コウマが討つ! (兜割り)
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プロローグ

初めまして。初投稿なのでよろしくお願いします。
作者はガラスのハートなので過激なコメントはやめてくれると助かります。


千年続いてきた帝国、その帝国を守る歴史は『光』と『影』に分けることができる。

 

 

凶悪な犯罪者、凶暴な危険種、侵略してくる異民族、これらを打ち倒す者を人は勇者、英雄とたたえ畏敬し憧れる。まさに『光』、輝かしいばかりの栄光に包まれた存在であろう。

 

だが、光あるところに影あり、『光』が『外』の敵を討つ者ならば、『内』の敵を討つ『影』も存在する。彼らの務めは皇帝の命に従い、貴族、軍、宮中において帝国に害をもたらす人物たちを調査し、密かに抹殺すること。『影』は森を拠点として、その務めを次の世代へと託し続けて存在している。この白と黒、二つをもって帝国を存続させてきた。しかし、その『影』も滅びの時を迎えようとしていた。

 

夜の闇、月の光、そこにあるのはひとつの山、その山に広がる森。本来なら、ほとんどの人間はこの森の存在を知らず、それを知るわずかな者ですら、この森に近づくことは許されない。

 

その森は、あらゆる所が罠で固められ一つの山が『影』を護る要塞と化しているから。何も知らない人間が、この森に足を踏み入れることは死を意味することに他ならない。

 

だが、今この時だけは違った。金属と金属がぶつかり合う音。重火器が火を吹く音。罠が発動し森が壊れる音。ぎゃあぎゃあという人々の叫びの音。

 

地獄絵図がこの世に描かれている森の中心部にある、広大な屋敷。その中に和服を着た一人の男が畳の上寝転がりながら悪態をついていた。この男が長年帝国を影から支えてきた『影』の現当主である。

 

「ちっ、帝国の奴らめ俺たち『影』を散々こき使っておきながらこの仕打ちかよ」

 

部屋の外の騒ぎも近くなっていた。すると、廊下からドタドタと足音が近づいて、襖が勢いよく開けられた。

 

「親方様っ!!」

 

部屋に入ってきたのは、動きやすそうな着物を着た青年だった。しかし、その体は紅くかろうじて着物が黒だったと認識できるほどに血に染まっていた。

 

「お~う、タイガ。で、状況は?」

 

焦りも緊張感もない声と態度に青年は、イラッとしたが緊急事態のためその怒りを飲み込み報告した。

 

「すでに罠の半分以上は破壊され、ナオト様とマサヤ様の部隊も全滅! 戦える者たちに無傷で済んだものはいません!」

 

おめぇはみたとこ無傷じゃねぇかと男はタイガの報告を聞きながら考えていた。

 

「へぇ、ナオトとマサヤがねぇ。帝国の奴らの戦力は?」

 

「多く見て千はいるかと。その中には帝具使いもみつかっており、部隊の総指揮官はブドー将軍です!」

 

カハッと当主は笑った。使用者を一騎当千の修羅に変える帝具の存在、若くして将軍の地位を与えらた英傑、ブドー将軍。この二つの存在がどれほどの意味を持っているなど、知らないはずがない。

 

「こんな小さな里には過剰戦力だろ。ブドーも大変だねぇ。あいつの性格だから、こういうこと嫌いだったが、陛下の命とあっちゃなぁ。手加減してくれねぇだろうし。親父さんも手加減だけはしてくれなかったなぁ」

 

当主は昔のことを思い出して、笑みを浮かべた。

 

「でっ、ではっ! なぜ陛下が我々を!」

 

「まぁ、予想はつく陛下の周りを囲んでいる大臣たち、筆頭はオネストだろう。あいつら俺たちのこと嫌ってたからな。陛下も体調を崩すことが多くなってきているからその隙に付け込み、あらぬことを吹き込んだってところだろう。ブドーを指揮官にするのは予想外だと思うがな」

 

「くっ! 卑怯な!」

 

タイガは憤りを隠せなかった。皇帝を支えるはずの大臣が皇帝を操ることに。

 

「まっ、これで方針も決まった。しっかり聞けよ」

 

「は、はっ」

 

これが最後の命令であることをタイガは覚悟した。自分たちの終わりを告げる命令であることを。

 

「逃げるぞ」

 

「はっ!………はっ、はぁ!?」

 

当主の予想外の命令によりタイガは驚愕の声をあげてしまった。

 

「なに驚いてんだよ。お前もしかして俺が一族全員に死んで来いなんて命令をするなんて思ってたんじゃないだろうな?てかお前、自分の女と腹のガキに死んでくれなんていえるか?」

 

「いっ、いえ! しかし、逃げるとなるとどのように?すでに我々は敵に包囲されていますが?」

 

「帝具を使う。次元方陣シャンバラ、一定範囲の人間を予めマークした地点へと転送できる便利な帝具だ。俺が現役の時は逃走の時によく使ってた。お前も知ってるだろう?」

 

「知ってます。親方様が修行をつけてくれる際、私を極寒の大地や灼熱の砂漠、危険種がウヨウヨいる森に転送されましたから」

 

「おう、そんなこともあったねぇ。分かっているなら話は早い。里の奴らを全員、広場に集めてこい。先祖様がもしものためにと作ってくれたカルラの里だ。この里と似たようなところだし、陛下にも教えていないから大丈夫だろ、あそこに送ってやる。早くしろよ。相手は待ってくれねぇぞ」

 

「はっ!」

 

タイガは返事をするとすぐ行動に移り、残された当主はポツリとつぶやいた。

 

「里の連中は、だいたい三百五十人か。……俺の体力もつかね」

 

 

 

屋敷の前にある広場には里の人間たちが集まっていた。ほとんどが女、子供、戦いで負傷した者たちであった。

 

「親方様、全員集まりました」

 

「おう、みたところホズミの爺さんたちがいねぇようだが?」

 

当主が聞くとタイガは俯いた。

 

「ホズミ様たちは死ぬならこの里だと殿として帝国軍を抑えてくれています」

絞りだすような声に当主は「そうか」と答えた。

 

「ならお前ら送った後、俺もそうしようかね」

 

「なっ! 親方様なにをおっしゃいますか!親方様がいなければ里の皆が!」

 

「なら、タイガ次からお前が当主だ。……里の皆引っ張っていくんだ。任せたぞ」

 

「そんな簡単に!!」

 

「タイガ」

 

タイガは当主の声に黙った。いや、当主の持つ迫力に黙らせられた。

 

「俺は『影』の当主だ。今までやってきたことのケジメをつけないとな。……それにこうなったのも俺の責任みたいなもんだしな」

 

タイガは驚いた表情を作っていた。当主には驚かされてばかりだが、その言葉が一番の驚きだった。

 

「先祖から長い間この家業をしているからかな、下衆に対しての嗅覚が発達してな無性に殺したくなる衝動があるんだよ。特に国の害になる悪人には強く反応しちまう。その中でとんでもない下衆がいてな。しかも、そいつが国の大臣なんかやってる、早めに始末すればよかったなぁ」

「親方様は、その者を始末すれば里を救えたと……」

 

「ああ、てかそいつはこの国の民衆にとってとんでもない厄災になるだろうって確信してたしな。殺す前にどんどん出世して陛下に気に入られてしまったがな。………あの肥満やろう」

 

突如、森から爆音が響いた。

 

「ホズミの爺さんのとこもやばそうだな、ほれタイガみんなに当主交代の発表するぞ」

 

「しかし、自分はまだ未熟です。当主などとても……」

 

「大丈夫だ。お前はうまくやれるさ。暗殺者としては、俺より劣るがみんなを率いる人徳なら俺よりはるかに上だ。………一人の父親として息子がここまで立派に成長するのを見れてうれしかった」

 

タイガは当主の、いや父親の言葉を聞いて目を大きく広げた。

「お、親父……」

 

タイガは理解した。父親の決意は固いと。自分のことを自慢の息子だと認めてくれていたことも。これが親子として最後の会話であることを。

 

「心残りがあるとすれば、孫の顔を見れないことかな……」

 

「大丈夫、親父のような性格のひねくれて、人を振り回すような悪い人間には育てないから」

 

「おいおい、俺のどこが性格の悪い男だって、せいぜいお前たちにはいい人間として接していたんだがなぁ……」

 

「俺たち若い世代があんたの無茶苦茶な修行や任務にどれだけ頭を抱えて振り回されたか知らないようだな」

 

はっはっと二人は笑った。

 

しかし二人はすぐに真顔になって額を合わせた。

 

「おい、ふざけんなよ。俺はお前のことを思って、修行をつけてやったんだからな。それをカンナのやつにチクリやがって、俺がその後どんな目にあったか知らないようだな」

 

「知ってるよ。お袋が毎朝、親父を起こす時スパイクの付いた靴を履いて腹にトリプルアクセルをかましたことだろう。その後、1週間食事が見た目はまともだが、味は拷問に使えるようなものにされたな」

 

「あいつは、奇襲や気配を消すのは俺以上だったからな。反応できなかった……。エビルバードの唾なんか隠し味にしやがって、変な走馬灯を見たぞ。つか、お前俺が嫁さん紹介しなかったら、今でも鍛錬続けて独身だっただろ。それについての感謝をまだ聞いてねぇぞ」

 

「いきなりマイを紹介して『こいつお前の嫁さんな』って言って里のみんなに俺が結婚するって言いふらして、なにいってんだよ。俺、マイと二人っきりになったときどうすればいいか分からなくてパニックに陥ったぞ。マイができた女だったから良かったけど……。第一、俺はまだ二十一だ。世代交代が早いこの家業でも早すぎるぞ」

 

「マイは元々お前に気があったんだ。そのために色々と努力してたんだぞ。それにしても、祝言のお前は傑作だった。足と腕が同時に出てガチガチだったもんな。幼馴染の連中もみんな笑うの我慢してたぞ。夜の方はうまくいくのかでみんなと酒の肴にしたな……」

 

「本当に最悪だな、クソ親父。子供をまともに育てる決心がより一層強くなったわ」

 

声をあげ、二人は空を見た。

 

「……色々あったな」

 

「ああ、……本当にな」

 

二人は顔を見合わせ、お互い頷き、ふと顔を離した。

 

「いくぞ、みんなが待ってる」

 

「そうだな」

 

親子は里の皆が待つ広場へ歩いていった。

 

 

 

広場に集まった人々は表れた当主とその息子の姿を見て、不安感を和らげた。人々から「親方様」「タイガ様」と声が聞こえた。

 

里の人々を見て当主は叫んだ。

 

「皆、聞け! 俺は、本日を以って、当主の座を息子タイガに譲る!そして、この地で最後を迎える!」

 

誰もが耳を疑った。彼は十代半ばにしてライバルである兄弟たちを蹴落とし、『影』の当主となった天才児であった。その彼が当主をやめることには大きな衝撃があった。

 

「お気を確かになさってください、親方様!」

 

「貴方様は『影』の象徴!」

 

「その御身が一体なぜ!」

 

側近たち、当主とともに育ち、彼とともに戦ってきた古参の者たちは茫然とした後に、銃撃のように叫んだ。

 

「何もいうな――」

 

当主がその者たちを目で射るとサッと静まり帰った。

 

「これからのことを皆に伝える。俺の帝具、次元方陣シャンバラで皆をカルラの里に送る。しかし、シャンバラは数人送るのにも相当な負担がかかる。お前たち全員を送ると俺の命も尽きるだろう。故に当主の座をタイガに譲る。これは決定事項だ」

 

親方様、親方様と皆が声を出すのが聞こえる。

 

「タイガ!」

 

「はっ!」

 

当主の後に控えていたタイガは当主の声にはっきりと返事をした。その姿に迷いはなかった。

「お前は当主としてカルラで里の皆をまとめろ。ただし、皆を破滅に巻き込む選択だけは絶対にするなよ。いいな?」

 

「はっ! 承知いたしました!」

 

息子のその姿を見て、当主は満足そうに頷いた。

 

「さて、そろそろ時間だ。タイガもさっさと入れ」

 

「はい」

 

タイガは皆の元に行き、当主の前に立った。次期当主として、息子として、一人の父親になる身として、その姿を目に焼き付けたかった。

 

「お義父様!」

 

すると、一人の長髪の女性が集団の中から走って現れ、タイガの隣に立った。

 

「マイか。そんなに激しく動いていいのか?腹の子がびっくりするだろう」

 

「大丈夫です。でも、お義父様が……」

 

マイは顔をくしゃりと歪めた。

 

「そんなに悲しい顔すんな。『影』として、生まれた以上覚悟はしてたさ。まぁ、孫の顔を見れないのが残念でならないが。名前は決めたかい?」

 

「はい、二人で決めました。男の子ならコウマ、女の子ならサオリと。」

 

「コウマ、サオリね。いい名だ」

 

当主はその名を噛み締めるようにつぶやいた。

 

「おい、タイガ。マイを泣かすんじゃねぇぞ。こんないい嫁さん他にいないぞ」

 

「わかってるよ。マイに手出しするやつなんかこの手で叩き潰してやる」

 

「はっはぁ、そうかいそうかい」

 

当主もタイガも笑いながら話した。話したいことはまだいっぱいあったが、十分な答えを聞けたので当主は満足だった。

 

当主は手のひら大の円形道具を取り出しその名を言った。

 

「そんじゃ、いくぞ。元気でな――シャンバラ」

 

光が走る。光はタイガたちを包むとパンっという音を立てて消えた。そこには、タイガもマイも里の人々もいなかった。残されたのは当主ただ一人。

 

「ぐっ、かはっ、……はぁはぁ、こんなにも負担がかかるもんなのか。……きつ過ぎるだろ」

 

最早立っているのも難しく、激しい頭痛、めまい、吐き気がこみ上げており、体は悲鳴を上げている。グラリと体が崩れるがそれを誰かに支えられた。

 

「親方様……」

 

当主の体を支えたのは側近たちだった。

 

「お前ら、なにやってるんだよ。タイガたちと一緒に行かなかったのか……」

 

「親方様に最後までついていく。それが我々の務めです!」

 

「……馬鹿野郎どもが」

 

側近たちの言葉に当主は呆れた。だが、怒るようなことはしなかった。

 

「なら、命令だ。俺の屋敷、里に火を放て、その後は帝国軍に『影』の恐ろしさを教えてやれ」

 

『はっ!!』

 

側近たちはすぐさま行動に移った。

 

残された当主はフラフラとした足取りで屋敷に向かった。

 

「……俺の死に場所はあそこしかねぇな」

 

負担が大きかったせいか、目も霞み、叫び声や破壊音、銃撃の音も聞こえなくなっていた。

 

屋敷の中の部屋に着いた当主は大きく息を吐いた。こうでもしなくては、体が負担でおかしくなってしまいそうだった。いや、すでにいくつかの部分はおかしくなっているのだろう感じれるものが感じれないのだ。

 

「タイガとマイ、孫には悪いことしちまったな。これからの帝国は、『影』という存在がなくなった今、大臣たち、いやオネストの天下になるだろう。組織として壊滅した『影』には生きることが難しくなる時代になるな。まぁ、帝国に関わらないことと暗殺稼業から手を引けばの話だが」

 

すでに屋敷には火の手が上がっており、周りは灼熱の世界だった。柱がメキメキと倒れ、火の粉が舞う。

 

「っ……本当に……すまなかったな」

 

当主ではなく一人の親としての顔と声で呟いたと同時に、屋敷は崩れ去った。

 

こうして帝国を長きにわたって支えてきた『影』は壊滅した。残った『影』の者たちを討ち、里を制圧したブドー将軍は部下の報告から焼け残った屋敷から遺体と帝具シャンバラが発見され、当主が帝具を使い里の人間を逃がしたと理解したが、転送先が分からなかったことにより、これ以上の捜索をやめ部隊を撤退させた。

 

 

 

 

『カルラの里』――そこは『影』の拠点として古くからあり、山を背にし、深い樹海に囲まれ、腕試の場所として使われたところである。この場所が帝国に見つからない理由の一つとして危険種の存在がある。樹海に入ろうとするならば、凶暴な危険種に襲われ骨すら残さずに喰われてしまうからだ。この危険種の樹海に入り、獲物を狩り、無事に突破できたものは一人前として認められる。里が危険種に襲われない理由は定かではないが、有力な説として『影』の先祖がこの樹海の主たる超級危険種を倒し、その血を里の周辺に撒いたことにより、超級危険種の気配を感じて危険種は近づかないというのがある。

 

「親方様、こちらが資料になります」

 

「ああ、ありがとう」

 

「いえ、この程度のこと……」

 

ようやく目途が付いたな、と口にはせず、当主となったタイガは部下から渡された資料に目を通した。

 

カルラの里にある当主の屋敷の外からは、明るい声が聞こえる。

 

『影』が帝国の侵略を受けて、数ヶ月が過ぎていた。

 

『影』が壊滅して後の里の人間たちは無事にカルラの里にたどり着き、当主となったタイガは初めの仕事として里の暗殺家業を辞めることを宣言することであった。

 

多くの人間は帝国によって与えられた深い傷を癒すことに専念したいと。帝国に従う義理はないと。穏やかに暮らしたいと。タイガの意見に賛成であった。だが、一部の若い連中は、帝国に対して報復をと唱えるものもいたが、それはタイガの実力で黙らせた。

 

「地元の奴らのおかげで、とりあえずは何とかなりそうだな」

 

「はい、彼らも当面はこちらに対して協力的な態勢を取ってくれるそうですしばらくはこの里は平穏でいられると言うことですね。」

 

ホッとした顔で部下がいう。

 

部下を退室させたタイガは疲れたような表情になっていた。

 

「平穏……か」

 

それは自然とタイガの口から出てしまった呟きだった。

 

タイガはそれを止めようとせず、そのまま続ける。

 

「俺は『影』の当主の息子として、必死に腕を磨き続けた。当主になってもその力を振るうつもりだった。故郷の地で死ぬ覚悟もできていた。けど、当主になってみろ。帝国から切り捨てられ、親父や親友たちを犠牲して、ボロボロになったみんなを引っ張る。みんなを守るために先祖から引き継いだ責務も捨てた。それが今の当主のである俺だ。……俺の心は平穏を受け入れることができるかね」

 

タイガの独白が終わると外が騒がしくなっていた。すると、先ほどの部下が慌てて部屋に入ってきた。

 

「おっ、親方様、大変です!」

 

「どうした? そんなに慌てて?」

 

タイガが聞くと部下は叫ぶように言った。

 

「マイ様が!!」

 

タイガは自分の妻の名を聞くと物凄い速さで部屋を出ていった。

 

タイガが妻の元に着いたときには、全てが終わっていた。

侍女たちは慌ただしく駆け回っており、周りは里の人間に囲まれて、普段は静かな当主の屋敷が祭のように騒がしかった。

だが、タイガにはその騒ぎは届いていなかった。耳に届いているのは、赤子の産声だけだった。

 

「親方様! お喜びください、元気な男の子ですよ!」

 

自分の近くで産婆が報告をしたが、タイガは返事が出来なかった。その視線はマイの腕の中にいる赤子に集中していた。

 

「ほら、コウマ。お父様ですよ」

 

マイは抱いている赤子――コウマをタイガに渡した。

タイガは壊れ物を扱うような手付でコウマを受け取った。

 

「ああ、そうか……そうだよな。お前がいるんだよな。すまなかった」

 

タイガはコウマを抱きしめた。

 

(……コウマ……俺は『影』として生きていきたかった。だが、その『影』ももうない。自分の好きな生き方ができないのは残念だったが、それ以上にお前がどんな道を歩めるのか見てみたい。)

 

コウマは父親の腕に抱かれて静かな寝息を立てていた。そのコウマの頭をそっと撫でた。

 

(しかし……千年続く『影』の血が築き上げた業は拭いきることはできないだろう。……ならば俺はお前に『技』をくれてやる。お前がお前の道に進めるように俺の磨き上げた『技』を全部やる。それを生かすも殺すもお前次第だ)

 

 



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始まり
第一話


正直に言いますと、この作品原作にたどり着くまで時間がかかります。
書いてみたいことが多すぎるもので……
原作を楽しみにしている読者様、申し訳ございません。少々お待ちください。


夜の森にて二つの影が走り抜けていた。

 

影は相手の小柄な影に蹴りつけた。

 

猛烈な衝撃があって、小柄な影はぐるぐると回転する体を必死に抑えこんで、影を探す。

 

戦場にいる戦士は正面ばかりを見ていることなどなく、実際には首を絶えず振り回し、五感を研ぎ澄ませて、潜んでいる敵を常に見張り続けることになる。

 

前方には大木の枝の上に、先ほど蹴りをかけてきた影がいる。

 

体勢を立て直した小柄な影は、木を足場にして鋭角的な移動をして相手の背後を目指した。

 

(ああ、もう!なんて速さ、こっちはもう限界なのに!)

 

木と木の間を縫って跳んでいる影の動きには寸分の無駄もなかった。巧みに足を使い、恐ろしいほどの速さで小柄な影を離していく。

 

(危険種を狩れるようになったからと言って天狗になったわけじゃない!)

 

小柄な影は限界を超えてでも、影に追いつこうとした。

 

その瞬間、衝撃がきたことにより、その判断が間違いだと気付いた。

 

自分のすぐ目の前に、相手の顔があったのだ。

 

「追いつくことに集中し過ぎだ、策を考えろ。追いかけっこしてるわけじゃないんだぞ」

 

声とともに、左足にローキックが放たれて、小柄な影はひるんだ。

 

が、小柄な影とてやられているわけではない。

 

流れるような動きで、腰に装備されたナイフを抜き放った。

 

その速さに驚いたのか影は、目を見開いていた。

 

影に向かってナイフを切り付けた。いや……切り付けた、つもりだった。

 

影はナイフで切り付けるよりも早く、手でナイフを握った右の手首を掴んでいた。

 

ローキックによって痺れた左足、掴まれた右手、小柄な影は完全に捕まっていた。

 

(しまった!)

 

小柄な影は空いた左手を胸の前に移動させた。

 

しかし、影によって放たれた貫手は左手でガードをしても強力な威力を持っており、小柄な影の意識は落ちた。

 

 

 

(やばいな……やり過ぎちまった)

 

影――タイガは気絶した小柄な影――息子のコウマを見てそう思った。

 

なにせ、ナイフを抜いた時の動きは百戦錬磨のタイガを以ってしても、驚くべき速さと精確性を持ったものだったのだから。

 

カルラの里に移り住んでから七年が経っていた。

 

その間タイガたち里の者は協議した結果、『独自で生きていく』という結論に出た。

理由としては、帝都では皇帝の後継者争いが激化しているからである。タイガは後継者争いの勝者はオネスト大臣だと確信していた。

 

酒池肉林をもっとも好み、政治センスも高い頭が切れる巨漢の極悪人である。

『影』が持つ情報網は活きており、そこからの話で前当主の言った通り、『影』の壊滅を皇帝に申したのはオネストだった。

そんな奴がこれから牛耳るところに、再び自らの命を預けるほど彼らは酔狂ではなかった。

 

後は、里で耕した畑から食材をとり、地元の人間からの依頼で危険種の討伐、樹海に住む危険種から剥ぎ取った素材、暗殺道具を作るノウハウを活用して、包丁などの道具を帝都で売っていくという生活を続けていた。

 

そんな生活に慣れると、タイガは六歳になった息子のコウマに自分が会得した技を教えていった。

タイガとしては、全てを継承するのに最低でも五年はかかると思っていた。

しかし、息子の技量はタイガの想像を凌駕していた。

日頃は穏やかで静かな息子は里のみんなから好かれているが、超一流の暗殺者の才能を秘めていたのだ。

僅か数ヶ月で基本といえる型をまだ十にもならない子供が習得してしまうなど前代未聞と言う他無い。

コウマの技量は同世代とは比べるのも馬鹿馬鹿しいほど上達しており、今では単独で危険種する狩れるほどに成長している。

 

(それにしても……コウマの成長速度は恐ろしいな。俺に手を使わせるとは。足だけで相手をするのも厳しくなってきたな)

 

あの時手でナイフを止めなければ、タイガの首は横に切り裂かれていただろう。平和の中で久しぶりに感じた死の感覚だった。

 

(危険種を狩る時もそうだったが、ナイフを抜いた時の目を見ると全くの躊躇いがなかった。どこをどうすれば生物を壊せれるのか自然と分かっているのか?)

 

今のコウマは会得した技量に体が追い付いていない。

後は練習を欠かさずにし、体作りをしっかりとすれば問題はない。

このまま成長すればコウマは近い将来自分を超えるだろう。

 

「さて、夜も深くなってきたし、そろそろ帰るか。……ん?こいつ気絶してもナイフを離してないな。そんなに気に入ってたのか?」

 

そう呟きながら気絶したコウマを抱えながらタイガは帰路についていた。

 

 

しばらくするとタイガたちは屋敷の門に着いていた。

門の前にはマイが待っていた。

 

「親方様、お疲れ様です」

 

「ああ、コウマを頼めるか」

 

「はい、あらあら、今日も派手にやったそうですね」

 

マイは気絶しているコウマを見て、クスクスと笑った。

 

「笑いごとじゃないぞ。こっちなんか『手は使わない』っていう手加減をしてたら、首をスパンってやられそうになったんだぞ。正直なところ次の段階に進めようかなと思っているんだが……」

 

「フフッ、だってこの子、あなたがいない隙に隠れて技の練習をしてたのよ。時には私も手伝ったりしたわ」

 

「……マジか?」

 

「ええ、ほら」

 

マイはコウマがナイフを握り続けている手を開いた。

ナイフの刃には傷はなかったが、柄の部分はボロボロになっていた。

 

「……こいつ、極度の練習は体に響くぞっていったのに」

 

「コウマは早く親方様に追いつきたいのですよ」

 

そう言われると悪い気がせず、顔が緩むのを感じた。

「では親方様、私はコウマを部屋に」

 

「ああ、俺は帝都から戻った奴らの報告を聞いてから戻る」

 

マイはその言葉を聞くと一礼した。

 

「さてと、いくか……」

 

 

当主の部屋にいくと部下が待っており、タイガは部下に話を促した。

 

「それで、何かあったか?」

 

「はい、先日この里から少し離れた村と森が帝国の焼却部隊に焼かれました」

 

「なんで焼却部隊がわざわざ……。その村は疫病でも流行ってたのか?」

 

「表向きはそう伝えられるでしょう。けど、真相は違います」

 

部下は膝の上で拳を握りしめていた。よっぽどの事ことがあったのだろう。

 

「……続けろ」

 

「……はい。焼却部隊の隊長が火炎放射器の帝具を手に入れ、『試し打ち』がしたいと申した結果、偶々近くの村に火を放ち村人たちが逃げ込んだ森ごと……」

 

血を吐くような報告にタイガは驚愕した。たったそれだけのことで、村と森を燃やしたというのか……。

 

「焼却部隊の隊長は、私的に部隊を動かした罪で謹慎処分を受けましたが、しばらくすれば何等かの制限を受けて元の部隊に戻るでしょう」

 

「貴重な帝具使いなんだ、そのままにすることはないだろう。……分かった。報告ご苦労だった。ゆっくり休んでくれ」

 

タイガは部下を下がらせると呟いた。

 

「嫌な予感がするな……」

 

 

 

『それ』は夜の闇を走っていた。

 

『それ』は成人男性の四倍以上の大きさを持っており、一本一本が女性の腰ほどの太さがある四本の足でしっかりと大地に踏み、全速で走っていた。

 

鋭く伸びた爪、光輝く金の目、強大な躰を覆うのは黒色の毛。

 

何より目を引くのは夜気を白く染める熱い吐息の中で見え隠れする爪より鋭い牙。

人の体はおろか鋼鉄すらも易々と噛み砕けるかもしれない。

 

『それ』の心の中は、怒りと焦燥感に二分されていた。

 

本来なら『それ』は、一部の場所をテリトリーとし、無駄な狩りを行わず、テリトリーを守る。

それが生き方だった。だが、その生き方もできなくなっていた。

 

自分たちの縄張りを燃やされたのだ。

最初は、森の近くの村が燃やされた。村を燃やされた人間は、森へ逃げていきその人間を追った人間は森に火を放った。

自分たちの先祖から受け継がれた森が燃えた。獲物である動物も燃えた。自分より、長く生きた木も燃えた。自分たちを崇めていた人間たちも燃えた。

 

自分たちの……先祖からの誇りを汚されたのだ。これに怒りを覚えずになんとする。

 

焦燥感の正体は食糧についてだ。もう何日も食べていない。探さなければ食糧を、栄養をなんとしても。

 

そして、『それ』は一つの樹海にたどり着いた。奥には、自分より強大な存在の血の匂いを感じたが、『それ』はひるまずに樹海の中に入っていった。

 

 

 

『それ』によってもたらされた変化にいち早く気付いたのは気絶から覚めたコウマだった。

 

自分がいつの間にか自室の布団の上にいるよりも、その変化の方が異常としかいえなかった。

 

「……おかしいな。いつもなら虫の鳴き声が聞こえるはずなのに」

 

コウマは耳に意識を集中すると、あった筈の外からの音が何一つ聞こえていないことに気が付いた。

大小に関わらず、そこに生き物がいれば音が生まれるのは必然だ。

風すら止まってしまったのか何一つ物音が無い。

 

「……森でなにかあったのかな?静かになるとすれば……」

 

自分より強大なものから隠れるときと言おうとしたとき――。

 

 

「オォォォォォォォォォォォンッ!!」

 

 

すぐ近くから聞こえてくる獣の咆哮を耳にした。

 

「なっ、何だ!?」

 

すぐ隣に居るような間近ではない、けれど明らかに里のどこかから聞こえてきたそれは決して遠くも無い。

続けて聞こえてくる家屋がなぎ倒される音に人の悲鳴。

 

「ギャァァァァァァァァァァッ!!」

 

「逃げ――アァァァァァァァァァァァァァァッ!!」

 

コウマは部屋から飛び出し、両親の元へ向かった。

 

(『何か』が里の中に入ってきたのか!?こんなこと一度もなかったのに!)

 

走っている間にも、夜を切り裂くようなこれまで以上に巨大な咆哮と人の悲鳴が響き渡る。

両親の部屋に向かう途中に母と会った。

 

「コウマ、無事!」

 

「うん、僕は大丈夫。父さんは?」

 

「親方様はみんなを救うため先に外に出ました。あなたは屋敷でじっと――」

 

してなさいとマイが言い切ろうとした瞬間。

 

「グオォォォォォォォォォォォンッ!!!」

 

先ほどの咆哮より巨大な咆哮にかき消された

すると、親子だろうか。血に染まった子供を抱いた女性が門を潜ってきた。

 

「マイ様!どうか、どうかお助けください!」

 

子供は背中に切り裂かれたような大きな傷があり、夥しいほどの血が流れていた。

その後ろにも大怪我をした人たちがいた。

 

「っ!分かりました。今すぐに治療を始めます。こちらへ!コウマ!屋敷からは絶対でないこと、いいわね!」

 

マイは怪我人たちを連れてコウマから離れていった。

 

残されたコウマは音で外の状況を知ろうとした。

すでに人の悲鳴は聞こえておらず、避難を叫ぶ声、家屋がなぎ倒される音、獣の咆哮らしきものが響いていた。

 

(父さんが助けにいったのに、まだ退治できてないのか!)

 

それは幼いコウマにとって最も驚くべきことだった。

里で最強の実力を持つタイガが苦戦する。それはつまり、自分の知る中で相手は規格外の存在だということだ。

 

(お父さんなら大丈夫なはず……でも!)

 

コウマの心の中には父と互角に戦う相手を見てみたいという欲ができていた。

そして今、父であるタイガが自分には見せたことのない全力の戦いをしている。

これを息子として見逃すわけにはいかなかった。

 

(お母さんごめんなさい、コウマは悪い子になります)

 

自分を止めた母に心の中で謝罪して、コウマは腰のナイフを確認しながら外に走っていった。

 

 

 

外は月の薄暗い光が照らし、闇夜がそれを覆い尽くす夜の世界だった。

家屋がなぎ倒されて中の火が移ったせいか、里の一部が赤くなっていた。

決して漆黒ではない里の夜の中でコウマは咆哮と破壊音が鳴って、父が戦っていると思わしき方角へと足を進めた。

 

「うっ!」

 

たどり着いた時に最初に感じたのは匂いだった。噎せ返りそうな生温かい臭いと肉が焼ける耐えられない臭いを嗅ぎ取ってしまった。

 

(なっ、なんだ『あれ』は!)

 

家屋の残骸の影でコウマは隠れ見たのは、口元を鮮血で紅く染める、タイガの数倍の巨体を持つ黒いオオカミとコウマも今まで見たことのない迫力を持って、武器を構えているタイガだった。

 

父が苦戦するということから大まかな存在は想像していたが、そんなものは現実を見るとあっけなく吹き飛んでしまった。

 

巨大な体は圧倒的な存在感を作り出して、タイガと対峙していた。

 

夜の中でも光輝く金の目で相手を睨み、黒を磨いたような色の毛と尾を逆立て、鮮血に染まった口はボリボリと人の骨と一緒についた肉と血を噛み砕き飲み込んで、大地には爪を立ててすぐにでも襲えるような体勢だった。

 

『捕食者』まさにその言葉が相応しい美しい存在だった。

 

(すごい……。あんなに綺麗な存在がいたなんて。僕が今まで狩ってきた危険種が四桁いてもあいつには敵わない……)

 

コウマは目を奪われた。獲物を狩るものとしての理想形の一つがそこにあったのだ。

 

次に父を見ると手に大きな鏃を両端に持つ五十センチほどのバトンを持ち、オオカミに臆することなく、構えていた。

 

(あれが父さんの武器、初めて見た。……え、えぇ!!)

 

父を見て、コウマはおもわず息を呑んだ。父がオオカミに匹敵するほどと見まがうほどに大きく見えたのだ。それはもちろん錯覚だったが、そこにいるだけで他者を圧倒させる威風を放っていた。

 

(こ、こんな戦いがあったのか!何もかもが規格外すぎる!)

 

今のコウマは未知に対しての恐怖よりも興奮が優っていた。この戦いを見逃していたら一生の後悔となっていたと確信した。

 

最初に動いたのはタイガだった。動いたといっても腕を少し下げただけだ。

 

下げたと思った次の瞬間にはタイガがいた場所にオオカミが噛みついていた。

 

(あの巨体でなんて速さだ!父さんは!)

 

コウマは父を捜した。タイガはコウマの予想外の場所にいた。オオカミの腹の下にいたのである。

 

(隙を作ってオオカミを誘導して、向かってきたオオカミの腹の下へ潜ったのか!)

 

一歩間違えれば、タイガの頭はオオカミに食いちぎられていただろう。幾度の戦いを潜り抜けてきたタイガだからこそできる技だ。

 

タイガはすかさずに鏃の付いたバトンをオオカミの腹に突き刺そうとする。

 

するとオオカミは跳び、反転して自分の背で鏃を受けたのだ。

 

(あんな動きを!……腹は動物にとっての急所、守るのは当然か)

 

タイガの顔が歪むのが見えたが、すぐにバトンの中央グリップを指で操作すると、背を刺した鏃が飛び出たのだ。槍のようになったバトンはオオカミの体重を受けて、ミシミシという悲鳴を上げ、タイガはすぐにオオカミの下から離脱した。

 

(あれはバトンじゃない伸縮自在の槍だったんだ!あれを背中に受ければただでは……)

 

オオカミの判断にも驚いたが父の必殺といえる技にはもっと驚いた。コウマはダメージを確認するが……。

 

(……え?直撃だったはずなのに傷一つついてない!)

 

そう、無傷だったのだ。下手をしたら貫通してもおかしくないはずだったのにオオカミは無傷だったのだ。

 

再び同じような体勢になったとき、壊れた屋敷の中で動きがあった。

 

「うう……」

 

崩れた屋敷の下に男性の姿があったのだ。足が折れて動かないのか立てる様子ではなかった。

 

その動きに先に反応したのは、不幸なことにオオカミだった。

 

オオカミはタイガよりも早く動き、男性の上半身を食いちぎった。

 

「てめぇぇぇ!!」

 

叫んだタイガは槍を縮めバトンにして、先の鏃をオオカミの首――よく見れば首の右側の一ヶ所だけ毛が剥げていた――に叩き込んだ。

 

速度をそのままに連続の鏃の一撃全てを一ヶ所に集中させた。

人間だったら首の骨が砕かれるよりも、首がもぎり取られ吹き飛ばされているだろう。

 

複数の一撃を首に撃ち込まれたオオカミ怯んだが肉や骨を咀嚼したまま、自分の尾を追いかけるようにして高速で回転した。

 

「くそっ!」

 

両端の鏃を伸ばし槍にして、それを盾代わりにしたタイガはそのまま吹き飛ばされた。

 

下がったタイガはオオカミの首をみて舌打ちをした。

 

「チッ!もう何十回も同じところに叩きこんだのに、まだくたばらねぇか!」

 

タイガの言葉を聞きながらコウマは一つの疑問を浮かべていた。

 

(……どうしてオオカミは父さんを喰うより、足の折れた人を優先したんだ?)

 

相手は足が折れて動けないのだ。いつでも喰うことができる。

 

タイガはいつでも喰うことができるということか?これはない。タイガはオオカミと互角の勝負をしている。簡単に喰える相手ではない。

 

自分の毛の防御に絶対の自信を持っているのか?いや、タイガとの戦いで分かっているはずだ。オオカミはタイガを自分の防御を破ることができる存在として理解しているだろう。

それならばなぜ?喰うことを優先した?

 

腹を守った時もそうだ。毛の防御があれば防げたはずなのに、わざわざ背中で防御した。

 

(何か、何かあるんだ。戦うことよりも食べることを優先する理由が……)

 

コウマは理由を考えようとしたが、それ以上は出来なかった。

 

自分の隠れている残骸のすぐ先に人、女の子が膝を抱えて泣いていたのだ。

 

「うっ、ぐすっ、うぅぅ……」

 

(馬鹿!何してる、逃げろ!)

 

コウマはそう叫びたかったが、出来なかった。

 

自分がここで叫べば、オオカミは自分を標的にして襲ってくるだろう。

 

コウマは祈った。どうか彼女が見つからないことを。オオカミが父に早く倒されることを。

 

だが、コウマの祈りは届かなかった。

 

女の子は顔を上げてビクッと震えた。

 

コウマも前を見た。先に父の背中が見えた。その先には、オオカミがいた。

 

そのオオカミが金色の瞳で女の子を見ていたのだ。

 



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第二話

タイガはオオカミの意識が自分から外れたのを感じた。

 

(野郎!また獲物を見つけやがったな!)

 

怒りで体が沸騰しそうになる。

このオオカミはさっきから同じような行動をしている。

タイガがこの場にたどり着いて、攻撃を放っても里の人間を襲い続けていた。

周りに人がいれば、そっちを優先して喰っているだろう。

戦っていてわかる。――お前に構っている暇などないのだ、と語っている。

オオカミはタイガを飛び越え獲物に向かっていった。

 

(まずい!)

 

タイガは振り向いた。そして、見てしまった。オオカミが狙っている獲物を。家屋の残骸にいる存在を。オオカミに睨まれて固まる少女を。

 

「やめろ!!」

 

タイガは絶叫していた。

今まで出したことのないほどの、届くはずのない、その叫び。

自分の体に鞭を打ち、愛用の槍を伸ばして走っていった。

 

何が起きているのかわからなかった。

夜、寝ようとしたら今まで聞いたことのない音が聞こえたのだ。

外でなにかあったのか、調べる為にお父さんとお母さんは『ここでじっとしてなさい』と私を抱きしめて外に出ていった。

しばらくするとお父さんとお母さんの大きな声が聞こえた。『逃げろ』と。

その後に二人の叫び声が聞こえて、私の頭は真っ白になった。

ボリボリやグチャグチャっていう音と嗅いだことのない生温かい嫌な臭いを感じた。

里のみんなの声が聞こえたけど、私は家でじっとしていた、体が動かなかったのだ。

黒い塊が家を壊した時は、傷はなかったけど私はもう泣くことしか出来なかった。

夢なら覚めて欲しかった。

前を見ると大きな黒い怪物が金色の目で私を見て、真っ赤な口と白い牙を開いてこっちに向かってきたのだ。

ああ、ようやく悪い夢から覚める。

けど、怪物が私を食べることはなかった。

食べられる前に誰かが私の腰を掴んでその場から跳んだのだ。

 

 

 

 

(ああ、もう!やっちゃった、やっちゃったよ!!)

 

コウマはオオカミに女の子が喰われる前に影から飛び出し、抱えてその場から逃げたのだ。

 

(やっちゃった以上は……どうにかするしかない!)

 

女の子を助ければ自分も危険な状態になると分かっていたが、それでも助けようと体は動いたのだ。

オオカミが自分と女の子を見る。その瞳は怒りに染まっている。

目を見れば分かる。――よくも自分の獲物を奪ったなと。

女の子が自分の着物を震えながらギュっと握った。

オオカミが自分たちに飛び掛かった。

 

(ああ、これが死ぬ直前のあれか……)

 

コウマは他人事のように思った。周りの風景が限りなく遅く感じていたのだ。

人間は生命の危機に際して脳内物質の過剰分泌で集中力が上がるというが正にこれがそうであろう。

自分の隣で震える女の子、牙をむき出しにして迫ってくる巨大なオオカミ、槍を持ってこちらに何か叫んで走っている父、タイガ。

オオカミの牙は名工が作り上げたどんな刀剣よりも鋭く、美しかった。

 

(あれで体を食いちぎられるのか、嫌だなぁ)

 

自分が死んだらどうなるのだろう。この女の子も喰われるだろう。男として生まれた以上は助けたい。母はショックで体を壊すかもしれない。父も自分の成長を見るのが生きがいだと聞かせてもらった。自分に無償の愛をくれた二人を悲しませたくはない。

 

(生きたい、生きたいな)

 

ならばどうする?

後方へ逃げる。論外。相手は自分より速い父でも追いつけない相手、あっという間に追いつかれ喰われるだろう。

迎え討つ。これも論外。自分が今持っている装備はナイフのみ。リーチが短すぎるし、抜刀して当てようとしても毛ではじかれて終わるだけだろう。

左右に逃げる。これもまた論外。例え一撃は避けれても、返す刀で喰われるのがオチだ。あ、返す刀じゃなくて返す牙か。

最後の手段は――

 

(やっぱり、これしかないよな)

 

覚悟は決まった、ならば実行するのみ。

帰ったら、祖父のものと合わせて、死んだみんなの分の線香を上げることにしよう……。

 

(父さん、見ててね。僕は……あなたの息子だ)

 

女の子を抱え、『それ』をやった。

 

 

 

タイガはオオカミが二人に跳びかかったのを見た。

 

「アァァァァァァ!!コウマっ!!」

 

なぜコウマがいるのか驚いたがそんなこと今はどうでもいい。

オオカミがコウマに牙を向けた。絶望がタイガの心を埋め尽くす。

二人がいた場所にオオカミが着いた。だが、オオカミの口には何もなかった。

 

(コウマは!どこへ!)

 

タイガはコウマを捜し、すぐに見つけた。オオカミの腹の下にいたのだ。

 

(あれは、さっきの!)

 

コウマの行動にタイガは驚いた。自分に襲い掛かった生物の腹に潜り込んで、攻撃する技だったが、この戦闘では一度だけしかしていない。息子はその一度だけを見てぶっつけ本番でやってのけたのだ。

コウマは腹の下でナイフを抜刀術の要領で抜き、オオカミの腹を斬った。毛で防御され、ナイフは折れたが……。

 

「ヴォッ!!」

 

腹を攻撃されて驚いたのか、一際大きい悲鳴じみた声を上げた。

 

「この不良息子が!よくやった!」

 

タイガは獰猛な笑みを浮かべて、息子が作った隙をついた。

 

「どんなに固い毛を全身に持っても、ここにはないだろう!」

 

体を回転させて、遠心力により威力が上がった槍をオオカミの右目に叩き込んだ。

 

 

「グロアァァァァァァァァァァァァァ!」

 

鏃の付いた槍が眼球に深く突き刺さり、これまで聞いたことの無いオオカミの悲鳴が響き渡った。

 

(やった!さすが父さんだ!)

 

きっとタイガならやってくれると信じていたのだ。

だが、相手の生命力を二人は侮ってしまった。

オオカミは右目に槍を指しながら、後方へ下がる。

右目に刺さった槍を前足で叩き折った。折られた槍と刺さった鏃の部分が地面に転がる。

 

(まだ死なないのか、なんて奴だ!)

 

オオカミの体力にコウマは戦慄した。

勝利を確信したが、形成逆転されてしまった。

父であるタイガはオオカミが襲って来ても避けることができるだろう。しかし、避けたらコウマがオオカミの餌食になってしまう。そんなことはしないだろうし、抱えて逃げたら遅くなり追いつかれるだろう。そもそも相手を倒す武器ない。

 

(僕もさっきの避け方をもう一回やるなんて無理だ。どうする、どうする、どうする……)

 

コウマは自分を守るように立っているタイガを見て考えた。

遂にオオカミは飛び上が―――らずに何故か体勢を後ろ足に力を込める前に戻す。

 

「グルルルルルル……」

 

何故かは小さく唸り声を響かせただけで、コウマとタイガにそれ以上に向かってこない。

死すら覚悟していた二人にはただ困惑だけしか感じなかった。

家屋をなぎ払い、人を蹴散らし、肉を喰い、血を啜る圧倒的暴力の持ち主がいる。

牙で噛まれればコウマの躰など命ごと抉り取られて終わる。なのに襲い掛かってこない。

それどころか、オオカミはコウマとタイガに背を向けて逃げていった。

右目から血を流しながらも、軽快で機敏な足音を響かせて、死の化身が遠ざかっていく

目の前で起こった事実が信じられず、コウマはオオカミが森に消えていく光景をただじっと見ていた。

完全にその姿が森の闇に消えても、コウマが感じたのは安堵ではなく疑問だった。

人を殺すことなど容易い存在がなぜ逃げるのか。気まぐれでも起こしたのだろうか?あるいは慈悲か?いや、そもそもあのオオカミにはおかしな点が多すぎる。

なぜ、なぜと考えたが自分の腕の中で震える女の子を感じた。

 

「大丈夫、……もう大丈夫だよ」

 

なるべく優しい声を出して頭を撫でる。

 

「……え?」

 

「あいつはもうどこかへ行った。助かったんだよ」

 

コウマの言葉を理解したのか目に大粒の涙を流し、着物を引っつかみその胸に顔をうずめる。

 

「怖かった……怖かったよぉ……」

 

静かになった夜に鳴き声が木霊した。

 

 

 

オオカミが里を襲いそして立ち去ったその後。

太陽が上ると同時に里の人間は皆、当主であるタイガの屋敷へと集まっていた。

タイガは座りながら、あのオオカミについての情報を待っていた。

 

「そうか、シンジさんのところは全員……」

 

「シンジは足止めのために飛び込んで、その後奥さんも娘さんもみんな喰われちまった。ちくしょう!娘さんはまだ、赤ん坊だってのに!」

 

「なんなんだ、あいつは!」

 

「カミさんは大丈夫か?」

 

「お袋さんと親父さんを目の前で喰われてな……。まだ寝込んでるよ」

 

里の男たちが集まり、皆神妙な顔をして話を、自分たちの状態を確認しあっている。

 

「親方様」

 

入り口のところからそれを打ち破る声が聞こえ、メガネをかけた男が入ってきた。

 

「どうだ、なんかわかったか?」

 

「ええ、『影』の危険種調査表にあのオオカミの存在がありました」

 

「報告してくれ」

 

タイガの言葉に男は持ってきた本を開いて答えた。

 

「はい。名は金剛餓狼。超級危険種に分類されます。普段は作った縄張りに住み、必要以上の狩りはせず、自分を襲ってきた相手と戦います。その相手が自分以上に巨大な存在、圧倒的な群れだったとしても敵意を持った相手に勇敢に立ち向かうそうです。賢く、人の言葉を理解し、縄張りに迷い込んだ冒険者や子供を人里に送ったという話も確認され、一部の狩猟民族においては恐怖そのものとしてまたは神として扱われてます。牙は例え鋼鉄でも易々と噛み砕き、黒の毛皮はどんな攻撃も通用しないとのこと。記録として縄張りに入ってきた同じ超級危険種タイラントと戦い、噛まれても生きていた、エビルバードの群れが襲ってきたのに対して全滅させたとあります」

 

報告を聞いた男たちは息を呑んだ。自分たちを襲ってきた相手の凄まじさは予想を超えていたのだ。

 

「ああ、毛皮についてはよく知ってる。何回か攻撃して無理だなと思ったわ。同じところに集中して何とか通用したな。あの後、何本か落ちてたのを拾って調べたんだが、一見細く柔らかでも引っ張ろうが斬りつけようが切ることが出来なかった。ちなみに、火や水をかけても駄目だった」

 

タイガの言葉が響き、悲壮感さえ漂ってきそうな無言の時がしばらく流れた。

 

「……こうしちゃいられないな。俺は準備が出来次第討伐に向かう。ほうっておくと近くの村が襲われるかもしれないし、森の生態系が無茶苦茶にされて、俺たちにもまた被害を出される」

 

集まった男たちは当主の案に対して異論を唱えることは無かった。

金剛餓狼と戦えるのはタイガだけであり、自分たちが行けば足手まといになってしまうから。

 

 

 

「それじゃ、いってくる。もうあんな馬鹿な真似はするなよ」

 

「う、うん。父さんも気を付けて」

 

タイガは屋敷の庭でコウマに出陣の挨拶をしていた。

朝、目が覚めたコウマを待っていたのは母からの説教だった。説教は一時間ほど続いて、その後はタイガからの罰だった。

タイガの格好は夜の時のような薄い格好ではなく、装備に包まれている。

動きやすい着物に、手を包む皮袋、腕と脚を守る甲鉄、背中には昨日の戦いで片方の槍の部分が折れたバトン、腰のベルトには包丁ほどの長さの短刀二本と何等かの液体が入ってる小さなビン、導火線がついた丸い球体がついていた。

コウマの格好もいつもと違っており頭の上には五冊ほどの本が、手は横いっぱいに広げられて水の入ったバケツを持っていた。

こんな格好をしているのはタイガは金剛餓狼討伐のため、コウマは母の言いつけを破った罰である。

 

「ぼ、僕はいつまでこんな格好をしてればいいの?」

 

「目の前の線香が全部燃えるまでだ。燃えたら休憩していい」

 

目の前には、十本ほどの線香があり、どれも差はあるが少しずつ燃えていた。

 

「あ、それとズルなんてするなよ、後でサキちゃんが見に来るからな」

 

サキとは昨日の夜、コウマが助けた少女である。

昨日の一件で両親が亡くなったため、今はマイのところで怪我人の治療を手伝っている。

 

「わ、分かった。生きて帰ってきてね、まだまだ教えてほしいことがあるんだから……」

 

「こっちだってまだまだ教え足りないんだ。くたばってたまるか」

 

そういいタイガは背を向けて歩いていく。

 

(父さんがあんな装備をするなんて……それぐらい本気ってことか。)

 

コウマはその背中を見て思った。タイガは里の中で最強の存在だ。

彼が敗けるということはつまり自分たちは日々、金剛餓狼の脅威に怯えなければならない。最悪、里を捨てるという決断をしなければなくなる。

一度生まれた里を捨て、またこのカルラの里を捨てる。それは里の人間にとって屈辱だろう。

線香がすべて半分を過ぎたとき肩口まで黒髪を切り揃えた少女、サキが来た。

 

「あ、あの大丈夫ですか……」

 

「あ、うん。大丈夫、大丈夫」

 

「そ、そうですか」

 

「……」

 

「……」

 

サキの問いに答えると沈黙してしまい、気まずい雰囲気になった。

 

「親方様は大丈夫でしょうか……」

 

「多分、大丈夫だよ。森の中だから、足場も多いし有利だと思うけど……。いや、相手は全身を鎧で守っているようなもんだ。首につけた傷を狙わないといけないから厳しいな……」

 

コウマはタイガが敗けるとは思っていない。だが、相手は超級危険種、油断をしていい相手ではない。

しばらくすると線香は燃え尽きコウマは罰から解放された。

 

「ああ~、疲れた。肩が痛いよ」

 

「あ、あのこれ……使ってください。汗……かいてると思って」

 

そういって差し出されたのはタオルだった。

 

「うん、ありがとう。使わせてもらうよ」

 

「い、いえ」

 

コウマがタオルを受け取るとサキは俯いたが、すぐに顔を上げて尋ねてきた。

 

「あっ、あの……どうして私を助けたんですか?」

 

「えっ、どうしてって……」

 

サキの質問にコウマは困惑した。

 

「助けて欲しくなかったの?」

 

「い、いえ!そうじゃなくて……私を助ければ食べられて死んじゃうところだったんですよ!それなのにあなたは私を助けてくれました!どうしてですか!」

 

強めの口調で問われたため、コウマはあの時の自分の思ったことを思い出して答えた。

 

「自分でも正直なところ……わかんない」

 

「……え?」

 

「いや、助けにいったら僕もピンチになるのは分かってたんだ。相手はあの化け物オオカミだ、逃げれるわけない。けど、オオカミが君を食べるところを想像したら、「嫌だなぁ」と思ってね。そしたら体がすでに動いていてね、君を助けていたんだ。……要するに僕は君を死なせたくないから助けた。……それが理由じゃダメかい」

 

その言葉を聞いてサキは顔を真っ赤にしていた。

 

「わ、私、マイ様のお手伝いに行ってきます!」

 

サキは顔に手を当てて逃げるように走っていった。

 

「あ!タオルはいいの!?……行っちゃった」

 

残されたコウマはサキの行動に驚いたが、ふと討伐にいった父を思い浮かべた。

 

「父さん、大丈夫かな……」

 

コウマは胸騒ぎを覚え、空を見つめた。

 

 

 

タイガが森に入って二日がたった夜。

タイガは体力を回復するため、太い木に登っていた。

金剛餓狼を見つけるのは簡単だった。右目を潰した際に流れた血の跡を追いかけたら、近くの山の洞窟の中に潜んでいたのだ。

遭遇したら、すぐに戦闘に入った。前回の戦いで右目を潰したため、死角が出来、そこに潜り首に付けた傷に集中して攻撃した。

同じ場所に高速で連撃を行い、相手を砕く。

タイガが『影』で初任務をこなした時から使ってきた最も得意とする攻撃。相手を砕くことのみを追求し、先代の当主である父もタイガの威力まで届くことがなかった必殺の高速精密連撃だ。

タイガはこの技に絶対の自信を持っていた。自分の戦いの結晶だと。だが、その自信も揺らいでいた。

 

「はぁ、はぁ、……あの化け物オオカミめ!あと何回撃ち込めばくたばるんだよ!」

 

木の上で休んでいたタイガはもう何回目となる言葉を叫んだ。

金剛餓狼の首に打ち込んだのはいいものの、相手の防御力と体力は予想を遥かに超えていたのだ。

その数は四百を超えており、それ以上は数えてなかった。

金剛餓狼の一撃必殺ともいえる反撃を避けながら、たった一つの傷に打ち込む。それはタイガの精神と体力をゴリゴリと削っていった。

体力の限界を感じたタイガは、腰につけた悪臭を放つ煙爆弾を使い撤退した。

幸い、金剛餓狼は追ってこなかったことにより、体力回復に勤しむことが出来た。

そんな戦い方をもう九回は行っている。

タイガは先端に鏃がある自分の愛用の武器、独鈷所槍を見た。自分の技に耐えるために鏃の部分の切れ味を潰して、耐久性のみを追求した試行錯誤の末に作られた特注の武器であり、長い戦いを共に潜り抜けた相棒だったが、初戦で片方の槍は折られ、残った鏃はボロボロとは言わないが欠けていた。

 

「悪いな、相棒。もう少しだけ付き合ってくれ」

 

タイガは木の上から降りて、十回目の戦いに挑んだ。

 

 



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第三話

「はっ!父さん!」

 

寝静まった夜にコウマは布団から跳び起きた。

胸の中にある不安が爆発したかのように大きくなったのだ。

 

「父さんが……父さんが危ない!」

 

根拠はなかった。ただ、自分の直感が無根拠のまま父の危機を叫んだのだ。

千年続いた『影』の血が与えてくれた才能なのかはコウマには分からなかったが、自分がしなければならないことは分かっていた。

治療で疲れて寝ている母とサキを起こさぬように細心の注意を払って、コウマは森にいく準備をした。

傷薬と携帯用非常食、投擲用ナイフを数本、着物の下に防御のための鎖帷子など動きを阻害しない程度の量を持った。

 

「あっ、ナイフ……折れてたな……」

 

準備が終わり森に移行とした時、自分の愛用のナイフがオオカミの毛皮によって折られていたことに気付いた。

 

「どうするどうする、何か使えるものは……あったな」

 

コウマは当主の間に向かった。父のことだから、探しているものはそこにあるだろうと確信していた。

 

「あった……」

 

当主が座る上座の後、本来はタイガの独鈷所槍が掛けてあった場所にそれはあった。

前回の戦いで折られた独鈷所槍の残った部分だ。

丁度いいことに、柄の部分と鏃の部分を合わせてコウマのナイフより少し長いくらいの長さになっていた。

コウマはそれを腰に装備して門の前まで向かった時―――

 

「コウマ様……」

 

自分を呼ぶ声に振り向いた。そこにはサキが立っていた。

 

「サキ……ど、どうして」

 

「私も胸騒ぎを覚えていたんです。……コウマ様が無茶をしてしまうのではないかと」

 

サキは強い視線をコウマに向けて近づいてきた。

 

「こうして夜がくると父と母が死んだことを思い出して恐ろしくなるんです。私は二人の死を見ることが出来ませんでした。いなくなってしまったんです、私を置いて。一人になった絶望の中にいた私をコウマ様は身を挺して助けてくれました」

 

言いながらサキはコウマに抱き付いた。服を掴む手は震えていた。

 

「だから、帰って来てください!いなくならないでください!絶対に、絶対に!だから―――」

 

「わかった」

 

サキの前髪を優しく撫でる。

 

「ありがとう。いってくる」

 

たった一言。あって数日のサキにコウマが見せた、言葉の意思表示

コウマは踵を返す。そして、背中を向けた瞬間、サキが声をかけてきた。

 

「私、待っています!」

 

その声にコウマは頷いて森に走っていった。

 

 

 

コウマは夜の森の中を走る。

自分の直感に言われるままに、父を守るために―――

森に残った血の跡を辿って、ただひたすら走る。

希望が絶望に代わる前に、少しでも可能性があるうちに―――

チリチリと空気を伝わってそこにいる『何か』を感じ始めた。

言葉では表現しきれない悪寒がコウマの背中を駆け巡り、一歩進むごとにそれが強くなっていく。

そうして、辿り着いたのは里の裏側にある山の前。

そこに待っていたのは、大木に寄り掛かって座り込んでいる父、タイガと今まさにとどめを刺さんとする隻眼の巨躯のオオカミ、金剛餓狼。

コウマは迷わずに着物の中から投擲ナイフを取り出して渾身の力を込めて金剛餓狼に向かって投げた。

こんな攻撃が通用するはずもないことはコウマもわかっており、今は金剛餓狼の注意を逸らして、父を救うことが最優先だ。

タイガの敗北は里の人間の死に等しいのだ。

投げたナイフは金剛餓狼に寸分狂いもなく向かったが、予想通りに強靭な毛皮に弾かれて傷一つついていなかった

金剛餓狼がコウマの方を向き、目があった。

続いて、まだ意識を保っていたタイガも向いて驚き叫んだ。

 

「何してんだガキ!何できやがった!?」

 

「お叱りはお互いが生きていた後で聞きます!」

 

金剛餓狼が戦闘態勢に入った、コウマは避けることを優先として、右手に折れた槍と左手に投擲ナイフを構えた。

正直にいって、武器を構えても何の足しにもならなかった。それでも、武器を構えるのは生き残るという覚悟の表れだ。

金剛餓狼が口を開いて突進してくる。

タイガとの戦いによる疲労のためか最初に遭遇した時のような素早さはなく、コウマがギリギリ反応出来る速さに落ちていた。

コウマは体を大きく反らして避け、死角を利用して右側にある傷を折れた槍で突いて、効果を確かめる間もなく離脱した

金剛餓狼は繰り出した牙はそのまま大木の幹に打ち付け、その幹をまるで豆腐のように噛み砕いた。

 

(なんて出鱈目な存在!?夢なら覚めて欲しいよ!)

 

だが、コウマの目の前にあるのは現実であり、逃げ出したくなる自分を必死に留まらせて金剛餓狼と向き合った。

再び金剛餓狼が向かってきた。

 

 

 

あれから長い時間がたった。

周りには金剛餓狼によって噛み砕かれて倒れた木が散乱しており、コウマはその上を飛び回っていた。

投擲ナイフはもう無い。突進する金剛餓狼に不意打ちとして残った目に投げたが驚異的な反射力で口に入れ、噛み砕いてしまった。

先ほどから同じことを何度も繰り返しており、コウマ自身も全く同じことを繰り返せていることに驚いていた。

金剛餓狼の突進に合わせて首の傷に攻撃を当て、飛びついてきたら回避に専念する、先ほどからこれの繰り返しだ。

 

(あと、何回……あと、何回だ……!)

 

極度の死に対する緊張と一瞬たりとも気の抜けない緊迫感、恐ろしい勢いで体力が削られてるにも関わらず、コウマは戦っていた。

 

(少しでも、毛皮の防御を削らないと……!まてよ、削る……削る……)

 

コウマはあまりにも頑丈な毛皮の対処法を考えて一つの方法を思いついたが、そこが隙となり、タイミングが遅れてしまった。

 

「ごふっ!!」

 

死角に入るのが遅れたため金剛餓狼の前足による薙ぎ払いを受けて吹き飛ばされて木に叩きつけられた。

コウマの体は叩きつけられた衝撃で、全身の骨が軋み、内臓が圧迫され、血を吐いた。

着物は爪でズタズタになったが、下の鎖帷子によって致命傷は免れた。

だが―――

 

(ぐっ、はぁ……はぁ、一撃でここまでの威力があるのか……。出鱈目な奴……)

 

金剛餓狼が歩いてくる。

コウマは軋む体を動かそうとしたが……。

 

(う、動かない!)

 

薙ぎ払いによる一撃で元々、限界を超えていたコウマの体は動かなくなっていた。

段々と、体に力が入らなくなってきたが槍だけは離さない。

金剛餓狼が近づいてくる。止めを刺すつもりなのだろう。

 

(ふざけるな、動け、動け!こんなところで終わってたまるか!父さんを助けるんじゃなかったのか!僕たちが死んだら母さんはどうなる!サキとの約束を破ってたまるものか!動け、動け!!)

 

心の中で自分の体を動かそうとするが、金剛餓狼の足音が聞こえる。

コウマを喰おうとして大きな口を開ける。

 

(こんなところで死ねるか……生きて、生きて帰るんだ!!)

 

コウマがそう思った時が―――。

ドガァという音が響き、金剛餓狼が怯んだ瞬間、コウマは誰かに抱えられていた。

 

「まったく、なに死のうとしてんだよ。この馬鹿息子」

 

コウマを抱えた人物―――タイガはそう言った。

 

「父さん……、傷は平気なの……?」

 

コウマは自分を抱える左手をみた。その腕は血に染まっており、見るからに痛々しい。

 

「息子が父親を守るために戦ってんだ、おちおち寝ていられるか」

 

タイガの強く頼もしい声を聞いてコウマは泣きそうになったが、そんな姿を見せたくないため腕から飛び降り、強がった。

 

「大丈夫、父さん。まだ戦えるよ」

 

先ほどまでの体も何とか動かせるようになり、タイガと一緒に金剛餓狼の方を向く。

金剛餓狼はこちらを見据えており、立ち上がったタイガとコウマを警戒していた。

金剛餓狼を見据えたまま、タイガが話しかけてきた。

 

「いいか、俺もお前も既に限界だ。次の一撃で奴を殺さなくちゃいけない」

 

タイガの言葉にコウマは頷いた。確かにいつ倒れてもおかしくない状態なのだ。

 

「父さん、僕に策があるんだけど……」

 

コウマは戦いの中考えた策をタイガに伝えた。

その策にタイガは笑みを浮かべ。

 

「おもしろい。どうせこっちはあと一回で終わりなんだ。一か八かやってみるか」

 

そう答えてくれた。

 

 

 

金剛餓狼がこっちに向かってきた。

 

「いくぞ!!」

 

タイガの叫びと共にコウマも一緒に動いた。

二人は今まで通りに右側の死角に潜り込み、コウマは鏃の付いた折れた槍で首についた傷に一撃を加えた。

 

(父さんのように高速で同じ場所に打ち続けるなんて、今の僕には無理だ。なら、一撃で連続の攻撃をして相手を……討つ!!)

 

そのまま槍を傷に当てたまま足で地面を思いっきり踏んだ。

 

(足で大地を味方にし、武器を相手に押し付けて、腕は竜巻を起こすように!)

 

コウマは首の傷に槍を押しつけながら、強力な回転力を加えた。

 

(届け!届け!届け!届け!届け!届けぇぇぇぇぇ!!)

 

コウマの全てを込めた一撃は―――届いた。

ブシュッ!という音を耳にして、次に危険種を狩った際に感じた肉の感触を感じた。

金剛餓狼は自分の鉄壁の毛皮が破られたことに動揺しているのが目に見えた。

 

「グオォォォォ!!!」

恐らく初めて感じるであろう自分の肉が削られる感覚に咆哮とは違う叫び声を上げた。

 

「浅い!父さん!!」

 

肉に届いたのはいいがそれ以上進めることは出来なかった。だが、それでいい。その点もちゃんと考慮している。

コウマは刺さった槍から手を離し、しゃがみ止めを刺すために叫んだ。

自分が最も信頼する存在に一緒に見出した最初で最後の勝機を伝えるために。

 

「……お前は本当に俺たちの自慢の息子だよ」

 

タイガは万感の思いが詰まった言葉を呟いて、首に刺さった槍に自分の全てを込めた連打を叩き込んだ。

杭となった槍は連打を叩き込まれたことによって、金剛餓狼の首の肉を進んだ直後―――

ボギャリッ!!!

ついには比喩表現で表せない音を立てて、その首の骨を粉砕した。

 

 

 

金剛餓狼の傷口から血が滝のように流れる。

すぐ近くでしゃがんでいたコウマは金剛餓狼の血を頭から被った。

ズゥンという非常に威圧感を感じさせる音を立てて金剛餓狼は地にひれ伏した。

 

(勝った……勝ったんだ……)

 

コウマは頭に血を被りながら、勝利という名の現実を噛み締める。

そうして、気が抜けたのか仰向けに倒れた。

元々、体にガタが来ており、最後の技を出す気力などどこにあったかわからないのだ。

 

「コウマ!」

 

焦りの声を上げてタイガは倒れたコウマを抱いて金剛餓狼から離れた。

 

「父さん、……僕たち……生きてるんだよね……?」

 

「ああ、お前のおかげで俺は……いや、里のみんなが救われた」

 

タイガはコウマの頭を撫でて答えた。

 

「ふふっ……」

 

「……どうした?なに笑ってんだよ」

 

コウマが急に笑い出したことにタイガは訝しんだ。

 

「いやぁ、父さんが焦ったところなんて初めて見たから」

 

「お前なぁ……」

 

二人は笑った。お互いが生きていることを確かめるために。

そんな二人の背後で動きがあった。

それに気づいた二人は、『まさか』と思い、顔を背後に向けた。

金剛餓狼が立っていたのだ。

 

「ヴォルルルルルルルル・・・」

 

低い唸り声を上げ、自分を攻撃した者へ視線を向ける。

だがその姿は弱弱しく、コウマとタイガを戦っていた覇気は無い。

体の大きさゆえに絶命せずに命を繋いでいる状態があまりにも痛々しく、そして超級危険種として威風堂々とそこに立っていた。

 

「嘘だろ……」

 

タイガの言葉はコウマの心境と同じであった。

首の骨は確かに砕き、コウマは耳に、タイガは感触として感じていたのだ。

 

(まずい、まずい、まずい、まずい、まずい……)

 

コウマは絶望に包まれていた。

もう自分たちは戦えない、走る気力さえないのだ。

そんな自分たちを金剛餓狼は―――襲って来なかった。

 

「え……?」

 

コウマは思わず疑問の声を上げた。

なぜ、襲ってこない。格好の獲物が目の前にいるのに。

それどころか、今まで感じていた敵意もなくなっていた。

金剛餓狼は二人に背を向けたが、首はこちらを向いていた。

『ついてこい』二人にはそう語ってるように見えた。

 

「父さん……」

 

「ああ、いくぞ……」

 

金剛餓狼の後を二人はついていった。

 

 

 

案内されたのは洞窟だった。

金剛餓狼は首から大量の血を流してフラフラと入り、それに二人は続いた。

ごつごつとした岩肌と、じゃりじゃりと足にまとわりつく土肌。双方の感触を味わいながら目を凝らして更に奥に進む。

どうやら洞穴の天井に小さな穴が幾つも開いているらしく、それが光源になって中を照らしているようだ。

そして二人が明かりの下に付いたその時、薄暗い洞穴の中で確かに『何か』が応えた。

『何か』は一つだけではなく、三ついた。

そこには黒色の毛を持つ小さな金剛餓狼がいた。

 

「赤ん坊……」

 

小さな金剛餓狼を見たタイガは驚きの色を含めた声を出した。

 

「そうか……だから食べることを優先していたのか……。出産のための栄養と体力を得るために……」

 

コウマは初めてあった金剛餓狼が行った行動に納得した。

三匹を見たところ生まれたばかり、里を襲撃した時に腹を守ったのは当然だったのだ。

 

「通りで、動きが鈍かったわけだ。出産の疲労が回復してなかったのか……」

 

タイガも納得していた。金剛餓狼の動きが鈍くなっていたのも、この出産をしたからなのだと。ならば、コウマが戦えたのも得心がいく。

金剛餓狼はゆっくりと顔を動かしながら舌を出して子供の金剛餓狼を舐め始める。

優しく、自分の命を与えるように。

 

「キュ~ッ・・・」

 

するとまだ目も開いていない赤ん坊のから泣き声が出た。

酷く弱弱しく、集中しないと聞き逃してしまうほど小さい声だった。

金剛餓狼が横になると三匹の子供は懸命に動き回り、乳の部分で止まると力強く母乳を飲んだ。

自分の乳を飲む子供たちを見ていた金剛餓狼は二人を、いや自分の血で染まったコウマをまっすぐな目で語った。

 

『……この子たちを、この子たちをお願いします。わたしはもう、この子たちのそばにいられない。だから……』

 

コウマは飲み込まれそうな金の瞳をみて、金剛餓狼が伝えたいことを理解し、困惑した。

 

(なんで、僕なんだ?いや、赤ん坊は親が死んでしまったら生きていけない。それに、万が一生き延びたら、いつかこの子たちも人を襲うようになる。第一、こいつは里の仲間を襲ったんだぞ、サキの両親もこいつによって……)

 

金剛餓狼は自分に致命傷を与えた自分に子供を託そうとしている。

そしてそれが自分たちをこの場所へと招いた理由なのだと判ってしまう。

自分はもう死ぬ。それ故に残していく我が子が生きていけるようにしたい。

そう伝えてきたのだ。

コウマの頭は混乱状態になっていた。

そんな中一つの言葉が浮かんだ……『ずるい』と。

 

(殺されそうになったんだぞ、みんなに癒えない傷を負わせたんだぞ、それなのに最後は子供たちをお願いします?ふざけるな……ずるいよ……)

 

金剛餓狼が弱っていく。

巨躯に似つかわしくない無くなっていく生気、力強く大地を踏んでいた四肢からは力が抜けて、ゆっくりと重くなっていく呼吸、首から流れる赤い血、今にも消えそうな炎を必死に燃やして生にしがみ付いている。

コウマは金の瞳から三匹の子供に視線を移した。

何も染まっていない無垢な存在を―――。

 

「父さん、下ろして……」

 

「……分かった」

 

コウマは金剛餓狼の前まで歩くと、膝をつき、そのまま両手を地面につけて、頭を下げた。

 

「わかりました。この子達は責任を持って預かります。ですから……安心して……」

 

コウマは自分がどうしてそんな言葉をいったのか分からなかった。

『嫌だ』と言いたかった。『ずるい』と言いたかった。『ひどい』と言いたかった。

それなのに出てきた言葉は全く正反対のものだった。

 

『ああ……ありがとう』

 

安心しきった、とても優しく温かい声をコウマは聞いた気がした。

その『声』を最後に金剛餓狼は動かなくなった

 

 

 

コウマとタイガが里に戻ってきた時には、朝になっていた。

タイガが無事帰ってきたことで、金剛餓狼が無事に討伐出来たことに里の全員が歓声を上げた。

里の人間はコウマがいなくなって、みんなで探していたらしく、体が血で真っ赤になっていて里のみんなは驚き、特に母であるマイは気絶しそうになったが、傷こそあれ、五体満足で無事であることにみんなが安心した。

だが、コウマが破れた着物の中に包んでいたものを見て、その安心も吹き飛んでしまった。

連れてきた金剛餓狼の子供たちである。

 

「こんなのを育てるつもりか」

 

「いつかこいつらも人を襲うようになる」

 

「どれだけ人死にが出たと思ってるんだ」

 

里の大人たちと家族を喰われた人たちは金剛餓狼を処分する結論を即座に出した。

この言葉にコウマは必死に抵抗した。

 

「ちゃんと育てます。ちゃんと、いい子に育てます。もし、里のみんなに危害を加えるようになったら、僕が責任を持って……殺します」

 

里の大人たちが曲げてはいけない主張を持つように、コウマもまた曲げない主張を持って対抗した。

結論として、当主タイガとその妻マイの「コウマの好きにさせる」という言葉で『様子を見よう』と言う意識で固まり、収まった。

元々、金剛餓狼は里の森にいなかった。

何かが理由になって縄張りから追い出され、その為に食糧を求めて襲ってきた。

本来なら今回の発端はただそれだけの理由に過ぎない。

ならば金剛餓狼を危険と考えるのは人の身勝手さだと。

 

 

 

コウマは自分の懐にいる金剛餓狼の赤ん坊たちを見て思った。

 

(強く……強くなろう。お前たちを育てる親として……里のみんなを守れるように……大切な人たちを悲しませないために……強く、強くなるんだ!)

 

コウマは赤ん坊たち、ボロボロの村、傷ついた人たちの姿を自分の心に刻んだ。

屋敷の門にサキが待っていた。

 

「ただいま……サキ」

 

「はい、お帰りなさい。コウマ様」

 

サキの満面の笑みを見てコウマもつられて笑顔になった。

 

 

 

こうして嵐のように襲ってきた金剛餓狼の事件は終わりをつげた。

 



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第四話

今回は後日談のようなものになります


「ほ~ら、キバ、コウ、トツ。とっておいで~」

 

『ウォフ!』

 

屋敷の庭でコウマの声に合わせて転がした布の玉を追いかけて、懸命にじゃれ付くのは金剛餓狼の子供たちだ。

牙は少しずつ生え始め、黒の体毛もしっかりと生え揃い、強度を試すつもりもないが金剛餓狼特有の強靭さを少しは手に入れたのだろう。

三匹で玉を取り合い、ひとしきり戯れると三匹の内のキバが今度はそれを咥えてコウマの所に駆け戻り、その後ろをコウとトツが追いかける。

 

「おいおい、キバ。またお前が持ってくるのか。たまにはコウとトツにも譲ろうな。兄弟仲良くこれが大事だ」

 

「クゥ~ン、キュ~」

 

コウマの言葉を説教と受け取ったのか、キバは落ち込んだ様子で声をあげた。

 

「ああ、いや……怒ってるわけじゃないんだよ」

 

落ち込むキバを励ますように声をかけるコウマ。

金剛餓狼の事件から時間にして、二週間が経過していた。

 

 

 

当初、金剛餓狼の子供を育てると誓ったコウマだったが、一日目にして子育ての苦労を味わうことになった。

正直なところコウマは狩りや戦闘技術を磨くためにほとんどの時間を鍛錬に費やしており、『動物を飼ってみたい』という欲がない。

故に、動物を育てる知識が全く無く、生き物を育てると言う点で絶対持っていなければいけない重要なモノを何一つ持っていなかったのだ。

それに気がついたコウマは、慌てて家の書庫に飛び込み育てる方法を探した。

だが、超級危険種に分類される金剛餓狼の育て方など載っているはずないと危険種軍用法の本を四冊ほど読んで気付いた。

里に住む老人たちの知識に賭けることも出来たが、自分が『責任を持って育てる』といってしまった以上頼ることはプライドが許さなかった。

悩んだ末、コウマは躰の大小は合って似たようなものだと犬の育て方を行うことにした。

何とか方法は知ったが、ここでコウマは重要なことに気付いた。

金剛餓狼の母はタイガが里の大人たちに協力を仰いで死骸を森の洞窟に埋葬したことで、赤ん坊に乳を上げる存在がいなくなってしまったのである。

コウマは急いで、里で食用として飼ってる危険種から金剛餓狼の乳に近い物を休みなくかき集めた。

これは時間との勝負であったので、コウマに多大な疲労を与えることになった。

 

 

何とか本の知識も合って食糧問題は解決の目処を立てたが、そこで再びコウマは苦労を味わうことになる。

まず金剛餓狼の赤ん坊は寝るか乳を飲むしかまだ出来ない。

昼間に目が覚めるのはまだいいほうだが真夜中に何度も目を覚まして乳を寄越せと鳴く。その度に起こされて、嫌でも睡眠不足に陥ってしまう。

これは七歳のコウマには辛い作業だったが、サキが協力を申し出たことにより、負担は半減された。

他にも、トイレの仕方、毛の手入れなどしなければならない。

サキの協力がなければ倒れていたかもしれない。

 

 

そんな作業も一週間すれば、何とか落ち着いて、三匹の名前を付けることにした。

三匹はオスが二匹とメスが一匹、名付けるのはもちろんコウマである。

コウマは親である金剛餓狼の戦いを思い出して、オス二匹には最大の武器であった牙から『キバ』、大木を簡単に噛み砕いたから咬むの『コウ』、メスにはその大きな体格からの突撃から『トツ』と名付けた。

それを聞いたタイガは『お前センスないな……。もっといい名前があるだろ』と呆れられた。

そんな父を頭を叩いて黙らせた母、マイが『覚えやすくていい名前ね。キバ、コウ、トツよろしくね』と笑顔でいってくれた。

サキは『もっと可愛い名前が……』と残念そうな顔を浮かべた。

どうやら名付け親の位置を密かに狙っていたらしい。

名前を呼ぶと自分自身が呼ばれたことに対しての反応を示してくれるようになったが、コウマは不安を感じた。

本当にいい子に育てられるんだろうか。育て方は正しいのだろうか。そもそも本当の親がいないのに大きく育つんだろうか。

コウマの心で不安と緊張が入り乱れる中、元々の生態がそうだったのか、最初に出会った頃は子犬ほどの大きさだったが二倍近くまで金剛餓狼は一気に成長していた。

 

「ほら、もう一回いくぞ。とってこ~い」

 

コウマが再び布の玉を投げると、三匹は元気よく追いかけた。

屋敷の縁側でタイガとマイはその様子を見て、頬を緩めた。

 

「随分と懐いてるんだな」

 

「もともと懐っこい性格みたいですけど、コウマを親だと思ってるみたいです。どんな時もコウマから離れたがらなくて」

 

「そう言われれば、ずっと一緒だな。……あの時、親の血を被ったからか?」

 

投げられた玉を追いかける姿は、親に比べるとあまりにも小さく、比較するのも馬鹿らしくなるのだが。元々の小ささを考えると数日で金剛餓狼はかなり大きくなったと言える。

 

「発育の良さには驚いたが、……まぁ、元気なのは良いことだ」

 

「はい、このまま育って自分の力で色々な事が出来るようになるなら、その分コウマたちの負担も減りますから」

 

布の玉を引きずってきた金剛餓狼の子供たちはコウマに頭を撫でられて『キュ~』と甘えた声をあげている。

その姿は帝国に恐れられる超級危険種には到底思えない。

 

「タイガ様、マイ様。お茶が入りました」

 

盆の上にお茶も乗せてサキがやってきた。

両親を先の事件で失ったサキは身寄りがなかったため、タイガたちが引き取り、家族の一員に加えたのである。

 

「おう、ありがとな」

 

サキからお茶を受け取り、タイガは礼をいった。

 

「コウマ様はキバたちと遊んでいますか……」

 

尻尾を千切れんばかりに振るって、コウマにじゃれつくキバたちを見る目は優しいのだが、不安の色は完全に隠しきれていない。

マイはそんなサキを見て、ポツリとつぶやいた。

 

「大丈夫よ。私たちの子が育てているから。心配はいらないわ」

 

「でも、やっぱり不安です。コウマ様はああいってくれましたけど、あの子たちが大きくなったらどうなるかなって……」

 

この二週間で幾らか軽減されても、圧倒的な存在感を植えつけた金剛餓狼への恐怖はそう易々と消えるものではない。

両親を三匹の母親に喰われた恐怖は晴れておらず、不安に襲われるときもあるが、コウマの『いい子に育てる』の言葉を信じた。

 

「私も遊んできます」

 

サキはそういいタイガたちから離れた。

 

 

 

「よ~しよ~し。あ、サキ」

 

コウマは自分にじゃれるキバたちの腹を撫でていると近づいてくるサキに気付いた。

 

「コウマ様。私も遊んでいいですか?」

 

「うん。いいよ」

 

「おいで、キバ」

 

一度コウマを見てから駆け寄ってきたキバを抱き上げると、嬉しそうにサキの頬をペロペロと舐めた。

 

「ウォフ~」

 

「あはっ、くすぐったい」

 

サキにも懐き始めたその様子を見て、きっとこの先も大丈夫だという考えがコウマの頭の中に浮かんでくる。

 

(心配いらない。きっと大丈夫だ)

 

キバたちが里のみんなと仲良くなれる未来をコウマは感じていた。

 

 




次回は数年後の話になります。


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出会い
第五話


青年タンゴは身じろぎもせずにその時を待っていた。

密林の枝の隙間からは、大きなイノシシがねじくれた巨木の太い根本のそばで、前足を使い、キノコの欠片や土の中にいた虫をうれしそうに食べていた。

 

(何が『この森には悪魔がいる』だよ。親父の奴ビビリやがって、村の連中もそうだ。所詮は噂だ、今俺たちはこれ以上もない獲物に出会ったんだからな……)

 

タンゴは笑みを漏らした。狩り仲間たちと一緒に辛抱強く獲物を待っていたのだ。

狩り仲間の内、二人を自分の左右の位置につけて、残りの二人を反対側に潜ませた。

狩りの時はもうすぐだ。だが、まだその時ではない。

全ての状況にタンゴが満足した時だけ、腕を振って仲間に合図をし、獲物を挟み撃ちにするのだ。

タンゴが住む村の近くにあるこの森は言い伝えで深く入ることを禁じている。

タンゴがこうして森の奥深くまでやって来たのも、大した獲物が取れなかったことによる焦りと、若さ故の逸り気のおかげだった。

 

(もうそろそろだ……)

 

タンゴが先頭に出た。すぐに、手に持った槍を投げれば一撃を加えられる距離まで近づく。

タンゴが槍を構えて投げようとした瞬間、異変が起こった。

槍を投げる前に、イノシシは土に押し付けた鼻を急に高く上げると、臭いを嗅ぎ出したのだ。

 

(まずい!)

 

一瞬、心臓の鼓動が大きくなったが、次の瞬間には、緊張が消えて、冷静に頭を働かせる。

ジャワは槍を持つ手を思いっきり引いた。

だが、槍を投げる前に、なにかに驚いたイノシシは逃げるように走って足跡を残して消えていった。

タンゴは茫然として背後にいる仲間たちを見た。

自分たちはばれないように行動していたが、どういうわけか獲物を怯えさせてしまった。

 

「くそっ!」

 

目的の獲物を捕れなかったタンゴはイノシシを追いかけようと武器をおろした。

 

「おい、お前ら追うぞ!」

 

タンゴが反対側に隠れている仲間たちを呼ぶが返事はなかった。

「おい、聞いて……」

再び声をかけようとした時―――

大きなバシッという音とともに、先が剣のように鋭い、黒い鞭のような体節のある尻尾が草の茂みから飛び出してきた。

飛び出してきた尻尾はタンゴの仲間の一人の脚に絡みつく。

仲間は声をあげる暇もなく茂みの中に引きずりこまれ、あとには震える葉だけが残った。

 

「ギャァァァァァァァァァァッ!!」

 

仲間の姿が消えてから悲鳴だけが聞こえた。

一度、二度、三度。最後は苦痛のうめき声に変わった。

その声で森のすべての物音が消えた。鳥、昆虫の一匹にいたるまでが静かになり、近くの川の音だけしか聞こえなかった。

仲間の苦悶の悲鳴を聞いて、タンゴの勇気は吹っ飛んでしまった。

タンゴと残った仲間は逃走しようとしたが、茂みから白い塊が勢いよく飛んで仲間の背中にぶつかり、ベチャッという音を出して倒れた。

仲間の背中にぶつけられたのは、ドロッとした粘着性の塊だった。

タンゴは仲間を助けようとしたが、脚に仲間と同じ塊をぶつけられ、倒れた。

脚についた塊を引き離そうとするが、とてつもない粘り気を持っており、脚を固定されて動けなくなってしまった。

タンゴは前を向き、茂みの中に隠れているものの姿を見て、呟いた。

 

「あ、悪魔……」

 

父や死んだ祖父から伝えられてきた黒い危険種だった。

一見それは蜂を思わせる姿をしていたが、違いは多々ある。

二つの脚で立ち、巨漢のタンゴを上回る巨大な身体、黒光りする体、人の頭を一噛みで砕いてしまそうな大顎、胴体や手足は骨を剥き出しにしたような形で先は鉤爪のように曲がっており、本来尻にあるはずの針は骨のような体節のある尻尾として機能していた。

危険種は不気味なカチカチという音を鳴らして、キシキシと鳴る大顎からは白い粘液をしたたらせて、ゆっくりと近づいてくる。

迫ってくる恐怖の前にパニックに陥ったタンゴは相手を追い払うため手に持った槍を振り回した。

だが、槍は危険種の尻尾によって、あっという間に折られてしまった。

 

(やめろ、やめろ、死にたくない、死にたくない、助けてくれ、助けてくれ)

 

タンゴは森に入った時の勇ましさなど完全に消え失せて、おびえあがり、震えながら、ただ殺されるのを待つしかなかった。

危険種は動けなくなったタンゴに覆いかぶさり、カチカチと動く顎を頭に近づけた。

危険種の唾液を顔に受けながらタンゴが死を受け入れようとした時、―――奇跡が起きた。

危険種の横の茂みから影がものすごい勢いで飛び出してきたのだ。

飛び出した影は、一瞬の動きで草地を横切り、タンゴを捕まえていた危険種に猛烈な勢いで激突して、横へ吹き飛ばし、地面に叩きつけた。

 

(へ……なんだ……俺は助かったのか?)

 

タンゴは自分に覆いかぶさっていた危険種が消えたのを見て茫然とした。

 

(入ってはいけない森の深くまで村の奴らが助けにくるとは思えない……。じゃあ、……誰が?)

 

危険種がいる横を見ると、そこには……

 

(こ、子供……?)

 

危険種を吹き飛ばしたのは、黒づくめの子供であり、今年で十三歳になる弟やその友人と比べると背が低かった。

背中を向けているので、顔がわからないため性別は不明だが、およそ子供には似合わないものを多くつけていた。

両手には二つの爪がついた手甲、背中には両端が鋭い棒を背負っており、腰には液体の入ったビンやナイフなどがついていた。

 

「や、やめろ!死んじまうぞ」

 

タンゴの叫びに子供は振り向いた。

その顔の鼻から上は蝙蝠を思わせる形をした漆黒の仮面によって隠されていたが、見えている口はタンゴを見て笑みを浮かべていた。

 

「あ……」

 

その笑みを見てタンゴはすべてを理解した。

守ろうとしているのだ。

言い伝えを破り、大地に転がっている無様な自分を。

叩きつけられた危険種は凶暴な叫び声を上げて、乱入者を威嚇した。

子供は危険種の方に向き、煩わしそうに首を振ると危険種に歩み寄っていった。

子供は手甲のついた両手を広げると、鋭いシャキンという音とともに手甲の上から輝く二本のギザギザの刃が飛び出した。

危険種は怒り心頭の様子で、大顎を強く鳴らし、手を振るわせて、鋭い尻尾を子供に勢いよく放たれた。

 

「ああ!!」

 

子供が尻尾に貫かれるのを見たくないタンゴは目をつぶった。

だが、キィンという音しかなく、血が噴き出す音も肉がグチャグチャになる音もしなかった。

恐る恐る目を開くと、子供は無傷で尻尾はあらぬ方向に飛ばされていた。

刃のついた手甲を構えながら歩く子供に、危険種は再び尻尾を放つが、手甲の刃を瞬時に回転させて逸らす。

危険種は焦ったように様々な方向から尻尾を放つが、子供は変わらずに歩き、襲い掛かる尻尾の猛攻を刃で受け流した。

尻尾を受け流すごとに火花を散らして、尻尾を横に逸らしていく。

猛攻の末、ついに危険種は相手を懐に許してしまった。

 

「キシャァァァァァァァァァァッ!!」

 

怒りの叫びをあげて、鉤爪のついた手を振るったが、相手が目の前から消えたことに空振りに終わった。

子供は腕を振り下ろす瞬間の内に、刃を仕舞って、危険種の脚の間を滑り抜け、背後で跳び、危険種の首の後ろについたのだ。

子供は空いた手を危険種の頭の後にくっつけ、刃を伸ばした。

ザシュッ!!

危険種の大顎の間から二本のギザギザの刃が飛び出し、白い液体が垂れた。

頭を貫かれた危険種はそのまま絶命し、ドシャッと倒れる。

タンゴは危険種が死んだことにより、自分が助かった安心感により、緊張の糸が切れてそのまま気絶した。

 

 

 

「ふぅー、こんなところかな……」

 

危険種を倒した子供、コウマは刃を仕舞って息を吐いた。

 

「サキ、そっちはどうだい?」

 

コウマは自分が飛び出してきた茂みに声をかけると髪の長い少女が出てきた。

 

「大丈夫です。皆さま、気絶しているだけで目立った傷もなく命に別状はありません」

 

「そうか……良かった……」

 

サキの報告に死者がいなかったことを知ったコウマは安堵した。

コウマは気絶したタンゴに近づき、脚についた塊に腰のビンの油をかけた。

そのまま、両手の手甲をぶつけて火花をおこした。

脚の塊が燃えるとすぐに別のビンを開けて中の水と土で鎮火させた。

塊に手をやり、力を込めるとすぐに剥がれ、タンゴの無事を確認した。

 

「よし、それじゃ……キバ」

 

コウマは名を呼んだ。

すると、コウマの前に先ほどの危険種と比べると身体がやや小さい、金の目と黒い毛皮を持つオオカミが一頭表れた。

 

「キバ、あの危険種だ。運べる?」

 

コウマが危険種の死体を指さすと、キバは危険種の胴体に噛みつくと持ち上げ、自分の背中に乗せた。

 

「よしよし、それじゃ帰るか」

 

キバの頭を撫でてコウマたちは帰路についた。

 

 

 

危険種の討伐が終わり、コウマたちが森を出るときには夜になっており、そのまま森を出た先の村、シナモ村へ向かった。

このシナモ村は帝都と西の異民族の国境の真ん中に位置する村で、コウマたちはとある頼み事を受けたためにこの村に向かったのだ。

その中で一番大きい屋敷の中にコウマたちはいた。

 

「コウマさん、サキさん、ブレイドホーネットの討伐ありがとうございます」

 

「いえ、礼にはおよびませんよ、アサカさん。貴女は僕の祖父の友人で、カルラの里に移って困っていた父を助けてくれた恩人なんですから」

 

頭を下げる老婆、シナモ村の長アサカにコウマは答えた。

コウマとサキがこの村にいる理由は特級危険種『ブレイドホーネット』の討伐であり、死骸を村まで運ぶことである。

 

「いいえ、討伐に限らず、村の若い者たちも救ってくれました。私なんてもう諦めていたくらいなんです……」

 

「あの、アサカ様。私たちあの人たちを置いていってしまったんですけど、大丈夫なんですか?」

 

タンゴたち、若者たちを森の奥に置いていってしまって良かったのか、サキは恐る恐る尋ねた。

 

「ええ、あの子たちは森の奥に入ってはいけないと口を酸っぱくして言ったのに、それを破りました。今回の経験で反省するでしょうし、いい薬になりました」

 

笑顔でいうアサカにコウマたちは苦笑いした。

一見、人のよさそうな人物に見えるが過去には『影』の協力者として活躍した薬師なのである。

豊富な知識により、『影』で『薬師を目指すならアサカ殿に教授してもらえ』といわれたほどだ。

 

「それにしても二人ともまだ十一歳なのに、特級危険種を狩れるなんて凄いわね。最初、貴方たちを見たとき少し不安になったけど杞憂だったようね」

 

「女王とはいえ、まだ兵隊の大きさ。あれぐらいのやつなら僕たち余裕で仕留められますよ。なんたって『影』の人間ですからね」

 

「ふふっ、タイガは貴方たちをよく鍛えてるのね」

 

「そういえば、コウマ様……」

 

「え、え……な、なんだい?」

 

サキの雰囲気が変わったことにコウマは戸惑い、尋ねた。

 

「なんですかあの戦い方は!一歩間違えれば串刺しになっていました!どうしてあんな戦い方をしたんですか!」

 

「い、いやぁ~、避けたらあの人に当たるかもしれなかったから……」

 

「言い訳は、結構です!だいたい貴方は……」

 

サキの説教が始まったことにより、コウマは苦笑いをして受け止めた。

その姿を見て、アサカは笑みを浮かべていた。

 

「けど……本当に危ないところでした。僕があと少しでも遅れていたらあの人たち、間違いなく『卵』を植えられていましたよ」

 

「ええ……コウマさんが間に合って本当に良かった」

 

アサカは最悪の状況を考えたのか、声が震えていた。

ブレイドホーネットは極めて凶暴な性格で特級危険種と認定されているが、単体としては弱い方の存在である。

名前の由来となった先が剣のような尻尾は分厚い鉄板を簡単に貫き、岩も噛み砕く大顎、粘着性の涎と鋭い鉤爪を持つ。

攻撃力は恐ろしく高いが、防御面はとても脆く、固い鱗や皮膚を持っているわけでもなく、剣や槍で十分殺せるし、炎に弱く、寒い環境では生きていけないという弱点がある。

うまく戦えば二級のランドタイガーでも倒せるだろう。

そんなブレイドホーネットが特級危険種と認定されているのは繁殖方法である。

ブレイドホーネットは普通の蜂と同じく女王と兵隊で分かれており、兵隊ホーネットは二メートルほどで、女王ホーネットはその二倍くらいの大きさを持つ。

卵を作ることが出来るのは、女王だけだが、産むのではなく植え付けるのである。

兵隊ホーネットにより連れてこられた人間の体内に。

人間の体内に植え付けられた卵は一時間から二時間で孵化し、人の腹を喰い破って二、三匹が生まれる。

寄生した人間の肉を喰い、そこから脱皮を繰り返してまた数時間かければ、立派な兵隊ホーネットになり、女王の更なる繁殖のために再び人間を拉致し、ネズミ算式で増えていく。

更にたちの悪いことに繁殖の経験を積んだ女王は一度に生まれる数を増やし、人間だけでなく、牛や馬、果ては同じ危険種にすら卵を植え付けることが出来るようになる。

卵を植え付けられた人間を救う方法は皆無といっていい。例え、寄生された人間を殺しても死肉の中で成長するので確実に腹を吹き飛ばさなければならない。

ブレイドホーネットの女王を殺したが、生き残った兵隊ホーネットが進化して、新しい女王になり、ブレイドホーネットの繁殖活動を許したため、多くの人間と動物が犠牲となり、いくつかの村と森が壊滅したという。

このシナモ村も過去にはブレイドホーネットの大群に襲われて壊滅寸前まで追い詰められた歴史を持つ。

皇帝がブレイドホーネットを確実に殲滅するために数人の帝具を持った将軍と部下の軍人、暗殺部隊の焼却部隊の活躍によって絶滅したと思われていたが……。

 

「父さんも驚いていましたよ。アサカさんの鷹が『ブレイドホーネットが出た』っていう連絡を持ってきたら、『何の冗談だ』と言ってましたから」

 

「私も狩りから帰ってきた人から聞いたときは驚いて自分の耳を疑いました。帝都に伝えるわけにはいきませんからね……」

 

ブレイドホーネットの危険性は過去の事件から軍内部には知れ渡っており、軍が出現を聞いたら、『寄生された可能性がある』として村の人間も全員殺されていただろう。

故にアサカは帝都には報告せず、ブレイドホーネットの討伐を旧知の仲であるタイガに伝えたのだ。

本当はタイガが行くはずだったが、地方の太守の護衛の依頼が入ってしまったため行くことが出来なかった。

そこでタイガは息子のコウマに討伐を任せた。

コウマが無茶をするならば、サキがいれば抑えるだろうし、ザンガもいれば十分な護衛になると思い連れて行かせた。

 

「アサカさん、ブレイドホーネットの死骸は倉に運びましたがどうするつもりで?」

 

「死骸は朝、すぐに燃やします。死骸を森に放置したままなんてどうなるかわかりませんからね。さ、夜ももう遅いし二人とも今日は家に泊まっていきなさい」

 

コウマたちは頷いて、今日の疲れを癒した。

 

 

 

寝静まった夜のシナモ村。

村にはいくつもの倉がある。

武器を置いてある倉もある、衣類を纏めて保管してある倉もある、生活必需品となる駕籠やら農具やらを詰めてある納屋に似た倉もある。

その内の一つには、コウマが討伐した女王ホーネットの死骸がある。

その倉の扉が開いて、四人の男が入ってくる。

前を歩く男の格好は普通だが、後の三人はフードを被っていた。

 

「さぁ、案内したぞ。約束通り、残りの半分をもらおうか……」

 

「確かに。……これが報酬だ」

 

フードを被った男の一人が、案内をした男に金が入った袋を渡す。

 

「しかし、あんたたちも変わり者だよな。危険種の死骸を見たいだけでこんなに……」

 

そこからの言葉は続かなかった。

死骸に目を向けた男の首に注射針が刺さり、液体を流されたからだ。

 

「……殺さなくていいのか?」

 

「ほっとけ。どうせこの村の人間は『こいつ』のことを知ったんだ。報告して全員始末するから、遅かれ早かれ一緒だ」

 

一人が気絶した男から金の入った袋を二つ回収して返事を返す。

 

「けどまさか、逃げ出した実験体が見られたなんて……どう報告するんだ。こんなの局長に知られたら……」

 

「いい結果が出ずにカリカリしてるもんな。最近じゃ、情報機関も動いて大勢のガキを集めて暗殺者を作るって聞くぞ……このままじゃ俺たちの部署も危ういぞ」

 

「話はあとだ、さっさと運ぶぞ」

 

リーダー格の男にいわれ、男たちはブレイドホーネットの死骸を馬車に運んだ。

運び終わった三人はそのまま馬車で出発した。

夜の道を馬車が駆けると馬車の中の男がブレイドホーネットを見た。

 

「しかし、こんな奴を実験するなんてウチの局長も狂ってるねぇ……ん?」

 

ブレイドホーネットの死骸が動いたように見えたのだ。

馬車の揺れで動いたように見えたかもしれないが、男は馬車を運転する仲間を背にする形で、恐る恐る顔を近づけた。

すると、腹部が急激に盛り上がりを始めたと思うと、ブレイドホーネットの腹が内部から破裂した。

ドロリとした血液と内臓が男の顔に飛び散った。

その破片に追いすがるように、腹部の孔から不気味な生き物が出てきて、男に飛び掛かった。

生き物……幼体ブレイドホーネットは男の口の中に入りこみ、喉を通って腹へたどり着き、自慢の尾と顎で腹の中を突き破った。

腹の中を無茶苦茶にされた男は、鋭い痛みが背骨を伝わって全身に拡がり、叫び声を上げる間もなく倒れた。

 

「どうした?……おいおい、寝るなよ」

 

背後の男が倒れたのを見た仲間は異変に気づかずに男が寝たのだと解釈し、視線を前に戻した。

倒れた男はすでに死んでおり、その体の中は幼体ブレイドホーネットによって食い散らされているのだった。

 

 

 




この危険種、ある有名なSFモンスターの頭を蜂の頭に入れ替えただけなんですけど、分かる人にはわかりますよね?
コウマとタイガの武器もそのSFモンスターとVSした『捕食者』の名前を持つ奴の武器が元ネタです。


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第六話

今回の話で『彼女たち』を出そうと思ったのに出せなかった。
自分の文才のなさに嫌になりそう。
こんな作者ですが読んでくれている読者様のために頑張ります。
では、どうぞ。


朝早く眠りから覚めたコウマは日課の朝練のために庭を使わせてもらおうとアサカを探していた。

その姿はブレイドホーネットを討伐したときと同じ姿であり、腰の武装が重たそうに揺れている。

そして聞きなれない奇妙な音を耳にした。

 

「ん? 何の音だ?」

 

ゴリゴリと何か硬い物をすり合わせるような、それでいて一定感覚で鳴り続ける音。

好奇心から音のする方向に足を向けてみると、向かい合うアサカとサキの姿があった。

周りには擂り鉢に擂粉木(すりこぎ)と言った薬師の道具と思わしき器具が並び、アサカの横には壺があって、二人の間には大き目の平たい石がある。

 

「はい、次にこの乾燥させた花と根っこを加える」

 

「わかりました」

 

サキは渡された材料を目で見て量を覚えているのか、真剣な面持ちで石の上のそれを見つめおもむろに手にした石で擂り潰し始めた。

 

「そうか・・・薬を調合しているか」

 

コウマの存在に気付いたのか、サキは手を止めて顔を上げた。

 

「あ、コウマさ―――」

 

「余所見をしない!」

 

コウマに挨拶をしようとしたが、次の瞬間、これまで見たことの無いすさまじい剣幕でアサカがサキの手をビシッと叩いた。

 

「コウマさんも邪魔をしない!」

 

「は、はい!すみません」

 

当初の予定ではアサカに用事が合ったコウマだが、その剣幕に反射的に謝ってしまった。

 

「なんですかこの量は!飲む相手を殺す気ですか!」

 

「す、すみません!」

 

アサカの一喝とサキの泣きの混じった声を聞いて、邪魔になると考え退散した。

 

 

 

「さ、さすが『影』の協力者。すごい迫力だったな……」

 

外へ出たコウマ、今でも家の中からアサカの声が響いている。

 

「あ、庭を使っていいか聞いてないな……まぁ、いいか」

 

コウマは森に控えさせたキバと練習することに決めて森へ行こうとする最中一つ倉の扉が開いていることに気が付いた。

 

「なんであの倉の扉が……まさか!」

 

コウマは倉の中に入ったが、そこには青年が一人倒れてるだけだった。

 

「い、いない!ブレイドホーネットの死骸がない!すみません!貴方ここでいったいなにがあったんですか!」

 

倒れてる青年を揺らすが反応がない、死んでるわけでもなく気絶しているだけのように見えた。

 

「アサカさんに知らせないと!」

 

コウマはアサカに報告するため急いで倉を出た。

 

 

 

ブレイドホーネットの死骸が消えたことを伝えるとアサカは倉の前で村の人間を集めて、死骸の行方を聞いていった。

コウマとサキも先ほどとは違いもしものために大きなリュックと武器を持っていた。

だが、死骸を見た村の人間はいなかった。

手がかりとしては、今も気絶している青年と酒場で見慣れない三人を見た、夜、馬車が帝都の方角へ走っていくのを聞いたという証言ぐらいだ。

 

「まずいわね。もし帝都に知られたらこの村は処分されるかも……」

 

「ここから帝都まで距離があります。馬車とはいえ、馬の体力にも限界があります。追いつけばなんとかなるかもしれません」

 

「けど、追いつく脚なんてあるの?」

 

「あります。……キバ!!」

 

コウマの声を聞いて森にいたキバが飛び出してきた。

食事中だったのか、口はもごもごと動いている。

キバの姿を見た村の人間は、驚きと恐怖の声をあげて下がった。

いきなり巨大なオオカミが現れたのだ、驚くのは当然だ。

例外としては、キバをコウマと一緒に育てたサキとその存在を聞いていたアサカはあらあらと口に出している。

 

「キバの鼻と脚の速さがあれば十分に追いつきます」

 

「……わかりました。コウマさんとキバにお任せします。この村の命運をよろしくお願いします」

 

コウマはキバの背に乗るとサキが叫んだ。

 

「コウマ様!私も一緒に行きます!」

 

「サキは万一のために村に残ってくれ」

 

「いやです。私はタイガ様に貴方が無茶をしないようにと言われているんです」

 

「……後悔するなよ」

 

「はい!」

 

サキもキバに乗り、コウマの後についた。

 

「コウマさん、サキさんこれを……」

 

アサカはコウマたちに袋を渡した。

 

「これは?」

 

「今朝、私が調合した薬で、傷薬と疲労回復の薬です。……私にはこれぐらいのことしかできません。もし、危険になったら逃げてください……」

 

「……ありがとうございます」

 

コウマとサキを乗せたキバは風のような速さで村を出ていった。

 

「ごめんなさい、テンマ、カンナ。私は貴方たちの孫を危険な目に合わせてしまいました。都合の良い言葉だけどどうか、どうかあの子たちを守ってあげて……」

 

残されたアサカは手を合わせて今はもういない友人たちに謝罪した。

 

 

 

走る。走る。走る。

コウマを背に乗せたキバは、馬車に追いつくために近道として森の獣道や山岳地帯を駆け抜けていく。

先に、川や崖でも岩を足場として跳ぶ。

大胆に体を傾かせて、急なカーブの続く山道を抜けていく。

そんな走りにコウマとサキはキバの体毛を必死に掴んでいた。

 

(これがキバの全力!こんなに速いのか!)

 

空を飛んでいるようだ。

流れていく木の緑、迫る大地。

そして、顔に当たる風。

人間の走りとはまるで違う。

なにもかもが新鮮に感じた。

置かれた状況にあって、それは最も不似合な言葉であるが、コウマはキバに乗ること、こうして風を感じることを楽しんでいた

キバや兄弟であるコウ、トツは生まれて四年間で大きく成長した。

しっかりと鋭く伸びた牙は鉄を易々と噛み砕き、体毛も一本一本が斧で断ち切ろうとしても出来ない頑丈さだが、決してしなやかさとは無縁ではない。

むしろ柔軟でありながら強固。理想的な柔らかさと硬さを両方持ち合わせている。

身体も成人男性を超えるほど大きくなり、みんなとともに狩りにいくことで里の人間に受け入れられ、キバたちの背に乗りたいと子供たちの間で人気者になっている。

無論、コウマも乗ったことがあり、成長したキバたちに最初に乗ったのである。

カルラの里からシナモ村までもサキと共にキバに乗ってきた。

だが、今の走りは違う。恐らくこれが、キバの全力疾走だろう。

少しでも体毛を掴む力を緩めれば、コウマは一気に吹き飛ばせれてしまうだろう。

風が顔を強く叩くが、コウマは笑っていた。

 

(いいぞ、いいぞ、いいぞ!僕はお前たちの親だ!キバ、お前がここまでの成長してくれて嬉しいぞ!)

 

いざ育てる時は、試行錯誤の連続で『いい子』で立派な金剛餓狼に育てれるか不安を感じた。

だが、キバは里のみんなと共存し、確かな実力を持ってくれている。

その事実がコウマには嬉しかった。

 

 

 

草原が広がる道でコウマたちは目標を見つけた。

 

「あれか!」

 

キバの背に乗り走っていると馬車に辿りつく。

しかし、普通とは様子が違い、倒れていたのだ。

コウマたちは降りて慎重に近づき、血の匂いを感じ取った。

 

「うわ……」

 

「ひ、ひどい……」

 

馬車の中の惨状に二人は声を漏らした。

中には消えたブレイドホーネットの死骸と運んだ犯人であろう男二人の死体があった。

特に男たちの状態は酷く、腹を真っ赤にして中の臓物が散らばっているのもあれば、後から頭を剣で貫かれたようなもの、体を大きくかじられて欠けているとしか表現できないものもあった。

死んで時間が経っていないのか、血が乾いていなかった。

共通の点として体の一部が残骸として散らばっていた。

二人は四年ぶりに見る人の……しかも凄惨な死体に胃液を戻しかけた。

吐くのを我慢したコウマは千切られた腕を掴んで断面を調べた。

 

「これは切ったあとじゃないな。もの凄い力でねじりとられたんだろう」

 

「他の体の部分も大きな顎でかじられたあとがあります。一体なにが……」

 

「まず、ブレイドホーネットを調べよう。キバ、運んでくれ」

 

コウマの頼みにキバは頷いて死骸を引きずり出す。

調べるとブレイドホーネットはやはり死んでおり、コウマが手甲の爪『鋼爪』で頭を貫いた後があった。

 

「死んだふりってわけじゃない……じゃあだれが?」

 

「コウマ様!ここ!」

 

考え始めたコウマにサキの声が聞こえ、指を指した場所を見る。

そこはブレイドホーネットの腹の部分であり、なにかが腹の部分から飛び出したみたいだ。

 

「腹の中からなにが出てきて……そいつがこの人たちを殺したんだ」

 

「でも、一体なにが……まさかブレイドホーネットが?そんな生態彼らにはありませんよ?」

 

「ウォン!」

 

コウマとサキが犯人に悩んでいるとキバの声が聞こえた。

 

「どうしたキバ?……あ!」

 

キバの視線の先には三人組の一人だろう男が血まみれで倒れている。

 

息があるのかまだ動いていた。

 

「大丈夫ですか!あの馬車で一体なにが!」

 

コウマが男に声をかけた時、男の体が激しく震えだし、身体を痙攣させた。

 

「アァァァァァァァァァァッ!!」

 

男が絶叫すると、痙攣で跳ね踊る身体がふと静止したその時、腹が血をふいて破裂した。

その穴から蜂の頭部が三つほど現れたのを見た瞬間、コウマはすかさずに『鋼爪』を出して、三つの首を一閃し、跳ねた。

 

「最悪の状況だ。……まさか女王の体から新しい女王が孵化するなんて」

 

男の見開いた目を閉ざしながらコウマは呟く。

 

(……ならば女王はどこへ行った?)

 

そう考えると草の中になにかの物体を見つけ、そこに脚を進めるとブレイドホーネットが脱皮したと思われる抜け殻があり、その大きさはコウマが討伐した親と同じ大きさだった。

 

「まだ大きくなるのか……女王のやるべきこととして巣を探しているな」

 

「コウマ様ここから先には……」

 

「ああ、分かってる。この先にあるのは……」

 

コウマは視線の先にはブレイドホーネットが隠れたと思われる樹海がある。

 

「―――ジフノラ樹海だ」

 

 

 

ジフノラ樹海。

帝都の外れにある樹海であり、危険種が多数生息する危険地帯である。

主なのは、三級危険種の花弁で標的を捉える肉食植物型危険種メランザーナ、群れで行動する犬型危険種ジフノラドッグ、人間の数倍もある巨体を誇り、東部に生えた角が武器の

特級危険種のトリケプスがいる。

そんなジフノラ樹海にイレギュラーな危険種が入り込んでいた。

死んだ『女王』の体内から生まれたブレイドホーネットだ。

昆虫の女王蜂や女王アリは、生まれた時から女王になるべき特異な遺伝子を持っていたわけではない。

ひとつのコロニーで発生した幾多の個体は、どれもが女王になり得る体質を備えている。

だが、何らかの基準で選ばれた一個体のみが、ロイヤルゼリーを特別に与えられ、あるいは育成を抑えられる特殊なフェロモンから解放され、他とは異なる体質に育って女王に成長する。

突発的な事故により女王蜂を失ったコロニーで、一体の働き蜂が新しい女王蜂に変異することがあるのは、よく知られた事実だ。

……この孵化したブレイドホーネットにも同じことが起こった。

もとは兵隊に成長するはずの個体が、『女王』の臓物というロイヤルゼリーを与えられたことで、さらに女王のいない環境で自らの身体を進化させた。

本能的に暗闇や物陰に身を潜めるのを好む彼女は自分が隠れることができる場所を探していた。

『女王』としての能力なのか感じたのだ、我が子の産声を。

しかし、その声もすぐに消え、子供たちがなにものかに殺されたことを理解した。

相手はすぐに自分を追ってくるだろう。

ならば、迎え撃つためにテリトリーを作り、ここの生物を喰って強くならなければならない。

そう考えたブレイドホーネットだが、ある存在を見てその思考も吹き飛んだ。

自分の視線の先に子供たちの寄生ホストになる人間が多くいる。

さっき『種』を植え付けた人間より小さいが、我が子たちを育てるには十分な大きさ。

獲物を確認すると先ほどの受胎を思い出す。

自分が女王の責務を果たした時の感動と興奮、満足感を。

女王となったブレイドホーネットは自らの本能に従って、口から液体を垂らしながら、獲物に襲い掛かった。

 

 

 

「まさかこんな事態になるなんて……武器多めに持ってきてよかった……」

 

「ブレイドホーネットだけでなく、樹海の危険種とも戦うことになるかもしれませんからんね……」

 

三人の死体を地面に埋めて、ブレイドホーネットの死骸を燃やしたコウマたちは逃げたブレイドホーネット、いや女王ホーネットを討伐するために、背負っているリュックを下ろして準備する。

背や腰にかけた武器を念入りに確認し、最後にコウマは手甲から出る『鋼爪』の機能を確認して頷く。

 

「ところでサキ、武器はどうしたんだ? まさか手ぶらじゃないだろ?」

 

「ああ、それならマイ様が、これを持っていきなさいって」

 

問いかけるコウマにサキは着物と帯の間に差し込まれたモノを取り出す。

 

「それは……扇子?」

 

「はい。それもただの扇子じゃありませんよ。どうぞ」

 

サキに渡された扇子を受け取るコウマだが、その重さは予想より重く地面にぶつけそうになる。

 

「重い? コイツは鉄扇か?」

 

扇子の一番外側にある親骨に内側の中骨、そして広げた部分の扇面。それら全てが鉄製。

縁の部分は刃として使えるように切れ味を持っており、その鋭さはコウマの爪と同じ威力だろう。

更にサキはコウマから鉄扇を返してもらうと、おもむろにそれを広げ始める。

 

「それに、こうしますと―――」

 

ガチャガチャガチャと鉄特有の硬い音が鳴り響いて完全に広げ終わると、サキは力強くそれを振るった。

すると鉄扇の外側部分から両刃の細い紫の刃が何本も姿を見せる。

 

「はぁ~なるほど。……仕込みか。うわ、よく見たらこの仕込み刃、毒針じゃないか」

 

姿を見せた刃は、鉄で作られておらず生き物の部位を使っているようで、飛び出した今、先端から液体をじわじわと出している。

親骨と中骨を合わせた全ての扇骨から伸びる刃は強く外側に力が働いた時にだけ出現するらしく、上に向けると引っ込んでしまう。

だが一瞬で現れるそれは知らない相手には絶大な効果を発揮する隠し武器である。

 

「母さん、こんな物騒な武器使ってたのか?」

 

「はい、元々はタイガ様が作ったものを譲ってもらったそうです」

 

「へぇ~面白い話を聞いたな」

 

両親の仲は円満だが、馴れ初めは聞いたことがないので帰ったら経緯を聞いてみようと思ったコウマである。

 

「それじゃ、キバ。女王を追跡するにはお前の鼻が頼りだ、頼んだぞ」

 

「ウォフ!!」

 

キバの力強い返事を聞いたコウマたちは樹海に入った。

だが、今この樹海の反対側ではある『選定』が行われており、その結果、標的が予想を超える戦いになるのをコウマたちはすぐ知ることになる。

 

 

 

キバを先頭、サキを中心、コウマを最後にして、樹海の木々を足場にして進むコウマは首を傾げていた。

樹海の殺気だっており、虫の声が聞こえないのに獣の声が騒がしく聞こえている。

虫は例外があるが、自分より巨大な相手が現れると擬態して隠れるか逃げるかの二択を選択する。

その状況で自分の居場所を教える『音』を出す存在はいない。

獣も同じように強大な存在が現れると身を潜めてやり過ごそうとする。

それが自然をうまく生きていくやり方だ。

里を囲む樹海でサバイバルをさせられたコウマは身を持って知っている。

ブレイドホーネットという異物が侵入したことで、虫や獣が静かになることは理解できるが、獣たちは逆に興奮状態になっている。

コウマは今の樹海の状態から、ブレイドホーネットとは別の何かがこの樹海に入り、何かが起こっていると確信した。

すると、遠く、何かを打つような音が聞こえた。

 

「木が倒れる……」

 

見れば、木々の群れの奥、遠くの一本が傾き出している。緑の葉に包まれた尖塔のようなシルエットが付近の木々に寄り掛かり、倒れていく。

木を倒す存在に興味を持ったコウマだが、そちらを見てから、視線を元に戻して器用に枝の上を飛ぶキバとサキを追おうとした。

だがそのときだった。今度は、木の揺れとは違う音が聞こえた。

人の悲鳴だ。

 

 

 

 

「―――」

 

コウマは反射的に止まっていた。

耳は確かに響く高い声を聞いた。

先に進んでいたキバたちも聞こえたのか止まっている。

 

「コウマ様、どうしますか……?」

 

「どうすると言われてもな……」

 

サキの言葉に眉を詰めて、考える。なぜ、こんな場所に人がいるのか。ブレイドホーネットの追跡とどちらが優先か。木を倒した存在、恐らくは危険種と一戦交わるかもしれないと思案する。

 

「よし」

 

目を開ける。

視線の先には倒れた一本の木がある。その木を見て頷き、サキたちに伝える。

 

「助けに行くぞ。どうしてこんな場所にいるかは知らないが、見殺しには……出来ない!」

 

「はい、コウマ様!」

 

「オン!」

 

コウマの力強い言葉を聞き、サキたちも満足の返事を受けたときには動き出していた。

一歩。

足音は軽く、木々を踏み台にして跳ぶ。

先ほどの移動よりも、腰を落としているので歩みは速い。

急ぐ。目標は先ほど折られた木だ。

コウマたちは、枝を踏む足音と共に、そちらへと一直線に走っていく。

息は荒れない。これぐらいの移動、十になる前の自分ですらできる。

早く助けないと、淡い緊張感から体温が上がるのが感じられた。

目標の地点まで残り十数メートル。急げ、とコウマは自分に言い聞かせる。

と、視界の隅にある物体を捉えた。

ボロボロの布をまとい、血だまりに沈んでいる存在を。

 

 

 

それは少年少女たちの死体だった。

逃げられないように脚を粘液で固定されており、顔には涙の跡がある。

コウマたちと同い年と思われる子もいれば、それより下と思われる子もいた。

死体を見て木の枝から降り、死体をそれぞれ注意深く眺めた。

全て胸から腹部にかけて破裂した穴がある。

サキは唇を強く噛んで悔しさを表し、コウマも手袋に包まれた手を握りしめた。

ブレイドホーネットの抜け殻はその近くですぐに見つかった。

数は全部で十六。

まだ乾いていない体液は折れた木に向かっている。

コウマたちは折れた木の方に歩こうとした時、コウマとサキは腰にある円盤の形をした手裏剣を背後の木に投げた。

投げられた手裏剣は湾曲した刃が飛び出し、標的―――成体のブレイドホーネット三体を切り裂く。

コウマの手裏剣はブレイドホーネットの顔面を、次にその後ろのブレイドホーネットの胴体を斬り、サキの手裏剣は三体目の首と身体を分けた。

手裏剣はブーメランのように二人の手に戻ってきた。

胴体を斬られたブレイドホーネットは即死できなかったようで、体液をまき散らしながら、地面でのた打ち回っている。

その頭をキバが脚で踏みつぶし、ピクリとも動かなくなった。

 

「いくぞ、サキ、キバ。こいつらは……死ななければならない存在だ」

 

コウマの氷のような言葉にサキはゾッとしたが無言で頷き、キバもコウマの怒りが伝わったのか、唸り声をあげた。

 

 




ジフノラ樹海と見てピンときた人。
想像通り、今この樹海には『彼女たち』がいます。
詳しくは『アカメが斬る!零』で!


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第七話

今回は前半グロイ描写があります、注意してください。
それとようやく原作キャラが登場です。



『女王』はいそいそと巣を移動していた。壁には『兵士』たちが捕まえてきた少年少女が貼り付けられている。

『女王』の姿を見ても叫ばなかったのは、恐怖のあまり悲鳴も出なかったのだろう。『女王』が黒い腕で一人の少女の顔を掴むと、少女の目から涙がこぼれ出た。すぐ顔の近くで顎を開くと、ようやく少女が高い声を漏らした。

だがもう遅い。

 

『女王』は少女に情熱的な口づけを与えた。そして彼女の舌を引き裂いて“第三の器官”を喉の奥へと差し込んだ。息を詰まらせ、足をばたつかせて少女は悶絶した。『女王』の喉が膨らみ、その中の塊が前方に動いた。“受胎”が始まった。

その光景を見て、他の子供たちは叫んだ。そのけたたましさに囚われるより、まだ飢えを感じる繁殖行動に満足を与えようと、『女王』は歓喜の行動に専念した。

 

少女の身体が震える。

その腹部は、妊娠した女性のそれよりもさらに大きくなっていた。まるで別の生き物のように、腹部が小刻みに上下している。

揺れはリズムを持って大きくなり、そして最後の衝撃で腹は内部から破裂した。赤い血液と内臓が床に飛び散る。

その破片に追いすがるように、腹部の孔から胎児が顔を覗かせた。ブレイドホーネットだ。

だが、そのブレイドホーネットは普通のとは違い、一回り大きかった。胎児はあたりをうかがうように、血と自分のぬめりにまみれた頭部をゆっくりと巡らせた。

首をもたげあたりを伺うとブレイドホーネットは、自分の母の姿を確認して満足したかのように、カッと口を広げて奇声を発した。

自然によって作られた洞窟にブレイドホーネット……いや、『女王』は壁に貼り付けられた自分より小さな、か弱い生物を見ていた。すでに殺戮と受胎の快感を味わった個体、人間の少女だ。

 

―――この小さな個体はメスの腹部から生まれ出て、人間という個体に成長する。

 

本能的に『女王』は妊娠と出産という繁殖のシステムを学習して、種の存続の力強さを知った。そして自らが本能的になし得た結果についても、すべてを理解したのだ。

群生コロニーの中で選ばれた1体の『女王』が卵を何らかのホストに寄生する。ホストの内部で成長した複数の『兵士』が外へ飛び出、脱皮を繰り返して成体となる……そんなブレイドホーネットの繁殖過程を、この『女王』は工夫を加えた。

 

『女王』の臓物というロイヤルゼリーを与えられて、自らも知らず、人間のメスを利用した新しい種の生み出し方を本能的に試みて、成功したのだ。『女王』は少女の体内に生殖器官を植え込み、複数の『兵士』ではなく、一体の『強化兵』を誕生させた。

『兵士』よりも速い驚異的な成長能力を持つ『強化兵』は、少女の身体から飛び出し、獲物を『女王』に捧げるために洞窟を出ていった。

『女王』はある種の“知性”をして、この事実に驚喜した。そしてもう一度繁殖を試みたい本能にうち震えて、種の存続に義務感のようなものを抱いた。

 

 

 

 

「こいつは……トリケプスだよな」

 

折れた木の場所にたどり着いたコウマたちは目の前の人間の数倍もある生物の姿に驚愕していた。

トリケプスはこの樹海に住む危険種で、特級に分類されている。その巨体から繰り出される突撃はそこらの木など簡単にへし折ってしまうだろう。

だが、コウマが注目しているところはトリケプスが死んでいるという状態だ。身体のいたるところを鋭い刃物で斬られたり、刺されたり、肉を噛み千切られた後があるのだ。

 

「ブレイドホーネットの群れに襲われた……ということでしょうか?」

 

「まぁ、そうだろ。この傷はあいつらの尻尾と大顎にしかつけられないし、この樹海でこいつを倒すことができる奴なんていないからな」

 

「特級危険種を倒せるほどに増えている……考えただけでゾッとします」

 

想像してしまったサキは身体を振るわせて嫌悪をあらわにした。

 

「そもそもなんでこんな樹海に子供がたくさんいるんだ、おかしいだろ……」

 

コウマはさっきから疑問に思っていたことを口にする。子供たちの姿は自分たちのような十分な装備もしておらず、ナイフ一本と身体を包む布きれだけ、そんな姿で危険種が住むこの樹海にいるのは自殺行為に等しい。

 

「あーもう、急ぐぞ!早く女王を倒さないと子供たちを使ってどんどん増えていく!このままだと危険種にまで、卵を植えるようになるぞ!」

 

「あ、はい!」

 

悪化していく状況を嘆いてコウマは怒りの叫びを上げ、先に進もうとする。すると、死んでいるはずのトリケプスが揺れた。中になにかがいて、外に出ようとしているかのように動いて……。

 

「あー……本当……嫌になる」

 

トリケプスの異常に気付いたコウマは腰につけた携帯炸裂弾を一つ掴み、それをトリケプスに投げつけた。トリケプスの身体から無数のブレイドホーネットの幼体が顔を出したのと、炸裂弾が爆発するのは同時だった。

 

 

 

炸裂弾の爆発によりトリケプスの身体はバラバラに吹き飛んだ。その威力にキバは目を大きく開いて、サキは地面に尻もちをついて驚愕していた。そして、コウマは炸裂弾の性能を見て頷いた。

 

「驚いたか?もしものためにと思って作っておいたんだよ。破壊力は見ての通り、この戦いの切り札として十分使えると思うんだが……」

 

「コウマ様!!」

 

「な、なんだ?」

 

「なんて危ないものを作っているんですか!それ最初、リュックの中から取り出していましたよね!なにかの弾みで爆発したらどうするつもりですか!あと、爆発させるならちゃんといってください!それと……」

 

「あ、待ってサキ」

 

「何ですか!」

 

「……お客さんだ」

 

コウマがサキの後を指で指すと離れたところにブレイドホーネットの群れがいた。一体や二体なら簡単に対処できるが、今その場にいるのは尋常な数ではなく、少なく見積もっても二十はおり、サキも目線を移して群れの存在に気づきそちらの方を向く。

 

「いい感じに集まってるな……。もう一発使うとするか。サキ、キバ、走るぞ!」

「は、はい」

 

走る。

こちらに向かってきたコウマたちにブレイドホーネットたちは驚いたようだが、構わずに接近する。先頭のブレイドホーネットが尻尾を横なぎに振るうが、コウマたちはジャンプして避け、キバはそのままで、コウマたちはブレイドホーネットの頭を踏み台にして高く跳んだ。

その先には二十以上のブレイドホーネットが固まっている。その注意は上空に跳んだコウマ、サキ、キバに向けられていた。その中心に炸裂弾を落とす。

コウマたちが反対側に着地した時、群れの中心で爆発が起こり、ブレイドホーネットたちはバラバラに飛び散った。

 

 「まだ……いるのか」

 

コウマの言葉にサキは周りを見た。自分たちの周囲をブレイドホーネットが取り囲んでいるのだ。

取り囲むブレイドホーネットのうちの一体が、飛び出してくるがその瞬間にキバによって頭を噛み千切られた。キバはそのまま咀嚼せずに、地面に吐き出す。その光景を見た他のブレイドホーネットが大きな叫び声をコウマたちにぶつける

 

「怒っているな、怒っているな。そりゃそうか、自分たちの兄弟がバラバラの肉片にされてるからな……。けどな、こっちも腸が煮えくり返りそうなんだ……」

 

コウマは視覚を守る仮面を付け、『鋼爪』を出して構える。

 

「お前たちは繁殖のために人間を捕まえて増えていく。本能と言ってしまえば、そういうものだと言えるかもしれない」

 

サキは腰から鉄扇を取り出し広げていつでも応戦できるようにする。

 

「だが、ただ殺されるだけの理不尽、絶望の中から殺される理不尽には吐き気がしそうなほどの怒りが湧いてくるんだ。だから―――」

 

キバは地面に爪を立てて、グルルと唸り声を上げた。

 

「さっさとくたばれ蟲どもが!!」

 

コウマの怒りの叫びとともにブレイドホーネットの群れが襲い掛かった。

 

 

 

樹海の中を二人の少女が進む。

 

「お、お姉ちゃん……。もう走れない」

 

「もうすぐゴールだ。頑張れクロメ」

 

少女―――アカメは妹のクロメを励ます。

 

両親から帝国に売られて、今は『選定』という地獄の中に落とされた。大人たちに渡されたのはお粗末なナイフと布きれ一枚、生きるためにスタートからずっと走っており、樹海のゴールを目指している。

クロメがアカメの背後を見てビクッと震えて、アカメも背後を見る。そこには肉食植物型危険種メランザーナが少女たちを捕食している光景だった。花弁が動き、クチャクチャと肉を喰う音が聞こえた。

 

「……こっちはだめだ!あっちから行こう!!」

 

「……た、食べられてる……」

 

アカメはこれ以上、進むのは危険だと別の道を進もうとするが、クロメは目に涙を溜め、身体を震わせて動けなくなっていた。アカメはそんなクロメを立ち直すため手を強く握る。

 

「大丈夫、お姉ちゃんがついてるぞ」

 

「……うん」

 

アカメの言葉にクロメは頷きゴールを目指すため進むが、林の影から犬型の危険種が飛び出してきた。危険種は背後からクロメに体当たりをし、押し倒す。

 

「クロメッ!!」

 

アカメはクロメを助けるために危険種の首にナイフを突き刺す。急所を刺されたことで、危険種は血を噴き出して倒れるが、今度はアカメに別の危険種が襲い掛かる。アカメは危険種にナイフを刺したままで反応出来なかった。

 

「お……お姉ちゃんに触るなぁああ!!」

 

飛び込んできた危険種に気付いたクロメがアカメを守るために自分のナイフを突き刺す。危険種は悲鳴を上げて倒れた。

 

「クロメ、大丈夫か!」

 

「う、うん。襲われた時、足を捻ったけど大丈夫……」

 

「そうか、なら私が背負うから……」

 

アカメが言葉を続けようとした時、クロメの左肩に水滴が落ちて、纏った布きれに黒い一点を作るのを見た。クロメもそれに気づいたようで、肩の一点を見た。再び水滴が落ちて、肩を濡らした。

二人は自分たちの上を見た。そこには木にしがみついてこちらを見てる、大きな蜂の化け物がいた。

 

 

 

「う、うわあああぁぁ!!」

 

クロメは化け物、ブレイドホーネットの姿を見て恐怖した。自分たちが先ほど退治した危険種は犬の形をした危険種であり予想の範疇にいたが、上にいるブレイドホーネットは完全に想像を超えた存在だった。

巨大な身体、蜂を思わせる頭部、カチカチとなっている大顎、骨を剥き出しにしたような手足、先が鋭い剣のような尻尾はまるで人の恐怖を固めて作り出したような姿をしていた。

ブレイドホーネットは地面に降りて、その黒い目で二人をじっくりと見る。そのまま骨のような手で動けないクロメを掴む。

 

「クロメに触るな!!」

 

アカメはナイフをブレイドホーネットの身体に刺すが、ナイフは身体に刺さらずに止まってしまった。それでもあきらめずに、ナイフで斬ろうとするが硬い甲殻によって、とうとう折れてしまった。

ブレイドホーネットは自分に攻撃するアカメをちらりと見るが腕を軽く振るって、纏わりつくアカメの腹部に当てて吹き飛ばした。

 

「ガハッ!」

 

「お姉ちゃん!!」

 

吹き飛ばされるアカメを見てクロメは悲鳴を上げる。自分の手を掴む腕を離そうとするがビクともしない。

 

「お姉ちゃん!お姉ちゃん!お姉ちゃぁぁぁぁん!!」

 

そのままブレイドホーネットはクロメを抱えて走る。連れ去られたクロメは姉に必死に声を掛けるがその声は届かず、ドンドン距離を離されていった。

 

「いやぁぁぁ―――っっ!」

 

腹部に激痛を抱えたアカメはクロメの悲鳴に応えることは出来なかった。

 

 

 

 

「おおおっ!」

 

コウマが『鋼爪』をブレイドホーネットの首を切り裂く。切り裂かれた首から体液が飛び散ったことで身体を汚すが、そのまま独楽のように周り、隣のブレイドホーネットの顔も深く切り裂く。首と顔を斬られた二匹は絶命した。

 

「はぁ、はぁ……これで最後か……」

 

周りを見るとそこには、ブレイドホーネットの死体が所せましと倒れている。サキとキバも見る限り健在で、ホッと息を吐く。

 

「コウマ様……無事ですか……?」

 

「ああ、大丈夫だよ。サキも怪我がなくてよかった」

 

「これぐらいで傷を負う実力ならコウマ様と一緒にはいません。けど……」

 

「けど……?」

 

コウマに怪我をしていないことをアピールするサキだが、途中で顔を暗くさせた。それに疑問を持ったコウマにサキは腰の物を取り出した。

 

「鉄扇が一つ、開かなくなってしまいました……」

 

サキが取り出した鉄扇は閉じている状態だが、ブレイドホーネットの粘着液を浴び、固まってしまったことによって閉ざされてしまっていた。

 

「ああ……、こいつらの液は最初の方は対処すれば何とかなるけど、固まると剥がすのに時間がかかるからな……」

 

粘液の状態であれば先日、タンゴの足にかかったのを薬品を使ったように消すことができるが、固まってしまうと硬いものにぶつけて砕くという方法しかなくなるのだ。サキは母親代わりのマイから貰った鉄扇を使えなくしたことで、精神的ダメージを受けている。

今も顔を暗くしているサキの頭にコウマは手を置く。

 

「大丈夫だよ。母さんもサキの身を守るためにその鉄扇を譲ったんだ。サキの身を守れて本望だと思うよ」

 

「……はい」

 

コウマの言葉によって自信を取り戻したのか、サキの顔は先ほどより明るくなった。

 

「キバは……無傷だよな」

 

コウマは鼻を鳴らして周りを警戒しているキバをよく見るが、その身体には傷一つついてなく、返り血も浴びておらず、精々毛並が少し乱れていること以外、異常はなかった。

 

「金剛餓狼の戦闘力の前にはブレイドホーネットも無力ですか……」

 

「速いし、堅いし、賢いっていう反則な存在だからな……。体毛なんて生まれて一か月で鉄と同じぐらいの硬さになったし、これで『大丈夫か?』って聞けば怒ると思うぞ」

 

二人は自分たちが育てたキバが改めて超級危険種に分類されていることを思い出して、その存在の頼もしさを感じていた。

 

「……それにしてもよくこんなに倒せたな。サキは何匹くらい倒せた?僕は十五だけど」

 

「私は……十を超してから数えてません」

 

足元にあるブレイドホーネットの残骸も見るが、どれも大人を超える大きさに育っており、それを金剛餓狼の存在があったとしても、子供二人で倒したなど信じることは難しいだろう。

 

「ウォフ!」

 

そんな中、キバが近づいてきた。キバは前足を使ってコウマとサキを指したあと、自分を指して再び前足を上げて爪を一本出し、鳴いた。

 

「えっ、え~と……」

 

サキはキバの行動をすぐに理解することが出来なかったようで戸惑うが、コウマは理解したようで苦笑を浮かべた。

 

「あ~、つまりキバ、こう言いたいんだな。『自分の方が二人より多く倒した!』って……」

 

コウマの通訳でサキはさっきの行動に納得したように頷いて、キバは首をコクコクと上下に振っている。

 

「まったく……お前はすごいやつだよ」

 

「はい、キバは強いですね」

 

「きゅ~ん」

 

コウマとサキはキバの頭や喉を撫でると甘えた声を出した。大きさは成人男性を超えるキバたち金剛餓狼はまだ四歳なのである。自分を育ててくれた二人に褒められることが嬉しいようで大きな尻尾をぶんぶんと振っている。

 

「じゃあ、ここまでにして……。キバ、女王の居場所は分かったか?」

 

キバを撫でるのをやめると、コウマは元凶の『女王』の居場所を聞いた。すると、キバは身体を使って巣の方向を示した。その方角はトリケプスが走ってきた道があり、木がなぎ倒されている。

 

「よし。場所も分かったのであれば、前進あるのみだ。巣は燃やすか、爆発するからいいけど、生き残った蟲どもが新しい『女王』になったらまずい」

 

コウマはこれからの行動を語り、キバに顔を向ける。

 

「キバ、お前は鼻を使って兵隊どもを片付けてくれ。いいか、一匹残らずだ」

 

「ウォン!!」

 

コウマの頼みにキバは力強い声を上げて、その場を走っていった。

 

「サキ、僕たちもいくぞ」

 

「はい、コウマ様」

 

二人は折れた木を辿って巣に向かっていった。

 

 

 

ブレイドホーネットに吹き飛ばされたアカメは動けずにいた。軽く振るったつもりだったのだろうが、アカメには強力で体を動かすことも声も出せない。

 

(クロメ……!)

 

アカメの頭の中には、クロメの連れていかれる顔と悲鳴でいっぱいだった。自分の無力を嘆いて、地面の土を力いっぱい握る。

 

(お姉ちゃんなのに、ついているっていったのに……!)

 

クロメを救えなかったことによる悔しさで涙が溢れてきた。

 

「ク……ロメェ!」

 

痛む腹から声を絞り出して、ふらふらと立ち上がる。危険種に立ち向かうための武器として、クロメが落としたナイフを拾う。あの危険種を攻撃し、傷つけ……妹を救うこと以外は頭になかった。

クロメを連れていった危険種を追おうとするが、体の力は入らず、足はがくがくと震え、走ることは出来なかった。

 

その時、アカメの背後から黒い非情な指が彼女の頭を抑え、押しやって、喉をあらわにさせた。腐った木のような不快な臭いが鼻をついた。耳にはガチガチと何かがぶつかり合う音が聞こえた。

 

「ぐっ、あぁ……」

 

アカメは自分を抑える存在を見た。クロメを連れて行った危険種と似ているが違いもあった。身体は明らかに先ほどの奴を上回る巨体、外骨格ながらも肉付きを感じさせる太い腕、肩や胸の外骨格を青白い筋肉のような腱が覆っており、尻尾は先端が鋭いどころか尻尾そのものが剣の鞭になっている。

 

彼女の頭が無理矢理左右に動かされたが、危険種の蜂のような目から、危険種がこちらを観察しているのが分かった。危険種がうなり声を上げると、彼女を暴れる彼女を黙らせるために力強い腕を引いた。

 

(……ふざけるな!私は、私はクロメを助けるんだ!!お前なんかに構っている場合じゃないんだ!!)

 

危険種に掴まれ、なすすべもないアカメは、それでも暴れており、目を逸らしてもいなかった。アカメは、死を恐れていなかった。心には妹のクロメを助けるという信念がある。彼女は目を開けて、正面の危険種の顔にナイフを突き立てた。

アカメの死を恐れない攻撃は危険種に傷をつけることはなかったが、その攻撃は危険種を戸惑わせた。一瞬、攻撃をためらったほどだった。そのためらいの間に、横から黒い影が飛び出してきて、その鋭い牙で危険種の蜂のような頭に噛みつき……砕く。

 

アカメを掴んでいた手がだしぬけに痙攣した。指が開いて、彼女の頭を放す。アカメは後ずさりして、木に背中を押し付けた。その耳に頭部を砕く音だけが、響いていた。頭部を失った身体は震えて、首の部分から体液が噴き出した。

熱い体液がアカメの頬にかかり、彼女は思わず声をあげたが、目をそらすことが出来なかった。信じられないことに危険種は、自分よりもっと凶暴で破壊的な力で殺され、なにもできなかったのだ。

 

黒い毛皮に、金色の瞳を持つ巨大なオオカミにアカメは救われたのだ。

 

 




誤字報告など文章でここがおかしいなどあれば教えてください。
よろしくお願いします。


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第八話

更新に間が空いてすみません。
大学が始まり、いろいろと忙しかったので遅れてしまいました。


キバはコウマに言われた通りに森を走り、子供を狩るブレイドホーネットを爪や牙で駆逐していた。倒した数を二桁に入る時、近くに強大な気配を感じた。臭いで存在を確認するが、ブレイドホーネットに似ているが『何か』が違っていた。

 

その存在を確かめるために気配を消して近づいていく。その存在を視界に収めた時は僅かに驚愕した。ブレイドホーネットに似て非なるものである『新種』が少女の首を押さえていたのだ。キバは姿を隠していた林から飛び出して、その頭に噛みつき、そのままの勢いで首を引きちぎり砕く。

 

頭を噛み砕いた時、キバの脳裏に『少し硬い』という感想が浮かんだが、その感想にキバは驚愕した。自分の牙は絶対の自信を持った武器であり、鉄ですら易々と噛み砕ける。その牙で噛み砕いて『少し硬い』という感想を抱かせた相手の硬さに驚愕している。

 

次にキバの頭にコウマとサキが浮かぶ。二人は鉄以上の硬さを持つ『新種』に勝てるのだろうか?二人の実力は里の同世代と比べるのも馬鹿らしいほどに上だ。だが、相手はブレイドホーネットを超える『新種』、もしかしたら苦戦してしまうのではないか、最悪の場合、やられてしまうのではないかと想像してしまう。

 

キバは、急いでブレイドホーネットを全滅させ、コウマたちの援護に向かおうとするが、再び『新種』の臭いが風に乗ってこちらに近づいてきていることを伝える。それも一体ではなく、三体。苛立たしげに唸り、先ほど助けた黒髪の少女をみる。キバは少女を包んでいる布きれを咥え、持ち上げる。

 

「なっ、何をするっ!離せ!私は妹を……くっ!」

 

少女は叫ぶが、痛みによるものか顔を歪ませて言葉を途中で区切った。キバはこれから始まる戦いに少女は邪魔だと判断して、森の外から匂う人間の集団のところに力いっぱい投げた。後のことは集団の人間に任せる。

 

キバが振り向くと、三体の『新種』が地面に飛び降りて、威嚇するように身をかがめている。そんな三体に対して、キバはいつでも飛び掛かれるように、闘いの構えをとり、グルルと低く唸った。

 

『新種』の内の一体が棘のある太い脚を広げ、鉤爪のある腕をあげて、尖った尻尾を振るった。まるで戦いの場から障害物をどかすように、頭部のない『新種』の死体を蹴り飛ばした。無残な死体は転がって木の影の中で止まった。『新種』たちは不気味な口元から粘液をしたたらせながら、しゃーしゃーと威嚇音を出して大顎をガチガチと鳴らした。

 

キバは鋭い牙のならんだ口を開いて、『新種』たちに吠えた。

 

ここにこのジフノラ樹海にとってイレギュラーといえる危険種たちが激突した。

 

 

 

 

「コウマ様、気付いていますか……?」

 

「ああ、追いかけてるな」

 

『女王』のいる巣へ向かっているコウマたちは木の上を跳んでいた。こうやって跳ぶことで相手との接触を少しでも下げるためにだ。

ブレイドホーネットたちは、コウマたちが女王の巣に近づいていることに気が付いたようで、自分たちの母を守るために追ってきている。数は音から察するに十は超えている。このまま巣まで来られたら、最悪、女王と合流し激しい戦いになるので、コウマは迎え撃とうとすると。

 

「コウマ様はこのまま巣へ向かってください。追手は私が倒します」

 

「!?」

 

サキの言葉に木から足を滑らしそうになる。

何とか体勢を立て直すと問いただした。

 

「……正気か?戦いの疲れも完全に癒えてないのに……十を超えるブレイドホーネットを退治できるのか?」

 

「そのつもりで言っているんです」

 

サキの力強い声と覚悟を決めた目を見たことで、コウマは思い出した。

サキが稽古をつけてくれといった時、森で訓練に向かう際ともに行くといった時、危険種の退治についていくといった時もサキはその真っ直ぐな目で自分の意見を曲げなかった。

共に里で暮らし、共に戦ってきたからこそ分かる。サキは捨て石になるつもりはない、必ず生き延びると語っているのだ。

 

「……絶対に死ぬなよ。死んだら、父さん、母さんだけじゃない里のみんなが悲しむからな」

 

「はい!!」

 

満面の笑みを浮かべたサキを見て、つられて笑い、コウマは進んだ。

 

 

 

コウマを見送ったサキはブレイドホーネットを迎え撃つため準備をした。背負った小太刀とナイフを抜き、痺れ薬を塗る。

 

この薬は今朝、アサカに教えて貰い、作った物だ。その威力は強力で、本来は危険種を捕獲するために使うものであり、人間に使えば恐ろしい後遺症を残すほどだ。 耳を澄ませる。足音が近くなっており、こちらに向かってくるのが分かる。音は大きくなり、しばらくすると止まった。

 

ブレイドホーネットの一団はサキの存在を確認し、木の影に隠れた。息を潜める中、三匹が木に登り始める。体節のある身体は木の影にみごとに溶け込んで、視覚では容易には気付かないだろう。

 

ブレイドホーネットは木を登りきると、攻撃の態勢をとった。

だが、サキの行動の方が早かった。サキの投げた円盤手裏剣は空気を切り裂いてブレイドホーネットの三匹の内、二匹の首や顔を手裏剣の刃によって二つに切り裂かれ、絶命し、残った一匹は飛び掛かったが、背中から抜いた小太刀が振られたことで、ブレイドホーネットの肩に深くめり込み、片腕を切り落とした。

 

地面に落ちたブレイドホーネットは痛みにもがき、斬られた腕の付け根から粘着性の血を振りまき、やがて痙攣をし始めた。

小太刀を背中に収め、弧を描いて戻ってきた手裏剣を腰にしまう。

鉄扇を構えて、木によじ登ってくるブレイドホーネットを感情が込もっていない目で見る。

 

「さぁ……来なさい。有象無象ども……」

 

 

 

 

「お姉ちゃん……お姉ちゃん……お姉ちゃん……」

 

走るブレイドホーネットの腕の中でクロメは姉の名を呟きながら泣いていた。

樹海の出口が遠くなる、いつも一緒にいた姉から離されている、自分がこれから迎えるだろう未来を考えただけで心が潰れそうになる。

 

今、自分がいる状況は、最悪を超えていることは、幼い自分にもよく分かっていた。

自分を抱えている危険種、こいつらは蟻だ。親に捨てられる前に、自分より大きい昆虫を大群で襲ってバラバラに分解し、巣へ持っていくのを見たことがある。バラバラにされた昆虫は餌になるというその残酷な真実を知った時は恐怖した。

 

自分もこいつらの餌になる。再び、自分の未来を考えたことでクロメは思わず、叫んだ。

 

「誰か……誰か助けてっ!!」

 

子供の自分が無力でなにも出来ないのは理解している。頼れる姉がすでに遠く離れているのは分かっている。この樹海に人がいないのも分かっている。自分を救ってくれる人など存在しないのも分かっている。

 

だが、このまま理不尽に死ぬことが嫌だった。

 

クロメの叫びが樹海に響いた瞬間、ザシュッという音を耳にした。

大きな鏃を持った槍が自分を抱える危険種の頭頂部を後ろから突いていた。高速で投げられたそれは、蜂を思わせる頭蓋を貫いて地面に突き刺さった。

 

「あっ……!」

 

絶命した危険種の腕から力が抜けたことでクロメは転がる。

何が起きたのかよく分からなかったが、自分が助かったことは理解できた。

 

「だ、誰か……いるの?」

 

危険種の頭に突き刺さった槍は、間違いなく人が使う道具。この樹海の深くに自分以外の人間がいることで希望を見つけたことで、その人物を探す。

すると、木々の影から黒い塊が飛び出してきた。そちらの方を向くがそれは自分が望んでいた存在ではなく、蟻を思わせる形の危険種だった。

 

「ひぃっ……!」

 

クロメの心から助かったという安心感が吹き飛び、再び死の絶望が心を埋め尽くす。

恐怖により身体が動かない。

 

そんなクロメに危険種は向かってきた。

その時、危険種が現れた影の反対側からヒュンッと音を持った円盤が飛び出して危険種の片腕を切り裂いた。

 

突然腕を切り裂かれたことで危険種が叫ぶと、円盤が出た影から小柄な影が現れ、獣のように飛び掛かり、危険種を叩きのめした。胸の硬そうな外殻を腕から生えた鋼鉄の爪で砕いていく。危険種の腕の切り口からは体液が噴き出し続けている。

 

影は素早い仕種で、腕の爪を危険種の頭めがけて荒々しく振り下ろし、切り裂いた。傷口から粘着性の血液が噴き出し、影を汚していく。危険種の身体は一度痙攣して、動かなくなった。

 

 

 

 

(最悪だ……こんな殺り方、僕らしくない……)

 

コウマは倒したブレイドホーネットのズタズタな姿を見て、自己嫌悪に陥っていた。

サキと別れて『女王』がいるであろう巣に向かう最中に、子供たちの死体を見続けてしまった。危険種にバラバラにされた者、生きたまま喰われた者、ブレイドホーネットに寄生され腹が空洞になった者、全ての顔が絶望に染まっていた。

 

その顔を見るたびに心がどんどん冷えていく。

なぜこんな樹海に子供がいるのか考えていた時、『助けて』という声を聞き、少女を抱えたブレイドホーネットを見つけた。

すかさず槍を伸ばしてブレイドホーネットの頭に投げ、少女を助けた。

無事を確認しホッとしたのも束の間、新たなブレイドホーネットが襲い掛かろうとしたのを見て、怒りがこみ上げてきた。

結果、そのブレイドホーネットを自分は怒りのまま惨殺した。

その行為が今までの自分とかけ離れていたものでコウマを苦しめる。

 

(そうだ……あの子は……)

 

助けた女の子は地面に座りながら、コウマを恐ろしい何かを見る目で見つめ震えていた。

その目を見てコウマは気付いた。顔の半分を隠す仮面をしていることと、自分の姿がブレイドホーネットの体液で汚れていること、自分より巨大な危険種を惨殺した存在であることは、少女にとって新しい恐怖であるだろう。

一歩近づくと少女がビクッと震えて、後退る。

その行動を見て、少し傷つきながらコウマは声を絞り出した。

 

「君を……驚かせて、怯えさせてすまない。きっと、この姿……これも警戒させている原因だろう。この恐ろしい危険種を倒した僕が怖いだろう」

 

コウマは自分の顔に付けられた仮面を外した。

少女が息を呑んだ。

 

「だけど……君を助けたいんだ。君と話がしたい」

 

慎重に言葉を選んで続けた。

 

「話してくれ。君の名前、なんでこの樹海にいるのかを教えてくれ」

 

コウマは少女に頭を下げた。

 

「お願いだ……。僕に、君を守らせてくれ」

 

頭を下げたまま、少しの時間が経つと……。

 

「……クロメ」

 

少女の声にコウマは頭を上げた。

 

「私の名前は……クロメ」

 

クロメの言葉に、コウマは固く拳を握りしめた。

彼女に投げかけた言葉が……祈りが届いたのだ。

 

 

 

ブレイドホーネットたちは樹海のあちこちから一匹で、二匹で、あるいは群れをなして、続々と集まっていた。カチカチ、シューシューとざわめきながら、『女王』の招集に今戦っているのを除いて本能的に応じてやってきたのだ。

 

ブレイドホーネットたちは津波となって、『女王』が住処としている巣に押し寄せ集まった。

群れは巣になだれ込んできて、騒々しく鳴き交わした。やがて、すべてのブレイドホーネットが動きを止め、『女王』の前にうやうやしく頭を下げた。彼らはそのまま長い間、鳴き声も発せずに、敬意をこめてじっとしていた。

 

『女王』は顎を鳴らして、きしるような声で長々と叫んだ。その声を聞いて、一匹のブレイドホーネットが前に出た。

そのまま大顎と爪を構えた『女王』はブレイドホーネットに襲い掛り、その肉に食らいつく。

襲われたブレイドホーネットは悲鳴を上げるが抵抗らしい行動はしない。まるで、その行動が正しいといわんばかりに。

 

『女王』はそのまま肉をすべて喰い終わると新たなブレイドホーネットが前に出た。

自らが生んだ子を母が食らうという光景は狂気を思わせる行動であるが、『女王』も『兵士』たちもこの意味を理解していた。

現在、自分たちを滅ぼそうとする脅威が接近していることを、繭となる人間や危険種が離れていることで『兵士』を増やしにくくなっていることを。

 

『兵士』たちは強い。

新たに誕生した『強化体』に比べれば劣るが、そこは数の力で補えばよい。だが、その戦い方も難しくなっている。自分たちを滅ぼしにきた脅威によって兄弟たちが急激に減少してしまった。

兄弟たちの死はブレイドホーネットと『女王』に危機と恐怖を覚えさせた。

『兵士』にとって女王は母であり、守らなければならない存在だ。自分たちの力では『女王』を守りきることは出来ない。

 

そこで『兵士』たちは禁断の方法を思いついた。

自らの身を『女王』に捧げて母を強くすればよい。

『兵士』である自分たちは強い切っ掛けがなければ進化をすることは出来ないが、特殊な環境の中で成長し、進化した『女王』ならば自分たちの血肉で更なる進化で、これからの先、生きていける可能性が大きい。

 

『兵士』たちの案をもちろん『女王』は拒否した。

例え『女王』の自分が死んでも子供たちが生きていれば、一匹が新たな女王となり種の復活を成し遂げてくれる。

だが、『女王』の意見は否定された。

相手は自分たちを逃がしてくれるほど甘くない。

全滅させられるのも時間の問題であると全員が気付いているのだ。

故に『女王』は子供である『兵士』たちの願いを聞き、その禁断の行動に出た。

母が子供の肉を喰い、血を飲む狂気の祭に『強化体』は参加していない。

『強化体』は時間稼ぎのために外に出ている。

自分たちより強力な危険種が現れたことで、その相手をしている。

『女王』は我が子の血に濡れたまま限界まで頭をそらし、顎をいっぱいに開いて、耳をつんざくような怒りと憤懣と絶望の恐るべき絶叫をあげた。

その叫びは洞窟中に響きわたった。

 

 

 

 

「ちょっとごめんよ。怪我を見るから」

 

「う、うん。……っ」

 

コウマはクロメに怪我がないか調べるために触診をしていた。もちろん、手袋と手甲はブレイドホーネットの体液でひどい状態になっていたので外してある。

足を強く捻っただけのようで、足に触れると顔を歪めたが、それ以上の目立った傷はなく、骨も無事だった。

 

そのことにホッとした時、耳にギューというやたらと可愛らしい音が響く。

一瞬、危険種の鳴き声かと想像したが、目の前のクロメが顔を真っ赤にしていたことで、クロメの腹の虫が鳴ったのだと理解した。

 

「……お腹が空いたのか?」

 

コウマの問いにクロメは真っ赤になった顔で首を縦にブンブンと振る。

その行動につい微笑ましい気分になり、懐のポケットを探ると板状の、木の葉に包まれた携帯食糧をとり出した。

 

「どうぞ」

 

包みから出すと、中から白い板が顔を覗かせた。

 

「見た目もおいしそうだろ?高機能食品ってやつで、食感はお菓子みたいなもんだよ。人間の体に必要な栄養がたっぷり入ってる。まぁ、一口食べてみなよ」

 

渡されたクロメは、携帯食糧とコウマの顔を交互に見て、携帯食糧を口にする。齧る前に、吸うように舐めた。

 

「……!」

 

携帯食糧の味に驚いたのか、目を大きく開いてそのまま齧りついた。一気に齧りついていたので、自分の指すらも食べてしまいそうな勢いだ。

 

「………!!」

 

するとクロメ再びカッと目を見開いて体を震わせる。

 

「それ自家製なんだ。大豆なんかを砕いたのを練乳で固めた簡単な物だけど……聞いちゃいないか」

 

コウマの説明を他所にしてクロメは携帯食糧を齧る。

携帯食糧を食べ終わるとクロメは物欲しそうな顔をして見つめてきた。

その姿につい笑みが出て、再び懐から携帯食糧を取り出した。

 

「まだあるよ」

 

クロメの黒い眼がこれ以上ないくらいに輝いた。

 

 

 

クロメがコウマの持つ携帯食糧を全て食べ終わるのに時間はかからなかった。

腹が満たされて満足気な息をつくクロメにコウマは自己紹介をする。

 

「さて、クロメ。僕の名前はコウマだ。とある危険種の親玉を倒すために家族とこの樹海に入ってきたんだ」

 

「うん!コウマはいい人!」

 

(……なんか動物に餌付けしたみたいだな)

 

笑顔で答えるクロメにそんな考えが浮かぶが、そのままクロメに質問した。

 

「クロメ、聞きたいことがあるんだ。なぜ君はこの樹海にいるんだ?それと、君以外の子供がこの樹海で多くいることについて知っていることを教えてくれないか?」

 

「……うん。それはね……」

 

クロメの口から答えが出た。

両親によって姉と一緒に帝国の組織に売られたこと、選定として装備というにはお粗末すぎる物でこの樹海を抜け出そうとした時、ブレイドホーネットによって離れ離れになってしまったことを。

話を聞き終える時にはコウマの心中は嵐のように荒れ狂っていた。

 

(そんな……!そんなことが……っ!!)

 

今の帝国の腐敗は父から聞かされたことがあるが、今、目の前で行われてる惨状を見たことで怒りが膨れ上がる。

だが、胸の怒りを鎮めてこれからの行動について考えた。

この先にはブレイドホーネットの『女王』がいるは確かであり、残った炸裂弾を使って巣ごと吹き飛ばすという策を使う予定だった

しかし、クロメという存在によって巣にたどり着くというのが難しくなった。単独で巣まで行くことはできるが、それではクロメをここで置いていってしまう。クロメを連れていくという考えは、今のコウマの実力では護衛をしながら戦うというのは至難だ。確実にクロメを守る方法としてサキやキバと合流するという案が浮かんだが、それではキバに任せた兵士狩りの放棄とサキに任されたことを捨てることになる。

 

(……けど、守るっていったんだ)

 

コウマのように『影』という特殊な一族から生まれて育ったのならともかく、普通の女の子のクロメにとってこの樹海にいることは生きている心地はないだろう。

サキたちと合流しようと立ち上がった時。

恐ろしい勢いで放たれた『何か』がコウマたちを襲った。

 

 

 

間一髪だった。

立ち上がった瞬間、直感で『動かないと死ぬ』と感じたコウマはクロメを抱えて勢いのまま下がった。急に抱きしめられて、跳んだためクロメが目を白黒させるが、構う暇などなかった。

さっきまでコウマたちがいた場所には先が剣を思わせる尻尾が地面に突き刺さっていた。

尻尾の持ち主をコウマは確認すると目を見開いた。

 

「ブレイドホーネット……いや、女王か!」

 

尻尾の持ち主の顔は蜂を思わせる形をしていたが、その首から下が今まで見たブレイドホーネットとは違っていた。

ブレイドホーネットを上回る巨体、人の頭を鷲掴みできる太い腕、肩や胸を覆う筋肉、尻尾の幅はコウマより太く、鋭い先端とギザギザを持っていた。

体全体の印象は太く優雅で、凶悪だった。この生物は信じられないほど、凶悪でブレイドホーネットに欠けていた力強さを持っており、それでいて速さと敏捷さを持ち合わせているように見えた。

毒霧のような吐息を漏らし、大顎をガチガチと鳴らす。

今まで見てきたブレイドホーネットとは違う姿に驚愕するが、すぐに頭を冷やして相手を冷静に分析する。

 

(相手はブレイドホーネットの上位種。身体が筋肉で覆われているから耐久力と腕力も上がっているな。尻尾も巨大化してるし、尻尾の縁がノコギリのようになってる。触れられたらアウトだな……)

 

だが、それでも構わない。元々、自分の戦い方は回避重視、相手の攻撃など当たらなければどうということはない。

不安要素は、今腕の中にいるクロメの存在と外していた手甲がブレイドホーネットの足元にあることだ。

 

「……クロメ、悪いけど少しの間だけ下がってくれる?」

 

「!」

 

コウマの声に震えていたクロメは涙のたまった目を向けるが、その目を見ることが出来なかった。

今、コウマが相手から目を外したらすぐに襲ってくるからだ。

 

「お願いだ、このままじゃ……守れない」

 

「……」

 

力強い言葉にクロメはこくりと頷くと、後退りしながら木の影に隠れた。

クロメが隠れるのを確認して、コウマが手裏剣を両手に素早く手にすると―――

 

「グギャァァァァァァァァァァァァァ!!!」

 

絶対に許せない敵に吠えるように、砲弾のようにブレイドホーネットは突撃を行った。

 

 



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第九話

爆発音を出して突撃してきた『女王』に驚きながら、コウマは両手の手裏剣を『女王』めがけて投げた。

回転する刃は『女王』の頭と喉を切り裂くと予想していたがその期待は裏切られた。

 

「なっ!」

 

『女王』はたくましい腕を盾にしてそのまま突っ込んできたのだ。手裏剣の頭を狙った物は飛び出ている刃の部分が食い込んだだけで、喉に放ったのは腕の外殻に弾かれてしまった。

防御を解いて、そのままの勢いで突っ込んできた『女王』を何とか避けると、『女王』はそのまま後の木に激突した。

樹齢十年は軽く超える木がメキメキと悲鳴を上げる。次にボリボリとその大顎で木を噛み砕く音が響かせながら、コウマの方へ振り向く。

 

「こいつは……ヤバい!」

 

『女王』の恐ろしさを感じ取ったコウマはすかさず牽制として残った手裏剣を投げた。そのまま背中に背負った槍と腰の残った切り札の炸裂弾に手を伸ばすが……。

 

「――――!!」

 

再び突撃してきた『女王』の動きに目を見開いた。

『女王』は突撃しながら横に尻尾を薙ぎ払ったのだ。

遠心力のついた勢いで放たれた太い尻尾は牽制として投げられた二枚の手裏剣を粉々に砕いて、そのまま先の部分がコウマに届こうとしていた。

 

「う……おおおぉぉぉ!!」

 

相手の予想外の行動に驚愕しながらもコウマはしゃがむことで尻尾を避けることに成功した。

だが、『女王』は突撃をやめようとせず、コウマを踏み砕くつもりで向かってきた。

しゃがんだ状態という不利な状況では満足に避けることが出来ないため、手に取った両端に刃を持つ伸縮機能付きの槍を地面に向かって伸ばし、その反動を合わして跳ぶことで突撃を避けることができた。

コウマがいた場所に刺さった槍は『女王』の走りによってへし折れてしまった。

 

(槍が邪魔をしてそのまま転んでくれれば良かったのに!!)

 

槍の妨害で転ぶことを期待していたが、『女王』の突撃は遅くなることはなかった。

思考を巡らせながら弾かれて地面に落ちていた手裏剣を拾う。

 

(突撃が速すぎる!炸裂弾を投げようとした時にはこっちはもう轢かれてる!どうにかして隙を作らないと……)

 

コウマの現在の距離は『女王』に炸裂弾をギリギリ投げられる所まで下がっている。だが、『女王』まで炸裂弾を投げるには大きく振りかぶらなければならない。炸裂弾を掴んだ瞬間には相手の攻撃が始まっており、回避に専念しなければならなくなる。

 

(……それなら)

 

コウマは背中に背負った小太刀と手に持った槍を腰に引っかけると振り向きと同時に放たれた『女王』の巨大な尻尾が見えた。

その尻尾は目標を叩くものではなく、切り裂くものへと進化している。

 

(……来るか!!)

 

コウマは走った。

加速しながら身を低く、尻尾の下を潜ったのだ。

恐ろしい速さで尻尾が頭上を過ぎるが更なる加速をつけて『女王』に接近する。

『女王』がこちらに体を向けた時にはコウマは懐に入り込むと、そのまま両の腕を振って、その動作で上着を『女王』の顔に投げ捨てた。

上着が抱きしめるように顔に巻き付いて視界を防がれたことにより、腕を振り回すがお構いなしにコウマはその大きく開いた足の間を潜り抜けた。

 

(ただの時間稼ぎだ……!)

 

上着を剥ぎ取る前に、コウマは『女王』の左足に槍を突き込んだ。分厚い筋肉を貫いて血が噴水のように噴き出してコウマにかかる。

それでも槍は放そうとしなかった。むしろ、いっそう深く傷口にねじ込んだ。

前の『女王』を倒すための策を応用して使ったのだ。

暴れている以上頭に狙いをつけるのは難しい。

 

「このまま一気に……!」

 

槍を貫通させよう力を込めるが、視界に何かが映る。

 

「あ……」

 

顔を防がれた『女王』が痛みを感じ暴れたことによる腕と認識した時には遅かった。

横からによる打撃でコウマの小さな体は吹き飛ばされた。

 

 

 

「ひっ!」

 

隠れて戦いを見ていたクロメはコウマが吹き飛ばされたのを見て小さな悲鳴を上げた。

コウマと危険種の戦いは見ているだけで、クロメの精神をすり減らしている。

コウマの戦いは一言でいうとギリギリであり、見ていて安心感を抱くことが出来ないものなのである。相手の一撃必殺といえる攻撃をかわし続けるのは見ている側にも、精神的疲労を与えるものだ。

 

そんなクロメの視線は吹き飛ばされ、ピクリともしないコウマと顔に掛かった上着を破り捨て、槍を刺したまま足を引きずりコウマに近づく危険種に向けられてる。

コウマは動かない。

危険種が尻尾の届く範囲まで近づけば、コウマは串刺しにされる。

 

今、自分が動けば助けられるかもしれない。

動くしかない。

だけど、動けなかった。

恐怖で足が震えている。今までもずっと、怖いことに襲われると動けなくなる。

クロメは考えた。何か、いい方法がないのかを。自分を救ってくれた彼を助ける方法を必死に考えた。

 

(ダメっ!)

 

思い浮かばない。自分の無能さを知って苦しむ中、視線の先に動きがあった。

倒れているコウマの指がピクッっと動いたのだ。

 

(生きてる……!)

 

クロメの顔に喜びが生まれる。だが、その喜びも近づいてくる危険種によってかき消される。

 

(あ……)

 

倒れたコウマは手で何かを探していた。

クロメはコウマの動きを見て、理解した。

まだ戦おうとしている。

生きるためにまだ戦おうとしていると、そう思った。

その時、危険種がかすかに体を震わせた。何かをしようとしている。それが尻尾を動かす動作か、それとも別の動作かは判断が出来なかった。

 

「だ、ダメだよ……!」

 

口から悲鳴にも似た声が漏れつつも、動くことが出来なかった。見れば、足だけでなく腕も震えていた。どうしようもないほどに。

 

「立って!コウマ!!」

 

叫びと共に、目から涙がこぼれる

その涙がどんな意味を持っているのかはクロメには分からない。

直後、コウマに向かって尻尾が放たれた。

 

 

 

 

あれからどれだけ経ったのか……コウマはよくわからなかった。

一瞬、一瞬だけコウマの意識は打撃をうけた時、消えていた。

空はまだ青いので、そんなに時間が経っていないのははっきりとしていた。

今、この場所には時間の経過を教えてくれるものはなにもない。

意識がぼんやりと回復した時には地面に寝転がっており、体も最初は動かなかった。

すると、体に痛みを感じた。

何でどうして痛いのか、一体どうしてこんな苦しいと感じているのかそういった理由すらも最初は分からなかった。

じわじわとじわじわと痛みが体中を駆け巡ると自分はまだ生きていると分かった。

腹に力を入れて呼吸をすると痛みと共に体の感覚も戻ってきた。

 

(そうか……僕、あいつに殴られて……)

 

指に力を込めるとピクリと反応があった。

そのまま痛みを感じる脇腹に指を触れさせる。

触れると脇腹からより一層の激痛が走った。

 

(骨に異常はないな……。どうやらあいつの一撃の直撃だけは避けられたらしい……)

 

元々、不利な体勢から放たれて、偶然当たった一撃である。強い踏み込みを入れた一撃であればコウマの腹はぶち抜かれているだろう。

指を動かして武器を掴もうとするが、力が入らなくなってきた。

吹き飛ばされた衝撃で頭の中がまだぼんやりとしていたのだ。

 

(痛いな……苦しいな……どうしてこんなことしてたんだっけ?)

 

コウマの頭に過去の記憶が流れてくる。

父親のタイガからシナモ村に行けと頼まれてサキとキバと一緒に向かったこと。そこで村の人たちを救うためにブレイドホーネットを退治したこと。ブレイドホーネットの死骸を追ってこの樹海に入ったこと。それから……。

 

(ああ、考えるのも億劫になってきたな……。なんかもう疲れたし……)

 

この樹海ではコウマを苦しませることが多すぎた。

ブレイドホーネットの連戦の疲労、ブレイドホーネットによって殺された子供たちの亡骸、そして体に響いている痛み。

これらが重なり、幼いコウマの精神の臨界に達してしまった。

ズズズと何かを引きずる音が聞こえてくる。

それは『女王』が近づいてくる音だった。槍で片足を貫かれながらも、コウマに止めを指そうと近づいてくる。

 

(ああ、そっか。僕はお前からしたら子供たちの仇だっけ?)

 

そんなことをまだはっきりとしない頭で考える。

こいつのことはサキとキバに任せよう。サキでは倒すのに少し厳しいかもしれないが、超級危険種のキバなら手負いの『女王』を倒すことができるだろう。

 

(さぁ、殺れ。それで気が済むなら、そうすればいい。お前たちの相手はもう御免なんだ)

 

コウマがそう考えていると耳にはっきりと……聞き覚えのある人の声が届いた。

 

「立って!コウマ!!」

 

声の主がクロメであることがわかった。

 

(クロメ……そうだ。この樹海で……僕が……唯一、助けることができた……女の子だ。守ると……約束した子だ!)

 

頭の中でカチリという音が入るのが聞こえた。

頭から熱が生まれる。その熱が体の痛みを塗りつぶし、力に変わっていく。

 

(なにを……なにをしてるんだ!俺は!!)

 

 

 

熱で覚めた意識を働かして、コウマの身体が地を蹴って跳ねる。

発射された尻尾は、コウマに当たらず地面に深々と突き刺さった。

地面に着地してすると脇腹に激痛が走る。だが、その痛みは熱とともに体を動かすための燃料になっている。

距離をとったコウマは熱を持った体と冷えた心で冷静に相手を見据えていた。

 

「いいか、『女王』。俺はあんたを……苦しませて……殺す」

 

コウマを知る者がこの場所にいたら我が耳を疑うだろう。今のコウマの声は今までにない程、冷え切っていた。

明確な殺意を持った目で腰の小太刀を抜き払う。

敵対するもの急激な変化。『女王』もそのことに本能で気が付いたのだろう。

戸惑いを持ちながらも尻尾を発射させた『女王』は危険種の王といえた。

巨大化した尻尾は空気を切り裂いて矢となり、コウマを襲う。

 

クロメは目を瞑り、『女王』は笑った。

風を浴びただけで吹き飛ばされ、直撃でもすればコウマの腹から上は原型を留めない。人に対して過剰といえる威力を持った尾はコウマの身体を、一撃の元に砕くだろう。

そう信じて疑わなかっただけに、自身の尾が空振りに終わった現実に、『女王』は簡単に受け入れることは出来なかった。尻尾がコウマに当たる直前、小太刀が光ったように見えた時には尻尾は外れていたのだ。

 

再び尻尾を振り、追い打ちを掛ける『女王』。持っている小太刀ごと身体を木端微塵にするために発射する。

そう意気込んだ技が、またもあらぬ方向に逸れていく。コウマの小太刀に触れた途端に、流されるように逸らされていく。

 

「グギャァッ!!」

 

怒りの声を叫びつつも、休まずに『女王』は尻尾を振るった。左右から縦横から様々な軌道に変えて尻尾を連続して放った。

コウマは動かない。ただ小太刀を振るって向かってくる尻尾を受け流していく。そのたびに『女王』の攻撃は、見当違いの方向へと導かれていき不発に終わる。

 

『女王』は追い詰められていた。我が子の血肉を喰らい鍛え上げた最強の武器が、まるで意のままにならない。相手は子供、それも武器は自分の腕の長さ以下の短い刃だ。だが、刃が振るわれて光を放つと強い衝撃を受けたわけでもないのに、まるでそれが正しいといわんばかりに逸れていく。

弾き返しているわけではない、絡めとるようにと、神技といえる技を使っているコウマはただ『女王』を分析していた。

 

(もうすぐビビるな……)

 

向かってくる刃、黒々と煌く金属の光沢のような尻尾を目で見ながら、横に釣る。小太刀を介して、尻尾が通り過ぎる感触が襲い掛かってくる。

少しでも力を抜けば小太刀ごと身体を切り裂かんとする驚異的な一撃だ。

死んでもおかしくないそれを見て、感じて、凌ぐ。

シナモ村で倒したブレイドホーネットと戦った時は、手甲の爪を回転させて威力を減退し受け流したが、今、手甲はない。

 

本来、コウマの獲物は手甲と装備された爪である。様々な武器に触り、一通りの使い方を学んだ後、両手を空けるという利点で手甲を選んだ。

長年、手甲による戦い方を訓練した結果、回転させ攻撃を受け流すという技術を身につけた。

コウマは小太刀も使うことができる。だが、最低限の技量しか身につけておらず、こんな技ができるほど経験はない。

そんな技を行えるのは、コウマに起こっている異常が原因だった。

 

(あつい――咽が乾く、髪が燃える、肉が炙る、血が沸騰する……)

 

間近に炎があるわけでもないのに。だが、コウマは確かに身体に感じる熱を味わい続けていた。

暑い。いや、熱い―――。

しかし、そんな熱さを感じながらも、コウマの意識ははっきりとしていた。

 

(だが、この感覚はなんだ?)

 

五感が鋭くなったという問題ではない。

コウマの感覚が広がっていく。それによって、襲い掛かってくる尻尾がゆっくりと感じられたのだ。

これがおかしいと感じていたが、身体の奥底から湧き上がってくる熱は違和感を塗り潰してしまう。

襲ってくる尻尾に小太刀を絡めて、引っ張る。敵の攻撃にこちらからも勢いを加えるように。

尻尾がよりいっそう速度を増していくが、そのたびに小太刀によって力が加わり、結果、コウマを逸れて大きく外れていく羽目になる。『女王』が、焦っていることが動きから理解できる。

怒涛の猛攻に襲われながらもコウマの小太刀は、いっそう軽く、速く、柔軟に攻撃をこともなげに捌き続ける。

 

(ここだ……)

 

攻防に変化が訪れる。

ただ一つの風切音。鋭く速いそれが繰り出された尻尾に触れた時、断じて小太刀が尻尾に弾かれる音ではなかった。

『女王』の尻尾が視界の外へと飛び去った。まるで尻尾そのものが『女王』の身体を見捨てたかのように。

斬り飛ばされた尻尾が勢いのまま、巨大な矢となり木を破壊する。

刀術に自信がある方ではない。だが、時間を掛けて、感覚の広がりをさらに拡大させた今なら斬ることができる確信があった。

 

『女王』は放心した様子で、木に突き刺さった尻尾と切断された部分を交互に見ていた。突き刺さった木を貫通している尻尾はあれほど硬く、力強く、しなやかで、復讐をするために犠牲の上に作られたもの。

あの尻尾で我が子の仇をとり、喰っていった『兵士』たちの無念を晴らすための必殺の武器だったはずなのに……。

 

キンという軽い音が響く。

『女王』が精神を追い詰められている間にコウマは小太刀を鞘に収めて、軽い足取りで近づいている。

近づくコウマに警戒して身体を傾け前傾姿勢になる。片足に槍が今も刺さっているので、走ることは出来ないが、この巨体で体当たりすれば、バラバラにすることはできるだろう。

それを確認したコウマは歩くのをやめる。

身体の熱は残っており、腰に装備されたナイフを二本取り出す。

 

「行くぞ、正面からだ。あんたのプライドを砕いてやる」

 

言うなり、コウマは地面を蹴って走り出した。

宣言通りに正面。

今までより速く動けるが、まだこちらの獲物が届く距離ではない。

だが、『女王』は前傾姿勢を取りつつ、左腕を振り上げた。見るからにコウマを薙ぎ払うつもりだ。

走るコウマは手に持っているナイフの内一つを投擲した。

近距離から投げられたナイフの速さは高速。

狙いは『女王』の眉間。だが、『女王』は振りかぶった左腕を使い、ナイフを叩き落とした。

下ろした左腕には最初に投げた手裏剣が今も食い込んでおり、コウマは食い込んだ手裏剣ナイフで力強く押し込んだ。

力を入れられた手裏剣がさらに深く筋肉を切り裂いていく。結果、左腕は切り落とされ、勢いよく体液が噴き出る。

左の脇ががら空きになったことで、そこにコウマは飛び込む。

すぐ横には左足に突き刺さったままの槍が残っている。槍に回し蹴りを繰り出し、杭となった槍が左足を貫通し、地面に突き刺さる。

 

「――――――ッッッ!!!」

 

『女王』が激痛で叫ぶ。倒れると槍によってさらに筋肉がズタズタにされ、地面にのたうち回った。

『女王』は追い詰められていた。走ったコウマが通り過ぎた時には、左足と左腕を破壊された。武器を使ったとはいえ、人間の子供に屈強な腕と脚があっという間に砕かれる。それは『女王』にとって信じられないことだろう。

『女王』が前を見た時には、先ほどと同じような距離にコウマがいた。

その手は、腰の納刀した小太刀の鞘と最後の手裏剣、そして、腕には先ほど回収した手甲があった。

 

「――――――ッッ!!!」

 

再び『女王』が叫ぶ。今度は痛みによる叫びではなく、怒りの色と恐怖の色を含んでいた。

コウマが走るとその動きに恐怖しながら、『女王』は残った腕を振り上げる。今度は確実にコウマを叩き潰すために。

手裏剣が投げられる。だが、それは地面との間がギリギリだった。そのまま手裏剣が『女王』の右足首を切り裂く。

足首を斬られたことで体勢を崩した『女王』の前には、すでにコウマがいた。

走りながらコウマは素早く小太刀の柄に手をかける。

空を斬る音が一度した。

抜刀された小太刀が折られると共に『女王』の右手首を切断する。

四肢を全て破壊され倒れる『女王』の目に液体が入った入れ物が映り、入れ物が倒れた『女王』の体重で潰れる。

 

「グギャァァァァァァァァァァァァァ!!!」

 

『女王』の胸のあたりで激痛が燃え広がる。液体は強固な自分の身体を溶かしていくのだ。

生きながら溶けていくという、本来なら決して味わうことのない激痛が『女王』の胸に拡がっていく。

達磨にされ胸を痛みで蹂躙される『女王』の背を靴底で踏み押さえる脚がある。コウマだ。『女王』を苦しめる、プライドを砕くといったことを実行した死神がいる。

その左の拳が、『女王』の後頭部に押し当てられる。冷たいその感触は、もはや人肌の温度さえも感じず、『女王』にとって振るわれた刃も同然だった。

深く、静かなコウマの呼吸が聞こえる。

『女王』は気付いた。自分はこれを知っている。まだ、自分が母である先代の『女王』と同じ殺され方をされようとしていることを遺伝子で思い出した。

体液をまき散らす腕や尻尾を動かすことも叶わない。その素振りを見せただけで、『女王』の命は消える。

 

「死ね」

 

コウマの声はまるで殺す相手を生物として認識していないような声色だった。

手甲から爪が伸びる。頭を貫かれて奇妙な物体になった『女王』を見下ろすコウマにはもはや何の感慨もなかった。

 

 

 



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第十話

更新に間が空いて申し訳ありません。
今回の話で一端区切りですが、風邪を引きながら書いたので雑になっているかもしれません。
では、どうぞ。


終わった。

 

「ハァ、ハァ、ハァ、ッ―――!」

 

コウマが顔に手をやると、自分の顔が汗だくであると意識した時、急激な疲労感が襲ってきた。

これまで高まっていた緊張感が一気に低下すると、自分がどれだけ体力を消耗していたかよく判る。できるだけ長く、命を燃やすように深く、吸い込むように大きく深呼吸を行う。

身体を包む灼熱の感覚が治まると広がっていた感覚も元に戻り始める。

 

「っ――」

 

感覚が通常の状態に戻った時、思わず脇腹を押さえる。そこでようやく自分が脇腹を殴られていたことを思い出した。

殴られた一撃が、響いている。

痛みと疲労でこのまま倒れてしまいたくなるが、再び深呼吸をして残っている気力を振り絞り、隠れているクロメを探す。

クロメはいた。木で身体を隠してこちらを見ていた。

 

(また怖がらせてしまったかな……)

 

そんなことを思いながら、彼女を安心させるため考える。

痛みで歪みそうになるが我慢して、顔を出来る限りの笑みの形にする。そのまま右の親指を上げて見せた。

クロメの不安そうな顔が明るくなり、こちらに走ってきてくれた。

 

 

 

 

 

コウマとクロメが一息つく場所に選んだのは、『女王』によって切断された木の根元だった。

コウマは、クロメに身体を支えてもらってそこに辿り着く。

 

「もうすぐしたら、俺の仲間がくると思う……。だから、ここで待ってよう」

 

その一言を聞き、クロメはコクリと頷く。

脇腹の痛みがまだあるが、手で押さえて我慢する。

するとクロメがこちらを見ていた。

 

「大丈夫?」

「ああ……まぁ、大丈夫。こんなの父さんとの訓練で慣れっこだよ」

 

うん、と頷くクロメを見て気付いた。彼女の身体が僅かに震えているのを。

クロメはそのまま膝を抱えて、小さな声で呟いた。

 

「よかったぁ……」

「……泣いているのか?」

 

膝を抱える力が強くなる。まるで自分自身を小さくしているように見えた。

 

「あんな風に飛ばされるから……最初、死んじゃったかと思った」

 

『女王』の攻撃を受けた時、コウマは落下の衝撃と地面を擦った結果、ギリギリギリと身体の外と内、両方に響き渡る痛みを与えた。クロメからすればその痛みで死んでもおかしくないと思ったのだ。

未知の場所は人を不安にさせる。それは人が捨てることのできない本能的な恐怖だ。

そんな場所にコウマを失い、一人になってしまえばクロメの心は潰れていただろう。

コウマはどうしていいかわからず、抱きしめるべきか、あるいは頭を撫でるべきかと考えるが、経験の少なさゆえ気の利いた行動にでることができなかったので、言葉による励ましを選んだ。

 

「大丈夫、大丈夫だよ。ほら、こうして生きているし、悪い危険種もやっつけた。もう大丈夫なんだよ」

「本当に?」

「うん、本当だよ」

 

コウマの言葉をようやく受け止めることができたのか、笑みの表情を作ると目を伏せた。

それに、コウマは僅かな焦りを得るが小さな寝息を立てていることに気付いた。

眠っている。そう思い、一瞬なんて物騒なことを考えた自分を戒める。

空いている手でクロメの頭を撫でる。

 

「ありがとう……君のおかげで俺は助かった」

 

あの時、コウマは生きることを放棄していた。だが、そのコウマは正気に戻してくれたのはクロメのおかげだ。

 

(ありがとう……君は正しいことをしたんだよ)

 

心の中でもう一度、礼をいう。

安堵の寝顔を見たときだ。土を踏む足音が聞こえる。

森の闇の中から、一人の少女と巨大なオオカミが姿を現した―――。

 

「やっと来たか……、サキ、キバ」

「お待たせして申し訳ありません……、コウマ様」

「ウォン!」

 

汚れボロボロの着物に身を包んだサキと毛が大きく乱れているキバだ。

 

「なら……この悪夢のような出来事を終わらせよう……」

 

コウマはここでようやく安堵の笑いを浮かべることができた。

きっと、サキとキバがやってくると信じていた。

そこには、家族として育ったからこそ感じることのできる絆があった―――。

 

 

 

 

 

空の色はすでに青から橙へ。

『女王』の死骸に火をつけ完全に燃えるまでに時間がかかった。

キバの上に乗り、ブレイドホーネットの巣に向かう。

体毛のせいでそのまま眠りたい衝動にコウマは襲われるが、腕をつねることで目を覚ます。

後ろには眠っているクロメと周りを警戒しているサキがいる。

 

「大丈夫か、サキ?疲れていたら言ってよ?眠っても大丈夫だからな」

「大丈夫です。それに……今、眠ったらそのまま死んでしまいそうで嫌なんです」

「そんなの物語の中だけだよ」

 

苦笑すると、サキも苦笑した。視線をクロメに移して、

 

(こんな女の子を樹海に放り込むなんて帝都はいったいどうなっているんでしょう)

 

コウマから聞いた事情をクロメの髪を軽く撫でながら思う。

自分たちのような特殊な環境で育った子供ではなく、七歳ほどのどこにでもいる女の子だ。

そんな子が危険種が生息する樹海で生きていることは奇跡といえよう。

 

(なんだか、似てますね……)

 

思い出すのは、四年前の金剛餓狼の襲撃。

あの頃の自分も危険種に襲われた時、コウマの手によって助けられた。あの場所に何故いたのかコウマに聞いた時、野次馬のようなものと言われて驚いた。

運が良かった、それだけだ。

けど、それでもいい。

自分の命を救ってくれたのはコウマなのだ。その結果は変わらない。

助けてくれたコウマを助けてあげたい、それがサキを動かす原動力だ。

 

(そういえば、抱きしめてくれたのはあの時だけですね……)

 

コウマと共に暮らしているが、抱きしめられたのはあの時が最後だ。

抱きしめられた時のことを思い出すと心が温かくなり、つい笑みがでてしまった。

 

「……なにか面白いことがあったのか?」

「あ、いえ……この子、よく頑張ったなと」

 

コウマの疑問を適当に返す。

笑みを見られたことが急に恥ずかしくなり、顔が熱くなった時、キバの足が止まる。目的地についたようだ。

 

 

 

 

 

キバとサキを入り口に待たせ、巣の中に進んでいく。

巣にされた洞窟の通路はブレイドホーネットの変質した粘着体液が壁を覆い、巨大生物の内臓のように緩やかな襞を作っている。

コウマは両手の手甲から爪を伸ばして、巣に踏み込んでいく。

悪臭に顔を歪めながら、『女王』がいたであろう間に辿り着いた。

地獄絵図。

広間の光景を見ての感想だった。

壁にはブレイドホーネットに寄生されたであろう少年少女たちの死体があっちこっちにあった。死体の胸は外側に弾けたように開き、悪趣味な装飾のようにぶら下がっていた。床には、ブレイドホーネットの死体の残骸。剣で斬られたとも貫かれた姿ではなく、全て噛み砕かれたような状態だった。

 

「う、うおおおおおっっっ!!」

 

コウマは無念の叫びを腹の底から吐き出した。

ブレイドホーネットに対する怒り、子供たちを樹海に放り込んだ帝都の人間に対する怒り、自分の無力に対する怒りが心中をかき回す。

コウマは感情のままに残った炸裂弾を投げ、そのまま出口へと走った。

爆発によって、少年少女たちの死体もブレイドホーネットの死骸も吹き飛び、衝撃によって洞窟も崩れていった。

 

(こんな形で……本当にすまない……)

 

目じりから涙を流しながら、少年は、ひたすら走る。

 

 

 

 

 

夜の樹海の中に影が座り込んでいる。

巨大なオオカミを枕にして肩から外套を羽織り、尻の下、腿にも外套を掛けているコウマたちだ。

外套は子供たちが持っていたであろう物で、キバが持ってきてくれた。死者の遺物を使うことに抵抗感はあったが、この状況で四の五のいう余裕はなかった。

今、明日の早朝の出立に控えて休息を取っていた。

サキとクロメの小さな寝息が聞こえる中、コウマだけが起きていた。

周りを警戒しているわけではない。

危機感知能力は人間のコウマたちより、危険種のキバの方が高い。その能力は眠っていても健在であり、敵が近づいてくればすぐに知らせてくれるだろう。

だが、眠れない。その理由は……

 

(……あの感覚と熱)

 

『女王』との戦い。

炎のように途方も無い熱さが身体の中を駆け巡って、出来るはずもないことを実行しようとした。

しかし身体を動かした感触でその身ができると嫌でも理解できた。

自分の筈なのに自分ではないような感覚だった。

小太刀を強く握り締める。妖刀の類でもない、里で作られた小太刀だ。

 

「…………」

 

分からない。

考える頭と身体も、疲労によって、上手く働いてくれない。

いや、それは皆も同じだ。サキも疲労が溜まっていたのだろう。

 

(……特にサキがな)

 

崩れる洞窟から撤退した後、コウマの無事な様子に笑顔を作りながら大きく手を振って迎えてくれた。

だが、この樹海で休息をとるといった後、すぐに寝てしまった。

『女王』との戦いで乱入者が現れなかったのは彼女の活躍が大きいだろう。彼女には感謝してもしきれない。

自分との間に眠り続けているクロメを挟んでサキの顔を見る

無意識にサキの頭に手を乗せ、黙って頭を撫でた。何も言わない代わりに、今の気持ちを込めるように何度も撫でる。

何度も何度も、何度でも。

 

「ん……むぅ……」

 

クロメとはまた違った髪の感触がコウマの手を通り抜け、指が触れるたびにサキから嬉しそうな声が出る。

 

(……なんか癖になりそう)

 

奇妙なことを考えながら、もちろん手はなでりなでりとサキの頭を撫で続ける。

 

(本当に……ありがとう)

 

そこで急速に思考が鈍り、意識が切れていくのを自覚する。

肉体的にも、精神的にも疲労していたコウマは、そのまま考える事を止めると眠りへと落ちていった

 

 

 

 

 

起きたクロメが最初に感じたのは空腹だった。

日の光も、時間も関係なく、腹が寂しくなり起きたのだ。

空は寝ている間に黒に白が混じったくらいの明るさで、まだ小さな星がいくつもチカチカと光っている。

体温を感じて左右を見るとコウマと似たような格好をした少女が眠っている。

心強い存在が側にいてくれているので、ホッと安心し、頭を『枕』に預ける。

 

「……え?」

 

自分が寝ているであろう『枕』はフカフカで心地もよいといえるものであったが、異常を感じた。

睡魔から目覚めた頭が『枕』の持つはずでない温かさを感じる。しかも、『枕』はゆっくりと上下に動いている。

恐る恐る顔を向けると『枕』の正体―――巨大なオオカミであることに気付き、目を合わせてしまったクロメは気絶という形で再び眠りに落ちた。

 

 

 

 

 

「……行ってしまったか」

 

と、朝、コウマは地面に触れてそう呟いた。

場所は樹海を抜け出したところにある広場だ。

 

「かなりの人がここに滞在していたことは、隠しきれないからな」

 

一見、何の変哲もない場所だが、地面には僅かながら窪みがいくつか存在しており、この場所でテントを張っていたことがわかる。

しかし、すでに撤退をして離れてしまっていた。

思わず舌打ちをしてしまう。

こんな非道なことをした人間の顔を見て起きたかったが、逃げられてしまったものはしょうがない。

 

「コウマ様~!」

 

キバの背に乗ったサキがこちらにやってきた。後にはクロメがしがみついている。

 

「どう?クロメのお姉ちゃんは見つかったか?」

「いいえ。見つかりませんでした。死体も……」

 

サキとキバはクロメの姉を探すために樹海に残ってもらった。クロメの身体に残る匂いをキバが辿れば、見つかるかもしれなかったからだ。

最悪の場合、死体で見つかった時はクロメにそれが本物か確かめさせるために同行させた。

……キバに嗅がれる際と乗っている時にはガチガチに震えていたが。

 

「となると、帝国の奴らと一緒にこの場を離れたってことか……」

「お姉ちゃん……」

 

コウマの結論にクロメが涙目になる。

その姿を見て心を痛める二人はこれからのことを話し合う。

 

「コウマ様、クロメちゃんを里に連れていきませんか?」

「…………」

「あの子、もう天涯孤独の身です。帝都に戻すなんてもっともです。アサカさんの村に預けるのもまずいと思いますし……」

「わかってるよ……」

 

クロメのそばでしゃがんで視線を合わせ、手を差し出す。

 

「クロメ……俺たちと一緒に来ないかい?」

 

子供のクロメが無事に生きていくのはそれしか方法がない。

クロメはコウマの手をじっと見る。

 

「……お姉ちゃんをいつか一緒に探してくれる?」

 

クロメの小さいながらも、思いがこもった声が響く。

その声にコウマは―――

 

「ああ、必ずだ。必ず、君のお姉ちゃんを探してやる」

 

絶対の思いを込めて返した。

その言葉にクロメは顔に笑みを得ると、コウマの手を握り返した。

その握り合った手重なる手。

 

「私も手伝います!」

 

サキの言葉でクロメの手の力が強くなる。

 

「よろしく……お願いします!!」

 

少女の大きな声が強く響いた。

 



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第十一話

ログインユーザーでなくとも感想を書けるようにしました!

オリジナルストーリーを進むアニメ版、一体最後はどうなるのでしょう……


コウマは里の実家の道場で座を組んでいた。

目を閉じて、感覚を背後に叩きつけるようにして飛ばす。

その背中を庭に座っている金剛餓狼の三兄弟、コウが尻尾をブンブンと振ってじっと見ていた。しばらくすると、器用に後足で立ち上がり、隣の樹木の葉にフッと強く短い息を吹き付ける。

コウマはカッと目を開いて叫ぶ。

 

「一枚!」

 

背後を振り返り、庭に立っている樹木から落ちる葉を見る。

落ちてくる葉は―――二枚。

ひらひらと舞う葉が地面に落ちていくのを見てコウマはがばっと頭を上げた。

 

「こんなの……できるわけないよ―――っ!!」

「アオ――――――ン!」

 

コウマの叫びと共にコウが面白そうに天に向かって吠えた。

 

 

 

 

 

キバの背に乗り、カルラの里に帰ったら、里のみんなが驚いて自分たちに怪我がないか確かめてきたのだ。すると、屋敷から母親のマイが走ってきて、サキと一緒に泣きながら抱きしめられた。

本来ならブレイドホーネット一体を退治して次の日帰ってくるはずだったのに、時間がかかり過ぎていたのを心配していたようだ。

おまけに先日、アサカから、『子供たちが退治したブレイドホーネットの死骸が何者かに奪われた。コウマたちは相手の馬車を追いかけていき、まだ帰ってこない。そちらに帰ってきてないか?』と手紙が来ていたためマイの不安を強める結果になった。

後から、自分たちを探すため完全武装したタイガに頭を思い切り撫でられ、無事に帰ってきた実感が湧いて、思わずサキと一緒に泣いてしまったほどだ。

その姿を目を白黒して見ていたクロメも印象的だった。

 

 

 

 

 

屋敷に集まり、今まで起きたことを両親に説明した。

キバで馬車を追ったこと、馬車が新たに生まれたブレイドホーネットによって全滅させられたこと、ジフノラ樹海で帝国の軍人が子供たちを放り出したこと、子供たちを使ってブレイドホーネットが増殖したこと、最後にクロメのことを。

コウマの話を聞いたタイガとマイは、まず驚愕し、子供たちのことを聞くと怒りに耐えるかのように拳を握りしめた。

 

「そこまでのことになってたとはな……。本当なら無茶なことはするな!って怒鳴りたいんだが……よく頑張ったな。マイ、サキとクロメちゃんを風呂に入れてやってくれ。激しい仕事の後は風呂が一番だ。」

「わかりました。サキ、クロメちゃん。お風呂の用意をするから一緒に来なさい」

「はい!クロメ、一緒に行こ」

「う、うん……」

 

マイの後をサキと手を繋いだクロメがついていく。

部屋にはコウマとタイガだけが残った。

 

「さて、コウマ。今回のことはよくやったって褒めてやる」

「は、はい」

 

タイガの雰囲気が固くなるのを感じて、姿勢を正す。

 

「だが、お前に聞いておきたいことがある」

「……クロメのこと?」

「違う。あの子と約束したんだろ?別れちまった姉と再会させるって。それについては俺も情報網を使って協力してやるから安心しな」

「そう、よかった……」

 

ホッと息をつく。クロメの件についてが一番不安だった分、父が協力してくれるのはとても心強い。

 

「で……何があったんだ?」

「え……?」

「お前……なんかピリピリしてるぞ」

 

コウマにはタイガの言っていることがよくわからなかった。ピリピリしていると言われても自分には異常といえるものは感じてないのだ。強いていうなら―――

 

「あ、俺って呼び方?」

「違うわ、アホ。十一になる男が俺って呼んでも不思議じゃねえよ」

「アホって……。じゃあ……なに?」

「なんて言うか……。まぁ、今からお前に殺気を飛ばすから堪えてみろ」

「う、うん」

 

暗殺家業から手を引いたとはいえ父は現『影』の当主。思わず身構える。

 

「――――――」

 

タイガから強烈な殺気が放たれる。すると―――

 

「……ッッッ!!!」

 

正座していたコウマは飛び上がり、勢いよく外に飛び出した。そのまま地面の石をいくつか拾い、タイガに目掛けて投げつけた。

飛んできた石に対してタイガは腕を一回振っただけだ。ハエを追い払うぐらいの軽い動作で、腕が振られると石は一瞬で全て消える。再び、手を振るうと先ほどとは比べものにならない速さで投げられた石がコウマに向かっていく。

帰ってきた石を避けることができず、コウマの身体―――急所の部分に的確に当たっていく。最後にタイガは一つだけ残しておいた石を親指で弾いて痛みで怯んでいるコウマの額に直撃する。

 

「ぎゃふっ!」

 

最後の一撃を受け、可愛らしい悲鳴を上げてコウマは倒れた。

 

 

 

 

 

 

「俺は堪えろよって言ったはずだが、なんで動いた?不意打ちに殺気を叩きつけられたら、動くのは分かるがな。それに、ここから庭までの距離を跳ぶなんてまだお前には出来ないはずだぞ」

 

自分で痛む額を撫でているとタイガが問う。

正直に言ってもコウマにも分からなかった。殺気が来ると分かっていたので構えていたら、感じた途端に身体が動いており、そのまま反撃をしてしまった。反射として跳ぶのならばともかく反撃するのはおかしい。

改めて庭までの距離を見ると確かにあそこまでの距離を跳べるとは思えなかった。

自分でもよくわからない行動にコウマは首を傾げるが、心当たりが一つあることを思い出した。

ブレイドホーネットの『女王』と戦った時の不思議な感覚だ。

あの身体が燃えるような熱さと異常に広がっていく感覚。あれは死にかけた際に出た火事場の馬鹿力のようなものと考えたが、それしか想像がつかない。

タイガから目線を外して膝の上の固く拳を作っている手を見つめる。

 

「何があったのか話してくれ。どんな些細なことでいい」

 

その言葉にコウマも覚悟を決める。顔を上げて、タイガを見た。

 

「父さん、お願いがあるんだ。これから俺が話すことは事実として受け止めてほしい。そして、知っていることがあるのなら教えてほしいんだ」

 

タイガはコウマの瞳にある真摯な光と真剣な口調を受け取り、頷くことでコウマに促した。

 

「俺がブレイドホーネットの『女王』と戦った時なんだけど……」

 

話し終えると、タイガはコウマをじっと見て、考えるように腕を組んで、顎に手を当てていた。その目には真面目な意思が感じ取れた。

 

「なるほどね……だいたい分かった。コウマ、少し上体を晒してうつ伏せになれ、少し調べたいことがある」

「調べたいことって……何?」

「調べて見れば解る。それまで我慢してくれ」

 

言われた通り上半身裸になると、タイガは神妙な手つきで身体を触っていく。

 

「父さん、なにかわかった?」

「ああ、次に反応があれば俺の知っているものだ」

 

自分の感覚が父の知っているものと安堵し、父の凄さに改めて尊敬の感情を抱くと―――

 

「ふんっ!」

 

ゴキリッ!!!と骨と骨が打ち鳴らす快音が響き、その凄まじい痛みによって意識が飛びそうになった。

 

「ちょっと、父さん!人生でうけてきた痛みで三番目くらいの痛みが身体中を駆け巡ったんだけど!!」

「うるせぇ、我慢しろ!俺だってこれあんまり得意じゃないんだ。うっかり、変なとこゴキってやったらしゃれにならんぞ」

「じゃあ、得意な人に変わって――――――っっ!!」

 

コウマの悲痛な叫びはタイガの荒々しい整体?によって届くことはなかった。

 

 

 

 

 

 

「あーあ、慣れねぇことすると肩がこるな……。おい、コウマ、生きてるか?」

「な……なんとか……」

 

快音が響くたびに意識が吹き飛びかけ、もういっそのこと気絶させてくれと何度思ったことか……。だが、怪しげな整体は絶妙な加減でギリギリ気絶しない程度の痛みを出し続けた。

まだ痛む身体を起き上がらせるとすぐに変化を感じた。

 

「あれ?」

 

僅かに身体が重く感じるのだ。

 

「どうだ?おかしなところはあるか?」

「なんか……身体が少し重い……」

「だろうな、それが本来のお前の身体だからな」

「……どういうこと?」

 

本来の自分の身体?どういうことだろうか……。

 

「お前の身体、人間が持っている人としての限界を超えた力、つまり火事場の馬鹿力が無意識の内に外せるようになってたんだ。だから、それを抑えるようにした」

「……それってもったいないと思うんだけど?」

「アホ、確かにお前は、里の子供たちに比べれば大抵の無茶が出来るぐらいには頑丈に育てたつもりだ。だが、限界を超えた力を出し続けてみろ。身体が悲鳴を上げてぶっ壊れるぞ……」

「う、うん」

 

限界を超えた力を振るう。言葉にすれば格好はいいが、その意味を理解していないというほど子供ではない。

 

「次にお前のいう感覚の広がり……それは『心眼』だと思う」

「―――『心眼』?」

「今、母さんたちがどこにいるか分かるか?」

「え、お風呂じゃないの……」

「違う。どこにいるのか感じることができるかっていう意味だ」

 

部屋の外に行ってしまった母を探す。耳を澄ましてみるが音も、気配を感じることは出来ない。

 

「……いや、感じない。気配も分からないよ」

「そうか。いいか、俺たち『影』の人間は暗殺を代々の皇帝から頼まれてきた。だが、皇帝が暗殺したいっていう相手になると警備レベルなどが跳ね上がる。そのためにご先祖様は感知能力を強化させ、技術として昇華させたのが『心眼』だ」

「どんなものなの?」

「ああ、こんな感じだな」

 

と言ったタイガは目をつむったまま黙ってしまった。

タイガは悠然と立ったまま、呟き始める。

 

「子供二人は風呂に入っているな。クロメちゃんが大きな風呂ではしゃいで……ああ、飛び込みやがった。母さんはクロメちゃんに着させる着物を選んでる……目の色に合わせた色にするか、逆に明るい色にするか悩むって言ってるな……」

「父さん、父さん!?後半はいいとして、前半はなに犯罪のようなこと呟いてるの!」

 

父親が性的倒錯者のような途轍もないことを急に喋りだしたので、ツッコミを入れてしまった。

コウマの言葉に目を開いたタイガは眉をしかめた。

 

「ちげぇよ。お前に教えてやろうと―――ああ、いいや。そこの樹に枯れ葉が四枚―――今、一枚落ちたな」

 

コウマは思わず父が指を指した樹を見た。今まさに落ちた葉を入れて確かに四枚の葉が見えた。

タイガは見てもいない、ただ指を指しただけだ!

 

「『心眼』は、感覚の融合だ。人間の持っている五感、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚を上手く重ねることで完成する」

「……」

「お前の感覚は恐らくこの『心眼』と火事場の馬鹿力が合わさったんだろう」

「……」

 

コウマに『心眼』の素晴らしさが駆け巡った。この技を取得することが出来ればありとあらゆる戦いを有利にすることが可能だ。

 

「父さん!教えて!」

 

今、自分の眼が新しいおもちゃを手に入れたようにキラキラと輝いていることを自覚するが構わなかった。

 

「これの習得は難しい。付け焼刃はかえって危険だぞ?」

「なら、何度も練習すればいいよ」

「その通りだ。では早速―――と言いたいが今日は疲れてるだろ?ゆっくり休め」

「え~~~」

「え~~~、じゃねぇ。完全に回復させてからだ」

 

すぐに始めると思っていたので期待していたが、父親の困った様な顔を見て、まぁいいかという気になった。

 

 

 

 

 

サキとクロメが風呂から出てくるのを待ち、風呂で今までの疲れを癒すとすでに夕方になっていた。

温まった身体で廊下を歩くと―――

 

「あっ、コウマ」

 

明るい色の着物を着たクロメと出会った。

 

(へぇ、母さんは結局明るい色にしたんだ。うん、似合う)

「ん?どうしたの?」

「ああ、いや。その着物、母さんがくれたの?」

「う、うん。マイさんが私にくれたの……」

 

自分が着ている服を撫でながら、恥ずかしそうに顔を赤くしているが、嬉しさによるものか笑みを浮かべている。

 

「マイさんがご飯の準備が出来たって」

「む、それは速く行かなくちゃ。冷めたらもったいない」

 

クロメに手を掴まれ、食卓に連れていかれた。

 

 

 

 

 

夕餉はとても豪華であり、量も恐ろしく多かった。

タイガが今朝、捕まえたという獣の肉や魚、土地の野菜を使った料理が大量にあった。

料理から漂う香りはコウマとサキ、クロメの食欲を刺激し、三人はほとんど無言で、かきこむようにして食べた。

料理の旨みが臓腑に染み渡り、中からぽかぽかと温めてくれる。

父は『ゆっくり食べろ』と母は『行儀が悪い』と言ったがその顔には笑顔が浮かんでおり、

普段は注意するサキも勢いよくおかわりと言っている。

クロメは様々な料理を口に含むたび電流に打たれたように震えていた。

今、ここにいる人の顔を見ることができる。それはコウマにとって幸せだった。

 

「あー、食べた!」

「食べたー!」

 

食後、満たされた気分でクロメと転がると、いきなり全身に痛みが走った。意識に緩みが出たせいか、今までの身体に溜まっていた無茶が出てきたのだ。

母の片づけの手伝いをしていたサキが、気付いたのかこちらに近づいてきた。

 

「マッサージするので楽にしてください」

 

サキの指先が凝った部分をほぐしていく。

 

「おー、上手いな、サキ」

「マイ様から整体の技術を教わっているので」

 

肩胛骨のあたりを優しくもみほぐしながらサキが答える。

 

「ん?……ちょっと父さん!僕の整体って母さんに任せればよかったんじゃないの!?」

 

食後、何かの書類を見ている父に向かって叫ぶ。

 

「ああ、あれは勝手な行動をして俺たちを心配させたお前への罰だ。ちなみにマイは、この里で一番整体やマッサージが上手いぞ」

「なっ……それ酷くない!」

「はーい、コウマ様。怒らない、怒らない」

 

サキの細い指がうっすらとついた脂肪の層をかき分けるようにして、筋肉の一つ一つを解きほぐしていく。

 

「ああ……生き返る……」

 

ほどよい刺激でコウマはぞくぞくするような快感を覚えた。

 

「おやつ、用意しましたよー」

「おやつ!?」

 

寝転がっていたクロメが母の声でガバッと起き上がる。

その反応にみんなハハハと笑い、クロメは顔を真っ赤にした。

ジフノラ樹海にいた頃では、比べものにならない余裕があった。

何だかんだ生き延びることができ、新たな力を得る手段もついた。

何もかもが、いい方向に向かっていた。

 

 

 

 

 

翌日。父に『心眼』の指導を受けることになった。

場所は屋敷にある道場。技を教えてもらう際には、いつもここで教わっていた。

 

「さあ、父さん!早速、『心眼』を教えて!」

「がっつくな……。『心眼』には個人差があってな。戦いながら使用することができる奴がいれば、できない奴もいる。正直に言えばこれは必須ではないからな。お前は不完全ながら使えたんだ。時間をかければできるだろう」

 

タイガがじっと見つめてくる。

 

「それじゃ―――教えるぞ」

 

 

 

 

 

そして、現在―――。

眼をつむり、遠く離れている木から落ちる葉を五回連続で当ててみせろという試練に四苦八苦していた。

 

「背中に目があるわけじゃないんだし、この距離じゃ聞こえないよ」

 

葉は人間と違って、動くこともなければ、喋ることもない。存在を掴むことは難しかった。

 

「……どうすればいいんだ」

 

樹の根元には数十枚の葉の山が作られており、枚数を当てることが出来たのは、まぐれで当たった数回のみ。

 

「いやいや、父さんは枝にくっついている状態で葉の枚数を数えてた。葉が落ちてから反応しちゃダメなんだ」

 

ならばどうする?

 

「思い出せ、思い出せ。『女王』と戦った時はどんな感じだった。父さんもどんな感じだった」

 

前例である二つを記憶の中から掘り起こす。

『女王』との戦いでは、感覚が広がっていくようだと思った。

父は離れた場所にいる複数の存在を的確に理解していた。

 

(ん?広がる……複数……)

 

掘り出す記憶の中に引っかかる単語があった。

 

「もしかして……」

 

再び、庭に背を向けて目を閉じ、座を組む。

『女王』の戦いでは、『女王』の動きだけがゆっくりと止まっているわけではなかった。感覚が広がると同時に周りもゆっくりと感じられた。

父も風呂にいたサキたちと母、樹木の葉を同時に察知していた。

感覚を一方向に飛ばすのではなく、自分を中心にして広げていくのだ。

感覚を発散させて、広げる感じで行う。

……何も感じない。

 

(違う。広げることに集中し過ぎている!これじゃ、分からない!)

 

そこで父の言葉を思い出した

『『心眼』は、感覚の融合だ。人間の持っている五感、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚を上手く重ねることで完成する』

 

そうだ。『心眼』は五感を全部使って会得するもの。背後の木を五感の全て使い、感じるのだ。

木が風によってゆさゆさと揺れるのを感じる。風を肌で感じる。風に運ばれてきた匂いを鼻で感じる。運ばれてきた匂いを舌に感じる。閉じた目には背後に立つ樹木とその隣に立つコウの存在が浮かんだ。

 

(ああ―――)

 

ちゃんとあるではないか。

感覚の融合。この言葉を思い出し、正しくその通りだと頷く。

だが、細かい存在は全く掴めない。葉の枚数なんて数えることはできなかった。

 

(どうやら……先は長そうだ)

 

だが、コツは理解できた。確かな実感を手にしたことでコウマは笑った。

 



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第十二話

カルラの里に住んでから既に三十日が過ぎ、クロメは布団を被り、寝ようとしていた。

 

(……あったかいなあ)

 

今まで住んでいた帝都を出て辺境の森に囲まれた里に住む。

言うは容易いが、これまでずっと帝都を生活拠点としていたクロメにとってそこは物珍しいものばかりであるが楽園に等しかった。

姉と共に両親の元で暮らしていた時には与えられることがなかった温かい食事、自分を包んでくれる柔らかい布団、綺麗な服。そして、優しく接してくれる人たち。

クロメは今の自分を幸せだと断言できた。

だが、自分が幸せを感じると心にチクリと痛みが走る。その理由も分かっていた。

生き別れてしまった姉―――アカメのことだ。

温かい食事を一緒に食べることができたら、柔らかい布団で一緒に寝ることができたら、綺麗な服を一緒に着ることができたら、一体どれだけ幸せだろう。

 

「お姉ちゃん……会いたいよぉ……」

 

姉を強く思い、涙が枕を濡らす。

遠い帝都にいるだろう姉は夢では優しく笑ってくれていた。

 

 

 

 

 

クロメが今、住んでいる場所は、里の中で一番大きなお屋敷で自分を助けてくれた男の子の家だ。その屋敷に住む女の子の部屋で寝かせてもらっている。

布団の誘惑を振り払い、隣を見ると部屋の主のサキが枕を抱きしめながら笑っている。どうやらまだ夢の中のようで枕に頬をこすり付け、「えへへ~、コウマ様~」と寝言を喋っていた。はっきり言ってかなり不気味だ。

これでもまだマシな方で、一番すごい時は「うぇっへっへっ」と女の子がしてはいけない笑い方をしているのだ。怖くて布団に潜り込み二度寝をしてしまい、サキに起こされた。サキは、「おはよう、クロメちゃん。朝ごはんできたよ」と綺麗な笑みをしており、同一人物とは思えなかった。

この笑い方を起こす原因は知っている。サキはこの家の男の子、コウマに褒められると怖い笑い方をいつもするのだ。

窓から朝の光が差し込む中、上半身を起こして思いっきり伸びをする。

 

(慣れないなぁ……)

 

自分がサキより早く起きられるのは、朝食の匂いによる違和感だ。両親は自分たち姉妹に料理というものを作ってくれなかった。良くて屑野菜や残飯といえるもの、最悪何もなかった。

それ故、朝食の匂いがあるのは変だと思い、起きてしまっているのだ。

 

「よし、着替える」

 

眠気でぼやける頭を動かして、お気に入りの服に着替え、朝食の手伝いに向かった。

 

 

 

 

 

 

 

「あら、クロメちゃん。今日も手伝いに来てくれたの?」

 

柔らかい絹を連想させる声で言うマイにクロメは挨拶した。

 

「お、おはようございます」

「はい。おはよう」

 

クロメにとってマイは誰にでも優しく、厳しく叱る時には叱る尊敬すべき大人だ。この里では一番の医者であるらしく、自分以外にも尊敬している人は多い。

優しくされるということに慣れていなかった自分は彼女に強い警戒心を持っていたことがあり、彼女の優しさを理解した時には強く恥じた。

 

「けど、ごめんね。そろそろ出来るから手伝いの必要はないわ。代わりにサキちゃんを呼んできて頂戴」

「は、はい。けど、コウマは呼ばなくていいんですか?」

「ええ、その必要はないわ。だって―――」

 

バキャッ!!!

何かをへし折るような音が屋敷に大きく響く。

しかし、クロメは驚かない。もうすでに何度か経験しているのだ。

 

「親方様が起こしにいったもの」

 

この家で一番起きるのが遅いのはコウマだ。サキは朝食が用意された時には起きている。

本人が言うには、「訓練の疲れが大きいから、その分多く睡眠を体が求めてしまっているんだ。俺は悪くないぞ!」とのことだ。

そんな言い訳が父親であるタイガに通用するはずがなく、どうしても起きない場合は、当たったら死んでしまうような攻撃をし、襲い掛かることで起こしている。

笑顔で言うマイにクロメは頷き、先ほどの音で目覚めただろうサキに朝食ができたことを伝えにいく。

これが、クロメの朝だ。

 

 

 

 

 

 

ゴリゴリと何かをすり潰す音が居間に響く。

 

「クロメちゃん、その紫の花入れて」

「ん」

 

乾燥した紫の花をすり鉢の中に入れ、それをサキがすり潰していく。花を粉になり、別の粉に混ざっていく。

朝食をとった後は基本、手伝いをするのがクロメの日課だ。

同年代の子供も里にいるが関わりは少ない。

例え、遊ぶことが出来ても子供たちとクロメの身体能力は離れており、子供たちにとっても慣れていることがクロメにとっては危険であることもある。

元々人付き合いが得意な性格ではないし、進んで誰かの傍に近寄ろうとする性格でもない。自分が好きなことはとことん追求し行動を起こすクロメだが、反面判らないものや近づき辛いモノに対してはとことん興味ない。

そんなわけで、クロメはマイの手伝いをしている。

 

「よし。仕上げ!」

 

サキが液体を鉢の中に注いでいく。

鉢の粉と液体が混ざることで疲労回復薬に―――ならなかった。

液体が混ざり透明になるはずが、いかにも「やぁ、毒です!」と自己紹介している色になる。

 

「あ、あれ?な、何でこんな色に……!?」

「……サキ、やっぱり無理だよ。疲れを癒す薬だからって健康に良い材料をただ粉にしてかき混ぜるなんて」

「い、いえっ!大丈夫です!副作用のない安全なものしか入れてないので大丈夫です!」

「大丈夫って……私、サキが工夫を入れて成功したもの一つも見たことないけど」

「こっ、これも経験です。多くの経験をすることで技術は磨かれるもの……です」

「薬より毒物を作る技術が上がってると思うよ……」

「うぐっ……!」

「サキは作り方が分かっているものを作るのは上手いけど、自分なりの工夫を入れると変なものになるよね」

「うぐぐっ……!」

「で、これどうするの?」

 

心なしか悪臭を漂わせ始めている『それ』をサキに押し付ける。

サキの視線が毒のような液体に注がれ―――

 

「捨てましょう」

 

即座に決断を下した。

 

 

 

 

 

 

昼が始まった頃、コウマを探しに屋敷の裏の森へ行く。

タイガやマイは里の外に出ることがあるので、昼食を三人で食べることになるのは、珍しいことではない。

 

(あっ、いたいた)

 

座を組み、鍛錬を行っているコウマがいた。

前は、屋敷の道場で同じようなことをしていたが、新しい段階に入ったため場所を移動したという話だ。

視線を感じたのかコウマがこちらに振り向く。

 

「クロメか……何か用か?」

「もうお昼だから知らせに来たよ」

「えっ……もうそんな時間?」

 

どうやら鍛錬に熱中し過ぎたため時間の経過を忘れていたようだ。

 

「また『心眼』の修行?」

「おう、これが本当に奥が深くてな。これを開発したご先祖様は本当に尊敬できるわ」

 

先祖の偉業を話すコウマは嬉しそうに笑う。

この一か月、コウマが訓練している『心眼』はクロメからすれば驚くべき技だ。

『心眼』の凄さを知るため、道場でコウマの後ろに出した指の数を当てるという遊びを行ったが全て当てられてしまった。引っかけとして握り拳を出したり、ワキワキと指を動かして見たが、全て当てられてしまった。

 

「私に見せたので十分凄いのにまだ鍛錬するの?」

「あー、道場みたいな物が少なくて広いところならはっきりと感知できるんだが……こんな木みたいな生命があると鈍るんだ」

 

コウマは周りに立っている立派な樹木を指していく。

 

「つまり、どんな場所でも『心眼』を使えるようにする鍛錬なの?」

「その通り。じゃ、屋敷に戻るか……」

「あ、お昼はこっちに持ってくるってサキが言ってからいいよ」

「ん、そうか。ならもう少し鍛錬を……」

「……そんなに鍛錬ばっかするから朝起きれなくなるって分からないかなぁ」

「うぐっ!」

 

クロメのツッコミにコウマは反論することはできなかった。

すると、がうっ、と吠え声が聞こえた。

複数の存在が駆け寄ってくる。そちらを見ると、巨大な包みを口に咥えた黒い巨大なオオカミが三頭とその上にサキが乗っていた。

 

「コウマ様~、クロメちゃ~ん。お昼持ってきましたよ~」

 

 

 

 

 

 

 

「今日はおにぎりか……うん、美味い!」

おにぎりを手に、コウマが歓声をあげる。クロメも弁当箱いっぱいのおにぎりの一つを口に運ぶ。

 

(やった!から揚げだ!)

 

おにぎりの具が『当たり』であったことに喜ぶ。

一つ目を平らげ、両手で二つを素早く確保し、口にする。

 

「おお、いい喰いっぷりだなぁ」

「クロメちゃん、おにぎりはまだ沢山あるから大丈夫ですよー」

 

クロメの早食いが面白かったのか二人が笑い、それにつられて笑う。

雲のない青空の下、笑って食事をする―――そんな普通の幸せが、少し前まで、想像もできなかった。

誰が見てもその光景は穏やかで優しいものに見えるだろう。クロメもこの時間を楽しみたかったが、ある存在のせいで少し落ち着けなかった。

金剛餓狼の三頭が咥えていた包みの中身の肉に音を鳴らしながら、食らいついている。

この里に住んでからも、この三頭―――キバ、コウ、トツは近づき辛い。

コウマたちはいい子たちだよ、噛みついたりしないというがそう簡単に慣れるようなものではない。

その姿は目にしただけで自分が絶対捕食者に狙われた単なる獲物でしかないと考えてしまう恐ろしさがある。

クロメも最初は自分が食われると感じてしまう威圧感と圧倒的な在り方にただ脅え、気絶してしまった。

キバたちにそういう意識が無いとしても、初見で驚かずに真正面から見れる強者はそうそう居ないだろう。

 

「ヴォフッ!」

 

キバたちが近づいてくるので、思わずコウマの背に隠れる。

持ってきた肉は残っておらず、三頭がお座りして待機して、コウマたちが持っているおにぎりに視線が注がれていた。

 

「なんだお前たち、おこぼれが欲しいのか?」

『ウォン!』

「仕方がないな。……クロメ、こいつらに渡してやってくれないか?」

「えっ!?」

「……食べ物を渡すことは昔からの親交を深める行為だ。キバたちと仲良くなる機会だぞ」

 

小さな声でコウマが伝えてくる。

 

「で、でもぉ……」

「大丈夫、大丈夫だから……頑張ってくれ!」

「わぁっ!?」

 

コウマが叫ぶと同時にクロメの天地が逆転し、コウマの後ろにいたはずが前に出ていた。

肩に掴まれた感触があったので、自分が背負い投げによって前に出されたことを理解した。

 

「コ、コウマっ!……っ!!」

 

思わず後ろを振り向くが、コウマの姿はなくその隣にいたサキの姿もなかった。

 

「うぁぁぁ、に、逃げられた……頑張れって、どうしたらいいか判んないよぉ」

 

『キバたちと仲良くなる機会だぞ』というが、コウマたちはいない。今、キバたちが咬み付かない保障も無い。

 

「う、うぅぅ~~」

「ルルルルルル……」

「ひぃっ」

 

そこにいるだけで―――いや、見えなくとも近づいてくるだけで強烈な存在感をかもし出している三頭が近づいてくる。

三匹のジ~~~と見つめる自分にぶつけられる無言と視線。二つが重なり合うことで生まれる緊張がクロメに襲い掛かる。

 

(こっ、これは機会なんだ!……大丈夫、咬み付かない。でもっ、最悪の場合……どうしよう、どうしよう!)

 

頭の中で必死に前向きに考えたり、後ろ向きに考えながら、クロメはそっと手に持ったおにぎりを前に出した。

 

「ど、どうぞ……」

『………………』

 

差し出されるおにぎりに三対の視線が移ると動きを見せた。

クロメを中心としてグルグルと円を描き、徐々に輪を縮めるように移動する。

動物は確実に獲物を仕留めるために役割分担を行うことがある。獲物を追い込み疲弊させる役と追い込まれた獲物に止めを指す役、この二つが協力することで獲物を仕留める確率は跳ね上がる。例として群れを成すオオカミが行う。

教えられた、とてつもなく不吉な言葉がクロメの中を通り抜け、体が硬直していくのが判る。

 

「う、う……」

 

泣きが入りそうになる頃、ようやくキバ、コウ、トツの輪は手を伸ばせば届くぐらいに縮まった。

正面のキバがその巨体で作り出す影にクロメは覆われた。

そして―――三匹は同時に動いた。

 

「フン、フン……」

「フガ、フガ……」

「フス、フス……」

 

鼻を擦り付けるように髪、背中、脇、お腹と容赦なくクロメの身体を嗅いでいく。

三方向からの体毛が服ごしに身体をくすぐる。だが笑い出せば何が起こるか判らないので必死に我慢する

ピクピクと身体を震わせながら、伸ばしたままの片手にはおにぎり、目は泣きの形を作り、口は笑みの形という奇妙な姿になっていた。

そして、ようやく三匹の接触が終わると―――

 

パクッ。

 

「え?」

 

手に持っていたおにぎりがキバによって食べられ、モシャッモシャッと音が鳴らし、最後にゴックンと飲み込んだ。

 

「ウォフ~~」

 

と満足気な息を吐くキバ。

 

「お、美味しかった?」

 

尋ねるとキバはゴロンと寝転がり、腹を見せる体勢をとって、『ウォン』と答えた。

 

「よ、よかったぁ~~」

 

安心感で身体の力が抜けるが、背後をツンツンとつつかれる。

 

『クゥ~ン』

 

残ったコウとトツが甘えるような声を出し、お座りをして自分たちも欲しいと語っていた。

 

「待ってて!今あげるから!」

 

クロメは笑った。触れ合う喜びを胸に感じて笑う。

甘えるキバたちと笑うクロメをコウマとサキも木の上から笑みを浮かべながら見ていた。

 

 

 

 

 

キバたちと親交を深めた後―――

コウマたちと一緒にキバたちを撫でたり、背に乗って里のあらゆる場所を疾走した。

力強い四肢が生み出す人の足では不可能な速さは癖になりそうだった。

とにかく遊んだ。そして、遊び疲れ、陽気も手伝ったことで強烈な眠気が襲い掛かってきた。

キバたちを布団兼枕代わりにして寝た。

しばらく、気持ちよく眠っていると割り込んできた感触に意識が覚める。

頭を撫でられる感触。心地よさを感じて、再び意識を落としそうになるがコウマとサキの話が耳に届いた。

 

「……コウマ様、貴方にはあきれます」

 

すぐ近くからひんやりとした声があり、自分の頭を撫でているのはサキだと気付く。

 

「へぇ、なんでだ?」

「隠れて鍛錬をしていることです。ここの所ずっとではありませんか……最近は大人たちと混じって危険種退治に行っているそうですね?」

「……強くなりたいからな」

「強くなりたいっ!?過度な鍛錬は身体を壊すという言葉をお忘れですかっ!ご無理をなさらないでくださいと、あれほど……」

「静かにしろ。クロメが起きちまう」

 

コウマが起こさないように注意するが、サキの声で目が覚めてしまった。サキの声は一緒に暮らしている間、聞いたこともないほどの思いが込められていた。

 

「っ……何故ですか?どうしてそこまで強くなろうと……」

「クロメの姉のことだ」

「えっ」

(お姉ちゃん!?)

 

コウマの口から姉のことが出てきたことに驚く。

 

「父さんが情報網を使ってジフノラ樹海にいた兵士からの情報だ。あそこにいた部隊は二手に分かれて、生き残った多くの子供は帝都に。その中から七人の子供が将軍に連れられて、どこかにいったらしい。その七人にクロメの姉、アカメらしき女の子がいた」

「本当ですか!?」

(やった!)

「ああ、だが兵士は帝都に行ったみたいだから、将軍の居場所は知らないみたいだ」

「そうですか……」

 

二人の声に落胆の色が強く表れる。クロメも姉との早い再開ができないことに悲しむ。

 

「ここからが重要だ。その将軍―――ゴズキってやつなんだが羅刹四鬼の一人だ」

「羅刹四鬼!?皇拳寺最強の!」

(ゴズキ……もしかして……あの時の?)

 

脳裏に自分たち集められた子供たちを実験動物のような目で見る二人の内、刀を持っていた男が浮かぶ。

 

「その羅刹四鬼の一人がアカメを連れていった。つまりは……」

「直々に鍛えることでより優秀な暗殺者に育てる」

「その通りだ。……クロメとの約束はかなり難しくなった」

 

痛いほどの沈黙が三人にのしかかる。

アカメを救うためには羅刹四鬼の一人と戦わねばならず、暗殺者として育ったアカメとも戦うかもしれない。だから―――

 

「だから、強くなろうとしているんだ。約束を果たすために……!」

「貴方は……本当にそれでいいんですか?約束のためだけに?相手は―――」

「舐めるなよサキ!相手は帝国の将軍で羅刹四鬼!強いことは間違いなし!ならば、より強く、より強く!強くなって―――戦うだけだ!」

 

頭に乗せられていた手が離れ、サキの嗚咽が聞こえる。

コウマの力強い言葉が響き、クロメの胸を打った。

打たれた胸が震え、クロメはただ、ただ泣いた。

そして―――ある決意をした。

 

 

 

 

 

夜、クロメ屋敷の一室で待っていた。

胸に秘めた決意をいうために。

 

「クロメ、どうしたんだ?」

「夕食を食べたらいきなり部屋に来てなんて。何かありましたか?」

 

コウマとサキが心配そうな顔をして入ってくる。

 

迷いは一瞬。クロメは表情を引き締めて、真剣な声で言った。

 

「私に、戦い方を教えて」

 

 

 

 

 

 

 

「駄目です!」

 

サキの口から強い言葉が出た。衝動的に言ったためか、サキは慌てて口元を手で覆う。

 

「……クロメ。一緒に戦いたいってどういうことだ?」

 

確認の意味を込めてコウマが問い掛ける。

 

「言った通りの意味。私も一緒に戦う。だから、修行をつけて」

 

クロメが遊びで言っているのではないという事は痛いほど理解できた。

 

「だがな……」

 

コウマが口籠る。クロメの決意はそれほど固く覆すことなど出来ないと心のどこかで理解していた。

 

「っ……勝手なことを……。自分が何をいっているのか、分かってますか!?」

「うん、判ってる」

 

声を張り上げたサキに対して、返ってきたのはクロメからの辛辣とも言える返答であった。その声に迷いはなく、答えは覆せない。

 

「コウマ、サキ、聞いて。私ね、帝都いた頃、親とお姉ちゃんと暮らしながら……こんな日がいつまで続くのか、よく思ったよ。神様のことを恨んだこともあるよ。」

 

コウマとサキの手をギュッと握る。

 

「そんな中、この里の暮らしは本当に幸福だった。けど、お姉ちゃんが危ない中、私はこのままでいいのかなって考えてたの」

 

その時、クロメの瞳に宿った輝きにコウマとサキは見入った。

 

「コウマの戦うって言葉を聞いて、よくわかったんだ。お姉ちゃんを助けるには私も戦わないといけないって。辛い道になることはわかってる。それでも私は決めたんだ。だから……」

 

 

 

「私も一緒に戦わせて」

 

 

 




なんか最後クロメが主人公っぽいことを言ってますね……(汗)
ここから時間が飛びます。
そろそろコウマの帝具も出したいなぁ……。


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帝具
第十三話


投稿が遅くなって申し訳ございません。
最近、パソコンに触れる時間がなかったこととこれからの展開に悩み、書いては消して書いては消してが続いてしまいました。

長くなりましたが第十三話をどうぞ。


決意から七年の時が経ち―――

 

 

 

 

「せりゃ―――っ!!」

 

山間ののどかな集落の中に、木造の大きな屋敷があった。

その屋敷に隣接している道場では、早朝から激しい稽古が行われている。

向かいあうのは動きやすい服の上に武具を身につけた二人。面をしており、顔はわからないが、片方の背は高い。

背の低い方が、荒々しく木刀を振るい飛び込んでいくと、いま一人が流水のように受け流し、相手の胴を払う。

パァンッ―――!

風を切り裂く木刀と胴の武具がぶつかり、破裂したかのような音を放つ。

 

「ぐっ!」

 

胴の衝撃に一瞬の間怯み、振り向きざまにさらなる反撃を試みるが、頭部に衝撃が走り、続いて腕にも衝撃が走った。

バシッ、バシッ、バシッ。

小気味がいいほどに連続で叩かれる。

あたりに凄まじい音が響く。力が籠められ、速さを身につけた木刀が真剣だったら、武具を切り裂いて相手の骨に到達していただろう。

 

「ほら、どうした。良かったのは最初の気合いだけだぞ。……足をおろそかにするな!それでは打ってくださいといっているようなものだ!」

 

一方的に攻め続ける面から若い男の声が飛び出し、滅茶苦茶に打ち据えられてフラフラになる相手を叱る。

さばききれずに倒れると、男はすかさず脇腹に蹴りを入れようとする。休むこともままならない、厳しい荒稽古だ。

何も知らない者が見たら、それは稽古というよりも苛め、あるいは折檻に見えただろう。

しかし、ここではこれが日常なのだ。

 

「っ」

 

倒れた状態から腕を上げて蹴りを防ぐことで、その威力を利用して後方に下がる。

体勢を立て直し、荒い息のまま再び木刀を構える。

 

「そうだ、まず両足でしっかりと立て。どんな戦いでも足で立たなければ始まらない」

 

男の声に喜びの色が混じるが、木刀はしっかりと構えられている。

 

「せええい!」

 

息を整え、裂帛の気合いとともに、真正面から木刀を小脇に構えて、身体ごと突っ込むような突きを放つ。

 

「ほう」

 

男から感嘆の声が漏れる。

だが、気合いの籠められた一撃は外れ、木刀が振るわれる。

それが視界に入り身を反らし、回避しようとする。だが、身体の節々が痛みによって思い通りに動かない。

 

「っ!」

 

そんな身体に鞭を打ち、何とか木刀をかわした瞬間、鈍い痛みが走る。

見ると男の足が突き刺さっており、理解した時には息が詰まっていた。

かかとが床を離れ、勢いとともに綺麗にぶっ飛んだ。

 

 

 

 

「失礼します」

 

そういって、道場の引き戸が開かれる。

着物に身を包んだ古風で楚々とした顔立ちの少女が、姿を現す。そのすぐ脇の道場の板壁に吹っ飛ばされた面の人物が背中からぶつかる。

ドンッ!

しかし、少女は慌てず騒がずに口を開く。

 

「いつもの稽古お疲れ様です。朝食の準備ができましたよ」

 

そう堅苦しい表情で告げるのはこの屋敷で暮らす一人のサキだ。

 

「もうそんな時間か?……わかった。着替えたら行く」

 

烈火の如き攻めを続けていた男―――コウマはようやく構えを解いた。

 

「クロメ。朝練はこれぐらいにしとくぞ。道場の雑巾がけをしておくように」

「は、はい」

 

壁にめり込んだままのクロメは小さな声で返事を返した。

稽古でクロメがボロボロにされることは日常茶飯事であり、この家の住人ならば見慣れた光景で、驚くに当たらないのだ。

 

 

 

 

(今回もついてこられましたね……後で何か甘いものを上げましょうか。それにしてもクロメちゃん、ドンドン強くなってますね)

 

クロメに修行をつけて七年。

女と男ではやはり体力的な違いは大きく、稽古の方法も自然と違ってくる。

そこでサキが基礎となる訓練、コウマが応用を加えた訓練を合わせた、徹底的なスパルタ特訓を行い、鍛えた。

激しい特訓でクロメが音を上げることを心のどこかで二人は期待していたが、本人の姉と再会するという原動力のためかクロメは諦めることなく、二人の特訓を受け続けた。

そして、幸か不幸かクロメの天分の才能は開花されてしまった。

クロメには闘い―――正確には殺しの才能を持っていた。

『影』に伝わる暗殺による戦い方をクロメはスポンジが水を吸い取るように吸収していき、力と技を身につけていった。

危険種を狩る時の実力も、同年代と比べて格段に上だ。

恐らくは一人で一級危険種を倒すことができるだろう。

この才能に気付いてしまい、『どうしてこの子にこんな才能を与えた』、『才能がなければ、諦めて里の娘として人生が楽しめたはず……』と嘆いた。

 

(クロメちゃんは優しい子です……そんな子が闘いという環境に耐えることができるか、それが心配です)

 

クロメが強くなるのを見るたびにサキは『これでよかったのか?』とよく自問するようになった。

 

 

 

 

「今日もこっぴどくやられましたね、クロメちゃん」

「うー、防具をつけていても痛いよ」

 

着物に着替えているが、打たれた箇所をさする。

そんなクロメをマイがコロコロと笑う。

新たにご飯を入れられたお椀をマイから受け取りコウマを睨む。

 

「私も女の子だよ。もう少し手加減してくれてもいいんじゃないかな」

「コウマ、お前な、例えスパルタでも女の子の肌に傷を残すようなことするなよっていってるだろ」

 

コウマの隣に座るタイガもじっと睨んでくる。

 

「大丈夫だよ、父さん。クロメはたくましく育ってくれてるから。あと、父さんに教え子には優しくしろなんて言われたくない」

「俺、なにかしたか?」

「胸に手を当てて、自分の過去を振り返ってみれば……」

 

胸に手を当てて目をつぶり思い出そうとするタイガ。そして―――

 

「ああ。―――さっぱりわからん」

「このダメ親父!!」

 

思わず手に持っていた箸で父親の喉を突こうとする。

だが、割り込んできたタイガの指に挟まり、防がれてしまう。

力を入れてグググと少しずつ進ませる。

 

「朝から暴れないでください。二人ともご飯抜きにしますよ」

二人の喧嘩をマイが止める。

 

この一家の胃袋はマイが掴んでいるのだ。

タイガとコウマも人並みの料理を作ることができるが、やはり長年料理を作ってきたマイの手料理に比べると格段に落ちる。

二人は渋々、喧嘩をやめた。

そこで会話に入ってこないサキがコウマの目が移った。

 

「どうした、サキ。箸が進んでないけど」

「いっ、いえ……その」

 

コウマは気付いた。サキがいつもと違うこと。

 

「なにか言いたいことがあるならいってくれ。俺にできることなら」

「……じゃあ、お願いが一つあるんですけど」

 

そこでタイガが手を軽く上げた。

 

「あー待て。家族的な演出のためにここは俺が当ててやる」

「父さん、わかるの?」

「任せろ。……よし」

「解った?」

 

うむ、とタイガは即座に頷いた。

 

「食事の量について話をしたいんだな!箸が進まないのもそれが理由だ。サキも女の子だから体重について―――痛っ!マイ、いきなりなにしやがる!」

「いえ、あなたに塩を渡そうとしただけです」

 

サキの顔を見ると真っ赤になっていた。

その顔を見たタイガが自分の予想が違っていることに気付いたようだ。

 

「里の長になれば、家庭事情にも疎くなる……か。息子として、なんかガッカリだ」

「タイガさんって、デリカシーないんだね」

「この人ってば、異性については昔からこんな感じなんです。……まぁ、お蔭で浮ついた話がないんですけど」

 

家族からの様々な評価にタイガは口元を隠し、

 

「今のは単なる冗談だ。次、次が本番だ。わかったな?」

「どうせ当たらないのに、……そんなに自分の首を絞めるのが好きなの?」

 

コウマの味噌汁に大量の塩をぶち込まれる。

短い悲鳴が響くなか、タイガはじっくりと考え―――

 

「さっぱり、わからん」

 

次の瞬間、タイガは四人から様々な物をぶつけられた。

 

 

 

 

「え~、私のお願いはですね。私たちに蜂蜜採りの許可をと」

「蜂蜜!!」

 

蜂蜜採りと聞いてクロメは食事が終わったあと、顔にウキウキとしたものを浮かべる。

 

「うお、テンション高っ!」

「だって、久しぶりの蜂蜜、いや甘い物だよ!興奮せずにはいられないよ!」

「何せここは、帝都から離れたカルラの里だ。木の実か爺くさい菓子しかないしな」

「父さんが蜂蜜禁止令なんか出すからね……」

 

蜂蜜禁止令は、子供は保護者を連れずに蜂蜜採りに行ってはならないというものだ。

タイガの言った通り、お菓子などの甘味はほとんどなく、子供たちは木の実などを採って食べている。

その中で蜂蜜は子供たちには喉から手が出るほど欲しい一品だった。

だが、暗殺者集団の『影』とはいえ子供。

毒物に耐性のある身体でも蜂に刺されてしまえば、最悪の場合、死ぬこともあり得る。

考えた末に生まれたのが蜂蜜禁止令だ。

 

「クロメちゃんも頑張ってることだし、ご褒美として許可するよ」

「っ!」

「ありがとうございます。タイガ様」

 

喜びのあまり、ガッツポーズを決めるクロメと頭を下げるサキ。

 

「あ、コウマ様も一緒にどうですか?」

「俺もか……んー」

「おっとコウマは後で俺と話があるからダメだ」

 

タイガの言葉にサキはガックリとうなだれた。

 

 

 

 

「父さん。話って?」

「……」

 

タイガが文机を前にし、手紙を持ちながら難しい顔をしていた。

 

「……なんか難しい顔をしてるけど」

「ほらアサカさんが村長やってるシナモ村あるだろ?そこから手紙が届いたんだが……」

「問題でもあった?」

 

コウマの問いにタイガは持っていた手紙を投げ渡した。クルクルと手裏剣のように飛んできた手紙を受け取り目を通す。

 

「ロウレンモンキーが畑を荒らす……ね」

「収穫物の半数以上をロウレンモンキーに食い荒らされてしまったってな。退治なり抵抗を試みたそうだが、返り討ちにあって負傷者も出ている。せっかくの収穫期だからな。俺たちに助けてほしいってよ」

 

ロウレンモンキーは山林や森などに生息する猿だが、個体の能力は低く、逃げ足だけが取り柄の三級危険種だ。だが、人がそうであるように多数で結託して畑を食い荒らしたり、集落を襲ったりする上に繁殖力が強く、どれほど駆逐しようとも森の中で再び集団を結成して舞い戻ってくる困った生き物なのだ。亜種としてはロウセイモンキーなどが存在する。

 

「ロウレンモンキーって山に生息する奴らだったはず。なんで人の住む村まで?」

「ああ、俺もそこが気になってな。生き物ってのは、ある一定の場所で餌をとるのが多い。ロウレンモンキーもそういう奴だ。そんな奴らが畑を襲うのはおかしい」

「つまり、退治と同時に原因を突き止めてこいってこと?」

「その通り」

 

どこか嬉しそうな声でタイガが言った。

コウマとしても断る理由がないので、蜂蜜採りから帰ってきたクロメとサキ、コウを連れて出発した。

 

 

 

 

人間が成長するように危険種も成長する金剛餓狼のコウも成長し、大人三人を背に乗せられるほど大きくなっていた。

 

「なるほど、クロメが一人でな」

「ええ、気配を殺して煙を使って」

 

風のような速さで走るコウに乗っているため会話をするコウマとサキの二人。

舌を噛まないで喋れるのは慣れと言えるだろう。

 

「ラー、ラーララ、タララ~ラ~、ララ~、イヤッホウ」

 

その二人に挟まれる形で乗るクロメは鼻歌にも似た歓喜の声が溢れさせ、体を小さく揺らし、喜びを表現していた。

手にはクロメの顔より一回り大きい土色の塊があり、半透明な液体がたっぷりと染み込んで宝石のように光っていた。

 

「あーん、もぐ」

 

クロメは蜂の巣を千切り一口サイズで頬張り始める。

 

「んー、濃厚で甘酸っぱい」

 

蜂蜜の美味しさの感動を濃縮さし、顔いっぱいに澄んだ笑みを広げていく。

 

「なぁ、後で俺にも一つくれよな」

「ダメ」

「……」

 

返ってきたのは即答だった。その答えに何の迷いも無い。

一瞬、コウマが硬直するが、すぐさま気を取り直す。

 

「そんなこと言わずにな、な?」

「イヤ」

 

やはり即答だった。

自らが手に入れた獲物は決して渡さない非情の狩人がそこにいた。

今度は千切らずにかぶりつく。

コウマの背後でビチャビチャと蜂蜜が食べられる音がする。

その様はコウマに見せびらかすようであった。

 

「じゃあ、私にはくれますか?」

「ん。はい、サキ」

 

これまでの拒否が嘘のようにあっさりとサキに蜂の巣を差し出すクロメ。

 

「ありがとうございます」

「おい、ちょっとまて」

 

納得がいかないコウマがツッコミを入れるがクロメは無視する。

 

「……特訓の際は覚悟しておけよ!」

「この蜂蜜は……絶対あげない!」

「あ、ははは」

 

乾いた笑いしか出せないサキは渡された蜂の巣を千切り、食べることに集中した。

シナモ村に着いた時には大きかった蜂の巣は残っていなかった。

 

 

 

コウマたちがシナモ村に来るのはすでに十を超えている。

一回目はブレイドホーネットの退治に向かった時、二回目はクロメを里に連れていき、無事であることを知らせる時にこの村に来た。

その際、ブレイドホーネットの死骸を持っていこうとした男たちについて聞いたがあまりいい話は聞けなかった。

それからはアサカの作る薬などをもらうためにちょくちょく来ている。

かつて来た時と変わらない風景だが、どちらかと言えば以前の方が穏やかさを感じた。

その差を作り出しているのは人の作り出すピリピリとした緊張感で、ロウレンモンキーの被害を受けたことによる意思そのものだ。

それがかつてのシナモ村との違いを表していた。

 

「原因を聞く、方法を教える、退治する。状況次第ですけど長くとも二日はかかりますね」

「まぁ、父さんには一泊するかもって言ってあるから大丈夫だ。それに長くかかるようだったら手紙を出す。ロウレンモンキー全て退治、それで終わりなら簡単なんだがな」

「森は深く被害の範囲は広がっていると聞きます。その案を実行するには私たちだけでは不可能です」

「……となると村の人間自身がこれからもどうにか出来る方法を考えないといけないな」

 

肩を並べて二人はアサカの家に進んでいく。

さすがのクロメも『大人の会話』には口を挟めないので、仲良く話しているように見えなくも無い二人に向かって、羨ましそうな視線を向けるがそれ以上の事はせずに黙っていた。

 

 

 

 

「コウマさん、サキさん、クロメさん。来てくださってありがとうございます」

 

シナモ村の村長、アサカが挨拶をする。

 

「アサカさんは私たち『影』の人のために助けてくれている御方、いつでも力を貸します」

「サキの言う通りだ、そんなに畏まらないでください」

「……」

 

それを受けるコウマとサキ。その一歩後ろでクロメが頭を下げる。

 

「では手紙に書かれなかった詳細をお聞きしたいと思います。話してくれませんか?」

「はい。まず事の起こりは一ヶ月ほど前になりますが―――」

 

薬の匂いが立ち込める家の中で、話し合いを始めた。

 




大急ぎで書いたため話が雑になっているかもしれません。
年内にもう一話投稿したいなぁ。


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第十四話

昼の光を浴びる森の一本道には立っている二人がいた。

二人は自分の持つ獲物を確認しながら時を待っていた。

爪のついた手甲をいじるのはコウマ、刀の手入れをするのはクロメだ。

 

「そろそろ罠も仕掛け終わった頃だろうな」

「遅い、カルラの人たちなら半分の時間でできるよ」

「お前な……里の人間と村の人間を比べるなよ。俺たちの方がよっぽど異常なんだぞ」

「私はカルラの里以外の基準を知らないもーん」

 

クロメの態度に今更ながら教育方針を間違えたかと思ってしまったコウマである。

 

「……思ったんだけど、コウマのそれ。何でつけてるの?」

「それってなんだ、それって」

「顔につけてる仮面だよ。外で仕事する時はいつもつけているけど……」

 

コウマの顔には、蝙蝠の形に似た仮面がつけられており、鼻から上を隠していた。

黒い頭髪と色が被ってしまっているため、遠くから見れば前髪が顔を隠していると見えてしまう。

 

「これは、あれだ。かっこいいからだ」

「……」

「なんだ、黙って」

「ううん、コウマも男の子だったんだなって思っただけ」

「そ、そうか。まぁ……言われなくてもわかっているかもしれないが、一瞬の油断が死に繋がる、努々警戒を怠るな―――いいな」

「はいはい」

 

会話を続ける二人だが、気を緩めることはしていない。

アサカとの話し合いの結果、ロウレンモンキーの対策を話し合った。

まずロウレンモンキーを皆殺しにする案は外した。

ロウレンモンキーも自然に生きるものであり、害獣とはいえ全滅させるのはダメだと思った。

この広大な森を、人だけがその恩恵を独占するのは傲慢だ。恩恵を得る権利はロウレンモンキーにも存在している。村に来るやつをどうにかして、森深くに住むものは放置するのが良策と考えた。

そこで練った案は、特級危険種のコウが森を走ることで身の危険を感じさせ、ロウレンモンキーを慌てさせる。

次に、複数ある森の出口と言える場所に設置した罠を使って、ロウレンモンキーの退路を断ち、罠のない出口と山の出口まで誘導する。出口は細いものもあれば、人が通ることができるもの、幅広いものと多くあり、そこは村の人間に協力してもらう。

最後は、罠のない出口でコウマたちが待機してロウレンモンキーを討伐する。

サキは村の人間に罠の設置を手伝うために別行動を選んだ。

 

「あー、なんだろこれ。この全身がヒリヒリする感じ……」

「相手方の緊張だ。もう一度言うぞ、三級とはいえ油断するな」

「うん」

「あいつらの爪には気を付けろ。傷に菌が入るかもしれないからな」

「うん」

「もし、危なくなったら迷わず逃げろよ」

「……コウマ」

「なんだ?」

「優しいね」

 

柔らかい笑みを浮かべるクロメ。

コウマは苦笑してその頭に手を置いた。

そのまま時間が過ぎて―――

 

「ヴォォォォォォォォォォォッ!!」

 

コウの雄叫びがロウレンモンキーとの戦いのゴングになった。

 

 

 

森から毛むくじゃらで人程の大きさの生物が多く飛び出してくる。

飛び出してきたロウレンモンキーは、コウマたちの姿を見て驚いたようで進行を緩めるが、森の中で響く仲間の悲鳴を聞いた途端、歯を剥き出しに、爪を見せ付けながら突っ込んでくる。

どうやらロウレンモンキー達にとって、自分たち人間は殺すべき敵だと認識されたようだ。

砂煙を上げて走るロウレンモンキーがコウマたちに迫る。

それを見たコウマは彼らの心情を思う。

 

(生きたい……か)

 

或は、自分たちの安寧を脅かすことへの怒りか……。

だが―――

 

「いくぞ」

「うん」

 

黒の服を纏った二人が並んで駆けだす。

風景が流れる。大地を踏み、走ると云うよりも、低空を飛ぶ。

コウマが手甲の爪を振るう。

ロウセイモンキーの頭が稲妻の形を模した二つの刃によって切り裂かれる。

絶叫を出すこともなく、ロウセイモンキーが息絶える。

閃光のような斬撃で次の害獣の首を斬る。

ねじりを加えた爪で頭を貫く。

ロウレンモンキーから血が溢れた。

顎をだらりと落として息絶えた。

空気を求めるように真っ赤な舌を伸ばした。

―――全て一撃の元に倒された。

コウマが討伐する中、クロメも負けていない。

クロメが通ると、擦れ違ったロウレンモンキーは、其の場に倒れ伏して行く。

倒れたロウレンモンキーは皆が腹、胸、首が切断されていた。

そう、クロメは擦れ違う度に刀を振るっているのである。

刀は皮膚を破り、肉を裂き、骨の間接を通し、絶妙な加減の力を加え、最高の早さで、目標を―――解体する。

其の姿は、コウマの動きに近いものがあり、同時にサキの動きにも近い。

戦場でクロメの実力を発揮するために、鍛えられた最も穏やかな刻み方である。

殺し、倒し、動かなくする。

最低限の力と最小限の動きを混ぜ合わせ、最大限に―――命を奪う。

二人の動きはそれを突き詰めたものだった。

 

 

結果、三十を超えるロウレンモンキーの血と肉が道を汚していった。

 

 

 

ロウレンモンキー討伐からしばらくして―――

サキは協力者である村人と共に罠の後始末に取り掛かっていた

 

「みなさーん!罠にかかっているとはいえ、死んだふりをしているのもいるかもしれません!必ず生死の確認をしてください!手負いの獣が一番恐ろしいので!下手をしたら傷口に菌が入って取り返しのつかないことになりますよー!」

『はいっ!!』

 

村の人間の返事を聞いて、サキは罠にかかったロウレンモンキーを見る。

 

(順調といったところでしょうか……)

 

害獣退治というものは人為的被害を出来るだけ抑え、相手の数を最大限刈り取ることが大切であり、命をかけて行うことではない。

出来るだけ短い時間で出来るだけ大きな被害を与えればそれでいいのだ。

村の人たちにも怪我はなく、経験を積ませることができた。

 

(ですが……)

 

ロウレンモンキーを退治するために罠を設置した。

その罠のほとんどにロウレンモンキーが引っかかっている。

これにサキは違和感を覚えた。

 

(……多い。いくらなんでも数が多すぎる。本当は山に戻る個体がいてもいいはずなのに。それに、罠に引っかかった仲間を見れば、その先にも罠があると警戒し、別の出口を選んで逃げようとする。獣でもそう考えるはずなのに、彼らは―――)

 

出口から離れた罠を確認する。

罠には棘があり、踏むと突き刺さるという簡単なものだ。

その罠にはロウレンモンキーの死骸がある。

その死骸は進んでいった仲間たちの足によって無残な形になっている。

 

(仲間を踏み台にして、その先にある罠を恐れずに逃げようとした。よっぽど、戻りたくない理由でもあったのでしょうか?もしかして、山から下りた原因が……)

「サキ~~!」

 

思考を深めたところに聞き慣れた声が届いた。

 

「あっ、クロメ。そっちの方は片付きましたか?」

「うん。コウマと一緒に頑張った」

 

服の隅あたりに破れた後が見えるが体に傷はなさそうだった。

 

「見たところ怪我もないようですし……本当に強くなりましたね」

「優しい教師と厳しい教師のおかげだよ」

 

笑顔で感謝してくるクロメの顔に胸がチクリと痛んだ。

それを押し殺して返事を返す。

 

「ありがとうございます。ところでコウマ様はどちらに?」

「コウマはそのまま森の奥に行っちゃったけど……」

「そうですか……」

 

恐らく原因を探りにいったのだろうと想像できる。

だが、せめて直接こちらになにか言葉をかけても―――と思ったその時。

 

「すっ、すみません!サキさん!」

 

青年が明らかに急いでいる様子でサキの元に駆け寄った。

息を荒げて、汗を滝のように流している様子から、緊急事態が起こったと思わせる風体だった。

一目で青年の様子を読み取ったサキは尋ねた。

 

「どうしたんですか?まさか怪我人でも……」

すると青年は予想とは全く違う言葉を口にした。

 

「帝国軍がこちらに!」

 

招かれざる客の存在にサキは目を大きく開いた。

 

 

 

豊かな森に入ったコウマは、走りながら感覚を研ぎ澄ませていた。

『影』に代々伝わる『心眼』を使用しているのだ。

五感を融合させたことで、繊細な感覚が伝わってくる。

 

(いない……もっと範囲を広げなければ)

 

自分を中心として円の形に広げ、荒らした原因を感知しようとしている。

広げすぎると解析度が下がるが、この全く変化のない中、『異物』が引っかかればそれが原因だ。

そして―――

 

(見つけた)

 

広げた『心眼』が木でもなければ、岩でもない、この森にとっての『異物』に触れた。

すぐにその方角に向かうと同時に、『心眼』を狭くさせ、周囲の輪郭がハッキリとさせていく。

『異物』に近づき、異変に気付いた。

『心眼』によって強化された感覚が血の臭いとかぶりつく音、すする音を感じたのだ。

走ることをやめ、コウマは腰を僅かに落として、付けられた円盤を取り出した。

軽く振れば複数の刃が飛び出る仕組みの手裏剣であるが、相手が何者なのか、それが分からない事には投げるわけにもいかない。

警戒しながら相手を感知し、輪郭を掴む。

 

(なんだ、危険種じゃない!?)

 

それは輪郭からして人だった。

殺したであろう獣の死体に噛みつき、その肉を食っている。

 

(……こんな深くに人が出てくるとは)

 

コウマの予想では、ロウレンモンキーを追い出したのはよそ者の危険種だと考えていたが、原因が人間である可能性は限りなくゼロに近かった。

だが、その人間には人の持っている気配を感じなかった。

もっと動物的な、獣を思わせるものだった。

 

(狼少年ならぬ、危険種に育てられた危険種少年か……?……ないな、物語じゃあるまいし)

 

しかし、相手が人間である以上―――警告もせずに手裏剣による攻撃を刊行するわけにもいかない。

 

(危険種ならこのまま攻撃してもいいかもしれないが……分別のない殺戮者にはなりたくないな)

「……おーい、そこの人」

 

相手の方角にコウマがそう問うと、獣の肉にかぶりつくのをやめた。

だがすぐに再開し、肉にかぶりついた。

 

「貴方に知性があるなら……悪いことは言わない、肉を喰うのをやめて話さないか?そうしないなら、俺は貴方に攻撃する」

 

殺気を混じらせて警告をするも虚しく、肉を喰うのをやめない。

仮面の下の顔に汗が流れる。

未だ自分に関心を持たない相手に、言葉が通じていないのか、それとも通じていながら無視を決めているのかを考える。

相手は普通ではない。

それは長年の経験から断言ができ、普通ならば自分が放った警告に対して何等かのアクションや混乱を感じるはずだが、相手にそれはない。

コウマは今まで危険種と幾度となく戦ってきた。

経験からも、今まさに相対しようとしているのが何者なのかを明確に断言できなかった。

 

「……わかった。一撃で仕留める……」

 

自分に言い聞かせるように呟き、手裏剣を振って刃を出す。

狙うのは首筋、『心眼』で距離は確認し、

 

「……っ!」

 

投げた。

手裏剣は一直線に相手に飛んでいき、相手の首を―――はねなかった。

 

「はぁっ……!」

 

現実が予想を裏切ったことに驚愕の声をあげてしまった。

『心眼』からは手裏剣が首の裏に食い込んで、血を流していることがわかる。

それでも肉を喰うことをやめない。

 

(人間って線はなくなったな)

 

コウマは人ならざる者と断言し、手甲の爪を出して、近づいていく。

殺す以上、顔を見ておきたかった。

自分に気付き、首だけを向けた相手―――人ならざる者―――は異様な姿をしていた。

殆ど裸同然で、腰にはぼろ布が巻かれている格好。

コウマと同じような鼻から下以外を全て覆い隠す黒い獣を模した仮面をつけ、隙間に見える目は正気のそれではなかった。

 

「お゛、あ゛あ゛~~~」

 

およそ知性というものを何一つ含んでいないような怪しげな声が上がる。

 

(あ、こいつは始末した方がいい)

 

直後。コウマは右手の爪からの一撃をぶち込んだ。

 

 

 

無駄な力を込めず、人の体を貫くには十分に注ぎ込んだ一撃が敵の背中に叩き込まれる。

 

(浅い!貫くことができない!)

 

コウマは爪から返ってきた鈍い感触を感じながらも、ねじりを加えて貫通させた。

そのまま相手を蹴って距離をとる。

 

(さぁ、どうでる)

 

相手は首に手裏剣が刺さっても生きている怪物、背中から穴を空けられて死ぬかどうかも分からない。

倒れた相手が震えながら立ち上がる。

空いた穴が徐々に埋まっていくことに驚愕するが取り乱したりしない。

 

(肉体硬化と驚異的な再生力……あの仮面、もしかして帝具か?)

 

―――帝具。

約千年前に、自分の死後も帝国を守りたいと、始皇帝が製造させた48に及ぶ超兵器。

製造のために必要な材料は、伝説と言われた超級危険種の素材やオリハルコンといった超希少物質、それらをもとに世界各地から選りすぐりの職人が作り上げた。

しかし、その製造方法の詳細を伝えなかったため、現在では製造不可能とされている。

 

(確か『影』もいくつか所有してて、父さんも俺ぐらいの年に与えられたけど、自分の武器に強い愛着を持ってたから、帝具に拒まれたんだっけ……その後、皇帝の命令で爺さん以外の帝具は回収されたんだよな。)

 

相手の顔にある帝具らしきものに警戒する。

コウマを敵と認識したのか、隠そうともしない敵意をむき出しにしてこちらを睨んでいる。

咆哮。

金属をこすり合わせたような不快なものが森に響く。

そこで言い知れぬ危機感から、左に動く。

その体を掠めるように、仮面の男が突進してきた。

およそ人間に出せるとは思えない爆発的な速度で突っ込んでくる。

だが、突進を避けられた男はそのまま木に頭から激突した。

コウマはその男の行動を冷静に分析する。

 

(案の定、肉体強化も含まれている。正面からは危険だな。頭に関しては残念すぎる。装着した人の頭がダメなのか、狂化されているのか……恐らくは後者)

 

男に知能が備わっているならば、コウマの声に反応することができたはずだ。

 

(初めて戦う帝具使いがこんな残念だったなんて、なんかなぁ……)

 

いずれ戦うであろうゴズキは帝具を持っていると聞いた。

そのために帝具使いと戦って経験を積んでおきたいと思っていたのだ。

そんなことを考える内に、再び突進が迫ってきた。

だが速度こそあるものの、極めて直線的で単純な動きだ。

突進を難なく回避する。

 

「悪いな。お前の突進だけでも強力なのを出してきた奴とこっちは何度も戦っているんだ。少し調べてみたいことがある……大人しくしてもらうぞ」

 

そうコウマが口にするのと同時に、男の三度目の突撃が敢行された。

かつて戦ったブレイドホーネットの『女王』に比べても劣り、避けるのは容易い。

 

「はぁっ!」

 

首に食い込んでいる手裏剣に爪を叩き込む。

衝撃で深く食い込んだ手裏剣が首と胴を切り離した。

 

 

 

 

「……さて、と」

 

呟き、コウマは飛んでいった首に近づいていく。

自分に相性が合わない帝具とはいえ貴重なものであり、そのまま放置するのはまずいので持って帰るつもりだった。

コウマはその場に跪くと、男の切り離された首を持ち上げようとすると、

 

「ア゛―――ッッ!!ア゛―――ッッ!!」

 

首が叫んだ。

 

「うおっ!?」

 

流石に体を失っても生きていることに驚く。

危険種ならともかく人間がこの状態で生きれるとは思っていなかった。

 

「……すまないっ!」

 

叫びながら地面を転がる首の下あごを踏み砕いた。

それが止めになったのか沈黙する首。

 

「最後の最後に驚かせやがって……気を取り直して」

 

首を持ち上げると、仮面に触れた。

ざらざらとした感触で材質は骨を思わせるものだった。

 

「……悪いけどいただくぞ」

 

頭を掴み、仮面をゆっくりと引き剥がそうと掴む。

 

「む……?」

 

取れない。

少しずつ力を加え、最後に力の限り仮面を引っ張ってみるが取れなかった。

 

(どうなってるんだ……?)

 

このままだと首を抱えて帰らなければならないので、道具を使うことにした。

ナイフを取り出して仮面を剥がそうとすると―――

パキッ

何かにヒビが入る音がした。

 

「まさか……」

 

慌てて仮面を見ると小さなヒビが出来ていた。

そのヒビはドンドンと大きくなり、蜘蛛の巣状に拡がった。

 

「ちょっと、とま……」

 

言い切る前に仮面は粉々に砕け散り、両目を見開いた男の素顔が現れた。

その顔が目に入り、帝具を失ったことよりも自分が人を殺したということを思い知った。

 

「……」

 

胸の内に黒いなにかが生まれ、嵐のようにかき乱し、体を熱していった。

それを抑えるように唇を噛み、かっと見開かれたままの両目をそっと閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

その時、コウマの頬を撫でるように、生暖かい風が吹いた。

獣の息を浴びたような、気味の悪さがあった。

 

「……!」

 

気配にコウマが振り返った瞬間、ぶんっと唸りを上げ、真っ黒い棒が振り下ろされた。

 



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第十五話

新年あけましておめでとうございます!!

年末の休みを使って最新話を書くことができました!
今回は、構成が複雑なため戸惑うかもしれません。

『コウマが討つ!』をよろしくお願いします。


走る。走る。走る。

街を走る。広野を走る。樹海を走る。雪原を走る。砂漠を走る。

自分の背中を太陽と月が照らしながらも走る。

雨、風、雪、雹が身体を叩いても走る。

川、岩、崖、門、要塞が道を塞ごうとも走る。

ただ、ただ走り続ける。

その先に自分の求めているものがあるはずだ―――!!

 

 

 

 

 

 

 

 

「……長、……い長、……隊長!」

 

自分を呼ぶ声に女は夢の世界から引き戻された。

目をかっと開き、立ち上がったのは、女性的な肢体をぴったりとした黒い軍服に包んだ金髪の女性だ。

自分を呼んだであろう部下が心配そうに見つめている。

 

「大丈夫ですか……隊長?もしかして身体になにか不調がありましたか?」

 

目に心配と興味の混じった色を見て、隊長は落ち着いた低い声で答えた。

 

「……大丈夫だ。いつもの夢を見ていただけだ」

「夢……隊長がずっと同じ夢を見ているとは聞いていますが……どんな夢を見ているんですか?」

「なに、ただ走る夢だよ。ここに来てから眠るたび、ずっとな。不思議と飽きることはない変わった夢だ」

「……あのもし宜しければ、私が診ましょうか?原因がわかるかもしれません」

 

自分の身体を診察できることによる興奮で顔を紅潮させている。

この身体は組織の長、『局長』が調整したもので、それ以外の者には注射針を打つことも禁止されている。

それを理解して自分に言っているのか、心臓の鼓動の激しさから緊張しているのが分かり、隊長は笑みを浮かべた。

その表情で部下の顔が怯えたものに変わる。

 

「ああ、そこまで怯えなくてもいい。君の状態がおかしくてな」

「そ、そうですか……」

「それにこの夢の相談は既に局長にしている。彼女も『夢は肉体よりも精神的要因が強い。私にはお手上げだ』とな……。それより私になにか用があったのではないか?」

 

隊長にそう言われて部下は思い出したようにピクリと震えた。

鼓動がより激しくなり、汗をかき始めた。

 

「は、はい。局長がお呼びです」

「実験体の管理、及びアクシデントに対する処理、なにか問題が発生したのか?」

「はい。実験体の脱走……と、聞いております」

「……そうか。わかった。すぐに行く」

 

 

 

 

 

 

 

 

この基地が建設されたのは数十年前に遡る。

かつてこの地まで勢力を拡大させた危険種『ブレイドホーネット』。

その脅威はかつてこの地に住んでいた人々を震撼させた。多くは自分たちの行く末に絶望し、あるものは静かに、またあるものは享楽的な日々を過ごした。だが、彼らの中に戦おうと考える者がいた。

その者は志を同じくする者たち、そして領主の手を借りて要塞建造の計画を進めようとした。人手が足りない状況の中、それでも集まった仲間たちにより森に工事が続いた。

しかし、彼らの予想よりもずっと早く、ブレイドホーネットは全滅した。工事は地下を完成させるも、途中で放棄され、要塞化計画は歴史の闇に消えた。

ところが、闇の中に埋もれながらも、その要塞は、決して死んではいなかった。『ある集団』が目をつけ、工事を引き継いだ。そして、彼らの活動拠点として完成させたのである。

 

 

 

 

 

 

 

森の地下、その部屋は自然を感じさせるものはなく、近代的な材質、設計されているその場所は要塞化計画に目をつけた集団により、増築されたものだ。

あらゆるところを太いパイプが這い回り、天井と床、一部を除いた壁面をみっしりと覆い尽くしている。広さの割には異常な圧迫感に包まれている。

だが、部屋の中央だけ、ぽっかりと空いた箇所がある。

その部屋に一つだけしかない扉が重い音を出して開き、恐る恐る一人の男が出てくる。

きょろきょろと周りを見渡し、恐怖のため身体を震わせている。

 

『1719号、中央まで向かいなさい』

「ひっ……」

 

部屋に響く声に男は小さな悲鳴を上げるが、命令に従わない者の末路を知っているため、中央まで走る。

すると、中央から台が上がる。

台の上にはいくつかの鋭角の角を持つ黒い兜―――いや、仮面が置いてあった。

明確に『顔』がついた造形の仮面は鋼のような鈍い光を持っていた。

男からすればその顔は地獄の悪鬼のような形をしていた。

 

『その仮面を被りなさい。結果次第では貴方を自由にします』

「……」

 

響く声を聞きながら、仮面を見つめる。

仮面の細い双眸を見るだけで自分の生命を吸い取られてしまいそうだった。

触れると冷たい氷のような感触が伝わってきた。

 

『……早くしてください。それともせっかくのチャンスを無駄にするつもりですか?まぁ、別に構いません。貴方の代わりなどいくらでもいるんですから』

「っ!」

 

声の持ち主から苛立ちの感情を感じて、急いで仮面を被った。

仮面はすっぽりと頭を収めると―――

 

「っっっっっっ!!!!!」

 

仮面を被った男の頭部から幾億の針が突き刺さったような痛み、或いは、脳をじわじわと削られるかのような痛みが広がる。

しばらくすると、仮面と男の間から血があふれる。

その姿をガラスの向こう側から見ながら、メモを取っている白衣の女性がいる。

この組織のナンバー1と言える女性、通称『局長』だ。

彼女は今、己を悩ませている問題を一刻も早く解決するために実験をしていた。

 

「……分からない。何が足りないんですか?」

 

呟き、メモから目を離すと仮面を被った男が血だまりの上で息絶えていた。

仮面を外そうとしたのか、指が血で染まっていた。

 

「1719号は強化の効果を発揮せずに死亡―――と。あー、聞こえますか?失敗のため片付けをお願いします」

 

後片付けを部下に命令する。

扉から部下たちが現れて、後処理を始め、外された仮面を台におく。

血を浴びた仮面を忌々しそうに睨み、白衣のポケットからタバコの入ったケースを取り出すと扉の開く音が聞こえた。

 

「失礼する」

 

いつものように黒い軍服を着用した女性、『隊長』が入室した。

 

「大変なことになりましたよ、隊長」

「必要な報告は途中、聞いてきた。いくつか、理解できない点がある。そこから確認したいのだが」

 

タバコに火をつけた局長が大きく頷いた。

 

「まず、潜り込んだネズミがアタックしてきた。こちらも被害を受けたが処理に成功……でいいな?」

「ええ。その被害が問題でしてね。すでに修復はしていますが、ネズミどもが破壊した区域が収容所でして……」

「おい、まさか」

「ご想像の通り、実験体のいくつかが逃げ出しましてね。その処理を貴方にお願いしたいんですよ」

「……了解した。逃げたのはどんなタイプだ?」

 

局長から机にあった資料を渡され、隊長は目を通した。

 

「肉体強化型が十二体か……確かにこれは私にしかできんな」

「ここの所、デスクワークしかしてないでしょう。運動がてらにどうぞ」

「……助かる」

 

隊長が資料を脇に挟み、退室しようとするが扉の前で止まる。

 

「ああ、そういえば」

「なにか?」

 

タバコを吸おうとした局長の手からフィルター部分を残してタバコが消えた。

 

「こういうのは止めろ。ただでさえ、不健康な生活をしてるんだ」

 

隊長が指に吸い掛けのタバコをひらひらと揺らし、握り潰した。

 

「それは私のこと?それとも貴女のこと?」

「さぁ、どっちだろうな……」

 

隊長が退室するのを見て、軽くため息をつき、ポケットから新しいタバコをとり出そうとする。

 

「え……?」

 

タバコのケースがないことに気付く。よく見るとポケットが引きちぎられていた。

 

「……ちっくしょう、ストレスが!」

 

局長はメモ用紙を床に叩きつけた。

 

 

 

 

 

 

森に足を踏み入れると、身体が疼くのを感じる。逃げた実験体が近くに潜んでいることを教えてくれる。

木々の隙間から、仮面をつけた実験体がのそのそと姿を現してくる。

 

「精々、抵抗らしい抵抗をしてくれ……」

 

呟くと、隊長は逃げ出した実験体の目の前にいた。

突然、目の前に現れた隊長に固まった実験体の脚を掴み、振り回すようにして、もう一体の実験体にぶつけると、二体の実験体は激突の衝撃に肉体がバラバラに砕け散った。

すると、背後から既に飛び掛かった実験体がいる。

隊長は慌てず振り返り、下から上へ右腕で掬うように実験体の胴体を掴む。

掴まれた実験体が束縛から逃れようと必死にもがくが、五指はしっかりと喰い込んで逃がすようなことはなかった。

 

「ふんっ!」

 

そのまま実験体の身体を地面に叩きつけると、頭が砕け、同時に、血が噴き出る。

 

「呆気ない……」

 

残った実験体が隊長の姿を見ると襲い掛かってくる。

拳を構えることもなく、ただ突撃をして腕を振るうだけの単純な攻撃。

組織の最高戦力である隊長からすれば、子供のじゃれつきに等しい。

技というものを使うまでもなく、拳の一発をぶち込めば、それでこと足りる。

 

「……歯ごたえが無さ過ぎる」

 

胸に鬱屈としたものを抱えながら頭を握り潰した。

 

「あと八体か……」

 

血で汚れた拳を払うと、残りの掃除に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

背後からの攻撃に反応できたのは、ひとえにコウマの桁外れの運動神経のおかげだった。

頭で考えるよりも先に身体が動いた。

ガンッ!!

重い響きを背中に聞きながら、地面に転がった。

立ち上がったコウマは先ほどまで自分がいた場所に腕が突き刺さっているのを目にした。

転がっていた首も潰れていた。

そして、その前に立っていたのは……。

 

「……馬鹿な」

 

ついさっき壊れたはずの仮面をつけた……男がいた。

同一人物に見えるが服装と大柄なラインの身体を見て、別人であることが分かる。

身体にはぼろ布ではなく、ぴったりとした黒い服を着込んでいる。

仮面の隙間から見える目は先ほどの男と同じ知性というものを感じさせなかった。

男の仲間か、と言葉が頭を過ぎった。

 

「うっ……」

 

威嚇。

感情が込められた耳を刺す金属音が響き、コウマは顔を歪め、怯んだ。

その隙に新たな仮面の男はコウマに向かって、口からなにか赤いものを吐き出した。

舌だ。鞭のようなしなやかさを持って右手に絡みつく。

服を越して肌に食い込む舌を爪で切り落とそうとする。

コウマの視界がぐるりと回転した。

男は踊るように大きく上体を振り回した。

男の動きにつられて、コウマはふわりと浮き上がると、地面に叩きつけられた。

 

 

 

 

 

 

 

その戦いを見ていた観客が一人いた。

森が作り出す影の中から隊長はその戦いに見入っていた。

実験体が残り二体になり、気配を感じた方向に足を進めていると強化された視覚が刎ねられた首を捉えた。

普通ではあり得ない光景に思わず、混乱したが、次に首を刎ね飛ばした者の姿を見て、強い興味が胸を支配した。

 

(あの実験体を倒したのは何者だ!どんな男だ!いや、女か!得物はなんだ!どうやって強化された肉体を持つ実験体の首を刎ねた!)

 

顔が隠れていたため体格で男だと、腕から生えた稲妻を模した二連の鉄の爪が得物だと知った。

 

(あの爪で倒したのか!相当の業物だ!武器の質を見れば、持ち主の実力が分かるとはよく言ったものだ!強い!修練を積んだ実力者だ!)

 

抱いていた鬱屈としたものなど吹き飛び、興奮が胸を焦がしていた。

自分にまだこのような感情が残っていることに驚きながら、最後の実験体と男の戦いを見守りながら、心中で叫ぶ。

 

(さぁ、見せろ!お前の力を!速さを!技術を!磨き上げた強さを!)

 

 

 

 

 

 

 

「かっ……!」

 

間一髪、受け身をとって衝撃を和らげるが、空気が漏れる。

 

「こなくそっ……!」

 

舌を斬り、拘束から逃れることに成功する。

 

(無様だっ!)

 

一瞬とはいえ、相手にいいようにされた自分に憤りながら、意識の底から湧きあがった怒りに引かれ、すぐさま立ち上がる。

胸を焼く怒りを身体を奮わせる燃料にした。

男は舌を斬られながらも平然としており、歯をカチカチと鳴らしている。

 

「俺を笑っているのか……!」

 

その瞬間、コウマは吠えた。

心の奥底に封じた黒いなにか、それが暴れ出した。

両の手甲の爪をぶつけ合わせて、火花が散る。

叫び声を上げながら、男に突進していく。

コウマの様子にただならないものを感じたのか、男はとっさに横に逃れようとした。

だが、コウマのほうが一枚上手だった。

男の動きを事前に察知し、右に跳び、その勢いのまま、無駄な力を込めず、けれど膂力を惜しみなく注ぎ込んだ一撃で右手を狙う。

一撃は人の肉を削るだけの軽い威力ではなく、相手がどれほどの固さがあろうとも、肉も骨も一緒に叩き斬る攻撃だ。

怯む隙を与えずに胸に爪をねじ込む。

その口から舌が吐き出され、コウマの腕に絡みついた。

それでも、彼は怯まない。

爪で再生しようとする傷口を深く深くかき回す。

その勢いに、流石の男も仰向けに引っくり返った。

さらに舌が伸ばされ両腕を手錠のように縛られながらも、追い打ちをかける。

倒れている男の顔めがけて、爪を振り下ろす。

一瞬の抵抗の後、仮面が砕けた。

再び爪を振り上げると―――

 

「ぎゃああああああああっっっ!!!」

 

叫び、男ががむしゃらに暴れた。

腕を拘束していた舌も緩み、一旦距離をとる。

男はコウマのことを気にせずに自らの顔を叩く。

顔に手をやりながら、腹につけるというエビのような体勢でのたうち回る。

次第に、叫び声も小さくなり男の動きも止まった。

死んだ―――

その事実を認識したコウマは体力の消費よりも精神的な疲れにより、爪を仕舞いながらふらふらと尻持ちをついた。

 

 

 

 

 

 

 

戦いを見終わった隊長は余韻に浸る中、自分に与えられた制限を反芻していた。

 

『見られるな。干渉するな。貴女の存在を知られるな』

 

この制限は他ならぬ局長との約束であり、守らないわけにはいかない。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

仕事はすでに終わったのだ。後は帰り、報告するだけ。

男の実力はすでに理解した。

血の滲むような鍛錬の末に、若いながらも確かな実力を得ている。

とはいえ、大した問題ではない。

まだ発展途上なのが残念だが、あの実力ならば、目も、耳も、鼻も、腕も、脚も、全てにおいて自分のほうが勝っている。

だから、相手に察知されずにこのまま引き返せばいい。

 

(そうだ。帰って今まで通りに……)

 

組織に入って以来、心に変化はなかった。

組織最強の存在としてあるが故に、誰かに脅かされる不安も恐怖もない。

そう今までの自分の心に変化は―――

 

 

 

 

無さ過ぎたのだ。

 

 

 

 

自分は今、目の前にある希望に心が熱くなっている。

 

 

 

 

その耐え難い熱は、彼女の心を溶かし、不安定にさせた。

我慢できない。

隊長は目に映っている希望に突撃した。

 

 

 

 

 

 

 

コウマの発動させた『心眼』が高速で接近する存在を捉えた。

その方向へ向いた時に最初に目にしたのは両脚を揃えたブーツの底だった。

手甲で顔を隠すようにして防いだが、衝撃で、身体が一気に投げ出される。

 

「かっ!」

 

蹴りを放った存在が未だ空中にいる自分に複数の石を投げてくるのを察知する。

僅かに痺れた腕で石を弾くが想像よりも遥かに重かった。

一発一発が弾丸の威力に匹敵していたため、石が命中した腕は威力に押し負けてさらに後方に投げ出された。

 

「く……そっ!」

 

『心眼』で背後に大木があるのを確認し、叩きつけられる事を防ぐため手甲からの爪を刺し、どうにか堪えた。

爪を引き抜いて地面に着地するとパチパチと拍手が聞こえた。

 

「見事だ。普通なら避けようとする石を迷うことなく手甲で防ぐ。その思考からも、君が相当の実力を積んでいることが分かる。素晴らしいな……少年」

 

コウマは黒い軍服を着た金髪の女性を睨んだ。

 

「あんたこそいきなり蹴りをかますなんて大した軍人だよ。上官の顔が見てみたい。さぞ、酷いやつなんだろうな」

「ああ、私の上官ははっきり言って外道だ。三人目なんだが前の二人も外道だったな

懐かしむように目を細める隊長にコウマは警戒心を強くしながら考えた。

 

(軍服からして帝国軍か?いや、あんなデザインは見たことがない。特殊部隊に所属しているのか?)

「おっと自己紹介が遅れたな。私は『隊長』という名前を持っている。君にもそう呼んで欲しい」

「……『隊長』?」

「そうだ。ある組織のナンバー2といったところだ」

「……その組織の隊長がどうしてこんなところにいるんだ?」

 

その言葉に隊長は笑みを深めた。肉食獣のような笑みだった。

 

「仕事でね。逃げ出した実験体を始末するんだが……歯ごたえが無さ過ぎてうんざりしていたんだ。そんな中、私は希望を見つけたんだ」

「希望……?」

 

ああ、と隊長が陶酔するように呟くと―――

 

「君は組織の……私の希望なんだ」

 

まずい……とコウマは刹那に思った時には、胸にドン!と掌底が打ち込まれていた。

胸を打たれたのではなく、胸骨を打たれ、その衝撃が身体を通して心臓に達し―――

 

 

 

たったの一撃でコウマの心臓は停止した。

 

 

 



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第十六話

投稿が遅れました。
文章を書く際、『こうすればいい』、『こうした方がいい』と考え、書いては消してを繰り返してしまいました。

原作キャラの登場も無理矢理かもしれません。
では、最新話どうぞ。


空が橙色に入り始めた頃、シナモ村は騒がしかった。

人が動いて作られる音、作業によって響く音、物音に興味や驚きをもって応じる大人や子供、牛や馬、鳥や犬猫の音が混じり、辺境の村を明るくしていた。

そんな喧噪を、間近に、しかし距離を取って見られる場所で二人の人影が眺めていた。

その内の一つが、

 

「クロメ、いくら貰ったからといって、今食べるのはやめましょう。

 まだ夕飯前、我慢することは出来ませんか?」

 

という言葉の飛ぶ先、隣にて、袋に入ったクッキーを次から次へと食っているクロメにサキは注意した。

クロメは袋を空にすると、振り向く。

 

「折角貰ったお菓子なんだから、早く食べてあげるのがせめてものお礼になる。

 それにほら、『お菓子は別腹』って名言があるし、大丈夫だよ」

「ええ、私もその名言は好きです。

 けど……貴女の場合、そのお菓子いくつめですか?」

「四つ目」

「食べ過ぎです!」

 

ロウレンモンキーを討伐し、後片付けをしていた際に、突如きた帝国軍。

招かれざる客の彼らに当然サキとクロメは警戒した。

最近の帝国軍ははっきり言って、村を滅ぼしにきたということを考えさせるほどに酷い。

だが、警戒は杞憂に終わった。

彼らは良識派と言える者たちであり、辺境の村に対して食糧を渡し回っているようだ。

ロウレンモンキーの被害を受けたシナモ村の住人からしたら、受け入れない理由もなく彼らを歓迎した。

 

「それにしても、コウマ遅いなぁ。森で迷ったってことはあり得ないし……」

「コウがいれば探せれるのですが、下がらせたのは失敗でしたね」

 

金剛餓狼のコウは現在、村から離れている。

超級危険種のコウが帝国軍に見つかれば、彼らとそれをまとめる帝具持ちの将軍との激戦は免れないためだ。

菓子がなくなったクロメは時間を潰すためサキに話しかけた。

 

「ねぇ、サキ」

「ん?」

「サキが強くなろうと決心したのはいつ?」

「へ?」

「サキはさ、私と会う前からとても強かったじゃん。

 だから、どうして強くなろうとしたのかなと思って」

 

その言葉にサキは驚くが、すぐに笑みを浮かべた。

 

「なら、コウマ様の印象について教えてください。

 そしたら、教えてあげます」

「え、んー、……コウマってさぁ。何というか、真面目過ぎるよね。

 それでいてなんかこう……真っ直ぐな感じ」

 

そうですね、とサキが続く。

 

「コウマ様はとても優しい方です。

 他人のために頑張ろうと考えることができる極上のお人好し。

 けど、他人のことを考え過ぎて自分のことを疎かにしてしまう人」

「……それって褒めているの?」

「褒めていますよ」

 

サキはコウマがいるであろう森に視線を向ける。

 

「私の両親が生きていた頃、一度コウマ様を見たことがあります。

 雰囲気からして、あの頃から当主の息子としての自覚があったのでしょう。

 当主の息子として、守るべき者を守るために、様々なものを取り組んで強くなることに努力を続けてきました」

 

サキが話しながら目を細める。

 

「金剛餓狼が里を襲撃し、キバたちの親になった後から強くなることにもっと貪欲になりましたね。本当に……自分に厳しく、人に優しい方です」

 

サキがクロメを真っ直ぐな瞳で見つめた。

その目にクロメは思わず、息を呑んだ。

 

「クロメ……コウマ様が甘えを見せているところを見たことがありますか?」

「え?……あ」

 

唐突な質問に声が出たが、しばらくしてクロメは気付いた。

コウマは自分が負傷した時など、気兼ねなく甘えが要求できる立場になった時しか、甘えを見せない。

 

「自分に厳しく、強くなろうと思っているコウマ様にとって、守るべき人たちに甘えるということは理由を付けなければ、難しいのかもしません」

 

だから、とサキは加えた。

 

「けれど甘えは、それこそ人それぞれ。だからこそ……誰でも持っていると私は思います。

 そのために私は強くなることを決めたんです。守られる存在ではなく、あの人の隣に立てるようにと。私も対等な人間になれば、あの人は自由に甘えることができると」

 

告げて、すぐに小さな息を吐く。

その顔はどこか憂いを帯びていたが、すぐに消えた。

 

「まぁ、今の言葉は当事者のいない推測のもの。気にしないでください」

「……」

 

サキの言葉を聞きながら、クロメはあることを思い出していた。

コウマはかつて自分を助けるた時、危険種に対して過剰な攻撃をした。

敵対した存在に容赦がなくなる。

コウマにはそんな一面があるのだ。

いや、もしかしたら―――

嫌な考えを頭を軽く振ることで追い出し、クロメは立ち上がった。

 

「どうしました?」

「ちょっと……動いてくる。私も頑張らなきゃと思って」

「ふふ。夕飯には戻ってきてくださいね」

 

クロメは首肯で答え、駆けていった。

 

 

 

 

 

 

 

クロメの背を見送ってサキは森に目を向けた。

 

「コウマ様、私たち……今、どうですか」

 

つぶやいた瞬間、気配を感じた。

 

「!」

 

慌てて背後に振り向く。

コウマのことに想いを取られていた結果だ。

サキにはコウマが習得している『心眼』のような感知能力はもっていない。

出てくるであろう相手に警戒して、一歩下がる。

危険種ならば携帯している武器を叩き込むつもりだった。

そして、現れたのは、自分より年上の若い女性だった。

長身で、銀髪を後ろに三つ編みで結び、背には大型のライフルを背負っていた。

現れた意外過ぎる人物の名前をサキは呆然と呟いた。

 

「ナジェンダ……将軍」

 

 

 

 

 

 

今、シナモ村にいる軍人をまとめる将軍が現れたことにサキは固まってしまった。

これなら危険種が飛び出してくる方が断然マシだった。

自分は帝国によって滅ぼされた一族の一人、もし素性が知られたりしたらかなり不味い。

自らに対する追及は何としても避けねばならない。

 

「君はここの人か?」

「は、はい。あの将軍なんて立派な方がどうしてここに?」

「なに、一服できるところを探していてね。折角だからいい場所をとね」

 

ナジェンダはコートのポケットからひしゃげたタバコ箱を取り出した。

 

「吸っていいか?」

「どうぞ」

 

そして、もう一度コートに手を突っ込み、今度は別のポケットから形の歪んだライターを取り出した。

 

「ふぅー」

 

一息吸い、吹かれた煙が風に飛ばされ消えていく。

 

「ああ、ここはいい場所だ。いい場所で吸えばタバコの味も増すな」

「そ、そうですか。ここお気に入りの場所なんです」

 

サキはなるべく笑顔で答えるが、その顔が堅いことを感じた。

そんなサキの姿を見て、女将軍は薄く笑った。

 

「……ほう」

「え?」

「いや、何でもない。それよりも気を付けた方がいい。ロウレンモンキーは確かに退治されたが、全滅した訳ではない。残った奴が怒りを抱いて復讐してくる可能性もある。しばらく単独行動は控えた方がいい」

「あ、ありがとうございます」

 

とサキは自分の正体を隠すことに決めて、感謝の言葉を述べた。

ナジェンダはそんなサキに軽く頷き、爆弾を落とした。

 

「まぁ、君のような者には心配無用かな」

「―――!」

 

反射的に、サキは身構えた。

草を踏み、右足を引く。

背に汗が流れ、風と共に身体を冷やしていく。

 

「そんなに警戒しないでくれ。別にとって喰うわけじゃない」

「……では何故この村に?」

「言っただろう。村に食糧を渡しにきただけなんだが」

「それは……表向きの話ですよね。兵の数、武器が多すぎます。まるで戦いに備えているようにしか見えません」

 

問いにナジェンダはタバコをもみ消してサキに向き合った。

顔には笑みを持ったまま―――

 

「この村の村長といい、君といい、辺境には隠れた戦士がいることを教えられるよ。それに悪人にも見えない。まぁ、君には教えておこう。私たちが来た目的は―――」

 

女将軍の顔から笑みが消える。

目には怒りの炎を轟々と燃やしており、その目にサキは一瞬、気圧されてしまった。

 

「民を動物と扱う外道の殲滅だ」

 

 

 

 

 

 

 

世界が暗黒に包まれていた。

 

 

 

何も見えない。何も聞こえない。何の気配も感じられない。

自分が宙に浮いているようだった。

頭を働かせようとするが、あらゆることが同時に発生し、消滅していった。

幼いころ父にナイフをプレゼントされた。母に度が過ぎた練習をして注意された。里を襲った危険種から少女を救った。父の危機に駆けつけ、共に危険種を討伐した。危険種から三匹の子供を託された。三匹を立派に育てるために四苦八苦した。成長した三匹の背に乗って感動を覚えた。樹海の悲劇から少女を助けた。強大な危険種を独力で倒した。それから―――。

最後は腰まで届く金髪の女性の姿が映ったところで終わった。

思い出す過去には痛く辛いこともあったが、とにかく懐かしく感じた。

だが、一つ気になるのは、ずっと、自分のことを遠くから見つめている二人の少女の姿だった。

心配そうな顔をして見つめてくる二人を見て、なにか大切なことを忘れていることに気が付き、再び、頭を働かせようとすると、空間に何かが響いた。

それは最初、薄ぼんやりとわななく波動のようにも感じた。

意識を波動に集中すると、次第にそれが音だと認識することが出来るようになる。

音の元に向かおうとすると、人の足音であることが理解できた。

 

「おはようございます、少年」

 

すぐ近くで声がしたため、まだ覚めない意識のまま、コウマは周囲を見渡すが、闇しか存在せず、姿を見ることはできなかった。

混濁した記憶を遡る。

森に潜った後、仮面をつけた謎の人物二人を倒した。

そして突如現れた軍服の女性に襲撃され―――

 

「っ」

 

顛末を思い出したため身体を動かそうとするが、手足がまったく動いてくれなかった。

 

「っ……っ!」

 

当惑に襲われて身悶えするが、身体がまったく動いてくれない。

寝台の上で仰向けにされたままの状態。

自分を戒めるものは何も身についていないはずなのに、起き上がることも、両手足を動かすこともできないのだ。

 

「ご機嫌はいかが?よく帰ってきました。私の処置があったとはいえ、君は自らの力でこの世界に戻ってきました。素晴らしいです。まことに素晴らしいことです。隊長がドアをぶち抜いてきた時は驚きましたが、君という逸材を診察できたのは喜ばしい」

「待て……お前は……誰、だ?」

 

それだけの短い言葉を吐き出すのに、コウマは酷く苦労した。

口の中がからからに乾いていて、舌が満足に動いてくれなかった。

 

「ええ、私は『局長』。君の心臓を止めた『隊長』の上司でこの組織のトップです」

「……」

 

「君はあの隊長が連れてきた大切な客人です。だから、君の身体……徹底的に調べさせてもらいましたよ。大丈夫、どこもいじってません。身体が動かないのは、薬を打った……ああ、後遺症のない安全なやつです。さて、私たちもお客様の準備ができていないので、また眠ってもらいますね……」

 

その声と共にコウマの意識は再び闇の中に落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

目が覚めた。

どれだけの時間が経ったのか分からない。

五分かもしれないし、一時間以上経ったかもしれなかったが、本能がじっとしているわけにも場合ではないと教えてくれた。

だが、身体は動かない。苦心の末、指先を僅かに曲げるのが限界だった。全身が痺れ、眼球を動かすことさえ、苦痛を伴った。

 

……身体はまだ動かないが、感覚は戻っているな。

 

コウマは目を閉じて、『心眼』を使った。

万全の状態では無いため範囲は狭いが、菅を通っていく空気、工事による鉄と鉄のぶつかりあい、複数の人を察知することができた。

 

……ん?

 

人が一人こちらに禍々しい気配を伴って近づいてくる。近づくにつれてその姿が解り、頭が警報を鳴らす。

がらがらと喧しい音を立てて、金属製の大扉が開いた。

眩しい光を背にして、入ってきたのは黒い軍服を着た金髪の女性、『隊長』だった。

 

「やぁ、少年。お目覚めの気分はどうだ?

 ま、ぐっすりと寝ていたんだ。

 まだ寝たりないなんて言ったら、罰が当たるだろうがな」

「お前は……!」

「ほぉ、もう声を出せるまでに回復したのか。やはり薬に対しても強い抵抗力を持っているんだな」

 

隊長の笑顔を見て、コウマは背に冷たいものを感じた。その笑みは親愛のものではなく、好物の料理に向けるような笑みだった。

 

「お前は……何だ?タイミングがよすぎる。

 どうして、俺が目を覚ましたとわかった?

 どこかに監視でもつけているのか?」

「ほう、よく頭が回るな。名推理だ」

 

隊長は軽く手を叩いた。

 

「本来なら薬でちゃらんぽらんなはずなんだがな。

 それにこんな状況でも取り乱したりしない胆力。そして疑り深さなのもいい。

 外側だけでなく、内側もとは、才能だけではないな」

 

すたすたと歩いてくると、隊長はコウマが横になっている寝台に腰を下ろした。

コウマはそんな隊長から視線を外さないまま、身体の回復を待った。

 

「そうカリカリするな、少年。残念ながら君は厄介なことに巻き込まれた。この肥溜めで腐ったような組織にな」

 

 

 

 

 

 

隊長は、組織について説明した。

 

「とある流浪の民族がいた。『強靭な肉体と健全な精神を得るには過酷な試練を克服し生きてぬくこと』が思想だった。砂漠、密林、雪山、一族の人間はそんな場所を暮して生き抜いていき、結果としては、多少マシな強さを得ることができたようだな」

 

 

「だが、先祖を超えるためにある代が毒沼を住処として選んだ。過去の者たちが住んだところでは意味がないと思ったからだろうな。沼からあふれてくる瘴気は殆どの者の身体を蝕んでいき、ダメにした」

 

 

「民族の全滅を避けるために毒沼から離れたのはいいんだがな……既に手遅れだった。毒は民族の身体奥深くにまで強い傷を残していた。現世代の者は短命、次世代の子供たちは奇形や障害を持っていた。強さも常人の半分程度という」

 

 

「ぬるま湯のような環境でしか生きていくことが出来ない。民族の全てがその結果に嘆いた。先祖が積み重ねた歴史をぶち壊してしまったようなものだ。そして、ここから民族は歪んでいった」

 

 

「再び、身体を強くするために薬と、身体を切り刻むことに手を出し始めたんだ。薬を『毒』、手術を『環境』と強引に解釈することで受け入れた。まぁ、やってみたのはいいが、民族の技術では限界があってバッタバッタと死ぬだけだった」

 

 

「行き詰った民族は外部からの協力を得ることにした。帝国の技術者……といってもはぐれ者の集団だけどな。彼らはとある帝具を所有していた。謎が多いが分かるのは、帝具の能力はインクルシオやバルザックのような……おっと知らないか。簡単に言えば装着者のあらゆる能力を増幅させるものだ」

 

 

「インクルシオは竜の筋肉によるアシスト、バルザックは潜在能力を全開まで引き出してくれる。あの帝具も似たようなものだが、装着者の能力を上げると共に、バルザックには出来ない限界以上の力を与えてくれる。その能力を解析すれば、強さを取り戻せると同時に強くなれるとして民族を犠牲にしながら研究をしていき、今がある」

 

 

 

 

 

 

話を終えた隊長はふぅと息をついた。

 

「ま、こんなところだ。君が倒した仮面の二人、彼らも実験の被験者でね。つけている仮面が帝具の能力を解析してできたものだ。あの仮面は本来、人が持っている能力を刺激して、強化するんだが……劣化品の仮面でも、その刺激が強烈なために最悪、死ぬ。良くても、理性が崩壊して獣も同然になってしまう」

「……待て」

 

隊長は振り向いた。寝転んでいる彼が目に怒りを灯しながらこちらを睨んでいた。

 

「つまり、お前たちは帝国の軍人なのか?」

「いや、帝国とはすでに縁を切っている。恐らく、私たちのことも知らないだろう」

「……被験者はどうやって集めた?」

「民族が減少した後は、適当に拉致した……んだろうな」

 

答えた瞬間に、拳が隊長に直撃した。

 

 

 

 

 

 

隊長が説明を終えた時には、コウマの身体は回復していた。

自分が横になっていると油断させたまま、腹筋の力だけで思いっきり起き上がり、勢いをつけ顔を殴る。

女性の顔面を殴るとてもアレな行動をコウマは、相手が非公式な組織の人間、人を実験動物扱いする外道と判断し、自身の心臓を止めれるほどの技量の存在に手加減は無用として行った。

狙うは人中。

神経が交差する部分であり、強い衝撃を受ければ即死の可能性がある急所。

そんな場所をコウマは顔を砕く勢いで殴った。

突き出ている中指が直撃した。

 

……岩!?

 

拳から伝わる相手の感触に、コウマは目を見開いた。

顔にある薄い皮膚の下の感触が岩……いや、もっと高密度な硬いなにかを連想させた。

 

「……ははっ」

 

のけぞった体勢のままの隊長の笑い声が聞こえる。

 

「腹筋なら私も負けてないぞ」

 

隊長は背を弓のように反り返った体勢から腹筋を使った頭突きが放たれる。

 

「……っ!!」

 

頭にうけた衝撃で何度目かになる気絶を味わった。

 



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第十七話

予定まで進まなかった!
テスト期間で時間がうまくとれない!
視点がコロコロ変わって違和感が!

そんな感じで生まれた話です、どうぞ。


身体が浮いている。

コウマは誰かが自分を抱えあげているのだとわかり、抱えあげている人物の長い金の髪が揺れるのが見えた。

 

 

「……ぁ」

 

 

地面に下ろされると頭蓋を掴みあげられ、いつしか自分が太いパイプが這い回り、異常な圧迫感に包まれている空間へと連れて来られていた。

 

 

「見ろ」

 

 

隊長はコウマに目の前のモノを見せ付ける。

 

 

「――――――!」

 

 

鬼の顔がむせ返るような血の臭いを漂わせて、そこにあった。

否、生き物の顔というには、あまりに違和感がある。

それは鋼で作られた黒い仮面。

沈黙し、光を失っている双眸。いくつに伸びる鋭角の角。尖った黒い牙。

鋼の仮面を見たコウマは、憑かれたように、その悪鬼めいた顔から視線を外すことができなくなっていた。自分が今、非道な組織に捕まっていることすらも、頭から消し飛んでいた。

隊長が実験体といっていた者たちが付けていた仮面とは違う、冷たい妖しい雰囲気を醸し出している仮面には、目を逸らすことができない『何か』があった。

 

「これは、まさかっ?」

「気付いたか。我々が所有している帝具だ。

 名は資料を失ってしまったため知らないがな」

 

絶句しながらも眼前の帝具を見つめるコウマ。

対して、帝具という想像の埒外にある物を突きつけられ、混乱するコウマを他所に、隊長は鋼の仮面へ、そっと手を触れる。

 

 

「どうだ、おぞましい気配を感じるだろ?まるで呪いの魔剣だ。この仮面の力を得るためにどれだけの者が手を伸ばして、血が流していったのだろうな」

 

 

仮面の帝具は、無骨さを醸し出し、一般的な感性からすると、お世辞にも美しいとは言い難い。

だがコウマもまた、混乱しつつも、隊長と同じ印象を抱いていた。

 

 

これは武器、いや、力だ。

 

 

自分が扱ってきた武器のソレとは異なりながらも、どこか凌駕するソレに、戦う者としての彼の本能が共鳴していたのかもしれなかった。

無意識の内に、擦れた声が男の喉から零れ落ちる。

 

 

「……こんな物をどうするつもりだ」

「聞かなくてもわかるだろ」

 

 

―――お前に被せるためだ。

 

 

と、言葉にはせずとも語る隊長は凄みのある笑みを見せた。

 

 

 

 

 

 

『隊長、いいところ申し訳ございませんが早くしてください』

「わかった、わかった。だがな、こういうのは雰囲気が重要なんだ。ようやく私が見込めるほどの戦士が見つかったんだからな」

 

と、響く局長の声を聞きながら、隊長は思った。

 

……本当にようやく見つけることができたんだ。

 

この少年がそれに相応しければいいと、隊長は思い、

 

 

「頼むぞ」

 

 

鬼の仮面を手にとって、少年の頭上に掲げる。

 

 

……ああ。

 

 

目の前の希望がどうなるかはわからない。

だから―――

 

 

「喰われるな、喰い返してくれ少年。君は私の希望なんだ。―――私の身勝手な願いを叶えるために、立ち上がってくれ」

 

 

そう、

 

 

「私を倒すために立ちあがってくれ」

 

 

仮面を少年の頭に被せた。

 

 

 

 

 

 

仮面が頭に被せられた圧迫感に、獣の口内と感じ、次にやってきた痛みに自分の頭が噛みつかれたと錯覚した。

痛みは無数の棘が浸食していくようなもので、コウマは絶叫する。

だがその叫びも虚しく、仮面はコウマを蝕んでいく。

容赦のない痛みに、視界も血で流されたように紅く染まり明滅する。

その時、痛みと恐怖に掻き乱された思考は声を聞いた。

 

 

―――か■■、■が■た。

■き■■とす■■■をひ■■らに■■続けた■が■た。

 

 

痛みを伴う声に、ありったけの力を振り絞り、コウマは声の限りを尽くして叫んだ。

 

 

 

 

 

 

仮面がつけられ十分。

 

「……どうだ?」

 

隊長から見て、少年の様子は明らかにおかしかった。

仮面に隠されているため表情はわからないが、全身を小刻みに震わせて痙攣していた。

装着者の大抵が帝具を付けた途端、仮面を取り外そうとして死んでいく。

少年のような例もないわけではないが、ここまで長いのは初めてだ。

 

『……隊長』

「いや……まだだ。きっと、この少年なら……」

 

そうだ。

全てを失ったあの時から自分は待っていたのだ。

ぽっかりと開いた空洞に希望が現れるのを。

『組織』最強の自分を真っ直ぐな思いで打ち倒してくれる者を―――

 

 

……それがこの少年だ!!

 

 

実験体を倒した時の、あの姿。

それを見た時の、胸の高鳴り。

あれは待ち望んでいた希望だった。

 

 

「諦めるな。ここにいるぞ。

―――倒さなければならない悪がここにいるんだ」

 

 

ただ、ただ曇りのない言葉が響いた。

 

 

 

 

 

 

―――かつて、男がいた。

生きようとする人々をひたすらに守り続けた男がいた。

 

 

 

弱き者たちを守るために自らが作り上げた鎧を身に纏い戦った。

襲い掛かる敵を前に男は、鎧を砕かれ身を傷つけながらも戦った。

鎧が砕ければ鍛え直し、その鎧に釣り合う肉体にと自らも鍛えた。

その鍛え直された鋼の身は驚くほど強固で、戦士たちの剣も槍も折れた。

戦い、砕かれ、直し、鍛えるこれが男の人生だった。

それでも敵は無数にいた。

異国の兵、異形の怪物にただ戦い続けた。

数えきれない戦いの中、ついには男の肉体が限界を向かえ、筋肉、内臓、血液、神経は砕かれていった。

男は鎧と骨だけになった。

それでも男は微動だにせず不動の姿勢を貫き通した。

敵は男の骨も残さず砕いていった。

その身を全て失い、残ったのは鎧だけ……。

否、鎧と共に残されたものがたった一つある。

それは―――

 

 

「■■■■■■■■■■――――――――ッッッッッ!!!!!」

 

 

コウマ、いや、鬼が―――吠えた。

 

 

 

 

 

 

 

「なっ……!」

 

ぎんっと耳を貫く金属質の高音と、大地を揺らす轟音が同時に響いた。

その音圧に、目の前にいた隊長は吹き飛ばされた。強化ガラスを挟んだ部屋にいた局長は耳を押さえながらも両足を踏みしめて踏ん張った。

自らの叫びに煽られたように、鬼は両拳を高々と突き上げた。

振り下ろされた両拳が風を切ってパイプに覆われた地面を打つ。

直後。

大地が四方において断末魔の絶叫をあげた。

 

 

 

 

 

 

局長は破壊の光景を見た。

パイプが金属片を盛大にばらまきながら、断末魔の絶叫……幾重の不協和音を響かせ、地面が蜘蛛の巣状に割れ砕けていく。

 

 

「きゃっ……!」

 

 

基地を揺るがす震動に膝をつく。

それでもすぐにコウマに目を向けたのは、彼女の探求心の強さが伺える。

彼女が見たのは、長大の鉄パイプを持っていたコウマの姿だ。

 

 

「■■■■!!」

 

 

全力の身の捻りによって放たれたパイプは空気の壁を貫きながら、ガラスの壁に激突する。

 

 

「っ!」

 

 

凄まじい衝突音と共にパイプが砕け散ったが、ガラス壁には傷一つ入らなかった。

 

 

「……隊長の腕力を基準に設定して本当によかった」

「■■■■!」

 

 

呟いている間にも、ガラスのことなど知ったことかと叫ぶようにして、再びパイプを投擲してくる。

ガラス壁が震動する。

割れることはなかったが、

 

 

……逃げる!

 

 

ためらわずに局長はこの場から離れる選択をとった。

重要な資料をかき集め、部屋を出る前に少年の方を向くと、

 

 

「■■っ!」

 

 

右手を握り締め、ガラス壁に向かって走ってくる鬼の姿が目に映る。

右腕を大きく振りかぶり、その拳でガラス壁を殴り付ける。

今までの頑強さが嘘のように、一斉に蜘蛛の巣のような亀裂が広がっていく。

 

 

「嘘……あっ!?」

 

 

驚く間にガラス壁は崩壊し、その衝撃に局長は転倒した。

視界が一瞬だけ暗転する。

気を失うことがなかったのは、死の恐怖のおかげ。

自らの死に対する恐れが、鼓動と背筋を震わせ、意思が沈むことを止めてくれた。

まずいと心の中で焦り、身体を起こす。

が、身体の感覚は震えて、力のない動作だった。

身体の芯がしびれていたため酷く大雑把な動きで、両手をつき、起きる。

立ち上がり、視界が左右に揺れるがそれでも前を見る。

前方、黒い和装を身に纏った鬼がいる。対するこちらは逃げ場はあるが、身はまともに動いてくれない。

真正面の鬼が目を狂気に染めて光らせた。

 

 

……来るか!

 

 

局長は奥歯を噛み、真正面を見る。

自分に死を与えようとする力の権化を。

 

 

「おいおい、なんだその無様な姿は」

 

 

すると、局長の視界の中、自分と鬼の間に割り込むように、女の背が入っていた。

 

 

 

 

 

鬼に正面から激突するように隊長は右手を拳の形にした。

 

 

……まずは局長から離す!

 

 

構え、割れたガラスの破片を軍靴で踏み砕く先には、鬼がいる。

相手は素手。だが、自分の『人間』としての腕力を考えて作られたガラスを粉々にした存在に油断はできない。

 

 

「吹っ飛べ!」

 

 

叫ぶと、一歩。

たったの一歩で鬼との距離を詰めて懐に潜りこんだ。

何の足さばきを見せないまま、懐に入りこまれたため鬼が固まっている。

その態度に対して、隊長はただ真っ直ぐに拳を突き込む。

踏み込んだ両足が割れたガラスを激しく揺らし、コンクリートの床を踏み砕いて、繰り出された拳が胸板を直撃する。

もはや胸元で大砲から放たれた砲弾が衝突したも同然の破壊力だった。

鬼は真っ直ぐに後方に吹き飛び、壁をぶち抜いて闇に消えていった。

 

 

「やりましたか!?」

「やってない!」

 

 

局長の言葉に強い否定の言葉が被る。

隊長が右手を軽く振るうと手先から地面に向かって赤い流れが一気に落ちる。

拳はよく見ると指を覆う肉が潰れて骨が露出していた。

量産型の仮面をつけた実験体の肉体を隊長は拳を突き出すだけで貫通できる。

そのことを知っている局長はその光景に目を見開き、息を飲んだ。

血に濡れた右の袖をまくり、ボタンを外すと、一度軽く持ち上げた。

骨が見える指に隊長が力を込めると、肉が凄まじい速さで骨を覆い、元の形に治っていった。

 

 

「確か隣は……よし」

 

 

隊長は、素早い動作で局長を抱え上げ、俗に言う『お姫様抱っこ』を行った。

 

 

「えっ!?彼のこといいんですか!?」

「身体の機能が信じられないほど高くなっている。強化が実験体の比ではない。そんな相手との戦いにお前は邪魔だ」

「っ。……戦力外なのは理解していますが!」

「理解しているなら納得しろ。少年の足止めは隣の部屋の『奴ら』に任せるさ。で、お前から見てどうなんだ、あれは?」

「……正直にいうとかなり危険な状態だと考えられます。実験体は仮面をつけた時間に比例して、その力を強めていきました。だけど、彼は時間を掛けずに貴女に匹敵する怪力を得ていました。人間の肉体はある意味、かなり繊細なものです。想定されてない強化、制御できない力を得ることは取り返しがつかない危険性を持っています」

「……そうか」

 

 

呟きと共に、隊長は走り出した。

 

 

 

 

 

 

痛い。

熱い。

痛くてたまらない。

熱くてたまらない。

帝具による変容は、コウマから知性の大部分を奪っていた。

今のコウマにあるのは、抗いがたい痛みと熱だけだった。

細胞の一つ一つが、小さな太陽になったようだ。

帝具によって与えられた、力が全てを蝕んでいく。

熱と痛みが融合し、コウマを内側から焼き尽くそうとする。

その熱に駆られて、コウマは暴れ回った。

この苦しみをぶつける存在を求めた。

耳がギチギチと金属がぶつかり合う耳障りな音を拾い、周りに鎖に繋がれた仮面の者たちを捉えた。

偶然近くにいた一体の背中に掴み掛り、そのまま力まかせに床に放り投げる。

起き上がろうとする者を踏みつけにして、そのまま馬乗りになった。拳を一発、顔に当てるだけで粉々に砕け散った。

それでもコウマは止まらない。

両の拳を何回も何十回も機関銃のような速さで顔のない身体に打ち込む。

拳が相手の血によって、血まみれになる。

 

 

……砕けろ、砕けろ!砕け散れ!!

 

 

凶暴な感情を込め、指先からの感触が肉体にぎりぎりと音を立てる。

熱と痛みは止まることなく、コウマの体内を駆け巡る。

他の仮面の者たちが叫び、コウマも負けず劣らずの叫びをあげた。

 

 

 

 

 

『局長』はタバコを口に咥えながら天を見た。

 

 

(タバコが不味い……。あんなこととこんな場所で美味しくなるわけありませんか……)

 

 

その空間は組織のまさに中枢部といえた。

地下に作られた施設の、そのまた最深部に設けられた場所である。

二百人は入る広さを持つその部屋は、外界から完全に遮断されていた。

ここではそれぞれの机についた技術者たちが、決められた作業時間中、無駄口の一つも叩かず、与えられた業務をこなし、交代の者に席を譲る。

聞こえるものは、技術者の足音と、量産型の仮面を作る際に生まれる音だけだ。

そんな場所がここまで酷くなるのは、彼女にとっても初めてだった。

混乱。

喧噪。

停滞。

怒号。

そんな中、すでに十を超える地震がこの基地を揺らしている。

地震が起きた時点から基地防衛任務を除く、あらゆる作業、計画、実験が一時中止となり、この場に総力が結集されることになった。

 

 

「局長!」

 

 

自分を呼ぶ部下の声に、タバコを加えながら振り向いた。

黒い作業服に身を包んだその部下は幹部たちが集まったことを大声で伝えてきた。

タバコを携帯灰皿に落とし、集まっている場へ向かう。

幹部たちは皆、用意された椅子に座っており局長の姿を見て、安堵したのか息をホッと吐いている。

局長はそんな彼らの反応に若干の苛立ちを覚えながら向き合った。

 

 

「(何でもかんでも、私に頼らないでください……)

 早速ですが……今、暴れている彼について対処しています」

 

 

新しく取り出したタバコに火をつけた。

 

 

「かの帝具の強化上限が分からない以上、また、素体となっている彼の素の実力、実験体二体を屠れる驚異的な戦闘力から見れば、実験体による正面攻撃は得策ではないと判断されます。また、彼は貴重なサンプルです。生存した状態で捕獲するのが望ましいのですが、例え死体になったとしても肉体の損壊は最小限に留めたいところです」

 

 

局長の言葉に幹部たちが訝しげな表情を作る。

そんなことができるのか、と思っているのが目に見える。

 

 

「ご安心を。すでに隊長が向かいました」

 

 

その言葉に幹部たちから、『おおっ』と声が上がる。

隊長の実力は周知に知れ渡っており、幹部たちを安心させる最上の材料なのだ。

 

 

……本当に大丈夫でしょうか。

 

 

口から紫煙を吹きながら隊長との会話を思い出す。

 

 

 

 

―――行くのですか?

―――行くさ。彼と戦えるのは、私しかいない。何があっても止めてみせるさ。

―――……そうですか。

―――それ以前の問題として……彼を、あんな姿のまま、放っておけない。

―――で、どうやって、彼を戻すんですか?今までの実験から……彼のようなケースは初めてですが、もう手遅れだと判断できるでしょう?

―――そこは、ほら、誠心誠意の説得、ってやつだ。

―――……勝算はあるんですか。

―――わからん。

―――貴女って人は……

―――あはは。局長、そんな顔するなよ。

 

 

―――このままじゃ、彼は本物の怪物になってしまう。後戻りができなくなってしまう。私は……彼がそんな姿になるところを見たくない。

 

 

―――局長。彼の生き死には貴様にとってそんなに重要ではないだろう。もしも、奇跡が起きて、元に戻ったところで、なにも変わりはしない。世界を変えることもない。

 

 

―――だが、人間としての彼と戦えば、変われる者がここにいるんだ。

 

 

 

 

「……不器用な女」

 

 

局長の呟きは再び起こった地震の騒ぎにかき消された。

 

 

 

 

 

 

隊長は壁の穴からその光景を見た。

実験体が山になり、軍隊アリが得物である昆虫をバラバラにする時のように蠢いている。

だが、その山が爆発した。

それは、下から噴き上げるような、直線的にぶち上げていく動きだった。

人間がいきなり空に波打って散っていくというあり得ない光景だった。

そして、宙に舞っていた者たちは、落下し始めた。

落ちる。重なるように地面に激突していく。

そんな幾つもの音が鳴る中、隊長は見つけた。

彼は実験体に囲まれていたが、跳ねるように身震いし、両の腕を振り上げた直後、囲む全てが吹き飛んだ。

 

 

「おい、少年!」

 

 

実験体を閉じ込めていた部屋に飛び込むと、隊長は鬼の前に踊り出た。

足元は血によって水たまりができており、その血の持ち主であった存在も壊れた玩具のようにバラバラになっていたか、肉体に亀裂とその広がりによって絶命していた。

 

 

「そんな雑魚なんか、いくらぶん殴っても、意味ないだろ?殴るなら、私だ。そのほうが楽しいぞ!」

 

 

そう声をかけてみたものの、自分の言葉がどの程度通じるのか、暴走している彼にどれだけの理性が残されているのか、隊長にわかるはずもなかった。

彼女の不安を煽るように鬼は凶暴な唸り声を上げた。真っ赤な双眸は、おぞましく狂気によって鬼火を思わせた。

隊長は不適な笑みを浮かべると、呼びかけた。

 

 

「少年。君のその姿は、それは、本当の君の姿ではない。心を落ち着けろ。今の君を支配しているのは恐怖だ。突然、手に入れた力に恐怖を感じてしまった。その力の使い方を決めることができれば、克服できるはずだ。思い出せ、君が強くなろうとしたその日の思いを」

 

 

隊長と鬼がそのまま無言で対峙する。

 

 

「―――思い出してくれ」

 

 

その声をはね除けて、鬼は猛然と飛び掛かった。

 



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第十八話

今回も変わらず、雑な文章です。
執筆をしても間が空いてしまい、話の構成が無茶苦茶ともいえます。
こんな私の作品を読んでくれる皆様、本当にありがとうございます。
私がこの作品を続けることができるのは、皆様のおかげです。


『組織』地下実験室。

その場所は荒れ果てた大地に変り果て、未だに跡形もなく大地を変える闘いが、たった二人によって発生させられ続けている。

一人は『組織』最高戦力の隊長。

もう一人は帝具によって鬼となってしまった少年。

それぞれ自身の拳や脚などの肉体を振るい続け、互いに激しい死闘を繰り広げていた。

 

「■■!」

「くぅっ!」

 

隊長は自身に向かって力任せに殴り付けられた拳を交差した腕で苦痛を堪えながらも受け止めた。

 

―――本当に、強くなっているな!

 

それだけに残念だった。

彼がこの力をコントロールし、戦士として戦うことができたら……どれ程心が躍っただろう。

 

「っ……!」

 

振るおうとした両腕は防いだ痛みによって、僅かの間、痺れによって止まってしまう。

その隙を見逃すことはせず、鬼の渾身の力を込めた右腕が振り抜かれる。

 

「動きが……単調過ぎるぞ!!」

 

叫びと共に身体を僅かに横に動かし、右腕を避け、カウンターの蹴りを腹に叩き込む。

直撃によって地面にバウンドしながら鬼が離れる。

 

―――確かに帝具によって凄まじい力を得ている。だが、その反面理性的な動きは行うことがないな。ただ、殴るか蹴るかの単調な動き、防御行動さえもしない。

 

本能に任せた攻撃。その名の通りものだ。

 

「どうした!それでは鬼どころか獣の類だぞ!」

 

鬼が跳ぶ。

力強い跳躍だったが、直線的で単純な動きで鬼が向かってくる。

隊長は余裕でかわした……はずだった。

 

「なっ!」

 

鬼が隊長の両肩を掴み、力を込めて放り投げ、壁に叩きつけた。

壁は粉砕され、鉄骨はねじ曲がり、隊長の身体は二部屋分の空間を吹っ飛ばされた。

もうもうと湧き上がる砂煙の中、隊長は立ち上がった。

 

―――技だ!今、少年は技を使った!

 

力任せの投げにしか見えなかったかもしれないが、隊長は技だと理解した。

掴む際の腕の力が肩を握り潰すこともなく、軍服を確かに掴んでいた。

今まで力任せに攻撃してきた彼が技術を見せたのだ。

 

―――こんなところで終わらせない!可能性が生まれたんだ!!

 

拳を握り、構える。

それは彼女の決意の証だった。

 

 

 

 

 

 

「そんなものか、少年!」

 

声が聞こえた。

声の主を見てみると、そこに人がいた。

名前は、思い出せない。

あれは、『敵』か?『味方』か?

どっちだ。どっちでもいい。

『あれ』を倒せば、きっと、この、忌まわしい熱と痛みから、解放、される、だろう。

倒せば、解、放……。

コウマは跳んだ。

再び、掴み掛り、思い切り放り投げた。

だが、痛みと熱が治まることはなかった。

 

 

 

 

 

 

突き出される拳を体を僅かに横に動かし、攻撃を避けるが―――

 

「はっ!?」

 

拳を振り抜く前に鬼に懐に入り込まれ右腕を押さえられた。

理性的としか言えないその動きに、隊長は目を見開きながら自身の懐に居る鬼を見つめるが構わずに右腕を隊長に向かって振り抜く。

 

「■■―――っっ!!」

「くっ!」

 

振り抜かれた右腕を自身に直撃する直前に、左腕で受け止めた。

それと共に押さえられている右腕を引き抜こうとするが、万力のような圧力で握られ、ピクリとも動かなかった。

 

「やはり!」

「■■■っ!!」

「がはっ!!」

 

確信した声を上げている途中で、勢いよく振り抜かれた右足で胴体を蹴り飛ばされる。

その反動で吹き飛ばされるが、すぐさま体勢を整えて地面に着地し、唸り声を上げながら構えている鬼を睨む。

 

「■■■■っ!!」

「その動き……明らかに修練を積んできた者の動きだ。今まで蓄積した経験が体を動かしているのか……それとも、外部からの痛みで意識が浮き上がり始めたのか……願うなら後者であってくれよ!!」

 

きつく握り締められた拳を構えると、鬼に向かって猛然と走る。

規格外の力を持つ両腕をかいくぐり、胸に拳を打ち込んだことで、ぎっと悲鳴を上げて、鬼は吹き飛ぶ。

壁に叩きつけられるはずだったが、空中で体勢を立て直し、両足を壁につけ突撃してきた。

 

「■■っっ!!」

 

右手を貫手の形にした鬼に一気に間合いを詰められた。

 

―――速過ぎる!

 

避ける判断を放棄し、隊長は右腕に力を込め、盾にした。

鬼の貫手が右腕に突き刺さる。

二人を中心として衝撃が生まれ、まるで螺旋を描くように隊長の右腕の軍服を引き裂いてしまった。

 

「るぁぁぁぁ――――――!」

 

隊長が吠えると左腕が大きく震える。

その左腕から人の肌とは思えない色の、鱗か外殻を思わせる質感の物体が軍服を破り、飛び出してきた。

すぐさま突いた状態の右手を掴む。

鬼が慌てて右腕を引こうとするが、異形の腕により握り潰される。

 

「■■■――――――――っっ!!」

 

激痛に襲われているだろう鬼を振り回すようにして投げた。

空中で身を翻す動きを取るよりも速く、隊長は右足を掴む。

 

「らぁっ!」

 

そのまま一気に自分の方に引き寄せ、なす術もなく空中に身体を投げ出された鬼の仮面とともに顔面を渾身の力を込めて左腕を叩きつける。

床が大きく陥没し、頭部がそこにめり込む。

それでも隊長は顔面を殴り続けた。

右腕も異形の形を成して振るわれている。

 

「悪いな!」

 

立ち上がる隙も与えず、拳を振り下ろす。

 

「こんなやり方でしか、伝えられない!」

 

本能的に鬼が両腕で顔を防御したが、どこに当たろうが構わず、拳の雨を降らした。

 

「少年!君を飲み込んでいるはこれだ!」

 

「痛みと暴力だ!」

 

「その二つが恐怖になり、飲み込まれるのが嫌で暴れている!」

 

「だが、痛みと暴力はコントロールできる!」

 

「恐怖は乗り越えられる!」

 

「強さを求めたことがある者なら慣れたことだろ!」

 

「抗え!戦え!拳を握れ!」

 

「理不尽に立ち向かうために!」

 

「絶叫を挙げろ!」

 

 

 

 

 

 

夢なのか、現実なのか分からない。

体を動かそうとしても熱と痛みが襲い、ただ自分を痛めつけ体などないと錯覚させられ、曖昧な意識だけしか分からない。

ただただ苦しい。

この熱と痛みが怖い。

この二つが混ざり、自分というものを飲み込もうとしている。

だが、体に走った衝撃が意識を無理矢理目覚めさせた。

 

「う、あ……」

 

衝撃は様々な場所を打ち、新たな痛みとなってコウマに感覚を取り戻してくれた。

まだ熱と痛みが体を蝕んでいたが、以前よりも意識ははっきりとしていた。

この苦しみから解放されていないということは、恐らく自分は生きているのだろう。

目をうっすらと開けると光景に呆然とした。

 

「な、に……?」

 

目の前の場はあの広い部屋ではなかった。

唾を無意識に飲み込んだ。

自分が今いる場所は広大な洞窟。

だが、酷く狭苦しく感じ、この場は人ではないものが支配する空間であることを直感した。

不意に、巨大な気配を感じた。

視界に収めたわけでもないのに手足の先が痺れるような恐怖に押しつぶされ立ちすくむ。

本能が動いてはならないと、それどころか見たら死ぬと告げている。

肌に当たる生臭い吐息を、努めて意識しないようにする。

だが―――相手には、確実な悪意が存在した。

 

―――勝てるわけがない……!!

 

そう思った時、爪が服諸共に胸板を引き裂いた。

まるで紙屑のように飛び、胸からは血が噴き出す。

眼前、正面、怪物の顎が開かれる。

まるで奈落のように見えるそれは、怪物の持つ絶対の必殺技だ。

如何なる存在もこの顎に耐えられる物は存在しない。

噛み砕かれるのは嫌だなと、朦朧とした頭の中で思う。

ならば、舌を噛んで死んでしまおうとした時―――声が、聞こえた。

 

『恐怖は乗り越えられる!』

 

―――恐怖……こんな怪物を乗り越えることができるのか?

 

ズタズタになった精神にその声が清水のように染み渡った。

 

『強さを求めたことがある者なら慣れたことだろ!』

 

―――確かに言われてみればその通りだ。

 

強くなること。それは未知の領域に入ることであり、恐れが必ず立ちふさがる。

 

『抗え!戦え!拳を握れ!』

 

―――そうだ。こんなこと何度もあったではないか。

 

金剛餓狼。ブレイドホーネットの女王。

この二体との戦いは無様ながらも抗い、戦い、拳を緩めることはなかった。

 

『理不尽に立ち向かうために!』

 

―――そうだ。拳を握り込め。立ち上がることから始めろ!

 

『絶叫を挙げろ!』

 

「お……」

 

声が出そうになる。

それを止める理由はない。

今、自分を噛み砕こうとする相手に向かって口を開き、吐き出した。

叫び。

 

「……!」

 

自分に纏わりつくもの全てを振り払うように拳を怪物に叩きつけた。

咆哮と拳が怪物を砕く。

 

『―――そうだ。勝つことが重要ではない。抗うことが重要なのだ』

 

耳に乾いた……男の声が届いた。

 

 

 

 

 

 

空間が歪み、洞窟も怪物も消えて鉛色の空間が広がった。

その空間に鎧があった。

動きやすさを備えていた帝国の鎧とはまた違う、黒い甲鉄の一つ一つが城壁と思わせるほどの頑強さを備えた鎧があり、頭部にはあの鬼に似せた仮面がつけられている。

 

「あんたは……帝具なのか?」

『―――そう、私は帝具だ。この帝国を永遠に守っていきたいとの思いで製造された四十八の帝具の一つだ』

 

一拍の間を置いて、

 

『誕生して約千年、一度も発動されたことはないがな』

 

帝具の言葉にコウマは信じられないと思い、声を出した。

 

「発動されたことがない……だと?」

 

『そうだ。私は―――帝具になる前の鎧の主だ。弱者を守る、その思いでひたすらに戦った。その思いが故か、相応しくない者は拒絶反応で死なせていった』

 

鎧の顔が俯く。どうすることもできなかったのだろう。

 

『君の記憶は見せてもらったよ。過去に二回も自分よりも強大過ぎる相手に人を助けるために戦っている。理不尽に死んでいった者のために怒ることができる。今までの者にその様な者はいなかった』

「……つまり俺は御眼鏡に適ったってところか」

『ああ、私を最低でも受け止めるための体と精神……体はともかく精神は飲まれかけていたな。外部からの接触がなければ危うかったぞ』

 

鎧が空間に指を向ける。

何もない空間に金髪の女性―――隊長が自分に拳を振り下ろしている光景が映し出された。

 

「……あいつ、好き勝手やりやがって」

 

奥歯を砕けそうな勢いで噛み締める。

しかし、彼女の声が自分を救ってくれたのは確かだった。

 

―――いや、あいつのせいでこんなことになっているから……感謝する義理はないな。

 

『コウマ。ここまで来たのだ。……君は何を望む?敵を打ち砕くための力か?』

 

コウマは、帝具の問いから並々ならぬ勢いを感じた。

 

「……あんた、俺の記憶を見たんだろ?なら分かるよな。俺が始めて強くなろうとした日とその時の思いを」

『……』

「俺が力を求めているのは敵という……必ずいるでもない奴を倒すためにじゃない。誰かを助けたい。守りたいと願ったからだ」

 

コウマは胸に手を置いた。

そうだ。自分が強くなろうとしたのは、その思いを胸に抱いたからだ。

 

『そうか、ならば、強さを求める者よ』

 

一拍。

 

『どうする。―――鬼になれるか!?その姿から守るべき者たちから忌避されようと戦うことができるか!君が本気で望むのならば、私は君の鎧に、力となろう!』

 

言葉と同時。コウマに膨大な記憶が流れ込んできた。

鎧を纏い鬼になった男の壮絶な記憶。

鬼の背後には虐げられる弱者が必ずいた。

成程、とコウマは思う。これほどの思いならば、鎧を妖甲に変えるだろう、と。

コウマは記憶を受け止めながらも口を開いた。

 

「俺はあんたのようには……なれない。けど……」

 

絞り出したような声を喉から吐く。

 

「人を踏みにじる。人間の価値を勝手に決める。不要な人間を犠牲にする。不安を煽るためだけに、平気で命を奪う。それは……絶対に許されない」

 

目の前の仮面をキッと見る。

 

「多くの人が理不尽によって殺されそうになったら、俺は戦う。人を助けるために戦う。悪なんてものを倒すことなんて二の次だ。容易じゃないこともわかっている。助けられないこともあるかもしれない。けど、その失敗を理由に投げ出すようなことは決してしない」

 

左手に力を籠めた。

手指を完全に握り込み収縮させ、拳を生み出す。

拳の中、力の手ごたえを握りながら、コウマは叫んだ。

 

「俺の戦いは!絶望に取り残されて、ただ死を待つしかない者を救うための戦いだ!!」

 

空間の天に誓いと覚悟の打撃を叩き込む。

コウマの脳に、否、心に光が差した。

鉛色の世界を突き刺して、一条の光が走った。

凄烈な光だ。

男の乾いた、けれど満足した声だ……。

 

「―――ならば、この残された魂と鎧と共に―――」

 

そうだ。

受け継いだのだ。

男の誇り高い魂と象徴である鎧を。

―――だから。

 

 

 

 

 

「……だ、か、ら」

 

隊長の耳に聞き覚えのある声が飛び込んだ。

確かな、人間の声だった。

 

「……終わ、る、わ、けに、は……いかない!!」

 

鬼に隊長は放り投げられた。

同時に、仮面が強く激しく震えている。

ふらつきながらも鬼は立ち上がった。

 

「鉄鬼変生――――――防人(さきもり)ッッッ!!!」

 

仮面が激しく揺れ、輝き出す。

そこには鋼の鬼。いや鎧だ。

腕はあらゆる物を圧潰するであろう凶器に変わっており、脚は不動を体現したかの如く巨大なものになっている。

本来、鋼が持っていた色は黒に侵され、禍々しく、澱んでいる。

全身に纏う鎧には華美、豪奢というものが細部に至るまで存在しておらず、無骨と機能性だけを追求したであろう姿。

翡翠の色を持った双眸は黒の中で唯一の煌びやかさといえた。

 

―――怖っ。

 

帝具―――防人の姿を見た第一印象がそれだった。

だが、自分が全力を出すのに相応しい姿だ。

 

「―――ああ、私は実に運が良い。君と戦える幸運を心から感謝しよう。だが、どちらもベストな状態ではない。再戦は時間を空けてしようか」

 

掛け値無しの賞賛を語る。

こんな素晴らしい相手とはお互いが全快で戦わなければ、全くもって損だ。

 

「また会おう。なにすぐ会えるさ。その時は全力全開で……な」

 

隊長はたちまちの内に壁の穴に飛び、姿を消した。

 

 




帝具が難産でした。
名前。
鬼と鎧にしようとは初期から考えていたのですが、読者様が納得できるものにするためにパソコンの前で電子辞書を使いながら調べました。

見た目。
コウマには洋式の鎧は似合いそうにないため、和風な感じと。
想像したのはいいですが、私の文才では限界が出たために、
『鬼!鎧!無骨!黒い!不気味!呪いのアイテム!子供が見たら泣く!』
そんなイメージで脳内保存を。

能力。
単純に強化系です。

近々、キャラクター設定を書きます。
そこで帝具について詳しく書くつもりです。


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第十九話

ひんやりと涼しい廊下をコツコツとヒールの音を響かせて、白衣の女性―――局長が歩いている。

やがて自室の前―――扉は粉々に砕け散っているが―――まで進んだ途端、部屋から巨大な違和感が流れてきた。

匂いでも温度でもなく、雰囲気としか言いようがなく、空気の感触が変質していた。

局長は目の前の部屋が特級危険種の巣になったかと錯覚したが、頭を軽く振り嘆息した。

部屋に踏み込むと調度も照明も何一つ変わっていない自分の部屋が目に入った。

ただ単に、女性―――隊長が我が物顔でソファにふんぞり返り、くつろいでいるだけのことであった。

しかも、全裸で。

自室に設置されているシャワー室とソファまでの床がびしょびしょに濡れており、身体もろくに拭いていないのか、ふんぞり返っているソファも酷い有様だった。

無断で部屋を占拠し、好き放題しているその人物と、一瞬とはいえ警戒してしまった自分に頭痛を覚えた。

隊長はそんな局長のことも知らず、悪びれた素振りを見せないまま、部屋に隠しておいた酒とツマミをつつきながら、コウマから奪った武器をいじっていた。

 

「おっ、局長。この手甲すごいぞ、ここまでの物は見たことがない」

「……隊長。私、時々もの凄く始末してもらいたくなる人物がいるのだけれど、それは私の人間性が劣っているから?」

「いや、それはつまりその人物が怒らせる行動をしたからだろ?人を不愉快にさせる方が悪いに決まっている。―――ところでこのワイン安物だな。後、ツマミがスルメしかない。サラミやジャーキーを用意するべきだな、うん。今度はそうしてくれ」

 

極まりない態度に局長は天を見上げた。

 

―――はっ倒してやりたい。

 

胸に渦巻くものを押し殺して、隊長に尋ねた。

 

「さて……報告してもらいましょうか、隊長」

「……何をだ?」

「まずは、あの少年について」

「ああ、彼は……」

 

局長に尋ねられても、隊長は武器をいじるのをやめなかった。

 

「まず武器いじりをやめなさい!」

「……了解」

 

局長の一喝に隊長は、手甲を机に渋々と置いて姿勢を正した。

 

「隊長。あの少年は何者ですか?説得とやらは成功しましたか?」

「待て待て。そう幾つも質問するな。まぁ、出会いは逃げた奴らを少年が倒したのを見てな、連れてきた」

「あの子、心臓止まってたんですよ?もう少し処置が遅かったら確実に死んでました」

「私の見込んだ男だ。その程度でくたばるタマではない」

「私が言いたいのはそういうことではなくて……ああ、もういいです。貴女がそういう人間ってことはわかってますから」

「それなりの付き合いなんだ、許せ。説得だが……一応は成功したな。正気に戻り、防人(さきもり)を発動させてた」

「防人?」

「あの帝具の名前だよ」

 

防人が発動したのを見たことは局長もない。あれは局長自身が生まれる前からこの組織にあったためどうせなら発動した瞬間を見て起きたかったと僅かながら後悔した。

 

「これで彼を捕らえることができれば、量産型の研究が進む。彼は組織の希望になった、そうだろ」

「ふふっ、量産なんてもう必要ありませんよね?」

「はっ。で……眠っている彼を調べたんだろ?見立てが聞きたい」

「……生まれながらの化け物ですね。外側も内側も、いじった形跡はありません」

「やはりな!」

「この子の筋力、五感、抵抗力に回復力、全てにおいて人間としてトップレベル。薬を使ってまで底上げをしている奴らからしたら、『ふざけんなっ!』と間違いなくキレますね。恐ろしいのは、それら全てが高い安定性を持っている。これを崩すことが出来れば、更なる強さが見込めます」

「まさにダイヤの原石というわけか」

 

連れてきた少年のスペックを聞いて、隊長は満足気に頷いた。

自分の見込んだ存在が評価され、好成績なのは誰でも嬉しいものだ。

 

「知っている通り、こういうポテンシャルが高い存在はいくつかあります。例として挙げるならバン族。住む街の周辺は毒沼に囲まれ、害虫や猛獣、危険種が数多く生息しています。バン族はそんな自然の猛威がふるう過酷な環境で生きていくことで、優れた身体を得ることができた。私はあの子もそういう異民族出身だと考えます」

「私も彼が過酷な環境で成長したというのは同感だ。だがな、異民族出身とははずれだ」

「え?」

「このナイフ、どう見える?」

 

きょとんとした局長の反応を楽しみながら、隊長は机に置かれている数々の武器からナイフを取り上げた。

局長はナイフを渡され注意深く観察した。

 

「……わかりません。私には凄い切れ味を持っていることしか……」

「そこまでわかれば十分だ。ここまでのものは帝国の兵士も使っていない。そして……ふんっ!」

 

返されたナイフが隊長に折られる。

 

「ちょっと!危ないじゃないですか!」

「すまんすまん。まぁ、見てろ」

 

隊長は折れたナイフをくっつけた。しばらくすると―――

 

「……修復し始めてる!?」

 

折られたはずのナイフが一つに修復を始めたのだ。

局長は驚くが、その光景を見てナイフに使われている技術を悟った。

 

「このナイフ……まさか帝具の技術がっ!?」

「帝国の兵士が携行する剣には帝具の技術が流用され、自己修復機能を持っている。この全ての武器に自己修復機能があったよ」

 

局長は机に置かれた武器を見た。

手甲、小太刀、ナイフ、手裏剣。

剣のようにシンプルな作りをしていないそれらに、帝具の技術を加えることができた存在がいたのだ。

そこで局長は気付いた。

 

「……この技術は軍のトップシークレット。帝国と敵対している異民族が作れるはずなんてない。つまり、帝国と強いつながりを持った存在」

「それも武器にここまでの加工を、人に最高のポテンシャルを持たせることができるんだ。相当長い歴史を積み重ねてきたんだろうな」

 

現れた情報がパズルのピースのように繋がっていく。

完成したパズルに局長は目を見開き、隊長は笑みを濃くした。

それは皇帝の命に従い、貴族、軍、宮中において帝国に害をもたらす人物たちを調査し、密かに抹殺してきた存在。

十数年前に滅んだとされる暗殺集団。

 

『……『影』ですか/だ』

 

 

 

 

 

 

「う……」

 

どのくらいの時間が経過したのかも分からないまま、コウマは目覚めた。

 

―――いかん。気を失ってた。

 

隊長がこの場を離れると今まで無視してきた負担が解放され、気を失ってしまった。

 

―――こう何度も目覚めたり、寝たりするなんてしんどい一日だ。

 

今日は本当に様々なことが重なり過ぎた。

ただの危険種討伐を手伝う日がここまで波乱に満ちるとは誰が予想しようか。

そんなことを考えながらも周囲を見渡す。

身体に痛みはないが、泥を被ったように重く感じた。

周りには誰もなく、人の気配もない。

 

「夢、なんてことはないよな……」

 

自分が抱えている帝具、防人。

壁の所々に巨大な獣の牙がぶつけられたような傷跡。

力によって強引に引きちぎられた人体。

それらが、全てが現実だった事の証拠だ。

右腕を見る。隊長によって握り潰されたはずだが治っており、大きく動かしても違和感の一つも存在しない。

右腕に問題がないか確かめるため、転がっていた拳大の石に手を伸ばした。しかし、触れた瞬間、あっけないほど簡単に石が砕け粉々になった。

別の石に手を出しても結果は同じ。最初よりもむしろ派手に石を砕いてしまった。

三つ目の石で試してみても、やはり地面に粉をこぼすだけに終わった。

 

「なんだ?」

 

上半身を起き上がらせ両手を見つめる。

自分の腕には傷一つないが、訓練などで残ってしまった傷も綺麗に消えていることに混乱した。

周りの状況を知るために『心眼』を使う。

 

「ああっ……!」

 

『心眼』が与える情報に脳が悲鳴を上げた。

見えすぎる視覚が、聞こえすぎる聴覚が、強すぎる嗅覚が、感じすぎる触覚が、ききすぎる味覚がコウマの脳を驚かせた。

膨大な情報は頭痛となり頭を押さえながら転がる。

『心眼』をやめると頭痛が治まり、移動のため立ち上がろうとも、

 

「ぬぁっ!」

 

つんのめり、顔面から地面に派手に転んだ。

再び脚に力を入れても転ぶばかりで、立ち上がることが出来ない。そんな無様なダンスを踊ること五回目で、ようやく立ち上がることができた。

 

「よ、よし」

 

だが、あくまで立ち上がっただけ。両の脚は風が吹いただけで倒れそうなほど不安定なバランスだった。

コウマがまず一歩踏み出そうとすると、

 

「うわっ!」

 

部屋……いや、基地全体を揺らす震動が響き、コウマは後頭部を地面にぶつけた。

 

 

 

 

 

 

「帝国軍の攻撃が開始されました」

 

執務室で新しい軍服に着替えた隊長は、部下からそう報告を受けた。

いつもなら、部下はそのまま退出し、規定通りの対処をすることになっている。

だが、部下は動こうとしなかった。

 

「……どうかしたか?」

 

隊長の問い掛けに、部下は額の汗を拭った。

 

「……それが、通常の対応がとれません」

「ほう」

「ほぼ全てのゲートが彼らによって押さえられています。今までにない、総攻撃です」

「ならばこちらも総力でいい。実験体を使え」

 

いくら拭っても、部下の汗はひかなかった。それどころか顎の先からぽたぽたと汗を滴らせている。

 

「それが……帝国軍の攻撃が実験体収容所に直撃し、崩壊。自由になった実験体は研究員たちを襲い続けています」

「……わかった。下がっていろ。後の話は彼女に聞く」

 

入室してきた局長を横目で見ながら、隊長は部下にそう命じた。

 

「外には帝国軍。それも指揮官はナジェンダ。出口は()()()塞がれており、私たちは閉じ込められている。籠城しようにも帝国軍が放った攻撃が()()実験体収容所に当たり、実験体が内部で暴れ回っているため安全とは言えない。完全に八方塞がりですね」

 

局長はタバコに火を付けながら呟いた。

 

「そうだな。ナジェンダ将軍は帝国軍一の知将といってもいい。評判によれば珍しく全うな人間そうじゃないか」

「こんな辺境の組織を滅ぼそうとするなんて余程の暇人か、善人を虐げる悪を討つという気概がなければしませんよ」

 

戦闘の音が激しくなり、研究員たちの悲鳴や怒号も小さいながらも聞こえてくる。

 

「隊長……貴女、何がしたかったんですか?」

「情報漏洩のことか?」

「いえ……まぁ、それもありますが」

「とっくに知っていると思ったんだがな」

「知っていますよ。貴女が帝国軍を始めとする、勢力に通じてこの組織の情報を流していることを」

「……」

「だけど、貴女はこの組織の英雄、いえ王です。ここは貴女の王国。王には、自らの国を滅ぼす権利がある。したいようにすればいいんです。貴女の情報漏洩のために軍がこの組織の壊滅に成功したとしても、それが望みなら私は責めようとは思いません」

「……そうか、ありがとう。今日の私は運命に愛されている。あの『影』の少年を私の前に連れてきてくれた」

 

と、隊長が満足な笑みを浮かべた。

局長はその呟きにメモから視線を外し、隊長を見る。

隊長の指がこちらに差し出されていた。

局長は懐からタバコを出し、自分の口にあるタバコで火をつける。

 

「どうぞ」

 

感謝の言葉もなく、隊長は吸い、盛大にむせた。

 

「う……やはり分からんな。こんな体に害を与えるものを吸う連中の気持ちなんて」

 

口から洩れた煙を見送りながら隊長は呟いた。

 

「あら、それが私を吸う気持ちにさせる常習犯がいうセリフ?」

 

隊長の反応に微笑んだ局長の言葉に、隊長は顔をしかめた。

 

「ふん。口が寂しいならガムか何かを噛んでいればいいのだ。最近のガムは凄いぞ。味が何種類もある。最悪、爪楊枝を咥えればいい。コストならタバコより安いぞ」

「貴女と私のタバコ議論の結果はいつも平行線なので切り上げます。……健康、健康といいますが、貴女、普通の人間にとって即死ものの薬をごっくんごっくんと飲んでいますよね。前、ビーカー一杯分の錠剤を飲んでましたが……」

「……今、強くなれるなら明日もいらないさ」

「格好つけたつもりですか。……隊長。この組織に貴女が来た時を覚えていますか?」

 

低い声で局長は呟いた。

すぐそばで破滅が起こっている中、二人の雑談は止まることはない。

顎に手を当てながら隊長は答える。

 

「確か五年前だな。あの時の君の名前は……」

「『6』。先代の『局長』だった父に与えられたものでした。……貴女が父や兄たちを殺してくれなければ、私は装置となっていた母と同じにされていたかもしれませんね」

「『君の実力を見せてほしい』といったから首を一回転させてやったよ。最初で最後の命令だったな」

「……その時からですね。私たちの奇妙な関係も。そして今日で終わり。組織とその奇妙な関係も全て」

「改めて、聞くがいいのか?君はあの一族の唯一の生き残りだろ。ここは君の一族にとって……いや、生まれてからずっといた家じゃないか。私のような部外者には粋もなにもわからないが」

「いいんです」

 

まるで他人事のように局長は答えた。

 

「生き残りは人間の平均まで回復することができましたし、ここの研究者はただ帝国にばれずに非道な実験がしたいだけの悪党。滅びればいいんです」

 

吐き捨てるように言うと隊長の方へ振り向いた。

 

「隊長。本名、教えてくださいよ」

「断る」

 

局長の言葉に隊長は即答した。

その言葉に局長は苦笑を浮かべる。

 

「これが最後なんですから、いいじゃないですか」

「ダメだ。私の国の語感は、この国では馴染みがない。笑われるのがオチだ」

「最後なんですから」

「ダメといったらダメだ」

 

その時、扉が激しく叩かれた。ノックというには強すぎるものと共に幹部と思われる者の怒声が聞こえる。

扉は激しく開けられ幹部の一人が転がり込むように入ってきた。

濃い汗を滝のように流しながら、機関銃のような速さで言葉を吐き出す。

その速さに局長も隊長もまともに理解することができなかった。単語として『助け』としか聴き取れなかった。

二人の反応が癇に障ったのか顔を真っ赤にして怒鳴り出した。

 

「……わかった」

 

隊長はそれだけ言うと、幹部の首に手を伸ばす。

部屋に重く、乾いた音が駆け抜けた。

幹部は首をあらぬ方向へ向け永遠に沈黙した。

 

「局長。私がいつも同じ夢を見るのは知っているな?」

「ええ」

「シャワーを浴びた後、軽く寝たんだ。いつもの夢を見ると思ったんだが……違った」

「どんな……夢でした?」

「彼が……防人を纏って私の前にいたんだ。彼は私に向かって走り、拳をぶつけてきた。顔は砕け、私は死んだ。そこで目が覚めたんだ」

「……感想を」

「いい夢だった!」

 

弾けるような笑顔を隊長は浮かべた。

そんな隊長を苦笑を深めながら局長は机にあった武器一式を見た。『影』が作り出した武器は冷たい光を放っている。

武器に手を当てながら、

 

「『夢は肉体よりも精神的要因が強い』―――と私はいいましたね。彼はそこまで貴女に強い影響を?」

「……逃げ出した実験体との戦闘だ」

「は?」

「あれを見た時、心が震えた。ここに来て五年間、組織のために、様々な闘いを行ってきたが、あれを見た時の方が、ずっと……それはもう比較にならないものが……」

「……」

「私はもう行く」

 

それだけ言い、隊長は歩き出し、扉を開けた。

 

「今まで、ありがとう」

 

その声と共に、隊長は扉を閉めた。

閉じられた扉に視線を向けたまま、ややあってから舌打ちした。

 

「……悲しくなるじゃないですか」

 

 



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第二十話

基地の各所では激しい戦闘が展開されていた。

狭い通路は灼熱地獄に変わっていた。

火炎放射器が吐き出す高熱の炎は、巨大な竜の舌のようにうねり、仮面をつけた実験体の肉体を破壊していった。

その他の軍人たちは銃や剣で仮面を砕いていき、実験体を倒していく。

当然、実験体たちも一方的にやられているばかりではなかった。

軍人に躍りかかり、爪で切り裂く。炎に焼かれながらも頭をバリバリと噛み砕く。そんな獣の戦い方で襲い掛かっていた。

叫びが幾重にもこだまし、消えていく。

彼らは知らない。この戦いは一人の女性の願いによって作られたものだということを。

 

 

 

 

 

 

 

異形の影が跳梁し、銃弾と剣と炎が交錯する中、駆け抜ける影があった。

影は大きく、二つの影を背負い、基地を走る。

後ろの影が、身を低く、自分の乗る影にしがみつくようにして、

 

 

「サキ!そんなに身を起こしてたら危ないよ!!」

「私もそう思っているんですが、警戒は必要です!」

 

 

金剛餓狼のコウの背中の影、サキとクロメが叫ぶ。

彼女たちは夜に軍が移動していることを察知し、コウと合流して動向を見ていた。

サキがナジェンダから聞いた、討たねばならない存在。

もしかしたらまだ帰っていないコウマはそこにいるのではないかと思ったからだ。

軍が爆弾を使い、地面に穴をあけた時、コウが地下からコウマの匂いを感じ取り、予想は的中してしまった。

軍が戦闘を行っているドサクサに紛れ、基地に突入することに成功し、コウの鼻を頼りにしてサキとクロメはコウマを探した。

 

 

「オン!」

「コウ、近いの!」

「オン!」

 

 

コウは吠え声を上げると扉の前に止まった。

サキはすぐさまコウに降り、扉を蹴破るようにして開けた。

部屋は隣のパイプが敷き詰めてある広い空間と分けるようにして張られていただろう割れたガラスが床に散らばっていた。

横になった机を背にして青年が床に尻を付けていた。

青年はサキの姿を見て驚愕に目を開く。

サキは思わず叫んだ。

 

 

「コウマ様!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

扉が勢いよく開かれ、その人物にコウマは目を見開いた。

その口から聞き慣れた声が出たため、本人と認識した。

扉を開けた人物―――サキがこちらに駆け寄り、泣き崩れた。

 

 

「心配しました……私、私は……」

 

 

その姿は胸にこみ上げるものがあり、サキの身体を壊れるぐらいに抱きしめたくなったが、自重した。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「大丈夫だ。俺はそう簡単にくたばらないさ」

 

 

努めて笑顔で語るとサキはまだ目を潤ませていたが、笑みを浮かべた。

 

 

「二人ともいちゃついてるとこ悪いけど、ここもそろそろピンチだよ」

 

 

扉の前で番をしていたクロメが入り、その目は『時と場所を考えろ』と語っていた。

 

 

「で、では、脱出しましょう。ここに帝国軍が攻め込んでいます」

 

 

サキはぐいぐい手を引いてコウマを連れ出そうとした。

 

 

「ちょっと待て。俺の帝具が……」

『帝具?』

 

 

コウマが口にした単語に疑問の声を上げる二人。

ああ、と答えたコウマは床に置いてあった防人を指した。

指の先にある仮面をクロメは持ち上げると感想を述べた。

 

 

「え……これが帝具?呪いの道具の間違いじゃない?」

「似たようなもんだよ。後、名前は防人っていうんだ」

「防人……。悪鬼とか修羅の方が似合うと思いますが」

 

 

クロメとサキの感想は的を射ていた。

防人は鬼をイメージした造形であり、美術館に置かれるよりも暗黒宗教的なものの祭壇に飾られる方がしっくりくる。

女性の評価は悪かったが、コウマは防人の造形を気に入っていた。

防人は兵器だ。兵器や武器にごちゃごちゃとした装飾は必要ないと思っている。装飾をつける時間があるのならば、武器を磨く方がいいのがコウマの考えだ。

 

 

「こんなものどうやって手に入れたんですか?」

「話せば長くなるんだが―――待て!クロメ、それを被ろうとするな!」

 

 

クロメが防人を被ろうとする光景を見たコウマは叫び、防人に手を伸ばす。

その勢いに伸ばされた手とは逆の手を持っていたサキは―――

 

 

「え?」

 

 

飛んだ。

普通なら引っ張っているサキは僅かに前に進むだけだろう。

だが、今のコウマは普通ではなかった。

サキがパイプの部屋の真ん中あたりで着地したのをクロメは見ていると防人が手から離れた。

コウマの脇に防人は抱えられ、苦虫を噛み潰した顔をしながらクロメに注意した。

 

 

「クロメ、帝具には相性が問われる。今までこいつを被り、拒絶反応で大勢の人間が死んでいった。呪いの道具って印象を持ったお前が着ければ即死するぞ」

「う、うん」

 

 

コウマの有無を言わせぬ迫力にクロメは首を縦に振った。

チラリと防人を見るがやはりとてもいい印象を持つのは難しかった。

 

 

「ねぇ、さっきのって」

「……この帝具、外していても使用者の肉体には強化は残留するようだ」

 

 

手のひらを見ながらどこか納得したという顔で、コウマは頷いた。

 

 

「あの穴の空いた部屋からここに来るまで何回も転んださ。今はもう走れるぐらいには制御できる」

 

 

防人に宿る魂―――かの男は鎧を鍛え、それに釣り合うために己の体も鍛えたが体の方が限界を向かえたために死んだ。

そんな男の魂が宿った帝具だ。肉体強化があるのは当たり前ともいえる。

 

 

「……大丈夫?」

 

 

クロメに尋ねられ、黙って頷くと、床に落ちていた鉛筆ほどの長さの鉄を拾おうとする。しかし、つまむというより掬い上げる要領だ。

棒状の鉄を指に挟み、ペン回しの要領で動かそうとするが、あっさりと折れてしまった。

 

 

「こういうことは、得意な方だった。少し頭を使って、コツを飲み込めば、簡単にできる。けど、今はダメだ。軽く触れただけですぐに折ってしまう。力の制御は想像以上に難しい」

 

 

苦笑を浮かべながら扉へ向く。

背後の二人にコウマは信じられない言葉を出した。

 

 

「サキ、クロメ、コウ。先にこの基地から出ろ」

「コウマ!?」

「何故ですか!?」

 

 

コウマの言葉にクロメと戻ってきたサキが抗議の返事をした。

 

 

「ここにはとんでもない怪物がいる。俺はその怪物を倒さなければならない」

「何故です!?ここには帝具持ちの将軍がいます。そんな……戦わなくてよいものを!」

「……すまん。ここで逃げてしまえば彼との約束が嘘になってしまう。戦わなければならない。これ以上……人を死なせるわけにはいかない」

 

 

決意を込めて、コウマは防人を装着した。

痛み。

装着した瞬間に始まったそれは、毛穴の一つ一つに深く針を突き立てられたかのような鋭く深い痛み。

痛みと同時に漆黒の鎧が現れ、自分の身体を包んでいく。

鎧を纏い終わると痛みが一瞬の内に消失するが、全身を焼く感触があった。

隊長の存在を確認するため『心眼』を使うと―――

 

 

「!!」

 

 

言葉では表現できない感覚が流れ込んできた。

全てが同時に、見えていた。

背後の二人の心配そうに見ている顔。炎に包まれている廊下。砕かれた壁の亀裂。張り巡らされたパイプの僅かな傷。その傷から漏れる水滴。

あらゆる音も聞こえている。

己の体内で脈打つ心臓。二人の息吹。緩やかに流れる風。それに撫でられる布の動き。肉を焼くことで生まれる様々な音。その音の一つ一つが、明瞭に、確実に聞こえてくる。

だが、防人を発動させる前に『心眼』を使った時のような頭痛はない。

サキとクロメの方を鬼の仮面で向く。

 

 

「っ!」

「ひっ……!」

 

 

背後のサキとクロメの心拍数が異常なレベルに跳ね上がったことを容赦なく伝える。

この基地に入った時よりも、二人の精神が不安定になっているのを。

コウマのその姿を間近で見て、怯えたのがわかった。

拳を固く握ると鉄と鉄がぶつかり、ガチャリと音を立てた。

コウマは走った。サキの声が離れた距離からも聞こえた。その声から逃げるように走りを強める。

今は……二人の声も聴きたくなかった。

 

 

 

 

 

 

 

地下に作られた施設の、そのまた最深部に設けられた場所にコウマは辿り着いた。

ここまで来るのにさほど時間はかからず、むしろ誘い込まれていると確信があった。

重い扉を押し開き、コウマはその部屋に入った。

広く、机しかない部屋で防人が置いてあった空間と同じようにパイプが部屋の至る所に張り巡らされていた。その奥に隊長が立っていた。

隊長は防人を纏っているコウマを見て親しげな微笑を浮かべた。

 

 

「やぁ、少年。よく来てくれた。どうだ?戦う前に話がしたい。その帝具をつけたままでは息苦しいのではないか?」

「必要ない」

 

 

コウマはきっぱりと答えた。

 

 

「今は、この顔が俺の顔だ。お前たちと向き合うための顔。そして俺は少年じゃない、コウマだ。それが、お前たちと戦う男の名前だ」

「―――コウマ。ああ、ようやく名前を知ることができたよ。その名前、未来永劫、忘れることはないだろう。―――ところで君は、戦うといったが何のために戦う?私にボコボコにされたことによる怒りか?」

「怒りか……、確かに俺は怒っている。だが、それよりも貴様が罪のない人を苦しめたことに俺は怒っている。これ以上の犠牲者を出さないために俺はここに来たんだ」

「いいセリフだ。ふふ、私は雰囲気を大切にする質でな。出会っていきなり戦うというのいささか風情がないから、こうして話せるのは嬉しい。……まさかと思うがビビっているのか?」

「……お前たちのような理不尽、絶望の存在を前にして臆するような真似はしない。立ち向かっていくと誓った」

 

 

答えながらも、持てる感覚のすべてを動員し、『心眼』で隊長の情報を得ようとしていた。

相手は変異の能力を持った存在。能力は帝具によるものか、改造されて得たものかも分からないまま戦うのは危険だ。

 

 

「お前の力……あれは帝具によるものなのか?」

「帝具か……生憎、私の肉体は帝具によるものではない。ついでに組織によって与えられたものでもない。局長に多少の改良はされたがな」

「……なに?帝具でも組織でもなければ、なんなんだ?」

 

 

感覚に注意を向ける。今のところ隊長に異変はない。

―――少しでも、少しでも奴の情報を……。

 

 

 

「私の父は危険種だ」

 

 

 

父親が危険種。

その言葉に、コウマは虚を突かれた。

情報収集も中断してしまうほどにその言葉には破壊力があった。

 

 

「危険種……ハーフ、ということか?」

「ダブルと言えよ、人間」

 

 

隊長の口が三日月の形を作る。だが、その笑いは人間の笑みではなく、超常の生命が自分より下の生物を前に馬鹿にするように感じた。

隊長は嗤う。コウマの反応を楽しむように。

 

 

「遠い異国で私は生を受けた。国は勇者を求めていた。軍人も政治家も楽をしたいために求めていた。自分たちの努力で問題を解決せず、苦労を全部一人で背負いこませたかったんだ。そのために誰もが納得する武と知を備えた勇者を生み出そうとした」

「……勇者を生み出す?」

「勇者を生み出すには『悪役』が必要だ。そのため国の上層は『悪役』を作り出す。倒されるべき強力な存在として、ある人物が選ばれた。その人物は将軍によって『悪役』に相応しい教育がされた」

「それが―――」

「私だ」

 

 

隊長は自らの胸をがんっと叩いた。

 

 

「……納得していたのか?自分が滅ぼされる存在であることを」

「納得していたよ。むしろ喜んだよ。私は怪物だ。怪物として生き、怪物として死ぬことができるんだからな」

 

 

隊長の言葉に嘘や虚勢は存在しなかった。

 

 

「物語の十八番だろ。主人公が『悪役』を倒して『勇者』になる。悪役は死ぬが勇者の一部として生き続ける。それが私の憧れで唯一の望みだ」

「人間として生きる道は!?」

「ない。私は母から怪物の姿で生まれた。最初に口に入れたのも母の血肉だ。そんな私に人間として生きる選択などない。……話の続きだ。最後の最後、私は国が選び抜いた勇者を殺してしまった。あっけなかったよ。私の全力の拳で弾けてしまった」

 

 

コウマは内心、その結果に納得した。

隊長が自らのことを怪物と言う言葉には並々ならぬ気迫が込められていた。

怪物として誇りを持った本物に、作られた勇気を持った勇者が勝てるはずがない。

 

 

「そこからはあまり覚えていない。感情が無茶苦茶になって国で暴れに暴れた。暴れつくした時、離れた国に人智を超えた武器を操る者たちがいること思い出した。そういう武器を操る者たちだ。高潔な武人たちがたくさんいると思い、その国―――帝国を目指した」

「……」

「街、広野、樹海、雪原、砂漠を走ったよ。川、岩、崖、門、要塞が道を塞ごうとも走った。ただ、ただ走り続けた。その先に自分の求めているものがあるはずだと信じて」

「……」

「だが、有名な所有者は軍人ばかり。軍人ではダメだ。私を倒すのを『任務』として僅かでも扱ってしまう。放浪の末、私はこの組織に拾われた。こんな如何にもな悪の組織を許せないと思う者と私は戦いたかった。組織の情報を流し続けて五年。今日、君に出会えた。コウマ、君は私が求め続けていた希望そのもの。怪物を倒してくれる勇者だ」

「俺が暴走した時、正気に戻そうとしたのは獣の俺ではダメだからか」

「その通り」

 

 

隊長の言葉を聞いていく内にコウマの胸の奥に形容しがたい気持ちが生まれていた。それは嵐のように、暴れ回り、コウマの心を掻き乱した。

目の前の女は狂っている。いや、彼女はある意味で正常だ。人間として生まれ、人間として生きている自分が怪物の理念を理解できるはずがないのだから。

 

 

「……つまり、あれか、納得の死に方を迎えたいからこんなことを?」

「そうだ。理解を求めるつもりはない。ここまで長い話をしてやったんだ。私の情報を十分に収穫できたか?」

「気付いていたのか」

「悪役の余裕として、気付かないフリをしてやるのもよかったんだが、やはり私の凄さを伝えるために教えてやった方がいいと感じてな。で、どうする?君はこんな私と付き合えるかと馬鹿らしく思って逃げるか?」

 

 

コウマの胸の嵐は止まり、隊長を見据えた。

目の前の女は間違いなく、怪物だ。

こいつを生かしておけば、新しい悲劇が生み出されてしまう。

ならば自分は―――

 

 

「俺は戦う。この防人は貴様のような怪物からこれ以上の犠牲者を出さないために存在している。これを受け継いだ者としてお前を倒す!」

「ふふ、ふふ、ふふふふふふふふふ……上出来だ!実に、実に痺れるぞ!!さぁ、話すべきことは全て話した!!戦おう!!互いの信念と信念を拳に込めてぶつけよう!!語られることのない英雄譚を始めよう!!!」

 

 

叫び、隊長の身体が大きく膨れ上がった。身体の膨張に耐え兼ね、軍服が裂けた。

コウマの感覚が隊長の内部で膨大な熱が生み出されていることを教えてくれた。

隊長の変異が終わるとそこに異形の怪物が直立していた。

異形は身長二メートルを超え、黒い鱗、鋭い爪、太い尾、炎のように紅い舌、鋭角的な顔面に二本角と金の長髪を持っていた。

コウマは黒い甲殻と皮膚によって身を作ったその姿に呆然と呟いた。

それを見たことはない。書物の中だけしか知らない。だが、その存在は今、目の前にいる怪物のことだろう。

 

 

「竜……」

「―――!!!」

 

 

隊長……否、竜が吼えた。

咆哮を上げると共に地面は爆裂したように吹き飛び、コウマは腕を前に出して防ぐが、本能が警告を引っ切り無しに響かせていた。

ただの咆哮を上げただけで爆裂してしまうほどの衝撃波が発生した。その点だけでも本気を出した隊長の力を十分過ぎるほど理解した。

―――ああ、自分は本当にとんでもないのに見込まれたな。

両腕を床に降ろし、完全な変化を遂げた、悪竜がいた。

 



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第二十一話

竜の咆哮は空調パイプを伝わり、基地中に響き渡り、大きく揺るがし、基地にいる全員が反応を起こした。

サキは自分の両親を喰った金剛餓狼の恐怖を思い出し、コウマが咆哮の持ち主と戦っていることを知り、無事を祈った。

クロメはブレイドホーネットの女王を思い出した。あの恐怖を固めたような怪物を無意識に思い出し、震えた。

コウは脚を止めて基地奥にいる存在に唸り声を上げた。自分を超える存在に牙を剥き出しにして。

戦闘中の軍人たちは、響く咆哮に僅かの間、人間が持つ見えない驚異を想像する行為に、飲み込まれ攻撃の手を緩めてしまった。

指揮をしていたナジェンダは臆した部下たちを叱咤しながら、帝具、パンプキンで砲撃を放った。その砲撃は先に撃ったものよりも強力だった。

実験体たちは基地の王の咆哮に戦う力を与えられた。死と生の境を戦いの意思に染め上げ、恐怖を消滅させ、重症を負いながらも本能のまま戦い続けた。

局長は咆哮の持ち主が歓喜に震えていることを理解し、目を閉じた。この五年間、ここまでの喜びを見せたのを彼女も初めて見ることであった。

 

 

 

「思うがままに……楽しんでください、隊長」

 

 

 

 

 

 

コウマは竜となった隊長に突撃した。

―――本能が叫んでいる!やばいって!

自分と相手の実力の差を、コウマは十分過ぎるほど理解した。

自分は帝具という強力な兵器を所有しているが、その性能すらよく理解していない素人。分かっているのは、単純な身体強化のみ。

戦う者として己の武器の性能を知らずに戦闘を行うなど致命的だ。

おまけに相手は、

―――知性と獣性を備えた正真正銘の怪物!

知性と獣性。この相反する二つを備える存在など、この世にはいないだろう。人は知性を手に入れ、技を作り出したことで、持っていた獣性を捨てた。獣は己の獣性を捨てることなく、生き続けているために知性を備えることはなかった。

だが、目の前の怪物は学ぶことを知り、技を使うことができる例外だ。

例外に常識は通用しない。そのためコウマは先手をとった。

走り、踏み込み、跳ぶ。着地点は天井。新たな足場を再び強く踏み込み、跳ぶ。逆V時軌道で構えている悪竜の背に飛び込む。

使う力は足一本。力を膝、足首と乗せ、つま先に集中させる。その一点に集中したことで、コウマは鉄の閃光となった。

快音が響き、閃光が隊長の背に直撃した。

鋼鉄の鎧が一点集中の攻撃しにきたのだ。避けるかどうかするだろうと思っていた。しかし、蹴りは背に直撃した。直撃したはずなのに……。

―――甲殻が堅すぎる……!

鎧のつま先にひびが入る。今の攻撃はダメージを与えられていない……!

刃のようなヒレを持った背は傷一つない。

無傷だ。

 

 

 

 

 

 

 

傷もなく、背に蹴りをもらった隊長は思った。

背のコウマは離れ、距離をとっている。

その姿は体勢から警戒を強めていることがわかる

―――いい蹴りだ。よっぽどの自信を籠めたんだろうな。

それ故に、コウマの心境はどんなものだろう。必殺の一撃を直撃したはずなのに、無傷というのは相手が自分より圧倒的であるということだ。それは精神に大きな動揺を生み出す。

それを想像して楽しむのも、

―――悪役としての醍醐味!

身体を起き上がらせ、二本脚で立つ。

高い、と改めて自分が竜化してことを実感する。

人間の頃の身長は約百七十、今の自分は約二メートル半。

人間に対して巨躯だが、竜という生物としては小柄なのだろう。

が、この身体が小柄なのには理由がある。

それは今まで培ってきた日常による賜物だ。幼いころから生と死のやり取りを続けてきたため、身体には傷が絶えなかった。傷が出来れば休むのが、人間の常識だが彼女は怪物。休む時間すらも戦うことに費やした。

戦い続けることで、身体にある変化が起こった。本来なら、身体を伸ばすエネルギーが身体を守るエネルギーへと変換されたのだ。

それによって治癒能力は跳ね上がり、大きく長く育つはずだった肉と骨も小柄な身の中に密度濃く押し込まれるようになってしまった。

圧縮された全身は防御において隙間がなく、攻撃においては爆発的な破壊力を生み出すことができる。しかし、

―――この力を早めに制御しなくては……。

隊長が竜の姿をとるのは約五年ぶりだ。これまで人間の身体で過ごしてきたため加減などもう忘れてしまっている。

それじゃ準備運動、と思い足に力を入れた。すると、目の前いきなり壁が現れた。

―――おっと、入れ過ぎた。

振り返るとはねられた鎧が空中で錐もみしていた。

 

 

 

 

 

 

 

隊長が変身した竜の動きは、まさに光速だった。

漆黒の砲弾と化した隊長はコウマにぶち当たり、軽々と吹き飛ばした。

コウマは理解した。これまで戦ってきた、危険種を含めた相手とは次元の違う強さであることを。

―――防人がなければ即死だった……!

いや、即死はおろか自分が死んだことすら分からなかっただろう。

防人の能力により感覚が強化されているが、その感覚を以ってしても突撃を見切ることが出来なかった。それほどに相手は速い。

何せ相手は竜。人間サイズの竜なのだ。

空中で錐もみ回転している中、背中に強烈な打撃があった。

その攻撃はコウマの『心眼』からしても、いきなりのものだった。

 

 

「ぐぅ……!?」

 

 

突然な痛みに息が漏れる。

背中を見ると竜の三本指の足が叩き込まれていた。

衝撃を殺しきれない空中での痛みに意識が飛びかける。離しかけた意識のまま頭から床に激突した。

コウマは、両膝をついた状態ながら、すぐに顔を向け、相手を見る。

いない。『心眼』を再起動させ、確認する。

空中。竜が片足だけを伸ばし、背中を丸めた縦回転で跳んでいた。

―――回転踵落とし!?

技に気付いた時には、遅かった。

頭頂部に直撃。

 

 

「ぁ……!」

 

 

打撃音と鉄の音が響き、コウマの顔面は床に埋まった。

 

 

「新しい土下座か?頭を下げている奴を蹴飛ばすのは

 『悪役』の特権だな」

 

 

蹴りが左肩にぶつかり、コウマは起き上がることできたが右肩部に鋭い痛みが発生した。

鎧が与える痛みではない。肩に何かが鎧を貫き、刺さっている。

刺さっている物は一見、刃に見えたが違う。それは隊長の指から伸ばされたもの、―――爪だった。

爪は竜の三本の指から伸ばされ合わさることで厚い刃となっていた。

 

 

「くっ……!」

 

 

左手を手刀として、爪を叩き折る。

折れた爪を気にせず、隊長が接近。来るのは、右。右肩を負傷した自分では死角となっている。

隊長の拳が勢いよく振るわれる。

―――顔!

隊長の速さに慣れたために拳を避けようとしたが、右足にまた鋭い痛みが発生した。

見ると右足に隊長の伸びた爪が突き刺さっていた。

その爪を伸ばしている指は先ほどコウマが折ったものだった。

―――高速回復か!?

地面に縫い付けられ、拳が顔に迫ってくる。

 

 

「おおっ!」

 

 

叫び、左の拳で迎撃をする。

防人の能力により上がった筋力、拳を纏う鎧という判断の元に行った。

だが―――

 

 

「っっ!!」

 

 

竜の拳と鬼の拳のぶつかり合い。勝者は竜のものだった。

コウマの左拳から腕半ばまでが亀裂を帯び、竜の拳は止まることはない。

痛みに口から苦悶の声が漏れるが、僅かながらも拳の軌道をずらすことができたため、コウマはギリギリの間合いで、その攻撃をかわす。

だが、振り下ろされた拳は音速を超えていた。

命中こそしなかったが爆発的な衝撃が襲い掛かり体勢を立て直す間もなく、縫い付けた爪を折り、壁につけられた太いパイプの束に叩きつけられる。何本ものパイプがへし折られ、砕け散り、異臭を放つ液体が噴出し、全身に浴びることになった。

すぐに起き上がり、隊長を見ると指に鉄片を挟み、親指で打ち出そうとしていた。

その行動に一瞬の疑問の後、今、自分にかかっている液体の正体に気付く。

―――薬液っ!?

打ち出された鉄片がパイプとぶつかり、火花を生み出した。薬液に火花が引火、轟音とともに爆発し、火柱が吹き上がった。

 

 

 

 

 

 

 

こんなところだな、と隊長は己の手を握っては開いた。

身体中を動かしたことでコツはつかむことができた。

すでに床は拡がった液体がすぐに炎となり、部屋をオレンジ色に染め上げている。

―――これで私は本気も本気。本気の『悪役』だ。

壁から噴き出した炎に包まれるコウマを隊長は自らを思い、見ていた。

いつもなら、こんな風に道具も使ったりしない。

いつもなら、竜の体で戦ったりしない。

いつもなら、背後からいきなり攻撃したりしない。

いつもなら……。

いつもと違う。そう、これが本当の自分だ。

何ものにも縛られることなく、思うがままに自分は戦っている。己が欲に従うことのなんと痛快なことか。『悪役』の真髄は己が心の求めるままに生きること。己がしたいことを貫く生き様。そんなことが許されるのか。

 

 

「許されることではない」

 

 

怪物の自分が行っていることは悪の一言だ。その自分を打ち倒そうとしてくれる勇者が今、ここにいる。

勇者―――コウマは炎の中、赤鬼を通り越して焼き鬼になっていた。

―――待て、焼かれたコウマを斬れば、焼き鬼斬りになるのではないか?

そんなことが頭に浮かび、思わず口角が上がった。心に広い余裕が生まれている。この充実した時間のお蔭だ。

炎が最も強く燃え盛る場に動きがあった。

人型の炎がこちらに一歩、一歩と近づいてくる。

炎は傷ついた箇所を炙っているだろう。身体は軋んだように痛むだろう。

全身を焼かれながらも、進み続けている。

鎧の持つ翡翠の瞳からは尽きない戦意がありありと満ちていた。

火だるまになりながらも進み続け、戦う鉄の鬼。

それを美しいと思う気持ちを隊長はどうしても抑えることができなかった。

 

 

 

 

 

 

 

―――馬鹿をやらかした!

コウマは炎に包まれ、身体中を激痛に蝕まれていたが、それ以上に自分に怒り、己を罵倒した。

自分はされるがままと言っていいほどの攻撃を立て続けに受けてしまった。

全ては自分の油断が原因。この帝具、防人を手に入れたことによる抱いてしまった優越感。鎧ということで攻撃を防ぐことができるという慢心。これらが重なってしまったことでここまで無残な姿を晒してしまった。

自分に怒るのも程々にすると割れた拳を見るが、

―――何?

元に戻っていた。未だに炎に包まれている中、指に軽く力を入れると、素直に反応がきた。痛みはなく、鎧も修復していた。肩と足を動かすと同じく肉体も鎧も修復していた。

―――帝具の能力なのか……。

身体を動かすと僅かな違和感があった。防人を纏った時に与えられた力とは別に、まるで改造されたかのように動きに力が入ってくる。

―――まさか。

もしも自分の考えていることが本当ならば、

 

―――この防人、とんでもなく厄介な代物だ。

 

 

 

 

 

 

 

炎を振り払うとボロボロではなく、完全に修復された状態の防人を纏ったコウマが現れた。足の運びから、肉体も完治されており、能力に修復能力があることを隊長は気付いた。

すると、コウマが目の前から消え、音が響いた。

鉄が硬質な物体にぶつかったような音だ。音の原因はコウマが隊長の腹に拳を一撃打ち込んだからだ。

速い、そして静かだ、と隊長は感嘆を抱いた。僅かしか見えなかったが見たことない足の運び方をしていた。『影』が生み出した無音高速動作だろう。だが、身体強化により、桁違い速さを持っていた。

岩すらも砕くであろう一撃を受けても隊長は涼しい顔をしていた。隊長の腹に痛みはなく、コウマの拳が砕けていた。

 

 

「……軽い一撃だな」

 

 

コウマの頭目掛けて手刀を振るうと、コウマの鎧の右上腕部を削る。しかし、それだけだ。

攻撃を受ける瞬間に身を引くことで、ダメージを軽減させたのだ。

よくやると思った。一撃でも直撃すれば即死確実のはずが、臆することなく接近してきた。

そう思った時、背に打撃が何発か入れられた。足による攻撃ではない。形からして拳、掌底、手刀などのバリエーションに富んだ攻撃。

打撃が入れられるたびに再生した鎧が砕け、血が流れる。

―――全て急所に入れているな。

隊長はコウマの自らを攻略する方法に気付いた。それは急所といえる場所を徹底的に攻めていくこと。

コウマが攻撃を入れている場所全てが生物にとって急所と言えるべき場所。竜にも急所と言える箇所が存在するため有効といえる策だが、

 

 

「私にその戦い方は通用しないぞ!!」

 

凝縮された身体に痛みを届かせることはない。

回し蹴りを放つが鎧をかすり、壊すだけだ。すると、今度は腕の関節に集中攻撃された。

隊長に痛みを与えることなく、コウマの拳が砕ける。

その動きは、小さな勝機を見逃さない動きだった。

曲線的に回り込み、一瞬現れた隙を見逃すことをせずに確実に一撃を入れてくる。

更には、そういった攻撃をフェイントとして、不意の一発を飛ばしてもくる。

―――この動き……私にはできないな。

コウマと自分。直線的な移動では自分の方がはるかに速い。だが、曲線的な動きで勝負すればあちらの方に軍配が上がるだろう。何せ自分は竜。人間とは比べものにならない筋肉の塊であり、力がピーキー過ぎるのだ。コウマのように力の切り替えはこの身ではできない。

隊長が攻撃、コウマがそれを避け、回り込み殴る。

そんな戦い方が五十を超えた時、隊長はふと違和感を感じた。

―――おかしい……何かが変わった。

コウマの戦法は変わっていない。ただ延々と動きまわり、自分の急所、または関節などの重要な箇所に身体を砕きながら攻めている。

しかし、技の一つ一つ。全部が、一回ごとに確かに力が込められているのだ。

コウマの動きは何か自分の力を確かめるように、確実に大きな力を持ち始める動きだと今更なが、気付いた。

そして、一撃。

 

 

「……ぬ?」

 

 

僅かな……本当に僅かな痛み。

 

 

「馬鹿な……」

 

 

疑問して、隊長は理解した。帝具、防人の真の能力は、鎧を纏い、肉体を強化することではない。それは、

 

 

「ダメージを受けることで、鎧と装着者を鍛え上げることか!!」

 




防人は鎧や身体がダメージを受け、壊されるたびに再生します。
ただ、再生するのではなく鎧も使用者も傷ついた分、硬く、強くなります。
『痛みに耐え、傷ついた自分を鍛え、戦い続けろ』てな感じで

友人に設定いったら、
『FateのドMさんみたいなもんか』と言われました。
すると、防人の鎧が笑顔が似合う筋肉さんでイメージしてしまいました。
ちゃうねん。コウマにあんな狂化はないねん。ノーマルなんや。







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第二十二話

隊長が驚きの声をコウマは聞いた。

―――ああ、そうだよ!

コウマは防人の能力を知られたことに内心で舌打ちをした。

防人に宿った男の過去と隊長に攻撃され、壊れながらも再生した鎧と肉体で、ようやく防人の能力を理解することができた。

鉄鬼変生・防人。その能力は傷ついた肉体や鎧を再生させ、鍛え上げることだ。

故に隊長の身体を殴っていき、鎧と拳を砕いていくことで、己の力を高めていたのだ。

―――拳が砕ける痛みはそのままだったがなっ!

防人の能力に再生はあるが、砕ける際に現れる痛みはないわけではない。ぶつけるたびに肉が潰れ、骨が砕ける。そんなことを五十回も繰り返していたのだ。常人なら痛みで発狂しているだろう。

だが、コウマは耐えた。痛みは耐えれることを知っているから。

隊長へと意識を飛ばす。

前方、竜の顔を歓喜の笑みで歪めている。

 

 

「くらっとけ!傷つき鍛えたこの一撃を!」

 

 

コウマは拳の一撃を腹にぶち込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

竜の甲殻と鬼の鉄の拳。

今まで、拳は甲殻を砕くことができず己が砕けていた。

五十を超える勝負にようやく変化が訪れた。

変化は……双方の破壊。

甲殻は水しぶきのように砕け散り、拳は鎧のみが砕けていた。

竜の身体から赤いしぶきが、大気にぶちまけられる。

続く声。竜の高い、伸びるような……苦悶。

コウマは隊長の肩を蹴り飛ばし、同時に並はずれた跳躍力にものをいわせ、反対側に逃げ延びた。

部屋の端と端で、コウマと隊長は再び、対峙した。

隊長は腹、肩の甲殻、砕け右腕がぶらりと垂れ下がっていた。

全身が震えている。しかし、

 

 

「はは……初めてだよ、この身に痛みが生まれたのは!!」

 

 

痛みで震える中、それでも隊長が笑っていた。

そこでコウマは信じられないものを見た。

隊長の叫びと共に、砕けた腹と肩が瞬時に復元回復された。その叫びそのものに、なにか呪術的な力があるように見えた。

 

 

「別に驚くことはないだろ。私は竜、危険種だ。人間の回復力と比べれば私の方が早いに決まっている。いいことを教えてやろう。私は君のような高速で強化する能力はない」

 

 

コウマは息を呑んだ。

力もある。スピードもある。堅牢な防御もある。テクニックもある。高い治癒能力もある。戦いにも慣れている。

―――いや、もっと怖いのはその精神性だ。

自分が誇る装甲を破壊されたのに、動揺するどころか喜んでいる。自分がこの怪物の存在をつくづく甘く見ていたことを思い知らされた。

これが、『悪役』として生まれた怪物の、本当の強さか。

コウマは走った。

戦法はすでにこの身体も相手に痛みを与えられるほどに強化されているが、さっきと同じように攻撃し、確実な一撃まで強くするために殴りにいった。

狙いは脚。片足だけでも潰せることが出来れば、移動力に制限がかかるためだ。

腕を振るう―――

 

 

「―――――――――!!!!!」

 

 

咆哮。如何なる生物も怯ませるバインドボイス。

至近距離から聞いた竜の咆哮はコウマの動きは一瞬だけ怯ませた。しかし、その怯みは致命的だ。

 

 

「おーいたいた」

 

 

声が聞こえた時、反射的に両腕を盾にし、その一撃を受けた。

竜の正拳突き。その型は教科書で書かれているように綺麗なものだ。引いた拳、僅かに落とした腰、両の足による踏み込み、呼吸も完璧なものだった。

完璧な正拳突きはコウマの腕の装甲を砕き、こじ開け、胸部の鎧をぶち抜き、胸を打った。

―――あ。

コウマの脳裏に走馬灯が浮かんだ。

 

 

 

 

 

 

 

策にはまったコウマを見ながら隊長は

―――皮一枚繋がったか!?

拳から伝わる感触にそう判断した。

今まで様々な生物を壊してきたことがある。何度も壊していくたびに、感触で壊せたか壊してないか判断できるようになった。

あと少し、あと少し、拳を届かすことができていたら間違いなく、コウマの命を砕くことができた。

原因は分かっている。強化された鎧によって威力を減衰された。

コウマは背から壁に激突した。

壁に拡がるパイプに背中からぶち当たり、金属片をばらまきながら、幾重にも不協和音を響かせ、壁を落ちる。背は丸くしていない。衝撃を受け止められなかったら、背骨がずれたり、最悪の場合は折れるからだ。

下までは二メートル。尻が最初に地面についた。

手足が、びくびくと痙攣を続けていたが、やがてだらりと垂れ、動かなくなった。

―――これで終わりか?

そう思った時、コウマはがばっと起き上がった。

仮面の隙間から大量の血を吐き出しているが、二本の足で立ち、構えた。

―――そうだ。立ち上がれ、私はまだ倒されていないのだからな。

 

 

 

 

 

 

 

拳の一撃の衝撃に、まだ全身の痺れが残っていた。

攻撃を受けた場所が、たまたま、鎧の中でも、最も強靭な部位の胸部に当たったことが幸いだった。ひとつ間違えていれば、即死していた。

離れた距離を置いて向き合っていても、隊長の闘志が伝わってくる。そのたくましい視線は光線のようにコウマの心を貫いた。

―――この感じ、金剛餓狼を思い出す。

あの時の心境がまさに今と同じだった。猫を前にしてネズミの気分を心底から教えられた。身体を縛る感覚も、拳のもたらしたダメージだけが原因ではないのかもしれない。

隊長がゆっくりとした足取りで、距離を詰めてきた。

己の体格を誇るように、王者のように悠然と歩いてくる。

コウマは恐怖から全身の血液が沸騰するのを感じた。

隊長が部屋の真ん中に達したところで、突然、爆音が轟いた。周囲に火柱が上がった。それに続いて、また床に大きく火が回った。薬液を燃料に燃え続ける炎が、さらに火勢を増したのだ。

隊長の金の竜の双眸が鋭くなる。

その瞳が湛えた輝きは刃物のように鋭く、

―――どうした?こないのか?

と自分を見つめる瞳がそう語っていた。

気迫、そして戦いの経験。そこに絶対の差があることは認めている。甲殻の硬さ、再生能力も侮れない。

今、自分が纏っている防人は上限しらずの力を与えてくれる。今までの傷の蓄積に隊長にダメージを与えるほどの強さを獲得している。

だが、先ほどの一撃がコウマの心理に強い恐怖を埋め込んでしまった。

痛みと重なり、コウマの意識を塗りつぶそうとする。

これまで体験したことのない恐怖だ。

―――恐怖?

思い出す。金剛餓狼の戦いを、ブレイドホーネットの女王との戦いを。

あの時も一撃を入れられて死にかけた。

そうだ。恐怖は乗り越えることができるのだ。

コウマは息を吸い、そして吐き出した。

岩のように凝り固まっていた肩が、すっと軽くなった。

炎の壁を突っ切り、隊長が跳躍した。

矢のように飛び、一直線に襲い掛かる。

放たれる攻撃を鎧で受け、体を捻ることで威力を抑える。

抑えた攻撃でも身体がバラバラになりそうになる。それでも、

―――ただ、ただ痛いだけだ!

蝕む痛みを胸の奥底に沈めながら、反撃。

渾身の一撃が隊長の腹をぶち抜く。

大量の血液と、鈍く光る黒い甲殻の破片をばら撒きながら、隊長は宙を舞った。そして、一面炎に包まれた床に頭から突っ込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

炎の中に立ち上がると隊長は笑った。

竜面を歪ませ、会心の笑みを浮かべていた。

―――これだ。この時を私はずっと望んでいた。

鎧を鮮血に染めたコウマめがけ、正面から襲い掛かる。

フェイントを使い、腹に一撃を見舞う。

だが、コウマの動きは打たれるたびに洗練されていた。動きに一部の隙もなく、余計な力も入っていない。こちらが一撃当てたとしても、一撃、必ず返してくる。

鎧は拳がぶつかるたびにヒビが入るが、それもすぐに修復される。

更に強度を高めている敵の身体は堅牢で、叩いた竜人の拳にもダメージを与える。

それでも竜と鬼は床を血に染めながらも拳を振るい続ける。

筋肉が断裂し、骨が砕けたことで全身に痛みが襲う。

―――だが、こちらの方が早いぞ。

今の私にはお前にはない、この胸の喜びがある。

傷だらけの身体は竜の細胞と喜びによって鬼より早く回復していく。

―――そうだ。これなのだ。

喜びを。

この苦しいほどの胸の震えを。

それだけをずっと求めていた。

更なる『悪役』になるために己自身を休まず鍛え上げた。局長の強力の元、組織の技術によって、外側からも強化させた。

高みに上がり、その先に見たのはぽっかりと空いた、ただの虚しさだった。

虚しさは絶望そのものだった。

そこに現れたのが、お前だ。

―――コウマ!

実験体を倒した時の、あの姿。

それを見た時に全身を震わせた衝撃。

あの衝撃は本物だった。

衝撃は胸を震わせ、喜びとなり、戦いを盛り上げる燃料となっている。

私は今、世界一の幸いを手に入れている。

 

 

 

 

 

 

コウマが離れ、走る。

その距離は自分から最も離れている。

解る。自分を倒すための必殺の一撃を放とうとしている。

炎が噴き上がり、二人の間に壁を作る。

―――さぁ、終わらせよう!!

周りに拡がる炎が隊長の戦意を感じたかのように激しく燃え上がる。

身体中の甲殻が砕かれ、血の味が口いっぱいに広がっているが、隊長の戦意は塵ほども削がれていなかった。むしろ、以前に倍して猛々しく荒れ狂っている。

――ああ、生き続けてきた甲斐があった!

興奮が我を忘れさせた。このほんの僅かの間、コウマは傷つき、痛めつけられた。だが、それら全てに耐え、立ち上がり続けた。圧倒的な強者を前にして諦めることなく戦い、勝機を掴む。それは戦士の理想だ。

―――コウマ!お前は選ばれし者、勇者だ!

自分と敵を隔てる壁に向かって、吠えたてる。

全身を喜びに震わせて吠える。その喜びは幾重にも響き、やがて消え去った瞬間だった。

身体の奥から力を引き出し『奥の手』を備えると、天井に達した炎の壁が、ぐにゃりと歪む。

炎の中、生まれた真空のトンネルから飛び出してきたのは―――

 

 

「コウマっっっっ!!!!」

 

 

上半身を捻り、腕を振り、勢いを上げられた蹴りが突っ込んでくる。

あの蹴りは間違いなく必殺技だ、と隊長は直感した。『奥の手』は間に合わない。直撃すれば、この身体をぶち抜くことができる。

隊長はアッパーカットで迎撃した。

瞬間移動のように振り抜かれた拳と蹴りがぶつかる。威力はこちらの方が上。このままだとコウマは壁に吹き飛ばされる。

しかし、拳に当たる蹴りの感触がおかしかった。拳に当たる面積が小さいのだ。

―――踵か!?

拳の中指に踵がぶつかっていた。すぐに足裏が乗せられる。

拳に乗ったコウマは足首を曲げ、膝を曲げ、腰を落とし、身を縮め、腕を広げてバランスをとった。

それらの一瞬にして行われた動作の意味することを隊長は理解した。

―――全身に来る打撃を、吸収された!

だが、行き場を失った運動力はこのまま溜めていけば、体の中で爆発し、コウマの内部をズタズタにする。

直後、コウマは跳躍した。

体内に溜まろうとしていた運動力を、拳の軌道に合わせて正確に飛ぶことで、受け止めたのだ。

凄まじい勢いでコウマが天井に飛ぶ。

天井を弾いて、向かってきた。蹴りの体勢で。

灼熱し、赤く輝いて見えるほどの、猛烈な蹴りを放つ。

―――最高だ!

己の力すらも勝利のための材料とすることに歓喜した。

相手の全力の攻撃には、こちらも全力の攻撃をぶつけるしかない。

隊長の喉も輝きを見せ、『奥の手』―――ドラゴンブレスを放った。

 

 

 

 

 

 

 

 

灼熱の蹴りと蒼白の閃光が疾走し、激突した。

光が満ち、莫大な熱を纏った蹴りを閃光が押さえ込む。

蹴りは、閃光に包まれ包む鎧が悲鳴を上げる。

必殺の技だった。蹴りを放ち、打ち出された隊長の拳を威力と共に踏み台として、跳んだ。勢いを保ち、壁を跳ね返るようにして、最高の蹴りを放った。

その凄まじさは鎧が速さで赤熱化するほどだ。

だが、相手の『奥の手』は己の最高を超える代物だ。

ドラゴンブレス―――竜の必殺技の代名詞だ。

―――死ぬ。

とコウマは不意に悟った。

閃光にぶつかっている左足が悲鳴を上げている。

身体が閃光に包まれそうになる中、胸に狂おしいほどの感情が湧き上がった。

コウマはその感情に従い、吼えた。

乗り切れ、乗り切れ、この閃光を。

ここで勝利しても、更なる驚異とぶつかることになる。この程度のことに敗北してどうするというのだ。

―――帝具、防人!!

コウマは防人に呼びかけた。

このまま終わるわけにはいかない、と。鎧の再生スピードを上げろ、と。力をもっと引き出せ、と。

―――今、目の前にいる『悪役』を倒せるだけの力をよこせ!

叫びに呼応し、変化が起こった。

コウマの右足に自壊せんばかりの力が込められた。

それを理解し、吼える。

閃光が―――割れた。

 

 

 

 

 

 

 

ドラゴンブレスを割り、コウマが落ちてくる。

―――面白い。本当にお前は私を楽しませてくれる!

隊長の腕はもう動かない。動こうにも足は微動だにしない。

ドラゴンブレスは本当に『奥の手』だった。もう自分には動く力も残っていない。

あるのは、『悪役』として、誇り高く、その胸を張り、勇者の一撃を受けることだけだった。

それを悟った時、すでにコウマの姿は己の眼前にいた。

鎧に包まれた脚が、隊長の胸を深く貫いた。

 



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第二十三話

肉が潰れる音と、床の石が砕ける音と、空気が揺れる音と、壁に亀裂が入る音と、本棚が倒れる音と、炎が衝撃で揺れる音が一つになって巨大な轟音を作り出した。

一瞬で幾つもの音が交じり合ったので、それは一つの巨大な音にしか聞こえなかった。

もし間近でそれを聞いた者がいたら耳に手を当てて悶絶しただろう。まるで音そのものが破壊の権化であるかのように、それは凶暴であり凶悪だった。

蹴りを入れた。言葉にすればそれだけなのに、起こった結果は人が成し遂げられる破壊の範疇を容易く超えていた。

蹴られた勢いのまま、隊長は炎の中に転がっていた。

必殺。その名にふさわしく、隊長には完全に胸部を破壊された痕が大きく広がっており、砕け散った甲殻だけ見れば、これが蹴りによって作られたものだと決して理解できないだろう。

―――勝った……のか?

現実をコウマは受け止めるのに時間がかかった。

これが本当にあの竜の身体の中に納まっていたのか、と一目見た瞬間に疑いたくなるほど、おびただしい量の血がコウマの脚につき、足元に拡がっている。

少し足を上げればねちゃねちゃと特有の粘り気が足の底から伝わってくる。よく見れば、小さな肉片らしきものと甲殻らしきものがあちこちに飛び掛かっている。

身体が震える。これが自分の力だということに混乱した。

ごっと空気を揺らして、炎が隊長の身体を呑み込んだ。

―――急いで、脱出しなければ……。

コウマは自分の拳を見つめた。そして、炎に焼かれている敵に背中を見せると、ゆっくりと出口へ歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まだだ。まだ終わってないぞ、コウマ」

 

 

瞬間、コウマの意識が飛んだ。

胸に大穴を空けた隊長が飛び込んできた。

隊長の残った最後の武器、牙がコウマの首筋に突き立てられていた。

無意識のうちに……意識を失う寸前に下された命令に従い、コウマの身体が貫手を放った。隊長の喉を貫き、吹き飛ばす。

傷ついた鎧から真っ赤な血が噴き出した。

防人が直ちに、断たれた首筋の筋肉を再生する。血はすぐに止まった。

だが、激痛がコウマを苛んだ。筋肉の再生は無痛だが、神経の再結合には痛みが伴った。

 

 

「ダメだろ、コウマぁ。『悪役』はなぁ、しぶといんだ。死んだかどうかの確認をちゃんとしなきゃダメだろ。最後の最後まで……な。くはっ……くははははははははははははははははは――――――」

 

 

隊長の笑いが奥へ、奥へと響く。

周りの炎、痛みよりもその笑いがコウマの意識を塗りつぶそうとした。

そして、コウマは―――落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

『ごめんなさい』

サキは今の自分を突き動かしている原動力をそう考えながらコウの背中に乗り、基地内を進んでいた。

コウマからは基地から逃げろと言われたが、そんなことは出来なかった。

コウマが帝具を身に纏い、その姿に自分は怯えてしまい、コウマは何も言わずに行ってしまった。それがサキの心に深く突き刺さった。

後ろにいるクロメも同じだろう。

これまで自分たちは、一緒に暮らし絆を結んできたのだ。

断片的に思い出していく過去が繋ぎ合わせ、大きくすればするほど、コウマに怯えてしまったことが後悔としてサキを責め立てていく。

 

 

「サキ……私なんて言えばいい?」

「……わかりません。私は……謝ろうと思っています」

 

 

走っていたコウが止まる。目の前には巨大な鉄の扉があった。

 

 

「……行きます」

 

 

扉を開けると地獄があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

燃えている。

燃えている。

燃えている。

胸部は砕け、喉を潰され、全身を炎で焼かれながらも隊長は生きていた。

竜の細胞が脳を、心臓を、魂を肉体に繋ぎとめていた。

隊長の魂を表すように、その竜の瞳は力を失わずに、倒れているコウマを睨みつけている。

―――もう少し、もう少しだ。

身体に力を籠め、溜まったところで倒れているコウマに止めを指すつもりだった。

すると、扉が開き、新鮮な空気を得たことで炎が激しく燃え上がる。

 

 

「コウマ様!コウマ様!」

 

 

突如、女が倒れているコウマに駆け寄った。炎で熱している鋼の仮面を、火になることを構わずに触れ、引き抜くようにした。

防人が外されたことでコウマの身体から鎧が消える。

コウマの名前を知っていること、似たような服装からして隊長は推測を立てた。

―――なるほど、コウマの女か……。

 

 

「生きてる!生きています!!」

 

 

火傷した手でコウマの生死を確認し、生きていることに涙を零しながら喜んでいた。

意識を失っているコウマを背負い、部屋から出ていこうとする。

 

 

―――おい、待て。お前はなにをしている?

―――コウマを……『勇者』をどこに連れて行こうとしている?

―――まだ、私が……『悪役』がここにいて、生きているのだぞ。

―――やめろ。連れていくな。頼むから。

―――私はずっと待っていたのだぞ。彼が来るのを。

―――この幸いの日を、最後の最後でぶち壊すつもりか?

―――ああ、ああ、お願いだ。お願いだ。

―――行かないでくれ……!

 

 

炎が壁を作り、コウマと女の姿を消した。

 

 

「………………!!!!!」

 

 

まだ、回復のしきっていない喉から声を振り絞る。しかし、口から吐き出されるのは血。

竜の瞳から涙が溢れていた。

―――なんて、なんて……結末。

 

 

 

 

 

 

声のない叫びが、炎の空間に響き渡った。

そして、その叫びに答えるものがあった。

竜の叫びに応じるのは、炎の空間を歩いてくる者。

酸素ボンベを背負い、ガスマスクを顔につけ、銀の耐熱服を身につけた者。

炎の中を一歩一歩進み、涙を流し、倒れている竜を見る。

 

 

「隊長……」

 

 

半身が砕け散り、炎に焼かれることも気にせず、泣いている。

口を広げ、血の叫びをあげるだけだった。

ただ、ただ感情が込められた声。

悲鳴にも、苦悶にも聞こえる慟哭に対して、ガスマスクの者―――局長は目を伏せた。

―――こんな結末……認めるわけにはいきません。

目を開ける。眼下、泣く竜を見て、手を伸ばす。

 

 

「……隊長!!」

 

 

吐き出される感情の叫びを潰すように、局長は叫んだ。

 

 

「組織の王よ!欲しなさい!貴女が望むべきものを!貴女はこのような小さな舞台ではなく、大きな……貴女の感情が納得する場に辿り着くために!」

 

 

―――隊長。私はずっと思っていたんです。

この組織は貴女のような『悪役』に相応しいのか。否、断じて、否。こんな寂れた辺境の基地で終わるような器ではない。

貴女のような『悪役』はもっと相応しい場所で悪を行い、滅ぼされるべきなのだ。

 

 

「大きな地で、大きな悪行を行いなさい!その場に勇者は……彼が貴女の前に立ち塞がるはずです!より強く!より巨大な存在となって貴女を否定し、打ち倒してくれます!」

 

 

その言葉に、隊長は顔を挙げた。

竜眼を涙で揺らし、ぼろぼろの身体に一瞬だけ目を伏せた。

しかし、局長は、すぐに元の表情を取り戻すと、息を吸い、身に力を籠めて、

 

 

「……望みを!」

 

 

同時。炎が荒れ狂った。

巻き上がる炎の中、隊長の声を聞いた。

小さな、それでいてはっきりとした言葉。

それは、

 

 

「力を……」

 

 

叫ぶ。

局長に対して、血まみれの腕を差し出し、指を強く広げる。

 

 

「もっと力を……!巨大な『悪』となるための力を……!!」

 

 

頷きとともにその手を掴む。

瞬間。炎が激しく舞い上がった。

 

 

 

 

 

 

 

組織は壊滅した。

組織にいた研究者たちは避難した場所に実験体が入り込み、全員苦しみの内に死んでいった。軍を指揮したナジェンダ将軍の指示は的確であり、獣も同然の実験体を全滅させるのにそれほど時間はかかることはなかった。組織にあった禁断の実験による資料も基地奥から起きた火災により全て灰となった。

しかし、火災がやみ、改めて調べてみても、全員が聞いた咆哮の持ち主と思われる生物の姿は存在していなかった。

 




今回で三章の帝具編は終わりです。

次章は零編に入ります。
オリジナル色がかなり強くなりますが、読者様の期待に答えられるような作品を書こうと思っています。

今回、影の薄かったサキとクロメを活躍させたいなぁ……。


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