【完結】ルビーがお姉ちゃん (座右の銘)
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幼年期
転生(アクア)


転生したところからスタートです。


俺は今、推しのアイドルに抱っこされてミルクを飲んでいる。

 

何を言っているのか分からないと思うので順を追って説明する。

大丈夫。俺だって今の状況が呑み込めていないんだから。

まあ聞いて欲しい。

 

産科医をしていた俺は、どうやらお亡くなりになられたらしい。話すと長いので要約すると、好きだったアイドルの妊娠を知って、ショック受けて、俺は死んだ。

ところがどうだろう。今俺はアイドル星野アイの息子として生きているというわけだ。

 

アイに授かった名前は星野愛久愛海(あくあまりん)。見事なまでにキラキラネームである。

要するに俺は生まれ変わったのだ。それも、前世の記憶を持ったまま。

 

「はんぎゃーっ!はんぎゃーっ!」

 

部屋の奥から泣き声が聞こえてくる。

そう、この家にはもう一人の住人がいる。

彼女の名前は星野瑠美衣(るびい)

俺の()()()()だ。

 

しかも、前世の記憶を持っているという。彼女も俺と同じくアイドルオタクで、アイ推しなのだそうだ。話を聞いた限り前世も女性で、雰囲気から察するに年齢は小学生くらいだったと思われる。

 

一体なぜその若さで命を落としたのか気にならなくもないが、どうせ良い思い出ではないだろうから彼女の方から打ち明けない限りは触れないことにした。

 

そんなことより。

 

こいつは俺よりほんのちょっと先に出てきただけで、お姉ちゃんという立ち位置を手にしている。

納得がいかない。こっちは中身アラサーのおっさんなのだが。俺がお兄ちゃんだろ。普通に考えて。

 

いくら今の俺が幼児だからって、いきなり0歳の子供を姉と思えるほど頭はやわらかくない。これは慣れるまで時間がかかりそうだ。

 

俺たち()()は生まれて間もない。

前世の記憶があるからと言っていきなり歩いたり喋ったりするのはNGだ。あくまで俺たちは乳幼児なのだから。

 

それはつまり立ったり歩いたりしても違和感が無くなる年齢までは何もしてはいけないということだ。前世の記憶があるだけに、これは非常にしんどい。何か思っても自由に発言することが出来ないのだ。大人が乳幼児の真似をするのは思った以上に骨が折れる。

 

必然的に、自由に動いたり喋ったり出来るのは大人がいない間だけとなる。俺たち二人が素の自分を出せるのは姉弟二人でいるときだけだった。

 

そして現在、アイは就寝しており姉弟が自由に動ける時間である。こっそり布団を抜け出して別室に移動する。すでにそこには姉が待っており。

 

「あ、アクアも起きたの?お腹すいてない?お姉ちゃんがママ起こしてこようか?」

 

いつものようにお姉ちゃん面してくるのだった。

 




アクア
産科医である雨宮吾郎の生まれ変わり。
原作とは異なり弟である。

ルビー
病室で人生の大半を過ごした悲劇の少女さりなちゃんの生まれ変わり。
原作とは異なり姉である。
やたらとお姉ちゃん面してくる。


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転生(ルビー)

ルビー視点です。


私はルビー。アクアのお姉ちゃんだ。

 

死んだと思ったらなぜか推しのアイドルである星野アイの長女として生まれ変わっていた。

そしてとっても可愛い双子の弟が一緒に生まれてきた。それがアクアだ。前世では独りぼっちだったから、弟が出来てすごく嬉しい。

 

アクアも前世の記憶を持っているようで、私と同じアイドルオタクでアイ推しらしい。

なんと弟が出来たと思ったらすでに趣味の共有までしてしまっていた。

 

理屈っぽくて一見クールな性格をしているが、ママの話になると目を輝かせてしゃべり始める。しばらく一緒に暮らして分かったけど、実は情に厚く優しい性格をしていて、根は良い子だ。

 

しかし、そんな可愛くて趣味の合う弟と自由に会話できるのは大人がいない時だけだ。私たちはまだ子供だから、子供らしくしないといけない。

 

ママが寝ると私はいつも布団から抜け出して隣の部屋へ行く。もちろんアクアとお話しするためだ。でもアクアはまだ赤ちゃんだから無理に起こしちゃいけない。だから先に部屋でスタンバイして、あとから来るアクアを待っててあげるんだ。

 

そして今日もアクアがやってくる。

 

「あ、アクアも起きたの?お腹すいてない?お姉ちゃんがママ起こしてこようか?」

「大丈夫。寝る前にミルク飲んだから。」

 

アクアは甘えるのが苦手だ。ママのおっぱいを飲まなかったりお風呂で目をつぶっていたり、赤ちゃんだというのにママに対してどこか遠慮している。前世の記憶を持っているから恥ずかしいのは分かるけど、ママに甘えられないのはやっぱり可哀そうだ。

 

お姉ちゃんとして、アクアとママが仲良くできるようにサポートしよう。そしてママと私でめいっぱいアクアを甘やかしてあげよう。

 

「赤ちゃんはすぐお腹すくんだから油断しちゃだめだよ。」

「心配し過ぎ。それにお姉ちゃんだって赤ちゃんだろ?」

 

言われてみれば私も赤ちゃんだった。さすが私の弟。頭も冴えている。

 

「明日はママのライブの生放送があるからね。どっちかが寝ちゃってたら起こすこと。約束だよ。」

「分かってるよ。」

 

明日はママの復帰後の初仕事、歌番組の生放送がある。生放送は絶対にリアルタイムで見たい。きっとアクアも同じ気持ちだろう。私はアクアと二人でリアタイ視聴する約束をした。

 

明日、母であり最推しのアイドルのアイのライブを、可愛くて趣味の合う弟とリアタイ視聴できる。生まれ変わってよかったと心から思う。

 

「じゃあお姉ちゃんはもう寝るね。アクアも夜更かししすぎないようにね。」

「うん。おやすみ。」

 

明日のライブでアクアはどんなリアクションを見せてくれるのだろうか。そんなことを考えながら眠りについた。

 




星野アクア
ルビーの弟。弟としての自覚があるためか、本編よりだいぶ素直。

星野ルビー
アクアの姉。
可愛い弟が出来たのが嬉しくてついお姉ちゃん面してしまう。


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ライブ観戦

「ルビー、生放送始まるぞ。起きなくていいのか?」

「むー・・・あとちょっとだけ・・・。」

 

目の前で眠っているのは俺の双子の姉のルビー。母であり推しのアイドルであるアイのことが大好きな俺のお姉ちゃんだ。そして俺と同じく転生者であり、幼児である俺たちはお互いが現状唯一の話し相手である。

 

寝ているルビーを先ほどから何度も起こそうとしているのだが、一向に起きる気配がない。

せっかく気持ちよさそうに眠っている姉を無理やり起こすのは心苦しいが、今はそうしなければいけない理由がある。B小町のライブの生放送がもうすぐ始まるのだ。

 

昨晩からとても楽しみにしていた一大イベントだし、ルビーは絶対に見逃せないはずだ。互いが眠っていたら起こす約束もしているので、もしルビーがライブを見逃したら恐らく俺が怒られるのだろう。ここは何とかして起きてもらいたいのだが。

 

「アイの復帰後の初仕事だぞ。起きないと後悔するぞ。」

「むり・・・眠い・・・」

 

前世の記憶があるとはいえ所詮は赤ん坊、幼児の体では眠気に抗えないようだ。俺も今の体では睡魔に勝てないからその気持ちは良く分かる。だがライブのために朝から体力を温存した俺に対し、ルビーはつい数十分前まではしゃぎまわっていた。人生経験の差が出たな。

 

力の抜けたアホ面をさらしながら眠りこける姉をよそに俺は一人テレビを見つめる。しばらく待つと、ついにお待ちかねの番組が始まった。

 

テレビから耳なじみのある音楽が流れてくる。ステージ上で歌って踊るアイがテレビ画面に映し出される。可愛い。相変わらず完璧なパフォーマンスだ。しかも産後間もないというのにセクシーなボディラインを見せつけながらキレのあるダンスを披露している。これが若さか。いや今は俺の方がずっと若いが。

 

アイの晴れ舞台を堪能していると、よたよたと可愛い物体がこちらへやってくる。やっと起きたかお姉ちゃん。

 

「まって・・・Nステもう始まってるじゃん!!どうして起こしてくれなかったの!?」

「何度も起こしたけど。」

「・・・マジ?」

 

ルビーが慌ててテレビの方へやってくる。眠気には勝てないお姉ちゃんだが、ママの歌声にはもっと勝てないようだ。なんと分かりやすい姉だろう。

 

「ターンの時の表現力まじやばない!?鬼気迫りすぎてむしろ鬼!?」

 

ライブを視聴するルビーは生き生きとしていてアイに負けず劣らず可愛い。小さな体を精一杯に動かして、楽しくて仕方がないというオーラを全身から振りまいている。

 

テレビにかじりついてひたすらアイのことを褒めちぎるルビーを見ていると、こちらまで楽しくなってくる。

 

「やっぱりアイは唯一無二の天才だ。」

「ほんとそう!ウチの母まじのまじで逸材過ぎる・・・!」

「お、今のカメラ目線決まってたな!」

「やばい魂持ってかれるかと思った!いやもう持ってかれてる!」

「アイー!いいぞー!可愛いぞー!」

「ママさいこー!頑張れー!」

 

生まれて初めてのB小町のライブ視聴は大いに盛り上がった。ルビーはアイの一挙手一投足を食い入るように見つめ、目線が合えば歓喜の声を上げる。俺も負けじとステージ上のアイドル達に負けない熱量で画面の向こうの推しを応援する。

 

画面に映るアイの笑顔に心を支配される。耳をくすぐる可愛い歌声に胸が高鳴る。アイを見ている間、辛いこと苦しいことをすべて忘れて、ただ幸せな気持ちで満たされる。やっぱりアイは最高だ。隣で夢中になってアイを応援しているルビーも同じ気持ちだろう。

 

ライブが終わるまでの間、俺たち姉弟この上なく幸せな時間を堪能したのだった。

 

「はあ、はあ・・・最高だったね、アクア。」

「ぜえ、ぜえ・・・うん。さすがだった。やっぱりアイが世界一のアイドルだと再確認した。」

「うわ、アクア、汗びっしょり。大丈夫?」

「それはお前もだろ。まあ、俺もライブに夢中でこんなになるまで気づかなかったんだけどな。」

「このままじゃ風邪ひいちゃう。大丈夫?寒くない?ちょっと待っててね、お姉ちゃんミヤコさん呼んでくるから。」

「うん。」

 

お互い気づいたときには息も絶え絶えで、汗をびっしょりかいていた。アイのライブに熱中するあまり、自分がまだ赤ちゃんであることも忘れて全力で動いてしまっていたらしい。

ルビーはいつものお姉ちゃんムーブである。ちょっと気に入らないが、自分を心配してくれているので悪い気はしない。

 

今日は最高の一日だ。最推しのアイドルであり母親であるアイのステージをルビーと共に思う存分楽しんだ。この後は心地よい疲労感に包まれながら眠って、起きたらアイが傍にいて笑いかけてくれるのだろう。

こんな生活がこれからも続いていくのか。ああ、俺は世界一の幸せ者だ。

 

星野愛久愛海(あくあまりん)として生きられる幸福を噛み締めながら、俺はついに体力の限界を迎え、眠りに落ちるのだった。



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意気投合

あれはまだ私とアクアが生まれてすぐの頃。

私は夜な夜なママのスマホをこっそり借りて隣の部屋で弄っていた。ママの素晴らしさを理解しない類人猿どもに宇宙の真理を理解させる神聖な活動を行うためだ。というのは半分冗談で、実際のところは話し相手がいない寂しさを紛らわせるために勝手にママのスマホで遊んでいただけ。

 

私は会話に飢えていた。何せ、一言もしゃべってはいけないのだ。目の前にママの美しい笑顔があっても褒めちゃいけないし、ミルクが欲しくてもおむつを替えて欲しくても泣くことしか出来ない。

それどころか、相槌を売ったり、面白い話を聞いて笑うのもNG。そんなことをしたら日本語を理解しているとバレてしまう。

 

マジのマジで、身動き一つ取らずに大人たちにお世話されることしか出来ない。そんな私の生活で楽しみと言えば、可愛い弟の寝顔を眺めるくらいなものだ。そんな生活がしばらく続くという現実に私は絶望していた。

 

そんなときだ。弟のアクアが話しかけてきたのは。

 

「お前もしかして、俺と同じか?」

「赤ん坊が喋った!キモー!」

「お前もだろ。」

 

赤ん坊が流暢に日本語を話すというあまりに異様な光景に、思わず罵倒してしまった。

対するアクアの反応は冷静なものだ。私が思いつく限りの悪口を言いながらツイッターでリプ合戦をしているところを見ていたから当然なのだけど。

 

「まあ双子だしな・・・。ルビーも前世の記憶を持ってる可能性は視野に入れていたが・・・。」

 

何やらぶつぶつとつぶやいている。アクアも一人きりで考え事をして過ごす期間が長かったから、目の前に話が通じる人間がいることに気付かずに考え込んでしまっているようだ。ここはひとつ、お姉ちゃんとして弟の悩みを聞いてあげよう。

 

「どうしたのアクア。何か悩んでるの?お姉ちゃんに話してごらん?」

「え、ああ、そうか。ルビーとは話しても問題ないんだよな。」

「そうそう。だからね、一人で考え込まないでお姉ちゃんに相談していいよ。」

「いやだ。」

 

断られた。ふふふ、シャイなんだな私の弟は。目をそらす仕草も可愛くて、ぷいっという効果音が聞こえてきそうだ

姉にすら心を開けないようではこの先大変だぞ?我が弟よ。しばらくはお姉ちゃんしかキミの話し相手になってあげられないんだからね。というか、お願いだから仲良くしてほしいな。じゃないとマジで心が死ぬ。

 

「そんなこと言わないでよ。アクアが私と同じだって分かって嬉しいんだよ。やっとお話しできるって。ねえ、アクアも寂しかったんじゃないの?」

「それは、まあ、そうだな。俺も話し相手は欲しいと思ってた。」

「でしょ。私とアクアはしばらく二人でいるときしか話せないんだから。お姉ちゃんと仲よくしよ?」

「妙にお姉ちゃん面してくるのが気になるが、もっともな話だ。仲良くしたほうが良いな。」

 

ちゃんと言えばアクアも分かってくれた。そっけない態度だけど、根は良い人なのかな。とにかく、アクアとは姉弟として仲良くしなきゃ。アクアが口を聞いてくれなくなったらまたあの地獄に逆戻りだ。

 

「ルビー。これからはアイが寝た後に目が覚めたときは、この部屋で待つことにしよう。俺たちが確実に二人きりになれるタイミングは深夜くらいしかないからな。」

「うん。分かった。」

「それから、ミヤコさんは育児に慣れてないからちょっと振り回せばすぐに疲れて寝る。」

「うわ、それはちょっとかわいそう。」

「なりふり構ってられるか。それに、普通の子供に比べれば俺たちの世話は楽なもんだよ。」

「それもそうか。普通はもっと大変なんだもんね。」

 

仲良くしようと決めた途端、アクアは私たちが会話できそうなタイミングを作るための方法を話し始めた。

やばい。私の弟、賢い。

というか、やっぱりアクアも一人でじっとしてるのは辛かったんだろうな。今も難しそうな顔をして、真剣に考えてくれているのが分かる。

 

「ねえ。もっとお話ししようよ。アクアはママのこと知ってるの?」

「俺はもともとアイドルオタクで、アイを推してたよ。ルビーはどうなんだ?」

「私もアイが一番好き。っていうかアクア、私のことはお姉ちゃんって呼んでよ。弟でしょ。」

「いや、お前雰囲気が子供っぽいし、なんか俺の方がお兄ちゃんっぽくないか?」

「何言ってるの。先に生まれたのは私。ママだって私のことお姉ちゃんって言ってたもん。これが全てだよ。」

「うーん。そうなんだけどさ・・・。なんか腑に落ちないなぁ。」

 

そんなに私って頼りない?

確かに前世では助けてもらってばかりだったし、実際のところお姉ちゃんってどういう存在なのかは良く分からないけど。でも、弟が出来たと分かってから妙にアクアに世話を焼きたいというか、可愛がってあげたい気持ちになる。これがお姉ちゃんになるってことなんだと思う。ひごよく?っていうのかな。とにかく、アクアを思いっきり可愛がって、甘やかしてあげたいんだ。

 

「そんなことよりさ。ママを推してるんだよね。もっとアイについて語ろうよ。」

「ああ。アイは最高のアイドルだ。まず顔が良い。それに表情も完璧なんだ。いつも吸い寄せられるような可愛い笑顔を崩さない。もうその一点だけでも他のアイドルとは一線を画しているな。でもそれだけじゃないんだ。例えば・・・」

 

アクアが目をキラキラさせて話し出す。ママのこと好きすぎでしょ。まぁ、私の方が好きに決まってるけど。

 

「・・・確かにあれは良かったよね!あの時のママは神がかってた!じゃあこの時のライブは知ってる!?これはね・・・」

「・・・当然見てるさ。あの頃のアイは何というかちょっとまだあどけない感じが可愛かったなぁ。ここ最近のセクシーなアイも良いけど、昔のアイもそれはそれで・・・」

 

ママのライブ全部見てるのかな。なんでも知ってるなぁ。

 

「「やっぱりアイは最高!」」

 

お互いが一通りママに対する思いを吐き出し終わる頃には、私とアクアはすっかり意気投合していた。アイの娘に転生しただけでも嬉しいのに、弟も前世の記憶を持っていて、アイについて熱く語ってくれるなんて。私は世界一の幸せ者だ。

 

「ありがとな。とても楽しかったよ。これからもよろしくな、お姉ちゃん。」

 

そういって笑いかけてくるアクアの瞳はママみたいに輝いていて、とても綺麗だった。

 



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はじめてのおっぱい

「アクア、いい加減ママのおっぱい飲んであげなよ。」

「いや、やっぱり恥ずかしいって・・・。」

「ママ、アクアに嫌われてるって思ってるかもよ。」

「それはそうなんだけどさ・・・。」

 

俺はまだ大人だった頃の自分を引きずっている。未だに俺はおっさんで、アイは推しのアイドルだという認識のまま赤ちゃんをやっている。だからアイが授乳をしようとすると全力で嫌がり、そのたびにアイに悲しい顔をさせてしまうのだ。

 

アクアは哺乳瓶が大好きだねーなどと言ってアイは笑っているが、内心は心配に思っているに違いない。前世でも子どもがおっぱいを飲まないことに悩む新米ママをたくさん見てきた。

 

ルビーの言う通りだ。赤ちゃんとして生きていく以上、自分のためにもアイのためにも授乳を受け入れた方が良いのは間違いない。いい機会だ。もうそろそろ今の状況を受け入れて、赤ちゃんから人生をやり直す覚悟を決めるべきなんだろう。

 

「分かった。今から俺は大人じゃない。一人のか弱い赤ん坊だ。」

「そうそう。その意気だよ。お姉ちゃんも応援してるからね。」

「じゃあお休み。」

「お休みアクア。」

 

翌朝。

 

「ルビー、アクア、おはよー。」

 

アイはいつも目が覚めると一番に俺たちの所へ来て笑顔を見せてくれる。すっぴんで髪も整えていないというのに、相変わらずアイは綺麗だ。

 

「ああーー、あんぎゃー」

 

隣にいるルビーが泣き出す。いつもの授乳の合図。

 

「はいはい、おっぱいね。ルビーはおっぱいすきだねー。」

 

おいしそうにおっぱいを飲むルビー。しばらく飲んでお腹いっぱいになった姉が振り返り、どや顔を向けてくる。ほら、アクアもお姉ちゃんみたいにやってみなさい、とでも思ってるんだろう。

恐らくいつもの流れでアイは俺にもおっぱいを飲ませようとする。

 

今までは自分のことを雨宮吾郎、アラサーのおっさんだと思って生きてきた。だから16歳アイドルのおっぱいを飲むなんて言語道断だし、お風呂でアイの生まれたままの姿を見るなんてもっての外だと思っていた。

 

だが俺は生まれ変わった。今は雨宮吾郎ではなく星野愛久愛海(あくあまりん)として生きている。そして今日、心まで赤ちゃんになるのだ。

 

「ルビーもうお腹いっぱい?よく飲めましたねー。はい、おねんねしましょうねー。」

 

アイが腕に抱いていたルビーを俺の隣へそっと寝かせる。親子そろって満足気な表情だ。

続いてアイは俺を優しく抱き上げる。首は手でしっかり支えられ、体も安定感がある。しかしどこも窮屈なところはない。抱っこも上手になったものだ。

 

「アクア、おっぱいのむ?」

 

そういいながらアイは俺の顔をおっぱいの前に近づけた。これまでに何度も断ってきたせいで、アイは恐る恐るという感じで聞いてくる。確かに不安だよな。自分の子供がおっぱい飲んでくれなかったら。何か自分の体がおかしいのか、子供に嫌われてるんじゃないかとか考えてるに違いない。俺のせいで不安な思いをさせてしまった。

 

でももう大丈夫。今日から俺は雨宮吾郎ではなく星野愛久愛海(あくあまりん)として生きていく覚悟を決めた。もうおっぱいなんて恥ずかしくない。さあ来い、ママのおっぱい。全力で応えて見せる。

俺はアイのおっぱいに吸い付き、生まれて初めて母の母乳を飲んだ。

 

「え、飲んでくれた。初めてアクアがおっぱい飲んだ!」

 

アイの嬉しそうな声が聞こえる。今までおっぱい拒否して悪かったな。これからはちゃんと飲むから。キミが喜んでくれて俺も嬉しいよ。

 

アイに抱かれて素肌で触れ合いながらおっぱいを飲んでいるとものすごく安心する。口が勝手におっぱいを吸って母乳があふれてくる。これが本能ってやつか。ああ、今まで俺はなんてもったいないことをしていたのか。変な意地を張らずに素直に赤ちゃんをやっていればよかった。

 

「アクア、必死に飲んでるねー。今まで我慢してたのかな?」

 

ああその通りだよ。赤ん坊なのに変なプライドこじらせておっぱいを飲むのを拒んでたんだよ。それも今日までだがな。今や俺はただの赤ん坊。何も後ろめたいことなど無い。

 

自分に足りない部分をぴったり埋めてくれるような、そんな充実感と安心感を感じる。赤ちゃんにとって授乳が、母親とのスキンシップがどれほど大切か。知識としては知っていたが、まさか自分の身で思い知ることになろうとは。

 

そろそろお腹いっぱいになってきた。この夢のような時間ももう終わりか。おっぱいから口を離すのも名残惜しい。

 

「もうおしまい?初めてのおっぱいよくできましたねー。」

 

ああ、おなか一杯になったらいい感じの眠気が。

 

「おねむかな?いやー寝顔もかわいいね。さすがうちの子だ。」

 

眠る間際に聞いた母の声は、とても満足気だった。

 

・・・

 

目が覚めるとルビーが隣で待っていた。

あのあと俺はアイに抱かれて眠ったようだ。ルビー曰く、これまでに見たことないほど満足気な表情をしていて、アイもすごく嬉しそうだったという。ミヤコさんや斎藤社長にも浮かれた様子で今朝の出来事を報告していたそうだ。

 

「良かったねアクア。おっぱい飲めて。ママもすごい喜んでたよ。」

「ああ、なんというか、すごい良かった。自分は赤ちゃんになったんだってことが良く分かったよ。星野愛久愛海(あくあまりん)としての自覚が芽生えた気がする。」

「あくあまりんw」

「人の名前を笑うな!!お前も似たようなもんだろ!」

 

こうして俺はようやく本当の意味で第2の人生を歩み始めたのだった。

 



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ミヤコさん攻略

 

「仕事の時間だ」

「はーい」

 

ママと社長はこれから仕事だ。

 

ママが仕事で面倒を見れない時は社長の奥さんのミヤコさんがお世話をしてくれている。ママほどじゃないけどとても綺麗な女性で、社長さんに選ばれるだけあって器量の良い人だ。どんなに仕事が忙しくて余裕の表情を崩さない、出来る女だ。

 

でも、そんなミヤコさんでも初めてのベビーシッターで双子の面倒を見るのは大変らしい。

 

「一応私、社長夫人じゃないの・・・?」

「美少年と仕事できると思ってアイツと結婚したのに!!」

「私はベビーシッターやりに嫁に来たんじゃねええええ!!」

 

やばい。なんかキレてる。

 

「なあ、お姉ちゃん。ミヤコさんの様子がかなりヤバいぞ。このままだと俺たち虐待されるかも。」

「虐待ってなに?」

「親が子供をいじめることだ。ミルクくれなかったり、放置されたりするぞ。」

 

親が子を虐める。子供を放置する。身に覚えがある。ああいうの、虐待っていうんだ。

 

前世で人生の大半を過ごしたあの病室を思い出す。パパもママも病院に来てくれなくて、ずっと一人ぼっち。看護師さんや患者さんに気に入られるために、自分を押し殺してか弱い少女を演じ続けた日々。

 

「ねえ、アクア。何とかならないの?私虐待されるなんて絶対嫌だよ。」

「赤ちゃんにできることなんてほとんどない。せいぜい可愛くして気に入られることくらいだな。」

「可愛く・・・ね。」

 

自慢の弟の賢い頭脳をもってしても有効な解決策は浮かんでこない。

また前世と同じようにいい子を演じなければならないのだろうか。まあ、私だけならまだ良い。こういう事には慣れている。幼稚園に入ればミヤコさんがベビーシッターをする必要もなくなるから、それまでの辛抱だ。

 

でもアクアはどうだろう。か弱い存在を演じてミヤコさんに上手く気に入られることが出来るだろうか。彼は人に甘えるのが苦手で実の母にすら遠慮があったのに。

 

私が何とかしなきゃ。

私は前世でよく赤ちゃんや小さい子供の動画を見て癒されていた。どんなシチュエーションで子供の可愛さが引き立てられるのか、きっちり把握している。今こそその知識を生かす時だ。

 

「ほらアクア、笑って。」

「えぇ、いきなり言われても・・・」

「じゃあこうしてやる!」

「あはあ。くすぐったい!」

 

お腹をくすぐってあげると、アクアは可愛い声で笑い転げた。いいぞ、可愛いぞ、我が弟。その調子だ。ミヤコさんをメロメロにしつつ可愛い弟とスキンシップをとる口実にもなる。我ながら良い作戦を考えたものだ。さて、ミヤコさんの反応はどうか。

 

「やば・・・。この双子可愛すぎない?ヤバい、何かに目覚めそう・・・。」

パシャ、パシャ

 

よし、もう可愛くてたまらないという感じの表情だ。作戦は成功。私とアクアのあまりの可愛さに完全にやられてるね。写真まで取っちゃってる。

 

「ミヤコさんも赤ちゃんの可愛さには抗えないってことだね。子供同士が楽しそうに遊んでるシチュエーションってすごい癒しなの。どう、お姉ちゃんすごいでしょ?」

「ああ、助かったよ。」

「これからミヤコさんの前ではちょっとあざとい位の感じで仲良くしようね。」

「うーん、なんだかルビーの思惑通りって感じで癪だが、仕方ないか。」

 

意外とミヤコさんはチョロかった。そして、可愛い弟とイチャイチャする口実もできた。私、天才かもしれない。

 

・・・

 

「ほーら、ミルクの時間ですよー。」

 

あれからミヤコさんは私たちにとても優しくしてくれるようになった。あと、もともと綺麗だったけど、雰囲気がもっと柔らかい感じになって大人のお姉さんって感じでますます綺麗になった。まあ、ママとアクアの可愛さには劣るけどね。

 

「ベビーシッターにも慣れてきたし、こんなに可愛い子たちを独り占めできるんだから、こういう生活も悪くないわね。」

 

いくら何でも変わりすぎじゃないかと思うこともある。もともとそういう素質があったのだろうか。普通に過ごしていれば勝手に母性に目覚めてくれて、私が何かをする必要もなかったかもしれない。

 

ちなみに、あの日ミヤコさんが取った写真はアイにも送信された。その結果、

 

「うちの子きゃわー!!ミヤコさんずるい!こんな可愛い子供たちを独り占めしてたの!?」

「お、アイ。おまえいい笑顔するようになったじゃねえか。ソレ使えるぞ。」

「なるほど・・・コレがイイのね、覚えちゃったぞー。」

 

アイはますますアイドルとしての輝きを増していくのだった。

 




ミヤコさん
可愛い双子の様子をみて、母性に目覚める。

アクア
なんだかんだルビーのことをお姉ちゃんとして認めつつある。

ルビー
子どもが好きで、前世では赤ちゃんや小さい子供の動画を見るのが好きだった。


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こどおじ監督と天才子役

あれから1年。

俺たちは立ったり喋ったりしても怪しまれないくらいには大きくなり、姉はますます俺を甘やかすようになっていた。もう大人に隠す必要もないと開き直っている。

 

「アクア。お姉ちゃんがよしよししてあげるー。お腹空いてない?ママのおっぱい飲む?」

「やめてよお姉ちゃん!恥ずかしいって!もうおっぱい飲む年じゃないだろ。」

「よーしよしよしよし。」

「やめろ。俺は犬や猫じゃないぞ。」

 

一方、俺は俺で母とのスキンシップに抵抗がなくなり、前世の記憶があること以外は完全に幼児として生きていた。姉と母の愛情を一身に受け、すくすくと成長している。もう母親の愛情に飢えたアラサーのおっさんではない。家族からうっとうしいほど溺愛され、それもまんざらでもないと内心思っている一人の男の子がそこにいた。

 

「母さん、助けて。」

「おいでーアクア。ママはこっちだよー。」

「あー、ずるーい。アクアを取らないでよ。」

「アクアが自分で来たんだから、ママは取ってないよー。」

「むむむ・・・」

 

星野一家は今日も仲良しだ。

 

モデルにラジオアシスタント。アイは着実に仕事を増やしている。今日はその集大成と言える仕事の日だ。いつもなら家でお留守番になるところだが、ミヤコさんにおねだりしたところ現場に連れて行ってもらえることになった。

 

「いい、二人とも。現場では私のことをママって言うのよ。間違ってもアイさんのことをママって呼んじゃだめだからね。」

「はーいママ」

「ミヤコママー」

 

ミヤコさんはにやけた顔をしている。以前間違えて母さんと呼んだことがあるが、その時も同じようなにやけた顔をしていたっけ。あれ以来、自分のことをママと呼ばせようとしてくるようになった。今日の現場はミヤコさんにとっても楽しみなのだろう。俺たちの母親として、自身をママと呼ばせる口実が出来たのだから。

 

仕事の内容はドラマの撮影だった。アイにとっては初のドラマ出演となる。その日の撮影は問題なく終わったが、俺はなぜか監督に気に入られ、名刺を渡されたり映像業界について教えてもらったりして監督と仲良くなった。

 

そして放送当日。

 

「さ!オンエアーだよ!結構撮ったからね。」

「ママの演技楽しみ!」

「母さん、どんな感じで映ってるんだろうな。」

「あっ、このシーンだ!」

「あっ、ママ!!」

「もっと大きく映せ!!」

「・・・」

「・・・」

「えっ、これだけ!?」

「ワンシーンちょびっとじゃん!!」

「私演技ヘタだったのかなぁ・・・」

「そんなことないよっ」

 

アイの出演時間はほとんど削られていた。居ても立っても居られず、監督に貰った名刺の番号に電話をかける。

 

「ちょっと監督!アイ全然使ってないじゃん!」

「あー、あれなぁ。・・・」

 

監督は事情を丁寧に説明してくれた。アイが可愛すぎて主演の女優を食ってしまった。だから上からの要望で出演時間を削らされたという事のようだ。

 

それでも納得いかない様子の俺に、監督はある提案をしてきた。アイに映画の仕事を振るというのだ。俺が出ることを条件に。

 

「母さん、ルビー、ちょっといいかな。例の監督と話したんだけど、また母さんに映画に出て欲しいって言ってたよ。俺も共演で。」

「えーっ、アクア、ママと共演するの!?」

「へぇ、アクアが役者さんかー。さすが私の子。」

 

アイとルビーの反応も上々だ。このまま話を進めても良いだろう。

 

それからミヤコさんや社長にも話を通し、俺は苺プロ所属の子役、星野アクアとして芸能界に足を踏み入れたのだった。

 

・・・

 

「本日はアクアがお世話になります。」

 

今日は俺とアイが出演する映画の撮影だ。ミヤコさんと一緒に監督への挨拶を済ませ、俺はルビーと一緒に台本を読んでいた。

 

「アクア、緊張してない?お姉ちゃんが手握っててあげようか?」

「いいって。いろんな人が見てるんだぞ。恥ずかしいよ。」

「今日はママいないんだよ。無理しないでね?」

「だから大丈夫だよ。」

 

相変わらずのお姉ちゃん面である。しかし鬱陶しいと思う反面、なんだかんだ姉が構ってくれるおかげで緊張してないのも確かだ。今回ばかりはお姉ちゃんが一緒に居てくれて良かったと思う。

 

そんな時だ、あの天才子役と出会ったのは。

 

「ここはプロの現場なんだけど!あんたお姉ちゃんと一緒じゃなきゃ原稿も読めないの?遊びに来てるなら帰りなさい!」

「えと・・・」

「私は有馬かな。今日の共演者よ。」

「重曹を舐める天才子役・・・?」

「10秒で泣ける天才子役!!」

 

重曹はないだろう、お姉ちゃん。

 

「知ってるわよ。あなたコネの子でしょ!」

「いや、そういうわけじゃ・・・」

「こないだ監督が撮ったドラマ見たけど全然出番なかったじゃん。どうせカットしなきゃいけないほどへったくそな演技したんでしょ。媚びうるのだけは上手みたいだけど!」

 

アイのことを貶され、殺意が芽生える。

 

「アクア・・・」

「分かってる相手はガキだ・・・殺しはしない・・・」

 

第一印象は最悪だった。

 

「ところでアクア、どんな役をやるの?」

「ああ、村の入り口で主人公の女が出会う気味の悪い子供だってさ。」

「ああーアクア確かに気味悪いもんね。」

「なんだよ急に。」

「だって喋り方が子供じゃないもん。」

「それはそうだけど。というか逆にお姉ちゃんはなんで違和感ないんだよ。」

「ま、まあそんなことはどうでもいいよね。ほら、撮影してきなよ。」

 

露骨にはぐらかしたな。まあ、前世でも子供だったから年下扱いされるのが嫌だとか、そんなところだろう。今は同い年なんだし、別に気にしないんだけど。

 

さて、そろそろ撮影が始まる時間。お姉ちゃんとはちょっとの間お別れだ。

 

撮影開始。村の入り口に有馬かなと俺が並んで立つ。先にセリフを喋るのは天才子役の有馬かな。

 

「ようこそおきゃくさん。かんげいします・・・」

 

天才子役と言われるだけあって、演技が上手い。同じことしても実力差で目も当てられないことになるな。ズブの素人でもそれくらい分かる。

 

ならどうする。普通に考えれば気味の悪い子供の演技をすればいい・・・。あ、そうか。

 

『ああーアクア確かに気味悪いもんね。』

 

お姉ちゃんの言葉が脳裏によぎる。そうだ、演じる必要なんかないんだ。監督の意図が分かった。ありのまま、普通に話せばそれでいい。

 

ありがとうお姉ちゃん。いいアドバイスだ。

 

「カット、OKだ!」

 

お姉ちゃんのおかげで良い仕事が出来た。何やら10秒で泣ける天才子役が納得いかない様子で癇癪を起しているが、監督がOKというのだから問題ない。

 

撮影後、役者に一番大事な要素はコミュ力と監督に教わった。他の役者やスタッフに嫌われたら仕事なんてすぐなくなるという。そういえばミヤコさんに虐められそうになった時も似たようなことを考えたっけ。人間社会で生きていくためには人に気に入られることが大事だと。

 

監督は俺のことを褒めてくれた。いつも通り話しただけの俺に、ぴったりの演技が出来ていたと言ってくれた。言語化できない監督の意図を台本から読み取り、正解の画を作ってくれたと言ってくれた。

 

でも、俺一人で同じことができただろうか。監督の意図が読めずに、下手糞な演技を披露することになっていたかもしれない。お姉ちゃんのあの一言が無ければ気づけなかったかもしれない。

 

生まれてこの方、お姉ちゃんのコミュ力に助けられてばかりだ。

 

 



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私も踊って良いんだ!

あの映画撮影から2年の年月が経過した。

 

アイが二十歳になり、大きく飛躍する年の話だ。

 

「んー今日も可愛い!!可愛いよー!!」

「まぁトータルではママの方が可愛いけどね。」

「なんの対抗意識」

 

私たちは幼稚園に入園した。

 

園児服を着た私とアクアにママはご満悦の様子。私もアクアの園児服姿にテンションが上がりっぱなしだ。まぁ、ママの可愛さには及ばないけどね。

 

前世の私が病気になったのは確かこれくらいの年で、幼稚園で遊ぶのは初めての体験だ。弟のアクアはそうでもないようで、遊具には目もくれず難しそうな本を読んでいる。少しは園児らしく出来ないのだろうか。

 

とにかく、前世でできなかった遊びを満喫できて初めての幼稚園生活は毎日が楽しかった。そんなさなかの出来事。

 

「皆ー、お遊戯の時間ですよー。皆の踊りを保護者の方も見に来てくれるから!一生懸命練習しましょうね!」

「やだ!!私やらない!!」

 

お遊戯の時間でダンスをすることになったのだ。でもダンスなんてできる気がしない。しかも保護者が、ママが見に来る。私は思わずその場から逃げ出してしまった。

 

前世でみた光景が思い出される。

 

思い通りに動いてくれない身体。歩こうとしてもすぐに転んでしまい、踊るどころではない。目の前に迫る病院の床に何度ひじを打ち付けたことだろう。

 

木陰でいじけていると、アクアが追いかけてきた。

 

「なんで逃げ出すのさ。」

「私ダンス下手だから。っていうかしたことない。」

「いつも部屋に閉じこもって遊んでたのか?現代っ子め。」

 

そんな生易しいものではないけれど。

 

「まぁ・・・大体そんな感じ。何度か挑戦したけど出来なかった。運動は出来る気がしない。」

「これまでの事は知らんけど・・・それでいいの?俺たちの人生、これから長いんだぞ?」

 

これからの人生・・・

 

そういえばアクアは前世で何歳まで生きていたんだろう。12歳で死んだ私とは人生観が違うというか、ちゃんと先のことまで考えてる。

 

「でも・・・。」

「大丈夫だ。いつもあんなに元気に走り回ってるじゃないか。それにお姉ちゃんはアイの娘だぞ?ダンスの才能だってあるに決まってる。」

 

元気に走り回って・・・。そういえばそうだった。私、元気だ。ちょっと前世の辛い記憶を思い出して、踊れないと決めつけていただけ。

 

今の私は病気じゃない。大人になるまで生きていられる。身体だってちゃんと動く。ダンスだって踊れるかもしれない。

 

「そうだよね。今の私ならきっとダンスだって踊れる!ありがとうアクア!」

 

そうと決まれば、練習だ。家には大きな鏡がある部屋があって時々ママはそこでダンスの練習をしている。ママは一流のアイドルだから、家でも練習を欠かさない。私もそこで練習しよう。

 

家に帰ると、さっそくダンスの練習を始めた。大きな鏡の前に立ち、恐る恐る体を動かしてみる。しかし思ったようにはいかない。うまく動けずに転んでしまう。

 

やっぱり私にダンスは踊れないのかな。そんなことを考えていると、ママとアクアが部屋にやってきた。

 

「あれ?ダンスの練習?じゃママもやろーっと。今度ライブで昔の曲やるから練習しないと。」

「へえ、母さん今度は何の曲やるの?」

「これこれ。」

 

ママが曲に合わせて踊りだす。聞き覚えのある曲だ。でも、記憶にあるママの振り付けと少し違う。

 

「ママ、そこの振りちょっと変。武道館の時もっと手高かったよ。」

「そうだな。言われてみればちょっと違うかも。しかしお姉ちゃんよくそんな細かく覚えてるな。」

「あれー、二人とも私のライブ映像観たの?よく覚えてるねー。」

 

当たり前だよ。

 

ママのライブ映像は何百・・・何千回も見た。振りだって全部覚えてる。

 

私の人生はその殆どを病室で終えた。体は不自由で言うことを聞かず、立ち上がることすらままならぬ中で、ひたすらにあこがれ続けた。

 

振りだって全部覚えてる。ママのかっこいい動きは全部脳裏に刻まれてる。あの光は全部網膜に焼き付いてる。

 

「どんなだっけ。」

「ここの時はもっと・・・」

「あ、お姉ちゃん!大丈夫?」

 

記憶の中にある振りを見せようとするが、またしても転んでしまう。振りは完璧に覚えているのに、その通りに動けない。どうしても倒れることばかり考えて、受け身を取ろうとしてしまう。

 

やっぱり私にダンスなんて出来ないのかな。

 

「転ぶのを恐れたらもっと転んじゃうものなんだよ。もっと堂々として、胸を張って立つの。」

「そうだよお姉ちゃん。母さんの娘なんだから、踊りだって上手になれるに決まってる。」

 

ママは優しく私を抱き上げて教えてくれる。アクアも応援してくれている。

堂々と、胸を張って。そうか、ママみたいにすれば。

 

「大丈夫だよ。ママを信じて。」

 

その一言はまるで魔法の呪文のように、私の動きを変えてくれた。

 

体が自由に動く。思い通りに表現できる。どんどん上手になっていくのが楽しくて仕方がない。

体を動かすのがこんなに気持ちいいなんて知らなかった!

 

 

ああ、私も踊って良いんだ!

 

 

それからというもの、私は一人でダンスの練習に打ち込むようになった。幼稚園のお遊戯で踊る分だけではない。踊りたいB小町の曲が沢山ある。振りは全部完璧に覚えてる。後は自分の身体で表現するだけ。

 

いつか私も、ママみたいに踊れるようになれるかな。

 

 





ほとんど本編と同じになってしまった・・・


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愛してる

「全く酒がうめぇな!ほれ、新居祝いの酒だ!飲め飲め!」

「わー森伊蔵だー。」

「駄目ですよ。アイさんが二十歳になるのは来週。もうちょっと我慢してください。」

「あーそうだったそうだった。」

 

母さんの仕事は順調。フォロワーも100万人を超えた。世間は母さんを見ている。

 

新居に引っ越し、ドームでのライブが決まり、社長もこの上なく上機嫌。

 

「アイが主役のドラマも視聴率上々!B小町全他の仕事もびっちり埋まって・・・いよいよ来週はドームだ!がははっ!」

 

それを聞いている母さんも嬉しそうに笑っていた。

 

・・・

 

今日はドーム当日。晴れ舞台に備えてゆっくり時間をとれるよう、午前中の仕事は入れていない。昼過ぎまでは家でゆっくりできる。

 

「ルビー、アクア、今日はね、ママ凄いところでライブするんだよー。」

「知ってる!ドームでしょ!お客さんいっぱいなんでしょ!」

「よく知ってるねールビー。えらいえらい。」

「俺だってそれくらい知ってるよ。」

「もーアクアすねないで。ほらお姉ちゃんがエライエライしてあげるから。」

「母さん、俺にもやってー。」

「はいはい。アクアもえらいぞー。」

「もう!いつもアクアを取るんだから!」

 

親子水入らず。お姉ちゃんも俺も、アイの晴れ舞台が楽しみで仕方がなかった。

 

こんな浮かれた気持ちじゃなければ、あの惨劇は防げたのだろうか。

 

・・・

 

ピンポーン

 

呼び鈴がなり、母さんが応対しに玄関へ行く。なんとなく気になり、俺も後についていった。扉の向こうからガチャ、と玄関を開ける音が聞こえる。

 

俺が玄関に出たときに目に飛び込んできたのは、お腹を押さえて後ずさる母さん。

 

その奥には黒いパーカーを来た男が立っている。その手には、血まみれの・・・ナイフが・・・。

 

母さんの足元に血が流れている。ものすごい量だ。どういうことだ。なんで血が。あ、男が持っていたナイフ。それで刺されたのか。母さんが、ナイフで、刺された・・・。

 

「ふはっ・・・痛いかよ。俺はもっと痛かった!苦しかった!」

「ファンの事蔑ろにして、裏ではずっと馬鹿にしてたんだろ!この嘘つきが!!」

 

この男は何でこんなに怒ってるんだ・・・?アイが嘘つき?

 

茫然自失の俺をよそに、母さんと男の会話は続いていく。ようやく俺が事態を把握できた頃には、男は逃げ出していた。

 

ドンッと音を立てて、母さんがリビングの扉に倒れこむ。お腹は血で真っ赤に染まっている。前世が医者でなくたって分かる。この出血量はマズい。

 

「母さん!!!きゅ・・・救急車呼んだから!!」

「いやぁ油断したね、こういう時のためにドアチェーンてあるんだ。施設では教えてくれなかった。」

 

こんな状況だというのに、母さんはいつもと変わらない気の抜けた口調で喋っている。しかしこの出血だ。腹部大動脈が切れている。早く止血しないと・・・!

でも、どうやって!?止血できそうなモノが、手段が、無い。

 

このまま出血が続いたら・・・!

 

「ごめんね」

 

不意に母さんに抱きしめられる。ぐちゃ、と血がしみ込んだ服の感触を胸のあたりに感じる。

こんな状況だというのに、母親に抱かれて安心感を感じてしまう。

 

「多分これ、無理だぁ。大丈夫?アクアは怪我とかしてない?」

「・・・してない。」

「今日のドームは中止になっちゃうのかな・・・皆に申し訳ないな。映画のスケジュールも本決まりしてたのに、監督に謝っておいて。」

 

無理ってなんだよ。そんな遺言みたいなこと言わないでくれよ。これじゃ、本当に・・・

 

「ねぇ、どうしたの・・・?そっちで何が起きてるの・・・?」

「来るな、お姉ちゃん・・・」

「ねえってば!」

 

異常を察知したお姉ちゃんがやってきて扉越しに聞いてくる。こちらの状況は良く分かっていないらしい。

 

「ルビーのお遊戯会の踊り・・・良かったよー。私さ、ルビーももしかしたらこの先、アイドルになるのかもって思ってて。いつかなんかうまく行ったら親子共演みたいなさ、楽しそうだよね。」

 

残された時間は少ないと悟ったのか、ゆっくりと母さんは語り始めた。

俺は一言一句聞き逃すまいと、母の最期を記憶に刻み込む。

 

「アクアは役者さん?二人はどんな大人になるのかな。あーランドセル。小学校の入学式も見たいし、授業参観とかさー。ルビーのまま若すぎないーとか言われたい。二人が大人になってくの、側で見てたい。」

 

抱きしめる腕から力が抜けてきた。俺に語り掛ける声が震えている。母さんが死ぬ瞬間は着実に近づいている。急激に弱っていく。

それでも母さんは話すのをやめない。

 

「あんまり良いお母さんじゃなかったけど、私は生んで良かったなって思ってて。えっと他に・・・。あ・・・これは言わなきゃ。」

 

「ルビー、アクア」

 

扉の向こうのルビーと、腕に抱かれる俺を見て、それぞれの名前を呼ぶ。

直感した。次の言葉が、母さんの最後の言葉だ。

 

 

「愛してる」

 

 

「ああ、やっと言えた。ごめんね、言うのこんなに遅くなって。あー良かったぁ。この言葉は絶対、嘘じゃない。」

 

そう言い残して、母さんは動かなくなった。

 

血に濡れた母さんの右手が、俺の頬からぬるりと落ちていく。もう瞳からは光を感じない。

 

「母さん・・・。母さん・・・?」

 

母さんは死んだ。たった今、俺の目の前で。呼びかけても返事をすることはない。

動かなくなった母親の前で、俺はただ立ち尽くすしかなかった。

 

目の前にある母さんの身体からはまだ血が流れている。どんどん冷たくなっていく。ついさっきまで生きていたのに、もう生気を感じない。

 

お姉ちゃんが扉の向こうで泣いている。

 

 

・・・警察に保護されたとき、俺はすっかり冷たくなった母にしがみついて離れなかったそうだ。

 





筆が進まないし肩がこる。
やっぱりこのシーンは辛い。



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フラッシュバック

原作には存在しない話です。


ママはストーカーにナイフで刺されて死んだ。ミヤコさんからそう伝えられた。

 

あの日、私はリビングと玄関を隔てる扉の前で、ただ泣くことしか出来なかった。扉のガラスの所から見えたのは、ママの背中と真っ赤な血。

 

ママとアクアは何か話しているみたいだったけど、扉の向こうで何が起きていたかは良く分からない。でも、ガラス越しに見える血と、だんだん小さくなっていくママの声で、ママがどうなるかだけはなんとなく分かった。

 

思い出すだけで体が震える。ママが死んでしまうその瞬間の記憶。

 

まるでその場にいるようにはっきりと見える。ママとアクアの声が聞こえる。今この瞬間、私は事件の日のあの場所にいる、そんな錯覚に陥る。

 

「来るな、お姉ちゃん・・・」

 

アクアは確かにそう言っていた。ママはナイフで刺されていたから、きっと血まみれだっただろう。アクアは私にそんな光景を見せたくなかったんだと思う。結果として何も分からないまま、私には大好きなママが死んだという事実だけが残った。

 

じゃあ、扉の向こうにいたアクアは?

 

アクアは全部見ていたはずだ。ママがナイフで刺されるところも、血が沢山流れているところも・・・ママが死ぬ瞬間も。

 

恐ろしい。

 

そんなモノを見たらどうなってしまうだろう。私ならとても耐えられない。

 

・・・

 

アクアの異変に最初に気付いたのは、あの事件の後、家に帰って玄関を通り抜けようとした時だった。ママが死んだあの扉の前で、アクアは不意に立ち止まった。

 

「母さん、母さん・・・嫌だ・・・死なないで・・・」

 

何もない空間にアクアが話しかける。目は虚ろで、現実を見ていないようだった。震える声は、あの日扉越しに聞いたのと同じ声。

 

すぐに分かった。私と同じだ。アクアには扉にもたれて座り込むママが見えている。アクアは今、記憶の中にいる。

 

アクアの様子がおかしいことに気付いたミヤコさんがアクアに駆け寄る。

 

「アクア!大丈夫?しっかりして。」

 

前を歩いていたミヤコさんはアクアを正面から抱きしめ、背中をさする。ところが、アクアの様子がおかしい。落ち着くどころか余計に切羽詰まった様子で、ミヤコさんを払いのけようとしている。

 

「ああ、邪魔しないで!母さんが・・・母さんが!」

「落ち着いてアクア!アイはここにはいないのよ。」

「うわあぁああ!」

 

アクアがあんなに苦しんでいる。耳を塞ぎたくなるほど悲痛な声で叫んでる。あの日アクアが何を見て、何を感じたのかは分からないけれど、やっぱり耐えられないくらい辛い光景だったってことだ。

 

でも、邪魔されるのはもっと嫌なんだ。

 

「ミヤコさん。アクアから離れて。」

「どうして。」

「いいから!離れて!」

 

ミヤコさんがアクアから離れる。すると、アクアの様子も少し落ち着いたようだった。相変わらず目は虚ろで、うわごとをつぶやいていることには変わりないけど。

 

やっぱりそうだ。アクアにはママが見えてる。

 

「ねえ、ルビー。どうして止めたの?」

「アクアはね、ママとの最後のお別れをしてるんだよ。」

「あの日のことを思い出してるのよね。だったら止めてあげた方が・・・」

「そうかもしれないけど・・・。でも、今アクアの目の前にはママがいるんだよ?無理に引き離したら可哀そう。」

 

辛いのは間違いない。アクアほどじゃないけど私も辛いから分かる。

 

でも、ママが目の前にいて今まさに命が尽きようとしているのに、それはただの記憶だと言われて現実に戻ってこれるだろうか。そんなはずはない。最後の瞬間まで一緒に居たいと思うに決まっている。

 

アクアとママの間に割って入るなんて私にはできない。

 

「あれ・・・?母さんは?俺は何して・・・」

「アクア。お帰り。辛かったらいつでもお姉ちゃんに言ってね。」

 

私が出来ることは、アクアが戻ってきたときに隣にいてあげること。そして辛い気持ちを少しでも和らげてあげることだ。お姉ちゃんとして、アクアの傍にいてあげよう。

 

辛いとき、一緒に居てくれる人が一人いるだけでどんなに救われるか、私は痛いほど知っている。

 

あの病室では死を待つだけの私だったけど、せんせと話している間は、辛いことを忘れられた。せんせが病室に来ると分かっていれば、孤独にも耐えられた。寄り添ってくれる人がいるだけで、人は何倍も強くなれるってことをせんせは教えてくれた。

 

今度は私の番なんだ。アクアの一番近くで寄り添ってあげられるのは姉ちゃんである私だ。アクアが辛くて駄目になっちゃいそうなとき、私が傍にいてあげるんだ。

 

大丈夫だよ、アクア。お姉ちゃんがついてるからね。

 

 





ルビーのお姉ちゃんムーブにより原作よりアクアの精神状態は良くなります。そしてアクアからルビーお姉ちゃんへの信頼はより強固なものになるのでした。

お姉ちゃん、アクアを頼むよ。



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プロローグ

幼年期編ラストです。


あ、まただ。母さんが見える。

 

血の匂いがする。お姉ちゃんの泣く声が聞こえる。母さんの体温を感じる。怖い。辛い。苦しい。あの日感じたすべてをそのまま感じる。

 

「愛してる」

 

その言葉はもう何回も聞いたよ。

 

ねえ、死なないでよ。お願いだから。いなくならないで。嫌だ。嫌だ。嫌だ。

 

息が出来ない。体の震えが止まらない。辛い。苦しい。母さんの命が尽きようとしているのに、何もできない。指一本動かせない。

 

母さんが動かなくなる。瞳の輝きが消える。どんどん冷たくなっていく。ああ、そろそろ終わりか。

 

「お帰り、アクア。大丈夫?手握っててあげようか?」

 

あの日の記憶から目が覚めると、お姉ちゃんが話しかけてくる。

 

母さんがストーカーに刺し殺されたあの日から、俺はこうしてフラッシュバックに繰り返し苦しめられている。一度始まったらどうしようもない。現実ではないと頭では理解しつつも、あの時感じていたすべてをただ受け止めることしか出来ない。

 

お姉ちゃんはそんな俺を記憶から引き戻すことはせず、ただ傍にいてくれる。すべてが終わったとき、優しく声をかけてくれる。それが何よりの救いだった。

 

事件があってから、俺はずっとこんな調子だ。

 

「ねぇ、二人が良ければ本当にうちの子になりませんか?」

 

ミヤコさんから提案があった。俺たち二人を本当の家族として迎え入れようというのだ。

 

「もちろん二人の母親はアイさんしか居ない。私の事を母親だなんて思わなくても良い。でも私は君たちを自分の子供のように思ってる。どう?」

 

最初に反応したのはお姉ちゃんだった。目に涙を浮かべてミヤコさんに縋りつく。

 

やっぱりお姉ちゃんは凄いな。辛いとき、人に素直に甘えることが出来る。性格が良いって、こういう事を言うのだろう。俺には出来ない。

 

でも、お姉ちゃんと一緒ならできる。いつだってお姉ちゃんは俺を導いてくれた。

 

「アクア。お姉ちゃんと一緒においで。」

 

ほら、やっぱり。

 

「お姉ちゃん。ミヤコさん。」

 

俺もミヤコさんとお姉ちゃんに駆け寄る。ミヤコさんは優しく抱き止めてくれる。母さんを失った悲しみはすぐには癒えないけれど、こうして寄りかかれる人がいてくれるから何とか今日を生きていられる。

 

希望なんてない。未来の事なんて今は考えられない。でも、死ぬのは違う。お姉ちゃんが居てくれたおかげでそう思えた。お姉ちゃんが俺を支えてくれたように、俺がお姉ちゃんを支えてあげたい。きっとどちらが欠けてもダメなんだ。

 

俺たちは、姉弟だから。

 

・・・

 

事件から3日も経てば、アイの死亡というコンテンツは消費されつくし、少し早い雪が降り、交通網が麻痺というニュース以降話題に挙げられることも無くなった。

 

雪が、アイの死を覆い隠すように。

 

母さんの葬儀は、その知名度から考えると小規模なものだった。どこからか話を聞きつけて、葬儀の会場を母さんのファンと思しき人の群れが取り囲んでいる。

 

母さんは死んだ。葬式をみて、そんな分かりきったことをあらためて実感していた。

 

俺とお姉ちゃんは葬儀会場の外の車で葬儀が終わるのを待っていた。窓ガラスから外を眺めているお姉ちゃんの視線の先には群衆に囲われた葬儀会場があった。サイリウムやうちわなどを掲げ、母さんのファンであろう人達が思い思いの方法で追悼の意を表している。

 

「ママ言ってた。私がアイドルになるんじゃないかって。アクアは私なんかでもなれると思う?」

「なって欲しくない。アイドルになったら母さんみたいに殺されるかもしれない。お姉ちゃんまでいなくなったら俺は耐えられない。」

「うん・・・それでも、ママはキラキラしてた。」

 

お姉ちゃんは立ち直っていくのだろう。強くて、純粋で、人と支え合いながら上手に生きていける。

 

対する俺は・・・。

 

『アクアは役者さん?』

 

あの時の母さんの言葉が頭をよぎる。

 

母さんは言ってくれた。俺は役者になるんじゃないかって。子役として演技する俺を褒めてくれた。監督の映画に出演する俺を見て喜んでくれた。

 

「母さんが言ってた。俺は役者さん?って。お姉ちゃんは俺が役者になれると思うか?」

「きっとなれるよ。アクアの演技すごかったから。お姉ちゃんが保証する。」

 

当面の生きる理由が俺には必要だ。役者になろう。母さんがそれを望むなら、俺はその道を進みたい。母さんが思い描いた夢を叶えたい。だから、死んでる暇なんてない。

 

葬式には監督も来てたっけ。良い機会だ。さっそく母さんが残してくれたコネを使おう。

 

「監督」

「おう、早熟。この度はな・・・なんつったら良いのか・・・」

「別にそういうのは良いよ。代わりにちょっとお願い事があるんだけど。」

「なんだ?」

「俺を育てる気はない?」

「・・・は?」

 

監督は咥えていた煙草を落としながら素っ頓狂な声で答えた。

 

・・・

 

かくして幼年期(プロローグ)は終わり、新たな幕が上がる。

 

「おい、まだかかるのか、お姉ちゃん。」

「もーっ、ちょっと待ってってばアクア!この制服カワイイけどフクザツなんだもん・・・。」

「初日から遅刻は勘弁してくれよ。」

「でもほんとかわいいー。」

「・・・スカート短すぎないか?」

「アクアって昔からおっさんくさいよね。・・・あ、そうだ!」

「ママ、いってきます。」

「母さん、いってきます。」

 

玄関に立てかけられた写真には、幼い姉弟と生前の母の姿。

 

お姉ちゃんはアイドルとして。俺は役者として。

母さんが残してくれた道しるべを頼りに、俺たちは夢を追いかける。

 

天国で見ていてくれ、母さん。絶対に凄い役者になって見せるから。

 





復讐はしません。
ルビーお姉ちゃんのメンタルケアが功を奏し、アクアは前向きに役者の道を歩みます。


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芸能界
落選


14歳になった私は、某大型アイドルグループ追加メンバーオーディションに応募した。

 

応募総数は13万6114人。応募要項は14から20歳の女性。前回は年齢制限で応募できなかったけど、ついに私もアイドルとして夢を追える年齢になった。

 

書類審査は通過。二次審査の面接は合否待ちだけど、手ごたえはあった。

 

「私はママみたいになる!」

 

突拍子もなく叫ぶ私の頭に、ポンっと優しい突っ込みが入る。突っ込みの主はアクアだ。その手には丸めた教科書が握られていた。

 

「夢を語るのは結構だけど、高校受験は目の前だぞ。」

「分かってないねアクア。私はアイドルになるんだよ。芸能化がある高校は面接重視!学力なんて参考程度!アイドルになれば受験勉強なんてしなくて一石二鳥!」

「豆知識感覚で人生かけたギャンブルすんな。」

 

というか、勉強したくないだけなんだけどね。本当はお姉ちゃんとしてアクアに賢いところを見せたかったんだけど、そんなものは生後一か月で諦めたよ。期待しないで。

 

「アイドルを夢見るのは構わんけどさ、アイドルに夢を見るなよ。」

「分かってるよ。楽しいばかりじゃないってことくらい。それに、危険な仕事だってことも。アクアはお姉ちゃんが心配なんだよね?」

「・・・まあ、そんな感じ。」

 

アクアはあれから私がいなくなることを極端に怖がるようになった。昔ほど素直じゃないけど今でも私にべったりで、怖いことや辛いことがあると必ず私の所に来る。

 

一番近くでアクアを支え続けてきた成果が表れていた。お姉ちゃん冥利に尽きるね。ミヤコさんにはちょっと申し訳ないけど。

 

アクアを支えていたと言えば、監督のことも忘れてはいけない。

 

ママの残した言葉を頼りに役者の道を選んだアクアはすぐに監督に弟子入りし、考える暇もないくらいに演技の練習に打ち込んだ。監督はなんとなく私達の事情を察してる様子で、アクアが死なないために、元気になれるように手を尽くしてくれた。

 

監督がいてくれなかったら、アクアはどうなっていたか。考えたくもない。

 

「じゃあお姉ちゃん、俺は監督のとこ行ってくるから。」

「うん、わかった。お姉ちゃんが送っていこうか?」

「いいって。もうすぐ高校生だし、襲われるならお姉ちゃんの方じゃないの?」

「いいよ、全然。気にしない。」

「俺が気にするんだよ・・・。じゃあ行ってきます。」

「行ってらっしゃい。」

 

全く、可愛い奴。

 

アクアが出かけて、事務所には私とミヤコさんが残った。

 

苺プロの元社長は、あの事件の後連絡が付かなくなって、ミヤコさんが後を引き継いだ。アイというスターを失ったB小町は2年後に解散。現在苺プロにアイドル部門はなく、ネットタレントのマネジメントに手を広げて運営は成り立っている。

 

「ねー、またアイドルグループやらないの?」

「簡単に言わないで。私だってやれるならやりたいわよ。」

 

軽率に言っているつもりはないけど。

 

「アイの見せてくれた夢は中々忘れられる体験じゃない。この仕事を長くやればやるほど分かる。あんな奇跡は二度も起きない。あれは宝くじに当たったようなものと考えなきゃ。現実はあんなにとんとん拍子にいかない。」

 

何回聞いてもミヤコさんはアイドルグループをやってくれない。私としてはアクアと一緒に苺プロに所属して、出来る限り近くにいてあげたいんだけど。

 

ミヤコさんの言い分も理解できる。苺プロは弱小事務所。こんなところからデビューするよりも大手の事務所に所属してほしいと思うのは親として当然だ。私だってアクアがひどい事務所と契約するようなことがあったら絶対に反対するから。

 

「そろそろオーディションの当落の電話がある頃ね。受かれば向こうの所属になる規約でしょ?うちよりちゃんとしてる事務所よ。」

「まぁ、それはそうだけど・・・。」

 

プルルルル・・・

 

「噂をすれば。」

 

スマートフォンの画面には某アイドルグループの選考担当者の番号。当落の電話だ。意を決して電話に出る。

 

担当者から告げられたのは、落選の知らせ。

 

「駄目だった・・・。」

 

ああ、私はまだアイドルにはなれないんだ。

 

悔しくて悲しくて、涙が出る。結果を聞いたミヤコさんは後ろからそっと私を抱きしめてくれた。

 

「現実はそういうものよ。いろんな政治もあるし、実力が正しく審査されることに期待してもいけない。皆アイみたいに行くわけじゃない。」

 

ごめん、ママ。今回は駄目だったみたい。いつか必ずドームに立つから、もう少し待っててね。

 

 




監督はアクアの救世主になりました。復讐に時間を割くことも無いのでみっちり演技の練習が出来、役者としての実力は本編より上がってます。
ルビーは普通に審査に落ちてます。アクアの妨害はありません。


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このシスコンが、姉弟愛が過ぎるぞ

「来たよ、監督。」

「おう、早熟。」

 

俺が尋ねた部屋の主は五反田泰志。早熟とは俺の事だ。彼は昔から俺をそう呼んでいる。

 

監督に弟子入りしてからもう10年が経つ。幼いころから毎日のように通いつめ、監督は半ば俺の父親のような存在となっていた。『俺を育てる気はない?』と言ったのはあくまで役者としてだが、一人の人間としてもたくさんのことを教わった。

 

今日も監督の家で編集の手伝いだ。

 

「なあ、監督。演技の練習は見てくれないのか?」

「すでに基礎は出来てる。なんたって4歳の時からこの俺が直々に指導してるんだからな。今のお前の演技力は同年代の役者が裸足で逃げ出すレベルだろうよ。」

 

役者として必要なのは演技力だけではないと監督はよく口にしている。だから他のスキルや知識を付けろと。裏方の仕事を学ぶのも役者として重要であり、映画の編集作業はその一環というわけだ。

 

監督は続ける。

 

「お前は頭が良い。それに演技もそうだが器用になんでもそつなくこなす。だが強烈な個性はない。お前が役者としての持ち味を最大限生かそうと思ったら、映画製作のすべてを理解して、周りを巻き込んで全体のレベルを底上げしてくれるような役回りが最適なんだ。」

「分かってるよ。でもいい加減編集ばっかりもしんどい。最近、俺の事都合よく利用してないか?」

「ああ、してるとも。そんくらい良いだろ。小遣いもやってるんだから。」

「まあ、監督だから許すけどさ・・・。」

 

こんな会話でも、監督が相手なら嫌とは思わない。お姉ちゃんやミヤコさんとはまた違う安心感がある。監督は俺のことを大事に育ててくれている。役者としても、人としても。

 

「おい、早熟、電話じゃねえか?」

「ああ。・・・お姉ちゃんからだ。」

 

スマホを取り、電話に出る。電話の向こうのお姉ちゃんは泣いていた。どんより落ち込んだ様子で、オーディションには落ちたと告げられる。

 

「その様子だと、ルビーはオーディション落ちたのか?」

「そうみたいだ。」

「まあ、そんなもんだ。あの子は相当美人だし、そのうちどっかで引っかかるだろ。」

「当たり前だ。お姉ちゃんだぞ。こんな逸材は母さんを除いて他にいない。」

「・・・このシスコンが、姉弟愛が過ぎるぞ。」

 

双子の姉だ。ちょっとくらい贔屓したって良いだろう。

 

・・・

 

「「スカウトされた!?」」

「そう!いわゆる地下アイドルなんだけどね!」

 

お姉ちゃんがスカウトされたとはしゃいでいる。瞳を輝かせ、満面の笑みを浮かべ、それはもう見事に浮かれている。

 

大丈夫なのか、というのが率直な感想だ。ミヤコさんも概ね同じだろう。どういう契約なのかちゃんと確認したのか。そもそもアイドルグループを騙る詐欺なのではないか。どうしても気になる。

 

お姉ちゃんは何というか、ちょっと抜けているというか・・・。こんな言い方はしたくないが詐欺に引っかかりやすそうな性格をしている。

 

もちろん、アイドルとしての才能は疑いようもない。スカウトマンは見る目がある。お姉ちゃんは顔も可愛いし愛嬌もある。スタイルは抜群で、長い手足を生かしたダンスには花がある。性格の良さもにじみ出ているし、嫌われる要素もない。

 

お姉ちゃんは芸能の神に愛された人間なのだ。他のアイドルなど比較にならない。・・・もちろん母さんは別だが。

 

そんなお姉ちゃんが、ずさんな運営のグループに所属するなどあってはならない。可能な限りまともな運営、出来ることなら苺プロの所属でアイドルになってもらいたい。別に寂しいわけではない。

 

お姉ちゃんをスカウトしたというグループに関しては、ユーチューブの動画があったため一応アイドルグループとして活動していることは確かめられたが、まともな運営なのかはやはり精査が必要だろう。

 

後日、俺はスカウトした事務所の調査に乗り出した。結果はクロ。お姉ちゃんを任せるに値しない運営体制であることが分かった。

 

「なあ、ミヤコさん。とりあえずこのグループにお姉ちゃんを入れるってのは無しだよな。」

「ええ、そうね。ルビーを説得するのは大変そうだけど。」

「あんなひどい運営にお姉ちゃん預けるよりずっとマシだ。とにかく、何とかして考え直してもらう。」

「分かったわ。」

 

ミヤコさんもあの運営にお姉ちゃんを任せることには反対のようで安心した。

 

お姉ちゃんがずさんな運営の犠牲者になるなどあってはならない。彼女は芸能界の至宝であり、なんと言っても俺の大好きなお姉ちゃんだ。

 

もしあのグループに入ることをミヤコさんが許可しようものなら、俺は探偵を雇ってネットに情報をバラまいててでも阻止しなければいけなくなるところだった。

 

・・・冗談で言ってるわけじゃないぞ?

 




復讐とかなくても意外と原作のストーリー通りに進められるなーと思う今日この頃。
私の貧相な想像力ではバタフライエフェクトが起きない。


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重曹を舐める天才子役

今日はスカウトを受けたアイドルグループのライブを見に行く日だ。そして、そのあと契約を結べば・・・晴れて私もアイドル!

 

お待たせママ。私、やっとアイドルになれるよ。

 

「ねえ、どう?やっぱ大事な日はオシャレしなきゃだよね!」

 

第一印象は大事だ。今日の私はアイドルの卵として契約を結びに行くんだから、容姿にも気を使っていることをアピールしないと。明るく、笑顔で、はきはき喋ろう。

 

「可愛いわよ。」

「まあ、お姉ちゃんは最初から可愛いけどな。」

 

ミヤコさんの反応も上々。アクアは・・・いつも通りだね。

 

「ルビー・・・貴方本気なのね?貴方がこれから入ろうとするアイドルの世界は大変なところよ?」

 

ああ、また始まった。もうこの手の話はアクアからもミヤコさんからも散々聞いてるのに。そんなの分かってるよ。私はそれでもアイドルになりたいって言ってるの。

 

「売れなくて惨めな思いをするかもしれない。給料面でも厳しい。私生活は常に他人の視線を気にしながら送ることになる。ストーカー被害なんてそこら中にありふれた話。それでも」

「当たり前だよ。」

 

もう十分だ。良く知ってる。ストーカーだけはちょっと怖いけど。

 

「私がんばる。だってなれるんだよ!絶対ママみたいになるんだ!」

「・・・本気か?」

「本気だよ。アクア、心配しないで。お姉ちゃんは大丈夫だから。」

 

アクアとミヤコさんが私の事を心配してくれてるのは嬉しいけど、心配させたいわけじゃない。信用してほしい。

 

「・・・ならそのグループに入るのはやめなさい。本気なら、ウチの事務所に入りなさい。苺プロは十数年ぶりに新規アイドルグループを立ち上げます。」

 

え、ウチの事務所?苺プロってことだよね。ママと同じ事務所に入れるってこと?

何度言ってもダメだったのに、なんで今になって急に?いや、すごく嬉しいけど。

 

「え・・・今何て。」

「ウチの事務所でアイドルやりなさいってことよ。文句ないでしょ?」

「うん。ありがとうミヤコさん!」

「礼ならアクアに言いなさい。私を説得したのはアクアなんだから。」

「アクア、ありがとー!!」

 

アクアが説得してくれてたんだ!

 

なるほどねー。やっぱりお姉ちゃんがどこか別の事務所に行っちゃうのが寂しくて耐えられないんだ?可愛い奴。

 

「この寂しがりやめー!お姉ちゃんがぎゅーってしてあげる!やっぱりアクアはお姉ちゃんがいないとだめだなー。」

「ちょ、やめろよ!そういうんじゃ・・・」

「概ね間違ってないでしょ?」

「ミヤコさんまで!」

 

ああもう嬉しすぎ!こんなサプライズがあるなんて。苺プロでまたアイドルをやってくれる。しかもそれを説得したのがアクア。何から何までもう、ほんと出来すぎだよ。

 

・・・

 

「苺プロ所属!星野ルビーです!!」

 

苺プロに所属し、晴れて芸能人となった私は、陽東高校の芸能科に入学するための面接を受けている。もちろん、アクアも一緒だ。

 

「どうだった?」

「多分平気・・・。アクアは?」

「問題ない。万一弾かれるとしたら名前のせいだろうな。」

「あはは!確かに、本名アクアマリンだもんね。本当にいい名前だよね。あくあまりんw」

「人の名前を笑うな!」

 

面接を終えてアクアとお話ししていると、アクアの持ちネタ、あくあまりんが炸裂する。毎回本当にいいリアクションをしてくれる。ママからもらった名前をバカにしているわけじゃなくて、本当に響きが何とも言えなくてついつい弄っちゃう。アクアもそこは分かっているから、怒ったりはしない。

 

特に深い意味もない、私達姉弟の鉄板ネタだ。

 

しかし今日は私とアクア以外にもこの鉄板ネタに反応する人がいた。

 

「・・・アクアマリン。アクア。」

「え、アクアあの人知り合い?」

「知らんけど。人の名前を笑うやつは許さん。」

 

声の主はアクアも知らないようだ。制服を着ているから、陽東高校の生徒だろう。小柄な体に赤みがかったつやつやの髪。顔は童顔で動き方も小動物みたいにカワイイ。えっとこういうのなんて言うんだっけ・・・。あ、そうだ、ロリっていうんだ。

 

ロリ(仮)はずけずけと私の可愛いアクアに歩み寄り、いきなり弟の名前を連呼し始めた。

 

「星野アクア!!」

「アクア!アクア!」

「貴方、星野アクア!?」

 

いやほんと何なのこの人。あ、思い出した。

 

「誰だっけ・・・」

「あれじゃない?重曹を舐める天才子役。」

「10秒で泣ける天才子役!映画で共演した有馬かな!」

「あー久しぶり。ここの芸能科だったのか。」

 

そうそう。重曹だ。アクアも思い出したみたい。でも心なしかアクアの様子が変だ。柄にもなく緊張してるみたい。

 

そんなアクアの様子などお構いなしにロリ先輩は話続けてる。

 

「良かった・・・。ずっとやめちゃったのかと・・・。やっと会えた・・・。」

 

この雰囲気は一体何なの。めっちゃ重い感情感じるんですけど。私のアクアにただならぬ感情を向けてるんですけど。ちゃっかり肩に手を触れて。

 

一度共演しただけだよね?

 

「入るの!?ウチの芸能科!?入るの!?」

「まあな。」

「へー。ここで再会したのも何かの縁ね!先輩である私を存分に頼りなさい!星野アクア。」

「ああ。ありがとうな。」

 

ちょっと待って。なんで私を置いて二人仲良くなろうとしてるの?アクア、もしかしてロリ先輩のことちょっと良いなとか思ってる?アクアもついにそういうお年頃なの?

 

今まではママ以外でこんな可愛い子身近に居なかったから、ちょっと警戒しないと。表情をコロコロ変えるロリ先輩は悔しいけど確かにかわいい。さすが芸能人だ。

 

「私のアクアにそんな馴れ馴れしくしないで。あなたは関係ないでしょ。」

「相変わらずのブラコンねぇ。」

「でもお姉ちゃん、受かったら後輩になるんだぞ。」

「はー・・・。仕方ないなぁ。仲良くしましょロリ先輩。」

「イビるぞマジで!」

 

私にはキツく当たってくる。やっぱりアクアだけ特別視してるなロリ先輩。マークしておかないと。

 

アクアにふさわしい女か、お姉ちゃんとして見極める必要がある。

 




重曹を舐める天才子役こと有馬かなの登場です。私の推しです。
今まではアクアとルビーで交互に書いてきましたが、今後は重曹目線やあかね目線の話も書く予定。誰を語り手にするか迷いますね。


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元子役の呪い

「ねえ、どこ行くの?監督って誰の事?」

「俺がお世話になってる人だよ。師匠みたいな。」

「今どのへん住んでるの?」

「なんでそんなこと・・・。」

「あんたドコ中!?」

「ヤンキー女子?」

 

学校帰りにいつものように監督の家に向かっていると、有馬が追いかけてきた。どうしてこんなに執拗についてくるのか分からないが、未来の先輩になる人なので無下にはできない。

 

「いつまで付いてくるんだよ。」

「私の疑問に全部答えるまで!!まだ役者やってるんだよね!」

「いや、()()やってない。」

「えっ・・・そう・・・なんだ。」

 

事情は良く分からないが、落ち込んでるみたいだ。役者仲間が欲しかったのだろうか?期待に沿えなかったみたいで悪かったな。このまま引き下がってくれるといいが。

 

「そういうわけだから」

「え!ちょっと話しようよ!ねえ!これからカラオケとか行かない!?」

「行かねぇよ。」

「えっじゃあ私の家とか?」

「距離の詰め方やばくない?」

「仕方ないでしょ。私これでも芸能人なんだから!ちょっと喫茶店で話でもってわけにはいかないの!個室ある店この時間まだ空いてないし・・・!」

 

俺たちはまだ学校帰りに喫茶店で話をするような仲でもないだろう。

 

しかしまあ、有馬は役者。しかもかつて一世を風靡した天才子役だ。最近は見かけないが、役者としての俺に興味を持ってるみたいだし、同年代の役者同士で演技の話がしたいというなら俺もやぶさかでない。

 

「だったら」

 

俺は有馬を監督の所へ案内した。

 

「おー、有馬かな!見ないうちにデカくなったオイ!」

「いや・・・仕事はしてますよ・・・。そりゃ子役時代に比べたらアレですけど・・・。」

「監督。言い方。」

 

めっちゃダメージ受けてるじゃねえか。死にそうな顔してるぞ。

 

有馬はどうやら最近仕事がうまく行ってないらしい。やはり子役のイメージが付くと成長してから大変なのか。

 

「アクア!役者やってないならなんで監督のトコ出入りしてるの!?ホントは演技教わってるんじゃないの!?」

「まぁ一通りは仕込まれたけど、今は裏方の仕事やってる。監督が映画に出させてくれないんだよ、お前にはまだ早いとか言ってさ。」

「そうなんだ・・・。でも嬉しい・・・まだこの業界にいたんだね・・・。」

 

学校で会ったときも思ったが、有馬が時折見せるこの感情は一体何だろう。俺との再会をよほど喜んでいるらしい。たった一度共演しただけの俺をなぜそこまで意識するのか、理由が良く分からない。

 

「おかわりいるかい!?」

 

茶碗にご飯を豪快に盛っておかわりを進めてくるのは監督の母親だ。監督の家に着いて早々、俺たちは監督の家で夕飯を食べることになった。このおばちゃん、飯の時間は絶対にずらしてくれないんだよなぁ。

 

「あ、大丈夫です。」

「食わなきゃ大きくならんよ!」

「糖質抜いてるんで・・・。」

 

断る有馬に対し、なおもお代わりを進める監督母。食わなきゃ大きくならんよとか、年頃の女の子にいうのはやめてあげろよ。それに、有馬は小さい方が可愛いと思う。

 

「そういえばアクア。監督に映画出演止められてるって言ってたけど、なんで?」

「さぁな、教えてくれないから何とも。なんとなく察しはついてるけどな。今日有馬の仕事がうまく行ってなさそうなのを知って確信が深まった。」

 

監督は、俺に子役のイメージが付くのを回避したかったんじゃないだろうか。俺は役者として大事に育ててもらってる自覚はある。有馬のように下手に子役として有名になってしまうとそのイメージを引きずり、後の役者人生に悪影響を及ぼすと考えたのではないか。

 

「どういうこと?」

「・・・良い機会だ。俺から説明してやる。」

 

分かっていない様子の有馬を見て監督が語り始める。

 

「良いか二人とも。役者ってのはイメージが大事だ。観客やお偉いさんたちは何百人っている役者の顔や演技力なんて細かく覚えてねぇ。だがキャスティングする権利を持ってるのは往々にしてそういう連中だ。ここまでは良いよな?」

「はい。」

「有馬は身に染みて分かってるだろうが、一度ついたイメージってのは中々変えられない。これをお前の目の前で言うのは酷だと思うが、まあ子役としてのイメージが付いてしまえば役者としての星野アクアが正しく評価されなくなる可能性があるんだ。俺はそういう事態を避けたかった。」

「なるほどね・・・。」

 

有馬は目に見えて落ち込んでいる。自分が陥った罠をこうまで明確に指摘されては、気を落とすなという方が無理がある。しかし、有馬が落ち込む理由はそれだけではなかった。

 

「・・・今ね、私がヒロインやってるドラマがあるんだけど、まだ役者決まってない役があったんだ。でも、この様子じゃアクアに頼むのは無理よね・・・。」

「ああ。悪いな。出たいのは山々なんだが。」

 

俺との距離を強引に詰めようとしたのはその為か。芸能界は綺麗ごとだけじゃ生きていけない。時には何を言われようと目的を達成する図太さも必要ってわけだ。

 

だが、監督がダメという以上俺にはどうしようもない。俺だって早く役者として活躍したいのが本音だが、今は無理だ。そう思ったのだが。

 

「高校生になるまではと思ってたんだがな、この機会を逃すのももったいないだろう。高校入試も終わったことだし、子供っぽい雰囲気も抜けきってる。そろそろいいだろ。」

「それって・・・。」

「ああ、いいぞ。存分に演じてこい。せっかくの彼女の誘いだしな。」

「ありがとう監督。有馬。すぐに話を進めてくれ!」

「分かったわ!」

 

監督のOKを聞いた有馬はさっきまでの落ち込みっぷりがまるで嘘のように眩しい笑顔にかわっている。感情の起伏のあまりの激しさに驚かされるが、嬉しいってことは分る、何も言うまい。あと有馬は彼女じゃない。

 

ついにこの時が来た。長いこと待たされたからな。腕が鳴る。

 

早くお姉ちゃんに知らせないと。

 




アクアが演技の仕事をしていないのは監督の戦略でした。
子役の呪いをもろに食らった重曹ちゃん可哀そう。


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なんていうか・・・ひどいね!

「えっ!アクアドラマ出るの!?」

 

監督の所から帰ってきたアクアが、特大のサプライズを持ってきてくれた。アクアがついに役者としての活動を始めるというのだ。

 

アクアの演技を最後に見たのはいつだろう。監督の作品に端役で何本か出てたけど、それももう何年も前の話だ。

 

「アクアって最近役者の仕事やってなかったよね。なんで?」

「子役として有名にならないように監督から出演を止められてたんだよ。一度子役として有名になると、そのイメージに引きずられて役者として正しく評価されなくなるってな。もう俺は十分成長したってことで出演を許してくれたんだ。」

 

なるほど。監督もアクアのキャリアの事を良く考えてくれてるんだ。

 

それにしてもアクアは大きくなった。同い年の私が言うのもなんだけど、赤ん坊のころから見守ってきた身としては、ようやく子役ではない役者として活動を始めるのは感慨深いものがある。よちよち歩きで寝室から出てくるアクアの姿がまるで昨日のことのように思い出せる。うん、記憶の中のアクアも可愛い。

 

アクアが出演する作品は『今日は甘口で』という少女漫画原作のドラマだ。『今日あま』という呼び名で親しまれている名作で、私もアクアの部屋に置いてあったのを読んだことがある。とても面白かった。

 

「アクアの部屋にあったやつだよね?あれ面白かったー。」

「勝手に人の部屋のマンガ読むなよ。」

「いいじゃん別に。アクアもお姉ちゃんの部屋に来て良いからね?一緒に寝てあげる。」

「今日はいい。」

「あんたたち・・・。相変わらずね。」

 

今日も今日とて私達姉弟は仲良しだ。

 

「で、アクアは何の役なの?」

「最終話に出てくる悪役みたいよ。」

 

悪役か。お姉ちゃんとしては、正直あまりそういう役はやって欲しくない。アクアに悪いイメージが付いたら困るからね。まあアクアと監督が良いというなら良いんだろうけど。

 

「ネット局のドラマだから今見れるわよ。」

 

ミヤコさんがパソコンでドラマの内容を見せてくれるという。さっそく家族3人でドラマの鑑賞会が始まった。

 

『人間は嫌い。だって皆自分の事しか考えないから。』

『オマエソンナカオシテテタノシイノ?』

『ナンダワラエバカワイージャン』

『からかわないで』

『オレノオンナニテヲダスナ』

『ハッナンダテメエ』

『けんかはやめてー!』

 

パタン・・・

あまりの出来の悪さに、ミヤコさんはパソコンをそっと閉じる。

 

沈黙に支配された部屋の中で、3人が顔を見合わせる。どこから突っ込んでいいのか分からないけどとにかく酷くて、なんの感想も出てこない。

 

「『今日あま』ってこんな作品だったっけ?」

「概ねこんな感じじゃなかったかしら?」

 

ミヤコさんも自信なさげに答えている。何とか作品を擁護しようと頑張ってはいるが、さすがに無理がある。私が読んだ今日あまはこんな感じじゃなくて、もっと面白くて心温まるような、すごい作品だったはず。私の思い出を返して欲しいよ。

 

原作に居ないオリキャラ、尺の都合で意味不明に継ぎ接ぎされた展開。そして何より、役者の演技がひどかった。演出とかはしっかりしてるからギリギリ見れないことはない。でもさすがに、これを今日あまと銘打って放送するのはどうかと思う。それくらいひどい出来だった。

 

「なんていうか・・・ひどいね!」

「ルビー、ストレートに言い過ぎよ。」

 

嘘偽りのない、素直な感想と言って欲しいね。真っ当な評価だ。

 

そして気になった点がひとつ。

 

「ていうかロリ先輩ってさ、もっと演技上手くなかった?」

 

子役時代の演技を何度か見ているが、もっと上手かったはず。ロリ先輩は仮にも天才と呼ばれたこともある女優だ。今日あまにおける演技は素人目に見ても彼女が期待されるレベルの演技ではなかったように見えた。

 

「お姉ちゃんには分からないかもしれないけど、ちょっと困った事情があるんだよ。」

「なにそれー。」

 

アクアには事情とやらが分かっているみたいだった。なんだかロリ先輩とアクアだけが知ってる秘密があるみたいでいい気分はしない。私は演技の事は分からないし、アクアみたいに頭も良くない。役者のお仕事でアクアが困ったとき、私は力になってあげられるだろうか?

 

これからアクアは役者として活躍の場を増やしていくんだろう。私の知らない世界で活躍するアクアを想像すると少し寂しい気持ちになる。

 

「問題のある現場ね・・・面白そうじゃん。」

 

原作漫画を片手に呟くアクアは、まるで面白いパズルゲームでも見つけたような顔をしている。

 

アクアは今、何を考えているんだろう。

 




アクアのお姉ちゃん離れが始まる予感。
いつまでもべったりだと面白くないからね。手始めに重曹とイチャイチャさせてお姉ちゃんの反応を見よう。


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アンタとなら出来ると思うの

「うるっさいわねー!!あんたの姉そんな事言ってたの!?死ねよあいつ!」

「は?お姉ちゃんに死ねとかふざけんなよお前。」

「すいませんでした。」

 

アクアとの共演を決めた私は、さっそくアクアを打ち合わせに誘った。

 

私の演技を下手だというアクアの姉に対し、つい強い言葉で反応してしまう。しかし重度のシスコンなのは子供の頃から変わっていないようで、見事なカウンターを食らってしまった。

 

「有馬、お前が演技を抑えてるってのは分かってる。他の演者に合わせてるんだろ?」

「そうよ。他のキャストは演技経験のないモデルだから。」

 

今回のドラマはこれから売りたいモデルを兎に角いっぱい出してイケメン好きな女性層にリーチする企画だ。演技力は二の次。まともに演技が出来るキャストは私だけという状況だ。

 

作品が破綻しないようそれなりに上手く演技しつつ、他のキャストが浮かないようにそれなりに下手な演技に抑えるという、かなり厄介な役回りを求められている。

 

「良い作品を作るため、全力で演技したい気持ちをおさえてるってことか。いつの間にか協調性なんか持つようになっちゃって。」

「ふふん。私オトナだから。」

 

そう。私は大人。自分勝手に演技をして得意げになっていたあのころとは違う。

 

ひどい話を持ち掛けたという自覚はある。そもそも作品として面白くなりようがない上に、アクアをねじ込んだ役はストーカー役で印象も悪い。今までのキャストのような大根役者なら何も出来ずに経歴に傷がつくだけだろう。

 

でもアクアなら出来るんじゃないか。そう思った。たった一度共演しただけの彼だけど、あの日の演技は異質だった。自分の演技力の高さに天狗になっていた私の自信を見事に打ち砕き、大人になるきっかけを与えてくれた。

 

今なら監督の気持ちも分かる。私にお灸をすえたかったのだ。そして見事に私を改心させてくれた。私よりも演技が上手い子供はいて、それでも私を使う理由。それが理解できた。

 

少しでも作品の質を高める。それが私達役者の仕事だ。

 

「アクアを誘った理由はもう分かってくれたよね・・・?誰にボロクソに言われようとも、大根と言われても良い。お願い、私と一緒に良い作品を作って。アンタとなら出来ると思うの。」

 

あの監督の弟子であるアクアならこの状況における最適な仕事をしてくれるはず。私が認めた私以上の天才、星野アクア。

 

あんたになら期待してもいいわよね。

 

・・・

 

今日の撮影はドラマの最終回。しかしロケ地を一日しか確保できなかったため、スケジュールが詰まっている。ろくに練習する時間さえ与えられない。

 

「雑だなぁ。うちの監督でももうちょい丁寧だぞ。」

「時間も予算も無いのよ。」

 

なんというか、座長として申し訳ないわね。別に私が悪いわけではないんだけど。

 

アクアは主演の鳴嶋メルトや責任者の鏑木Pとの挨拶を早々に済ませている。そういうところも昔から卒なくこなしてたわね。あの時はお姉ちゃんにべったりだったけど。

 

さらに、直接は関わらない裏方への挨拶や、ロケ地の観察、カメラやマイクの配置などの確認に余念がない。さすが、裏方の作業を学んでいるだけのことはある。

 

さて、もう時間ね。まずはリハーサル。アンタの実力、見せてもらうわよ。

 

「リハ始めまーす。」

「行くわよ。」

 

・・・

 

「なかなかやるじゃない。メルトの棒読みにも合わせてるみたいだし、良い感じね。」

「まあな、これくらいは出来ないと役者名乗れないだろ。」

 

主演のメルトがまともに演技出来ない以上、どれだけ演技力が有ろうと抑えて演技するしかない。さすがのアクアもこればかりはどうしようもない。分かってはいたけど、悔しい。

 

しかし、役者星野アクアはここで止まるような俗物ではなかった。

 

「有馬。ちょっと話がある。」

 

 

「・・・ちょっと。それ本気で言ってるの!?」

「ああ。これならメルトも本気出してくれるだろうし、お前のやりたかった演技もできるだろ。」

 

にわかには信じられなかった。なんてことを提案するんだろう。

 

まず、ヒロインの泣き演技が輝くよう、悪役としての怖さ、キモさを出来る限り際立たせる。そこまでは良い。問題はその先。

 

小道具、カメラ、照明、水たまり、役者の位置をすべて頭の中で再現し、雨音を効果音として利用しつつ逆光になるように照明とカメラの間に位置取る。

 

主演で大根役者のメルトの耳元でわざと暴言を吐き、激高させる。そして狙った感情を引き出し、本来彼には出来ないはずの感情演技をやらせる。

 

メルトとの殴り合いの演技中に本来の立ち位置へそれとなく移動し、ラストの私の涙が最高のアングルで映るようにする。

 

理屈は分からないでもない。でも、そんな芸当、一体誰が出来るというのか。思いついたところで実行に移そうとする人間はいない。そう断言してもいい位にバカげた提案だった。

 

しかし彼は本気だった。本当に成立すると思っているのだろうか。こんな意味不明なプランが。

 

「まあ、アンタがやりたいならやりなさい。どうせこれ以上落ちることも無いだろうし。」

 

結局、縋るしかない。もう私にはどうしようもないくらいひどい現場だ。ならば彼に賭けてみても良いだろう。

 

「お前は最初から全力で演技しろよ。ぬるい演技見せたらすべて台無しだからな。」

「ふん、任せなさい。あいつの事ぶり大根にする勢いでやってやるわよ。」

 

こんなに本番が楽しみなのは何年ぶりだろうか。

 




今日あまの最終話、改めて文章に起こすとアクアは大変なことをしているな。

星野アクア
個性はないけど演技力は同年代ではトップクラス。有馬かなにも引けを取らない。
その上頭がよく器用で裏方の知識も持ち合わせており、現場全体を見通して作品の質をありとあらゆる観点から高めることが出来る。

有馬かな
太陽のように眩しく輝く笑顔に加えてトップクラスの演技力を持ち、芸能界の第一線でも通用する逸材なのだが、諸事情あって自分の持ち味を抑え込んでしまっている。今でも普通に天才なのだが世間はそうは思っていない。


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それでも光はあるから

雨漏りによって撮影は中断。再開には少し時間がかかりそうだ。有馬との作戦会議も終わり、待ちの時間になっている。

 

「アクアの演技、ずっと努力してきた人の演技って感じがして私は好き。」

 

有馬はやはりよく見ている。俺と同じ、根っからの役者だ。

 

「細かいテクが親切で丁寧っていうか、自分のエゴを殺して物語に寄り添ってるっていうか・・・。もしかしてそれは普通の人には分からなくて、長く役者やってる私達以外にはどうでも良いことなのかもしれないけど。」

「大事なのは作品だ。この役ならエゴを抑えるのは当然。台本の意図を読んで当たり前のことをしただけだ。」

「誇っていいと思うわよ、そういう心がけ。中学生のうちからそんな事考えてる役者なんてそう居ないわ。」

「俺は俺が関わった作品の質を少しでも高めるために動く。それが俺に向いた役回りだし、そのための準備もしてきた。待ちに待った演技の仕事だ。適当な演技は出来ねえよ。」

「私も主演級の仕事なんて十年ぶりの大仕事よ。負けてられないわね!」

「確かに、最近見ないしまだ役者続けてたのかって思った。」

「うぐう!」

 

やっぱりここを突かれると痛いよな。まぁ、仕事が無かったって意味なら俺も同じようなもんだ。役者として大成することを夢見つつも、その機会を得られなかった者同士、シンパシーを感じる。

 

「有馬、最初の仕事の共演がお前で良かったよ。ひどい現場だが、まだやれることはある。本番よろしくな。」

「ええ、任せなさい!」

 

彼女ならやってくれるだろう。演技にかける情熱は間違いなく本物だ。

 

・・・

 

ダメな企画に演技の出来ない役者陣。

 

だけど話を聞いてから改めて観ると、脚本と演出は役者に合わせてるのが分かる。駄目な演技でも「観れる作品にするテク」がそこらで使われてることに気付く。

 

裏方は優秀。そしてヒロインはバリバリの実力派。

 

最終回の登場人物は3人。主役のメルトとヒロインの有馬、そしてストーカーの俺だ。役者二人にモデルが一人。十分フォローする余地はある。

 

さしあたり重要なのはヒロインが主人公に助けられて涙を流すあの名シーンだ。ここの印象で最終回の評価が決まると言ってもいい。ここ最優先に組み立てていく必要がある。

 

漫画から伝わる作者の意図を読めば、ドラマにおけるこのシーンで表現すべきことは明確だ。『それでも光はあるから』というセリフと共に描かれるヒロインの涙。これをいかに感動的に演出出来るかが勝負になる。

 

台本は問題ない。当たり障りのない無難な構成と言ってしまえばそれまでだが、演技経験のない若い演者がイレギュラーな演技をしても問題ないよう、細かい部分をあえてぼかしている。役者陣に原作の理解を求めるのを諦めたともいえるが。

 

都合がいい。

 

台本を読んだ素直な感想がそれだった。多少のアドリブや独自解釈は大目に見てくれるだろう。ならば俺は、俺のやりたいようにやらせてもらう。

 

カチンコの音が強く響き、カメラが回り始める。ずしりとした空気が辺りを満たし、一年の時を全て凝縮したかの様な重くて強い時間が流れる。

 

人生そのものを問われるかのような長い一瞬。

 

問題ない。この重圧をむしろ俺は待ち望んでいた。役に入り込んだときだけに得られる、あの感覚。夢中で演技をしているうちに、まるで役そのものになってしまったかのような錯覚。

 

同時に俺は神の視点で周囲を見通す。他の演者の位置、動き、表情を漏らさず把握する。カメラ、照明、マイクの位置を考え、脳内で最適な位置を割り出す。

 

有馬は良い演技をしている。若干メルトが浮き気味だが、ぎりぎり問題ないラインだろう。この後の本気の泣き演技に違和感なくつながるよう、有馬なりに気を使ってくれている。

 

さあ、ようやく俺の出番だ。

 

水たまりを踏みつけ、水が跳ねる音をマイクに拾わせる。水の音から連想するのは、湿り気。ストーカー役になりきった俺の風貌と合わせて、陰湿な印象を与えるはずだ。

 

背後には照明、正面には有馬とメルト。その向こうにメインのカメラがある。照明を覆い隠すように登場する俺の姿は逆光で真っ暗に映っていることだろう。このシーンで重要なのは光と闇の対立。その闇をシルエットだけがかろうじて見える俺の姿で演出する。

 

入場は完璧。そのまま歩みを進め、主演のメルトの目の前に移動する。何が起きてるのか分からないって顔してるな。リハの時とはまるで違う俺の動きに戸惑っている。刺すなら今だ。

 

「お前、そばで顔見るとブスだなぁ。パソコンで加工しないとこんなもんか。」

 

彼から最も怒りの感情を引き出せる言葉を選び、耳元で呟く。

 

「・・・・・・は?なんつったオメェ!!」

 

かかった。メルトが怒りの声を上げるが、この言葉なら問題ない。アドリブの範疇だろう。さて、台本に合流するには何を言えばいいだろうか。

 

「聞こえなかったか!?そんな女守る価値ないって言ったんだ!」

 

2カメが俺を追い、照明が少し強くなる。現場のスタッフは俺の演出の意図に気づいているようだ。

 

メルトの演技は見違えるほど良くなっている。原作通り、怒りの感情を露わに声を荒らげて俺に突っかかってくる。そうだそれでいい。感情を乗せろ。

 

有馬は驚きの感情を表情と身体で表現しながらこちらの様子を伺う。メルトの豹変ぶりに驚いているのか、演技なのかは分からない。有馬なら本当に驚いたとしても、その感情をさも予定通りかのように演技に利用してくるだろう。

 

次はあの面倒なシーンか。激高していた主人公がストーカーに気圧され、ひるんで手を止めるシーン。だが、メルトにそんな器用な感情の変化は真似出来ないだろう。一つ、工夫が必要になる。

 

俺に殴りかかるメルトに一歩近づき、わざと殴られる。さすがのメルトも演者を殴ったとなれば頭も冷えるだろう。こちらの目論見通り、『やっちまった』って顔でその場に立ち尽くす。本当はもっと汚物を見るような目が良かったが、まぁこんなもんか。メルトの背後にもカメラがある。表情に問題があればそっちの映像を使う選択肢も残ってる。

 

メルトの出番はもう終わり。そこで立ってるだけで良い。後は俺と有馬の二人舞台だ。

 

このシーン一番の見せ場はヒロインの涙。そこの一点が輝くように俺が『闇』を演出する。

 

怖く。キモく。

 

「お前なんて誰にも必要とされてない。身の程わきまえて生きろよ。夢見てんじゃねぇよ。この先もろくなことはない。お前の人生は真っ暗闇だ。」

 

仕上げだ。有馬かなが上手く泣いてくれれば――

 

「それでも光はあるから。」

 

そういや得意技だったな。

 




演技を楽しむアクア君。
なんか微妙に姫川さんのイメージと重なる気がする。


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恋に落ちた乙女の顔

決まった。会心の泣き演技だ。

 

これ以上ないくらいに完璧な流れであの名シーンの一コマを映像にできた。

 

アクアは本当にやりきってしまった。プラン通りに現場のすべてを意のままに操り、最高のシーンに仕上げて見せた。

 

私の目は狂ってなかった。あの日見たアクアの異次元の演技。そして今日目の当たりにした途方もないレベルの演技力と神のごとき立ち回り。やっぱりこの人はただ者ではない。

 

天才。そう表現するしかない。私の理解の範疇を超えた才能を持っている。

 

撮影を終えたアクアはすました顔で殴られた頬をタオルで冷やしている。彼にとってこのレベルの仕事は出来て当然だとでも言うのだろうか。これがまだ中学生だというのだから、末恐ろしい。

 

主演のメルトがアクアを殴ってしまったことを謝罪している。彼はアクアのやったことに気づいていないようだ。

 

「悪い・・・拳当たっちまったよな、リキっちまって・・・」

「謝らなくていいよ。わざと当たりにいっただけだから。やっぱ演技は感情ノッてなんぼだよな。いい芝居だったよ。おかげで有馬も本気出せたんじゃないか?」

 

あくまで謙虚に、他の演者を立てるのね。本当に何から何まで私の想像を超えてくる。今日の仕事は、一人の役者として非の打ち所がない。

 

星野アクア。やっぱりあなたは凄い人だ。

 

私が初めて出会った、私より演技が上手い男の子。子どものころ共演したあの日から、ずっとあなたの姿が脳裏に焼き付いて離れない。私のちんけなプライドをたったのワンシーンでへし折って、それでも演技の世界に居たいと思わせてくれた人。

 

私もあんな風になりたいと願って努力を続けてきた。でもどんなに共演の機会を望んでも彼は私の前には現れない。子役としての旬は終わり、私はどんどん落ちぶれていく。もう二度と彼と同じ舞台には立てない。そう思っていた。

 

彼が再び私の前に現れたのは、そんなタイミングだ。そして私の脳裏に焼き付いているあの異質な演技をさらに超える天才的な仕事でもって、最高のシーンを作り上げて見せた。

 

悔しいという気持ちすら湧いてこない。ただ羨むしかない。あの日からずっと追い続けてきた天才は、今でもまだ私の遥か先を歩いていた。

 

「かなちゃん、最後のシーンもういける?」

「あっはい。」

 

最後のシーンの撮影が始まる。その内容は、画面いっぱいに映るヒロインの顔。その表情だけで何が起こったのかを表現しなければならない。

 

台本に書かれているのはたった一言。

 

『主人公に恋に落ちた乙女の顔』

 

この撮影に向けて研究を重ねてきた表情だ。演技一筋で恋なんてしたことが無かった私は、その感情が何なのか分からなかった。いろんな映画を見て、漫画を読んで、どんな表情をすれば恋する乙女になるのか勉強した。自分の中に無いものは真似するしかなかったから。

 

今なら分かる。この感情は私の中にある。心を強烈に揺さぶるこの気持ち。これが恋。

 

私はアクアのことが好きなんだ。

 

何も演じる必要はない。ただアクアのことを想ってカメラの前に立つだけで良い。カチンコの音が撮影開始を告げても、監督の掛け声で撮影が終了しても、私の表情は変わらない。

 

またしてもアクアのおかげで、良い映像が撮れた。

 

メルトだけじゃなく私の感情まで操るなんて。本当に大した役者ね。

 

・・・

 

『今日あま』の最終回は大きくバズる事も話題になる事もなく、狭い界隈でひっそりと熱烈な称賛を受けた。

 

『ドラマ「今日は甘口で」打ち上げパーティー』

 

ホールの入り口に立てられた看板を確認し、中に入る。広い空間に沢山の大人。まばらに配置されたテーブルにはアルコールも提供されている。演者に裏方、そしてお偉方まで、今日あまという作品に関わった人間が集まっている。

 

この手のパーティーは子供の頃から何度も経験してきた。一端の芸能人を気取れてご機嫌な様子の母に連れられ、近寄ってくる大人たちは皆私を可愛がってくれた。

 

演技を褒められて嬉しかった。お母さんも楽しそうにしていた。あの頃は幸せだった。

 

出来ることなら知りたくなかった。私を可愛がるスタッフも監督もマネージャーも、お母さんでさえ、私の事を商売道具としてしか見ていなかったことを。知名度があるから、数字を取れるから私を使う。私の機嫌を取る。ただそれだけの事だった。

 

ここはビジネスの場だ。役者はお偉方に媚びを売るために、お偉方は金になりそうな金の卵を探すためにここにいる。芸能人が集まるパーティーがそういうものだと知ってから、私はこういう場があまり好きではなかった。

 

いつものパーティーならこんなに気合の入った格好をすることも無かっただろう。肩から上を大胆に露出したドレスに、大きな赤いバラにリボンが揺らめく髪飾り。柄にもなく髪にパーマをかけるために美容院にも寄ってきた。メイクも完璧。今の私は過去最高に綺麗だ。恋は人を変えるってこういうことを言うんだろうな。

 

彼はもう来ているだろうか。早くこの晴れ姿をアクアに見せたい。

 

「よう有馬。気合入ってんな。」

 

背後から聞こえてきた声に振り返ると、彼の姿が視界に入る。

 

「やっと来たのね・・・ってなんて格好してるのよ。」

 

全身黒ずくめのジャージ姿。まだストーカー役のつもりなの?タキシードを用意しろとは言わないけど、学校の制服とかもっとマシな服の一つくらい持ってるでしょ、まったく。

 

なんというか、天才というのはどこか抜けている人間が多い気がする。あの星野アクアも完璧超人ではなかったというわけか。あ、そういえば重度のシスコンだったわ。

 

アクアはこの手のパーティーの経験はないんだろう。今までずっと裏方やってたわけだし、監督の秘蔵っ子として表舞台に出す機会を伺っていたから、社交の場なんて初めてで当然だ。私がエスコートするくらいの気持ちで行かなきゃね。

 

「こうやって見ると・・・改めて多くの人が関わってるんだなって思うな。」

「そうよ。私たちの演技には多くの人の仕事が乗っかってる。結果を出さなきゃいけないし、スキャンダルなんてもってのほか。」

 

この光景を見て最初に出てくる感想がコレな辺り、やっぱりアクアはアクアだ。初めて見る大人の煌びやかな世界に舞い上がってしまう子も多いのに。自分の知らない世界を見せてくれる大人たちに良いように遊ばれて、勘違いしてしまう女の子も少なくない。

 

「・・・ちなみにあんた彼女とかいるの?」

「居ないからスキャンダルもクソもない。」

「そ・・・ふーん・・・。」

 

へぇ、彼女居ないんだ。

 

「撮影お疲れさまでした。」

「あっ、先生・・・。」

 

私に声をかけてきたのは『今日は甘口で』原作者の吉祥寺先生。

 

以前撮影現場で見かけたことがある。ドラマのあまりの出来の悪さに失望した様子だった。演者の私でさえ、こんなドラマを今日あまだとは認めたくなかった。原作者がこのドラマを見て何を思うのか、想像に難くない。

 

先生にあんな顔をさせてしまったことが悔しくて、でも自分にはどうすることも出来なかった。私もあんなドラマを作ってしまった人間の一人だ。どんな批判でも受け入れよう。罵られたってかまわない。私達はそれだけのことをしたのだから。

 

「この作品は有馬さんの演技に支えられていたと思います。ありがとうございました。」

 

恨みつらみの言葉に身構える私に対し、先生は軽く微笑んだ。丁寧にお辞儀をする彼女の口から伝えられたのは、感謝の言葉。

 

この人は私のことちゃんと見てくれていたんだ。単なる商売道具じゃなくて、一人の役者として。あんなひどい企画に魂を削って作りあげた自分の漫画を貶されたにも関わらず、私たちの仕事を真っ当に評価してくれているんだ。

 

「最終回は特に・・・。もっと早くあの感じが出てたらとは思いますが・・・。」

 

嬉しさに涙がこぼれる。私の努力は無駄ではなかった。この人には届いていたんだ。最終回はまぁ、アクアの実力によるものが大きいのだけれど。

 

私を見てくれる人は確かに居る。役者として心から尊敬できる人も見つかった。私はまだ頑張れる。この芸能界という厳しい世界で、もう少しだけもがいてみたい。

 

いつかきっと凄い役者になって、私の存在を皆に認めさせてやるんだ。

 




重曹ちゃんの境遇とか心情はもっと原作でも掘り下げて欲しかった派。
本人が強がってることもあって軽い感じで弄られてるけど、家庭環境も含め結構重い話なので、いろいろ書けることがありそうです。

それはそうと、打ち上げパーティーにジャージで出席するアクア君(原作通り)は一体何を考えてるんでしょうね。


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恋愛リアリティショーに興味はある?

有馬のやつ、気合入った格好してたな。

 

咄嗟に仕事の話でごまかしたけど、ドレス姿の有馬が可愛すぎて思わず見惚れてしまった。気づかれてなきゃいいんだが。お姉ちゃんが居たら絶対なんか言われてたところだ。

 

「やぁやぁ最終回評判だったよ。作品の収益的にはキビかったけど、君みたいな才能に機会を与えることが目的だから、それは達成できたのかな?」

「ああ、鏑木さん。そう言ってもらえると嬉しいです。」

 

到着早々、プロデューサーの鏑木さんが話しかけてきた。どうやら俺、狙われてたっぽいな。まあ、自分で言うのもなんだが結構いい仕事をしたと思っている。最終回の評判は良かったし、あの状況でやれるだけのことはやった。

 

監督の言う通り、周りを巻き込んで作品のレベルを底上げする役回りが俺には似合っている。

 

「さすがあの五反田監督が自慢するだけのことはあるね。現場に出すのはもう少し先って話だったから、有馬君が君を引っ張ってきたときは驚いたよ。」

「俺の事知ってたんですか?」

「ああ、五反田君がよく自慢してたよ。顔良し演技良しで頭も回る、裏方の知識まで持ってる凄い役者を育ててるってね。なんでも、小さいころから彼の息子同然に育てられてきたそうじゃないか。」

「ええまあ、監督は父親のような存在ですけど。まさかそんな自慢されていたなんて知りませんでしたよ。」

「五反田君とは昔からの知り合いでね。彼の映画のキャストを見繕ってあげたことも何回かある。本物にこだわるクリエイター気質あふれる男で面倒なところもあるが、出来上がる映画作品の質は確かだ。

さすが彼が手塩にかけて育てただけのことはある。今回のドラマでは本当にいい仕事をしたよ。

・・・君が来ると知っていたら、もっと良い現場に入れてあげたかったけどね。」

「急な話だったので仕方ないですよ。それにあの現場、なかなか遣り甲斐がありました。」

「それなら良い。しかし、周りに先んじて五反田君の秘蔵っ子とこうして繋がりを持てたのは幸運だった。今後もよろしく頼むよ。」

「こちらこそよろしくお願いします。」

 

どうやら監督は俺を業界のお偉いさん方に売り込んでくれていたみたいだ。何から何まで本当に世話になっている。監督もそれだけ俺の育成に本気ってことだろう。その恩に報いたい。

 

さしあたり、俺にできることは監督が作ってくれたコネを無駄にしないことだ。幸いなことに、鏑木さんは俺に期待してくれている様子だ。ここはおとなしく鏑木さんの話に付き合おう。こちらから何か仕掛けたところで、悪い印象を与るリスクの方が大きいだろうからな。

 

「しかし打ち上げパーティーにジャージで来るとはねぇ。五反田君を尊敬するのは良いけど、そういうところまで彼に染まってしまうのは良くないよ。彼はクリエイターとしては一流だけど、人としてはあまり褒められたもんじゃない。君ももう高校生になるんだろう?いい加減大人になった方が良い。」

 

・・・なんで俺ジャージなんて着てきちゃったんだろうな。完全に失態だ。ちょっと考えれば業界の偉い人に会うことくらい想像できただろうに。監督に染まってんのかなぁ、俺。

 

「有馬君を見てごらん。今日の衣装は気合が入っていてとても綺麗だね。何度か仕事に呼んでいるが、あそこまで着飾る彼女は初めて見たよ。なんでか分かるかい?」

「10年ぶりの大仕事と言ってましたからね。次の仕事に繋げるために人脈づくりに精を出しているんでしょう。貪欲に仕事を獲りに行く姿勢は俺も見習いたいですね。」

「・・・うーん、なるほどね。」

 

鏑木さんの表情が少し深刻になる。マズいな。何か失言があったか?

この業界で初めてお近づきになれたお偉いさんだ。監督の根回しを無駄にしないためにも、ここで彼に嫌われるわけにはいかない。

 

「恋愛リアリティショーに興味はある?」

「いえ、あまり詳しくは知らないですね。見ることも無いので。」

「人生経験を積むのも大事だよ。恋愛は人を変える。君のような子供が、たった一度の恋で見違えるほど大人の雰囲気に変わることもある。五反田君はこういうとこ疎いから、僕からのアドバイスだ。

ここはひとつ、僕に貸しを作ると思って出演してみないか?芸能活動をしている容姿の良い高校生を探してるんだ。」

「そうですか・・・」

 

恋愛か。前世の記憶も含め、あまり深く考えたことはなかったな。鏑木さんの言う通り監督は恋愛に疎いし、学校ではお姉ちゃんが鉄壁のガードになって女子が近づけない。俺はそんな事望んでないのだが。

 

良い機会なのかもしれない。俺だって年相応に恋愛には興味がある。お姉ちゃんが居なければ今頃彼女の一人や二人いたっておかしくないはずだ。恋愛リアリティショーなら、大手を振って恋愛が出来る。役者としての成長にも繋がる。

 

そして何より、ここでオファーを断れば鏑木さんとのパイプが無くなるかもしれない。

 

「分かりました。出演させてください。」

「決まりだな。良い恋愛が出来ることを祈ってるよ。もちろん君の演者としての手腕にも期待してる。良い番組にしようじゃないか。」

 

こうして俺は恋愛リアリティショーへの出演を決めたのだった。

 

・・・お姉ちゃんになんて報告しようか。

 




一足先に大人の階段を上った有馬かなに対し、まだまだお子様なジャージ姿の星野アクア。
大体お姉ちゃんと監督の教育のせい。

鏑木P 「五反田君の秘蔵っ子に唾をつけておこう。」
アクア「今日の有馬気合入ってるな。なんでだろ。」
鏑木P 「恋をしなさい。」
↑この内容で1話丸ごと使うとは思いませんでした。まさかの鏑木回。


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ミヤえもーん!早く私をアイドルにしてよー!

「緊張してきたー。」

「お姉ちゃんでも緊張するんだな。」

「緊張する必要なんかないわよ。ここは養成所でも撮影所でもなくて普通の学校なんだから。普通にしてればいいのよ。」

 

私、星野ルビーと弟の星野アクアは今日から陽東高校芸能科の1年生だ。

 

教室まで案内してくれるのは、私のアクアとドラマで共演したロリ先輩。この前アクアと二人でパーティーに参加したらしい。私の可愛い弟と最近妙に距離が近くなっている要注意人物だ。

 

私たちの教室は1-F。教室には座席表が張られており、すでに席順が決められているようだった。ちなみにアクアの席は私のすぐ前だ。アクアがなぜか凄い残念そうな顔をしてるけど、気にしない。

 

「ほらアクア、こっちだよ。ちゃんと座席確認して席間違えないようにね。」

「大丈夫だって。高校生にもなって世話焼くなよ。」

 

それにしても凄い世界に来てしまった。

 

右見たら美人!左見たらイケメン!

芸能科って言っても意外と大したことないかもとか思ってたけどそんな事無い。明らかに地元の中学校とは別物!

 

とはいえ・・・?ママの遺伝子を受け継いでる私達も顔では負けてないわけで・・・。

呑まれてなるものか!

 

アクアと共に指定の座席に座る。私の席は窓際の一番後ろ。最高のポジションだ。目の前には可愛い弟。この位置関係なら何かあってもすぐに対応できる。

 

右手には桃色の髪の女の子。芸能科にいるだけあって可愛い。が、それよりも目を引くのは、その張りのある大きな胸。

 

「お姉ちゃん、人の胸をじろじろ見るのは失礼じゃないか?」

「へ?あ、いやぁ、別に見惚れてたとかそういうわけじゃなくてね?」

 

早くも芸能人のオーラに呑まれる私をアクアが助けてくれた。ていうかアクア、ちょっと顔赤いよ?

 

「あ・・・すんませんジロジロみてもうて・・・。めちゃ美形な兄弟さんやなおもて・・・。やっぱり芸能科ってすごいわぁ。」

「いやいや貴方も凄いです・・・。」

 

主に胸が。

 

ふわふわのピンクの髪にぱっちりとした大きな垂れ目。雪のように白い肌と丸みを帯びたしなやかな身体。喋り方もおっとりしてて、すごい女性的というか、色気を感じる。

 

これヤバいな。この色気で迫られたらアクアなんて簡単に落とされてしまう。

 

「モデルさん?」

「あ・・・せやねん、一応。うち寿(ことぶき)みなみいいます。よろしゅー。」

「俺は星野アクア。こっちは双子の姉のルビーだ。よろしくな。寿さん。」

「ちょ、アクア。何勝手に挨拶してるの。いくらみなみちゃんが可愛いからってホイホイ付いていっちゃだめだからね?」

「は?別にいいじゃねぇか。高校生にもなってお姉ちゃんに友達を作ってもらうとか恥ずかしいんだよ。」

 

アクアの言い分も分からなくはないけど、初手からこんなグラマーなモデルに声を掛けるのもどうかと思う。隣に暇そうな男がいるじゃん。なんでわざわざ後ろ向いてこっちの会話に混ざってくるかなぁ?

 

ロリ先輩ともなんか距離が近いし、いきなりモデルさんに声かけるし、ついにアクアもそういうお年頃というわけだ。ロリ系もボンキュッボンもいけるとは、ストライクゾーンも広い。そういえば次の仕事が決まったと報告してきたけど、その仕事はなんと恋愛リアリティショーだった。

 

悪い女に引っかからないよう、私が目を光らせておかないと。

 

「まぁまぁルビーちゃん。さすがに弟さんが可哀そうやない?アクア君、うちは気にせんから、仲良くしようなぁ。」

「寿さん・・・。ありがとう。」

「ストップ!一旦ストップ!なんで早くも良い雰囲気になってるの!?」

「うるさいなぁ。お姉ちゃんは静かにしてくれよ!」

 

やばい、やばい、やばい。

 

私が厳しくした一瞬の隙を狙ってアクアに救いの手を差し伸べて信頼を勝ち取る高等テク・・・!

この子、出来る。

 

「・・・あの、お二人さん?そろそろ周りからの視線もきついし・・・一旦落ち着かへん?」

「ああ、ごめん寿さん。お姉ちゃんがうるさくて。」

 

入学早々、私は芸能科の名物、ブラコンお姉ちゃんとしてその名が知れ渡るのだった。

 

・・・

 

昼休み。私達姉弟とみなみちゃんは、教室中から向けられる好奇の目を避けるように学校の中庭へ避難していた。

 

「ああもう、お姉ちゃんが相変わらずなせいで、高校でも悪目立ちしてるよ。」

「まぁまぁアクアさん。ルビーちゃんほどは目立ってへんから安心して?それに、もっと目立つ人おったやん。」

 

私たち姉弟よりも目立つ人。その人は初回の授業が始まる頃に遅れて現れた。

 

『すみません、今日番宣で朝の生放送あって・・・。入学式くらいは出たかったんですけど・・・。』

 

月9のドラマで大ヒット。歌って踊れて演技もできるマルチタレント。美少女という言葉を聞いたら殆どの人がまず思い浮かべる不知火フリル。

 

「今最推しだよ!!」

「興味ない、俺の最推しは今も昔もアイだけだし。」

「そりゃ私もそうだけど・・・。それはそれ、これはこれ!あっ・・・!ほら!あそこに実物!はぁー遠目でもかわいー。」

「まじでただのファンじゃん。俺たちクラスメイトだろ?」

「だってぇ。」

 

偶然通りかかる不知火フリルを遠目に発見。やっぱり可愛い。

 

推しの可愛さに悶えていると、アクアが突然不知火フリルの方向へと歩き出す。

まさか、声を掛けるつもりだろうか。

 

「こんにちは。不知火さん。同じクラスの星野アクアだ。姉がアンタのファンでな。仲良くしてやってくれ。」

「ちょっ!」

 

本当に話しかけた。こんな積極的なアクアは見たことがない。手当たり次第に可愛い女子に話しかけまくってる。いかに思春期とはいえ、これはどうなんだろう。欲望が制御できてないんじゃないか。

 

しかも何を言うかと思えば、私と仲良くしてくれって。もしかして意趣返しのつもり?

 

一方、突然話しかけられた不知火フリルは動じることなくアクアを見つめ返す。やっぱり大物ってすごいな。どっしり構えているというか、心に余裕があるというか。

 

「貴方知ってる。『今日あま』に出てた人?」

「・・・よく知ってるな。そんな話題にもならなかったのに・・・。」

「ちょっと界隈(かいわい)で話に上がってて、見た。良かった。」

「・・・ありがとう。」

「ねぇ、あのシーンの演出は貴方が考えたの?最後のシーンだけまるで別物だった。」

「考えたというか・・・勝手にアドリブを入れさせてもらったんだ。ひどい現場だったからな。まぁ、有馬の実力を考えればあれくらいの画は撮れるはずなんだよ。俺は場を整えただけだ。」

「ストップ!一旦ストップ!みなみちゃんだけでは飽き足らず、不知火フリルとも仲良くなろうとして!」

 

ああもう、なんで不知火さんもアクアの話に食いつくかなぁ。このペースでアクアが女の子に声かけまくったらどうなっちゃうの?芸能界って恐ろしい。大変な世界にアクアを入れてしまった。

 

「ああ、あなたがお姉ちゃんね。噂通りのブラコン。」

「うぐぅ!」

「良いぞ不知火さん。もっと言ってくれ。」

 

私の味方はどこにもいない。

 

「アクアさん。貴方、もしかして五反田監督のお弟子さん?」

「そうだけど・・・。なんでそのことを?」

「マネージャーが言ってた。今年から凄い新人の役者が出てくるって。あの五反田監督が子供の頃から手塩にかけて育ててきた秘蔵っ子。貴方だったんだ。」

「そうか。なんだか知らないところで有名になってるみたいだな・・・。」

「共演する日も近いかもね。よろしく。」

「ああ。その時はよろしくな。」

「あっ・・・そちらの方はミドジャンの表紙で見たことあります。みなみさんでしたっけ。」

「はい!」

 

すご・・・。二人とも不知火フリルに認知されてる・・・。

 

ていうかアクアって業界では結構話題になってるの?すごいなぁ・・・。アクアが役者の世界で有名になってくれるのは嬉しいけど、お姉ちゃんとしては寂しい気持ちもある。

 

「貴女は、」

「えと・・・」

「ごめんなさい。何をしてる方ですか?」

 

次は私の番か。あれ?ちょっと待って。私って一応芸能人だけど、何か仕事したっけ?

・・・うん。ない。何もしてない。

 

「その・・・今のところ特に・・・」

「そう。えと・・・頑張って?」

 

家に帰った私はミヤコさんに泣きついた。

 

「ミヤえもーーん!早く私をアイドルにしてよー!!」

「せかさないで・・・。アイドルグループ作ります、はいオーディションってわけにもいかないの。ちゃんとしたグループ作るにはちゃんとしたスカウト雇ったり手続きがいるのよ。」

「でもこのままじゃ・・・!このままじゃいじめられる!」

 

あの芸能人ばかりの教室で一人だけ何もしてない一般人が居たらどうなるか・・・!

想像しただけで恐ろしい。

 

「そうそう可愛い子なんて見つからないのよ。意欲のある子は大手のオーディションに粗方持っていかれちゃうし。」

「芸能科に寿みなみちゃんっていう胸バカでかくて可愛い子がいるんだけど・・・。」

「よその事務所の子でしょ駄目。フリーの子ならまだしも・・・事務所間の揉め事は御免よ。」

 

ああもう!誰かいないの!?早くアイドルにならないと虐められる!!

 

「フリーなら・・・居るじゃん。フリーランスで名前が売れてるわりに仕事が無くて・・・顔が可愛い子。」

 

・・・

 

良く手入れされた艶々の髪。あどけなさの抜けない童顔。天然おバカっぽいキャラクター。確かにそう。

 

「長年アイドルを追ってきた私の経験上、ああいう子はコッテリしたオタの人気を滅茶苦茶稼ぐ!」

「視点も分析もなんか嫌だなあ。」

 

私たちの視線の先には、この学校の先輩でありスカウト対象の有馬かなが居た。確かに彼女ならフリーランスだし、顔も可愛いし、アイドルグループのメンバーとして申し分ない。

 

「人気でそうなら良いじゃん。誘うだけ誘ってみたら?」

「いやまあそうなんだけど・・・。ほら、私とロリ先輩はただならぬ因縁があるじゃない?」

「あったか?」

「だってあの人なんか私に対して感じ悪くない!?」

「お姉ちゃんが何度も重曹とか言うからじゃねーの?とにかく呼び出しておくから話だけでもしてみろよ。その上で仲良く出来ないと思うならナシで良いし。」

 

こうして私のアイドルグループの2人目のメンバー候補有馬かなと直接話を付けることとなった。呼び出すのはアクアだ。ちゃっかり先輩の女子と連絡先交換を済ませているが、今はそのことを追求している場合ではない。

 

私のアイドル人生をかけた大一番だ。絶対に失敗は出来ない。

 

何としてもスカウトを成功させて見せる!

 




星野アクア
今年から活動を始める五反田監督の秘蔵っ子として、業界で密かに注目を集めている。実力は本物。あの不知火フリル陣営にもマークされていた。
この春から恋愛リアリティショーに出演することが決まっている。

星野ルビー
今のところ何もしてない自称アイドル。
ブラコンお姉ちゃんとして、地元の小中学校では有名人だった。陽東高校でも早くも有名人になりつつある。

寿みなみ
形の良いGカップの胸が自慢のグラビアモデル。
お姉ちゃんに友達を選ばれるアクアを不憫に思い、助け船を出したら仲良くなった。

不知火フリル
実力も実績も事務所のパワーも申し分ない、売れっ子のマルチタレント。
美少女と言ったら誰もが不知火フリルを思い浮かべるほどの知名度を持つ。
役者としての星野アクアが気になっている。

有馬かな
コッテリとしたオタの人気を滅茶苦茶稼げそうなメンバー候補。
演技、歌、踊り、トーク、顔と、多方面(色気以外)に才能があるので、なんだかんだ言ってアイドルは最適解なのかもしれない。


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苺プロへようこそ

今日あまの仕事が終わり、また仕事もなくただ稽古に打ち込む日々だ。

 

最終回は評判だったとはいえ、全体で見れば今日あまを見ている人なんてほとんどいないし、次の仕事に繋げることは出来なかった。

 

暇を持て余して今日もエゴサをする。

 

━━━━━━━━━━━━━

Funky Ponkichi

見返してみると

有馬かなの演技だけ

頭一つ抜けてるのが

分かるよな

━━━━━━━━━━━━━

 

フフン!見る人が見れば分かるのよね。

 

━━━━━━━━━━━━━

たらこ

あのストーカー役

演技めちゃキモくて

嫌悪感しか

ないんだけど

よくよく観ると

カオ良くて複雑・・・

━━━━━━━━━━━━━

 

アクア・・・確かにかっこよかったな・・・。

 

最近、アクアの事ばかり考えてる。恋煩いってやつ?今私、恋した乙女の顔してるんだろうなぁ。あの日からずっとそうだ。気を抜くと今日あまのラストシーンでやったあの顔になってしまう。

 

乙女の心をこんなにして。アクア、責任取りなさいよ。

 

あ、スマホにメッセージ来てる。アクアからだ。

 

『大事な話があるんだけど放課後ちょっと時間作れない?』

 

・・・・!

 

なんだろ・・・なんだろ・・・

大事な話とか改まって・・・

ええ~っ?もしかしてそういう?

困るなぁ・・・ええ~っ?

 

ちょっとお手洗いに寄って、髪は整えておこう。

いや、そういう話って決まったわけじゃないけど・・・念のためね?

大事な話だもんね・・・。

打ち上げパーティーで本気のドレス姿を見てもらったし・・・あり得なくはないわよね?

 

舞い上がる気持ちをギリギリのところで抑え込みつつ、待ち合わせ場所の公園へと向かう。

 

「お待た・・・」

「待ってたわ。遅いじゃない。」

「あ゛?永遠に待ってろ・・・。」

 

お姉ちゃんも一緒かー。これは無いなー。あーちょっとでも期待した私がバカだったわー。

 

しかも二人の話を聞いてみれば、アイドル活動を早く始めたいだとか、私をアイドルに誘うとか、何やら大変なことをしようとしているみたいだ。さっさと帰って今日あまの最終回でも見ようか。

 

ルビーが私の方に向き直る。真剣な顔だ。大事な話ってのはまぁ、本当みたいね。

 

「有馬かなさん。私とアイドルやりませんか?」

「アイドル?何よ急に・・・」

「苺プロでアイドルユニット組む企画が動いてるの。そのメンバーを探してて。有馬さんフリーって聞いたからまぁ・・・有り体に言うとスカウト?」

「・・・これマジな話?」

「大事でマジな話。」

「ちょっと考える時間頂戴。」

 

いや・・・ナシでしょ。

 

アイドル活動を始めたら「若手役者枠」の仕事を失い、新陳代謝の激しい「アイドル枠」の仕事がメインになる。アイドル枠で跳ねなかったらどちらの仕事も失う。セルフプロデュース上のリスクが大きすぎる。ただ・・・

 

星野アクア。この人の天才ぶりは、かつて共演した天才アイドル「アイ」を彷彿させる。アイとは一度仕事をしただけだけど、売れるべくして売れた「本物」だった。

 

アクアが天才であることに疑いの余地はないけど、実際に私がアクアと共演したのはたったの2回、いや2カットだけ。その2回だけで、彼は凡庸な役者でない、私なんかでは及びもつかない「本物」だと分からされた。

 

苺プロに入ればアクアと同じ事務所になる。盗める技術が沢山あるはずだ。それにあわよくば、監督とのコネを作れるかもしれない。

 

そしてアクアの姉である星野ルビー。容姿は抜群に良い。性格も明るくて個性もある。何より、芸能人としての嗅覚がこの子に「可能性」を感じてる。

 

でも・・・私はアイドルで売れるほど可愛くなんて・・・。

私は無謀な賭けに乗るほど愚かじゃない。ここは断るしかないわね。

 

「悪いけど」

「頼む、有馬かな。お姉ちゃんとアイドルやってくれ。」

 

えっ、あんたまでそんなこと言うの?

 

アクアが出来るというなら、まぁ、もしかしたら本当に出来るのかもしれない。私が気づいていないだけで、アイドルの素質があるのかもしれない。彼ならありうる。私に備わったアイドルの素質を見抜いているのかもしれない。

 

でも、やっぱり私なんかじゃ・・・。

 

「でも私、そこまで可愛く・・・」

「いや可愛いだろ。」

 

!!

ちょっとやめてよ。面と向かって可愛とか言わないで。

可愛い、なんて・・・。

 

「俺も酔狂でアイドルやってくれなんて言わない。有馬はそこらのアイドルよりずっと可愛い。有馬になら大事なお姉ちゃんを預けられると思ってる。」

「えっでも・・・」

「頼む、アイドルやってくれ。」

「む・・・無理!」

「妹っぽくて可愛い。」

「え?」

「頼む。」

「やらないって!」

「有馬の事信頼してるんだ。」

「もうっ!何度言われても無理なものは無理!絶対やらないから!」

 

 

「苺プロへようこそ。歓迎します。」

 

ああ、来てしまった。気づけば目の前の契約書には私の署名とハンコが綺麗に押してある。これ、私がやったのよね・・・。

 

頭では駄目って分かってるのに、なんで私はいつもこう・・・。

 

まあいいわ。苺プロの所属ってことは、アクアと一緒に仕事する機会も増えるはず。あいつの仕事を近くで見ることが、私の役者としての経験値になる。

 

「どのみち何かしらのカンフル剤は必要だったのよ。それに、アクアの近くに居れば盗める技術もあるでしょ。どうせしばらくは暇だろうし、あんたのマネージャーでもやろうかしら。」

「まぁ、お姉ちゃんの為とはいえ、強引に誘って悪かったとは思ってる。俺なんかで良ければ」

「ねぇアクア。可愛い子見たらすぐに仲良くしようとするのやめない?」

「いや別にそういうんじゃ・・・」

 

ああ、これが噂に聞いたブラコンお姉ちゃんね。一応私もマークされているみたい。

 

普段は大人びているアクアだけど、ルビーと話すときだけは年相応というか、むしろちょっと幼い印象を受ける。やっぱりルビーの前で見せるあの姿が本当のアクアなんだろう。

 

「ねぇアクアって次の仕事とか入ってないの?」

「ん・・・あるにはあるよ。ねぇ、アクア?」

「ん?何か渋い顔・・・」

「これ」

「どれどれ・・・えっアクアが恋愛・・・」

 

ルビーがPCを開いて画面を見せてくる。そこに映っているのはネット番組『今からガチ恋始めます』のタイトル画面。演者の中にはアクアの姿もあった。

 

ルビーが渋い顔をするわけだ。この姉は重度のブラコンお姉ちゃんとして他の学年まで噂が轟くほどの、押しも押されもせぬ生粋のブラコンだ。アクアが女子に話しかけるたびにまるで子離れできない姑のように騒ぐという。そりゃあ、恋愛リアリティショーに弟が出るのを良く思うわけないわよね。

 

それに、私だって言いたいことはある。

 

「アクア、どういうことよ。急に恋愛なんて。」

「いや、今日あまのプロデューサーの鏑木さんに勧められたんだ。人生経験も大事だ、恋は人を変えるってな。俺も役者としての成長に繋がるならと思って、チャレンジしてみたんだ。考えてみれば、恋愛なんかしたことなかったしな。」

 

何よその言い方。私じゃダメなの?こんなの、私では恋愛にはならない、女として見れないと言われてるようなものじゃない。ああ、結構フレンドリーに話してくれるようになったと思ったんだけどな・・・。

 

ただの仕事だと言って欲しかった。

 




星野アクア
今日あまの打ち上げパーティーで見たドレス姿の有馬に見惚れていたのは秘密。
有馬のことは妹みたいで可愛いと思っている。

星野ルビー
今のところ何も仕事してない自称アイドル。でもメンバーは一人増えた。
アクアが勝手に恋リアに出演することを知り、いよいよそういう時期が来たかと同い年の弟の成長を噛み締めている。

有馬かな
元天才子役から元天才子役のアイドルに転身。
ルビーともども相変わらず仕事は無い。
アクアは現役アイドルと付き合うことに非常に強い抵抗があるが、有馬はまだそのことを知らない。


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恋愛リアリティショー編
有馬かなの欲しかったもの


今からガチ恋♡始めます

 

鷲見ゆき

ファッションモデル 高校1年

 

熊野ノブユキ

ダンサー 高校2年

 

黒川あかね

女優 高校2年

 

MEMちょ

ユーチューバー 高校3年

 

森本ケンゴ

バンドマン 高校3年

 

 

アクアの姉のルビーと共に、『今からガチ恋♡はじめます』、通称今ガチのPVを確認する。アクアは恥ずかしいからと自室に引っ込んだ。

 

「なるほどね。芸能活動をしてる高校生たちが週末色んなイベントを通じ交流を深め、最終的にくっつくとかくっつかないとかそういう番組。鏑木Pの番組ってだけあって皆顔は良いわねー。」

 

この美女の群れの中にアクアが放り込まれるわけか。さすがの私もこのレベルの女達が相手では見劣りしてしまうかも。まぁ、一番の強敵はこのお姉ちゃんなんだけど。

 

ちらりと横のルビーを見る。やはり複雑そうな顔だ。弟の成長を喜ぶべきか、姉離れを悲しむべきか迷っていると言ったところか。

 

「あ、最後はアクアの登場。」

 

星野アクア

役者 高校1年

 

『めっちゃ緊張するわ~。皆よろしくね!』

 

 

明るい好青年が、爽やかな笑顔を浮かべながら登場してきた。立ち居振る舞いこそ普段のアクアと変わらないものの、画面に映る彼はいつもより8割増しくらい好青年に見える。

 

「ちょっと明るいけど割といつも通り・・・?でもなんか凄いカッコよく見えるね。」

「普段のあいつと別人とは言えないギリギリのラインを攻めてきたわね・・・。映画撮影用のテクはきっちり使ってるみたいだけど。」

「どういうこと?」

「演技のテク使ったり現場の状況をうまく操って画面の印象を操作してんのよ。

このシーンなら・・・まず、発言する前に一瞬間があったわよね。これから挨拶しますっていう雰囲気を先に作ってる。カメラマンはさぞ撮りやすかったでしょうね。

それから、目線は完全に演者に固定して微動だにしてない。普通ここまで目線が動かないのは不自然なものだけど、映像で見るならこっちの方が自然よ。きっちり演技もしてるってわけね。」

「それが分かる先輩もすごいね・・・。」

 

アクアのことだ、この程度は無意識でも出来る。むしろカメラを向けられた彼が映像の出来上がりを気にせずにいることの方が難しいだろう。恋リア的に大丈夫なのかは知らないけど。

 

一方ルビーはアクアと違って、ダンス以外にこれと言ったスキルを持っていないようだった。双子の姉弟だというのに、どこでこんなに差がついたんだか。アクアの姉ならばと期待した私がバカだった。

 

画面では何やらぶりっ子のユーチューバーがアクアにちょっかいをかけている。

 

『えぇ~かっこいい~っ。役者さんってあこがれるぅ。』

『MEMちょも可愛いね。めっちゃ照れる・・・。』

 

 

「「は?死ね」」

 

アクアを見守る者同士、考えることは同じだった。

 

「なんだあいつ・・・私には可愛いなんて勧誘の時しか言わなかったくせに・・・!」

「女に囲まれて浮かれてんな・・・。帰ったら説教だわ・・・。結局アクアもオスなんだね。」

「チョロそうなメス見つけたらすぐコレだよ。」

 

この姉とはなんだか仲良くなれそうな気がする。

 

メス共に鼻の下を長くするアクアにブチギレる私達に対し、社長でありアクアの母親のミヤコさんの反応は冷静なものだった。

 

「二人とも。コレメディア用だから落ち着いて。そうしないと番組が成り立たないでしょ?

身近な男が女にデレデレしてる所見ると腹立つのは分かるけれどね、アクアも役者、そういう男を演じる気持ちでそこにいるんじゃないかしら。」

 

分かってる。これはそういう番組で、そういう目的に沿って動いているだけ。でも・・・

 

「これ最後本当に告白して恋人になったりするんですよね。」

「そうね。形式だけでもそこの筋は通すことになるでしょうね。」

「告白成功したらキスとかするんでしょ。」

「まぁ定番ね。」

 

要するにアクアはそういう事をするためにこの番組に出ている。それでは私と恋愛関係になることを否定しているのと何ら変わらない。彼は私以外の女の子を求めている。

 

「こんな番組、なんで受けたんだろ・・・。」

 

こんなの私のわがままだとは分かってる。でも、断って欲しかった。放課後の学校で一緒に遊んで、仲良くなって。そんなことをする相手に私を選んで欲しかったのに。

 

寂しさを紛らわすように膝を抱きかかえ、顔を伏せる。

 

ああ、今顔に出ちゃってるんだろうな。いつから私はこんなめんどくさい女になっちゃったんだろう。気持ちがすぐ表にでる・・・のは昔からだけど。こんな女々しい性格してたっけ、私。

 

ルビーでさえ空気を読んで黙り込んでるし。

 

「でも・・・貴女だって女優を続けるならいずれキスシーンとかも求められる。ここを割り切るのも仕事の内。この業界でガチガチの貞操観念持ったままだと後々辛いわよー。」

「分かってるけどさ・・・。」

 

でも、割り切れない感情だってあるでしょ?

 

オトナはそんな事無いの?こんなに胸のなかがざわめいていても、すました顔でなんでもないって言うの?そんなの、無理だよ。

 

まだまだ私は子供だったんだ。一人暮らしして、一人で仕事もマネジメントもやって得意げになってただけで、中身はママに捨てられたあの頃と変わっていない。私はまだ大人になんてなってなかった。

 

涙目になった顔を見せまいと、私はさらに顔を伏せて泣きたい衝動を堪える。

 

泣いてるのを見られるのが嫌で、事務所のソファーの上で体育座りのように小さく丸まって膝に顔をうずめる。社長のミヤコさんと後輩のルビーが見ている前だというのに、湧き上がる気持ちを止められない。アクアが私を女として見てくれないのが悲しくて、それを受け入れられずに駄々をこねる自分も嫌になる。

 

「先輩、アクアのことが本当に好きなんだね。」

「何よ。悪い?」

「ううん、全然。ただ泣いてる仲間をほっとけないだけ。」

 

すぐ隣からルビーの声がする。普段とは違う、優しい声。泣いてる子供をなだめるような、落ち着いた大人の雰囲気だ。これではどっちが先輩だか分かったものじゃない。

 

私はルビーより1年ばかり長く生きて、ちょっと芸能界の事を良く知ってるだけ。姉として生まれたときから一番近くでアクアを見守り続けたルビーの方が、精神的には大人なのかもしれない。

 

それに比べて私は、子供の頃からいつも自分が目立つことばかり考えていた。それがダメと分かって仕方なしに協調性を身に着けたけど、性根は変わらない。結局ママや他の大人たちに褒めて欲しくてやってただけ。

 

でもルビーは違う。心の底から他人を想って行動できる。アクアが姉に絶対的な信頼を寄せる理由が分かる気がする。私を一人の女として見てくれない理由も。

 

頭に何かが触れるのを感じる。顔を伏せていて周りは見えないけど、たぶんルビーの手だ。頭を撫でられている。親が子に対してするように、丁寧に、ゆっくりと。膝を抱える腕の隙間からのぞき込むと、ルビーはいつの間にか隣に腰掛けているのが見える。さっきまでとはまるで別人のような雰囲気を纏っている。

 

私の視線に気づいたのか、ルビーは撫でるのをやめて私の肩に腕を回してきた。もう一方の腕も大きく広げ、ちょうど私の身体が収まるスペースが出来ている。

 

「ほら、ぎゅってしてあげる。おいで?」

 

私にかける言葉も、その声も、普段のルビーからは想像もできないほど柔らかく、慈愛に満ちたもので・・・。

 

年甲斐もなく、その優しさに身を預けてしまった。

 

「泣きたいなら泣いても良いんだよ?私たちは仲間なんだから。辛いときは私を頼っていいからね?」

「・・・ありがと。」

 

慣れた様子で私の背中をさするルビーはまさしくお姉ちゃんだった。

 

私が本当に求めていたのはこういうコトなのかもしれない。誰かに構って欲しかった。ただ愛して欲しかったんだ。

 

なのに、周りにいた大人たちが、マネージャーが、家族が、売れなくなった私を見放して離れていく。そうやって最後は独りぼっちになった。自分の価値を証明することでしか、人は私を愛してくれないと思った。だから必死にお仕事を頑張ったし、売れるためならやりたい演技も我慢して周りを立てるようにした。

 

強がってばかりいるくせに内心はいつもビクビクしてた。自分に価値が無いって思われることが、見放されることが怖かった。

 

ルビーの抱擁は私の心の欠けた部分を埋めてくれる。みっともなくて未熟で、何の価値もない私を受け入れてくれる。ルビーの前では自分を良く見せる必要がない。その事実が何よりも私を安心させてくれる。

 

涙はもうとっくにあふれている。この包容力の前では強がる気持ちさえ溶けてなくなっていく。ただ、甘えていたくなる。

 

全く大したものだわ。

さすがはアクアのお姉ちゃんってわけね。

 




星野ルビー
10年以上アクアのメンタルケアを続けてきたお姉ちゃん。
原作よりも精神的に成熟している部分がある。

有馬かな
構って欲しい愛して欲しい、でも皆売れなくなった自分から離れていく。そんなトラウマを抱えているので自分を良く見せるのに必死。
ルビーお姉ちゃんのメンタルケアにより回復の兆しを見せている。

斎藤ミヤコ
有馬は存在を忘れているがずっと同じ部屋にいた。
娘の成長を感じ、嬉しく思っている。


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小悪魔ゆき

恋愛リアリティショーに台本はない。それぞれの演者が好きに話題を決め、自由に喋ることが許されている。あくまでリアルさが売りなのだ。

 

だから、こんな意味不明な会話もカットにはならない。

 

「でえ、うちの犬ぅ。」

「うんうん」

「ほら、かわいくてぇ。みてみてぇ。」

「うんうん。かわいいねぇ。」

 

だるぅ。女の子特有の共感しあうだけの会話キツう・・・。

 

「でぇ、猫がぁ、」

「うんかわいいね。」

 

・・・この話、そろそろ十分だろう。もう適当に相槌打っておけばいいか。可愛い物好きというキャラは良くアピールできているが、そんなものに興味はない。

 

だが、よくよく彼女を観察してみると、恋愛リアリティショーの演者としては中々面白い存在だ。彼女はユーチューバー。ほとんど毎日動画を撮影し、編集し、投稿している。それだけ数をこなしていれば当然様々なスキルが磨かれていくわけで。

 

「本当に可愛いペットたちだねー。・・・あっ、そういえば、」

 

パンッ

 

例えばこんな感じで間をおいてわざとらしく手を叩いてみる。もう犬猫の会話は十分撮れたという意味をこめ、アイコンタクトを送る。

 

「・・・」

 

さっきまでの犬猫を自慢するMEMちょはもういない。ちょうど今俺を見つけて、これから会話を始めますって顔でこちらを伺っている。

 

やっぱり合わせてきた。ほんの一瞬で俺の意図を読み取り、今の間が()()()であることを即座に理解した。

 

ならばさっきの会話はパターンA。ここからの会話はパターンBだ。ガラッと雰囲気を変えてMEMちょの反応を伺ってみよう。

 

「MEMちょは動画作成を一人でやってるの?」

「基本的にはそうだよぉ。人に頼んだりすることもあるけど、やっぱり自分の動画は自分で作りたいよねぇ。」

「分かる。自分の目の届かないところで変な事されたくないよね。」

 

何食わぬ顔で別の話題で盛り上がる。ペットを溺愛するMEMちょと、クリエイターとしてのMEMちょ。この短時間で俺たちは2パターンの映像を撮影できたわけだ。

 

どちらの映像を使うかは分からない。両方使うかもしれないし、どちらもお蔵入りかもしれない。でも、ずっと同じ話題で話し続ける場合と比較して、今の映像が使われる可能性は確実に増えている。

 

「ちょっと場所を変えようか。」

「うん。」

 

今のやり取りで向こうも大体わかっただろう。俺は映画製作で培ったテクを惜しみなく使い、番組を盛り上げるつもりでいる。

 

演者の中で映像制作の知識を持つのがMEMちょだから、最初に声を掛けたんだ。

 

「さすがはユーチューバー、撮られ方が上手い。君となら上手くやれそうだ、仲良くしようぜ。」

「アクア君こそ、バリバリやってんねぇ。役者って言ってたけど、裏方のスキルも持ってる感じ?」

「まあな。演技の師匠が映画監督でさ。裏方の手伝いとかもやってる感じ。」

「なぁるほど。それは好都合。若いのに良く周囲が見えているし、番組の調整役には私らが適任かな?」

「他のメンツを見てからだけど、まぁそうなるだろうな。」

 

なるほど、これが素のMEMちょってわけか。ぶりっ子キャラやってるより、遥かに話しやすいし好印象だ。それに、人気ユーチューバーとしての実力は恐らく本物。学べることもたくさんあるだろう。個人的にも仲良くさせてもらいたいものだ。

 

「じゃあ、私はこれで。次はケンゴ君に挨拶でもしてこようかな。」

「おう、またな。」

 

さて、次は誰と話そうか。

 

・・・

 

「アクア君、だよね。私は鷲見ゆき。高校一年生だよ。よろしくね。」

「役者の星野アクアです。同じく高校一年生。よろしく。」

 

定点カメラに映る位置で待ち構えていると、ファッションモデルの鷲見ゆきが話しかけてきた。

 

さすがモデルだ、歩き方が洗練されている。定点カメラとの位置関係も完璧で動きに迷いがない。自分が可愛く映る角度を知っているな。

 

「本当にこういう番組って台本ないんだね。どんな話して良いか全然分からない。」

「確かにそうだね。」

「あたし臆病でガシガシ前に行けないし、あんまりトーク得意じゃないし、きっと埋もれるんだろなぁ。」

 

しばらく鷲見ゆきとの会話を楽しむ。事務所の看板の人が仕事を持っていくせいで暇だとか、恋愛に興味はあるかとか、そんな他愛もない会話。ゆきは初対面の俺相手に踏み込み過ぎることなく、かといってよそよそしくもない、絶妙な距離感を守っている。

 

彼女に対する第一印象は、臆病で純粋で、守ってあげたくなるような子だった。

 

さて、アイスブレイクは十分。今の会話では普通過ぎて放送されるかどうか分からない。そろそろ何か面白い画が欲しい。そんなことを漠然と考えていたのだが、先に動いたのは意外にも鷲見ゆきだった。

 

「知ってる?前シーズンのカップル、最後にキスしたんだよ。」

「まぁ、一応予習はしたし。」

 

何だろう、鷲見ゆきの雰囲気が少し変わったような。

 

「良い人が居るか不安だったけど、」

 

そう言いながら彼女は一歩前へ踏み出す。彼女の顔がすぐ目の前に迫る。

 

そのまま互いの頬が触れるかというところまで顔を寄せ、

 

「私、君にならキスできるかも。」

「なっ」

 

意表をセリフに、耳をくすぐるささやき声。

 

「後ろ。カメラマンさんが撮ってるよ。カメラに視線は送っちゃ駄目。ここはきっと使われるよ。」

 

・・・やられた。

 

彼女は余裕の表情で微笑みながら、俺に対するアドバイスまでやってのけた。良い性格してるな。何が臆病だよ。

 

颯爽と歩いていく鷲見ゆきの背中を眺めながら、俺は呆然と立ち尽くす。向かいのカメラの映像には、ゆきのアプローチに顔を赤くして照れる俺が映っているというわけだ。

 

良い映像を作るテクじゃない。人の感情の機微を肌で感じて理解している。演技ではない、俺本来の反応を鮮やかに引き出し、カメラに収めて見せたんだ。

 

リアルな人間関係とそこに生まれる本物の感情がコンテンツ。全く未知の世界。

 

なるほど。これがリアリティショー。

 

・・・

 

後日、撮影した内容が放送され、なぜか俺はお姉ちゃんに説教されていた。

 

「弟の幸せを願う一人のお姉ちゃんとして、アクアが彼女を作ることに反対はしません。でも、悪い女にアクアが騙されるのを黙って見過ごすわけにもいきません。というわけで、アクアが付き合うべき女性を私が決めます。」

「勝手にも程がある。」

「私の一押しは鷲見ゆき!多分この子は純粋でいい子だよ!!」

「・・・お姉ちゃんは見る目が無いから、しばらく恋愛すんなよ。」

「はぁ!?」

 

姉の幸せを願う一人の弟として、お姉ちゃんの将来が心配です。

 

 




MEMちょ(18?)
人気のユーチューバー。撮るのも撮られるのもプロな仕事人。
番組に対する姿勢がアクアと似ており、早くも意気投合する。
とある理由により、ガチで恋愛する気は毛頭ない。イケメンは好き。

鷲見ゆき(15)
リアリティショー向きの性格をしている、いわゆる上手い奴。
さっそくアクアの赤面シーンをカメラに収めることに成功する。

星野アクア(16)
やっぱり撮影の事ばかり考えている。
いつもの教室にも可愛い子は沢山いるのであまり緊張はしなかった。むしろお姉ちゃんが居ないことが異常事態。
一応恋愛のことも真面目に考えてはいる。


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世話の焼ける子

今日は土曜日。学校は休みだ。

 

いつもなら弟のアクアをデートにでも誘って断られて家の中でイチャイチャしてるはずの時間。しかしアクアはここ最近今ガチの収録で忙しく、週末はずっと予定が埋まっている。

 

事務所には先輩と私の二人だけ。ソファーに寝そべる先輩の手には、良く分かるエリマキトカゲとかいう訳の分からない本が開かれている。もしかしなくても、仕事する気ないよね?

 

「先輩。仕事無いの慣れてるでしょ?普段何して過ごしてたの?」

「顎にジャブ入れて脳揺らすぞコラ。」

「もう、そんな言葉どこで覚えてきたの?そういう事言うのはやめな。」

「本当にあんたってどうしようもなくお姉ちゃんよね・・・。私にまでお姉ちゃん面してくるのは想定外だったけど。」

 

苺プロに先輩を誘ってから、土日はほぼ必ず事務所に、というか私の家に来ている。ここの所ずっとだ。アクアが居なくて可愛い弟を愛でることは出来ないけど、妹みたいに可愛い先輩が入れ替わりで来てくれたと思えばそんなに悪くない。

 

「まぁ毎週うちに来てる時点で家でやる事無いのは察しがつくけど。」

「別にそんなんじゃないわよ。苺プロ所属のタレントとして何か仕事が来たときにすぐ動けるようにしてるだけ。見くびらないで。」

 

毎週末顔を合わせてれば先輩の人柄や境遇なんかもだんだん分かってくる。

 

例えば今みたいに不必要なほど強く反論してくる時は、大抵何か隠している。先輩は本来優しくて臆病な性格をしている人畜無害なタイプだ。そんな先輩が強い言葉を使うのだから、意識的であれ無意識的であれその裏には目的がある。例えば、動揺を悟られないように強がっているとか。

 

まったく、世話の焼ける子。

 

「そうやってすぐ嘘つく。」

「はぁ?別に嘘なんか」

「いい加減にしなさい。」

 

可哀そうだけど、ちょっと強く言わないとこの子は本心を出してくれない。放っておくとなんでも一人で抱え込んで、自分がつぶれてしまうまで頑張り続ける。そういう子だ。

 

「ああもう!本当にあんたには敵わないわね。そうよ嘘よ。家に居たって誰も居なくて寂しいのよ!これでいい!?」

「うん、いいよ。別に先輩を責めてるわけじゃないんだから。そんなに怖がらないで。」

「別に怖がってなんか・・・」

「先輩?」

「ごめん。ちょっとビビってた。」

「よろしい。ごめんね怖がらせちゃって。よしよししてあげる。」

「ああもう・・・」

 

気づいてしまえば単純なことだった。事務所からも親からも見放されて、誰も頼れる人が居ない中、必死に暗闇の中をもがく可哀そうな女の子。それが先輩。

 

普段は大人びた口調で芸能界の先輩として威厳のある姿を演じているけど、それが本性じゃない。意外と小心者で子供っぽいところがある。人を引っ張るよりもちょっかいをかけて困らせる方が好きで、そのくせ寂しがりやだから本気で拒絶されることを恐れている。

 

本当、世話の焼ける子。

 

「ねぇ先輩。私達アイドルなんだよね。なんか今できることは無いのかな?」

「新人アイドルの仕事ってライブハウスで歌って踊って、たまにメディアの仕事受けたりとかでしょ。持ち曲も無ければユニット名もまだ未定。今の私等に何が出来るってのよ。」

「ユニット名がまだなのは先輩がゴネるからじゃん!」

「だって名前つけたらもうマジでしょ・・・。私まだアイドル名乗る踏ん切り付いてないっていうか・・・。」

「良いじゃん「アイドル有馬かな」って」

「恥ずかしい!実績の無い自称アイドルとか親になんて説明したら良いの!?」

 

契約書には先輩のサインとハンコがあるのだから、今更悩むことも無いのに。実績が無いならゴネるんじゃなくて、何か出来ることが無いか考えるべきなんじゃないの?私は一刻も早くアイドルとして活動を始めたいのに。

 

今日も何かと理由を付けて活動を始めようとしない先輩に、私は手を焼いていた。ああもう、早く仕事しないと学校で虐められる!

 

「実績があれば踏ん切りがつくのかしら?じゃあ実績を作りましょう。」

 

その声は・・・!

 

「みやえもーん!」

「遅くなって悪かったわね。スケジュールがなかなか合わなくて。でも頼れる助っ人を捕まえてきたわよ。」

 

事務所にやってきたミヤコさんはいつものお母さんの顔じゃない、仕事をするときの社長の顔をしている。仕事モードだ。こういう顔をしている時のミヤコさんは頼りになる。

 

「社長、助っ人ってどういうことですか?追加のメンバーでも探してたんですか。」

「そうじゃないわ。当面はあなた達2人で活動してもらいます。とはいえ知名度も無ければメンバーも揃っていないあなた達に出来ることは限られてる。そこであなた達にはまず、ネットで知名度を稼ぐことから始めてもらうわ。」

「ユーチューバーってこと!?」

「そう。ユーチューブで固定客を作ってライブに人を呼べば効率がいいでしょ?」

「ミヤコさん賢い!」

 

なるほどユーチューバーか。アイドルって歌って踊るだけが仕事じゃないんだよね。もちろんステージ上でパフォーマンスをしてそれを皆に見てもらうのが目的だけど、まずは自分たちを知ってもらわなきゃ意味ないんだ。

 

という事は助っ人はユーチューバー?いったい誰だろう。

 

「じゃ、あとはお願い。」

「オマカセ!」

 

聞き覚えのある声だ。まさかあの人が?

 

ゆっくりと開くドアの隙間から見えてきたのは見覚えのあるひよこの覆面。そしてムッキムキに鍛え上げられたカラダ。間違いない。あの人が来てくれたんだ。

 

感無量だ。あの大人気ユーチューバー、ぴえヨンに直接指導してもらえるなんて。ああ、なんて挨拶しよう。嫌われないようにしなきゃ。私筋トレしてないけど大丈夫かな。

 

先輩も喜んでるに違いない。

 

「へ・・・変質者だーー!!」

 

ガチビビりである。

 

先輩の絶叫が事務所に響き渡る。まさか、ぴえヨンをご存じない?

 

いやまぁ、何も知らない人がいきなりあの覆面ゴリマッチョに遭遇したらそういう反応になるのも当然か。リアルで見ると確かに変質者。もしこれの中身がぴえヨンじゃなかったら私も叫び声をあげながらみっともなく泣いて逃げ出す自信がある。

 

先輩はいつの間にか私の服の袖をつかんで震えている。こういう先輩も可愛くて画になるなぁ。

 

「先輩、大丈夫だよ。この人は覆面筋トレ系ユーチューバーのぴえヨンさん。私たちの助っ人だよ。」

「信じていいのよね?ドッキリとかじゃないわよね・・・?」

「これがドッキリなら良い映像だったネ。ごめんごめん、驚かせちゃって。ボクはぴえヨン。ユーチューバーさ。」

「ほら怖くないでしょ?安心して。」

 

結局、先輩を落ち着かせるのに10分かかった。

 

なんというか、幸先の悪いスタートだ。いきなり先輩がこんな調子でユーチューバーとして上手くやっていけるのかなぁ。心配だ。

 

ああもう、世話の焼ける子。

 




有馬かな
世話の焼ける子。


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嘘は嫌だ

『ピヨピヨピヨ~~。ぴえヨンチャンネルぅうぅ!』

 

スマホの画面に映るのは、アヒルのようなふざけた声で喋るぴえヨンだ。動画があるのだから、確かにユーチューバーである。この事務所に居るんだし、社長が呼んだのだから信用のおける人物なのは確かなんだろう。

 

でも怖いものは怖い。ひよこのマスクを被ったイカツイ体のゴリマッチョが突如事務所に現れるというのは絵面としてインパクトが強すぎる。いやマジで。

 

動画からぴえヨンへ視線を移そうとするが、恐ろしくて彼を直視することが出来ない。視界の端に極限まで鍛え上げられた張りのある筋肉が映りこんだ瞬間、反射的に目をそらしてしまう。ああもう何なのよあの筋肉。見た目が生物として強すぎる。

 

「先輩、震えてる。よっぽど怖かったんだね。大丈夫、怖い人じゃないよ」

「いやぁ、撮影用の衣装で来たのは悪手だったヨ・・・。それにしてもルビーちゃん、手慣れた感じだネ。こういう事よくあるの?」

「アクアっていう可愛い弟が居るんです!アクアが泣いたときはいつもこうやって慰めてあげてました。最近は先輩にもやってあげてます。」

 

ルビーはここぞとばかりにお姉ちゃん面である。本心からの行動なのが余計にムカつく。その上私がやっとのことで平常心を取り戻しつつあるのは偏にそのお姉ちゃんのおかげだというのだからもう手に負えない。

 

アクアともども、まったく恐ろしい姉弟だ。この二人にはもう一生頭が上がらない気がする。

 

「ぴえヨンさん。変質者とか言ってすみませんでした。」

「いいよいいよ。確かに知らない男の人がいきなり部屋に入ってきたら怖いよネ。」

 

あのムキムキボディに目を慣らし、ぴえヨンさんに面と向かって謝罪するまでに10分かかった。結構頑張った方だと思う。

 

「というワケでかなちゃんも元気になったことだし、レッスンをはじめるヨ!」

「待ってました!」

「よろしくお願いします。」

 

ああ、ぴえヨンさんずっとそのテンションで行くのね。もういいわ。

 

相変わらずふざけた格好と喋り方のぴえヨンだが、レッスンの質の高さには正直驚いた。

 

「なんでボクがこんな格好してると思う?」

「はい!キャラづくりのため!」

「セイカイ!ユーチューバーとして売れるためにボクはとにかく目立ちまくる作戦をとったってワケ。この格好なら一目見たら忘れないよね。それと、サムネイルってわかる?動画の検索結果をたくさん並べたときに出てくるタイトルみたいな画像なんだけど、これもめちゃ大事。キミら二人が映ったサムネイルとボクが映ったサムネイルだったらどっちを開きたくなる?」

「そりゃ、ぴえヨンさんの方が気になりますね。」

「そゆこと。」

 

内容自体は本屋やネットで勉強すればたどり着けなくもないレベルではある。しかしあのルビーにビジネスの勉強をさせるなんて芸当、仮にこの教材を貰ったとしても私には到底無理だ。

 

さすが覆面筋トレ系ユーチューバーという子供向けのジャンルで覇権を取った男というわけだ。飽きさせずに話を聞かせるための雰囲気づくりや話の緩急が完璧。適度に質問を投げて考えさせることで内容も頭に入りやすいし、褒め方もうまい。

 

隣のルビーを見てみれば、まるで某夢の国でキャストに遊んでもらう子供のようにはしゃいでいる。勉強しているという自覚すらないのだろう。こんな子供みたいな年下の女に妹扱いされる私は何なのかという疑問は残るが、それについては考えないようにする。

 

レッスンはいよいよ私たちB小町がユーチューバーとして取るべき戦略についての解説へと移る。もうこのレッスンも終盤かと思うとちょっと名残惜しい気持ちになる。悔しいけど、面白い。

 

「イイカイ?登録者を稼ぐにはいくつかのテクニックがあるヨ!ナンだと思う?」

「毎日投稿!」

「元々の知名度?」

「うんうんそうだね。デモ君達には毎日投稿する根気も知名度も無いよね?」

「辛辣ぅ~」

「ところが手っ取り早く登録者を増やす裏テクがあるんだ!」

「そういうの待ってました先生!」

「おしえておしえて!」

「ソレはね~・・・。」

 

ソレは何なの、もったいぶらずに早く教えてよ。こんなところでお預けなんてしたら・・・ほらもうルビーが待てのポーズで餌を待つワンチャンみたいになってる。くそ、こんな時でも可愛いなコイツ。

 

「ああもう早くおしえてよ!もったいぶらないで!」

「ふっふっふ。聞きたい?」

「ききたい!」

「知りたい?」

「しりたい!」

 

唐突に始まるコール&レスポンス。盛り上がりは最高潮だ。私たちのユーチューバーとしての最初の動画、コレで良かったんじゃないかしら。

 

「答えはコラボ!有名ユーチューバーとコラボするのが一番手っ取り早い!」

「えっコラボって・・・」

「キミ達二人には、ボクのチャンネルに出演してもらいます!」

「えー!ぴえヨンさんの動画にでれるの!?」

「その通り!張り切っていこう!」

「はい!」

 

この短時間でハートをがっちりつかまれた。私達二人はすでに彼のファンだ。

 

・・・

 

「さて、レッスンはここまで。ここからは君たちが出る企画について話をしようか。」

 

ぴえヨンさんが用意してきたレッスンが一通り終了し、私たちの最初の仕事についての話が始まる。あの面白いレッスンのおかげでもうちっとも怖くない。

 

「君達アイドルだし寝起きドッキリとかやる?」

「あー良いんじゃないですか?」

「えっでも寝起きドッキリやるって予め言われたらドッキリにならなくない?」

「・・・あんたマジで言ってる?本当にアイドルの寝起き撮りに行って男と寝てたらどうするの?」

「ああいうのは前日に通達にいってるものだよ。」

「そうなの!?」

 

仮にも芸能人で、芸能事務所の社長宅に暮らしてる人間のくせに、純粋にも程がある。子供の夢を壊すようで悪いけど、これが現実。ここは社会勉強と思って飲み込んでもらうしか・・・

 

「でも私たちの初めての仕事だよ。」

 

ルビーの圧に思わずたじろぐ。

 

「嘘は嫌だ。」

 

この目だ。

 

どうしてこの子はこんなに強い意志をその瞳に宿すことが出来るんだろう。この場を支配する圧倒的な存在感。まるで世界の中心にいて、すべてが彼女のために動いているかのような圧倒的カリスマ。

 

かつて地下出身ながらドーム公演まで上り詰めた伝説のアイドル、アイを彷彿とさせる。

 

そうだ、私はこの目に、ルビーのカリスマに可能性を感じていた。自分の芸能人としての嗅覚を信じるなら、ここでルビーのやりたいようにやらせるのが正解なのかもしれない。

 

「いいわ、あんたの好きな企画をやりなさい。」

「良いの?先輩。」

「良いわよ。どうせ私が適当な企画だしてもあんたは納得しないでしょ?」

「分かった。じゃあ・・・決めた!」

 

嘘ではない、本当の企画。

私たちの初めての仕事。

ルビーが選ぶ企画とは一体・・・。

 

「ぴえヨンブートダンスにしよ!あれやってみたかったの!」

 

やっぱり私は人を見る目が無いのかもしれない。

 




ぴえヨン
小中学生に大人気の覆面筋トレ系ユーチューバー。
画面上でのインパクトを追求した結果、ビルパンとひよこの覆面だけというスタイルにたどり着いた。きちんとした市場調査とターゲティングに基づき、ビジネスとして至って真面目にやっている。
子供が好き。

有馬かな
あまりにインパクトが強い仕事姿のぴえヨンを不意打ちで食らって軽くトラウマになっている。
ただでさえ年頃の乙女にビルパン姿のゴリマッチョは荷が重いのに意味不明な覆面まで被ってアヒル声でいきなり登場したらオーバーキルである。

星野ルビー
年相応に子供っぽいところもあり、憧れのぴえヨンの生レッスンにはしゃいでいた。
有馬は芸能人としての嗅覚から可能性を感じていたが、やっぱりはしゃいでいた。
アイドルとしての初仕事はぴえヨンとの共演。


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ユニット名はB小町!

「アクア。お姉ちゃんね、今度ぴえヨンの動画に出ることになったんだよ!」

「マジか。すげぇな。」

「良かったなぁ、ルビーちゃん。ぴえヨンチャンネルよう見とったんやろ?」

「もう大ファンだよ!この前会って打ち合わせしたんだけど、超面白かった!」

 

今日も今日とて、俺は現役アイドルと現役グラビアモデルを眺めながら昼飯を食う。仲良く3人で机を合わせ、いつものように教室中の好奇の視線を背中に浴びながら。

 

こんな世の男子高校生の夢を具現化したような状況にありながら、意外にも男子生徒からの嫉妬の声は少ない。ここにいるクラスメイト達は皆芸能人。可愛い娘と食事をする機会などいくらでもあるのだ。

 

俺たちが注目を集める理由は別にある。

 

「なぁ、その撮影、俺もついていって良いか?」

「もちろんいいよ!アクアもぴえヨンさんに紹介してあげる。」

「相変わらず仲ええですなぁ。さすがやわぁ。」

 

やたらと仲の良い美形の双子カップル。俺はあの不知火フリルに一目置かれる実力派俳優ということでマークされているし、姉は何といっても陽東高校名物ブラコンお姉ちゃんである。こんな面白い姉弟が同じ教室に居たら注目を集めるのは仕方がない。

 

教室の隅でただ昼飯を食う俺たちの方が、プロが心血を注いで作り上げたテレビ番組より面白いとまで言われるのだから、困ったものである。今ガチのスタッフ達が不憫に思えてくる。

 

「それにしてもアクアがぴえヨンに食いつくなんて、まだまだお子様趣味だねー?可愛い奴め。」

「違う違う。今ちょっとユーチューバーっていう仕事に興味があってな。何か学べることは無いかと思ってのことだ。ミヤコさんの紹介なら俺を見学にねじ込むことも出来るだろうし。」

 

お子様趣味はお姉ちゃんの方だろう。この前もぴえヨンチャンネル見て笑い転げてたくせに。お姉ちゃんモードとのギャップが大きすぎて、一人の人間が演技もせずにここまで幅広い印象を出せるものかといっそ感心したくらいだ。

 

まぁ、どんなお姉ちゃんでも俺は好きだけどな。恥ずかしいから言わないが。

 

「そういえば先輩がね、ぴえヨンのこと見てマジ泣きしたんだよ。もう宥めるの大変だった。あの子、本当に世話が焼けるんだから。」

 

お姉ちゃんの発言に周囲がざわつき始める。俺は教室の中心に背を向けて座っているからいいが、クラスメイトの視線を正面から浴びる寿さんがちょっとかわいそうだ。

 

俺の耳にも、周囲のひそひそ話が断片的に聞こえてくる。

 

(え、マジ泣き?)

(先輩って2年の有馬さんだよね)

(世話が焼けるっていってたよ)

 

「あー・・・、ルビーちゃん相変わらずやなぁ・・・。」

「今に始まったことじゃないよ。寿さんは気にしないで。」

 

ここまで教室がざわついたのは初日のブラコンお姉ちゃん誕生以来かもしれない。仮にも学校の先輩を妹認定したのが大きいのか。いやガチ泣きの方か?

 

答えは両方。

 

『有馬かなぴえヨンにマジ泣き』

『ブラコンお姉ちゃん有馬かなを妹認定』

 

その日の陽東高校は、その二つの噂で持ちきりだった。

 

・・・

 

緑の背景に、ひよこのお面を被ったうら若き女子高生が二人。中央には鋼のような筋肉を纏ったボディビルダーのごときキレッキレの肉体。

 

俺は笑いをこらえるのに必死だった。まだ何もやってないが、すでに反則級に面白い。凄いな、筋肉ってやつは。

 

「ピヨピヨピヨ~~ぴえヨンチャンネルぅうぅ!!

ハイ今回はネ!しがらみ案件です!

ウチの事務所でアイドルユニット?なんかそういうのヤルらしくてお前のチャンネルで使えと!

最初断ろうと思ったんだケドね!社長がいうからさ・・・

というわけで今回の企画!

ぴえヨンブートダンス1時間ついてこれたら素顔出してヨシ!」

 

からの全力のアヒル声である。こっそり吹いた。

 

しかしぴえヨンの喋りのうまさには感服する。こんな殺風景なスタジオで良くもあんなに高いテンションでいられるものだ。役者でもなかなかああはいかないだろう。

 

一見するとふざけているようで、その実徹底したキャラづくりとそれを貫く信念が根底にある。長い年月をかけて作り上げてきたスタイルだからこそブレが無い。一朝一夕でできるものではない。

 

監督がいつも撮っている映画とは異なり、背景は合成だ。巨大な倉庫みたいな四角い空間の中に、撮影用のグリーンバックがある。このスタジオ一つでいくらでも違う背景を作り出せるわけで、予算の無いウチの映画で使ったらどうかと思わないでもない。まぁあの監督の事だから、結局は本物の背景にこだわるんだろうけど。

 

撮影前にぴえヨンさんに聞いた話も興味深かった。

 

「今回の企画はぴえヨンさんが考えたんですか?」

「いいや、ぴえヨンブートダンスを踊るって言ったのはルビーちゃんだね。けどそのまま踊ってハイ終わりでは面白くないから、ボクの方で少し企画を練ってあげたんだ。」

「具体的にはどのような。」

「まず最初に決めたのが、彼女たちにひよこのお面をかぶってもらうことだ。いくつか狙いがあるんだけど、一番大きかったのは彼女たちの表情に少し不安があったってことだ。見ての通りウチのスタジオは殺風景だから、女優のかなちゃんはともかく、素人のルビーちゃんは上手く笑顔を作れないだろうと思ってね。ブートダンスを踊れば否応なしに苦しい表情になるから、マスクを外す頃には良い表情が撮れるはず。他には・・・」

 

お姉ちゃんと有馬の為にここまで深く考えてくれているぴえヨンさんに尊敬の念を禁じえなかった。

 

汗だくの美少女には一定の需要があるとか、自己紹介という最大の見せ場を動画の最後に持ってこれるとか。恐らく質問をぶつける限り無限に話せるのだろう。さすがに何年も覆面筋トレ系ユーチューバーのトップを走り続ける男である。俺もこの人のように仕事熱心でありたいものだ。

 

スタジオではすでにぴえヨンブートダンスが始まっている。ぴえヨンの動きに容赦はない。筋トレ系ユーチューバーだけあって内容はしっかりキツイ。それに1時間という長丁場だ。このペースで持つのだろうか?

 

日ごろ走り込みを欠かさない有馬はともかく、お姉ちゃんが心配だ。

 

「ははは、きっつ!きっつ死んじゃう!!あはははは!」

 

・・・大丈夫みたいだ。待ちに待った初仕事を存分にエンジョイしているようでなによりだ。やっぱりお姉ちゃんは楽しそうにしている姿が一番可愛い。

 

2人は1時間きっちり踊りきった。終了と同時に床にへたり込み、息も絶え絶え。全身汗だくで、シャツが素肌に張り付いて強調されたボディラインが艶めかしい。ここに不知火フリルが居たらきっと良い反応を見せてくれただろう。

 

なるほどぴえヨン。いい画を撮ってくれた。

 

「はいお見事!着ぐるみ撮って自己紹介どうぞ!」

「いちごぷろしょぞく・・・ほしのるびー・・・自称アイドルです。」

「はい!そっちも!」

「有馬かな!自称アイドルですこんにちは!!」

「名前は聞き覚えある!」

「聞き覚えだけかよ!」

 

有馬の鋭い突っ込みで綺麗にオチが付き、撮影は終わった。有馬はやはりバラエティー適性が高いし踊る姿も可愛い。アイドルに誘った俺の目に狂いはなかったな。

 

ぴえヨンがカメラを止めるのを見て、俺は二人のところへ向かう。お姉ちゃんが心配だ。有馬に酸素を吸入させてもらっているが、相変わらずぐったりしている。いつもなら『大丈夫?汗冷えないように気を付けてね?』とか言って世話を焼くお姉ちゃんだが、さすがにそんなことを言う余裕もないみたいだ。

 

「いや凄い凄い。ホントは編集して1時間やったことにしようと思ってたんだけど、マジでガチったね。視聴者には伝わらんことだけどさ。やっぱ現場の人間は見てるワケで、僕は君ら好きよ?」

「お姉ちゃん、有馬。本当にお疲れ。二人ともいい仕事したな。」

 

何はともあれ、お疲れ様だ。

 

それにしてもこれだけ動いて全く息の上がらないぴえヨンは改めて化け物だな。お面を付けて呼吸もしづらいだろうに。もし役作りで肉体改造することがあれば、ぴえヨンを頼ろう。

 

「あっ大事なこと聞き忘れてた。二人のユニット名とかあるの?」

「あー・・・」

「もうルビーが好きに決めていいわよ。」

「良いの?えっとじゃあ私たちの名前は、『B小町』!」

「えっ、それ大丈夫なの?」

 

こうしてお姉ちゃんと有馬のアイドルとしての活動が始まり、ユニット名もB小町と決まった。

 

まだまだ先は長いだろうが、お姉ちゃんのことだ。どんな困難も乗り越えて、母さんが叶えられなかったドームの夢を実現させるに違いない。

 

母さん、見てくれてるかな?

 




星野アクア
毎日現役アイドルと現役グラビアモデルと一緒に昼飯を食べている。国民的美少女も時々そこに加わる。

星野ルビー
陽東高校名物ブラコンお姉ちゃん。最近有馬かなを妹に迎え入れたという噂が立っている。
初仕事はぴえヨンチャンネルとのコラボ。今の苺プロが使える最大限のコネがこれだった。ぴえヨンブートダンスで疲れ果て、さすがにお姉ちゃん面する余裕はなかった。

有馬かな
ぴえヨンにマジ泣きしてルビーに宥められたことが学校中に広まり、泣き虫妹キャラのイメージが確立されてしまった。

ぴえヨン
被り物を被ったまま1時間喋りながら動き続けても全く疲労の色を見せない化け物。
アクアの前では地声で話した。


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黒川あかね

私は黒川あかね。女優だ。

 

子供の頃に親の勧めで劇団に所属し、それ以来私は演技一筋で生きてきた。練習すればした分だけ私の演技は上達した。お父さんやお母さん、それから劇団のみんなに褒められるのが嬉しかった。

 

台本に書かれた登場人物のセリフや背景からその内面を考察し、パズルのように人物像を組み立てていくことが好きだった。そうして緻密に役の行動原理を組みあげて、それを再現して舞台に立てばもう私の独壇場。

 

中学に上がる頃には重要な役も任されるようになって、高校に上がる頃には劇団ララライの若きエースなんて呼ばれて。

 

真面目に努力すれば出来ないことなど無いと、本気で信じていた。

 

「私・・・もう『今ガチ』辞めたい。」

「「「「ええっ!?」」」」

 

今ガチ収録中の教室で、窓際の椅子に腰掛けた鷲見ゆきが告白する。日の光を浴びて輝く黒い瞳には、今にも零れ落ちそうな涙。尋常ではないゆきの雰囲気と、その口から発せられた言葉に驚き、教室にいた今ガチメンバーがどよめきの声をあげる。

 

「こんな途中で!?」

「なんでそんな事言うんだよ!」

 

ケンゴ君とノブ君がゆきちゃんに詰め寄る。性根がおとなしい私はその勢いに気圧され、何も言葉を発することが出来ない。

 

これは恋愛リアリティショーであって演劇ではない。台本も無ければ、役もない。すべては今ここで起きている生の人間関係。もともと引っ込み思案な私が目立てるわけが無かった。

 

どうにかして目立つことは出来ないかと試行錯誤を重ねるも、ことごとくうまく行かない。危機感だけが募っていく。

 

「最近ね、学校の男子とかがからかってくるんだ。お前こういう男が好きなんだーとか。自分の「好き」って気持ちを皆に見せるって、こんなに怖いことないよ。始めるまで全然分かってなかった。大勢の人に注目されるって良いことばかりじゃない・・・」

「メムも自分のチャンネルでバカやってるからぁ・・・分かる・・・。皆私の事バカだと思って・・・まぁ実際バカなんだけどぉ。」

 

ゆき続いてMEMちょが自分語りを始めている。相手が何を言うか分からず考える時間もないというのに、なぜこんなに長い台詞が違和感なくスラスラと出てくるのか。

 

私もこんな風に喋れたら、もっと出番が増えるのに。

 

「ほ・・・本当に辞めちゃうの「俺がいつでも話聞くからさ!ゆきが辞めるなら俺もやめるからな!」

「ノブ君・・・」

「そんな事言わないで続けようぜ!」

 

やっとのことで絞り出した台詞はノブ君の良く通る声にかき消されて。

 

ああ、今日もダメだった。

 

「お疲れ様でーす。」

 

スタッフの掛け声が撮影終了を告げ、カメラマンをはじめとした番組スタッフが撤収作業を始める。私達演者は画面の外でも仲が良く、毎週のように仕事終わりの現場に残り雑談で盛り上がっていた。

 

「私ちょっとは視聴者獲得に貢献できたかな。」

「そうだな。今のは良く撮れてたと思うぞ。ゆきの語りの良さもさることながら、窓際で夕陽を浴びながらっていうシチュエーションが感傷的な雰囲気を演出してた。ほんと上手いなお前。」

「そういうアクア君こそ。私見てたよ?こっそりノブ君を焚きつけてたでしょ。」

「友人として、ちょっと背中を押してあげたまでだ。」

 

役者のアクア君は凄い。自分以外の演者も含めて、番組全体を通して良い画を撮ることに余念がない。彼自身が大きく目立つことは無いけれど、必要な言葉を正しいタイミングで発し、話題をうまく作ったりもできる。

 

ゆきちゃんはノブユキ君と共にいつも皆の中心にいる。その小悪魔的な可愛さを存分に発揮して番組を盛り上げている。

 

MEMちょさんは可愛いマスコット的存在だし、ケンゴ君はゆきちゃんをめぐる三角関係を作り、番組のメインストーリーの一旦を担っている。

 

私はこの番組で何をしただろうか。

 

…何もしていない。何も役割を果たせていない。ただ撮影現場に居るだけでほとんど番組に出演できず、居ても居なくても変わらないとさえ思う。仮に私が番組を降りたとして、そのことに気付く人ながどれだけいるだろうか。

 

番組をやめると言えば、ゆきは本当にこの番組を辞めるつもりだろうか。そう思って彼女を見れば、先ほどまでの物憂げな表情がまるで嘘のように明るい笑顔で談笑している。出番を作れずに落ち込む私とは対照的だ。

 

「ゆきちゃん、番組やめるの?」

「えー辞めれないでしょ契約残ってるのに。」

「えっ、じゃあ演技って事?」

「いやいや…黒川さんみたく女優じゃないし私に演技なんて出来ないよ。ちょっと自分の気持ちを膨らませて話してるだけ。学校でイジられて悲しかったのはホントだし、辞めたいって思った事もホント。だって収録朝一でやるんだもん。あたし眠くて眠くて…」

 

辞めたい気持ちは確かにあるが、辞めるつもりはない。演技ではなくあくまで本心。要はテレビ映えするように、思っていることを嘘にならない範囲で大げさに表現したって事でいいのだろうか。

 

懐からペンとメモ帳を取り出し、要点をかいつまんで書き残す。

 

『本当に思った事を誇張して話す』

 

この番組のために新しく買ったメモ帳はすでに半分以上使い込まれている。リアルな人間関係で目立てない私が、どうにかして出番を増やす為に積み重ねてきた試行錯誤の記録。昔から真面目に努力することならだれにも負けないという自負があった。

 

しかしこの番組に関してはどんなに人のアドバイスを聞いても、動画を見て立ち回りを分析しても後の祭り。次の収録で同じことをやっても通用しない。分析が役に立つ場面が来ない。何をどう頑張ればいいのか分からない。

 

私の心はほとんど折れかけていた。

 

・・・

 

「おらぁ特上盛り合わせ追加じゃーい!!思う存分食えや餓鬼共!!」

「わぁい!!」

 

今日の打ち上げは個室の焼き肉屋さん。結構高いはずなのにMEMちょさんのおごりだ。さすが事務所の取り分5:5の人気ユーチューバー。凄いなぁ。

 

演者は皆同年代で、仲がいい。ここ最近は、撮影終わりに皆で食事に行くのが私の一番の楽しみとなっていた。撮影で折れそうになった心も、こうしてみんなで楽しくお話ししていると少し楽になる。

 

隣に座るのは高校一年生で俳優をやっている星野アクア君。

 

「アクアさん、カイノミ焼けましたよ。どーぞ。」

「ん。」

 

慣れた手つきで皿を差し出すアクアさん。まるで誰かが肉を焼いてくれるのが当たり前の日常であるかのような素振りだった。

 

「なんだか手慣れてますね。いつも誰かに焼いてもらってるんですか?」

「お姉ちゃんがさ、焼肉に行くと俺の分まで全部肉を焼くんだよ。自分ではあまり焼いたことない。」

「そうなんですか。じゃあ私がアクアさんの分も焼いてあげますね。」

「そんなに気を使わなくてもいいのに。黒川さんさっきから全然食ってないだろ。」

「いえっ、自分、精進の身なので!こういう場では絶対トングを手放さないって決めてるんです。最初は良く焦がして怒られましたが、今では上手に焼けるようになったんです。」

「黒川さん最近ちょっと元気ないだろ。無理すんなよ?」

「大丈夫ですよ。心配しないでください。あっ、この子食べ頃かも。」

 

美味しそうに肉を頬張るアクア君からは、撮影の時に纏うプロのタレントとしてのオーラは感じない。容姿が整っていることを除けば、どこにでも居そうな普通の高校生だ。

 

「ほんとお姉さんと仲いいですよね。私一人っ子なので、そういうの憧れます。」

「そうかな。一人っ子も自由気ままで良いんじゃないか?」

「じゃあお姉さんが居ないほうが良かったですか?」

「そんなわけないだろ。冗談でも言っていいことと悪いことがある。」

 

相変わらずお姉ちゃんのことが大好きすぎるアクア君。こんなに懐いてくれる弟か妹が居たら可愛いだろうなぁ。お姉さんの溺愛っぷりも理解できなくもない。

 

トングを片時も離さずひたすら肉を焼いていると、いつの間に結構な時間がたっていた。アクア君もお腹いっぱいという顔で、背もたれに寄りかかって体を休めている。

 

「もうそろそろお開きかな。なんか悪いな、結局黒川さん焼いてばかりで。」

「これで良いんです。精進の身なので。お粗末様でした。」

「ほんと真面目だな。あ、お姉ちゃん来た。もう店の外で待ってるみたいだ。」

 

アクア君のお姉さんは毎回打ち上げの後当たり前のようにお迎えに来る。

 

「満足したか餓鬼共・・・」

 

MEMちょさんがお会計を済ませ、私達はぞろぞろと店の外に出る。出入口の重い扉を開けると、一足先に店を出たアクア君がお迎えに来たお姉さんと仲良くイチャついている。

 

「はー…焼肉とは豪勢ですね。可愛い子たちを眺めながら食う肉はさぞ美味しかったんでしょうねぇ。」

「いやただの付き合いだし。」

「嘘だ!顔から堪能感があふれ出てるもん!」

「出てねぇよ?」

「目を見て話しなさい!」

 

毎度毎度こんな感じのやり取りを見せつけられるせいで、星野ルビーさんは私達今ガチメンバーとは顔見知りになっている。星野姉弟の遠慮のない掛け合いはもはや打ち上げ後の恒例行事だ。

 

「あーこれこれ。もうこれを見ないと打ち上げ終わった感じしないよねー。」

「全くだよぉ。見せつけてくれちゃってぇ。私らと恋愛する気あんの?」

「アクアが欲しければ私を倒していきなさい。」

「ちょ、お姉ちゃん。勝手なこと言うなよ。」

「「「あはははは!」」」

「じゃあ綺麗にオチもついたことだし、ここらでお開きにしますか!」

 

今の会話、番組だったら盛り上がってたのかな。自然体で話しているのに見ていて面白いなんて、羨ましい。

 

アクア君と同じ金色の髪に、吸い寄せられるような赤い瞳。いつも元気で明るくて、笑顔はまるで太陽みたいに眩しい。アクア君に対して時折見せる大人びた雰囲気もギャップがあって目を惹く。今の私にはそんな彼女のすべてが魅力的に見える。

 

ああ、私もあんな風になれたら良いのになぁ。

 




黒川あかね
高校2年生にして劇団ララライの若きエース。
恋リア向きの性格をしていないため、番組で目立てず苦労している。

星野ルビー
今ガチの打ち上げでいつもアクアのお迎えにいくので今ガチメンバーと顔見知りになっていた。

星野アクア
焼肉ではいつもルビーが肉を焼くので目の前の皿に勝手に焼けた肉が積まれていく。
毎日可愛い子たちを眺めているので肉の味はいつも通りだった。


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背伸びしたいお年頃

「ミヤコさんただいまー。」

「ただいま。」

 

今週の今ガチの収録とその打ち上げが終わり、ようやくお姉ちゃんと帰宅した時にはすでに夜の10時を過ぎようとしていた。家に着いてカバンや上着をしまい、いざリビングでくつろごうとすると、お姉ちゃんが話しかけてきた。

 

「ねぇアクア。ちょっと話があるんだけど。」

「はい。」

 

短い一言の中には、お姉ちゃん怒ってますというメッセージが強く籠められており、反射的に敬語で答えてしまう。俺はおとなしくリビングのソファに腰掛け、お姉ちゃんからのありがたいお説教を受け入れる体制を整える。言いたいことは分かる。焼肉屋の前でしていた話の続きだろう。

 

しかし今更なぜここまで怒るんだ?毎週チクチクと文句を言われてはいるが、怒りをため込んでいる様子はなかったはずだ。

 

「仕事の付き合いで仕方ないとはいえ、毎週毎週こんな夜遅くまで帰ってこないなんて、最近ちょっと羽目を外しすぎじゃない?

お姉ちゃん、アクアが家族の時間を大事にしてくれないので怒ってます。」

「悪いとは思ってる。でも番組の打ち上げも大事だから、大目に見てほしいんだけど。」

「日曜日は皆でご飯食べる日って約束じゃん!」

「ほんとにごめんって。」

「謝罪の言葉はもういいです。行動で示しなさい。」

 

なるほど、今更何に腹を立てているのかと思ったがそういう事か。要は毎週末俺がお姉ちゃん抜きでうまい飯を食うから、その埋め合わせをしろと言いたいようだ。怒ってるのも多分事実だろうが、それはそれとして何かご褒美的なものがあってもいいじゃないかと。

 

だったら。

 

「じゃあお姉ちゃん、今度ミヤコさんと三人でうまい飯でも食べに行こうか。あ、そうだ。俺に奢らせてくれない?」

「良いけど、さすがに奢らなくてもいいよ?」

「いや、ちょっと理由があるんだ。最近やっと役者として仕事を始めただろ。それで今日あまと今ガチの分のギャラが入ってるんだ。俺にとっては初任給みたいなものだから何か良い使い道ないか考えてたんだけど、家族でちょっと豪華な食事をするってのは悪くないと思うんだ。どうかな?」

 

今日あまの打ち上げパーティーで鏑木さんに子供扱いされたことが、実はちょっとだけ気になっていた。別にそこまで強く意識しているわけではない。ほんのちょっとだけ。俺は高校1年生としては大人びた方だと思うし、前世の記憶を抜きにしてもそんなに子供っぽいとは思わない。

 

しかし俺は何かと子供扱いされることが多い気がするのだ。鏑木さんもそうだが、何よりお姉ちゃんとミヤコさんが俺のことを子供扱いしてくる。もう高校生だし仕事もしてお金を稼いでいるのだから、そろそろ大人と認めてくれてもいいんじゃないか?

 

自分で稼いだお金で美味しい食事をご馳走すれば、二人は俺が一人前の大人になったと認めてくれるはず。もちろん計画からエスコートまでちゃんと俺がやるつもりだ。

 

「アクア…立派になって。お姉ちゃん泣きそう。ちょっとミヤコさん呼んでくる!」

 

さっそくお姉ちゃんには俺の成長が伝わったようだ。あくまで上から目線なのは相変わらずだけど。

 

「話って何なの?改まっちゃって。」

 

お姉ちゃんがミヤコさんを連れて戻ってきた。リビングにやってきたミヤコさんと俺たち姉弟が、テーブルを囲んで座る。ミヤコさんはまだルビーから話を聞いていないようだ。良かった。この話は俺から切り出さないと意味が無いからな。

 

「なぁ、ミヤコさん。俺ってこの前から役者としての活動を始めただろ?」

「ええそうね。」

「それで、今日あまと今ガチのギャラはもう入ってると思うんだ。」

「入ってるわよ。何か欲しいものでもあるの?」

「違う違う。子役の仕事を除けば、これが俺にとっての初めての給料ってわけで、初任給みたいなものだろ?だからさ、そのお金でミヤコさんとお姉ちゃんにご飯を・・・ってミヤコさん!?」

 

全てを言い切る前に俺はミヤコさんの異変に気付き、言葉を切った。ミヤコさんは感極まって涙を流している。喜んでるってことで良いんだよな?まさか泣くほどとは。

 

「アクア…立派になって。息子の成長を感じられて嬉しいわ。」

「お姉ちゃんも嬉しいよ…。」

 

感動で涙を流す二人。喜んでくれるのは嬉しいが、これってまだまだ俺の事子供扱いしてるよな。こういう反応じゃなくて、もっとこう、対等な関係になりたいというか。なんか思ってたのと違う。

 

まあそんなことは良い。初めて自分で仕事をしてお金を稼いだという事実は変わらないんだから。俺はもう子供じゃない。

 

・・・

 

食事会当日。

 

店についてはお姉ちゃんとミヤコさんには完全に内緒にしている。一応個室であることと、ドレスコードはなく焼肉のように匂いは付かないからいつも通りの格好で来るようにと言ってある。

 

「予約の星野です。」

「お待ちしておりました。どうぞこちらへ。」

 

案内されたのは6人くらいは入れそうな、こぢんまりした少し薄暗い個室。お姉ちゃんとミヤコさんは横並びに座ってもらい、俺はその向かいに座る。いつもは隣りに座るお姉ちゃんが向かい合っているから、ちょっと新鮮だ。

 

いつも通りでいいと言ったが、やはり2人ともそれなりにオシャレな格好だ。もちろん俺も、わりとカジュアルだがそれなりに気合の入った服装で来ている。ここだけの話、お店選びも俺の服も、こっそり鏑木さんにアドバイスを貰っている。

 

「へぇ。中々オシャレなところじゃない。」

「なんか落ち着かないね…。」

 

ミヤコさんはやはりというべきか、普段の様子と全く変わらない自然体だ。さすが芸能事務所の社長。こういうお店での接待とかは慣れっこなんだろうな。

 

対するお姉ちゃんはそわそわとして目線があちこちに動いている。こういうお店は初めてだろうから、緊張するのも無理はない。

 

「どうしたお姉ちゃん、緊張してるみたいだけど。まだこういう店は早かったかな?」

「べ、別に緊張なんてしてないし。よゆーだよ。」

「思い切り緊張してるじゃない。ルビー、個室なんだからくつろいで良いのよ。」

「今日は俺がお兄ちゃんみたいだな。ははは。」

「むむむ…」

 

ますます縮こまるお姉ちゃん。いつもは俺がやられてばっかりだから、たまにはこういうのも悪くないな。

 

「まあまあ、そんな事はどうでもいい。今日は俺の初任給でうまいもの食ってくれよ。」

「じゃ、そうさせてもらおうかしら。ほらルビー。アクアがご馳走してくれるのよ。味わって食べなさい。」

 

料理が次々と運ばれてくる。高級料亭なだけあってどれも美味しいが、やっぱりこういうのは誰と食べるかが大事だ。そもそも俺は美食家じゃないので、ある程度美味しい料理なら何でもいいのだ。

 

今ガチメンバーと食べる焼肉もうまかったが、家族3人での外食にはまた違った良さがある。こうして揃って食事をして他愛のない会話を楽しめるのは、何物にも代えがたい幸福だと思う。

 

時々食べ方が良く分からない料理も出てくるが、そこはミヤコさんにレクチャーしてもらう。お姉ちゃんもミヤコさんも楽しんでくれているみたいで良かった。

 

「ねぇアクア。恋愛リアリティショーって皆マジで恋愛してるの?」

「スタンスはまちまちだな。ゆきとノブは結構ガチで恋愛を楽しんでると思う。MEMちょもそうかな。ケンゴと俺は仕事モードに入っちゃって中々そういう気分にはならない感じ。」

「あかねちゃんは?」

「あかねは…良く分からない。あまり目立つタイプじゃなくて番組の出番少ないだろ?最近ちょっと焦ってるみたいでさ。恋愛どころじゃなさそうなんだよね。」

「ふーん。」

「恋愛リアリティショーは今まで見たこと無かったから不勉強でさ、いろいろ偏見から入ったワケなんだけどリアルを売りにするだけはある。想像してたよりやらせが少ない。そして思ったよりも各々の人間性をそのまま映す構成になってる。」

「そうね。大抵の演者は極力自分を良く見せようとする程度。そんなのリアルでも皆やってることよ。合コンに行けば同じ光景が見られるわ。」

「行った事無いから知らないけど…。二人とも、考え込んでどうしたの?やらせが少ないのは良いことじゃない?」

「見てる側からしたらそうだろうけど、嘘は身を守る最大の手段でもあるからさ。まぁ杞憂だろうけど。」

 

恋愛リアリティショーは自分の人間性がそのまま映し出される。それはつまり、もし炎上など発生しようものなら、叩かれるのは役ではない自分自身ということなのだ。少し想像力を働かせれば分かる。恋愛リアリティショーへの出演は映画やドラマへの出演に比べてはるかに危険だ。

 

ミヤコさんもそのあたりは良く分かっているようで、神妙な面持ちになっている。内心では俺が恋愛リアリティショーに出演することにあまり肯定的ではないのだろう。気持ちはわかる。お姉ちゃんが今ガチに出演するとか言い出したら俺は絶対に止めるだろうからな。

 

「黒川あかねさん、最近どうなの?」

「うーん。さっきも言ったけど、焦ってるな。いろいろ試行錯誤して頑張ってるみたいだけど、どうしても素の性格がおとなしいから出番が無いんだよ。思いつめて無茶なことしなきゃいいけど。」

「そう。あの子、真面目そうだものね。恋リア向きじゃないわ。」

 

黒川あかね。いつもメモ帳を持ち歩いて、スタッフのアドバイスや気づいたことをメモして回っている女の子だ。恋愛リアリティーショーが苦手でいつも気を張り詰めている。恋リアだからこそもっと気楽にいく必要があるのだが、その辺のバランスが彼女にとっては難しいのだろう。

 

この前の焼肉でもずっとトングを離さずに肉を焼いていたし、MEMちょの話を聞いてまたメモを取っていた。本当に真面目な人だ。

 

「あー美味しかったね。アクア、ご馳走様!」

「どういたしまして。どうだ?これで俺も一人前の大人って感じじゃないか?」

「バカ言わないの。大人になりたいとか自分は子供じゃないとか言ってるうちはまだまだ子供よ。一人前の大人を名乗ろうなんて10年早いわ。」

 

一人で会計を済ませ、店の外に出る。金額に少しビビったが、今の俺なら問題なく払える額だ。

 

「お会計はさすがに緊張したな。3人分の食事では見たことない金額だった。」

「その金銭感覚は忘れちゃだめよ?これが当たり前なんて思わないように。」

「アクア、すごい。なんだか大人の男って感じがする…。」

 

これからもっと凄い役者になって沢山稼げるようになれば、もっといいお店で食事したりできるんだろうな。いつかミヤコさんも見たことが無いような素敵なお店に連れて行ってあげたいものだ。

 

今日の所はこれで十分。お姉ちゃんもミヤコさんも喜んでくれたし、俺も楽しかった。

 

二人とも、少しは俺の事見直してくれたかな。

 




星野アクア
鏑木さんに子供扱いされて以降、早く大人になりたいと内心ちょっと焦っていた。
前世の自分はノーカンだと考えている。

星野ルビー
初めて訪れる高級料亭の雰囲気にのまれ、ガチガチに緊張していた。

斎藤ミヤコ
息子からのサプライズに思わず泣いてしまう息子想いなお母さん。
若いころは芸能界の偉いおじさんに色んなお店に連れて行ってもらっていた。そのせいで金銭感覚がおかしくなり、結構苦労した。

鏑木P
アクアの成長を陰ながら喜んでいる。


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エゴサ

事務所で先輩と二人。相変わらず暇だ。

 

「うわっこのジュースマズっ…」

 

なんとなくパッケージが美味しそうで買ってしまったペットボトルのジュース。いざ飲んでみれば期待外れの駄作だった。色鮮やかなオレンジのイラストなんて使ってるくせに、全然オレンジ感が無い。ただの砂糖水だ。

 

「ツイッターでネタにして元取らなきゃ…。コンビニで買った新商品のジュースが激マズで…」

「コラーー!!!」

「きゃうう!」

 

なになに!?

 

何か柔らかいもので頬を叩かれたような感触。振り返ると妹みたいな先輩、有馬かながハリセンを手にこちらをキッと睨みつけている。私、いま先輩に今叩かれたよね?

 

え、何?反抗期?

 

「何するの?」

「アンタが何しようとしてんの!他所(よそ)様の商品を不味いとか書き込もうとして…。エゴサされたらどうする!」

「いやしないでしょ…」

「これだから一般人上りは…!商品名を出したら最低5人の関係者には検索される!そしてその会社から仕事は二度と来なくなる!」

 

ああーこれはアレだね。学校で妹キャラとかガチ泣きとか噂が広まって、いろいろ鬱憤がたまってるんだ。そこで私がちょっと隙を見せたものだから、ここぞとばかりに芸能界の先輩面してやろうってことか。アンタが知らないことを自分は知ってるんだぞ、的なアレ。

 

しょうがない。ここはお姉ちゃんとして妹のストレス解消に付き合ってあげよう。言ってることは真っ当だしね。

 

「アンタだってエゴサ位するでしょ?」

「…しないよ?」

「スマホよこしなさい!」

 

先輩が私の手元から強引にスマホを持っていってしまった。お姉ちゃんへの仕返しにしては、ちょっとやりすぎだよね?いつからこんなガラ悪い子になったんだか。…いや最初から結構悪かったな。

 

これはちゃんと言わないと駄目な奴だ。

 

「先輩?」

「な、なによ。」

「こっち見て。ちゃんと目を見て話して。」

 

真っすぐ先輩を見て、呼びかける。悪いことをしたという自覚があれば、目が泳ぐものだ。アクアもそうだった。

 

先輩と目が合って、1秒、2秒、…3秒は持たなかったか。アクアなら5秒は粘るところだ。何なら時々私が負ける。

 

私の目力に屈した先輩は私のスマホを両手で握りしめ、プルプル震えている。もう完全に私のお説教を聞くのが板についていて、そういう場面になると私が話始める前からこんな感じになる。そんなにビビるなら最初から人のスマホを奪うんじゃない。まったくもう。

 

「人のスマホ勝手に取ってのぞき見しようなんて、随分悪い子になったね?」

「いや、私は皆エゴサしてるって言いたかっただけで…」

「それを言うためなら、人のスマホとってもいいんだ?」

「それは…」

「そういう強引なところ直していかないと、皆に嫌われたままだよ?それでいいの?」

「良くない…」

「だよね。ほら、スマホ返して。もう怒ってないから。」

「はい。ごめんなさい…。」

 

手がかかる子ほどかわいいって言うのは本当らしい。アクアも先輩も、ものすごく手がかかる。

 

アクアは赤ちゃんの時からクールキャラというか、あまり人と関わろうとしないタイプだった。引っ込み思案とは少し違うけど、何でも一人でやろうとして周りに頼ろうとしない。私が居なかったらママのおっぱいも飲めなかったしミヤコさんとも打ち解けられなかっただろう。

 

それに比べて先輩は何というか、根は凄く素直で明るい子だけど、いろいろあって性格がねじ曲がってる。大人になるってことを悪い方向にはき違えてる感じかな。

大人は強くて完璧で弱みを見せちゃいけないとでも思ってるんだろう。結局、アクアと同じように周りを頼れず、しかもこの子は独りぼっちだから勝手に自滅していく。

 

まったく、アクアも先輩も本当にめんどくさい。でもそこが可愛い。

 

「先輩はエゴサしてるの?」

「まあ…人並みにはしてるわよ。別に私達が特別承認欲求が強いってわけじゃないの。皆してないって口では言うけどね…断言するわ!アイドルの9割はエゴサをしてる!!」

 

先輩のキメ顔。キリっとしてるけど、童顔なせいでカッコつけたがる子供にしか見えないのが惜しい。

 

まぁ、可愛いって言われるためにアイドルやってるんだから、自分の評価を見るのは自然な気もする。それにしても先輩、アイドルとしての自覚が出来てきたみたいで良かった。モチベーションを高めるためにもどんどんエゴサをすると良いよ。

 

「でも先輩。エゴサしてたら時々嫌なこと書いてくる人居るじゃん?そういう書き込みどうしてる?ちゃんと読む?」

「読むわけないでしょ。あんなの一々読んでたら身が持たないわよ。」

「でも一応私の事見て意見してくれてるわけでしょ?無視するのも違うというか・・・」

「いい、ルビー。これはマジな話だからちゃんと聞いて。アンタはまだファンが少ないからアンチの書き込みも大したことないけど、これからファンが増えて注目度が上がれば、えげつない量のアンチコメントが来るようになるわ。そういうのは基本的に無視しなさい。もし批判の意見が欲しければリアルの知り合いに聞けばいいの。間違ってもネットの意見を鵜呑みにしちゃ駄目。」

 

マジの顔だ。とりあえず、ネットのアンチコメントは読まない方が良いってことは良く分かった。これからはネットで何か言われたら先輩とかミヤコさんに意見を聞くようにしよう。逆に、先輩が虐められるようなことがあれば私が助けてあげなきゃだね。

 

「分かった。気を付けるよ。アクアにも私から言っておく。」

「そうね。あいつ、今日も今ガチの収録だっけ?」

「そうだよ。」

「恋愛リアリティショーは炎上するときついわよ。なんたって素の自分自身の行動にあれこれ文句言われるんだから。まぁアクアの事だから大丈夫だとは思うけど。」

「この前家族でご飯食べに行ったんだけどね、恋リアは思ったよりやらせが少ないって言ってて、でもアクアもミヤコさんも浮かない顔してた。なんでかなって思ったけど、多分炎上の事を心配してたんだ。」

「家族でご飯だなんて、仲いいのね。まぁ社長も恋リアのこともネットの事も良く分かってるはずだから、もしアクアに何かあったら社長が動いてくれるはずよ。」

「うん。それもそうなんだけど。ミヤコさんはあかねちゃんが気になってるみたいなんだよね。」

「あー黒川あかね。確かに恋リア向きじゃないわよねー。まぁ幸い目立ってもいないみたいだし、今の所は問題ないでしょ。」

「それもそうか。」

 

アクアがもし炎上に巻き込まれてしまったら大変だ。その時は私が全力で支えてあげよう。それこそスマホなんて取り上げて、ぎゅってしてよしよしして。そうすればアクアは元気になってくれるはず。

 

ママの死だって一緒に乗り越えてきたアクアだ。そう簡単につぶれはしない。

 

二人一緒にいれば、何があっても大丈夫だ。

 

 




ハリセンとはいえルビーお姉ちゃんを叩いたり、スマホを強奪するなんて、かなちゃんは度胸があるなぁ。なお直後にルビーの目力に屈した模様。
ルビーもかなもエゴサはゴリゴリやっている。


毎日投稿30日目。
文章を書くのに慣れてきてたみたいで、最初の頃と比べて2000文字程度の文章を大分楽に書けるようになりました。タイピング速度も上がった気がする。
小説としてのクォリティーは気にしちゃだめです。


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炎上

「あかねちゃん攻めてるねー。」

「ああ。なんだか吹っ切れたみたいだな。」

 

今ガチ収録でのこと。これまでずっと目立てずにいたあかねが、ノブユキをゆきから引き剥がして二人きりの会話に持ち込むという思い切った行動に出ていた。それをMEMちょと遠目に見ながら、俺はあかねの魅力をうまく演出する方法はないものかと考えていた。

 

そろそろ番組も終盤。ここらで何か爪痕を残さなければ本当に何も出来ずに終わってしまう。

 

プロの芸能人としてはここであかねが落ちてくれるのは喜ぶべきなのだろう。ライバルが減り、自分の出番が増えるのだから。しかし彼女の頑張りをずっと傍で見てきた友人として、あかねの魅力が伝わらずに番組が終わってしまうのは後味が悪い。

 

真面目で努力家だし、引っ込み思案なところだって、奥ゆかしさという魅力としてとらえる人も居るだろう。少なくとも、俺はそういうあかねは嫌いじゃない。

 

お姉ちゃんや有馬と違ってガツガツ踏み込んでこない。そんな距離の取り方が心地良い。こういうタイプの女性はお姉ちゃんを恐れて近づいてこないから、こうやって仲良くなるのはあかねが初めてだ。

 

「あくたん、あかねの事気になってるぅ?」

「まあそれなりに。このメンツの中では一番相性いいかなとは思ってるよ。」

「クールぶっちゃってぇ。ちゃんとアタックしなよ。番組も盛り上がるよぉ?」

「あかねはノブを狙ってるだろ。ここで俺があかねに言い寄ったら関係性が複雑になりすぎて番組の見どころが分からなくなる。俺たちはサポートに回るべきだ。」

「キミはもうちょっと恋愛を楽しんでもバチは当たらないと思うよ…」

 

何やらMEMちょが呆れているが、気にしない。俺としてはやはり番組が一番だ。もし流れが来ればあかねとそういう関係になってみたいとも思うが、やはりプロとしてコンテンツの質を落とすことは許せない。

 

まぁでも、あかねとノブの駆け引きがひと段落着いたら少しアプローチしてみようか。

 

「おやおや、今度はケンゴ君にもちょっかいかけてるねぇ。」

「マジか、見境ないな。相当焦ってるぞ、あれは。」

「あかねのカメラに映らない範囲で追いかけようか。いつでもフォローできるように。」

「そうだな。」

 

MEMちょと二人で遠巻きにあかねを見守る。

 

俺とMEMちょはメンバー間の恋の駆け引きに対し、場外から野次を飛ばすキャラが定着している。こういう役回りなら色々とフォローしやすいということで、当初から狙ってこういうキャラを演じてきたのだ。だからこうして堂々とあかねを追いかけることが出来る。

 

あかねは上手くケンゴと二人きりになれたようだ。表情は明るくないが、何とか目立とうと頑張っているのが伝わってくる。このまま上手く話せるといいが。

 

「ケン!」

 

やはりうまく行かない。

 

ゆきの声だ。あかねとは対照的な、自然体で明るい雰囲気。ケンゴの表情もつられて明るくなり、カメラマンがその表情を逃すまいとケンゴとゆきを映せる位置へ移動する。あかねは当然のように画面の外に追いやられた。

 

「ラブラドール好きって言ってたよね!あっちにデカいラブラドール居た!」

「えっマジ!?」

 

いつものあかねならここで引き下がっただろう。だが今日は違った。彼女は追い詰められていたのだ。ケンゴを連れ去ろうとするゆきに対し、思わず強硬手段に出てしまうほどに。

 

「やめてよ!!そうやって男に簡単に引っ付いて、やり口に品がな……!」

 

あかねがゆきを追い払うように手を振る。運の悪いことに、その手の爪には大きなネイルストーンが付いており、ゆきの頬をかすめた爪の先には、血の赤色。

 

呆然とするゆきとあかね。ゆきの頬に走る赤いひっかき傷と、自身の手に付いた血をしばらく見て、ようやくあかねは自分が何をしたのかを理解した。

 

あろうことかカメラの前で、ファッションモデルの顔に傷をつけたのだ。

 

「ごめんなさ…こんなつもりじゃ…わた…私…」

「ゆき!あかね!」

 

モデルの顔に傷をつけたとあっては、バッシングは避けられない。場合によっては炎上もありうる。ここは少しでも早くあかねを落ち着かせて仲直りを促し、彼女の心証が悪くならないようにしなければ。

 

そう考えた俺はあかねに駆け寄り、激しくうろたえる彼女を抱きすくめ頭を撫でた。この場に姉ちゃんが居たら、きっとこうしただろうから。

 

「あかね!大丈夫だ。一旦落ち着け。ゆき、ケガは大丈夫か?」

「大丈夫。こんなのフォトショで消せるし仕事に影響はないよ。」

「あかね。ゆきもああ言ってる。そんなに怖がることはない。素直に謝れば許してくれるって。」

「アクア君…」

 

どうにか落ち着きを取り戻したあかねが謝罪し、ゆきがこれを受け入れ、何とかこの場は収まった。一連の出来事を遠巻きに見ていたMEMちょの方を見れば、手でOKサインを作っている。よくやったという意味だろう。

 

あかねはまだ少し動揺が残っているが、それもゆきがきっちり慰めている。皆も事情は分かっているし、今ガチメンバーにあかねを悪く言うような奴は居ない。この分なら後腐れなくこの後の撮影に臨めるだろう。大事にならなくて本当に良かった。

 

…この時は、これですべて丸く収まったと思っていたのだが。

 

・・・

 

あの事件があった日に収録した分の映像が公開された。

 

『やめてよ!!そうやって男に簡単に引っ付いて、やり口に品がな……!』

『あかね!大丈夫だ。一旦落ち着け。ゆき、ケガは大丈夫か?』

 

やはり、あかねがゆきに手を上げた場面はしっかり使われている。番組の見せ場を作りたい制作サイドからすれば、おいしい素材だっただろう。演者からすればたまったものではないが、裏方の考えも分かる俺には、一方的に制作サイドを責めることは出来なかった。

 

ここまでは想定通り。しかし、SNSでの反応は想像以上だった。

 

画面を埋め尽くす罵詈雑言。あかねに対するものが目立つが、俺への誹謗中傷も結構な割合を占めている。

 

『あそこであかねの味方するとか意味不明。』

『あかねもだけど、アクアも相当やばい奴じゃん。』

『本当に不快です。もう二度と人前に出ないでください。心の底から軽蔑します。』

『アクアとか言う役者、顔の良さにかまけてろくに努力とかしてないんだろうな。人間性の薄っぺらさがにじみ出てるわ。』 

『アクあかはいらない。もう映すな。』

『うざい。キモイ。消えろ。』

 

これは…心に来るな…。

 

役者を志す身として、いずれこういった心無い批判の声にさらされることになると覚悟はしていたはずなのだが。いざ目の前にこういう言葉が並ぶと、やっぱりキツイ。

 

この時俺は、番組を見られるのが恥ずかしいからといって、寝る前に自室にこもって一人で番組のチェックをしていた。その流れでSNSもチェックしたのだが、もともと人に相談事をするのが苦手な俺は、この心の痛みに一人で向き合うことを選んでしまった。

 

明らかな嫌がらせであっても、ついつい目を通してしまう。強い言葉を浴びせられ、ショックで思考停止に陥る。冷静に考えればこんなことをしても自分が傷つくだけだと分かるのに、画面をスクロールする手は止まらない。そしてまた次のコメントが目に入る。

 

心を破壊する負のスパイラル。一度はまり込んでしまえば、自力で抜け出すのは難しい。囚われたことにさえ気づけずに、更なる深みへと嵌っていく。初めは気にならなかった単純な人格否定の言葉も、やがて冷静さを欠いた俺はそれを否定することなく受け取ってしまう。

 

『死ね』

『生きてる価値ないよ』

『お前はいらない』 

 

俺はふとんの中でスマホを握りしめ、ただひたすら言葉の暴力に耐え続けた。

 



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家族と友達

「アクアー。学校遅刻するよー。早く起きなさーい。」

 

今日は珍しくアクアが寝坊している。私がアクアに起こされることはあっても、アクアを私が起こしに行くなんて本当に珍しいことだ。

 

「入るよー。」

 

遠慮なく部屋に入る。そこには布団にくるまって寝ているアクアの姿。どうせ夜更かしでもしたんだろう。ここはお姉ちゃんがビシッと叱ってあげないとね。

 

布団をつかみ、一気に引き上げる。するとそこには、スマホを片手に眠る可愛い弟の姿。ほらやっぱり。スマホ弄ったまま寝落ちしてるな。

 

でも何だろう。ちょっとアクアの顔色が悪いような。

 

「おはようアクア。なんかあった?」

「お゛姉ち゛ゃん…」

 

目を開けて私を見るなり、急に抱き着いてきた。どうしたんだろう。涙まで浮かべて。昨日の夜まではあんなに元気だったのに。何か嫌なことでもあったのかな?そういえばアクアはスマホを持ったまま寝てた。これが原因?

 

…まさか、いじめか!?

 

「ミヤコさーん!」

 

お姉ちゃんとしての勘が強い警告を発している。これは結構やばいやつだ。こういう時アクアを一人にしてはいけない。そうだ、緊急で家族会議を開こう。私とミヤコさんでアクアを虐めから守るんだ。

 

リビングに家族三人で集まり、アクアの事情聴取が始まる。学校にはミヤコさんから休みの連絡を入れてもらった。

 

「アクア。スマホみせて。昨日スマホ見ながら寝たんでしょ?」

「うん…。」

「どれどれ…、ってなにこれ。アクアとあかねちゃんの悪口でいっぱい!」

「ルビー、貸しなさい。…あぁ、見事に炎上したわね。アクアがこうなるのも無理ないわ。」

 

アクアの異変の原因は今ガチの炎上だった。昨日の放送ではあかねちゃんがゆきぽんに怪我をさせていた。それに怒ったファンたちがあかねちゃんを攻撃し始めたのだ。その時あかねちゃんを庇うような行動をしたアクアも一緒に叩かれているとういう事らしい。

 

隣で俯きがちに会話を聞いているアクア。辛そうな表情だ。こんなに落ち込んだアクアを見るのはあの時以来、ママが死んでしまったとき以来かもしれない。とにかく、ただ事ではなかった。

 

「アクア、とりあえずスマホを見るのは禁止します。ルビーに預けておくから、何か連絡が必要な時はルビーに言いなさい。何か今ガチ関連であなたの対応が必要なら私から言うわ。」

「うん。」

「それから、学校には行きなさい。こういう時は一人で考えこんじゃだめよ。出来るだけたくさんの人と一緒に居るようにしなさい。」

「分かった。」

「五反田監督にも連絡しておくわ。大好きな映画作りの話でもして、早く元気になりなさい。」

 

ミヤコさんは粛々と今後のアクアが撮るべき行動を教えてくれた。その話し方は迷いが無くて堂々としている。うん、ミヤコさんの言う通りにしておけば安心だ。先輩もミヤコさんの事は信頼してるみたいだし、こういう芸能界の闇への対処法は良く分かってるんだろう。

 

ならば今私にできることは、これだ。

 

「アクア、ぎゅってしてあげる。こっちおいで。」

「お姉ちゃん…ありがとう…」

 

アクアを抱きしめて頭を撫でてあげる。一緒に生まれてからこれまで、数えきれないほどたくさんこうしてきた。効果は折り紙付きだ。どんなに辛いことがあっても、これをしてあげれば必ずいくらかは元気になる。

 

そろそろ落ち着いてきたかな。そう思いアクアを離してあげると、先ほどよりも表情が明るくなっている。さすが私。見事にアクアを元気にしてしまった。

 

「その様子なら問題なさそうね。ルビー、アクアを頼むわよ。」

「まっかせて!」

 

取るべき行動は分かった。アクアも徐々に元気になってきている。後は、いつも通りに過ごして時間が過ぎるのを待つだけだ。大丈夫。アクアは炎上なんかには負けない。私がそうはさせないよ。

 

・・・

 

学校には昼休みが始まる頃に登校し、いつものメンバーでお昼ご飯を食べる。今日はフリルちゃんも一緒だ。

 

「アクアさん炎上してるけど大丈夫?」

「ああ、不知火さん。とりあえずは大丈夫だ。スマホはお姉ちゃんが持ってるし、しばらくはSNSから距離を置くことにするよ。さすがに昨晩はメンタルに来たけどな…。」

「そう。くれぐれも心を病まないようにね。見る人が増えるほど、意味不明な言いがかりも増えるから気を付けて。」

 

フリルちゃんには毎日のようにたくさんの人からコメントが来ている。応援や称賛が多いのは知ってるけど、どうしたって意味不明な暴言はゼロにはならない。さすが国民的美少女。そんな彼女だからこそ、アクアにかける警告の言葉には重みがある。

 

「アクア君、無理だけはせんといてな。ウチも居るから、いつでも相談してええからね?アクア君の味方はお姉ちゃんだけやないんやから。」

「みなみちゃん。概ね賛成するけど私のアクアを誑かすのは絶対に許さないからね?」

「お姉ちゃん!」

「あはあ…さすがやわぁ。でもこれだけ元気なら大丈夫そうやな。」

 

みなみちゃんが居てくれて良かったと思う。なんというか、癒しのパワーが凄い。ついつい和んでしまう柔和な雰囲気を持っている。

 

でもみなみちゃんのおっぱいは危険だ。初めて会ったときはアクアも顔を赤くしていたし、私も目を奪われてしまった。私にもGカップのおっぱいがあれば、それでアクアを元気にしてあげることが出来るのだろうか。いやそもそも、Gじゃないといけないことも無いんじゃないか?

 

…やってみるか。

 

「あれ、お姉ちゃん。急に立ち上がってどうしたの。むぐっ」

「どう?アクア。お姉ちゃんのおっぱいで元気になった?」

「やめて!マジでやめて!皆が見てるだろ!?これはこれで精神的にキツイ!」

「いいのいいの、私は気にしないよ?」

「俺が気にするんだよ!恥ずかしい!」

 

強制的に脱出されてしまった。何が恥ずかしいものか。アクアはどこに出しても恥ずかしくない私の自慢の弟だというのに。

 

(さすがブラコンお姉ちゃん。容赦ねぇな。)

(距離感バグりすぎでしょ。)

(皆が見てなければいいのかな…。)

(目の保養になるわ。もっとやって頂戴。)

 

いつものようにひそひそ話が聞こえてくる。私の包容力に皆驚いているようだ。ていうか、最後のはフリルちゃんだよね。

 

「アクア元気でたね。良かった良かった。」

「もっとやり方があるだろ…。まあお姉ちゃんがおかしいのはいつもの事だからもう何も言わないけどさ。」

「そうね。あなた達はこのままでいいと思う。」

 

後に先輩に聞いた話によると、またしても私とアクアが高校中の噂になっていたらしい。

 

『星野アクアお姉ちゃんのおっぱいで復活』

『星野姉弟の仲は不知火フリルのお墨付き』

 

なるほど、皆アクアの可愛さに骨抜きってわけね。

 




アクア復活。
お姉ちゃんとミヤコさんがバックについてるので、炎上対策は完璧です。芸能科なので友達も炎上の苦しみを分かってくれます。

次回はあかね。


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もう何も考えたくない

自室のベッドで一人、今ガチの最新話を確認する。

 

私がゆきちゃんの頬に傷をつけたあの映像は、きっちり番組で使われていた。公式SNSにはものすごい量のコメントが寄せられている。その内容はほとんどが私とアクア君への批判の意見。

 

やっぱり、と思った。

 

でも、ちゃんと謝れば許してもらえると思った。番組との契約で放送に乗ってない部分の事は言えないけど、言えることだけでも出来る限り説明して謝れば…

 

「なんて謝ればいいのかな。あの内容じゃ、どうみても私がキレてゆきちゃんに暴力をふるったようにしか見えないよ…。」

 

映像はアクア君が私を抱きしめて落ち着かせるところまでしか映っていない。さらにこの週のラストシーンには、赤いひっかき傷がついたゆきの顔のアップに私とゆきの仲たがいを連想させる煽り文句。

 

本当はゆきへの謝罪と和解まで撮影は出来ているはずなのに。どうしてこんな意地の悪い切り取り方をするんだろう。

 

ゆきは私の謝罪を受け入れて許してくれているし、メンバーの皆も納得してくれているが、視聴者の目線ではそれが分からない。モデルの顔に傷をつけたという事実だけがクローズアップされている。これでは何の説明も出来ずにただごめんなさいと言う事しか出来ない。

 

『沢山のご意見を頂き、自身のしてしまったことの重大さを改めて理解しました。本当にごめんなさい。私はゆきちゃんのことが嫌いだから叩いたわけではありません。これだけは信じてください。』

 

精一杯の謝罪の気持ちを籠め、公式SNSに投稿する。

 

それが合図だった。

 

『今ガチにお前はいらない。マジで早く消えろ。』

『はい終了。変わりはいくらでもいるから。』

『正直失望しました。』

 

番組を見ている皆が一斉にコメントを書き込んでくる。ものすごい勢いで増えていく。私は悪いことをしたから当然だ。これは皆の意見…目を逸らしちゃダメだ…。

 

私は批判の意見も出来る限り目を通した。

 

片時もスマホを離さずSNSをチェックし、寝る間際までコメントを読み続けた。目を瞑ると炎上の事しか考えられなくなって、朝になったら全部収まってるって自分に言い聞かせて強引に眠った。

 

でもそんな事あるはずなくて…。

 

気づけば朝になっていた。全く眠れた気がしない。少しも気分は良くなっていない。沢山の人から批判の意見を貰うのがこんなに辛いことだなんて思ってもみなかった。これも私の心が弱いせいだ。ちゃんと向き合わなきゃ。逃げちゃダメだ。逃げちゃ…。

 

「あかね?大丈夫?顔色悪いわよ。」

「大丈夫。」

「学校休む?」

「大丈夫。行く。」

 

朝食を食べようとするが食欲がわかない。食事がのどを通らない。でも、これは私の問題。お母さんに心配をかけてはいけない。私は食事を拒絶する体に無理やり朝ごはんを詰め込んだ。しかしどうしても体が受け付けず、母が見ていないところでこっそり吐き戻すことになる。

 

「あかねの見た?」

「ヤバくない?いつかやると思ってた。」

「なんかいつも仕事があるからーとか芸能人ぶってさー」

「いちいちマウント取らねーと気が済まないのかって」

「マジ性格悪いし」

「自分はアンタ達とは違うからみたいな空気出してくるよねー」

「今頃囲いの男共に慰めてもらってるんでしょ」

「ありそー」

 

教室の前まで聞こえる声で、私の陰口をいうクラスメイト。ああ、学校でも私の居場所はないんだ。結局教室に入る勇気はなく、トイレにこもって時間をつぶした。

 

そこでもやっぱり批判のコメントに目を通す。

私は確実に追い詰められていく。

 

『母親がちゃんと教育しないからこういうカス女が生まれる負の連鎖じゃんw』

『育ちが分かるって正にこのことだよな。親に叩かれて育てられた奴はすぐに手を上げる奴に育つ。』

 

「ごめんねお母さん…。」

 

ついに批判は私だけでなく、家族やマネージャーや事務所にまで及ぶようになっていた。攻撃のターゲットはどんどん増えていく。もはや私一人の問題ではなくなってしまった。私に関わる人たちまでこんな目に合うなんて。

 

『今炎上してるあかねって子、ララライの劇で主演やっててめちゃくちゃ頑張り屋な子なんだけどさ。今回の騒動見てたらそういうのもただのアピールに思えてきた。今まで推してたけどちょっと無理になった。』

 

私を応援してくれていたファンの人でさえも、この事件を境に私から離れていく。元ファンからのコメントは私の心を深く抉った。

 

そして極めつけは、私を助けてくれたアクア君までもがこの地獄に突き落とされてしまったという事実。私一人ならいくら悪く言われたって良い。でも私を庇った大切な友人まで心無い批判のに晒されるなど、耐えられない。

 

『星野アクアとかいう役者、あかねのせいで炎上に巻き込まれてて草。』

『共演者まで巻き添えかよ。死ぬなら一人で死ねや。』

 

「アクア君、ごめんなさい…私を庇ったばっかりに…。」

 

何時間こうしてトイレにこもっていただろうか。スマホで時間を確認するともう昼休みも終わり午後の授業が始まっている。結局私は学校が終わる時間になるまでトイレに隠れていた。

 

そこから先は記憶が曖昧で、どうやって家に帰ったのかも覚えていない。

 

・・・

 

「そういえば、何も食べてないや…」

 

一通り批判のコメントに目を通し、しばらく自室で仮眠をとった私はほんの少しだけ食欲が戻っていた。今ガチメンバーも何も食べていないという私を気遣ってくれている。気分転換にコンビニにでも行って、夜食を買って来よう。そう思い立った私は、台風の中だというのに家をでてコンビニへと向かう。

 

暴風によって傘はぐしゃぐしゃに折れ曲がり、横殴りの雨に全身が打たれる。しかし限界まで心をすり減らし喪心状態にあった私は、そんなこともお構いなしに死んだようにふらふらと歩き続ける。もう何もかもがどうでもよくなっていた。

 

コンビニからの帰り道。歩道橋を渡る途中。突然強い風にあおられて転んでしまう。飛ばされていく傘。あたりに散らばる夜食として購入した品物たち。ああ、拾い集めるのももう面倒だ。

 

「疲れた」

 

一言、弱音がこぼれた。

 

私の心はここで挫けてしまった。一度折れた心は、あっという間に諦めに似た感情に埋め尽くされていく。生気が抜けた無表情で、今まで必死に抑え込んでいたネガティブな気持ちに身をゆだねる。

 

「もういいや。考えるの疲れた。何も考えたくない。」

 

丁度いいや。ここから身を投げれば死ねる。もう全部終わりだ。何も考えなくて良い。

 

歩道橋の手すりへとよじ登る。結構高いんだね。まぁ落ちないためのものだから当然か。そんなどうでも良いことを思いながら、私は確実に死への準備を整える。

 

手すりの上に立つと、そこは道路の真上。土砂降りの雨で良く見えないけど、眼下には車のライトと思しき光がどこまでも遠くへ続いていくのが見える。

 

これが最後に見る景色ってことになるのかな。車のライトや信号、それに町の建物の照明。沢山の明かりがキラキラ光って綺麗だ。暴風雨のおかげで私を批判する声も一切聞こえない。このまま一歩前に踏み出せば解放される。すべてが終わる。

 

よし、いこう。

 




久しぶりの純度100パーセントの鬱回でした。
やっぱり筆が進まない…


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間一髪

今日も監督の家で映画編集の手伝いだ。

 

炎上によって一時はメンタルをやられた俺だが、ミヤコさんの機敏な対応とお姉ちゃんや学校の友人たちとの交流のおかげで快方に向かっていた。しかし炎上自体はなくなっておらず、そのことを考えると気が重い。ミヤコさんの言う通り、好きな映画製作の話でもして辛いことは忘れるに限る。

 

「おう、来たか。ほれ、スマホよこしな。預かっててやる。」

「ああ。はい、コレ。」

 

俺は今スマホ禁止令が出ている。監督にもミヤコさんから説明があり、俺のスマホを預かってくれるのだ。

 

「泰志!アクア君!夕飯できたわよ!」

「おう、今行く。」

「はーい。」

 

五反田家の食卓を3人で囲む。炎上が起きてから俺は毎日こうして監督の家に通っている。

 

俺が監督に弟子入りしたばかりの頃を思い出す。あの頃の俺はひどく傷ついていて、放っておけば死んでしまいそうだった。それを何とか持ち直すよう手を尽くしてくれたのが監督だ。俺は4歳の頃からほぼ毎日この家に通い、余計なことを考える暇がないほどに演技や映画製作の勉強に没頭したのだ。

 

第2の実家のようなこの家には、俺専用の椅子や食器など、生活に必要なすべてが常備されている。俺がこの家の子供と言っても疑う人はいないだろう。

 

「早熟、この前面白い映画見つけたんだ。ちょっと聞いてくれよ。」

「へぇどんなの?」

「いわゆるB級映画で出来はそこそこなんだが、ちょっと面白い作り方しててな。時代なのかねぇ。なんつったか、確か新しいCG技術の…」

「おかわりいるかい!?」

「かあちゃん!今良いところなの!ちょっと黙ってて!」

「ははは」

 

夕飯を食べている間も、こうして監督は延々と映画の話をしてくる。元々そういう人だけど、炎上で落ち込んでいる今の俺にはありがたい。監督の映画トークを聞いている間は辛い現実を思い出さずに済む。

 

食事が終わればいつものように映画の編集。黙々と作業を続け、気づけば時間は夜の9時。今日も結構頑張ったな。最近俺の担当が恋愛がらみのシーンばかりになっているのは気のせいだろうか?多分監督の仕業だろう。全く、余計なお世話だ。

 

作業に集中していて気づかなかったが、外は大雨になっていた。窓ガラスも揺れかたを見るに、風も相当強い。

 

「ちょっと風強くなってきたか?思ったより台風来るの早いな。母ちゃん、これ早熟を帰すのマズくないか?」

「そうね。アクア君今日は泊っていきな。お家には泰志から電話させとくから。」

 

思ったより早い台風の到来により、俺は監督の家に泊まることになった。

 

監督はミヤコさんやお姉ちゃんと違って口うるさくないから、夜更かししても文句を言わない。そして監督の家には、古いものから最新作まで面白い映画が沢山用意されている。となれば、やることは一つだ。

 

「今夜は映画観賞会だな。」

「そう来ると思ってたぜ。早熟、お前は何が見たい?」

「これとかどうだ?」

「ほぉ、恋愛ものか。そうかぁ、お前もそういう年頃だもんな。」

「違う。後学の為だ。」

「そうかい。」

 

布団をセットし、寝落ちするまで映画を見る準備を整える。手元には選りすぐりの映画DVDが10本。その気になれば一晩中でも見続けられる。さあ、楽しい夜の時間だ。

 

いざ上映開始と思ったが、最初のDVDを流し始めようとした時俺のスマホが鳴った。

 

「おい早熟。電話だ。」

「なんだよもー。これから良いところなのに。…もしもし、MEMか。…えっそれ本当か?…うん。…ああ分かった。俺も行く。」

「お、おい!待て早熟!」

 

この台風の中、あかねが出かけたまま帰ってこないという。今まさに炎上の渦中にいて、心を痛めているであろう彼女がだ。嫌な想像をするなという方が無理がある。

 

居てもたってもいられず、俺は部屋着のまま家を飛び出した。

 

・・・

 

本当に間一髪だった。

 

歩道橋の手すりから飛び降りようとするあかねを、ギリギリのタイミングで手すりの内側へ引き戻すことが出来た。腕の中にはあかねが居る。良かった、生きてる。

 

「ああ!いやぁ!放して!」

「落ち着け。ほら、お兄ちゃんがぎゅってしてあげるから。よしよし、よく頑張ったな。」

 

取り乱すあかねを落ち着かせるために、咄嗟に出た言葉と行動が、コレだった。えっ何してるのという顔であかねが俺の顔を覗き込む。俺にも良く分からない。咄嗟にやってしまったんだから。

 

しかし効果はてきめんだった。あれほど全力で暴れていたあかねが、こうも冷静になっている。まぁ、いきなりお兄ちゃん面されるという意味不明な状況に戸惑っているだけなのだろうが、この際なんでもいい。あかねを守ることが出来た。それが全てだ。

 

「アクア君…なんで…?」

「MEMのやつが台風の中お前が出かけて、なのに全然帰ってこないって探し回ってるんだよ。だからコンビニまでのルート辿ってたら…馬鹿野郎が。」

「うっ…あっ…」

 

その場にへたり込み静かに泣くあかね。命の危機は去ったが、心の傷は癒えていない。

 

「あかね、辛いよな。分かるよ。でもさ、死ぬのは違うよな?」

「うん…。ごめんね…。」

「謝らなくて良い。辛いときは誰かに寄りかかって助けてもらうもんだ。」

「でも…でも…ゆきにケガさせたのは私で、怒られて当然で…私がせいだから…」

「一旦全部忘れろ。まずは元気になれ。何度も言うが、死ぬのは違うからな?」

「…」

 

酷く憔悴している。ゆきにきちんと謝罪し、本人間では解決したことすら忘れ、ネットの批判に洗脳されている。ひたすらに自分を責める声を聴き続け、ついに精神に異常をきたしてしまったのだろう。

 

俺以上にひどいバッシングを受け続けたのだ。無理もない。

 

「ちょっと君達!危ないでしょあんな所に!何してんのさ!」

 

運よくその場に居合わせた警察官が駆け寄ってくる。そのまま俺とあかねは警察に保護された。

 




アクアはあかねの命を救い、咄嗟に出たお兄ちゃんムーブであかねの鎮静化に成功。

原作だとアクアの単独行動に誰も疑問を持ちませんが、このシリーズではそうもいかず、ちょっと考える必要がありました。結果、監督の家を便利に使わせてもらうことに。


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アクア失踪?

五反田さんから電話があった。思ったより台風の到来が早いので、アクアは五反田さんの家に泊まるとのこと。

 

事務所には娘のルビーと最近苺プロ所属になった有馬さん、そして私の三人。この天気では、有馬さんを家に帰すのもやめた方が良い。

 

「アクア、今日は五反田さんの家に泊まるみたいね。有馬さんも今日は事務所に泊まっていきなさい。今から帰るのは危ないわ。」

「分かりました。そうさせてもらいます。」

「やったー!お泊り会だね!」

 

ルビーが喜んでいる。

 

本当にこの二人は仲が良く、監督する立場としてはこれほど嬉しいことは無い。アクアが新メンバーとして引っ張ってきた有馬さんは芸能人として知識と経験が豊富で頼りになる。役者にこだわりがあったようだけど、実際の所彼女の性格やスキルを考えればアイドルははまり役だ。

 

「あの…社長。アクアは大丈夫なんですか?炎上してるみたいですけど。」

「結構メンタルはやられてたみたいね。でも今はスマホを見ないようにさせてるし、ちゃんと学校にもいって友達と仲良くやってるそうよ。ねぇルビー。」

「アクアは私が守るから大丈夫。まだちょっと元気ないけど、だんだん良くなってるよ。」

「そう。あんたがそういうなら問題ないわね。本当にヤバいのは…」

「黒川さん、ね。」

 

アクアも気になっていたようだけど、彼女は大丈夫だろうか。ウチと違い、彼女の家は一般家庭と聞いている。となると彼女やその家族が炎上対策やメンタルケアの方法など知らないと考えて良い。事務所との距離もウチほど近くはないだろう。恐らく何も出来ずに一人で抱え込んでしまう。

 

あの真面目そうな黒川さんの事だ、最悪のケースだって考えられる。

 

「こういうのって人前に出るようになったら慣れるものじゃないの?」

「多少はね。でも個人差があるから慣れない人はずっと慣れないものよ。私だってその日のメンタル次第では本当に死んでやろうかって思う日もある。ことさら、耐性の無い10代の少女が初めて罵詈雑言の集中砲火にさらされる心境はアンタには想像も出来ないでしょうね。」

 

娘の素朴な疑問に有馬さんが答える。そして少し顔を伏せ、記憶の中の絶望を写したような真っ黒な目でこう言った。

 

「それは「人生が終わったと錯覚するほど」よ。」

 

その言葉には実感がこもっている。彼女にも経験があるのだろう。どう乗り越えてきたかは分からないが、心に深い傷を負う出来事だったのは間違いない。

 

有馬さんの表情に落ちる黒い影は、芸能界の闇そのものだ。

 

ルビーにはここで言って聞かせておくべきだろう。芸能界はただキラキラと輝いている綺麗な世界じゃない。その裏側には心を病んで壊れていった若者たちの屍がいくらでも転がっているのだ。

 

「恋愛リアリティショー番組は世界各国で人気だけれど、今まで50人近くの自殺者を出している。国によっては法律でカウンセリングを義務付けているほどよ。」

「50人が死んでるって事は、その10倍はギリギリ死ななかったけど死ぬ程の思いをした人が居るって考えた方が良いわよ。リアリティーショーは自分自身をさらけ出す番組……。叩かれるのは作品がどうのじゃなくて自分自身。そりゃキツイわよ。」

「…アクア言ってた。嘘は自分を守る最大の手段だって。」

 

あの時アクアは杞憂だろうと言ったが、恐れていた事態は現実のものとなってしまった。

 

アクアは炎上の恐ろしさを良く理解していたのだろう。今ガチに出演するにあたり、矛盾を感じない程度ではあるがそれなりにキャラを作っていた。そのためかアクアのダメージは比較的早期に回復し、翌週の撮影にもどうにか参加できた。

 

一方で黒川さんは活動を休止している。映像を見るに、黒川さんは完全に素の自分で撮影に臨んでいた。そもそも炎上する前から精神的には参っていただろう。そこにこの仕打ちだ。心中察するに余りある。

 

「SNSは有名人への悪口を可視化するの。表現の自由と正義の名の下、毎日のように誰かが過剰なリンチに遭ってる。皆自分だけは例外って思いながらしっかり人を追い込んでるのよ。何の気無しな独り言が人を殺すの。」

 

有馬さんがさら説明を続ける。ネットや炎上に詳しい子だ。一体どんな過去があったのやら。

 

「アクアは大丈夫かなぁ。」

「大丈夫でしょ。噂になってるわよ。アクアがあんたのおっぱいで元気になったとか、不知火フリルが二人の仲を認めてるとか。どうせいつもみたいにイチャイチャを見せつけてるんでしょ?」

 

…この子、もしかして学校でもいつもの距離感で接してるの?おっぱいで元気?

まぁとりあえず、アクアの精神状態は快方に向かっていると考えて良さそうだ。

 

prrrr

 

スマホが鳴った。

電話の主は、五反田さんだ。

 

「もしもし、五反田さん。どうしました?」

「社長さんか。すまねぇ…アクアが急に家を飛び出しちまって、その…行方が分からねぇんだ。」

「どういう事!?」

「すまん、俺にも分からねぇ。電話にも出てくれないんだ。ミヤコさんとルビーの方からも連絡してみてくれないか。」

「言われなくてもそうするわよ!」

 

アクアが急に居なくなった。電話にも出ない。なぜ? いや、考えたくもないが、思い当たる節はある。

 

自殺というのは、一度病んだメンタルが回復する過程で実行されるケースが多い。希死念慮を抱きつつもそれを実行に移す気力が無いどん底の状態よりも、行動を起こす活力が戻ったタイミングの方が危ないというのは有名な話。

 

……今のアクアがまさにその状態ではないか。

 

「社長…?あの、今の電話って。」

「ミヤコさんどうしたの?凄い慌てて…。」

「五反田さんからよ。アクアが突然家を出て行方が分からなくなったって。電話も無視してるみたい。」

「それって…!まさかあいつ、死ぬ気じゃないでしょうね!?」

「早まらないで。まだそうと決まったわけじゃないわ。」

 

不安にさせまいと有馬さんの言葉を否定するものの、二人の表情は険しいままだ。私の不安が伝染している。こういう時こそトップの自分が毅然と構えてないといけないのに。何か、何かこの子達を安心させる言葉をかけてあげないと。

 

「大丈夫。アクアは元気になりつつあるでしょ?そういう事はしないはずよ。」

「でも社長。こういうのって、メンタルが回復して意欲が高まるタイミングで起きやすいって…。」

 

そんなことは分かってる。分かった上で不安を煽らない為にあえて伏せていたというのに。ここにきて有馬さんの知識が悪い方向に発揮されてしまった。

 

「え…嘘…アクアが…?そんなことないよね…?」

「ルビー、落ち着いて。五反田さんは私達からも連絡してと言っていたわ。とにかく電話をかけてみましょう。今はアクアに連絡が付くことを祈るしかない。」

 

ルビーと二人で電話をかけるが、応答しない。五反田さんならともかく、あのアクアがルビーからの電話に出ないなどということがあり得るだろうか? まさか本当に、想像している通りの行動に出てしまったのか。本当に、自ら命を絶とうとしているのか。

 

「お願いアクア…!電話に出てよ。なんで出ないの…!」

 

悲痛な面持ちでひたすら電話をかけ続ける娘。そのあまりにも痛々しい姿は、かつて彼女が母親を失ったときに見せたそれと重なる。アイを、母親を失うというトラウマを抱えた彼女が、最後の肉親である双子の弟を失うようなことがあれば……それこそアクアの後を追いかねない。

 

お願いアクア…無事でいて。

 

私にはもはや祈ることしか出来ない。

 

prrrr

 

「社長!電話なってますよ!」

「アクア!?アクアからなの!?」

 

スマホを確認するも、表示される番号はアクアの物ではなく。

 

「はい斎藤です。…えっ警察、ですか…?」

 

電話の主は、警察だった。

 




※アクアはあかねを探しに行っただけ


アクアがあかねを助けるのは既定路線。しかしアクアはメンタルを病み監視状態。
結果、苺プロの面々が盛大に勘違いする展開に。

報連相って大事ですよね。私もこれが出来ないせいでよく怒られます。


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今ガチの裏側

警察署に到着し、あかねは事情聴取を受けている。取調室の前で一息つく俺。そういえばずっとスマホが鳴っていたことを思いだし、通知を確認する。

 

通知画面には監督とミヤコさんとお姉ちゃんからの着信履歴がずらり。慌てて監督の家を飛び出したが、俺の置かれた状況を考えるに、かなりマズいことをしたかもしれない。

 

俺は今炎上の渦中におり、一時はひどく心を病んでしまった。それを受けミヤコさんは、俺にいくつかのルールを課した。スマホを見ないこと。ちゃんと学校に行くこと。そして、決して単独行動をしないこと。

 

単独行動を禁止したのは、お姉ちゃんや友人との交流がメンタルの回復につながることが理由だが、最悪のケース、つまり自殺をする隙を与えないこともその目的の一つだった。

 

そんなルールを課された俺が理由を告げず逃げるように監督の家を飛び出した。その上かかってくる電話を無視し続けているのだ。これは確実に変な誤解を生んでいる。

 

「…やっべ。」

 

スマホには丁度ミヤコさんから電話がかかっている。意を決して、通話ボタンをタップした。

 

「もしもし」

「…!ああ、やっとつながった。アクア…無事で良かったわ。警察から電話がかかってきた時は、もうだめかと思ったのよ。」

「ごめん。心配かけたよな。俺は大丈夫だから。」

「まったくもう、こっちが大丈夫じゃないのよ。…一旦ルビーに代わるわね。あなたの声を聴かせてあげて頂戴。」

「ああ。」

「アクア!!!こんなにお姉ちゃんを心配させて!!!本当に死んじゃったかと思ったんだから!!!」

「お姉ちゃん…本当にごめん。」

「謝るくらいなら初めからこんなことしないでよ…!もう、こんな大変な時に無茶しないで…。生きてて良かった…。」

 

お姉ちゃんが泣いている。

 

怒られるのを覚悟してたけど、それ以上に俺の安否を心配する気持ちが強かったみたいだ。そうだよな。少し考えれば分かることじゃないか。

 

もしもお姉ちゃんが居なくなったらどう思う? …そんな事、仮定の話でも考えたくない。しかし俺がやったのはそういう事だ。自らの行動によって、そのもしもをお姉ちゃんに突きつけたのだ。本当にひどいことをした。

 

しばらくはお姉ちゃんの傍で大人しくしていよう。

 

「アクア、今からミヤコさんがそっちに迎えに行くって。ちゃんとそこで待っててよ?どこにも行っちゃだめだからね?」

「分かってるって。もう勝手なことはしないよ。」

 

お姉ちゃんも落ち着いたみたいで一安心だ。

 

しばらくして、ミヤコさんがやってきた。

 

「五反田さんから連絡があったときは色々覚悟してたけど、よくやったわアクア。誇らしいわよ。ちゃんと見てたのね。」

「人は簡単に死ぬ。誰かが悲鳴を上げたらすぐ動かなきゃ手遅れになる。」

「それがあなた自身にも当てはまることを努々忘れないことね。」

「それはもう分かったって…。」

 

あかねの聴取が終わり、同じタイミングであかねの捜索に当たっていた今ガチメンバーも到着した。あかねには番組を降りる選択肢もあると伝えたが、最終的には本人の強い意志により番組出演を続行するということで決着がついた。

 

あかねの復帰宣言に喜ぶ今ガチメンバー。炎上をきっかけに仲間が欠けるようなことにならなくて良かったと皆本気で思ってくれている。本当に仲の良い現場だ。こんな温かい仲間たちが待っているからこそ、あかねも復帰したいと思えるのだろう。

 

自殺未遂の一報、そしてあかね降板の危機によって張り詰めていた空気から一転、いつものように明るい雰囲気に変わる。そしてその中心に居るのは復帰を宣言したあかねと、あかねと共に炎上の渦中にいる俺だ。

 

「アクア君は強いんだね。こんな時でも私を助けてくれるんだ。」

「俺が強いんじゃない。頼れる人がいただけだ。俺一人だったら確実に折れてた。」

「そう…なんだ。」

 

あかねと俺の違いは頼れる人がいたかどうか、その一点に尽きる。もしお姉ちゃんが俺の異変に気付かなかったら。ミヤコさんが的確な指示を出してくれなかったら。俺だってあかねと同じ行動をとってしまう可能性は十分にあった。

 

辛いときほど孤独になってはいけないのだ。過去にも死にたくなるほど傷ついた経験のある俺は、そのことが身に染みて分かっている。

 

「じゃあ、私もアクア君に頼って良いかな…。」

「良いに決まってる。一人で抱え込んじゃだめだからな?」

「うん。分かった。」

 

俺に何が出来るかは分からないが、頼りたいなら頼ればいい。それであかねが救われるならいくらでも手を貸してやる。共に炎上を乗り越えようとする者同士、苦痛を分かち合うことだってできるだろう。

 

「もう大丈夫だ。これ以上悪いことはもう起きない。一緒に乗り越えよう。」

「うん。頑張る。」

 

そしてどちらともなく歩み寄り、熱い抱擁を交わす。

 

二人だけの世界にどっぷりと入り込んでいた俺たちは忘れていたが、ここには今ガチメンバーもミヤコさんも居る。周囲から聞こえてくる歓声か驚きの声かよく分からない大音量で我に返り、二人揃って真っ赤に照れる俺とあかね。

 

この日を境に、俺とあかねの仲は今ガチメンバー公認のものとなる。

 

・・・

 

あかねの命は助かった。しかし、事件はこれだけでは終わらない。

 

『炎上中の未成年女優が自殺未遂(渋谷区)』

 

どこから情報が洩れたのかあかねの自殺未遂のニュースが流れ、界隈で様々な議論が巻き起こったのだ。もちろんそれで引くやつもいるが、新たな火種に中傷も加速した。あかねは今も番組出演を見送り、復帰の目処は立っていない。

 

そんな難しい状況のなか、監督からある提案があった。

 

「なぁ早熟。演者視点の今ガチを作ってみたらどうだ?恋愛リアリティショーについて色々勉強してただろ。なら自分で作るのが一番手っ取り早い。」

 

確かに、恋愛リアリティショーを理解するためにそれを自ら製作し公開してみるというのは良い案だ。演者は公式SNSに番組のオフショットを投稿しても良い契約になっているから、撮影した素材を使って作成した動画をアップしても問題はない。

 

しかし、監督の狙いはそこではなく。

 

「何より、あかねのイメージを回復させれば炎上も収まるかもしれんぞ。」

 

番組側の意図により、あかねは悪役に仕立て上げられた。俺たち演者が独自に作成したドキュメンタリー映像を公開することでその印象を覆そうというわけだ。

 

さらに言えば、すでに素材があるとはいえゼロからドキュメンタリー映像を作成するというのはそれなりに手間のかかる仕事。それを今あえて俺にやらせることで当面の目標を作ると同時に、炎上の事を思い出す隙を作らないようにという事だろう。

 

「手ぇ抜くんじゃねぇぞ?いっちょ、デカいムーブメント起こしてやろうぜ。」

「ああ。うまく行くかは分からないけど、やれるだけやってみるよ。」

「決まりだな。愛する女の為にも頑張れよ。」

「…そんなんじゃねえって。」

「聞いたぞ?お前、他のメンバーが見てる前で黒川といちゃついた挙句、抱きしめ合ったんだってな。もう付き合っちまえよお前ら。俺は祝福するぞ。」

「それは問題が片付いてから考える。ドキュメンタリー映像の制作が先だ。」

「はいはい。」

 

こうして今ガチメンバーによる裏のドキュメンタリー映像が作成され、完成したデータはバズらせのプロことMEMちょ監修の元、世論を動かす最高のタイミングで投稿された。

 

結果、この動画は24時間後に7万4千RTを達成。黒川あかねと俺のイメージを変革すると同時に『今ガチ』の人気を決定づけるものとなった。

 

その映像作成で無茶をしてお姉ちゃんにこっぴどく叱られたが、それははまた別の話だ。

 




長い鬱展開もこれでひと段落です。ああ疲れた。


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理想の女性像

アクア君が作ってくれた動画により、炎上騒ぎはある程度の収束を見せた。そういう歯切れの悪い言い方になるのは、炎上に完全な解決は無いからだ。これからも事ある度に蒸し返され、言い続ける人は10年後も言い続けるだろう。

 

SNSから距離を置いてしばらく休養し、私はどうにかメンタルを持ち直した。そして今日、こうして収録への復帰報告をするため今ガチの現場にやってきている。ここに来るのはあの事件の日以来だ。

 

久しぶりに楽屋の扉を開くと、真っ先にアクア君が私を出迎えてくれた。その肩越しにはゆきちゃんとメムさんが仲良く並んで座っているのが見える。ケンゴ君とノブ君は仕事で早々に帰ったらしい。

 

「私、次の収録から復帰する。」

「そうか。やっとここまで回復したんだな。あかね。」

「うん。心配かけちゃったかな。」

「過ぎたことだ。気にするな。」

「アクア君は大丈夫なの?」

「俺は何ともなかった…と言うと嘘になるんだが、もう大丈夫だ。」

「そう。良かった。」

 

炎上で辛い思いをしたのは私だけではない。アクア君もバッシングの標的になり、一時はかなり精神的に追い込まれたと聞いている。でもこうして私もアクア君も元気になり、また一緒に撮影が出来る。あの時死ななくて本当に良かった。

 

彼は私よりダメージが少なかったようで、私が番組出演を見送っている間も出演を続けていたからあまり心配はしていなかったけど、こうして元気そうにしているアクア君を見ると安心する。

 

「さっそく見せつけてくれるねぇ。」

「ラブラブだねー。」

「いや、違うって。これは…。」

「何が違うのかなぁ?」

「もうどこからどう見てもカップルでしょ!」

 

ゆきちゃんとメムさんも相変わらず……いや、前より大分元気というか、凄い楽しそうだ。楽屋の奥で恋バナに興じる彼女らはキラキラと輝く瞳をこちらに向け、祝福なのか恨み言なのか良く分からない言葉を投げかけてくる。多分悪い意味ではないんだろうけど、ここまで注目されると恥ずかしいな。

 

今ガチメンバーの中では、私とアクア君はもうカップルが成立するものと思われている。組み合わせが確定したので手出しは無用とのメムさんからのお達しだ。

 

それもそのはず。私が自殺未遂をしてアクア君に助けられたあの日、吊り橋効果かあるいは同じ炎上に苦しむ者同士の共感か分からないけれど、とにかく私とアクア君は良い感じの雰囲気になった。その上、そのままお互い感極まってハグまでした。

 

……皆が見ている前で。

 

楽屋の奥からゆきちゃんとメムさんが楽しそうにこちらを見ている。いや、別に見せつけてる訳ではないよ?ちょっと二人で会話していただけで…。

 

「とりあえず中に入ろう。アクア君。」

「そうだな。あいつらの視線も鬱陶しい。」

 

逃げるように楽屋の中へ移動し、アクア君と並んで適当な椅子に腰かけた。やれやれ、と困った顔のアクア君。しかしこんな面白い状況を彼女たちが見逃してくれるわけもなく。

 

「逃がさないよ~。」

「聞きたいことが山ほどあるんだからねぇ。」

「はぁ、もう好きにしろ…。」

「お手柔らかにお願いします…。」

 

圧力に屈した私たちはついに観念し、お互いの近況を洗いざらい吐かされることになった。

 

「で?最近どうなのさ。二人で会ったりしてんの?」

「直接会うことは無い。ラインでメッセージ送ったり通話したり、まぁ普通に友達として仲良くしてるだけだ。」

「あかね、そうなの?」

「大体そんな感じ。あ、でも炎上対策とかメンタルケアについては色々教えてもらってるよ。凄い助かってる。」

 

アクア君は苺プロの社長さんの息子だ。彼はお母さんに教わったという炎上対応や誹謗中傷に対する心構えなどについて、私にも詳しく教えてくれた。そしてやっぱりと言うか、相変わらずお姉ちゃんのことが大好きで、今回の騒動の間もずっとお姉ちゃんが支えてくれたと言っていた。

 

「なるほど芸能事務所社長の息子かぁ。そりゃ体制も万全だわ。バックにはお姉ちゃんも控えてるわけだし、無敵の布陣だねぇ。」

「やっぱりコネの世界だよね、芸能界って。アクア君が羨ましいなぁ。」

 

確かに、あまり力のある事務所ではないけれど親が芸能事務所の社長と言うのは強い。姉弟揃って芸能人だし、母親のミヤコさんも相当な美人で立ち居振る舞いに隙が無いところを見るとやっぱりそういう仕事をやってきた人なのかなと思う。

 

まさに芸能一家というわけだ。見られる側の人間の苦労もその対応も良く分かっているんだろう。

 

「で、アクたんのお母さんの助言もあってあかねは元気になったわけね。」

「もう大丈夫?無理しなくていいからね?」

「うん。もう大丈夫。」

「ずっと見てきたけどもう大丈夫だろ。どん底の時とは比較にならないくらい明るくなったと思うぞ。」

「ありがとう。アクア君のおかげだよ。」

「気にするな。言ったろ?一緒に乗り越えようって。俺だって仲間がいた方が心強いし。」

「アクア君…。」

 

ああ、アクア君は本当に優しいな。あの台風の中私を探して助けてくれて、イメージ回復のためにドキュメンタリー映像まで作って、こうしてずっと一緒に居てくれた。離れたくないな。出来ることなら、この先もずっと一緒に。

 

そんな私の気持ちが伝わったのか、先ほどからずっとハイテンションな二人のテンションがさらに上がり、もう訳の分からないことになっている。

 

「ああもぉ何なのこの二人は!カメラも回ってないのにこの湿度!」

「やっぱり見せつけてるでしょ!?このバカップル!」

「あの…うん、見せつけてるわけじゃなくてね…」

「もうほっとけ。付き合ってられない。」

 

私とアクア君ではこのテンションにはついていけない。まぁ、楽しそうだし良いか。

 

しばらくきゃーとかやばーとか、興奮状態で歓声を上げていた彼女たちも、さすがに数分も放置すれば静かになった。そして話題は私の今後の方針へと移る。

 

「これからはさ、あかねもちょっとキャラ付けた方が良いんじゃない?やっぱ素の自分で出て叩かれるとダメージ大きいし。」

「そうだな。何かしら演じてたららその「役」が鎧になる。素の自分を晒しても傷つくだけだ。この鎧のおかげで俺も命拾いしたわけだし。」

「そうだねぇ。確かにアクたんが軽傷で済んだのもそのおかげだぁ。」

「そうだったんだね。」

 

実際の所、私にも今ガチ用の人格を演じるという発想自体はあった。しかし初めての経験する恋愛リアリティショーという仕事で変に気を使ってしまい、演技という最大の武器を自ら封印してしまったのだ。

 

今になって思えば、本当に愚かな選択だった。

 

あんな目に遭った以上、もう自分の身を守るためには四の五の言っていられない。演じよう。恋愛リアリティショーにふさわしい人間になるのだ。もう出し惜しみはしない。

 

「でも、どんな役演じればいいんだろ?」

「んー。…アクたんはどういう女が好み?」

「なんで俺に…」

「いやもう君以外ありえないでしょ。理想の女性像を教えてあげてよ。」

「うーん、理想の女性像ね…。」

 

少し考え込んだアクア君は、まるでその人が目の前にいるかのように宙を見ながら、その特徴を言葉にしていく。そこから浮かび上がってくる人物像に私は内心ものすごく驚いた。まさか、こんなことがあるなんて。

 

「太陽みたいな笑顔。」

…太陽みたいな笑顔といえば、かなちゃんが思い浮かぶなぁ。

 

「完璧なパフォーマンス。」

…かなちゃんは演技も素晴らしい。非の打ち所がない。

 

「まるで無敵に思える言動。」

…私を見ろって輝いてるときのかなちゃんだ。

 

「吸い寄せられる天性の瞳。」

…可愛すぎて思わず見ちゃうよね。わかる。

 

一体何の冗談だろうか。彼の理想の女性像は、私の良く知る人物にピタリと一致する。

 

そういえば彼女は最近アクア君と同じ苺プロの所属になっていた。今はルビーちゃんと一緒にアイドルをやっている。うん、これはもう間違いないだろう。

 

なるほど良く分かった。アクア君の好みの女性は有馬かなだ。私の憧れの人であり、最大のライバル。まさか、こんなところでかなちゃんが私の前に立ちはだかるなんてね。もはや運命すら感じる。

 

「わかった。やってみる。」

「え、今ので分かるのか?」

「うん。完璧に分かった。アクア君の好みの女の子、やってみるね。」

「うーん?」

 

アクア君が不思議そうな顔をしている。当然だ、私がかなちゃんのファンであり、また私達が女優としてライバル関係にあることを彼は知らないのだから。ふふふ、びっくりするだろうな。

 

演じるならアクア君の好みに合わせてあげたい。でもそれだけじゃない。有馬かなに勝ちたい。アクア君がかなちゃんを好きと言うなら、それ以上の魅力で彼を振り向かせるだけだ。絶対にかなちゃんには渡さない。

 

負けないぞ…。

 




物静かでおとなしい二人なので、普通に話してるだけでいい感じに二人の世界が出来上がるのが強い。


星野アクア
あかねと共に苦境を乗り越えて一気に距離が縮まり、演者の中ではカップル成立扱いとなっている。
理想の女性と聞かれて自身の母親を思い浮かべたが、有馬の事も普通に好きなのであかねの推理はそんなに外れていない。

黒川あかね
自殺を図るほど追い込まれたメンタルは無事回復し、撮影に復帰。
アクアの理想の女性を見事に有馬かなだと勘違いした。特徴だけ並べると吸い寄せられる天性の瞳以外は意外と一致しているので無理もなかった。
勘違いにより、有馬かなに対するライバル心に燃えている。


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天才役者

今日は平日だが、久しぶりに学校から家に直帰した。すると事務所には有馬もおり、久しぶりに俺と有馬とお姉ちゃんの3人が事務所に揃った。

 

「黒川あかね大変だったわね。大丈夫そう?」

「ああ、なんとか持ち直した。」

「そっ。あ~あ、あのままリタイアしてくれれば良かったのに…。」

「お前さ…」

「あっ! 違う違う! そういう意味じゃなくてだよ!? 商売敵として!」

「だから死ねってか!?ふざけんなよ。」

 

有馬のあんまりな発言に事務所の時間が一瞬止まったかのような感覚になる。そしてその直後に有馬が弁明するも何の言い訳にもならず、神経を逆なでされた俺は思わず有馬を怒鳴りつけた。

 

あかねと同じく炎上の被害に遭いメンタルをやられた張本人を前に、なぜその発言が許されると思ったのか。有馬であってもさすがにこれは看過できない。呆れた目で有馬を睨み、怒りの感情を投げかける。有馬もさすがに悪いと思っているらしく、バツの悪そうな顔で目を泳がせている。

 

そういえばお姉ちゃんの反応が無い。どうしたのかと視線を移すと、そこには有馬を見つめて考え込むお姉ちゃん。無言だけど確実に怒ってるな。これはアレだ。怒りに任せたやつじゃなくて、ちゃんと叱るパターンだ。

 

「先輩。正座。アクアは私の後ろで見てて。」

「「はい。」」

「先輩、アクアが今までどれだけ苦しい思いをしたか分かってるよね?」

「はい。」

「あかねちゃんが自殺しようとしたのをアクアが助けたのも知ってるよね?」

「はい。」

「なんでアクアのトラウマをほじくり返すような事言ったの?」

「あの…ごめんなさい。ちょっと口が滑ったというか…。悪気は無いんです。」

「先輩が口が悪いのはいつもの事だけど、さすがに今回のは言っちゃいけなかったよね。ほら、アクアに謝って。」

 

謝罪を促された有馬が怯えた小動物のような目でこちらを見る。有馬を苺プロに誘ってから、こうしてお姉ちゃんに怒られてビクビクしながら謝る彼女を何度も目にしてきた。そんなに怖いなら初めからあんな事言うなよ。

 

それが出来ないのが有馬なんだけど。

 

「ごめんなさい。」

「ああ、良いよ。でも気を付けろよ?俺も結構ヤバかったんだから。」

「うん、よろしい。二人とも仲良くしてね。」

 

なんやかんやで仲直りだ。

 

お姉ちゃんが居なければしばらく口を聞かないくらいには怒っててもおかしくなかった状況なのに、不思議と怒りは収まり冷静になっている自分がいた。何度見ても凄い。如何に俺がお姉ちゃんを信頼しているとはいえここまで鮮やかに喧嘩の仲裁が出来るなんて、さすがお姉ちゃんだ。

 

そして俺たちは何事も無かったかのように雑談を続ける。

 

「それにしても、あかねが有馬の商売敵だなんてな。役を取られでもしたのか?」

「いや同い年で同じ女優業やってる人間としては……目の上のたんこぶって言うかさ、ちょっとは堕ちてこいって気持ちを持つのも分かるでしょ? いわゆるシャーデンフロイデってヤツよ。」

「黒川あかねに、有馬かなが?」

「そりゃそうでしょ。」

 

有馬はかつて一世を風靡した天才子役だし、その実力は俺も認めるところだ。ここ数年は仕事に恵まれなかったとはいえ、俺が名前も知らないような女優を相手にライバル意識など持つものだろうか?

 

なぜ?という顔で有馬の方を見るが、あちらも同じようにどうして?という顔で見つめ返してくる。そしてお姉ちゃんは微笑ましいものを見る目でこちらを見ている。いや、にらめっこしてるわけじゃないからな?

 

やがて有馬は何かに気付いたようで。

 

「あー……あんた演劇興味ないだっけ。劇団ララライの黒川あかねって言えば、天才役者として界隈では有名でしょうが。」

 

あかねが天才役者?そんな素振り一度も……いや、そもそも演技をする機会なんてなかったな。そうか、演劇をメインに活動する役者だったのか。俺は自他ともに認める映画オタクだが、演劇には興味が無く、その界隈の役者も全く知らないのだ。

 

そういやあかねは次の収録からは役作りをして臨むと言っていたな。それも、俺の理想の女性像を参考にすると。母さんのことを思い浮かべて特徴を3つか4つ挙げただけだったが、なぜかあかねは完全にその役を理解したようだった。俺の挙げた特徴にぴったり一致するような知り合いでも居たんだろうか?

 

まぁ、そんなことはどうでも良い。天才役者と言われるあかねの演技がどんなものなのか、特等席でじっくり見てやる。

 

次の収録が楽しみだ。

 

・・・

 

「本日よりあかねちゃん復帰になります。」

「皆さんご迷惑おかけして申し訳ありませんでした。頑張りでお返ししたいと思っています。よろしくお願いします!」

 

長い休養期間を経て今ガチの収録にあかねが帰ってきた。相変わらず緊張はしているみたいだが、すっかり顔色も良くなっている。スタッフの皆から拍手で迎えられ、ほっとした様子だ。これなら大丈夫だろう。

 

「それではカメラ回し始めまーす。」

 

とはいえ、久しぶりの仕事。俺がリードした方が良いよな。それにあかねは俺の理想の女性を演じると言っている。今日の収録はこちらから声を掛け、俺と二人でのんびり会話するという流れで良いだろう。まぁ、リハビリ見たいなものだ。

 

「行くぞ。」

「ええ。そうね、アクア。」

 

一足先に教室に入り、あかねを呼ぶ。直後に背後からあかねの声が聞こえるが、その声はいつものあかねではなかった。たった一言ではっきりと分かる、明らかに違う。

 

「ふぁっ…まったく眠いわね、収録早すぎなのよまったく。もうカメラは回ってるのかしら?」

 

聞き覚えのある喋り方。単語選びからイントネーション、しゃべり方の癖まで、記憶の中の彼女と完璧に一致する。

 

思わず振り向いた先には、黒川あかね。目も眩む太陽のような笑顔だった。

 

「てへっ☆!」

 

黒川あかねについて語る有馬の言葉を頭の中で反芻する。

 

彼女曰く、

 

一流の役者しか居ないと言われる劇団ララライ。黒川あかねはそこの若きエース。徹底した役作り、与えられた役への深い考察と洞察。それらを完璧に演じ切る天性のセンス。リアリティショー映えする性格じゃなかったみたいだけど、役者としては『天才』と呼ぶしかない。

 

…なるほどこれは天才だ。没入型演技の極致。完璧に役に入り込んでいる。

 

()…あかね?」

「アクア、どうしたの?幽霊でも見たような顔して。」

「いや…」

 

有馬だ。有馬が居る。思わず名前を呼び間違えてしまいそうなほどに自然な演技。

 

「アクア、今日は一緒に居ましょ?」

「…うん。」

 

一瞬で持っていった。キャストも、スタッフも、カメラマンですら。身勝手で圧倒的で、周囲のキャストも呑み込んでしまうほどの存在感。まるで有馬のような強烈な輝き。それが彼女にも…いや待て。

 

あまりの完成度の高さ、そして有馬かなという人選にあっけに取られてしまったが、よくよく見ると何かが違う…ような気がする。限りなく完璧に近いが完全じゃないというか。

 

まあ良いか。具体的に何がおかしいと指摘できるわけでもない。気にするだけ無駄だ。

 

「聞いたわよ。あの動画、何日も徹夜してアクアが作ってくれたって。嬉しいことしてくれるじゃない。ありがとね、アクア。」

「お互い大変な状況だったからな。俺としては得るものもあったし、結果オーライだよ。」

「そっ。ならいいわ。」

「なぁ、あかね。それって有馬の演技だよな。なんで有馬なんだ?」

「そりゃあ、あんたの好きな女の子がかなちゃんだからに決まってるじゃない。どうせ演じるなら理想の女を演じた方が良いでしょ?」

「いや、だからなんで俺の好きな女性が有馬だって分かったんだよ。」

「え?だって太陽のような笑顔とか、完璧なパフォーマンスとか言ってたでしょ?それに苺プロ所属であんたと距離も近いだろうし。……もしかして違ったの?」

「…違う。」

 

あかねがフリーズした。

 

これは演技なのだろうか? この状況なら有馬もフリーズするよな…多分。あ、顔もどんどん赤くなってきてる。さすがに素の反応かな? まさかこれも感情演技? いやまさか。

 

「違ったぁ…」

「すまんあかね。だが、ろくに確認しなかったお前にも非はあるよな?」

「ご…ごめんね。私早とちりしちゃって。」

「おお、いつものあかねに戻った。」

「言わないで…。」

 

有馬かなが黒川あかねに戻った。言葉にすると奇妙だが、演技をやめる瞬間のあかねを目の当たりにした実感を素直に言葉にするとこうなるのだ。

 

恥ずかしそうに顔を伏せるあかね。あれだけ自信満々に、完璧に分かったとまで豪語しておきながら違う人物を演じていたとなればこうもなるだろう。もはや役を演じる余裕もなく、素のあかねに戻ってしまっている。

 

ここで、遠巻きに俺たちを眺めていたゆきとMEMちょが参戦してくる。二人の楽しそうな笑顔には正直なところ嫌な予感しかしない。絶対俺をおちょくる気だろう。あいつらはあかねの味方だからな。

 

ニヤニヤしながら近づいてきた二人は、唐突に素人の寸劇のような喋り方で。

 

「あちゃ~、違ったかぁ。あかね残念だったねぇ。で、アクたんは結局どんな人が好きなのさ?」

「あ、私分かるかも。」

「奇遇だねぇ。私もだよぉ。あの人しかいないよねぇ?」

「じゃあ一緒に言っちゃおう!」

「アクたんの~、」「アクア君の~、」

 

「お姉ちゃん!」

 

「待て待て待て待て!!勘違いだ!!」

 

ああもう大体そんな気はしてたけど! 打ち上げの度にあれだけ仲良く喋ってる所見られたらそう思うのも無理ないけど、本当に違うから!

 

いやまぁ好きなのは好きだけど、恋愛的な意味じゃないんだよ。

 

「ええー違うのー?」

「お姉ちゃんが違うとなるとぉ、分からんね。アクたん、答えをプリーズ。」

「はあ……なんの罰ゲームだコレ…。ああ分かった教えるよ、俺の憧れの女性。アイドルグループB小町のアイだ。これで良いか?」

 

理想の女性を聞かれて、お姉ちゃんを否定した直後に母親を挙げるというのもかなりヤバい気がするが、偽らざる本心なので大目に見て欲しい。まぁ彼女たちは親子だと知らないし、俺の境遇を知っている人はとやかく言ってこないだろう。うん、問題ないな。

 

答えとなる人物を知り、スマホで画像を探す女性陣。母さんの画像にたどり着いたようで、なるほどこんなのが好みなんだーとかメンクイだーとか、年頃の男子の心を抉る発言が次々に飛び出してくる。なんだこれ公開処刑か?

 

俺の心にダメージが蓄積していく間にあかねのダメージは回復したようで、彼女はまた有馬になっている。

 

「なるほどねぇ、こういうのが好みな訳。参考にさせてもらうわ。ところでアクア、一つ聞きたいんだけど。」

「なんだ?」

「かなちゃんの事は好きじゃないワケ?」

「えっと…」

 

痛いところを突いてくる。

 

今ガチの撮影も終盤に入り、目下最大の悩みはそこなのだ。俺はあかねが好きだ。この気持ちに嘘はない。普通に考えればこのまま番組のラストであかねに告白する流れだろう。そしてそれはまず間違いなく受け入れられることになる。

 

しかし、もう一人いるのだ。気になる女性が。この番組への出演を決めてからずっと心に引っかかっていた。

 

有馬かな。俺が彼女に対して抱く好意もまた嘘ではない。

 

有馬に抱くそれは、お姉ちゃんや母さんやミヤコさんに抱く好意とはまた違う種類の感情だった。最初はそれが何なのかよく分からなかったが、あかねの事を好きになったときにそれが有馬へ向ける感情と同じであることに気付いたのだ。

 

困ったことに、俺は有馬のことも好きみたいだ。

 

「…まぁ、好きだよ。」

「そう。まぁあんたが誰を好きになろうが関係ないわ。私の魅力で振り向かせるだけなんだから。覚悟してなさい。」

「ああ。」

 

恋愛リアリティショーなんてものに出演してなければなあなあの関係を維持することも出来ただろうが、そうはいかない。黒川あかねに告白するかどうか、番組が終わるまでには決めなければならない。

 

俺はどうすれば良いんだろうか。

 




例のシーンはメフィストのイントロを脳内で再生しながら書きました。気づいたらいつもの倍くらい書いててびっくり。


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役者として、女として

とある週末、いつものように苺プロの事務所にやってきた私はルビーと一緒に今ガチの最新話を確認する。

 

いつもはルビーに付き合って見ているだけでそれほど興味もないのだが、今週の放送からあの黒川あかねが復帰するというので、少し気になっていた。アクアが言うには今回の放送分から何か役作りをして撮影に臨むという事らしい。

 

彼女は一体どんな演技を見せてくるのか。同年代の女優としては、天才役者ともてはやされるあかねの演技がどんなレベルかチェックしておく必要があるだろう。私はそれに勝たなければいけないのだから。

 

「先輩、はじまるよー。準備は良い?」

「オッケーよ。再生して。」

 

タブレット端末をテーブルの上に立て、ソファに私達が並んで座る。簡潔なオープニングが流れ、最初に映るのはやはり復帰した黒川あかね。アクアと共に教室に入り、画面の中の彼女が久方ぶりに声を発するのだが―――

 

『ええ。そうね、アクア。』

『ふぁっ…まったく眠いわね、収録早すぎなのよまったく。もうカメラは回ってるのかしら?』

『てへっ☆!』

 

隣に座るルビー共々、黒川あかねが打って出た暴挙に絶句する。どう見ても私だった。一体何を思ったのかその無駄に高い演技力で私を、有馬かなを完璧に再現している。

 

「ねぇ先輩。これって。」

「信じがたいけど私みたいね。嫌がらせのつもりかしら。」

「まるでそこに先輩がいるみたい…。凄いね。」

 

まったくひどい嫌がらせだ。もしかすると、私とアクアの関係を知った上での行動かもしれない。

 

ルビーもようやく状況を飲み込んだようだが、私と違ってあかねの演技に素直に感心している。それはそうだ。役者としてあかねの演技力に負けたくないだとか、アクアと仲良くする女がいて妬ましいだとか、そんなことは考えないだろう。

 

ルビーがアクアから女を遠ざけるのは、アクアの為を思っての事。アクアが真剣に考えた末の決断であれば力強く応援するのがルビーという人間だ。

 

だが私にこの映像はあまりにもショッキングすぎる。

 

画面に映る黒川あかねに鳥肌が立つ。なんという完成度か。まるで自分自身がそこにいるかのような錯覚に襲われ、気分が悪い。これに勝たなくては女優としてのプライドが許さないのだが、勝てるビジョンが浮かんでこない。

 

さらにルビーに聞くところによれば、公式SNSの炎上と黒川あかねの自殺未遂を経てアクアと黒川あかねの距離が縮まり、この二人はもうカップル成立が確実視されているという。

 

つまり、私は黒川あかねに負けたのだ。役者としても女としても。

 

『アクア、今日は一緒に居ましょ?』

『…うん。』

 

誘うあかねに応じるアクア。早くも二人きりになって教室の隅へと移動する。そういえば番組が始まってから画面にはあかねとアクアしか映っていない。番組側もこのカップリングを推しているというわけだ。まったく、本当に嫌になる。

 

「面白くない。もうなんか飽きたわ。観るのやーめた。」

 

もう観ていられなかった。これ以上見たら平静を保てない。

私はソファから立ち上がり、タブレット端末とルビーに背を向けて事務所の出口へと歩き出す。

 

「そもそも人の恋愛を安全圏から眺めるなんてコンセプトが悪趣味なのよね。誰と誰の掛け合わせが良いとかなんなの?馬主なの?菊花賞狙える馬産ませたいの?はーやだやだもう観ない。アクアの顔も見たくない。ばいばい、さよなら~。」

 

動揺を隠すための無駄に長い台詞が勝手に口から漏れ出ていく。初めから平静なんて保てていないのだ。みっともないと頭では思いながらも勝手に動く口を止められない。いつもこうだ。心の底から湧いて出てくる激情をどうしてもコントロールできない。

 

きっとルビーはお見通しなんだろう。

 

「先輩。」

「…なによ。」

「前にも言ったよね。泣いてる仲間をほっとけないって。」

 

なんで泣いてることまで分かるのよ。まあいいか。このお姉ちゃん相手に意地なんて張るだけ無駄だ。

 

私は再びソファーへと移動し、ルビーのすぐ隣へ腰を落とす。すぐ横を見れば、すっかりお姉ちゃんモードに切り替わったルビーが居る。いつものように大きく手を広げ、ぎゅっのポーズだ。

 

「おいで。」

「うん…」

「辛いよね。アクアがあかねちゃんと仲良くなって。」

「ううん、違うの…それだけじゃないの…。あかねのあの演技、私には出来ないくらい凄くて…。」

「悔しいんだ?」

「うん…くやしい。」

「今日の所は泣いて、お姉ちゃんに甘えて、元気になろ?」

「ありがと…」

 

すぐ横のタブレット端末では今ガチの動画が再生され続けているようだが、もはや音声すら聞きたくない。お姉ちゃんの圧倒的なお姉ちゃん力に身も心も溶かされ、悲しい気持ちを癒すのみだ。ああ、やっぱりルビーは凄いわね……。

 

そのまま数十秒か数分か、私はルビーに身を預け、頭や背中を撫でる感覚やぎゅっと抱きしめられる感覚を堪能した。ルビーは動画を見続けているようで、時々笑ったり突っ込みを入れたりとリアクションを見せている。どうやら私は片手間で癒されているらしい。

 

ルビーから離れ再び画面に目を移すと、間の悪いことに再びアクアとあかねのツーショット。やっぱりお姉ちゃんの腕の中に戻ろうかと思ったが、思いがけない会話に引き留められた。

 

『なるほどねぇ、こういうのが好みな訳。参考にさせてもらうわ。ところでアクア、一つ聞きたいんだけど。』

『なんだ?』

『かなちゃんの事は好きじゃないワケ?』

 

この女、私になりきった状態で私の事好きじゃないのかとアクアに尋ねている。これはもしかしなくても私への当てつけだろう。アクアの隣を勝ち取る恋愛勝負に勝ったことを確信した上で、アクアの口から有馬の事は好きじゃないと言わせる。なんてえげつない作戦だ。

 

このあとやってくるであろうショックに備え、私はルビーの着ているTシャツをキュッと握りこむ。すでに心の準備は出来ている。気持ちを堪えられなくなったらまたルビーの胸に飛び込む所存だ。

 

息をのんでアクアの返答を待つ。少し言い淀んだ後、アクアは答えた。

 

『…まぁ、好きだよ。』

『そう。まぁあんたが誰を好きになろうが関係ないわ。私の魅力で振り向かせるだけなんだから。覚悟してなさい。』

『ああ』

 

好きって…。今、好きって言ったわよね!?

 

頭の中でアクアの返事を反復し、聞き間違いではないことを確認する。

うんやっぱり好きって言った。あいつ私の事好きって言った!

 

ルビーのTシャツから手を離し、勢いよくソファーから立ち上がる。さっきまでの悲しい気持ちはどこへやら。泣いていたことすら忘れ、全力の笑顔で嬉しさを爆発させる。10秒で泣ける天才女優は、10秒で涙が止まるのだ。

 

「ふふん。まぁアクアが私の魅力を無視できるわけないのよ。やっと気づいたみたいね。」

「良かったね先輩。」

「はー無駄な心配だったわねー。振り向かせるだけとか言っちゃって。私の方が魅力的に決まってんでしょーが♪」

 

まぁ、この番組ももう少し見てやってもいいかもしれない。アクアは私を差し置いて他の女を求めているなどと訳の分からないことを考えていたが、何のことは無い。彼は私を意識しているのだから、普通にアプローチすれば良いのだ。何を悩んでいたのだろう。

 

役者としても、よくよく考えたら役を再現するだけがスキルではないんだし、まだ負けたことにはならない。現にアクアは没入型の演技ではあかねに劣るが、作品へのトータルの貢献力は確実に上だろう。何をビビってんだか、私。

 

つまり、まだまだ勝負はこれからなのだ。役者としても女としても。

 

あかねが没入型の演技力で勝負しようってんなら、私は違う方法で凄い役者になってやる。恋だって負けてやるもんか。恋愛リアリティショーなどという都合のいいシナリオなんかいらない。正々堂々、正面からあいつを落とす。

 

待ってなさいアクア。私の魅力で骨抜きにしてやるんだから。

 




感情のジェットコースター。


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お姉ちゃんの弟離れ

アクアの口から確かに発せられた「かなちゃんも好き」発言を聞いて、先輩がおかしくなっている。

 

「アクア…待ってなさい…うふふふふ…」

 

浮かれてるなぁ。まだアクアに選ばれると決まったわけでも無いのに。

 

アクアが先輩に惹かれてたのは、まあ割と前から分かってた。先輩のキャラクターは割とママに似てる。元気で明るくて、強くて図太くて、笑顔が眩しい女の子。こんな子が同じ事務所にいていつもアクアに構ってくるんだから、好きになるのも自然なことだ。

 

先輩は悪い人じゃない。真面目で努力家で、芸能界の事も良く分かってて、役者としてアクアとお仕事の話だって出来る。悔しいけどアクアの隣に相応しい女性だと素直に思う。

 

タブレット端末の画面に目を向ければ、そこにはアクアと親しげに話すあかねちゃんが映っている。彼女もまた、アクアが好意を寄せる女の子の一人だ。

 

番組の炎上をきっかけに仲良くなり、最近はよくテレビ通話でお話ししているところを見かける。時々私も乱入してはあかねちゃんに笑われて。しばらく見ていてわかったことは、あかねちゃんもすごく良い(ヒト)だって事。

 

アクアがあかねちゃんを選んだとしても、私は心から祝福できる。…少し、いやかなり複雑ではあるけど。

 

先輩とあかねちゃん。アクアはどちらか一方を選ぶことになる。番組のラストは男性陣から女性陣への告白で締めくくられるからだ。そこで何かしらの答えを出さなければいけない。

 

先輩もあかねちゃん、どちらもアクアと両想いだからカップル成立は確実だろうな。

 

ああ、弟の姉離れがいよいよ始まる予感。

 

・・・

 

お夕飯を食べてお風呂にも入ったことだし、お部屋でのんびり漫画でも読もうか。今日あまの続きをアクアの部屋から拝借してきたし、準備オッケー。

 

コンコン

おや、ノックの音が。

 

「お姉ちゃん、入るよ。」

「うん。」

 

アクアが来た。最近はあまり私の部屋に来てくれなくて寂しいと思ってたところだ。扉を開けて私の部屋に入ってくる可愛い弟の手には、ポテトチップスとサイダー。今日は長居する気満々の様だね。お姉ちゃん嬉しい。

 

私は床に座り、ベッドにもたれかかる。するとアクアは私のすぐ横に腰を下ろす。並んで座るぬいぐるみのように二人で支え合い、ちょうど良い感じにバランスをとる。言葉も交わさず、アイコンタクトさえなく、流れるように自然な動きで二人は身を寄せ合う。

 

特に意味はない。ドキドキしたりもしない。これくらいの距離感が私たちにとっての普通だから。

 

私たち姉弟の向かいの壁にはママのポスター。写真のママはいつも輝いていて、その綺麗な瞳で私とアクアを見守ってくれる。この部屋には私とアクア、そしてママがいる。星野一家が勢揃いだ。

 

「珍しいじゃん。アクアの方から私の部屋に来るなんて。」

「たまにはいいだろ。」

「いつでもいいけど?」

「あっそ。」

 

わたしが手にとったポテチをアクアの口元へ取っていくと、アクアはそのまま器用に口で受け取って食べる。何枚か食べさせてあげた後は、ジュースをこぼさないように飲ませてあげる。子供の頃こうやっておやつを食べさせてあげていたのが、高校生になった今も続いている。

 

赤ちゃんでもないのに甘やかしすぎだろうか?

 

普通の高校生は多分こういうことはしないんだろう。友達に聞いてもやってないって言うし、漫画やドラマでも見たことが無い。

 

辞めるつもりなんてこれっぽっちも無いけどね。これが私達姉弟。誰にも文句は言わせない。

 

「お姉ちゃん、ぎゅってしていいか?」

「いいよ、おいで。」

「あ、そうじゃない。俺がする。」

「アクアが、私を?」

「そ。」

 

意外な提案だ。でも、悪くない。たまにはこういうのもアリか。

 

アクアの力強い腕が私の肩に回り、そのまま抱き寄せられる。筋肉質で固い体。ここ数年でアクアは一気に大きくなった。ちょっと前までは身長もほとんど同じくらいだったし、ご飯を食べる量もそんなに変わらなかったはずなのに。

 

私も成長した。前世では12歳で死んでしまったけど、星野ルビーはもう16歳だ。ほとんど大人と同じくらいの背丈になり、自分で言うのもなんだけど結構セクシーな体をしている。写真に写るママのように。

 

今の私たちを他人が見たら恋人のように見えるだろうか。まぁこれくらいの年ならそう考えるのが普通だと思う。でも私達にはこれが当たり前すぎて、今更別の感情が湧いてくることも無い。ただ心が安らぐだけだ。

 

アクアはしばらく無言で私を抱きしめていたが、それほど時間が経たないうちに私を離して元の位置に戻った。

 

「もういいの?」

「うん。やっぱ違うな。」

「何が?」

「あー…なんていうか。お姉ちゃん、ちょっと相談したいんだけどさ。」

「なに?」

「お姉ちゃん以外にもこうやってぎゅってしたい人が居るんだ。」

「二人?」

「うん。」

 

ああ、そうか。そうだよね。お姉ちゃんもそのことをずっと考えてた。

 

アクアはどんどん大きくなって、私の傍から離れていく。今までアクアに近づく女の子にやきもちをやいては遠ざけてきたけど、もうそろそろ潮時なのかもしれない。弟離れしなきゃいけないってことなんだろう。

 

アクアが真剣に悩んでることはもう十分わかってる。相談されたときに返す言葉も決まってる。後はそれを伝えるだけ。

 

「その二人抱きしめたい気持ちは、お姉ちゃんにそうするときの気持ちとは違くて。」

「うん。」

「多分、これが恋、なんだと思う。」

「きっとそうなんだろうね。でも二股はだめだよ?」

「分かってるよ。けど…」

「決められないんだ?」

「比べようが無い。どっちも好きで大切な人だから。」

 

青春してるなぁ、我が弟。

 

要するに、アクアは先輩とあかねちゃんが好きで、どちらかを選ばなくちゃいけなくて、でも選べなくて悩んでる。そういう話。

 

アクアらしい、誠実で真っ直ぐな悩みだ。誤魔化そうとか有耶無耶にしようなんてことは思いつきもしない。私の素晴らしい情操教育の賜物か。

 

「アクアが真剣に悩んで決めたことならお姉ちゃんは何も言わないよ。きっと相手もそれで納得してくれる。適当に誤魔化すのだけはやめてね。」

 

用意していた言葉をアクアに投げかける。これが私の結論。どこぞの先生と同じだ。相手の事を思えばこそ、勝手に決めつけるのがためらわれる。お姉ちゃんという立場になって良く分かった。

 

「そんな適当な…。丸投げじゃん。」

「これでも結構真剣に悩んだんだよ? どっちを選んだってアクアは後悔するんだから、そうなったときに傍にいてあげるのがお姉ちゃんの役目なの。」

「…分かったよ。ちゃんと考えて決める。」

「うん。応援してる。」

「今度有馬に遭ったら遊びにでも誘ってみようかな。」

「二人きりで?」

「ああ。俺の気持ちを確かめて来るよ。有馬と二人きりで話すことってほとんどないしな。あかねとは収録で会うからそこで。」

「うん。」

 

そこからしばらくは、また無言の時間だ。アクアにお菓子を食べさせたり、読み終わった漫画をアクアの部屋に戻して次の2冊を取ってきたり。何のことは無い、アクアと一緒に過ごす余暇の時間だ。

 

手元にある今日あま2冊を読み終え、時計を見るともう夜の11時。寝る時間だ。

 

「アクア。今日は一緒に寝よっか?」

「俺思うんだけどさ、そろそろ姉離れした方が良くないか?これから彼女作ろうっていうのに、いつまでもお姉ちゃんに甘えてたらカッコ悪いっていうか…。」

「まぁ、私もそういう事は考えるけど…。嫌じゃないんでしょ?」

「嫌なわけあるか。」

「じゃあ良いんじゃない?我慢しなきゃいけないってことはまだ姉離れできてないんだよ。本当に嫌になったときがその時じゃない?」

「まぁ一理ある…のかな?」

「そういう訳だから。今日は一緒に寝よ。」

「うん。」

 

よし。押し切った。でもどんどん手強くなってくるなぁ。

 

この数か月でアクアは大きく変わった。仕事か、恋か、思春期だからか。理由は良く分からないけど、一人の大人として自立していきたいという思いを感じる。素直に喜べない成長もあるんだね。

 

あと何回、アクアと一緒に寝れるだろうか。

 

 




いつぞやのツイッターで流れてた「距離感バグ星野兄妹」を書きたかっただけ。


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キャッチボール

「おはよ。アクア。」

「お姉ちゃん。おはよう。」

 

目覚めたら隣にお姉ちゃんがいる。久しぶりだな、この感じ。いつもより良く寝れた気がする。

 

今ガチの収録はもうすぐ最終回。

 

俺は迷っていた。あかねに告白するのか、それとも突き放して有馬を取るのか。番組の流れとして最終回に男性陣からの告白がある以上、それまでに気持ちの整理をつけておく必要があるだろう。

 

半端な気持ちでは告白したくない。

 

『アクアが真剣に悩んで決めたことならお姉ちゃんは何も言わないよ。きっと相手もそれで納得してくれる。適当に誤魔化すのだけはやめてね。』

 

昨日は丸投げかよと文句を言ってしまったが、やっぱりお姉ちゃんの言う通りだ。あくまで誠実に、俺自身が真剣に考えた上での結論に意味がある。俺があかねや有馬の立場だったら、たとえ振られるにしても真剣に悩んだうえで振って欲しいと思うだろう。

 

「ママ、行ってきます。」

「母さん、行ってきます。」

 

玄関に立てかけてある母さんの写真に挨拶し、今日もお姉ちゃんと一緒に登校する。

 

通学路の途中の横断歩道で、長い信号待ち。ここは陽東高校の近くなので、信号待ちする人ごみの中にも俺と同じ制服姿が多く混じっている。芸能科の生徒もちらほらおり、そういう生徒はやはり周囲とは少し違ったオーラを纏っている。

 

その中に、ひときわ明るい太陽の光のようなオーラを放つ少女を発見する。お姉ちゃんもその人物に気付いたようだ。

 

「お姉ちゃん。俺、今日学校休むかも。」

「うん、わかった。行っておいで。」

 

俺はその少女、有馬かなの方へと向かう。

 

信号が変わる前に声を掛けなければと、少し急いで人をかき分けて進む。少しづつ彼女の姿が大きく見えてくるにつれ、胸の鼓動が早くなる。意識してしまっているのだ。これから意中の女性を遊びに…デートに誘うというこの状況を。

 

ふぅと息を吐き、気持ちを落ち着けて声を掛ける。

 

「有馬。有馬かな。なぁ…今から学校サボって遊ばね?」

「いく。」

 

俺に気付いて振り向いた彼女は、二つ返事で了承した。俺に向けられた笑顔は先ほどまでよりもさらに眩しく、その明るさに照らされて一瞬思考が止まってしまう。入学試験で再会した時から思っていたが、この先輩の笑顔は本当に可愛い。

 

「は~っ! マジあり得なくない!? 学校サボって遊びに行くとかマジ不良じゃん! あり得ない! マジさいあく! マジさいあく!」

「そんなに言うならやっぱやめとく?」

「そうは言ってない。なんだかあんたが思いつめた顔してるからちゃんと見てあげなきゃっていう先輩心?心が天使よね、私。」

 

口ではあり得ないだの最悪だのというが、遊びに行くことに反対はしない。それに、俺が悩みを抱えていることにも気づいている様子だ。少し気を使わせてしまっただろうか?

 

……いやそれはない。有馬の全身からご機嫌オーラがあふれ出ている。遊ぶ気満々だ。このテンションの上がり方がいかにも有馬らしいな。こっちまで楽しくなってくる。

 

「で、どこ行く? ディズニー? 東京タワー?」

「学校サボってそんな張り切った遊び提案する度胸がヤベえな。」

 

仕事も遊びも全力投球ってか? 元気のいいことで。

 

「だって制服でサボったら周りの視線気になるでしょ。着替えに帰るのも時間のロスだし! あの辺制服の人多いし丁度いいかなって……!」

 

そんな慌てた顔をして短い腕をぶんぶん振り回して言い訳を並べても説得力ないけどな。普通に考えればこんなにもあざとい仕草を何の打算もなしにやるんだから有馬は凄い。

 

・・・

 

場所は変わり、近所の公園。

 

野球のグローブを手に、距離を取って向かい合う俺と有馬。

 

二人きりで遊ぶとなれば、やはりキャッチボールだろう。若い少年少女がキャッチボールをしながら本音で語り合い、愛情を深める素晴らしい映画のワンシーンを見たことがある。有馬と本音で語り合うのにこれ程適したシチュエーションはあるまい。

 

しかし目の前の有馬はどんよりと落ち込んだ様子。やっぱりディズニーの方が良かったか?

 

「やっぱあんた変わってる。」

「そうか?」

「そうよ! うら若き男女が学校という牢獄から抜け出して何をするかと思えば、公園で呑気にキャッチボールだもん! わざわざグローブとボールまで買ってさ。変なの。」

 

私野球なんてやったこと…と言いながら、有馬はぴょんっと小さく飛び上がるようにしてボールを投げる。ボールはあらぬ方向へ飛んで行ったが、ボールを投げる有馬の姿を拝むことが出来たので問題ない。別に本気で野球の練習をしたいわけじゃないからな。

 

「私みたいな下手っぴじゃなくてもっと上手な人誘えば良かったんじゃない……? ルビーとか…」

「いや、今日は有馬に用があったんだ。」

「用って?」

 

有馬が投げたボールを拾い上げ、今度は俺が投げ返す。

 

「いや、用事があるってわけじゃなくてさ…。ちょっと有馬と二人で話がしたかった。」

「ふーん、二人で。良いわよ。とことん付き合ってあげるわ!」

 

ボールを投げた先を見れば、今度は上手くキャッチできたと有馬が無邪気に笑っている。この笑顔だ。この心の底から感情を爆発させる有馬の屈託のない笑顔に俺は惚れたんだ。

 

「『今ガチ』そろそろ収録大詰め?」

「ああ。」

「一番人気はゆき? でも最近黒川あかねも調子良いみたいだし。実際の所あんたは誰狙いなの?」

「………番組の中だったら、あかね。」

「なんか含みのある言い方ね。」

「分かってるんだろ?」

「…まぁ、あんなこと言われたらね。」

 

会話とシンクロするように俺と有馬の間をボールが行き来する。心も体も緊張がほぐれてコントロールが良くなり、ようやくキャッチボールらしくなってきた。少しだけ距離を広げて遠くなった有馬に、ちょっと強めの球を放る。

 

「番組の最終回は男性陣からの告白で締めくくられるんだ。俺はもちろん、あかねに告白する。」

「流れ的にはそうなるでしょうね。」

 

力強くボールをキャッチする有馬。なかなか様になってきている。グローブからボールを取った有馬は深く踏み込み、また俺へとボールを投げ返す。結構いい球だ。

 

「ビジネスとはいえ告白したらカップルになるのよ。その辺分かってんの?」

「もちろんだ。それまでには俺も心を決めるよ。」

「へぇ、この期に及んでまだ迷ってんの? 学校サボってまで私をデートに誘っておいて。」

 

有馬へとボールを投げ、再び投げ返される鋭い球に驚いた俺は、危うく落としそうになりながらもギリギリで受け止めた。

 

捕球したボールを真上に高く投げ上げる。ボールの行先を見ようと空を見上げればそこには眩しく輝く太陽。その光の強さに目が眩む。光を遮るように手をかざし、試しに太陽に向かって手を伸ばしてみるが、当然ながら届くことはない。

 

太陽の輝きは皆に平等に降り注ぐものだ。決して誰かの手に入ることは無い。

 

見失ったボールはいつの間にか地面に落ち、その音で思考が中断される。ボールを探そうと空から視線を外して再び地面を見れば、目が強い光に慣れたせいか周囲の景色が暗く映る。

 

ようやくボールを見つけ薄暗い視界の中で有馬へ投げ返すが、少し方向を誤ってしまう。

 

「……まぁ、炎上とかあって辛いときに一緒に居てくれたのがあかねだからな。情が移るっていうか、仲良くなるのも当然だろ。」

「フン。弱ってる所に付け込まれて好きになっちゃったとでも言いたいわけ?」

 

体の正面から少し外れたボールへ手を伸ばし、上手く受け止める有馬。すっかりグローブ姿が板についてきた。返ってくる球もどんどん良くなっていく。

 

有馬の投げるボールを再びキャッチする。当たり所が悪かったのか、手にしびれるような痛みが残った。太陽とは違い丁度よく手に収まるボールを、今は何故だか手放すのが惜しい。

 

「…………」

「何、図星?」

 

マジで?って顔でこちらの様子をのぞき込む有馬。困ったことに、大マジだ。正確に言えば弱ってる所に付け込んだのは俺の方なのだが、それを言えば余計にややこしくなるので伏せておく。

 

「見たわよ最新話。あいつ私になりきって番組に出演なんかして。何考えてるんだか。」

 

手の痛みが引いてきた。視線を上げれば仕切り直しだと言わんばかりに俺を見据えてグローブを構える有馬の姿。

 

「俺の理想の女性像を勘違いしたんだと。」

「それで私? まあいいわ。勘違いじゃなくて本当の事にしてあげれば万事OKだと思わない?」

 

やや強めに投げた俺の球を難なくキャッチした有馬が、お返しとばかりに今日一番の鋭い球を披露する。

 

「お、いい球じゃん。」

「そう? えへへ。」

「本当に初心者か?」

「そうよ。アクアとするのが初めて。一番最初。」

 

ずれた帽子を押さえながら微笑む彼女は、雲一つない晴天の下でひときわ明るく輝いて見えた。

 




キャッチボールは会話のメタファーってことで頑張って書いてみましたが、柄にもなく意味深な文章が出来上がりました。

国語のテストに出てきそう。


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ファーストキス

今日で今ガチの収録は終わり。

 

上手く目立てなかったり、炎上で心のバランスを崩して自殺未遂までしたりと、本当にいろいろなことがあった。最近ではアクア君の理想の女性をかなちゃんだと勘違いして、カメラの前で違うって言われたっけ。

 

あれは恥ずかしかったなぁ。

 

次の撮影からは『B小町のアイ』を演じている。こっちが本当のアクア君の理想の女性だ。あれ以来、番組での私の人気は順調に上がり、アクア君とのカップリングがゆきユキに次ぐ番組の目玉となった。

 

いつだったか、アイを演じる私に対しアクア君は、とっても可愛い照れ顔を見せてくれた。頑張ってプロファイリングした甲斐があるというものだ。結局、私の武器は演技だった。

 

ラストシーンの撮影に向け、現場は準備中。演者にとっては移動兼休憩時間だ。アクア君と並んで最後の舞台、レインボーブリッジが見える東京湾沿いの広場を歩く。

 

「いよいよ撮影も終わりだね。寂しいなぁ。アクア君の言う通りのキャラ付けしたら人気も出て……かなり助かったよ。ありがとう。」

「有馬とアイの演技……いや役作りか、まるで夢を、本物を見てるみたいだった。アレってどうやってるんだ?」

「いやそんな大層な物じゃ……。一応プロファイリングの本とか読んだりはしてるんだけどね。いっぱい調べて自分なりに解釈してるだけ。勝手に色々な設定とか足しちゃってるし。」

「勝手な設定?」

「うん。例えば……アイには実は隠し子が居る…とか、かなちゃんには最近お姉ちゃんが出来た…とか。だとしたら色んな感情のラインに整合性が取れるしっ不可解だった数々の行動の理由が分かる。何を考えてどういう人格なのか数式パズルみたいに分かってくる!」

 

ふとアクア君を見れば、なんだか複雑そうな顔をしている。理由は明白。喋りすぎだ。

 

私は役作りの事になるとついテンションが上がって聞かれてもいないことまでペラペラと喋ってしまう。聞いてる人からしたら鬱陶しいだけと分かってるのに、そういう話題になるとついやってしまうのだ。

 

私ってオタクなのかなぁ。うん、どう見てもオタクだよね…。

 

「ははっ、本当に役作りが好きなんだな。なるほど、役者の基本である役作りを徹底した結果ってわけだ。不思議なテクニックとか裏技みたいなものじゃなく、ただ単純に役者としての基礎体力みたいなものが高いんだろうな。」

「そんな…誉め過ぎだよ。役者のスキルって役作りだけじゃないでしょ? アクア君みたいに現場のニーズに合わせて器用に動けるのも凄いと思うよ。」

「まあ、相反するところはあるよな。役に入り込むほどリアルな演技が出来るけど、入り込み過ぎれば周りと合わせにくくなる。要はバランスが大事って事だ。」

「達観してるなぁ…。」

 

どうやらアクア君も相当な演技オタクみたいだ。今まで演技について話すことは無かったけど、こんなに会話が弾むなら初めからもっと演技の話題を振るべきだったかな。番組での私のイメージが演技オタクになるのはちょっとアレだけど。

 

「そういえば復帰初日だけは有馬の演技だったよな。」

「…その話はもう良くない? あの日だけでもう一生分の辱めを受けたと思うんですケド。」

「もしかしてそれ、怒ってるのか?」

 

急にあの日の事を思い出して蘇ってきた羞恥心に顔が赤くなるが、こればっかりは早とちりした私が完全に悪い。せめてもの反抗としてプクーと頬を膨らませ、私怒ってますの意を表明する。

 

「悪い悪い、そうじゃなくて。あの日の有馬の演技、なんかちょっと違うというか……上手く言えないんだが、物足りない感じがした。」

「へぇ、アクア君も分かるんだ。うん、私もそう思ってた。」

 

良く見てるなぁ。私の事も、かなちゃんの事も。

 

「…足りない。どうしても足りないの。輝きが。」

「ああ。全力で輝く有馬の眩しさはあんなものじゃない。」

「随分とかなちゃんに詳しいんだね。」

「そりゃ、同じ事務所のタレントだしな。」

「そしてアクア君の好きな女の子だよね。」

「今それを言うなよ。」

 

気まずそうに話を切るアクア君。少しは仕返しできたかな?

 

こうして話している間に準備は整い、いよいよ撮影は番組のクライマックスシーンだ。レインボーブリッジが見える海沿いの広場の真ん中で、男性キャストが一人ずつ相手を指名し、告白する。

 

私は広場の近くのベンチで座って待機する。ああ、緊張してきた。顔が熱い。胸がドキドキする。

 

アクア君は私を選ぶはず……だよね? だってもうそういう雰囲気になってるし、アクア君との距離はかなり縮まってるはずだし…。いやでもそれはメムさんがそう言っただけで絶対じゃなくて……駄目だ、緊張で上手く頭が働かない。

 

撮影が始まり、トップバッターはノブ君。ゆきちゃんへたった一言「俺と付き合ってください」と言って、赤いバラの花束を差し出す。彼らしい、ストレートな愛情表現だ。しかしゆきちゃんはまさかの交際NG。ノブ君は悔しそうにその場を後にした。

 

次はケンゴ君。相手は……メムさんだ。メムさんの前に跪き、アコースティックギターの音色と共に自らの想いを歌にしてメムさんへ伝える。しかしこちらもNG。可愛らしくごめんねと言うメムさんに背を向け、一目散に走りさっていくケンゴ君には少し同情してしまった。

 

そして、アクア君の番。

 

ベンチに一人座りノブ君とケンゴ君の告白の様子を眺めていた私の所へ、カメラマンやその他のスタッフを引き連れてアクア君がやってくる。

 

さっきから心臓が煩い。アイの演技をしながらなんとか平静を装っているけど、これもどこまで持つだろうか。

 

いつの間にか彼は私の目の前。背後から街頭に照らされ、顔に薄く影が落ちていて表情が良く見えない。対照的に綺麗な金色の髪はキラキラと輝いていてとても綺麗だ。

 

跪き、ベンチで座る私に目線を合わせてアクア君が私の名前を呼ぶ。

 

「あかね。」

「はい。」

 

彼の一言でさらに緊張が高まる。頭の中が真っ白になりそう。

 

大丈夫。たった一言、よろしくお願いしますと言えば良いだけ。何も難しいことは無い。無いはずなのに。

 

アクア君が告白のセリフを口にするまでの数秒間、真っ直ぐに私を見つめる彼の碧い瞳に釘付けになり、周りが見えなくなる。

 

「この番組が終わった後も、ずっと傍で君を守りたい。これから先も俺と一緒に居て欲しい。俺と、付き合ってください。」

「はい。よろしくお願いします。」

 

ああ、言えた!

 

アクア君の告白を受け、私の返事はもちろんOK。これで私たちは番組公認のカップル。初恋がこんな素敵な形で叶うなんて、夢のようだ。

 

はぁ、凄く緊張した。これで良かったよね? 告白されて、OKして。うん大丈夫。

 

ここで、アクア君が予想外の行動に出た。私の前に跪いていた彼が立ち上がる。そして半歩前に踏み出し屈むようにして顔を近づけ、私の顔を覗き込む。何をするんだろうと思う間もなく彼は私の頬に手を添え、そのまま互いの唇を合わせて……キスをした。

 

不意打ちのキスを受け、私の精神は限界を超えた。もはや何も考えられない。唇の感触と、アクア君の綺麗な顔だけがそこにあって、撮影中である事さえ忘れて夢のような時間を過ごす。

 

唇が離れ、目の前には顔を真っ赤にして照れるアクア君。時間にしてほんの数秒だったはずなのに、一瞬にも、数分にも感じた不思議なひと時だった。これが私のファーストキス。一生忘れられない思い出になるだろう。

 

アクア君と二人だけの世界を作り上げ、その中で私はうっとりと彼を見つめる。拍手の音も撮影終了の声も耳に入らない。演技をする余裕などとうに無くしている。

 

ファーストキスの余韻と初恋が叶った喜び。それだけが私の胸を満たしていた。

 



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今ガチ打ち上げパーティー

「『今からガチ恋始めます』全収録終了です! お疲れ様でした~!」

 

今ガチの打ち上げパーティー。こういう場に出てくるのは久しぶりだ。

 

有馬と一緒に今日あまの打ち上げパーティーに出たとき以来か。あの時は場違いにもジャージで出席してしまったせいで鏑木さんに怒られた。しかし、それがきっかけで今ガチへの出演に繋がり、あかねと出会えたのだから人生何があるか分からない。

 

さすがに今日はあの時とは違いジャージ姿ではない。

 

今の俺は一見するとスーツ姿のようにも見えるが、ジャケットの下は白いTシャツ、靴はスニーカーを履いている。スーツ特有のフォーマルな印象は残しつつ堅苦しさが無い、オフィスカジュアルと言うスタイルらしい。

 

今日のためにミヤコさんと一緒に選んだ自慢の一着だ。ミヤコさんは「大人っぽく見えるように」との俺のリクエストにもきっちり応えてくれた。

 

乾杯が終わり顔見知りのスタッフへ一通り挨拶をして回った頃、あかねが話しかけてきた。

 

「アクア君。カッコイイね。」

「ありがとう。あかねも綺麗だよ。」

 

黒のシンプルな長袖のワンピースが、彼女のスタイルと相まって美しいシルエットを作り出している。化粧やアクセサリーの類も控えめで、素材の良さを上手く引き出すコーディネートだ。

 

「今ガチも終わりだね。ちょっと寂しいな。」

「そうだな。いろいろあったが、楽しい現場だった。」

「でも、私たちはこれからも一緒なんだよね?」

「まあな。」

 

我ながらあの告白はよく頑張ったと思う。クールを装っていたが内心は緊張と興奮でどうにかなりそうだった。今思い出しても体が熱くなる。

 

このままあかねと二人でゆっくり話したいところだが、これは今ガチの打ち上げパーティー。当然他のスタッフや演者も居るわけで、いつもの二人が俺たちを放っておくはずがない。俺の想像と寸分違わぬあの忌まわしい笑顔で、ゆきとMEMちょがこちらへにじり寄ってくる。

 

「ねぇねぇお二人さん。」

「早速聞いて良いかな…?」

「最後のキス!」

「本当に付き合うの!? どうなるの!?」

 

そんなの、決まっている。

 

「ああ、付き合うよ。俺は本気だ。」

「キターーーーーー!!」

「ガチ恋!カップル成立おめでとう!」

 

恋愛の話になると相変わらずうるさい。

 

子供のようにはしゃぐ二人を視界から追いやって会場を見渡してみれば、隅の方でのんびりグラスを呷りながらこちらを見つめる鏑木さんが目に入る。

 

丁度いい。彼の所へ逃げればこのうるさい二人も騒げまい。

 

「あかね。ちょっと鏑木さんと話してくるよ。」

「うん。分かった。」

「チッ、逃げやがってぇ。」

「つまんないなー。」

 

空気読めー、逃げんなー、という声が聞こえるが気にしてはいけない。引き留める彼女達をどうにか振りきり、俺は鏑木さんの隣へ移動した。

 

すると隣の俺に向け、鏑木さんが静かに喋り始める。

 

「『今ガチ』評判良いよ。やっぱり君を使った俺の目は間違ってなかったかな?」

「どうでしょうね。結局炎上で注目集めたみたいになってますし。」

「その後のカバーは君と五反田君の手腕て聞いたよ? 大したもんだ。」

「ども。」

 

監督は発案だけであとは俺に丸投げだったけどな。

 

手柄を取られたようで気に食わないが、ここで無理に否定して彼の評価を落とすのもまた気に食わない。監督の分まで素直に称賛を受け取っておいた。

 

「今日はジャージではないんだね。あの時とは見違えたよ。一体どんな心境の変化があったのかな?」

「それを俺の口から言わせますか…。多分、貴方の想像している通りですよ。」

「あかね君かい?」

「はい。あかねの前であんなみすぼらしい格好は出来ません。」

「ははは。恋は人を変える。この言葉の意味、もう分かるよね。あの日有馬君が着飾っていた理由も。」

「ええ、それはもう。」

 

期待していただろうに、有馬には悪いことをした。ジャージ姿でパーティー会場にいるあかねを想像してみれば、あの時の有馬の落胆も理解できる。

 

「そういえばこの前、家族を食事に誘ったそうじゃないか。それも君のおごりで。」

「その節はお世話になりました。ミヤコさんもルビーもとても喜んでくれました。」

「それは良かった。お節介を焼いた甲斐があったというものだ。…じゃあ、おじさんはこの辺で失礼するとしよう。」

 

鏑木さんはあかねを手招きし、呼び寄せた。そのままバーのカウンターへ俺たちを案内し、二人並んで座らせる。

 

「君たちの恋愛はビジネスとしての側面もあるから、気を付けてね。いつでも相談に乗るよ。」

「ありがとうございます。」

 

手際よく俺たちを二人きりにすると、鏑木さんは人ごみの中へ消えていった。

 

先に口を開いたのはあかね。それなりに騒々しい会場だというのに、あかねの声だけがクリアに聞こえる。

 

「あのさアクアくん、これからどうする?」

「どうするって……あぁ、そんな事悩んでたのか。言ったろ、本気だって。」

「それは勿論分かってるんだけど…。だったら、だからね、その……」

 

少し言い淀むあかねだったがやがて覚悟を決めたようで、俺にあの問いを投げかける。

 

「かなちゃんの事は、もういいの?」

「いや別に、お前に告白した時点で…」

「変な気は使わないで良いよ。アクア君はかなちゃんのこと今でも好きなんでしょ? でもかなちゃんはアイドルで、私は恋リアの共演者。どうしても最後まで選べなかったアクア君は私とかなちゃんの立場を考えて私を選んだんだよね?」

「いや…」

「分かるよ。それ位。」

 

鋭い指摘。

 

彼女の言う通りだ。俺は結局最後まで決めきれなかった。だってそうだろう? 好きという感情に優劣などつけようが無い。どっちも好きなんだ。

 

最終的にあかねを選んだのは、今ガチのストーリー上告白するタイミングがあって、付き合ってることが世間にバレてもスキャンダルにならないからだ。方や有馬は現役のアイドル。アイドルに男がいたとバレればファンは間違いなくキレる。最悪の場合母さんのように…。

 

あんなのは二度と御免だ。

 

「確かに俺は、有馬がアイドルで、あかねが今ガチの共演者だからあかねを選んだ。ただ、俺はあかねのことを妥協で選んだわけじゃない。本気で好きだから告白した。これは嘘じゃない。」

「……そっか、ならいいかな。これからよろしくね。…これでゆきたちと私達、2組もカップルが出来ちゃった。」

「えっ?」

「気づいてない? ゆきとノブくん、こないだ付き合い始めたんだよ。」

「マジ? でも撮影の時はふって……」

「テクニカルだよねぇ。でも私はゆきのそういう所が結構好きなんだ。ゆき…マジで人生初カレみたいだよ。」

「……分かんねぇもんだな。」

 

その後も二人だけの世界に籠り、時間いっぱいまであかねと語り合った。

 

パーティーはお開き。ゆきユキコンビにケンゴ、そしてあかねは一足先にタクシーで帰宅だ。家がこの辺にある俺とMEMちょは徒歩での帰宅だが、お姉ちゃんが迎えに来るまではここで待機となる。

 

タクシーを見送るMEMちょは少ししょんぼりした様子だ。

 

「寂しいな。私この現場めちゃくちゃ好きだった。」

「……そっか。」

「でもアクたんは寂しくないかなぁ? あかねの彼氏だもんね~」

「まぁ、そうかもな。」

 

そういえばMEMちょは女性陣で唯一彼氏が出来てない。励ましの言葉でもかけてやった方が良いだろう。

 

「MEMちょにもそのうちいい出会いがきっとあるさ。」

「嫌味かなぁ?」

 

出来るだけ爽やかな笑顔で言ったはずだが反応は芳しくない。乙女心は難しいな。

 

「アクアお疲れー。迎えに来たよー。」

 

待つこと数分。暗い夜道を一人で歩き、お姉ちゃんが迎えに来る。

 

いつも思うが、どう考えても迎えが必要なのはお姉ちゃんの方だ。一旦俺が家まで迎えに行った方が良かったんじゃないか? いや、それではただの帰宅になってしまうか。

 

「MEMちょもいっしょ?」

「ああ、途中までな。」

「そう。元気出してね、MEMちょ。そのうちいい出会いがきっとあるよ。」

 

お姉ちゃんの笑顔も爽やかだった。

 

「全くこの姉弟は…」

「なんで私呆れられてるの?」

「彼氏できなかったから八つ当たりしてんだろ。」

 

もういいよ…とうなだれるMEMちょを先頭に、俺たちは暗い夜道を歩いて進む。別れるのが惜しいのか、時折後ろを振り向いた入りしながらMEMちょはわざとらしくゆっくりと歩く。

 

「そんなに寂しいならさ、ウチくる?」

「ウチって、ルビーちゃん()?」

「家っていうか、事務所っていうか…。ほら、MEMちょ可愛いじゃん? いけると思うんだよねー。」

 

何を言い出すかと思えば、まさかアイドルにスカウトする気か?

 

確かにキャラが立ってて可愛いしアイドルも出来そうではあるが、彼女は人気ユーチューバー。今更売れるかも分からないアイドルユニットに加わってくれるとは思えない。

 

しかしお姉ちゃんは本気らしい。

 

「MEMちょさん。苺プロでアイドルやりませんか? B小町のメンバーになってください。」

「え…嘘…だよね?」

「嘘じゃない。ほんとだよ。」

 

お姉ちゃんの真紅の瞳がキラリと輝く。決して嘘や冗談ではないとその瞳が強く訴えかける。

 

「『B小町』に私が……? あはあ。そんな冗談……」

 

突然のスカウトを冗談だと笑って流そうとするMEMちょだったが、お姉ちゃんの目を見て徐々に笑みが消えていく。

 

胸の前で祈るように手を組み、まるで白馬に乗った王子様でも見るような目でお姉ちゃんを見つめるMEMちょ。

 

「その話、受けさせてください。」

 

B小町3人目のメンバーが決まった瞬間だった。

 



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ファーストステージ編
もう一人のお姉ちゃん


「人気ユーチューバーにしてインフルエンサー『MEM(メム)』。アイドルに興味があったのは意外だったわ。」

 

ここは苺プロの事務所。

 

先日行われた『今ガチ』の打ち上げパーティーでMEMちょがB小町に加入するという話が持ち上がったらしい。なんでも、大きな仕事を終えて寂しそうにしているところにルビーが声を掛けたところ、なんとMEMちょが承諾したという。

 

そして今目の前で行われているのが社長直々の面談と言うわけだ。「B小町のメンバーとして有馬さんも立ち会ってちょうだい」とのことで、私も同席している。

 

タブレット端末を片手に毅然とした態度で椅子に腰かける社長と、緊張した面持ちで向かいに立つMEMちょ。まだメンバーになると確定したわけではない以上、彼女はまだ部外者であり試される側の人間だ。

 

MEMちょの隣にはアクアもいる。今ガチで共演し、彼女の人となりを良く知る参考人枠だ。

 

「先輩はどう思う? MEMちょ結構いいと思うんだけど。」

 

事務所の隅で面談の邪魔をしないよう小声で尋ねてくるのは社長の娘にしてB小町メンバーの一人であるルビー。MEMちょをスカウトした張本人だ。

 

「今のB小町にぴったりの人材ね。ファンも多いしユーチューブで売り出し中の私等にとっては喉から手が出るほど欲しいメンバーよ。」

 

あくまでビジネス視点で正直に答える私。アイドル活動に前向きでない私は新メン加入にも実は否定的だったりするが、このお姉ちゃんに嘘は通用しないので無駄なあがきはしないでおく。

 

面談は粛々と進んでいく。まず社長は大まかな経歴を読み上げ確認する。

 

ユーチューブチャンネル登録者数37万人、ティックトックフォロワー数638k。今のB小町とは比較にならないほどの人気だ。

 

個人事業主であり、世話になっている事務所はあるが所属ではなく、自由に仕事を取ってきてよい契約のためアイドル活動をしても問題はない。

 

この経歴ならいつでもアイドルデビューできただろうに、何故しなかったのだろう。ルビーの誘いを受けたってことはアイドル志望なのは間違いないはずだけど。

 

同じことを思ったのか、社長が尋ねる。

 

「渡りに船って感じだけれど、その顔だと何か言わなければいけない事情がありそうね。」

「………」

「まぁ察しは付くけれどね。」

 

黙り込むMEMちょ。よほど言いづらい理由でもあるのだろう。しかしウチの社長に誤魔化しはきかなかった。

 

「年齢、サバ読んでるのでしょう?」

「分かりますか…」

「ええ。貴方大分骨格からして幼く見えるけど、私の目は誤魔化せないわよ。」

 

なるほど同類。年齢不詳の女はここにもいた。

 

ルビーとアクアの母親と言うからにはそれなりの年齢の筈なのに、20代でも通用しそうな容姿だ。美容には相当なお金と労力をかけているだろう。

 

「ねぇルビー、実際あんたのお母さんていくつなのよ。」

「知らない。でも30後半くらいは行ってると思う。」

 

まぁ、あり得なくはないラインね。

 

年をとってもあんな風に美貌を保つ方法があるのなら後で社長にアドバイスでも貰おうか。私も上手くすればあと20年くらいは綺麗でいられるかもしれない。

 

年齢不詳の社長は特に怒ったり失望したりする様子もなく淡々と面談を続ける。

 

「ふふっ、別に怯えなくて良いわ。個人でやってる子が年齢いくつか若く言うなんてよくある事よ。別に気にしないわ。」

「本当ですか…? 良かったです…」

「で、本当はいくつなの?」

「あの…その…」

 

皆に聞こえるのは恥ずかしいのか、MEMちょは社長に耳打ちする。もにょにょ、ふむふむと内緒話が続くが、ただ年齢を伝えるには長いような。

 

やがて余裕の表情をくずさなかった社長が真顔になり、少し考え込んだ後。

 

「ガッツリ盛ったわね!!」

「申し訳ございませんー!」

「公称18歳ってことは…中々の肝の据わり具合ね…」

「数えないでください!!」

 

一体いくつ盛ったというのか。

 

この後アクアが尋ねると意外にも素直に白状し、25歳という実年齢が明らかになる。

 

「私達より大分お姉ちゃんだね…」

「言っておくけど私だってあんたより年上よ?」

「それはそれ、これはこれだよ。お姉ちゃんは年齢じゃなくて気持ちなの。」

「じゃあMEMちょはどうなるのよ。」

「よくよく考えたらお姉ちゃんじゃないかも。」

 

このお姉ちゃんが感覚でものを言うのは今に始まったことじゃないので、この位では驚かない。慣れたものだ。

 

しかし25歳。なぜ今になってアイドルを志すのか。その答えはMEMちょの家庭環境にあった。

 

子供の頃からアイドルになるのが夢だったMEMちょはオーディションに応募して普通にアイドルを目指していたという。しかし母子家庭で弟も二人いたため家計が苦しく、高校3年の時に頑張りすぎた母親が倒れてしまった。仕方なくMEMちょが高校を休学し働きに出て、弟たちを大学に行かせ母親も元気になった。

 

しかしすべてが片付いた時、MEMちょは23歳になっていたのだ。

 

「この世界、20歳でババア扱いされる世界じゃん? どこのオーディションにも応募要項には『満20歳までの女子』ってあってさ。私が夢を追える環境が整った時には、私は夢を追える年齢じゃなくなってた。」

 

MEMちょが現役JK(笑)の配信者として活動を始めたのもアイドルになる情熱が行き場を失った結果ということのようだ。それが思いの外ウケて辞め時を見失ったまま今に至ると。

 

「先輩。私MEMちょをB小町に入れてあげたい。」

「珍しく意見が合うわね。私もよ。」

 

年齢はともかくインフルエンサーとしての知名度は申し分なく、彼女のファンの何割かでもB小町に引っ張れれば良いスタートを切れるだろう。いまのB小町が取るネットで知名度を稼ぐ戦略に彼女の力は大いに役立つ。

 

そして何より、年齢のせいで夢を追えなくなるなんて悲しすぎる。こんな過去を聞かされては同情するなと言う方が無理だ。

 

事務所の隅で静観していた私だが、居てもたってもいられずMEMちょへと話しかける。

 

「話は聞かせてもらったわ。私も年齢でウダウダ言われた側だから、ちょっとだけ気持ちわかる……」

「先輩…。辛かったよね。よしよし。」

「ちょっとルビーは黙ってて。…子役の事務所も高学年になったらお払い箱でさ……ほんとムカつく…」

 

いつの間にか泣いていた私をなだめるルビー。相変わらず大事な話の最中だろうとお構いなしだ。

 

社長の反応は意外にも悪くなかった。

 

「だから私は反対しないわよ。ルビーは?」

「勿論! MEMちょは絶対に良い人だよ! B小町に入れてあげて!」

 

私以上の熱量でMEMちょを歓迎するルビー。何か思うところがあるようだ。

 

「MEMちょ、夢を諦めてまで弟の為に働きに出るなんてお姉ちゃんの鏡だよ。弟を持つお姉ちゃんとして、あなたの頑張りはたとえ神様が認めなくたって私が認めてあげる。もう十分頑張ったよ。だから私と一緒に夢を追いかけよう。」

 

さすがアクアのお姉ちゃん。着眼点がおかしい。

 

てっきり年齢で夢を諦めたという所に同情しているものと思っていたが、弟を持つお姉ちゃんとしてMEMちょの弟想いな行動に心打たれたようだ。

 

「ルビーちゃん…。うぅ、なんてお姉ちゃん想いな子なの…。」

 

感涙するMEMちょ。どうやら私たちは既に妹認定されているらしい。しれっと自分の事をお姉ちゃんとか言ってるし。

 

さてはルビーと同類だな?

 

「私たちの事は妹と思っていいからね。仲良くしよう。MEMちょ!」

「はぁ、ルビーがこうなったらもう何を言っても無駄かしら。よろしく。MEMちょ。」

「なんだこの子等…あったけぇよぉ…。かなちゃんにルビーちゃん、不束なお姉ちゃんだけど、よろしくねぇ…。」

 

かくして私たちのグループにMEMちょが加入。新生『B小町』は正式なスタートを迎えるのでした。

 




MEMちょ
B小町の長女。
本名不詳(原作通り)。アイドル志望のインフルエンサー。
ルビーの誘いによりB小町に加入した。

星野ルビー
B小町の次女。
弟のために自らの夢を犠牲にして働きに出るというMEMちょのお姉ちゃん力を高く評価している。

有馬かな
B小町の末っ子。
MEMちょのインフルエンサーとしての実力を高く評価するとともに、年齢のせいで夢を追えなくなったという彼女の話に強い共感を覚えた。


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初デート

とある昼休み。

 

お姉ちゃんと寿さんと俺、いつものメンツで机を合わせて飯を食べる。

 

「あーあ、『今ガチ』終わってもうたな~。」

「そうだな。ようやく肩の荷が下りたというか、ホント疲れた。」

「そうやなぁ。炎上とかもあったし、お疲れさん。」

 

いい勉強にはなったが、ダメージも大きい仕事だった。無事に乗り切りはしたもののあの炎上とあかねの自殺未遂は軽くトラウマだ。

 

しかし世間はそういう見方はしていない。これはあくまで恋愛リアリティショーであり、出演者たちの恋愛を見て楽しむコンテンツ。出演するタレントの苦悩などお構いなしだ。

 

炎上の時は寄り添ってくれた寿さんも年頃の女の子な訳で、恋バナにはやはり目が無い。おっとりしていて落ち着いているように見えるが、本質的にはゆきやMEMちょと同じタイプなのだろう。

 

「いやぁ、それにしてもめっちゃドキドキしたわぁ。」

「アクアが出てるんだから当然だね。カッコよかったよアクア。」

「最終回のキスシーンなんてほんまに……。なぁなぁ、弟が番組でキスしてたのどういう気持ちなんー?」

「どういう気持ちって、超複雑以外の感情想像つく?」

「せやろなぁー」

 

どうも恋愛系の話となると俺は蚊帳の外になりがちなのだが、ここまで存在を忘れられているとは思わなかった。キスをした張本人を前にその姉にキスシーンの感想を尋ねるという暴挙。恋は盲目という格言はどうやら当事者以外にも当てはまるらしい。

 

弟の気持ちは想像つかなかったのか? 寿さん。俺は現在進行形で超複雑な気持ちなのだが。

 

「『今ガチ』の話?」

「あっうん」

「フリルちゃん知ってるんだ?」

 

不知火フリルが話しかけてきた。国民的美少女の彼女はいつも忙しく学校に居ないことも多いが、今日は昼からの登校のようだ。

 

有名人の登場に教室中の視線が集まる。

 

「知り合いが出てる訳だし。面白かったよ。イケメン美女だらけでほんと目の保養だった。」

「トップスターもそういう事言うんやなぁ。」

「顔が良い人が嫌いな人なんて居ないでしょ。本当に目に良かった。多分視力0.5位良くなったと思う。」

 

国民的美少女の視力向上の役に立てたなら頑張った甲斐があるというものだ。演者としての立ち回りはそこそこだったが、カメラ映りならあのメンバーの中でもずば抜けて良かった自信がある。次点はMEMちょか。

 

カッコよく映るのも仕事の内だ。

 

「個人的にはMEMちょの乙女ヅラが観たかった。私が男子サイドで出てたら絶対押し倒してた。もっと気合入れてオトせって思ったよね。」

「気合足りなくて悪かったな。」

「ちょっと、私のアクアを虐めないでくれる? いくらフリルちゃんでもそれはダメだからね。」

 

お姉ちゃんは不知火フリル相手でも平常運転。ついでに不知火フリルも本人(俺)の前で男子サイドへのダメだし。二人そろって肝が据わっているというか鈍いというか。もしかしたら似た者同士なのかもしれない。お姉ちゃんも将来大物になるかもな。

 

「そういえばMEMちょだけど、お姉ちゃんがB小町のメンバーにスカウトしてそのまま加入したぞ。もうアイドルになったわけだし乙女ヅラは拝めないだろうな。」

「へぇ、そうなんだ。」

「そうだよ。MEMちょは私達B小町のお姉ちゃんになったの。」

 

教室の空気が変わった。

 

例のごとく、耳を澄ませば背後からひそひそと話し声が聞こえてくる。

 

(お姉ちゃんが増えた…だと…)

(姉妹アイドルならぬアイドル姉妹か)

(ブラコンお姉ちゃんに妹属性も追加とかもう意味わかんねぇな)

(相変わらず面白い姉弟ね)

 

当たり前のように混ざる不知火さん……きっちり楽しんでるな。テレビで見る彼女とは全く違う。本当に面白い人だ。

 

それはそうと、お姉ちゃんの言い回しは独特と言うか、聞く者の興味をそそる。本人が何の気なしに喋っているだけでも陽東高校の皆が話題に困らなくなるくらいに。

 

『B小町のお姉ちゃん』というワード。これは少しフォローが必要だろう。有馬はともかく、MEMちょまで陽東高校の噂になってしまうのは申し訳ない。俺は1ミリも悪くないが、他にやってくれる人も居ないからな。

 

「お姉ちゃん、言い方をもっと考えて欲しいんだけど。」

「なんで? MEMちょがB小町のお姉ちゃん以外の何だって言うの。」

「いやほら、本当にお姉ちゃんな訳じゃないだろ? 年上で頼りになるとかさ、そんな感じで言った方が」

「ミヤコさんもこれで良いって言ってたよ? MEMちょがお姉ちゃんなのはもう公式設定なの。」

「え、公式? てことは有馬も…?」

「うん、末っ子だね。」

 

俺の懸命な努力もむなしく、ざわつき始める教室。MEMちょへの風評被害を抑えるつもりが有馬にまで被害が拡大して……。

 

ここであることに気付く。これを被害と考えるのは早計かもしれない。

 

「お姉ちゃん。一つ確認なんだが、公式設定ってのは本当なのか? お姉ちゃんが勝手に言ってるわけじゃないんだよな?」

「うん。ミヤコさんが言ってたから本当だよ。」

 

これはセーフ。公式設定なら風評被害でもなんでもない。むしろ積極的に広めていくべき情報だ。

 

お姉ちゃん絡みの噂が広まるのは早い。後で聞いた話によれば、昼休みが終わらないうちに有馬本人の耳にまで届いていたそうだ。

 

陽東高校の中で強い発信力を持つお姉ちゃんは、広報活動にも適しているのかもしれない。

 

・・・

 

週末の駅前。俺は改札の傍に立ちながらある人物を待っていた。さすがに混雑がひどく、この中から目当ての人間を見つけるのは難しい。

 

ラインの通知にはもう改札を出たとある。このあたりに居るはずなのだが。

 

「お待たせ。待った?」

「いや、俺も今着いたところだ。」

 

20分前から居たけどな。

 

ぼんやりと行き交う人々を眺めるのをやめて声のする方向に視線を移す。声の主は黒川あかね。俺の初めての彼女だ。

 

夏も近づき蒸し暑い日が増える今日この頃。衣替えの時期も過ぎ、夏らしい格好の人が目立つ。あかねも例にもれず、露出の多い涼しげな格好だ。

 

折り目の無い薄いベージュのスカートは夏らしい長さで、すらっと長い脚が膝上まで露わになっている。上半身は襟も裾もフリフリしているTシャツ?のような、薄手の白い服で…良く分からないがとにかく似合ってて可愛いってことは分かる。

 

髪も少し伸びただろうか。いつものストレートではなくゆるく波打っており、紺色のリボンが髪を後ろでゆるく束ねている。

 

そして言うまでもなく美人だ。周囲の注目を早くも集めてしまっている。

 

「あかね。早く行こう。ここにいると目立つ。」

「そうだね。皆アクア君のカッコよさに目を奪われてる。」

「いや、あかねだろう。今日のあかねもすごく綺麗だ。」

「もう、アクア君…」

 

照れるあかねを小一時間眺めていたい気分だが、この場を離脱する方が先だ。あかねの手を引いて目的のカフェへと早足で向かう。

 

「ふう。このあたりまで来れば大丈夫か。」

 

改札前の空間を抜け、駅の外へ出る。相変わらずチラチラとこちらを横目で見る人が居るが止まらずに歩き去っていく。立ち止まってあかねの事をジロジロ見てくるような奴は居ない。ここまでくればひとまずは大丈夫か。

 

「アクア君。手…」

「嫌だったか?」

「嫌じゃ、ない。」

 

いつの間にかあかねと手を繋いでいることに気付いて動揺するも、持ち前の演技力でごまかす。

 

歩く速度を緩め、ここからがデート本番と気持ちを切り替えた。

 

 

 

目の前には路地の中にひっそりと、しかしセンス良く佇む喫茶店。

 

「ここだな。」

「オシャレなお店。なんだか緊張するね。」

 

店はミヤコさんのチョイスだ。そしてこの店に相応しい服装もまたミヤコさんのアドバイスによる。映画オタクでこういうセンスに乏しい俺は人を頼るしかない。

 

ちなみに俺はミヤコさん、と言うか苺プロ社長にある任務を言い渡されている。インスタとかツイッターとかいうアプリにキラキラな写真をアップせよとのこと。要するにビジネスカップルとして仲良くやってますよという証拠のようなモノを上げろと言う事だ。

 

写真を撮るのは問題ないが、アップするアプリの方はお姉ちゃんに止められてて良く分からない。まぁその辺はあかねにやってもらうとしよう。

 

今の俺たちはどこに出しても恥ずかしくない美男美女のオシャレなカップルだ。シチュエーションも完璧。後はゆっくり二人の時間を楽しんで折を見て写真を撮ればいい。簡単なことだ。

 

「こちらジャンボストロベリーパフェとチョコクレープになります。ごゆっくりどうぞ。」

 

あかねが注文したのは写真でしか見たことが無いような巨大なパフェ。確かに写真写りは良いが、コレ本当に一人用なのだろうか? 小ぶりなホールケーキくらいのボリュームだ。2人前は軽くある。

 

対する俺のクレープはちゃんと一人用だ。あかねが食べきれない分も俺が処理できそうで一安心。

 

「じゃあ、まずはアリバイ作りだね。」

「ああ。そうだな。」

 

さっそく写真撮影か。腕が鳴るな。スマホのカメラとは言えバカには出来ない。撮り方次第ではプロのカメラマンが撮影した宣材写真に劣らぬクオリティが…

 

「ほらアクア君撮るよ。笑って。」

「おいおい、そんな適当に撮るなよ。」

 

おもむろにスマホを構え、インカメで撮影しようとするあかねを慌てて止める。何を考えているんだ。まだ構図も決まっていないというのに。

 

「ちょっと待て。パフェの位置はここだ。光源がこっちにあるから…撮影は俺の側からやるか? いや、あくまであかねのアカウントだからあかねの自撮りでないと駄目だな。よし、席を入れ替えて……」

 

撮影が終わったのは5分後。何とかパフェが溶け始める前に写真に収めることが出来た。出来は上々。あくまで俺とあかねをメインに据えつつ、画面端に映る巨大な苺のパフェがアクセントとなり色を添えている。

 

しかし写真の出来栄えと反比例するようにあかねの表情は晴れない。

 

「アクア君がこういうの好きなのは知ってるけど、もうちょっと恋人らしくして欲しいかな。」

「そ、そうか。」

 

恋人らしく。

 

そういえば恋人って何をすれば良いのだろう。好きな人と一緒に居たいという気持ちに従って、暇を見つけて一緒に行動さえすればあとはなるようになる気もするが。写真撮影に関しては付き合わせた俺が悪いかな。

 

これは仕事なので大目に見て欲しい。

 

「悪い悪い。ちょっと仕事モードに入ってた。」

「もう。」

 

プクーと頬を膨らませるおなじみの感情表現。怒ってはいるけど本気じゃないやつだ。

 

「じゃああかね。どうすれば恋人らしくなるんだ?」

「えっとね………どうすれば良いんだろう?」

 

恋愛ごっこは早くも詰みか。

 

「あかねが言い出したんだろ。なんかないのか?」

「そんな事言われても、いきなりは出てこないよ。」

「まぁ、写真は撮れたし後は俺たちのやりたいようにすればいいんじゃないか? こうすれば恋人なんて定義はないんだし。」

「そんな適当でいいの? もうちょっと真面目に考えてよ。」

「いや真面目に考えるのが既にデートっぽくないっていうか。」

「なにそれ。」

 

ふと気づく。これが痴話喧嘩というやつでは。

 

かなり目立ってしまっているようで、周囲を見渡してみれば俺たちをちらちらと眺めるオシャレな大人たちが沢山。揃いも揃ってブラックコーヒーを注文している。

 

「俺はあかねと一緒に居れれば楽しいぞ。あかねはそれだけじゃ嫌か?」

「嫌じゃない。」

「じゃあ、それで良いだろ。」

「うーん、そういうものかな…。」

 

やっぱり難しく考える必要はない。あかねと一緒に居ればそれだけで立派なカップルだ。

 

「さ、パフェを食おうぜ。早くしないと溶けるぞ。」

「そうだね。」

 

そこからのあかねは凄まじかった。あれだけ巨大なパフェがみるみるうちに小さく削られてゆき、あかねの胃袋に収まってしまったのだ。

 

女子はスイーツを無限に食べれるという噂はどうやら本当らしい。

 

腹一杯に甘味を詰め込み、満足した様子のあかね。背もたれに体を預け、身体も表情もふにゃふにゃと緩ませている。何度だって見たくなる彼女の気の抜けた姿。これこそ写真に収めておきたいが、あかねに怒られそうなので自重した。

 

しばらく店でゆっくりした後、駅まで一緒に歩いて帰る。もうお別れかと思うと名残惜しいが、この気持ちがきっと次のデートまでの生活に色を付けてくれるのだろう。

 

「また来ような。」

「うん。」

 

もう一度会う約束をして、俺たちは別々の帰路についた。

 




昼休みの様子を書いたらボリューム足りない感じだったのでアクあかのデートを突っ込んでみました。

2本立てです。


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新生B小町

「「登録者1万人!」」

 

ノートパソコンを覗き込みながらルビーとMEMちょが歓声を上げる。私達B小町のユーチューブチャンネルはMEMちょ加入によって凄くソレっぼい動画を作れるようになっていた。

 

「まぁ私のチャンネルからも導線つくったし、このくらいはいって貰わなきゃ困るよね~」

…どや顔で自身の功績を語るのはB小町の長女、MEMちょ。

 

「なんか……公式って感じ!」

…目を輝かせて動画に食い入り、アホみたいな感想を漏らしているのがB小町の次女、ルビー。

 

「公式以外のなんだって言うの」

…そしてルビーに冷静な突っ込みを入れる理知的な美少女がB小町の末っ子、有馬かなこと私だ。

 

実の姉妹ではない。アイドルグループとして各々の立ち位置を明確にした方が今後の仕事もやりやすいだろうとMEMちょとルビーの提案でこのような設定が加えられた。

 

つまりはキャラ付けである。

 

丁度今ノートパソコンで流しているのがMEMちょ主導で作成された最初の動画。私たちの自己紹介だ。お揃いのもこもこパジャマ姿で、仲良くソファーに並んでお喋りに花を咲かせる3姉妹という設定だ。

 

今でこそ落ち着いて状況を受け入れている私だが、この設定案が出されたときは驚いた。

 

あれはMEMちょの加入が決まり、B小町メンバーと社長が集まる最初のミーティング。MEMちょを交えて腰を据えた話し合いをするのはこれが最初だった。

 

弟を持つ姉でありアイドルオタクであるルビーとMEMちょが意気投合するのは自然の成り行き。あっという間に打ち解けてアイドルへの愛や今後の展望を凄まじい熱量で語り合う。その勢いには社長も気圧されるほどだった。

 

「ルビーちゃん、昔のB小町にも詳しいんだねぇ。」

「当然だよ! 映像は全部チェックしてるしダンスも全部踊れるんだから。世界中探したって私以上のB小町ファンはいないって断言できるね。」

「なにおぅ。B小町への愛なら私だって負けてないんだけどぉ?」

「あなたたち落ち着いて。これは真面目なミーティングなのよ。」

 

出だしは確かこんな感じ。社長が上手く場を収め、これまでのB小町の活動、つまりユーチューブの動画をMEMちょに確認してもらうことになった。

 

ぴえヨンブートダンスの動画に始まり、苺プロ所属のユーチューブチャンネルにいくつか出演、そして簡単な自己紹介動画。ざっと10本くらいだったか。ところどころ端折りながら1時間程度で見終わった。

 

「悪くない戦略だと思いますよ。事務所のバックアップで著名チャンネルとのコラボが最短ルートなのは間違いないと思います。後は動画の質と量ですけど、そこは私に任せてください。二人を貸してくれればいくらでも動画作りますんで!」

 

一通り動画を確認したMEMちょは自信満々に答えた。さすが人気ユーチューバー。彼女に任せておけばその方面は問題ないだろう。

 

「でもキャラが薄いかなぁ。インパクトが足りないっていうか、覚えが悪いというか…。正直、生で見る二人の方がよっぽど個性的に見えるねぇ。」

「それもそうね。正直なところ、どういう方向性で売り出していくかは決まってなかったのよ。メンバーもいなかったし。」

「なるほどそういう事ですか。でもこれから本格的に登録者数増やそうと思ったらキャラ付けは必須ですよ?」

 

社長とMEMちょの主導で話は進み、私たちのキャラ付けをどうするかという問題にぶち当たる。

 

ここで声を上げたのがルビーだ。薄々そんな気はしていた。彼女は嘘を嫌う。見る人をだましてファンを増やそうだなんてやり方を認めるはずがない。

 

ところが事態は思わぬ方向へと動いていく。

 

「嘘は嫌だ。」

 

瞳に強い意志を宿し、ルビーが言う。

 

「じゃあどうするって言うのさ。キャラ付けなしでこのまま続けたって大して再生数も登録者数も増えないよ?」

 

当然の反応だ。MEMちょも大人。如何にルビーの存在感があろうと筋の通らない話はきっぱり断るだけの判断力を持っている。

 

しかしここでルビーの会心の一撃が炸裂した。

 

「キャラはもうすでにあるよ。私はお姉ちゃんだから。」

 

嘘ではない。キャラも立つ。そんな無理難題を解決する案が存在したのだ。何を隠そうこの女は陽東高校名物ブラコンお姉ちゃん。最初から強烈なキャラクターを持っているならそれをそのまま使えばいい。

 

しかしこのままでは片手落ちだ。そこを目ざとく見抜いた私が反論する。

 

「お姉ちゃんとしてキャラが立ってるのは認めるわ。でもそれは弟のアクアが居てこその話でしょ。姉一人だけ出張ってきてお姉ちゃんですって言ったところで何にもならないわよ。」

「何言ってるの先輩。妹がいるから何の問題もないよ?」

「えっ」

「なるほどねぇ! その手があったよぉ!」

「ええっ!?」

 

華麗なカウンター。ついでにMEMちょがルビー側に付いた。

 

それはつまり、私が妹役をやるという事。それはあんたの嫌いな嘘じゃないのかと反論しようとするが、よくよく考えればルビーと私の関係性はある意味姉妹と言えなくもない。つい最近だって黒川あかねの演技を見て泣く私をルビーが……。

 

もはや反論の余地は無かった。

 

そこから先はとんとん拍子に話が進み。

 

「じゃあ、長女がMEMちょで次女が私、そして末っ子が先輩ね!」

「いいねぇソレ! リアルでもそんな感じだしやりやすいよぉ。」

「決まりね。貴方たちは姉妹という設定で行きましょう。まずは自己紹介動画の撮影かしらね。」

「早速出番ですか! 色々決めないとですね!」

「可愛いお部屋でパジャマでお喋りとかどう?」

「うんうん悪くない。それ採用!」

「立ち位置どうする? やっぱりお姉ちゃんから順に並んだ方が良いかな?」

「いんやぁ、末っ子が真ん中ってパターンもありだよねぇ。」

「そうか。それもありかも。MEMちょの家ではどうしてたの?」

「一番下の子が真ん中だよ。」

「じゃあウチもそうしよう!」

 

気づけば動画を撮影する準備が整い、あれよあれよという間に私達3姉妹(あくまで設定)の自己紹介動画が世に公開されることとなったのだ。

 

あのときのスピード感と言ったら。

 

そして今目の前で再生されているのがその動画。投稿されてからチャンネルの登録者数が1万人を超えるのに1週間もかからなかった。

 

その数字の出どころを考えれば、B小町のチャンネルを見てくれている人のほとんどはMEMちょのファンということになる。私とルビーはさしずめMEMちょとその仲間たち、いや妹分と言ったところか。

 

「さっすがMEMちょ、いや、MEMお姉ちゃん! 一気に登録者数増えたね!」

「まだまだ安心するのは早いよぉ。この1万人は私のファン。このチャンネルもまだMEMちょのサブチャンネルみたいな扱いだからね。ここから君たちがどれだけ自分のファンを増やせるかが勝負になる。まぁお姉ちゃんも負けてあげる気はないけどね。」

「お姉ちゃん凄い……」

「私のファンだって多少は居るでしょ。これでも元天才子役よ?」

「まぁまぁ先輩。そんなに怒らないで。先輩がすごいのはお姉ちゃんも良く分かってるから。」

 

3姉妹の真ん中は難しいポジションだろうに、姉と妹両方にとんでもなく高い適性を持つルビーにはさして問題にならないらしい。普段はかなり子供っぽい性格をしているくせに、時折見せるお姉ちゃんの姿が違和感ではなく適度なギャップになっている。

 

長女のMEMちょも様になっている。精神的にも肉体的にも最年長。B小町への貢献度も現状は断トツのトップ。社長とのビジネス的なやり取りも彼女が中心となるだろう。まさに頼れるお姉ちゃんだ。

 

そして末っ子の私。悔しいけど見た目も中身も一番子供。実年齢ならルビーより上だが妹キャラがあまりにはまり役過ぎる。

 

こうして私達B小町はメンバーも揃い、グループとしての方向性が定まった。チャンネル登録者数も増え、私たちの魅力をアピールする下地も出来た。アイドルグループとしてスタートラインに立ったと言って良い。これから新生B小町の活動も本格的に忙しくなっていくのだろう。

 

正直、あまり自信はないけれど。

 



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MEMちょ

「登録者一万人!」

 

無邪気に喜ぶルビーと、それを少し冷めた感じで眺めるかなちゃん。ルビーと一緒にはしゃぐ私だが、表に出さないだけで心の内は様々な思いが渦巻いていた。

 

―――本当に可愛いくて良い子達。

 

25歳にもなってみっともなくアイドルの夢に縋る私をこんなに暖かく迎え入れてくれた。誘ってくれたルビーにも、受け入れてくれたかなちゃんや社長にも、どんなに感謝してもしきれない。これが頑張らずにいられるだろうか。

 

かつてないスピードで自己紹介動画の準備・撮影・編集・投稿をやりきったのもすべては皆に恩返しをするためだ。喜んでもらえてこっちも嬉しかった。

 

『まぁお姉ちゃんも負けてあげる気はないけどね。』

 

これは半分本当で半分嘘。

 

負けてあげる気はさらさら無いけど、やはり年齢には抗えない。こんな落ち目のお姉ちゃんに負けてるようでは群雄割拠のアイドル業界では到底戦えない。

 

私を倒す気でかかってきなさい。残りの半分はそんな意味を込めている。

 

これから旬を迎える彼女たちと違い、私の賞味期限はもう長くない。一瞬でもアイドルとして輝く瞬間が訪れてくれれば万々歳だ。

 

B小町の皆への感謝、最年長と言う立場、そして残り少ない賞味期限。これだけの状況が揃って燃えるなと言う方が無理だ。普通にアイドルをやるだけじゃ足りない。全力でB小町をやり遂げたい。アイドルとしてだけじゃなく、ありとあらゆる方向から。

 

「社長。B小町のメンバーとしての活動だけじゃなく、裏方の仕事もやりたいんですが。あの二人と違って学校も無いですし。」

「良いの? あなたのチャンネルの運営だってあるのでしょう?」

「構いません。アイドルになるのが私の夢ですから。生活のために私のチャンネルは続けますけど、メインはこっちのつもりです。」

「覚悟は決まってるみたいね。じゃあお願いしようかしら。」

 

決死の覚悟だった。

 

自身のチャンネルの更新頻度を下げ、B小町チャンネルの動画を投稿する時間を作った。

 

大事に育ててきたチャンネルの再生数や登録者数は分かりやすく減っていく。自分の身を削るような感覚。ユーチューバーMEMちょという存在が薄れ、埋もれていく。

 

それでも一向に構わない。アイドルの夢の代替として始めた配信活動だが、真の夢が叶った今となっては2番目の仕事でしかない。

 

とにかく今は、B小町。夢のためならなんだってやってやる。

 

たった一本の自己紹介動画に一喜一憂する可愛い妹たち。この子等のためならいくらでも頑張ってやろうじゃないか。

 

「先輩のパジャマ姿も可愛いね。」

「上手く撮れてるわね。テロップとかもちゃんと入ってて見やすいし。」

「ふっふっふー。私にかかればこんなもんよ。」

 

事務所に集まり、自己紹介動画の再生数やチャンネルの登録者数をチェックして喜ぶ二人。出だしは順調。チャンネルの登録者数が1万人を超え、動画のクオリティーも私が作れば及第点レベルはコンスタントに出せる。

 

じゃあ次は。

 

「まだ自己紹介動画とかしかアップしてないし、出来れば早めにPVとか上げたいけど。楽曲回りって今どうなってるの?」

「社長が知り合いのアーティストにお願いしてるみたい。楽曲出来るまでは何にも出来ないでしょ。まだまだ先の話。のんびり構えましょ。」

 

焦る私に対し、やる気の見えないかなちゃん。

 

良く分かるインターネットウミウシとか言う訳の分からない本を読みながらのんびり構えると言って憚らない。ここでキレなかった私は褒められていいと思う。

 

本を取り上げ、至極あたりまえの事実を言って聞かせる。不和を生まないように、努めて穏やかな口調と表情で。

 

「そうはいかないよ。私たちは『B小町』なの忘れた? 『B小町』には『B小町』の曲があるでしょ?」

「あ! そっか。昔の曲を使っても何の問題も無いんだ!」

「そう!」

「MEMちょ天才!」

「ちっ、気づいたか……」

 

かなの舌打ちにはさすがにカチンときてしまった。

 

ルビーは本気で気づいてなかったようだが、かなちゃんは気づいてて言わなかったようだ。先ほどの態度も合わせて考えるに、どうもかなちゃんはアイドル活動に前向きではないらしい。

 

「ねぇかなちゃん。ちっ、て何さ。私が真剣な話をしてるっていうのにどうしてそんな態度取るかなぁ?」

「別に。大した意味はないわよ。」

 

少し強めに圧をかけるも、手ごたえはない。

 

ふてくされる末っ子。なんとか気持ちを入れ替えて貰いたいが、どう説得したものか。加入して間もない年増女からの説教など、聞いては貰えまい。それどころか喧嘩の種になりかねない。

 

グループ内の不和を恐れて動けない私。代わりに動いたのは次女、ルビーだった。

 

「先輩。役者に未練があるのは分かるよ。でも今はアイドルなんだからさ、前を向いて行こうよ。」

「フン、別にそういう訳じゃないわよ。契約した以上私は苺プロのアイドル。プロのタレントとしてそこはわきまえてるわ。」

 

拒絶にも聞こえるかなの強気な返事。しかしルビーにはその裏の意味が読み取れているようで。

 

「はぁ、全く世話の焼ける子。」

 

ルビーの雰囲気が変わった。ついさっきまでの無邪気な女の子ではない。かなちゃんに語り掛けるルビーからは、駄々をこねる妹に正論を優しく諭す年の離れた姉のような印象を受ける。

 

「分かるよ。先輩は皆に、お母さんに褒めて欲しいんだよね? でも、演技には自信があるけど歌と踊りには自信が無い。アイドルじゃ皆に見てもらえない。そんな風に考えてるんじゃない?」

「……っ! 何よ、分かったようなこと言って。」

「図星? やっぱりそうなんだ。大丈夫。先輩はアイドルだってきっとやれるよ。」

「勝手なこと言わないで! 無理なものは無理! 私には演技の才能しかないのよ!」

 

激高し、かなが立ち上がる。肩を震わせ、手は強く握られている。

 

演技、いや、芸能全般か。それを誰かに認められることに対してただならぬ執着があるようだ。そして得意なのは演技であり、アイドルではない、と。

 

私やルビーとは根本的にモチベーションの出どころが違う。

 

「先輩。」

 

ルビーがかなを優しく抱きしめる。

 

条件反射的にかなの険しい顔がゆるみ、目じりには涙がたまってくる。肉体的にも精神的にも包み込まれ、ルビーお姉ちゃんのなすがままになっている。

 

ゆっくりとかなをソファーに座らせ、ルビーもすぐ隣に腰を下ろす。肩を抱きながら頭を撫でる様子はまるで姉妹や親子の様だ。ずっと昔からそうしてきたかのように動作に淀みがない。

 

「頑張ろうよ。先輩がアイドルになればきっと皆に見てもらえるよ。」

「でも…。私アイドルやれるほど可愛くないし…。」

「そんなことない。先輩は可愛いよ。それにお話だってすごく上手。後は自信だけだよ。」

 

アイドルオタの私から見てもかなはアイドル向きだ。オタ受けど真ん中のロリ系の容姿にキレのあるトーク。そして何より、あの眩しいくらいに明るい笑顔。それらを自覚した上でビジネスライクにアイドルの道を選んだのかと思っていた。

 

しかしその予想は全くの見当外れらしい。意外と感情で物事を決めるタイプのようだ。

 

なでなですること数十秒。

 

「もう大丈夫。取り乱して悪かったわ。」

「よしよし。」

 

ひとまず落ち着いたみたい。

 

ルビーがもの欲しそうな目でこちらを見るので、なんとなくグーサインを出す。ぱぁっと明るく笑ったので多分正解だ。よくできました……ってことで良いのかな?

 

気を取り直して。

 

冷静になったかなちゃんに向き直り、今度こそ私の気持ちを伝える。

 

「かなちゃんが不安なのは分かったよ。でも私には時間が無いの。焦る気持ちも分かって欲しいな。」

「うん…。ごめんなさい。」

「一秒でも早くデビューしたいし、何より憧れのB小町を半端なアイドルグループにしたくない。やるなら全力でやりたいんだぁ。ねぇかなちゃん。私に力を貸してくれない?」

「MEMちょ……。わかった。やれるだけのことはやるわ。これでもプロだから。」

「にゃはは。その意気だよ。」

 

かなちゃんもやる気になってくれて良かった。後はこの湿っぽい空気を何とかして、万事解決ってとこかな。

 

「今からでもやれる事は一杯ある! チンタラやってたらあっという間にアラサーだから!」

「自虐ぅ~」

 

身を切るジョークにルビーの突っ込み。

 

「ふふっ」

 

かなちゃんもお気に召したようだ。全力の笑顔には程遠いけど、笑ってくれた。

 

さぁ、仕切り直し。一秒だって無駄には出来ない。

 

「アイドルのお仕事その1! アイドルの華であり最もシンドい部分! ダンスのフリ入れ始めるよ!」

 

頑張らずにはいられない。

 

あの日捨てたはずの夢は、間違いなく今ここにあるのだから。

 




interlude①を読んでからMEMちょ加入シーンを見返すとめっちゃ面白いです。

25歳で人気ユーチューバーから弱小事務所の地下アイドルに転向って、人生棒に振る覚悟を決めてないと出来ないですよね。
原作ではいつもへらへらしてるMEMちょですが内心はめっちゃ燃えてるはずと思った次第。


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フリ入れ

「アクア。B小町のダンスの練習が本格的に始まるのだけど、明日はあなたも付いていってくれないかしら。練習風景の撮影とか色々お願いしたいの。」

 

MEMちょが加入し、正式なスタートを迎えたB小町。そのダンスの練習に俺も同行することになった。

 

今ガチの撮影も終わり、他の仕事もほとんど無い。部活動もしていない俺は当面の間、週末は完全フリーだ。しばらくはB小町のサポート業務に打ち込むことになるだろう。

 

「もしもしお姉ちゃん。こっちはもうスタジオに着いたぞ。」

「うん。分かった。こっちもすぐ着くよ。」

 

肩から下げている大きなバッグを床に下ろす。中にはビデオカメラとノートパソコン。そしてB小町のダンスレッスンのDVDが沢山。結構な重量だ。

 

スタジオに到着するころには夏の日差しと荷物の重さで汗だくになっていた。

 

お姉ちゃん達が来る前に準備を済ませなくては。カメラと三脚を取り出して設置、そしてノートパソコンでDVDが再生できることを確認する。更衣室やシャワールームなど諸々の位置も確認。よしOK。

 

「裏方ってのも大変なんだな……」

 

B小町メンバー受け入れの体制を整え、床にへたり込む俺。火照った体に強めの冷房で冷たくなった床が心地良い。キンキンに冷えてやがる。

 

お姉ちゃん達はそれから5分もしないうちに到着した。

 

「更衣室はあっちだ。準備が出来たら教えてくれ。ミヤコさんに動画取ってくれって言われてるから3人揃ったら一旦カメラ位置の調整するぞ。」

「分かったよぉ。アクたんありがとねぇ。」

 

練習が始まってからは大してやることも無い。お姉ちゃんのキレのあるダンスを眺めて時間が過ぎるのを待つ。なんとなく振りの間違いを指摘してみたり、冷房の温度を調整したり、やることと言えばそのくらいだ。

 

やはりダンスはお姉ちゃんが一番上手い。振りが完全に頭に入っているため動きに迷いが無く、思い切り踊れている。B小町の曲を踊るだけで自然と楽しそうな表情になり、今の段階でもう十分に魅力的だ。

 

MEMちょも振りは完璧だ。お姉ちゃんのような華やかさはないが、彼女には愛嬌がある。計算されつくしたぶりっ子ムーブがダンスにもそのまま生きている。

 

対照的なのは有馬だ。ゼロから振りを覚えなければならない彼女は、どうしても動きがぎこちなくなる。初見であれだけ踊れるのは凄いが、B小町の熱狂的ファンが相手では分が悪い。

 

自分にはダンスなんて無理!などと言って拗ねたりしなければいいのだが。

 

「よーしじゃあ次はお待ちかね。サインはBだよぉ!」

「待ってました!」

「ちょっとタイム! そんな一気にやられても覚えられないわよ!」

 

やっぱりこうなるか。

 

振り入れと言うよりはドルオタ二人がB小町のダンスを楽しく踊っているだけで、有馬は完全に蚊帳の外だった。お姉ちゃん達の暴走に末っ子が反発するのも当然といえる。

 

しかしここにいるのはお姉ちゃんとMEMちょだ。彼女達はどうしようもなく姉であり、末っ子有馬へのフォローは怠らない。

 

お姉ちゃんが謝り、有馬がそれを受け入れる。続いてMEMちょが軽い冗談で場の空気を明るいものに変え、一歩引いた目線からの的確な指示で全体をリードしていく。完璧なコンビネーションだった。

 

「かなちゃんは初めてだもんね。いきなり沢山は覚えられない。分かるよね、ルビー?」

「うん。初めての振り入れで張り切りすぎちゃった。」

「というワケで、既存のB小町の曲に関しては私たちがかなちゃんに教える形で行こう。」

「分かった!」

「お手本はルビー。指示出しは私。かなちゃん、いける?」

「余裕に決まってるでしょ。演技で鍛えた体力舐めんじゃないわよ!」

 

最終的に仲直り出来るなら、多少の喧嘩や諍いはあった方が良いのかもしれない。仲たがいを恐れるあまり本心を隠してストレスをため込むよりはよほど良い。

 

そういう意味では彼女たちの人間関係はかなり理想的に思える。お互いに遠慮がなく、言いたい事は素直に言える。それで意見が食い違ってもルビーお姉ちゃんとMEMお姉ちゃんが大人の対応で解決できる。隙が無い。

 

二人の姉が末っ子にダンスを教えるというスタイルに変更してから、有馬の動きはどんどん良くなっていった。今日の目標である『サインはB』は、一度も振りを間違えることなく通しで踊れるまでになっている。

 

さすがにステージに立つレベルには遠く及ばないものの、高校の文化祭くらいならこれで通用するだろう。たった数時間でここまで仕上げて来るとは、大したものだ。

 

「凄いじゃん先輩! もう『サインはB』の振り覚えちゃったよ!」

「覚えるのは得意よ。子役時代に台本を覚えまくったおかげね。」

「いい感じだねぇ。最低10曲くらいはいつでも披露できるように準備しておきたいけど、この調子なら問題ないかな。かなちゃんも疲れたでしょ? 二人とも休憩にしようか。」

「「はーい」」

 

MEMがこちらへ合図を送る。スタジオの隅で眺めていた俺はクーラーバッグからペットボトルとゼリー飲料を3つ取り出し、彼女達へと手渡す。

 

「どう? 私にかかればダンスの振り入れ程度どうってことないのよ。」

「さすが先輩。その意気だよ。まだいける?」

「何時間でも行けるわ。遠慮しなくて良いわよ。」

「これが若さかぁ……」

 

和気あいあい。休憩中も仲良くお喋りに花を咲かせるお姉ちゃん達を眺める。

 

ここまで個性的で相性の良い3人が揃ったのは奇跡と言っていい。一番星とその引き立て役に分裂してしまった昔のB小町とは違い、三者三様、誰がセンターになってもおかしくない魅力を持っている。

 

その後も末っ子有馬へのレッスンは続き、姉二人の上手な教え方と有馬の驚異的な集中力によってたった半日で3曲の振りをほとんどマスターしたのだった。

 

初日でこれとは、末恐ろしい。

 

・・・

 

久しぶりに訪れるぴえヨンさんの自宅。お姉ちゃんと有馬がぴえヨンとコラボした映像を編集した時以来か。

 

あれは今でも良く覚えている。

 

1時間に渡るぴえヨンブートダンスで限界まで体力を使い、上気した顔のお姉ちゃんと有馬。乱れた呼吸音は漏らさずマイクが拾い上げ、滴る汗の一滴まで高性能カメラにより鮮明に記録された、素晴らしい映像だった。

 

家の中でも被り物を外さないぴえヨンさんには呆れたものの、渡された動画ファイルを見ればそんなことはどうでもよくなった。

 

依頼されたのは字幕の追加。

 

あの素材を渡されてしまったら編集にも気合が入るに決まっている。ピクセル単位、フレーム単位の微調整を幾度となく繰り返し、最高の映像を目指して全力で作り上げた。

 

「おー! 気合入ってて良いねぇ! またお願いして良い!?」

「こちらこそお願いします。色々教えてください。」

 

こうして苺プロの稼ぎ頭ぴえヨンさんと個人的にも親しくなったのだ。

 

今日ぴえヨン宅にお邪魔したのは、とあるお願いをするためだ。

 

社長がメール一通出せば事足りる要件ではあるが、かなり面倒なお願いであり俺がぴえヨンさんを尊敬していることもあって、こうして面と向かって話をする機会を設けたのだ。

 

相変わらず顔は見えてないけど。

 

「ぴえヨンさん。折り入って頼みがあります。」

「ほう。わざわざボクの家まで出向いてくれるなんて、一体どんなお願いをしに来たのかな?」

「B小町の初ライブが決まりました。来月行われるジャパンアイドルフェスに出場します。」

「JIFかい!? それも初ライブで? それはまた凄いことになったね。」

「ええ、とんでもなく大きな初舞台です。これは絶対に成功させたい。」

「なるほどね。それでボクか。」

 

ジャパンアイドルフェス。通称JIF。普通のグループが何年も必死に活動してようやく立てるかどうかという大舞台。本来ならば殆ど何の実績もない今のB小町が参加できるようなステージではない。

 

しかし芸能界はコネの世界だ。

 

今日あまで有馬が、今ガチではMEMがお世話になっている鏑木さんがJIFへのキャスティング権を持っていた。新生B小町に興味を持ったらしい彼は、その絶大な権力を駆使してJIFへとねじ込んでくれたのだ。

 

鏑木さん曰くB小町は有望な投資対象。将来的に金のなる木に育つと踏んで、今のうちに唾を付けておこうというわけだ。

 

この事実を知るのはミヤコさんと俺だけ。そして今ぴえヨンもそこに加わった。

 

「へえ、鏑木さんていうプロデューサーは凄いねぇ。ライブをしたことも無いアイドルをいきなりJIFに出すなんて。あの子たちによほど期待してると見える。」

「お姉ちゃんですから。それくらいは当然ですよ。鏑木さんは見る目があります。」

「キミ、相変わらずルビーちゃんの事になると凄いね……。」

 

何が凄いものか。当然のことを言ったまでだ。

 

「とにかく、お姉ちゃん達はあと1か月でJIFで披露するパフォーマンスを完成させる必要があります。そのためにはプロの指導がどうしても必要なんです。お願いします。ぴえヨンさん。元プロダンサーのぴえヨンさんの力を貸して下さい。」

「分かった。引き受けるよ。ボクも彼女達には可能性を感じてるし、何より気に入ってるからね。」

「ありがとうございます!」

「こっちのスケジュールの調整とかもあるから、折り返し連絡するよ。彼女たちは1か月間自由にスケジュールを組めると思って良いんだよね?」

「ええ。学校以外は何もないですよ。B小町チャンネルに投稿する動画はJIFに向けた特訓のドキュメンタリー動画にする予定ですし。」

「なるほどね。了解。これは腕が鳴るなぁ。」

 

どうやらぴえヨンさんはかなりやる気のようだ。

 

元プロダンサーであり肉体改造のプロが本気で指導するとなれば、生半可な内容ではないだろう。目標の大きさ、いや無謀さか。それも相まって過酷な1か月になる事は想像に難くない。

 

「これが彼女たちの最初のダンスレッスンの動画です。」

「うん。確認しておくよ。」

「では、俺はこれで失礼します。」

「わざわざ来てくれてありがとう。ボクも誠意を見せなきゃね。じゃあまた。」

 

こうして俺は、来月開催されるJIFへの特訓に向けて、ぴえヨンさんの協力を取り付けることに成功した。

 

これ以上の適任は居ないと言って良い。1か月と言う短い時間がネックだが、そこはガッツでカバーするしかない。まぁ彼女たちのことだ。どんなに辛くてもきっとやり遂げるだろう。

 

一か月後が待ち遠しい。

 



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ぴえヨン参戦

ここはとあるダンススタジオの前。

 

そこに佇むのは異様な存在感を放つひよこの覆面をしたゴリマッチョ。

 

変質者………ではない。苺プロの稼ぎ頭のぴえヨンだ。そして隣に立つのが私。苺プロ社長の斎藤ミヤコ。二人の向かいにはビデオカメラを構えるカメラマンと数人のスタッフ。これからぴえヨンチャンネルの撮影だ。

 

何故社長の私がぴえヨンの動画に出演しているのかと言うと。

 

「ピヨピヨピヨ~~ぴえヨンチャンネルぅうぅ!!

ハイ今回はネ! またしてもしがらみ案件です!

皆覚えてるかな? 以前ぴえヨンブートダンスでシバいてあげたアイドル、B小町とのコラボです!

ハイ、今回も社長に負けました。

というわけで今回はドッキリ企画!

B小町の皆に初ライブがJIFって言ったらどんな反応するの?ドッキリィィイィ!!!!」

 

彼の言う通り、B小町のメンバーにJIFへの参加を伝えるのが目的だ。

 

しかし弱小事務所のアイドルグループの初ライブがJIFとは中々にセンセーショナルだ。これは動画にしないともったいないとぴえヨンからの提案があり、レッスン中のメンバーへドッキリで告知しようという流れになった。

 

「どうも、苺プロ社長の斎藤ミヤコです。」

「いやぁ、相変わらずお美しいですネ。」

「ふふ、そんなこと言ってもギャラの取り分の比率は変えてあげないわよ?」

「キビシー!」

 

今でこそ社長業をしている私だが、タレントとして人前に出る仕事もそれなりに経験してきた。カメラを向けられてシナリオ通りのトークをするなど余裕も余裕だ。並みのタレントより上手く喋れる自信がある。

 

「さて、B小町の皆は今このダンススタジオでレッスンの最中です。」

「現場の星野アクア君にビデオ通話がつながってるヨ! さっそく中の様子を見せてもらおう!」

 

ここでアクアの登場。彼には時々ダンスレッスンのサポートをお願いしているので、現場でドッキリ前のターゲットの様子を視察する役回りをお願いしてある。

 

「現場の星野アクアです。映像見えてるでしょうか。」

「見えてるわ。」

「見ての通り、彼女たちはダンスの練習中です。お姉ちゃん二人が末っ子の有馬さんにダンスを教えてあげているようですね。」

「ウン。微笑ましい光景だネ。さぁ、ここからどんなリアクションを見せてくれるのか、今から楽しみだよ。アクア君。休憩のタイミングになったらまた連絡をお願いネ。」

「了解しました。」

 

ダンスの練習がひと段落するまで待機。カメラを止め、ぴえヨンと共にスタジオの待合室でアクアからの連絡を待つ。

 

「この企画といい彼女たちへの指導といい、本当に良く引き受けてくれましたね。」

「社長の頼みなんだから否も応もないですよ。ははは。」

 

事務所の社長には逆らえないと言うぴえヨンだが、ウチの稼ぎ頭である彼はその気になれば私の要求など突っぱねることも出来たはずだ。一言「移籍しますよ?」と言われればこちらは引き下がるしかない。

 

彼がB小町の指導を引き受けたのも、こうして企画を持ってきてくれるのも、彼の好意によるものだ。つくづく苺プロは良いタレントに恵まれたと思う。

 

それはB小町についても同じことが言える。

 

3人とも並みのアイドルグループならエース級の容姿。たかが弱小芸能事務所が揃えられるメンバーでは決してない。例えるなら、大手の人気アイドルグループから上位2名を引っこ抜いて、そこにアイを加えたような布陣。

 

そして初ライブがあのJIFに決まったのだ。こんな奇跡は芸能界のどこを探しても他に無いだろう。

 

アイドルグループをやってとせがむルビーに語った言葉の数々を思い返す。

 

『あんな奇跡は二度と起きない』

『宝くじに当たったようなもの』

『現実はあんなにとんとん拍子にいかない』

 

またアイドルグループを立ち上げたい。いつかあのドームをサイリウムで染め上げたい。でも、無理なものは無理。そう自分を納得させるための言葉でもあった。

 

それがどうだろう。奇跡のような確率でレベルの高いメンバーが揃い、とんとん拍子にJIFという大舞台への参加が決まってしまった。これに期待するなと言う方が無理というものだ。

 

「社長。アクア君から連絡が。」

「行きましょうか。」

 

彼女たちはどんな反応をするだろうか。

 

扉を開け、一気にスタジオになだれ込むスタッフ。遅れてぴえヨンと私もスタジオに入る。

 

「ピヨピヨピヨ~~ぴえヨンチャンネルぅうぅ!!

ただのダンスレッスンだと思った!? 違うヨ!!

今日はドッキリ! 社長からの超!重大発表があるんだ!」

 

驚く暇を与えず、ぴえヨンの良く響くアヒル声が場を支配する。3人娘は呆然とぴえヨンと私を見つめることしか出来ない。

 

さすがぴえヨン。入りは完璧ね。

 

「それでは社長ォ! お願いします!」

 

さあ、メインイベントとなるJIF参加の告知。だがいきなり全ては明かさない。2段階で告知を行い、2度驚いてもらう作戦だ。

 

「皆、よく聞いて。この度………B小町の初ライブの日程が決定しました!」

「やったー!」

「よっしゃぁ来たあぁぁあ!」

 

満面の笑みを浮かべて飛び跳ねて喜ぶルビー。気合の入った雄叫びを上げるMEMちょ。まだJIFの事は伝えていないというのにこの喜びよう。この後が楽しみだ。

 

有馬さんは……固まってるわね。いよいよアイドルとしての活動が近づいてきて不安を感じてるのかしら。

 

すかさずMEMちょがフォローに入る。

 

「どしたのかなちゃん? 喜びなよ。やっとデビュー出来るんだよ?」

「ええ、まあ喜ばしい知らせなのは間違いないのだけど……」

「不安なんだね?」

「…ええ。まだ振りだって覚えきれてないしね。でも大丈夫。何とかするわ。」

 

舞台はJIFで、本番は1か月後と聞いても強がっていられるかしら? この後の展開がなんとなく読めるわね。

 

一方で、ルビーの興奮は未だに収まらない。

 

「ミヤコさん! いつなの!? いつステージに立てるの!?」

「まぁまぁ。そう慌てないで。」

「ああもう早く教えて!」

「ちょっと待ってって。」

「ああーヤバい! 早くも緊張してきたかもー!」

 

収集が付かなくなりそうなので一旦仕切り直し。

 

「社長命令。皆一旦落ち着いてそこに座りなさい。」

「ハイ。」

 

社長としての威厳を最大限に発揮し、小娘たちを横一列に並んで座らせる。ちょっと圧が強すぎたのか、指示していないのに全員正座だ。

 

とりあえず場は整ったので、いよいよ初ライブの舞台がJIFであることを明かす。

 

「さて、具体的な場所と日程だけど、むしろこっちが重大発表のメインだったりするわね。存分に驚くと良いわ。………あなた達には、ジャパンアイドルフェスに出てもらいます。」

 

今度は全員が固まった。

 

辛うじて意識を取り戻し、最初に発言したのはMEMちょ。

 

「マジですか。」

「ええ、大マジよ。」

 

そして彼女はまた固まった。いや、よく見ると涙を流している。困惑していた表情も次第に崩れ、そのままわんわんと泣き出した。

 

「あ゛り゛か゛と゛う゛こ゛さ゛い゛ま゛す゛ー。」

「良かったねMEMちょ。」

「泣くほどなのね。」

「私…JIFみたいな大きなステージにB小町が立てるようになるのは何年も先かなって思っててぇ……。その時にはもう引退してるんだろうなって…。でもやっぱり憧れがあってぇ……どうしても出たくてぇ……」

「MEMちょ…よしよし。」

「これ夢じゃないよね……現実なんだよね………」

「どうやらホントの事みたいね。」

 

胸に秘めていた思いを吐き出すMEMちょ。ルビーと有馬さんがその背中を優しくさする。メンバー愛あふれる実に美しい光景だ。初めての大舞台にかける思いの大きさを伝えると同時に、B小町のメンバー間の仲の良さもアピールできる。

 

経営者の悲しい性か、こんな時でも冷静に動画の取れ高を気にしてしまう。

 

号泣するMEMちょとは対照的に、有馬さんは冷静だ。

 

「社長。JIFって確か来月ですよね?」

「ええ。そうね。」

「うあああ……。」

 

ゼロから振り入れを行う彼女には酷な日程だろう。間に合う……いや間に合わせる算段はあるのだが、それを知らない彼女が頭を抱えるのも無理はない。

 

スタッフたちにそろそろ終わらせてとアイコンタクトで指示を出し、B小町の姿をバックにぴえヨンが締めのトークを開始する。

 

「というワケで! B小町の皆に初ライブがJIFになったと告知したわけですが! いやぁ良い反応でしたネ! 社長!」

「ええ。明確な目標が出来たことだし、レッスンにも気合が入るでしょう。」

「ここで少しだけ次回予告。次回のぴえヨンチャンネルはー……B小町の皆とダンスの特訓です!」

「頼むわよぴえヨン。この子達を思い切りしごいてあげて頂戴。」

「分かりました、全力でしごきます。以上ぴえヨンチャンネルでした! チャンネル登録と高評価も忘れずに! ではまた。」

 

打ち合わせ通り、次回予告でぴえヨンが彼女たちのコーチとなることを明かす。エンディングの映像には3度目の驚きに顔を見合わせる3姉妹の姿がバッチリ映っているはずだ。

 

さて、JIFまで1か月。どこまで仕上げられるかしら。

 




「25歳だけどアイドルグループ入って良いよ」
からの
「最初のステージはジャパンアイドルフェスだよ」
これはどう考えても泣く。

次回はセンター争いです。


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B小町のセンター

嵐のようなドッキリをかましてくれたぴえヨン御一行が撤収し、ダンススタジオには先輩とMEMちょ、そして私の3人が残される。

 

あれは中々に衝撃的だった。

 

ぴえヨンとミヤコさんによるドッキリで明かされたのは、ジャパンアイドルフェスへの参加。初ライブの開催が決まるだけでも嬉しいのに、まさかのJIFだ。あまりの急展開に頭の処理が追い付かない。

 

先輩は早すぎる日程と大きすぎる初舞台に頭を抱え、夢が叶ったMEMちょは大号泣。MEMちょの感動っぷりには私までうるっときてしまった。

 

あれだけアイドルが好きで、アイドルに憧れていたのだ。家の都合で諦めた夢がやっぱり叶うとなれば泣きもするだろう。

 

そして撮影の終わり際にぴえヨンによるダンスの特訓があるとさらっと明かされた。JIFという特大の爆弾を何とか処理して気が抜けたところを狙った一撃。

 

さすがぴえヨン、見事な構成だったね。

 

既に撮影は終わり、スタジオには私達B小町メンバーだけが残っている。

 

「じゃあそろそろアレを決めないとだね。」

「アレだね!」

 

MEMちょの提案に即座に反応する私。確かにアレは重要だ。JIFへの参加が決まり、これからパフォーマンスの練習も本格化するとなれば、もうこれ以上先送りには出来ない。

 

「何の話?」

 

何のことだか分かってない子が一人。そんなの決まってるでしょうに。

 

「そりゃあ当然、B小町センターを誰にするかに決まってるでしょ。」

「それってそんなに大事? 別に誰でも良くない?」

「「大事だから!」」

 

MEMちょとハモッた。

 

先輩にはきちんと教えてあげなきゃだね。これからアイドルとしてデビューしようとする妹がこんなことも知らないのでは先が思いやられる。

 

「いい?先輩。センターって言うのはアイドルの花形なの。歌って踊れて可愛い子が立つグループの顔なんだよ。」

「そうそう。一番大切なポジションなんだから。」

「仲いいわねアンタ達。で…やりたい人はいるの?」

 

そりゃあ、やりたいに決まってるけど……。自分で言い出すのも恥ずかしい。MEMちょも同じようで、やりたくなさそうな言葉とは裏腹に、センターが良いと顔にはっきり書いてある。

 

私の方が踊りが上手いだのメディア慣れしてるのはこっちだのと色々言い争った結果、やはりセンターの資格は歌だという結論にたどり着いた。先輩が歌は苦手と発言したのが決め手だ。ああ、なんて浅ましいお姉ちゃん達。

 

審査基準はカラオケの点数。これが高い方がセンターということで話がまとまった。そしていざカラオケに行くというその時。

 

「私はパス。私をセンターなんかにしたらこのグループ人気でなくなるわよ?」

「そんなことないって。やるだけやってみたら?」

「エビデンスが十分すぎるくらいあるのよ。」

 

先輩が拗ね始めた。信じがたいことに、センターはやりたくないというのだ。

 

聞いても居ないのに次から次へと自分を卑下する言葉が飛び出してくる。良くもまぁここまで卑屈になれるなといっそ感心するほどの自虐っぷりだった。

 

何をやっても人気が出ない。私に客は付いてない。口も悪い。ひねくれている。……私にあるのは子役時代の名声だけ。

 

先輩の言いたいことは大体こんな感じ。

 

どんよりと曇った顔でソファーに膝を抱えて座る先輩。お姉ちゃん待ちだよね? どう考えても。

 

MEMちょにアイコンタクト。「オッケー私から行くよぉ」と目線だけで返事が返ってくる。ああ頼もしい。持つべきものはお姉ちゃんだ。

 

先輩のすぐ横に移動するMEMちょ。自己紹介の時と同じく、先輩の右側に腰を下ろす。

 

「かなちゃん。なんか嫌なことでもあった? お姉ちゃん話聞くよ?」

「別に何もないわよ。」

「そう。なら聞かないけどさ。かなちゃんが悲しい顔してるとお姉ちゃんも悲しくなっちゃうなぁ。」

 

ここでMEMちょの目配せ。わかった次は私の番ね。

 

MEMちょとは逆サイドに座る私が入れ替わりで先輩に声を掛ける。

 

「先輩。私から見た先輩は凄い人だよ? 演技もお喋りも上手だし、努力家だし、ダンスだってどんどん上手になってる。」

「そんなことない。実績を見れば簡単に分かるわよ。私には何の才能も無いの。」

「私ね、それは違うと思うの。アクアが言ってた。子役としてのイメージが付くと役者として正しく評価されなくなるって。」

「……」

「だからね、アイドルは役者じゃないから子役のイメージとかもないし、うまく行くんじゃない?」

 

ここでMEMちょが割って入る。

 

「かなちゃん。一回さ、芸歴をリセットしたと思ってみない? 私には子役時代の活躍がかなちゃんにとってプレッシャーになってるように見えるんだぁ。日本中がかなちゃんを見てた子役時代と比べたら何をやっても見劣りしちゃうじゃん? だからさ、もう一度最初からやるの。どんな小さな仕事でも喜んで引き受けて、ファンが一人出来ただけで大喜びするの。これなら頑張れるんじゃない?」

 

さすが一番上のお姉ちゃん、言い方が凄く上手だ。先輩の心にもきっと響いているはず。MEMちょへと視線を送り「次は私が」「オッケー」高速のアイコンタクトを交わす。

 

「それでも…怖いものは怖いのよ…!」

「結局は失敗して独りぼっちになるのが怖いんだよね。でも先輩。今はB小町なんだから、役者の頃とは違うと思わない?」

「何が違うって言うの? B小町は失敗はしないなんて言わせないわよ。」

「あはは。拗らせてるなぁ。」

「質問に答えて。」

「B小町にはお姉ちゃんが居るでしょ? 先輩は一人じゃないの。それでもまだ怖い?」

 

先輩がここまで失敗を恐れるようになった根本原因は、やっぱり孤独だ。

 

失敗すれば人が離れる。成功しなければ価値が無い。子供の頃の経験によってそういう理屈を強烈に刷り込まれてしまっている。

 

この子には何があっても傍に居てくれる人が必要なんだ。失敗しても、有名にならなくても、お金にならなくても、どんな時も傍にいてくれる人が。

 

それってつまり、お姉ちゃんのことだよね。

 

「ねぇ先輩。もしB小町が思いっきり大失敗したら、先輩は私を見捨てる?」

「そんなわけない。」

「じゃあ私やMEMちょが先輩を見捨てると思う?」

「……思わない。」

「もう一回聞くよ、先輩。まだ失敗するのが怖い?」

「ちょっとだけ……怖くなくなった、かも。」

 

素直じゃないなぁ。顔が綻んでるよ、先輩。

 

「ああーもう。相変わらず私ってチョロいわね。良いわ。カラオケ勝負でも何でもやってやるわよ。負けても知らないんだからね!」

「うんうん。その意気だよ先輩。」

「じゃあ、今日は早めに上がってこのままカラオケに行っちゃいますか!」

 

先輩の機嫌も無事直り、3人でカラオケ勝負へと向かう。

 

・・・

 

長女MEMちょ 57点!

次女ルビー 43点!

末っ子かな 97点!!!

 

まさかのダブルスコアでの敗北を喫することになった。

 

これで下手って言うの自分に厳しすぎない? 

 

ここまで上手くなっても自分は卑下する気持ちが拭えないとなると、これは上手い下手の問題じゃない感じだ。どんなに上手くなったところで先輩は自分を認めることは無いだろう。

 

拒食症と一緒だ。どんなに痩せても痩せてると思えない病気。アイドルには時々いるけど、あれ凄く危ないんだよね。ミヤコさんに無理なダイエットだけはするなと口を酸っぱくして言われたっけなぁ。

 

つまり先輩は拒食症ならぬ、拒…自分を認める…症? なんだそれ。

 

43点でセンターを狙う私のような肝の据わったお姉ちゃんだっているんだから、もっと大らかな心を持って欲しいものだよ。

 

「先輩。」

「あーその先は言わなくて良いわよ。大体分かるから。とりあえずセンターは私ってことになるわね。」

 

先輩はマイクを持ったまま、綺麗な声を部屋に響かせて説教する。

 

「アイドル志望の奴等がここまで歌ヒドいとは思ってなかった。カオの良さにかまけてのうのうと生きてきたのが歌から感じ取れる。」

「辛辣ぅー」

 

のうのうと生きてきたつもりは無いけど。アクアのお世話、大変だったんだよ? 歌の練習はまぁ、してなかったケド。

 

芸能活動一筋の先輩から見たら、お姉ちゃん力なんていう訳の分からないものは評価対象外なんだろう。舐められるわけだ。

 

それにしても、先輩の歌は上手かった。過去に出した先輩の持ち歌は当然として、ダンスの練習で聞いただけの『サインはB』も、完璧に歌い上げた。ここまで歌えるアイドルも中々居ないんじゃないかな。

 

MEMちょもウンウンと唸っている。そしてひらめいた。

 

「私、かなちゃんのファン1号になって良い?」

「あーずるい! 1号は私だよ!」

「いやぁここは長女の私が最初じゃない?」

「MEMちょがこのグループに入る前から先輩のファンだし! MEMちょは2号!」

「いいや一番最初にファンになる宣言をしたのは私ですぅー。」

「関係ないもんね! 気持ちの問題だから! 心の中ではファン1号って思ってたから!」

 

小学生のような幼稚な言い争い。お姉ちゃん二人は末っ子の魅力にメロメロだ。ああみっともない。

 

しかし先輩に呆れられると思ったのも束の間、ふと視界に入った先輩の表情がどんどん明るくなっていくのを私は見逃さなかった。私たちの遠慮のない言い争いは思いがけず先輩の心に響いたらしい。

 

信頼するお姉ちゃん二人が、心の底から歌が上手いと認めてくれている。先輩の目にはそう映ったのだろう。わずかに残っていた不安や恐怖が、みるみるうちに消えていくのが分かった。

 

目には自信が宿り、かつて一世を風靡したあの圧倒的な輝きが戻ってくる。

 

「………フン、やっと私の魅力に気付いたみたいね! 二人とも私のファンにしてあげるわ! 感謝しなさい!」

 

……こんなにすごかったんだ。

 

これが有馬かな本来の笑顔。実物はテレビ画面で見るより100倍は眩しい。

 

―――どう? 私凄いでしょ?

 

そんな声が聞こえてきそう。

 

「おぉおおぉかなちゃん! 我々のセンター様!」

「先輩優しー! ありがとー!」

「ホントアンタ達は私が居ないと駄目ね! せいぜい私が引き立つように頑張りなさいよね!」

 

マイクを手に憎まれ口を叩く先輩は、目も眩むような飛び切りの眩しい笑顔だった。

 




ということでセンターは重曹。ノリノリです。


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ぴえヨンブートキャンプ

JIFまで約1か月。

 

B小町のセンターは私に決まった。ルビーはオンチ、MEMちょはヘタウマと、揃いも揃ってセンター志望の奴は歌がダメだったからだ。全く情けない。

 

専門的なボイストレーニングを積んだ私と同じレベルは求めないが、せめてもう少しまともなレベルであって欲しかった。

 

「おはようございます。」

「おはよう。先輩。」

 

土曜の朝。いつものように事務所へとやって来た私をルビーが迎える。

 

「いよいよ特訓だね。」

「そうね。もう残り1か月もないし、かなり追い込まないと間に合わないでしょうね。」

「大丈夫だよ。先輩歌上手かったし。」

「でもダンスはまだまだよ。」

「そこはぴえヨンが何とかしてくれるよ。」

 

本番に向けていよいよ本格的にパフォーマンスを仕上げていかなければならない。そんな折、なんと私たちはぴえヨン直々の特訓を受けることになった。彼と個人的に親しいアクアがぴえヨン宅まで赴いて直談判したらしい。

 

そして今日がその特訓の初日。

 

私に続いてMEMちょも到着。事務所と同じ建物に住んでいる社長とアクアもすでにスタンバイしている。B小町の関係者が勢揃いだ。

 

「ヤァ」

 

ぴえヨン登場。

 

初めて遭遇した時とは違い、ジャージを着ている。筋肉を布で隠すだけでもかなり威圧感が減っており幾分目に優しい。ジャージが小さくてパッツパツに張り詰めてなければもっと良かったけど。

 

筋肉はぴえヨンのアイデンティティだし、完全に隠すわけにもいかないか。

 

招集をかけたメンバーが全員揃った事を確認し、社長が説明を始める。

 

「皆。すでに知っていると思うけど、ジャパンアイドルフェスまでの間ぴえヨンがあなた達を徹底的に鍛えてくれることになったわ。こう見えて元プロダンサーでアイドルの振付師の仕事もしていたことがあるから、腕は確かよ。これからは基本的にぴえヨンの指示で動いてもらいます。ちゃんと言うこと聞くのよ。分かった?」

「「「はい!」」」

「じゃあ、さっそくボクから特訓のプランを説明させてもらうね。」

 

ぴえヨンの言う特訓プランはかなり本格的だった。

 

まず、MEMちょと私は本番までずっと苺プロに泊まり込み。ルビーも交えて3人で共同生活を送ることになる。起床から就寝まで、学校以外のすべての時間はぴえヨンが作ったスケジュール通りに行動しなければならない。

 

食事もぴえヨン監修だ。カロリー計算もバッチリな肉体改造用の食事メニューを用意してくれた。事務所、というか社長宅で生活するということは、私たちのご飯を用意するのは社長ということ。

 

アクアはカメラマン兼マネージャーだ。JIFに向けた特訓はドキュメンタリーとしてB小町チャンネルへと投稿されることになっている。まさに苺プロ総出の特訓計画である。

 

普段の業務に加えて食事も担当する社長の負担が大きいように思えたが、意外とそうでもないらしい。

 

「まあ、この手の料理はいつも作ってるから慣れてるわ。この年でこのスタイル維持をするのも楽じゃないのよ。」

「ええーミヤコさんだけずるい! 私もそういうご飯食べたい!」

「何言ってるのよ……。いつも一緒に食べてるでしょう?」

「え、いつものご飯がそうなの? 意外と普通なんだね。」

 

言われてみれば、この美魔女がボディメイクに詳しくないわけが無かった。ルビーと自分の身体を交互に見つめ、その肉体の成長格差を今一度確認する。ルビーの発育が良いのもその食事のおかげって事かしらね。

 

大方の説明が終わり、ぴえヨンの指示の下いよいよ今日の練習メニューに入る。

 

「さて、長々と話してきたけど難しく考えることは無いよ。キミ達はボクの言う通りに練習して、社長のご飯をちゃんと食べてくれればそれでオーケー。じゃあ早速始めようか!」

 

子供でも分かる楽しくて簡単な説明。私やMEMちょは勿論、ルビーも飽きることなく最後まで聞いていた。以前コラボした時も思ったけれど、人を飽きさせずに話を聞かせることに関しては超一流だ。

 

これからのレッスンも、それはそれは和やかで充実したものとなるだろう。ぴえヨン様様である。

 

出来れば、このままの雰囲気で行って欲しかった。

 

運動着に着替えて事務所の外に集合。

「へっ?」

 

急に地声で話始めるぴえヨンにあっけに取られ、変な声がでる。

 

何ぼさっとしてるの。ほら早く。

「「「はい!」」」

 

ほんの数秒前まで人畜無害そうなムキムキのひよこだった男は、たった一言で誰も逆らう事の出来ないスパルタ鬼コーチへと変身した。このガタイの男が遠慮なしの地声で喋ったのだ。当然のように怖い。

 

彼の全身から発せられる身が竦むような強烈な威圧感は、まさしく体育会系のそれだ。この威圧感とゴリゴリの筋肉の前では、どんな聞き分けの悪い馬鹿でも素直に言うことを聞くことだろう。

 

あの丸太のように太い腕で絞められたら、呼吸が止まるどころか首の骨が複雑骨折するんじゃないか。隣のルビーとMEMちょもぴえヨンの豹変ぶりに震えあがっている。

 

実に原始的かつ確実なやり方。

 

ああこの人、本気だわ。マジのガチで私たちを鍛えに来てる。

 

ぴえヨンに言われるまま、スポーツウェアと運動靴を着用し事務所を出る。言われるまでもなく綺麗に整列。姿勢を正して微動だにしない。まるで軍隊だ。

 

一体何をやらされるのだろう。

 

「さて、まずは走り込みだ。残された期間でどこまで伸ばせるか分からないが、体力は基本中の基本だから徹底的にやるよ。アクア君が自転車で先導するから、彼に付いていきなさい。」

「「「はい!」」」

 

ぴえヨンの圧にはビビったけど、案外普通のトレーニングね。それもそうか。ぴえヨンが怖いのは単純に強そうだからであって、私達を絞め殺すつもりなんて無いんだ。

 

私達はただ真面目に特訓をこなせばいいだけ。

 

それに、私は普段から走り込みを欠かさない。ぴえヨンが本気なのは間違いないが、姉二人のペースに合わせるならそう辛くなることは無いだろう。

 

体力には自信がある。

 

なんなら余裕を見せつけてお姉ちゃん二人から尊敬の眼差しを向けられて……などと浅はかな事を考えていたが、現実はそう甘くない。

 

「ああ、言い忘れてたけど有馬さんは僕とマンツーマンでダンスの特訓だよ。今から社長の車でスタジオに行くから。」

「……」

「返事は?」

「あっ、ハイ」

 

本気のぴえヨンとマンツーマンの特訓。

 

別にいじめや贔屓などではない。あくまで合理的に考えられた練習メニューだ。

 

体力はあるがダンスの振りに難がある私は、走り込みよりダンスレッスンをするべきという当然の結論。そしてダンスレッスンはぴえヨンにしか務まらない。それだけの事。

 

初日の、それも練習開始前だというのに、私の心は早くも折れそうになっていた。

 

「ぴえヨンさん。ウチの妹をよろしくお願いします。」

「かなちゃん。生きて帰ってきてね。」

 

あからさまにホッとした表情で私をぴえヨンに差し出すルビーとMEMちょ。

 

後で覚えてなさいよ。

 

 

 

………ちなみに、ぴえヨンのダンスレッスンは素晴らしいの一言だった。

 

お手本は完璧だけど感覚派のルビーや、説明は上手いけどダンスはそこそこなMEMちょとは違い、ダンスの腕前も説明のうまさも一級品。

 

言葉では伝えるのが難しい感覚的な動きも簡単な動きから徐々に難易度を上げる的確な指導によって確実に体に叩き込んでくれる。

 

圧倒的な安定感。

 

この男についていけば間違いない。そう思わせるだけの実績と実力、そして存在感を兼ね備えていた。

 

ぴえヨン、本当にビジュアル以外は完璧な男ね。

 




ぴえヨン
元プロダンサーで現覆面筋トレ系ユーチューバー。
ガタイ良さと良く通る地声を巧みに使い一瞬でB小町メンバーとの上下関係を作り上げた。

斎藤ミヤコ
料理担当。
若々しい肉体を維持するために食事にも気を使っているため、料理の腕と栄養の知識はプロ級。ルビーとアクアはミヤコと共に普段からかなり良いものを食っている。




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深まる絆

「今日もお疲れさま。そろそろ有馬さんのダンスも仕上がって来たから、二手に分かれての練習は今日で終わり。明日からは全体練習をメインに進めていくよ。じゃあ、解散!」

「「「はい!」」」

 

地獄のトレーニングを終え、今日の練習はこれで終わり。私とルビーの『姉チーム』は体力と歌唱力に難ありとのことで、ダンス練習に打ち込むかなちゃんとは別に、発声練習と体力づくりを基本とした練習メニューを組まれていた。

 

私の今の生活は大体こんな感じ。

 

朝起きたらマネージャーのアクたんにボトルを手渡される。中に入っているのは紫色の液体。アミノ酸とかビタミンとか、なんか色々入っているらしい。

 

アクたんが早起きして、数種類の謎の粉を水に溶いて作っているものだ。ちなみにぴえヨンは溶かす前の粉をそのまま口に放り込んで水で流し込んでいた。

 

彼は化け物か何かなのだろうか?

 

謎の液体を飲んだら柔軟体操を30分。かなちゃんは普段から体づくりをきっちりやっているらしく、慣れた様子だった。一方最年長で運動不足の私は一番体が硬いので

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛痛い痛い痛い!」

 

毎日こんな感じで拷問を受けることになる。2週間で大分柔らかくなったとはいえ、まだまだ理想には程遠いのが現状だ。

 

そして朝食。

 

社長が腕によりをかけて作った料理が振舞われる。得体の知れない粉を溶いた飲み物と違い、こちらは普通に美味しい。5人で座るには少し手狭な食卓を囲み、本物の姉妹のように仲良く食べる。

 

朝食が終われば高校生たちは学校へ行き、私は一旦自宅へ戻ってお仕事だ。筋肉痛で痛む体に鞭打って、ガラガラの声で配信をこなす。

 

夕方になるとかなちゃんがぴえヨンに強制連行され、残った姉二人は筋トレと発声練習。姉チーム担当のアクアが仕事モードで容赦なく追い込んでくる。水分補給で渡されるのはやっぱりあの紫色の液体。

 

練習中に限らず、事務所にいる間の飲み物は基本的にコレだ。体内の水が入れ替わるのに1か月程度かかると言われるから、JIF本番になる頃には私の身体はこの得体の知れない紫色の液体で満たされることになる。

 

……私もぴえヨンみたいな筋肉の化け物になったりして。

 

その日の練習が全て終わると今度はプロテインと謎の錠剤をいくつか。ここで解散となりぴえヨンは帰宅する。

 

そのあとすぐに皆で夕食。この時点で大体夜の8時だ。次の朝も早いのでお風呂に入って宿題の柔軟体操を少しやって早々に寝る。

 

そんな感じの生活を続けて大体2週間が経っていた。

 

「あー今日もきつかった。MEMちょ大丈夫?」

「あんまり大丈夫じゃないけどどうにか乗り切ったよぉ。」

「無茶しないでね。怪我とかしたらシャレにならないよ。」

 

ルビーの心配はぴえヨンにはお見通しの様で、マネージャーのアクたんが毅然とした態度で説明する。

 

「そこはぴえヨンさんの絶妙なさじ加減でコントロールしてるから大丈夫だ。本番直前に怪我とかさせたら一大事だからな。食事についてもカロリー収支と栄養バランスは完璧だ。安心してくれ。」

「左様ですか……」

 

今や私たちは完全にぴえヨンの手のひらの上だ。

 

「そっちは大分大変そうね。体力づくりは日ごろの積み重ねがものを言うのよ。サボって来た罰ね。」

「返す言葉もございません……」

 

ぴえヨン曰くダンスが仕上がってきたというかなちゃん。大分余裕のある様子。

 

「ダンスはどうなの? ぴえヨンは仕上がって来たって言ってたけど。」

「振りはとっくに完璧よ。後は歌いながらどこまでキレのある動きが出来るかってとこね。今のレベルでもステージには立てるでしょうけど、細かい部分はまだまだ修正する余地があるわ。」

「さすが先輩。もうそんなところまで行ってたんだ。」

「舐めんじゃないわよ。明日からの全体練習でびっくりさせてやるわ。」

「望むところだよ!」

 

あっちは順調のようだ。特訓初日、ぴえヨンに一人連れていかれるかなちゃんを見たときはまるで生贄のようだと思ったものだが、マンツーマンのレッスンによってダンスの方はかなり上達したらしい。

 

あのかなちゃんがステージに立てるレベルと評しているのだ。淡々と語っているが、恐らく並みのクオリティではないだろう。

 

翌日、学校から帰って来た高校生組とダンススタジオで合流し、全体練習を行った。

 

かなちゃんのダンスは見違えるほどに上達していた。はっきり言って、すでに私より数段上手い。ぴえヨンをして仕上がっていると言わしめたあのルビーと並んで踊っても、ほとんど見劣りしないレベルに達している。

 

「先輩! めっちゃ上手くなってる!」

「これは完全に追い抜かれちゃったかなぁ。」

「ぴえヨンさんのおかげね。伊達に2週間マンツーマンのレッスン受けてないわよ。」

 

歌唱力よってセンターに選ばれた彼女だが、そこにハイレベルなダンスまで加わってしまった。いったいこの子はどこまで成長していくのだろうか。

 

「ルビーも余裕かましてるとかなちゃんにダンスでも勝てなくなるかもよ?」

「それはヤバいかも。がんばろ。」

「うんうんその意気だ。私も少しでも二人に追いつけるように頑張るよぉ。」

 

ルビーにも発破をかける。お互いに刺激を受け合い、どんどんモチベーションを上げていく好循環になればと思っての事だ。

 

私はもうその輪に入れなさそうだけど。

 

・・・

 

ある日の苺プロの事務所。

 

パジャマ姿で仲良くおしゃべりに花を咲かせる3人組。ルビーとかなちゃん。そして私。B小町のメンバーだ。

 

姉妹と言う設定で活動しているけど、この三週間ずっと共同生活を送っている私たちは実際の関係性もまるで本物の姉妹みたい。

 

「2曲目のサビ前さ! 上手側からぐるっと回って入れ替わったらカッコよくない!?」

「あー、良いかも!」

「ダメよ。それじゃセンターの私が一瞬とはいえ隠れるじゃない。奥から回りなさいよ。」

 

事務所のホワイトボードを借りてルビーとかなちゃんと本番のフォーメーションについて語り合う。

 

今でこそノリノリで会話に混ざるかなちゃんだが、ついこの前まではかなちゃんはこういう会話には興味がない様子だった。当然だ。彼女はもともとドルオタではない。

 

しかしかなちゃんがB小町のセンターに決まったあの日、心の中で何かが吹っ切れたのか、俄然アイドル活動に興味を示すようになった。

 

かなちゃんの心境の変化は嬉しいが、腑に落ちなかった。あれだけ役者にこだわっていたというのに一体どういう事だろうかと。

 

かなちゃんがぴえヨンに連行されルビーと二人で会話する機会が多かったので、いつだったか付き合いの長そうなルビーにそれとなく聞いてみた。

 

「先輩は役者とか歌手とかアイドルとか、そういう括りにはあまり興味が無いんだよ。役者をやりたがってるのは多分役者でしか褒められた経験が無いからだと思う。その役者にしたって赤ちゃんの頃からやってて自分の意志で選んだわけじゃないし。」

「褒めてくれるならなんでもいいって事?」

「うん。仮に先輩のお母さんが本気で応援してくれるなら勉強でもスポーツでも何でもやると思うよ。」

「じゃあ、あの時アイドルとして褒めてもらえるって思ったから、やる気が出たってわけ?」

「それもあるけど、問題はもっと根深いんだよね。」

「そうなんだ?」

「うん。先輩はね………」

 

珍しく深刻そうな顔をして、ルビーは語った。

 

有馬かなは孤独に苦しんでいる。

 

子役として人気絶頂にあった頃から仕事が減るにつれ、人はどんどん離れていった。事務所の人間も、マネージャーも、親でさえも。母親を始めとした周囲の大人たちが喜ぶ姿を見たくて仕事を頑張ってきた彼女にとって、それはどんな責め苦よりも辛い仕打ちだったに違いない。

 

彼女は失敗の恐怖から自我を封じ込め、使いやすいタレントを目指した。しかし皮肉なことにそれは彼女の持ち味を殺すことになる。そしてまた失敗して、人が離れて、以下無限ループ。そうして今のかなちゃんという人格が出来上がったわけだ。

 

卑屈になるのも無理はない。

 

ルビーは早々にかなちゃんの心の闇に気付いていたらしい。その語り口から察するに、理屈ではなく感覚で。

 

今のかなちゃんに必要なのは、失敗しても売れなくても傍に居続けてくれる存在だ。「つまりお姉ちゃんだね」とはルビーの言葉だが、普通はそれが母親だったり父親だったり、あるいは友達だったりするのだろう。

 

しかし家族に見捨てられ、仕事一筋で友人にも恵まれなかったかなちゃんにはそういう存在が居ない。「だから私が傍にいてあげるの」と力強くルビーは言った。

 

本当に良く見ている。普段はお子様なルビーだが、時々年齢不相応に大人びた雰囲気と鋭い洞察力を発揮する。特に、不安や恐怖と言った負の感情の分析はもはやプロの域だろう。不思議な子だ。

 

長い思考から戻り、すぐ横でアイドル談議に花を咲かせるかなちゃんに問いかける。

 

「ねぇかなちゃん。JIF楽しみ?」

「当たり前じゃない。皆に私の凄さを見せつけてやるわ。」

 

眩しい笑顔で即答された。

 

この太陽のような笑顔は大きな武器だ。センターのかなちゃんがどれだけ輝けるかがライブの印象を大きく左右するだろう。彼女のためにも、B小町のためにも、かなちゃんが失敗を恐れることなく、また周りの人間に遠慮することなく全力で輝ける舞台を整えなければ。

 

「MEMちょはどうなのよ。」

「楽しみに決まってんじゃん。一番可愛くて目立っちゃうのは私だからね。」

「言うじゃない。望むところよ。絶対に負けてあげないんだから。」

 

JIFまで残り2週間。メンバー間の雰囲気もいつになく良くなっている。実力もメキメキと上がっている。

 

確かな手ごたえを感じつつ、残りの特訓をやり抜く決意を固める私であった。

 




重曹関連の話はちょっとしつこいかなと思いましたが、MEMちょにはどう見えてるのかを書かないのも気持ち悪いので書きました。

次回、ライブ本番です。


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ジャパンアイドルフェス

「はーーー、いよいよだね! 私達もアイドルデビューだよ! どうするどうする!?」

「良いから寝なさい。」

 

ジャパンアイドルフェスの前日。もうあと一回寝て起きれば当日だ。

 

もう布団に入りあとは寝るだけというのに、ルビーは見ての通り楽しみ過ぎて眠れない様子。子供みたいにはしゃいで、そのまま夜更かしして翌日痛い目を見るパターンだ。

 

「睡眠の重要性を舐めるんじゃないわよ。徹夜のダメージは3日位引きずるし、魅力が3割程落ちるってどこかの大学の研究で出てる。…みたいなことをDai■oが言ってたわよ。」

「Dai■oが!? 寝なきゃ! でも全然眠れない! 楽しみすぎる! どーしよー!!」

 

ああもう、うるさい。

 

なんか静かになる話題とかないかしら。

 

「ねぇ。ルビー。」

「どしたの? 先輩。」

「ルビーはなんでアイドルになろうと思ったの?」

 

この問いに特に深い意味は無かった。どうせB小町のアイに憧れての事だろうと思っていたから。しかしルビーから語られたのは全く想像もしなかった過去の話。

 

部屋から出られない生活。B小町との出会い。アイドルになったら推してくれるといってくれた初恋の人………。

 

まさかルビーが引きこもりだったなんてね。そして初恋の人にアイドルになったら推してやるなんて言われてこの道を志したと。話を聞く限りでは今でもその先生とやらに会うことを夢見ているらしい。本当にピュアな人。

 

語り終えると同時にルビーは眠った。思惑通りだ。

 

ルビーの顔にかかる髪をそっと手で払い、静かに話しかける。

 

「アンタにも推してくれる人が居るのね。分かるわよ、その気持ち。自分に期待してくれる人の為ならいくらでも頑張ろうって思えるのよね。」

 

―――私にとってはアンタとMEMちょがそうなのよ。

 

万が一聞かれていると恥ずかしいので心の中でだけ呟いた。

 

・・・

 

「さてさてやってきましたジャパンアイドルフェス!」

 

会場に到着して浮かれるルビーとMEMちょ。アイドル業界に疎く、なんとなく大きなイベントであること以外は良く分かっていない私はいまいちこの勢いに乗り切れない。

 

「社長、JIFってそんなに凄いんですか?」

「分かりやすく言うと、アイドルフェスとしては日本最大よ。」

「えっなにそれヤバくないですか?」

「ヤバいわよ?」

 

思った以上に凄いイベントだった。ルビーも眠れなくなるわけだ。昨日聞かなくて良かった。

 

B小町が立つのは10個あるステージの内スターステージ。地下アイドルが多いステージだ。持ち時間は20分。結構時間は貰えた方だろう。

 

社長に連れられて楽屋と呼ばれる大広間に入る。

 

えげつない密度で人や荷物が押し込まれている。イベントの規模が大きいだけに参加者も多い。その関係者も含めた全員の楽屋をこの部屋一つで賄うとなれば今目の前に広がる地獄のような光景にならざるを得ないのだろう。

 

「良い待遇受けたかったら売れないとね。」

 

社長のお言葉。

 

新人アイドルの私の待遇はこんなものって事か。まぁいい。こういう劣悪な環境での仕事は慣れっこだ。この程度どうってことない、やってやろうじゃないの。

 

空気に気圧されるな。ビビるな。気合入れろ。

 

私の肩にはいろんな人の仕事が乗っかってる。私がコケたら全員がコケる。私を信じて賭けてくれた人の期待を……

 

ふと脳裏によぎる苦い記憶。

 

子役の仕事が無くなった小学校高学年くらいだったか。ピーマン体操に次ぐヒット曲を生み出そうと躍起になった事務所が企画したソロライブ。

 

全く集まらない観客。何時間も椅子に座って目の前を通り過ぎていく人々を眺め続けたCD販売イベントと称する何か。

 

辛い記憶に引っ張られ、沈む気持ちを止められない。

 

やば……ネガティブはダメだ……

 

「先輩。」

 

ルビーの声で我に返る。

 

「ヤバい、めちゃくちゃ緊張してきた。」

「だだだ大丈夫だよルビー。おおおお姉ちゃんにまま、任せておきなさい?」

 

顔を上げれば、そこにはガチガチに緊張した姉二人。ルビーはまるでコントのように大げさに身を強張らせ、MEMちょはわざとやっているのかと思うくらいに嚙みまくっている。

 

ばっかみたい。

 

「あっははは! 何それ!」

 

ルビーとMEMちょの姿を見て気が緩んだのか、緊張する二人の様子がおかしくてたまらなかった。ついさっきまでネガティブに支配されそうになっていたのに、仲間の姿を見ただけでこんな気持ちになるなんて。

 

相変わらずチョロいなぁ、私。でも今回ばかりはこのチョロさに感謝しなきゃね。

 

だって、

 

「……なんか先輩見てたらどうにかなる気がしてきたかも。」

「あはは! そうだねぇ。こんな可愛い妹達が一緒ならどうにかなるに決まってるよぉ。」

 

私の大事な人がこんなに明るく笑ってくれるんだもの。

 

・・・

 

衣装に着替え、メイクも完璧。ぴえヨン監修の謎の飲み物を胃に流し込み、準備は万端。

 

ステージ袖から観客席を覗くと、結構な数の観客が見える。

 

前のグループのパフォーマンスが終わったときはかなり人の移動があったから、恐らくほとんどがB小町が目当てのお客さんだ。

 

MEMちょのファンが本物を拝みに来ているのが大半だと思うけど、昔のB小町を知っている人が面白半分に見に来てるってケースもあるかもね。

 

とにかく、閑古鳥が鳴くなんて事態にはならなかったみたい。

 

「ルビー、かなちゃん。いよいよだね! ここから先は目立ったもの勝ち。遠慮なくパフォーマンスさせてもらうよ。」

「望むところだよ! MEMちょのファンもみんな貰っていっちゃうから!」

「何言ってんのよ。センターで歌もダンスも上手い私が一番に決まってるでしょ。」

 

共に支え合う仲間であり、同時にライバルでもある二人。

 

彼女達が同じステージに立つのだから不安など無い。遠慮もいらない。思うままに自分を表現すれば良い。

 

「さぁ、行くよ!」

 

MEMちょの掛け声で、ステージ中央へと駆け出す。

 

一度ステージに上がれば、緊張など無い。素早く立ち位置についてポーズを決める。静まり返った会場の中で、ライトの強い光に照らされる私達3人。

 

センターの私は姉二人の間、半歩前が立ち位置。視界を遮るものは何もない。オーディエンスを独り占めしたような感覚に心が躍る。

 

待ちに待った晴れ舞台。今から20分間は、私たちがこの世界の主役だ。

 

最初の曲のイントロが流れる。少しずつ会場の期待も高まる。

 

元気よく踊りだす私達。

 

少しずつギアを上げつつ、周囲の状況を冷静に観察する。妙に思考がクリアだ。

 

前よりの客が振ってるサイリウムはMEMちょの黄色ばかり。うちの客はMEMちょ目当てで、あの子を見たくて来てる。配信活動を通じて獲得してきたファン。これがMEMちょの強み。

 

やるじゃない。さすがは長女。

 

踊りながら観客席ぎりぎりまで前に出て、可愛らしくファンと仲良く手を振っている。

 

逆側には元気いっぱいに踊るルビー。

 

彼女のカラーである赤のサイリウムも意外と目立つ。まぁ、顔だけはすこぶる良いし、天然おバカなキャラクターがウケたんでしょうね。今のところは私よりもファンが多いみたい。

 

つくづく強力なライバル達だわ。まぁ、負けてあげる気なんてさらさらないけどね!

 

ここは私のステージ。私より輝く人間なんて認めない。私が一番なんだから。

 

自然と歌声に感情がこもる。全身に力が漲る。全力の笑顔を振りまきながら、サイリウムを掲げる観客の視線と熱気を一身に浴びる。

 

ああ、なんて気持ちが良いんだろう!

 

調子を上げる私に呼応するようにルビーがギアを上げ、ダンスのキレが増していく。私の歌声をかき消さんばかりにMEMちょの歌声が一層大きく響く。

 

そうよ。それで良いの。そうでなきゃ張り合いが無いわ。

 

負けてなんかやらない。

 

ルビーよりもカッコよく。MEMちょよりも可愛く。もっと私を見て! もっと! もっと!

 

最初の曲が終わる頃には会場も大盛り上がり。私たちの魅力が存分に伝えられたようでホッと胸を撫でおろす。

 

束の間の休息。興奮冷めやらぬ様子でルビーがMCをこなしている。

 

「ありがとうございましたー! 今お送りした曲は、『STAR☆T☆RAIN』です! みんな覚えてくれたー? 」

 

慣れたものだ。子供の頃から繰り返してきたイメージトレーニングの成果か。

 

「じゃあ次の曲行くねー! 次は皆お待ちかねのあの大ヒットソング! 『サインはB』!!」

 

ホント、この子は眩しいわね。アイドルが好きで、ずっと楽しそうで、アイドルになるために生まれてきたみたいな子。今この瞬間も誰かの心を奪って、どんどんファンを増やして。

 

相手にとって不足なし。さぁ、次の曲で勝負よ!

 

呼吸を整える。

 

次の曲は、今日のセットリストで最も気合を入れて練習を重ねてきた『サインはB』だ。

 

最初からエンジン全開。温まった喉と身体は思いのままに動く。今の私に出来る最大限のパフォーマンス。それを観客に思い切り見せつける。

 

どうこれ? 凄いと思わない? お姉ちゃん達のお墨付きなんだから!

 

会心の出来だった。

 

目線を向ければその方向から歓声が上がり、手を振った先ではサイリウムが揺れる。まるでこの場を支配しているような感覚が癖になる。

 

我を忘れて興奮する観客。波打つサイリウムの光。割れんばかりの大歓声。その中心に居るのは私。

 

……これがアイドル。お姉ちゃん達が夢に見た光景。

 

今なら分かる。彼女たちが人生をかけてこの夢を追いかける気持ちが。

 

決めたわ。

 

私がアイドルやってる間に、会場の皆のサイリウムをまとめて真っ白に染め上げてやる。まだ白いサイリウムはほとんどないけど、どんどん私のファンを増やしていって、いつか白一色にしてやるんだ。

 

そんなステージで歌ったら、きっと最高に楽しいから!

 




ファーストステージ編はこれでひと段落。
重曹の楽しさ、伝わったでしょうか。



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観客席にて

アクア君と付き合い始めてから、1か月が経とうとしている。

 

いつものようにベッドに寝そべり、アクア君とのビデオ通話。こうして画面越しでは毎日のようにお話ししているけど、B小町のサポートで忙しい彼とはあの初デート以降一度も会っていない。

 

スマホの画面にはパジャマ姿のアクア君が小さく映る。相変わらず格好いいしお話しできるのは嬉しいけど、やっぱり直接会って彼の体温や息遣いを感じたくなる。

 

アクア君に会いたい。

 

「そろそろB小町の初ライブなんだよね。」

「ああ。やっとお姉ちゃんの夢が一つ叶うな。感無量だ。」

「ふふっ。本当にお姉ちゃんが好きなんだね。」

「当たり前だ。お姉ちゃんだからな。」

「それはもう聞き飽きたよ。」

「勿論、あかねも好きだぞ。」

 

星のように輝く瞳を真っ直ぐこちらに向けて、臆面もなく言ってのけた。

 

「もう……ずるいなぁ。」

「ずるいってなんだよ。あかねって時々わけ分からないこと言うよな。」

 

乙女心には疎いアクア君だけど、好きって気持ちを真っ直ぐに伝えてくれる。あまりに純粋で直接的だから、受け止める方が大変なくらい。

 

ちょっと仕返ししちゃおう。

 

「かなちゃんはどうなの?」

「その話はもう良いんじゃなかったのか?」

「私には会いに来ないくせにかなちゃんとはいつも一緒に居るじゃん。」

「あかねにだって会いたいけど、どうしても今は無理なんだ。……ごめん。」

 

君はどこまでも正直者なんだね。少しくらい取り繕ってもいいのに。こっちが毒気を抜かれちゃったよ。

 

そんなアクア君だから好きなんだけどね。

 

「でも、忙しいのももうすぐ終わりだ。それまでの辛抱だから。」

「そうだね。」

「そういえばあかねって有馬のファンなんだよな。」

「まあファンと言うかライバルと言うか……。好きなタレントではある、かな?」

「なんだそれ。とにかく有馬のことが好きなら、今度のライブは絶対に見た方が良いぞ。」

「なんで?」

「とにかく見てみろ。あいつは凄いパフォーマンスをする。絶対に後悔はしない。」

 

わざとやってるのかな。あなたの彼女は私だよ?

 

かなちゃんが好きならライブは見た方が良いだなんて、推しを自慢するアイドルオタクそのものだよ。さっきもかなちゃんが好きっていう事は否定しなかったし。やっぱり何か隠してる?

 

……隠してないんだろうなぁ。私の事が好きで、かなちゃんの事も応援してる。どちらも紛う事なき彼の本心だ。

 

アクア君のあまりの純粋さに、自分の心の醜さが炙り出されるみたい。

 

「じゃあ、私をそのライブに連れて行ってよ。」

「それって、つまり……」

「デートの約束。」

「分かった。当日時間を作れないかミヤコさんに聞いてみるよ。」

 

かなちゃんを推すアクア君にむっとした。でもアクア君と一緒にかなちゃんを推せるのが嬉しいのも本当。かなちゃんとアクア君、どっちも大好き。

 

私もアクア君のこと言えないなぁ。

 

・・・

 

東京、お台場。

 

かなちゃん擁するB小町のライブが行われるという会場に私は来ていた。

 

辺りはすっかり暗くなり、星が出てきている。時刻はもうすぐ7時。待ち合わせの時間だ。アクア君と合流しなきゃ。

 

「もしもし、アクア君。私はもう会場についてるよ。」

「分かった。すぐ行く。」

 

凄い人の数。

 

私の知らないアイドルがステージ上で歌ってて、その手前には沢山の観客が叫んで跳んで手を振っている。アイドルのライブは初めて見るけど、ものすごい熱量に圧倒されそう。

 

これがジャパンアイドルフェス。かなちゃんの初ライブの舞台。次にあそこに立つのがB小町だ。

 

数分もしないうちに彼はやって来た。

 

「凄い熱気だね。」

「凄いだろ? これがアイドルだ。もうすぐお姉ちゃん達の番だからもっと前の方に行こう。こんな後ろじゃ良く見えない。」

「むー」プクー

「怒ってんのか? それ。」

 

相変わらず私以外の女の子の事で頭がいっぱいなアクア君。やっと会えたのに、目の前の私にもう少し興味を持って欲しいな。

 

ムカついたので、アクア君の手を握る。

 

「人が多いからはぐれないように、ね?」

「あ、ああ。」

 

良い顔だ。耳まで赤い。……私の耳とどっちが赤いかな。

 

B小町の前の枠が終わり、人が入れ替わり始める。人の流れに乗って出来るだけステージに近づく。最前列には行けなかったけど、まあまあ良いポジションだ。

 

つないだ手から、アクア君の期待と緊張が伝わってくる。

 

「いよいよだな。」

「うん。」

「お前は有馬推しなんだよな?」

「そうだけど?」

 

アクア君はカバンから白い棒のようなものを取りだし、私に手渡した。アクア君の手には白の他にも赤と黄色が握られている。

 

「何これ?」

「サイリウムって言うんだ。こうやって折り曲げると………こんな風に光る。」

「皆が持ってる奴だね。」

「ああ。有馬のイメージカラーは白だから、あかねは白のサイリウムで応援してやれ。」

「アクア君は?」

「俺はB小町全体を推してる。こういうのを箱推しって言うんだ。」

 

キラキラと目を輝かせて説明された。アクア君って、実はかなりのアイドルオタクなんだね……。薄々分かってはいたけど。

 

3本のサイリウムを器用に指に挟み、ステージに向き直るアクア君。

 

B小町の3人、かなちゃん、ルビーちゃん、メムさんがステージ袖から駆け足で登場する。全方位から歓声が聞こえる。

 

ステージ中央でポーズを取り、曲が流れ始めるのを静かに待つ。

 

「あかね。」

「何?」

「有馬の顔、よく見てみろよ。」

 

数メートル先のかなちゃんの顔を見つめる。

 

……笑ってる。

 

身勝手で、自身に満ち溢れた、私が大好きなかなちゃんの笑顔。まさか、また見られるなんて。もうあんな風に笑うことは無いと思ってたのに。

 

「言っただろ? 絶対に後悔しないって。」

「………」

 

私に話しかけるアクア君だけど、ステージから目を離せない。ごめんねアクア君。今だけはかなちゃんの姿を目に焼き付けたいの。

 

イントロが流れ出す。

 

曲が流れ始めてからのかなちゃんは圧倒的だった。歌は相変わらず上手い。ダンスも完璧。

 

―――私を見て! 私だけを見て!

 

全身で表現してる。

 

身勝手なパフォーマンスはグループの和を乱すかと思えば、まるで予定通だと言わんばかりに横の二人がそれに応える。それが気に食わないのかかなちゃんがさらにギアを上げ、ルビーちゃんとメムさんが食らいつく。

 

どんどん勢いが増していく。会場のボルテージも上がっていく。際限がない。

 

「お姉ちゃーん! 有馬ー! MEMちょー! 良いぞー! がんばれー!!」

 

アクア君の声が聞こえる。とっても楽しそうだ。

 

私はもちろんかなちゃん単推し。白いサイリウムを振り回して思い切りかなちゃんの名前を呼ぶ。今や私もこのライブを盛り上げるファンの一員だ。

 

「かなちゃん! かなちゃん!」

 

夢中で叫ぶ。

 

かなちゃん以外は何も見えなくて、かなちゃんの歌声以外は何も聞こえなくて、もう訳も分からずにひたすらに叫んだ。強烈な光に身も心も焼き尽くされて、自分がどこに居て何をしているのかさえどうでも良くなってしまう。

 

凄い。凄いよかなちゃん。こんな眩しく光り輝く笑顔、誰にもできない。

 

曲が終わってMCの時間になっても、次の曲が始まっても、センターが入れ替わっても、私の視線はかなちゃんに釘付けのまま。今はただあの笑顔を網膜に焼き付けたい。ずっとこのままあの光に照らされていたい。

 

これがアイドル有馬かな。ステージ袖に歩いて向かう後ろ姿さえ輝いて見える。

 

気づけばライブは終わっていた。

 

「あかね。……おい、あかね? 聞こえてるか?」

「ああ、ごめんアクア君。ちょっと夢中になっちゃってた。」

「来て良かっただろ?」

「……うん。良かった。」

 

身体が重い。喉も痛い。でも悪い気はしない。

 

かなちゃんがアイドルじゃなかったら、アクア君が一緒に来てくれなかったら、こんな幸せな経験は出来なかった。

 

「アクア君。また来ようね!」

「もちろんだ。よほど楽しかったみたいだな。俺も嬉しいよ。」

 

私ってこんなに欲張りだったっけ。もう次のライブが楽しみで仕方がない。アクア君と一緒にかなちゃんを応援したくてうずうずしてる。

 

「俺はこの後撤収作業だから。」

「うん。じゃあまたね。アクア君。」

「ああ。またな。」

 

走り去るアクア君を見届けた後、心地よい疲労感と共に会場を後にした。

 




星野アクア
苺プロのスタッフとしてB小町に同行している。ライブ本番だけミヤコさんに時間を貰って彼女と観客席からライブを楽しんだ。

黒川あかね
ライブの観戦スタイルも没入型。その類まれな集中力をフル活用して有馬の姿を目に焼き付けた。
新しい資料の入手により有馬の考察が捗るが、輝く笑顔だけはどうしても再現できないのが悔しい。でもそんな有馬が大好きで仕方がない。


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弟と妹

JIFが終わって最初の土曜日。久々のオフだ。

 

先月はぴえヨンによる特訓のおかげで精神的にも体力的にもギリギリで、本当に息つく間もなかった。こんなにゆったりとした気分でゴロゴロできる日は久ぶりだ。先輩達が来るまでアクアとのんびりしてよう。

 

「アクア、あーん」

「ん」

 

事務所にはアクアと私の二人だけ。こうして餌付けしてあげるのも実に1か月以上ぶりだ。口に押し込まれるじゃがりこをガリガリとかじるアクアは今日も可愛い。かじり尽くしてモグモグごっくんするアクアももちろん可愛い。

 

もう1本。

 

「あーん」アクアの口にじゃがりこをセット。「ん」準備完了。そのままゆっくり押し込んであげれば、小刻みに動くアクアの顎に砕かれてどんどん短くなっていく。最後に私の指がアクアの唇に触れるのは自然の成り行き。

 

もう1本。

 

今度は長めのやつ。慎重にアクアの口に先端を合わせ、「ん」アクアが咥える。ガリガリガリ。

 

「こんにちはー。」

 

半分くらい押し込んだところで事務所の扉が開き、先輩の元気な声が響いた。同時にアクアのガリガリも止まる。ちょっと嫌そうな顔で。

 

「ルビー、来たわよ。」

「お邪魔しまーす。」

「先輩、MEMちょ。いらっしゃい。」

 

ソファでアクアに餌付けをする格好のまま二人を迎える。半分になったじゃがりこはアクアの口に咥えられたままだ。

 

「久しぶりに見たけど相変わらず距離感おかしいわね。こりゃ学校で噂になるわけだ。」

 

まずは先輩の反応。慣れたものだ。

 

「わーお。」

 

続いてMEMちょ。驚いている。MEMちょが加入してからずっと特訓だったから、こういう姿を見せるのは初めてだ。

 

B小町のメンバーが揃ったのでこれからお仕事の時間。アクアには悪いけど、おやつの時間はもうお終いにして動画撮影の準備をしないといけない。

 

「アクア、早く食べてよ。」

「………」

「もう、お姉ちゃんが貰っちゃうよ。」

「あっ」

 

食べかけのじゃがりこを取り上げて食べる。むすっとした顔でいじけるアクア。機嫌悪いなぁ。どうしたんだろう。

 

「ほらルビー。早く始めるわよ。」

「うん。今行く。」

 

先輩に呼ばれ、後ろ髪を引かれつつアクアを置いて仕事部屋へと移動する。

 

事務所兼自宅の最上階にはダンスや演技の練習用の一面鏡張りの部屋がある。3人で踊るには狭いけど、打ち合わせとか簡単な動画の撮影はここで済ませている。JIFの特訓の時にB小町が3人で寝泊まりしていたのもこの部屋だ。

 

今では半ばB小町専用スペースと化していて、アクアが入ることはほとんどなくなっていた。

 

「この部屋入るの久しぶりだな。」

「何よついてきたの? これから仕事の話するんだから用事があるなら手短に済ませなさいよね。」

 

と思ったらアクアも付いてきた。

 

先輩が訳を聞いてるけどその口調からはとげを感じる。3人で仲良くしてる所をにアクアを入れたくないのかな? 私は一向に構わないけど。

 

アクアも裏方として立派にB小町を支えてくれているし、動画の打ち合わせに混ざるのは自然な事だ。

 

「別に用事なんかねえよ。」

「じゃあなんでついて来るのよ。」

「俺の家なんだからどの部屋に居ても良いだろ。」

「なら1階の事務所かアンタの部屋にでも籠ってなさい。仕事の邪魔よ。」

「邪魔するつもりはねえよ。」

 

アクアを追い払おうとする先輩。抵抗するアクア。これは…多分あれだ。久しぶりのおやつタイムを邪魔されてアクアは怒ってるんだ。先輩が来た時もむすっとしてた。

 

じゃあ先輩は私をアクアに取られるのが気に食わないってこと?

 

ちょっと試してみよう。まずはこっそりMEMちょと作戦会議だ。

 

「MEMちょ。今からちょっと良い感じに口裏合わせてくれない?」

「良いけど、なんで?」

「あの二人、お姉ちゃんの取り合いで喧嘩してるっぽい。」

「ははーん。それはまた仲の良いことで。」

「お願いね。」

「オーケー。」

 

15秒でMEMちょを味方につけた。仕込みは完了。

 

そして作戦決行。今度はアクアと先輩に聞こえる声で

 

「お腹痛いかも。ちょっと休んでて良い?」

「あらら。ルビーちゃん大丈夫? 良いよゆっくり休んでな。」

「大丈夫か? お姉ちゃん。一旦部屋に行くか?」

「アクアありがとー。連れてってー。」

 

よし、予定通りだ。これでゆっくり私の部屋でアクアから事情聴取が出来る。

 

部屋へ移動。わざとらしくゆっくり歩く私をアクアは紳士的に介抱してくれる。優しい弟に育ってくれて嬉しい限りだ。どこに出しても恥ずかしくない自慢の弟だね。どこにも出したくないけど。

 

ベッドに腰掛け、いざネタばらし。

 

「お姉ちゃん、どうしたんだ? 急に仮病なんて使って。」

「あれ。バレてた。」

「あんなのバレるに決まってる。」

「さすがは役者だね。お姉ちゃん鼻が高いよ。」

 

とっくにバレてたか。それでもちゃんと付き合ってくれるアクアが可愛い。

 

「で、何か話でもあるのか?」

「うん。」

「何?」

「アクア、最近お姉ちゃんが先輩に取られたと思って妬いてるんでしょ?」

「………っ!」

 

図星だ。

 

無表情を貫くアクアだけど、お姉ちゃんの目は誤魔化せない。まったく手のかかる子だ。ほんの一か月お姉ちゃんが忙しくしてただけで拗ねてしまうとは。

 

そんなところも可愛いんだけどね。

 

「おいで。」

「んぐぁ」

 

強めのぎゅ。

 

とにかく今は甘やかしてあげよう。寂しすぎてお姉ちゃんの後をついて回る弟とか可愛すぎる。なのにいっちょ前に恥ずかしがってあの二人の前ではべったり引っ付いてこないなんて。これはもう私の方が我慢できない。

 

気のすむまで押しつぶしてからそっと放してあげると、どことなく満足気なアクア。ミッションコンプリートだ。

 

「じゃあお姉ちゃんはお仕事に戻るから。」

「分かった。」

 

アクアを部屋に残し、再び仕事部屋へ戻る。

 

アクアが私の演技に気付いたということは、同じく役者の先輩も演技に気付いているだろう。あからさまにお姉ちゃんを横取りされた先輩は果たしてどんな反応を見せてくれるだろうか。

 

部屋の扉を開けると先輩と目が合った。最初の一瞬だけぱっと明るい笑顔。直後にはっと何かに気付く。最後にはむっとした顔で目を逸らした。いやもう遅いって。

 

「ちょっとルビー。アクアを甘やかしすぎじゃないの?」

「良いじゃん別に。弟なんだから。」

「何よそれ。それを言うなら私だって……」

「私だって……何?」

 

先輩はしまったという顔で黙り込んだ。

 

私だって妹だもん!って素直に言えばいいのに。アクア共々、本当に素直じゃないんだから。甘えられるうちに甘えておかないと後で後悔するよ?

 

……大好きな人が突然いなくなって、会えなくなることだってあるんだから。

 

「ほら先輩。意地張ってないでこっちおいでよ。」

「大丈夫よ。」

「そうは見えないけど。」

「なんでもないったら!」

 

あーもう面倒くさい。こうなったら実力行使だ。ぴえヨンの特訓で鍛えた私の筋肉から逃れられると思うなよ。

 

ゆっくりと距離を詰める私に対し、一応逃げる振りだけはする先輩。でも明らかに逃げようという意思が無い。簡単に腕の中にとらえることが出来た。

 

「えいっ」

「ぐえぇ」

 

アクアと同じく、強めのぎゅ。

 

ちっこいなぁ、先輩。アクアと違って押し潰してしまいそう。私ぴえヨンみたいなマッチョじゃないのに。

 

「お姉ちゃんを独り占めしたい気持ちは分かるけど、アクアの気持ちも考えてあげてね。私は一人しかいないんだから。」

「分かってるわよ……。ちょっとムカついただけ。」

「分かればよし。」

 

先輩を優しくリリースする。こっちも満足したみたい。

 

これで後腐れなくお仕事に打ち込めるね。

 

「そんじゃぁ、次の動画の内容を説明するよぉ。」

「「はーい」」

 

これにて一件落着。お姉ちゃんも楽じゃない。

 




本編進めるの疲れたので息抜き。
ルビーの話は書いてて癒されます。


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2.5次元舞台編
東京ブレイド


とあるオシャレなカフェであかねと二人きり。

 

JIFが終わって時間に余裕が出来た俺は、かねてからの約束通りあかねとゆっくりデートをしている最中だ。恋人証明の写真を気合入れて撮影したせいで変な空気になりつつも、なんだかんだそんなやり取りも楽しいと思える今日この頃。

 

前のデートと同じく巨大な甘味をゴリゴリと削っていくあかねを眺める。その姿は以前より少し隙があるというか、みっともないというか。俺に気を許しているのが分かる。

 

パフェは残り7割くらいか。相変わらずものすごい勢いだ。

 

「例の件…もうそっちには話行った?」

「『東京ブレイド』の話か?」

「そうそう」

「もちろんやる」

「だよね!」

 

鏑木さんから新しい仕事のオファーが来たと思ったら、なんと舞台だった。本当は映画の方が好きだが、新米役者の俺は仕事を選ぶ余裕などなかったのですぐに了承した。これも良い経験になると彼は言ったが、良いように使われているだけな気もする。

 

俺の役は『刀鬼(とうき)』、あかねの役は『鞘姫(さやひめ)』。二人は恋人という設定だ。

 

「絶対キャスティングした人狙ってるよね。」

 

あかねの言う通り、間違いなく狙ってるだろうな。鏑木さんのしたり顔が目に浮かぶ。

 

そういえば刀鬼には鞘姫以外にもカップリング論争になるキャラクターが居たはずだ。名前は確か……『つるぎ』だったか。天真爛漫な戦闘狂。ビジュアルがどことなくあいつに似ている。鏑木さんの事だ、どうせ面倒なことを考えてるに違いない。

 

あかねもその辺は気になるようで。

 

「刀鬼といえば相棒キャラの『つるぎ』との関係性も大事だよね。」

「そうだな。どんな台本か分からないが、ファンに迎合して『刀つる』推しの舞台になる可能性もある。」

「えー。それは嫌だなぁ。」

「可能性の話だよ。」

「それはそうだけど……。つるぎ役、誰になるんだろうね。」

「私よ。」

 

有馬が答える。やっぱりこいつか。

 

どうやってこの場所を突き止めたのだろうかと思えば、ついさっき投稿した恋人証明写真から場所を特定したらしい。

 

これじゃ悪質なストーカーに追いかけられるわよと一通り説教をかました有馬。対するあかねはやはり怒っているのだが、何故かただならぬ雰囲気を感じる。二人の間に割って入るのがためらわれるような、そんな空気だ。

 

「かなちゃんがつるぎ役かぁ。共演は何年振り? てっきり役者辞めたんだと思ってた。今はアイドルだもんね?」

「あかね?」

「ずっと板上に引き籠ってお金にならない仕事してても仕方なくない? あっそう言えば最近恋愛リアリティショー出てたっけ。私生活切り売りして人気出てきたらしいじゃない。」

「有馬?」

 

突如始まる女の闘い。バチバチだ。だがさすがに分別は付いているようで、公共の場でこれ以上口喧嘩がヒートアップすることは無かった。

 

「ま……丁度ルビーと近くを通りかかったから注意しに来ただけよ。デートの続きは場所を変えなさい。じゃ」

 

スタスタと速足で去っていく有馬。お姉ちゃんと二人でお出かけとは、随分と仲良くなったものだ。最近お姉ちゃんがあまりデートに誘ってこないのは有馬を誘ってるからなんだろうな。

 

余裕の表情を崩さなかった有馬に対し、向かいに座るあかねは何とも言えない険しい表情だ。パフェのグラスを握りしめる手がプルプル震えている。

 

あかねと有馬は同い年。そして有馬は一世を風靡した天才子役だ。あかねの抱く複雑な気持ちも想像がつく。大方、役を片っ端から持っていかれて悔しい思いばかりしてきたんだろう。俺もつい最近まで監督に役者の仕事を止められていたから、悔しい気持ちはなんとなくわかる。

 

「積年の恨みを晴らすチャンスがやっと来た…負けないぞ…」

「ああ。ここは同年代の役者として絶対に負けられないな。良い機会じゃないか。刀鬼と鞘姫の演技で俺たちは組むことになるだろうし。」

「勿論そのつもりだよ。でも、そう簡単にはいかないと思う。」

「なんでだ?」

「かなちゃんはつるぎ役でしょ? 脚本にもよるけど、主役のブレイド役との共演シーンが多くなる可能性が高い。」

「だろうな。」

「そのブレイド役なんだけどね。……ララライの先輩の姫川さんなの。」

「マジか。」

 

姫川大輝か。これは物凄い大物が来たな。

 

劇団ララライの看板役者。帝国演劇賞最優秀男優賞受賞。月9主演俳優。芸能界に詳しい人間じゃなくても名前くらいは聞き覚えがあるであろう有名人だ。

 

「言うまでもないと思うけど、姫川さんの演技力は超一流。そこに完全復活したかなちゃんが加わるかもしれないんだよ。」

「それは……とんでもないことになるな。」

「うん。台本はまだだけど、出来るだけ早いうちに準備を始めた方が良いと思う。」

「なるほど分かった。そういう事ならうってつけの場所がある。今度そこでゆっくり話そう。」

「うん。わかった。」

 

まったりデートのつもりが、結局仕事の話になってしまった。これはこれで楽しいけどな。

 

・・・

 

翌日、俺は演技の師匠、五反田大志監督の家にあかねを連れてやって来た。玄関口で監督が出迎える。

 

「監督。来たよ。」

「おう早熟。昼飯は食ったか?」

「ああ、食べてきたよ。」

「そうか。ってオイ、後ろにいるの黒川あかねじゃねえか。」

「ああ。改めて紹介するよ。彼女のあかねだ。」

「黒川あかねと言います。よろしくお願いします。」

「アクアから話は聞いてるよ。色々大変だったみてぇだな。俺は五反田大志。こいつの師匠だ。よろしくな。」

 

五反田スタジオこと、五反田家の子供部屋にあかねを案内する。

 

部屋の本棚には、俺が買い集めた『東京ブレイド』の単行本が揃っている。お姉ちゃんにはジュースを零して俺の大事な漫画をダメにした前科があるので、大事な本は監督の家に置いておくことが多いのだ。

 

「東京ブレイドについてなんだけど。」

「ああ、今度お前がやる舞台の話か。それがどうかしたか?」

「鞘姫役はあかね、つるぎ役は有馬に決まった。そこで相談なんだけど……」

 

俺とあかねは同年代の役者として有馬には負けたくないこと、そして有馬は姫川大輝とコンビを組む可能性が高いことを説明した。

 

「なるほどそれで俺に特別に稽古をつけて欲しいと。そういう事で良いんだな?」

「ああ。」

「なるほど。そういう事なら任せろ。みっちり教え込んでやる。」

 

さすが監督。演技の話に乗ってくる確率が10割の男。この人が師匠で良かった。

 

話はまとまり、そこから先は東京ブレイドの読書会だ。台本が無い今の段階でできることは原作への理解を深めること。あかねは鞘姫、俺は刀鬼について深く掘り下げて考察していく。

 

家でまったり彼女と漫画を読むのも良いものだな。この状況、監督さえいなければお家デートと言っても過言ではない。監督は不満そうだけど。

 

「なぁあかね。ここの刀鬼の心情なんだけど……状況と表情が一致してないよな?」

「ああ、そこはちょっと複雑だよね。大分前に刀鬼の回想シーンがあるでしょ? 明確な描写は無いけどあのシーンを思い浮かべてるはずだよ。」

「あそこか。よく覚えてるな。でも確かにそれなら筋が通る。」

 

キャラの考察もあかねが一緒だとスムーズに進む。

 

あかねのプロファイリングの能力には驚かされる。あかねは以前有馬や母さんになりきったこともあるが、まるで目の前に本物が居るかのような錯覚に陥るほどの完成度だった。

 

その演技を支えるのがあかねの明晰な頭脳だ。俺も頭は悪くないと思っていたが、上には上がいると改めて思い知らされる。

 

結局その日はずっと読書会で、あかねと共に東京ブレイドの考察を徹底的に深めた。誰よりも早いスタートを切った俺達は、きっと今回の舞台でもいい仕事が出来るはずだ。

 

まだ台本も貰っていないのに、もうこんなにも気持ちが高ぶっている。今日あま以来となる演技の仕事。監督の協力もとりつけた。

 

やってやろうじゃないか、初めての舞台。絶対に成功させてやる。

 




という訳で『2.5次元舞台編』に突入です。
情報量多くて困る。


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顔合わせ

新生『B小町』のファーストライブから4か月が経ち、もう12月。

 

配信業はMEMちょのおかげで順調。アイドル姉妹としてチャンネル登録者も着実に増えてきている。小さいけどライブも何度か開いた。アイドル業は軌道に乗っている。

 

そして今日は役者としての大仕事。その初日だ。

 

舞台『東京ブレイド』のスタッフ顔合わせ。『つるぎ』役の私は『刀鬼』役のアクアと二人で集合場所のスタジオへと向かう。

 

「『劇団ララライ』って硬派なイメージだったけれど、よくもまぁ2.5受けたわよね。」

「と言っても半分は外部から集めたキャストだ。緊張しなくても良いと思うぞ。」

「緊張なんてしてないんだけど。……あっ」

 

前方から歩いてくる見覚えのある美少年。ドラマ『今日あま』で共演した鳴嶋メルトだ。今日あまに出演した役者は鏑木さんが無理やりねじ込んだ演技の出来ないモデルが多くいたが、彼もその一人。

 

正直、あまり良い印象はない。

 

「メルトくん」

「……オス」

 

一応知り合いなので挨拶だけはしておく。するとメルトの方から話しかけてきた。

 

「この講演、鏑木Pが外部の役者のキャスティングに噛んでるんだと。つまり俺たちは鏑木組ってわけだ。よろしくな。」

「……よろしくね。」

「なんだよその間は…」

 

社交辞令的によろしくだけ言っておいた。アクアは沈黙。

 

どうしても今日あまの悲劇が脳裏を過る。いかにララライが主催とはいえ、この男が居たのではこの舞台もどうなるか分からない。

 

しかしメルトもこの舞台にかける思いは今日あまとは異なるようで、あれから演技の勉強をしてマシになったとか、駄目だったら遠慮なく言ってくれだとか、殊勝なことをほざいている。

 

アクアの前でそんな事を言ったらどうなるか……

 

「メルト。今回は本気なんだな?」

「ああ。あの時とは違う。お前たちから見たら全然だめかもしれないけど、俺なりに全力を尽くすつもりだ。」

「なるほど、良く言った。俺も出来る限りサポートするから遠慮なく頼ってくれ。よろしくな。」

 

ほら、アクアの役者魂に火がついてる。さっきまでメルトの挨拶も無視してたくせに、演技に真剣な姿をちょっと見せただけでこれだ。

 

こうなったら止まらないわよ、こいつ。

 

壁に貼られた『Bスタジオ』の文字。

 

集合場所のスタジオであることを確認し、大きな扉を開く。中にはすでに私達以外の関係者がほとんど揃っていた。

 

「『キザミ』役を務めさせていただきます。『ソニックステージ』所属鳴嶋メルトです。」

 

丁寧にお辞儀をしながら挨拶と自己紹介をしている。今日あまの時とはまるで別人。どうやら本当に心変わりしたらしい。

 

「皆早いねー。まだ10分前なのに。揃ったみたいだから紹介始めちゃおっか。ボクの名前は雷田(らいだ)。この公演の総合責任者。で…こっちが演出家の(きん)ちゃんね。」

金田一敏郎(きんだいちとしろう)だ。」

 

最後にスタジオに到着した雷田さんにより、粛々と紹介が進められる。

 

脚本家のGOA(ゴア)さん、2.5経験豊富な役者の鴨志田朔夜(かもしださくや)、ララライの役者達。その中には当然黒川あかねの名前もある。

 

そして最後は主演俳優。

 

「起きろバカモンが!」

「って。あぁサーセン。この芝居の主演の……役名なんだっけ。まぁ良いか。姫川大輝。よろ。」

 

壁にもたれて居眠りする無精ひげを生やした男が一人。演出の金田一さんに蹴飛ばされて目を覚ました。

 

劇団ララライの看板役者、姫川大輝。こんな態度でも誰も文句を言えないのはさすが大物と言ったところか。

 

「このメンバーで一丸となり、舞台『東京ブレイド』を成功に導きましょう!」

 

総合責任者の雷田さんの元気な掛け声で、顔合わせは終了した。

 

・・・

 

演出の金田一さんの指示により、顔合わせに引き続き本読みも実施することになった。

 

しばらく休憩時間。早速アクアは彼女のあかねと演技の話で盛り上がっている。

 

「よう。あかね。ようやく台本を確認できるな。」

「そうだね。ずっとあっちの方見てるけど、気になるの?」

「ああ。キザミ役の鳴嶋メルト、実は前に共演したことがあるんだ。その時はやる気も実力も無い顔だけの奴だと思ったんだが、どうにも今回はやる気みたいなんだよなぁ。」

「嬉しいの?」

「そりゃ、皆がやる気になってくれた方が良いに決まってるだろ。俺だって楽しく()りたい。」

「オファー受けて演技をやりに来てるのに、やる気のない人なんて居ないでしょ。」

「ララライで演技やってるあかねは知らない世界かもしれないが、本当に居るんだよ。なんとなく芸能界に入って、事務所に言われるまま適当に演技して何とも思わないような奴が。」

「随分と気持ちが籠ってるね……」

「今日あま見ただろ? あの中で演技させられるところを想像してみろ。」

「ああー……うん。分かる。」

「だろ? そんな適当な役者の一人だと思ってたメルトがあんなにやる気だしてるんだぜ? ここは先輩として演技の楽しさをみっちりと教えてやらないといけないよな。」

 

いつになくノリノリだ。今日あまの次の仕事がこれじゃ、テンションが上がるのも当然だけど。

 

手元には本読みの前に配られた台本。人気漫画『東京ブレイド』を原作として、脚本家のGOAさんが書き下ろしたものだ。

 

台本をめくりながら、改めて東京ブレイドという物語を確認する。

 

『東京ブレイド』はいくつかのチームが抗争を繰り広げ、いつしか互いに友情や、愛情を深めていく王道バトル漫画だ。

 

私が演じる『つるぎ』は主人公たちの『新宿クラスタ』に所属していて、黒川あかね演じる『鞘姫』やアクア演じる『刀鬼』が所属する『渋谷クラスタ』が敵として立ちはだかる。

 

今回の劇はこの2チームが戦う『渋谷抗争編』を柱にシナリオは展開するようだ。

 

気に入らないことに、鞘姫と刀鬼は許嫁。今ガチと言い今回の舞台と言い、この世界の神様はあの手この手でアクアとあかねをくっつけようとしてくる。私、前世で悪いことでもしたんだろうか? 

 

どうも神様は黒川あかねばかり贔屓している気がする。

 

「時間だ。本読み始めるぞ。」

 

演出がスタジオに戻り、そのまま本読みが始まる。

 

安定した実力を見せるのはララライの役者陣。さすが舞台をメインに活動しているだけの事はある。アクアもやはり上手い。映像演技とは勝手が異なる舞台演技だというのにそつなくこなしている。

 

意外なのはメルトだ。今日あまからの9か月間それなりに役者として勉強してきたとのことだが、役者をギリギリ名乗れる程度には仕上がっている。ついでに彼を見るアクアの目がキラッキラに輝いてる。本当に楽しそうね、アイツ。

 

初日と言うこともあり、本読みが終わるとその日はすぐに解散となった。そそくさと帰る人もいれば、残って本読みや雑談をする人もいる。私は少しスタジオに残り、本読みで気づいたことを思い返しつつ台本に目を通す。

 

アクアとの共演は……ラストの数シーンだけか。残念。代わりに姫川さん、メルトとの共演が多い。あの姫川大輝の演技を間近で見られる機会など滅多にないだろう。今回ばかりはアクアにこだわる必要もないか。

 

ついでに共演シーンが多いメルトも巻き込んで1から鍛え上げてしまおう。

 

ブレイド(姫川)キザミ(メルト)つるぎ()。主演グループの人で稽古三昧ね。本読みでのブレイドとつるぎの掛け合いも注目を浴びていたし、久々に楽しい仕事になりそうだわ。

 

とまぁ、そんな感じで今後のプランを練る私。

 

「有馬かな。この後メシどう。」

「良いわね。私も聞きたいことが山ほどあるわ。」

 

私の想いが通じたのか知らないが、姫川さんの方から食事のお誘いが来た。

 

「メルトも来なさい。」

「俺も?」

「共演シーンが多いんだから当然でしょ。」

 

展開が早くて助かるわね。早速今回の舞台について徹底的に語り合おうじゃないの。キャラクターの考察、気になる役者、演技のやり方。聞きたいことは無限にある。

 

かなり良い役を貰えたし、相方は超一流。おまけに鍛えがいのある後輩もいる。

 

楽しい仕事になりそうね。

 




主要キャラが全員フルスペックかつやる気満々。


有馬かな
黒川あかねに演技で勝ちたいのでとても気合が入っている。
お姉ちゃん達のおかげで過去のトラウマを克服した。

星野アクア
今日あま以来となる演技の仕事でとても気合が入っている。
4歳で監督に弟子入りし、復讐などせずに演技や映像制作について広く学んでいる。

黒川あかね
かなちゃんに演技で勝ちたいのでとても気合が入っている。
早い段階からアクアと共に舞台への準備を進め、スタートダッシュを図る。

鳴嶋メルト
役者としてのプロ意識が芽生えてとても気合が入っている。
重点的にフォローすべき役者としてアクアと重曹にマークされている。

姫川大輝
劇団ララライの看板役者。文句なしの作中トップレベルの役者。
やる気が無いように見えて演技に対する情熱は本物。

鴨志田朔夜
2.5次元の舞台に引っ張りだこな実力派俳優。
鏑木組なのでイケメン。

ララライの役者達
噂によると一流の役者しかいないらしい。舞台をメインに活動している。
2.5次元が初めての役者が多数。



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舞台装置

顔合わせ当日に配られた台本に目を通し、落胆する私。原作漫画をあらゆる角度から考察し、鞘姫と言うキャラクターに対して様々な解釈を試みてきたが、今回の台本で描かれる鞘姫はそのいずれとも相容れない。

 

これまでの努力が水の泡だ。この台本を踏まえてまたイチから人格を作り上げていかなければならない。

 

今稽古しているのは渋谷クラスタの面々が新宿クラスタとの全面戦争を決断する重要なシーンだ。刀鬼が鞘姫に指示を仰ぎ、鞘姫が戦いの命令を下す。その時の鞘姫の様子があまりにも好戦的すぎて原作のイメージとは似ても似つかない。

 

「『鞘姫』、どうされますか。このままだと新宿の奴等に好き放題されてしまいますよ。」

「新宿の連中を! 全員皆殺しにしてやりなさい!!」

「聞いたかお前たち。鞘姫様のご命令だ。我らは姫の刃となり新宿の者どもを残さず始末する。行くぞ。」

 

私が演じる鞘姫は渋谷クラスタを率いるお姫様だ。

 

戦いを好まない鞘姫は新宿クラスタとの抗争にも後ろ向きで、友好的な解決策を模索する。しかし破竹の勢いで勢力を広げる新宿クラスタをついに脅威と認め、長い葛藤の末に合戦の命令を下すという物語上でも大きな意味を持つシーン。

 

私の解釈通りの台本なら、鞘姫を演じる私の一番の見せ場となるはずのシーンだった。

 

それが今回の台本ではたった一言『新宿の連中を全員皆殺しにしてやりなさい』と命令するのみ。完全にストーリーを観客に教えるだけの役割であり、そこに鞘姫の葛藤を表現する余地は無い。

 

私の中のイメージと違い過ぎる。

 

「アクア君。ここの鞘姫が合戦の命令を下すシーンどう思う? 原作の鞘姫とは別人になってるんだけど。思考の過程がすっぽり抜けてるよ。」

「演劇として成立させるために必要な割り切りだろうな。熱いバトルを前面に押し出すために、それ以外の細かいニュアンスはバッサリ切り捨てたんだ。」

「随分ドライに考えるんだね……。」

 

隣で台本を確認するアクア君に意見を聞くが、さすがに映画製作を学んでいるだけあって考え方が裏方寄りだ。子役時代に少し映画に出演した以外はずっと裏方の仕事をしていたことを考えればこういう反応になるのも当然か。

 

「俺だってあかねにこんな舞台装置みたいな真似はさせたくないが、脚本家の仕事としてはこれが正しい。従うしかないだろうな。」

「まぁ、わかるけど。」

 

確かに台本としては間違っていない。心情がどうとか解釈がどうこう以前に、この舞台で鞘姫にスポットライトを当てること自体がナンセンスだ。

 

こればっかりは仕方がないと自分を納得させることにした。

 

気になるのは脚本だけではない。

 

「アクア君。かなちゃんと姫川さんの本読みを見てどう思った?」

「……正直に言っていいか?」

「うん。アクア君の正直な感想を知りたいな。」

「ブレイドに、姫川大輝に勝ちたい。無茶だとは分かってるんだが、アレを見ちゃったらな。」

 

分かりきった事だった。アクア君の視線はスタジオの端でかなちゃんと談笑する姫川さんに向けられたまま少しも動かない。本読みで姫川さんの番が回ってきてからずっと彼のことを見つめている。

 

その目を見れば分かる。彼のようになりたい、彼に勝ちたい。そう思わずには居なれないんだ。

 

姫川さんの演技を間近で見て何も思わないような人間は役者とは言わない。アクア君がこうなる事は必然だった。

 

「そうだろうと思った。私達も頑張らないとだね。」

「ああ。早く監督の所へ行こう。時間が惜しい。」

「うん。」

 

私たちは解散してすぐにスタジオを去り、五反田監督の下へ向かった。

 

・・・

 

久しぶりの五反田家。

 

舞台の仕事が決まってすぐに何度か漫画の読み合わせ、もといお家デートをしに来たとき以来だ。相変わらず監督の趣味が全開で、沢山の映画やその資料などが本棚に押し込まれている。

 

監督に台本の確認をした監督に、アクア君は姫川さんに勝つにはどうすれば良いかと助言を求めた。

 

「姫川大輝に勝ちたい、と来たか。随分とデカい目標を立てたもんだな、早熟。」

「あんなのを見せられてやる気が出ないわけが無いんだ。なぁ監督、どう思う? 姫川大輝に勝つにはどうすれば良い?」

「ん-……まぁはっきり言ってそれは無理だろうな。」

「やっぱり実力差がありすぎるか。」

「実力差は当然あるんだが……役のイメージ的にも厳しいだろうな。」

「というと?」

「表情豊かな熱血漢のブレイドと常にクールで無表情の刀鬼ではどちらが役者の技量が出やすいと思う?」

「そりゃ、ブレイドだな。」

「もう一つ。ブレイドは主人公、刀鬼はその敵の一人だ。今回の舞台で観客が感情移入するべきなのはどっちだ?」

「それもブレイドだ。」

「そういうこった。良くも悪くもつまらない役なんだよ。刀鬼ってキャラクターは。」

 

つまらない役。私が演じる鞘姫と同じだ。

 

今回の舞台においては鞘姫と同様、刀鬼も記号的なキャラクターに成り下がっている。

 

主人公のブレイドに立ちはだかる最後の壁。渋谷クラスタの最大戦力であり、鞘姫の懐刀。そんな刀鬼をブレイドが打ち破り渋谷クラスタを配下に収める。その情報さえあればそれ以上の情報は不要。観客を混乱させるだけ。

 

要するに強い敵。それだけが分かれば良い。

 

リーダーシップがあって感情表現豊かなブレイド(姫川さん)と、天真爛漫な戦闘狂のつるぎ(かなちゃん)。あとはキザミ(メルト)もかな。観客が感情移入するのは主人公とその仲間たちであって、倒すべき相手(私とアクア君)ではない。

 

大人しくしているとこういう目立つ人に全部持っていかれる……。虚構も現実も嫌なところで同じだなぁ。

 

「仕方がない、か。まあ俺は舞台装置的な役割の重要性も分かってるしそういう役回りは嫌いじゃない。ここは潔くブレイドの引き立て役になってやるか。これはこれで面白い仕事だしな。」

「良く分かってるじゃねぇか。俺の英才教育の賜物だな。」

「勝手に自分の手柄にすんなよ。大体合ってるけどさ。」

「合ってるなら良いじゃねえか。裏方とかサポート役を面白いと思える感性は大事だぞ? そういう仕事はいくらでもあるし、そういう事をやる人間はいくらでも欲しいからな。」

 

さすがは映画監督とその弟子だ。最も重要なのは作品の質であり、演技の良し悪しはその構成要素に過ぎないという考え方をしている。サポートに回って作品の質が上がるなら喜んでそうするのだろう。今日あまのストーカー役のように。

 

私はあのストーカー役のような仕事を進んでやりたいと思えるだろうか? 恐らく無理だろう。きっと監督や演出の人に説得されて内心嫌がりながら仕事をこなすに違いない。

 

純粋に演技が好きで演劇をやっている私とアクア君では価値観が根本から違う。

 

「アクア君はやっぱりすごいね。私なんか役になりきるしか能が無くて、演技を楽しむことしか頭になかった。アクア君を見てると自分が駄々をこねる子供みたいに思えてくるよ。」

「黒川、勘違いするなよ? 要は適材適所だ。サポート役に回れる奴が偉いんじゃない。早熟に裏方の勉強をさせたのはこいつがそれに向いてたからだ。頭が良くて器用で周りを良く見てて、超が付くほどのお人よしだからそういう役者に育てた。黒川が同じことをする道理はねぇよ。」

「でも、鞘姫は刀鬼と同じ敵役で出番も少なくて……」

「それに関しては同情するが、仕方がないことだ。全部が全部うまく行くわけじゃねぇし、やりたい役だけやって生きていけるほど芸能界は甘くない。それだけの事だ。今回は舞台装置に甘んじるしかないだろうな。」

 

舞台装置。あるいは説明係。仕事としては楽だけど、遣り甲斐は無い。

 

台本をそっと閉じ、本家東京ブレイドの漫画に描かれる鞘姫の決断を読み返す。

 

上段にひっそりと佇む彼女は愁いを帯びた表情で目を伏せ、長い葛藤に苦しんでいる。仲間を傷つけたくない。でも敵を野放しには出来ない。組織の長としての決断を迫られる鞘姫の胸中がありありと描かれている。

 

こんなにも美しいのに。こんなにも心揺さぶられるシチュエーションなのに。これを表現させてくれないなんて。

 

せっかくかなちゃんと舞台で共演できると思ったのに、早くも不戦敗が決まったようなものだ。せめてアクア君のように引き立て役を楽しめる精神性とスキルがあれば良かったのに、私にはそれもない。

 

楽しみにしていただけに、落胆は大きかった。

 



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指揮系統

稽古二日目。

 

いよいよ本格的な稽古が始まるが、顔合わせの時とは違い不参加の役者もちらほら居る。主演級の役者はこの舞台以外の仕事を抱えている人も多く、すべての稽古に全員が参加できるわけではない。

 

看板役者である姫川さんもやはり忙しく今日は不在だ。とはいえ主役が居ないからといって稽古をしないわけにもいかない。そういう場合はどうするかと言うと稽古場代役(スタンドイン)と呼ばれる身代わりを雇い、抜けた穴を一時的に埋めてもらったりする。

 

スタジオ中央では今まさに山中さんと言う役者が姫川さんの代わりに有馬との共演シーンを務めている。

 

「早速姫川さんの演技が見られると思ったんだけど、今日は休みか。」

「仕方がないよ、姫川さんは忙しいから。今だって映画の撮影やってるみたいだし。」

 

良くあることだよとあかねは気にも留めない様子。あんなに凄い役者が身近に居て羨ましい限りだ。一応学校では不知火フリルと飯を食う仲ではあるのだが、仕事仲間でもないしあまり演技の話はしない。

 

演出の金田一さんが見つめるスタジオ中央では順調に場面が進んでいき、キザミが登場するシーンに差し掛かろうとしている。

 

初日は台本を読み上げるだけで終わったが、今日からはより本格的に体の動きも入れて稽古を行う。しかし具体的な動線や身振り手振りなどはまだ決まっていない状態なので、ここから本番までの間にどんな立ち位置でどんな動きをするのかを詰めていく必要がある。

 

こういった台本に明記されない細かい動きを細部に至るまで作り上げ、演者に指導するのが演出家の役割だ。恐らく金田一さんの頭の中には既におおよその雰囲気や動きのイメージがあり、それを役者の実際の動きとすり合わせているのだろう。

 

演出の金田一さんの前で役者が次々と演技を披露していく。金田一さんのイメージ通りなら良し、駄目なら演技を変えてやり直し。それを繰り返して徐々に演技の内容が確定していく。

 

ここで困った事になってしまったのが、キザミ役のメルトだ。

 

「キザミ。もっと感情を乗せろ。ここは格下と侮っていた相手に敗北したキザミが根性で立ち上がるシーンだ。全身ボロボロの人間が最後の気力を振り絞って立ち上がるってときに、うめき声の一つも上げないと思うのか?」

「うあああぁあぁぁ! 負けてたまるか! ………こんな感じですか。」

「全然だめだ。話にならん。キザミ。もう少し見学してろ。次、ブレイドとつるぎが助太刀に入る場面からだ。」

 

金田一さんは顔色一つ変えずにメルトを下がらせた。もういい、お前の動きは全部俺が考えると言わんばかりに。これでは事実上の戦力外通告だ。

 

メルトには気の毒だが、この面子の中では明らかに実力不足なのも事実。舞台全体の雰囲気を煮詰めていくこの大事な局面では、彼の稚拙な演技が邪魔になると考えたのだろう。非情ではあるがより良い舞台を目指す金田一さんの判断は正しい。

 

だが一方、ここでメルトのやる気を削ぐのも得策ではないと思う。メルトがこのまま挫けてしまえば稽古に身が入らなくなり、それこそ舞台の質を落としかねない。

 

そして俺個人としても、心を入れ替えて役者として頑張る彼を応援したい。

 

演技とは本来楽しいものだ。しかしここで何のフォローもなく隅で見学させられてしまっては、演技は難しくて辛いものだと思ってしまうだろう。役者としてこんなに悲しいことは無い。

 

落胆した様子で戻ってくるメルト。たった9か月の勉強しただけであの演技が出来るならよくやった方だと思うが、ここでは求められるレベルが高すぎた。

 

ちょっと話し相手になってやるか。

 

「そう落ち込むなよ。よくやった方だと思うぞ?」

「そうか…そうかもな。ありがとう。」

「今のシーンだが、もっと痛そうな顔をした方が良い。キザミは既にやられてるんだからな。立ち上がるだけでも辛いはずだし、もっと全体的に緩慢な動きをした方がリアリティーあるんじゃないか?」

「なるほどな……参考になる。」

「考えることは山ほどあるからな。一緒に頑張ろうぜ。」

「ああ。助かるよ。」

 

しんどそうな表情が少し和らいだのを見てホッとする。少なくとも俺はお前の味方だという気持ちは伝えることが出来ただろう。

 

この演技バカの集まりの中で彼が浮いてしまうのは仕方がないが、見方を変えれば成長のチャンスでもある。気に病んでしまうのはもったいない。やる気を取り戻したメルトを見て俺は良いコミュニケーションが取れたとこっそり自画自賛した。

 

ところが。

 

「刀鬼。いや、星野。ちょっとこっちへ来い。」

「何でしょう。」

 

演出の金田一さんに呼び出しを食らってしまった。金田一さんを良く知るララライの面々もちょっと気まずい感じだ。何故だろう。

 

「演出で何か意見があるなら俺を通せ。お前のやる気や実力を疑うわけじゃないが、役者同士で演技の内容を勝手に考えるのは無しだ。混乱を招く。」

「分かりました。気を付けます。」

 

淡々とこの舞台における方針を俺に突きつける金田一さん。どうやら彼は秩序を重んじるタイプのようだ。

 

舞台全体のイメージを決定するのは自分の仕事であると考え、知らないところで勝手にイメージと違う事をされるのを嫌うのだろう。確かにその方が一貫性のある舞台になるだろうし、その姿勢は理解出来る。

 

俺としては役者同士で色々考えながら一つの舞台を作り上げていくようなスタイルが良かったが、演出の方針に背くのはご法度。ここでは金田一さんに従う他ない。

 

「分かれば良い。下がれ。」

「はい。」

 

演出の下を離れ、壁際で台本を読むあかねの横へと戻る。

 

「アクア君。金田一さんも悪気があるわけじゃないの。演劇が好きで信念を持ってる人なんだよ。」

「ああ、それは分かってるよ。ララライの面々も信頼してるみたいだし、情熱も実力も本物なんだろうな。」

「腕は間違いないよ。金田一さんの演技指導は凄いってララライの皆も認めてるから。あと顔も話し方も怖いけど、怒ってるわけじゃないからね。」

「分かってるって。」

 

俺だって劇団ララライを率いる演出家の腕を疑っているわけではない。これは好みの問題だ。

 

ウチの監督も雰囲気は怖いが、スタッフや役者に気さくに話しかけるし現場の雰囲気を大切にしている。監督のイメージと違うことをしても面白ければOKだし、撮影中に脚本を大きく変えることもしばしば。

 

現場に面白い子供が居たからノリで映画に突っ込んだこともある。それが俺のデビュー作だ。

 

俺としてはそういうアットホームで良いと思った事にどんどんチャレンジしていける自由な現場が好みなのだが、ここはそういう現場ではないらしかった。かなり厳格に指揮系統が定められている。

 

「あかねはもっと自由に意見を出し合ったり柔軟に脚本を変えたりとかしたくならないか?」

「特にそういう事は考えないかな。きっちり台本が決まってる方が役作りに没頭できて好き。」

「そういうもんか。俺としては監督の現場みたいに好き勝手出来る方が楽しいんだけどなー。さすがに今日あまレベルの無法地帯は嫌だけど。」

「人を巻き込んで何かするの得意だもんね。アクア君らしいよ。」

「というか、今回の舞台は出番が少ないから他の役を上手く魅せるように色々動こうと思ってたけど、それも出来ないわけか。」

「そういう事になるね。」

 

今回の舞台はあかねの分まで楽しんでやろうと思っていたのに。金田一さんの指示の下で厳密に役割分担されたこの現場では一人の役者として命じられるままに動くしかない。初めて役者として大きな仕事を貰えたと思って楽しみに準備していた俺は、割と真面目に落ち込んだ。

 

結局その日は監督の家にも寄らずに直帰。お姉ちゃんに愚痴をこぼしてなでなでされ、そのままふて寝して怒られたのだった。

 




あかねに続いてアクアも意気消沈。


東京ブレイドのストーリーはこんなイメージ。
バトルシーンは5回あるが、鞘姫と刀鬼の出番は最後の1回だけ。

ブレイドが盟刀を拾う。
つるぎを倒して仲間にする。
キザミを倒して仲間にする。
次々と敵を倒し、仲間が増えていく。
キザミと匁の闘い。キザミが負ける。
ブレイドとつるぎが参戦。匁が撤退。
鞘姫が全面戦争を決断する。 ※刀鬼・鞘姫の出番はここから
最終決戦。鞘姫が致命傷を負い、刀鬼は絶望する。
ブレイドが刀鬼を倒し、最終決戦は新宿クラスタの勝利で終わる。
『傷移しの鞘』により鞘姫が復活。


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ちゃぶ台返し

稽古も4日目ともなると稽古場でグループが出来上がっている。

 

ララライの面子が仲が良いのは当然として、他の役者は自然と共演シーンが多い人間と行動を共にするようになる。キザミを演じる俺の場合はそれが姫川さんと有馬なのだが、金田一さんに見学と個人練習を言い渡された俺は一人でずっとスタジオの隅を占領していた。

 

どうして俺がキザミ役なんだろうな。ただでさえレベルの高い役者陣の中でも特に実力のある二人を相手に俺がまともに()りあえるわけが無いのに。

 

「ようメルト。今日も個人練習に精が出るな。」

「おう。」

 

この舞台でただ一人の大根役者に気さくに話しかけてくるこいつは、刀鬼役の星野アクア。俺と同じ高校一年生の役者で、以前今日あまの最終回で少しだけ共演したことがある。

 

共演した当時は演技の仕事に興味が無く、適当な演技でドラマを台無しにしてしまった。アクアのおかげで最終回だけは良いシーンが撮れたものの、今となっては俺の立派な黒歴史となっている。

 

そんな経緯もあってアクアと有馬は今回の舞台でも俺が下手糞な演技で作品を台無しにするのではと危惧しているようで、やたらと構ってくる。特にアクアは出番も少なくて割と暇だそうで、時間を見つけては俺に話しかけてくるのだ。

 

出番が少ないなら大人しくしていればいいのに、アクアの奴やる気ありすぎだろ。

 

「メルトお前、今日あまが終わって以降ずっと演技の勉強してたって言ってたよな。」

「まあな。お前と有馬の演技を見て目が覚めた。」

「そう言ってもらえるのは嬉しいな。頑張った甲斐があったよ。」

 

良い笑顔するなコイツは。本当に心の底から演技が好きって言うのが伝わってくる。有馬や姫川さんもそうだが、演技が上手い奴ってのは皆演技が好きで仕方が無いって顔をしてる。

 

「なあアクア、演技は楽しいか?」

「楽しいに決まってるだろ。」

「そうだよな。そんな顔してるわお前。」

「メルトはどうなんだよ。」

「分かんねえ。今は周りに追いつくことに必死でそんな事考える余裕もないし。お前は良いよな、ずっと楽しそうで。」

「そうでもないぞ。」

「そうなの?」

 

ああ、とアクアは肯定し、この舞台の愚痴をこぼし始めた。

 

自分の役の出番が少ない上に刀鬼と言うキャラクターが作劇上の都合で単純化されていること、指揮系統が厳格で他の役者や裏方のスタッフと意見交換したり演出についての提案が出来ないことなどなど。

 

舞台のクオリティを上げるために色々やりたいのにやれることが無いのが不満らしい。やっぱりやる気ありすぎだろ。今からでもキザミ役を代わってやりたいくらいだ。

 

「お前はお前で大変なんだな……」

「そうなんだよ。ウチの師匠の現場はやりたい放題やれるのになぁ。ここは息苦しい。」

「色んな現場があるんだろうな。」

「そりゃもう。間違っても今日あまの現場が普通だなんて考えるんじゃないぞ?」

「あの時の話はもうやめてくれ。結構心にくる。」

「はははっ」

 

同い年と言うこともあり、4日目にもなると軽口を叩き合える程度には仲も良くなっていた。

 

一通り雑談が終わって俺が練習に戻るとアクアは隅で壁にもたれて座った。リラックスした様子で台本や原作漫画を読み返したり、時々俺に構ってきたりしながら金田一さんの指示を待っている。

 

しばらく個人練習をアクアに見てもらっていると、スタジオに訪問者が現れた。脚本家のGOAさんと、原作者の鮫島アビ子先生だ。アビ子先生には付き添いで今日あま原作者の吉祥寺先生も一緒に来ている。

 

脚本家と原作者の登場でアクアの顔色が変わる。

 

「これはチャンスだな。」

「何が?」

「金田一さんは厳格な人だから脚本通りの舞台を完成させようとするだろ? だったら脚本家に掛け合って脚本から変えてもらえばいいんだ。しかも今日は原作者も居るから、キャラを掘り下げる方向の提案は通しやすいかもしれない。」

「お、おう。」

 

急に饒舌になったな。余程嬉しいのだろうか。

 

説明もそこそこに、アクアは彼女の黒川あかねを引き連れて脚本家GOAさんと金田一さんの下へと向かった。ちょっと気になるので俺も後から付いていく。

 

「あかね。脚本で気になるところあるんだろ? 丁度GOAさん居るから聞きに行こうぜ。金田一さんを通せば問題ないだろ。」

「昨日の今日でいきなり金田一さんに意見しにいくんだ……。なんというか凄いね。」

「後悔するよりマシだろ。それに顔が怖くても実際は気の良いおっさんだったなんてことはよくあることだし。」

「もう好きにしていいよ。」

「分かった。行くぞ。」

 

だからやる気がおかしいんだよお前は。

 

相変わらず強面の金田一さんの前にアクアは臆さず立つと、鞘姫と刀鬼のキャラクターが単純化されていることについてGOAさんへと質問をぶつけた。回答は想像通りだったようで落胆するでも驚くでもなく、淡々と話を聞いている様子だ。

 

脚本変えてもらえなかったが良いのかと聞くと、元から期待していないとの答え。僅かでも可能性があるならやってみるんだと。

 

アクアと金田一さんのやり取りも終わり俺のテリトリーに戻ろうとした時、ふと視界に鮫島アビ子先生と吉祥寺先生の姿が映った。せっかくなのでアクア共々挨拶しに向かう。

 

「アクアさん。またお会いできて嬉しいです。」

「光栄です。」

 

先に吉祥寺先生に挨拶したアクア。結構いい雰囲気だ。先生の機嫌も良さそうだしこのままのノリで俺も…

 

「先生、おひさっす。」

「あっ、ども……」

 

やっぱり駄目か。分かっちゃいるけど塩対応だ。

 

「お前『今日あま』では滅茶苦茶してたしな。原作者からしたら親の仇みたいなもんだろ。」

「……まぁな。」

 

仕方がないか。ここは演技で見返すしかないな。

 

俺たちが挨拶するのを見て、他の役者達も続々と集まって挨拶をしに来ているようだ。イケメンと美少女はムリといって隠れるアビ子先生。俺も多分話すの無理なんだろうな。

 

再びアクアとスタジオの隅に戻って練習を続ける。

 

原作者に群がっていた役者達も金田一さんの一喝によって散り散りになり、いつも通りに稽古は再開した。しかし何やら脚本家のGOAさんと原作者のアビ子先生の間に不穏な空気が漂っているような。と言うかあれ、喧嘩してないか?

 

「おいアクア。なんか脚本家と原作者揉めてるぞ。」

「みたいだな。」

「みたいだな、って。ヤバいんじゃねぇの? あれ。」

「ヤバいだろうな。でも今俺たちが出張ったところで何にもならないし。」

 

達観してるな、とこの時は思ったが、星野アクアと言う男は俺の想像をはるかに超える奴だということをこの時は忘れていた。

 

「冷静なんだな。」

「いや、内心結構燃えてる。これは面白い展開かもしれない。」

「なんでだよ。明らかにトラブってんだろ。」

「そのトラブルのおかげで面白いことになるんだよ。」

 

ダメだ。何を言ってるのか分からない。

 

だが、今日あまの時もそうだったがアクアは人を思いのままに操って自分にとって良いように動いてもらうスキルを持ってる。最終回で俺が感情演技を出来たのもこいつのおかげだった。

 

多分今回も何か凄いことをやるんだろう。そう考えればなんだか俺も面白くなってきた。

 

「なるほど。良く分からないがお前は何かやる気なんだな。で、どうするんだ?」

「とりあえず、吉祥寺先生の家に遊びに行く。お前も来るか?」

「は?」

 

唐突に出てくる吉祥寺先生宅の訪問。それをやって一体何になるんだ? アビ子先生でもGOAさんでもなく吉祥寺先生なのも意味不明だ。俺がバカなのだろうか。

 

さっぱり意図が読めない。一体何を考えてるんだろうな、アクアは。

 



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ディスコミュニケーション

GOAさんの脚本に対する不満をここぞとばかりにぶつけるアビ子先生を眺めつつ、これから俺がやるべきことについて思案する。

 

つまらない脚本に、厳格な指揮系統。もはややれることは無いと思っていたがここにきてチャンスが巡って来た。原作者の登場によって舞台の内容が根本から変わる可能性が出てきたのだ。

 

まず、アビ子先生の師匠にあたる吉祥寺先生を味方に引き入れるのは必須だ。たかが一役者の意見を売れっ子漫画家が聞いてくれるとは到底思えない。吉祥寺先生への覚えは良いはずだし、有馬と俺が揃って遊びに行くと言えば断らないだろう。

 

ノリでメルトも誘ってしまったが、まぁ問題あるまい。

 

今問題となっているのは脚本だ。

 

俺もこの舞台に向けて東京ブレイドの漫画を徹底的に読み込んできたから分かる。あの漫画は人物の深さを魅せる漫画だ。脚本の出来は悪くないが、シンプルさを取ってキャラの心情描写を捨てるという方針では、東京ブレイドの魅力を引き出すことができない。

 

しかし先ほど金田一さんを交えてGOAさんと会話した限りでは、GOAさんもそのあたりはよく理解している様子だった。となればこの脚本が出来上がってしまった要因は特定の誰かではない。

 

原因は恐らく、修正指示を出すアビ子先生と指示に従って脚本を修正するGOAさんの間に存在するディスコミュニケーションだ。

 

監督は言っていた。言語化出来ない意図まで汲み取ってくれる役者は貴重、喉から手が出るほど欲しいと。要するに頭の中にあるイメージを言語化して他者に伝えるのはプロであっても難しいということだ。

 

いかにもコミュニケーションが苦手そうなアビ子先生であれば、修正作業はなおの事困難を極めただろう。GOAさんも苦労したに違いない。

 

映画監督の弟子として培ってきた知識と経験を活用して、何とかこの両者の橋渡しが出来ないだろうか。俺は演出、脚本、役者、その他の裏方など映画製作に関わるすべてを経験してきたし、東京ブレイドだって誰よりも良く理解している自信がある。

 

この状況を何とかするのに俺は適任の筈だ。そうだよな、監督?

 

アビ子先生はブチギレ真っ最中で、総合責任者の雷田さんとアビ子先生のマネージャーが何とか諫めようと頑張っている。少し離れた場所にGOAさんと吉祥寺先生。揃って暗い表情だ。

 

「GOAさん。ちょっと話が。」

「なんだい?」

「アビ子先生は何度も脚本に修正指示を出したと言っていましたが、具体的にはどのような指示を受けましたか? 言える範囲で構わないので教えていただきたいです。」

「別に構わないけど、どうして?」

「これは予想なんですけど、アビ子先生の指示が正しく伝わっていないと思いまして。先ほどの会話からGOAさんはアビ子先生が東京ブレイドで表現したいことを良く理解していると感じました。今回の脚本がこうなったのはGOAさん以外の何者かの意思が介入しているはずなんです。」

「ははは、良く分かってるじゃないか。そこまで言うなら教えてあげよう。……リライティングってのは、地獄の創作だよ。」

 

GOAさんは淡々とリライティングの苦労を語ってくれた。

 

原作者の趣味と違えば憎まれ嫌われ、つまらなかったらファンから戦犯のように晒し上げられて、面白かったら全部原作の手柄。プロデューサーの趣味を捻じ込まれて、大手事務所には出演時間(でじろ)を増やせと圧を掛けられて、それでも作品として成立するように作らなければならない。

 

これは辛そうだ。

 

監督が何故超低予算の映画ばかり作っているのかが良く分かった。自分がトップなら邪魔は入らないし、全体に目の届くから役者が好き勝手してくれて構わない。彼はそんな自由な現場が好きなのだ。

 

俺も全く同じ意見だ。監督、早く新作作らないかな。

 

そして問題の修正指示だが、やはり原作の良さをかき消す方向のものが多く、GOAさんもそれを知りつつ仕方なく指示に従っていることを明かしてくれた。読み通りだ。

 

よし次。吉祥寺先生を味方につけるべく、策を講じる。

 

「こんにちは吉祥寺先生。アビ子先生に付きそうのも大変そうですね。子供みたいな人だ。」

「漫画家はこだわり強くて社会性に著しく欠けてる人多いから……。もちろんアビ子先生は極端な方だけど…。」

「だからこそ東京ブレイドを描けたのかもしれませんね。」

「それはそうかもね。」

「ところで先生。このトラブルで俺たちは少し暇になりそうなんですけど、今度吉祥寺先生のお宅に遊びに行っても良いですか? 有馬とか他の役者友達と一緒に。」

「え、本当? それはとても嬉しいけど……。むしろ良いの? 芸能人が家に遊びにくるなんて……。」

「本人が良いと言ってるんだから良いんですよ。今日あま読みました。とても面白かったです。吉祥寺先生が喜んでいただけるなら是非お邪魔したいです。」

「そ、そう? なら来てもらおうかしら。」

 

いきなり自宅に遊びに行きたいなどと不躾なお願いをしてしまったが、すんなりと受け入れてくれた。今日あまでの働きを認めてくれているのか、それとも芸能人が家に来ることに舞い上がっているのかは良く分からないけど。

 

最終的な目標は、なるべく近い距離でアビ子先生からGOAさんへと修正指示が届くルートを確保すること。それにはアビ子先生の歩み寄りが不可欠となる。

 

吉祥寺先生もアビ子先生も、この舞台を良いものにしたいという思いは変わらないはずだ。東京ブレイドについて熱く語り、作品への愛を認めてもらえれば、吉祥寺先生からアビ子先生に説得を頼めるかもしれない。

 

そしてアビ子先生の意図が正しく伝わりさえすれば、GOAさんは素晴らしい脚本を作り上げてくれるはずだ。原作者、脚本家、劇団、観客そのすべてが幸せになる最高の展開。そこを目指す。

 

そうこうしているうちにアビ子先生と雷田さんの間で話がまとまった。どうやらGOAさんを下ろしてアビ子先生が直々に脚本を書くと言い出したらしい。

 

何とわがままな人だろうか。

 

これが原因で脚本は白紙に戻り、新しい脚本が上がるまでは稽古が休止となった。

 

脚本が気に入らないのは分かるが、稽古をストップさせることの重大さには全く気付いていない辺り、やはり演劇を理解していないと言わざるを得ないな。

 

役者陣は皆困った顔をしている。あかねも同様だ。

 

「稽古中断は痛いなぁ……。今回の舞台はステージアラウンドだし、稽古期間多く取りたいんだけどなぁ。」

「そういやそのステージアラウンドって何?」

「えっ! 知らないで稽古してたの? それが分かってなきゃイメージ出来なくない!?」

「劇のステージなんて殆ど同じだろ。」

「アクア君、舞台そんなに好きじゃないでしょ?」

「気づかれたか。」

「そら気づきますとも。」

 

演劇を理解していないのはアビ子先生だけじゃなかった。言われるまで気づかなかったが、俺は映画専門で舞台には疎いのだった。

 

「好きと言うか好んで観ないだけだけど。」

「どうして?」

「場面転換の度にセット入れ替えてテンポ悪いし可動式のセットは安っぽい。劇特有の大げさな演技にいまいちノれない。同じ時間使うなら演出聞かせられる映像の方を観……」

「大体想像通りの答えだね。」

「そっちから聞いておいて…」

 

とにかく、あかねは俺の舞台への理解が古いことが気に入らないようだった。

 

だが、舞台なんてどこも同じだろう? ステージがあって、幕があって、その中にセットを用意して役者が演技して。テンポが悪いのも演技が大げさなのも、物理的にどうしようも無いと思うのだが。

 

ステージアラウンドとやらがそれを解決するというのだろうか?

 

「ステアラで舞台観たことないんだ? ふーん?」

「なんだよ」

「せっかく時間出来たんだからちょっとデートしよ? 演劇は映像より上位の()()()()()()()()だって教えてあげる。」

 

随分と大きく出たものだ。あかねがここまで自信たっぷりに推すのだから、ただ事ではない。

 

ステージアラウンド、略してステアラ。いったい何者なんだ?

 



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ステージアラウンド

一流の役者に囲まれ、演出の金田一さんも見ている前でそれなりの時間演技を披露してきたアクア君だけど、まさかステージアラウンドを知らずにやっていたなんて。

 

これでバレないのは演技力と適応力の高さ故なのだろうか。だとしたらとんでもない才能だ。アクア君が悪人だったらものすごい詐欺師になっていたのかもしれない。

 

まぁ、根っからのお人好しなアクア君に限ってそんなことは絶対にありえないけどね。

 

台本が白紙に戻った影響で稽古は中止。時間はまだ昼過ぎ。今ならまだ当日の公演に間に合うかもしれない。私が前々から気になっていたあの人気漫画『卓球の王子様』の舞台が丁度今日の夕方からやっていたはずだ。

 

「ほらアクア君、行くよ。」

「お、おう。」

 

彼の手を引き、さっさとスタジオを抜け出す。せっかくのデートだ、時間を無駄には出来ない。チケットの購入も移動中に済ませてしまおう。

 

タクシーに乗ってお目当ての劇場へと向かう。

 

「アクア君。チケット取れたよ。もうすぐで売り切れになるところだった。」

「へぇ、平日なのに満席になるのか。人気なんだな。どんな舞台なんだ?」

「これも2.5次元の舞台だよ。知ってるかな『卓球の王子様』って言う漫画なんだけど。」

「ああーあれか。名前だけは知ってるよ。確か、中国で卓球を学んだ主人公が日本の学校で卓球部に入る話だったよな。」

「そうそう。荒れ狂う大海原で海賊に串刺しにされちゃうシーンとか、五感を奪われて何も出来なくなっちゃうシーンとか、あとブラックホールで敵の攻撃を受け止めるシーンも有名かな。男の子が好きそうな感じだよね。」

「ちょっと待て。卓球の話じゃなかったのか? 超能力を使ったバトル漫画?」

「一応卓球の話だよ? でもギャグマンガって言う人も多いらしいね。」

「バトル漫画ですらないのか……世界は広いな。」

 

アクア君が困惑するのも無理はない。私もちょっと友達に話を聞いただけだけど、本当にこの漫画は訳が分からない。舞台の脚本に落とし込むのは東京ブレイドなんかよりもずっと難しいだろう。

 

だからこそステージアラウンドの凄さを思い知らせるのには好都合だ。『卓球の王子様』の舞台で前面に押し出すべきポイントはノリと勢い。決して緻密な考察や心情の描写ではない。とにかく派手に。とにかく熱く。これはそういう漫画だ。

 

派手な視覚効果が必要で、セットもその場のノリでコロコロ入れ替わる、普通の舞台ではなかなか表現できないだろう。

 

「それ、本当に舞台化できるのかよ。」

「出来てるから凄いんだよ。言ったでしょ、満員だって。」

「それもそうか……いやしかしなぁ……信じられない。」

「見れば分かるよ。そうとしか言えない。」

 

こればっかりはどんなに言葉を尽くしても伝えられるものじゃない。まずは見てもらって、話はその後だ。

 

アクア君の反応が楽しみだなぁ。

 

・・・

 

舞台を鑑賞し、隣接するカフェで一息つく私達。

 

「どうだった?」

「……まあ、正直言うと想像の50倍面白かった……」

「でしょーー!?」

 

やっぱり分かってくれた。しかしアクア君の表情は優れない。むしろ深刻そうな顔だ。

 

ステージアラウンドの良さは十分伝わっているみたいだけど、一体どうしたのだろう。

 

「何か気になる事でもあった?」

「いや、舞台は良かった。特にいう事は無い。」

「でも何か悩んでる感じだよね。」

「ああ。初めてステージアラウンドって奴を見て、俺達の置かれている状況が想定よりも悪いってことに気づいたんだよ。」

「どういう事?」

「俺は今まで舞台なんてどこも似たようなもんだと思ってた。だから脚本作りもアビ子先生の指示がちゃんと反映されればそれで問題ないと思ってたんだよ。でもそれだけじゃダメだ。この舞台を見て良く分かった。この脚本はこの箱の強みをフルに活かす工夫が組み込まれてる。やっぱり最終的にはプロの脚本家がきっちり監修して一から書きあげないと良い舞台にはならない。」

「でも、アビ子先生はそんなの認めてくれるかな。GOAさんを下ろしてって言ってたくらいだよ。」

「アビ子先生にはGOAさんの手腕を認めてもらう必要があるな。脚本家には脚本家のスキルが求められるってことをどうにかして納得させないと。」

 

本当に色々なことを考えている。

 

私も役作りに関しては周囲の人間に呆れられるくらい色々な情報を集めてひたすら考察してるけど、アクア君も方向性が違うだけで好きなことに対しては徹底的に考えるタイプみたいだ。

 

私と違ってイレギュラーなことが起きた方が面白くて頭も回るみたいだけど。アビ子先生がGOAさんと揉めてた時もちょっと楽しそうだったもんね。アクア君と私は似てるようで似てないのかもしれない。

 

そんなことを考えていたら、ちょうどいいタイミングでイレギュラーなことが起こった。

 

「やあやあご両人。」

 

舞台『東京ブレイド』の総合責任者の雷田さんが突然現れたのだ。

 

「雷田さん」

「どうしてここに?」

「どうしてって、この舞台は僕の担当だからね。ちょっと落ち込んだときは出ていく客の顔を見るのさ。客の顔は素直だ。楽しんで貰えた時は笑顔だし、イマイチだった時は澄まし顔。見てたらやる気に繋がるからさ。」

 

楽しそうに語る雷田さん。スタジオでアビ子先生とやり取りをしていた時とは大違いだ。

 

東京ブレイドの舞台に関わる人たちは皆舞台が好きで、好き好んで悪い脚本にしようとする人はどこにもいないように見える。GOAさんも雷田さんも、勿論金田一さんも。皆素晴らしい舞台にしようと努力しているし、東京ブレイドの面白さもよく分かってくれている。

 

なのに上がって来た台本があれだった。一体どこから歯車は狂ってしまったのだろう。

 

アクア君は何か手掛かりと言うか、彼なりの答えを出しているみたいだけど、どうして分かるんだろうか。これが天才ってことなのかなぁ。

 

「雷田さん、脚本の件大丈夫なんですか?」

「ん-今日も出版社側とやりあって来たんだけどね。やっぱり原作者の先生が頑なみたいでね。脚本家のGOAくんは降りてくれと、先生直々に脚本書き下ろすと言ってるんだ。」

「無理ですよね。アビ子先生はこの舞台の装置のことは何も知らない。やっぱりGOAさんの力がどうしても必要になる。」

 

ここでアクア君はふぅと息を吐き、雷田さんを真っ直ぐ見据えた。

 

綺麗なアクアマリンの瞳に星が宿り、キラリと光ったように見えた。

 

「雷田さん、頼みがあります。どうにかしてアビ子先生とGOAさんが直接意見を交換しながら脚本を作る機会を設けてくれませんか。」

「そうしたいのは山々だけど、アビ子先生が聞いてくれるか……」

「それに関しては俺の方から掛け合います。明日吉祥寺先生の家に訪問する予定なんですよ。そこで吉祥寺先生にアビ子先生を説得してくれるよう頼むつもりです。」

「でも、意見の食い違いで二人の仲が余計に悪くなるなんてこともあるかもしれないよ?」

「それは無いです。GOAさんは東京ブレイドをしっかり読み込んでいるし、キャラクターを大事にしたいというアビ子先生の意図を最大限汲んで脚本を作ったと言っていました。仲良くやれると思いますよ。それに何より、」

「何より?」

「もうこれ以上状況が悪くなることなんてあり得ません。このままいけば許諾の取り下げか、ひどい脚本で舞台を強行するかの2択ですから。」

「それは……そうだね。」

 

この無尽蔵の行動力は一体どこから湧いてくるんだろう。金田一さんにも臆さず意見するし、急に現れた総合責任者の雷田さんにも堂々と頼み事をするなんて。私には到底考えられない。

 

アクア君の直談判は雷田さんの心に響いたらしく、少し考えた末にやれるだけやってみるとの返事を貰えた。絶対やると言わないのは立場もあっての事だろう。目は間違いなく本気だった。

 

方針が決まり、具体的な手順をアクア君が説明する。

 

「明日、吉祥寺先生経由でアビ子先生にこの舞台のチケットを渡します。台本を書く参考になると言えば来てくれるはずです。そしてクリエイターのアビ子先生がこの舞台を見て何も思わないはずはありません。雷田さんは舞台から出てくる彼女を捕まえて、GOAさんの脚本家としての優秀さを説いてください。」

「なるほど。そこまでお膳立てされちゃあやるしかないね。」

「よろしくお願いします。」

 

こうしてアクア君は総合責任者の雷田さんをその気にさせることに成功したのだった。

 

突然現れた責任者を相手に、今見たばかりの舞台を踏まえた上で、こんなにもスラスラと問題解決に向けた筋書きを語れるなんて。凄いを通り越して呆れてしまう。

 

これが五反田監督の言う適材適所ってことなのかなぁ。私には逆立ちしても出来そうにないや。

 



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吉祥寺家

やばいやばい。早くお部屋片づけないと……!

 

もうすぐアクア君たちが来ちゃう。約束の時間まであと10分。頼む! 間に合ってくれ…!

 

美少女&イケメンの芸能人4人が我が家を訪れるという緊急事態に、私はかつてないスピードで部屋の片づけと掃除を済ませ、見せてはいけないものは隠し、どうにか人を迎えられる部屋を用意する。

 

ピンポーン

 

ジャストタイム。最後のごみ袋を押し入れに投げ込んだ瞬間にチャイムが鳴った。

 

「おじゃましまーす!」

「わー! 皆いらっしゃーい!」

 

扉をあければ美少女と美少年が2人ずつ。視界が眩しい。漫画やアニメじゃあるまいし、こんな顔が整った人間が一堂に会して私の目の前に現れるなど想定外も良いところだ。

 

勢いよく挨拶してくれたのは今日あまでメインヒロインを演じた有馬さん。後ろにはストーカー役のアクア君と、今日あまとは関係ないけど彼女の黒川あかねさんだ。

 

そしてもう一人。何食わぬ顔でアクア君の隣に立っているのが今日あま主演の鳴嶋メルト。アンタも来るのか。顔が良いからって何でも許されると思うなよ。

 

いろいろと思うことはあるが、表面上は緊張と憎悪を悟られないよう自然な笑顔で対応する。

 

「さ、上がって。作業場所はこっちよ。」

「「「「はーい」」」」

 

作業場に案内すると皆興味津々といった様子で部屋を見まわしている。私にとっては見慣れた光景だが、漫画家と関わりの薄い彼らには物珍しいのだろう。私がスタジオに見学しに行った時も同じような顔してたのかな。

 

とはいえ、漫画や資料がたくさん置いてある以外は実の所普通の家と大きくは変わらない。今や作業のほとんどはデジタルで完結しているので、漫画家が扱う見慣れない道具と言えば液タブ位なものだ。

 

「これ液タブって言ってモニターに直接描けるんですよ?」

「全部デジタルなんですね!」

「最近の主流はそうねー」

 

以上。説明終わり。

 

PCの中身はさすがに見せるわけには行かないので、この説明が終わった時点で説明するべき物などもう存在しない。漫画家が住んでいるだけの普通の家だ。

 

後は用意していたお菓子をつまみながら、美男美女を侍らせて酒を煽るだけ。これはアレか、我が世の春と言うやつか。

 

「さっそく乾杯……って思ったけど、皆いくつだっけ!」

「16」「17」「17」「16」

「わっか……死にたくなってきた……。ごめん。じゃあ私だけイかせてもらうわ。」

 

私以外全員未成年。しかも20手前とかですらなく10代中ごろという若さ。そんないたいけな少年少女を家に招いてパーティーを開くことに罪悪感を感じるが、向こうからの申し出なのでこれはセーフ。

 

セーフ……だよね?

 

用意していたスナック菓子やジュースを机に並べ、お好きにどうぞと差し出す。酒も無いのにおいしそうに飲み食いする子供達。ああ、私にもこんな純粋な時期がきっとあったんだよなぁ。今じゃ見る影もない。

 

時の流れの残酷さを噛み締めつつ、一人寂しく2本目の缶ビールを開ける。

 

その後は色々と漫画の事について聞かれたりもしたが、まぁ素人の考えることは大体同じで、これまでさんざん聞いた質問とその回答を繰り返すだけだ。酔っぱらいながら適当に想定問答を繰り返していく。

 

アルコールが回って余計な思考が抜け落ちた私は、ただただ綺麗な顔たちを眺めてうっとりしていた。

 

これアニメやCGじゃないのよね……。芸能界ってスゴイ。

 

そんな感じで彼らに見惚れたままどれくらい時間が経っただろうか。一通り漫画家への質問が終わりパーティーもそろそろお開きかと思った頃、アクア君が唐突に雰囲気を引き締め、あの件について話しを始めた。

 

「僕が今日お邪魔した理由は薄々分かっていると思いますが、改めてお話しさせてください。東京ブレイドの舞台の件です。」

 

まるでイラストのように現実離れした美しい瞳。それが真っすぐ私に向けられる。

 

酔いは一瞬で醒めた。

 

「……そう。やっぱりその件なのね。」

 

私もアビ子先生に思う所は死ぬ程ある。舞台の脚本が気に入らないからと言って許諾の取り下げまでちらつかせて脚本家を降ろしにかかるなど言語道断だ。

 

彼女は自分の才能を信じ切って他者の意見を聞かず、それでも天才ゆえに周囲との軋轢を生みながらもとんとん拍子で売れていった。今回もそんな数あるトラブルの内の一つ。本来なら師匠として弟子の行いを正すべく働きかけた方が良いのだろう。

 

だけど、どんなに売れて大物になっても、やっぱり可愛い弟子の一人。今でも師匠と呼んで慕ってくれる彼女を突き放すなんて私には出来ない。

 

彼女がどれだけ漫画に命を懸けているか、どれだけキャラクターを愛しているかを私は知ってる。魂を込めたキャラクターをぞんざいに扱われれば泣いて悔しがるような子だ。ここで私が彼女を突き放せばどれだけ傷つくだろうか。

 

アクア君には悪いけど、ここはアビ子先生の味方をしよう。本当の意味で彼女の味方になってあげられるのも私だけだから。

 

「ごめんね。」

 

これが私の役割だ。東京ブレイドという作品を愛する者の一人として、ここで道を間違えるわけには行かない。

 

「アビ子先生の気持ちとても良く分かるから。私は人の仕事にケチ付けるの得意じゃなくて、メディアミックスは割と全部お任せしちゃう主義の人だけど……本心はアビ子先生と同じ。出来ることなら愛を持ってキャラに触れてほしい。キャラは自分の子供みたいなものなんだからさ。この件に関しては力になれないかな。」

「……先生の気持ちは分かりました。でも、もう少しだけ話を聞いてください。」

 

しかしアクア君は否定の言葉を聞いても顔色一つ変えず、相変わらず綺麗な瞳をこちらに向ける。まるで私の心の中を全て見透かすような鋭い視線だ。

 

続いて彼の口から語られたのは、私と真逆の意見。

 

「アビ子先生の気持ちが分かるなら、なおの事彼女を説得してあげて欲しいんです。」

「どうして?」

「脚本家のGOAさんも、東京ブレイドという作品を愛しているからです。彼だけじゃない。役者陣だって同じです。僕たちは演技を愛しています。漫画家がキャラを愛するように、役者も魂をこめて作り上げた役を我が子のように愛するものなんです。今回の舞台の主催は劇団ララライと言います。皆一流の役者だと胸を張って言えます。キャラクターをぞんざいに扱う人間など誓っていません。アビ子先生とGOAさんの意思疎通さえ上手くできれば素晴らしい舞台になるはずなんです。どうか、考えを改めてはいただけませんか。」

「それは……」

 

何も言い返せなかった。漫画家には漫画家のブライドがある。ならば、役者や脚本家にも同じようにプライドがある。そんな当たり前のことを突きつけられた。

 

なんて真っ直ぐな子なんだろう。稽古期間が無いとか、収益の問題があるとか、いくらでもそれらしい説得材料はあるのに。そんなことは微塵も考えず、舞台に関わる人間たちを信じてくれと真正面から言ってのけた。

 

その純粋さはアビ子先生にも負けてないかもしれない。

 

私の負けだ。

 

「あなたの熱意は伝わったわ。私の方からアビ子先生を説得してみる。」

「ありがとうございます。」

 

少しほっとした様子の彼。そんな些細な表情の変化からも舞台への想いが伝わってくる。

 

「説得にあたり、いくつかお願いがあります。」

「なに?」

「まず、アビ子先生にこのチケットを渡してください。今回の舞台はステージアラウンドという特殊な施設で行います。恐らくアビ子先生はそのことを知りません。なので、脚本を書く参考にと言う体でこの舞台を見るように言ってください。」

「わかったわ。」

「それから、アビ子先生に伝えてほしいことがあります。」

「伝えてほしいこと?」

 

ええそうですと首肯した彼は、強い意志を瞳に宿し、こう言い放った。

 

「僕たちは演技には自信があります。どんな脚本でも完璧に応えて見せます。そう伝えてください。」

 

返事すら忘れて彼の瞳に魅入ってしまう。本当に演技が好きなんだ。いや、好きと言う言葉では足りない。愛しているんだ、演技を。

 

私たち漫画家と何も変わらないじゃないか。クリエイターは皆良い作品を作るために必死なんだ。それは舞台を作る人たちだって同じこと。ならば分かり合えるはずだ。一流のクリエイターであるこの人たちならアビ子先生ときっと分かり合えるはず。

 

「先生? どうかしましたか?」

「ああ、ごめん。ちょっと酔っぱらってぼーっとしてたみたい。」

「本当にお願いしますよ。先生が頼りなんですから。」

「大丈夫よ。私だって良い作品作るために命かけてるクリエイターなんだから。任せて頂戴。」

「………なら、これ以上言うのは野暮ですね。」

 

私の覚悟、伝わったみたいね。

 

こうして話はまとまり、酒とジュースを追加してしばらくホームパーティーを楽しんだ後彼らは帰っていった。お行儀よく飲み食いしてくれたおかげで片付けもすぐに済む。このまま今日中にアビ子先生の所へ行ってしまおう。

 

久しぶりに心を震わせる本物のクリエイターの言葉を聞けた気がする。普段は家に籠って漫画ばかり描いてるから考えてこなかったけど、世の中には漫画家以外にも沢山のクリエイターがいて、それぞれが魂籠めて作品を生み出しているんだ。

 

漫画家だけが特別じゃない。当たり前の事だ。師匠として、アビ子先生にも言って聞かせるべきだろう。

 

私だって半端な覚悟でプロの漫画家をやってない。アクア君のように、この熱意を真っ直ぐぶつければ伝わるはず。むしろ、それ以外に彼女の心を動かす方法なんてない。やってやろうじゃないの。

 

高ぶる気持ちを抑えつつ、私はアビ子先生の自宅へと出発した。

 







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命懸けの執筆作業

描いても描いても終わらない。

 

本誌の原稿に、カラーのイラストがいくつか、それから私が直接監修しなきゃいけないグッズにスピンオフ作品への原作者イラストとかもあったっけ。やらなきゃいけないことが多すぎて、もう訳が分からない。

 

昨日が締め切りのイラストを描き上げ、次の作業に取り掛かる。次に締め切りが近いのは、えーとどれだっけ? 

 

机の上の封筒から適当に画用紙を取り出すが、そこには完成したイラスト。おかしいな、最後まで描いた記憶は無いのに。まだ下書きだったはず……。

 

私はもうとっくに限界だった。

 

しかし作業を止めることは無い。いや、止められない。もし人気が落ち、東京ブレイドが数ある漫画の一つとして埋もれてしまったら? 死ぬ程怖い。

 

少しでも手を抜けば一瞬で読者に見放されてしまうだろう。だから体が軋もうが、記憶が無くなろうが全力で描くしかない。作品が完結するか作者たる私が死ぬか、どちらになるかは分からないがその時が来るまで走り続けるしかない。

 

その覚悟はできている。

 

一コマ描き終え、ほんの数秒だけ休憩する。凝り固まった首と背筋を伸ばし、顔を上げ、視界が一気に広くなる。山積みの資料の中、ある冊子が偶然目に留まってため息が出た。悩みの種だ。

 

冊子の表紙には『舞台 東京ブレイド』の文字。

 

3流のクリエイターが蔓延るこの世界で、苦労して産み育ててきた大事なキャラクター(子供達)を守るのは私の役目。東京ブレイドと銘打って世に出される以上は、ちゃんとキャラの柱を崩さずに創作してもらわないと困る。

 

あんなクソみたいな台本など、論外だ。

 

何をどう読んだらあんな意味不明な脚本が出来上がるのだろう。うちの子は世間にはあんな事を言うと思われている? 私の漫画を分かってくれる人は居ないって事? プロの脚本家でさえあのレベルの理解なの?

 

全くもって話にならない。これなら私が一人で書いた方がよっぽどマシだ。

 

所詮世の中の人間なんてこんなものだ。確かなのは自分の才能だけ。自分の作品は自分で守るしかない。

 

「アビ子先生おじゃまするわよー」

「原稿中なのでこちらからすみません。」

 

ああそういえば先生が来るって連絡が来ていたっけ。すっかり忘れていた。

 

「あれ? そっちの締め切りって昨日じゃなかった? ……オーバーしてるの?」

「はい。」

 

これだけの作業量、オーバーして当然だ。文句はマネージャーに。

 

指示を出すまでもなく作業に加わる先生。編集が持ってくるアシスタントもこれくらい有能だったらいいのに。

 

「寝てるの?」

「一応毎日2時間は寝てるのでまぁなんとか。今日はデッドなので寝てないですけど。」

「それ死ぬわよ。もっとリアルに言うなら鬱病リタイアコース。二度と元のペースで描けなくなるわよ?」

 

こうやって小言を言ってくるのはいつもの事。先生なりの優しさだけど、今はそれどころじゃない。

 

そこから先もいつものように先生の小言は続いた。アシスタントをちゃんと育てろだとか、人とコミュニケーションを取れだとか。そんなの無理だって何度も言ってるのに。

 

たまり続ける仕事でいっぱいいっぱいだった私は、ついに我慢の限界を迎えた。

 

「そういうの5000万部売ってから言って貰えます!? こっちはそういうレベルで戦ってるんです! 重い期待の中毎週必死にやってるんですよ!?」

 

こんなことを言われれば当然先生だって怒る。

 

「……言うようになったわね…。それ言われて言い返せる漫画家は今この業界に殆ど居ない、本当に無敵の返しよ。確かに私はアンタほど売れてない。」

 

とはいえ、ここまでガチギレするとも思ってなかった。

 

「でも悪いけど私の方が面白い漫画書いてっから!!」

 

鬼の形相だ。紙を前髪をバンドで上げているからおでこの皺まで良く見える。

 

精神的に追い込まれていた私は年上で漫画のいろはを叩きこんでくれた先生を全力で罵った。かと思えば先生も普段の落ち着き具合からは想像できないほどの剣幕で言い返してくる。こんなに熱意の籠った先生の言葉は久しぶりに聞いたかもしれない。

 

何か先生の心を動かすような出来事でもあったのだろうか。いつになく本気で説得を試みてくる。

 

「アンタだって作品に命懸けてるクリエイターなら分かるでしょうが! 脚本家だって命懸けで脚本書いてんだ! どこに好き好んで駄作を作るクリエイターがいるっていうの!」

「じゃああの台本で舞台をやられて先生は納得するんですか!? 冗談じゃない! それこそ命懸けで阻止しなきゃいけない事です!」

「だからってあのやり方は無いでしょ! 歩み寄れるのはアンタだけなんだから!」

 

口喧嘩は続けつつも原稿を描く右手は止まらない。こんな時でも一番大事なのはやっぱり作品。そこは先生も同じだった。締め切りは明日の朝。何としてでもそこまでには完成させる。

 

どうにか原稿を描き上げた時には、外はすっかり明るくなっていた。

 

・・・

 

「おはよう。体調はどう?」

「先生……」

 

いつの間にか床で眠っていたようだ。時刻は昼の14時。確か原稿を描き終えて床に倒れ込んだのが9時くらいだったから、久しぶりに5時間も寝ることが出来たことになる。

 

隣で私が起きるのを待っていてくれたのは、吉祥寺先生だ。

 

「ねぇ、アビ子先生。ちょっと話があるの。聞いてくれる?」

「はい。なんでしょう。」

「昨日ね、東京ブレイドの舞台の役者さんたちが家に来たのよ。それで刀鬼役のアクア君って子がね、あなたが脚本家のGOAさんに歩み寄ってもらうよう説得してくれって頼まれたの。」

「ああ、そういう話ですか。はっきり言います。無理です。もうその話はやめてください。」

「……はぁ、相変わらずね。」

 

相変わらずも何も、これが普通の対応だ。自分の作品を守る為に戦って何が悪い。先生も漫画家なら私の気持ちが分かるはずだ。

 

しかし今日の先生は少し違った。

 

「でも今日ばかりはそうも言ってられないわ。貴方もクリエイターを名乗るなら、私の話を聞きなさい。」

 

これだ。昨日も感じた、吉祥寺先生の心の中で確かに燃える情熱。一体何が彼女をここまで熱くさせたのか。一人の漫画家として興味をそそられる。

 

「先生。一体何があったんですか? そんなに熱くなるなんて、らしくないじゃないですか。」

「久しぶりにね、本物のクリエイターを見たのよ。星野アクア君、彼の情熱は本物だったわ。舞台を良いものにしたいって言う純粋な気持ちだけでわざわざ私の家まで来て、もの凄い熱量で役者陣や脚本家の事を信じてくれって私を説得して来たのよ。」

 

本物か。

 

星野アクア。私の尊敬する吉祥寺先生にここまで言わせるなんて。一体どんな人なんだろう。その人だったらこの舞台の脚本について語り合ってみたい。

 

「アクア君言ってたわよ。アビ子先生とGOAさんの意思疎通さえ上手くできれば素晴らしい舞台になるって。きっとGOAさんだって望んであんな脚本を書いたわけじゃないのよ。貴方とGOAさんの間には沢山の人が挟まってて、碌に意思疎通が出来てなかったはず。貴方が歩み寄ればその壁もきっと超えられるわ。私からもお願い。GOAさんに歩み寄ってあげて。」

「でも、そんなのどうすれば良いか分からないですよ……」

「まずはGOAさんが脚本を担当した舞台を見るのはどう? ってこれはアクア君の提案なんだけど。仮に貴方が台本書くにしたって実際の舞台を見なきゃイメージ湧かないでしょ?」

「そう…ですね。それ位ならできます。」

「決まりね。今日の夕方から公演よ。私も付いていってあげるから、見に行きましょう。」

「はい。」

 

GOAさんの脚本を担当した舞台か。それ位なら見てもいいかもしれない。

 

私は軽い気持ちでその舞台とやらを見に行った。

 

・・・

 

想像以上だった。

 

観客を360度取り囲むスクリーンに回転する観客席。私の想像していた舞台とは全く次元の違う何か。そうとしか表現できない体験だった。

 

そして何より驚いたのはその脚本。悔しいけど、これは私には書けない。舞台の仕掛けを上手く利用した演出やバックに映像を流すことを前提にしたセリフや動きなど、私の知らない方法で観客の心を揺さぶる仕掛けが盛りだくさんだった。

 

「どう? アビ子先生。少しはアクア君とGOAさんのこと信じる気になった?」

「まぁ、確かにまともなクリエイターなんだなとは思いましたよ。」

 

この舞台に関しては、だけど。

 

漫画の締め切りが近いからと急いで帰る私。吉祥寺先生は少しのんびり観客席で舞台の構造を眺めた後、ホールを後にするという。

 

建物の外に出ようと通路を歩いていると、特徴的なモノクロの服を着た見覚えのある男の人が駆け寄ってきた。確か、東京ブレイドの舞台の責任者の雷田さんだったはず。一体何の用だろうか。

 

「これはこれは先生。まさかこの舞台にお越しいただいていたとは。ささ、こちらへ。」

「あ、はい……」

 

勢いに流され、言われるままに楽屋のような部屋へと通された。机の上にはお弁当とお茶。そこそこ長時間私を引き留める気でいるらしい。これから何をさせられるんだろう。

 

その答えは雷田さんの一言ですぐに分かった。

 

「先生。腹を割って話しませんか。」

 

そこから長々と話をしていたけど、言いたいことは一点だけ。GOAさんに脚本を書かせてあげて欲しい。それだけだった。

 

この人からも確かな熱意とセンスを感じた。「こっちはジジイのチンポの1本や2本しゃぶる覚悟で仕事してるんです!」という発言には少し引いてしまったが、彼なりに必死に仕事をしているという意味だろう。

 

舞台を作る人たちも確かにクリエイターだ。編集者とか出版社の偉い人とかみたいな分からず屋とは違うのかもしれない。信じてみても良いかのもしれない。

 

「分かりました。私もプロの言葉を信じます。ただし、条件があります。」

「なんでしょう。」

「GOAさんと直接会話しながら修正指示を出させてください。」

「…良いでしょう。私の権限で出来る範囲で何とかして見せます。」

 

吉祥寺先生も言っていた。私とGOAさんは碌に意思疎通が出来ていないはずだと。つまりGOAさんとの間に漫画のマの字も分からないような素人を挟んだことが、あの台本が出来上がった最大の原因と言う事。

 

これは当然の要求だ。

 

「ありがとうございます。」

「先生の頼みとあればこのくらいお安い御用です。じゃあ、追って日時をお知らせ―――」

「待ってください。条件はもう一つあります。」

「…なんでしょう。」

 

舞台にかける思いを吉祥寺先生にぶつけ、見事に説得して見せた役者。星野アクアと言ったっけ。彼の意見も是非聞いてみたい。漫画家としての勘が彼も脚本に関わらせるべきだと告げている……気がする。

 

彼は間違いなく本物だ。信用できるはず。

 

「もう一つの条件は、刀鬼役の星野アクアさんも脚本の修正に携わってもらう事です。」

 

余程想定外だったのか、驚いた雷田さんの顔は見ものだった。

 



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攻めた脚本

「なるほど……こういう感じになりましたか。」

 

目の前には仕事用のノートPC。脚本家として生計を立てる僕の大事な仕事道具だ。その画面に映るのは原作者のアビ子先生とそのマネージャー。それから雷田さん。意外なことに刀鬼役の星野アクア君の姿もある。

 

いわゆるビデオ通話というやつだ。

 

これから行われるのは脚本の編集。それもビデオ通話で原作者の確認と修正を行いながらリアルタイムで脚本を修正するというかなりチャレンジングな試みだ。それを仲介屋である雷田さんが提案してきたときは驚いたが、まあそんなことはどうでも良い。

 

アビ子先生は僕を脚本家と認め、こうして汚名返上の機会が巡って来たのだから。

 

最後のチャンス。ここを逃せばもう次はない。やるだけやってみよう。誠心誠意作品に向き合えば、きっとアビ子先生も分かってくれるはず。

 

改めて椅子に深く腰掛け、気持ちを切り替えた。

 

画面の中の雷田さんが説明を始める。

 

「クラウド上のテキストデータをリアルタイムで共有。それを通話しながらその場で修正していく。これがプロデューサーとして許可できるギリギリのライン。これがテキストのURLね。それじゃ後はお二人の気の済むまで作業をどうぞ。ボクも声だけは聴いてますので何かあったら呼んでください。では。」

 

これっきり雷田さんはミュートになり、初めから話すつもりのないマネージャーも除けば僕とアビ子先生、そしてアクア君の3人が残った。

 

面白いことになったものだ。

 

雷田さんの説得によりアビ子先生は脚本の制作を僕に委ねてくれたが、その際に二つ条件を提示してきた。

 

一つがこのビデオ通話。脚本に修正指示を出すにあたって直接僕と会話することだけは譲れないという。これまでの経緯を考えればこの要求は当然。こちらとしても望むところだ。

 

そしてもう一つの条件がこの通話にアクア君を参加させること。こちらはかなり意外な条件に思える。アビ子先生が言うには師匠の吉祥寺先生を説得して見せた星野アクアという役者に興味があり、是非脚本にも関わって欲しいとのことだった。

 

少々やりすぎな気もするが、彼の熱意と作品愛は僕も認めるところだ。常識的な人物だし悪いようにはならないだろう。

 

「じゃあ早速始めましょう。」

 

アビ子先生の掛け声で作業が始まる。

 

スタジオで脚本への不満をぶつけるアビ子先生の姿を思い出してしまい最初の方こそ身構えてしまったが、一度作業に入ってしまえばただひたすら真摯に作品に向き合う一人のクリエイターがそこにいた。

 

正直、すごく話しやすい。修正指示も中々的を射ているし、ロジカルではないけれどしっかりと筋の通った考えが根底にある。どんなに細かい質問をしてもその倍返しで情報が返ってくる。さすがは原作者、この作品に命を懸けている。

 

そしてアクア君だ。

 

彼の存在も脚本の構成に良い影響を与えることになるだろう。僕は脚本家であって役者ではない。自分が書いたセリフや動きが役者にどう受け取られるのか、いまいちイメージ出来ないこともある。

 

そんな時は彼の出番だ。

 

「つるぎが戦闘狂だということはセリフではなく戦う様子で表現できると嬉しいです。そうするとブレイドとのバトルシーンにスムーズに入れるんですが。アクア君、どうです? いけますか?」

「有馬なら余裕でしょう。彼女は感情演技を得意としています。生き生きとした戦いっぷりを見せてくれるはずですよ。」

「ならここはカットしましょう。」

 

さすがにララライが主催なだけあって今回の舞台は演技派の役者が揃っている。そしてアクア君が居てくれるおかげで主要な役者の演技力や得意不得意などの特徴などが事細かに分かる。

 

どこまで役者に任せてよいのか、どこまで攻めた構成に出来るか。それが完璧に分かった上でそのギリギリを攻めるようなことも可能なのだ。

 

「じゃあココも舞台効果で済ませちゃって、このセリフもカットで良いですよね。」

「ここも要らない。」

「ここも演技でどうにかなりますよね。」

「あはは攻めてますね。アクア君。どうですか?」

「これは姫川さんが喜びますね、もっと色々詰め込んでもいいくらいです。……あ、そのキザミのセリフは削らないでください。ちょっと言いにくいのですが彼は役者陣の中では経験が浅いので。」

「……そうですか、それは仕方がないですね。まぁここで気づけて良かったです。」

「テンポの悪さが気になるならこっちキザミのセリフは削ってもOKです。こちらの方が表現するのが容易ですから。」

 

大抵の無理難題は役者陣が応えてくれる。仮にそうでなくてもアクア君がブレーキをかけてくれる。僕とアビ子先生は自由に想像力を膨らませ、何も心配することなく脚本の内容に集中できた。

 

こんなに気分よく脚本を作るの初めてだ。

 

「ここもカット!」

「カットカット!」

「あははは!」

「あはははは!」

 

僕とアビ子先生はすっかり意気投合し、作業にも熱が入る。説明台詞は極力減らし、動きで語るシーンがどんどん増えていく。役者の負担は大きいだろうが、今回ばかりは気にする必要が無い。アクア君が大丈夫と言ってくれている。

 

修正作業は順調に進み、いよいよ最終決戦のシーンに差し掛かろうとしていた。渋谷クラスタが本格的に登場し、この舞台におけるブレイドの最大の敵である刀鬼と、渋谷クラスタのボスである鞘姫が初登場するところだ。

 

刀鬼と言えばアクア君が演じる役。ここからはより一層彼の意見を参考にしなければならないだろう。

 

そう思い、画面端のアクア君へ視線を移した瞬間の出来事だった。

 

「アクアーまた部屋で映画みてんのー? ちょっとお姉ちゃんもみせてー。」

「ちょ、お姉ちゃん! 待って、今はダメ!」

「なんだよもー。独り占めする気なのかな? そんな悪いアクアは、こうだっ」

 

聞き覚えのない可愛い声が聞こえたと思った直後、唐突に画面に映りこむアクア君によく似た女性。その人物はアクア君の隣までやってくると、慌てて制止しようとする彼に突然抱きついた。

 

有無を言わさぬ愛情たっぷりの優しい抱擁。

 

その遠慮のない立ち居振る舞いから、この二人の距離感が相当に近いことが読みとれる。そして二人そろってものすごい美形であり、このままでも何かの商品になるのでは思う程に画面の一角に映る景色が華やかになっている。

 

思わず画面の端を注視したまま呆然とその様子を眺めることしか出来ない。当然そうなるのは僕だけではない。突然の出来事にアクア君を含む全員が画面の中で固まっている。

 

…いや一人だけ違うな。目を輝かせてものすごいスピードでペンを走らせているのは……

 

「……お姉ちゃん。今会議中なんだけど。」

「え? あ、ほんとだ。失礼しましたー。」

「……大変お騒がせしました。さあ、作業に戻りましょうか。」

 

真っ赤な顔で作業の続きを促すアクア君。このまま何事も無かったかのように仕事を進めるつもりだろうか。さすがに無理があると思うけど。

 

「アア、アクア君。あの、今の、その、お姉ちゃん、ですか。ですよね!? 仲、い良いいですね! めっちゃ画になる!」

「どうも。」

 

ほら、やっぱりアビ子先生が食いついてしまった。

 

テンションが上がってまともに喋れなくなったアビ子先生が子供のようにはしゃぎながらイラストを描き上げている。

 

タイミングが良いのか悪いのか、ちょうど今は鞘姫と刀鬼をこの舞台でどう表現するべきかということについて考えている最中だった。そして画面の中には刀鬼役のアクア君とそのお姉さんとの仲睦まじい姿。

 

どうやら漫画家として、インスピレーションが大いに刺激されたらしい。アビ子先生の画面にはもう即席のイラストが映されている。幼い刀鬼が同じく幼い鞘姫を優しく抱きしめ、頭を撫でている様子が描かれていた。

 

確かに刀鬼は鞘姫を守るために戦うキャラクターだったが、ここまで親密な様子は原作で描かれていなかったような。

 

「ゴホン。アクア君。非常に良いものを見せていただきました。刀鬼と鞘姫は許嫁という設定でしたが実は幼少期の関係性が定まっていない部分があったんです。でもアクア君とお姉さんの姿をみて今閃きました。二人は幼馴染で、兄妹のように仲が良く、刀鬼にべったり甘える鞘姫と、無表情ながらも満更でも無くそれを受け入れる刀鬼。うん、こんな感じにしましょう。」

「良いんですか? いきなり原作の設定を変えるようなことをして。」

「原作者は私です。良いに決まってます。最近は読者の意見に押されて中途半端に刀つるの流れを作ってしまいましたが目が覚めました。やっぱり刀鞘です。私が書きたかったのは刀鞘なんです。これで行きましょう。勿論舞台でもこの設定は使います。絶対やります。」

 

……原作者がこう言っている。その意向は汲むべきだよな。

 

画面の端で何やら遠い目をしているアクア君には申し訳ないが、今回の舞台は『刀鞘』のカップリングを前面に押し出すことになるだろう。その関係性は兄妹に近いものであり、今アクア君が見せてくれたようなシーンも当然盛り込まれることとなる。

 

これは面白いことになりそうだ。イメージが次から次へと湧いてくる。

 

「GOAさん。 全体的にセリフ削ったので時間に余裕出来ましたよね? 刀鞘の出番増やしましょう。」

「うーん、このあたりですかね。匁が撤退して渋谷クラスタ初登場、そこには誰にも見られていないからと気が抜けた様子で仲睦まじく身を寄せ合う鞘姫と刀鬼。とかどうです?」

「いいですねぇ。そして匁に見つかり慌てて距離を取り、いつものように威厳のある姿で匁を迎える。」

「匁からの報告を手短に聞いてすぐに下がらせる鞘姫。そして二人きりになったのを見計らってまた刀鬼に甘える鞘姫……と。刀鬼はどんな感じで受けますかね?」

「無表情だけど、慣れた感じの手つきで鞘姫の頭をなでなでします。鞘姫は刀鬼に弱音を吐くんですけど、刀鬼は鞘姫に従うだけと言って鞘姫は落ち込みます。でもその後に鞘姫を気遣って元気づけてくれるんです。」

「なるほど。じゃあこんなセリフどうです? 『鞘姫の懐刀として、地獄の果てまでお供すると言ったはずだ。君がどんな決断を下そうと、結果がどうなろうと俺は君を守る。だからそんな顔をするな。』これを真顔で言うんですよ。」

「良いです! それ良いです! でもちょっと声が優しい感じだと尚良しです! いけますか!? アクア君!」

「……ええ、いけます。」

 

さすがのアクア君でも難しい注文だったのか、少し逡巡した後問題ないとの回答を得た。

 

僕の脚本で刀鬼と鞘姫の新たな設定が初登場するなんて、東ブレファンとしてこんなに嬉しいことは無い。今度友達に自慢してやろう。

 

続く決戦のシーンも相変わらずセリフをカットしまくり、役者の動きにまかせるシーンばかりとなった。と言うか、もう最初から最後まで役者に丸投げだ。こんな台本、作りたくても中々作れるものじゃない。

 

劇団ララライとアクア君に感謝だな。

 

「GOAさんとアクア君のお陰でかなり良い脚本になりました!! 役者さんが演じてるシーンが目に浮かぶようです!」

「GOAくん……ちょっとどういう事……?」

「いや……なんか楽しくなっちゃって……。でも先生は気に入ってくれてるみたいで。」

 

ビデオ通話の画面では、編集がひと段落着いたのを見て雷田さんが新しい脚本をチェックしていた。期待と不安が入り混じったような『どうすんだよこれ』って顔で悩んでいる。

 

自分で言うのもなんだけど、明らかに普通の台本ではない。多額の予算をつぎ込んだ失敗の許されないこの舞台でチャレンジするような内容ではない。本来ならもっと確実な構成で臨むべきところだ。

 

ビジネスとしてはそれが正解。雷田さんが悩んでいるのもそこだろう。

 

でも僕はビジネスマンじゃない。もちろんアビ子先生も、アクア君も。この3人を一所に放り込んで自由に脚本を書かせた雷田さんにも責任の一端はある。

 

「いやーさすが雷田さん。クリエイターの気持ちが分かる良いプロデューサーですね。」

「ははは……」

 

一応釘を刺しておく。

 

とにもかくにも、舞台東京ブレイドの脚本は無事に完成。すぐにでも役者陣に配られて稽古が再開することになるだろう。

 

本番まで残り僅か。この台本が世にお披露目されるその時が待ち遠しい。

 




刀鞘で盛り上がってますが次回はアクアのトラウマが再発するのでそっちがメインになる予定。刀鞘というかアクあかのシーンをもう少し書きたいんですけどね。宮崎旅行まで我慢かも知れません。


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もしお母さんが死んじゃったらどうする?

台本は無事に完成し、休止していた稽古も再開。今日は台本が配られることもあり、いつものスタジオには久しぶりに役者が全員揃っている。

 

台本を手に取り、各々が内容を確認する。喜ぶ者、焦る者、動じない者と反応は様々だ。俺が脚本の修正に関わったことはあの場にいた5人しか知らないので、なんとなく皆と一緒に台本を読み、「尖ってんなぁ」などとそれっぽい感想をつぶやく。

 

バレてないよな? ここにいるのは皆一流の役者達だし、半端な演技では気づかれてしまう。

 

台本のチャレンジングな内容に役者陣が揃って緊張感を高める中、俺は一人別の意味で無駄な緊張を強いられていた。

 

「アクア君、この脚本どう思う? 随分と説明セリフが少ないし動きで表現することが多くなってる。」

「あ、ああ、良いんじゃないか? さすがGOAさんだ。役者の気持ちが分かってる。」

「随分とGOAさんの事詳しいんだね。」

 

あかねの勘の良さは次元が違う。ひょっとすると彼女にだけは関与がバレてしまうかもな。まぁバレたところであかねは何も言ってこないだろうけど。

 

それよりも、あかねは鞘姫役だ。今回の脚本で最も大きな変更を加えられたキャラクターでもある。アビ子先生の監修により原作と比べても違和感のない人物像に仕上がっていると思うが、あかねから見てもそうなっているだろうか?

 

あかねなら原作者も見落とす矛盾点を見つけるなんてことがあり得るかもしれない。

 

「あかね。鞘姫のイメージがかなり変わってるみたいだな。どうだ? お前の解釈と合ってるか?」

「うん、これなら「鞘姫」の解釈は私と合ってる! それどころか新しい一面も発見できる脚本で……。ふふふ、これは考察のし甲斐があるなぁ。」

 

新しい一面って、やっぱりあれだよなぁ。俺とお姉ちゃんのぎゅっを見てアビ子先生が閃いたあの設定。

 

刀鬼と鞘姫は幼馴染であり、まるで兄妹のように親しい間柄。ちょうど俺とお姉ちゃんの生まれた順番を逆にしたような感じだろうか。演じやすくて助かる部分はあるが、それよりも気恥ずかしさが勝ってしまう。

 

プロとして完璧に演じ切るつもりだが、お姉ちゃんを知る人たちはどう思うんだろうな……。

 

新たな台本に喜びを隠せないあかねに対し、深刻な顔で困っているのは演技経験の少ないメルトだ。壁際にへたり込み、頭を抱えながら台本を眺めている。

 

「マジかぁ。こんなん出来る気しねぇ……。本番まであと半月…間に合う気がしねぇよ……。」

「そんな事ないぞ。台本をよく読んでみろ。ト書きの部分な。キザミに対する難しい指示は無いから何とかなるんじゃないか?」

 

ト書きとは人物の状況や動作の指示だ。メルトを含む主要な役者の実力をかなり正確に把握している俺は、脚本を修正するにあたって誰がどのような動きが得意なのかも踏まえた上でト書きの修正を依頼していた。

 

その結果、それぞれの役者のレベルに合わせた指示が書き込まれており、メルト演じるキザミに関しては割と詳細に動作の指示が書き込まれることとなった。

 

「GOAさんは役者のレベルに合わせてくれたんだ。見ろよ、姫川さんなんて最低限のセリフ以外はほとんど何も書いてないぞ。」

「うわ本当だ。てか刀鬼も難しそうだな。まあアクアにとっちゃこんなの朝飯前なんだろうけど。」

「いや……どうだろうな。」

 

朝飯前……か。変更前の脚本ならそうだったんだが。

 

自信なさげな返事に対し、メルトは少し意外そうな顔でこちらを見る。そりゃあ彼からしたら遥か先をいく先輩役者なのだろうが、俺だって完璧な役者じゃない。姫川さんより格下だし、まだまだ至らない部分も多いと自分でも思っている。

 

今回の脚本で言えば、鞘姫が目覚めるシーンの演技に不安が残る。

 

刀鬼を庇い、目の前でブレイドに切り捨てられる鞘姫。致命傷かと思い絶望する刀鬼だが、『傷移しの鞘』により奇跡的に目覚める。それを見た刀鬼は涙を流して鞘姫の無事を喜ぶ、というシーンだ。

 

俺の一番の見せ場となるシーンであり、舞台での演技であることも考慮すれば、ここでは思い切り感情を爆発させて絶望し、号泣するべきところ。そして俺はそのような演技が出来るだけの技量と経験を持っている。持ってしまっている。

 

そう。思い出すだけで絶望し、あるいは号泣出来てしてしまう程の強烈な経験を。

 

スタジオ中央ではいつものように演出の金田一さんが役者を読んで演技の確認を行っている。

 

ここまで着実に演技をこなしてきた俺だが、次のシーンだけは精神的な負荷が大さに身構えてしまう。しかしベストを尽くすならあの辛い記憶を呼び起こすことが最善の方法。選択の余地はない。

 

金田一さんが号令をかける。

 

「次。鞘姫がブレイドに切られて倒れたところから。」

 

刀鬼とブレイドの闘い。傍らに横たわるのは刀鬼を庇って倒れた鞘姫だ。

 

想像力を働かせ、凶刃に倒れる母さんの姿をあかねに投影する。目の前に立つ男は手を下した犯人と思い込む。瞬間的に心を埋め尽くす憎悪、怒り、悲しみ。それを少しだけ刀鬼の雰囲気に寄せて姫川さんに向ける。

 

俺の感情演技を受け、姫川さんの目の色が変わった。お返しとばかりに全身で熱い血の滾りを表現し、俺にぶつけてくる。

 

舞台のラストバトルに相応しい魂と魂のぶつかり合い。その迫力にその場にいた全員が固唾をのんで戦いの様子を注視している。あの金田一さんすらもが感心した表情を見せている。

 

良い演技が出来ているのだろう。

 

怒りに駆られてブレイドに突っ込む刀鬼、しかしついにブレイドに刀を弾き飛ばされ敗北が決定的となった。

 

守るべき(ひと)を失い、惨めに破れ絶望する刀鬼。それはまるで、血が抜けて冷たくなった母さんの前でただ立ち尽くすあの日の俺だ。幼さ故に犯人に抵抗する力を持たず、目の前で母親を失ってしまう無力な少年。

 

だが物語はここで終わらない。

 

傷移しの鞘により奇跡的に鞘姫は目を覚ます。そこに母さんの姿を重ねる俺は、どんなに強く願っても決して叶うことのない夢をそこに見ていた。

 

―――ああ、母さん。無事でよかった。

 

今胸の中にあふれてくるこの感情は、一体何なのだろう。喜び? 安堵? 希望? もはや言葉にすることも出来ないほどに強烈で複雑な感情。あの日俺が欲しかった気持ち。それを何とかコントロールして演技を続ける。

 

目を覚ました鞘姫の側に膝をつき、涙を流しながら鞘姫を強く抱きしめた。

 

「OK。刀鬼、ブレイド、良かったぞ。本番もその調子で頼む。」

「……はい。」

 

演技が終わり、役に入り込んでいた精神を現実に引き戻す。

 

精神的な疲労感がかなり大きい。やはり危惧していた通りだ。過去のトラウマは強い感情を引き出すことが出来るものの、自らの精神にダメージを与える。今日はもうあのシーンをやることは無いだろうが、もし一日に二度あの演技をしろと言われても出来ないだろう。

 

そんな俺の様子を察したのか、あかねが心配そうに話しかけてきた。

 

「アクア君、大丈夫? かなり深く役に入り込んでたみたいだけど。」

「あんまり大丈夫じゃないかもな。かなり精神的に疲れた。」

「無理はしないでね。演技は大事だけど、心も大事なんだから。楽に演技ができる方法がないか考えるのも良いかもよ。」

「そうだな。心を壊してしまったら元も子もない。」

 

楽に演技が出来る方法か。

 

確かに今のやり方は負担が大きすぎる。妥協するつもりは毛頭ないが、同じ演技が出来るならダメージが少ない方が良いのも事実。本番の公演が約1か月続くことを考えると、体力のやり繰りも考える必要があるだろう。

 

その辺に詳しいのは看板役者の姫川さんと元天才子役の有馬だ。

 

俺は早速二人にアドバイスを求めた。

 

「姫川さん。ちょっと相談が。」

「さっきの演技のことか?」

「分かりますか。」

「当たり前だ。辛そうな顔してたからな。あれだけ負の感情を爆発させればダメージも大きいだろ。」

「何か良い方法はありませんか。」

「知らん。感情があるから体が動く。それ無しに良い演技をしようなんて虫のいい話はない。せいぜい負の感情を引きずらないようすぐに頭を切り替えるくらいだな。気分転換に彼女とイチャイチャすれば良いんじゃねぇか?」

「……考えておきます。」

「そうか。」

 

気分転換はお姉ちゃんに……いや、それはダメだ。

 

俺が今やったのは例えるなら痛そうな顔をするために体を傷つけるような行為、詰まるところ精神的な自傷行為だ。お姉ちゃんが知ったら演技の為にトラウマを利用すること自体を止めようとするだろう。それでは満足のいく演技はできない。

 

感情があるから良い演技が出来る。まったくその通りだ。何の感情も感覚も無しに望んだ動きを完璧に再現できるなら感情演技など要らない。ただ無機質に動きだけを考えればいい。

 

そうじゃないから感情演技をするんだ。当たり前のことだ。

 

姫川さんのアドバイスに妙な納得感を覚えた俺は、続いて有馬へと相談を持ち掛ける。感情演技を得意とする彼女なら何か答えやヒントを持っているかもしれない。

 

心の底からあふれ出るその激情に、彼女はどう対峙しているのだろうか。

 

「なぁ有馬。有馬って感情演技が得意だったよな。泣き演技とか特に。」

「ええ、そうね。元々感情が出やすい方でもあるし、日ごろから感情豊かに生きてれば自然と得意になるのよ。」

「そういうもんか。」

「そういうもんよ。」

「それって疲れないか? いつも思うけど、あんなに感情を爆発させてよく平然としてられるよな。」

「そんな事言われたって分からないわよ。無感情な人間になった事ないんだし。」

 

有馬の話にも説得力がある。

 

結局演じる人間の人格がそのまま役者としてのスキルとなって表れているのだ。俺が強烈な感情演技を出来たのも、それによって心にダメージを負うのもつまりはそういう事だ。

 

自分の中に無いものは出せない。中にあるから出せる。それだけの事だった。

 

ならば俺がやらなければいけないことは、自分の中にどんな感情や感覚が眠っているのかを探る事。自分の内面と徹底的に向き合う事。

 

要するに役者が普段からやっている演技の練習であり、役作りだ。

 

今回はその役作りで必要な感情がたまたまあの日の感情だったに過ぎない。何も特別なことは無いし、言い方を変えれば抜け道のようなやり方も存在しない。俺はあの日の記憶と真正面から向き合う必要がある。

 

「ありがとう有馬。やっぱり愚直に頑張るしかなさそうだな。」

「そうね。まぁあんたの事だから上手くやるでしょ。心配はしてないけどなんか気になる事があったら何でも聞きなさい。力になるわよ。」

「そうか。じゃあ一つ聞いて良いか。」

「なに?」

「有馬はどうやって泣き演技をしてるんだ?」

 

軽い気持ちで、本当に軽い気持ちで俺は尋ねた。

 

「んー……感情なきとか体泣きとか色々手法はあるけど……。子役の世界でよく使われてるのは……」

 

有馬もまさかこんな形で俺のトラウマを刺激することになろうとは思いもしなかっただろう。子役からやっている役者ならだれでも知ってるテクニックを答えただけなのだから。

 

有馬は得意げに、そのテクニックを俺に披露する。高い演技力を駆使して底冷えするような冷たい声でこう囁いた。

 

 

 

「アクア君、もしお母さんが死んじゃったらどうする?」

 

 

 

感情演技で弱った心に、不意の一撃。心の奥底にしまっていたあの日の感情は、瞬く間に制御できるレベルを振り切って俺の精神を支配していく。正気を保っていられたのはほんの数秒だった。

 

息が詰まり、体の自由が奪われる。平衡感覚を失った俺は、そのまま床に倒れ込んだ。

 

―――多分これ、無理だぁ。

 

弱弱しく絞り出される母さんの声が聞こえる。

 

玄関の扉にもたれかかるように座る母さんと、その腕に抱かれる俺。顔を胸にうずめたまま、親子で最後に交わした言葉がはっきりと聞こえてくる。

 

何もかもがあの日と同じ。母さんの次の言葉も、その先の結末も。

 

―――ルビー、アクア、愛してる。

 

俺も愛してる。心の底から愛してる。だからお願い、死なないで。

 

俺の頬に触れていた手は力なく滑り落ち、そのまま母さんは動かなくなる。この瞬間を何度目にしただろうか。母親の命が消えるのを何も出来ずに眺めるのはこれで何度目だろうか。

 

……もしお母さんが死んじゃったらどうするだって? 何も出来やしないよ。

 

俺を抱いたまま動かなくなった母さんが、冷たくなっていくのを感じるだけだ。

 



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パニック発作

かなちゃんが一言、アクア君に囁いた。

 

「アクア君、もしお母さんが死んじゃったらどうする?」

 

直後、アクア君が一瞬身構えるように体を硬くして、そのままふらふらとよろめいてその場に倒れ込んだ。

 

あまりに突然の出来事に周囲がざわつく。貧血か二日酔いかと原因を予想する野次馬達。遠目には転んだようにしか見えていないようで、皆それほど心配していないらしい。

 

しかし近くで見れば明らかに普通ではない反応だった。刀鬼とブレイドの最後の戦いを熱演し、確かに精神的に疲弊はしていただろう。しかし疲れてはいても気持ちの切り替えは出来ていたはずだし、急激に体調を崩して倒れ込むなんて。

 

「アクア君! 大丈夫!?」

「アクア!」

 

同時に駆け寄る私とかなちゃん。

 

「母さん……嫌だ……死なないで…」

「しっかりしなさい! どうしたの、どこか痛いの!?」

 

母さん? 死なないで? 何を言っているのだろう。目は虚ろで……今を見てないみたい。以前見たことがある友達のパニック発作に似ているだろうか?

 

大きな声でアクア君に話しかけるかなちゃんには、その小さなうわ言は聞こえていないらしかった。ただ慌てるだけで、特に何かに気付く様子はない。そんな彼女の様子を見て、私は逆に冷静になっていく。

 

急激に冴えた頭でアクア君が倒れた理由について考えを巡らせる。

 

父親はおらず、母親も苗字が違う。恐らくは里親。芸能事務所社長の息子。複雑な家庭環境。姉への絶対的な信頼。『もしお母さんが死んじゃったらどうする』という言葉に対するこの反応。母親を失う事への過度な恐怖。そしてあの臨場感のあるつぶやき。

 

簡単な推論だった。

 

アクア君の母親は、すでに亡くなっている。恐らくは、彼の目の前で。

 

数十秒ほどして、アクア君の様子は少しだけ落ち着いた。切迫した様子で呼吸を荒らげ体も強張っているが、先ほどまでのような虚ろな目はしていない。幾分冷静になったようだ。

 

折を見て休憩できる場所へ彼を連れて行く。

 

「アクア君、歩ける? 静かなところで休もう?」

「……助かる。」

 

別室へと移動し、アクア君を椅子に座らせた。

 

発汗…ふらつき…パニック発作かな……。であれば数十分程度で症状が治まるはず。それまでここで安静にして、体調が戻ったら家の人に迎えに来てもらうのが良いだろう。アクア君のお母さん……いやルビーちゃんを経由した方が良いかな。

 

今のアクア君は電話をするのも辛そうだ、私が直接ルビーちゃんに連絡しよう。

 

「ルビーちゃんに電話するね。」

「やめろ。お姉ちゃんには知られたくない。」

「どうして?」

「お姉ちゃんがこのことを知ったら、俺の感情演技をやめさせようとする。それはダメだ。この舞台は絶対に成功させる。そのためにはあの演技が必要なんだ。」

 

ルビーちゃんへの連絡は強く拒否された。

 

舞台を成功させる為、良い演技をする為、自分の身を犠牲にしてでもやり遂げるつもりなんだ。それこそ、大好きなお姉ちゃんに隠し事をしてでも。アクア君の決意は固かった。

 

心身の健康を取るか、彼の意思を尊重するか。私は難しい決断を迫られる。

 

アクア君の彼女として私はどうすればいいのだろう。彼の身を案じるべき? 普通に考えればここまで心を追い込んでまでやる事ではない。演技がどうこう言っている場合じゃないと彼を説得するのが正しい。

 

しかし私の気持ちはむしろその逆。アクア君の気持ちが痛いほど分かってしまう。

 

私だって役者だ。演技の為に何かを犠牲にした経験だって1度や2度ではない。ここで中途半端な演技をすればアクア君はずっと後悔するだろう。あんなに真に迫った演技が出来る機会をふいにして平気でいられるはずがない。

 

悩んだ末、私はアクア君の味方をすることにした。

 

「分かった。ルビーちゃんには言わない。監督の所なら大丈夫?」

「ああ、監督なら分かってくれるはずだ。」

 

私は五反田監督へ電話し、しばらくしたらそっちに迎えに行くとの返事。慣れた様子でアクア君の症状について尋ねてくる監督の様子から、アクア君の発作がそれほど珍しいものではないのだと推測できる。

 

母親を失った直後は頻繁に発作が起きていたのだろう。幼いころからアクア君の面倒を見ている監督はそのたびに彼を介抱したんだ。

 

「1時間もすれば監督が迎えにくるよ。それまでここで安静にしてようね。」

「ああ。」

 

ふぅ、と一息つく。

 

一時はどうなるかと思ったけど、事情を良く知る監督が来てくれれば安心かな。

 

「飲み物買って来ようか? お水で良い?」

「水で。」

「分かった。」

 

自販機にお水を買いに行こうと、部屋を出る。すると少し廊下を進んだところでちょうどこの部屋を訪ねてくるかなちゃんと鉢合わせた。アクア君をあんな目に合わせておいて、よくその日のうちにまた会いに来ようと思えたものだ。

 

アクア君のトラウマを引きずり起こした張本人。悪気が無かったとはいえ、一言言っておかないと気が済まない。

 

思い切りかなちゃんの事を睨みつけ、通り過ぎようとする彼女の目の前に立ちふさがる。

 

「かなちゃん。」

「何よ。そんなに睨んで、喧嘩でもしたいの?」

 

相変わらず尊大な態度でこちらを見返してくる。アクア君を心配こそすれ、申し訳ないと思う気持ちは微塵も感じられない。この期に及んでかなちゃんは自分のしたことの重大さを理解していないようだった。

 

「なんでアクア君にあんなこと言ったの。」

「は? それは、アイツが泣き演技のやり方を聞いてきたから―――」

 

もう我慢の限界だった

 

「ふざけないで! かなちゃんの口が悪いことは知ってるけど、これはやっちゃダメだよ! アクア君にはお父さんが居ないしお母さんの苗字も違う。複雑な家庭の事情があるって分かるでしょ!」

「………っ!! それってもしかして…!? アクアのお母さんは本当に……?」

「アクア君の所に行こうとしてたならそれはやめて。あの言葉を思い出してまた発作が起きるかもしれない。今日私もアクア君ももう帰るから。じゃあ。」

 

驚くかなちゃんの横を速足で通り抜け、自販機で水を買ってすぐに戻り、かなちゃんが居ないことを確認する。もう顔も見たくなかった。

 

監督が迎えに来るまで、苦しむアクア君と二人きり。辛い時間が続いた。

 

・・・

 

監督の家に到着。

 

ここまで来れば、ひとまず私の役目は果たせたと言っていいかな。

 

「いや俺はお前のパパじゃねーんだがな。」

「そんなことないわよ大志。ほとんどパパみたいなものでしょ。さ、アクア君。布団敷いてあるから寝てなさい。お夕飯の時間になったら起こすから。」

「うん……」

 

私から見ても五反田監督はアクア君のお父さんにしか見えない。というか、アクア君が五反田家の子供にしか見えない。

 

アクア君の部屋があって、アクア君のお布団が敷いてあって、リビングにはアクア君の椅子と食器が並べられて………。先ほどの監督のお母さんとアクア君の会話といい、どう考えてもここに住んでいる。

 

「あの、監督。アクア君とは長い付き合いなんですか?」

「あいつが4歳になった頃からだから、もう10年以上になるな。毎日のようにこの家に来てるし泊っていくこともよくある。………こうして改めて考えると確かにパパだな、俺。」

 

やっぱりパパじゃん。思うだけで口には出さない。

 

父親代わりの五反田監督とはとても仲が良さそう。それに、ミヤコさんや姉のルビーちゃんからも目一杯可愛がられている。

 

母親を失った辛い過去も持ちながらもあんなに素直で優しい男の子に育ったのは、いろんな人に愛情たっぷりに育てて貰ったおかげななんだろうな。

 

「アクア君がその……こうなる事って、よくあるんですか?」

「昔はよくなってたが、最近はほとんどなくなってた。倒れるほどひどいやつを最後に見たのは多分小学生の頃だな。確かあの時は子役として俺の映画に出演してて、その撮影をしてたんだったか。」

「その時の撮影で感情を強く引き出すような演技をしましたか?」

「ああ、してたよ。お前の読み通り、アイツは昔の事を思い出すとこうなることがあるんだ。」

「アクア君のお母さんのことですよね。」

「……まあその通りだが。なぁ、お前はどこまで知ってるんだ?」

 

意味深な問いだ。

 

私がお母さんというワードを出した瞬間、監督の顔が少し暗く、引き締まるのが見えた。何を思ってそんな表情になったのだろう。何か守ろうとしている秘密があるのか、あるいは私に話すのをためらう程の凄惨な事件があったとか。

 

これだけの情報では考えたところで分かりはしない。素直に自分が知りえた情報とそこから推測した内容を話すことにした。

 

「アクア君が倒れたきっかけは『もしお母さんが死んじゃったらどうする』という言葉です。そこに至る前にも強烈な感情演技をして精神的には疲労していたと思いますけど。そしてアクア君は倒れてこうつぶやいたんです。『母さん……嫌だ……死なないで…』って。多分ですけど、お母さんが、その………亡くなってしまう所を思い出してるんじゃないかと。」

「なるほどね。もう大体全部察してる感じか。」

 

監督はアクア君の身に何が起きたのかを教えてくれた。

 

アクア君の母親にはストーカーが付きまとっており、ある日家に押しかけてきてナイフで彼女を刺した。その時まだ幼かったアクア君も現場におり、血まみれの母親が息を引き取るその時もアクア君は母親の腕の中にいたという。

 

ルビーちゃんも現場にいたが、扉越しに会話を聞いていただけで母親が死ぬ瞬間は見ていないためダメージは少なかったとか。

 

監督が顔色を変えたのは、どうやら私の事を思いやっての事だった。目の前で母親が亡くなるなど、他人の経験であっても聞きたいとは思わないし、気分を悪くする子もいるだろう。つくづく優しい人だ。

 

「まぁそりゃ忘れられねえよな。俺ですら多少は引きずってるんだから。そういや一つ聞きたいんだが、早熟は強烈な感情演技をしたと言ったな。それはどんなシーンなんだ?」

「鞘姫がブレイドに切られ、その後息を吹き返すシーンです。」

「なるほどね。早熟が倒れるわけだ。」

 

監督の話と照らし合わせて考えれば、あのシーンを演じることが彼にとっていかに辛いかが分かる。役者として最善を尽くそうとするアクア君の事だ、きっと私をお母さんに見立てて事件の日の事を思い出しているに違いない。

 

あの強烈な絶望と喜びはそうして引き出されたものだったという事だ。

 

「俺は仕事してっから、様子見ててやってくれ。」

「はい。」

 

子供部屋へ入っていく監督を見届け、私はアクア君が寝ている部屋へと向かう。

 

苦しそうだ。きっと今も死にゆく母親を夢に見ているに違いない。時折母さんとつぶやいては一層辛そうに身をよじらせている。こんな彼の姿はもう見たくない。

 

アクア君の助けになろう。君が私を助けてくれたみたいに、私も君を支えたい。

 

ごめんね、いままで気づいてあげられなくて。きっとものすごく辛かったよね。私は何があってもアクア君の味方だよ。

 

心の中で誓ったその時、五反田家のインターホンの鳴る音が聞こえた。

 

玄関の開く音。対応する監督の声。こんな時に来客なんて、一体誰だろう?

 



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女たらし

「大丈夫大丈夫!」

「あかんてぇー…」

 

アクアの稽古場に行こうとする私と、それを引き留めるみなみちゃん。良いじゃん別に。ちょっとアクアがお稽古してる様子を見学させてもらうだけだし。一人っ子のみなみちゃんにはこういう気持ちは分からないのかな?

 

「やっぱり姉としてはね、弟がちゃんとやれてるか心配なわけ。いわばこれは授業参観! 見学も家族の義務だと思うわけ!」

「ウチの事務所厳しいんよ~! バレたらマネージャーにどやされるぅ~!」

 

どやされると言いつつも帰ろうとはしないみなみちゃん。それは実質的にOKと思って良いのかな?

 

さて、稽古場の入り口はどこかなっと。建物の周りをうろうろ歩き回りつつ、それっぽい人が居ないかと周囲を見渡す。アクアか先輩か、あるいはあかねちゃんか、誰でもいいから知り合いが居てくれればいいんだけど……。

 

人を見つけてはこっそり顔を確認し、何人か面識が無い人をスルーした後、今度は見覚えのあるイケメンがこちらに向かってくるのが見えた。知っている人なのでこちらから近づき、その顔面を良く確認する。

 

「ん?」

 

不審者に睨まれたような顔で固まっているこの人は確か…

 

「『今日あま』のドラマに出てた……」―――大根の人!

 

危ない危ない。口に出すところだった。でもラッキー。この人ならアクアと先輩の事も知ってるはずだ。

 

「俺の事知ってんの?」

「はい! 星野ルビーです。弟がお世話になってます。」

「ああアクアの姉かなんか?」

「ですです」

「アクアならもう帰ったよ。」

 

さぁ、アクアの居場所を吐いてもらおうか! と思ったのも束の間、まだ昼過ぎだというのにもうアクアは稽古を終えて帰っているらしい。あれ? じゃあ先輩は?

 

「先輩…じゃなくて有馬かなさんは居ますか?」

「ああ、有馬なら居るぞ。」

「まだ稽古の時間なんですよね。アクアはなんで帰ったんですか?」

「なんか体調不良らしい。立ち眩みみたいな? 稽古中に倒れて彼女に介抱されてたな。」

「え……嘘、私には何も連絡来てないのに。」

 

アクアが体調不良? 大丈夫なのかな。けど、それ以上に気になるのは体調不良なのに私に連絡が来ないことだ。何かあったら真っ先に私に電話してくるはずのアクアがどうして連絡してこないの?

 

稽古場にはまだ先輩が居る。先輩なら何か知ってるかもしれない。聞いてみよう。

 

「有馬さんは……えっと同じアイドルグループでアイドルやってて、ちょっと話があるんです。会わせてくれませんか?」

「普通はダメだけど、まぁ同じ事務所のタレント同士ってんなら良いか。分かった、こっち来て。あ、お友達の子は? そっちもアイドルの子?」

「うちはちゃいますねん。ルビーちゃん、気にせんといて。うちは一人で帰るから。……怒られたくないし。」

 

私だけ中に入れることになった。

 

そそくさと帰るみなみちゃんを眺めつつ、大根の人に連れられて建物の中に入る。少し廊下を進んだ先には大きな部屋。Bスタジオと書いてある。へえ、役者ってこういう所で練習してるんだ。

 

「ちょっとここで待ってて。有馬を連れてくるから。」

「はい。」

 

待つこと数十秒。先輩がスタジオから出てきた。その曇った表情を見て、やっぱり何かあったんだと直感する。私はそのまま誰もいない控室に案内され、先輩と二人きりの空間で話を聞くことになった。

 

既に泣きそうな顔の先輩は、とても申し訳なさそうに語り始めた。妹モードの先輩に対し、私はお姉ちゃんモードで対応する。

 

「ごめん、ルビー。私アクアにひどいこと言っちゃった。」

「なんで私に謝るの。謝るならアクアでしょ? ほら、何があったか正直に教えて?」

「アクアが倒れたって言うのはもう聞いた?」

「うん。これから先輩に詳しく聞こうと思ってたところ。」

「それ、私のせいなの。私がアクアにあんな事言ったから……」

「落ち着いて先輩。アクアになんて言ったの?」

「『もしお母さんが死んじゃったらどうする?』って……そしたら急に倒れて……。後になってあかねに聞いたんだけど、アクアとルビーっていろいろ複雑な家庭なのよね? だから、アクアは昔の事を思い出しちゃったんじゃないかって……」

 

先輩の口から語られたのは、こちらの想像以上に良くない出来事だった。

 

これは間違いなくアクアのトラウマが再発している。しかも倒れるほどに重たいやつ。もしかしたら私に連絡する余裕すらなくて、それで電話しなかったのかもしれない。ああ、ただの立ち眩みだったら良かったのに。

 

「アクアは今どこにいるの?」

「分からない。あかねと一緒に帰ったから。というかルビーも知らないの?」

「知らない。私には何の連絡も無かったから。」

「となると、やっぱり監督の所かしら。」

 

先輩が答えた次の瞬間にはもう先輩の手を引いて歩き始めていた。一秒も無駄には出来ない。アクアが辛いときには私が傍に居てあげなきゃいけない。それに、先輩だってアクアに謝ってもらわないと。

 

タクシーを捕まえ、先輩共々五反田スタジオへと直行する。早退の連絡は移動しながら電話した。

 

「先輩。アクアの様子はどうだったの? 何か言ってた?」

「分からない。倒れてすぐにあかねが別の部屋に連れて行って、私は会わせてくれなかったから。あんなひどいこと言ったんだから当然なんだけど。」

「倒れた時は? 苦しそうだった?」

「凄い苦しそうだった。私はてっきり心臓麻痺みたいな病気かと思ってて……慌ててたせいでよく覚えてないの。ごめんなさい。」

「仕方がないよ。アクアを心配してくれたって事でしょ?」

 

移動中も詳しく話を聞きつつ、罪悪感に沈む先輩を慰める。全く忙しい。

 

先輩には悪気は無かったし、ここまで反省しているのだからあの発言をこれ以上咎める必要はないだろう。とにかく今は元気になってもらってアクアにごめんなさいを言ってもらうだけだ。

 

そして一刻も早くアクアを元気にしてあげないと。大丈夫、何度もやって来たことだ。いつものように傍に居て寄り添ってあげれば良い。

 

「支払いSuicaで!」

「はいよ。」

 

目的地に到着し、タクシーを飛び降りて急いで五反田スタジオへと向かう。

 

五反田家の呼び鈴を鳴らし、監督が応対しに出てきた。

 

「おう、ルビーか。アクアに会いに来たんだよな。ほら、上がれ。」

「アクアは? いつもの部屋ですか?」

「ああ、そこで寝てる。黒川あかねも一緒に居るはずだ。」

「ありがとう監督。ほら先輩、行こう。」

 

先輩を連れてアクアの部屋へ。そこには布団で寝込むアクアと、側でその様子を心配そうに眺めるあかねちゃんがいた。この場にはアクアとアクアの女(意訳)が勢揃いしたことになる。

 

全員顔見知りなのに、揃うのは初めてだ。

 

なんとなく気まずい空気になり、アクアを起こしてはマズいと3人揃ってリビングに移動した。ダイニングテーブルを囲うように椅子に腰かけ、なんとなく黙る私達。最初に口を開いたのは、あかねちゃんだ。

 

「来てもらったところ悪いんだけど、今日は帰ってくれないかな。アクア君は監督が面倒見てくれてるし、私もお夕飯食べたらすぐ帰るから。」

 

いつもはふわふわした雰囲気のあかねちゃんが、いつになく緊張感のあるキリッとした眼差しで先輩を睨みつけている。アクアが倒れる原因の先輩に怒ってるんだ。

 

しかし先輩もあかねちゃんの言いなりはならない。一言アクアに謝るまでは帰れないと反論し、そのまましばらく言い合いが続く。両者一歩も譲らない。そのうちいくら話しても無駄だと悟り、五反田家に居座り続ける先輩の不戦勝のような形になった。

 

じゃあそろそろ私も聞きたい事聞いて良いよね?

 

「相変わらず強情だね先輩。ところであかねちゃん。さっき帰ってって言ったのは私も含まれてるのかな?」

「うん。アクア君の事は私が見ておくから、ルビーちゃんはもう帰って良いよ。勿論かなちゃんもね。」

 

オーケー分かった。第2ラウンド開始だね。私を差し置いてアクアの看病をしようだなんて100年早い。現実的に考えても16年くらい早い。アクアの事を一番良く分かってるのは生まれた瞬間から一緒に居る私に決まってるからね。

 

納得するまで何時間でも語り合ってあげる。

 

あかねちゃんとの議論に向けて気持ちを高める私。ところが急にあかねちゃんの視線が私ではなく私の背後に注がれ、驚いたような気まずいような複雑な表情へと変わった。

 

「アクア君……」

「えっと……あかね。これはどういう状況なんだ?」

 

がばっと振り向くとそこにはすっかり顔色の良くなった可愛い弟の姿。この場に居る3人の顔を順に見つめている。そしてあからさまに困惑した様子であかねちゃんに説明を求めるのだった。

 



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アイデンティティ

しばらく眠って目が覚めてリビングに出たら、そこにいるはずのないお姉ちゃんと有馬が居た。しかもあかねと3人でテーブルを囲み、何故か険悪な雰囲気だ。

 

なんなんだ、この状況。

 

「えっと……あかね。これはどういう状況なんだ?」

「アクア君が倒れたと知ってルビーちゃんが来たのはまぁ当然として、かなちゃんはアクア君に謝りたいって言ってるよ。今日の所はそっとしておいてあげてって言ったんだけどね。」

「それを言うならあかねちゃんもアクアの事そっとしといてあげてよ。ああそれから先輩は早くごめんなさいしてお家に帰った方が良いよ。私はアクアと一緒の布団でお泊りするから心配しないで。」

 

あかねが質問に答えると、それに呼応するようにお姉ちゃんも口を開く。明確に言葉には出さないものの、2人はそれぞれの言葉で「お前は帰れ」と暗に主張している。

 

一体なぜここまで喧嘩腰なのだろうか。あかねと有馬の仲が悪いのは知っているので違和感はないが、あかねとお姉ちゃんはそれなりに仲が良かったはず。何か原因が……ってどうせ俺絡みなんだろうな。お姉ちゃんが怒るのは決まって俺を取られたときだ。

 

そこに思い至れば答えは簡単。あかねは恐らく、俺の感情演技の件を隠そうとしてお姉ちゃんを帰そうとしたんだ。そりゃ怒る。

 

分かりやすく表情が変わるお姉ちゃんは、怒っている時にはそれなりに怖い顔をする。今目の前に居るお姉ちゃんもまさに戦闘モードと言った感じで鋭い目つきなのだが、ふと急に優しい表情になって俺の身を案じてきた。

 

「アクア、もう大丈夫なの? 顔色見れば大体分かるけど。」

「ああ、いつも通り時間が経てば治ったよ。もう何ともない。」

「なら良かった。」

 

今のやり取り、時間にしてほんの10秒程度だが、その10秒間だけいつものお姉ちゃんモードで穏やかな表情と口調だった。なんて器用に入れ替わるんだろうか。視線をあかねに移したお姉ちゃんはもうすでに先ほどまでの戦闘モードに戻っている。

 

お姉ちゃんの豹変ぶりにあかねも有馬も驚いた様子。だがこの入れ替わりを何度も見ている有馬の方が驚きは少なかったようで、一足先に我に返り、口を開いた。

 

「と、とにかく、私はアクアにはきちんと謝っておきたいのよ。本当にごめんなさい。家庭の事情とか深く考えずにあんなこと言っちゃって。今後は気を付けるわ。」

「ああ。分かった。悪気は無かったんだし気にしないよ。」

 

あっさりと謝罪を受け入れる。元々それほど怒っているわけではないからだ。きっかけこそ有馬の一言だったが、フラッシュバックを引き起こした本質的な要因は、俺が自ら過去の記憶を掘り起こしに行ったことだ。あれはほとんど自爆のようなものだった。

 

「じゃあ謝罪も済んだことだし、かなちゃんはもうここにいる必要はないよね?」

「まあいいわ。さすがに彼女とお姉ちゃん相手に張り合って勝てると思う程私もバカじゃないもの。でも決着がつくまでここで見ててもいいかしら。面白そうだし。」

「負けを認めるなら、まあいいけど。」

 

このやり取りを見て、あかねがここぞとばかりに有馬を追い払おうとする。キレイな笑顔なのだが、目だけが笑っていない。

 

これで有馬は脱落。残るはあかねとお姉ちゃんの二人だ。

 

いや、脱落と言う表現も本来おかしいんだが、この状況、どうみても3人の美少女が俺を取り合うサバイバルゲームなんだよなぁ。俺のために争わないでという少女漫画のヒロインのようなセリフが頭をよぎるが、ぐっと飲みこむ。

 

残された2人により争いはなおも続く。

 

「で、ルビーちゃん。後からこの家に押しかけてこんな騒ぎを起こして何のつもり? アクア君が起きてきちゃったよ。」

「それはお互い様じゃない? あかねちゃんだって喋ってたじゃん。そもそもなんですぐ私に電話しなかったの? わざわざこっそり監督の家に連れてきて、アクア独り占めしたかっただけじゃないの?」

「それは……」

 

言えないだろうな。感情演技のためにトラウマを利用していることをお姉ちゃんに知らせないためにこっちに来たんだ。その点で俺とあかねの意思は一致しており、舞台を成功させるためにこのことは隠し通すと強く決意している。

 

あかねに目配せをし、助け船を出す。

 

「俺がお願いしたんだ。ほら、せっかく彼女が甲斐甲斐しく介抱してくれてるって言うのに、お姉ちゃんを呼んでさよならってのもさすがに可哀そうだろ? お姉ちゃんは電話したら絶対にすっ飛んでくるから、内緒にするしかなかったんだよ。」

「要するに二人でイチャイチャしたかったって事じゃん。」

 

監督もおばちゃんも居るんだから二人きりではない。お姉ちゃんの的外れな反論に対し、あかねが応える。

 

「そんなわけないでしょ。アクア君が目の前で倒れたんだよ。真剣に介抱してたに決まってるでしょ。」

「じゃあ私を呼んでよ。こういう時こそ私の出番でしょ。」

 

さて、もう手詰まりかな。お互い言いたい事言いつくし、これ以上新たな展開は望めない。後は勢いに任せて女性特有のロジックもクソもない泥沼の口喧嘩が続くのだ。

 

ちらっと有馬の様子を確認すると、楽しそうに観戦している。自分の身に危険が及ばない場面では妙に肝が据わってるんだよな。こいつ。

 

しばらく無益な争いが続いたころ、監督が子供部屋から出てきた。見るからに機嫌の悪そうな顔で、元々怖い顔がさらに凶悪なものになっている。まあ、これだけ騒げば監督も怒るだろう。さすがにオイタが過ぎたか。

 

「オイお前ら、いい加減にしろよ。人の家でギャーギャー騒ぎやがって。うるさくて仕事に集中できねぇだろうが。」

「カントクは黙ってて。これは私達の問題なの。」

 

抗議の声を上げるも、お姉ちゃんにバッサリと切り捨てられた。

 

子供部屋おじさんの言う事って響かねえんだよなぁ。でも一応は映画監督としてそれなりに名の売れた人物でもあるし、これで中々良いことを言う人だ。この状況で俺が頼れるのは最早この人しかいない。

 

少々頼りないが、賭けてみる価値はある。

 

「なぁ、監督。このままじゃ埒が明かな―――」

「………俺はお前に凄い演技じゃなくてぴったりの演技が出来る役者になれと言った。それを踏まえてこの3人の要望、意図を、星野アクアはどう読み取る? この状況においてのぴったりとはなんだ?」

「は?」

「分からねぇか? 要するにだ。これは他でもないお前自身の問題だ。その答えを他人から聞いて解決しようなんて甘い考えは捨てるこったな。結局、自分で考えるしかねえんだ。」

 

監督、逃げやがったな……!

 

なんか説得力のありそうな絶妙な言い回しで煙に巻こうとしてるけど、要するに面倒だからお前が自分で何とかしろって事じゃないか。これだから子供部屋おじさんは……!

 

もう良い。自分で何とかするしかない。

 

幸いなことに、俺がトラウマをほじくり返したという事実は隠せている。ならばあとはお姉ちゃんの機嫌さえ直ってしまえば当初の予定通りだ。あかねには悪いが、ここは俺がお姉ちゃんの味方をすることで場を収めるしかない。

 

俺はあかねに先に帰ってくれと伝え、最終的にお姉ちゃんだけが残って看病を続けるということで決着がついた。

 

はぁ、ものすごく疲れた。やっぱりお姉ちゃんに隠し事なんてするもんじゃないな。

 

・・・

 

翌朝。

 

「おはよう。相変わらず仲が良いのねぇ。」

「おはよう、おばちゃん。」

「おはようございます。」

 

一緒に寝ていたお姉ちゃんとリビングに出ると、朝食の用意をしているおばちゃんが元気よく挨拶してくれた。監督がパパなら彼女はおばあちゃんだ。俺の事を孫のように可愛がってくれる。ルビーはあまりここには来ないので、親戚の子くらいの距離感で接している。

 

驚くべきことに、16歳にもなる姉弟が一緒に寝ていることに何ら疑問を持っていない様子だ。彼女くらいの年齢になると小学生も高校生も誤差みたいなものなのだろうか。

 

さて、今日は平日。急遽お泊りすることになったお姉ちゃんだが、学校はどうするのだろうか。

 

「お姉ちゃん、今日学校どうすんの? 制服とかこっちにおいてなかったよな?」

「うーん。今から家に帰ってもいいけど……めんどくさいし昼から行こうかな。アクアは?」

「俺は元々ここに来る予定だったから学校に行く準備は出来てるよ。」

 

えーとうなだれるお姉ちゃん。

 

どうせ空いた時間でデートでも行こうと考えていたのだろう。悪くない提案だがここ最近は東京ブレイドの稽古でかなり学校を休んでいるので、いかに芸能科とは言えそろそろ真面目に出席日数を稼ぐ必要がある。

 

残念だが学校をサボる選択肢はない。

 

「まぁそう気を落とすなよ。久しぶりに一緒に寝たじゃん。」

「久しぶりなのが気に入らないんだけど。前みたいに毎日でも良くない?」

「それはほら、さすがに高校生だし。いつまでも一緒にって訳にはいかないだろ。」

 

最近、身の振り方を真剣に考えた方が良いかとよく考えるようになった。

 

きっかけは今日あまの打ち上げで聞いた鏑木さんの一言。

 

『君ももう高校生になるんだろう?いい加減大人になった方が良い。』

 

あれ以降、ミヤコさんとルビーを食事に連れて行ったり、炎上したり、恋をしたりと、自分の人生について深く考える機会が沢山あった。去年の今頃と比べて、俺はかなり変わったという実感がある。

 

人前にダサい服装で出ることに抵抗感を感じるようになったし、ミヤコさんやお姉ちゃんに子供扱いされることが何だか気に食わないようになった。嫌いになった訳ではないが、もっと独り立ちしたいというか、適切な距離感を保って、良い感じに仲良くしたいというか……。

 

これが大人になるってことなんだろうか。

 

「なぁお姉ちゃん。俺って大人になったと思うか?」

「年相応じゃないの? ていうか生まれたばかりの時の方がよっぽど大人っぽかったよ。ママのおっぱい飲むようになってからは一気に赤ちゃんになったけど。」

「そんな子供の頃のことよく覚えてるな。確かに前世の記憶はあるけど、今となってはいまいち実感ないし……。お姉ちゃんは覚えてんの?」

「いやむしろアクアは忘れちゃったの? 私はバリバリ覚えてるけど。」

「マジか。お姉ちゃん凄いな。」

 

同じ転生者だが、俺とお姉ちゃんでは前世と今世の繋がりというか切り替わり方に差異があるようだ。話を聞いた限りではお姉ちゃんは前世のアイデンティティをそのまま引き継いでいる。

 

一方で俺は少なくとも小学校に上がる頃には普通の子供として生きていた。とはいえ前世の知識はあるので知能や判断力は異常に高かったことを覚えている。監督は確か、ギフテッドとか言っていたっけ。

 

星野アクアとしての一番古い記憶は何だろうかと記憶をさかのぼっていくが、やはり物心がつくと言われる2歳あたりが限界だ。初めておっぱいを飲んだ記憶などどこにもない。

 

ひょっとするとお姉ちゃんが小学校あたりから子供っぽさが目立ち始めたのは、前世の自我がそのまま残っているからじゃないだろうか。子供の頃はあんなに大人びていると思っていたのに、今では子供にしか見えない。

 

双子だというのにお姉ちゃんだけ妙に勉強が出来ないのも不思議だったが、前世のままの頭脳と言う事なら納得も出来る。

 

多分前世は子供だし、あり得る線だと思う。

 

「お姉ちゃんが子供っぽいのは前世が子供だったからって事か。」

「は? 何言ってるの? 私は大人のレディーなんですけど。」

 

この反応は子供で確定かな。

 

となると、疑問なのが時折見せるお姉ちゃんモードだ。俺や有馬を甘やかしたり叱ったりするときに出てくるあのお姉ちゃんは、もはや2重人格と言っていいくらいに普段とは性格が違う。

 

お姉ちゃんはいつからあんな風になったんだっけ。

 

……多分、母さんが死んだ頃だ。フラッシュバックに苦しむ俺を優しく支え続けてくれたお姉ちゃんの姿がまさにそれだ。

 

もしかすると、記憶を共有した2重人格のような状態になっているのかもしれない。そうでもないとあの豹変ぶりに説明が付かないのだ。

 

お姉ちゃんは家族を何よりも大切に思っている。そんなお姉ちゃんが俺の苦しむ姿や自殺をほのめかす言動を見れば、ひどいストレスを感じたはずだ。繰り返し強いストレスを感じ続けるうちにそれを避けるように別の人格を作り上げたということではないか。

 

それこそがあのお姉ちゃんモードだ。誰かが苦しむとき、消えてしまいそうなときに現れる別人格。自分の心を守り、他者の心のケアを行うための存在。

 

奇しくもこれが星野ルビーとしての最初の自我の芽生えであり、いわば本来の星野ルビーはこちらと言うことになる。

 

なんだか色々と納得できた気がする。

 

「さあ! たんとお食べ!」

「はーい」

「いただきます」

 

朝ごはんが出来た。

 

少し長い思考を終え、美味しそうな朝食とそれに目を輝かせるお姉ちゃんを眺める。大人とか子供とか、アイデンティティがどうなってるかなんてどうでも良い。俺の大好きなお姉ちゃんは今日も元気に生きている。

 

「お姉ちゃん、これからもよろしくな。」

「なに、どしたの急に。」

「なんでもない。」

「はー? 意味わかんない。」

 

願わくば、こんな幸せな日常がこれからもずっと続きますように。

 




お姉ちゃん2重人格説を少し真面目に考えた結果、ゴローの意識が消失しました。

ちなみに2重人格については明確にそれらしい記載があったのは23話からで、意外と後付けの設定だったんだなーと自分で書いたくせに驚いてます。それっぽい感じの振る舞いはアイ死亡直後から見られたのでそこからルビーのお姉ちゃんモードが始まったことにします。

勢いだけで書いているせいでキャラの設定がぐちゃぐちゃなので、今まで書いてきた文章とコメントを参考に、一旦アクアとルビーの自我の在り方について整理しておくことにします。細かく考えれば矛盾はあると思いますが、無理やり解釈すると以下のようになりました。


星野アクア
ゴローとしての自我は無い。前世の知識は持っているが、知能も生まれつき高い。知能は多分カミキヒカルからの遺伝。
ゴローの自我は消えたのか眠っているだけなのかは不明。

星野ルビー
中身はさりなのまま。小学校までは精神年齢が相対的に高かったが、それ以降は周囲の子供に追い抜かれて相対的に子供っぽくなってしまった。
お姉ちゃんモードが星野ルビーとしての本当の自我。記憶は共有しており、本人は多重人格であることの自覚はない。切り替えは任意なので便利に使い分けている。
本来はアクア同様知能が高く、特に人の感情を理解したり誘導したりするのが得意。こちらも多分カミキヒカルからの遺伝。


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大根役者

新たな台本が配られたその日の稽古でアクアが倒れ、黒川と共に早退。さらにアクアの姉がやってきて有馬を連れてどっかに行ってしまった。この難しい台本の演技をこれから何とかモノにしなきゃならないって時に、運が悪い。

 

「メルト。お前は一旦見学と個人練習だ。」

「ウス」

 

金田一さんにもこう言われる始末。もう手の施しようがないという事なんだろうか。

 

結局その日は稽古の時間が終わるまで台本を読み込み、台詞と動きを頭に叩き込む事に時間を費やした。アクアと有馬が居ないだけでこんなに心細いなんてな。どれだけあの二人に頼りきりだったかが分かる。

 

稽古は終わり、俺はそのまま居残りで練習。少し休憩しようと表に出ると、アクアの姉の友達をナンパする鴨志田さんの姿が見えてしまった。

 

万が一仕事に支障が出るとマズい。面倒だが、演技で貢献できない俺はこういう細かい部分で取り返すしかないと思い、鴨志田さんを止めることにした。適当に理由を付けて彼を呼び出す。

 

「鴨志田サーン、金田一さんが来いって。緊急招集!」

「えっマジ……ちょっと待って…」

「金田一さん怒るとコエーんだから急いで!」

 

またの機会にね、と言いながら女の子から走り去る鴨志田さん。ほっと一息ついた女の子の様子を見るに、連絡先の交換は回避できたようだ。

 

機嫌を悪くした鴨志田さんが俺の横を通り過ぎる。

 

「んだよ、稽古はもう終わって……」

「まぁ嘘だし。」

「……」

「あれアクアの姉の友達。手ェ出したらマズいでしょ。」

「何それ。そんな理由で邪魔したの?」

 

そこから少し口論が続いた。

 

仕事に支障なんて出るわけないと楽観視する鴨志田さんに対し、プロなんだからそういう細かい部分にも気を配っていかなきゃダメだろと持論をぶつける俺。しかし俺の主張は鴨志田さんに響かないどころか、どぎついカウンターを食らう事となる。

 

「プロて。ロクに演技も出来ねー奴が俺にプロ語るとか笑う。」

 

俺の事を心の底から見下す目だった。

 

「ちゃらちゃらモデルやりながら片手間にドラマやって、今度はコネで舞台のお仕事。なぁ自分が一番下手なの自覚してる? お前が作品の質落としてんだけど。」

 

何も言い返せない。彼の言う事は全く正しいし、俺自身が今悩んでいることを的確に突いている。

 

なおもお説教は続く。

 

「俺は曲がりなりにも実績が評価されてここに居る。で…お前は何が出来んの? 実力ねぇ奴がイキって説教かましてくんの一番ダセぇのよ。姫川さんか星野アクアが言ってくるなら俺だって聞く耳持つけどさ。お前は偉そうに語ってる場合かよ。」

 

遥か格上の実績と実力を誇示し、この舞台における俺の存在意義や発言力について疑問を投げかけてくる。やはり何も言い返せない。そんなことは自分が一番よく分かっている。

 

「星野アクアが居なくて丁度良かったよ。やっと言いたいこと言えたわ。」

 

もう興味はないと言わんばかりの軽い足取りで鴨志田さんはスタジオへと戻っていく。去り際にこんな言葉を言い残して。

 

「あーあ、あの子胸デカかったのになぁ……やってらんねー」

 

悔しい。死ぬ程悔しい。

 

あんなチャラチャラした男に演技力も実績もボロ負けしてて、何も言い返せない自分が腹立たしい。

 

―――なぁ自分が一番下手なの自覚してる? お前が作品の質落としてんだけど。

 

「分かってんだよ…そんなの……。あいつ(アクア)()った時からずっと…」

 

残り2週間、なんとしてでも俺はあいつを見返すと決意を固めた。

 

・・・

 

「なぁ、アクア。俺を鍛えてくれ。徹底的に。」

「え?」

 

後日、俺は早速アクアに特訓を申し込んだ。鴨志田さんも認める実力を持ち、演技に並々ならぬ情熱を燃やす彼ならこの話を受けてくれるはず。

 

「それってつまり、稽古時間外とかも俺と一緒に稽古したいって事か?」

「ああ、頼む。」

「学校終わりとかも?」

「あ、うん。」

 

アクアの目が輝きだす。一つ目の質問にYESを返すといい笑顔になり、二つ目の質問にもYESを返すと確変でも起こったかのように喜び始めた。そして俺の決意など軽々と上回る熱量で前のめりになって話し出す。

 

「よし分かった。実はすでに稽古時間外にも俺の師匠に稽古をつけて貰ってるんだが、お前もそこに加われ。俺と師匠でみっちりしごいてやる。」

「ああ、分かった。」

 

俺が言い出す前からアクアは独自に特訓を行っていたようだ。俺より遥かに演技が上手い奴が俺よりも努力しているなんて。あの鴨志田さんでさえアクアの言う事なら聞く耳を持つとまで言うのだから、星野アクアと言う役者はやはりただ者ではなかった。

 

次の日から俺はアクアの師匠から直々に演技の指導を受けることになった。

 

・・・

 

アクアに言われた通り監督とやらの自宅へと到着。玄関には五反田スタジオと書かれているが、どう見ても普通のマンションだ。カッコつけてんな。

 

インターホンを慣らすと、扉の向こうから強面の中年の男が俺を出迎える。

 

「おう、いらっしゃい。お前が早熟の言ってた鳴嶋メルトだな。」

「はい。よろしくお願いします。」

「それにしても最近は来客が多いねぇ。ひょっとしてあいつ、カオが良けりゃ男でも良いのか……?」

「なんですか?」

「いや、こっちの話だ。なんでもねぇ。」

 

あらぬ誤解を受けている気がする。俺はアクアの愛人とかじゃないからな?

 

確かにアクアはいつも有馬と黒川を侍らせてるし、ついこの前だって可愛いお姉さんと美人な友達がアクアに会いに来ていた。アクアの意思はともかく、奴は間違いなく女たらしだ。

 

監督にはアクアと仲の良い中性的な少年もそのメンバーの一人に見えているのだろうか。

 

身に覚えはないが、男に言い寄られた経験が無いわけでもないので簡単に否定できないのが辛いところだ。中性的なイケメンも良いことばかりじゃない。

 

「よう、来たかメルト。」

「メルト君。こんにちは。」

「おう。黒川も居るんだな。」

 

五反田スタジオにはすでにアクアと彼女の黒川がスタンバイしていた。そのまま俺たちは挨拶もそこそこに近くの河原へと移動し、演技の特訓が始まった。

 

高架下のだだっ広い空間で、まずはアクアと黒川が監督に演技を披露する。

 

さすがと言うしかない。動作の指示がほとんどないシーンでも難なく想像力を膨らませて深みのある演技を披露する。まるで本当にそこに刀鬼と鞘姫が居るような、この河原がまるで東京ブレイドの世界になったような、そんな気持ちにさせられる。

 

続いて俺の番だが、おっかなびっくりに配られたばかりの台本の通りに演技をするので精一杯。金田一さんからの失望を含んだ厳しい言葉の数々が頭をよぎり、どうしても固くなってしまう。

 

そんな俺の様子を見て、早くも監督が動いた。

 

「おいお前ら、演技は楽しいか?」

「はい、楽しいです!」

「楽しいに決まってるじゃん。」

「えっと……俺は、正直しんどいです。」

 

楽しいと即答するアクアと黒川。あれだけ上手く演技が出来れば楽しいだろうな、と羨ましい気持ちになる。俺はプロとして、作品の質を落とさないようにすることで精いっぱいで、楽しむ余裕なんてない。

 

「鳴嶋。この二人を見てどう思った? 何でこんなに演技が好きで、演技が上手いのか。お前なりの考えを聞かせてくれ。」

「アクアも黒川も子供の頃からずっと役者をやってるから、演技が上手いのは当然だと思います。上手いから演技も楽しいと思えるんじゃないですか。」

「まずはその考えを改めろ。上手い下手は一旦忘れて、とにかく演技を楽しめ。それが上達の一番の近道だ。」

「え……でも、もう本番までの時間もないのに」

「良いからやってみろって。早熟、匁役をやれ。んで、今日あまでやったように鳴嶋の感情を引き出せ。こいつに演技の楽しさって奴を分からせてやろうじゃねぇか。」

「オッケー。()るのは最初の闘いだな?」

 

おう、といたずらっ子のような笑顔を浮かべて監督が応える。阿吽の呼吸で話を進める二人は、師弟を通り越して親子のようにも見える。顔は全く似ていないが面白そうに笑う表情はそっくりだ。

 

監督の指示通り、アクアが匁となって俺の前に立ちはだかる。さっきまで刀鬼だったのに、少しもその雰囲気は残っていない。

 

「はじめ!」

 

監督の掛け声で演技が始まる。匁のセリフからだ。

 

「どうしても戦わなきゃだめなんですか? 親から無理やり剣を与えられ、こんな戦いに巻き込まれて。僕は戦いたくない……」

「否も応もねぇんだよ。来ねぇならこっちから行くぜ。」

 

開戦の合図だ。ここから実力では劣るキザミが相手の力量を読み間違え、自分の方が強いと自信満々に切りかかっていく。しかし本編の先の展開を知ってしまっている俺はいまいちそのイメージを掴めないでいた。

 

一方アクアは俺の一挙手一投足を怯えた目で見つめ、警戒心を表に出して小物感を演出している。素人の俺から見ても、この演技は明らかにやりすぎだ。どうしてこんな台本から外れた演技をするんだ?

 

浮かんだ疑問は、打ち合いを始めてすぐに解決することとなる。

 

「ほら、どうした。守ってばっかじゃ勝てねぇぞ?」

「くっ……」

 

刀を交える毎に不思議な感覚が湧き上がってくる。匁が凄く弱そうに見えてくる。こいつなら余裕で勝てそうだ。そんな気持ちになってくる。

 

自然と口角が上がり、動きも大振りになる。知らず知らずアクアに誘導され、俺は無意識のうちにキザミと同じ感情を引き出されていた。

 

勝ちを確信したキザミはひときわ大きな一振りで止めを刺しにかかる。しかしそれこそが匁の狙い。大きな隙がうまれたキザミに対し、必殺の一撃が炸裂する。

 

「ぐはっ………」

 

匁の刀、今は稽古中なので木刀だが、その木刀がもろに俺の脇腹へと打ち込まれた。

 

激痛に倒れ込んだ俺を、匁が見下ろす。アクアの背後にいる監督と黒川には見えていないだろうが、俺だけには確かに見えた。俺を見下し、嘲笑う匁の表情が。

 

―――舐めやがって! この三下が!

 

演技ではない、生の感情だった。

 

湧き上がる怒りと悔しさを刀に乗せて匁にぶつける。対する匁は的確に攻撃を捌き、隙あらば追撃を重ねてくる。どこまでもリアリティのある匁の反応のお陰で、どんどん深く東京ブレイドの世界にのめり込んでいく。

 

キザミ本人になったかのような錯覚。そうか、これが役に深く入る感覚。動きもセリフも、何の違和感もなく自然と出てくる。

 

ああ、確かに楽しいわ、これ。

 

匁に倒されるその瞬間まで、俺は夢中になってキザミを演じ続けた。

 

「カット! そこまでだ。」

 

監督の掛け声で俺は目が覚めた。

 

心地よい疲労感。きっと今の俺は良い顔をしてるんだろう。監督とアクアはしたり顔。黒川も嬉しそうだ。どうやら俺は演技の楽しさを分からされてしまったらしい。

 

「鳴嶋。どうだ? 演技は楽しいか?」

「……楽しい、です。」

「だよな!」

 

爽やかな笑顔で俺の気持ちの変化を喜ぶアクア。今日あまに続き、またこいつの思い通りに踊らされたが、今回も悪い気はしなかった。

 

こんなに楽しいならいくらでも稽古したい。もっと演じたい。もっと上手く、もっと役になりきりたい。

 

「監督、次のシーンお願いします!」

「ははは、こいつは将来が楽しみな役者がまた一人増えちまったな。いいぜ、みっちりしごいてやる。」

 

その日、俺たちは日が暮れるまで稽古を続けた。

 




青春してるなぁ。

アクアは殺陣もきっと上手いはず。刀での打ち合いとか好きそうなイメージです。絶対小学校でチャンバラごっこしてお姉ちゃんに怒られたことある。


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アクアお兄ちゃん

いよいよ今日からは舞台の始まりから終わりまでを通しで練習する『通し稽古』が始まる。

 

本番にかなり近い形の稽古ということで、控室に集まった役者達はそれぞれの方法で集中力を高めている。それは刀鬼役の俺やキザミ役のメルトも同じで、俺は経験の浅いメルトをサポートするために彼と行動を共にしていた。

 

「どうだメルト? 行けそうか?」

「これでも一応、演技が下手なだけでプロのタレントなんだけどな。なんならお前よりカメラの前に立った経験は多いぞ。」

「そういえばそうだったな。まあ楽しんでいこうぜ。」

「おう。」

 

控室で笑い合う俺達。

 

メルトはもうすっかり演技の楽しさに魅了されたらしく、今ではこうして稽古前にも笑顔を見せるようになった。同年代の同志が一人増えたのがたまらなく嬉しい。メルトは雰囲気も華やかだし、重宝されるいい役者になるかもな。

 

しかし、先ほどから控室の一角が何やら騒がしい。

 

様子を見てみると、どうやら有馬とあかねがまた喧嘩を始めたようだ。もう何度も見ている為か、他の役者たちは慣れた様子でスルーしている。

 

「おいアクア、お前止めに行かないのか?」

「なんで俺が。」

「お前の彼女だろ。何とかしろよ。」

「いや、あの二人の因縁には俺は一ミリも関わってないから。マジで勘弁してくれ。」

「そうなのか。俺はてっきり、お前を取り合って喧嘩してるのかと。」

 

心外だ。俺がまるで女たらしみたいな言いぐさじゃないか。俺は誓ってピュアな気持ちであかねと交際しているし、有馬を必要以上に弄ぶようなこともしていない。

 

そんな事より、と視線の先で繰り広げられる女の戦いへと話題を戻す。

 

「お、有馬が何かカバンら出したぞ。あれは……本?」

「あかねは驚いてるみたいだな。」

 

有馬が取り出したのは、演劇の雑誌だった。あかねが演劇を始めるきっかけになった役者が居るということで、あかねのインタビュー記事が載っている雑誌を通販で買ったのだという。本を開き、わざとらしく憧れの人は誰かなーなどと言いつつぱらぱらと読み進めていく。

 

そしてお目当てのページを素早く見つけ、芝居がかったあざとい声であかねを口撃し始めた。

 

「あれっ!? あれー!? 憧れの人って私!? あかねちゃん私に憧れて演劇始めたの!? やだもーっ! 私が大好きならそう言ってくれたら良いのにーっ。ごめんね!? 私は貴方の事全然好きじゃなくて! 一方通行の想いでごめんねー!?」

 

当然あかねは激怒する。今まで見たことが無いような鬼の形相で犯人捜しを始めた。

 

「誰!! 誰が教えたの!? ララライの誰かでしょ!!」

「すまん。」

「姫川さん…」

 

手を上げたのは、劇団ララライ看板役者の姫川さん。他の役者ならともかく、姫川さんが相手ではあかねもおいそれと追及できず、泣き寝入りするしかない。

 

その後もしばらく喧嘩は続き、結局俺とメルトが仲裁に入った。あかねを俺が、有馬をメルトが引きずるように引き剥がしてその場を後にする。暴れるあかねを抱え、俺は誰もいない舞台袖へと移動した。

 

「あーもうむかつくむかつく! なんあのあの人は!!」

 

当の有馬は既にいないというのに、落ち着く気配はない。

 

マズいな。じきに稽古が始まるというのに。他人の目があった方が冷静になれただろうか? 誰もいない空間に連れてきたせいで周囲に気を使う必要もないとばかりに怒りをまき散らしているように見える。

 

困った。こんな時お姉ちゃんが居てくれたら助かるんだが……。

 

ここでふと妙案を閃いた。

 

階段に座るあかねの横に腰を下ろし、体を密着させて座る。そのまま右手で彼女の肩を抱き寄せ、左手は頭の上へ。そう、お姉ちゃん直伝のぎゅっからのなでなで。お姉ちゃんが居なくたって、俺が同じことをすればいいんだ。

 

急激に大人しくなるあかね。ここまでうまく行くと逆に不安になってくるが、今更だ。もう戻れない。この道を進むしかない。

 

さらにスパイスとして東京ブレイドの新たな設定を利用させてもらう。

 

「鞘姫。そうカリカリするな。匁に見られたらどうする。」

 

刀鬼と鞘姫は設定上そういう関係であり、頭なでなでをするシーンも実際に脚本に組み込まれている。これならあかねの機嫌を取りつつ、役作りの一環にもなる。そしてなにより、可愛いあかねを自然な流れでなでなですることができる。まさに完璧なプランだ。

 

ただ一つ誤算があったとすれば、あかねは鞘姫としてではなく、あかね本人としてこの状況を受け入れていることだろうか。それも、どうやら()()()の事を思い出しているようで―――

 

「アクア君……もう少し、強くぎゅってして欲しいかな……」

「こ、こうか?」

「あの歩道橋で私を助けてくれた時みたいにさ、もっと思いっきり抱きしめて……」

「わ、分かった。」ギュウッ

 

あの歩道橋。

 

あかねが自ら命を断とうとし、それを間一髪で阻止したあの場所。思えば、あかねと俺の今の関係はあそこから始まったようなものだったな。確かあの時もこうやってあかねを抱きしめて、頭を撫でて………

 

―――落ち着け。ほら、お兄ちゃんがぎゅってしてあげるから。よしよし、よく頑張ったな。

 

こんなクサい台詞を口走ったような気がする。

 

あれは気の迷いと言うか、なんとかしてあかねを落ち着かせようとして咄嗟に出てきた言葉であって、別に深い意味などない。強いていうならお姉ちゃんの英才教育の賜物と言うか、刷り込みの結果なのであって、俺に罪はない。と思う。

 

だがあの危機的状況において、命を救ってくれた恩人が最初にかけてくれた言葉と抱きしめられる感触は、彼女の心に強く刻み込まれていることが容易に想像できる。

 

決してわざとではないが、俺が彼女の恋愛観を大いに歪めてしまったのも事実なわけで。

 

「お…お兄ちゃん……。」

 

などと意味不明なことを言って甘えてくるあかねの相手は、俺が責任をもって努めなければならないのだろう。

 

「あかね。」

「なぁに。お兄ちゃん。」

「こういうのは、場所を選んだ方が良いんじゃないか?」

「今までちゃんと二人きりになれる場所なんてあった?」

 

記憶を探るが、そんな機会は確かに無かった。俺がトラウマのフラッシュバックで倒れた時も二人きりで介抱してもらった気がするが、まぁノーカンだろう。

 

するとあれか。あかねは俺と兄妹のように身を寄せ合ってなでなでしたりぎゅっとしたりという欲求を今まで我慢していたことになるのか。約半年もの間、ずっと? ただの一言も、ほのめかすような言動さえもせずに?

 

それに気づいた瞬間、罪悪感が湧き上がる。

 

「ごめん。もっとあかねとコミュニケーションを取るべきだったのかもな。」

「ううん、良いの。アクア君は立派に彼氏をやれてると思う。」

「そうかな。俺そういうの良く分かんないって言うか、初めてだから良く知らないんだよな。」

「初めてデートした時もちゃんと考えようって言った気がするんだけどなー。はぐらかされたけど。」

「そんなこともあったな。じゃあ改めて聞くけど、あかねはどういうのが恋人だと思う?」

「………やっぱり分からない。」

「俺はあかねと一緒に居れればそれで良い……ってこれじゃあの時と同じか。」

 

恋人ごっこはまたしても詰みらしい。何かないだろうか、起死回生の一手は。

 

「いや、あの時とは違うよ。だって、お兄ちゃんがこうしてなでなでしてくれてるんだもん。」

「なるほど?」

「きっとこれが私たちの彼氏彼女としての在り方なんだよ。」

「うーん、まあ、あかねがこれで良いって言うなら良いか。何度も言うけど俺は一緒に居られればそれで良いし。」

 

会話はそこで途切れ、そのまま体が触れ合う感覚だけを味わう。

 

抱きしめる力を弱めればあかねが不満そうに腕を引き、強めれば満足そうに身をよじらせる。撫で方にも好みがあるようで、いろんなパターンを試すもやはりあの歩道橋で咄嗟にやったあの撫で方をした時の反応が一番嬉しそうだ。

 

こんなスキンシップの取り方も悪くない。あかねが望むならいくらでもお兄ちゃんになってやろう。いつものように二人だけの世界を構築し、その中にどっぷりと浸かる。

 

これは特にあかねに言えることなのだが、集中すると周りが見えなくなることが良くある。高い集中力の裏返しだ。今この状況においてもその悪癖はしっかり出ているようで、俺もあかねも周囲に気を配る余裕もなく互いの体温を感じることに集中していた。

 

故に気づくことが出来なかった。

 

こちらを面白そうな顔で眺める姫川大輝の姿に。

 

「よぉ星野。随分と見せつけてくれるじゃねぇの。」

 

ふにゃふにゃだったあかねの体が一瞬にして硬直し、抱きしめる腕から動揺が伝わってくる。俺の動揺もまた彼女に伝わっていることだろう。

 

―――アクア君! どうしよう!

 

―――落ち着けあかね! 場所がちょっとアレだが何も後ろめたいことはしていない!

 

どうする? 凄く恥ずかしいところを見られたが、別に悪いことはしていない。俺とあかねは正式に付き合っているし、ハグくらいは人前でしても許されるはず。何よりこれは役作りの一環でもあるし……

 

そうだ役作り。

 

「……決めるのは鞘姫だ。俺は鞘姫の指示に従うだけ。」

「そう、だよね。渋谷クラスタのトップは私。私が決めないといけないんだよね。ごめん、こんなこと言って。」

「鞘姫の懐刀として、地獄の果てまでお供すると言ったはずだ。君がどんな決断を下そうと、結果がどうなろうと俺は君を守る。だからそんな顔をするな。」

 

決まった……! 俺の意思を瞬時に察し、合わせてくれたあかねに感謝だな。本番そのままのセリフだし、これなら通し稽古前に課題のシーンを練習している様子にしか見えないはず。

 

しかし俺の完璧(笑)なプランは早くも破綻していたことが明らかになる。

 

「……見つかってから始めても遅いぞ?」

「「はい。」」

「それにしても見事なイチャつきっぷりだったな。これで恋愛とか良く分からないとか言うのマジで笑える。」

「あの、姫川さん。私達、カップルに見えますか?」

「はぁ? それ以外の何に見えるって言うんだよ。」

「そうですか。」

 

良かったなという気持ちを込めて、あかねの頭をひと撫でする。表情は見えないが、安心や喜びと言った明るい気持ちが触れ合う体を通して伝わって来た。

 

ごゆっくり、と言い残して去っていく姫川さん。またしてもこの空間には俺とあかねの二人きりとなる。しかしもう同じ轍は踏まない。あかねから手を放し、少しだけ距離をとって座り直す。

 

「今度、二人で遊園地でも行かないか? 観覧車とか乗ってみたいんだよな。」

「良いね、遊園地。私はのんびり温泉旅行とかも良いと思うな。」

「そうだな。この舞台が終わったら、どこかに出かけようか。」

「うん。お誘い待ってるね。」

 

あかねの体温を感じられず寂しいが、この気持ちは次の機会に取っておくことにする。

 

その時が来たら、今度こそ心ゆくまで。

 




―――落ち着け。ほら、お兄ちゃんがぎゅってしてあげるから。よしよし、よく頑張ったな。

↑今ガチ編のアクアのセリフなのですが、いつか回収しようと思ってなんとなく機会を伺ってたら36話も進んでしまいました。初デートの回で入れたかったのですが、やはりパブリックな空間では難しく……。刀鞘ネタもあって丁度良かったのでここで消化させてもらいました。


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interlude-1 アクアは私が大好きすぎる……!

最新話(百二十六話)のルビーがこのシリーズのルビーお姉ちゃんにしか見えず、勢い余ってinterlude書いちゃいました。せんせ・アクアのことをカッコいいとか優しいではなく「かわいい」と評するあたりがもう最高でした。

時系列はジャパンアイドルフェスの約1か月前。ぴえヨンによる特訓が始まった頃です。
ついでにタイミングが無くてやらなかったB小町の女子会もやります。



JIFまで1か月を切り、ぴえヨンによる特訓が始まった。

 

ぴえヨン監修の練習メニューはハードで、学校に行っている時間以外はすべて彼のスケジュールに従って生活しなければいけない。体力面と歌唱力に不安のある私とMEMちょは毎日走り込みと発声練習を欠かさず行うことになっている。

 

まるで陸上部とかの合宿みたい。というか先輩とMEMちょはウチに泊まり込みだから、まさしく合宿だ。

 

今日の分の練習を終え、ご飯を食べて、お風呂にも入り、あとは寝るだけ。自宅の3階にある鏡張りの大きな部屋にお布団を3人分並べ、準備は完了。真ん中は先輩。その右手側にMEMちょで反対が私だ。

 

これから一か月間、私たちは毎日ここで姉妹のように仲良く眠ることになる。

 

「じゃあ、寝ましょうか。」

「ちょっと待ったぁ!」

「先輩、何か忘れてない?」

 

早々に電気を消して寝ようとする先輩をMEMちょと私が引き留める。

 

分かってないなぁ。仲の良い女子が3人、同じ部屋で布団の上に寝そべってる。この状況でやることと言ったら一つしかないでしょ。ね、MEMお姉ちゃん?

 

私のアイコンタクトにMEMちょが応える。

 

「寝るのはまだ早い! さぁ可愛い妹達! 楽しい楽しいガールトークのお時間だよぉ!」

「待ってました!」

 

そう、夜というのお喋りの時間なのだ。

 

懐かしいなぁ。前世の記憶を持って生まれた私とアクアは生まれてすぐに喋ることが出来たけど、人前では赤ちゃんの振りをしなきゃいけないからずっと黙りっぱなし。苦肉の策で夜な夜な布団を這い出て別の部屋に移動してひたすら語り合ったんだよね。

 

よちよちと布団から出ていつもの部屋に入ってくるくるアクアの可愛さと言ったら、もう言葉では言い表せないよ。

 

で、今ここにいるのは先輩とMEMちょ。

 

同じアイドルグループの仲間だし、いつでもお話は出来る。でも幼き日の私達と同じく、人前で話せない事だってある。女子だけの空間で、なおかつ寝る前というリラックスした状態でこそ話せる大事な話だってあるのだ。

 

それは何かって? そんなの決まってる。

 

「で、先輩。アクアをあかねちゃんに取られちゃったわけだけど、先輩的にはどう思ってるの?」

 

恋バナだ。

 

しかもその恋バナの登場人物は私の可愛い弟のアクアと可愛い妹(設定)の先輩。気にならないわけが無い。アクアからは色々話を聞いたし相談も受けたけど、先輩からはどう見えているのかイマイチ分かっていない。

 

良い機会だ。じっくりと聞かせてもらうとしよう。

 

手をわきわきさせて先輩ににじり寄る私。しかし頼れるお姉ちゃんのMEMちょがぽかんと間の抜けた顔で考え込んでいる。かと思ったら急に驚愕の表情になった。

 

「えっ、そういう事!? かなちゃんアクたんの事…!」

「ああそう言えばMEMちょは知らないんだっけ。先輩はアクアの事好きなんだよ。」

 

MEMちょは先輩と知り合ったの最近だもんね。知らなくて当然か。

 

急に気まずい顔で冷や汗を流し始めるMEMちょ。布団の上に正座し、目を泳がせながら語り始めた。

 

「えーとですねぇ。私としましては、今ガチで共演したあかねとアクたんがくっついて嬉しい気持ちがあるわけですよ。炎上騒ぎで急激に距離を縮めていい感じになった二人を見て、カップル成立、もう手出しは無用、とか率先して言いふらしていたわけでありまして。」

 

今ガチの裏側ではそんな駆け引きが……! って私は全部アクアとあかねちゃんに聞いてるから知ってるけど。

 

MEMちょは続ける。

 

「とはいえですよ。憧れのB小町に入って、そのメンバーであるルビーちゃんとかなちゃんは可愛い妹分なわけで。もう本当に可愛くて大事に思っているわけです。そんな妹分の恋路は全力で応援したいと考えておりまして。つまりどういう事かと言いますとですね。」

 

仰々しい話し方はここで一旦終了。すぅ、と息を吸い込み、苦々しく思いの丈を吐き出した。

 

「私はどっちを応援すればいいのぉ………」

 

布団に崩れ落ちるMEMちょ。妹の為にそこまで真剣に悩めるのは優しい証拠だ。やっぱり私の見込んだ通り、とっても良いお姉ちゃんみたい。

 

さすがにこのまま話を進めるのは忍びないので、フォローはしておく。

 

「まぁまぁ、MEMちょに責任はないよ。アクアが自分で選んだことなんだし、MEMちょが先輩を虐めたわけじゃないでしょ?」

「ううぅ、ルビーちゃん……ありがとー……。うん。そうだよね。最終的にあかねと付き合うって決めたのはアクたんだ。私は悪くない。」

「そうそう。そういう事。」

 

MEMちょが復活。さぁ、これでやっと本題に切り込める。私が聞きたいのは先輩の気持ちだ。あれだけ自信満々にアクアを落とすといっていた先輩だけど、ふたを開けてみればアクアはあかねちゃんと付き合うことになっていた。

 

先輩は何を思うだろう。きっと落ち込んでるだろうから、私とMEMちょが優しくしてあげよう。

 

「で、先輩。どうなの……って。あー……」

「そんなの……ぐやじいにぎまっでるじゃないのよぉ……ひっぐ」

 

MEMちょに気を取られている間に、先輩はまともに喋れないくらいにボロ泣きしていた。

 

そんな末っ子の様子を見て姉二人は大騒ぎだ。

 

「うわあぁぁ、かなちゃん。大丈夫? じゃないよねぇ。」

「先輩、ほらこっちおいで。悲しいよね。今日はお姉ちゃんがたくさんよしよししてあげるから元気出して。」

「ルビー……」

 

先輩が泣き止むまでに3分もかかった。気分屋の先輩にしてはかなり長引いた方で、振られたショックがいかに大きかったのかが良く分かった。いつもの調子を取り戻した先輩はここぞとばかりに愚痴をこぼし始める。

 

「いやーホント優しいわー。どっかのアクアとは大違いね。」

「かなちゃん、アクたんのことはもう大丈夫なの?」

「フン! あんな奴もうどうでも良いわ! 好きになる要素一個もないわよ! デリカシーと常識が無いし? クールぶってるけどただのムッツリ。年上に対する態度がヤバいし、一度も敬語使われたこと無いし! 一度ガツンと言わなきゃ駄目かしらね! あーあ、子供の頃はまだ可愛げがあったのにね。」

「あれ? 付き合い長いんだ?」

「そうよ小さいころ現場でね! 私とアクアがまだ3つとか4つの頃!? あんなヤツ一度会ったら忘れられないじゃない!? 昔からずっとアイツが脳裏に居たのよ! あの頃は天使みたいだと思ってたのにあんなに憎たらしく育っちゃって! 私の思い出を(けが)さないで欲しいんだけど!」

「ん? ん~~?」

 

アクアへの想いを断ち切るべく、途中までは頑張ってアクアへの悪態をついていたが、結局後半はアクアの事が大好きだと自白してしまっていた。随分と可愛い弟の悪口を言ってくれたが、さすがに可愛そうなので今日だけは追及しないでおく。

 

「さて、かなちゃんの話はこんなもんで良いかな? 吹っ切れたみたいだし。」

「そうかな。私には未練たらたらに見えるけど。」

「私のことはもう良いわよ。それよりアンタたちはどうなの? 私だけ聞かれるのは不公平よ。」

 

顔を見合わせる私とMEMちょ。

 

「先輩。私はアクアしか眼中にないからそういう話はないかなー。」

「仕事一筋で恋愛とか考えたこと無かったからなぁ。ごめん私も無い。」

 

恋バナはここでお終い。仕事一筋のMEMちょとアクア一筋の私には浮ついた話などあるわけが無かった。

 

じゃあもう寝るわよね、と先輩が明かりを消し私たちは布団に入る。しかし、電気を消したくらいでは楽しい楽しいガールズトークは終わらない。薄暗い部屋に、囁くように小さな声が響く。

 

「なんだか修学旅行みたいだね、先輩。」

「あんたは自宅で寝てるだけでしょ?」

「じゃあ女子会?」

「わたくしめもその女子とやらにカウントされてしまっていいのでしょうか。」

「女子とおばさん会にする?」

「やめて。ホント心に刺さるから。マジでやめて。」

 

つい最近までMEMちょは高校生だと思っていたから、今更おばさんなんて言われても信じられない。今まで通り、ちょっと年上のお姉さん、いやお姉ちゃんとして接してあげよう。

 

「それにしてもよくぴえヨンは特訓の話受けてくれたよね。やっぱりミヤコさんの社長命令には逆らえないのかな。」

「うーん、それもあると思うけどぉ、ぴえヨンさんはウチの稼ぎ頭なんだよね? なら断る事も出来ただろうし、そもそもぴえヨンさんが仕事休むと苺プロの経営にも響くだろうしそんな事社長が頼むかなぁ。」

「なによ二人とも知らないの? アクアが家まで来て面と向かってこの件をお願いして来たってぴえヨンさん言ってたわよ。」

「アクアが……そっか、そういう事か。」

 

薄暗い天井を見上げながら考える。横の二人がどんな顔をしているかは分からないけど、布団の中、私のテンションはうなぎ登りだ。

 

全部分かった。やっぱりアクアは…

 

 

 

アクアは私が大好きすぎる……!

 

 

 

私の為にJIFを成功に導こうと……! 相変わらず私の事となると必死でかわいい! 赤ちゃんの時からそういう所あるんだよなー…! すぐ難しい顔して考え込んで周りを巻き込んで……! 

 

アクアはほんと可愛いなぁ。 根がバカ素直なのに変に大人ぶる癖も私は理解してあげてるからね! 仕方ないよ昔っからそうだったもんね! 早く立派な大人になれると良いねっ!

 

「んっ~~!」

「どうしたのよルビー。そんな変な声出して。」

 

ふふふ。先輩には分かるまい。

 

私は3つか4つどころか生まれた瞬間からずっとアクアの側にいたんだから。何もかもお見通しだよっ! ああもう最高……! 今日は寝れそうにない…!

 

私もアクアの事大好きだからねっ!

 



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2つの対立軸

有馬の凶行に心を抉られた黒川が心配で様子を見に行ったら、とんでもないものを見せられてしまった。

 

「ごゆっくり」

 

幸せそうにイチャつく星野と黒川を背に、俺は控室へと歩き出す。

 

ララライの妹分として可愛がっていた黒川だが、あんな姿は初めて見た。つい半年前は初めて出来た彼氏とどう接すればいいか分からないとか言ってたが、これ以上ないくらいに彼氏彼女出来てるじゃねぇか。

 

それと慣れた手つきで頭をなでる星野は、多分相当な女好きだ。俺には分かる。

 

控室の扉を開けて中に入ると、主演俳優の登場に場の視線が俺に注がれる。まだ何も演じていないのだから、注目する必要などないだろうに。仕事してない時くらいリラックスさせてほしいものだ。

 

部屋を見渡し、まだ怒りが収まっていない様子の有馬と困り顔の鳴嶋を見つける。

 

「よう有馬。調子はどうだ。」

「最悪よ。何なのアイツ、あっちから睨みつけて来たくせに、ちょっと反撃したらキレ散らかして。ま、本気で悔しがる黒川あかねのカオは見ものだったけどね!」

「こいつマジで(わり)ィな。」

 

鳴嶋の意見に完全に同意だ。いくら何でもあれは無い。同年代のライバルを意識する気持ちは分からないでもないが、まさか良かれと思って教えた黒川のインタビュー記事をあんな形で利用するとは。

 

「こんな使い方するって知ってたら教えてなかった。」

 

出来ることならこれをきっかけに仲良くしてもらいたかったんだが。これでも一応座長だしな。今更言っても無駄だろうが、一応遺憾の意だけは示しておく。

 

「なんでそんな黒川に突っかかるわけ?」

「まぁ理由は色々あるけど、こんなの同年代の意地よ。」

 

鳴嶋の素朴な疑問に有馬が答える。

 

「別にあかねと共演するのは今回が初めてじゃない。なんでか演る度に揉めてきたのよ。あかねと私は演技の向き合い方から違うし、役柄に対するアプローチも良い演技っていうものの考え方も違う。あの子の演技からは「私が正しい」「貴方は違う」そういう圧を感じるワケ。」

 

どうやら有馬は黒川に対して並々ならぬ感情を抱いているようで、理由を語る言葉の端々に異様な熱量を感じる。

 

これが何かの演劇なら良い感じに感情が出てるなと、他人事として聞き流す。興味があるのは有馬の演技だけ。個人的な事情などどうでも良い。

 

「ほんとーにムカつく。」

 

だが、こういう強い感情がふとした瞬間に表に出てくる有馬はやはり類まれな才能の持ち主なのだろう。まさに感情の塊。些細な刺激にも敏感に反応し、心の底から激情が沸き起こる。彼女はありとあらゆる感情をその心の中に持っており、それを発露させて演技をする。 

 

何も持たない故に何物にもなれる俺とは真逆のスタイル。

 

こんな真逆なアプローチをする役者同士でも演技は出来るし舞台は成り立つ。演り方は千差万別、人の数だけ存在する。そのすべてを受け入れて表現する機会を与えてくれる演劇の世界の何と面白いことか。

 

有馬の激情は止まることを知らず、口は回り続ける。

 

「天才子役も第二次性徴期過ぎたら只の一般人て言われ続けて、実際私にはとんと仕事が来なくなって。黒川あかねは天才とか言われて今まさに評価されていて、このままだとあの子が正しかったってなるじゃない。」

「因縁の相手ってワケか。」

「安っぽい言い方したらそうなるわね。でも安心して。私はあの子に演技で負けてるなんて一度も思ったことないから。」

 

そう言い残し、有馬は練習用の刀を手に控室を後にした。

 

ただの同年代のライバル意識と思っていたが、有馬と黒川の因縁は思っていた以上に深いらしい。座長として仲良くなってもらえればなんて考えは初めから無理筋だったわけだ。

 

だが面白い。確執の深さはともかく、演技で相手を見返そうという姿勢が良い。黒川共々、感情のこもった良い演技をしてくれるだろう。板上で語り合うのが楽しみだ。

 

鳴嶋も二人の対決が気になるようで、有馬が控室から去るのを見届けると俺に意見を求めてきた。

 

「実際姫川さんから見て有馬と黒川、どっちの方が優勢なんです?」

「二人は子役からやってるベテランで、どっちも上手いし優劣つけるだけ野暮だと思うけど。」

「そこをあえて言うなら。」

「黒川は異質な演技するし、天才って言われるだけある。だけど有馬の方が演技と言うものに執着が強い。まぁどっちに転んでもおかしくない。本番の仕上がり次第って所だ。」

 

―――星野アクアが居なけりゃ、有馬の勝ちだったけどな。

 

最後の言葉を咄嗟にのみ込んだのは、役者としてのプライド故だろうか。

 

自分を演技で負かそうとしてくる役者は今までいくらでも居たが、本当に俺以上の演技を見せてきそうだと感じたやつは久しぶりに見た。やはり噂通りの天才。五反田監督の秘蔵っ子として密かに業界で話題になるだけの事はある。

 

それでもまだ実力は俺の方が上だし、普通に()れば俺と有馬の勝ちだった。だが直前になって台本が白紙となり、新たな台本が上がった瞬間に状況が変わった。

 

星野が倒れた時の稽古を思い出す。

 

「刀を抜け。女を斬られて黙って引き下がるのか。」

「もういい。俺は「鞘姫」の為に戦っていた。「鞘姫」を守れなかった今となっては戦う理由が無い。」

 

倒れ伏す鞘姫を前に絶望に沈む刀鬼。その絶望の深さたるや。

 

逆上して斬りかかってくるその気迫が、親の仇かのように俺を睨みつけるその目が、全身から迸る負のオーラが、彼の演技に用いられる情動の異常なほどの強さを物語っていた。

 

極めつけは復活した鞘姫に歓喜し、泣きながら抱きしめるシーン。

 

強烈という言葉では足りない、同じ空間に居ることさえ躊躇われるほどの強い感情。果たして俺にあの演技が出来るだろうか? 同じアプローチで彼を超える必要はないが、ならばどうやってあれ以上の演技をすれば良い?

 

答えはついに分からなかった。認めざるを得ない。あのシーンにおいて、彼は明らかに俺以上の役者だった。

 

「姫川さん?」

 

鳴嶋の声で我に返る。どうやら考え込んでいたらしい。

 

「ほら、行くぞ。そろそろ通しが始まる。」

「ウス。」

 

久方ぶりに感じる焦りを悟られまいと、気持ちを切り替えて控室を後にする。

 

最初の通し稽古。まずはお手並み拝見と行きますか。

 

役者陣のレベルの高さもあって通し稽古は順調に進んでいく。オープニングから新宿クラスタの面々が出そろう辺りまで物語は進み、舞台では今キザミと匁の邂逅のシーンが演じられている。

 

楽しそうに演技をする鳴嶋。演技のレベルも以前とは比較にならないほど上がっている。星野とつるんで何やら独自に練習を重ねていたが、その成果だろうか。依然として鴨志田朔夜とは大きな実力差があるが、見れないレベルではなくなった。

 

客席で眺める金田一さんも納得するような顔で頷いている。

 

少し場面は進み、クライマックスシーン。予定通りに鞘姫を切り伏せ、刀鬼と相対する。

 

台本通りにうなだれる刀鬼を、台本通りに挑発する。だが星野なら分かるだろう。そこに込められた俺の気持ちが。

 

もう一度見せてみろよ。同じ空間に居るだけでこっちまで苦しくなってくるような感情の爆発を。全力で来い。勝つと分かって戦いを演じるのに、こっちがやられるんじゃないかと思うような、そんな気迫でかかって来い。

 

期待を胸に、刀鬼との一騎打ちに臨む。

 

しかしそこに居るのは至って普通の役者。技量も情熱も卓越しているのは確かだが、あの時見せた強烈な感情を宿していない。これではつまらないと、体で語り掛ける。

 

―――おい、なんだその腑抜けた演技は。あの時みたいな凄いやつを出して来いよ。

 

―――あれはとっておきだ。おいそれと見せるもんじゃない。

 

煽れど煽れど、刀鬼は実力を見せてこない。打ち合い初めて十数秒の後、俺は星野が本気を出すつもりが無いと悟った。そのまま腑抜けた刀鬼を倒し、鞘姫が復活し、通し稽古は終わる。

 

肩透かしを食らい、俺の気持ちは不完全燃焼のまま心の中で燻ったままだ。

 

鳴嶋、黒川、星野は稽古が終わるとすぐにどこかへ行ってしまった。これから秘密の特訓をしに行くのだろう。

 

ならば俺はと有馬に声を掛ける。

 

「有馬、もう少し稽古しないか?」

「勿論。こっちからお願いしようと思ってた所です。」

 

こんなに演技にマジになるのはいつぶりだろうな。星野には感謝しなければ。

 

恐らく星野の感情演技は彼が持つ辛い経験を利用したものだろう。稽古の途中で倒れたのもそのトラウマを引きずりだした結果ということだ。あの演技バカの星野が通し稽古でも実践を控えるところを見るに、ダメージはかなり大きいと見た。

 

だが、それだけに効果は絶大。想像ではなく実体験から来る絶望の深さは他の追随を許さない。そしてその絶望から解放されたときの喜びは、彼が心の底からそうあって欲しいと願った妄想によるもの。

 

面白い。星野が捨て身の感情演技でかかってくるならこっちも全力の演技で応えるまでだ。

 

板上で再び刃を交えるその日に向けて、俺も研ぎ澄ましておかないとな。

 




姫川さんの方が全体的に格上ですが、例のシーンだけはアクアの方が良い演技をします。しかし捨て身の必殺技なので稽古では封印。本番で解放します。


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開幕

ついに舞台『東京ブレイド』の公演初日。

 

普段着る事のない和服を身に纏い、左目には眼帯。特殊メイクで頭に角を生やした俺は、どこからどう見ても『東京ブレイド』のキザミだ。

 

もう後は舞台に出て練習通りの演技を披露するだけ。

 

廊下の先では同じく衣装を身に着けたつるぎ役の有馬と鞘姫役の黒川がバチバチに互いを威圧しあっている。しかし以前見たような互いを罵りあうだけの無益な言い争いではない。互いに良い舞台を目指すもの同士、相手を鼓舞するように挑発しあっている。

 

嫌いなものは嫌いだが、実力は認めている。まさにライバルって感じだな。

 

出番の早い有馬は足早にその場を去り、近くで見ていた俺は黒川と二人で舞台袖へと向かおうとする。しかし黒川は人を探すようにあたりを見渡した後、俺に尋ねて来た。

 

「あれ…アクア君は?」

「個室の方いるよ。なんか最近ずっとやってんだよな。瞑想? 精神統一?」

「ふぅん? まぁ気分の作り方はそれぞれだしね。本番前は一人になりたい人も多いし。」

 

ここの所アクアは一人で部屋に籠ることが多くなった。稽古が本番の形式に近くなるにつれてその頻度は高まっていた。

 

アクアがしばらく精神統一をした後は、決まって強烈な感情演技を披露する。あれにはきっと相当な集中力を要するのだろう。最高の演技をするためには心身のコンディションをしっかり調整しておく必要があるってことだ。

 

そこまで繊細な感覚は俺にはまだないけど。

 

「アクアが出て来るまで待つか。」

「そうだね。」

「なぁ、黒川は精神統一とかしないのか?」

「演技の内容にもよるけど、事前に用意した役に入るだけならほんの数秒あれば十分かな。アクア君もそこは同じだと思うけど。」

「てことはやっぱりあの強烈な感情演技をするための下ごしらえって事なのか。」

 

いい演技をするためには俺の知らないテクニックが沢山あるんだろうと、特に重く受け止めることは無かった。

 

黒川とセリフの確認をしながら待つこと数分、アクアが個室から出て来た。衣装を身に着けメイクを施したアクアは正しく刀鬼そのもの。行くぞ、と声を掛ける刀鬼は鞘姫の懐刀としての剣呑な雰囲気を纏っている。

 

ええ、行きましょう、と応えて歩き出す黒川。いつの間に役に入り込んだのか、ついこの瞬間まで黒川だった女性はもう鞘姫以外の何者でもなくなっていた。

 

二人は並んで歩きだす。原作そのままの刀鞘の姿がそこにはあった。なんとなく雰囲気を壊してしまうのではないかと思い、数歩遅れて後をついていく俺。

 

舞台袖で金田一さんが最後の号令をかける。

 

「よし、これで役者は揃ったな。さぁ開幕だ。全部出して来い。」

 

物語のモニターが開いていく。

 

・・・

 

『東京ブレイド』物語は主人公が一振りの太刀を手にするところから始まる。

 

舞台は新宿。しかし新宿と聞いて誰もが思い浮かべるような、高層ビルが立ち並ぶ大都会の風景ではない。さびれた飲み屋街だろうか。純和風の居酒屋が数件並んだと思えば、その向かいにはギラギラと眩しいネオンの光。

 

下町のカオスな飲み屋街が無人のまま数年ほど放置されたような、薄汚れた建物が立ち並ぶ背景。

 

そうしてリアルに再現された東京ブレイドの世界の中に、主役のブレイドが一人歩いて登場する。

 

ただ歩くだけ。舞台の中央にこれ見よがしに突き刺さっている一振りの太刀をめがけて、ただ真っ直ぐに歩く。たったこれだけの動作で、ブレイドを演じる姫川大輝は見る者を東京ブレイドの世界へと引きずり込む。

 

「なんだ、これ。光って……」

 

訝しげに太刀を手に取るブレイド。すると物陰から様子を伺っていたもう一人の登場人物は彼が太刀を手したことを確かめた後、跳ねるような軽快な動きで登場する。

 

「ウチは剣主の一人「つるぎ」様だ! その『盟刀』を捨てて逃げるか私と戦うか選びな!」

 

根っからの戦闘狂なのだろう。これから命のやり取りが始まるというのに、つるぎは緊張する素振りは微塵も見せない。不敵な笑みを浮かべ、剣主としての力を振るいたい一心でその盟刀の切っ先をブレイドへと向ける。

 

強い奴と戦う。楽しい。つるぎとはそういう女だと説明するのに、言葉など必要なかった。

 

極東に集った21本の刀…『盟刀』は持ち主に様々な力を与える。その力の大小は盟刀が持つ力と剣主の潜在能力、そして刀と使い手の相性によって大きく左右される。

 

淡い光を放つ太刀を手に取ったブレイドが、ぼそりと呟く。

 

「お前……風丸って言うのか。」

 

つるぎの顔から笑みが消える。未だ自分の持つ小ぶりな剣の名を知らずにいたつるぎは、あの盟刀が早くもブレイドの実力を認め、相応の態度を返したことに戦慄した。

 

「アンタ、ただもんじゃねぇな……」

 

早くも敗色が濃厚となるも、戦う意思だけは曲げようとしないあたり、やはりつるぎは戦闘狂だ。

 

しかし余裕はない。震える体の振動が舞台用のも模造刀へと伝わり、カチャカチャという金属音となって客席に届いていた。それは恐怖によるものなのか、あるいは武者震いか。観客たちには自由に想像を膨らませる余地が残されている。

 

つるぎが切りかかる。慣れない刀捌きでそれをどうにか受け止めるブレイド。

 

いざ戦いが始まれば、初めの方こそ経験の差で優位に立つつるぎだったが、驚異的な速度で剣主としての力に順応するブレイドにしだいに押されていく。

 

その後の戦いは終始ブレイドがつるぎを圧倒。盟刀・風丸に主として認められたブレイドは、早くもその力の片鱗を使いこなしつつあった。

 

盟刀・風丸

一の刃『疾風刃雷』

 

背後のスクリーンに映るド派手な映像と、激しい効果音。それらと寸分も違わぬタイミングで繰り出されたブレイドの剣撃は、容易につるぎの刀を弾き飛ばした。

 

「やめてけれ! おらまだ死にたくねぇだ!!」

「なら俺の方が強いと認めるか?」

「認めるだぁ! 屈服する! アンタの方が強いだぁ!」

 

敗北したつるぎがブレイドの軍門に下る一連のやり取りは、たったの一往復の会話で表現された。涙を流して無様に這いつくばって命乞いをするつるぎと、余裕の表情でそれを見下ろすブレイドを見れば、もはやそれ以上の説明は邪魔ですらある。

 

ブレイドが上で、つるぎが下。言葉など無くとも二人の様子を見れば分かる。紛う事なき一流の役者の仕事だった。

 

そんな彼らでも言葉で説明せざるを得ない設定と言うものはある。

 

命までは取られないと分かると、泣いて許しを乞うていたつるぎはけろりと態度を変え、再び元気いっぱいに話始める。なんという切り替えの早さだろうか。

 

「どうしてついて来る? 俺に従うことでお前になにかメリットがあるか?」

「強いやつと一緒に居れば強い奴と戦える。こんなに面白いことが他にあるか? そんで、アンタが王様になった際にゃ私を大臣にしてくれりゃ良い! したらこの「つるぎ」が王道を切り開いてやるさ!」

「王さまだと? そんな世迷言―――」

「なんだ知らねえのか? 『盟刀』ってのがどういうものか。」

 

一流の役者はセリフを喋らせても一流だ。全ての『盟刀』が最強と認めた者には国家を手にするほどの力、『國盗り』の力がもたらされるという、東京ブレイドの根幹をなす設定をつるぎが淀みなくブレイドに説明していく。

 

そこに長台詞にありがちなのテンポの悪さは全く感じられない。

 

「この日本を盗めるほどの力ね、良いじゃん。王様になって見たかったんだよね俺。」

 

つるぎを従えたブレイドが独白する。

 

力を手にし、勝利の味を知り、つい数分前まで純朴な青年だったはずの男は、今や一国をその手中に収めんと野望に燃える戦いの鬼へと変貌を遂げていた。

 

「俺が最強になってこの國の王になる!」

 

・・・

 

舞台袖から姫川さんのキメ台詞を眺める俺は、演者だという事を忘れて東京ブレイドの世界観に引き込まれていた。姫川さんも有馬も仕上がっている。これからキザミとして舞台に上がるのが申し訳なくなるくらいに。

 

圧倒的なクオリティーの高さに圧倒され、緊張する俺。心底面白そうにその様子を眺めるアクアとはと対照的だ。

 

「緊張してんのか? らしくないな。」

「これからあの二人と()り合うんだぞ。緊張するに決まってんだろ。」

「何言ってんだ。これからあの二人と()り合えるんだぞ。楽しみで仕方がない。」

 

この演技バカめ。俺も演技の楽しさに目覚めたとはいえ、さすがにこの状況でも演技を楽しめる自信はない。

 

今日の為に積み重ねてきた努力の大きさが、そのままプレッシャーとなってのしかかってくる。

 

俺のせいで作品が台無しになるかもしれない。原作者をまた失望させるかもしれない。必死に努力してそれでもダメだとなったら、いよいよ俺は役者としての道を諦めてしまうかもしれない。ただの顔だけの男に逆戻りだ。

 

半年前の俺なら、それで良いやと笑ってたんだろうな。

 

「マジになればなるほど、失敗の恐怖も大きくなるんだな。初めて知ったよ。」

「まぁそうなんだけど、何も大きくなるのは恐怖だけではないだろ? 緊張感の中で演じる楽しさは言葉にできない。緊張ってのはそれ自体良いものでも悪いものでもないんだ。だったら味方につけた方がお得だよな?」

「理屈の上ではそうなのかもな。」

 

言いたいことは分かる。プレッシャーを味方につけろというよくあるアドバイスだ。はいはいそうですかと軽く受け流すつもりだったが、アクアはそこで止まらない。

 

「……この前初めて監督の前で演技した時、どう思った?」

「まぁ、あん時は確かに楽しいと思ったよ。だけどそれを今思い出せってのは難しいぞ?」

「お前さ、あの程度で演技の面白さが分かったとか思ってないよな?」

「え?」

「稽古と違って本番は衣装もセットもあるし、皆本気で演技してくるんだぜ? 没入感は段違いだ。今お前が観た姫川さんと有馬の演技にノれたら凄いことになると思わないか? せっかく一流の役者と()るんだから、利用しない手はないだろ。」

 

俺って案外、チョロいのかもな。真っ直ぐ俺を見据えるアクアの目力に押され、なんだか本当に面白くなりそうだなんて思い始めている自分が居る。

 

「今だけなんだぞ? ここまで完璧に東京ブレイドの世界が再現されて、一流の役者達の中でキザミを()れるのは。」

 

ああダメだ。もう顔が笑ってしまっている。

 

「……いい顔してんな。」

「ったく、お前はいつも俺を良いように操りやがって。」

「嫌だったか?」

「嫌じゃねえから困るんだよ。」

「なら良いじゃねえか。ほら、行ってこい。出番だぞ。」

 

依然として緊張はしている。心臓はうるさいし、手に汗もかいている。

 

でも嫌じゃない。この高ぶりをそのまま舞台に持っていってキザミになりきったら、どんなに気分が良いだろうかと期待してしまっている。アクアにまんまと乗せられているのが少し残念だが、そんなことがどうでも良く思えるくらいに気分が上がっている。

 

舞台に出る直前、後ろからアクアの声が聞こえた。

 

「気分良さそうだな。意気揚々とブレイドに戦いを挑むキザミにそっくりだ。」

 

わざとらしく言いやがって。どうせこれもお前の計算通りなんだろ?

 

舞台の中へと踏み出し、新たな登場人物に観客の視線が集まる。ぞわっと何かがこみあげるのを感じる。

 

「オイ、そこのお前。俺と勝負しろ。」

「あんた何もんだ? このつるぎ様に勝負を挑むとはいい度胸だ。」

「誰でも良いだろ。ほら、剣を抜けよ。」

「言われなくたって!」

 

自分で考えて喋ってるみたいだ。笑えるほど自然とセリフが出てくる。

 

過去一番の演技で俺はつるぎへと斬りかかる。

 

キザミとつるぎの剣の実力はほとんど互角。だがパワーで勝るキザミが少しずつつるぎを追い詰めていく。しばらく打ち合った後、キザミは大きな隙が出来たつるぎへと気分よく刀を振り下ろす。

 

ここでキザミは何を思うんだっけ……たしか『次の一閃でこいつは真っ二つ。俺の勝ちだ。』だったか。そしてブレイドに止められて―――

 

思い切り振り下ろした刀から手に伝わる感触は、キザミの期待したものではない。刃がつるぎに届く寸前で、助太刀に入ったブレイドに受け止められていた。

 

―――すげぇ。本当に『もう少しで』って気持ちが湧いてくる。つるぎ(有馬)ブレイド(姫川さん)も再現度高すぎんだろ……!

 

「今度はお前が相手してくれんのか?」

「ああ、こんなんでも一応俺の配下なんでな。悪く思うなよ。」

「望むところだ!」

 

続くブレイドとの闘いはボロ負け。剣主としての圧倒的な格の違いを見せつけられ、キザミは身の程を知った。

 

「クソ…アンタら強ェな……」

 

振り返れば引き連れていたキザミの配下も全員やられている。ブレイドほどではないが、つるぎも強い。徒党としての戦力の違いは歴然だった。

 

「國を盗るのは俺だと思ってたんだけどな。上には上がいるもんだ。……なぁ俺も仲間にしてくれよ! お前が王になった時、俺のポジションは将軍な!」

 

―――こんなに凄い奴なら、俺も仲間に入れてもらいたいもんだ……って何考えてんだろうな。これはただの演技なのに。ああくそっ、またアクアの言う通りになってるじゃねーか。没入感?ってやつのせいでマジでその気にさせられちまった。

 

ここで場面は切り替わり、俺の出番は一旦終わり。しばらくブレイドとつるぎの作戦会議が行われる。

 

舞台袖へと戻る俺に、真っ先にアクアが声を掛けてくる。

 

「メルト、どうだった? ……って聞くまでも無いか。さっきより良い顔してるもんな。」

「うるせぇよ。」

 

演技の魅力に取りつかれた一人の少年がそこに居た。

 




メルト目線だと演劇のワークショップですね。
もう鏑木さんには頭が上がらない。


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メルトの成長

日付が変わってしまった……。
毎日投稿が続いていただけに負けた気分。


鳴嶋メルト。

 

私が魂を込めて描いた『今日は甘口で』がドラマ化した際の主演俳優。

 

あの目を背けたくなるようなひどい演技は今でもよく覚えている。

 

はっきり言って、あの時の彼はただ顔が良いだけの、役者でも何でもない子供だった。どうせ学校とかでもチャラチャラしてて、顔のお陰でなんでもうまく行ってチヤホヤされて、自分は凄いと思い込んでたんだろう。

 

今日あまのドラマが大失敗に終わった原因の一端は彼の演技にある。勿論彼だけではないが、やはり主演を務めるだけあって出番は多く、一番強く印象に残っている。

 

そんな彼の姿を東京ブレイドの稽古場に見つけた時、またかと思った。やっぱり今回もダメなんだと。アビ子先生を泣かせることになるんだろうなと。

 

全くの杞憂だった。

 

モニターが開き、姫川大輝演じるブレイドが舞台上でただ歩くだけでこれが本物の舞台なのだと分かった。続いて登場した有馬さんも完璧につるぎを演じていた。衣装も、背景も、ステージも何もかもが一流の仕事によって作り上げられていた。

 

そして問題のメルト君だが、今日あまの時とは見違えるほどに演技が上達していた。

 

信じられなかった。

 

ろくに挨拶もしなければ練習もほとんどしていないことがバレバレの演技をしていたあのメルト君が、この舞台ではどう見てもプロの役者だった。上手い下手で言えばはっきり言って他の役者にはまだ数段劣る。しかし、熱量は見劣りしない。

 

舞台を作り上げる一員として魂を込めてキザミを演じていた。

 

今舞台上では、新宿クラスタの結成と渋谷クラスタ紹介が終わった所。渋谷クラスタの噂を聞きつけたブレイド一行が斥候としてキザミを渋谷の地へと差し向けている。

 

新宿クラスタのNo2であるキザミにとっては簡単な仕事の筈だが、匁という思わぬ強敵の出現により徐々に余裕を崩されていく。そして最後にはボロボロになりながらも根性だけで匁に立ち向かっていく名シーンへと続く。

 

一人渋谷に向かい、邪魔な敵を蹴散らしながら本拠地へと近づいていくキザミ。そこへ深い頭巾をかぶった優男を発見する。腰には一振りの刀。盟刀だった。見る者が見れば分かる。

 

「オイ、そこのお前。それ盟刀だよなぁ。」

「なんでしょう。見たところあなたは渋谷クラスタの一員ではないようですが。私の事も知らないようですし。何か御用でしょうか。」

 

喧嘩腰で話しかけるキザミに対し、丁寧に対応する匁。慇懃な態度は崩さないが、僅かずつじりじりと後退していく匁の様子から戦いに消極的であることが分かる。

 

この役者も文句なしに上手い。と言うかこの顔、他の2.5次元の舞台でもよく見る気がする。

 

対するキザミは強気だ。

 

「御用だぁ? 何言ってんだお前。剣主同士がこうして出会っちまったらよ、何をするかなんて決まってるんじゃねぇの?」

「ははは、ご冗談を……。我々のように徒党を組んで國盗りを目指す道だってありますよ。どうです? あなたも我々の仲間に―――」

「俺は新宿クラスタの斥候だ。お前がこっちの仲間になるってんなら歓迎するぜ?」

「……それは、出来ません。」

 

和解の道を探るが、新宿クラスタの名前を出されては最早敵対する以外の道はない。

 

徐々に精神的に追い詰められていく匁の演技が実に見事だ。毅然とした態度から少しずつ恐怖が表出し、それが彼の全身を支配していく様がはっきりと分かる。キザミはまぁ、こんなものだろう。普通に見てれば気にならない程度にはやれている。

 

剣を抜くキザミ。それを見て慌てて剣を抜く匁だが、怯える表情とは裏腹に剣を扱う所作は美しい。

 

「どうしても戦わなきゃだめなんですか? 親から無理やり剣を与えられ、こんな戦いに巻き込まれて。」

 

盟刀を正眼に構え、伏し目がちに言う。

 

「僕は戦いたくない……」

 

完璧な原作再現だった。

 

匁がどういうキャラクターで、何を思って盟刀を振るうのかを完璧に理解し、体で表現できている。隣で目を輝かせて彼を見つめるアビ子先生がその証拠。

 

「じゃあ大人しく俺に切られてろ!」

 

問答無用でキザミから切りかかり、戦闘が始まった。

 

初撃を正確に受け止めた匁。しかし反撃に出ることは無い。この期に及んでもまだ戦いを避ける術を探しているのだ。

 

「負けねえぞこらぁああぁ!」

 

がむしゃらに攻撃を続けるキザミ。攻撃を読まれようがお構いなしにガードごと弾き飛ばして匁に攻撃を加えていく。ゴリ押しでどうとでもなる相手だとなめてかかっている。

 

そのツケはすぐに返すことになる。

 

「はぁ、はぁ、いい加減にしやがれ! ちょこまかと逃げ回りやがって!」

 

息切れだ。徐々に動きは鈍くなり、精彩を欠いた攻撃は易々と匁に捌かれるようになってしまっていた。

 

演技のレベルの低さも相まって、キザミの情けなさを上手く表現できている。この配役を考えた人間は大したものだ。

 

キザミ……メルト君はよくやった。今日あまから9カ月でここまで演技力を向上させ、一端の役者を名乗れるまでに成長した。真摯に演技に打ち込む姿勢は素直に認めよう。格上の役者の前で見劣りしちゃうのは残念だけど、こればかりはしょうがないわよね。

 

二人の闘いはいよいよ佳境に入る。

 

意を決した匁が、ついにキザミに攻撃を加える。せめて苦しまぬよう、一撃で絶命させるべく急所へと狙いを定める。

 

「すみません。でも、これが僕の役割だからっ!」

「ぐあああぁああ!」

 

ところがキザミの驚異的な反射神経により僅かに狙いを外され、生来の頑強な肉体により致命傷には至らなかった。これこそが匁の最も恐れていた展開。自らの刃で傷つき苦しむ姿をまざまざと見せつけられ、ひるんでしまう。

 

血を吐き、痛みに顔を歪めるキザミ。先の展開を知らなければ、もう勝負は決したと誰もが思うだろう。

 

その時だった。

 

キザミが己の盟刀を高く投げ上げた。くるくると回転しながら宙を舞う一振りの刀。対峙する匁……を演じる役者すらもがその突飛な行動に目を奪われている。やがて落下する刀を、キザミは華麗に受け止める。その顔には再び燃えるような闘志が漲っていた。

 

客席から歓声が沸いた。今のは原作で実際に描かれた一コマだ。匁を強者と認め、それでも尚立ち向かっていくキザミの決意を表現するためのパフォーマンス。

 

「すごいすごい! 実際に出来ると思って描いてないのに! ちゃんと原作通りにやってくれるなんて…。原作再現すごい!」

 

アビ子先生も大はしゃぎだ。

 

私も例にもれず、メルト君の突然の大技に心を奪われていた。

 

―――凄い。さっきまであんな情けない役者だと思ってたのに、こんな派手でカッコいい技……。

 

一体どうしたことだろう。ついさっきまで大したことのない役者だと思っていたキザミ役が、突然の大立ち回り。突然のギャップ。予想外の出来事に、私を含む観客の注目はキザミに集まっている。

 

キザミの反撃が始まった。

 

痛む体に鞭打ち、うめき声をあげながら緩慢な動きでどうにか立ち上がり、刀を構えた。そのまま匁に突進。ベース配分も何もない、ただの気持ちだけの攻撃。怒涛の如く押し寄せていく。

 

感情が載っている。眼から指先の一つまで。悔しいという感情が客席に届くほどの強さで………!。

 

「ああああああ!! おぅれは誰にも負けねぇ!!」

 

ホール全体が彼を見つめていた。観客も役者も、その気迫に圧倒された。

 

決死の反撃も匁に捌かれ、力尽きて倒れるキザミ。冷静に見ればただの一撃で匁に敗北を喫した負け犬だ。

 

しかし彼をそんな目で見る人間はここにはいない。キザミの覚悟は観客に確かに伝わった。あっけに取られる人や手に汗握って戦いの行方を見守る人も居れば、キザミを応援する子供もいた。その悔しさと意地に突き動かされる彼の気持ちは観客の心を大いに動かした。

 

私もその一人。

 

何故だかいつの間にか涙が流れていた。キザミの気迫が伝わったから? 原作の展開を思い出しているから? それとも、メルト君の確かな成長に感動したから?

 

多分、そうだろう。メルト君の成長した姿を見て私は泣いたんだ。

 

今日あまの一件以来、ずっとメルトの存在が心の片隅に残っていた。私のキャラクター(子供達)をひどい演技で台無しにした少年は、憎むべき相手として強く私の脳裏に焼き付いて離れない。

 

そんな憎い相手が弟子の描いた漫画の舞台でこんなにも素晴らしい演技を見せてくれたのだ。そのギャップが私の心を突き動かした。

 

―――もう、やれば出来るじゃない。

 

私が板上の彼を見る目は、まるで我が子を見るようだったとアビ子先生から後になって聞かされた。

 




ヤンキーが人助けするとめっちゃ優しく見えるアレ。


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刀つる派の命日

「よくやったわ、あとは私たちに任せなさい!」

 

匁に敗れ地に倒れ伏すキザミ。だが彼から盟刀を見つけたと連絡を受けていたブレイドとつるぎが駆けつけ、状況は一変する。まだ息はある。強い生命力を誇るキザミならこの程度の傷で命に関わることは無いだろう。

 

―――本当によくやったわね。鳴嶋メルト。

 

裏でアクアとこっそり稽古をしているのは知っていたが、まさかここまでの成長を見せるとは。特に、刀を投げ上げるパフォーマンス以降の感情演技はララライの役者陣と並べても引けを取らないものだった。

 

さあ、今度は私の番。ここまで中々良い仕事をしてきた自負はあるけど、まだまだこんなレベルで満足は出来ない。

 

キザミを庇うように後ろで控えるのは、ブレイド演じる姫川さん。悔しいけど、彼の演技には圧倒されっぱなしだ。さらにこの後のシーンからはもう一人の天才、アクアも加わってくる。そして、あの子も。

 

黒川あかね。私のライバル。

 

アクアや姫川さんならともかく、あの子にだけは絶対に負けたくない。

 

匁を見据えてつるぎが啖呵を切る。

 

「よくも私の身内を痛めつけてくれたわね。1兆倍にして返してあげる。」

「これ以上先に攻め入ると言うなら我々渋谷クラスタも黙っては……」

 

匁が応えるが、ここでビュウゥという効果音がセリフと被ってしまった。匁役の鴨志田さんもやれやれと言った様子でセリフを言いなおそうとしている。同じセリフを二度言うのはテンポが悪いが、普通なら仕方がないだろう。

 

でも、ここにいるのは芸歴イコール年齢のベテラン女優よ? 任せておきなさいって。

 

ここで出さなきゃいけない情報は、彼が『渋谷クラスタ』の構成員であり、新宿クラスタ(私達)の敵だという事。それを攻め込む気満々な戦闘狂のつるぎの口から説明するなら、どうなるだろうか。

 

多分、こんな感じ。

 

「ごちゃごちゃうるさいわね! 只の肉塊になればその口も静かになるのかしら!? 渋谷クラスタなんて知った事じゃない! 全員切り倒して私たちがこの國を盗る! この剣でね!」

 

どう? 私の『受け』は大したものでしょ?

 

私のアドリブに対し、匁が応える。言い回しが台本と微妙に異なるため、相手にも多少の修正能力を求めることになってしまったが、彼なら問題ないだろう。

 

「流石に2対1は分が悪いですね。また日を改めてお会いしましょう。」

「こらぁ! 逃げるなボケナス! このタルタルチキン!」

 

撤退する匁。何ら違和感のない受け答えで完全に台本に合流することに成功した。

 

ここで場面は変わり、匁の撤退した先、渋谷クラスタの本拠地へと舞台は移る。長いこと出ずっぱりだった主演グループの数少ない休憩場所だ。舞台袖から役者の演技を眺められる絶好のチャンスでもある。

 

そう、チャンスではあるのだが……。

 

これから舞台上で繰り広げられるのは、壮絶なイチャつき合い。原作者は何をとち狂ったのか、この舞台に際して新たな設定を追加してきた。しかもその内容は刀鬼と鞘姫が幼馴染であり、兄妹のように親密な関係であるというもの。

 

それを演じるのがアクアとあかねだというのだから私の心は穏やかではない。

 

客席がぐるりと回転し、次のシーンへと移行する。そこには仲睦まじい様子で鞘姫を抱きしめ、頭をなでなでする刀鬼。その距離の近さと言ったら、もはや事務所で見せる星野姉弟のそれと遜色ないくらい。

 

客席から黄色い声と悲痛な叫びが同時に上がる。刀つる派の皆さま、ご愁傷様ね。私も同じ気持ちよ。

 

サービスシーンのつもりなのか、そのまま何の会話も無い状態でしばらく濃密な二人だけの時間が流れる。蕩けた顔で刀鬼にされるがままになっているのは、鞘姫を演じる黒川あかね。

 

それ、演技なのよね? 黒川あかねお得意の没入型演技で鞘姫を演じてるだけなのよね!? なんだかこう、演技にしてはあまりにもリアリティーがあるというか……とにかく穏やかではない。

 

そんな密のように甘い時間は匁の帰還によって終わりを迎える。ナイスよ匁。

 

「……えー、鞘姫様。ご報告にございます。」

 

慌てて離れる鞘姫と刀鬼。演じる役者の技量が無駄に高いせいで、違和感なくその関係性が表現されている。

 

「……何です。手短に説明しなさい。そしてすぐに下がりなさい。」

「哨戒任務中に剣主と遭遇しました。」

「剣主に、ですか。それで?」

 

流石の鞘姫も、剣主が現れたとあっては無視はできない。すぐに続きを促す。

 

「その者は新宿クラスタなる組織の一員とみられ、私を配下に引き入れようと持ち掛けてきたのですが、それを拒否したところ戦闘となりました。確認できただけでも剣主が3名、戦闘の継続は不可能と判断し、撤退した次第です。」

「よろしい。よくぞ無事に帰って来た。報告は以上か? ならば下がるがよい。」

「はっ。失礼します。」

 

匁からもたらされた情報は、鞘姫にとって特大の爆弾だった。剣主が徒党を組んで行動している。最低でも3本の盟刀を保有しており、戦力は渋谷クラスタと同等と見て良い。出来ることなら融和の道を行きたいが、これまでの報告から言ってもそれを許してくれる相手ではなさそうだ。

 

鞘姫は今後の物語を左右する重要な決断を下すことになるだろう。

 

しかしそれはそれとして、彼女にはやることがある。

 

「刀鬼お兄ちゃん……」

 

これである。

 

再び刀鬼にすり寄り、身をあずける鞘姫。刀鬼は一切表情を崩さずそれを受け止め、慣れた手つきで鞘姫の頭を撫でる。流れるような自然な動作だった。

 

再び二人きりになった部屋で、苦悩する鞘姫が刀鬼に話しかける。

 

「ねえ刀鬼。やっぱり戦うしかないのかな。」

「だろうな。だが心配することは無い。そのために俺が居るのだ。」

 

刀鬼は孤児だ。身元の分からぬ天涯孤独の赤ん坊を鞘姫の母親が拾い、娘の用心棒として育て上げた。感情の無い無機質な性格や鞘姫への絶対的な忠義は、そんな彼の成育歴に由来している。彼にとって、鞘姫はこの世のすべてなのだ。

 

………アクアにとってのお姉ちゃんみたいなものと思えば大体オッケーな感じね。

 

「このままじゃ被害は大きくなるばかり……。私の仲間たちはどんどん殺されていく。このまま何もしないわけには行かないよね。」

「だろうな。このまま削り合いを続ける意味はない。よしんば彼らを抱き込むことに成功しても、消耗は避けられないだろう。その隙をついて他の剣主が攻めてこないとも限らない。」

「うん、分かってる。新宿クラスタの勢力が大きくなる前に潰すのが得策……。でも、それをすれば私の命令で大勢が死ぬことになる。ねえ刀鬼、私どうすれば……」

「姫に拾われた日から俺の全ては貴方のものだ。ただ持ち主の命令に従うだけ。」

「そう、だよね……。こんなこと言っても刀鬼を困らせるだけ。分かってるのに、なんでこんなこと言っちゃったんだろ。ごめんね刀鬼……。」

 

懐刀の刀鬼も組織のトップとしての意思決定には口出しはできない。鞘姫自身が決断する以外にないのだ。

 

そんなことは刀鬼も鞘姫も良く分かっている。多くの仲間の命を背負って決断を続けるプレッシャーは相当なものだろう。そのプレッシャーに押し潰されそうになる鞘姫を歯がゆい思いで見つめるのも初めての事ではない。

 

だからこそ、こういう台詞も自然と出てくるのだろう。

 

「鞘姫の懐刀として、地獄の果てまでお供すると言ったはずだ。君がどんな決断を下そうと、結果がどうなろうと俺は君を守る。だからそんな顔をするな。」

 

ピクリとも動かない表情とは裏腹に、声色からは優しさを感じる。

 

全体的に説明台詞をバッサリ切り捨て、余った時間を惜しみなく投入して出来上がったのがこのシーンだ。どんな心境の変化があったかは知らないが、原作者は随分と刀鞘のカップリングに入れ込んでいるらしい。

 

客席から刀鞘派の歓声が上がる。刀つる派は既に脱落したのか、悲鳴はもう聞こえなかった。刀つる派筆頭の私としても、このシーンをやられたら抵抗する気力も湧いてこない。完璧なワンシーンだった。

 

一通りイチャついたあと、鞘姫は再び匁を始めとした配下を呼び集めた。

 

決心を固め、普段通りの威厳のある表情と振る舞いで鞘姫が告げる。

 

「刀を抜けば…血が流れる。ですが、戦わねば守れないものもあるのでしょう。ならば刀を抜きましょう。合戦です。」

 

そこにいるのは先ほどまでの年頃の女の子ではなかった。厳かに告げられる鞘姫の命を、彼女の配下だけでなく観客までもが息をのんで聞き入っている。僅か十数秒の演技でホールを支配してしまった。

 

大した表現力ね。さすがは私のライバル。

 




公演は1か月間続きます。


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かなちゃん!かなちゃん!有馬かな!

シーンはハイライト。新宿クラスタと渋谷クラスタが真っ向から激突。6人の剣主と大勢の配下たちが集まり、大規模な白兵戦を繰り広げている。

 

舞台の中で一人、階段の上から戦いの様子を眺めるのは鞘姫を演じる私。

 

刀鬼の励ましにより組織のトップとして合戦の決断をした鞘姫だが、やはり目の前で人が傷つくのは耐えられない。『傷移しの鞘』によって密かにこの場に居る剣士たちの傷をその身に移し、可能な限り死傷者が出ないようにしていた。

 

原作を読んでいれば誰でも知っている設定。故にそれと分かるように演技をしなければならない。

 

時々鞘を力強く握りしめては苦痛に顔をしかめる。果たしてどれだけの人間がこの微妙な表情の変化に気付くだろうか。恐らくやってもやらなくても舞台としての評価にはほぼ影響はないだろう。

 

それでも私はやる。どんなに細かくても、誰も気づかないようなことでも、役に近づけるなら私は迷わずそれをやる。それが私のこだわり。

 

敵味方入り乱れての白兵戦ではあるが、誰がどこに居て、誰と戦うかは事前に決めてある。私の相手はかなちゃん。それも、戦場の中でひときわ目立つ高台での勝負だ。演技で白黒付けるならここだと事前にあたりを付けておいたワンシーンである。

 

一段高いところから澄ました顔で戦場を見下ろす鞘姫に対し、乱暴に突っかかってくる人影。声の主は新宿クラスタ随一の暴れん坊、つるぎだ。

 

「アンタが渋谷の親玉? 刀を抜きなさい。」

 

挑発するつるぎに対し、鞘に納めたままの刀を手に取って鞘姫が答える。

 

「貴方には…これで十分です。」

「舐めて…くれて!!」

 

渋谷クラスタの姫と、ブレイドの相棒の一騎打ち。鞘姫(わたし)つるぎ(かなちゃん)の最大の見せ場だ。

 

片や戦いを好まない心優しい少女に、片や強敵と見るや誰彼構わず喧嘩を吹っ掛ける戦闘狂。この正反対の思想を持った二人のぶつかり合いは、原作でも記憶に残る名シーンとしてファンに愛される一幕となっている。

 

階段を駆け上がり、かなちゃんが私の前に立ちはだかる。お互いにやる気は十分。さあ、全力で()り合おう。

 

負けないよ、かなちゃん。

 

私は貴方が居たからここに居る。昔の事なんて貴方は覚えても居ないんだろうけど。ずーーーっと、ずっと何年も、私はこの時を待っていた!

 

今のかなちゃんは、縮こまった演技しか出来なくなっていたあの頃とはまるで違う。B小町のお姉ちゃん達に支えられて、もう独りぼっちじゃない。あの時のライブで見た笑顔は間違いなくかなちゃんの本来の笑顔だった。

 

でも私だって成長したんだよ? アクア君がきっかけをくれたの。

 

見ててね。私もちょっとだけ出来るようになったんだよ? 周りを食べちゃうような演技。私は私が一番目立つように戦う。だから思い切りぶつかってきてよ。

 

斬りかかってくるつるぎの剣を難なく受け止め、鍔迫り合いとなる。それをはじき返すと同時、刀を振りぬく勢いで鞘から刀を引き抜く。

 

刀を振るう様は、さながら踊りのように。流れるように美しく。

 

思い浮かべるのはB小町のアイ。アクア君の理想の(ヒト)。思わず目で追ってしまうような不思議な引力。それを鞘姫の演技に上乗せする。

 

着物の袖を靡かせ、揺らす。顔が隠れたと思えば妖艶な笑いを浮かべる口元がちらりと覗く。鞘から解き放たれ、抜き身となった刀身はまるで芸術作品。それを抱きすくめるように体に密着させ、(みね)に口づけをする。

 

ありとあらゆる動きに意味がある。他人の目を惹くための工夫に満ちている。

 

―――かなちゃんはどう対抗してくるのかな? 早く見せてよ。凄い演技。

―――とても楽しそうな提案だわ。私もアンタと白黒つけたいと思ってたのよ!

 

役者らしく身体で語る私達。私の意図は伝わった。そしてその返事が…これだ。

 

かなちゃんが笑った。とても楽しそうに。あのライブで観たのと同じ笑顔。わがままで身勝手で、太陽のように眩しいあの笑顔。

 

つるぎが体勢を立て直し、再び斬りかかってくる。鞘姫の流れるような動きとは対照的な、緩急に富む跳ね回るような動き。体の小ささを全く感じさせない躍動感あふれる刀捌きだ。

 

ああ、なんて可愛いんだろう。私のかなちゃん。

 

天真爛漫と言う言葉はかなちゃんの為にある。鞘姫としてつるぎとの斬り合いを演じながら、同時に有馬かなの光に焼かれる自分が居た。

 

こんなに近くでかなちゃんが演技してる。私を見ろ!って叫んでる。

 

 

 

かなちゃん!かなちゃん!有馬かな!

 

 

 

私も叫ぶ。もっと見せてと語り掛ける。まだまだ行けるよねって、全身で表現する。

 

すると面白いくらいに反応が返ってくる。どんどん強く、明るくなっていく。際限なく増していく存在感に呑まれそうになるのを必死でこらえ、食らいつく。

 

眩しいなぁ。出来ることならもっと近くで、可愛いかなちゃんを……

 

距離を取って体勢を立て直そうとするつるぎだが、鞘姫がそれを許さない。体が触れそうなほどに肉薄し、途切れることのない連撃でもって自慢の機動力を発揮する機会を与えない。

 

しかし鞘姫の猛攻はつるぎに捌かれ、やがて隙を突いたつるぎに手痛い反撃を食らってしまう。

 

―――離れろ! 鬱陶しい!

―――ああっ、かなちゃん! 

 

鞘姫の実力はつるぎよりも上。しかし傷移しの鞘により敵味方の傷を一身に引き受ける鞘姫は、本来の実力を発揮できずにいた。

 

鞘姫(わたし)は徐々に追い詰められていった。剣主としても、役者としても。

 

真正面から()りあうと良く分かる。ここは彼女の土俵だ。アイの真似をしたところで本職のアイドル相手に勝てるわけが無い。鞘姫の美しい所作で気を引いても、この圧倒的な光に当てられれば白く塗りつぶされてしまうだけ。

 

つるぎに押されて鞘姫は一時撤退。刀鬼が殿を務め、城の中へと逃げ込んだ。それを追いかけてブレイド、つるぎが城へと攻め込む。

 

これで舞台から剣主の4人がはけ、戦いはキザミと匁のリベンジマッチへと焦点が移る。

 

私達は舞台袖でしばしの休憩。

 

「かなちゃんはやっぱり凄いなぁ。私も目立つ演技が出来るようになったと思ったんだけどね………。かなちゃんには敵わなかったよ。」

「その割には満足そうな顔だが。」

「うふふふふふ。ふふふ。分かる?」

「そりゃあ、そんなに楽しそうな顔されればな。」

「そういうアクア君だって、いい顔してるよ? メルト君なんか目じゃないくらいに。」

「俺も遠目に有馬とあかねの闘いは見てたからな。あかねも大したもんだったぞ。派手さは無かったが、芸術品みたいに美しかった。評価軸が違えばあかねの勝ちでも全然おかしくない。」

「私はかなちゃんに憧れてこの世界に入ったんだよ? かなちゃんの土俵で勝たなきゃ意味ないに決まってるでしょ。」プクー

「ははは、それもそうだな。」

 

私とかなちゃんの勝負はひとまず決着が着いた。悔しいけど、私の負け。

 

でも気分は悪くない。子供の頃から憧れ続けたかなちゃんと真正面から()り合って、息遣いが聞こえるほど近くであの笑顔を見れたんだから。

 

「あかね。次は俺の番だ。姫川さんと全力で()り合う。あの感情演技を全力でやるためにもあかねの協力が必要だ。頼まれてくれるか?」

「もちろん。全力で鞘姫になりきってアクア君が違和感なく演技を出来るようにサポートするよ。」

「助かる。」

 

物語は佳境に入る。

 

新宿クラスタと渋谷クラスタの最大戦力同士のぶつかり合いだ。

 

城の前ではキザミと匁の闘いが繰り広げられている。刀鬼と鞘姫を追撃するブレイドたちに邪魔が入らぬよう、キザミが入り口をふさいでいるのだ。そこを突破するべく匁がキザミへと攻撃を加えるのだが、根が優しい匁は力ずくでキザミを退かせることが出来ずにいた。

 

そのまま膠着状態に陥りキザミは防波堤の役目を見事に果たすことになるのだが、それは今回の台本の範疇ではない。

 

「よし、行くぞあかね。」

「うん。」

 

二人で舞台に出れば、そこは城内の広い敷地の中でもひときわ豪華で堅牢な建物の中。長い廊下を幾度も曲がり、渋谷クラスタの構成員でも限られた人間しか知らない隠し通路を抜けた先の広い空間だ。

 

乱戦の中では鞘姫を守り切れないと判断した刀鬼は、確実に剣主を仕留めるべくブレイドとつるぎをこの場所へおびき出したのだ。

 

後を追うブレイドとつるぎに、振り返った刀鬼が鞘姫を背にかばうように対峙する。

 

芸能界を代表する天才役者に、業界では知る人ぞ知る話題の新人。そして同年代では並ぶ者のいないハイレベルな演技力をもつ女優が二人。

 

これから繰り広げられる彼らの演技(戦い)は、東京ブレイド屈指の名シーンでありながら演劇ファン垂涎のドリームマッチでもある。

 

「鞘姫、下がっていろ。こいつらは俺が始末する。」

「へぇ。アンタ一人でやる気? なめられたものね!」

 

早々に斬りかかるつるぎの剣撃を刀鬼がこともなげに捌いていく。渋谷クラスタ最強の剣主である刀鬼にとって、つるぎなど取るに足らない相手だ。つるぎとの戦闘の中であってもブレイドへの警戒は一切怠らない。

 

「アンタ……やるわねっ」

「退け。鞘姫に手を出さないと誓うなら見逃してやる。」

「うるさいっ! あんたたちを倒してブレイドが王になる! それだけよ!」

 

戦闘狂を相手に交渉の余地などないらしいと悟る刀鬼。あくまで冷静に、守るべき姫の事だけを考えてつるぎの攻撃をいなし続ける。

 

「そのクールぶった顔が気に入らないのよっ!」

「……! くそっ!」

 

刀鬼の攻撃をすり抜け、鞘姫の下へとつるぎが駆ける。意表を突かれ焦る刀鬼。

 

一瞬遅れて駆け出す刀鬼はギリギリのタイミングでつるぎへ追いつき、鞘姫との間に割り込んだ。しかし体制は崩れ、駆ける勢いそのままに打ち込まれるつるぎの渾身の一閃に盟刀を弾き飛ばされてしまう。

 

「ブレイド! 今よ!!」

 

刀鬼と同時に走り出していたブレイドが殺意を籠めた刃を大きく振りかぶり、刀鬼へと突進する。防ぐ術を失った刀鬼は絶体絶命。もはやこれまでと死を覚悟した……その時。

 

「姫!!!」

 

鞘姫は自らの身を盾に、ブレイドの攻撃から刀鬼を庇った。

 

大量の鮮血が宙を舞い、力なく倒れる鞘姫。地面に無残に転がったままピクリとも動かない。誰が見ても致命傷だった。

 

その横に崩れ落ちるのは、まるでこの世の全てを失ったかのように深い絶望に沈む刀鬼。

 

主人公の勝利だというのに、ホールの中はどんよりと重苦しい空気で満たされる。あまりにも美しい鞘姫の献身、そして無表情ながらも悲哀に満ちた様子で鞘姫を抱きすくめる刀鬼の姿が見る者の心を打つ。

 

才能ある若き役者達による名演技。そう何度も見られるものではない。私は地面に倒れながら、良い仕事が出来たと心の中で自分を褒めた。

 

だが物語はここで終わらない。

 

「刀を抜け。女を斬られて黙って引き下がるのか。」

「もういい。俺は鞘姫の為に戦っていた。鞘姫を守れなかった今となっては戦う理由が無い。」

「それだけか? あるんじゃねぇのか? お前の中にも……人並みの感情ってやつがよ。」

 

鞘姫の亡骸を抱きしめたまま糸の切れた操り人形のように動かない刀鬼にブレイドが語り掛ける。このまま止めを刺してオシマイでは味気ないとでも思ったのか、あるいは情が移ったか。それは誰にも分らない。

 

ただ確かなことは、刀鬼は再び立ち上がったという事。そして生まれて初めて鞘姫の命令なしに行動を起こしたということだけだ。

 

「殺す。お前たち新宿クラスタの連中を、残らず、この手で。」

 

魂の底から絞り出すようなおぞましい呻きだった。

 

先ほどまでの無表情で冷静な刀鬼は見る影もない。事情を知る私でさえこの場から逃げ出したくなる程の強烈な負の感情。観客も、演者でさえも復讐の悪鬼と化した刀鬼(アクア)のあまりの恐ろしさに震え上がっている。

 

そんな中で、不敵な表情を崩さず悠然と刀鬼に歩み寄る男が一人。

 

「良い顔してんじゃねぇか。ほら、かかって来いよ。」

 

主演俳優、姫川大輝演じるブレイドが、刀鬼の相手に名乗りを上げた。

 



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頂上決戦

足元には鞘姫を演じる黒川あかねが居る。

 

あかねの完璧な演技により、本物の死体と見紛うような女性の肉体がそこにはあった。腹から血を流し、力の抜けた肢体。冷たくなっていくことは無いが、()()()の母さんの様子を思い起こさせるには十分すぎる。

 

もう俺の目には鞘姫の姿など見えていない。凶刃に倒れ、命を落としたあの日の母さんの姿がはっきりと俺の目には映っている。

 

(母さん………母さん………!!)

 

凍り付くような憎悪の感情が漏れ出す。今は、今だけはこの感情に身を委ねよう。それが良い演技に繋がるのなら俺はやる。

 

そのためにここまで準備をしてきたのだから。

 

目の前に立つブレイドを睨みつけ、ゆっくりと刀を構える。それを見たブレイドも一拍遅れて構えを取った。

 

―――悪いがもう手加減は出来ない。全力で行かせてもらう。

―――望むところだ。こんな活きのいい奴は滅多に居ないからな。楽しませてもらうぜ!

 

刀鬼がブレイドに切りかかる。最短で命を奪うべく、一切の無駄な動作を省いた殺意に満ちた攻撃だ。

 

しかしブレイドは的確に攻撃を受け止める。その表情には動じるどころか楽しむ余裕さえ見て取れる。

 

「バカな……。お前の技量で何故防げる。」

「何でだろうな? 俺が強くなってるからか?」

 

ついひと月前まで刀を握った事すらなかった青年は、盟刀に力を引き出され驚異的な速度で成長を続けていた。この乱戦の中、つい一刻ほど前に刀を交えた時のブレイドとはもはや別人となっている。

 

その実力は既に刀鬼をも上回り、この戦場で彼を倒せる人間は最早存在しない。

 

鞘姫(母さん)の仇が目の前に居るのに、ソイツは刀鬼()よりも強い。憎悪で頭がどうにかなりそうだというのに、敵を討つことは叶わない。

 

「ほら、もうお終いか? つまんねぇな。」

「黙れ!」

 

力の差を理解するも、再び攻撃に転じる。

 

刀鬼は止まらない。もう止まる理由が無いからだ。新宿クラスタを皆殺しにして自決するか、今ここでブレイドに切り殺されるか。そのどちらかの結末を迎えるまで殺戮を続ける。自分がどうなろうと関係ない。姫の無念を晴らすべく、一人でも多くの敵を殺すだけ。

 

―――オイオイ、随分と熱心に演じるじゃねぇの。私情入りまくりって感じだな。

―――訳アリなんだよ。

 

これはあり得たかもしれないもう一つの未来。

 

母さんを殺した相手が逃げずに目の前に居たら、俺はどうしてた? あるいは失意に沈む幼少期の俺の目の前にふと奴が現れたら?

 

間違いなく殺しにかかるだろう。勝てる勝てないの話じゃない。感情が体を突き動かすんだ。自分の意思では止められない。

 

……こんな風に。

 

「死ねぇ!! とっととくたばれ!! このくそ野郎がぁ!!!」

 

感情のままに盟刀を振るう。本来であれば息をのむほどに美しい刀鬼の太刀筋はもうそこにはない。ただ力の限り乱雑にブレイドへと叩きつけられる盟刀が哀れだ。怒りで我を忘れた刀鬼は今や剣主の器ではなかった。

 

盟刀に見放された刀鬼は剣主としての力を急速に失っていく。

 

「なんだ? 急に弱くなりやがって。」

「ぐうぅうっ!」

 

ブレイドが相棒の風丸を軽く一振りするだけで刀鬼の手から刀が弾け飛ぶ。力の差は明らか。誰がどう見ても刀鬼に勝ち目は無かった。

 

それでも刀鬼は止まらない。

 

「がああぁあぁぁ!!」

 

言葉にならない叫び声を上げ、得物を失った刀鬼はブレイドに噛みついた。

 

勝算の無い敵に気迫だけで立ち向かって行く姿はキザミを思い起こさせるが、その心の内は正反対。燃えるような闘志など無く、ただ自暴自棄になり目の前の憎い人間を殺すことだけに囚われている。

 

そこに将来への希望など微塵もない。

 

「この野郎! いい加減諦めろ!」

「うあぁあ、あぁあ……」

 

ブレイドが拳で刀鬼を引き剥がす。頭蓋を揺らされよろける刀鬼だが、虚ろな視線はブレイドに固定されたまま微動だにしない。獣のような呻き声を上げながらよろよろとブレイドに近づいていく。

 

鞘姫の懐刀と呼ばれた気高い剣士としての姿はもう見る影も無い。唯一の救いは鞘姫がこんな刀鬼の姿を目撃しなかったことか。

 

迫る刀鬼の腹部をブレイドが盟刀の柄で突き、ついに刀鬼は力尽きた。

 

膝をついて蹲る俺。一通りの感情を吐き出し尽くして我に返る。頭の中は重苦しい感情でぐちゃぐちゃで、全身から冷や汗が噴き出し、呼吸が苦しい。パニック障害の発作と言っても差し支えない程に自身を追い込んでいる。

 

虚ろな眼も、ふらつく足取りも演技ではなく本物の症状が混じっている。本当にギリギリなのだ。

 

だが、もう一幕。まだ続きがある。

 

観客席は静まり返っている。鞘姫を失った刀鬼のあまりの悲痛さに声を発するどころか呼吸さえ忘れて舞台に見入る。

 

ラストシーンに向け、物語は続いていく。

 

「鞘姫のいない世界に意味など無い。殺してくれ。一思いに。姫と共に俺も逝く。」

 

全てを失い、ブレイドに敗れ、惨めに項垂れる刀鬼は、せめて最後は鞘姫と共に逝きたいとブレイドに申し出た。動かなくなった鞘姫を大事に抱き抱え、人生の終わりを静かに待っている。

 

ここで異を唱えたのは、意外にもつるぎだった。

 

「まだ、諦めるには早いんじゃないかしら。」

 

刀鬼の顔がゆっくりとつるぎへと向けられる。

 

「この子の『剣』は傷移しの鞘。自分が負った傷を配下に移し替える事の出来る支配者の力。それをこの子は仲間の傷を自分に移し替える事に使っていた。」

 

眼に僅かな希望が宿った。鞘姫は助かるかもしれない。そんな期待が芽生え、表情に生気が戻ってくる。

 

「心当たりはあるでしょう。私にもあるのよ。戦いが終わって体のどこも痛くないのは初めて。敵にここまで情けを掛けられたのは初めてなのよ。」

 

つるぎの意図を察したブレイドが鞘姫の鞘を拾い、つるぎと二人でそれを強く握りしめる。ブレイドは即座にその盟刀の名と力の使い方を理解した。

 

「まったく……」

「この鞘の本来の使い方はこういう事だろ!!」

 

鞘が光り、盟刀が力を発揮する。

 

ブレイドとつるぎが傷を負っていく。それは鞘姫が配下の身を案じ、身代わりとなって受け続けた傷。二人に分散してもなお、相当な量の傷が肉体に刻まれてゆく。

 

これほどの傷を抱えながらも毅然と振る舞い弱音の一つも吐かなかった鞘姫。そんな誰よりも強く高潔な精神を持つ彼女をこのまま死なせることをブレイドは良しとしない。

 

傷が癒え、鞘姫が息を吹き返した。大量の傷を引き受けて満身創痍になりながらも、顔を歪めながら笑うブレイドはどこか満足気だ。

 

ここからが最後の山場。感動のラスト。俺の最大の見せ場であり、最も強く感情を引き出すシーンとなる。鞘姫に母さんの姿を投影し、あたかも死んだ母親が生き返ったと錯覚することで強烈な喜びの感情を引き出すことになる。

 

舞台中央、スポットライトに照らされる刀鬼が恐る恐る鞘姫に声を掛ける。

 

「鞘姫。俺が分かるか?」

「刀鬼……。」

 

腕の中で鞘姫がゆっくりと目を開ける。鞘姫に母さんの幻影を重ねる俺はその姿を見て歓喜に震えた。

 

 

 

母さん、会いたかった。あの日からずっと。

 

これが都合の良い夢だってことは分かってる。何度も何度も願い続けた、叶うはずのない夢。この母さんは俺の心が作り出した幻だ。

 

それでも、今この瞬間だけは確かに俺の腕の中に母さんが居る。

 

もうそれだけで、俺は嬉しすぎてどうにかなりそうだよ。

 

 

 

「うあああああああああああああああああああ!!!」

 

鞘姫を抱きしめ、号泣する刀鬼。

 

観客も、スタッフも、演者も、その場にいるすべての人間が息をのんで俺と鞘姫(母さん)を見つめていた。

 

あまりにリアル。あまりに生々しい。もはや演技と呼べるかのかも分からない、ただの感情の爆発。

 

シナリオと偶然一致した過去の経験とその記憶を呼び起こす入念な準備、そして今日まで徹底的に鍛え上げて来た演技力。その全てが上手く噛み合って生まれた奇跡の演技。

 

この舞台の為に努力してきた全てが報われた瞬間だった。

 

ブレイド演じる姫川さんすら俺の演技に魅入っていたが、やがて気を取り直して舞台の続きを進め始める。

 

「鞘姫。俺達新宿クラスタの勝ちだ。俺の軍門に下るというなら悪いようにはしない。どうする?」

「それで配下の命を見逃していただけるなら是非もありません。鞘姫と渋谷クラスタの構成員は貴方様に忠誠を誓いましょう。」

 

新宿クラスタと渋谷クラスタの抗争は新宿クラスタの勝利に終わった。渋谷クラスタはブレイドを新たなトップに据えるもその実態はこれまでと変わらず、鞘姫が引き続き渋谷の地を治めることとなる。

 

その際、刀鬼が鞘姫の護衛の任を解かれ、見聞を広めるようにとブレイド一行に加わるよう命じられたりもするのだが、それは後の話。

 

ブレイド達が城の外へ出て、戦いの終結を宣言する。

 

「皆聞け! この戦いは俺達新宿クラスタの勝利だ!」

 

ブレイドが相棒の風丸を高々と掲げ、そのまま物語のモニターは閉じていく。

 

かくして『東京ブレイド』の舞台は大きな拍手の中、幕を下ろした。

 



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ルビーお姉ちゃんの舞台鑑賞

今日は舞台『東京ブレイド』の公演初日!

 

私はミヤコさんと一緒に豊洲にある大きな劇場へとやって来た。

 

この劇場はステージアラウンドと言って、これまでとは全く違う新しい劇場だ。客席の周りが360度すべて舞台とスクリーンで囲まれていて、お客さんを乗せたまま中央の客席が回転する仕掛けになっている。

 

アジア初だって。凄いね。

 

そんな凄い劇場で、可愛い弟が舞台に出演する。

 

アクアは毎日監督の家に通って夜遅くまで稽古してて、ものすごく気合の入った舞台になるはずと意気込んでいた。彼女のあかねちゃんやお友達のメルト君も加わって、毎日監督に楽しく演技指導してもらっている。

 

こんな大きな舞台に主要キャラクターとして出演するなんて、立派になったものだ。

 

他にも先輩が出演している。しかも準主役級で出番がものすごく多いらしい。主演の人とレベルの高い稽古が出来て楽しいと言っていた。

 

外に大きく張り出されている東京ブレイド看板の中では、6人の役者が刀を構えている。知り合いが2人に同じグループのアイドルが1人。そして弟が1人。

 

私のコネって結構凄いのかもしれない。

 

「ルビー。そんな間抜け顔晒してないでさっさと中に入るわよ。」

「はーい。」

 

いつの間にか間抜け顔になっていたらしい。

 

ミヤコさんに連れられて中へと入る。

 

後ろの方の客席へと座って周囲を眺めると、なんだか雰囲気のある人が沢山。ただ舞台を楽しみに来ただけじゃなくて、どことなく緊張した感じの人も居れば、あからさまに仕事をしに来ている人も居る。

 

「なんか周り雰囲気ある人多いね。」

「劇場の後ろの方は大体関係者席だから。客の反応を見るにはやっぱり後ろじゃないとね。」

「なんか偉い人になったみたいで気分良いね。」

「ドヤらないの。」

 

社長に怒られた。

 

「あっ、監督だ。」

「アクアが呼んだのかしら。」

「そりゃ呼ぶでしょ。アクアがあんなに入れ込んでる舞台なんだもん。」

「それもそうね。」

 

相変わらず怖い顔だ。

 

顎に手を当てて考え込んでいる。何か困った事でもあるのだろうか? アクアの演技が観れるんだからもっと嬉しそうな顔をしててほしいものだ。

 

続々と他の観客も席に着いていき、すぐに満席となった。

 

「始まるみたいだね。」

「静かにしなさい。」

 

モニターが開いていく。

 

舞台の中央には、いかにも凄い刀ですって感じで一本の刀が地面に刺さっている。

 

そこに向かって真っすぐ歩いて登場してきたのは主人公のブレイド。演じているのは確か……姫川さんだ。先輩と仲良く稽古しているという凄い役者の人。

 

物陰から先輩……じゃなくてつるぎが様子を見てる。ブレイドが刀を抜いたら戦うのかな?

 

つるぎが出て来た。

 

うわぁ可愛い! 衣装も凄く似合ってるしぴょんぴょんと跳ねるように走り回る姿も田舎者っぽい喋り方も可愛らしいなぁ。

 

あ、先輩負けた。

 

大粒の涙を流して命乞いしてる……。演技と分かっていてもつい助けに入りたくなってしまう。さすが先輩、演技力は一流だね。

 

ここで東京ブレイドの大まかな説明。原作漫画を読んでない私にはありがたい。えっとなになに………21本の凄い刀があって、一番強い人が日本の王様になれると。なるほど、天下統一を目指してブレイドが頑張るお話なんだね。

 

刀にも名前と意志があるんだ。死神のあの漫画に似てるな。

 

今度は大根の人が出て来た。でも今日は大根じゃなくてちゃんとキザミを演じている。監督の指導の成果かな。

 

あ、先輩また負けた。

 

と思ったら今度はブレイドがキザミをあっという間に倒してキザミを仲間にしちゃった。キザミの仲間も合わせて結構な大所帯になったなぁ。

 

新宿クラスタ? 徒党を組んで國盗り? ああまずはそうやって仲間を集めていく感じなのね。海賊のあの漫画に似てるな。

 

仲間との友情に燃えるやつだ。

 

と言うか、アクアはいつ出てくるの? もう結構話進んだよね。かくして仲間は揃ったって……つまりアクアは敵役って事?

 

座席が左に回っていく。あれ?ブレイドは正面に残ったままだよ? このままじゃ右の方に消えて行っちゃうけど良いのかな。

 

あ、アクアだ! あかねちゃんもいる! あともう一人は……知らないイケメン! これがブレイドに立ちはだかる敵ってわけね。あかねちゃんがお姫様で……アクアは何だろう? お殿様っぽくはないなぁ。

 

えっ、ちょっと待ってアクアこれだけ!? まだ何も喋ってないよ?

 

座席が回ってアクアが視界から消えていく……。悲しい。

 

またまたブレイド一行だ。何やら作戦会議してるな。渋谷の方で盟刀を集めている集団が居るらしい。ああそれがさっきのシーンね。アクアとあかねちゃんは渋谷の人……いや鬼?ってことなんだ。

 

うわぁ、キザミがブレイドにパシられてる。一人で調査に行かされるとか可哀そう。

 

でも結構楽しそうだなキザミ。やっぱり盟刀を持ってる人って強いんだ。並みのお侍さんじゃまるで歯が立たないね。どんどん敵を蹴散らして行ってる。

 

さっきのイケメンの人出て来た! 匁って言うんだ。盟刀を持ってるってことはやっぱり強くて、今度はそう簡単には倒せないってことだよね。見た感じ凄く弱そうだけど。

 

え? マジ? あんな弱そうなもやしがこんなに強いの!? キザミ全然攻撃当たってないじゃん。

 

キザミがやられた! やばいよこれ。

 

おおお、すごい! 何今の!? 剣を投げた! キャッチした! カッコいい!

 

あ、でもやっぱり負けるんだ。気迫はあったのに。残念。

 

ここでブレイドが登場。キザミは助かるっぽい。ブレイドとつるぎが来たからにはこんなもやし野郎に後れを取ることも無いね。キザミの分までぼっこぼこにしちゃえ!

 

匁逃げた! 

 

匁が舞台をぐるりと走って行って………おお、客席がそれを追いかけるように回ってる。匁はアジトに逃げ帰る途中だから、行先は渋谷ってことだよね。やっとアクアが登場するのかな?

 

左手側に見えてくるのは………何あれ。

 

待ってこれ完全に私がアクアにやってあげてるなでなでじゃん。あかねちゃんうっとりしてるなぁ。アクアに英才教育を施したせいでなでなでのスキルが物凄いことになってるのかな。

 

よし今度アクアに撫でてもらおう。

 

匁が横で見てるけど言い出しにくそう。せっかく情報を持って帰ったのにお姫様のあんな様子見せられたら言い出しにくいよねぇ。分かる。

 

匁が居ると分かった途端に慌てて離れたな。私とアクアなら仲の良さを見せつけるところなのに。修業が足りないね。

 

匁が報告して帰って行って……やっぱりまたなでなでか。長いなこのやり取り。この脚本書いた人はよっぽど鞘姫と刀鬼の事が好きなのかな。それに観客の反応も面白い。喜ぶ人と失望する人がまばらだ。

 

カップリングって奴だね。フリルちゃんが言ってた。喜んでる人は鞘姫と刀鬼の組み合わせが好きって事か。

 

鞘姫は戦いたくないんだ。優しい子。でも今のうちに新宿クラスタを潰さないと被害が大きくなるから、嫌でも合戦の命令をしなきゃいけないんだね。可哀そうにも程がある。

 

刀鬼はずっと鞘姫の味方か。いまの囁き声は良かった……。アクアの優しさがにじみ出てる……。お客さんも喜んでるね。

 

で、また匁と他の配下も呼んでミーティングか。

 

うわ切り替え早っ。「合戦です」キリッじゃないよ全く。さっきまで私のアクアにデロデロに甘やかされてたくせに。私に代われ。

 

また客席が回ってる。今度は何が見えるのかな。

 

刀がいっぱい! いよいよ最終決戦って感じだ。お城の前の広場に人が集まって戦ってる。ちょっと高いところから鞘姫が見下ろしてるな。なんか偉そう。

 

お、つるぎが鞘姫に戦いを挑んでる。楽しそうに演技するなぁ先輩。

 

すごいすごい! 二人とも凄いよ!

 

あかねちゃん凄く綺麗。踊ってるみたいだ。着物も刀も大きな髪留めも全部鞘姫を綺麗に引き立ててる。でもつるぎも凄いなぁ。もうほぼアイドルじゃんあれ。めっちゃ眩しいんですけど。こんなに沢山人がいるのにあの二人しか目に入らない。

 

今回はつるぎの勝ちか。よかったね先輩。初勝利だよ。

 

こんどは鞘姫がお城に逃げた。渋谷クラスタの人は逃げるのが得意なのかな。厄介な相手だ。

 

ブレイドとつるぎが追いかけて……あ、キザミは足止め役なのね。またブレイドにこき使われてる。可哀そうに。

 

次のシーンは……ついにボス同士の戦いか。

 

刀鬼強いなぁ。さすがアクア。つるぎが必死に攻撃してるのにすました顔で全部受け止めてる。ちゃんとブレイドの事も見張ってるし、隙が無い。

 

あっ、先輩それは卑怯だよ! あかねちゃんを狙いに行くなんて!

 

「ブレイド今よ!」じゃなくてさぁ。ホントに卑怯だな。え? 嘘、鞘姫? 鞘姫が……死んじゃった?

 

刀鬼可愛そう。姫様を失った絶望感が凄い。まるでママが死んだときのアクアみたいだ………。ん? ママが死んだときみたいなって……もしかしてアクア。あの時の事を?

 

駄目。アクアそれは駄目だよ。お姉ちゃん何度も言ったよね。

 

ああもう、あんなに苦しそうに顔を歪めて。この舞台を成功させたいって気持ちは理解するけど、自分が苦しむ姿を私やミヤコさんに見せる事の重大さは分かってないよね。

 

こんなに心配させて。

 

それにしても大事な姫を殺されて、ブレイドにも無様に負けるなんて。まったくひどい役回りだ。

 

なるほど、『傷移しの鞘』。これで鞘姫は助かるんだ。と言う事は次にアクアがやることも大方予想はつく。もしママが生きていたら、なんて考えるんだろうね。

 

……凄い演技。ホール全体が喜びに包まれてるみたい。

 

間違いなく本物の感情だ。あれはもう完全にママが見えてる。これは後が辛いだろうなぁ。今日は監督の家に帰るみたいだけど大丈夫かな。

 

新宿クラスタの勝ち。渋谷クラスタはブレイドの配下になってめでたしめでたし。

 

モニターが閉じていく。

 

早くアクアの所に行かないと。

 



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添い寝

公演は無事に終わった。

 

メイクを落として衣装を着替え、楽屋へと戻る。今日はこのまま監督の家で反省会をする予定なので、あかねとメルトも一緒だ。

 

「アクア君、大丈夫? 顔色悪いよ?」

「問題ない。少し休めば元通りになるだろ。」

 

子供の頃から何度もフラッシュバックやパニック発作を起こしてきた経験上、こういうのは時間が過ぎれば症状が引くと分かっている。危ない橋を渡っているのは確かだが、自分の精神が壊れるまで追い込むつもりなどさらさらない。

 

もしそうなったらお姉ちゃんに合わせる顔が無いからな。なるべく心配はかけたくない。

 

ぐったりする俺とは対照的に、あかねはツヤツヤと輝いている。

 

「一か月かぁ……。これが後一か月続くのかぁ……。ふふふふ、うふふふふふ。」

「黒川って時々気持ち悪い笑い方するよな。」

「素のあかねは割とこんな感じだぞ。」

「マジか。お前彼氏だろ。何とかしろよ。」

「どうすりゃいいんだ。」

 

途方に暮れていると、当のあかねが俺に寄ってきて、おずおずと頭を差し出す。

 

「お兄ちゃん。」

「はいはい。」

 

なでなで。

 

お姉ちゃんに毎日のように撫でられていた俺は、撫でられるだけでなく撫でる方の技術もプロ級だ。こうしてあかねの蕩けた表情を引き出すのもお手の物。

 

メルトの前だが、監督との稽古で散々見せているのでもう隠すことも無いとあかねは開き直っている。

 

「薄々気づいてたけどよ、やっぱりアクアと黒川のそれ、演技じゃなかったんだな。」

「色々あってな……。あかねがこうなったのは一応俺のせいでもあるんだ。ほとんど事故みたいなものなんだけど。」

 

まあいいか。あかねが可愛いから。

 

こうして人と仲良くお喋りすることが心に負ったダメージを回復させるというのは、今ガチの炎上の時にミヤコさんに教わった。実際学校の友人や監督との何気ない会話のお陰でかなり気持ちが楽になったのを覚えている。

 

勿論お姉ちゃんが一緒に居てくれるのが一番だけどな。

 

ドアをノックする音だ。誰だろうか。

 

「誰だ? こんな時間に。………ああ、アクアの姉か。それと、アクアのお母さん?」

「アクア、ちょっとお姉ちゃん聞きたい事があるの。入って良い?」

 

メルトが扉を開けると、そこには険しい顔のお姉ちゃんとミヤコさん。

 

「分かった。あかね、メルト、良いよな?」

「うん。良いよ。」

「俺と黒川は出てった方が良いか?」

「二人にも話を聞きたいから、ここに居て。」

 

お姉ちゃんが話をしたいのは俺だけじゃないらしい。

 

机を挟んで皆が席に着く。俺、あかね、メルトが並んで座り、その向かい側にお姉ちゃんとミヤコさんだ。お姉ちゃんはずっとお姉ちゃんモード全開で、初めてそれを見るメルトが驚いている。

 

全員が座ると同時にお姉ちゃんが話を切り出す。

 

「アクア。あの演技の時何を思い出してたか正直に言って。」

「良いのか? あかねとメルトも聞いてるけど。」

「どうせ知ってるんでしょ? アクアの本当のママはもういないってこと。」

「私は当然知ってるよ。メルト君もね。」

 

俺が稽古で倒れたあの時、きっかけとなった有馬の発言は「もしお母さんが死んじゃったらどうする?」だった。さらに俺がうわ言で「母さん」と口にしていたのも多数の人に聞かれている。

 

星野アクアの母親は既に死んでいると皆薄々気づいていたのは俺も知っていた。

 

尤も、その母親がB小町のアイだという事実は明らかになっていないが。

 

もし俺が母さんの事を「アイ」などと呼ぼうものなら、少なくともあかねは真実にたどり着いていただろう。B小町に関わりが深い有馬もひょっとすると気づくかもしれない。かなり危ないところだった。

 

とりあえず、ここで母さんの話をすることは問題ない。

 

「じゃあ良いよね。アクア、答えて。」

「お姉ちゃんの想像してる通りだよ。感情演技をするために鞘姫に母さんを重ねてた。」

「それは駄目だって言ったよね。」

「今回は見逃してくれ。頼む、お姉ちゃん。」

 

このトラウマを利用した感情演技は初めての事ではない。

 

そもそも子役が泣き演技をするときに母親の喪失を想像するというのはありふれたテクニックだ。それを知る俺がこの方法を思いつかない筈もなく、いつだったか監督の映画の撮影で試したことがあった。

 

結果はお姉ちゃんの知っての通り。

 

「またあの時みたいに倒れたらどうするの? あれがきっかけでパニック発作の症状も悪化したんじゃなかった?」

「今回はさすがに抑えてやってるよ。もう子供じゃないんだし昔よりは症状も落ち着いてる。」

「落ち着いてるって、私がどんな思いでアクアの事見て来たと思ってるの? やっと治った傷をまた抉るようなことしないでよ。」

「抑えてるから大丈夫だって。」

「抑えても駄目。」

「大丈夫」

「駄目」

「大丈夫」

「駄目」

 

無限ループに入ってしまった。

 

お姉ちゃんは絶対に引かないだろう。それもそのはず、俺の心の傷を癒すのに尽力してくれたのは他ならぬお姉ちゃんだ。人生をかけて俺の為に尽くしてくれたと言っても過言ではない。

 

その努力を当の本人が無駄にするようなことは我慢できない筈だ。

 

だが、俺にも言い分はある。

 

役者として生きると決めた第2の人生。母さんを失い、生きる理由を無くした俺が死なない為に始めたのが演技だ。母さんが夢に見たように、役者星野アクアとしてどんどん上を目指していきたい。それが俺の生きがいなんだ。

 

そのためなら多少の苦しみは覚悟の上だし、心の傷も使いこなしてこそ一流の役者だと思っている。

 

これは大きな武器になる。封印してしまうのはもったいない。

 

「二人とも落ち着いて。とりあえずこの舞台に関してはアクアのやりたいようにやらせましょう。もう本番も始まってしまったのだからこのままやるしかないわ。今更稽古をやり直すわけにもいかないでしょ。」

「でも!」

「でもじゃありません。あなたもプロのタレントなら周りの人が困るようなことはやめなさい。」

「……はい。」

「ただあの演技は確かに問題ね。アクアの顔色も良くないし、ケアは間違いなく必要になるわ。」

 

演技は続行しても良い。ただしメンタルのケアは必要。

 

無難だな。俺もこの辺が落としどころだろうと思っていた。後はお姉ちゃんが納得してくれれば丸く収まるが、どうだろうか。

 

「納得はしてないからね。」

 

駄目だったか。まあここで納得するようなら初めから楽屋に押しかけたりなんかしない。さすがはお姉ちゃん、芯が強いな。

 

「俺は大丈夫だから。」

「駄目。」

「だから大丈夫だって。」

「私が大丈夫じゃないの!!」

 

それは突然だった。

 

滅多に聞かないお姉ちゃんの怒鳴り声に体が跳ねるように固まってしまう。

 

「こんな事一か月も続けてアクアがまた壊れたらお姉ちゃんどうしたらいいの!? 少しは私の気持ちも考えてよ………。アクアが居なくなったら私耐えられないよ……。」

 

大粒の涙を流して不安を打ち明けるお姉ちゃんがそこに居た。

 

くそったれ。自分の事をぶん殴ってやりたい気分だ。お姉ちゃんがどんな気持ちで俺の演技を見ていたか少しでも想像したか? 俺が辛いときはいつでも優しく抱きしめてくれると思って頼ってばかりじゃないか。

 

俺が傷つけばお姉ちゃんだって傷つく。また俺は同じ過ちを犯してしまったのか。

 

「ルビー、アクアは大丈夫よ。もう子供じゃないんだから上手くやれるわ。」

「ううぅ………。それでも怖いものは怖いんだよ……。」

「アクア。今ガチの炎上の時も言ったけど、あなたが危ない目に遭ったら私たちは不安になるし、あなたが傷ついたら悲しくなるのよ。アクアは自分さえ大丈夫なら良いって考える癖があるけど、そういうのは駄目。逆の立場になって考えてみれば分かるでしょう?」

「それは分かってるんだけどな……。」

 

本当に悪い癖だ。俺は目標達成を急ぐあまり視野が狭くなりやすいというか、本当に大事なものを時々忘れてしまう。

 

感情演技を上手く駆使して役者として大成したとして、それをお姉ちゃんが素直に喜んでくれないのでは意味が無い。ボロボロになりながら売れたって、母さんは悲しむだけだろう。

 

そんな当たり前のことを見落としていたんだ。

 

「ごめんお姉ちゃん。俺、自分の事しか考えてなかった。なんで役者やってるのかを忘れてた。不幸になるために演技してるんじゃないんだよな。幸せになるために役者やってるんだ。これからはちゃんと周りの人に心配かけないように気を付けるから。」

「約束だよ。」

「ああ。約束する。」

「じゃあ舞台の日は添い寝だからね。」

「ああ、分かっt……んん?」

「決まりだね。」

 

涙を流しながらふふっと笑うお姉ちゃん。やっぱりお姉ちゃんには敵わないな。こんな時でも強かだ。まんまと一杯食わされてしまった。

 

まあいいさ。添い寝くらいいくらでもしてやる。初心忘るべからず。これまでも、そしてこれからも、俺とお姉ちゃんは支え合って生きて行くんだ。

 

「分かったよ。今日はよろしくな。」

 

了承の返事をする頃には、俺の心はすっかり晴れやかになっていた。

 



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ギャラクシーメルト

ルビーちゃんから舞台の日は添い寝するという提案。アクア君の返事は「今日は」よろしく。

 

アクア君気づいてるのかな。絶対に今日だけじゃ済まないよね。姉弟揃っていい笑顔してるけど、ルビーちゃんの笑顔はちょっとだけ意味が違うよ? 完全にいたずら成功の顔だからね?

 

今ここで指摘してもいいけど、家に帰ってからビデオ通話のほうが面白い話が聞けそうだ。黙っていよう。

 

そして面白いのがメルト君。

 

まるで宇宙の真理の一端を目の当たりにして、自分の理解をはるかに超える壮大なスケールに途方に暮れたような間抜けな顔を晒している。今の彼の顔を写真に撮って背景をキレイな銀河の写真にしたら、流行りの宇宙猫のような仕上がりになるだろう。

 

スペースメルト。いや、ギャラクシーメルトの方が語感が良いかな。

 

流石は職業イケメンのタレント。こんな時でも華がある。

 

「今日は打ち上げがあるでしょう? ひとまず私とルビーは帰るわね。」

「打ち上げ終わる時間教えてね。お迎えに行くから。」

「ああ分かった。」

 

短く言葉を交わし、楽屋を後にするルビーちゃんとミヤコさん。相変わらずアクア君絡みの事となると途轍もない存在感を放つお姉ちゃんだった。

 

ここでメルト君が我に返る。

 

「お、おい、黒川。アクアってあんな奴だったっけ? それにあのルビーって子、前に見た時と雰囲気違うぞ。」

「メルト君は初めて見るからびっくりするのもしょうがないよね。二人は双子で凄く仲が良いの。アクア君はお姉ちゃんのことが大好きで、ルビーちゃんもアクア君の事が大好きなんだよ。」

「それにしたって強烈すぎるだろ………。」

 

これから打ち上げの度にその強烈なやり取りを見せつけられることになるんだけどね。今から他の役者さんの反応が楽しみになって来た。

 

「アクア、添い寝するって言ってたけどマジなのか?」

「ん? マジだぞ? いや流石にこれが特殊なのは分かってるけど。」

「ぶっ飛んでるな……」

 

事も無げに答えるアクア君。これが星野姉弟の平常運転だ。

 

「私もアクア君とよくビデオ通話するんだけどね、時々ルビーちゃんの部屋なの。」

「別に添い寝じゃなくたってお姉ちゃんの部屋に居ることくらいあるだろ。」

「アクア君がスマホ持ってて手が空いてない時はルビーちゃんがじゃがりことかポテチとか食べさせてあげてるよね。」

「食ってる間は喋れないからあまり嬉しくないんだけどな。」

「……」

 

ギャラクシーメルト再び。弄りがいのある子だな。

 

・・・

 

公演初日の打ち上げ。広い個室で焼肉だ。

 

一応飲み会と言う事にはなってるけど、役者は未成年も多いからお酒はあまり出ないし大人もベロベロになるまでは飲まない。そういうのは子供が居ない2次会からやるとの事らしい。

 

私の知らない大人の世界だ。

 

でも、アルコールなんてなくても場の雰囲気だけでそういう感じになれちゃう人も居る。

 

「だからね!? 役者も一人の作家であるべきなのよ! その場その場をミスしないように演じるんじゃなくて、作劇的な盛り上げに加担しなきゃいけないわけ!」

 

薄い琥珀色の飲み物が注がれたジョッキを叩きつけながら熱弁するかなちゃん。飲み会とか騒がしくて苦手とか言ってなかったっけ? しっかり盛り上がってるじゃん。

 

念の為補足しておくとかなちゃんが飲んでいるのはビールじゃなくてジンジャーエール。アルコールは入っていない。

 

素面でこれだ。

 

そんな愉快な推し兼ライバルを眺めつつ、私は両手に握ったトングで焼肉を量産していく。焼けた肉を美味しそうに頬張るのはアクア君。それから仲のいいメルト君も一緒だ。

 

「流石有馬、やっぱり感受性が高い。雰囲気だけで酔えるなんてな。」

「だよね。こうやってかなちゃんはまた一つ演技の幅を広げるんだろうなぁ。」

「飲兵衛役か? はまり役だな。」

 

飲んだくれるかなちゃん………アリだね。大人しくて堅い印象の私と違ってコメディも似合う。お笑い番組でコントでもやれば受けるんじゃないかな。

 

ピーマン多めの青椒肉絲にブチギレるかなちゃんとか絶対面白い。BGMは勿論ピーマン体操で。

 

「はい、アクア君。お肉焼けましたよ。」

「ん」

「メルト君もどうぞ。」

「悪ぃな。黒川ばっかに焼かせちゃって。俺も焼くぞ?」

「良いんです。私精進の身なので。」

「それは俺も同じだ。」

 

アクア君は平常運転。目の前に積まれていく焼肉を黙々と食べている。一方で割と常識的なセンスの持ち主であるメルト君は私ばかり肉を焼くのが不公平だと思ったらしい。

 

トングを1本メルト君に渡す。これで二人がかりで焼いた肉をアクア君が一人で消費する形となる。

 

「アクア君、お肉。」

「ん」

「おいアクア。こっちも焼けたぞ。」

「おう。」

「この子も良い感じ。」

「コレうまそうだな。アクア皿よこせ。」

「ちょっと待って追いつかない。」

 

アクア君のお皿には焼けたお肉がどっさり。

 

「ペースを考えろよお前ら。あと自分でも食え。」

「「はい。」」

 

一旦肉を焼くのは中断となった。

 

アクア君が山盛りの肉が積まれたお皿をテーブル中央へ滑らせ、私とメルト君で少し冷めたお肉を食べる。アクア君は休憩だ。

 

アクア君を眺めながら食べるお肉も美味しいなぁと思っていたら、こちらへ移動してくる二人組が見えた。やって来たのは演出の金田一さんと彼の一番弟子の姫川さん。二人ともほろ酔いで気分が良さそう。

 

金田一さんはアクア君に興味があるみたいだ。

 

「よう星野。良い演技だったぞ。さすがは五反田監督の秘蔵っ子だ。」

「ありがとうございます。」

「どうだ? 演劇も面白いだろう。ララライに入ってもいいぞ。」

「謹んで辞退させていただきます。」

 

ノータイムで断った。

 

言葉遣いこそ丁寧だけど遠慮が無いというか、大分くだけた態度だ。偉い人相手でも全く動じないなぁ。やっぱり肝が据わってる。

 

金田一さんはそんな彼の態度に気を悪くするどころかますますご機嫌になっている。

 

「言うじゃねぇか星野! よしこっち来い。もう食わないんだろ?」

「ええまあ。」

 

アクア君は金田一さんに連れていかれてしまった。

 

残されたのは私とメルト君、そして山積みの冷たいお肉。2週間監督の下で稽古をしたメルト君とはそれなりに親しいけど、二人きりと言うのは初めてでなんとなく気まずい。

 

「……食べよっか。」

「そうだな。」

 

冷めて美味しくなくなったお肉をちまちまと処理する。お開きまでそう時間が無かったのが救いだった。

 

お肉を平らげ、お会計をする金田一さんを横目に店の外へと出る。そこには予想通りの光景があった。

 

「アクアー。迎えに来たよー。」

 

ルビーちゃんの突然の登場にざわつく役者陣。誰だこの美人。アクアって星野アクアだよね。黒川さんと付き合ってるはずじゃ。二股? コレ黒川さんに見られたらヤバいんじゃね?

 

……全部聞こえておりますとも。

 

あまりに予想通り過ぎて笑えてくるよ。

 

「星野お前、黒川以外の女にも手ぇ出してやがったか。」

「違う! お姉ちゃんだ!」

「それはそれでおかしい。」

 

呆れる姫川さん。この姉弟はマジのガチでこうなのよと同じくあきれ顔のかなちゃんがフォローしている。

 

やっぱりルビーちゃんが居ると場が和んで楽しくなる。いつも嵐のように場をかき乱す一方で、本人は台風の目のごとくあっけらかんとして動じない。意外と根っこの部分はアクア君と似てるのかな。

 

「じゃあ私とアクアはこれで。」

「皆さんお先に失礼します。」

 

またしても連れていかれるアクア君を見送り、打ち上げは解散となった。

 

・・・

 

自室のベッドでスマホを操作する。

 

無料通話アプリでアクア君の名前をタップし、ビデオ通話を選択。映るのは多分ルビーちゃんのお部屋だろう。今日は添い寝の日だからね。

 

「よう。あかね。」

「あかねちゃんこんばんわー。」

「こんばんわ。アクア君。ルビーちゃん。」

 

お揃いのパジャマ姿でベッドに寝そべる二人。画になるなぁ。

 

「今日は添い寝の日なんだよね? アクア君。」

「まあな。」

「でもさぁ、ルビーちゃんは「舞台の日は添い寝」って言ったんだよね?」

「そうだよ! さすがあかねちゃん。気づいてたか。」

 

がばっとルビーちゃんの方に振り向くアクア君が可愛い。やっぱり気づいてなかったんだね。アクア君はこれから週に1日の休演日以外は毎日お姉ちゃんと添い寝することになる。

 

一瞬驚いた様子を見せたアクア君だったが、すぐに平静を取り戻した。

 

「流石お姉ちゃんだな。」

「えっへん。」

 

どや顔で応えるルビーちゃんも可愛い。

 

やっぱりこの姉弟はこうして仲良くしてるのがお似合いだ。楽屋で喧嘩して泣いてるルビーちゃんは本当に痛々しくて見てられなかった。

 

それだけお母さんを失った時の心の傷は深いって事なんだろう。そしてアクア君が苦しむとルビーちゃんも同じように苦しくなる。生まれた時からずっと一緒に育ってきた二人は一心同体といっても過言ではない。

 

すぐに仲直り出来て本当に良かった。

 

それはそうと、ルビーちゃんが居ると話題には事欠かない。

 

「ねえアクア。今度あかねちゃんも一緒に三人で寝よっか?」

 

こんな風に。

 

「……お姉ちゃんはもっとこう、なんというか男女関係ってものについて勉強した方が良い。」

「ルビーちゃん。私もそれは無いと思うな……」

 

このお姉ちゃんならやりかねないと思えるのも彼女の魅力の一つだろうか。アクアと言う名目が付けばどんな行動でもとりかねない。

 

何でもありだ。弟とその彼女と三人で添い寝だって何食わぬ顔でやるだろう。

 

流石はアクア君のお姉ちゃんだ。

 

「じゃあ、また明日。舞台頑張ろうね。」

「おう、またな。」

「明日も添い寝しながらお話ししようねっ。」

 

少し話して通話を切った。

 

しばらく二人きりの通話はムリそうだ。ちょっと悲しい。でも休演日は間違いなくアクア君は一人になるだろうからそこを狙えばいいかな。

 

それにこれから一か月はほとんど毎日舞台で会えるんだから何の問題もない。

 

明日も明後日も明々後日もその次の日も、毎日なでなでしてもらえるんだから。

 

んふふふふ。

 




姫川さんが空気……
アクア・ルビー「お兄ちゃん!」
姫川さん「やめろキショいから」チョットウレシイ
みたいな感じになったらおもしろかったのに。遺伝子検査なしでは異母兄弟であることが判明することも無くフェードアウトするしかありません。
何か都合の良い理由はないものか。


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プライベート編
めんどくさい女たち


「ユーチューブの登録者がもうすぐ2万人行きそうです。」

 

今日は東京ブレイドの休演日。学校が終わり、アクアと先輩と私の3人で仲良く事務所に帰るとMEMちょが何やら自慢げに報告して来た。

 

2万人? えーと、確かぴえヨンが200万人くらいだから、その100分の1くらいか。大した事ないね。

 

「あー、ふぅーん。まだそん位かぁ…」