俺ガイル×シャニマス (rinta)
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どうしたって比企谷八幡の人生は唐突にまちがえる。
光陰矢の如し、とは昔の偉い人が言った言葉だろうか。いやそうに違いない。
なぜなら今の化学文明が発展した時代において光の速さが1秒で地球7周半であることは周知の事実であり、現代の言葉で表すとするなら決して光の速さの表現に矢を使うことなどしないからだ。今の時代でもしこの言葉を倣うとするなら電磁砲とか大陸間弾道ミサイルとかサテライトキャノンとかそこらへんを使うところだろう。
そんなこんなで時代によって光陰の速さ、つまりは時間の流れる速さというのは違うことは、こんな言葉ひとつとっても分かりやすい。
考えてみればそうだろう。昔の人は娯楽という娯楽が手元にほとんど存在せず、日がな一日を労働に費やしていたのだ。毎日が同じ行動の繰り返しで続けば、時間の流れる速さもゆっくりに感じるに違いない。
しかし現代社会においてはどうだろう。
人々は娯楽に飢えるどころか世の中には掃いて捨てるほどの娯楽が塗れており、それらは吟味されることもなく簡単に取捨選択されていく。そんな現代においてなら時間なんてものは競馬の民のカードローンの如く極限に使い潰れていき、その速さたるや矢どころか拳銃ライフルなどもとっくに追い抜いてレーザー兵器と化していてもおかしくない。
そしてそんな現代に生きる俺、比企谷八幡は、今現在モロにその悲しくも追い抜いてゆく時間の速さに辟易としていたのだった。
「はぁ……やっぱり労働ってクソだわ……」
ここは都内某所の公園。そんな場所でベンチに座りながらひとり、俺はマッ缶を片手に悪態をこぼす。
もう片方の手にはディスプレイがまだ点いているスマホ。そしてそのスマホには俺が先ほどついた悪態の根源となる文面が記載されており、その文面が見間違いではないかどうか、俺はもう一度祈りながらスマホと向き合って確認してみた。しかし残念ながら祈ってみたところで、すでに祈られていた事実、いや現実が俺を襲うだけだった。
『このたびは、数ある企業の中から弊社へご応募頂き誠にありがとうございました。
社内にて慎重に検討した結果、今回は貴意に沿いかねる結果となりました。
あしからずご了承くださいますようお願いいたします。
比企谷様の今後のご健勝ならびにご活躍を心からお祈り申し上げます。』
いわゆるお祈りメールと呼ばれる伝説の不採用通知の文面、それが俺のメールアドレスに送られていた。
そのメールを見て、俺はもう一度悲嘆に暮れたため息を吐く。
比企谷八幡22歳大学生、絶賛就活中の現実がここにあった。
***
「あぁ、またダメだった。まぁ元々俺は専業主婦希望の身なわけだし、そんな焦る必要もないっていうか。むしろありがたい通知というか、むしろありがた迷惑なお祈りだわっていうか……いや強がってるわけじゃないんだが? なんなら普段から労働はクソって言ってるのにこうやって労働するために奔走している自分に疑念すら沸いてるまであるが? 大体お前みたいに在学中から親の会社で働いてる方がおかしいっていうか、なんで人生最後の社会放逐までの執行猶予期間である大学生活を投げ捨てるのか意味がわからん……いや高校の時のあれは違うだろ。あれは一色に押し付けられて仕方なくだし……他の女の名前を出すな? いやそっちが先に話題を……って切れてるし。はぁ」
耳から離したスマホの画面を見つつ、また一つため息を吐く。
俺の名は比企谷八幡。高校生探偵どころか高校生でもない。大学生だ。
高校生の時によく分からない部活に入っていたこと以外はいたって普通のぼっちな学生である。
はたしてぼっちな学生が普通なのかと疑問に思うものもいるかもしれないが、グローバルでユニバーサルな現代においては対人関係に難があることは別に何もおかしなことじゃなくなっている。
某有名動画サイトを観れば配信者たちがこぞって学生時代は引きこもりだったり友達がいなかったりぼっち飯をしていたことをひけらかし、それに触発された視聴者たちは同じようにぼっちを拗らせてることが明らかになっている。
そうして今までは陰のものゆえに明るみに出てこなかったぼっちたちの総数が公になったことで、ぼっちというものはおかしなものではないという事実が生まれ、それどころか今ではぼっちであることそれそのものがステータスになっていることすらある。
時代の変化とは恐ろしい…。というかぼっちがステータスってなんだよ、完全にデバフだろ。なんでバフ効果扱いされてるのん?
まぁ話は戻して、そんな俺だが、現在は大学4回生にして絶賛就活中の身である。状況については、まぁご覧の有り様であり見るも無惨にお祈りされまくってる身だ。もはや何度目か分からないお祈りメールにもはや自分が神か仏にでもなったのではないかと錯覚するほどである。八幡だけにな!
そうしてお祈りメールの確認を果たした俺は、憂鬱になりながらもその報告をある人物にするために電話を行なった。そしてそのある人物……俺のパートナーである雪ノ下雪乃はといえば、俺からの報告に開口一番電話口からも聞こえるぐらいのため息を吐いて俺に罵詈と雑言を浴びせたのだった。
その語彙力たるや、やはり奴の頭にはフリー多言語インターネット百科事典でも存在するんじゃなかろうかレベルであり、しかしその情報量に若干の偏りが見受けられることに異議を感じその是正を促すためにも寄付を募りたいところだ。そして俺はその寄付により夢の不労所得を得るという流れになる。うん、完璧だな。
そんな意味もない妄想に耽って現実逃避をしつつ、妄想が途切れたところで俺はマッ缶を煽った。
しかし缶に口をつけたところでふと缶の軽さに気付き、恐る恐る中を覗けば中身がすでに空であることに気づく。
ここは都内。俺の故郷千葉と違いどこかしこにもマッ缶が売っているわけではなく、手に持ったこれは自宅から持ってきた最後の一本だ。つまり俺の心の癒しはすでになくなってしまったことを意味しており、もう一度ため息を吐きながら、仕方なく空を見上げることにした。
見上げた空は雲ひとつない快晴だった。
不純物を感じさせないその青空は、見れば心を爽やかにしてくれるような力もあれば、あまりにも真っ青が過ぎて見ていると余計なことを感じさせてしまう力もあった。
ともすれば今の俺なんかがそんな風景を見てしまうと、具体的な展望のない自身の将来だったり、今後雪ノ下の尻にひかれていく未来だったり、それに伴って現れるその姉のんだったり母のんだったりの到来が頭をことごとく過っていき、どんどんと嫌な想像が膨らんでいった。
そんな想像に嫌気がさして気分を変えようとまたマッ缶に口を付けようとするも、すでに中身がないことを思い出し、言葉もなく項垂れた。
そうして俺は少し考えを巡らせると、胸ポケットに手をやり、周りを見渡して誰もいないことを確認する。
今は昼の時間帯。ここは高台に位置した公園で、この時間帯はあまり人がいないことは知っている。
それを思い出しながら、俺は意を決して胸ポケットからタバコの箱を取り出した。喫煙所でないところでの喫煙はマナー違反であるが、この心持ちのまま高台を降りて帰るには、あまりにも先ほどの通知から受けた精神へのダメージが大き過ぎた。
ただ一口だけ。それだけ吸えればいい、と箱から1本取り出して、ライターで火をつけようとした時。突然後ろから声がかかった。
「おい。ここは公共の場だぞ。タバコは慎むべきではないのか」
「うお!?」
背後から急にかかった、無駄にダンディでレアカードで拳銃に対抗しそうな威厳のある声に驚き、俺は思わず声を出して振り返った。
そしてそこには、無精髭をそこそこに生やした、声に似合う渋い顔立ちの壮年男性が立っていた。
壮年男性は俺の方を睨んで、手にあるタバコを指差す。完全にタバコを吸おうとしていたところを見られてしまっていたようで、それを注意してくれている。これは完全に俺が悪いとタバコを直しながら俺は苦笑いを浮かべながら男性へと謝った。
「す、すいません。誰もいなかったんで、思わず気が緩んで」
「気が緩むも何もない。人がいようといなかろうと、ルールを守れない人間を雇う会社はないぞ」
「はぁごめんなさい……って、え?」
いきなり現れた壮年男性に怒られる事実に羞恥を感じながら頭を下げるも、俺はふと彼が言った言葉に疑問を感じて、顔を上げる。そうすると男性は俺の疑問を感じ取ったようにため息を吐いた。
「シワの少ないリクルートスーツに、買ったばかりのビジネスバッグ。革靴は特にすり減った様子もないところを見れば、どこかの会社の新入社員か、就活に励む苦学生しかあり得ない。そしてこの時期、新入社員が1人でこのような場所にいるはずもなく、先ほどからの君の様子を見るに、就活に疲れて一時の癒しを求めて公園に寄った就活生と判断したが……間違っていたか?」
男性はそう言って、こちらに視線を送る。間違っているも何も、全てが全てその通りであるために何も言い返すことができず、俺はへりくだるように腰を下げながら男性の言葉を肯定した。
「い、いえ。何も……いや逆にその通り過ぎて怖いぐらいなんですけど」
「職業柄、人を観察しなければならないんだ。相手が信用に足るかどうか、確かめるためにな」
「は、はぁ。興信所の方か何かで?」
俺は冗談のつもりで言葉にするも、すぐにあ、と声を上げる。このパターンは以前にも犯してしまったやつだ。
あの時は確か高3になってすぐに雪ノ下の母親と姉に夕食に呼ばれた時、こちらを試すような行動に辟易して言ってしまったはず。
あの時は雪ノ下と小町のその後のフォローによりことなきを得たが、今は名も知らない親切で注意してくれた方に向けて完全な失言である。
これはまずいとすぐに訂正を挟もうと男性の顔を見ると、しかし向こうは機嫌を損ねたような雰囲気を出さず、逆に驚いたような顔をしながら、堪え切れなかったように失笑までし始める。
「興信所……ッフ。そこは警察や探偵と言うべきじゃないか?」
「す、すみません…身内に似たようなことをする人間……というか家系がありまして、ついうっかり……」
「構わん。しかし……そうだな。よければ近くの喫煙所を案内しよう。ついてこい」
「んえ……」
しまった。突然のお誘いについ変な声を出してしまった。案の定男性の方も先ほどと打って変わってすっげえ不機嫌そうな顔をしてしまっている。ダンディな雰囲気も相まって超怖い。勤務時間内で呪いとか祓ってそう。
「不服か? それとも君はこのまま公共の福祉に反してここで喫煙にふけ込もうとでも?」
「いえいえいえ滅相もないです。はいついて行かせていただきます。どこへなりとも」
「調子だけはいいな……」
怖。めっちゃ怖い。ドが付くほどのひっくい声で超脅されたんだけど。はるか宇宙から地球人類を絶滅させに来た侵略宇宙人も真っ青なんですけども。
そんな感じでベンチから無理やり立ち上がらされた俺は渋々と男性に着いていくと、ふと男性は思い出したように言葉をかけてくれたのだった。
「そういえば名前をまだ言ってなかったか。私の名は天井。天井努だ。後ほどちゃんとした名刺も渡そう。こうやって会ったのも何かの縁とも言えよう。そうだな、あまり言葉にしたくはないが、ティンときた、とでも言うべきだろうか」
こうして、俺と283プロのファーストコンタクトは始まった。
つづけ。
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つつがなく一色いろははあざとく微笑む。
「アイドルのプロデューサーにスカウトされた?先輩が? すぐ分かる嘘つくのやめてもらえます?」
「いきなり嘘認定やめてくれる? 多少は傷つくんだよ?」
千葉県内某所の居酒屋内。そこで俺、比企谷八幡は店内の椅子に腰掛けながら、テーブルを挟んだ向かいに座る者と会話をしていた。
向かいの相手は一色いろは。亜麻色の髪をした今時のトレンディな女子女子しい服装に身を包んだ、今をときめく女子大生である。
昔は髪を肩口までで切っていたのだが、大学に入ってからは雰囲気を変えたようで腰の辺りまで髪を伸ばしているようだ。
そんな彼女だが、俺の高校時代のいわゆる後輩である。
普通なら俺の性格上絶対に知り合わないタイプの人間なのだが、俺の入っていた部活の影響もあって無駄に縁を繋いでしまい、当時はいらん仕事だったり面倒事などを引き受けてしまって今ではすっかり腐れ縁となってしまった。
それもあってか今でもこうして向こうから呼ばれては、酒に付き合えなど合コンの人数合わせに来いなど言われてこき使われる形で関係が継続されているのだ。でも合コンはやめてね?俺一応パートナーいるからね?その報告するたびにいつも雪ノ下が俺を睨みかけてくるんだから。ホント怖いから。
まぁそんなこんなで今日も一色から夜の晩酌に誘われまして雪ノ下にまた白い目で見られながらもこうして居酒屋にいるわけで。
そこで先日起きた珍事について話せば、冒頭の会話に戻るというところだ。
「あと勘違いしてるだろうからもう一度言うが、アイドルにスカウトされたんじゃなくて、アイドルのプロデューサーとしてスカウトされたんだからな。いやまぁそれでも信じ難いんだけど」
その珍事とは先日、俺が就活のために都内まで出た時のことだ。
公園でマナー違反にも関わらずタバコを吸おうとしていた俺に対して、ある男の人が注意をしてくれて、別の場所にある喫煙所まで案内してくれた。
そしてその男の人もまた喫煙者らしく、喫煙所で一緒にタバコを吸って話していたら、突然名刺を取り出して俺に渡すとスカウトだと言ってくれたのだ。
その時の俺はといえば驚きのあまり音にもならない声が出ただけであり、詳細はあまりよく聞けなかったのだが、その人……天井努さんは、俺に一言だけ何かを伝えると、興味があれば電話をするといいとだけ言ってその場を離れたのだった。
正直本当に現実での出来事だったのかもおぼつかないほど嵐のような時間だったのだが、俺の手には事実天井さんの名刺が残っており、それが夢でないことを示していた。
さて、ではここで問題です。こんな出来事を受けて真っ先に俺が思ったことはなんだったでしょう。正解はこの後一色が答えてくれますので一緒に聞いてみましょう。
「いやいやいや、先輩がアイドルのプロデューサーとかもあり得ないでしょ。だってプロデューサーってあれですよね、パーカーを肩に羽織ってサングラスを頭に掛けたイケイケな感じのアレ。先輩とは全然違うじゃないですか」
「うん、古い。プロデューサーに対しての固定観念が古すぎる」
正解はプロデューサーの古い偏見をするでしたー。いやちげぇよ。そんな回答でないだろ普通。
というかいろはすその固定観念ってバブルとかそこらへんのもんなんだけど。いろはす大丈夫? 年齢誤魔化してない?
「いやまぁ冗談ですけど。でもパッと思いつくのはメガネ付けたスーツ着てるぽっちゃりしたおじさんのあの人で、やっぱり先輩とはイメージ違うんですけど」
「その人も人によっては古い人なんだよなぁ……」
一色のプロデューサーに対する偏見の強さを感じつつ、目の前におかれたビールが入ったジョッキを傾けて口に流す。
麦の苦味と炭酸の弾ける触感に心地よさを感じながらジョッキを置いた時にうっかり歓喜の声が漏れてしまう。
一色はその俺の所作に親父っぽさを感じたのか、明らかに嫌そうな顔を浮かばせながら自分も手に持ったジントニックを飲みながら次の言葉を紡いだ。
「でも本当に大丈夫なんです? 詐欺とかマルチとか美人局とかじゃありません? 先輩そういうの弱いじゃないですか」
「いや待て。なんで弱いの前提なんだよ。俺はそういうの掛からないように普段から気を遣ってるんだぞ。引っかかったことなんてないし、今後も引っかかるわけない」
なんせ親父が親父で何度もそういった美人局やぼったくりバーに引っかかっているのを見ていたからな。美人にはいっそう気を付けているし、人を見る目は養われているはずだ。主に悪い方向にだが。
俺が詐欺に引っかからないことへの自信を意気揚々と語れば、しかし一色はとんでもなく呆れた目で俺のことを見てくる。何、そんなに信用ならないの?
すると一色は何かを思い浮かんだように今度は口元を不適な笑みに変えると、席から立ち俺の向かいから俺の横に移動してきたのだった。それだけでも嫌な予感がしているのに、さらに一色はいつかの高校時代のような上目遣いをしてきたと思えば、徐に猫撫で声を出して話しかけてきたのだった。
「先輩……実は私、またコンパに誘われてて。でも1人じゃ怖くって……一緒に来てくれませんか?」
「えぇ……」
一色の手には先ほどから飲んでいたジントニックがあり、そこから香る酒の匂いが俺の鼻口を貫く。
移動して俺の真横にいる一色は体の重心をこちらに寄せて、少しでも動けば触れてしまうほどの距離を保ちながら、目はいつの間に仕込んだのやらうるうると湿らせていた。
そうしたあざとさ満開と一発で分かる仕草をしながら、しかし高校の時とは違い、可愛さだけではない妖艶な雰囲気を纏いながら、一色いろははそこにいた。
それに対して俺は無論、情緒が一色に傾くなどあり得るはずもなく、パートナーを持つ身故に抗うべく心を強く持って接して……。
「いやまぁ困ってる後輩助けるのは先輩として当然だし、少しだけならまぁうん多分ちょっと大丈夫かもしれないけど、少しだけ考える時間を」
「はいダウトー」
「……はっ!」
完全に一色の作り出した領域に飲み込まれていた俺は、強く持っていたはずの心をいつの間にか一色の手によって溶かされて持っていかれていた。
そうして一色の方を見れば、今にもしてやったりといわんばかりのドヤ顔を俺に向けており、そのクソ生意気な態度は高校の時からなんも変わっていないことが伺える。まじ怖いこの後輩……。
「何が、引っかかるわけない、ですか。そもそもそんなに気丈ならこれまでの私のコンパ断ってますよね。彼女いるのにそれが出来てない時点で先輩にそんな甲斐性はあり得ません」
「うわぁめっちゃ言うじゃん。というか誘ってきてたのそっちなのになんで俺責められてるのん?確実に悪いの君じゃない?」
「誘惑を断ち切れない情けなさを他人に押し付けるなんて、自分の格をさらに下げるだけですよ。先輩」
それだけ言って一色はまたジントニックを煽りながら俺の手元の皿から唐揚げをひょいと取り上げる。
末恐ろしい後輩のその言動と、一杯食わされた事実に俺は苦虫を噛み潰したような呻き声を上げつつも、反論する余地もなく、一緒にビールをチビチビをと飲むばかりだった。
一色はそんな俺に気をよくしたのか、もう一度笑みを浮かべながら俺の肩を叩く。……というか、席戻らないのな。
「しょーがないですねー。先輩は頼りないですし、そのアイドル事務所、私も確認してあげますよ。これでも結構知ってる方なんですよ、アイドルとか」
「えぇ……いや大丈夫だぞ。雪ノ下にも確認してもらってるし、ペーパーカンパニーじゃないこととかは分かってるからな。お前がそこまで気にしなくても別に」
一色に言った通り、アイドルのプロデューサーにならないかと話をもらった後、俺は真っ先にこの話を雪ノ下に相談し、貰った名刺から調べてもらっていた。
まさしく興信所のような働きをさせてしまい、さらにそれが普通にまかり通ってしまっていることに雪ノ下家へ若干の恐怖を感じつつ調べてもらうと、そのアイドル事務所である283プロは真っ当に活動している法人とのことだった。
だから詐欺などの問題という点はまったく考慮しなくてもいいのだが……しかしだからこそ真っ当な会社が俺みたいな奴をいきなりスカウトなどするだろうかという疑念が生まれる。
それもあって就活に苦しむ俺に対して都合の良い話にも関わらず、俺も雪ノ下も踏ん切りがつかず悩んでいるところだったのだが。
しかしそんなことに一色を巻き込む必要性もないし、もといどうせ野次馬根性でしか言っていないだろうこの後輩に、他所様の名刺をくれてやることに若干の危機感を感じたため俺は一色の提案を適当に躱そうとしたが、しかしこの小悪魔がそれで逃げてくれるような甘い人間ではなかった。
「いやいや雪ノ下先輩って先輩に負けず劣らず抜けてるところありますから。念の為、その貰った名刺見せてくださいよ。どうせこんな話したからには持ってきてるんでしょ」
ほい、と一色は片方の手のひらをこちらに差し向けてくる。名刺を渡せという意味なのだろう。
しばし悩みながら、しかし結局俺は小さくため息を吐きながら諦めて一色に名刺を渡すことにした。まぁ一色なら言いふらすこともないだろうし、アイドルに詳しいことも本当だろうから少しは有益な情報を得ることできるだろうし、と俺は自分を納得させるための言い訳を心中で唱えながら、財布の中にしまっていた天井さんから名刺を渡すと、一色は目を細めながらそれを眺めた。そして。
「はぁ、てんじょうつとむ? 変な名前、ってあまいって読むんですねこの名字。で、プロダクションの名前は283プロ……って283プロ!?」
「ちょっ、一色声がでけぇ。どうした?」
名刺を受け取って酒を飲みながらまじまじ眺めていた一色は、そこに書かれたプロダクションの名前を読み上げた途端、いきなり一色らしくない大きな声を挙げた。
珍しい一色の姿に、俺は声を抑えるように言いながら訳を聞くも、一色はといえば顔をぎゅるんと俺の方へと向けるとまじかコイツと言いそうな表情を作っていたのだった。怖い。
「ちょ、先輩も雪ノ下先輩もマジですか283プロ知らないとかもうなんで日本人してるのか分からないレベルの不敬なんですけど」
「えっ…お、おう、すみません」
信じられないものを見る表情を続けたまま、一色は俺とここにいない雪ノ下に向けて冷え切った声を浴びせる。それがあまりにも真に迫り過ぎていて俺はにべもなく謝ると、一色は仕方なさそうにひとつため息を吐いて、いやーまじあり得ないですわー、と呟いてこちらに体を向き直した。というか今の言い方めっちゃ戸部っぽかったんだけどどうしたのいろはす。時間差で口調が移っちゃった?戸部のアレはウイルス性なの?
「283プロって言ったら昨今のアイドル業界において現れた新進気鋭のアイドル、今や知らない人はいないと言われるクール系ボーカルユニット、アンティーカを生み出したアイドル事務所ですよ! 先輩マジで知らないんですか?」
「アンティーク? なんかの骨董品なの?」
一色の高説に対して俺は拾った単語で推測を口にすれば一色はまたも、マジかコイツという表情を向ける。そうするとすぐに自分のスマホを取り出して何かしら操作を始めると、画面をこちらに向けて再度話し始める。
「アンティーカですアンティーカ! センターで色んな意味で絶対的な存在感を見せる恋鐘ちゃんに完全無敵の王子様の咲耶様、顔面凶器の摩美々ちゃんにユニットのムードメイカーである結華ちゃんと、SNSしてなくて露出は少ないけどあどけない笑顔でこれまで何人ものファンを落としてきた霧子ちゃんで組まれている超人気アイドルユニットです! ほらこれこの前出たCMのやつ!」
「お、おぉ。悪い……すごい人気のアイドルなのね……」
一色の見せてきたスマホには確かに5人組の女の子たちが女性用化粧品を宣伝する動画が流れていた。おそらくはこの5人が今一色が説明してくれたアンティーカなのだろう。それを見ながら俺はしかし一色の熱量に負けて先に謝罪の言葉が出てしまった。いろはす本当に詳しいのね。特に霧子ちゃんという子推しなのかな? 1人だけ情報量多かったよ?
「はぁ、マジあり得ないんですけど。アンティーカもですけど他のユニットもメチャクチャ人気なのに知らないとか、TVで 見ない日もないと言うのに……」
「いや、俺の今の家TV無いし……」
「あぁ、そういやそうでしたね」
俺が283プロの名前を知らなかったことに対して呆れて声をこぼす一色に俺は一応の言い訳のために口を開くも、一色の白い目が絶えることはなかった。
ちなみに余談だが俺は大学に入った途端に、自立のためと両親と小町から家を追い出されて大学近くのアパートで一人暮らしをしている。仕送りや援助もほとんどないためTVもいまだに買えていないのはそのためだ。まぁ国営放送の集金から逃れられているからそれはそれで別にいいんだが……。
そうして一色はまたもスマホをぽちぽちと触ると、次にうへぇと声を上げた。
「今283プロのホームページ見たんですけど、確かに社長の名前で天井努って書いてますね。マジかー……先輩なんでこんな大きな事務所にスカウトされたんです? 弱みでも握りました?」
「人聞きが悪すぎるんだよなぁ……」
どうやら事務所のHPを覗いて事実確認を行ったらしい一色はなんでもないふうに俺に尋ねてきた。もはや慣れているそんな後輩の言葉を軽く流しながら、未だ一色の手元にあった天井さんの名刺を取り返して自分の財布に戻す。
そんな俺の行動に、しかし一色はどうということもなく、フーンと流しながらテーブルに置いたジントニックに手を伸ばしながらまた口を開いた。
「でも先輩がプロデューサーかぁ。案外うまくいくかもしれないですね。プロデューサーってあれですもんね、アイドルの女の子の引率というか、舎弟というか、奴隷というか。そういうの慣れてますよね?」
「人聞きが悪いどころではないんだよなぁ……」
というかそれはどっちかというとマネージャーなのでは? プロデューサーってどっちかというと方針を決めたり、無茶振りを与えたり、色んな意味で食いもんにしたりしてる感じが……こっちの方が人聞きが悪すぎるんだよなぁ。
一色以上に失礼すぎるプロデューサーへの偏見を膨らませながら途中で中断すると、ちょうど一色が声をかけてきてくれた。
「でも先輩、これまで雪ノ下先輩とか、周りの子のことちゃんと見てましたし、ちゃんと助けてたじゃないですか。だからまぁ、そういう意味では先輩がプロデューサーっていうのも納得なのかなって」
そう言うと一色はグラスを小さく傾けながら、笑んだ表情でこちらに顔を向けてくる。
その表情からは、一色が何を考えているのかはよくわからなかったが、しかし今の一色が本音を言っていることだけは分かった。
きっと、先ほどあんなに激昂してしまったために酒の回りが早くなってしまっているのだろう。いつもの一色らしくない隙のある姿に少し見惚れながら、俺はし返すように言葉を紡いだ。
「まぁそうだな。思えば一色を生徒会長にプロデュースしたのも俺だったし。ある意味素質は十分だったってことか。あっ、そうなると俺のアイドル1号は一色ってことになんのか?」
「えっ」
俺がそうして冗談を呟けば、しかし隣から変な声が上がる。
いったいなんだとそちらに視線を送ると、そこには頬を紅潮させた一色がグラスを持ったまま硬直していた。
「一色、大丈夫か?飲みすぎじゃねぇの?」
不審な一色の様子に俺が声を掛けると、しかし一色は咳を一回だけすると姿勢を正してこちらに向いたのだった。
「なんですかもしかしてアレですかお前は俺のアイドルだとかそういう口説き文句ですか確かにそういうの少しは憧れましたけどもうそんな歳でもないですしアイドルはなる側じゃなくて追っかける側の方が性に合ってますし大体そういうのはこんな安い居酒屋じゃなくてもっとふいんき(なぜか変換できない)のある場所でやって欲しいのでまた今度テイク2をお願いします無理ですごめんなさい」
「あーはいはい。それもなんか久しぶりだね」
なんかいきなり一色恒例のアレが始まったので、俺は途中からジョッキを片手にしながら話半分に聞くことにした。というか一色のコレ昔から早口すぎて何言ってんのかわからない問題。いろはすはっやーい。
「ちょっ、真面目に聞いてないじゃないですか。……まぁもう別にいいですけど」
「はいはい」
そうして一時騒然となりつつも、俺と一色は再度晩酌を再開した。
昔はこんなふうに、以前の知り合いと会って酒を飲み交わすことなどあり得ないと思っていたが、どうにもかくにも奇妙な縁が連なってこんな形に落ち着いているのを、しかし不思議には思わない。
そも、未来がどうなるかなんて神のみぞ知る世界でしかなく、そこに臆病になったり逃げたりすることは、高校の時に嫌になる程やったはずで、それに一喜一憂するのももううんざりするほどしたのだ。
つまり実際の未来なんてものは、俺の想像だにできないことばかりが起きるものだということだ。
だったとするならば。俺がアイドル事務所で働くというのも、あっても然るべきものかもしれない、とふと心によぎる。
雪ノ下にも言った通り、どうせ社会放逐までの最後の執行猶予期間の身なのだ。今ぐらい、好きにやったりしてもいいのではないか、と俺の胸にすっと奇妙な感情が湧いて出てくる。
それが、気の迷いなのか、俺が歩んだ人生の中で変わった結果の感情なのか、それは分からないが。
しかし俺が生徒会長にプロデュースした、初めての後輩が今こうして横で笑っているのを見て。
それも悪くないだろうと思ったのは、紛れもない事実だった。
つづけー。
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