焚かれし騎士の手記 (匕囗)
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焚かれし騎士の手記
不思議な人に会った。
訊くとその人は北の山奥からやってきたらしい。
とても静かで穏やかで……、すごく悲しそうな目をしていた。
それに何だか…初めて会った気がしない、でも思い出せない。思い出そうとすると、頭の奥で火の粉のような光が舞う。
「無理をしないで」とその人は止めたけれど、どうしても思い出したい、思い出さなければいけない気がした。
だって僕は灯火の守り手で、聖火守指長を継ぐのだから、思い出さないと―――、……?
どうしてこんなことを思うんだろう。
僕は…僕たちは、何を――“誰”を忘れて……?
「ッ……!」
チリ、と紙片が焦げる感覚が走る。視界が頼りなく明滅している。まるで『思い出すな』と言われているようだ。
そう思った瞬間、指先に聖火が灯った。何かに抗おうとするかのように、あるいは誘うように揺れている。
その青い輝きを見ていると少しずつ落ち着いてきて、呼吸も楽になった。
我に返ると、聖火が灯っていた手はいつの間にか優しく包み込まれていて。グローブ越しではあったけれど、伝わってくるささやかな温もりに安心感を覚えた。
意識してゆっくりと息を吐き出せば、心配そうに尋ねられた。
「大丈夫?」
「はい。すみません、驚かせてしまいましたよね」
ほどかれる手を少しだけ惜しく思いながら、「僕もこんなのは初めてで」と笑って返すと、その人は目を伏せて考え込んでしまった。何か、迷っているようにも見える。
声を掛けるのは憚られて、この人が次に何を言うのかを待った。
聖堂の静けさが、厳かな空気が僕たちの間を揺蕩う。
片側に燭台の灯りを浴びながら、大聖火の光を負う姿は一枚の画のようで。でもどこか悲しくて。
いったいこの人に何があったんだろうと思ったその時、彼女が目を開いた。
そして僕をまっすぐに見据え、問うた。
「思い出したい?」
「!」
「無理に思い出そうとすればあなたが壊れるかもしれない。今の日々を信じられなくなるかもしれない」
「……。」
「思い出せなくても平穏な日々は送れるし、もしかしたら思い出さない方が幸せかもしれない。それでも思い出したい?」
深い水底に落ちていく小石のように静かな問いかけだった。
そこから広がる波紋は心をざわめかせ、妙に落ち着かない心地になる。
でも…答えを待つ真摯な眼差しを受け止めて、察した。
問われているのは、答えだけじゃない。
それが解ったから、自然と言葉は紡がれた。
「僕はきっと、望んで忘れたわけじゃありません。あなたが言うように、思い出さない方が幸せかもしれない。でも」
そこで言葉を切った僕を、その人は静かに見つめていた。淡い緑の瞳は綺麗に澄んでいて、やっぱりどこかで見たように思う。
「例えつらい記憶だとしても、思い出したいです。…いいえ、思い出さないといけません。この炎は、“彼ら”を忘れたまま扱っていいものじゃないと思うから」
この手に宿る炎を見る度に思い出す。
もっと青く澄んだ炎を。
翻る白銀を。
僕を導いてくれた人がいたということを。
「……そう」と小さく呟いたその人は、じゃあおいでと手招きした。
誘われるままに歩く途中でふと、少し街を離れるけど平気?と尋ねられ、大丈夫ですと返せば安心したように微笑んだ。
―――…
そのまま街の外へと出て、雪に埋もれて先の見えない道を進む。ランタンを手に前を行くその人の背は、僕よりも小さいのに不思議と安心できた。
でも以前は、ランタンが青かったような…なんてことを思った。普通の火が聖火のように青くなることなんかないのに。
ふと、聖火神が人の世に降りてきたらこんな感じなんだろうかと考える。
迷いを払う導き手、邪悪を退ける聖火の光、民に秩序を与えた神、エルフリック。
男神であるとされているけれど、御姿を見た“聖者”は今の世にいない。もしかしたら女神の可能性だってある。
…なんて、さすがに本の読みすぎかな?
「大丈夫? 疲れた?」
「大丈夫です!」
「そっか。静かだからちょっと心配だったけど…うん、その声ならまだまだ平気そうだね」
「すみません、少し考え事をしてました」
「ふふ…謝らなくていいのに。考え事なら私もするし、不安になるよね、どこに連れて行かれるのか」
「いえ、そうではなく…」
「?」
「聖火神が人の世に降りてきたら、あなたみたいになるのかな、って」
「聖火神が? 私みたいに?」
「はい」
「…聖火神はもっと綺麗だよ。綺麗で温かくて、強く、優しい」
とても神々しいし、慈しみ深い。穏やかな声と聖火の光で、安心感を与えてくれる。ああでも、時にものすごく厳しい試練を課してくるけれど、まあ神様だしね。とその人は語った。
「……まるで会ったことがあるように話すんですね?」
「声だけならあなたも聞いてる筈だよ。……覚えてないかな」
「え」
「あなたに課せられた試練も厳しいものだったけど、乗り越えた。試練の内容は覚えてる? どこで試練を受けたかは?」
「それは……」
――覚えていない。思い出せない。
すごくつらくて、苦しかったことは覚えているのに。
あとは……そう、誰かが僕を呼んでいた。何度も何度も、強く呼びかけてくれた。
大切な人……大切だった筈なのに、どうしてこんなに覚えていないんだろう。
「…質問を変えようか。あなたは、その聖火で何を為したい? 聖火守指長になるのがゴールじゃないでしょう?」
「何を為すか…?」
気付けば僕たちは足を止め、向かい合っていた。
一面の雪景色で、命の気配はここにある二つだけ。他は全てが遠くて――不意に、恐ろしくなった。
静かで、清らかで、違う世界に来たような。
「あ、の……ここは…?」
「うん?」
「ここはフレイムグレースの近く…ですよね?」
そう問えば、納得したように「ああ」と瞬いた。
「フレイムグレースからは少し距離があるかな。でもここはまだ人の領域の筈だよ。もう少し進めば聖域に入って、その先は神界」
「聖域……神界…」
何だか途方もない話だ。それにそんなことを知っているなんて、この人は教会の関係者なんだろうか。
「さて…。今度は私の問いに答えてくれると嬉しいな」
「!」
「かつてあなたは聖火の試練で覚悟を示した。でも今のあなたにその時の記憶はない」
声は穏やかなまま、纏う空気が一変した。
「ロンド。今のあなたは何のために戦うの? その炎は何のために在るの?」
まっすぐな視線は逸らすことさえ許さない。
この人に嘘やごまかしは通じない、そう直感した。
体に緊張が走り、思わず唾を呑み込む。
「僕は……この大陸に生きる人たちを守りたい。理不尽な暴力や、巨悪。そういった、平和を脅かすものから人々を守りたい。この炎はそのために在ります」
「大陸中の人を、あなた一人で?」
僕はゆるく首を振った。
「僕だけではありません。みんなで」
アラウネ女王、リシャール王、ソロン王、エルトリクスさん、バルジェロさん……。守り手と呼ばれる仲間たちの顔を思い浮かべる。
「大陸中を一人で背負うなんてできません。そんなことをしたら…きっと潰れてしまう。でもみんなとなら――みんなと手を取り合えば、できる」
お腹を空かせて泣く子供や、生きるために誰かから奪う人が、いなくなるように。
笑って「また明日」と言える平穏が、続くように。
「そのために僕は戦い、この炎を揮います」
「………。」
一瞬だけ、その人は泣きそうな顔で笑った――ように見えた。でも見間違いだったかもしれない、風が吹き抜けたあとはさっきまでと同じ、真摯な目でこちらを見ていたから。
「あなたの意思は解った、その想いが確かなことも」
そう言って、その人はナイフを取り出した。
「構えて、ロンド。私は今からあなたの敵になるよ」
「な――」
「私が勝ったらこの世界を壊す。この世界を、人々を守りたいなら、私を殺すしかない」
「何を言ってるんですか…!?」
心が粟立つ。頭の奥で光が舞う。
殺せるわけがない――殺したくない。
「そんなの無理です、だってあなたは…――ッ!」
その人は軽やかに跳躍して、雪を物ともせずに着地した。
「……守り手たちが争うことになっても、そう言うの?」
「え…」
「今は平和だよ。脅威を退けた後で、結束も固い。でもいつか時が経ち、各々が各々の利益のために動くようになったら……結束が崩れるかもしれない。守り手の誰かが、大陸を脅かす存在に変わるかもしれない。そうなってもあなたは、『戦いたくない』と剣を構えることすらしないの?」
「それは……っ」
「足を動かさないと死ぬよ」
「!」
矢が二本同時に、時間差で更にもう一本、腕を掠めていった。先の二本を避けていなければ、後の一本に胸を貫かれていた。
「くっ……!」
剣を振るっても躱され、詠唱すれば矢が飛んでくる。
この人の一撃に重さはないけれど、どれも急所を的確に突いてくる。
舞う雪に視界を遮られ、氷に足を取られ、危うい場面もあった。
本気で戦わないと本当に殺されてしまう。
どうして……さっきまで普通に話していたのに。敵意も見えなかったのに。
穏やかで優しくて、この人の傍は落ち着くと、安心できると、そう思っていたのに。
勝てるだろうか。いや、勝たなければならない。でないとようやく訪れた平穏が崩されてしまう。
ああ、でも――
どうしてこんなに苦しいんだ…!
「どうしてあなたと戦わなくちゃいけないんですか…!」
「私があなたの敵だからだよ」
「違う! あなたは敵じゃない、あなたは……!」
鋭い音を響かせて重なる剣とナイフ。
間近で交わる視線。
いつかどこかで見た景色が過る。
静謐な空間と揺れる炎、誰かの声。
――けれどそれを、光が覆い尽くす。
「ぐ……う、あああああああああああ……っ!!」
「!」
恐ろしいくらい全てに既視感があった。
戦いたくないのに、戦わなくちゃいけないのも。
何かの力が僕の中で暴れるのも。
「ロンド…!」
僕を呼ぶ、この声も。
―――…
『さあ……目の前の者を殺すのだ。証明してみよ』
これは誰の声だ―?
「そなたを真に炎の継承者として認めよう」
これは…いつのことだった―…?
「欲無き世……それが人間に相応しい。貴様もいずれ分かる、ロンドよ!」
燃え残った断片を灰の中から拾い上げても、光が全てを搔き散らしていく。
散らばった欠片を探そうにも、真っ白で何も判らない。
……この光さえなければ。
邪魔されなければ、きっと――思い出せる。
だから僕は、意を決して光の中へと手を突き入れた。
「ッ……!」
触れた箇所から焼かれていく感覚が広がる。でも引っ込めるわけにはいかない。
これ以上、僕の何も奪わせない。
「“青き炎は我が魂”――」
この炎は傷付けるためではなく、守るために。
「“我が守り人なり”!!」
掌に生まれた青い輝きが光を退け、視界を埋めていった――
―――…
ひやりとしたものが額に触れている。
何か花のような香りがして、柔らかく温かいものが傍にある。
「―……?」
「ロンド…!」
こちらを覗き込むその人は、目が合うと安堵の表情を浮かべた。
「ああ、ほら……やっぱりあなたは、敵なんかじゃないですよ…」
持ち上げた僕の手を心配そうに包むその両手は、どこまでも優しい。
「ねえ、ミトスさん」
「……!」
息を呑み、緑の瞳が驚きに見開かれる。
「思い…出せたの……?」
「名前だけ、ですけどね」
体を起こすと、僕は彼女の膝に寝かされていたのだと知れた。
「うわ、ごめんなさい。重かったでしょう」
「それは大丈夫。髪がふわふわで、大きい犬みたいだなって思ってたから」
「大きい犬…」
気恥ずかしくなって辺りを見回すと、ここはどうやら洞窟の中であるようだった。もしかしてここが聖域なんだろうか、奥から青く清い光が漏れている。
と、少し離れたところから、大きな獣がこちらをじっと見つめているのに気付いてしまった。
「ミトスさん! こっちへ!」
「え?」
見た目は狼に似ているけれど、魔狼と同じかそれよりも大きい。こんなところで襲われたら一たまりもない――
と思ったのに、ミトスさんは実にのんびりと諫めてきた。
「ああ、大丈夫だよ。襲ったりしないから。というより、私たちをここに運んでくれたのは彼だから、感謝した方が良いかな」
「え!?」
獣はなおもこちらをじっと見つめている。確かに害意はなさそうだけれど…なんというか、少し怒っているというか、不機嫌そうに見えるのは気のせいだろうか…?
「…失礼しました。助けてくださってありがとうございます」
「………。」
やや間を置いてから、その獣は尻尾をぱさりと振って洞窟の奥へと消えた。
「なんというか…あちらの方が“大きい犬”って感じでしたけど」
「……それ、聞かれなくて良かったね」
さて、とミトスさんが立ち上がる。
「私の名前以外に何か思い出せたことはある? あるいは何か変化があったりは?」
「……ごめんなさい」
思い出せたのは彼女の名前だけ。他は相変わらずサラサラと零れ落ちて、像を結ばない。
でも、あの火の粉のような光に埋め尽くされる感じは無い。
「そっか…。まあ、思い出せるかどうかも賭けだったから、一部でも思い出せたなら希望はあるかな」
その一部が私の名前だったのは予想外だったけれど、と彼女は呟いた。
「ミトスさん」
「?」
「もう一人、僕が忘れてしまった人がいますよね」
「………。」
「教えてくれませんか? ――僕にとって、あなたと同じく大切な人なんです」
僕がかつて乗り越えた聖火の試練。まだうまく思い出せないけれど、あの時僕を呼んでくれていたのは彼女の声だ。
それなら僕が聖火騎士を目指そうと思った、はじまりの人は誰か。
何より澄んだ青色と、穢れない雪のような白銀を持つ、あの人は。
「……本当は、あなたの覚悟と力量を確かめてから渡そうと思っていたんだけれど」
そう言ってミトスさんは僕の手を取り、何かを乗せた。
「これ、は…――」
それは丸く大きな、金の留め具。
祠から漏れる光を受けて、仄かな輝きを返す。
『“覚悟”と言われ、できない者がいるのか?』
不意に蘇ったのは、誰かの声。
こんな日が明日も続いていくのだと、無邪気に信じていた遠い日々。
「っく、う……っ!」
立っていられなくて崩れ落ちた僕を、ミトスさんが強く抱きしめる。
その温かさに縋りながら、霧散しそうな記憶を必死に手繰る。
僕と妹に迫った凶刃を弾き、救ってくれた鋭い剣。
炎の素質があると、道を示してくれた手。
甘い、論外だ、未熟者と、何度も呆れられたし叱られた。
でも見捨てず、たくさんのことを教えて導いてくれた。
貴方の後をついて行けるのが、何より嬉しかった。
『甘ったれを育てた甲斐があったぞ、ロンドよ』
それが全部……奪うためだったなんて嘘だ…。
だって貴方の炎は、何より青く綺麗で、澄んでていて……。
フィナさんの攻撃から僕らを守ってくれた時も、リブラックに立ち向かっていった時も、貴方の剣に迷いなんかなかったのに……!
「どうして…全部ひとりで背負おうとするんですか、サザントスさん……!!」
傍にいたのに。
いつか…貴方の後ろではなく、隣に立つことを目指していたのに。
「っ……」
金の留め具に雫が落ちる。
あの人が付けていた物がここにあるという事実。
最後に見た時より遥かに強くなった彼女と、ずっと悲しみを抱えている瞳。
……あの人がどうなったかなんて、訊かなくても解った。
あの人が袂を分かったと聞いた時は、まだ抑えていられた。
何かの間違いじゃないかと…そんな風に思ってもいたから。
でも今度はもう――疑いようもなくて。
子供のように声を上げて泣く僕を、ミトスさんはただ抱き締めてくれていた――
―――…
「…落ち着いた?」
「はい…。すみません、情けない姿を…」
「泣くのは恥ずかしいことじゃないよ。それに、涙を見せてもいいと思うくらい気を許してくれてるんだな、って思えば――」
「そ、そう言われるとちょっと恥ずかしいので」
「そう?」
「はい、なので忘れてもらえると」
「忘れないよ。私は忘れない」
「あ……」
「だってあの人は、涙どころか悩みや迷いも見せてくれなかったもの」
「!」
「背中を任せてくれたことはあったけど、胸中を明かしてくれたことはなかった」
……ああ、この人も僕と同じことを思っていたのか。
「ロンド、抱えるものが大きくて苦しいなら、それを他の人にも分けて。どうかひとりで沈んでいかないで」
祈るように組まれた手は、白くなるほど強く握られている。
その気持ちは痛いくらいによく解った。
「…誓います。僕は決して、独りで戦ったりしないと」
その手に自分の手を重ね、誓いを繋げる。
「この剣と炎に懸けて…、あなたに誓います」
ふわりと、泣きそうな顔で笑うのを見て、胸が締め付けられた。
こんな、儚く笑う人じゃなかった筈だ。
優しくて穏やかなのはきっと変わらない、けど前は…そうだ、もっと天真爛漫だったような気がする。
こんな悲しい笑顔を浮かべるほどのできごとを、この人独りに背負わせてしまった。
この細い腕に、肩に、大陸の全てを委ねてしまった。
僕は守り手なのに。
この人を、守らないといけなかったのに。
「…ミトスさん、あなたも独りで耐えようとしないでください」
「え」
「あなたが背負うものは、僕らとは比べ物にならないほど大きい。つらくて悲しいことがあれば、どうか僕らに話してください。どんな些細なことでも構わないから」
「ロンド…」
この人もサザントスさんも、強くて優しいから、独りでどうにかしようとしてしまう。
もっと僕に頼り甲斐があれば―とも思うけれど、きっと僕がソンゾーンさんくらい強くても、話してくれないだろう。
優しいから、他の人に背負わせようとしない。
いや、あるいは……
「二人とも、頼るのが苦手なのかもしれませんね」
「…そんなつもりはないんだけどなぁ」
外から吹き込む風が強くなり、ミトスさんが立ち上がった。
「私はロンドが思っているようなものを背負ってるつもりはないよ。成り行きでそうなってしまっただけで、今も昔も、ただの旅人」
そう言って差し出された彼女の手には、優しい光を湛えた指輪が嵌まっている。
視線に気付いたのか、僕を助け起こした後に彼女もまた、指輪に目を落とした。
「私が“選ばれし者”と呼ばれていたことを思い出したのは、ロンドだけ。他のみんなには言わないよ」
「え……どうしてですか!」
「みんな、新しい日常に踏み出してる。わざわざ過去の傷痕を掘り起こすことはないでしょう?」
自分がいてもいなくても、新しい日常は問題なく送れるから――と、ミトスさんは事も無げに言う。
「……そんなことありません」
「ロンド?」
「ずっと一緒に戦ってきたのに、姿も声も思い出せない。確かに傍にいたのに……記憶違いじゃないかとさえ、思ってしまう」
そんなことはないのに。その人は確かに僕たちの隣にいて、助けてくれて、一緒に戦ってくれた。
掛け替えのない大切な人だった。なのに思い出せない。
「胸に風穴が空いたような心地でした。僕だけじゃありません、きっと皆さんそうです」
今ならあの時の感情が何か判る。
「記憶の中にも、隣にも、あなたがいないのは―――寂しかった」
「……!」
「新しい日々で少しずつ薄れていっても、大切な友人を失った寂しさは消えません。僕は、皆さんも同じ思いなんじゃないかと思います」
「……困ったな」
ミトスさんは片腕で自分の腕をぎゅうっと抱いた。
「私は本当に、みんなが安らかに生きていけるのなら忘れたままでも構わないと、そう思っていたのに」
陰る表情に、初めて未練が浮かぶ。
「そんなこと言われたら、望んでしまう」
「ミトスさん……」
僕は無意識に、彼女へと手を伸ばし――けれどその瞬間、ざり、と誰かが地を踏む音がした。
「!?」
「あ」
振り向いた先には、あの狼がいた。
「………。」
「……ええと」
やっぱり怒ってるように見えるのは、僕の気のせいなのかな……?
「ロンド、実は困ったことはもう一つあってね?」
「あ…はい、なんでしょう」
「外、吹雪で出られないんだ」
「え」
見れば確かに外は雪と風が吹き荒れていて、とても歩いて帰れる状況ではなかった。
どうしようかと尋ねようとした矢先、ミトスさんは狼の下へと進み出て、赦しを乞うように膝をついた。
「なので、ここで夜を明かしたいのですが、お許し頂けますか?」
洞窟の中に沈黙が満ちる。でも不思議と緊迫感はない、両者の間に流れる空気が安らいだものだからだろうか。
狼はただ彼女を見つめるだけだけど、ミトスさんの方は首を傾げたり頷いたりしている。
やがて狼がくるりと踵を返した。
「付いてきなさいって」
「……狼の考えてることが解るんですか?」
「ああ、えっと…彼だけ特別というか何というか…、まあそれは置いといて。行こう?」
珍しく彼女が何か誤魔化そうとしている。追究してみたい気もするけど…。
「そうですね、今は帰るのが先決ですし」
少し先で僕たちを待っている狼の下へ、二人で歩き出す。
ここに来る時と比べたら、心は重くなったけれど足取りは軽い。
でも抱える重さは、僕一人のものではない。
この悲しみも、寂しさも、喪失感も、いつか昇華できる。
分かち合える人がいるから、越えられる。
それに……、あの人が僕に遺したのはそれだけではない。
(…約束します、サザントスさん)
正義とは何か。滅すべきは何か。
守るべきものは、何か。
――この炎に問い、共に歩むと。
(僕にとって貴方がそうだったように、僕が“誰か”の光になれるよう)
貴方に救われたこの命で、人々を救けていくと。
(だから……見ていてください)
僕の覚悟を。
焚かれし騎士の手記――改め、
覚悟改めし騎士の手記 了
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