っ込まれるなど彼にとってはあってはならぬ事態。

 しかしテルミの魔力はただ暴威を振りまくだけではない。

 テルミの手を覆っていた盾は瞬時に形を変え、トキの手をぐるりと巻いて掴んだ。

 

「コイツでサクッと死ねゴミくずがァ!」

 

 凝縮した魔力が刃に宿ったバタフライ・ナイフを繰り出す。先ほどの一撃でテルミはトキの性質を見抜いていた。つまり、魔力密度の濃淡を見分け、針の糸を通す様にその隙に力を込めることで、魔力の波に穴を穿っているのだ。

 ただし、魔力とナイフの組み合わせは物理・魔法の混合。これをいなすのは至難の業。

 

 トキは……それを二本の指でピシリと止めた。テルミの顔に再び驚きの表情が張り付く。

 

「!」

「ほおあぁっ!」

 

 トキの蹴り上げに、テルミはナイフを手放し後方へと逃げる。すかさずトキは二本指で掴んでいたナイフをそのまま投げ返した。

 

「チィッ!」

 

 それを避けるテルミの眼前に、ピタリとトキの拳が止まった。

 

「……くっ!」

 

 テルミは逃げるように即座に距離を取った。トキがその拳を振り抜いていればテルミの頭部は砕け散っていただろう。

 

「もういい。ここまでだ」

「テメェが勝手に決めんじゃねぇッ!」

 

 テルミはより一層の魔力を解放する。大地は揺れ、地割れから黒緑の禍々しい魔力が溢れ出した。しかしトキはそれを見ても構えを解いたままだ。

 

「いいや。お前はもうこれ以上の闘いに意味がないと気が付いているはずだ」

「……」

 

 テルミは三白眼でトキを鋭く睨み、大きく舌打ちする。が、周囲を取り巻いていた膨大な魔力の波は徐々に弱まっていくのが分かる。

 

「今は少しの魔力も惜しい。命拾いしたな、クソ雑魚アサシン」

「うむ。どうやらそのようだ」

 

 トキもまたテルミの能力を高く評価していた。このまま続けていたら勝っていたという保証はないことも理解していたのだ。

 

「私からお前に語ることはもうない。ゆけ、キャスター」

「いちいち命令すんじゃねーよ」

 

 テルミはトキに背を向け、歩き始めた。が、その数歩で足を止める。

 

「……一つ、質問があった」

「言ってみなさい」

「お前……兄貴居ンのかよ」

「……それは」

 

 トキは満面の笑みだ。

 

「とてもいい質問だ」

 

 




次回更新は本日19時ごろ予定です。


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第十一節.この物語はフィクションであり、実在の団体や人物とは…

 バーサーカーとの戦闘のあと、マシュたちは偶然にも基地に帰る承太郎と合流できた。辺りにエネミーの姿はない。

 

「それで、また同盟が増えたと」

 承太郎はティーダを肩で抱えているマルコを見て言った。

「ええ……はい。戦力的には申し分ないですよね?」

 そう答えるマシュも傷だらけで、ティーダに至ってはまるでボロ雑巾だ。ほぼ無傷でピンピンしてるマルコをもう一度見る。

「やれやれだぜ」

 

 物語の加護に関するマシュとティーダの予想は的中だった。が、廃ビルを脱出してもバーサーカーがいきなり消滅することもなく、ただ狂化状態を解除されただけだった。既に満身創痍だった彼女らは戦闘を続行するのは難しく……そういう意味ではマルコを仲間に引き込むのは致し方ないことだった。

 

「彼はテルミから狂化の呪いを受けて廃ビルに閉じ込められていたそうです」

「そうよ、オバケ使いのお兄さん。聞いてよ。

マルコは……テルミに騙されていたのよ。

これからはマルコはテルミをやっつけるために戦うよ!」

「……ああ」

 

 いずれは敵になることを思うとチームが大きくなりすぎるのも手放しに歓迎できるわけではない。テルミ陣営の戦力を削げるのはありがたいが、すぐにテルミを獲りに行くのも憚られた。アルターエゴの件である。

 

「して、承太郎さん。そちらはどうでしたか?」

 

 マシュは基地への道を歩きつつ承太郎に問う。承太郎はどこまで話したものかと少し悩んだ。

 

「英雄に会った。アサシン、ライダー……そしてクラス不明の一人」

「……! 三人も……

よくぞご無事で……!」

「誰も始末してはいないがな」

「ふむ。しかし、三人となると……」

マシュはパタパタ指を折りながらカウントを始める。

「分かっているだけでも九人、ですね」

「因みに英雄の人数が増えた場合、聖杯戦争のルールはどうなる?

六人斃せば聖杯を使えるのか、あるいは他の全員を斃す必要があるのか」

「うぅん、どうなるのでしょうね。魔力量の話だと六人を斃せば、という方が説得力ありそうですが」

「そうか……」

 

 承太郎はディオの話の真偽を聞ければと思ったが、マシュも所詮は必要な記憶のみを埋め込まれた立場であり、聖杯戦争の仕組みの詳細までは知らないらしい。

 

「ただ、少なくとも今のところ聖杯戦争の力を使って元の世界に戻れるのは一人だけという点に変わりはありません」

 マシュがそれを補足したのは、あくまで他の英雄に対する警戒を怠るなと伝えたかったからだ。承太郎はそれも含めて頷いて返事した。

 

「それと、もう一つ。

キャスターの野郎と少しだけ話をした」

 

 マシュは目を見開いて驚いた。

 

「テルミと……」

「ああ。

どうも、奴ですら手古摺る相手がいるらしい。

アルターエゴの英雄、とか言ってやがったかな」

「……!

アルターエゴ……! まさか……」

「アルターエゴってのはそんなに危険な奴なのか?」

「いいえ。本来、クラス自体に強弱はありません。

承太郎さん、私の方からも報告があります」

 

 マシュは英雄の影の出現とその意味について承太郎に話した。つまり、強大な英雄が召喚された可能性についてだ。

 

「キャスター・テルミの言質が信用できるとも思いませんが、そのアルターエゴが新たに召喚された英雄だとしたら筋は通りますね」

「……そうだな」

 

 そのテルミ曰く、マシュがアルターエゴらしいが。尤も、マシュの立場からするとシールダーを騙る意味は全くないはずだからして、承太郎からするとテルミの見当違いとしか思えなかったが。

 

「テルミの野郎はアルターエゴを真っ先に殺るつもりらしいぜ。停戦協定も持ちかけられた」

「なんと。彼が」

「ああ。一応、受け入れておいた」

「分かりました。では、私たちとしては当面様子を見る方針ですね」

「リーダーを差し置いて勝手に決めてすまんな」

「いえ。寧ろ事がうまく運びそうです。

まあ、私はリーダーではありませんが……」

「それから、一つ簡単な協力を頼まれてな。これは、マルコとティーダも聞いてくれ」

「……?」

 

 後方を歩いていた二人を待ち、承太郎は帽子をクンと上げた。

 

「アルターエゴらしき英雄がいたら、こう伝えて欲しい。

“お前の歪んだ欲望を頂戴する”と」

「それは……?」

「アルターエゴの正体を探るのに必要らしい」

 

 このセンテンス自体に魔術的な意味がある。膨大な情報の海に石を投げ込み反響の探るソナーような役目なのだろう。それはマシュもすぐに分かったが、それでも大きな瞳をぱちくりさせて承太郎を見た。

 

「正体……」

 

 承太郎はマシュがそうポツリと呟くのを見て、マシュにとってはアルターエゴが存在を隠していることなど知る由もない、という事実を思い出した。そもそもそれ自体テルミの予想でしかない。

 

「いや、正体じゃあなく弱点……だったかな」

 

 承太郎は慌てて言い直したが、マシュは素直に頷き、他の二人もそれぞれの返事をした。

 

「了解です。それらしい英雄がいたら言ってみます」

「分かった」

「マルコも、ほぼ……九厘くらいは理解したよ」

「九割理解したみたいに言うな」

 

 とりあえずマコトに依頼されていた任務はこれで終わりのはずだ。もしもテルミの予想通りマシュがアルターエゴだったならすでに伝わったことになるからだ。

 

「歩きがてら、聞きたいことがある。

 サーヴァント……てのを知ってるか?」

 

 サーヴァント。その名は最初にディオから聞き、その後テルミやマコトの口からも出てきた単語だ。前後の文脈から言って十中八九“英雄”のことなのだろう。

 

「えっ。はい。サーヴァントは英雄の別名です」

「……なるほど」

「他には“天秤の護り手”などとも呼ばれることがあるそうですよ」

 

 承太郎は聖杯戦争に関する記憶を一切有していなかった。そこでホイホイ新しい単語を出されても混乱するだけだろうし、呼び名など大して重要ではない。

 しかし、承太郎はテルミに諭されたことを思い出していた。名前には意味があるということを。

 

「天秤とは?」

「えっと……すみません。そこまでは……」

 

 これ以上問い詰めるのも野暮ったいと感じつつも、承太郎は気になって仕方がなかった。彼は一度心に引っかかりを覚えると悶々として夜も眠れないタチであった。

 

 なので、これが最後と思いながらも質問を続けた。

 

「サーヴァントというのは、確か“使い魔”って意味だったな。対になるヤツはいるのか? 例えば、そうだな……“主人(マスター)”とかな」

「……」

「……?」

 

 マシュは沈黙したままニ、三歩だけ歩き、やがて……ゆっくりと足を止めた。

 

「……ん?

 どうした?」

 

 承太郎も釣られて立ち止まる。後方の二人もだ。表情を長い前髪に隠すマシュは、僅かに肩を震わせている。

 

「せ……」

 

 喉の奥から絞り出したような、消え入りそうな声を発したかと思うと、マシュはそのあとの言葉を続けることなく、崩れ落ちるように膝を地に突いた。

 

「どうしたのさ?」

 

 ティーダが心配そうに尋ねるが、マシュは一言も発することなく蹲っている。先の闘いの傷が痛み出したのかとも思ったが、どうも様子がおかしい。

 

「大丈夫か?」

「マシュ姉ちゃん、具合悪いか?」

 

 承太郎の声にも反応しない。

 マルコの声にもだ。

 マシュは途切れ途切れの不規則な吐息を漏らす。両腕で自らの肩を抱きながら震えて。必死に恐怖に耐える子供のように、或いは凍えているようにも見える。

 

「……! まさか……」

 

 ただごとではないと感じた承太郎が次に思ったのは、これは何者かによる呪術か何かの遠隔攻撃では、という疑念だった。実際のところマシュの魔術耐性は承太郎が思うよりずっと高かったが、とにかくこうも弱られると案ずるも仕方ないことであった。

 

「おいッ! マシュ!」

 

 呼びかけ、承太郎が駆け寄る。そして、彼の手がマシュの肩に触れようとした瞬間ーー

 

「触らないでッ!!」

「ーーッ!」

 

 喉を枯らしたマシュの叫び。悲鳴のように音が割れたその声が意味の通る言語として聞こえたかは分からないが、承太郎は手を引っ込めた。

 

「すまん。無事ならいいんだが」

 

 マシュは「はっ」と我に返ったように顔を上げる。

 

「い、いえ……こちらこそ……すみ、ま…せん…急に……」

 

 肩で息をしながら「大丈夫です」と途切れ途切れに宣うマシュだが、到底“大丈夫”とは思えなかった。額にはじっとり汗が浮かび、目の焦点は定まらず、瞳孔は開き切っている。

 承太郎の世界なら救急車にお世話になるところだ。

 

「本当に何もないのか?」

「……はい……

ただの、立ち眩みです……」

「ここらで休めないかな? オレもちょっと……てゆーかかなり脚痛いんだけどさ」

 

 ティーダが言い訳して休ませようとするが、マシュは首を横に振った。

 

「エネミーが集まってくる可能性があります。ゆっくりでも歩き続けましょう」

「……うん」

 

 マシュは胸を片手で押さえながら歩き始めて、それから一つ深呼吸。首だけで承太郎に向いた。

 

「先ほどの問いですが……」

 

 承太郎はそう言われて思い出した。マシュのあまりの病的な発作を目の当たりにしたせいで頭から抜けていた、“サーヴァント”という名称についての質問だ。

 

「その才能がある者は、英雄……サーヴァントを召喚することも可能だそうです」

 

 つまりは、サーヴァントには出現方法が二通りある。

 一つは何者かが召喚する場合。

 もう一つは、恐らく自分達のように、聖杯戦争の駒としてランダムに喚ばれる場合。

 

 承太郎は次なる疑問が生じたが、口をつぐんで頷いた。

 

「どうでもいいことに付き合わせて悪いな。だが感謝してるぜ」

 

 いつもは説明の長いマシュだが、さすがに今回ばかりは補足もないようだ。視線を承太郎から外し、上の空で歩き続ける。

 

「ところで……あのアーチャーはどうした? 確か、アリサとかいったかな」

 

 反応が鈍いマシュの代わりに、後ろからティーダが答える。

 

「アリサは基地で待ってる。怪我もしてたからさ、休んでもらってたんだ」

「……」

 

 テルミとマコトの会話を聞くに、マシュたちの隠れ家の場所はすでに割れている。テルミとは停戦状態ではあるものの、テルミが情報を流したというランサーとやらはどの陣営にも属していない口ぶりだったから、停戦の話も当然ない。

 

「さて、どうなるかな……」

 

 運が悪ければアリサはランサーとばったり会うこともあろう。尤も、ランサーの狙いもアルターエゴであるはずだから、戦闘は起こらないと承太郎は予想していたが。

 

「焦らずに聞いてくれ」

 

 承太郎はそう前置きして歩く三人を引き止めた。

 

「実はーー」

 

 ティーダに発信機のようなものが付けられていること。それによって隠れ家の場所をテルミ側に知られたこと。その事実を伝えようとした瞬間。

 

「グオオオオオオオオオォォッ!」

 

 大地を揺るがす極大の咆哮。そして雪崩のような鈍い轟音。音源との距離は遠いが、それでも大気が震えるのがはっきり感じられるほどの音量だ。

 

「……!」

「なっ、何なんだよ急にっ!」

「高出力の魔力反応……! 神獣クラスのエネミーの顕現です!」

 

 このテの咆哮がトラウマになったか、マシュとティーダは一層のこと慌てふためいた。

 

「あっ!? み、みんな! アレを見て!」

 

 マルコが遠くを指差し叫んだ。

 暗い霧に覆われた山の麓。そこに揺らめく、途方もなく巨大なシルエット。ひと凪ぎで嵐が起こりそうな広い翼、威容な四肢、獣のような貌、立ち並ぶ牙。赤く輝く蛇の瞳孔は濃い霧の中でも圧倒的なオーラを放っている。

 

「あれは……ドラゴンです」

 

 ドラゴンが顕現したのは、此処からは遠い。しかし、マシュたちの拠点の方角だ。

 

 

 




次回更新は6/19(月)13:00です。
更新時間を7時から13時に変更しました。


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第十二節.僕と契約してサーヴァントになってよ!

 時は遡り、マシュたちとバーサーカー・マルコの戦闘の開幕前。

 

 マシュたちの拠点。

 地下鉄施設の部屋を改装して仕立てた隠れ家で。

 

 ティーダたちに置いて行かれてぐっすりフテ寝していたアリサは、不意にぱちりと目を開けた。

 

「……」

 

 そのままスッと上体を起こし、真剣な眼差しで部屋の角を見つめる。

 

 誰かが近づいて来る。

 

 最短ルートでこの隠れ家の方へ、迷うことなく、一定のリズムで。

 

 人数は?

 一人。

 

 男?女?

 恐らく女。

 

 身体的な特徴は?

 低身長で体重は軽い。

 

 他に情報は?

 時折足音に混じっている硬い音は、床を金属で叩く音――長い得物を持っている。

 そして、彼女との距離はおよそ百五十メートル。

 

 マシュでも承太郎でもティーダでもない。新たな英雄だ。

 

 アリサはソファの横に置いていた弓を手に取り、ゆっくりと隠れ家を出た。

 

 地下は天井の亀裂や穴から地上の光が入っているくらいで、常人なら目を凝らしても歩けないほど暗い。夜目の利くアリサは、静かに素早く跳躍して柱の陰に身を隠した。

 

 件の英雄は足音を殺して近づいてくるが、時折得物で床を引き摺り音を立てているため、位置まで丸わかりだ。それどころか何かを食べながら歩いているようで、咀嚼する音まで聞こえてくる始末。隠密のつもりなのかそうではないのか、どっちつかずだ。

 尤も、アリサでなければそう察知されるものでもないが。

 

 どこか真剣さや集中力を欠く様子に、アリサはきっと彼女は子供なのだ、と思った。

 

 

「止まって下さい!」

 

 英雄との距離十数メートル、柱の陰越しにアリサが叫ぶと、その英雄は足を止める。

 

「お。マジで居やがった。意外」

 

 声を発した英雄は、やはりアリサが予想した通りの子供だ。トーンは低めで言葉遣いも荒いが、声質は幼い。アリサはさりげなく柱から少しだけ顔を出して英雄の姿を確認する。

 深く沈んだルビーの瞳、同色のポニーテール。全体的に真紅の色合いで纏まったドレスで小さな身体を包む。そして肩に掛ける刃の大きな槍。

 まだ十代前半かといったところだが、その立ち振る舞いは自信に溢れている。命を狩ることにも、命を狙われることにも慣れている――そんな佇まいだ。

 

「偶然通り掛かっただけなら……迂回して下さい!

ここは私たちの場所です!」

 

 少女の通った道筋から考えると間違いなくこの隠れ家を目指していたのだろうが、アリサはそれでも警告した。

 少女はというと、敵に出会ったというのに食事をやめず、なんと鯛焼きを頬張りながら話す。

 

「マシュってヤツに用事があんだけど、アンタ?」

 

「違います。けど、マシュさんに何の用ですかっ?」

「さぁ……多分殺すかな」

「っ……

どうしてマシュさんを狙うんですか」

 

 英雄同士は争う運命にあるというのは分かっていたが、名指しでとなると当然の疑問だ。

 

「教えてやってもいいんだが、先にこっちの質問に答えてもらうぜ?」

 

 アリサは押し黙ったが、その英雄は勝手に口上を続ける。

 

「そのマシュっての、どこにいるんだ?」

「絶対言いません」

「悪いようにはしないって。ソイツ殺したら、代わりにアタシが仲間になってやるよ。どう転んでもアンタに損はないだろ?」

「平気で人を殺すなんて言う人はお断りです!

それに……マシュさんは友達なんです!」

 

 相対する少女は、一呼吸分フリーズしたと思うと、

 

「はぁあ……?」

 

 溜息が混じった声で聞き返す。

 

「さてはアンタだな?

人をイラつかせる術を使うアーチャーってのは」

「えぇ~。ち、違います」

「アーチャーじゃないのか?」

「いえ……アーチャーですけど……」

「やっぱりそーじゃん。アタシはランサー、佐倉杏子」

「……アリサです」

 

 自己紹介を終えると、杏子は少女ならざる凶悪な笑みを口元に浮かべる。

 

「……で?」

「……?」

「マシュってやつが何処に隠れてるのか。

言うか、それとも、言わされるか。選んでいいぜ」

「……!」

 

 鋭い殺気に、アリサは思わず柱の陰に引っ込んだ。目の前の相手は“まだ子供の英雄”ではない。子供にも関わらず英雄に選ばれたほどの傑物なのだ。

 

「脅されても、言う気はありません。

マシュさんを傷つけるつもりなら……私が相手になります!」

「……ふーん」

 

 杏子は鯛焼きの尻尾の一欠片をヒョイと口の中に放り込むと、硬いものでも噛みちぎるようにミシッと音を立てて咀嚼した。

 

「だったら早く撃ってこいよ、アーチャー」

 

 肩に掛けていた槍を片手で器用に回しながら言う。アリサは、杏子の怒りを含む声色を訝しんだ。それが挑発ではないと分かったからだ。

 

「来ないなら……こっちから行くぜっ!」

 

 ランサー、杏子の突進。飛び道具を持つ相手に一直線に向かってくるだけあって、かなりの速度と加速力だ。アリサが矢をつがえるよりも早く、十数メートルの距離から肉薄する。

 アリサは柱を盾に攻撃をやり過ごそうとするが、

 

「――!」

 

 その柱は杏子の大槍によって貫き砕かれる。ただの一撃……踏み込みからの突きだけで、地下鉄を支える屋台骨である頑丈で太い柱が破片を撒き散らしながら崩壊したのだ。

 あと数センチ横にズレていたらアリサの身体も五体繋がっていなかっただろう。

 その鋭く重い攻撃に戦慄しながらも、アリサは飛び退きつつ一矢放つ。しかしそれはいとも簡単に槍の柄に弾かれた。

 

「あぁ? 何だこのみっともない攻撃は?」

 

 威力もスピードも比べものにならない。杏子の嘲弄も当然である。

 アリサはさらに奥へと入り込み、灯りの為に置いていたランプを撃ち抜いた。辺りはさらに濃い暗黒に包まれる。

 

「……あっ、そーいう系か。実はアンタ、アサシンだな?」

「違いますっ!」

「そこかっ!」

 

 杏子の次なる攻撃もまた空を切った。それも際どいところでアリサの美顔を貫きかけたのだが、杏子も暗闇を警戒していたようで踏み込みが一歩だけ足りなかった。

 

「ふっ!」

 

 闇のヴェールに身を隠し接敵するアリサは、下斜めから蹴りの攻撃。杏子は膝でそれをブロックするも後方に弾き飛ばされた。この接近戦でもお互いにダメージはなさそうだ。

 

 次いで放たれていたアリサの矢も、やはり杏子は難なく槍柄で弾き返した。蹴りとほぼ同時に暗闇の中から射撃されたにも関わらず、危なげなく防いだのだ。

 

 アリサは思った。

 賽の出目が悪ければ既に二度死んでいる。戦闘能力には大きな差があり、それは暗闇程度のアドバンテージで覆るものではない、と。

 有効打に繋げる為には相手に大きな隙が要る。それを暗闇とアリサの体術で作るのは無理だ。

 

 格上相手に活路を見出すなら、勝負の場を荒らす必要がある。手成りに進めはしない。

 だがどうやって?

 

 アリサの思考がまとまる前に杏子も次の攻撃に出る。十メートル近くの距離から槍を振りかぶる杏子を見てアリサは身構えた。突進の加速力は先程見せてもらった。だから、軌道を見切りやすい刺突ならカウンターに打って出ることもできるかも。

 

「そらよっ!」

 

 しかし、飛んできたのは槍のみ。

 投擲?

 否。分解された幾つもの柄とその内部に仕込まれた鎖を見た時アリサは理解した。杏子の武器は正確には槍ではない。多節棍のギミックを搭載した変則武器なのだ。しかも魔術により物質補強された鎖は伸縮自在。ランサーとは思えぬ射程を持つ。

 

 飛来する刃に、アリサは柱を蹴って右に逃れる。突進よりも技の動作が大ぶりなのが幸いし、辛うじてヒットならず。しかし杏子が鞭のように武器を振るうと、槍頭がアリサを追尾するように曲がる。アリサは杏子の手捌きの精妙さに舌を巻いたが、それをスライディングで躱した。槍は、地面を穿っただけだ。

 

 アリサの回避はいつもギリギリだが、杏子の遠隔攻撃は接近戦と比べて見切りやすい。杏子の手元と攻撃タイミングのラグが大きいからだ。尤も、生き物のように動き回る槍頭を読むのは至難のわざ。当たれば即死の威力を持つランサーの攻撃であれば尚更だ。

 

「……チッ!」

 

 杏子は舌を鳴らした。

 接近できれば勝負を簡単に決められるだろうが、その隙がない。アリサは闇から影へ、影から闇へと常に移動している。視界に捉えることすら難しいのだ。

 

「しゃーねえ。あんまり、派手にかますつもりはなかったんが」

 

 杏子がパン!と手を軽く合わせると、そこら中に薄い紅色の光が立ち昇る。

 

「わっ……綺麗……」

「言ってる場合じゃないぜっ」

 

 そして光から突如現れた魔法の槍が、四方八方からアリサに襲い掛かる。

 

「ひえぇっ!?」

 

 頓狂な声を上げるアリサだが、光に宿る魔力から攻撃魔法であることを読んでいた。これも、曲芸ばりの体のしなりでやり過ごす。

 

「実はあなた、キャスターですね!?」

「そーそー。魔法少女」

 

 杏子は歴としたランサーだが、魔法使いを自称するだけの威力はある。コンクリートの壁や天井を軽々貫通する光の槍もまた当たれば必殺級だ。

 ただ、術を行使するのにそれなりの集中力を要するらしく、テルミのように魔法と本体で同時攻撃……とまでは出来ないようだ。

 

 であれば、魔法の狙いは光源効果でも槍の連続攻撃でもない。

 

「まさか……」

 

 アリサを狙った数々の槍はその一つもヒットしなかったが、しかしその場に留まり続けている。拒馬のバリケードのように、あるいは、無数の棘で侵入者を阻む荊のように。

 

 嫌でも理解した。杏子はアリサの逃げ場を奪う算段なのだ。

 

 ならば、とアリサが取った行動は。

 

「……!

そっちに逃げるのは最後だと思ったんだけどな」

 

 アリサが向かったのは、地上への登り階段。自ら暗闇の優位を捨てる決断だ。

 

 

 




次回更新は6/20(火)の13時予定です。
22日はFF16の発売日、21日はFGO更新(勝手な予想)なので

~以降ステマ~
佐倉杏子は可愛い系鬱アニメ「魔法少女まどか☆マギカ」に登場するキャラクター、4人の魔法少女の一人です。

通称「まどマギ」と呼ばれる本作は、ゆる可愛いキャラデザにダークな脚本で当時の話題をかっさらった覇権アニメ。後半は容赦なく心を折りに来る展開の連続なので、覚悟されたし。

ちなみに、まどマギは劇場版もかなり評価が高いです。少し雰囲気が違いますが、戦闘シーンがすごくかっこよく、サウンドも最高でした!
あれはあれで完結していると思っていましたが、10周年記念で劇場版が新たに制作されるみたいですよ!最近音沙汰ないけど…



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第十二節.僕と契約してサーヴァントになってよ!-2

 生まれ持った性質と経験で得た性質が真逆という意味では、杏子は多くの二面性を持ったサーヴァントであった。

 

 パワータイプであるランサーであり、魔法を行使する魔法少女でもある。

 計画的に動くこともあり、また行き当たりばったりで雰囲気に流されることもある。

 

 杏子はアルターエゴを始末するためにわざわざ敵陣にまで偵察に来たわけだが、アルターエゴの戦力次第でどうにでも作戦を変更するつもりだった。例えば、現時点で最も厄介そうなテルミと引き合わせるなど。

 戦力や根城を把握する、というのが裏の目的と言えよう。

 

 そんな彼女にとってアリサとの戦闘に大きな意味はなかった。彼女はアリサが気に入らないのだ。聖杯戦争という、ただ独りしか生き残れないサバイバルゲームにおいても仲間を護ると嘯く(うそぶく)くアリサが。

 

 尤も、サーヴァント同士は戦うのに特別な理由など要らないが。

 

 

「逃げるつもりはねーみてーだな」

 

 もしくは仲間と合流する気なのかと思っていたのに、どうもアリサにその気はないようだ。地上に出てからはあまり目立った移動をせず、姿を眩ましては射撃するという彼女の基本戦闘スタイルを貫いている。

 

 アリサはここで決着を付けるつもりらしい。

 

 崩壊した市街地は身を隠す障害物が多い。車両は好き放題転がっているし、瓦礫の山や半壊した建物の壁が連なるなど、隠れていなくても視認性が悪いほどだ。

 とはいえ、暗闇という優位を捨てて戦えると思っているならそれは……

 

「とんだ計算違いだぜっ!」

 

 アリサの潜伏位置にアタリをつけ、槍を正面に構えた猛進からの刺突。周囲が明るいぶん反撃のリスクは小さいゆえ、思い切りのよい攻撃に出られるというもの。実際、杏子の刺突の威力は先ほどのものよりも数段高い。一突きでアリサが身を寄せていた壁を破壊した。

 

「きゃああっ!」

 

 衝撃に弾き出されたアリサは、傷つき転がりながらもすぐに地を蹴り宙返りしながら体勢を戻す。その間隙に杏子が接近、当然の追い討ちだ。

 

「じゃあなっ」

 

 杏子が勝利宣言とともに槍を振りかぶる。杏子の槍の射程はアリサの回避距離をまるっと覆うほどに長い。退路なしかと思われたが、アリサは逆に杏子に突進し、掴み合いの距離にまで詰め寄った。

 

 杏子は「むっ」と顔をしかめた。槍は剣より射程が長いが、刃が槍頭にしか付いていないため、こうも密着されると却って攻め手に欠けるというわけだ。

 

 替わってアリサの逆襲のターン。腰のナイフを抜き払いざまに斬りつける。通常の槍であれば小回り勝負に負けるところだ。しかしもちろん、杏子の槍は通常のものではない。

 

 杏子は素早くパキリと槍の柄を折り、仕込みチェーンでナイフをガードした。そのまま鎖でナイフをガッチリと絡め取った。

 

「!」

「アーチャーごときが生意気に近寄ってんじゃねーよ!」

 

 杏子の膝蹴りがアリサの腹に突き刺さる。

 

「あぅえぇっ」

 

 アリサは鈍い痛みに喘ぎながらも、その反動ですぐさま背中から脚を回して蠍蹴りを放つ。

 アリサは杏子の膝を両手で包み込むように防御していたのだ。

 

「っと。浅かったかな」

 

 少し驚きながらも、杏子はそれを腕で防ぐ。杏子も蹴りで応戦、アリサもさらに足を合わせ、お互いに弾き飛ばされて再び距離が開く。中距離戦、杏子の得意とする距離だ。

 

 すかさず杏子は攻撃に移る。再びギミックウェポンを展開し、長射程の多節棍を振るう。十メートル以上もの距離であっても杏子にとっては無いも同然だ。

 一方アリサは、やはり腹にダメージが残っているらしく、いつものアクロバットはどこへやら、半ば倒れるように重心をズラして躱した。

 杏子の攻撃は続く。刃の追尾攻撃だ。二撃、三撃と素早く正確な斬撃がアリサの肌を裂く。

 対するアリサは回避の合間に二本の矢を同時につがえて放つ。ダブルショットというやつだ。一本は杏子に向かって直進し、もう一本はぐるりカーブを描いて側面から杏子に迫る。

 

 流石の杏子も二本を同時に弾き返すことはできず、後ろ斜めにひょいと避ける。アリサはその隙に大きく距離をとった。今度はアリサの距離だ。

 アリサは一旦矢を番えるも、撃つことなく構えを解いた。それを見た杏子も一息ついた。

 

「……どーした? 撃ってこないのかよ?」

「正面から狙っても無駄みたいなので」

「ハッ。何処から撃っても無駄なんだよ」

「ん~。確かに、そうですね……」

 アリサの返答に満足したのか、杏子は自慢げに鼻を鳴らした。

「仲間を売る気になったかい?」

 その問いを聞いたアリサもまた微笑んだ。

「売って欲しいですか?」

「……あァ? どーゆー意味だ?」

 アリサの含みあり気なセリフに、杏子はつい訊き返す。

「そのままの意味ですよ」

 アリサの質問は実際のところ、杏子という人間の芯を捉えていた。それは杏子自身も自覚していないことであった故に、杏子が真意を理解することはなかったが。

「そのままの意味っつーと……カネでも寄越せってか?」

「持ってるんですか? お金」

「まさか。種火ならあるぜ」

「アーチャー用?」

「ランサー用」

「じゃあ、要りません」

「ふーん。菓子ならどうだ?」

「ほう。お菓子」

 アリサの目が爛々と輝くのを見て、杏子は呆れ返って溜息を吐く。

「まさか食いモンで釣られる気じゃねーだろーな」

「とっ、トーゼンです! ちょっと気になっただけです!」

 またまた、これ見よがしに杏子が溜息をついた。

「何なんだよ、交換条件」

「マシュさんに手を出さないと約束して下さい」

 今度は顰めっ面でアリサを睨んだ。

「バカかお前。それじゃ意味ねーだろ。

それに、そんな約束アタシが守ると思ってんのかよ?」

「神様に誓って下さい。そしたら、信じます」

 アリサは笑顔でパンと両手を合わせながら言うが、逆に杏子は益々不機嫌な表情だ。

「神様なんか居ねーよ」

 奥歯を覗かせる杏子に怯まず、アリサも言い返す。

「居ます。救われようと思うから居ないように感じるんです」

「救ってくれねーなら、何のための神様だよ!」

「私は救われていますよ、毎日。きっと杏子さんも」

 アリサの言う神は自然崇拝のようなもので、杏子の思う神とは少しばかり毛色の違う概念だったが、とにかくそれは杏子の怒りを買ったようだ。

「……うぜー」

「……」

「マシュって奴はゼッテー殺す」

「させません」

「てめーも……」

 怒り心頭、青筋立てながら話す杏子だが……

「あっ! すみません、話の途中ですが!」

 それは突然のアリサの声にバッサリ切られた。

「……ワイバーンです!」

「えっ」

 

 直後、杏子は自身がぬうっと大きな影に覆われたのに気が付いた。

 

「グオオォォッ!」

 

 翠の分厚い鱗、突き出た鼻と口、体長三メートル以上の巨躯。両翼を羽ばたかせて上空から襲い来るそれは正しくアリサの宣告通り……

 

「わあぁっ!?」

 

 と、正体を確認する前に杏子が脊髄反射でワイバーンの首を槍で貫く。咄嗟の攻撃にしては上々の精度と威力だが、気を逸らされた杏子はアリサの姿を見失っていた。

 

「ちっ! どこに居やがる!?」

 

 逃げられたか、と思いかけた直後、左後方から複数の矢を撃ち込まれる。杏子は一瞬ヒヤッとしつつも、さそれらの矢を叩き落とした。この程度では不意を突かれはしない。

 

「今度は当たるかもと思ったんですが。さすがです」

「汚ぇマネしやがって。次は逃さねーぜ」

 

 一度隠れた割にはあっさり姿を現したアリサを不審に思いながらも、武器を正面に構えて突撃の態勢をとる。しかし杏子が地を蹴るより先に、その地面を突き破ってゾンビが杏子の目の前に出現した。

 

「!」

 

 二度目の奇襲にはさして驚くこともなく、バッサリとゾンビを一撃で斬り捨て葬り去る。

 ただし――数いるうちの一体を、だ。

 

 地上には次々とゾンビが湧き出て、空には何処からともなくワイバーンが飛来する。

 杏子は……そしてアリサも、わらわらと現れたエネミーどもに囲まれていたのだ。勿論、偶然ではない。

 

「てめー、謀りやがったな!?」

 

 ここは“狩場”。エネミーが大量に湧く場所。彼方此方から唸り声、金切り声、咆哮絶叫の四重奏だ。

 杏子は理解した。

 こいつ、荒らす気だ、と。

 

 ただ、アリサにとってもひとつ想定外の問題があった。

 それをちょうど、杏子がふと呟く。

 

「それにしても、これ……多すぎやしねぇか?」

 

 

 




次回更新は6/23(金)の13:00予定です。


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第十二節.僕と契約してサーヴァントになってよ!-3

 初対面で、アリサは杏子を“戦いに慣れている”と評した。そうだとするなら、アリサは“強者との戦いに慣れている”と言える。

 杏子は今まさにそれを痛感していた。エネミーどもはアリサと杏子の両方を攻撃対象にしているため、両者の戦闘条件は一見平等に思えたが実は違う。

 杏子は襲い来る全てのエネミーを捌いているのに対し、アリサは最小限の攻撃でやり過ごすという逃げメインの戦い方だ。あわよくば杏子にエネミーの処理をなすり付けることもする。これでは消費する体力の差は拡がるばかりだ。

 

 杏子は二択を迫られていた。

 戦闘を止め、この場を離れるか。

 あるいは、狩場のエネミーを全て枯らす覚悟でアリサとの戦いを続けるか。

 

 もしリスク・リターンだけで語るなら、断然前者を選ぶべきであろう。しかし同時に後者を選ぶ言い訳もあった。例えば、ここでアリサを逃せば隠れ家を移動するのは必至であるということ。例えば、アーチャーにとって逃げる敵を的にするのは容易であるということ。

 そういった細々とした事情が判断を煩雑にし、杏子に感情を優先させた。

 

「次から次へと……ジャマくせーんだよっ!」

 

 杏子が両手を合わせると、辺りを激しい紅の光が包んだ。地下でも披露した槍の魔法だ。現出した凶器は乱雑ながらもその数は膨大。半径数十メートルにわたって槍の山を築き上げる。周囲のゾンビやワイバーンもその大半が即死、または戦闘不能だ。

 

「はぁっ……はぁっ……

何処に居ンだよ、アーチャー。今のでくたばっちまった訳じゃねーんだろ?」

 

 肩で息をしつつ、姿の見えないアリサに呼びかける。しかし代わりにと返事をしたのはエネミー、ゾンビだった。

 

「ギィイィィッ!」

「……!」

 

 死体の山に埋もれていたゾンビが、疲労で一瞬反応が遅れた彼女を抱き付くように捕まえた。膝蹴りで押し退けようとするが、ゾンビは下半身が剥がれても杏子を離さない。

 そこに鋭く風を切る音――アリサが矢を放ったのだ。避けようのないタイミング。杏子は覚悟した。実は杏子はヘッドショット程度では死にはしないのだが、ダメージは免れない。

 しかし矢は、杏子に噛み付こうとしていたゾンビの頭をスコンと刎ね飛ばした。

 

「なっ……!?」

「杏子さん、まだです!」

「くそっ! わーってるよ!」

 

 突然のアリサの援護に言及する暇もなく、ざらざらと雑草のようにゾンビが土から顔を出す。杏子は槍を大きく振り回してそれらを薙ぎ払った。空を飛ぶワイバーンはアリサが迎撃し隙を作り、杏子がトドメを刺す。

 杏子も何となく分かっていた。アリサは単に杏子を助けたのではなく、杏子に今ここでヘバられるのは都合が悪いのだ。アリサ独りではこの大群に対応し切れないからだ。そしてそれは杏子も同じ立場だった。

 

「馬鹿ヤローどーなってんだよこれ!」

 

 杏子が非難するのは、もちろんエネミーの数のことだ。あまりにも多すぎる、と。

 

「あはは……何なのでしょうね〜」

 

 苦笑いで返すアリサにとってもこれは誤算。とはいえ、決して悪いことばかりでもないようだが。

 

「取り敢えず休戦にしましょう。二人なら何とかなります」

 

 杏子は舌打ちで返すが、既にアリサへの警戒は解いていた。

 

「言っとくけど、あたしはアンタを助ける気はないからな。同じ敵と戦うだけだ」

「そうですか。私は杏子さんを助けます」

「~っ!」

 

 アリサの射撃で敵の数を減らし、杏子の槍で近づく敵を殲滅する。互いの警戒の必要がなくなった彼女らに雑魚エネミーどもが付け入る隙はない。性能も知り合った仲であるゆえに相棒を活かす術も知っているというわけだ。カバーし合うことで種火を使用し魔力を補充する時間を作ることもできる。

 

 杏子とアリサの共闘から三十分が経過しようというころ。

 巣の蟻のようにわらわら湧いていたエネミーどもの増加速度も今や落ち着き始めている。

 

「やっと敵の数も減ってきました。このまま押し切れそうです!」

「そんなのは見りゃ分かる。集中しろよ」

 

 杏子の受け答えは半ば、自分に言い聞かせるようでもあった。集中力が足りていないのは杏子の方だ。

 杏子は戦いの最中にも関わらず思い悩んでいたのだ。

 このまま敵の殲滅が終われば再びアリサと戦闘になるのか?であれば、アリサが杏子から目を離している今のうちに奇襲をしかけるべきだ。無警戒のアリサを仕留めるのは容易い。

 遠くの敵に狙いをつけ、弓を引き矢を放つその瞬間に、彼女の背を槍で一突き。

 杏子自身、それができる人間であると思っていたし、そうあるべきだと考えていた。

 

「……」

 

 しかし、杏子にそれを実行させるには、アリサはあまりにも無防備過ぎた。

 

 結局のところ悪人にはなり切れない……アリサと戦って杏子はそれを自覚しただけだった。そしてなぜアリサにどうしようもなく苛立つのか、その答えも。

 

「ほんっと、面白くねーぜ」

 

 生き生きと戦うアリサがいやに憎らしく、杏子はポツリと独り言を毒づいた。

 

 


 

 

 

「杏子さん、見て下さい! 敵の様子が……!」

 

 もう残り少なくなってきたエネミーはアリサや杏子に殺意の目を向けているものの、何故か襲い掛かってくることもせずに彼女らの周囲を彷徨くだけだ。

 

「ああ。敵だけじゃねーみてーだぜ。足元を見てみな」

 

 ゆらゆらと立ち昇る灰色の霧は蜃気楼の様に視界を歪ませながら、やがて辺り一面を包んだ。大気の温度が急激に下がったのを感じ、アリサはぶるっと身体を震わせる。

 

「微かながら、命の鼓動を感じます。これは……」

 

 ゾンビもワイバーンも知らぬ間に姿を消していた。まるで静かに逃げたかのように。

 しかしそれでも二人は目を凝らして注意深く周囲を見回す。一層濃度を増す霧の中に、圧倒的な存在を感じ取っていたのだ。

 

「けっ。いままでのは前座だったってことかよ」

「霧の中に……何かがいます。どこかに隠れましょう!」

「……!

 アリサ、危ねぇっ!」

 

 咄嗟に杏子はアリサを抱き寄せ、前方に無数の魔法の槍を網目状に張り巡らせ防御の牢を張る。その直後、霧を掻き混ぜるような突風が吹き荒れ、現れ出でる巨大な――手。鉤爪だけで少女らの全身よりも大きな手が二人を薙ぎ払う。

 

「うあっ!?」

「きゃあぁっ!」

 

 杏子の張った防御陣も決して弱いものではなかった。が、度外れの質量がそれを押し潰して、二人を乾いた落ち葉のように軽々と吹っ飛ばした。

 されども身体能力自慢のランサーとアーチャー。二人は杏子の防御陣が作った一瞬の隙に、しっかりとガード態勢に入っていた。大ダメージは免れている。二人はすぐに体勢を戻して立ち上がった。

 

「今のって、まさか」

「あーぁ。もっと上見た方が分かりやすいぜ」

 

 引き攣った笑みで空を仰ぐ杏子につられてアリサも視線を高く高く上げていき……やがて垂直に近い角度まで顔を上げる。

 

 デカい。今まで見たどんな生物よりもデカい。隣のビルが小さく見える。高さにして四十メートル?いや、もっと?

 

「……うっわぁ~っ」

 

 アリサは、それと目が合ったときの感情を形容できなかった。スリットが入った赤い瞳はアリサと杏子を捉えている。それにとっては二人は確かに獲物であった。殺すべき対象として映っていた。しかし殺意はひどく薄い。まるで人間が小蝿を見るような、覚悟を伴わない、淡白な殺意。

 

「まんまドラゴンかよ。こんなのが見れるなんて、異世界に飛ばされた甲斐もあるってモンだ」

 

 杏子が口を衝くように、それは正しくドラゴンであった。

 

 ドラゴンは二人を見据えると、重い顎をギシギシと開いた。

 

「オオオオオオオオオォォ!」

 

 咆哮、ただのそれだけで歴戦の戦士である杏子とアリサを大きく怯ませる圧力。巻き起こる突風によって辺りの霧も吹き飛び失せた。

 

「……!

アリサ、来るぞ!」

「はいっ!」

 

 ドラゴンは二人のサーヴァントに巨腕を振り下ろす。重さの割には俊敏な動きだが、テレフォン・パンチを喰らう二人ではない。杏子とアリサは散開するように左右へ分かれて回避した。

 しかしパワーの方はさすがといったところか、ドラゴンの一撃で大地は揺れ、陥没し、大きな爪痕が残る。

 まともに喰らえば疑いようもなく即死だ。

 

 もちろんそれに臆することもなく、杏子は切り返してドラゴンの腕を狙い、斬りかかる。

 

「――!」

 がいん、と響く鈍い音。鉄を叩くような手応え。

 杏子の槍はドラゴンの硬い鱗に弾き返されたのだ。

 

 一方アリサはドラゴンを正面に捉え、矢を放つ。ドラゴンは、いわゆる有鱗目よろしく腹側には鱗はない。狙い通りに矢はヒットするが、

 

「……!」

 一見すると矢が刺さっているようにも見えるが、ダメージを与えるに至らない。蛇や鰐などとは皮膚の厚さが全然違う。

 

「杏子さん! 私がドラゴンの注意を引きます!」

「おっけー! ぶっ潰されんなよ!」

 

 アリサの矢は攻撃力不足だし、杏子の槍は射程不足。ならば杏子がドラゴンに近づく隙を、アリサが作ろうというわけだ。

 

 アリサはドラゴンの顔に向かってしつこく矢を放つ。顔面部も鱗に覆われているためダメージは小さいが、嫌がらせじみた行動はドラゴンのヘイトを貰うには十分だった。ドラゴンはおんおん吠えてアリサを潰しに掛かる。

 

「やっぱりイラつかせるの得意そうだなアイツ……」

 

 アリサが地獄耳であることも知らず杏子はボヤき、静かにドラゴンに接近する。

 

「おらあッ!」

 

 ぐっと力を溜めた杏子の刺突がドラゴンの腹に突き刺さる。大型トラックのタイヤのような皮膚を貫き、緑色の血が迸った。

 

「グゥオオォォ……」

 

 ドラゴンが杏子の方を一瞥する。ダメージはあるのたが、如何せん体のサイズが違う。これを有効打と数えるのは些か気が長過ぎるであろう。

 

「オオオオオオオオン!」

「うあっ!?」

 

 ドラゴンの突然の咆哮に杏子は距離を取って身を屈める。直後、ドラゴンは大きな翼を広げて羽ばたき始めた。

 ドラゴンの巨体がフワリと浮く。同時に暴風が吹き荒れ、辺りの車やらビルの瓦礫やらが軽々と巻き上がる。少女らの軽い体など無論耐えられるはずもない。二人は何とか建物の残骸にしがみつく。

 

「ひぃええええ~っ!」

「なっ……なんつー風だよっ!」

 

 目も開けていられない程の暴風域の中、二人は上空から熱が降り注ぐのを感じた。

 

 ーーまずい。

 杏子もアリサも同時に勘付いた。空に佇むドラゴン、その鰐口に燃え盛る炎を見ずともーー

 

「火炎放射(ブレス)だ!」

 

 目が灼けるほどの鋭い光、耳が潰れるほどの爆音。それらが気にならなくなるほどの……熱。

 

 決壊したダムの水のように炎が押し寄せる。

 

 アリサも杏子も、何とか直撃を免れようと障害物の陰に隠れていた。しかし岩が溶け落ちるほどの熱量ともなると、無事でいられるはずはない。

 

 熱い。

 熱い。

 熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い。

 

 息も出来ないほど熱い。

 自分が何者かも分からなくなるほど熱い。

 いっそ死んでも後悔しないくらいに熱い。

 

 ブレスの持続時間は三十秒にも満たなかったが、彼女らにとっては永遠のように感じたことであろう。ドラゴンが満足して大地に再び足を付けたとき、およそ視認できる範囲は炭の地、火の海、灰の空。見るに堪えぬ惨状であった。

 尤も……ここ冬木は元より荒廃の地ではあったが。

 

 瓦礫を押し分け、フラリと赤髪の少女が姿を現す。杏子だ。全身炭だらけで怪我のほどは良く見えなかったが、汗のようにだくだくと鮮血が噴き出す様から見ても無事でないことは確かだ。

 

「……アリサ〜。生きてるか〜」

 

 絞り出したような弱々しい声を掛けるも、アリサからの返答はない。ゾンビよりも覚束ない足取りで辺りを歩き、見て回る。幸運なことに、アリサはすぐに見つかった。

 

「消えてないってことは生きてるってことかな」

 

 杏子はサーヴァントは死ぬと消滅するらしいことを思い出していた。ポーチに入れていた種火を取り出して砕き、その魔力をアリサに注ぐ。

 

「……う、ん……」

「お、気が付いたかよ」

 

 アリサの魔力耐性は杏子のそれよりも大きく下回る。その分、アリサは杏子よりも更に重傷だ。以前の美麗な容姿を知るものなら、全身焼け爛れた姿から目を背けたくもなる。溶け落ちた皮膚や一部炭化した体はすでに焼死体にすら見えた。

 

「杏子さん、助けに来てくれたんですね」

「つーか、生きてるかどうか気になっただけ」

「えへへ、ありがとうございます。嬉しすぎて……お花畑が見えてきました……」

「それ死ぬヤツじゃねーか」

 

 杏子はアリサの隣に腰を下ろし、再びポーチから種火を取り出した。散々ここでエネミーを狩ったがドロップした種火の殆どは消し炭になった。これは元々杏子が持ってきた最後の種火。

 杏子が種火の魔力をアリサに注ごうとすると、アリサはそれを手で押し返した。

 

「杏子さんが使ってください」

「……そっか」

「それより、ドラゴンが私たちを探しているみたいです」

 

 杏子は頷き、立ち上がるが、アリサは目を瞑ったままだ。

 

「先に、逃げて下さい。

私も……少し休んでから行きます」

 

 杏子は「休んでるヒマなんかねーぞ」と無粋な突っ込みを呑み込み、最後の種火を砕いた。

 

「そんじゃま、逃げ回って(・・・)みっか」

 

 

 




次回更新は6/25(日)の13:00予定です。


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第十二節.僕と契約してサーヴァントになってよ!-4

 アリサも杏子も種火により魔力は回復したが、傷が癒えるにはまだまだ休息が必要だ。

 ただし、杏子は痛みや損傷にかなり強いサーヴァントなのだ。それは彼女の肉体の秘密にあるのだが……何にせよ彼女はアリサと違い、今のようにズタズタの体でも活動可能というわけだ。

 

 ドラゴンの方はというと、ゆっくりではあるが二人が隠れている場所へ向かってきている。このままでは遠からず見つかってしまうであろう。

 

 杏子はアリサを真似て物陰から物陰へと隠れながら迂回し、ドラゴンの側面に回り込む。

 杏子の忍び足が未熟だったのか、あるいはドラゴンの探知能力が優れていたのか、ドラゴンはすぐに杏子の動きを察知した。ドラゴンが杏子の方を向くが、それに構わず杏子は仕込みの入った槍を展開し、長い鞭のように振るってドラゴンの腕を斬りつける。

 が、やはり鱗に弾かれるばかり。

 もう少し近づけば腹側にヒットさせられるかも知れないが、どのみち大したダメージにはならない。

 

「こっちだぜ、トカゲヤロー!」

 

 杏子の狙いはドラゴンの気を引き、そしてアリサから遠ざけることだった。危険であることを考慮しなければそれは難しいことではない。

 

「オオオォォ!」

 

 杏子の挑発に返事するようにドラゴンは短く吠える。即座に杏子を追い、爪を振り回し牙を立てる。しかし、先ほどのブレス攻撃で体力を使ったのか、動きが幾分か緩慢に見えた。

 

「随分すぐヘバるじゃねーかよ。

一矢報いてやるか……!」

 

 杏子は確信した。

 魔力を全解放した槍をドラゴンの腹に叩き込めばダメージを与えられる。決着とまではならないだろうが、更に動きを鈍らせることは可能であろうと。

 

 杏子は両の手に魔力を集中させながらドラゴンの背中側に回った。ドラゴンが振り向くタイミングに合わせて溜め込んだ魔力を解き放つ算段だ。

 

「さぁ、こっち向きやがれ!」

 

 しかし……ドラゴンは長く太い尻尾を打ち振り、周囲の車両や瓦礫を巻き込み軽く吹っ飛ばした。それらが石の礫のように杏子に襲いかかる。一つ一つが百キロ以上の岩や鉄の塊が、だ。

 

「うえぁっ!?」

 

 杏子はそれらを見躱し、槍で防御して凌いだ。が、ドラゴンの方も間髪入れず巨大な爪を振り下ろしで追撃。杏子は地を蹴り逃げようとするが完璧に躱すまでに至らず、小さな肩にドラゴンの爪がカスる。

 杏子は押し飛ばされ、地面に体をぶつけてのたうつ。左肩は潰れて動かない。全身も複数箇所骨折している。いかに杏子であっても限界が近いようだ。

 

「しまった……

うう、くっそ、こんなところで……」

 

 ドラゴンはもう一度腕を振り上げ、杏子を潰しにかかる。杏子は咄嗟に仕込み鎖を大地の凹凸に引っ掛けて引っ張り、その反動で逃れようとする。

 

 間に合うか?

 攻撃が大振りだ。大丈夫、ギリギリ避けられる。しくじれば……一巻の終わりだけど。

 

 杏子はドラゴンが振るう爪の間からスルリと抜けた。その隙間は三寸。九死に一生を得たというやつだ。

 少しばかり杏子が驚いたのは、無傷であの攻撃を凌いだことだ。腕か脚の一本は覚悟していたというのに。

 杏子の回避も見事ではあったが、ドラゴンが攻撃を外したのはそれだけではなかった。

 

 ドラゴンは――杏子を見てはいなかった。

 

「……?」

 

 ドラゴンの真紅の瞳に映る、深緑の光。生命の輝き。暁の海を照らす太陽のように。

 杏子は嬉しさとも悲しさとも取れる複雑な表情で笑った。

 

「アリサ……あんにゃろーめ」

 

 大地のマナが収束し形作るは巨大な弓の像。古代の攻城兵器(バリスタ)に似た、水平に弦を張る大きな弓だ。しかしそれには矢が装填されていない。つまるところ、現時点で攻撃能力はないということだ。

 

「グオォォオオッ!」

 

 一際大きな魔力に反応し、ドラゴンが咆哮した。自身を滅ぼしうる力を見做したのだ。ドラゴンはすぐにアリサに向き直り、大きく足を踏み出す。それよりも早く――杏子がアリサの方へと疾駆していた。

 無論、ドラゴンより杏子の方が移動スピードも速い。

 

 杏子はアリサのもとに着くなり、息を切らせながら叫ぶ。

 

「この、阿保ッ! 何度も走らせやがって!

それにお前なあ、あたしが……あたしが……」

 

 杏子は言い淀み、ため息を吐いて、もう一度「阿保」と言い直した。

 杏子は「もしあたしが来なかったらどうするつもりだ」というのは愚問だと気付いたのだ。

 

「ええっと、すみません。これって間に合ってます?」

「うん……ちょうどさっきから魔力を溜めてたからな。ギリギリいけるぜ」

 

 杏子は巨大な魔法の弓と迫り来るドラゴンを見比べる。そして、彼女のメインウェポンである槍をフワリと投げ、魔法弓に番えた。

 

「なぁんで今日会ったばっかのヤツと合体技ぶっ放すことになるかねえ」

「あっ……えーと、これ、あれですね。運命」

「口説き文句か」

 

 杏子が槍に魔力を注ぎ込むと、それはさらに大きな矢に成長する。

 アリサの弓の緑、杏子の矢の赤。色は正反対であったが、今や幻想的な美しさを放つコントラストとなって混ざり合っていた。

 

「準備おっけーだ。あと頼む」

「はい、任せてください」

 

 そこへ猛り狂って突進してくる巨体。禍々しい牙を剥き出しに、少女二人を噛み殺さんと襲ってくる。それでも二人は何の臆することもなくドラゴンを見据える。

 恐怖がなかったわけではない。しかしそれ以上にーー嬉しかった。誇らしかった。信頼すること、それに応えることが。

 

「この矢に想いを乗せて……撃つ!」

 

 放たれた矢が巨竜を穿った。

 

 


 

 

 半壊したビルの屋上。杏子とアリサが横に並んで屋上の縁(へり)に座っている。二人はドラゴンがドロップした種火で魔力を補充しつつ休息をとっていた。

 杏子は脚をぶらぶらさせながら、アリサの方も向かずに話しかけた。

 

「アリサの世界って、どんなとこ?」

 

 アリサは意外そうに杏子を見て、少し視線を上げて思い悩む。

 

「ん~。私は田舎者なので、世界……と言われるとあまり詳しくないんですよね。でも私が住んでいた森はすごく綺麗なところでした」

「え、森に住んでるの」

「はい。森のしがないエルフです」

「はぇ~。エルフ。

んじゃ、やっぱその耳ホンモノなんだ?」

「耳……? ええ、もちろんです」

 

 アリサは長い髪をサラリと分けて耳を見せる。杏子は何の気なしにスッとアリサの耳に手を伸ばした。

 

「ひゃぅあっ!?

ななっ、何ですか急に!」

「いや、耳触ろうと思って……」

「んん~。くすぐったいですよ」

「や、優しくするから」

 と、杏子はワキワキと手指を波うたせる。

「何か余計にやらしーです」

「ちょっとだけだって。ホンモノか確かめるだけだから」

「もう……耳にニセモノとかあるんですか?」

「あるだろ、コスプレとか」

「はあ……」

 

 アリサは杏子の言うことがよく分からなかったが、それで納得するならと観念して耳を差し出した。杏子はトンガリ耳の先っぽを指の腹で押しつぶすようにフニフニと撫でる。

 

「ほうほう、これは……うん、なるほど」

「あっ、やんっ……も、もう終わり、です!」

 

 逃げるアリサに嗜虐心が湧いたか、杏子はさらに追いかけてアリサの耳をまさぐる。

 

「ちょっ……杏子さんっ、痛いですよぅ」

「あっ……ごめん」

 

 アリサの傷が完治していないのを思い出し、杏子は慌てて手を引っ込めた。アリサが口を尖らせて杏子を見ると、杏子はバツが悪そうにしそうに目を背ける。

 

「怒んなよ、謝ってんじゃん」

「じゃあ、杏子さんの世界の話も聞かせてください」

「あたしの世界……そーだな。この世界とかなり似てるかな」

 

 アリサは首を左右に振って景色を眺めた。

 

「大変そうですね……」

「あ、いや、ここまで酷いわけじゃなくて」

 

 言ってから杏子は一拍置いて、

 

「ん。どうかな。酷いといえば酷いのかな。

まぁでも食いモンは旨いな」

 

 杏子はひょいと立ち上がり、小さなポーチを持って帰ってきた。アリサの興味深々な眼差しを受けながら、ポーチから紙箱を取り出す。杏子の好きなチョコレート菓子のROCKYだ。包装をピリッと破り、チョコのついた細いスティックを取り出す。

 

「食うか」「いただきます!」

「……い……? って訊く前に答えんじゃねーよ!」

 

 アリサはいそいそと杏子からロッキーを受け取り、そのまま即、口に運んだ。

 

「ふぁあ……これ……甘いです〜。それに、不思議な歯応え。美味しい~」

「むう。あたしより幸せそうにそれ食う奴は初めてだ」

 

 目尻を垂らして満面の笑みでロッキーを頬張るアリサに、杏子も釣られて笑みをこぼす。

 

「もう一袋」「いただきます!」

「だから最後まで言わせろよ!」

 

 二人してロッキーをかじりながら、崩壊した冬木の街を見下ろしていた。

 

「こんな美味しいものがあるなんて、いい世界ですね。私、杏子さんの世界に行ってみたいです」

「食に釣られて異世界旅行か……壮大すぎる。アリサの世界にはスイーツってないのか」

「はい、こんな甘いもの初めてです。これ、スイーツっていうんですね」

「……ん?」

「え?」

「……んんん?」

 

 何に違和感を覚えたのか……杏子は首を傾げてアリサを見た。不審か、もしくは不思議な眼差しを向けられたアリサの方も困惑気味だ。

 

「え、何ですか?」

「確かアリサってエルフなんだよな……?」

「ええ、そうですよ」

 

 杏子はアリサから視線を外して地獄のような冬木の街に目を落とす。その表情は困惑から、徐々に険しいものに変わっていった。

 

「アリサ、もし――

――え?」

 

 ほんの数秒。杏子がアリサから目を離したその僅かな時間。

 音も気配もなく、それは起こっていた。

 

「ごほっ……」

 

 アリサの口からごぽりと音を立てて血の塊が吐き出される。既に、彼女の瞳の光は失われていた。

 

 そしてアリサの胸を貫く強壮な手刀。

 淡く光を放つ精神エネルギーの具現。

 

 突然の出来事に目を疑う杏子の前にゆっくりと男が現れる。その金髪白肌の美丈夫はアリサに接吻するように唇を重ね、湧き出る血の泉を啜ってごくん、ごくんと喉を鳴らす。

 

「フ~。やはり生娘の血は良い。フフ。生き返るようだ」

「ディオォォォォオッ!」

 

 杏子は男の名を叫び、全力の大槍を振った。冷静さの欠けた行動ではあったが、至近距離での初速は音よりも速い。しかしディオは……既にそこには居なかった。如何にランサーといえど、時を止める相手を捉えることができようか。眼前には崩れ落ちるアリサが残されるのみだ。

 

「アリサ……

嘘だろ……そんな……」

 

 杏子はアリサを腕に抱くが、その体は既に崩壊し、光へと還元されていく。杏子は必死にそれらの光を掬い上げるが、ただただ溶けてなくなるだけだ。

 背後から、見下す嗤いとともに声が聞こえてくる。

 

「このディオの糧となることができたのだ。そう悲観するな」

 

 いつの間にやら、その手に赤く輝く宝石を握って。

 

「杏子とか言ったか?

お前の体は既に腐っているな。このディオが食すに値しない」

 

 杏子は振り返って精一杯の皮肉を込めて笑う。

 

「てめーこそ……汚らしいゾンビヤローのくせに」

 

 ディオは片笑み、手に持つ宝石ーー杏子のソウルジェムを握り潰す。すると、杏子は糸が切れた操り人形のようにストンと倒れた。

 

 

 




次回更新は本日17:00です。


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第十三節.今にも落ちてきそう(物理)な月の下で

 盲点だった。

 

 マコトは思った。

 

 いやはや、アルターエゴのキーワード……つまり“この世界をどう見ているか”。それがあまりにも簡単で、そのまま過ぎて、かえって思い付かなかったのだ。

 そしてもう一つ。この世界ではサーヴァントのクラスが被らない故に、“アルターエゴ”というクラス名が名前の代わりになるという事実。

 

 つまりマコトが偶然にも口にした二つのキーワードが、異世界ナビの検索にヒットしてしまったわけだ。

 

「にしても、暗いわ……」

 

 呟いたマコトの声が鈍く反響する。ここは洞窟のようだ。それも、人が一人二人通るのがやっと、という狭い通路。天井も低く、所々屈まなければ進むこともできない。

 マコトはスマートフォンのライトを頼りに歩いた。

 

 洞窟の天井から塵が落ち、マコトの肩にパラリと降りかかると、マコトは「ひぃっ」と甲高い声を上げる。

 

「だ、誰かいるの!?」

 

 スマホをブンブン振り回し、辺りを照らす。もちろん誰も居ない。手汗で滑ってスマホを落としてしまい、それを慌てて拾う。英雄とは思えぬ痴態である。

 

 マコトは、幽霊が大の苦手であった。

 

「大丈夫よ。異世界なのよ、ここは。霊なんか出ても……今更よね、イマサラ」

 

 そう自分に言い聞かせながら、マコトは壁に背を擦りながら横歩きで進む。

 

「仏説摩訶波羅蜜多般若心経……」

「ぉぉおお〜」

「ひぎえええええええっ!?」

 

 突如足元から聞こえた呻き声に、マコトがショック死した。かに思えたが、ギリギリ耐えた。

 

「は、はひっぴ、○□※$∞%⌘&△」

 

 マコトは腰を抜かしその場に座り込みながらも、必死に命乞いを試みた。しかし具体的に何を言っているのか不明であるため、不発であった。

 

「ああ~」

 

 相変わらず呻き続ける声の主は、なんと人間だ。マコトはライトの光でそれを確認すると、幾分冷静さを取り戻した。

 

「な、な、な、何? 人なの……?」

 

 尤も、幽霊でないにせよ奇怪な状況であることに変わりはない。そいつは下半身が土に埋まっており、焦点の定まらない目で見上げ、天に手を伸ばして喚いているのだ。ゾンビや幽霊であった方がよっぽどそれらしい。

 

 マコトは恐る恐るそいつの後ろに周り、腕を抱えて地面から引っこ抜いてやる。

 様子からして、この人物はきっと何かを求めている。それを確かめることが、アルターエゴの世界を知るのに役立つかもしれないと思ったのだ。

 

 ただ、この世界での戦闘やオタカラを盗むことでの決着はあくまでも“できれば”程度のつもりだ。というのも、経験上、歪んだ心の持ち主ほど精神世界が厄介な傾向にあり、アルターエゴなどその筆頭であろうと考えていたからだ。

 

 くだんの人は、よく見てみると立派な身なりをしている。土埃で汚れ切っていて形なしといったところだが、黄金の鎧に身を包み、腰には装飾の入った剣も見える。体つきもしっかり鍛えられているようだ。

 その戦士らしき人物は洞窟の天井をガリガリと手で掘り始めた。姿はともかく、行動は冬木で見たゾンビに似ている。

 

「……ん?」

 

 足枷だ。

 戦士の足首に取り付けられている足枷、それに繋がった鎖は戦士が埋まっていた穴から出ている。

 

「あの~、すみませ~ん」

 と、恐る恐る声を掛けてみるマコト。

 

「ぁぁああぁ……」

「……ですよね」

 

 一体こいつは何をしているのか。訊くことはできそうもないが、マコトはきっと天井を掘って外に出たいのだろうと予想した。

 

 洞窟の奥からも同じような呻き声が聞こえる。

 

 どうもこいつらは危険では無さそうだと感じたマコトは、余裕ない表情はそのまま、奥へと歩いていく。

 

 一分足らず歩いて見つけたのは、先程と同じく天井を掘る人間。またもや足枷が付いているようだ。

 

「上に何かあるのかしら?」

 

 たんたんと天井を叩いてみる。壁はかなり薄そうだ。マコトはナックルダスターを握りしめ、力いっぱい拳を突き上げて天井を打ち抜いた。ごすん、と重い音のあと、天井はいとも簡単に崩れた。

 

「ごほっ、ごほっ。 全く、汚ったないわね」

 

 湿った土煙を払うと、周囲が仄かに明るくなっているのが分かった。

 

「外……なの?」

 

 どしん、どしん。

 突然、地面が縦に揺れた。

 

「!?」

 

 一定間隔で大きく揺れる。揺れは少しずつ大きくなる。それらが意味するのは、これは何者かの足音。それも無茶にデカい何者かが、近づいてくる足音……

 

 マコトは小さく屈んで洞窟の奥へと隠れた。

 隣にいた亡者……もとい人間が、光に惹かれる蝿のように突っ走る。

 

「あああぁぁああっ!」

「あっ……ちょっと!」

 

 今外に出るのは危ない、と忠告する前に、そいつは足枷に引っ張られて止まってしまう。上半身を穴から乗り出しただけだ。

 それを見たマコトは気付いた。

 

 この世界の主、つまりアルターエゴ……こいつはトンデモないクソ野郎だということに。

 

 足枷はギリギリ外に出られない長さになっていた。この人間たちはなぜ外に出たいのかは知らないが、それがあと一歩のところで達成されない構造はあまりに残酷だ。

 

「ッ!!」

 

 外に晒された人間の上半身を、巨大な手が掴んだ。血で真っ赤に染まり、細長い指が十本近く並ぶ不気味な手だった。

 マコトは声が出ないように咄嗟に口を手で覆い隠した。

 

 ブチリと不吉な音が耳を刺す。

 

 そして、外を目指していた人間の下半身だけが落ちてくる。

 

「……うっ……く」

 

 深呼吸して、死体を見ないよう目を瞑りながら、足音が去るのを待った。

 

 数分後。

 動けずにいたマコトは深い息を吸って立ち上がった。

 

 地上へ出るのは怖かった。が、マコトは承太郎にオタカラ奪取の予告を頼んだのを思い出し、地上へ続く穴を見つめた。

 

「大丈夫……もう、足音は聞こえないわ」

 

 


 

 

 地上に出たマコトは心底後悔した。

 

 ここへ来るべきではなかった。見るべきではなかった。

 

 地平線が見えるくらい平らな大地は、その一面が腐った血か鮮血かで染め上げられており、十数メートルの間隔に並ぶのは人、人、人……

 どれも下半身を地に埋めており、奈落から逃れんとする死者のように両手を天に掲げて絶えず哭き続けている。

 それを一人、また一人。

 六つの腕を持つ巨大な怪物が果実を収穫するかのようにもぎり取り、無造作に口へ運んでいる。

 どれほど喰えば気が済むというのか、怪物の腹ははち切れんばかりに膨らんでいる。

 否、事実として腹が破裂してしまったのだろう。幾つもの鉄杭と鎖で腹を縫ってあるのが見える。さらに断裂した胃袋から喰らった死体まで覗かせており、そこから止め処なく血が流れ続けている。

 

「おえ”え”え”え”ぇっ!」

 

 吐いた。

 これほどまでに悍しいものは見たことがなかった。パレスは主の欲望を反映した世界。多くは自らの利益のために他者を利用し苦しめる、というのはよくある構図だ。

 しかしこの世界は違う。苦みだけのために存在している。

 こんな世界はあってはならない。こんな純粋悪はあってはならない。

 

「はぁっ……はぁっ……」

 

 これが異世界の英雄。

 これが……

 

 ふと、マコトは怪物の背中に異質な人影に気が付いた。

 

「……! あ、あれは……」

 

 少年の姿形をしたそれは、怪物の頭部に、両膝を抱えて座っている。あれが恐らく怪物の主人であり……

 

「アルターエゴ……」

 

 遠目ではこれ以上の情報を得られない。もう少し調査すればアルターエゴの狙いや術の詳細が確認できるかもしれないが、息をするにも疲弊するこの世界に居るのはもう限界だ。マコトは逃げるように元いた地下へ転がり込んだ。

 

 

「あ……頭が、痛い……」

 

 悪夢の光景が瞼に焼き付いて剥がれない。異常の一言では片付けられぬ精神性を垣間見たマコトは、それだけでも心が折れかけていた。

 アルターエゴと戦うことはおろか、見たくもない……というのがマコトの心境だった。

 

 頭を抱えながら来た道を戻っていく。

 

「……あれ?」

 

 どこで道を間違えたか、マコトの歩いてきた方向は行き止まりだった。

 

「……」

 

 そんなはずはない。洞窟はずっと一本道だった。間違える要素なしだ。

 

「そんな……うそ……」

 

 背筋が凍りつく思いでマコトは振り返る。

 

 が、そこも……行き止まりだった。数秒前までそこを歩いていた道がだ。

 

「どうなってるの!?」

 

 壁を手でさすりながら出口を探すが、その場で三百六十度回っているだけだ。気付かぬうち、狭い狭い空間に押し込められていた。

 

「このおっ!」

 

 拳を強く握りしめて壁を殴るが……

 

「っ……! い、痛ぁっ……!」

 

 マコトの拳から血が滴る。いつの間にか、ナックルダスターの装備もマコトの手にはなかった。そればかりか、服装まで学生服に戻っている。異世界に来てからは自分の意志でも戻ることも出来なかったというのに。

 

「何なのよ、これ……

誰か居ないのっ!? 助けて!

誰か……お姉ちゃんっ!

……テルミぃ!

うぅ……」

 

 マコトはその場に蹲り、己が顔に手を触れ……そこで漸く気がついた。変身は解けているというのに仮面だけはまだ装備していることに。

 

 しかし。

 

「なに? この仮面は……」

 

 木目の触り心地、所々には突起。

 これは彼女のペルソナではない。

 

 マコトは仮面を外そうと力いっぱいそれを引っ張るが、まるで頭蓋にボルトでとめられているようにびくともしない。

 

「うぅぅあっ、ま、また……頭が、痛い……」

 

 畳一つ分もない狭い空間。冷たい土の中で、マコトは独り泣いていた。

 

 

 




次回更新は6/26(月)の13時予定です。


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第十三節.今にも落ちてきそう(物理)な月の下で-2

 月。

 

 焼かれた大地を青白い光で照らす月。

 

 炎煙立ち昇り、塵埃舞う冬木の夜空にとっぷり浮かぶ月。

 

 月と云えば……

 

 美しい。

 神々しい白と闇夜のコントラスト。なるほど、美しい。

 

 まんまるい。

 欠けたることもなし。もちろん、世界一まあるいさ。

 

 神秘的。

 古人曰く、月は人の心を惑わす力があるそうな。試してみる?

 

 大きな、とても大きな月。

 ……大きい?

 

 ……いやあ、それは違う。

 月は月だ。

 大きな月もなければ、小さな月もない。

 

 それでも、やはり大きく見えるって?

 それはそうだ。

 

 その、つまりは……ちょっとだけ近いのさ。

 

 地球に。

 

 

 


 

 

 

 

 オ オデは… 食う…

 ぜ ぜんぶ… 食う…

 

 

 

 


 

 

 人面が彫られた薄気味悪い月が現れたのは二日前。ちょうど、杏子とアリサがドラゴンを討伐した後だった。

 

 冬木上空に突如現れた月はその姿もさることながら、喋り始めるものだから、一行の仰天ぶりたるや。

 

 しかし初見よりも驚愕したのがその次の日。この冬木に居るサーヴァントたちはそれが何の為にあるのか否が応でも分かった。

 

 この地に迫っている。昨日よりも少し。一時間前よりほんの少し。しかし確実に。

 

 

「……もってあと一日といったところです。

あと一日で、月が冬木に衝突します」

 

 秘密基地に戻ったマシュたちは暗澹たる面持ちで現状を確認した。謎の人面月はサーヴァントによる魔術であり、何者かが他サーヴァントを一掃せんと放った切り札だ。

 その対抗策は本体を斃すことのみ。そうすれば月の魔術は消滅するはずだ。

 

 しかしながら、その“何者か”が「私の仕業です」と姿を現すはずもなく、この広い冬木でたった一基のサーヴァントを見つけ出すのはつまるところ……不可能なのだ。

 

「こんなの、ズルすぎじゃん……」

 

 ティーダがぼやいた。この二日間、敵の捜索は露ほどの成果も得られなかったわけだから、愚痴るのも無理はない。

 

「外ではエネミーたちの動きも活発になっています。恐らく、敵術者の能力です」

「でも、こーしちゃいられねーよ! 何でもいいから何とかしないと!」

「マルコも走り回って怪しいやつ見つけるよ! お月様は怖いけど……」

「しかし敵の姿も知らんとなるとな」

 

 承太郎の言葉を最後に、四人とも沈黙して視線を落とす。エネミーたちが氾濫する今、動くぶん危険が増すだけだ。

 それに承太郎には考えがあった。

 というのは……

 

「……邪魔するぜぇー」

 

 と、一言のあと無遠慮に引き戸がバシンと音を立てて開かれる。会う回数は少なくても印象深い、不遜で傲慢な声色。

 

「……!」

 

 突然の訪問者にティーダとマルコは戦闘態勢をとり、マシュは大盾を顕現させる。承太郎だけが警戒を解いていた。

 

「テルミ……来たか」

「やっほージョータローちゃん。元気してた?」

 

 敵地のど真ん中だというのに、テルミは臆面もなくズカズカと部屋内に入ってくる。そんなテルミを、マルコとティーダは今にも襲い掛かりそうな形相でテルミを睨んだ。承太郎から予め話を聞いていなければすぐにでも攻撃していただろう。

 

「無駄話している暇はありません。早速本題に入ってください」

 

 マシュがそう急かすのは、もちろん例の月の対応についてだ。

 

 秘密基地の場所がテルミ側に露見していたにも関わらず移住しなかったのは、テルミからコンタクトがあるかもしれないと思ってのことだったのだ。

 

「承知の上だと思うが、俺たちには何の策もないぜ」

 

 承太郎の報告を聞くと、テルミは益々嬉しそうに口端を歪める。

 

「オーケー、オーケー。ま、ホントは俺様独りでヨユーでどうにでもできるんだが。雑魚だからってサボるのは不平等だと思って仕事持ってきてやったってワケよ」

 

 テルミの見下した言い分にティーダは眉間にシワを寄せる。

 

「実はアンタがあの月を出したんじゃねーの?」

「ティーダさん、それはありません。魔力の質が違いすぎます。それに……」

「オレがやったんならワザワザここには来ねえだろボケ」

 

 マシュの解説にテルミが付け加える。怒りに任せて噛み付いただけのティーダはすごすごと引き下がった。

 

「それで、キャスター・テルミ。あなたの考えを聞きたいです。分かっていると思いますが、月はただの質量の塊で、アレを操る本体は別に存在します。攻略の糸口はそこにあるかと」

 

 しかし、本体と月の魔力的な繋がりは既になく、これを辿って本体を探すのは如何にキャスターであろうとも無理……というのがマシュの見解だ。

 

「ああ、そうだな。だからヤツには、自分から出てきてもらう」

「……! で、でもマルコたちは……犯人の好きなオヤツも知らない状況なのよ……!」

 

 と、マルコは悔しそうに机を叩く。

 

「うっせぇ! 誰が食いモンで釣るっつったよ!」

「……で、どうするつもりだ?」

 

 承太郎に促され、テルミは気を取り直してフードの頭巾を外した。

 

「まずは、この俺様が」

 

 テルミがゆらりと右手を持ち上げる。黒緑のオーラが対流し、空間を喰らっているように光を捻じ曲げながらテルミの掌に集まった。テルミがそれを握り潰すと、闇の光が爆ぜて辺りが一段暗くなる。

 

「あの月をぶっ壊す」

「……!?」

「はぁっ!?」

「何だと」

 

 驚く承太郎たちを見て、テルミは満足げに笑う。

 

「本当にそんなことが可能なのですか……?」

 

 マシュが懐疑的な態度なのもそのはず。それほどの魔力を行使できるようなら、月が落ちるその前にテルミが冬木を、そして他のサーヴァントたち全員を滅ぼすこともできるはずなのだ。

 

「できるぜ。だが、実際には月は壊れねー。アレが奴の最後の手段だからだ」

「……! なるほど!」

 

 テルミの逆説的な説明にマシュは合点がいったようで、感嘆に声のトーンが高まる。

 続いて承太郎も納得した様子だ。

 

「何となく分かったぜ。月が壊れそうになると……実際に壊せなかったとしてもだ。奴は動かざるを得ないってことだな」

「はい。月を壊せなくても、ハッタリだけで効果はあります」

「……壊せるっつてんだろオイ」

 

 テルミの小さな反論を無視してティーダが手を挙げる。

 

「よくわかんねーけど……オレたちは何すればいいのさ」

「お前らは……」

 

 笑顔で指示を話そうとするテルミに、被せ気味にマシュが答える。

 

「霊脈で待ちます。敵は攻撃された月を修復しようと魔力を求めるはずです」

「確か、寺、森の教会、郊外の城だったな」

「……」

 

 承太郎とマシュに勝手に進められたことが気に入らないのか、テルミは白けた表情でフードをもそもそと被り直す。

 

「んじゃ、場所の担当決めてさっさと行って来な」

「でも、犯人の見分けはつくか?」

 

 と、マルコが慌てて質問する。

 

「霊脈から魔力を吸い上げるのは大仕事ですから……」

 

 それらしい挙動の見分けはつくはず。マシュの答えはそんなところだったが、今度はテルミがそれを遮って答えた。

 

「おかっぱ頭のライダースーツ。仮面を被った女だ」

「……!」

 

 マシュやティーダは短く頷いただけだったが、その容姿に覚えがある承太郎は驚いてテルミの方を向いた。

 

「……確か新島……だったかな。敵はアルターエゴだと思っていたが」

「いんや、そーじゃなくてねェ。ありていに言うと、マコっちゃんは意識を乗っ取られたって感じだ」

 

 それを聞いたマシュたちも瞠目する。

 

「サーヴァントを乗っ取るなんて……」

「マジでズルし過ぎだろ……」

「犯人は……妖怪……妖怪のしわざ……」

 

 承太郎は以前テルミが予想していたことを思い出していた。アルターエゴは心を操る術を使う、と。

 

「厄介そうだな。俺たちも二の舞にならんよう気をつけたいところだ。何か対策はないのか?」

 

 テルミが肩をすくめて見せると、マシュが一歩前に出る。

 

「皆さんに対魔力の防護結界を張っておきます。それなりの効果は望めるはずです」

 

 テルミは結界を付与するマシュをぼーっと見ていたが、それに見飽きたか、背を向けて、思い出したように喋った。

 

「あ~、そうそう。言い忘れてたけど、マコっちゃんが着けてる仮面……それが本体サーヴァントだ」

「仮面がサーヴァントなのか」

 

 テルミは振り返りもせず去り際に、捨て台詞のように吐いて言った。

 

「ま、こーなっちゃしゃーねぇな。マコっちゃんごと殺ってくれや」

 

 

 




次回更新は6/29(木)の13時予定です。


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第十三節.今にも落ちてきそう(物理)な月の下で-3

 冬木は彼ら、異世界の英雄がきた時から異様な風景であった。だがしかし、今こそその混沌を極めたと言えよう。

 

 既に滅んだ街に落ちてくる謎の人面月。

 それを支えるように突き刺さる、無数の魔力の柱。

 

 魔力の柱は、テルミの魔術だ。月の落下を完全に縫い止めるまでに至ってはいないが、その身を万有引力に任せるだけの月は自ら網目の荊に絡まっているようなものだ。

 

 実のところ、テルミというサーヴァントは、かのアルトリア・キャスターのように“人類の脅威”に対する特攻を持っていた。どう転んでも善性ではあり得ない彼がなぜその特性を有するかはさておき、月を破壊できると大見得切るだけのことはある。

 

 マシュはその威力に魂消けていたようだが、今ばかりは頼もしい限りだ。承太郎たちも各々の目的地に向かっている。そこで人面月を召喚した本体を始末するのが彼らの役割だ。

 マシュは郊外の城へ。

 承太郎は寺へ。

 マルコとティーダは二人チームで森の教会へ。

 テルミに護衛を一人付ける話もあったが、テルミはこれを断固拒否した。

 

 

 マシュと承太郎は西へと急いでいた。その途中、マシュは静かに承太郎に声を掛ける。

 

「承太郎さん。今後のことを少し」

 

 マシュの苦々しい表情を見て承太郎は察しがついた。そして彼もつい、曇った顔色で返事した。

 

「……ああ」

「……不誠実ではありますが……アルターエゴ、つまり月召喚の本体を打破することができたら、私は即座にテルミに攻勢を仕掛けます」

「……そう、か」

「彼の力量を見て分かる通り、テルミはまともに戦える相手ではありません」

「魔力を使い果たした時がチャンスだと言いたいわけか」

「……はい」

 

 マシュの表情が益々苦しくなるもので、承太郎は押し問答にも罪悪感を覚えて目を逸らした。

 

「停戦はアルターエゴ討伐までのはずです」

 

 言い訳と分かっていてそう宣うものだから、承太郎は居た堪れなくなって頷いた。

 

「いいだろう。俺も参戦しよう。

まあ、ヤツのことだ、それも見越しているだろうがな」

 

 承太郎は「そうであってくれ」と心の中で呟いた。きっとそれはマシュも分かっていただろう。気付けば互いに顔も見ずに話していた。

 

「それでは、ここからは単独行動にしましょう。ご武運を」

「ああ。じゃあな」

 

 聖杯戦争はサシのトーナメントではない。それはルールとしてそう組み込まれているが故に、マシュの言う不誠実は非難されるべき行為ではない。それにこのルール自体はテルミにも利はあったはずなのだ。

 

 承太郎はそう思うことにして、離れていくマシュの背中を見送った。

 

 さて、しかし先ずは今の問題を解決せねば。

 

 

 


 

 

 

 ティーダとマルコは、彼らの担当である教会へと向かっていた。隠れながらゆっくりと、だ。全力で走ればそう長くはかかるまいが、巣の蟻のように無限湧きするエネミーを避けて通るためには仕方がない。

 

「ティーダ、どうかしたか?」

 

 既に危険地帯に足を踏み入れているというのに、心ここに在らずのティーダに、マルコは心配そうだ。

 

「ああ、いや、大丈夫……かな」

「……」

 

 戦地へ向かうティーダの胸の奥につっかえるのは、やはりアリサのことだ。

 いずれは敵になるであろう自分を、命を賭してまで救ってくれた少女。もはやティーダにとっては仲間以上の存在であった。

 そんな彼女がここ数日姿を見せず、秘密基地の一歩外には戦闘の跡。彼が憂うのも当然だ。それでも、月が落ちてくるという未曾有の災害に立ち向かわなければならない。

 

「それにしても……暑い」

「マルコもそれ思ってたよ。地面触るだけで火傷しそうよ」

 

 偶然にも、ここはアリサと杏子がドラゴンと死闘を繰り広げた場所だ。ブレスによる炎は未だに盛り続けており、その熱気も籠っている。立っているだけでも茹で上がりそうだ。

 

「ティーダ、あれ見るよ」

 

 マルコが指し示すのは彼らの目的地である教会の方角。教会付近の森へと火の手が迫っていた。

 ティーダは少し考えた。

 いずれ遠からず教会近辺は炎に包まれる。アルターエゴとてなるべくなら火の海を拠点にはしたくないだろう。なら、このまま進んでも無駄になる可能性は高そうだ。今からでも、マシュや承太郎の援護に向かった方が得策かも知れない。

 

 しかしながら。

 

「……いや、行こう」

「もちろんよ」

 

 そういう計算は承太郎やマシュに任せておけばよい。下手な策は付け込まれる隙を作るだけだ。

 

「でも……やっぱり暑いな……」

「うん……暑いよ……」

「あっ。やばい、やばい。あっちにゾンビが居るみたいッス」

 

 二人してヒィヒィ言いながら教会へ歩を進める。途中、エネミーの群れと何度かすれ違ったが、隠密行動の甲斐あってどうにか戦闘は避けられた。

 木々を焼いて回る炎に追われながら、さらに小一時間経って彼らは漸く目的地に到着する。

 

 件の教会は以前にも増して凄惨な状態だった。ティーダがテルミに幽閉された時はまだ建物としての形は残っていたが、今となっては雨風凌げるか怪しいところだ。

 

「あれがマシュ姉さんが言ってた教会?」

「うん。もう教会っていうか廃墟だけど」

 

 教会の霊脈は寺ほど大きくはない。それでも、ティーダはエネルギーの奔流を肌で感じていた。

 

「間違いなさそうッスね」

「……ティーダ」

「……」

 

 ティーダはマルコの静かな呼び掛けに、無言で頷き返し、目配せする。とても僅かではあるが、教会の入り口付近に足跡が見える。

 

 教会内に誰かがいる。

 

 予想に反してアルターエゴはこの教会を拠点に選んだのか。あるいは戦闘で傷を負ったアリサが隠れているのか、はたまた全く知らないサーヴァントやエネミーかも。

 ティーダは、アリサの名を呼びたい気持ちに駆られたが、彼女ならティーダの足音に気付き顔を見せてくれるはずだろうと思い直し、留まった。

 

 マルコは教会の裏手側に周り込み、ティーダは正面へ抜き足差し足で近づいていく。教会の壁は半壊しており、外からでも建物内部は充分に見渡せるが、人影らしいものは見つからない。

 

「……」

 

 ティーダは単独で素早く教会に侵入し、ざっと教会内を見渡す。が、やはりサーヴァントやエネミーの気配はない。しかも、残骸廃棄物置き場のような教会内には隠れられる場所など見当たりもしない。

 

「……勘違いだったかなぁ?」

 

 諦め踵を返し、出口へ向かおうと振り返る。

 ――と、視線のすぐそこに金髪の男の姿が、隠れる様子も一切なく、椅子に腰掛け寛いでいた。

 

「ッ!?」

 

 その男の名はディオ。時を止める能力を持つ吸血鬼。承太郎の因縁の敵。

 

 ティーダは驚き、慌てふためいて後ろに飛び退く。最大限警戒していたサーヴァントに、全く認識されず背後をとるなどアリサにも不可能であろう。ましてや、教会内に誰もいないことは今し方確認したところなのだ。

 

「てめーっ! 誰だ! いつからそこに居やがったんだよっ!」

「ああ、驚かせてしまったかな? 私はディオ。少し、そこの長椅子の下で眠っていた。暗いところが好きでね。人の気配がしたからこうやって飛び起きたわけだ」

「……」

 

 ティーダは無言で剣を構え、鋭い敵意をディオに向ける。しかしディオは依然座ったままで、手にしたグラスをひょいと傾けるだけだ。

 

「安心したまえ。私は敵ではない。君は……セイバーだね? 外のサーヴァントはバーサーカーか」

「うっ……」

 

 既にマルコの存在も勘付かれている。知能派の相手に苦手意識を持つティーダは一瞬たじろいだ。マルコの姿までは確認できていないだろうに、クラスまで言い当てるとは、と。

 

「武器を下ろしてくれないか? 私は戦う気などない。君たちが、あの月を召喚したのでなければね」

「まさか、あんたもアルターエゴを倒しに?」

「フフ。そう、その通りだ。私たち三人ならアルターエゴとも戦える。ここは一つ……友達になろうじゃあないか。ええと……」

「……ティーダ」

「ほう、ティーダか。これは益々戦えそうにない」

「……?」

 

 ティーダはコイツとは友達にはなれそうにないなと感じつつ、アルターエゴとの戦いを考えると、ここでの戦闘は避けた方が無難とも考えていた。

 ティーダが構えていた剣を下ろしかけたとき、

 

「ティーダ。こいつの言うこと聞いちゃダメよ」

 

 マルコが教会の入り口側から姿を現した。ディオを二人で挟む形だ。

 

「おまえはすごく悪い奴。マルコには分かるよ。血の匂いがする。おまえはケモノよ!」

 

 断定し、ディオに向けて人差し指を立てる。

 

「フン。このディオを獣だと? 血の匂いなどと言うお前の方はどうなのだ?」

「うぐっ……

と、とりあえず……マルコたちはお前と友達にならない! 敵はマルコたちだけで倒す!

お前は、ここから出て行くよ!」

 

 マルコにそう言われずとも、燃える草木に囲まれたこの霊脈エリアは長く留まれる場所ではない。教会にも火が移り始めた今、むしろマルコたちもこの霊脈から離脱しなければならない段階に来ていた。

 

「血の匂いって……誰か他の英雄をやったってことなのかよ」

 

 ティーダが喉を震わせた。熱に歪んだ声からハッキリとした感情は読み取れない。マルコには憤怒に、ディオには恐怖に聞こえたが……実際のところ、その両方であった。

 

「ああ。確かランサーとアーチャーだったかな?

無論、私は戦いたくはなかったのだがね。

二人がかりで来られては私とて手加減できなかったわけだ」

「…………そっか」

「私の実力については理解してもらえたかな。マルコは私の仲間になれないそうだが、君だけでもどうかな? 実は、君にとても有意義な話が――」

「嘘吐くんじゃねーッ!」

 

 ティーダは叫んだ。

 アリサにとってはティーダは特別な存在ではない。要するに彼女は誰に対しても度が過ぎて優しいのだ。付き合いは短いが、ティーダはそんな彼女のことをよく分かっていた。

 だからこそ赦せなかった。

 アリサを手に掛けたこともさることながら、彼女を侮辱することも。

 

「アリサが、自分から人を殺そうなんて……するわけねーだろッ!」

「……!」

 

 ティーダは、彼自身がそうしようと意識するよりも早く疾駆し、剣をディオに振り下ろしていた。偶然にも、無意志に放たれた斬撃はディオの意表を突いた。彼の肩から胸にかけてバッサリ血肉を削り取る。

 

「ぐっ……!」

 

 呻き、仰反るディオに大きく一歩詰め寄ってティーダが膝蹴りの追撃。が、ディオの守護霊(スタンド)、ザ・ワールドがそれを左片手で弾き返す。ザ・ワールドが反撃の拳を固めたところで、遅ればせながらマルコが参戦する。疾走から速度の乗った鋭い蹴り下ろしだ。しかし今度は、ディオ本体がそれを受け止めた。

 

「ッ!?」

URYYYYY(ウリィィィィ)ッ!」

 

 ザ・ワールドがティーダを、ディオ本体がマルコを殴り飛ばす。

 ディオは承太郎と同じスタンド使いであるが、吸血鬼であるディオは本体すらも異常なパワーを有しているのだ。

 しかし接近戦はお手の物の二人、ザ・ワールドとディオの拳速をしっかりと防御していた。大きく吹き飛ばされた両人とも、宙で身を翻して受け身をとる。ちょうど戦闘前と同じ挟み撃ちの形に落ち着いた。

 

「フフ、よかろう。どうやらよほど死にたいようだ……ん?」

 

 サーヴァント二人に囲まれて尚余裕の笑みを見せるディオ。しかし直後、前触れなく彼の腹部から間欠泉のようにドス黒い血が噴き出した。

 

「何ィ~ッ!? バカな……こ、これは……」

 

 ディオは困惑し思わず傷をなぞった。ティーダの先制攻撃の切り傷ではない。それよりも一段と深く、大きい。ザ・ワールドの反撃の拳打に対して、ティーダはさらにカウンターの斬撃を合わせていたのだ。

 

「次は真っ二つに叩き割ってやる!」

「ウヌゥ……貴様……」

 

 常人であれば既に臥しているであろうダメージ。それはディオが傷口を覆っていた手をよけると、質の悪い手品の様に消えてなくなっていた。

 

 驚異の再生能力。

 これもディオが強敵たる所以だ。

 

 そしてマルコは見た。

 ディオの髪の一つ一つが生き物のようにざわめく様を。

 傷を受けてなお嗤う不気味な貌を。

 その姿は、己の悪魔人格ロデムと重なった。

 

 

 




次回更新は7/2(日)の13時予定です。


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第十三節.今にも落ちてきそう(物理)な月の下で-4

「ティーダ! いっかい落ち着くよ!」

 

 マルコが叫ぶも、ティーダは聞く耳持たずディオに向かって走る。

 が、虚を突いた一撃目とは違い、傍から見て無策な特攻であった。

 

「フン。まるで猛り狂った牛だな」

 

 ティーダは眼前のディオしか目に入らない。その足をディオのザ・ワールドがローキックで軽く捌いた。バランスを崩したティーダは出端を挫かれ、攻撃は不発に終わった……かと思いきや、逆に思い切り倒れ込みながら剣を振るう。

 

「うらあっ!」

「……!」

 

 その執念に少し驚きつつも、ディオはその斬撃を平手でいなした。同時に横目でマルコの様子を確認したが、マルコに動きはない。ディオは彼に、接近を我慢しているという印象を受けた。

 

「まさか……」

 

 ディオは敢えてティーダへの反撃チャンスを放棄し、大きく距離を取った。すると、今度はマルコが示し合わせたように追って来る。つまり彼らは(少なくともマルコは)二人同時にザ・ワールドの射程に捕らえられないようにしているのだ。

 

「なるほど。だが、涙ぐましい努力よ」

 

 この動きはザ・ワールドの時間停止の対策であろうとディオは踏んだ。

 事実、彼らはディオの情報を承太郎から得ていた。そこには承太郎の幾つかの予想も含まれている。ディオとて連続して時を止められない、そして恐らく不調から長い時間停止はそう乱発できないということ。

 そしてその予想は大方的中していた。

 

「蹴る!」

「無駄ァ!」

 

 マルコの膝とザ・ワールドの拳がかち合う。技の動作が大ぶりなマルコに比べ、ザ・ワールドは軽めのストレート・パンチだ。ディオはすぐに第二撃を放つ。が、マルコは体を捻ってそれを回避。同時に、腰のバネで再び回し蹴りを繰り出す。

 

「ぬうッ!?」

 

 ディオは本体で蹴りを防御しつつ、跳躍してマルコの射程から脱する。

 

「着弾予測……いや、攻撃を誘導したか。このディオの攻撃を……」

 

 攻撃ターンが巡り、体勢を立て直したティーダがすぐさまディオに突っ込む。これもまた芸のない突貫であった。ザ・ワールドの素早いジャブが後の先を取り、ティーダの腹を抉る。ティーダは何とか倒れずに持ち堪え、反撃に打って出ようとするが、ディオの連撃がその速度を上回る。ザ・ワールドの横蹴りが見事にヒットし、ティーダはきりもみして吹き飛んだ。

 

「……!」

 

 またしても……ティーダは一矢報いていた。蹴りを放ったディオの脚からだらりと血が伝う。尤も、ディオにとってはダメージには入らない。これでは肉を切らせて皮を断つ。圧倒的に不利なダメージ交換だ。

 立ち替わり、マルコが攻める。

 背後からの攻撃に対し、さしものディオも防御の姿勢だ。対するマルコの中段蹴りはヒットの直前に軌道を変え、ディオの頭部を打つ。ハンマーでフルスイングをぶち当てられたような衝撃に、ディオはぐらりと横に揺れた。

 しかしマルコのフェイントは蹴りの威力を大きく減衰する。耐久力のあるディオを斃すに至らなかった。

 

「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄ァ!」

 

 切り返すディオの突きの連打。マルコは器用に避ける、受け流す、ブロックと使い分けて凌ぐ。さらに前に出るディオから、マルコは逃げて間を隔てた。

 ザ・ワールドの射程から大きく離れたマルコを、ディオが睥睨し嗤う。

 

「どうやらこのディオの能力について少しは理解しているようだが、何の対策にもなっていないな」

「……」

 

 確かに、マルコは時間停止の対策を理解していなかった。連続して時を止められない、その事実が活きるのは“二度目の時間停止を許さぬ攻め”だ。マルコはただ単に“二人同時に射程内に捕らえられない”という戦略を実行しているだけに過ぎないのだ。

 

「マルコは……敵の言うこと聞かない。お前、きっとマルコを騙そうとしているよ」

 

 マルコが頬に流れる血を拭う間に、ディオの頭部へのダメージは治癒していた。

 

「人間とは憐れなものだな。

そもそも時を止めるまでもないが……貴様らの戦略がどれだけ無駄なものか教えてやろう」

「!」

 

 ディオはせせら笑い、スタンドを顕現させた。心なしか、最初に見た時よりも色濃く力強く見える。いや、気のせいではない。ディオは確かに本来の力を取り戻しつつあった。

 そしてディオが地を蹴って向かった先はティーダ。漸く瓦礫を押し除けて立ちあがろうとするセイバーの方へだ。

 

「あっ! ティーダ、逃げてっ!」

「……!」

 

 包囲網は片割れを失うと機能しない。より弱い方を叩けば簡単に瓦解してしまうのだ。今ティーダがディオの猛攻を受ければひとたまりもないであろう。

 マルコはディオを止めようと走った。

 

「実に簡単だったぞッ! 貴様ら二人を同時に始末するのはなッ!

ザ・ワールドッ! 時よ止まれィ!」

 

 ザ・ワールドがその能力を解き放つと、二人――否、この宇宙の全てが静止した。

 ティーダへと疾駆していたディオは、反転してマルコへと接近する。

 

「まずは貴様からだッ!」

 

 ディオの攻撃を予感していたのか、マルコは身を固める姿勢だったが関係ない。ザ・ワールドのハイ・キックがマルコを薙ぎ払う。時が動き始めるまではダメージすらも認識できないが、ザ・ワールドのスタンドパワーであればクリーンヒットは一撃で充分だ。ディオは再びティーダへと向き直った。その距離はスタンドの射程外だ。

 

「やはり取るに足らぬ人間どもの浅知恵など無駄だったぞッ!」

 

 ティーダの視界の外から、ディオは懐から取り出したナイフを投げる。それはティーダの首筋数センチのところでピタリと静止した。

 時が再始動すれば、ナイフがティーダの頸動脈を深く抉る。攻撃を認識すら出来ないティーダには、これを避ける術はない。

 

「フフ。終わったな」

 

 ディオは勝利を確信し――少なくとも彼の中では――死の運命が定まったティーダから目を離そうとした。しかしその時、止まった時の中を何かが動くのを見た。

 

「――!?」

 

 芋虫の歩行より鈍く動いたのは、ティーダの瞳。姿勢は微動だにせず青い瞳だけが滑り、ディオを見据えた……ように見えた。が、ディオがティーダをしかと確認したとき、既にティーダの視線は元の位置に戻っていた。

 

「こいつ……動いたのかッ!? 止まった時の中をッ!」

 

 狐にでも化かされたか、しかしそれを思考する暇もなく、時が動き始めた。ディオの時間停止能力の時間切れだ。

 

「うおおおっ!」

 

 ティーダは、決して認識出来ないはずのナイフ攻撃を避けた。それはティーダの首を掠めて皮膚を裂いたものの、文字通り、首の皮一枚繋がっている。

 

「このディオの攻撃を躱しただと……だがどうやって……ハッ!」

「遅えっ!」

 

 ティーダの急接近からの袈裟斬り。思いも寄らぬ誤算にディオが不覚を取ったのも事実だが、ティーダの攻撃もまた慮外の速度であった。

 

「がはッ」

 

 ディオの半身が綺麗に分断される。滑り落ちる上半身を抱くように支えながら、ディオは理解した。

 映画を早送りしたように、一挙手一投足が単純に速いティーダは、つまり、

 

「時が……加速しているだとッ!? バカな、まさか……!」

 

 ティーダの第二撃、水平に振り抜いた剣がディオをさらに断ち切る。ディオの両腕がボトリと地に落ちた。二度にわたり致死の攻撃を受けたディオは反撃すら出来ず、ゆっくりと顔を上げただけだ。

 が――

 

「!?」

 

 嗤っている。

 まるで、全てが上手くいった、計画通りだと言わんばかりに、不敵に。

 

 突如、ティーダは息もできぬ苦しみに襲われ、呻いた。

 

「あぐっ!? ぁう……」

 

 何者かに首根っこを掴まれている。気道を握り潰さんばかりの、途轍もない力で。

 見るに、その腕はディオの……いや、切断された筈の腕だけが、ティーダの喉を捕まえていた。

 

「フフフ。そうだ、それでいい。

貴様ら英雄は……このディオに利用されるために、この世界に喚ばれたのだからなッ!

フフフ、フハハハハハハハッ!」

 

 直後、教会の屋根が崩れ落ち、燃え盛る木材石材がディオの頭上に降り注いだ。如何に不死身の肉体といえど耐えられない重量。

 肉が潰れ骨がひしゃげる音の後、彼方此方の床が抜けて教会全体が崩れていく。いつの間にか、ティーダを首を握っていた腕も剥がれていた。

 

 ディオの最期のセリフが何を意味するのかはティーダには分からなかった。

 それに、今は考える時間もなさそうだ。

 

 縦に横にと揺れる床に足をもつれさせながらも、マルコの姿を探す。燃える家具の残骸の中にマルコを見つけたティーダは急いで駆け寄った。

 

「戦いは終わった。早くここからでないと」

 

 ディオの一撃を受けて瀕死の重傷となったマルコを肩に抱え、教会を出る。するとすぐに、まるで彼らの勝利を祝うかのように盛大に炎が猛り、教会は音を立てて崩壊した。

 

「ティーダ……マルコは、ちょっと心配してたけど、よく頑張ったよ」

「はは。どうしても、負けたくなかったから」

「……」

「囮みたいにしちゃって、ゴメン」

「フフ。謝る必要はないよ。マルコの……計画通りよ。全て」

 

 二人は、同時に空を見上げた。

 

「ティーダ、あれは……」

「うん。きっと誰かがアルターエゴを倒したんだ。オレたちも、基地に帰ろう」

 

 天を覆っていた月が少しずつ風化し、消滅していく。その様を見ながら、二人は燃える教会を後にした。

 

 

 




ヨハンナをマアンナと間違えたり、テルミをハザマと間違えたり。
次回更新は本日の17:00です。


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第十三節.今にも落ちてきそう(物理)な月の下で-5

 ティーダたちとディオとの戦闘よりもさらに時を遡る。

 

 目的地の寺へと既に到着していた承太郎は、堂に潜んで警戒を続けていた。境内は変わり映えせず、暇を持て余した承太郎は一息ついた。

 

 今頃、アルターエゴとの戦闘が何処かで繰り広げられているのだろうか。ふいと遠くに耳を傾けてみるが、爆発音や地鳴りが日常茶飯事である冬木では、どこぞの戦闘など察知しようもない。

 

 汗ばむ顔にパタパタと手で風を送りながらもう一度外を眺める。やはり何も起こらないし、誰もいない。

 

 承太郎は眉間を指で強く押さえた。

 徒労感と多少の眠気に眠気に目を瞑る。すると、涼しい風が顔を撫でるのに気が付いた。異世界にも同じ物理現象があるなら、どこか地下から流れて来たものだろうと思った。

 マシュの説明によると、霊脈のエネルギーは地下を流れるらしい。承太郎は「まさか」と立ち上がった。

 

 承太郎は寺の中を探索し始めた。流れ込む風と勘を頼りに歩いているつもりの彼は、実のところ霊脈のエネルギーに導かれていた。

 

「こんなモノを見過ごしてたなんてな」

 

 瓦礫の山に隠れていた大穴。それを見つけると同時に、マシュに付与されていた精神防護の魔術が反応している。それは認識阻害の結界であったことは彼には分からなかったが、ともあれ、この先に少なくとも何かがあることは確信した。

 

 


 

 

 息を殺して、地下の大空洞を降っていく。

 寺の境内よりもさらに広く、天井も高い。外の光は殆ど届かないが、崖下を流れる謎の液体が紫色の光を放っているせいで視界は思ったほど悪くはない。靄が光を乱反射して蠢く様が何とも不気味な雰囲気だが、少しだけ肌寒いのは却って心地よかった。

 冷えた岩肌に触れると、この空洞はかなり前から存在したものだと分かる。歴史浅からぬものであれ、恐らく霊脈と関わりがあるのだろう。そう、今のように。

 大地が脈打つような錯覚、脳の奥で木霊するノイズ。進むにつれその感覚は大きくなる。

 そして、散見される小さめの足跡。

 アタリだ。ここにアルターエゴが居る。承太郎はそう確信した。

 

「……」

 

 承太郎は洞窟の奥にマコト……“敵”の姿を見つけた。おかっぱ頭にライダースーツの華奢な女性。以前と違うのは、妖異な仮面を装着していること。彼女のペルソナとは似つかぬ代物だ。

 

「あれが、アルターエゴ本体ってやつか」

 

 承太郎は付近の岩陰に半身を隠して彼女を覗き見た。まだ此方には気付いていないようだ。

 腰を折って地面に手を擦り付ける様子は、恐らく霊脈からエネルギーを吸い上げようとしているのかもしれない。何にせよ、承太郎には敵に近づく必要があった。可能であれば気付かれず、背後に。

 

 五メートル。その距離まで近づくことができれば、時を止め、マコトの顔にくっついている薄気味悪い仮面を引っぺがせる。承太郎は経験から、それでマコトに掛かった精神操作の呪いが解ける可能性はあると推察した。

 

 そういった邪念を、承太郎は首を振って否定した。

 ここに来て甘い考えは通用しないと思った方がいい。マコトの脳天ごと仮面を叩き割る。承太郎はそう覚悟し、もう一度マコトの装備を確認した。

 

 腰のホルスターにマグナム、両手にはナックルダスター。承太郎はマコトとの戦闘を思い出す。近接戦闘は勿論のこと、遠距離戦も苦にせず、さらに持久力も高い。オマケに謎のバイクのおかげで機動力も高いという隙のないサーヴァントだ。

 それに比べて承太郎は接近戦特化。不幸なことに、ここからマコトの位置までの視界は抜けていて、大回りしなければ忍び寄るのは難しそうだ。

 ならば走り込んでスター・プラチナで時を止め、一気に決着を付ける。そう意気込み、前傾姿勢で脚に力を入れた時、ほんの二、三メートル前方の空間がぐにゃりと歪むのが見えた。

 

「……!」

 

 承太郎は踏み留まり、周囲を見回す。彼を中心に現れた幾つもの歪んだ空間――それらは“狩場”でエネミーが出現する様子に似ていた。果たしてその歪みからは次々と骸骨剣士(スケルトン)が現れ、一様に承太郎に剣を向ける。

 

「なるほど。不意を打たれたのはこっちの方ってとこか」

 

 いつの間にかマコトが承太郎を見据えていた。無表情で精気の宿らぬ瞳は、テルミの情報通り、彼女が操られているという事実を物語っている。承太郎はそんなマコトを睨み返した。

 

「テメーもそっちの世界では英雄なんだろ? 乗っ取られちまうなんて、随分と情けねえ話だぜ」

「……」

 

 マコトの返事はない。承太郎はそれでも続けた。

 

「最初見た時から意志の強そうな女だと思っていたが、間違いだったかな。その気味ワリー仮面にいいように利用されちまっていいのか?」

 

 承太郎は当然ながら魔術に明るくない訳だが、精神魔術が説得でどうにかなるものではないことくらいは解っていた。

 承太郎もマコトも精神の力が形となった能力を持つ故、共通点を持つマコトの心が操られていることに思うところがあったのだろうか。

 

「まあいいだろう、相手してやるぜ。だがテメーからかかってきな。一応、テメーとはアルターエゴを斃すまでは停戦のはずなんでな」

「……アルター……エゴ……」

「……?」

 

 皮肉めいた挑発に反応したのが意外だったか、承太郎は怪訝な表情だ。が、マコトに動揺が見えたのは一瞬。すぐにホルスターからマグナムを抜き、銃口を承太郎の額に向ける。

 

「ア……あッ!」

 

 糸を繋がれた操り人形のような病的な動きでマグナムの引き金を引く。と同時に、承太郎を包囲していたスケルトンたちが一斉に剣を振りかぶって斬りかかる。

 襲い来る敵の数は十を超える。そしてその合間を縫って飛来する弾丸。さしもの承太郎も捌き切れないか――否、如何程の速さであれ、彼を凌ぐことはない。

 

「オラァッ!」

 

 承太郎は彼のスタンド、スタープラチナでマグナムの弾丸を弾き返した。それも人差し指のみで、だ。それは寸分の狂いなく真っ直ぐ正面から、マコトの額にヒットした。

 

「グッ……!」

 

 マコトはその衝撃で仰反るが、仮面でガードされていたからか、大きなダメージは無さそうだ。尤も、今や本体は仮面の方であり、それには小さなヒビが入ったようだが……

 続いてスケルトンたちの攻撃。軍団の突撃は統率されており、全方位から同時になだれ込むように承太郎を攻める。

 

「オラオラオラオラオラオラ!」

 

 承太郎もまた全方位ほぼ同時の拳打で迎撃する。硬化したスケルトンの骨を砕く剛力のパンチを、毎秒百発以上もの豪速で打ち出すド迫力に、マコトは一歩後ろに退がる。

 

 しかし、砕けたはずのスケルトンの骨がカタカタとひとりでに動き出したかと思うと、それはパズルの欠片のようにぴったり合わさり……やがて元のスケルトンの形に戻って立ち上がった。

 

「……!

やれやれ、異世界の敵ってのはこうも打撃に強いのか。厄介な話だぜ」

 

 

 

 




もう少しで完結です。
次回更新は7/3(月)の13時予定です。


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第十三節.今にも落ちてきそう(物理)な月の下で-6

 スケルトンという敵は確かに物理攻撃に対して高い耐性を持っている。原型を留めないほどの破壊であってもすぐに再生する様は無敵にも見えた。

 しかし、あくまでこれは魔力によって継ぎ接ぎされているだけに過ぎない。テルミの魔力蛇のように破壊されたリソースが回収されるわけではなく、いずれ再生不可能となる。

 そういう意味では承太郎の初見の印象ほど手強い相手ではなかった。

 

 さりとて、スケルトン全員をシラミ潰しにする必要もない。

 承太郎は、ある程度破壊が進んだスケルトンの動きが鈍くなるのに気が付いた。

 

 承太郎はスタープラチナの拳で眼前のスケルトンを粉砕し、そのままマコトの方へ走った。マコトもマグナムで接近を妨害するが、スタープラチナが難なくそれを払い退ける。

 あと数歩近づければ、時を止める。承太郎は能力に精神を集中させる。

 が、それはまたもや、右斜め後からの聞き覚えある重低音に阻害された。

 

「……! こいつは、まさかッ!」

 

 左横に転げ避ける承太郎のすぐ目の前を横切ったのは、ヨハンナ――マコトのペルソナだ。バイク型のそれは自律的にも動くことができ、機動性はもちろん重量を活かした突進も高い威力を発揮する。

 生身の承太郎はヨハンナに激突されれば骨折程度では済まない。

 

 承太郎が冷や汗かきながら息を吐いている間に、マコトは颯爽と現れたヨハンナに飛び乗る。

 

 承太郎は静かに舌打ちした。こうなっては捕捉はかなり難しい。承太郎とマコトでは機動力に差がありすぎる。

 

 マコトはその異様なバイクで壁を走って大回りに距離を取る。その間も遠慮なしにマグナムをぶっ放し放題だ。

 

「ちいと……まずいな」

 

 前回のマコトとの戦いで承太郎は切り札を見せてしまった。力量を測っていた以前と違い、マコトが自ら接近することはあり得ないだろう。そして性質上、ライダーであるマコトが承太郎より先に息切れするとは思えない。

 承太郎は戦況を変える必要に迫られていた。しかしスケルトンの群勢も相変わらず復活し続け、絶え間なく承太郎に襲い掛かる。

 

「シャアアァッ!」

「オラァッ!」

 

 承太郎は迫るスケルトンの腕を手刀で落とすと、その手に持っていた歪曲剣(シミター)を掴み取り、マコトに向かって投擲する。狙いは精密でパワーも申し分ない。

 尤も、マコトとてそこは得意分野だ。豪速で迫るシミターをナックルダスターで弾き落とすと、それは地面にぐっさり突き刺さった。

 

「チッ。ま、この程度じゃ足止めにもならねーか」

 

 どうも敵はこの霊脈にご執心らしい。承太郎はそう考えた。あの速度なら他の霊脈へ簡単に逃げることが出来るだろうに……それをしないのは、ここの霊脈がよほど惜しいのか、他の霊脈にもサーヴァントが張っていることをお見通しなのか。

 或いは、

 

「よっぽどおれが舐められているか」

 

 確かに、単純に二基分の魔力を有するマコトの戦力は今やサーヴァントの中でも最上位だ。が、戦力というのが戦闘のみの話なら、承太郎も決して劣ってはいない。

 

「オラオラオラオラオラオラオラオラァッ!」

 

 お得意の高速連続拳打で四方のスケルトンを破壊する。それだけではない。攻撃と同時に、砕けたスケルトンの骨を器用に掴み取り、それを粉々に握り潰しているのだ。

 これでは、さしものスケルトンも再生しようが無い。

 

「……」

 

 マコトは射撃も忘れて承太郎を見やる。例の如く無表情だったが、もしも精神を操られていなければ驚いていたのかもしれない。一方で承太郎は……慄いた。彼の目の前に、再び幾つもの空間の歪みが現れたからだ。

 

 そして予想通り、そこから溢れるようにスケルトンが出現した。数も先ほどより多い。承太郎の実力を認めた今、魔力を節約する気はなくなったようだ。

 

「しくじったな。もう少し、手加減してやるんだったか」

 

 苦笑いする承太郎に、スケルトンどもがカラカラと音を立ててにじり寄る。時を止めれば簡単に殲滅できるだろうが、体力の消耗が激しい。とはいえ、このままではジリ貧。いずれ立ち行かなくなることは目に見えていた。

 

「ウシャアアアアッ!」

 

 堰を切ったようにスケルトンどもが雪崩れ込んでくる。

 まずは群れを突破し、種火を使う隙を見つけなければ。

 承太郎が覚悟を決めてスタンドを現出させた時――頭上を影が舞った。

 

「やあぁッ!」

 

 同時に聞こえる、まだ幼さの残すも凛々しい少女の……

 

「……マシュ!」

 

 マシュの大盾が眼前のスケルトン数体を同時に粉砕した。スタープラチナほどの威力と精密さはないが、群勢に穴を穿つには充分だ。

 

「承太郎さん、前を突破します!」

「ああ。後ろは任せろ」

 

 承太郎もマシュに続き、追ってくるスケルトンを叩きのめす。群れを抜けるとすぐに、マシュが二人を包む防御結界を敷いた。光の壁が二人を囲むように防御する。

 

「また助けられたな」

「いえ、アルターエゴ討伐は私たちBB団の目標。共闘は当然です」

 

 そのチーム名は生きだったのかと思いつつも、承太郎はそれを口にせず種火を砕いて体力を回復する。

 

「どうして寺の霊脈にアルターエゴが居ると分かった?」

「……郊外の城の霊脈には既に殆ど魔力がありませんでしたから」

「やつが月を召喚するのに使ったってことか」

「恐らくは。それで……」

 

 マシュは目を細めて、遠くのマコトを睨んだ。

 

「あれがアルターエゴですか」

「ああ。奴の仮面がそうらしい。女の方はライダー」

 

 マコトはマシュの結界の強度を理解しているのか、銃撃はしてこない。スケルトンどもはというと結界に剣を叩きつけているが、正に無駄骨。マシュの防護はびくともしない。

 

「外の様子はどうだった?」

「テルミの魔力量が著しく低下しています。しかし……月の破壊もかなり進んでいます」

「……おれたちにとってもヤツにとっても、モタモタしてられないワケか」

 

 

 

 




ペルソナ5のBGMはカネシロパレス(前半)が最高に好きです。
次回更新は7/6(木)の13時予定です。


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第十三節.今にも落ちてきそう(物理)な月の下で-7

「さて、休憩は十分だ。手っ取り早く済ませようぜ」

「ええ」

 

 承太郎は勿論、マシュでさえもヨハンナ相手に何度も接近できはしない。チャンスは一度だけ。それを二人は分かっていた。

 

「恐らく、私が彼女を討つことになると思います」

 

 マシュはそう言い、承太郎に横目で視線を送る。承太郎は頷いた。

 

「……そうなるだろうな」

 

 攻撃性能から考えるとマコトは最大限に承太郎を警戒するだろう。今回はそれを撒き餌にマシュが接近する。その作戦は語るまでもなく、互いに了承済みだ。

 

「結界を解除します」

「いつでも」

 

 マシュが地面に押し当てていた盾を持ち上げると、パン、と、弾けるように結界が解ける。それを見計らい、承太郎のスタープラチナがスケルトンを拳の突きで打ち払った。

 続いて、マシュと承太郎は互いに逆方向へ走った。承太郎はマコトの正面方向から、マシュはマコトの背後から追う、挟み撃ちというやつだ。

 それに気が付いたマコトはヨハンナのエンジンを噴かし、グンと加速しつつハンドルを切って逆走する。マシュの方へ、だ。

 承太郎とマシュの散開はマコトにとっても各個撃破するチャンス。ここで先ずマシュを片付ける腹づもりのようだ。

 

「作戦通りとは言え、なめられちゃあ英雄の名が廃るぜ?」

 

 承太郎はにやりと笑った。

 マシュは、やると言ったらやるヤツだ。覚悟なのか、責任感なのか。兎にも角にも、マシュはここぞという時に額面以上の性能を発揮する戦士である。それを承太郎は知っていた。

 

 マシュはスケルトンどもを盾の大振りで薙ぎ倒し、マコトの銃撃を盾でやり過ごしながら走る。二人が接近戦で差し合うまであと数秒。マコトの注意がマシュに集中しているところで。

 

「無理させちまって悪いが、ここでやるしかないぜ」

 

 承太郎は地面に散らばっているマグナム弾を一つ拾い上げた。火薬を失ったそれは最早ただの鉛の塊であったが、スタープラチナのパワーで弾き飛ばせば文字通り弾丸と呼べるだろう。

 

「オラァ!」

 

 指弾というやつだ。それがマグナムを容易く上回る弾速ですっ飛んできたものだから、マコトが目を剥いて驚くのも無理はない。が、ヒットを狙うには、いかんせん距離が遠すぎた。マコトが上体を屈めると、弾丸は後首筋を一ミリ裂いて通過する。

 

 承太郎の援護は不発かと思われたが……

 

「シールド・エフェクト展開!」

 

 すかさず展開されたマシュの防護結界は、自身を防御する代わりに、マコトの右側面へ逃げ道を塞ぐように光の壁を築いた。

 

「……!?」

 

 面食らったマコトもすぐにその狙いを理解した。光の壁は承太郎が放った指弾を弾き返し、それが跳弾となって再びマコトに飛来したのだ。既に死んだはずの弾は二度蘇り、マコトの右肩を貫いた。

 

「う、クッ……!」

「まだまだぁっ!」

 

 マコトの怯みの隙にマシュが突進する。スケルトンの斬撃をモロに受けながらも、それを意に介さず一直線に。

 

「はああぁぁぁっ!」

 

 マシュが大盾を振り上げる。

 小柄な体躯。

 血に濡れた身体。

 英雄たちの存亡を背負った一身。

 

 マコトはマシュたちを見ていた。

 ずっと、幽閉された心の牢の隙間から。

 

 

 


 

 

 

 マコトは本来、精神操作に強い耐性を持つサーヴァントであった。彼女の能力であるペルソナも叛逆の精神の具現でもある。

 ではなぜ、肉体を掌握されたのか。

 

 彼女が自身の――正確に言うと、イセカイナビの――能力で見てしまったからだ。あの心象風景を。

 

 恐怖が、マコトの心に隙を作ったのだ。

 

 あるはずの無い絶対的な悪、極限まで純粋な悪。アルターエゴという歪みの到達点が象った心の世界は、たかだか十六の少女が知るには凄惨過ぎた。

 

 マコトの魂は未だ、仮面のサーヴァント……つまりは“ムジュラの仮面”によって囚われている。

 

 深海に佇む秘境とでも表現しようか。そこは淡い光で満たされた幻想的な一室。天井には青く輝く宝石、壁には意味ありげな金細工で飾り付けられている。そんな場所に閉じ込められたマコトは今や肉体を持たない、意識だけの存在であった。

 

 マコトが承太郎たちと戦っていることを自覚できたのは、外界のムジュラの仮面にダメージがあったからなのか、あるいは……承太郎の声が届いたのか。

 

 何にせよマコトにできることは何もない。

 ただ、このまま承太郎やマシュに始末されるか、ムジュラの仮面に体を使い潰されるか。

 

 やはり、マコトにできることは何もない。

 

 いや、一つだけできることがあった。

 それは、“考えること”だ。

 

 もう一度、自身の心を恐怖で塗り潰したあの風景を思い出してみる。

 ただ、生きようと足掻く者たちを蹂躙するだけの怪物。腹にも収まらず、喰らったそばからこぼれ落ちるさまは、苦しめることに意義を見出しているようだ。そしてその様子を見下し、怪物の頭上で悍ましくも無邪気に笑う少年。

 

 最初に見た時から違和感があった。

 それは彼女のイセカイナビの能力。この能力は究極の悪の心に入れるだろうか? 心の世界“パレス”は歪んだ心によって作られる。なら、彼女の思う一点の曇りもない悪には、逆にパレスは存在しないのではないか? 今まで見たきたパレスも所詮は自分のために他者を利用する構造でしかなかった。黒一色では歪みを描くことは出来ない。

 

 あのパレスも歪みから生まれたなら、そこには他者を利用する欲望がある。

 

「……!」

 

 そして彼女は、大きな勘違いに気が付いた。

 

 

 


 

 

 

「はああぁぁぁっ!」

 

 マシュの盾の横薙ぎが無抵抗のマコトのバイク(ヨハンナ)を粉砕した。横転し大破したヨハンナは顔を地面に擦り付けるように滑り、搭乗していたマコトも投げ出され、そのまま硬い地面に打ち付けられて転倒した。

 

「……!?」

 

 マシュは一瞬だけ尻込みした。マコトに戦意がなくなったのを感じたからだ。

 当のマコトは、両手で頭を抱えて苦しみに呻る。

 

「う、うあああっ!」

「……!

これは、まさか精神操作の呪いが……!?」

 

 自身の心に巣食う幻想の恐怖に打ち克ったマコトは、彼女がサーヴァントとして獲得した精神異常耐性を発揮したのだ。

 

「何をしているのっ!? 早く……討ってっ!」

「……!」

 

 しかし一度は穿たれた魂。マコトが彼女自身であれる時間はほんの一時だ。時が過ぎれば、再び彼女はムジュラの仮面によって支配されるであろう。

 

 マシュの奥歯を噛む、歯軋りの音が聞こえる。そしてマシュは目を瞑りながら盾を持ち上げた。

 

「やああっ!」

 

 ざくり、とマシュの盾がマコトの細い身体を裂く。

 その一撃だけで致命となった。

 

 彼女も元より防御能力が高くないサーヴァントであったが、こうも無防備に全力の攻撃を受けては耐え切れるはずもない。

 

 マコトの身体が光の粒に分解されていく。

 

 マコトは消えゆく魂を放すまいと意識を手繰り寄せた。最期の言葉を口にするために。

 

「……ありがとう……」

 

 それだけ言うと、マコトは微笑んだ表現のまま消えていった。その目は、ずっとマシュを見ていた。

 

 感謝の言葉は、結果論ではあるがマシュの手でマコトを討つことで誇りを守るとこができたからだろうか。あるいは、本来敵である自分の死をマシュが悼んでくれたからなのかもしれない。

 

 あとに残ったムジュラの仮面を、承太郎が容赦なく踏み潰す。既に魔力が失われたそれは、ガラス細工のように簡単に砕け散った。

 これだけ聖杯戦争を掻き乱したにしては呆気ない最期だった。

 

「成り行きとはいえ、重い仕事を任せちまったな。だが、よくやってくれた。さすがだ」

 

 “重い”とは、困難さのことを言ったのか、精神的な意味なのか。承太郎にしては珍しくハッキリしない表現をつい使ってしまったのは、マシュが自身の悲哀を隠そうとしているのに気付いてしまったからだ。

 

 マシュは震える肩を潰すように強く掴んでいる。

 

「最後の最後で、彼女は意識を取り戻していました」

「……そうだな」

「そして、自分を討つようにと」

「聞いていたぜ」

「……」

 

 マシュはマコトが倒れた地に優しく掌を置いた。そこにはマコトが存在した残滓は露ほども残っていない。

 

「貴方と聖杯戦争で戦ったこと、私の胸に刻みます。サーヴァント・ライダー、新島真さん。

貴方もまた、英雄の名に相応しい人でした」

「……」

「さあ、行きましょう、承太郎さん。聖杯戦争はまだ続きます」

 

 マシュは、そのまま表情を見せることなく足速に外へ向かう。承太郎もすぐにその後を追ったが……硬い異物を踏んだ承太郎は、視線を下へ落とした。

 

「……?」

 

 承太郎には馴染みないが、マコトの時代では広く一般に普及したもの。

 スマートフォンというやつだ。

 

 拾って手に取る。側面のスイッチに手を掛けようとしたところ、

 

「……承太郎さん?」

「あ、ああ……今行く」

 

 承太郎はそれを上着のポケットに無造作に放り込み、洞窟を後にした。

 

 

 




次回更新は7/9(日)の13時予定です。


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第十四節.ン?百匹だっけ?違う千匹だ!

 承太郎とマシュの二人が大敵であるムジュラの仮面を葬り去った直後、マシュとテルミの予想通り人面月は消滅した。これにて冬木の平和は守られたわけであるが……聖杯戦争は終結していない。

 

 戦いはまだ続く。

 

 差し当たり、マシュ陣営が打倒を狙うは六英雄と称されし大魔導士テルミ。ムジュラの仮面と同等以上の脅威だ。しかし、ムジュラの仮面の魔術を封じるために多大な魔力を消費しているテルミの戦力は半減しているはず。

 

 マシュたちにとって千載一遇のチャンス。

 逆に、唯一の同盟であったマコトを失ったテルミにとっては大ピンチだ。

 

 しかし、身を隠しているであろうとの予想に反して。

 

 テルミは寛いでいた。

 

 承太郎が見たのは、どこから持ってきたのか、幅広のベッドを無造作に置き、その上で横になっているテルミの姿。テルミは大きく一発あくびをしたのち、ゆっくりと身を起こした。

 

「遅えんだよ。ゾンビの餌になっちまったかと思っちまったじゃん?」

 

 次いで、マシュたちのすぐ後に、ティーダとマルコもやって来た。四人のサーヴァントに囲まれたテルミは、それでも余裕そうな、はたまた邪悪な笑みを絶やさない。

 承太郎はそんなテルミにきっぱり言い放つ。

 

「停戦の話は、確かアルターエゴをたおすまでだったな」

 

 それを聞いたテルミは一層皮肉めいた笑みを作る。

 

「合ってるぜぇ。で?」

「……アルターエゴはおれたちが始末した。つまり、今よりおれたちの停戦はなくなった。てことでいいな?」

 

 テルミは堪えきれないという風に笑い出した。

 

「揃いも揃って、脳みそに蛆虫でも湧いたか? あ、もしかしてそれ飼ってるとか? ヒャハハハハッ!」

 

 テルミもいつも通りだもので、承太郎もまたいつも通り冷静に返した。

 

「今回のアルターエゴの件は、言いたくねーがてめーのお陰だ。だから、今は見逃せというならおれは戦闘に参加しない」

 

 マシュはぎくりとして承太郎を少し横目に見るが、承太郎はテルミから目を離さない。それは挑発的な視線だった。

 

「どうなんだ? テルミ」

「ボケてんじゃねーよボケ。停戦なんざ最初から何の意味もねーんだよ」

「それを聞いて安心したぜ」

 

 承太郎がスタンドを顕現させると、ティーダも剣を抜き払い、マルコも戦闘態勢をとる。

 

「卑怯なんて言わねぇよな! お前だってオレたちを利用したんだからなっ!」

「テルミ、オマエはもはや胃袋のネズミも同然!

マルコは……騙された恨みを晴らすよ!」

 

 続き、マシュも大盾を構えた。

 

「多勢に無勢ですが、手加減しません」

「多勢、ねぇ……」

 

 テルミは蔑むような目で自身を囲む四人を見渡す。ティーダとマルコはダメージが残っているし、マシュも無傷ではない。多勢というには些か不足を感じるところだ。

 尤も、テルミの消耗具合は彼らの比ではないのだが。

 

「まっ、俺様がヤるまでもねーなあ。おーい出てこーい」

 

 テルミがそう言うと、ベッドの下から何者かがカサカサと虫のように這い出て来る。

 

「……!」

 

 この場にいた誰も、全く気配を感じることができなかった。承太郎たちは驚いていたが、マシュの驚愕は一際大きい。

 

「新手のアサシン!? いえ、これは“何処にでもいる”という概念……まさか、本当にサーヴァントの召喚を……」

 

 マシュはテルミを凝視した。正確には、彼の手を。しかしすぐに無駄だと分かったか、新手に目を向ける。

 異様なサーヴァントだった。一見して素っ裸にも思えるが、黒光りする体表は甲殻に覆われている。両目は寄り過ぎていて、鼻下は不気味に長い。何とも言い難い貌のバランスだ。そして目を引くのは触角、尾葉……まるで、例のアレの擬人化のようだ。

 そう、言うも躊躇われる程には毛嫌いされる、アレ。マシュと承太郎はそれを知り、少しばかり顔を曇らせる。

 

 そいつは、何の構えもなく、戦略も、技も、前触れもなく……突如として新幹線の如きスピードでマシュに突撃する。

 

 瞬きの間に最高速度に達するその加速力には驚くが、マシュは重い盾を地面に突き立てて攻撃を弾いた。承太郎が割り込み、そいつの脳天を拳で砕いた。ジャブとは言え、大型口径の銃弾を軽々と叩き落とすスピードと威力だ。

 が、そいつは頭をかち割られつつも承太郎に向かって蹴りを放つ。が、承太郎もそろそろ不死身モンスターには慣れっこだ。

 

「オラァ!」

 

 承太郎の叩き下ろしがサーヴァントの脚を打った。

 

「なるほど。結構硬いらしいな。もっとも……おれもぶっ壊すのは得意だぜ」

「じょうッ!」

 

 奇声を上げながら、そいつは承太郎に掴みかかって来るが、もちろん接近戦最強のスタンドには通用しない。

 

「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラッ!」

 

 黒光りするサーヴァントは、濁った体液を四散させながら砕け飛んだ。承太郎はスケルトンやゾンビを思い出し、こいつも復活するのかもと勘繰ったが、びくんびくんと全身を痙攣させる様子からはとても復活しそうに見えない。

 

「あーらら、流石ジョータローちゃん。よーくそんな汚ぇモンに触れるよなぁ、感心するぜぇ」

「三秒でぶっ殺されるようなザコ連れて来てんじゃねーぜ。お得意の手品はネタ切れか?」

「キヒヒッ、三秒か。そんじゃーよぉー……三万秒戦ってどーぞォ!」

 

 テルミがパチンと指を鳴らす。すると、先程のと全く同じ見た目のサーヴァント?が、物陰から、瓦礫の下から、地面の中から、雲の間から、ゾロゾロと染み出すように現れる。

 

 四人は言葉を失った。

 多い。多い。あまりにも多すぎる。

 地面を黒く塗りつぶしたようにも錯覚する密度で、見渡す限り同じような顔が並ぶ。彼らは口々に謎の言語を発する。

 

「じょうじ。じょうじょう。じじょう」

「じょうじじょうじ。じょう」

 

 会話をしているようにも思えたが、どういう内容なのか全く分からないし、彼らの正体を知る者なら理解したくもないだろう。彼の正体、それは――

 

「多勢に無勢だがよ、手加減なしでヤッちまいな。サーヴァント・フォーリナー……テラフォーマー!」

 

 

 




次回更新は本日17時です。


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第十四節.ン?百匹だっけ?違う千匹だ!-2

 サーヴァント・フォーリナー、テラフォーマー。

 マシュは、テルミがその野卑で貪欲な味方を召喚したものと勘繰っていたが、その実態は少し違った。もともと冬木の地に召喚されるサーヴァントが一枠空いており、そこにテルミが魔力リソースと触媒を提供しただけに過ぎない。

 なお、触媒は例の汚らしい虫ケラだ。

 

 ともかく、テルミは強力な助っ人を得た。

 テラフォーマーは群で一つのサーヴァントである故にその数に目が行きがちだが、個の戦闘能力も決して低くない。鋼のように強固な甲皮、頭を破壊されても死せぬ脅威の生命力、頑強な筋繊維から繰り出されるスピードとパワー。特殊な能力こそないが、もはや雑魚敵の範疇にない。

 

 幸い、マシュ陣営は攻守バランスの取れたチームであり、トリック抜きの荒事は得意分野だった。対軍宝具の持ち合わせはないが、マシュの防御能力の高さが持久戦を可能にしていた。

 

「オラオラオラオラオラオラオラァ!」

 

 スタープラチナがテラフォーマーどもの喉を打ち抜くと、それらはあっさりと地に伏した。

 

「喉が弱点って読みは当たってたみたいだぜ」

「ええ……敵は頭部に運動脳がなく、破壊しても即座に絶命しないようですね」

 

 喉下の神経を潰されると活動不能となるのは、これのモチーフとなった生物の特徴だ。マシュの予想は当たっていた。その甲斐あって幾分は戦いやすくなったが、それでも戦闘が始まって一時間近く。マシュたちは体力的にも精神的にも限界が迫っていた。対して、テラフォーマーたちは底なし、無尽。

 

「マシュ姉ちゃん……!

いくらなんでもこれは多すぎよ! マルコはまだまだいけるけど、ティーダがもう限界って言ってるよ!」

「言ってねえよ! でも、コイツら減ってる気がしない! このままじゃヤバイって!」

「……はい。撤退の準備をしましょう。ただ……」

「問題は、そう易々と逃がしてくれるか、ってとこだな」

 

 不気味なのはテルミ。彼はマシュたちがテラフォーマーどもに手を焼いている間、何もせずにただ見物しているだけだった。よもや、魔力が全くの空ッケツというわけではなかろうに。

 しかし承太郎は、テルミが余裕ぶったりフザケたりしているわけではないと感付いた。蛇の牙のように鋭く視線を滑らせている。何を観ているのか……そこまでは分からなかった。

 

「まさか、だが。テルミのヤツはおれたちが簡単に(たお)されるのを望んでいないのかもな」

「あり得ますね。テラフォーマーたちとの互助関係は薄いのかもしれません。きっと、一時的な魔力供給くらいの」

 

 マシュたちにも言えることだが、サーヴァントは皆唯一の勝者を目指す宿命。テルミとて、いつテラフォーマーどもに矛先を向けられるか分からない……ということなのかも知れない。

 

「一か八か、テルミに攻撃を仕掛けましょう。テラフォーマーたちは、テルミを護りはしないかも知れません」

「あるいは、逆に攻めを緩めるかもな」

 

 ティーダもマルコも頷いた。しかし、マシュたちよりも先にテルミが動いた。

 

「しゃーねーな、潮時か。つーか多すぎんだよ虫ケラ。普通に不快」

 

 テルミはマシュたちに背を向け、手で円を描く。すると、何もない空間がみしりと音を立ててひび割れ、黒い裂け目が現れた。

 

「ワームホールです! テルミは……離脱するつもりです!」

「追った方が良さそうだな」

 

 マシュの言葉に反応し、承太郎、マルコ、ティーダが走った。マシュもすぐさま後に続いたが、テラフォーマーどもがマシュに襲いかかり、それを邪魔する。

 

「くっ……! このっ!」

 

 実は、彼らテラフォーマーには“女性を優先して叩く”という習性があった。それ自体はシールダーの特性と噛み合い有利ではあるが、今ばかりは仇だ。マシュは承太郎たち三人と見事に分断されてしまう。

 

「ヒャハッ! さすが紅一点、モテモテじゃん?」

 

 テルミはいつも以上に俗悪な笑みを見せると、黒い裂け目に消えて行った。

 

「テルミを……逃がさないでっ!」

「……!」

 

 やはり危険なのはテルミだ。ここであの超越的なキャスターに逃げられては次のチャンスは来ないだろう。

 承太郎はスタープラチナでテラフォーマーのハイキックの脚を取り、

 

「おおおおおッ! オラァァッ!」

 

 それをハンマー投げのようにスイングして投げ飛ばした。もちろん、投擲物の速度も重量もハンマー投げとは比較にならない。豪速のそれが、モーセが海を割ったように、テラフォーマーどもの隊列を叩き割って道を作った。

 

「ナイスよ、幽霊のお兄さん! みんな、走って!」

 

 マルコが声を掛けるまでもない。既に各々が走り、テルミが残したワームホールへ突入していった。

 

 

 




次回更新は7/10(月)の13時です。


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第十五節. 第十五節、帰還

 溶けた肉塊のようでもあった。

 もしくは、固まった血泥のようでもあった。

 

 壁や床、天井にまでへばり付くそれは、百足のように這いずり回り、不気味に脈打っている。そして辺りには濁った紫色の靄。

 悪魔の胃袋の中? そんな感想を抱いてしまうほどに物々しく生々しい。

 

 テルミを追ってワームホールに突入した承太郎の目に飛び込んできたのは、そんな光景だった。

 一呼吸遅れて、ここが“学校の教室”であることに気付いた。様変わりしているが、原形を保った椅子やら机がちらほら見える。

 

「やっほージョータローちゃん。こっちこっち」

「……」

 

 声の方を向くと、テルミが教卓の上に足を組んで座っていた。

 そこには……聖杯もある。

 

 ティーダ、マルコも続々とワームホールから飛び出して来た。

 

「イテテ……これだからワープは嫌なんだよ〜っ」

 

 ティーダは尻を押さえながら立ち上がり、周囲のグロテスクな物体に気が付くと「おわっ」と頓狂な声を上げて飛び上がった。

 

「……!

ティーダ! 幽霊のお兄さん!

マシュお姉ちゃんが……来てないよっ!」

 

 空間に裂け目を作っていたワームホールはマルコを吐き出してからは徐々に小さくなっている。やがて、ぱったりとその口を閉じてしまった。

 マシュは戦地へ取り残されてしまった形だ。

 

「いくらマシュでもあの数はやばいって! 助けに戻らないと……」

「いや。やばいのはおれたちの方かもな」

 

 承太郎は、叫ぶティーダを遮って言った。それを聞いたティーダもマルコもようやく、周囲に満ちる謎の泥が如何に危険なモノなのか気が付いた。

 といっても、承太郎を含めて魔術に関しては門外漢な三人だ。これが何なのかまでは理解できていない。しかし、理解できないにも関わらず危険と判断できるという事実が、その危うさに説得力を持たせている。

 

「どうやらおれたちは罠に誘い込まれたらしいぜ」

 

 テルミはそのセリフを待ってましたとばかりにケラケラ笑う。

 

「相変わらず寒いギャグが好きみてぇだなァ。このオレ様が雑魚どものために罠なんざ張るわきゃあねぇーだろ」

「だったら、このダークプリンみたいなやつは何なんだよ!」

「そうだな。とりあえず、“聖杯の泥”とでも呼んでおくか。端的に言うと……触れたら死ぬ」

 

 ティーダは「やっぱ罠じゃん」とぼやくが、承太郎は別の部分に反応したようだ。

 

「聖杯の?」

「そーそー。ちょいと弄ってたら血ィみてえにドバッとな」

「おっ、お前、聖杯壊した!? ダメーッ!」

 

 マルコはテルミが聖杯を壊してしまったのかと考えていたが、承太郎は違った。もとより、彼は聖杯なるモノが清廉潔白とは感じていなかった。

 

「聖杯が壊れちまったらヤツ自身も困るんだ。そんなヘマやらかすヤツじゃあないだろうぜ」

「そ、そっか…」

 

 承太郎に言い込められてマルコもティーダも納得したが、テルミは蔑むように笑う。

 

「知ったふうな口利いてんじゃねーよ。てめーら自身のことすら良く知りもしねーくせによぉ。もっとも、ちっと前まではオレ様もそーだったがな」

「……! テルミ、お前も記憶を?」

 

 テルミはフードを被り直して頷いた。

 

「まっ、欠落した記憶や知識なんざどーでもいいことだがな。重要なのは……」

 

 テルミは続きを言わず、「よっ」と掛け声しながら教卓からぴょんと飛び降り、聖杯の泥を踏まないようにステップしながら教壇をくるくる歩き回る。

 その様子を見たティーダはぐっと奥歯を噛む。

 

「時間稼ぎしてんじゃねーよ! ジョータロー、さっさとコイツやっつけよーぜ!」

「ティーダ、少し待ってくれ。マシュならきっと大丈夫さ」

 

 寧ろ、時間稼ぎならマシュの方が得意。この状況はマシュがテラフォーマーどもを縛り付けているとも言える。

 

 テルミが焦らすものだから、承太郎が代わりに口を開いた。

 

「重要なのは、その情報が取捨選択されていること……ッてところか?」

「ご明察」

 

 承太郎の推理をテルミが首肯すると、今度はマルコが口を挟む。

 

「でも、マルコたちは聖杯戦争のことは何も知らないよ?」

「そうだよ。取捨選択っつーか、全部捨てられたカンジ」

「……いいや。おれたち、少なくとも……ティーダや恐らくテルミやアリサにも、キッチリ移植されているはずの情報がある」

「……?」

「それは……言葉。だろ? テルミ」

 

 ティーダは「あっ」と声を上げた。承太郎やマルコは元々(堪能というわけではないものの)日本語が話せたが、ティーダはそうではない。

 

「確かに……でも全然気付かなかった……」

 

 当の本人ですら違和感を持たないほどの精妙な記憶移植が為されている。なのに、聖杯戦争に関する記憶だけがない。

 

「話が早くて助かるぜぇ」

 

 承太郎は聖杯戦争の話を聞かされた時のことを思い返した。妙に納得感があったのをハッキリ覚えている。トンデモない話だと言いつつも、心の何処かで「ああ、そうだった」と、忘れていた宿題を思い出したような、あたかも知っていた事実のように受け入れてしまったのだ。

 

「しかしそれでも解せん。聖杯戦争は仕組み上サーヴァント同士が争って成立してるんだろ? 記憶を敢えて与えないのは寧ろ不都合なはずだ」

「そうだな。正確に言うと、オレ様やてめーらも、正規の情報を持っていない方が正しいと判断されちまったのさ。

何せ、サーヴァント召喚システム……これは元々異世界のサーヴァントを召喚する想定なんざ無かったんだからな」

「……!」

 

 僅かばかり思案する承太郎の代わりに、ティーダがすかさず突っ込みを入れた。

 

「何言ってんだよ、聖杯戦争って異世界の英雄が戦うって話だろっ!」

「違うな。本来はこの世界の過去の英雄が戦うはずだった。もっとも……サーヴァント召喚システムは何でもアリのガバガバ設定だからな」

 

 承太郎は形容し難い違和感に囚われた。過去の英雄と異世界の英雄。どう捉えようが同列に思えない二つが手違いで……ということなどあるのか。

 

「……何でもアリってのはどういうことだ?」

 

 テルミは承太郎の問いを聞くなり、ぐにゃりと最大限口を歪めて笑みを作る。凶暴で、醜悪で、加虐的な表情。粘着罠に飛び込む鼠を見る無垢な子供の目で承太郎を、ティーダを、マルコを見た。

 そしてテルミが答えたのは、全く解にならない繰り返しだ。

 

「オイオイ、二度同じこと言わすなや。何でもアリってのはつまり……何でもアリってことだ」

「……何でも、あり……か……」

 

 承太郎の顔から血の気が引く。不意に彼の脳裏に浮かんだとある推察……それは彼らの存在意義すら深淵の暗黒へ突き落とす最悪の帰結。

 あのディオと初めて対峙した時でさえも飲み込んだ恐怖と不安が臓腑から滲み出て吐きそうだ。死を前にして尚動じない、鋼の精神力を持つ男が微かに震えている。

 

 承太郎は、自身の胸を強く押さえながら絞り出すように声を発した。

 

「ややこしい謎掛けは十分だぜ。テメーの知ってることを言いな」

「そうしてやってもいいけどよォ、馬鹿は信用しねーだろ? 丁度、解説に適任が居るからそいつに喋って貰うとするぜ。

……なァ、マルコちゃんよ」

「……!?」

 

 承太郎とティーダは驚いてマルコを見た。

 

「どういうことだよ、マルコ!? 何か知ってるのかよ!?」

「……マルコは……気付いていたよ。最初から全て……でも!」

 

 マルコは勢いよく顔を上げて承太郎を指差した。

 

「説明は、幽霊のお兄さんにお任せするよ! もちろん……マルコも知ってるけど!」

「そーじゃねーよ」

 

 テルミは嗤いながら続ける。

 

「テメーに語って貰いたいのはアサシンのサーヴァント……トキってやつのことさ」

「トキ……!」

 

 承太郎は以前この場で相対した仏のような達人のことを思い出した。マルコの反応を見る限り、彼もトキのことは知っているようだ。が……

 

「トキは世紀末覇者ラオウの実弟……! 無敵の暗殺拳・北斗神拳を使う天才でありながら医者を目指す心優しい拳士よっ! 病を患っていなければラオウよりも上と目される程の実力と才能で、北斗史上最も華麗な技を持つ男とも言われている! 最大の特徴である“柔の拳”に受け流せない攻撃はないのよ! それに、トキの強さは医術に精通するが故の観察眼でもあるっ……北斗神拳伝承者・ケンシロウですら攻略に時間を要した宿敵サウザーの体の秘密を触れずして看破していたのよ! そして実は……元々リュウケンの養子と思われていたトキはなんと、北斗宗家の血を引く……」

「だぁーっ! そんなことどうでもイイって!」

 

 マルコの長ったらしい熱弁を聞きかね、ティーダが叫び声でそれを止めた。

 

「そのトキってのが何なんだよ! そんな奴知ら……」

 

 さらに文句を続けるティーダを、今度は承太郎が静かな声で止めた。

 

「マルコ……その情報をどこで知った?」

「……え」

「……?」

 

 ここにきてようやく、ティーダにもその異常性が何となく分かり始めていた。

 

「どこでって……その、トキって奴に直接聞いたんだろ? そーだって、それ以外にないじゃん……だよな、マルコ」

「……!?

まさか……二人とも“北斗の拳”を知らない!? 獏兄ちゃんも大好きな国民的大人気漫画よ!」

「……」

 

 承太郎は独り、青ざめて沈黙している。

 ティーダは全貌が理解できずにいたが、ただならぬ雰囲気を感じ取っていた。

 マルコは何も分からず呆然としているだけだ。

 

 そこに、テルミの大笑いが響いた。

 

「ヒャッハハハッ!

オカシイよなァ!?

何処かの妄想野郎が描いたフィクションの登場人物が何で異世界にフツーに出てくるんだ?

そんなわきゃあねーよ!

どうしてだ? なァ、教えてくれよ!」

 

 きつく目を縛り、血が滴るほど握った拳が震えている。そんな承太郎を見て、ティーダもまた戦慄いた。

 彼が震えている。

 恐怖している。

 

 ティーダは腹いっぱい叫んだ。

「あんたらだけで納得してないでさあ! オレたちにも分かるように言ってくれよ!」

「……こいつが言いたいのは……」

 

 承太郎は静かに口を開いた。喉を焼かれたような、掠れた声だった。

 

「異世界……いや、おれたちの世界など――存在しない」

 

 




次回更新は7/11(火)の13:00です。

獏兄ちゃんとはマルコの兄的な存在ですが血のつながりはありません。
ちなみに獏兄ちゃんは(自称)北斗神拳使いです。


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第十五節. 第十五節、帰還-2

「ビンゴ♪」

 

 承太郎の予想―“異世界は存在しない”――その答えに、テルミは得意げに頷いた。

 

「サーヴァントの召喚システム……こいつは世界が持つ情報に従って肉体や精神、特性を構築する仕組みだ。勿論実在する方がより強固な設定を持ったサーヴァントを作れるだろうが、原理上はその必要はない。

つまりオレ様らは、ゲーム、漫画、映画……それらのフィクションから作り出された架空の登場人物。この世界の誰にも実在を信じて貰えなかったサーヴァントてわけだ」

 

 異世界の面々にとっては、まさか己の存在が偽物……否、己の信じていた世界そのものが偽物だったなどと簡単に受け入れられるものではない。

 

「ふっざけんなよ! どーゆーことだよ! オレたちは聖杯戦争とか訳わかんねーものに呼ばれて異世界から連れて来られたんだろ!? そう言う話だったじゃん! 異世界が存在するとかしないとか、そんなの聞いてねーよ!」

 

 ティーダは慟哭した。

 

「親父だっているんだぞ! 子供の頃の記憶だってちゃんとある! みんなと一緒にブリッツボール頑張って……シンに襲われてから……ユウナたちと旅して……それが嘘なんて絶対あり得ねーだろ!」

「だーかーらー。そういう設定っつってるだろ、さっきから」

「……っ!

そんなの信じられるかよ!」

 

 ティーダは床を殴りつけた。その言葉とは裏腹に、彼の魂は真実を認め始めていた。サーヴァントとして召喚された朧げな記憶が彼の霊基に刻まれているからだ。頭を抱え、呻いたが、真実の声は脳内に響いていた。

 

 俯き、床に視線を落とすだけだった承太郎がゆっくりと顔を上げた。

 

「……じゃあ、聖杯戦争ってのは一体何だったんだ? おれたちは何のために喚ばれ……いや、作られ、何のために戦っていたんだ?」

「そりゃごもっともな質問だが、詳しいことは分からねー。ただ、聖杯には破滅の意志が込められている。破壊的な願いだけを受け付ける、異常なシステムが、な。このことから推測するに、何らかの兵器製造の目的か、或いは宗教的な儀式だった可能性が高い」

 

 テルミは呆れるように笑い、さらに続ける。

 

「いや、案外ただの娯楽ってこともあるかもな。だとしたら趣味のいいモン作りやがったぜ。まぁ、どのみち大した意味なんてねーだろうよ」

 

 汚染された聖杯に願望器としての機能はないに等しい。本来の聖杯戦争が執り行われていたのは昔の話だ。テルミの予想はピタリと当たったわけではないが、少なくともサーヴァントにとっては意味がなかったという点は遠くないとも言える。

 

「マルコは……聖杯戦争に勝って……獏兄ちゃんのところに戻らないといけないよ……

マルコの世界がないなら、どうやって帰るか!?」

「聖杯戦争? 終わりだよンなもの。だがよォ、サーヴァント六基の魂を捧げれば……実はその願いは叶うぜ」

 

 願い、とは、言わずもがな“元の世界に戻ること”だ。

 

「まさか……マルコの異世界だけ、実は存在するってこと!?」

「ねーよ。聖杯は望めばその願いを受け入れてくれる……ただそれだけだ」

「……!」

「おっ。ジョータローちゃん、何か気付いたかよ?」

「おれたちの世界がないなら、“元の世界に戻る”という願いは……どう解釈される?」

 

 ティーダとマルコは承太郎の問いを聞き、ハッと顔を上げ、承太郎とテルミを交互に見やる。相変わらずの笑みを見せるテルミに、彼らは何となくその答えを理解してしまった。

 

 それでも……ティーダは聞かずにはいられなかった。

 

「どう、なるんだよ」

「さぁな。そこんとこ調べがついてねーんだよなァ。テメーらはどうなると思う?」

 

 テルミのわざとらしい質問に答える者はいなかった。しかしその答えは明白だ。

 

 無という世界に還る。

 

 即ち、消滅するということだ。

 

「テメーら雑魚どももこのオレ様すらも、サーヴァントは皆、それを目指して戦っていた訳だ。笑える話だぜ」

「……嘘だろ……」

 

 ティーダが思わず呟いた。それは、ただ死ぬために命をかけて戦っていたという最悪の矛盾に対してではない。

 

「おっと、皆というわけでもないか。

居るはずだよなァ。他のサーヴァント全員に自殺の方法を吹き込んだ悍ましいヤローがよォ。

聖杯戦争なんて言っておきながら、そいつは高みの見物決め込んでオレ様らが勝手に消えるのを待ってたわけだ。

そいつは……いや、そいつだけは。元々この世界の英雄のはず。

誰だァ、一体。 何方か心当たりありますかねェ〜?」

「……」

「……」

「…………」

 

 三人はただ絶句していた。

 

 マルコが、ティーダを横目にチラリと視線を送る。承太郎とティーダは思わず互いに目を合わせた。

 

 

 

 

 


 

 

 

 突然、教室の天井が激しい音を立てて崩壊した。

 

「やあぁッ!」

 

 同時に聞こえる、まだ幼さの残すも凛々しい少女の声。土煙に身を隠して躍り出たその影は、そのままの勢いでテルミに突撃する。

 

 しかし、直後に聞こえてきたのは耳を劈く金属音。

 

 マシュ・キリエライトのテルミへの奇襲は、承太郎とティーダが防御したのだ。

 テルミには擦り傷一つない。

 

「……!」

「オラァッ!」

 

 承太郎のスタープラチナの掌底がマシュを後方へ大きく弾き飛ばす。マシュは金属の靴底で教室の床を削りながらも衝撃を受け流した。

 

「承太郎さん! ティーダさん!

テルミの話は……嘘です!」

 

 承太郎は真剣で鬼気迫る表情のマシュと、余裕に片笑むテルミを少し見比べ、ため息を吐いた。

 

「なら、マシュ。答えてくれ。お前は以前おれに、元の世界に戻るとき、元いた時間に戻れると言ったな」

「……はい。確かに言いました」

 

 その言葉で承太郎は聖杯戦争を急くことなく受け入れることができた。そうでなければ、チームを組んだり種火を集めたりと悠長なことはしていられなかっただろう。それはきっと他の英雄もそうだ。

 

「敢えて言わなかったが、ディオというサーヴァント……ヤツはおれと同じ世界から来た」

 

 ディオについては名前しか知らなかったマシュも驚いた。

 

「しかしディオのヤローはおれのことを(正確にはスタープラチナの能力を)知らなかった」

「それは、あなたと別の時間から喚ばれたのでしょう」

「そうだろうな。だが、そうなると元の世界で矛盾が起こる。元の世界のディオも初対面でおれのことを知らなかったんだからな」

「……!」

 

 マシュは息を詰まらせた。

 マシュの言動に嘘がないなら、この世界のディオか、もしくは元の世界のディオのうち、少なくとも片方は承太郎の能力について知っているはずなのだから。

 

「元の世界に帰るときに記憶を失うのです! この世界にきた時と同じように……!」

「おれとディオは同じ世界から来たんだ。元の世界に関する記憶が欠けるのは理屈に合わん。それに……」

「つーか別にオレ様ら記憶喪失じゃねーんだけど。記憶が移植されなかっただけで」

 

 承太郎の反論にテルミがそう付け加えた。苦しい表情のマシュに追い討ちするように、ティーダがさらに付け加える。

 

「そのディオって奴はオレとマルコでたおした。だから、そもそもそいつが元の世界に帰ったとかあり得ねーじゃん」

 

 決定的だった。

 

 思えば、ディオにとってはもっと分かりやすかったであろう。彼の視点では、彼は“元の世界に戻るつもりはない”と明言しているにも関わらず、聖杯戦争の勝者であることが確定してしまっていたのだから。

 

 マシュは押し黙った。ギリリと奥歯を噛み、目をキツく縛って顔を伏せる。

 

「どういうこと!? マシュお姉ちゃんが……ワルモノ!? マルコたちを騙していたの!?」

 

 承太郎も、ティーダも、マルコでさえも、マシュに疑惑の目を向けていた。否、それは最早確信に近いそれであった。

 命を預けあった仲間たちから、マシュは独り刺すような視線を受け……口を開いた。

 

「あと……一歩でした……」

 

 マシュは両の手で顔を覆い、崩れるようにその場に座り込んだ。

 彼女や承太郎たちを幾度と護ってきた大盾がガシャンと力なく倒れた。

 

「あと、一歩だけ……私が、足を踏み出していれば……」

 

 

 




次回更新は明日13時予定です。
やっと全部書けました。ぎりぎり間に合った…


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第十五節. 第十五節、帰還-3

 そうですね。この世界のことをほんの少し。

 

 ここ冬木で見られる住居や人工物などから既に想像がついていたかもしれませんが、この世界は人間を頂点とした生態系を築いていました。

 

 承太郎さんやマルコさんは馴染み深いでしょうね。科学技術によりヒトが繁栄し、大きな社会を形成している世界です。その陰で魔術や魔物といった神秘は人知れず、ひっそりと独自にその歴史を紡いで来ました。

 

 多くの人が愛し合い。

 夢を追い。

 当然のように明日を信じた。

 

 そんな時代でした。

 どこもかしこも、という訳にもいきませんでしたが、平和……だったと思います。

 

 二年前のあの事件が起こるまでは。

 “魔王”ゲーティアによって画策されたそれは、人類が生きた事実を熱量(エネルギー)に変換するという恐ろしい術式でした。

 

 人理焼却……と呼ばれています。

 

 人類は一瞬にして地球上から消滅しました。比喩ではありませんよ。電灯のスイッチを切ったように、突然、何の痕跡もなく、消えたという事実すら知らないままに。

 

 私たち人理継続保障機関(カルデア)以外は。

 

 そして旅が始まるのです。先輩と、私と、カルデアの。魔王を討ち、世界を取り戻すグランドオーダーが。

 

 長かったような、短かったような。

 楽しかったような、苦しかったような。

 

 あなたたちに一日かけてこれを語るつもりもありませんから、結論だけ言うと……人理は守られました。

 

 七つの世界を越えて、出会いと別れ、覚悟と犠牲に象られた旅の先にたどり着いた、ゲーティアの玉座。七十二もの魔神が立ち塞がる冠位時間神殿で、多くのサーヴァントが先輩のもとに結集した最終決戦が行われました。

 

 先輩は……勝ちました。

 勝ったのです。

 ええ、確かに。

 勝った……はずなのです……

 

 ……ゲーティアを討った直後、彼の存在によって形を保っていた時間神殿は崩壊し始めました。崩れ、揺れる神殿を先輩は走って、走って、走って……出口を目指して……

 

 ああ。

 

 私は出口から、先輩に手を伸ばしました。

 

 ――届かなかったのです。

 

 私の願いは、私の想いは、私の手は――届かなかった。

 

 あと一歩。

 あと、一歩だけ……私が足を踏み出していれば……

 

 

 

 先輩は消えゆく時間神殿に取り残され、その空間と共に……

 

 


 

 

 

「なるほどなァ。何となく分かったぜ」

 

 マシュの懺悔が終わるや否や、テルミが口を開く。

 

「テメーがやりたかったことは、聖杯戦争を言い訳に英霊の座を開くことそのもの……つまりは擬似的な――死者の蘇生か」

 

 マシュは相変わらず顔を伏せたまま、テルミの推理には何の反応も示さない。しかし、それが正鵠を射ているのは明白。

 

「縁の地で、遺物を用い……そのセンパイってやつをサーヴァントとして召喚しようとした……そんなとこなんだろ?」

 

 マシュは悔やんでいた。あの時、マスターを助けることができなかった自らの不甲斐なさを。

 嘆いていた。世界の破滅に立ち向かった大英雄がその功績も知られず死した運命を。

 そして何より……愛していたのだ。どんな状況でも決して前に進むことを諦めず、過酷な宿縁を悲観せず、仲間を深く信頼し続ける強さを持ったあの少年を。

 

 だからやはり、テルミの推理は当たっていた。マシュはもう一度、マスターに会うために、虚無の聖杯戦争に身を投じていたのだ。

 

「死んだ人を生き返らせるなんて……んなことホントにできんのかよっ!?」

「テメーは喋るな! 擬似的ッつったろ、いちいちテンポ悪ィんだよッ! もっとも……話を聞く限り、それも不可能だろうがな」

 

 ティーダとテルミの問答に、人形のように無反応だったマシュがぴくりと肩を揺らした。

 

 今度は承太郎がテルミに問う。

 

「サーヴァントの召喚は何でもアリなんじゃあなかったのか?」

「そーだな。だが、何でもアリなのはシステム側の都合だ。むしろ何でもアリな無限の座の中から特定の誰かを呼び出すのは、逆に難しいってワケ」

「……なるほど」

 

 誰にも実在を信じられなかった、この物語はフィクション(架空前提のサーヴァント)である承太郎たちすらも召喚してしまったほどに対象範囲が広い召喚……その選定がランダムなのだとしたら。

 

「つーかぶっちゃけてイイ? 仔猫ちゃんよォ、テメーのやってることは全部無駄なんだよッ! 知らねーのか? 英霊召喚は人間どもの“認識”で作られてるんだぜ?」

 

 マシュのマスターは確かに彼女のいう通り、世界を救った英雄だ。そこに間違いはない。

 しかし、重要なのは人々の認識。

 彼が世界を救った事実を知る(あるいは知っていた)人間は殆どいない。すなわちそれは、英霊の座もまた彼を英雄とは見做さないということだ。

 

「断言するぜぇ。百万回ぶん回してもテメーのセンパイなんざ出ねぇよ! 分かったらサッサとその辺でテキトーに死んで腐ってろッ!」

「……」

 

 「ふぅ」と艶めかしい息を吐いた後、マシュはやっと、ゆっくり顔を上げた。

 

 突然、マルコが「ぴぇっ」と驚嘆して飛び上がった。承太郎やティーダも……テルミさえも――マシュのその表情を見ては、畏怖に後退った。

 

 

 ――血。

 

 マシュの瞳から、涙のようにさめざめと溢れる血。ルビーのように紅く煌めく血がマシュの白く美しい肌を伝い、床に血溜まりを作っていた。

 

 さながらゴースト・ホラーなみてくれではあるが、四人が震えたのはマシュのその深い瞳。全ての痛み、罪、業を喰らい尽くしたかのような、光を飲み込む色。

 それが彼女の愛の裏返しなら、彼女は何だってする。何であろうと覚悟している。たとえ自身の命が虫ケラのように踏み潰されようと、爪先から眼球まで擦り刻まれようとも、無限の業火で焼かれようと……何の迷いもなく全てを受け入れる。

 そんな恐ろしい精神が他にあろうか。

 

「ご教示、ありがとうございます。全て知っている情報でしたので、特に参考にはなりませんでした」

「……あァ?」

 

 役立たずと言わんばかりの憮然としたマシュの態度に、テルミはつい凄んで返してはみたものの、精神的に押されているのを感じていた。

 

 テルミは、マシュにはまだ秘められた何かがあると踏んでいた。

 その予想は……マシュは、一応の同盟であるはずのアリサを殺そうとしていたのでは? という疑念から来ていた。

 彼女に単独でティーダを救助させたり、既に場所が露見した基地に独りだけ置き去りにしたり。

 

 しかしその根拠はあまりに不確定で、検証数が不足していた故に思考を後回しにしていた。それが恐らく重大だと感じながら。

 

「ところで皆さん」

 

 と、マシュが唐突にとびきりの笑顔で四人を見回す。年頃の青少年なら一撃で惚れ落とされるほど可愛らしく、朗らかで……まるで天使のような笑顔だ。が、その瞳の色、流れる血の涙を見ては、全てが反転して見えるーーつまりは悪魔のような――

 

 それを見た四人は確信した。

 

 マシュ・キリエライト。

 こいつはすでに壊れている、と。

 

「先ほどご説明しました通り、先輩は世界を救った英雄なのです。先輩が居なければ、人の歴史は終わっていたでしょう。皆さんが召喚されることもありませんでした。

そこで、折り入ってお願いなのですが……皆さんには先輩が生き返るよう協力をして欲しいのです。

つまり、その……皆さんには、死んで頂きたいのです」

 

 マシュは、サーヴァントを魔力リソースとして回収し、それを使って再び聖杯戦争を始めるつもりなのだ。そしてまた現れたサーヴァントを殺し、再び聖杯戦争を……無限に繰り返すつもり。

 

「……勝手に召喚して、ハズレ引いたから死ねって……ばっかじゃねーの」

 

 ティーダがそう言うと、マシュは少し困った顔で承太郎に視線をやる。が、当然ながら彼もその願いに応えない。四人は各々の敵意をもってマシュを睨んでいる。

 

「……そうですか。では、仕方ありません」

 

 マシュは自暴自棄になったりする人間ではない。今やサーヴァントたちにとって唯一の敵とも言えるマシュが、四基のサーヴァントに囲まれているこの状況で戦線離脱しないのはーー勝てる算段があるということ。

 

 それにいち早く気がついた承太郎は即座にスタンドを顕現させ、それを最初から考慮していたテルミは――

 

「死ぬのはテメーの方だぜクソビ○チ!」

 

 右腕を掲げる。すると、マシュの頭上の天井が黒緑の光を放ち、ピシリと大きなひびを作る。

 

「!」

 

 既に老朽化していた天井は、テルミが炸裂させた魔力によっていとも容易く崩れ落ちた。そしてマシュを呑み込むように降りかかる“聖杯の泥”。サーヴァントの核を変質させ、消滅させる力を持った悪意の塊だ。

 テルミはこれを上階に溜め置いていたのだ。教室内の天井に蜘蛛の巣のように魔力網を張り、任意の場所を爆破することで防御不能のサーヴァント特攻、聖杯の泥を浴びせかける罠だ。

 

 マシュは咄嗟に盾を拾い上げて傘のように頭部をガードしたが、波のように押し寄せる泥を堰き止めるのは無理だ。あっという間に泥に押しつぶされてしまう。

 

 触れるだけでも無事では済まない泥の波に、他の三人は慌てて避難した。

 

「こーゆーことやるんだったら先に言っとけって!」

「ケケケ。テメーもついでに喰われりゃ静かになったんだが」

 

 ――いくつかの調査不足と当たってしまった予想が、テルミを死路へ導いた。もっとも、彼には既に魔力は殆ど残されていなかったからして、詰んでいたともいえよう。端的に言うと、マシュは聖杯の泥が効かない体質であった。

 

「なッ……」

 

 はけていく泥の中に悠然と立つ少女。聖杯の泥は、水が油をはじくようにするりと彼女の体を滑り落ちていくだけだ。

 

「聖杯の泥……ですか。あははっ。テルミさん、貴方が敵で本当によかったです」

 

 マシュは髪や胸に付着した粘液を拭って払う。まるでシャワーを浴びたあとに水を落とすように。

 必滅と思われた聖杯の泥は、マシュの霊核破壊はおろか傷一つ付けていない有様だ。

 

「貴方が私の仲間ならすぐに気がついていたでしょうね」

 

 そう言い、マシュは籠手を乱暴に脱ぎ、ひょいと投げ捨てた。

 

「!!」

 

 そして彼女の手の甲に刻まれた光る三画の紋様を見た時……承太郎、ティーダ、マルコの三人は凍りついた。歴戦の強者である三人が、紋様たった一つを見ただけで、蛇に睨まれた蛙のように身動き一つ取れないでいた。

 本能が、アレには抗えないと叫んでいた。戦うことも逃げることもできはしない。そう魂に刻みこまれているように――

 

「ジョータローォォッ! あいつを止めろォッ!」

 

 テルミの叫び声で承太郎はハッと我に返る。慌ててマシュを止めに走ろうとするが、彼女は泥の海によって守られている。それが承太郎の行動を一手遅らせた。

 

「承太郎さん、ティーダさん、マルコさん。

令呪をもって命じます。

――自害してください」

 

 

 




次回更新は明日の13時です。


藤丸立香ピックアップガチャなら天井まで回せば出るのでは?


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第十六節. お前のような病人がいるか!!

「……どォなってんだよ……どォなってんだよォッ!」

 

 テルミは三つの死体を眼前に叫んだ。

 

 この冬木聖杯戦争は土地に召喚されたサーヴァントで行われていたが、だからといってマスターが存在してはいけない訳でもない。

 

 あと数日……否、一日でも猶予があったなら、テルミはこの事実に気が付いていただろう。そして、なまじマシュの秘密を半端に知ってしまったばかりに石橋を叩き過ぎ、策士は策に溺れた。

 

 マシュは慄くテルミに素早く距離を詰め、大盾を振るう。既に魔力が尽きたテルミはなす術もなく、盾のエッジに切り裂かれた。

 

「……ク、ソッ! この、オレ様……が……」

 

 断末魔さえ許さず、マシュの第二撃がテルミの霊核を的確に砕いた。彼とて所詮はサーヴァント。霊核へのダメージは死を意味する。

 

 マシュにとっても最大の難敵だったであろう大魔術師はこれにて聖杯戦争を退いた。

 

 マシュはテルミが消えゆくのをゆっくり確認したのち、嗚咽を漏らしながら頭を抱えた。

 

「ぁあ……う、ぅっ……ごめんなさい、ごめんなさい……」

 

 マシュはうわ言のようにぶつぶつ呟きながら、重い足取りで聖杯に向かって歩く。

 

 汚染された聖杯は生贄の魂で満ちている。マシュはそれに手を伸ばした。

 願いは一つ、新たに聖杯戦争を始めること。

 

 聖杯がそれを悪意として受け入れたのは、ひとえに“無意味”だからであった。誰の望みも叶うことはなく、徒に殺し合いが行われる。それが今の聖杯戦争であり、そうであるから聖杯への望みとして成立していた。

 

 再び苦悶の聖杯戦争をと聖杯に祈るマシュの手は、しかし聖杯に触れる前にピタリと止まった。

 

「そ、そんな……」

 

 ただただ唖然と目を丸めるマシュの視線の先には、足元が覚束ないながらもゆっくりと立ち上がる承太郎の姿があった。

 

 令呪によるギアスはサーヴァントにとって絶対だ。たとえ心臓が二つあろうとも助かるはずはないのだ。マシュが絶句するのも無理はない。己の目を疑うマシュも、そのあり得ないはずの光景を何度か見直したあと、気怠げに口を開いた。

 

「……後学のために訊いておきたいのですが。一体何をしたのですか?」

 

 そう問うマシュに、承太郎は口から垂れる血を拭きながら答える。

 

「全く分からんな。だが……“何をした”だと? そいつはこっちの台詞だぜ」

 

 彼の学ランの胸部は血に染まっている。自身のスタンドであるスタープラチナに胸を貫かれたのだ。否、そうなる寸前で攻撃が止まったからして彼は存命なのだが……いずれにしても、自身のスタンドに攻撃されたわけだから、承太郎の方がマシュよりもよっぽど面食らったことだろう。

 

 承太郎は分からないと答えつつも、ちゃっかりマシュの左手の甲に視線をやるもので、マシュは咄嗟に左手を隠してしまう。が、その動作があまりにも露骨であることを自覚したマシュは溜息をついた。

 

「そうですか、なるほど。やはり令呪のことは知りませんよね。とすると……」

 

 マシュは少しの間だけ遠くへ視線をやったかと思うと、すぐに承太郎に目を戻す。そして、彼女の武器である大盾を持ち直した。

 

「ふぅ……仕方ありません。

承太郎さん、始めましょうか」

「……」

 

 マシュの目的は聖杯戦争に勝つことであり、彼女の言う“始める”というのは勿論“殺し合い”のことだ。

 承太郎はつい苦い表情を作ってしまう。それを見たマシュは不思議そうに首を捻った。

 

「既にご存知かとは思いますが。もう令呪の力は使えませんよ。あれは三度限定です」

 

 承太郎のことだ。制限回数の話はともかく、令呪が打ち止めなのは看破しているだろう。むしろその力を使い切った今こそマシュを討つチャンスに見えるはず。なのに、承太郎が攻勢に出ないのは如何なる故か、マシュは考えあぐねた。

 

「サーヴァントは既に少なくとも六人は死んでいるはずだ。ティーダ、マルコ、テルミ、仮面、マコト……そしてディオ。

テルミの予想でしかないが……もう、願いは叶えられるんじゃあないのか? おれは邪魔をするつもりはないぜ」

 

 マシュは唐突に、まるで自分の顔をはたくようにして手で押さえた。表情を隠す彼女の指の隙間から、パタパタと血が流れ落ちる。

 

「うっ……あ、ぁ。し、失礼しました」

 

 承太郎には、マシュが再び血の涙を流しているのが見えていた。

 

「わ、私、が……私が……憎く、ないのですか?」

「……それは」

 

 恨みがないわけない。騙され、欺かれ、この上なく卑怯な方法で殺されかけたのだ。承太郎はやられたらやり返すタチである。

 しかし、怒りはなかった。

 最も苦しんでいるのは彼女自身であることが分かっていたから。

 

 承太郎は口をつぐんだが、沈黙が答えになっていた。

 

「ふ、ふふ。そう、ですか。承太郎さん、貴方は……私を虐めるのですね」

 

 マシュは笑った。痛みも喜びも同時に内包した、歪な表情で。被虐嗜好にも似たそれは、承太郎には理解し難い感情であった。

 

「ああ。ああ。もっと、もっと、私を、なじって」

「おれは……」

 

 承太郎の台詞に被せるように、マシュが声を上げて笑う。

 

「私を、殴って! 蹴って! 犯して! 殺して!」

「……!

マシュ……お前は、まさか……」

 

 承太郎は、それでもマシュを心の底から理解できたわけではない。彼女の心の深淵を理解するのは常人には無理だろう。が、ともあれ一つの推測には行き着いた。

 

 きっと、彼女は己に対する罰を求めている。

 それも、世界で一番重い罰を。

 

 マスターを護れなかった罪なのか。

 あるいは、邪悪なる聖杯に生贄を差し出す咎なのか。

 

「信じて下さいとは言いません。私も、貴方と戦いたくないのです」

 

 彼女にとって最悪の罰。死よりも耐え難い苦痛。

 

 それは彼女自身が仲間を騙し、裏切り、殺すこと。

 それが彼女の“歪んだ欲望”。

 

 それこそが。

 

「だから……戦います」

 

 サーヴァント・アルターエゴ

 ――マシュ・キリエライト・オルタ。

 

 

 




次回更新は明日の13時予定です。


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第十六節. お前のような病人がいるか!!-2

 マシュの攻撃は全弾が相打ち覚悟、捨身のフルスロットルだ。もはや大盾は守備する役目を果たさないが、その重量から繰り出されるパワーは拳や剣の比ではない。

 本来の性質(アイデンティティ)を捨て去り力とするその様は、今のマシュを強く表しているかのよう。

 

 そして、本当の自分(アイデンティティ)を奪われた承太郎も本来の彼ではなかった。マシュの猛攻を辛うじて防御するスタープラチナは、風が吹けばひらり霧散してしまいそうなほど薄い。承太郎の精神の疲弊を如実に反映しているのだ。

 それでも彼が承太郎なら何とでもしようが……彼にはマシュを討つイメージが全く湧かなかった。もっというなら、攻撃することすら躊躇いを覚えているのだ。

 

 捨身vs防戦一方の構造は、ものの数分で決着となった。

 幾度かの攻防で壁際に追いやられ、逃げ場を失った承太郎に対し、マシュが盾を大きく振りかぶって突進する。

 

「承太郎さん、これで……消えてくださいっ!」

「……!」

 

 思えば承太郎にとってマシュは、己より精神力が勝る初めての敵だった。

 

 スタープラチナは数あるスタンドのなかでもトップクラスの戦闘能力を持つ。そしてそれは、本体である空条承太郎の精神の強さを表していた。幾度も凶悪な敵と相対して来たが、これまで承太郎は自身が精神面で負けていたと思ったことは一度もない。

 

 だからこそ、承太郎は戦いが始まる前から敗北を認めてしまっていた。

 

 愛も憎悪も、希望も絶望も、全てのベクトルが戦いを向いている。弱さまでも力に変えた敵、それが彼女……マシュ・キリエライト。承太郎には、彼女の心の闇は無限にも思えた。それは即ち、無限に強さを持つ敵に他ならない。

 

 一方で承太郎は、戦いに勝つことで一体何が得られるというのか。

 母を病から救う旅は根底から覆り、自らの存在は空虚。戦いはおろか、生きる目的さえもどう定義すべきか思い悩むような状況。如何な巨悪にも屈さぬと自負した精神力はもはや形無しだ。

 

 いつも心の強さが雌雄を決した。そんな彼にとって此度のそれは……戦闘とすら言えはしない。

 

 周囲は聖杯の泥で溢れ、承太郎は令呪により胸に大きなダメージを負っている。しかしそういった言い訳がなくとも、彼に軍配が上がることはなかったであろう。

 

「……やれやれだせ」

 

 承太郎は諦念に呟いた。

 頼りない光を放つスタープラチナが承太郎を守護するが、それも命を一秒でも長く繋げるための惰性にすぎない。屠殺される家畜が身を捩るような、無意味な抵抗だ。

 

 悲痛な表情のマシュは、しかしありったけの力で最後の一撃を放つ。そして遂に、マシュの大盾が承太郎の霊核を圧し潰した。

 

 ……と、そう思えた。

 

 確かにマシュは、承太郎に向かって大盾を振り下ろしたはずだった。だが、その攻撃は承太郎を避けるように彼の眼前でゆらりとカーブを描いて教室の壁に激突しただけだった。

 

 マシュの渾身の打撃は盛大な空振りに終わったのだ。

 

「!?」

 

 もちろん、承太郎に攻撃を防ぐ手立てなどある筈もないし、マシュが攻撃をミスする理由もない。一体何が起こったのか、と承太郎もマシュも同じように目を見開いた。

 

 二人が見たのは、巻き上がる土埃の中に立つ、大柄ながらもどこか儚さを漂わせる男。

 

「あ、あんたは……」

 

 承太郎が思い出すより先に、マシュがその名を呼んだ。

 

「……トキさん」

 

 


 

 

 

「今更、何をしにきたのですか?」

 

 マシュが不満そうに言うと、トキはいつもの柔らかい声色で、

 

「もちろん、貴女を救いに」

 

 と、戯言を口にするもので、マシュは益々不満げだ。救うも何も、たった今承太郎へのトドメを邪魔されたばかりなのだ。

 マシュはトキを睨みつけた。

 

「だったら……ぼぉっとつっ立ってないでそこに居る承太郎さんを殺してください。あと貴方も死んでください」

「それでは貴女を救えない」

 

 即答するトキに、マシュもそれを聞くや否や、即座に地を蹴り攻撃に出た。素早いショートモーションで盾を水平に振り抜くのは、トキの柔拳を相手にして大仰な打撃ほど効果がないということを知っているからだ。概ねその理解は正しいのだが、マシュの練度ではその程度の工夫は焼石に水、否、暖簾に腕押し。マシュの攻撃はトキの掌に触れると、穏やかな川のように自然に後方へと流れた。

 

「っ!」

 

 承太郎の超高速の拳や、テルミの魔術でさえもトキを捉えることはできなかった。いわんやマシュの打撃など。その点においてはマシュも折り込み済みであったが、

 

「貴方は……私が令呪を使い切ったから現れたのでしょう!? あるいは、貴方への令呪の力が弱まるのを待っていた!」

 

 攻撃が意味をなさないフラストレーションなのか、トキを批難するように指摘する。マシュを救いに来たというのは詭弁であると。

 

「ふむ。それも事実」

 

 トキはそれもヒラリと流した。

 令呪の強制力は時間が経てば弱まり、命令内容が曖昧なほど解釈余地を残す。シナリオはトキの思惑通りに展開された。

 

「しかし、貴女を救いたいという願いも偽りではない」

「貴方は……貴方はっ……!」

 

 マシュは聞かずしてトキの胸中を察していた。それを言わせまいと再び突撃するが、怒りや焦りに心を乱した攻撃などトキには無意味だ。子猫を撫でるような手先でいともたやすく、力の籠った攻撃は逸らされてしまう。

 

「貴女の夢はオアシスの蜃気楼、追えば逃げる影。その想いが叶うことはない」

 

 マシュを救う――トキの宣言は、彼女を地獄から救うということ。聖杯戦争を終わらせるということなのだ。

 

「言うなぁぁぁあああああっ!!」

 

 理解はしている。ただ、それを受け入れられるかどうかは別だ。

 

 マシュの三度目の攻撃は絶叫とともに放たれた。彼女の感情を示すかのような全力の打撃。最短距離を疾走り、力任せに殴るだけの直球過ぎるそれは、トキでなくとも躱すのは簡単であろう。

 

 しかし同時に、光の壁が現れてトキを閉じ込めた。これはマシュの防御結界。元々は敵の攻撃を防ぐものだが、敵の逃げ場を奪うのにも使うことができる。

 無駄に思えたマシュの二度の攻撃は、トキの周囲にこれを仕込むための囮だったのだ。

 

「……」

 

 トキはマシュが涙を流しているのを見た。血の涙……ではない。透き通った透明の涙は、すぐに血に混じって見えなくなるが、トキにははっきりとそれが分かった。

 

「その血は罰、涙は愛か……

ならば、マシュ・キリエライト! 貴女に罪は必要ない――」

 

 トキは柔拳の構えを解いた。生まれたばかりの赤ん坊のように脱力し、マシュの暴力を受け入れる。しかし闘気すらも鎮めたそれは降伏ではない。

 

 そう。これこそ無より転じて生を拾う、北斗神拳究極奥義。

 

「!?」

 

 今度こそ、マシュは驚愕した。攻撃が当たりもしなかった先ほどとは違う。当たったにも関わらず、手応えが全くないのだ。

 柔の拳が暖簾なら、これはまるで煙を腕で押した感覚しかない。

 

「無双転生。わたしが貴女の哀しみを背負おう」

 

 すれ違いざまに受けたトキの拳が、的確にサーヴァントの秘孔を突いた。トキをすり抜けたマシュは、敵に背中を向けた姿勢のまま、かくんと膝を床につき、ゆっくりと倒れる。

 

「あ……ぁ……」

「マシュ。誰よりも愛深き故に……」

 

 トキはぱしんと音を立てて両手の掌を合わせた。戦闘終了の儀だ。事実、マシュは伏したまま微動だにしない。そしてついに、彼女の武器でも防具でもある大きな盾も、光となって消え失せた。

 

 決着は付いた。

 

 トキとマシュの闘いも。

 マシュの孤独な戦いも。

 嘘で塗り固められた聖杯戦争も。

 

 

 

 




次回更新は明日の13時予定です。


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第十七節. さあ、飛ぶわよ!

「終わった、のか」

 

 承太郎は座り込んだまま、やるせない表情で呟いた。トキは力強く頷いたが、承太郎はそれにも然したる興味も無さそうだ。

 

 承太郎が何気なくマシュに視線を向けると、聞かれてもいないのにトキが話し始める。

 

「安心するがいい。まだ秘孔を突き切ってはいない」

 

 マシュがまだ死んでいないということは、サーヴァントの消滅が起こらないことから承太郎も予想していた。

 

「そいつは死んだって諦めるような奴じゃあねーんだ。目を覚ましたらまた聖杯戦争を始めるだろうぜ」

「彼女の記憶を封印した。もう二度と地獄を繰り返さぬように、殆どの記憶を」

「……色々と器用なジジイだぜ」

「……?」

「あんたなんだろ? おれに掛けられた令呪ってやつの能力を防いだのは」

「うむ、そのことか」

 

 承太郎がマシュのギアスを逃れたのは、トキの秘孔のおかげだ。承太郎が自身の死を確信した時、その恐怖心に反応して一時的に仮死状態になるよう仕込んでいた。ちょうどこの場所で初めて出会ったあのときのことだ。

 

「ゆるせ。お前が事実を知っては効果もなかった」

 

 マシュの命令は自害することだったが、少なくとも承太郎自身がそれを実行したつもりになっていなければいけないというわけだ。

 

「勝手に駒につかいやがって」

 

 結果的に生き延びられたとはいえ、トキはマシュに令呪を無駄撃ちさせるために承太郎を利用しただけに過ぎないのだから、承太郎も不機嫌そうだ。どうやら怒る気力まではないようだが。

 

「勝手ついでですまないが、一つ頼まれてくれぬか」

「話だけ聞いてやる」

「彼女の意識が戻ったなら、そばにいてあげてほしい」

「……」

 

 トキが奪ったマシュの記憶は、彼女のマスターとの思い出、そしてここでの聖杯戦争の歴史だ。となると、それはマシュという人格において大部分を消してしまったことになる。

 

「だらしないようで悪いが、ちっとばかり疲れたぜ。あんたがそうしてやりな」

「それはできない」

 

 キッパリと断言するトキに、承太郎は顔を上げて彼の顔を見た。虚な瞳、口からは血が垂れていて、立っているのがやっと、というふうに姿勢を崩している。承太郎はトキがもう長くはないのだと悟った。

 

「無理が祟ったか。わたしを縛っていた令呪の強制力を少しでも削ぐためには、これしかなかった」

 

 刹活孔。霊基を激しく損耗する代わりに、一時的に令呪に対抗する秘孔を自身に突いていた。

 

「タチが悪すぎるぜ、あんた」

 

 トキは優しく笑い、膝を折った。同時に、淡い光が彼の身体を包み始める。サーヴァントの退去……即ち、死。もともと病を患った状態で召喚されたトキの霊基は、とうに限界を迎えていた。

 

「さらばだ、承太郎」

 

 承太郎は無意識に、学ランのポケットから手を抜き、水中でも脱がなかった帽子を脱いでいた。知らずして、承太郎はトキの生き様に尊敬の念を抱いていたからだ。

 承太郎は、トキだった霊子の最後の一粒が消え失せるまで、目を離さずに見送った。

 

「……じゃあな」

 

 

 


 

 

 

 承太郎はトキ亡き後、ほんの一、ニ分休んでから立ち上がった。

 

「さて、どうしたものか」

 

 帽子を被り直して、マシュを見やる。

 

 “そばに居てあげてほしい”との遺言を無碍にするつもりもないのだが、承太郎は、あやす、なだめる、いたわるなど最も不得意とするところだ。何なら、彼自身も精神的、肉体的にも参っていた。

 

 とにかく、いつ目を覚ますやら分からない無防備なマシュを安全な場所まで運ばないといけない。承太郎はマシュを連れて基地に戻ろうと考えた。

 

 その前にもう一つ悩みのタネは、

 

「テルミに聞いておけばよかったぜ」

 

 聖杯をどうすべきかということ。

 

 トキの秘孔の力を疑うわけでもないが、それでもマシュが何らかのキッカケで記憶を取り戻さないとも限らないし、元の世界に戻れないと分かった以上、これは無用の長物だ。

 しかし聖杯は壊せるものなのか、壊したらどうなるのかもよく分かってはいない。

 

 承太郎は敢えて見ないようにしていた聖杯を睨みつける。聖杯に対する彼の印象は初見から今もずっと変わらない。人の邪悪、煩悩、怨念を混ぜ固めたような悍ましい“何か”。触れるも躊躇われる欲望の黄金。

 それはまるで生きているかのように悪魔の囁きを垂れ流し、誘惑する。決して叶わぬ夢と無限の贖罪でマシュを陥れた、聖杯戦争の黒幕。

 

 可能かどうかはさておき、まずは破壊を試みるべきであろう。

 そう結論付け、承太郎は聖杯へ向かい一歩踏み出した。

 

「!」

 

 ぐんと空気が重くなったのを感じる。

 

 これは敵意に対する聖杯の威圧なのか。承太郎だけでなくサーヴァントは皆、聖杯に生き物のような鼓動を感じていたからして、そういった生物的反応も不思議には思わなかった。

 

 しかし承太郎は次の一歩を踏み出す前に直感した。これは聖杯の威嚇などではない。むしろ逆……愉悦、歓喜。水を得た魚のような、待ち焦がれたものが成就したような、鬨の声。

 

 何かが――来る。

 

 

 承太郎は踵を返してマシュの方へと跳んだ。一刻も早く、ここを離れるべきだと気が付いたのだ。

 

「……こいつは……まさかッ!?」

 

 一手、遅かった。

 承太郎は自身の動きが鈍くなっていくのを感じていた。否、動きが鈍いのではない――全く動けないのだ。

 

「フフフ……やはりな……承太郎」

「……てめー……ディオ」

 

 承太郎は背後から投げかけられる声にも振り向くことはできなかった。時が止まっているのだ。彼のスタープラチナもまた力を解放すれば静止した時の中を動くことはできる。

 ただしそれはほんの一瞬だけであり、死角を取られているこの状況下を打開できるものではない。

 そう、完全なる敗北の絵面であった。

 

「フハハハハハッ!

 ついにッ! この時が来たのだッ!」

 

 しかし、すぐに首を刈りにくるだろうという承太郎の予想に反して、ディオは跳躍して承太郎の頭上を通過した。

 

「……!?」

「もはや貴様など取るに足りんッ! 承太郎!」

 

 跳んだ先にあるのは、トキとの闘いに敗れ、気を失っているマシュだ。

 

「罪人の魂……そして聖杯がッ!

このディオを天国へと導くのだァーーッ!」

 

 血飛沫が舞った。

 

「なッ!?」

 

 ディオがその手に持つはマシュの心臓。彼女の体から引き摺り出した霊核だ。それを躊躇いなく、グシャリと握りつぶした。ディオは血のシャワーを受け、満足げに笑った。

 それを見た承太郎は怒りに任せてディオに突進する。

 

「おおおおおおおおおッ!」

 

 その昂りが彼の力となり、限界を超えて力を引き出した。

 

「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラッ!」

「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄ッ!」

 

 時の止まった中での、さらにその一瞬で千の拳が飛び交う。押し寄せる波のような連打が衝突したのち、ディオは数歩後ずさりした。

 ラッシュ争いを制したのは承太郎だ。スタープラチナはザ・ワールドの打撃の合間を縫って、たった一発だけではあるが、ディオの右肩へと拳打を当てていた。ただし、超再生能力を持つディオにとってはダメージとはなり得ない。

 ディオは不敵な笑みを絶やさず、承太郎を睥睨した。

 

「どうにも多いな……憤怒を力にする原始的な人間が」

「……」

 

 スタンドは精神力の顕現であるから、つまり承太郎の怒りがそのままスタンドパワーとなる。しかし得てして、怒りは戦況を好転させはしないもの。実際、承太郎は既に時の中を動ける猶予時間を使い切ってしまっていた。

 

「足りないんじゃあないかァ〜〜怒りが。 ンン~~? 承太郎、好きなだけ怒るがいい」

 

 承太郎は割れんばかりに奥歯を噛み、額に青筋を浮かべてディオを睨んだ。が、彼自身も何に怒りを覚えているのか理解していなかった。何が彼を突き動かしたのか、その正体も。

 

「おっと、すでに十秒経過……フフフ。いいや、もうこの世界の時が再び流れることはない」

「……!?」

 

 ディオのその宣告通り、時間停止から十数秒経った今でも、時は死んでしまったかのように鼓動をやめていた。

 奇妙なことに……聖杯と聖杯の泥は止まった時の中で波打ち、騒いでいる。それらはまるでディオを勝者として祝福しているようでもあった。

 

 ふと気がつくと、マシュも微かながら動いている。“動く”といっても既に瀕死のマシュは朧げな瞳で天を仰ぎ、震える手を天に伸ばしているだけだ。死にゆく間際に想い人の幻をみたのだろうか。

 

「せん、ぱい……ご、めんなさ……い……」

 

 何故だろうか、小さくともハッキリとその声を聞いた。その直後、ディオは――無意味に無情にマシュの胸を引き裂いた。

 

「フハハハハハハッ! 搾りカスだッ!」

 

 ただ勝利を誇示するだけの遊びでしかない行為をさらに続け、マシュの脚を、腕を、顔を掻き混ぜるように砕く。千切れたマシュの五体が無惨にばら撒かれた。

 

「ディオォォォォオッ!」

 

 承太郎はディオに向かって再び走った。彼自身も静止時間の中をこれ以上動けるとは思っていなかったが、とにかく走った。ディオもまた承太郎がまだ動けることは意外だったのか、承太郎を一瞥するが、その表情はすぐに嘲笑に変わった。

 

「オラァ!」

 

 スタープラチナの剛拳がディオに当たる刹那――突然、ディオが眩いばかりの光を放つ。

 

「!?」

 

 強い光に視界を奪われた承太郎は拳を振り抜くが、手応えはない。さらにディオの放つ光は秒ごとに強くなっていく。

 

 やがて光が辺りを白く塗りつぶし、全てを呑み込んでゆく。

 

「そして時は来た……グッバイ、ジョジョ(・・・・)

 

 

 




次回更新は明日13時予定です。

ちなみにタイトルはシャドウバースのカード「次元の超越」のボイスです。


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第十七節. さあ、飛ぶわよ!-2

 ……何もない。

 此処には、何もない。

 

 承太郎は音も光もない、空気すら無い仮初の領域に、シャボン玉のようにフワフワと浮いていた。

 

 ここはどこなのか。

 

 承太郎には分かっていた。彼自身の存在が揺らいでいるという事実がその疑問に答えていたからだ。

 

 ここは可能性の海の中。

 あるいは、運命を作る、因果という名の素材の山。

 

 ディオが聖杯を使ってやってのけたことは“因果切断”。全ての因果を分解し、構築し直す運命再編。今の承太郎は、そのディオが継ぎ接ぎする歴史のパーツとしてここにあるだけに過ぎない。

 

 承太郎はほとほと呆れた。

 

 よくも、そんな大それたことをやるものだ、と。

 

 ディオは、世界の理を規定する支配者(ルーラー)になろうというのだ。

 

「……」

 

 運命が流れてゆくのを感じていた。世界としてあるべきものが渦を作り、廻る星のように軌跡を描き、それらがやがて一定の形を成していくのだ。

 

 彼、承太郎はその輪の中には居ない。

 

 運命を引き寄せるモノが重力という名なら、空条承太郎は第二宇宙速度で投げ出されたロケット。

 

 遠く、遠く、遠く。

 

 彼方のソラへ、観測不可能な虚空に消えてゆく塵。

 

 未来永劫、誰にも認められることのない、涅槃寂静の可能性。

 

 そしてディオはその重力そのものだ。都合の良い事実を、歴史を、法則を集めて己が望む人理を定義する神。

 

 承太郎はこれ以上考えることをやめようと目を瞑った。

 ディオの世界などに興味はない。ディオそのものにも興味ない……

 確かに敗けるのは悔しいと思う。しかしこうなっては反撃の手立てなどあろうはずもない。存在すらし得ない彼が、今や神に等しい存在となったディオに一体何ができるというのか。

 

「まあ、何でもいいぜ」

 

 つい、承太郎は口に出してしまう。

 そう、奴には何の興味もないのだと。

 

 承太郎はそう後付けで定義された存在であって、彼自身が思う空条承太郎ではない。記憶も、身体も、そして信念も。

 

 ディオは宿命の敵か?

 

 違う。

 

 奴もまた承太郎の思う敵ではない。母ホリィの病の元凶でもない。先祖の体を奪った怨敵でもない。友や祖父を殺害した仇でもない。

 

 “お互いの距離が何となく分かってしまう”という、承太郎とディオの二人だけの性質はとっくに消え失せていた。それは、互いに因縁はもうないと認めてしまったからだ。

 

 全ては終わった。

 負けも認めた。

 

 さあ、あとは眠るだけだ。

 

 承太郎は、しかし。

 瞼の裏に焼き付いている不快な映像に目を開いてしまう。

 

「……」

 

 何度目を閉じても、目を擦っても。

 

 彼の魂がそれを忘れることを拒否している。

 

 

 マシュ・キリエライト。

 最愛の人のために無限の地獄を背負った少女の、死と、そしてそれを弄ぶ――悪の姿。

 

 否、ディオは既に悪ではない。奴こそがこの世界の法であり、善悪の基準も奴が作る立場にある。だから、ディオが行った如何なる暴虐も正当なる行いになるのだ。誰も神を裁くことは出来ない。

 

 だが、それでも……

 

 それでも……

 

 それでも、(ゆる)せないのだ。

 

 彼女の想いを利用し、踏み付けゴミのように投げ捨てた罪を、空条承太郎という魂は赦すことができないのだ。

 

 正義など不要。法など無用。ただ、この魂の焔を冷ましたいだけ。

 

 これは――復讐だ。

 

 神は誰にも裁かれない。だから、

 

「ディオ・ブランドー……やはりてめーは……おれが裁く」

 

 承太郎がそう呟くと、ピコンとポケットから電子音が鳴る。承太郎は学ランのポケットに入れたまま忘れていたそれを取り出した。

 

 スマートフォンだ。

 

 ライダーのサーヴァント・マコトとの戦いのあとに残ったスマートフォンは、そのまま機械音声で喋り始める。

 

「検索ニ ヒット シマシタ」

「マコトの世界は近未来かSFか。

ま、せっかくだ。手伝ってもらうぜ。確か、名前の他に“世界をどう思っているか”の情報が要るんだったな」

 

 奇しくもそれはマシュと真逆の――

 

「そいつは……“天国”」

 

 

 


 

 

 

「きさま……何故だ」

 

 ディオは叫んだ。

 

「何故ここにいるのだッ!? 承太郎ッ!」

 

 承太郎を睨むその目に、ありありと焦燥と怒りが見て取れる。

 

「意外だったか? おれはけっこうネにもつタイプでな」

「……何故ここに居るのかと聞いているのだッ!」

 

 ディオにとっては承太郎との間に因縁はない。故にあってはならぬことだ。ディオだけの世界――因果の渦の中心に、斯様な異物が紛れることは。

 

「既に答えたハズだぜ」

「……!」

 

 ここには地面などないが、承太郎はヒョイと跳んでディオの眼前に立った。

 

「何をしに来たのか、それも言う必要はあるか?」

 

 承太郎のスタープラチナとディオのザ・ワールドの射程はほぼ同じ。そしてこの次元には時間という概念が存在しない。即ち互いに時間停止能力は役に立たず、あとは二人の純粋なスタンド・パワーの勝負となるのみだ。

 

「……いいだろう、承太郎。これにて私のザ・ワールドも見納めとなる。この最終ラウンドで貴様を葬り、お前の死をもってこのディオが神となる祝杯としよう」

「杯なんざロクなモンじゃあねーな。もっとも……ディオ、泥の方はお似合いだったぜ」

 

 ディオは頬を吊り上げ、怒りを存分に示してみせた。対する承太郎は、彼の激情的な性格に反して静かな表情で敵を見据えた。

 

 瞬きもせずに対峙する二人は、各々の魂のボルテージが最高潮に達した瞬間、攻撃に出た。それは図らずも同時。

 

「ザ・ワールドッ!」

「スタープラチナッ!」

「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄!」

「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラ!」

 

 スタープラチナの拳がザ・ワールドの拳を打ち砕いた。千であれ万であれ、その悉くの差し合いは承太郎が上回った。

 

「ヌゥゥッ!?」

 

 ディオの両手の拳から鮮血が飛び散る。ディオは半歩後退しつつも蹴りを放った。

 

「死ねィッ! 承太郎ッ!」

 

 承太郎本体の首を狙った一撃。光をも置き去りにするような速い上段蹴りだ。並のサーヴァントであれば予備動作すら認識できないであろう。

 

「オラァッ!」

 

 それをスタープラチナが肘で撃ち落とす。脚をも砕かれたディオは今度こそ大きく後ずさり、膝を折った。

 

 二人の間にこれほどの差があっただろうか?

 否、これは野望と信念の差。イデオロギーの違いが、彼らを隔てたのだ。

 

「バ……馬鹿な、何故貴様ごときが……!

このディオは神だッ! 全ての運命の上に立っているのだッ!

平伏せ、承太郎ッ! 何故貴様ごときが私を見下すのだッ!?」

「違うな、ディオ。運命とは自分自身の手で切り拓くもの。テメーの掌の上にあるものはただの……ジオラマだ」

「……!」

 

 経験が思想を作る。思想が行動を作る。そして行動が作ったものを運命と呼ぶ。

 しかしそれはディオの世界を否定する理屈だ。ディオにとって、他者の運命すら己のモノであり、支配者である彼のために存在するモノなのだ。過程や、方法など――

 

「どうでもよいのだッ!」

 

 ディオがそう叫ぶと同時、ディオの砕かれた膝から血飛沫が舞った。

 

「どうだッ! この血の――

「目潰しだろ?」

 

 しかし承太郎は眼を目掛けて飛散する血をあっさりと手で払う。

 

「――なッ!?」

「だが安心しなディオ。どのみち(・・・・)、こいつはおれには通じなかったようだぜ。因果ってやつが云うには、な」

「何だとォーーーーーーー!?」

 

「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラ……オラァッ!」

 

 ディオの敗因。

 それはたった一つ、シンプルな因果だ。

 つまり……

 

裁定者(てめー)復讐者(おれ)を怒らせた」

 

 

 

 




最終話同時更新です。


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エピローグ.カルデアM.U.G.E.N.の座

 ディオは断罪の拳を受け、次元の狭間に呑まれて潰えた。

 

 今度こそ、全ての戦いは終わったのだ。

 

 

「……」

 

 ディオが切断した因果が、再び在るべき形へと戻っていく。星に刻まれた歴史は、ジグソーパズルのように穴を埋めてゆき、やがて全てが元通りになる。

 

 承太郎は収束していく歴史をただ眺めていた。

 

 星の生命の誕生。

 生物の進化。

 人類の出現。

 文明の興り。

 争いや災害。

 

 学校での授業の内容を思い出して照らし合わせてみた。もちろん、仕立てられただけの記憶であるが、聞いていた内容と相違は意外と少ない。

 承太郎はしばらくそんな風景を楽しんでいた。歴史上のどの場所、どの時間だろうが自由に見ることができる。早送りしたり、一時停止したり、巻き戻したり。ありのままの事実を立体映像で観れるというのだから、その臨場感・迫力には感動すら覚えた。

 

「ディオのやろうには勿体無い景色だぜ」

 

 

 やがて時代は近代に入る。

 

「さて、やってみるか」

 

 成り行きとはいえ運命の中心に居座る承太郎は、ディオがそうしようとしていたように、歴史を改竄することができた。であれば、自分の存在をこの世界に定義することも不可能ではない。いわゆる“転生”というやつだ。

 

 だからといって、それは容易ではない。承太郎の存在を受け入れて世界が成立する証拠を見つけなければいけないのだから。長く長く時間をかければいずれは……と言いたいところだが。

 

 彼には時間がない。

 

 ディオという引力を失った承太郎は、やがて運命の大きな流れから外れて消えゆくのは自明の理であった。

 

 間に合うだろうか?

 

 分の悪い賭け、というより、ほぼ不可能と言って差し支えない。承太郎はそのことも承知であった。溺れるにしても藁を掴む性格ではないが、あっさり消えてしまうのも癪だと思っているだけ。

 生き残る期待などしていなかったのだ。

 

 そうして何気なく世界を俯瞰していると、ふと見知った顔を見かけた。

 

「……マシュ」

 

 承太郎は流れる映像を一時停止し、周囲を見回す。

 

 ここは時間神殿。グランド・オーダーの終着点である。そして歴史の分岐点となる瞬間がいま正に訪れようとしていた。

 

 崩れゆく神殿。

 聖門(でぐち)から必死に手を伸ばすマシュ。

 その先には、ひとりの少年。

 

 マシュに語られた伝説の英雄――つまり彼女の先輩(マスター)は、何とも平凡な少年だった。失礼なことに、承太郎は二度見した。もっとゴツい益荒男を想像していたのだが……実際はむしろ細身。こんなヤワそうなヤツに世界を救えるものかと疑いたくもなってくる。

 しかし承太郎は少年の表情を見て考えを改めた。

 その眼に死への恐怖が色濃く映っていたからだ。恐怖を忘れるのではなく、恐怖を呑み込んでここまで来た。それこそ英雄の証明であった。

 

「いいだろう。とりあえずあんたが救世主ってことにしてやるぜ。だが……」

 

 承太郎は再び状況を確認した。

 

 少年は長い階段を駆け上り、聖門を目指している。そこに辿り着けばレイシフト(ワープ)してここを脱出できる。ところがあと少しのところで足場が崩壊して谷底へ真っ逆さま。

 

 そこへマシュが少年を救わんと手を伸ばしている構図。

 

 正史では少年は助からなかった。マシュの手は届かなかったのだ。

 マシュはそれを悔いて、泣いて、病んで、戦って、死んでも更に悔いた。

 

 しかしながら、承太郎の目から見て、マシュに落ち度があるとは思えなかった。マシュは既に限界まで手を伸ばしていて、これ以上進めば彼女ごと転落していただろう。何なら、現段階で転落してもおかしくはないくらいだ。結局、マシュにできることは信じて待つだけだった。

 

 承太郎は……悩んでいた。

 

 もしこの次元に承太郎が介入すれば、少年を助けることはできる。ただし、その未来を確定させてしまうと、それこそ空条承太郎という人間を受け入れる世界はなくなってしまう。つまり承太郎は生還を諦めねば少年を……否、マシュを助けることはできないのだ。

 

 もとより、承太郎が助かる可能性はかなり低い。とはいえ側から見れば、自分を騙していた女を命にかえて助けることになるわけで、それは承太郎にとって面白くない話だ。

 

 ここにきて、承太郎は一つマシュのセリフを思い出した。

 

「あと、一歩足りなかった……か」

 

 実際はどうだろう。

 あと一歩ぶんの距離でこの手が届くのか、際どいところだ。

 

「あと一歩では、助からないと思う。おれは届かない方に賭けるぜ」

 

 承太郎は、少年の背中をぐいっと押し進めた。ちょうど一歩ぶんの距離だ。

 

「マシュ、あんたが言ったことだ。あと一歩だった……ッてな。だから一歩だけだ。それ以上は譲歩しないぜ」

 

 承太郎がこの時空を離れれば再び運命は動き出す。そのとき、マシュの手が今度こそ少年に届くのであれば、そこには運命を変えるほどの“何か”があるということなのだろう。

 

「じゃあな」

 

 

 そうして、承太郎はこの時空を後にした。

 

 

 振り返りもしなかった。

 

 

 忙しい。そう、彼は忙しいのだ。承太郎が宇宙の中心に居られる時間はもう殆どない。

 

 

 さあ、今度こそ脇目もふらず己が生きる道を探そう。

 

 

 しかし。

 ふと気が付いてしまった。

 

 なぜ承太郎はマシュの運命を見届けなかったのか。

 

 それは、マシュなら必ず運命を越えると、そう確信していたからなのだと。

 

 

「やれやれだぜ」

 

 

 

 


 

 

 

 

 冬木特異点、カルデアM.U.G.E.N.の座

 自然消滅

 

 END

 

 




次回更新未定。ようやく終わりです。

 まず、あんまりいない気もしますが(笑)ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。


 ふと二次創作が書きたくなりまして、どうせだったら二次創作でしかできないことをやろうと書き始めました。それで多数のクロスオーバーというわけでございます。

 ちなみに、タイトルの「M.U.G.E.N.」は格闘ゲームエンジン「M.U.G.E.N.」から来ていて、クロスオーバーで様々なキャラクターが勝手に戦う、ということで名前もここからパクリました。

 ベリアル(グラブル)出せなかったのは心残り……今だとプリテンダーかな?それともパティシエ? またクロスオーバー系書いてみようかな…



さようなら~またどこかで。


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