ミカとナギサの幼馴染(完) (あるふぁせんとーり)
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序章
記録1:トリニティ総合学園
トリニティ総合学園、ティーパーティーの執務室。
積み上がった引き継ぎのファイル、承認待ちの書類の山。
四人の少女たちが大きな机を囲んでは面白くもない書類と格闘し、事務仕事に励んでいた。
「この化粧水の領収書は?あるなら雑費で落とすけど」
そしてその中心で書類の山を捌いていた彼女、ダークブラウンをサイドテールで纏めた少女が何かをルーズリーフタイプの手帳に記しながら口を開いた。
手に握られた万年筆はトリニティでも有名な職人の作品でかなり使い込まれていたが、それを感じさせないほどに手入れが行き届いている。
「えっと……これじゃなくて……」
問いかけられた綺麗なピンク髪の少女はポケットをガサガサと漁る。
回答を待つ間にも、万年筆はスラスラと文字を綴り、そして左手はカタカタと関数電卓の上で指を躍らせ、彼女の記す情報の正しさを証明している。
素人目で見ても、その手際の良さは一目瞭然であった。
「……あ!あった!これで大丈夫だよね?」
やっと見つけたと言わんばかりにため息を吐き、いくつかの領収書を取り出す彼女。
一瞬その手を止めて素早く、けれど確実に目を通してから彼女は笑った。
「うん、宛先も合ってる。成長したんだね。……それで、こっちは?」
「あ、ちょっと待ってね……」
「そんなにかっちりやらなくても良いのでは……?」
椅子に掛けられたカーディガンからスマートフォンを取り出し、受け取った領収書をパシャパシャと撮る彼女に対して、ティータイムの準備をしていたプラチナブロンドの少女が声を掛けた。
用意されたティーセットにはマカロン、カップケーキ、クッキーなどが色鮮やかに並び、甘い香りを漂わせ、そしてティーカップに注がれた淹れたての紅茶は湯気を昇らせる。
「それに、そろそろお茶にしませんか?かなり作業が続いていますし……」
そう言って少女達の前に並べられていくティーカップ。
だが、彼女は手帳から目を離さずに毅然として答えた。
「ううん、ここで妥協したら下にも示しが付かない。それに──」
「それに?」
「……これが、『オブザーバー』の仕事だから」
「本当、リエはこういうところだけは妙に律儀だね」
一足先にティーカップを手に取った狐耳の少女が言う。
リエと呼ばれた少女は「問題無し」という文字の下、ガッガッと手癖で二重線を引いた後にパタンとノートを閉じた。
「……じゃ、お茶にしよっか」
トリニティ総合学園。
ゲヘナ学園、ミレニアムサイエンススクールと並んで生徒数数万を抱える、学園都市キヴォトスにおける三大校の一角にして、そのゲヘナと双璧を為すマンモス校。
そして、かなり貴族制の雰囲気が残ったお嬢様学校でもあり、トリニティどころかキヴォトス経済、政界などに影響を持つ名家出身の生徒も少なくない。
また、カリキュラムに礼拝や聖歌が含まれていたり、敷地内にも大聖堂を備えるなどミッション系の雰囲気も強い校風でもある。
また、派閥間、グループ間の対立が多いのもこの学園の特徴の一つである。
大聖堂を中心として活動し、未だ公にされていない秘密が多いと噂される『シスターフッド』。
キヴォトスに数多ある学園の治安維持組織の中でもゲヘナ学園の『風紀委員会』と並んで恐れられる絶対的な規律と正義の守護者、『正義実現委員会』。
その他にも、あらゆる全てよりも心身の万全を是とし『救護絶対主義』と謳われる『救護騎士団』など、多くのグループがありながらも、お世辞にもそれらの仲が良いとは言えないのがトリニティ総合学園であった。
そしてこの学園の頂点に君臨するのが『ティーパーティー』。
三人のホストと一人のオブザーバーを中心とするこの組織の歴史はトリニティ総合学園成立以前に遡る。
数百年ほど前にこのトリニティ総合学園は数多の学校に分かれて勢力争いを行っていたが、『第一回公会議』でその紛争解決の為の合併という形で成立した。
中でも中心となったのは『フィリウス』『パテル』『サンクトゥス』という3つの学園。
それら三校が中心となり、各学園の話し合いの場として設けられていたのが『ティーパーティー』だった。
元々各学園の有力者が集まっていた組織ということもあり、トリニティ全体で見ても、上流階級の生徒の多くがティーパーティー所属である。
現在もその流れは汲まれていて、現在のティーパーティーのホスト、すなわちトリニティ総合学園の運営を担っているのはそれぞれフィリウス分派首長、パテル分派首長、サンクトゥス分派首長。
その三人がティーパーティーホストとしての実権、すなわちトリニティ総合学園の生徒会長の座を回す三頭政治の形が取られているのが大きな特徴だ。
殆どの場合、彼女らはティーパーティーの中でも最上とも言える程の名家の生まれから選出され、トリニティ総合学園の実権を握ると同時にトリニティ社交界の華でもあった。
そしてティーパーティーに一席設けられた『オブザーバー』
ティーパーティー内の政争を未然に防ぐために設けられた、文字通りの『
その役割から、オブザーバーは常に派閥に所属しない生徒の中からティーパーティーホスト三人の全会一致によって選出され、完全中立的な立場を求められるのが特徴。
またその意見は派閥に属さない生徒全体の意見としてティーパーティー内でみなされる。
通常のホストと同様の権限を持つのに加えティーパーティーの財務と法務の最高責任者も兼ねるため、その実権は生徒会長としてのホストに次ぐと言われている、事実上のトリニティ総合学園の副会長である。
「……どうしましょうか」
紅茶を注ぎながら、彼女は問いかけた。
「……どうする?」
マドレーヌを頬張りながら、彼女は頭を捻った。
「……私に聞かないでくれたまえよ」
机に乗ったシマエナガくんにエサをやりながら、彼女はため息を吐いた。
間もなく新年度を迎えるティーパーティー。
そのホストとして新たに選出された三大派閥の首長達が執務室に集っていた。
フィリウスの桐藤ナギサ*1、パテルの聖園ミカ*2、サンクトゥスの百合園セイア*3。
この三人がこれからのトリニティ総合学園の運営を担うティーパーティーホストである。
しかし、その部屋に漂う空気は少し気まずかった。
やることも見つからぬまま、時間がダラダラと過ぎていく。
しかし、ティーパーティーたるものこのように手持ち無沙汰というのは余り望ましい状態ではない、何かをしなければ。
そう考えたナギサは二人のティーカップを用意した。
「……ひとまず紅茶でもいかがですか?」
「さっきからずっと飲んでるじゃん?『ティーパーティー』を文字通りのお茶会って思ってるのなんてナギちゃんくらいだよ?」
しかし、そんな彼女の行動も空回り。
幼馴染であるミカが彼女を皮肉って「あはは☆」と楽しげに笑った。
はあ、と小さくため息を吐き、セイアはお供のシマエナガくんと戯れながら口を開く。
「やれやれ、いざ『
三人が囲む少し大きい丸テーブルには彼女達がちびちびと手を付けているだけの茶菓子と紅茶、それと幾つかの書類が乗っている。
まあ、これで十分だろうとセイアはその内の適当な一枚を手に取ると、ひらひらと揺らして見せた。
「まず目の前の書類から処理していくのなんてどうだい?」
「そう……ですね。明確なタスクがある方が捗るかもしれません」
「受け身なセイアちゃんにしてはいい考えじゃない?」
そう言って、ナギサも自らの側に置いてある書類をパラパラと捲り始めた。
同様に、ミカも書類の山をガサガサと漁り始める。
「どれが良いかな」なんて鼻歌を歌いながら物色する彼女は、その内の1枚を手に取るとナギサに声を掛けた。
「じゃあこれなんて……ってナギちゃん、これもう少しで締め切りじゃない?」
「もう少し……具体的にはいつほどですか?」
「ん〜、明日」
「なるほど、でしたら……待って下さい明日?!?!」
そう言ってナギサはその書類を彼女から奪い取る。
「わお」と小さく呟くミカを尻目に、彼女はすぐさまそれに目を通した。
「……『オブザーバー任命に関して』……?」
マズい、非常にマズい。
そうだ、これを忘れてた。
ナギサは二重の意味で頭を抱えた。
なにせこのオブザーバー決め、毎年ティーパーティーで最も難航する議題の一つである。
そもそもティーパーティーホストを務めるような生徒は必然的に派閥内で過ごす時間が長いため、無派閥の知り合いが少ないこと。
オブザーバーを引き受けられるほどの政治的才能を持つ生徒は最初からティーパーティーに入り、何らかの派閥に所属してしまっていること。
そして無派閥でありながら他の派閥を納得させられるほどのカリスマ性があること。
毎年壁となる無理難題に、生徒の間でも「なんでこんな条件で数百年続いてるんだ」と語り草になり、トリニティ七不思議の一つに数えられているとかいないとか。
その例に漏れず、ナギサの知り合いも多くが派閥内のティーパーティー関係者、ミカの交友関係は殆どが自分の取り巻き、そしてセイアはそもそも友人が多くない。
「……どうする?ミネちゃんにでも頼む?」
「いえ、彼女も一応ヨハネ分派のリーダーですし……それにストッパーにはなり得ないような……。ハナコさんが私達と同学年なら彼女で決まりなのですが……」
「うぅ……じゃあサクラコちゃん!はシスターフッド一筋だし……かといって他に心当たりも……」
何人か候補を挙げていくが、尽くが噛み合わない彼女達。
じゃあもう無理じゃんね、と頭の何処かでは思いながらもミカはひたすら考えながら人差し指で机を叩く。
しかし、次第に頭を埋め尽くしたその言葉がつい口から飛び出す。
「……ねえティーパーティー権限でこれ消しちゃわない?」
「そういうティーパーティーホストの横暴からトリニティ総合学園を守ってきた由緒正しい役職がオブザーバーだよ」
ヤケクソじみたことを言い始めたミカを諭し、セイアは考えた。
いくら予知夢という便利能力を持っていても、まさか自分たちの交友関係が首を絞めることになるとは思っていなかったようだ。
こればっかりは予知でもどうにもならないな、と諦めようとした時、三人の中では最も成績の良い彼女はあることに気が付いた。
「そういえば、君達にはもう一人幼馴染がいるだろう?今は正義実現委員会だったか。彼女はどうなんだい?」
「リエさん……ですか?」
ナギサが首を傾げると、セイアは「ああ」と頷いた。
ミカもポンと手を叩いた。
「あ!そうじゃん!ねえナギちゃんよくない?!リエちゃんなら大丈夫でしょ!」
「しかしリエさんを引き抜いてしまうと正義実現委員会の戦力は目に見えて落ちるかと……。それに彼女は政治はあまり……」
「まあまあ、それは後から説得出来るんじゃない?とりあえずダメ元でも頼んでみようよ!」
ナギサは少し迷ったが、「リエさんなら嫌だったり不都合があれば断るだろう」と思ってその書類の空欄に「朝日奈リエ」と書き込んだ。
トリニティ総合学園は新たな春、新たな年度を迎えた。
それぞれの派閥、部活のトップなども代替わりし、ティーパーティーホストも新たなメンバーに代わった。
フィリウス分派首長、桐藤ナギサ。
パテル分派首長、聖園ミカ。
サンクトゥス分派首長、百合園セイア。
この内ナギサとミカは幼馴染であり、二人とセイアの仲も良好。
そしてその他の正義実現委員会委員長、シスターフッドリーダー、救護騎士団団長などの仲も歴代では比較的良好。
トリニティ総合学園は最も平和な時代を迎えるのではないかと生徒達は噂した。
そして新たに三人の手によって選出されたオブザーバーも着任の時を迎えていた。
「オブザーバー、朝日奈リエ様が到着致しました」
「どうぞ」
少し重厚な扉がギギギと音を立てて開くと、一人の少女が姿を現した。
ダークブラウンの長いサイドテール、真っ白な肌、ロードクロサイトのような鮮やかな桃色の瞳、一対の長い翼。
彼女達の知る幼馴染、『朝日奈リエ』で間違いなかった。
「……失礼致します」
彼女は三人の座るテーブルの前までゆったりと歩くと、膝に掛かる程度のスカートの端を摘んで膝を突き、うやうやしくお辞儀をした。
「この度着任致しました、朝日奈リエと申します。私では少々力不足かもしれませんが、これからしばらくの間よろしくお願い致します」
「……えっと……?」
「……リエさん……?」
やけに丁寧な挨拶に、場が少し凍る。
ナギちゃん、リエちゃんってあんな感じだっけ?
いえ、むしろあのような丁寧さを嫌うタイプだったはずが……。
だよね、あれ本物?
多分、本物だとは思いますが……。
二人は少し焦ったようにその場でアイコンタクトを取る。
ナギサもミカも、目の前の彼女は本当に自分の幼馴染なのかと、めちゃくちゃ似てるだけの別人じゃないかと疑った。
だが、そのアイコンタクトに気がついたらしい彼女の言葉によって、疑惑は間もなく晴れることになる。
「……なーんて。少しからかっただけ。戯言だから聞き流して」
一転して彼女の口から飛び出す、一切の丁寧さが消え失せた軽い言葉。
そうそう、いつものリエちゃんだ、やっぱり私の幼馴染だと安堵したミカとナギサを尻目に、彼女はググッと背伸びする。
「というわけで、改めて」
軽く膝のホコリを払った後に、彼女は胸に手を当てる。
「ティーパーティーオブザーバー、朝日奈リエ。ミカとナギサの幼馴染」
ぜひ高評価をお願いします
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記録2:朝日奈リエとその友人について
進級も控えた3月頃。
「……あー、了解。すぐ行く」
シスターフッドに対して不信を募らせた生徒達による大聖堂襲撃。
そんな緊急連絡が舞い込んできたのは昼過ぎだった。
生憎にも殆どの部員は定期のパトロールに向かっていて、駐在していたのは彼女と後輩数人。
相変わらず派手にやるなぁ、と呟きながら彼女は真っ黒なセーラー服の上から更に黒いカーディガンを羽織る。
そして髪を軽く結び直し、正義実現委員会の最前線担当であった彼女は後輩に後を任せて一人制圧に赴いた。
「あー……なるほど、こういうこと?」
得物の『Seraph's punishment*1』を担いで大聖堂を訪れたリエは苦笑いした。
吹き抜けた爆風でサイドテールが揺れる。
「秘密主義のシスターフッドを打倒しろ!!」
「手を緩めるな!引き金を引き続けろ!!」
火炎瓶やら手榴弾やらが飛び交う中、恐らく即席で組み上げたであろう大聖堂前のバリケードを挟んで撃ち合うシスターと生徒達。
襲撃側は100人はいない程度の人数だが、流石に準備していた事もあってかシスターフッドがそれなりに押されている。
彼女は少し考えるようにトントンとキレイなネイルが施された左の人差し指で太もも辺りを叩いた。
「……派手にやるのも良いけど……」
こういうのはなるべく速攻、彼女はそう決めて近くのベンチに身を隠し、弾を込めた。
そんな彼女の存在に全く気が付かない襲撃犯達は相変わらずバリケードを壊そうと苦心している。
スーッと一回深呼吸すると同時にリエはベンチから身を乗り出し、軽く狙いを合わせた後に素早く三回引き金を引いた。
「っ?!」
「何だ?!」
足元で炸裂した榴弾に戸惑う彼女達。
「狙いやすくなった」、そう小さく呟いて、彼女は的確に彼女達の背中に榴弾を一発ずつ叩き込んでいく。
引かれた引き金がカチカチとテンポよくリズムを刻んだ。
「誰、増援?!」
そう言って辺りを見回す主導者の少女*2。
正義実現委員会が来たのかとも思ったが、周りにそのような集団は全く見えていない。
なのに、周りの仲間だけがバタバタと倒れていく。
「おーわり」
「一体なん──」
戸惑いながら呟いた彼女の背中を最後の一撃が捉えていた。
そしてリエは彼女の気絶を確認すると、張られていたバリケードを蹴り壊して中にいるシスター達に告げる。
「正義実現委員会、ただいま到着しました」
「こんなもん……かな?」
「はい、この程度なら修復もすぐに出来そうです。わざわざありがとうございました」
苦もなく彼女らを鎮圧して、リエは同学年でシスターフッド所属の歌住サクラコ*3に話しかける。
同じクラスで毎日顔を合わせているということも相まって、正義実現委員会からシスターフッド、或いはシスターフッドから正義実現委員会へ連絡がある時などは彼女達がお互いの窓口のようになっていた。
「っていうか最近はシスターフッドの方はどんな感じ?引き継ぎとか」
「そう……ですね。私がリーダーを務めることになるというのは伝えしましたし……そういえば、この前の新入生向けの部活動体験が……」
しばらくすると、シスターフッドの誰かが呼んだであろう救護騎士団が、のされて倒れた生徒達に応急処置を施し、担架に乗せて運んでいく。
リエはその指揮を執っていた蒼森ミネ*4の下へ駆け寄り、その肩を叩いた。
「お疲れ様、ミネ。そうそう、あの子達壊さないでよ?」
「……私は救護が必要な場所に救護を行うだけです」
からかうような口調の彼女に凛として返すミネ。
続けて「というか今回壊しているのはあなたの方では?」と真面目な顔で言う彼女。
リエはパンっと手を叩いて笑った。
「あっはは、本当に真面目だね?……じゃあ、後は任せるから」
そう言って彼女がその場を去ろうとした時、流行り曲のメロディが鳴り響く。
リエのスマートフォンに電話が掛かってきていた。
「……はい、朝日奈リエ」
「『リエ、いまどちらですか?』」
パッと応答すると、電話の向こうは彼女の同僚、羽川ハスミ*5であった。
口調を見るに、そこそこ急いでいるようだ。
「いま大聖堂の方。どこ行けば良い?」
「『はい、ティーパーティーから「今すぐ執務室に来るように」とのことです』」
「うぇ……」
リエの所属する正義実現委員会は一応ティーパーティーの下部組織にあたる。
その為、来いと言われたらかなり断りにくい。
個人的に嫌いなのでガン無視してやろうかともリエは思ったが、そもそもの話、心当たりが全くない。
「……私がやらかす筈なくない?」
「『内容は私も知らされてないので……』」
「……しょうがない。すぐ行くよ」
流石に無視したらハスミ達が怒られるよなぁ、とリエはやれやれと言わんばかりにググッと背伸びする。
そして丁度リエが通話を切ったとき、パトロールから戻って来た正義実現委員会の中から増援が送られてきた。
増援と言ってもほとんど一年生、後始末なら十分かな、とリエは後輩の仲正イチカ*6に後を任せた。
「……お疲れ様、イチカ。用事出来ちゃったから後頼める?」
「もちろんっす。……それにしても、単騎制圧とは相変わらずっすね先輩。『魔女狩り』は伊達じゃないってことすか」
「止めてよ、そのあだ名あんまり好きじゃないから」
「そうですか?私はカッコいいと思うんすけどねぇ……。んじゃ、任されたっす!」
リエは大聖堂を離れ、ティーパーティーへ向かった。
朝日奈リエは正義実現委員会である。
幼馴染の二人、聖園ミカと桐藤ナギサがティーパーティーで派閥争いや政争に勤しむ中で、あんまりそういうのが好みではない彼女は同期の剣先ツルギと肩を並べて戦場で暴れ、羽川ハスミと共に規則違反者の処罰に精を出す。
トリニティ総合学園に入学してから約二年、そんな日々が続いていた。
二年に上がってからはツルギとハスミが次期委員長、副委員長と目される中、彼女は現場最前線で指揮を執っていた。
ティーパーティーからも離れられるし性に合っていると本人もその立場に満足していた。
お気に入りのグレネードランチャーを片手に規則違反者を無慈悲に、そして効率的に焼き尽くすその様子から、いつしか冠した異名は『魔女狩り』。
最も、本人は全く気に入っていないし、言われる度にムッとなったりはする。
それだけの仕事が出来てることは、少し誇らしかったが。
最前線で暴れ、渉外までこなした結果、彼女は結構な交友関係を手に入れた。
シスターフッドに軽く出入りしてはサクラコ達シスターとおしゃべりし、救護騎士団に遊びに行ってはミネに無理矢理救護される。
時に古書館で面白そうな本を探し、幼馴染とカフェでお茶をしたりも。
正義実現委員会として適度に真面目にやり、生徒として適度に不真面目にやる、彼女は悪くない学年生活を送っていた。
そして年も明け、間もなく三年生にもなろうかという今、彼女はティーパーティーに呼び出された。
正義実現委員会はその直下の組織であるとは言え、リエはティーパーティーがそこそこ嫌いであった。
「何が楽しくて権力争いなんかしてるんだろう」と入学当初から思っていた。
とは言え表立ってティーパーティーに反抗すると怒られてしまうため、彼女は渋々従っている。
……まあ、ティーパーティーにいる幼馴染二人が心配じゃないといえば嘘にはなるのかもしれない、リエがティーパーティーに抱いているのはその程度の感情だった。
というわけでしばらく歩いてトリニティ本館、ティーパーティーに到着したリエ。
しかし、仮にもトリニティ自治区の運営を一手に担う組織、本部だけでもかなり広い。
広い本館の丸々一フロアを探すのも面倒になって、リエはそこらへんのまだ下っ端の生徒*7を捕まえた。
「……ごめん、少し良い?」
「……!魔女狩りの……!先輩なら第三会議室の方に……」
欲しかった情報は手に入ったけれども、彼女は「そんなに怖がられてるかぁ」と歩きながらため息を付いた。
そして目当ての部屋の前に着くと、リエは気怠げに扉を叩いた。
「どうぞ」
「……何の用ですか?首席行政官」
会議室の一角で彼女を待っていたのは首席行政官*8……すなわちティーパーティーの四人に次ぐトリニティ内トップクラスの権力者であった。
それと同時にトリニティの最大派閥の一角であるフィリウス派のNo.2でもある。
ってことはナギサの先輩か、とリエはふと考えた。
「……それで、私は派閥とか権力争いとかには興味ないとお答えしたはずですが?」
「ええ、あなたがフィリウスに加わってくれないことも分かってる。けれどこれだけ伝えておこうと思ったから」
そう言うと、彼女は四枚の書類を取り出した。
それぞれの派閥における次期首長の任命に関するものと、一枚の契約書のような書類。
すぐにその意味を察したリエは、もう一度彼女の眼を見る。
「……本気ですか?」
「ええ。それが私達……いえ、彼女達の決定。あとはもう分かるでしょう?」
ティーパーティーホストは各派閥の首長が担うため、次期首長は必然的に次のホストとなる。
そしてそこに記されていたのは彼女の幼馴染、新しく話すようになった友人の三人のサインであった。
リエは何度か見直した後、はあ、と小さくため息を吐いた。
「……無派閥は保たれる、権力争いにも関わらない……これなら私は断らないと見たんですか?」
「いえ、それを決めたのは彼女達。私達は一切関わってないわ。……私は好きよ?あなたの妙に律儀なところ」
「……分かりました。幼馴染の頼みなら喜んで」
彼女は少し笑って愛用の万年筆を取り出し、契約書に己の名を書き込んだ。
「……トリニティをよろしくね。……『オブザーバー』」
「……請け負ったからには役目は果たしますから。それでは失礼致します」
「忘れていた」と言わんばかりに彼女が差し出したティーパーティーのバッジだけ受け取って、彼女は会議室を後にした。
「あーあ、リエちゃんとハナコちゃんが獲れたらしばらくはフィリウスの天下だったのだけど……ふふっ、少し残念」
彼女はそう呟いて、ティーカップに口を付けた。
「……リエさん?」
部室に荷物を取りに戻るため、本館を歩いていたリエだったが、その途中で誰かから声を掛けられた。
振り返ると、そこにいたのは浦和ハナコ*9。
あらゆる派閥から勧誘を受けていると噂の才色兼備を絵に描いたような彼女だったが、リエは彼女がいつもつまらなそうに見えていて、無派閥仲間として少し気にかけたりしていた。
「ハナコ。どうかした?」
「いえ、ティーパーティーの側で見かけるのは久々だな、と思いまして」
「久々の呼び出しでね。頼み事されたんだ」
それを聞いたハナコは少し目を瞑った後、徐に口を開いた。
「……『オブザーバー』……ですか?」
「……流石だね」
「何故ですか?「政治も権力も好きじゃない」とよく仰っていたのに……」
「まあそうだけど……。でも、幼馴染の頼みだから」
「……そう……でしたね。ナギサさんとミカさんは……」
そう呟いて納得したようにまた目を瞑ったハナコ。
そして軽く会釈をして去っていく彼女に対して、リエは一言伝えた。
「私も『オブザーバー』として好きにやるから、ハナコも好きにやりなね。何やったって、好きなことやるのが一番楽しいから」
「……いいんですか?」
「良いんじゃない?ウソつくの、疲れるしね」
「……リエさんは……気づいて……?」
「じゃあね、ハナコ」
呆然と立ち竦むハナコに手を振って、リエは廊下を歩いていった。
ティーパーティー首席行政官って誰だよ
あとウリエルわりかし万能なのでリエもわりかし万能です。
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記録3:彼女の本音
ティーパーティーはみんな見た目だけは文句のつけようもないくらい良いですからね
トリニティ総合学園は春を迎えた。
先輩方は退陣し、リエ達が正真正銘の最高学年。
本格的に彼女らがこれからトリニティを動かしていくことになる。
進級式も終えて、春風が少し暖かい新学期一日目。
リエも正式にオブザーバーに任命され、更新した学生証に記された所属も正義実現委員会からティーパーティーへと切り替わっていた。
改めてナギサ達にティーパーティーを案内された後、彼女は執務室に椅子やらパソコンやらのデスクワーク用の私物を運び込む。
「……こんなものかな」
「わーお、判例集に法律に……なにこれ、電卓?」
「これは……関数電卓というやつか。わざわざ買ってきたのかい?」
「ううん、正実でティーパーティー宛の請求書とか書くことあったからその時に」
「あの細かい請求書……やっぱりリエさんでしたか……」
その荷解きを手伝っているミカとナギサ、そしてそれを相棒のシマエナガくんと見守るセイアが色々と彼女の荷物について口を開く。
関数電卓やら不自然にスペックの高いノートパソコンやら……彼女達にはあまり見慣れないものが揃っていた。
「……こんなものかな。お疲れ様」
「では、ティータイムといたしましょうか」
しばらくして諸々の荷物を運び終えたところでナギサがお茶を淹れ、リエは一息ついた。
ミカとセイアも隣で茶菓子を頬張っている。
「リエさんがあまり政治が好きではないのは分かっていたのですが……改めてティーパーティーに来てくださってありがとうございます」
「ううん、大したことじゃないよ。でも私に頼まざるを得ないなんて、二人共もう少し頼れる友達増やした方がいいんじゃない?セイアもだけど」
「はぁ……逆に聞くけど君以上の適任がいると思うかい?能力はあって無派閥で権力に無頓着で正義実現委員会所属、それがホストの幼馴染ときた。あまりにも都合が良いだろう?」
「あっはは、確かにそう。適任だったね。……うん、仕事は果たすよ」
リエの軽口に対してセイアが冷静に返した。
返された彼女は笑って紅茶を啜る。
その味にまた満足気に笑い、小さなフォークでチーズケーキを口に運んだ。
「……でさ、今日は私何すれば良い?……っていうかやることある?」
「いえ、今日は特に議題はないのでひとまず慣れてもらえれば。引き継ぎなどもありませんし……これといったトラブルも「春休みからたまに露出狂が出没する」くらいしかありませんので」
「……あ、そうだ!リエちゃんも制服とか弄る?ティーパーティー特権だよ!」
「それティーパーティー特権だったんだ?……いいね、そうする」
ミカが口にした『ティーパーティー特権』。
少し制服を弄れたり、寮の部屋をグレードアップしてもらえたり、外食とかの会計をティーパーティー名義で支払ったり出来るようになる文字通りの特権である。
ホストの三人が持っているということは当然オブザーバーである彼女もその資格を保有するということ。
リエは年頃の少女らしく、ミカの提案に目を輝かせた。
ちなみに今は支給されたティーパーティーの制服に身を包み、その上から私物のカーディガンを羽織っている。
「……カーディガンは付けてほしいんだけど……」
「んー……じゃあいっそのことセーラー服じゃなくてワイシャツにしちゃえば?」
「悪くないかな。涼しそうだし」
開いたノートにサラサラとリエからの注文を書き込んでいくミカ。
ナギサも少し引き止めつつも、少し興味有りげにノートを覗き込んでいる。
「お二人共、盛り上がるはいいのですがあまり変え過ぎない方が……」
「……驚いたな。意外とファッションに気を使うタイプだったのかい?リエ」
「……まあ、昔から二人と買い物行ってたしね」
机の上のティーセットを片付けて、代わりに机に乗っかっているのはミカの集めていたファッションカタログ。
その中の学生コーナーを見ながら、リエ達は話に花を咲かせていた。
「……こんな感じでオッケー?」
「そんな感じかな。……意外とミカお絵描き上手?」
三十分ほど話して、リエの制服案はそれなりに固まった。
ティーパーティーの制服のワイシャツバージョン、同じような色合いの膝上10cmのスカート、胸元には黒リボン。
そしてその上に少し大き目の黒いカーディガン。
全体的には彼女の満足の行く感じになったが、ティーパーティーオブザーバーとしての威厳があまりないことだけが唯一の問題点だろうか。
ナギサもそれに関しては何回か忠告したが、リエとミカはそんなもの無視して話を進め、その場でティーパーティー御用達の業者に話をつけた。
「……今日中には納品出来るって!」
「……ティーパーティーお抱え業者すごいね?」
「もう数十年じゃ収まらないほどの付き合いだそうですので……」
その後、ミカのカタログを片付け終えた頃に下校時間を知らせるチャイムが鳴る。
リエはテーブルを囲む椅子から立ち上がり、ふわぁとあくびした。
そして、その日の夜のこと。
日付が変わった頃、リエは目を覚ました。
別にとんでもない早起きな訳でも、実は生活リズムがブッ壊れてるとかでもなく、たまたまよく眠れなかっただけ。
「少し熱いからかな、それともまだ新しい部屋に慣れてないからかな」とか考えながら目を擦る彼女。
とはいっても生活に支障がない程度には昔からよくあることで、こういうときは決まってリエは散歩に出向く。
「……一時……半くらいかな」
現在時刻をぼんやりと言い当てながら寝間着のタンクトップからもう納品されたオーダーメイドの制服に着替え直す。
寝ている間に少し乱れた髪を整えて、彼女は外へ繰り出した。
「カーディガンは……置いてきても良かったかぁ」
外はちょっとだけ暑かった。
少しだけ早い夏でも来たのだろうか。
幸いにもよく晴れていて、空の星が綺麗に見える。
トリニティの敷地内には誰もいなくて、ただ街灯だけがポツンポツンと灯っている。
たまに夜中もドンパチやっている連中もいるのだが、進級数日でそんなことをやらかす馬鹿は流石にいない。
「まあ、当たり前か」と納得してリエは本館の方へ歩いていった。
「……独り占めも……あははっ、悪くない」
トリニティの中央広場の真ん中の大噴水を見て、リエは呟いた。
普段は人で賑わってるのに、今彼女の視界に映る人間は誰もいない。
眠くなるまで星でも眺めよう、最悪ここで眠っちゃおうと考えて、噴水を囲むベンチに彼女は腰掛けた。
「……誰か、いる?」
しばらく眺めていると、リエはふと人の気配を感じた。
「こんな時間に?」とも思ったが、誰かと話したいような気もして辺りを見回す。
見慣れた人影が彼女の目に入った。
「……ハナコ」
「あら?奇遇ですね、リエさん♡」
浦和ハナコだった。
何故か着ている水着によって身体のラインが強調され、抜群のプロポーションが顕になっている。
前見たときよりもずっと楽しそうだな、とリエは思った。
「今日はいい夜ですね♡リエさんもお散歩ですか?」
「まあ、まだ新居に慣れなくてあんまりよく眠れないから。……あと、水着はまだ早いんじゃない?プール開きもまだ遠いよ」
「ふふっ、外で着るべきものを着ずに外で着るべきではないものを着る……とっても楽しいことだと思いませんか?」
「……ああ、背徳感って奴?」
首を傾げると、ハナコはこくりと頷いた。
「そういえばナギサが「露出狂が出る」みたいなこと言ってたな」とリエは思い出した。
「よろしければリエさんも一緒にいかがですか?とっても気持ちいいですよ♡」
「……そうしよっかな。お言葉に甘えるよ」
「そうですか、少しざんね……え?リエさん……?」
彼女の提案に笑顔で乗っかったリエは羽織っていたカーディガンをベンチに置くと、おもむろにシャツのボタンを外し始める。
提案したのは自分であるはずなのに、ハナコはその様子を困惑しながら見ていた。
ボタンを外し終え、シャツを脱ぎ捨てると、下着を外しても全く崩れなさそうなハリのある胸、コルセットという物の存在を嘲笑うかのような細いくびれ、そして月にすら見劣りしないほどの真っ白な肌が星光に晒される。
提案したのはハナコ自身であるにも関わらず、彼女は思わず目を逸らした。
そしてそんな彼女の思いはつゆ知らず、温い風の心地良さに目を覚まされてリエはそのままぐぐっと背を伸ばす。
「あっはは、気持ちいい!やっぱやっちゃいけないことって楽しいね!」
「……よろしいのですか?トリニティのオブザーバーがこんなことしてしまって……」
不安げに尋ねるハナコに対し、リエは微笑んで答えた。
「急に真面目だね。……うん、別にいいと思う。誰にも迷惑かけてないし」
「でも私と違ってリエさんには立場が……」
ハナコはうつむいて、少し言い淀んだ。
リエはそんな彼女に黒いカーディガンを掛け、顔を上げさせる。
宝石のような瞳が彼女を覗き込んだ。
「……もしかしてさ。トリニティ、退学になりたいの?」
「……いえ、そんなことは……」
僅かに目を潤ませながらを浮かべながら否定するハナコ。
それでもリエは淡々と、けれど優しく言葉を続ける。
「嘘つかなくても良いよ。才色兼備の優等生が露出狂になっちゃうなんてそれくらいしか思いつかない」
「……」
「過度な期待も、権力争いも、気持ち悪い隠し事も全部嫌。そんなあなたにとってはこのトリニティ総合学園は息苦しくて堪らない……違う?」
「……じゃあなんであなたは……!」
涙目になってハナコは口を開く。
振り払おうとした腕を、リエはすかさず掴んでいた。
「……私を……ここから逃してくれないんですか……?」
「だって、そんなのつまらないでしょ?別に好きな訳でも、楽しい訳でもないことなんてやってほしくない」
「……でも私には……!」
そう言うと同時に零れる大粒の涙。
それは彼女をぎゅっと抱き締めた、リエの髪を濡らした。
「だから本当に好きなものが見つかるまで、ここにいたい理由が見つかるまでもう少しだけ待ってみて。ひとまずはこれでもいいから」
「……分かり……ました……」
「……ほら、送ってく。またバレたらホントに退学になるよ?」
リエはハナコの浮かべた涙を、脱ぎ捨てたシャツでちょいちょいっと拭いて、彼女の手を引いて歩き出した。
「昨夜また露出狂が出没したそうです」
「え、また?!」
「はい、それも二人」
翌朝、ティーパーティー。
朝食を取りながらナギサは切り出した。
「へえ」とリエはクロワッサンをトースターから取り出しながら相槌を打った。
「一人はスクール水着での徘徊、これはおそらく浦和ハナコさんで間違いありません」
「あの子スゴい優等生じゃなかった?人って変わっちゃうんだね……」
「いやあ、人って怖いなぁ」、そんなことをつぶやきながらパンケーキにいちごソースを塗りたくるミカ。
その横では、シマエナガくんがセイアから貰ったパンくずをついばんでいる。
「問題はもう一人の方です。ハナコさんと共に中央広場で上半身の下着を露出していたと……。犯人は不明とのことです」
紅茶を啜りながらナギサは報告書を読み上げている。
御手洗いから戻ってきたセイアはそれを聞いて一言呟いた。
「それ、リエだろう?」
「そうなのです……え?……今なんと……?」
「……待ってリエちゃん、ホント?」
「ハナコから聞いたから間違いないだろうね」
「あははっ、バレた?」
表情の固まっているナギサ、驚愕するミカ、何食わぬ顔でカットされたりんごを食べるセイア、いたずらっぽく笑うリエ。
ナギサの手から落ちたパンがベチャッと地面にジャムを塗りたくった。
「待って下さいリエさん、オブザーバーが公然わいせつを?!」
「リエちゃん辞任タイムアタックでもしたいの?!」
「『ティーパーティー会則53条、オブザーバーは本学に明確な損害を与えたことが認められたときのみ解任されるものとする』……私が服脱いでなにか損害出した?」
「……私達には損害の証明はしようがない......なるほど、小賢しい理論武装だね」
「そういうこと」
そう言って焼き立てのクロワッサンを頬張るリエ。
「知能犯のいたずらは手がつけられないな」とセイアは大きなため息を吐き、ミカにちらっと目線をやる。
「待ってセイアちゃん、それだと私が知能犯じゃないみたいじゃん?!ちゃんと考えてるんだけど?!」
「考えてあれなら君はいたずらの才能がないね」
「確かにミカさんは単純ですが……」
「ナギちゃんも敵?!ってそうじゃなくて……」
「そうでした、今はリエさんの……」
ふと本題を思い出したナギサ。
慌ててミカも「そうだった」と話題を戻す。
「……というわけでリエさん!もっとオブザーバーたる自覚を、このトリニティ総合学園の代表たるティーパーティーとしての自覚を……!」
「いいじゃん、オンオフ切り替えないと損損」
「昔からリエちゃんは極端すぎるんだよ!」
朝から少女たちの笑い声がバルコニーに響いていた。
ナギヒフ
ミカコハ
セイアズ
リエハナ
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エデン条約・補習授業部編
記録4:エデン条約とトリニティの異変
「……転校生を迎えたい?」
リエの露出騒ぎからしばらく、5月にも差し掛かろうという日だった。
セイアは自室で休んでいて、ナギサはある用事で外に出ていて、今執務室には二人きり。
そんな時に、ミカはリエに切り出した。
机の上でキーボードを叩いていたその指が一瞬止まる。
あまりに突然、何より時期が遅過ぎる。
そんなことが、リエの思考回路から出力された。
「まあ、怪しければ弾けば良い」、最終的に辿り着いたのはその結論。
僅か数秒だった。
「了解、少し聞かせて」
「うん。白洲アズサっていう子なんだけどね、今年二年生の」
「……ひとまず書類見せてもらえる?手続きとかのさ」
「もちろん。……これで大丈夫かな?」
ミカが手渡したのは一般的な形式のトリニティの生徒名簿と転入届。
白洲アズサ、学年は2年生、種族は天使。
証明写真に映っていたのは、白い髪の少女だった。
その他の情報にもパラパラと目を通した後、リエは小さく笑った。
「……うん、完璧。ミカらしくないね?」
「もう!最近はちゃんと領収書とかももらってきてるじゃん!」
「あっはは!そうだったそうだった。これからもその調子でね」
リエは愛用の手帳にサラサラと転校生の詳細を書き込んだが、あるタイミングで万年筆が止まった。
「なるほど、書類は上手く誤魔化したな」と少しため息を吐いてから、彼女はミカに尋ねた。
「……そういえば、どこからの子?」
「あー……それ、聞いちゃう?」
「……まず隠してる理由から聞こうかな」
「実は、セイアちゃんにもナギちゃんにも反対されちゃって。いっつもいっつも頭ごなしに否定してくるばっかでほんとやんなっちゃうよ……」
そう言って、ミカはわざとらしく肩を落とす。
(まあ、セイアはそういう変化を好むタイプではないし、ナギサもかなり思考はそっちより……当然の結論かな)
「セイアはそういうとこあるから。それで書類上だけでも隠したかった……そういうこと?」
「そういうこと」
あまりミカとセイアは仲が良くなかった。
気分屋でおしゃべりなミカと理屈っぽくて寡黙なセイアでは馬が合わないのも仕方ないだろう。
リエは苦笑いしながら紅茶を啜った。
「それで……どこの子なの?アズサちゃんって」
「……アリウス分校」
意外な答えに、リエは少し目を丸くする。
ただ知識として、記録として知っているだけの存在だったから。
クイッと紅茶を飲み干して、彼女は答えた。
「そう。まだ残ってたんだ」
「……うん。私達のこと、相当恨んでるみたいだけどね。アズサちゃんはそうじゃなかったけど」
数百年前に行われた『第一回公会議』にて各学園が合併に合意する中、ただ一校のみは反対を貫いた。
その学園は公会議によって成立したトリニティ総合学園、中でもシスターフッドの前身たるユスティナ聖徒会によって苛烈に弾圧され、表舞台から姿を消したとされている。
その学園こそがアリウス分校だった。
「……それで、リエちゃんは反対しないの?」
「うん、いいんじゃない?ミカが「その子はトリニティに相応しい」って思ったんでしょ?なら私はその判断を尊重する。それに……」
「この子は悪い子じゃなさそうだし」、そう言おうとしたリエだったが、流石に一度も会っていない相手の善悪を推し量るのもどうかと思って口を閉じる。
けれど、代わりに何を言うかも思いつかなくてリエは少し目を瞑った。
「それに……?」
「……ううん、何かあったら、私がオブザーバーとしてどうにかするから」
トリニティ総合学園が設立される前の第一回ティーパーティー。
啀み合っていたパテル、フィリウス、サンクトゥスの三校が初めて合意したのが『オブザーバー』の設置である。
万が一、ティーパーティーが暴走したのなら、そのブレーキを誰かが担えるようにと設けられた一席であった。
その椅子を引き受けた者として、その役目を全うする義務がある。
それが彼女にとって、「ミカとナギサのため」の次くらいに大きなオブザーバーへのモチベーションだった。
「……そっか。ホント、リエちゃんは真面目だね!……うん、あの子はきっとトリニティとアリウスの……私達の『和解の象徴』になれる」
「憎悪を乗り越えるのは難しいけど……案外それを乗り越えるくらいの何かが起きたりするんじゃない?これがきっかけで」
「……そうだといいなぁ……」
ミカはそう言って何か物思いに耽るように目を瞑った。
丁度カーテンが揺れ、そこに陽の光が差し込むのを見て、まるで絵画みたいだな、とリエはもう一度書類に目を通しながら考えた。
日も暮れる頃にナギサは帰ってきて、改めて四人は集まることとなった。
時間も時間ということなので、少し遅めのアフタヌーンティーを頂きながらだった。
「……ようやく手筈が整いましたので、そろそろ本格的に『エデン条約』に着手していくことになります。……しばらくは忙しくなるかもしれませんが、ご協力のほどお願いします」
「あの「ゲヘナと仲良くして」ってやつ?」
「エデン条約……ああ、あの。『
「同意見だ。全く、連邦生徒会長は悪趣味が過ぎる。……しかし驚いたな、向こうも乗り気になるとは」
ナギサの言葉に、三人は思い思いの反応を示す。
エデン条約。
連邦生徒会長の遺した置き土産の一つ。
キヴォトスでも大きな問題の一つとして挙げられている、トリニティ総合学園とゲヘナ学園との憎悪にも近い確執を取り除くべく彼女が創り上げた、太古の経典に記された楽園の名を冠した和平条約である。
彼女の失踪とともに空中分解したはずだったが、ナギサは自らの代でゲヘナ学園との不仲という憂いを何とかするべくその調印を目指していた。
「……オブザーバーとして異論なし。残りのホストは?」
また回ってきた財務報告書に目を通しながら最初に口を開いたのはリエ。
賛成の立場を示すと同時に、二人に問いかける。
「……私からも特にないかな。ゲヘナ嫌いのパテルは何とか説得してみるから」
「私からも特に言うことはない。……すまないが、部屋に戻らせてもらうよ」
二人は言わば、消極的支持。
そして昔から身体の弱いセイアは今も体調があまり優れないようで、お付きの後輩に支えられて自室へ戻ってしまった。
「気を付けて」
リエは書類から顔を上げ、彼女に手を振った。
それがしばしの別れになるとはつゆ知らず。
朝早くだった。
リエはスマートフォンのけたたましい着信音で目を覚ます。
緊急か、と彼女は着替えながらスピーカーをオンにした。
「はい、こちら朝日奈リエ」
「『……リエ、さん、は……大丈夫……です……か……?』」
「ナギサ、何があった?」
泣き声混じりに明らかに動揺している電話越しの弱々しいナギサの声。
リエは思考を叩き起こして状況を尋ねる。
「『……セイア……さん……が、ヘイローを、破壊……された状態……で……』」
「ヘイロー……を……?……どれだけの火力を注ぎ込めばそんなこと……?」
決して起こり得ないはずのその状況にリエは思わず動きを止めた。
自分でも分かるくらい、焦点が合わず、視界がぼやける。
それでも思考回路だけは、酷く冷静に周り続けていた。
この世界の生徒達は常軌を逸して頑丈である。
基本的に外的な要因で死ぬことは有り得ない。
だが、抵抗すら出来ない状況に追い込み、何千何万と弾丸を撃ち込み続ければ
(不可能ではない……けど……あくまでそんなの机上の空論……!それがセイアに起きた……?!)
「『……ひと、まず、集まって……いただけます……か……?』」
「……分かった。すぐ行く」
カーディガンのポケットにスマートフォンを放り込み、部屋を出ようとしたその時、もう一度着信音が鳴った。
(……まさかミカにも……?)
ゴクリと唾を飲んで、彼女は歩きながら電話を取った。
「……はい、こちら朝日奈リエ」
「『あ!リエ先輩ですか?!団長が突然姿を消してしまって……!』」
救護騎士団、鷲見セリナ*1からであった。
毎朝行う備品の整理に団長であるミネが姿を表さないのだという。
モモトークも既読が付かず、電話も応答なしだと彼女は続ける。
「……ごめん、私も分からない。」
「『そう……ですか……。団長と仲良くしていらしたのでもしかしたらと思ったのですが……』」
「……分かった。こっちの方でも探してみる」
「『ぜひよろしくおねがいします!』」
リエは電話を切って思考を最高速で巡らせる。
(セイアが倒れてミネが失踪……。この場合どう考える?ミネが失踪したからセイアが間に合わなくなった……?その場合はミネが消えた理由を考えないとだけど私には彼女がトリニティを離れざるを得ない理由が思い付かない……。……もし私がトリニティの敵ならどっちを狙う?……いや、言うまでもない。明らかに消したいのは
「……リエ様?中でナギサ様がお待ちです」
ティーパーティーの後輩*2の声で、リエは我に返った。
彼女の声色を見るに、まだセイアが倒れたことは広く伝わってはないらしい。
「ああ、ごめん。少し考え事。あとしばらく執務室の方には人近付けないでもらえる?」
「畏まりました。また何かあればお呼び下さい」
模範的なお辞儀をして去っていった彼女が廊下の奥に消えるのを見届けてから、リエは執務室の扉を開いた。
「……リエさん?ああ、良かった。あなたがご無事で……」
彼女は執務室で一人。
平静を装ってはいるが、外から見て分かるくらいに今にも泣き出しそうなのを必死に堪えながら紅茶を啜っていた。
「ナギサもひとまずは無事で良かった。……それで、ミカは?」
「「しばらく、一人にして欲しい」とのことです。……あんなに落ち込んだミカさんの声を聞くのはいつぶりだったか……」
先程の電話の時よりはだいぶ落ち着いていたが、それでもティーカップを持つその手は僅かに震えている。
テーブルに置かれた容器に入った角砂糖もポットに入ったミルクも随分と減っていて、相変わらず不安になると糖分摂りすぎるんだな、とリエは少し考えた。
「……分かった。……こんな話から入るのもあれだけど、それぞれの派閥の対応は?」
「フィリウス、パテルはひとまず変化はないと決定しました。サンクトゥスは一時的に権限や業務を両派閥に委任するとのことです」
「……了解。
「はい。突然お呼びしてしまって申し訳ありませんでした……」
リエはおもむろに執務室の扉を閉めると、急いで自室に戻った。
朝食代わりのドリンクゼリーを一気に飲み干して、部屋の奥から電子ホワイトボードを引っ張り出す。
捜査の情報を整理するために正義実現委員会時代に買ったもの。
最近は使われていなかったが、それでもホコリ一つ被っていない。
彼女は傍らにおいてあった電子ペンを一本手に取ると、今分かっているありったけの情報を書き散らした。
倒れたセイア、失踪したミネ、セキュリティ上隠されているティーパーティーの自室、犯行時刻、転校生、今日の天気、ティーパーティーに出入りしたティーパーティーに所属していないトリニティ生……。
関係のありそうなものもなさそうなものも文字通りにありったけ書き出す。
そしてデジタルホワイトボードが一面埋まった時、ある単語がリエの目についた。
直感でしかなく、明確な論理も組み立てた訳ではない。
それでも、彼女はその整合性を確かめるためにそれを口に出す。
「……『エデン条約』」
かくしてトリニティ総合学園中を巻き込むことになる大騒動、『エデン条約事件』が幕を開けるのだった。
急にシリアスになり始めた
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記録5:シャーレの『先生』
「少し良い?」
「一つ私からよろしいでしょうか?」
「言いたいことあるんだけどさ?」
三人は、同時に口を開いた。
一人は愛用の万年筆を胸元のポケットに仕舞いながら。
一人は淹れたての紅茶のカップを口に運びながら。
一人は陽光の差し込むバルコニーのテーブルで頬杖をつきながら。
「「「『トリニティの裏切り者』」」」
セイア襲撃事件以来しばらく期間が空いてしまったが、彼女達は同じように一つの結論にたどり着いた。
それは、苦痛に満ちた答えであり、地獄の門を開く鍵であった。
「ねえ、いるでしょ?誰?」
彼女は無邪気に、けれど荒ぶる感情を隠さずに尋ねた。
「……少なくとも現時点では特定できるほど情報が多くない。絞り込めて10人行かないくらいかな」
彼女は淡々と、その答えに辿り着くために答えた。
「ええ、ですが必ず。ティーパーティーの総力を上げて突き止めてみせます」
彼女は凛として、自らの責務を果たすために誓った。
風が強い、初夏の日だった。
「はじめまして……かな?三人とも」
「そうですね、こうしてお会いするのは初めてだと思います」
連邦生徒会長が失踪寸前に立ち上げた超法的機関である連邦捜査部『S.C.H.A.L.E』、通称シャーレの『先生*1』がティーパーティーを訪れたのは六月も下旬に入った頃。
最近キヴォトス中で評判の『先生』はカフェラテのような色の髪をボブに整えた、少し細身で小柄な女性だった。
「では改めまして自己紹介を。私はティーパーティーホスト、桐藤ナギサと申します」
ナギサはカタンとティーカップを置いて、その場で小さく会釈した。
そして両隣の二人を一人ずつ手で指し示す。
「そしてこちらが同じくティーパーティーホストの聖園ミカさんです」
「よろしくね、先生!」
ミカは菓子を口に運ぶ手を止め、ぱあっと手を振った。
「そしてこちらが……」
「ティーパーティーオブザーバー、朝日奈リエと申します」
一人ナギサの隣に立っていたリエはその場で一礼した。
一通りの紹介を終え、改めてナギサは目の前の先生に向き直る。
「この三人が現在トリニティ総合学園の運営を担うティーパーティーとなっています」
「そっか!三人とも、これからよろしくね!」
ひとまずの挨拶を終えて、リエは彼女の目を見た。
黒曜石のような、綺麗な黒色だった。
立ち話もアレということで、彼女のためにテーブルに椅子を一つ追加して、ナギサはティーカップを差し出した。
四人がテーブルを囲む中、先生は一口でそれをぐいっと呷ると「おいしい!」と顔をパッと明るくする。
その様子を見て、ミカが口を開いた。
「へー、噂になってたからどんなもんかと思ったけど、ほぼ私達と変わらないね?翼とヘイローくらい?……私的には結構アリかな!二人はどう?」
「ミカ、初対面で品定めする癖は直した方が良いかも。……まあ、少なくとも信頼に値する方ではあるのかな」
「申し訳ありません、ミカさんは好奇心旺盛なもので……」
「私はぜーんぜん!むしろ好印象みたいで助かったよ!」
初対面の彼女にも全く臆すことなくいつもの調子のミカと、それを嗜めるナギサ。
そしてその横で会話に混ざりながら網に火を入れて団子を焼いているリエ。
来客たる先生は珍しそうにバルコニーからの景色を眺めていた。
「……トリニティの外の方がここにいらっしゃるのは少なくとも私がティーパーティーに所属してから一度も聞いたことがありません。先生が初めてです」
「そうそう!トリニティ生だってめったに来れる場所じゃないんだよ!」
「はい、その通りです。……それとミカさん、少しお静かにお願いします」
「うう……ちょっとくらいよくない?せっかくだもん、おしゃべりは楽しくなきゃ!」
「ほら、ミカ。こっちでお団子焼こ」
ナギサに茶々を入れないでほしいと嗜められ、少しムッとなったミカにリエは席を寄せる。
二人がパチパチと弾ける火の粉を眺めている間に、ナギサは話を続けた。
先生はテーブルの上に乗ったマカロンに舌鼓を打ちながら話を聞いていた。
「……本題に入りますが、今日先生を……」
「ええっ?!ちょっといきなり過ぎない?!もう少しステップを踏んでというかウィットに富んだ雑談とか……そういうのはどうかな?一応ティーパーティーはトリニティの代表兼生徒達の憧れなんだし?」
「……」
それでも相変わらず茶々を入れ続けるミカに対して、ナギサは冷ややかな目線を向ける。
これはそこそこキレてるな、なんてことを考えて彼女が口を開く前にリエがミカを咎めた。
「ミカ、楽しくやろうとするその姿勢は好きだけどナギサが困ってる。今は少しくらいお固くてもいいんじゃない?」
「はい、今のホストは私です。ですので今は私のやり方ということで。……ですが少々つまらない話だったかもしれませんね」
「逆に先生からは何かある?」
リエから唐突に雑なパスが飛んできた先生。
お代わりの紅茶をゴクッと飲み干して彼女は聞いた。
「えっと……あなた達がこのトリニティ総合学園の生徒会長……で、合ってるかな?」
「ほら見たナギちゃん?このスマートな返し!これこそ大人の……」
「ミカ、少し落ち着いて」
「……」
また少し苛立つ心を抑えるように少し目を閉じた後、ナギサは彼女に答えた。
「……はい。おっしゃる通り、私達がこのトリニティ総合学園の生徒会長らです」
「生徒会長……ら?」
「それは当然の反応だと思います。説明いたしますと、まずトリニティ総合学園は2つの独裁を防ぐ安全装置のようなものがあります」
ナギサはリエの方へ目をやった。
リエは口に含んだ団子を飲み込んで、手に持った串をゆらゆらと揺らした。
「一つは彼女の存在……すなわち『オブザーバー』。こちらは他の学園の会計、書記、副会長などを合わせたようなものとお考え下さい。そしてもう一つ、トリニティ総合学園は生徒会長を代々複数人で担うことでその権力を分散させることで独裁が起こることを防いでいるのです」
「おお!分かりやすい解説だね!ナギちゃんらしくない!」
ミカの適当な合いの手に、ナギサのティーカップを持つ手が震え始め、カタカタと音をたてる。
「ありゃ怒ってるなぁ」とリエは大まかに推測しながら先生にお茶のお代わりとお茶請け代わりのみたらし団子を出した。
「……そもそもの話となりますが、ティーパーティーの歴史とは……」
「無視ー?無視は辛いよナギちゃーん?」
「ティーパーティーの歴史とは……」
「うわ無視だ無視だ!ねえリエちゃんナギちゃん酷くない?私達もう十年じゃ済まないくらいの付き合いだよね?お互いに一番のお友達みたいなものだよね?というかほぼほぼ家族みたいなもんじゃない?」
「ああもう静かにしてください!!」
どれだけ咎め、嗜めても続くミカの横槍に、ナギサの我慢ゲージが上限を突破した。
ああなると彼女は人の目なんてお構いなしに素の自分が出てしまう。
勢いよく置かれたティーカップから僅かに紅茶がこぼれた。
「ナ、ナギちゃん……?」
「今は私が話してるんです!ミカさんではなくわ・た・し・が!!リエさんもお団子なんて焼いてる暇があるなら止めてくれませんか?!」
「……私?」
焼き上がった団子にみたらしのたれを塗っていたリエはキョトンとした顔でナギサを見た。
生徒会長の威厳など何処かにおいてきたと言わんばかりに彼女の綺麗な顔は真っ赤に染まっている。
「私はともかくなんでリエちゃんに飛び火してるの?!」
「静かにしてくださいと言ってるんです!!どうしても黙れないんでしたらその小さく開いた口、ロールケーキで塞いでやりましょうかっ?!」
「……」
ナギサは勢い良く席を立つと、テーブルの上に置かれたロールケーキ丸々一本に手を伸ばしかけた。
そう言われたミカはその場で固まってしまい、先生は少し微笑ましげにその光景を眺めている。
しばらくの沈黙のあと、口を開いたのはリエだった。
「……ごめん、先生。ナギサあんまり言葉選び上手じゃないんだ。最近疲れてるみたいだし、そもそもあんまり国語の成績もよろしくない。昔から宿題手伝ってあげちゃってたからかなぁ」
「成績はリエさんと比べたらの話でしょう?!そもそも宿題だって……。……いえ、少し興奮してしまったみたいです。お見苦しい姿をお見せして申し訳ありません」
正気に戻ったナギサは、別の意味で頬を赤らめながら謝罪した。
「いやあ、怖かった……」
「あっはっは!三人とも仲良いんだね!……それで、本題っていうのは?」
一連のやり取りを終えて、先生は切り出した。
そうでしたと言わんばかりにナギサはガサゴソとカバンを漁ると、その中の一つのファイルを先生に差し出した。
「これは……?」
「今回は先生に先生らしい仕事を頼もうと思いまして」
「先生らしい仕事って?」
首を傾げながら、彼女はファイルを受け取り、中の生徒名簿をパラパラとめくる。
「……補習授業部の顧問を引き受けていただけませんか?」
「補習……授業部?」
少し遡って、トリニティ総合学園、期末テスト当日。
「「「「ペーローロ!!ペーローロ!!」」」」
リズミカルな音楽に合わせてステージの上で踊るペロロ*2と、その動きに合わせて彼のイメージカラーである黄色のペンライトを振る観客。
その中で一段と激しく、必死にペンライトを振る少女がいた。
「ペロロ様ー!!」
彼女の名は阿慈谷ヒフミ。
自称普通の女の子。
自他共に認めるモモフレンズマニアであり、最推しはペロロ。
その情熱は凄まじく、彼のことは様付けで『ペロロ様』と呼び、彼のグッズ収集の為ならば東奔西走なんのその。
「ブラックマーケットで見た」という証言すら上がるほどである。
「がんばれペロロ様ー!!」
今日も突然ゲリラライブの開催が発表されるなり、朝一番に寮を飛び出してアリーナ席を確保する徹底ぶりである。
しかし、そんな彼女の至福の時間もまもなく終わろうとしていた。
とうとうプログラムの最後まで辿り着いた中、彼女は精一杯叫ぶ。
「アンコール!!アンコール!!」
「ああ……今回も最高のライブでした……」
物販で限定グッズも買い終えて、帰り路に着くヒフミ。
両手に握られた紙袋が彼女の充実感を現していた。
そしてテクテクと荷物を抱えて歩き、ガタンゴトンと電車に揺られる内に、彼女のテンションは少しずつ日常に戻っていく。
そんな中で、彼女は小さくため息を吐いて呟いた。
「……期末テスト……どうしよう?」
彼女が面識のあるティーパーティー、桐藤ナギサに呼び出されたのはその数日後だった。
先生は明るい方が良いですよね
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記録6:補習授業部
六月始めのこと。
ミカがパテルの用事で外に出ている中で彼女は招集された。
「……」
執務室には目の下にクマを作って紅茶を飲んでいるナギサの姿があった。
辺り一面に名簿や資料、外出届なんかの書類、それも過剰なまでに赤ペンなどで線が引かれていて、余程入念に読み返したであろうものが散らばっている。
その光景を見て、リエは大きくため息を吐いた。
「……ナギサ、昨日何時間寝た?」
「いえ、軽く睡眠は取りましたので」
それが彼女の強がりであろうことは、何となく理解できた。
けれど、かれこれ十数年の付き合いであるリエは、ナギサが一度こうなったらしばらく手がつけられないのも十分理解していた。
「……そう。無理はしないで」
「私を一番理解しているのは私自身ですのでご心配無く」
そう言うと、ナギサはチェックの付いた名簿をリエに手渡した。
前回の定例会の後、ナギサが死にものぐるいで調べ上げた『容疑者リスト』。
その中からさらに抜き出されたのは三人、それと追加で一人の生徒のデータが添えられている。
リエは少し目を瞑った後に口を開いた。
「……良いんだね?これで」
「例えどれだけ美味しそうな果実であろうと、腐っているのであれば処分しなければいけない……違いますか?リエさん」
「……」
「だいぶ疲れてるな」、真っ先に思い浮かんだ感想はそれだった。
追い詰められた時、想定外の時……このような状況は彼女の癖、元来の思い込みの激しさがよく出る場面だ。
「異論がないようでしたら私はこれで。あとの書類だけおまかせしてもよろしいですか?」
「……了解」
部屋を出て行くナギサの背を見送った後、リエはため息を吐いた。
そして改めて手元の名簿に目を落とす。
ナギサの可愛がっていた阿慈谷ヒフミ、ミカが転校させてきた白州アズサ、リエが目を掛けていた浦和ハナコ、或る意味では数合わせの下江コハル。
全員落第なのは偶然とは言え、よくもまあこんな因果なメンバーが集ったものだな、と感動さえ彼女は覚えた。
コハルはあくまでゲヘナ嫌いの正実のハスミに対する人質でしかなかったが、それ以外の三人は全員ナギサにとっては疑うべきスパイ。
一方リエにとっては、裏切り者以前に四人とも落第寸前の後輩でしかない。
彼女はソファに倒れ込んで呟いた。
「……良いよ。そんなに地獄行きがお望みなら……私も付いて行くから」
場所はトリニティ敷地内の特別校舎。
ティーパーティーによって集められた落第寸前の四人の下へ、先生は訪れた。
「あうぅ……どうしてこんなことに……」
「そうよ!私は正義実現委員会のエリートなの!これはなんかの間違いだから!」
「まあまあそう言わないで。みんなからはなにかある?」
彼女はそう言って、近くの椅子に腰掛ける。
少しの間を置いて、この補習授業部の部長であるヒフミから話しだした。
「その……ですね。実はテストの日とペロロ様のライブが被ってしまって……。それでしょうがなくテストを受けられなくて……」
「そっかそっか。趣味に打ち込むのは良いことだけど……」
先生の真っ黒な瞳がヒフミの顔を見つめる。
もう夏だというにも関わらず寒気すら覚えるほどの彼女の視線に、ヒフミは思わず肩をすぼめた。
「め、目が笑ってませんよね……?でもテストとペロロ様のライブが被るなんて私にはどうしようも……」
「……」
「ご、ごめんなさい……」
ヒフミに弁解の余地などなく、その視線は一層冷たくなった。
「……そ、それとですね、ナギサ様に先生のサポートを頼まれてしまいまして……」
「そっか、頼りにされてるんだね。よろしく、ヒフミ」
「い、いえ、そんなことは……」
ヒフミがどこか申し訳ないような照れくさそうな不思議な表情を浮かべる中で、次に口を開いたのはハナコだった。
無論、前リエとあったときと同様の水着姿である。
「こんにちは、先生。浦和ハナコと申します」
「うん、よろしく」
にこやかに挨拶を交わした後、先生はファイルを開いて苦笑いした。
穏やかに微笑んでいるハナコとは対称的だった。
「……ところで、真面目に受ければ十分過ぎる程点は取れるんじゃない?1年のときは学年トップだって聞いたけど……なんで補習授業部に?」
「ふふっ、何のことか私にはさっぱりです♡それとリエさんの頼みですので」
聞き覚えるのある単語の登場に、先生は少し目を丸くする。
「リエ……ってあのティーパーティーの?」
「はあ?!あんたみたいな変態がリエ先輩なんかと知り合いなはずないじゃん!」
コハルが先生とハナコの会話に割り込む。
他の三人が無所属の2年生の中、彼女だけは正義実現委員会所属の1年生であり、任務は不審物などの没収。
中でも成人向け雑誌などは絶対に見逃さないらしい。
今回は飛び級狙いで3年生の試験に挑んだ結果惨敗だったようだが……。
「リエ先輩といえば正義実現委員会で大活躍してた、『歩く戦略兵器』ツルギ先輩と並ぶトリニティ最高戦力の『魔女狩り』!その上成績も学年トップクラスのエリート中のエリートじゃない!なんであんたみたいな露出魔が先輩と知り合いなのよ!」
「何故と言われても……裸の付き合いをしたからでしょうか?」
顔を赤らめて答えるハナコに、コハルは同じく顔を真っ赤にして過剰に反応する。
「裸?!そんなのエッチじゃない!死刑よ死刑!っていうかリエ先輩がそんなことする訳ないでしょ!」
「したけど?」
「そんな訳ないでしょ!冗談も大概に……って?!」
「あら」
コハルの顔を、しゃがんだリエが覗き込んでいた。
正義実現委員会でも半ば伝説、憧れの先輩を目の前に再び顔を真っ赤にする。
「それで……さっきぶりだね、先生。しばらくの間私もちょくちょくだけど補習授業部に顔出すから。押し付けるだけっていうのもティーパーティーの名折れだし」
「了解。サポートは多いに越したことはないから、よろしくね!」
そう言って笑う先生に、リエも微笑み返す。
「そういうこと。……それであなたは……白洲アズサちゃん、だっけ?面接以来か」
「面接……転校の時ですか?トリニティへの転校生は珍しいからかなり話題になりましたが……」
「そうそう。それで今回は純粋な成績不良と……正実相手の立てこもりだっけ。ずいぶん派手にやったらしいね?」
「……私からの訂正はない」
黙ってしまったアズサから、ヒフミの方へリエは目線を向ける。
彼女と目が合ったヒフミが思わずビクッとなる。
「それと……ヒフミちゃん。ナギサから伝言」
「は、はい?!私にですか?!」
「「期待してる」だって。まあ、みんななら多分どうにかなるから頑張って」
「そ、そんな……私にはもったいないです……!」
「やっぱり私には荷が重いような……」と少し弱気になるヒフミに「まあそんな気負わないでよ」とエールを送るリエ。
「……じゃあ、私はこれで。必要なものとかあったら手配するから気軽に言ってよ」
「うん!頼りにしてる!」
そう言って、リエは軽い足取りで部屋から去っていった。
彼女が部屋の扉を閉めた後、ヒフミはもう一度口を開いた。
「……リエ様の言ってた通りです。きっとみんなのチカラを合わせればどうにかなります!ですからみんなで揃って試験に受かって、補習授業部なんて抜けちゃいましょう!」
「こんな状態ではおちおちお散歩も出来ませんので♡」
「……課せられた課題は越えるだけ」
「みんなその意気だよ!」
「……私が補習授業部なんて認めないんだからーーー!!!」
コハルの小さな口から放たれた叫び声が、窓を抜けて青空に響いた。
かくして、補習授業部は幕を開けた。
「ヒフミ、この問題の解き方を教えてくれないか?」
「問4ですか?えっとこれは……そうそう!ここで判別式を使うと……ほら!」
「なるほど……」
「後はそれをグラフに当てはめると……」
「……こういうことか、理解した。もう間違えない」
夏休みも迫る中、揃って机に向かう彼女達。
大きく開けた窓から吹き込む少し暑い風が各々の髪を揺らす。
「どうしました?コハルちゃん。手が止まってますよ?」
「ち、違う!別に分からないとかじゃないから!」
「そうですか。何かあったら聞いて下さいね」
「ハナコちゃん、ちょっとアズサちゃんに教えてあげられますか?私じゃ上手く教えられなくて……」
「……なるほど、古典からの引用ですね。これはここを……」
「みんながんばれー!」
机をくっつけて参考書とにらめっこする四人と、手に持ったタブレットを扇子のように振って応援する先生。
キリの良いところまで進めたのか、ペットボトルのジュースを飲んでからヒフミは先生の下へ駆け寄った。
「一時はどうなることかと思いましたが、ハナコちゃんが大活躍してます!アズサちゃんもどんどん理解してってますし、コハルちゃんもエリートとのことなので……これはもしかしたら余裕で合格してしまうかもしれません……!」
「あっはっは!それに越したことはないね!」
屈託もない笑みを浮かべるワイシャツの袖を捲くった先生。
そんな彼女に、ヒフミは一つ打ち明けた。
「……実は一つ心配事があって……。ナギサ様から「一次試験を突破できなかったのなら夏休み中に合宿を行ってほしい」と言われていまして……」
「合宿……どこで?」
「敷地内の合宿棟です。それにもし、もし三次試験まで落ちてしまったときには……い、いえ、暗い話はやめましょう!とりあえず試験はどうにかなりそうです!」
「少しお邪魔するよ」
ヒフミと話していた先生の肩を、補習授業部を訪れたリエがポンポンと軽く叩く。
もう片手には購買のレジ袋が握られていた。
「調子はどう?ヒフミちゃん」
「ど、どうもリエ様!みんな順調です!もしかしたらいきなり合格してしまうかも……」
「そっか、それはいいね。ところで差し入れ持ってきたんだけど……食べる?」
リエはガサゴソと袋に手を突っ込むと、何か白い鳥のようなキャラクターが書かれたアイスバーを取り出した。
フルーツバー、チョコアイス、チョコミント、ソフトクリーム……色んな種類のアイスがレジ袋に詰め込まれている。
「これは……今日発売のペロロ様アイスまろやか卵味!購買にも売ってるんですか?!」
「そう、なんか要望が沢山あったからって」
「ああ……。いっぱいはがきを書いた甲斐がありました……」
なるべく傷がつかないように包装を剥がした後に、中のアイスを美味しそうに頬張るヒフミ。
「他の子達もどう?」と呼びかけてアイスを渡していくリエに先生も近寄った。
「私も良いかな?」
「もちろん。……どれにします?」
「……じゃあチョコミントで!」
「……うわ……先生歯磨き粉とか食べるんだ……」
「おおっと買ってきてその反応はいかがなものかな?出ちゃうぞー?大人の鉄拳出ちゃうぞー?」
少し集中モードだった空気も和んで小休憩。
リエは余ったスイカくんバーをかじりながら窓の縁に腰掛けて「……これからどうなるかな」と外を眺めていた。
そして補習授業部が第一次特別試験を乗り越えて翌日。
「みんな、とりあえずお疲れ様」
今回リエはナギサからの頼みで補習授業部を訪れていた。
安堵したヒフミの顔に対し、リエは少し申し訳なく思った。
「んじゃ、先生から返してあげて」
「了解!名前と点数読めば良いんだよね?」
「そういうこと」
リエは結果の入った封筒を先生に手渡した。
彼女は中身が傷つかないようにカリカリッと封を剥がし、中の採点済の答案を取り出した。
「まず……ヒフミ!72点!合格!」
「わぁっ!やりました!これでなんとか補習授業部は……!」
アイスにも描かれていたキャラクター、『ペロロ』の柄の筆箱を握りしめて満面の笑みを浮かべた。
……このあと、その表情は一気に崩れることになるのだが。
「次……アズサ!32点!不合格!残念!」
「……むぅ……惜しかったな。僅かに届かなかったか」
「僅か?!僅かの意味知ってますかアズサちゃん?!」
少し悔しそうな顔を浮かべているが、どこかズレた反省をしているアズサに対し、ヒフミが鋭いツッコミを入れる。
さっきまでの笑顔はいつの間にかどこかへ消えていた。
「次……コハル!11点!不合格!頑張れ!」
「嘘っ?!」
「11点?!待って下さい、今回も学年間違えてたりしませんよね?!というか正義実現委員会のエリートじゃなかったんですか?!先生も少し軽快に読み上げるのやめてください!」
「だ、だって今回……すごい難しかったし……」
「簡単でしたよ?!授業前の小テストとかそんなレベルですよ?!」
顔を赤らめて必死に言い訳するコハル。
先生の手元にある答案の解答欄はほとんど空欄か、「エッチなのは駄目!死刑!」で埋まっていたのは本人の名誉のために黙っておこうと先生は思った。
「うう……ということは受かったのは私とハナコちゃんだけですか……うう……」
「ハナコ!2点!不合格!大喜利の出来は良いから先生は30点くらいあげたい!」
「同じテストですよね?!私が受けたのとほんとにおんなじですよね?!あんなにできる感じの雰囲気だったのに?!」
「あっはは!ハナコ?!自分以外合格してたらどうするつもりだったの?!あっはっは!お腹いったぁ……!」
もはやヤケクソで大喜利会場と化した解答欄を評価する先生と、彼女らしいと大笑いするリエ。
その隣でヒフミは必死にハナコに問いかける。
「ふふっ、雰囲気だけではどうにもなりませんでしたね。まあ成績は別ということで」
「成績は別?!いやいやあんなに分かりやすい解説だったのに?!……そうだ!リエ様ハナコちゃんとお知り合いなんですよね?!昔からそうなんですか?!」
「あっはは!ごめんねヒフミちゃん!私黙秘……あっはっは!まだお腹いた……」
机に突っ伏して、天板をバンバン叩いて笑う彼女。
その横で、ヒフミは青ざめた顔で今にも崩れ落ちそうになっていた。
「ああ、不合格っていうことは合宿に……」
「……っと、そうそう。それで私が……ふふっ、……すっかり忘れてた」
笑い転げていたリエがよいしょよいしょと身体を起こす。
一旦ぐぐっと背伸びした後、スクールバッグから即席で作った資料を取り出すと先生含む五人に手渡した。
タイトルは「補習授業部の合宿案内」とひどくシンプルだ。
「……ということで補習授業部は第一次特別試験不合格、というわけで
リエはいい人なので安心して下さい
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記録7:僅かな陰謀
まず三位一体というのは父(パテル)と子(フィリウス)と霊(サンクトゥス)は全て唯一神(デウス)であるという今日のキリスト教における正統教義の一つです。
これは父=子=聖霊=唯一神として表されるのではなく、父=唯一神、子=唯一神、霊=唯一神として表され、また父≠子≠霊という性質も持ちます。
つまり、三位一体とは四つの要素によって成り立つ概念であるということです。
そこでこれをティーパーティーに当てはめて考えてみると、パテル分派はミカ、フィリウス分派はナギサ、サンクトゥス分派はセイアということになりますが、デウスが存在しないことが分かります。
という訳でデウスは何に当たるのかと考える上でパテル、フィリウス、サンクトゥスの共通点を考えてみると、「生徒」という部分が最も大きな共通点であると言えます。
つまり、ティーパーティーに「生徒」全体の代表がいてもいいんじゃないか、と考えて、三人の合意で選ばれ、無所属であり、強い権限を持つ「オブザーバー」という設定が形作られました。
つまりリエは四大天使の内唯一キリスト教の経典に含まれない「ウリエル」と三位一体の核となる「唯一神」を結びつけた結果生まれた生徒ということです。
という訳である程度現実の宗教と整合性を取れるように設定を作っているという話でした。
本編どうぞ。
「お疲れ様です、先生。せっかく来たのですし遅めのアフタヌーンティーなんていかがですか?」
「あっはは、いいね!お言葉に甘えるよ!」
補習授業部の第一次特別試験を終えた翌日。
先生はティーパーティーに呼び出されていた。
案内されるままに部屋で待っていたナギサの対面の席に着くと、彼女は用意されていた紅茶を一杯啜った。
「一次試験の結果は……というのは野暮な質問ですね。あまり芳しくなかったとリエさんから伺いました」
「そうだねぇ……。でもあと二回あるんでしょ?ならきっとあの子達はやれるよ。……ところで、それチェス?」
先生は一息つきながら、どうも黒と白で駒が揃っていない気がするナギサの手元に置かれた奇妙なチェスを指差した。
彼女自身少しチェスなどのボードゲームに触れることはそれなりあったが、初めて見るものだった。
「……こちらのことですか?はい、その通りです。趣味の一つでして。……まあ、一般的なものではないのですが」
「だよね。……白だけ強い駒が多くて、黒は兵士ばっか……。これ一人でやってたの?」
不思議そうに盤上を眺める先生に、ナギサは首を縦に振った。
「はい。今はうるさいミカさんもいませんから。リエさんがいるときはお相手してくださるのですが……」
「へえ、ちなみにどっちが強いのさ?」
少しいたずらっぽく問いかける先生。
「……それは秘密ということで」
彼女はコトン、と駒を一つ動かした後に微笑んだ。
いつもリエが黒ということは黙っておこうと思った。
「ところでリエさんが度々補習授業部の方へ遊びに行っていると伺いましたが、邪魔になったりはしていませんか?」
「ぜーんぜん!むしろ差し入れとかしてくれるから助かってるよ!」
「そうですか。それは何よりです」
「……あとさ……」
先生の声色が少し低くなる。
バルコニーに生温い風が吹いた。
「三回落ちたらどうなるの?」
「……なるほど。リエさん……はそのようなことを零すのはありえないのでヒフミさんからでしょうか。うっかり言ってしまうのもヒフミさんらしいです」
「それで?」
彼女は少し溜めた後、先生の目を見た。
なるほど、これは中々苛烈な部分もお持ちのようで。
ナギサは彼女の人格を少し推し量ったような気になって口を開いた。
「……はい、三回の試験を受け、どれも突破できないのなら退学ということになります。規律を守れず、かといって課せられた課題をこなす訳でもない……そのような生徒に掛ける慈悲は残念ながら持ち合わせていませんので」
「ふーん……退学とは随分大きく出たね?」
「……このトリニティ総合学園にも落第や留年、退学といった制度は存在します。本来は手続きなどがひどく面倒なのですが、今回補習授業部を設立する際に顧問である先生の権限を利用させていただいて、手続きを省略できるように致しました」
「制度上も問題ありません」と続けるナギサ。
先生はその幼さの残る童顔を険しくして彼女の顔を見た。
「そんなにあの子達には無理だと思ってるの?」
「……なるほど、前提条件を履き違えているかもしれませんね。補習授業部とはそもそも救済措置などではなく、彼女達を退学させるためのものですから」
ナギサは小さく微笑んだ。
対して、先生の目には鋭い眼光が宿っている。
「……冗談にしたって面白くないよ」
「冗談とお思いですか?……あの四人の中には必ずスパイがいます。エデン条約調印を阻む、『トリニティの裏切り者』が」
「……その条約に生徒を犠牲にするだけの価値がある……ナギサはそう思うんだ?」
彼女の言葉に、ナギサは小さくため息を吐いた。
「……分かりました。エデン条約についてです。……一言で言ってしまえば、ゲヘナとトリニティの間に結ばれる和平条約。ですが、その本質は
「……両学園に対抗できるだけの中立の組織を作って抑止力にする……そういう認識で大丈夫?」
「そう捉えていただいても構いません。これはゲヘナとトリニティの無意味な対立を防ぎ、キヴォトスの均衡を保つおそらく唯一の方法です。彼女が……連邦生徒会長が失踪前に描いた青写真をなんとか調印にこぎつけようと私がここまで立て直しました」
「それがあの子達に関係すると?」
その疑問に答える代わりに、彼女はただ話を続ける。
先生も、その一言一句を聞き逃さぬように耳を傾けていた。
「……調印寸前となって、エデン条約を妨害しようとする者がいる、という情報が入りました。とはいえ、特定が可能なほどの情報が入ったわけではありません。そこで私はある一点にその容疑がかかった者を集めました。それが……」
「補習授業部……なんだね」
ナギサは一杯だけ紅茶を飲むと、こくりと頷いた。
空は、暗くなって来ている。
「トリニティ総合学園の、キヴォトスの平穏に比べたらあまりにも安い代償です。それに、ゴミは一箇所にまとまっていたほうが捨てやすいでしょう?……ですが先生には謝罪を。このような形でトリニティ内部の問題に巻き込んでしまって申し訳ありませんでした」
「……それで、ナギサは私に何をしてほしいの?」
首を傾げた先生にナギサは切り出した。
長いアイスブレイクだった。
「一つ、お願いがあります、先生。……補習授業部の……『トリニティの裏切り者』を突き止めていただけませんか?」
「……」
「……こればっかりはトリニティのみの問題ではありません。エデン条約の崩壊はキヴォトスのパワーバランスの崩壊に直結しかねない。『シャーレ』の先生ならお分かりだと思うのですが......」
「分かった。私なりの方法でやってみるよ」
一聴には耳当たりの良い言葉。
けれど、それは「NO」と同意義だった。
心の何処かで一瞬だけでも安心してしまった自分を律してナギサは答えた。
「承知致しました。……けれど一つだけ私から。補習授業部はこのティーパーティーの手のひらの上です。もしかしたら試験にトラブルなどが発生するかもしれませんが……いえ、あまり言うことではありませんね。それでは彼女達をよろしくお願い致します、先生」
「……まだ何か言いたげだね」
「いえ、ただ……一次試験については私達の手は加えていない、とお伝えしておきます。それと……」
「それと?」
「リエさんは、人を裏切るような方ではない、とだけ幼馴染として断言します。先生にとっても、彼女は信用に値する方だと思います」
「……そんなのは分かってるよ。ナギサも頑張ってね!それじゃあ!」
先生はぱあっと笑って手を振って出ていった。
「……気をつけてお帰り下さい」
ティーパーティーに入ってから、ナギサは無意識に他人を推し量ろうとする癖がついた。
いや、違う。
自らを『凡人』と自負する彼女では、そうでもしないと生き馬の目を抜くようなティーパーティーで生き残れなかったから。
そんな彼女でも、人の行動というものばかりはどうしようもない。
「……どうか、先生が正しい選択をしてくれることを祈るばかりです。……これ以上、誰の手も汚れぬよう」
「……もうこんな時間」
時計が、11時を回っていた。
リエは机の上に散らかったセイア襲撃事件の資料を整えて、分厚いファイルに挟み込んだ。
「……アレに夢中になるのもいいけど……オブザーバーの仕事もあるしなぁ……」
彼女は本棚から別のファイルを取り出すと、パラパラと捲った。
ティーパーティーに各分派から上がってくる機密資料などの管理もまたオブザーバーの業務の一環である。
「……今期のパテルは軍備費アップ……まあセイア襲撃もあったし当然か……」
そんな中、一つのデータが彼女の目に留まった。
「……ここ数ヶ月で立ち入り制限の古跡が増えてる……?あれでもシスターフッドからは調査に関する申請とか出てないような……」
リエは気になったらとことん気になるタチである。
本棚からシスターフッド関連の書類をまとめたファイルを取り出し、急いで調べてみてもそんな書類は確認できない。
そもそもトリニティ自治区内の古跡というのは地下が大規模墓地であり、入るたびに構造が変わると言われている大迷宮みたいなカタコンベに繋がっていて、調査なんて話には滅多にならない。
「……となると調査以外の利用……いや、そんなことあるはずないし……」
目を瞑って思考を整理する。
古跡というアプローチではなく、立ち入り制限という観点から。
「……何かを隠してる……?いや、ブラックマーケットの闇銀行にでも行くほうがよっぽど信頼できる預かり先になるはず……。……制限……人払い……誰かと会ってた……?でも誰と……」
ふと、彼女の頭を先日のミカとの会話がよぎる。
「……『アリウス分校』……。いや、ミカが隠したいなら書類を出すはずなんて……」
先日ミカから渡された、白洲アズサの転入届。
最近のことだったし、転校なんてめったに無いからそれはすぐに見つかった。
転入前の記入欄のみ、リエの筆跡で『アリウス』と書き込まれている。
「……いや、本当はミカは……アリウスを誤魔化したかった……?……いや、今日はここまで。明日からあの子達の合宿だし、また何か持ってってあげよっかな」
リエは小さくあくびして、シャワールームに向かった。
ナギサ様すき
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記録8:幕を開ける合宿
「……みんなお疲れ様。今日からここ使って」
補習授業部の荷物を運ぶのを手伝いながら、リエは彼女らをトリニティ総合学園内の別館、合宿棟まで案内した。
見た目は広めのホテルのような感じで、中には補習授業部の四人と先生、計五人が一週間快適な生活を送れる程度の設備は整っている。
一階に体育館があったり、近くにはプールがあったりも。
「しばらく使っていないと聞いたのでまずは掃除しないとと思っていましたが……意外と綺麗ですね!」
「本当だ、しっかりと掃除されてる」
「可愛い後輩たちをホコリまみれにする訳には行かなくない?部屋だけは私からのサービスってやつ。だからプールとか、他のところも使うならそっちでお願い」
一通りの施設の案内を終え、リエは部屋から出ようとした。
その背中にハナコは声を掛ける。
「了解です。……ところでリエさんは合宿の間どうするのですか?」
「私は寮の方から遊びに来るから。邪魔してもアレだし、そんな多くないけどティーパーティーの業務もあるし」
「え、でも寮とここってだいぶ離れて……」
「大丈夫、私トリニティで一番足速いから。じゃ、みんなごゆっくり」
そう言ってリエはその場から去っていく。
彼女の背中を見送った後に、補習授業部の四人はベッドルームに荷物を置いて話し始めた。
先生はその様子を微笑ましく見守っている。
「ふふっ、これだけ充実していれば夜も楽しめそうですね♡裸で♡」
「ちょっなんで裸なのよ?!夜とかエッチなのは駄目!禁止!絶対に駄目!」
「そうですか?でも太古の詩にも「夏は夜」とありますので……」
「うるさい!駄目!駄目ったら駄目なの!」
いつもの調子でコハルをからかうハナコと、その思惑通りに顔を真赤にするコハル。
その隣では、館内図を見ながらヒフミとアズサが話していた。
「アズサちゃんはどうですか?」
「うん、私は気に入った。本館からの道は中々入り組んでてトラップを仕掛けやすい。それにいざという時は出入り口を片方だけ封鎖して体育館に誘い込めば戦えないこともない。こんないいところを放置していたとは……トリニティはすごいな」
「えっと……まあ気に入ってもらえたなら何よりです……。ですが今回は戦闘ではなく勉強のための合宿なので……」
「分かってる。ここに篭っての一週間の集中訓練。ハードだろうけど完遂してみせる」
どこかズレてると思わざるを得ないことを言いながら、テキパキと一週間分の荷物の荷解きを始めるアズサ。
その隣ではハナコがコハルをからかいながら同じように荷解きを始めている。
「あら?アズサちゃん、色々持ってきたんですね」
「うん、物資は多いに越したことはない。備えあれば憂いなしとも言う」
そう言いながら、アズサは次々と荷物を取り出していく。
バスタオル、飯盒、硬めの枕、挙句の果てには寝袋なんてものも。
「まあそんなに気を負わなくてもいいんじゃない?リエも差し入れ持ってきてくれるって言ってたし!」
「そう……ですね。にしてもなんでリエ様はこんなに私達のことを気にかけてくれるんでしょうか……」
「彼女は人をほっとけるような方ではありませんから。……まあ♡コハルちゃん随分と可愛らしい下着なんですね♡」
「どれどれ……ホントだ!かっわいー!」
「バカ!覗くな変態!先生も駄目!」
コハルのカバンを覗き、彼女の替えの下着を確認するハナコと先生。
一足先に荷解きを終えたヒフミが先生に話しかける。
「先生はお部屋どうしますか?この部屋でも一応ベッドは足りますが……」
「私はお向かいでいいよ!アラサー女が若人の青春邪魔しちゃったら悪いからね!」
「分かりました!何かあったらすぐ呼びますので!」
「そうしてそうして〜。……よっと!」
先生は自分の荷物が詰め込まれたキャリーケースを持ち上げると、ドアの開いていたお向かいの部屋に投げ込んだ。
ドンッと床にぶつかって、開いたキャリーケースから衣服が飛び散った。
それを見て頬を掻く先生と、苦笑いするヒフミ。
彼女の肩を、ハナコが叩いた。
「ヒフミちゃん、一つ提案なのですが」
「はい?なんですか?ハナコちゃん」
「今日は合宿棟の大掃除に専念しませんか?」
「大掃除……ですか?」
「はい、お勉強の最中に気が散ってしまうのも良くないでしょう?」
ハナコの提案にみんなが頷いた。
「……賛成。衛生状態は部隊の士気に直結する」
「お掃除……なら良いけど……」
「良いんじゃない?……あ!ちょっと待ってね!」
「ではそうしましょう!汚れてもいい服に着替えて外に集合です!」
各自が体操服に着替え始める中、先生は部屋の外で電話をかけていた。
「みんなおまたせ!」
「……あ!先生!先生も着替えたんですね!」
「そうそう!予備の綺麗な体操服置いてあったからさ!」
日差しの強い中、合宿棟の正門に集まった五人。
先生も補習授業部と同じようにトリニティ指定の体操服に身を包んでいた。
まあ、何故かアズサは銃を背負っていたり、ハナコが水着を着てきたり、コハルがそれにツッコみまくった挙げ句ハナコが折れてちゃんと体操服に着替えたりみたいなこともあったが、ひとまずは全員準備万端だ。
「じゃあまず外の草むしりから始めましょう!それが終わったらゴミ拾いです!」
「……あ、来た来た!」
「……先生、おまたせ」
合宿棟の庭まで移動した彼女らの下に体操服に着替えたリエが駆け寄る。
肩にはクーラーボックスを掛けていて、手には購買のレジ袋が握られていた。
「……まだ八時半くらいなのにもう暑いね。という訳で差し入れ第一弾。飲み物好きなの持ってって。あと軍手」
「いやあ、早くて助かるよ!生徒達を熱中症で倒れさせるわけには行かないからね!……ところでなんで着替えてるの?」
クーラーボックスをその場に置き、「暑いね〜」と手をパタパタとさせて扇ぐリエ。
先生は少し不思議そうに彼女に問いかけた。
「掃除って聞いたから。合宿棟が汚いのはティーパーティーの落ち度だし、あなた達が掃除するなら手伝わないわけには行かないかなーって。だから仕事も終わらせてきた」
「ありがとうございます。大掃除なんて人手があるに越したことはありませんので」
「そうそう、そういうこと」
氷のたっぷり入ったクーラーボックスから取り出したスポーツドリンクをハナコに手渡しながら相槌を打つリエ。
そして軽く準備運動した後に、ヒフミ達に混ざって雑草を抜き始めた。
「いやあ、みんなおつかれ!」
幾つもの特大サイズのゴミ袋がパンパンになるほどに積み上がった雑草の山を前に、先生は額の汗を拭った。
「それで、次はどうするんですか?ヒフミちゃん」
「えっと次は……じゃあ廊下です!一度ホコリを掃いてからモップで水拭きしましょう!」
そして外の掃除を終えた一同は、勢いに乗って次々と合宿棟を綺麗にしていった。
「ヒフミ、洗剤がどこにあるか分かる?」
「あ、今持ってきますね!」
「ああ、頼む」
シャワールーム。
「んっ……届かない……。リエ先輩……冷蔵庫ずらせますか……?」
「了解、でも下の掃除なら……」
「うわっ?!」
「持ち上げたほうが楽かも」
キッチン。
「ここは……かなりほこりっぽいね……」
「……では一度ホコリを払った後に窓を全開にして換気するのはどうですか?」
「お、いいね!私サーキュレーター持ってくる!」
ロビー。
「うわあ、案外広いねぇ」
「でもみんなでモップ掛ければすぐですよ!」
「競争という事だな。了解した」
「あっは、後輩には負けないから」
「コハルちゃん、ワックスはどうしますか?」
「ワックス?!……駄目!アンタが持つとなんか卑猥!禁止!」
体育館を。
そして……。
「よぅし!掃除終わり!」
「いいんじゃない?かなり頑張ったし!」
「任務完了。……うん、悪くない」
「はい!皆さんお疲れ様でした!」
「……清掃費浮いちゃった。どこかで皆にお礼しないと」
一通りの清掃を終え、時刻は12時過ぎ。
お疲れ様ムードの中、ハナコが口を開く。
「ふふっ、まだ残ってますよ」
「あれ?でももう全部……?」
「ほら、屋外プールはまだでしょう?」
「ああ、そういえば」
そんなことも言ったな、とリエは思い出した。
「……分かった。とりあえず案内する。あっちの裏の方だから着いてきて」
少し歩くと、そこには広いプールがあった。
25mが5ライン、プールサイドにはビーチチェアやビーチパラソル、挙句の果てにプールサイドバーなんてのも。
しかし、ここもしばらく使われていないようでかなり汚れていた。
「……かなり大きい。というか……補習授業で使うのか?プール」
「いえ、科目には含まれていなかったはずですが……」
「なら別に良くない?どうせ使わないんだし」
「いえ、それは違います」
否定的な意見を一蹴して、ハナコは語り始めた。
「キラキラと煌めくプールの水、燦々と輝く夏の太陽、水着を着てはしゃぐ生徒達、微笑ましく見守る先生と先輩……素晴らしい、とっても楽しい夏休みの思い出になると思いませんか?」
「……つまりどういうこと?!」
「確かにこのままプールを放置しておくのも味気ないような気が……」
「いいじゃんプール!せっかくの夏休みだし!」
その提案に真っ先に目を輝かせたのは先生だった。
そして辺りを見回したアズサも口を開く。
「……これだけの設備だ。きっと昔は使われていたんだろう。でも、こんな風に朽ちてしまう。……『vanitas vanitatum.』それがこの世の理だ」
「……『一切は空である』……。古代の経典からの引用だっけ?」
「はい、『ECC.12:8』とも言われる有名な一節ですね。……確かに、それは的を得たものです。……ですが……」
「ハナコちゃん?どうかしましたか?」
考え込むように目を瞑るハナコに、ヒフミが首を傾げながら尋ねる。
そして「なんでもない」という風に目を開いて彼女は言った。
「……いえ、この際みんなで遊びましょう!掃除して、水張って、みんなで飛び込んだり、水掛けて遊んだりしましょう!今日だけは息抜きということで!」
「うん。例え全てが虚しいとしても、それは今日最善を尽くさない理由にはならない。遊ぶのにも全力を尽くす。……待ってて、水着に着替えてくる」
「はい!みなさんも早く水遊びの出来る格好に!」
アズサがいち早く合宿棟の方へ走り出した。
隣にいたヒフミも、驚きながらもそれに続く。
「あ、アズサちゃん?!わ、私も着替えてきます!」
「……」
「な、なんでよ?!補習授業には関係ないじゃん!」
「……」
怯えるコハルに一歩一歩にじり寄るハナコ。
二人の物理的な距離が数センチまで狭まった時、コハルは根負けした。
「分かった!分かったから何か言ってよ!」
「……ふふっ、行っちゃいましたね。お二人はどうしますか?」
「水着持ってくればよかったなぁ……。残念だけど側で見てるよ!みんなが怪我しないように見張ってるから!」
「私は……ちょっと用があるから待ってて。すぐ戻ってくる」
リエはプールサイドを走り出して、本館の方へ向かった。
「ふふっ、これで皆さんぬれぬれのびちょびちょでも大丈夫、ということですね♡」
「うん、問題なし」
「まあ、一応……」
「では始めましょうか!」
「がんばれー!」
「みんながんばって」
結局先生とリエはプールサイドで待機。
残念ながら彼女はまだ今年の水着を買っていなかった。
そして各自モップやホースを持って、掃除の準備万端……とはいかなかった。
「ちょっと待って?!なんでアンタだけ制服なの?!さっきは水着だったじゃん!どう考えても逆でしょ!」
「私はこれで濡れても構わないのですが……」
「制服が濡れてもいいわけないでしょ!!」
ただ一人制服のままだったハナコに正論パンチをぶつけるコハル。
けれど仮にもトリニティ最高峰の頭脳を持つ彼女にとっては想定内の攻撃であった。
「……少し難しいかもしれませんね。これは各々の哲学のお話です」
「はあ?!急に何を……」
「水着と制服、どちらの方が濡れた時に「良い感じ」になると思いますか?」
「はあ?!」
「もっと簡単に言いましょうか。どちらの方がよりこうふ……」
「ストップ!それ以上は先生許さないぞー!」
このままでは良い子向け補習授業部では無くなってしまうと判断した先生が彼女の言葉を遮る。
ハナコは少し残念そうな顔をした。
「……というのはジョークでして。ほら、中にビキニ来てるんです。この前買ってきた」
「……ならいいけど……」
「では、改めてプール掃除スタートということで♡」
水の入っていないプールの中で、お昼ごはんも食べずにはしゃぎだす彼女達。
笑い声が響く中で、リエは先生に声を掛けた。
「……先生、もしかしてだけどさ。ナギサに『トリニティの裏切り者』を探してほしい……なんて言われた?」
「……うん。よく分かったね?」
「私は先生とは出会ったばっかだけど、ナギサとはもう15年近くの付き合いになる。何を考えて何をしようとしてるなんてすぐ分かるよ。読みやすいしね、ナギサ」
ビーチサイドのサマーベッドに腰掛け、はしゃぐ彼女達を眺めながら二人は話す。
その声はパチャパチャと水の跳ねる音に遮られて、彼女達の下へは届かなかった。
「……そっか。リエはそれについてどう思ってるの?」
「あの子達の中にはいないよ。絶対に。でも、
「そんなの、言われなくてもそうするつもりだよ。私は先生だからね」
「……そうだよね。それと……」
少し安心したような顔のリエ。
優しい目で騒ぐ彼女達を見ていたが、そのうち彼女はニヤリ、といたずらっぽい笑顔を浮かべて先生に何かを手渡した。
「こんなの用意したんだけどさ、先生」
「……使っちゃっていいの?」
「もちろん。……ハナコー!私もやっぱ手伝う!」
「はい!ぜひどうぞ!」
リエはシャツのボタンを外し、履いていたスカートとスパッツ、厚底ブーツをその辺にぶん投げると、モップを握ってプールの中に飛び降りた。
「あっはは!待て待てー!」
「足元が濡れてるのにあれだけのグリップ?!……負けられない!」
「あはは……アズサちゃんもリエ様も転ばないでくださいね……」
「なんだ、リエ先輩も水着持ってきてたんだ」
「いえ、あれは……」
シャツの端を風になびかせてアズサとのモップ競争に完全勝利し、端に寄りかかって汗を拭うリエの下へコハルが駆け寄る。
「リエ先輩、そのオシャレな水着どこで買ったんですか?」
「あー、これ?下着だけど」
「そうなんですね!今度私も……って、はぁ?!?!」
「下着だけど」、その一言でコハルの視界に映る景色は色を変えた。
オシャレな黒ビキニだと思っていたそれが実は先輩の下着で、綺麗で大きな胸も、細いくびれも、本当は見せちゃいけないものだと考えるだけで意味が180°変わる。
見ちゃいけないもののはずなのに目が離せなくなる。
コハルの顔からプシューと湯気が出た。
「流石ですね、リエさん。こんなところで格の違いを見せられてしまうとは……」
「……ってことは、前言ってた裸の付き合いっていうのも……」
「はい♡一緒に月夜の下柔肌を晒しあった仲ということです♡」
「……うそ……」
敬愛する正義実現委員会の大先輩の衝撃の事実を聞いてしまったコハルは、頭を押さえてその場に崩れ落ちた。
リエは彼女を抱え上げると、プールサイドで何かしている先生に声をかけた。
「先生、スポドリ取ってもらえる?コハルちゃん倒れちゃった」
「オッケー!あと今回は見逃すけど下着晒すの禁止ね!あと……」
「はーい。……って?!」
コハルにペットボトルを渡したリエの顔面に何かがぶつかってびちゃっと弾けた。
足元に、小さなビニールかゴムのようなものが落ちている。
間違いない、水風船だ。
「なんでいきなり私?!」
「だって水風船買ってきたのリエじゃん!言い出しっぺの法則!」
「……ハナコ、ホース借りるね」
リエは一気に栓を緩めると、先生に水をぶちまけた。
「……ぶはっ!待って濡れちゃ駄目な人に攻撃するの反則でしょ!」
「さあ?私だって下着でプール入ってるんだし先生もそうすれば?」
「アラサー女に肌を晒せと?!……分かったやってやろうじゃないの!」
「先生?!先生でもエッチなのは駄目!死刑!禁止!」
先生はズボンの裾をホットパンツくらいまで捲ると、大量の水風船を持ってプールに飛び降りた。
「おらおら食らえ食らえー!」
「ああっ!先生!水風船の残骸でまた汚れちゃいます!」
「知るかそんなのー!おら復讐じゃー!」
「……先生、意外と強肩なんだな……」
結局、水が溜まったのは日が暮れたずっと後だった。
月の光とプールサイドの電灯が水面をキラキラと照らしている。
「……すいません。プールに水が溜まる時間を考慮していませんでした……」
「いや、十分楽しかった。いい思い出になる」
「はい!真夜中のプールを見るのも初めてですし!こんなキレイなんですね!」
「う……ん」
揺れて煌めく、それこそまさしく幻想的なナイトプールを眺める補習授業部。
コハルはうつろうつろとしながら先生の肩に寄りかかった。
「……コハル?」
「あら?コハルちゃんはもうおねむですか?」
「……ううん……べつにそんなことは……」
そうは言いつつも、まぶたが閉じてはなんとか開くみたいなことを繰り返しているコハル。
もう限界かな、と思って先生は切り出した。
「よし、今日はおしまい!みんな部屋戻って寝よう!」
「そうですね。このままじゃ明日に支障が……」
「じゃあ、私もこの辺で。おやすみ」
「はい!今日はありがとうございました!」
リエは一足先に、クーラーボックスを抱えてプールサイドを去っていった。
先生がすーすーと寝息を吐くコハルをおんぶして、補習授業部も合宿棟へ戻った。
補習授業部の合宿一日目は美しい、夏の思い出だった。
いい先輩だね
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記録9:トリニティの裏切り者
合宿二日目。
先生はある生徒に呼び出されて、補習授業部を離れていた。
「あ、ようやく来た!遅いよ先生〜。ティーパーティーを待たせるなんてどんな了見さ?」
「勘弁してよ、一応
「あはっ、そうだったそうだった!にしてもよくこのプール掃除したね?水泳も補習かかっちゃったの?」
昨日掃除したばかりの屋外プール、そのプールサイドのビーチチェアに腰掛けて彼女は佇んでいた。
先生が「おーい」と声を掛けると、ぱあっと天真爛漫な笑みを浮かべて手を振った。
少しバタ足でもして遊んだのか、傍らには脱がれたニーハイソックスとローファーが置かれていて、足先は少し濡れている。
「……とりあえず要件聞いていい?」
「そうだね。……とはいっても全然大したことじゃないんだけど。」
ミカが座るよう促すと、先生は荷物をおいて彼女の隣に腰掛けた。
彼女は満足そうに笑って、また話しだした。
「ほら、さっきも言ってたけど補習授業部の子達はどんな感じかなって!ここはそれなりに本館から離れてるじゃん?ならみんなで楽しいことも出来そうだし!プールとかね!」
「確かにそうなんだけど……。昨日は水張るだけで終わっちゃって」
「そっかぁ……。にしてもナギちゃんもリエちゃんも相当入れ込んでるよねー。ナギちゃんはこんな施設ポンと貸し出しちゃって、リエちゃんなんて差し入れ持って遊びに行ってるんでしょ?二人共よくやるよねー」
いつもナギサやリエに話しかけるような調子で彼女は話す。
先生は相槌を打ちながらも、どこか警戒した様子だった。
「……で、そんな世間話をしに来たの?ミカ」
「うぇ……そんな警戒しないでよ……。私結構メンタル弱いんだよー?……でも、アイスブレイクもこの辺にしとこっか。あ、そうそう、私がここにいるのはナギちゃん知らないよ?もちろんお供もなし!こっちの方がいろいろ話しやすいでしょ?」
ミカは胸の前でバツのジェスチャーを作って笑う。
先生は少し黙った後に、ゆっくりと口を開いた。
「……『トリニティの裏切り者』の話?」
「そっちから切り出してくれるんだ!……ナギちゃんから聞いたのかな?「探してほしい」って。……その顔を見ると情報もなしに本当にそれだけ伝えられたって感じだね。ナギちゃんも酷なんだから……」
「まあ、断ったけどね」
「ふーん、そうなんだ?……あー……「生徒を疑いたくない」みたいな?」
「それもあるけど……私がやることでもないかなって」
そう言って小さく微笑む彼女に「『先生』ってそういうものなのかな」と心の中で勝手に納得し、ミカは話を続けた。
「……確かに、先生は『シャーレ』の先生だもん、そりゃわざわざトリニティの問題に首を突っ込むこともないよね!……だとすれば、先生はなんでここにいるの?補習授業部もトリニティの問題じゃない?」
「……?成績の悪い生徒を放っておけないのは当たり前じゃない?私はトリニティの問題にはノータッチだけど生徒の問題にはガンガン首突っ込んでいくよ!なんてったって全ての生徒の味方の頼れる『先生』だからね!」
そう言って、彼女はドンと胸を叩いて笑った。
なんとなく、ミカは眩しさを覚えた。
「うわぁ……思ったよりも先生っぽい答えだぁ……。……待って、っていうことはさ、私も一応生徒なんだけど、じゃあ先生は……」
「え?もちろんミカの味方でもあるよ?」
「……わーお」
少しはにかみながら問いかけたミカに対して、即答した先生。
彼女の顔が少し赤らんだ。
「私も一応
「生徒にそんなことは言わないよ」
「そっかぁ……でもこのまま私が受け取るだけっていうのもアレだし……そうだ!先生にお返ししてあげる!」
「お返し?」
「そう、『トリニティの裏切り者』。誰か教えてあげるよ」
二人の間の空気が一気に張り詰める。
同じ高さの目線に、緊張が奔った。
「……ミカは知ってるんだ」
「うん。知ってるよ。でもナギちゃんは分からないかなぁ。リエちゃんはもう少しで真相にたどり着くかも。……でも、リエちゃんは先生には伝えないだろうね」
「……幼馴染なんでしょ?信用してないの?」
先生が首を傾げて問いかけると、ミカは少し黙って考える。
そして僅か数秒の間を挟んで彼女は答えた。
「……ううん。逆。心の底から、私はリエちゃんを信用してる。……あの子は正しすぎるんだよ。一人で答えにたどり着けちゃうし、一人で解決できちゃう。それだけの能力があるからこそ『
「私に?」
「そう。だって補習授業部の顧問として先生を呼んだのも私だもん。ナギちゃんは反対してたなぁ。でもリエちゃん見てたらさ、中立の立場の人って絶対必要だと思ったからさ。……話がそれちゃったね」
ミカは少し目をつぶってもう一度考えた。
本当に、伝えてしまってもよいだろうか。
ううん、話の流れとはいえ、ここで伝えるのは規定事項。
それに、先生が知ったところで大して状況は変わらない。
彼女はおもむろに目を開けて、答えを呟いた。
「……白洲アズサ。ずーっと前、トリニティが出来た時にはじき出されたはぐれもの、『アリウス分校』の生徒……生徒って言って良いのかな?『学び』がない子達を生徒って言うのかは分からないけど……。とにかく、彼女はそこからの転校生兼スパイ。つまり『トリニティの裏切り者』」
「で、それを私に伝えてどうしたいの?」
「……先生、すごい肝が据わってるんだね。……オッケー、簡単に言うね」
ミカは、先生の目を見つめて言った。
「あの子を、守ってほしいの」
先生は少し目を見張って、パチパチと瞬きをした。
「……裏切り者なのに守ってほしいの?」
「ごめんね、少し単刀直入すぎたかも。ナギちゃん余計なおしゃべり付き合ってくれなくてさ。……そうだね。一回全部最初から説明してあげるよ」
「そうしてくれると嬉しいな」
「うん!頑張るね!」
そう言って、ミカはトリニティ総合学園の成り立ちからつらつらと語り始めた。
「……まあ、一言で言っちゃえば『沢山の分派の集まり』なんだ。中でも私の『パテル』とナギちゃんの『フィリウス』とセイアちゃんの『サンクトゥス』が中心になって出来たのがこの『トリニティ総合学園』。正確に言えば、ミネちゃんの『ヨハネ』とか、あとシスターフッドとかもそうなんだけど。それらが今のトリニティとゲヘナみたいにずっと、ずうっと争ってたのがトリニティの出来る前。そこで、今のナギちゃんみたいにその争いをやめよう、和平しようっていう動きが出てきてね?それでいっそのこと一つの学園として合併しようってなったのが『第一回公会議』……300年くらい前の話だったかな」
「前、どこかで聞いたような……気がしなくもないかも……?」
思い出すように空を見上げ、先生は顎に指を当てる。
「そっか。まあ、まだ話してないところもあるかもだし?もうちょっと聞いてってほしいな。それで……手放しに、派閥争いがなくなった、とは言えないけれど……今はだいぶ平和になった。リエちゃんみたいな無派閥がティーパーティーでのびのびしてるのがその証拠……いや、リエちゃんの場合はちょっと違うかも?」
「……まあ、確かに、リエはだいぶ自由にやってるね」
「『
「人は急に力を持つと振るわずにはいられない……そういうこと?」
噛み砕くように口にした彼女に、ミカは黙って頷いた。
「……今やほとんどの子は知りすらしないんじゃないかな?トリニティの前とか、第一回公会議とか、優等生が単語だけ覚えてる?みたいな感じになっちゃってる。……それで、ナギちゃんが推し進めてる『エデン条約』、あれはその『第一回公会議』の再現。争ってる学園同士が「仲良くしようね」って手を取り合う。ナギちゃんも隠すつもりないよね。……でも、これが諸手を挙げて喜んで良い話なはずがないでしょ?小さな分派が集まっただけでアリウスは消えたんだよ?トリニティとゲヘナ、キヴォトスでも三大学園に数えられる二校が手を組んで『
少し含みを持たせたような言い方で話し続けるミカ。
先生は何も言わず、ただその言葉を受け止めていた。
「連邦生徒会長も失踪して、キヴォトスのパワーバランスはいつ崩壊してもおかしくない。そんな時期にこれだけの力を手に入れて、ナギちゃんはどうするつもりなのかな?自分が連邦生徒会長になることも、ミレニアムとか百鬼夜行とかをナギちゃんの思いのままに潰すことだって難しくないだろうね」
「……」
「……もしかして、
「……セイア……?」
「ううん、なんでもない」
無意識に呟いていた彼女の名。
先生が反復して、初めてミカはそれに気がついた。
「……そういえば、ティーパーティーホストなんだよね?なのに全く話に出てこないのはなんでなの?誰も口にしないし」
「セイアちゃん、身体が弱くてね。今入院中。だからみんな巻き込みたくないんだよ」
「本当に、それだけ?」
「……これ以上を話すと、私が引き返せなくなっちゃう。ましてやこれを聞いた先生に裏切られたら一巻の終わり。……それでも知りたいの?」
「うん、かなり気になる。聞かせてほしいな」
「……そんな目で言われたら断れないよね。……いいよ、先生は私の味方でもあるんだもんね」
ミカは目を閉じ、息を止めて気持ちを整理した。
本当に、これを言ってしまって良いのだろうか。
トリニティの裏切り者なんかより、ずうっと重い言葉。
胸の中で何度も呟いて、ようやく覚悟を決める。
「……セイアちゃんはね、ヘイローを、壊されたんだ」
「っ?!そんなことって……?!」
「……うん、それが当然の反応だよね。数ヶ月前、セイアちゃんはヘイローを破壊された状態で見つかったの。私達ティーパーティーの外には「入院中」として伏せられてるけどね。……もしかしたら、シスターフッドは知ってるかなぁ。あそこは何もかもが未知数だから。……とにかく、これは今トリニティ総合学園における最高機密」
「……犯人は……」
「うん、分かってない。というか何も手がかりが残ってないの。異常な情報網を持つシスターフッドを除けば、一番答えに近いのはリエちゃんだろうけど……多分、まだ辿り着いてない。つまりはそういうこと」
彼女の「リエにさえ分かっていない」、その言葉の意味を先生は受け止めていた。
少しの時間を過ごしただけでも、彼女の能力の高さは十分理解出来る。
ましてや十数年の時を同じくしてまるで姉妹のように過ごしていた彼女が理解していないはずがない。
そんな彼女の口から出たその言葉がどれだけの事態を現しているか、十分過ぎるほどに。
「本当に、何にも?」
「……うん、本当に。今は本当に仮説を立てるしかない状態。……それで、話を戻すんだけどね。書類とか全部偽造して、白洲アズサを転校させたのは私。一応リエちゃんにだけは相談したけど、逆に言えばリエちゃん以外でそれを知ってる人はいない。……『アリウス』は、憎み続けてるの。
「……それだけ、自分達を憎んでる相手と?」
「そう。でも、憎しみは思ったよりもずっと大きかった。積み上がった壁は高すぎたんだ、私一人じゃどうしようもないくらいに。まだリエちゃんがティーパーティーじゃない頃だったから、セイアちゃんとナギちゃんにも相談したけど政治的な理由で一蹴されちゃってね。……仲良くするって、そんなに難しいのかな?もう一度、一緒にお茶しながら話すのは駄目なのかな?私達『ティーパーティー』なのに」
「……」
少し悲しそうな顔をした後に、彼女は小さく微笑んで言った。
「だからね、私はあの子に……白洲アズサに『和解の象徴』になってほしかった。それほどあの子を知ってるわけじゃないけど、あの子はなんとなく『憎んでない』気がしたから、その可能性に賭けてみたんだ。……もし、エデン条約が締結されちゃったなら、アリウスとの溝は埋めようがなくなっちゃう。だから、その前に間に合わせたかったの。アリウスの生徒だって、トリニティで上手くやっていける、幸せになれるんだってみんなに証明したかった。……でもね、セイアちゃんの襲撃に関して『トリニティの裏切り者』って結論に至ったのはその後すぐだった。全く関係のないことが、そこで結びついちゃったんだね。もちろん、リエちゃんは白洲アズサのことを知ってるから、補習授業部の子達が裏切り者じゃないことにはとっくに気づいてる。でも、ナギちゃんはそうじゃない。先生、なんで補習授業部はあの子達か、って知ってる?」
「ううん。ただ、落第寸前の生徒としか聞かされてないよ」
先生の言葉に「……まあ、そうだよね」と納得するミカ。
少しの間が空いてから、ミカは口を開いた。
「……あの子達は、ナギちゃんにとっての容疑者。まずハナコちゃん。あの子は本当に優秀な子、成績含めあらゆる点で。なんなら一年生の終わりには既に次期ティーパーティー候補として名前が上がってたくらいだったし、『シスターフッド』もなんとか引き込もうと動いてたらしいよ。当時正義実現委員会だったリエちゃんと並んで、「あの二人を引き込めばトリニティの勢力図は書き換わる」とも言われてたっけ。……でも、急に変な行動……露出が目立ち始めてね、礼拝堂に水着で現れた時なんて私爆笑しちゃったもん。そこから、成績も急下降してね。……本当に、何が起きたんだろうね?……っていうのをナギちゃんが気にするのも分かる。……でも、あの子が裏切り者ならよく面倒を見てたリエちゃんが気が付かないはずがないんだ」
「……うん、ハナコは今も補習授業部内でも大活躍してるよ、良い意味で」
「そっか、そうだよね。……それで、コハルちゃん。あの子は本当に、なんの関係もない純粋な良い子。でも少し成績が悪くて、それで正義実現委員会だったから目をつけられたんだろうね」
「……どういうこと?」
「ほら、あそこの副委員長、ハスミちゃんっているじゃん。正義実現委員会は尋常じゃない武力を持ってる上、あの子は相当なゲヘナ嫌いで有名なの。だから牽制したかったんだろうね。だからコハルちゃんはそのための『人質』。都合が良かったんだよ。あとは……ヒフミちゃんか。彼女は……なんか怪しいところに行ってたんだって。ブラックマーケットとか、そっちの方。闇銀行で見かけたって話もある」
「……あー……はいはい……なるほど……?」
「しかもどこかの犯罪集団に関わってるなんて情報も入ってきちゃったから。そういう意味ではナギちゃんすごいよね。あれだけ可愛がってた後輩を退学にするのも厭わないんだから。……それで、色んな噂が集まる中で「トリニティの裏切り者は誰か?」っていうのから「あの中の誰がトリニティの裏切り者なんだ?」ってなっちゃったんじゃない?だから、ナギちゃんにとっては補習授業部を退学に出来た時点で目的を果たしたことになっちゃうんだよ。……これが私の知ってる全部。分かった?」
「……なんとなくだけどね」
「なら良かった。……だから、ナギちゃんの探してる『トリニティの裏切り者』はある意味『白洲アズサ』で、ある意味『私』。リエちゃんの探してる『トリニティの裏切り者』は本当にまだ何も分からない状態」
一通り考察を述べた上で、ミカは少し黙った。
これを口にして良いのか、とまた少し考えるようだった。
先生もその沈黙の内に、またさっきの情報を整理する。
そしてミカは口を開いた。
「……こうも、言えたりするよね。平穏を保っていたトリニティをエデン条約に巻き込もうとするナギちゃんこそ、『トリニティの裏切り者』だって」
「……」
「……なーんて、怖い話はおしまい。ここから先は先生に任せるよ」
「分かった。……それと、ミカは大丈夫?」
「……わーお。この期に及んで私の心配?……やめてよ、勘違いしちゃうじゃん。それに、私それなりに強いんだよ?自分の身は自分で守れるから……っと。話しすぎちゃったね。このままじゃ語るに落ちちゃいそうだし別の何かにも落ちちゃいそう!じゃ、またね、先生」
ミカは軽やかな足取りで、合宿棟を後にした。
自分の妄想を見知らぬ誰かが共有していると考えると二次創作ってすごいですね。
……あとセリフが多いのと地の文が多いのどっちが良いんですかね……?
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記録10:彼女達の色々
「ごめんごめん、遅れちゃった!」
「あっ!先生!丁度いいところに!」
合宿棟の教室に入ってきた先生の下に、ヒフミは答案用紙を持って嬉しそうに駆け寄った。
ぱぁーっという効果音と、満開の花のエフェクトが見えそうなくらいには嬉しそうに笑っていた。
「昨日先生と一緒に作った模試、早速やってみたんですが、みんなものすごく伸びてるんです!」
「どれどれ……ハナコ8点……アズサ58点……コハル49点……。あっはっは!ホントだね!みんなよく頑張った!ヒフミは現状維持って感じだけど!」
「あはは……合格点は超えてるので見逃して下さい……。それより!みんなすっごく頑張ってます!この調子なら第二回はきっと……!」
そう言って目を輝かせるヒフミ。
その後ろでは人一倍張り切ったアズサが問題集に励んでいた。
「……紙一重だった。でもモモフレンズの為にも負けられない……!」
「はい!今回は本当に紙一重でした!」
「……アズサ楽しそうじゃない?何かあった?」
「そうなんです!実は……」
妙にどこかテンションの高いアズサを見て、先生はヒフミに尋ねる。
すると彼女もまたハイテンションで机の上に置かれたぬいぐるみなどの山を指差した。
「……何あれ、ぬいぐるみ?」
「だけじゃありません!ペロロ様抱きまくらに……モモフレンズ図鑑に……限定ペロロ様カトラリーセット!それ以外にも沢山のモモフレグッズを賞品として用意したんです!そしたらアズサちゃんとっても張り切ってくれまして!」
「ああ、必ずあの可愛いペロロ様グッズも、ついでに試験にも合格してみせる」
「……優先順位……逆じゃない?まあやる気になってるのは良いことだけど……」
「せ、先生!私も頑張ったんだけど……」
謎の動機で奮起するアズサに苦笑いする先生にコハルは話しかける。
彼女は身体の後ろで手を組んでもじもじするコハルの頭を優しく撫でた。
「コハルもよくやった!やれば出来るじゃん!」
「はい!伸びしろはコハルちゃんが一番です!」
「と、当然じゃない!私は正義実現委員会のエリートなの!」
「うん!この調子でね!それとハナコは……?」
明らかにふざけているであろう彼女の答案用紙を持って、先生はハナコに呼びかけた。
いつの間にか先生の背後に回っていた彼女は「はい、こちらに♡」と猫撫で声で耳元で囁いた。
先生の身体がビクッと跳ねた。
「っ?!ハナコ!それ禁止!」
「そうですか……残念です♡」
「……それと、前回と比べたら四倍になってるんだからハナコも頑張ったよ」
そう言って頭を撫でると、ハナコは思わず顔を赤らめる。
「そ、そう考えたら確かに悪くないのかも……?」
「騙されないでよヒフミ!8点よ8点!」
「……みんな、お疲れ様。今日は百鬼夜行のわらび餅。……多分、紅茶にも合うんじゃない?」
先生の暴論に毒されかけているヒフミを正気に戻そうとするコハル。
そんな中に少し遅れて差し入れの紙袋を持ったリエが入って来る。
「ありがとうございます、リエさん。……それでは少しお茶にでもしましょうか」
「賛成賛成ーってこれ百夜堂の新作じゃん?!よく手に入ったね?!」
「そうなの?頂き物だから分からないや」
「……ティーパーティーハンパねぇ……」
ハナコとヒフミがお茶を淹れ、リエが包装を開封してわらび餅にきな粉と黒蜜をまぶしている時だった。
唐突に、教室にチャイムが鳴り響く。
誰かが来たみたいだった。
リエは「私以外に来る人いるんだ」と少し驚いた。
「『あ、あの!失礼致します!』」
「あ、この声は……」
「はい、おそらくシスターフッドの……」
心当たりがあると言わんばかりに呟くリエとハナコ。
そしてドヤ顔でアズサが口を開く。
「侵入者だな、任せてくれ」
「……は?!ちょっと待ちなさ……」
「『……うわっ?!』」
インターホン越しに彼女の悲鳴が響き、インターホンを経由せずとも爆発音が教室に鳴り響いた。
「……これは一体何が起きてるんでしょうか……?」
「ブービートラップだ。侵入者を検知したら作動するように仕掛けておいた。……リエがここまで来ているということは、まだまだ穴があったか……」
「私を罠に嵌められる奴なんて見たことないから安心して。よく出来てる方」
落ち込むアズサを慰めるリエ。
その後ろではヒフミ達が慌てふためいていた。
「そ、そんなこと言ってる場合ですかリエ様?!」
「『一体何が起きて……ひゃあっ?!』」
「ほら、逃げ場がない」
どうやらアズサはトラップを連鎖するように仕掛けたらしく、彼女が逃げる先で次々に起こる爆発で教室も若干揺れ、火薬の匂いがここまで届いている。
「……うん。上手く行ってる。ここまで来る頃には一堪りもないはず」
「何してるんですかアズサちゃんっ?!!!」
「けほっ、けほっ……けほけほっ……」
そこに現れたのは、シスターフッド所属の一年生、伊落マリーだった。
黒いシスター服の上からでも分かるくらい煤まみれで、かなり咳き込んでいる。
「だ、大丈夫ですか?その……怪我とかは……?」
「けほっ、今日も平和とあんねけほっ……けほっ安寧がけほっ……あなたと共にけほっ……けほっ、ありまけほっ……ありますように……」
(サクラコ教育徹底してるなぁ……)
部屋に入って開口一番、激しく咳き込みながらも祈りの言葉を口にする彼女の信心深さとシスターフッドの行き届いた教育に、ちょっとした感動を覚えるリエ。
ヒフミは慌てて彼女の下に駆け寄った。
「あなたが平和でも安寧でもありませんよね?!本当に大丈夫ですか?!」
「マリーちゃん……ですよね?大丈夫ですか?」
「あ、は、ハナコさん……」
「温かい紅茶しかありませんがよければ……」
「あ、ありがとうございます、いただきます……」
彼女はヒフミが差し出したティーカップにその小さい口をつけると、こくこくと飲み干した。
彼女の名前は伊落マリー。
トリニティが誇る「今最も相談をしたいシスターフッドの生徒ランキング」第一位にして、ケモミミがとっても可愛い健気な1年生の見習いシスターである。
「申し訳ありません、合宿棟に足を踏み入れたら途端に何かが作動して、それで取り乱してしまいまして……」
「……」
「……!ほら、アズサちゃん……!」
ヒフミは教室の隅でバツが悪そうにしているアズサの腕を握ると、よいしょよいしょとマリーの前まで連れて行った。
彼女はまたマリーの顔を見てバツが悪そうに目を逸らしたが、改めて口を開いた。
「……その、ごめん。襲撃かと思って」
「えっと……その……?」
「と、ところでどうしてシスターフッドの方がこんなところに?」
困惑しっぱなしのマリーに対して、ヒフミは質問した。
少し考えた後に、彼女は言った。
「えっと……それはですね、こちらに補習授業部の方々がいらっしゃると耳にしまして……。ハナコさんがいるとは思いませんでしたが……」
「ふふっ、今の私は劣等生ですので。」
「そう……なのですね。承知致しました……」
見知った仲のように話すハナコとマリー。
それを疑問に思ったのか、コハルはハナコに不思議そうに問いかけた。
「ふーん……ハナコ、シスターフッドの知り合いなんていたんだ?」
「まあ、少しご縁があったとでも言いましょうか。……それで、マリーちゃんは本日どのような用事で?」
「あ、はい。本日は白洲アズサさんに用がございまして。それで伺ったところ、アズサさんの所属する補習授業部はこちらにいらっしゃると……」
「……私に?」
アズサは目を丸くして、自らを指さした。
「はい、その通りです。アズサさんに助けられたと仰る生徒さんがおりまして、諸事情あって代わりに感謝を伝えてほしいとのことでしたのでこうして」
「アズサ、そんな良いことしてたの?カッコいいじゃん!」
「いや、特にそんなことは……」
「クラスメイトの方からいじめを受けてしまっていた方がいらっしゃいまして、その日も突然呼び出されてしまったそうです」
「……!そんなことあるんですか……?!」
疑問を浮かべたヒフミに対して、リエはため息を吐きながら答えた。
「……まあ、少ない話じゃないよ。私だって裁いた数は両手でも数え切れないと思う」
「はい。トリニティでは酷く狡猾に、陰湿に行われていますから表に出にくいだけです」
「お恥ずかしながら私達も相談を受けてようやく把握したのですが……。なんでもそこに偶然通りかかったアズサさんが助けてくださったとのことです」
「ひゅ〜、通りすがりの救世主とはイケメンだねぇ!」
先生はニヤリと笑ってアズサの肩を小突いた。
彼女はようやくピンときたらしく、口を開いた。
「……言われてみれば、そんなことがあったような気もする。……でも、数で弱者を圧倒しようとするその行為が気に食わなかっただけ」
「しかしその後、正義実現委員会にこの出来事がかなり歪曲して伝わったようで……。その結果アズサさんと正義実現委員会の戦闘に発展し、アズサさんがゲリラ戦を展開して抵抗し続けたと……」
「……それ本当?……正義実現委員会の名折れだね、申し訳ない」
「いや、リエが謝る必要はない。……でも、もう少し弾薬があればまだ道連れを増やせたな……」
「……とまあ、その方に頼まれて代わりにお礼をするべくここまでやってきたというわけです」
「……分かった、返事代わりにその子に伝えて。「抵抗するのを止めるべきじゃない」って」
「分かりました。お伝えしておきます。……ふふっ、アズサさんは冷酷に暴力を振るう『氷の魔女』なんて噂も耳にしましたがやはり噂に過ぎませんでしたね」
一通りの経緯を聞いて、アズサはしばらく考えた後に答える。
その言葉を聞いたマリーはクスッと笑った。
「そうですか?結構クール系と言いますか、表情がちょっと読みにくいですし。……それじゃあ、不発弾に引っかかってもいけませんし、私が玄関まで送ります」
「ありがとうございます、ハナコさん。ではみなさん失礼致しました。どうか良い一日を……」
そう言って、二人は教室を出ていった。
その背中が見えなくなった時、アズサは「忘れてた」と言わんばかりの表情をした。
それを見て何かを察したヒフミが慌て始める。
「……まだあるんですかアズサちゃん!?」
「いや、万が一失敗した時に道連れするために……」
「『……きゃあああっ?!』」
「……一番すごいのを仕込んだままだった……」
その日一番の爆発が起きた。
「『先生、12時くらいに少しお邪魔するね』」
そんなリエからの連絡が先生に届いたのは、シャワーを浴び終わった9時頃。
あの後先生とリエが改めてシスターフッドへ謝罪へ赴いて、何とか昼間の騒動も丸く収まっていた。
彼女は髪を乾かしながらスマートフォンの画面の上に指を滑らす。
「『了解!玄関で待ってればいい?』」
「『ううん、部屋の窓だけ開けておいて。あとは着いたら話す』」
「『一応人払いとかしとく?』」
「『いや、大丈夫。単に私の業務を片付けたあとに行くからそんな時間になるだけだから』」
「『了解!待ってるよ!』」
リエの既読が付くのを見届けてから、先生は溜まっていた書類を片付け始めた。
12時頃、部屋のドアがノックされた。
もうこんな時間か、と先生は窓の施錠を解いた後、ドアを開いた。
「……ハナコか。こんばんは」
「はい。こんばんは、先生」
スクール水着を纏った浦和ハナコが姿を現した。
「珍しいね、こんな時間に。あと夏とは言えそんな格好で寝たらお腹冷やすよ?」
「……ヘソ出しのタンクトップにハーフパンツの先生が言っても説得力がありませんよ」
「あはは、それもそうかもね!それで、何の用?」
彼女は少し真剣な眼差しになった。
先生は「立ち話もなんだし」と彼女を部屋に招き入れ、ベッドに座らせた。
「……アズサちゃんについてご相談が」
「アズサについて?」
「し、失礼します、先生。今は大丈夫ですか……?」
「……っと、お邪魔するね」
先生が聞き返した瞬間、再び部屋のドアが開き、窓が開いた。
「昨日より遅くなってすいません、実は……」
「先生、一応三階なんだしさ、折角なら全開にしてもらえるとありがたかったんだけど……」
「……あら」
「……あ」
ハナコは、部屋に入ってきた寝間着のジャージ姿のヒフミと目が合った。
先生は、窓の縁に腰掛けた少しブカブカなTシャツを寝間着にしていたリエと目が合った。
「……人払いはしなくても良いって言ったけど……。生徒と逢引中なんてね。先生そっちの気もあるんだ?」
「……お、お二人共そういう関係だったんですか?!ごめんなさい知らなかったんです許してください!」
ハナコと先生が薄着で部屋に二人きり、そしてベッドに二人で座っているその光景。
それを見てリエは「ふふっ」と微笑み、ヒフミは混乱してその場に立ち竦みながらひたすら謝罪している。
本当に何故か水着の彼女はヒフミに対して捲し立てた。
「待って下さい、ヒフミちゃん今「昨日より遅くなった」と言いましたよね?!ということは昨晩も訪れたんですね?!わざわざ深夜に?!」
「違うんですそんなつもりじゃないんです!ひとまず戻りますねすいませんでしたお幸せに!」
「その前に昨晩、そして今晩何をするつもりだったのかだけ教えていただけませんか?!」
「えっと……私も言い訳したほうが良いのかな?」
二人の様子を見ながら苦笑いする先生。
いたずらっぽい笑みを浮かべながらリエは問いかけた。
「あっはは、冗談だよ。……でも、実際どうなの?」
「……黙秘ということで……」
そして泣きそうになりながらひたすら頭を下げるヒフミと、彼女をひたすら問い詰めるハナコ。
二人が落ち着いたのは、そこからもうしばらくしてからだった。
「……なるほど、先生と補習授業部の今後についてのご相談を……」
「ハナコちゃんも相談事で……って水着で来る必要はなくないですか……?」
「落ち着くんですよね、水着。だから私は礼拝も水着で参加しましたし、お散歩も水着で行きますよ?……そうだ、ヒフミちゃんもどうですか?」
「結構楽しいことは私が保証するけど……まあ、バレないようにね」
「いや駄目だよ?というかオブザーバーがそれでいいの?」
ジャージに着替え直したハナコとリエがヒフミを露出に勧誘するのを先生が諌める。
結局先生は全く着替えていないため、この場で最も露出度が高いのは彼女ということになるだろうか。
「……それで、さっきの続き大丈夫?」
「……はい、アズサちゃんについてです」
「じゃあ私と一緒かも。……聞いてっていい?」
「はい、ヒフミちゃんも良かったら」
リエは窓の縁から降りると、三人の下へ駆け寄った。
「実はアズサちゃん、夜の間ずっとどこかに出かけてるんです」
「そう、私も変な時間に見かけてね。少し気になったんだ」
「最初は慣れない場所で眠れないのかとも思いましたがそうではないようで……。一度もアズサちゃんが夜に眠ってるのを見ませんし……」
「わ、私もです。アズサちゃん早起きだし、先に寝ることもないので……」
ちょっとしたことだが、寝不足は学習にも大きく関わってくる。
二人はアズサについて、心配そうに先生に伝えた。
「はい、ですので一度無理矢理にでも寝かせてあげた方が良いのではないかと思いまして……。それに、最近随分不安そうにしてる気がするんです」
「……それは……」
「お二人もですよ?しっかりと睡眠を取らないと身体を壊すように人間は出来てるんです。試験に不合格でもたかが落第、心身の健康と比べられるものでは……」
「……」
「……どうかされましたか?先生」
ため息をつくリエ、言いづらそうにするヒフミ、目を瞑る先生。
少しの沈黙を挟んで、リエが切り出した。
「……三回落ちたら、退学だよ」
「……な……」
「ごめんね、ハナコ。私が伝えるべきだった。……流石に、ナギサは裏切れなかった」
「……冗談……ですよね?そんなことオブザーバーだって、ホストにだって不可能です。退学はそれ相応の理由と膨大な手続きが必要で……」
該当の校則を諳んじて、ハナコは反論する。
しかし、リエはその全ての前提を覆す一言を告げた。
「……これで分かる?……「補習授業部には、シャーレの権限が組み込まれてる」」
「……なら……本当に……?」
「……いいよ、リエ。後は私から話すから」
そう言って、先生はナギサやミカ、リエから聞いた話の一部をハナコに伝えた。
彼女はほんの小さな声で、その事実につじつまを合わせるように先生の言葉を反芻する。
「……そういうことなのですね」
「……でも、ハナコちゃんは大丈夫ですよ!本当は優等生なんですよね?!1年生の時に3年生の上位向けの試験まで全部満点でしたよね?!」
「……どこで、それを?」
「……あ……ごめんなさい……。その、模試作りの時に偶然見つけてしまって……。……そ、それで、ならあんな点数はわざとですよね……?」
少し不安げな、縋るような顔でヒフミはハナコに尋ねる。
「いえ。……ごめんなさい。本当に知らなかったんです。退学なんて……。……いえ、前リエさんの仰っていた通りです。私は、あなた達の足を引っ張ってしまっていたのかもしれません……。本当に、ごめんなさい」
「……いえ、そんな……」
「それで、ヒフミちゃんの言う通りです。あの点数はわざとです。理由は……すいません。隠させて下さい。……ですが、今後の試験で皆さんの足を引っ張ることはない、とは断言します」
「……ありがとね、ハナコ」
暗くなっていたハナコの顔が、また少し明るくなった。
リエはそれを見て小さく微笑んだ。
「……それで、この事実を知っているのは補習授業部では先生とヒフミちゃんだけですか?」
「多分そうだと思います」
「ティーパーティーから漏れてることもない、と保証はしておく。」
「……なら、アズサちゃんの不安は試験が理由ではないのでしょうか……。まだなにか私が知らない何かがある……?いえ、それよりも今は補習授業部そのものが……」
「というと?」
ハナコは顎に人差し指を当て、考えるように目を瞑った。
そして、先生が問いかけると同時に、彼女は考察を述べる。
「……いえ、こんなことを企むのはナギサさんくらいでしょうか。ミカさんにはまず出来ませんし、セイアちゃんは何かを謀るような人じゃない。リエさんであるのなら……名女優と褒め称えるしかありません」
「……」
「しかしエデン条約を控えて何故このような……。……いえ、むしろエデン条約が……?…………」
「えっと……ハナコちゃん……?」
そしてそこから数分、いや、一分も経っていないだろうか。
考え込んだ後に彼女は少しスッキリとしたような顔を浮かべた。
「……補習授業部はエデン条約の邪魔者を隔離する箱……ということですね。合ってますか?リエさん。」
「当たり。最近頭使ってないから衰えた?」
「今や大半の時間を生き馬の目を抜くようなティーパーティーの渦中で過ごすリエさんに比べられても困るのですが……。まあ、当たっていて良かったです」
「……うっそぉ……化け物じゃん……」
「ハナコちゃん?!知ってたんですか?!」
頬杖をつきながら少しからかうリエと、眼を見張る先生とヒフミ。
それをよそにしてハナコはまだ喋り続ける。
「いえ……それにしてもナギサさんの悪いところが全て出たような策ですね。答えの目前まで辿り着いたと思いこんで、そこで安心して急に大雑把になってしまう。まとめて処理した方が効率的、とでも考えたのでしょうが、思い込みが激しいと言う他ありませんね。挙げ句の果てに先生の善意を利用してシャーレの権限を組み込んで退学処分……細かい部分だけはよく出来ていると言えるかもしれません」
「あっはは!よく分かってるね。フィリウスにいたらナギサに次ぐNo.2になったんじゃない?」
そう言って手を叩いて笑うリエ。
ハナコは「そのままそっくりお返しします」と言わんばかりの視線を返した。
「お褒めの言葉と受け取っておきます。……ですが、逆に言えば先生は純粋に私達の味方ということ。……本当に、ありがとうございます」
「すごいです、ハナコちゃん!まるで小説の中の探偵みたいな……。そうなんです!ナギサ様に「『トリニティの裏切り者』を探してほしい」と……」
「ふふっ、『まだらの紐』ならぬ『まだらの紐ビキニ』と言ったところでしょうか♡……にしても『トリニティの裏切り者』とは彼女らしいセンスと言えます。何せ今のティーパーティーホスト、すなわちトリニティ総合学園の生徒会長は彼女なのですから。自分にとっての邪魔者を『裏切り者』と呼称している訳です。」
ハナコは再び目を瞑ると、補習授業部の名前を一人づつあげ、頭の中でその可能性を調べ上げていく。
リエはシャーロック・ホームズというよりもマイクロフトの方を思い出していた。
「……アズサちゃんは……この時期の転校前不明の転校生と言うだけで疑われるでしょうね。コハルちゃんは特に思いつきませんが……まあ、正義実現委員会の人質と考えれば納得が行くでしょうか。……あら、では何故ヒフミちゃんは容疑者になっているんでしょうか?ナギサさんもよく目を掛けていたはずでは……」
「た、確かに少しお話などはしていましたが私はそんな大層なものじゃ……!」
「……先生、何か知ってる?」
「……さあ?」
少し引き攣ったような顔で首を傾げる先生。
深く詮索する必要はないかな、とリエは「そっか」と返事した。
「……とにかく、アズサちゃんに関してはもう少し色々聞いてみたいところではあります。その他も私の方で調べておくので……リエさん、オブザーバーの守秘義務に反しない程度で構いません、いくらか情報の共有をお願いできますか?」
「……分かった。ファイルにまとめて共有かけておく」
リエはその場でスマートフォンを開くと、次々に中のデータを仕分け始めた。
時計は一時を回っている。
「……じゃあ、今日はもう遅いしみんな寝よっか」
「同じベッドでですか?嬉しいです♡」
「いやお部屋戻ってね」
「……じゃあ、私はこれで。明日中……今日中には共有しておく」
「はい、ありがとうございます。……それでは、おやすみなさい」
「おやすみなさい、先生」
「うん、三人ともおやすみ」
丁度部屋のドアが開いた時、その前をコハルが通りかかった。
どうやら、尿意で目を覚ましてしまったらしい。
「……ん……?」
「……あ、コハルちゃん」
部屋から出てきたハナコとコハルの目が合った。
徐々に眠気が引いていき、彼女は冷静に状況を判断する。
寝間着のハナコとヒフミと同じく薄着の先生。
「三人で何やってんのよ!変態!バカ!ド淫乱!」
その頃、リエは寮の自室のバルコニーに飛び乗って部屋に入るところだった。
沢山の人に見てもらえて嬉しいです
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記録11:雨降る日、星降る夜
「……もう、朝か」
時刻は5時半。
リエは、雨だれの音で目を覚ました。
いや、雨だれと言うには少し強かっただろうか。
ゴムでまとめていた髪を解き、リエはシャワールームへ向かった。
今日は補習授業部行けなさそうかな、なんて考えながらざっと身体を流し、乾燥機からふわふわのタオルを取り出す。
ぽふぽふとタオルで髪を叩くようにしながらドライヤーをかけ、今日は外には出ない気もしながら彼女は制服に着替え、ドレッサーの前で髪を結んだ。
「ふんふふ〜ん♪今日の♪紅茶は♪ダージリン♪」
鼻歌を歌いながらキッチンで紅茶を淹れる。
甘党な彼女の今日の朝食は摘みたてのダージリンのセカンドフラッシュとマドレーヌ。
キッチン中にその芳醇な香りが満たされた。
「……よし、いただきま──」
ふと、雷の音が響いた。
ピシャァン、ゴロゴロ、と何度か鳴る内に、部屋の電気が消える。
リエは「停電?」と小さく呟いた後に、淹れたての紅茶を飲みながら部屋の角の方のスイッチを入れた。
一分ほどして、再び部屋のライトが灯った。
「……ふぅ。今日は何から始めよう?」
手帳の予定を一瞥し、リエは背もたれに寄り掛かる。
膨大な書類、パソコン、電子ホワイトボードに囲まれた机に向かい、彼女はゆっくりと背伸びした。
「ハナコに共有するのは……こんなところかな。」
ひとまず業務を終え、ハナコに頼まれた情報を纏めて時刻は11時ほど。
まだお昼には早いかな、と彼女は近くのファイルを手に取ってパラパラと捲り始めた。
「……やるか」
思考のスイッチが、カチッと音を立てた。
全くの迷いなしに、直感的に彼女の手は必要な資料を棚から選び取り、机の上に広げる。
リエは理論派であると同時に、自らのインスピレーションというものに多大な信頼をおいていた。
取り出したパテルの財務報告書、白洲アズサの転入届、トリニティ自治区内の古跡の管理書類...。
あちこちに散らばる『引っかかった』情報を組紐のように編み上げていく。
「……おかしいな、もう少しパテルは弾薬の在庫抱えてると思ったんだけど。……というか全体的に予算に対して在庫が明らかに足りてない?……ティーパーティー全体で、か」
ここ数ヶ月でティーパーティー全体で軍備費は20%前後増加しているにも関わらず、弾薬などの在庫の増加は10%にも届いていなかった。
相場に関しても、トリニティで最も普及しているSMG用のものは1発20円前後で停滞していて値上げなどはなく、かといって正義実現委員会などに提供しているということもない。
中でもパテル分派はその傾向が顕著で、軍備費は30%上がっているにも関わらず、むしろ在庫は減ったままだった。
「……なんで……?横領……じゃないのは分かる。しっかりと領収書が切られてるし、あっちから購入履歴もいただいてる。……なら……外部……」
古跡の管理書類、中でも立ち入り制限のかけられた日付を調べ、パテル宛の弾薬の納品書の日付と照らし合わせると大まかに一致した。
それを確認したリエは、さらに深く思考を巡らせる。
雨だれの雑音がそれを加速させた。
「……私なら、誰と取引する?こんなカタコンベしかないような廃墟で誰と……。ゲヘナ……はパテルの雰囲気的にありえない……とすると……。……いや……」
違う。
カタコンベがあるからこそ古跡で行われたのだ。
彼女はふと考えた。
「「苛烈に弾圧され表舞台から姿を消したとされている」……そんな
膨大なミルクパズルのピースの四つ角を見つけたような感覚を覚えた。
「……弾薬を求めながら「仲直りしたい」なんて冗談みたいなことあるはずない……なら、ミカは騙されてる……?」
それもまたなんとなく違う気がして、彼女はますます思考を深めていく。
窓の外はまだ雨。
やっぱり苦しいな、と彼女はシャツのボタンを外して背もたれを倒した。
天井のライトが眩しかった。
「……そもそもなんでエデン条約を控えてこんなこと……」
いや、だからか。
リエはようやく四つ角に嵌るピースを探し当てた。
「ああ、そっか」と思わずため息が出た。
エデン条約はトリニティとゲヘナの和平条約。
つまり、アリウスにとっては『嫌いな奴らが手を組む話』。
そんなの、誰だって妨害したいし台無しにしたいに決まっている。
「じゃあ裏切り者は……。……いや、ありえない」
「アズサちゃんは裏切り者ではない」と直感が強く否定する。
だが、手がかりが掴めるかもしれない、とリエは彼女について考え始める。
彼女はアズサの言葉、仕草から『アリウス』の全体像を掴もうとしていた。
「……ブービートラップ……侵入者……防衛……違うな……」
ここ数日の彼女との会話を思い出し、それっぽい言葉を並べてみるが、しっくりこない。
けれど、彼女からならどうにか辿れるはず、と彼女は思考を一気に深めようとした。
その時、リエの脳裏を一つの言葉が過ぎった。
「……『vanitas vanitatum.』……『vanitas vanitatum. et omnia vanitas.』……『空の空、空の空、一切は空である』……」
太古の経典の一節であった。
「この世は全て虚しいものである」みたいな意味だったとリエは覚えている。
けれど、彼女はこれに一言付け足していた。
「「でも、それが今日最善を尽くさない理由にはならない」……」
追放されて、そんな考えに至る?
なんで付け足すんだろう?
あれだけ口にするってことは、アリウスでも相当刷り込まれてるに決まってる。
なのに何で……?
疑問を解く度に新たな疑問が増え続ける。
瞬きも忘れて思考に耽る中で、リエはふとミカとの会話を思い出した。
「私達のこと、相当恨んでるみたいだけどね。アズサちゃんはそうじゃなかったけど」
アズサは違う……ミカは確かにそう伝えていた。
あれは本人に会った今の自分でもそう断言できる。
自分が感じないのなら、悪意は無いと考えて間違いないだろう。
もし、あれが叛意を抱いているのであればもはや称賛に値する。
なら、アズサはナギサの疑う通りの『トリニティの裏切り者』というよりも、むしろ『アリウスの裏切り者』であり、トリニティ側の人間なのではないか。
リエはその思考と考察を着実に積み上げながら、徐々に正解へと至ろうとしていた。
もはや選び取った記録、ファイル、データを見返すことさえ無く諳んじて、彼女は自身の答えにちょっとした確信を得る。
「……とすればアリウスが……」
リエは追加で一冊のファイルを取り出した。
セイア襲撃に関するものだった。
犯行にはトリニティのものと同様の弾薬や武装が使用されていたことは既に確認されていた。
これがミスリードだったのだ。
リエ達はこれによって『トリニティの裏切り者』が襲撃犯であると思い込まされていた。
しかしリエの現在の仮説が正しければ、実際の『トリニティの裏切り者』の役割はあくまで武器などの提供やセイア襲撃の手引きのみで、実行犯はアリウスだったということになる。
となるとその裏切り者は……。
「……ああ、洒落になんないなぁ……」
あくまで推論。
あくまで仮説。
けれど、ここまで積み重なってしまえば、もうリエの中では確かな確信があった。
どうしても信じたくないと願い、無意識に否定材料を探す度にその確信は強くなっていく。
ああ、最悪だ。
どうしろって言うんだろうか。
尽く、現実というのは都合が悪く出来ている。
それでも、これだけは口にせざるを得なかった。
「……ミカかぁ……」
外は、晴れていた。
憎らしい夕日だった。
「……もう、こんな時間?」
倒れ込むように、机に突っ伏してリエは眠っていた。
開いた窓から一瞬、強い風が吹いて彼女は目を覚ました。
酷く綺麗な、星空であった。
「……お腹減ったな……」
時計を見ると、23時を過ぎている。
こんな時間に料理もしたくないし、リエは外にでも行こうと思った。
『夜のカフェテラス』みたいに、星空の下でアイスティーでも飲みながら一夜を明かすのも悪くないかな、なんて事を考えていた。
寮を抜け出して、トリニティの学生街をぶらぶらと。
途中、通り過ぎたスイーツ屋の中に見慣れた人影を見つけたり、夏休みだからとこんな時間まで遊び耽る生徒達を眺めながら明かりの灯る街並みをゆっくりと歩く。
意外と真夜中も活気があるなぁ、とリエはぼんやりと呟いた。
「あんな量食べてたらダイエットなんて無理だよなぁ……。……あ」
10分ほど歩いたところで、良さげな店が彼女の目に入った。
賑わっているわけではないが、耳に入ってくる楽しそうな人の話し声。
あまり人通りの多くない道の方へ開放された明るいテラスに並べられたテーブルはシンプル。
なるほど、これは良い、リエは小さく笑った。
テラスの一席にハンドバッグを掛けて、小さく手を挙げる。
気づいた店員が、すぐに彼女の下へ駆け寄った。
「ご注文お決まりでしょうか?」
「すいません、アイスティーとサーモンのカナッペお願いします」
「かしこまりました、少々お待ち下さい」
注文は数分で並び、リエが思っているほど時間は掛からなかった。
皿に並ぶカナッペはとりどりに彩られていて、少し大き目のグラスに淹れられたアイスティーには幾つかの氷と薄切りのレモンが浮かんでいて夏の夜によく似合っている。
「……いただきます」
徐に、ぺたっと掌を合わせてリエは一つを手に取った。
「お会計、1350円となります」
「学生証で」
「ではこちら失礼致します」
あまり急ぐこともなく、彼女があまりに遅い夕食を取り終えたのは日付が変わってからだった。
美味しかったな、また来よう。
今度レシピの再現でもして、ナギサ達にもご馳走しよう。
そうだね、全部片付いてから。
彼女は細い腹を擦る。
さて、ここからどうしよう、いっそのこと一晩中散歩でもしようか、そうリエが考えていると、どこかで爆発音が鳴った。
バカもいるもんだなぁ、と考えはすれど、それをほっとけるような性分でもない。
「……少し遊ぶかぁ……」
彼女はグレネードランチャーのリロードさえせず、軽い足取りで歩き出した。
爽やかなレモンの風味がまだ口に残っていた。
「こ、ここまで来たら……流石に……」
カフェテリア街に逃げ込んだ少女は、ぜぇぜぇと肩で息をしていた。
ツインテールにした赤い髪が夜風に揺れている。
彼女の名前は赤司ジュンコ。
キヴォトスでも一二を争う程のテロ集団、ゲヘナ学園『美食研究会』所属の1年生である。
今はトリニティの水族館にて飼育されていた幻の魚『ゴールドマグロ』を奪取し、正義実現委員会から逃走している最中であった。
「……あ、ごめんね」
「ごめん今急いでるから!」
「あ、ちょっと待って……行っちゃった……」
逃げる最中、ジュンコは黒いカーディガンを着たトリニティ生にぶつかった。
彼女はジュンコを呼び止めたが、逃走中の彼女にそんな時間はない。
残念そうな声を置き去りにして、ジュンコは再び走り出した。
仄かな灯があちこちに灯る夜の街並みを駆け抜ける。
後ろで彼女の足音がほんの少しだけ石畳に響いていたが、もう聞こえない。
彼女を振り切り、市街地を抜け、もう逃げられる、彼女がそう、安堵した瞬間だった。
「……待ってって、言ったんだけどなぁ」
黒いカーディガンの彼女が、そこで待っていた。
「……何、で……?」
足の竦むジュンコにゆっくりと彼女は近寄る。
彼女の先輩、鰐渕アカリが怒った時によく似た、桃色の瞳が冷たくジュンコを貫いている。
怯えて、足が竦んで、ただただ顔も反らせずに彼女の冷たい目を見続けることしか出来ない。
そして怯える彼女の顔に手を触れた。
「捕まえた」
甘く蕩けるようで、冷たく心臓を止めるかのような一言。
ジュンコは力無くその場に崩れ落ちた。
時刻は3時過ぎ。
空の端は僅かに白み始めていた。
ちょっとしたアクシデントを切り抜けた先生の下に彼女は姿を現した。
「先生、こんばんは。……いや、おはようなのかな?」
気絶している赤司ジュンコを背負い、小さくあくびをしながらリエは先生達に声を掛けた。
それを見て大体の状況を察したハスミが少し頭を抱える。
口元には少しホイップクリームが付いたままだった。
「この子さ、多分美食研究会だよね?捕まえちゃった」
「……リエ、確実に制圧してくれるのはありがたいのですが犯人で遊ぶのは止めてほしいと……」
「そんなこと言ってたっけ?」
そう言って、リエはいたずらっぽく笑う。
その傍らにはゲヘナが誇るキヴォトス最悪のテロリスト集団、美食研究会との戦闘を終えてかなりお疲れの補習授業部と先生、そして正義実現委員会が後処理に奮闘していた。
「……ところでイチカから聞いたんだけどさ、なんで私用で真夜中に外に出てたの?補習授業部は先生っていう保護者が居るから
「……いえ、別にダイエット中にパフェを食べていた訳では……」
「ふふっ、そうですよね。真面目で厳格なハスミさんが限定パフェを一人で3つも食べるわけありませんよね♡」
「……ダイエット、頑張りなね」
不甲斐ない元同僚に対して苦笑を浮かべつつも、お疲れ様と皆を労うリエ。
今日も補習頑張ってね、と伝えてリエは一足先に学校へ戻った。
あまりに大きい問題を一人抱えながら。
なんか賢いですよね、こいつ
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記録12:吹き荒れる風
「……あの子達の合宿もあと2日かぁ……」
髪を結びながら、リエは呟いた。
補習授業部の合宿も現在6日目。
彼女の言葉通り、第二次特別試験まであと2日しか残っていない。
まあ頑張ってるし、どうにかなるでしょと楽観的に考えながら、スマートフォンから学内掲示板を彼女は開こうとした。
「『現在閲覧権限を保有していません。アカウントを変更してお試し下さい』」
「……おかしいな……」
何度か試してみても、同じ文面が表示されるばかり。
リエはとりあえずナギサに電話を掛けた。
「『……はい、どうかしましたか?リエさん』」
「いや、学内掲示板にログイン出来なくて」
「『そういえば、リエさんにはお伝えしていませんでした。近頃一部の生徒が不適切な書き込みをしているとの情報が入りまして、現在一部のアカウントを調査のために制限させていただいているのです』」
最後のシステム点検からもそれなりに時間が経っていた。
それならしょうがないかとリエはシャツのボタンを留めながら答える。
「了解。それで、いつくらいに終わる?」
「『まあ、3日もあれば何事もなくお返しできると思います。今の時期は掲示板も大して更新されませんし』」
「それもそうかも。じゃ、また」
「『はい、それでは』」
そう言って電話が切れて数分。
準備を終えたリエは部屋を出発した。
「せ、先生……どうですか……?」
「……よしっ!」
ヒフミの答案に点数を書き込んで、先生は勢いよく席から立ち上がった。
ヒフミ達は固唾を呑んで見守っている。
「結果発表です!」
「……」
「まずハナコ!69点!合格!」
「ふふっ、良い感じの点数ですね♡」
先生から解答用紙を手渡された彼女はニッコリと微笑んだ。
それが明らかに計算された
「次アズサ!73点!合格!」
「……!」
返された答案を見ては机の上に乗ったモモフレンズグッズの山を見る。
目を輝かせながら彼女はそんな動作を繰り返していた。
「次コハル!61点!合格!」
「本当?!」
彼女は答案を受け取るなり、その場で飛び上がった。
「やった!!」という嬉しそうな声が教室に響いた。
「最後ヒフミ!75点!合格!」
「……ということは……!」
そう言って、彼女はキラキラとした目で先生の顔を見つめる。
彼女はさっきよりも長い溜めの後、思いっ切り叫んだ。
「……補習授業部!全員合格!」
先生のその一言で、みんな一斉に飛び上がった。
「これなら2日後の試験も心配ありませんね♡」
「……受かっちゃった……ううん!そうよ!これが私の実力なんだから!」
「はい!それにしてもすごいです!アズサちゃん、60点どころか70点も超えちゃいました!」
「ああ、これで……!」
「そうでした!では……!」
目を輝かせるアズサに、ヒフミはカバンの中からも追加でモモフレンズグッズを取り出して、もう一度並べてみせた。
「それではモモフレンズグッズ進呈式を始めます!」
「まあ……」
「……」
少し先程の熱狂が冷める中、アズサは今か今かと待ち構える。
「……やっぱり独特だね……」
「……本当に……好きなのをもらっていいのか……?」
「はい!皆さん何でも一つ持って行っちゃってください!」
苦笑する先生とハナコ、眉をひそめるコハル、嬉しそうにそれを見つめるアズサ、なんだか楽しそうなヒフミ。
あれも良い、これも良いとじっくり眺めている。
「……私は遠慮しておきますね」
「わ、私も……」
「あうぅ……まあ無理に押し付けるのも……」
少し苦い顔をしたヒフミに決めあぐねたアズサが声を掛ける。
「……駄目だ、私には……私には選べない……そうだ!ヒフミ、私の代わりに選んでくれないか……?」
「……私が……ですか?……じゃあ、これで!」
アズサに頼まれて、一つ選ぶことになってしまったヒフミ。
彼女は5分ほどじっくり悩んだ後、メガネを掛けた鳥?のぬいぐるみを手に取った。
「……!……これは……」
「これはペロロ博士です!とっても物知りでお勉強が得意なペロロ様なんですよ!今お勉強を頑張っているアズサちゃんにピッタリだと思います!」
「……ああ!ありがとう!大切にする……!……可愛いなぁ……えへへ……一生の宝物だ……」
そう言ってそのペロロ博士のぬいぐるみに頬を擦り付けるアズサ。
そこには生徒の間で『氷の魔女』と噂されるような姿は無かった。
「良かったね、アズサ!」
「そんなに喜んでもらえるとは……ですが、そんな反応されたら私も嬉しくなっちゃいます!」
「ああ、これからはこのぬいぐるみをヒフミだと思って大事にする!」
「……おまたせ!遅れた!」
ペロロ博士のぬいぐるみを抱きしめて、満面の笑顔を浮かべるアズサの後ろで派手に教室のドアが開く。
幾つかのお菓子の紙袋を抱えたリエだった。
「お、いらっしゃい!」
「あ!リエ様!……どうしたんですか、そんなに急いで?」
「えっと……みんな合格したって先生から聞いたから、とりあえずお祝いでもと思って」
そう言って、彼女は机の上にドンと紙袋の中身を広げた。
マドレーヌ、ホールケーキ、マカロン、羊羹、カステラ、クッキーetc……。
近くの店を回ってきたであろうその宝の山に補習授業部は再び目を輝かせた。
「……あ!これ今話題のやつ!!」
「そう、人気らしいから買ってきた。……みんなおめでと!」
「あ、ありがとうございます!では皆さんお茶にしましょう!」
開いた窓から爽やかな風が吹き抜けて、白いカーテンが揺れた。
「……お待ちしていました、先生」
そして迎えた最終日。
先生は、朝からナギサに呼び出されていた。
相変わらず、そのテーブルには変わったチェス盤が置いてある。
「合宿の方で特に困ったことはありませんでしたか?ヒフミさんたちの調子はいかかですか?」
「うん、みんな元気だよ。成績もぐんぐん伸びてる」
「そうですか、それは何よりです。……元々この合宿は「生徒達をよく観察できるように」という先生への配慮だったのですが……『トリニティの裏切り者』はどなたか分かりましたか?」
単刀直入に切り出すナギサ。
ミカが「ナギちゃん余計なおしゃべり付き合ってくれなくてさ」と言っていたのを思い出した。
けれど、先生は凛として答える。
「……私の答えは変わらないよ。私のやり方でやらせてもらうから」
「そうですか。……いえ、目の前に第二次特別試験が迫っているこのタイミングでもう一度確認したかったのです」
少し目が鋭くなる先生とすました顔で紅茶を啜るナギサ。
あまり二人の間の空気が良くない中で、彼女は話を続ける。
「……ミカさんが、接触してきましたよね」
「……!」
「よろしければ、私にも聞かせていただけませんか?……何をお話しになったのか」
口調は淡々と。
けれど、その目は鋭く輝いている。
「……ごめんね、あんまり私には時間が残ってないんだ。あの子達も頑張ってるし、私も頑張らないとだから」
「……では、もう一度前提から説明いたしますね」
しかし負けじと真剣な眼差しを向ける先生。
ティーカップをコトンとその場に置いてから、ナギサは徐に話しだした。
「まず、コハルさんは徹底的な反ゲヘナのハスミさんを牽制するための人質です。ハナコさんは本来トリニティのトップにさえ立てる才能をお持ちにも関わらず、その爪を、牙を不自然に隠しています。リエさんという安全装置があっても尚、疑わざるを得ません。アズサさんは、あまりにも未知な部分が多い。そもそも、転校してから暴力沙汰の多い危険な存在ですし。……そして……」
「ヒフミは、特別なんだ?」
言葉の詰まったナギサに、先生は問いかける。
彼女は目を瞑り、しばし考えた。
答えが出たのは、十秒ほど間が空いてからだった。
「……はい、そう言わざるを得ません。……彼女は、私にとってとても大切な……私は彼女に、特別としか言いようのない感情を抱いているのは間違いありません。ですが……彼女が犯罪集団のリーダーである、という噂を耳にしてしまいました」
「……それは……」
「……あくまで噂に過ぎないのかもしれません。ですが、火のない所に煙は立たぬ、ともいうでしょう?……信じていた大切な人に裏切られて破滅する……そんな失敗談は古今東西枚挙に暇がありません。……私は、そうではないと、そう断言できるほど彼女を理解できているのか……それが私には分かりません。……他人を理解するのは、あまりに難しいことですから」
結局、人間とは信じ切れないものである。
そんな諦観を抱いてため息を吐くナギサ。
それでも、と先生が言おうとしたところだった。
「それでも……」
「そう、否定したくなるのは分かります。ですが、心の内など証明しようのない領域、本人にしか、本人にさえ理解できない領域なのですから。ヒフミさんの心のどれだけの美しさを知ろうとも、そこまでは踏み込めないのです。……それが『他人』というものなのですから」
「あー……そう、なんとなく分かったかも」
先生は、ようやくね、と少し笑った。
「何を?」と尋ねるように彼女を見つめるナギサと、答え合わせするようにおもむろに口を開く彼女。
「ナギサさ、色々と信用できてないでしょ?『疑心暗鬼の闇の中』ってやつ」
「疑心暗鬼の……」
「そう、だから、自分の見たい事実だけ見て、自分の信じたい事実だけ信じてる。或る意味では現実から目を反らしてるんだね」
「……」
そう言って、真っ黒な明るい瞳がナギサを覗き込む。
彼女は正解とも不正解とも認められず、ただ黙ることしか出来なかった。
「だから、ナギサも助け出すよ。私はみんなの『先生』だからね!」
「……そうですか……。……まあ、つまりは話が簡単になったのですね。……承知しました。健闘を祈ります、先生。私も全力を尽くしますので」
「じゃあね」と手を振る先生の背中を見送り、ナギサは白い駒を一つ動かした。
「皆さん、ひとまず合宿お疲れさまでした!……しかし、本番はこれからです!」
補習授業部合宿最終日。
日も暮れる中で、ヒフミは合宿棟の教室の黒板の前に立って話していた。
教室の机には教材が山盛りになっている。
「ですが安心してください!私達はこの数日で十分試験に合格できるだけの実力を身に着けたはずです!」
「ああ」
「はい♡」
「もちろん!」
次々と気を吐く補習授業部。
そしてその後ろで腕を組み、先生はうんうんと頷いている。
「その通り!みんなよく頑張った!」
「はい!ですのでみんなで合格して、それで笑ってお別れして、それで補習授業部はおしまいです!悔いを残さないよう、全力を尽くしましょう!」
ヒフミがそう言って、〆ようとすると、アズサは少し悲しいような、寂しいような表情を浮かべた。
「……そうか、これで終わりなんだ……」
「……そこまで考える必要はありませんよ、私達は補習授業部の仲間であると同時に、トリニティ総合学園の仲間なんです。またいつでも会えますから」
「ほら!私は正義実現委員会にいつもいるから……そうだ!アズサも来る?!」
そう言って、コハルは思わずアズサの手を握る。
「あ」と我に返って離そうとしたその手を彼女は握り返した。
「……そうだな、考えておく」
「あはは……さっきも言ったのですが本番は明日なので……」
「ヒフミの言う通り!だからみんな早く寝ちゃいなね!夜ふかしはお肌にも悪いよ!」
「経験者は語るよ!」と彼女達を寝かせようとする先生。
そんな中で、コハルは一つの疑問を浮かべた。
「そういえば、明日の試験会場ってどこ?この前と同じ?」
「あ、今確認しますね……」
コハルに尋ねられて、トリニティの学内掲示板を確認するヒフミ。
そこに掲載されていたお知らせを見て、ヒフミは目を丸くした。
「……え。ええっ?!嘘ですよね?!」
「どうしました?ヒフミちゃん」
「何かあったの?」
突如狼狽えるヒフミ。
寝る準備を始めていた先生達が彼女の下に集まってくる。
「えっ?!だってこんなのありえな……えっ?!」
「失礼しますね、ヒフミちゃん」
混乱しているヒフミのスマホを拝借し、ハナコが改めてその知らせを確認する。
「「補習授業部第二次特別試験の変更点に関して」……?」
「変更点……ハナコ、何が変わってる?!」
「「試験範囲を三年生後期カリキュラムまで拡大」……「また合格ラインを60点から90点へと引き上げるものとする」……?」
突如として齎された試験の内容変更。
それは桁違いで済まないほど……まさしく異次元に難易度を上げるものだった。
「三年生……っていうことは三倍じゃない!!」
「きゅ、90点ですか?!私でもまだそんな点数は……」
「……投稿は……先程ですか……。……失礼、少し席を外します」
5人しかいない教室が騒然とする中、ハナコはスマホだけ持って教室を出て行った。
先生は、朝のナギサの言葉を思い出した。
「「私も、全力を尽くしますので」……なるほど。よっぽど退学させたいみたいだね、ナギサ」
「……やっぱり、ナギサ様の仕業なんですか……?」
「……退学?」
「待って、退学?!どういうこと!?」
先生が溢した『退学』という言葉に真っ先に反応したのはコハルだった。
「正義実現委員会である」ということをとても誇りに思っている彼女にとって、それは全てを失うことと同義であった。
……いや、このキヴォトスにおいてそもそも『退学』とは全てを失うことと等しいことだ。
「すいません、戻りました。……それで、その話をしたいのは山々なのですが……」
「……!まだ変更点があります!「試験会場はゲヘナ自治区第15エリア77番街の廃墟の1階」……?」
「ちょっと待って?!それより退学ってどういうこと?!」
必死な顔をして答えを求めるコハルに、先生は端的に答えた。
「三回落ちたら、トリニティ総合学園を退学になる」と。
「退学なんてなったら正義実現委員会に復帰できないじゃない!そしたら私……」
「……それは……」
「ごめん、二人共。今はそんな時間は無い。早く出発しないと」
「本当です、試験開始時間が「午前3時」って……!」
「ああ、今はどれだけの問題が山積みであろうと行くしかない。最後まで足掻き続けないと」
アズサはそう言って荷物を纏め始める。
それに釣られてヒフミ達も泣く泣く荷造りを始めた。
「あうぅ……」
「……うう……」
「……はい、今はそれしかありません。……ですが、ゲヘナで試験を受けるなんて少し楽しそうです♡」
「……とにかくみんな準備して!あと30分で出るよ!銃火器も忘れないで!」
時刻は9時を少し回った辺り。
試験会場へたどり着くには順調に行けば3~4時間で十分だろうが、そんなことは有り得ないと先生は踏んでいた。
彼女の指示通りに補習授業部はドタバタと準備を始めた。
「あうぅ……どうしてこんなことに……」
「……ねえ、ナギサ。これ、どういうこと?」
「……どう、と言われましても」
ハナコから送られてきたスクリーンショットを見せて、リエはナギサに尋ねた。
その目はナギサの良く知る『朝日奈リエ』ではなく、トリニティ総合学園内外に名を轟かせる『魔女狩り』のものだった。
「彼女達が大変良く励んでいると伺いましたので、それに応えようと思いまして」
「御託は聞きたくないから本音で言って。そんなにあの子達を退学にしたい?」
「……当然です。例えどれだけ目を掛けていようと、どれだけ純粋であろうと、『裏切り者』であるのなら、その疑いがあるのならば切り捨てる。それが政治というものです。……リエさんには理解できないと思いますが」
執務室にはリエとナギサの二人きり。
空気は限界まで張り詰めている。
『先輩』以前に『ティーパーティーホスト』であろうとする彼女の選択と、『オブザーバー』以前に『先輩』であろうとする彼女の思いが正面からぶつかった。
「なら教えてあげる。あの子達の中に裏切り者はいないよ」
「随分と絆されましたね、リエさん。……それはあなたに証明できることなのですか?ヒフミさん達が何を考えているか、何を思っているか……あなたは……リエさんは完全に理解していると?!人の心という領域にあなたは踏み込めると?!あなたにはそれが許されると?!!」
「なら一つ断言しようか。……あの子達は……補習授業部はみんなナギサが課した試練を越えようと、「試験に受かりたい」って思ってる!全てを懸けてもその未来を掴もうと足掻いてる!!絶対に、絶対にそれは、それだけは揺らがないから!」
次第に二人は声を荒らげていく。
彼女達の根底は何一つ変わらないにも関わらず。
結局、二人共トリニティが好きなだけだった。
だからナギサは『トリニティ総合学園』そのものを守ろうと、リエは『トリニティ総合学園の生徒』を守ろうとしていた。
そして、幼馴染が好きなだけだった。
ナギサはミカの居場所を守るため、リエは二人のあるトリニティを守るため。
ただ、それだけの違いだった。
「……結局リエさんには……一人で何でも出来てしまうあなたには分からないんです!私にはたどり着けなかったから……だから、だからこうするしかないんです!こうでもしないとトリニティを守れない!私は……あなたのような天才じゃないんです!!」
「そこまでして所詮守れるのは箱なのに?!中身の入らない箱には何の価値があるって言うつもりなのさ!!」
「その箱を代々受け継いできたのがティーパーティーなんです!それを守るのが私の責務なんです!!自由なあなたには分かるはずない!!」
デッドヒートする二人の口論。
テラスに出されていた長テーブルがそのまま二人の距離を現しているようだった。
そしてどうしようもない水掛け論に陥りかけた時、ティーカップが落ちて、甲高い音と共に割れた。
「……あ」
「……ごめん、なさい……」
二人は我に返った。
「……いえ、これ以上はやめましょう」
「……これ以上はただの意地の張り合い、かな」
時計は10時を過ぎていた。
リエは溢した涙の跡を拭って、フラフラと出口の方へ歩いていく。
同じく涙を拭いたナギサが、彼女の背に声を掛ける。
「……おやすみなさい、良い夜を」
「うん、おやすみ。……後悔だけは、しないようにね」
「……はい」
『ホスト』と『オブザーバー』から、『桐藤ナギサ』と『朝日奈リエ』へ。
二人は笑って、手を振った。
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記録13:第二次特別試験
「何で何でっ?!何でこんなことになるんですかぁぁぁぁっ?!」
真夜中の街並みに彼女の叫び声が木霊する。
ゲヘナ内の高速道路をその辺で拾ったスクーターでぶっ飛ばしていたヒフミの嘆きだった。
その華奢な手で手汗に少し濡れたハンドルをなんとか離すまいと握りしめ、風紀委員会、温泉開発部の追撃を避け続ける。
背後からの爆風で髪が揺れ、被ったヘルメットの下に涙を浮かべ、同じようにヘルメットを被ったコハルと二人乗りで、迫るゲヘナの軍団から逃げながら美食研究会と共にハイウェイを爆走中。
そして美食研究会がいつものように給食部から強奪していた配送車から彼女達へ声援が飛んでくる。
「トリニティの子、すっごく運転上手だね!」
「ガンバガンバー!」
「ヒフミもコハルも頑張れー!」
「な、何か飛んできてませんかコハルちゃん?!」
「ちょっ、揺らさないでよ!当たんなくなるじゃない!」
その声の主は、美食研究会の鰐渕アカリが運転する配送車の後部座席に乗り込んだ獅子堂イズミ、赤司ジュンコ、そして先生。
まるでスポーツ観戦でもするかのように声を出す三人だったが、目の前の事態の対処に必死な二人には届いていないようだった。
「『こちらチームブラボー。チームアルファ、応答せよ』」
「あ、アズサちゃん?!そっちは無事なんですね?!ってまたぁ?!」
「風紀委員会また増えてる!ヒフミもっと飛ばしてよ!」
逃走劇の最中、唐突にアズサから渡されていたトランシーバーに無線が入った。
もちろん、彼女からの連絡である。
しかし、チームブラボー、アルファなんて無意味な隠語に付き合っている余裕は残念ながらなく、ヒフミはアズサに必死に問いかける。
「『名前を言われてしまうと意味がないんだが……それはそれとして、ごめん。陽動は失敗した。こっちは今包囲網のど真ん中だ』」
「ええっ?!それは大丈夫なんですか?!大丈夫じゃないですよね?!」
「『前方には温泉開発部の火炎放射、後方にはやたらタフで強いツインテールの風紀委員……まあ、何とかする。だから後で会おう。健闘を祈る』」
「あ、アズサちゃん?!……わ、私達は試験を受けに来ただけなのに!ほんとに何が起きてるんですかぁっ?!」
爆発音と共に、彼女の叫び声がゲヘナの市街に再び木霊する。
彼女達補習授業部が壮絶なカーチェイスに臨むことになったのには、ほんの少し複雑な事情があった。
話は少し前に遡る。
速やかに準備を終えて、9時半頃にトリニティを出た彼女達。
トリニティ自治区を抜け、銃声の響くゲヘナへ差し掛かった補習授業部一行だったが、そこで彼女達は検問を張っていた風紀委員会に見つかってしまった。
なんでも美食研究会やら温泉開発部やらのゲヘナが誇る最凶テロリスト集団が揃いも揃って大暴れ、街には規制が敷かれているらしい。
「止まれ!此処から先は立入禁止となっている!というかトリニティがゲヘナに何の用だ!」
「そうだそうだ!それに今日は街全体に外出禁止令が出ているんだ!さっさと帰れ!」
「いえ、ただ私達は試験を受けに来ただけで……」
「そんな訳あるか!つくにしてももう少しマシな嘘をつけ!」
ハナコが事情を説明するも、まあ傍から見たら「そんなこと有り得ない」としかならない話で一蹴されてしまう。
確かに相手が正論であるのは否めないが、こちらも退学という最悪のバッドエンドルートが待ち構えている以上引き下がる訳にはいかない。
これはどうしようかと補習授業部が頭を捻っていたその時、突如後方から榴弾が飛んできて風紀委員会の検問が吹き飛んだ。
そして彼女達の後ろには唸るエンジン音が迫っていた。
「うああっ?!」
「こ、こいつらやはりゲヘナを襲いに……!」
「命中ですね、完璧です☆」
「……あら。お久しぶりです、先生」
給食部と書かれた車が補習授業部の側に止まって、美食研究会が姿を現した。
ついこの前の水族館襲撃事件の後、先生が立ち会って正義実現委員会から風紀委員会に引き渡されたはずだったが、彼女達はもう脱獄してきたらしい。
華麗に助手席を降りて先生に挨拶したのは美食研究会会長、黒館ハルナ。
美味しい食べ物、手の込んだ食べ物、思いがこもった食べ物を是とし、それにそぐわぬ物は片っ端から爆破する、まさしく『美食』を求めるトリニティ有数のテロリストである。
そして会話の最中もトランクから謎のうめき声が聞こえたが、なんだか聞いてはいけないものを聞いている気がしてみんなスルーしていた。
「あ!この前の……!」
「はい、水族館を襲撃していた……」
「その節はお世話になりました☆」
「……今日はあの怖い人はいないんだ……」
思わぬ再会に困惑する一同だったが、今は何よりも時間がない。
現在時刻は12時手前。
このままだと恐らく会場には間に合わない。
先生が一か八かで彼女達に事情を伝えると、ハルナは「自分達が会場まで送っていく」と提案した。
かくして、ゲヘナを駆け巡る地獄のカーチェイスは幕を開けたのだ。
「はぁ……はぁ……こ、ここが試験会場……?」
「た、多分そうですね……。……あ、先生……」
「……ぜぇ……ぜぇ……良かった、二人共無事だね……!」
あれから何とかカーチェイスを突破し、ボロボロの状態で試験会場に辿り着いたヒフミとコハル。
カーチェイスの後も必死で逃げている内にはぐれてしまい、一人でここまで向かってきた先生もようやく合流した。
三人とも同じようにボロボロで、もはや無傷なのはヒフミのペロロ様リュックサックくらいのものだった。
ぜぇぜぇと肩で息をしながらヒフミは言う。
「本当に良かったです……給食部の車が川に沈んだ時はどうなるかと……」
「ハルナ、見事なサムズアップだったね……」
「あはは……」と苦笑いして相槌を打つ彼女。
そしてそこに聞き慣れた声が響いた。
「皆さん、お待たせ致しました♡」
「……2時45分。間に合いはしたが、流石に疲れるな」
何故か水着のハナコとガスマスクを着けたアズサも包囲網を突破してなんとか合流。
時刻は2時50分。
これで一応、時間前に補習授業部は試験会場に到着することが出来た。
みんなとても試験を受けられるようなコンディションではなかったが、受けない限り始まらないということで四人は廃墟の中に入った。
「……うわぁ……本当にここで受けるの……?」
「「ゲヘナ自治区第15エリア77番街の廃墟の1階」……はい、ここで間違いありません。……しかし解答用紙などはどこに……?」
「……いや、これだ」
何に使われていたかも分からない程に朽ちた廃墟はゴミと落書きだらけで、とても試験会場と思えるような場所ではなかったが、ハナコが現在地と指定されていた座標を照らし合わせると、そこは間違いなくナギサが指定した場所だった。
彼女達が辺りを見回して試験用紙を探す中、いち早くそれに気がついたアズサが足元に転がっていた不発弾を拾い上げる。
「……これ、L118の弾頭だ。雷管とか爆薬は抜かれてるから爆発はしないようになってる」
「L118……!ナギサ様のやつです!間違いありません!」
「なるほど、ということは中に……」
L118、即ちナギサお抱えのティーパーティーの砲兵部隊のメインの弾薬である。
その事を聞かされたアズサが「ならそうだろう」とおもむろに弾頭を開くと、中から何枚かの紙と通信装置が出てきた。
カチャッと地面に転がったそれは、数秒の間の後に空中にホログラムを映し出す。
「『……これを見ているということは皆さん無事に到着されたのですね。お疲れさまです』」
「な、ナギサ様?!」
「……」
「『ふふっ、恨み節は後回しにするのをお勧め致します。こちらは録画映像ですので』」
そう言って皮肉るように微笑む映像内のナギサに、先生は少し怒ったような顔をする。
しかし、彼女の言う通りに画面の中のナギサにはそれは届かない。
もう間もなく試験の開始時刻になろうとしている中で、彼女はもう少しだけ話を続けた。
「『……それでは間もなく試験です。皆さんの健闘をお祈り致します。……どうかお気をつけて。ゲヘナには
「……あうぅ……切れちゃいました」
「もう時間がない、始めよう」
「はい。……しかし最後の一言……」
ハナコが一人訝しむ中、第二次特別試験は幕を開けた。
……開けたのだが。
試験開始から十分ほど経って、廃墟の周りに何人かの温泉開発部が集まり始めた。
匿名で、「そこに温泉が出る」というタレコミが入っていたのだ。
「……おお!ここだここだ!ここら一帯全部!」
「オッケー!にしてもありがたいね!誰だか知らないけど温泉が湧く場所を教えてくれるなんて!」
楽しげに、ハイテンションに話しながら彼女達は手際よく建物を囲むように爆薬を設置し始める。
温泉開発には爆破が欠かせないという思想を彼女達の誰もが共有していた。
「……発破準備よぅし!」
「よっしゃぁ!……開発の時間だあああああ!!」
一際ハイテンションな部員が思いっ切りスイッチのハンドルを押し込む。
連鎖的に巻き起こる爆発の後、抜きん出て大きな爆発とともに会場がまるまる吹き飛んだ。
それに巻き込まれた試験途中の彼女達の解答用紙が爆風に乗り、燃え尽きて暁の宙を舞う。
「……ゲホッゲホッ……な、何が起きたの……?!」
「……誰かがここを爆破したみたいだ……」
「……そういうことですか」
「せ、先生……ご無事ですか……」
「何とか……みんなは大丈夫……?」
第二次特別試験、結果。
全員、解答用紙紛失により不合格。
残された機会は、あとたった一回。
だ、誰の仕業なんだ
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記録14:全てが終わる、その前に
「こんなのやだ!分かんない!やりたくない!」
「あうぅ……そう言わないで、今はみんなで力を合わせてどうするか考えないと……」
「今は知恵を絞らないとどうにもならないからね!」
何とかあの後ゲヘナから脱出し、合宿棟の教室で迎えた夜。
「正義実現委員会のエリート」という肩書きはどこへ行ったのかの聞きたくなるほどの弱音を吐くコハルと、彼女を宥めようとするヒフミと先生。
教室の雰囲気も最悪の中、アズサは黙々と新しい問題に打ち込み、ハナコは少し教室の端で物思いに耽っていた。
「……にしてもまたここに戻ってくることになるなんて……このままじゃ私達みんなまとめて退学に……」
「っていうかそうじゃん!ティーパーティーが私達を退学させようとしてるなら私達にはどうしようもなくない?!」
「……一応、一週間後には第三次特別試験もありますが……ここまで妨害されると厳しいものがあります」
一週間で範囲が三倍になったテストで90点以上を取れという無理難題をナギサからの妨害を乗り越えた上で突破する、それは今の彼女達の心を折るには十分な壁であった。
「……うう……無理ぃ……絶対無理だってぇ……私バカだからそんなの出来っこない……頑張ったのに……頑張ったのに……」
「コハル……」
「コハルちゃん……」
その目に涙を浮かべて机に突っ伏すコハル。
なんとか宥めようとする彼女達だったが、どう言葉を掛ければ良いのかが分からない。
ハナコさえ、「ここにリエさんがいれば」なんて事を無意識に考えてしまっていた。
「……今日はもう、休みませんか?このままでは解決できるかもしれない問題まで解決できなくなります。一旦休んで、それから考えませんか?」
「そう……ですね……」
「……みんな、お疲れさま」
そしてしばらくの沈黙の後に、ようやく彼女が発せた言葉。
「そうするしかない」とみんなそれに同意して、彼女達は失意の中で眠りについた。
第三次特別試験まで、あと6日。
そして翌朝一番、彼女達が集まっていると突然教室の扉が開き、大きな二つのキャリーケースを転がしたリエが姿を現した。
普段とは違う、どこかピリピリとした空気を纏っている。
よく見ると若干服装も乱れていて、余程急いで来たように見える。
「り、リエ様?!」
「先輩?!その……とりあえず……」
「みんな、本当にごめん。ティーパーティーを、ナギサを止められなかった
教室に足を踏み入れるなり、リエは深々と頭を下げた。
その長いサイドテールが長い脚に絡み、床に擦れる。
「あ、謝らないでください!リエ様のせいじゃありませんよ!」
「はい、リエさんがあのようなことをする方ではないのは存分に理解していますから」
「……大丈夫だよ、そんな事しなくても」
先生がそう言うと、彼女はようやく頭を上げた。
そしてハナコから荷物について尋ねられたリエは、両手で引いてきたキャリーケースを彼女の方へ滑らせた。
ゴロゴロとキャスターが回る音が鳴る中、それはヒフミの座っていた椅子の脚に音を立ててぶつかる。
少し彼女は驚いた後、そのキャリーケースとリエの顔を交互に見た。
「開けて良いんですか?」とヒフミが恐る恐る尋ねると、彼女は黙って首を縦に振った。
「……!これ……」
「よろしいんですか?リエさん?」
「好きに使って」
彼女の持ち込んだキャリーケース、その中にはビッシリとノートや教科書、参考書、BDが詰まっていた。
どれもかなり使い込まれていた形跡があって、分かりやすいように線なんかも引いてあり、名前欄にはそれぞれ「朝日奈リエ」と書かれている。
好奇心からその内の一つを手に取り、パラパラと捲ったアズサは思わず「……凄いな」と感嘆の声を漏らした。
「しばらく顔出せなくなりそうだから、それが最後の差し入れ。存分に酷使してやって」
「リエさんはこれからどうなさるのですか?」
「止められる……と断言は出来ないけど、ティーパーティーをどうにかする。……流石に、二人をほっとけないから」
新たな教材を捲る彼女達に背を向けて教室を出ようとしたリエにハナコが声を掛けると、彼女はそう答えた。
「……リエさんなら、そうしますよね」とハナコは小さく呟いた。
「……そうですか。健闘を祈ります、リエさん」
「うん、私もみんなの健闘を祈ってる」
そう言って、リエは補習授業部に手を振って合宿棟を少し早歩きで去っていく。
(……あの子達があれだけ頑張ろうとしてるのに、私一人諦める訳にはいかないな)
帰り道、彼女は自らの頬をバシッと叩いた。
「ハナコ!この問題どうすればいいの?!」
「私もそこで詰まってるから教えてほしい」
「……二次方程式ですね。ここで判別式を使うと……」
補習授業部模試、結果。
浦和ハナコ、100点。
白州アズサ、87点。
下江コハル、81点。
阿慈谷ヒフミ、83点。
第三次特別試験まで、あと5日。
「ハナコちゃん、ここの訳なんですが……」
「そこはここから推測すると意味を絞れるので……」
「コハル、数学のノート次貸してほしい」
「分かった!すぐ終わらせるから!」
補習授業部模試、結果。
浦和ハナコ、100点。
白州アズサ、89点。
下江コハル、87点。
阿慈谷ヒフミ、88点。
第三次特別試験まで、あと4日。
「ヒフミ、古典の辞書は……」
「はい、これですね。それでリエ様のノートは……」
「ハナコ、ここって……」
「……はい、そういうことです」
補習授業部模試、結果。
浦和ハナコ、100点。
白州アズサ、94点。
下江コハル、90点。
阿慈谷ヒフミ、94点。
第三次特別試験まで、あと3日。
「ハナコ、間違えたところなんだが……」
「……それはここの単語が……」
「ヒフミ、この問題分かる?」
「はい……これはここを……」
補習授業部模試、結果。
浦和ハナコ、100点。
白州アズサ、93点。
下江コハル、88点。
阿慈谷ヒフミ、89点。
第三次特別試験まで、あと2日。
補習授業部模試、結果。
浦和ハナコ、100点。
白州アズサ、95点。
下江コハル、89点。
阿慈谷ヒフミ、89点。
「グラフのここの部分が間違ってるんじゃないか?」
「……みたいですね。……じゃあここはなんで……」
「多分ここの値を加え忘れていますね。コハルちゃんはここの平方完成が間違ってます」
「……!ホントだ……」
第三次特別試験まで、あと1日。
「……明日……なんだよね……」
「はい、明日……私達の命運が懸かった試験が……」
「何も心配することはない。……必ず合格する」
正真正銘、補習授業部最後の日を彼女達は迎えようとしていた。
一日の大半を勉強に費やした2週間はまもなく終わろうとしていた。
「はい、アズサちゃんの言う通りです。私達は頑張ってきたんですから、あとは最善を尽くすのみです」
「うん。……みんな、よく頑張った!」
「先生……気が早いですよ……」
「今こんなに感情的なら、明日の今頃は……ふふっ、楽しみですね♡」
感極まった先生が、補習授業部をまとめて抱きしめる。
まだ早いとは分かっていながらも、四人とも嬉しそうに笑顔で応えた。
「……というわけで補習授業部!明日は全力を尽くしましょう!」
「はい♡」
「……ああ」
「うん!」
「頑張れみんな!」
決意にみなぎる中、彼女達は合宿棟での最後の眠りについた。
「……」
「……アズサちゃん……?」
呼び出しを受けたアズサは、夜中に一人合宿棟を抜け出した。
隣で寝ていたハナコに、彼女は心の中で「申し訳ない」と呟いて。
「おまたせ、サオリ」
「時間丁度。流石だな」
トリニティ総合学園の敷地を抜けて、集合場所に指定されたトリニティ郊外の廃墟へ向かうアズサ。
集合時間丁度に到着し中に入ると、そこにいたのは彼女の属するアリウス分校の特殊部隊、『アリウススクワッド』のリーダー、錠前サオリだった。
「アズサ、日程が変わった。明日の午前中、学園内で指示を待て」
「……?!待って、サオリ。明日は……」
「明日は……どうした?」
明日は補習授業部の第三次特別試験だ、そう言いかけた彼女だったが、それを言ったらますますヒフミ達が危険な目に合うのは分かっていた。
彼女は何とかそれを飲み込んで、その場しのぎの適当な嘘をついた。
「……ま、まだ準備が万全じゃない。今決行するのはリスクが高い」
「いや、もう決定した話だ。準備を間に合わせろ」
「……」
そう言って、サオリはアズサの言葉を一蹴する。
返す言葉が見つからなくて、彼女は口を閉ざした。
「これで全てが変わる。私達も、トリニティも、キヴォトスもな」
「……」
「ティーパーティーホスト、桐藤ナギサのヘイローを破壊する……それだけがお前の役割だ。分かってるな?」
「……」
「お前の実力は信じるに値する。上手くやれ、百合園セイアと同じように」
「……分かった」
数ヶ月前に発生した、百合園セイア襲撃事件、その実行犯こそが彼女だった。
アリウス分校と内通した聖園ミカの手引きによってトリニティ総合学園に入り込み、彼女を未知の技術で作られた『ヘイローを壊す爆弾』で殺害する、それこそが彼女に与えられた仕事。
そして今回、新たにアリウス分校は彼女に桐藤ナギサの殺害という役割を与えたのだ。
「……準備しておく」
「ああ、期待してるぞ」
彼女は何も言わず、頷いた。
「こ、こんばんは……先生……」
「……ヒフミも眠れない感じ?」
「そんな感じです……」
いつものように先生の部屋を訪れたヒフミ。
彼女の顔を見るなり「おそろいだね」と先生は小さく笑う。
時刻は1時を回っていたが、彼女は部屋の机でパソコンを弄っていた。
「……いたぁ……」
「こ、コハルちゃん?」
「……だって今部屋誰もいないんだもん……アズサも……ハナコも……」
「失礼しますね、先生」
二人が話していると、眠そうな目を擦るコハルと、少し遅れてハナコも合流する。
一人だけ制服に着替えていたから、「誰かと会ってたのかな」とヒフミは少し考えた。
「少し用事がありまして、外の方に出てたんです」
「……こんな夜中に?」
「ふふっ、密会というやつです。それと、私達の明日の試験場所なのですが……」
「第19分館ですよね?まさかまた……?!」
ヒフミの顔から血の気が引き始める。
「残念ながら」とハナコは首を縦に振り、掲示板を開いた。
「……「エデン条約に関する機密書類の保護」という名目でティーパーティーからの要請によって正義実現委員会の殆どがそこに派遣されるそうです。一帯に厳戒態勢が敷かれていると。それに加えて、本館の方では戒厳令も出されているようですね」
「か、戒厳令……?!」
「はい、おそらくエデン条約締結までは誰一人としてあの建物には入れないでしょう。それこそ、ティーパーティーくらいしか……」
「ちょっと待って、なら明日の試験は……?!」
思わずコハルは声を上げた。
また新たに増える問題、立ち塞がる壁に彼女達は頭を抱えながらも、何とか解決策を絞り出そうと奮闘する。
「……そうだ!私がハスミ先輩を説得すれば……!」
「……それは不可能に近いと思います。もし彼女が私達に味方すれば、それはティーパーティーに対する明確な裏切り、ハスミさんも正義実現委員会から除名されるかもしれません」
「で、でもリエ先輩は……!」
「リエさんはホストに次ぐオブザーバー、トリニティ総合学園内での独断による行動が許される唯一の人間です。ハスミさんとは訳が違う。……ナギサさんには私達を合格させる気はサラサラ無いようですね」
「……そんな……どうして……」
思わず涙目になって「でも……でも……」と呟くコハルの横でハナコは思考を巡らせる。
そしてヒフミがガクッと項垂れて少しの間が空いた時、アズサが姿を現した。
「……私のせいだ」
「あ、アズサちゃん?!どこ行ってたんですか?!」
「……」
「みんな、私から話がある。どうか聞いてほしい」
少し申し訳無さそうな、話しづらそうな顔をしながらも、彼女は口を開いた。
彼女を囲む4人はゴクリと唾を呑んだ。
「……アズサちゃん?」
「ど、どうしたの?具合でも悪い?」
「はい、身体が震えて……」
「……今まで、みんなに隠していたことがあった……。でもこれ以上は隠せない……。……ティーパーティーが探している『トリニティの裏切り者』は、私だ」
そう言って、アズサは項垂れた。
しかしハナコが少し考える程度で、それを聞いたヒフミもコハルもキョトンとしているだけだった。
「……私はアリウスの、アリウス分校の人間だ。今は身分を偽ってトリニティに潜入してる」
「アリウス?潜入?……何の話ですか?」
「……全然分かんない……」
困惑する彼女達にハナコは少し顎に指を当て、そして徐ろに話しだした。
「……アリウス……かつてトリニティが合併する際、唯一反対した分派と覚えています。その後はトリニティに弾圧されキヴォトスの何処かへ逃げたと聞いていましたが……」
「ああ、間違いない。ここに来るまでは私もずっとアリウスの自治区にいた。それで今は……任務を受けてここに……」
「……なるほど」
「その任務が……ティーパーティーの桐藤ナギサ、そのヘイローを破壊すること」
その言葉に、誰もの目が変わる。
「っ?!」
「……マジ?」
「嘘?!それって、それって……!」
ヘイローを破壊する、それがどういうことかを彼女達は反射的に理解した。
各々が思わず声を漏らす中、ただ一人ハナコは黙ってそれを聞いていた。
「アリウスはどんな手を使ってでもティーパーティーを潰そうとしてる。聖園ミカを騙して私を学園に忍び込ませ、百合園セイアと桐藤ナギサを襲撃しトリニティ総合学園を手中に収める……そういう算段だった」
「……確かに、ティーパーティーに隙があるとすればミカさんになるでしょうが……」
「……あれ、リエは……?」
「そもそもオブザーバーは、ホストがあって初めて成り立つものです。「ホストを全員排除すれば無力化出来る」……そう踏んだのではないでしょうか」
首を傾げる先生に、ハナコは少し解説する。
「なるほど」とその事について納得はしたものの、浮かんでくる疑問は絶えない。
「えっと……つまり……?」
「ちょ、ちょっと待って?何の話?今の私達には関係無くない……?嘘だとは思わないけどなんで急に……?」
「……」
一見補習授業部とは何も関係がないように聞こえるその話に、ヒフミとコハルは理解が追いつかないようで、目の前のアズサに尋ねる。
ハナコは情報を整理するように目を瞑り、先生はその話を黙って聞いている。
「……明日の朝、ナギサを狙ってアリウスがトリニティに侵入する。私は、彼女を守らないといけない」
「あ、明日ですか?!」
「……全ての条件が明日は整って……?……なるほど、そういうことですか」
ハナコは小さく呟いた。
「待ってよ!アズサはティーパーティーを倒しに来たんでしょ?なんで急に守るって話になるのさ!」
「……アズサちゃん
「……!」
彼女が問いかけると、アズサは思わず目を見張った。
そして返事の返ってくる前にハナコは続ける。
「ナギサさんを守るために、桐藤ナギサ襲撃に参加する、いわば二重スパイ。その準備をするふりをして、実際は裏切って、ナギサさんを守るための準備をしていた。……でも、それは何故ですか?誰の命令で?」
正解不正解は置いておいて、辿り着いた自分なりの考えをアズサに尋ねるハナコ。
アズサは黙って、その首を横に振った。
「……これは、私の独断だ。ナギサがいなければ、エデン条約は確実に空中分解する。……そしたら、またキヴォトスは一層混沌に陥ってしまう。……そしたら、また第二のアリウスが……」
「……甘い、甘い話ですね。『
「……本当に、ごめん。好きなだけ恨んでくれて良い。……むしろ、そうしてほしい」
アズサがそう言うと、先生はクスッと笑って彼女を抱きしめる。
「……生徒を恨むわけ無くない?私は先生だよ!」
「……先生?」
「きっと、問題は「信じること」が足りなかったこと。ナギサも、ミカも……信じられなかったんだよ。互いのことが」
そう言って、先生はアズサの耳元で優しく言う。
それを見たハナコが、またおもむろに口を開いた。
「……ごめんなさい、アズサちゃん。少し、意地悪してしまって」
「ハナコ?」
「……補習授業部は、少し特殊で、特別で、不思議な存在でした。ナギサさん、ミカさん、リエさん、先生、私達……それぞれの運命が結び目のように絡まって……なんだか奇妙な場所でした」
「……」
「けれども楽しくて、充実していて、甘い日々、甘い時間だったと思います。……それは、アズサちゃんもそうだったんでしょう?」
「……!」
ハナコの問いかけに、彼女は再び目を見張った。
そして黙って、ゆっくりとその首を縦に振る。
「アズサちゃんが本当に私達を裏切るつもりなら、いくらでも姿を消すタイミングなんてありました。……でも、そうしなかったんです」
「……ハナコちゃん……」
「一緒に勉強して、一緒にご飯を食べて、明るい先生がいて、優しい先輩がいて、それで同じ目標へ向かって頑張る……そんな時間が、あまりにも楽しかったから。……『学ぶ』ことの楽しさを、知ったからなんですよね。アズサちゃん?」
「……分からない。でも、一緒に問題を解くのは楽しかった。一緒にプールで遊ぶのも楽しかった。……どれも、手放したくなかったのかもしれないな……それに、まだやりたいことも、知りたいことも沢山残ってる。……だから……みんなと、まだ別れたくない」
「……アズサちゃん……」
少し涙目になって、アズサは話した。
まだ未練が沢山あると、まだみんなと一緒にいたいと。
時計の針は2時に差し掛かろうとしていた。
「……同じようなことを思っていた生徒の話をします」
「……?」
ハナコはゆっくりと切り出した。
「その子はたまたま何をやっても上手く出来てしまうような子で、周りから期待されてしまうようなタイプで……その子も周りの期待に応えられてしまって……いつしか、本当のその子を見てくれる人なんて、ほとんどいなくなってしまいました」
「……そっか」
少し潤んだような目の彼女の話に、先生は穏やかに相槌を打つ。
そして無意識に涙を湛えながらハナコは続けた。
「その子にとっては、トリニティ総合学園は嘘、偽り、欺瞞、それに目を覆うような権力への執着に満ちた、気持ちの悪い檻でした。何度も退学しようと考えては、誰にも話せずに仮面を被って過ごす……そんな日々が続く中で、その子の先輩は言ったんです。「そんなのつまらないでしょ?」と」
「それは……」
「その先輩は、自由な人でした。それに、嘘に塗れてるのを分かっていながら、トリニティ総合学園を愛していました。そんな先輩が、その子を引き止めました。「だから本当に好きなものが見つかるまで、ここにいたい理由が見つかるまでもう少しだけ待ってみて」と。……けれど、結局好きなものは見つからなくて、その子はあえて試験を台無しにすることで退学になろうとしたんです」
「……それって……」
「もしかしてリエのこと?」、そう言おうとして、先生は喉元まで上がってきたその言葉を再び飲み込んだ。
「……アズサちゃんは補習授業部がなくなったら、元の場所に帰ってしまうんですよね?……なのに、アズサちゃんはその子と違って一生懸命でした。……その子は思ったんです。「なんで、こんなに一生懸命なんだろう」って。アズサちゃんがいつも言う通り、「『
「……ハナコ……」
「下着でプール掃除をしたり、みんなで水着になってみたり、その先輩も遊びに来たり……隠さないって、こんなに楽しいんだ、普通のことってこんなに楽しいんだって」
「……って、あれ下着だったの?!」
「ふふっ♡」
……みんな、徐々に気づき始めていた。
『その子』はハナコのことだと。
彼女はそれだけ胸に抱え込んでいたのだと、初めて補習授業部は知った。
「アズサちゃん、まだまだやりたいことがあるんですよね?海に行ったり、遊園地やお祭りに行ったり、ファミレスでドリンクバーも飲んでみたいって。……その為に、ナギサさんを守るんですよね?」
「……ああ。何としても彼女を助けたい」
「……そうですよね。その答えが聞けて何よりです。……アリウスからナギサさんを守る、試験にも合格する、それが私達が救われる、最高の答えではありませんか?」
ハナコは問いかけた。
けれど、アズサは自信なさげに、込み上げる何かを堪えながら答える。
「でもそれは物理的に不可能……試験開始も襲撃の時刻も同じ9時……」
「な、なら他の人に助けてもらうというのは?!」
「……いえ、私達が目的を果たす為には、それではまだ足りません。……ですので、こちらから仕掛けましょう。罠や策謀に巻き込まれてきた私達ですが、今度はこちらが巻き込んで差し上げましょう。なにせここには正義実現委員会のメンバー、ゲリラ戦の申し子、ティーパーティーホストから寵愛されている自称平凡な生徒、トリニティのほぼ全てを知る人、シャーレの先生がいます。……トリニティ最高戦力の彼女のサポートも」
「……!」
そう言うと、ハナコは少し黙った後にアズサに向けて頭を下げた。
「……それと……ごめんなさい、アズサちゃんが話していたこと、実は少し知ってたんです。本当に、ちょっとだけですけど」
「……そういうことか」
「はい。先程、リエさんから。「もしかしたらだけど」と少し教えていただきました。……それと、アズサちゃんへのプレゼントだそうです」
そう言うと、ハナコはリエから預かっていたメモをアズサに手渡した。
トリニティ総合学園に隠された正義実現委員会の武器庫について事細かに記載されている。
「……これは……良いのか?」
「はい、「正義実現委員会のものをどう使おうと
「……リエっぽいね」
「……それで、これだけの戦力があるんです。……トリニティ程度、数時間で終わらせられますよ♡」
ハナコはフッと微笑んだ。
何の大きさとは言いませんが
リエ≧ミカ>ナギサ>>>(越えられない壁)>>>セイア
です
何の大きさとは言いませんが
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記録15:明日に手を伸ばして
「良い夜だね、ハナコ」
「……突然ですね、リエさん」
第三次特別試験の前夜、ハナコは唐突にリエに呼び出された。
メッセージにはただ一言、「答えが分かった」と。
「……それで、何の答えですか?」
「『トリニティの裏切り者』」
仄かに街灯の灯る下、彼女は言い切った。
その目を見て、ハナコは余程の緊急事態が起きていると確信した。
『魔女狩り』の苛烈な瞳でも、『
これが本来の『朝日奈リエ』の目なんだ、とその熱に当てられてハナコは思った。
「……誰に伝えましたか?」
「ハナコが初めて。そろそろ、自分から言うかもしれないけど」
「……」
「アズサだよ。ナギサが探してるの」
なるほど、そう考えたら幾つかの事実に辻褄が合う。
ハナコは思考を巡らせて冷静に考えた。
そのままに、何故彼女は私に伝えたのだろうと考えていくと、彼女が次に発する言葉はすぐに決まった。
「……それで、リエさんが探しているのは?」
「流石だね。でも、それは少し後で。……それでさ、彼女アリウス」
「……そういうことですか」
彼女達の会話は明らかに省略されていたが、それでもハナコはその省略された箇所を瞬時に頭の中で補って、虫食いになった事実を自らの手で埋め直す。
補習授業部に関する全てを、もう一度。
しばらくの思考を挟んだ後に、そういうことか、と理解してハナコは口を開いた。
「それで、何故私に伝えたのですか?」
「手遅れになりそうだと思ったから。この辺は……私じゃ上手く説明できないかな。もしかしたらだけどの話になるし、本人から聞いて。……そうそう、それと……これ。彼女に渡しておいて」
「……これは……」
「学園内に隠されてる武器庫のデータ。存分に使って。私急ぎの用事あるからそろそろ行かないと……」
「よろしいんですか?」
「正義実現委員会のものをどう使おうと
そう言ってその場から去ろうとする彼女の背に問いかける。
彼女はおもむろに振り返ると、唇に人差し指を当て、小さく口を開いた。
「……結局、誰なんですか?リエさんが探しているのは」
「……そんなに知りたいなら教えてあげる。間違いなく、裏切り者は──」
たかが5分もないやり取り。
けれど、それはトリニティ総合学園の命運を確かに変えていた。
トリニティ総合学園内に偏在する、避難用のセーフハウス、中でも最もセキュリティの高い屋根裏部屋にナギサはいた。
明日さえ、第三次特別試験さえ乗り越えればエデン条約は無事に調印される。
彼女は甘ったるい紅茶に口をつけながら、半開きの窓の隙間から夜空を眺めていた。
「……もう、紅茶のお代わりは結構です。おやすみなさい」
ノックされたドアに、そう返す。
けれど、ナギサの考えに反してそのドアはおもむろに開いた。
「可哀想に、眠れないんですね」
「……?!浦和ハナコさん……?!」
「まあ、当たり前ですよね。いよいよ明日ですから。不安で不安でたまらないですよね、ナギサさん?」
浦和ハナコだった。
思わず目を見張り、一瞬息が詰まる。
ティーカップを持つナギサの手が固まった。
「……どうしてここに……?!」
「私がここにいる理由ですか?何故ここを知っているかというお話ですか?後者であればもちろん、全てのセーフハウスとローテーションを知っているからなのですが……前者であれば内緒です♡」
指先にも力が入らない、いや、そこに力を割く余裕すらなかった。
傾いたティーカップから冷めた紅茶が溢れ、スカートに大きなシミを作る。
ハナコの声は、自らの荒くなった呼吸で掻き消される。
それでも、僅かにその声を聞き取ろうと耳に意識を集中させる。
「あら?後者の方でしたか?でしたらもう少しだけ教えてあげますが、きちんと例外も把握しております♡心の底から震えるような時はこの秘密の屋根裏部屋ですよね♡」
「何故それを──」
「動くな」
口を開こうとしたナギサの背に、カチャリという音とともに冷たい感触。
そこから身体が凍ってしまうんじゃないかと思うくらいに酷く冷たかった。
白洲アズサが、彼女の背にそのアサルトライフルを突き付けていたのだ。
「……!」
「もちろん、警備の方々は片付けてありますのでご安心下さい♡」
「……白洲アズサさん、浦和ハナコさん……まさか……裏切り者は二人……?」
「ふふっ、単純な上に浅はかですねぇ♡私が裏切り者なのをあの方が見逃してくれるとでも?」
あの方、ハナコさん、先輩……。
「……あ……あ……」と声にならないうめき声が漏れた。
「……リエ……さん……?」
ティーカップを持っていたその手から、すっと力が抜けた。
パリィンという甲高い音が鳴って割れた。
「……嘘……ですよね……?」
「ふふっ、まあリエさんさえも駒に過ぎませんので♡」
「……誰、なんですか……?」
固まったその手は、ティーカップを持っていたままの形を保っている。
その目は、もはや縋るような目線をハナコに向けていた。
「……答え合わせの前に、一つだけ。……本当に、ここまでする必要があったのですか?ヒフミちゃんとコハルちゃんを犠牲にする必要はあったんですか?」
「……それ……は……」
「補習授業部です。ナギサさんの気持ちが分からない訳でもありませんが、『シャーレ』まで巻き込んで、ここまでする必要はあったのですか?」
思わず声が詰まる。
目をそらそうとしても、どうしても
「最初から怪しかった私やアズサちゃんは仕方ないとも言えるかもしれません。しかし、あの二人にはあんまりな話だと思いませんか?」
「……でも……」
「特にヒフミちゃんはナギサさんと仲良しだったじゃないですか。……ヒフミさんがどれだけ傷つくと?」
「……でも後悔は、後悔だけはしていません。後悔だけはしてないんです!……これは、必要な、犠牲ですから……」
スカートから更に滴り、床に作られた紅茶のシミにナギサの溢した涙が落ちた。
それを見て、ハナコはゆっくりと言葉を伝えた。
「では、私達のボスから最後に」
「……ボス……?」
ハナコは精一杯の笑顔を浮かべ、声色を明るくして言った。
「「あはは……えっと、それなりに楽しかったですよ。ナギサ様とのお友達ごっこ」……とのことです♡」
「……ぇ……?」
声にならない吐息がナギサの口から漏れると同時に、アズサは引き金を引いた。
深夜の学園を、二人は気絶したナギサを抱えて歩いていた。
「こちら目標を確保。弾倉丸々一つ密着で叩き込んだから一時間は気を失ってるはず」
「『わ、分かりました……』」
連絡を受けたヒフミが少し戸惑いながら無線を切った。
それを確認した後に、改めてアズサはナギサを背負い直す。
「ふふっ♡それではアズサちゃん、準備はよろしいですか?」
「ああ、問題無い。……これで本当の『トリニティの裏切り者』が炙り出せる……?」
「……はい。彼女の性格的にも、間違いなく姿を現すでしょう。……ですので、それまで持ちこたえます。大丈夫ですね?」
「もちろん。……ところで、最後のアレ、必要だった?」
街灯が淡く照らす路地を行きながら、アズサはハナコに問いかけた。
彼女は少し黙った後に口を開く。
「……あれは、ちょっとした仕返しです。ヒフミちゃんとコハルちゃんだけ酷い目に合うなんてちょっと納得行かなかったから、少し意地悪しちゃいました。……身勝手でしたね」
「……そうか」
「はい、後で謝らないといけませんね」
ハナコがそう言うと、アズサは「そうした方がいい」と頷く。
「ですよね」とハナコは苦笑いした。
「それで、アリウスの兵力はどれくらいか分かりますか?アズサちゃん一人で十分な時間は稼げますか?」
「詳しいことは知らされてない。……でもこっちに来てからずっと備えてたから、誰が相手だろうと十分時間は稼げる。いざとなれば武器庫での補給も出来る。……にしても、リエはゲリラ戦も出来るのか……」
「……分かるものなのですか?」
「ああ、幾つか武器庫に
そう言って、リエが作ったらしいIEDを取り出して楽しげに話し始める。
ハナコはそれを聞いてまた少し苦笑いすると同時に脱線しかけた話を戻す。
「……それで、具体的にはどうするんですか?」
「……そうだった。まず、学園の周辺に作っておいたトラップや塹壕に誘い込んでゲリラ戦を仕掛ける。その後は……そろそろ仕掛けるタイミングだ。合流地点で待っててくれ」
「はい、健闘を祈ります」
二人はT字路で分かれると、銃を構えてそれぞれ別の方向へ走り出す。
かくして星の瞬く下、トリニティ防衛戦の火蓋は切って落とされた。
「……あった、ここだ」
「セーフハウスを発見!ターゲット確認できず!」
トリニティに隠されたセーフハウス、その秘密の屋根裏部屋にアリウスは足を踏み入れていた。
塞がれていたセーフハウスの扉がC4爆弾によって吹き飛ばされる。
「ああ、情報通りだ。スパイと合流する、速やかに探せ」
「『こ、こちらチームⅣ!奇襲されています!』」
「……?!どういうことだ!」
「『スパイです!白洲アズサが裏切っています!こちらは─ト─ティ─前─……』」
「応答しろ!応答しろ!……どういうことだ……?!」
一瞬の間を置いて、壊滅したチームⅣの無線が途絶えた。
同胞であったはずの彼女の裏切りに動揺を隠せない彼女達であったが、彼女の手、言葉によってアリウスの生徒達はより強く揺さぶられる。
「『理解が遅いな。裏切りはそれ以上でもそれ以下でもない。目標は既にこちらが確保した』」
「どういうことだ?!どうしてそんなこと……!」
「『今日は試験があるんだ。……絶対に受からないといけない試験が』」
彼女達が知っている任務に従順で逆らうことのない白洲アズサの姿は何処にもなかった。
代わりにそこにあったのは、自らの居場所を守るために戦う一人のトリニティの姿だった。
「『だから、早く手を引いてほしい』」
「……は?」
「『逃げるなら早い内を勧める。間もなく正義実現委員会が出撃するから』」
その一言と共に、無線はプツンと切れた。
部隊の副官が、彼女に問う。
「……撤退しますか?」
「いや、間違いなくブラフ。彼女の情報によれば、正義実現委員会は絶対に動かないはずだ。……裏切り者を粛清する!続け!」
アズサは気絶したナギサを背負って合宿棟への道を駆け抜けた。
背後では仕掛けていたブービートラップや地雷の爆発音が鳴り響いている。
数を減らしながらも、アリウスは彼女を追いかけていた。
「……ここです!ここに彼女はターゲットを伴って!」
「ここが本拠地というわけか……入り口は?!」
「二箇所のみ!そのうち一つはバリケードで塞がれています!」
「……バリケードを破壊して侵入しろ!『スクワッド』から連絡が来た!増援も間もなく到着する!速やかに叩き潰せ!」
周囲を偵察した部下の報告に指揮官は「覚悟しろよ白洲アズサ」と呟き口角を上げる。
そして入り口を塞ぐバリケードに爆薬を貼り付け、ほとんど間を置かずに炸裂させると大きな穴が開く。
アリウスが足を踏み入れた、合宿棟の閑静なロビーに火の粉が舞っていた。
「……分かってた」
「……なっ?!」
その奥で待ち構えていたアズサは、入り口付近の家具に向けてアサルトライフルを掃射した。
仕込まれていた爆薬が連鎖的に炸裂し、アリウスを吹き飛ばす。
「退くな退くな!所詮一人だ!数で押し潰せ!」
「……」
強引に中に押し入ったアリウスだったが、それさえもアズサの想定内であった。
彼女の手によって巨大な火薬庫と化した合宿棟は、あらゆる場所でアリウスの進路を塞ぐ。
「ぎゃあああっ?!」
「く、クレイモアだ!一つじゃない!ハズレだ!撤退!」
「ゴミ箱……いや、IEDだ!逃げろ!」
「なっ?!」
「……っ!まだだ!もうその先は構造上行き止まり!進め進め!」
「……っ……」
「……ここまでのようだな」
アリウスは物量に物を言わせて、ついに彼女の喉元へ迫る。
けれど、アズサもハナコと合流し臨戦態勢。
「よく逃げたじゃないか、白洲アズサ」
「……なるほど、かなり減らしましたね」
互いに銃を構えながら、緊迫した空気の中牽制し合う。
アズサはアリウス生達のガスマスクの先の目を見据えた。
「桐藤ナギサはどこだ?」
「教えない」
「……早く吐け。こうしているうちにもこちらの戦力は増える一方だ。どうあがいても無意味だぞ」
ジリジリと後退する二人と、それを僅かに上回る速度で距離を詰めるアリウス。
それでもアズサの照準はそれぞれの頭部を確実に捉えていた。
「……『スクワッド』は?」
「スクワッドの手を煩わせるような仕事でもない。既に部隊で数えても10を下らないだけの戦力が送り込まれてる」
「……スクワッドを呼ばなかったこと、後悔すると思う」
そう言って、アズサとハナコは部屋の奥へ駆け出した。
それを追うアリウスの百を優に超える足音が部屋中にこだまする。
「……なるほど、待ち伏せか」
一階、体育館まで降りて、ついに先生と補習授業部は集合した。
「ああ、ここまで来たら互いに逃げられない」
「楽しんでいる余裕はなさそうですね」
「ああもう!やってやるんだから!」
「せ、先生!指示をお願いします!」
「うん!みんな派手にぶちかましてあげて!」
体育館内にも入念に張り巡らされたトラップ、先生の指揮、補習授業部の強い思いによって、アリウスは増援が追いつかないほどの大打撃を受けていた。
辺りには崩れ落ちたアリウス生の山ができるほどで、彼女達自身も勝利が近づいて来ているのが分かってくる。
「……な……」
指揮官が恨み言のような何かを呟きながら、その場に倒れ伏した。
何処か穏やかな顔だった。
「……やったん……ですか?」
「……ああ、全員戦闘不能。この場は突破した」
「……ったぁ!みんな、お疲れ様!」
「……いえ、まだです」
そして最後の一人が倒れるのを見届けてから、彼女達はその場で抱き合った。
……ただ一人、ハナコだけはその警戒を解くことはなく、口を開いた。
「……え、どういうことですか?」
「まだアリウスの増援は来ます。それに……」
「だ、大丈夫じゃない?もうハスミ先輩にも連絡したし、すぐ正義実現委員会が……」
「へえ、まだそんなこと思ってるんだ?」
聞き覚えのある声が響いた。
そして次の瞬間、大きな爆発音が響いてぞろぞろとアリウスの増援が姿を現す。
間違いなく千は下らないような人数が。
「……嘘?!」
「……この人数……大隊どころじゃない。アリウスの殆どが出張ってきてる」
次々と彼女達を囲むように体育館に入ってくるアリウスの集団。
先生は響いた聞き覚えのある声にも何も言わずに歯を食いしばる。
「……今の声……」
「……やはりそうでしたか」
そして増援が補習授業部を包囲し終えると、軽やかな足音が一つ響き始めた。
ただ一人、それは戦場において異質な雰囲気を纏っていた。
「そんなに驚かなくてもよくない?私は先生と会えて嬉しいな」
「……なんでここにいるの……?」
「そうだなぁ……。「この人たちを呼んだのは私だから」かな?」
そう言うと、彼女は楽しげにネタをバラし始めた。
「随分と今日静かだったでしょ?私頑張ったんだ。命令が届くところ全部に命令出して足止めして、邪魔になりそうなものは全部片付けた。……そうそう、リエちゃんも外に用事があるからいないよ。どうしようって思ってたからかなり助かったな。ナギちゃんを襲う時に邪魔されないか心配だったんだよね。でも気付かれなくて良かった良かった」
まるで子供が満点のテストを親に見せるような、あまりに異常な無邪気さで笑う彼女。
それをただ、先生は黙って聞いている。
「……聖園、ミカさん」
「あはは、まあ分かりやすく言うと『黒幕登場☆』ってとこかな?」
ティーパーティー、聖園ミカ。
補習授業部の目の前に立つと、彼女はその指を唇の前に立てて微笑んだ。
「……私が本当の『トリニティの裏切り者』。ごめんね?先生」
「……ミカ……様……?」
「でさ、早速なんだけどナギちゃんがどこにいるか教えてくれないかな?あんまり時間無いんだよね、私」
「……」
「……別にあなた達もついでに消しちゃってから考えても良いんだけど……ほら、あんまり上品じゃなくない?」
いつもと変わらない笑顔で、いつもと変わらない口調で、いつもと全く違うことを彼女は口にする。
先生は事態を少し整理するように目を瞑った後、彼女に問いかけた。
「……何で?」
「そっかぁ……気になっちゃうなら教えてあげるよ。……私ね、ゲヘナが嫌いなんだ。とってもとっても、心の底から嫌いなの。なんか角とか生えてて気持ち悪いじゃん?」
「……だからナギサさんを消して、エデン条約を台無しに……?」
「えっとあなたは……リエちゃんの後輩の……そうそう、浦和ハナコ!水着着てた子だ!あははっ、いつ思い出しても笑っちゃう!……まあ、そういうことかな、多分。嫌いなやつと仲良くしなさい、なんてそんな話誰だって嫌じゃんね?それにあのゲヘナだよ?隙見せたらすぐやられるに決まってるじゃん。本当、ナギちゃんも変に優しいというかお花畑というか……『楽園』に目が眩んじゃったのかな?」
ミカは無邪気に笑って話を続ける。
「だから、その為に協力してもらったの。「エデン条約をぶっ潰さない?」ってね。アリウスも元はトリニティなんだから、私達と同じようにゲヘナが嫌い。もしかしたら私達より嫌いかも。……ほら、いろいろ都合が良いでしょ?和解は出来て、ゲヘナは潰せて、一石二鳥。すごいでしょ?先生」
「……じゃあアリウスは最初からクーデターの為に……?」
「……あー……確かにそうだね。ナギちゃんからホストの座を奪うんだもん。……白洲アズサだよね。あなたのことはちゃんと覚えてる。あんまりよく知らないけど、あなたはとっても大切な存在。……だって、今からナギちゃんを襲った犯人になってもらわないとだから」
「……!それって……?!」
彼女の言葉に、ようやく先生は顔色を変える。
「あ、やっと?」と言わんばかりの表情で先生の目を見た後に彼女は続けた。
「あ、スケープゴートとか生贄って言った方が分かりやすい?誰かが罰せられて初めて人はよく眠れるようになるからね。いやー、にしても「ナギちゃんが襲撃された」って聞いた時は本当に驚いたよ。……でも、蓋を開けてみれば補習授業部なんて。案外手間が省けたのかな?」
「……ミカは、生徒会長になりたいの?」
「そうそう……っていっても権力の為じゃないよ。私はゲヘナをキヴォトスから消し去りたい。トリニティの穏健派を消し去って、アリウスを組み込んで、新たな武力を得たトリニティとゲヘナの全面戦争……これが私の計画。よく出来てるでしょ?」
「……お話は以上ですか?」
ハナコが口を開いた。
いつになく鋭い目線で、ミカの琥珀のような目をじっと彼女は見据えている。
ミカは「そんな目も出来たんだ」と思いながら彼女に問いかけた。
「……何か言いたいこととかあるの?浦和ハナコ」
「……いえ、その計画は計画で終わる、というだけです。あなたが負けますので」
「随分な自信だね?千人を超えるアリウス相手にしてさ」
「……もう一度言いましょう、あなたの負けです」
笑顔を浮かべていたミカは、少し目つきを鋭くして言い返すが、ハナコは一歩も引こうとしない。
ヒフミやコハルが「なんでそんなに……」と言わんばかりの目線を彼女に向ける中、ミカはようやくその自信の根拠を掴んだ。
そして僅かに怒ったような目で、彼女は問いかける。
「……そういうこと?」
「……?!トリニティの生徒が一部こちらに……!」
アリウスがざわめき、補習授業部が困惑する中、ミカとハナコだけは動じずに互いの目を見ていた
「それってどういう……」
「どういうことだ?!」
「……!確認できました!大聖堂から……シスターフッドが!」
バリケードの無い、開かれたもう一つの入り口から揃った足音が響く。
空の端の方が白み始める中、彼女達は体育館に姿を現した。
「……あはは、中々頑張ったんじゃない?」
「多少の取引です。……トリニティの命運に比べたら大したものではありません」
「……前例のないことではあります。ですがトリニティの存亡の危機とあれば話は別。……シスターフッド、これより戦闘を開始致します」
リーダー、歌住サクラコ率いるシスターフッドがアリウスに、聖園ミカに銃口を向けた。
「……あはっ。いいね、これでそこそこやりごたえが出てきたかな?人数はこっちの方がずっと多いけど……ま、そっちには先生もいるもんね。……でも、舐めてもらっちゃ困るなぁ」
「……?!なんでシスターフッドがここに……」
「にしてもシスターフッドかぁ……邪魔者もまとめて片付けられると考えたらお得かな?」
「……まだ余裕ぶりますか、ミカさん」
「……じゃ、始めよっか」
ミカがその手に持ったサブマシンガンを構えると同時に、再び戦いの幕は開けた。
「おお、みんな結構耐えるね?」
他の誰もが消耗する中、彼女ただ一人は僅かに傷を負っただけで、何事もなく笑っていた。
共謀者であるアリウスの想像さえ遥かに凌ぐ圧倒的な個人戦力、彼女はその片鱗を鮮やかに見せつける。
先生の指揮の下、1000人以上いたアリウスも残り100人いるかどうかというところまで削ったが、補習授業部もシスターフッドも限界が近づいてきていた。
「……でも、そろそろおしまいかな。よくやったよ、あなた達も、シスターフッドも、先生も。本当によく頑張ったんじゃない?」
そう言って、彼女は肩で息をする彼女達の下へゆっくりと歩いていく。
息を荒げながらも未だ鋭い眼光を向けるハナコに対して、ミカは問いかけた。
「……ねえ、ナギちゃんはどこ?」
「……させません……!」
「サクラコちゃんも、無駄な足掻きは良しなよ。あなた達の負けなんだから。カッコつけて出てきた割にはそんなにだったね?」
倒れながらも引き金を引いたサクラコの銃撃を背中で軽く受け止めて、彼女は軽口を叩く。
けれど、その余裕は次のハナコの言葉によって奪われた。
「……いえ、
「……どういうこと?」
シスターフッドを憐れむかようなミカの言葉に、ハナコは強く答えた。
ミカが、少しだけ驚いたような顔をする。
「そもそも、ミカさんはトリニティ総合学園において最上級の武力を持つ方です。先生の指揮があっても補習授業部では勝てないほどの。それにアリウスの軍勢が付いているとなれば、シスターフッドがいても勝負になるかどうかのレベルです。……そんなことは、想定内。シスターフッドの役割も時間稼ぎに過ぎません」
「……そもそも負け戦に挑みに来たってこと?」
不思議そうに首を傾げるミカに、ハナコは断固として否を叩きつける。
「あなたは見落としたんです。その方が、自分に都合が良かったから、それを「偶然」と思ってしまった。……トリニティ総合学園にはあなたに対抗可能な戦力は
「……負け惜しみはそこまでにしておけば?」
「……いえ、何度でも言います。あなたの負け、と」
ハナコがそう言い放った瞬間、ミカの真正面の壁が派手に吹き飛ばされた。
誰よりも早く、それに反応したミカは爆煙の中に弾丸を放つも弾かれて甲高い音だけが響く。
「容赦はいらないよ。ミネ」
「ええ、分かっています」
ミカは呆然とした。
聞き慣れた声だった。
見慣れた仕草だった。
「……う……そ……」
オブザーバー、朝日奈リエ。
救護騎士団団長、蒼森ミネ。
「……これより、制圧を開始する」
「救護が必要ならば、そのように」
シスターフッドさえもブラフに使ったトリニティ最後の切り札。
それは確かに、全てが終わる、その前に。
リエとヒフミのダブルパンチ食らっちゃったナギサ様かわいそうですね
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記録16:届いたその手
「間違いなく、裏切り者はミカだよ」
小さく微笑むリエと対称的に、ハナコは目を丸くする。
唾を飲み込んで思考を整えてから、ハナコは彼女に問いかけた。
「……どうして、その結論に?」
「ほら、これ」
そう言うと、彼女はハンドバッグからファイルを一つ取り出した。
それを渡されたハナコは綴じられていた資料からあの時のリエと同じ思考を辿り、数分で同じ結論へ辿り着く。
「……そういうこと……ですか」
「そういうこと」
「それで、リエさんはどうするつもりなのですか?」
ハンドバッグを持ち直した彼女は軽く答える。
「ミカが裏切り者なら、そろそろ行動を起こす頃だと思う。私がトリニティにいないなんて事があれば
「……トリニティの外で何を?」
「ちょっとセイアを助けてくる」
「待って下さい!……セイアちゃん生きてるんですか?!」
軽く言い放ったリエに対し思わず聞き返す。
セイアちゃんはヘイローを破壊されたんじゃ、そう口にしかけたハナコだったが、彼女の表情からそれが冗談なんかではないのはすぐに理解できた。
そしてそれが事実だとするのなら、幾つか残っていた疑問も納得がいく。
「……まさかミネさんは……」
「十中八九ね。……ここまで来たら、もう一つ頼み事があるんだけど」
「頼み事……ですか?」
「そう。……私が戻ってくるまで、時間稼ぎしてほしい。手段は選ばなくていいから。……任せたよ」
そう言って、彼女は夜の中に消えていった
ハナコは知略に長け、策謀を巡らす才能はあれど、戦闘に関しては平凡である。
トリニティでも最強格と噂されるミカを止められるような戦闘力は持ち合わせていない。
けれど、彼女がそう言うということは、間に合わなければ取り返しのつかない事態になりかねないということ。
脳のリソースを限界までつぎ込んで必死に解決策を探る中、ただ一つだけ彼女に残された方法に辿り着く。
「……彼女達なら……!」
ハナコはスマートフォンを取り出すと、トリニティの上層部の殆どが網羅された連絡先の中から一つへ指を滑らせ発信する。
十秒もしない内に、彼女は応答した。
「……夜分遅くにすみません、サクラコさん」
「『いえ、あなたがこんな時間に連絡なさるということは余程の事態なのですね?』」
「はい。それであなたに、シスターフッドに頼みがあるんです」
歌住サクラコ。
パテルやフィリウスといった分派だけではなくシスターフッドからも熱心な勧誘を受けていて、多少の付き合いがあったハナコにとって、そのリーダーである彼女は信頼できる知り合いの一人であった。
「私に払えるのなら対価は惜しみません。ですから……ですからどうかシスターフッドの全てを動かしていただけませんか?」
「『随分大きく出ましたね。……まず理由だけ伺っても?』」
「ティーパーティーが必死に探している『トリニティの裏切り者』はミカさんでした。そして彼女は今夜、『アリウス分校』と共謀してトリニティを襲撃するつもりです」
「『……どなたがそう結論付けたのですか?』」
サクラコは静かに聞いた。
それが『疑い』ではなく、彼女の根っからの『慎重さ』であるのは何となく理解出来た。
「リエさんです。彼女は今、セイアちゃんを連れ戻しに向かっています」
「『やはり生きておられましたか。……それで、私達は何をすれば?』」
「まず、補習授業部の方でアリウスと交戦、その後ミカさんを合宿棟の一階の体育館まで誘い込むので、そこに突入して下さい。そしてリエさんが戻ってくるまで補習授業部、シスターフッド、シャーレの『先生』で時間を稼ぎます」
「『……リエさんはいつ頃戻ってくると?』」
「知らされていません。ただ、「私が戻ってくるまで時間を稼いでほしい」と」
ハナコの返答を聞いて、彼女はしばらく黙って考える。
そして十何秒の間が空いてサクラコは答えた。
「『リエさんにも、ハナコさんにも決して少なくない借りがあります。……分かりました。シスターフッド、全力を尽くしてその役目を果たしましょう』」
「……!ありがとうございます……!」
「『いえ、健闘を祈ります』」
サクラコとの通話が切れてから数秒。
ハナコは仄かに明かりの灯る大聖堂へ向けて深く頭を下げた。
姿を現したリエとミネ。
ミカにとっては本来『いないはず』の二人。
ハナコ以外は知りようがなかった救援に、先生も含めた補習授業部は九死に一生を得た。
「り、リエ様?!なんで?!」
「危ないから来ないで……って言いたいけど……助かった!」
ボロボロになったヒフミやコハルがその場にへなへなとその場に膝をつく。
それと対称的に、ミカはただ立ち竦んで目の前に現れた幼馴染を呆然と眺めるだけだった。
「……なんでさ……」
「ミネ、周り退けるよ」
「了解です」
「あ……あ……」と彼女の声にならない声、かすれるような吐息。
ミカが茫然自失となる中、慣れた戦友のように言葉を交わして彼女達は一気に仕掛けた。
盾を構えたミネが彼女達の中へ飛び込むと同時に、リエが放った榴弾がアリウス生を塵のように弾き飛ばす。
これ以上の増援はどうしようもないと、アリウス生が逃げようとするも、距離を詰めたミネのシールドバッシュが炸裂し、一人、また一人と倒れていく。
そして最後の一人が戦闘不能となる中、リエは漠然と立ち竦んだままのミカの腕を掴んだ。
カチャン、とその手に握られていたサブマシンガンが落ちた。
「……もう終わりだよ、ミカ」
「……意味分かんないよ……リエちゃん……」
道を踏み外した幼馴染の目を覗くと、その綺麗な瞳からポロポロと涙が溢れ始める。
その傍らでは、ミネが補習授業部の応急手当を済ませていた。
「……シスターフッドも片付けた時はようやく、ようやく終わりだって思ったのに……なんで来ちゃうのさ……」
「……
「……そっかぁ……リエちゃん、らしいな……」
そう呟いて、彼女はようやく膝から崩れ落ちた。
もうどうしようもないこの状況に、ミカは諦観したような笑顔を作る。
「……何でだろうなぁ」
そして涙をこらえ、振り返るように、淡々と言葉を吐く。
「……ハナコちゃんを見くびったから?……ううん、どうにかできる程度だったはず。現にシスターフッドまでは倒せたしね」
「……」
ハナコの目を見て、彼女は首を振った。
「……アズサちゃんが裏切ったから?……ううん、アズサちゃんがどうこうしたって結果には関係無かったはず」
「……」
アズサの顔を見て、彼女は目を瞑った。
「……リエちゃんが想像以上だった?……これはちょっとあるかな……ううん、リエちゃんが天才なんてこと、ずっと昔から分かってた。でも、リエちゃん一人だけならあとでどうにでもなるはずだった」
「……」
リエの目を見て、彼女は俯いた。
それでもなんで自分が負けたのか分からないミカは苦笑いを浮かべる。
けれど、途中でようやくそれに気がついた彼女は「ああ、そっか」と声を漏らし、そっと目を閉じた。
「……先生がいたね。シャーレの先生。……多分、私はあなたを連れてきたから負けたんだ。ナギちゃんを黙らせるにはちょうどいいかなって思ったんだけど……そっかぁ、あそこで決まっちゃったんだね」
「……ミカ……」
「あはは、結構頑張ったと思うんだけど……そっかぁ、最初から間違ってたかぁ……」
「……ミカさん、セイアちゃんは……」
少し悔しそうに、けれどどこかスッキリとしたような顔の彼女に、ハナコは話しかけた。
「……本当に、殺すつもりなんてなかったんだ。セイアちゃんうるさいから、少し痛い目にあって休んでもらおうって思っただけなの。なのに……私が言うのもなんだけど……事故、だったのかなぁ……」
「セイアちゃんは
「……本当?」
「嘘じゃないよね?」と子供のような目でハナコを見るミカ。
彼女は首を縦に振った。
「……ずっと、偽装されていたんです。襲撃の犯人が分かるまで、ミネさんも付きっきりでトリニティの外で身を隠して。……既に正義実現委員会によって保護されています」
「……じゃあ、セイアちゃんは無事……?」
「はい。まだ意識は戻っていませんが、命に別状はないそうです。……彼女が、助けてくれたおかげで。……これは、ご本人の口からにしましょう」
彼女はおもむろに立ち上がると、ハナコの目を見た。
一点の曇りもないその瞳に、その言葉が本当だと確信して呟く。
「……ああ、良かったぁ」
ミカは両手を上げた。
「……降参。浦和ハナコも、リエちゃんも、先生も、おめでとう。『トリニティの裏切り者』はあなた達の手によって倒された。……これでハッピーエンドってわけ。……アズサちゃん以外はね」
「……ミカ、どういうこと?」
「この先どうなるか、理解してるんだよね?アリウスはずっとあなたを追い続けるし、トリニティはあなたを守ることはない。……あなたが安心して眠れる日は来るのかな?だって、あれでしょ?『vanitas vanitatum. et omnia vanitas.』だっけ」
「……ミカ」
アズサが何か言おうとしたのを遮って、リエは口を開いた。
「そんな日はすぐ来るよ」
「へえ、何でそう思うの?自分で真実に辿り着いたなら、アリウスの憎悪が並大抵じゃないことも気づいてるでしょ?リエちゃん」
「そうかもしれないけど、アズサちゃんを転校させたのは、トリニティ生にしたのは紛れもない私。……私が後輩を見捨てるわけなくない?」
力強く言い放つリエに、ミカは「あはっ」と小さな声で笑う。
「……そっか、そうだったね。……うん。リエちゃんならそう言うよね。リエちゃんが本気出せば、一人でアリウスも相手に出来るかもよ?」
「まあ、頑張る」
ミカの差し出した両手に、カチャンと手錠が掛けられた。
そのままリエに手を引かれ、二人は補習授業部をおいて外に出る。
東の空には綺麗な朝日が昇っていた。
「……ミカ!」
「……先生?」
「……ごめんね、先生。今は先生と話したい気分じゃないんだ。私の敗因だしね。……でも……」
しばらく歩いていた二人は聞き慣れた声に噴水の前で足を止め、追ってきた先生の方へ振り返る。
少し寂しそうな、けれど澄んだ瞳が先生の顔を見つめる。
ミカは少し考えた後に、口を開いた。
「……先生が「私の味方」って言ってくれた時、すごく嬉しかったなぁ」
「……」
「……バイバイ、先生」
それを聞いた先生は、噴水の手前で足を止めた。
ミカに促されるようにして、リエは再び彼女の手を引いて歩き出す。
「……いいの?ミカ」
「……うん。……にしても、リエちゃんも甘いよね。もっと強く引っ張ってくれてもいいのに。こんな手錠じゃ、私いつでも外せちゃうよ?」
「ミカが逃げないのは、よく分かってるから」
二人はいつもの調子で話しながら、軽い足取りで監獄まで向かった。
「……あうぅ……も、もう動けません……」
補習授業部部長、阿慈谷ヒフミは朝日が差し込む中で広場のベンチに座り込んだ。
例え連日ブラックマーケットに通い、時には銀行強盗をこなす彼女であっても、戦闘に特化した教育を受けているアリウスとの徹夜の戦闘はかなり堪えるようだった。
それに、ここ数日は第三次特別試験の勉強であまり睡眠も取れてないから尚更だ。
「ええ、ですがようやく……」
「……うん……」
同じように疲れ切った様子のハナコとコハルも彼女の隣に腰掛ける。
コハルに至ってはウトウトとしていて今にも眠ってしまいそうだ。
「えっと……コハルちゃん、お水飲みます?」
「……あ、うん。ありがと……」
「一晩中動き回ってましたからね……」
「はい、ひとまずこれで一段落……」
「二人共何言ってるんだ?まだ何も始まってない」
噴水の水で軽く顔を洗ったアズサは言い放った。
キョトンとしていたヒフミ達だったが、次第に彼女の言葉の意味に気づき始める。
「……そうでした、まだ試験が……」
「……そうじゃん!忘れてた……!」
「ふふっ、コハルちゃんもすっかりお目覚めですね。会場までは……一時間といったところでしょうか」
ちらりとスマートフォンの時計にズレがないことを確認したハナコ。
「あわわ……」と口が少しづつ開き始めるヒフミ。
「うん、それくらいだと思う」
「い、一時間ですか?!今7時55分ですよ?!もう8時になっちゃいます!」
「だから走らないと」
慌てるヒフミを置き去りにして一足先に銃を背負い直したアズサが広場を飛び出す。
それに続くようにハナコとコハルも走り出した。
「え!?え?!み、みんな待って下さい!」
お気に入りのペロロ様リュックを背負い直して、ヒフミも大慌てで彼女達の背中を追う。
「どうして最後までこうなるんですかぁっ?!」
「……はぁ……はぁ……こ、ここで合ってるんですよね……?」
「……8時53分、ギリギリ間に合った」
「……ぜぇ……ぜぇ……み、みんなお疲れ様……」
「……先生が一番お疲れのように見えるのですが……」
ヒフミ達は息を切らしながらも、何とか試験会場の第19分館に辿り着いた。
そこにあの後シスターフッド達と話していた先生も合流し、補習授業部が再び集合と相成った。
「……お待ちしておりました、補習授業部の皆様。……中へどうぞ」
入り口の警備をしていた正義実現委員会の部員が彼女達に声をかける。
「……入って良いんですか?」
「はい、リエ様が先程「第19分館の封鎖を解除する」という命令を出されました。皆様は試験を受けていただいて大丈夫です」
「……良かったぁ……」
「……それと、ハスミ副委員長からの伝言です。……「頑張ってください」とのことです」
「は、ハスミ先輩……!」
コハルが少し嬉しそうに顔を明るくした。
そしてそれを微笑ましく見守る先生に、彼女は続けて言う。
「あと、「力になれなくてごめんなさい、この借りはいつか必ずお返しします」とも」
「……分かった。「頼りにしてる」って伝えておいてほしいな」
「分かりました。……それでは皆様、そろそろお時間です」
「……みんな、頑張って!」
「……はい!先生!」
先生が後ろで大きく手を振る中、四人は第19分館に足を踏み入れた。
「……みんな、お疲れ様」
リエが補習授業部に姿を現したのは、昼過ぎだった。
ティーパーティーの印が刻まれた封筒を見て、補習授業部は息を呑んだ。
「ごめんね、手続きでいろいろ遅れちゃった。……じゃあ、よろしく。先生」
「……うん、任せて」
今までのテスト返却の中で一番明るい顔色。
それだけで今回の結果を察して、嬉しそうに封筒を受け取る先生。
封を閉じている紐を素早く解いて、中から四枚の答案用紙を取り出した。
それでも敢えて結果を見ることはせずに、一番上に重ねられた答案から読み上げていく。
「……浦和ハナコ!……100点!合格!!」
「……ふふっ」
彼女は席に着いたまま静かに、けれども心の底から嬉しそうに笑った。
「……次、白洲アズサ!……97点!合格!!」
「……!やった……!!」
彼女はらしくなく、席から立ち上がって嬉しそうにガッツポーズした。
「……次、下江コハル!……91点!合格!!」
「……うそ?!ホントに?!ホントに?!」
第一次特別試験前には「絶対受かる」とか「正義実現委員会のエリート」と豪語していた自信家な当初の面影は何処にもなく、彼女はその場で口を押さえながら、足と羽をバタバタと慌ただしく動かした。
「……次、阿慈谷ヒフミ!」
そう言って答案を捲った先生だったが、改めてそれをその目で見て、思わずバンッと強く教卓を叩く。
その理由を理解してパアッと顔を明るくするヒフミと、先生の横で「その反応が見たかった」と言わんばかりに微笑むリエ。
「……94点!合格!!」
「……ということは……!」
「補習授業部!!全員合格!!!」
それを聞いた彼女は、思わず隣にいたアズサに思いっきり抱きついた。
嬉しそうな補習授業部の様子を見て、リエは「先生も混ざってきなよ」とその背中を軽く叩く。
それと同時にヒフミ達は先生の方に近づいて、思いっきり抱きしめた。
「本当に、本当にありがとうございます!先生!」
「みんな頑張った!!本当によく頑張った!!お疲れ様!!」
「あはは、良かったじゃん、先生」
リエがそう呟いた瞬間、ヒフミは彼女にも思いっきり抱きついた。
困惑の表情を浮かべる中、ハナコもアズサもコハルも彼女の方へ寄ってくる。
「そんな義理無いのになぁ」と少しためらいながらも、ティーパーティーとして、彼女達にこれを課した一人として、そして彼女達の先輩として。
リエは「ふふっ」と小さく笑い、少しの間の後に彼女達をその大きな翼で抱き返して大きく言った。
「……みんな、合格おめでとう!」
Seraph's punishment
リエが使用するトリニティの新型榴弾砲。
試作品の段階から使い込まれて多くの独自改造が施され、人も建物もお構いなしに吹き飛ばしてきたそれが『魔女狩り』の名を広く知らしめた一因であるのは間違いないだろう。
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記録17:彼女の救済
ちなみにリエのヘイローは太陽系の渾天儀を模したものになります
「……ん……ここは……」
ナギサが目を覚ますと、そこは見知らぬ天井だった。
おもむろに身体を起こすと、周りには幾つもの空のベッド。
そして少しの間をおいて、身体にじんわりとした痛みが広がる。
ナギサは顔を歪めながら昨夜のことを思い出した。
「……っ、そう、でした……」
一際大きな痛みの波を堪えた後、大きなため息を吐く。
時計を見ると、昼の3時を過ぎていた。
ナギサはゆっくりとベッドから降りて、日の差し込む窓を開ける。
少し申し訳なくなるほどの快晴だった。
「……あれ、は……」
何処かに行くことも憚られるような心持ちで、窓の近くの椅子に腰掛けて目を瞑る。
思い出すのは、昨日のハナコの言葉。
それを真に受けるのならば、裏切り者はアズサ、ハナコ、リエ、ヒフミの四人。
けれど、自分がここで無事でいるということは、そうじゃない。
「……疑ってたのは……ずっと私だけだった……」
ああ、ずっと見失ってたなぁ、と彼女は自嘲した。
多くのものを切り捨てたなぁ、と彼女は後悔した。
昔っからいっつもそう。
自分では限りなく正しいことをしていると思っても、傍から見たら的外れで空回り。
結局今回も彼女の言う通り、こうして後悔してしまっていて、つくづく凡人である自らが嫌になる。
いっそのこと、目の前のベッドでもう一度、気を失うように眠ろうか。
ズルズルとナギサの心を黒い靄が埋め尽くしていく中、唐突に部屋のドアは開いた。
「あ、ようやく起きた」
「……!リエさん……!」
レジ袋を抱えたリエだった。
彼女は荷物を空のベッドに置くと、ナギサの開けた窓に腰掛ける。
相変わらず、彼女だけは何時でも何処でも何も変わらない。
その姿だけで、ナギサは少し安心を覚える。
「ここ、どこか分かる?」
「……ここは……」
彼女の言葉に首を傾げ、ナギサは少し窓から身を乗り出して辺りを見回した。
少し高さへの恐怖もありながらも目の前に広がるパノラマを一望する。
学園内でも端に位置しているのか、目の前には緑が広がっていて、眼下には水の湛えられた綺麗なプール。
……見覚えのある光景だった。
「……合宿棟……ですか?」
「当たり」
彼女は洋梨を剥き、紅茶を淹れながら答えた。
それを持つ左の指先にはいつものように鮮やかなネイルが施されている。
その声に、全ての選択を誤ったナギサを咎めようという意思は微塵も感じられなかった。
「……水が張られてるの、久々に見ました……」
「あの子達が掃除したんだよ。この部屋も、あの子達が」
「……そう、なんですね」
穏やかに話す彼女の言葉を聞きながらも、何処か言いづらそうにするナギサ。
リエは綺麗に切り分けた洋梨の欠片を彼女の紅茶に落としながら単刀直入に切り出した。
「……裏切り者はミカだったよ」
「そう……だったんですね……」
リエが告げた真実に、ナギサはそう答えた。
淹れたての紅茶に涙が落ちた。
「……ごめん……なさい……」
「……」
誰へ向けてのものだったのだろうか。
無関係であった彼女達だろうか。
わざわざこんな疑心暗鬼に巻き込んでしまった彼女だろうか。
ずっと忠告してくれていた彼女だろうか。
ずっと本心に蓋をしていた彼女だろうか。
考えたってナギサには分からなくて、「ごめんなさい」と謝罪の言葉をつぶやくのみ。
怒り、悔やみ、悲しみ、溜まって淀んでいた感情を押し流して、それはティーカップを危うく溢れ出しそうになる。
「……ひとまずさ、会いに行こうよ」
「……え……?」
窓枠から降りてナギサの目元を拭い、彼女は言う。
決して燦々と輝く太陽ではないが、木漏れ日のように優しく。
「ナギサが疑ってて、それを今後悔してるって言うなら、みんなに会って、それで顔を見て謝ろう。……大丈夫。みんな、ナギサが悪くないのも分かってる」
「……ですが……」
「ほら、善は急げだよ。今日ならまだ先生もいる。……ほら、一緒に行こ」
そう言って、ナギサの手をリエは取る。
本当に、そんなことで良いのだろうかと躊躇ったが、彼女の目を見てしまってはもう逃げられなくて、ぎゅっとナギサはリエの手を握り返す。
彼女の手に身体を引かれ、彼女はスッと立ち上がる。
「……なんで、付いて来てくださるんですか?」
「うーん……幼馴染だからかな?二人の頼みなら、私は天国にも地獄にも付いて行くって決めてるから」
「本当、お人好しなんですから……」
「あっはは、そんなんじゃないよ。私は」
遠い日のように二人は手を繋ぎ、言葉を交わしながら本館への道をゆっくりと、ゆっくりと歩いて行った。
「本当に、ごめんなさい。下江コハルさん。あなたの気持ちを考えること無く都合よく利用してしまって……」
「な、ナギサ様?!そんな、私は……」
最初に訪れたのは、下江コハルの下だった。
晴れて正義実現委員会への復帰が認められた彼女に、ナギサは精一杯に深く頭を下げる。
彼女は慌てたような顔をして答えた。
「その……確かに最初はなんでこんなことって思ったし、途中でトラブルもいっぱいあったし、もうダメかもとも思ったけど……結局みんな揃って合格できたし……その……友だち……も出来たから……」
「……ですが……」
「だから、その……と、とりあえず頭上げてくださいっ!」
頭を下げ続けるナギサに、コハルは両手をブンブンと振りながら慌てて言う。
それを見たリエは、トントンと細い指でナギサの肩を叩いた。
「……ナギサ、コハルちゃんは許してくれるってさ」
「……よろしいのですか……?」
おずおずと顔を上げた彼女とコハルの目が合う。
心配そうにナギサを見る彼女の顔。
ナギサはそれにまた涙が込み上げて、また頭を下げた。
「謝らなくていいですからっ!!」
コハルは叫んだ。
「……その……ナギサ様……?」
「……」
「……あまりの申し訳無さに顔も見れないんだって」
次に訪れたのは、阿慈谷ヒフミの下。
顔を見るなり、ナギサは少し過呼吸気味になりながら深く深く頭を下げた。
「……ごめん、なさい……ヒフミ……さん……」
「えっと……補習授業部のことですか……?……それなら、大丈夫です。確かに辛いこともありましたが……ナギサ様を恨むつもりなんて全くありませんから」
「……え……?」
そう言って、彼女はナギサを優しく抱き締めた。
思わず膝から崩れ落ちたナギサの頬を透き通るような涙が一筋伝う。
その体温はとても温かかった。
「……本当、お疲れ様。ヒフミちゃん」
「いえ、お二人こそ本当にお疲れ様でした……」
本当、この子はいい顔で笑うなぁ、とリエは考えた。
彼女が去った後に頭を上げたナギサは、「本当に、良いんでしょうか……」と申し訳無さそうに呟いたが、リエは「まだ疑うの?」とハンカチで彼女の顔を拭う。
「そう……ですよね」
ナギサは小さく笑ってみせた。
「……本当に、申し訳ありませんでした、白洲アズサさん」
「……」
次は白洲アズサの下へ。
ナギサが謝罪すると、彼女は少し考えるように目を瞑った。
「……もしかしたら「全く恨みがない」と言ったら嘘になってしまうのかもしれない」
「……なら……」
「……でも」
アズサは、少しずつ思い出を語り始めた。
リエが伝えていたこと、伝えていなかったこと、補習授業部の当事者として感じたことの全てを。
「……補習授業部ではそれ以上に沢山のものを貰った。友だちも、先輩も、先生も、思い出も。……それも、ナギサが補習授業部を作ってくれたおかげだ。……感謝してる」
「……あなたは、それでよろしいのですか……?」
「ああ、恨みなんて虚しいだけ。それに結局みんな受かったから、終わり良ければ全て良し」
「……ありがとう、ございます……」
「じゃあ、私はシスターフッドに行かないとだから」とリエ達に手を振って歩き出すアズサ。
去っていく彼女の背中を眺めながら、ナギサは少し俯いた。
「……どうしたの?」
「……いえ、こんなに優しい方々を、私はあんなに疑って、退学まで追い込もうとしたんですね……」
「まあ、そうだね。それは否定しようがないかな……でも、繰り返さなければそれでいいんじゃない?」
「……そういう、ものなのでしょうか……」
そう言って口籠るナギサの手をリエが引いて、二人は再び歩き出した。
「……浦和、ハナコさん……」
「……いえ、何が言いたいのかは分かっています。……ですが、私は簡単に水に流せるほどの人格者ではありません」
最後に訪れたのはハナコの下。
ナギサが謝罪を述べる前に、彼女は口を開いた。
それが普通なのだと、自分は本来は一切許されるはずのないことをしてしまったのだと自らに言い聞かせ、ナギサは言葉を溢す。
「……そう、ですよね……やはり……」
「……ですが、ナギサさんが私の下へ真っ先に来るとは思いません。ここに来たということはヒフミちゃん達は許したのでしょう。……なので、私も許します」
「……え?」
「ふふっ、ヒフミちゃん達が許してるのに私一人許さないというのもカッコ悪いじゃないですか。……ですが罰は受けていただきます。……一週間下着のみで登校する、というのでいかがでしょう♡」
「……え?」
突如として真面目さが消え失せたハナコの言葉に、ナギサは思わず聞き返す。
けれど、そこからはとてもじゃないが全年齢向けではない言葉が彼女の口から飛び出し続けた。
ナギサが混乱の渦に陥っている中、最後ハナコは一言告げた。
「……そういえば、先生には会われましたか?」
「いえ、まだ……」
「今、ティーパーティーの方へ訪れているそうです。……ナギサさんを探していると」
「……!」
ハナコが伝えると、ナギサは少し驚いたような顔をした。
しかし、彼女は続けて「合わせる顔がない」といったような複雑な表情をする。
リエがその手を引き、ハナコが背を押した。
「早く行った方が良いのでは?客人を待たせては『ティーパーティー』の名が廃るでしょう?」
「……そう、ですね。ありがとうございます、ハナコさん」
そう言って、二人は手を繋いでその場を去っていく。
その背を見届けて、彼女達に聞こえないようにハナコは呟いた。
「……お疲れさまでした、ナギサさん、リエさん」
「……ナギサ!リエ!」
「……先……生……」
ティーパーティーの執務室で、先生は紅茶を飲んでいた。
そして二人を見るなり彼女は二人を思いっきり抱きしめた。
「先生?!」
「……意外と力強いね?」
「言いたいことはいっぱいあるけど……ひとまず、二人共お疲れ様!」
廊下まで響く先生の声。
それを聞いて堪えられなくなったナギサは彼女の胸に顔をうずめ、声を上げて泣いた。
よく考えたらティーパーティー二人が謝罪行脚してるのちょっと面白い
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幕間
番外:休日
ノノミのやつよりはマシと信じたいです
「……あ、おはよう。良い天気だね、先生」
「おはよう、リエ!確かに今日はお出かけ日和だね!」
雲一つ無い晴天の中、時刻は10時過ぎ。
トリニティの中心街から少し離れたショッピングモール、その中の広場でスマートフォンを触りながらショルダーバッグを背負ったリエは待っていた。
ふと顔を上げたその視界に先生の姿が映ると、彼女は嬉しそうに手を振った。
「私服が意外というか……結構可愛い系なんだね?」
「……言わないでよ。結構頑張ったんだから」
先生がそれを褒めると、少し顔を赤らめてバサバサと翼を動かした。
大きめのTシャツに、アシンメトリーのスカート、厚底のサンダルとそれなりにオシャレしている彼女。
緩やかな坂のような胸元に乗ったペンダントには瞳と同じ色のロードクロサイトが煌めいている。
「……まあいいや。それで、先生どこか行きたい場所ある?」
「うーん……特に無いかなぁ……」
「オッケー、じゃあ適当に回ろ」
リエは楽しそうに先生の手を取って、軽い足取りで歩き出した。
第三次特別試験から数日、朝起きるとちょうど見計らったようなタイミングでモモトークの通知が鳴る。
先生は目を擦りながら指紋認証でスマホのロックを外した。
「『先生、今日時間ある?』」
「『うん、今日は特に予定も無いよ』」
「『こっちに新しいショッピングモール出来たんだけど、もし良かったら一緒に行かない?この前のお礼もしたいし』」
「『あ、行きたい行きたい!』」
「『じゃあ、10時くらいに』」
リエからだった。
一通りのやり取りが終わると、先生はスマホを放り投げてクローゼットへ向かう。
天気予報を見ると、今日はカラカラの快晴で、かなり気温も高いらしい。
「……じゃあ、こんな感じ……かなぁ……」
姿見鏡の前で服を合わせながら彼女は考える。
トリニティまではここから二時間ほど掛かるため、あまり悩んでもいられない。
結局彼女は夏らしいカジュアルなワンピースに着替え、先生はシャーレを飛び出した。
「……あ、キッチンカーだ」
彼女は物珍しそうに指差した。
「本当だ」と先生もリエの指差す方向を眺める。
「えっと……スムージー……かな?」
「ううん、色々ある」
仲良く並んで近寄ってみると、何やらちょっとしたグルメフェスが開かれている。
リエは少し腕時計を見た後に、先生に話しかけた。
「……早めのお昼とかどう?」
「よし、食べよう!」
「私あの牛串って奴がいいな」
「オッケー!」
意気揚々と列に並ぶ彼女達。
幾つかの屋台を回った後に、二人は戦利品を携えて空いていたベンチに並んで腰掛けた。
「……こういうとこって、領収書出ないんだ……」
「もしかしてさ、リエってああいう屋台みたいなの初めて?」
先生が問いかけると、リエはかあっと頬を赤らめて話しだした。
「……ううん、確か、昔にミカ達と行った……気がする。最近は忙しくて……」
「もしかして、たこ焼きとか食べたことないの?お好み焼きは?焼きそばは?!」
「……あんまりそういうのに縁がない家庭の生まれだから……私もナギサもミカも……」
少し恥ずかしそうに、リエは呟いた。
「意外と世間知らずなんだな」と思いながら先生はプラパックを開ける。
昇った湯気と共に、鰹節が踊っていた。
「それがたこ焼き?……って?!あついあついあつい!」
「あっはっは!どう?美味しいでしょ?」
彼女が手元を覗き込んだ瞬間、先生はすかさず揚げたてのたこ焼きをその口に放り込んだ。
彼女は涙目になりながら口を押さえ、必死にハフハフと口の中のたこ焼きを冷まし、ごくりと飲み込んだ。
「……あっつう……喉元過ぎれば熱さを忘れるって大嘘だったんだ……」
「もしかして、リエって猫舌?」
「違うから!今のは突然過ぎて……」
彼女はヒリヒリする舌を冷ましながらりんごのスムージーを一気飲みした。
それでも足りなかったようで、リエは先生のストロベリーシェイクを分けてもらってようやく自分の牛串に手を付けた。
「……間接キスか……」
「……どうかした?」
「ううん、何でも無い」
「そっか!……あとさ、牛串一口食べて良いかな?」
「良いよ、何にする?タンとか……カルビとか……」
「……えっと……それは?」
先生は、リエの持っていた食べかけの串を指差した。
「……これは……ハラミ……だったかな」
「ハラミ!私好きなんだよね!もらっても良い?」
「良いよ、残りあげる」
リエは美味しそうに彼女の食べかけを頬張る先生を見て「先生は気にしないタイプかぁ」とぼんやり考えた。
「……ごちそうさまでした!めちゃめちゃ美味しかった!」
「それなら良かった。……次どこ行く?」
ようやくヒリつく舌と頬の赤らみが収まり、彼女は先生に声を掛ける。
「うーん……あ、ここってゲーセンあるかな?」
「ゲーセン……ゲームセンター?」
「そうそう!ミレニアムのゲーム開発部の子達に連れてかれてからちょっとハマっちゃって!」
「確かあったと思う。……あっちの方かな?」
リエはそこら辺のゴミ箱に食べ終わった容器を投げ入れた。
カラン、と心地よい音が鳴った。
「……結構騒がしいんだね」
「それが良いんじゃん!ほらほら!」
「うわっ?!」
入り口から奥を眺めていたリエの手を思いっきり引っ張って、先生は彼女を店の中へ連れ込んだ。
騒がしい店内に並んだクレーンゲームやリズムゲームの間をすり抜け、彼女達は店の奥へ向かう。
その道中で、先生は「あ」と小さな声を出した。
「……そうだ、小銭ある?!」
「小銭……?」
「うん、ゲーセンじゃお札使えないよ?」
財布の中身を覗くリエに先生は軽くゲームセンターの仕組みを説明する。
彼女は記憶を辿りながらその話を聞いていた。
「そっか、そうだっけ。……ごめん、だいぶ久々なんだ。こんなところ来るの」
「へえ、来たことはあるんだ?」
珍しそうに聞く先生に対し、リエは小さく頷いた。
「昔……なんだっけな……あ、そうだ。ピアノの発表会の次の日。ミカがクレーンゲームのぬいぐるみに一目惚れしてね。それで三人でお小遣い使ってクレーンゲームとか、太鼓の天才とか、マリンカートとか、メダルゲームとか。結局一日中遊んだっけ」
「一通りって感じだね」
「まあね。……それで、小銭だっけ?両替機は……あった」
少し離れたところに両替機を見つけると、リエはそこまで駆け寄って万札を差し込んだ。
ジャラジャラと百円玉が落ちてきた後に、何枚かの千円札が返ってくる。
「ごめんね、先生。細かいの無くて。これで大丈夫?」
「うん!それだけあれば十分遊べると思う!何かやりたいのある?」
「……じゃあ、あれかな」
彼女は少し離れたカジノのルーレットのような機械を指差した。
「メダルゲーム?良いね、やろうやろう!」
「『サテライト6、ジャックポット獲得!!おめでとう!!』」
「えっと……リエ?そろそろ止め時なんじゃ……」
「……いや、挙動的にまだ400枚は出る!……次小当たり出たら止める!」
リエは天才であった。
あらゆることを爆速で飲み込み、器量良くこなす。
それはメダルゲームでも変わりはなかった。
もはや的確に結果を予測しては、まとめて賭けて大儲け。
意外な才能もあるものだな、と先生は生き生きしているリエを眺めて考えた。
「ったぁ!これで1万枚!……メダルゲームって楽しいね!先生!」
「そう言うと思った。あの時のプールくらい楽しそうな顔してるもん!」
「……?!そんなにかな……?」
先生の言葉で冷静になったリエは、自分のはしゃぎっぷりに少し顔を赤らめる。
その顔を、先生はこっそりとレンズに収めた。
「……これ、待ち受けにして良い?」
「止めて、だいぶ恥ずかしい……」
「……あとさ、それ……大丈夫?」
よそ見していたリエは、間違えて全ベットのボタンを押していた。
それも、全く当たるはずのない場所に一点賭け。
赤くなっていた顔からスッと血の気が引く。
「……やっばぁ……」
「楽しかったね!ショッピングモール!」
「……儚い……夢だった……」
少し落ち込みながら、リエは言った。
空は綺麗な夕焼けで、でも夕立を起こしそうな積乱雲が遠くに見える。
結局一時は1万枚を超えたメダルは泡と消え、リエの手はヤケ買いした服やらアクセやらの紙袋で埋まっていて、翼までも荷物持ちに酷使している状態だった。
「……ていうか随分買ったね……」
「……まあ、ナギサ達へのお土産も兼ねてだけど……っと、そうだった」
リエは何かを思い出して一旦荷物を下ろすと、先生に一つの紙袋を手渡した。
「これ、先生の分」
「……良いの?」
「言ったでしょ?「お礼がしたい」って。……あんまり高いやつじゃないけど……受け取ってくれたら嬉しいな」
「もちろん!ありがたく受け取るよ!」
そう言って受け取った紙袋。
「あんまり高くない」と彼女は言うものの、キヴォトスでも有名なブランド品のピアス。
これがお嬢様か、と少し考えるものの、遠慮よりも生徒からのプレゼントに心が躍る。
先生はその場で開けると、試しに着けてみせた。
「……どうかな?」
「うん、似合ってる。……じゃあ、この辺で。またね、先生」
「うん!帰り道、迷子にならないよう気を付けてね!」
「……そんな年じゃないよ、私」
ショッピングモールの敷地を抜けたところで、二人は別れた。
曲がり角で先生の背中が見えなくなるまでリエは手を振った。
メモロビはメダルゲームではしゃいでるリエです
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エデン条約・調印式編
記録18:ポストモーテム
「……先生?」
「……!……ごめん、少しウトウトしてた……」
あの事件からしばらく経ったある日のこと。
大聖堂の会議室で、先生はサクラコと話していた。
先日の聖園ミカによるクーデター、ティーパーティーホスト桐藤ナギサの暴走、もう迫ってきているエデン条約調印式……トリニティには現在問題が山積みであった。
「……最近お忙しいのは存じ上げておりますが……分かりました。そろそろ本題に。……実際何が起きていたのか、現在の情報から整理してみます」
「整理……?」
「はい。『ポストモーテム』……即ち事件そのものの『司法解剖』です」
そう言って、サクラコは分厚いファイルを何冊か持ってきて、机の上に置いた。
先生は溜まっていた唾を飲んで、バシッと頬を叩いた。
「まず、事件当日から。セイアさんが襲撃されたのは夜中の3時頃。部屋が爆破されていたとのことです。その現場に最も早く訪れた……即ち、第一発見者の救護騎士団の蒼森ミネ団長は事態の緊急性を悟り、まず誰に報告するよりも先に、セイアさんを連れてトリニティ外部へ逃げ、セイアさんがヘイローを破壊されたように見える工作を施しました。「死人を殺そうとするものはいない」……セイアさんを守るには最適な方法だったと言えます」
「……まずミネが動いたんだ」
「はい。やり方はやや強引ではありますが、彼女は非常に聡明な方です。実際セイアさんが生きているという結論を出し、彼女の居場所まで辿り着いたのはリエさんただ一人です。ですから……」
「……あら?随分と面白くないお話をされてるんですね?」
サクラコの話を遮って、聞き覚えのある声が響いた。
「……ハナコさん?」
「何でここに?」
「先生がまたトリニティにいらっしゃると聞いて、ならシスターフッドの方かなと思いまして。……まあ、退屈な先生への助け舟というやつです♡」
「……退屈かもしれませんがこれは必要な……」
「ふふっ、相変わらずですね、サクラコさん。一旦真面目なことは置いておいて、私と甘い快楽にでも浸りませんか?サクラコさんなら良い反応が見れそうですし♡」
「……忘れているわけではありませんよね、あの約束」
「……もちろんです」
どの約束だ、と先生は考えた。
サクラコとハナコが交わすような約束に一つだけ、彼女には心当たりがあった。
「……この前の……」
「はい、アリウスとの戦闘の際にハナコさんから要請されたシスターフッドの援軍、その交換条件です」
「……それって……」
「……私が、シスターフッドの言うことを何でも一つ聞く……「生徒の登校時の服装は裸のみ」……そんな校則を作り、トリニティに原初の楽園を蘇らせるという計画に手を貸す……そのような契約を交わしたんですよね♡」
「はい、その通……え?」
サクラコは困惑を形にしたような声を出した。
ハナコは明らかに可笑しいことを言っているはずだが、その顔はニコニコと微笑んでいて、言葉は淀みなく続く。
「まさかシスターフッドがそのようなことを企んでいるとは思いませんでしたが……この浦和ハナコ、これほど崇高な志をお持ちとあらば協力するしかありません。それにあの例外条項「シスターフッドのみはベールを被ることを認める」……あれほどまでに芸術に溢れた文章を私はまだ知りません。私も実現のために全力を尽くしましょう!」
「……え?……はい?」
「ですが、私から一つ提案が。シスターフッドのみベールを許可するのではなく、他にもティーパーティーならマントのみ、正義実現委員会なら靴下、一般生徒はリボンといったようにそれぞれ許可するアイテムを変えて様々な形を楽しめるようにするというのはいかがでしょう?これを認めてくだされば私より一層力を尽くせます!」
「……サクラコ……そんなこと考えてたの……?」
「そんな訳ないじゃないですか?!」
サクラコは少し口調を荒らげた。
先生は冗談っぽくサクラコにドン引きするような仕草をする。
そして彼女はその気の立ったような口調で訂正した。
「ご自分で仰ったでしょう?!「私達がハナコさんの頼みを聞く代わりにハナコさんも私達からの頼みを聞く」!そういうお話だったはずでは?!」
「そういえば、そんなお話もありましたね」
サクラコは大きくため息を付いた。
「本当はハナコさんにシスターフッドに加わっていただきたいのですが……それは彼女を追い詰めてしまうだけになるでしょうから……」
「……」
「……ですが、私達も呑気に「無干渉主義」とは言っていられません。これからのシスターフッドは政治的に大きな役割を果たすことになるでしょう。……その時、ハナコさんのような優れた才覚を持つ方の力を借りられる、というのは万が一があっても事態を好転させうるかもしれない、そういうお話です」
「はあ……別にその程度なら私は構わないのですが……はあ……」
「何故そのような顔を……私はあなたの趣味に付き合うつもりは……」
真面目な話に引き戻されてしまい、少し残念そうな顔を浮かべるハナコ。
先生はどっちのテンションに合わせれば良いのか分からず、とりあえず二人の話を聞いていた。
「……とりあえず、ハナコはどうしたいの?」
「……先生……」
「……無理矢理、という訳ではありません。こちらもハナコさんの力を頼る訳ですので。……そろそろ、本題に戻りましょうか」
「はい、全裸登校のお話ですね♡」
「その通……いえ違います!」
サクラコにそう言われて、ハナコはやれやれといった様子で目を瞑る。
そしてしばらく考えた後に、口を開いた。
「……セイアちゃん襲撃事件について、でしたね」
長い説明回は分割にします
あと質問あったらどんなに下らないものでも答えますので感想欄に
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記録19:他人
「セイアちゃん襲撃事件について、でしたね」
ハナコは真剣な顔になって言った。
「まず実行犯ですが、これはご存知の通りにアズサちゃんで間違いありません。……ですが、セイアちゃんが襲撃されたのが3時に対して、アズサちゃんが侵入したのは2時。……二人はこの一時間、何をしていたんでしょうか?」
「……何かを……話していた……?」
「本人からはあまり聞けませんでしたが、彼女はこう言っていたそうです。「エデン条約は恐らく今のところはトリニティとゲヘナの間に平穏を齎す唯一の手段だろう。そうなれば、アリウスの問題を解決できるかもしれない。だが、アリウスがティーパーティーのヘイローを破壊するなら、キヴォトスは本当に戦火に包まれる。……君はそれを止めたいのか」……と。その後、アズサちゃんは彼女の死を偽装するため、部屋を爆破した。そしてセイアちゃんは、その後は救護騎士団団長、蒼森ミネに託せ……そのようなことをアズサちゃんに伝えたそうです。……ですが、結局今の彼女に居場所は……」
それを聞いて、サクラコは少し考えた。
「……とにかく、白洲アズサさん……彼女がトリニティに転校し、そしてナギサさんを守るために戦い、そして見事に守り抜いた。これは紛うことなき事実です。そして特別試験にも合格。……けちのつけようもありません。……ですが、その彼女の書類が偽装のままというのもバツが悪いでしょう。……ですので私がミカさんに代わって新たな保証人となります。リエさんにもそう伝えておきますので」
「……!ありがとうございます!サクラコさん!」
「元々リエさんのサインがあるならば大丈夫だとは思ったのですが……まあ、ダメ押しということにいたしましょう。……これで、一つの問題は片付いたと言えそうです。なので私はこれで」
そう言って、彼女はスタスタと部屋を出て行って、会議室に残されたのはハナコと先生だけだった。
「……これでアズサも大丈夫そうだし……」
「……はい、ナギサさんにはリエさんがいます。彼女はもう大丈夫かと。……だから後は……」
「……ミカ……か」
先生は目を瞑って考え、思い出した。
あまり交わした言葉は多くないが、それでも彼女が心からの悪人であるとは思えない。
「ナギサさん、リエさん、ミカさん。外から断じて良いものかは分かりませんが……彼女達は友人というレベルに収まるものではありません。それこそ家族、三つ子の姉妹のような……。真面目で慎重、石橋を叩いて渡るを地で行くナギサさんと、何でも器用にこなしてしまう、八面六臂を体現するようなリエさんと、感情的で活発で、正しく自由奔放なミカさん……。三人とも綺麗にバラバラで、いっつも違うことをしていましたが……それでも私は……「ゲヘナが嫌いだ」というだけでミカさんがお二人を裏切ってこんな事件を起こすとは……」
「……うん、私も同じように思う。……ミカがわざわざ二人との仲を自分で引き裂こうとするとは思えない」
「……実はこの前、シスターフッドの手を借りてミカさんに会いに行ったんです。……そこに、彼女達も」
「失礼します、ミカさん」
「あ、二人共!いらっしゃい!揃って来てくれるなんて嬉しいな!」
「元気そうで良かった。……これ、新しいショッピングモールのお土産」
「……あ!これCMで見て欲しかったやつ!リエちゃん分かってるね!」
獄中とは思えないほどにフランクに、彼女達は立場を忘れて年頃の少女のような会話を交わす。
「何か不便なことなどは?変わったことなどはありますか?」
「……まあ、牢屋だからティーパーティーと比べると色々あるけど……まあ全然マシかな!テレビもドライヤーも割とふかふかのベッドもあるし!……にしても、まさかこんなに早くバレてここに入るとは思わなかったなあ。今頃はナギちゃんが入ってるはずだったんだけど……」
「……ミカさん……」
「まあ、どっかでは人間万事……人間万事……なんだっけ?」
「「人間万事塞翁が馬」……人生何が起こるか分からないって例え」
「そうそれ!まあ分からないから人生は面白いんだけどさ!」
本当に彼女は囚人で、本当に彼女達は危うく被害者になりかけたのか、傍から見たらそんなことは想像できないほどの会話。
けれど、ミカは少し黙った後、少し神妙な面持ちになって口を開いた。
「……本当に、二人が来てくれるなんて思ってなかった」
「……」
「もう、二度と会えないとさえ思ってた」
「……いえ、それはありえません。ミカさんとリエさんと私の……私達の仲です。そう簡単には壊れません」
「ふふっ、それもそうだね。……壊れるくらいのこと、しちゃったと思ったんだけどなぁ……」
「言い方が悪いよ、ナギサ。……私達の仲は絶対に壊れないから」
「リエちゃんはそう言うよね。……それで、二人共何しにきたのさ?尋問とかならされ飽きちゃったなぁ」
ミカは少し遠くを見て言った。
リエは、私はどこで間違えたかなぁ、とぼんやり考えた。
「……『アリウススクワッド』は……」
「アリウスの生徒会長が作った特殊部隊。結構強いよ。……で、それだけ?アリウスに関しては本当に私、知ってる全てを吐かされたんだけどなぁ。お腹も脳も空っぽになっちゃうよ」
「……いえ、それは既に確認しました」
「……じゃあ、まだ隠し事があるとでも思ってるの?そうだなぁ……あ!試しに爪とか剥ぐ?ナギちゃんには出来ないかもだけど……『魔女狩り』のリエちゃんなら出来るんじゃない?」
「ミカ」
「……っ、ご、ごめん。冗談。……でもさ二人共、もうアリウスとかどうでも良くない?
「はい、エデン条約の段階で、アリウスは脅威にはなり得ません」
「……そうやって断言するのも私は危ないと思うけど」
「……あ、そうそう。結局、アリウス自治区の行き方は分からなかったよ。多分……錠前サオリ、スクワッドのリーダーしか知らないんじゃないかな?アズサちゃんに聞くのは……あの子口硬いから、結構頑張らないとかもね」
「……そっか、ミカでも
リエは少し目を瞑って思考を回す。
その間にもミカは言葉を紡ぎ続けた。
「……でも良かったよ。ナギちゃん、先生にもちゃんと謝れたんでしょ?……先生さ、私のところにも何度も来てるんだ。無理矢理シャーレの権限で連れ出すとかじゃなくて、ただただ会いに来るの」
「……そう、ですか」
「なんか、全部面倒になった気もするよね。先生がどっちかの味方だったら……最悪先生がどっち付かずでも、リエちゃんがどっちかの味方なら……でも結局、二人共中立なんて選んじゃってさ」
「……私悪くなくない?」
「あっはっは!確かにそうだね。……でもさ、結果的にはナギちゃん大勝利じゃん。『トリニティの裏切り者』はこうして牢屋にいて、アリウスはもう脅威にならなくて……あとはエデン条約だけだね」
「……」
「ハッピーエンドだよ、もっと喜びなって!」
そう言って笑うミカに対して、ナギサは涙ぐみながら言った。
牢屋とはいえそれなりに上質なカーペットにポタポタとシミが作られる。
「……出来ません……何がハッピーエンドですか……ミカさんが、裏切り者なのに……なんで、なんで……なんでミカさんは……私のヘイローを……」
「……」
「なんで……セイアさんを……あの時……セイアさんが倒れた時……「次は、きっと私だ」って……予知夢なんて特異的な才能を持つ彼女は真っ先に狙われて……ミカさんは政治はアレですし……リエさんはホストの資格を持たないから……なら、次は私だろうって……」
「私今ガッツリディスられた?」
「今は黙ってて」
「……だから、後はタイムリミットが来る前に二人に全部託そうと……ミカさんとリエさんが残される前に、どうしても解決したかったんです……ましてや二人に何かあったら私は……」
「……いいよ、ナギちゃん。これはそんなに悩むお話じゃない。幼馴染への愛情より、ゲヘナへの憎悪が上回った、哀れなティーパーティーがいた、それだけ」
「……それにはもっと別の……!」
まだ縋ろうとするナギサを、ミカは一蹴して笑った。
「あっはは!ほんっとうに、ナギちゃんはナギちゃんだなぁ。……そんな都合の良い話なんて無いよ。私が、ティーパーティーをみんな殺そうとした。それだけなの。……リエちゃんなら分かるでしょ?」
「……私には少し難しいかな」
「あっはっは!それならナギちゃんには尚更だね!……結局、二人は私のこういう面を知らなかった。……当たり前だよね。私だってナギちゃんの全てを知らないし、リエちゃんの全てを知らない」
「……それは……!」
「ナギちゃんが一番良く分かってるでしょ?「私達は他人だから」……シンプルな答えだもんね?」
ミカはそう言って、どこか悲しそうに笑う。
いや、本人が悲しいのかは分からないが。
それでも、リエはそれを彼女の本心だと思った。
「……今日は帰ります」
「……私も」
「……うん、気をつけてね、二人共。私にお見送りは出来ないけど」
来た時よりもドアが重い気がした。
まあ来なかったら自分で書きます
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記録20:布石
「失礼します、ミカさん」
シスターフッドとのコネクションを利用して、ハナコは牢獄を訪れた。
先程すれ違ったリエとナギサの神妙な面持ちを思い出して一抹の不安を覚えながらも、彼女はミカの部屋の鍵を開けた。
「あれ?珍しいね、ハナコちゃん。というか今日はお客さんが多いなぁ」
「……私の場合は、リエさんやナギサさんみたいに優しい理由ではありませんが」
「ふーん……それで、何しに来たの?シスターフッドからの刺客とか?」
「……シスターフッド、リエさん、そして私の持つ情報を合わせてみた結果、何故ミカさんがこのような犯行に及んだのか、ある一つの結論に辿り着きましたのでお伝えしようと思いまして」
「……うわぁ……それ本人の前で言う?」
ハナコが淡々と答えると、ミカは少し顔をしかめた。
けれども彼女はそんなことお構いなしに話を続ける。
「まず、ミカさんはゲヘナを憎んだ結果として、ナギサさんの推し進めるエデン条約を壊そうとしました。……これは間違いないでしょう。何よりミカさんの性格上納得がいきますので」
「……それで?」
「はい、誰の入れ知恵かは分かりませんが、次にミカさんはホストの座を奪おうとしました。アリウスと手を組んだのもその為でしょう」
「……」
「最初は……セイアちゃんを幽閉する程度で済ますつもりだったのではないでしょうか。それでホストになるには十分でしょうし。……しかし『アリウススクワッド』は最初からセイアちゃんを始末するつもりだった。……ここから、ミカさんの歯車は大きく狂い始めたんですよね」
「……なんで私が狂ってることになるのさ?」
「……ここで、ミカさんは「セイアちゃんが死んだ」という報告を受けました。相当なパニックに陥ったことでしょう。何せミカさんはホストになりたかっただけ。……「人殺し」になる覚悟など全くしていなかったのです。そこからミカさんは底なし沼に落ちてしまった。「こうなったからには、徹底的にやるしかない」「もう曖昧なままでは済まされない」……そんな自暴自棄で壊滅的な衝動に駆られ……」
「待ってよ」
淀みなく話し続けていたハナコを、ミカは少し不満げに遮った。
「何の話をしてるの?まさか他人のあなたが私の心を断ずるつもり?……流石のハナコちゃんでも、そんなこと出来るわけ無くない?」
「……いえ、あなたはあの時言いました。「……本当に、殺すつもりなんてなかったんだ」と。他にも、ミカさんの行動には少なくない疑問が残ります。……そもそも、あなたはあそこへ姿を現す必要がなかったはずなんです」
「……」
ミカはただ黙ってハナコの目を覗いているが、それに臆すること無く推理を淡々と述べ続ける。
「……つまり、ミカさんはナギサさんが殺されるのが怖かったのでしょう?」
「……」
「ミカさんは強い。十分すぎるほどに強いです。恐らくツルギさん、ミネさん、リエさんと並んでも見劣りはしないでしょう。……だから、あの時こちら側の勝ち目は「リエさんの到着を待つ」、ただそれだけしかなかったんです。実際、リエさんとミネさんが突入すると同時に、ミカさんは投降しました。……ですが、何故一切抵抗しなかったんでしょう?」
「……勝ち目がない戦いに挑むほど馬鹿って思われてるのかな?私」
「……いえ、そうではありません。……ミカさんは「もう大丈夫だ」と思ったのでしょう。リエさんの不在というあの状況はクーデターを起こす絶好のチャンスでありながら、安全装置の存在しない極めて危険な状態だった。逆に言えば、リエさんが居るのならナギサさんが殺されることはまず有り得ない。ですから……」
「あっはっは!……もう良いよ。結局何が言いたいのさ?……まさか、私を憐れむつもり?可哀想な馬鹿だねとでも嘲笑いたいの?……ううん、嘲笑いたいよね?こんな血も涙も無い人殺しがヘマして捕まってるんだもん」
自暴自棄に、ヤケクソになって彼女は笑った。
その様子を、ハナコは冷たいような、でもどこか温かいような、熱を秘めたような瞳で見つめていた。
「ねえ、ここまでしてどうするつもりなの?というか一向に出てこないけど、本当にセイアちゃんは生きてるの?本当は死んでたけど嘘つきました〜みたいな感じじゃないよね?……それとも、これ全部嘘だらけなのかな?」
「……今日はここで失礼します」
ハナコはおもむろにソファから立ち上がり、出口の方へ向かった。
そして閉ざされた扉のドアノブに手をかけながら、最後にミカの方へ振り返る。
「今日のことは誰にも言いません。ナギサさんにも、リエさんにも。……もちろん、先生にも」
「……え」
「……『推理』を先生に披露してもどうしようもありませんので。……それでは、これにて失礼します」
去っていくハナコの背中が消えた後に、冷めた紅茶を啜ってミカは呟いた。
「……大変だなぁ、ハナコちゃんも」
「……よし、こんなものかな」
エデン条約調印式の会場はトリニティ内の『通功の古聖堂』がゲヘナ側からの要請で選ばれた。
そしてそこら一帯の再開発の指揮をリエが執ることとなり、現在急ピッチで工事が進んでいる。
「……申し訳ありません、色々忙しい中リエさんにこんな仕事を押し付けてしまって……」
「ううん、全然。ここまで話を運んだのはナギサだから、こういうのは私がやるよ。……ちょっとやりたかったしね」
「……そう言っていただけて幸いです。……ですが「3時から用事がある」と仰っていませんでしたか?」
「うん、そうだけど……って、もうそろそろか」
リエは開いていたファイルをパタンと閉じると、椅子にかけていたカーディガンを羽織った。
「じゃあ、少し席外すよ」
「よろしいのですが……ちなみに何の用ですか?」
「……ちょっとアズサちゃんから話をね」
そう言って、リエは軽い足取りで大聖堂の方へ駆け出した。
「……ごめん、待たせちゃった?」
「いや、全く。……それで、今日は何を話せば良いんだ?」
シスターフッドの会議室を少しだけ借りて、リエは白洲アズサと待ち合わせていた。
聞きたいことは少なくないが、中でもリエが最も欲していた情報が一つあった。
「……『アリウススクワッド』について?」
「そう。名前とか、武器とか色々」
「……分かった。まず、リーダーのサオリから……」
アリウススクワッドのリーダー、獲物はアサルトライフル、比較的長身、黒髪ロング、ゲリラ戦の天才……。
愛用の万年筆で、アズサの口から出てくる情報をただ一つも漏らさずにノートに記し続ける。
「……こんなもの。次は……」
「戒野ミサキ」
「分かった」
そしてリエがアズサの知るアリウススクワッド、ついでにアリウスの情報の殆どを記したところで、アズサは少し躊躇った後に口を開いた。
「最後は……」
「秤アツコ……だけど、ごめん」
「……?何かあった?」
「……あまり分からない。マスクを着けていて、手話で話していて、生徒会長の血筋、それくらいしか情報がない」
申し訳無さそうに呟いたそれも書き取って、リエはもう一度口を開いた。
「……あと、写真とかある?」
「写真?」
「うん、顔も見ておきたいから」
「いや……」
「私は持ってない」、そう言いかけたアズサだったが、何かを思い出して持ってきていたカバンの中を漁った。
取り出した綺麗なロケットペンダントの中に、一枚の小さな写真が入っていた。
「……これ……」
「この頃は、私はまだサオリ達と一緒にいなかった。……でも、今日から仲間だからってサオリがくれたんだ。たまたま拾ったインスタントカメラで撮ったらしい」
そこに写っていたのは廃墟を背景にして、ボロボロになりながらも仲良さそうに集まっている、十年くらい前の四人の姿だった。
歯を見せて笑うサオリ、その影に隠れようとしながらも好奇心を抑えきれていないヒヨリ、少しそっけない態度だけれども肩を寄せているミサキ、一輪の小さな花を持って笑っているアツコ。
彼女達も私達と同じ生徒であると、そしてアリウスの異常な状況を物語るには十分な写真であった。
「……ありがとう。大切なものでしょ?見せてもらっちゃってごめん」
「いや、問題無い……それで、もう行くのか?」
「うん、用事がまだあるから」
「……そうか、リエは忙しいんだな」
アズサに精一杯のお辞儀をしてから、リエは部屋に戻った。
定期的に言いますけど、高評価とか感想とか読了報告お願いします
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記録21:理解
ください(強欲)
「……とまあ、このような顛末で……結局、伝えてしまいましたね」
「……そっか。お疲れ様、ハナコ」
先日のミカのことを先生に伝え、ハナコはため息をついた。
先生も少し考えるように目を瞑っている。
「……少し、ミカさんに意地悪しようと思ったのですが……本当に、嫌がらせになってしまったかもしれません……」
「まあ、そこはハナコが気にすることじゃないよ。……それでも気になるなら後で謝りに行けばいいし」
「そう、ですね。……それでまとめてしまうと、ゲヘナを嫌っていたミカさんがエデン条約を台無しにするためにホストになろうとし、ホストになるためにアリウスと手を組んでティーパーティーを排除しようとした……指示したのがミカさんで、実行犯がアリウススクワッドで、最終的にセイアちゃんを襲撃したのがアズサちゃんということになります。それぞれに違う思惑があり、それが絡み合い、それ以外にも多くの誤解と懐疑が混ざりあった結果、ここまで陥った……そう考えてしまうのが、一番楽なのかもしれません」
「……もしかしたら、さ」
一通り、自身の考えをまとめたハナコに対し、先生は小さく呟いた。
「……ミカも、最初は嫌がらせくらいのつもりだったのかもしれないのかな」
「……先生?どういうことですか?」
「……もしかしたら、本当に何にも考えずに、例えば子供が口うるさいお母さんにちょっといたずらを仕掛けるような、それくらいの話だったのかもしれないのかなって」
「……ミカさんは、政治に向いているとはとても言えないような方です。……短絡的で……感情的……。……なら……確かに、小難しいことばっかのセイアちゃんに苛立ちを感じていた……?……そのためにアリウスを差し向けたと……?……いえ、流石に恣意的な気が……」
「あはは、そうかもね。……なら、ミカは本当にアリウスと仲直りしたかった、とか?」
先生は、何気なくそれを口にしたが、ハナコはその言葉がどこか引っかかった。
顎に人差し指を当て、まぶたを下ろし、思考を回す。
「……仲直りは建前ではなく本音……それをアリウスに……?……いえ、先生は……」
「……どうしたの?」
「……私達にはミカさんの本心など、分かるはずがない……先生は、そう言いたいのですか?」
ハナコが尋ねると、先生は肯定するでも否定するでもなく、ただ小さく呟いた。
「……「楽園に辿り着きし者の真実を、証明することはできるのか」……」
「五つ目の古則……セイアちゃんがずっと考えてた……」
ハナコはまた少し考えた後、口を開いた。
「……楽園に辿り着いた者は、楽園の外では絶対に観測されない。その為楽園が存在するかを知ることは出来ない……楽園の存在証明のパラドックス……」
「……『他者の本心』は『楽園』か……」
「もし『他者の本心』なんて領域に足を踏み込めるのなら、それはもはや他人ではありません。……ですが、踏み込めないと断言してしまうのなら、本心など分かるはずがないと認めることになってしまう……」
「これさ、ハナコならどう答える?」
「……いえ、私には……」
分かりません、そう口走ろうとしたが、ふとセイアから前に聞いた話が脳裏をよぎった。
「……一度、セイアちゃんから聞いたことがあります。何でも、昔ミカさんが興味深い「答え」を言っていたと」
「ミカが?」
「はい、「楽園に辿り着くのが大変なら、ここに楽園を作っちゃえばいい」……そんなことを仰っていたそうです」
「あはは、ミカらしいね」
「はい。……ですが、私達は
「無いから、私達は藻掻いてるんだろうね」
先生は紅茶を啜って残念そうに笑った。
「けど、藻掻き続けるしかない。信じ続けるしかない。……いつかの楽園のために」
「……そう、でしたね。最初から、先生はそうでした。疑惑と疑念で満ち溢れたこのトリニティ総合学園で、誰のことも疑うことなく……」
「当たり前じゃん!生徒を疑う先生がどこにいるのさ!」
「例え、誰かがその善意を踏み躙り、裏切り、利用したとしても……ですか?」
「うん。……私が大人であり、先生である限り、それはずっと変わらないよ!」
力強く答える先生に、ハナコは「先生ならそう言いますよね」と言って微笑んだ。
「……それにさ、ミカと、ナギサと、リエ。……幼馴染が仲違いしたまんまなんて、少し悲しくない?……エデン条約が終わったら、またお茶会でもしながら三人と話したいな。……だって、あの子達『ティーパーティー』でしょ?」
「……そう、ですね。……私も、全部片付いたら補習授業部のみんなとまた……。……結果がどうであれ、私達は、互いに理解する努力をするしかない……そういうことなんでしょうね」
「……多分、それが私達に出来る唯一のことだから」
そう言ってカップに入った紅茶を飲み干すと、先生は「またね」と手を振って会議室を出て行った。
ハナコも、少し物思いに耽った後、会議室を後にした。
空は、暗くなっていた。
「……リエ様」
「あ、入って」
「失礼します」
ティーパーティーの後輩が、リエの下を尋ねていた。
「リエ様、通功の古聖堂周辺の図面は……」
「あ、これにまとめてある。持ってって」
そう言って、リエは分厚いファイルを後輩に手渡した。
部屋はリエとしては珍しく散乱していて、辺りには謎の計算式が書き記されたノートの破片が所狭しと散らばっている。
「リエ様、これは……」
「内緒。……っと、そうそう言い忘れてた。……絶対に、火薬の量は厳守するように伝えといて」
リエは低い声色で伝えた。
「畏まりました」と後輩は部屋を後にした。
「……エデン条約、成功してほしいなぁ……」
一人、窓から吹き込む夜風を浴びながら呟いた。
不穏だね
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記録22:進捗
「……あ。リエさん、おはようございます」
「おはよ、ナギサ」
日もやや高く昇る中、二人は遅めの朝ごはんを食べていた。
ナギサは焼き立てのクロワッサンに少し多めにスプレッドを塗り拡げ、リエは炊きたてのご飯をあさりの時雨煮で頂いていた。
「ようやく少し落ち着いてきた?」
「はい。まだ調印式はこれからですが、少なくともミカさんの方はだいぶ。……ところで、何故ティーパーティーでそのようなものを……?」
「これ?正実の後輩が百鬼夜行行ったらしくて、そのお土産。気が効くよね」
少し困惑気味なナギサに対して、リエは白米を掻き込みながら答える。
彼女が空のお茶碗を持って「ナギサも食べる?」とジェスチャーすると、ナギサは少し悩んだ後に恥ずかしそうに「そ、そこまで言うなら……」と小さく呟いた。
「……!甘い……!甘いですこのお米……!」
「美味しいよね。炊きたてご飯。……そういえば、ヒフミちゃんが学園の戦車強奪したらしいけど……聞いた?」
「はい、先程。折角ですし先日のお詫びということで補習授業部の備品に加えておきました。……あと、その……しぐれに?取っていただけますか?」
「どうぞ。……にしても、中々粋なことするね、ナギサ。結構反省したんだ?」
「……それはもう。「そのまま使っていただいて大丈夫です」と伝えたら、「えっ?!本当に良いんですかナギサ様?!」と大喜びしていました。何でも、アズサさんと海に行くのだとか。ふふっ、お土産も買ってきてくださるそうです」
「そっか。……まあ、あれだけのことだし、これであの子達も少しは疲れが取れると良いけど。あとヒフミちゃんのものまねそこそこ上手いね」
「はい、全くです。……まだまだ償い切れるとは思っていませんが、少しでも償っていこうと思います。……あと、これ美味しいですね。追加で取り寄せます」
「お気に召したようで何より」
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさま」
そして、二人が朝食を食べ終えたのは11時手前ほど。
もはやここまで来るとモーニングというかブランチと言った方が適しているに違いない。
テーブルの上に並んだ食器を片付けると、今度は机を並べて二人は業務に当たり始めた。
ミカもセイアもいないが、二人共あんまり書類仕事をするタイプではないため仕事量は以前と大差ない。
「リエさん、こちらの資料のデータ、出処はどちらですか?」
「2つ前の正実の報告書。気になるならハスミに連絡取る?」
パソコンのキーボードを叩き、タブレット上に指を滑らせ、ペンを動かしながら書類の山と格闘する。
エデン条約調印式が迫ってきているが、むしろ仕事は増える一方だ。
いや、調印式が迫ってきているからこそ増えている仕事も決して少なくない。
「そういえば、『通功の古聖堂』付近の再開発はどうなってますか?」
「もう手配してある。工事もあと何日かすれば終わるんじゃないかな。テナントの方も『ショコラ・バレンティーノ』を始めとする老舗や大手が応募してきてる。こっちは……聖堂の一般公開までには間に合うって感じ」
「流石の手際ですね。それで、警備の方は?」
「既に正実全部動員は確定してる。あっちも風紀委員の殆ど出してくるみたいだし。それと、シスターフッドも半分くらい。あとは……」
「はい、校旗掲揚は私の砲兵部隊を回します」
「オッケー、じゃあもう殆ど完璧かな」
最後、書類の空欄に自身のサインを刻み、リエは大きく背伸びした。
ナギサも一段落したようで、席を立ってキッチンに向かっている。
「リエさん、お菓子は何にいたしましょう?」
「んー……今日はフルーツ系がいいな。クリームたっぷりのも良い感じだけど……」
「……では、パンケーキでも焼きましょうか」
そう答えたナギサが倉庫を漁っていると、唐突にリエのスマートフォンが鳴り始めた。
「……?……はい、朝日奈リエです」
「『あ、あの……大聖堂の方へ来ていただけませんか……?ハナコさんが……』」
「マリーちゃん?どうかした?」
「『は、はい……今にもハナコさんが脱いでしまいそうで……』」
「……分かった、すぐ行く」
シスターフッドの、伊落マリーからだった。
「そういえば、ハナコとコハルちゃんはついてってないんだっけ」と思い出しながら、リエは机の上に広がっていた書類をまとめ始めた。
「リエさん?どこか行かれるんですか?」
「ちょっとシスターフッドの方。パンケーキはまた後ででいい?」
「それならご安心下さい。……私も今から買い出しですので」
「あっはは、了解。パンケーキ、楽しみにしてる」
そう言って、リエはナギサに先んじて執務室から駆け出した。
「……あ!リエさん!こちらです……!」
「待たせちゃった?……それで、ハナコは?」
「今案内します……!」
マリーに案内されるままに部屋に足を踏み入れたリエが目にしたのは、服をたくし上げ、顔を赤らめるヒナタに身体をピタッと密着させたままテキパキと書類を整理するハナコの姿だった。
リエは質のいいカーペットの上を一歩一歩とおもむろに進み、ハナコの肩を軽く叩いた。
「何やってるのさ、ハナコ?」
「リエさん、ごきげんよう♡リエさんもいかがですか?」
「普段なら乗ってたんだけど……「人に迷惑かけないように」って言わなかったっけ。あんまり酷いようだと私も見逃せなくなっちゃうよ?」
「見逃……え?どういうことですか?」
「……」
リエの発言を上手く飲み込めずにいるマリーと、ただなにか言いたげに黙るハナコ。
リエはため息をついて話を続けた。
「……ヒフミちゃん達について行けなかったのは残念だけど、ひとまず今はシスターフッドの力になる、そういう約束なんでしょ?」
「……はい。そうなのですが……」
「……分かった。どっかでそういうバカンス的なの出来るようにこっちも調整してみるから……今は真面目にお願い」
リエがそう言うと、ハナコは渋々胸の上まで捲くり上げていた制服を元に戻した。
ヒナタがその横でホッと一息ついた。
「わざわざ来ていただいてありがとうございました……」
「ううん、エデン条約関連でだいぶお世話になってるから。またハナコが暴れそうになったら釘刺しに来るからすぐ呼んで。じゃあ、これで失礼」
「は、はい!またお世話になるかもしれませんが……。今日もあなたと共に平穏がありますように……」
そう言ってマリーは小さくはにかんだ。
リエは控えめに手を振って、大聖堂を後にした。
「リエさん、準備は大丈夫ですか?」
「うん、いつでも行ける」
ティーパーティーのドレスルームで髪を梳かしながら、リエは答えた。
この日のために、二人は、トリニティは全力で準備に当たってきた。
そしてその努力は間もなく実を結ぼうとしている。
「リエさん、迎えの車が来ました」
「よし、行こう」
ハンドバッグにハンカチやグレネードランチャーを収め、リエはナギサと共に部屋を出た。
心なしか、普段よりもトリニティの空気も柔らかいような気がする。
「いよいよ……ですね」
「そうだね。……でも、大丈夫だよ」
「そう……ですよね。私達、頑張りましたもんね」
「うん。……これで、ようやく……」
その時は、とうとう訪れようとしていた。
それぞれの読者に違うリエのイメージがあるんですかね
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記録23:調印式
トリニティ総合学園から、通功の古聖堂までは数十キロ。
リエとナギサは後輩の運転するセダンに揺られていた。
「……あと少し……ですね」
「だいぶ緊張してるね?……大丈夫だって、何かあっても私がどうにかするから」
時刻は10時程、調印式の時間は12時から。
十分すぎるほどの時間の余裕はあるが心の余裕はあまりないようで、ナギサはさっきからずっと外と車内を交互に眺めたり、太ももを人差し指でトントンと叩くなどと忙しない様子を見せていた。
「あ、あの……」
「どうした?」
「その……手を、握ってもらえませんか……」
そう言って翼をヘナっとさせて、ナギサは少し恥ずかしそうに右手をリエの方へ差し出した。
「……はあ。しょうがない」
「……やっぱり、リエさんは温かいですね。冬の日の焚き火みたいです」
「冷房の効きすぎじゃない?……まあ、気が済むまで握ってあげる」
「あの、ナギサ様、リエ様」
唐突に、運転席の後輩が口を開いた。
サイドミラーに映る顔を覗くと、少し赤くなっている。
「お二人が長い付き合いで、深い仲というのは重々承知なのですが……その……」
「その……?」
「えっと……車内で惚気けるのは止めて頂きたいです……」
そう言われて、二人も手を繋ぎながら赤面した。
「『この配信をご覧の皆さん、こんにちは!クロノス報道部、川流シノンです!』」
第一回公会議の舞台ともなった『通功の古聖堂』前の広場の周りでは、クロノスジャーナリズムスクールのレポーター、川流シノンが中継を行っていた。
彼女が修復後初公開となる古聖堂の紹介や、エデン条約の概要を現場から解説しているその後ろでは、トリニティのティーパーティー、そしてゲヘナの万魔殿が校旗を掲揚しながらにらみ合っている。
「『そしてご覧くださいこの光景!果たしてこれが手を取り合おうとする生徒達の姿なのでしょうか?!熱はこもり空気は張り詰め、まさしく一触即発といった様子であります!やはり私達の良く知るトリニティとゲヘナであったようです!』」
「そういうの煽らないでよ!さっさと進めないとどうなっても知らないから!こんなビッグイベント滅多にないフィーバータイムなんだよ?!」
「『……さて、外野も面倒なことになってきたところで次のお話です!先程、連邦生徒会による緊急記者会見が行われました!』」
彼女の手振りとともに、中継画面は連邦生徒会のオフィスに切り替わる。
「『……以上で、会見を終わります』」
「結局連邦生徒会長は失踪したままなんですか?!」
「あれから連邦生徒会に対する世論は厳しくなっていますがどうお考えですか?!」
「『SRT』の閉鎖については?!」
失踪した連邦生徒会長に代わり、連邦生徒会のトップを務めている首席行政官、七神リンが終了を宣言すると、各学園から訪れている記者達がバババッと手を上げて口々に質問を投げかける。
「『現時点で不確定な情報に関しては発言を差し控えさせていただきます』」
「『エデン条約』についてはどうお考えですか?!」
「『各学園への不要な干渉は控えるべきと考えています』」
今キヴォトス中が注目する問題と言っても良い『エデン条約』に関する質問さえのらりくらりと交わす彼女に会場の雰囲気はどんどん悪くなる。
そして記者や視聴者がモヤモヤを抱えたまま、会見は打ち切られた。
「『……はい!なんと無責任な連邦生徒か……え?無闇に敵を増やすな?……なんと心の広い連邦生徒会なのでしょう!まるで子供の喧嘩をニコニコしながら眺めている親の如しです!……っと、ここで会場に動きがありました!』」
中継のカメラが動き、立ち入り禁止となっている通功の古聖堂前の広場に到着した一台の車を映し出した。
トリニティでも最高級の特注の白いセダン、その中から手を繋いだ二人の生徒が降りてくる。
「『間違いありません!ティーパーティーホスト、すなわちトリニティ総合学園の生徒会長、桐藤ナギサです!手を繋ぎエスコートするのは同じくトリニティ総合学園の副会長、朝日奈リエでしょうか!』」
おもむろに進む彼女達の足音は、野次馬が騒ぐ中で尚マイクに拾われるほどハッキリと鳴っていた。
そして通功の古聖堂に近づくにつれ、ゆっくりと掲揚されていた校旗が上がり、彼女達の道を作る。
「……どう?まだ緊張する?」
「……いえ、少し視線が気になる程度です」
「そっか。じゃあ……」
丁度クロノスのカメラを通り過ぎる瞬間、リエはフリーの右手をぱっと広げ、カメラに向かって微笑んだ。
「……マジ?!ありがたぁ……」
「『流石の副会長!マスメディアに向けるサービスも欠かせません!これがノブレス・オブリージュというやつでしょうか!洒落てますね!』」
「どう?これでナギサへの視線も減るでしょ?」
「……これは……これで……」
トリニティでも全員顔だけは手放しに褒められると評判のティーパーティーのサービスショットに配信のチャット欄も一気に加速する。
そんな中、広場を飛行船の作る大きな影が横切った。
「『……!間違いありません、あのマーク!ゲヘナの生徒会、『万魔殿』も会場に到着したようです!風紀委員会の空崎ヒナも間もなく到着するということで、続々と各学園の主要人物が集まってまいりました!』」
あと30分ほどで式も始まる中、中継は盛り上がりを増していった。
「おまたせ、サクラコ」
トリニティ、ゲヘナ、招待されたそれぞれの役職持ちが開始まで歓談する中、リエとナギサは最後の準備の指揮を執っていたサクラコに話しかけた。
「……お二人共、まずはお疲れ様です。今日の調印式まで漕ぎ着けたのは間違いなくあなた方の手腕です」
「いえ、シスターフッドにもかなり協力していただきましたから……本当に、ありがとうございます」
「ふふっ、そう言ってくださるだけでこちらも報われます」
そして開始20分前にもなった時、リエはあることに気がついた。
「ところで、先生はどちらの方に?」
「彼女は……確かヒナタさんが通功の古聖堂の案内をしているはずです。間もなく戻ってくると思いますが……」
「……ごめん、少しだけ外出る」
「リエさん?どうかされましたか?」
「車にスマホ置いてきたかも。すぐ取ってくるから」
「承知致しました。くれぐれも遅れることのないようにお願いします」
「了解。それじゃ」
リエは人の少ない裏口から、軽い足取りで駆け出した。
「それじゃあ皆さん!補習授業部お疲れ様でした!かんぱーい!!」
「かんぱーい!」
「乾パーイ♡」
「かん……ぱい……?」
ヒフミの掛け声に合わせてドリンクバーの入ったグラスをカチンと合わせる。
調印式も間もなく始まろうとする中、補習授業部は四人で市内のファミレスに来ていた。
「……にしても、今日は騒がしいな」
「今日はエデン条約調印式ですからね!トリニティでも祝日扱いですし、街も人がいっぱいいてお祭り騒ぎです!」
「折角の打ち上げなので先生もご一緒できれば良かったんですが……調印式の方に呼ばれているそうで……」
「……これで補習授業部も終わりなんだよね……」
「あら?泣いてるんですか?コハルちゃん」
「そんな訳無いでしょ!……でも、どうしても会いたいって言うなら私は正義実現委員会の押収室にいるから……」
「ああ、毎日遊びに行く」
いつもと同じような、でもほんの少ししんみりしたような、でもなんだか楽しいような、そんな雰囲気が漂う中、店員が補習授業部の下にメニュー表を持ってくる。
「ヒフミ、これ頼んでも良い?」
「はい!じゃんじゃん頼んじゃって下さい!ティーパーティーから食べ放題券を譲ってもらったので!」
「ナギサさん……随分太っ腹ですね?」
「確かにこの前は戦車も頂いちゃいましたし……こんなに色々貰っちゃったら悪いですかね……?」
「……いえ、むしろどんどん搾り取って差し上げましょう!」
「え、ええ?!それはそれでマズイんじゃ?!」
「……そういえば、私もいつかヒフミにお返ししないと」
そう言って、アズサはヒフミから貰ったペロロ博士のぬいぐるみを取り出した。
「も、持ち歩いてくれてるんですか?!」
「うん、大事なものだから。折角なら肌身離さず持っていたい」
「そ、そこまで……ですか?……なら、せっかくだし他のモモフレンズも集めに行きましょう!」
「うん、楽しみにしてる」
「他にもグッズだけじゃなくて今度映画が……仲間と協力して苦難を乗り越えるハッピーエンドのお話だそうで……!」
「ハッピーエンドは分からないけど……少し見てみたいかも……」
「すいません、ピザとポテト一つ」
「ポテトは大盛りで!」
「かしこまりました」
二人がモモフレ談義にハマっている中、ハナコとコハルは一足先に注文していた。
そしてしばらく他愛の無い会話をした後に、アズサは唐突に席を立った。
「……アズサちゃん?」
「あんなに急いでるんだもん!トイレに決まってるでしょ!」
「……しかし、トイレはあちらでは……?」
そんなことを言って、ヒフミは何気なく窓の外を見る。
その瞳が映したのは、古聖堂へ落ちる『それ』だった。
ティーパーティーは顔だけは手放しで褒められる(一般常識)
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記録24:点火
あと今回はリエが主人公でクソ強い回です
「……何が……起きた……?……ナギサは大丈夫……?」
駐車場を転がり、粉塵を吸い込みながらも、咳をすることさえ忘れてリエは呆然と呟いた。
劈くような音が鳴り、全てを薙ぐような爆音が響いた。
大地が爆ぜるような衝撃が広がって、古聖堂はただただ焼き尽くすような爆炎に包まれていた。
必死にあらゆる情報を繋げて、リエはすぐさまその答えに辿り着く。
「……巡航ミサイル……」
僅かに痛む身体を起こし、転がったハンドバッグからグレネードランチャーを取り出す。
「……助けなきゃ……」
リエはようやくホコリを払って、崩れ落ちる古聖堂へ走り出した。
「……地獄絵図……」
古聖堂に足を踏み入れてすぐ、リエは溢した。
ヘイローの消えかけた生徒達、足の踏み場もないほどに崩れた広間。
でも足を止める暇なんて無くて、その上をただひたすらに走り続ける。
「……あーあ、台無しだ……」
そしてさっきまで自分がいた……つまりナギサとサクラコがいた場所に辿り着くなりリエはグレネードランチャーを乱射した。
丁度弾倉が空になって、ようやく二人の顔が瓦礫の下から出てきた。
「……アリウス、か」
二人を担ぎ上げ、リエはそう呟いた。
別に明確な証拠があるわけでもないし、それが正しいなんて保証もない。
ただ、このどうしようもない感情をぶつけるに相応しいと思ったから。
その矛先として、丁度いいと思ったから。
「……行こう」
その身に余るほどの感情を焚べ、リエは駆け出した。
「……!いたぞ!『ティーパーティー』だ!」
「朝日奈リエ発見しました!桐藤ナギサと歌住サクラコも一緒です!」
「……私両手塞がってるから」
二人を両手に抱え、古聖堂の辛うじて無事な廊下を駆け抜ける、その途中でのエンカウントだった。
幸か不幸か、リエの見立ては当たっていて、アリウスの部隊何十人程度が待ち伏せて銃口を向けている。
けれど、彼女は酷く冷静に一瞬足を止めた。
「こんなことしか出来ないけど」
リエはその翼で壁を殴った。
崩れかけの通路にヒビが伝播し、アリウスの頭上の天井が崩落する。
そしてアリウスが沈黙した後に、リエは二人を担いだままその瓦礫の上を飛び越えた。
「……ここなら大丈夫。……本当にごめんね、二人共」
再開発の際に、作っておいたセーフハウス。
そのベッドに二人を寝かせて、リエは応急処置を始めた。
二人共多少の擦り傷や打撲はあるが、命に関わるような傷は残っていなくて、ただ気を失っているだけのようだった。
「……しばらくしたら、救護と正実、どっちも来るから安心して」
ひとまずはリエにとっての最優先は彼女達。
応急処置を終えてから、用意出来るだけの装備を準備し始める。
「……死なないで、ナギサ、サクラコ」
返事がないままの二人に手を振って、リエは部屋を後にした。
セーフハウスを出て、ひたすら硝煙の匂いが濃い方へ。
正義実現委員会も風紀委員会も入り混じってアリウスに抵抗するものの、あまり芳しい状況ではない。
そんな景色の中を行きながら、リエは電話を取った。
「……朝日奈リエ。現状は?」
「『やっと繋がった!かなりヤバいっす!ツルギ先輩とハスミ先輩は連絡取れず正義実現委員会半壊!先生がゲヘナの空崎ヒナとか率いてアリウススクワッドと交戦してますが、状況は最悪!それに不死身の人型実体……『ユスティナ聖徒会』が数百じゃ収まらない規模で……!』」
「場所は?」
「『三番街の第二道路っす!急ぎでお願いします!』」
イチカからの電話が切れ、リエは全速力で崩れる街を駆け抜ける。
トリニティ襲撃とは比べ物にならない程のアリウスが押し寄せており、それに古文書で見たような『ユスティナ聖徒会』が混ざっている。
けれど、今はそれについて考えてる暇などなく、気がつけば三番街はもう目と鼻の先。
多くの生徒が倒れ込む街並みを抜け、戦場に飛び込みながらリエがグレネードランチャーの照準をアリウスに合わせた瞬間、一発の銃声が酷く響いた。
「……先……生……?」
先生の腹部を、凶弾が貫いた。
庇おうとしたゲヘナの風紀委員会委員長、空崎ヒナもその場に伏せ、立っているのはリエだけだった。
「……空崎ヒナ、シャーレの先生、共に沈黙を確認」
「……間に合わなかった……?」
「……あとはお前だ。朝日奈リエ」
「こちらに!!」
「ああああああっっ!!!」
傷だらけになりながらも、最後の力を振り絞って立ち上がったヒナがアリウスを食い止めたその一瞬でリエは先生を担ぎ上げ、法定速度など優に上回ったゲヘナの救急医学部の救急車に滑り込む。
触れた腹部から、ドクドクと熱い感覚が手を濡らす。
「……助かる?」
「……五分五分です。ですがどうにかします。……ありがとうございます、朝日奈リエさん」
徐々に呼吸の小さくなっていく先生を救急車のストレッチャーに乗せ、リエは天井を見上げた。
「……ううん、私がそうさせた。先生もこうなるかもって、なんとなく分かってはいたけど、それでも私は幼馴染を優先した」
「いえ、私はそれを咎めません。「救える命を救う」、それが医療の基本です」
「……カッコいいね」
そう言って、救急医学部部長、氷室セナに別れを告げて救急車から飛び降りようとした時、先生は小さな声でリエに伝えた。
「……大丈夫……ピアスは壊れてないよ……」
「……そっか」
リエはこみ上げる感情を抑えて、救急車を飛び出した。
「……頑張るよ、先生」
恐ろしいまでのスピードで混乱が伝播する中、学園に戻ったハナコの下に一本の電話が入った。
「……リエさん……ですか?」
「『一度しか言わないから』」
「……」
電話越しにさえ感じる、明らかに普段と違う彼女の様子に事態の緊急性を悟りながらも、ハナコは目を瞑り、彼女の声に集中した。
「『トリニティの全軍撤退、ゲヘナにもそう伝えて。それと、今からティーパーティーの全権、トリニティの運営をシスターフッドに任せる』」
「緊急時にはオブザーバーが一時的にホスト権限を持つはずですが……」
「『無理、私は戻れない。あと一つだけ頼みがある』」
「なんですか?」
「『一日でトリニティ立て直して』」
そう言い残して、リエからの電話はプツリと切れた。
ハナコは人混みの中を大聖堂へ向かって走り出した。
「……これで邪魔者は全員消えた?」
「た、多分そうだと思います……」
「……いや、まだ『オブザーバー』が残っている。……だが問題無い。あれがいてももうアリウスは止められない」
「うん、トリニティもゲヘナも主力軍は壊滅してる。一部は撤退したみたいだけど……まあどうにかなるかな」
銃声の止んだ街で、アリウススクワッドは話していた。
ゲヘナの空崎ヒナも、トリニティの剣先ツルギも排除して、桐藤ナギサも行方不明。
そしてシャーレの先生は恐らく殺した。
もう、彼女らを阻む壁など残っていない。
「……そういえば、『魔女狩り』って結局なんだったんでしょうか……?」
「ここ数ヶ月は情報が全くないし引退したんでしょ。トリニティは剣先ツルギくらいしかイカれたのいなかったし」
「これよりトリニティに攻め込む。……第一回公会議の恨みを晴らし、トリニティをキヴォトスから消し去る時だ!」
アリウススクワッドのリーダー、錠前サオリの合図で、アリウス全軍とユスティナ聖徒会は道路一杯に広がって前進する。
瓦礫を踏み越え、残された装備を踏み越え、トリニティを制圧せんと動く彼女らであったが、彼女はそれを許さなかった。
「なあああっ?!」
「っ?!」
突如として、街に置かれた開閉器が爆ぜた。
道路に容易くクレーターを作るほどのその爆発は連鎖して、辺りの一部のビルをも崩し始める。
「散れ!巻き込まれるぞ!」
「……これ……偶然じゃない……?」
「最初から誰かが仕込んでないとこれだけの爆発は起こりようがない!だとすれば……!」
そして決して少なくない人数を巻き込んだ後に、唯一つ、余裕そうな声が響いた。
「ちゃんと避けたんだ。お疲れ様」
「……貴様は……!」
「さっきぶり、錠前サオリ。あとは……戒野ミサキ、槌永ヒヨリ、秤アツコだよね。よく見るとみんなあんまり変わってない」
その声は、瓦礫の上から聞こえてきた。
彼女は表情を崩さず、ただ淡々とアリウスを見下ろしている。
その光のない目が僅かな恐怖を、足を絡め取るような、引き金を引くことさえためらうようなプレッシャーで空間を満たしつつも、彼女ただ一人はその笑顔を崩さずに話し続ける。
「歓迎するよ、アリウス。……改めて、トリニティ総合学園、ティーパーティーオブザーバー、朝日奈リエ」
彼女がそう言って笑ったその瞬間、大地が再び大きく爆ぜる。
「ああ、『魔女狩り』って言った方が分かりやすい?」
トリニティ最高戦力の瞳に、火が点いた。
燃え残った全てに火を付けようとしてるので実質アーマード・コアⅥ
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記録25:灰燼
前置きすると私は戦闘描写がとても苦手です
リエの手によって連鎖的に爆発していく道路からアリウスは散り散りに逃げ、彼女らも近くの路地裏に駆け込んだ。
辺りには粉塵が酷く舞っていて、リエもアリウススクワッドも互いに互いを見失っているようだった。
「……どうする?リーダー。あれ、相当やると思うけど」
「……ここで叩き潰す。朝日奈リエを落とせばトリニティは完全に瓦解する。……
「きっと辛いですよね……苦しいですよね……でもやるしかないんですよね……」
「全軍に伝えろ。「速攻でけりをつける」とな」
「へえ、どうやって?」
打って出ようとしたスクワッドの頭上、ビル裏の非常階段で彼女は笑っていた。
反射的にその額に目掛けてサオリは引き金を引くが、弾丸は彼女の携えた手帳に軽く弾かれる。
「……!」
「……まさか、「互いに見失ってる」とでも思ってた?ここ、私の庭なんだけど」
そう言ってリエは彼女らの足元に何発か榴弾を打ち込み、非常階段から飛び降りた。
着地と同時に地面を鋭く蹴り飛ばして大通りの方へ向かうリエを追いかけようとした彼女達だったが、歪な地鳴りが起こり始める。
彼女は通りに出て、くるりと振り返ってから口を開いた。
「……そうそう、聞き忘れてたんだけど……」
「……な、なんですか……?これ……?」
「っ!通りに出ろ!」
「……頑丈?」
打ち込まれた榴弾が再び連鎖を引き起こし、大量に仕込まれた火薬がビルを崩落させた。
先程の路地裏は一瞬で瓦礫に埋もれ、硝煙の香りが辺りを満たす。
ティーパーティーでありながら、トリニティへの一切の被害を無視したその戦法にミサキは唖然とした。
「……何あれ。イカれてる。……いや、あれだけやるから『魔女狩り』ってこと?」
「追うぞ!また妙なことをさせる前に決着をつける!」
「……
かくして、トリニティの存亡を懸けた古聖堂防衛戦が幕を開けた。
「『っ!東部第二道路の封鎖を確認!瓦礫で塞がれてます!』」
「そのまま南下してチームⅧと合流しろ!」
「そんなことしてる余裕、ある?」
指示を出すサオリの足元が大きく爆ぜる。
緩急自在の榴弾の軌道は全くと言っていいほど狙いを悟らせず、傍から見ればランダムに地面が爆発しているようにしか見えない。
狙撃手のヒヨリが対物ライフルを放っても瓦礫、あるいは味方が壁となってのらりくらりと避けられ、ミサキがロケットランチャーを放とうとも全て見切られているのか全く当たる気配がない。
アリウスの誇る精鋭四人を手球に取って、リエは粛々と引き金を引いていた。
「『チームⅪ、アリウス、複製ともに壊滅!』」
「『チームⅣ、Ⅷ、崩落とともに全滅!』」
「『チームⅢ、壊滅状態!』」
「……この速度で3分の1持ってかれた?……訳わかんないんだけど」
「もう少し頑張ると思ったんだけどなぁ」
ここまでくるとどちらが襲撃者なのか分からないほどに街を焼き尽くして、リエは笑う。
分断も、合流も、崩壊も全て彼女の手のひらの上。
千を超える相手に朝日奈リエはただ一人、その戦場の全てを支配していた。
「……無理。トリニティの温室育ちの戦闘力じゃなくない?」
「ミ、複製はどうなってるんですか……?」
「駄目、いくら不死身でも瓦礫に埋められたら使い物にならない。……ほんと意味わかんない……」
「……まだだ!奴さえ、朝日奈リエさえ消えればトリニティは……!」
「そっか、じゃあ……」
サオリはその目に映る怨敵に向けて、思いっきりアサルトライフルの引き金を引いた。
その感情の籠もった弾丸は手応えなくリエのサイドテールを突き抜ける。
「トリニティは、滅ぼせないね」
そう言って彼女が笑った瞬間、形を保ったままのビルがアリウススクワッドの頭上に落下した。
誘導して、仕掛けて、誘導して、仕掛けて。
そんなことを繰り返している内にとっくのとうに日は暮れて、時刻は22時を過ぎていた。
街中に隠された補給基地、その内の一つに転がり込み、リエは装備を整え直す。
「流石に堪えるなぁ……」
ドリンクゼリーを握りしめて血の味がする口の中を一気に洗い流し、リエは手帳を取り出した。
「こことここを爆破して……ここが埋まってて……ここは越えてくるから……」
誘導と誘導の隙間の猶予は数分足らず。
その僅かな時間で思考を最大速度で回し、戦闘の中で掴んだ人物像、そしてアリウスの情報から「
「……了解」
彼女は納得したように手帳を閉じるとグレネードランチャーをリロードし、自らの後ろの壁にC4を貼り付けた。
「そこにいるよね、錠前サオリ」
リエは小さく笑って、カチッとC4を起爆した。
「……っ?!避けろ!」
逃げ込んだ路地裏の壁が唐突に爆ぜる。
外れたマスクが、爆風で宙を舞った。
「なんだ、意外と可愛い顔してるね?」
爆煙の向こうから現れたリエは、そう言って笑った。
「……もう容赦はしない。トリニティがアリウスに犯した罪を償う時だ」
「あっは、悪くない冗談かも。……私が犯してない罪をどうやって償うのさ?」
軽口を叩きながら、彼女はそのグレネードランチャーの銃口をサオリに向ける。
「
「……安心してよ。もう逃げないからさ」
空気が張り詰める中、彼女がその引き金を引くと同時にその姿が消える。
アリウススクワッドの足元に爆炎が広がる中、地面には彼女のブーツが残した足跡が一つ、クレーターのように凹んでいた。
「上だ!」
サオリの声とともに、スクワッドの銃口が天を向く。
「分かってるじゃん」と言わんばかりの表情をして、彼女は空中で身体を翻した。
手足をフックのように引っ掛けて、リエは三角跳びのようにビルの壁から壁へ飛び移りながら榴弾の雨を降らす。
だが、スクワッドも負けじと彼女を蜂の巣にしようと地上から応戦する。
「っ!右来る!」
「反応速度は上々だけど……!」
ミサキがロケットランチャーの照準にリエを捉えた瞬間、彼女は思いっきり壁を蹴り飛ばして自身の軌道を捻じ曲げた。
明後日の方向へ弾頭が飛んでいく中、リエは容赦なく建物にも榴弾をぶち込み、ビルの瓦礫で追撃する。
降り注ぐ捌き切れないほどの榴弾と瓦礫が粉塵を撒き散らし、鳴り響く爆発音も相まって視覚、聴覚ともに潰される中、アサルトライフルを構えていたサオリの腕が突然掴まれた。
「姫?!」
顔をマスクで覆った少女、秤アツコだった。
華奢な腕に精一杯の力を込めて、サオリを路地裏から街の外へ繋がる通りに引っ張り出す。
それに気がついたヒヨリ、ミサキもその後に続いて走り出す。
「……」
「……そうかも。これ以上は無理だよリーダー」
「そ、そうだと思います。私は姫ちゃんが正しいかなと……」
「これ以上戦っても勝てない。一旦アジトに戻って立て直そう」とサオリを掴んでいない方の腕を動かして手話で伝えるアツコ。
それにミサキとヒヨリも同意する中、サオリは苦々しい顔をした後に言い放った。
「……一時撤退……だ……」
「……逃がしたかぁ」
酷く曇った夜空の下、屋上でリエは呟いた。
流石に無茶をしたのか、身体のあちこちが結構痛む。
時刻は24時過ぎ、戦闘時間およそ11時間。
アリウスは確認できるだけで全兵力の4分の3、そして多くの『ユスティナ聖徒会』の複製を失った挙げ句に古聖堂からの一時撤退を余儀なくされた。
結果だけ見れば、リエの目標は大体達成だった。
「……ハナコなら、多分これで立て直せる。……あとは……先生……か……」
そう言って、崩れ落ちた街並みに目を落とす。
ざっと見積もっても被害総額は1000億を下らないだろう。
まあ、そんなのは最悪実家から補填すればいいやとリエは考えるのを止めて目を瞑った。
「……ナギサのとこ、戻らなきゃ」
リエはビルから飛び降りて、セーフハウスへ向かった。
これアンチ・ヘイト付けなくて大丈夫かな……
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記録26:奮闘
「……!ハナコさん……!無事だったんですね!」
「マリーちゃんもご無事で何よりです」
大聖堂を訪れたハナコを迎えたのは伊落マリーだった。
先程の古聖堂襲撃からトリニティは混乱の渦に陥っていて、大聖堂も騒がしい声がいくつも響いている。
「……お願いします、ハナコさん!シスターフッドの指揮を執っていただけませんか?今シスターを、トリニティをまとめられるのはハナコさんしか……!」
「元よりそのつもりです。……はい、約束していますので」
「あ、ありがとうございます!」
「お礼は後で。現在指揮を執っているのは?」
「こ、こちらです!」
急ぎ足でハナコを会議室へ案内するマリー。
扉を開くと、そこではシスター達が着地点の見えぬままに解決策を模索していた。
「結局爆発の原因は?!」
「サクラコ様の消息は?!ティーパーティーとの連絡はまだ取れないんですか?!」
「ツルギ委員長、ハスミ副委員長は消息不明!正義実現委員会は機能しません!」
「皆さん、お静かに!」
ハナコはその中に割って入った。
一瞬、シスター達は水を打ったように静まり返る。
「……う、浦和ハナコさん……?何故……?」
「サクラコさんから、そしてリエさんからの頼みです。ただいまより、シスターフッドの指揮を執らせていただきます」
「ま、待って下さい!リエ様は現在行方不明と……!」
「先程一度だけ連絡が付きました。「オブザーバーの名の下にティーパーティーの全権を一時的にシスターフッドに預ける」と」
「それと、サクラコさんは「万が一の場合はハナコさんを自分の代行に」と……!わ、私が保証します!」
「しかしここにはシスターフッド以外の派閥も……」
「それがなんですか!ティーパーティーがシスターフッドに託すと言っているんです!私達がトリニティを守らなければ本当に全て終わってしまうんですよ?!」
「……!」
「一日です!古聖堂の方は一日はリエさんが保たせると!……それまでにトリニティを私達の手で立て直すんです!」
大聖堂に響くハナコの言葉に生徒達は表情を変えた。
一切の出し惜しみなく、ハナコは持てる頭脳と能力をフル稼働させて指揮を執り始めた。
「まずは臨時の指揮系統を確立します!派閥などは関係なく、各自の持てる役割で指揮系統を成立させて下さい!その後役割ごとに救助や捜索などを行います!得られた情報は随時共有を!」
「……!救護騎士団と連絡付きました!臨時の診療所の用意出来たそうです!」
「掲示板復旧しました!アクセス集中してますが増強込みで一晩はどうにかなります!」
「市民の受け入れ準備整いました!第5校舎まで避難所として利用可能です!掲示板で告知を!」
それぞれがそれぞれの役割に全力を尽くす中、酷く慌てた様子のシスターが部屋に駆け込む。
「第14校舎で動きが!パテルが戒厳令の宣布を要求してこちらに向かっています!」
「っ?!……正義実現委員会は……いえ、現在治安維持に割ける人員は?!」
「小隊程度なら今すぐ動けます!」
「ではそちらの鎮圧を任せます!」
情報の洪水の中、山積みの問題を手探り状態になりながらも解決策を模索する。
リエさんが戻ってきてれば、ナギサさんが無事なら、セイアちゃんがいたら、ハナコはそんなことも考えてしまうが、彼女は「ハナコなら出来る」と託したのだからそんな弱音は吐いていられない。
(……私は、私の役割を、私の責務を果たします。ですからどうか……ヒフミちゃん、コハルちゃん、アズサちゃん、先生……どうかご無事で!)
「……あの日以来か」
メモを見て隠し扉に暗証番号を入力しながら、アズサは呟いた。
トリニティ総合学園は混沌に包まれているが、それでも人気が無いような場所に巧妙にそれは隠されている。
「……開いた」
中は綺麗に整えられていて、寮の一部屋くらいのスペースにはトリニティでもメジャーな弾丸からオーダーメイドするような装備までずらりと揃えられている。
アズサはその中から持てるだけの爆薬を取り出すと、再び倉庫を出た。
「『アズサちゃん、今どこですか?』」
「『巻き込まれてませんか?』」
「『大丈夫ですか?』」
スマートフォンを見ると、ヒフミから心配そうなモモトークがいくつも送られてきている。
少し考えた後に、アズサは返事もしないままスマートフォンをカバンにしまい直した。
「これは私の戦いだから。……ごめん、ヒフミ」
「救護騎士団からです!先生が撃たれたと!」
「な……容体は?!」
「出血多量ですが適切な応急処置もあって命に別状なし!現在は救護騎士団の部室に運び込まれたそうです!」
「生きてはいらっしゃるんですね?!」
「はい!ですが意識はまだ……!」
「そう……ですか……」
ハナコは少し目を瞑った。
現在時刻は17時、事件発生からは既に5時間ほど経過していたが、未だに光は見えてこない。
ペットボトルの紅茶を飲み干し、彼女は意識を引き戻した。
「……分析結果出ました!いえ、出せません!ミサイル攻撃までは割り出しましたが、肝心のミサイルは一切未知の技術です!」
「……そんなものをゲヘナはどうやって……」
「いえ、ゲヘナでもありません!詳しく特定できませんが、発射地点はトリニティ内部、古跡群の方角です!」
「発生後30分の現場の映像復元できました!」
慌ただしく動く分析官の一人がタブレットをモニターに接続する。
辺り一面が爆炎に包まれる中、いくつかの人型がその中を動いている。
無数のヒビの入ったヘイロー、被ったヴェール、ガスマスク……ハナコには見覚えのあるものだった。
「……あれは……」
「……おそらく……いえ……間違いなく……『ユスティナ聖徒会』……!……まさかアリウスが……?……ならばこれは……」
十分なパーツが揃った。
あらゆる条件、あらゆる情報、あらゆる現実が歯車のように噛み合ってただ一つの答えを形作る。
そしてそれがようやく見えたとき、ハナコは少し絶望した。
「……そういう、ことですか……」
「は、ハナコさん?」
「……崩れやすい仮定の上です。脆い推測の果てです。……ですが、これが正しいのであれば……」
静寂の中に、その声は響いた。
「……これは最初から、どうしようもない話だった……?」
頭の中で、必死にそれを否定する材料を探すも、考えれば考えるだけそれは現実味を帯びてくる。
自分が迷路だと思っていたものは、実際は出口などない檻だったのでは、そう悲嘆に暮れようとした時だった。
「……あ、あの!」
大聖堂に満たされる諦めに近いような静寂を切り裂いて、ハナコの耳に息を切らした誰かの声が届いた。
ティーパーティーには入ったばっかりの1年生だった。
「これ、何かの役に立つと思って持ってきたんですけど……!」
ハナコの下へ駆け寄った彼女は、そう言って一冊のファイルを渡す。
「……これは……」
「リエ様の書いた、再開発の図面です!古聖堂周辺の情報は全部載ってるからもしかしたら……」
僅かに失意に陥りながら、そのファイルを開く。
すぐに、ハナコはそれが持つ意味を理解した。
「……ナギサさんとサクラコさんは無事……!」
「?!ほ、本当ですか?!」
「……こちらをご覧ください!」
ファイルに挟まれた地図を、ハナコは大きく広げた。
仕込まれた火薬量、補給の位置、経由時間、連鎖の手順、事細かに記された古聖堂周辺の情報が目の前に現れる。
「……これは……」
「……要……塞……?」
「おそらく、その通りです。調印式に何かあった場合、リエさんは
「……しかし何故サクラコ様が生きていると……」
「こちらです」
そう言って、ハナコは古聖堂の側に記されたセーフハウスを指し示した。
「リエさんは決して目の前の生徒を見捨てる方ではありません。……ですが、その場で『選択』を出来る方ではあります。古聖堂最寄りのセーフハウスは二人分の備蓄が用意されています。……おそらく、ナギサさんとサクラコさんはここに。……それが最優先であると彼女は踏んだのでしょう」
「……!古聖堂内のカメラ確認できました!確かにリエ様が瓦礫からお二人を救出してます!」
「なら本当に……!」
辺りが安堵にも似たどよめきに包まれる中、ハナコは口を開いた。
「絶望するのは私達の勝手です。……しかし、今この瞬間も彼女はトリニティの為に死力を尽くしてアリウスを食い止めている。あれだけの惨劇を引き起こしたような相手に粘り続けているんです。……ですから、ひとまず安全圏の私達も諦めるのは後にしましょう。シスターフッドリーダー、歌住サクラコ。ティーパーティーホスト、桐藤ナギサ。ティーパーティーオブザーバー、朝日奈リエ。……トリニティの総力を懸けて、お三方を救出します!!」
再び、彼女達に火が灯った。
仲間割れが無いトリニティは強い
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記録27:決別
それは、どれだけの確率だったのだろうか。
砂漠から望んでいた宝石一粒を取り出すような、あるいはシャッフルしたトランプが順に並ぶような、それくらいの話だった。
しかし、現実はその確率を引き当ててしまった。
……いや、意地の悪い神の思し召しだったのかもしれない。
トリニティが混乱に包まれる中、姿を消したアズサをヒフミはずっと一人で探していた。
コハルは正義実現委員会で、ハナコはシスターフッドでそれぞれ奮闘する中、彼女を探せるのは自分だけだったから。
そして日も暮れてしばらくして、彼女はようやく、奇跡的に辿り着いた。
……辿り着いてしまった。
「……何してるんですか……?……アズサちゃん……?」
古聖堂のある街へ入るための大きな橋。
それに足を踏み入れようとした瞬間、聞き慣れた声が響いた。
アズサは、振り返るのを躊躇った。
「今、トリニティは大変なことになってるんです……古聖堂が爆破されて……」
「……うん、知ってる」
「な、なら一緒に戻りましょう!今ハナコちゃんが頑張って……!」
「……それは出来ない」
その答えを聞いて呆然とするヒフミに、ようやくアズサは振り返って話し始めた。
「……これは、誰かが解決しないといけない問題だ」
「そ、それなら一緒に……!」
「来ないで!!」
自分に近づこうとしたヒフミを、アズサは強く牽制した。
ヒフミは「どうして」と問いかけるように彼女の目を見た。
「……ありがとう、ヒフミ。その思いはとても嬉しい。……だけど、ここから先は駄目だ。ヒフミは、こんな暗いところには来ちゃいけない……」
「……何のお話ですか……?私じゃなんで駄目なんですか……?」
「……平凡で、善良で、優しいヒフミが……『人殺し』なんかと友達でいていいはずがない」
「そ、それって……」
「……私のせいだ。私がトリニティに来たせいで、今多くの人が傷ついてる。正義実現委員会も、ティーパーティーも、シスターフッドも、ゲヘナだって……セイアがああなったのも、先生が撃たれたのも私が……」
「で、でもそれは……」
「……ヒフミ、それにハナコにコハル。このままじゃ、みんなまで危険な目に合う」
「い、いえ!先生もきっとすぐに目覚めます!私達もきっと大丈夫です!ですから、ですから……!」
ヒフミは縋るような顔で必死にアズサを引き止めようとするが、アズサは冷たく突き放した。
「……そんなハッピーエンドなんて、この世界には有り得ない。……だから、私がやる」
「……でも……」
「……私は今から、サオリのところへ行って『ヘイローを破壊』する。……それしか、この状況を変える方法は無い」
「そ、それってつまり……」
「……人を殺す。それが当たり前と教わり、それを当たり前に出来る……それが私だ。本当の、私なんだ」
「待って下さい!方法ならまたみんなで考えれば……!」
「……ヒフミ」
アズサはガスマスクを外すと、そう訴えかけるヒフミの目を見た。
少し、潤んだような瞳だった。
「私を友達って言ってくれて、そう思ってくれてありがとう。「アズサちゃん」って呼んでくれてありがとう。可愛いぬいぐるみをくれてありがとう。海に連れて行ってくれて、楽しい思い出を作ってくれてありがとう。可愛いもの、楽しいこと、私の知らないことを教えてくれてありがとう」
「……」
「一緒に食べたアイスの味、あの難しかった問題、プールの水の冷たさ……あの素敵な補習授業部での時間、一生覚えてる。一緒に学ぶことの楽しさ……私は死んでも忘れない。……本当に、補習授業部にいられて良かった……」
「……待って下さい……アズサ、ちゃん……。まだやってないこといっぱいあるじゃないですか……お祭りも行ってないし、映画だって見れてません……それにまだ……きっと先生と、みんなと一緒ならきっと……だから……行かないで下さい……」
「……ありがとう、ヒフミ。……さよなら」
「……待って下さい……待って下さいアズサちゃんっ!!!」
精一杯の声を出して、ヒフミはその場に崩れ落ちる。
暗い空に、叫び声がこだました。
彼女達がアジトに戻ったのは一時手前。
ティーパーティーオブザーバー、朝日奈リエによる徹底的な抗戦によって大きく戦力を削がれたアリウスは撤退を余儀なくされていた。
「……ほんと何なの、アレ。アレだけ積んでるジェネレーターもスペックも違い過ぎない?」
「こっちもかなりやられちゃいましたし……どうしてこう上手く行かないんでしょうか……」
「……まだだ。複製がある以上、増援を待ったとしてもトリニティとゲヘナの主力の復活よりもこちらが早く仕掛けられる。作戦に多少の遅れが出るだけ、奴の抵抗も無駄なものに過ぎなかったということだ」
「例の『戦術兵器』は……いや、あれさえ対処してきたっておかしくない」
「……」
アリウスと取引を交わし協力関係となっていた『ゲマトリア』の『マエストロ』が作り上げた戦術兵器、それについてアツコは手話で見解を述べた。
「……「あれは『太古の教義』に基づいて作られた失敗作」……失敗作?あれで?……「失敗作でありながらも戦術兵器としては十分」……?」
「……ならそれでいい。すでに自治区への連絡も済んだ。間もなく増援が到着する。夜明け前には仕掛けられるだろう。……いや……待て……」
「……どうした?リーダー」
ふと考え始めたサオリに、ミサキは声を掛ける。
彼女はしばらく考え込んだ後に、小さく問いかけた。
「……私達は、どれくらいここを空けた?」
「……私達がここを出たのがお昼前なので……かれこれ13、4時間くらいでしょうか……」
「……構えろ。あいつがここにいる」
「あいつ?」
「……」
「あ、アズサちゃん、ですか?」
ヒヨリがそうアツコに聞き返した瞬間、壁が大きく爆ぜた。
「ひ、ひいぃっ?!に、逃げないと!」
「……ブービー?!いつの間に……?!」
「あ、こ、こっちにもあるんですか?!」
「……?!」
「動くなっ!!」
慌てて逃げようとしたヒヨリ達をサオリが一喝した。
「こういう手は慌てて動けば動くほど余計に抜け出せなくなる。……相変わらず、姑息な手だけは上手いがな。しかし一度冷静になってしまえば……」
「だ、駄目ですよ!きっと周りにも沢山……早く逃げないと!」
「ヒヨリ!」
一目散にその場から離れようとしたヒヨリが再び爆発の連鎖に巻き込まれる。
アジトが真っ黒な爆煙に満たされた。
「……っ!」
「……どうしてこう、人生は不幸なことばかり……」
先程の戦闘からダメージも溜まっていたヒヨリがいち早くその場にダウンした。
爆煙が晴れた後に、彼女らは言葉を交わす。
「……明らかにヒヨリから狙ってる。狙撃手からやったってことは……」
「……近接か?」
「……」
「……そうなるとあの女の爪痕が馬鹿にならな……IED?!」
再び、部屋を真っ黒な爆煙が包んだ。
そして、上がる煙の隙間からガスマスクを付けたアズサが見えた。
「白洲アズサァッ!!」
「リーダー、追いかけたらそれこそ……」
「逃がすか!!」
「……駄目っぽい。……姫、ヒヨリは?」
「……」
「……なら良いけど。……長期戦?……確かにアズサなら……うん、行こう」
「その程度効くと思うか?!だがその判断は間違っていない!真正面からでは例えこちらが多少削れていようとお前に勝ち目はない!」
「……!」
「逃げながら隙を狙うしかないだろうな!!」
「……次は……?!」
サオリの追撃を避けながら廊下を走り抜けた先でアズサを待っていたのはアツコだった。
出会い頭の銃弾が胴体に直撃する。
「……」
「断る」
「アズサを傷つけたいわけじゃない。諦めて降参してほしい」というアツコの提案を蹴って、近くのブービートラップを起動して逃げるアズサ。
それを追いかけてきたサオリをミサキがすかさず止める。
「……このままじゃキリがない。『ユスティナ』はまだ使えないの?」
「アズサ相手だとおそらく『対象』として解釈されない」
「ふーん、意外とお硬いんだ」
「それどころか、アズサが『アリウススクワッド』と解釈されたのなら向こうの手に渡る可能性すら否めない」
「……まあ、元々奪ったものだしそんなものか」
「あいつの戦い方、考え方、その基礎は全て私が教えたものだ。私に捌けない道理はない。……追うぞ」
「行っちゃった……じゃあ、私と姫もそれぞれ別の道から詰めよう……何?!また?!」
そう言って、ミサキとアツコも二手に別れようとした時、フロアが地震のように揺れ始め、天井の破片が少しずつ落ちてくる。
さっきのトラウマが蘇って、二人は全速力で走り出した。
だがその足掻きも虚しく、アツコは辛うじて逃げ切ったものの、徐々に規模を増していく崩落はミサキを無慈悲に飲み込んだ。
「……ゲホッ……これ動けないな……まあ、あの女相手よりはマシか……」
「……チェックメイトだ、アズサ」
「……くっ……」
「お前にしては中々頑張った。……だが、お前の思考、戦法、そんなものは私は最初から分かりきっている。最初から無駄な抵抗だったということだ」
「……いつからだ?」
獲物のアサルトライフルは遠くへ蹴り飛ばされ、額にはサオリのアサルトライフルが突き付けられている。
絶望的な状況で、アズサは尋ねた。
「『ヘイローを壊す爆弾』も、巡航ミサイルも、あんなものなかったはず。……いつから、アリウスはおかしくなった?」
「アズサ、お前は弱い。弱いからこうなった。お前は意志が弱いんだよ。爆弾も、ミサイルも、全て私達の意志を、恨みを証明する道具でしか無い」
「……二度は聞かない。『いつから』だ?」
「……どういうことだ?」
アズサはサオリの冷たい瞳を覗き込んだ。
「その恨み、私はただ習わされただけだ。私のものじゃない。……ならそれは一体『誰』のものなんだ?」
「……虚しいな、アズサ」
答えることもなくそう呟いて、サオリは引き金を引いた。
「全ては虚しい。……そうだろう?アズサ。お前があそこで何を学んだかは知らないが、それさえも虚しいこと。……その、お友達からのプレゼントもな」
撃たれ続けたアズサの上着から、一つのぬいぐるみがポトリと落ちた。
ヒフミからのプレゼントだった。
「……終わりだ、アズサ」
「……」
トドメを刺そうとしたサオリを、ようやく追いついたアツコが止めた。
そしてその一瞬の隙を突いて、アズサはトラップを炸裂させ再び逃げ出した。
「まだ逃げるのかアズサ!!」
追おうとしたサオリを、またアツコが止める。
我に返ったサオリは、落ちていたぬいぐるみを拾い上げた。
「……まあいい、あいつはすぐ戻ってくる。この大切な『友情の証』とやらを置いていったからな」
「……」
「ああ、その時にまた捕らえて真実というものを教えてやる」
そう言って、それを握り潰そうとしたサオリだったが、その手には違和感があった。
明らかに見た目と違う固い感触、カチカチと刻むような振動。
彼女は無理矢理にその中を開いた。
「っ?!」
酷く見覚えがあった。
忘れられようもない物だった。
「……セイア襲撃の時に渡した……?!逃げろ姫!!」
「……?!」
ヘイローを破壊する爆弾が、その時初めて起爆した。
アズサってめちゃめちゃ可愛いですよね
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記録28:夜明け前
ぴーすぴーす
「……はぁ……はぁ……」
暗い夜の中、アズサは街灯一つ灯らぬ道を抜け、全く人の気配がない路地裏のゴミ捨て場で倒れ込んだ。
ぜぇぜぇと肩で息をしながら体育座りになって、膝に顔を埋める。
降りしきる雨が、髪を濡らした。
「……ごめん……ヒフミ……ごめん……」
彼女が仕組んだ最大のトラップ、それは『ヘイローを壊す爆弾』をヒフミとの友情の証……即ちペロロのぬいぐるみに隠すこと。
「アズサにはそんな覚悟は無い」と高をくくっていたサオリには絶対に気付かれないと踏んでの策略だった。
彼女の悲痛な覚悟はサオリの想定を遥かに凌いでいたのだ。
けれど、それは或る意味ではアズサの全てを懸けた切り札だった。
自分の補習授業部での日々の象徴であるヒフミからのプレゼントを利用する、そんなことをしたら、自分の居場所はもうこの世のどこにもなくなってしまう。
それでも尚、彼女は一人で背負い切ることを選んだ。
「……うっ……うぅ……うああぁぁぁっ!!」
慟哭を、雨音は掻き消した。
ああ、世界というのはいつもこうだ。
明晰夢の中でティーパーティー、百合園セイアは呟いた。
予知夢という極めて特異的な能力を持つ彼女は、夢の中でありながら現実の全てを見通していた。
結末に、救いなどないのだと。
「香りだけはやたら甘く、味は吐き気を催すほどに不味く、後味は延々と酷く苦い……それがこの世界、この物語の真相、正体だ。そうだろう?先生」
「……」
明晰夢に迷い込んだ先生に、セイアは語りかけた。
現実の彼女は錠前サオリに撃たれたまま意識を失い、今も生死の境目を彷徨い歩いているところだった。
「先生、五つ目の古則の話をしたのを覚えているだろう?……君はこう言ったんだ。「楽園があると、信じるしかない」と。……まあ、信じた結果がこれだ。……最初から「憎むのをやめよう」なんて、エデン条約なんて不可能な話だったんだ。全く、そんな話に『
「……」
「結局のところ、エデン条約で明るみになったのは『恨み』だ。トリニティ、ゲヘナ、アリウスにそれぞれ積もった恨み、それが積もり切った果てにエデン条約は歪みに歪んで完成を迎えた。……なんとも酷な話だ。それぞれがすれ違い、壊し合い、それが波及して全てが瓦解する……趣味が悪い人間が書いたシナリオ、傍から見れば滑稽なエンターテイメントだろうね」
「……セイアはさ」
黙って話を聞いていた先生が、初めて口を開いた。
「その先は、もう見たの?」
「……見る必要があるとでも?哀れな物語のエンディングなど、その悲壮感を持て囃すだけ。……そんなことを聞いてどうするんだい?」
「確かに、悲しい話の続きを見るのは怖いよ。今よりもっと、悲しくなるかもしれないから」
「……」
「だから、見なくて済むように、こうして夢の中でずっと隠れてた」
「……先生……一体何を……?」
「……ごめんね、セイア。もう少しだけ、私もやることがあるから」
明晰夢の舞台となっているバルコニー、そこに置かれた椅子から、彼女はスッと立ち上がった。
「……戻る気なのかい?その身体で?……それに、君が動いたところで何も変わらない……!それが『七つの古則』が示すこの世界の本質、真実だ……!」
「私、そんな真面目な人間じゃないの。そんなこと、気にしていられない」
「……七つの古則を無視するつもりか?楽園の存在証明は私達に課せられた最大の問題だろう?……それを……いや、まさか……信じるだけだと?その証明など関係なく盲目的に……?」
「「楽園に辿り着きし者の真実を、証明することはできるのか」……あるって信じ続ければ、いつか辿り着けそうじゃない?……って、そんな真面目な話ですらなくてね。私、一度見た物語はスタッフロールまで見ないと気がすまないんだ」
「……待ってくれ、先生。信じることに、信じるだけの行為に何の意味があると……?!」
「「水着じゃなくて下着だと思えば、それは下着だから」」
「し、下着?!一体何の話なんだい?!」
「じゃあね、セイア!あっちでまた!」
そう言って、彼女はバルコニーから姿を消した。
彼女が消えたのを見届けてから、セイアはふと空を見上げた。
現実と違い、星がよく見えた。
「……先生の言う通りなのかもしれない。この先の物語、エピローグ、スタッフロール……最後まで見届けるのが私の……傍観者の責務か……」
その長い金髪と大きな獣耳が夜風に靡く。
「……怖かろうと、辛かろうと……それが最後まで苦く、悲しく、後味の悪い話であろうと……そうだね。この物語の結末も、悪趣味なシナリオライターの名前まで見届けるとしよう」
「正義実現委員会、ツルギ委員長、ハスミ副委員長が共に搬入されました!ツルギ委員長が重傷、ハスミ副委員長が重体とのこと!」
「一部指揮系統が混乱してます!大聖堂への侵入を試みた正義実現委員会と一部シスターが衝突しました!」
「っ?!一部のパテル分派の過激派がゲヘナへの宣戦布告を企んでいるという情報が!」
「……私が向かいます!戻って来るまでに他の問題をよろしくお願いします!」
ハナコは本館、ティーパーティー執務室へ向けて全速力で走り出した。
時刻は22時手前、事件発生からは間もなく10時間が経過しようとしている。
それでも未だ混乱は収まらず、古聖堂周辺ではまだリエがアリウスに抗戦している最中。
ここでの内部の分断は間違いなくトリニティの崩壊への決め手になりかねない。
「宣戦布告の文章は?!」
「はい、準備できています!」
「お待ち下さい!」
ハナコが執務室の扉を開けたのは、宣戦布告のなされるほんの僅か前であった。
「……何故ここに?……浦和ハナコさん」
「現在宣戦布告を行う権限はティーパーティーに残されていないはずでは?
「……」
「映像をご覧になりましたよね?あれはゲヘナなどではなくアリウスが……!」
ハナコがそう訴えると、パテル分派の行政官はため息を吐いた。
「……この状況です。古聖堂、アリウス、それらの情報を考えると、シスターフッドがアリウスと共謀していたという可能性は否定できません。ですので、パテルはこの自体に対し迅速な対応を決定しました。既に反対したフィリウスとサンクトゥスも拘束しています。……浦和ハナコさんを捕らえて下さい」
「っ?!……クーデター……ですか……?!」
「いえ、違います。そもそも
「聖園ミカさん、こちらへ」
「……ふうん?」
一週間ぶりに、ミカは檻の外へ出た。
また面倒なことでも考えてるんだろうなぁ、と考えながら。
「お待たせしました、ミカ様!もう自由です!」
「準備は出来ています!ご命令があればすぐ……!」
「あー、そういうこと?」
少し目を瞑って考えた後に、ミカは明るい調子で口を開いた。
「こんなところまで追っかけが来ちゃうとは、人気者は辛いなぁ。今ペンとか色紙とかないし……握手とかで大丈夫?」
「そ、そうではなく現在トリニティは……」
「え?大体知ってるよ?……それでさ、あなた達は何をしに来たのかな?まさか、ゲヘナに宣戦布告とか?」
「その通りです!憎きゲヘナを滅ぼす時が来たんです!ミカ様の望んでいた通りに今すぐにでも……!」
深刻な雰囲気の中、ミカの笑い声が響く。
彼女を迎えに来た行政官の纏う空気は一層張り詰めた。
「あっはっは!みんなよくそんなこと覚えてるね!……うん、あなた達の言う通り、私はゲヘナが大っ嫌いだよ。……それで?勝手にやればいいじゃん。実力行使って奴」
「し、しかしミカ様の命令が……」
「そんなの必要ある?今、私そういう気分じゃないんだよね。あなた達もゲヘナが嫌いなら、勝手にやればよくない?今の私にそんな力無いしさ。……いや、あなた達もなかったね?」
「……どういうことですか?」
「え、違うの?リエちゃんがシスターフッドに任せたんだから、ティーパーティーのあなた達に出来ることなんて何もなくない?何の権限も残ってないでしょ?」
「そ、それは……」
「まさかだけどさ、
「所詮ミカ様達の幼馴染というだけでオブザーバーになったあの女の言うことなど……!」
琥珀のような綺麗な瞳から放たれる視線が、三人を冷ややかに貫いた。
「……あはっ。あなた達すごいね」
「……?」
「あなた達よりずっと強くて、あなた達よりずっと賢くて、あなた達よりずっと可愛くて、あなた達よりずっと慕われてて、あなた達よりずっと良い生まれで、その上私の幼馴染。……なんでそんなリエちゃんより自分達の方が優先してもらえるとか考えたの?すっごい自信だよね」
「……言わせておけば……っ!!」
先に手を出したのは、行政官だった。
至近距離で放たれた弾丸は、その肩を貫いた。
「……痛いなぁ」
「立場を弁えろこの罪人が!」
「わざわざ解放してあげたのにそれを……!」
殴る蹴る撃つ。
ただただミカは倒れて無抵抗にそれを受けていた。
けれど、一人の生徒が声を荒げる。
「あんた達何やってんのっ!」
「誰だお前は?!」
「い、いじめなんて駄目に決まってるでしょ!ティーパーティーが何やってんのよ?!わ、私がそんなの絶対許さないんだからっ!!」
「……コハルちゃん……?」
「……リーダー……」
「……ひ、姫ちゃん……?」
アズサの『ヘイローを破壊する爆弾』の直撃を受けたアツコ。
そのマスクによって致命傷は避けられたものの、重傷であることに代わりはなかった。
「今すぐトリニティを叩き潰す!その上でアズサを……!」
「……その前に、古聖堂に戻らないと」
「は、はい……姫ちゃんの怪我で『ユスティナ聖徒会』にも問題が……多分、戒律を更新しないと……」
「……アリウススクワッド、古聖堂へ出撃する!」
「……違う……まだこんなところで止まっている暇なんか……!」
次は、次はどうすれば、そんなことは思い付かないのに、何かがアズサの身体を突き動かす。
まだ止まるなと、沸々と何かが湧き上がる。
「……まだ『ユスティナ』が残ってる……サオリもアツコもまだ……」
傷だらけの肌を雨粒が伝う。
冷たいコンクリートに触れた手に力を込めて、アズサはゆっくりと立ち上がった。
「……これは……私の戦い……だから……」
壊れる寸前の身体に鞭を打ち、アズサは再び街を走り出した。
先生は目を開けた。
見知らぬ天井だった。
身体を起こして辺りを見回すと、何となく分かる。
救護騎士団の部室だ。
「せ、先生?!まだ無理したら……!」
「そうですよ!どこへ行くつもりなんですか?!」
側に付いていた救護騎士団のセリナが声を掛ける。
同じく救護騎士団のハナエも、同じように。
「まだ、何も終わってないからね!」
止める二人にそう答えて、傍らに置いてあるタブレット……『シッテムの箱』を先生は手に取った。
曇天に覆われ、雨の止まぬ空の端が、ほんの僅かに白み始めていた。
先生、ちょっと残りも読んでいただけますか?
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記録29:再起
本当にありがとうございます!
今回は自信がありません!
……ちなみにリエの設定集とか需要あります?
「どきなさいっ!今の状況を理解してないの?!」
「ひ、人をいじめていい状況なんてある訳ないでしょ!!それに私は……!」
「いいからどけっ!」
「嫌!絶対に嫌!」
ミカを庇って立ち塞がったコハルに、パテル分派の生徒達は強く迫る。
それでも一歩も引かない彼女に対し彼女達が銃口を向けた、その時だった。
「……それ、私も違うと思うなぁ」
「っ?!……何故ここに……」
「シャーレの……」
「まずその武器仕舞ってくれない?コハルさ、
その先生の怒りの籠もったような瞳にたじろいで、彼女達は何も言わずにその場を去っていった。
その背中が見えなくなるのを見届けてから、先生は少し涙目になったコハルの頭をワシャワシャと撫でた。
「あっはは!カッコいいじゃんコハル!エリートの面目躍如だね!」
「と、当然でしょ!私は正義実現委員会のエリートなんだもん!」
「……久しぶり……だね?……先生?」
「うん、ミカも元気そうで何より!……でも、なんであの提案に乗らなかったのさ?」
「……分かんないや。もちろん、今命令したら私の思い通りって分かってるんだけど……ほんと、なんでかなぁ……」
そう言っているうちに、ミカはどんどん俯いていき、その目からポタポタと涙を溢し始めた。
「……わかんない……わかんないよ……私バカだから……こんなことも……自分のこともわかんない……なんでゲヘナが嫌いだったのかも……なんでこんなことしたのかもわかんない……でも先生……会いたい……私会いたいよ……セイアちゃんにも……ナギちゃんにも……リエちゃんにも……それで……それでみんなにもう一回……「ごめん」って……謝りたい……こんなバカでごめん……ごめんね……」
「……」
「こんな私じゃ……もうダメなのかもしれないけど……でもまだ……私……」
「……全部終わったら、ね!」
「……先生……?」
「私は先生なんだよ?仲直りの機会なんていくらでも作るから!……だから、少しだけ待ってて。ミカ」
ミカの頭を擦って、先生は痛む傷を忘れて走り出した。
「みんなお待たせ!!待っててくれてありがとうね!!」
「……先生……?!」
「重傷なんじゃ……?!」
大聖堂の扉を勢いよく開けるなり、先生は思いっきり叫んだ。
一瞬だけ誰もがその手を止めて、彼女の方を見る。
そしてその中からハナコとマリーがいち早く、そして先生の後を追っていたコハルも合流する。
「銃に撃たれたって……もう大丈夫なんですか……?」
「は、はい。無理をしてしまっては……」
「大丈夫。ここから先は全部私に任せちゃって!!」
先生はその薄い胸をドンと力強く叩いた。
救護騎士団の病院……先生が寝かされていた場所とは別だったが、彼女は歩みを止めることなくスタスタと廊下を歩いて行って、その内の一つに足を踏み入れた。
「ハスミ、いる?」
「……先……生……?」
彼女が声を掛けると、ハスミはおもむろに上半身を起こした。
傷だらけではあるが、それでも命に別状はなさそうだ。
先生は「良かった」と胸を撫で下ろした。
「……ツルギ達……他のみんなは……」
「けひゃああぁぁっ?!……せ、先生?!どうしてこちらに……?」
彼女の顔を見るなり勢いよくベッドから飛び降りて、ツルギは赤面した。
ハスミより重傷と聞いていたが、その傷は明らかにハスミより浅い。
丁度やってきたハナエも「もう動けるんですか?!」と驚愕の目線を向けていた。
正義実現委員会の復活を確認して、その足で彼女は風紀委員会の下へ向かった。
そこには風紀委員会と共に、彼女の命を救った救急医学部のセナの姿もあった。
「……ご無事で何よりです、先生。……いえ、問題ないと言いたかったのですが、幾分大人の治療というものは初めてだったもので」
「……先生、無事だったのですね」
「チナツ、まだ動いてはいけません。先輩命令です」
「……私はもう風紀委員会なので……」
二人も無事で良かった、そう言おうとした先生の後ろで、一際大きな声が響く。
「先生……」
「無事だったんだな?!」
「お二人共、動かないで下さい。傷口が開きます」
「とりあえず、アコもイオリも無事なんだね。良かった!」
「はい。ですが委員長は……連絡も取れず何処かへ……」
「まっかせて!私が行ってくるから!」
アコが最後まで言い終える前に、先生は病室から走り出す。
間もなく日も変わろうとする中で、彼女はトリニティを飛び出した。
明け方3時前、トリニティに戻った先生を降りしきる雨の中で出迎えたのはヒフミ達だった。
「……先生、アズサちゃんが……」
「……」
「……まだ、アズサちゃんが一人で戦ってます……一人でずっと……居場所が違うって、私みたいな普通の生徒には……」
「……ヒフミは、ヒフミ達はどうしたい?」
少し涙目になって言うヒフミに、先生は静かに問いかけた。
「……助けたいです。アズサちゃんを、一人にしたくないです」
「うん!アズサが一人でいるのを放っておきたくない!」
「はい、そういうのは……一人というのは寂しいですから」
彼女達の答えを聞いて、先生は満足気に微笑んだ。
「……その答えで十分だね!ヒフミはずっと頑張ってきて、ちゃんと欲しい物を手に入れて、欲しい結果を掴んだ。なら、今回もそうしよう!」
「はい!私はもう諦めません、悩みません、ただ、出来ることを全力で……!」
「……そ、そうよ!アズサもいつも言ってたじゃない!」
「はい、「例え全てが虚しいとしても、それは今日最善を尽くさない理由にはならない」……なら、私達も最善を尽くしましょう!」
「……よし、アズサを助けに行くよ!」
「よくも、よくも姫を……!無事で帰れると思うなよアズサ……!」
「ああ、元よりそのつもりだ。……刺し違えても、サオリだけは絶対に止めてみせる」
酷い雨の中、古聖堂の瓦礫の上、唯一人相対する。
姫を……アツコに傷を負わせたアズサへの復讐に燃えるサオリ、彼女の率いるアリウススクワッド、ユスティナ聖徒会に。
もう、アズサの身体の傷は痛まない。
「そんなことがお前に出来るか!!この怒り!恨み!憎しみ!お前に耐えられるとでも言うのか!!」
「……ああ。私は『人殺し』になる」
「アズサァッ!!」
「……もう、二度と会えないとしても」
アズサへ距離を詰めるサオリへ向けて、彼女は引き金を引く。
一瞬動きが鈍くなったが、それでも復讐の念に駆られたサオリは止まらずに至近距離でアズサに銃撃を浴びせた。
その痛みに彼女は歯を食いしばりながら、至近距離で弾丸を浴びせ返す。
「何故だ!何故足掻く!何故無駄な足掻きを!全ては──」
「虚しくとも、足掻き続けると決めたんだ」
「それに何の意味がある!」
再び引き金を引くサオリ。
限界が近づいているアズサの身体は、その場に崩れ落ちる……はずだった。
「……?!」
「……」
「ヒフ……ミ……?」
倒れかけた彼女の手を、ヒフミは精一杯の力を込めて掴んでいた。
次回はお待ちかねのアレ
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記録30:収束
「……ぞ、増援です……1、2、3……ま、まだまだ来ます……」
アリウススクワッドの狙撃手、槌永ヒヨリがとまどいながら呟く。
先生の指揮の下、崩れ落ちた古聖堂に再び集った補習授業部。
アズサの手を掴んでいる彼女を、サオリは鋭く睨み付けた。
「……誰だ、お前は?」
「普通の、トリニティ総合学園の生徒です」
「だ、ダメだヒフミ……こんなところに来たら……」
凛として答えるヒフミの手を掴み返し、アズサは彼女を止めようとした。
「ここはヒフミみたいな普通の人間が来る場所じゃ……」
「……確かに、私は普通で平凡です。あのガスマスクを付けたアズサちゃんが本当のアズサちゃんだって、理解もしてます。だから、私と生きてる世界が違うって言いたいのも分かってます。……でも!!」
降りしきる雨の中で、ヒフミは淡々と言う。
けれど、その瞳にはその場の誰よりも強固な意志が宿っていた。
「アズサちゃんは一つ勘違いをしてます!!」
「……ヒフミ?」
「ええ、見せてあげます!私の本当の姿を!!」
そう言って、カバンからほのかにたい焼きの匂いがする紙袋を頭から被ったヒフミ。
よく見ると、目のところだけくり抜かれていて、「5」という数字が額に油性ペンで書かれている。
「何を隠そう、私は『ファウスト』!!『覆面水着団』リーダー、『ファウスト』です!!」
「……え……?」
「見て下さいこの恐ろしさ!見た人すべてが怖がるこのオーラ!アズサちゃんと並んでも見劣りしません!きっとあのアリウスの人達も心の中ではとても怖がっているに違いありません!」
「……何をしてるんだ……?」
「……」
「……?!」
その場に微妙な空気が流れる中、一人、ヒヨリだけは酷く動揺した。
「ヒフミ、一体何を──」
「だからっ!!」
何か言おうとしたアズサを遮って、ヒフミは強く答えた。
「だから、私達はいる世界が違うなんてことはないんです!こうして隣に並べます!一緒にいられます!だから……同じ世界にいられないなんて言わないで下さい!ダメって言っても、私はアズサちゃんのそばにいます!ずっと、ずっとアズサちゃんと一緒です!」
「……ヒフミ……でも私のためにそんな嘘……」
「嘘じゃないわよ!」
瓦礫の向こうから声が響いた。
そしてヒフミを囲むように、カラフルな目出し帽を着けた彼女達は駆け寄ってくる。
「いや〜、修羅場だねぇ。おじさん怖いな〜」
「大丈夫。勝てない相手じゃない」
「あの覆面……まさか?!」
「は、あんた知ってるの?!」
その数字の書かれた覆面を見て、ハナコは何か思い出したように呟く。
そして彼女達は特撮ヒーローのように口上を述べ始めた。
「『目には目を、歯には歯を。無慈悲に、孤高に、我が道の如く魔境を行く……』」
「ん、それが私達のモットー」
「表の顔はアイドルですが、夜には悪人を打ち倒す正義のヒーローに大変身♧」
「妙な設定増やさないでよ!そんなモットーも無いでしょ!」
「『リーダーであるファウストさんの命令とあらばどこでも集合です!』」
「え、ええっ?!」
「……?どういうこと……?」
「……まさか実在したなんて……」
突然の展開に戸惑いっぱなしのコハルとアズサに、小耳には挟んでいたらしいハナコ。
それはアリウススクワッドも同じらしく、サオリとミサキが言葉を交わす。
「……あいつらは?」
「……詳細なデータ無し。まあ、そこそこ強そうだけど」
「う、噂話に過ぎないと思ってたんですが……ほ、本当にいたんですねぇ……少し感動したような……」
「ところで君達、ウチのリーダーに何しようってのさ〜?覆面水着団は情け容赦はしないよ〜?」
「ん、その通り。しかもリーダーは最強。ブラックマーケットの銀行もちょちょいのちょい」
「カイザーにさえ大打撃を与えた方ですからね♧」
「そうよ!自らの手で幹部さえぶっ飛ばしちゃったんだから!」
「そうだよ、裏社会に蠢く悪夢そのものなんだよ?『災の具現』、『人の形をした厄災』、『悪を悪とさえ思わない本物の悪』、『吐き気を催す邪悪』ってその辺のチンピラさえ名前を聞いたら失神しちゃうし」
「それこそが『ファウスト』。私達のボス」
「「「「ファウスト!!ファウスト!!ファウスト!!」」」」
本当かどうか分からない彼女の武勇伝を語った後にプロ野球やサッカーのサポーターのように「ファウスト!!」と声を揃える覆面水着団。
ヒフミは紙袋越しでも分かるほどに顔を赤らめた後に、バッとそれを取ってしまった。
「ああっ?!もう取っちゃうんですか?!」
「うへ〜リーダーが取るって言うならここらで十分かな〜」
「な、何よ!せっかく乗ってあげたのに!」
「私はこれでいい。顔が隠れてた方が色々やりやすい」
「シロコ先輩も早く取ってよ!何で少し誇らしげなの?!」
「ん、仕方ない……」
「『……まあ、そういうことで!アビドス廃校対策委員会、ヒフミさんに恩返しをしに参りました!』」
かつてヒフミがペロロ様グッズ収集のために訪れた、アビドス自治区近くのブラックマーケット。
そこで彼女達と縁が出来たヒフミは、アビドス存亡を巡ったカイザーコーポレーションと対策委員会の戦いの際、ナギサから預けられたティーパーティーの砲兵を率いて参戦した。
その恩を返すため、彼女達は今トリニティ存亡の危機に駆け付けたのだ。
「つ、ツルギ委員長?!お怪我は……」
「治った」
「さ、流石です……」
ナギサとサクラコとリエを救い出すため、そして補習授業部の、先生の力になるため、アリウスとの決戦に向けてトリニティの主力が続々と古聖堂周辺に集い始める。
「は、ハスミ副委員長も……ということは……」
「……正義実現委員会、何とか立て直しましたのでシスターフッドに加勢いたします」
「ありがとうございます!こちらも何とかハナコさんのおかげで……あとは、サクラコ様達と先生達、補習授業部を救い出すだけです!」
「はい。万全ではありませんが……それでも、力になるという約束ですから」
そしてそれは、彼女達も同じだった。
「この前はよくもやってくれたなアリウス……!たたじゃ返さないからな……!!」
「……委員長はどちらに?」
「『……ヒナ委員長は……』」
部屋のドアが叩かれる。
傷の手当を終えたヒナは、気怠そうにその扉を開けた。
「……っ、先生?なんで……いや、無事だったんだ……良かった……」
「ヒナもとりあえず大丈夫そうで安心したよ!……今、大丈夫?」
「うん……ううん、ごめん。やっぱり駄目。……私には、もう無理……だから……その……悪いのだけど……私は引退だし……」
「こっちこそ、悪いけど帰るつもりはないよ?……まだ、お礼も言ってないからね!」
「なんで……お礼なんて……だって……」
明るく答える先生に、ヒナは少し戸惑ったような顔を浮かべた。
「私のせいで、あんなことになったのに」、そんな言葉が喉まで上がってきていたけど、彼女の言葉はそれをふわっと掻き消した。
「違うよ!普段のお礼!すっごく、頑張ってたもんね!……だから、少しは休んでも良いんだよ、って私が言うべきだったかな。……それはごめんね」
「……どういうこと……?」
「だってそうでしょ?ずっと一人が頑張り続けるのは大変だもん。……だから、ヒナはゆっくり休んでて。私に後はどーんと任せちゃってさ!」
「ま、待って、何とかって言ったって……私は……彼女みたいには……小鳥遊ホシノみたいには……なれない……から……」
「ホシノ?ホシノがどうかした?」
「彼女は強い人だから……アビドスの生徒会長、その遺体を見つけたのは彼女自身だったって……すごく、すごく辛かったはずなのに……それでも……まだ彼女は……私はもう……あの瞬間……あの銃声が響いた瞬間……」
「……そうだね。ホシノは強いよ。……ヒナと同じくらい」
先生のその言葉で感極まったヒナは、声を上げて泣き始めた。
「私だって頑張った!!いつも頑張って、いつも一人でどうにかしようとして……キリがなくてもそれでも……でも私は……強くないから……大事なところで……ああなって……なのになんで先生は……」
「……」
「私だって小鳥遊ホシノみたいに……補習授業部のあの子達みたいに……私だって構ってほしかった!!先生に褒めてほしかった!!もっと甘えたかった!!」
「……そうだったんだ」
「……あっ、いや、今のはその……ごめん……」
「本当にごめん!ヒナ!!ヒナも一緒に補習受けよう!成績良かったらめっちゃめちゃ褒めてあげるから!!」
「……その……私成績は……大体満点……」
「じゃあ水着でパーティしよう!水着代わりに下着でもいいから!」
「……そんなことしてたんだ……。……ううん、大丈夫。……それで、私に頼みたいこととかあったりするんじゃないの、先生?」
少し落ち着いたヒナのその言葉に先生は少し考える。
「あるにはあるんだけど……ヒナもう引退らしいし……」
「……言ってみただけだから。少し、みんなに甘えたかっただけ。だから……」
「……なら……!」
「……うん。行こう、先生」
「……お待たせ、みんな」
「委員長……!」
「委員長?!大丈夫なのか?!」
「うん、みんなも無事で良かった。……それで、現状は?」
「『現在トリニティの方でもシスターフッド、正義実現委員会が古聖堂に向かっているそうです。アリウスとも十分戦えるかと』」
「了解。……先生の指示と共に仕掛ける。待機して」
先生の呼びかけに応じて、ゲヘナの風紀委員会も古聖堂に再び集結する。
手を取り合ったトリニティとゲヘナによる、アリウスとの総力戦が幕を開けようとしていた。
「……朝、か」
二人の眠るベッドに伏せていたリエはゆっくりと身体を持ち上げた。
流石に無理をしたからか、身体の節々が痛む。
ナギサもサクラコもまだ眠っているままだが、その寝息は穏やかだった。
「……二人も、無事そうだね」
時刻は5時手前、かれこれリエは4時間ほど倒れ込むように寝ていたことになる。
最後の記憶は手当てをしようと服を脱いだこと。
鏡を見ると、そこには一糸纏わぬ彼女の姿があった。
そこら辺に放り出されたシャツを羽織り、彼女は窓の外を見る。
空を覆う黒く分厚い雲、それでも尚リエは反射的に呟いた。
「……空、晴れそう……」
3章終わったらリエの設定集作ります!気長にお待ち下さい!
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記録31:青
許して
「……囲まれた……みたいですねぇ……」
「流石に厳しいんじゃない、リーダー?」
「無駄だ。『ユスティナ聖徒会』がある限り戦力差は覆らない。……全ては無駄な抵抗ということを……この虚しい世界で全ては無意味な足掻きに過ぎないということを教えてやれ!!」
「……」
「……いいよ、ヒフミ」
声を荒げるサオリに対し、ヒフミはちらっと先生の方を見た。
「かましてやれ!」と言うように、先生は小さく拳を作った。
「……ヒフミ……?」
「アズサちゃん、私、今すっごく怒ってるんです。もちろん、突然消えたアズサちゃんにも少し怒ってましたが、それはもう大丈夫です。……だけど、あの人達にはまだ怒ってます」
そう言って、彼女は瓦礫の山を少し登りだす。
少しでも、自分の声が響くようにと、決意を込めて一歩一歩。
「殺意とか、憎しみとか……それが世界の真実だとか……それを無理強いして全ては虚しいと言い続けてますが……それでも私は──!!」
まだ空は暗く、雨の止まぬ中、彼女はその瓦礫の山の天辺に立った。
「……アズサちゃんが人殺しになるのは嫌です……」
「……そんな暗くて憂鬱なお話……私は嫌なんです……」
「……それが真実だって……世界の本質だって言われても、私は好きじゃないんです……!」
「私には、好きなものがあります!」
「平凡で、大した個性もない私ですが……自分が好きなものについては、絶対に譲れません!」
「友情で苦難を乗り越え……努力がきちんと報われて……辛いことは慰めて……お友達と慰め合って……!」
「苦しいことがあっても……誰もが最後は、笑顔になれるような!」
「そんなハッピーエンドが、私は好きなんです!!」
「誰が何と言おうとも、何度だって言い続けてみせます!」
「私達の描くお話は、私達が決めるんです!」
「終わりになんてさせません、まだまだ続けていくんです!」
「私達の物語……」
「私達の
そう言って、ヒフミは一切の雲が晴れた青天にその固く握った拳を突き上げる。
彼女の背には、燦々と輝く朝日が昇っていた。
「……あ、雨雲が……」
「……戒律が……?いや……まさか……奇跡が……起こった……?」
「き、奇跡ですか……」
「っ、違う!そんなもの無い!なのに……なにこれ……?!」
戸惑い狼狽えるアリウススクワッドにも聞こえるように、先生は粛々とその言葉を告げた。
「『ここに宣言する。私達が、新しい
『ユスティナ聖徒会』とは戒律の守護者……つまり、エデン条約の守り人であった。
調印式を襲撃したアリウススクワッドが「『ETO』はアリウススクワッドである」と定義したことによって、彼女達の制御下に置かれていたのだ。
しかし、トリニティの代表たるには十分な格を持つシスターフッド、同じくゲヘナの代表たる風紀委員会が古聖堂の跡地に揃ったことにより、調印式の……『第一回公会議』の再現と相成り、先生が『エデン条約』を再定義したことによって、その所有権は酷く曖昧に落ちる。
エデン条約という契約を歪め、自らの望む結果を作り上げる……アリウスへの意表返しとも言えるそれを、彼女は見事にやってのけた。
「なっ……?!」
「……まずい、リーダー。ユスティナが壊れてる。……もう、使い物にはならないかな」
「……ふざけるな!何がハッピーエンドだ!そんな言葉で世界が変わるとでも?!それで積り切った憎しみも恨みも消えるとでも?!そんな夢物語が──」
「それが夢だというのなら、子供の夢を叶えてみせるのが大人の……
激昂するサオリに対し、先生はスパッと言い切った。
アサルトライフルを握る手がワナワナと震えている。
「……貴様らだけは無事では帰さない!!その酷く甘い幻想と共に消え失せろ!!」
「……それでも、私達は掴み取ってみせます!」
トリニティ、ゲヘナ連合軍……即ち『ETO』と、『ETO』を名乗るアリウススクワッド。
エデン条約の行く末を……『楽園』を懸けた最終決戦が幕を開けた。
「ここは私達がやる!先生達は先へ行け!」
「彼女らは私達が受け持ちます!あなた達はアリウススクワッドを!」
「ど、どうか恩寵があらんことを……!!」
「……任せたよ、ヒフミちゃん、先生」
「キシャアアアァァァッッッ!!」
「行って、先生!!」
同士討ちを繰り返す『ユスティナ聖徒会』と、次々に集まってくるアリウスの生徒達。
けれど、アビドス、正義実現委員会、シスターフッド、風紀委員会が懸命に食い止め、先生と補習授業部の背中を押す。
戦力は明らかにアリウスが上回っているはずだったが、それでも一方的に押し返されるその状況にサオリはますます機嫌を悪くする。
「……」
「リーダー……」
「は、はい……これ以上は……『ユスティナ』ももう……」
先鋒としていち早くアリウスの壁を貫いたアズサを睨み付け、サオリは叫んだ。
「ふざけるなっ!!どうして、どうしてお前だけ……!共に苦しみ、絶望したこの灰色の、無意味な世界でお前だけは意味を持つというのか!!お前だけはその青空の下で照らされるというのか!!」
「……」
「全て否定してやる!その学び、喜び、友情も努力も!全て、その全てを虚しさの下に!!」
「いえ、そうはさせません」
「そうよ!どんだけ私達が頑張ったかあんたに分かるわけ無いでしょ!絶対に、なかったことになんてさせないんだから!」
追いついたハナコとコハルがサオリに強く言い返す。
そして口元の傷を拭い、アズサも続けて言った。
「……例え虚しくとも、私はまだ足掻き続けてみせる。私は……私達は、虚しさなどに負けはしない」
「はい!一緒なら、きっと大丈夫です!」
「補習授業部、行こう!」
最後に現れたヒフミと先生が合流し、補習授業部とアリウススクワッドの最初で最後の真っ向勝負、その火蓋が切られた。
例え力で負けていようと、経験で劣っていようとも、それでも彼女達は譲れない物のために必死に食らいつく。
撃たれても撃たれてもなお立ち上がり、先生の指揮の下で決死の抵抗を仕掛ける補習授業部。
ユスティナよりよっぽど不死身じゃん、とミサキは愚痴を吐いた。
そして最後までただ一人として倒れることなく、補習授業部はアリウススクワッドを下したのだった。
「……辛いですね……苦しいですね……でも……すごいキラキラしてて……」
「……これ以上は無理だって、リーダー。悔しいけど、認めるしか無い」
「まだだ……まだ古聖堂の地下に行けば……」
「っ?!サオリ……!?」
「まだ手段があると?!……止めなくては!」
瓦礫の隙間を縫って古聖堂の地下へ向かったサオリの後を追おうとした補習授業部だったが、ユスティナの残党が彼女達を囲む。
それでも尚走り出そうとしたヒフミを止めて、アズサは答えた。
「私が行く。ヒフミはここで待ってて」
「でも……!」
「大丈夫、サオリを止めてすぐ戻って来る」
「……なら、私も行くよ。生徒を一人にはさせられないからね!」
「……分かりました!絶対、絶対に帰ってきて下さい!」
「健闘を祈ります!」
「し、信じてるから!気をつけてね!」
息を整えて再び駆け出したアズサと先生に、三人は精一杯のエールを送った。
「アズサ……」
「もう終わりにしよう、サオリ」
「良いだろう。……もう出し惜しみは無しだ。ここで引導を渡してやる」
古聖堂の地下に広がる廃墟のような、洞窟のような空間、そこで二人は相対した。
「……まだ、私に
「いや、私は一人じゃない」
「そういうこと!」
「……っ、先生……!……いいだろう、今一度全ては虚しいことを教えてやる!お前も、その先生も全て否定して、片付けてな!」
「……間違った子供を止めるのも、大人の仕事だよ。……行こう、アズサ!」
「うん!」
幕が切って落とされた正面衝突。
けれど、アズサの「一人じゃない」という言葉を証明するかのように、風紀委員会、アビドス、正義実現委員会、そして補習授業部からの援護が次々に届く。
天雨アコからのオペレート、奥空アヤネからの救援物資、静山マシロの対物ライフル、ハナコからの回復援護、多くの仲間に背中を押されてアズサはサオリを圧倒する。
「例え全てが虚しいとしても、それは今日最善を尽くさない理由にはならない」、そんな強い信念を抱いて足掻き続けたアズサにとって、ただ現実に絶望しただけのサオリなど敵ではなかった。
「……何故……だ……」
「……はあ……はあ……」
地面に伏せたサオリと、先生に肩を支えられ、辛うじて立っているアズサ。
アズサとサオリの荒い呼吸だけが地下に響く中、カツンカツンと一つの足音が鳴った。
「……」
「……アツコ……」
「ゲホッ……なんで逃げなかった……姫……?!」
「……私達の負けだね、アズサ」
「……?!」
「ダメだ姫!喋ったら彼女が……!」
しばらく耳にしていなかった彼女の声に、アズサは思わず戸惑った。
止めようとするサオリに対し、「大丈夫、もう全部終わりだから」と小さく答える彼女。
マスクを、カランとその場に落として彼女は話し続ける。
「彼女は最初から私を生かすつもりなんて無かっただろうし。だから、これで大丈夫」
「……どういうこと……?」
「だからさ、もう止めにしよう、サオリ」
「止める?でもアリウスに帰ったところで私達は……」
「うん、だから逃げよう。みんなで一緒に」
そう言って、彼女はボロボロになったアズサの顔を見た。
「アズサが教えてくれたんだよ。「これは、私達の憎しみじゃない」って。ただ、それを「私達のものだ」って思い込まされてただけなんだって。……アズサは、それに気づいたんだよね」
「……」
「アズサは外で色んなことを学んで、色んな経験を手に入れた。……いい
「……姫……」
「だから、私達も逃げよう。ここから、アリウスから、誰のものかも分からない、この憎しみから」
アツコは、その小さな手をサオリに差し出した。
「ああ、なんと美しく素晴らしい物語……培った経験と知恵によって信念を輝かしく研ぎ澄ます……」
地下の瓦礫の一角に立ち、その木偶人形は呟いた。
双頭を揺らし、古くなった関節を軋ませ、タキシードをたなびかせ。
彼こそがアリウスと協力関係にあった、神秘の探求を生業とする『ゲマトリア』、その一員である『マエストロ』。
神秘を形として現し世に顕す『芸術家』である。
「やはりそなたなら……私の『崇高』を理解出来る……!!」
その虚ろな視線は、アズサを支える先生に向けられていた。
地下が、大きく軋んだ。
崩れ落ちる瓦礫を避けて、アツコは呟く。
「……まさか……あの『教義』が……?」
「……どういうことだ……?」
「せ、先生……これ……」
「……圧倒的に……レベルが違くない……?」
姿を顕した、まさしく聖書に語られるような『人工の天使』。
何もない、まさに虚空と称するべき顔に、祈りを捧げ、杖を携える二対の腕、頭部に、そして背後に浮かぶ大きな金色のヘイロー。
存在するだけで、絶大なプレッシャーが伸し掛かる。
「……やるしかないか……」
そう呟いて、先生がポケットに手を突っ込んだ、その瞬間だった。
「……何……?!」
地下の天井……即ち地上を貫いて、砲撃の雨が人工天使『ヒエロニムス』に降り注ぐ。
間髪入れずに乱射される榴弾、そして銃弾の雨霰。
それと同時に、聞き慣れた声が響く。
「どうする、ナギサ?反射的に来ちゃったけどあれ私達じゃどうしようもなさそうだけど?」
「……しかし、やるしかありません。ここまで来て、先生やトリニティの生徒一人さえ救えないとなればティーパーティーの名折れです」
「はい、おそらくアレを退けなければ大団円とは行かないのでしょう。……ならば、私達も戦うべきです」
「……了解!」
天井に開いた大きな穴から、2つの人影が飛び降りる。
「……リエ……?!」
「サクラコも……!なんで来ちゃったのさ?!」
「先生助けるために決まってるでしょ?……ちょっと無力かもしれないけど!」
「はい、ですが見て見ぬふりも出来ませんので……!」
ヒエロニムスから先生やアズサ、そしてアリウスをかばうように前に立つリエとサクラコ。
それと同時に「ティーパーティー砲撃部隊、全員配置完了しました」とナギサから通信も入る。
「了解!なら……」
そう言って、先生は改めてポケットに手を突っ込んだ。
「私もカッコいいところ、見せちゃおうかな!!」
指に挟まれた『大人のカード』が、その場のあらゆる神秘を掻き消す程の眩い光を放った。
大人のカードの解釈が緩いのは許して下さい
演出上の都合です
あとTwitterでもなんか呟いてます
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記録32:閉幕
特殊タグは使い方覚えたのでどんどん使います
「ふう……やはり、ここが一番落ち着きますね」
「あはは、そうだね。お疲れ様」
時刻は12時過ぎ。
ナギサとリエは昼食がてら、執務室でお茶をしていた。
事態が収まったことを確認し、まだ意識の戻らないセイアを連れてトリニティへ戻って来たミネの手によって、二人の身体にはところどころ包帯が巻かれている。
ナギサに至っては支障がない程度に左手がグルグル巻きにされていて、「なんかイタい娘みたいだね」とリエは笑った。
「そういえば、アリウスどこ行ったか知ってる?」
「いえ……私達の撤退とともに忽然と姿を消したと……」
「そっか。……無事だと良いなぁ……」
リエは窓の外を見て呟いた。
空は遥か遠くの地平線まで雲一つ無い快晴。
「しばらく雨が続くでしょう」という予報が大きく覆ったネットニュースは少し焦っていた。
「奇跡でも起こらない限り有り得ない」と。
「にしても驚いたよ。ナギサとサクラコが開口一番に「先生を助けたい」って言い出すなんてさ」
「そう言うリエさんこそ、また一人で行く気だったのでしょう?……あれだけの無茶をした後に……」
「あっはは!じゃあお互い様だね」
「……失礼致します」
二人が談笑する中に、行政官の後輩が一人足を踏み入れた。
「お身体の具合はいかがですか、ナギサ様、リエ様」
「一時は駄目かと思いましたが……また、リエさんに救われてしまいました」
「……まあ、そのための私だから」
紅茶を一杯飲むと、リエはそう言って微笑んだ。
二人の無事を確認した彼女も安心したようにほっと一息ついた。
「……それで、安全確認以外にも何か用があって来たのではないですか?」
「あ、はい。その……ミカ様からお手紙が……「お二人に渡して欲しい」と……」
「……私読むよ」
リエは後輩から封筒を受け取ると、辛うじて剥がれなかった左手のネイルでピッと封を閉じていたシールを剥がした。
「『やっほー!二人共、調子はどうかな?ミサイル落ちてから大変だったんだってね!でもナギちゃんがリエちゃんに助けられたって聞いた時はホント安心したよ。ナギちゃん昔っからリエちゃんに助けられっぱだね!いやあ、オブザーバーの権力がホストを超えちゃう日も近そうだね?ま、二人共エデン条約に関してはずっと頑張ってたもんね!今日は久々にぐっすり寝られるんじゃない?』……結構長いけど続ける?」
「はい、お願いします。全く……まあ、元気そうで何よりですが……あとリエさんいつの間にミカさんの声真似を……?」
「『それで、そんな二人に頼み事があるんだけどさ。ホスト権限でもオブザーバー権限でもいいからパパパッとやってくれると嬉しいな!まずテレビが面白くない……訳じゃないんだけど、やっぱりカイザープライムは外せないよね!ポチるのも楽になるし!あと化粧水切れちゃったからそれもお願い!リエちゃんのやつが良いな!あとはシャンプーもナギちゃんが使ってるやつにしてね!……そうだ!せっかくなら三人でおそろいにしようよ!あとさあとさ──』……全然懲りてないね。どうする、ナギサ?」
「……分かりました。今後ミカさんの食事は朝昼晩全てロールケーキ、ということに致しましょう。そのように手配して下さい」
「は、はい!かしこまりました!」
そう答えて部屋を飛び出していく彼女と入れ替わりに、別の後輩が執務室に飛び込んでくる。
「な、ナギサ様!リエ様!」
「……急ぎ?どうかした?」
「せ、セイア様が目を覚まされました!!」
「……あのさ、ヒフミ達は……前の補習授業部は全員合格したんだよね?」
「は、はい……」
少ししかめっ面をして、教壇に立った先生は話す。
申し訳無さそうに答えるヒフミ、同じような様子のコハル、キョトンとしたアズサ、ニコニコと笑っているハナコ。
それを見て、先生はため息を吐いた。
「なんで全員戻ってきてるのさ?!」
「あうぅ……実はまたペロロ様のコンサートと試験が……」
「二度は許さないよ私でも?!」
「習ってない試験範囲は流石に解けない」
「いや範囲死ぬほど広がったんだからやってるはずだけど?!」
「その……飛び級狙って3年生の試験に……」
「懲りてよ頼むから!」
「ふふっ、一人だけほっとかれちゃうなんて寂しいじゃないですか♡」
「ならしょうがない……とはならないよ?!」
全員に一通りツッコミを入れた後に、先生は痛む頭を抑えた。
「……あー……マジかー……」
「だ、大丈夫です先生!今回は試験範囲も合格ラインも普通ですし!退学とかも──」
「……無理……」
先生はドサッと床に倒れ込んだ。
ヒフミ達は急いで彼女に駆け寄ると、揺するなり水を飲ませるなりしてなんとか意識を取り戻そうと奮闘する。
……まだ、彼女達の補習授業は終わらないみたいだった。
夜遅く、人のいないトリニティ郊外。
秤アツコは、星空を見上げた。
アリウスで見るのとはどこか違う綺麗な、綺麗な星空。
その星明りに照らされながら、彼女は呟いた。
「……アズサ。あなたはきっとこれからも沢山のことを学んで、沢山の楽しいことを知るんだろうね。新しい友達と一緒に。きっと、アリウスじゃ出来なかった経験をまだまだ積み重ねるんでしょう。例えどれだけ虚しく、無意味な世界だとしても足掻き続けた、強いあなただからこそ、それを勝ち取った。……まるで、コンクリートを割って咲き誇る花のように。……もう、二度と会えないかもしれないけど、あなたの幸福を祈ってるよ」
言い終えると彼女は振り向かず、仲間達と共に暗い道へ歩いて行った。
ひとまずはこれで区切り
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資料
朝日奈リエ 設定集
飛ばして大丈夫です!
プロフィール
学校 | トリニティ総合学園 |
部活 | 正義実現委員会→ティーパーティー |
学年 | 3年生 |
誕生日 | 6月21日(夏至) |
身長 | 165cm |
趣味 | 考え事、散歩 |
人物
ティーパーティーの監視役であるオブザーバーを務める無派閥の生徒。
本来はティーパーティーに関わるつもりはなかった上、あんまり良い感情も抱いていなかったが、ティーパーティーへの感情<<<<<幼馴染への感情であったため、彼女らの推薦を快諾し、3年生になってからティーパーティーに加わった。
それまでは正義実現委員会で最前線を張っており、彼女の能力を考えれば委員長になっていてもおかしくなかったが、個人的な感情で嫌がらせじみた領収書をティーパーティーに叩きつけていた結果、ティーパーティーからの要請により正義実現委員会内で管理職に就くことは無かった。
性格としては、かなり面倒見が良く、責任感が強い。
でも気を抜ける時は抜くし、ふざけるときはふざける。
あと『トリニティ総合学園の生徒』そのものがかなり好き。
そんな彼女を慕って相談に訪れる生徒や問題解決を頼む後輩も少なくなく、ハナコもその一人。
サクラコは少しだけそんな彼女が羨ましいらしい。
大体何でも出来る天才だが、特筆するべきものとしては、異次元の思考力。
ハナコに勝るとも劣らないそれは初めましての相手の人格把握など朝飯前、僅かな情報から『トリニティの裏切り者』に辿り着き、準備をさせれば最悪の事態からただ一人でトリニティを立て直すきっかけを作ることすら出来る。
ぶっちゃけ書いててズルいなって思うレベル。
一番好きなものはミカとナギサ
容姿
ティーパーティーの例に漏れず、非常に整っている。
顔はキリッとした感じだが、カッコいいというよりは可愛い系。
全体の雰囲気は『かぐや様は告らせたい』の早坂愛。
ポイントだけ
髪色 | ダークブラウン |
髪型 | 脇下くらいまでのサイドテール、ムツキに近い |
目 | 切れ長で若干ツリ目、瞳は少し濃い桃色 |
身体 | 細身だが、あるところはしっかりある |
翼 | 腕くらいの長さ、ツルギとナギサ足して割る2 |
特記事項 | 利き手じゃない左の爪だけネイルしてる |
ヘイロー
渾天儀とか天球儀と呼ばれる、真ん中に球があって、それをいくつものリングが取り囲むようなオブジェがモチーフ。
彼女の場合は球を中心にして3つくらいのリングが回っている。
感情が高ぶると回るスピードが上がる。
服装
上着 | 黒のカーディガン |
シャツ | 半袖のワイシャツ、胸部にトリニティの校章、胸元にリボン |
スカート | ナギサと一緒 |
バッジの位置 | カーディガンのポケット |
靴下 | ベージュのニーハイソックス |
靴 | 足首上までの若干厚底ブーツ |
成績
トリニティ総合学園総合成績1位。
座学だけだと本気のハナコには劣るが、体育や演習などの実技で上回る。
理系科目では他の追随を許さず、数学に関してはミレニアムから留学の誘いが来るほどである。
ちなみに一番得意なのは手計算。
数学 | 100(1位) |
国語 | 100(1位) |
古典 | 97(2位、1位サクラコ) |
化学 | 100(1位) |
物理 | 100(1位) |
社会 | 98(2位、1位ナギサ) |
歴史 | 97(同率1位サクラコ) |
情報 | 97(1位) |
家庭 | 98(同率1位ミネ) |
保健 | 95(2位、1位ミネ) |
体育 | 100(同率1位ミカ) |
音楽 | 98(2位、1位ミカ) |
美術 | 50(1782位) |
演習 | 100(1位) |
戦術 | 98(2位、1位ハスミ) |
幼い頃からミカとナギサの力になるため、あらゆる才能を持ちながらあらゆる方面での努力を欠かせなかった彼女でも、絵だけは死ぬほど書けなかった。
美術の実技はサボったため0点、筆記は満点だったので辛うじて赤点は回避した。
戦闘能力
キヴォトスでもトップクラスに位置する、トリニティ総合学園最高戦力の一角の『魔女狩り』。
フィジカルはミカクラス、頭脳はハナコクラス、メンタルはアズサクラス。
ヒナと比べると戦闘関連のスペックはギリギリ勝ってそうだけど指揮能力がそれなりに劣る。
獲物の『Seraph's punishment』、直訳して『熾天使の断罪』は黒歴史になりそうな名前のグレネードランチャー。
現実では開発中止になってしまったアメリカの『XM25』(通称パニッシャー)がモデル。
XMはエアバースト(空中で弾が炸裂する)だが、リエは時間差攻撃が好きなので通常の榴弾で運用している。
見た目はXMを全体的に白っぽくして赤いラインを奔らせた感じ。
戦闘スタイルは大量の火薬をぶち込んだほぼほぼ詰将棋。
相手を無理矢理動かし、自分の策に嵌める、ウザいカードゲーマーみたいな戦い方が得意。
戦場でのアドリブ力はキヴォトス最高だと思う。
あと策で嵌めてくる癖に本体も洒落にならないくらい強いのはおかしい。
余談だが、ミカとの腕相撲は234勝247敗672引き分け。
人間関係
先生:結構好き、たまに見る本気顔がカッコいいと思ってる
ミカ、ナギサ:二人の為なら死んでも良いかなくらいには思ってる
ハナコ:楽しそうで何より、一緒に露出した仲
補習授業部:良い青春だな、と後方先輩面してる
アリウス:何かが違えばあの子達も後輩だったのかな、とか考えてる
ミネ:正義実現委員会時代にめっちゃお世話になってて、今もかなり交友がある
サクラコ:友達、あとサクラコの相談に結構乗ってる
ツルギ:肩を並べた戦友、たまに映画を見に行く
ハスミ:共に書類と格闘した戦友、ダイエットを心配している
元ネタあれこれ
モチーフはウリエル。
四大天使の一角:ティーパーティーの四人目
カトリックでは異端とされて堕天使にされていた:元正義実現委員会
太陽の象徴:朝日奈
地獄の支配者:アリウス戦のアレ、トリニティの法務の最高責任者
神の炎:グレネードランチャー、アリウス戦の大量爆薬
それ以外もいろいろあるから適宜
正直書き足りませんが、ここらで一旦区切ります!
めちゃくちゃ書いてて楽しかったです!
あとぶっちゃけファンアートを期待してます!
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エデン条約・アリウス編
記録33:再演
「……あっちだ!追え!」
雨音、そして水溜りを踏み散らすいくつもの足音が響く。
そしてそれを追うさらに多くの足音。
「だ、ダメです……こっちはもう行き止まりで……」
「反対も。……もうおしまいかな」
「くっ……」
トリニティ内の廃墟を逃げ回る彼女達を、アリウスは淡々と追い詰める。
先日のエデン条約調印式への襲撃に失敗して以来、アリウススクワッドは逃亡生活を余儀なくされていた。
万全を期したリエによるオブザーバーとしての壮絶な抵抗に、覚悟を決めたアズサからの本気の攻撃、そして信念を宿した阿慈谷ヒフミと先生の率いる補習授業部との戦いによって作られた決して浅くない傷もあって、彼女達は大きく消耗し、もう逃げられない状況まで陥ってしまった。
「……まだ、最後の手段は残っている。これなら……」
「そ、それ……」
「……『ヘイローを破壊する爆弾』。桐藤ナギサ用のやつ……」
「ミサキ、ヒヨリ、姫を連れて逃げろ。私が時間を──」
「サオリ」
そう言って、一人で前に出たサオリをアツコは止めた。
「もういいよ。私達は十分頑張った」
「ひ、姫ちゃん……?」
戸惑うヒヨリと、無言で彼女をみるミサキ、唖然としたサオリを尻目にアツコはスタスタと追手のアリウス生に近づいた。
「『彼女』の望みは私でしょう。違う?」
「……姫……?」
「なら、私が行くよ。だから三人は……どうか見逃して欲しい」
「何をしてるんだアツコ?!」
「……もう無理だよ、サオリ。ここから逃げて、次はどうするの?ゲヘナにでも行くの?トリニティでティーパーティーにでも匿ってもらうの?……もう、私達に逃げ場なんて残ってないの。……私がいる限りは」
「……」
「ダメだアツコ……戻ったら間違いなくアツコは……!」
「大丈夫。今までさんざんみんなに助けてもらったんだから、ここから先は一人で大丈夫だから。……それで、約束してくれる?みんなを自由にしてくれるって」
「……今、マダムに確認を取る」
「『……なるほど。分かりました。その程度のことならばお約束致しましょう』」
「その名に懸けて、誓って。『絶対に』って」
「『……よろしいでしょう。全ての巡礼者の幻想たる、この『ベアトリーチェ』の名に懸けて、お約束致します』」
「……うん、守ってね」
「……姫様、こちらを。マダムからのご命令です。「勝手にマスクを外さぬように」と……」
「『では彼女が戻り次第準備を始めます、儀式は暁と共に』」
「……元気でね、サオリ、ヒヨリ、ミサキ。……さようなら」
アリウスに手を引かれて夜の闇に消え、雨模様に溶けていくアツコ。
その場に残された三人は深く、深く項垂れた。
「あと一分!」
「やばいやばい同点だよ?!ボール相手持ってるし!」
「止めて止めて!」
トリニティ総合学園、六限目。
体育の授業で、彼女達はサッカーボールを追いかけて広い天然芝のグラウンドを駆け回っていた。
「あと三十秒!」
「ああもうリエ任せた!」
「了解」
その声とともに、ディフェンスについていた彼女は一気にポジションを上げる。
そしてタンッと軽く跳ねると、パスを回しながらゴールに迫っていた相手から、ただ一瞬足を離れたボールを掠め取った。
「……はあ?!」
「よっしゃナイス!」
「そのままぶち込んじゃえー!」
彼女の強襲に僅かに反応の遅れた相手のディフェンスを見事に抜き去って、彼女は軽く浮かせたボールを鋭く蹴り飛ばす。
それがゴールネットを突き上げたほんの少し後、授業終了を告げるチャイムが鳴り響いた。
「もー!リエズルい!学年トップのくせに容赦なさすぎない?!」
「そうそう!もう少し強者の余裕頼むって!『ノブレス・オブリージュ』!」
「……でもさ、二人だって結構お嬢様じゃなかった?」
「うぐ……でも聖園とか桐藤とかに比べたら……ってリエこそ朝日奈じゃん!」
「ホントだよ!どの口がお嬢様とか言ってんだこのやろー!」
他愛のない言葉を交わしながら、更衣室へ向かう彼女ら。
けれどその途中で、その内の一人がボソッと呟いた。
「……ミカちゃん……大丈夫かな……」
「ね。ほんと心配になる……私差し入れとか持っていきたいんだけどどこ行けばいいか分かんなくてさ……」
「あー、ミカと仲良かったもんね、リエほどじゃないにしても。……リエは大丈夫なの?」
「……まあ。たまに会って話してるし」
「そっか……にしても絶対裏があるって!」
「そうかな?なんで?」
「だってあんなにナギサとリエと仲良かったミカが二人のこと裏切るはず無いじゃん!お昼とかもいっつも三人だしさ!」
「……私もそう信じたいけど……で、実際リエちゃんはどう思ってるの?」
「……私も、そう思ってるよ」
「……よくお越しくださいました、先生。この前はお世話になりました」
「ううん!にしてもトリニティもだいぶ落ち着いてきたみたいだね!」
「はい、おかげさまで」
数日ぶりにトリニティを訪れた先生に、ナギサは紅茶を振る舞っていた。
幸いにもお互いほとんど後遺症は残らず、気まずい雰囲気になることはなかった。
「ところで、リエはどこ?お出かけとか?」
「いえ、リエさんならあちらで……」
そう言って、ナギサは隣の部屋の扉を少し重そうに開ける。
少し開いた隙間から、ひんやりとした風が流れてきた。
「リエさん、シロップのお代わりというのは……」
「あ、冷蔵庫にあるから勝手に持ってって」
「……なるほど、本当に天然のものだと頭が痛くならないんですね」
そこには、美味しそうにかき氷を頬張るリエ達の姿があった。
少し大き目のかき氷機の隣にはレッドウィンターのラベルが貼られたクーラーボックスが置かれていて、中には天然の氷がぎっしりと入っていた。
大きなテーブルの上にはゴロゴロと果肉の入ったシロップが何種類も並べられていて、それぞれに「ぶどう」「いちご」「マンゴー」などとのれんのようなものがぶら下がっている。
「……いらっしゃい、先生。どれにする?」
「あ、私みかんがいいな!」
「了解。ナギサは?」
「そう……ですね……では、「宇治金時」なるものを一つ」
「オッケー、ちょっと待ってて」
リエはジュースのようにかき氷を飲み干すと、慣れた手付きで機械を動かし始めた。
少しして出来上がったそれは先生の良く知る、ゴツゴツとした氷の粒のようなかき氷ではなくて、ふわふわの、積りたての雪のような見た目だった。
そこにまんべんなく掛けられたみかんの粒が混ざったシロップ。
先生は添えられた木のスプーンでそれを口に頬張った。
「……!口の中ですぐ溶ける……!」
「凄いでしょ?機械はミレニアムに特注して、氷はレッドウィンターの凍土から切り出してもらったやつ。それ以外にもかなり良い素材集めたから……いわゆる『ベストトゥベスト』。やっぱりかき氷はこうでなくちゃね」
「……この苦味と甘味の絶妙なバランス……たまには緑茶も悪くないかもしれませんね……」
「リエさん、その……まだお代わりは……」
「任せて、まだ半分以上残ってる」
「かき氷……暑さ対策で悪くないかもしれません……」
結局、新体制のティーパーティーに先生を招いての会議が始まったのは、氷が無くなってからだった。
かなりアリウス好き
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記録34:後始末
「……それでは、改めて話し合いを始めましょうか」
シルクのナプキンで口についたシロップを拭き取って、ナギサは切り出した。
先程まで腹痛に喘いでいた先生も、見事リエとのトイレ使用権を懸けたじゃんけんを制しとても爽やかな顔をしている。
そして死にそうな顔をして部屋を出て行ったリエも戻ってきて、真面目な話が始まった。
「あー……死ぬかと思った……。……それで先生、早速だけど新要素。これからティーパーティーはシスターフッドと救護騎士団に協力してもらうことになったから。……まあ、セイアも怪我明けで部屋から出られず、ミカは牢屋でティーパーティーの絶対性が揺らいでるっていうのが理由かな」
「はい、リエさんの仰る通り、サクラコさんとミネさんにも参加いただく事になりました。……ご理解の程よろしくお願いします」
「シスターフッドも少なからず変わらなければいけないと痛感しましたので。……まずはこのような席から少しずつ役割を果たしていこうと思います」
「私はただ私の役目を全うするために」
「……牽制……っていう認識で大丈夫?」
「いえ、私は純粋に興味があっただけです」
「私は政治は分かりませんから」
「サクラコは知っての通りシスターフッドのリーダー、ミネはトリニティ最古の部活、『救護騎士団』団長にして『ヨハネ分派』の首長。二人共、この席に加わるには十分な格がある」
「……そういうこと……」
「……それで、この席は決してかき氷を食べようなどという集まりではなく、エデン条約を巡る一連の事件の顛末についての再確認及び事後処理の為の……まあ、いわば『後始末』の場です」
そう言って、ナギサは湯気の立った紅茶を啜った。
空のティーカップとソーサーをコトン、と机に置いてミネが話を続ける。
リエは話を聞きながら、手帳をパラパラと見返していた。
「改めて、全体の大まかな流れの確認です。……まず、ミカ様がアリウスに命じ、アズサさんがセイア様を襲撃、その治療には周知の通りに私が。そして私が彼女を連れてトリニティを離れている間に、ナギサ様は補習授業部を退学にしようと策謀を巡らせ、それを察したリエが補習授業部と接触、そして補習授業部は多くの妨害を受けながらもアリウスとミカ様の襲撃からトリニティを守り、試験にも無事合格。ここまででナギサ様は許されざる非道を働きましたが……彼女らが許している、というのであれば言うことはありません。……そして調印式。アリウスからのミサイル攻撃に加えて特殊部隊『アリウススクワッド』率いるアリウス本隊による襲撃。これによって正義実現委員会やシスターフッドが多大な被害を被り、ナギサ様とサクラコ様も負傷、先生も銃撃により傷を負うなど甚大な被害が出ましたが……リエの抵抗と、ハナコさんが指揮を執ったことによる早期の立て直し、そして先生率いる補習授業部の奮戦によって見事アリウスを退けた……私の知る限り、大まかな流れはこうなっているはずです。何か補足や訂正などは?」
「いえ、わざわざありがとうございました。……それで、この事件の鍵、或いは結び目となっているのは間違いなく『アリウス分校』です。万魔殿のマコト議長も、ミカさんもアリウスの手のひらの上だった……そうも言って差し支えないと思います。マコト議長は「アリウスは元はトリニティなんだから、自分達はトリニティから攻撃を受けた被害者だ。トリニティに全ての責任がある。ついでに散髪代もそっちが払え」と仰っていましたが……電話会談にてリエさんが舌戦を仕掛け圧勝、逆に飛行船が領空侵犯していると賠償金をもぎ取ることに成功したそうです」
リエはパタン、と手帳を閉じた後に口を開く。
先生はナギサに紅茶のお代わりを注いでもらいながら、その話を聞いていた。
「……それは置いとくけど、アリウスに関してはまだ謎が多い。ユスティナ聖徒会やら、ミサイルの調達先……ミサイルに関しては、あの後ミレニアムやら連邦生徒会やらに探りも入れたけど、全く情報が出てこない。むしろ一部の技術屋なんて「データくれ」ってせがんできたよ。「こんなのキヴォトスに存在するはずがない」って。……とまあ、あまりにも情報が足りな過ぎる。流石の私でもこれじゃあ仮説さえ立てれない」
「『ユスティナ聖徒会』はシスターフッドの前身と伺っています。秘密主義のシスターフッドであれば、情報を隠すことなど容易いのでは?トリニティ内にさえ、シスターフッドへ不信感を抱いている生徒は少なくないのですから」
「その話は存じ上げていましたが……まさかこのような身近にもいらっしゃるとは思いませんでした」
「ストップ」
少し険悪になり始めた雰囲気の中、リエは立ち上がり、百鬼夜行の時代劇の奉行のようにピシャっと扇子を向けた。
「シスターフッドが秘密の多い集団というのは事実だけど、それはサクラコにとっても同じじゃない?シスターフッドがクロならとっくのとうに私が介入してる」
「……それもそうですね。失礼したしました、サクラコ様」
「いえ、疑われるのは慣れていますので」
「……はぁ」
「……大変だねナギサも……」
ナギサはティーカップに角砂糖とミルクをたっぷりと加えた後に、それをぐいっと飲み干した。
「……それで、結局私達が知りたい、辿り着きたい結論は「アリウスは何を企んでいるのか」ということです。……ですが、場所さえ分からない状態では……」
「いや、多分トリニティ内の古跡のどこかしら。ミカとアリウスが接触した痕跡が残ってた。「何を企んでいるのか」はまだ分からないけど。……私的にはアリウスは何も企んでない気もするんだけどな……」
「……っていうとどういうこと?まだ『黒幕』がいるってこと?」
「……それは考えにくいんだよね。ただ、何か企んでるなら錠前サオリはあんなに感情で動いてない気がする」
「この中でアリウススクワッドと接触したのは先生とリエさんだけですが……先生はどうお考えですか?」
「私?私は……うーん……普通の思春期だなぁって感じかな……ニヒルっぽいところもあったけど根はいい子そうというか……」
先生は少し考えた後にそう答えた。
リエも大まかに同意した。
「……それで、話を戻します。リエさんの『古跡』という仮説に関してですが……」
「……範囲が広すぎます。トリニティ内の遺跡など調べきれる量ではありません。まして地下にはカタコンベの存在さえ。……もう少し、絞りたいところではあります」
「……それなら……」
踊ってはいない。
けれど、会議は一向に進まない。
本当に会議シーンの書き方分かんない
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記録35:泥仕合
「……無理だね。推測じゃどうにもならなそう」
しばらく考えた後に、リエは「お手上げ」と言わんばかりに手のひらを揺らした。
「そう……ですね……現状だと判明している情報があまりにも……アズサさんにも話を伺ったのですが……」
「……!」
「彼女いわく「仕組み自体は知らされてない、任務の時は暗号化された毎回違う地図を渡される、自分でもアリウスへの戻り方はもう分からない」……とのことです」
「……彼女を取り調べたのですか?」
「はい?」
低い声色で、ミネはナギサに問いかけた。
「白洲アズサさんにそれを吐かせたのですか?」
「……はい?」
「故郷を捨て、裏切り者の烙印を押されてまでトリニティの為に奮闘し、ようやく自らの居場所を手に入れた彼女を私達の事情で取り調べ、再び渦中に巻き込むなど言語道断です!それがどれだけ残酷な行為か分かっているのですか?!」
「い、いえ、これはあくまで本人の同意の上で……」
「卑劣な手を用いて自らを退学にさせようとした相手に合意し、快く話してくれるとでも?!ティーパーティーの権力で話さざるを得ない状況まで追い込んだに違いありません!なんと卑劣な……!」
「えっ?!ええっ?!」
「ミネ」
ナギサを問い詰める彼女をリエは制し、一言言い放った。
「
「はい。ナギサさんが血も涙も人の心も無い冷血生徒会長というのは間違いありませんし、同意致しますが、これに関しては明確に否定します」
「……」
リエに続いて、本音かどうか分からないナギサへのdisを混ぜながらサクラコが続ける。
ナギサ自身は、それをティーカップを持つ手を震わせながら聞いていた。
「それに、オブザーバーであるリエさんは非常に幼馴染に甘くはありますが、是を是とし非を非とする方です。ナギサさんが明確に「退学」という目的のもとに作った補習授業部にさえ手を貸すような方がそれを容認、或いは黙認すると思いますか?……それはミネ団長もよく分かっていると思うのですが」
「……否定はしないけど。それに、補習授業部の顧問は他ならぬシャーレの先生。……先生がそれを許すと思う?」
「リエの言う通りだから落ち着いて、ミネ」
「……そうですね。少々頭に血が昇っていたようです。失礼致しました、ナギサ様」
「……いえ、大丈夫です。それに……」
「……本当に大丈夫?」
そう言って平静を装うものの、ナギサの手は傍から見てても分かるほどに震えている。
彼女は一旦ティーカップを置いて深呼吸した後に話し始めた。
「……はい。私でも分かっています。ヒフミさんにアズサさん、コハルさん、ハナコさん……補習授業部の方々は本来負わねばならぬ責任、果たさねばならぬ責務よりも遥かに多くのことを背負いました。……いえ、私が背負わせました」
「……私も、関係がないとは言えないけどね」
「……ですから、せめてこれ以上の重荷が彼女達に伸し掛からぬよう……この泥仕合、後始末だけは私達の手でけりを付けなければ……」
「……ありがとね、ナギサ」
「……そうだったのですね。心中察せられず申し訳ありませんでした」
「私も、ナギサさんに同意致します。ハナコさんに託したいという気持ちがないといえば嘘になりますが……それと同時に、彼女のこれ以上の荷を負わせてはいけないという気持ちも強くあります。……託すとしても今の全てをこちらで解決し、その先を託すというのが望ましい答えなのでしょう。……どちらにせよ、先生のお力はお借りすることになってしまいますが」
「任せてよ!私は大人だからね!」
そう強く答える先生に、サクラコは安心したように微笑んだ。
そして話は、再びアリウスに戻る。
「カタコンベ……トリニティでも未だ神秘を強く残した大迷宮ですが……」
「その毎回変わる出入り口をピンポイントか……」
「……いえ、ここは発想を切り替えましょう。例えば……
「……錠前サオリ?」
リエはそう呟いて、手帳の上に万年筆を滑らせる。
「はい、襲撃の指揮を執った『アリウススクワッド』のリーダーである彼女ならば、間違いなくその情報を持っているでしょう」
「なるほど……ですが、スクワッドの消息は判明していません。既に自治区に逃げ込んだ可能性も大いにあります」
「一日くれたらトリニティにいるか調べるけど……まあ、十中八九もう逃げおおせてるんじゃない?」
「はい、その通りだと思います。……ですが、まだ一人いるでしょう?」
「……なるほど」
「……」
「……ええっと……?どなたのことでしょうか……?」
察しの付いた先生とミネ、見当もつかない様子のナギサを尻目にリエは「その可能性が一番高いか」と万年筆の速度を上げる。
「……聖園ミカ」
「っ?!」
サクラコの答えに、ナギサは酷く狼狽えた。
「……で、ですが……ミカさんもアリウスの場所に心当たりはないと……」
「アリウスと内通し、ナギサさんを欺き続けてきた彼女の言葉を信じるというのですか?」
「……」
「……これまでのミカさんの行動や評判はあまり模範的、ティーパーティーに相応しいとは言えません。それに加え、彼女は多くの過失や問題を権力によって揉み消してきました。現在、学園で起きているミカさんへの糾弾なども、彼女に非がないと断言できるものではありません」
「ですが……ミカさんは……」
「ミカ様がアリウスと接触したことを示す記録は決して少なくありません。その多くは……リエが管理しているはずですが」
「……ミカさんが……嘘をついている……そんなはずは……」
「……リエさんはどうお考えですか?恐らく、トリニティで最も早く「聖園ミカが裏切り者」という結論に辿り着いたのはあなただと思いますが……」
リエは手帳を閉じて万年筆を胸ポケットにしまうと、少し考えた。
「……正直、ミカがアリウス自治区の場所を知ってる……それが間違いなく最も可能性の高い話ではあると思う」
「……リエさん……?」
「……だけど、知らない可能性に賭けたい。これ以上、ミカを疑うつもりは私には無いから」
「……」
そう答えたリエと、複雑な顔をしたナギサを交互に見た後にミネは黙り込んだナギサに問いかけた。
「……それが、お二人の結論でよろしいですか?ミカ様の最大の理解者たる、リエとナギサ様の」
「……それは……」
ナギサは、先程のリエと同じように目を瞑って考える。
そして目を開くと、心を絞るようにゆっくりと、ゆっくりと言葉を吐き始めた。
「……はい、私もミカさんを信じます」
「……」
「……」
「善良でなくても、疑うべき点が多くとも……彼女は私の、私達の幼馴染です。他の方にも信じてもらえるよう、明日の聴聞会で私も弁護致します」
「……」
「あなた方も、この学園も……トリニティ総合学園が彼女のことを信じられるように!それで私が矛先が向いても私は……!」
「……私も、ミカを正しく裁きたい」
明日の聴聞会……いわば学園裁判、その最終的な判決を下すのはトリニティ総合学園の法の頂点たるオブザーバーだった。
無論、ティーパーティー内部からも多くの反対があったが、それでも最終的にはシスターフッド、救護騎士団、正義実現委員会の支持によって規則通りにリエに決定した。
「……私達は、ミカの幼馴染だから」
先生彼氏とかいなそうだから好き
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記録36:模索
この作品に曇らせはありません
あと100000UAありがとうございます
「……ふぅ。……情けない姿を見せてしまいましたね、先生」
「ううん、そんなことないよ。お疲れ様」
サクラコ、ミネ、リエが去って、会議室にはナギサと先生が二人きり。
ナギサは自分の分と先生の紅茶を淹れ直し、小さくため息を吐いた。
「……それで、ミカがどうかしたの?」
「……そういえば、先生にはお知らせしていませんでしたね。実は、明日の午前中に聴聞会が行われる予定となっています。……とはいっても、実際は査問会や審問、裁判と言った方が正しいのでしょうが」
「……ミカの罪について話し合う……っていうことで大丈夫?」
「はい、主にエデン条約やアリウスとの内通に関しての議論が交わされることに……なっているのですが……」
「……どうかした?」
少し言葉が詰まったナギサに、先生は優しく聞く。
淹れたての湯気の立った紅茶を啜った後に、ナギサは小さな声で先生に頼んだ。
「……ミカさんを、説得してくださいませんか」
「……詳しく聞いても良い?」
「……このままでは、ミカさんは退学になると思います」
そう言って、ナギサは少しずつ語り始めた。
「エデン条約以来、トリニティ総合学園の情勢は一層複雑さを増しました。分かりやすく言うのであれば「混沌を極めていた」という感じです。中でも、ミカさんへの世論は苛烈さを増す一方です……」
「そんなにヤバい状況なの?」
「はい。既に自身の属するパテル分派からは追放され、明日の聴聞会ではティーパーティーの資格も剥奪されることが決定しています。……事実として、彼女はトリニティ総合学園を転覆させようとした張本人なのですから」
「……そっか……」
「ミカさんへの断罪を求める騒動は度々発生し、私刑としてミカさんのいる監獄へ石や手榴弾を投げ込む生徒さえ……学園の掲示板にはミカさんへの誹謗中傷が殺到し、彼女の私物……集めていた服やアクセサリーまで燃やされて……昔私やリエさんが一緒に集めたものも……」
「……由々しき事態ってやつか……」
「リエさんがオブザーバーとして主導となり取り締まってはいるのですが、キリのない状態で……既にミカさんはトリニティの公共の敵として認識されています。もちろん、クラスメートの一部の方などそう思っていない方もいらっしゃるのですが……それでも、依然としてミカさんへの風当たりは非常に強い状態です。それをミカさんの自己責任と切り捨てることも出来ますが……」
「そうは、したくないよね」
「……はい。私はミカさんを弁護したいです。明らかに、ミカさんの払わされている代償は多過ぎます。彼女が犯した大罪と比べても。……ですが、ミカさん本人は……」
「……
「……ミカさんは、聴聞会に出席するつもりがないようなんです。……その状態では、間違いなく彼女への罰は必要以上に重くならざるを得なくなってしまう。でも、私には説得が出来ず……」
「……分かった!私がミカと話すよ!それでパパパッと解決してあげる!」
先生は、明るい声色でそう言って、胸をドンと叩いた。
もちろん、簡単に出来ることとは思っていないし、彼女がそう思ってないこともナギサは理解していた。
それでもナギサはその言葉に酷く安心感を覚えた。
「……はい、ぜひお願いします」
「任せてよ!……あとさ、一つだけ良いかな?」
「はい、大丈夫です。……無論、私に出来ることであればですが」
「……誰が、ミカを『裁く』の?」
真剣な顔でナギサに尋ねる先生。
確かに彼女はそれを呟いていたけれど、彼女はその意味を理解してはいなかった。
しばしの沈黙の後に、ナギサはゆっくりと答えた。
「……トリニティの校則では、聴聞会の最終的な結論の決定権を有するのはただ一人と定められています。あらゆる派閥に属さない、トリニティの法の、秩序の頂点であるただ一人に」
「……それって……」
「……はい、最終的な決定権を持つのはティーパーティーオブザーバー『朝比奈リエ』……私とミカさんの幼馴染であり、先生の知るリエさんその人です」
「……何やってるの?」
「……リエ……様……」
いつものように散歩している最中、それを見つけたリエは、監獄の側の生徒達の一人に話しかけた。
「パテルの子だよね?そんな楽しそうに石投げて、何してるのか聞いてるんだけど?」
「っ……リエ様だってあの魔女の被害者でしょう?!」
「そうよ!『魔女狩り』ならさっさとあの女退学にしなさいよ!」
「あの裏切り者をいつまでトリニティに残しておくつもりなんですか?!」
口を揃えてミカを糾弾する彼女らへ、リエは何も言わずにグレネードランチャーの銃口を向けた。
「どういうこと?!なんで私達に向け──」
「
真冬の満月のような、酷く冷たい眼光が彼女らを貫いた。
「トリニティ内で手続きを無視した処罰の執行が認められてるのはオブザーバーだけ……少なくともティーパーティーなら知ってるよね?」
「っ!だけど……!」
「ミカの贖罪はあなた達に罵声を吐かれて石を投げ込まれることって言いたいの?……それとも「罪を裁く為なら罪を犯しても良い」とでも言うつもり?……ならどうなっても知らないけど」
噂でしか知らぬ『魔女狩り』の瞳に睨まれた彼女らは、まさしく蛇に睨まれた蛙のように指一本さえ動かせず、何人かは腰が砕けてその場に崩れ落ちる。
そして投げていた石や手榴弾と共に地面に力なく座り込む彼女らを見下して、リエはグレネードランチャーを仕舞い、その代わりに手帳を取り出した。
「あなた達は……3262459と3262578だから……天嶺ソウコと簑倉ショウだっけ?後は3250276、3251332、3250922……まあ、取り敢えず全員処分は追って伝えるから、楽しみにしてて」
数ページに渡ってビッシリと埋められた学籍番号にいくつかを書き加え、「意外と多いな」とリエは呟いてからその場を去った。
そして彼女が消えた後、その身体が動くようになり始めた者からいち早くその場を去っていった。
スピーカーから流れる聖歌だけが響く檻の中で、彼女はそれに耳を傾けていた。
その中に足を踏み入れた先生を見つけると、彼女は唇の前で人差し指を立てた。
「……」
そして、少しして流れる音楽が止まってようやく、彼女は口を開いた。
「……ごめんね、先生。礼拝の時間だったんだ。今日は賛美歌」
「そうなんだ。……良い音色だったね」
「まあ、メロディは悪くないよね、メロディは。……でも、ここでも強制参加なんてちょっと面倒だよ。見逃してくれたってよくない?歌詞も「ご慈悲を」とか「憐れみたまえ」とか……それ以上に『
「まあ……それがトリニティらしさでもあるし……」
「そうだけど……あ!そうだ!先生にも歌ってあげよっか?ティーパーティーの美声なんて滅多に聴けるものじゃないよ!それに、高い塔に閉じ込められた囚われのお姫様が運命の人のために一曲歌い上げる……絵本だったらすっごく盛り上がるシーンだよ!」
「まあ、ここは地上の檻だけどね!」
「うっわぁ……先生ロマンないなぁ……まあそうなんだけどさ……」
しばらく無邪気な雑談を繰り広げた後に、ミカは少し神妙な面持ちになって先生に問いかけた。
「それで、今日はどうしたの?先生」
先生は、目を瞑って言葉を選ぶ。
そしてほんの少しの間をおいた後に、優しく言った。
「……ミカと、話に来たんだよ」
本音を言うと10いっぱい取ってお気に入りいっぱいもらってランキング乗りたいです
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記録37:説得
「……聴聞会の話……だよね?」
ミカがそう聞くと、先生はこくりと頷いた。
「うん、一通りの事情はナギサから聞いたよ」
「……そっか。ナギちゃん達はどうだった?元気そう?」
「うん、元気だったよ。ナギサは相変わらず目の下にクマ作ってたけど……」
「また無理してるんだ……でも、元気で良かったよ」
紅茶を一杯飲んで、ミカは答えた。
「ミカこそどうなの?調子とか、状況とか……」
「私?私は見ての通りだよ。クーデターに失敗して檻に入れられた大罪人。石も手榴弾も飛んでくるし、罵声もずっと聞こえてくる。控えめに言って最悪だけど……まあ、自業自得だからね。甘んじて受け入れるよ。……でも、私だけじゃなくてティーパーティーへの反感もあれ以来すごく高まってる。もちろんホストのナギちゃんとセイアちゃんもそうだし……何より、この事態を防げなかったオブザーバーのリエちゃんへのヘイトは結構凄いことになってる。でも、リエちゃんは私が聴聞会に出ようと出まいと関係なくどうにかしちゃう。だから、これは私の罰として受け入れる、そう決めたの」
「……でも、このままじゃ退学だよ?良いの?」
「……」
「もう、十分じゃない?」
そう言って、先生はミカの目を覗き込む。
彼女は少し、目を逸らした。
「……ううん、良いよ。私は、これ以上みんなに迷惑を掛けたくない。セイアちゃんにも、ナギちゃんにも、リエちゃんにも」
「でも、聴聞会で最終的に決めるのはリエなんでしょ?なら──」
「「きっと助けてくれる」……そう思ってるの?……リエちゃんは、そういうのは絶対に許さないよ。もちろん、私達にダダ甘ではあるよ?でも、それと同時にリエちゃんは絶対的に『正しい』の。誰が相手であろうとも正しく、平等に裁く……その結果が『魔女狩り』で、現在の『朝日奈リエ』の地位に繋がってるんだろうね」
「……でも……」
「もちろん、先生みたいに考える子も少なくない。実際、ティーパーティーでは
「……それだけ信頼されてる……?」
「……そういうこと。ハスミちゃんもサクラコちゃんもミネちゃんも……三人ともリエちゃんと1年生の頃からの仲で、性格も、幼馴染が大好きなのもよく理解してて、それでもリエちゃんなら正しい判断を下せるって考えたんだよ。それだけ、リエちゃんは積み上げた信頼は並大抵のものじゃないし、リエちゃんはそれを裏切るような人間じゃない。……だけどさ」
「……」
「例えリエちゃんが正しい判断を下すとしても、どう思うかは別でしょ?大好きな幼馴染を自らの手で捕まえて、自らの手で檻に入れて、自らの手で裁く……そんな残酷なお話そうそうないよ。私は、幼馴染にそんなことさせたくない。……だから、最後は会わずに終わりたいの。こんな大罪人は許されなくて良い、きっと許されない。……だから……だから私は……」
話し続ける中で、次第にミカの目からはポタポタと涙が溢れ始めた。
「……リエちゃんとナギちゃん……三人で集めた思い出も……燃やされちゃったけど……まだ……私はきっと……セイアちゃんも……私のこと……」
「セイアは、もうミカを許してるよ。私が保証する!」
「……ううん、そんなはずないよ……だって……何度謝ろうとしたって……この前も……私……」
ミカは泣きながらゆっくりと、絞り出すように語り始めた。
「セイアちゃん、お肌ガサガサじゃない?ちゃんと眠れてる?私の保湿ジェル使う?」
正義実現委員会が立ち会う中、ミカはセイアの下を訪れていた。
とても謝罪する人間の態度ではないようにも思えるが、彼女は本気。
ただ、これしか話し方が分からないだけ。
本人なりに気を使っているつもりではあった。
「……あ、あのさ、セイアちゃん……もし良かったら……その……い、一緒にご飯でもどうかな?ご飯って言っても檻の中でロールケーキ食べるだけなんだけど!まさか本当に三食ロールケーキにされるとは思わなかったんだけどさ……」
「ミカ、すまないのだが今は……」
「……そ、そうだよね?やっぱりまだ……」
「体調も未だ万全とは言い難い状況でね、すまないが席を外してもらえるだろうか」
「う、うん。……ごめんね」
「……本当に?」
「……うん。セイアちゃん、最近はずっと部屋にこもってるし、誰にも会ってないみたい。一部では「寝たきりなんじゃないか」って噂まで出てきて……まあ、セイアちゃん元々身体が弱いから」
「……それは……私でも少し心配になるけど……」
「それに、他にも悪い噂ばっかり。部屋から夜な夜なすすり泣く声が聞こえるとか、替えの服が血まみれになってるとか……だから、私も多分……許されてないんだろうなって……」
「おかしいな……私は確かにセイアから聞いたんだけど……」
「……ありがとね、先生。でも、私はこれで良いの。セイアちゃんには一生恨まれたって仕方ないことをしたし……私も……「ごめんね」さえ言えてないから……これ以上、セイアちゃんに何かあったら私は……私まで自分を許せなくなる……」
「……分かった!私がセイアとも話してこよう!」
そう言って、先生は笑った。
「う、嬉しいんだけど……ほ、本当に良いの?」
「もちろん!……「ごめんね」が言えないのが辛いことは、よく分かってるから!」
「……!」
「それでセイアにちゃんと謝って、リエを信じて、みんなで一緒に明日の聴聞会に出よう!」
「……ま、待ってよ先生……なんで私のためにそこまで……もう……泣くつもりなんてなかったのになんで……」
「……私言ったでしょ?「ミカの味方でもある」って!」
「……分かったよ、先生。そこまで言うなら……みんなと一緒に、聴聞会に行く」
ミカがそう言うなり、先生は思いっきり彼女のことを抱きしめた。
「これで決まり!ありがとね、ミカ!」
「……もう、くすぐったいよ。それにお礼を言うのは私の方。……檻の中のお姫様にもチャンスは与えられるんだ……」
「……何か言った?」
「ううん、何でもない。……それじゃあ、セイアちゃんをよろしくね!先生!」
「サクラコ、そっちはどう?」
「……あまり目ぼしい情報はありませんね……」
リエはサクラコ、そして図書委員会委員長の古関ウイの力を借りて、アリウスの情報を集めていた。
窓の縁に座り、ひたすらにページを捲り続ける。
まるで一度読んだ小説を読み返すかのようなスピードでリエは分厚い古書を読み進めた。
彼女もサクラコやウイ、ハナコ程ではないが、一応古代語に関する技能もそれなりに備えている。
「あ、あの……情報収集は良いんですけど……窓、閉めてもらえませんか……眩しい……」
「ウイいっつも閉め切って閉じ籠もってるんだし、少しくらい換気すれば?今は本の状態に影響が出るほど湿ってもないし」
「はい、リエさんに同意します。今の状態はあまり健康に良いものではないかと」
「……うう……私は別に……」
アリウスに関して何かが引っ掛かっていたリエは、同じく疑問を抱いていたサクラコとともに古書館を訪れていた。
そこは『古書館の魔術師』の異名を持つウイが引き籠もって古書の解読や修復に勤しんでいるため、そこなら手がかりが掴めるだろうと彼女達は踏んだのだ。
「……他には……」
「……いえ、後はもう……一旦戻りましょうか……」
「……そういえば、シスターフッドから依頼されていた子の修復出来たので帰るなら持って行ってあげて下さい……」
「……ちょっと借りるね」
大聖堂の地下で見つかったという、大きさで言えば教科書くらいの、少し小さめの古書。
相当劣化していたようで、ウイが修復してもなお、ところどころが欠けている。
「……えっと……読みづらいかもしれませんが……私でもこれが限界で……」
「……いえ、これでも発見時の状態を考えれば凄まじい仕事です。……流石ですね、ウイさん」
「流石に私は辞書がないと厳しいかな……っと」
そう言って、リエは分厚い古代語辞書を片手にその古書を開く。
内容から察するに、過去のシスターフッド……即ち、『ユスティナ聖徒会』の日誌だった。
「……これ……」
「はい、アリウスが追放されるまでの……」
「は、はい……少し物騒な子だったんですが……私も初めての内容で……」
三人の持てる知識を総動員して中身を必死に噛み砕く。
それなりにある訛りに苦戦しながらも読み進めていくと、当時のユスティナ聖徒会所属の2年生がアリウスの追放の過程を記したものだということも判明するなど得られる情報はかなり多かった。
「……だけど……これだけ苛烈な迫害から……どうやってアリウスは……?」
「……!リエさん……この部分を……!」
そう言って、サクラコは日誌の最後の方を指差した。
ただ、アリウスの最期について記しただけのようにも見えたが、一つだけ、見慣れた単語が目に入った。
「……『オブザーバー』……?何で……」
限界まで脳みそをフル回転させて、虫食いになった文字列を埋める。
そして数分が経った後に、リエは息を呑んでそれを読み上げた。
「……「オブザーバーと協力してアリウスを匿い、カタコンベの向こうへ逃した」……?」
「……?!……本当です!別の資料に「一部の生徒はアリウスとともに姿を消した」と……!」
「ど、どういうことですか……?ユスティナ聖徒会はアリウスを弾圧してたんじゃ……」
リエは目を瞑り、必死に考える。
当時の状況、ティーパーティーの選択、ユスティナ聖徒会の行動、そしてその時の
ようやく納得の行く答えが出た後、リエは「そうか」と呟いた。
「……これが、彼女の責務だったんだ」
古書館からの帰り道、日も暮れる中で二人は話していた。
「……では、アリウスを逃したのは彼女なりの贖罪だったと……?」
「……多分。トリニティの暴走を『
「……そうだったのかもしれませんね。……それで、これからどうするのですか?」
「取り敢えず、古跡でも調べてくる。もう少し、彼女達について知りたいから」
丁度、広場の噴水前。
大聖堂と校門、それぞれへの道はここで分かれている。
「……それと明日は、大丈夫なんですか?……明日の、聴聞会は」
「……ミカのこと?……うん、大丈夫。……覚悟なんて、
「……分かりました。……どうか、あなたに恩寵があらんことを」
「じゃあね、サクラコ」
そう言って、サクラコが見送る中をリエは駆け出した。
あっという間に、見えなくなった。
ティーパーティーお互いのこと好き過ぎ
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記録38:夢
「セイア、いる?……それとも、寝てる?」
先生は、頑丈に閉ざされた扉をなんとか開き、パチンと部屋の電気を入れた。
真っ暗だった部屋の真ん中にはオーロラを思わせるかのような天幕の掛かった大きなベッド。
明かりがついたことに気がついたセイアは半分くらい夢現になりながら天幕を捲った。
「……先生?」
「……大丈夫?顔、真っ青だよ?お茶とか飲む?」
「……先生は無事……ならこれも私の夢……幻……或いは虚ろな現実……?……いや、今となっては──痛っ?!」
「正解は現実でした!」
ぼーっと呟いたセイアの頬を抓り、先生はニコッと笑った。
「全く、荒療治だね」とセイアも少し微笑んで、それから少しずつ話し始めた。
「……申し訳ない。最近は以前にも増して境界が曖昧でね……過去、現在、未来、その全てが同時に川のように流れ続け、それに身を浸しているような……いや沈められてるような……でも気に留めるほどのことじゃない。おかげさまで、少し目が覚めたよ」
「そっか。……みんな心配してたよ。何かあった?」
「何かあった……まあ、そうだね。有り体に言えばそうなると思う。……信じてもらえるかは分からないが、先生、君になら打ち明けても良い」
「……大丈夫、生徒の言うことを疑ったりしないよ」
そう言って、先生はは彼女の手をギュッと握る。
その温かみにここが現実であることを再確認して、彼女は意を決して打ち明けた。
「……キヴォトスの、終わりを見た」
「……キヴォトスの……終わり……?」
「ああ、それが終焉の先なのか、或いはそれを迎える最中なのかは分からないが……それは『終わり』と言って差し支えない光景だった。真っ赤に、まさしく血のように染まった空からは幾つもの黒い柱が飛来し、この世界を抉り、その破片は嵐のように宙を舞いそして真っ黒な光が降って……そして全ては虚空へ消えた。何一つ、誰一人残ることなく」
「……」
「……これが悪夢か、未来の脅威か、過去の惨劇か……私には何も分からない。だけれども、一度知ってしまったからには目を逸らす訳にも行かず……私は真相を求めて明晰夢を渡り歩いた。それが現実を犠牲にすることは重々承知の上でね。……その結果が、今の私と言う訳だ」
「えっと……大丈夫?かなり危なくない?」
「……少なくとも、否定をすれば偽ることになるんだろうね。それでも、逃げたくはないんだ。……君に教えられたからね。……あれは、キヴォトスの中の脅威じゃない。外部より齎された、理解も、推測さえ及ばぬ異物……あれを招いたのは、おそらく『ゲマトリア』。……彼らが、終末というエンディングを望んだのだと私は考えている。……だけど、一つくらい方法が──」
「セイア」
話し続けるセイアを、彼女は遮った。
「……そんなところ、一人で踏み込んじゃダメだよ」
「ああ、確かにあの集団と関わるのは……」
「だから、
「……先生……?」
「それに、セイアはそんなことよりも先に、向き合うべき問題が残ってるんじゃないの?」
しばし目を瞑ってセイアは考える。
そして、小さく息を溢した後に言った。
「……そうだね、優先順位を履き違えていたよ。……これ以上、浅はかな友人に間違いを重ねさせる訳にも行かない。彼女は……ミカは、人生のどん底だ。何を望んでも与えられ、何をしても褒め称えられ、何を言っても取り巻きが集まる……まさしく、童話の中のお姫様のように。それが、唐突に世界の敵になった。無論、彼女に落ち度があるのは間違い無い。……だけど、その運命は彼女一人に負わせるには些か過酷過ぎる。……ありがとう、先生。改めて、目が覚めたよ。……私は、彼女を救わなければならない」
「……ありがとね、セイア。それと、ミカが謝りたがってたよ」
「謝る……そうか、それは夢で……こちらでは、まだだったか。……まだ、ミカは私に許しを求めてるのか……」
セイアはまた、思い返すように目を瞑った。
「……敵役の一人に過ぎない、傲慢で生意気で分別のつかない悪役令嬢がお似合いだったのに。……君は……童話の主人公のお姫様に憧れて……その果てに童話ではなく寓話の存在へと落ちてしまった。……だけど、彼女はそれだけは失わなかった。……私を殺し、『人殺し』という業を背負うまでは至らなかった。……それだけが、君の救いなのかい?……お互いに半分大人の世界へ踏み込んでなお「ごめんね」とさえ言えないとは……寓話の存在は、君だけじゃなかったみたいだ」
「……大丈夫だよ。きっと、また物語のような、輝かしい……夢のような日々に戻れる。そしたら、また四人でお茶でも飲みなよ」
「……そうだね。そこが、私達のゴールなんだろう。……分かった。今すぐミカと会おう。それで、私も明日の聴聞会に同行する。おそらく、ミカの罪状の中で最も重いのは私へ危害を加えたこと。……なら、被害者である私がいたら、リエも少しは軽い判決を下せるだろう」
そう言って、セイアは手元の鈴を鳴らす。
コンコン、と部屋のドアがノックされ、サンクトゥスの行政官が姿を現した。
「お呼びでしょうか、セイア様」
「ああ、至急ミカを連れてきてくれたまえ。二人きりだとなお良い。……あまり、人に聞かせる話でもないからね」
「承知しました。リエ様は……現在外出中ですので、ナギサ様へ確認を取ってきます」
「ああ、よろしく頼む」
一礼した後、彼女は早歩きで本館の方へ戻って行った。
それを見て、先生も椅子から立ち上がる。
「……じゃあ、私もこれで。ナギサに報告しないとだからね!」
「ああ、聴聞会でまた会おう、先生」
セイアに別れを告げ、ティーパーティーの執務室へ向かう先生。
丁度その時、彼女のスマートフォンに見知らぬアドレスからの連絡が届いていた。
差出人は『錠前サオリ』。
「──それでは、次の議題について」
「そういうこった!」
「その前に一つ」
ミカが来る前に、少しだけ休もうとベッドに戻ったセイアが次に見たのは真っ暗な部屋の会議だった。
「また明晰夢か」とセイアはため息を吐いた。
「どうかしましたか?マエストロ」
「……ああ……」
僅かに見えた彼らの姿に、セイアは気がついた。
真っ黒なスーツに、ひび割れたマスク。
タキシードを身に纏った双頭の木偶人形。
「そういうこった!」と繰り返す、コートを来た首無しの男。
彼が抱える絵画の中で後ろを向く、帽子を被った肖像。
頭部に無数の目を携え、白いドレスを纏った赤肌の貴婦人。
「ベアトリーチェに質問がある」
「……はい、何でしょう?」
ゲマトリアだった。
夢の中だと分かっていても尚、彼女は息を呑まずにはいられなかった。
「貴下の要請で私が作品を貸し出したのは忘れているまいな?戒律の守護者達を複製し、助け舟とした件だ」
「もちろん、忘れることなどありません。あなたのおかげで、私は私の領地内での力をより強固なものに出来ましたから」
「……そのような利用、私は許可した覚えがない。作品のそのような利用は認めていないはずだ」
「あら、あの『現象』の所有を主張するのですか。マエストロ」
「不躾だな。それは──」
「不躾?この私に不躾と?」
「……お二人共、少し落ち着いて下さい。事を荒立てるのは賢明とは言い難いです」
「そういうこった!」
「……それで、おそらくマエストロはありふれた現象から有り難い解釈を導くことを自らの表現だと考えているのでしょう」
「……」
「しかし、マダムはそれを考えるつもりはない。当然です。私達はそれぞれ違うアプローチでこの世界を紐解こうとしているのですから」
「……つまりは、マエストロは私に武器を奪われたと考え、それが気に食わないと?」
「……否、芸術は武器たり得るかもしれないが、武器は芸術たり得ない」
「仰る通りです。それが何か?それに、あなただけではありません。黒服の
「……」
「……」
「私はあなた達の芸術に興味はない、それは『ゲマトリア』に加わる始めから主張し続けているはずですが」
「クックックッ……その通りです。それはそれで構わない、それが私の考えです。身内の争いこそ生産性がないかと。……彼女の持つ『領地』こそこの計画に必要不可欠なものですから」
「……『アリウス』、その全てを自らの支配下とする……それは、成し難い偉業と言って差し支えないでしょう」
セイアは目を見開いた。
「アリウスはゲマトリアに支配されている」……その事実が、脳の隅々まで一瞬で行き渡る。
「黒服のアビドスは残念でしたが……いえ、皮肉のつもりはありません」
「ククッ……結構です。それなりに良い所までは進めたと思ったのですが……『先生』は計算外でした」
「……『先生』……例の方ですか。私達の敵対者」
「そういうこった!」
「いえ、あの者と対敵する必要はないでしょう。むしろ私達の仲間として引き入れた方がメリットは大きくなる」
「ああ、私としても大変素晴らしいものを感じる。きっと彼女こそ……私達の芸術を理解するに足る者に違いない……」
「私はまだ保留とさせていただきたいですが……もし彼女が仲間として加わってくれるのならば──」
「愚かで怠惰、それでいて浅はかという他ありませんね。彼女は必ず排除すべき存在です。……分からないのならば、一からご説明しましょう」
「……」
「まず、聖園ミカがアリウスを訪れて以降、彼女は非常に良い働きをしてくれました。そう、私に大きなインスピレーションを与えてくれる……ミューズと言っても良いでしょう。エデン条約を利用することも、『預言の大天使』の殺害も、全て彼女のおかげです。……そのための力を貸してくださったデカルコマニー……いえ、ゴルコンダにも感謝を」
「そういうこった!」
「私はテクストを提供したのみです。実現に至らせたのはマダムですよ。むしろ、これは失敗に至る一ピースでもあったのですから」
「そうかもしれません。……ですが、生贄に備えた防御システムのおかげで九死に一生を得ました。黒服にも感謝致します」
「……クックックッ……無名の司祭の技術が役立って何よりです」
「そして、彼女が私に与えた最後のインスピレーション……それが、彼女……『シャーレ』の『先生』です。彼女がトリニティに招かれたおかげで、私はその存在について考察する余地を得た。……私がアリウスを狙った理由、それは秘匿性の高さに他なりません。満ちていた『怒り』『恨み』『憎悪』など取るに足りないもの。全て、アリウスの全ては私にとって道具でしかないのです。……しかし、あの者が介入した瞬間、全ては意味を持ってしまう。私の持つ全ての意味が塗り替わる。……最大の危険要素を無視することなど誰が出来ましょうか」
「……」
「ですので、私の最初にして最大の目的、それこそが『先生』を消すことです」
「……なる程、まさしく敵対者と言ったところですね……」
「ふむ……」
「私の計画が気に入らなくても、あなた達に関係はないでしょう?私達は各々の目的を共にいるのみなのですから」
「……ええ、その通りです。思うがままに為すと良いでしょう、ベアトリーチェ」
「……」
「……」
「ですが、結局あなたが計画について語ることはありませんでした。……あなたは、アリウスで何を為そうとしているのですか?」
「……祭壇を用意致しました」
「……祭壇……」
「あなたがアビドスで為そうとしたこと、それと大差はありません。私は契約などという手には拘りませんが」
「……なるほど、契約ではなく儀式を……本来、その二つに明確な境界など無いとも言えます。……その上で、先生はあなたの邪魔になると?」
「はい、その通りです。……ですがご安心を。既に手は打ってありますので。……あとは『スクワッド』にお任せ致します。「先生を殺せば全て許す」と提案しましたから」
「先生が──?!」
ベアトリーチェの言葉に反応し、セイアは思わず声を出した。
「あなたが深淵を覗く時、深淵もまたあなたを覗いているのだ」、その言葉の通り、セイアがそれを観測しているということは、それもセイアを観測できるということ。
セイアの額を汗が伝った。
「……どうやら、ネズミが紛れていたようです」
「……?!」
「ここに?ここには我々以外……」
「長話が過ぎました、私はこれで失礼します」
真っ暗闇から目を覚ます。
意識がふわふわと原型を保たぬ中、セイアは情報を必死で結びつける。
アリウスに残されていた謎、その全てに。
(……もしスクワッドが……先生を狙っているなら……誰かに……誰かに早く……!)
ゴホゴホと咽て余った袖で口元を押さえると、そこにはベッタリと真っ赤な血痰が。
それでも彼女は必死に解決策を探して思考を回す。
(私が狙われて……エデン条約が崩壊して……みんなが怪我をして……先生に危機が迫ってるのも……全て……全て……)
「えっと……その……こ、こんにちは……セイアちゃん……」
「……君のせいで……君のせいで先生が……スクワッドに……!君が先生を連れてきたから……!」
訪れた彼女を見て、セイアは反射的にそう言ってしまった。
「……いや、違う……そうじゃない……そうじゃない……!」
綱渡りを踏み外したような感覚に気が付き、訂正したのは身体が言うことを聞かなくなってから。
暗くなっていく視界の中、最後にセイアが目にしたのは、光を失った、自分が光を失わせたミカの綺麗な瞳だった。
ちょっと長い文章も楽しい
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記録39:崩壊
「なんで?なんで?……どうして……こうなっちゃったの……?」
セイアが倒れていたその場所からただの一歩も動けずに、ミカはその場で嗚咽した。
ただ胸の中を延々と反響し続けるのは「君のせいで」という彼女の言葉。
その後は何も聞こえず、ただミカはドタバタと人が右往左往する中で項垂れていた。
「セイア様の容体は?!」
「ダメです!出血も痙攣も一向に収まりません!」
「救護騎士団……ううん、誰でも良い!シスターフッドでも正義実現委員会でもどこでも良いから応急処置の方法を──!」
「ナギサ様とリエ様は?」
「今病院へ向かってる!リエ様も外出先からもうすぐ戻って来る!」
「先生は?!」
「ダメ!連絡取れません!……まさか先生にも何か……?!」
「そういうの今はやめて!とにかく出来る限りそれぞれに連絡し続けて!」
「犯人は誰?!あの女?!」
「ま、待ってよ!今回はミカ様は何も……!」
「彼女がセイア様の部屋を訪ねたからこのようなことが起きたのでは?!あの女が何かしたに決まってるでしょう!」
「今回はセイア様からの要請です!私が保証します!」
「おい出てきなさいよ人殺し!どんな面してトリニティにいるのよ!」
「ここで争ったって何にも!」
「うるさいアンタは黙ってて!どうするつもりなのよ聖園ミカ!」
部屋の前に集まった野次馬が、ミカに罵声を浴びせる。
実際には擁護する声もあるのだが、そのような声は揃って罵声に掻き消されてしまう。
ガンガンと強く頭の中に響く声の中、一際大きいそれが彼女の心臓を貫いた。
「この魔女が!!」
外は、雨だった。
古跡群と廃墟地帯の間くらいの路地で、彼女は先生を待っていた。
「サオリ……?」
「……」
降りしきる雨の中傘も差さずに、彼女は先生を見つけるなり銃を下ろして膝を突いた。
帽子が、水溜りに落ちた。
「な、何やってるの?!」
「……アツコが、連れて行かれた……」
「アツコ……あの子が?!他の子達は?!」
「……他の仲間も、アリウスの襲撃で散り散りに……生きてるかも分からない……。……あれから何日も逃げて……。……私では……無力だった……。……ここままじゃアツコは、姫は殺される……。……明日の夜明けに……『彼女』に生贄にされてしまう……」
「生……贄……」
「……私の話など信じられないだろうが、これだけは嘘じゃない。……アツコは最初から……生贄にされるために……。……『彼女』は……助けたいなら自分に従えと……エデン条約を歪め、ユスティナ聖徒会を掌握し、トリニティを制圧できたら……全員助けてくれると……」
「……」
「……だが……私は失敗した。……アリウススクワッドは任務を遂行できなかった……。エデン条約も、トリニティも、ゲヘナも、何も……。……私は……仲間も、アツコも、全て……力不足で……何も守れなかった……」
「……」
「……私にはもう何も、誰も、アリウスにさえ仲間はいない……頼れるのは……先生しか……」
「……」
「……私の命を賭ける、なんだってやる。……『ヘイローを破壊する爆弾』だって……先生に……。……信用できないと思ったら、いつ使ってくれても良い。……だから……頼む……どうかアツコを……姫を……助けてくれ……」
「ああ、そっか……全部私のせいなんだ……そうだよね……こんなバカ……セイアちゃんが許してくれる訳ないもん……チャンスがあるなんて……明日が来れば、セイアちゃんと、ナギちゃんと、リエちゃんと、先生と……ハッピーエンドになるなんて思ってた……私がバカだったんだ……」
罵声さえも耳に入らず、ただミカは涙声で独り言を吐く。
「……私がバカだったから……アリウスに騙されて……『アリウススクワッド』に……錠前サオリに利用されて……そのせいで……これじゃあまるで……」
「ねえ!もう止めなって!ミカ叩くのもいい加減にしなよ!」
「「「魔女が!!」」」
「……『魔女』みたいじゃん……」
鋭い罵声と、ミカの言葉が重なった。
「……ああ、もう良いや。こんな簡単だったなんてさぁ……」
震える身体を無理矢理起こす。
光の消えた目に、別の悍ましい何かが燻り始める。
「セイアちゃんのヘイローを壊そうとして、ナギちゃんとリエちゃんにミサイル撃ち込んで、先生を傷つけて……あっは、そうだよ!」
涙は、もう止まっていて、代わりに狂ったように彼女は笑う。
「全部全部ぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶぜーんぶあの女!!みんなが傷ついたの!みんな傷つけられたの!あなただけ逃げおおせてるなんておかしいよ!同じ分だけ!同じように!あなたも傷ついてよ!あなたの大切なものもぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶ!」
行き場を失って尚湧き続ける感情を吐き出して、彼女は満面の笑みで高らかに叫ぶ。
「そうでしょ?!錠前サオリ!!!」
「おい、離せ!……出てこい聖園ミカ!」
「今こんなことしてどうにもならないでしょ!それより──」
突然だった。
彼女達の目の前の壁が崩れた。
恐る恐る目を開くと、廊下には瓦礫と、床に突き刺さった大きな大理石のテーブル。
そして、舞い上がる粉塵から一つの人影が姿を現した。
「……あ!ねえねえそこのあなた!私の銃、何処か知らない?」
「ヒッ……い、一階の押収室に……」
「オッケー!ありがとね!」
彼女は狂った笑顔のままテーブルを持ち上げると、子供がメンコで遊ぶかのように地面に叩きつけた。
天性のものとしか言えない膂力が外れた感情のストッパーによって異常な光景を引き起こす。
叩きつけられた床には瞬く間にヒビが奔り、彼女は崩落と共に姿を消した。
「……み……聖園ミカ……聖園ミカが……聖園ミカが脱獄した!!」
「……立ってよ、サオリ」
「……だ、だが……」
「早く立って。そんなにびしょ濡れだと風邪引いちゃうよ。……それに、私は生徒と対等に話せる先生でありたいな」
先生がそう言うと、彼女はおもむろに、それでいて少し申し訳無さそうに立ち上がった。
「最初になんだけど、『彼女』って誰?」
「『彼女』は……アリウスの代表で、アリウスの主人。私達は『彼女』と呼ぶし、『マダム』と呼ぶ生徒もいる。……私も、何回か見ただけだ。背が高く、赤い肌に白いドレスを纏った……大人だ」
「大人……?」
「……名は『ベアトリーチェ』。……私よりも、姫がよく会っていた」
「……あと、他の『スクワッド』は?」
「……分からない。まだ、アリウスに追われてるかもしれない……」
「……えっと……アツコは何処にいるの?」
「アリウス自治区の一角……『アリウス・バシリカ』、その地下に『彼女』が作った至聖所がある。……おそらくそこに。それ以上は私も分からない。……ただ、夜明けとともに姫は生贄に……」
「……分かった」
先生はそう言うと、バッと傘を投げ捨ててサオリを抱きしめた。
「大丈夫!一緒に行こう!サオリ!」
「……良い……のか……?私に……手を貸すと……?」
「誰であろうと生徒は生徒!助けてほしいなら断る理由なんて無いよ!」
「……それだけ……?ただ……『先生』だから……?……わ、忘れたのか?!私はお前を──!」
「うん、撃ったよ。それで?私は生きてるし、こうして動ける!傷も教師の華だよ!」
「わ、私はお前を殺そうとしたんだぞ?!今だって本当は殺そうとしてるかもしれない!なのになんで……」
「……あ、爆弾だけは没収するからね!」
「あ、ああ。そうだったな」
サオリはコートの内ポケットから車の鍵程度の大きさのスイッチを取り出し、先生に手渡した。
「爆弾!本体も!」
「ば、爆弾も?なんで……」
「良いから!」
そして新しく取り出した爆弾も一緒に差し出したサオリ。
彼女はそれを受け取るなり、近くの雨水の溜まったドラム缶に投げ入れた。
「ナイスシュート!!」
「な、何をしてるんだ?!」
「生徒が危ないもの持ってるのに見逃すわけ無いでしょ!」
そして彼女はカバンからシッテムの箱を取り出して、サオリに告げる。
「さて、サオリ!早く出発しよう!」
「ま、待て!なんで、先生はなんでここまで……」
「全部終わったら教えてあげる!ほら、行くよ!」
二人は、水溜りを踏みながら日も暮れる街を走り出した。
実はヒスってるミカ好き
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記録40:アリウススクワッド
「ヒヨリ、大丈夫か?!」
「……り、リーダー……無事だったんですねぇ……」
アリウスの雑兵を蹴散らして、サオリはヒヨリの下へ駆け寄った。
彼女は少し戸惑ったような、だけど嬉しそうにスライムのような笑顔を浮かべた。
「……取り敢えず怪我はなさそうだね、安心したよ!」
「はい、何とか……って……え、ええっ?!ななな、何で先生がリーダーと一緒に?!」
「それは……」
「あ、そういうことですか……とうとう私にも天罰が下る日が来てしまったんですね?や、やっぱりもうダメだ……。……そうですよね、よくよく考えなくてもあんなことされたら自分で手を下したいですよね……」
「……えっと……?」
悲観的思考のスイッチが入ったヒヨリに、先生は困惑の顔を浮かべる。
けれど、そんなことお構いなしにヒヨリはつらつらとまくし立てた。
「私達を捕まえてシャーレの地下牢に閉じ込めるつもりなんですよね……どれだけ泣き喚いてもその声が外に漏れることは無いという禁忌の場所に……そこでアリウスなんて比じゃないくらいの拷問をされて、アリウスに関するありったけの情報を吐かされて……その後は……うわぁぁぁん!!嫌です……まだやりたいことも読みたい雑誌も沢山残ってるのに……うわぁぁぁん!」
「……その……」
「……ですが何故リーダーが……ああ、そういうことなんですね……リーダーも先生に脅されて……辛い人生ですよね、やっぱりこんなの……」
「ヒヨリを、助けに来たんだよ」
「……。……え、ええっ?!な、何でですか?!何で私なんかを……あ、先生も記憶喪失なんですか……?私達が誰だか分からない……とか……?」
「そういった事実はない。彼女の言う通りだ、ヒヨリ。先生は、私達を助けてくれる」
「……?!」
「話は全部サオリから聞いた。ヒヨリも、アツコを助けたいんだよね?」
「……!そ、そうでした……姫ちゃん……」
アツコの事を思い出し、ヒヨリは少し項垂れた。
「……ほ、本当に私達で……姫ちゃんを助けられるんでしょうか……?そ、それに……私は……」
「……どうかした?」
「……リーダーの居場所を教えたら……アリウスに戻してくれると……『彼女』が……」
「……何だと?」
「わ、私は……その……リーダーに従っただけだから……情状酌量の余地があると……へへ……」
「……分かった。なら、そうしてくれ」
「……え……?」
「私の居場所を伝えて、アリウスに戻れ。そうすれば、お前に迷惑は掛からない」
「え、え?!いや、私は……」
「いつかはこうなると思っていた。……ここまで、よく付き合ってくれたな」
「あ、あの……もう断ったんですけど……」
ヒヨリの言葉に、サオリは少し黙って驚いたような顔をした。
「……な、何ですかその目……というか裏切り者に理解を示す憎めない悪役みたいなムーブ……そんなに私裏切ると思われてたんですか……アズサちゃんが裏切った時はあんなに怒ってたのに……」
「……それは……」
「そもそも私達はもう仲間どころか運命共同体みたいなものですし……私一人でアリウスに戻ったところで生きて行けませんし……だ、だからみんなで姫ちゃんを……アツコちゃんを助けられるならそっちの方が……」
「……ヒヨリ……」
「そ、それはリーダーもそうなんですよね?!だから私を助けに来たんですよね?!」
「……ああ、そうだ。……詳しい話は集まってからだ。次はミサキを探さないと」
「ミサキ……あ、あのロケットランチャー持ってた子?」
「は、はい。ミサキさんなら先生にもう少し詳しくこの状況を説明出来るかと……多分、あそこですよね」
「ああ、恐らくな。……付いて来てくれ、先生」
サオリは帽子を被り直し、先生に声を掛ける。
その後に続いてヒヨリは対物ライフルの入った大きなケースを背負って立ち上がった。
「で、では……あっちの方です……」
「うん、すぐ行こう!」
「……」
「こ、ここなら多分……」
「……この橋……二十年くらい使われてないんじゃない……?……かなり高いし……」
「それに、水深も5m以上ある。流れも速い。……落ちたら楽に死ねると思うよ」
「……!あなたは……!」
「……ミサキ」
下を覗き込んだ先生の後ろに、彼女は立っていた。
「リーダーにヒヨリ……それに先生……そっか、そうしたんだ、リーダー。……それを選んだリーダーもだけど……それを受け入れた先生も先生だね。予想は外れかな」
「予想……?」
「……知ってる?先生、私達は先生を始末すればアリウスに戻れる」
「……私を?」
「うん。リーダーも、ヒヨリも同じことを言われたはず」
「わ、私は少し違いましたが……」
「……ああ、確かにそう言われた。「先生を始末すれば、私達の裏切りを許す」と」
「……それで、先生はいつ背中を刺されるかも分からないのに私達を信じるの?……自分を撃った人間を?」
ミサキは冷たい目で先生に問いかけるが、彼女はそれを一笑に付した。
「当たり前じゃん!サオリが裏切ってたらとっくのとうに私死んじゃってるもん!」
「……そう。そっか。……まあ、私は何も変わらないんだけど」
その答えを聞いた彼女は、橋の縁へスタスタと歩いていく。
「待って、落ちるよ?!」
「私達に姫は救えない。アリウスに潜り込んで、それでどうやってバシリカまで辿り着くの?三人でアリウスの全てと戦うとでも言うつもり?日が昇るまでに?……私達だけで『彼女』を倒すのは無理。例え
「……」
「……苦痛に塗れた姫の人生をこれ以上引き伸ばしてどうするの?……さんざん理解したでしょ。『全ては虚しいものだ』、それだけが真実なんだよ。リーダー」
「……」
「……それとも、先生はこの答えを知ってるの?」
「ダメ!それ以上動いたら……!」
「……これ以上口を開くな、ミサキ」
飛び降りようとしたミサキを、サオリは一喝した。
「それで?苦痛だらけのお前も幕を下ろしたいとでも言うつもりか?……そんな脅迫が私に通じるとでも思ってるのか?」
「……」
「飛ぶなら飛べ、ミサキ。私もすぐに追いかけてお前を助ける。例え沈むための細工をしていたとしても問答無用でな。それで意識を失っても、私は何度だって心肺蘇生を繰り返す。……私は、絶対にお前を死なせはしない。……今までのようにな」
「……?!それって……」
その言葉の意味を先生が理解すると同時に、彼女はため息を吐く。
そして諦めたミサキはようやくサオリと目を合わせた。
「……まあ、自信はないかな。……分かった、それがリーダーの命令なら従う。今回も最後までお供するよ」
「……ああ、頼んだ」
「はあ……何とか何とかなりました……」
「……行くなら早く行こう、リーダー。あと90分しか無い」
「ちょ、ちょっと待って!さっきは日の出までって……!」
「……それ以前に、90分後……午前0時になったらアリウスの入り口は切り替わって使えなくなる。……急ぐよ、先生」
ミサキの言葉に頷いて、四人はその入口の入口たるカタコンベへ向けて走り出した。
アリウス救済は絶対に成し遂げます
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記録41:再会
「……それで、さっきの話、もう少し詳しく良いかな?」
時刻は23時手前。
星光の差す古跡群を駆けながら、先生はミサキに問いかけた。
「……アリウス自治区へはトリニティの地下に広がるカタコンベを通らないと行けない。その入口は全部で300、だけどその殆どが偽物。間違えたら、一生カタコンベで彷徨う羽目になる」
「ああ、だからアリウスではその入口とカタコンベのルートを暗号で連絡している。……カタコンベは、一定周期で中身が変わるからな」
「……中身が……?」
「そう。この前は通れたはずの道が行き止まりになったり、方向を見失ったり……まあ、前の道を当てにすると迷子になるってこと。どんな仕組みかは分からないけど……まあ、入るたびに中身の変わる大迷宮とでも思って」
「はい……ですが今の私達にはどれが正しい入り口なのか分からないので……」
「ああ。逃げた猟犬に帰り道を伝える必要などないからな」
「で、ですがまだ一つだけ……使えるはずの入り口が……」
「……でも、それも今日中。だから、あと一時間くらいしかない。もし間に合わなかったら……」
「……もう、アリウスへは戻れない。アツコを助けるなど不可能に──」
そう言いかけたサオリのコートを弾丸が掠める。
「いたぞ!『スクワッド』だ!」
「やはりここに来た!総員、戦闘準備!」
「……やっぱりね」
「ああ、こちらも戦闘準備だ」
「は、はい!」
「……みんな、やろう!」
「……手負いの猟犬の意地、その目に焼き付けてやる」
「あ、あれ……?ずいぶんあっさりと……?」
「……なるほど、これが大人の……先生の力?……これなら、もしかするかも……」
「喋ってる暇はない、先を急ぐぞ」
先生の指揮の下、アリウスの軍勢を下した彼女達。
時間切れまではもう一時間を切っていて、彼女達はカタコンベの入り口へ繋がる地下道を急いでいた。
「……さっきの様子を見る限りここにも……」
「ああ、おそらく待ち構えているだろうな。アリウスならば当然知っている道だ」
「で、ではどうしましょう……?」
「……迂回も、他の道を探すのも無理。なら……」
「了解、強行突破だね!」
そう言って、先生はファイティングポーズをとった。
サオリもミサキもヒヨリもその意見に同意して彼女の前に立つ。
「……ここから先は相手のレベルも上がる……いわば精鋭かな」
「ああ、だから先生は少し後ろにいてくれ」
「も、もちろん力はお借りしてしまうんですが……」
「……うん、任せて!」
「……行くぞ!」
「馬鹿な……何故これほどの……?!」
「だ、ダメだ……ここは……もう……」
アリウスの精鋭までも強行突破し、先へ進もうとしたアリウススクワッド。
だが、その背後を一人の生徒が強襲した。
「……?!」
そして爆煙に満たされて何も見えなくなる中、スクワッドにとっても聞き慣れた笑い声が響く。
「あ!やっぱりここにいた!あっはは!結構探したんだから!」
「……聖園……ミカ……」
「ほらほら!悪役登場だよ!もっとはしゃぎなって!三人ともさ!」
「……」
「ねえねえ笑顔笑顔!久々の再会なんだから!……そんな『魔女』でも見たような顔しないでさぁ!!」
「……今戻った!状況は?!」
「……!リエ様……!現在セイア様が搬送されナギサ様はそちらに!ミカ様は脱獄から行方が掴めません!」
「脱獄時の状況は?!」
「セイア様が倒れてから数十分後……そうです、また部屋の外ではデモが……で、ですがそちらの情報はまとめてありますので……」
行政官を質問攻めにしながらリエは必死に思考を回した。
ミカの失踪も、セイアが倒れたのも、アリウスに無関係なはずがない、そう信じて今ある情報に片っ端から辻褄を合わせる。
そして思考の波に飲み込まれそうになった時、駆け寄ってきた後輩が彼女に声を掛けた。
「あ、あの……お客様が……」
「……ちょっと待って……今は……」
「い、いえその……」
後輩の後ろから、猫背の彼女が姿を現した。
「もう来ちゃってます……」
「……ウイ?何でここに?」
「あ、あの……その……この子……」
そう言って、ウイは一つの封筒をリエに差し出した。
「……これ……何かの資料?」
「いえ、多分……」
リエは封を閉じていた紐を解くと中から数枚の便箋を取り出した。
「……違う……これ……」
「……はい、手紙です。おそらく、リエさん宛の……」
おそらく?と少し疑問を抱いて中身を覗く。
その差出人を見て、リエは息を飲んだ。
「……初代オブザーバー……『白菊アイカ』……?」
初代として、このような重荷を残してしまうこと、本当に申し訳なく思っています。ですが、これを読んでいるあなたがそれを為せる傑物であることを信じて、この手紙を記します。
今のあなたにとって既知の事実であることを望みますが、トリニティ総合学園はアリウス分派の犠牲の上で成り立っています。パテル、フィリウス、サンクトゥス……多くの派閥が集まって形作られたこのトリニティ総合学園の力の最初の矛先として選ばれたのは、唯一その答えに反対したアリウス分派でした。ユスティナ聖徒会による苛烈な迫害が行われ、その中でオブザーバーの役目を果たそうとしましたが、彼女らをカタコンベの果てへ逃がすことしか出来ませんでした。
ですから、この先をあなたに託します。もし、トリニティが数十年、数百年の内に彼女達と相対することがあったのなら、どうか、彼女達を助けて欲しい。例え互いに恨み辛みが積もっていたとしても、どうかその手を握ってあげてほしい。
無責任なのは自分でも分かっています。だけど、再びアリウスがトリニティとなる日を、彼女達と共に笑える日を私は思わずにはいられない。ですから、どうかこの祈りがあなたに届くことを願っています。
初代ティーパーティーオブザーバー、白菊アイカ
「……めて」
「は、はい?」
「片っ端からアリウスに関する情報集めて……!」
リエは手紙を持って俯いたまま、後輩に言った。
その場から去ろうとしたウイにも、協力してと声を掛ける。
「うう……私はそれを届けに来ただけで……」
「いいから手伝って!図書委員会だけじゃない、ティーパーティーもシスターフッドも正義実現委員会も全部動かして!」
「わ、分かりました!ですがどうして……」
「全部どうにかする方法思い付いたから!」
「そ、それって……?」
手紙を封筒に仕舞い直した彼女に、後輩は訪ねた。
強烈な意志を宿したような瞳を向けて、リエは強く答えた。
「『アリウス』を併合する!」
トリニティ総合学園の歴史上、最も凄絶な一夜が幕を開けた。
初代さん達の話いつか書きたい
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記録42:魔女
「……檻の中に入れられた……そう聞いてたんだがな」
「あっはは!よく知ってるね!でも出てきたんだよ!あなた達に会いたくてさ!」
彼女を鋭く睨むサオリに対し、ミカは無邪気に微笑んで答えた。
先生には、気づいていないみたいだった。
「ほら!まだ私達、やることが残ってるでしょ?」
「……先生は?」
「まだ後ろ……ですがすぐ来るかと……」
「私だってあなた達とそれなりに一緒にいたの、何するか、何処に来るかくらいすぐに分かるよ!」
「……後何分だ?」
「約28分……でもあの女とやるには時間が足りないと思うけど」
「む、無謀……ですかね……?」
「姫を連れてどれだけ逃げたと思ってるの?……もう私達の体力はとっくに底を尽いてる。先生の指揮がないとどうしようもないと思うよ」
そう言って、ミサキは改めて目の前の彼女に目をやった。
「聖園ミカ……あくまで政治家集団のティーパーティーで朝日奈リエと彼女だけはまさしく異次元の武力を持ってる。それこそ、キヴォトスでも最上位を争うレベルの。それに、乱戦になったらスペックの暴力に対抗出来ない。この状況は遺憾なくその実力を発揮されるだろうね」
「あっはは!ねえ馬鹿な女だと思ってたでしょ?思ってたよね?でもそんな馬鹿に追い詰められるのってどんな気分なの?ねえその口で聞かせてよ、私を騙したその口でさ!!」
「……後退して出直すのは?」
「無理だ、時間が無い」
「せ、先生が来るまで時間を稼ぐのは……?」
「ねえ無視しないでよー!一緒にクーデター起こしたお友達だよ?それってさ……」
「っ?!」
「仲間はずれだよね?」
痺れを切らしたミカが、先んじて仕掛けた。
万全な彼女の圧倒的な性能と正面からやり合っては間違いなく負ける、そう判断したアリウススクワッドは息を揃えて三方向へ散った。
「……何か起きてる……?」
そしてアリウススクワッドvsミカが幕を開けるのと、先生が先に行っていた彼女達の異変に気がついたのはほぼ同時だった。
「……急がなきゃ……!」
「だ、ダメです……速すぎて……」
「あの女といいアンタといい……ティーパーティーはデスクワーカーって聞いてたんだけど……!」
「くっ……」
「ねえねえ、『スクワッド』ってこの程度なの?そんな訳無いよね?だって
スクワッドを一蹴し、ミサキの首根っこを掴みながら彼女は残念そうに言う。
倒れたヒヨリをかばうようにその前で銃を構えるサオリを一瞥し、ミカは彼女に問いかけた。
「……そういえば、マスク着けてたあの子は?あの無口な。名前は……アツコだったかな?」
「……」
「ええ……教えてくれないの?いいじゃんせっかく弾切れなんだし、少しくらいおしゃべりしようよ!」
「……ぐぅ……ぁあ……!」
「ほら、早くしないと倒れちゃうよ?」
「ミサキ……!」
「へえ、あなた達にとっても、仲間は大切なんだ。……うん、私も大切な人がいるからその気持ち分かるよ。あなた達が殺そうとしたセイアちゃんに、あなた達が襲撃したナギちゃんとリエちゃんに、あなた達が狙ってる先生!あっはは!本当に全部私から奪うんだね!錠前サオリ!特にセイアちゃんなんてさ、いっつも面倒なことばっかり言うし、話してもイライラするだけだったけど、それでも「死んだ」って聞いた時、本当にショックだったの。……ねえ、錠前サオリ。私はいつ「ヘイローを壊せ」なんて言った?いつ「殺してほしい」なんて言ったのかな?……だからさ!」
「ぅっ……あああっ!!」
「ミサキ?!」
「もうお互い、全部奪い合って!全部壊しちゃおうよ!私と同じ分!私と同じように!全部平等にさ!!」
「ストップ!!」
その聞き慣れた声に、ミカは思わず声の方向を振り返る。
解放されたミサキは、不機嫌そうにその場に倒れた。
「せ、せ……先生?!なんで?!私は……その……」
「……良いところで邪魔してごめんね、ミカ」
「せ、先生……なんでスクワッドと一緒にいるのさ……?」
思わぬ彼女の登場に、ミカは正気に戻りつつも戸惑っていた。
「なんで……なんでよりにもよってこんなの……先生に見られちゃうのさ……」
「いたぞ、スクワッドだ!聖園ミカもいるぞ!」
現れたアリウスの増援が一斉に銃を構える。
ミカの背中を、無数の弾丸が捉えていた。
「……誰?」
「……ゲホッ……先生……時間がない……」
「……ああ、走るぞ!」
「行きましょう、先生」
「ごめんね、ミカ!詳しいことはあとで話す!だからトリニティで待っててほしいな!」
ミカとアリウスの増援を置き去りにし、彼女達はカタコンベに向かって全速力で走った。
「……せ、セーフ……ですかね……?」
「うん、完全に閉まり切るにはもう少し掛かる。追っ手が来る前に先を急ごう」
「ああ。……それと先生、ここから先がアリウスだが……電波が通らない上、道も複雑になる。くれぐれもはぐれないでほしい」
「了解!」
三人の少し後を、先生はスタスタと歩いていく。
その背中を見失わないように意識を割きつつも、どこかでさっきのミカが引っかかる。
(……ミカの復讐……トリニティで……何が起きてるの……?)
「……奴らは?!」
「カタコンベへ向かいました!追いますか?!」
「ああ!もちろ──」
聖園ミカが沈黙したのを確認し、スクワッドを追撃しようとしたアリウスの生徒達。
けれど、唐突に指揮官の頭を弾丸が貫いた。
「ああもうなんてことしてくれるのさ?!いったいんだけど!」
「……聖園ミカ……?!まだ倒れていない……?!」
「あっはは!この程度で私が負けると思ってるの?ジョークのセンスは抜群だね!だけど──」
引き金を引きながらミカが銃を一薙ぎすると、その射線上のアリウス生がバタバタと倒れていく。
「私を倒したいなら、リエちゃんでも連れてこないと!人数で言うなら十万倍は足りないよ?」
そしてその場のアリウスを壊滅させ、適当な情報を聞き出した後に、彼女はぐぐっと背伸びした。
「さーて!錠前サオリはどの辺まで行ったかな?」
軽い足取りで、彼女はカタコンベへ入っていった。
ミカは不安定だからこそ美しい感はある
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記録43:総力
「アリウスの地図は?!」
「解読45%!4時までには完成させます!」
「アリウス合併に関する法案完成しました!いつでも通せます!」
「みんな身体ぶっ壊してでも急いで!ミカもセイアも先生もアリウスも全部手遅れになる!」
夜半はとっくに回り、生徒達が寝静まる中本館と大聖堂だけは煌々と明かりが灯り、ティーパーティーやシスターフッドなどが慌ただしく動いていた。
ミカは脱獄し、セイアは倒れて搬送、それにナギサも付き添っている為、この緊急事態の中、ホストの権限はリエに渡っている。
「皆さん急いで下さい!アリウスにも救護の手を!」
「まだ医薬品が足りません!私掻き集めてきます!」
「サクラコ様、追加の資料です!」
「ありがとうございます。……ウイさん、まだ頼めますか?」
「……うう……逃げられない……」
救護騎士団も図書委員会もシスターフッドもティーパーティーも入り混じり、山積みの書類と格闘しながら何とかアリウス制圧への糸口を探して必死に藻掻く。
そんな中、先頭に立って指揮を執るリエの下に数人の生徒が訪れた。
「正気の沙汰ですかリエ様?!」
「そうです!アリウスと言えばセイア様を襲撃した……!」
サンクトゥス分派……即ち、セイアの派閥の生徒達だった。
「正気の沙汰じゃないのかもしれない。それでも、これは私達が果たすべき責務だから」
「どうして……リエ様だってアリウスと銃を交えた一人でしょう?!」
「そうだけど、交えた私が救いたいって言ってるの」
「……!」
「かつての友人と数百年道を違えて、でも今ならもう一度手が届く。手を伸ばせば、彼女達も、私達も全て救えるかもしれない。……その可能性を浅はかな感情一つで見捨てるほどあなた達のオブザーバーは愚かじゃない!」
そう言い放った彼女に、サンクトゥスの生徒達は少し考えた。
「……分かりました。それがリエ様の、セイア様が信じたオブザーバーだと言うのなら……私達も手を貸します!」
「リエ様ならお分かりでしょう?あのセイア様の下で働いていたんです、このような領域は我々の得意分野」
「はい、お任せください!」
リエの思い、受け継いだ初代の祈りが届いたかのように、みな一団となって目の前の壁にぶつかっていく。
啀み合っていたパテル、フィリウス、サンクトゥスさえも彼女達のリーダーが信じたオブザーバーの下で手を取って。
そして、その波は大きく波及して事態を少しずつ好転へ動かしていく。
「……もっと資料ないの?!これじゃあ……!」
「そう言われたって……」
「そこは行き止まりだ。大通りはこっちに繋がってる」
分析官のモニターを覗き込み、突如現れたアズサは指を差した。
「……!白洲アズサさん……?!」
「アズサちゃん……?何で……」
「……ハナコから聞いた。……アリウスを救えるなら、私も力になりたい」
「……分かった、頼らせて」
「……!リエ様、正義実現委員会と連絡が付きました!」
「今行く!」
部屋の固定電話の受話器を手に取った。
電話口の先はハスミだった。
「ハスミ、正義実現委員会どれだけ動かせる?」
「『問題ありません。全戦力、いつでも出撃できます。……ナギサさんからの要請ですので』」
「……?!何で……」
「『先程……セイア様と共に病院に向かった直後です。「ミカさんと先生を助けるため、アリウスへ突入する。その準備をしてほしい」と……』」
奇しくもミカを助けるため、同じ結論に辿り着いていたリエとナギサ。
その事実を彼女が飲み込んでいる間に、ハスミからの電話は切れ、サクラコが声を掛けた。
「……ここから先は私達が請け負います。リエさんはセイアさんのところへ向かってあげて下さい」
「……分かった。このバトン、確かに渡したから」
「……此処は……」
空には青空、地平には山並みが萌える座敷で彼女は目を覚ました。
「……実体は無い……蜃気楼……いや……『百鬼夜行』……?」
「ふぅむ、珍しいお客様じゃな」
「……!」
彼女と……百合園セイアと同じような狐耳を携えた何か幽世の存在のような者が話しかけた。
「ここに妾以外が足を踏み入れるのは……記憶では初めてかのう。何故このような白昼夢を彷徨うのじゃ?」
「……私を……認識出来るのか?」
戸惑うセイアを見回して、彼女は答える。
「……成る程、夢遊病かと思ったが、随分悪質な観客に見惚れられたのう。神秘まで蝕むとは、欲の張った禍じゃな」
「……神秘が……」
「……しっかし中々面倒な災じゃのう……なら一つ、妾と取引はどうじゃ?」
「……全く、君はつくづく神に愛されているね」
「……セイア?!目、覚めた?!」
時刻は3時過ぎ。
病室に入るなり響いた彼女の声に、リエは目を丸くした。
「……だが、あまり話している時間もなさそうだ。これだけ持ってアリウスへ向かうと良い」
そう言って、彼女は何枚かの紙切れをリエに押し付ける。
番号と迷路が記されたそれの意味を、彼女はすぐに理解した。
「……これ……カタコンベの……何で?」
「勘だ。だが予知と引き換えに得たものだ、存分に信用してくれ。……もう時間切れは迫ってきてる」
「……!」
「この数百年にピリオドを打つのだろう?……ミカを助けるのも、先生を守るのも、アリウスを救うのも、後は君が行くだけだ。存分に暴れてくるといい!」
「……うん、ハナからそのつもり!!」
グレネードランチャーを背負い、リエは背を押すセイアに応えて部屋を飛び出した。
「……あれ……リエさんは……?こちらにもうすぐいらっしゃると聞いたのですが……」
「リエなら、全てを救いに行ったとも。……さながら、姫を助け出す騎士のようにね」
「せ、セイアさん?!目覚めたのですか?!」
もしかしたら原作より良い結末を迎えられるかもしれない
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記録44:回歴
ミカを書くのが下手なのも勘弁してください
「あ、上がってきて下さい!」
暗い通路の上から、ヒヨリの声がした。
目の前の壁に手を触れると、確かにはしごのような物がある。
先生は少し錆びついたそれを握ると、うんしょうんしょと上り始めた。
そこは、遺跡のような建物だった。
トリニティで見たような古跡、例えば通功の古聖堂なんかにもよく似ていた。
「ここは警備が薄いはず。取り敢えず見つからないと思う」
「……ここがアリウス自治区?」
「ううん、ここはただの跡地。自治区はもう少し先だけど……私達が向かってるのはバレてるし、一筋縄じゃ行かないかな」
「……ここは、昔私達が訓練していた場所です」
「……訓練場?」
先生がそう聞き返すと、休んでいたサオリは黙って首を縦に振った。
目を凝らすと、遺跡の壁のところどころに不自然に密集して開いた穴が見える。
多分銃痕なんだろうな、と先生は考えた。
「見ての通り元は遺跡だったんだけど、内戦が起きてからは専ら訓練場として使われてたの」
「内戦……?」
「十年くらい前、アリウスは真っ二つに割れて戦争を起こした。同世代ならみんな知ってる」
「……もう少し、聞いても良いかな?」
「……あんまり話したいことじゃないかな。今回のこととは無関係だし、面白い話でもないし」
そう言って少し躊躇うミサキだったが、彼女の代わりにヒヨリが少しずつ話し始めた。
「私、覚えてます。ここであの子と……アズサちゃんと初めて会ったんです」
「……」
「なんだったっけ……射撃……いや、爆弾制作かな……とにかく、大人の言うことを聞かなかった子が『制裁』を受けていて……」
「……それが……」
「周りもみんな、それを見てるだけで……でもその子は何度も立ち上がっては大人を睨み返して……その子、そのままではヘイローまで壊れてしまいそうだったのに、私も見ていることしか出来なくて……そんな時、サオリ姉さ……いえ、リーダーが……」
「……懐かしい話は一旦止めよう。次どうするか考えないと。……大人を連れてきたはいいけど、私達だけで『アリウス』全てを相手にするのは無茶が過ぎるよ。……それで、どうやって姫を助けるのさ、リーダー?」
ミサキは立ち上がったリーダーに問いかけた。
けれど彼女は何も答えず、その場に崩れ落ちかけたその身体を先生は受け止めた。
「わっ?!凄い熱!!」
「……ほんとだ。……いや、四日間ぶっ続けで戦って逃げ続けて、負傷して、睡眠不足も疲労もある……よくよく考えたら、立ってるのさえおかしな話だった」
「あ、えっと、その……ど、どうしましょう……?」
「……えっと……あ、あった。これの出番……だよね!」
そう言って、彼女はポケットから解熱剤を取り出した。
それを探す過程で出てきたキャンディやレシート、冷えピタなんかもその手に握られている。
「……用意周到だね」
「私のポケットは色々入ってるよ!……ほら、アイスの当り棒とかも!」
「そ、そうなんですね……大人ってそういうものなんでしょうか……」
「……いや、今は本当に助かった。ありがとう。……ほら、リーダー、これ飲んで。あとこれも貼りな。多分少しは楽になると思う」
ミサキは先生から受け取った薬をサオリの舌に載せ、ペットボトルの水と一緒に飲み込ませた。
一回二錠を纏めて飲み込ませ、冷えピタも貼ると、彼女は少しだけ楽そうな顔になった。
「……ここで少し休もっか」
「……そうだね、まだほんの少しなら猶予はある」
「で、でしたら見張りは私が……」
「いいよ、みんなでやろう。ヒヨリも休まないと」
「先生の言う通りだね。……最初は私がやるから」
「うん、任せたよ」
先生は適当な瓦礫に上着を被せて枕代わりにして、目を瞑った。
「先生、聞こえるかい?」
未だ現実で意識の戻らぬ中、セイアは必死で先生に語りかけた。
謝罪、弁明……いや、告白と言うのが一番正しいに違いなかった。
「私は彼らの……『ゲマトリア』の会議を覗いてしまった……そこで知ったんだ、アリウスを支配しているのは『ベアトリーチェ』……彼女は、バシリカで儀式を行おうとしている……」
セイアは絞り出すような声を先生に届けようと、限界の近づく中で藻掻いていた。
「……その儀式が……キヴォトスの終焉を、キヴォトスに存在しない何かを……呼び寄せようと……私は……ベアトリーチェに見つかり、それに接触してしまった……それは私を速やかに蝕み……そして、大きな間違いへ至らせた……」
夢の中でさえ、その言葉は強い後悔を纏っていた。
「……私は、ミカを……一時の感情で傷つけた……いつも、いつも私はこうだ……ミカを傷つけてばかりで……彼女を取り返しの付かない過ちへ走らせて……」
それが己の命を削る行為だと分かっていても、彼女は言葉を紡ぎ続ける。
「私は……私の問題は私でけりをつける……だから先生は……どうか……どうかアリウスから……離れて……遠くへ逃げて……く……れ……」
そう言い終えて、彼女の意識は夢の中でありながら、プツンと切れた。
「……セイア……?」
「……ごめん、起こした?」
「そ、そうですよね。こんな状況、夢の一つくらい先生も静かにみたいですよね……」
「ううん、大丈夫。二人とも、お疲れ様。サオリはもう大丈夫?」
身体を起こした先生は小さく伸びをしながら問いかけた。
ミサキは穏やかな顔のサオリを指差した。
「しばらく様子を見てたけど、もう大丈夫そうだね。解熱剤もしっかり効いたみたい」
「はい、あと数十分したらリーダーを起こして出発しましょう。まだ、幸いにも追っては来てないみたいですし……」
「数十分か……」
そう呟いた先生にミサキは問いかける。
「うん、何か必要なものとかある?」
「……じゃあ、出発まで
「ケホッケホ……こんなんだったらアリウスに掃除用品も支援しとくんだったな……」
アリウスの路地裏に出たミカは、小さく咳をした。
辺りを見回しても、スクワッドへの追撃に駆り出されているのか、警備一人さえいない。
「……ここに先生もいるんだよね……」
彼女はそう言ってため息を吐いた。
「……先生は、今の私を見たらなんて思うのかな。軽蔑するのかな、ガッカリするのかな、嫌いになるのかな……ううん」
先生が、そんなことをしない、そんなことを思わないのは自分でも分かっている。
それでも、ミカは立ち止まってぼんやりと呟いていた。
「……嫌いになってほしいなあ……「ミカのせいで」って、言ってほしい……だって……私はもう私を止められないんだから……。せめて最後くらい、そうやってあの子達みたいな言葉を吐いて、盛大に嫌ってよ……「理想の王子様じゃなかった」って、諦めさせてよ……だって……だって……」
ミカはその場に崩れ落ちた。
「今のままじゃ……今の私じゃ……先生に……『魔女』……って……言われたくないって……思っちゃうから……」
泣いて、だけど彼女は泣きながらでもまた立ち上がった。
「……ううん、それでも私は行かないと、あなたに復讐しないと私は私でいられなくなる。……だからさ」
ミカは涙を流しながらも精一杯の笑顔を作る。
どうしようもなく壊れそうな自分の本心を隠すための笑顔を。
「待っててね、錠前サオリ!」
アリウスで一番アツコが好きです
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記録45:アリウス
「……覚えてる限り一番昔の記憶は、『マダム』が内戦を終わらせたこと」
少し黙った後に、ミサキは語り出した。
「私達はまだ小さくて、何も知らなかったから「ああ、そうなんだ」って、素直に……いや、何も分からないままにそれを受け止めるだけだった」
「は、はい……それで彼女は……『マダム』は「自分がアリウスの生徒会長で、主人で、支配者だ」……そう言って、残された生徒や幼かった私達を教育し始めました……『
「この世は苦痛に溢れてて、それは『トリニティ』のせいで、そもそも『ゲヘナ』なんていうのは絶対に相容れない不倶戴天の敵……そんなことを口酸っぱく言われ続けた。だから、そいつらを滅ぼすためにって、沢山の戦闘訓練も受けた」
「……」
先生は彼女達の話を静かに聞きながら、ギュッと怒りを込めるように握り拳を作った。
二人はそんなことには気付かずに、過去の自分達を俯瞰して話を続ける。
「それで……私達は誰かを殺したいほど憎んでるから、『殺害の意志』を持っているから……『人殺し』と変わりない……。外の世界に『人殺し』の居場所なんてない……。だから自分は『人殺し』の生徒達に真実を教える唯一の存在であり、
「……」
「せ、先生?!すごい顔になってますよ?!……わ、私……何かまずいこと言っちゃったんでしょうか……?」
「……だから言ったじゃん。面白い話でもないって」
「ううん、違う。二人に怒ってるわけじゃないよ。……それと、聞いてなかったような気がするんだけど……アツコは何で『姫』って呼ばれてるの?」
「?!姫ちゃんが何で姫ちゃんか……ですか……?……えっと……えっと……その……お、お姫様……だから……?」
先生の素朴な疑問に対し、ヒヨリは頭を抱えながら、自信なさげに答えた。
それをフォローするようにミサキが口を開く。
「……まあ、有り体に言えばそうなるよ。姫は、私達が小さい頃からずっとお姫様だった。かつて最初にアリウスを治めていた初代生徒会長、その血を引いてるんだって。だから『ロイヤルブラッド』とも呼ばれてた。それで、アリウスの生徒会長は代々世襲制だったらしいから……本来の、生徒会長なのかな」
「……リーダーと、ミサキさんと私はずっと……小さい頃からずっとスラム街で……そんな中で、私達と違って姫ちゃんはずっと綺麗なお洋服を着てて……可愛かったなあ……えへへ……。ミサキさんはそうでもなかったけど……私やリーダーはずっと姫ちゃんが羨ましくて……」
「ううん、私もそうだったよ。表には出さなかったけど」
「そ、そうだったんですね……」
「……姫はすごく優しかった。私みたいな人間にも手を差し伸べてくれて……マスクを付けてなかった頃は笑顔がよく見えて……とにかく、アツコは私にとっても大切な人なの」
「……はい、ミサキさんの言う通りです。……だけど……」
「……内戦が終わってすぐ、或る噂が流れ始めた。「姫は『彼女』に生贄にされるんじゃないか」って。私達はよく分かってなかったけど……みんなに敬われている偉い子だから選ばれたんだろうって思ってた」
「だけどリーダーは納得しなかったみたいで……姫ちゃんを私達のところへ連れてきたんです。『彼女』と何があったのかは知りませんが……」
そういえば、サオリもあの時『彼女』との約束の話をしてたっけ。
そんなことを思いながら、先生はその話に耳を傾けていた。
「……それから、姫は顔も声も隠して私達と一緒に訓練を受け始めた。リーダーは私とヒヨリ、姫、それと後から加わったアズサを自ら育てた。……辛くて苦しい思い出でしかないけど」
「は、はい……あの時のリーダーは本当に怖くて……大人とかよりもずっと……」
「その後、私達は『スクワッド』と呼ばれるようになって、多くの任務をこなすようになった。……まあ、その結果は先生が一番良く知ってるでしょ?結局私達は失敗して、姫は『生贄』に捧げられようとしてる」
「……」
「それに、私達も裏切って本来殺すべき相手の『先生』と一緒にこうしてアリウスに戻ってきてる。……ほんと、どう転ぶか分かったもんじゃない」
「……」
「……ああ、全くその通りだな」
話すミサキの背後から、目を覚ましたサオリはすっと姿を現した。
何故か一番驚いたヒヨリは、酷く素っ頓狂な声を上げた。
「……早いお目覚めだね。体調はどう?」
「ああ、もう動けないほどじゃない。……礼を言おう」
「えへへ……良かったです……こ、これで大ピンチは脱したんですかね……?」
「……まあ、とても万全とは言えないけど。……それで、どうする、リーダー?」
「決まってるだろう。……バシリカへ向かい、姫を救出する。……それだけだ」
顔色もかなり良くなったサオリは、ミサキの問いかけに力強く答えた。
「もうルートも幾つか考えてある。……ひとまず、旧校舎へ向かうぞ」
「きゅ、旧校舎ですか?!あ、あんなのただの廃墟じゃ……」
「そこに何があるの?」
「……姫から聞いた話だ。かつて『聖徒会』がアリウスを作る際、バシリカと本館を繋ぐ地下回廊を作ったらしい」
「……待って、なんで『ユスティナ聖徒会』がアリウスを……?」
「……かつてアリウスは『ユスティナ聖徒会』によって苛烈に迫害された。けれど、その
「それで、回廊はかなり古いものだ。『彼女』に見つかる可能性は最も低い。これなら、安全にバシリカまで辿り着けるはずだ」
「……回廊はどこにあるか知ってるの?」
「いや……まずは見つけるところからだ」
「……そう、分かった」
「ほ、他に方法は……?強行突破とか……い、いえ絶対に不可能ですけど……」
「……普段ならそんな無計画な作戦絶対同意しないけど……先生もいるし、今ならどうにかなるかな」
「旧校舎はここからならすぐ行ける。……だが目立たないようにな」
「了解」
「了解です!」
「じゃあ出発だね!」
「……急に私達を逃してくれるとか言い出すなんて、少し怖いね?」
「頼まれただけです。気にしないで下さい」
「……そっか。あなたも大変だね」
「今更じゃ言い訳にしかならないかもしれませんが……私達も、ここまでするつもりはなかったんです」
トリニティの地下に広がるカタコンベを進みながら、アリウスの生徒会長とユスティナのリーダーは話していた。
「それで……何処まで行くの?まさか、騙して悪いが死んでもらう、とか?」
「……いえ。最近の研究で、「カタコンベには出口が存在する」ことが分かったんです。その奥はまだ何も分かっていませんが」
「……そこで暮らせば良いってこと?……まあ、死ぬよりは良いけど」
「いえ、「隠れて、待っていてほしい」と」
ユスティナ聖徒会のリーダーがそう答えると、彼女は少し目を丸くした。
「……誰が?」
「私達の『オブザーバー』からの伝言です。「数年、数十年、数百年……どれだけ掛かるか分からないけど、それでもあなた達を必ず迎えに行きます。だから、どうか待っていて下さい」と」
「そっか、あの子が……。……分かった。早く行こう」
「……今度は疑わないんですね」
「うん、疑わないよ。私はアリウスの生徒会長、秤アヤノ。アリウスを守れるなら、それを選ぶよ。それに……」
「それに?」
「あの子は……アイカは私の幼馴染だもん」
そう言って、彼女は満開の花のような笑顔を浮かべた。
欲しい物りすと
・お気に入り(一日1000件くらい、ランキング1位を見てみたい)
・高評価(出来れば10)
・感想(グッド付けきれないくらい、あればあるだけ嬉しい)
・推薦(まだ書いてもらったことない)
・捜索への紹介(されると嬉しい)
・Twitterでの読了報告(見つけた瞬間いいねとリツイートとフォローします)
・ファンアート(ぶっちゃけもらったら死ぬかもしれない)
・PV(見てくれる人がたくさんいるとめちゃめちゃ嬉しい)
……ぶっちゃけどれもめちゃくちゃ嬉しいんだけど承認欲求を隠せなくなってきたな……
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記録46:対峙
「……ここまではひとまず大丈夫」
「は、はい!問題無い……と思います!」
静寂に包まれた暗い街の道を彼女達は進んでいく。
「……アリウスってこんな感じなんだ……」
「いや、違う。確かに人が多い場所ではないが、ここまで静かな場所ではないはず……」
「そ、それに知らないものもいっぱい増えてますし……」
「……確かに、私達の知ってるアリウスとは何かが違う……知らない街に変わってる……」
そうして戸惑いながらも、彼女達は少しずつ、誰にも気付かれないように歩みを進める。
「そ、そういえば……前から少しずつ……知らないもの、よく分からないものが増えていたような……よくよく考えたら……ですが……」
「……言われてみればそうかも。あちこちに配備された巡航ミサイル、補給された詳細不明の武装……」
「そ、そうですよね……それにアレも……『ユスティナ聖徒会』の
「……」
「いつから、アリウスはおかしくなった?」
サオリは、あの時のアズサの言葉を思い出していた。
あの時はただ、彼女を否定することに全てを懸けていて、それについて考えることはしなかった。
だけれども、今考えたらその疑問は至極当然なものであった。
そんなことを考えていると、先頭を行っていたミサキが立ち止まった。
「……誰かいる。隠れて」
彼女の指示によって、彼女達は路地裏に素早く逃げ込んだ。
粛々とした足跡を鳴らし、それは彼女達の横を通り過ぎていった。
「……『聖徒会』……?!」
「で、ですよね!?何で?!」
「……だがエデン条約が書き換えられた以上……不可能なはずじゃ……」
「……考えてみればの話。私達が通功の古聖堂を襲撃したのはアレを確保するためだった」
「はい、ですから姫ちゃんは地下であの『
「……うん。それでアレを使って、トリニティとゲヘナを制圧する……そういう命令だった。……まあ、先生に止められたんだけど」
「ああ、任務を何も果たせなかったから、複製は得られず、トリニティもゲヘナも滅ぼせなかったから、私達は逃げざるを得なかった。……だが……何故複製がここにある……?まさか『彼女』は……?」
サオリの思考を遮ったのは、アリウスに高らかに響いた雄叫びだった。
アリウスが調印式襲撃の際に『戦術兵器』として用いた『アンブロジウス』のもの。
あの時はリエやヒナ、ツルギの奮戦によって無力化され、戦果を上げることはなかったが……彼女達にとって脅威であることには変わりない。
「……間違い無い。『彼女』は複製を確保してる。……多分、一度でも確保すれば良かったのかな」
「な、なら私達の任務は……」
「……本来は、『姫を古聖堂へ連れて行って複製を発動する』、それだけだった……。……ならトリニティもゲヘナも……」
「……『彼女』には……どうでもいいと……?」
「……なら私達の任務には……」
「『一体、何の意味があったのか?』」
先生には、聞き覚えのない声が響いた。
スクワッドにとっては、心の根底に刻まれた、トラウマのような声が響いた。
そしてその声とともに、無数の『ユスティナ聖徒会』が彼女達を包囲する。
「……罠か」
「……最初から、分かってたんだね」
「『ええ、もちろんです』」
『聖徒会』の中に一つ、霊体のような赤い肌の女性が映し出されていた。
白いドレスを纏い、無数の目を頭に備えた、キヴォトスに存在しない異形。
『ゲマトリア』の『ベアトリーチェ』が姿を現した。
「『ここは私の庭。位置、目的地、経路、その全ては私の手のひらの上ですので。……無論、あなた達が旧校舎の回廊へ向かうことなどハナから承知の上。……子供が、
「さ、最初から……」
「はあ……最悪」
「……」
「『それと、先程の疑問にはお答えしましょう。その答えは『YES』です。パスは一度繋げば十分ですので。……マエストロはあまり良い顔はしていませんでしたが。まあ、トリニティもゲヘナも、私にとっては些事に過ぎません。ここに蔓延っていた憎悪を駆り立てる為の方便なのですから。私自身には何の思い入れもない』」
「……『マダム』……」
「『そうです、なので実際にはあなた達は任務を達成したとも言えるでしょう。複製を確保し、『ロイヤルブラッド』も捧げてくれた。……よく出来た子ですね、錠前サオリ』」
「やはり最初から……約束を守るつもりなど……!」
「『……不毛な話はここまでに致しましょう。私の目的は……そう』」
その彼女の頭部の有り余る瞳が先生を一斉に覗き込む。
「『あなたです、『先生』』」
「……!……きっもちわる……」
「『改めまして、私の名は『ベアトリーチェ』、ご存知かもしれませんが『ゲマトリア』のメンバーを務めております。通信越しでの挨拶となりますが、どうかご容赦下さい。同僚から、あなたのご活躍については数多伺っております』」
「あなたが、アリウスを支配している『大人』なんだね?」
「『はい。……もしかして、興味を抱いておられますか?よろしければ、私がアリウスを掌握した手段、情報交換でならお教えいたしますが?』」
「ううん、大丈夫!そんな無価値な情報と交換できる小銭は持ち合わせてないから!おつりくれるなら考えてもいいよ!」
「『……なるほど。念のため言っておきますが、私は妙な手口は使っておりません。洗脳や超能力……そのようなものは『大人』のやり方ではありませんから。……ええ、憎悪や怒り……負の感情を煽ることで──』」
「ストップ!!」
「『……何ですか?』」
「ごめんね!見てるだけでも目が腐りそうな見た目なのにそんなこと聞かされたらこっちの目も腐っちゃうから!止めてくれると嬉しいな!」
「『っ……』」
彼女自身も、怖くないはずがないのに。
それでも、ベアトリーチェに一歩も引かず、先生はトリニティ仕込みとさえ思える皮肉で切り返し続ける。
それはまるで、スクワッドに「『大人』を「大人だから」と恐れ、敬い、畏まる必要なんてない」と力強く示すかのようだった。
「『……分かりました。では最後に一つだけ提案です。『ロイヤルブラ──』」
「お断り!!」
「『ほぉ?』」
「子供との約束すら守れない『大人』を信用する馬鹿がどこにいるっていうのさ!冗談のセンスだけは悪くないし、芸人でもやれば売れると思うよ!」
「『……見込み以下……いえ、ある意味見込み通りです。やはりあなたは……私の『敵対者』に相応しいようです。子供の浅はかな理想を疑いもしない哀れな『大人』……。……『大人』なら、教えてあげるべきなのです。彼女達が求めた『
「ベアトリーチェ」
先程までとは大きく違う、酷く落ち着いた声が響く。
そこに込められた怒りは、矛先ではないスクワッドの、感情の存在しない『ユスティナ聖徒会』の、通信越しの『ベアトリーチェ』の動きさえも止めた。
「あなたは侮辱した。『子供』を、『学び』を、『教え』を、『信頼』を、そして、私の『生徒』を。……私は、絶対にあなたを許しはしない。……受けて立つよ、私はあなたの『敵対者』だ」
先生イケメンかもしれない
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記録47:一人きり
「『……それは、私への宣戦布告ですか?』」
「脳みそ足りてる?いや、頭には生徒と目を合わせることさえ出来ない大量の節穴しかついてないんだっけ?……まあ、そんなあなたの為にもう一回言ってあげる」
彼女自身でも「生徒にこんな顔見せたくない」と思うほどの険しい顔で先生はもう一度答える。
「私は『敵対者』。一生涯あなたと分かり合うことのない、彼女達の先生だよ」
「『……分かりました。ではバシリカで待っています。……あなたにこの手で引導を渡せることを心の底から待ち望んでいますので。……さあ、先生よ。……黒服は、あなたを仲間と認識し、互いに競い合えると信じ。マエストロは、あなたを理解者と認識し、互いに高め合えると信じ。ゴルコンダは、あなたをメタファーと認識し、互いを通じて完成されると信じ。そして私は、あなたを敵対者と認識し、互いに反発すると信じています』」
彼女が言葉を紡ぐと同時に、その周囲を聖徒会が囲い始める。
「『……あなたは、私の『敵』です。……始末して下さい』」
「……」
「い、いつでも行けます!」
「先生、指示を」
「やろうか!スクワッド!」
「ああ、行くぞ!」
「これで終わ──違う!」
「おお、よく気づいたね?」
先生の指揮の下、聖徒会を退けたスクワッド。
だがその背後を、一つの影が襲撃した。
「何故……お前が……」
「……ミカ……?!」
「……いや、ここまで追いかけてきたのか」
「久々の再会……って訳じゃないよね。でも嬉しいな、サオリ。……それで、先生のついてるスクワッドにどうすれば勝てるかなって考えたんだけど……まあ、馬鹿な私には無理だったからさ」
「……ほんと何なんですか……彼女は……」
「取り敢えず、一回ぶつかるに限るかなって!……そう思ったんだけど……まあ、無理だったね。やっぱりすごいよ、先生」
「……そんな暇はないんだ。……ごめんね、ミカ」
「私の方こそごめんね、先生。……でもさ、私は元々言うことを聞かない『悪い子』だから。先生がどうなってるかは分からないわけじゃないけど……その言葉はやっぱり聞けないの」
「……」
「ほら、私はもう何回も先生を裏切ってるでしょ?なら、一回や二回増えたところで……うん、何も変わらないよ」
彼女は少し複雑な表情でそう呟く。
それを聞いたスクワッドは互いに顔を見合わせた後に、先生の方を見た。
「ど、どうしましょうか……先生……?」
「ミカは、自分のことを『悪い子』って言った。……なら、『悪い子』を止めるのも
「……そうだね、私も腹の虫が暴れ出しそうだった」
「……あれ、おかしいな?これ、私がボコボコにされちゃう流れ?……ほんと、悪役なんてロクなもんじゃないなぁ」
「ケホッケホ……ああ……きっついなぁ……」
そう言って、ミカは力尽きたようにその場に倒れ込んだ。
それを見下ろして、スクワッド達は勝者とは思えないほどに肩で息をしていた。
「はぁ……はぁ……ぐっ……はぁ……」
「……やっと……やっと制圧……出来た……?」
「……う、うう……ほ、本当に倒せたんですかね……?」
「……ああ、いったいなぁ……やっぱり先生相手じゃキツいね……」
ミカは身体のホコリを払いながらスッと立ち上がった。
まるで転んだ子供が、一時の痛みにひとしきり泣いた後に、何事もなかったかのように立ち上がるかの如く。
「……ミカ、セイアは多分無事。声が聞こえたから。だから、トリニティで待ってて。……これ以上先に行ったら、一番傷つくのはミカになる」
「……先生……ごめんね、こんなことばっかで。私はいつもこんなので……私みたいな問題児が……先生を裏切って迷惑かけてばっかりの生徒は……これ以上先生と一緒にいちゃいけないから……」
先生の言葉を聞いて、ミカの声には少しずつ嗚咽が混ざり始めた。
「私……わたし……わたし……に……は……」
ミカは再び崩れ落ちて、声を上げて泣き始めた。
「……もう、帰る場所がないの……トリニティにも……どこにも……」
「……ミカ……?」
「……私は……私、は……ナギちゃんが探してた、トリニティの裏切り者で……リエちゃんが守ろうとしてた、補習授業部の敵で……何度もセイアちゃんを傷つけた、魔女で……」
ミカは止めどなく溢れる涙を零すまいと必死に顔を拭うが、それも無駄なことに彼女の眼下には大きな水溜りが作られる。
スクワッド達が黙って聞いている中で、彼女の咽び泣く声だけが響いていた。
「学園から追い出されたら……ナギちゃんにも、リエちゃんにも、セイアちゃんにも、大切な人達にも……もう……二度と……会えなくなる……そしたら、私は生徒じゃ……なくなっちゃう……から……先生にも、もう……だから……私にはこれ以上、幸せな未来なんて……ハッピーエンドなんて……来ないことも……嫌になるくらい分かってる……わたし……私は……悪党で……『悪い子』で……ひ、『人殺し』……だか……ら……だから……私にはもう……
「……」
「……なのに……なんで……なんであなた達は……なんで?!」
彼女の咽び泣きが慟哭に変わった。
「私は大切なものを全部失ったのに!全部、ぜんぶ奪われたのに!!」
そして心の底からの叫びが真っ黒な空へ吸い込まれた。
「あなた達は……どうして?!」
もしかしてミカってめちゃめちゃ可愛い?
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記録48:復讐
夜に彼女の荒ぶる声が響くのを、スクワッドも、先生も黙って聞いていた。
「あなた達が……あなた達だけ何の代償も払わないで、何も失わないで……なんにも奪われないでいるなんて……そんなの、私は……わたし、は……そんなの認めたら、私には、本当に……本当に……なん、にも、残らない……」
彼女は精一杯の力を振り絞って、小さく呟いた。
「……わたし、は……どう……したら……いい、の……?」
そして全てを吐き出してなお恨めしく、彼女は目の前の錠前サオリに目を遣る。
「あなたを……あなた達だけはそのままじゃ駄目なの……あなた達だけ……その女だけ、先生にただ救われるなんて……そんなのは……だから、お願いだから……私を止めないで。先生」
「ミカ!!」
ミカはそう言い残し、フラフラと立ち上がると覚束ない足取りで街並みに消えた。
「い、行ってしまいました……」
「……本当、何なのあの女……」
「そうか。……それほど、私が憎いんだな……ミカ。……いや、これも当然、仕方ない、か……」
少し思うところがあるようなサオリに小さくため息を吐き、ミサキは問いかけた。
「それで、どうするのリーダー?いつ襲いかかってくるかも分からない相手を放置してバシリカへ向かうのは……少し、リスクが高過ぎるような気もするけど。アリウス、ユスティナ、ストーカー……邪魔者が些か多いよ」
「……このまま、地下回廊へ向かい、バシリカへ突入する。あれに構っている時間などない。……行くぞ」
スクワッドと先生は息を整え直し、地下回廊へ向けて走り出す。
「……仕方ない、か……」
そう呟いて、ミサキも少し遅れて彼女達の背中を追った。
「ここが……アリウスの……」
「ああ、旧校舎だ」
アリウスの旧校舎はさっきの『訓練場』と同じように、ところどころでトリニティの聖堂などとよく似ていて、アリウスがトリニティの分派であったことを雄弁に物語っていた。
「はい……私も中に入るのは初めてなのですが……」
「そうだね、ここはもはや遺跡。関わることも来ることもなかったから」
「きっと昔はここで沢山のアリウス生が勉強していたんですよね……どんなことを学んでたんでしょうか……」
「……私達と大差……いや、あるか。もしかしたら、その頃はまだトリニティと同じようなことを学んでたのかな」
「お喋りはそこまでにしておけ。時間がない、今すぐ回廊まで向かうぞ」
彼女の言葉にスクワッドも先生も同意して、彼女達は旧校舎へ足を踏み入れた。
「……あ、あ!た、多分これだと思います!」
そんなヒヨリの声がして、手分けして道を探していた先生達は彼女の下へ急いで向かう。
一足先に進んでいた彼女の後を追いかけて先生達が急いで階段を降りると、そこには確かに大きな一本道が続いていた。
「……!これが……!」
「ああ、地下回廊だろうな」
「……少しいい?」
少し遅れて降りてきたミサキが言う。
「後はバシリカまで一直線なんでしょ?……だとすれば、この地形はかなりまずいよ」
「待ち伏せなら問題無い、それに関しては……」
「違う、
「……!」
「もし私が彼女なら……そう考えるとここは絶好のチャンス。先生は傷つけたくない、でも排除はしたい、或る意味一番面倒な相手。そしてこの一本道。だとすれば……」
ミサキがそう言い終えようとした瞬間、彼女達はあの時の、リエと相対した時と似た感覚に襲われた。
あの爆薬が爆ぜる音のみが響く、異様な空間が掛けるプレッシャーと同じものに。
「……っ?!」
「な、何か来ます先生!」
「……柱だ!避けろ!」
連鎖した爆薬は地下回廊の大きな柱を倒し、辺りには爆煙と粉塵が舞っていた。
「……大丈夫、先生?」
「何とかね!私柔道の受け身得意だったから!」
「それは良かったです……ま、まさか柱が倒れてくるとは……ですが……あれは……」
「……朝日奈リエと同じ……いや、少し違うけど……」
あの日、アリウスを単騎で壊滅寸前まで追い込んだ彼女の姿が二人の脳裏をよぎる。
そしてそれは即座に新たな事実と結びついて結論へ至った。
「……待って、サオリは……」
「り、リーダーが……分断……」
「……まずい。ということは間違いなく……」
「……ま、また来ました?!」
時間をおいて、再び大量の爆薬が起爆した。
サオリと先生達を引き離すが如く、それは最初の瓦礫から広がるように炸裂する。
そして数十秒の疾走が終わった後に、それは一旦収まった。
「……リーダーは……駄目だね、もう声も聞こえない。かなり引き剥がされた」
「も、もう終わり……なんでしょうか……」
「二人共、一旦塞がれてない道を探そう。三人で、アツコを取り戻すんだもんね!」
「……うん、そうしよう」
「……なるほど。まあ、こうなった以上はそう来るだろうな」
「あ、無事だったんだね!この前のリエちゃんの戦法真似してみたんだけどさ……いやあ、めちゃくちゃ大変だね!こんなの計算してたとか本当に信じらんない!でもあなただけ上手く巻き込めてよかったよ!」
打って変わって、振り切ったような高らかな笑い声とともに、彼女は姿を現した。
復讐に駆られたその星のような双眸が暗闇の中で煌々と輝いている。
「──やろうか、錠前サオリ」
彼女は、夜に跳ねていた。
ビルの屋上から屋上へ、或いは電線から電線へ。
宙を舞っているかと錯覚してしまうほど縦横無尽に街を駆け、彼女は進んでいた。
空は東の端の端のみ、ほんの僅かに白み始め、西の空には満月が輝いている。
彼女は熱を放つ心臓と己の感情に従って、友人達の希望と、遥か過去の願いを背負い込んでそこへ行く。
全てにけりをつけ、全てを救うのだと。
「……待っててよミカ……!!」
書くことがなくなってきた
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記録49:衝突
「これで、私とあなたの二人きり」
「……」
「時間もないんでしょ?急いで、私を倒さないとじゃない?」
「……後……一時間か」
「どれくらいで先生がこっちに来るか分からないけど……先生が来ちゃったら、私の負け。これ以上お喋りしてる暇もなさそうだね?お互いに」
そう言って銃を構えるミカの目を、サオリは落ち着いた様子で覗き込む。
「……なにそれ。もう少し、感情を荒らげても良いんじゃない?それとも、そんな元気も無いのかな?」
「いや、少し古い記憶を思い出しただけだ」
彼女は手榴弾のピンを引き抜いて、そう答える。
そして高く積み上がった瓦礫の向こうへ思いっ切りそれを投げた。
「お前は、私が止める」
「……それ、合図?「お前達は先へ行け」ってこと?……うん、それならあなた達の『お姫様』は助けられるだろうね。……でも……今のあなたで、私に勝てるのかな?」
「そんなことを気にしてる暇はない。……姫が助かるなら、私はそれでいい。それこそ、私がここにいる意味だ。……だが、お前は本当にこんなことのためにここにいるのか?」
「あー……私がここにいる意味かぁ……そうだなぁ……。……まあ、目的達成、的な?……でもね、あなたを狙ったわけじゃないんだ。正直、誰でも良かった」
「……誰でも、か」
「むしろ、先生が残ってくれたらな、なんて考えたりもしたよ?まあ、流石に高望みだったけど」
「……」
「だから、そんな目で見ないでよ。……私、セイアちゃんにもよく言われるんだ。「衝動的で感情的、考える頭を持ってない。もう少しだけでも良いからナギサやリエを見習いたまえ」って。もう少し言い方あると思わない?かたや私やセイアちゃんが放っておいてるトリニティの政治を一人でどうにかしてるがんばり屋さんで、かたやトリニティどころか連邦模試で頂点を争ってるレベルの天才。……もちろん、私だってそれなりに改善しようと頑張ってるよ?でも、どうにもならなくて……でも、二人は「私達に合わせる必要はない、今のミカが好き」って優しく微笑んでくれるの。ナギちゃんもリエちゃんも、そう言ってくれるのは分かってるんだけど……それでも、そう言われるたびにぱあっと心が明るくなる。……ねえ、錠前サオリ。あなたは、そんな大切な幼馴染さえ、私から奪ったんだよ。……そうだね。だから私はこれを一番望んでた。……最も憎いあなたと、二人きりになれること」
「……」
「それに、やっぱり先生は……囚われのお姫様を助けに行くのが似合ってる。あらゆる苦難、障壁を乗り越えて、みんなが幸せになる……そんな物語が相応しいんだよ。そして、私達もここで今までの悪行を清算しないといけないの。……例え、全てを支払うことになってもね」
「……」
「だからさ、始めようか。サオリ。ずっと黙ってばっかじゃ何にも分からない。『魔女』が『猟犬』を始末するの。ほら、間もなく幕も下りるし何か言ってよ。「納得出来ない」「そんなのはお前の自業自得」「私を恨むのは筋違い」とか、丁度いいセリフなんていっぱいあるでしょ?」
「……いや、そんなことを言うつもりはない。私はそれでいい」
しばらく黙っていたサオリは、無数に散らばった瓦礫の一つへ向けて引き金を引いた。
一瞬の間をおいて、辺り一面が爆炎に包まれた。
「っ!?手榴弾……じゃない?!煙幕でも……テルミットでもない……なに、これ……?……っ?!……いたた……」
「キヴォトスでは生産禁止されている爆弾だ。アリウスには山のように転がってるがな」
「……ふーん……まあ、いいよ。どうせリエちゃんのあれと比べたら全然マシだし。……待って、
「……あれは最も効率化されたゲリラ戦とも言って良い。一人が多数を圧倒し、物量差も力量差も全てひっくり返せる可能性まである。幸い、ここには崩れやすい建造物も爆薬も無尽蔵。……なら、例えお前相手でも十分に試す価値はある」
「……」
「……私は、お前の憎悪を否定するつもりはない。幸せな未来も、大切な友人も、居場所も……全て、お前から奪ったのは私だ。なら、私はその憎悪に応えるのが筋だろう」
「……ああ、これ、思い出した。サーモバリック。……リエちゃんと同じことやるなら、それ相応の数はあるんだよね。……なら、私も真面目にやるからさ。そっちも全力出してよ?例え、全てが虚しくとも……ね?」
「ああ、気づかせてもらったからな。全てが虚しくとも、私は足掻き続けよう」
「へえ、退屈させないでよ?」
全てを奪われた『魔女』と何も与えられなかった『猟犬』。
その死闘が、幕を開けた。
ずっと、ずっと昔の話。
……まあ、昔と言っても、今のアリウスとは殆ど変わらない、十何年前のアリウスの話。
「こっちだ、ヒヨリ、ミサキ。ここに隠れよう」
「さ、サオリ姉さん……」
「静かに、バレちゃうよ。もっと体を低くして」
その日は、パレードが開催されていて、スラムで暮らしていた三人も街へ繰り出していた。
「は、はい……あ、ところであの真ん中の子は……と、とっても綺麗なお洋服を……着てますけど……」
「……さあ。私もよく知らない。……きっと、えらい人じゃないかな」
「お姫様らしいよ。なんか、えらい人の血を引いてるんだって」
「お、お姫様?!お姫様なんですか?!こ、こんな世界にも……私達みたいな底辺とは違ってお姫様もいるんですね……お腹も減らないし、怪我で痛いこともないだろうし……ご、ゴミの中で寝ることもないんでしょうね……」
「……うん。多分そうなんじゃない?」
「……この世なんて良いことは一つもないと思ってましたが……あんなにきれいで、幸せそうなお姫様がいるなんて……うわぁぁぁん!なんだか感動します!」
「な、泣かないでよ!バレちゃう!」
「ご、ごめんなさいサオリ姉さ……うわぁぁぁん!でもやっぱり……うわぁぁぁん!」
「……でも、もしかしたら……私達と同じか、私達より酷い目にあってるかもしれない」
「……?どういうこと?」
「パレードに見せかけてるけど……これは、人質を相手に送る行列……なんだと思う。内戦中だから……なのかな。……あのお姫様も、監獄でお腹を空かせるよ。滅多に食べるものがない中で」
「そ、そうなんですか……あうぅ……」
「そういうのはやめよう、ミサキ。ヒヨリも怖がってる」
「……それで、どうするのサオリ姉さん。まさか、何もせずに帰るわけじゃないよね?」
「うん、当たり前でしょ。人だかりから役に立ちそうなものだけ頂いていこう」
サオリの言葉に二人は頷いて、彼女達は人混みの中へ入っていった。
「やめろ!!」
「どけ、第8分隊長」
大人から制裁を受けていた少女を庇って、誰もが傍観する中でサオリは一人前に出た。
「ヘイローを、ヘイローを壊すつもりなんだろう?!そんなのやめろ!」
「お、お願いですからどうか……どうかこんなの……」
「反抗した者は罰する、当然のことだ。同じ目に開いたくなければ去れ」
「……誰が……屈するもんか……ゲホッ……笑わせないで……ゲホッゲホ……」
「っ、貴様!」
翼を持った、痣だらけの白い髪の少女の言葉に、幹部はもう一度彼女を殴ろうとしたが、サオリはそんな中で提案を持ち掛けた。
「……分かった!私が指導するのはどうだ?!」
「何のつもりだ?」
「……何やってるのさ」
「ヒヨリも、ミサキも、姫も……みんな、優秀な成績を収めてる。私が指導した生徒だ。だから……だから、私に任せてほしい。責任を持って、こいつを指導してみせる」
その日から、彼女達の仲間は一人増えた。
ずっと一緒だったヒヨリ、ミサキ、サオリが連れてきた『姫』、そして、徹底して反抗を繰り返していた白洲アズサ。
彼女達は、力を合わせてこのアリウスという地獄を生き延びていた。
「……痛いな」
「二度と、二度と……二度とこんなことをするな!絶対に、絶対にだ!分かってるのかミサキ!!」
「……何で?……どうしてこんな苦痛の中で、寒くて、飢えて、辛い世界で生きていかないといけないの?姉さんは、なんで私達に無意味な苦痛を強いるの?……私達の生きる意味って、何なの?」
「……それは……それ、は……」
「……ほら、姉さんだって知らないじゃん。私達には、何の意味もないんだよ」
「待て、ミサキ!私は──!」
誰かが死を望むこともあって、それをひたすらに拒むこともある。
「……申し訳ありません……どうか許して下さい……二度とこんなことは……二度と、大人の言葉を破りません……反抗しません……希望なんてもの抱きません……二度と幸福を望みません、祈りません……だからどうか……どうか……慈悲……慈悲を……」
どうしようもない相手に屈し、ただひたすらに頭を冷たい監獄の床に擦り付けて何時間も謝り続けることもある。
「どうして、お前は抗い続けるんだ?お前は『和解の象徴』なんかじゃない。お前は任務の為の駒に過ぎないんだ。だから諦めろ。……全ては虚しいのだから」
「……例え全てが虚しいとしても、それは今日最善を尽くさない理由にはならない」
「……今、なんて……待て……待て!どこへ行くんだアズサ!私達はまだ『ここ』にいるのに……。……アズサ……お前は……知ったのか?気づいたのか?お前には……その答えが分かってるのか……?教えてくれ、私は……私は……」
誰もが諦め、その教えを受け入れる中で『答え』を知り、去った仲間の背中をひたすらに追いかけ続けることもある。
「私は……どうすれば……」
それが、錠前サオリに与えられた、意味のないはずの人生だった。
「……アズサ……」
「……アズサ?」
サオリは彼女の名を呟いて、ハッと目を覚ました。
ボロボロの身体で、瓦礫に寄りかかっていた。
「……っ?!……ぐっ……」
身体を動かそうとして迸った痛みで、彼女は自身の敗北にようやく気がついた。
「……もう諦めなよ、サオリ。その傷じゃ、もう無理だよ」
「……そうか、そうだな。……私は、負けたんだな。……なら、もういい」
「……もう、いい?」
「……ああ。私には、これ以上、何が正しいか分からない。今まで正しいと思っていて、正しいと信じ込まされていた全ては正しくなくて、振り返った道は全て間違った道を選んでいた」
倒れたサオリを見下ろすミカは、一つだけ、小さく口にした。
「……白洲アズサ」
「アズサ……?」
「……あなたは、アズサちゃんに何を聞きたかったの?」
「……聞こえていたのか」
「補習授業部のアズサちゃん。私のクーデターを手伝うためのスパイだったはずだけど……先生がいなければ、ただの駒に過ぎなかったのに……」
「……違う。……アズサは、スパイなんかじゃない」
予想から大きく外れたサオリの答えに、ミカは少し驚いて聞き返す。
「……えっ?」
そして残った力を振り絞り、サオリは帽子を被り直して立ち上がった。
「……アズサは、『和解の象徴』のはずだった」
「……せ、セイア様の意識が戻られました!」
「っ?!間違いありませんか?!」
「は、はい!何せ──」
「……ただいま。本当に心配を掛けた……と謝罪会見と洒落込みたいところではあるが、時間がない」
ナギサに肩を支えられ、執務室にセイアは姿を現した。
少なくとも、精神面はかなり回復しているようだった。
「タイムリミットは夜明けだ。あと数時間もしないうちに、先生もミカも取り返しのつかないことになる」
「でしたら……!」
「……リエは向かわせたが、彼女の能力を持ってしても五分五分……。……だから、そこから先は私達の仕事だ」
その口から出てくるのは、いつものように回りくどく、難解な言葉などではなかった。
小難しい問題の解決なんてものではなく、ただ、大切な友人を救うための言葉。
「……あと二時間で、トリニティの全戦力を持ってアリウスを制圧する。出来るかい?ハスミ、ミネ」
「……この状況でNOとは言えません。……全力を尽くします」
「出来るか出来ないかの話ではありません。……アリウスには、救護が必要であると考えます」
「ティーパーティーの砲兵隊もいつでも出撃可能です。……ミカさんを救うためであれば、惜しむことはありません」
「……どうか頼むよ、みんな。それと、シスターフッドは……」
「はい、皆様が帰ってきた後の準備を」
「ああ、そうしてくれ」
そして全員の顔を見渡した後に、彼女は精一杯の声で宣言した。
「ティーパーティーホスト、百合園セイアの名の下……全軍、出撃だ!」
本当この辺書いててエデン条約感を感じる
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記録50:告白
「……え……えっ……?」
「トリニティと、アリウスの……一番最初にそう言ったのはお前だったな、ミカ」
「ううん、そんなの……そうだよ、先生を騙すための適当な……」
「違う。……まだ、何も始まっていない頃……お前が、初めてアリウスに来た時に言った言葉だ」
「……」
「覚えてるか?お前はアリウスに来るなり、開口一番にこう言ったんだ。「アリウスと和解したい」とな」
「ごきげんよう☆はじめまして……だね!あなたがアリウスの生徒……で良いんだよね?」
彼女は、唐突に姿を現した。
纏った上質な服から、トリニティでもかなり上の立場の人間であることは、想像に難くなかった。
「用件だけ言え、トリニティ」
「えっと……アイスブレイクとか、嫌いな感じかな?じゃあ、しょうがないから本題から入るよ」
極限に近い警戒心を抱いて相対したサオリに対し、ミカは少し歩み寄って切り出した。
「……私は、
「……和解……?」
「うん。少し突然過ぎるかもしれないし、それに……あなた達は、まだ私達が憎いよね?だから、誰の助けも借りずにこんなところでずっと孤立したまま。まだ、憎悪を残したままだから」
「……」
「……でも、これを解決するには、積み上がった誤解も、憎悪も大き過ぎる。セイアちゃんもナギちゃんも、反対するのは当たり前だよ。……でもさ、もっと、簡単な話じゃないかな?お互いに「ごめんね」って言って、それで少しずつ、ほんの少しずつでも歩み寄れば……いつかは叶いそうな話じゃない?……だから、私も歩み寄らないとなって思ってここへ来たんだ」
無垢に語る彼女に、サオリは冷たく切り返す。
「……その言葉が本心だと、心の底からのものだと、どうやって信じろと言うつもりだ?」
「まあ、そうなるよね。だから、少し考えたんだ。……あなた達、アリウスからまずは一人、トリニティに転校させてみない?」
「転校……」
「うん。もちろん内緒でね。ティーパーティーの私が後見人になればどうにかなるし、書類もリエちゃんに頼めば問題無いと思うし」
「……」
「それでさ、もしアリウス生がトリニティで友達と仲良く、幸せに過ごせるのなら……私達は、きっと仲直りできる。……そうだね、その子に『和解の象徴』になってもらうってこと。どうかな?」
天衣無縫な笑顔を浮かべて夢物語を語る彼女に、サオリは少し目を見開いた。
「……荒唐無稽、だな」
「ま、待ってよ!もしそんな存在がいたら、きっとみんな納得してくれる!アリウスも、きっと幸せになれるって証明してくれるから!」
「……分かった。だが、この場で決められる問題でもない。持ち帰らせてくれ」
「え、えっ?!ほ、本当にいいの?!そんな子、いるの?!」
「……」
「え、えっと……良いお返事待ってるからね!」
去っていくサオリの背中に、ミカはそう言った。
「アズサ」
「……なに、任務?」
「……何故か、私はアズサなら……アズサなら、『和解の象徴』になれる……私は、そう思っていたんだろう」
「……」
「結局、それを……アズサが『和解の象徴』に、幸せになるのを見届けることは、私には……どうしても出来なかった……『マダム』はそれを決して見逃してはくれなかった」
それを聞いて、ミカの脳裏をあの日のことがよぎった。
「セイアを襲撃して」、そうアリウスに頼んだあの日のことが。
「……邪魔な百合園セイアを、『マダム』は上手く排除した。……お前は、私達を便利な私兵程度に考えていたんだろう。……そうでないのを分かっていれば、セイアの位置を教えることは絶対になかったはずだ。……だが、私達はそんな存在じゃなかった。私達はそれを学び、鍛え、備えた……『人殺し』だ」
「……」
「『ヘイローを壊す爆弾』で彼女を殺害する任務が下された。……アズサは、その中心として選ばれた。『和解の象徴』となるべく、トリニティに関する知識を多く学んでいたから」
「……」
「……私は、お前が理解できなかった。百合園セイアも、桐藤ナギサも私達に差し出して、一体何がしたいのか、見当もつかなかった。本当に、ただの馬鹿なんじゃないかとさえ思った。……だけど、そんなお前から……」
ミカは何も言わず、ただただ黙って彼女の目を見て、その話に耳を傾けている。
何度も瞬きをし、息を整えて、サオリは言った。
「『和解』という言葉が聞こえた時は、本当に、嬉しかった。もちろん、それが詭弁であるとも、懐柔するための嘘かもしれないということも理解していて、それでも……それでも、私はそれを頭から消すことは出来なかった。「こんな私達でも、救われるのなら」……そう、思ってしまったんだ」
「……」
「……だが、今ならなんとなく理解できる。……お前は、本当に『和解』したかったんだな」
「……」
「気まぐれかもしれなかったが、そのお前がアリウスへ抱いた善意、慈悲、優しさを踏み躙り、騙し、偽り、地獄まで引き摺り込んだのは……紛れもない、私だ。そして今、お前はこの地獄を認められなかった。……だから、お前はそれを否定した。記憶に蓋をして、「そんなことはなかった」と、無理矢理に忘れようとした」
「……」
「……お前だけじゃない。姫が声も顔も隠して細々と生きなければならなかったことも、ヒヨリとミサキをこんな地獄まで巻き込んだのも、アズサをスパイにして、多くの人を欺かせ……そして、『人殺し』となる悲痛な決意をさせてしまったのも……全て私だ」
話している内に彼女の息は少しずつ荒くなり、その目頭にほんの少しずつ、涙を湛えていく。
「……『猟犬』なんかじゃない。私は……私は……みんなを不幸にし、苦痛を撒き散らす……『疫病神』……だ……」
「……サオリ……?」
「……ああ、アズサに、聞きたいこと……一つだけあったな……。……彼女は、その全てを押し付けられ、悲惨な運命に巻き込まれて尚……アズサは、笑っていたんだ。無表情で、私達を受け入れることなく、最後まで、孤独で、心を閉ざし続けていたアズサが……酷く、幸せそうに見えたんだ」
「……」
「『全ては虚しい』というアリウスの教えに抗い続け、友達と、先輩と、大人と……沢山の仲間と力を合わせ……苦難を乗り越えて……アズサは、あの色鮮やかで、幸福で満たされた美しい晴天の青空へ……突き進んだ……」
彼女は帽子を深く被り、目を瞑り、彼女とのやり取りを少しずつ思い返す。
「……どれだけ否定しようと、叩き潰そうと躍起になっても……結局、最後には認めざるを得なかった……気付かざるを得なかった……。私達の憎しみも、恨みも、虚しさも……全て、アリウスの全てが虚しい嘘だったと……愚かで、低劣で、どうしようもない私が……破滅を呼び込んだのだと……」
「……」
「……ああ、そうだな。全て、私なんだ。アズサは、私から離れたから幸せになれたんだ。……私は、それを知りたくなくて、理解したくなくて、最後まで……拒み続けたんだな……」
そう言って、サオリは再び、その場に崩れ落ちる。
「……お前は……答えに気がついたのか?それを、分かっているのか?……なら……アズサ、私……私は……」
「……サオ……リ……?」
「……幸せに、なれるだろうか?」
カタン、とミカの握っていたサブマシンガンが地面に落ちた。
「私も、願って良いのだろうか?……いい大人にもう少しだけ早く出会えて、もっと多くのことを学べて、幸福に満ちた……そんな別の人生を……こんな結末ではない、ハッピーエンドを……そんな機会を……。……アズサ……お前は、あの時……なんて、言っていたんだ?」
今までに我慢していたものを吐き出すかのように、サオリは大きく咽た。
白いコートの裏地が、朱くなった。
「……ミカ。もう、好きにしてくれ。お前が奪われた分だけ、私から奪ってくれ。お前の優しさを踏み躙った……お前を『魔女』にした、償いを……これで、公平に……」
「……」
「……その引き金を引くのはアズサだと思っていたが……お前だったんだな、ミカ」
「……むり……だよ……」
ミカは、嗚咽混じりの声で、絞り出すように答えた。
「私には、できない……できないよ……だって、だって……」
「ミカ……?」
「……私も……あなたとおんなじだから……。……救われたかった、やり直したかった、そんな機会を与えられて……幸せに、なりたかった……」
その綺麗な瞳から涙を流し、汚れまみれの制服を彼女は濡らす。
「もし、先生ともっと早く会えてたら……そうしたら、私も間違いをやり直して、過ちを取り返せたのかな……って……そう思ってた……。これは当たり前のことだから、償わないといけない罪だからって受け入れて……それでも、どうしても救われたい、慈悲が欲しいって……何度も、何度も……数え切れないくらい願って、祈って……。……それでも、やっぱり駄目だった。……償い方が分からない……どうすれば許されるのか……全然分かんない……先生が、セイアちゃんが、ナギちゃんが、リエちゃんが……みんなが私のために集まって、やり直せるチャンスが来るって、ずっと信じてたけど……そんなのなかったの……」
彼女は膝から崩れ落ちて、それでもなおありったけの本心の告白を止めなかった。
「こんな虚しい世界で、救いを願って、慈悲を祈って、ただ苦しみ続けるだけだった……。……だから……あなたは私とおんなじ……おんなじなの……あなたは、私だよ……サオリ……」
「……?」
「あなたが幸せになれないのと一緒で、私も幸せになれないの。……罪を犯しすぎた私達には、もうチャンスなんて与えられない。……そう信じてたから、せめて痛みだけは同じように、『公平に』って……そう、願ってたんだと思う……でも、だから……だから私には……そんなのできない……」
サオリの青い目と、ミカの黄色い目が合った。
「……だって、そうしたら……あなたの結末を決めたら……私も決まっちゃう……。救いがないって、自分で証明してしまう……」
「ミカ……お前は……」
互いに、ゆっくりと立ち上がった。
コートを羽織り直したサオリに、ミカは尋ねる。
「……ねえ、サオリ。……なんで、爆弾を……『ヘイローを壊す爆弾』を使わなかったの?」
「……!それは……」
「あなたが持ってるんでしょ?……使うタイミングなんて、いくらでもあった。……でも、どうして使わなかったの?それを使われてたら、私は……」
「それは──」
「私が没収したからね!」
明るい、声が響いた。
涙で滲む二人の視界に、見覚えのある人影が映った。
「せ、先生……?!何故……」
「そ、そうだよ、どうして……」
かなり急いできたのか、彼女のシャツは汗で滲んでいる。
それでも二人へ向けて、先生は肩で息をしながらでも笑顔を絶やさなかった。
「先生……?姫を助けに行ったんじゃ……?」
「もちろん忘れてないよ!……でも、サオリも一緒にね!」
「……!」
「……ごめん、リーダー。説得は無理だった」
「ぶ、無事じゃなさそうですが……無事で何よりです!」
「ミサキ……ヒヨリ……」
嬉しそうに再び集まるスクワッドを尻目に、ミカはその場に立ち竦んでいた。
「……サオリと戦った……んだよね?ミカ」
「え、えっと……その……」
「……本当にごめん!」
先生はそう言って謝るなり、ミカをギュッと抱きしめた。
「せ、先生?!」
「もっとミカと話すべきだった!もっとミカと向き合ってればよかった!本当にごめん!」
「ど……どうして先生が、私に謝るのさ……?だって、だって、悪いのは私じゃ……」
「
「……どうして……?そんなことしたって、どうせ結末は……セイアちゃんは私のせいで……リエちゃんは……私を退学に……させなきゃいけなくて……」
「私が手伝うから!ミカのこと、いーっぱい知ってるから!」
「あはは……何言ってるの……?先生は、何を知ってるの?……私の、何を?私は……私はトリニティの敵。『魔女』なんだよ。……ちゃんと、私の罪を──」
「分かってるよ。ミカが『悪い子』なことも、私は分かってる。さんざん、味わったからね!」
先生は明るく、けれど至って真剣に言葉を紡ぐ。
「人を騙して、傷つけて、自分に嘘をついて、追い込んで……その結果なんて分かってるのに、それでもその結果を受け入れられなくて、泣いてしまう子で……誰かを救うために手を差し伸べる優しさもあれば、嫌われるのが嫌で、全部背負い込んだりもする不安定な子で……。……だけど、ミカは『魔女』じゃないよ。ただの『悪い子』、不良生徒!」
「……」
「だから、もっと私に話してほしいな。生徒の話を聞くのも。
「なんで……なんでさ……どうして、戻ってきちゃうのさ……?私を……置いてってくれないの……?まだ……チャンスがあるなんて……信じさせて……」
「大丈夫。無くても、私が用意するよ」
「そ、そんなの無茶だよ。だって──」
「ううん、ミカが子供で、私の生徒である限り、私はずっとチャンスを作るよ。例え駄目でも、間違えてもその度やり直して、少しずつでも進めば良い。……ミカもサオリも、チャンスを重く見すぎなんだよ!一度や二度の失敗で悲惨な結末を迎えるなんて、そんなに人生は難しくてつまらないものじゃないよ。エンディングなんて、数え切れないくらいある。それこそ、これから先のあなた達には、その未来には……」
先生は満面の笑みを向けて言った。
「無限の可能性が待ってるんだから!」
「……先生……」
「チャンスがないなら、幾つでも作る。……子供が未来に絶望することなんて、あっちゃいけないんだよ。……だから、そういうのは大人に任せてほしいな!」
「『戯言もそこまでに──』」
「黙れ!!!」
突如入ったベアトリーチェからの通信に、彼女は反射的に怒号を上げる。
「お前が口を出すな!!子供に明るい未来さえ見せられない大人が『大人』を名乗るな!!」
「『っ……その言葉の意味が分かっているのですか?!』」
「何度だって言ってあげる!!お前は子供を恐怖で支配することしか出来なかった!!子供の目を見て喋れない奴が『大人』を名乗るな!!」
「『っ……分かりました。ではその言葉に応えましょう。……私の全力を以てお相手致します。儀式を始めましょう』」
「う、嘘?!」
「た、太陽はまだ昇ってない……はずです……!」
「『何を勘違いしていらっしゃるのです?その気になれば私はいつだってそれが出来たのです。……『ロイヤルブラッド』はじきに果てることでしょう。そしてその贄を以て、私は高みへ上るのです』」
「待て!姫!!アツコ!!!」
「『さあ行きなさい聖女バルバラ!先生に引導を!』」
ベアトリーチェの通信が切れたと同時に、辺りを無数の複製が囲む。
それだけじゃない、アンブロシウスに、自我を失ったアリウス生。
そして、ベアトリーチェが丹念に蘇らせた切り札、史上最高の聖女、『聖女バルバラ』。
多勢に無勢だった。
「っ……?!なんなのあれ……?!」
「せ、戦術兵器すら比較になりません……あれは一体……?!」
「……ぐっ、ここまで来て……」
スクワッドも先生の指揮の下で必死に抵抗するも、それの動きは止まらない。
正面のユスティナ聖徒会を排除して突破口を開こうと彼女達が必死に足掻く中で、一つの影が、バルバラの前に立ち塞がった。
「……ミカ?!大丈夫?!」
「アレは私に任せてよ。……サオリ、今ならあなたがアツコを助けたい理由も分かる。だから……それまで、私が時間を稼ぐ。……先生、ごめんね。最期までこんな感じでさ。……でも、ありがとう。すごく嬉しかった。「まだチャンスがある」って、言ってくれて」
「……お前は……」
「アツコを助けるんじゃないの、サオリ?……早く行きなよ!」
「……ああ」
「……どうか無事でいてね、ミカ!」
「大丈夫だよ、先生。……私、それなりに強いんだから」
スクワッドと先生の背中を押し、ハッピーエンドを懸けた一時間が幕を開けた。
「っ?!……お前は……」
「朝日奈リエ……?!」
アリウスの地に踏み込んだ彼女へ、警備の生徒が一斉に銃口を向ける。
けど、彼女はそんなことは気にせずに話しだした。
「……あなた達を、助けに来た」
「っ?!」
「……どういうことだ?」
「どうもこうも無いよ。あなた達を救いに来た。……だから、力を貸してほしい」
長かったですね!
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記録51:決戦
「……何故だ?」
しばらくの沈黙の後、アリウス生の内の一人が口を開いた。
「何の意味があってそんなことをする?何の理由があってトリニティがここまで来たんだ?」
「そうしなければいけないと思ったから。約束を、果たしたいと思ったから。……これじゃあ、足りない?」
強烈なまでの意志を宿した瞳が、相対するアリウスの目を貫いた。
裏など微塵もない、本当に、ただただまっすぐな瞳だった。
「……お前には……あなたには、救えるの?この苦痛と憎悪に満ちたこの世の地獄を?」
「……救ってみせる。トリニティの総力を懸けて、あなた達を絶対に救う」
「どうやって?あなた達に救われて、私達はどうなるの?」
「分からない。……でも、トリニティではあなた達を殴らせないし、怒鳴らせない。それに……人を殺さなくても良くなる」
「……分かりました」
そう言って、彼女はガスマスクを外し、銃口を下ろした。
「……あなたに協力します」
「隊長?!そんなことしたら『マダム』が……!」
「……私は、サオリさんに色んなことを教わった。アリウスでの生き方も、全部。……サオリさん達も……『スクワッド』も、助けてくれるんですよね?」
彼女が問いかけると、リエは黙って頷いた。
「……これ以上、私はサオリさんを追い詰めたくない。彼女を助けたい」
「ですが『マダム』が……」
「『マダム』は……『ベアトリーチェ』は、先生とサオリさん達がきっと止めてくれる!トリニティでは、アズサちゃんが友達と仲良く、楽しそうな学園生活を送ってるって……!そしたら『スクワッド』だって、私達だって幸せになれるかもしれない!それで、どうすれば良いんですか?!」
「出来る限りで良い。どうか、仲間を説得して。「トリニティに加わるように」って。……これから仲間になるかもしれない相手と、これ以上争わない為に」
「……っ……わ、私も手伝います!」
「ぼ、ぼくも!」
「あたしも!」
その場にいたアリウス生が次々とガスマスクを外して、リエの顔を見る。
没個性的な兵士に思えていたが、こうして見るとそれぞれに個性があるな、とリエは思った。
そしてそれぞれの仲間を説得するため、彼女達はアリウスの街に散っていく。
そして最後に残ったアリウスの隊長の少女は、リエに再び問いかけた。
「朝日奈……えっと……」
「リエで良いよ」
「えっと……リエさんは、この後どうするんですか?」
「ああ、私は……」
僅かに白む空を見上げて、彼女は答えた。
「助けないといけない幼馴染がいるから」
「はぁ……はぁ……」
「ぜぇ……ここが……至聖所……?」
「……あ、あれ!」
バシリカを駆け抜けて、スクワッドと先生はその最奥へ辿り着いた。
いち早くそれを発見したヒヨリが、その奥の祭壇を指差す。
「アツコ……!」
「姫……!!」
「……気を失ってるだけ。生きてはいるよ」
「は、早く降ろさないと……」
「お待ちしておりました。『先生』。……私の『敵対者』よ」
祭壇に駆け寄ろうとした先生を呼び止めるかのように、一つの声が響く。
「ようやくのお出まし?ベアトリーチェ!!あれでも写真写り良いほうだったんだね!」
「そちらは随分遅い到着で。既に儀式は始まっています」
「っ…?!」
「『ロイヤルブラッド』の神秘を糧とし、キヴォトスの外の力を用いて……私は、高みへ至るのです」
祭壇に縛られたアツコを見上げ、ベアトリーチェは満足そうに笑う。
「さあ、始めましょう。大人同士の戦いを。より高みから全てを見下ろし、全てを救う義務が大人には──」
「違う」
「何が違うと?高みから世界を救う、そのためには多少の犠牲はやむを得ません。犠牲を払ってでも自ら高位に上り、そこから無知な子供を導く、それこそが『大人』。これこそが『崇高』へと至る道。全ての生徒を導き、救える力を持つあなたなら、この価値が──」
「違う」
「……?!」
「私は全てを救えるほどすごくはないし、全てを裁けるほどの力はないし、全ての善悪を決めれるほど偉くもないよ」
「では……あなたは何だと……!あなたは何故そこにいるのですか?!」
面と向かって飛んでくる先生の強い反論に、ベアトリーチェは思わずたじろいだ。
声を荒らげて先生に問う彼女だったが、彼女は精一杯の声で答えた。
「私はあの子達の、生徒達を守る『
「それが、その言葉が何になると……!」
「子供達の隣に立って、一緒に考えて、同じ目線でものを見て、子供達の道に寄り添って歩く……」
「っ……」
「私は、そんな『大人』でありたいだけ!!」
「……その目障りな心まで!私が粉々に砕いて差し上げます!これが……これこそが私の真の……!偉大なる『大人』の姿です──!!」
先生の反論に激昂したベアトリーチェは、アツコから奪った神秘を糧として、姿を変える。
その足は大樹の根のように地に張り付き、その腕は細長く伸びて枝分かれし、その無数の目は醜く花開く。
背後には巨大なヘイローがゆっくりと回転し、異形の怪物と成り果てた彼女は大きく咆哮した。
「……あれが……『マダム』……いや、『ベアトリーチェ』か……」
「た、ただの怪物にしか見えませんが……」
「……あれが相手か……」
「……大丈夫。私は一緒にいる」
その本性を前にして、少し怯みかけた三人の背を先生は強く押す。
「……そうですよね、姫ちゃんを救うんですもんね……!!」
「うん、やるしかないよ」
「……ああ」
三人は精一杯の覚悟を決めて、もう一人の『大人』と共に目の前の怪物と対峙する。
「……姫を返してもらうぞ、ベアトリーチェ!!!」
自らの因縁を断つ戦い、その火蓋は切って落とされた。
「はぁ……いったあ……服も身体もボロボロ……疲れた……」
無限に近い敵の前にただ一人立ちはだかったミカ。
彼女がどれだけ圧倒的な個人であろうと、その身体はじわりじわりと限界に近づいていた。
「……でも、まだやれる」
それでも、彼女はただ彼女達のハッピーエンドを願うその一心で立ち続ける。
ここで折れたら、全てが終わってしまう、無意味になってしまう。
それだけはさせないと、彼女はひたすらに時間を稼ぎ続けた。
「……ここ……は……?」
そしてまた一つ敵の波を凌ぎ切り、ミカが息を整える為に足を踏み入れたのはアリウスの聖歌隊室だった。
「オルガン……楽譜も……あ、蓄音機も……」
その遺物に手を触れて、彼女は慈しむように呟いた。
「……そうだよね、アリウスも、私達と同じだったはずだもん。……まあ、鳴らないかぁ」
まだ、次の波が来るまでは時間がある。
彼女は思わず、その場に腰掛けた。
「……コハルちゃん……カッコ良かったなぁ……急に飛び出てきて、私のこと庇って……そこに先生も颯爽と登場して……コハルちゃん、物語のお姫様みたいだったなぁ……そういうお話、私好きなんだ」
ミカは目を瞑り、思いを馳せた。
「大ピンチになっちゃったお姫様を運命の王子様が助けに来て、小さい頃から一緒だった騎士なんかも一緒に……。それで、お城では、仲の良いメイドさんとか、街で出来たお友達とかが出迎えてくれて……最後は大団円。……子供っぽくて、夢と希望に溢れてて、胸がときめく、甘くとろけるようなハッピーエンド……そんな物語が好きで、私は、そんな物語の主役になりたかった」
そこまで言うと、彼女は小さくため息を吐いて、痛みに少し顔を歪めた。
「……分かってるよ。私には、そんな資格がないことなんて。『魔女』がハッピーエンドを迎えるお話なんて、どこにもないもんね。……でも、そうだよね。あなた達も、救われたかったよね。誰だって、幸せになりたいもんね。あなたがアツコを助けたかったのも……うん、何となく分かるよ。たくさん騙して、絶望させて、たくさん騙されて、絶望したあなたでも……最後に誰かを、心から思う大切な人をすくえたなら……きっと、苦痛に塗れたあなたの人生も報われる、きっと良い人生だったって胸を張って言えるから。だから、ささやかなハッピーエンドくらい……あなたも迎えたかったんだよね。……こんなところまで、一緒なんだね」
心に溜まっていた何かを吐き出して、ミカは小さく笑った。
あの『聖女』の叫びが、その耳に届いた。
「……だから、アリウススクワッド」
「あなた達の為に、祈るね」
「いつか……いつの日か、あなた達の傷が、苦痛が癒えることを……」
「やり直しの機会を
「だから、私は……私は……あなた達を赦すよ」
「それは互いが平等に不幸で、公平に苦痛で、等しく傷つくよりもずっと、ずっと良い結末だろうから」
「……例え、アツコを救っても、あなた達の未来が美しいものになるとは限らない。一生追われて、逃げ続ける生活になるかもしれないし、太陽の下を歩けないかもしれない」
「……でも、それでも……あなた達の未来に、どうか……どうか光がありますように。アツコを救うことで、あなた達も救われますように。私はもうどうにもならないけど……あなた達にはまだ時間もあるし、先生もいる。だからきっと……うん、きっと大丈夫」
「だから、どうかあなた達のその行く先に幸いが……祝福が、あらんことを──」
ただ一人、誰が聞いているはずもない祈りを呟いて、彼女はゆっくりと、立ち上がる。
その時だった。
「……あははっ、なんだ、まだ動くんだ」
壊れていたはずの蓄音機が、
その慈しい音色が、部屋をふわっと包む。
「憐れみたまえ……か……。……そうだね、あんまり好きってわけでもないけど……今は……」
集い始めた『聖徒』、そして『聖女』を前に、ミカは小さく微笑む。
「そんな急がないでよ。どうせ通れないんだからさ。……ここから先は、主人公の贖罪と救済の舞台。私達が、足を踏み入れていい場所じゃないんだよ」
そう言って、彼女はボロボロの身体で一歩ずつ、一歩ずつと距離を詰める。
「……うん、任せたよ。先生。どうか、あの子達を救ってあげて。……ここは、私が守ってみせるから」
少女達の為にKyrie Eleisonが鳴り響く中、ミカは少し誇らしげに言った。
「っ……何故来ないのです?!バルバラも、ユスティナも!」
苛立つベアトリーチェの下、そして立ち向かう少女たちに訪れたのは、慈悲を求める旋律だった。
「……こ、これは……」
「……
「ミカ……!」
「許しません!!」
誰もが一瞬、その音色に耳を傾ける中で、ベアトリーチェは強く遮った。
「私の領土で、私のアリウスで慈悲を求めると?!一体何が……全て、そのようなものは楽器も蓄音機も全て……!!」
「……」
「決して許されません!!生徒は憎しみを、恨みを、呪いを謳うものなのです!!地獄の中で、大人の糧となる存在であるべきなのです!!」
「黙れ」
「……なんです?!」
「私の生徒に話しかけるな」
「……よくも私にそのような……!!」
「ミカの奇跡を……彼女達の為の
「言葉をぉぉぉぉっっっっ!!!!」
激昂したベアトリーチェの姿が、また醜く崩れ始める。
気に障る抵抗は止まらず、耳に障る音色は止まず、目に障る先生は消えない。
崇高とは程遠い姿に堕ちながら、彼女は藻掻き続ける。
「そうですサオリ!!貴様を新たな贄とします!」
「……!!」
「『大人』の計画を台無しにしたのです!その代償を払いなさい!!」
「……いいだろう。払える代償が残っているならいくらでも」
「り、リーダー?!」
「急に何言ってるの?!」
「好きに持っていけ!!私はここにいるぞ!!」
そう叫んで、サオリは前に出る。
そして二人もその後に続いて走り出す。
「先生!」
「行きましょう!」
「……これが最終決戦だね!」
そして先生は目の前の怪物を睨んで言い放った。
「『大人』を舐めないでよ!!ベアトリーチェ!!」
崩れていく、崩れていく。
崇高に至った姿も、高位へ上り詰めた力も、欲し続けた記憶も、全て、全て。
なぜ、なぜ、なぜ。
断末魔を上げる暇もなく、その身体は塵となり、ただ元の姿となって倒れていた。
「……姫ちゃん、姫ちゃんは……?!」
ボロボロの身体を叩き起こして、ヒヨリは彼女の下へ。
二人も、先生もそれに続く。
祭壇から彼女を引き摺り降ろし、サオリは彼女が無事であることを必死で祈って抱きしめた。
「……頼む、姫……どうか、どうか目を……お願いだから……その目を、開けてくれ……」
「……」
「……」
「……サオリ、ちゃん……?」
「……!!アツコ……!!」
「姫……?」
「ひ、姫ちゃん?!大丈夫ですか?!大丈夫ですよね?!」
「……うん。サオリ、ヒヨリ、ミサキ……みんな、おはよう。先生も……」
スクワッドが感動の再会を迎える中で、先生は倒れたベアトリーチェへ近寄った。
「ぐぅ……うぅっ……」
「……もう終わり。これでおしまいだよ、ベアトリーチェ」
「まだ、まだです……!まだ私は……!アリウスも、複製も、バルバラだって……!この程度で終わりには……!!」
「いえ、この物語は終わりです」
「……!!」
初めて聞く、けれどどこか聞き慣れた声が響いた。
絵画を抱えた、首無しの紳士が先生に近づくように歩いてくる。
「ゲマトリア……?」
「……っ、ゴルコンダ……!!」
「ああ、落ち着いて下さい。先生も、お会いできて光栄です。彼女の、そしてあなたの言う通り、私は『ゲマトリア』の『ゴルコンダ』……いえ、あまり時間を取るものではありませんね」
「……敵討ち……って雰囲気じゃなさそうだね?」
「はい、私はただ彼女を連れ戻しに来ただけです」
「私を……?!」
「それに、正直勝ち目がありません。私達はあくまで研究職。怪物ではありませんので。……それで、マダム。これで明らかになりましたね。先生はあなたの『敵対者』などではなく、これはあなたの物語ではなかった」
「……!」
「これは、少女たちが罪を償い、慈悲を求め、希望を手にする物語。……あなたの野望は『知らずとも良いもの』へと格下げされました。あなたは主人公でも、『敵対者』でもなく、ただの『
「く……ぐうっ……!!」
「元々は、この物語はこのような結末のはずはありませんでした。……あなたが介入し、全てに意味を与え、書き換えてしまったのです」
「……?」
「元来、私が望んだものはもっと文学的で、このように綺羅びやかな英雄譚ではなかったはずなのですが……いえ、興味深いものが見れたということで、私はマダムを連れて帰路に着くこととします。……マダム」
「ゲホッ……貴様は……」
「待って、あなたは……!」
「私の邪魔をするつもりでしょうか?……もしそうなのであれば、どうかそのような選択はしないで頂きたい。何が起こるか分かりませんので。私は……まあ、発明家としての側面も持ちます。あなたが持っている『ヘイローを破壊する爆弾』も私の作品の一つです」
「……あー……捨てちゃったなぁ」
「……なるほど、それも決断の一つです。それに、結局実用かどうかは分からずじまいでしたので、どちらにせよ廃棄予定でした。……今回の実験は失敗です、帰りましょう、マダム」
「……ゴルコンダ……!」
「……それでは、また会えるのを楽しみにしています、先生」
そう言って、彼らは虚空へ消えていった。
そしてそれを見届けて、先生は全速力で走り出した。
「……せ、先生は……?」
「……ミカのところへ行ったんじゃない?」
「?!先生もボロボロのはずじゃ……」
「……きっと、策があるんだよ。私達を助けてくれた『大人』だもん」
「あー、全身どろっどろ……これもう買い替えなきゃなぁ……」
全身傷だらけで、ミカは呟いた。
崩れ落ちた壁の外を見ると、間もなく日が昇ろうとしていた。
「……あともう少し……うん、きっとスクワッドは……ハッピーエンドを迎えられた。先生と一緒にね」
そう呟いた瞬間、ふっと気配が一つ消えた。
「……うん、それならいいや」
目の前には、全く数の減っていない聖徒会と、未だ無傷に近いバルバラがわんさか待ち構えている。
ミカはその場に倒れ込んで、口にした。
「……私は、ここまでかなぁ……」
そう言って、最期の瞬間を待とうとした彼女の耳に、酷く聞き慣れた足音が、声が聞こえた。
「待って!!」
ボロボロのシャツを着て、彼女はミカの下まで駆け寄ってくる。
「せ、先生?!」
「遅くなってごめんね、ミカ!あとはここだけだよ!」
「そ、そうじゃなくて……なんで来ちゃったのさ……?」
「私はいつでも生徒の味方、つまりミカの味方だよ!言ったでしょ!」
「……!!」
「当然、ミカのピンチには飛んでくるよ!」
力強く答える先生に、ミカは戸惑いながら言葉を紡ぐ。
「で、でも私は……悪い子で……先生が救わないと行けない存在じゃ……」
「……」
「そ、それにどうやってあの聖徒会を相手にするのさ……?あれは次元が違いすぎるよ……私も頑張ったけど……」
「……そっか」
「だから逃げてよ先生!お願いだから逃げて!」
「……ミカは、問題児だよ。でも、それは……」
先生は、ミカを庇うように聖徒会の前に立つ。
「
そして『大人のカード』を取り出して、彼女は目の前の『聖女』に言い放つ。
「……私の……私の大切なお姫様に何してるの!!」
「……わーお……」
そう叫んだ瞬間だった。
「……っ?!」
「……!これ……!」
目の前の聖徒会に、太陽がもう一つ現れたかのような爆炎が降り注ぐ。
一瞬、怯みはしたものの、それでも彼女らはお構いなしに先生の下へ進んでくる。
そして、その上に屋根全てが外れたような瓦礫が降り注いで押し潰し、その上に一人の生徒が降り立った。
「おまたせ、ミカ。先生」
「……う、そ……?」
「リエ……?!」
朝日が昇ると同時に、彼女はそこに姿を現した。
もちろん、彼女がどれだけの戦力であろうとも、それに対抗し得ないことは先生も、ミカも、何よりリエ自身も良く分かっている。
だから、先生が
「……うん、やろう!!リエ!!」
「もとからそのつもり!!」
『シッテムの箱』、『大人のカード』、その全てのリソースが彼女一人に注がれる。
心臓の底に星を焚べるかのような熱が湧く。
身体中に巡る血液が、光の如く加速する。
込み上げる全能感の中で、彼女は高らかに叫んだ。
「……300年越しの約束です」
意志を宿して煌めく瞳を『聖女』へ向け、彼女は笑う。
友の希望に、少女達の願いに、幾星霜の約束に、そして幼馴染の祈りに応え、彼女の最終決戦が幕を開く。
「けりをつけましょう、先輩方!!」
改めて言おう。
彼女の名前は朝日奈リエ。
アリウスに327年ぶりの夜明けを齎す、トリニティ最強の『オブザーバー』である。
リエはミカの願いはなんでも叶えてくれます
なんでもです
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記録52:夜明け
「……!あなた達がトリニティの……!」
「っ?!アリウス……?!」
セイアの指揮の下、『ユスティナ聖徒会』が護るカタコンベを突破し、アリウスに足を踏み入れたトリニティの前に、彼女達は姿を現した。
ガスマスクも防弾プレートも付けず、懸命に自治区から武器やら資材やらを運び出している最中のようだった。
「待ち伏せですか?!総員構──」
「いや、様子が変だ。……話を聞いてもいいかい?」
臨戦態勢に移ろうとしたハスミを遮って、セイアは『隊長』と呼ばれていた生徒に話しかけた。
彼女の表情が、崩れそうになった。
「……朝日奈リエという方に、言われたんです。「あなた達を救ってみせる」って」
「……リエに?」
「トリニティなら、私達も……幸せになれるんですよね?」
彼女は泣きそうな顔で言う。
「言われたんです、言ってくれたんです。「もう人を殺さなくてもいい」って……彼女は……」
「……人を……」
「本当……ですよね?」
「……ああ、もちろんだとも」
縋るような目の彼女に少し歩み寄って、セイアは答える。
彼女は、ふっと声を漏らした。
「……もう、恨まなくても良いんだ……」
「ああ、恨むのはもう止めだ。……お互いにね」
彼女の潤んだ瞳を覗いて、セイアは言った。
「眩しいね、リエちゃん」
「あはっ、夜明けなんてそんなものだよ」
二人は幼い少女のように手を繋ぎ、ゆっくり、ゆっくりと死闘を越えたボロボロの身体を動かして朝日の下を歩いていく。
マントも失くして、その制服の上に無数の血痕を滲ませ、白い肌に数え切れないくらいの傷を作ったミカと、翼に焼けた痕を残し、所々が燃え落ちた制服と灰を纏い、乱れた髪を長いリボンで何度も結び直したリエ。
先生も「アラサー女が無理をしたなぁ」とネクタイを緩めて、苦笑いしながら二人の後をついていった。
「あ、あの!友達が怪我してて……」
「すぐに手当しますのでこっちに連れてきてもらえますか?」
「こっち不発弾の処理終わりました!」
「……手際が良い……!負けていられません!」
夜明けの街は、騒がしかった。
トリニティとアリウスの生徒達が共に街や遺跡の修復に当たっている。
そんな中で、彼女達の下へ一人の正義実現委員が駆け寄った。
「……イチカ?」
「おまたせっす。先生も、リエ先輩も、ミカ様も……無事そうっすね。ひとまず何よりっす」
「来てくれてありがとね、イチカ!美食研究会に続いてお世話になりっぱなしだね!」
「えへへ……身に余るお言葉っす、先生。……あー、ハスミ先輩?全員確保したっす」
「『分かりました。それではこちらまで連れてきてもらえますか?』」
「了解っす」
「そういえばツルギは?こういう時先陣切るのはいつもツルギだけど」
「『ツルギはもう戻りました。「ここは自分の出番じゃない」と……。……まさか、先にアリウスを説得しているとは思いませんでした』」
「はい、既にほとんどのアリウス生がトリニティに友好的な姿勢を見せてるっす。一部抵抗を続けようとした生徒もいたっぽいんですが……それも、説得に応じて投降してくれたっす。……流石っすね、先輩」
「え、リエちゃんそんなことしてたの?!」
「……ううん、私は何人かに頼んだだけ。でも、彼女達が、私達の後輩がそれで救われるなら……悪くない話でしょう?」
「『幼馴染に甘いのは重々承知していましたが……後輩にも甘かったとは……いえ、それが人を惹き付けるのでしょう。……イチカ、そろそろ案内を』」
「はいはーい。じゃ、行くっすよ!皆さんにお客様がいるっす!」
そう言って、彼女はリエ達の前をペースを合わせて歩き出す。
彼女達はその後をついていった。
「先生……!!ミカさん……!!リエさんも……!!」
「な、ナギちゃん?!なんで……」
比較的原型を保っている遺跡群の真ん中に作られた広場。
そこで、彼女は待っていた。
「ここがアリウスの修復、そして保護、合併を目指す『ニカイア作戦』の本部です。リエさんの言葉を借りるなら……アリウスを救うための、第一歩、と言ったところでしょうか」
「ど、どうやってここまで……?リエちゃんについてきたってこと……?」
「ううん、私も
「ああ、私が連れてきたのだよ」
聞き慣れた声が響いて、彼女は姿を現した。
ミカは目を丸くして、彼女の顔を見つめた。
「せ……セイア……ちゃん……?」
「本当に、君は愚かだね。ミカ。常に心の向くままに身体を突き動かし、それに気がついた時は常に後悔の念で胸を満たす。……全く、悪癖としか言いようがない」
「……ど、どうやってここまで……来たのさ……?」
「なるほど。その疑問は珍しく的を得た、当然のものではあるが……些か、時間が足りないな。……まあ、ほんの小さな契約、取引を交わしたんだよ」
セイアは、少し話しだした。
ミカはその何も変わらない長い話を、嬉しそうに聞いていた。
「そして目が覚めたそのとき、幸運にも全ての準備を整えたリエが訪れた。正直間に合うかは五分五分ではあったが……私は彼女に持てる情報を全て託し、その背を押した。そして入れ替わりになったナギサとともにトリニティへ戻り、その出来る限りの戦力を率いてここまでやってきた。……そういう訳だ。まあ、リエもナギサも、ミカを救うためだけにあらゆる権力、コネクションを使ってトリニティを総動員した……それだけは確実な事実と言っていいだろう」
そう言い終えて、セイアはもう一度彼女の顔を見た。
「まあ、もっと分かりやすく言おう。……君を救いに来たんだ。ミカ」
「……ほんと、セイアちゃんはさ……何言ってるか分かんないよ。偉そうだし、恩着せがましいし、心からムカついちゃうなぁ」
「……」
「何度も懲らしめたい、ギャフンと言わせたいとも思ったし、いなくなればいいとも思ったよ。それでも……」
考えるように目を瞑って彼女は言葉を選ぶ。
それでも『それ以上』の言葉は見つからなくて、彼女は目を開けて言った。
「……それでも大好き、セイアちゃん」
「……え?」
「ナギちゃんも、感情一つでここまでやっちゃうとかヒステリーはまだ治ってないの?しかもずっと紅茶飲んだままだし、カフェイン中毒も纏めて治したらどう?」
「ミカさん……?」
「……でも、そんなナギちゃんが大好き」
「いえ……その……紅茶がないと、って……えっ?」
「あとあとリエちゃんも!アリウスのことなんて全然分かってなかったんでしょ?それなのに一人で乗り込んでくるなんて見境なさすぎだよ!また一人で背負い込もうとしてたの?」
「はいはい……」
「……うん、そういうリエちゃんが、私は大好き」
「……はぁ」
そう言って、彼女は三人に思いっ切り抱きついた。
「……うん。三人とも、大好きだよ」
そしてリエの、ナギサの、セイアの体温に触れて、ミカはそのこみ上げる感情を抑えられなくなる。
「……本当に、ありがとう……それと、ごめんね……リエちゃん、ナギちゃん、セイアちゃん……」
「ミカ……」
「ミカさん……」
「……いや、こちらのセリフだ。……本当に、すまなかった。ミカ。ずっと、いつか謝ろうと思っていたんだ。だが、つまらないプライドが、子供のような意地が邪魔して、それを果たせなかった……。君が「アリウスと和解したい」、そう言った時、私は──」
「ううん、もう良いよ。大丈夫。悪いのは、私だったから……」
「えっと……タイミング悪い中失礼するっす」
リエがミカの涙を爛れた袖で拭っていると、そこに何かを持ったイチカが現れた。
「これ、うちの子からミカ様に渡してほしいって……」
「……これ、私のアクセサリー?昔買ったお揃いのも……全部、燃えちゃったんじゃ……?」
「あー……えっと……そうっすね……その子が、燃えなくて無事だったアクセサリーをこっそり回収して、保管してたみたいで……押収品管理室の担当が……」
「……コハルちゃんが?」
「はい、コハルが……って、なんで知ってるんすか?!」
「うん、知ってる。とっても可愛くて、カッコ良かったもん。……そっか……コハルちゃんが……私、あんなに酷いことしたのに……ありがとう、コハルちゃん……」
取り出したアクセサリーをギュッと抱きしめて、彼女はポタポタと涙を流す。
それを見て、先生は笑った。
「……まだまだ、話し足りないね」
「ああ、その通りだよ。先生」
「ですが、もう時間もあまりありません。ミカさんの聴聞会に間に合わなくなってしまいます」
「えー……私、こんな格好じゃないと駄目かな?シャワーも浴びたいし、もう一度メイクもしたいんだけど……。先生もリエちゃんも着替えたいよね?」
「……確かに外行きの感じじゃないかも……私……」
「……うん、私ももう少しだけ時間がほしいな」
「……はあ、好きにしたまえ」
「そう、ですね。私も徹夜続きでしたし……あまり他所様に見せれる姿では……」
「……よし、みんなでトリニティに戻ろう!約束を果たさないとね!」
意気揚々と行く先生の後を、彼女達はついていく。
日常を取り戻すための、最後の舞台へ。
午前、九時手前。
会場の中心に設けられた一席、事実上の被告人席にミカは腰掛けていた。
そしてその隣には先生やナギサ、セイア、アズサなどが証人として席に着いている。
そしてそれを半円状に囲む傍聴席。
シスターフッド、正義実現委員会、ティーパーティーがざわめきながら様子を見守っている。
「『オブザーバー』、入廷です」
彼女の補佐を務める行政官がそう告げると、会場が水を打ったように静まり返る。
彼女が足を踏み入れた瞬間、会場に異様な緊張が走った。
椅子から立つことさえ許されないほどの別次元のプレッシャーが誰もに伸し掛かる。
苛烈なまでに鋭い瞳が、会場を一望した。
「……」
そして彼女はこの聴聞会の象徴たる『主の天秤』の前で手を組んで祈り、誓いを捧げる。
あまりの神威に満ちた数秒が過ぎた後に、彼女は席に着き、高らかに告げた。
「これより、聖園ミカの聴聞会を始めます」
時計の針が、九時を指した。
アリウスモブも救います
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記録53:聴聞会
二重人格とかじゃないです
「証人、前へ」
粛々とした、彼女の声が響く。
その凍えるような視線に息を飲んだ後に、ナギサはおもむろに立ち上がって前に出た。
「宣誓を」
「……ティーパーティーホスト、桐藤ナギサ。主の名の下、真実を語ることを誓います」
「……それでは、証言を」
傍聴席の視線が、一斉にナギサに注がれた。
もちろん、緊張しないと言えば嘘になる。
今だって、少しでも気を抜けば足はガクガクと震えてしまうだろう。
けれど、それ以上にどうしてもミカを救いたいという思いが彼女をそこに立たせていた。
「……始まりは、ミカさんが「アリウスと和解したい」、そう言ってきた日のことでした」
彼女はただゆっくりと、絞り出すように話し始めた。
「では、彼女は明確な悪意を持って犯行に及んだわけではないと?」
「はい。これはきっと……きっと、多くの行き違い、すれ違い、懐疑、欺瞞の果てに起こってしまった……悲劇、なんだと思います」
「嘘をつくな!!」
「幼馴染を庇っているだけだ!!」
「傍聴席に発言を認めた記憶はありません」
飛んでくる野次を一喝し、リエはナギサへ目線を戻す。
その凛とした様子に傍聴席のパテル分派は苛立ち、公正な立場を保ち続ける彼女へ向かって吐き捨てた。
「結局は魔女を庇うだけの偽善者が……」
「撤回して下さい」
全てを凍てつかせるかのような、あまりに鋭く、冷たい瞳が一点を向いた。
過呼吸になりながら、彼女はその発言を酷く悔いた。
「な、なんでよ!だって事実でしょ?!所詮あんただって桐藤ナギサと──」
細やかな抵抗を試みた彼女の友人も、そのプレッシャーに晒されて声を失う。
「その発言は私を支持した正義実現委員会、救護騎士団、シスターフッドへの明確な侮辱です。早急な撤回を」
「……も、申し訳……ありません……でした……」
一切の風音すら鳴らぬ会場に響いた蚊の羽音のような謝罪を聞き届け、彼女は目の前の幼馴染の顔を見る。
「最後に聞きますが、あなたは聖園ミカのクーデターの標的にされた、いわば被害者として彼女を糾弾することも可能です。それでも、よろしいのですね?」
「……はい、私は聖園ミカの減刑を求めます」
「ああ、私からも頼む」
ナギサに続いて、その隣に座っていたセイアも同じように請願する。
リエは、ただ淡々と続けた。
「証人、宣誓を」
「……ティーパーティーホスト、百合園セイア。……主の名の下、この事件の
そう言って、彼女は証言台に上る。
その酷く冷たい瞳と、目が合った。
「なるほど、これが『魔女狩り』か」、そう考えた一瞬の間の後に、彼女は語り出した。
「これはクーデターなんて大層な話じゃない。……少しだけ大きくなってしまった……姉妹喧嘩のようなものだ」
被害者としてのセイアの証言、そして第三者と見做されたアズサと先生からの証言を終え、後は判決を待つのみとなった。
誰もが固唾を呑んで見守る中、少しの思考を挟んだ後にリエは口を開く。
「……一切の前例のない話です。ティーパーティーホストによる殺害計画、そしてクーデター。
そう言って、彼女は目を瞑った。
「退学に値する」、その言葉を聞いて、ミカは溢れそうな感情を抑えて笑おうとした。
「そうだよね、それだけのことをしちゃったんだもんね」、そう言って顔を押さえるミカの背を、ナギサは唇を噛み締めながら擦った。
「なんて、答えがほしい?」
声色が変わった。
「確かに、法律は法律だよ?ミカだって、それによって裁かれるのは当たり前」
傍聴席が少しずつざわめき始める。
「……でも、それだけじゃ味気無い。違う?」
リエは目を開いた。
その声は、静寂を切り裂いた。
タンッと審問席から飛び降りて、彼女は改めて天秤に振り返る。
「ティーパーティーオブザーバー、朝日奈リエ。主の名の下、真実を語ることを誓うよ」
いつの間にか、会場を覆っていた酷く冷たいプレッシャーは消え失せて、その空気は彼女を中心にして熱を帯び始める。
その瞳は絶対零度を纏ったものから、焼き尽くす炎のような意志を宿したものへ。
「……ところでさ」
彼女は『主の天秤』に乗った錘を弄りながら話し始めた。
「昨日まで自分を慕っていたはずの後輩、取り巻き、身内が突然罵詈雑言を吐いてきて、石も手榴弾も投げてきて、延々と自分を『魔女』と謳い続けて……自分はそれを牢屋の中で聞きながらじっと耐え忍ぶ……」
傍聴席の何人かの生徒が、ビクッとして彼女の方を見た。
「これを、神は贖罪と呼ばないのかな?ねえ、どう思う?」
「え、ええっ?!」
リエはシスターフッドの部員を一人指差して尋ねた。
彼女は少し悩んだ後に、「贖罪……だと思います……」と小さな声で答えた。
「まあ、そうだよね。十字架を背負って裸足で歩いた神ならそう言うよ。そこで、こういうのを持ってきたんだけど」
彼女は手元のスマートフォンを弄ると、会場の壁に何かを映し出した。
「3262459、3250276、3254057……ああ、もう何人か気がついた?」
ざわめく傍聴席に向けて、彼女は笑う。
「これ、ミカに私刑を下そうとした生徒、それもティーパーティーの生徒だけのリストなんだけどさ。……157人。石とか手榴弾とか投げた奴だけなのにだよ?」
「……嘘……?」
「なんでバレてるの……?私達は見られてないはずじゃ……」
「誰かバラした?」
「今話してるのは私」
よく通る声だった。
証人席、被告人席の彼女達はまた信じられないものを見るような顔で彼女を見る。
リエは綺麗に釣り合った主の天秤に、錘を乗せながら言った。
「でさ、罪と罰は何があっても絶対に等価じゃないといけないの。天秤は傾いたら駄目だから。……でも、あなた達はこの天秤に……勝手に錘を乗せちゃった」
重くなった片方の皿が台にぶつかって、甲高い音を鳴らした。
「なら、
彼女の意図を察したセイアは「なるほど」と呟いた。
「それなら、誰もが納得する」と。
「で、これだけの人数……傍聴席にも二、三十人くらいいるかな?全員纏めて裁くと大変なんだ、私」
「……リエ……ちゃん……?」
「リエさん……どうするつもりなんですか……?」
「『罪なき者のみ石を投げよ』、このトリニティでその原則を知らない馬鹿の為に時間を使いたくないし。あなた達も経歴に傷は付けたくないでしょ?……だからさ、もっと簡単にやろう」
そう言って、彼女は傍聴席に呼びかけた。
「『隣人を愛する』なら、罪には問わない」
「隣人を……」
「……それってつまり……」
「……聖園ミカを……許せ……ってこと……?」
「天秤の錘はあなた達が減らしてよ」、リエはそう言って、傍聴席のパテル分派をじっと眺める。
「で、でもそんなの校則には……」
「何勘違いしてるの?私は『オブザーバー』。この場で分かりやすく言い換えるなら、トリニティの『最高法規』」
彼女は人差し指を唇に当て、悪い笑顔で言い放った。
「そんなのは、私のさじ加減一つだから」
「そ、そんなこと出来るの……?」
「ああ、トリニティの規則上、間違いなくその権利はリエにある。……職権濫用に当たりかねないから彼女自身、どんな罰を受けるかは分かったものじゃないけどね」
少しの時間を置いて、一つ、声がした。
「……ごめんなさい、ミカさん!」
そう言って、一年生が頭を下げたのを皮切りに、傍聴席の生徒が次々と頭を下げ始める。
中にはデモだけでリストに乗っていなかった生徒も、ミカに向けて頭を下げていた。
「交渉、成立だね」
彼女はミカへ向けて微笑んだ。
「じゃあ、改めて判決を!」
「聖園ミカはアリウスと共謀し、ティーパーティーホスト、百合園セイアを襲撃、また同じくティーパーティーホスト、桐藤ナギサの襲撃も企てた」
「だが、どちらも本人に明確な殺意がなく、また聖園ミカ本人もアリウスを乗っ取っていた『ゲマトリア』の『ベアトリーチェ』に騙されていて、実行犯のアリウスも彼女の命令ではなく『ベアトリーチェ』による洗脳下であった」
「その後彼女は脱獄し、アリウスと先生を襲撃したものの、一連の事件の黒幕である『ベアトリーチェ』の排除、アリウスの救出に大きく貢献した」
「そして被害者とも言えるティーパーティーホスト二人は減刑の請願を、それ以外にも傍聴席から数十件の請願が出ていることを考慮した上でこの判決を下すものとする」
「聖園ミカは学生寮の屋根裏部屋に移動、そして後継に引き継いだ後にティーパーティーを解任」
「判決は、以上とする!!」
リエは判決を下し終えた後に、ミカに優しい声で言う。
「これが、私に出来る精一杯」
「……ううん、ありがとう。……本当に……ありがとう……」
涙を拭うミカの下に、パチパチパチと傍聴席の片隅から拍手が送られる。
「おめでとう!!ミカちゃん!!」
クラスメートからだった。
「……お疲れ様、リエ」
「全く、君らしいと言えば君らしいが……とんだ大立ち回りだったな」
「……でも、カッコ良かったよ。リエちゃん」
「あははっ、一仕事、終えちゃったね」
聴聞会を終え、先生とティーパーティーは夕焼けの下で帰り路についていた。
「よろしいのですか、リエさん?」
「何が?」
「あれだけのことをしたんです。『オブザーバー』解任は免れないのでは?」
「ああ、そんなこと?良いよどうでも」
「……やはり、リエさんならそう言いますよね。だって──」
ナギサに頷いて、リエは満面の笑みで言う。
「私は、ミカとナギサの幼馴染だから」
あと一話だけやってエデン条約編終了です!
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記録54:トリニティ
「こ、こんなところ初めてです……」
「……そうだね。随分明るい……」
「ふふっ、綺麗だね」
初めての街並みを、彼女達は戸惑いながら歩いていた。
「……それで、これからどうするの?リーダーもいないのに。……ほんと……最後まで……」
「そうですよね、サオリ姉さん……どこ行っちゃったんでしょうか……?」
「……「みんなを頼む」って……私には荷が重すぎるよ……姉さん……」
「分からない。だけど、サッちゃんも、少し時間が必要なんだと思う。少しだけ、自分を振り返り、自分を探す時間が」
「か、帰って……来ますよね……?」
「うん、きっと帰ってくるよ」
「……じゃあ、それまでは……私達だけで生きていかないと……ですね……」
「……そうかもね。でも、それは決して苦しいことじゃない」
「……苦しく……ない……?」
「うん。少なくとも、もう追手に怯える生活は送らなくて良い。好きなところを好きなように見て回って、好きなことを好きなように体験出来る。……アズサみたいに、私達も『学べる』んだよ」
「じゃ、じゃああの雑誌のスイーツを食べることも……!」
「出来るかもね。ティーパーティーのあの人……朝日奈リエがアリウスがトリニティでも幸せに暮らせるように頑張ってるらしいから、いっそのことトリニティに入っちゃうのも手かもしれない」
アツコは、くるっと回って辺りを見回した。
燦々と太陽が輝く青空の下、街は明るく賑わっていて、近くのカフェテリアからは忙しそうなウェイターの声とグラスの中で氷が揺れる音が響く。
アリウスでは見れなかった景色、アリウスでは聞こえなかった音だった。
「だから、取り敢えず世界を……ううん、そんな大層なものじゃなくてもいい。トリニティを見て回ろう。何をするにしたって、私達にとっては全部が新しい景色だから」
「……まあ……そうかも……しれないけど……」
「そ、そう考えたら……私、少しだけワクワクするような……?」
「そうでしょう?それに、今の私達には頼れる『大人』もいるんだから」
流行りのドリンクを持ったトリニティの生徒達が、彼女達の横を通り過ぎる。
「……だから、新しく始めよう。私達の『青春の物語』を」
くるっと振り返った彼女は二人の方を向く。
そして、アツコは満開の花のような笑顔を浮かべた。
「……おい、報酬はどうなってる?」
「契約に問題がありましたため、こちらの方で調整させて頂きました」
報酬が未払いであることを訴え、目の前の太ったブラックマーケットの幹部を睨み付けるも、彼は飄々と答える。
「契約では『生徒』となっていましたが、休学中であれば話は変わります。ですので……」
「だがそんなこと──!」
「いえ、間違いなく契約書には記載されています。お言葉ですが、そちらの確認不足をこちらのせいにされても……」
「っ……」
サオリはキヴォトスでもかなり上澄みに当たる武力は持つが、それはそれとして彼女の常識や知識はアリウスで培われたもの。
アリウスの外に蔓延る薄汚い悪意へ対抗できるような能力、或いは才能を持ち合わせてはいなかった。
「さあ、ご理解下さったのならあちらが出口です。気を付けてお帰り下さい」
「……これも教訓だ。勉強料ということにしておこう」
僅かに重い足取りで部屋を出ようとした彼女の横を、一人の少女がすれ違う。
「……?」
「し、失礼します」
「おや、あなたはこの前の……既に精算は──」
「はい、お、終わってます。その通りです。ですから……その……」
彼女は口籠りながら。おもむろにショットガンを取り出し、その銃口を突きつける。
「あ、アル様のお金を踏み倒すなんて絶対に許せません!!」
「ひ、ひぃぃっ?!」
彼女は怒りに任せてそれを乱射する。
しばらくして彼が倒れた頃には、部屋は真っ黒な煙で埋め尽くされていた。
「……はぁ……はぁ……こ、これもアル様のご命令……きっと大丈夫です……」
「……アル様……?」
「ひ、ひいぃっ?!ほ、他の方がいらっしゃってたんですか?!そ、その……失礼しました!!」
彼女……『便利屋68』の伊草ハルカはサオリの顔を見るなり全速力で部屋を飛び出した。
彼女の背中が消えるのを見届けた後に、サオリは小さく呟いた。
「……これが、裏社会……か……」
あれから一週間。
トリニティは、元の平穏を取り戻していた。
それは、アリウスが加わっても大して変わらないものだった。
転入してきたアリウスの行く先は様々で、自分の今までの人生を切り捨てられずに、シスターフッドに入って祈りを捧げ懺悔する生徒もいれば、アリウスで積み上げた訓練の成果を正義実現委員会、あるいは自警団で発揮する者もいる。
調印式襲撃に加わっていた生徒であれば、その時に巻き込まれた生徒へ謝罪に訪れたり、あのような場で今度は守る側に立つために救護騎士団としてミネの薫陶を受ける者、ティーパーティーに協力して未だ残る後処理に尽力する者。
そして何より、新たな友人と交友関係を築く者、元来の仲間と夢にまで見た青春を手にする者……みな、形は違えど自らが『トリニティ』であることを受け入れ、またトリニティも彼女達が『トリニティ』であることを受け入れていた。
そして、それに尽力していた彼女は、今ちょっとした渦中にいた。
「申し訳ありませんが……処罰はまた後日知らせることになると思います……」
ナギサから、リエがそう伝えられたのは数日前。
処罰理由は「ティーパーティーホスト、聖園ミカの暴走を防げなかったこと」「先日の聴聞会でのオブザーバーにあるまじき行動」、その二つだった。
酷く納得できるものだった。
「リエちゃんさぁ……ほんと、
文句を言いながら渋々引き継ぎ書類を作っていたミカが声を掛ける。
パテル分派も中々彼女の後任が務まりそうな生徒がおらず、当分はミカがティーパーティーの業務を引き続き行うことになるだろう、そんな噂をリエは小耳に挟んでいた。
そして彼女が百枚を下らないであろうアリウスの転入届と生徒名簿を処理していると、一人の行政官が執務室の戸を叩いた。
「リエ様、ナギサ様がお呼びです」
「了解。……行ってくるね、ミカ」
「うん、早く戻ってきてね!書類の書き方よく分かんないし!」
机に突っ伏したミカに手を振って、彼女はスタスタと軽い足取りで部屋を出て行った。
「……これで、『オブザーバー』も交代かぁ……」
作業の合間を見て、購買にお昼を買いに行ったミカ。
彼女が執務室に戻って来ると、そこには会議から戻って来たナギサとセイア、そして更に量を増し、千枚程度の書類と格闘するリエの姿があった。
「おや、それは……メロンパンかい?二つあるなら一つ分けてくれたまえよ」
「えっと……あれ?リエちゃん『オブザーバー』クビになっちゃったんじゃ……?」
「……確かに、リエさんを解任するべきという意見は出ましたが……その……」
ナギサは少し言いづらそうに口籠る。
ミカから受け取ったメロンパン半分を頬張りながら、セイアは言った。
「リエを解任してしまったら、ティーパーティーの運営に尋常ではない支障が出ることが判明してね。罰は仕事の増量に決まったよ」
「え……えっと……?オブザーバーってそんなお仕事多いんだっけ……?」
「まあ、それもそうなのですが……何より……その……ティーパーティーの外部との繋がりが破綻しかねないと言いますか……アリウス関連もリエさんに任せっぱなしの状況でして……」
「何よりティーパーティーや派閥などと関係ない一般生徒だね。リエはそういった生徒からの支持が極めて大きい。いわば、ティーパーティーの窓口になってるということさ」
「えっと……つまり……?」
「今のティーパーティーは彼女無しでは回らない程度には弱体化したということだよ」
お茶をしながら話している二人と対称的に、黙って書類を片付け続ける彼女。
目にも止まらぬ速さで適切に書類を埋めていくリエの手元を、ミカはまるでマジックでも見るかのように眺めていた。
「正直、この決定に関しては……あれだけの傑物を手元に置いておきたいというティーパーティーのエゴはかなりあるだろうね。実際、私も君も書類仕事はてんで駄目だろう?」
「まあ……それもそうだね!リエちゃんには引き継ぎ書類も手伝ってもらわないとだし!」
ミカがそう言い終えて、彼女はようやく顔を上げた。
「……まあ、これからも私達四人でティーパーティーってこと」
彼女達は今日も、一歩を踏みしめる。
いつか、楽園に辿り着くその日の為に。
次回から水着イベやります!
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ティーパーティーの夏休み編
記録55:夏休み
じゃあリエは戸松遥さんで……
「今回応募多数だね。千超え初で感謝不可避」
「はい、今回は生放送ですし告知段階でも反響が大きかったです。嬉し目です」
「はぁ……にしてもこの量、有り難いんだけど目ぇ通すとなると……萎えるなぁ……」
会議室の人を駄目にするタイプのソファーに寝転がりながら、『クロノスエンタメ部』部長の
同じように部員の
応募そのものは1200件程度だったが、今回は3〜5人程度のグループ単位での募集。
人数にすれば4〜5000人になる。
「いやあ、にしてもマジヤバいね、この量。街作れるレベルじゃん」
「同意です。ここ最近切り抜きがモモチューブで人気みたいですし、その影響もあるかもです」
「全力肯定不可避。公式切り抜きはガンガン収益更新してる」
「ま、頑張れば頑張るだけ見合った人気になるってこったね。今回も華のあるゲストを……待って、すごいのいんじゃん?」
「どれです?」
彼女は二人の方へスマートフォンを投げ渡す。
危うく落としそうになりながらも、ユナはそれを受け取った。
「……『ティーパーティー』って……あのトリニティの生徒会ですか?!ゲキヤバ物件じゃないです?!」
「マジそれ。最近もエデン条約やら聖園ミカで報道部も騒いでたし」
「見た目も上等映え順調、確変突入不可避だよ」
「……っと、じゃあ決まりで。みんなビビッと来た感じでしょ?」
彼女の言葉に、二人は勢い良く首を縦に振る。
「っし、今回も成功させるよ!『クロノス・1D・チャレンジ』!」
エデン条約も、アリウスの併合も一段落してしばらく。
ティーパーティーは少し遅い夏休みに入っていた。
とは言っても流石に旅行などをする暇は無くて、少しお茶会の頻度が増え、時間が長くなっただけだ。
「……結局、あれだけ仕事を増やしてもリエさんにとっては足枷にもならないとは……流石です」
「別に。私がやらないといけないことはある程度頑張るよ。あと──」
「シュークリームのお代わり、だろう?」
「流石」
リエが柔らかい皮の中にカスタードがいっぱいに詰まったシュークリームを頬張っていると、すごい勢いで執務室の扉が開いた。
「どうしようどうしよう?!」
「落ち着きたまえよ」
「そんなことよりこれ!ほら!」
部屋に駆け込んできたミカは、机を倒しかねないほどの勢いで三人の下へ向かい、スマートフォンの画面を見せる。
「……当選?何の?」
「『クロノス・1D・チャレンジ』!」
「……クロノス……わ、ワン……デイ……チャレンジ……ですか?」
「ああ、今流行ってるやつ?」
クロノス・1D・チャレンジ。
『クロノスエンタメ部』が提供するコンテンツの一つ。
毎回キヴォトス全土から応募者を募り、一日使って様々なことに挑戦させる人気企画だった。
特に有名なものだと、『忍術研究部vs最新天空アスレチック』、『C&Cvsゴミ屋敷』など。
今回は『サマースペシャル』ということでモモックス(旧モモッター)などでもかなり注目されていた。
「……なるほど。それはめでたいね。健闘を祈ってるよ」
「あ、えっと……それなんだけど……」
セイアがなんともどうでも良さそうに答えると、ミカは少し言いづらそうに答えた。
「ティーパーティー……全員……」
ことの始まりは数日前に遡る。
ミカが気まぐれにモモチューブを眺めていると、そこのおすすめにたまたまそれは流れてきた。
少しだけ覗いてみると、そこそこ好きな感じの動画だったので引き続きベッドに入りながらミカはスマホを眺めていた。
それこそが、『クロノス・1D・チャレンジ』の切り抜き動画だった。
「……あ、募集してるんだ……」
気がつけば、クロチャレの動画を見始めてから数時間。
ミカはすっかりクロチャレの虜になっていた。
そしてそんな時、彼女の目に飛び込んできた「サマースペシャル、参加者募集中!」の知らせ。
彼女は意を決してそのバナーをクリックした。
「……グループ参加かぁ……」
あまりお知らせとか規約を見るタイプではない彼女は頭を抱えた。
しかし、日付も変わって変なテンションの彼女はすぐにその解決策を思い付いた。
「『ティーパーティー』……っと!良いよね!どうせ受かんないし!参加人数は……私と、リエちゃんと、ナギちゃんと、セイアちゃんと……あ、先生も誘っちゃお!『五人』……完璧だね!」
深夜テンションで理想を詰め込んで、ミカは応募ボタンを押した後にサイトを閉じた。
「それでさっきメール見たら……」
「……なるほど。どうする?リエ、ナギサ」
「私は別に良いけど……ナギサはどう?」
リエが尋ねると、ナギサは申し訳無さそうに言った。
「その……貴重な機会なのですが、突然過ぎますし……お断りさせていただくというのは……」
「あー、やっぱりそうだよね……」
「……でもさ、これ、結構注目されてるんでしょ?ここで活躍したらティーパーティーのイメージ、改善出来るんじゃない?」
「ああ、何をやるのかは知らないが、一仕事終えた後だ。挑戦してみるのも悪くないかもしれないな」
「お二人がそう言うなら……分かりました。私も参加します。……それで、日時というのは……?」
三人とも協力してくれるということで少し安心したミカだったが、メールを見直して「あ」と小さな声を漏らした。
「……?どうしたんだい、ミカ?」
「……」
何も答えること無く、彼女はゆっくりと二本指を立てた。
「……そういうことか……」
「2……?二週間後ということですか?」
「いや、まさか……」
「明後日……」
「……はい?」
「明後日!」
カタン、とティーカップがナギサの手を離れて落下した。
「……待って、私水着まだ買えてないよ?」
「私もだ」
「私も……というか見せて下さい!……五人?五人って、私達は四人ですよ?!あと一人は──」
「その……先生を、呼ぼうと思ってたんだけど……」
「今すぐ電話して下さい!リエさんこの二日は──」
「空いてる。ラッキーだね」
「じゃあ明日は水着を見に行くとしよう。出かけるのは久しぶりだ」
「そうだよね、だって最後に遊びに行ったの──」
「三人とももっと焦って下さい!」
かくして、ティーパーティーのたった数日の夏は幕を開けた。
別に問題が起こる感じじゃないです!
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記録56:クロノス・1D・チャレンジ
「じゃじゃーん!どうかな?先生!」
ミカはパッとバスタオルを取り、ロッカーに荷物をしまう先生に新しい水着をお披露目した。
フリルのついた白ビキニの上からは水色のパレオを巻いて、少し恥ずかしそうにパタパタと翼を動かしている。
「めっちゃ似合ってる!良いな〜私良い感じの見つからなくてさ〜」
そう言いながらシャツとスカートを脱ぐ先生。
相槌を打とうとして、ミカは思わず目を丸くした。
「せ、先生?!下着は……?」
「あ、これ?いやあ、ちょっと楽しみ過ぎてさ、服の下に着てきちゃった!」
子供っぽく笑う彼女はシンプルな競泳水着。
その上にカバンから取り出したラッシュガードをふわっと羽織ったその様子はまさにプールの授業の先生。
「先生も似合ってるよ!」とミカが褒め返したところで、既に着替えを済ませてお手洗いから戻って来た三人が合流する。
「おや、戻って来るには間が悪かったかな」
口を開いたのはセイアだった。
柄にもなくキャップなんて被って、ダボダボのTシャツの下にはショートパンツタイプの白ビキニ。
彼女なりに、少しはっちゃけていた。
「にしても生放送……流石の私でも少し緊張」
「はい、このような姿を世の中にお見せするのは少し……」
少し照れくさそうに笑ったリエは髪型も変えずシンプルな黒ビキニ。
胸の前を留める金色のリングが輝いていて、全く日に焼ける気配さえない真っ白で細長い手足と翼がよく映えていた。
そしてナギサは……。
「そういえばナギサ、それって……」
「……うん、ヒフミとお揃い……だよね?」
「実はそうなんです!一昨日の夜、ヒフミさんにクロチャレに出るから水着を買いに行くとお話したら「でしたらこれおすすめです!ナギサ様もぜひ!」と……!」
そう言って、嬉しそうに翼を動かし、ナギサはその場でくるっと回る。
確かに、この前ツルギ達やアズサと海に行っていたヒフミが着ていたものの色違い、白黒の色合いを反転させたものだった。
「……もうすぐ時間かな」
ロッカールームの時計を見上げたセイアが呟くと同時に、スッと自動ドアが開く。
艶のある黒髪をショートカットで纏めた小柄な少女。
音楽フェスのスタッフのようなTシャツに身を包み、その背中には『Cronus Entertainment』と刻まれている。
「えっと、皆さん初めましてです。『クロノスエンタメ部』の興ユナです。そろそろ時間なので、移動お願いします」
そう言ってペコッとお辞儀して、彼女はまた部屋の外へ出て行った。
リエ達は銃や浮き輪、カバンなど各自必要なものを持って彼女の後を追いかけた。
「……!」
「すっごい夏……!」
会場に足を踏み入れるなり、先生は呟いた。
そこは屋内なのに蒸し暑くて、でも不快じゃない、まさしく常夏だった。
スタートを待って、彼女達は砂浜の上に立っていた。
「『今回はいきなりチャレンジャーの紹介から!』」
さっきの少女にもらったインカムから声が響く。
どうやら、彼女が『クロノスエンタメ部』部長、御神楽ランコのようだった。
「……もう、配信は始まってるのかな」
「まだ、マイクはミュートみたいだけどね」
「やっぱり少し緊張しますが……」
「ま、楽しんでいこうよ!」
「そうそう、ミカの言う通り!」
ナギサは水筒の紅茶を一口含んでゴクッと飲み込んだ。
「『今回は久々のトリニティからの参戦だよ!まずは一人目!最近巷を騒がせた天衣無縫のお嬢様……聖園ミカ!!』」
名前を呼ばれたミカは近くのドローンカメラに向かってガッツポーズ。
ちょうどミュートがオフになったマイクが「頑張るよ!」という彼女の意気込みを拾った。
「『そして二人目!謎多きトリニティの頭脳……百合園セイア!!』」
彼女の代わりに、お供のシマエナガくんがカメラの前でバサバサと羽ばたく。
「あまり自信はないけどね」と彼女は苦笑いした。
「『まだまだ行くよ三人目!Ms.紅茶連覇の実力者にして政治に社交に大奮闘の生徒会長……桐藤ナギサ!』」
近づいてきたドローンに驚きながらも、彼女はカメラの前でピースする。
「トリニティの名に恥じない活躍をしてみせます。……あと、ヒフミさんも見ているんでしょうか……」、カッコ良い宣言も、独り言までバッチリ拾われていた。
「『続いて四人目!トリニティ内外から多大な支持を集める『今一番チョコを渡したい先輩』No.1のカリスマ副会長……朝日奈リエ!!」
「まあ、少しでも思い出になれば嬉しいな」と彼女はカメラへ向けて手を振った。
「『そしてラスト五人目は超大物!一騎当千、百戦錬磨、八面六臂の大活躍!今キヴォトスで最も注目されてる……シャーレの『先生』!!」
彼女はいたずらっぽく投げキッスした後に「みんな見ててね!」と大きくピースした。
「『みんなもう分かってるね?!今回の参加者は……トリニティ総合学園生徒会、『ティーパーティーwith先生』!!』」
生放送のチャットが、ものすごいスピードで流れた。
「あ、部長。同接三十万越えました。トレンド一位不可避です」
「マジで?!前回が六万くらいだから……五倍?!」
「肯定ですね、登録者もここ三十分で二万増えてます」
「そんな?!やっぱりシャーレの『先生』パワーマジ感謝だわ」
「今注目集める『ティーパーティー』にまさかの『先生』追加ですからね。モモッターも……あ、やっぱりトレンド不可避でした」
そう言って、マナミはスマホの画面をランコに見せる。
燦然と輝く『トレンド一位』の文字。
彼女は思いっ切りガッツポーズした。
「ったぁ!!まだまだ伸びんぞ〜!!」
「『続いて今回のステージ紹介行っちゃおう!』」
彼女の声と共に、空中にプロジェクションマッピングのような物が映し出される。
「そういえばここって……」
「はい、今年出来たばかりの……」
「『今回協力してもらったのは『トリニティ・トロピカル・タワー』、通称『TTT』さん!みんなも配信終わったら行ったげてね!そんで、ここ三十階建てで各階で色んなアクティビティが楽しめるらしいんだけど……今回は特別仕様!!』」
プロジェクションマッピング上に、犯行現場にあるような黄色と黒のテープが張り巡らされる。
「中身は秘密+難易度超アップ!チャレンジャーはお願いだから無事でいてね!!」
「え、無事を祈るほどの……?」
「ナギちゃんクロチャレ見てないの?難易度めちゃめちゃなのに頑張って挑戦するやつだよこれ?」
「いつも通りルールは無用!制限時間は午後の六時!!んじゃ……スタート!!」
彼女がアナウンス越しに叫んだ瞬間、目の前に大きな波が迫った。
クロノスエンタメ部なんてものは原作に無いです
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記録57:非日常
リエはシリアスほどデカくはありませんが、あれを着こなせる程度には結構デカいと思います
「そして今回、解説も豪華ゲストを呼んでるからね!」
「正義実現委員会副委員長、羽川ハスミです」
「シスターフッドのリーダーを務めさせていただいてます、歌住サクラコと申します」
「はい二人共よろしく!ところで意気込みとか、なんか一言ある?」
そう問いかけられた二人。
据え置きのマイクをトントンと叩いた後に、サクラコから口を開いた。
「そうですね、この前もトリニティで夏らしい行事があったのですが……その時はあまり関われませんでしたので、このような形で関われることを嬉しく思います」
「同感です。……ところで、あそこの屋台は……」
「あ、勝手に食べてもらっちゃっていいよ!それで、二人は今回のチャレンジについてはどう思う?」
「そうですね……今回、どのようなチャレンジが用意されているのか分かりませんが……鍵になるのはリエさんとミカさんだと思います」
「あの二人?」
屋上のゴールに設けられた特設ステージのテントの下に設置された実況席にはリアルタイムでドローンから映像が中継されている。
ハスミがウキウキでかき氷に色鮮やかなシロップをかけている中、サクラコは自らの仕事を全うしようと話を続ける。
「あのお二人はトリニティでも最高峰の身体能力を誇る方です。例えどれだけの難度であろうと突破して見せると思います。……ですが、問題は残りの方々です」
「残り……先生達に問題とか?」
「いえ、先生も大丈夫だと信じているのですが……何せ「得意科目は体育だった」と伺っていますので。しかしセイアさんとナギサさんは──」
「……かなりマズイ感じ?」
ランコがそう聞くと、サクラコは少し言いづらそうに首を縦に振った。
「まずナギサさんは……どちらかと言えばインドア派、しかもティーパーティーの業務でデスクワークが増える以上、必然的に身体を動かす機会は少なくなり、結果として体力はかなり鈍っているものと思われます。現に体力テストは下位20%だったと記憶しています」
「……じゃあセイアちゃんの方はもっとヤバいん?」
「……セイアさんは、もはや「ヤバい」という言葉では全く足りないほどです。ソフトボール投げは6m、シャトルランは7回、100m走に至っては途中で中止になりました。おそらく、トリニティで最も体力の無い生徒だと思います」
「……あー……なんでエントリーしちゃったの?」
ランコが不思議そうに問いかける。
サクラコも「さあ?」といったような表情を浮かべ、顔を見合わせた。
ハスミは幸せそうにフルーツもりもりのかき氷を頬張っていた。
「……マジ?」
目の前に迫る大波。
膝上数十cmのプールには幾つかの壁が設置されている。
そして大波を発生させる装置の手前に備え付けられたボタン。
どうやら、あれを押せという話らしい。
「つまりこれは……」
「うん、壁を使って波を避けながらボタンのとこへ行く……って感じかな!」
「そうみたいだね。……にしても、挑戦中はインカム切れるんだ……」
一同はまず冷静に、第一の波を最寄りの壁で防ぐ。
どうやら波の周期はズレがあって10〜30秒周期で発生するみたいだった。
「……ねえ、これ無理矢理に波耐えてボタンのところ行っちゃ駄目なのかな?」
「……全く、君は馬鹿だね。あの波の高さが2m、厚さが50㎝、幅が5mと考えると……その総重量はおよそ5t、そんなのに耐えられるはずは──」
「あ、次来ます!」
「あ」
ナギサがそう伝えると、麦わら帽子を被り、浮き輪を持ってすっかり夏の装いのシマエナガくんは「あ、ここいたら死ぬな」と言わんばかりにセイアの頭を飛び立ち、ミカのお団子に着地した。
そしてその直後、少し安心していたのか、壁からはみ出していたセイアが無慈悲に波に飲み込まれて入り口の砂浜に打ち上げられる。
「セイアちゃーん!!」
「……あとは……任せたよ……」
「せ、セイアってもしかして……?」
「うん、弱いよ。ものすごく弱い」
「おそらくシマエナガさんの方が強いと思います……」
そして、結論が出た。
「取り敢えず動けるミカとリエでゴリ押しして、犠牲者は後で回収する」、それを基本方針として、改めて彼女達の挑戦が幕を開けた。
冷静にやれば、波はどうにでもなった。
「『さあティーパーティー早くも一階を突破!やるじゃん!でも次も結構すごいかんね!』」
見事大波地帯を突破し、エレベーターに乗り込んだティーパーティー御一行。
これでようやく三十分の一か、とナギサがため息をつく。
そして再びオンになったインカムから彼女の明るい声が響く中、エレベーターの扉が開いた。
「『さあ、夏の思い出はみんな色々あるでしょ?!でもこれは欠かせないよね『スイカ割り』!』」
二階に足を踏み入れた彼女達の前に広がっていたのはバッターボックス。
『エンジニア部』のロゴが刻まれた妙に大きなピッチングマシーンに目を思わず惹かれる。
「『てなわけで二階はこれ!『スイカピッチング』!!あ、廃用で中身スカってるようなやつだから食べ物では遊んでないよ!』」
「『……んぐっ、いえ、これは……シャクシャク』」
「『はい、間違いなくこれは……』」
カキーンという威勢の良い音が響き、大玉のスイカがモニターにぶつかってその場にボトッと落ちる。
そしてベンチに座った先生の楽しそうな応援が響いた。
「かっとばせー!!聖園!!」
「『大楽勝?!』」
「随分簡単だったね?リエちゃん」
「……まあ、失敗する要素は無かったかな」
ノルマのホームラン20本を10本ずつ余裕で達成し、スイカの汁がベタッと付いたバットを投げ捨ててリエとミカは拳をカツンと合わせる。
先生もセイアもナギサも、後ろのベンチで紅茶を飲んでいた。
「まあ、ここまで明らかに得意分野が来ると……」
「二人なら瞬殺だろうね」
「良いぞ二人共ー!ミレニアムリーグ目指せー!!」
「『あの二人マジヤバくね?!サクラコちゃんもハスミちゃんも分かってたん?!』」
「『まあ、このような膂力を求められる勝負なら……』」
「『シャクシャク……はい、あの二人ならまず突破できます。……お代わり……してしまいましょうか』」
そして彼女達は意気揚々とエレベーターに乗り込んだ。
「『カブト!クワガタ!男の子なら大好きでしょ?!というわけで虫取りの時間だよ!!』」
三階『カブトムシとクワガタムシを合計で五匹捕まえろ』
「待って待ってムリムリムリ!!なんで突然虫取りなんて?!」
「きゃぁぁっっ?!こっちに来ないでくれたまえよ先生?!」
「セイアちゃんもこっちに来ないでってあ待ってこっち来──」
「……?三人とも、何を怖がっているのですか?」
「ナギサ、こっちも取れた」
桐藤ナギサ四匹、朝日奈リエ三匹により突破。
「『学生といえば夏は部活!汗でドロドロなのにサイコー!ってことで泥臭い夏送っちゃおう!』」
四階『泥迷路(間違った通路には泥たっぷりの落とし穴)』
「……急にエンタメ感……っていうかバラエティ番組感出してきたけど」
「迷路かぁ、私苦手なんだ──」
「右右まっすぐ左左右左まっすぐ左右右まっすぐ。……さっさと終わらせるよ、先生」
セイアの勘により突破。
「『連戦連勝流石『ティーパーティー』!!でも今度は自信作!腰抜かさないでよ頼むから!!』」
よほど自信があるのか、彼女は楽しそうに実況を続ける。
そして五階に止まったエレベーターが開くと、そこには酷くシンプルな光景が広がっていた。
広がる湖のような景色に一つの長い丸太橋が懸かっている。
「……これ、渡れってことかな?」
「急に簡単になったような……?」
そう言って、橋の前で立ち止まる彼女達。
その前を一匹の魚が跳ねた。
「……マジで?」
「『退けば老いるぞ!臆せば死ぬぞ!治療費はこっちで出したげる!!『人食いピラニアブリッジ』!!』」
ところでティーパーティーメインイベはまだなんですかね?
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記録58:おさかな天国
「ひ、人食いピラニア……ですか?」
「……そのようだね。D.U.の街中の川に生息してると聞いたことはあったが……実物を見るのは初めてだ」
「どれどれ──いったぁ?!?!」
「せ、先生?!何やってるのさ?!」
興味本位で湖の上に手を出した先生の手にピラニアがベチっと当たった。
彼女は反射的に手を引っ込め、少し赤くなった指をチュパチュパと舐めている。
そして少し涙目になりながら、いそいそと陸の方へ引っ込んだ。
「……取り敢えず試してみよ」
「リエさん?それは……?」
リエはカバンから空になったペットボトルを取り出すと、軽く投げ入れる。
すぐにピラニアが群がって、あっという間にボロボロに穴が空いた。
ナギサは、漠然とその光景を見ていた。
「……え……?」
「……それなりにヤバそうだね。そりゃあれだけ自信も湧く訳だよ」
「いたた……ぶつかっただけなのにまだ痛い……」
「……先生さ、泳げる?」
「え、まあ……結構泳げるけど……」
その答えを聞いて、リエは満足気に笑った。
そしてまたカバンの中に手を突っ込んでグレネードランチャーを取り出し、何食わぬ顔でリロードする。
「ルール無用、だもんね」
「……なるほど、
「は?!グレネード?!グレネードで湖渡るの?!トリニティってそんなこと教えてんの?!」
「いえ、流石にそのようなことは……」
「流石にありません。……しかし、もしかしたらこれは……状況を変える一手となるかもしれません」
そう言うと、彼女は何処からかホワイトボードを引っ張り出して来て、カメラの前に設置した。
そこには「羽川ハスミのプチ解説」と可愛らしい文字で書かれている。
そして彼女のアドリブに合わせるように、スタッフはバタバタとランコとサクラコの分の学校机や椅子を運んできた。
「準備はよろしいですか?」
「はーい!ハスミせんせー!!」
「私も大丈夫です。……は、ハスミ……先生……」
「では、今回は『ダイナマイト漁』について話していきます」
彼女は青いペンでくるっと大きな丸を描いた。
その中にも何匹かのカラフルな魚が描き込まれている。
「まず、魚はこのように水中を泳いでいます」
「なんか群れとかで固まってんでしょ?聞いたことあるよ!」
「はい、そのような種類も多いです。そして、彼らはあまり『衝撃』というものに強くありません」
続けて、彼女はハンマーと目がバツになった魚を描き加えた。
「……それは、ピラニアも同様……なんですよね?」
「サクラコさんの言う通り、ピラニアもそこは一般的な魚類と変わらないと考えられます。……そして、その衝撃を与えるのにダイナマイトなどの爆発物は非常に効率的です」
「……!ってことは……!」
「はい。『ダイナマイト漁』とは即ち……」
さらさらと赤いペンで爆弾を描き、その矢印を青い丸の中へ伸ばした彼女。
続けて、ハスミは次々に魚たちの目をバッテンで上書きしていく。
「水中で爆薬などを炸裂させることで、その衝撃で失神、あるいは死亡した魚を回収する漁法です。……現在は禁止されていますので、くれぐれも真似しないようにお願いします」
「ってことはリエさんが持ってたグレランは……?!」
「おそらく、彼女は──」
その直後、アラームが響く。
五階のボタンが押された音だった。
ランコは慌てて椅子を離れ、実況用のマイクを手に取る。
「ティーパーティー御一行!『人食いピラニア』突破おめ!!」
「よっと」
彼女は相当に威力を弱めた榴弾を湖の中に乱射した。
それが水中で炸裂すると、ピチピチと水面で跳ねていたピラニア達がプカプカと力なく水面に浮き始める。
その数は1000匹を下らないほど。
「うっわこんなにいたんだ……?」
「あー、噛まれてなくてほんと良かった……」
「……あ。ですが橋が……」
そう言って、ナギサは魚の浮いた湖面を指差す。
確かに、さっきのリエの榴弾に巻き込まれて丸太橋は跡形もなく消えていた。
「……じゃ、泳ぐよ。向こうまで……200mくらい?」
「……ミカ、私を担げるかい?」
「オッケー☆」
「あ、あの、私は……」
「頑張ってね、ナギサ」
スタスタと湖の中に足を踏み入れる彼女。
そして数歩進んだ後に彼女は赤面した。
「……泳ぐほどじゃないかも」
湖の深さは、そう言った彼女の腰ほどまでだった。
「『ティーパーティー御一行!『人食いピラニア』突破おめ!!』」
「……これで五階もクリアだね!」
「さて、次はなんだろうか。……まあ、何が相手だろうとどうにでもなりそうだが」
ミカが向こう岸のボタンを押すと共に、彼女の楽しそうな声がインカムから流れる。
「私が流されても良いのかい?」と結局先生にお姫様抱っこしてもらったセイアが一足先にエレベーターに乗り込み、四人は足の水気を拭った後に彼女の後に続いた。
「『まだまだお魚ゾーンは続くよ!でもここでちょっとご褒美タイム!『ニジマス掴み取り』!!』」
エレベーターの扉が開くと、今度は打って変わって静かな森の中。
まずその耳に入ったのは渓流のせせらぎに、またピチピチと魚の跳ねる音がする。
けれど、さっきのピラニアとは違い、とても趣ある光景だった。
「……あ、焚き火だ!」
「それ以外にも色々……ということは……」
天然の川を模した生け簀の側にはパチパチと燃える焚き火があり、そこには包丁、まな板、串などの調理器具、そして調味料の塩も揃っていた。
要は、「ニジマスの串焼きを食べてね!」、そういう話だった。
「じゃ、私から行くね!」
そう言って、ミカは生け簀に足を踏み入れる。
そして電光石火で一匹のニジマスを鷲掴みにした。
「見て見て先生!取れたよ!」
「お、すごいじゃ──」
「ハズレダヨ!」
唐突にその手に握られていたそれが爆発する。
ミカは状況が上手く飲み込めず、ただ空になった己の手を見つめていた。
「…………え?」
「『あ、言い忘れてたけど当たりは五匹しかいないかんね!!残りは外れだし爆発するよ!!』」
「『この配信に協力いただいたミレニアムサイエンススクール、エンジニア部の皆様に感謝申し上げます』」
一時的にインカムがオンになり、「言い忘れてた」と言わんばかりの補足、そして犯人の情報が流れてきてミカの頭には些か血が上る。
「ミカ?大丈夫?」
「うん、大丈夫だよ☆でもちょっとこっち来ないでね先生」
そう言うと、ミカは鬼の形相で僅か30秒、30秒で外れ44匹と当たり5匹を捕らえ切ると満面の笑みで戻って来た。
「よし、締めるよ!」
「締める……ですか?」
「うん、締めておいたほうが色々楽だからね!」
先生は慣れた手付きで包丁を構え、ニジマスの脳天を貫いた。
そして続けざまに残り4匹も処理すると、パパパッと慣れた手付きでその内臓を取り出した。
「あとは……あ、自分で刺してみる?」
そう言って、彼女はリエ達にニジマスと串を差し出す。
彼女達は目を輝かせて頷いた。
「みんな塩はお好みでね!いただきます!」
「ああ。……それじゃあいただくよ」
「いただきます」
「……で、では私も……いただきます」
「いただきまーす!」
パチパチ焚き火が鳴る中で、彼女達は一斉にニジマスの串焼きを頬張った。
あっつあつでほろっほろの身が口の中で味わい深く崩れる。
川魚特有の青臭さは無くて、ナギサに至っては慌てて骨ごとパクパクと勢い良く頬張っている。
「……あっつう……」
「……っ?!骨が……」
「もー、ナギちゃん慌てて食べ過ぎなんだって!」
「……もう少しだけ塩を……」
「ゴミは私が集めるからね!」
「「「「「ごちそうさまでした!!」」」」」
パシッとみんなで手を合わせる。
説明によると、ゴミは袋に纏めておいておけば回収してくれるらしい。
焼き立てのニジマスも、嬉しそうなみんなの顔もたっぷりと堪能した先生は立ち上がってぐぐっと背を伸ばした。
「よーし、まだまだ頑張るぞー!!」
水着セイアがストライカーで来たのは驚きを隠せませんでした
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記録59:祭
「……何ここ?」
「銭湯……?」
七階に上がった一行は困惑した。
そこに広がっていた景色は、今までのような意地の悪いトラップや障害ではなく、木目調の脱衣所……まさしく、先生が口にしたような『銭湯』の脱衣所だった。
「お待ちしていました。ここまでお疲れ様です」
再び姿を現した『クロノスエンタメ部』、興ユナ。
しかし、先程までとは装いを変えている。
なんだっけな、とミカは少し頭を捻った後に彼女を指差した。
「……そうだ!『浴衣』だよね?!百鬼夜行の!」
「そうだね。昔見たような覚えがある」
「はい、皆様の分もご用意致しましたので、こちらでお着替えお願いします」
「……あ、配信大丈夫……?」
「問題ないです。今は歴代の総集編的なのを流してます」
そう言って、彼女は先生達一人ずつに脱衣所の鍵を手渡した。
そしてその鍵でロッカーを開けると、そこには鮮やかな色浴衣。
ミカは大急ぎで水着を脱ぎ捨てると、移されていた下着と共にその浴衣に袖を通した。
くるりと一回転しながら鏡を見ると、その柄は撫子。
彼女だけではなく全員分、それぞれ違った浴衣がオーダーメイドで用意されていた。
「……これは……藤、でしょうか?」
「なるほど、百合か」
「……ひまわり、悪くない」
「お、柳だ!」
彼女達も装いを変えると、意気揚々と新たな舞台に繰り出した。
「んで、今までのやつざっと見てもらったんだけど、二人はどれが気になった?」
「私は……やはり効きスイーツの企画が……」
「私もハスミさんと同じです。にしても皆さんとても楽しそうに頑張っていて……シスターフッドで参加してみるのも悪くないかもしれません」
「お、乗り気?!良いじゃん良いじゃん!マジヤバな企画用意して待ってるかんね!……っと、そろそろご登場っぽい!」
映し出された中継を見て、ランコはマイクを握り直す。
「7階から14階は纏めて『夏祭り』!!全力で楽しんでね!!」
「『お祭り運営委員会』の協力、誠に感謝します」
「おや」
「ふふっ。この雰囲気、悪くないかも」
賑やかな人の声と、軽やかな祭拍子が辺りに響いている。
遥か高い天井には限りなく本物に近い月夜が広がっていて、またその雰囲気を一層味わい深くする。
巾着片手にはしゃぐ先生とミカの後を追って、リエ達も人混みの中に飛び込んだ。
「リンゴあめ一つちょうだい!」
「あいよ、300円!」
「えっと、それは……」
「ベビーカステラ。お嬢ちゃんもどうだい?」
「あ、はい、一袋お願いします」
「かき氷、メロン味で頼むよ」
「どうぞ、頭痛くなんないようにね」
「鶏皮の塩、二本お願いします」
「ほいよ!かわい子ちゃんには一本おまけだ!」
「イカ焼き、マヨと七味多めね!」
「お、姉ちゃん分かってるねぇ!ビールもどうだい?!」
「ムリムリ私仕事中だし!」
これが試練の課される『クロノス・1D・チャレンジ』であることをすっかり忘れて、祭に興じる五人。
そしてさっきのニジマスと合わせてお腹いっぱいになった頃、彼女達は思い出した。
「……そういえば、今回の課題は何でしょうか?」
「確かに、まだ知らされていなかったね」
「なんだろうね?まさか自分で探すところから、とか?」
「あっはっは!それだったら鬼畜だね!」
「『あ、正解!』」
また楽しげな、或いは人を手のひらで転がして笑う悪魔のような笑い声が響いた。
そして思わぬ命中にリエはお好み焼きが肺に詰まって咽た。
「……心当たりあるかい?ミカ」
「ぜーんぜん」
「……ということは……」
「うん、多分……」
「……総当たりしかないよね!!」
「……無理、疲れた」
「……射的は……?」
「ミカさんが……屋台ごと全取りを……」
「……じゃあ、金魚すくいは……?」
「リエさんが……百匹以上……黒いのも……金色のも……」
出発地点に戻り、息を整える一同。
手元には射的やくじ引きの景品やら金魚やらスーパーボールやらが山盛りになっている。
時刻は1時過ぎ、残りの階を考えると流石に出発したい、そう考えていたところで先生が閃いた。
「かたぬき!!!」
走り出した彼女の後に続いて彼女達も出発する。
かたぬき、それは謎のお菓子っぽいやつを爪楊枝でくり抜く遊びにして、おおよそ全ての祭の最高難度に君臨するラスボス。
「余裕」
朝日奈リエ、一撃突破。
使用金額200円。
「少し難しいね」
百合園セイア、挑戦回数3回。
使用金額600円。
「いやあ、中々思い出せなかった!」
先生、挑戦回数7回。
使用金額1400円。
「ううぅ……脆すぎだって……」
聖園ミカ、挑戦回数15回。
使用金額3000円。
そして……。
「……はぁ……これで……これで……」
桐藤ナギサ、挑戦回数76回。
使用金額15200円。
ティーパーティー、『祭』クリア。
楽しそうなティーパーティーは健康に良い
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記録60:ナギサにまつわるエトセトラ
イチカ:根は比較的狂暴だが、それを克服するために善性や理性を後天的に獲得した。少し不器用なところもあるが、下手に色々出来てしまうため、かえって打ち込めるものが見つからない
もしかしてこの世界のイチカ、リエにゲロ重な感情抱えて脳焼かれてるんじゃ……?
あとキリを良くするために短めです!
「……あんなに使っちゃって大丈夫なの?」
「大丈夫……確かに、かなり時間は使ってしまいましたが……」
「いやいやいや、お金!あんなに使っちゃって大丈夫だったの?だって──」
「?たった二万も使ってないでしょう?」
なんとか祭を突破して、再び脱衣所。
着替えながらキョトンとして答えるナギサの顔を見て、先生は今更思い出した。
彼女達……ティーパーティーは揃いも揃って相当なお嬢様であること。
特にリエ、ミカ、ナギサの三人はトリニティでも頂点を争うほどの名門の生まれだと、彼女はティーパーティーを訪れた時に聞いたことがあった。
「たった二万?!たった二万?!?!」
「……?それがどうかしましたか?」
「いーなー!いーなー!私は五千円までなのに!私もナギサの家の子供になりたい!私もお嬢様になーりーたーいー!」
「……では、私の姉になって下さると?」
先生が目を見張る中、ナギサはいたずらっぽく笑う。
けれど彼女の視界にはそんなのは入らず、ただ「あめおねえちゃん!」と幼いナギサが声を掛けてくる景色だけが浮かんでいた。
「──生?先生?」
「……!!やっぱこの話は無しで!私死んじゃう!」
「あ!いた!先生もナギちゃんもまだ着替えてるの?早くしないと置いてっちゃうよ?」
「大丈夫!すぐ行くよ!」
二人は素早く水着に着替え直すと、ミカ達の後を追いかけた。
「ここは……」
さっきよりもずっと広い空の下、足元を見るとアスファルト、遠くを見るとビル群の間を通った高速道路が伸びている。
どうやら、今度は都会の高速道路に送られたらしい。
いよいよ超能力じみてきたな、とセイアがため息をつくと、相変わらずハイテンションな彼女の声が聞こえてくる。
「『お、きたきた!!お祭りお疲れ様!浴衣は後でお持ち帰りおっけーだかんね!』」
「いいの?!やった!」
「『もちろん!そして次は……夏だ!海だ!つまりは戦車だ!『ハイウェイ・タンクレース』!!』」
そう言うと、彼女達の隣に自動運転で来たらしい戦車が止まる。
クルセイダー巡航戦車、トリニティで一般的に流通しているものだった。
「これ……」
「ひとまず乗ってみましょうか」
ナギサは慣れた手付きでハッチを開け、中へ降りる。
先生達もその後に続いて戦車に乗り込んだ。
「目的地は10キロ先、制限時間は……20分ですか」
「ナギサ、リミッターは?」
「外して構いません。10分しか動かしませんので」
そう言って、彼女は操縦桿を握りしめる。
リエも彼女と言葉を交わしながら、周囲の機器を弄り始める。
「これ大丈夫なの?セイア」
「ああ、心配する必要はないよ。何せナギサは──」
リエが機器の調整を終え、ナギサが操縦桿を動かし始めた瞬間、戦車が唸り始め、一気に加速する。
彼女の瞳に、鋭い光が宿った。
「戦車に関しては右に出る者はいないからね」
先生の本名は『
可愛いですね、Vtuberかな?
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記録61:競走
「『さあ来たね早いねナギサちゃん!!第一チェックポイント突破ァ!!』」
インカムの切り忘れか、はたまたわざとか、慣れた手捌きでハンドルを切るナギサの耳に朗々とした実況が響く。
「第一チェックポイント、走行距離およそ2キロで1分50秒……おかしいですね……」
「おかしい?何がおかしいの、ナギサ?」
「……なるほど、「制限時間が長すぎる」……そう言いたいのかい?」
狭い車内でセイアが問いかけると、ナギサは黙って頷いた。
それと同時にけたたましいアラートが鳴り響く。
モニターには、敵対勢力を示す赤いマークが大量に出現していた。
「『……やっぱ走ってるだけじゃ味気無いって感じじゃん?ここらでどーんとブチ上げてこ!!てなわけでお邪魔虫カモン!!』」
「やはりそういうことでしたか……!」
「高速道路で銃撃戦とか、なんたらが如くで見覚えある……っていうかこの前補習授業部でやったんだけど?!」
「行くよ、ミカ」
「オッケー☆待っててね、先生!」
先生に手を振ると、リエは戦車の後部に降りて射撃体勢に入り、ミカはハッチから身体を乗り出した。
外に出てそうそう、聞こえてきたのはヘリのローター音、見えたのは無数のバイクに乗ったメカニックな傭兵達。
仮に仮想空間としても随分過激だな、と苦笑いして、彼女は手元のグレネードランチャーをリロードする。
「意外と多いね、どうするリエちゃん?」
「雑魚は散らすよ、ヘリ落として」
「まっかせて!」
レースとは名ばかりの、或る意味でキヴォトスらしいカーチェイスが幕を開けた。
「『いよいよ第4チェックポイント突破!!残り2キロ気張ってけー?!』」
「ナギちゃん運転荒いって!リエちゃん落ちるよ?!」
「リエさんなら落ちたってどうにか帰ってくるでしょう?!ミカさんが雑にヘリ落とすから足止め食らってもう時間がないんです!」
焦りながらも360°スピンを軽く決め、蛇行する高速道路上でさらに速度を上げるナギサ。
ミカは先生に粗相を見せまいと必死に腹からこみ上げるものを抑え、リエは暗い目で口を抑えながらも次々に傭兵を焼いていく。
「急ぎたまえナギサ、もう一分を切った」
「っ、問題ありません!どうにかします!」
そう言って、彼女は再び鋭くハンドルを切る。
唯一外にいたリエが、そのドリフトに耐えようと戦車後部の手すりに手を伸ばした瞬間だった。
「やっば」
倒れた道路標識が彼女の頭を直撃する。
意識外からの一撃に、流石に手の力が緩んだリエの身体が道路に投げ出され、さらにミカが落としたヘリコプターが同時に爆発を起こした。
そして彼女が高速道路の崩れたアスファルトごと落下する中、カウントダウンが始まった。
「『5!!』」
「ねえリエちゃん落ちたよ?!思ったよりもガッツリ落ちたよ?!」
「『4!!』」
「どうせ生きてます!どうせ生きてますから!」
「『3!!』」
「あとちょっとだけ頑張ってナギサ!」
「『2!!』」
「ああ頼む!」
「『1!!』」
「……これで!!」
「『0!!』」
その声が響いたのは、戦車がゴールテープを模したバリケードに突っ込んだほんの少し、コンマ数秒後だった。
「『ティーパーティー、『ハイウェイ・タンクレース』突破!!ほんとサイコーだよ!!』」
「……ああ……疲れた……疲れました……」
「お疲れ様、ナギサ」
水着で顕になった素肌に汗を滴らせ、紅茶を飲み干したナギサ。
その肩を先生が叩く後ろで、高さ20m程の高速道路の塀に彼女は手を掛けた。
「……あー、いったぁ……」