真・恋姫†無双~転生記~ (ふかやん)
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第一章
転生


 初めまして、ふかやんと申します。今回、私の処女作をご覧いただきまして、誠にありがとうございます。

 ですが、初めから言っておきたいと思います…私は正直言って文才は無きに等しいと自分自身思っています。原作などの知識も他の作者さんの作品やWikiなどの知識をかき集めた継ぎ接ぎと言ってもよい駄作ではないかとも思っている次第です。現にこの小説の製作をする際、私は右も左も分からない…『暗中模索』と言う感じで書いていました…。

 しかし、他の作者さん達の作品を見ている内に自身も小説を作ってみたいという衝動に駆られ今回の処女作を作った次第です。正直、同じ恋姫の小説を製作している作者さん達から見れば稚拙としか思えない、見るに堪えない駄作かもしれませんが、良ければご覧いただければと思っています。

 そしてご指摘やアドバイスなどもお知らせくださると私としても励みになると思っていますので、どうかよろしくご指導ご鞭撻のほどを…。


「…どこだろうか、ここは?」

 

 気が付くと、俺は上も下もない…光すらない闇その物と言える無重力空間を漂っていた。まるで海中を漂う海藻のようだと暫し思っていたが、やがてなぜ自分がここにいるのかを考え…そして悟った。

 

「そうだ…俺は死んだんだったな」

 

 思い出した…俺は病院で家族に看取られながら息を引き取ったんだ。実際意識が遠のいて行き、そうして子供達や孫達が俺に声をかけていると思いながらゆっくりと目を閉じたのを覚えている。自分で言うのも何だが・・・悔いのない生涯だった。

 

 昭和の初めごろ、東京の下町で生まれた俺はわんぱく少年と言う感じで幼少を過ごした…。やがて第二次世界大戦がはじまり、俺は徴兵されて出兵。戦争は好きではなかったが生きる為に人を殺した…。そうして終戦を迎えた後に日本に戻った俺は、殺してきてしまった人達の分まで生きようと決めて必死に働き続けた…。そうして自身の伴侶になる女性と出会い、子供達を授かった。そうして昭和から平成と時代が変わり、孫たちにも恵まれた末に…寿命が来た。

 

 俺自身、死を怖いと思った事は無い。死はいつか訪れる物…そう親父たちから聞かされてきた。そして『死ぬその時まで、精一杯に生き抜けたかどうかが大切なんだ』と言われていた事から、自分自身に出来る精一杯の事をし続けながら生きた。だからもう休んでもいいだろう…そうしてゆっくりと目を瞑ったと思ったら…ここに来ていた。

 

「おーっ、漸く目が覚めたかぁ?」

 

 …唐突に背後から声を掛けられたかと思った瞬間、墨をぶちまけたかのような漆黒が広がっていた空間は淡い青色に染まっている空間に早変わりし、俺は地面に座り込んでいた。そうして背後から響いた声の方に顔を向けると…そこには古代中国で見られるような装束を身に纏った老人が髭を扱きながら、手に瓢箪を持って立っていたのである。

 

「…貴方は、誰だ?」

 

「儂かぁ?なに、積もる話はあるかもしれんがまずは酒でも一献、どうじゃ?」

 

 そう言うとその老人は手にしていた瓢箪を掲げると嬉々として語りかけていた。

 

・・・・・・・・・・・・・

 

 こう見えて俺もある程度酒好きではある。その為暫く酒を飲み交わしていたが…唐突に自身に起きた異変に気づいた。

 

「…若返ってる?」

 

 そう、ふと盃に入れられた酒に目をやって初めて気づいたのだが自身の姿が10代…戦争に徴兵される前の若々しい姿になっていた。盃を置いて何度か顔を手で触ってみたりしたが、どうやら本当に若返っているようだ。

 

「一体どうして…?『何、死んだときの爺の姿よりも若い姿で酌み交わしたかったんじゃよ。お前さんとな…柳瀬壮也(やなせそうや)』っ!?爺さん、あんた何者なんだ…?俺の名前を知ってるなんて…?」

 

「そりゃあ儂は『神』じゃからに決まっておろう?おっと、そろそろ自己紹介と行こうかの。…太上老君、聞いた事くらいはあるじゃろう?」

 

 太上老君…!?それは確か中国における道教と呼ばれる宗教の最高神だ。三国志や水滸伝と言った小説が好きだった俺はそれが切欠で中国史などの本を読み耽っていたからその名前も知ってはいた。だけど…まさか当の本人とこうして出会い、こうして酒を酌み交わしているなんて驚きだ。

 

「ああ、そりゃあ聞いた事はあるさ。中国における道教の最高神だろう?…なあ太上老君殿、俺は死んだんだよな?」

 

「うむ、子孫らに囲まれながら往生を遂げたわい。それで…『()()()()()()()()()()()()()()()()()()()』と思っておるんじゃろう?」

 

「…ああ、そうだ。どうして俺はここに来れたんだ?」

 

「そうじゃな、なら率直に言わせてもらう。…退屈じゃから儂ら神々の遊び道具になってくれんか?(´∀`*)」

 

「…はっ?」

 

 俺の問いかけに太上老君と名乗ったその老人は真摯な顔つきになったかと思ったら、いきなり満面の笑みを浮かべて俺に頼みごとをしてきた。何だか思いっきりぶっちゃけられたようだ…。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

「…するとつまり、神々ってのは何時も退屈だって言うのか?」

 

「そう言う事じゃ。神と言うのは滅多な事では、まして寿命や病などで死ぬなどありえんしな?まあ富貴を求めて生きる人間から見りゃ不老不死なんて物は喉から手が出るほど欲しいかもしれんが、儂ら神からすれば…忌まわしい『呪い』と言ってもよい。何時までも死ぬ事なく存在し続ける…はっきり言って詰まらぬ遊戯をいつまでも続けるようなもので退屈なんじゃよ」

 

「だから俺にあんたたちの遊び道具…平たく言えば傀儡になれって言うのか?」

 

「その通りじゃ。別に断ってもいいが『…分かった、やってみよう』…何?」

 

「どうせ死んだ身だ、こんな頼みごとをされるなんて思ってもみなかったし…それに、生前にも未練はない」

 

「…何じゃと?お前さん、生前に未練が無いのか!?普通なら『生き返らせてくれ!』とか言う物じゃが…?」

 

「生憎、俺は自分に出来る精一杯の事を貫き通した。家族にも恵まれ…こう言っちゃあなんだが満ち足りた生涯だったよ。それに子供達はもう自立してそれぞれの人生を進んでいる、いまさら生き返ったって子供達が迷惑するしな」

 

「…くっ、くはははははっ!お前さん、中々に達観した考えをしとるの!」

 

「『立つ鳥跡を濁さず』って言うだろ?ところで…遊び道具って何をすればいいんだ?」

 

「何、難しい事じゃない。別の世界…『外史』に転生し、そこで思うままに生きてくれればよい。それを見物する事が儂ら神々にとっての『退屈凌ぎ』なのじゃからな」

 

「転生…そう言えば孫達がパソコンで『二次小説』ってのを見てて、俺も興味を惹かれてそれを見た事があるが、まさか俺自身が転生する事になるとはなぁ…」

 

「メタな事は言う物ではないぞい?さて…それではお主に手向けを送るとしよう」

 

 そう言って太上老君が持っていた盃に入れてある酒を…いきなり空中に撒き散らした!だが…巻き散らかされたはずの酒は、まるで意思を持つかのように大小の水滴となって浮遊し始める。そしてそこにはそれぞれに様々な事が掛かれていた。曰く…。

 

『魔力ランクEX』

 

『王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)』

 

『悪魔の実』

 

『サイヤ人の能力』

 

『チートデバイス』

 

『チートIS』

 

 …と言った物が書かれており、俺はそれが手向け…『チート能力』だというのを悟った。

 

「さて、好きな物を選ぶとよい。ただし三つしか手に出来ぬから慎重にな「…少しいいか?」何じゃ?」

 

「能力についてだけど…初めから強い能力とかは要らない。出来れば鍛えれば鍛える程に能力を引き上げられるってのにしてくれないか?」

 

「何じゃと?初めから強い…と言うのを望まんのか?」

 

「ああ。生きていた頃なんだけど…俺は孫達と一緒にTVゲームとかやってたんだが、そこではいつも時間をかけてプレイしてたんだ。レベルが上がった瞬間とかになるととても嬉しくてさ…。確かに初めから強いってのは憧れるけど…やっぱり自分自身を鍛えて強くなっていった方がいいと思うからさ」

 

「ほおー…随分とのんびりとした考えをしておるな。まあそれもいいと思うぞ?他の神々が転生者にチートを選ばせると必ずと言っていいほど最初から強い能力を持ちたがる輩が多いからのお。よし、これで一つじゃな。次は何が欲しいんじゃ?」

 

「そうだな……っ!なら二つ目は…『あらゆる武具を作り出す技能』ってのはあるか?もしあるのならそれにして欲しいんだ」

 

「むっ?まああるにはあるが…初めから強い武具も手に入れられるぞ?例えば『約束された勝利の剣(エクスカリバー)』やらなんやら…それに錬鉄の英雄・エミヤの様な投影と言うやり方の方がよほど簡単に作り出せると思うのじゃが、それでは駄目なのか?」

 

「俺さ…生きていた頃鍛冶師とかになりたいって思ってたんだよ。神話とか伝説に出てくる英雄とかが扱う武具とか…三国志とかに登場する武将が持つ武器とか、そう言うのを作る鍛冶師ってのにな。生前、刀鍛冶の元に弟子入りして何本か作ったんだ。だから…転生するのならその能力は欲しいと思ってるんだ。それにFatのエミヤのやり方も悪くはないんけど…やっぱり鎚を振るって鉄を打つあの感触はとても感慨深くてね」

 

「ふむ、よしわかった。その願い叶えてやろう、但しお主の要望を叶えるとFateに出てくる錬鉄の英雄・エミヤが扱うような『無限の剣製(ブレイドワークス)』のようにはできんぞ?あくまで自分自身の手で、それも鍛冶場で鋼などを用意して作る様にする必要があるが構わんな?」

 

「ああ、それで頼む。最後は…そうした武具を使いこなせる技能が欲しいな。Fateのサーヴァントでそんな宝具があったと思ったんだけど…それと細かいかもしれないんだけど、魔法とか魔術とかを宿している武器を作ったのなら、その力も扱えるようになりたいんだ」

 

「ほおー…先ほどもお主は言っておったが、おぬし相当長生きした様じゃな?まさかFateを知っておるとは…うむ、『騎士は徒士にて死せず(ナイト・オブ・オーナー)』じゃったな。よし、これでよいな?それとお主の要望も叶えておいたぞ?」

 

「ああ、これでいい」

 

 壮也が決断すると…浮かんでいた水滴のうち、自身が選んだ技能が記されている水滴が独りでに自身に向かってくると、そのまま体に溶け込む様にして入り込んだ。

 

「これでよい、これでそなたへの技能の授与は終わった…ではそなたを転生させる世界についてじゃが、そなたには『真・恋姫✝無双』の世界に向かって貰おうかの?」

 

「恋姫って…それって三国志の武将が女性の世界じゃなかったのか?孫の一人がそんな名前のゲームをやってたのを覚えてるんだが…」

 

「うむ、その世界じゃ」

 

「…分かった。となると…やっぱり銃器は作らない方がいいだろうな」

 

「はっ?何でじゃ?銃器を作ればたちまち天下もつかめるはずじゃろう?第一恋姫無双の世界にもオーパーツの様な武器がわんさかあるぞ?杭打機の様な物もあるし、ドリルの様な物とて…」

 

「それは知ってるよ、孫達が熱中していたゲームの一つだった『三國無双』にもあったさ。けど、時代考証を無視した武器を作りたくないんだよ。『過ぎた力は我が身をも滅ぼす』、よく言うだろ?確かに銃器を作り出す事が出来れば戦いが便利になるだろうけど、作ればそれ以上の犠牲を生み出す事になる。俺は『ウィンチェスター銃』の悲劇を生み出したくないからな。…それに銃器よりも刀とか槍とかを扱う方が好きなんだよ、俺。まあ作ろうって思った時に作るさ…」

 

「ほお…そなた意外に細かい所があるのお?まあ良い、分かった…それとほれ、持って行け」

 

 そう言って太上老君が俺に何かを投げ渡し、俺はそれを受け取った。受け取った物を見ると…それは大き目の皮袋だった。

 

「…何だこれ?」

 

「ドラクエに登場する『道具袋』じゃよ。いろいろな武具を作ってその中に入れてもいくらでも入るし重さも変わらん」

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ。これもチートだろう?さすがに受け取れないぞ…」

 

「何、これはお主に対しての餞別じゃよ。お前さん、中々面白い人間じゃしな。それとそなたの記憶は受け継ぐようにしておくぞ?では、いってくるがよい。そなたの道行きに幸有らんことを」

 

 そう言って太上老君は腰に下げている瓢箪の口を開け、その中の美酒を地面に零し始める。すると…零れた酒はたちどころに泉ぐらいの大きさに広がった。

 

「…これに飛び込めばいいのか?正直他の二次小説を読んだ時には落とし穴だったり上に出来た孔に吸い込まれたりした話もあるからてっきりそれかと…」

 

「ええいっ、メタな事を言うでない!?…さてと。では、幸運を祈るぞ。壮也よ」

 

「…ありがとう、太上老君殿。では、いってくる!」

 

 そう言うと俺はその酒泉に飛び込んだ!そう…これが俺、柳瀬壮也の新しい人生の始まりだったんだ。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 そうして壮也が飛び込んだ後も泉を見続けていた太上老君は…やがて悪戯っぽい笑みを浮かべた。

 

「すまんの壮也よ…実はそなたにはもう一つ隠された手向け(チート)をくれておいたぞ?」

 

 そう言う太上老君の傍に近づいてきた手向けの水球には…こう書かれていた。

 

『女性が自身に対して好意的になる技能』

 

 …と。

 

「さーて、どの様な物語になるか…楽しみじゃのう!ひょっひょっひょ!!」

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 これより語られるは新たな外史。どのような物語が語られるか…それは次回のお楽しみ。

 




 …とりあえず最初のプロローグを書いてみましたが、やはり改めて確認すると自身の文才の無さに呆れて物も言えません。

 慣れない事はするものではないなぁ…と思っているのが自身の心境ですが、どうか感想やご指摘などをお送りくださると嬉しいです。こちらもご指摘などを受けつつ、脳漿を絞りながら執筆を行おうと思います…。

 


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技量を磨く日々

 …何とか投稿しました。やはり小説を書くというのは難しいとしか言えません。穴があったら入りたい心境ですが…何とか気力を振り絞って頑張ろうと思います。

 では、どうぞ…Orz


中華は漢王朝・・・高祖・劉邦が打ち建てた前漢が王莽の新にとって代わられ、その新王朝も雲台二十八将と称される名将たちを率いた英雄『光武帝・劉秀』によって滅び、その光武帝が打ち建てた後漢が中華を治めておよそ100年以上の月日が流れた頃…。

 

 

 時は西暦170年…元号では建寧と呼ばれ、後漢王朝は劉宏が十五代皇帝として統治していた。その中華は司隷河東郡陽県にある町の鍛冶屋で二人の男性が鍛冶作業に集中していた。黒の短髪に薄紅色の瞳、薄い顎鬚を生やしている壮年の男性は熱される事で真っ赤に焼けた鋼を金床に置き、手にした金鎚を振るって鍛え続けていた。鎚が振るわれる度に響く甲高い音は、まるで雅楽を思わせるほどに小気味いい。

 

 

 そして黒の短髪に濃紫色の瞳をした7歳くらいの少年は、恐らく壮年の男性が作ったと思われる槍の穂先を砥石で研ぐ作業を行っていた。槍の穂先を砥石に当てて研ぐその姿は下手に声を掛けられぬほどに真剣そのものであり、その穂先もその真剣さに応えるかのように鋭さを増して行った。

 

 

 やがて…壮年の男性が作業を終えて額から流れる汗を拭うと、同じ作業場で研磨の作業をしている青年に声をかけた。

 

 

「…そろそろ昼か。()()、昼飯にするとしよう」

 

 

「分かったよ、父上」

 

 

 そう言うと少年…壮也は磨き上げた槍の穂先を同じく研磨した物が入っている箱に納めると、父上と言った壮年の男性と共に鍛冶場から離れた。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 その鍛冶場から少ししか離れていない場所にほどほどの大きさの家がある。そこでは濃紫色のロングヘアーに紫色の瞳をした妙齢の女性が食事支度を行っていた。そして家の中では4歳ぐらいだろうか?薄紫色のミドルヘアーに紫の瞳をした少女が箸などを用意している姿が見られた。

 

 

「母上…終わったよ?」

 

 

「ありがとう香風(シャンフー)、それじゃあお父さん達を呼んできてくれるかしら?」

 

 

「うん、分かった…!」

 

 

 そう言って香風(シャンフー)と言う名の少女が扉の方に近づくが…その直後に扉が開いて先ほど鍛冶場で作業をしていた二人の男性が入ってきた。

 

 

「あら、お帰りなさい弧月(コゲツ)。作業は終わったの?」

 

 

「ああ、一区切りついたから昼にしようと思ったのだ。…今帰ったぞ麟華(リンカ)」

 

 

「…ええ、お帰りなさい。壮也もご苦労様」

 

 

「ただいま、母上。香風(シャンフー)も母上を手伝ってたのか?偉いぞ…!」

 

 

「…うん、頑張った///」

 

 

 壮也が香風(シャンフー)の頭を撫でると、彼女は顔を赤らめながらも誇らしげに胸を張った。

 

 

「うふふ…それじゃあ食事にしましょうか?」

 

 

「ああ。壮也(ソウヤ) 、香風。早く座りなさい、食事が冷めてしまうぞ?」

 

 

「分かってるさ。行こう香風」

 

 

「うん…!」

 

 

 そうして家族団欒の食事が始まったのである・・・。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 さて、お気づきかもしれないがこの壮也と呼ばれた青年こそ、太上老君から手向け(チート)を授かって転生を果たした『柳瀬壮也』その人である。彼が転生を果たしたのは『恋姫✝無双』の世界。彼はその世界での河東郡陽県で鍛冶師を生業としている家に生を受けたのである。

 

 

 父は姓は徐、名は岳、字は銀明、真名は弧月(こげつ)。生まれも育ちも河東郡で、その土地において鍛冶師をしながら生計を立てている。かなりの腕前を誇る鍛冶師であり都・洛陽にまでその名前は知れ渡っていた。

 

 

 母は姓は朱、名は寧、字は良安、真名は麟華(りんか)。彼女は元は漢王朝に仕えている『朱儁』の姪に当たる人物であり、武芸に長けた人物として周囲に知られていた。だがある時自らの得物である槍を鍛えて貰おうと河東郡陽県に居を持つ腕のいい鍛冶師…即ち徐岳の噂を聞きつけて彼の元へ向かい、そこで当時ではありえないと言える『一目惚れ』をしてしまう。

 

 

 彼女の事を知った朱儁は姪の幸せを祝福しようと思っていたが、彼女の両親は『鍛冶師などと言う下賤な男と付き合うのは罷りならん!!』と言う猛烈な反対を行う。すると彼女は『そうですか…ならばこれより親子の縁を切らせてもらいます!』と毅然と言い放ち、呆気にとられた両親と驚きを露わにした朱儁をしり目に遁走。そのまま河東郡陽県の徐岳の家に押しかけ女房と言う感じで居ついてしまった。

 

 

 当然最初こそ弧月は『両親の言う事も最もだ、鍛冶師の自分と諫儀大夫の姪であるお前とでは釣り合いが取れない…なら他によい名家の御曹司と結ばれた方が両親も喜ぶし、お前自身の為にも良いのではないのか?』と説得するも『私は貴方の事を好きになったからここにいるんです。今更他の家柄だけの男と付き合う気にはなりません』と答えて取り合わず、後に徐岳の家に押しかけた彼女の両親の言葉も耳に貸さない始末。とうとう彼女の両親も根負けすると二人の結婚を認め朱儁が仲人になり、二人は夫婦となった。

 

 

 そうして西暦163年…二人の間に生まれたのが姓は徐、名は来、字は芳明。真名は壮也…即ち転生した『柳瀬壮也』本人である。さすがの彼も再び生を受けた事には最初こそ心の中で驚いていたが、それも最初まで。再び手にした第二の人生を精一杯に生きようと決意し、両親の慈愛を受けながらすくすくと育った。この時壮也は両親から真名(まな)ーこの世界における『本当の名前』であり、相手の許し無く呼ぶ事は死を以て償わなければならないほど神聖な物ーの大切さを教えられた。

 

 

 そして壮也が3歳の頃、彼に妹が出来る。そして名付けられた名前には表向きは平然としていたが、内心驚きを隠せなかった。姓は徐、名は晃、字は公明、真名は香風(シャンフー)…それは『三国志』の小説やTVゲームなどをやった事のある壮也にとっては、非常に耳にした事のある名前だったからだ。

 

 

 三国志の英雄の中でも飛び抜けた知名度を誇る大英雄『関羽・雲長』と同じ出生国の人物であると同時に卓越した戦上手として知られており、かの曹操をして『孫武や司馬穰苴にも勝る名将よ!!』と絶賛されたほどの人物である。そして同時に樊城の戦いにおいて関羽と対峙した際、劣勢から切り抜ける為徐晃に対して友好を持ちかける関羽に対し『貴公との友誼は私事、なれど主君からの命は公事なれば!!』と毅然とした態度でこれを拒絶した事もある大斧の扱いに長けた忠義の勇将…多少ゲームなどをやっていた事から私的な考えもあっただろうが、それが壮也が徐晃に対して思っている感想だった。

 

 

 しかし、三国志の武将が女性として生を受けているのが『恋姫』の世界である事は知っていたが…よもや彼女も女性、そして自身の妹としてこうして会う事になろうとは。壮也は内心そう思っていたものの、彼は彼女の事を妹として可愛がった。そして香風もまた壮也の事を兄として慕う様になり、二人の両親や陽県に住む人々からも仲の良い兄妹として知られるようになった。

 

 

 そうして兄妹仲良く過ごす一方で父である徐岳の仕事姿を見続け、5歳になった頃に父親に自分にも手伝わせてほしいと頼み込んだ。初めこそ弧月は息子である壮也が自分の仕事をやりたいと言って来た事に、自身の家業を継がせられる事への嬉しさを覚えたものの、時には人の命を奪う武具を作る事もある鍛冶師の仕事を継がせたくないと言う想いから渋っていたが、壮也自身の固い決意と妻である麟華の口添えもあり簡単な手伝いから始めるという条件で壮也にも鍛冶師の仕事を手伝わせ始めたのである。

 

・・・・・・・・・・・・・・

 

 そしてそれから2年…壮也は父から鍛冶に必要な炭を買いに行ったり、道具の片づけと言った下仕事などを手伝う日々を過ごした末に、数日前から研ぎの仕事を手伝う事になったのである。

 

 

「しかし驚いたな…俺のやっている仕事を見続けていたのもあるのかもしれないが、まさかこの数日でここまで見事に研ぎ仕事をやってのけるとは…」

 

 

 食後、そう切り出した父・弧月は鍛冶場から持ってきた二本の槍の穂先(一本は弧月自身が研いだもの、もう一本は壮也自身が研いだもの)を卓上に乗せる。よくよく見れば確かに壮也が研いだ槍の穂先は弧月が研いだものよりも遥かに鋭く磨かれており、これだけでも壮也の力量が高い事が窺えた。

 

 

「うわぁ…兄上、凄い」

 

 

「そうね。壮也、頑張ったわね…。弧月、うかうかしていると壮也に追い越されちゃうわよ?」

 

 

「はっはっは!そう簡単に追い越させはしないさ、それが親の務めだからな。だが壮也…お前に聞いておきたい事がある」

 

 

「父上、何だ…?」

 

 

「お前は……俺と同じ鍛冶師になりたいと言ったな?それはいい、だが…そうしてお前は武具を作ったとしよう、それでお前は一体何がしたい?何のために武具を作るのか、それを教えてくれ」

 

 

 父・弧月の言葉に壮也は暫し黙っていたが、やがて自らの想いの内を言葉にした。

 

 

「俺は…俺の作った武具で大切な人を護りたい。父上や母上、妹の香風や村人の皆を……」

 

 

「…そうか。なら覚えておけ壮也、武器と言う物には善悪は存在しない。それを決めるのは…それを振るう人間にあるのだ。武具を手にした者がそれを己の我欲のままに、他者を傷つける事を斟酌せずに振るえばそれは悪となるだろう。だが…それを他者を、自身が大切にしたいと思う者を護る為に振るえばそれは善となる。しかし悪と言うのは己にとっての善を貫こうとするという側面も持つ。そして善と言うのは必ずしも正しい事とは限らない。何が正しく何が悪いのか…それを悩みつつも歩むのが人生と言う物。それを心に刻みつけておけ…」

 

 

「…ああ。分かったよ、父上」

 

 

「うむ…では明日からお前にも本格的な鍛冶師の修練をさせるとしよう。…それはそうと、そろそろ武芸の鍛錬の時間だろう?あの子(・・・)も待っているぞ?」

 

 

「っ!そんな時間か…じゃあ行ってくる!行くぞ香風!」

 

 

「あっ、待って兄上…!」

 

 

 壮也が壁に立てかけられた黒の木根を手に家から飛び出すと、妹の香風も同じく壁に立てかけられた白の木根を手にし、兄の後を追いかけて行った。その二人の姿を麟華は暫し見送っていたが、やがて弧月にこう語りかけていた。

 

 

「…弧月、まだあの子にその話をするのは早すぎるんじゃないかしら?」

 

 

「鍛冶師と言うのは時に血濡れた武具を作る必要のある生業だ。その道は平坦でない事を知っておいた方がいい。それに…近頃都でもきな臭い出来事が多くなっている」

 

 

「ええ…党錮の禁以来、宦官達が意のままに国を動かしているらしいし、野盗達も見られるようになったって聞いてるわ」

 

 

「…恐らく、漢王朝も終焉に近づきつつあると俺は思っている。『熟した果実は腐って落ちる』物、近づきつつあるのだろう。争乱の兆しが…」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 弧月と麟華が話し合っている頃…壮也と香風は陽県の町の外れにある邸宅に向かっていた。

 

 

「ねえ兄上…お姉ちゃん、もう来てるのかな?」

 

 

「だと思うな…あいつ、結構きっちりしてるからなぁ……」

 

 

 そう呟きながらその邸宅…陽県の村長を務めるのと同時に武術の鍛錬を行う老師が子供達を相手に武術を教える邸につくと、その門前で()()()()()()()()()が待っており、二人の姿を見つけると手を振って声をかけて来ていた。

 

 

「っ!来たかー!香風、壮也ー!」

 

 

「悪い、待たせちゃったな()()!」

 

 

 そう言って壮也は目の前に立つ黒髪を靡かせた少女…愛紗に謝っていた。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 転生を果たし、新たな生を歩む少年は一人の少女と武を磨き合う。近づきつつある争乱に備える為に…。続きは次回のお楽しみ。




 とりあえず脳漿を絞り尽くした末に書いてみました…。正直、他の作者さんの作品を見た後でこれを見ると、他の作者さん達の力量の差を垣間見てしまった様な気になり、憂鬱になってしまいます…。

 同じ恋姫の小説を書いている作者さんから見れば稚拙な作品かもしれませんが、感想やご指摘などを聞かせてくださると嬉しいです…。では…。


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関雲長

 …どうも、ふかやんです。こんな私の小説をお気に入り登録してくださっている方々に、この場を借りて御礼申し上げます。

 正直他の恋姫を題材にした二次小説と比べると稚拙な作品としか私自身も想ってるにも拘らず感想を書いてくださったりお気に入り登録をしてくださった方々には感謝してもしきれません…!

 とりあえず第三話と言う感じで製作してみました…。つまらないかもしれませんが読んでみてくだされば幸いです。

4/19 読者さんのご指摘もあり一部修正をしました。

6/24 読者さんのご指摘もあり一部修正をしました。


 村長を務めると同時に子供達に武術を教える師範としても知られている老師が住む邸宅。その庭先では数人の子供達が木剣や棍などを手にし、それぞれで木剣を振ったり木棍を構えて突きや払いと言った動作を繰り返していた 

 

 

 ーブンッ、ブンッ、ブンッ!!ビュッ、ビュッ、ビュッ!!ー

 

 

 そうして暫く子供達は木剣や木棍を振るっていたが、やがてそれらを監督していた白髭を生やした老人…老師が子供達に声をかけた。

 

 

「待てっ!!…良いか、初心忘れるべからず。技の基本を絶えず鍛錬する事が己が力量を磨くという事だ!」

 

 

『はいっ!!』

 

 

「戦うという事は()()()()()()()()()()()技を出せるかが大事だ。刹那の間にどこを狙い、どのような攻撃を出すか…その見極めを欠かしてはならぬ!」

 

 

『はいっ!!』

 

 

「戦場では手段を選ぶような事をするな!戦いと言うのは勝つ事が何よりも大事だ。正々堂々に拘っていてはそれこそ勝てる戦も勝てぬし、何より己の命すら守る事も出来ぬ。時には卑怯と言える様な事もまた戦いの常道よ。相手の足を狙ったり、馬に攻撃を加える事も戦場の作法。分かったな?」

 

 

『はいっ!!』

 

 

「そして…一度戦いの場に出たのであれば覚悟を決めよ!戦いをする、相手を殺すという事は…同時に相手に殺されるという事にほかならぬのだから。その事、しかと胸に焼き付けよ」

 

 

『…っ、はいっ!』

 

 

「よしっ!ではこれより組稽古を行う。愛紗、壮也!前へ!」

 

 

「おうっ!」

 

 

「はいっ!」

 

 

 老師に呼ばれると、壮也と愛紗はそれぞれ庭の中央あたりに行き、それぞれ見合って棍を構えた。

 

 

「ふふっ…手加減などするなよ?」

 

 

「しないよ、それにそんな事をすれば相手にとって失礼になる。初めから全力で行かせてもらうぞ、愛紗」

 

 

「ああ、それでこそ壮也だ。…いざっ!!」

 

 

 愛紗が掛け声と共に棍棒を構えるのを見て、壮也も同じく自らの棍棒を構えて向かい合う…。

 

 

「兄上頑張れー…」

 

 

「…初めっ!!」

 

 

 そうして老師の掛け声が響き渡ったのと同時に…壮也と愛紗は同時に前へ飛び出し、棍を振るった!!

 

・・・・・・・・・・・・・

 

 それから2刻(当時の中国において15分ほどを1刻と数えた)程立ったが、壮也と愛紗の稽古はまだ続いていた。

 

 

「はああああっ!!」

 

 

ーブオンっ!ガッ!!

 

 

「……っぅ!」

 

 

ーズザザッ!!

 

 

「…またも浅いか」

 

 

 愛紗は自らの棍による横薙ぎが壮也が防御で構えた棍に命中し、さらにそのまま壮也を吹き飛ばしたにも拘らずその貌には喜色は浮かんでいなかった。

 

 

「全く…また当たる瞬間に後ろに跳んで衝撃を抑えたな?大した身のこなしだ」

 

 

「そう言う愛紗こそ大した膂力だよ。迂闊に力を込めて防御をしたのなら棍を持つ手が痺れて使い物にならなかっただろうな」

 

 

「そうか、ならばこれはどうだ!!」

 

 

ーシュシュシュッ!!

 

 

「せいっ!!」

 

 

ービュンッ!!

 

 

「今度はこっちからだ、行くぞ!!」

 

 

ービュンビュンビュンビュンビュン、ドンっ!!!

 

 

「甘いっ!」

 

 

ーばっ!ダンッ!!

 

 そう言うや否や、愛紗は連続の刺突を繰り出す。これに対し壮也も自らの棍を横薙ぎに振って棍を払うと、そのまま愛紗に向かって跳躍しながら、まるで独楽の様に回転しながらの連続攻撃と、止めとばかりの振り下ろしと言う連携技を繰り出した!!だが愛紗もこの攻撃を即座に壮也の横に跳ぶようにして回避。その直後に愛紗がいた場所に棍が振り下ろされ、砂埃が舞う。

 

 

「貰った!!」

 

 

ービュッ!

 

 

「何のっ!!(ガシッ!)せいやっ!(ブンッ!!)」

 

 

 そうして砂埃が巻き上げられて視界が悪くなり、根を振り下ろした状態になった壮也に愛紗は棍を突き出したが…壮也は顔目掛けて突き出された棍に対し顔を僅かに退く様な事で棍を避け、その直後に棍を掴むとそのまま棍を掴む愛紗ごと投げ飛ばした!

 

 

「くっ!?」

 

 

ークルッ、スタッ!

 

 

 愛紗も投げ飛ばされた事に驚きながらもなんとか空中で態勢を立て直して着地するも…その時には既に愛紗の喉元に壮也の棍が突き付けられていた…!!

 

 

「…ここまで、だな」

 

 

「ああ…私の負けだ、壮也」

 

 

「そこまで!勝負ありっ!!」

 

 

 壮也が根を突き付けたままで愛紗に声をかけ、愛紗も喉元に根を突き付けられた状態で負けを認める声を零した瞬間、師範の声が鍛錬場に響き渡った…。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

ーパシャッ

 

 

 老師の邸宅にある井戸…そこで愛紗は井戸から水を組み上げると、持ってきた手拭いを濡らし、それで顔を拭っていた。その傍では壮也も同じように濡らした手拭いで顔を拭っている。

 

 

「ふう……今日は私の負けか。これで50戦中25勝25敗だな」

 

 

「ははは…また並べたな、愛紗に」

 

 

「…ふん、今回は油断しただけだ。次は私が勝ってみせるさ」

 

 

「なら今度も全力を出し切るつもりで戦わないとな」

 

 

 壮也が不敵な感じに返答すると…愛紗は笑みをこぼした。

 

 

「…ぷっ、あはは!!本当にお前との鍛錬は心地よい、いつまでも続けていたい気分になる」

 

 

「嬉しい事を言ってくれるな。まあ俺も同じなんだけどさ…」

 

 

「そう言えば…香風(シャンフー)も腕を上げて来たな」

 

 

「ああ。普段はのんびりしてるけど、ああ見えて相手の機微や相手の仕掛ける時とかを見抜いて動けるからな。我が妹ながら大したものだよ(流石は魏の五将軍の一人、と言うべきかな…?)」

 

 

 壮也はそう言っていつもはのんびりとして猫と一緒になって日向ぼっこをしている香風が、組稽古の時には打って変わって冷静沈着と言う感じで相手の攻撃などを見抜いて行動し、そのまま相手を倒すのを思い起こしていた。やはり女性と言えど三国志の英傑、その実力は相当の物だという事だろう。

 

 

「むっ、何か言ったか?」

 

 

「ああ、何でもない。こっちの話さ「兄上ー…」っと、香風。如何した、終わったのか?」

 

 

「うん、終わったよ…私の勝ち!」

 

 

「ハハッ、そうか!腕を上げたな。(ナデナデ)」

 

 

「…え、えへへ。もっと撫でて、兄上…/////」

 

 

 そう言うのでまた撫でてあげると、香風はとても気持ちよさそうに顔を緩めていた。本当に可愛い妹だ…。

 

 

「ふふ…本当に仲がいいな、お前達は」

 

 

「愛紗だって兄上…関定殿と仲がいいじゃないか?」

 

 

「そ、それはどうだが…あ、兄上はどうにも私に過保護に接し過ぎる所があるんだ。それに、その…私も妹が欲しいと思ってたからな////」

 

 

「………」

 

 

 そう言いながらもじもじとし始めた愛紗を見ていると、なんだか妹の香風と同じ様な気持ちに駆られた。そして気が付くと…愛紗の頭に手を置いて撫で始めていた。

 

 

ーぽんっ、ナデナデ。

 

 

「っ!?な、何をするっ!!///」

 

 

「いや…可愛いなって思ってさ」

 

 

「っ!ば、馬鹿っ!!////」

 

 

ータッタッタッ!

 

 

 そう言うと愛紗は顔を真っ赤にして行ってしまった…。どうやらやり過ぎてしまったらしい…。そう思って頬を指で掻いていたのだが、やがて自分をじっと見ていた春風がこんな言葉を漏らした。

 

 

「…兄上、女誑し?」

 

 

「香風…流石にそれはないから。って誰からそんな言葉を聞いたんだよ!?」

 

 

「…母上から」

 

 

「は、母上…何でそんな言葉を香風に…?」

 

 

 香風の口から出た衝撃の事実に、壮也は思わずOrzの体勢にならざるを得なかった…。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

「…やっぱり綺麗だな、ここから見る故郷は」

 

 

「そうだな…」

 

 

「(-_-)zzz」

 

 

 やがて夕方になって鍛錬が終わった帰り道。壮也と愛紗、香風の三人は陽県の街を一望できる丘で一休みしていた。夕日に染まる陽県の街並みを見るのが壮也にとっての気分転換にもなっていたからである。壮也は腰を下ろして眼下に広がる街並みを見つめ、愛紗もその隣に座って眺めている。因みに香風は近くの草原に丸まって寝息を立てていた…。

 

 

「……壮也、聞いたか?近頃野盗の類が出没しているのを」

 

 

「ああ、聞いているよ。都に近い司隷でも出て来てるんだ、多分冀州とか青洲とか地方に行けばもっと暴れてるだろう。朝廷は…多分動いてくれないだろうな」

 

 

「…私はあいつらが嫌いだ。自分達の我欲で他者を傷つけて殺し、農民達が田畑を耕して得た糧を奪うあいつらが。あいつらなど…この世から一匹残らず滅びてしまえばいいのに」

 

 

 愛紗はそう言って苦々しく…否、それ以上に憎悪を滾らせ、顔に怒りを宿して言葉を紡いだ。その姿に、壮也は同情を禁じ得なかった。何故なら……彼女の身の上を知っているから。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 さてここで説明させてもらうがこの愛紗と言う少女…彼女は三国志において最も著名と言える英雄である。姓は関、名は羽、字は雲長、真名は愛紗。そう…生前は人間として生を全うしながらも、その人並み外れた武勇と義兄である劉備に対して無二の忠誠を貫き、『乱世の奸雄・曹操』を初めとした英雄達からも称賛された忠義を持ち合わせていた事から、後世において『関帝聖君』として神格化された大英雄である。

 

 

 その活躍ぶりは明代の作家である『羅漢中』が著した中国四大奇書の一つ、『三国志演義』においても大きく記されており、恐らく三国志と言う物語を知らなくても関羽と言う人物を知らないという人間はまずいないと言えるだろうほどの知名度を誇る。

 

 

 そしてこの世界の関羽も壮也の妹である徐晃(香風)同様、愛紗(あいしゃ)と言う真名を持つ女性だった。しかし愛紗はこの河東郡陽県の生まれではない。

 

 

 彼女の出生地は同じ河東郡ではあるが解県…徐来壮也の故郷である陽県とは直線距離で三百六十里(現在の数字では150キロメートル)も離れた土地である。しかし広大な中華の大地では紛れもなく同郷の生まれである。儒教では教えの一つに『それが家族ならば羊を盗んだ物でも庇い通せ』とあり、中国では血縁や主従の契り以上に同郷の誼を重んじていた。

 

 

 話が逸れてしまったが…ではなぜその彼女が陽県に来ているのか。答えは簡単…『故郷を離れ移り住んだ為』である。彼女は解県で生を受け、両親とすでに自立していた兄・関定と言う家族と共に暮らしていた。しかし自身が住んでいた解県の町は当時の中国において最も塩の生産地として名高い『解池(かいち)』があった。

 

 

 この為にそこで官吏と組んだ専売商人が貯め込んでいる莫大な財貨を狙って複数の野盗達が徒党を組んで襲撃を懸けてきた。これに対し商人たちは雇っていた傭兵達を差し向けてこれを撃退する事には成功したが、愛紗の両親はその戦いに巻き込まれて命を落としてしまう。兄である関定に引き取られた物の『両親が死んだこの土地にい続けるのは酷ではないか…?』と愛紗の心中を慮った関定は悩んだ末に愛紗と相談して故郷を離れ、この陽県を訪れたのである。

 

 

 そして陽県を訪れて最初に尋ねたのが…自身の両親と親交を結んでいた壮也の父・徐岳だったのである。徐岳は関定から事情を聴くと村長である老師と相談した末、彼らを陽県に住む一員として快く迎えたのである。しかし陽県を訪れたばかりの頃の愛紗は両親の死を受けてか…誰かが言葉をかけても反応もせず、自分からは何をする事もない人形の様な有様となっていたのである。やがて徐来と徐晃の兄妹が彼女に対して構う様になって行く事で少しずつ表情が戻る様になり、親しくなったことで互いに真名を交換し、気心の知れた親友となったのである。そうしてそれからは互いに武術の腕を磨き合い、兵法を学ぶ日々を送る様になった。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

 だが…それでも野盗達の事を聞くと感情的になり、彼らの命など平然と切り捨ててよいと口にする事が多い。無理もない…自分達の我欲で他者を傷つける連中に両親を殺されたのだ。その様な言葉を吐くのも道理だろう。だがそれでも…そう思った壮也は愛紗の言葉を聞くと逆に愛紗を叱責していた。

 

 

「愛紗、それは違う。あいつらの様な賊だって初めからあんな事をしていた訳じゃない、あいつらも……元は俺達と同じ民だ」

 

 

「……っ」

 

 

 壮也の言葉に愛紗はその貌を悲しげに歪めたが、壮也は続けざまに口にする。

 

 

「責めるべきはあいつらじゃない……責めるべきなのはあいつらが賊として生きる道を選ばざるを得なかった、そうさせるように追いつめた()()あると、俺は思っている」

 

 

「なっ…壮也、それは本気で言ってるのか…?」

 

 

「ああ、本気で言ってる。俺は前から思ってた…今の都は十常侍が皇帝を意のままに操って好き放題に政を動かしてる。あの宦官達に国を良くしていこうって言う考えはない、どうすれば自分達が甘い蜜を吸えるか…そんな事しか頭にない奴らさ」

 

 

「そんな奴らが国を動かしていれば当然地方を治める刺史や役人達も彼らに媚び諂っていい想いをする為に民に重税を課す。例え日照りや旱魃と言った天変地異が起ったとしても、民草が困窮していたとしても…連中は知った事かと言って平然と税を納める様に命令するだろうよ」

 

 

「精一杯に働いてもそんな風に酷使され続けていたら…生活が出来ないからと言って賊に身を落とすのも分かるだろう?賊を倒すとしたら、まずはこの国をどうにかしなきゃならない。そうして民の声に耳を傾けて政をするようになれば…賊だって姿を消していくだろうな」

 

 

「…っ。『けど、愛紗の言う事だって間違っちゃいないよ』え…?」

 

 

 壮也が自分も擁護する言葉を聞いた愛紗が思わず呆けた声を出す中で、壮也は再び言葉をかけていた。

 

 

「どんな理由があったとしても…賊に身を落として他人の糧を奪い、他人の命を傷つけ殺めていい理由にはならない。例え辛くても、苦しくても…耐え忍ばなきゃならないときだってある」

 

 

 壮也はそう言うと傍にいた愛紗の肩を掴むと、そのまま自身に引き寄せる。

 

 

「だから俺達は護ろう…。そんな連中から俺達が護りたいと思う人たちを、俺達の力で。」

 

 

「っ!…ああ、そうだな。……ありがとう、壮也」

 

 

 そう言うと愛紗は安心したかのように目を瞑り、顔を肩に預けた……。

 

・・・・・・・・・・・・・・

 

 それから1刻後、壮也達は家路についた。我が家に向かう中、香風は壮也に声をかけた。

 

「………兄上」

 

 

「?なんだ香風?」

 

 

「………私も、兄上たちを護るよ。私も、護りたいから…大切な、家族を」

 

 

「…そうか」

 

 

 そうして二人は家に戻り、一日は終わったのである。因みに香風の『女誑し』と言う言葉を知っていた事が切欠で徐家では一悶着あったのだが、それは割愛させて頂こう。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 時は移ろう物。史実で語られた五将軍の一人は成長し、自らの力を振るうに足る主を求めて旅に出る。そしてそこで『天の御遣い』と呼ばれる青年と出会うのだが……続きは次回のお楽しみ。




 …如何だったでしょうか?関羽と徐晃が同郷の出である事を設定に取り入れてみましたが、やはり小説製作は難しい事この上ないです。

 何度もしつこいかもしれませんが、こんなネガティブ思考な考えしか出来ない作者ですが応援してくださると助かります。次回は時間を飛ばして一刀君を登場させようかと考えています。

 では…。


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出会いと闘争

 どうも…戦闘描写が難しく挫折しかかりながらも投稿を行っているふかやんです。

 他の二次小説で戦闘描写をうまく書いている作者さん達には心から敬服してしまいます。いったいどうしたらあそこまでうまく書けるのかと…。

 ともかく何とか完成させてみたのが下にありますのでご覧いただければと思います…。


 春が過ぎ、夏が過ぎ、秋が過ぎ、冬が過ぎ……そしてまた春が来る。それが何度か続いて月日が経った頃。時代は光和と元号が改められるも、漢王朝では依然として…いや、それ以上に宦官達によって好き勝手な政が行われており、地方では野盗などが、北方の辺境では匈奴や鮮卑と言った騎馬民族が幾度も略奪をせんと暴れまわり、ますます混沌とした状況が続いていた。

 

 

 さてそんな中、中華は豫洲沛国近辺の平野を栗毛の駿馬に乗ってのんびりと進む一人の()()の姿があった。頭に髑髏を象った髪留めをしている薄紫色のミドルヘアーに濃紫色の瞳を持ったその少女は外見は青を基調にし、左手を隠すほどの黒い袖と首元を端の部分が紅色で染まっている、クリーム色のマフラーを巻いているのが特徴的な装束を纏っているのだが、下腹の部分を曝け出し、スカートを斜めに履いているなどだらしないと言える容姿をしている。

 

 

 だがその背中を見てみると、その少女には不釣り合いと思える灰色の柄と、その両端に刃が取り付けられているのか袋で覆っており、さらにその片方には鋭利に磨かれた紺碧色の斧の刃が取り付けられている形状をした長柄の戦斧がひときわ目を引く。しかし当の本人はと言うと……。

 

 

「ほえー…………お日様があったかいなー…………」

 

 

 …などとのんびりとした空気を纏ってまったりとし、それを彼女を乗せている馬は何とも呆れた様な仕草をした。だが、やがて彼女はその濃紫色の瞳を空に向けて、ふと言葉を漏らした。

 

 

「・・・()()()も、この空を見てるのかな・・・?『よお、嬢ちゃん?』…んむ?」

 

 

 唐突に声を掛けられた為その少女が声の方を見ると、彼女を囲う様にして下卑た笑みを浮かべながら手に剣や刀、槍や手斧を持った連中が十人以上立っていたのである。

 

 

「…誰?」

 

 

「誰だって?見ての通りの野盗様って奴らさ!さーてどうする?大人しく金目の物を置いて行くってんなら見逃してやってもいいぜ?いやって言うのなら、俺達が身ぐるみ引っぺがして持ってくだけだがなぁ!!」

 

 

ーギャハハハハハハッ!!

 

 

 その頭目…野盗達の中でも長身で兜を被っている男が少女に声をかけると、周りの男たちも下卑た嘲笑を出し始める。少女はそれに何の感傷も湧かなかった・・・恐らくこいつらはこちらが大人しく従ったとしても、自分を辱める積りなのが手に取るようにわかるから。ならば自身の答えは…。

 

 

「……断る」

 

 

「何だとぉ…?」

 

 

「お前達に渡す物なんて……何一つ、ない」

 

 

「おい嬢ちゃん…今の状況、分かって言ってんのかぁ?こっちは十人、お前は一人。どう見ても勝ち目はねえぞ?なあチビ、デブ!」

 

 

「そうだぜ!大人しく金目の物を渡しやがれっ!」

 

 

「そ、そうすれば、痛い目見ずに、済むんだな」

 

 

 頭目の恐喝に続くようにしてその子分頭だろうか?頭に黄色の布を巻いているかなり小柄な体格をした男と、頭に黄色の布を巻いているがかなりの巨躯で肥満体の体格をした男も少女に脅しをかける。すると…。

 

 

ーヒラリっ、スタッ

 

 

「茉莉(まつり)、少し離れてて…」

 

 

 少女は自身が乗っていた駿馬ー茉莉と言う名前らしいーからヒラリと飛び降りて声をかけると、その駿馬は分かったと言う様に首を動かし、野盗の間を抜けて少し離れた場所で止まるとこちらの様に首を向けていた。

 

 

 そして少女は背中に背負っている長柄の戦斧を手に取ると、柄の両端に被せてある袋を取り外す。

 

 

ーファサッ

 

 

 そこに現れたのは…紺碧色に光を放つ斧の刃と同じく、紺碧色に光り輝く刃が柄の両端に備え付けられていた。そしてその戦斧を頭上で回転させると、それを一分の隙無く構えてみせた。その貌には先ほどののんびりとした空気は一片も無く、その瞳には徹底した敵意が宿っていた。

 

 

ービュンビュンビュンビュンビュン……ブンッ!

 

 

「っ!?」

 

 

「こ、こいつ…この数とやり合う気かよ!?」

 

 

「!?あの両刃の刃をつけてる戦斧…それにあの紫の瞳と首に巻いている布きれ…。お、お頭!こいつ『大斧の徐晃』だ!?」

 

 

「な、何いっ!?は、ハッタリじゃあねえのか!?」

 

 

「いや間違いねえ!?俺が前いた野盗の集団はこいつに潰されたんだ!確かにこいつだぜお頭!?」

 

 

 賊の一人が口にしたのを皮切りに野盗達が口々に畏怖を宿した言葉を口にし始め、頭目がそれを否定するも……少女は戦斧を頭上に掲げて名乗りを上げた!

 

 

「我……姓は徐、名は晃、字を公明。この名と我が武、あの世でしかと語り継げ」

 

 

『っ!????』

 

 

 少女……徐晃の名乗り声に、野盗達は心から闘志を失った。近頃野盗達の間で噂になっている『大斧の徐晃』…その見かけとは裏腹に手にした長柄の戦斧を巧みに操る武勇を以て潰された野盗の集団は数知れず。そんな噂が彼らの間で流れており、そして今目の前にその徐晃がいる!それだけで彼らの戦意をへし折るには十分すぎた。しかし…。

 

 

「ひ、怯むんじゃねえ!?こっちは十人以上いるんだ!数で圧し包んじまえ!」

 

 

 そう言う頭目もビビッている物の、確かに頭目の言う通りでもある。そう言われて多少戦意を取り戻したのか、野盗達が徐晃を囲む様に移動し、そこで武器を構える。これに対し徐晃もまた頭上で構えていた戦斧を腰の辺りに下ろし、いつでも相手を斬り倒せるように身構える。そうして互いに隙を探っていた時…。

 

 

「………………ああ」

 

 

「?」

 

 

 ふと徐晃は自身の鼓膜に誰かの叫び声を感じ取る。構えを解かずに首を左右に振って確かめるも、そこにいるのは腰が退けてはいるものの彼女に襲いかかろうと虎視眈々と隙を探っている野盗達ぐらいしかいない。「気のせいか」、そう思って賊達の方に向き直った直後…。

 

「………あああ!?」

 

 

 また聞こえた、今度は前よりも大きくだ。賊達の方を見ると彼らの方も先ほどの声が聞こえたのか首をあちらこちらに向けている。

 

 

「……ああああっ!?」

 

 

 またも大きく聞こえた。しかし周りを見ても野盗以外誰もいない。………まさか?そう思った徐晃は不意に上を見上げる。そして、彼女は驚愕に目を見開いたまま、そのままの状態で硬直した。彼女の眼前にはどこまでも澄み渡っている青空が広がっている。それはいいのだ、別に大した事では無い。問題は…。

 

 

ーヒュウウウウウウウウウウッ!!

 

 

「うわあああああああああああっ!????」

 

 

 その広がっている()()()()()()()()()()()()()()()()青年がいるのが問題だった!しかもこっちに向かって落ちてきている!

 

 

「…………わー」

 

 

 これに対しさすがの徐晃も呆けたような声を上げるので精いっぱいだ。『呆けている場合か!』と突っ込みを入れたいと思うのも道理だろうが、かの徐晃にしてもこの事態は想定外にも程があった。何せ空から人間が降ってくるなどどう考えても『有り得ない』からだ。その為いつもの様に即座に反応する事も出来ないまま…。

 

 

ーゴイ―――――――――ン!!

 

 

 ……何とも小気味よい、そんな感じの擬音と共に徐晃の頭に衝撃が走った。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「あうう…!?」

 

 

 …空から落ちてきた青年と頭をぶつけ合った徐晃は暫くの間頭を抱え、うつ伏せの状態で転がりながら悶絶していたが…やがて自身が置かれていた状況を思い出し、転がっている自身の戦斧を手にして顔を上げると、そこには彼女を護る様にして立ちはだかる青年の姿があった。純白の、まるで上等の絹でも使っているかのような光沢を放つ装束を纏う姿はどう見てもただの青年には見えない…しかし相手は人殺しをも平然と行う連中、黙って見ている訳にはいかない。

 

 

「……っ、逃げて。このままじゃ…」

 

 

 徐晃はそう言って青年に逃亡するように勧めるも…その青年は賊達から目を背ける事も無く、首を振って答えた。

 

 

「それは出来ないよ。君の様な少女をよってたかって甚振ろうとしているのを見て見ぬ振りをするほど、俺は人として堕ちてはいない積りだから。だから、安心してほしい」

 

 

 そう言うと青年は徐晃を安心させようとしたのか、彼女の方に振り返って染み入る様な微笑みを見せた。その微笑む姿と他者を護ろうとする姿を、徐晃は自身が敬愛する肉親と重ねていた。

 

 

「兄、上…?」

 

 

 徐晃が呆けたように言葉を零すのを尻目にに、その青年は無手の状態であるにも拘らず、まるで剣を持っているかのように手を構えると左足を前に出し、右手を耳の辺りまで上げて、左手を軽く添えるという態勢になった。

 

 

「はっ、馬鹿野郎が!剣も持ってねえのに何やってんだ!?野郎どもやっちまええええ!!!」

 

 

『うおおおおおおおおおおっ!!!!』

 

 

 その青年の挙動を罵った頭目の指示に賊達は一斉に襲いかかろうとした……その時である。

 

 

「キィエ――――――――イ!!!」

 

 

 …大喝一声。徐晃には今、自分を護る様にして立っていた青年が発した声をそう感じとってしまわざるを得なかった。それは正に声その物を斬撃として放ったのではないか、と思えるほどの凄まじい力が込められた声だったのである。そしてその一喝は今まさに襲いかかろうとしていた賊達が思わず放心してしまい、身動き一つ取れずに固まってしまっていた。

 

 

「…っ!せいっ!」

 

 

ーがしっ、ドゴッ!

 

 

「ぐばっ!?」

 

 

ーズザザッ!

 

 

 その隙を青年は見逃していなかった。青年は一番手前まで近づいていた槍を持っている賊に近づくと、その穂先に近い柄の部分を持ちながら体当たりを喰らわせて吹っ飛ばした。そして槍を手にすると…。

 

 

「ふんっ!」

 

 

ーベキッ!!

 

 

「えっ…?」

 

 

『なっ!?』

 

 

 なんとその青年は槍の穂先とそれに近い柄の部分を膝にぶつけてへし折ってしまった。後に残ったのは柄の部分だけの棒切れのみ。これには徐晃はおろか賊達も驚きを隠せなかったが、彼は意にも介さずそれを手にするとそれを先程の構えをしてみせた!

 

 

「ば、馬鹿野郎が!そんな棒切れで何が出来るってんだ!!」

 

 

 これを見た他の賊達が襲いかかり、槍を持っている賊が持っている槍を突き出した!しかしその青年はその攻撃を難なく躱すと…。

 

 

「キィエーイ!!!」

 

 

 先ほどよりも若干声の力は弱いものの、再び大喝を放ちながら槍の柄を振り下ろす!これに対し賊も槍を頭上に構えて受けようとしたのだが…。

 

 

ーべきっ!!ぼごんっ!!

 

 

「あ、あがが…っ(ブクブクブク……)!?」

 

 

―ずずううん…。

 

 

 何と……その青年が振り下ろした棒切れとなった槍の柄は、あろう事か賊が防御のために構えた槍の柄をへし折り、その勢いのまま賊の頭に痛撃を与えてみせたのである。これには男も為す術もなく口から泡を吹きながら地面に倒れ伏した。

 

 

 それからの光景を徐晃は驚愕の表情で見続けていた。その青年は襲いかかる賊の攻撃を最小限の動きで躱しつつ、手にしている武器とも言えない棒切れである穂先を喪った槍の柄による一撃を以て次々と沈黙せしめているのである。ある賊は彼の一撃を以て腕をへし折られ、ある賊は肩の骨を砕かれる。中には刀を以て防いだにも拘らず、その一撃の威力の強さに頭蓋に刀の峰が食い込んで命を落とす者までいる始末…!

 

 

 そしてとうとう残っているのは賊の頭目である長身の男と彼がデブ、チビと呼んでいる小男と大男。そして弓矢を持っていた男一人だけとなっていた。しかも驚くべき事に、その青年は数十人いた賊の連中を一人で叩きのめしてみせたにも拘らず、息一つ切らす事無く悠然と構えていたのである……。

 

 

「…で、まだやるか?大人しく退いてくれるのならそれでいいんだけどな」

 

 

「う、うるせえ!ここまでやられて黙ってられるかあああああ!!」

 

 

 そう言ってチビと呼ばれた小男が短剣で突きかかってくるものの、その青年は放たれた刺突を難なく躱して…。

 

 

―ブンッ、ベキイっ!!

 

 

「ぎゃあああああっ!?」

 

 

ーびゅっ、どごっ!

 

 

「ぐええっ…!?」

 

 

 そうして振り下ろした一撃で彼の腕をへし折った直後に、彼の胴体に一撃を叩き込んで地面に沈めた!

 

 

「チビいいい!?お前、許さねえんだなああああ!!」

 

 

 すると今度はデブと呼ばれた肥満体の大男が猛然と襲いかかって手斧を振り下ろしてきたが、青年はこれも難なく後ろに跳躍して躱す。この為デブが再び近づこうと顔をあげて…驚愕に顔を染めた。

 

 

「うえ…っ!?」

 

 

 何とかなり後ろに跳躍していたはずの青年が目の前で跳躍しながら棒切れを振り下ろそうとしている姿が目に映ったと思った直後…。

 

 

ーぼごっ!

 

 

「ぐへえ…っ!?」

 

 

 脳天に痛撃を受けたデブはうめき声をあげながら後ろに倒れ始める。だが…。

 

 

ーボキッ!

 

 

「っ!?しまった…!?」

 

 

 ここまでの戦いで槍の柄自体が疲弊していた上にかなりの肥満体をしたデブに一撃を加えた事が災いしたのか、青年が使っていた槍の柄はまたもへし折れ、もはやそこらの棒切れ同然となり果ててしまったのである。

 

 

「あ、兄貴……あいつの、得物は壊れた。今だなあ……!」

 

 

ーズズウウウン!

 

 

「良くやったぞデブ!!」

 

 

ーダッ!

 

 

 それを見たデブが頭目(アニキと呼ばれていた)に伝えながら倒れたのと同時に頭目がデブを褒めながら武器を喪って無手となった青年に止めを刺そうと襲いかかった!

 

 

「くたばりやがっ……!?」

 

 

 そう言って手にした剣を振り下ろそうとした瞬間彼の目に飛び込んだのは…それよりも早く彼の懐に潜り込んだ青年の姿だった。そして…。

 

 

-がしっ!

 

 

「おうりゃあああああ!!!」

 

 

―ブンッ、ドゴオオン!!

 

 

「ご、ごふうっ!?」

 

 

 青年は頭目の剣を持っている手を掴むと、そのまま彼を投げ飛ばしてみせたのである!その一撃は頭目を地面にめり込ませ、沈黙させるには十分すぎ、頭目はそのまま気絶した……!

 

 

「…さて、後はお前一人だけだな」

 

 

「ひっ!?ち、畜生!!」

 

 

 青年の呼びかけに怯んだ賊の一人は慌てて矢を番えて放とうとし……。

 

 

「し、死にやが「茉莉」なっ!?」

 

 

―パカラッパカラッ、ドゴンッ!!

 

 

「げ、げふっ…!?」

 

 

 その寸前に徐晃が声をかけたのに応えるかのように駆けだした彼女の乗騎の体当たりで沈黙した…。こうして彼らは虎口を脱したのである。

 

 

・・・・・・・・・・・・・

 

 

「えっと…さっきはごめん。その、頭をぶつけちゃって…」

 

 

「大丈夫…もう平気になったから。それよりも、ありがとう。私を助けてくれて……」

 

 

「いや、別にいいよ。えっと…」

 

 

「私は…徐晃、徐晃公明。貴方の名前は?」

 

 

 徐晃が自己紹介をするとその青年はとても驚いたような顔色を見せたが…やがて自身も自らの名を名乗った。

 

 

「俺は…一刀(かずと)北郷一刀(ほんごうかずと)だ」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

 外史に降り立った『天の御遣い』。彼は降り立つ前、自らの力のある事を悩む日々を送っていた。それは何故なのか…続きは次回のお楽しみ。




 …何とか、終わりました。俺、燃え尽きちまったよ…真っ白に。

 さて冗談はこれで置いておくとして。今回の投稿で北郷君が登場しましたが…私の小説では『力があるも、その力故に迷いを持つ人物』をコンセプトとして目指すつもりです。…私の拙い文才でどこまで表現できるのか甚だ疑問ですが。

 …こんなネガティブ思考な作者ですが、温かく見守ってくださると嬉しいです。次回は閑話で北郷君の苦悩を題材にしたものを書こうと思います…。


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北郷一刀

 どうもふかやんです。

 今回は恋姫無双におけるキーキャラクター…もとい、『種馬』などと呼ばれる事もある北郷一刀君を登場させてみました。なお、この小説での一刀君は戦闘面で強化されています。原作とは違う一刀君を表現できたかは疑問ですが、どうかご覧ください。


 現代の日本。その首都・東京にある『聖フランチェスカ学園』の敷地内にある剣道場……放課後で生徒たちが帰途についている中、その道場内で一人の青年ーこげ茶色の短髪と、琥珀を思わせる淡い黄色の瞳が印象的ーが只管に竹刀を振るっていた。

 

 

「98,99,100!…ふう」

 

 

 やがて一通り素振りを終えた青年は息を整えていたのだが…その貌に浮かんでいるのはやり遂げた事による喜色ではなく『苦悩』…何かに悩み、苦しんでいる姿だった。

 

 

「…やっぱり駄目だな。素振りをしていても、心の靄が晴れてない」

 

 

 そう言いながらため息をついた青年は竹刀を道場内の竹刀入れに戻すと、更衣室で着替えを済まし、道場を出た。すると…。

 

 

「…むっ。そなた一刀か?」

 

 

「えっ?あっ、如耶(きさや)先輩」

 

 

 道場から出た青年ー一刀と言う名前らしいーは誰かに声を掛けられたので声の方を向くと、そこにいたのは濡れ羽色の流れるような黒の長髪に紅色の瞳と言う、『眉目秀麗』を絵に描いたような女性だった。

 

 

「こんな時間まで素振りをしていたのか?我ながら感心してしまうな…」

 

 

「いや…別に褒められた事じゃないですよ。心の迷いを晴らしたいって言う私事で残っていたようなものですから…」

 

 

 一刀の沈み込むような言葉を聞いた先輩の女性ー如耶と言う名前らしいーは、そんな一刀を見て、同情するような顔をし、言葉をかけざるを得なかった。

 

 

「やはり…そなたは悩んでいるのか?自分の中にある天賦の才が自分を苦しめている事に……」

 

 

 如耶の言葉に…一刀は重々しく頷くしかなかった。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 北郷一刀。恋姫†無双と言う物語において『外史の開き手』と呼ばれる事の多い彼は、この外史では天に愛されたとしか言えないほどの『天賦の才』を持っていた。幼い頃から剣道場を開いている祖父の影響を受けてか、自身も剣を振るう事を楽しいと思う活発な少年時代を送っており、祖父の厳しくも温かい鍛錬を受けてめきめきとその実力を増して行った。

 

 

 しかしそんな日々は長く続かなかった。一刀が中学生の頃に出た全国大会で、彼は並み居る相手を討ち倒して優勝を掴んだのだが……それを見ていた同門の視線は『畏怖』しか感じられない物だったからである。いつもは気さくに声を掛け合う様になっていた同門の仲間も、その大会以来一刀を避ける様になった。

 

 

 いや、避ける様になった位ならまだしも…ある大会で優勝した際、相手の選手から『化け物…!』と心無い口を聞かされることもしばしばだった。一刀には分からなかった…。

 

 

ー俺は特別な事なんてしていない。剣を振るう事が楽しいから、もっと上を目指したいと思ったから剣の腕を磨いた。なのになんでそんな言葉をかけるんだ…?なんでみんな俺を避けるんだよ……?

 

 

 その想いが一刀の心に暗い影を落とす様になった。だが、それでも剣の鍛錬を怠る事をしなかった。剣を振るっていた方が悩みも晴れるのではないかと言う打算と、それ以上に剣を振るう事が好きと言う想いゆえに。しかしそんな一刀の想いとは裏腹に周りの人間は一刀の強さを見て、却って彼から距離を取る様になった。

 

・・・・・・・・・・・・・

 

 九州にある一刀の祖父が開いている剣道場…大会に出た後、夏休みを利用して訪れた一刀はそこでも剣の腕を磨く日々を送っていた。だがそこでも彼の強さは異彩を放っていた…何せ相手になるのは彼の祖父ぐらいであり、祖父が教えている教え子たちは殆ど相手にならなかったのである。それどころか自身を『畏怖』の視線を向ける様になり、ますます彼は悩みを深める様になっていた。

 

 

 その夜一刀は、剣道場の隣に建つ祖父の家の縁側に座禅をしながら夜空を眺めていた。彼が見据える先には雲一つない夜空に満月が淡く輝く…。一般の感性から見れば美しい、綺麗だと言える光景が広がっていた。しかし、今の一刀にはその光景を見ても心が安らぐ事が無かった。

 

 

「どうした一刀よ?」

 

 

「あっ…爺ちゃん」

 

 

 そんな一刀に声をかけたのは…一刀の祖父であり、この剣道場を開いている『北郷直刀』その人であった。直刀は一刀の隣に座って座禅を組むと一刀に再び語りかけた。

 

 

「…一刀、どうやらひどく悩んでいるみたいじゃな?」

 

 

「えっ…分かるの?」

 

 

「当たり前じゃ、これでもお前の祖父じゃぞ?…それも、己の強さの事でじゃろう?」

 

 

 直刀がそう言うと、一刀は一瞬顔を強張らせたかと思うと深く頷いた。

 

 

「…爺ちゃん。俺は、剣を振るう事がとても楽しかった。剣を振るう事に強くなっていくのがとても嬉しくて、もっと上を目指したいって思って剣の腕を磨いてきた」

 

 

「なのに…俺が強くなればなるほど、皆は俺から遠ざかっていくんだ。『化け物』なんて呼ばれもしたっけ…」

 

 

「そうか…儂から見ればお前は化け物ではないぞ。お前は儂にとって掛け替えのない孫であり、同時にたぐいまれな才気の持ち主じゃと思っておる。じゃが…人と言うのは『自分達よりも力を持っている存在を恐れる』性分じゃ」

 

 

「一刀…お前は儂の眼から見ても天に愛されたとしか言えぬほど『天賦の才』に溢れておる。そんなお主が強くなろうとすればするば、他の人間から見れば恐ろしいとしか見えぬじゃろうよ。今剣道をやっておる者達でお前のように純粋に強くなりたいと、剣を楽しいと思っておる人間の方が少ないのだから…のお一刀」

 

 

「?何、爺ちゃん?」

 

 

「…お前は何故そうまでして剣の腕を磨く?そうして磨いた剣の腕で『何をしたい?』」

 

 

「えっ…?」

 

 

 祖父・直刀の問いかけに、一刀は答える事が出来なかった。自分が剣を磨く理由…それは剣を振るう事が楽しいからと言うのが自分の理由だ。しかし、祖父の問いかけはそれとは違う物だというのを彼はうすうす感じ取っていた。だから分からない…そんな一刀の心境を見越しているかのように、直刀は自らの理由を語りだした。

 

 

「儂が剣の腕を磨くのはな…『大切な人を護りたいから』なんじゃよ」

 

 

「誰かを護る為…。それが爺ちゃんが剣を振るう理由なのか?」

 

 

「そうじゃ…ただ楽しいから、強くなりたいからと言う理由で剣の腕を磨くのは剣士としては二流じゃ。何かを護る為に剣を振るってこそ剣士としては一流…それが儂の持論じゃ。一刀…お前にも『誰かを護る』為に剣を振るえる様になってほしいのお…」

 

 

 そう言って直刀は彼の頭を撫でるのを、一刀は心地よく感じていた…。

 

 

・・・・・・・・・・・・・

 

 それから時が経ち、一刀は聖フランチェスカ学園に入学して剣道部に入って修練に励んだ。そこでは先輩であると同時に剣道部の部長として自身の悩みを見抜き、その心配をしてくれる不動如耶(ふゆるぎきさや)や同年で誰に対しても物怖じせず、気さくに自身に接してくれる及川祐(おいかわたすく)と言った面々との交友をする事ができたのだが…それでも心の内には『自身の力量がある事への悩み』がしこりとして残っていた。

 

 

「…如耶先輩。俺、一度剣の道から離れてみようと思うんです」

 

 

「!!…北郷、それは本気なのか?」

 

 

「ええ…この学園に入って少しは変われるかと思ってたんですけど、それでも同じ剣道部の皆からは畏怖の視線で見られる事が多いんです……。だから…」

 

 

 だがその言葉を紡ぎ終わる前に…如耶は静かではあるが強い口調で彼を諭していた。

 

 

「…北郷、それは『逃げ』でしかないぞ?それがしはそなたの事をよくは知らぬ…だがな、人生とは悩み、苦しみながらも前に進む事が大事だと思っておる。もう少し、考えてみたらどうだ?」

 

 

「先輩…」

 

 

「ふっ。とはいえ、それがしもそのように言えるほど練達してるわけではないのでな。また明日会おう」

 

「…はい!」

 

 そうして如耶先輩と別れた北郷はそのまま自身が住んでいる学生寮に戻っていた時の事である…。

 

 

「…?あいつ、何を…?」

 

 

 そう呟いた一刀の視線の先には学園内にある、閉館時間を過ぎている筈の歴史資料館で周囲を見回しながら布で包んでいる何かを持ちだそうとしている誰かの姿だった。それを見た一刀は瞬時にその男がしている事を感じ取り、呼びかけた。

 

 

「おいっ!そこで何してる!!」

 

 

「っ!」

 

 

 だが呼びかけられた男は返答せずに駈け出して彼を撒こうとした為一刀は即座に後を追った!そしてしばらく追いかけっこをした末…その男は足を止めて振り返った。その男は白が強い薄緑の短髪に紫の瞳、自身と同じ聖フランチェスカ学園の制服を纏っているが、額と目の部分に朱色の染料を使った隈取と紋章が描かれているという風貌をしていた。

 

「っ!貴様……北郷一刀か!?」

 

 

「え?俺の事を知ってるのか…?」

 

 

 一刀は目の前にいる男と会った事もない。なのに自分の名前を言い放った相手に戸惑いを覚える中…その男はその眼に強い殺意を宿して睨み付けた。

 

 

「ここで貴様に逢えるとは好都合…新たな外史を作り出す前に、貴様には死んで貰う!!」

 

 そう言うが早いか、その男は一刀に対して飛び掛かったかと思うと猛然と蹴りを繰り出した。その一撃はかなりの速さであり、込められた力も相当な物だろう。これに対し一刀は…。

 

 

ーガッ!!

 

 

「な、何ぃっ!?」

 

 

 一刀に蹴りを放った男は信じられない物を見ているような顔をした。何故なら目の前にいる一刀を殺すつもりで放った脚撃を真っ向(・・・)から受け止めていたからである!

 

 

「…強いな。相当の実力者みたいだな、お前。悪いけど…そっちがその気なら、こっちも全力で行かせてもらう!!」

 

 

 そう言うと一刀は受け止めた足を弾き飛ばすと、瞬時に男の懐に入り…。

 

 

「せいっ!」ードゴ!!

 

 

「ぐうっ!?」

 

 

 そのまま彼に対して拳による一撃を見舞ったのである!その一撃により彼はかなりの距離を後ずさった。

 

 

「…受け止めたか。お前、同じ聖フランチェスカの制服を着てるけど何者だ?この学校に通ってるけどお前のような手練れは見た事『くそっ、鏡が…!』えっ?」

 

 

 その男の呻くような声に一刀が反応し彼の胸元を見ると…その胸元に入れていたのだろうか?古ぼけた鏡が割れて破片が彼の足元に落ちていた。そして…その直後、周囲が眩い光に包まれ始めていた。

 

 

「こ、これって…!?」

 

 

「くそっ、またしても…またしても外史が作られるのか!?くそおおおおおおおおおお!!!」

 

 

「う、うわああああ!?」

 

 

 一刀の戸惑い混乱する声と、鏡を持っていた男の怨嗟が宿った咆哮が放たれる中で…その光は男と一刀を飲み込んだ。やがて光が収まると…そこには割れた鏡の欠片だけが残っていた。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

 突然の発光に目を瞑り、腕で光を遮らざるを得なかった一刀…だが、やがて光が収まったと見て腕をのけると…。

 

 

「…そ、空?」

 

 

 一刀の目に飛び込んできたのは雲一つない青空だった…それはまだいい。問題は…()()()()()()()()()()()()()()()()事だった!!

 

 

「……う、うわあああああああああ!??」-ヒュウウウウウウウウ!!!

 

 

 一刀が目の前の光景を受け入れる事も出来ず、彼はそのまま頭から真っ逆さまに眼下に見える地上に落ちて行った!

 

 

「ま、まずいまずいまずい!!何とかしないとこれ死ぬって!?」

 

 

 そう口にしながら一刀は何とかしようと考えるが…何せ持っているのは身に纏っている制服と携帯電話、そして筆記用具を入れてある通学バックぐらいしかない!!

 

 

(やばい、これ積んだ…って思ってる場合じゃない!!何とかしないと!)

 

 

 一刀は一瞬目を瞑って諦めかけるも即座にその考えを捨てる!この状況下で諦める事=死は明確なのだ。そう思って再び目を開けると…。

 

 

「…っ!?人…?」

 

 

 一刀の目に飛び込んできたのは複数の人間に囲まれている、手に長柄の戦斧を持った薄紫色の髪が印象的な少女がこちらを見上げている光景だった。

 

 

「よ、避けてくれええええええええ??!?!?!?」

 

 

「…………わー」

 

 

 一刀は自身が眼下にいる少女に向かって落ちているのが分かり、彼女に対して避ける様に叫ぶも少女の方は呆けたような表情をしながら呆けたような声を出すだけで避ける事もしない。そして…。

 

 

ーゴイ―――――――――ン!!

 

 

 そんな音が響いたのと、一刀の頭に衝撃が走ったのはほぼ同時であった…。

 

 

・・・・・・・・・・・・・

 

「痛てて…!?」

 

 

 暫く一刀は頭を押さえて転がりながら悶絶をしていたのだが…やがて鼓膜に響いてきた声に思わず動きを止めた。そして視界に飛び込んできたのは下卑た表情を見せながら手には剣や槍と言った武器を持ち…そして自身の後ろにいる、先ほど頭をぶつけてしまったと思われる、今だ頭を抑えながら悶絶して武器を手放してしまっている少女に近づこうとしている光景だった。それを見て一刀は思わず立ち上がって彼女を庇う様にして彼らの前に立ちはだかった。

 

 

「おいお前、そこを退けよ…?」

 

 

「悪いけど退けないね。退いたらこの子に危害を加えるんだろう?なら尚更だ」

 

 

「はっ、馬鹿じゃねえのかお前!?素手で何が出来るってんだよ!」

 

 

「…っ、逃げて。このままじゃ…」

 

 

 目の前にいる男たちの嘲笑が響く中、後ろにいる少女が逃げるように言ってくるも…一刀は受け入れなかった。『義を見てせざるは、勇無きなり』、一刀には少女を見捨てて逃げるという選択肢は一切なかった。逃げれば、それは自身が弛まぬ鍛錬を以て磨いてきた自身の力を裏切る事に他ならなかったからである。そもそもか弱い女性を置いて逃げるという選択肢を一刀は一切持っていないのだから…。

 

 

「それは出来ないよ。君の様な少女をよってたかって甚振ろうとしているのを見て見ぬ振りをするほど、俺は人として堕ちてはいない積りだから。だから…安心してほしい」

 

 

 一刀は後ろの少女の方に顔を向け、彼女を安心させるように微笑みながら語りかける。そうして再び前を向くと、自らが長年修練を磨いてきた剣術…九州は薩摩隼人達が学び、かの新選組を率いた局長・近藤勇曰く『薩摩者と勝負する時には初太刀を外せ』と隊士達に言い聞かせるほどに畏れられた『示現流』の構えたる蜻蛉を為す。刀はおろか竹刀すら持っていないが…この構えをしていると、不思議と怖いという気持ちは起こらない。

 

 

「はっ、馬鹿野郎が!剣も持ってねえのに何やってんだ!?野郎どもやっちまええええ!!!」

 

 

『うおおおおおおおおおおっ!!!!』

 

 

 これに対し賊達は自分が武器も持たず、妙な態勢になった事にすっかり頭から食って掛かっている。それを見て一刀はすっかり目の前の相手がとるに足らない連中である事を悟っていた。ならば…自分がする事はただ一つ。眼前の相手を、全力を以て叩き潰す事のみ!!

 

 

「キィエ―――――――――イ!!!」

 

 

 示現流において叫び声をあげながら吶喊し、相手を怯ませる技…『猿叫』。一刀が挙げた叫び声は、英雄豪傑の大喝にも引けを取らない強烈な物だった。その証拠に眼前の賊達は自身の叫び声にすっかり戦意を削ぎ落されていた。その隙を一刀は見逃さなかった。

 

 

「っ!せいっ!」

 

 

「ぐばっ!?」

 

 

 瞬時に槍を持っている賊に対して肩からぶつかる様に体当たりを喰らわせて吹っ飛ばし、落とした槍を拾うと…。

 

 

「ふんっ!」-べきっ!

 

 

 その穂先部分を膝を使ってへし折って落とす!その行為に賊達はおろか後ろにいる少女も驚きを隠せないようだが、自身にとっては慣れない槍を振るうよりもちょうど良い長さとなった槍の柄を振るった方が遥かに戦いやすい!そして…一刀は再び蜻蛉の構えを以て相手を迎え撃った。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・

 

 それから暫く戦いは続いたが、一刀は見事に賊達を完膚なきまでに討ち倒す事に成功した。最後の所で彼女(と、彼女が乗っていたと思われる馬)の助けを受けたが…。ともかく、一刀は今負傷した賊達を積み重ねた山の近くで先ほどの少女と話をしていた。

 

 

「さっきはありがとう…。えっと、それとごめん。頭をぶつけちゃって…」

 

 

「大丈夫…もう平気になったから。それよりも、ありがとう。私を助けてくれて…」

 

 

「いや、いいよ別に。えっと…」

 

 

「私の、名前?私は…徐晃、徐晃公明。貴方の…名前は?」

 

 

(徐晃!?それって…三国志の武将の名前じゃないか!?それに男のはずなのに…!?)

 

 

 一刀は目の前の少女が徐晃と名乗った事に驚きを隠せなかった。一刀はこう見えて勉学も相当の物であり、特に鍛錬の合間に読書をする事も趣味としており、愛読書の一つが『三国志演義』だった。この為三国志の出来事や武将などもある程度知っており、当然徐晃の人となりも知ってはいたが…そう思案していたが、やがて彼女がその紫の瞳でこちらを眺めて来た為、自身の名を告げる。

 

 

「俺は…一刀。北郷一刀だ」

 

 

・・・・・・・・・・・・

 

 こうして降り立った天の御遣いは、正史における五将軍の一人と出会う。そうして会話をしていく中でこの世界が自身の知識とは違う事を知るが、その時思いもよらぬ襲撃を受ける事になる…。続きは次回のお楽しみ。




 どうもふかやんです。読んでいただきありがとうございます。

 ここでの一刀君は魏ルートを歩んでいますが、原作とは違う終幕を目指すつもりですのでどうかお待ちいただければと思います。

 それと今回の投稿に登場している一刀の祖父・直刀さんは『小説家になろう』で『恋姫†無双 ~北郷一刀争奪戦?!~』を投稿している『一斗缶』さんから許可を得て採用しました。一斗缶さん、ありがとうございました。


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旅立ちと誤解による対決

 どうも、ふかやんです。

 今回は香風が旅立つ前の出来事と一刀VS夏候惇(春蘭)との対決(大いに誤解あり)と言うのが主な話です。

 では、どうぞ…。


 さて、賊との戦いが終わった後…一刀と徐晃と名乗った少女は賊達の積み重なった山を横目に会話を行っていた。

 

 

「一刀…変わった名前。姓が北、名が郷なの?」

 

 

「いや、姓が北郷で名が一刀って言うんだ」

 

 

「字が無いの?…ますます変わった名前」

 

 

「そ、そうかな?それより…ここって日本なのかな?後、聖フランチェスカ高校って知ってる?」

 

 

「にほん?せいふらんちぇすか…?何それ?」

 

 

「(日本や聖フランチェスカ学園の事を知らない…さっきこの子は自分の名前を徐晃って名乗っていた。ひょっとしたら…)じゃあ、ここがどこなのか教えてくれるか?」

 

 

「うん…豫洲沛国の辺りだよ」

 

 

「(豫州…確か漢代の地方制度の一つだったな)…そうか。それと今誰が国を治めてるのかも教えてくれるか?」

 

 

「?漢王朝の霊帝だけど…そんな事も知らないんだ」

 

 

 徐晃の『おかしな事を言う物だ』と言う感じの返答に一刀は自身の考えが正しかった事を悟った。ここは自分がいた時代の日本ではなく、後漢王朝時代の中国に来てしまった事を。

 

 

「ああ…信じられないかもしれないけど、俺はこことは違う場所から来たんだよ」

 

 

「違う場所…。それって、あなたが天の御遣い?」

 

 

「えっ、天の御遣い?何それ?」

 

 

「管路って言う占い師がやってる占いが流行ってて、その人がこんな風な占いをしたの。『大陸が争乱に包まれんとする時、輝く服を身に纏った御遣いが現れ、世を泰平に導くだろう』って」

 

 

「そ、そんな占いがあるの!?って言うか…俺そんな大それた人じゃないぞ?確かにこの制服は輝いてはいるけど…これはポリエステルって言う繊維で作られているから輝いてるだけで…」

 

 

 そう言って一刀は自身の制服、その袖の部分を抓んで説明するも…徐晃は首を横に振って否定の意を示した。

 

 

「けど…正直言って、貴方の服って他では見た事も無い。洛陽でも上等の絹で作られた服は売ってるけど…貴方の服には到底及ばない。それにあなた、凄い強かった」

 

 

「…まあ、暇があればいつも鍛錬をしてたからね。『それに…貴方を見てると、兄上を思い出す』…?兄上?君、兄がいるのか?」

 

 

「うん。私にとって…父上や母上、それに()()姉上と同じくらい、大切な人」

 

 

 徐晃が肉親たちの事を思い起こすように語るのを見ながら、一刀は内心首をかしげざるを得なかった。

 

「(おかしいな…確か正史三国志や三国志演義とかを読んでた事はあるけど、徐晃に兄弟がいたって記述はない。それに…)なあ徐晃。その愛紗って(チャキッ)…っ!?」

 

 

 一刀はそれ以上言葉を繋げる事が出来なかった。何故なら…一刀の喉元には徐晃が先ほど手にしていた長柄の戦斧…その柄の両端に取り付けられた紺碧色の刃の一方が突き付けられていたから。そしてその戦斧を手にする彼女の瞳には絶対的な敵意…それがありありと宿っていたのである。

 

 

「…っ!ごめん…気に障る事を言ったか?」

 

 

「………。っ!そっか…あなた、真名(まな)を知らないんだった」

 

 

 そう言って徐晃は喉元に突き付けた戦斧を下げる。一刀はむけられた殺意から解放された事に安堵すると、先ほど出てきた言葉に疑問を以て問いかけた。

 

 

真名(まな)…?」

 

 

「私達にとって…命と同じくらい大切なもの。その人間の本当の名前。相手の許し無くそれを言う事は…命を奪われても文句は言えない」

 

 

「そっか…悪かった、ごめん。けどじゃあ…その人は一体誰なんだ?」

 

 

「……()()姉上。私にとって血は繋がっていないけど、姉上って言える人」

 

 

「っ!?(関羽って…あの軍神関羽!?しかも姉上って事は…この世界って三国志の武将が女性の世界なのか!?)」

 

 

 一刀は自身が訪れた世界が自分が知っている知識と異なる現実に向き合っている事に内心驚愕し続けていた。しかし表向きは平然と構えており、そこは流石と言えた。やがて一刀はふと…彼女が肩に立てかけている紺碧色の刃が日の光を受けて輝いている長柄の戦斧に目を向けた。

 

 

「それにしても…その戦斧、凄い業物だな」

 

 

「っ!分かる…?」

 

 

「ああ、よっぽど凄い技量を持った人が鍛え上げたんだろうな。誰が鍛えたんだ?」

 

 

 一刀が問いかけると…徐晃は心底嬉しそうな表情を浮かべ、長柄の戦斧を撫でながら答えた。

 

 

「…兄上」

 

 

「兄上って…君の?」

 

 

「うん。兄上は武勇も優れてるけど、鍛冶師としての技も凄いんだ…。私の持つ『霞切り』も、兄上に鍛えて貰ったの」

 

 

 徐晃はそう言って嘗ての出来事を思い返していた…。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

 それは徐晃……香風が17歳になり、すでに及笄の年を済ませて大人の女性として花嫁修業などを行っていた彼女はある時、家族を前に頼みごとをしていた。

 

 

「…諸国を巡って見聞を広げると同時に、鍛錬をしたい?」

 

 

「うん」

 

 

 香風の願いに父・弧月は当然面食らった顔をした。自身にとって目に入れても痛くないと言うほど我が子らを可愛がっていた弧月にとって我が子の願いを聞き入れたいと思う半面、可愛い娘を手放したくないという親馬鹿な想いの板挟みとなっていたのである。

 

 

「あら、別にいいじゃない弧月。私も16歳ごろには両親の反対を押し切って諸国を巡って武勇の鍛錬とかをしたのよ?寧ろ今の世の中の事を知るのに諸国を巡って知識を得るのは大切だと思うわ」

 

 

「り、麟華!そ、それはそうだが…そ、壮也!お前からも何とか言ってやってくれ!」

 

 

 弧月は自身の不利を悟ってもう一人の我が子と言える、鍛冶場の片づけを終えて家に戻り、水甕から水を掬って飲んでいる壮也に声をかけるも…運命は非情であった。

 

 

「父上、香風(シャンフー)だってもう立派な大人だ。己の力を磨きたいというのを親としては喜ぶこそすれ、それを否定するのはどうかと思うぞ?何より母上の言葉だって一理ある、今のこの世の中で起こっている出来事や風土の違い、傑物と言える人物との邂逅を経て自身を磨く事は、武人として名を馳せるならば最低条件だろう?」

 

 

「っ!兄上…////」

 

 

「あらあら…我が子ながら堂々とした返答じゃない。弧月、貴方の負けよ?ここまで言い返されちゃったらね♪」

 

「…………はあ、仕方ないか。ならば旅の支度を整えておくんだぞ?」

 

 

「うん」

 

 

 こうして徐晃は父・弧月からの許しを得て旅立ちをする事になったのだが……。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 それから数日経ち、香風が旅立ちを迎える前日の夜の事。香風は陽県郊外の原っぱで兄・徐来と武術の稽古を行っていた。互いに自らの木根を打ち合いつつも相手の隙を虎視眈々と狙い続け…そして。

 

 

ーカンッ!

 

 

 根を打ちあげる様な音が響いた後に立っていたのは徐晃…香風であった。彼女は兄・徐来との読み合いを制し、彼から白星を取ったのである。

 

 

「…やった!」

 

 

「ははは…強くなったな香風。精進していたようだな」

 

 

「ううん、今のは紙一重だった。運がよかったんだよ」

 

 

 地面に仰向けに倒れながらも微笑みを浮かべる徐来…壮也の賞賛を受けながらも、香風はこの勝利が運による物だと謙遜する。だが…それを聞いた壮也は真摯な顔つきになって諭すように妹に語りかけた。

 

 

「香風、運による勝利もまた勝利の内だ。武や智って言うのは磨けば磨くほど高める事は出来る。だが運だけはどうしようもない。百戦錬磨の猛将だとしても、神算鬼謀の知恵者だとしても…戦場で流れ矢に当たったり、乗っている馬から誤って落馬したりして命を落とすなんてざらにある事だ。己の運も自らが宿し得る力だという事、心に留め置けよ」

 

 

「…!うん…」

 

 

「ならいい。それじゃあ戻ろう香風、お前に手向けを渡したいと思う」

 

 

「…手向け?」

 

 

「ああ」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・

 

 そうして家に戻った二人は、家の鍛冶場に向かう。そして壮也が鍛冶場の壁に立てかけられている、()()()()()()()()()|に近づくとそれを覆っている布を取り外す。

 

 

「っ!?…すごい、綺麗」

 

 

 眼前に現れたその物体を見た徐晃は、瞠目してそう呟くのが精いっぱいだった。彼女の眼前に現れた物。それは……灰色の柄に、その両端に紺碧色の斬撃を主体にする目的で鍛えられた刃が取り付けられ、さらにその片方側には同じく紺碧色の斧の刃が取り付けられている形状をした、長柄の戦斧だったのである。

 

 

 しかし、それは戦斧と言う戦場で振るい、血風を巻き起こすにたる得物でありながら…その刃はまるでさざ波一つ立っていない泉を思わせるほどの清涼さを醸し出していたのである。戦場で振るう武具と言うよりは観賞用の武具ではないのか…?そう思ってしまうが故に香風はそう呟いたのである。

 

 

「兄上…これは?」

 

 

 香風が兄・壮也に尋ねようとすると…壮也は徐に妹に近づいたかと思うと、軽く頭を撫で始める。そうしながら壮也は自らの心の内を語り始めた。

 

 

「香風。これからお前が行こうとするのは広大な中華の大地だ。時にお前は自分が正しいと思った事を否定されたり、自身の力及ばずに護る物を護れない事もあるかもしれない。故郷を離れて中華を旅するという事は……一寸先も見えないほどの霞に包まれ、その中を手探りで歩み続ける様な物だろう」

 

 

「だから俺はこれを作った。お前の眼前を包み込み、お前を惑わそうとする霞を切り裂き、自分が正しいと思える道を歩めるようにと作った戦斧…銘は『霞切り』。手向けとして受け取ってくれ、香風、お前の進む道に、幸多からんことを」

 

 

「……っ!!」

 

 

 兄・壮也の激励、そして自身の為にこの武具を作ってくれた事への嬉しさに、気が付けば香風は壮也に抱き着いていた。そして・・・。

 

 

「…兄上…兄上」

 

 

 香風は兄・壮也の胸元で嗚咽を漏らしながら顔をうずめた。夜が明け、陽光が村を照らし始めるその時まで。

 

 

 そしてひとしきり泣き続け、すっきりした表情となった香風は兄が作った自らの得物『霞切り』を手にして鍛冶場から出ると…そこには栗毛の毛並みをした駿馬に手綱をつけて連れてきた父・弧月とそれなりの大きさの布袋を持った母・麟華、本当の姉のように慕っていた関羽……愛紗。そして村長を含めた村人たちが彼女を待っていた。

 

 

「父上…母上…愛紗姉上?それに、村の皆…?」

 

 

「村長が懇意にしている馬商人が村長に譲り渡した駿馬の一頭だ。名将には名馬ありと言う、お前をよく支えると思うぞ?」

 

 

「香風、鹿肉を干したものとか金子を袋に詰めておいたわ。長旅になるだろうから体には気を付けてね」

 

 

「香風…気を付けていくのだぞ?それと覚えておけ…例え離れ離れになろうと、必ずまた会おう」

 

 

「香風、恐れる事は無い。己が貫きたい道を貫き通せ、儂からはそれだけじゃ。それと…いつかまた、この村に帰ってきておくれ」

 

 

「香風、村の事は心配しないでくれよ!俺達がしっかり護ってやるからよ!」

 

 

「旅をしてくるのなら、帰ってきたらいろいろな話を聞かせてね!」

 

 

「…っ!うん、うん…」

 

 

 家族の深い慈愛と姉のように慕っていた愛紗の励まし、そして村人たちの思い思いの声に、香風は再び涙を流しつつも頷く。その光景を、鍛冶場から出て来た壮也もまた、温かい目で見守っていた……。そして。

 

 

「じゃあ…行ってくる」

 

 

 家族や村人たちに見送られながら、徐晃公明は旅立ったのである。

 

 

・・・・・・・・・・・・

 

 

「…そんな事があったのか。…いい家族に恵まれたな」

 

 

「うん…私は多分、幸せ者だと思う」

 

 

 徐晃の答えに、一刀は心底目の前の少女が羨ましいと思っていた。そして同時に、これほどの業物を鍛えてみせた彼女の兄と言う人に会ってみたい…そんな想いが彼の中に湧き起っていたのである。

 

 

「なあ徐晃「…香風(シャンフー)でいいよ」え?いいのか…?」

 

 

「あなたは私の命を救ってくれた。寧ろ受け取ってくれると嬉しいから」

 

 

「分かったよ香風。それとお願いがあるんだけど…君のお兄さんに会ってみたいんだ」

 

 

「?会ってどうするの?」

 

 

「特に深い理由はないよ。ただ…一度武勇の腕をぶつけ合いたい。その後に心行くまで語り合いたい…それが俺の願いなんだ。駄目かな…?」

 

 

「…きっと、兄上も貴方を見たら気に入ると思う。けど…」

 

 

 そう言うと香風は突然戦斧を手にすると、周囲に油断なく視線を飛ばす。その姿に一刀は驚きながらも、そうなる要因を見抜いた。

 

 

「…誰か向かってくるのか?」

 

 

 一刀の問い掛けに香風は黙して頷く。そして唐突に屈み込んで自身の耳を地面に押し当てた。

 

 

「…十頭以上の馬蹄の音。騎馬兵?」

 

 

 そう呟いた香風は即座に立ち上がって得物である戦斧を構え、馬蹄が響いてきた方角に顔を向ける。一刀もその方向に顔を向けたその直後…彼らの視線の先からこちらに向かって近づきつつある、蒼い軍装を纏った騎馬隊の姿が現れたのである。そうしてこちらに近づくにつれて少しずつ速度を緩め、彼らの前で止まった。

 

 

 そしてその騎馬隊から一騎だけこちらに近づいてきた人物がいる。真紅と濃紫と言う異なる色で装飾され、左肩に髑髏を思わせる肩当てをつけている装束を纏い、腰には幅広の刀身を持つ豪刀を差している。そして一本だけ撥ねているくせっ毛が印象的な黒のロングヘアーに紅色の瞳を持つ凛とした顔立ちの女性が騎上にいたのだが…その女性が纏う空気は戦場で刃を振るう荒武者を思わせる物である事を一刀は感じ取っていた。

 

 

「(この女性…もしかしなくても、三国志の武将なんだろうな)」

 

 

 一刀がそう心中で想っていると、眼前まで近づいた女性は一刀の隣にいる香風にだけ目を向けて言葉を発した。

 

 

「そこに転がっている賊どもは貴様が退治したのか?」

 

 

「…ううん。こっちにいる人が倒した」

 

 

「何だと?」

 

 

 香風の返答に馬上の女性はその視線を一刀に向ける。だが一刀を見る視線は疑惑、訝しい…そんな感情がありありと浮かんでいた。そして…。

 

 

「…良く見たら見かけん装束を纏っているな。っ!!さては貴様賊の仲間か!?」

 

 

「……………はあっ?」

 

 

 突然大音声で発せられた自身への冤罪…賊の仲間であるという言いがかりに、さしもの一刀も呆気にとられるしかなかった。

 

 

「ま、待って!その人は賊の仲間じゃ……」

 

 

「いいやどう見ても見かけぬ妙な装束を待っているではないか!!それに男風情にはろくな奴もおるまい、こやつもそこにいる賊どもの仲間に決まっている。大方そこにいる娘を巡って争ったという所だろうが…こやつを成敗すれば華琳様とてお喜びになろう!!」

 

 

 香風は一刀が賊の仲間でないと必死に説得しようとするも馬上にある女性はまるで聞く耳を持っておらず、そのまま腰から刀を引き抜くとそれを一刀に向けたのである!

 

 

「貴様、覚悟はいいか!?我が『七星蛾狼』の錆になるがよい!!」

 

 

 その言葉と自身に向けた表情を見て、一刀はもはや言葉での説得は無意味であると悟らざるを得なかった。そして香風に顔を向けるとある頼みごとをした。

 

 

「…悪い香風。そこに倒れている賊達の槍を一本渡してくれないか?」

 

 

「!!…分かった、けど殺さない方がいいよ。あの人達官兵の人達かもしれないし、ただ者じゃないと思うから…」

 

 

「分かってるって」

 

 

 一刀がそう返答するのを見て、香風は賊が積み重なっているところから一本の槍を拾って彼に投げ渡す。それを受け取った一刀はその穂先の部分をへし折り、再び示現流の構えを取る。突然槍の穂先をへし折った事に、彼女が引き連れていると思われる兵士達からは疑問の声が上がっていたがすぐに収まる。何故なら、豪刀を肩に背負った馬上の女将(にょしょう)が不敵な笑みと共に闘気を発していたからである。

 

 

「ほお?逃げずに挑むか?中々度胸はあるようだ…」

 

 

「悪いけど、賊の仲間だって言いがかりをつけられて逃げる訳にはいかないさ。…もし、万が一俺が君を倒したら、賊の仲間じゃないって分かってくれるか?」

 

 

「ふん、いいだろう!最も・・・そんな事はあり得ぬだろうがな!!我が名は夏候元譲!!我が刃を受けて果てるがいい!!」

 

 

 目の前の女性が自らの名乗りを上げるのを聞いた一刀は内心で自身の考えが当たっていた事を悟るも、それをおくびに出す事も無く自身も名乗りを上げた。

 

 

「北郷一刀、それが俺の名だ。悪いがこんな所で果てる積りは無い…全力で抗わせてもらう!!」

 

 

 かくして北郷一刀にとって、負けられぬ戦いが幕を切って落とされたのである。

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

 戦いの末に天の御遣いは猛将を破る。だがその直後、天の御遣いはこの世界における曹魏の覇王と出会い、自らの道を決める事になるのだが…続きは次回のお楽しみ。

 




 如何でしょうか?至らぬ所もあったと思うでしょうが、最後まで読んでくださったのであれば幸いです。

 なお今回の小説で登場した徐晃(香風)の武器は公式サイト『恋姫†英雄譚』に記載されておらずサイトなどを探しても無かったので、『ドラックオンドラグーンシリーズ』で登場するポールウェポンの一つ『霞切り』を持たせてみましたがどうだったでしょうか?尚、この小説では他にもオリジナル武将が登場し、彼らに武器を所持させるつもりですが、何か出してほしい武器はあるでしょうか?あるのであればご意見をお聞かせくださると嬉しいです。

 ではまた。


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覇王との出会い

 どうもふかやんです、今回は一刀君が曹操…華琳と出会い、彼女に従うという感じの流れとなります。

 では、どうぞご覧下さい。 

追記

 読者さんからのご指摘があり、文節の一部を訂正させていただきます。大変失礼いたしました。


 互いに名乗りを上げて間もなく、夏候惇は自らが跨る騎馬を駆って一刀と名乗った男に肉薄して行った。

 

 

「馬上にいる者を徒士で相手どろうなど無謀にも等しいぞ!!」

 

 

 夏候惇はそう叫び、自らの豪刀を振り下ろそうと構えたその直後である。

 

 

「キィエ―――――――――イ!!!」

 

 

「なっ!?『ヒヒィーン!??』ぬわっ!?」

 

 

 …眼前で折れた槍の柄を構える男が、自分の心胆をも震えあがってしまうほどの大喝をあげたのは。そしてその途端、彼女の騎馬もそのあまりの大喝に恐れをなしたのか棹立ちになってしまい、彼女は落馬してしまった。慌てて着地をするも、後方を見ると自身が連れていた者達の馬も激しく狼狽して暴れ回り、馬上の者達を振り下ろしているのが見て取れる。

 

 

 ただ…男に槍を投げ渡していた少女と彼女の馬だけは動じる様子が無く、目の前にいる男を注視し続けている。どうやらこの男がこれほどの大喝をする事が出来るというのを分かっていたらしい。だが、それ以上夏候惇は周りの様子を窺えなかった。

 

 

「キィエーイ!!」

 

 

 着地して間もない自身に向かって男が斬り込んできたからである。即座に夏候惇は自らの刀で防ごうとしたが…。

 

 

「…っ!?」-バッ!!

 

 

ービュオンッ!

 

 

 夏候惇はその男の一撃を防ぐ直前、すぐさま彼の攻撃を横に跳ぶようにして回避したのである。その直後男の一撃が振り下ろされたが…その時に起こった音はただの棒となり果てた槍の柄とは思えぬほど、凄まじい風切り音だった。

 

 

 あれをまともに受けていたら…恐らく自身の頭に防御した豪刀の峰の部分がめり込んでいただろう。夏候惇は自らの直感によって九死に一生を得たと悟らざるを得なかった。そして再び男の方を見ると、男は先ほどの構えを再びとっていた…。

 

 

「避けたか…流石だな。並大抵の実力者じゃないとは思ってたよ」

 

 

「ふ、ふん。なるほど…只者ではないとはわかった。だがっ!当たらねば意味はないぞ!!はああああっ!!」

 

 

 男……一刀の賞賛に対し、夏候惇は多少良い気分にはなったが、すぐさま豪刀を構えると彼に斬り懸かる!

 

 

「(凄いな…。多分彼女の剣技も豪勇を以て振るう『豪の剣』だ。まともに受ければ命はないだろうな)」

 

 

 一刀は自身に斬り懸かってくる夏候惇の剣技を見てそう実感し、敬意を以て賞賛していた。だからこそ自分は死ぬ訳にはいかない。そう思い、一刀は襲いかかる刃を紙一重と言うほどの絶妙なタイミングで躱し続けた。

 

 

「くうっ!?何故だ、何故当たらない!!私の刃が貴様のような優男を討ち取れないなどっ!!」

 

 

「…夏候惇、お前の剣技は凄いよ。お前とこんな形でだけど戦えて嬉しいとも思ってる。けど…真っ直ぐすぎるんだよ。どれだけ勢いがあっても、真っ直ぐに斬り懸かってくるだけじゃ本当に強い相手と戦うには力不足だ」

 

 

「な、舐めるなああああ!!!」

 

 

 一刀の指摘に対し、夏候惇は激して咆哮しながら、さながら暴風を思わせるほどの剣技を以て彼に襲いかかった。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・

 

 一刀と夏候惇の熾烈な戦いを、徐晃は離れた場所から自身の愛馬たる茉莉と共に注意深く観察していた。そして、彼女は()()()()()()()()事を冷静に把握した。

 

 

「(あの夏候惇って人…かなりの豪の者。一振り一振りが鎧を纏った武者を鎧ごと叩き斬る事も容易だろうな…けど、相手が悪すぎる)」

 

 

 そう思い、徐晃は夏候惇に向けていた視線を彼女の斬撃を見切り、紙一重と言うほど精妙な体捌きを以て回避し続ける一刀に向けた。それにしても…徐晃は一刀の力量の高さを改めて拝見したが、やはり只者ではないとしか思えなかった。

 

 

「(…やっぱりあの人、凄く強い。兄上や愛紗姉上も強かったし、母上も私達三人を軽く相手取ったりしてみせたから強いのは分かってた。けどあの人は兄上達と並ぶくらい強い人だ…ああも凄い体捌きを行うだけじゃない。時折あの夏候惇って言う人が対処できない搦め手の斬撃とかを繰り出してる)」

 

 

 そう思った徐晃は自身が武術の教えを受けていた師父が、自身や兄、愛紗たち門弟に常々語っていた事を思い起こしていた。

 

 

『ただ力だけで剣や槍を振るうだけでは強者同士の戦で勝つ事は出来ぬ。時として相手を惑わすが如き攻撃を出す事も大切だ。突くと見せかけ薙いだり、斬ると見せかけて突きを放つ。そうした搦め手も攻め手に組み込んで戦う事を忘れるな?』

 

 

 ただ刃を振るったり槍を放つだけで勝てる戦などありはしない。卓越した膂力があればそれも別になるかもしれないが、全ての人がそうであるとは限らない。ならばこそ人は『技』を編み出した。『柔よく剛を制す』、今まさに彼女の眼前ではそれが繰り広げられていたのである。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・

 

「ぜーっ、ぜーっ…!!」

 

 

「…やっぱり疲れ始めて来たな。無理もないけど」

 

 

 戦いが始まって四半刻ほど経った頃だろうか?一刀は目の前で肩を上下させ、息を切らしながらも戦意が衰えていない夏候惇に声をかけていた。だが体に傷をつけていないにも拘らず夏候惇は疲労困憊と言う有様なのに対し、一刀の方は多少息を切らしてはいるもののまだまだ余力を残していた。

 

 

「く…っ!なるほど……認めよう。貴様は大した男だ。だがっ!私は華琳様に仕える将の一人として、このまま負ける訳にはいかぬのだ!!!うおおおおおおおおおお!!!!」

 

 

 そう吠えるが早いか、夏候惇は持てる力を振り絞って駆けだしたかと思った時にはすでに一刀の前に立っており、そのまま残っている力を豪刀を持つ腕に込めながら振り下ろそうとしていた!

 

 

「これで、終わりだ!!!」

 

 

「…悪いが、終わらせない!!」

 

 

 夏候惇の勝利を確信した咆哮の直後に一刀が返答をした瞬間、彼は夏候惇が振るった刃が自身の頭に振り下ろされようとする刹那、流れる様に横に移動したかと思うと長棒となった槍の柄を構える。

 

 

「キィエーイ!!!」

 

 

ーガキイイインッ!!!

 

 

 そして…一刀は大喝と言えるほどの声ー猿叫をあげると、手にしていた長棒を夏候惇が振り下ろした豪刀の峰の部分目掛けて振り下ろす。周囲に凄まじいまでの音が響く中、夏候惇はその振り下ろされた一撃のあまりの強さに手が痺れ、自らの豪刀を落としてしまった。そして一刀はその長棒を返す刃で首に突き付ける態勢となったのである。

 

 

「俺の勝ち、でいいか?」

 

 

「…っ!」

 

 

「か、夏候惇様っ!?」

 

 

 一刀の問い掛けに無念そうに顔をしかめる夏候惇。それを見た彼女の配下が刀槍を構えて襲い掛かろうとするも一分の隙無く構える一刀の姿に迂闊に動けずにいた。

 

 

「ぐうう…この私が、お前の様な賊に後れを取るなんてぇ…!」

 

 

「いやだから賊じゃないって…」

 

 

「ええいまだ言うか!?どう見ても見た事も無い装束を纏っているではないか!!それほどの武を持っていながら賊に身を落とすとは…!?」

 

 

「だから話を聞いてくれって…っ!!」

 

 

 だが一刀は突如として踵を返して手にした長棒を振り下ろした。その振り下ろした長棒の先端部分には…誰かが放ったのだろうか?一本の矢が地面に突き刺さっていたのである。もし一刀がその棒を振り下ろさなければ、その矢は一刀の喉を射抜いていた事だろう…。

 

 

「っ!…誰かが放った弓矢」

 

 

「誰かって…?『姉者、無事か!?』って新手…!?」

 

 

「おおっ、秋蘭か!?」

 

 

 突き立った矢を見て徐晃がつぶやき、一刀が疑問の声をかけた時、新たに響いてきた声に夏候惇が感極まったような声をあげた為一刀が声の方を向くと…一刀達がいる場所からあまり離れていない場所に十騎程の小勢がおり、その先頭には青と紫を基調にし、左肩に髑髏を模した肩当てを着けた装束を纏い、琥珀色の瞳で右目を隠すような感じの水色の髪を持った理知的な顔立ちの女性が、手に豪弓を構え、それに矢を番えていつでも放てる体勢で立っていたのである。

 

 

「そこの男よ!私は夏侯淵妙才、今お前が斬り落とした矢は私が放ったもの!だがこのまま姉者に危害を加える積りならば、今度は貴様の頭蓋をその矢が貫く事になるぞ!それが嫌ならば武器を捨てて投降しろ!!」

 

 

「…一刀、物凄い敵対されてる」

 

 

「好きでこうなったんじゃないんだけどなぁ…。っ、元より俺は抵抗するつもりはない!けど賊と言いがかりをつけられたら黙ってはいられなかったんだ!そっちが危害を加えないのならこっちも大人しくするつもりだ!」

 

 

 徐晃の冷静な指摘に苦笑しながらも、一刀は抵抗の意思を示さぬ様に手にした長棒を地面に突き刺して丸腰となって非戦の意思を伝えた。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

「(ほお…中々に堂々とした佇まいと気骨さを持っているようだな)」

 

 

 青年の返答と態度に夏侯淵…秋蘭は内心感心しきっていた。そして同時にあの青年が自身の姉である春蘭……夏候惇を相手取り、これを倒せる実力者である事も察していた。実際あの時秋蘭は長棒と言う殺傷能力が無い物とは言え姉の喉元に突き付けていた青年の姿を見て激昂し、彼の喉を射貫いて殺すつもりで矢を放った。

 

 

 だがあの青年はその矢を斬り落としてみせたのだ。これだけであの青年が並々ならぬ武術の鍛錬を磨いている事の証左に他ならない。もしこれで先刻の言葉通り矢を放ったとしても、あの青年はこれを斬り落として見せる事だろう。

 

 

「さて、どうやら本当に抵抗するつもりはないようだが「終わったのかしら、秋蘭?」っ!華琳様!」

 

 

 夏侯淵が後方から響いてきた声の方を向くと、そこにはブロンドのカールを巻き骸骨をモチーフにした髪飾りを着けたツインテールをし、空色の瞳を持つ凛々しさと覇気を兼ね備えた美貌を持ち、紺と紅紫を基調にした装束を纏った少女が一頭の漆黒の毛並みをした駿馬に跨って現われたのである。それを見た夏侯淵は即座に下馬すると畏まり首を垂れる。

 

 

「はい、あの男はこれ以上の抵抗をするつもりはないようです」

 

 

「そうね、ここからでもよく見えるわ。けど…さすがに驚いたわね、あの春蘭がああもあしらわれた末に刀を取り落とされて負けるなんて」

 

 

「はい…それは私も同感です。姉者の力量は私が一番存じていますが、まさか姉者が手も足も出ないのを見るのはこれが初めてです。それだけあの男の力量が飛び抜けているのでしょう」

 

 

 夏侯淵は自らの姉である夏候惇を負かした青年の実力を称賛したが…華琳と名乗る少女は青年を凝視しながらも、不満そうな顔つきになって呟いていた。

 

 

「…果たしてそうかしらね?」

 

 

「えっ?」

 

 

「とりあえず春蘭たちの元に向かいましょう」

 

 

「は、はっ!」

 

 

 華琳はそう言い放つと青年の元へ馬を進め、夏侯淵たちもその後に続いた。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 一刀は自身らの元に近づいてくる一団の先頭にある少女から目を離せなかった。身長は自身よりも低く、小柄と言ってよい程なのだが…その体からは溢れんばかりの気品と雄々しさが感じ取れたのである。それは隣に立っていた徐晃も同様で、彼女の登場には目を瞠るばかりだった。

 

 

「…会えるなんて、思ってなかった」

 

 

「知ってるのか、春風?」

 

 

「うん…、曹操孟徳。夏候惇や夏侯淵って言う人たちはこの人の配下」

 

 

「!!彼女が…!?」

 

 

 徐晃の指摘に一刀は思わず目を瞠り、驚きを隠せなかった。曹操孟徳…三国志と言う英雄譚を語る際には外せない人物であり、三国時代を示す一国の一つ・魏を創始した英雄である。

 

 

 文武に優れた傑物であると同時に当時の既成概念にとらわれない画期的な政策(『才ある者であれば過去や家柄に関わらずこれを徴用する』と言う『求賢令』が有名)を行ったり、当時における兵法の大書である『孫子』に注釈を行い『孟徳新書』として現すなどその才能は留まるところを知らなかった。もし赤壁での大敗が無ければ三国時代と言う時代そのものを平らげるに足る英雄…それが一刀が曹操に抱いていた想いだった。

 

 

 『治世の能臣、乱世の奸雄』…平和な世であれば有能な臣下であるが、世が乱れれば奸智に長けた英雄となる。当時の人材評論家として名高かった『許劭』は彼女をこう評している一方で『清平の奸賊、乱世の英雄』…平和な世では狡猾な臣下であるが、一度よが乱れればそれを静めるに足る英雄であるとも称している。それだけ彼の才能が飛び抜けていたという証左と言えるのだが…。一刀は改めて目の前にいる馬上の少女に目をやる。

 

 

「(彼女があの曹操なのか…眩しいな。まるで彼女は太陽だ、大地をその強い光で照らししている…思わず畏まってしまいそうになるぐらいに凄い人だ!)」

 

 

「か、華琳様!!」

 

 

 一刀が目の前の馬上にいる少女に対して終始圧倒されている中、彼の隣で膝をついていた夏候惇が自身の主の登場に声を上げる。これに対し華琳…曹操は一刀に対して視線を向けて言葉を発した。

 

 

「それにしても…大したものね。春蘭は私の配下の中でも飛び抜けて武に長けているのに、それをあしらった末に下してみせるなんて」

 

 

「好きで戦った訳じゃないよ。賊に間違えられてその払拭の為に戦った様な物だからさ…」

 

 

「分かっているわ、貴方の様な剣の使い手が下らない賊徒に身を落とすなんて考えられないもの。大方春蘭の猪突猛進な所が災いしたというべきかしらね?」

 

 

「か、華琳様ぁ!私はただ純粋に華琳様の…」

 

 

 華琳の言葉に春蘭は必死に反論しようとするも、その前に華琳は彼女に視線を向けて叱責を行い始めた。

 

 

「春蘭、あなたもとうに分かっているでしょう?彼は確かに男ではあるけど、賊徒に身を落とすような男ではない。そもそも賊徒に身を落とすような男があなたを相手にして勝てる訳もないでしょう?私の為に刃を振るうのは別に悪い事では無い。けど…敵味方の区別も出来ぬ刃を欲しいとは思わないわ」

 

 

 曹操の叱責と夏候惇……春蘭に向ける視線に春蘭はただ縮こまるよりほかなかった。そうして曹操は再び一刀の方に視線を向けると、徐に頭を下げたのである。

 

 

「済まなかったわ、貴方ほどの剣の使い手を賊呼ばわりさせた事への謝罪をさせてもらう。春蘭は私への忠義は厚いのだけど、時としてそれ故に空回りする事があるの」

 

 

「いや、分かってくれれば何よりだよ。俺も言いがかりをつけられて戦うのは本意じゃなかったから」

 

 

「そう……。貴方、名前は?」

 

 

「北郷…北郷一刀だ」

 

 

「ふうん、変わった名前ね?姓が北、名が郷かしら?」

 

 

「いや。姓が北郷、名が一刀なんだ」

 

 

 先ほど徐晃が彼の名前を誤って読んだ際に訂正したのと同じように一刀が曹操に言うと、彼女は僅かばかり驚きの表情をした。

 

 

「あら、ますます変わった名前ね?それに貴方の装束も見た事が無い造りね」

 

 

「華琳様、もしやこの青年が近頃管路が預言したとされる『天の御遣い』では?」

 

 

 曹操の疑問を宿す声に、彼女の隣で同じく馬上にいる夏侯淵が声をかける。

 

 

「天の御遣い…彼がそうだというのかしら?」

 

 

「まだ分かりませんが、光を受けて輝く白の装束に姉者を打ち負かすほどの技量。只者ではない事は確かでしょう」

 

 

「ふん……」

 

 

 夏侯淵の意見に曹操は暫し思案していたが、今度は一刀の隣で霞切りを手に立っている徐晃に声をかけた。

 

 

「そう言えば、そっちにいるのは近頃噂になっている『大斧の徐晃』かしら?」

 

 

「?…私の事、知ってるの?」

 

 

「ええ、近頃賊徒の討伐や捕縛をしている最中に捕らえた賊の一人から聞いているわ。自分達の様な賊の集団をたった一人で壊滅させている戦斧使いの少女の話をね。…貴女、諸国を流浪しているのかしら?」

 

 

「うん。世の中を巡って、自分を磨く為に旅してる」

 

 

「そう…。貴女、もしよければ私の元で働く気はないかしら?才ある者を野放しにするのは私の矜持に反するの」

 

 

 曹操の勧誘とも言える問い掛けに対し、徐晃は暫く考えていたが…やがて首を縦に振って答えた。

 

 

「分かった。貴方の道の行く末、私にも見せて」

 

 

「ええ分かったわ。さて…貴方についてだけど」

 

 

 曹操は徐晃と言う勇士を得た事に満足した表情をしたが、すぐに気を引き締めると一刀の方に顔を向けて言葉をかけた。

 

 

「俺の事か?」

 

 

「ええ。私としては『天の御遣い』と思われる貴方を迎えたいとは思っているわ。けど…私は『己の力に迷いを持つ』人間を臣下に迎えたいとも思わない」

 

 

「っ!!」

 

 

 曹操の()()()()()()()()()()()()()()に一刀は思わず息をのんだ。今目の前にいる曹操と言う少女は…自分とあって間もないと言うのに、自分の心中に抱えている悩みを看過した。その事実は一刀を絶句させるには十分すぎたのである。

 

 

「……言っておくけど、だからと言って貴方を迎えない訳でもないわ。一応武将見習いとして登用はしてあげる。精々努力をしてみせなさい」

 

 

 曹操はそう言って馬首を返すと、そのまま夏侯淵達と手の痺れが回復して剣を鞘に戻し、馬上の人になった夏候惇達を連れて来た道を戻っていった。それに続いて徐晃も自身の愛馬に跨って続こうとするも、一刀は少しの間動く事は出来なかった…。

 

 

・・・・・・・・・・・・

 

 その夜…豫州にある規模が大きな町の宿屋。あの後一刀は気を取り直して徐晃達について行き、彼らが到着した町で合流。そこで曹操たちが停泊している宿屋で休む事になったのだが、その宿屋の庭で一刀は一心不乱に竹刀代わりの長棒を振り続けていた。夜空には満月が浮かんでおり、夜の闇を照らしていたが…今の一刀の眼には入っていなかった。

 

 

「ふっ、ふっ、ふっ…!!」

 

 

 しかし…何度長棒を振るい続けていても、一刀の心は晴れない。あの時曹操が言った言葉…。

 

 

『私は『己の力に迷いを持つ』人間を臣下に迎えたいとも思わない』

 

 

 自分が抱えている悩みを、まだ会って間もない彼女に看過された事。その事が一刀をこの行動に誘っていた。振るう回数が千を超えても、それでも彼女の凛とした瞳に見据えられながら放たれた言葉が頭から離れないのである。

 

 

「…へえ、随分と念入りに鍛錬をしてるじゃない」

 

 

 …唐突に背後から声が響く。しかし一刀にはその声の主が分かっていた。一刀が長棒を振るうのをやめて背後に振り返ると、そこには寝間着らしい白の装束を纏った曹操が立っていたのである。

 

 

「…いや、こんなのは鍛錬じゃないさ。君が言った言葉にどうする事も出来なくて…やり場のない迷いを剣にぶつけているようなものだよ。……どうして俺が悩んでいる事が分かったんだ?」

 

 

 一刀の問い掛けに、曹操は軽く鼻をならずとさも当然という様な感じで返答した。

 

 

「あら、決まってるじゃない。あの時秋蘭が放った矢をいとも容易く斬り落としたのを見てたんだけど、その時にあなたの動きを見ていてわかったの。貴方は…剣を振るう事が好きであっても、『剣を振るい続ける事が苦痛でならない』様に思っているってね」

 

 

「…………」

 

 

 ぐうの音も出ない…そんな表現が間違いでないと言えるほどに一刀は返す言葉もなかった。だが、やがて曹操は一刀に対して疑問を投げかけた。

 

 

「あなた……なぜそれほどの才気を持っていながら苦痛に思うのかしら?それほどの才気を持つのであれば誇ってこそすれ、苦痛に思う訳がない。…良ければ聞かせてくれるかしら?」

 

 

「…分かったよ。今から言う事は信じられない事もあるだろうけど」

 

 

 そうして一刀は庭に置いてある長椅子に座っている曹操の隣に腰かけると語り始めた。幼い頃から天賦の才を宿し、自らも剣を振るう事が好きで暇さえあればいつも剣の鍛錬を怠らずに続けていた事。しかし、やがて大きくなるにつれて周囲の同年代の人間は自身の事を畏怖の目で見る様になり、遠ざかっていった事。それは自身が鍛錬を続けていくに従って益々拍車がかかって行った事…。そして己の祖父から『何かを護る為に刃を振るう事を覚えろ』と諭された事を。

 

 

 曹操は一刀の告白に一言も口を挟まず聞き入っていた。やがて一刀の告白が終わると、曹操は呆れたような溜息をついて切り出した。

 

 

「…呆れた。貴方がいた天の世界と言うのに興味があったけど、期待外れね」

 

 

「えっ?」

 

 

「だってそうでしょう?貴方は己の力で好き勝手していた訳じゃない。強くなりたい、上を目指したい…己の研鑽を何よりも重んじていたというのに、周囲の人間はそれを異常としか見なかった。私にはそれが納得できないわ。貴方のような人間が近くにいたのであれば、『彼の様になりたい』と羨望の目を向けて、彼に近づきたいと思うのが当然だと思うの。向上心を以て然るべきなのに…天の世界にはそうした思いが希薄なのかしら?」

 

 

「…随分『才能』を重んじてるんだな?」

 

 

「ええそうよ」

 

 

 一刀の疑問に対し、曹操は即答すると徐に立ち上がって天に対して手を広げて語り始めた。

 

 

「私はね、才覚こそが天下を安んじ統治する物であると思ってるわ。義や情、仁徳も人の上に立って国を治める人間には必要なのかもしれない。けどそれに偏り過ぎれば却って国を乱す元凶にもなりうる」

 

 

「貴方はこの地に降り立ったばかりで何も知らないでしょうけど、今この天下を統べている漢王朝はもはや枯れ逝こうとする大樹にも等しいわ。いずれ遠くない未来、漢王朝は斃れて乱世となるでしょうね。その中で私は覇道を以て乱世を終わらせ、天下を統一する!その為には才覚ある者達が必要不可欠なの。才覚こそが…乱れた世を正し、天下を真に安んじるのだから。」

 

 

 そう言いきって曹操は一刀の方に振り返り、一刀に対して宣告した。

 

 

「北郷一刀。貴方は言ってたわね?『自分の祖父から『何かを護る為に刃を振るう事を覚えろ』と諭された』と。なら……貴方の才覚、この曹操の為に使いなさい。私は才覚を持つ人間を誰よりも重んじる、例えそれが咎人であろうと、不仁不孝であろうとも!そして私は才覚を持つ人間に対して嫌悪も、畏怖も抱く事は無い。私は才覚ある者に対して与える物は三つしかない…それは堅き鎧と、鋭き鉾と、そして胸を張って帰れる場所よ。北郷一刀、汝の返答は如何に?」

 

 

 曹操の威風堂々とした宣言に、一刀は思わず聞き入っていた。そして同時に彼女の底知れぬ器の深さに強く惹かれ始めていた。そして一刀はぽつぽつと言葉を零し始めた。

 

 

「……俺は、剣を振るう事しか能がない」

 

 

「なら貴方に軍略に政略の手ほどきをするわ。私の元には軍師もいるから彼らにあなたを鍛えさせる。文武を兼ね備えてこそ私の臣下として相応しいのだから」

 

 

「っ……俺は、剣の腕を磨くのが趣味だ。強くなりすぎて他の皆が遠ざかったら…」

 

 

「それこそ有り得ないわ。春蘭は猪突猛進だけど、ああ見えて強い相手がいると越えたいと思う真っ直ぐな子よ。寧ろあなたが強くなればなるほどに春蘭は超え甲斐があると奮起するでしょうね」

 

 

 一刀が不安を零すたびに曹操は明朗快活に次々と意見を出す。それは傍から見れば自分勝手な言い分とも聞き取れる物だが、一刀自身は彼女の言い分がとても心地よかった。今まで剣の腕を磨けば磨くほど周りの人間は遠ざかって行った。だが目の前に立つ彼女は…。

 

 

 逡巡の末に、一刀はいつしか彼女の前で膝をつき、頭を垂れていた。そして…。

 

 

「曹操孟徳。俺は、北郷一刀は、今から君の元で力を尽くすよ。俺の持てる力の全てを以て、君の歩む道を共に往く。だから、君も俺に見せてほしい。君が作る天下の行く末を」

 

 

「しかと聞き入れた!ならば北郷一刀、その眼にしかと刻め。この曹孟徳が作る新たな天下を!!」

 

 

 月の光が闇を照らしだす中、かくして天の御遣いは後世においてその名を馳せた曹魏の覇王に忠誠を尽くす事になる。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 かくして曹操に仕える事になった北郷一刀。しかし彼女に仕える様になった彼であるが、ある問題が待ち構えていた。続きは次回のお楽しみ。




 如何だったでしょうか?前もって言っておきますが、ここでの一刀君は真・恋姫の魏ルートの様に天に帰る事はありません。そもそもご都合主義を掲げるこの作品においてあのような悲劇とも言える結末をしたいとは思いませんので。

 では!


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名剣と風雲急

 申し訳ございません…仕事などが重なって思う様に小説製作の時間が取れず遅れてしまいました。この後も投稿の時間が遅れるとは思いますがどうかご理解願いたく思います。

 では、どうぞ…!


 頓丘県。後漢時代における県の一つである土地の県令の屋敷…早朝で少しずつ日が差し込みつつあるその庭で一刀は長棒を手に素振りを行っていた。

 

 

「ふっ、ふっ、ふっ!」

 

 

「おお北郷!精が出るではないかー!!」

 

 

「っと、春蘭か。お前も鍛錬をしに来たのか?」

 

 

 一刀が声のした方を向くと、そこには動きやすい装束を纏い、木剣を手にした夏候惇が立っていた。そして手を止めた一刀に近づくと、手にした木剣を一刀に向けながら饒舌に語り始めた。

 

 

「決まっておろう!?私は華琳様の刃として仕える身。なれば日々の鍛錬は怠れぬ!それに貴様と言う超えるべき目標もあるのだから尚の事!!さあ北郷!!今日こそ私が勝たせてもらうぞ!!」

 

 

 夏候惇のあっけらかんとした返答に、一刀は苦笑しながらも得物である長棒を構えて迎え撃つ体勢となっていた。

 

 

「…全く、本当に底抜けに明るいんだな春蘭は。分かった…そっちがその気なら、俺も全力で迎え撃つ!」

 

 

「そうだ、そう来なくてはな!!では、行くぞおおおおおおお!!!!」

 

 

 陽光が空に昇る中始まる二人の対決。それが曹操孟徳に仕える事になった『天の御遣い・北郷一刀』が過ごす一日の始まりだった。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

「春蘭、強くなってるよなぁ。俺も頑張らないとな「むっ、北郷か?」あっ、秋蘭」

 

 

 春蘭との朝稽古が終わり、着替えを済ませて執務室に向かおうとしていた一刀に対し、鍛練場に向かおうとしていた秋蘭が声をかけてきた。

 

 

「ふふ……その様子では、また姉者がお前との鍛錬を挑んだようだな」

 

 

「まあね。けど良く続くよな、何度も何度も俺に挑んできてさ…」

 

 

「ああ。どれだけ負けようと何度でも立ち上がり、勝つその時まで何度でも挑む。それでこそ姉者なのだと思っている」

 

 

 秋蘭は一刀にそう答えると、一刀も納得せざるを得ない。不屈……夏候惇の在り方を表現するとしたらこれほどピッタリな言葉はないだろう。どれだけ屈しようとも何度でも立ち上がって挑もうとする…正直一刀はそれが嬉しくてたまらなかった。自分がいた世界………『天の世界』では、そうした相手がいなかったから。

 

 

「それより北郷、桂花の指導があるのではないか?」

 

 

「あっ、そうだ。悪い秋蘭、そろそろ行くよ」

 

 

「ああ」

 

 

 そうして一刀は秋蘭と別れて執務室に向かったのだが…。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・

 

「だからそこは違うって言ってるでしょう!?」

 

 

「ご、御免…!」

 

 

 執務室で一刀は猫耳のついたフードを被った少女に叱責を受けていた。その机には開かれた竹簡と筆が置かれており、一刀が学問に励んでいる様子が見て取れる。

 

 

「全く、会話とかは出来て文章の読み書きが出来ないってのがこうも困った事になるとは思わなかったわ。…ほらっ、早く筆を持ちなさい!まだ終わってないんだからね!?」

 

 

「ああ…分かったよ、桂花」

 

 

 一刀はそう言って筆を執り、勉学を再開した。

 

 

・・・・・・・・・・・・・

 

 さて、一刀に対して勉学を教えているこの少女。彼女の名は姓は荀、名は彧、字は文若……曹魏の覇王・曹操に仕えた参謀の一人であり、彼が曹操に仕える様になった際に曹操からは『我が張子房(前漢の高祖・劉邦に仕え、その天下取りを支えた名臣の一人)が来た』と絶賛された人物でもある。

 

 

そんな英雄もこの世界では桂花と言う真名を持つ女性であった事には一刀はこの世界の事実であるとして受け入れたのだが…今こそこの様に会話できるようになったが、出会った当初の頃は険悪としか言いようが無かった。それと言うのも…。

 

 

【3ヶ月前、一刀が曹操に仕える事を宣誓した直後】

 

 

「か、華琳様……今何と仰ったのですか!?」

 

 

「あら、聞こえなかったのかしら?ならもう一度命じるわ。桂花、貴女には私が登用した天の御遣いに政戦両略に優れる様に教育する事を命じるわ」

 

 

 天の御遣いとされる北郷一刀を臣下に加えた曹操は、自らが派遣された頓丘県の県令の屋敷に一刀を連れてきた。そして彼を邸宅の一室に止めた後に、自室に自らの腹心の一人として活躍する荀彧を呼び出すとその様に命令した。これに荀彧は思わず呆けたような顔つきになり、すぐさま疑問と反論を投げかけた。

 

 

「お、恐れながら華琳様!私が華琳様が連れてきたあの男風情に政戦両略を指導せよというのですか!?華琳様の決断を非難したくはありませぬがあの様な男が華琳様のお役に立てるとは「桂花」は、はい!!」

 

 

 荀彧がさらに反論を続けようとするも、その前に曹操の冷徹さを宿した視線と有無を言わさぬ圧力を宿した声が彼女に降りかかり、荀彧は黙らざるを得なかった。やがて曹操は諭すように彼女に語りかけた。

 

 

「私は前々から思っていたの。貴方はどうにも男嫌いな所と教養のない者ーーそれが男であれ女であれーーを見下す傾向がある。私の道は覇道…天を掴む事が我が天命、その為には才ある者の存在が不可欠なの。でもあなたのその傾向は教養が無いから、男だからと言う理由で才ある者を切り捨てかねない」

 

 

 そう言うと曹操は荀彧に近づくと、さらに語りかける。

 

 

「桂花、私は貴方の才も大いに認めている。だけど…その傾向によって才ある者を無下にしかねないとも限らない。だから桂花、この任を為す間にその傾向を改める様に務めなさい。貴方がこの曹孟徳の臣下であると誇りに思うのならば」

 

 

「…分かりました。不肖この荀文若、華琳様のご期待に添える様に尽力いたします」

 

 

 曹操が自身を信頼してこの任を命じた。ならば自分がするべき事はその任を全うする事…荀彧はそう察すると恭しく頭を垂れて、曹操の命を謹んで受ける事になったのである。

 

 

・・・・・・・・・・・・・

 

 それから荀彧は一刀の教師として行動する事になったのだが、やはりと言うべきか、生来男嫌いであった彼女は当初は男である一刀と行動する事に強い抵抗を示していた。

 

 

「近づくんじゃないわよ!?孕んじゃったらどうすんのよ!」

 

 

「あんたみたいな男と一緒に行動するなんて死んでも嫌なのに…」

 

 

 …とこの様な言動が続き、さしもの一刀も当初は心身が摩耗していったが、それでもめげる事無く勉学に勤しみ続けた。それを見て荀彧もまた少しずつ暴言が少なくなっていったのだが…ある時荀彧は一刀に問いかけた。

 

 

「…あんた、如何して華琳様に仕える事にしたのよ?」

 

 

「えっ?」

 

 

「華琳様から聞いたわ。あんた、こことは違う天の世界から来たって。そしてそこでは自分の身の回りでは戦が無かった事も。…帰りたくないの?自分の故郷に」

 

 

「それは……」

 

 

 一刀が返答に詰まる中、荀彧はさらに問い続ける。

 

 

「華琳様は覇道を歩み続ける御方。その道は決して安穏たるものではないわ、必ず無数の屍を積み重ねていくでしょうね。…あんたの世界では身近な場所では戦争が無かったんでしょう?あんたは耐えられるの?戦争を、殺し合いをした事が無いあんたに…無数の屍を作りながら歩んでいく華琳様の後をついて行く事が」

 

 

 桂花の問い掛けは、一刀にとっては『良言耳に痛し』と言うべきものだった。確かにこのまま曹操と共に歩むという事は血濡れた道を歩む事に他ならない。そしてその道を歩んだとしても、果たして自分は元いた世界に戻れるのかという事も分からない。一刀は文字通り言葉を返す事が出来なかった。

 

 

「………………」

 

 

 そうして暫く黙っていた一刀だったが、やがて重々しく口を開いた。

 

 

「……正直に言うと、怖いって思ってる。覚悟があるかと問われれば…心の中には躊躇している自分もいる事も」

 

 

「なら…『けど』っ!」

 

 

「俺は…もう決めたから。俺を前にしても目を逸らす事も、敬遠する事もしないで俺に手を差し伸べてくれた曹操の、華琳の作る世界を見たいと思ったんだから」

 

 

 そう言い放つ一刀の瞳には、僅かな迷いの色すらなかった。それを見て、桂花は目の前にいる男…一刀に対して抱いていた嫌悪感が薄れていくような気がしてならなかった。

 

 

「(…こいつ、今まで私が見てきたような男とは全然違う。真っ直ぐで、芯が通ってて…って何考えてんのよ私は!?騙されちゃ駄目よ桂花!男は獣、獣なのよ!!油断してたら孕まされるかも知んないんだから……!!)そ、そう。そこまでの決意があるのならいいわ…なら覚悟しておきなさい。この筍文若、私の智の全てをあんたに叩き込んでやるんだから。死に物狂いでついてきなさい」

 

 

「ああ、分かったよ荀彧「桂花」えっ?」

 

 

「一応真名を教えてあげる。華琳様も貴方に真名を授けたのならそれが当然だもの。ただし、この私が真名を貴方に授けたんだから、貴方も相応の活躍をしてみせなさいよ!」

 

 

「…分かったよ、桂花」

 

 

・・・・・・・・・・・・・

 

 そうしてそれからと言う物、一刀は桂花を教師として地理や兵法に戦術、内政などの基本や応用を叩き込まれる事になった。無論今回の様に間違いを起こして叱咤される事もあるが…。

 

 

「それより…あんた、その剣が気に入ってるのね?」

 

 

「え?…これの事か?」

 

 

 桂花の指摘に対し、一刀は自らが腰に差している()()を手に取った。

 

 

「当たり前じゃない?その剣は本来は華琳様の祖父で漢の大長秋に任ぜられた曹騰殿の為に作られたとされる名剣よ?本来あんたが持てる様な剣じゃないんだから。その剣を授けられたからには死に物狂いで励みなさいよね」

 

 

「…うん、そうだな」

 

 

 一刀はそう言って腰に差している長剣の柄を優しく撫でた。その脳裏にはこの剣を渡された頃の出来事が浮かんでいた…。

 

 

【2ヶ月前、一刀が曹操に仕え始めて少し経った頃】

 

 

 その日、春蘭達との鍛錬や桂花の講義を受ける日々を送っていた一刀は曹操……華琳の呼び出しを受けて彼女の元を訪れていた。

 

 

「何か用か、曹操?『華琳でいいと言ってるでしょう?』ご、御免」

 

 

「貴方、まだその棒切れを腰に差してるのね…?貴方も私に仕え始める様になって時間が経ったのだから、いい加減ちゃんとした帯剣をしなさい。一通り用意させたから好きなのを取りなさいね」

 

 

 玉座に座ってそう話す華琳の前には様々な形状をした刀剣が置いてあり、一刀はそれを手にとって振ってみたのだが…。

 

 

ーブンッ、パキンッ!

 

 

「…えっ?」

 

 

「ご、御免…折れちゃった」

 

 

「何を言ってるのよ…?刀剣をただ振っただけで折るなんてどれだけの膂力で振ってるわけ!?と、とにかく他にも試してみなさい…!」

 

 

 そう華琳に促され、一刀はほかの刀剣も手に取って振るってみるのだが…どれをとっても一刀が振っただけでまるで風に折れる小枝の如く折れる始末となったのである。

 

 

「…呆れた。まさかここまでの膂力の持ち主だったなんてね。と言うか、その様子だと貴方がいた天の世界での鍛錬も難儀したんじゃないの?」

 

 

「うっ…ごめん、実を言うとそうなんだ。実際俺が使ってた木刀は爺ちゃんが作ってくれた物を使っててさ」

 

 

「困ったわね…。…ふん、これはどうかしら?」

 

 

 そう思いついたように華琳は自身の玉座の傍に立てかけられていた一振りの剣を一刀に手渡す。一刀がそれを鞘から引き抜いて見ると…その剣は剣の鍔に近い刀身に翡翠色の宝石が填め込まれた、一見しても儀礼用の刀剣の様に思われた。だが、その刀身は非常に強固な造りをしており…一刀が試しに振って見ても折れる事が無かったのである。

 

 

「凄いな…この剣、誰が鍛えた物なんだ?」

 

 

「それは貴方と一緒に登用した徐晃の父…徐岳殿が私の祖父、曹騰様の為に鍛えた物よ」

 

 

「徐晃…香風のお父さんがこれを鍛えたのか?」

 

 

 一刀が驚きを見せて呟くと華琳は満面の笑みを浮かべながら頷いた。

 

 

「ええそう。私の祖父にして大長秋曹騰…私の父である曹嵩を養子に迎えた人物でもあり、朝廷においても確固とした勢力を持っていたわ。優れた人物を抜擢する事に長けた人物でもあって、私も尊敬していたの。徐岳殿はその曹騰殿が交友を結んでいた人でね、彼を抜擢しようと誘ったんだけど『富貴の道を歩むよりも地に足をつけた、人々と触れ合う日々を送りたい』って丁重に断ったらしいの」

 

 

「えっ!?す、すごい人だったんだな…大長秋って事は相当の権力者だったんだろう?その人の誘いをそんな風に返すなんて」

 

 

「ええ、私もお爺様からそれを聞いた時は驚いたわ。けどお爺様はそう言う気骨ある人がお気に入りでね…それ以降も彼とは個人的な交友関係を結んでいたの。この長剣はその時に徐岳殿が友誼の証として自分に送ってくれたものだって聞かせてくれたわ…」

 

 

「そうだったのか…けどいいのか?そんな人の剣を俺に与えて…」

 

 

「ええ。剣などの武具は自分を能く使ってくれる人に使われたいと願う物、貴方ほどの人物に使われるならば剣も本望でしょう?生憎私はこの『絶』を得物にしているから剣を使う事が無いでしょうしね…」

 

 

「…分かったよ。この剣の銘はなんていうんだ?」

 

 

「さあ?お爺様が徐岳殿から聞いた話によれば『この剣に名はまだつけていない、貴公に進呈するのだから貴公の好きなように名をつけてほしい』って言ってたらしいの。結局お爺様は思いつかなかったようだけど…貴方が好きなように名をつけたらどうかしら?」

 

 

 華琳がそうぼやくと、一刀は剣を握りしめながら脳裏に浮かんだ名を呟いた。

 

 

「『碧翠(へきすい)』……そんな名前にしてみようと思う」

 

 

 一刀がそう呟くと、長剣に填め込まれた翡翠色の宝石がまるで彼の言葉に応えるかのように一瞬光った様な気がした。

 

 

・・・・・・・・・・・・

 

「ほらボーっとしない!まだ講義は終わってないんだからね!?」

 

 

「わ、分かってるって!」

 

 

 暫しこの剣を手にするまでの出来事を思い浮かべていた一刀だったが、桂花の叱責を受けて再び講義の続きを受ける事になった。それから一刻立った頃…。

 

 

「…一刀、いる?」

 

 

「香風?どうしたんだ?」

 

 

「…お父さん達が来たから、会わせたいと思って」

 

 

「そうか。…えっと」

 

 

「…今日はこの辺にしときましょう。早く行ったら?」

 

 

「分かった!」

 

 

 桂花の許しを得た一刀は竹簡や筆などを片付けると香風の後を追って部屋を出て行った。そして屋敷から出た一刀の眼に映ったのは、先に外に出ていた香風が一組の男女を出迎えている光景だった。この二人こそ徐晃……香風の両親である徐岳と朱寧だった。曹操は徐晃を登用した際、その両親らを迎える事を考えており、徐晃に書状を送らせて対面しようとしたのである。

 

 

「…あっ、来た。父上、母上。あの人が一刀って人…」

 

 

「ほお…お前が香風が書状に記していた若者か」

 

 

「あらあら…中々どうして見どころのある若者じゃない、そうは思わない弧月?」

 

 

「はっは!それは俺も同じように思ってたぞ麟華。初めまして、と言うべきかな?一刀君」

 

 

「は、はい!北郷一刀です!よろしくお願いします!それと俺の事は呼び捨てで結構ですよ?」

 

 

「そうか?ならばそう呼ばせてもらおう。それにそう固くならずとも良い。とりあえず中で話をするとしよう…香風、案内してくれるか?」

 

 

「うん、分かった」

 

 

 香風はそう言うとまたのんびりとした歩きで屋敷内に戻り、一刀と徐岳たちもその後に続いた…。

 

 

・・・・・・・・・・・

 

 そうして屋敷内で徐岳と朱寧を出迎えた曹操と夏候惇らは談笑を始めた。

 

 

「まずはこうしてお会い出来て嬉しく思います、徐岳殿。『名器の作り手』と称される貴方の力量のほどは聞き及んでおります故に」

 

 

「いや、こちらも曹騰殿の孫娘である貴殿にお会い出来て嬉しく思っているぞ曹操殿。洛陽において北部尉に任命された時に宦官蹇碩の叔父を門限を違反したとして打ち殺した事は俺の故郷である陽県でも轟いている。聞いた時には痛快この上なかった。それに比べれば俺など武具を作るだけの鍛冶師、貴公には足元にも及ばぬさ」

 

 

「何をおっしゃるのです!?私も聞き及びましたが貴方が鍛えた矛は巨岩を貫いても穂先が歪む事が無かったとか、大刀に至っては騎馬の将を人馬諸共両断してなお刃毀れ一つなかったともされているではないですか!それに武を重んじる者達の間では『徐銀明の武具を手にし、使いこなしてこそ真に武人として一歩を踏み出したと言える』と語り草になっているのですよ!」

 

 

「全く落ち着きが無いわね…客人を前にしているのが分かってんのかしら?」

 

 

「姉者、興奮しすぎだ。…すまない朱寧殿、姉者は徐岳殿に会う事が出来て歓喜していてな」

 

 

「あら、別に構わないわ。寧ろ武を重んじる勇士であるのならば優れた武具を作る鍛冶師との出会いは何にも代えがたい物でしょうし…ねえ弧月、夏候惇殿の武具も手入れしてあげたらどうかしら?」

 

 

「ふむそうだな…曹操殿、近くに鍛冶場はあるだろうか?宜しければ夏候惇殿らの武具の手入れをしてやりたいのだが」

 

 

「っ!願ってもない事です…近場に鍛冶場がありますので。春蘭、喜びなさい。徐岳殿が武具の手入れをしてくださるそうよ」

 

 

「真ですか!?徐岳殿、感謝いたします!!!」

 

 

「良かったな姉者。では徐岳殿、私がご案内いたします」

 

 

「それじゃあ私も付いて行くわ。夏候惇殿の振るう武具を見てみたいしね」

 

 

 やがて徐岳は夏侯淵に案内されて領内にある鍛冶場に夏候惇らを連れて赴き、その姿を見て一刀と徐晃も付いて行った。

 

 

「あの人が香風の父親なんだ…。凄い器の大きな人だな」

 

 

「うん。私の自慢の父上…もちろん、母上も私の自慢の人」

 

 

「はは…あの二人を見ていたのなら自慢したくもなるだろうな。君の兄上って人も自慢できるのか?」

 

 

「うん。兄上も私にとって自慢できるし、大切な人。…行こう一刀、父上の鍛冶の技を見るのも久しぶり」

 

 

 そんな事を話しながら領内の町の鍛冶場に赴いた一刀と香風の目に映ったのは、夏候惇の使っている豪刀を研ぐ作業を行っている徐岳とそれを眺めている夏候惇だった。

 

 

「おおっ…見違える様に私の七星蛾狼が磨かれて行くぞ!!流石は徐岳殿だ!!」

 

 

「姉者、少しは落ち着け。鍛冶の技は慎重さを要するのだぞ?」

 

 

「あら大丈夫よ、この程度の会話で心が乱れるようでは『名器の作り手』なんて二つ名がつく事が無いじゃない?」

 

 

 夏候惇を窘める夏侯淵に対し麟華が口元を抑えながらコロコロと笑っている間に、徐岳は研ぎの作業が終わったのか七星蛾狼を丹念に磨き上げて鍛冶場から出て来た。そうして鍛冶場の傍に置かれていた数十本の薪を束ねてある物を持ってくるとその上で七星蛾狼を持つ手を放した。

 

 

ースカカカカカンッ!

 

 

 …その光景には夏候惇はおろか一刀も目を疑った。どう見ても数十本ある薪を束ねて纏めた物の上で徐岳が七星蛾狼を手放したかと思うと、そのまま落下して刃が纏めた薪の上に触れた途端、いとも簡単に両断し続け、そのまま地面に突き立ったのである。これが兵士達の使う様な剣で同じように束ねてあったとしても、同じように両断し続けるかもしれない。まさに神業…そう思ってしまうほどに見事な鍛冶の技量を目にしたのである。

 

 

「………お、おおおおおおっ!!凄い、凄いぞ秋蘭!!七星蛾狼が、七星蛾狼が!!!」

 

 

「姉者落ち着け。…流石は徐岳殿、『名器の作り手』の二つ名に恥じぬ鍛冶の技。しかと拝見いたしました。感服仕ります」

 

 

「はっは、この七星蛾狼と言う刀が名刀だっただけよ。俺はその力を引き出しただけにすぎん。良き刀をお持ちのようだな、夏候惇殿。むっ…香風も来ていたか?ちょうどいい、お前の霞切りも鍛えなおしてやろう」

 

 

「…!ありがとう…」

 

 

「何、お安い御用と言う奴だ。…むっ?一刀よ、その腰に下げているのは…」

 

 

「あっ…これですよね?」

 

 

 徐岳が自身の腰に下げてある長剣を見て首をかしげたのを見た一刀は腰に下げてある碧翠を腰から外し、彼に見える様に差し出した。

 

 

「ふむ…やはりこの剣は俺が曹騰殿に対して友誼の証として送った物だ。何故それをお前が持っているのだ?」

 

 

「それは…」

 

 

 徐岳の問い掛けに一刀はこの長剣を持つに至った経緯を話し始めた。やがてそれを聞いた徐岳は得心が行ったように頷いた。

 

 

「そうだったか…しかし一刀と言ったか?傍から見るとそこまで膂力が無い様に見えるが…ふふ、世は広いという物だ。それにその気性は見ていて気持ちがいい。壮也もお前と出会ったのならば気に入ると思うがな」

 

 

「壮也…それって香風の」

 

 

「ああ。香風の兄……徐来芳明の真名だ。分かっているとは思うが真名で呼ばぬ様にな?…あいつの鍛冶の技は俺をも上回っているかもしれん。現に香風が手にしている霞切りはあいつが鍛え作り出した物だ。だがあいつは常に切磋琢磨する事を怠る事は無い。まったくもってよくできた息子さ」

 

 

「そうですか…本当に、一度会ってみたいです。あの、話は変わるんですが…」

 

 

「はっは、剣の話であろう?分かっているさ。その剣に銘をつけてくれたのならばその剣はお前が振るうがいい。だが…その剣でもお前相手だと荷が重すぎるかもしれんな」

 

 

 徐岳が悩ましげに呟くと七星蛾狼を手にしてはしゃぐ夏候惇を宥める夏侯淵を見ていた朱寧も同意するように声をかけた。

 

 

「そうね。貴方の剣術は見た事が無いし、香風の書状に書いてあったのを見たけど…貴方の剣術と言うのは恐らく相手の技を躱しつつ一振りを以て決着をつける類ではないかしら?確かにその剣だと耐えきれないかもしれないわね…貴方、大丈夫なのかしら?」

 

 

「あっ、はい。大丈夫です」

 

 

「ふむ…ならばよいのだが。もしいつか壮也と出会う事があったのならば相談してみると良い。きっとお前にとって満足できる一振りを作ってくれるだろう。郷里に戻ったのならば壮也にも伝えておくとしよう」

 

 

「…ありがとうございます。俺なんかの為にそこまで」

 

 

 一刀が徐岳の心配りに心から感謝を示すと、徐岳はカラカラと笑いながら返答した。

 

 

「はっは!何、気にせずとも良い。曹騰殿に贈った剣に名をつけてくれたのだ、この位はさせてくれ。願わくば、その剣を大切に使ってくれ。鍛冶師にとって自身が作った武具を遣い続けてくれる事こそ本望なのだからな」

 

 

「…はいっ!」

 

 

「ふふ…。ねえ香風、改めて見たけど中々の好青年じゃない?貴方の夫にしてもいいんじゃないかしら♪」

 

 

「…母上、気が早すぎ」

 

 

「え、ええっ!?」

 

 

「…一刀よ、一応言っておくが香風を妻として迎えるのであれば俺のみならず壮也の許しを得るのだぞ?そうでなくば、分かっているな?」

 

 

 …こんな感じで締めくくられてしまった事もあったが、徐岳らと曹操たちの交流は双方にとって何よりも得難い思い出をはぐくんだのである。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

 それから数日経ち、徐岳と朱寧が故郷である陽県に戻る事になった日を迎えたのだが……。

 

 

「………………」

 

 

「貴方…」

 

 

「…徐岳殿」

 

 

 庁舎の客間に座っている徐岳は複雑そうな表情で顔を歪めており、朱寧はそんな夫を心配している。華琳もまた徐岳の姿に胸を痛めていた。それはどう見ても別れを惜しむ物ではなく、変事が起った事を暗に示していた。その証拠に彼らを挟む机には一枚の書状と、似顔絵が描かれたチラシが置かれていたのである。

 

 

―バンッ!!

 

 

「華琳っ!!」

 

 

「一刀、来たわね。…その様子だと、貴方も出来事を知ったという感じかしら?」

 

 

 その時扉が開け放たれて一刀が入ってきた。その貌には危機的状況が起った為に焦りが浮かんでおり、その後ろから入ってきた香風は青ざめていた……。

 

 

「…ああ」

 

 

「兄上…」

 

 

 そうして一刀が手にしていたチラシ…机に置かれていたのと同じものには一人の青年の貌が記されており、それに付け加える様にある文章が記されていた。

 

 

ーー『この者、十常寺の一人たる張譲の親族を殺めたる大罪人なり。この者を捕えし者には千金を与える物なり。咎人の名は徐来芳明』ーー

 

 

 そして徐岳の元に届いた手紙は、その徐来からの物だった。そこに描かれていたのは、要約すると次のような物だった。

 

ーー『この様な手紙をお送りする事、お許しください。故あって俺は大切な人を護る為人倫に背く行いをいたします。この手紙が届いたのであればどうか俺と縁をお切りになってください。そうすれば禍根に巻き込まれぬと思いますので。どうかお体を労わってください…。そして香風、願わくばお前の道に幸あらん事を。徐来芳明』ーー

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 咎人となってしまった徐来。いったい何故咎を犯してしまったのか?続きは次回のお楽しみ…。




 如何だったでしょうか?次回は何故壮也が罪を犯したのか…その出来事を綴ろうと思います。

 では、次の更新までお待ちください。


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 どうも…このところ時間が取れなくて中々投稿が出来ず申し訳ないです。

 何とか完成したので投稿しようと思います。


 事の始まりは徐岳の元に、壮也からの手紙が届く数週間前に遡る。

 

 

【河東郡陽県近辺】

 

 

 陽県の町からは遠く離れ、并州方面に向かう方向に広がっている荒野。そこでは陽県の町を襲撃しようとしていた数十人もの盗賊達に周囲を囲まれるも、互いに背中を預け合う一組の男女がいた。それぞれに得物を構えており、黒髪を靡かせる琥珀色の瞳をした女性は龍の装飾が目を引く大薙刀を。そして黒の短髪に濃紫色の瞳を持つ青年は一方に長剣並みの長さを持つ斧の刃が、もう一方に引っ掛ける事を目的にした小型の刃が取り付けられ、中央の部分に紋様が描かれているのが特徴的な大戦斧を構え、眼前で刀槍を構えながらこちらの隙を窺っている盗賊を一瞥していた。

 

 

 だが盗賊たちは襲おうとしない。数の利はこちらにあるにも拘らずにである。その理由は至極簡単、『囲んでいる相手が、この人数差であっても軽々と一蹴できるのを知っているから』である。やがて大戦斧を構えた青年がポツリと呟いた。

 

 

「やれやれ……いつまでたっても襲いかかろうとしないな。嬲り殺そうとしているのが手に取る様に分かって嫌になる」

 

 

「全くだな。さて……どのように蹴散らすとしようか、壮也?」

 

 

「そうだな…愛紗、どちらが多く倒せるか競ってみないか?ただ倒すだけと言うのも芸が無い様に思うのだが」

 

 

「競うだと?……あはは!この状況でそんな口を聞けるならまだまだ余裕がありそうだな!よし…その誘い、乗らせてもらおう。私が勝ったら何をしてくれる?」

 

 

「そうだな…昼餉を振る舞おう。それでいいか?」

 

 

「ああ、それでいいだろう。壮也…手加減などはしてくれるなよ?」

 

 

「そんな失礼な事をするつもりはないさ。さて……待たせたな賊どもよ!お前達に恨みはないし、その身の上には同情もする。だが…だからと言って他者の糧や命を奪っていい理由にはならん。故に……俺達は全力でお前達を叩き潰させてもらおう!!我が名は河東の住人、徐芳明!お前達を討つ者の姿、その瞳に焼き付けて散るがいい!!」

 

 

 青年…徐芳明が大戦斧を手に高らかに名乗りを上げるのと同時に、大薙刀を構えた女性も名乗りを上げた。

 

 

「同じく河東の住人、関雲長!!我が故郷たる河東の地に住まう民草を護る為、我が刃を以てお前達を討たせてもらう!死にたくなくば退くがいい!!」

 

 

 二人が名乗りを上げたのに対し、数で勝っている筈の盗賊たちはすっかり戦意を喪失してしまい、もはや烏合の衆となり果てていた。

 

 

「せ、戦斧の勇士と黒髪の女傑が相手だなんて…」

 

 

「だ、駄目だ!?俺達で敵う訳がねえ!?」

 

 

「び、ビビるんじゃねえ!?こっちは数の差で圧倒的に有利なんだ!!押し包んじまえええええ!!!」

 

 

 弱腰になり怯えだした手下たちに対し頭目は叱咤して剣を二人に向かって振り下ろして号令する。これに賊達も一斉に襲いかかった。それがどれほど愚かな決断なのか分かる事なく……。それを見た二人は()()()()()()()()笑みを浮かべると、どちらともなく弾かれた様に敵中に飛び込んだ。

 

 

・・・・・・・・・・・

 

 そこからは正に蹂躙と言う言葉がありありと出た戦いぶりだった。

 

 

「フッ!」-ビュンッ!

 

 

「ぶぎ…っ!??」

 

 

「エイヤッ!!」ーズガンッ!!

 

 

「うぎゃああああっ!??」

 

 

 関雲長と名乗る少女が自らの大薙刀を振るう度に賊の首級が面白いように宙を舞ったかと思えば、徐芳明と名乗る青年が自らの大戦斧を地面に叩き付けると、叩き付けた戦斧の近くにいた者は手足が千切れ、血飛沫と臓物を撒き散らしながら吹き飛んで行った。しかもこの二人は尋常ではない連携を取っていた。

 

 

「っ!愛紗、屈め!!」

 

 

「っ!!」-ガバッ!

 

 

―ブオンっ、ザシュッ!!

 

 

「ぐばあああっ!?」

 

 

 壮也の言葉に愛紗が屈んだ瞬間、その上を通る様にして振るわれた大戦斧が彼女の後ろから襲いかかろうとした賊を吹き飛ばした。そしてその直後。

 

 

「壮也、跳べ!」

 

 

「応っ!」-バッ!

 

 

ービュンッ、ブシュウウッ!!

 

 

「ぎ、ぎゃあああああっ!?」

 

 

 愛紗の言葉に応える様にして壮也が上に跳んだ直後、その足元を薙ぐ様にして振るわれた大薙刀が壮也の後ろから近付いてきた賊の足を悉く切り飛ばしていた。そして着地した壮也が即座に振り向きながら相手を討ち倒すとそのまま再び背中合わせになって得物を構え、賊達を睨み付けた。

 

 

「大丈夫か、愛紗?」

 

 

「ああ、私の方は大丈夫だ。壮也の方は?」

 

 

「この通り、五体満足って奴さ」

 

 

「ははっ!そうでなくてはな、其方は如何ほど倒した?私は100人ほど倒したが」

 

 

「俺も100人だ。残るは頭目を含めれば50人ほどか……愛紗、こうなったら賊の頭目を先に討った方を勝ちとしたいがどうだ?」

 

 

「そうだな……ああ、乗らせてもらう。では先手は行かせてもらうぞ!!」-ダッ!

 

 

「先を行くか。なら、追いつくまでだ!!」-ドンっ!

 

 

 そう言うが早いか、愛紗は眼前に立っていた賊達をまるで草刈りをするかのように大薙刀を振るって斬り進んでいった。これに対し壮也も後を追う様にして大戦斧を以て大地を砕くかのごとき勢いで猛進して行った。

 

 

「ひいっ!?く、来るんじゃねえ!?」

 

 

 二人の狙いが自分である事を悟った賊の頭目は狼狽えながらも部下が持っていた短弓をひったくる様にして取るとそのまま馬を走らせながら次々と矢を射放った。どうやらこの頭目、匈奴や鮮卑と言った五胡の騎馬民族出身らしいのか騎射の技を身に着けていたらしい。だが……。

 

 

「せいっ!」-パシパシパシッ!

 

 

「やっ!」-パシパシパシッ!

 

 

 当の二人はそれを小枝でも掃うかのように自らの得物で斬り落とした。そしてその光景に思わず馬を止めた頭目に近づくと……。

 

 

「セイヤッ!!!」-ブンッ、グシャッ!

 

 

「う、うわあっ!?」-ドサッ!!

 

 

 まず壮也が大戦斧を以て頭目が乗っている馬の頭蓋を叩き潰して馬を落とした。そして……。

 

 

「おおおおおっ!!」

 

 

「やあああああっ!!」

 

 

「う、うわあああああああああああ(ザシュッ!!)あがっ!?」

 

 

 落馬してもがきながらも漸く立ち上がろうとした頭目の目に映ったのは……自身の首を刎ね飛ばさんと大戦斧と大薙刀を振り抜こうとする青年と少女の姿。そしてその直後首から大量の血飛沫を吹き出させている自らの体を見下ろすのを最後に、賊の頭目はその生涯を終えた。

 

 

「か、頭あっ!?」

 

 

「だ、駄目だあっ!?頭がやられたんじゃ俺らに勝ち目はねえ、逃げろおおおお!?!?!?!」

 

 

 そして頭目がやられたのを間近で見てしまった賊の残党達はたちどころに戦意を失い、蜘蛛の子を散らすかのようにして四散していった……。

 

 

「なっ、待て!…くそっ、逃げ足だけは早い連中だ」

 

 

「まあ、賊と呼ばれる連中は頭を失えば脆い物だからな。これだけ叩き潰したからそう易々とこの辺りで略奪をする事は無いだろう。一応この辺りまで見回りをしておく必要はあるだろうけどな」

 

 

「そうだな……しかし、賊の頭目を討ちはしたが、この場合どちらが勝ちなのだろうな?」

 

 

 愛紗の疑問に壮也は眼下で骸となった賊の頭目を見たが、全く同時に刃に掛けた為勝敗を決めるのは難しかった…。

 

 

「う、うーん……確かにほぼ同時に首を刎ね飛ばしたからな。…今回は俺の負けでいいよ。さあ、町に帰るとしよう」

 

 

「そうか?ならば謹んで受けるとしよう。来い、赤雲(チーウン)!」

 

 

黒風(ヘイフォン)、帰るぞ!!」

 

 

 愛紗と壮也が誰かの名を呼んで口笛を吹くと、離れた場所にいたのだろうか?彼らの元に燃え盛る焔の様な真紅の毛並みをした駿馬と、夜の闇を切り取ったかのような漆黒の毛並みをした駿馬が駆け寄ってきた。真紅の駿馬……赤雲は愛紗の元に。そして漆黒の駿馬……黒風は壮也の元に駆け寄ると嬉しそうな感じで首をなすりつけた。

 

 

「では行くと……?壮也、何をしているのだ?」

 

 

 赤雲に跨った愛紗が腑に落ちないという感じで問いかけた先では、かなりの大きさの坑を掘った壮也が討ち倒した賊の骸を抱えると、その坑の中に横たえている光景だった。

 

 

「ああ、弔ってるんだよ。愛紗もよければ手伝ってくれるか?」

 

 

「……壮也、何故そいつらを弔う必要がある。そいつらは賊なんだぞ?己の我欲の為に他者の命や糧を奪う者達……命を落としたのも自業自得と言う物だ。野晒しにしておいても……」

 

 

 愛紗は不満と怒りを宿した声で意見したが、すぐさま壮也の指摘が返ってきた。

 

 

「……生ある者、いつかは死ぬ時が来る。それは望む物であったりもすれば、望まぬ物でもあったりするだろう。死ねば善人も悪人もない、それが皇帝であれ賊徒であれな。なら死者を弔うのに理由なんて要らないだろう?まして己の手で殺めたのであれば、己の手で弔いたいと思うのは間違っているのか?…愛紗、お前の賊に対する想いは分かっている。けれど……」

 

 

「…そう、だな。分かった、私も手伝おう」

 

 

 そう言って愛紗は下馬すると賊の骸を坑の中に運び入れ始めた。それを見て壮也は頷くとまた作業を再開した。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・

 

 程なくして全ての骸を運び入れた二人は土をかけて坑を埋めた。そうして埋めた坑の目の前で手を合わせて祈り初めた壮也と愛紗だったが、やがて愛紗がポツリと言葉を漏らした。

 

 

「…壮也、お前の思っている事は私にも分かる。いつまでも恨みや憎しみを持ち続けているのが間違いだという事も。だが、それでも私には……」

 

 

「分かってるさ愛紗。憎しみを全て捨てろとは言わない、でも分かって欲しい……憎しみや悲しみは、どこかで断ち切らなければ前に進む事は出来ないんだという事を」

 

 

「…ああ」

 

 

「………それじゃあ行こう。村長たちも首を長くして待ってる」

 

 

「ああ!」

 

 

 そうして壮也達は自らの騎馬に跨ると、自らの郷里たる陽県に向かって馬を走らせた。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・

 

 河東郡。中国・漢代に都が置かれた長安・洛陽及びその周辺一体である司隷州にある五つの郡の一つである。その河東郡に含まれる陽県の街並みは都・洛陽にも近いからか旅人や商人の往来が多く栄えていた。その陽県の町から少し離れた郊外にある、鍛冶場と隣接しているほどほどの大きさの邸宅。そこが壮也……徐来の生家である。そこで壮也は愛紗に肉まんや青椒肉絲、麻婆豆腐などを作って彼女に振る舞った。

 

 

「……ふむ、とてもおいしいぞ壮也。しかし…女であるこの身としては、お前よりも料理の腕が劣っていると思うと気が滅入ってしまうな」

 

 

「愛紗だってしっかりと学んでいけばちゃんとした料理が作れると思うぞ?気を落とすよりもまずは鍛錬をするべきさ」

 

 

「そうだな…ありがとう、元気が出て来たぞ。ところで、その机に乗っているのは香風からの書状か?」

 

 

 愛紗が自分達が食事で使っていた卓とは別の机に乗っている手紙の事を聞くと、壮也はこれに頷いた。

 

 

「ああ。書状では香風は頓丘県の県令になった曹操殿の臣下になったらしい。一度父上たちを紹介したいから来てほしいと書いてあったよ。俺は家を離れる訳にはいかないから留守番を担ったけどね」

 

 

「そうか。……伝え聞いた噂では曹操殿の元に『天の御遣い』なる人物が臣下に加わったらしい。壮也…もはや漢の凋落は止められないのか?」

 

 

 愛紗が辛そうな表情をして問いかけると、壮也は首を重苦しく横に振って言葉を漏らした。

 

 

「『大陸が争乱に包まれんとする時、輝く服を身に纏った御遣いが現れ、世を泰平に導くだろう』…天の御遣いが現れたという事は、この天下はいつ争乱が起こってもおかしくはない。そして今の漢王朝にそれを止める力はないと俺は思っている。この先……そう遠くない内に漢王朝は斃れ、乱れた世を治めようと英雄達が干戈を交える乱世になるだろうな」

 

 

「…そうか」

 

 

「ほら愛紗、あまり重苦しい話をしても腹は膨れないぞ?生憎手の込んだ料理じゃないけど、味はいいと自負してる。温かいうちに食べてくれよ」

 

 

「……それもそうだな、では遠慮なく戴くとしよう」

 

 

 そう言って愛紗は再び目の前の卓に載っている料理に箸を伸ばし、壮也も後に続いた。

 

 

・・・・・・・・・・・・

 

 壮也の生家の傍に隣接するように建つ鍛冶場。食事が終わった二人はそのまま鍛冶場に赴き、壮也は自身の得物である大戦斧と愛紗の得物である大薙刀の手入れを行い始め、愛紗はそれを眺めていたが、やがて愛紗はふと問いかけた。

 

 

「…もはや徐岳殿を超えたのではないか、壮也?」

 

 

「いきなりどうしたんだ愛紗?そんな突拍子もなく」

 

 

 手入れの手を休める事無く聞き返した壮也に愛紗は畳み掛ける様にして言葉をつづけた。

 

 

「だってそうではないか?香風の得物として造った霞切りをそうだし、お前が作った数々の武具も逸品と言って然るべき物ばかりだ。洛陽の方では徐岳殿が『名器の作り手』と称されているのに対し、お前は『神器の作り手』などと称されているそうだ。『徐来ならば普通の鋼であったとしても干将・莫耶をも作れるだろう』なんて言う話も聞くぞ?」

 

 

「……買いかぶり過ぎだよ愛紗。俺はまだ未熟もいいとこだ」

 

 

「謙遜は嫌味とも取れるぞ?素直に己の腕を誇っても罰は当たらないと思うが…」

 

 

「『学ぶことを捨てる時、それがその人間の終わりである』、それが俺の信条でね。俺にとって、生きていく限り学び続ける事が大事だと思っている。武の修練も然り、智を磨く事も然り、そして鍛冶の技を磨き続ける事も然り。俺は学び続ける事を捨てたくはないよ」

 

 

「…そうか。私も見習わねばな」

 

 

「愛紗が見習いたいって言われるほど俺は大した人物じゃないんだけどな……さて、終わったぞ愛紗」

 

 

 そう呟いた壮也が手入れを終えた大薙刀…『青龍偃月刀』は先ほどまで血風を巻き起こしていたモノとは思えぬほどの輝きを放っており、手にする者の技量が高ければ金剛石をも両断する事も容易いと感じさせるほどの鋭さを宿す物となっていたのである。

 

 

「…うん、流石は壮也だな。お前が鍛え、磨き上げてくれるのが分かるだけで安心して戦う事が出来る」

 

 

「それは何より。だがいつも俺が傍にいるとは限らないぞ?」

 

 

「っ!それは…」

 

 

「信頼してくれるのは俺としても嬉しい。けど愛紗、世の流れとは無情な物。今はこうして軽口を叩きあえているけど、それは何時までも続きはしない。下手をすれば互いに譲れぬ物の為に刃を向け合う事にもなるだろう」

 

 

「…………」

 

 

「もちろん、俺だってそんな事を望んじゃいない。けどそう言う事も起り得る事を知ってほしいとも思ってる」

 

 

「そうだな……心に留め置こう。ありがとう、壮也『おお、帰っておったか』長老…」

 

 

 鍛冶場の外から聞こえてきた声に二人が反応した直後、陽県の町の人々を束ねる長老が入ってきて、鍛冶場の中に置かれている長椅子に腰かけた。

 

 

「これは長老、良く来てくださいました。もてなしも出来ずに申し訳ありません…」

 

 

「はっはっは!別に構わぬよ、むしろお前達には町を襲おうと狙っていた賊達を退治してくれた礼を言いに来たのじゃよ。しかし……そなた達は真に心が通じ合っているのぉ。前に町に賊が攻め寄せた時には見事としか言えぬほどの連携を見せておったじゃろう?」

 

 

「そ、そうですか……?別段俺達は何かをしてるわけではないんですが…」

 

 

「うむ。儂の眼から見ても、町の者達から見てもそなた達ほどの良縁はおるまい?この際そなた達夫婦にでもなったらどうじゃ?そなた達にその気があるのならば儂が仲人になってもよいぞ」

 

 

 長老が茶目っ気を込めて二人に問いかけると、壮也は顔を真っ赤にして黙り込んでしまい、一方の愛紗も同じく顔を真っ赤にしながら必死に否定し始めた。

 

 

「え、えっと……/////」

 

 

「お、お戯れを……?!私と壮也は戦友の様な物でその様な恋仲では……/////」

 

 

「はあ…。愛紗…そろそろお前も良い年頃じゃ。誰とも知れぬ男と添い遂げるよりも、互いに気心の知れた相手と結ばれたいと思うのではないか?何よりもお主の兄上である関定殿もお前達が結ばれてくれればと愚痴を零しておったんじゃぞ?」

 

 

「っ!?あ、兄上えええっ!?////////」

 

 

「関定殿が、その様な事をですか…!?そ、それは何とも気の早いというかなんというか…」

 

 

「まあ無理強いをするつもりはないがの。そう言う考えもしておけという事じゃて、ふぉっふぉっふぉ」

 

 

 そう言って長老が長椅子から立ち上がろうとした時、壮也は疑問に思った事を問いかけた。

 

 

「……長老、ここに来た目的はそれだけではないのでしょう?…何かあったのですか?」

 

 

「む……」

 

 

「壮也、それはどう言う意味だ……?」

 

 

「…表面上は剽軽そうにしてるけど、いつもの長老からは感じられない悩みの色が浮かんでたからな。それが気になって質問をしたんだが…どうやら当たっていたようだな」

 

 

 愛紗の疑問に壮也が応えると、長老は深い溜息を一つついて切り出した。

 

 

「全く…お主は徐岳殿と同じく妙に勘が働くのお?……実は近々新しく陽県を統治する県令殿が来るそうなんじゃが、これがどうにも問題がある御仁でな」

 

 

「問題、ですか…?」

 

 

 壮也が疑問を宿した声を発すると長老は愛紗の方をちらちら見ながら、まるで彼女に聞かせたくないのか躊躇っているようだった。だがやがて意を決したのか言葉を発した。

 

 

「その御仁と言うのは……河東郡の長官を経て愛紗の生まれ故郷だった解県を統治した前の県令殿でな。名は張朔、あの十常侍の筆頭たる張譲の弟なんじゃ……」

 

 

「……っ!!」

 

 

「十常侍……洛陽に巣食って利を貪る者達ですか。しかし十常侍の一族であるならば地方の長官とかに任命されるとか思うんですが、何故河東郡の長官だった男が愛紗の故郷だった解県の県令となり、そしてまた陽県の県令などに?」

 

 

「話によるとその張朔と言う男、張譲からもあまり良い印象を抱かれておらぬようでな。と言うのも河東郡の長官をしていた時に専売商人と癒着して富を貪っておったんじゃが、どうにも強欲な所があって兄である張譲に賄賂を贈るのを渋ったらしい。その為長官を辞職させられた後に解県の県令に任じられたがここでも賄賂を贈るのを渋ったらしく、陽県の県令に命じられたそうじゃ」

 

 

「そうですか…………愛紗」

 

 

「…大丈夫だ。私もいつまでも子供ではない、一時の感情に呑まれて暴挙を犯す事はしない」

 

 

 壮也の心配する声に愛紗は凛とした声で返答をするも、その貌には陰りが見えていた……。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・

 

 それから程なくして洛陽から新たな県令となった張朔が陽県の村長の屋敷を訪れた。豪奢と言える様な馬車から降り立ったのはほっそりとした長身に紺色のおかっぱ風の髪型、そして神経質さを感じさせる痩せこけた顔立ちの男だった。壮也と愛紗は村長が礼をして迎えたこの男が十常侍の筆頭である張譲…その弟の張朔であると察した。

 

 

「(……あれが張朔か。だがかなりの長躯の持ち主だな?あれで張譲の弟と言われても信じられん)」

 

 

「(ああ、そうだな…話では兄の張譲は小柄な体格をしているとは聞いているけど、どちらかと言うと張朔の方が兄のように思える。……愛紗、分かっていると思うが、己を抑えろよ?)」

 

 

「(…分かっている)」

 

 

 そう言いつつも張朔に対して思う所があるのか、険のある視線を向ける愛紗に壮也の心配は尽きなかった。その傍で長老は座敷の上座に腰かける張朔に礼を尽くしていた。

 

 

「これは張朔様、この様なあばら家にようこそお越し下さいました。何分洛陽の様に栄えておらぬ土地です故、招くに際しても十分な用意も出来ぬので……」

 

 

「ふん、この様な片田舎の県令にされただけでも気分を悪くしておるのだぞ?そもそも礼を尽くすのであれば…分かっておろう?」

 

 

 長老の言葉に耳も貸さず、ふてくされた様な返答をした張朔は次の瞬間、見下すような表情となって何かを催促するように長老に語りかける。何を、と考える事も無いだろう。目の前にいる張朔の様な、心の底から腐り果てているような役人が望む物など、賄賂(・・)以外にあるのだろうか?事もあろうに張朔は自身が統治するべき民草である自分達がいる目の前で、堂々と賄賂をせびったのである。

 

 

「………っ!」

 

 

「(愛紗!)」

 

 

「(分かっている……分かってはいるが!)」

 

 

 その横暴ぶりに堪らず愛紗が立ち上がろうとするのを壮也が諌めて止めるのだが、その壮也自身も張朔のあまりの態度に怒りを抑え込む有様だった。しかしこれに対し長老は飄々とした態度でこれに応えた。

 

 

「さてさて…今をときめく張譲様の弟君であらせられ、この陽県の県令となられる張朔様のお言いつけには従いたいとは思いまするが……張朔様。恐れながらこちらが賄賂を収めたとして、一体それをどうなさるおつもりでしょうか?」

 

 

「何…?」

 

 

「失礼ながら……張朔様は河東郡の長官、そして解県の県令となられていた際に兄君である張譲様に対して賄賂を贈らなかったとか。この老人如きの言葉など耳にするのも億劫かもしれませぬが…もしここで同じ様に財を溜めこみ、兄君に対して賄賂を贈らなかったとしたら、御身が危うくなるのではないのですかな?」

 

 

「む、ムムム……!」

 

 

 この長老の意見に張朔は思わず唸ってしまった。事実張朔はこの時懲りもせずにまた領民達から賄賂をせびり、それをまた貯め込もうと考えていた。当然兄である張譲に対して賄賂を送ろうと考えもしておらず、目の前にいる長老の忠告を聞かなければ十中八九兄は自分を始末する事だろう。長老の言葉は腹が立ったものの、張朔はそう悟らざるを得なかった。

 

 

 しかし…張朔はやはり性根が腐っている男だった。話を聞く限りこの爺は自分に賄賂を渡す積りは無いのだろう。だがこの爺の言う事も至極最もではある。賄賂を貰う事は出来ないにしても金品以外の何かを手に入れたい……そう腹の中で考えていた張朔が周囲に目を向けていた時、礼をしていた黒髪の少女に目が行った。

 

 

 一切の色が混じっておらず、吸い込まれそうな漆黒の色合いをした見事な黒髪……そして顔を下げてこそいるが相当な美貌、そして豊満な体つきを持っている。そう察した張朔は下卑た様な笑みを浮かべると長老に語りかけた。

 

 

「…成程、確かに貴様の言う通りではあるな。この件はここまでとしよう」

 

 

「流石は張朔様、この様な老いぼれの話を聞いて頂き感謝いたしま「それはそうと…」?何でしょうか……?」

 

 

「庭先で礼をしておる者達の中におるあの見事な黒髪を持っておる少女……あれは誰じゃ?」

 

 

「…はっ。あの者はこの村に住む関羽と言う者ですが、それが何か……?」

 

 

「いや何、あれほどの艶やかな黒髪を持っておるのであればさぞ麗しい美貌を持っておるのだろう?その様な娘、是非とも妾として連れて行きたいのだよ?」

 

 

『っ!???』

 

 

 張朔の言葉に愛紗や壮也はおろか、長老の家に集まっていた若者達は言葉を失った。そしてそれは長老も同じであり、先ほどの飄々とした姿はどこかへ掻き消え、動揺を隠しきれずにいた。

 

 

「お、恐れながら張朔様。そ、その儀は何卒……」

 

 

「何だ?県令たる私の頼みが聞けぬというのか?そう言えば……近頃この陽県においても他県と同様余り作物の出来がよくないそうだな?税を納めるのも少しずつ困窮しているとも聞く」

 

 

「…………」

 

 

 張朔の言葉に長老は返す言葉が無かった。そんな長老にさらに追い打ちをかける様に張朔は囁きかけていく……。

 

 

「だが……もしあの娘を私の妾として差し出すのであれば私も鬼ではない。私の貯め込んでいる財貨を兄上に賄賂として送り、納税を見送らせる為の便宜を図るというのも考えてやらんでもない。さて…どうする?」

 

 

「そ、それは……」

 

 

 張朔の言葉は長老にとってはとても魅力的な物だった。しかしその言葉に乗るべきではないかと言う想いと、我が子同然に育ててきた愛紗をどうして差し出せるのかと言う想いの板挟みとなり中々答えられない。そうして漸く絞り出せた答えと言うのは………。

 

 

「……今少し時間を戴きたい。何分事が事です故に」

 

 

 と言う県の有力者たる長老とは思えぬほど気弱な物だった。しかし張朔はそれに気を悪くする事もせず満面の笑みを浮かべながら答えた。

 

 

「うむうむ!まあ無理もあるまいなぁ?よかろう、3日間待ってやる!良い返事を期待しておるぞ?」

 

 

 そう言うと張朔は小躍りしてしまうのではないかと思えるほど喜びを露わにしながら邸宅から出て行った………。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

「ここにいたのか、愛紗」

 

 

「壮也……」

 

 

 その夜、町外れの丘で腰を下ろしている愛紗を見つけた壮也は彼女に呼び掛けるとその隣に座った。暫く二人はそのまま何一つ言葉を発する事が無かったが、やがて愛紗の方から口を開いた。

 

 

「…まだ、紛糾しているのか?」

 

 

「ああ……皆は愛紗を張朔の元へ送るのに大反対している。けれど長老の言う事も最もでさ…おかげでまだ決まってないよ」

 

 

「そうだな……もし私が張朔の元へ嫁がなければ、あの男はこの町にどの様ないちゃもんをつけるか気がしれん。…壮也は、どうしたいんだ?」

 

 

 その問いに壮也は黙っていたが、やがて絞り出すように答えた。

 

 

「俺は……君に行ってほしくない」

 

 

「!!壮也……」

 

 

「俺は君と共に在りたい。君と共に生きていきたいんだ。……だから」

 

 

「……私だって、私だってお前と共に在りたい!けれど、私はお前と同じくらいこの町の人達も大好きなんだ。張朔の要求を拒めば…この町がどうなるか分からない。なら……私はこの町を護る道を選びたい」

 

 

「愛紗…それが、愛紗の答えなのか?」

 

 

 壮也が念を押す様に問いかけると…愛紗は自分をおし殺す様な表情をしながら返答をした。

 

 

「…ああ」

 

 

「そう、か……なら、これを持って行ってくれるか?」

 

 

 そう言って壮也が懐から取り出したもの……それは新緑色の柄と鞘が目を引く『護り刀』だった。そして壮也が鞘から刀を引き抜くと…そこには見事な波紋が浮かんでいる刀身があった。

 

 

「これは……」

 

 

「もしお前が自分の選んだ道を悔やんだのであれば……もしお前が自分の純潔を守りたいと思うのなら、それを使ってくれ」

 

 

 そう言うと壮也は護り刀を鞘に納め、愛紗にその護り刀を手渡す。愛紗はそれを愛おしく胸に押し抱くと、感極まった様に礼を述べた。

 

 

「すまない壮也。……そろそろ戻る。また、会える事を願う。さらばだ」

 

 

 そう言って愛紗は自らの家に戻っていった。しかしこの時、壮也の心にはある決意が生まれていた。

 

 

・・・・・・・・・・・・・

 

 女傑は自らにとって望まぬ婚礼に赴くも、そこで知った事実を受けて、己の信じる信念を貫かんが為の行為に出る。そしてそれによって大斧の勇士もまた咎を被る事を決意するのだが……続きは次回のお楽しみ。




 どうも、拝見いただきありがとうございます。

 次回は壮也が罪人となる場面を入れようと思います。しかしいつごろ投稿できるかは未定です。如何か首を長くして待っていただければ幸いです…。

 では。


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決意と凶行

 どうもふかやんです…。

 何時の間にやらお気に入り件数が100を突破していました…!こんな私の作品をお気に入り登録してくださった読者の皆様には伏して御礼申し上げます。

 まだまだ作品は始まったばかりで展開も遅いとは思いますが、首を長くしてお待ちいただければと思います。では、最新幕をご覧くださいますよう…!


それから時が経ち、期限となる3日目となった日。愛紗は長老たちが集まって会議している長老の屋敷に赴くと、張朔の元へ嫁ぐことを宣言した。当然長老はおろか町の人々らは彼女に翻意を促そうとするのだが……。

 

 

「長老、それに町の皆。皆の言う事も分からない訳ではない。だが…このまま張朔の要求を断ったとなれば、あの男はこの町にどの様な無理難題を吹っ掛けて来るか知れたものではない。……私は、私や兄上を迎えてくれたこの町を、そしてこの町に住む皆を大切に思っている。ならば私は、この町を護る為にこの身を捧げる覚悟だ」

 

 

 …と言って、悲壮な決意を示す愛紗に長老を初めとした人々はとうとう折れざるを得ず、長老は張朔の元に愛紗が嫁ぐ事を人をやって報せる事になる。当然張朔は喜色満面と言うほどの笑みを浮かべ、傍から見ても分かるように喜びを露わにしたのは言うまでもない。

 

・・・・・・・・・・・

 

 月明かりが黒雲で覆われ、星光一つも見る事が出来ない闇夜の中で、壮也は蝋燭の僅かな光を頼りに書状を書いていた。

 

 

「『この様な手紙をお送りする事、お許しください。故あって俺は大切な人を護る為人倫に背く行いをいたします。この手紙が届いたのであればどうか俺と縁をお切りになってください。そうすれば禍根に巻き込まれぬと思いますので。どうかお体を労わってください』……こんな所、かな?」

 

 

 そう呟いて壮也は書状を書き綴っていた筆を置いたが、その書状は『絶縁状』……壮也は自らの両親との縁を切る為の書状を記していたのである。

 

 

「…父上達、怒るだろうな。まあ、覚悟は出来てるけどね……」

 

 

 そう寂しく呟いた壮也は書状を折り畳んで文机の上に置くと、家の中の整理整頓を行い始める。そして家の中の整理が終わると今度は家の傍にある鍛冶場に赴くとそこでも同じように整理整頓を行った。それが終わると壮也は家の傍にある庭に赴くと壁に掛けてあった麻で作られている布袋を手に取った。

 

 

「…こんな形で故郷を飛び出す事になる事になるとは思わなかったな」

 

 

 壮也はそう呟かざるを得なかった。転生と言う形でこの世界に生まれ、そうして今日まで過ごしてきた壮也にとっていつかは訪れる郷土の別離がこの様な形で訪れるとは思いもよらなかった。まして今回の出立は()()()()()()()()()()()()|だ。それが意味するのは、生前に自身が愛読していた『水滸伝』の好漢達の様に『己にとっての譲れぬ信念を以て罪を犯し、咎人として生きる事』に他ならなかった。

 

 

 だが壮也はすでに覚悟を決めている。そして布袋を手にして少しばかり念じると……その途端、布袋は腰に下げても動く事に支障のないくらいに縮んでしまったのである。

 

 

「まさかいくらでも入って重さも変わらないだけじゃなく、念じるだけで大きさを自由自在に変える事も出来るなんて……太上老君殿、貴方には感謝の言葉しか思い浮かびませんよ」

 

 

 そう言って壮也は感嘆のため息をつく。この布袋、実は壮也が転生する時に太上老君が餞別代りと言って壮也に授けた『道具袋』だった。壮也が物心ついた頃にいつしか家の壁に引っ掛けて置いてあったのだが、父親である徐岳らはそれが当然の如くに思い、何の追及もしなかった。恐らく太上老君が元からあったのだと思わせたのだろう……壮也はそう察するのと同時に感心せざるを得なかった。

 

 

 因みにこの道具袋の中は最初こそ何も入っていなかったのだが、壮也が21歳を迎えた現在では、すでに壮也自身が手ずから作り出した数百種類もの武具が満載されていた。壮也が愛用している『鋼廉武断(コウレンブダン)』も壮也自身が作った武具である。

 

 

・・・・・・・・・・・・・

 

 やがて自らの大戦斧を手にした壮也はその足で長老の家を訪れた。二人は屋敷にある卓の上で向かい合って座り、話し始めた。

 

 

「来たか壮也……。その顔を見るに、腹を括ったという事かのぉ?」

 

 

「ええ、その積りで来ました。愛する人を救う為に、国に楯突く事を、咎人になる事を承知の上で」

 

 

「そうか……しかし軽挙に動こうとする愛紗を諌める事の多かったお前が軽挙に動こうとするとはな」

 

 

「……俺も自重するべきだとは思っていたんです。けれど…泣いていたんです。自分達を迎えてくれたこの町の人々を救う為に……けれども望まない相手と結ばれなければならない現実を選んだ事に、愛紗は泣いていた。俺は………あいつの泣く姿を見たくありません。俺の行動が……あいつをまた泣かせるのだとしても」

 

 

 そう言葉を吐き出す壮也の脳裏には、壮也が渡した護り刀を胸に立ち去って行く時、目を潤ませていた愛紗の貌が浮かんでいた。

 

 

「ふぉっふぉっふぉ!確かにお前の行動は褒められたものではないのぉ?じゃが惚れた相手の為に命を賭ける………それはそれで好ましいと儂は思うぞ?それで、儂に何をしてほしいのだ?」

 

 

 長老の問い掛けに対し、壮也は長老の前に出す様に卓上に書状を置いた。

 

 

「これは……徐岳に対しての手紙か。離縁状、と言う奴か?」

 

 

「今回俺がする事は俺自身の我儘による物。父上達が俺と離縁してくだされば追及は俺一人になりますから。それと…役人達が追及をしてきたのであればすでにこの町から放逐したと伝えてください。俺を放逐したと聞いたならば役人達もそれ以上責める事もしないと思いますし『壮也』っ!」

 

 

 だが長老の重厚な言葉をかけてきた事に壮也は言葉を詰まらせる。そして長老は壮也から目を離さぬという感じで見つめながら言葉をかけた。

 

 

「お前が徐岳達やこの町の者達を巻き込まんとし、己一人で罪を被ろうとするその気概は認める。じゃがそれは余計なお世話と言う奴じゃ。儂はお前が物心ついた時からお前を鍛えてきた。儂にとってお前は我が子も同じじゃ……そんなお前に縁を切れと言われて承諾できると思うか?…どのくらい時間が掛かるかは分からぬじゃろうが、いつでもこの町に戻ってくるがよい。ここは……そなたの故郷なのだから」

 

 

「長老……、ありがとうございます」

 

 

 己の我儘で罪を犯し、それによって町の人達にも迷惑がかかるというのに長老はその事を苦にも思わず、むしろ罪を犯そうとする己の心配をしてくれる長老に壮也は感謝の言葉を吐くより他無かった。そうして少しばかり話をした後、壮也は長老の屋敷を後にすると県令である張朔の屋敷に向かって馬を走らせた……。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

 さて、その張朔の屋敷で張朔は幸せの絶頂に浸っていた。賄賂を得る事は出来なかったものの美しい黒髪と凛とした美貌を持った関羽と言う少女を妾として求めてから期限の3日目に彼女が訪れ、妾になる事を承諾したのである。当然張朔は天にも昇るくらいに嬉々としてこれを受け入れ、その夜屋敷では大規模な酒宴が開かれた。そしてそれが終わっても張朔は自室に戻ると関羽に酌をさせて酒の味を楽しみ続けていた…。

 

 

「ふふふ……やはりお前の様な美女を相手にさせての酒の味は格別よな。そうは思わぬか……」

 

 

「………はい」

 

 

「関羽、そう辛そうにするでない。安心しろ、お前が来て妾になるのだから儂も長老と交わした約定を破るつもりもない」

 

 

 関羽の貌が陰っている事に気づいた張朔は自身が交わした約束を破るつもりはないと説明しているのだが……その貌には下心がありありと浮かんでいた。この男はたとえ自分を妾に迎えたとしてもまた陽県の住人に無理難題を仕掛けるのではないか……?関羽にはそう思えてならなかった。そう思っていた愛紗だったが…やがて張朔は自身に向かってある問い掛けをしてきた。

 

 

「そう言えば関羽よ……お前はこの土地の生まれではないそうだが、どこの土地の出なのだ?」

 

 

「……私は、解県で生まれ、そこで育ちました」

 

 

「っ!?そ、そうか…」

 

 

 関羽の言葉に張朔は思わずばつの悪そうな感じになってすぐに発言を控えてしまった。それを見た関羽は以前から胸の内に抱いていた疑問をぶつけてみようと思い、張朔に問いかけ始めた。

 

 

「……私が故郷を離れたのは、解池で商いをする商人達の財貨を狙った賊の襲撃を受け、町を護ろうとして戦った両親が亡くなった為でした。張朔様……貴方は嘗て解県の県令を務めたと聞きます。貴方は…賊の襲撃について、何かを知っていたのでしょうか?」

 

 

「そ、それは……」

 

 

「…別に他意はありません。あの時の事を、少しでも知りたい……それだけなのですから」

 

 

 関羽の言葉を聞いた張朔は一息溜息をついたかと思うと……途端に不機嫌そうな顔つきになって愚痴を零し始めた。

 

 

「……そ、そもそもは兄上が儂に賄賂を要求したのが始まりだったのだ。確かに儂は兄上に賄賂を贈らなかった事で河東郡の太守から解県の県令に左遷され、今またこの陽県の県令にされたのは分かってはいるが…当の兄上は漢の朝廷を掌握している権力者だぞ!?財貨など使い切れぬほどに媚び諂う者達から献上されていよう!?なのに兄上は儂にも賄賂を要求してきたのだ!『お前を太守に任じたのは僕の手回しがあってこそだ。ならば相応の礼をするのは当然だろう?』とほざいてだ!?」

 

 

「だから儂は突っぱねた!『兄上は飽きるほどに財貨を持っていよう!肉親の一人からも賄賂を取らずとも好かろうが!?』とな…そうしたら兄上の奴め、賊共を唆して解県に差し向けてきおったのよ。十や二十ではきかぬほどの大勢をだ!」

 

 

 張朔がその時の事を半ば興奮気味に捲し立てると……関羽は震える声をしながらまた問いかけた。

 

 

「……それほどの賊を差し向けられたというのに、貴方は軍を向かわせてくれなかったのですか?」

 

 

 関羽の言葉に対し、張朔は何と言う事は無い様に軽い口調で返答をしていた。

 

 

「馬鹿を言え?儂と繋がっていた商人達とてかなりの傭兵どもを抱え込んでおったのだ。儂が軍を差し向けずともその程度の賊など蹴散らす事ぐらいできよう?第一民の者達など町を捨ててとっとと避難しておればよかったのだ、故郷を護ろうなどと意気込んで向かわなければ死なずに済んだのではないのか?」

 

 

 ………今、張朔が放った言葉。それがどれほど救い様のない物か、その言葉が己の運命を決定づけるものであったか分かっていたのだろうか?いいや、断じて分かってはいないだろう。

 

 

 張朔の言葉に対し、関羽は俯いたまま何も言わなかったが……やがて唐突に顔をあげると酒瓶を乗せていた盆を持って立ち上がった。

 

 

「………酒が無くなってしまったようです。取りに行ってまいりますので」

 

 

「おおそうか!何ゆっくりといくがよい、待っておるでな」

 

 

 張朔の言葉に関羽は一礼するとそのまま部屋を後にした………。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 厨房に向かって酒を取りに行った帰り……関羽はその途中、庭園にある東屋の卓に酒瓶を乗せた盆を置くと、柱に頭を傾けた。そして……偲び泣き始めた。

 

 

「……っ、うっ、ううう………!」

 

 

 その原因は分かってはいた。先程の張朔の言葉……それが許せないのだという事に。確かに先ほどの張朔の言葉もある意味では正しいのだろう。命が惜しいのならば必要最低限の物を持って町を離れればよかったのだから。だが……関羽の父母は、それを良しとしなかった。

 

 

 ……あの時の事を、関羽は今でも覚えている。賊が街に向かっているという報が街に流れ、多くの人々が着の身着のままに慌てふためいて町を離れようとする中、関羽は両親に事の次第を報せようと家に戻ると、そこでは自身の父母が簡素な鎧を纏っている最中だった。

 

 

「ち、父上……母上……?」

 

 

「おお、愛紗か。……間もなく関定もここに来る事になっている。愛紗、お前は関定と共に町を離れるのだ」

 

 

「っ!?だ、駄目です!幾ら父上達が昔名の知れた武芸者だからと言って荒くれ者ぞろいの賊を相手に持つとは思えません!……町は壊れても直す事は出来ましょう?ですが命は、亡くなったらそれまでなのです!父上、母上。一緒に逃げましょう………!命さえあれば、まだ……!?」

 

 

 しかし関羽の言葉は自身の母親が自身を抱きしめる事で中断された。そうして母親は関羽の頭を撫でながら優しく語りかけた。

 

 

「……ええ、貴方の言うとおりでしょうね愛紗。今の私達に出来る事などないのかもしれない。一緒に逃げる事が賢い事なのかもしれない……けれどね。私達にとってこの町は故郷と言うだけじゃない、貴方と言う掛け替えのない娘である貴方と過ごしてきた日々が、この町には刻まれている。確かに町を焼かれたとしても命があれば立て直せるかもしれない。けれど思い出は壊れてしまったら二度と直す事は出来ないの………愚かなのかもしれない、馬鹿な事かもしれない。でも……私達はこの町を護る為に残る積りよ」

 

 

 母親はそう言いながら愛紗の頭を撫で続けていると、家の扉が開かれ、黒のミドルヘアーの青年が入ってきた。

 

 

「叔父上、叔母上!関定が参りました!!ご無事ですか!?」

 

 

「……来たか。関定!愛紗を連れて行ってくれ!ここは間もなく戦禍に包まれる…早く行くがいい!!」

 

 

「は、はい!愛紗、行くぞ!!」

 

 

 関羽の父親の言葉に鑑定は頷くと関羽を抱きかかえて外に出ようとする。それに対し関羽は必死に抵抗をしようとするのだが幼い少女の身では年上である関定の腕から逃れる事は出来ず……ただ父と母に手を伸ばす事しか出来なかった。

 

 

「兄上、待って……!?父上…母上ぇ――――――――!!!!」

 

 

「……愛紗、貴方だけは元気で」

 

 

 関定に抱きかかえられて外に連れて行かれ、彼が乗ってきた馬に乗せられて町から離れようとしたが最後に見たのは……自身に対して微笑みを浮かべながら戦場に向かおうとする両親の姿だった。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 あの後……解県の町から離れた場所にある村に避難してきた愛紗達らはそこで一夜を過ごした後、賊の集団が商人たちが抱え込んでいる傭兵達によって何とか蹴散らされた事を聞かされた為故郷に戻る事になったのだが、そこで関羽らが見たのは……賊達と傭兵達による戦闘によって滅茶苦茶になった解県の街並み。そして関羽はその戦場跡に転がっている屍の山の中で、命を落とした自身の父親が同じく命を落とした母親を護る様に上から覆いかぶさっているのを見つけたのである……。

 

 

 二人は……恐らく傭兵達と共に、自分達にとっての掛け替えのない『思い出』が籠ったこの町を護ろうと戦った。そして最後の時まで決して諦める事無く戦い、命を落としたのだろう。命を落とすと分かっていても…この町を護ろうと戦い抜いて命を落とした両親を、関羽は誰よりも誇らしく思った。誰よりも……。

 

 

 「(だが張朔は、あの男は……そんな二人の在り方を侮辱した!!命を落とすのだと分かっていても、故郷を護ろうと戦い、死んだ二人の信念を穢したんだ!!)」

 

 

 そう思うようになると、関羽の心中は憤りで覆い尽くされようとしていた。自重をせねばならない、軽挙はしてはならないと己に語りかけている≪もう一人の自分≫がいる事を関羽は察していた。だが察していても……関羽は己を止める事が出来なかった。自身の両親の事を侮辱したあの男だけは、絶対に許す事は出来ないと。そう思った関羽の脳裏には余所者であったにも拘らず自分達を迎え入れてくれた陽県の人々、そして……自分にとって掛け替えのない、初めて恋慕の情を持つようになっていた幼馴染の姿が脳裏に浮かんでおり暫し関羽は瞑目していたのだが……。

 

 

「…………済まない、壮也」

 

 

 そう呟いた関羽は、再び酒瓶を乗せた盆を持って屋敷の離れに作られた張朔の自室に向かって行った。

 

 

「遅くなりました、張朔様……」

 

 

「おお戻ったか?随分と遅かったようだが……如何した?」

 

 

「……申し訳ありません。来たばかりでこの屋敷の事が分からなかったので」

 

 

「ふむそうか!何、気にしてはおらんぞ?さあ酌をしてくれい!」

 

 

 そうして再び飲酒を楽しみ続けた張朔だったが……やがて酒瓶が空になった頃。

 

 

「ふうー……流石に呑み過ぎたな。そろそろ寝るとしよう」

 

 

 そう言って張朔は横になろうと寝室に向かおうとしたところで……関羽は声をかけた。

 

 

「張朔様、少し宜しいでしょうか……?」

 

 

「むっ?関羽よ、一体何の……っ!?」

 

 

 そうして関羽の方に振り向いた張朔の表情は驚愕に染め上げられていた。その視線の先では……立ち上がった関羽が懐から取り出した、壮也から渡された新緑色の柄の『護り刀』が鞘から抜き放たれ、鈍色に光り輝く刀身が張朔目掛けて襲い掛かっていたのである。

 

 

 だがその狙いは外れてしまった。痛飲して酔っぱらっていた張朔が思わずよろけてしまった事で、首を薙ごうと刃を振るった関羽の一撃は、張朔の胸元を軽く斬り付けただけに留まってしまったのである。その胸元からは僅かながらに鮮血が滲み出してくる……。

 

 

「っ!?か、関羽!い、一体何のつもりだ!?」

 

 

 張朔は浅く切り裂かれた胸元を抑えながら自身に対してこの様な凶行に及んできた関羽を詰問すると……関羽は顔を俯かせながらポツリポツリと語り始めた。

 

 

「……私にとって、死んだ両親は誰よりも立派だった。勝ち目などなく、残れば命を落とす事もあり得ていたのに、大切な故郷を護ろうとして戦いぬいて、そして死んだ。戦いに赴こうとする二人の姿を……私は今も忘れる事が無い」

 

 

 そう、淡々と語り続けた関羽はやがて貌をあげると……その瞳には憤怒の色が強く、ありありと宿っていた。

 

 

「だが張朔。貴方は……いや、お前はあの時県令と言う地位にあり、賊の襲撃に対し県の部隊を派遣する事も出来たというのにそれをしなかっただけではなく……私の両親の信念を侮辱した!!死ぬと分かっていようと、故郷を護ろうと死地に赴き、最後の時まで戦い抜いた二人を貶したのだ!!私は……両親を敬愛する一人の娘として、お前を許す事は出来ない。…覚悟しろ!!!」

 

 

 そう言い放つと関羽は手にした護り刀を張朔に突き付けると再び斬り懸かった。

 

 

「ひ、ひい!?だ、誰か!出会え出会ええええええ!?」

 

 

 張朔は己に迫りくる凶刃に対し、体を動かしてこれを躱しながら部下を呼び出そうと声を張り上げるのだが……この直後、自身の失態を悟らざるを得なかった。何故なら先ほど関羽を妾に迎えた事により部下たちを集めて大規模な酒宴を行った。これにより殆どの部下が酔い潰れて自室に戻って眠りについていた。

 

 

 また張朔の自室は大屋敷から離れた場所に造られており、多少の物音を出したとしても大屋敷には届かないばかりか関羽との時間を過ごしたかった張朔は見回りをする者達に『自室には近づくでないぞ』と命令を下していたのである。つまり……今張朔は完全に追い詰められている状況下にあった。ただ自身の後ろには外に出る唯一の出入り口へと通じており、張朔が関羽に背を向けて遮二無二外に出ればまだ活路はあったのだが……賄賂の事しか頭にない張朔にはその様な覚悟は持ち合わせていないばかりか、生憎痛飲して泥酔気分になっていた為足腰はフラフラであり、追いつかれる可能性は容易にあり得た。

 

 

 一方の関羽も焦りを隠しきれなかった。自身の行動が軽挙である事を嫌と言うほど察している彼女は一刻も早く張朔を始末する必要性を強く感じ取っていたのである。『このまま張朔を逃がせば陽県の人々に迷惑がかかる。何としても誰にも悟られる事なく討ち取らなければ……!!』そう思い関羽は手にしている護り刀を強く握りしめて駆け寄ろうとしたのだが………。

 

 

ーバンッ!!

 

 

 突如として外へと通じる扉が開け放たれた音が響いたかと思うと、部屋の中に槍を持ち、兜を深めに被っている所為か顔を伺う事は出来ない、黒を基調にした衛兵の甲冑を纏った若者(・・)が入ってきたのである。

 

 

「お、おおっ!?み、見回りの者か!?た、助かった……ろ、狼藉者ぞ!討ち取れい!!」

 

 

 張朔は突然背後から現れた闖入者に面食らいながらもそれが自身の部下だろうと気付くと安堵し……それと同時に関羽を討つように命じる。これに対し関羽は己の行動が失敗に終わった事を悟らざるを得なかった。

 

 

「…軽挙をした報いが来たという事か。父上や母上の最期を貶した張朔を討てずに死ぬのは無念だが、他者の手で討たれる積りは無い…!私の最期、見届けるがいい!!」

 

 

 そう言い放った関羽は手にしていた護り刀を自身の喉に向け、そうして叫びながら貫こうと力を籠めようとして……『ふがっ!?』と言う悲鳴と共に張朔が壁に弾き飛ばされた直後、自身の前にいた衛兵が関羽が持っていた護り刀の刀身を握り締め、これを止めていたのである。

 

 

 衛兵が刀身を握り締めた事でその掌から鮮血が滲み出し、床に赤の斑点を作っていくのを関羽は茫然と見ていたが……やがてその耳に聞き覚えのある声が響いてきた。

 

 

「……簡単に死を選ばないでくれ。君は、人々を護る英雄になるんだろう?」

 

 

「えっ……?」

 

 

 その時、目の前に立ち、護り刀の刀身を握り締めて止めた衛兵の若者の口から放たれた言葉に、関羽は思わず呆けたような声を出していた。何故ならその声は……今この場にいる訳がない、聞き覚えのある相手の声だったから。そうすると呆けている関羽の前でその衛兵は槍を捨てると、自由になった片方の手で深めに被っていた兜をずり落とす。そうして現れたのは………。

 

 

ーズル…ガチャンッ

 

 

「……ごめん、待たせちゃったか?愛紗」

 

 

「そ、壮也……?」

 

 自分にとって誰よりも心を通わせた幼馴染であり、背中を預け合った戦友。徐来芳明……壮也本人だったのである。

 

 

・・・・・・・・・・・・

 

 再会を果たした壮也と愛紗。しかし壮也は愛する人を護る為、自らが罪を被る事を決めていた。それに対し愛紗はその行動を止めようとするのだが……続きは次回のお楽しみ。




 如何だったでしょうか?とりあえず今回の投稿が今年最後になると思います。

 来年からですが…仕事の都合で出張になるかもしれないとの事であり、更新が遅れるかもしれません。読者の皆様にはご迷惑をおかけするかもしれないという事をここで報告させていただきます…。

 それでは、失礼いたします…!


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別離

 本当に、申し訳ありません…!!仕事などで時間が取れず更新が大幅に遅れてしまいました。この場を借りてお詫び申し上げます…。そして今回の最新幕では私自身のこう書きたいと思った展開になると思います。

 
 なのでこう言う展開が好きではないという方は読んで下さらなくても結構ですので…。では、ようやく完成した最新幕をご覧ください…。

4/19 一部誤りがあったので修正しました…。


 時間は愛紗が酒を厨房から取りに行き、張朔が待つ自室に戻って行った頃に遡る。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

「痛てて……頭が痛くてしょうがないぜ。よりによってこんな時に見回りをする事になるなんてなぁ」

 

 

 そう愚痴を零すのは張朔の屋敷の警護を任じられている衛兵の一人だ。彼はこの日愛紗を妾に迎えられた事で喜びを露わにした張朔が開いた酒宴に参加していた。しかしそれが終わった後に誰が見回りをするかで数十人いる衛兵たちの間で揉めに揉めた末、くじ引きをした結果この兵士を含めた数人が不本意にも選ばれてしまい、残りの衛兵達はそのまま自室で鼾を掻きながら夢の中へ旅立ってしまったのである。

 

 

「ったく……あいつ絶対に細工か何かしてやがったなぁ?明日文句を言ってやる。それにしても…本当に綺麗だったよなぁ、あの関羽って奴」

 

 

 そう零した衛兵の脳裏には髪を下ろし、上質の絹を使って作られた衣装を纏った関羽の姿が浮かんでいた。

 

 

「張朔様が羨ましいにも程があるぜ……もう戻るか。こんな夜更けに、しかも県令の屋敷なんぞに忍び込むなんて鼠か猫ぐらいしか……」

 

 

 そう言って衛兵が詰め部屋に戻ろうと振り返ろうと………した途端、何やら違和感の様な物を感じて立ち止まった。

 

 

「…………?」

 

 

 そして衛兵が周囲を見回していると……彼がいる場所の近くは庭園となっており、その中の庭木の一つが風もないのに葉が揺れ動いているのである。しかもその動きは少し動いたかと思えば止まり、また動くというまるでこちらを誘っているかのような動きを見せていた。

 

 

「…………」

 

 

 これを見た衛兵は気を引き締めると槍を構え、少しずつその庭木に近づいた。そしてその庭木に槍を突き入れようとした瞬間……。

 

 

ーガサっ!ドフッ!!

 

 

「っ!?ぐぼっ……!」

 

 

 突然庭木の中から拳が飛び出して彼の腹に突き刺さり、衛兵はそのまま意識を失ってしまう。そうして前のめりに斃れようとするその体をその庭木の中から出て来た手が受け止めるとそのまま庭木の中に引きずり込んだ。それから暫くして……。

 

 

ーガサっ

 

 

「…………」

 

 

 その衛兵は何事も無かったかのように出て来た。だが、先ほどとはうって変わって言葉を発する事もなく、周囲をくまなく見回したかと思うとそのまま滑る様にして屋敷の方に向かった。

 

 

・・・・・・・・・・・・・

 

「ぐおおお……んがあああ……」

 

 

 衛兵の詰所では見回りとして詰めていたもう一人の衛兵がいたのだが……よほど痛飲をしたのかすっかり眠りについていた。

 

 

「…………」

 

 

 そこに先程の衛兵が戻ってきたのだが、相方の衛兵が眠りについてるのを見て一息ついたかと思うとその衛兵に毛布をかぶせ、部屋を後にした。そうしてその衛兵は屋敷中を歩き回った末に、張朔の自室がある離れに向かっていたのだが……。

 

 

「おい、そこで何をしている?」

 

 

 その離れまであと少し、と言う所で後ろから声を掛けられた衛兵が顔を向けると………そこには衛兵が纏っている鎧よりも上質の甲冑を纏っている、如何にも上官と言うべき雰囲気を纏った男性が二人立っていたのである。恐らく張朔が私的に雇っている護衛なのだろう……。

 

 

「えっと………見回りって奴ですよ」

 

 

「ふむ、確かに衛兵達が見回りの順番の事で騒いでいたのは覚えているが……」

 

 

「だがこの先は張朔様が誰も近づけてはならぬと厳命されている。何故近づこうとした?」

 

 

 護衛の一人が記憶を探る様に呟く傍ら、もう一人の衛兵が厳しい口調でその衛兵を問い詰め始めた。

 

 

「……張朔様が妾に迎えたって言う関羽って女の尊顔、もう一度拝したかったんですよ。別に顔を見るぐらい罰は当たらないでしょう?」

 

 

 衛兵が照れくさそうに呟くと……護衛の二人は互いに顔を見合わせて、納得したような表情になって頷き合った。

 

 

「成程な……確かにあれは天女と見まごうばかりの美人だったからな。顔を覗き見たいと思うのも無理らしからぬと言う奴か」

 

 

「……良くわかった。だが一応決まりなのでな、合言葉を言ってもらう。『張譲』」

 

 

「『趙忠』」

 

 

 護衛の一人が十常侍の長であり劉宏から『我が父』と呼ばれている張譲の名を出した為、衛兵は同じく十常侍の一人で劉宏からは『我が母』と呼ばれている趙忠の名を出した。するとその護衛も安堵した様な表情を浮かべながら微笑んだ。

 

 

「……よし、衛兵の一人に間違いなさそうだ。一目見たらすぐに戻れよ」

 

 

「ありがとうございます!」

 

 

 そう言うと護衛の二人はその場を後にしようと衛兵に背を向け、自分達がいた部屋でまた晩酌の続きでも……と思っていたのだが、護衛の一人はどうにも腑に落ちなかった。

 

 

「(……おかしい、何か気にかかる)おい、ちょっと待(ザクッ)っ……!?」

 

 

 だがその問いかけは口から放たれる事は無かった。何故なら先ほど別れたはずの衛兵が何時の間にやら自分達の間に滑り込んでおり、両手の掌を自分達の喉元に当てたと思った瞬間、何か鋭い刃と思われる物によって喉元を貫かれたのだから。そしてその衛兵が自分達の喉を貫いた直後、そのまま力任せに地面に叩き付けられたと思ったのを最後に、その護衛は永遠の眠りについた……。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・

 

 喉元を貫かれて事切れた二人の護衛の亡骸……それを見て衛兵は首元に手を当てて生死を確認し、二人が死んでいる事を確認すると近くの厩舎に山積みされていた藁束の山の中に、二人の亡骸を投げ入れた。

 

 

「(……すまないな。下手に騒がれると拙いんだ、恨むなら追求しようとした自分達を恨んでくれ)」

 

 

 そう、この衛兵こそ壮也本人だった。彼は先ごろに張朔の屋敷にたどり着くとそのまま塀を登って屋敷内に忍び込むと庭園の中に植えられている庭木の中に潜り込んで音をだし、それに気づいた衛兵を気絶させてその鎧などを奪い、衛兵に変装していたのである。

 

 

「(けれど……まさか『アサシンブレード』も作れるとは思わなかった。確かにいろんな武器を作れるようになりたいとは言ったけれどなぁ…)」

 

 

 そう零しながら壮也は自らの両手に装備している革で作られた籠手……飛び出し式の小型の剣が篭手の内側の鞘に収納されている構造を持つ、壮也が自身に与えられた特典の一つである『あらゆる武具を作り出す技能』と言う能力がどれほどの物かを試す為に腕を振るった結果に生み出された、この世界には存在しない『アサシンブレード』を見ながら困惑をしていたが……やがて気を取り直すと張朔がいる離れに向かって行った。そして壮也は離れの前に到着した……。

 

 

「(…ここにいるのか愛紗?とにかく中に入らない事には……)【ガチャンッ!】っ!?」

 

 

 その時、離れの中から物を壊すような音が響き、同時に男女の喧騒の声が聞こえてきた。この為壮也は槍を手に離れの扉を開け放ち、中に踏み込んで行くと…。

 

 

「お、おおっ!?み、見回りの者か!?た、助かった……ろ、狼藉者ぞ!討ち取れい!!」

 

 

 上質の絹を使ったゆったりとした感じの服装を纏ったほっそりとした長身に紺色のおかっぱ風の髪型、そして神経質さを感じさせる痩せこけた顔立ちの男。即ち張朔が胸元を斬られたのか掌で抑えながら必死に立ち上がろうとするも酔っているのかなかなか立ち上がる事が出来ない姿と……。

 

 

「…軽挙をした報いが来たという事か。父上や母上の最期を貶した張朔を討てずに死ぬのは無念だが、他者の手で討たれる積りは無い……!私の最期、見届けるがいい!!」

 

 張朔の前で護り刀を手に突き殺そうと構えている少女……自身にとって掛け替えのない人と言える関羽…愛紗の姿があったのである。しかし愛紗は自身を張朔を助けに来た衛兵であると思ったのか、手にした護り刀を喉元に向けるとそのまま自身の喉を貫こうとしたのである。これを見て壮也は即座に動いていた。まず……。

 

 

ーどんっ!

 

 

「ふがっ!?」

 

 

 自身の後ろに隠れようとしていた張朔を壁に突き飛ばし、その直後に自身の喉を貫こうとしていた関羽に近づき、彼女が手にしていた護り刀の刀身を握り締めてその動きを止めた……!

 

 

「……簡単に死を選ばないでくれ。君は、人々を護る英雄になるんだろう?」

 

 

「えっ……?」

 

 

 壮也が彼女を安心させようと声をかけるも愛紗は呆けたような声を出した。それに壮也は苦笑せざるを得なかった。何せ顔を見せていなかったのだから…そう思い、手にしていた槍を投げ捨てると空いた手で被っていた兜を取り捨てる。

 

 

「……ごめん、待たせちゃったか?愛紗」

 

 

「そ、壮也…?」

 

 

 こうして、二人は再会を果たしたのである……。

 

 

・・・・・・・・・・・・

 

「そ、壮也……。どうしてここに?」

 

 

「それは……っ!ふんっ!」

 

 

 愛紗がどうして壮也がここにいるのかを問いかけ、壮也がそれに応えようとすると……突然壮也は徐に足元に落としていた槍を手に取ると、そのまま振り返りながら投げ付けた。放たれた槍は……。

 

 

ーどすっ!

 

 

「ひっ、ひぎいいいいいっ!?」

 

 

 開け放たれた扉から外へと逃げようとしていた張朔の左手の甲を貫いて見せた。途端に張朔は豚の様な悲鳴を上げ、必死にもがきながら逃れようとしていた……。

 

 

「逃げられるとは、思わない事だ」

 

 

「ひ、ひいい……っ!?」

 

 

 それに対し壮也が冷徹さを宿した声で張朔を脅しつけ、張朔もその声に肝を冷やした。そうして壮也は愛紗の方に振り返ると、安心させようと声をかけた。

 

 

「……君を助けに来た、それじゃダメかな?って、ありきたりすぎるか……」

 

 

「……っ!あ、当たり前だ!分かっているのか……!?県令の屋敷に忍び込むだけにあきたらずこの狼藉…。これでは、私は何の為にこの身を賭したのか!」

 

 

「けれど、愛紗も軽挙をしてただろう?最も……そうさせたのは、張朔だろうけどな」

 

 

 そう言って壮也は槍が手を貫いて壁に突き立ち、それを抜こうと必死になっている張朔に近づいた。張朔は自身に近づいてきた壮也を見て途端に震え上がると、必死に命乞いをし始めた。

 

 

「ひ、ひいいっ!?ま、待て!か、金ならば幾らでもある!好きなだけ持って行っても構わん!だ、だから見逃してくれ!?頼む!!」

 

 

「……金が欲しい訳じゃない」

 

 

「な、ならば仕官か!?わ、分かった!将軍としての地位を用意させる!だから……!」

 

 

「地位が欲しい訳でもない」

 

 

「……っ!わ、分かった!!そこの娘は解放するしこの地の民にも無体をしないと誓う!!だから頼む……こ、殺さないでくれええええ!???」

 

 

 必死に命乞いをする張朔を暫し冷徹さを込めた視線で見続けていたが、やがて彼に問いかけをし始めた。

 

 

「一つ聞きたい。何故関羽はお前に斬り懸かった?お前が何かした心当たりがあるんじゃないのか?」

 

 

「な、何をしたかだと!?……か、関羽の両親が死んだ時に儂が県令であったが軍を送らなかった事を話したり、関羽が軍を送らなかった事を問われて返答をした位だ!?『第一民の者達など町を捨ててとっとと避難しておればよかったのだ、故郷を護ろうなどと意気込んで向かわなければ死なずに済んだのではないのか?』と話したが……そ、それだけだ!!」

 

 

張朔がそう捲し立てるのを聞き終わり、壮也は深い溜息を一回した。そして……。

 

 

「そうか……それなら合点がいったよ。お前は斬り懸かられて当然の事をしたんだからな」

 

 

 そう呟いて壮也は腰に下げている布袋に手を突っ込むと、その中から自身が愛用しているのとは別の、装飾が施されていない鋭利で長大な刃を持った長柄の戦斧を取り出したのである。それはどう見てもその袋の物量関係を無視しているとしか言いようのないほどの得物だった。そして壮也は取り出したその戦斧の切っ先を張朔に向けた。

 

 

「ひっ……!?」

 

 

「そ、壮也……!?」

 

 

 その行動に張朔は顔をひきつらせ、愛紗は壮也の行動に戸惑いを隠せなかった。やがて壮也は静かな怒りを込めながら語りだした。

 

 

「……お前は、龍と言う生き物を知っているよな?そして龍の体には、逆鱗っていう鱗がある。本来龍は人を乗せて飛ぶ位温厚な一面を持つ生き物だ。けれどその鱗に触れれば最後、その相手を食い殺すらしい。人にもな……そうした触れちゃいけない逆鱗があるんだ。それに触れるって事は、その相手に殺されたって、文句は言えないんだよ……!!」

 

 

「ひ、ひいいいいっ!?ま、待て……!?」

 

 

 張朔は目の前に立つ青年、壮也が自身を殺そうとしている事を感じ取り、必死に命乞いをし始めるも……。

 

 

「恨むのなら………誰かの心を傷つける言葉を口走った、自分を恨む事だ。安心しろ………痛みを感じさせずに、殺してやる!!」

 

 

 そう言い放った壮也が上段に構えた大戦斧の鋭利な刃が張朔の頭蓋目掛けて振り下ろされていった…。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 愛紗は目の前で起こった出来事---自身にとっての幼馴染であった徐来、壮也が自身の両親を貶した張朔を腰から下げていた布袋から取り出した、彼が愛用している大戦斧とは別の戦斧を以て、彼を一刀両断した---に何の反応も出来なかった。

 

 

 だがやがて、壮也は張朔が真っ二つに両断されて鮮血が床を染めていくのを見ながら戦斧を振るって血糊を払い、近くにあった仕切りの為の幕布を無造作に引き千切って刀身を拭いて布袋に収めると、呆然としたまま突っ立っていた愛紗に近づいて……彼女を優しく抱きしめた。

 

 

「あっ……」

 

 

「…辛かったよな、愛紗。自分の父上や、母上の事を貶されて……だからこそ、我慢ならなかったんだよな。本当は……自分の手で、仇を討ちたかったんだろう?それを横取りした事は、謝らせてくれ。そして…無事でよかった」

 

 

 そう言って、壮也は愛紗の頭を撫で始めた。それは親が子供に対してするような動作であり、普段であればいい歳を迎えている愛紗にとって不快な出来事だったかもしれない。だが……今の愛紗には、そうされる事が嬉しかった。

 

 

「……っ、壮也、壮也ぁ……!」

 

 

 そうして……愛紗は壮也の胸の中で泣き出した。それに対し、壮也も愛紗の頭を、彼女が泣き止むその時まで撫で続けた。

 

 

・・・・・・・・・・・・・

 

 そして暫く泣き続けていた愛紗であったが、やがてひとしきり泣き終えたのか壮也から離れた。

 

 

「はは……しかし、これでお互いにお尋ね者になってしまうな。十常侍の頭目である張譲の親族を殺めてしまったんだから。だが、私は恐れようも無い。お前が傍にいるのだから」

 

 

 愛紗はそう言いながら涙を拭ったのだが…壮也の口から放たれた言葉に、思わず耳を疑った。

 

 

「……いや。罪を被るのは、俺一人で十分だ」

 

 

「え…?」

 

 

 その言葉に耳を疑い、固まってしまった愛紗に、壮也は再び近づいた。そして愛紗が持っている護り刀を、それを持つ手ごと握り締めると…そのまま自身の額を袈裟切りに切り裂いた。

 

 

「っ!?そ、壮也何を!?」

 

 

 愛紗は切り裂いた額から溢れ出る血を拭おうとしない壮也に対し混乱を隠せなかったが……壮也は愛紗に対してさらに言い放った。

 

 

「愛紗、俺はこの後騒ぎを起こす。俺はそれに気づいた衛兵達を蹴散らして姿を消す。その後に……愛紗はこう言うんだ。『自分が酒を持って戻って来た時、張朔様は戦斧を持っていた男に殺されていた。自分にも襲いかかったが護り刀で額を切り裂いて難を逃れた』ってな」

 

 

「……な、に?」

 

 

 愛紗は壮也の言っている言葉の意味が分からなかった。しかし壮也は構わず話し続ける。

 

 

「うまくいけば、罪を被るのは俺一人になる筈だ。だから君は『ふざけるな!!』……愛紗」

 

 

 愛紗の叫び声が響いた直後、彼女は壮也の胸元を叩き始めた。

 

 

「私に……お前に罪を被せるように言えと言うのか!?その様な不義をして逃れたいと、お前は私の事をそう思っているのか!?」

 

 

 そう吼えながら愛紗は壮也の胸を叩き続けていたが………やがてその勢いが弱まっていき、その声もか細い、悲しみを込めたものになっていった。

 

 

「やめろ……やめてくれ、壮也。罪を被るのなら……私も同じように被る!自分だけ罪を被る様な事を、しないでくれ……!お願いだ……私を置いて、遠くに行かないで。壮也ぁ……」

 

 

 そう懇願しだした愛紗の瞳からは、とめどなく涙が流れ続けているのに壮也は気づいていた。そしてとうとう胸元に顔を埋めて動きを止めた愛紗を、壮也は再び力強く抱きしめた。

 

 

「……っ、壮也?」

 

 

「愛紗……君の気持はとても嬉しく思う。けど君は…力無き人々を救う『英雄』になるんだろう?俺は出来得るなら、君にはお尋ね者にならないで欲しいんだ。今まで賊を倒してきて、今また人を殺めてきた俺が言うのも間違いだろうけど、君には綺麗なままで、英雄になってほしいと思ってる」

 

 

 壮也は生前において三国志の小説などを読んでいたからこそ分かっていた。今回の出来事で関羽は幽州に逃れ、そこで劉備と出会い、義兄弟の契りを結ぶのだろう。だが壮也は、愛紗にそんな道を歩んでほしいとは思わなかった。だからこそ……自分が罪を被ろうと決意したのである。自分勝手かもしれない……けど、それでも。

 

 

「愛紗……俺は、君を愛している。愛しているからこそ…君には咎人になって欲しくないんだ。偽善かもしれないし、独善かも知れない。けれど、これが俺の偽らざる本心だ。………すまない」

 

 

 そう言った直後、壮也は彼女の腹に拳を突き立てた。

 

 

「っ!?そう、や……」

 

 

 愛紗は不意を突かれる形で一撃を貰った事で意識が失われようとする中、愛する人の名を漏らしながら手を伸ばそうとして…そのまま昏倒した。そして崩れ落ちようとする彼女の体を壮也は抱きとめ、床に寝かせた。

 

 

「愛紗、君だけは……幸せになってくれ」

 

 

 壮也はそう呟くと意識を失った愛紗の額に口づけをすると……徐に立ち上がり、手にした戦斧で壁を……破壊した。

 

 

ードゴオオンっ!!

 

 

『な、何だっ!?』

 

 

『張朔様の部屋からだぞ!?』

 

 

 破壊した時に起こった轟音に、屋敷中が騒然となる。間もなくここに衛兵達が押し寄せて来る事だろう。そう察しつつ、壮也は一瞬だけ愛紗の方を振り向いて……。

 

 

「……さよなら」

 

 

 そう呟いてそのまま破壊した壁から外に飛び出す。そこにはすでに大勢の衛兵が槍の穂先をこちらに向けて構えていた。

 

 

「貴様何者だ!ここをどこだと思っている!」

 

 

「…陽県の県令たる張朔殿の屋敷、そうだろう?」

 

 

「わ、分かっていて貴様は『ちょ、張朔様!?』何っ!?」

 

 

 衛兵の驚愕に満ちた声が耳に入る。どうやら部屋に入った衛兵が惨状を見たのであろう。

 

 

「き、貴様……自分が何をしたか分かって『分かっているとも』っ!?」

 

 

 衛兵の問い掛けに、壮也は迷いなく答え始めた。

 

 

「俺は……俺が正しいと思う事をした。それはお前達から見れば独善であり、偽善なのだろう。だが…俺は後悔はしていない。さあ衛兵共、俺は今より逃げさせてもらう。だが……俺の前を阻んだり、後を追うのであれば命を捨てる積りで来るがいい。今の俺に、情けは無いと知れ…徐来芳明、参る!!」

 

 

 そう言い放ち、壮也は戦斧を構えると………猛然と衛兵達に向かって駆け出して行った。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 やがて……愛紗が目を覚ました時、全ては終わった後だった。部屋には衛兵達が代わる代わる出入りして現場状況を調べており、張朔の亡骸はすでに運ばれていた。そして愛紗にも追求の手が伸び、屋敷の一室で事情聴取が行われたのだが…。

 

 

「関羽についてだが……これ以上の追及は難しいんじゃないのか?」

 

 

「何故だ!?あの場にいたのは張朔様以外ではこの者だけ。ならばこの者とて怪しいのだぞ!?」

 

 

「しかし事前に持ち物を調べたが持っていたのは護り刀一振りだけ……張朔様の亡骸は徐来芳明が持っていた戦斧によって両断されていたのだぞ?護り刀で頭蓋から両断できるとは思えぬし……刀身が血塗れになっていたのも徐来の額を切り裂いたからだと思うぞ?」

 

 

「だが関羽は徐来と友誼を交わしていたそうではないか!?ならば関係が無い訳では……」

 

 

「もしそうなら自分も関係していると言うだろうが。だが今の関羽を見ろ、俯いたままで何も言わぬではないか?」

 

 

 そう言って衛兵が屋敷にある牢屋に入っている関羽の方を見ると、確かに関羽は俯いたまま何も言葉を発しようとしていなかった。

 

 

「……そう、だな。致し方ないか…関雲長、お前を解放させてもらう」

 

 

 こうして関羽は牢から出され、屋敷から追い出されるようにして放逐されたのである。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 そして……愛紗は陽県の町に向かって歩き出したが、その足取りはおぼつかないとしか言えなかった。終始俯いたまま黙々と歩いていたが……。

 

 

ーガッ

 

 

「……っ!?」

 

 足元にあった石に躓いて前のめりにあって転んでしまったのである。しかし、愛紗はその状態から起き上がろうとしなかった。

 

 

「……うっ、うっ」

 

 

 愛紗は……咽び泣いていた。衛兵達から事情を聞かされていた時、『自身も張朔を殺そうとしていた』……そう言おうとしたのに何故か、ただ石像の様に押し黙っている事しか出来なかったのである。

 

 

「(私は……何て、弱いんだ。自分も同罪なのだと言えば済むだけだったのに、罪を被る事が怖くて言えなかった。壮也にだけ、罪を被せてしまった。私は、私は……!!)………うああ、うわあああああああああああああ!!!!!」

 

 

 そして愛紗は泣き始めた。自分に覚悟が無かった為に、大切な人だった壮也1人に罪を被せてしまった事に。闇夜の中、彼女の嗚咽の音が響いていた……。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 そして、司隷と并州の州境。暁の光が照らしだそうとしている中、ここに自身の愛馬である黒風(ヘイフォン)に騎乗し、自身が愛用している大戦斧である『鋼廉武断(コウレンブダン)』を手にした徐来……壮也の姿があった。

 

 

「さて、行くか……黒風(ヘイフォン)?」

 

 

 ふと壮也が気付くと、黒風(ヘイフォン)が首をこちらに向けて気遣う様な視線を向けてきていた。

 

 

「……大丈夫だよ、覚悟はとうに決めていたからな。それに……愛紗とはまた会える気がするんだよ。生きていれば、いつかさ」

 

 

 そう呟きながら黒風(ヘイフォン)の頭を撫でていたが……後方から近付く馬蹄の音に手を止めた。間違いなく自身に対しての追手だろう。

 

 

「じゃあ、行こう黒風(ヘイフォン)。まだ見ぬ天地、まだ見ぬ世界へ向かって!」

 

 

 そう力強く言い放った壮也が手綱を強く打つと、黒風(ヘイフォン)も力強く嘶き、そのまま駆けだしたのである。

 

 

 それから間もなく、大陸中に手配書がばら撒かれる事になる。『この者、十常寺の一人たる張譲の親族を殺めたる大罪人なり。この者を捕えし者には千金を与える物なり。咎人の名は徐来芳明』……と。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 かくて壮也は咎人となる。それに対し黒髪の女傑は嘆き悲しむも意を決して前に進まんとし、獅子身中の虫たりうる男はこれを討たんと謀を巡らそうとするのだが……続きは次回のお楽しみ。




 如何だったでしょうか?今回の投稿では皆様方もいろいろと言いたい事があるかもしれませんが…こう言う展開もあっていいのでは、と思い描いた次第です。出来れば批判中傷は御遠慮のほどを。

 次回からはなるべく早く投稿したいとは思っていますが、期待しないで頂ければと思います。では…。


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龍の旅立ち

 長らくお待たせして申し訳ありません…漸く投稿が出来ました。

 最初に言っておきますが、この小説は『ご都合主義』の塊の様な物です。なのでこの先いろいろとそうしたご都合主義が出てくると思いますが、ただこの作品を貶したいが為にこの作品を読みたいのであれば『戻る』をクリックする事をお勧めします。どうかご了承のほどを願います。

 では、ご覧下さい…。


  洛陽………後漢王朝の創始者であり『光武帝』の諡をもって尊崇される『劉秀』が都として定めた都市であり、洛のサンズイが火徳を司る漢王朝から忌まれ、この頃は『雒陽』と呼ばれる事で知られている。漢王朝を象徴する都市である雒陽で権力を握っているのは皇室の劉氏ではなく、彼らを裏で操り権力を欲しいがままにしている宦官達だった……。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 雒陽に一際大きく、そして豪奢な造りを施された屋敷がある。そこは漢王朝の皇帝を裏から操り自らの想いのままに政を動かす宦官たちの集団……『十常侍』の実質的な纏め役である『張譲』の屋敷だった。その屋敷の大広間では、昼間にも拘らず10人ほどの宦官らが集まり酒宴を行っていたのである。

 

 

「……またも我々の不正を嗅ぎ付けた官吏が動き回っているようですな。こそこそと隠れながらちょろちょろと動き回る、まるで鼠です」

 

 

「段珪殿も困っておいでですな……。まあ連中など我々が腰を据えてかかれば烏合の衆に違いないでしょう?陛下は我々の意のままになっておいでなのだ。幾ら連中が証拠を掴んで弾劾しようにもそれが通るとお思いかな?」

 

 

「郭勝殿の言う通りよ。だが念には念を入れるべきよな………すぐにそ奴らの身辺を探り、弱みを握るとしようぞ」

 

 

「夏惲殿、感謝する。それにしてもその官吏とやら、自分がどの様な存在を相手取ったのかも分からぬのだろうか?正義感と言う短慮で事を起こせばその結末も分かりきった物であろうに」

 

 

「そ奴、清流派の者達と誼を通じておったらしいな。全く………党錮の禁で連中を朝廷から追放に処しただけでは甘かったか」

 

 

「まあ連中など権力争いに敗れて隠棲せざるを得ない者達です。(ファン)殿が劉宏陛下の信任厚い今、我らを揺るがせる存在などおりはしますまい?」

 

 

「畢嵐殿の言う通りぞ!我々十常侍の栄華、清流派の者達如きに崩せはせぬわ!はっはっは!!」

 

 

 酒席の中で宦官達が思い思いに語り、杯を手にして宴を楽しむ中………彼らの長と言うべき人物。銀のボブカットに紅色の瞳をし、少年を思わせる小柄な体格をした十常侍の首魁である『張譲』は傍から見ては分からないが、退屈していた。

 

 

「(やれやれ……どいつもこいつも目先の栄華に酔う事しかしないで。どうしてつまらないと思わないんだろうな?初めから勝ちが分かりきった遊戯なんて、続けていてもつまらないだけだろうに……)」

 

 

 ……もし張譲のこの言葉を余人が聞き及んだとしたら『何を贅沢な事を言うのだろう?』と耳を疑う事だろう。漢王朝を裏から操り、自らには栄華栄達が約束されている。なのにこれ以上に何を望むのか?

 

 

 その答えは実に単純な物。張譲が今欲している物………それは『自身の心胆を寒からしめる、身の危険を感じさせる出来事』だった。確かに宦官として行動しだす様になった頃の張譲は栄華栄達を何よりの楽しみとし、それを奪おうとする者に容赦ない報復と破滅を齎してきた。

 

 

 だが、宦官として栄華栄達を確立して年月が経つ様になると、その『満たされた日々』を退屈だと思う様になり、それを乱してくれる相手の存在を意識しだす様になった。こう見ると矛盾しているとしか言えないのだが、実際張譲はそれを強く求めていた。しかし、彼の欲求に反してその様な存在は現れる事が無かった。それは何故か?

 

 

 その答えを張譲は分かっていた。自分達宦官の力があまりにも強くなりすぎたからだ。宦官の専横を嫌う官吏達が自分達を追い落とそうと謀を巡らしても、自分達宦官はそうした謀を嗅ぎ取る嗅覚が尋常ではない。そうして自分達が動いた途端、官吏達はたちどころに蜘蛛の子を散らす様にして四散してしまうのである。酷い時には誰かを主犯に仕立て上げて媚び諂う始末……正直に言うと張譲は鬱憤が溜まり続けていたのである。

 

 

「(つまらない……誰でもいいからこの退屈な日々を面白くしてくれない物かな?)」

 

 

 張譲は表面上は他の十常侍達と共に杯を酌み交わしつつも、心中ではこの代わり映えしない日々を揺るがしてくれる存在を切望していたが、やがて彼らが酒宴を行っている広間に召使が飛び込んできた。

 

 

「ちょ、張譲様!!た、大変です!!」

 

 

「何だいそんなに取り乱して?とりあえず落ち着いてから話して貰えるかい?誰か、こいつに水を振る舞ってやれ」

 

 

 張譲は給仕の人間に命じて杯に水を入れさせると、それを召使に差し出す。それを見た召使はひったくる様に杯を取ると水を流し込み、そうして暫くして落ち着いたのか一息つくと、彼に急報を伝えたのである。

 

 

「か、忝く存じます……張譲様、急報です!ちょ、張朔様が……!!」

 

 

・・・・・・・・・・・・・

 

 その召使が張譲に伝えた急報……『弟君である張朔様が徐来と言う卑賤の者の手で弑され、下手人である徐来は官兵を蹴散らして逃亡した』事は他の十常侍達にとっても寝耳に水と言うべき出来事だった。漢帝国を牛耳り権勢をほしいままにしている十常侍の、その筆頭である張譲の一族を殺した……それは文字通り天に唾吐く事に等しい所業であったからである。

 

 

「な、何と言う事を……その徐来と言う男、徐岳と言う鍛冶師の倅と言うではないか!?下民の分際でこの様な事をしでかしたというのか!?」

 

 

「我々十常侍はこの国を牛耳り、権勢を我が物としているのだぞ!?その筆頭である張譲様の一族を殺めるだけでも、この国に居場所すらなくなる事など百も承知であろうに!?」

 

 

「こ、これはいかぬ。直ちに追跡隊を差し向けなければ……張譲様?」

 

 

 だが、ここで十常侍の一人が張譲が何の言葉も発さないでいる事に気づいた。肉親が討たれた事に言葉を失ってしまったのだろうか?そう思って彼の方を見ると―――。

 

 

「………あはは、あっはははははははっ!!!」

 

 

 初めこそ目を見開いたまま呆然としていた張譲だったが、やがて腹の底から声を出しているのではないか――と言えるくらいに笑い出したのである。それも呵々大笑と言う言葉通りの、痛快極まりないという感じで……!

 

 

 これにはさしもの他の十常侍らも声を失った。自分の親族が殺されたと言うのにまるでそれを『嬉々として受け入れている』様に笑い始めたのである。確かに張朔は兄である張譲に対して賄賂を渋っていた事もあり、兄弟仲は良いとは言えなかったが、それでも肉親が殺されたというのに……そう思った十常侍の一人が恐る恐る問いかけた。

 

 

「ちょ、張譲様……宜しいでしょうか?」

 

「ははっ……ああ、すまない。何か聞きたい事でも?」

 

 

「恐れながら弟君が弑されたと言うのに何故その様に呵々大笑と為されたのですか?確かに張朔様は張譲様に対して賄賂を贈らなかった事も会って不仲だとは聞き及んでいますがいくら何でも……」

 

 

 そう問いかけた十常侍の一人に対し、張譲はしばし考え込んでいたがやがて思い至った様に返答をした。

 

 

「ああそうか、確かに不謹慎だったかもしれないね……。まあ僕自身弟が殺された事には悲しいとは思っているし、こんな事をした徐来と言う奴を許せないと思っているさ。けれど……それ以上にこんな事が起きた事自体、僕にとっては心躍ってしょうがないんだよ」

 

 

「こ、心躍る出来事ですか!?」

 

 

 宦官の一人が張譲の答えに面食らうのを横目に、張譲は自身の想いを主張しだした。

 

 

「君達も史記を読んだ事もあるのなら、その一つに『刺客列伝』と言う物だってあるのは知ってるだろう?彼らは下賤の生まれでありながら刺客となり、大それた事を為して後世に名を遺してみせた。僕はね、彼らの『受けた恩義を返す為に刺客になって報いようとする』と言う侠の精神以上に刺客と言う連中が暗殺と言う畏れ知らずな事を為そうとする事に感銘を受けているんだ」

 

 

 張譲の言葉に呆然と立ち尽くしている十常侍らを尻目に、張譲はさらに語り続ける。

 

 

「僕はね……今の環境に退屈してるんだよ。栄華栄達を思いのままにするこの環境にね。絶対的強者となった僕達に昂然と刃向った清流派の連中は党錮の禁ですっかり雲隠れしてしまったし、彼らに通じて僕らを排斥しようとする連中も、僕らが腰を上げただけで蜘蛛の子を散らすように逃げ出す始末。正直、鬱憤が溜まり続けていたんだよ。けれど、そんな時にその徐来と言う男がやってくれたんだよ!今の鬱屈した現状をぶち壊してくれる大胆不敵な事を!!かの秦王朝が滅んだのも、その切欠は陳勝と言う農夫がおこした反乱だ」

 

 

「その陳勝はこう言ったそうだ。『王侯将相いずくんぞ種あらんや』……実に名言じゃないか。たかが農夫がおこした反乱が秦王朝と言う強大な国を揺るがし滅亡へと導いた!僕はそう言う相手が欲しかったんだよ……僕達十常侍と言う強大な存在、その心胆を寒からしめる相手をね!!……さて、長々と話してしまったがこれからどうしたらよいか、意見があるのならば聞こうかな?」

 

 

 その張譲の言葉に他の十常侍達は漸く夢から覚めた様に体をびくつかせるとそのまま謀議を練り始める。やがてその一人である蹇碩(けんせき)が次の様な提案をした。

 

 

「なれば張譲様、そ奴の肉親……父母である徐岳と朱寧、妹の徐晃を捕え人質としておびき寄せては?かの者、陽県では名の知られた孝行息子であり、悌の心に厚い人物だとか。己が父母、妹が捕えられたとあればそれを助けんとしてもおかしくは無いかと」

 

 

「ふん、一理あるね。けれど……召使、徐来について他に何か知っている事は?」

 

 

「そ、それがその徐来と言う男。凶行に走る前に自身の父母に対して離縁状を送ったと報告に入っています」

 

 

「だそうだ。つまり肉親を捕えたとしても彼が現れる可能性は低い……まして徐岳と朱寧の二人に娘である徐晃はあの曹操の元にいるらしいよ?」

 

 

「っ!あの糞女の元ですか……」

 

 

 そう言って蹇碩は顔をしかめる。彼は嘗て自身の叔父を曹操によって殴り殺されていた(無論、その責は門の夜間通行の禁令を犯した彼の叔父にあるのだが)事があり、その復讐を計画していたがどれも頓挫してしまった為忌々しく思っていたのである。

 

 

「あの曹操の事だ。恐らく影武者やら何やら用意させて白を切る魂胆はあり得る。まして徐来の父・徐岳は曹操の祖父―――かの大長秋・曹騰と深い友誼を結んでいるとか。その彼を捕えようとすれば、間違いなく曹騰は動くこと請け合いだ。あのご老人は隠居したとはいえ未だに陛下が信頼をしているみたいだし、この案は賛成できないね」

 

 

「な、ならば各地の県令に通達を出して追討の兵を差し向けましょう!如何に勇士と言っても数の暴力の前には……」

 

 

「『大斧の勇士』と言う二つ名を持つ徐来を前にどれだけの兵をつぎ込むつもりだい?まして様々な武具の扱いに長けている彼を捕えるのなら、県令が抱える軍兵じゃ役不足。それともたった一人の罪人を捕まえるのに禁軍を差し向けるのかい?それは流石の僕達でも難しいと思うけどね……他に何か考えがあるなら聞くけど?」

 

 

 そう問いかける張譲に対し、他の十常侍らは口をつむんでしまう。それを見た張譲は一息つくと提案を出した。

 

 

「無い様だね。……なら、この件は僕に一任してもらおうかな?」

 

 

『っ!???』

 

 

 その何気ない言葉に他の十常侍らは戦慄してしまう。その様子を見た張譲は面白い事を思いついたような笑顔をし、他の者達に解散を命じるとそのまま自室に向かって行った。やがて彼の姿が大広間から消えるのと同時に、十常侍の一人が深い溜息をついた。

 

 

「張譲様が動かれるとは……あの徐来と言う男、楽には死ねぬだろうよ」

 

 

「ああ。あの方は狙った相手を一思いに殺す様な事はしない……真綿でじわじわと首を絞める様にじわじわと追い詰めていくのだ。見ている此方の方が震えが止まらなくなるほどに恐ろしい………!」

 

 

「哀れな事よ……それにしてもあの方の顔を見たか?まるで新しい玩具を得た童の様であったわ」

 

 

「う、うむ。あの方は老人の様な狡猾さと童の様な無邪気さと残酷さを持ち合わせておる。…………あの方だけは敵にしたくはないのお」

 

 

 彼らはそう話しながらこれから起り得ると思われる惨劇に震えるより無かった。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 その夜、張譲は自室で一人物思いに耽っていた。蝋燭を差した燭台を傍らに立てている机には召使に持って来させた果実があり、時折それを食していたが……突然彼は手にした果実を自身の後ろにある自室の扉に向けて投げ付けた。果実は弧を描く様に空中を飛び、そのまま扉にぶつかろうとして……()()()()()()()()()()()()()()()()()()によって掴み取られていた。

 

 

 まるで幽鬼のように突然姿を現した……そう思えるほどにその場に姿を見せて扉の前に立っていたのは、口元まで隠した黒いマフラーが特徴的な黒い装束を纏った小柄な少女だった。その貌からは感情と言う物が感じられず、人形と思ってしまっても遜色が無かった。彼女は掴み取った果実を皮を剥いて咀嚼し、それを平らげるとその真紅の瞳をこちらに向けながら問いかけた。

 

 

「……来たよ。獲物は何?」

 

 

「ああ、よく来てくれたね胡車児。仕事熱心なのは良い事だ……胡車児、今回君達に狙ってほしい獲物はかなり手強い物になるよ」

 

 

「生きが良いの……?」

 

 

「もちろん。君達でも苦戦が免れないほどのね……獲物の名は徐来芳明、彼を仕留めてほしい。ああ、簡単に殺さないで貰えないかな?じっくりと……腰を据えて料理してくれると嬉しいね」

 

 

「…………貴方の依頼は面倒なのばかり」

 

 

「おや、嫌かい?」

 

 

 張譲がそう問いかけると……胡車児と呼ばれた少女は不敵な笑みを浮かべた。

 

 

「まさか………。報酬は?」

 

 

「いつもの様に用意させる。それじゃあ頼むよ」

 

 

 張譲がそう言うと彼女は一礼をした直後、まるで影に吸い込まれるように音も無く姿を消した。

 

 

「……徐来芳明。君はこれからどんな事をして、僕を楽しませてくれるんだろうね?そう簡単に倒されないでくれよ」

 

 

 そう言う張譲の声には、嬉々とした物が宿っていたのである……。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 張譲が暗躍を始めてから3日後。陽県は暗い空気に包まれていた。徐来―――壮也が関羽―――愛紗を護る為に県令である張朔を弑し、さらに止めようとした官兵を蹴散らして逃亡した直後、県の役人達が訪れ壮也の行先などを問い詰めてきたのである。

 

 

 しかし陽県の人々や長老らは全員が口裏を合わせて『知らない』の一点張りを貫いており、さしたる情報も得られなかった県の役人達は渋々と言った感じで立ち去った。だがその後に帰ってきた愛紗は帰ってくるとそのまま自宅に向かい、出迎えた兄である関定にも何も言葉を吐く事無く部屋に閉じ籠ってしまったのだ。それからと言うもの長老や関定は愛紗に呼び掛けを続けたのだが、彼女の返答は無かった……。

 

 

「……それでどうなのじゃ関定?愛紗の様子は」

 

 

「駄目です……あれから何度となく声を掛けても返答も無いばかりか、食事を作って部屋の前に置いても手を付けてないみたいで」

 

 

 そして今日も愛紗は部屋に閉じ籠ったままでおり、食事にも手を付けてない。それを関定から聞いた長老は沈痛な表情をして溜息をついた。

 

 

「そうか……いや、そうに決まっておろうな。自分が被るべき罪を、かけがえの無い想い人に被らせてしまった事。そして自分がやったのだと名乗り出なかった事を悔やんでおるのじゃろうて」

 

 

「…………」

 

 

「関定、お主の気持ちも分からぬ訳ではない。じゃがこれは愛紗自身の問題じゃ、あ奴が何とかせねばならん」

 

 

 長老は再び扉の前に立って声を掛けようとする関定を宥めると、そのまま愛紗がいる部屋の扉を見続けた。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 そして当の愛紗本人は……窓も閉め切り、光も入らない為に薄暗い部屋の中で蹲ったまま何をしようともしなかった。その黒髪も束ねないで手入れもしておらず、その眼には光が宿っておらず、ただ蹲ったまま虚空を眺めているだけで…。

 

 

「…………」

 

 

 彼女は自分自身の弱さを悔やんでいた。あの時、自分もまた張朔に危害を加えた一人であったのに名乗り出ようともしなかったばかりか戦友でもあり、想い人でもあった壮也が罪を被ったのを止められなかった事に。やがて彼女の懐から何かが転げ落ちた。

 

 

「………?」

 

 

 それに物言わぬ人形となっていた彼女は初めて反応を示し、視線を下に向けた。そこにあったのは、壮也が自身に渡してくれた護り刀だった。鞘から引き抜くと、現れた刃は人を斬ったにも拘らず、光が入らず薄暗い部屋の中でもその輝きは失われていなかった。

 

 

「…………っ」

 

 しかし、愛紗はその護り刀を放り捨てた。何にも代え難い、愛しい人を傷つけてしまった刀など持ちたくない……そんな感情を込めて放り投げたのか、護り刀は2,3回ほど転がって部屋の隅に留まった。そうして再び物言わぬ人形の様に蹲ろうとしたが……やがて彼女の瞳に自身の得物である青竜偃月刀が入ってきた。亡くなった母が持っていた武具であり、自身も愛用してきた武具であるが……今の愛紗にはそれを手にしたいとも思えなくなっていた。

 

 

 やがて愛紗は立ち上がったかと思うと、それも目の入らない所にしまい込んでおこうと手にしたが……。

 

 

ーこのままでいいのか?

 

 

「………っ!」

 

 

 自身の脳裏に響いてきた声に、愛紗の手が止まる。いったい誰が……それは問うまでもないだろう。何故なら、この声は心の中の自分自身の物なのだから。

 

 

ーいくら武具をしまい込んで遠ざけ、部屋に閉じ籠っても現実が変わる事も無い。目を背けていて何になる?

 

 

 もう一人の自分の声に、愛紗は悲しそうに呟いていた。

 

 

「なら……ならどうすればいい?私は、壮也を止められなかった。私を庇って咎人になったあいつを止める事の出来なかった私に、何が出来るというのだ……?」

 

 

ーああ……お前()は壮也を止める事は出来なかっただろう。だが過ぎた事を悔やんでも過去は変わらない。これからお前はどうしたいかを考えるべきだ

 

 

「これ、から……?」

 

 

ーそうだ。お前は、何の為に武具を手に取った?何のために武技を磨き続けた?何の為に……お前は戦場に立ったのだ?

 

 

「っ……私は…」

 

 

 もう一人の己の問い掛けに、愛紗は返す言葉も無く黙り込んだ。だがそれは少しの間であり、やがて貌を挙げた彼女の眼には、再び強い光が宿っていたのである………。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 それからが大変だった。部屋から出た途端、食事を持ってきた関定と鉢合わせたかと思うと関定は食事を放り出して自身を抱きしめ、オンオンと泣き出したのである。その後家を訪れた長老や町の人々に迷惑をかけた事への謝罪をすると、3日ぶりに食事に手を付けた。そして一週間後……。

 

 

―――陽県 長老宅

 

 

「来たか、愛紗」

 

 

「お久しぶりです、長老。それと……今日はお別れに参りました」

 

 

 そう切り出した愛紗の姿はいつもの装束の上に灰色のマントを羽織った物になっており、屋敷の厩舎には自身の愛馬である赤雲(チーウン)が繋がれていた。

 

 

「そうか……しかし関定の奴がよくお前の旅立ちを了承した物じゃな?」

 

 

「一番大変でした………切り出した途端『行かないでくれ!?』の一辺倒だったもので。説得できたのはある意味で僥倖でしたよ」

 

 

「ほっほっほ、そうかそうか!……為すべき事を、決めたのじゃな?愛紗」

 

 

「はい………私は、幼い頃の私の様な人を増やさない為に、戦禍から人々を護る為に英雄になりたいと思っています。その為に、私は諸国を回って様々な事を学んでいきたい。そして………」

 

 

 そう言って愛紗は懐から、壮也が自身に手渡してくれた護り刀を取り出す。そしてそれを愛おしく押し抱きながら、強い意志を込めて言葉を放った。

 

 

「私は……壮也と共に在りたい。私は、もう護られるだけの人間でありたくない。私も、壮也の事を護ってあげたい。だから、私は行きます。この天下のどこかにいる、彼の元に」

 

 

 そう淀みなく言い切った愛紗に、長老は瞳を潤ませ何度も頷きながら嬉しそうに返答した。

 

 

「そうかそうか……そなたも漸く旅立つ時が来たのか。幼き頃のお前達の面倒を見てきた儂にしてみれば、感無量と言った所じゃよ。愛紗……この陽県はそなたにとっても故郷じゃ、いつでも帰ってくるがええ。欲を言えば、壮也と共に帰ってきてくれると嬉しいがな」

 

 

「……はい。そうなる様に、祈っていてください」

 

 

 長老の茶目っ気の宿った言葉に、愛紗も微笑みながら頷いた。そして二人はそれから暫くの間談笑を続けた。

 

 

・・・・・・・・・・・・・

 

 そして赤雲(チーウン)に跨って陽県の町を出た愛紗は、司隷と并州の州境に到達した。眼前に広がっている荒野を見ながら、愛紗は一言一言確かめる様に言葉を紡いだ。

 

 

「……待っていてくれ、壮也。私は、必ずお前を見つけてみせる。その時まで、お前も無事でいてくれ。……行こう、赤雲(チーウン)!!」

 

 

 そうして愛紗---関雲長もまた故郷を離れ、天下と言う大舞台に踏み込んで行った。戦友でもあり、想い人でもある壮也の元へ赴く為に。

 

 

・・・・・・・・・・・・・

 

 張譲が刺客を壮也に放ち、愛紗も壮也の元へ行く為に旅立った頃、壮也は遥か北方の幽州に辿り着いていた。彼はそこで白馬を操って五胡の軍勢と刃を交える一人の女性と出会う事になるのだが……続きは次回のお楽しみ。




 読んで頂きありがとうございます…!

 今回の投稿では『小悪党の印象の強い張譲を如何に格好の良い悪党キャラにするか』と言うのが難しかったです…他の恋姫の二次小説などを見ると殆どが小悪党で構成されていたので。

 さて次回は恋姫において『ハムの人』、『普通さん』と呼ばれる事の多いあのキャラを登場させようと思います。では…!


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第二章
白馬将軍


 今回はこの小説で初めてのオリジナル恋姫の登場と相成ります…!

 前も言ったと思いますが、この小説はご都合主義を第一として作っているのでそれがご不快だと思ったのであれば『戻る』をクリックするのをお勧めします。また、誤字などがあった場合のご指摘などは謹んで受けますが、作品自体を貶したいからと言う理由で感想を書くのであれば、上記にもある様に『戻る』をクリックしてもらいたいです。

 長々と書いて申し訳ありません。では、本編をお楽しみくださいますよう…。


 中国は後漢王朝の時代……当時の中国は全国を冀・兗・青・并・徐・揚・荊・豫・涼・益・幽・朔方・交阯の13の州(最後の二つは郡)に分けて、主に太守を監察するために刺史の役職を設けていた。

 

 

 その州の一つに幽州と言う土地がある。現在の河北省、遼寧省、北京市、天津市を中心とする地域に設置された州であり、そこにあった涿郡、勃海、代郡、上谷、漁陽、右北平、遼西、遼東、玄菟郡、楽浪郡、燕国の11郡国を管轄する地域であった。だがこの土地は漢王朝以前から侵攻を受けている土地でもあった。『五胡』と呼ばれる異民族が一つ『烏丸(これは三国志での呼び名であり、正式な名前は烏桓である)』と言う名の騎馬民族がそれである。

 

 

 ここで『五胡』と呼ばれる人々の説明をしておくとしよう。この頃の中国は中原と呼ばれる中国の中心部を『漢民族』と呼ばれる人々が治め、王朝を築いているのだが、そうした漢民族の頭を悩ませていたのが中国の北方、幽州や并州、涼州と言った土地に現れては略奪を繰り返す騎馬民族……それが『五胡』と呼ばれる者達である。

 

 

 またこの他にも益州の南方に勢力を持ち、古代中国で四方に居住していた異民族の総称である『四夷』の一つであり、諸葛亮と争った南蛮王・孟獲が率いた事で知られる『南蛮』や春秋戦国時代に会稽のあたりに存在した越国の末裔であり、主に孫呉を相手に暴れ回った『山越』と言った者達もいるがここでは割愛する。

 

 

 五胡と呼ばれる民族は主に匈奴、鮮卑、羯、氐、羌の五つを差すのだが、烏丸は羯が匈奴の服属下にあった頃に匈奴から独立をして干戈を交える反面、略奪などを働いた。やがて烏桓は建武25年(西暦49年)に当時の大人である郝旦(かくたん)ら9000余人が部下を引き連れて漢の朝廷に拝謁し、これに漢王朝はその主だった指揮者を王や侯に封じた。

 

 

 そして彼らを長城の内側に居住させ、遼東属国,遼西,右北平,漁陽,広陽,上谷,代郡,雁門,太原,朔方の諸郡に分けて住まわせ、同じ烏丸族の者たちを内地に移るよう招き寄せると彼らに衣食を給し、護烏丸校尉の官を置いてその統治と保護にあたらせたのである。こうした施策の結果、烏丸は漢のために塞外の偵察と警備の任にあたり、匈奴や鮮卑に攻撃を加えるようになった。

 

 

 だが時が経つにつれて彼らは漢王朝の命に従わないようになり、後漢の末期にもなると遼西烏桓の大人である丘力居(きゅうりききょ)と言う人物は5000余りの落を配下に置いて王を名乗るなど目も当てられないほどの狼藉を働くようになったのである……。

 

 

 ここ幽州もそうした烏桓や匈奴の騎馬民族が乱暴狼藉を働いており、これに漢王朝も当然黙っている訳ではなく鎮圧の兵を差し向ける事になるのだが……。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

「退くなあ!踏ん張れえええ!!」

 

 

 幽州の土地より北に一里ほど行った、すでに匈奴や鮮卑、烏桓などの『五胡』の縄張りとも言える場所で一人の少女が白馬の上で声を張り上げていた。その紅色のポニーテールや白を基調にしている軽鎧は鮮血と土埃で薄汚れ、手にしている剣はところどころ刃毀れしているのだが……彼女の琥珀色の瞳からは衰える事を知らない闘志が迸っていた。だが、彼女の周囲には傷だらけとなった兵士達がおり、さらにその外側を騎乗した毛皮を基調にした装束を纏った戦士達がまるで少女達を翻弄し、嘲笑うかのように彼女たちの周囲を駆け回っていたのである……。

 

 

「で、ですが公孫瓚様!すでに我々は包囲されています!このままでは全滅は必定!!ここは撤退するべきです!!」

 

 

「駄目だ!!ここで私達が撤退したら、烏桓の連中は調子づいてまた略奪をしてくるんだぞ!!それを防ぐ為にも、ここで退いちゃならないんだ!!」

 

 

「し、しかしっ!?」

 

 

 その瞬間、彼女の隣に馬を寄せて彼女に再度撤退を求めようとした副官と思われる男性は烏桓の戦士が放った騎射の一矢に喉を貫かれ、そのまま落馬した。

 

 

「こ、孔孟!!貴様ら、よくもおおおおお!!」

 

 

 副官の死に怒りを覚えた少女は剣を振り上げながら突撃しようとするのを、他の副官らが必死に押し留めた。

 

 

伯圭(はくけい)様、なりません!!」

 

 

「一時の怒りに呑まれては却って状況が悪化します!!ここは抑えてください!!」

 

 

「……っ!ちくしょおおおお!!退け、退けええええええ!!」

 

 

 副官達の言葉に白蓮と言う名の少女は口惜しそうに天に向かって吼えると、兵士達に聞こえる様に大声で撤退を呼び掛けた………。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・

 

 そして撤退していく軍勢を追い縋ろうとする烏桓の戦士達の後方、小高い丘になっている場所に二人の人物が馬上の人となって戦場を眺めていた。

 

 

「あれ、あいつらもう逃げるの?ちょっち早過ぎじゃん?」

 

 

「……自分達が不利である上に、戦況を好転させられないと悟ったのでしょう。少なくとも現状を受け入れられずに突撃して全滅するより、よい判断だと思います」

 

 

 薄緑色のセミロングの髪に黄緑がかった瞳をし、毛皮を基調にした戦装束を纏った少女が視線の先の光景を見ながらつまらなそうにつぶやくのを、黒のボブカットに橙色の瞳をし、同じく毛皮を基調にした戦装束を纏った少女が感心したように返答をした。

 

 

「つまんないじゃーん。せっかく暴れられっかなーって思ったのにさ」

 

 

「……閃華(センカ)様、追撃に参加したいなんて言わないでくださいよ?姫様にもしもの事があったら、丘力居様に怒られるのは私なんですからぁ……」

 

 

清風(セイフウ)は一々細かすぎだよー。父様の事なら心配ないって!それにいつまでも可愛い可愛いって育てられるのって性に合わないんだもん。…んじゃ、いってくんねー」

 

 

「あっ、待ってください姫様―!?……ああもう!!どうして姫様はこうもじゃじゃ馬なんですかぁ!!!」

 

 

 だが清風と呼ばれた少女の制止を振り切り、閃華と呼ばれた少女は自身の騎馬の手綱を打つとそのまま追撃していく仲間達の元へと駈け出して行った………。そして後に残された清風と呼ばれた少女の悲痛な叫び声が、草原に虚しく響き渡ったのは言うまでもない。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 さて、彼女たちがいる場所から南側に下った漢の領土に接している荒地を、黒馬に騎乗し大戦斧を肩に乗せている一人の青年の姿があった。

 

 

「ここが幽州……漢帝国最北端にして、五胡の侵攻に曝されている土地か。こうして見ると、漢王朝の凋落が嫌と言うほどに分かってしまうな。国が腐敗していなかったのなら五胡の民がこうして狼藉をする事も無く、狼藉をしたとしても守備隊が整えられていたのなら撃退できたというのに………」

 

 

 馬上にいる青年が荒れ果てた土地を見ながらそう呟いていると、彼の視線の先に砂塵が舞っているのが見える。恐らく国境守備隊が五胡に手酷くやられて撤退をしているのだろう……。

 

 

「……義を見てせざるは勇無きなり、か。俺も存外お人よしだよな、追われる身だってのに人を助けるんだからさ。行こうか、黒風(ヘイフォン)

 

 

 青年がそう呟くと、彼を乗せている黒馬が彼を一瞥しながら嬉しそうに首を縦に振り、そのまま砂塵の方へ向かって駆け出した。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 公孫瓚、字は伯圭は自身の事を『凡庸』だと常々思っていた。幼き頃に盧植が開く学び舎で学問などに励み、恩師である盧植からは『政戦いずれにも穴の無い、現実的な考えの出来る人物』であると認められはしたのだが………その一方で同門である劉備の事をいつも羨ましいと思っていた。自分に比べて武も学も優れているとは言えなかった彼女だが、人を惹きつける『魅力』と言う物に溢れていた。

 

 

 それに比べて自分はどうだろうか?確かに政にも、武にも欠けた所のないのは自分でもわかっていた。だがいずれにも欠けていないと言うのは裏を返せば『飛び抜けて優れた才能が無い』という事に他ならない。例えば『江東の虎』と称される『孫堅』の娘である『孫策』などは母親譲りの武勇を誇っているが、対する自分はそこまで武勇に優れてはいない。幽州と言う土地柄で生まれ育ったからか騎馬の技はそれなりに長けてはいたが、涼州に本拠を置く『馬騰』の娘である『馬超』に比べれば遥かに格下だ。

 

 

 また政戦いずれにも優れているとなると頓丘県の県令となっている『曹操』などは自分など比べ物にならないほどに文武両道だ。そして同門の『劉備』には魅力と言う点で劣っている……そう思うと、公孫瓚は自分の『凡庸』さに失意しか抱けないでいた。

 

 

 当然彼女とて何もしなかった訳ではない。いつも書物を読み耽ったり、武芸の修練などを欠かさずし続けはした。だがそれでもそうした彼女らに比べればずっと格下でしかなく、『努力では超えられない壁』に阻まれ続けている事を実感せざるを得ず、懊悩する日々を送っていた。その後私塾を卒業した彼女は幽州刺史を務める劉虞の元で働く様になっていたが、ある時烏桓の騎馬民族が略奪をしているという報告が入る。

 

 

 異民族の狼藉は何としても防がねばならない、そう思った彼女は軍を招集しようとした劉虞の制止を振り切ると、自身の配下だけを率いて急行したのだが……現場に赴いた途端自分達を見た烏桓の騎兵は踵を返して逃げ出した。これに公孫瓚は当然逃がすまいと追撃を懸けたのだが、それこそ烏桓の巧妙な罠だった。追撃していく内に烏桓の領域に入ってしまった彼女の一団は待ち構えていた烏桓の戦士達に散々に討ち破られてしまったのである。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 そして現在、公孫瓚らは烏桓の戦士達の執拗な追撃を受けていた。あと少し逃げれば漢の領内に入れる……そう思っていた彼女に後方から嘲笑の声が響いた。

 

 

「ちょっとー!あたし達を討伐しに来たのにちょっとやられた位で逃げ帰る気なのー?漢の連中って臆病者ばっかなんだねー!」

 

 

 ……その言葉に公孫瓚は馬足を止めてしまう。そして振り返ると薄緑色のセミロングの髪に黄緑がかった瞳をし、毛皮を基調にした戦装束を纏った少女が烏桓の戦士達の先頭に進み出てきた。

 

 

「臆病者、だと……!?」

 

 

「だってそうじゃーん。あんた達閃華達を倒しに来たんでしょ?なのに一撃痛いの貰っただけで逃げるなんて、どう見ても臆病者じゃん。ん?あんた公孫瓚じゃん、あんたが率いてたんだ」

 

 

「そ、それがどうした!!」

 

 

「なら納得だよ、あんなにあっさりと撤退をしたのもさ。まああたし達相手に頑張った方じゃん?『凡将』なあんたにしちゃあさ」

 

 

「っ!私を……私を凡将って、呼ぶなあああああああああ!!!」

 

 

「は、伯圭様!!」

 

 

 彼女の嘲笑にとうとう我慢できなくなった公孫瓚は副官の制止を振り切ると目の前にいる閃華と名乗った少女に猛然と斬り懸かった。これに彼女も腰に差していた盤刀と言う柳葉刀の先の部分を断ち落としたような刀身の刀を引き抜いて公孫瓚の剣を受け止める。そしてそれと同時に烏桓の戦士達と公孫瓚の配下達も再びぶつかり始める。そしてその中心で公孫瓚と閃華と名乗った少女は刀剣を討ち合っていたが、10合ほど討ち合った頃である……。

 

 

「っと、こりゃやばいかも。逃げるが勝ちーっと」

 

 

「なっ、待て!!」

 

 

 そう言って馬首を返すとそのまま逃げだしたのである。これに公孫瓚は追撃しようとしたのだが、それこそ罠だった。

 

 

「(ニイッ!)ほいっと!」

 

 

―シュッ!ドスッ!

 

 

「うぐっ!?」

 

 

 公孫瓚が追い縋ろうとした瞬間、少女は馬上で振り返りざまに騎射を放ったのである。そしてその矢を公孫瓚は躱す事が出来ず、矢は彼女の左肩に突き立ち彼女はそのまま落馬してしまった。先程の行動はこの為の布石だったのである。

 

 

「そんじゃ、覚悟ーっと!」

 

 

「くそっ!」

 

 

ーカキイイイン!

 

 

 落馬した公孫瓚を見届けた少女はそのまま猛然と騎馬を走らせながら彼女に盤刀を振り下ろす。これに公孫瓚も自由の利く右腕に持っていた剣で弾いたのだが……その瞬間、彼女の剣は甲高い音を出して折れてしまったのである。そのまま閃華は公孫瓚の傍を離れたが、彼女の持っていた剣は根元から折れ配下の兵士達も疲弊しきっており、もはや絶体絶命と言ってよい状況にあった……!

 

 

「ちぇー、今ので仕留めようと思ったのに。けれどもう後が無いよね!んじゃ改めて、覚悟ーっと!」

 

 

「っ!」

 

 

ー私は、ここで死ぬのか?凡将と馬鹿にされて、その屈辱を晴らす事も出来ずに……。

 

 

 そうして騎馬を駆って近づいてくる烏桓の少女を前に、彼女はただ茫然としているままだった。やがて閃華を乗せた馬があと少しで公孫瓚に迫ろうとした時……彼女達の間に『黒いナニカ』が落ちてきた。

 

 

「っ!?な、なになに!?」

 

 

「……っ!?」

 

 

 砂埃が舞う中、少女は突然の出来事に右往左往し公孫瓚もまた驚きを隠しえなかった。やがて土埃が晴れると、そこには黒馬に跨り、大戦斧を手にした青年が公孫瓚を庇う様にして立っていた。

 

 

「お、お前は……?」

 

 

「通りすがりの、流浪の武人だよ。けれどちょっと、おせっかいを焼くのが好きだけどね」

 

 

 青年は公孫瓚の方に顔を向けながら答えると、そのまま前方にいる馬上で盤刀を構える少女を見据えながら手にしている大戦斧を構えた。

 

 

「……あんた、ただ者じゃないね。何者?」

 

 

「さっきも言ったけど、通りすがりの流浪の武人さ。名乗るほどの者じゃない」

 

 

 青年はそう答えるのだが、少女にしてみればそれは聊か不満だった。烏桓を含めた五胡の異民族は漢民族らに対して略奪などをして生計を立てる一方で認めた相手に対しては礼節を以て接する事をする。

 

 

 特に有名なのが五胡の一つである『匈奴』であり、前漢の頃に名を遺す『蘇武』と言う人物も漢に忠節を尽くすその姿勢を当時の単于の弟が気に入って援助をしたり、前漢の武将で『飛将軍』の二つ名を以て讃えられた『李広』の孫にあたる『李陵』が匈奴に対して勇戦し、やむなく降伏した彼に対し当時の単于は匈奴の右校王の地位を彼に与えた事は非常に知られている。

 

 

 話を戻すが、この様に烏桓を含める五胡の人々は自身が認めた相手には礼節を以て接する。だからこそ、少女にとって目の前にいる相手はそれこそ自分達にも引けを取らない相手だ。これほどの人物の名前ぐらいは知っておきたい……そう思った彼女は自身の名を名乗っていた。

 

 

「あたしは遼西烏桓の大人、丘力居(きゅうりききょ)の娘楼班(ろうはん)!!……あたしが名乗ったんだ、あんたも名乗るべきなんじゃん!?」

 

 

 少女……楼班の名乗り声と問い掛けに、青年は茫然としていたがやがて軽く微笑むとそれに応えた。

 

 

「そう、だな。……名乗られたとあれば、こちらも名乗らなくちゃ非礼になるだろう。河東郡は陽県の生まれ、姓は徐、名は(ねい)、字は芳明!!では、お相手しよう。行くぞ、黒風(ヘイフォン)!」

 

 

 青年が手綱を打つと、彼を乗せている黒馬はひときわ高く嘶くとそのまま楼班に向かって駆け出した。これに彼女を護る様にして近づいていた烏桓の兵士達が彼女に近づかせまいとばかりに猛然と襲いかかってきた。

 

 

「……せいっ!」-ブオンっ!

 

 

「ぐげっ!?」

 

 

「やっ!」-シュッ!

 

 

「おぶっ!?」

 

 

 だが、これに対し徐寧は手にしていた大戦斧の刃先の部分ではなく、斧頭の平たい部分で烏桓の戦士達を思いっきり吹き飛ばしたり、石突の部分で突き飛ばしたりしたのである。間もなくすると十騎程で徐寧に襲いかかった烏桓の戦士達は一人残らず馬上から叩き落されていた……。

 

 

「……強いじゃん、あんた」

 

 

「称賛はありがたく受け取るよ。けれど、言いたい事があるんじゃないのかい?」

 

 

「なら聞くけど、どうして皆を殺さないのさ?あんたほどの腕なら皆の命を奪う事ぐらい楽勝でできるんじゃん?」

 

 

 楼班が指摘したように、徐寧は烏桓の戦士達を一人も殺めていなかった(・・・・・・・・・・・)。確かに大戦斧で叩き飛ばされたり、突き落とされて落馬した事で重傷を負っているが命に別状はなさそうに見えている。そしてそれは彼らの戦いを離れた場所で見ている公孫瓚も分からなかった。五胡の人間は漢の人々に対して略奪をする非道な連中で、皆殺しにでもしなくては気が済まない……彼女はそう思っている。なのに目の前の青年は極力彼らを殺さないであしらったのは何故か?その理由を彼女は聞きたいと思っていた。楼班の問いに青年は大戦斧を構えながら答えた。

 

 

「そうだな……偏に『心を折る』ため、だな。確かに殺せば敵は減るけどその分他の相手が敵討ちとばかりに斬り懸かってくるだろう。けれど、死なない程度に痛めつけたのなら?人ってのは不思議な物でね、仲間が殺されたりすると仇を討ちたいと思うけど、痛めつけられて呻いている姿を見ると『自分はああなりたくない』って思う者なんだよ」

 

 

 青年の言葉に楼班が振り向き、公孫瓚が眼前にいる烏桓の戦士達を見ると……確かに恐れを知らないはずの烏桓の戦士達が、落馬して呻いている仲間を見て顔を青ざめさせていたのである。これでは楼班が攻め懸かれと号令したとしても殆どの者が躊躇してしまうだろう。だが………次に徐寧が放った言葉に、楼班はおろか公孫瓚も耳を疑う事になった。

 

 

「それに……そうする事で犠牲を少なくも出来るし、一人でも多く故郷に帰る事が出来るだろう?それが理由、と言う所だな」

 

 

『…………はっ?』

 

 

 彼がそう言った瞬間、二人の口からは呆気にとられたような声がこぼれ出た。

 

 

「腑に落ちない、と言う感じだな」

 

 

「ちょ、ちょっち待って!?あんたそれ本気で言ってんの!?」

 

 

「そうだぞお前!?本気で言ってるのならお前の正気を疑うぞ!!」

 

 

 徐寧の問い掛けに楼班はおろか公孫瓚すら訳が分からないと言う様に追及を始めた。公孫瓚はそのまま自分の正しいと思って来た事を口にし始める。

 

 

「第一五胡の連中は漢に対して幾度も無く略奪を繰り返してきたんだ!!それでどれほどの人々が涙を流し、苦しんで来たと思っている!?そいつらは獣なんだ……情けをかけたってそいつらはそれに恩を感じる訳がない!!一人残らず殺す事が国を、民を護る為に必要な『そう言う考えは、好きじゃないな』な、何……?」

 

 

 徐寧の言葉に公孫瓚が言葉を止めると、徐寧がこちらに首を向ける。そして徐寧は自分の考えを口にし始めた。

 

 

「確かに君の言う事も一理あるだろう。いや、それが当然だという事は百も承知だ。彼ら五胡の者達が漢の人々に対して略奪狼藉をしてきた事は周知の事実でもある……けれど、何で君は『彼らの事情』と言う物を考えない?敵だから殺しても構わないし、彼らの事情なんて考える必要すらないと思っているのなら……それは思考の停止でしかない」

 

 

「彼ら五胡の民だって、俺達漢の民と同じ『人間』なんだぞ?俺達と同じ様に喜び、怒り、泣き、笑える生き物なんだ。そして彼らも好きで略奪などをしたい訳じゃない………『生きる為』に略奪をしているという事を忘れてはならない。無論、彼らが略奪をしに来たのであれば民草を護る為に戦うのは当然の事だと思っているし、実際俺もそうしてきた。けれど彼らの事情を斟酌せず、ただ敵だからと言って殺す事しか考えないのなら、それは間違いであると俺は思う」

 

 

「…………」

 

 

 公孫瓚は目の前の馬上にいる徐寧の言葉に思わず聞き入ってしまっていた。普通に考えれば徐寧の言葉は綺麗事でしかないだろう。彼らの事情などを考えても、だからと言って彼らを野放しにして良いという理由にはならない。だが……彼女は徐寧の言葉にも正しいと思う箇所があると思っていた。五胡の民もまた、自分達と同じ人間なのだという事にである。

 

 

 思えば自分は劉虞に仕え、幽州の国境を侵そうとする五胡を相手に戦っている中に……彼らを『人間』だと思った事が一度でもあっただろうか?彼らの所業を目にしていく内に彼らを『血も涙も無い獣』だと決めつけて、殺しても構わないと思っていたのではないか?彼らにも帰る場所があり、彼らの帰りを待つ人とている。なのに自分達は彼らの事を一方的に殺しても構わないと決めつけていた………そう思うと、彼女の心には戸惑いの感情が芽生える様になっていた。

 

 

「け、けれど……それを言うならお前はあいつらと、五胡と話し合いでもして矛を収めろとか言いたいのか!?そんなの無理に決まってるだろう!?あいつらの行いで家を焼かれ、家族を奪われた人々の想いを斟酌しないのなら、そっちの方も悪いに決まってる!!」

 

 

 公孫瓚がそう捲し立てると、徐寧は悲しそうな表情になりながら返答をした。

 

 

「ああ、そうだろうな。恨みや憎しみはそう簡単に消える物じゃない………俺は話し合いで物事が全て解決できるとは思っていないし、刃を交えてでしか解決できない事とてあるだろう。けれど恨みや憎しみを持ち続けても、それで何かが変わる訳じゃない。時には憎しみや恨みを、過去の蟠りを捨てて手を携えなければ、前に進む事が出来ない事だってある。話し合いで全てが解決できないかもしれないが、かといって話し合いと言う考えを頭ごなしに否定する事も間違いだと俺は思っている」

 

 

「っ……」

 

 

 その言葉に、公孫瓚はとうとう黙り込んでしまった。そして徐寧の前にいる楼班はその言葉を聞いて溜息を一つついて返答をした。

 

 

「………あんたさ、それ本気で言ってんの?あたし達五胡の民と漢の民が蟠りを捨てて手を携える?それは詭弁でしかないじゃん。戦場じゃあ殺るか殺られるかが当たり前だってのに、そんな考えしてたら命がいくつあっても足りないよ?」

 

 

「ああ、少なくとも今は俺の言葉は詭弁でしかないだろうし、俺も戦場では命を奪う事が当然だとも思っている。けれど、このまま戦い続けて憎しみや恨みを増やすよりも………同じ人間同士なのだから、話し合いを考える事もまた選択肢の一つじゃないか?」

 

 

「……『姫様!』っ!清風(セイフウ)?」

 

 

 自身を呼ぶ声が響いた直後、黒のボブカットに橙色の瞳をし、同じく毛皮を基調にした戦装束を纏った少女が楼班の隣に並ぶようにして騎馬を進めてきた。

 

 

「見張りをしていた者からの連絡で劉虞率いる軍勢が向かっているそうです!ここは退き時かと思います!!」

 

 

「………そっか。分かった、皆退くよ!」

 

 

 少女の報告に、自分達の旗色が悪くなった事を悟った楼班は戦士達に指揮を行うと、それに応えた戦士達が落馬して重傷を負った仲間を抱えて騎乗し、それを見届けた楼班はそのまま馬首を返して自分達の領域--烏桓の縄張りに向けて撤退をしていった………。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 その撤退の最中、楼班は隣で騎馬を走らせる少女……清風に呼び掛けていた。

 

 

「ねえ清風、ううん蹋頓(とうとん)

 

 

「っ!?……何ですか、姫様」

 

 

 楼班が自分の事を真名ではなく、姓名で呼んだ事に驚きながらも彼女はその呼びかけに応えると、楼班は腑に落ちないという感じで語り始めた。

 

 

「あたし達烏桓と、漢の人間が和解して手を取り合って暮らせるようになるなんて、有り得ると思う?」

 

 

「それは………無理じゃないんですか?私達烏桓をはじめとした五胡は生きる為とは言え漢に対して略奪などを繰り返してきてるんですよ?漢の方は私達五胡に対して恨みや憎しみを以ていると思いますし、中原の人間は私達の事を蛮人として見下しているんです。そんな漢の人々と和解する事自体、無理難題だと思いますよ?姫様だってそれは分かっているじゃないですか。どうしてそんな事を……?」

 

 

「さっきあたし達を相手取った徐寧って奴が、そう言ってたの。……理想論だって分かってるんだけど、あいつはあたし達五胡の人間を『獣』じゃなくて、同じ『人間』だって言ってくれただけじゃなく、『同じ人間同士なら、和解を考える事だってできるんじゃないのか?』って、目に強い光を宿しながら言い切ったの。あんな風に強い光を宿す目の人間にあったのって初めて……また、あいつに会えるかな?」

 

 

「姫様……」

 

 

 そう語る楼班の貌には異性に惹かれているような色が宿っているのを、蹋頓は見逃さなかった………。

 

 

・・・・・・・・・・・・・

 

「助かった、のか……」

 

 

 撤退をしていく烏桓の後姿を見ていた公孫瓚は、彼らの姿が荒野の彼方に去っていくのを見届けるとそのまま地べたに座り込んでいた。そうして暫く座っていたが、自身の元に黒馬から降りた青年が近づいてきた。

 

 

「大丈夫か?」

 

 

「あ、ああ。……おかげで助かったよ。ありがとう」

 

 

「いや、気にする事は無い。どうにも困った人を放っておけないお人よしな所が俺にはあるみたいでね」

 

 

 青年が困った風な表情をしながら頬を指で掻いているのを見て、公孫瓚は思わず笑い出していた。

 

 

「ははっ、確かにな。……自己紹介がまだだったな。幽州刺史・劉虞の元で働いている公孫瓚、字は伯圭だ。改めて……助けてくれて感謝するよ、徐寧」

 

 

 公孫瓚が名乗りながら立ち上がって右手を差し出すと、青年……徐寧も微笑みながら左手を差し出し、両者は握手を交わしたのである。

 

 

「河東郡陽県の出、徐寧だ。どういたしまして、かな?」

 

 

・・・・・・・・・・・・

 

 公孫瓚の危機を助けた徐寧は、彼女の誘いを受けて幽州刺史の元を訪れる。そこで徐寧は公孫瓚の胸中にある悩みを聞かされる事になるのだが……続きは次回のお楽しみ。




 ここまで読んで頂きありがとうございます…!

 私自身、恋姫無双の二次小説などを読んでいて思ったのですが、白蓮って普通さんって程じゃないと思うんですよね。普通であるという事は文武のいずれにも優れているって事ですし、文武のいずれにも欠けた所が無いというのはある意味で才能があると思うんですよ。

 まあ、ほかの恋姫の方が遥かに才能がある分霞んでしまうのはやむを得ないのでしょうが…では、次回もお待ちいただければと思います!!


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幽州刺史と烏桓の大人

 どうも…またも投稿が遅れてしまい申し訳ありません。拙作をお待ちくださった読者の皆様方には謹んでお詫び申し上げます…。

 では、どうぞご覧下さいますように…!


「もう~!!白蓮(パイレン)さんどうして勝手に飛び出しちゃったんですか!?」

 

 

「……すいません、烏桓の襲撃から民を護りたいと思って」

 

 

「謝って済む問題じゃないです!!貴方にもしもの事があったら、貴方が率いた兵士達がどうなっていたと思うんです!それに貴方の命は、貴方だけの物じゃないんです。貴方が死んだら、悲しむ人だっているんですからね?」

 

 

「はい……」

 

 

 幽州の州都である『薊』にある居城、その大広間で公孫瓚を叱り付ける(ただその声には温和そうな雰囲気がとても強く感じられたが……)声が響く。彼女を叱り付けていたのは緑色の落ち着いた装束を纏い、薄紫色の流れるような長髪に翡翠色の瞳をした、闊達さが感じられる風貌を持つ女性だった。また、異性を惹きつけてしまうほど主張している体つきを持っていた……。

 

 

「……まあ、無事に戻ってきてくれたのならそれでいいです。ただ、これからは気を付けてくださいね?」

 

 

「ええ、分かっています……」

 

 

「ならいいです。……そちらにいる方が、白蓮さんを助けてくれた人ですか?」

 

 

 やがて彼女は彼女の後ろで二人の会話を聞いていた青年・・・徐寧に目を向けた。

 

 

「ああ。彼がいなかったら、多分私は死んでいたと思う。彼は私にとって命の恩人だよ」

 

 

 公孫瓚の紹介に、その女性は心底嬉しそうに笑みを浮かべると徐寧の前に行き、彼女の前で拱手をしながら頭を下げていた。

 

 

「貴方には感謝をしなければなりません。貴方がいなかったら、私は白蓮さんとこうして再会する事も出来なかったでしょうから……私は幽州刺史を務める者。姓は劉、名は虞、字は伯安と申します。この度は貴方に白蓮さんを助けて頂いた事、心からお礼申し上げます」

 

 

「いや、見て見ぬ振りが出来なかっただけの事。その様に感謝されると何やらこそばゆくなってしまうな」

 

 

「そんな事はありません。貴方の助けが無かったら白蓮さんの身が危うかったのですから……お礼に私の真名を貴方に捧げたいと思っています」

 

 

「っ!?宜しいので……?」

 

 

「恩義には報いる事を心掛けていますから。私の真名は『藤乃(ふじの)』と申します。何卒良しなに」

 

 

「藤乃が真名を預けるのなら、私の真名も受け取ってくれるだろうか?私は『白蓮(パイレン)』と言う」

 

 

 公孫瓚と劉虞が自身の真名を明かしたのを聞いて、徐寧もまた自身の真名を明かした。

 

 

「司隷は河東郡、陽県の生まれ。姓は徐、名は寧、字は芳明。お二方の真名、確かにお受け取りしました。ならばこちらも真名を明かさねば非礼なれば、真名は『壮也(そうや)』と申します」

 

 

 徐寧の返答に、劉虞は心から嬉しいという感じで微笑み、公孫瓚も同様に喜んでいた。やがて劉虞は彼の姿をしげしげと眺め始めた。

 

 

「それにしても、壮也殿は流浪の士であると白蓮さんから聞いています。それで宜しければの話なのですが………私の元に仕官するつもりはありますか?貴方の武勇は並々ならぬ物だと伺っていますし、無論強制ではありません。どうでしょうか?」

 

 

「私も寧ろお前が同輩として共に仕えてくれるのなら、これほど心強い事は無いんだが……」

 

 

「……申し訳ないのだが、俺は諸国を巡って見聞を広める旅の最中なんだ。いずれは何処かの主君に仕えようとは思っているが、まだ一つ所に落ち着く予定はない。済まない……」

 

 

「そうですか……いえ、其方にも事情と言う物があるでしょうから気にしてはいません。その代わり、と言っては何ですが細やかな酒宴に招待したいのですが宜しいでしょうか?」

 

 

「酒宴、ですか?」

 

 

「ええ。私の元で働いている白蓮さんを助けてくれた貴方へのお礼と、交友を兼ねた酒宴です。如何でしょうか?」

 

 

 劉虞の懇願に、徐寧は少しばかり考えていたが……やがて首を縦に振った。

 

 

「分かりました。喜んで相伴にあずからせて頂きます」

 

 

「っ!ありがとうございます!!皆さん、早速支度をしてくださいね!」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・

 

 そうして壮也は劉虞が司会を務めた酒宴に招かれ、そこで歓待を受ける事になった。その酒宴は華美さとはかけ離れた慎ましい物であったが、公孫瓚……白蓮を救ってくれた恩人を歓待しようという劉虞……藤乃の想いがひしひしと感じられる物だった。酒宴が終わった後、壮也は刺史の屋敷の一室を宛がわれそこで休息を取る事になった。

 

 

 深夜、壮也は目を覚ました。屋敷の庭園に誰かが足を運んだのを察した為だ。壮也は寝台から降りて上着を羽織ると、部屋から出て庭園に向かった。外は月が薄雲に隠れておぼろげに地上を照らしている中、庭園に出ていたのは……。

 

 

「白蓮?」

 

 

「あっ、壮也か……」

 

 

 寝間着を着ていた女性……白蓮が空に浮かぶ朧月を見上げていたのである。壮也は彼女の隣に立って共に夜空の月を眺めていたが、やがて白蓮が切り出してきた。

 

 

「……なあ壮也」

 

 

「何だ?」

 

 

 壮也の返答に、白蓮は一瞬言いづらそうに躊躇ったが………やがて意を決して話しかけた。

 

 

「壮也は、強いな」

 

 

「俺が、強いって?」

 

 

「だってそうじゃないか。烏桓の戦士達は五胡と呼ばれる異民族の中でもかなりの強さを持っていて、匈奴の連中とも凌ぎを削り合ってる奴らだ。その戦士を殺さないで蹴散らせるなんて、相当な武人だって証明しているようなものだ」

 

 

「それは買いかぶりと言う物さ。俺はまだ修行中の身、自分でも未熟だって思う所がある」

 

 

 壮也が白蓮にそう答えると、彼女は俯きながら言葉を漏らした。

 

 

「そんな事は無いさ。私から見れば、お前は十二分に武人として優れているよ。それに比べて、私はまるでいいところが無い」

 

 

「それこそお門違いだろう?苦戦していたとはいえ白蓮は手勢を率いて烏桓と亘り合っていたじゃないか。それは将軍としての力量があると見てもいいんじゃないのか?」

 

 

「だが、勝てなかったじゃないか………!」

 

 

 壮也の指摘に白蓮はそう辛そうに言い放つと、そのまま畳み掛ける様に捲し立てた。

 

 

「私は……いつも自分の才能の無さに悩んでいた。恩師である風鈴(フウリン)様からは『政戦いずれにも穴の無い、現実的な考えの出来る人物』って認められはしたさ。けれど、私は桃香(トウカ)の様に人を惹きつける魅力を持ってはいなかった。武術も知略も……どれをとっても普通としか言えなかった。人一倍、努力もしてきた。勉学にも励んできた!けれど、頓丘県で県令を務める曹操は文武に長けた天才で江東の虎と称される孫堅の長女である孫策は母親譲りの武勇を持っているのに、私は………凡庸のままだった」

 

 

「今回もそうだ。烏桓の襲撃があったと聞いて民を護りたいと思って突出して、逆にあいつらに翻弄されて仲間を失った挙句、お前が助けてくれなかったら私は楼班に討たれていただろう。私は、凡将でしかないんだ。武も、文も……それに秀でた者達に劣る者、それが私なんだよ。我ながら、情けなくて涙が出てくる…」

 

 

 白蓮はそう言って自らを貶す様な言葉を漏らして行くのを壮也は一言も口を挟まずに見守っていたが、やがて彼女が言い終わって俯いたのを見ると切り出した。

 

 

「平凡、か…………。俺には、君の方がよほどすごい力量を持っていると思うけれどな」

 

 

「っ!?な、何だって……?私が、凄い?」

 

 

「政戦いずれにも穴が無い……師である人がそう言うって事は、武勇と知略いずれにも優れているって事じゃないか。それは一国の君主にしてみれば一芸に秀でた武将よりも欲しいと思ってもしょうがないと俺は思っている」

 

 

 そう言って壮也は自らを指差しながら彼女に話し始めた。

 

 

「現に俺は確かに武技の腕はそれなりだとは思ってる。けれど俺は軍略こそ学んではいるが軍勢を率いて戦った事は無いし、まして領主として土地を治めるなんて専門外にも等しい。けれど白蓮、君は武も文も……その両方をそつなく行えるってのは、俺から見ればとてつもなく凄い事だと思う」

 

 

「第一史書を紐解いてみろ。名将として名高い楽毅や李牧、常勝将軍と讃えられた白起や国士無双と讃えられた韓信は軍勢を率いて戦う事に長けていても、個の武勇に長けていたか?猛将として名を馳せた項羽や樊繪らは個の武勇に長けていても軍勢を率いて戦う事は出来たか?軍師として名を馳せた孫武や呉起、張良は神算鬼謀を編み出す事は出来ても為政者として国を富ませられたか?為政者として名高い管仲や蕭何らは政略に長けていても神算鬼謀を練る事が出来たか?……白蓮、君に足りないのは『自信』だ」

 

 

「じ、自信……?」

 

 

 壮也の捲し立てるような言葉に白蓮が呆然としながら言葉を漏らすと、壮也はうなずきながら彼女の両肩に手を置いてさらに言葉を投げかけた。

 

 

「そうだ。どれほど人間に大きな才が眠っていて努力や勉学に励んだとしても、周りにいる優れた人間を見て自分を貶していては、それこそ人としても燻って行く事になる。『自分はこれだけの事が出来るんだ』……そう自信を持つ事。それがこれから君がすべきことだと俺は思う!」

 

 

 そう言って白蓮を射抜く壮也の瞳は……この上も無く真っ直ぐだった。

 

 

「っ!ご、ごめん。つい熱くなってしまって体が動いてしまった。済まない」

 

 

「いや……お前にそう言われていると、何だかすっきりしたような気持になったよ。自分に自信を、か……ありがとう、壮也」

 

 

「……元気が出たようだな。よか『うふふ、とても心温まる感じでしたよ』えっ?」

 

 

「ふ、藤乃!?」

 

 

 二人しかこの場にいないはずの場所に自分達以外の声が響いたため振り返ると、そこには寝間着姿の藤乃が立っていたのである。

 

 

「ごめんなさい。厠から帰ろうとした時に庭園から声が聞こえて来たので来てみたら余りにも心温まる光景が目に飛び込んできてしまったので、つい声を掛けちゃいました」

 

 

 そう言いながら廊下から庭園に降りてきた劉虞が壮也達の元に近づいて行く。そして二人の元に着くと、壮也の方に向かって頭を下げた。

 

 

「ありがとうございます。白蓮さんの悩みを聞いてくれたのみならず、彼女を励ましてくれて」

 

 

「いや、あくまで他人の意見に過ぎないさ。自分が抱える悩みは抱えている自分自身が何とかしなきゃいけない事だしね」

 

 

「そんな事はありません。本当は白蓮さんの上司でもある私が為すべき筈だったんです。けれど私じゃ彼女の苦悩を和らげられなかったから、貴方には感謝してもしきれません。本当にありがとうございます徐寧さん……いいえ」

 

 

ー徐来さん。

 

 

 その名が出た途端、その場は静寂に包まれた。壮也は瞠目して劉虞に顔を向け、白蓮も同様だった。

 

 

「ふ、藤乃………今、なんて言ったんだ?徐寧が、壮也が……『徐来』だって言うのか?国中にお尋ね者として指名手配されたあの?」

 

 

「ええ。酒宴を開く前に書簡整理をしていたら、中央から届けられた書簡の中にあったの。まさか貴方だったとは思わなかったけど……」

 

 

 そう言いながら藤乃は手にしていた書簡を壮也に手渡す。壮也が受け取った書簡を広げて目を通すとそこには自身によく似せた似顔絵と『この者、十常寺の一人たる張譲の親族を殺めたる大罪人なり。この者を捕えし者には千金を与える物なり。咎人の名は徐来芳明』と言う文章が記されていたのである。

 

 

「やれやれ、十常侍の一族一人殺めただけで千金の懸賞金とは。朝廷の連中も随分と大盤振る舞いをした物だな」

 

 

「呑気に言ってる場合か!?……壮也、お前が徐寧と名前を偽っていた事はどうでもいい。どうあれお前は私の命の恩人なんだから。だが一体どんな罪を犯したというんだ!?お前は我欲で動く人間じゃない事は分かってる。どうして………咎人に落ちたって言うんだ?」

 

 

「……俺にしてみれば、この事を知った君達がどうしたいのかと言う所を知りたいな。藤乃、貴方は俺を捕えるのか?もしそうであれば俺とて易々と囚われる積りは無い、全力で『どうにも、貴方は私の事を誤解しているようですね』えっ?」

 

 

「私は確かに朝廷から幽州刺史として任じられました。朝廷に忠義を尽くすのは当然です。ですが私は後漢の東海恭王・劉彊(りゅうきょう)(光武帝の長男)の末裔。漢の宗室として受けた恩義には全力で報いたいと思っています。まして、私の配下でもある白蓮さんを助けてくれた貴方を一時の私欲を得る為に差し出そうと思ってもいません。寧ろ私の力の及ぶ限り、貴方を匿いたいとも思っていますから。だから、私も貴方がどうして咎人に落ちたのか、その理由を聞かせてはもらえないでしょうか?」

 

 

 そう言って壮也に質問をする劉虞の瞳には一切の私心がなく、壮也の心中の苦しみを少しでも分かち合いたいという想いが溢れていた。両者の間には暫しの沈黙が流れたが、やがて壮也が根負けしたと言う様に溜息をついた。

 

 

「……藤乃さん、貴女は中々に物好きなお人だ。俺の様な咎人を匿うなんて事をしてもし密告などされたらご自身が危ないというのに。けれど、その言葉はとても嬉しく思います。……分かりました。聞くに堪えない話かもしれませんが、聞いてもらいたい」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 そうして壮也は話し始めた。自身がどうして咎人となったのか、その経緯を。故郷である陽県に新たに県令として訪れた張朔が、自身の想い人であった関羽の両親の死に関係していた事。そしてその張朔が関羽の身を欲した為彼女を救いたいという一心から罪を被る決意をし、それを実行に移した事……それらを壮也は全てを明るみにした。

 

 

「……じゃあ壮也、お前はその愛した人……関羽の為に自分から罪人としての汚名を被ったって言いたいのか?」

 

 

「そんな事があったのですね。ですが、愛する人を護る為に自ら汚名を被る……女性としては憧れてしまいますよ」

 

 

「止めてくれないか?どうあれ、俺の決断は彼女を泣かせてしまった事に他ならないんだから。……さて、とりあえず俺の事情は話したけど、これからどうするつもりだい?」

 

 

「どうするですか?そんなの決まってるじゃないですか。私、貴方の事が益々気に入っちゃいました。だから、貴方がここを去るという時まで匿い続けます。それが私の決めた事ですから……白蓮さんも協力してくれますね?」

 

 

「ああ、もちろんだ!」

 

 

「だそうですよ壮也さん。………暫くはここで羽を休めてもいいんじゃないでしょうか?」

 

 

 藤乃の心のこもった問い掛けに、壮也は暫し瞑目したまま黙っていたが………やがて力強く頷いた。

 

 

「……では、暫し御厄介になります」

 

 

 その時、夜空に浮かぶ月を覆う薄雲はいつの間にか掻き消え、淡く輝く月光が彼らを照らし出していた。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・

 

 時は劉虞らが壮也を匿う事を決め、彼女達の提案を壮也が受け入れた頃………烏桓の民が暮らす集落にあるひときわ大きな穹廬(きゅうろ)(ゲルの事)に楼班と蹋頓らは足を進めていた。

 

 

「あーあ……分かってた事だけど父様に会いたくないなぁ」

 

 

「姫様はまだいい方じゃないですか!寧ろ私の方がお館様に雷落とされるのは確定済みなんですよ!?もう本当にどうしたらいいのか……」

 

 

「安心してよ、その時は私も庇ってあげるからさ」

 

 

 そう話している内に二人はそのゲルの前に到着する。そして楼班が穹廬の入り口を開けると、その奥で胡坐をかいている男性が待ち構えていた。がっちりとした体つきをし、褐色の肌とは対照的な白狼の毛皮で作られた装束を纏った長い顎鬚を蓄えた壮年の男性は入ってきた楼班に彼女と同じ黄緑がかった瞳を向けると、おもむろに口を開いた。

 

 

「……ようやく帰って来たか。馬鹿娘が」

 

 

「ちょ、ちょっち待ってよ父さん!こうして無事に帰ってきたんだからそこは素直に喜んでもいいんじゃないの!?」

 

 

「何を言うか。お前は自分の立場がまるで分っておらん、お前はゆくゆくはこの遼西烏桓を率いねばならぬ大人になるのだぞ?にも拘らず血気に逸って前に出るなぞその心構えが出来ておらん証拠ぞ。だからこそお前にお目付けを任せたつもりなのだがな……清風」

 

 

 そう言って楼班を叱責していた男性はその隣で立っている清風に視線を向けた。これに対し清風は慌てて膝を屈して畏まっていた。

 

 

「も、申し訳ありませんお館様………!!この度の不始末、如何なる処罰も覚悟の上です!!」

 

 

 清風がそう言いながら地面に頭を下げるのを男性は黙したまま見続けていたが、やがて溜息を一つつくと彼女に聞こえる様に言い放った。

 

 

「……まあいい。こうして娘が無事に戻ってきただけでも良しとしよう。だが次からは気をつけよ」

 

 

「っ!は、はい!肝に銘じておきます狼牙(ろうが)様!」

 

 

 そう言って清風……蹋頓が感謝の言葉を述べながら再び頭を垂れた。そんな彼女の前で胡坐をかいているこの人物こそ遼西烏桓を束ねる大人である丘力居その人だった。

 

 

「しかし清風よ、お前達が戦ったのは幽州刺史の劉虞に仕えている公孫瓉が率いていた軍勢であろう?あれはそれほど戦上手であった覚えはないと言うのにこちら側の負傷者が多いとは……一体何があった?」

 

 

「はっ、それが……確かに当初こそ我らは幽州の国境近くで踏み込む構えを見せ、それを察知した公孫瓉をおびき寄せた後に打ち破ったのですが、追撃した時にその場に現れた流浪の武人によって痛撃を受けてしまったのです。その事は姫様がご説明してくださります」

 

 

「流浪の武人?……閃華、どう言う事か聞かせて貰おうか」

 

 

「うん分かった。あの後追撃した時に伯圭の奴を追いつめてさ、止めを刺そうとした時にあいつが現れたんだ。名前は……確か徐寧って言ってたっけ?そいつがとんでもなく強い奴でさ!烏桓の戦士達を手にしていた大戦斧で散々に打ち倒したんだよ!しかもさ……そいつ戦士達を()()()()()()()()あしらって見せたんだ!」

 

 

「何っ……!?」

 

 

 閃華の説明に丘力居は思わず立ち上がりかけていた。烏桓を初めとした五胡の人間は何れも生まれた時から騎馬の技に磨きをかけ続けており、その技を以て中原の人々……すなわち漢民族に対して圧倒的とも言える強さを持っていた。そもそもこの時代の中国では後世での『騎兵』と言う物は五胡の人々を初めとした遊牧民族の軽騎兵がこれに当てはまり、中原では二頭から四頭立ての馬で牽引する戦車が騎兵の代わりと言えた。

 

 

 しかし戦車は地形の影響を非常に受けやすく、またコストの問題もあった為次第に廃れていき遊牧民の軽騎兵による騎馬戦術の開発や定住文化圏への伝播、また品種改良による馬の大型化とそれによる重騎兵の登場などの影響を受けて騎兵に取って代られた。だがそれでも五胡の軽騎兵の強さはそうした重騎兵にも引けを取らないほどの精強さを誇っており、実際并州や雍州と言った土地では匈奴ら遊牧民族の戦士たちが猛威を振るう光景がしばしばあったのである。

 

 

 そんな精強を以て知られる五胡の戦士と渡り合うだけでも大したものだというのに、その戦士達を殺す事無く蹴散らすなど……丘力居にはとても信じられなかった。

 

 

「本当だって父さん!嘘だって思うなら一緒に行った兵士達にも聞いてみればいいよ!みんな口を揃えて言うはずだからさ!」

 

 

「……そうだな、それにお前が嘘を言う訳も無し。清風、兵士達と共にしばらく休んでいろ」

 

 

「はい!では失礼いたしますお館様!」

 

 

 そう言って蹋頓は一礼をして穹廬から出ていき、穹廬の中には楼班と丘力居だけが残された。二人は暫く黙っていたが、やがて丘力居の方から切り出した。

 

 

「閃華、何か言いたい事でもあるのだろう?親子二人だけしかおらぬのだから、思うままに言ってみよ」

 

 

「ねえ父さん。私達五胡の民と漢民族の民、手を取り合って暮らせるようになると思う……?」

 

 

「……それはまた随分と急だな。何故そんな事を聞くのだ?」

 

 

「徐寧の奴に聞いたんだ、どうしてそんなに強いのに仲間を殺さないんだって。そしたらそいつ答えたの。『そうする事で犠牲を少なくも出来るし、一人でも多く故郷に帰る事が出来るだろう?』って。その後公孫瓉の奴が殺したほうがいいって言ったらさ、『彼ら五胡の民だって、俺達漢の民と同じ『人間』なんだぞ?俺達と同じ様に喜び、怒り、泣き、笑える生き物なんだ』って答えてたんだよ。そんでもって……『恨みや憎しみを持ち続けても、それで何かが変わる訳じゃない。時には憎しみや恨みを、過去の蟠りを捨てて手を携えなければ、前に進む事が出来ない事だってある。話し合いで全てが解決できないかもしれないが、かといって話し合いと言う考えを頭ごなしに否定する事も間違いだと俺は思っている』って言ったんだ」

 

 

「…………」

 

 

「父さん……徐寧って馬鹿なのかな?それともそんな願いを本気で叶えたいと思っている奴なのかな?どっちなんだろう?」

 

 

 楼班の問いかけに丘力居は瞑目して黙りこくっていたが……やがて眼を開くと楼班に諭すように答えた。

 

 

「……どうしようもない阿呆、ではあるだろうな。俺達はどう言い繕おうと生きる為に漢民族に対して略奪を重ねてきた。また漢民族も五胡に対して弾圧をしてきた背景とてある。両者の間には、埋めようも無い溝がある事はお前とて承知しておろう?」

 

 

「うん……」

 

 

「我ら五胡の者達が漢民族を見下し続けてきたのと同じように、漢民族の者達も我ら五胡の者達を憎み続けておる。その負の流れを今更断ち切って手を取り合う事など出来ようはずもあるまい。……話は終わったな?では行くがいい」

 

 

「……分かった」

 

 

 そう答えると楼班も穹廬から出ていき、後には胡坐をかいたままの丘力居が残された。やがて丘力居は瞑目して考え込み始めた。

 

「(だが……その徐寧と言う男の言葉も最もかも知れん。このまま恨み憎しみを子孫らに受け継がせていったとしても何の益も無い。それどころか更なる報復を招きよせる事にもなる。ましてや徐寧と言う男は漢の人間でありながら我ら五胡の民をも同じ『人』であると言い切ってみせた。中原に住まう漢人でありながら何と聡明な男である事か……)」

 

 そう思った丘力居は、いつしか微笑みを浮かべていた……。

 

 

「徐寧、か。……俺も一目でよいから会ってみたい物よ」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 劉虞の提案を受けて葪にて暫しの休息を得る事になった壮也はその恩義を返さんと劉虞と公孫瓉に武具を作る事を決意する。一方壮也との再会を求めて旅立った愛紗は民草の苦しみを憂う少女と行動を共にしていた……続きは次回のお楽しみ。

 

 

オリジナル登場人物

 

 

劉虞・伯安 真名:藤乃(ふじの)

 

 

容姿:『戦極姫5 ~戦禍絶つ覇王の系譜~』の『相良義陽』をイメージしてみました。

 

 

作品設定:幽州刺史を務める女性。胸のサイズは桃香と同等。桃香と同じく理想主義な一面を見せる事はあるが現実の厳しさを直視する事も出来る。

 

 また異民族に対しても礼を欠かさない対応を取る事から烏桓などの異民族からも好意的に接せられる。ただ異民族に対しての姿勢から白蓮とは口論をする事がある。武技は朱里や桂花達軍師キャラ以上白蓮以下。

 

 

史実では………中山靖王の末裔を名乗っていた劉備と違い後漢の東海恭王・劉彊(光武帝の長男)の正式な末裔。また曹操に仕えた劉曄は遠戚に当たる。幽州刺史に就任すると、異民族はその徳性に感化されて朝貢し、周辺を荒らすこともなくなって、住民はその統治を喜んだ。

 

 反董卓連合が結成されると袁紹や韓馥は、劉虞が漢王室の年長の宗室ということで皇帝に擁立しようとしたが、劉虞はこれを拒絶した。その後公孫瓉と争うも破れて囚われの身となり、「皇帝になれるほどの人物なら、天から雨を降らせることができるであろう」と強引な要求をした。時は真夏の最中だったが、結局雨が降らなかったため処刑された。

 

 だがこの事は公孫瓉の評判を落とす事になり、また公孫瓚の行為に反発した烏桓が造反を繰り返したことにより北方の情勢も悪化する事になった。




 最後の部分にオリジナル人物の設定を乗せてみました。

 次回はもう少し早めに投稿をしたいとは思いますが…どうかお待ちくださればと思います。では…!


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武具進呈と仁君到来

 どうも…大変長らくお待たせしてしまいました。最新幕を送らせて頂きます。

 ここまで遅れてしまったのは偏に私の不注意による物です。仕事関係で出張をしていたのですが、その出張先で仕事をしていた際不注意で転倒し、それが原因で背骨の圧迫骨折と言う大事になってしまったのです。

 その為安静にした状態で出張先から帰還し、そのまま病院入院と言う流れになってしまい、退院した後もコルセットを装着した状態で安静にしていた為ここまで遅れてしまいました。

 自身の作品を待ってくださった読者の皆様には心からお詫び申し上げます…。ではどうぞ。


 幽州の州都・葪の城下町にある一軒の鍛冶屋。そこで壮也は一心不乱に鉄を打っていた。

 

 

 目の前の金床には熱せられた鋼が赤々と染まりながら置かれており、それに向けて壮也は手にしている金槌を振り下ろす。振り下ろす度に響く甲高い音はとても小気味よく、喧噪が響く町中にもよく響き渡った。そして暫く打ち続けるとその鋼を傍においている水を張った水桶の中に突っ込む。

 

 

 その瞬間、ジュワッ………と言う音と共に蒸気が起こり周囲に広がる。やがて水桶から取り出した鋼は先ほどまで真紅の色合いをしていたのが鈍色に変じていた。壮也は水桶から取り出したそれを見続けた後に砥石を置いてある場所に行って腰を下ろすとそれを研ぎ始めた。

 

 

 そうして研ぎ澄まされていった鋼は、やがて幅広の長剣の刀身を思わせる形に整えられていった。そして研ぎ終わったのかその刀身を自身の眼前まで持っていき真剣な表情で眺め続け……やがて満足そうにうなずいた。

 

 

「上々……と言っていいかな」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 事の始まりは一ヶ月前に遡る。葪の居城にある鍛錬場で壮也と白蓮は互いに武術の鍛錬に励んでいたのだが、その合間に行った休憩の時の事だった。

 

 

「武器を送りたいだって?私と藤乃に?」

 

 

 驚きを隠しえない、と言う表情と声を出した白蓮に壮也は力強く頷いた。

 

 

「ああ。追われる身である俺を身を挺して匿ってくれた藤乃や白蓮に対して、恩返しをしたいと常々思っていた。けれど流浪の身であった俺に金品なんて持っている訳も無し。あると言えば俺のこの武具を作り出す鍛冶の腕ぐらいな物、なら二人の為に武具を作ってお贈りしたいと思うのはおかしいだろうか?」

 

 

 そう言って自らの腕を叩く壮也に白蓮は嬉しく思いながらもこう返答をした。

 

 

「……いや、お前の気持ちはとてもうれしく思う。けれど何で藤乃にも送りたいと思うんだ?藤乃は刺史を務めてはいるけど文人肌の人物なんだ。文の方を得意としているし武の方も……まあそれなりと言えばそれなりだけどそこまで得意としている訳じゃない。それに藤乃は戦いでは基本的に本陣で待機をする方だから武具なんて必要ないんじゃないかと思うけどな」

 

 

 白蓮がそう問いかけるのに対し、壮也は首を横に振って自身の考えを話し始めた。

 

 

「ああ、確かに白蓮の考えは当然だろう。けれどこの世の中は『有り得ない事が有り得ない』のも当然でもある。幾ら本陣にいたとしても前線で戦っていた敵が前衛を突破して本陣に来ない保証があるか?間道とかを通って奇襲をしてこないという確証があるかい?物事において慎重に慎重を重ねて悪いという事はない。兵法においては『兵は神速を貴ぶ』とはあるが、同時に慎重さを持つ事もまた将として必要不可欠だと俺は思っている。そして……」

 

 

 そこで一旦言葉を切った壮也は背中に背負っている戦斧を手にしながら切り出した。

 

 

「戦場において武具とは自らの命を護る為に必要不可欠な物だ。軍師や文官には必要ないと言えばそれまでかも知れないが、だがもし護衛の兵がやられたとしたら?そこまでの状況下になっては容易な逃走は難しいだろうしまさか徒手空拳で迎え撃つ訳にもいくまい。なればこそ、己の身を護る為にも武具を送りたい……そう思ったのさ」

 

 

 そう自らの考えを口にした壮也に白蓮はすっかり感心しきっていた。確かに戦場において絶対と言う法則は存在しない……いかに万全の態勢を敷いて戦に臨んだとしても、戦場では何が起こるか分からない以上自らの護身の為に武具を持つべきだという彼の考えは的を射たものだったからである。

 

 

「そうだな……分かった、後で藤乃にも伝えておくよ。でも何を作るつもりなんだ?」

 

 

「それなんだが……明日俺が寄宿している鍛冶場に来てくれないか?そこで一通りの武具を二人に見せるから、それを見て決めてほしいんだ」

 

 

「よし、分かった」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 翌日、白蓮は藤乃を連れて壮也が寄宿している鍛冶場に足を運んでいた。

 

 

「でも壮也さんも私達に気を遣い過ぎです。自分を匿ってくれたと言うだけで私達の為に武具を作って下さるなんて……私は何も見返りが欲しくて匿った訳ではないのに」

 

 

「まあいいんじゃないのか?壮也も私達への恩返しがしたいと思ってるんだろうし、ここはご厚意に甘えてもいいと思う」

 

 

「……そうかもしれませんね。あっ、見えてきました。あの鍛冶屋ですね」

 

 

 藤乃が指差した先には一軒の鍛冶屋があり、その鍛冶場の外側に置いてある質素な長椅子に壮也は座っていた。その手には磨き上げられた刀身の長剣が握られており、日の光を受けて眩い輝きを放っていた。

 

 

「っ!白蓮、それに藤乃もよく来てくれた。仕事とかもあったろうにすまない」

 

 

「ふふ……お気になさらず。寧ろ壮也さんが武具を作って下さると聞いてどのような物を作って下さるのか、少し楽しみにしていたんですよ?」

 

 

「ああ、お前の父上である徐岳殿は『名器の作り手』って言う二つ名で都では知らぬ人がいないほどだって言うじゃないか。ならその息子のお前だって相当な腕前なんだろう?何を隠そう、私も期待していたんだよな」

 

 

「……そこまで言われるとこそばゆい、と言うか。とりあえず主だったものを地面に並べてあるからそれらを見て決めてほしい」

 

 

 そう言って壮也が鍛冶場の裏にある庭に二人を連れて行くと、その庭の地面に筵が敷かれておりその上に様々な武具が並べられていた。それらは白蓮にとっては馴染み深い剣や刀などの刀剣や槍や矛、戈や戟と言った長柄の武具。手斧や棍棒などの打撃武具のみならず、鉄扇や大型の籠手、そして楯と手槍が一体化したような物など様々な武具があったのである。

 

 

「……壮也、これみんなお前が作ったって言うのか?凄いとしか言えないんだが」

 

 

「まあ鍛冶の技を磨くのが楽しくて夢中で作っていたら気づいたらここまで貯まってしまったみたいでさ。それで何かこれはと思えた武具はあるかい?」

 

 

「とは言っても……こうもいっぱいあると却って目移りしちゃってしょうがないんだよなぁ。なあ藤乃……藤乃?」

 

 

 ふと返事をしてこない藤乃に気が付いた白蓮が彼女の方を向くと、藤乃は並べられていた武具の中にあった一振りの鉄扇を手にとってしげしげと眺めていた。やがてそれを広げたかと思うと、それを試しに振り始めた。初めはただ振るうだけと言う感じだったが……。

 

 

「…えいっ!」ーシャッ!

 

 

 やがてそれを前方に旋回させながら投擲するという行動もとったのである。そうして戻ってきた鉄扇を見事に受け止めてみせると大きく息をついていた。

 

 

「………ふうー『す、すごいな藤乃!?』えっ?」

 

 

「いやだってすごいとしか言いようがないぞ!?お前武の方はあまり得意じゃなかっただろう!?なのに初めて持ったはずの武具をそこまで扱えるって……」

 

 

 白蓮がそう捲し立てながら彼女を褒め称えると一方の藤乃も驚きを隠しえないという感じで手にしていた鉄扇を広げながらつぶやいていた。

 

 

「わ、私も驚いているんです。私自身武の方は自信が無いと分かっているのに、この鉄扇を持っていると自然と使い方が分かってしまうというか何と言うか………と、とにかく驚きを隠し得ません『それは多分、相性が良かったからだろうと思うけどな』相性、ですか……?」

 

 

 壮也の指摘に藤乃が疑問を投げかけると、壮也は自らが背中に背負っている戦斧を手にしながら頷いた。

 

 

「俺は思うんだよ。武具って言うのは使う人間の方が選ぶだけじゃなくて、物言わぬ武具の方も使い手を選ぶんじゃないかって。藤乃がその鉄扇を手にとって使いこなせたと言うなら、きっとそれはその鉄扇が藤乃を使い手として選んだという事なんだろうな」

 

 

「壮也さん……」

 

 

「それじゃあ、藤乃が扱いやすい様な鉄扇を作らせてもらうよ。白蓮はもう決めたのか?」

 

 

「あー……。決めたんだけど、な……」

 

 

 壮也の問い掛けに白蓮は言い淀む様な返答をした。それに壮也が首をかしげていると、白蓮が手にして持ってきたのは彼女自身が使い慣れている様な長剣と、柄が短く穂先が円錐状になっている鉾だった。

 

 

「いや、初めは使い慣れている事も考えて長剣にしようと思ったんだけどさ……何だかこの鉾が目に留まってさ。気になってしょうがなくて手に取っちゃったんだよ。はあ……優柔不断にも程があるよな。ところでこの鉾はなんて言うんだ?こんな形状をした鉾なんて見た事も無いんだけど」

 

 

「それは『錐鉾』って言う長柄の武具の一つさ。錐って言う言葉が入る様に文字通り『突き貫く』事に重点を置いた武具なんだ。地上で振り回す事も出来るけど、本来の用途は騎乗してからの吶喊だな。柄が短いのは下馬して地上で使用する事を考えた為で、突撃したままで構えているだけでも五胡の戦士が纏っている様な毛皮の鎧ぐらいなら平気で貫けるんだ。漢で見られる甲冑にも十分通用するけどな」

 

 

「そうなのか?それなら……でもなぁ」

 

 

 壮也の説明に白蓮は思わず耳を貸そうとしたが、腰に差していた自身の愛剣に目をやった後悩ましいという感じの表情になった。

 

 

「私はこの剣を手に鍛錬に明け暮れ、戦いに身を投じて来たんだ。壮也の言う事が正しいのならこの錐鉾と言うのはとても強いんだろうけど……だからと言って長年使い続けてきた剣からこの錐鉾に乗り換えるというのには抵抗があるんだよな」

 

 

 白蓮がそう呟くのを聞いた壮也は顎に指を当てて考え込んでいたが、やがてこう切り出した。

 

 

「……なら二つの武器を扱う修練をしてみたらどうだ?」

 

 

 この言葉に、白蓮は呆けた様な表情になり、呆けたような答えをした。

 

 

「な、なに?」

 

 

「何も一つしか武具を使ってはいけないという決まりとてないんだ。寧ろ扱える武具が多いというのはそれだけ選択肢が増えるという事にもなるしな」

 

 

「け、けれど勝手の違う武具を使いこなすのは相当な修練を要するぞ?」

 

 

「白蓮、お前は自身を凡将だって前も言ってただろうけど……俺には凡将という事は『文武、いずれにも欠ける事無く磨く事が出来る』と言う事になる、つまり武人としてはとても理想的だと思うんだ。そしてそれは武具の扱いにも言えるんだが、確かに一つの武具を極限まで磨き上げる事は武人として当然かもしれないが、それは裏を返せば『使った事の無い武具はまるっきり使えない』ともいえる事だ」

 

 

 そう言って壮也は並べられている武具の中から戟を手にして庭の真ん中まで移動すると、それを使った演武を行い始めた。薙ぎ、払い、斬り上げ、振り下ろす……壮也が行うその一つ一つの動作がいずれも磨き上げられているばかりか戟と言う、使い慣れている戦斧とは使い勝手の違う武具にも拘らずそれを十全に使いこなしている。それを白蓮や藤乃達は感じ取っていた。

 

 やがて一通りの演武を終えた壮也は戟を並べていた場所に戻してから二人の元へ戻ると白蓮に切り出した。

 

 

「今見せた様に、俺は自分が作った武器は全てを使いこなせるように修練を重ねてきた。……何でこんな事をするのかって顔をしているな?答えとしては至極単純な事さ。戦場で武器を取り落としたり、破壊された場合に可能な限り無手にならない為にね」

 

 

「無手にならない為……」

 

 

「だからこそ壮也さんは種類の違う武具を使いこなせるように鍛錬をしてきたというのですか?」

 

 

 白蓮が一つ一つ言葉を確かめる様に呟く一方で藤乃が確認をするようにして問いかけると、壮也も頷きながら答えた。

 

 

「ああ。無手で戦う鍛錬をしているのなら、無手での戦いに慣れている者ならまだしも殆どの武人と言うのは何かしら手に武具を持って戦う者だ。戦場では何が起こるかなんて分かった物じゃない、例えば……戦闘中に自分の武具を取り落としてしまったという事だって起こりえないとは限らないだろうし、相手の攻撃で武具が壊されたりすることだってあり得ない話じゃない」

 

 

「だからこそ、それ以外の……使った事の無い剣や刀と言った武具を使いこなせるようにする必要がある。相手の追撃を回避しながら武具を拾い、それで戦いを続行する為にね。さっきも言ったけど、平凡と言うのは武人としてはある意味で理想的だと俺は思ってる。ここまでの会話で言うのならば平凡という事は『使い勝手の違う武具を手にしていても、鍛練次第で使いこなせる』という事にもなると俺は思うんだ」

 

 

「使い勝手の違う武具を手にしても、使いこなせる……平凡って事はそれを可能にするとでも壮也は言いたいのか?」

 

 

「その通りだ。確かに白蓮の言う様に『一つの武器の扱いを極め抜く』という事は武人としては正しいかもしれない。けどそれは裏を返せば『それ以外の武具を手にしても十全に戦う事が出来ない』という事の証左でもある。逆に使い勝手の違う武具を使いこなす鍛錬をするという事は白蓮からすれば『器用貧乏』という事にもなるだろうけれど、それは裏を返せば『様々な選択肢を取れる事が可能になる』事にもなる」

 

 

「そう、なのか?」

 

 

 自分にとって忌むべき物と思っていた『凡庸』と言う物がまさかここまで賞賛されるとは流石の白蓮も予想だにせず戸惑いを隠せなかったが、壮也は構わず話し続ける。

 

 

「そうだろう?長柄の武具と言うのは必然的に一対多の戦いで複数を相手取れる武具でもあるし、刀剣を得物として使う相手に対しては剣の間合から離れた所から攻撃が出来る。剣の場合は振りの速さと手数の多さを武器にして戦えるだけじゃなく、小回りが利く事から長柄の武具を使う武人と戦う場合その懐に張り込むなんて事も可能だ。そしてこれらを使いこなして、二つの武具を状況に応じて取り替えながら戦ったらどうなるか?多分一つだけの武具を使いこなす武人にしてみればやりにくい相手と思うだろうね。何せ戦闘中に武具を持ち替えられちゃ間合や戦法とかがガラリと変わるんだから」

 

 

「それと武具を持ち替えて戦うという点で忘れちゃならないのが武具の持つ欠点を理解する事だ。刀剣の場合は間合が狭い事であり、錐鉾などの長柄の武具は間合と引き換えに振りの遅さが挙げられる。そして何より一つの武具を使いこなす武人にしても武具を持ち替える間隙を突く、なんて事をするだろうから。そこは鍛錬をし続ける必要があるけれど、白蓮なら俺は大丈夫だと思うんだ。己の非力を理解しつつも、努力を惜しまず鍛錬をし続けた君なら、さ」

 

 

 壮也の指摘に白蓮は黙して聞いていたが、やがて不敵な笑みを浮かべて答えた。

 

 

「そうか……最後は何と言っても鍛錬か。いいさ、鍛練をするなんて私にとっては息をするようなものだ。ならとことん極めてやるさ。……壮也、じゃあお前に任せる。いい武具を作ってくれ」

 

 

「私のもお願いしますね」

 

 

 白蓮と藤乃が頭を下げると、壮也も拱手をしてこれに応えた。

 

 

「承知した。俺の全霊を以て二人の為の武具を作らせて頂こう」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

そして一ヶ月後、壮也は自らの手で製作した武具を風呂敷に包んで刺史である藤乃の館へと参じた。

 

 

「白蓮、藤乃。待たせてすまなかった」

 

 

「壮也か!その様子だと……私達への武具が出来上がった、と見ていいのか?」

 

 

「す、少し緊張してしまいますね……『名器の作り手』と呼ばれた徐岳殿の息子である壮也さんの作った武具、果たしてどれほどの物なのか。では、みせて貰えないでしょうか?」

 

 

 藤乃の催促に、壮也は満足げに頷くと持ってきた三つの風呂敷を均等に並べ、そしてその封を解いた。そこから姿を見せたのは……青白い穂先に先端と中間部分、そして刀剣ほどの長さの柄にほど近い笠状の鍔には黄金の装飾が施された錐鉾と幅広の刀身を持ち、一切の装飾が施されていない質素な長剣。そして親骨(大外の骨組)を鉄製にし、その上から黄金の装飾で加工した鉄扇が置かれていたのである。

 

 

「錐鉾の銘は『聖槍舶来鋼(せいそうはくらいこう)』、長剣の銘は『護衛隊士(ごえいたいし)(ほまれ)』。そして鉄扇の銘は『天宮扇(てんきゅうせん)』と名付けてある。是非とも手に取って欲しい」

 

 

 壮也がそう言葉をかけると、その武具の出来栄えに目を奪われていた二人は思わず体をびくつかせたがやがてそれぞれ置かれた武具の前に近づくと、それらを手に取った。

 

 

「……ああ、とても素晴らしい出来だ。特に長剣は私が愛用していた剣と同じくらいの軽さじゃないか。それに錐鉾にしても程よい重さだよ」

 

 

 白蓮が長剣や錐鉾を持ち替えながらそれぞれの武具に満足する一方、藤乃は手に取った鉄扇を広げてみた。そこには蒼く染められた短冊を張った扇面があり、またその出来栄えに目を奪われた。

 

 

「まあ……!鉄扇とは思えぬほどに軽いです。それに装飾にしても華美過ぎず、無骨過ぎない。ありがとうございます壮也さん、これほどの武具を送ってくださった事、感謝に堪えません」

 

 

「いや、こちらも咎人である俺を危険であると承知で匿ってくれた二人への感謝を示したいと思っただけさ。鍛冶師として……二人にはその武具を大切に使ってほしい」

 

 

 壮也の言葉に、二人は力強く頷いた……。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 それから壮也は街中を巡りながら暫しの休息を過ごす一方で白蓮や藤乃らに進呈した武具の使い方を教授したり、白蓮の鍛錬の相手を務める日々を送る事になった。中でも白蓮の成長ぶりは目を瞠る物があり、見る見るうちに扱いの違う錐鉾を扱えるようになり、それを使用した場合壮也とも渡り合えるほどに成長したのである。

 

 

 また藤乃も政務を終えた傍らに白蓮と共に鍛錬に参加し続けた事で、鉄扇の扱いを会得する事が出来た。これに藤乃は文官肌の自分が武技を会得できた事を心から嬉しく思い、壮也に対して深く感謝を述べ続けた。そして二週間経った頃……壮也は薊の城門前で黒風(ヘイフォン)に跨っており、その傍には白蓮と藤乃らがいた。

 

 

「壮也、もう行ってしまうのか?このまま逗留し続けてくれてもいいんだぞ?」

 

 

「ええ、白蓮さんの言うとおりです。漢の宗室である私の力なら貴方をこのまま匿い続ける事だって出来るんです。なのにどうして旅立つなど……」

 

 

「藤乃、君の心配りを無碍にするのは俺だって気が退けるよ。けれど、俺はもっとこの中華の大地を巡り歩きたい。諸国にいる様々な人物と出会い、そんな彼らと交わりたい……そんな風に思ってるんだ。まあ、お尋ね者になっている自分が言える事じゃないけどさ。それにこれ以上この地に居続けていれば朝廷の追及が必ず二人に伸びてくるはず。それで迷惑をかけてしまう位なら、俺は君達の為に身を引くつもりだ。だから済まない、君の厚意を断る真似をしてしまって」

 

 

「……いいえ、壮也さんがそう決めたのであれば私からは何も言いません。でしたらこれを受け取ってください」

 

 

 そう言って藤乃が壮也に手渡したのは……金子の入った袋だった。

 

 

「これは……」

 

 

「些少ではありますが私財を切り詰めて作った金子です。何かしら物入りになるかもしれませんから、どうかお持ちください。そして出来得るのなら、またこの薊に赴いてくださる事を祈っています」

 

 

「壮也!お前の激励、私は決して忘れない。また会う時には、もっと強くなろうと思う。技量だけでなく、心も強くなる事を誓うよ!!」

 

 

「藤乃……ご厚意感謝する。そして白蓮、頑張ってくれ。今のお前ならきっと強くなれる、そう信じてるよ……行こう、黒風(ヘイフォン)!」

 

 

 二人に別れを告げた壮也は手綱を打つとまるで一陣の風の様に駆け去って行った。白蓮と藤乃は彼の後姿が見えなくなるまで門前に立って眺め続けたのである。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

 それから一週間ほど経った時の事である。いつもの様に藤乃と白蓮は共に執務作業を行っていると、一人の衛兵がある知らせを持ってきた。その衛兵は白蓮の前に傅いて発言をした。

 

 

「私に会いたい人がいるって?」

 

 

「はい。盧植殿の元で同門だった劉備と言う者らしいのですが……」

 

 

 だが衛兵はそこまで言うと、そのまま黙り込んでしまったのである。これに藤乃が怪訝な表情をしながら問いかけた。

 

 

「如何したのですか?白蓮さんの同門が来たというのに言葉を濁して……何かあったので?」

 

 

「それが…公孫瓚様の真名を知っている様なのですが、その……」

 

 

 そこまで言うとまた黙り込んでしまったのを見た藤乃は急に不快感を浮かべてしまった。藤乃自身、あまり他者に対して不快感を示す事は無い。寧ろ誰が相手であろうと、それが咎人であろうとも真摯に接しようとする人物なのだが、今回白蓮に会いに来た人物と言うのは会う前から不快感を覚えるような人物なのか……そう思ってしまうと益々不快感を覚え、顔をしかめる様になったのである。

 

 

 一方白蓮は見て分かるほどに不快感を露わにし出した藤乃を見て慌てて衛兵にその者達を謁見の前に連れてくるように命じて退出させると、藤乃を宥め始めた。

 

 

「お、落ち着いてくれ藤乃。あいつは……桃香はそこまで悪い奴じゃないんだ」

 

 

「そうですか?……白蓮さんがそう言うのであれば会ってはみますが」

 

 

 そうして機嫌を直した藤乃を連れて白蓮は謁見の間へと向かったのだが……。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

「あっ!久しぶりだね、白白(パイパイ)ちゃん!!」

 

 

 謁見の間に足を踏み入れて最初に響いてきた言葉がこれである。この言葉に対し白蓮は引き攣った笑みを浮かべながらこれに応える一方で、藤乃はまたも不快感を露わにする。そんな彼女の想いに気づいていないのか桃色の長髪に空色の瞳を持つ、大らかな雰囲気を醸し出す顔立ちをした少女が笑顔を振りまきながら白蓮に近づいてきた。

 

 

 その後ろには赤の短髪に紫色の瞳、虎を思わせる髪留めをした小柄な少女と水色のミドルヘアーに紅色の瞳を持ち、飄々とした雰囲気を纏った少女。そして()()()()()と琥珀色の瞳を持つ、凛々しさを漂わせる風貌の少女が立っており、二人の出会いを眺めていた。

 

 

「よ、よお桃香(トウカ)。久しぶりだな……えっと、その」

 

 

「あれ?どうしたの白白ちゃん?何だか顔色悪いよ?具合でも『ちょっとよろしいでしょうか?』ふえっ?」

 

 

「私は幽州の刺史を務める劉虞と申します。劉備さん、貴方はここにいる伯圭さんと同じく廬植殿の元で学問に励んだと聞き及んでいますが……本当に貴女は彼女の同門なのですか?」

 

 

 藤乃の淡々とした言葉に桃香は戸惑いながらもこれに応えた。

 

 

「は、はい!私と白白ちゃんは風鈴先生の元で一緒に学問に励んだ学友なんですよ!?それがどうし『白蓮(パイレン)です』………えっ?」

 

 

「伯圭さんの真名は『白蓮(パイレン)』って言うんです。まさか、貴女ご学友の真名を間違えて覚えていたという事に気づかなかったんですか?」

 

 

 藤乃の痛烈な批判に謁見の間には気まずい空気が流れ始める。そしてその原因を生んだ少女は……。

 

 

「……え、えっと。あはは……」

 

 

 乾いた笑い声しか出なかった。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

 その後談話室に移った彼女達だが、その直後桃香は白蓮に対し土下座をしかねないほどに頭を下げて謝罪し始めた。

 

 

「ごめんなさい白蓮ちゃん!!その、真名を間違えたまま覚えちゃって……」

 

 

「ああ別にいいって。……藤乃も機嫌を治してくれよ?桃香だって悪気があった訳じゃないんだからさ」

 

 

「『悪気があった訳じゃない』……ですって?白蓮さん、ここは怒って当然な所なんですよ!?そもそも真名を間違えて覚えるという時点で礼節と言う物が欠落している証です!!まして学問に励んでいる間に他の人が白蓮さんの事を呼ぶ時に彼女の真名が違うという事に気づいて然るべきでしょう!?なのにそれに気づく事無く間違ったまま覚え続けるなんて……はっきり言って人としてなっていません!!!」

 

 

 藤乃は湧き上がる怒りを抑える事もしないで白蓮の意見に返答をしていた。だがそれも当然だろう、何せこの世界における『真名』と言う物はその人間の本当の名前と言える代物だ。それを正しく覚えるのは相手に対して当然の礼儀であり、それを間違えて覚えるというのは相手に対してとんでもない無礼と言える行為なのだ。

 

 

 藤乃にとって白蓮は凡人である己自身を受け入れながらも、決して努力を惜しまない人物として好意を以て接する人物なのだ。そんな彼女と同門でありながら彼女の真名を間違え、尚且つその間違いを正さないできた桃香に対し、藤乃が嫌悪感を持ってしまうのも自明の理、と言う物なのだから。

 

 

「あうう……」

 

 

「お姉ちゃん、大丈夫なのだ……?」

 

 

「まあ、この場合は桃香殿の方が非は在ろうな。劉虞殿の非難も最もだろうよ」

 

 

 藤乃の畳み掛ける様にして起こる非難に対し、桃香は返す言葉も無く俯いてしまい、赤髪の少女はそんな彼女に対し必死に慰め、水色の髪の少女は自分が付いて来た少女の方に非があるとして眺めていたが、やがて黒髪の少女が劉虞の元に近づくと、拱手をしながら礼をして切り出した。

 

 

「恐れながら劉虞殿、宜しいでしょうか?」

 

 

「思いますけど白蓮さんは人が良すぎるんです!!ここは厳しく……あ、あら?貴女は……?」

 

 

「挨拶が遅れました、私はここにおられる桃香様の郎党の一人として行動している者。姓は関、名は羽、字は雲長と申します。劉虞殿、貴方の憤りは至極最もでしょう。現に桃香様は……あの様な天然な御仁ですから」

 

 

「「(えっ……?)」」

 

 

ーぐさっ!

 

 

「あうっ!?」

 

 

 関羽の名乗りに白蓮と藤乃らが内心で驚く一方、関羽の放った言葉が余りにも痛烈であった事から心に傷を受けた桃香の悲鳴をよそに、関羽はさらに続ける。

 

 

「ですが、桃香様に悪意があった訳ではありません。公孫瓚殿の真名を間違えた事にしても……そこの所をどうかご理解いただければと思っています。水に流してほしいとは言いませんが、どうか怒りを静めて頂ければ幸いです」

 

 

「ああ、分かっているよ。なあ藤乃、関羽もこう言ってるんだしそろそろ機嫌を治してくれよ、な?」

 

 

「そう、ですね。貴方の意見も最もでしょう……分かりました、ここで矛を治めましょう。ですが劉備さん?この様な事が二度と無い様に、よくよく肝に銘じておきなさいね?」

 

 

「は、はい!ありがとうございます!!」

 

 

 藤乃の許しが得た事に桃香は満面の笑みを浮かべながら頭を下げた。そして椅子に座るとそれぞれに自己紹介を始めた。

 

 

「あ、改めまして姓は劉、名は備、字は玄徳と申します!幽州は涿(たく)郡涿県、楼桑里の生まれです!それでこっちにいるのは義妹の……」

 

 

 そう言って劉備が彼女達の方に向いて声をかけると、赤髪の少女が元気よく声を上げた。

 

 

「鈴々は張飛って言うのだ!宜しくなのだー!!」

 

 

 そうして張飛……鈴々があいさつを終えると、その隣にいる水色の髪をした少女が拱手をして名乗りを始めた。

 

 

「お初にお目にかかる、劉虞殿。私は趙雲、字は子龍と申す者。流浪の武人として諸国を巡っていましたが、ここにおられる劉備殿の客将として暫し行動を共にする事になった次第です」

 

 

 張飛に続いて水色髪の少女、趙雲も自己紹介をすると最後に残った黒髪の少女……関羽が自己紹介を行った。

 

 

「改めまして、関雲長と申します。桃香様や鈴々、星共々、よろしくお願いいたします」

 

 

「こちらこそ宜しくお願いします。……関羽さん、こうしてお会いできた事を私達は嬉しく思っています」

 

 

「えっ……?」

 

 

 藤乃の言葉に関羽は戸惑うような声を出したが、その直後に掛けられた白蓮の言葉でその疑問は氷解した。

 

 

「お前なんだろう?()()が咎人になってまで護ろうとした人って言うのは」

 

 

 白蓮の言葉に関羽は先ほどまでの冷静さをかなぐり捨てて、白蓮に問いかけていた。

 

 

「っ!??壮也を……壮也を知っているんですか!?」

 

 

「知っているさ。暫くこの地に逗留していて、私達に武具を送ってくれたんだからさ」

 

 

 関羽の問い掛けに対し白蓮は腰に差していた自身の新たな愛剣となった『護衛隊士の誉』を鞘から引き抜くと、鍔の部分に近い刀身の峰を彼女に見せる様に差し出した。そこには十字を思わせる刻印が彫られているが、関羽はこの刻印を見た事があった。関羽は懐に仕舞っていた護り刀を取り出すとそれを鞘から引き抜く。

 

 

 その護り刀の持ち手に近い刀面にも、白蓮の愛剣と同じ様に十字の刻印が彫られていた。この刻印こそ、壮也が自ら作り出した武具に付ける目印である事を改めて認識した彼女はその場に崩れ落ちて落涙し始めた。

 

 

「そうか……壮也が、ここに来ていたんだな。壮也は、生きていたんだな……よかった。よかった……」

 

 

 自身の想い人がここに逗留していた……その事を知る事が出来た関羽は人目を憚らずに涙を流し、藤乃と白蓮はそんな彼女を慰めていた。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 壮也の消息を知る事が出来た関羽は藤乃らに道中の出来事を話し、劉備は自らの成し遂げたい理想を語るが藤乃はそんな彼女の理想の欠点を挙げて彼女を叱責する。一方幽州を離れた壮也は冀州の鉅鹿郡と言う土地に辿り着き、そこで様々な土地を巡り歩く旅芸人の姉妹と出会うのだが……続きは次回のお楽しみ。

 

 




 ここまで読んで頂きましてありがとうございます!とにかく更新速度を速めようとは思いますが、仕事などもあるので気長に待っていただけると嬉しいです…。今回登場させたオリジナル武具は次の通りです。

『護衛隊士の誉』・・・ドラック・オン・ドラグーン1に登場したロングソード。回復魔法を使用できる事から私としてはかなり扱いやすい武具の一つとして重用していました。

『聖槍舶来鋼』・・・戦国無双シリーズの三作目である『戦国無双2』から登場した『浅井長政』の使用武具。彼のストーリーはIF要素があって面白かったのが印象に残っています。

『天宮扇』・・・三國無双シリーズの一つである『真・三國無双6』から登場した武具系統の一つ『鉄扇』の三品目。攻撃力は低い物の攻撃速度が速いのが特徴。

 これからも多彩な武具が登場すると思うので後書きでそれらを紹介しようと思います。では、また。


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宋襄の仁

 更新が遅れてしまい誠に申し訳ありません…(´Д⊂ヽ

 言い訳がましいですが遅れてしまった理由を説明させて頂きます…具体的に言うと6月位に出張から帰ってきた後から創作を行ってきたのですが、夏季にかけてネット環境が悪くなりインターネットそのものが出来ない有様に…。

 さらに漸くネット環境が回復したと思った直後に仕事が入り、またも出張が入ってしまうという展開……こうしてみると他の作者さん達が凄いなと感心しきりです。

 ともあれ、ようやく完成したので投稿させて頂きます…拙作であるこの作品をお待ちいただいている方々には改めてお詫び申し上げます…。


 それから暫しの間、関羽は膝をついて涙を流し続けていたが…やがて涙を拭うと立ち上がった。

 

 

「申し訳ありません。恥ずかしい所をお見せしてしまって…」

 

 

「いいえ、構いませんよ。…本当に、貴女は壮也さんの事を想っているんですね。彼の無事をそんなにも喜べるのだから」

 

 

「はい、そうです…私にとって、彼はかけがえの無い人だから。あの、壮也は今どこに?」

 

 

 関羽がそう問いかけると、藤乃と白蓮は途端に辛そうな表情となって黙り込んでしまった。だがそれも少しの間であり、やがて白蓮の方が口を開いた。

 

 

「えっと…済まない、もう壮也の奴はここにはいない。一週間前にここを発ったんだ。多分南の方に行ったと思うんだけど、そこまで位しかわからない」

 

 

「そう、ですか…いえ、ありがとうございます。彼が生きている…それが分かっただけでも何よりです」

 

 

白蓮が期待に応えず申し訳ないという風にそう愛紗に伝えると、愛紗の方も非常に落胆した表情を見せながらも毅然として白蓮に礼を言った。この事で談話室に暗い雰囲気が漂い始めた事を悟った藤乃が場の空気を換えようと話題を振った。

 

 

「そう言えば…愛紗さんはどうしてそこにいる劉備さんと行動をするようになったのでしょう?宜しければ事情を聞かせて貰ってもよろしいでしょうか?」

 

 

「ええ、分かりました」

 

 

 そう言うと愛紗はこれまでの経緯を話し始めた…。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 時は壮也が幽州の州都である葪で白蓮と藤乃に贈呈する為の武具つくりに精を出していた頃。愛紗は幽州は涿郡涿県と言う土地にある楼桑里と言う村にいた。そこに住む一人の少女に助太刀をし、彼女が率いる事になった義勇軍の副将を務めるようになっていたからである。

 

 

「桃香様、義勇兵の鍛錬が一通り終わりましたよ」

 

 

「あっ、ありがとう愛紗ちゃん!いつもごめんね、愛紗ちゃんにばっか任せちゃって…」

 

 

「いえ、私に出来る事があるのなら何でも言ってください。力になれるのならば喜んでしますから」

 

 

「…本当にありがとう。愛紗ちゃんには助けられてばっかりだよ」

 

 

 そう愛紗に感謝の言葉を述べる桃色の長髪に空色の瞳を持った少女……彼女の名は劉備。三国志演義において主人公として語られる事の多い三国志の英雄の一人である。

 

 

 彼女と愛紗との出会いは戦いの中だった。陽県を旅立った徐来……壮也に追いつこうと陽県を発った愛紗は并州を経由して幽州へ向かった壮也とは違い、冀州を経て幽州へ向かう旅路を進んでいた。そうして幽州は涿郡涿県に辿り着いた愛紗がそこで見たのは、盗賊に襲われている村の姿だった。

 

 

「あれは…見過ごす事は出来ないな。行くぞ赤雲(チーウン)!」

 

 

 そう自身が騎乗している愛馬に呼び掛けながら村に向かって行った愛紗。その頃盗賊達の襲来を受けている楼桑里では村の奥に位置する村長の屋敷の門の扉に向けて盗賊達が数人で丸太を抱えて門に突っ込んで扉をこじ開けようとしていたのである。門の内側からは村人らが必死に防戦の為矢を射放っているのだが、有効打には至っていなかった…。

 

 

ーずずん!ずずん!

 

 

「よっしゃあ!もう少しで扉をぶち破れるぞ!!村の連中のへなへな矢なんぞにびびんじゃねえぞオメエら!!」

 

 

『応っ!』

 

 

 棍棒を手にしている盗賊の頭に子分達が気勢を上げている一方、門内にある屋敷の前では赤毛の短髪に虎を思わせる髪留めをした小柄な少女が、その手に不釣り合いと言える波打った穂先を持った長柄の武具…蛇矛を手にし桃色の髪と空色の瞳を持ち、腰に双剣を差している少女に声をかけていた。

 

 

「桃香お姉ちゃん、このままだと扉が破られちゃうのだ!?鈴々が外に出て蹴散らしてくるから…」

 

 

「だ、駄目だよ鈴々ちゃん!鈴々ちゃんはさっきの戦いで怪我してるんだよ!?」

 

 

「こんなの何でもないのだ…っ!」

 

 

 だが赤毛の髪に小柄な体格をした鈴々と言う少女が桃香と呼んだ少女に返答をしようとした途端、彼女はその貌を歪めて膝をついてしまう。そうして抑えた脇腹の部分は血で真っ赤に染まっており、少女が纏っている装束に染み出していたのだ…。

 

 

「ほらやっぱり…!!無理しちゃ駄目だよ!鈴々ちゃんは下がってて!わ、私達が前に出て戦うから…!」

 

 

「だ、駄目なのだ…!桃香お姉ちゃんは…戦いが、苦手だから…鈴々が、頑張らないと…!」

 

 

 そう言って鈴々が傷を負った我が身をおして蛇矛を手に門を開こうとしたが…その時、俄かに門の外が騒がしくなった。

 

 

「な、何だぁ…?」

 

 

「ぞ、賊の奴ら急に騒ぎ出したぞ…?!」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 さて、屋敷の中で鈴々が桃香と口論をしていた頃……盗賊達が扉に丸太をぶつけ続けた事で、とうとう扉が軋み出し始めていた。それを馬上から見ていた盗賊の頭は笑顔を抑えられなかった。

 

 

 その理由は言うまでも無く『屋敷内にいる女を手籠めにする事』だろう。特にその頭はある一人の少女に目を付けていた。桃色の髪をし目につくほどの豊満な肢体を持っている、双剣を腰に差した少女……あの少女だけは子分達に手出しはさせる訳にはいかない。何としても自分のモノにしようと意気込んでいたのだが、そこに水を差す様に子分の一人が駆け寄ってきた。村の外れで見張りをするように命じた子分だ。

 

 

「頭ぁ!!」

 

 

「…何だこんな時に。おいお前!一体何があった!!」

 

 

「そ、それがこっちに向かってくる誰かがいるんで…!」

 

 

 子分の言葉に、頭は首をかしげた。

 

 

「誰か…?誰かわからねえってのかよ、おい?」

 

 

「そ、そうなんでさぁ!呼びかけようとしてもいきなり目の前から消えちまって……」

 

 

 何を馬鹿げた事を……そう思って頭は子分が来た方に首を向けて…その場で固まった。彼の視線の先には焔のように真っ赤な毛並みをした駿馬に跨って駆けさせ、その手には刃の部分に青龍の装飾が目につく大薙刀を煌めかせながら猛然とこちらに突っ込んでくる者がいたからである!

 

 

 その突撃には、これに気づいた他の子分達も風に吹き散らされる塵の様に吹き飛ばされ、無人の野を行くが如くこちらに近づいてきている……!!

 

 

「……っ!???て、敵っ………」

 

 

 だが他の子分達に敵が来た事を報せるため声を張り上げようとした頭は……その前に真紅の駿馬に騎乗していた、夜の闇を切り取ったかの様な美しい黒髪の少女が振るった大薙刀によって、その頸は見事に斬り飛ばされ、ここにその生涯を閉じたのである…。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 賊の只中に赤雲を駆け込ませ、賊の頭と思われる馬上の相手に近づいた愛紗は、手にした青龍偃月刀を以てその首を斬り飛ばした。そうして宙を舞っている頸を偃月刀の刃で突き刺す様にして受け止めると、その傍にいた賊の一人に声をかけた。

 

 

「おい貴様」

 

 

 その問いかけに目の前で賊の頭を討たれる光景を見た事で、放心状態に陥っていた子分は再び正気に戻ると返事をした。

 

 

「………へっ!?あ、あっしですかい…?」

 

 

「ああそうだ。馬上にいて指示を出していたからこの者を討ち取ったが……こいつが貴様たちの頭か?」

 

 

 そう言って刀身の切っ先に突き刺した賊の頸を見える様に突き出してきた馬上の少女に対し、子分は自分の頭を猛然と上下に動かして頷いた。

 

 

「そうか…ならば他の者達に伝えろ。『お前達の頭はこの関雲長が討ち取った…これ以上の戦いはもはや無用。逃げるならば追いはしないが……まだ戦うというのであれば、貴様ら悉く屍を晒す事になるだろう』とな」

 

 

 愛紗の問い掛けに賊はもう頷く事しか出来ず、やがて声を張り上げて叫んだ。

 

 

「か、頭がやられたぞおおおおおおおおおおお!????」

 

 

 この声は彼らの周りにいた賊はおろか、今まさに門をぶち破ろうとしていた者、そしてそれと同時に屋敷に飛び込もうとしていた者達の耳にも入った。

 

 

「何だって!?頭がやられた……?!」

 

 

「んな訳がねえ!?きっと誰かの見間違、い………!???」

 

 

 そう言って賊の一人が頭のいる方に顔を向けて……驚愕した。何故なら真紅の毛並みを持つ駿馬に跨っている少女が、手にした大薙刀を高々と掲げ、その切っ先に自分達の頭の頸が突き刺さっていたのである。

 

 

「頭がやられてやがる……!?嘘じゃなかったんだ!!」

 

 

「あ、あの黒髪………間違いねえ!?あいつ河東の関雲長だ!!」

 

 

「何だと!?……も、もうだめだ!!逃げろおおおおおおおお!!!」

 

 

 その賊の声を革切りに、他の賊達も蜘蛛の子を散らすようにして逃げ出して行く。そして屋敷の前に屯していた賊達が殆ど姿を消した頃……赤雲から降りた愛紗が屋敷の門に近づくと、その屋敷の門が開いて中から村人達が鍬や手斧などを手に恐る恐る出てきた。

 

 

 そして愛紗の前に桃色の髪をした少女が近づくと、恐る恐る問いかけてきた。

 

 

「あ、あの……ここにいた賊達は、どうなったんですか?賊達が騒ぎ出したと思った直後に、急に静かになったから出て来たんですけど……『貴方はこの村の住人か?』は、はい。この楼桑里の出身で、劉備玄徳って言います」

 

 

 愛紗の問い掛けに劉備が拱手をしながら答えると、愛紗も青龍偃月刀を地面に突き刺し、拱手をしながら答えた。

 

 

「そうですか…ご安心を。この村を襲っていた賊共は既に四散しました。賊の頭も討ち取っていますから、もう警戒を解いても大丈夫ですよ」

 

 

「……そう、なんだ。…っ!ありがとう…ありがとう!私達の村を、護ってくれて…!!あの…貴女の名前は…」

 

 

「我が名は関雲長、河東郡の者です。以後よしなに…劉備殿」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

「それから私は暫し劉備殿と行動を共にする事にしました。壮也を探したいという気持ちもありましたが、このまま村を離れればまた賊の襲撃が起こるかも知れないと思ったので……鈴々、張飛ともその時に知り合いになり、子龍とは私が劉備殿の元で逗留していた際に賊に襲われていた所を助太刀して以来、共に戦う事になったのです」

 

 

 そう言って愛紗が一息つく為に茶を啜る中、白蓮と藤乃は心から彼女を称賛していた。他者を助ける為とは言え賊の大軍に対して単騎で斬り込むなど、常人であっては出来ない事だろう。だが彼女は弱き者達を助ける為に行動した。これは彼女が曇りなき『義』の精神を持っている事の証左なのだろう……それだけで二人には彼女が信頼たりえる相手であると認識した。

 

 

 だが藤乃と白蓮が愛紗の心意気に感心する中、茶を置いた彼女は劉備に対して深々と頭を下げていた。

 

 

「……桃香様、この様な事を言うのは恩知らずであり恥知らずな事でしょう。ですが私は彼を、壮也の元へと行きたいが為に旅をしていました。申し訳ありませんが……暫しの暇を戴かせて貰えないでしょうか?」

 

 

 愛紗の告白に対し、劉備は顔面が蒼白になって押し黙ってしまう一方で鈴々と呼ばれた張飛は彼女の腰にしがみつくと、涙目になって問いかけた。

 

 

「愛紗……どこかに行っちゃうのだ?愛紗は桃香お姉ちゃんや鈴々と義姉妹の契りは結んでないけど、鈴々は愛紗の事をもう一人のお姉ちゃんだと思っているのだ…!だから、だから…行かないでほしいのだ愛紗…!」

 

 

 涙声となりながら押し留めようとする鈴々に対し、愛紗は鈴々の背丈と同じぐらいに屈み込むと彼女の頭を優しく撫でながら優しく諭す様に言葉を掛けた。

 

 

「鈴々、私もお前の事を妹のように思っている。陽県にいた頃、私にはもう一人妹のように可愛がっていた子がいて、それと同じくらいお前の事を大切だと思っているんだ。だが……私はそれでも愛している人の元へと赴きたいんだ。悲しませる様な事をして、本当にすまない……」

 

 

 そう言いながら愛紗は涙を零し続ける鈴々を慰めていたが、やがて同じように屈んで鈴々を慰めていた趙雲の方に視線を向けた。

 

 

「……星、頼みがある。聞いてくれるか?」

 

 

「私に、か……何だ?」

 

 

 愛紗の問い掛けに星が真剣な表情で聞き返すと、愛紗もまた真剣な表情をしながら切り出した。

 

 

「お前は私と同じ様に諸国を流浪していた。劉備殿の元に落ち着いたのも一時の休息が理由である事を、私は知っている……だが、それを理解したうえでお前に頼みたい。お前には劉備殿の元を去る私の代わりに、劉備殿の力になって欲しいのだ」

 

 

「っ……愛紗、お前の決意を否定したくはないが考え直せないのか?確かに私が劉備殿の元にいるのはこの天下の何処かにいる、我が武を預けるに足る主を探すまでの休息の様な物であることは事実だ。だがそれ以上に…あの時、命を救ってくれたお前に対しての恩を返したいと思いここにいたのだ。お前がここを去るというのであれば、私も……」

 

 

 だが星が言葉を続けようとするも、その言葉は彼女の眼前に突き出された愛紗の掌に阻まれ、そして愛紗の強い視線が彼女を射抜いて止めていた。

 

 

「星………済まないが、こればかりは譲れない。この天下の何処かに、私が会いたいと思っている人がいる。それを思うと、私は『…嫌、だよ』っ…?桃香、様…?」

 

 

 その時、彼女達の前で座りながら俯いていた劉備が悲しげに言葉を漏らした。そして戸惑いを覚えている愛紗に向かって顔を上げ、目じりに涙を溜めながら制止を始めたのである。

 

 

「私、愛紗ちゃんにはどこにも行ってほしくない…!愛紗ちゃんが行っちゃったら、私は私の夢を叶えられない。力の無い人達が苦しむ世の中を、いつまでも代えられなくなっちゃう…!だからお願い…私達の元を去らないで…!」

 

 

「桃香様……私は…」

 

 

 そう言いながら愛紗は劉備を説得しようとするのだが、その声には覇気が籠っていなかった。劉備の穏やかな、人を引き付ける魅力がその勢いを削いでしまっているのか……やがて劉備の説得に愛紗が後手後手に回り始めたのを見て、白蓮と藤乃が制止を掛けていた。

 

 

「待てよ桃香、愛紗だって離れる事を心苦しく思っているんだ。けれど好きな人の元に行きたいっていう想いを無碍にするのはどうかと思うぞ?」

 

 

「そうですよ劉備さん。白蓮さんの言うとおりです」

 

 

「それは…けれど…」

 

 

 だが二人の擁護の言葉に対しても、劉備は踏ん切りがつかないのか何度も愛紗の方にちらちらと視線を向けていたのである。それを見た藤乃はしばし考えたかと思うと……彼女に言葉を投げかけた。

 

 

「……劉備さん、聞きたい事があるのですがよいでしょうか?」

 

 

「な、何ですか…?」

 

 

「貴方は義勇軍を率いてここまで来たと聞いています。それはつまりあなたが義勇軍を束ねる長と言う事でしょう……ならば貴方は何を為す為に上に立ったのでしょうか?」

 

 

 藤乃がそう問いかけると、劉備もまた声に力を込めて言い返した。

 

 

「わ、私は……今の世の中を変えたいと思っています。力の無い人達が苦しむ世の中を……誰もが笑顔で暮らせる世の中にしたい。それが私の願いです…!」

 

 

 そう言い放った劉備に対し、藤乃は内心感心していた。何の目標も持っていない訳ではない……そう藤乃は劉備をある程度評価したのだが……次の瞬間、藤乃はまたも質問をした。

 

 

「なるほど……では劉備さん、もう一つ質問をさせてください」

 

 

「は、はい…」

 

 

「……今、貴方の目の前に河があるとします。その河には十人の大人が乗った船が転覆し、彼らは幸いな事に河の中州に流れ着く事は出来ましたが河の水が増えればその中洲は沈んでしまいます。そして貴方の眼にはまだ幼い子供が川に落ち、これもまた助けを求めているでしょう……ですが、貴方は一人だけしかおらずどちらか片方しか助ける事は出来ないとしたら…どちらを、助けますか?」

 

 

「っ!?そ、そんなの……どっちも助けるに決まっているじゃないですか!?」

 

 

「……今言った事を聞いてなかったのですか?()()()()しか助けられないと言いましたよ?それとも、貴方には彼らを全員助ける事の出来る名案が浮かんでいるのでしょうか?あるのならば聞かせてもらいますが?」

 

 

「そ、それは……」

 

 

 藤乃の冷徹な宣言に対し、劉備は返す言葉も無く黙り込んでしまった。それを見て藤乃は一息つくと、覚悟を込めて言い放った。

 

 

「私ならば……十人の大人を助ける道を選びます。迷う事無く」

 

 

「えっ………?」

 

 

 藤乃の迷いなく言い放った返答に、桃香は思わず呆けたような声を零していた。そして藤乃はそんな桃香を余所にさらに言葉を続けた。

 

 

「その様に呆ける事も無いでしょう?人の上に立つという事は、綺麗事だけでは務まらない事なのです。例えそれが、善とはかけ離れた悪行をする事になったとしても……上に立つ者は為さねばならない時がある。一人の命を犠牲にしても多くの命を救えるのならば、迷わずそれを行うべきです」

 

 

「そ、そんなの酷過ぎます!だって…だって命は尊い物なんですよ!?なのにそんな簡単にあきらめるなんて…!『…そうですか』えっ…?」

 

 

 桃香の反論に対し、藤乃は静かに言い放つと会話を中断され戸惑う桃香に鋭い視線を向け、言い放った。

 

 

「やはり……貴方は人の上に立つ資格があるとは言えません」

 

 

「ど、どうしてですか…!?」

 

 

「貴方は理想こそは持っています。とても清らかで、他者を救いたいという慈しみのこもっている願いを……けれど貴方は理想を叶えたいと思うあまり穢れから目を背けてしまっている。理想だけを盲目的に追いかけている……貴方はまるで宋の襄公のよう。慈悲深いが為にそれが正しい選択だとしても力無い人達の事を想うと非情な決断をくだせない……そんな貴方が王となったとしても、非情な決断であることを理解しつつも己が理想を果たそうとする王には勝つ事は出来ないでしょう」

 

 

「け、けど劉虞さんだって五胡の人達に対して情を以て接しているでしょう!?なら……『それは違うぞ、桃香』っ!?白蓮ちゃん?」

 

 

 白蓮の静止を掛ける声に桃香が彼女の方を向くと、白蓮は藤乃の方を見ながら彼女を擁護し始めた。

 

 

「藤乃は確かに五胡ら異民族に対して温情ある対応をしてはいる。けれど五胡の軍勢が攻めて来た時には、藤乃は不慣れだけど軍を動かして幽州を、そこに住む民草を護ろうとするし非情な決断も出来る。少なくとも人の上に立つ資格は十分にあると思うぞ?」

 

 

「っ………」

 

 

「それに桃香。多分、いや……間違いなくそうなんだろうけど、賊を討伐した時も抵抗をやめた相手を無暗に殺さないようにとか命じているんじゃないのか?」

 

 

「…………」

 

 

「やっぱりな……桃香、お前の優しさはとても素晴らしい事だと私は思う。けど人の上に立って皆を導くのであれば、その情けは却って禍になる事も理解した方がいい。でないと…取り返しがつかない事にもなりかねないんだからさ」

 

 

「けど…けど………」

 

 

 白蓮の言葉に桃香はとうとう俯いて黙り込んでしまった。そんな桃香に視線を向けていた彼女の傍に駆け寄った鈴々や趙雲らの方に視線を向けると、鈴々の方は桃香を慰めながらも藤乃に対し納得できないという風に顔を歪めていたのだが、一方の趙雲は桃香の方に複雑そうな表情を向けていたのである。

 

 

 それを見て藤乃は鈴々…張飛を『純粋な子供』であると心中で評する一方、趙雲を『飄々としながらも現実を見据える事の出来る人物』と評した。そして藤乃はやがて桃香にこんな提案をした。

 

 

「劉備さん、貴女方には暫くこの幽州に逗留して頂けないでしょうか?そしてこの土地で、貴方は理想を思うあまり、穢れから目を背けるその姿勢を変える様に心してください。本当に貴女が『力無い人達が苦しめられている世の中』を変えたいと願っているのなら、ね…?」

 

 

「…っ。は、はい!」

 

 

「ならばこれで話は終わりです。明日から貴方達にはしっかりと働いてもらうのでその積りでいてくださいね?」

 

 

 そう言うと藤乃は立ち上がり、棒立ちのまま固まっていた愛紗の方に歩いて行った。そして彼女の肩に優しく手を置くと微笑みを浮かべて切り出した。

 

 

「愛紗さん、もう大丈夫です。劉備さんはこちらで預からせて頂きますので、貴方は壮也さんの元へ向かってください……無事に再会出来ることを、祈っています。そして……今から貴方に私の真名を預けます。私は藤乃、これからは貴方とはより良き友人として接したいですから…宜しいでしょうか?」

 

 

「藤乃が名乗ったのなら、私も名乗らないとな…私は白蓮だ。よろしくな関羽」

 

 

「藤乃殿、白蓮殿……お気遣い有難く存じます。私の真名は愛紗……おふた方、この恩はいずれ必ずお返しさせて頂きます。では……!」

 

 

 そう言うと愛紗は二人に拱手をしながら頭を下げると屋敷を飛び出して赤雲に跨り、薊の居城を後にしたのであった………。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 さて、その頃当の壮也本人は幽州から去った後、13州ある中華の土地の一つである『冀州』に流れ、冀州の郡の一つである鉅鹿に赴いていた。

 

 

 この時壮也は旅をする中で仕留め、鞣した熊や虎の毛皮などを金に換えようと、危険を承知の上で貌を隠して鉅鹿の町を訪れていたのだが……そんな彼の耳に美しい雅楽の音が飛び込んできた。

 

 

「……?これは、演奏…か?」

 

 

 そう思った壮也が得た財貨を懐に仕舞い込むと、その音楽が響いてきた方に向かって歩いて行った。すると音楽の音に紛れて誰かが歌を歌っているのも聞こえた。それを頼りに町の中心部に辿り着くと……そこには旅芸人の一座が即席の舞台の上で琵琶や二胡、太鼓や笛を奏で、彼らの前では三人の少女達がそれぞれに美しい声で歌を歌っていたのである。

 

 

 それは見る物から見れば素人じみた拙い物であるかもしれないが、その歌には自分達の持てる力を振り絞った、精一杯な感じがひしひしと感じ取れた。その姿と響き渡る歌声に壮也は暫し聞き入っていたのだが……唐突に観客たちが騒ぎ始めた。それに壮也が意識を覚醒させて観客たちの視線の先を見ると……人相の悪いならず者の集団が舞台の上にどかどかと上り込んできたのである。それを見た旅芸人の座長と思われる中年の男性が慌てて彼らの前に出てきた。

 

 

「な、なにをなさるんで…!?」

 

 

「ああん?何をするだと…?ここらを仕切っている李一家にみかじめ料を払わねえで芸をしようなんざ虫が良すぎるって物じゃねえか!おら、とっとと出す物だしな!」

 

 

「そ、そんな……儂らはご覧の通りの旅芸人、とてもではありませんが親分様に払える様なみかじめ料など……」

 

 

 だが座長が弱弱しくそう言った直後、ならず者の一人がその座長の腹に一撃を叩き込んで吹き飛ばし、座長は舞台に叩き付けられてしまった。そうして他の芸人達が慌てて座長に駆け寄るのを尻目にならず者たちを纏めている男が怒鳴りつけた。

 

 

「寝言は寝てからほざきやがれ!金が払えねえってんなら……てめえのとこにいるそこの三人娘を寄越しやがれ!」

 

 

 そう言いながら纏め役の男が目くばせすると、その子分と思われるならず者たちは舞台で歌っていた三人の少女達に下卑た視線を向けながら近づいて行ったのである。これに水色のポニーテールをした少女が桃色のロングヘアーをした少女と紫色のショートヘアーをし、メガネをかけている少女を庇うようにしてならず者たちの前に立ったのである。

 

 

「ふざけんじゃないわよ!座長さんを傷つけたあんた達みたいなならず者たちに天和姉さん達には触れさせないわよ!」

 

 

「ふん、気の強い女だ。だがそれもいつまでもつか楽しみだ……お前ら、連れて行け!!」

 

 

『ヘイっ!』

 

 

 纏め役の号令に子分達が返事をすると、ポニーテールの少女の手を無理やり掴み連れて行こうとし始めた。

 

 

「ちょ、ちょっと!離しなさいよー!?」

 

 

「ちーちゃん!」

 

 

「地和姉さん!!」

 

 

 ポニーテールの少女がならず者たちに連れて行かされそうになるのを桃色のロングヘアーの少女と紫色のショートヘアーをし、眼鏡を掛けた少女が必死に止めようとするが他のならず者たちによって動きを止められてしまう。そしてそのまま連れて行かれそうになった時……急に日が陰った。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 この日は確か雲一つない晴天だったはず……そう思ったポニーテールの少女が太陽の方に顔を上げると、その太陽を覆い隠す様に顔を覆面で隠し薄汚れた外套を羽織った青年……壮也が、真紅の色合いをし、両端部分に黄金の円輪と思われる装飾が施された長棍を振り上げながら飛び掛かって来ており、壮也はそのまま手にしている真紅の棍をポニーテールの少女の手を取っているならず者の頭に振り下ろしたのである。

 

 

ーぼかっ!

 

 

「ぶぎっ!???」

 

 

 思い切り振り下ろされた真紅の棍を脳天に受けたならず者の一人は目を回しながらあぶくを出しつつ倒れると、他のならず者たちが一様に殺気立つ。それは彼らの纏め役の男も同様だった。

 

 

「て、てめえ!?一体どういうつもりだ!?俺達李一家に敵対しようってのか!」

 

 

 そう恐喝しながら腰に差している青竜刀を引き抜いて突き付けた男に対し、壮也は静かな声で返答をしていた。

 

 

「好きで敵対するつもりは無かったんだよな。こっちはいろいろと訳ありな身だし……けれど、幾らみかじめ料を払っていないからと言って嫌がる女性を無理やり連れて行く事をする……それでよく男として恥ずかしくない物だ?そんなお前らを見ているとどうしても我慢ならないんでな…覚悟してもらおうか?」

 

 

「野郎…いい度胸しているじゃねえか!!野郎ども、こいつを袋にしちまえ!!」

 

 

 纏め役の男の号令が響き渡ると、それを聞いた男たちはそれぞれに匕首や棍棒を手にして壮也を囲んだ。だが見物客達が慌てて離れて行く中で壮也は動じるそぶりすら見せず、自身の傍に駆け寄ってきたポニーテールの少女に優しく語りかけた。

 

 

「大丈夫だ、俺の傍から離れるな?」

 

 

「わ、分かった…!」

 

 

 そうしているうちに完全に取り囲んだならず者達は一斉に飛び掛かってきたが……。

 

 

―ブンブンブンッ!

 

 

 壮也は動じる事も無くその長棍を右に左に振り回して彼らを寄せ付けない。やがて壮也は傍らにいた少女に呼び掛けた。

 

 

「頭を下げて屈んでいろ!」

 

 

「っ!」

 

 

―ビュオンビュオン、ドガドガドガッ!!!

 

 

 少女がその声に応える様に屈んだ直後、青年はその長棍を肩に担ぐ様にするとそのまま反時計回りに二回転し、それによってならず者たちを悉く薙ぎ払ったのである。吹き飛ばされたならず者たちは何れも息はあるようだがもはや闘い続ける事が出来ないのがありありとうかがえた……。

 

 

「さて、まだやるか?一応手加減はしておいたから命に別状はないが……これ以上やるなら、命の保証は出来かねるぞ?」

 

 

「~~~~~~っ!!!お前ら引き上げだ!!……覚えていやがれ!」

 

 

 壮也の言葉に歯軋りをしていた纏め役の男は子分達にそう言い放つと、如何にもな捨て台詞を吐きながら逃げ去って行った。それにより見物客達の歓声が広場中に響き渡る中、壮也は膝をついていたポニーテールの少女に近づき、手を差し伸べた。

 

 

「大丈夫だったか?…怖い思いをさせてしまった」

 

 

「う、ううん。貴方が助けてくれたから助かったわ…ありがとう」

 

 

 そう言いながら少女が差し伸べられた手を掴んで立ち上がると、その少女とは姉妹と思われる二人の少女が駆け寄ってきた。

 

 

「ちーちゃん大丈夫だった!?酷い事されてない!?」

 

 

「姉さん……無事でよかった。本当に…!」

 

 

「天和ねえさん、人和……ごめんね」

 

 

 その心温まる光景を暫し眺めていた壮也は、彼女達の後をついてきた座長の男性に声を掛けられた。

 

 

「そこの御仁…本当にありがとうございます。儂らどころかあの子らを救ってくださって…」

 

 

「気にしないでくれ。生来、あんな無法が気に入らないだけだからさ…それよりお前達はこれからどうするんだ?」

 

 

「騒ぎになってしまった以上、儂らはここを離れるつもりです…どうでしょう?宜しければ儂らと一緒に来てくださいませんか?旅は道連れと申しますし……」

 

 

 座長の提案に壮也はしばし考え込んでいたが、やがてこれを受け入れる事を決めた。

 

 

「…分かりました、そのお誘いをお受けします。俺は徐寧と言う物です」

 

 

「徐寧殿、ですな?儂はこの旅芸人の一座の座長を務める楊と言う物です、何卒良しなに」

 

 

 座長がそう挨拶すると、先ほど助けた少女とその姉妹と思われる少女達が近づいてきた。

 

 

「あの……さっきは本当にありがとう。改めてお礼を言わせて」

 

 

「別に気にする事は無いって……俺は徐寧、君達は?」

 

 

 壮也が自身の名を名乗り彼女達の名を問い掛けるが……この直後、彼は予想だにしない答えに耳を疑う事になる……。

 

 

「あたしは張宝っていうの。真名は地和(チーホー)よ。それとこっちにいるのが私の姉と妹」

 

 

「ちーちゃんを助けてくれてありがとね!私は張角っていうの♪真名は天和(テンホー)だよ」

 

 

「私からも感謝します、姉さんを助けてくれて…私は張粱って言います、真名は人和(レンホー)です」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 後の世に黄巾の乱を引き起こすとされる三人の少女達と行動を共にする事になった壮也。だが別れの時は静かに近づきつつあった……続きは次回のお楽しみ。




『宋襄の仁』
 春秋時代、宋の国に襄公と言う人物がいた。ある時彼は楚の国と戦(泓水の戦い)をする事になり、楚の軍勢が川を渡り始めた際に公子の目夷が敵の布陣が整う前に先制攻撃を仕掛けるべきと進言したのに対し襄公は「君子は人の難儀につけこまないものだ」と言って、敵の陣形がととのうまで攻撃命令を下さず、それが原因で楚に大敗を喫した。

 この事から無益な情け、的外れのあわれみ、の意味として使われる。また、情けをかけるときは時と場合を考えなければならないという意味




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太平妖術の書

 本当に…本当に申し訳ありません!!なるべく早くに投稿すると言っておきながら半年以上も待たせてしまった事……弁解の次第もありません。


 言い訳がましいのですが、出張で小笠原の方まで言ってからの仕事が忙しく執筆がはかどらず、その出張が終わって東京に戻ると今度は東京の方で仕事が起こってまた執筆が進まず…と言う感じになってしまいまして。


 ただ途中で失踪するという事は決してありませんし、一度小説を投稿したからには最後まで完結するつもりでいるので、どうか気長に待っていただけると嬉しいです…。


 では最新幕、どうぞ…! 


西暦184年……当時の年号では光和7年の時、後漢王朝においてある叛乱が勃発する。乱の名は『黄巾の乱』、太平道の教祖張角を指導者とする太平道の信者が各地で起こした農民反乱であり、目印として黄巾と呼ばれる黄色い頭巾を頭に巻いた事から、この名称がついた。

 

 

 では、ここでこの反乱の指導者である張角と彼が引き起こした『黄巾の乱』について説明をしておかねばならないだろう。この張角と言う人物は正史三国志と三国志演義で立場が異なっている人物である。

 

 

 正史三国志では『太平道』と言う道教の創始者であり、病人達に対して自分の罪を悔い改めさせ、符水を飲ませ、九節の杖で呪術を行って治癒を行う事で、10余年のうちに数十万人の信者を8つの州で獲得するに至った為、信者を36の「方」に属せしめ、それぞれの方に渠帥を置き管轄させた。そして自身を『大賢良師(または天公将軍)』、弟である張宝と張粱をそれぞれ『地公将軍』、『人公将軍』と自称した。

 

 

 彼らは当初、表面的には善道をもって天下を教化していたが、内部では結託して黄天の世を作ろうと画策しており、やがて次の様なスローガンを掲げ武装蜂起を企てた。

 

 

蒼天已死(蒼天すでに死す)

 

 

 黃天當立(黄天まさに立つべし)

 

 

 歲在甲子(年は甲子に在りて)

 

 

 天下大吉(天下大吉ならん)

 

 

 この計画その物は張角の弟子の密告によって王朝側に漏れてしまうが、武装蜂起した張角ら率いる黄巾軍は漢王朝が大将軍として任命した何進率いる官軍を相手取り、彼らを中々に苦しめた。だがその勢いも官軍に加わった後の三国志において名を馳せる事になる英雄……曹操や孫堅、そして義勇軍を率いて参じた劉備らの活躍により次第に下火に向かい、張宝と張粱は戦死。指導者である張角も病死して収まったかに見えた。

 

 

 しかしながら、張角ら幹部が死去した後も乱の根本的原因である政治腐敗による民衆への苛政が改善されることはなく、黄巾軍の残党はこの後も広範な地域に跋扈し、反乱を繰り返したり山賊行為や盗賊行為を行う様になった。

 

 

 さらに当時の中華における最西端と言える涼州において涼州出身の指導者である北宮伯玉や韓遂。并州において『黒山賊』と呼ばれる100万の山賊や罪人などを率いた張燕など黄巾以外の反乱軍も数多く蜂起し、もはや後漢朝廷の手に負えなくなった。この事件以降、後漢の権威は地に堕ちた。

 

 

 やがて群雄割拠の果てに、黄巾兵を傘下に組み入れた曹操が打ち建てた曹魏。『孫武の末裔』を自称した孫堅から始まり、『江東の小覇王』と称された孫策を経て国と将兵を受け継いだ孫権が治めた孫呉。そして長き流浪の果てに益州を得て天下に躍り出た劉備が打ち建てた蜀漢が鼎立し、覇を競い合う「三国時代」が到来することとなる。

 

 

 これに対し三国志演義では張角ら三兄弟は「不第秀才」(郷試に合格していない秀才 (科挙))として鉅鹿郡で日々を過ごしていた。ある時、張角が山に薬草を取るため入った際に南華老仙という人物に会い、「太平要術」3巻を授けられ『まさに天に代わりて宣化し、あまねく世人を救うべし』との使命を与えられた。またこの時、『もし悪用すれば、必ず報いを受けるだろう』と警告され、その後その天書を読む事で治癒の術を得て人々を癒したとされている。

 

 

 ………話が大きく逸れてしまったのでここらで戻るとしよう。壮也は当然、生前において三国志の書物などを読んでいる為、三国時代の切欠を生んだと言える『黄巾の乱』の指導者である三人の事はよく知っていた。だが……その三人と言うのがよもや旅芸人をしていたというのはさすがの彼も予想がつかなかった。

 

 

 ともかく騒ぎが大きくなると悟った座長の楊は、他の団員達に指示を飛ばして物を片付けさせるとすぐさま鉅鹿の町を離れる事を決め、壮也もこれに同行する事になった。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 ところ変わってここは冀州は清河の町。鉅鹿を離れた旅芸人の一座とその供として同行した壮也はこの町で再び演奏を披露し、壮也は楽器の運搬や舞台の製作の手伝いをする事になっていた。

 

 

「よっと…楊殿、この楽器類はどちらに持って行けばよろしいのか?」

 

 

「おお壮也殿か。その荷物はその馬車に入れてもらいたい」

 

 

「承知した」

 

 

 演奏が終わり、町を離れる事になった一座の中で、団長の楊にそう言った壮也は琵琶や二胡などを言われた馬車の荷台に壊れないように乗せておいた。そうして壮也は馬車の周りを見回りながら感慨にふけっていた。

 

 

「それにしても……楊殿の一座はとても大きいんですね?」

 

 

「いや、それほどでも……実を言うと儂は、元々漢に仕える、尚書省(しょうしょしょう)の尚書僕射の一人だったのです。ですが宦官や外戚の横暴に耐えられず、重税などに苦しむ民に少しでも笑顔になって欲しい、苦しい日々を一時でも忘れてほしいと思い、私財を投じて旅芸人の一座を作り、こうして方々を巡る様になったのです。元々儂は笛や琵琶を奏でる方が好きな性分でしてな。今の生活の方がとても楽しいのですよ」

 

 

「えっ、尚書僕射だったのですか!?それは驚きました……」

 

 

 壮也が驚くのも無理はない。尚書と言えば形骸化したとはいえ高位の官職である三公に代わって政を実質的に動かす官職であり、尚書僕射ともなれば皇帝の私的財産を扱う少府の長官である尚書令の副長官を務める、極めて責任重大な立場にあったのである。

 

 

「いえいえ、所詮朝廷を蝕む腐敗から背を向けて逃げ出した身の上…驚かれる筋合いは在りません。寧ろ、儂からすれば壮也殿の方が遥かに立派です。草莽の士であり短気を起こさぬように自重をする一方で、愛する人の為に進んで罪を被る…儂は心底あなたを尊敬します」

 

 

「……えっと、褒められても困りますよ楊殿。どう言おうが、俺のした事は愛する人を、愛紗を悲しませた事に代わらないですから」

 

 

 そう呟いた壮也と団長の楊の間に暫しの静寂が流れたが……やがてその空気を変えようと壮也が声を出した。

 

 

「…っと、そろそろ出発するんですよね。それじゃあ黒風(ヘイフォン)の支度を済ませて来ますよ」

 

 

 そう言って壮也は自身の愛馬である黒風の元に向かって行った。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 そして町を離れて旅路を行く中で、壮也はこげ茶色の馬に跨って近づいてきた女性に声を掛けられた。

 

 

「やっほー壮也、そっちは異常はない?」

 

 

「ああ、こっちは異常なしだよ梨晏(リアン)

 

 

 壮也に声を掛けたのは褐色の肌に扇情的な真紅の装束を纏った、薄紅色の髪に翠色の瞳を持った女性だった。その背には真紅の色合いをした三叉の槍を背負っており、彼女も一廉の武将である事が窺えた。

 

 

 彼女の名は太史慈……三国志において孫呉に仕える事になった勇将であるが、この頃の彼女は流浪の武芸者だった。青州は東莱郡黄県の出身だった彼女は、初めは東莱郡の官吏を務めていたのだが、郡と青州が確執を起こした際、都へ郡の上奏を届けた。

 

 

 この時、機転を利かせて州側の上奏を切り破り、郡に有利な処分を引き出した事で州から疎まれ、遼東郡に逃走し、その後そこからも離れて放浪の旅をしている中、野盗の一団と遭遇してこれを返り討ちにしたのだが、彼らが逃げた先には壮也が同行していた楊団長が率いる旅芸人の一座がおり、これを壮也が撃退してみせた。

 

 

 そうして追撃してきた彼女と出会った壮也は暫し警戒をするが先に蹴散らした野盗達が手負いの状態であった事。そして野盗を蹴散らした直後に現れた彼女を見て、危害を加えてくる事の無い人物であると察知。警戒を解いてそれぞれに情報を交換した末、用心棒は多い方がいいという彼女の提案を団長の楊が受け入れ、同行する事になったのである。

 

 

 やがて同じ武人同士であるからか互いに会話をしていき、お互いに気心の知れた親友になるのに時間はかからなかった……。この時壮也は座長の楊を初め張三姉妹や他の団員達と同様に、彼女にも自身の本当の名前と事情を話しており、これに李晏はさらに心を許し互いに真名で呼び合うようになったのである。

 

 

「それにしても…壮也が持つその戦斧、尋常じゃない業物だね?あれだけの賊を叩き潰して刃毀れも少ないなんて、流石は『神器の作り手』って呼ばれるだけあるじゃない」

 

 

「まあ、物心ついた時から鍛冶場で父上の手伝いをしながらも自分一人で武具を作っていた位だからな。…そうだ李晏?俺が贈呈した武具は気に入ってくれたかい?」

 

 

「ん?ああ、あの武器か!初めは無骨すぎるかなーって思ってたけど…今は気に入ってるよ!」

 

 

 そう言って彼女は自身の腰に交差させる様にして挿しているそれを叩いた。李晏が叩いて存在を示したもの…それは『双鞭』と呼ばれる、中国独自の武具である。ここで話は逸れるが、読者諸君はこの『双鞭』と言う武具をどの様な物と思っているだろうか?

 

 

 多くの場合は鞭…とある様にサーカスなどで猛獣使いが使う様なひも状の道具を思い浮かべるだろうが、中国ではこの場合の鞭は『軟鞭』という種類に位置する武器であり、これに対し壮也が李晏に贈呈したのは、刀で言えば刀身の部分に当たるところに、威力を増すために竹のような節などが付けられている『硬鞭』であり、それを両手で扱う様に作った『双鞭』と言う武具である。

 

 

 話を戻そう。元々李晏は真紅の三叉の穂先を持つ槍を愛用して戦っていたのだが、壮也達に同行して旅をするようになった際一座に目をつけた野盗達の襲撃を壮也と共に迎撃した時、李晏が槍で貫いた賊の一人が苦し紛れに手にしていた手斧で穂先を切り落としてしまった。

 

 

 幾ら武勇を磨いている武人でも穂先を落とされた長棒では苦戦は免れなくなったところを、同じく戦っていた壮也が腰袋から取り出して手渡したのが『双鞭』であり、これを扱う事で李晏は窮地を脱する事が出来たのだった。

 

 

 その後李晏は新たに作ってもらった槍と共に、壮也に渡された真紅の色合いをした双鞭…『鬼棘破双鞭(キキョクハソウベン)』と銘打たれたそれを愛用するようになったのである。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

「けど李晏は流石だな。使い慣れてもいない双鞭を僅かな戦いの中で使いこなすなんて……仕官とかして活躍すれば相当な将軍になりそうだよ」

 

 

「うーん、そうかもしれないけど……私拙い事やらかしちゃったからねぇ。ほら、前に話したと思うんだけど州相手に恨まれちゃってさ。だからしばらくは諸国を巡って武者修行をするつもりで、ほとぼりが冷めたらいったん故郷に帰るよ」

 

 

「東萊郡にか?そう言えば御母堂がいるとも聞いたんだが……大丈夫なのか?」

 

 

 壮也が気遣う様に問いかけると、李晏は微笑みながら頷いて答えた。

 

 

「うん!風の便りで聞いたんだけど、孔融殿が世話をしてくれているんだって。……だから私、もし孔融殿が危難にあったら、絶対に助けに行くと思うんだ。母さんに頼まれなくてもさ」

 

 

「……義理堅いんだな李晏は。(…父上や母上、香風は息災でいるんだろうか。それに愛紗も……)」

 

 

 李晏が強く言い切ったのを見て壮也は離縁したとはいえ、今なお敬愛している両親と妹の香風。そして最愛の人と思っている愛紗の貌が浮かび皆の安否を察する事が出来ず表情を曇らせた。 

 

 

「?どうしたのさ壮也?何かあった…?」

 

 

「っ!いや、なんでもないよ『壮也さーん!』っと。あの声は天和だな…今行くよ!」

 

 

 遠くから響いてきた声に、壮也が声の方に向かって叫び返すが…それを見て李晏は感心しきった表情になった。

 

 

「……壮也って本当に女性に好かれやすいよね?物凄いさ」

 

 

「そ、そうか?自分ではそうは思ってないんだけど……第一女性に優しくするのは男の当然の務めだろう?」

 

 

「いやだからって狼藉されかけた女性を救う為に躊躇なく助けに行くって時点で、もう女性にしてみれば恋に落ちる確定じゃない?狙ってやるとかしない以上、もうそう言う星の元に生まれたとしか思えないんだけどね……さっ、早く行ってきなよ」

 

 

「ああ分かった」

 

 

 そう言って李晏と別れた壮也は自身を呼んだ天和の元へ向かって行った。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 そうして天和の元へ向かった壮也は彼女が行っていた馬車への荷物搬入や野営する為の陣幕張りを手伝い、少し離れた川に水汲みをしに行った後、川辺で休息をする事になった。

 

 

「ありがとう壮也さん。物運びとか野宿の陣幕造りとか……本当なら私もこの一座の一員としてやらないといけないのに、いつも失敗とかしちゃって」

 

 

「気にするなよ天和。人には向き不向きがあるんだし、ゆっくりでもしっかりとこなして行けばいいだけさ」

 

 

 壮也がそう励ますと、天和は嬉しそうに微笑んだ。

 

 

「ありがとう壮也さん。……本当に、貴方には感謝の言葉しか浮かばないよ。ちぃちゃんが乱暴されかけた時にも颯爽と助けてくれて…今もこうして一緒に旅をしているのが嬉しく思ってるんだよ」

 

 

「それは光栄だな。けど…俺も嬉しく思ってるよ。団長の楊殿はおろか、天和達も俺の素性を知ってなお俺を旅の供として迎えてくれたんだからさ……この恩は終生忘れはしないよ」

 

 

 そう言って深々と頭を下げた壮也に対し、天和もまた嬉しそうに微笑みながらこれに応えた。

 

 

「うん!私達だって壮也さんに助けられた事は絶対に忘れないよ。これから先、どんな事が起きても……壮也さんと離ればなれになったとしても『天和姉さん?』あっ、人和ちゃん」

 

 

「もう、またこんな所で休憩していて……あっ、壮也さんも一緒だったんですか?」

 

 

「ああ。そっちの仕事も終わったのか人和?」

 

 

「ええ一通りは。この一座の中では金勘定とかは私が全部任されているので……隣いいですか?」

 

 

 人和の問い掛けに壮也が微笑みながら頷くと、人和も壮也の隣に腰かけた。途端に天和が二人きりの時間を邪魔された事に納得できなかったのか早速噛み付いてきた。

 

 

「あーっ!人和ちゃんずるいー!」

 

 

「天和姉さんの方が先に隣に座って休憩していたんでしょう?これくらいしてもいいじゃないですか」

 

 

 そうして二人の間で口論が行われ始めたのだが、壮也から見れば仲のいい姉妹の一面と言う感じがして微笑ましかった。 

 

 

「はは……仲がいいんだな、二人は」

 

 

「そ、そんな風に見えますか?」

 

 

「ああ。俺にも妹がいるんだよ。徐晃って言うんだけど…余り手のかからない子でさ。いつも兄である俺の後をついてくるような、可愛い妹だったよ。喧嘩をする事も無くて、二人がそうして喧嘩をしているのを見ていると羨ましいって思うんだ。喧嘩するほど仲がいいって言うしな」

 

 

 壮也が自身の妹である香風……徐晃の事を話すと、二人は互いに顔を見合わせてまだ見ぬ彼の妹に想いを馳せた。

 

 

「そっかぁ…壮也さんの妹ってどんな人なんだろうね人和ちゃん?」

 

 

「ええ…一度会ってみたいです。…っと、そろそろ皆の場所に戻りましょう天和姉さん」

 

 

「はーい…」

 

 

 やがて人和が天和を連れ戻す為に彼女を促し、天和も殊勝にもこれを受け入れて渋々とだが戻っていくのを苦笑しながらも水をたっぷりと入れた水桶を天秤棒に下げ、それを肩に乗せて野営地に戻って行った。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 そして野営地に戻った壮也は暫し野営地の中をぶらついて時間をつぶしていたのだが……そこに人和から声を掛けられた。

 

 

「地和に渡してほしい物があるんだって?」

 

 

「ええ。私達が行っている戯曲関係の書簡なんですが……お願いできますか?」

 

 

「分かったよ。地和の天幕は西側の方だっけ?」

 

 

「そうです。ではお願いしますね」

 

 

 そう言って人和と別れた壮也は、渡された書簡を手に地和が寝泊まりしている天幕に向かったのだが……。

 

 

「地和いるか?………返事が無いな、留守にしているのか?」

 

 

 壮也はそう言いながら頭をかいていた。どうやら留守にしているらしい……女性が寝泊まりする天幕に入るのも無礼だと思い外で待つべきかと壮也は思っていたが、いつ戻るかも分からない以上この書簡を持ち続ける訳にもいかない。

 

 

「(書簡だけおいたらすぐに出ればおかしくは無いと思うが……となれば、善は急げだ)」

 

 

 そう考えた壮也が意を決すると天幕の布を潜り中に入った。天幕の中には一座で使っていると思われる楽器類がそこらじゅうに置かれており、中には少しばかり損傷している物もあった。またその近くに手入れをするための道具も転がっている事から、恐らく地和が手入れをしているんだろうと思いつつ、真っ直ぐに彼女が机として使っている簡素な台の上に書簡を置いた。

 

 

「(よし、後はすぐに出て行けば…?)」

 

 

 だが早々に天幕から出て行こうとした壮也の目にある書物が目に入った。この時代、書物と言う物は基本的に木簡と言う短冊状の細長い木の板に文字を書いたり、絹織物(縑帛‐けんばく)製のもの。そして文章が長くなる時には竹簡をつづりあわせて冊(編綴簡)にするのが一般的だった。

 

 

 因みに後漢時代において宦官である蔡倫と言う人物が製紙法を改良し、実用的な紙の製造普及に多大な貢献をした人物として知られているのだが、まだまだこの頃の紙は貴重品と言える品物であり一般的に紙が出回るのは魏晋時代まで待たなければならなかった。

 

 

 ところが壮也の目に留まった書物は、貴重品と言える紙が使われており、表紙には『太平要術』と銘打たれていた。

 

 

「これは……」

 

 

 こう見えて壮也は一度興味を持った物を見ると手に取らずにはいられない性分である。だからこそ地和に悪いとは思いつつも、周りに誰もいない事を確認してから壮也はその書物を手に取り、表紙を開こうとしたのだが……。

 

 

「っ!???」

 

 

 だがその表紙を開こうとした瞬間、壮也はその書物を台の上に思いっきり叩き付けてしまっていた。この時、壮也は途轍もない不快感に襲われていた。まるで自分の内側を何かは分からないが、得体のしれないモノに弄られているかのような……そんな風な嫌な感覚を感じ取っていたのである。

 

 

「何だ…これは…?『あれ、壮也…?』っ!?地和……」

 

 

 得体のしれない感覚を齎したこの書物に壮也が何時になく警戒をしていると、留守にしていた地和が帰ってきていた。

 

 

「えっと……ちぃになんか用?怖い顔してるけど…」

 

 

「……済まない、人和から戯曲関係の竹簡を渡してくれって頼まれたんだ。勝手に入ったのは謝るよ」

 

 

 そう言って壮也が頭を下げると、地和も笑顔を見せながら手を振った。

 

 

「ううん、気にしないでよ。……それよりさ、怖い顔して立っていたのってその書物が理由、なんだよね?」

 

 

「…ああ、そうなんだ。なあ地和……君がよければなんだが、この本をどこで手に入れたとか……聞いてみてもいいか?」

 

 

「この本を?……分かった。長い話になるんだけど、いいかな?」

 

 

 地和の問い掛けに壮也は黙したまま深く頷いた。それを見て地和も覚悟を決めたのか、地面に腰を下ろすと壮也にも座る様に誘い、壮也も同じように腰を下ろすのを見届けるとぽつぽつと語り始めた…。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 壮也が聞いた地和の話はこうだった。

 

 

 それはまだ地和達三姉妹が旅芸人になる前の話である……その頃の張三姉妹は中華の北部に位置する冀州は鉅鹿郡に住まう民草だった。当然田を耕し暮らしを立てる日々は苦労の連続であり、また役人達の過酷な取り立てもあって辛い暮らしを送っていた。

 

 

 しかもこの役人と言うのが汚職に手を染めている事もあって無理難題を吹っ掛ける事もしばしばで、天和達の暮らしは一向に良くはならなかった。やがて末の妹である人和がこの辛い暮らしを見て、官僚になって少しでも改善したいと考え姉達を説き伏せて当時の中国における官吏登用試験……科挙を受ける事になり、これが見事に合格。

 

 

 そうして冀州の刺史の元で働く事になったのだが……それから間もないうちに人和が職を辞して戻ってきてしまったのである。一体どうしたのかと尋ねる姉達に対し、人和は悲しそうに顔を歪めながら…。

 

 

ー故郷や皆の為に働こうとしても、官吏達の方が腐っていてどうしようもなかった。それに官吏の一人が私を手籠めにしようとしたから慌てて逃れてきた。

 

 

 …そう答えたのである。これには地和はおろか、普段あまり感情を荒げない天和も憤りを露わにしたのだが、このまま鉅鹿にいては人和を狙っている官吏の魔の手が伸びないとも限らないと察知。

 

 

 それに三人は農業に勤しむ傍ら、時折村を訪れていた旅芸人たちの拙くも一生懸命な演奏に感銘を受け、いつか自分達も同じ様に人々を笑顔にしたいという想いを抱いていた事から、三人は少しずつ貯めていたお金で琵琶や二胡、太鼓などの楽器や最低限の食料を揃えるとそのまま村を離れ旅芸人として生きる事になったのである。

 

 

 だが、その生活も予想以上に厳しい物であり、初心者同然の彼女達の拙い演奏は人々の心に届く事が少ない日々が続き……時には野宿している時に野盗の群れに出くわし、命からがら逃げのびた事もあったほどである。やがて楊が座長を務める旅芸人の一座に厄介になったのだが…それでも自分達の音楽が、中々人々を笑顔に出来ない日々が続く事になる。

 

 

 そうした日々をどうにかしたいと願いながらも、どうにもできずに懊悩する日々を送っていた時の事……いつものようにとある町で演奏をし、いつもの様にうまくいかず落胆しつつ町を後にしようと片付けをしていた時である。顔をすっぽりと覆い、道士服と思われる装束を纏った一人の男がある書物を手渡してきた。それが『太平要術の書』だった。

 

 

 当初地和は胡散臭いこの男が渡してきた書物を突き返して立ち去ろうとしたのだが、その男は彼女にこう呟いた。

 

 

ーこの本には、読んだ人間の願いを叶える力を持っています。信じられないと思うのも最もですが、まずは試してみるのも一興ですよ?

 

 

 そう、唆す感じがありありと込められた言葉に思わず罵倒しようかと地和が振り返ると、その男はすでに消えており、地面にはこの書物が置かれていたのである。

 

 

 それから……地和達の人生は一変した。初めこそ疑いを以て書物を開きそこに記されていた手順や方法を行ってみたのだが、間もなくして地和はこの本が読んだ自分の望みを叶えてくれると心から信じられるようになっていた。

 

 

 何せ旅芸人を始めた頃には、道行く人々の前で演奏をしても見向きもされなかったというのに、『太平要術の書』を読んでから、そこに記されていた手順や方法を行っていく事で次第に人気を博していく様になっていたのである。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

「それから…ちぃ達は結構名前が売れる様になって、今では楊一座が来るって知らされた町では皆が皆ちぃ達が来るのを待ちわびる位の人気者になったの。それもこれも…皆この本がおかげなのよ。もしこの本が無かったら、ちぃ達は誰かを笑顔にする事すらできなかったと思うから…」

 

 

 そう言いながら地和は手にしている『太平妖術の書』の表紙を撫でていた。それを見るだけでも、壮也は地和達が苦難の日々を歩んでいた事を容易に想像でき、この書物が大いに助けになっていた事も重々理解できた。

 

 

 だが……そう思い、理解しながらも壮也は地和が持つ太平要術の書に厳しい視線を向けていた。やがて地和もそれに気づいたのか、壮也に声を投げかけていた。

 

 

「…どうしたのよ壮也?この本が気になるの?そんな、怖い顔をしてさ…」

 

 

「悪い……地和。こんな事を言うのは失礼だというのは分かっているけれど、それでも言わせて欲しい。この本を使い続けるのは、はっきり言って危険だと思う」

 

 

「っ!?ど、どうして…?」

 

 

 突然壮也に太平要術の書を破棄する様、暗に言われた事に動揺を隠しきれない地和に対し、壮也は彼女を傷つける事を理解しながらも自分の考えを口にしていた。

 

 

「…この本を手に取ってみたんだけど、何と言えばいいのか分からないがとても不快に感じたんだ。まるで……得体のしれないナニカが体の中に入り込もうとしているかの様な、そんな感じがしてね」

 

 

「確信を持ったわけじゃないが…恐らくこの本は、読んだ相手に応じてその中身を変える力を持っているのかもしれない。武を重んじる者が読めばあらゆる武術に精通する術が記され、智を重んじる者が読めば神算鬼謀を編み出す術が記されると言う具合にさ……」

 

 

 そこで一旦言葉を切った壮也は一息ついた。そうして中々切り出せずにいたが、やがて意を決して切り出した。

 

 

「そうしてこの本は少しずつ読んだ人間を意のままに操っていき、最後には読んだ人間を破滅に追い込もうとする…そんな呪いが込められているんだと思う。だからこそ、俺はこの本を手放すべきだと思うんだ。……地和には納得できないって思うだろうけど」

 

 

「…うん、そう思ってる。だって…だって、この本のおかげでちぃ達はここまで成功できた。皆に歌を聞いてもらえなかった日々を送っていたのに、この本を得た事で皆から歓迎されるぐらいになった。なのに…その切欠を作ってくれたこの本を手放せって言うの…!?」

 

 

 そう言いながら『太平要術の書』を抱き抱える地和の顔は不安と悲しみがごちゃ混ぜになっており、その瞳は明らかな敵意を込めて壮也を射抜いていた。

 

 

 それに対し壮也も彼女から目をそらす事無く、真っ直ぐに彼女を見返した。そうして暫く二人は見詰め合っていたのだが…。

 

 

「…………」

 

 

「地和?」

 

 

 突然顔を下に向けて押し黙った地和に壮也が声をかけると、彼女は黙したまま立ち上がりそのまま天幕を後にしてしまったのである…。

 

 

「……怒らせてしまった、んだろうな。後で謝らないと……」

 

 

 そう言葉を漏らしながら壮也は頭を掻き、彼女の後を追うように天幕を飛び出した…。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 冀州にある広宗県。そこにある県知事の屋敷にある人物が面会をしていた。小柄でほっそりとした体格の老人は目の前で腰かけている肥満体の中年の男……広宗県の知事に平伏し、礼を尽くしていた。

 

 

「本日は、貴重な時間を作ってくださりありがとうございます。知事閣下」

 

 

「ふむ……貴様が直々に儂の元を訪れるとは珍しい事もある物だな李紹よ?それで、如何なる用件があってまいった?」

 

 

 そう言って知事が言葉を掛けたこの老人…彼こそ鉅鹿の町で地和達を連れて行こうとしたならず者たちを束ねる李一家。その頭目である李紹と言う人物だったのである。

 

 

「はい……本日知事閣下の元を訪れたのは他でもない、閣下の御力を貸してほしいと思ったからです。…閣下は徐芳明と言うお尋ね者を御存じで?」

 

 

「無論聞いておる。今をときめく十常侍の長、張譲様の親族を殺めた男であろう?それがどうしたのだ?」

 

 

「……実は以前鉅鹿において、私にみかじめ料を払わずに大道芸をしようとした一座の看板娘をみかじめ料代わりに連れて行こうとしたのですが、それを一人の流れ者に阻まれたのです。その男と言うのが……」

 

 

「手配書に記されていた徐芳明に似ておったと……ふん、そこまでくれば儂も状況は呑み込めたわ。大方儂がその事を突き付けてその一座を取り潰し、お前はよりどころの無くなったその娘共を手中にしようてか?お主も大概悪党よなぁ…」

 

 

 そう言いながら鼻を鳴らす知事に対し李紹も下卑た笑みを浮かべる。

 

 

「いえいえ、知事閣下程でも…では、これはその礼金でございます。それと…もし知事閣下がお望みとあれば、その娘達の誰かを献上するつもりですので……」

 

 

 李紹がそう言いながら金銀が詰まった袋を差し出し、これを知事の男も満足そうに受け取った。……それが自分達の破滅につながる事になるとは知らぬままに。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 壮也を追って冀州に赴いた愛紗。そこで彼女は不穏な動きを見せるある一団と遭遇し、それを束ねる三姉妹と会話をする機会を得る。そこで彼女達の口からきかされたのは……。

 

 続きは次回のお楽しみ。



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太平道ー乱の前兆―

 長らくお待たせしてしまいました…最新幕を投稿させて頂きます。

 私の拙作を読んでくださっている皆様には本当に頭が上がりません…にも拘らず次の投稿が遅れてしまった事を改めてお詫びいたします。

 ではどうぞ…!


 壮也が地和に対し、彼女が持つ『太平妖術の書』の破棄を提案した事で、二人の間に溝が出来てから2週間ほど経った頃……壮也を探す為に劉備の元を離れた愛紗は鉅鹿の地を訪れていた。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「ここが鉅鹿か……壮也の足取りを掴めればいいんだが」

 

 

 町に入って早々、そう零した愛紗が馬を城門の傍にある厩舎に預けてから最初に足を向けたのは、鉅鹿にある酒家である。酒家にはその町の人間だけでなく、諸国を旅する旅商人や流浪の武芸者なども足を運ぶ為、情報を得やすいと考えていた。

 

 

 案の定、愛紗が酒家の扉を開けるとそこには多くの人々が思い思いに料理や酒を楽しんでおり、期待が膨らんでいた。

 

 

「おやいらっしゃい。あんたも流れの武芸者かい?」

 

 

「ああ。簡単な料理を一つ用意してもらいたい」

 

 

 そう言いながら店員に頼むとカウンターに近い席に座った。そうして一息ついた後、愛紗はカウンター近くで酒を他の客に出している店員に尋ねた。

 

 

「…すまないが聞きたい事がある。この辺りで額に斜めに刀傷の走った男を見なかっただろうか?歳は私と同年代で、腰に袋を括りつけているんだが…」

 

 

「うーん……悪いが見た事が無いねぇ?ここ最近は各地から腕自慢の武芸者とか、性質の悪いならず者とかが彼女達の元に集いたいとかで来ている物だから、一人一人の顔までは分からないね」

 

 

「彼女達…?」

 

 

「おう、『太平道』って言う集まりさ。彼女達のふぁん…?って言う奴らからは『数え役萬☆姉妹(かぞえやくまん・しすたぁず)』とかって呼ばれてる芸人一座らしいんだが…どうだい、彼女達に聞いてみるってえのは?あそこも結構な人が集まっているから何かしら情報が得られるだろうよ。彼女達は町の中央広場でよく公演をしてるみたいだぞ」

 

 

 店員の言葉に愛紗は暫し落胆するしかなかったが、気を取り直してそこに向かう事を決め、出された食事を頂いた後に町の中央広場に足を向ける事になった。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「みんな大好き――!」  「てんほーちゃーーーーん!」

 

 

「みんなの妹!」    「ちーほーちゃーーーーん!」

 

 

「とっても可愛い」   「れんほーちゃーーーーん!」

 

 

『ほわっ、ほわっ、ほわあああああああああああああっ!!!!!』

 

 

「…………これが、そうなのだろうか」

 

 

 目の前の光景を見ながら、愛紗は茫然として声が零れた。酒家の主人から聞いた『太平道』が活動していると思われる、町の中央広場に足を運んでみたのだが……そこで彼女の目に飛び込んだのは、恐らく太平道に入信したと思われる信者達が作ったと思われる舞台の上で、水晶を加工して作ったと思われる球体を短めの棒に填め込んだ物を口元に当てながら信者達や彼女達の公演を見に来た観客達の前で笑顔を振りまいている少女達だったのである。

 

 

 その少女達が信者---店主はふぁんとか言っていた---に掛け声をかける度、観客達は猛然と合いの手を入れ、最後の声に至っては、ここが戦場でないにも拘らず戦場などで兵士達が放つ咆哮にも引けを取らないものになっているのが流石の彼女も信じられず、戸惑いを隠せなかった。

 

 

「………(恐らく、いや十中八九あの舞台の上にいる少女達が店主が言っていた者達なのだろうが…これでは近づけないか。少し待つとしよう)」

 

 

 そう思い、中央広場をくまなく見回せる事の出来る場所に移動した愛紗は、その近くにあった簡素な腰掛けに座って待つ事にした。やがて…一頻り声をかけたと思ったのか、一番最初に掛け声をかけていた桃色のロングヘアーを持つ少女が声を上げた。

 

 

「皆…今日も私達の公演に来てくれて、ありがとう。今回も皆さんの心に染み渡る様な、そんな曲をお送りしようと思います」

 

 

 そして彼女に続く様に紫色のショートヘアーをし、メガネをかけている少女と水色のポニーテールをした少女が言葉を発した。

 

 

「どうか、私語は慎んで頂くと私達も嬉しいです」

 

 

「それじゃあ…始めます」

 

 

 そうして彼女達の後ろにいる芸人達が琵琶や二胡、太鼓や笛を奏で始めると……三人の少女達も歌い始めたのである。

 

 

 その音楽は……先ほどの賑やかさとはうって変わって静かで落ち着きを感じさせる演奏と歌詞であった。だが、その歌は彼女達がいる舞台から離れた場所で座っている筈の愛紗の心をも震わせた。観察をしていると彼女達のいる舞台の近くで彼女達の歌を聞いている信者達の中には、目から大粒の涙を流しながら顔を俯かせ、声を上げず泣いている者達とていたのである。

 

 

「これは……」

 

 

 それは、今の世の中の理不尽や無常を憂い……またそれによって大切な人を失った事を忘れてはならないと言う趣旨の歌詞であり、ここに役人がいれば即座に御政道を批判しているとして踏み込んできてもおかしくないものだったのである。

 

 

 しかし愛紗が周りを伺うと……役人と思われる人が複数いた。だが彼らは彼女達の舞台を遠巻きに眺めながら何もしてこない。

 

 

「(いや…出来ない、と言った方が正しいのだろうな)」

 

 

 内心愛紗はそう思っていた。と言うのも…彼女達が歌っている舞台と役人達が立っている場所。その中間で彼女達が歌っている舞台を囲んでいる様にして屯っている、剣や槍を手に持ち…そして朴刀を背中に背負っている武芸者達が、殺気を孕んだ目で役人達を睨み付けていたからだ。恐らく彼女達の音楽を邪魔しようとすれば、まず彼らが役人達を追い散らそうとするだろう。

 

 

 しかも彼女達の音楽を間近で聞いている信者達の一部も時々後ろを見ながら警戒をしている所を見ると、あの信者達も数を力に変えようとばかりに役人達を袋叩きにするはずだ…。そして歌の方は、更に過激さを増している。

 

 

―――今の世の中をこのまま受け入れていいのだろうか?大切な人がいるのなら、護りたい場所があるのなら、今の世を変える為に立ち上がろう。その果てに命を落としたとしても、決してそれは犬死ではないのだから。

 

 

 その様な歌に、信者達の殆どは意気軒昂となっており腹を括っているだけでなく、公演を見に来た観客達は興奮冷めやらぬという感じで意気込んでいる。そんな状況にあっても役人達は彼らを止める事も出来ず、遠巻きに見ているだけしか出来なかった。

 

 

「(これは……漢王朝に対して真っ向から反発を促す様な歌ではないか。よもやここまで燃え始めているとは…)」

 

 

 愛紗は彼女達の歌を聞きながらも、嘗て壮也の言っていた言葉を思い浮かべていた。

 

 

ー国と言うのは、端的に言えば一本の大樹の様な物だ。ある人が『この木の一番高い所を指差してみろ』と言ったのなら、俺は大地に隠れている根っこをさすだろう。何故かって?そんなのは簡単さ。木と言うのは根っこが大地に張っていなければ立つ事が出来ないんだ。幹や枝葉なんて人で言えば髪の毛みたいなものだからね。

 

 

ーそして国に当てはめるならば、皇帝や王は枝葉であり、それに仕える臣下は幹であり……そして皇帝や王が治めるべき民草こそが根だ。幾ら枝葉が青々としていても根を傷つけられていては、その木は遠からず立ち枯れるだろう。逆に幾ら枝葉が萎れていたとしても、根がしっかりしているなら……枝葉は再び青々と茂る事が出来るはずだ。

 

 

「(……枝葉(皇帝)(臣下)()を虐げ続けている限り、その木は立ち枯れるのが道理、か。確かに…壮也の言うとおりだったな)」

 

 

 愛紗が物思いに耽っている間に、演奏が終わったらしく少女達が観客達に頭を下げると、万雷の喝采と拍手が響き渡る。そしてそれに対しこの状況を遠巻きにしか見つめられなかった役人達は、恨めしそうに彼女達を見ながらすごすごと引き下がって行ったのである。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 その後愛紗は観客達がそれぞれに帰って行くのを見ると、舞台の片づけをし始めた団員の一人に声をかけていた。

 

 

「すまない、少し聞きたい事があるのだが…」

 

 

「おや、何かご用でしょうか?…見たところ武芸者の様ですが、太平道に加入したいという申し出ですか?それなら私ではなく、あちらにいる黄色い鉢巻をしている部隊長に声をかけてくださると…」

 

 

 そう言って団員の男は彼女が太平道に加入しに来た人間だと思って話をし始めたのを見て、慌てて愛紗は拒否した。

 

 

「あっ、いや…そう言うつもりで声をかけた訳ではないんだ。人を…探している」

 

 

「人…ですか?」

 

 

「ああ……。歳は私と同年代で、腰に袋を身に着けている……そして額に斜めに刀傷の走っている男なのだ『ちょ、ちょっとあんた!?』っ…!?」

 

 

 突然会話を打ち切らんとする声が響いた事に愛紗が驚きながら、声が後ろから響いた為そちらの方に顔を向けると、そこには先ほど舞台の上で観客達に歌を披露していた三人の少女達がいたのである。どうやら先程の声はその三姉妹の一人である水色のポニーテールをした少女が発したようだ。

 

 

「て、天和様!?地和様に人和様まで!?」

 

 

「あっ、お仕事ご苦労様!えっと、その女性は…」

 

 

「は、はい。どうやら人を探しに来たようで…」

 

 

 その団員は彼女達の登場に驚きながらも、桃色のロングヘアーを持つ少女の問い掛けに返答をすると、紫色のショートヘアーをし、メガネをかけている少女が少し思案していたかと思うとその団員に指示をした。

 

 

「そう、ですか…分かりました。彼女とは私達が話をしますので、貴方は舞台の片づけなどを続けていて下さい」

 

 

「は、はい!分かりました!」

 

 

そう言って団員はその場から離れていき、その場に残ったのは愛紗と三人の少女達だった。やがて三人の少女達のうち、水色のポニーテールをした少女が猛然と問いかけ始めた。

 

 

「で、あんたどうしてあいつの…徐来の真名を知ってんのよ!?」

 

 

「それは……私と彼は同郷の出であり、私にとって掛け替えのない人だからだ。こうして旅をしているのも、彼と再び出会う為だから…」

 

 

「っ!!」

 

 

「そうなんだ…じゃあ貴方が徐来さんが自分が咎人になってまでして護ろうとした、大切な人なんだね?」

 

 

 愛紗の答えに水色のポニーテールをした少女は息をのみ、桃色のロングヘアーを持つ少女が感慨深く呟くと、愛紗も頷いた。

 

 

「そうだ…では、やはり壮也はここにいたのだな?頼む…知っている事があるなら教えてくれ」

 

 

「…分かりました。けれどここでは人目が付きます…ひとまず私達の使っている宿舎にお越しください」

 

 

「そうか…分かった。案内してくれ」

 

 

 そうして愛紗は紫色のショートヘアーをし、メガネをかけている少女の提案を受け、彼女達の後をついて行った。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 鉅鹿にある県令が居を構えていた屋敷。そこには本来いるべき筈の県令の姿は無く、代わりに張三姉妹と彼女達に仕える信者達が拠点として活用していた。その屋敷にある張三姉妹が使っている部屋に案内された愛紗は、目の前の光景に戸惑いを隠せなかった。

 

 

 それもその筈…何せ今彼女の目の前には、真名を交換したばかりの張三姉妹が土下座をしていたのだから。

 

 

「あ、頭を上げてくれ。そうされていては話も…」

 

 

「ううん…私達はこうしなくちゃいけないんだよ…」

 

 

「ちぃ達の所為で…愛紗は壮也に会えなくなっちゃんだから…」

 

 

「ええ…。こんな謝罪程度では償いにもならないかもしれませんが…」

 

 

 そう言いながら天和と地和、人和は土下座をし続けていたが、やがて愛紗はため息を一つつくと優しく言葉を掛けた。

 

 

「…頭を上げてくれ。壮也は貴方達と行動を共にしていた…そして今もどこかで生きている。それが分かっただけでも私には朗報だ。いろいろと教えてくれて感謝する…」

 

 

「愛紗さん…」

 

 

「だが…聞かせてくれ。一体何が起こって壮也は貴方達と別れたのだ…?壮也は義侠に厚い男だ。貴方達の危機を見て見ぬ振りをするはずがないのだが…」

 

 

 愛紗の疑問に三姉妹たちは互いに顔を見合わせて戸惑っていたが、やがて腹を括ったのか彼女達は当時何が起こったのかを静かに語り始めた…。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 事の始まりは愛紗が鉅鹿を訪れる10日前に遡る。その頃壮也は楊が座長を務め、張三姉妹も加わっている芸人一座と旅を共にしていた。だが同じ様に彼女達と行動を共にしていた李晏は別の土地に行く為別れていたが…それでも壮也1人で用心棒として十分に機能しており一座は安心して旅を続けていた。

 

 

 ところがそんな日々は唐突に終わりを迎えてしまう。それは一座が広宗県を訪れた時の事である。そこで一座はいつもの様に雅楽や歌を披露し、いつもの様にまた別の町へ行く為楽器の片づけなどをする…はずだった。

 

 

「貴様ら演奏をやめよ、そこを動くな!」

 

 

 その声は雅楽の演奏と三姉妹の歌声を無情にも引き裂き、それは裏方として彼女達の演奏を見守っていた壮也の耳にも響いた。壮也が荷物を積み込んだ馬車から顔をのぞかせると、そこには多くの役人を引き連れた華美な装束を纏った肥満体の男が演奏を中断させていた。

 

 

「こ、これは知事閣下…?い、一体何用でしょうか…?儂らは法に背いた行いはしておりませぬが…」

 

 

「法に背いた事はしておらぬだと…ほざきよる!ある者の通報によって貴様らがある罪人を匿っている事、既に明白であるわ!」

 

 

「ざ、罪人を匿っていると…!?」

 

 

「その通りだ!徐来芳明……今をときめく十常侍が筆頭、張譲様のご親族であられる張朔様を殺めた大罪人よ!!」

 

 

 その場にいた群衆の耳に届かんとするばかりの宣告に、壮也も思わず身構えた。確かに諸国に手配書は回っていたかもしれないが、自分はなるべく裏方としての仕事を行っていたはずだし、用心棒としても顔を覆面で隠していた。ならば何故ばれたと言うのだろうか…?

 

 

「だ、大罪人ですか…!?わ、私どもは決してそのような御仁は匿ってなどいませぬ!一体誰がその様な事を…!?」

 

 

「ふん、言い訳がましいぞ旅芸人の座長風情が!」

 

 

 楊の弁論を切り捨てるかのような言葉が飛ぶのと同時に、知事の傍に小柄な老人が立つ。その姿を見て楊はさらに驚いた。

 

 

「り、李親分!?」

 

 

「よもや今をときめく十常侍の親族を殺めた大罪人を匿っていようとは…そうか。貴様さてはそうした漢に楯突く者達を内々に匿って国家の転覆でも図っていたのだな!?やはり儂の予感は当たっていたわ…知事閣下、この者共は間違いなく咎人共ですぞ!!」

 

 

「うむ!者ども、この者らを捕縛せよ!抵抗するならば殺しても構わぬ!!」

 

 

 そう命じるや否や、役人達は長棒を手に一座の人間を捕縛しようと駆け寄り始め、一座の人間は怯え震える事しか出来ない。

 

 

「や、止めてくだされ!?儂らはその様な者達では『黙れ!』ぐあっ…!?」

 

 

「座長さん!?」

 

 

「し、しっかりしてください!!」

 

 

 そんな中、座長の楊は役人の一人に縋りついて必死に止めようとしたのだが、邪魔だとばかりに役人が持っている長棒で頭を殴りつけられてしまう。その姿を見て天和と人和は慌てて座長に駆け寄るがその二人にも役人が近づいて行き、彼女達を連れ去ろうとするが…。

 

 

「止めろっ!!」

 

 

 それは黒の駿馬に跨り、戦斧を手にして猛然と現れた壮也が彼女達を連れ去ろうとした役人を斧で吹き飛ばして防がれた。

 

 

「如何にも、俺がお尋ね者である徐芳明だ!!だがこの芸人一座の者達は俺とは何の関係もない!!にも拘らずただ俺を連れていたというだけで反逆者扱いだと!?貴様らそれでも民を治める国に仕える役人なのか!!」

 

 

「黙れ犯罪者風情が!!皇帝陛下にお仕えする十常侍の筆頭であられる張譲様の親族を殺めた男を連れているだけでも十分な反逆罪であろうが!!まして犯罪者風情が国をどうこう指摘する資格があると思うのか!?」

 

 

「如何にもその通りでございますな…大人しく縛に付くがよいわ徐芳明!!」

 

 

「李親分…確か鉅鹿の町を治める侠客の頭目だったな?そうか…貴様、広宗の知事と結託して…!!」

 

 

 壮也はこの二人が裏で繋がっている事を勘付きはしたが、知事はすぐさま命令を飛ばす。

 

 

「弓兵、構え!!あの者を射殺せ!なに、外しても当たるのはあの一座の者達と、その一座の演奏を聞きに来た者達!!なればその者達も奴らに加担する者達でしかないわ!!」

 

 

 その命令と共に知事が連れてきた兵士の一部が弓に矢を番えてその鏃を壮也に、そして天和達一座の人間や彼女達の演奏などを聞きに来た観衆に向けてきた。この光景に壮也は顔を苦渋そうに歪めた。自分一人なら切り抜ける事は容易いかもしれない、一座の人間達ぐらいなら自分一人でも護りながら逃げる事も出来よう。だが彼らの演奏などを楽しみに来ていた民衆は流石に自分一人では守りきる事は不可能だ。

 

 

 恐らくあの知事である男はそれを知っていてあの様な命を下したのだろう…壮也は覚悟を決めた。かくなる上は彼らが弓を放つ前に一気に蹴散らすしかない、そう思って黒風を駆けさせようとしたその時……その場に声が響いた。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 目の前で繰り広げられる光景に地和は膝を突いて何もできなかった。只の旅芸人の一座でしかなかった自分達がが、どうして咎人とは言え愛した人を助ける為に、汚名を被る事を恐れなかった壮也と一緒に旅をしていただけで反逆罪を犯したと言われなければならないのだろう?

 

 

 だが今自分達の元に現れた役人達は、現に悪徳な商人達と手を組んで自分達に言い掛かりをつけて捕えようとし、座長である楊は傷つけられた。そして自分達を護ろうとする壮也に対し、役人達は町の人々すらも巻き添えにして矢を放とうとしている…。それを見て、地和は悩み始めた。

 

 

ー嫌だ…何でこんな事をするの?ちぃ達は苦しい日々を送っている皆に、少しでも笑顔にさせたかっただけなのに。何でちぃ達を無理やり罪人に仕立てようとするの?どうして私達の事をずっと守ってくれた壮也を、私達どころかこの町の人達も巻き添えにして矢を放とうとするの?

 

 

 そうして悩んでいた地和であったが…やがて意を決したかのように顔を上げた。このままでは自分達はおろか自分達が家族の様に思っていた一座の座長や団員達。そして自分達を護ってくれていた壮也に危険が及ぶ事になる。 

 

ーそっか……それがあんた達のやり方なんだね?それなら……ちぃもちぃが護りたいと思う物を護るだけなんだから…!

 

 

 そう決意を決めた直後に地和は立ち上がり、『太平妖術の書』に記されているのを見ながら作った『水晶を填め込んだ棒状の物』を口元に当てながら大声を発した。

 

 

「お願い…ちぃ達を、そしてちぃ達を護ろうとしている壮也を…助けてぇ!!」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 その瞬間、壮也は凄まじい耳鳴りを感じて顔をしかめていた。

 

 

「(な、何だ…っ!??)」

 

 

 それはまるで超音波の様に頭の中に響いてくるような、そんな音の様に感じた。これは只事ではないと思い声のした方を振り返ると、そこには『水晶を填め込んだ棒状の物』を口元に近づけて声を発したような状態で立つ地和の姿があった。

 

 

「地和…お前」

 

 

 しかし、壮也が地和に問いかけようとしたその瞬間、変化は現れた。

 

 

「天和ちゃんが…泣いてるぞ…」

 

 

「人和ちゃんも…泣いてやがる…」

 

 

 それは一座の演奏や天和達の歌を聞きに来ていた観衆の人々の声だった。だが壮也の目に留まった彼らは、その瞳は虚ろであり、言葉にも力がこもっていなかった。まるで人形の様な受け答えをしているとしか言いようがない…そんな感じに立ち尽くしていたのだ。

 

 

「あいつらだ…あいつらが天和ちゃん達を悲しませたんだ…」

 

 

「地和ちゃん達は、俺達を喜ばせようとしてただけなのに……」

 

 

 やがて観衆の一人である農夫が虚ろな瞳で自分が持ってきていたと思われる鍬を手にすると、他の観衆達もその手に長棒や薪と言った物や鎌や斧と言った農具を次々に手にし始め、そのままゆっくりと役人や知事、李親分が率いる一味の方に振り向いたのである。

 

 

 これに知事が連れてきた兵士達は彼らの変貌ぶりに戸惑いを隠しえず、彼らを率いていた知事はおろか李親分も慌てて恫喝し始めた。

 

 

「な、何だ貴様ら!?我々に……漢に刃向う気かっ!?」

 

 

「お前達どういうつもりだ!?お前達のしようとしている事はこの国に対しての反逆行為…一族郎党罪人として捕えられても『うるさい……』へっ…!?」

 

 

 だがそれは観衆の一人の言葉に切り捨てられる。

 

 

「俺達にとって……天和ちゃん達の演奏は癒しなんだよ…」

 

 

「そうだ…お前らは俺達に重税を掛けて苦しめるばかりか、飢饉で苦しんでいる俺達にも平気で税を取り立ててきやがる…」

 

 

「そんな俺達にとって…天和ちゃん達の歌は俺達を救ってくれた、希望なんだよ…」

 

 

「なのに…お前らは天和ちゃん達を悲しませた…」

 

 

「俺達にとっての、儚い希望すら……お前らは奪おうとした…」

 

 

「許さない」「許さない」「許さない」「許さない」「許さない」「許さない」

 

 

 その虚ろな声は中央の広場を埋め尽くしていた。いつの間にやら役人達の前には今その場にいた観衆はおろかこの町に住んでいると思われる町人達すらその手に小刀やら包丁やらを手に集まっていたのである。その光景は、地和達の元に駆け寄っていた壮也の目からも異常としか映らなかった。

 

 

「これは…!?地和、お前…あの妖術書の力を…?」

 

 

「あっ…壮也…ちぃは、ちぃは…」

 

 

 壮也の問い掛けに地和は、自分がしてしまった事を今更ながらに後悔していた。

 

 

―大切な人を護りたい。

 

 

 その考え自体は間違いではないかもしれない。だが、それはあくまで人間の常識に当てはまる力で行った場合、他人の目には尊く映るものだ。それが人智に外れた力で行ったとしたら、その力が人に御せる類の物でなかったとしたら…。

 

 

「……ろせ」

 

 

 その瞬間、役人達と向かい合っている観衆の先頭にいる、顔を俯かせた男が言葉を漏らした。その声はとても小さい物であったにも拘らず壮也の耳にも届き、思わず壮也も振り返る。

 

 

「殺せ…殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ」

 

 

 まるで経文でも唱えているかのように呟き続ける男の声は壮也の耳はおろか武装している役人達の耳にもはっきりと残り続ける。そしてその声は一旦切れたかと思うと…。

 

 

「殺せえええええええっ!!!」

 

 

 次の瞬間、凄まじい叫び声となって広場に響き渡り、その声を合図としたかのように観衆は一斉に役人たちに襲い掛かった。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 地和達の告白に愛紗は終始無言のままだった。よもや自分が駆け付ける間にその様な惨事が巻き起こっていたとは…。やがて愛紗は絞り出す様に語りかけた。

 

 

「それから、どうなったのだ…?」

 

 

 愛紗の問い掛けに最初に応えたのは地和だった。

 

 

「…戦場みたいな有様だったわ。ちぃが使った術でおかしくなった町の人達が皆叫び声を上げながら次々と役人達に襲いかかったの…」

 

 

 そう呟いた地和の脳裏には今もあの時の光景がこびりついて離れない。

 

 

ー凄まじい咆哮を上げ、役人達に飛び掛かっていく観衆と、彼らに向かって慌てて槍を向けたり弓矢を引き絞るも滅多打ちにされていった役人達。

 

 

ー子分達を連れて逃れようとするも観衆達に囲まれ、声高に脅しつけるも観衆の一人が振りかぶった手斧で頭をかち割られた李親分。

 

 

ー自らが乗ってきた馬で一目散にその場から逃げだして知事屋敷に逃れようとするも、城壁の近くを通った時に地和の術で正気を失った城壁補修をしていた石工に投げつけられた石を頭に受けて落馬し、その直後に追いついた観衆によって八つ裂きにされた知事。

 

 

ーそして……そうして殺された知事と李親分の首を長棒に括り付け、天和達の前に集まって高々と掲げながら歓声を上げる、虚ろな目をした観衆達の姿だった。

 

 

「あれから事はちぃ達が戸惑う位うまくいったの…知事の屋敷や兵士達の詰所は観衆の人達が落として行って、広宗県はあっという間に陥落しちゃった…そして私達の身の安全も観衆の皆が護ってくれるし、座長さん達も手当してくれたの…」

 

 

「…まさか、ただ念じながら声を発しただけでその様な事になるとは。それで壮也は…?」

 

 

 愛紗が壮也の行方を問い掛けると、地和の隣にいた天和と人和がこれに応えた。 

 

 

「壮也さんは…あんな事が起きた後もちぃを責めないで、座長さん達や私達を護ってやるって言ってくれたの。けど、私達の方からここを去って欲しいってお願いしたんだよ」

 

 

「…県を落としたという事で私達の方が規模が大きい罪人になってしまいましたから、私達の方が派手に動いた方が壮也さんへの追跡の手も緩むと思ったんです。壮也さんは譲ろうとはしなかったんですが…私達がお願いした末に聞き入れてくれました。多分南の方へ向かったんだと思います」

 

 

「南、か…済まなかった。嫌な事を思い出させてしまって…」

 

 

「ううん、そんな事はないよ…それで、愛紗も南に向かうの?」

 

 

 地和の問い掛けに、愛紗は強い決意を以て答えた。

 

 

「ああ…私は壮也と再会する為に旅をしている。だからこそ、休んでなどいられないからな…」

 

 

 そう言って再び旅装束を纏い、出て行こうとする愛紗に天和が声を掛けた。

 

 

「あの、愛紗さん。もし壮也さんに再会したのなら、伝言を届けてくれないかな…?」

 

 

「伝言?何を伝えれば…」

 

 

「『旅の安全を祈っています。壮也さんもどうか元気で』って」

 

 

「…分かった、伝えておこう」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 そうして旅支度を整え、赤雲を預けている厩舎へ向かおうとする愛紗は、その途中で太平道に加入した武芸者などが鍛錬をする広場の前を通った。

 

 

 いずれも腕利きらしくそれぞれに剣や槍、斧や戟と言った武具を使って鍛錬をしていたり相対しての稽古を行ってたりしているだけでなく、複数の人間に武術を教えたりする者達もいた。

 

 

 また数十人単位で一組となった者達を、馬に乗っている統率者と思われる武芸者が率いての調練もしており、いつ戦いになっても動けるように行動をしているのが窺えた。

 

 

「(見た所装備の質は悪い様だが、その分鍛錬を施す事で兵その物の質を鍛えているようだ。装備は漢から奪う事で代用すると言ったところのようだが…)『あれは方って言うの』っ、地和…」

 

 

 彼らの鍛錬を眺めていた愛紗に、見送りに来たのか地和が声をかけてきた。地和は鍛錬をする彼らに目を向けながらさらに続けた。

 

 

「漢は強い国だから、私達も軍を作らないとって思ったの。けど私や天和姉さん、人和は軍を率いる事なんて出来ないから代わりに戦ってくれる人達を集めて、その人達を人和が纏めて軍として組織したのが『方』なの」

 

 

「…本当に、漢と戦う覚悟なのだな」

 

 

 地和の説明を受けて、愛紗が念を押す様に問いかけると、地和も強く頷きながらこれに応えた。

 

 

「うん。…漢は私達を苦しめるだけで、手を差し伸べてもくれない。なら、そんな国は終わらせるべきだと思うの。そうして、私達の様な弱い人達が飢えや貧困に苦しむ事の無い様な国を作らないといけないのよ」

 

 

 その言葉には、一切の逡巡すらなかった。それを聞いて愛紗は彼女達の想いが本当であると察した。

 

 

「そうか…なら忠告だけはしておく。そうして軍を作るのはいい。だが彼らの手綱はしっかりと取っておくことだ」

 

 

「手綱を…?」

 

 

「ああ。地和達が集めている武芸者は殆どがならず者か賊を生業とする者達が多いのだろう?ならば、お前達の郡が大きくなればなるほどに、彼らは地和達の目の届かぬ所で民草に乱暴狼藉を働くかも知れない。だからこそ、そうした者達の手綱を離す事はするなよ?」

 

 

「…うん、分かった」

 

 

 地和の言葉に愛紗は一つ頷くと厩舎へ赴いて赤雲に跨ると、城門の前へ向かった。そしてその前でいったん立ち止まると地和に別れを告げた。

 

 

「では地和、お前達も息災でな。また会える事を願っている」

 

 

「うん、愛紗も元気でね!壮也と会える事をちぃ達も願ってるから!」

 

 

「ああ、感謝する。行くぞ赤雲!」

 

 

 そうして愛紗は赤雲を走らせ、城門から飛び出して行った。自分の想い人である壮也の元へと馳せ参じる為に。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 愛紗が地和達張三姉妹と別れて旅立った頃、壮也は曹操が治めている頓丘県に足を向けていた。そこで妹である香風の姿を見かけ声を掛けようとするも、張譲に雇われた刺客の魔の手が伸びようとしていた…続きは次回の講釈で。

 

 




 


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刺客襲撃

 どうもお待たせいたしました。最新幕です…。

 またも更新が遅れてしまった事をお詫びします。5月中に投稿するつもりだったのですが、5月の終わりになって仕事が入ってしまい遅れてしまった次第です。

 ですがそんな私の作品を見てくださった人達には心から感謝いたします…。今回もまたオリジナル恋姫を登場させてみました。

 では、お楽しみのほどを…。


 地和達張三姉妹と別れ、広宗県から旅立った壮也。

 

 

 彼女達の身を案じ、後ろ髪を引かれつつも旅立った彼が次に向かったのは、自身の妹である徐晃…香風が仕えていると手紙で知らせていた、自身の前世においても会ってみたいと常々思っていた人物…『治世の能臣、乱世の奸雄』と称される事になる曹操が県知事を務めている頓丘県であった。

 

 

 だが、頓丘県へと黒風を走らせて向かう壮也の姿を捉える正体不明の一団がいる事を、この時の壮也は感じ取る事が出来なかった……。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

「うん。いい街だ」

 

 

 町について開口一番、壮也は頓丘県の町をそう評した。街中は人々の往来が盛んで商店なども繁盛しており、行商人や旅人などの姿が多く見られた。また治安も行き届いており、民の一人一人に笑顔が溢れている。

 

 

壮也には目標にしている先人がおり、その内の一人に『管仲(かんちゅう)』がいる。名は夷吾(いご)と呼ばれるこの人物は春秋の世において後に『戦国七雄』の一国に数えられる『斉』の宰相として辣腕を振るった事で知られるが、その彼の著書とされる『管子』の一節を金言として胸に刻んでいた。

 

 

ー「倉廩(そうりん)()ちて則ち礼節を知り、衣食足りて則ち栄辱(えいじょく)を知る」

 

 

 国を強くするにはまず国を富ませる事から。そして国を富ませるにはまず国に住まう民草が衣食に困らない様な統治を心掛けなければならない。それを為してこそ、国を護る軍を強くする事が出来る……それが管子に記された言葉である。

 

 

 それを思い起こして改めて壮也は頓丘県の町を見る。町は行商人などの商人が盛んに声を上げており、町全体が賑やかだった。それだけでなく、町の治安も恐らく哨戒の兵士だろうか?彼らが厳格に巡察をしている為、町は秩序が保たれている……。

 

 

「……流石は曹孟徳。まさにこの乱世を安んじる英傑、と言った所か」

 

 

 壮也は手放しで曹操の事を賞賛していた。これほどまでの繁栄を築きあげられるのなら、きっと香風も働き甲斐がある事だろう…そう思った瞬間、壮也は後ろめたい気持ちが起こった。

 

 

「(けど…香風も心配しているだろうか。あいつはああ見えて甘えん坊な所があったから、今回の事で心を痛めているかもしれない…)」

 

 

 そう……今の壮也は国中から指名手配されているお尋ね者だ。十常侍の筆頭である張譲の親族を殺めたのだから。

 

 

 当然指名手配の書類などはこの地にも届けられているだろうから、妹である香風は心中穏やかではない事だろう。何せ慕っていた兄がお尋ね者になってしまったのだから…父や母は言うまでもないだろう。二人は大人だから表立ってこそ取り乱しはしないだろうが、それでも子がお尋ね者になったのだから心配をしない訳がない。

 

 

 そう思っていた壮也の目に飛び込んできたのは……。

 

 

「っ!香風…」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 その日、一刀は頓丘県の町での巡察を華琳より命じられ、同じく同じ任を受けた香風と共に町を回っていた。

 

 

「…大丈夫か、香風?」

 

 

「うん。シャンは大丈夫」

 

 

 そう言って巡察の任務をこなしている香風であるが、一刀は…いや、今自分達が仕えている華琳達も含めて、今の香風が無理に元気であると装っているのを知っていた。

 

 

 それも当然だ。何せ都から徐芳明…香風の兄である壮也の指名手配書が届き、同時に壮也が両親に対して魔の手が及ぶ事の無い様にと離縁状を送って来た時など、香風の落ち込み様は激しかった。

何せ一月もの間部屋に閉じ籠ってしまったのだから。

 

 

 事情が事情であった為華琳達も暫く様子を見る事にし、やがて部屋から出てくると今までと変わらない様な感じで、黙々と仕事をこなす様になったのだが、彼女の両親である徐岳や朱寧らからは……。

 

 

ーあの子、空元気みたい。壮也がお尋ね者になった事が相当堪えているみたいね…。

 

 

ーうむ、その様だ…。一刀よ、出来ればあの子の事を気にかけてやってくれないだろうか?

 

 

 その様に見ており、一刀に頼み込んできたのである。本来なら両親の二人は、傷心してしまった香風の傍にいてやりたかったのだが……故郷にある家をそのままにしておけば、役人に家探しと称して荒らされてしまうかもしれないという可能性を華琳に指摘され、やむなく帰郷する事になったのである。

 

 

 それから一刀は二人に代わって香風の面倒を見る様になっていた…。

 

 

「(やっぱり、香風達の両親なんだな。大人として子供が不安を抱いているのを感じ取っているんだから。出来れば早く戻ってきてほしいけど…)」

 

 

 そう思いながら巡察に励んでいた時…急に香風の様子が変わった。突然何かを感じ取ったかのように周りを見回し始めたのである。

 

 

「ど、どうしたんだ香風?」

 

 

「…兄上の、気配がした」

 

 

「えっ!?」

 

 

 香風の言葉に仰天する一刀を尻目に、香風は猛然と走り出した。人混みの中を滑る様にして摺り抜けて行く香風を、一刀は謝りながら人混みを押しのけて追いかける。そうして南門に隣接した馬屋の辺りに来たところで、唐突に香風は足を止めた…。

 

 

「……ここで、気配が消えた」

 

 

「ここでか?…門の近くの馬屋辺りとなると、もう旅立った後かな…」

 

 

「………」

 

 

「香風…」

 

 

 見る見るうちに失意に沈んでいくのが窺える香風に一刀も掛ける言葉が無く佇んでいると…その馬屋の柱に簡単に作られた物掛けに、一振りの刀が掛けられていた。

 

 

 それは刀と言うには余りにも簡素な代物であり、自分が前にいた世界で言う小太刀ほどの刀身の長さであったそれは、戦場に持って行く武器と言うよりも狩猟などで使用する狩猟刀の様な代物であったが……一刀は物掛けに掛けられていたその刀を手に取って鞘から引き抜くと、片刃であるその刃は狩猟で使用する物にしては不釣り合いと言えるほどの切れ味を感じさせる代物だった。

 

 

 そしてそれを見た香風は再び元気を取り戻したかのようにその刀の、鍔に程近い所を食い入る様にして覗き込んだ。そこにあったのは…兄が武具を作り出すのを興味津々に見続けていた彼女にとって、決して忘れようもないと言える、兄が作った武具の証である十字の紋章が刻み込まれていたからだ。

 

 

「これ…兄上が作った物」

 

 

「っ!?そうなのか……じゃあ!」

 

 

「うん。兄上は…ここに来ていた」

 

 

 そう呟く香風の瞳には、再び強い光が宿っていた…。

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 あの後一刀達は馬屋の主に事情を聞いてみた所によると……一刀達がこの馬屋に来るだいぶ前、顔を覆面で隠し薄汚れた外套を羽織った青年が腰に下げていた袋からこの刀を取り出すと、柱に取り付けていた物掛けに吊り下げてそのまま馬屋に預けていた黒馬に跨り、何度か後ろを振り向きながら立ち去って行ったというのである。

 

 

「…きっと、兄上は追われているのかもしれない」

 

 

「それって、都からの…?」

 

 

 一刀がそう問いかけると、香風は力強く頷いた。

 

 

「…香風はどうするんだ?華琳に事情を話して兄さんを『ううん』えっ…」

 

 

 だがこの提案に対し、香風の答えは『否』だった。驚く一刀に香風は今までとは違った、強い決意を込めた言葉で返した。

 

 

「兄上は、シャン達を巻き込みたくないって思ったから…離縁状を送ってきた。だからここでシャンが駆け付けたら…きっと兄上に迷惑がかかっちゃう。それに、今のシャンは華琳に仕えているから…兄上はきっとシャンを叱り付けると思う。『肉親を思うお前の気持ちは嬉しい。けれど一度主従を結んだのに肉親を取るのは不忠だろう』って」

 

 

「………そっか」

 

 

「だから…シャンは今出来る事をしようと思う。そうすれば…いつかまた兄上に会えると思うから」

 

 

 そう言って一刀の方に顔を向けた香風の表情は、これ以上ないくらいの笑顔だった…。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 時刻は夜に移ろうとする頃…壮也は街道から離れた、薄暗い森の中にいた。その手には既に自身が愛用している得物である『鋼鎌武断』を構えながら周囲を警戒しており、さらにその周辺の地面には壮也が取り出して突き刺したと思われる戟や槍などが突き立っていた。

 

 

 そして壮也を取り巻いている森の木々からは、夕刻に近いからか獣の気配はおろか鳥の囀りすらなく、痛いほどの静寂が広がっていた。普通の旅人ならこの様な森に長居をする様な事をせず、すぐに街道の方に向かう事だろう。

 

 

ー森の木々に紛れる様にして放たれる、()()が感じられなければの話であるが…。

 

 

 一体何が起こったのか…それは壮也が香風に思わず声を掛けようとした時から始まった。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

「っ…!」

 

 

 壮也がそれに気づいたのは、偶然だった。注意していなければ感じ取れないくらいの、微弱であるが自身に向けられる殺意……それを受けて、壮也は後ろ髪を引かれながらもその場を離れる。

 

 

 そうして馬屋へと向かって足を速める壮也が周囲を気取られない様に視線を向けると、町を歩く人々に紛れる様にしながら()()()姿()()()()()()()()()()()付いてくる人間の姿を見つけた。彼らは何れも旅人や行商人と言う感じの身なりをしているのだが、彼らの歩き方は何れも足音を立てないようにする歩法であり、更にその身に纏う気配は旅人や行商人のそれではなかったのである。

 

 

 連中の追跡を警戒しながらもやがて黒風を預けている馬屋に到着した壮也は、店主に許可を得ると挨拶もせずに立ち去ってしまう香風に対してのせめてもの詫びとして、自身の腰に下げた布袋から自身が作った武具の一つである『領主の狩猟刀』を物掛けにかけると、そのまま黒風に跨るとゆったりとした動作で城門から外に出た。

 

 

 外に出た壮也が城門のすぐ傍にある茶屋に視線を向ければ、そこにも茶を啜りながらこちらに視線を向けてくる数人の旅の武芸者と思われる連中が座っており、後ろを向いて見れば自身を追跡していたと思われる連中が彼らに駆け寄っているのが見えた。

 

 

ー…やっぱり刺客の類か。

 

 

 そう判断した壮也は町からそれなりに離れた所で黒風を走らせた。そして街道から外れて薄暗い森の中に飛び込んで暫く駆けさせると、周囲に人家などがない事を確認してから黒風から降り、自身から離れさせた。そして、自身の腰袋から作り出した武具をいくつか取り出して行った……。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 そして自身の得物である『鋼鎌武断』を構えながら暫し待っていれば、周囲の木々から気配が次々と感じ取れるぐらいになっていた。

 

 

 本来、刺客に狙われる人間にしてみればこの様な薄暗い森の中には決して入ろうとしない物だ。木々によって視界が悪いうえにどこから襲撃してくるかも分からないうえに、夕刻の森の中は薄暗い事もあって刺客にしてみれば庭も同然と言える場所なのだから。

 

 

 だが、だからこそ壮也はここを選んだ。この様な周囲に人家も無い、第三者を巻き添えにする事の無いこの場所であれば…思う存分武を振るう事が出来る。

 

 

「………そろそろ来たらどうだ。言っとくが、隠れていても時間の無駄だと思うが?」

 

 

 壮也が周囲に聞かせるかのように言葉を発するが、返答はない。僅かに吹いてくる風によって枝葉が揺らされる音が周囲に響いているだけだ。だが…壮也は感じ取っていた。木々に紛れる様にしていた気配に、殺気が一際強く膨れ上がったのは。

 

 

ーヒュッ!

 

 

 木々の間の暗闇に一瞬だけ煌めきの様な物が現れたかと思った直後、風切り音と共に自身に何かが飛んでくる。

しかし、壮也は動じる事も無く……。

 

 

「やっ!」

 

 

 手にしている鋼鎌武断を、自身を軸にして独楽の様に回転しながら薙ぎ払う。大斧と言う重量級の武具を、同じく鍛錬に励む事で強力を持つにいたった壮也が振るった場合どうなるか…ここが戦場であったのなら、今の壮也の一撃は間合にいた相手は鎧をつけていようが盾を構えていようがいとも容易く人間を両断できるだろうし、間合に入っていなくてもそれだけの膂力によって振るわれる武具によって発生する風圧によって相手を吹き飛ばす事は想像に難くない。

 

 

 では今の場合はどうなるか…その答えは。

 

 

ーカラン。

 

 

 先ほどまで自身に向かって飛んで来ていた物が、地面に転がっているのがその証左である。壮也は地面に落ちたそれ(・・)を警戒しながら近づいて手に取った。

 

 

(ひょう)、か」

 

 

 鏢。それは日本で言う苦無の中国版と言える武器であり、投げナイフの様な投擲武具である。その刀身には液体の様な物は塗られていない様であり、どうやら毒の心配はなさそうではあった。

 

 

 だが確認した直後、壮也は再び得物を構える。森の奥からこれを投げてきた相手が出て来たからである。暗闇から姿を現してきたのは……10人ほどの人間だった。一見すれば農民や旅人を思わせる服装をしているが、その眼には強い殺意が込められており、更に手にはそれぞれに柳葉刀や短戟、そしてその内の二人は鎖分銅を手にしていた。それを見て壮也も瞬時に察する。彼らは刺客だと。

 

 

 やがて姿を現した彼らは壮也の周りを遠すぎず近すぎずと言う、壮也の間合から絶妙に離れた距離をゆっくりと周回し始めた。そして壮也が自身の周りを回っている者達に目を向けていた瞬間だった。

 

 

 周回する者達に隠れる様にして回っていた、鎖分銅を持っていた二人組が動いた。手にしている分銅を回転させ、そしてその分銅を壮也が手にしている『鋼鎌武断』の柄に投げつけたのだ。放たれた分銅は狙い違わず大斧の柄に絡みつき、そしてそれを見た二人組は渾身の力を込めて踏ん張り動きを封じる。

 

 

 壮也を中心にして鎖分銅を引っ張っている為生半な力では大斧を動かせないと見たのであろう。それを合図とばかりに他の刺客達も動いた。ゆったりと周回していた彼らは動きを加速させながら壮也に近づいて行き、各々手にしている武具を壮也に振るおうとする。

 

 

 だがその状況下にあって、壮也は落ち着いていた。彼らが『もう自分に為す術もない』と思い込んでいる…そう思っているが故に吶喊して来たのだろうが、それこそ壮也の狙いだったのだ。

 

 

 その瞬間、刺客達は目を疑った。自分達の標的である男が『何の躊躇いも無く武具から手を離した』のだから。その瞬間、重量武器の一つである大斧は地面に鈍い音を立てて落下する。そして壮也はすぐさま行動に出る。

 

 

 彼は付近の地面に突き刺していた武器の一つである、二丁の鉞…何れも装飾や造りは異なっている出来栄えとなっている双鉞の一振り『影斬双鉞』を手にすると、襲い掛かってくる刺客の攻撃を真っ向から受け止めていた。

 

 

ーガギイイン!

 

 

 宵闇に包まれようとする森の中で甲高い、武器同士をぶつけ合う音が響き渡る。だが、刺客達の幾重にも襲い掛かろうとした刃を、壮也は真っ向から受け止めており……しかもそれを弾き返したばかりか、そのまま独楽の様に回転しながら双鉞で薙ぎ払った。

 

 

 武器を弾かれ、がら空きとなった胴の部分を情け容赦なく斬り裂かれた刺客達。その傷口から盛大に血が噴き出し、壮也の体を赤く染める。だが壮也はそれを気にする事無く纏っていた外套を脱ぎ捨てる。

 

 

 その中から現れた壮也の姿は、白を基調とした袖の無い、蒼い装飾が肩口の縁などを飾り付け、胸元に『徐』の一文字が描かれた甲冑を纏っていた。そうして事切れた刺客達の亡骸を一瞥しながらも、壮也は手にしている双鉞を地面に突き刺し、地面に落とした相棒たる鋼鎌武断を手にすると再びこれを構えた。

 

 

「さて、今ので5人ほど倒したか。だが…まだいるんだろう?」

 

 

 壮也はそう、目の前で警戒をしている鎖分銅を持つ二人組に問いかける。これに二人組は返事をする事は無かったが、壮也にはその沈黙こそが答えに思えた。壮也は黙したまま大斧を構えていたが、やがて猛然と大斧を振り抜いた。

 

 

 その瞬間、悪寒を感じ取った二人組は、一人は地に倒れる楊に臥せ、もう一人は地面を蹴って宙に飛んだ。だがその直後彼らの後方に鬱蒼と茂っていた森の木々が数本纏めて薙ぎ倒されていたのである。そうして斃れて行く木々の光景はさしもの刺客も肝を冷やさざるを得なかった。

 

 

 もしあそこでああしていなければ、今頃自分達の胴体が泣き別れになっていただろう……そして同時に目の前にいる標的は距離を離していたとしても安心できないという、相手の脅威を改めて認識する事になったのである。

 

 

「さて、まだ戦うなら俺も容赦なくお前達を叩き斬る。ここには無関係の人間が来る事は無いだろうから遠慮なく戦う事が出来るからな。それこそこの森を更地に変えてもいい位に…だが、ここで退くというのなら俺も刃を納めよう。どうだ?」

 

 

 壮也がそう問いかけるも刺客達からの返答はない。それもそうだろう…刺客にとって標的を手に掛ける事が生業なのだ。仲間を討たれたのみならず、その標的から見逃されて逃れるなどと言う選択肢は彼らには存在しない。降りかかる火の粉を払う覚悟は持っているが、それでも壮也はそう問いかけずにはいられなかった。

 

 

「……成程ね。あの人が警戒する様にって念を押しただけはある」

 

 

 その場に凛とした、女性らしい声が響いたのはその時だった。その声にまず反応したのは二人組だった。すぐさま後ろに跳んだかと思うと、そのまま畏まる様に膝を突き頭を垂れた。やがて森の中から姿を現し、畏まる二人組の真ん中に歩を進めてきたのは…妹である香風と同じくらいの背丈をした、黒髪のセミロングに緋色の瞳を持つ童顔の少女だった。

 

 

 動きやすさを重視したと思われる黒い胸当てや脛当て、籠手と言う装束に額当てを装着し、口元まで隠した黒いマフラーが特徴的なその少女は、先ほどの口ぶりとは裏腹にその瞳に嬉々とした物を宿していたのである。

 

 

「何者だ…?」

 

 

「これから死ぬ運命にある人に、名乗る名前があると思う?」

 

 

「それはどうだろうな?その身のこなしに、纏っている気配…恐らく相当場数を踏んできた刺客なんだろう。だが…俺を今まで仕留めてきた相手と一緒にしないで貰おう」

 

 

 壮也は静かに言い放つと、自らの得物である鋼鎌武断を一切の隙無く構える。これに対し、少女は自らの腰に交差させる様に差していた自らの得物を引き抜いた。

 

 

 彼女が両手に持った得物…それは逆手に持って戦う武具の様であり、三つ叉の刃を持つ短剣だった。それを見て、壮也は瞬時にその武具の正体を看破する。

 

 

「筆架叉か」

 

 

 筆架叉。それは中国発祥の武具の一つであり、その三本の刃は剣や槍を引っかけて絡め取るためのもので、一説では日本でよく知られている釵(サイ)や十手の起源ともいわれる武具である。また短剣である為攻撃力と言う点では他の長剣や刀などに劣るが、その攻撃速度はその二種を上回り…手数の多さを以て相手に挑む武具である。

 

 

 そうして彼女は逆手に持った筆架叉を、まるで翼を広げる様に構えるとすぐに駆け出せる様に身を屈める態勢を取る。そして壮也に問いかけた。

 

 

「それじゃあ、楽しませてくれる?」

 

 

「ああ。相手をしよう」

 

 

 二人はそう声を掛け合い、暫し互いに睨み合っていたが…やがて夜風によって枝から離れた木の葉の一枚が、二人の間を通り抜ける様に舞い散った。その瞬間…二人は動いた。

 

 

 少女は引き絞られた矢が放たれるが如く、地を蹴ると猛然と駆けだした。これに壮也も大斧を構えた状態から左足を後ろにする様にして動きつつ、大斧を横薙ぎに振り抜いた。その少女が自身の間合に入るタイミングを見計らっての壮也の行動は完璧と言えるほどであり、これが並みの相手であればそのまま上半身と下半身が泣き別れとなっている事請け合いだろう。

 

 

 最も…壮也は今の一撃で彼女を仕留められるとは露程も思っていなかった。自身が大斧を振り抜いた場所には彼女の姿は無く、壮也が視線を少し動かした先…自身の得物である鋼鎌武断の斧頭の平たい部分に乗っていたのである。

恐らく、壮也が横に薙いできた瞬間に跳躍しつつ斧に飛び乗ったであろうことは容易に伺えた。

 

 

 そして彼女はそのまま自身の方に跳躍しつつ、手にしている片方の筆架叉で首を薙ごうとした。これに対し壮也は…。

 

 

ーがしっ

 

 

「っ!」

 

 

「ふんっ!」

 

 

 自身の首元を薙ごうとする彼女の手首を掴み取って動きを止めると、そのまま投げ飛ばした。これに彼女はすぐさま態勢を整えて着地したが、その直後目を瞠る。彼女の目の前にはいつの間にか、自身の標的である男が大斧を振り上げていたのだから。彼女はすぐさま横に跳んだがその直後…。

 

 

ーずがんっ!

 

 

 彼女がいた場所の地面は、男が振り下ろした大斧によって陥没していた。あのまま何もしていなかったら、例え防御していても関係なく肉塊に成り果てていた事だろう…。

 

 

「………」

 

 

「…………」

 

 

 そして両者はそのまま互いに得物を構えたまま身動き一つとる事は無かった。二人には分かっていたのだから…『どちらかが動けば、動いた相手の方が死ぬ』と言う事を。

壮也にしてみれば地面に差した武器を取り替えようとした瞬間に喉元を斬り裂かれるだろうし、刺客である少女にしてみれば飛び込んだ瞬間に片手を掴まれて地面に叩き付けられ、その直後に大斧で叩き潰されている事だろう。

 

 

 そうして暫し両者は見合っていたが…やがてその均衡は崩れた。彼女の方が構えを解いたからである。

 

 

「…やめよっと」

 

 

 そうして彼女が筆架叉を背中に交差させる様に収めたのを見て、壮也も構えを緩める。無論油断せずに警戒はしているが…。

 

 

「諦めてくれた、と見ていいのか?」

 

 

「そんな訳ない。このまま戦った所で千日手になるのは目に見えてる。私は確実に勝てる時には動くけど、今の貴方との戦いはどちらかが死ぬのはほぼ確実だもの」

 

 

「なら何で戦ったんだ?」

 

 

 壮也が問いかけると、少女は即答した。

 

 

「試してみようと思ったから。あの人が私達でも苦戦を免れないって言ってたぐらいだし、弱かったら拍子抜けだしね」

 

 

「そうか…そろそろ名前ぐらい聞かせてくれてもいいか?襲ってくる相手の名前ぐらい覚えておきたいものだしな。どうせそっちは俺の名前ぐらい知っているんだろう?雇い主から聞かされているだろうからな」

 

 

 そう問いかけた壮也に対し、少女は背を向けて立ち去ろうとしていたがその足を止めると、緋色の瞳を自身に向けつつ答えた。

 

 

「…私は胡車児、いつかあなたの首を搔き切る狼。覚悟してね?私達は、狼はしつこいから」

 

 

 そう答えて少女…胡車児の姿は森の闇に消えていき、それに続くかのようにして二人の刺客も姿を消して行った…。

 

 

「狼、か…。成程、確かに気を抜けない相手ではあるな。張譲……これは一層気を引き締めないと」

 

 

 壮也は改めて、自身を狙う相手の強大さを身に染みて理解する。だが止まるつもりは無かった、之も自分の選んだ道なのだから…。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 張譲が放った刺客の襲撃を切り抜けた壮也。彼は南陽群にある宛と言う町を訪れ、そこで一人の少女に出会ったのだが……続きは次回のお楽しみ。




 今回登場したオリジナル恋姫。

『胡車児』(容姿や性格は『School Days』の『清浦刹那』を参考にしてみました)
 主に雇われ刺客を生業とする少女で口元を隠す様に覆う黒いマフラーが特徴的であり、香風と同じくらいの背丈をしている。寡黙でありクール。また一度請け負った仕事を投げ出さない仕事人でもある。武勇の力量は季衣、流琉レベル。

 史実では董卓配下であった張繍と言う人物の配下であり、彼の軍において随一の豪傑であった。三国志演義では五百斤の荷物を背負い、一日七百里を歩くことができるとされ、曹操の護衛役であった典韋の武器である双鉄戟を奪うよう進言し、これを実行して典韋を討ち取ることに成功している。

 


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汝南の雛鳥

…本当!遅れて申し訳ありません!!

 またも出張でパソコン環境が不安定な場所に行く事になったのですが、その時に父が今回の出張で持ってくる事になったiPadでの入力などの操作が非常に難しく、出張から帰還できて漸く投稿出来た次第です…。

 ではどうぞ…!


 後漢時代、大陸において中心に位置している事から伏竜・諸葛亮からは自らが提案した『天下三分の計』において「用武之地」――武力を用いてでも手に入れるべき地――とまで称した荊州。

 

 

 

 その土地は南陽郡・南郡・江夏郡の荊北3群、そして零陵郡・桂陽郡・武陵郡・長沙郡の荊南4群に区別されており後にこの土地は魏・呉・蜀がその土地の覇権を掛けてしのぎを削った事でも知られる。

 

 

 

 さて頓丘県において張譲が放った刺客達を撃退した壮也はこの荊州において荊北に位置する南陽群の都市の一つ、『宛』を訪れていた…。

 

  

 

・・・・・・・・・・・・・・・ 

 

「あまり、いい街ではないか」

 

 

 

 宛について早々、壮也はそう愚痴をこぼしていた。確かに表通りは商店などが立ち並び繁盛している様に見えるが……裏通りに入ってみると浮浪者や孤児などが座り込んで飢えに苦しんでいるのが嫌でも目に入ったのである。

 

 

 

「…これが今の国の現状、と言ってしまえばそれまでなんだけどな」

 

 

 

 そう…壮也が嘆息しながら零したように、今の大陸ではこの様な宛の街や五胡などの異民族に賊の襲撃などにおびえる村々などが普通なのであり、寧ろ曹操が治めている頓丘県の様に治安が行き届いている町の方が少ないのだ。

 

 

 

 上に立つ者が己を律し、民草を治めていればこそこの様な街の光と影の格差は少なくなるが…国そのものが腐敗している今、誰かがこの国を建て直さなければ…否、新しい国を作らない限りこの格差は無くならないだろう。

 

 

 

「早く、そうした英雄が現れればいいが…?」

 

 

 

 そう呟いた壮也は、ふと自分の視界にこの裏通りには不釣り合いと言える、艶のある金髪をし、煌びやかな装飾が施された装束を纏った少女がガラの悪い男達に手を引っ張られて奥に連れて行かれるのが映った。

 

 

 

「…やれやれ、どこの町にもこういう手合いはいるか」

 

 

 

 ため息をつきながら壮也は彼らの後を追った…。

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

 

 その日は、少女にとっては不運だったと言えるだろう。初めて外に出たというのに、町の喧噪を見渡していた直後、ガラの悪い連中に裏通りに引き摺られる様に連れて行かれたのだから。

 

 

 

「うう…お、お主ら何者なのじゃ?妾を…どうするつもりなのじゃ?」

 

 

 

「あーん?そんなの決まってんじゃねえか、お前みてえな育ちのいいお嬢ちゃんを人質にして…たんまり身代金をせしめんのさ!!」

 

 

 

「おうともよ!だから大人しくしとけよ?まあ、こんな裏通りに見回りに来る様な役人なんていやしねえけどなぁ!!」

 

 

 

 そう親分格と言える様な双子の男がそう言った瞬間、周りにいる5~6人の男達も下卑た笑い声をあげる中、少女は心中で自分の腹心として母親から付けられていた女性の真名を思い浮かべながら来るはずのない助けを待っていた…。

 

 

 

ーうう…怖いのじゃ。助けてたもれ七乃(ななのぉ)……。

 

 

 

 如何して、このような事になってしまったのだろう?その少女はこうなる前の事を思い返していた。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 少女は物心ついた頃から屋敷の中で育った。生家は漢王朝における名門中の名門である汝南袁家の出であり、冀州へと流れた従姉よりも格上と言えたのだが…彼女は屋敷の外へ出る事を許されなかった。

 

 

 

 それと言うのも母がお付きの者として自身に紹介した女性…七乃があれやこれや理由をつけて外に出そうとしなかったのである。そして外に出たいと思う少女に対してあらゆる贅沢…主に自分の好物である蜂蜜水などを使って外に出たいという気持ちを逸らし続けたのだ。勉学などについても同様な感じで。

 

 

 

 初めこそ少女は夢中になっていたのだが、人間と言うものはそういう贅沢を続けていると次第に『飽きて』来る者だ。例に漏れず少女もまた外に出てみたいという願望を抑えられなくなり、その日少女は屋敷を訪れた行商人が牽いてきた馬車に積まれていた籠の一つに潜り込むと屋敷から外に出た。

 

 

 

 そして街中で籠から飛び出して外に降り立ったのだが…少女にとっては見る物すべてが新鮮だった。

 

 

 

ー土が付いている、収穫したばかりと思われるのを売っている野菜売り。

 

 

ー両手では収まりきらないくらいの大きさの肉の塊などを売る肉屋。

 

 

ー草履と呼ばれる履物や竹籠などを売っている人々の響き渡る景気の良い掛け声。

 

 

 

 …どれもこれも、屋敷の中の世界しか知らないで育ってきた少女にとって素晴らしいと言えるものばかりだった。だが、だからこそ彼女は宝飾で彩られた煌びやかな装束を纏っている自分自身が狙われている事に気づいたのは…夢中で町の喧噪を見ていた自分の手を強い力で引っ張られ、なす術も無く引き摺られて行った時であった…。

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・ 

 

「おいお前ら、何か縄を持って来い。逃げ出さないようにするんだ。それと猿轡で口も塞いどけ」

 

 

 

 やがて頭の一人が子分達にてきぱきと命じ、子分達もそれに応えるかのように震えている少女に近づき、手を伸ばそうとして。

 

 

 

「そこまでにしてもらおうか?」

 

 

 

 ー唐突に響いてきた第三者の声にその手は彼女に近づく寸前で止まった。

 

 

 

 その声に頭を初めとした不逞の連中が声の方に顔を向けると、顔を覆面で隠し薄汚れた外套を羽織った青年が、手に幅広の刃をしている甲刀と言う種類の刀を持って立ちはだかっていたのである。

 

 

 

「ああん?何だぁてめえ?」

 

 

 

「通りすがりの、流れ者さ。悪いが…そこにいる頑是ない幼子に乱暴狼藉を働こうとするのを、見過ごせないんでね」

 

 

 

「けっ、正義の味方って奴か?構わねえ、やっちまえっ!!」

 

 

 

『うおおおおおおおおっ!』

 

 

 

 頭の声に子分達も薪やら鉈やらを持って飛び掛かったのだが、その青年は刀を峰の方を向けるように持ち替えたかと思うと…。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 少女には目の前で起こった事が信じられなかった。何せ5~6人ほどいた子分達が一斉に襲いかかったのに対し、顔を覆面で覆い隠し、薄汚れた外套を羽織っているその青年はまるで水が流れるような動作で子分達の攻撃をかわしつつ、手にしている刀を峰の部分で悉く叩きのめし、時に蹴り技を組み合わせた攻撃を以て倒してみせたのである。しかもその青年は叩きのめした後に関わらず息一つ切れていない!

 

 

 

「それで、まだやるか?」

 

 

 

 そうしてその青年が穏やかな、しかし強い気を込めて自分を脇に抱えて駆けだせる態勢にいた頭目の男に問いかけると…頭は体をびくつかせたかと思うと自分を地面に投げ捨てていた。

 

 

 

「うにゃあ!?」

 

 

 

「に、逃げるぞ弟よ!?」

 

 

 

「へっ!?ま、待ってくれよ兄ぃ!?」

 

 

 

 投げ捨てられた状態から脱兎の如く、と言う感じで鮮やかに逃走と言う選択肢を選んだ頭に、もう一人の頭である男が驚きながらも慌てて後を追おうとしていたのだが…これに対し青年は。

 

 

 

「………」

 

 

 

 叩きのめした子分の一人が持っていた薪を、つま先でひっかけたかと思うと軽く上に蹴り上げ…。

 

 

 

「ふんっ!」

 

 

 

 それを思いっきり逃げ出そうとしている二人組に蹴り飛ばした。蹴り飛ばされた薪は回転しながら飛んでいき…。

 

 

 

「へぶっ!?」

 

 

 

「んげっ!?」

 

 

 

 まず弟の後頭部にぶつかった直後、その勢いのままに先に進んでいた兄の頭にも綺麗にぶつかり彼らを沈黙せしめたのである…。そして、倒れている自分に対し青年は近づいてきて…。

 

 

 

「大丈夫か?」

 

 

 

 そう、安心させるかのような声を出して手を差し出していた。

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

―どうやら、怪我はしていない様だな。

 

 

 

 壮也は内心安堵しながらも彼女の服が土埃で汚れていたので叩いてあげていたが、やがて少女が恐る恐ると言う感じで問いかけてきた。

 

 

 

「そ、そなたは…妾を助けてくれたのじゃな?」

 

 

 

「…そうだ。安心していいぞ、もうお前を怖がらせる様な奴らはいないからさ」

 

 

 

 壮也がそう答えると、途端に少女は急に元気を取り戻したかのように溌剌とした声で言葉を発した。

 

 

 

「そうか!うむ、そなたには感謝してもしきれぬ!!妾は美羽みうと言うのじゃ!妾にとっての命の恩人であるそなたには…例として妾の真名を預けようぞ!」

 

 

 

「…驚いたな。命の恩人とは言え、初見の人間にそう簡単に真名を預けていいものか?」

 

 

 

「妾からすればこれでも足りんと思っておるくらいじゃ!有難く受け取るがよい!」

 

 

 

 少女の言葉に、壮也は目を丸くしていたが…やがて苦笑しながらそれを受けた。

 

 

 

「分かったよ美羽。俺は徐寧…真名は壮也だ」

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 あれから壮也は彼女を連れて表通りに戻った。そして別れようとしたのだが…。

 

 

 

「またあの様な連中が襲ってこないとも限らぬ。壮也、妾の傍にいてたもれ!」

 

 

 

…と、自分の手を取って離さなかったので、苦笑しながらそれを受けて一緒に街を回る事になったのである。壮也にしても…。

 

 

 

「わあ…どれもこれも、妾にとって初めて見る物ばかりなのじゃ!壮也、早く行くのじゃー!」

 

 

 

 そう言って手を引っ張ってくる美羽が、まるで幼い頃の妹の香風を思い返させて悪い気がしなかった。そうして気が付くと町外れにある街を見渡せる高台におり、夕焼けが辺りを赤く染めていたのである。

 

 

 

「ふう…随分駆け回ってしまったのじゃ。こんなに動き回ったのは初めてなのじゃ…!」

 

 

 

「ん?美羽、お前は町に出た事が無いのか?」

 

 

 

 ふと壮也は、彼女の言葉に疑問を持ち問い掛けていた。いくら何でも美羽程の年頃なら町に遊びに行く…なんて事は当然する者だ。確かにその恰好を見れば彼女が名家の生まれである事は一目瞭然ではあったが、それでもお忍びで町に出向くなんてことだって出来る筈…なのにそれをしてこなかったとでもいうのだろうか?

 

 

 

「……うむ。妾は物心ついた頃から、世界と言うものは屋敷の中しか知らぬ。外に出たいと願っても、妾のお付きとして仕えてくれている七乃がそれを認めてはくれなかったのじゃ。『外には危険な事がいっぱいあるんです。お嬢様はこの屋敷の中でずっといれば何も気にする事は無いんですからね?』と言ってな…」

 

 

 

 これを聞いて壮也は顔をしかめた。それはいくら何でも過保護にも程がある…と。成長をするという事は、ただ屋敷の中で勉学をするだけではない。時に屋敷の外に出て学ぶと言う事も必要なのだから。

 

 

 

「じゃが、七乃の言う事も正しいのかもしれん…。あんな怖い事が起こったのじゃからな。やはりこれからは外に出ない方がいいのじゃろうか…?」

 

 

 

 悲しげにそう呟いた美羽に対し、壮也は静かな声で話し始めた。

 

 

 

「美羽、お前は鼓腹撃壌(こふくげきじょう)という言葉がどうして生まれたのか知っているか?」

 

 

 

「…わ、分からぬ。妾は座学も不真面目であったし、七乃も勉学などしなくてもよいと…」

 

 

 

「その昔、中華には五帝と言う偉大な人達がいた。そしてその内の一人に『(ぎょう)』と言う帝がいたんだ。その御仁は善政を以て民草を治めていたのだが、ある時ふと思ったんだ。『自分の政は、果たして民草にとって善きものであるのか?自分が天子で民草は嬉しいと思っているのか?』とね」

 

 

 

 堯は臣下や民草に問いかけても誰も満足できる答えを返してくれなかったので、堯は臣下に粗末な装束を用意させた堯はそれを纏うと、自分自身の目と耳で真実を知る為に城から抜け出て行き町へと乗り出した。

 

 

 

 やがて大通りで子供達が堯の治世を讃える歌を嬉しそうに歌っているが、堯はこれを大人たちに謳わされているのではと疑い一旦その場を離れた。やがて日が暮れた頃、一人の老百姓が腹を叩き、地を踏み鳴らしながら楽しげに歌っている。

 

 

 

ー日出而作【日の出と共に働きに出て】

 

 

 

 日入而息【日の入と共に休みに帰る】

 

 

 

 鑿井而飲【水を飲みたければ井戸を掘って飲み】

 

 

 

 耕田而食【飯を食いたければ田畑を耕して食う】

 

 

 

 帝力何有於我哉【帝の力がどうして私に関わりがあるというのだろうか?】

 

 

 

「……聞いてみるとこの老人の歌は、帝である自分を貶しているように聞こえるかもしれない。けど堯はこれを聞いて思ったんだ。『自分の政治は、国民に自分を意識させることなく、国民が豊かな生活を営むことを実現できている』とね…それからも堯はそうした政治を続けたのは言うまでもない事さ」

 

 

 

 壮也は話し終わると、美羽の方に顔を向けながら静かに諭し始めた。

 

 

 

「確かに…今回美羽は恐ろしい思いをしたかもしれない。これから外に出ない方がいいと思ってもしょうがないかもしれない。けどな、為政者と言うのは、ただ城の玉座にふんぞり返っているだけでは務まらない者なんだ。時には身分を隠して町に赴き、自分が行っている政が本当に民が喜んでいるかを、その目で確かめる事だって必要なんだ。城に籠っているだけでは、玉座に座っているだけでは、分からない事だってあるんだから…」

 

 

 

「城に籠っているだけでは…分からない事がある…」

 

 

 

「ああ。臣下が『民は貴方の統治を喜んでいる』と言ったってそれが本当の事を言っているとは限らないだろう?だからこそ、美羽が今行っている事は…領主として一番大切な事なんだ。出来得るなら、これからもそれを行い、民草の事を気に掛ける領主になってくれれば、俺も嬉しい」

 

 

 

 そう言葉を掛けると美羽は暫く考え込んでいたが、やがて貌を上げると強い決意を込めているのが窺えた。

 

 

 

「…分かったぞ壮也!妾もこれからは勉学や武術に励むし、蜂蜜水も飲まない様に我慢して、いつか母上の様に立派な領主になってみせるぞ!そうしたら…壮也は妾の臣下として支えてくれるか?」

 

 

 

「…ああ、美羽がそんな領主になれたと聞いたら『お嬢様!』っ!?」

 

 

 

 美羽がそう問いかけて来るのに対し、壮也は苦笑いしながら答えようとしたその瞬間、そんな空気を破るような声が響いた…。

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

 

 壮也が振り向くと、そこには蒼いショートヘアーに紫色の瞳をした、白と薄紫を基調にした装束を纏い、腰に長剣を挿している頭に白い帽子を被った女性が黄色に染められた鎧を着こんだ兵士達を連れてきている。その姿を見た美羽は嬉しそうに声を上げた。

 

 

 

「おおっ、七乃ではないか!」

 

 

 

「お嬢様ぁ!本当にどこに行ってたんですか!?私本当に心配していたんですよ!?」

 

 

 

「うむ…済まなかった。だが外に出ていろんな物や人を見る事が出来た!これからもこうして外に『駄目です』…え?」

 

 

 

 自分が心を許していた臣下の拒絶に美羽が呆けた声を出すのに対し、七乃と呼ばれた女性はすらすらと言葉を並び立てた。

 

 

 

「私いつも言ってたじゃないですか?外は危険な事がいっぱいだって。もう…これからは厳重に屋敷から出られない様にしないと…。お嬢様は外の事なんて知らないで過ごしてくれればそれで『それは聊か酷くはないのか?』っ!?」

 

 

 

 七乃と呼ばれた女性の一方的な捲し立てに、とうとう我慢ならなくなった壮也は口を挟んだ。

 

 

 

「…俺は所詮赤の他人だ。ここまで踏み込むのは分を超えたものであると承知している。だが敢えて言わせてもらう…!お前の言っている事は余りにも一方的ではないのか?彼女は良い領主になろうと決意したというのに、その決意を否定する様な事を言うのが正しい事なのか?」

 

 

 

「どこの誰かは知りませんが、余計なお世話と言う奴ですよ。見ればわかるでしょう?お嬢様のこの可愛らしさを…なのに外に出歩くなんて事をさせて、世の中の汚さを目に焼き付けて、お嬢様の可愛らしさが消えていくなんてそんな事をどうして許容できるんです?お嬢様はお屋敷の中でいつまでも可愛らしいお嬢様のままでいてくれればいいんです!それもこれも、全てはお嬢様の為を思っての…」

 

 

 

 どう見ても美羽を籠の中の鳥と言う感じで独占しようとしか考えていない七乃に対し、壮也は厳しい言葉を言い放った。

 

  

 

「…お前はお嬢様の為、とは言うが…お前のそれは所有欲にしか聞こえないな。お前はその子の親代わりとなって支えて来ているようだが…親の様に接してきたのなら分かるだろう?子は何時かは親の元を巣立つ者。まして今のその子は、今まさに空へ向かって羽ばたこうとする雛鳥…それを子が愛しいからと言って止めさせようとする親鳥がどこにいる?それを見守るのが親と言うものだろう?」

 

  

 

「…黙って聞いていれば勝手な事を!」

 

 

 

 壮也の指摘に苛立ちを募らせていく七乃を余所に、壮也は美羽と同じ目線になるくらいに屈むと彼女に言葉を投げかける。

 

 

 

「お前はどうしたい?このままその人の言う事を聞いて屋敷の中で過ごすのもいいし…自分自身の想いを伝えて、外に出るって決めてもいい。決めるのはお前自身だ…美羽」

 

 

 

 壮也がそう問いかけたのと、七乃と呼ばれた女性が激しく動揺したのはほぼ同時だった。

 

 

 

「っ!??あ、貴方お嬢様の真名を勝手に!」

 

 

 

「ま、待つのじゃ七乃!妾は壮也に真名を伝えて『いいえ、お嬢様が簡単に赤の他人に真名を授ける訳がありません!』七乃!?」

 

 

 

「気に入らない人と思いましたが…合点が行きました!貴方がお嬢様を唆して連れだしたんですね!?親衛隊!その狼藉者を捕えてください!!」

 

 

 

 七乃の指示を受けて、彼女が連れて来たと思われる甲冑に身を纏った親衛隊が腰に差している剣を抜き払うと、壮也に向かって歩みを進めていく。

 

 

 

「や、止めるのじゃ七乃!壮也は妾の…っ!壮也、逃げてくりゃれ!」

 

 

 

 美羽の呼びかけに対し、壮也は彼女に向かって顔を向けると、安心させるかのようにほほ笑んだ。そして腰の袋から自分が愛用している大斧の鋼鎌武断を取り出すと…片手でそれを横薙ぎに振り抜いた。その途端…。

 

 

 

 

ーパキキキィン…。

 

 

 

 

「「「「「………はっ?」」」」」

 

 

 

 

「えええええええっ!??」

 

 

 

「おお…っ!」

 

 

 

 親衛隊は呆けた様な声を出し、七乃は仰天した様な声を出し、美羽は驚嘆した様な声を上げる。それもそうだ…何せ壮也が振るった大斧はそもそも両手で扱う事を目的とした長柄武器だ。それを片手で振り回すだけでも至難の業だというのに、その片手で振り抜いた攻撃だけで…汝南袁家に仕える親衛隊に支給される刀剣で、良質の鋼で作られている【袁術親衛隊正式採用鋼剣】の刀身を、まるで木の枝を手でへし折るかのように、悉くへし折ってみせたのである。

 

 

 

 そして呆けている親衛隊の眼前で斧を最上段に構えた壮也は、それを地面に叩き付ける。その瞬間、地震を起こしたのではないか…と言えるほどの震動と共に大地が大きく穿たれ、大きな坑が出来上がり…その穴から離れた場所に親衛隊の者達が倒れ伏していた…!

 

 

 

「なっ、なっ、なっ…!??」

 

 

 

 目の前で起こった出来事と広がる光景に、七乃は頭が追い付かず混乱する一方で、美羽は壮也の武勇のほどを見て興奮しきっていた。

 

 

 

「そ、壮也凄いのじゃ!!だが…兵士達は大丈夫なのか…?」

 

 

 

「大丈夫だよ美羽、吹っ飛ばしはしたけど殺してはいない。さて…俺も言い過ぎたとは思っているが、だからと言って狼藉者と決めつけられた挙句捕えられる、なんて我慢ならないんでな…大人しく退いてもらえるか?」

 

 

 

 そう言って壮也は大斧の刃を七乃に向けて構える。

 

 

 

「………っ!」

 

  

 

 これに対し七乃は何もできなかった。目の前にいる男は自分が仕えている主君の息女であり、ゆくゆくは自分が仕えるべき主君となる愛らしさと可愛さを持った少女…その少女を唆していらぬ考えを持たせた男を許しては置けないと思っているが、その一方でこの男が生半な武人でないという事を、袁術と自分のため以外に使う気は全く無いが頭脳明晰な彼女には容易に察していたのである。

 

 

 

 

 自分達にとって不利であるこの状況、どうやって打破すべきか…彼女が知恵を巡らせていた時、彼女の後方から馬蹄の音が響いてきた。それと共に目の前で自分に大斧を向けていた狼藉者の男は警戒心を露わにして武器を構え直している…。

 

 

 

 

 それを見て七乃が振り返ると、黄色の戦袍を羽織った灰色の甲冑に身を包んだ黒髪を短く切り揃え、上唇に髭が生えている、手には穂先が「山の字」のような形状(三つの尖り)になっている長柄の武具を持った中年の武人が馬に騎乗して現れ、その後ろからは彼が率いていたと思われる兵士達がいた。

 

 

 

 

「き、紀霊将軍!貴方如何して…!?」

 

 

 

「そなたが姫様を探しに親衛隊の者共を率いて飛び出したのを見て、配下を連れて参じたのだ。だが…これは如何なる事が起こったのか?」

 

 

 

 そう言って紀霊と呼ばれた男性が目の前の光景ー大斧を構えているであろう青年とその前に出来た大穴。そしてその大穴から離れた場所に倒れ、呻き声を上げている親衛隊の姿ーを見て戸惑っているのを目ざとく見つけた七乃は、その男性に捲し立てた。

 

 

 

 

 

「き、来てくれてありがとうございます!この惨状もあの大斧を構えた男によるもの!しかもあの男はお嬢様を唆して連れだした狼藉者なんです!紀霊将軍、どうかお力添えを!」

 

 

 

 

 

「何…?」

 

 

 

 七乃の捲し立てに紀霊は大斧を構えている青年…壮也に対して訝しげな視線を向ける。一方の壮也も現れた武将に警戒を強めていた。

 

 

 

 

ー…拙いな。この武将、あの七乃って人が連れてきた親衛隊よりもずっと強い!

 

 

 

 

 やがて両者は暫し睨み合っていたが、やがて紀霊の方に動きがあった。馬から降りると、手にしていた三尖刀を構えたのである…。

 

 

  

 

「…張勲の言葉はどうにも信じられない所があるが、確認しておく。姫様を唆し、連れ出したというのは真か?」

 

 

  

 

「答えは否だ。寧ろ俺はあの子を…美羽を助けたんだ。なのに狼藉者呼ばわりされて、本当に参っているよ…」

 

 

 

 

 壮也は紀霊の問い掛けに正直に答えた。嘘偽りなどを言うつもりもないし、言う必要もない…そう思ったからこその返答だった。

 

 

 

 

「……『お、お嬢様っ!?』っ、姫様?」

 

 

 

 

 その時後ろから響いた声に紀霊が視線を後ろに向けると、そこには美羽が七乃の制止を振り切って壮也の前へ行き、彼を護る様に手を広げたのである。

 

 

 

 

「待つのじゃ紀霊!この者は…壮也は、妾の命を救ってくれた恩人であるぞ!そして妾はこの者に真名を授けるまでの恩義を得た!なのにそなたは、壮也に刃を向けるのか?ならば妾は…汝南袁家が当主・袁逢の娘、袁公路が命じる!直ちに武器を下ろせ!」

 

 

 

 

「っ!?美羽…!」

 

 

 

 

 その幼い見かけとは裏腹に堂々とした名乗りと共に壮也は強く心を打たれた。それは目の前で構えている紀霊はおろか、美羽を止めようとした七乃すら動きを止める有り様だった。やがて…。

 

 

 

 

「承知した。姫様の命じるままに…」

 

 

 

 

 そう言って紀霊は手にしていた三尖刀を下げ、片膝を突いて戦意を収めた。だがそれに対し七乃はまだ納得できていなかった。

 

 

 

 

「な、何をしているんです紀霊将軍!幾らお嬢様が真名を授けたからってこんな得体のしれない…!?」

 

 

 

 

 だがそれ以上の言葉は続かなかった。その喉元に三尖刀の穂先が突き付けられ、そして鋭い目つきを向ける紀霊の姿があったのだから。

 

 

 

 

「その辺にしろ張勲。そなたは姫様の命に背くつもりなのか?何より姫様がここまで意思を示してまであの若者を護ろうとするのなら、むしろその若者を捕えようとするそなたの方が信用ならぬというもの。観念せよ」

 

 

 

 そう突き付けられた七乃…張勲は強い殺気に当てられた為であろう。膝から崩れ落ち、顔は青ざめてガタガタ体は震え続けていた。だが、その七乃に対し美羽…袁術は近づくと、彼女の頭を優しく撫で始めた。

 

 

 

「っ!?お、お嬢様…?」

 

 

 

「七乃、今まで妾によく尽くしてくれた。それが真の忠誠ではなく、私心の入った物であったとしても…な。だが、これからは妾は心を入れ替えて、立派な領主になろうと思う。その為に、そなたも力を貸してはくれぬか七乃?」

 

 

 

「…お、お嬢様ああああ!!うわああああああん!!」

 

 

 

 美羽の言葉に、七乃は滂沱の涙を流しながら彼女に抱き着いた。それを見て、紀霊は温かい目でこれを見守り、壮也も武器を下ろし安堵の息を漏らしたのであった…。

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・ 

 

 壮也が美羽…袁術らとの間で一悶着があった頃、壮也と再び出会う為に旅をする愛紗は汝南群を訪れる。そこで愛紗は思わぬ旅の供を得る事になるのだが……続きは次回のお楽しみ。

 




 今回登場したオリジナル武将

『紀霊』(容姿・性格はアルスラーン戦記の『カーラーン』を参考にしました!)
 袁術の親である袁逢に仕えている武将。忠義心に厚い武人であり、袁逢からは大いに頼みにされ袁術の事を頼むと言われるほどなのだが、張勲によって故意に袁術から引き離されていた。袁術の事を『姫様』と呼んで忠節を尽くしている。

 演義において重さ50斤(約11キロ)におよぶ三尖刀の使い手として登場し、関羽と30合あまり打ち合うなど武将としての力量はあったらしいが、袁術が凋落するようになると張飛によって10合余り渡り合った後に討ち取られてしまうなど引き立て役として終わってしまった人物でもある。


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韋駄天

 どうも、お待たせして申し訳ありません。最新幕、投稿させて頂きます。

 今回もオリジナル武将が登場します。登場するのは架空の存在でありながら三国志において関羽の従者として登場し、本場中国には墓まで作られた武将。

 そして『真・三國無双8』で登場を果たしたあの人です!あと三国志演義などにおいて趙雲に討たれてしまったあの人も…ではどうぞ!


 その日……袁逢は思わず自分の目が飛び出してしまいそうになるほどの衝撃を味わった。その原因は自身の娘である袁術にある。

 

 

 当時袁逢は漢における官位の一つで中央近辺で召集された材官・騎士の軍士からなる北軍を統率して都・洛陽の巡察・警備を司る執金吾を務めており、その為か兼任して命じられている南陽郡の太守が常駐する『宛』に中々戻る事が出来なかった。

 

 

 彼女には2人の娘がおり、長女の袁基を連れて都で執金吾の任に努めていたのだが次女の袁術はまだ幼い事もあって宛で留守番を命じていた。この頃の袁術が我儘な所があった事もあって頭を悩ませていた袁逢は自身に仕えている者達の中で才覚が優れているのが目に留まった張勲に袁術の教育係を命じ都へと旅立った。

 

 

 ところが……それから暫くして自身が腹心として信を置いている筆頭武官の紀霊から書状を貰ったのだが、そこに書かれていたのは愛娘である袁術が『勉学や武術の鍛錬もおざなりにして遊び呆けており、それを諌めるべき張勲も諌めるどころかそれを助長している』と言うものだった。

 

 

 当然袁逢は信じられないとばかりに詰問を込めた書状をしたためて張勲へと送ったのだが……戻って来た書状にはこう書かれていた。

 

 

―――私はお嬢様…美羽様の教育はしっかりしていますよ?そちらが書状にかかれていた事実は一切ございません。それは紀霊さんが私を追い落とそうとする陰謀に相違ありません!

 

 

……との事である。

 

 

 これを見て袁逢はどちらが正しいのか困り果てた。片や自分が汝南袁家の当主として働き始めた頃からの忠臣として信を置いている紀霊の報告と、片や当主としてこれはと見込んで娘の付き人として登用した張勲の報告……果たしてどちらが正しいのだろうか?

 

 

 悩み抜いた末に袁逢は、執金吾として緊急を要する任務を粗方片づけた後に雑務を長女の袁基に任せるとそのまま馬を走らせて宛に戻って来たのである。そうして屋敷に駆け込んでみたのだが……。

 

 

「子曰く、学びて時に之(これ)を習ふ。

亦(また)説(よろこ)ばしからずや。

朋(とも)有り、遠方より来たる。亦楽しからずや。

人知らずして慍(うら)みず、亦君子ならずや……」

 

 

 そこで袁逢が見たのは…幼いが故に可愛らしい所もあるが我儘放題な所もあったはずの愛娘である袁術が机の上で当時の中華における書物の一つで儒学の祖と言うべき偉人『孔子』の語録と言える『論語』を熱心に音読をしているのである。しかも机においてあるのはそれだけでなく中華の歴史書である『史記』は言うに及ばず、かの始皇帝も愛読したとされる『韓非子』に、中華において知らぬ者が無いほどの兵法書である『孫子』まで置かれているのである。

 

 

 あの、今まで我儘放題で自分を困らせてもいた愛娘がえらい変わり様である…扉を少しだけ開けてその様子を伺っていた袁逢は目に映っている光景に思わず固まっていたが、やがて気を取り直すと彼女の勉学を邪魔しないように静かに離れ、当主である自分の部屋に向かうと紀霊と張勲を呼びつけた。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

「…すると何?貴方美羽の可愛さに目がくらんで、それを独占したいが為にあの子を散々に甘やかしていたというの?」

 

 

 紀霊と張勲から事情を聞いた後、そう言いつつ額に青筋を浮かべながら優しく問いかける袁逢に、張勲は平身低頭しながら謝罪し始めた。

 

 

「も、申し訳ございません当主様~~!けどこの張勲、お嬢様に諭されからは心を入れ替えて、これからは誠心誠意お嬢様の付き人としてお嬢様をお支え致します!どうかお許しを~~~!!」

 

 

 そう言いながら頭をこすり付ける張勲に対し、袁逢は盛大にため息を吐いた。紀霊の報告が正しかったのだと証明された訳だが…これではどう罰すればいいのか分からないのだ。これが『次期当主である袁術を籠絡し、自分亡き後の汝南袁家を我が物にしよう』と考えていたのなら斬罪に処してやろうとも思っていたのだが…まさか『娘の可愛さに目がくらみ、それを独占したかったが為に勉学や武術の鍛錬をさぼらせていた』のでは処刑したくてもあほらしくて話にならない。

 

 

「………もういいわ。これからは美羽の付き人として、あの子をしっかりと教育する事。それで手打ちにします。けれど……二度は無いわよ?」

 

 

「は、はいいいいい!!!」

 

 

 どすを聞かせた叱責を受けて張勲はすぐさま立ち上がって部屋から飛び出して行った。そして紀霊と二人きりになった事を察した袁逢は、紀霊に問いかけた。

 

 

「……それで紀霊。その徐寧と言う青年はどうしたのかしら?私としては美羽を…愛娘に当主としての心構えを諭し、あの子を改心させてくれたその若者には是非とも屋敷に招いて厚く礼を尽くしたいと思っているのだけど…」

 

 

 そう問いかけると…紀霊はその厳格そうな顔に困り果てたという感じで目元に皺を寄せた。

 

 

「それが……」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 それは袁逢が帰ってくる1週間前ほどに遡る。

 

 

「のお壮也…もう行ってしまうのか?」

 

 

 宛の町から外に出る為の城門…そこに壮也は馬屋に預けていた黒風に跨っており、それを美羽は悲しそうな表情で見送りに出ていた。

 

 

「ああ。俺はいろいろあって一つ所に留まれない事情があってな…もうそろそろ行かないといけないんだ」

 

 

「………」

 

 

「(ああっ!お嬢様にあんな悲しそうな表情を…おのれ徐寧さんとか言いましたね!?よくもお嬢様をおおおお……!!)」

 

 

 壮也の返答に美羽はさらに悲しそうな表情をし、それを見て付き人の張勲はご立腹と言う感じで詰め寄ろうとするのを紀霊が首根っこを掴んでこれを止める。

 

 

「徐寧、と言ったか?俺としても姫様が心を許しているお主が旅立ってしまうのは姫様があまりにも可哀そうでならぬ。少しばかり逗留してはどうだ」

 

 

 紀霊の提案に対しても、壮也は首を縦には降らない。

 

 

「いえ…紀霊将軍の提案は嬉しく思いますが、やはり俺はここを離れると決めたので…」

 

 

 そう言うと壮也は一旦黒風から降りると、今にも泣きだしそうに顔を歪めている美羽の前で膝を突き、彼女の頭に手を置いて撫で始める。

 

 

「あっ……」

 

 

「じゃあ約束するか美羽?もしこの先、美羽が領主として民草を安んじる様な…そんな領主になっていると風の噂で聞いたのなら、俺はまた君に会いに行く。そしてその噂が真の物だったのなら、俺は君の臣下になってあげるよ?」

 

 

 壮也がそう語りかけると、先ほどまで泣き出しそうになっていた美羽はたちどころに花が咲いた様な笑顔を浮かべる。

 

 

「っ!ほ、本当か……?」

 

 

「ああ。じゃあ約束するか…美羽、左手を握ったまま小指を立ててみて前に出してくれ」

 

 

 壮也がそう言うので美羽がそうやると、壮也は同じ様に右手を握りながら小指を立てると、自分の前に出ている美羽の小指に自分の子指を絡める。そしてこう歌い始めた。

 

 

「指きりげーんまん、嘘ついたらはりせんぼん飲ーます。指切った!」

 

 

 そう言って絡めていた小指を放す。それに対し美羽は目をぱちくりさせていた。

 

 

「壮也…今の歌は何じゃ?それにこの動作は…?」

 

 

「これは…俺が妹とよく約束をする時にやっていた事でな。これで俺と美羽は約束を交わしたって事になる…じゃあ、俺は行くよ」

 

 

 そう言葉をかけながら壮也は黒風に跨ると、そのまま馬を走らせて宛の城門を潜り始める。やがて美羽は壮也に聞こえる様にと大声で呼びかけた。

 

 

「っ!分かった…分かったぞ壮也!妾は、妾は絶対に立派な領主になってみせるぞ!だからまた妾の元へ来てくれ壮也!!妾は待っておるぞ―――!!」

 

 

 美羽の呼びかけに壮也は首を動かすと、軽く微笑みを浮かべながら手を振りつつ馬を駆けさせていった…。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

「そう…旅立ってしまったのね。その徐寧と言う青年は…」

 

 

 袁逢が悲しそうに呟くと、紀霊は頷いてこれに応える。

 

 

「はっ…それからと言うものの、姫様は勉学は言うに及ばず武術の鍛錬に軍の教練にも顔を出す様になり、少しずつ成長をしております。このままいけばきっと当主様の後を継いで汝南袁家の長として相応しいお方になりましょう」

 

 

「そう…それが何よりも喜ばしいわ。…ところで紀霊」

 

 

「何か?」

 

 

 紀霊が呼びかけに応えると、袁逢は何時になく顔を真剣にしながら問いかけてきた。

 

 

「その徐寧と言う青年…額に斜めに刀傷が奔っていたそうね?」

 

 

「はっ…左様ですが、それがどうしたと?」

 

 

 そう問いかけた紀霊に対し、袁逢は懐から一枚の紙を取り出し、机の上に広げる。広げられた紙を紀霊が覗き込み…顔を驚愕に染める。それは都で張られている『十常侍の親族を殺めた狼藉者の人相書き』であったのだが…。

 

 

「当主様…この似顔絵は徐寧ではありませぬか!?」

 

 

「ええ、恐らくその通りよ。お尋ね者の名は徐来芳明…罪状は十常侍の筆頭・張譲の親族を殺めた殺人罪ね。その様子を見ると初めて見たという感じだけど…どうやら美羽は知らなかったみたいね」

 

 

「はっ。何分この様な物騒な情報などは張勲が『こんなものが貼られてはお嬢様の可愛らしさを損なう原因になります!』とか言って残らず回収されてしまい…」

 

 

 ここでも張勲の行いを聞いてまたも頭が痛くなったが…やがて気を取り直して彼女は続ける。

 

 

「…まあいいわ。幸か不幸かそれが美羽に知られなかったという事ね…あの子にしても慕っていた相手がお尋ね者と分かったらきっと悲しむでしょうしね」

 

 

袁逢の言葉を聞いて、紀霊は彼女の意図を察しつつ問い掛けた。

 

 

「…黙っていろ、と?」

 

 

「当然よ。彼は私の娘に人の上に立つ者としての心構えを諭し、娘を改心させた恩人…それを捕えて都に救っている害虫どもに恩を売るなんて事したくもないもの。この事はいずれ私の口からあの子に話すわ…貴方も黙っていてね」

 

 

「御意。当主様の命、しかと承りました」

 

 

 こうして両者の会話は終わりを告げたのである…。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 さて時刻は壮也が頓丘県を訪れるも胡車児らが率いる張譲が放った追手の妨害を受けて足早に頓丘県を離れた頃…それから3日後、頓丘県を壮也を追って旅をする愛紗が訪れていた。愛紗がこの地を訪れた理由、それは家族に対する情の強い壮也なら、きっと妹である徐晃…香風の元を訪れている筈だと思ったからである。

 

 

 彼女は馬屋に赤雲を預けると、香風が華琳に宛がわれた屋敷に足を運んだ。そして香風から事情を聴く事になった…。

 

 

「そうか…では壮也はここを訪れていたのだな香風?」

 

 

「うん。けど兄上には会えなかった……きっと追われていたんだと思う」

 

 

 香風が悲しそうに呟くと、愛紗も悲しそうに顔を歪めながらこれに応える。

 

 

「そうだな…今の壮也はこの天下を騒がせる悪党になってしまったのだ。懸賞金目当ての者達も追っているだろうし、張譲の追手もきっといる筈だろう…いろいろと聞かせてくれてありがとう香風」

 

 

「もう行くの…?」

 

 

「ああ。こうしている間にも壮也との距離が離れてしまうかもしれないからな…出来得る限り早く追いつきたいのだ。…すまないな、もっと話したいだろうに」

 

 

 愛紗がそう問いかけると、香風は顔を横に振ってこれに応える。

 

 

「ううん。今のシャンは華琳様に仕えているから…流浪の身である愛紗姉上ならきっと追いつけると思うし。それに、愛紗姉上と会えたのなら兄上もきっと安心すると思う…気を付けてね?」

 

 

「!…ああ、ありがとう香風」

 

 

 そう言って屋敷を出る為に庭に出ると、思わぬ邂逅があった。それは巡察を終えた華琳…曹操が春蘭と秋蘭を連れて香風の屋敷に立ち寄ってきたのである。

 

 

「あら…貴女は?」

 

 

「貴殿は…?」

 

 

 お互いに顔を知らない為戸惑っていると、愛紗の後ろから香風の声が響く。

 

 

「あっ、華琳様だ」

 

 

「っ!ではこの人が香風が仕えている…曹操殿か!これは失礼を!」

 

 

 慌てて畏まる愛紗に対し、華琳は手でそれを制する。

 

 

「気にする事は無いわ。それより…貴女はもしかして近頃噂になっている『黒髪の女傑・関雲長』かしら?そして、徐芳明が自ら罪を被ってまで護ろうとした人…そうね?」

 

 

「っ!左様です…香風から?」

 

 

「ええ、一時期香風の両親である徐岳殿らもこちらで歓待していたからいろいろ聞いていたのよ。それより…」

 

 

 そう言いながら華琳の瞳には人材登用の光を強く宿し始め、愛紗をしげしげと見つめ始めた。

 

 

「な、何か…『いいわね』えっ?」

 

 

「その身に宿る知勇、そして義を重んじるその心…これは正に奇貨と言うべきだわ。貴方、私の元で働く気はないかしら?」

 

 

「私が、ですか…?」

 

 

 愛紗が戸惑いながら問いかけると、華琳は首を縦に振ってさらに続ける。

 

 

「ええ。けれど貴方を縛り付ける気はないわ……貴方には果たしたい願いがあるのも重々承知しているしね。そうね…徐来を探しているのでしょうから、出仕すると言っても私の元にずっといなくてもいいわ。寧ろ貴方が旅をするのに必要な旅費とかを融通してもあげるし、彼を追って旅をするのを止める積りも無い。どう?これ以上ない待遇だと思うのだけど…」

 

 

「か、華琳様!?」

 

 

「やれやれ…また華琳様の人材蒐集愛が首をもたげたな」

 

 

 華琳の提案に春蘭が驚愕の声を上げ、秋蘭は主君の困った癖に首をすくめる。それに対し愛紗は暫く黙ったままでいたが…やがて声を発した。

 

 

「私如き流浪の武芸者如きに斯様な厚遇…誠に嬉しく思います。ですが、謹んでお断りさせてもらいます」

 

 

「なっ、貴様!華琳様の好意を無駄にする気か!?」

 

 

「春蘭、静まりなさい。…理由を聞いても?」

 

 

 愛紗の返答に春蘭が激昂し、それを主君である華琳が諌めつつ理由を問うと、愛紗は静かな声でこれに応える。

 

 

「私を庇う為に壮也が…徐来が罪を犯した事は多くの人づてに広まっています。まして曹操殿は妹である香風を召し抱えているばかりか壮也の両親まで歓待していたとか…もしここで私まで召し抱えたとなれば、十常侍の者達の追及が曹操殿に及ぶ事は必定。…壮也はいつも零していました」

 

 

―――もしこの天下が乱世になったとしたら、今は頓丘県の県令を務めている曹操殿がきっと天下を静め、安んじるに足る英雄になるだろう。俺は武器を作るしか能の無い鍛冶師だが、叶うならそんな人の元で働きたいものだ。

 

 

「…と言っていましたから」

 

 

「そう…彼がそんな事を」

 

 

 華琳が自分の事をそんな風に評していた事に驚いていたが、やがて愛紗は拱手をしながら言い放った。

 

 

「故に私はこのまま旅を続ける積りです。そしていつの日か壮也と再会を果たし、彼と語らった末にもし壮也が曹操殿の元で働きたいと言ったのであれば、私も彼と共に曹操殿の元で働くつもりです。それでは駄目でしょうか…?」

 

 

 愛紗の宣言に華琳は暫し黙していたが、やがて満面の笑みを浮かべてこれに応えた。

 

 

「…成程、これは確かに傑物と言えるわ。正直貴方ほどの女傑が離れてしまうのは残念でならないけれど…いいわ。気を付けて行きなさい」

 

 

「…っ!ありがとうございます曹操殿!『華琳でいいわ』っ!?それは…曹操殿の真名では?」

 

 

「ええそうよ?私…貴女の事が気に入ったの。出来れば今度は、徐来と一緒にまた私の元へ来てくれることを願っているわ」

 

 

自身に対して真名を預けた曹操…華琳に対し、愛紗もまた拱手をしながらこれに応えた。

 

 

「分かりました…ならば私の真名も華琳殿に預けます。愛紗…それが私の真名です」

 

 

「愛紗…覚えておくわ。それでは行きなさい、彼の元へ行くのでしょう?」

 

 

「はい。それではまた…香風、またいつか」

 

 

「うん…!」

 

 

 そう言って愛紗は香風らに別れを告げると足早に屋敷の門をくぐる。そしてその時に白い装束を纏った青年にぶつかりそうになったが、うまく避けて通り去った。

 

 

「っ!失礼した、先を急ぐのでこれで(この装束…?そうか、この青年が華琳殿に仕えているという『天の御遣い』殿か…)」

 

 

「いや、こちらこそすいません(うわ、凄い綺麗な黒髪…それに手に持っているのって青龍偃月刀?じゃあこの人が香風が言っていた関羽さんか!?)」

 

 

 こうして二人はすれ違いながら別れる事になったのだが、これが天の御遣いと呼ばれる北郷一刀と関羽の初対面になるのだった。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 さて兗州は頓丘県を離れた愛紗は一路南に向かって旅を続けた。やがて愛紗は豫洲は汝南郡にある酒家で一息つく事にした。

 

 

 酒家で茶と料理を味わい、一息ついた愛紗が店を出ようとした時…店の中に駆け込んできた男の声が響いた。

 

 

「おい聞いたか!また『韋駄天』がやってくれたらしいぞ!」

 

 

 その言葉に酒家の中は一際大騒ぎになる。

 

 

「何、本当か!?」

 

 

「ああ!また悪徳商人の荷車を襲撃して金品を洗いざらい掻っ攫ったそうだ!」

 

 

「そうかそうか!またあの韋駄天がやってくれたか!!」

 

 

 そうして店の中が勝ち戦に浮かれるかのように賑やかになるのを見て、関羽は首をかしげた。

 

 

「韋駄天……?店主、聞きたいのだがその韋駄天とは何者なのだ?」

 

 

「えっ?…ああそうか、あんた旅人だったか。韋駄天ってのはこの辺りじゃ知らない奴がいないほど有名な、山賊の頭の二つ名さ」

 

 

「山賊の頭の二つ名、か…。だが、この辺りの民草は山賊の頭が悪行を為したのに嫌悪を抱いていないのか?」

 

 

 愛紗がそう尋ねると、店主はそれは違うとばかりに首を横に振った。

 

 

「おいおいそれは勘違いにも程があるって物さ。確かに韋駄天は山賊だが、あの人は賊は賊でも義賊って奴でね。俺達の様な貧しい人には手出しをせず、襲うのは大抵が悪徳の役人とか強欲商人とかさ。そうして襲って奪い去った金品を俺達の様な貧しい人々に分け与えるんだ。これで人気が出ない訳がねえだろう?」

 

 

「そうなのか…では、その韋駄天と言う二つ名の由来は何なのだ?」

 

 

「ああその二つ名の由来かい?…足が速いんだよ、その頭って奴は」

 

 

「足が速い…?」

 

 

「そうさ。だがそんじょそこらの『足が速い』ってのとは比べ物になりゃしないんだ。何せ追手が馬に乗っていようとまるで追いつけないってんだからさ」

 

 

 店主の言葉に、愛紗は思わず耳を疑った。馬に乗っている相手が追い付く事が出来ない…?とてもじゃないが信じられなかった。やがて店主は愛紗が疑っていると察したのかさらに言葉を続ける。

 

 

「おや旅人さん、信じられないって顔をしているね。まあ確かにそうかもしれないがね…何を隠そう、俺はその韋駄天の走りをこの目で見た事があるのさ!」

 

 

「そ、そうなのか…?」

 

 

「ああ。あれは俺が山に行って薬草とかを取っていた時なんだが…」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 そうして店主が話し始めたところによれば…その店主が山に入って薬草を取っていると、そこから離れた所にある街道を荷馬車の一団が通りかかるのが見えた。よく見るとその馬車の周りを屈強そうな護衛が付き従い、戦闘には馬に乗っている豪奢な装束を纏った商人と思われる男性がいる。

 

 

 …恐らくはあくどい稼ぎをしている商人が役人に賄賂を送ろうとしているのだろう。そう思った店主であるが自分にはどうする事も出来ず遠目から眺めていると…彼らの前方から砂煙が立ち上がってくる。商人が戸惑い護衛達が馬車を護ると前面に集まったのと同時に、その相手は現れた。

 

 

 緑を基調にした軽鎧を纏い、頭には幅広のつばに頭部の天辺に黄色の房飾りがついた帽子を被り、首に龍の紋様が編み込まれたスカーフを巻いた少女……その手には長い柄にソリの足やスケート靴のエッジのような刃がついた得物を手にしている。そして現れた少女は大音声を上げて呼びかけた。

 

 

「やあやあ!我こそは弱きを助け強きを挫き、天に変わって不義を討つ!関西の韋駄天こと周倉、これにあり!強欲商人とその一味よ!大人しくその荷を置いて行け!」

 

 

 そう言い放った少女に対し、商人は不敵な笑みを浮かべて叫んだ。

 

 

「…はっはっは!やはり出おったな韋駄天とかほざく小娘めが!今まで同業の者達が散々な目にあったと言うが…儂はそうはいかぬ!者ども今じゃ!!」

 

 

 そう言って部下に呼び掛けるのと同時に、部下の一人が腰に下げていた角笛を思いっきり吹き鳴らす。すると荷馬車の中から多くの兵士達がわらわらと出てきたかと思うと、彼女の周りを取り囲んだのだ。

 

 

「うえっ!?積荷じゃなくて手勢!?あちゃあ、してやられちゃったかー」

 

 

「ふん、形勢逆転と言う奴じゃな。大人しく縛に付け『やーだよ!』んなっ!?」

 

 

 だが少女は動じるどころか取り囲んでいる兵士に猛然と突っ込んだかと思うとそのまま跳躍、兵士の一人の頭を踏みつけてさらに高く跳び、そのまま包囲網を脱出したのである。

 

 

「三十六計逃げるにしかず!じゃっ、そういう事で―!」

 

 

…と言い放つが早いか、猛然と砂埃を上げながら駆け出したのである。

 

 

「ま、待てっ!?何をしておる、追いかけんか!?」

 

 

 商人にそう言われ、呆然としていた護衛達は慌てて馬に鞭打って追いかけ始めたのだが、既に彼女の姿は小さくなっている有様であった…。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「それは…大した脚力だな。馬で追いかけようとして既に追いつけないとは」

 

 

「だろう!いやー、あれにはたまげたさ。それに実際馬に追いかけられている所を見たって奴もいた位でな」

 

 

「…どうだったのだ?」

 

 

「そりゃあ追いつけなかったさ。追いついたかと思ったらまた速度を上げて駆けだしてよ、逆に馬の方が潰れちまったんだ。思うんだが、あの韋駄天に追いつける馬なんて西楚の覇王・項羽の愛馬である|騅≪すい≫ぐらいじゃないのか?」

 

 

 店主がおどけた様に話すのを見て愛紗は苦笑しながらも暫し談笑に明け暮れた…。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 やがて酒家を離れ、再び旅を続ける事になった愛紗だったが…それは突然起こった。それは臥牛山と言う山のふもとを通った時の事である。

 

 

「あの、すいません…」

 

 

 …と遠慮がちな感じに声を掛けられた愛紗が馬を止めて声の方を向くと、そこには銀の短髪に薄紫色の瞳を持ち、背中に短い柄に月牙と言う三日月型の刃が取り付けられた戟…双戟を挿している少女がガラの悪い男達を連れて立っていた。

 

 

「…私の事だろうが、お前達は賊か?」

 

 

「は、はいそうです。えっと…金目の物とか置いて行ってください。それかもしくは…貴方が乗っている馬を」

 

 

 少女の呼びかけに愛紗は自身の愛馬である赤雲を見る。成程確かに赤雲は毛並みも立派だし屈強な体格をした名馬である。売ればかなりの額になると見込んだのだろう…。

 

 

「意外だな。賊と言うからには強引に身ぐるみを剥いで来ると思ったのだが…」

 

 

「え、えっと…私達は義賊で通してるし、あまり血を見る様な事はしたくないから…」

 

 

「まあお嬢の言うとおりだ!とっととその馬を置いて行きな!そうすりゃ命は助かるぜ!」

 

 

 やがて彼女が連れてきた子分達が槍や朴刀やらを構えてヤジを飛ばしてくるので、愛紗はこれに毅然とした態度で答えた。

 

 

「…悪いがその要求は断る。赤雲は私の愛馬、それを渡せと言われて従う訳がないだろう。欲するのなら…奪って見せろ!」

 

 

 そう言い放ち、自身の得物である青龍偃月刀の刃を突き付け戦闘態勢を取ったのだが…相手側は襲ってこない。それどころかその頭である少女が動揺を隠しきれていない感じになっていた。

 

 

「嘘…あれって、青竜偃月刀…!?それに、その黒髪…」

 

 

 そう呟いたかと思った次の瞬間、少女は即座に背中に背負っている双戟を地面に置くとそのまま膝を突きながら拱手の構えを取ったのである。

 

 

「お、お嬢!?どうしたんでっ!?」

 

 

「この人…関雲長だよ!!紅葉(もみじ)が何時も言ってた人!」

 

 

『え……えええええええっ!???』

 

 

「すぐに紅葉に伝えて!関羽様がここにいるって!」

 

 

「へ、へいっ!」

 

 

 少女の指示に子分の一人が臥牛山へと向かって行く中、残りの子分達も慌てて平伏し始める。その光景に愛紗の方はと言うと…。

 

 

「む、むむむ…?!」

 

 

 動揺を隠しきれないという感じであった…。やがて暫くすると、臥牛山の方から砂埃が上がって来るので愛紗がそちらの方へ眼をやると、こちら側へと猛然と駆けつけてくる少女の姿が見える。そしてその少女は先ほどから平伏している少女の隣で急停止すると、同じく膝を突いて拱手を取った。

 

 

「す、鈴蘭(すずらん)ちゃん!?この人本当に関羽様!?間違いないよね!?」

 

 

「う、うん…!いつも紅葉が話してた人と姿形も似てるし、手にしている武器も同じだし…多分この人だと思う」

 

 

「そ、そうなんだ…!あ、あの!仲間が失礼な事をしてしまいました!!お会いできて光栄です関羽様!!私は周倉って言います!こっちは仲間の斐元紹です!!」

 

 

「あ、ああ…」

 

 

 そう言って物凄い勢いで頭を下げる少女…周倉に対し戸惑いを隠しえない愛紗。だが、この出会いこそ後に『関家軍』と呼ばれる軍勢。その総大将と3名の副将の内の二人の初遭遇となったのである…。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

【おまけ】

 

 

「…えっと、香風?」

 

 

「どうしたの一刀?」

 

 

「その、華琳が酷く落ち込んでるみたいなんだけど…」

 

 

「あああれ…?愛紗姉上に振られて落ち込んでるみたい」

 

 

「それって…関羽殿の事か?あの時俺とすれ違った黒髪の…」

 

 

「うん、その人」

 

 

「華琳様!気をしっかり持ってください!なんなら私が今すぐあの女の首根っこを掴んで……」

 

 

「…私はしっかりしてるわよ。ええもう絶好調よ私は?だから少しは落ち着きなさいね春蘭?」

 

 

「姉者…今の華琳様は心痛気味なのだ。察してくれ…」

 

 

「えっと…元気だしなよ華琳?この天下は広いんだからさ。優れた在野の英傑の一人や二人『甘いわよ一刀』え…?」

 

 

「あの関羽と言う娘は只の英傑ではないの。知勇何れにも秀でるだけでなく、私の誘いに対しても断りつつも私の顔を立てる心配り…そして凛とした態度の中にある女性らしい柔らかさ!もしも、もしもよ!?あの凛とした顔つきが笑顔になって『華琳様』って呼ばれたとしたら………これだけで城一つ引き換えにしてもいい位よ」

 

 

「そこまでですか!?」

 

 

「そこまでなのよ!!」

 

 

「ああ…華琳様の人材蒐集愛がここまで!…関雲長、やはり只者ではないという事ね」

 

 

「さすが愛紗姉上…やっぱりすごい」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 こうしてのちの主従となる二人が出会っていた頃、華南へ渡った壮也。そこで壮也を待っていたのは、江南の虎と称される女傑との出会いだった…。続きは次回のお楽しみ。




オリジナル武将

『周倉』(容姿、性格は『刀使の巫女』の『衛藤可奈美』を参考にしました!)
 後に関羽の副将として活躍する事になる少女。関西地方、すなわち涼州出身であり弱きを助け強きを挫く…そんな英雄に仕えたいという想いから故郷を飛び出したが中原の腐敗ぶりに自分に出来る事をと思って行動した結果義賊になっていた。

 明るく前向きな性格であり、同時に憎めない人柄。


三国志においては演義にしか登場しない架空の人物であるのだが、本場中国においては墓まで作られているうえに、関帝廟には関平と共に関羽の従者として祭られているなど、非常に根強い人気がある。


『斐元紹』(容姿、性格は『刀使の巫女』の『糸見沙綾香』を参考にしました!)
 周倉と共に賊をやっていた少女。幼く大人しい見た目とは裏腹に腕は立つのだが性格も見た目を裏切らないようにおとなしく、周倉の明るさに振り回される事もしばしば。

三国志においては周倉と同じく、演義にしか登場しない架空の人物。周倉が関羽に付き従う間部下を預かっているように言われたのだが、趙雲の乗っている馬を盗もうとして殺されてしまった哀れな人。


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主従誕生

どうも、お待たせしました…最新幕投稿です。


 臥牛山にある、人目に付かない様に作られた野営地。そこが汝南郡を中心に名前を轟かせている『韋駄天・周倉』が頭を務めている山賊達のねぐらなのだが、今その野営地に関羽は招かれていた。

 

 

 粗末な床几に座らされ顔をしかめている関羽の前には、恐らく山野で仕留めたと思われる猪を捌いて作った骨付き肉を初めとした料理が並べられ、その料理の向こう側では頭目である周倉と、副首領を務めている斐元紹。そして彼女達に従っている山賊達が平伏していたのである…。

 

 

「え、えっと…遠慮しないで食べてください!長旅で疲れているでしょうし、なんなら今夜はここに一泊してくださっても結構です!」

 

 

「いや、そう言われても困るのだがな…。確か…周倉、だったか?」

 

 

「は、はい関羽様!何か質問でしょうか!?」

 

 

 周倉がそう溌剌とした声で答えたので、愛紗はため息を一つ付きながら切り出した。

 

 

「…何故そなたらは山賊だというのに私をこうまで歓待するのだ?そもそも私は襲われそうになっていたのだが…」

 

 

 愛紗がそう問いかけると、周倉は驚いたように目をぱちくりさせた後天を仰ぎながら頭に手を当てた。

 

 

「あちゃー…そうだったんですか?えっと、ご気分を害しちゃったのならお詫びします。私達一応義賊として活動しているんですけど…やっぱり仲間が集まれば当然食べ物とかも必要になっちゃうし、かといって名目上は義賊として動いている以上奪った金品を丸ごと自分達の物にってのは出来ないんで…それで旅の武芸者とかに狙いを定めて通行料とかとったりして過ごしているんです」

 

 

「旅の武芸者を、か…」

 

 

「はい…旅の武芸者って諸国を巡りながら用心棒とかして路銀を稼いでいるでしょ?中には結構貯め込んでいるがめつい奴とかもいるし、強盗まがいな事をしてる奴らとかもいるんで…」

 

 

「…成程な。ふむ、襲われた理由は分かった。だがもう一つの質問には答えて貰っていないぞ。何故そなたらは私をこうまで歓待する?」

 

 

 愛紗が鋭く切り込む様に質問を投げかけると、その覇気に気圧されながらも周倉は勇気を出して声を発した。

 

 

「わ、私…ずっと関羽様の様な英雄に仕えたいと思っていたからです!」

 

 

「………何?」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 思わぬ答えに愛紗が呆気にとられる中、周倉は今までの事情を包み隠さず話し始めた。

 

 

……周倉が生まれたのは関西地方、すなわち中華における西方、涼州であった。土地柄も貧しい上に匈奴や鮮卑と言った五胡の跳梁が著しい土地で育ってきた彼女はいつも夢見ていた。

 

 

―いつか、この麻の如く乱れた日々を終わらせて、人々が穏やかに、安らかに暮らせる日々を齎してくれる英雄に仕えてみたい。

 

 

 それが周倉が長らく切望してきた願いだった。物心ついた頃には両親が無くなり天涯孤独となっていた彼女は、幸いにして武勇の才を持っていた事から武人として身を立てる事は出来たのだが、兵法などを駆使する事はからっきしであった為、自身の夢である『英雄』にはなれないとも痛感してもいたのだ。

 

 

 その為一時期は当時涼州で勢力を持っていた『韓遂』に仕官してみたのだが…涼州の覇権争いを続けつつ、中央への反乱を繰り返す事しかせず、涼州の民を安んじる気配を見せない韓遂に心服できず、彼の元を去る事になった。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「…韓遂様も何とかしようとはしてたんでしょうけど、私には馴染めなかったんです。それで私はあの人の元を離れた後、故郷を後にしました。私達の故郷を救える様な、英雄を探す為に」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 そうして諸国を巡る流浪の武芸者になった周倉であったが…諸国を巡る様になって分かってきたのは、中原の地が自分の故郷である涼州以上に人々が苦しい暮らしをしていたという事だ。飢饉や天災によって作物が取れないにも拘らず税を納める様に民を虐げ、一方で民百姓らが苦しんでいるというのに贅沢に溺れる役人達。そしてその役人達に媚び諂い賄賂を献上して私腹を肥やそうとする悪徳商人…。

 

 

 そんな連中を見ている内に、彼女はある決心をする。

 

 

ー自分がしようとしている事は一時しのぎにすらならないかもしれない。それでも、強欲な者達から財貨を奪い苦しんでいる人々に分け与えよう…!

 

 

 …決意をした彼女の行動は早かった。最初はたった一人で悪徳商人が貯め込んだ財貨を賄賂として運ぼうとする一団を襲撃して財貨を強奪し、追撃をされた時は武芸以外で自慢できる脚力で逃げ切り、そして別の土地に逃げた後に奪った財貨を貧しい人々に分け与え、自分は流れの武芸者などに勝負を挑んで路銀を巻き上げたりしながら日々を過ごしている内に同じ様に役人達によって苦しめられてきた事に不満を募らせていた斐元紹達と出会い、盗賊団として行動する様になっていた。

 

 

 そんなある時、周倉は他の悪徳商人や悪徳役人らの情報を探ろうと、素性を隠して町に向かったのだが…そこで一人の占い師に会う。その人物こそ、近頃噂に名高い管輅その人だった。周倉は占いにはあまり興味が無く彼女の前を素通りしようとしたのだが、その彼女に対し管輅は制止するように呼びかけた。

 

 

「お待ちなさい、そこの御仁」

 

 

「えっ、何か用…?」

 

 

「貴方…名のある英雄に仕えたいと思っておいでですね?」

 

 

「っ!?そ、そうだけど…何でわかったの!?」

 

 

 周倉は驚きを隠しえない感じで動揺していると、管輅は微笑みながらこれに応えた。

 

 

「だてに占い師を務めてはいませんから…。さて、それについてですが…貴方の願いは必ず叶います。いずれ貴方は世に知られる、義を重んじる英傑の臣下となる事でしょう」

 

 

「そ、それっていつになるの!?どんな人!?」

 

 

 彼女は目を輝かせながら、食い入るように彼女に詰め寄るが管輅は掌を前に出しながら落ち着く様に声をかける。

 

 

「落ち着いてください。…いつになるか、は分かりません。ですが…黒髪をし、『関』と言う姓をお持ちの御仁を待ちなさい。彼女は今流浪の武芸者ですが、相応に名を馳せています。私から言える事はこれで全てです」

 

 

 そう言うと管輅はそのままふらりと立ち去って行くとそのまま人混みに紛れたかと思った直後、姿を消したのである…。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 そうして義賊として行動しながら過ごしていた周倉は、やがて一人の武芸者の噂を聞く様になる。

 

 

ー弱きを助け、強きを挫く。黒髪を靡かせ青龍偃月刀を縦横無尽に振るうその武勇により河東の地には一人の賊も近寄る事が無くなった。同じく河東の地で勇名をとどろかせ、愛する人を護る為に十常侍の頭目・張譲の親族を殺めて故郷を出奔した『大斧の勇士・徐芳明』とは双璧とまで称される『黒髪の女傑・関雲長』…!

 

 

 その名を聞いた時、周倉は内心小躍りする程嬉しかった。あの時管輅が教えてくれた占いが、正しかったのだと改めて認識したからだ。関と言う姓もそうだし、何より弱きを助け強きを挫くという、言葉にするのは容易いがそれを実践することほど難しいと言える事を率先して行うとなれば、もはや疑いようもない。この人になら、自分の持てる力の全てを捧げても惜しくない…!そう思いながら彼女に会える日を楽しみにしていたのである。

 

 

「そ、そして今!こうして関羽様に会う事が出来たんです!!ま、まあその…出会いは最悪だったかなーって思ってます、けど…(*'-'*)エヘヘ」

 

 

「…成程、お前の事情は聞かせてもらった。それで、私に仕えたいというのか?」

 

 

「は、はい!私、ずっと関羽様の様な英雄に仕えたいと思っていたんです!どうかお許し願えませんか!?」

 

 

 周倉はそう言いながら平身低頭、頭を地面に擦りつけて懇願し始めたのだが…愛紗の方は心中穏やかではなかった。

 

 

「…周倉。私はな、昔両親を賊の襲撃によって失った」

 

 

「え…」

 

 

「生まれ故郷を護る為に戦って…そして二人は死んだ。もちろん原因は当時私の故郷の県令を務めていた張朔と言う男が、兄である張譲に賄賂を贈らなかった事で賊を差し向けられた事にあるが…直接的には、私の両親は賊によって奪われたのだ」

 

 

「………」

 

 

 訥々と語る愛紗に、周倉は一切言葉を挟む事無く聞き続けた。

 

 

「無論、お前達がそうした者達とは違うというのは分かっている。だが、賊を生業としてきた者に仕えさせてほしいと言われても、容易に信じる事は出来ない。それは分かっているだろう?」

 

 

 愛紗の突きつけるような言葉に、周倉は黙り込んでいたが…やがて明るくしながらも意を決したかのように答えた。

 

 

「……あ、あはは。確かに返す言葉もありません…関羽様の言うように、私は賊として生きてきました。義賊なんて名乗っていても、誤魔化し様もありませんし。け、けど…それでも正道に立ち戻って、世の為人の為に尽くしたいって思う気持ちは、嘘偽りもありません!」

 

 

 そう言って周倉は平伏して関羽に請うた。

 

 

「お願いします…!どうか、私を関羽様のお供として付き添わせてください!虫のいい願いだとは分かっていますが、それでもお天道様の下に大手を振って歩けるような人間になりたいんです…!」

 

 

「………『わ、私からも…お願いします』っ!?」

 

 

「す、鈴蘭ちゃん!?皆も…!」

 

 

 周倉の懇願に愛紗が黙していると、唐突に第三者の声が響く。それに愛紗が驚き視線を声の方の向くと、周倉と共に賊をしていた斐元紹が頭を擦り付けながら平伏しており、それは子分たちも同様だった。それを見て周倉も驚いていた。

 

 

「も、紅葉は…周倉はずっと人々の為に戦いたいって言って義賊をしてきたんです。私達も元々は、その日を過ごすにも事欠く様な貧しい暮らしをしてきて、紅葉が皆の為に戦おうって呼びかけに応えて私達も加わったんです。それでいつも、関羽様の様な人々の為に戦う英雄の力になりたいっていつも聞かされて…どうか、紅葉のお願いを叶えて貰えませんか!?お願いします…!」

 

 

「あっしらからもお頼みします。どうかお頭を家来として迎えて下せえ!」

 

 

「皆…」

 

 

 それぞれが自分に味方する様にして擁護してくれる仲間達を見て周倉は涙ぐんでおり、愛紗もそれを目にした後しばらく瞑目して考え込んでいたが…やがて溜息を一つつくと切り出した。

 

 

「……はあ、分かった分かった!ここで断ったら地の果てまでも付いて来そうだからな…いいだろう」

 

 

「ほ、本当ですか…!?」

 

 

「ただし、分かっているかもしれんが私は未だ浪々の身だ。連れて行けるのはお前だけだ周倉」

 

 

「えっ…?皆は、連れて行けないんですか…」

 

 

 愛紗の指摘に周倉は落胆を隠しえないという感じでいたが、愛紗はそれに心を揺らされる事無く続ける。

 

 

「当然だろう。それが絶対条件だ」

 

 

「………『紅葉』鈴蘭ちゃん?」

 

 

 頭を垂れて残念に思っている周倉…その肩を斐元紹が叩いていた。

 

 

「行っておいでよ紅葉。私は…ううん、私達は喜んで紅葉を見送るよ」

 

 

 そう言うと子分たちもそれぞれに声を上げて応えた。

 

 

「そうですぜお頭!お頭がいなくなったとしても、俺達はお頭が掲げてきた義賊の旗を穢す事はしませんぜ!」

 

 

「どうかご武運をお頭!韋駄天周倉の名、天下に轟かせて下せえ!」

 

 

「み、みんなぁ…」

 

 

 その応援に周倉はぽろぽろと涙を流しながら嬉しそうにしていたが、それに愛紗が溜息をつきながら訂正をした。

 

 

「待て待て…今生の別れと言う訳ではないぞ?いつになるかは分からないが、いつかは私も誰かを主として仕える日が来るだろう。そうなったらお前達も私の元に来い、そうすればお前達を召し抱えてやる。だから安心しろ…!」

 

 

 その言葉を聞いて一番喜んだのは、周倉だった。

 

 

「ほ、本当ですか!?皆喜んで!関羽様は私達を家来としてくれるって!」

 

 

 その言葉に、臥牛山は歓喜の渦に包まれたのは言うまでもない…。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 翌日、愛紗と周倉は臥牛山に残る事になった鈴蘭と子分たちの見送りを受けながら山を発った。

 

 

「全く…まさかああも熱烈な見送りを受ける事になるとは思わなかったな」

 

 

「あはは、皆も根はいい人達ばかりですから。…それじゃあ、これから宜しくお願いします関羽様!関羽様の行くところ、この周倉どこまでもお供しますんで!」

 

 

 周倉が胸を叩きながらいかにも自信満々、と言う感じで宣言するのを見て、愛紗は微笑みを浮かべながらこれに応えた。

 

 

「ああ、期待しているぞ。…そうだ、忘れていた事がある」

 

 

「え…?な、何ですか急に?」

 

 

 愛紗の言葉に、先ほどとは打って変わって不安そうにしている周倉に苦笑しながら、愛紗は彼女に語りかけた。

 

 

「愛紗…それが私の真名だ」

 

 

「…………へっ?」

 

 

「何を呆けている?私達は主従になったのだろう?なら、互いの真名を預けない主従などいる筈がないだろう?…おかしいか?」

 

 

 その問い掛けに対しても、周倉は暫く返答も何もできずにいたが、やがて喜色満面と言う感じで顔を綻ばせると、そのまま畏まりながら名乗りを上げた。

 

 

「…いいえ、いいえいいえいいえ!!私を従者として、真名を預けてくれたのなら私もそれに応えてみせます!私は涼州は関西の生まれ。姓は周、名は倉!字はありませんが真名は紅葉です!この命尽きるその時まで、駆けて駆けて駆けまくって、愛紗様を支えてみせますよ!」

 

 

 その元気一杯と言う自己紹介と宣言に苦笑しながら、愛紗は新しい旅の共が出来た事に心の中に嬉しいと思っているのを感じ取っていた。

 

 

 ……後の世に『軍神』とも『義将』とも称される事になる関雲長と、その一の従者として名を残す事になる『韋駄天』こと周倉。こうして二人は主従として旅をすることと相成ったのである。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 さて、愛紗が紅葉と言う従者を得て旅を続けようとしていた頃、彼女が探し求めている相手である壮也はと言うと…。

 

 

「………うぷっ」

 

 

 船の縁から身を乗り出しながら気持ち悪そうにしていた。そんな壮也に船頭の男が心配そうに見ながら近づいてきた。

 

 

「おいおい大丈夫かいお前さん?」

 

 

「す、済まない…どうにもこの船の揺れは慣れそうにないんだ。船頭さん、暫く迷惑をかける…」

 

 

 そう気分を悪そうにしながら返答をした壮也に対し、船頭の男は苦笑しながら背中をさすってやった。

 

 

「成程…お前さん北から来た人間だな?確かに船に慣れねえってのも無理はねえか…暫く船底で横になってなよ」

 

 

「…感謝する」

 

 

 そう言って壮也は甲板から船底に向かって下りて行った…。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

 さて、壮也は今どこにいるのか?彼は今荊州から船を使って揚州に向かって旅をしていた。そして壮也は北から来た人間として『船酔い』と言う洗礼も受けていたのである。

 

 

 『南船北馬』と言う言葉がある様に河東郡と言う洛陽に程近い土地であっても華北に生まれた壮也にとって馬の扱いは慣れており、実際馬に乗って戦う事も得意ではあるが船に乗った事はこれまであまりなかった。正確に言えば渡し船の様な物には乗った事はあるのだが、中華における2大河川の一つである長江を渡る様な大船に乗ったのはこれが初めてだったのだ…。

 

 

 しかし船酔いに悩まされながらも、壮也は揚州に向かう事を心に決めていた。と言うのも、揚州には彼にとって会ってみたい人物がいたからである。

 

 

「…これしきの船酔いでへこたれてはいられない。何としても会ってみたいんだ、孫武の子孫を名乗る…江東の虎に。…うぷっ」

 

 

 しかしそう堅い決意を示しながらも、再び吐き気を覚えて甲板に出ていく壮也を、黒風は溜息をつきながら見送った…。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・

 

 船酔いに悩まされながらも揚州に割拠する英雄である孫堅文台の元を訪れようとする壮也。一方孫呉では荊州に割拠する黄祖との戦いが繰り広げられており、江東の虎を亡き者にせんとする暗躍がはびこっていた…続きは次回の講釈で。




『南船北馬』

 《中国の南方は川や湖が多いので船を用い、北方には平原や山野が多いので馬に乗るというところから》絶えず旅していること。各地をせわしく旅すること。

 この語の具体的な出典,また一般的にいわれだした時期についても不明である。漢代の《淮南子(えなんじ)》に〈胡人は馬を便利とし,越人(今の浙江地方の人)は舟を便利とする〉とあるので,これが一つの出典といえるかも知れない。


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江東の虎

 どうも、お待たせして申し訳ありません。仕事で出張していたのもあるのですが、去る10月11日、出張中の私に母から、私の祖母が亡くなったと連絡があり、戻って葬式に出た後、心が沈んで執筆が進まなかったんです…。

 幸い…と言っていいのかは分からないのですが、苦しむ事も無く、眠るように息を引き取ったそうです…。

 暗い話を長々と書いて申し訳ありません…最新幕、どうかご覧ください。


関羽や曹操と言った英雄達が凌ぎを削った三国時代から遡り、春秋・戦国時代の中国に一人の兵法家がいた。その名は、孫武(そんぶ)

 

 戦国七雄の一つに数えられた斉の生まれであり、後に呉に渡った彼は復讐者として名を残す伍子胥(ごししょ)の知遇を得る。そして彼が仕えた呉の王で『臥薪嘗胆』の語源となった夫差の父である闔閭(こうりょ)に仕える際に宮中の女性を兵士として鍛えられるかと問われると、これを為した出来事は司馬遷が著した『史記』に記されている孫子勒姫兵である。

 

 

 これを経て将軍になった彼は伍子胥と共に当時大国であった楚をあわや滅亡させる寸前まで追い詰めてみせ、孫武の名は中原に轟き、将軍としても大いに名を残した。

 

 

 また軍略と政略を説いた兵家の一人であり、彼が著した書物『孫子』は後世の武将などは必ずと言っていいほど熟読するほどであり、日本の戦国武将の一人で甲斐信濃に割拠した『武田信玄』などは自身の軍旗に孫子の一節である『風林火山』を取り入れ、さらに時代が下り遠くヨーロッパはドイツにおいて、第一次世界大戦で敗北し帝位を追われたヴィルヘルム2世はこの孫子を呼んだ際『あと20年早くこれを読んでいれば…』と後悔するほどだった。

 

 

 この孫武の子孫で代表的なのは、戦国時代に斉の国で活躍した孫臏が有名であるが…時代が下った後漢時代、一人の武将が現れる。彼は自らを『孫子の末裔』であると自称するが、その目覚ましい活躍をした事からやがて誰もがそれを信じる様になる。それこそが孫策・孫権の父である孫堅・文台その人である。

 

 

 海賊退治等で名を馳せた人物であり、三国志演義では暴れている海賊の船に堂々と乗り込むとその頭を一刀のもとに切り殺し、他の海賊達も蹴散らして船を乗っ取ったという話もある。

 

 

 また正史三国志でも海賊が略奪を行なっている状況に遭遇した彼は、見晴らしの良い位置に立ち、あたかも大軍を指揮して、海賊を包囲殲滅するかのような身振りをし、それを見た海賊たちは大軍が攻めてくるものと勘違いし、我先にと逃げ出してしまったと伝えられている。

 

 

 そして、この世界における孫堅もまた大いに武を以て名を馳せる女傑であった…。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

「おらてめえら、気合を入れて相手を殺せ!!オレ達の故郷で好き勝手する奴らなんざ、一人たりとて生かして帰すんじゃねえぞ!!」

 

 

 そう言いながら手にしている自身の得物であり、孫呉に代々伝わる名剣たる『南海覇王』で敵を切り伏せる褐色の肌に薄紫色の髪を靡かせ、真紅の装束を纏った女性…彼女こそ江東の地に割拠する孫家の長であり、人々からは『江東の虎』と称される女傑・孫堅文台である。

 

 

 彼女の荒々しい、猛虎を髣髴とさせる戦いぶりに感化されたのか他の兵士達も競う様に敵軍に襲い掛かって行く。それを見た彼女も負けじと前に出る為足を運ぼうとして、後ろから来た二人の女性ー金の光沢を放つ長弓を背負い、薄紫色のポニーテールをした褐色の肌を持つ女性と、刃が波打っている穂先をした矛を手にした水色のロングヘアーをした、白い肌を持つ女性ーに呼び止められた。

 

 

「大殿、出過ぎですよ!戦いの趨勢は私達に向いているとはいえ、何が起こるか分からないんですからね!」

 

 

「粋怜の言う通りですぞ堅殿!無理もほどほどに為されよ!」

 

 

 そう止められた彼女はたちどころに不機嫌そうに顔をしかめ、舌打ちをしながら振り返り、自身の青い瞳で呼びとめた二人を睨み付けた。。

 

 

「たくっ!いい所で水を差しやがって…俺が大将なんだから、俺が前に出ねえでどうするってんだ!?」

 

 

「それはそうですけど…また(・・)真耶のしつこい小言を受けたいんですか?」

 

 

 粋怜がそう言うと、途端に孫堅は心底嫌そうに顔をゆがめたのである。どうやらよほどこの真耶と言う相手が苦手らしいのか、深く溜息を一つつくと踵を返した。

 

 

「…はあー、分かった分かった!下がればいいんだろう下がれば!?ったく、お前らずるい手に出やがったな?祭、粋怜!」

 

 

「それがいいですぞ堅殿、あ奴の小言はこの大陸でも並ぶ者がいないですからな」

 

 

「仕方ないでしょう大殿!?大殿を止めるなんて事、彼女ぐらいしか出来ないんですから!」

 

 

 そう言い合いながら三人は彼女達が陣取っている野営地へと戻って行った…。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「大殿ぉ!!また一人で突出してたんですかぁ!!?」

 

 

 本陣に戻った孫堅だが、そんな彼女にいの一番に駆け寄ってきたのは緑色のボブカットをし碧色の瞳をした、眼鏡をかけている女性だった。その身を真紅の、胸元に『韓』と言う文字が刻まれている甲冑を纏っているが、それでも目を引くほどの身体を持っている…。

 

 

「ったくうるせえなぁ?戦はオレ達が勝ってたんだ、命の心配なんぞ起こるかよ?第一武門の家柄である孫家の長であるオレが後ろで縮こまっているようじゃ、誰が付いて来るってんだよ!」

 

 

 そう言って孫堅は不機嫌そうに文句を垂れるのだが…それを吹き飛ばすかのように彼女は捲し立てた。

 

 

「な、何言ってるんですかぁ!!前から言っていますけどねぇ!?大殿の身は大殿一人の物じゃないんですよ!?大殿の身に何かあれば、この孫家と言う軍はバラバラになり兼ねないんです!!幾ら武門の長だからと言って、端武者の様に突き進むなんて事はもう自重してくださいよ!!もし…もし大殿の身にもしもの事があったら、私は…私はぁ…」

 

 

 そう言おうとした女性の瞳からは大粒の涙がボロボロと溢れ始めるのだが…当の孫堅はと言うと。

 

 

「分かった分かった、次からは気を付けるって。んじゃあな」

 

 

「って大殿ぉ――――!?」

 

 

 そう言って話を打ち切ると本陣の陣幕へと入って行ってしまったのである…。それを見た女性は膝から崩れ落ちて頭を垂れ、俯いてしまった。

 

 

「やれやれ…お主の諫言も右から左へ筒抜けみたいじゃのぉ?」

 

 

「ええ、そうね…。大丈夫真耶(まや)?」

 

 

 それを見て孫堅と共に戻って来た二人が俯いた女性に声をかけると、女性は涙を拭いながら立ち上がった。

 

 

「だ、大丈夫じゃないですよぉ…!どうして大殿は聞き入れてくれないんですか!?家臣として炎蓮様の身を案じているだけなのにぃ…」

 

 

「まあ仕方あるまい?あれでも前までは、諌められようと構わず前へ前へと向かおうとしておったからのぉ?それを思えば近頃の堅殿は大人しくなった方じゃぞ?」

 

 

「そうねぇ…?これも真耶がこれでもかって位に大殿を諌め続けたおかげ、って奴かしら?雷火様にも引けを取らない諫言だったものねぇ」

 

 

「…っ、褒められても嬉しくないですよ(さい)粋怜(すいれい)!!ううう…もっと本腰入れて諌めなきゃならないんでしょうか?」

 

 

「…ま、まあ気を病むでない!!後で一杯飲もうぞ!?なっ、なっ!!」

 

 

「そ、そうよ真耶!嫌な事も飲んじゃえば忘れられるわよ!」

 

 

 落胆して憂鬱そうに顔を陰らせる真耶に祭と粋怜は慌てて元気づけようとするのだった…。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 さて話は変わるが、この三人こそ後に三国志が一角である孫呉の宿老として語られる武将達である。

 

 

 まず薄紫色のポニーテールをしている、『祭』と呼ばれた女性。彼女は姓を黄、名を蓋、字を公覆…この名前を聞くと、三国志の小説や漫画を読んだ事のある読者方は覚えがあるのではないだろうか?

 

 

 そう、三国志で有名な戦いの一つである『赤壁の戦い』、その戦いに於いて『苦肉の策』を以て曹操軍を欺き、勝利の立役者となった武将である。正史三国志においても孫呉三代に亘って仕え、法令に厳格な処罰を行ないつつも、強きを抑えて弱きを助ける統治を行い、さらに孫呉と長らく敵対していた異民族である『山越』までもが信服したと伝わっている人物としても知られている。また三国志演義では『鉄鞭』を愛用していた事でも有名である。

 

 

 次に水色のロングヘアーをした『粋怜』と呼ばれた女性。彼女の姓は程、名は普、字は徳謀。黄蓋と同じく孫呉三代に亘って仕えた武将であり、三国志演義では『鉄脊蛇矛』という矛を愛用していたとされ、正史三国志においては気前がよく他人に施しをよくし、士人とも親しく交わった程普を、孫呉の武将達は『程公』と呼んで尊敬したとされる。また若くして台頭した周瑜とは折り合いが悪かったが、後に彼の人柄と能力を認め尊重するようになったと史書には記されている。

 

 

 そして最後の緑のボブカットをした、『真耶』と呼ばれた女性。彼女の姓は韓、名は当、字は義公。前述にある黄蓋、程普と共に孫呉三代に仕えた武将である。

 

 

 この武将は孫堅らと違い、程普と共に中国は北方…幽州出身の武将だった。三国志演義では大刀を奮う勇敢な武人として描かれ、正史三国志においても弓馬の道に優れた武将として描かれた。そして前述の2名と共に孫堅、孫策、そして孫権の孫呉3代に仕えた宿将として名を馳せた。また三国志演義において、夷陵の戦いが起こった際に自分よりも若い武将であった陸遜の下で戦う事に不平不満を漏らすも、それを陸遜に咎められた事でも有名である。

 

 

 だが正史において孫呉と幾度も無く干戈を交えた異民族である『山越』がその武威を恐れて従順になったとされるだけでなく、地方で軍の指揮を執る時は、将兵を励まし一致団結して守りを固め、また中央からの目付の意見にはよく従い、法令を遵守したので、孫権に信頼されもした武将でもあった。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

「ったく…真耶の奴はうるさいったらありゃしねえ。雷火の奴も大概だが、あいつはそれ以上だな…」

 

 

 一方本陣の陣幕に入った孫堅はそう愚痴をこぼしながら、愛剣である『南海覇王』を陣幕にいた白い肌をし黒いロングヘアーをしている、鋭い目つきをした女性に預けて中にある椅子に腰かけた。

 

 

「大殿、また真耶のお小言を受けましたかな?」

 

 

「当たり前だろ?はあ…江東の虎って呼ばれていながら情けねえこった。臣下のお小言を聞きたくなくて本陣に戻ったなんて噂になりでもしたら恥ずかしくて町も歩けねえよ…」

 

 

 そう答えながら大杯を呷る孫堅だったが…やがて剣を持っているその女性は真摯な表情で彼女に意見した。

 

 

「恐れながら大殿、どうか真耶の事を邪険になされぬよう。あいつもまた大殿に仕える臣下の一人として、何よりも孫呉と言うこの国を護りたいという一心があるからこそ、大殿の身を案じてあの様に諫言をなさるのですから」

 

 

「…んな事は分かってるさ。お前も余計な事を言うよな、千冬(ちふゆ)

 

 

 孫堅がやれやれといった感じで答えると、千冬と呼ばれた女性は微笑みながら頷きつつ答えた。

 

 

「臣下として為さねばならぬ事を為したまでの事」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 彼女もまた孫堅に仕える宿将の一人で、姓は祖、名は茂。字は大栄と言う。他の三名と違ってあまり活躍を為した武将ではないが、反董卓連合において窮地に立たされた主君・孫堅を救う為に彼が被っていた頭巾をかぶって身代わりとなった逸話を持つ。また三国志演義では二刀流の使い手であるという設定が盛り込まれている。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 その後しばらく談笑していた二人であったが、やがて真顔になった千冬は徐に問いかけた。

 

 

「しかし大殿、此度我らの土地に攻め寄せた者ども…やはり黄祖の手の者ですか?」

 

 

 その問い掛けに対し、孫堅もまた真顔になって頷いた。

 

 

「ああ、間違いねえ。原因は十中八九、蓮華の奴が説得して従える事になった思春…甘寧目当てだろうな。…あの女は前々から甘寧を自分の物にしたがっていた、それを横取りされて根に持った…ってとこだろう」

 

 

「でしょうな…恐らく次も仕掛けて来るでしょう。如何するおつもりで?」

 

 

 そう千冬が問いかけると、孫堅は獣を思わせる寧猛さを宿した笑みを浮かべながら答えた。

 

 

「…はっ、決まってんだろうが。娘の家臣になったと言っても、甘寧もまたオレの物になったんだ。そのオレの物を奪おうってんなら…その喉元を食い千切ってやるまでだ」

 

 

「でしょうな、それでこそ我らが大殿です。江夏郡の太守如き、我らの勇を以て叩き潰すとしましょうぞ」

 

 

「ああ、お前に言われるまでもねえさ。…ただ一つ問題があるとすりゃ、あいつは形式上は荊州牧を務める劉表の配下だって事だ。奴を討つとなれば劉表が黙っているとは思えねえが…『その心配は杞憂だと思いますがな』おう、雷火(らいか)じゃねえか?糧秣の方に関わってなくていいのかよ?」

 

 

 孫堅が言葉を挟んできた薄い水色のウェーブの入ったロングヘアーに茜色の瞳を持つ、幼女とも取れるほど小柄な体格をした少女に言葉を投げかけると、雷火と呼ばれた少女は鼻を鳴らしてこれに応えた。

 

 

「案ずるには及びませぬぞ大殿、冥琳や穏らに任せてきましたからな。それはそうと劉表の事でございますが、あれは和を重んじる惰弱な所がある小娘ですからな。どうにも黄祖を持て余しておるとか…なれば黄祖に何があったとしても兵を挙げる可能性は低いかと」

 

 

 雷火と呼ばれた女性がそう進言すると、千冬は大きく頷きながら孫堅に提言した。

 

 

「成程…となれば兵を何時でも動かせるように備えておくべきかと思います。雪蓮様らにもそう伝えてきます」

 

 

 そう言い切り、千冬は陣幕を後にした。後に残った孫堅は一息つくと一言ずつ確かめる様に言い放った。

 

 

「雷火。あと1,2回で奴との、黄祖との戦いにけりをつける。これ以上あいつにかかずらっている暇なんて、こっちには微塵も無いんだからな」

 

 

「御意」

 

 

 これに雷火も拱手をしながら深々と頭を下げた…。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 一方、江夏軍が陣取っている陣地。その大将と言える黄祖の陣幕では……。

 

 

「……蒯良よ、その策であれば奴を仕留める事は可能なのか?」

 

 

 緋色の瞳をし右目が隠れる様にして伸びている、先端部分が赤みがかっている水色のショートヘアーをし、黒い鳥の羽をあしらった髪飾りをつけた、耳には碇を思わせる装飾のイヤリングをつけている女性が初老の文官の装束を纏った男性に問いかけていた。

 

 

「…確証は持てませぬが、十中八九この方策であれば。孫堅と言う女傑は例えて言うなれば獣なのです。迂闊な誘いや罠を仕掛けても野生の感、と言うべき物を以て看過してしまいますが…一度獲物を前にしたのであれば、その得物を仕留める事に全神経を集中させまする。となれば…」

 

 

「私を釣り餌にして孫堅を誘き出し、逃げ場のない谷に誘い込み、落石を以て逃げ場をふさいだ後に呂公らに矢の雨を降らせる…仕掛け自体は単純であるが、これ以上に効果的な策も無いな」

 

 

「黄祖殿を危険にさらす事は重々承知の上にございます。なれどあの猛虎と言える孫堅を討ち取るには…」

 

 

 蒯良と呼ばれた男性が顔をゆがめ、言葉を濁しているのを黄祖は手で制していた。

 

 

「いや、奴を仕留めるには上々と言える策を用意してくれただけでも僥倖と言う物だ。さて…呂公!」

 

 

 黄祖が声高に呼びかけると、それに応えるかのように陣幕の布を挙げながら一人の武将が入ってくる。そしてその武将は黄祖の前まで来ると片膝をついて拱手をした。

 

 

「お呼びで」

 

 

「この策の成否はお前の活躍に掛かっている……無論奴を、孫堅を相手にする事になる。私が死ぬ可能性も高い…それでも、私に命を預けてくれるな?」

 

 

「…我が命、黄祖様の御為に」

 

 

 そう言いながら深々と頭を下げる呂公に黄祖は満足そうに頷くと、蒯良と共に下がらせる。ただ一人残った黄祖は闘志を…否、執念を宿した言葉を漏らしていた。

 

 

「…今に見ているがいい孫堅。私の甘寧を奪った代償、生半可な物ではないと思うがいい」

 

 

 そう言葉を零す黄祖の瞳にもまた、執念めいた焔が燃え滾っていた…。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 さて、孫堅と黄祖との戦いが始まろうとしている荊州の地。そこを揚州へ向かいながらも船酔いに苦しんでいたが、孫堅が黄祖と戦っているという情報を聞き、彼女に会う為に途中下船する事で何とか船酔い回復した壮也が訪れていた。

 

 

「……戦いが始まる前の空気って奴だな、一戦起こるって事か。戦うのは…孫堅と劉表配下の大将、黄祖と言った所か」

 

 

 黒風に跨りながら壮也は、戦前の空気を肌で感じ取っておりこれから起ころうとしている大戦を一目見ようと黒風を走らせ、戦場を一望できる丘まで来た。

 

 

 そうして眼下に広がっている光景を見ていると、『黄』の旗が掲げられている簡素な砦に攻め寄せようとしている『孫』の旗が掲げられている軍勢に『蔡』と『文』の旗を掲げている軍勢がぶつかったのだが、少しの間小競り合いをしていたかと思うと尻尾を巻いて逃げ散る姿が見えたのである。

 

 

「『蔡』と『文』の旗って事は…荊州の劉表に仕えている武将、蔡瑁と文聘の事だろうな。さすがの2将も江東の虎と称される孫堅相手は荷が重かったみたいだな……さて、ここからどうなるのか」

 

 

 そう思い再び孫堅の方に視線を向ける壮也であったが…ふと何か『嫌な予感』と呼べる物を感じ取り、黒風に跨ると急いでその予感のする方角へ走らせた。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 その頃、壮也が目をやった退却している軍はと言うと…。

 

 

「だあぁー!!もう無理、マジ無理!幾ら何でももう限界よ!?何よあの化けもん!?あんなのが大将をやってる軍の後背を突いて黄祖を救援せよなんて無茶ぶりにも程があるわよぉ!?」

 

 

 敗残の軍勢を率い、戦闘で馬に乗っている紫色のショートヘアーに水色の頭巾をかぶり、魚麟の軽鎧を纏っている、腰に交差させる様に二丁の短刀を差した女性が、鬱憤をぶつける様に叫ぶのを見た兵士達が一斉に萎縮してしまう。だが、それを見て隣にいた蒼のボブカットに紺色の瞳をした、射手を思わせる甲冑を纏い背中に大弓を背負った中性的な美青年が馬を寄せて来た。

 

 

「花音、取り乱しちゃだめだよ?兵士たちも動揺しているんだからさ」

 

 

「そうだけどさぁ…啓、貴方も見たでしょう!?貴方が放った矢を首を動かして躱しただけじゃなくて、あたしの連撃も力ずくで吹っ飛ばしたのよ!?幾ら何でもあんな化け物あたし達で倒せるわけないじゃない!?第一黄祖の奴って梓様も持て余している人じゃない!命令されたから助けに来たけどさぁ…」

 

 

「けど、だからこそ劉表様…梓様は助けたいんだろうね。あの人は優しい人だから…とりあえず命は果たした、あとは黄祖殿の運を信じるしかないよ」

 

 

「そうね…黄祖、あんたうまく生き延びなさいよね?いやな性格だったけど、とりあえず同輩なんだからさ」

 

 

 そう言いながら今回黄祖の救援に赴くように命令されるも、孫堅に返り討ちに遭い撤退する事になった『蔡瑁』と『文聘』であった…。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 そして孫呉の陣営では、救援に赴いた蔡瑁と文聘を撃退した孫堅が諸将を集めて号令をしていた。

 

 

「いいかお前ら!軟弱娘の劉表がよこした援軍は討ち払った!あとは砦に籠っている黄祖をぶっ潰せばこの戦いはオレ達の勝ちだ!!気合入れろよお前ら!!」

 

 

 その号令に将兵は一斉に声を上げ、得物を高々と上げてこれに応えた。それを見た孫堅は大きく頷くと、隣に立っている自分と同じく薄紫色の髪をし、蒼い瞳を持つ、真紅の装束を纏った女性に呼び掛けた。

 

 

雪蓮(しぇれん)!」

 

 

「何よ母様?」

 

 

「この戦いで黄祖との決着をつけるんで、オレが前線に出る。本陣とか軍は任せるぞ」

 

 

 孫堅がそう断言すると、孫堅を母と呼んだ雪蓮と言う名の女性は頭に手を当てながら溜息を一つついた…。

 

 

「はあ…また母様の独断で決めちゃって。見てよ母様、真耶の奴がまた諌めようと体を震わせてるわよ?」

 

 

「異論は受け付けねえ、もう決めた事だからな。それじゃあ…」

 

 

 そう言って孫堅が出陣を宣言しようとした時である。急に突風が吹いたかと思うと……。

 

 

ーべきっ!

 

 

 そう、鈍い音が響いた直後、彼女たちの目の前に『孫』の字が描かれた真紅の軍旗が落ちてきたのである…。それを見た将兵らは一斉に顔を青ざめた。古くから戦場において戦いが始まる前に旗が折れて地に落ちる…それはどうしようもないほどに不吉の前兆であると信じられていたからだ。

 

 

「…っ!大殿『異論は聞かねえって言っただろうが』で、ですが!!」

 

 

 それを見た真耶は孫堅に物申そうとするも、孫堅は聞く耳持たずとばかりに馬に跨り陣を出ようとした。

 

 

「オレは戦場で生きる事に幸せを感じているんだ!死ぬのなら戦場で果てる道を選ぶ!不吉だからと言って旗が折れたぐらいで戦いをするのを止める位なら…オレは自害する方を選ぶぞ!」

 

 

「お、大殿…『真耶、お前は本陣で雪蓮や雷火と一緒にいろ。いいな?』……承りました」

 

 

 孫堅の言葉に不承不承と言う感じで拱手をした真耶を見て、少しは満足したのか鼻を鳴らした孫堅は軍勢に号令をした。

 

 

「祭、粋怜、千冬!お前らはオレについて来い!黄祖との戦、ここで終わらせるぞ!!」

 

 

「はっ!」「承知しました!」「お任せを」

 

 

 孫堅の指示に祭、粋怜。そして千冬の3名は一斉に拱手をして答えるとすぐさま騎乗して陣を飛び出し、それに続くように兵士達も陣を出ていく。それを真耶は気が気でないと言う感じで見送っていたが、やがて同じように本陣に残った雪蓮と雷火が元気づけるように声をかけた。

 

 

「真耶、心配はいらないわよ。母様も引き際位は心得ているんだし、祭や粋怜、千冬だっているんだから」

 

 

「うむ、雪蓮様の言う通りぞ真耶。昨日の戦いで黄祖側はかなりの被害を蒙っておる、よほどの事が無い限り大殿が不覚を取る事はないと思うが…」

 

 

 だが、そう言う雪蓮と雷火を尻目に真耶は孫堅が向かっていった戦場の方にじっと視線を向けたままであり、やがて一言ポツリとつぶやいていた…。

 

 

「……何事も、無ければいいんですが」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 黄祖との戦いに終止符を打つため戦場に向かった孫堅。だがその戦場には、孫堅を亡き者にせんが為黄祖が罠を張り巡らせていた。窮地に立たされる孫堅だったが……続きは次回の講釈で。




身内に不幸はありましたが…決して途中で打ち切りをするという事はありません。最後まで書き抜こうと思っているので、どうか首を長くしてお待ちいただければと思います。

 では…!


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勇士、窮虎を救い。窮虎、狩人を仕留めんとす。

 お待たせしました…最新幕投稿です。


 そうして戦端は開かれた。黄祖らが立て籠もる簡素な砦に猛然と襲い掛かる孫堅軍に黄祖軍の兵士達が必死に弓矢を放ち始めるのだが、さながら檻から解き放たれた猛虎と言うべきほどの勢いで突撃してくる孫堅軍には焼け石に水…と言う有様だった。

 

 

 何より、その先頭には孫堅軍の主である孫堅自ら剣を手に馬を駆けさせているのだ。主君に後れを取ってなるものか……まるで孫堅軍将兵にそんな思いが宿っているのか、将兵らは矢が肩に突き立っても恐れる事無く城壁に梯子を掛けたり、力自慢と思われる数人の兵士らが太い丸太を抱えながら城門にぶつかり、これを破ろうとしていた。

 

 

「おらあっ!もっと力を入れろ!!こんなちっぽけな砦なんて、とっとと叩き落とすぞ!!」

 

 

 孫堅の檄が飛ぶ度に将兵らの歓声が響き渡り、頑丈に作られている筈の城門も次第に鈍い音を出しながら軋み始めていた。それを程普は兵士達に指示を飛ばしながら、黄蓋は城壁から身を乗り出して矢を放とうとしていた兵士を自身の弓矢で射落しながら横目で見ていた。

 

 

「やれやれ、さすがは堅殿と言うべきか。こうも兵士達の戦意を引き上げてみせるとは」

 

 

「本当にね…正直、私達と戦っている黄祖軍の兵士達が気の毒に思えて来る位よあれ?」

 

 

「そうじゃな…おっと」

 

 

 程普の同情じみた言葉に黄蓋が相槌を打っていると、彼女の目に孫堅に向かって飛んでくる一本の矢が見えた。恐らく流れ矢と思われるそれは、そのまま猛然と飛んでいっており普通ならばその光景に慌てて主君を護ろうとするのだが、二人はまるで他人事の様に動こうとしなかった。

 

 

 だが一見薄情と思われるかもしれないが、二人は孫堅が流れ矢ごときで斃れる様な人物ではない事を知っていたのである。彼女であれば流れ矢を手にしている南海覇王で切り落とす事も容易いだろうし、何より彼女が手を出さずともその流れ矢は……。

 

 

 いつの間にか孫堅の傍まで馬を寄せていた真紅の軽鎧を纏っている祖茂…千冬が、手にしている二振りの刀身に火打石が付いているという特異な形状をしている大刀で切り落としていたのである。

 

 

「…大殿、ご無事で?」

 

 

「はっ!お前が出てこなくてもあんな流れ矢ごとき、オレが切り落としていたぜ?まあ、礼は言っておくぜ千冬。さて…そろそろだな」

 

 

 孫堅が呟いたのと同時に丸太を叩きつけていた城門がとうとう破壊され、雪崩れ込もうとする孫堅軍の兵士達とそれを阻もうとする黄祖軍の熾烈な戦闘が始まった。だが…やがて戦闘の経過を見守っていた孫堅の目に映った物があった。

 

 

 それは孫堅達が攻め込んでいた砦の門とは別の門から、副官と思われる文官の装束を纏った初老の男性と僅かな手勢を率いてどこかに行こうとしている…手に弓を持ち馬上の人となっている黄祖その人であった。

 

 

「見つけた…見つけたぞ黄祖おおおおおおおお!!!てめえどこに行こうとしてやがる!この期に及んで逃げようなんて、虫が良すぎるってものだぞ!!」

 

 

「くっ、相も変わらず獣じみた勘の良さだな孫堅め…!生憎これ以上貴様と戦うのは真っ平ごめんなのでな、ここで逃げさせてもらう!私の首が欲しいのならば来るがいい!」

 

 

 そう捨て台詞を吐いた黄祖は手勢を連れて戦場から離脱していく。それを見てただちに追撃しようと声を張り上げようとした孫堅に黄蓋らが静止を呼びかけた。

 

 

「大殿待ってください!黄祖の奴がこうもあっさりと逃げの一手を選ぶなんて何かがおかしいです!」

 

 

「左様ですぞ堅殿!ここは本陣におられる雪蓮様や真耶らに一報を入れるべきじゃ!」

 

 

 だが二人の諫言も孫堅は首を縦に振ろうとしなかった。

 

 

「駄目だ!ここであいつを逃がす事になればまたあいつに悩まされる事になる!将来の禍根、ここで絶たないでいつ絶つってんだ!?」

 

 

「大殿……」

 

 

「堅殿…」

 

 

 その悔しさの籠った言葉に程普と黄蓋が返す言葉もなく黙るのを見た孫堅は、もう一人の古参の臣に問いかけた。

 

 

「…千冬、お前も二人と同じ意見か?」

 

 

 だが…問いかけられた千冬は瞑目をしていたのだが、やがて予想を裏切る発言をした。

 

 

「……いいえ、大殿の決断も一理あるかと。ここで黄祖を逃がせば、奴は力を蓄え再び我らに牙をむくでしょう。しかし今の奴は僅かな小勢しかおらぬ敗軍の将……今こそ黄祖を完膚なきまでに討つべきだと私は思います」

 

 

「千冬!?お主何を言って…!」

 

 

「そうよ千冬!貴女だって黄祖の撤退をおかしいって思うでしょう!?もし罠だったら……『ならば私の身命を賭して救うだけの事』っ!?」

 

 

「粋怜、祭。私もお前達と同じ孫呉の臣、主君の窮地を己が命を以て救えるのならばこれに勝る喜びはない。……なに、むざむざ死ぬつもりはない。罠があるのであればこれを噛み破り、主君と共に戻ってくるさ」

 

 

 千冬の毅然とした宣言に祭と粋怜は言葉を喪い、逆に孫堅は痛快とばかりに満面の笑みを浮かべていた。

 

 

「は…ははははは!!!そうだ、そうだったな千冬!お前は昔からそうだった!オレが敵に向かって猛然と進もうとすれば祭や粋怜が諌めるのとは逆に、お前は黙してオレの傍に寄り添い共に死山血河を潜り抜けてきた!……主君である俺を、護る為にな」

 

 

 孫堅の言葉に、千冬は微笑みながら頷いた。

 

 

「それこそ臣の務めと思うが故に。では大殿、参りますか?」

 

 

「…ああ。行くぞ千冬、今こそあの黄祖を完膚なきまでに討ち倒す!祭、粋怜!お前らは城を制圧し、態勢を整えてから合流しろ!残りの者達はオレに続け!」

 

 

 そう咆哮した孫堅に彼女の手勢の将兵は一際大きな歓声を上げてこれに応えた。そして孫堅率いる100の軍勢は黄祖に追いつかんと駆け出し始めた…。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 それからほどなくして…孫堅らは黄祖率いる手勢が峴山と言う山のひそみに向かっていくのを補足し、続いて行ったのだが…突入したその場所は鬱蒼とした森を抜けた先、切り立った崖が左右に聳え立ちその間に道が走っているという光景になっていた。やがて唐突に千冬が孫堅の傍に馬を寄せて声をかけてきた。

 

 

「…大殿。この一帯からは罠の気配が感じ取れます。やはり…」

 

 

「はっ、考えている事は同じだったってこった。あいつもオレを殺したくてたまらなかったみたいだな…出てきな黄祖!」

 

 

 孫堅が呼びかけると、それに応える様に彼女達の視線の先に広がる暗闇に明かりがつき始める。それは一つだけだったかと思うと数が増えていき、やがて一軍程の規模に松明が煌々と照らされた。そして、松明を手にしている兵士達が二手に分かれたかと思うと、その奥から彼らを率いる人物が現れる。

 

 

 その人物こそ、孫堅にとって自分自身を幾度も無く付け狙い、そしてこの戦いにおいてお互いにけりをつけようと狙い続けた怨敵…荊州牧である劉表に仕える武将、黄祖であった。

 

 

「ふん…孫堅よ、随分と血気盛んな事だ。分かっているのか?貴様らはすでに危地にいると言うのに…」

 

 

「はっ、寝言は寝てから言いやがれ黄祖?オレを危地に誘い込んだぐらいでもう勝ったつもりかよ?随分と見通しが甘いこったな」

 

 

「…なら、これでも大言壮語がほざけるか!!」

 

 

 そう叫んだ黄祖が片手を振り上げた瞬間、孫堅らの後方から何か重い物を転がり落とした様な音と地響きが同時に響き渡る。その音を聞いた孫堅が率いていた手勢の兵士の一人が後方に駈け出して行ったが…程なくして駆け戻り千冬の前に畏まって報告をした。

 

 

「申し上げます…!我々の後方が落石によって塞がれました!我らは…退路を、喪った模様です」

 

 

「そうか…っ!大殿っ!!」

 

 

 悔しそうに顔を歪めている兵士の報告を受けて重々しく頷いた千冬だったが、突如として叫んで愛馬からとび上がると空中で手にしている双刀を振るい、孫堅に放たれた複数の矢を切り落とした。そうして地面に降り立った千冬が殺気を込めた視線で周囲を見回すと、彼女らの左右に聳え立つ崖の上に複数の人影が現れ、そしてそれらは何れも弓矢を引き絞って自分達に狙いを定めていたのである。

 

 

 それを見て黄祖の傍に現れた初老の男性…黄祖の腹心として行動していた蒯良が呵呵大笑して呼びかけた。

 

 

「はっはっは…!!孫堅よ、幾ら貴様が猛虎と称されるほどの勇を持とうとも……もはやここは貴様と言う虎を囲い込んだ檻も同じよ!!前もって潜ませておいた300の兵が放つ矢の雨と投石を以て…ここに屍を晒すがいい!!」

 

 

 しかし、呼びかけられた当人である孫堅はと言うと……何ともないと言うかのように欠伸をこいていた。そして副将である千冬もまた不敵な笑みを浮かべて馬上の人になっている。

 

 

「………舐められたものですな、大殿」

 

 

「全くだな…おい黄祖の副官の老いぼれ、てめえ()()()程度の罠でオレ達を追い詰めたと思ってんのか?だとしたらとんだ見当違いだぜ?」

 

 

「な、何ぃ…!?」

 

 

 孫堅の嘲笑に蒯良が怒りを見せるも、孫堅は構わず黄祖にも言葉を投げかけていた。

 

 

「はん、黄祖…てめえも詰めが甘くなったじゃねえか?まさかこのオレを、危地に誘い込んだ上に退路を断って矢の的にすればオレを討ち取れる…そう思ってんのか?オレと干戈を交え続けて来たくせに随分と見通しが甘いこったな?」

 

 

「ほお…?」

 

 

「……獣ってのは追い詰められりゃあ各上の獣すら噛み殺すんだぜ?それこそ鼠が猫を噛み殺すようにな…黄祖、てめえの前にいるのは『江東の虎』なんだ…つまり何が言いてえのかって言うとな、お前をぶっ殺した後に罠を噛み破って生還してやろうって事だ!!!」

 

 

 そう言い放った孫堅から凄まじい殺気と怒気が解き放たれる。それに黄祖の手勢は途端に気圧され後ずさってしまい、黄祖も顔を歪めて冷や汗を流した…。それとは反対に孫堅は配下に檄を飛ばす。

 

 

「いいかてめえら!!オレ達は今危地にいる!退路はすでになく、頭上からオレ達を射竦めようと黄祖の手勢が狙っていやがる!だが…それがどうしたってんだ!?今オレ達の目の前には敵の大将である黄祖がいる!ここであいつを仕留めちまえば、それで戦は俺たちの勝ちになる!!だから選べ!この場でただ奴らの的となってむざむざ殺されるか、それとも目の前にいる黄祖を殺しこの戦に勝つか!!」

 

 

 孫堅の檄は狭い谷間に響き渡る。その後暫しの静寂が流れたが……やがて孫堅の軍勢側からひときわ大きな歓声が轟き始め、同時に兵士達は手にしている武器を高々と掲げたのである。

 

 

「皆、大殿と共に()く覚悟は出来ているようです。大殿…否、炎蓮(イェンレン)様。我らに指示を」

 

 

「ああ…行くぞてめえら!!目指すはオレ達を追い詰めて勝ったつもりになっていやがる、勝ち誇った笑みを浮かべている黄祖!!脇目も振らず、矢が飛んで来ようと構わず突き進め!!全軍……突撃ぃ!!!」

 

 

 そう言い放ちながら馬上の人である孫堅…炎蓮が南海覇王を振り下ろすと共に馬を走らせると、同じく馬上の人であり双刀を構える千冬。そして孫堅に付き従っている手勢の者達は、馬上の人となっている者は馬を走らせ、徒士の者は其々に矛や朴刀、剣と楯を構えながら突貫し始める。

 

 

 これに対し黄祖の手勢は途端に腰砕けになってしまう。罠にかける事で圧倒的優位な状況に自分達は立っており、あとは罠にかかった孫堅とその手勢をゆっくりと料理するだけ……そう思っていたのに蓋を開けてみると、追い詰められている側にいるはずの孫堅()達は逆に猛々しく咆哮をしたかと思うと、追い詰めている側の黄祖(狩人)達を食い殺そうと襲い掛かってくるのだ!

 

 

 これで迎え撃とうと言うのははっきり言って酷としか言いようがないだろう。すでに勝ったと思っている黄祖の軍勢と、この状況を打破しなければ死が決まっておりそれを打破しようと遮二無二攻め懸かってくる孫堅の軍勢……二つの軍勢の違いは『決死の覚悟』があるかないか。その点でいえば孫堅の軍勢には『覚悟』があり、一方の高祖の軍勢には『覚悟』が無くなっていたのである。

 

 

「ちぃ…!狼狽えるな!!向かってくるのならば針鼠にしてくれる!!蒯良!!」

 

 

「ぎょ、御意!!呂公将軍、お頼み申す!!」

 

 

 舌打ちしながらも黄祖は部下を叱咤して迎撃を指示する一方で、黄祖の呼びかけに面食らいながらも答えた蒯良が、兵士が持っている松明をひったくってそれを円を描くように動かす。それを合図に崖の上にいる別働隊の者達が矢の雨を降らせ、孫堅達を全滅させる…!!

 

 

ーはずだった。

 

 

「………ああああああっ!?」

 

 

 その瞬間、崖の上から悲鳴と共に何かが転げ落ち、馬を走らせている孫堅の眼前に叩きつけられる。それを見て思わず孫堅は手綱を引いて馬を止めてみると、そこには高い所から落とされる事によって見るも無残な死にざまとなっている黄祖軍の兵士の亡骸が転がっていたのである。

 

 

 それを見て黄祖や蒯良はおろか、炎蓮や彼女に追いついた千冬らも目を疑う。その時崖の上の方がにわかに騒がしくなる。孫堅が崖の方に目をやると、彼女から見て左側の崖から幾人かの兵士が何かに弾かれるようにして吹き飛び、そのまま谷底…即ち自分達の方に堕ちて来るのだ。

 

 

「なっ…何が、起きている…!?」

 

 

 その光景に黄祖は自分の見ている物が信じられなかった。本来なら蒯良の合図が送られた時点で孫堅らに矢の雨が降り注ぎ、それにより因縁の相手である孫堅を討ち取れるはずだった。だが自分の目に映っているのは罠に追い詰めたにも拘らず自分目掛けて突き進んでくる孫堅とその軍勢……これはまだいいのだ。問題は彼らを射殺していくはずの自分の手勢が、二つある崖の一方側から次々と叩き落されていく事だ!それは自分と蒯良が練り上げた必勝の軍略が、何者かによって踏みにじられたという事に他ならなかった…。

 

 

 一方の孫堅も突如として自分達を射殺そうとしていた黄祖の手勢がぼろぼろと叩き落されていく光景に目を疑った。正直この様な展開は自分としては好都合と思っており、この窮地を脱する後押しをしてくれたと思う一方でいったい何者が…と言う疑問も抱いていた。

 

 

 まさか祭や粋怜が…と思ったがその考えは一笑に付した。そもそも退路を断たれた以上彼女たちが自分達に合流するには崖の方に回り込む…即ち遠回りをする必要があるのだが耳を澄ますと軍勢同士がぶつかり合って生まれる干戈の交わる音や咆哮が聞こえないのである。と言う事は、この番狂わせを起こしたのは自分の知る相手ではない…孫堅はうっすらと感じ取っていた。

 

 

 やがて、それを為したと思われる人影が姿を現した。それは黒い毛並みの駿馬に跨っている、ぼろぼろの外套と覆面を羽織った、手に大戦斧を握りしめた武将であり、その武将は眼下に広がる光景を睥睨していたが、やがて腹の底から解き放ったかのごとく、大音声を以て名乗りを上げた。

 

 

「我が名は徐寧!江東の虎と称される孫文台殿の戦ぶりを拝見せんと暫し見物していたが、かの御仁が斯様な奸計によって命を奪われんとするはあまりに不憫!故に、まことに勝手ながら……今よりこの徐芳明、孫文台殿に助太刀仕る!!」

 

 

 その一喝に両者は異なる反応をしていた。黄祖の方は敗軍の立ち位置にある筈の孫堅に対して堂々と加勢をすると宣言したその武将を呆然と眺め、一方の孫堅は意気軒昂であれど不利な状況に変わりない自分達に加勢すると宣言したその武将に不敵な笑みを浮かべて眺めた。だが、この大音声に憤りを見せた者がいた。徐寧がいる崖の向かい側にいる部隊を指揮していた呂公である。

 

 

「ぬ、抜かせ放浪者ごときが!!わが殿の宿願を邪魔した報い、受けて貰うぞ!!弓兵、あの浪人を射殺せ!!」

 

 

 そう言って呂公が手にした槍をその武将に向けながら命じるのと同時にその武将目掛けて矢が放たれていく。これにその武将は手にしている大戦斧を振り回して襲い掛かる矢を切り落としながら自身の愛馬を走らせる。そうして谷に沿う様にして暫し走らせていたが、やがて崖同士が最も狭まっている所を見つけると、その武将は猛然とそこへ馬を走らせ……。

 

 

黒風(ヘイフォン)!」

 

 

 武将が自身の愛馬の名前を叫ぶのと同時に、その黒馬は武将を乗せたまま……崖同士の狭まった、それでも橋はかかっておらず、人はおろか並みの馬でも飛び越えるのが難しい位に離れている箇所を跳躍し…そしてそのまま向かい側に着地して見せたのである!

 

 

 これには黄祖軍や孫堅軍は目を奪われた。周囲はすでに夜になっており辺り一帯が暗闇に包まれている中でその武将は躊躇もせず崖に向かって馬を走らせ…そして飛び越えてみせたのだ。それは並大抵の胆力のみならず、馬との強い信頼関係が出来ていなければ為し得ない事だろう。

 

 

 しかしその武将は息つく間もなく馬を走らせるとそのまま次の矢を放とうとしている黄祖軍に猛然と襲い掛かった。これに黄祖軍も戟や矛を手に突っ込んでくる武将を突き殺そうとするが次の瞬間、その武将はぶつかる直前で自身が乗ってきた黒馬から跳び上がったかと思った直後、手にしている大戦斧を振りかぶった状態から一気に地面に振り下ろす。

 

 

 それにより凄まじい轟音と共に地面が穿たれ、その周囲にいた兵士達はある者は手足が千切れ飛び、ある者は地面が穿たれた際に生まれた岩石などで頭を潰されたり胴体に穴が開いて息絶える事になる。だがこれはまだ幸運な方だろう…中には仲間の亡骸が吹っ飛んできて、それにぶつかった為に崖から落ちる者とていたのだ。そうした連中は例外なく、悲鳴を上げながら崖底に落ちていく事になる…。

 

 

「お、おのれぇ!!」

 

 

 次々と手勢が討たれていく光景に激昂したのか、呂公が手にしている槍をその武将に向かって突き出した。その穂先は武将の頭部に吸い込まれるようにして向かっていくが、その武将は頭部を僅かに後ろにそらす様に動かす事で穂先を躱すが、その際槍の刃が武将の顔を覆っている覆面を引き裂きその素顔を露わにした。

 

 

「なっ!?」

 

 

 その素顔を見た呂公は驚愕した。覆面の下から現れた素顔…それは三十路を超えた自分よりもはるかに年下だったからだ。年頃は17、8位だろうか?よもやこのような青年がここまでの戦いぶりを見せようとは…!?

 

 

 だがそれ以上の思考は働かなかった。呂公が驚愕に我を忘れている僅かな隙を突いたのか、青年は回転しながら大戦斧を薙ぎ払ってきたからだ。これに呂公は咄嗟に槍の柄で受け止めようと構えたのは年の功と言うべきなのだろうが…それは無駄な努力に終わった。

 

 

 青年が放った大戦斧の薙ぎ払い…それは呂公が防御に構えた槍の柄を容易く圧し折り、そのまま甲冑を纏った呂公の胴体を上下に両断し、泣き別れにして見せたのである。呂公は死ぬ間際、自分を討ち取ってみせた青年の姿を目に焼き付けながら……。

 

 

「……殿、面目ありませぬ」

 

 

 主君・黄祖への詫びの言葉を述べながら息絶えた。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 呂公の死を間近で見た黄祖の手勢は途端に潰走し始める。それを得物である『鋼錬武断』を油断なく構えながら立っていた壮也であるが、完全に戦意を失って逃げ出していくのを確認して壮也は一息ついた。

 

 

「……どうやら、間に合ったようだな」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 なぜ壮也がこの場にいるのか?それは壮也が孫堅と黄祖の戦いを見物していた時まで遡る。三国志の歴史などを理解している壮也は、孫堅が黄祖との戦いで敗死するのも知っていた。

 

 

 そしてこの戦いにおいて黄祖は孫堅によって追い込まれており、この状況を打破するには孫堅自身を亡き者にするしかなくその方法も恐らく正史や演義に出て来るであろう『罠に誘い込んだ上で矢を浴びせかけるか、落石によって命を奪う』方法を取る…そう思った壮也はそれを阻止せんと黒風を走らせ、自分自身が感じ取った『嫌な気配』のする方角…即ち峴山の方に駆けつけたのである。

 

 

 もっとも駆けつけた時、すでに孫堅らは退路を塞がれ合図一つで針鼠にあいそうになっていたから流石に肝を冷やしたが…間一髪間に合い内心安堵していた。

 

 

「さて、孫堅殿の加勢には…いや、どうやら無用みたいだな?」

 

 

 そう呟きながら壮也が崖下を眺めると、その時には孫堅らが猛然と黄祖軍に襲い掛かっており、形勢は孫堅らに傾いていた。どうやら黄祖軍はこの罠に孫堅を誘い込んだ時点で勝ちを確信していたのだろうが、自分と言う存在とその活躍は計算外だったのだろう…。

 

 

「これで歴史を変えてしまった、と言う事なんだろうけど……後悔はないさ。俺は俺のやりたいようにやった、それだけの事だしな」

 

 

 壮也はそう呟きながら孫堅らの戦いを暫し見物する事になる……。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

 壮也の活躍により窮地から救われた孫堅は長らく宿敵であった黄祖を討ち取ろうとする。しかし黄祖も只では討たれぬとばかりに最後の抵抗を行う…果たして最後に立っているのは?続きは次回の講釈で…。



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猛虎生還

 どうも皆様、お待たせして申し訳ありません。最新話、投稿いたします。

 昨今、コロナが流行していますが皆様方は対策はしっかり取っているでしょうか?とりあえず私もなるべく外には出ない様にしています。

 現在東京アラートが発動された様で改めて感染しない様に皆様も気を付けてくださいね?


 孫堅と黄祖との戦いは終盤に向かいつつあった…。

 

 

 ここに至るまでに黄祖は、孫堅を討ち取る為に綿密な計画を練り上げ、確実に孫堅を誘き出す為に敗軍となって危地におびき寄せた。全ては自分が手に入れたいと恋焦がれてきた錦帆賊の頭目として名を馳せていた女傑・甘寧…彼女を奪い取った孫堅を討ち取る為に。だが結果は目も当てられない有様になっていた。

 

 

 確かに孫堅と僅かな手勢を危地に誘い込み、退路を断って伏せていた手勢を呼び出し弓矢で狙いを定める…そこまではうまくいっていたのだ。後は合図をして矢の雨や落石を降らせ、孫堅らを亡き者にするだけ…だがその後が計算外な展開だった。追い詰められたという現実を突き付けられたとしたら大抵の人間は心が折れ、戦う気概を無くしてしまう物だ。

 

 

 だが、孫堅は違った。彼女はあろう事か自分が率いてきた手勢に自分達は追い詰められ、死ぬしかないと言う事。そして自分を討って戦に勝つかを手勢に問いかけると将兵らはあろう事か心が折れるどころか、逆に奮い立ち孫堅の号令を受けて猛然と攻め懸かってきたのである。そして黄祖にとって最も許し難いのが、突如として崖上に現れ自身の手勢をたった一人で相手取り、腹心の一人だった呂公をも屠った結果自分が練り上げた計画を水泡に帰したあの武将の存在だった。

 

 

 あの武将さえいなければ…自分の宿願は成就していたというのに!!…黄祖は歯軋りをして憤激を露わにしていたが、状況はそれを許さなかった。今黄祖の眼前に映っているのは…。

 

 

「オラオラ退きやがれ!!死にたくないなら道を開けなぁ!!オレの目標は黄祖ただ一人!!雑兵共の相手なんざ時間の無駄だぁ!!」

 

 

 そう吠えながら南海覇王を右へ、左へ振るう度に血風を吹き散らし、死山血河を築きながらこちらに向かって駆け寄せてくる『江東の虎』、孫堅の姿と彼女に率いられた手勢の猛攻に曝される自分の手勢の姿だった…!

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 一方、孫堅軍の方は…傍から見ても分かる様に圧倒的不利の状況を文字通り覆し、今や立場は逆転していた。嘗ては罠に掛かり追い詰められていたが、今や自分達は逆に罠にかけてきた相手を追い詰めているのだから…!

 

 

「大殿、生き生きとしておられますな!」

 

 

「当たり前だろうが千冬!正直、オレも今回ばかりはまずいと我ながららしくないと思っていたが……中々どうして、俺の運も捨てた物じゃねえって事だ!」

 

 

 そう言いながら嬉々として南海覇王を振るって必死に食い止めようとする黄祖軍の兵卒を切り捨てる孫堅に対し、腹心の千冬もまた自身の得物である双刀を風車の様に振るい、さながら生きた竜巻を思わせるほどの猛威を見せながら黄祖軍を蹴散らしていた。しかし、唐突に千冬は孫堅に問いかけていた。 

 

 

「しかしあの若武者……何者でしょうな?あれほどの堂々とした武者振り、只者ではないと思われますが…」

 

 

「さあな、オレも興味がわいているんだ。だが……悪い奴ではない、オレはそう思っているがな」

 

 

「…勘、ですかな?」

 

 

「まあそう言う事だ。それに、あの武辺ぶりもそうだが…オレはむしろ不利な状況にあったオレ達に加勢を申し出た気骨さが気に入ってるんだ。普通なら優勢な方について活躍して、恩賞を貰う方がずっと気軽に恩を売れるってのによ…まあ、加勢してくれたのには感謝してるけどな」

 

 

 そう言って戦場に立っているとは思えない様な、染み入る様な微笑みを浮かべる孫堅に苦笑しながら千冬も頷いていた。

 

 

「では、疾く戦を終わらせてあの若武者を招くと致しましょう。戦勝の宴はさぞ賑やかになると思われますぞ?」

 

 

「おう、そうだな!…さあ行くぞてめえら!!黄祖軍は虫の息だ、ここで一気にけりをつけるぞ!!」

 

 

 そう言って孫堅が再び将兵らに号令すると、将兵らもそれに応える様に歓声を上げながら猛然と黄祖軍に襲い掛かる。これに対し黄祖軍も武器を構えて迎撃しようとするのだが……すでに戦意は無きに等しかった。激や矛を手にしている兵士達は槍衾を組みはしたものの、その殆どが腰が引けており逆に猛然と攻め懸かった孫堅軍の将兵らが手にしている朴刀や剣、戟を振るいながら払いのけ、そのまま突っ込むのだ。

 

 

 そしてある孫堅軍の兵士は黄祖軍の兵士に馬乗りになって剣を突き立てたり、ある者は矛を突き出して貫く。中には勢い余って武器を取り落したにもかかわらず、とびかかって押し倒し、転がっていた石ころで黄祖軍の兵士の頭をかち割り命を奪う者もいれば朴刀で頭を刎ね飛ばす者達もいた。騎乗している者達は馬上から槍を突き出す、馬蹄で踏みつぶすなど…文字通り一方的な虐殺が繰り広げられていたのである。

 

 

 やがてその乱戦の渦中の中で、黄祖の腹心でありこの計画を練り上げた蒯良も最後の時を迎えていた。荒事に慣れていないにも拘らず刀を振るっていたのだが、やがて護衛の者達は悉く討ち取られ、自身も矛を手にした孫堅軍の兵士数人に襲い掛かられ、突き出された数本の矛に腹部を貫かれたのである。

 

 

「ぐっ…むぐっ!」

 

 

 複数の矛の穂先に胸を貫かれ、口からも鮮血が溢れ出るのを蒯良は感じ取り、同時に最後の瞬間が訪れるのだと悟った。そのとき彼の目に映ったのは、馬上から黄祖の護衛の兵士達を蹴散らし今まさに黄祖に止めを刺そうと剣を振り上げた孫堅の姿だった。

 

 

ー儂はもはやここで死ぬのだろう…だが、このまま犬死の様な最期を遂げるのだけは納得いかぬ。せめて…せめて一矢報いねば、死んでも死にきれぬ!!

 

 

 そう思った蒯良は震える手を動かしつつ、腰に下げていた矢筒から短弓と矢を一本取りだした。その行動を蒯良を矛で串刺しにした兵士達は首をかしげていたのだが、孫堅から離れた所で雑兵らを蹴散らしていた千冬の目には映っていた。

 

 

「…っ!?まずい!!」

 

 

 不意に嫌な予感を感じ取った千冬が、咄嗟に片手に握りしめていた双刀の一振りを震える手で矢を番え、弓を引き絞っている蒯良に向かって投げつけた。双刀の片割れは回転しながら蒯良に向かって飛んでいくのを彼はその目に焼き付けていたが、その貌には不敵な笑みが浮かんでいた。

 

 

ーもう遅い!!

 

 

 そうして引き絞られた手が離され、矢が放たれたのと…千冬の投げつけた双刀の一振りが蒯良の頭蓋に深々と突き立ったのはほぼ同時だった。

 

 

「しまった……!炎蓮様!!」

 

 

 千冬が必死な形相で孫堅の真名を叫んだが…放たれた矢は狙い違わず、今まさに黄祖に止めを刺そうとしている孫堅目掛けて飛んで行っていた…!!

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

 時間は蒯良が弓矢を放つ少し前に遡る。

 

 

「黄祖ぉ!!てめえの策はすでに敗れた!!ここがてめえの死に場所になるんだ、いい加減に観念しなぁ!!」

 

 

 そう吠えたてながら孫堅は南海覇王を振るいながら、当たるを幸い阻もうとする黄祖軍の兵卒達を薙ぎ払っていた。これに対し黄祖の将兵らも死に物狂いで孫堅を抑えようとするのだが…すでに死を覚悟した孫堅軍と、それを率いる孫堅を止めるにはあまりにも遅すぎた。

 

 

「つぅ…!!おのれ…おのれ孫堅!!まだ、まだ私は死ぬわけにはいかぬ!!」

 

 

「黄祖様をお守りしろ!!江東の虎を近づけるなぁ!!!」

 

 

 それでも黄祖は未だに闘志は衰えず、彼女の護衛達もまた折れてはいなかった。彼らは何れも剣や矛を手に孫堅を押し留めようとしており、それは実際に孫堅を僅かな間であるが足止めを成し遂げていたのである。

 

 

「はっ、中々に粘っているじゃねえか。このオレをここまで食い止めるとは根性だけは認めてやるよ…だが、それもここまでだ!!!」

 

 

 そう叫んだ孫堅が護衛の武将らを吹き飛ばし、黄祖に向かおうとして…咄嗟に顔を横に動かすと先ほどまで顔のあったところを、護衛の命を張った奮戦の影から放った黄祖の矢が通り過ぎていた。

 

 

「………くそ、くそおおおおおおっ!??」

 

 

 護衛達の命を懸けた足止めの甲斐なく、起死回生を狙った一矢すら外れた…それは黄祖に慟哭の悲鳴を上げさせるには十分すぎた。そうして無念の形相を浮かべながら叫ぶ黄祖の姿を目に焼き付けながら、孫堅は手にしている南海覇王を高々と振り上げる。

 

 

「黄祖…てめえとの戦はこれで終いだ。先にあの世で待って…っ!?」

 

 

 だが、その言葉は唐突に途切れる。彼女が手にしていた南海覇王に突如として衝撃が走ったかと思った直後、彼女の愛剣と言える南海覇王が………その手から弾き飛ばされていた。空中をくるくると回転しながら飛ばされた自身の愛剣を、信じられないという表情をしながら呆然とする孫堅と同じく黄祖も目の前の光景に目を疑っていた。

 

 

ーあの孫堅が自身の得物を弾き飛ばされた?

 

 

 黄祖が暫し目を奪われていたが、やがて彼女は孫堅が手にしていた南海覇王の刀身にぶつかり、弾き飛ばした一矢が飛んできた方に目を向ける。その先には自身の腹心であった蒯良が、複数の孫呉の兵士に矛で串刺しにされ頭部には孫堅の腹心が投げ付けたと思われる双刀の片割れが突き立っているという有様で、しかしその手には短弓がしっかりと握り締められており、先ほどの一矢が彼が命を賭して放ったというのが容易に推測できた。

 

 

「蒯良……すまぬ!お前の犠牲、無駄にはせぬぞ!!」

 

 

 そう言い放つと、黄祖は自身の得物である弓を手にし矢筒から矢を取り出す。幸か不幸か…彼女の腰に下げている矢筒には一本だけ矢が残っていた。それはまさにこの戦いで孫堅を討ち取りたいという黄祖の想いを、軍神が叶えてくれたのではないかと言える様な幸運だった。黄祖は神などを信じる様な人間ではなかったが、この時ばかりは神と呼べる物に感謝をしたくてたまらなかった…!

 

 

 そして黄祖は素早く矢を弓に番えると即座に狙いをつけて射放つ。対する孫堅は愛剣である南海覇王を弾かれて無防備になっており、馬から転げ落ちて躱そうとするだろうがその暇さえ与えまいという黄祖の一念が宿った一矢は狙い違わず孫堅の胸元目掛けて飛んでいく。

 

 

 その時、全ての動きはゆっくりと流れていた。孫堅は無手となった自分の胸元目掛けて黄祖の放った矢が向かってくるのを静かな目で眺めていた。その時孫堅にはなりふり構わず落馬して躱すという選択肢もあったのだが、黄祖の放った一矢はその時間すら与えぬほどの速さで自分に飛んで来ており、自分が死ぬというのが不思議と分かってしまった…。

 

 

ーちっ……まさかあの老いぼれ文官が最後の意地を見せたって訳か。オレも詰めが甘くなったもんだ……だがまあ、仕方ねえか。悪いな祭、粋怜、真耶、千冬、雷火。雪蓮や蓮華、小蓮を頼むぞ?

 

 

 脳裏に自身に古くから仕え、支えてくれた宿老や愛娘達を思い浮かべながら微笑んだ孫堅はそのまま自身に突き立つであろう矢の衝撃に備えて目を瞑ったが…………いつまでも痛みが来ない。

 

 

 一秒、二秒、三秒……だがそれでも矢の痛みが来ない為、目を見開くと彼女の眼前には矢を射放った態勢のまま顔を悔しそうに歪め、涙まで流している黄祖の姿があり、近くの地面には黄祖が放ったであろう起死回生の一矢となり得るはずの矢に、蒼く染められた矢羽の矢が突き立っていたのである。

 

 

 そして孫堅が矢の放たれたであろう方向…崖の上を見ると、崖っぷちに馬を寄せつつ馬上から弓を手に、矢を放った態勢でいる青年…自分達孫呉に加勢すると大音声で宣言した徐寧がいたのである。

 

 

「孫堅殿、江東の虎と称される貴方が戦場で丸腰とは情けなし!貴殿の愛剣には劣るだろうが、俺が鍛えし武具をお使いあれ!」

 

 

 そう言い放った徐寧は腰に下げている袋から一振りの刀を取り出すと、それを孫堅目掛けて投げ放つ。その刀は回転しながら孫堅目掛けて飛んでいくが、孫堅はこれをこともなげに受け取る。その瞬間、戦場に金属同士がぶつかった様な甲高い音が鳴り響く。

 

 

 そうして孫堅が受け取った刀を見ると…それは幅広で肉厚な刀身をし、峰の部分に幾つもの金の輪が取り付けられているという形状をした『九環刀』と言う刀剣であったのだが、孫堅は内心驚いていた。初めて手にしたというのにも拘らず、その刀は驚くほど手に馴染んでくるのだから。

 

 

「………はは、はっはっは!何だこの刀、初めて手にしたってのに妙にオレの手にしっくり来るじゃねえか!?…いいぜ、気に入った!有難く使わせてもらうぜ!!」

 

 

 そうカラカラと笑い飛ばし、孫堅は手にした九環刀を手に馬から降り立つと、そのまま猛然と斬り懸かっていく。これに黄祖も命を落とした護衛の兵士が使っていた剣を拾い上げ、真っ向からぶつかり合った。互いに鍔迫り合いをしながら、二人は言葉をぶつけ合う。

 

 

「おのれ孫堅…!!私の甘寧を奪った怨敵め…!!なのに何故、なぜお前を討ち取る事が出来ぬ!?策を練り、舞台を整え、後はお前を討ち取ればそれで終わりのはずだったというのに!!」

 

 

「さあな!オレがここで斃れる事を、天が望まなかったって事だろうよ!!さあ黄祖……いい加減決着(けり)をつけようぜ!?オレとお前の間で続いた、この戦いをよぉ!!」

 

 

「…いいだろう!私とて貴様との因縁をここで終わらせたいと思っていた!ここでお前の息の根を止めてくれる!!」

 

 

 そうして二人は互いに得物をぶつけ合う。その戦いは黄祖が使い慣れていない剣で戦っていたにも拘らず、白熱した戦いが続いていたが…やがて事態は急変する。

 

 

 二人が戦い始めてから30合ほど経った頃、それは訪れた。剣をぶつけ合った末に後ろに飛び退き、再び剣をぶつけた瞬間……九環刀の輪っかがぶつかり、甲高い音が響いた直後、黄祖の剣が甲高い音を立てて折れたのである。この好機を見逃す孫堅ではなく、即座に大上段に剣を振り上げ、即座に振り下ろした。

 

 

 これに対し黄祖は咄嗟に自分の左腕を上げて身構えたが…そんな行動は全くの無意味としか言いようが無く、孫堅が振り下ろした渾身の一太刀は、黄祖の左腕を切り落としていた。この時黄祖は片腕が斬り落とされた瞬間後ろに飛び退いた事で即死は免れていたが…もはや誰の目から見ても、決着はついているとしか言いようがないだろう。

 

 

 左腕から血が噴き出し、荒い息を吐いている黄祖に対し、孫堅は静かに語りかける。

 

 

「……終わりだ、黄祖。片腕を失った以上、俺に勝てるとは思っちゃいねえだろう?潔く観念しな」

 

 

「そうかも、知れん…!だがっ!!私はまだ戦う意思は折れてはいない!!片腕を失ったとしても、まだもう片方の腕はある!!剣を握れるのであれば…まだっ!!」

 

 

「そうかよ…なら、今度こそ終わらせてやる!!」

 

 

 そう言って再び九環刀を振り下ろそうと構えたのだが…それは振り下ろされなかった。何故なら孫堅と黄祖の間に黄祖の手勢の将兵が割り込んできたからである。

 

 

「なっ!?てめえらは…っ!」

 

 

「我ら黄祖様旗下の将兵!この場で命を落とそうとも、黄祖様まで死なせるわけにはいかぬ!!」

 

 

「急げ!黄祖様を連れて離脱せよ!!」

 

 

 将兵らはそれぞれに剣や槍を孫堅に向けつつ、一部の騎乗した将に主君を連れて離脱するように促す。だが黄祖にとってそれは断じて受け入れ難い物だった。

 

 

「き、貴様ら…私に逃げろと言うのか!!みすみす生き恥を曝せと…!」

 

 

「黄祖様、どうか堪えてください!!その命尽きるまで孫堅と戦い続けるのであれば、生き恥を曝そうとも生き続けるべきです!!名を惜しむよりも、命を惜しんでくだされ!!」

 

 

「………っ!!お前達の犠牲、忘れはせぬぞ!!」

 

 

 口惜しさからか唇を噛み千切らんばかりに歯を食いしばっていた黄祖であったが、やがて涙を流しながら馬に乗っていた将の一人に引っ張り上げられて騎乗し、そのまま僅かばかりの手勢と共に離脱し始めた。

 

 

「くそぉ…!!逃がしはしねえぞ黄祖っ!何としてもてめえを…!」

 

 

 一方の孫堅にとっても、黄祖の離脱は許容できない事だった。この戦いで何としても黄祖を討つと決めていた孫堅にしてみれば千載一遇の好機を見逃すわけにはいかない…!そう思い追撃しようとするのだが、そこに黄祖の手勢の大半が殿として立ちはだかったのである。

 

 

「者ども、ここが我らの死に場所ぞ!!例え我らがこの場で悉く討ち死にしたとしても、主君である黄祖様が生きながらえたのであればそれ即ち、我らの勝ちとなる!!奮えや者共!!」

 

 

 その殿の指揮を取っているであろう将軍がそう高らかに叫ぶと、殿の兵士達は歓声を上げて孫堅軍に襲い掛かって行った…。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 それから一刻程経った後、その場には黄祖軍の将兵の屍が山と積み重なっていた。あの後、殿となった黄祖の手勢は指揮を執っていた将軍の言葉通り、黄祖を落ち延びさせる為に死兵となって孫堅の手勢に甚大な被害を齎し、その後一人残らず討ち死にしたのである。

 

 

 一方の孫堅軍は…もはや疲労困憊となり、誰もが武器を放り投げると座り込んで荒い息を吐いていた。如何に勇猛で鳴る孫呉の兵たちとは言え、罠に掛けられた直後に生き残るために戦い続け、自分達の主である孫堅が黄祖を討ち取るかと思った直後、黄祖の手勢の大半が黄祖を逃す為に死兵となって襲い掛かられた事で痛撃を味わい、そこから死兵となった黄祖軍の殿を倒しきった途端、精も根も尽き果ててしまったのである。

 

 

 これでは追撃を指示しても、追いつく事すらできないだろう…歴戦を積み重ねてきた孫堅にはそれが嫌と言うほど分かってしまい、気が付くと拾い上げた南海覇王を苛立ち紛れに地面に叩き付け、突き立てていた。

 

 

「……畜生!!黄祖の野郎を逃しちまった…あと少しであいつを討ち取る事が出来たって言うのに!」

 

 

「大殿…」

 

 

 その無念さを隠そうとしない孫堅を、同じく無念さを滲ませる祖茂が沈痛そうに見ていたが…やがて孫堅はため息一つつくと気を取り直すように声を上げた。

 

 

「…仕方ねえか。戦はオレ達が勝った、そうだな千冬?」

 

 

「っ!…左様ですな大殿、黄祖もかなりの深手を負っていました。恐らくこれから先、戦場に出ても満足に働く事は出来ぬと思われます。何より…我等は黄祖の罠を噛み破り、生還を果たした。これが、何よりの戦果にはなり得ませぬか?炎蓮様…」

 

 

 そう千冬が温かい笑みを浮かべながら孫堅に問いかけると、孫堅もまた痛快そうな笑みを浮かべて頷いた。

 

 

「ああ…てめえら!よくぞオレと共に戦い、死地を切り抜けた!!お前達とこうして生還の喜びを分かち合える事が出来て、心から嬉しく思う!!それじゃあ…本陣の奴らと合流するぞ!!そうしたら戦勝の宴と洒落込もうじゃねえか!!」

 

 

 孫堅が高らかに宣言すると、孫堅軍の将兵は疲れ切った体に鞭打って立ち上がると、手を振り上げて勝ち時を上げたのである。その声は、狭い谷底を揺らしどこまでも響き渡っていた…。孫堅はそんな将兵の勝ち時を眺めていたが、やがて自分達の方へ馬を走らせてくる相手がいるのを視認した。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 壮也は孫堅が無事に生き残った事を確認すると、崖から回り込んで谷底におり、そのまま孫堅軍の方へ黒風を走らせる。一瞬孫堅軍に警戒する雰囲気が走ったが、やがて軍を割る様にして真紅の装束を纏った褐色の肌の女性が近づいてきた。それを見て壮也はすぐさま黒風から降りると、抵抗の意思が無いと証明するかのように大斧を地面に置いた。

 

 

「よお…てめえが徐寧か?」

 

 

「如何にも。察するに…貴殿が『江東の虎』と名高き孫文台殿とお見受けする」

 

 

「おう、オレが孫文台だ。さて………」

 

 

 孫堅はそう呟くと壮也に近づいて行き…徐に彼の肩に手を懸けた。

 

 

「助かったぜ!正直お前の助太刀が無かったら、オレはきっと黄祖の野郎に嬲り殺されていただろうよ!!そんでもって、オレの手勢もな。お前には感謝してもしきれない大恩が出来たって事だ!だが…恩を着せてはいさよならって訳じゃねえよな?生憎オレは受けた恩義はきっちり返すって決めてんだ。……戦勝の宴、顔を出してもらうぜ?」

 

 

「拒否権は…なさそうだな。元より、拒否するつもりもないけどさ。その提案、受けさせて頂こう。俺も、貴方の様な英雄と一献付き合いたいと思っていたので」

 

 

 壮也が苦笑しながらもその誘いを受けると、孫堅は満面の笑みを浮かべると将兵達に呼び掛けた。

 

 

「よっし!言質は取ったぜ!てめえら!!オレらの命の恩人が戦勝の宴に顔を出してくれるそうだ!!それじゃあこんな所で油を売ってる暇はねえ!!本軍に合流するぞぉ!!」

 

 

 孫堅の呼びかけに将兵らは歓声を以てこれに応える。やがて孫堅は馬上の人になったかと思うと、祖茂を連れて壮也に近づき言葉を放った。

 

 

「…てめえには改めて礼を言わせて貰う。命の恩人に報いる為、オレの真名を預ける。『炎蓮(イェンレン)』、この名をしっかり覚えておけよ徐寧?」

 

 

「…大殿のみならず、我らの命を救ってくれた事。宿老の一人として感謝させてほしい。私は姓は祖、名は茂、字は大栄。真名は『千冬(ちふゆ)』だ」

 

 

 二人が拱手をしながら自らの真名を明かした事を受けて、壮也もまた自身の真名を預ける事を決意した。彼は即座に拱手をして名乗りを上げた。

 

 

「貴方方の真名、しかと受け取らせて頂く。その返礼として、俺の真名も貴方方に預けます。『壮也』…どうぞ良しなに」

 

 

 こうして、本来ならば黄祖との戦いで悲運の最期を遂げるはずだった江東の虎・孫堅は、この場にはいない筈の人間である徐寧…壮也によって九死に一生を得る事になったのであった。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 孫堅達の元に招かれ、暫し羽を休める事になった壮也。彼はそこで孫堅達の為に武具を進呈しようと決意するのだが、そこである問題に直面する事になる…続きは次回の講釈で。 



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勇士、小覇王から求愛を受けるとのこと。

 本当に…申し訳ありません!!Orz

 早くに更新をしたいと思っていたのですが、足を骨折した祖父のリハビリなどを手伝ったり仕事の出張などで時間を取る事が出来ず、遅れに遅れてしまいました。重ねてお詫び申し上げます…!!

 ではどうぞ…!


「良し、杯は持ったなてめえら!!今夜は無礼講だ!黄祖を返り討ちにした戦勝祝いだ!派手に騒ごうじゃねえか!」

 

 

 孫堅軍の本営。そこにはたくさんの食事が雑多に並べられており、そして将兵らは何れも杯を片手に立っていた。やがて彼らを前にし、同じく杯を片手に持っている孫堅が高々と杯を掲げながら宣言すると、将兵らもそれに応える様にして歓声を上げながら杯を掲げた。

 

 

 将兵らはそれぞれに食事を味わい、杯を傾けながら互いに戦勝を喜び合う。長らく自分達を苦しめていた黄祖を、命までは奪えなかったもののかなりの被害を与える事ができ、また黄祖の奸計によって自分達の主君である孫堅が絶体絶命の危機に陥ったものの、無事に生還を果たした事を一同心から喜んでいたのである。

 

 

 そしてその孫堅救出の立役者と言える徐寧…壮也はと言うと、彼らから若干離れた所で酒を傾け、食事に舌鼓をうちながら孫堅軍将兵らの酒盛りを拝見していた…。

 

 

「…孫堅殿を助けた事が、俺の知る歴史にどれほどの影響を与えるかは分からないけど、彼らの喜びようを見れば、俺は正しい事をしたんだと、心から思えるよ」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・

 

 さて、時間は壮也が炎蓮らを救出し、彼女達を真名を交換した頃に遡る。その後壮也は黄祖軍によって引き起こされた落石によって塞がれた後背の道を孫堅軍の兵士達と共にどかしていた。やがて彼らの努力が実り、落石は完全に除去され、再び軍勢が通れるぐらいに開通。

 

 

 孫堅軍の将兵と、彼らを率いる炎蓮から感謝されつつ共に行軍に参加していた壮也だったが、ふと前方から軍勢が迫っている事を示す砂埃が舞いあがっているのが見えた。

 

 

 油断なく大戦斧を構えて備える壮也だったが、それを炎蓮が制止した。

 

 

「ああ待て待て、あれは敵じゃねえ。オレの軍の奴らだ」

 

 

 炎蓮がそう言って下馬した直後、壮也の目に映ったのは炎蓮が手勢として連れていた将兵と同じく、真紅を基調とした軍装を纏った将兵と、彼らの先頭に立って馬を駆けさせる、褐色の肌を持つ扇情的な体つきを真紅の戦装束で纏った、炎蓮と同じ薄紫色の髪を持ち、蒼い瞳を持った女性が、同じく真紅の甲冑を纏っているが、それでも目を引く身体つきをし、眼鏡をかけた女性を引き連れて駆け寄ってくる姿だった。

 

 

「母様!!大丈夫だった!?」

 

 

 炎蓮に雰囲気が似ている女性が炎蓮を『母様』と呼びながら馬を彼女の元へ駆け寄せると下馬し、その身に大した負傷をしていないのを確認した彼女は、やがてその蒼い瞳からぽろぽろと涙を流しながら炎蓮を抱き付いていた。

 

 

「よかった…本当に、よかった。母様にもしもの事があったら、私…」

 

 

「ったく、そんな事は起きねえから安心しろよ雪蓮。…って言うか真耶!てめえいつまで俺にしがみついて号泣してやがるんだ!!」

 

 

「だっで、だっでええええええええ…!!!」

 

 

 抱き着いてきた雪蓮…娘を優しく抱きしめていた炎蓮だったが、一転して雪蓮に先んじて彼女の隣に馬を寄せて下馬したかと思うと、炎蓮の腰に抱き着いて号泣している女性を叱責していた。

 

 

 だが当の本人はと言うと、もはや恥も外聞も無いという感じで顔をぐしゃぐしゃに歪めながら大泣きしっぱなしであり、もう二度と離れないとばかりに彼女の腰にしがみついているのである。よほど彼女の身を案じていたのだろうと壮也は傍から見て思っていたが…。

 

 

「(けど……せっかくの美人も台無しだな)『まあそう思わないでくれ』千冬さん?」

 

 

 涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった彼女の顔を見て内心そう思っていた壮也に千冬が苦笑しながら声をかけた。

 

 

「真耶はああ見えて心配性でな。大殿…炎蓮様の猪突猛進ぶりを幾度もお諫めしているほどなのだ。今回も出陣前に大将旗が風で折れて倒れた事もあって尚更だったのであろうよ」

 

 

「そうだったんですか…」

 

 

 壮也が千冬とそんな会話をしていると、雪蓮と真耶が引き連れて来たと思われる軍勢から雪蓮らと同じく真紅の戦装束を纏っている、金の光沢を放つ長弓を背負い、薄紫色のポニーテールをした褐色の肌を持つ女性と、刃が波打っている穂先をした矛を手にした水色のロングヘアーをした、白い肌を持つ女性が馬に乗って千冬の方に駆け寄ってきた。

 

 

「千冬!無事じゃったか!!」

 

 

「本当に良かった…!まあ、貴女なら大殿だけでも生還させる為に戦うとは思っていたけど、まさか一緒に生還していたなんて驚きだわ…!」

 

 

「心配をかけたな粋怜、祭。……雪蓮様らが駆け付けたという事は、黄祖の手勢から情報を得たのか?」

 

 

「うむ。砦に残っていた黄祖の手勢を捕虜として捕えたのだが、その内の一人が大殿を死地に誘い込んで亡き者にしようとしていた計画を吐いてな。ちょうどその時に雪蓮様と真耶もおって、それを知った真耶の慌てようと気たら凄まじいの一言じゃったわ」

 

 

「ええそうね…。『こんな所で油を売っている暇はありません!!直ちに大殿救出に赴くべきです!!黄祖軍の捕虜!?そんなの脚を切り落とした後に楼閣に押し込めて、油をかけて焼き殺しておけば無問題です!とっとと行きましょう!!!』なんて捲し立てていたもの…。雷火様と雪蓮様がやり過ぎだって必死に止めていたけど、あれは止めていなかったら本当にやらかしていたでしょうね」

 

 

「…あいつらしいな」

 

 

 真耶とは古くからの付き合いであった為彼女の人となりを知っていた千冬であったが、まさかそこまで動揺していたとは…そう思って苦笑した千冬であったが、やがて粋怜と祭は自分の隣に馬を寄せている青年…壮也に目をやった。

 

 

「ところで千冬よ、そこにおる若者は何者じゃ?中々の面構えをし、かなりの武勇を持っておるようじゃが…」

 

 

「ああ、紹介が遅れたな。こいつは徐寧という流浪の武人でな、私と大殿が九死に一生を得る事が出来たのも、この男の奮戦あってこそだったのだ。この者がいなければ…さすがに危うかっただろう」

 

 

 千冬がそう紹介すると、壮也も拱手をしながら頭を下げていた。

 

 

「ご紹介にあずかりました、河東郡の徐寧と申します。お二方は…千冬殿の御同輩でありましょうか?」

 

 

「うむ!儂は黄蓋、字を公覆と言う者よ!そうかそうか…お主が堅殿を救ってくれたのか!!いや、実に忝い!!堅殿の臣下として礼を言わせて貰おうぞ!!」

 

 

「私は程普、字を徳謀よ。それに千冬や将兵らを救ってくれた事も…本当に感謝しているわ。ありがとう…!」

 

 

 二人がそう言いながら頭を下げたのを、壮也は手を上げて制止する。

 

 

「お二方、頭を上げてください。俺は自分が為したいと思った事を為しただけです。それに『江東の虎』と名高き孫堅殿とは、武を磨く者として是非ともお会いしたかったんです。けれど亡くなられてはそれも叶わないでしょう?」

 

 

「……はっはっは!何とも慎み深い男じゃな!他者の命を救った事を誇る事もせず、恩着せがましくもせぬとは!今時珍しい位の男じゃ!!」

 

 

「ふふっ、そうね。これは大殿が気に入る訳だわ」

 

 

 壮也の言動に二人は笑顔を浮かべながら感心すると、二人は互いに拱手をしながら頭を下げた。

 

 

「改めて…堅殿を救ってくれた事、心から謝す。その礼と言ってはなんじゃが、お主に儂の真名を預けよう。儂は(さい)と申す」

 

 

「私は粋怜(すいれい)よ。孫家家臣一同、貴方には頭が上がらない大恩を持ってしまったわ。この恩義には必ず報いさせてもらうわね」

 

 

「……真名を授けてくださったからには、俺も真名を返したく。我が真名は壮也、以後よしなに。祭殿、粋怜殿」

 

 

 そうして孫呉の宿老とも言える二将に拱手をし返した壮也だったが、そんな彼にまたも近づいてくる姿があった。

 

 

「貴方が母様を救ってくれた男かしら?へえ…中々の偉丈夫じゃない」

 

 

「雪蓮様!大殿の命の恩人に対して無礼ですよぉ!?あっ、これは失礼しました!私は大殿…孫堅様にお仕えする家臣の一人、姓は韓、名は当、字は義公と申します!こちらは孫堅様のご息女の一人で長女の孫策殿です!」

 

 

「孫策、字は伯符よ。それにしても母様から聞いたけど、あなた相当な武芸の腕を持っているそうね?それに…」

 

 

 そう言うと孫策は壮也が跨っている愛馬の黒風に目をやった。

 

 

「貴方のその愛馬も相当な名馬ね。夜闇に包まれた谷を飛び越えて向かい側に着地して見せるなんて…実に面白いわ!ねえ徐寧、貴方これから私達の陣地に来るんでしょう?暫く孫呉に逗留する気はない?私、あなたと手合せしたいと思っているの!」

 

 

「しぇ、雪蓮様!?いくら何でも無礼にも程がありますよぉ!??」

 

 

 孫策の物言いに韓当が慌てふためくのを尻目に、壮也は苦笑しながらも拱手をしながら頷いていた。

 

 

「それは願ってもないな。江東の虎と称される孫堅殿の長女……その腕前もかなりの物だろうし、少しの間だけど厄介になろうか」

 

 

「よし決まりっ!それと母様達が真名を預けたのなら、私もあなたに真名を預けないとね。私は雪蓮(しぇれん)って言うの。よろしくね?」

 

 

「わ、私からもお礼を言わせてください!貴方がいなかったら、大殿は今頃…このご恩、我ら孫呉の者は決して忘れはしません!私の真名は真耶って言います!!徐寧さん、誠にありがとうございました!!」

 

 

「お二方からの真名、確かに頂戴いたしました。その返礼として俺も真名をお預けいたします。我が真名は壮也…以後よしなに」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

 そうして現在、胡坐をかいて杯を傾け、料理に舌鼓を打つ壮也の眼前では孫呉の将兵らが盃を交わしつつ歓喜の声を上げながら互いに戦勝の喜びを分かち合っている。

 

 

 やがて宴もたけなわとなってきたのか、兵士達がちらほらと野営地のテントに入って眠りにつき始めていき、それはそれを率いる将帥の者達も同様だった。そして……気が付けば野営地は哨戒の任を受け持っている兵卒らが見回っている足音と将兵らの寝息だけが響いている有様となったのである。

 

 

 それを見て壮也もそろそろひと眠りするか…と考えて立ち上がろうとすると、彼の背後から声を掛けられた。

 

 

「あら、もうお開きにするつもり?」

 

 

「雪蓮か…その様子だと、まだまだこれからって所か?」

 

 

「当たり前じゃない。もう少し付き合ってもらうわよ?」

 

 

 そう言って声をかけてきた相手…雪蓮は満面の笑みを浮かべながら手にしている徳利を掲げた。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 それから暫しの間…二人は杯を酌み交わし、料理を口に運びながらそれぞれの故郷の話などに花を咲かせていた。

 

 

「へえ…貴方華北の出身なの?それも河東郡って事は、并州にも近いって事だから五胡の連中もちょっかいをかけて来るって事だから…成程ね、あれほどの名馬を乗りこなして、千冬も一目置く程の武勇を持つ訳だわ」

 

 

「そう言う雪蓮は揚州の出身だったな。長江を初めとした複数の河川を移動する為に船の扱いに長ける様になった江南の民…孫呉の軍は孫堅殿を初めとした武将だけでなく、勇猛果敢な江南の民があってこそあれほどの強さを持っていたんだな。敬意を表したい」

 

 

 そんな他愛のない話をしていたが…ふと会話が途切れた。壮也が雪蓮の方を見ると、俯いたまま何も切り出さない。そんな雪蓮を見て、壮也は何も口を挟まないでいると…やがて雪蓮が少しずつ切り出し始めた。

 

 

「ごめんなさいね、こんな他愛のない話をする為に来たわけじゃないのに。……壮也、改めてあなたにお礼を言いに来たの。ありがとう…母様を助けてくれて」

 

 

「いや、別に礼を言われる様な事をしたつもりは『母様は…』…」

 

 

「あなたも加勢した時に見たと思うんだけど、母様は戦場…それも血風吹き荒れ、退路も無いような死地にあってこそ生きているんだって言う様な筋金入りの戦狂いでね。けどそんな戦場に飛び込んでいく度に生きて帰ってきて、私達は口酸っぱくして諌めていく一方で…『今回も生きて帰ってくるだろう』って言う安直な思いを抱いていたの。けれど…今回だけは、何が何でも母様を止めるべきだったのかもしれない。例えそれで母様に恨まれたとしても、家族には……生きていてほしかったから」

 

 

 そう呟く雪蓮の言葉からは、母を…炎蓮を無理やりにでも止めていなければ、そして壮也がその場にいなかったとしたら、きっと二度と会う事が出来なかったのだと分かってしまっているのが感じられた。そう思った壮也は自分が思った事を言葉にしていた。

 

 

「いい事だと、俺は思うな」

 

 

「えっ…?」

 

 

「力こそが何よりも求められるのが乱世と言う物。けれど…家族や仲間、愛する人を護りたいと言う想いもまた必要だと俺は思う。干将莫邪の様な名剣も、鞘が無ければ己自身を傷つける凶器に成り果ててしまうのだから」

 

 

「……そうね、私もそう思うわ。ありがとう、私に付き合ってくれて」

 

 

 そういって雪蓮は立ち上がったのだが…自分が休むであろうはずの天幕ではなく、壮也の隣に腰かけてきた。

 

 

「雪蓮?」

 

 

「ねえ壮也…私を見て、どんな風に思っているのか教えて?」

 

 

 雪蓮の問いかけに、壮也は思わず顔を赤らめる。壮也から見て雪蓮は十分魅力的な女性だ。月明かりに照らされる褐色の肌と薄紫色の髪は儚い感じを漂わせ、その蒼い瞳を潤ませながら上目遣いでこちらを見るその表情は、思わず生唾を飲み込むほどに美しい。

 

 

 そして女性としてはこの上ないほどに魅力的なスタイルをしている雪蓮はその体を自分に預けてきている…はっきり言うと、並みの男であればたちどころに押し倒してしまっていることだろうが、壮也は首をもたげ始めようとしている煩悩を抑えながら苦笑しつつ答えた。

 

 

「……生憎、気の利いた褒め言葉が浮かばなくてすまないんだが、美しいと思っている。本当はもっといろいろと言ってほしいんだろうが、これで許してくれるか?」

 

 

 ところが壮也が言葉を考えて褒めたのに対し、雪蓮はさらに自分の胸元に縋り付くように頭を預けてくる。

 

 

「あら…こんな美人がしなだれかかっているのに、貴方は何とも思わないの壮也?据え膳食わねば何とやらっていうじゃない」

 

 

「そ、それはそうだが…。雪蓮、自分の身は大切にするべきじゃないのか?」

 

 

「……私はね、貴方みたいな男を夫として迎えられたらとても幸せだと思っているわ。母様の命を救ってくれた恩人でもあるし、貴方自身の性格もとても好印象だと思っているの。恩着せがましくもなく義を重んじ、謙虚で誠実であろうとするその在り方がね。それに…母様も零していたのよ?『あれほどの男はそうは現れねえ。何とかあの男を孫呉に迎え入れて、その胤を貰い受けたいもんだ!』って」

 

 

「そ、孫堅殿がかっ!?」

 

 

「そうよ?けれど…母様の指示がなくても、私は貴方を夫として迎えたいと思っているの。だってあなたとこうして言葉を交わしていく中で、貴方の事を好いてしまったのだから…貴方は、どう思っているの?」

 

 

「……っ!」

 

 

 そう言いながら自分の体に手を当てゆっくりと地面に押し倒してきた雪蓮に壮也も動揺を隠せないでいた。頬を赤く染めながらも瞳を潤ませながら自分にしな垂れかかってくる彼女は、男であるのなら僅かばかりの我慢すら出来ず肌を重ねてしまう事は間違いない事だろう。

 

 

 現に壮也自身、彼女に心惹かれてもいた。正直このまま押し倒されたままで為すがまま…というのは、男としては恥ずかしすぎるというべきものだ。そう思い、力を入れて雪蓮を逆に押し倒そうとして。

 

 

ー壮也。

 

 

 不意に脳裏に浮かんだのは、郷里で幼い頃から共に苦楽を共にし、愛おしいという思いを持ちながらも彼女を罪人にしないが為に自ら咎人になってまで護った……愛紗の笑顔だった。そこからの壮也の行動は迷いがなかった。

 

 

 雪蓮の肩に手をやって起き上がりはしたものの、それ以上は何もせず雪蓮に背を向けて座ったのである。これには雪蓮の方が困惑していた。押し倒したはしたもののただ為すがまま…と言う訳ではなく、自分の肩に手をやったから逆に押し倒してくれると思っていたのに、上半身を起こした後は自分に背を向けて座ったままになったのだから。

 

 

「そ、壮也…?」

 

 

「すまない雪蓮。君が俺の事を好いてくれる事は、正直に言うと嬉しく思ってる。男としてその好意に答える事が責務だとも思っているが…君を悲しませる事を分かっている上で聞いてほしい。君の好意に、答える事は出来ない。ここで君の好意に答えたとしたら…俺は、俺自身が最初に愛おしいと思っていた彼女への……愛紗への思いを、裏切ることに他ならないんだ。だから…済まない」

 

 

 雪蓮に背を向けながら心中を吐露した壮也だったが…雪蓮からの返事は来ない。壮也は溜息をつきながらなんとなく理解していた。『誰かに好きだと、愛しているという想いを伝えることは並大抵の覚悟を持って行うと言う事を』…。そしてそんな告白を、雪蓮を傷つけないようにと言葉を選んで伝えたつもりであっても拒絶してしまった自分に、雪蓮は当然怒っていることも感じ取っていた。

 

 

 彼女を傷つけてしまった償いをしなければならない。そう思った壮也は一回だけ深いため息をつくと雪蓮から平手打ちを…もしくは握り拳からの一撃を食らうのも覚悟して振り返ったのだが。

 

 

 そこで壮也の目に飛び込んできたのは………まるで子供が不満そうにする様に頬を膨らませている雪蓮の姿であった。

 

 

「……え、えっと。雪蓮?」

 

 

「…ブゥーブゥーブゥゥゥゥゥゥ!壮也のバカ!意気地なしー!」

 

 

 戸惑う壮也に対し、雪蓮は頬を膨らませながら壮也を小ばかにするような野次をひとしきり飛ばすと、そのまま駆け去って行ってしまい、壮也は走り去っていく雪蓮の背中に手を伸ばしたまま固まったまま動けないでいた…。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「……はあー。なんであんな事言っちゃったのかしら。壮也、傷つけちゃったかしら…」

 

 

 一方壮也の元から走り去った雪蓮は、野営地から少し離れたところを川が流れており、その川原に立ち止まったかと思うと軽い自己嫌悪に陥っていた。酒の勢いも多少はあったのだが、自分が壮也に対して誘惑をかけた時にかけた言葉には一切の偽りがなかった。自分や妹達の母親であり、孫呉の当主でもある炎蓮を救ってくれた恩人でもあるし、酒を酌み交わしながら歓談をしていく中で彼の人柄…『義を重んじ、他者の窮地を見過ごさず、しかしそれを恩着せがましくもしない謙虚であり、誠実さが感じられる』所もとても魅力的だった。

 

 

 恐らく孫呉に賓客として歓迎したのであれば、母は間違いなく自分達に『あの男と誼を通じ、機を見てあの男の胤を得ろ』と命じてくるのは明白だったから、先んじて彼と結ばれる事もいいと本気で思っていた。そして酒の勢いも後押しして彼を押し倒し既成事実を作ろう…そう考えていた彼女の目論見は、失敗に終わってしまう。

 

 

 押し倒した直後、壮也も自分の肩に手を置き、そのまま押し返して来たから彼もその気になってくれたと思ったのに、彼はそのまま自分に背中を向けたまま何も行動を起こそうとせず、自分には他に好きな人がいるからと断ってきたのである…。これに雪蓮はかなり落胆していた。

 

 

 あれほどまで誘惑し、想いをぶつけたというのにまさか会った事もない彼の想い人への恋慕に後れを取られるなど予想外にもほどがあったのだから。

 

 

「…うう、明日から顔を合わせづらくなるわね。あんな事を言われちゃあどんな顔して彼と接すればいいのよ?『よお雪蓮』っ!?か、母様…」

 

 

 唐突に声をかけられた為、雪蓮が声がしたほうに顔を向けるとそこには河原で腹心である千冬と共に晩酌を楽しんでいるのか、孫堅こと炎蓮が胡坐をかいて杯を傾けていた。

 

 

「ちょうどいい時に来てくれたじゃねえか?今千冬と二人で晩酌としゃれ込んでいたんだが、お前も付き合えよ」

 

 

「………分かったわよ」

 

 

 母である炎蓮の呼びかけに雪蓮も頷いて隣に座り、千冬が酒瓶を杯に傾けて酒を注ぎ、二人は暫く杯を傾けていたのだが、やがて千冬が問いかけた。

 

 

「…雪蓮様、振られましたかな?」

 

 

「っ!?…何で分かったのよ?」

 

 

「傍から見れば容易に窺えますぞ?」

 

 

「ほお…壮也に惚れて、その子種を得ようとしたってか。けれどまさか振られるとはな、一体なんて言われて振られたんだ?」

 

 

 炎蓮にせっつかれた雪蓮は最初こそ黙っていたのだが…やがて溜息をつくと語り始めた。

 

 

「……『君の想いはとても嬉しく思うし、それに応えてあげたいとも思っているが、ここで君の想いに応えたとしたら、俺は、俺自身が最初に愛おしいと思っていた彼女への……愛紗への思いを、裏切る事に他ならないんだ』って。はあ、本当に残念だわ。本気、だったんだけどね」

 

 

「へえ…」

 

 

 雪蓮の言葉に炎蓮は感心していた。自分には孫策・孫権・孫尚香という三人の娘がおり、親の目から見てもいずれも自分の血を引いているからか美人で街を歩けば10人中10人が思わず振り返るほどだ。ましてそんな美人が胸元に縋り付いて告白をし、押し倒してきたとなれば…波の男であれば十中八九、そのまま閨を共にしてしまう事だろう。

 

 

 なのにあの青年は…自分にとっての恩人である壮也はそんな獣欲に溺れる事もなく、自らの煩悩を抑えつつ告白をしてくれた事を嬉しく思いながらも想い人を裏切ることはできないと謹んで断りを入れたというのである。

 

 

「……中々の御仁ですね。姫様の誘惑を間近で味わいながら毅然とした態度で撥ね退けるなど」

 

 

「ああ…想い人だけを愛しぬこうとするか。いいねぇ、今どきの男にしちゃあ珍しいぐらいに一本気な好漢って奴じゃねえか!ますます気に入ったぜ!はっはっは!!」

 

 

「…そんなに娘が振られた事が面白かったのかしら、母様?」

 

 

 そういってジト目でこちらを睨んでくる雪蓮を見て、炎蓮も両手をあげお手上げという感じで話をやめた。

 

 

「あーあー、悪かったって。……それとは別の話になるんだが」

 

 

「何よ?」

 

 

「壮也の事だが…あいつの名乗った名前だが、恐らく偽名か何かじゃねえのか?」

 

 

 炎蓮の言葉に三人の間は沈黙が支配していた。やがて…雪蓮が疑問の声を上げる。

 

 

「偽名って…本当の名前を隠しているって事?」

 

 

「まあそう言う事だ。オレの勘、だがな」

 

 

 炎蓮がそういうと、千冬も疑問を投げかける。

 

 

「…ならば、彼は一体何者なのでしょうか?」

 

 

「さあな。本拠地に戻ったら雷火(らいか)冥琳(めいりん)(のん)達に調べさせようと思う。…安心しろよ雪蓮、あいつが何者であれ、この孫呉にとっての恩人であるあいつにとって悪いようにはしねえつもりだからよ」

 

 

「ええ、分かったわ。祭や粋怜、真耶にはこの事を知らせておいた方がいいかしら?」

 

 

「それは私の方から知らせておきましょう。姫様らはその事を考えず彼と交友を深める事に専念してくだされば宜しいかと」

 

 

「そうね…じゃあそう言う事にしましょうか」

 

 

 こうして、壮也の与り知らぬ所で彼の正体を探ることが決定されたのであった…。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 孫呉の本拠地で暫し羽を休める事になった壮也。そこで過ごす中で孫呉の将らと交友を深めていたが、ある騒動に巻き込まれる事になる…続きは次回の講釈で。




 ここまでお読みいただき誠にありがとうございました…。では、次回をお楽しみにしてお待ちくださいませ。

 またコロナの流行が続いていますので、どうかみなさん3密を避け、健康管理には気を付けてくださいますよう。


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凌公績

 …皆様、大変長らくお待たせしてしまい申し訳ありませんでした。

 祖父のリハビリの手伝いや仕事などが重なり、中々執筆ができなかった次第で…本当に申し訳ありません…。

 では最新幕、ご覧ください…!

 なお、今回の最新幕では新しい武将が登場します。登場するのは甘寧と因縁のある武将です。


 荊州は中華において最も中央に位置した土地である。北を見れば河北へと向かう事ができ、東を見れば揚州に向かえるし、西を向けば益州。そして南には交州というように殆どの土地へと向かえる地理的有利を宿していた。

 

 

 その為劉備に仕える事になる『伏龍』こと諸葛亮はこの地を『要武の地』とし、武力を以て制するべき要地であると強く主張するなどその重要さを理解していた。この荊州は南陽郡・南郡・江夏郡の荊北3群、そして零陵郡・桂陽郡・武陵郡・長沙郡の荊南4群に区別されているのだが、現在壮也は炎蓮からの招待を受けて、彼女が任地として任せられている『長沙』の地を訪れていた…。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 長沙にある鍛冶場で、壮也はまた槌を振るって鉄を打ち、炎蓮達に進呈する為の武具を制作していた。あの後壮也は炎蓮に連れられて長沙にある政庁に招かれると、そこでも炎蓮の腹心である張昭や軍師として仕えている周瑜と陸遜。軍師見習いとして仕えている魯粛らに引き合わされ、ここでも壮也は主君を救ってくれた恩人として深く感謝される事になり客人として迎えられることが満場一致で決まったのである。

 

 

 その後しばらくの間穏やかな日々を送ることになった壮也であるが、やがて彼は自分を迎えてくれた孫呉の人々への恩義に報いる為、自らの得意とする鍛冶の技を以て彼らに武具を進呈する事を決め日夜槌を振るい続けていたのである。

 

 

 そうして槌を振るい、赤く熱せられた刀身を水につけ冷やし、再び引き上げると刀身に溝がいくつも掘られた、まるで揺らめく炎を思わせる特徴的な刀身が露わになる。それを見て満足そうに頷くと刀身を傍に置くと、近くにある水桶に手拭いを浸し、それで顔を伝う汗を拭った。

 

 

 そして一息ついていると、彼のいる鍛冶場に二人の女性が訪れた。一人は褐色の肌をして真紅の装束を纏い、桃色の長髪に青色の瞳を持つ真面目さを感じさせる風貌をした女性であり、もう一人は褐色の肌をして口元を黒布で隠し、濃紫色の髪を短く切りそろえたボブカットをしており、赤紫色の瞳は鋭く壮也を射抜いているが、壮也にはその瞳の奥にあるもう一人の女性への忠義を感じさせるものであり、気にする事無く作業を続けることにした。

 

 

「精が出るわね、壮也」

 

 

「ああ、よく来てくれたな蓮華(れんふぁ)。それに思春(ししゅん)も」

 

 

「……ああ」

 

 

 自分に声をかけてきた桃色の髪の女性…蓮華に壮也が挨拶を返し、もう一人の濃紫色のボブカットの女性…思春にも挨拶を返すと彼女は言葉少なげに返してきた。それを見た蓮華は少し顔を顰めると窘めた。

 

 

「思春、警戒を解いて。壮也は母様の命を救ってくれた恩人であり、孫呉の客人なのよ?」

 

 

「はっ…申し訳ありません」

 

 

 蓮華の指摘に思春が謝罪を述べるものの、壮也は微笑みながらこれを制した。

 

 

「いや、別に気にしてはいないよ。どう言いつくろおうと俺は流浪人、自分が仕えている蓮華の母親である炎蓮殿の命の恩人であったとしても、主君の身を案じこれを護ろうとする…その姿勢を終始一貫しようとする思春のあり方は、俺には真似できない。すごいと思っているさ」

 

 

「……そうか?そう思ってくれたのなら、うれしく思う」

 

 

 壮也にそう言われた思春は、驚いたように眼を瞬かせたがやがてうっすらと笑みを浮かべながら頭を下げていた…。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

 さて、この二人であるが…桃色の髪をしている女性は姓は孫、名は権、字は仲謀……。壮也の奮闘によって九死に一生を得る事になった炎蓮こと孫堅文台の息女の一人であり、雪蓮こと孫策伯符の妹である。正史においては兄である孫策が築き上げた江東の地を纏め上げ、曹操の魏と劉備の蜀と肩を並べる『呉』の王として三国志を語る上では外す事の出来ない英雄の一人として知られている。

 

 

 そしてもう一人の濃紫色のボブカットの女性は姓は甘、名は寧、字は興覇……。三国志では孫呉に仕える将軍の一人として、そして猛将として語られることで知られる人物である。元は益州巴郡の出身であったが遊侠を好み、不良の若者を集めて徒党を組み、仲間を派手に武装をさせ、彼らの頭領となった。三国志演義では錦帆賊という河賊の頭領であったとされている。

 

 

 やがて自分の身を顧みて生活を改め、荊州の牧であった劉表に仕えたのだが文を重んじ、武を軽んじる性格だった劉表からは重く用いられず、彼の元を離れて夏口に駐屯していた劉表配下の黄祖に仕えるもここでも冷遇され、孫呉との戦いにおいて孫権軍の将軍である凌操を討つ活躍をするも待遇は変わる事が無かった。その為同じく黄祖に仕えていた同僚の蘇飛という人物の助けを受けて江東にわたり、そうして孫呉に仕える事になるという境遇をたどった人物だった。

 

 

 その豪勇ぶりが特に際立ったのは濡須の戦いにあるだろう。この時先んじて合肥の守将であった張遼の強襲によって手痛い敗北を喫していたのに対し、甘寧は意趣返しとばかりに濡須の江西に侵攻してきた曹魏の軍勢に対してわずか100人の精兵を率いて強襲を仕掛けて数十の首級を挙げるという活躍を成し遂げ、孫権からは『曹操には張遼がおり、余には甘寧がいる。これでちょうど釣り合いが取れているのだ』と絶賛したという。

 

 

 粗暴でよく殺人を犯すという短所があったがそれ以上に受けた恩義に報いろうとする義理堅さも持ち合わせており、のちに戦いに敗れて囚われの身になった蘇飛の命を救うため孫権の前で頭を打ち付けて涙ながらに蘇飛の助命を嘆願した逸話も存在し、正史三国志を著した陳寿は甘寧を『甘寧は粗暴でよく殺人を犯したものの、しかし爽快な人柄優れた計略を持ち、財貨を軽んじて士人を敬い、手厚く勇者たちを育てたので、彼らの方でもまた役に立ちたいと願った』と称した人物である。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「そういえば壮也…今打っているのは、私が使う武具なのかしら?」

 

 

「ああ。『焔刃剣』という長剣の一種なんだが…少し特殊な剣でね。見ていてくれ」

 

 

 そういって壮也は壁に下げていた道具袋から刃が節状に連なり、樋の部分には空洞もある特徴的な刀身の長剣を取り出すと、それを逆手に持った状態で刀身の先端を地面にこすり付けるように回転する。

 

 

 その途端…刀身を炎が包み込んだのである。それを見て蓮華はおろか思春すら目を疑った。

 

 

「炎が、刀身に…!?」

 

 

「妖術の類なのか…!?『いや、妖術とは少し違うな』なに?」

 

 

 思春が刀身を包み込んだ炎を見て妖術では…と口走ったのを見て、壮也は剣を包み込んだ炎を振り払い、鞘に収めながら指摘をした。

 

 

「この炎は妖術というよりも…そう、祭殿が矢を放つ時に気功を込める時があるだろう?要は使い手の気を具現化させたものが、この炎なんだ。まあ言葉で説明しても理解できないだろうから…蓮華、試してみるといい」

 

 

 そういって壮也は鞘に収めた『焔刃剣』を蓮華に手渡す。蓮華もそれを受け取ると鍛冶場の隣にある空き地に足を運ぶと、周りに人がいないのを確認してから鞘から剣を引き抜く。そして先ほど壮也が行っていたように剣を逆手に持つと、刀身の先端を地面にこすり付けるように回転する。

 

 

 はたして、焔刃剣は先ほど壮也が行っていたのと同じように刀身を炎が包み込んでいた…。

 

 

「これは…!蓮華様、大丈夫ですか?」

 

 

「ええ、私は別に平気よ?……けれど不思議、刀身が炎を纏うなんて有り得ない事が今の目の前で起こっているというのに、不思議と手に馴染むの。まるで以前からこの剣を振るっていたかの様に」

 

 

 そういって蓮華は空き地に置かれている木人形に、炎を纏った状態の焔刃剣で何回か斬りつけ始め…やがて連続攻撃のとどめとばかりに回転しながらの斬りつけて吹き飛ばした直後に焔刃剣を地面に突き刺すと、吹き飛ばされた木人形の近くに火球のようなものが生み出されたかと思うと、そのまま爆発したのである。

 

 

「…ふう、こんなところかしら」

 

 

「…………っ!??」

 

 

 そういって一息ついて戻ってきた蓮華だったが、この光景に流石の思春も自分の目がおかしくなってしまったのかと戸惑いを隠しきれず、動揺するしかなかった。そもそも自身が仕える主君である蓮華の事を、家臣として仕えているから分かるのだが、彼女は母である炎蓮や姉である雪蓮に比べるとあまり武芸に秀でてはいないのだ。それがこうも鮮やかな演武をこなせるとはさすがの彼女も予想外だったのだ。

 

 

 だがやがて気を取り直すと、壮也に詰め寄っていた。

 

 

「お…おい壮也!?私にも武具を作っていると言っていたが、まさかあのような奇天烈なものではないだろうな!?幾らなんでも常識外れな物を作られてもこちらが困るんだからな!?」

 

 

 そう言いながら肩に手をかけて揺らしてくる思春に対し、壮也は苦笑しながら答えた。

 

 

「いや大丈夫だよ思春。武具ってのは全てが奇天烈なわけじゃないからさ。……思春にちょうどいいのは、これくらいかな?」

 

 

 そういって壮也が道具袋から幾つかの武具を取り出して地面に置いた。それは甲刀と呼ばれる中華刀の一種や双鉤と呼ばれる二本一組の短刀といったもので、どうやら自分の杞憂に終わってくれそうだと思春は思っていたが、やがてもう一つ取り出した武具に目が向いた。

 

 

 それは短い柄に鎖で連結してある鉄球であり、武人である思春にはそれが鎖分銅であると即座に分かった。気が付くと思春は、その鎖分銅を手に取っていた。

 

 

「…驚いたな。私は鎖分銅を使った事が無いと言うのに、不思議と手に馴染むように感じる」

 

 

「そうなのか?…いや、確かにそうか。思春は力押しで戦うというより一撃離脱を念頭に置いた戦い方を得意としている武将だったな。そもそも鎖分銅は刀剣よりも遠く、弩弓よりも近い立ち位置から攻撃をする為の武具だから、思春にはうってつけかもしれない。試してみたらどうだ?」

 

 

 壮也がそう考察すると、思春は頷いて空き地の方へ向かい、鎖分銅の鎖を握りしめると使い勝手を試し始めた。最初は軽く振り回すだけだったが…やがて猛然と回転させながら空き地に置いてある木人形に鉄球をぶつけ始める。そして最後とばかりにその木人形を鉄球で絡め取る様にぶつけた直後、そのまま思いっきり振り回して投げ飛ばし木人形を粉砕せしめたのであった…。

 

 

 やがて一息ついた思春が壮也達の元に戻ってくると、彼女は先ほど使っていた鎖分銅を壮也に返却しながら即答していた。

 

 

「…使い勝手は分かった。完成するのを楽しみにしているぞ、壮也」

 

 

「任せてくれ。思春のお眼鏡に叶う物を作る事を約束しよう」

 

 

 壮也の返答に、思春はその目に喜色めいた感じを備えながら微笑んだかと思った直後に、いつもの無表情に戻り蓮華の傍に移動した。

 

 

「思春ったら…よほど嬉しかったみたい」

 

 

「蓮華には分かるのか?思春が喜んでいるというのが…?」

 

 

 壮也がそう問いかけると、蓮華も笑みを浮かべながら頷いた。

 

 

「ええ、臣下として尽くす様になって一緒に過ごしていると分かってくるの。いつもは能面みたいに無表情で無口なんだけど、本当は誰よりも感情豊かなのよ?」

 

 

「そうか…っ!?」

 

 

 だが蓮華の言葉に感心した壮也は、唐突に殺気を感じ取っていた。そしてその直後、壮也は動いていた。彼は近くに安置していた相棒たる鋼錬武断を握りしめると、思春の背後に跳躍し彼女の背後を護るかのように鋼錬武断を構えたのである。

 

 

 そしてその視線の先には…布で顔を隠して正体を悟られぬようにした人物が、腰には弧刀ーまるで日本刀を思わせる片刃を持った刀剣ーを差し、今まさに居合を放とうという感じで止まっていた。

 

 

「………何の真似だ」

 

 

「それはこちらのセリフだ。彼女を誰だと思っている?孫呉の当主、孫文台殿の次女である孫権殿の臣下だぞ?誰の手先かは分からないが闇討ちを仕掛けようとするのを、黙ってみているわけにはいかなくてね」

 

 

 そう言って鋼錬武断の刃を向ける壮也だったが…次の瞬間、その刺客は腹の底からぶつけてくるかのような大声で言い放ってきた。

 

 

「黙れっ!!そこにいる甘寧は……わが父の仇だっ!!父の仇を討たんとすることの何が悪いっ!!」

 

 

「っ……!??」

 

 

「あなた…椿なの!?」

 

 

 その言葉に思春は普段からは想像もつかないほどに顔を苦渋の表情にゆがめ、一方の蓮華は誰かの真名を出して問いかけた。その問いかけに対し、暫しその刺客は沈黙を保っていたが…やがて自分の顔を隠している布を取り払うと、そこには黒のポニーテールに薄紫の瞳をした、凛然さを感じさせる美貌を持つ女性が立っていた。その目に…敵意を宿し、思春を射抜きながら。

 

 

「……蓮華様、止めないでください。そこにいる甘寧はわが父の仇、それを討たずにいられましょうか」

 

 

「…駄目よ椿。母様からも命じられているはずよ?『甘寧はもう俺達の旗下に入った。蟠りはあるかもしれねえが私怨をぶつける事は許さない』って…!…下がりなさい」

 

 

 蓮華がそう命じると、椿と呼ばれた女性はその目に一層の敵意を込めて甘寧を睨みつけていたが……やがて溜息をつくと弧刀の柄を握っている手を離し、後ろに下がると立ち去ろうとした。だが、それを甘寧が呼び止めた。

 

 

「凌統!!私はっ…」

 

 

「…貴様と話す事などない。いつか必ずその首、落とさせてもらうぞ」

 

 

 そう言って凌統ー椿が真名と思われるーは振り返ることなく立ち去って行った…。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 その後思春は見張りをすると言って鍛冶場の外に向かっていったが…壮也の目から見ても今の彼女はひどく『消沈』しているのが窺えた。

 

 

「……ごめんなさい、壮也。こんな事に巻き込んでしまって」

 

 

「いや、別に気にしてはいないよ。…先ほどの女性だけど、蓮華は知っているのか?」

 

 

 壮也がそう問いかけると、蓮華は答えるのを躊躇っているようだったが……意を決したのか、彼女は話し始めた。

 

 

「…もちろん知っているわ。彼女は凌統…字は公績と言うの。母様が将軍見習いとして集めた一人で、その父親である凌操殿は祭や粋怜、真耶に千冬達と同じ宿老の一人として仕えていたんだけど……」

 

 

 そこまで言って蓮華は口を噤んでしまう。まるでここから先を言うのが辛いと思っているのだろう…そんな風に察した壮也は確かめる様に問いかけた。

 

 

「亡くなられたのか…?黄祖との戦いで?」

 

 

「っ!……ええ、そのとおりよ。凌操殿は黄祖との戦いにおいて、当時彼女の元にいた思春と一騎打ちをした末に…亡くなられたの。その後思春は私と戦った後に黄祖に仕えていた蘇飛という人物の計らいで孫呉に身を置くことになったんだけど…」

 

 

「凌統は受け入れられなかった…当然と言えば当然か。父親を討ち取った仇敵が同輩になるなんてとてもじゃないが受け入れられないだろうし」

 

 

 壮也の指摘に蓮華も頷いて話を続ける。

 

 

「そうなの…けど母様は『こいつは黄祖に仕え、オレ達の敵として戦い、凌操を討った仇ではあるが、孫呉の軍門に下る以上もうこいつはオレの臣下だ!それを認めず危害を加えることは許さねえ!!』と言って仇討ちを許さなかった。それ以来、椿は虎視眈々と思春の事を仇敵として討とうと…」

 

 

「そうだったか…炎蓮殿はこの事を?」

 

 

「知っているわ。何度も叱責して止めようとしたんだけど…難しいみたいで。母様は口ではああ言ってるけど、椿の想いも理解はしているの。凌操殿は母様の元で幾度も軍の先鋒を任されていて、信頼が厚かったから…」

 

 

 蓮華の言葉に壮也も押し黙ってしまう。前世において三国志を愛読していた壮也にとって凌統の事もまた熟知していたからである。

 

 

 ………賢に親しみ士に接し、財を軽んじ義を重んじ、国士の風を有していた人物である凌統。平素から優れた人物を愛し、また慕われており、孫呉の将軍の一人として名を残している留賛という武将は彼に推挙されて引き立てられた人物だった。

 

 

 また「凌統に勝る」と言われ推挙された同郷の盛暹に対しても、全くわだかまりを持たず、彼が夜半に訪れた時には床に入っていたにも拘らず着物をひっかけて門まで出、手をとって中に案内したという逸話もある一方で、三国志演義においては父を討った甘寧の事を恨み、主君であった孫権から復讐しない様に釘を刺されていたが、ある宴会で凌統が剣舞を舞うと、甘寧はそれに応じた。

 

 

 これ見て危惧した呂蒙は二人の間に入り、事を起こさないように振る舞ったという話が残っており、実際彼ら二人が完全に和解したのは合肥・濡須の戦いにおいて凌統の窮地を甘寧が救うまで険悪な仲だったからこそ壮也は理解していた。

 

 

ーこの二人を止めるには言葉では不可能だ。それこそ…全力でぶつからなければ互いの蟠りを解き放てないかもしれない。

 

 

 そう思った壮也は蓮華に提案した。

 

 

「……蓮華。二人についてなんだが、あの二人の仲を取り持つには言葉ではどうしようもないかもしれない。互いにぶつかり合って、想いをぶつけ合わせれば…もしかしたら二人の因縁も落ち着くかもしれないと思うんだが…どうだろう?」

 

 

「それは、そうかもしれないけれど…」

 

 

「無論、殺させない様に立会人として俺と蓮華が間に立って監視をする事もするつもりだ」

 

 

 壮也の提案に蓮華は少し不安そうにしていたが、続いての壮也の言葉に意を決したかのように頷いた。

 

 

「そうね…このまま孫呉の中に禍根を残しておくのはよくないかもしれない。分かったわ、協力する」

 

 

「すまない。後、これは俺の勘なんだが…思春も何かを伝えようとしていたんじゃないんだろうか?」

 

 

「思春が…?」

 

 

「ああ。蓮華は思春と親交が厚いんだろう?それとなく聞いてみてくれ。俺は凌統に決闘をする様に伝えてこようと思う。彼女はいつもどこに?」

 

 

「椿なら……」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 長沙の町はずれにある小高い丘の上。そこに作られた質素な墓の前に凌統は来ていた。その質素な墓に葬られている人物こそ、彼女の父であり孫堅の元で常に先鋒を務めた闘将として忠節を貫いた凌操である。墓の前まで来た凌統は腰に下げていた愛刀…『暁』と銘打たれた弧刀を傍に置き、父の冥福を祈り始める。

 

 

「…父上、挨拶に中々行く事ができず申し訳ありません。親不孝な娘をどうか許してください」

 

 

 そういいながら凌統は近くの川から組んできた水を墓石にかけ、丁寧に汚れを拭き始める。そうして咲いていた花を供えると再び冥福を祈り始めたのだが…その心中は穏やかではなかった。

 

 

「……父上は、今の私をどうお思いなのでしょうか?父の仇を討たんとする私を褒めてくれるのでしょうか?それとも…禍根を捨てずいつまでも引きずる私を叱っているのでしょうか?」

 

 

 凌統も決して頑迷と言う訳ではなく、大殿である孫堅の宣言を正しいと思ってもいた。確かに甘寧は仇であると同時に今や孫呉の傘下に加わり、同輩として接する必要があるかもしれず、むしろ自分のしている事は主命に背く行いである事であると。

 

 

 だが……それでも自分には受け入れられなかった。父を討った仇である甘寧を同輩として接する事を、凌統はどうしても納得できないのである。何より儒教の教えが広く知れ渡っている中華において親の仇を取ろうとすることは『孝』の道に沿った行いでもある。

 

 

 今の凌統はそうした理性と感情の板挟みにあっていたのである…。

 

 

「父上、私はどうすれば…っ!」

 

 

 だが、その問いかけをしていた凌統は背後に気配を感じると、即座に傍に置いた暁を手に取り、身構えながら振り返る。その先には…。

 

 

「お前は…先ほどの」

 

 

 ついさっき、自分が甘寧を討とうとした時にその邪魔をした、大斧の使い手である青年が立っていた…。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「(…警戒されているか。まあ無理もないな)」

 

 

 壮也は苦笑しながらも、墓の前に傅き手を合わせ始めた。それを見て凌統は驚いたような表情をしていたが、やがて彼女もまた壮也の隣に傅いて手を合わせた…。そうして少し時間が経ったころ、壮也が切り出した。

 

 

「…蓮華からある程度の事情は聞かせてもらったよ。君の父上がここで眠っているんだってな…とても強い人だったそうだな?」

 

 

「当たり前だ。私の父は…凌操は孫呉において祭殿や粋怜殿、千冬殿や真耶殿に次いで武勲を成し遂げた豪傑だぞ?男伊達に富んで剛毅果断。武勇にも長けていて大殿が兵を率いて戦いに赴けば、常に先鋒の任を賜っていたんだ。尊敬しない方がおかしいだろう?いつの日か父と肩を並べて戦う事を、私は願っていたんだ…」

 

 

 彼女は自分の父親の事を嬉しそうに自慢していたが…やがてその声に悲しみの色が混ざり始める。よく見ればその瞳にもうっすらと涙が浮かんでおり本当に父親の事を慕っていたという事が壮也にも理解できた。だが次第にその声に怒りがこもり始めた。

 

 

「その父を…甘寧は討ち取った。なら、娘の私がする事は一つ。父の無念を晴らす事だ」

 

 

「…凌統、君の父上の無念を晴らしたいという君の気持ちは痛いほどわかる。けど…凌操殿だって戦場に出た以上討たれるのも覚悟の上だったんじゃないのか?…こんな事を言うのは君の怒りを買うと分かって言うけれど、甘寧を討ったとしても凌操殿は『言うなっ!!』っ…」

 

 

 壮也の言葉を遮るような怒号が凌躁の墓前の前に響き渡る。そして壮也の目に飛び込んできたのは、立ち上がり、肩を怒らせながらも涙を流し続ける凌統の姿だった。

 

 

「…お前の言う事も正しいのかもしれない。父は武人として戦場に立ち、そして戦場で斃れた。その父を討った相手を同輩として受け入れず仇として付け狙うのは国の和を乱す事に他ならないかもしれない。だが…だからと言って受け入れられるはずがないだろう!!」

 

 

 そう言い放ち、怒りをぶつけてくる凌統に対し、壮也は甘んじてその怒りを受け止めた。自分の静止が彼女の怒りを買う事を理解していたから。そして怒りをぶつけてきた凌統が落ち着いたのを見て、壮也は再び提案をした。

 

 

「なら、甘寧と全力で戦ったのなら…その蟠りを晴らせるか?」

 

 

「何…?」

 

 

「蓮華と相談したんだ。このまま二人の因縁を野放しにしていたら、この国にとって必ず良くない事になる。なら互いに全力でぶつかる事でその蟠りを無くせるんじゃないかと思ってな。…思春には蓮華から提案をしに行った。凌統はどうだ?」

 

 

 壮也の提案に、凌統は自身の耳を疑った。てっきり仇討ちを諦めさせようと説得してくるかと思ったのに仇討ちの舞台を整えると言ってくるのだから。

 

 

「…お膳立てをしてくれるとは思わなかったが、なぜそこまでする?何か条件でもあるのだろう?」

 

 

「条件というほどの事でもないが…命を奪う事だけはしないでほしいってところだな。凌統にとっては仇でも、甘寧はこの孫呉が天下にその名を馳せる為の一助となるべき存在となる。だからこそ全力でぶつかったとしても命を奪う事まではしない様に心に留めてくれ」

 

 

 その言葉に対し、凌統は黙りこくっておりしばらくの間無言の状態が続いていたが…やがて凌統が切り出した。

 

 

「保証はできん、私にとって甘寧は仇なのだからな。だが…一応は心に留め置くつもりだ」

 

 

 そう言い放ち、凌統は踵を返して立ち去って行った。それを壮也は暫しの間見送っていたが、やがて凌躁の墓に顔を向けてつぶやいた。

 

 

「凌操殿。出来うるなら生きていた時の貴殿と会ってみたかった。凌統があれ程まで貴方の事を父として尊敬していたのだから、きっと俺も敬意をもって接していた人物だったのだろう。…凌統と甘寧の因縁、貴方にとっても望ましい形で決着に導いて見せるつもりだ。どうか見守っていてくれ」

 

 

 そう言って壮也もまた凌統の後を追っていった…。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

 一方、思春の方にも蓮華が訪れ事情を説明していた。

 

 

「…因縁を晴らすために刃を交えよ。壮也がそう提案したのですか?」

 

 

「ええ。このまま貴方達の間の怨恨を野放しにしていればこの国にとってよくない事になる。そう言ってね…私自身、彼の言う事も最もだと思っているの。思春、貴方はどうかしら?」

 

 

 蓮華がそういうと、思春は間髪入れずに頷いた。

 

 

「私もそう思います。凌統との怨恨をこのままにしておけば、蓮華様のみならずこの孫呉の行く末に暗雲を生み出す事になりましょう。それに……私自身、凌統に伝えなければならない事があるのです」

 

 

「伝えなければならない、事…?」

 

 

 突如として覚悟を決めたような表情をして呟いた思春に蓮華が疑問に思って問いかけると彼女は静かに話し始めた。………そしてそれが終わった後、蓮華は驚きを隠し得ずにいた。

 

 

「そ、そんな…それじゃあ!」

 

 

 蓮華は慌ててその場を離れようとしたがそれを思春が呼び止めた。

 

 

「蓮華様!止めないでください…!」

 

 

「け、けどその話が本当なら椿は貴方を誤解していることになるのよ!?思春は椿の父の仇なんかじゃないって知らせるべきなんじゃ…」

 

 

 しかし思春は首を左右に振った。

 

 

「…今の凌統を言葉で押しとどめる事は難しいのは蓮華様もご存じのはず。我らは武人、互いの武をぶつけ合ってこそ伝えられる事もあると私は思うのです…」

 

 

 そう言って思春は戦う準備をする為にその場を後にするのだが、残された蓮華は思春から伝えられたある事実に衝撃を隠せないでいたのである…。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 凌統と甘寧…思春の怨恨を無くす為に互いにぶつかり合う機会を作った壮也。だが思春には凌統に明かしていない、ある秘密があった。互いにぶつかり合った末に明かされる事実とは…?続きは次回の講釈で。




 新武将紹介

『凌統公績』(容姿、性格は『インフィニット・ストラトス』の『篠ノ之箒』を参考にしました!)

 孫呉に仕えている将軍見習いの少女。炎蓮が次代の孫呉を支える将軍を育てようと考えて広く募集した事で集まった者達の一人。頑固で融通が利かないところがあるものの、孫呉を支える将軍となろうと努力を重ねる実直一途な性格をしている。

 孫呉の将軍として常に先鋒の任を任されている凌操を父に持つ事から、彼女自身もいずれは父と肩を並べて戦場に立ちたいと願うほど孝心の厚さも持ち合わせているが、その父を甘寧によって討たれ、さらにその甘寧が孫呉に投降して同輩になった事を受け入れられず仇として付け狙っているのだが…。

 弧刀の使い手であり、その実力は思春にも劣らないほど。

 演義において父を討った甘寧を恨み、復讐しないよう孫権から釘を差されていたが、ある宴会で凌統が剣舞を舞うと、甘寧はそれに応じ、これ見て危惧した呂蒙は二人の間に入り、事を起こさないように振る舞い、それを知った孫権が甘寧を半州という地に移したほど。

 しかし後に濡須口の戦いにおいて甘寧に窮地を救われた事で恨みを水に流し同輩として接することになる…。


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一戦交え、その果てに。

 …本当に、申し訳ございません!!


 あれからかなり時間が経ってしまった事、心から謝罪させていただきます。仕事で小笠原への出張などが重なり、作品投稿が遅れてしまった為ここまで時間がかかってしまいました…。


 何とか今回執筆が終わり投稿する事になりましたので、拙作をお待ちくださった皆様には、改めてお詫び申し上げます…!


 ではどうぞ…!


 ……三国志において仇敵という関係で結ばれた武将はかなり多い。

 

 

 有名どころでいえば蜀漢の五虎大将の一人に列せられ、羌などの異民族からは『神威天将軍』と呼ばれ恐れられた『馬超』は三国志演義において父である馬騰と弟である馬休・馬鉄を曹操によって殺された事で彼を仇敵として追い求め、劉備は義弟である関羽を孫権の裏切りによって討たれ、さらにもう一人の義弟である張飛を闇討ちした范彊・張達が孫呉に逃れた事を知ると諸葛亮や趙雲の説得を退けて孫呉を滅ぼそうとするも孫呉の俊英である陸遜の策謀によって敗北を喫した。

 

 

 また曹魏においても曹操が『我が悪来』と称するほどの豪勇を持ちながらも、最後はその曹操を闇討ちしようとした張繍から落ち延びさせる為に奮戦した末に立ち往生をした典韋や自身の嫡男でもあった曹昂の仇を討とうと軍を興したし、後年には自らの従兄弟である夏侯淵を漢中攻防戦で劉備らによって討たれた事に激怒して軍を興した事も有名である。

 

 

 そしてそれは孫呉においても変わらない事である。孫堅を討死させた黄祖をその子である孫策や孫権が仇として追い求めたのもそうだが、それ以上に有名なのが甘寧と凌統の遺恨関係である。

 

 

 この頃甘寧は最初に仕えていた劉表が文弱の徒であり、賊上がりであった自分を疎んでいた事を察してその元を離れていたが、やがて夏口の地を統治していた黄祖に仕える事になった。その頃黄祖は孫堅の息子である孫権と戦って敗北しており、その窮地を救うために奮戦していた時に追撃をしてきた武将を矢を放って射殺した。これが凌統の父である凌操だったのである。

 

 

 その後、甘寧は同じく黄祖に仕えていた同僚である蘇飛が、黄祖に重く用いられる事が無かった甘寧を孫呉の領地に近い邾という土地の県長に任じた事で、甘寧は孫呉へと渡り孫権に仕える事になったのであるが…当然この事を、父を討たれた凌統は受け入れられる訳がなかった。

 

 

 ある酒宴の時、凌統は剣を持って舞を始め、これを見た甘寧は双戟を手に舞を始めた。この二人を見た呂蒙は凌統が父の仇である甘寧を殺そうとし、それを甘寧が迎え撃とうとしていると察し、剣と楯を持って2人の間に割り込んだ。酒宴はお開きとなったのだが、呂蒙からこの事を聞き及んだ孫権は甘寧を半洲という地に駐屯させる事で二人を争わせないようにしたほとだった。

 

 

 そして凌統が甘寧を父の仇として恨み続けてはいたが、やがて合肥・濡須口の戦いの中で甘寧が凌統の危機を救う事で凌統も長年の恨みを捨て、甘寧と深い友誼を結ぶことになったのだが…。この外史においては、いまだ両者の仲は穏やかではなかった。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 長沙の町の外れにある小高い丘。そこで凌統は純白の鉢巻を頭に巻き、得物である弧刀を握りしめながら瞑目していた。いずれ来るであろう父・凌操を討ち取った仇である甘寧と干戈を交え、けじめをつける為に。

 

 

 その姿を立会人として見届ける事になっている壮也と蓮華は複雑な表情で見つめていた…。

 

 

「…蓮華、その話は本当なのか?」

 

 

「ええ…私も最初は信じられなかったわ。けど思春が嘘偽りを言う訳がないし、たぶん本当の事だと思う」

 

 

「…数奇な運命というべきなのだろうな。…っ、どうやら来たようだ」

 

 

 壮也がそう呟くのと同時に、弧刀の鞘を持つ手に力のこもった凌統の眼前に、甘寧が姿を現した…。

 

 

「来たか、甘寧。…ここに来た以上、覚悟は決めてきたようだな」

 

 

「…無論だ。私自身、お前との怨恨をこれ以上引き摺る訳にもいかないと思っているのだ。私達の怨恨を、この孫呉の禍根とせぬためにも」

 

 

 凌統が口火を切ったのに対し、甘寧…思春の告白が響き渡るが、それを聞いていた凌統の目には強い怒りがこもっていた…。

 

 

「…禍根とせぬ為にも、か?よくもその様な事を言えたものだな?お前を追い詰めた我が父を矢で射殺しておいて…!!」

 

 

「………」

 

 

 凌統の怒号が思春にぶつけられるが、思春は黙したまま何も語らない。だが彼女を傍近くに仕えさせている蓮華は、思春の心中を嫌でも感じ取っていた。

 

 

ー思春は…凌統が知らない何かを、この場で伝えたいと思ってこの決闘を受けたのだと。そして凌統の怒りをぶつけられる度に、本当の事をすぐに口に出来ない事をもどかしいと思っているのだという事も。

 

 

 だが、それを口にする事はしない。それを口にするのは、当事者である思春の口からでしかないのだから。やがて一通り怒りをぶつけて多少は落ち着いたのか、凌統はまるで駆け出さんとするかのように屈み、手にしている弧刀を腰に添える様に構える。

 

 

 これに思春もまた腰に差している得物である『鈴音』を引き抜き、まるで柳を髣髴とさせる様な自然体に構えた…。

 

 

「…これ以上の問答は無用だ。私たちは武人、ならば!」

 

 

「ああ。互いの武をぶつけ合い、語るとしよう…!!」

 

 

 そう言い放った二人は、暫し睨み合っていたが…やがて風に吹かれて飛んできたのか一枚の木の葉が二人の前を横切った…その瞬間、二人は矢が放たれた様に一気に討ちかかった。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 戦いが始まってから一刻ほど経っただろうか?しかし二人の戦いぶりは収まるどころかより激しさを増していた。片や鈴音と呼ばれる曲刀を振るい、『蝶の様に舞い、蜂の様に刺す』という言葉通りの一撃離脱を重視した戦いを行う思春。だが、思春の戦い方は彼女と対峙している椿…凌統に対して苦戦を強いらされていた。

 

 

 壮也は、凌統の戦い方が生前に過ごしていた日本という土地で生み出された独自の剣術…『居合術』である事を察していた。相手が自身の間合いに入ってきた瞬間、鞘に収めている弧刀を抜き放つと同時に斬りつける…凌統はその剣術を以て思春と互角以上に切り結んでいた。

 

 

 いや…むしろ思春より僅かに上回っていたのだ。それというのも、思春が時に自身の気配を悟らせない様に移動しながら近づいたとしても、あろう事か凌統は思春が近づいてきたのを感じ取れるのか、即座に彼女のいる方に向きながら抜刀術を繰り出すのである。

 

 

 それはさながら凌統自身が中心となって円を描くかのような居合の技…はっきり言って壮也からすれば凌統の戦い方は、思春にしてみればかなり相性が悪い相手だった。まるで円月を描くかのような軌跡をなぞる居合の技を放つ凌統に対して、思春は近づけられないのだから…。

 

 

「くっ…!?」

 

 

 旗色が悪いと察した思春がいったん距離を取ろうと後方に跳んだのだが…。

 

 

「逃がさんっ!」

 

 

 それを見逃す凌統ではなかった。彼女は即座に駆け出し、彼女に付かず離れずという距離に来ると即座に居合を放つ。その攻撃を即座に防いだ思春であったが、間髪入れず凌統が放った居合の連続攻撃に致命傷ではないが少しずつ手傷を負い始めた。

 

 

「思春っ!」

 

 

 その光景に蓮華は驚きを隠せなかった。思春の強さは自分が戦った事もあり熟知していたのだが…それに対し、凌統は彼女を苦戦させるまで追い詰めて見せるほどの強さを持っていた事を初めて知ったのである。一方の壮也はこの後の戦況を推移し始めた。

 

 

「…まずいな。このままだと思春が圧倒されるかもしれない」

 

 

「壮也!?それはどうして…」

 

 

「簡単な事だ。思春は文字通り高速で動いて相手を翻弄し、隙を見て必殺の一撃を叩き込み即座に離脱する。それが思春の戦い方の特徴だ。けど対する凌統は…反撃に重きを置いたものになっている。幾ら隙を見て切り込もうにも即座に反撃に移られては、攻撃が届かないのも道理と言えるな」

 

 

 

「………っ!」

 

 

「何より…得物の長さが違う。思春の得物である鈴音の刀身に比べ、凌統の使っている弧刀はそれよりも刀身が長い。思春の方が攻撃速度が速いだろうけど、凌統はその速度に付いて行けている。となれば…得物の長さで劣っている以上、思春の苦戦は免れない」

 

 

「そんな…」

 

 

 壮也の的確な指摘に蓮華は返す言葉もなく黙り込んでしまう。だが、そんな時二人の戦闘に変化が見られた。凌統の攻撃を後ろに飛び退いて回避した思春が、手にしていた鈴音を鞘に収めたのである。

 

 

「何のつもりだ甘寧?自らの得物を鞘に収めるなど…大人しく首を差し出す覚悟が出来たのか?」

 

 

「いや。今のままではお前に勝つ事が出来ないと思ったのでな…得物を替えさせてもらう」

 

 

 そう言うと思春は…腰に下げていた得物を取り出す。それは、壮也から借り受けていた『壊軍分銅』と銘打たれた鎖分銅だった。

 

 

「っ!?あれは、壮也から借り受けていた鎖分銅!?」

 

 

「そうか…!あれなら凌統の得物である弧刀よりも範囲が広い。それに…!」

 

 

 壮也が確信めいた言葉を漏らした瞬間、思春は手にしている鎖分銅を思いっきり振り回し始める。鎖の先に取り付けられた分銅が遠心力が加わって凄まじい風切り音を周囲に響かせ…そして勢いのついた分銅を、思春は凌統めがけて投げつけた!

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「っ!??」

 

 

 思春が分銅を投げつける直前、凌統は猛烈な悪寒を覚えた。凄まじい風切り音を響かせて回転している分銅…あれが放たれたとしたら?そう思った瞬間、彼女は即座に動いていた。

 

 

 投げつけられた分銅…いつもなら凌統は居合の構えで迎え撃つつもりだったのだが、この時の彼女はそうではなかった。あろう事かなりふり構わずという感じで横に飛び退いて躱したのである。その途端、彼女が立っていた場所に分銅が叩きつけられた途端、大きな音が響き渡るのと同時に地面が大きく抉れていた…!!

 

 

「つぅ…!出鱈目なっ!?」

 

 

「そうだな、私もそう思っている。だがこの鎖分銅、驚くほどに私の手に馴染むのだ。使った事も無いにも拘らず…なっ!」

 

 

 その威力の程を見て動揺を隠せない凌統に、思春は不敵な笑みを浮かべ、再び鎖分銅を回転させながら向かっていく。

 

 

 これに対し凌統は即座に林の中に移動した。鎖分銅という得物の特性上、木立の中に踏み込んだが最後、木の幹などに鎖が絡まってしまう可能性がある。後は隙を見計らって林から飛び出して攻撃を加え、再び林の中に避難する…時間こそかかるだろうがこれが最善の方法だと思ったのだ。

 

 

 だが……凌統はこの直後目を瞠る事になる。林の中に陣取った凌統に対し、思春は確かに踏み込もうとしなかった。ここまではよかったのだが…。

 

 

「ふっ!!」

 

 

 次の瞬間、思春は回転させていた分銅を猛然と林の中にある樹木めがけて投げつける。放たれた分銅は…林の中に乱立する木の幹を、抉っていたのだ。

 

 

「っ!?」

 

 

 しかもそれだけに留まらなかった。思春は即座に分銅を引き戻したかと思うと再び回転させ、またも分銅を林の中にある樹木めがけて投げつける…これを繰り返し始めたのだ。その威力は先ほど見たような木の幹を抉って見せたものもあれば、若干細い感じの幹をへし折るほどの一撃を齎してもいた。

 

 

 このままでは陣取っている林という地形の利便性が失われる!そう直感した凌統は即座に攻撃に転じる。思春が分銅を引き寄せたのとほぼ同時に林から飛び出し、思春にとびかかりながら居合を放ったのである。

 

 

「取った!これで決めさせてもらうぞ、甘寧!!」

 

 

 凌統は我知らず叫んでいた。それは、凌統が自身の父である凌操との鍛錬の中にあっても放つ事の出来なかったほど、見事な太刀筋の一刀だった。これが決まれば確実に思春の命を奪う事が出来るであろうその一撃は…。

 

 

ーキィンッ!

 

 

 届かなかった…!凌統が放った、二度は出せないと思えるぐらいの会心の一撃は、思春が分銅を引き戻した直後、まるで自身の目の前で回転させる事で生み出した防御を以て弾かれたのである。そして間髪入れずに思春は再び猛然と頭上で分銅を振り回し、弾かれた事で体勢を崩した凌統に向かって投げつける!

 

 

 これに対し凌統が出来た事と言えば、とっさに自身の得物である弧刀を鞘に収め、そのままそれを盾にして防ぐ事だけだったが……如何せん無理があった。ぶつかった瞬間鞘に収まった弧刀から何かが軋む様な嫌な音がしたかと思った直後、彼女は後方に弾き飛ばされ地面に転がってしまう。

 

 

 そして再び起き上がって自身の得物に目をやり…愕然とする。父より受け継いだ『暁』と銘打たれた弧刀は甘寧が放った分銅の一撃から凌統を護り切っていたが、その代償に鞘は砕け散っており、刀身も歪んでしまっていたのである。

 

 

 その瞬間、凌統の首元に思春が得物の片割れである『鈴音』の刀身を突き付けていた。恐らく吹き飛ばした瞬間に、得物を持ち替えていたのだろう…。

 

 

「……私の勝ちだ、凌統」

 

 

「…ああ、口惜しいが認めるしかあるまい。私の負けだ、甘寧…!」

 

 

 その宣言により、この戦いは終結する事になった…。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 戦いが終わり、蓮華が思春に駆け寄り傷の心配をしている一方で、凌統は砕け散ってしまった愛刀の前で膝をつき…やがて右手を握りしめると地面を殴りつけていた。

 

 

「くそっ…!」

 

 

 何度も地面に拳をぶつける凌統の目には、悔し涙がこぼれ続けていた。その姿に、壮也には欠ける言葉が見つからないでいた。今ここで何を言ったところで…彼女には届かない事が分かってしまったから。

 

 

 だが…やがて思春が凌統に近づくと、再び地面を殴りつけようとした彼女の腕をつかんでいた。その拳は血に塗れており、恐らく止めなければ間違いなく片手は使い物にならなくなっていた事だろう。

 

 

「もうやめろ…それ以上は腕を壊す事になる」

 

 

「黙れ…!父の無念を晴らしたい、それだけを願って私は修練に明け暮れてきた!それが叶わない今となっては、私は何のために今ここにいるというのだ…!!」

 

 

 腕を掴んで諌める思春に対し、凌統は悲痛な叫びを彼女にぶつける。敬愛していた、そして超えるべき目標でもあった父を突然失い…悲しみに暮れる暇もなく、仇であるはずの彼女が孫呉に降った事で同輩として接するように言われた時は、激情に飲まれその場で抜刀しようとしたほどに、甘寧の事を恨んでいたのだ。

 

 

 その後も甘寧を付け狙い、復仇の機会を窺っていたが…その一方でこのままではいけないと思ってもいた。仇敵と付け狙い、主君からの名を守らないでいれば…孫呉の中に不和の種を撒き続ける事にも繋がりかねないのだから。

 

 

 もはや怒りと悲しみがない交ぜになったかの様に、顔をぐしゃぐしゃにしながら涙を流す凌統…だが、やがて思春が静かに語りかけた。

 

 

「…凌統、お前に言わねばならない事がある」

 

 

「何だ…!!お前の言葉など聞く耳は『聞けっ!!』っ!?」

 

 

 どうせ慰めの言葉でもかけるのだろう…そう思い、耳を貸そうとしないでいた凌統だったが、それは甘寧の普段の彼女からは想像もつかないほどの、激情を込めたような叫びを聞いた途端吹き飛んでしまう。

 

 

 そして戸惑いながらも自身に顔を向けてきた凌統を見て、思春は一息つくと、彼女は今まで凌統に伝えたくて…しかし凌統自身が自分を仇として付け狙ってきたがゆえに、伝えられなかった事を吐き出した。

 

 

「…私は、お前の父凌操を、手にかけてはいない」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「………はっ?」

 

 

 その言葉を聞いた途端、凌統は一瞬自分の耳がおかしくなったのかと本気で思っていた。そして次の瞬間、彼女は思春に問い詰めていた。

 

 

「ふ、ふざけるな!!何を言うかと思えばそのような嘘偽りを『嘘ではない!!!』っ!」

 

 

 だがその詰問は、またしても思春の一喝によって阻まれる。そして黙ったのを見て、再び思春は言葉をつづけた。

 

 

「…今から、あの時の事をすべて話す。私が蓮華様に敗れるより以前に、私に敗北を味あわせた…誰よりも強く、そして敬服した男の事を」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 益州巴郡、臨江県。そこが思春の、甘寧の生まれ故郷だった。彼女は当初蜀郡の丞に任じられていたが、役人の腐敗を目にし、このまま役人として仕えていても世を変えられないと考え官を辞し、やがて自分と同じように世の腐敗を憂い、しかし暴れるしか取り柄のなかった不良達を集め、『錦帆賊』と呼ばれる組織を立ち上げる。

 

 

 その後自分が仕えるに値する主君を求めて長江を下り、荊州を統治していた劉表の元に身を寄せたのだが…彼女はその性格が温厚で荒事を好まない性根であり、文を重んじる一方で武を軽んじるところがあった。何より荊州の平穏を重んじる一方で他国が乱れているにも拘らずそれを鎮めようとしない惰弱なところを、思春は嫌悪するようになっていた。

 

 

 その為荊州を離れ、さらに長江を下ろうとしていたのだが…その途中にある夏口に劉表の配下であった黄祖が駐屯していた為、仕方なく彼女の元に身を寄せたが、ここも思春にとって心地の良い場所ではなかった。黄祖自身が思春に対し、主従以上の執着を見せていたからだ。

 

 

 まるで自分の事を蒐集物の様に見てくる黄祖に息苦しさを覚えていたある時、思春は当時荊州南部で反乱を起こしていた区星という人物の鎮圧を命じられ、それを為した事で長沙の太守に赴任された後に地盤を固め始めていた孫堅との戦に駆り出される。日頃の鬱憤を晴らそうと考え、戦場に出た思春は…そこである武人と刃を交える事になる。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 長江に浮かぶ船上において、思春はとある孫呉の将と干戈を交えていた。常に揺れが襲ってくる船上の戦いにも拘らず、思春は目の前に立っている孫呉の将の実力に戦慄していた。

 

 

 速度で翻弄して斬りかかる…これを幾度もなく続けている思春の斬撃を、彼は動じることなくその全てを迎撃していた。しかも、鞘に収めている細身の刀身をしている刀を抜き払った瞬間に斬りつけると同時に即座に鞘に収めるという、思春にとっては見た事も無い剣術で!!

 

 

 やがて動き続ける事で疲労が溜まっていた彼女は、とうとう満身創痍となって膝をついた。それを見て、相手は悠然と思春に近づいていく。

 

 

「……止めを刺すがいい。最早指一本、動かす事もままならん。生き恥を晒すつもりはない、早くやれ」

 

 

 だが…自身の前まで近づいた孫呉の将である男は、刀を抜く事もせず語りかけていた。

 

 

「…惜しいな。それだけの武を持ち、これだけの水賊を束ね纏めるその将器。それをあっけなく捨てるつもりか?その才、我が殿の元でより輝かせるつもりはないか?」

 

 

「っ!?なん、だと…私に生き恥を味わえというのか!!」

 

 

 思春は止めを刺すどころか平然と降る様に言ってくる目の前の男に気炎を上げるが、男は染入るような微笑を向けながら語りかけた。

 

 

「武人たるもの、生きて名を遺してこそ本懐という物だろう。それに今お前が仕えている黄祖という女、お前にとってはあまり居心地の悪い主君ではないのか?我が主君、孫堅殿は粗にして野だが非に在らずと言うべきお方。何より才ある者が思う存分、働けるように計らってくれる人物でもある。自分を縛りつけるような狭量な君主と、自分が思う存分動けるようにしてくれる主君…お前はどちらに仕える事が望みだ?」

 

 

 まるで自分の今の状況を見透かしているかの様に問いかける男に、思春は返す言葉もなく黙り込む。やがて…目の前に立っている、黒の長髪を後ろで束ね、真紅の甲冑を纏った孫呉の将は…ゆっくりと手のひらを差し出していた。

 

 

「もし降るというのなら、俺が殿の元に案内しよう。…俺は凌操。孫呉の宿将を務めている男さ」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 甘寧の、思春の語りはなお続く。あの時、あの船上にて何が起こっていたのか。そしてそれを知った時、凌統の胸中に飛来するのは…続きは次回の講釈で。



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真実

 本当に…申し訳ありません!!長らく投稿が遅れてしまいましたこと、改めて謝罪させていただきます。


 お待たせして申し訳ありませんが、最新幕投稿させていただきます…!


…そこまで話し、思春は溜息を一つついた。

 

 

「武人として生きる事を誓った私にとって、敵に降るなど受け入れられない…そう思っていた。だが、凌操の言う様に黄祖は私に対して、尋常ではない執着を向けて来ていた。息が詰まりそうになるくらいに…だから、私は思わず彼の言葉を聞き入れて、手を伸ばそうとしていたんだ…あんな事が、起きなければ」

 

 

「あんな、事…?」

 

 

 最後の方で悲しげにつぶやいた一言に最初に反応したのは、蓮華だった。そして思春も頷くと、再び何が起こったのかを語り始める…。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 膝をついた思春に対して凌操は染入るような笑みを浮かべながら手を差し出してくる。それを見て思春は、呆然としていたが、やがて我知らず手を差し出そうとしていた。だが…次の瞬間、思春の目に飛び込んだのは。

 

 

「ぐっ………!?」

 

 

「なっ…!?」

 

 

 凌操の胸元に一本の矢が彼の纏っている鎧を穿ち、突き立っている光景だった。しかもその矢は自分の後方…即ち自分の部下がいる方から放たれた物だったのである。

 

 

ー馬鹿な…っ!?誰がこんな事をした!?一騎討ちですでに決着は着いたにも拘らず、まるで騙し討ちみたいな事をするなど!!

 

 

 だが目の前の光景に固まってしまうのと同時に、自分の誇りをも汚すような行いをした者への怒りに燃える思春の鼓膜に叩き付けられたのは、凌操が率いていた部隊の副官の怒号だった。

 

 

「しょ、将軍!!お、おのれ貴様らあああああ!!者ども、凌操将軍をだまし討ちした奴らを討ち取れええええええ!!!」

 

 

 その怒号と共に、凌操の部下である将兵も怒り狂いながら刀槍を振りかざし、思春に向かって突っ込んできた。これに対し、思春の部下達もまた自分たちの主将を討たせてなる物かと刀槍を掲げて迎え撃とうとしていた…!

 

 

「頭を死なせるな!!てめえら、死に物狂いで食い止めろ!!…頭、早く退いて下せえ!!」

 

 

「凌操…くっ!」

 

 

 副官が退却を促すも、思春は顔を青ざめながら凌操に手を伸ばそうとしていた。手を取って『しっかりしろ!』と呼びかけようと思ったのだが…すでにその時には乱戦となっており、凌操は部下達の手で運び出されていた…それを見て思春も顔をゆがめつつも、凌操の無事を祈りながら撤退をしたのである。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

「……!」

 

 

 そこまで話して一息ついた思春に対し、話を聞かされた凌統は一言も口を挟めなかった。彼女の話が本当なら、思春は自分の父である凌操を手にかけていなかったという事になるのだから。

 

 

「だ、だが…だとしたら私の父を闇討ちした者は誰なのだ!!」

 

 

 やがて凌統は激情しながら思春に詰め寄った。自分の父である凌操を手にかけた、本当の仇を何ともしても知りたかったから。それに対し思春は顔を曇らせ、まるで言うべきか躊躇っているようだったのだが…やがて意を決したかのように言葉を発した。

 

 

「お前の父、凌操を手にかけたのは…黄祖の配下の一人だった鄧龍だ。だが、もう奴はこの世にいない」

 

 

「何だと!?どう言う事だ…!」

 

 

「…殺したからだ、私がな」

 

 

 思春の放った言葉に、再び凌統は言葉を失った…。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 戦いの後、思春は直ちに自身の配下を招集すると、あの戦いでの下種な所業を為した下手人を探すように命じていた。

 

 

「何としても見つけ出せ…!!一騎討ちはすでにあの時決着は着いていたにも拘らず、卑劣な闇討ちを仕組んだ者を、断じて生かしておく訳にはいかない!!」

 

 

 そう言い放つと、彼女の部下達はその怒りを晴らさせようと脱兎の如く駆け出し四方八方に散って行った。当初彼女は自分の部下の中に裏切り者がいると思ったが、それはすぐに一蹴する。彼女は自分の部下が卑怯卑劣な行為を犯したのであれば、必ずその直後に命を落とすのが分かっていたからだ。やがて間もなく、部下の一人が彼女の元に駆け寄ってきた。

 

 

「…鄧龍が仕組んだと?確かか?」

 

 

「間違いないようです。あの女はお頭が黄祖の元に降るまえは黄祖の寵愛を一身に受けていたようなのですが…」

 

 

「私が黄祖に執着される様になった事に恨みを覚えて、私を亡き者にしようとした…と言う事か。しかも私自身を狙うのではなく、凌操を撃つ事でそれを恨みに思った孫呉の将兵に私を殺させようとするとは、悪知恵だけは回るようだ」

 

 

 思春はそう言いながらも、その瞳に憤怒の炎を宿しながら笑みを浮かべ、黙り込んでしまった。それを見て副官は、嫌な予感を感じながらも問いを投げかける。

 

 

「お頭…どうするんで?」

 

 

 その問いかけに対し、思春は返答する事無く陣幕を出ようとしたが…出る前に一度足を止め、振り返りながら一言発した。

 

 

「決まっている…私に負けを認めさせ、その上で私を武人と認めてくれた男を卑劣な闇討ちで亡き者にした下女を、この手で仕留めるだけだ」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「その後の顛末は…今更言うまでもないだろう。私は黄祖の本営に赴くと、丁度黄祖軍の将兵が勢ぞろいしていたが、私は彼らには目もくれず真っ直ぐに鄧龍の元に行き…そうして、この手で切り捨てた」

 

 

 そう告白した思春に対し、壮也達はその壮絶なまでの背景を知らされ、返す言葉すら浮かばなかった。あの凌統ですら、あの戦いの裏に隠されていた真実を知って、言葉を失っていたのだから。だがやがて、蓮華がふと疑問に思い問いかけた。

 

 

「…けれど思春、それでよく他の黄祖の将兵から追及を受けなかったの?」

 

 

「幸か不幸か…黄祖が私に執着していたようで、その後に私がこの様な凶行を行った事情を話したところ、非は鄧龍にあると黄祖は私を庇い立てしたのです。その為その場は収まりはしたのですが…やはり白昼堂々、将兵の面前で凶行に及んだ私に御咎め無しにするなど許される訳がないと、呂公や陳就と言った者達が連日黄祖に諫言を行う様になり、また黄祖の腹心だった蒯良も『確かに鄧龍にも非が無い訳ではありませぬが、だからと言って衆目が集まる中で凶行を為した甘寧に罪を与えぬのでは、軍において示しがつきませぬ』と諫言した事で…」

 

 

「さすがに庇い続ける事が出来なくなった、と言う訳か…」

 

 

 思春が事情を説明するのを聞きながら壮也が相槌を打つと、思春も頷いてこれに応える。

 

 

「だがその頃に私は、当時黄祖軍に仕える将軍の一人で、私が心を許していた数少ない同僚だった蘇飛という男から『黄祖もさすがに庇い立て出来なくなりつつある。このままだとお前は他の黄祖軍の将兵に嬲り殺されるのが落ちだ…。甘寧、俺は黄祖様にお前を邾県の県令に推挙する様に進言した。この先孫呉との戦いが起こるだろうが、その時にお前は孫呉に降れ。後難から逃れるにはそれしかない!』と助言を受け、邾県に逃れた後に蓮華様と戦い、孫呉に降る事になったのだ…」

 

 

 そう言い終わると、思春は凌統の方に顔を向けると、長く彼女に伝えられなかった事を告白する。

 

 

「そうして孫呉に降った私は…即座に凌統、お前にあの時の事実を話したかった。許しを請いたい訳ではない、ただ知ってほしかった。私はお前の仇ではないという事を…しかし、お前は私を仇として付け狙い、私の話を聞いてくれなかった。…恨んではいない、むしろそうされてもしょうがないとは思っている。だがこれだけは言わせてほしい…私は凌統、お前の父凌操を…手にかけてはいないのだと」

 

 

「………」

 

 

「椿…」

 

 

 思春は己が心のうちを全て絞り出すかのように告白したが、当の凌統は一言も言葉を発さない。それどころかその顔には怒りと悲しみが綯い交ぜになったかのような、悲痛さを感じさせるように顔をゆがめながら思春を射抜いていたのである。

 

 

 やがて…椿は何も言う事無く、踵を返すとその場を立ち去って行く。それを見て慌てて蓮華が止めようとするが…それを思春が制止したのである。

 

 

「蓮華様、止めないでください」

 

 

「思春!けど……」

 

 

 蓮華は止めてきた思春に言いつのろうとするが、思春は寂しそうな笑顔を浮かべながら首を横に振る。

 

 

「よいのです……孫呉に降ってから、ずっと伝えたかった事を凌統に伝えられた。それだけでも、私にとっての心残りが無くなっただけでも満足なのです。……この後の事は、凌統しだい。あいつが私の事をそれでも仇として刃を向けてくるのであれば、私はそれでも構いません。ですがもしあいつが、過去の恨みを捨てて私を許すというのなら、私はその意思を尊重するつもりです」

 

 

 そう言って思春は、凌統が立ち去った方に顔を向けていたが、それを見ていた壮也が険しい顔をして彼女の後を追っていった…。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 一方…甘寧の告白を聞いてその場を立ち去った凌統は、父・凌操が埋葬されている丘に来ていた。だが、その心中は穏やかではなかった。自身の父である凌操を討った仇が、甘寧ではなかったという事を知ってしまったから…。

 

 

 あの時の事を、今も凌統は忘れた事が無い。いつもの様に黄祖との戦いに赴いて行った父……その帰りを待っていた自身の元に帰ってきた父は、物言わぬ屍となっていた。そしてその部下だった副官から聞かされたのは、黄祖軍の将だった甘寧に一騎討ちを挑んでこれを破った凌操が、その才を惜しんで投降を呼びかけていた時に甘寧側から放たれた一矢が彼の胸に突き立ったという事…。それが確かなら、甘寧は武人の礼儀すら弁えぬ恥知らずという事になる。

 

 

 凌統は父を喪った悲しみを堪えながらも、討たれた父の無念を晴らさんと決意したが…そんな彼女の耳に飛び込んできたのは、父の仇と見据えていた甘寧が自身にとって後々仕えるであろう、主君となる孫権との戦いに敗れ、その説得を聞き入れて投降したという事だった。

 

 

 当然それは彼女にとって受け入れられる訳がなかった。父の無念を晴らそうと誓った矢先にその仇敵が自国に投降したという事は、仇討ちの機会を永遠に失ったにも等しいのだから。故に凌統は主君である孫堅に願い出た。父凌操の仇を討たせてほしいと…だが、その願いは受け入れられなかった。

 

 

ーあいつは黄祖に仕え、オレ達の敵として戦い、お前の父である凌操を討った仇ではあるが、孫呉の軍門に降った以上もうあいつはオレの臣下だ!それを認めず危害を加えることは許さねえ!!

 

 

 一切の反論すら許さないという意思を感じさせる炎蓮の決定には、流石の凌統もこれ以上食い下がれず止む無く引き下がったのだが…その時に聞こえた炎蓮の言葉は、凌統の心に深く突き立つことになる。

 

 

ー椿…てめえの願いも分からねえ訳じゃねえよ。孝心に厚いてめえの事だ、仇を討ちたいって思うのも当然だろうよ…けどな、凌操も戦場に立つ益荒男だ。戦場に立つ以上死も覚悟していた…そうじゃねえのか?

 

 

 …主君である炎蓮の言葉に、そのとおりだと凌統は思っていた。実際に凌統は父である凌操と共に鍛錬に励んでいた時、いつも彼から聞かされていたのだから…。

 

 

ーいいか椿?俺は大殿…炎蓮様の臣下である以上、彼女が戦場に赴くならばその盾となり、また矛となって大殿の活路を切り開く事だろう。そして戦場に立ったのであれば、武運拙く命を落とす事もまた在り得るだろうよ。だから椿…もし俺を討った仇が敵陣にいたのであれば迷う事無くこれを討てばいいが、もし…もしも、その仇が故あって敵軍から恥を忍んで降ってきたのであれば、その時は仇を討とうと躍起になるな。他者に仕える者が敵に降るというのは、命惜しさや富裕目当て以外にも…止む無き事情を以て降る者とているのだからな。

 

 

 自分の頭を撫でながら、穏やかな笑みを浮かべて諭してきた父……彼の言っていた言葉は正しかった事を、凌統は改めて思い出していた。

 

 

 甘寧は、父を騙し討ちという卑劣な手段で殺めてなどいなかった。それどころか父の仇を、自分の代わりに討っていた…恩人ともいうべき人物だったからだ。しかし、だからこそ…彼女は今までの自分の行いを許せなかった。

 

 

 主君である炎蓮や蓮華らの静止も聞かず、甘寧の事を仇として付け狙ってきた…そんな自分が今更甘寧と和解できるはずがないのでは?…その様な陰鬱とした感情が今の凌統を支配していたのである。

 

 

 やがて彼女は手に握り締めていた、愛刀の『暁』に目を向ける。父もこの得物を持って戦場を駆け、父亡き後は自分に受け継がれたものだが…今や刃を収めている筈の鞘は粉々に砕け散り、刀身もへし折れた無残な有り様となっている。それはまるで今の自分にはこの得物を持つ資格などないと暗に言っているかのように…。

 

 

 もう自分には戦場に立つ資格などない…そう自分を断じてしまった凌統はやがて父凌操が埋葬された墓石の前で跪くと折れた暁の切っ先を自分の喉に向けていた。

 

 

 そうして、その切っ先を一思いに喉元に突き立てようとしたその瞬間…その手を別の誰かが握り締めて止めていた。驚く凌統が顔を横に向けると、そこには蓮華と共に決闘の立会人としていた徐寧が息を切らしながら彼女の手を握りしめていたのである。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

ー嫌な予感がしてきてみたけど、やっぱり正解だったか。

 

 

 壮也は自分の嫌な予感が外れていなかった事に心から感謝していた。あの戦いの後に思春が凌統に対して伝えられなかった事実を語り、それを聞いた凌統が立ち去って行った時…壮也は立ち去って行く彼女の後姿に言いようのない不安を覚え後を追っていったのだが、追った先で壮也の目に飛び込んできたのは、恐らく凌操が埋葬されたであろう墓石の前で傅き、得物の切っ先を喉に向けている凌統の姿だったのだから。

 

 

 そしてそのまま喉を突き刺そうとしているのを見た壮也は一足飛びに彼女の元へ向かい、得物である弧刀を握っている手を握りしめ、これを押し止めた。

 

 

「…っ、なぜ止める」

 

 

「流石に見て見ぬふりは出来ないさ。……死を以て責任を取ろうとしたんだろう?」

 

 

 壮也が静かな声で問いかけると、凌統はその目から涙をぽろぽろと流しながら答えた。

 

 

「私は……もう、どうすればいいのか、どうしていいのかすらわからなくなったのだ。父の仇と思って付け狙っていた相手が、実は本当の仇を討っていた恩人で、なのに私は奴を仇と思い込み、周囲の制止も受け入れないで付け狙って…いまさら、どの面下げて甘寧に接する事が出来るというのだ。今の私にできる事など、この命を以て償うよりほかには…」

 

 

 そう言いながら再び自害をしようとした凌統だったが、壮也が握り締めて止めているその手は石像になってしまったかのように動かす事が出来なかった。そうして壮也は首をゆっくりと横に振りながら、諭すように語り始める。

 

 

「死んで責任を取る…そんなのは、俺からすれば『逃げて』いるとしか見えないさ。…凌統、君は確かに過ちを犯したのだろう。だが、俺にとって償いとは死を以て行う物ではなく、命ある限り生き続けながら行う物だと思っている。だが…それは君にとってはつらい道程なのかもしれない。己が犯してしまった罪から逃げられないというのは…でもそれで逃げてしまってはダメなんだ。凌操殿…君の父上は、逃げなかったんだろう?」

 

 

 壮也の言葉に凌統ははっとして顔を上げる。その視線の先には父が眠っている墓石があるのだが、壮也の言葉に彼女は嘗て父が言っていた事を思い返していた。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「父上は、死ぬのが怖くないのですか?」

 

 

 それはまだ凌統が鍛錬を取組み始める少し前の事。彼女はふと鍛錬に明け暮れる父の姿を眺めていたのだが、彼が休憩をし始めた時に幼心にこんな問いかけをしていた。

 

 

 それを聞いた凌操は少し困った様な顔をし、頬を掻きながらその問いかけに答えを返していた。

 

 

「怖いぞ?」

 

 

 その言葉に、凌統は目を丸くした。『…戦者たる者、怯懦に塗れてもいかぬが匹夫の勇になってもいかぬ』そう諭す一方でいついかなる時も自信と余裕に満ち、戦場に向かって臆する事無く向かっていき、そして笑顔を絶やさないで帰ってくる父の事を、凌統は誇りに思っていた。そして同時に思っていた…自分の父は死ぬ事など恐れる事が無いのだと。

 

 

 だがそれに反して父は死ぬのが怖いと言った事に、凌統は信じられなかったのである。そんな娘の姿を見たのか、凌操は彼女の頭を撫でながら優しく諭し始める。

 

 

「…凌統、お前もいつか戦場に立つのなら覚えておけ。死を怖いと思わぬものは、早晩早死にするものだ。死を恐れない…言葉にすると如何にも勇ましい物に思えるだろう。だが、そう言う者ほど戦場において引き際を見誤り呆気なく命を落とす者なのだ。死を怖いと…恐ろしいと思う者はどこで戦えばいいか、どの様にすれば生き残れるかを考えて行動する。何より…己が失態を犯したのであればそれを挽回する為にも、是が非でも生き延びる事を考えるべきなのだ。その事、心に刻んでおけ」

 

 

 そう語った凌操の顔は、染入るような笑顔だった……。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 ふと気づいたとき、凌統は徐寧がが自分の手を離している事に気づく。だが、今の彼女にはもう自死をしようという気持ちすら失せていた。

 

 

「……己が過ちを犯したのであれば、それを償う為にも逃げてはならない」

 

 

 そう呟きながらも、彼女の目に再び強い光が宿ったのを見て取った徐寧…壮也は、彼女に悟られぬように静かに立ち去った。そうして戻っていく道中で、立ち去っていく凌統を追いかけて行った壮也を見て、不安を覚えて追いかけてきたのだろう蓮華と思春らと再会した。

 

 

「壮也…椿は?」

 

 

「心配はいらない。二人の危惧していた事態にはならないよ」

 

 

 その返答を聞いた二人…特に思春の方は心から安堵したのか、膝をついてしまっていた。

 

 

「っ!…そうか、よかった。本当に…!」

 

 

 そう呟きながら、目からぽろぽろと涙を流し始める思春を見て、壮也はこの一件が少しでも良い方法へと向かってくれることを、願うばかりだった…。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 それからどうなったのか…簡潔に述べるのなら、甘寧と凌統の関係はとりあえずの平穏を得る事になった。

 

 

 あれから甘寧は改めてかつて凌操が率いていた軍団の元に赴くと、自分が凌操を不意打ちしたのではないと説明した。当然最初こそ凌操の部下達は信用できないと息巻き、その場で八つ裂きにしてやろうと殺気が溢れていたのだが、それを止めたのがほかでもない凌統だった。

 

 

 彼女は仇を討とうと息巻く部下達を制止すると、先に甘寧から聞かされた真実ー凌操を撃ったのは甘寧ではなく、黄祖の寵愛を受けていた彼女を妬み、孫呉の将兵に討たせようと目論んだ黄祖配下の鄧龍という人物である事と、すでに甘寧によって討たれていた事ーを彼らに明かしたのである。

 

 

 当初部下達は口から出まかせを言っていると甘寧を疑ったのだが『もし信用できぬと言うのであればそれでも構わない。嘘だと言うのであればこの首を撥ねるがいい』と丸腰になって膝をついた事。そして凌統からも『お前達の疑いも最もだ。だが私は甘寧と命を懸けて刃を交え、その末に聞かされたのだ。死を前にした人間は嘘偽りを述べぬと言う…これでもなお信じられぬと言うつもりか!』と一喝した事で彼らもその矛先を下したのであった。

 

 

 無論凌統は今も割り切る事は出来なかったようで『貴様が父の仇ではないという事は分かったが、それでも私は貴様に心を許す事は出来ない』と真っ向から言い放ち、これに甘寧も『それでいい。全てを水に流せなどと虫のいい事を言うつもりはない…だが、これからは同じ孫呉の元に集った同輩として接する事が出来るのなら、それだけでも本望だ』と返した事で、これ以降凌統が甘寧を仇と付け狙う事は無くなったのである。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 それから数日経ち、壮也は凌統が亡き父・凌操から受け継ぎ、自身の得物とした弧刀の修理を行い、それを凌統に返す事になった。

 

 

 再び自身の元に帰ってきた愛刀…凌統が再び鞘から引き抜くと、嘗ては甘寧の放った鎖分銅の一撃を受け、へし折れてしまい無残な姿となっていた筈の刀身は、刃こぼれひとつない姿となって甦っていたのである。

 

 

 その姿を見た凌統は、感慨深いという感じで微笑んでいたが…やがて瞑目しながら鞘に収めた。

 

 

「……礼を言う徐寧。貴公のお蔭で、私は再び愛刀を振るう事が出来る。蓮華様や雪蓮様が一目置く理由が分かった気がしたぞ」

 

 

「礼を言われる事は無いさ、凌統。頑丈さも上げたから思春の鎖分銅を受けたとしても、そう簡単にへし折れる事も無いと思う」

 

 

 壮也がそう付け加えると、凌統は鼻を鳴らしながら不敵な笑みを浮かべた。

 

 

「ふんっ…次はその様な事が起こらぬ要に戦うつもりだ。負けっぱなしは、性に合わんからな…」

 

 

 そう言って凌統は修理代として路銀を置くと立ち去って行ったのだが、その足取りは軽く…そしてその顔には、思春の事を仇ではなく、超えるべき目標としてみる光が宿っていたのであった。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 長沙において孫堅らの歓待を受ける壮也。穏やかな日々を送っていた壮也の耳に飛び込んだのは、三国志の騒乱の幕開けともいえる大乱の勃発だった…続きは次回の講釈で。



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報恩贈与

 どうも…皆様お待たせして申し訳ありませんでした。


 最新幕、投稿させていただきます…!また後書きに、今回登場したオリジナル武将の説明などを入れておきます。


 その後、しばらくの間宗也は孫呉の下で逗留し続け、その間に多くの孫呉の将士らと交友を深めた。例を挙げると…。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

「貴方が蓮華様が仰っていた徐寧殿でしょうか?(わたくし)は朱然、字は義封と申しますわ」

 

 

 何時もの様に領内に住む農民が使う農具などの修理を終え、一息ついていた宗也の下に現れたのは、金髪碧眼という美貌に、縦ロールの髪形をした女性だった。その身に纏っているのが純白を基調に、差し色に深紅を使った、動きやすさを重視した軽鎧である事から、恐らく孫呉に仕えている将士の一人だと宗也は推察する。

 

 

「蓮華の真名を…。という事は、彼女とは知り合いなのか?」

 

 

「ええ、蓮華様と私は学友でして…ゆくゆくは彼女の下で将軍として仕えるつもりですの。今日あなたのもとを訪れたのは、いくつか用があってのことでして」

 

 

「用とは…?」

 

 

 宗也が問いかけると…彼女は頭を下げた。

 

 

「椿さんの事です。彼女と思春様との軋轢の解消に、あなたが助力してくれた事を…私からも感謝の意を示したいと思っていたのです。徐寧殿、感謝申し上げます。私にとって椿さんは蓮華様を共に支える同輩。出来うるならばその軋轢をどうにかしたいと思っていましたので…」

 

 

 彼女はそう言いながら深々と頭を下げていたが、これに宗也も笑顔を見せながら答えた。

 

 

「頭を上げてくれ、朱然殿。別に礼を言われる様な事はしていないよ。あれは俺が二人の仲をどうにかしたいと思ったからしただけだからさ」

 

 

 宗也がそう言うと、朱然は驚いたように顔を上げて宗也を見つめていたが、やがて嬉しそうに微笑んだ。

 

 

「うふふ…蓮華様から聞いてはいましたが、男性でありながら恩着せがましくもなく、誠実なお方のようですわね。(わたくし)、真名を蒼蓮(ソウレン)と申しますの。どうか私の真名を受け取っては頂けませんか?」

 

 

「真名を授けてくださるのであれば、俺もまた真名を返さねばならないだろうな。俺の真名は宗也。どうか宜しく頼む、蒼蓮殿…さて、挨拶だけが来た目的ではないと思うのだが。要件を聞かせてくれ」

 

 

 宗也がそう問いかけると、待ってましたとばかりに蒼蓮は問いかけた。

 

 

「呼び捨てで構いませんわ、宗也さん。それと話が早くて助かりますわ。…椿さんから聞いたのですが、彼女の愛刀を貴方が手入れして以来、ますます切れが良くなったとか…さらに聞かせてもらったのですが、どうやらもう一振りあなたが手ずから鍛えた孤刀を贈与されたとのこと。ぜひとも私にも作ってもらいたいのですが…?」

 

 

 そう頼み込んできた蒼蓮は意味深な笑みを浮かべながら、こちらを見据えてきた為、宗也も苦笑しながらこれに答えた。

 

 

「そうか、椿から聞いてきたのか。確かにその通りだ、俺は彼女が使っている暁以外にももう一振り、『(ショウ)』と銘打った孤刀を献上したよ。では聞かせてほしいのだが、蒼蓮は如何なる武具を作ってほしいんだ?」

 

 

「私の得物は祭殿と同じく弓を使っていますの。ですが私のは…」

 

 

 そう言いながら蒼蓮が見せてきたのは、弓の握付近に小さい火口が付いている、弓の形状や、握る部分が中央からずれているなどの特徴を持った和弓を思わせる代物だった。

 

 

「これは…(火焔弓があるとは驚きだな…となると)珍しい造りだな。もしかして蒼蓮は祭殿と同じで、気功を使うのか?」

 

 

 前世において無双などのゲームを孫などがやっており、自分もやった事があることから覚えていた武具を再び目に出来た事に内心感心しながらも、表に出すことなく問いかけると蒼蓮も頷いて答える。

 

 

「ええそうですわ。気功を込める事で火口から炎を鏃に灯し、そうして生み出した火矢を射出する…朱治の叔父様からは『火焔弓』と呼ばれる武具であると聞かされましたの。今使っているこの『赤涙』は叔父様から授けられたものを使っているのですが、長く使い続けているせいかガタが来てしまって…」

 

 

「成程な…それで俺に新しく作り直してほしいと」

 

 

「その通りですの。…やはり難しいでしょうか?今までに他の鍛冶師の方を訪れて頼んでみたのですが、どの方も匙を投げてしまって…」

 

 

 蒼蓮はそう言いながら、表情を暗くしていたが…宗也は安心させるように微笑みながら言葉を投げかける。

 

 

「任せてくれ、俺も修練を重ねてきた身。君がこの先も戦い続けられるように、しっかりと作り直すとしよう」

 

 

「…っ、ありがとうございますわ。宗也さん…!」

 

 

 宗也の強い意志の宿った言葉に、蒼蓮は頬を赤く染めながら、嬉しそうに呟いたのであった。それから少し経ち、宗也が作り上げたのは深紅の色合いをし、鳳凰が羽を広げた様な意匠を施した『鳳焔裂鋼弓』と銘打たれた火焔弓であり、送られた蒼蓮は喜色満面といった感じで喜んだのは言うまでもない。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 次は蒼蓮に武具を作ってあげた翌日の事。その日は昼餉を済ませ、午後の仕事に取り組むかと背伸びをしていたのだが…。

 

 

「だから犬の方が可愛いって言ってるでしょうが!!」

 

 

「いいえ!お猫様こそ至上です!」

 

 

 …唐突に響いてきた口論に、思わず目をぱちくりさせた。

 

 

「…喧嘩か?にしても犬と猫の優劣をめぐっての口論とはな…」

 

 

 そう思いながら店の前に出てみると…店に近づきながら歩いてくる4人の少女の中の二人が舌戦を繰り広げており、それを残り二人のうち、一人は止めようとするのに対し、もう一人はどうでもいいという感じで傍観していた。

 

 

「そもそも猫なんて気まぐれな生き物じゃない!こっちが撫でようと近づくとすぐ逃げるし、酷い時は掌引っ搔いてくんのよ!?それに比べれば犬の方が可愛がれば可愛がった分飼い主に尽くしてくれる!はっきり言って犬の方が最高ってものじゃない!!」

 

 

「何言ってんですか!お猫様はそもそも気まぐれである事こそ可愛さの源なのです!!普段はそっけない風に振舞っていても、ふと気が付くと自分から近づいてくるんです!その時ときたらもう…それに比べれば犬なんてお猫様を追い回すような、敵です!!」

 

 

「あーっ!?言いやがったわね明命(ミンメイ)!?アンタの言葉は天下の犬好き全てを敵に回したわよ!?」

 

 

「そちらこそ、今の言動は天下の猫好きを侮辱したに等しいですよ紅龍(ホンロン)!!これはもう決闘待ったなしです!!」

 

 

「よーしよく言ったわ明命!その喧嘩買ってやるわ!!」

 

 

「それはこちらの台詞です!今日こそどちらが上か思い知らせて見せます!!」

 

 

 そう言って言い争っていた二人…紅龍と呼ばれた栗色のツインテールに、翡翠を思わせる緑色の瞳の少女は、背中に背負っていた長柄双刀ー長柄の両端に刃が取り付けてある武具ーを手に取って構えると、明命と呼ばれた黒の腰まで伸びている長髪に、紅色の瞳の少女は背中に背負っている大太刀を引き抜いて互いに互いをにらみつけた。

 

 

「み、明命落ち着いて…!?紫龍(ズーロン)も止めるの手伝ってよ…!」

 

 

 そんな二人に対し、異様に袖の長い服装に帽子をかぶり、モノクルをつけている琥珀色の瞳の少女が止めようと声をかける一方で、残りの少女に求めるように呼び掛けたのだが…。

 

 

「いやー…これは無理じゃないの?紅龍姉と明命はこうなったらもうあたしらじゃ止まんないって…亜莎(アーシェ)、退いた方がいいと思うけど?」

 

 

「そんなこと言わないでよぉ…!?」

 

 

 薄緑色のポニーテールに紅龍と同じ翡翠色の瞳をした紫龍と呼ばれた少女は、自分には止められないとあっさり諦めてしまい、亜莎と呼ばれた少女は涙目になってしまう…。

 

 

 やがて互いに互いを敵意を込めて睨みつけていた紅龍と明命だったが、やがてどちらともなく弾かれた様に飛び掛かった!

 

 

 だが…互いの武具がぶつかる直前、その真ん中に戦斧が差し込まれる事で武器がぶつかる音が響き渡る。驚いて動きを止めた二人の視線の先には…。

 

 

「喧嘩はそこまでにしておく方がいいぞ?喧嘩するほど仲がいいとは言うが、時と場合を考えることだ」

 

 

 その戦斧を片手で差し込んで二人の武具を受け止めたであろう青年…宗也が穏やかに二人を諭していたのである。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

 その後二人を落ち着かせた宗也は、亜莎と呼ばれていた少女に感謝されつつ自身が拠を置いている鍛冶場に四人を招き入れた。

 

 

「さて、多分知っているだろうと思うけど…俺は徐寧、字は芳明だ。君達の名前を聞かせてくれるか?」

 

 

 宗也がそう問いかけると、まず亜莎と呼ばれた少女が長い袖を揺らしつつ拱手をして名乗った。

 

 

「は、はい!私は呂蒙、字は子明と申します!蓮華様から優れた鍛冶の腕を持つと聞いており、叶うならば私達にも武具を作ってほしいと思って馳せ参じた次第です!?」

 

 

「(っ!?この子があの呂蒙か…という事は、ゆくゆくは愛紗と干戈を交えるんだろうか?出来ればそうならない事を祈るだけだが)」

 

 

 少女…呂蒙が自身の名前を名乗ると、宗也は内心驚きを隠せなかった。

 

 

 何せ三国志を愛読していた宗也にとって、呂蒙は初め粗暴であったが主である孫権から学問の大切さを諭されて発奮。

 

 

 猛勉強の末に孫呉の都督にも任ぜられた魯粛が、その成長ぶりに『呉下の阿蒙に非ず!!』と絶賛し、一方の呂蒙もまた『士別れて三日、即ち更に刮目して相待すべし』と鮮やかに返した。そして後に都督となった彼は、当時関羽が防備していた荊州を周到な策謀を以てこれを奪還。軍神と称えられることになる関羽を死に追いやった人物と考えていたからである。

 

 

 しかしそれをお首に出す事なく軽く会釈をした宗也だったが、やがて次に薄緑色のポニーテールをした少女が拱手をしながら名乗った。

 

 

「あたしは潘璋、字は文珪って言うの。あんたが蓮華様が言ってた人?聞いた話じゃ思春にも武具を作って送ったんだよね?…ところで、金をとるとか考えてないわよね?悪いけどあんまり出費をしたくはないんだよね、あたし」

 

 

「ず、紫龍!??それはさすがに失礼だよ!?」

 

 

「えー…けど正直に言うと、あたし武具なんて戦場に転がった武具を使いつぶすような感じで戦った方が手軽でいいんだもん。そりゃあそんな戦い方を祭様にどやされたから来たけどさぁ…」

 

 

 そんな風に愚痴をこぼす潘璋に呂蒙が咎めたのだが、宗也は苦笑しながらも自分が歴史で知っている通りの感じだなと内心思っていた。

 

 

ー潘璋、字を文珪。三国志において孫呉に仕えた将軍の一人であり、演義の方では荊州争奪戦において呂蒙の指揮の元、軍神関羽を部下であった馬忠と共に捕らえるという大殊勲を上げ、その際関羽の得物である青龍偃月刀を褒美として授かるも、後に父の仇を討たんとする関興によって討たれた人物である。

 

 

 その性格は粗暴であり強欲で金銭に執着し、晩年には身分不相応な服装を好んだり、豊かな役人や兵士を殺害し財産を没収するなど不法行為を何度か起こし、それを監察の役人が罰するように上奏したのだが、勇猛でもあり彼が率いた軍は数千人規模でありながら、戦場では一万の軍勢ほどの活躍をして見せた彼を惜しんだ孫権が罰そうとしなかったという逸話があるほど。

 

 

 また関羽を捕らえた後に固陵という土地の太守に任じられた際、孫権から『固陵』と銘打たれた刀を授かったと『古今刀剣録』に記されている。

 

 

 …生前、書籍などを読み耽った事で知った知識を思い浮かべながら、宗也は問いかける。

 

 

「随分と守銭奴なんだな。しかしそれほど貯めていたとして、その財貨で何をしたいんだ?俺は金は貯めるだけでは蔵の肥やしになるだけだと思っているし、使ってこそ価値があるものだと思うんだがな」

 

 

 宗也の指摘に、潘璋は苦虫を噛み潰したように顔をしかめ、やがて観念したかのように返答した。

 

 

「…結構辛辣な所があるのね、あんた。まああんたの言う通りでもあるけどね。…あたし、生家が貧しくってさ。生活が苦しいなんて当たり前だった。家族を養いたくて紅龍姉に誘われて山賊とか野盗のねぐらを襲撃して金稼ぎして、それが大殿…炎蓮様の目に留まって蓮華様の下につけられてからは生活は楽になったんだけど…それでも体に染みついちゃってんのよ。そういう金銭への執着ってのがさ」

 

 

「そうか…まあそれを責めるつもりはないさ。それで敵を作らないように心がけるのならばね。…ところで聞きたいんだが、後ろで睨み合っている二人も用があってきたんだと思うんだが?」

 

 

 宗也が困った様に問いかけ、潘璋と呂蒙が振り返ると、そこには先ほどと同じように終始険悪そうに互いに互いを睨みつけている二人の少女ーおそらく真名であろうが、腰まで伸びた長髪の少女が明命であり、ツインテールの少女が紅龍と呼ばれていたーの姿があった。

 

 

「み、明命!徐寧さんの前では喧嘩はやめてよぉ!?」

 

 

「紅龍姉、そろそろ落ち着いてってば。徐寧さん困ってるよ?」

 

 

 その光景に呂蒙と潘璋が互いに宥めると、唐突に二人は弾かれたかのように宗也に詰め寄ると…。

 

 

「「あなた(アンタ)はお猫様(犬)のどっちが好きですか(なのよ)!??」」

 

 

 開口一番、宗也にそう問いかけた。

 

 

「………うーむ、いきなり質問をされるとは思わなかったな」

 

 

「やっぱり犬の方がいいわよねぇ?愛情を注げば注いだ分、飼い主が窮地に陥った時には水火を辞さず助けに来てくれる!これで犬が可愛くないなんて言う奴は目玉がないんでしょうねぇ!?」

 

 

「何を言いますか!お猫様こそ至上の存在です!普段はそっけない態度をとっていても、ふと気が付くと自分の傍まで近づいて撫でてほしいとねだってくる!これこそがお猫様が可愛いという無二の証明です!!それでどうなんですか徐寧さん!!お猫様の方が可愛いですよね!?」

 

 

 二人の少女に猛然と問い詰められた宗也はしばし瞑目して考え込んでいたが、やがて自身が思った事をそのまま口にした。

 

 

「俺はどちらも好きなんだけどな」

 

 

 そう答えた宗也に対し、呂蒙と潘璋は驚き感心した様な顔色になったのだが…問いかけてきた二人の少女は。

 

 

『(;´Д`)』

 

 

 まるで『違うそうじゃない』というような感じで顔をしかめていた…。それを見て宗也も二人を諭すような感じで言葉を投げかけた。

 

 

「そもそも俺はどちらが可愛いから素晴らしい…っていう考えはあまり好きじゃないな。どちらも可愛く、どちらも素晴らしい。そんな風に考えることが大切だと俺は思う。互いの良い所を認め合う…そうだろう?」

 

 

 宗也の指摘に、二人は面食らいながら渋々とではあるが、殊勝にも受け入れたようだった。そんな二人を見て、宗也は話を進めることにした。

 

 

「さて話を戻すが…二人の名前を聞かせてくれるか?」

 

 

「あっ、はい。私は周泰、字を幼平って言います!」

 

 

「アタシは蔣欽、字は公奕よ」

 

 

 二人が名乗ると、宗也も内心で感心しきっていた。先に名乗った呂蒙や潘璋と同じく孫呉における将軍であろうと目星はつけていたのだが、この二人もまた孫呉において名を遺した将軍だったからである。

 

 

・・・・・・・・・・・・

 

 

ー周泰、字を幼平。もとは水賊であった時に、江東の統一を目指していた孫策の下に馳せ参じ、孫呉に仕えるようになった武将である。慎み深い人物であり、戦場でも武功を上げていた時、その活躍に惚れ込んだ孫権が自らの配下につけてほしいと懇願した。

 

 

 異民族である山越との間に起こった『宜城の戦い』では、四方から敵が迫り味方が混乱する中で勇力を奮いおこし、身をもって孫権を守り、その身に十二の戦傷を負って昏倒するものの生還を果たし、その大胆さからますます孫権からの信頼が厚くなった。

 

 

 後に曹操との戦いにおいて朱然や徐盛といった武将が彼の指揮下に入る事になったのだが、賊上がりの彼に従う事に不平不満を覚えていた。それを知った孫権は盛大な酒宴を開くと、自らが酒の酌をしてまわり、周泰の前までくると、周泰に命じて上衣を脱がせ、孫権はその傷あとを指しながら、そのようにしてその傷を受けたのかと尋ね、周泰は、ひとつひとつ昔の戦いを思いおこしつつ、答えた。

 

 

 翌日には使者を遣わして周泰に御蓋(主君が用いる儀仗用の日傘)を授けた。このことがあってから、徐盛たちは周泰の指揮に従うようになった。

 

 

ー蒋欽、字を公奕。前述にある周泰と同じく水賊であった時に、孫策の下に馳せ参じ、以降孫呉の将軍として活躍した人物である。

 

 

 聡明であったが教養に乏しかったらしく、呂蒙と同じく孫権から勉学に励むように諭された事で発奮。猛勉強の末に孫権から『その行いは人々の模範となり、国士である』と称された。

 

 

 またある出来事がきっかけで徐盛が蒋欽にわだかまりを抱いていたが、蒋欽は徐盛の優れた所を称賛し推挙までしようとしていた。これを聞いた孫権が訝しみ、蒋欽を呼び出すと『徐盛はかつてそなたの事を挙げつらった上言をしたというのに、なぜそなたは徐盛を推挙するのだ?』と問いかけた。

 

 

 これに対し蒋欽は『臣は、公の推挙には私怨をまじえぬものと聞いております。徐盛は真心をもって勤めに励んでおり、大胆で見通しがきき、実務能力も備えていて、一万の兵を指揮するにふさわしい人物です。いま中国統一という大事もまだ未完成であって、臣には国家のために才能ある人物を捜し求める義務がございます。どうして私怨にひかれて有能な人材をかくれたままにしておいたりいたしましょう?』と答えた。

 

 

 これを聞いた孫権は大いに喜び、また徐盛も蒋欽の徳に心服したとされている…。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「成程…君達も蓮華の下に預けられた麾下の将軍達、と思っていいのか?そしてここに来た目的も、呂蒙から聞かされたとおりであると」

 

 

 自己紹介を終えた後、宗也が改めて確かめるように問いかけると、4人はそれぞれに頷いて答えた。

 

 

「いいだろう。今の俺は炎蓮殿の好意で逗留している身、君達の願いも快く引き受けるつもりだよ。…さて、では聞かせてほしいんだが、君たちの使っている武具を教えてほしいんだが、構わないだろうか?」

 

 

 宗也がそう問いかけると、4人はそれを了承し、各々得意とする武器を紹介し始めた。

 

 

「わ、分かりました!私は…徐寧さんには馴染みが薄いかもしれませんが、いわゆる暗器の類を得意としています…!」

 

 

「あたしは刀ね。扱いやすいし、敵に弾き飛ばされても戦場じゃあっちこっちに転がってるから即座に拾って戦えるのが理由ね」

 

 

「私はこの長刀です!銘は『魂切』といいます!』

 

 

「アタシはこの長柄双刀が得物よ。要求があるとするなら頑丈なものが作ってほしいわね」

 

 

 それぞれが愛用している得物を取り出して見せて来たので、それらを受け取って暫く観察していた宗也だったが、やがて頷いて答えた。

 

 

「…うん。構想が浮かんだよ。数日したらまた来てくれ、皆にとって満足できる代物を作ってみせるよ」

 

 

 その言葉に呂蒙達は安心したのか、ひとまずその場は解散となり宿舎に戻っていった。そして宗也は気を引き締めると、武具の製作の準備に取り掛かった…。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 数日後、宗也からの呼び出しを受けた呂蒙達が、宗也が寝泊まりしている鍛冶場に足を運ぶと、その隣にある訓練場で待っていた。

 

 

「ああ、来てくれたようだな。早速だが、それぞれに使いやすいと思える武具を見繕ってみたので見てくれ」

 

 

 そう言って宗也は近くにある机に、制作した武具を並べていく。机にはそれぞれの名前が書かれた木札が置かれており、その木札の近くに武具を置いてあるようだと、呂蒙達には感じられた。

 

 

 まず呂蒙の視線の先に置かれていたのは、手の甲の部分が緋色で、指の部分が鋭い鉤爪の様になっている手甲を思わせる武具だった。

 

 

「…?徐寧さん、これはいったい…?」

 

 

「これは鉄糸を放つ手甲だ。どのような武具なのかは…まあ、百聞一見という奴で確かめてくれ」

 

 

 そう言って宗也が勧めてきたので、呂蒙がその手甲を装着し、人間を模した藁束の前に立ち、試しにその藁束に向かって手を振った途端…少し離れていたにも関わらず、指先の部分から何かが光を放ったかと思った瞬間、その藁束が爪か何かで引き裂いたかのように斜めに切り裂かれたのである。

 

 

「えっ…えええっ!??す、すごいですよ徐寧さん!?これなら剣や槍を使うよりも離れた場所から攻撃ができます!」

 

 

「使い勝手もいいと思うんだが、どうだ?ちなみに武具の名前だが、金剛弦(コンゴウゲン)と名付けた。愛用してくれると、俺も嬉しい」

 

 

「えっ!?た、確かに…初めて使ったのに驚くほど使いやすいですね。ありがとうございます徐寧さん!」

 

 

 呂蒙の喜びようを見て満足そうに頷いた宗也は、次に潘璋の方に目を向ける。潘璋の木札が置かれている場所に置かれていたのは、幅広で肉厚な造りが施され、峰の部分も首などを切り落としやすいように湾曲している刀身をした刀だった。

 

 

「うーん…なんというか、随分と刀身の長さが短くないこれ?無骨そうな感じもするし…けど、見かけとは裏腹に軽くて使いやすいのね?」

 

 

「ああ。潘璋の刀についてなんだが、盾としても使える様な刀という構想で作ってみたんだ。この刀なら相手の槍や矛による攻撃も防げるし、防ぎながら受け流す事も容易になる」

 

 

「…確かに、あんたの言う事も最もかもしれないわね。それによくよく考えると…確かにこれはこれで使いやすいかも」

 

 

「それに頑丈さも追及しているから刃毀れの心配も少ないはずだぞ?それじゃあ試しに…潘璋。その刀を刀身を横に向けて地面に刺してくれ。…うん、それでいい。少し離れていてくれ」

 

 

 宗也がそう指示し、潘璋が疑問に思いながらも言うとおりにして離れると、宗也が用意したのは弩であり、矢を番えてその刀に向ける。そうして狙いを定めて少しした後に引き金を引いた途端、放たれた矢は猛然と刀に向かって飛んでいき…甲高い音を立てたかと思った直後、矢は空中でキリキリと回転しながら地面に落ちる。

 

 

 そして宗也が落ちた矢を拾い上げ、さらに潘璋が地面に刺した刀を抜いて潘璋の下に歩み寄る。そうして宗也が差し出した刀を受け取った潘璋が刀の矢が当たったであろう部分を見るも、刀には傷一つついておらず、逆に宗也が放ったであろう弩の矢は、鏃の部分が潰れて使い物にならなくなっていたのである。

 

 

「………さ、最高じゃない!!弩を受けてこれなら、普通の弓矢でも余裕で防げるって事よね!?これは大切に使わないといけないわね…」

 

 

「喜んでくれて何よりだよ。ちなみに銘は、大蛇刀(だいじゃとう)とつけてみたんだが…気が乗らないのなら、自分で名前を考えてくれても構わないぞ?」

 

 

「大蛇刀?…中々に面白い銘をつけるじゃない。いいわ、気に入った!これから愛用させてもらうわよ!!」

 

 

 そう言って自分の愛刀を高々と掲げ、喜びをあらわにする潘璋を見た宗也も満足そうに頷き、次に周泰の方に目を向けた。

 

 

 周泰の木札が置かれた場所にあったのは、自身が使っている『魂切』と同じく刀身が長い、日本でいう野太刀と呼ばれる太刀だった。周泰が試しに鞘から引き抜くと、刀身の峰の部分には、紫色の文様が浮かび上がった造りとなっているようだった。

 

 

「…見事な出来栄え、としか言いようがないです。腕前のほどは蓮華様から聞かされていましたが、ここまでとは思いもしませんでした!」

 

 

「気に入ってもらえて、俺も嬉しいよ。ちなみに銘なんだが…覇王友成(ハオウトモナリ)とつけてみた」

 

 

「覇王友成、ですか…?と、とても仰々しいのですが、同時に不思議としっくりくる名前です。ありがとうございます、宗也さん!これからはこの覇王友成と魂切、二振りの刃を以て蓮華様の為に戦って見せます!」

 

 

 周泰の言葉に、宗也も頷いて答える。そうして最後の相手である蒋欽の方に顔を向けた。

 

 

 蒋欽が、自身の名前が書かれた木札が置かれている場所に目をやると、そこに鎮座していたのは翡翠色の刀身が目を引く刃が長柄の両端に取り付けられた長柄双刀だった。

 

 

 初め蒋欽はその武具を手に取ってしげしげと眺めていたのだが…やがてその武具を手にしたまま訓練場の中央に向かい、そこで立ち止まったかと思った瞬間武具を振り回し始める。

 

 

 長柄双刀という得物は、長柄の両端に大刀の刃が取り付けられているという特異な形状をした武具である。その為普通の長柄武具よりもリーチが短いという短所がある一方で、武具を扱う自分自身を軸として回転しながら切りつけるという独特な攻撃手段をとれる事から、扱いの難しい武具でもあった。

 

 

 だが蒋欽は、その得物を巧みに使いこなして見せるほどの力量を持っており、暫く長柄双刀を振るっていたが…やがて動きを止め、戻ってくると満面の笑みを見せながらまくし立てた。

 

 

「…あんた、最高ね。今まで使ってたのが鈍らになったんじゃないかってぐらい使いやすいじゃない。この武具!改めて礼を言わせてもらうわ、ありがとね!」

 

 

「ははっ…!喜んでくれて何よりだよ。銘は双翅滅閃(ソウシメッセン)、大切に使ってくれるのなら、これに越した事はないさ。さて、これで全員分の武具を作ったと思うんだが…満足してくれたか?」

 

 

 宗也がそう問いかけると、4人はそれぞれに嬉しそうに頷いた。

 

 

「こんな素敵な武具を作って頂き、心から感謝します宗也さん!返礼と言う訳ではありませんが、私の真名…亜莎を貴方に預けます!」

 

 

「亜莎が名乗ったんなら、あたしも真名を預けとこうかな?あたしは紫龍よ!」

 

 

「私は明命と申します!宗也さん。この先どのような事があっても、私達はあなたからの恩義、決して忘れはしません!」

 

 

「アタシは紅龍よ。先に行っとくけど、この先敵味方に分かれたとしても手を抜くつもりはないから。それが武人として当然の礼儀なんだからね?」

 

 

「ああ、それで構わないさ。互いに信じる物の為に持てる力の全てを尽くしてこそ、武人としてあるべき姿なんだから。皆の真名、確かに受け取った。その返礼として、俺も真名を返そう。俺は宗也だ」

 

 

 こうして宗也は、また新たな孫呉の将士らと友誼を結ぶこととなったのである…。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 それから数日後の事。百姓達から依頼されていた農具の手入れを終わらせ、ひと段落ついていた時…。

 

 

「頼もう!」

 

 

 威勢のいい掛け声が響き渡り、驚いた宗也が声のした方に振り替えると、そこには妹である香風と同じくらいの背丈をした、銀の長髪に朱色の瞳をした、左目を眼帯で覆っている少女が立っていた。だが、それ以上に宗也の目を引いたのは、彼女が背中に背負っているであろう武具だった。

 

 

「…っ!(断月刃を背負っている…あの背丈で大したものだな。それに彼女の雰囲気…香風を思い起こしてしまったな)」

 

 

 それは断月刃という、巨大な環状の刃という形状をした武具で、非常に扱いの難しい武具でもある。だが目の前に立っている少女は、そんな武具を背中に背負っているという事はその扱いに熟知しているということに他ならなかった。

 

 

 そう考え感心する一方で、妹である香風を思い出し感慨にふけってしまった宗也に、少女は少し腑に落ちないという感じに首を傾げた。

 

 

「…何だ?その様に微笑ましい感じで私を見てきて?」

 

 

「ああ済まない。妹のことを思い返してしまってな」

 

 

「ほお、妹がいたのか?しかし私を見て妹の事を思い起こすとは、よほど私に似ているようだな?」

 

 

「いや…香風はどちらかというとぼんやり屋な所があったかな?それにしても…断月刃を得物に選んでいるとは、かなりの技量を持っているようだな?」

 

 

 宗也がそう称賛すると、少女は得意げに鼻を鳴らす。

 

 

「まあ当然だな。孫呉においてこの咬牙断(コウガダン)を振るえる者など、この私。丁承淵をおいて他にはいないだろう!」

 

 

 少女が高らかに名乗ったのを聞いて、宗也は内心感心してしまった。

 

 

「(なんと…!この少女があの丁奉か…!)」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 三国志末期。諸葛亮などが世を去り、姜維や司馬昭といった将星が乱世の終焉に向かう中で輝きを放ちつつあった頃。孫呉にもまた最後の輝きを放つ将星がいた。それが丁奉、字を承淵である。

 

 

 若くして勇猛であった彼は、甘寧や陸遜といった将軍の下で経験を積み、やがて孫呉において『遼来来』と恐れられた張遼を射殺すという活躍を成し遂げ、三国志末期の戦場を駆け抜けた。

 

 

 民間伝承においては礫の名手であったとされ、赤壁の戦いにおいて祈祷によって盗難の風を起こした諸葛亮が、後難を恐れて逃れようとした時に追撃をしたものの、到着した時には既に船に乗った後だった。

 

 

 これを見た丁奉は鉄の礫を取り出すと船の帆柱に照準を合わせて投げつけた。礫は空気を引き裂く音を発しながら飛んでいき、帆を引っ張る滑車に命中し、諸葛亮の船の帆が落ちて諸葛亮の部屋の上に覆いかぶさった。

 

 

 これを同行していた趙雲が慌てて帆をどけて諸葛亮を救い出し、船を捨てて岸にあがると東南の方向に逃げていった…と語り継がれており、現在でも廟に祭られた丁奉の像には二つの鉄の礫が握られている。

 

 

・・・・・・・・・・・・・

 

 そうして感心していた宗也だったが、やがて丁奉が話を切り出した。

 

 

「貴様の事は教官から聞かされている。優れた鍛冶師としての腕を持っているとな!」

 

 

「教官?」

 

 

「むっ?教官の命を救ってくれたから知っていると思うのだが…?」

 

 

 唐突に聞きなれない言葉を聞かされた事で首を傾げる宗也に、丁奉も疑問を抱いたが…やがて彼女の後ろから声が発せられた。

 

 

 宗也が声の方に顔を向けると、丁奉よりも背丈はあり、ブロンドの長髪を後ろで束ねた髪形をし、紫色の瞳を持った少女がやれやれといった表情で立っていたのである。

 

 

「もう黒兎…いきなりそんな風に言われたって分からないと思うよ?祖茂様って言わないと」

 

 

「むっ!そうだったか…」

 

 

 少女の指摘に丁奉が説明不足だったことに気づいたのを見た宗也は、ようやく合点がいった。

 

 

「祖茂殿…千冬殿の事だったのか。教官という事は、丁奉は千冬殿の下で将軍としての鍛錬を積んでいるのか?」

 

 

「その通りだ。だが私だけではないぞ?椿や蒼蓮、紅龍や紫龍。明命や亜莎達…他にもいるが、彼女らも教官の元で研鑽を積んでいるのだ」

 

 

「ゆくゆくは雪蓮様か蓮華様の下で働く事になるかな?…あっと、自己紹介がまだだったかな?僕は徐盛、字を文嚮っていうんだ。宜しくね?」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 徐盛、字を文嚮。孫呉に仕えた武将の一人で、演義においては孫呉の主となった孫権が人材を求めた時に馳せ参じたとされる。

 

 

 武勇に秀でた猛将というイメージがある一方で、劉備と孫権が激突した夷陵の戦いの後に勃発した曹魏との戦いにおいて、建業からずっと防護のための壁を作り、それにすだれを架けわたし、壁の上に仮作りのやぐらを作りつけ、長江上には船を浮かべるという『偽城の計』によって曹丕が率いた大軍を退けるという活躍を成した。

 

 

 その活躍ぶりを後世、正史三国志を著した陳寿から『江南の勇猛の臣の一人であり、孫氏が手厚く遇した者である』と称え、加えて『東南の地を確保して割拠することができたのも、しかるべき理由があったといえよう』として孫呉を支えた人物の一人に挙げている。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 宗也は現れた二人の少女…自身の知る歴史においては後の孫呉において重きを成すであろう将軍の登場に内心歓喜を覚えていたが、それをお首に出す事もなく、やがて女性の背中に背負っている得物に目を向けた。

 

 

 それは大楯と、叉突矛という刺又を思わせる形状をした穂先の矛であり、恐らく攻防を兼ね備える戦いを得意としているのだと推測した。

 

 

「大楯と矛か…盾で防ぎつつ、矛で貫くという戦いを得意としている。違うか?」

 

 

「っ!?説明してもいないのに、一目見ただけで…御見それしました。千冬様から聞かされてはいましたが、ここまで見抜いているなんて」

 

 

「なに、様々な武具の扱いを経験したからこそ分かっただけさ」

 

 

 宗也がそう答えると、丁奉は感心した様につぶやいた。

 

 

「ほお…奢れる事もなく粛々と接する。教官も一目置いていたが、改めてこの男の器のほどを思い知らされたな」

 

 

「うん、そうだね…では徐寧殿、僕達にも武具を作っては頂けないでしょうか?無論相応の謝礼はお支払するので」

 

 

「気にする事はないよ。俺は炎蓮殿の好意で孫呉に招かれ、その返礼として武具を献上したいと思っているだけだからな。安心してくれ、君たちにとって満足できる武具を作ってみせるよ」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 その後、宗也は丁奉に対しては、刀身に鬼の牙を思わせる模様を彫りこんだ『百鬼潰断』という銘の断月刃を。徐盛に対しては水色の房飾りが取り付けられ、刺又の部分も波打っているように作られた穂先をした矛と、六角形を思わせる形状に楯の中心に翡翠色の水晶をはめ込んだ大楯の一組にした『煌天』という銘の叉突矛を製作し、二人に贈与した。

 

 

 当然二人は今まで使っていた得物よりも遥かに使い勝手が良くなった武具に大変満足していた。

 

 

「うむ…腕前が優れていた事は知ってはいたが、実際に手にしてみて改めて驚いたぞ。ここまでの業物を作ってもらっては、貴様に足を向けて寝られんな」

 

 

「もう黒兎!そう言う事を言っちゃ駄目だよ?…すいません、徐寧さん。黒兎は悪気があって言ってる訳じゃないんです…」

 

 

「気にしてないさ。二人にとって命を預けるに足る業物を作ってみたつもりだ。大切にしてくれ」

 

 

「……貴様にはあらためて感謝する。私の真名は黒兎(コクト)、これほどの業物を作ってくれた貴様に対する返礼として受け取ってくれ」

 

 

「僕は白百合(シラユリ)って言います。徐寧さん、重ねてお礼申し上げます。あなたが作ってくれた武具に恥じぬよう、研鑽に努めようと思います!」

 

 

 二人の感謝の言葉を受け、宗也も微笑みながらうなずいた…。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 孫呉に逗留し、武具などを作る日々を送る宗也。賊退治などにも同行し、将士らと交友を深めていたが、やがて彼の下に天下を揺るがす大乱の知らせが飛び込もうとしていた…。続きは次回の講釈で。




 今回登場したオリジナル武将


朱然・義封(外見などは『インフィニット・ストラトス』の『セシリア・オルコット』を参考にしました)


 孫呉に仕えている宿将の一人である朱治の姪であり、養女となった少女。蓮華とは学問を共に学ぶ同輩として交友が深く、炎蓮によって将軍見習いとして見いだされ、千冬の下で文武の研鑽に励んでいる。


 三国志においては呂蒙の荊州争奪戦などにも参戦し、その後に起こった夷陵の戦いにおいても活躍。蜀魏を相手に荊州を巡って争い、これを守った名将として描かれている。


 しかし演義では夷陵の戦いにおいて趙雲に討たれたとある一方で、正史の方ではその後も活躍したとされている。


蒋欽・公奕(外見は『インフィニット・ストラトス』の『鳳鈴音』を参考にしました)


 炎蓮によって見いだされた将軍見習いの一人。元々は悪徳商人などを標的にする水賊の一人として行動していたが、その噂を聞いて出向いてきた炎蓮に叩きのめされ、その根性を買われて孫呉に加わった。


 明命とは一時期行動を共にしていたのだが、猫好きの彼女とは正反対の犬好きであった事から喧嘩が絶えなかった(ただ戦闘においては息がぴったり合っていた)。


 三国志では、演義において水賊として活動していたが孫策の挙兵を聞いて周泰と共に馳せ参じた事になっている。


 呂蒙と共に、孫権から学問に励むように諭された事でも知られており、魏の張遼や蜀の関羽相手に活躍を成した。


潘璋・文珪(外見は現在はサービスを終了している『インフィニット・ストラトス アーキタイプ・ブレイカー』というスマホゲームに登場していた『鳳乱音』を参考にしました)


 炎蓮によって将軍見習いとして見いだされた一人。


 生活が貧しかった事もあってハングリー精神が人一倍強く、家族を養う為に姉と慕っていた蒋欽と共に水賊をやっていたが、噂を聞きつけて出向いてきた炎蓮にぶちのめされ、その後将軍見習いとして引き取られた。

 
 将軍見習いとなってからも時折町に出向いては、何でも屋みたいな事をして路銀を稼ぐなどしており、炎蓮も目をつむっている。


 三国志において、演義では荊州争奪戦で呂蒙の指揮下で活躍し関羽を捕らえた功績を上げ、彼が所有していた青龍偃月刀を褒美として与えられたと描かれることが多い。


 性格は粗暴であり、強欲で金銭への執着が強く、豊かな役人や兵士を殺害し財産を没収するなどの不法行為をたびたび起こすも、彼が率いる兵は数千人でありながら一万の軍勢のような働きを示し、活躍をした事から孫権もその活躍を惜しんで罪に問わなかったとされている。


徐盛・文嚮(外見は『インフィニット・ストラトス』の『シャルロット・デュノア』を参考にしました)


 炎蓮によって見いだされた将軍見習いの一人。徐州は琅邪郡の出身であったが、世が乱れて来た事で故郷を捨て、呉郡に移り住んだ。


 そうして孫呉の軍に加わって研鑽を積んでいた所を炎蓮の目に留まり、孫呉の次代を育てようと将軍見習いの一人として引き上げた。性格は温厚であり、ほかの将軍見習い達のストッパーも務めている。


 三国志において、様々な戦いを経験した歴戦の武人であり、特に魏との間に勃発した戦いでは『偽城の計』を駆使してこれを撃退したことで知られている。


丁奉・承淵(外見は『インフィニット・ストラトス』の『ラウラ・ボーデヴィッヒ』を参考にしました)


 炎蓮によって見いだされた将軍見習いの一人。世が乱れた事により両親を失い、妹と共に生きてきた。


 やがて妹を養う為に孫呉の軍に加わった際に炎蓮の目に留まり、将軍見習いの一人として千冬の元で研鑽に励んでいる。将軍見習いの中では一番千冬の事を尊敬しており『教官』と呼んで慕っている。


 三国志においては、三国志の後期において活躍を成した武将として描かれており、民間伝承では礫の達人として描かれている。


 だが晩年においては功績を上げたからか奢り高ぶるようになってしまい、それを非難するような者が現れるようになった事から彼の死後、呉の皇帝となっていた孫晧によって先の軍事行動の失敗の責任を取らされる形で家族は臨川に移住させられた。
 


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山賊討伐(前)

 どうも、お久しぶりです…!長らくお待たせしまった事をまずはお詫び申し上げます…!


 最新幕、投稿させていただきました!どうぞ…!


 孫堅が本拠としている長沙から少し離れた山中、そこには荊州南部を荒らしまわる賊の根城があった。…無論今となっては孫策率いる孫呉の軍勢によって完膚なきまでに殲滅させられてしまったが。

 

 

 その戦場に宗也は戦装束を纏い、得物である鋼鎌武断を手に立っていた。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 事の始まりは丁奉らの武具を作って少し経った頃、雪蓮が自身の鍛冶場を訪れた事が切っ掛けだった。

 

 

「賊の討伐に?」

 

 

「ええ。母様がこの長沙に赴任する前、この辺りは区星という男が周辺の賊を纏め上げて暴れまわっていたのよ。それを母様が叩き潰した事で四散したんだけど…時折こうして残党が集まってくるの。それで母様は私や蓮華とかに経験を積ませる為、討伐に向かわせる事があるのよ」

 

 

 そう言いながら、持参したと思われる酒瓶を口に運んで中の美酒を味わうと、雪蓮は徐に問いかけてきた。

 

 

「それでなんだけど、貴方も一緒に来てくれないかしら?母様も一目置いた貴方の武勇を改めて見てみたいし、以前貴方が作ってくれた私の新しい得物…この虎双焔棍(こそうえんこん)の手入れとかもしてくれると嬉しいんだけど…駄目かしら?」

 

 

 そう言いながら雪蓮が腰に交差させるようにして下げている武具ー旋棍と呼ばれる、現在でいうトンファーにあたる武器で、雪蓮に対し宗也が送った武具であるーを叩きながら問いかけてきたので、宗也も頷いてこれに答えた。

 

 

「そうだな…いつも鍛冶作業ばかりをしているし、戦いの勘を取り戻すのもいいかもしれない。分かった、同行させてもらうよ」

 

 

「っ!そう、良かった!それじゃあ『雪蓮、ここにいたのか?』冥琳?あなたどうしてここに…」

 

 

 宗也の返答に喜びを露にした雪蓮が早速連れ出そうとした時、入口の方から雪蓮に呼びかける声が響く。これに雪蓮が振り返ると、そこには雪蓮と同じく褐色の肌をし、腰よりも下まで伸ばした黒髪を靡かせた、知的な雰囲気を醸し出す翡翠の瞳に眼鏡をかけた女性が立っていた。

 

 

「ああ、冥琳か。雪蓮を迎えに来たのか?」

 

 

「戻ってこないから探しに来たんだが、宗也の下に来ていたのか?まったく…済まないな宗也。雪蓮が迷惑をかけてなかったか?」

 

 

「ちょっと冥琳!迷惑なんてかけてないわよ!賊の討伐があるから一緒に来ないかって誘っただけよ!?」

 

 

 冥琳と呼ばれた女性の呆れた様な指摘に、雪蓮が異議を唱えだしたのを見た宗也は苦笑しながらも二人を宥めた。

 

 

「雪蓮、冥琳。二人ともその辺にしといたほうがいいぞ?…そろそろ出陣なんじゃないのか?」

 

 

「え、ええそうね!先行ってるわよ、冥琳!!」

 

 

 そう言いながら、城外の集合地点に向かっていった雪蓮の背中を見送りながら、宗也は残された冥琳と呼ばれた女性に声をかけていた。

 

 

「それじゃあ、俺も準備をして来るよ。冥琳…いや、周瑜殿」

 

 

「おや…?宗也よ、私はすでに真名を預けたのだぞ?その様に他人行儀で呼ばれるのは少し不満なのだがな」

 

 

「それはそうなんだけど…。雪蓮、もとい孫策と断金の交わりを結び、彼女にとって掛け替えのない戦友でもある周瑜殿を真名で呼びかけるのは、流石に無礼じゃないかと思ってね。今も無礼じゃないかと内心ひやひやしていたんだぞ?」

 

 

 宗也がそう言いながら照れ臭そうに頬を指で掻いていると、冥琳…周瑜は困ったような笑みを浮かべながら答えた。

 

 

「ふふふ…大殿の命を救い、戦場をかけた豪傑がここまで謙虚だったとはな。安心してくれ、私も大殿を救い、そして孫呉の危機を救ってくれたお前に感謝しているのだ。少なくとも、真名を授けるぐらいには信頼しているつもりだ。…では宗也よ、私も軍の指揮を執らなければならないからな。先に行っているぞ」

 

 

「ああ、わかったよ冥琳」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 さて、改めて説明すると冥琳と言う真名で呼ばれたこの女性…彼女こそ三国志は孫呉において、劉備や曹操も一目置いた軍師である『周瑜公瑾』その人である。

 

 

 本来の歴史において孫堅が黄祖との戦いの中で討死し、遺された孫策らは袁術の下で雌伏の時を余儀なくされる。

 

 

 やがて孫策は父である孫堅が見つけた、反董卓連合に参加した時に廃墟となった洛陽に一番乗りした際、市内にあった古井戸の中に埋もれていた『伝国璽』を代価として差し出す事で、袁術から独立のための兵馬を借り受け、後世において小覇王と讃えられる程の快進撃を成し遂げる事になるのだが、その孫策の腹心として彼を支えたのが、その美麗な顔立ちから『美周郎』とあだ名される事もあった『周瑜・公瑾』である。

 

 

 孫策と周瑜は幼少時、孫策が母と共に江東は廬江郡に移り住んだ時から家族同然の付き合いをしていた。やがて孫策が袁術から兵馬を借り受けて立ち上がった時には、一番に駆け付けて彼の快進撃を大いに支えた。

 

 

 その後孫策が急逝し、弟の孫権が後継者となると、孫呉の諸将や食客達は若い孫権の事を軽んじていたのだが、周瑜は孫権に率先して臣下の礼を取り、規範を示したため、周囲もそれに従うようになった。

 

 

 そして赤壁の戦いでは、自らが指揮を執り攻め寄せた曹操軍の大船団を火計を駆使した軍略を以て撃退し、天下にその名を轟かせた。しかし周瑜はその後荊州争奪戦において曹仁らと激闘を繰り広げる中で、右のわき腹に流れ矢を受けて傷を負ってしまう。

 

 

 その後周瑜は曹操が赤壁での疲弊から軍事行動を起こせないと考え、劉璋の支配が動揺していた益州を占領し、益州は孫瑜に任せた上で、関中の馬超と同盟を結び、自らは襄陽から曹操を攻めるという計画を立て、孫権の元に出向き、その同意を取り付けた。しかし、その遠征の途上に巴丘にて36歳という若さで急逝してしまう事になる。

 

 

 その死を知った孫権は大いに嘆き悲しみ、後に孫権が帝位に昇った時には『周瑜がいなければ私は皇帝にはなれなかっただろう』と嘆いたほどだった。

 

 

 三国志演義では一国を担う将器・常人に勝る才幹を持つ人物として描かれているものの、それを更に圧倒する鬼謀を備えた諸葛亮の、引き立て役にされてしまったというイメージが強く、臨終の際にも諸葛亮からの挑発的な書状を読み、天を仰いで「既に周瑜を生みながら、何故諸葛亮をも生んだのだ!(既生瑜、何生亮)」と血を吐いて憤死するという最期となってしまった。

 

 

・・・・・・・・・・・・

 

 

 鍛冶場の傍に建てられた家屋に戻った宗也は、戦装束を身に纏うと得物である鋼鎌武断を手にし、厩に繋げている黒風の下に赴くとこれに跨り、早速城門の方へ向かっていった。

 

 

 そこには既に賊徒討伐の準備を整えた将兵ー中には椿達将軍見習いの者達も、自分が作った武具を手に活躍をせんと意気込んでいるーらが集合しており、その将兵が視線を向ける先には馬上の人となっている雪蓮と、蓮華の姿があったのである。それを見た宗也は彼女たちの傍に馬を寄せた。

 

 

「待ってたわよ宗也!」

 

 

「済まない雪蓮。今回は蓮華も共に行くのか?」

 

 

「ええ。私も今回の討伐に参加するように母様から言われてね。…姉さま、そろそろ」

 

 

「そうね……聞け、皆の者!これより我らは長沙の近隣に割拠する賊の討伐に向かう!情け容赦は無用!罪無き民を手にかけんとする賊共に、我らの刃を突き立ててやれ!!」

 

 

 そして雪蓮が腰に刺している、孫呉に代々伝わっているという『南海覇王』と呼ばれる宝剣を引き抜いて高らかに号令をかけると、将兵らもそれに応えるかの如く手にしている武具を高々と掲げながら咆哮を轟かせた…。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 そうして出発した雪蓮、蓮華率いる孫呉の将兵で構成された討伐隊は長沙から少し離れた山中に隠す様にして建てられた山塞を発見する。

 

 

 この山塞に陣取っていたのは、炎蓮によって討伐された区星を首領として戴いていた、零陵郡を根城にして暴れ回っていた賊の頭目である周朝と、桂陽郡を根城にして暴れ回っていた賊の頭目である郭石と言う二人組だった。

 

 

 彼らは区星が長沙で賊徒1万人を率いて城を攻撃した際、区星に呼応して攻め寄せたのだが、朝廷から長沙郡の太守に任じられた炎蓮こと孫堅によって文字通り一蹴されてしまい、頭目の区星は賊ではあったが、頭目として逃げる事を潔しとせずに炎蓮に向かっていくも、一合も交える事もなく炎蓮に頭蓋を叩き割られて命を落としてしまった一方で、この二人は自分達によく似た他人に自分達の兜を被らせる事で討死を装って逃げ延びちていたのである。

 

 

 その後自分達が根城としている零陵郡と桂陽郡で息を潜めていたのだが、漸く先の敗戦の痛手が回復した事で再び長沙郡を襲おうと考え、こうして山塞を築いて攻め寄せる機会を狙おうとしていたのだが…すでに彼らの動きは、密偵の役割も担っている思春と明命らによって悟られてしまっており、気づいた時には要塞内部で兵糧庫が燃やされるなどの混乱が起こった直後に、山塞に討伐隊が攻め寄せている有様となっていた…!

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

 山塞の奥ばった場所に建てられた立派な建築の家屋。それがこの山塞を根城にし、長沙郡を襲撃しようと画策していた賊徒の頭目である周朝と郭石が詰めている本陣であるのだが…、

 

 

「や、やべえぞ周朝!?孫呉の奴ら、俺達の動きを読んでやがった!??逃げる事も出来なさそうだし…ど、どうすんだよぉ!?」

 

 

「馬鹿野郎、取り乱すんじゃねえよ郭石!?聞きゃあ今回の討伐隊を率いてんのは孫堅の娘って話じゃねえか!?あの化け物女が出張ってきてねえのなら勝機はあるんじゃ…」

 

 

 疾風迅雷と言う感じで攻め寄せてきた討伐隊の襲撃に、長身痩躯に青い頭巾をかぶっている、短い顎髭を生やしている風貌の男性…頭目の一人である郭石は頭から冷水をかけられたかのように混乱を隠し切れないでいた。

 

 

 一方の背は低いのだが、現代の相撲取りを彷彿とさせる体格をした男性…郭石と同じく賊の頭目の一人である周朝も動揺しているという点では同じではあるものの、攻め寄せてきた討伐隊の大将が、かつて自分達を纏め上げていた頭目の区星を文字通り一太刀で頭蓋を叩き割って仕留めてしまったあの化け物女…孫堅ではないと言うので楽観視していたのだが…。

 

 

「お頭ぁ!?城門が破られそうになってやす!?城壁にも次々と取りつかれていて、本陣に乗り込まれるのも時間の問題ですぜぇ!?」

 

 

 …直後に本陣に乗り込んできた賊兵の一人の悲痛さがひしひしと感じさせる報告が響いた途端、とうとう郭石は両手で頭を抱えて膝をついてしまった。

 

 

「も……もう駄目だぁ!??あの化け物女が来てなくても、孫呉の奴らべらぼうに強えじゃねえかぁ!?」

 

 

「落ち着け郭石!!……かくなる上はこれしかねえな」

 

 

 絶望に打ちひしがれた郭石を叱り付けた周朝は…やがて何かを決意したかのような表情を浮かべる。

 

 

「な、何だよ?!何か起死回生の一手でもあんのかよ!?」

 

 

「この山塞を作る時、周辺の地形とかを調べておいたんだよ。…地図持ってこい!」

 

 

 周朝が部下に命じ、部下がこの近くの地形を記した地図を持ってこさせると机に地図を広げて、ある地点を指さした。

 

 

「今孫呉の討伐隊ってのが本陣を置いてんのがここだ…実は山塞を作った時、この近辺に出られる抜け道を作っておいたんだよ。だから俺かお前のどっちかがこの抜け道を通って本陣に奇襲を駆けんだ!!」

 

 

「は、はあああああ!??あの化け物女が来てなくてここまで追い詰められてんだぞ!?そりゃ無理ってもんだろ!?」

 

 

「ここで亀のように籠っててもこうして追い詰められてんだろ!?それなら一発逆転をかけるしかねえだろうが!?…籤を作るからちょっと待ってろ」

 

 

 そう言うと周朝は手ごろな紙を一枚破ってこよりを二つ作ると、それを握りしめながら郭石に握りこぶしを差し出した。

 

 

「長い方を引いた奴が奇襲を駆けんだ。万が一…いや、億が一でも奇襲をかけて大将に手傷を負わせられたのなら、俺達は助かるんだ!!覚悟を決めろ!?」

 

 

「……わ、分かった」

 

 

 周朝の鬼気迫る問いかけに郭石も観念したのか、大人しくこよりの一本を取り上げると…周朝の方が短かった。

 

 

「俺がとりあえず時間を稼ぐ。てめえは手勢を連れて本陣に奇襲をかけてこい!」

 

 

「畜生…運が悪いぜ本当!?死ぬんじゃねえぞ周朝!?」

 

 

 自分の運のなさを悔やみながらも、共に手を組んだ相棒の無事を祈りながら郭石は50名ほどの手勢を引き連れて隠し通路へと入っていった。

 

 

 その後ろ姿を見送りながら周朝が隠し通路の扉を閉め、分からないように戸棚を移動させてふさいだ直後…本陣の扉が破壊され、血飛沫を上げながら賊兵が吹き飛ばされ、地面を転がった。

 

 

 そして本陣の家屋に乗り込んできたのは深紅の戦装束を纏い、血に塗れながらもその鋭さに一切の陰りもない宝剣を手にした女性…雪蓮こと孫策その人だった。彼女は自身の腹心でもあり、親友でもある冥琳。そして手勢の将兵数人を引き連れてきており、恐らく自分以外の手勢は悉くあの世に堕ちたのが容易に伺えた…。

 

 

「貴様が賊の頭目の一人、周朝ね?」

 

 

「…まさか、あの化け物女の娘も化け物だったとはなぁ。俺らも焼きが回ったもんだぜ」

 

 

 自分の手勢もそれなりには腕が経つ連中だったのだが、それがいとも簡単に一蹴された事に乾いた笑みを浮かべる周朝だったが…。

 

 

「…?雪蓮、何かおかしいぞ。周朝、もう一人の頭目である郭石はどこへ行った?」

 

 

「さあな…あの野郎、てめえらの鬼神の如き戦いぶりにぶるって逃げ出しやがったみたいでな。どこ行きやがったのか…」

 

 

 もう一人の頭目である郭石の姿が見えない事に疑問を覚えた冥琳が問いを投げかけるも、のらりくらりと言を左右にする。そうして周朝は得物である砕棒ー巨大な鉄塊を柄の先に取り付けた形状の大型鈍器ーを構えた。

 

 

「さてと…どのみち俺の様な人間は碌な最期を遂げねえんだ。それなら最後くらい、派手に死んでやろうじゃねえか!!」

 

 

「…賊の頭目のくせに、妙に潔いじゃない。いいわ、なら最後は私が止めを刺してあげる。冥琳、これ持ってて」

 

 

 覚悟を決めたかのように得物を向けてくる周朝に、珍しく感心した雪蓮は南海覇王を鞘に納めるとそれを冥琳に手渡した。

 

 

「っ!おい雪蓮、なぜ南海覇王を…まさか宗也から贈与されたそれを使うのか?」

 

 

「ええそうよ。せっかく彼が私に作ってくれたんだもの。使ってあげなくちゃもったいないでしょ?」

 

 

 そう笑みを浮かべながら答えた雪蓮が、腰に交差させるようにして差している得物…宗也が製作した武具の一つである、深紅の色合いをした『虎双焔棍(こそうえんこん)』と銘打たれた旋棍を両手に装備した。

 

 

「はっ!使った事もない様な得物で戦おうってのかよ!俺も甘く見られたもんだなぁ…!」

 

 

「そう思うのなら、懸かってきたらどうかしら?」

 

 

「言われるまでもねえやぁ!!」

 

 

 雪蓮の挑発に応えるかの如く、周朝は手にしている砕棒を振り上げながら突貫する。狙うのは旋棍を構える女の頭蓋!伊達に賊の頭目を張っている訳ではなく、その振り下ろす速さは中々の物だった。

 

 

ードゴンッ!!

 

 

 …重く、硬いものがぶつかり合ったような音が周囲に響き渡った。だが、周朝は分かってしまった。……自分の一撃は、相手の頭蓋を砕く事が出来なかったという事に。

 

 

 その証拠として、自身が振り下ろした砕棒は雪蓮と呼ばれた女が頭上を交差するように構えた旋棍とぶつかっており、並大抵の得物であれば簡単にへし折ってそのまま頭蓋をかち割っていたはずだったのだが…その深紅の色合いをした旋棍は、歪む事は愚か軋む事もなく、周朝の砕棒を完璧に受け止めていたのである。

 

 

「いい一撃だったわ。賊に落ちなかったのなら、いい武人になっていたでしょうに…終わらせてもらうわ」

 

 

 憐憫を込めた呟きをした直後、砕棒を弾き飛ばした雪蓮は、そのまま体勢を崩した周朝の懐に飛び込むとそのまま猛然と連撃を叩きこみ、止めとばかりに後ろ回し蹴りで周朝を吹き飛ばす。しかしこれで終わらず、吹き飛ばされた周朝めがけて、雪蓮は突進飛び蹴りを叩きこんだのであった…!

 

 

 もはや、誰が見ても勝敗はついていた。息をも絶え絶えと言う感じで大の字になって倒れた周朝に、雪蓮は近づいた。

 

 

「……虎の娘も、虎だったって、事かぁ。冥途の土産に、良い物、貰っちまったぜ…」

 

 

「無辜の民草に牙を向ける生き方を選んだが故の末路よ。…次に生まれる時は、真っ当に生きる事ね」

 

 

「そいつは、どうも……けど、せめて道連れは増やしたいんでな。急いで、戻った方が、良いぜ?本陣に、郭石の野郎を、向かわせたから、なぁ…」

 

 

 彼は吐血しながらも、死にゆくものとして最後の忠告を残した。だが…雪蓮は愚かその勝負を見届けていた冥琳。そして将兵らも動揺の気配を見せようとしていなかった。

 

 

「成程ね…貴方の態度はそう言う事。けどお生憎様、蓮華の傍にはこれからの孫呉を支える将軍見習い達がいるんだし、何より…」

 

 

ー江東の虎を窮地から救った、凄腕の勇士がいるんだからね♬

 

 

「っ…何て、こったぁ。畜生め…地獄巡りは、あいつと一緒、かよ…」

 

 

 雪蓮の不敵な笑みと呟きに、自分達の起死回生の一手が対処されていた事を知った周朝は、観念して冥府に旅立っていったのである…。

 

 

・・・・・・・・・・・・・

 

 

 時間は少々遡る。周朝と別れ、隠し通路を手勢を連れて進んでいった郭石は、長い通路の先にある出口に到達していた。出口は洞窟の一番奥の地面に巧妙に隠す様に土がかけられ、洞窟の外は鬱蒼と生い茂った森の中だった。郭石は周朝の用意周到さに舌を巻いていた。

 

 

 これならば確かにそう簡単にばれる事はないだろう。自身の眼前には孫呉の討伐隊の本陣と思われる陣幕と、深紅に染められた布地に黒字で『孫』『呉』と書かれた旗が風に靡いている。…そして恐らく、既に周朝は攻め寄せて来たであろう孫策に討ち取られているのは間違いない。郭石は薄々察するしかなかった。

 

 

「周朝…自分が捨て石になる事を選びやがってよぉ。馬鹿野郎が…!あの化け物女の娘を死出の道連れに送ってやる。待ってろよ!?」

 

 

 郭石は震える声を出しながらも、既に泉下に旅立ったであろう相棒に伝えるように宣言する。そして一つ深呼吸をした彼は視線を後ろに向けると、自分の命令を待つ子分達に命じる。

 

 

「分かってるなてめえら?目の前には孫呉の奴らの本陣がある。戦場からだいぶ離れている以上、恐らく警備もさほど厚くはねえはずだ。一気に突破して恐らくいるであろう孫堅の娘の片割れの首を取るぞ!!」

 

 

『へいっ!!』

 

 

 自分の指示を受けた子分達が頷くのを見た郭石は、腰に下げている弓を手にすると、背中に背負った矢筒から矢を引き抜き、本陣の護衛をしている兵士目掛けて射放った。

 

 

 矢は風切り音を響かせながら飛んでいくと、警備をしている兵士の一人の首を貫いた…!

 

 

「がっ!?」

 

 

「て、敵襲だ!?」

 

 

「行くぞてめえら!雑魚には構うな!!狙うは大将の首一つ!!脇目も振らずに突っ込め!!」

 

 

 同僚の一人が突然射殺された事に動揺する兵士…。直後、郭石の号令を受けた子分達は怒号を上げながら奇襲を受けて戸惑っている護衛の兵士らには目もくれず、先頭を走る郭石に続く様に駆け抜け、とうとう本陣に切り込んだ!

 

 

 だが、その先の光景に飛び込んだ郭石達は目を疑った。なぜならば…。

 

 

「やはり奇襲を仕掛けてきたのか…(ノン)、貴方の読み通りだったわね」

 

 

「いいえ~、宗也さんが警戒するように忠告をしてくれたおかげですよ~。ありがとうございますね、宗也さん~」

 

 

「いや、杞憂であればそれでよかったと思っていたのを、真摯に聞き入れてくれた蓮華達こそ感謝したいよ。…さて、覚悟はできているな?」

 

 

 本陣の中には動揺は一切見られず、それどころかそれぞれの得物を手に臨戦態勢を整えていた若武者達。その奥で自らも剣を抜き払って身構える大将の少女と、その腹心と思われるやけに胸の大きな女性。そして…純白の戦装束を纏い、大戦斧を構え自分達を射竦める様に濃紫色の瞳をこちらに向けてくる、青年が立っていたのである。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・

 

 

『奇襲に備えた方がいい?』

 

 

 山賊達が籠る山塞に向かっていった雪蓮から本陣の警護を任された蓮華は、共に本陣の警護に当たっていた宗也からそう忠告され、目を丸くしていた。

 

 

『ああ。俺の杞憂であればそれでいいんだが…追い詰められた鼠は、天敵である猫にすら飛び掛かっていき、その喉笛を噛み切ってしまう事もある。それは人にだって当てはまるという物。敵の賊達がこの本陣の近くにまで山塞から隠し通路を掘り進めていたとすれば、もし俺が逆の立場であったなら間違いなく、死兵を引き連れて決死の奇襲を行っているだろう』

 

 

『本陣に奇襲を仕掛けて敵の大将の首を取るか、例えいなかったとしても本陣が落とされたとなれば、確実に敵軍を混乱に陥れる事が出来るからな』

 

 

 宗也の指摘に、蓮華は瞑目して考え込んだ。前線から届いた報告では、思春と明命らが敵方に潜入をして攪乱したという報告を受け取った自分の姉である雪蓮とその軍師として共に赴いた冥琳の攻撃により、山塞は制圧寸前まで追い詰めているらしい。…そう思うと、今の本陣ではすでに勝ち戦であると言う雰囲気が蔓延しているのがありありと分かってしまう。

 

 

 もしここで追い詰められた賊達が、『虎穴に入らずんば虎子を得ず』の故事に倣い、秘かに作っていた隠し通路から決死の奇襲を敢行したとすれば…間違いなく本陣は大混乱に陥り、少なくない将兵が犠牲になり兼ねないだろう。

 

 

『………確かに、その考えは抜け落ちていたわね。姉様の方が上手く行き過ぎていたから、油断していたかもしれない。穏!あなたの意見を聞かせて』

 

 

 蓮華がそう言うと、本陣に警護として残っていた、深紅の装束を纏っていても大いに異性の視線を惹きつけてしまうであろう豊満な肢体をしている、緑の入った水色のボブカットにした青い瞳の女性が意見を出した。

 

 

『…そうですね~、宗也さんの指摘は大いに正鵠を得ていると思います~。私が逆の立場でも、逆襲の一手として敵に奇襲をかけると思いますから…蓮華様、一応警備を厳にしておくべきかと~』

 

 

『穏、貴方もそう言ってくれるのなら私も受け入れるわ。…椿達に指示を出して!警戒を厳にし、いつ何が起こってもすぐに対応できるようにと!!』

 

 

『はい~、了解しました~!』

 

 

 蓮華の指示が飛ぶと、穏と呼ばれた女性は拱手をし、本陣で退屈そうにしている紅龍達の方に向かっていった…。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「ば、馬鹿な…俺達の狙いを、読んでいやがったってのか…!?」

 

 

「ああ、残念なことにな。…隠し通路を作り、敵が本陣を置いている近辺まで繋げておく事で、奇襲を仕掛ける。いい策略だとは思ってはいるが、相手が悪かったという事だ」

 

 

 周朝の考えが看破されていた事に愕然とする郭石に、宗也は静かな声で慰めの声をかけた。実際、周朝が考えていた策略はよく練られており、これが並の凡将や数を頼みに進んで来る様な愚将などであれば上手く行っていたかもしれないのだ。

 

 

 だが何分相手が悪かった。この時孫呉の本陣で蓮華の副官として残っていたのは、生前三国志を愛読していた宗也にとっては、自分が思いを寄せている愛紗…即ち関羽の死に関わっていた智将、『陸遜・伯言』その人だったからだ。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 その生家は嘗て孫策が江東の制圧を成そうとしていた頃に敵対した『陸康』という人物であり、江東でも力のある豪族の一人だったのだが、孫策との戦に敗れた後一時期没落していた。

 

 

 やがて孫策の弟である孫権に出仕する様になり、当初は文官として仕えていた。彼の名が広く知られるようになったのは、呂蒙が荊州攻略を行い、関羽を討ち取った後に勃発した『夷陵の戦い』だった。この時大都督を務めていた呂蒙が逝去した事で後釜に就いた陸遜は、当初老臣である韓当などの諸将から軽視されていた。

 

 

 だが陸遜は『自分はただの書生であったが、主上から命令を受けている。国家が諸君を屈して相い承望させている理由は、僕に尺寸の称えるべきがあり、辱を忍んで重責を負えるからなのだ。各々がその職事に在ってどうして復た辞退できよう』と言って剣に手をかけて軍令を遵守させた。

 

 

 そして劉備軍が疲弊しだしたのを見て取った陸遜が、その隙を突く様にして火計を仕掛けた事により劉備軍は大敗。これによって陸遜は大いに名を知られる事になり、その後孫権に忠節を尽くし、社稷の臣として信頼を向けられる事になったのだが…その晩年は孫呉における継承者争いに巻き込まれての憤死という悲劇的な最期を遂げる事になってしまった。

 

 

 忠誠実直な性格であり、朝廷において厳粛な人物であると同時に倹約家であった陸遜。彼が亡くなった後に調べた所、家に余財は一切なかった。

 

 また、夷陵の戦いで諸将が勝手な振る舞いをしていた事を知った孫権が陸遜を呼び出し、なぜ報告しなかったのかと問いかけると『主上の恩を受け、実際の能力より重大任務を背負う事になりました。まして諸将は国を支える功労者です。臣は藺相如・寇恂のような人を慕い、国事を遂げようとする者であります』と言って、自分の非力非才故に諸将は従おうとしなかったのだとして彼らを庇い、孫権は大いに彼の事を気に入ったとされている…。

 

 

・・・・・・・・・・・・・

 

 

 郭石は自分達が『死地』に飛び込んでしまった事を悟ってしまった。本陣に奇襲を仕掛け、混乱の最中に敵の大将を討ち取る…それが周朝が考えた起死回生の一手だった。

 

 

 しかし自身の眼前には、自分達が奇襲を仕掛けてこようとする事を察知し、万全の態勢で待ち構えていた若武者達と、いつでも避難できる様に馬上の人になりながらも腰に差している剣を引き抜いている大将に同じく馬上の人となっている副官と思われる女性。

 

 

 そして…大将の前に立ちはだかる様に黒馬に跨り、大戦斧を構える純白の戦装束を纏った青年が鋭い視線を向けてくる光景だった。

 

 

「………悪ぃ、周朝。どうにも運が悪かったみたいだ。すぐお前の後を追う事になりそうだぜ?」

 

 

 郭石は溜息を一つ着くと、天を仰いでそう呟いた。だがその瞬間、彼の顔は覚悟を決めた『漢の顔』になっていた。

 

 

「か、頭…!?逃げた方がいいんじゃねえですか!?ほ、ほら!俺達の入ってきた方向が手薄になってますぜ!?」

 

 

「…開けてんだろうよ。下手に逃げ場もなく囲んだら、俺達が死兵になって手痛い目に遭うって分かってんだよ。だから逃げ道を作ったんだろうが」

 

 

 そんな郭石に手下の一人が逃げる事を勧めてきた。現に自分達は包囲されていたのだが、侵入してきた部分だけが何故か手薄になっていたのである。恐らく下手に逃げ場なく包囲したとしたら、自分達が死に物狂いで襲い掛かってくると察していたのであろう事は容易に伺えた。

 

 

 …だからこそ、郭石はその勧めを、蹴った。

 

 

「ここで逃げたってよぉ…こんな生き方選んだ俺達に碌な人生が待ってる訳ねえだろうが。…あいつだってきっとあの世で待ってるんだろうからよぉ…最後くらい、格好つけて死のうじゃねえか!なあ、野郎共!!」

 

 

『っ!?お、おおおっ!!』

 

 

 郭石の覚悟を決めたかのような咆哮に、手勢の者達はいつの間にか得物を掲げて応えていた。そうして彼らはいずれも背を見せるどころか、武器を手に若武者たちに血走った眼をしながら身構えたのである。

 

 

ーっ!?これはまずい…奇襲を看破したうえで逃げ道を示せば逃散すると思っていたが、逆に奴らに決死の覚悟を決めさせたのか!!

 

 

 彼らの様子を見た宗也が冷や汗をかく。間違いない…これは生前の自分も経験した事のある、『万歳突撃』と同じものだと!!

 

 

「蓮華!すぐに本陣を離れろ!!奴ら、覚悟を決めている!!前線に行って雪蓮の下へ…!?」

 

 

「てめえらぁ!!狙うは大将の首一つ!!突っ込めええええええ!!!」

 

 

 宗也が蓮華を避難させようと声を上げるも、その前に郭石の怒号が響き渡り、手勢の者達が武具を手に蓮華目掛けて襲い掛かった…!!

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 本陣の中は文字通り凄惨極まる修羅場と化していた。逃げ道を開けておいたにも拘らず、郭石とその手勢は本陣の大将であった蓮華を死出の道連れにせんとばかりに襲い掛かり、椿達若武者組や本陣に残っていた孫呉の将兵らは、大将である蓮華を前線にいる雪蓮の下へ避難させんがために懸命に防戦を行っていたのである。

 

 

 ここを死に場所と決意した郭石やその手勢の勢いは、たかが賊と侮れるものではなかった。現に孫呉の将兵が何人も殺害、もしくは重傷を負って戦闘不能になっており、少しずつではあるがその刃は蓮華に近づきつつあった。

 

 

 無論、彼女を討たせてはならぬとばかりに防衛側の孫呉の将兵らも奮闘していた…!

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「ふっ!!」

 

 

 椿はそう声を発しながら、また一人賊を袈裟斬りに切り捨てた。しかし一人一人が凄まじい執念で食い下がってきており、敵は倒しているのに押されているという状況になっていた。

 

 

 現に自分達の未来の主君となるであろう蓮華の方に目をやっても、少しずつではあるが賊が近づいているのが嫌でも目に入るのだ…!

 

 

「(このままでは蓮華様が…!)『うらああああっ!』しまっ…!?」

 

 

 だが、戦いの場で一瞬でも余所見をしたのが拙かった。声が響き渡り、慌てて前を見た途端、別の賊の一人が剣を振り上げていたのだから…。だがその剣が振り下ろされる事はなかった。

 

 

 何故ならば振り下ろされるより早く、その賊の頭蓋に燃え盛る火矢が突き立ったのだから。矢が突き立った方向から後ろを振り向くと、そこには矢を射放った態勢で立っている蒼蓮の姿があった。

 

 

「椿さん、無事ですの!?」

 

 

「蒼蓮!助かった!!」

 

 

 言葉短くだが謝意を示す椿に、蒼蓮も頷く。そしてすぐさまそれぞれに敵を選び戦い始める。椿は相手の攻撃を躱しながら、手にしている『暁』を使っての居合で次々と敵を両断していき、蒼蓮はバックステップをしながら『鳳焔裂鋼弓』に気を込める事で火矢を作り出し、連射する事で相手を火達磨に変えていた…!

 

 

「ああもう!!しぶとすぎでしょこいつら!!」

 

 

「紅龍姉!ぼやいていても敵は減らないわよ!」

 

 

「分かってるっての!!亜莎、アンタ大丈夫!?」

 

 

「だ、大丈夫!」

 

 

 別の場所では紅龍と紫龍、亜莎が三人で組んで賊達の対処にあたっていた。当然彼女達にも賊達が襲い掛かっていたが、紅龍が宗也から贈呈された『双翅滅閃』を用い、地面を背に回転しながら相手の足元を薙ぎ払う様に切り裂き、それによって体勢を崩した敵に対し、間髪入れずに『大蛇刀』を手にした紫龍と『金剛弦』から鋼線を射出した亜莎が飛び掛かり、敵を討ち倒していく…!

 

 

しかし、豪快さと言う点で抜きんでていたのは黒兎であろう。彼女が得物として使っている断月刃と言う武具は、ハンマー投げの投擲前動作のように重量と遠心力を利用して振り回すのが基本の重量武具であり、並の人間では扱いの難しさも相まって鈍ら以下にその価値が下がってしまう。

 

 

 だからこそ、それを使いこなす事が出来た場合…それを回転させたまま相手に連続で叩き込むという離れ業を成しうる事ができる強力な武器でもあるのだ。そして現に、椿達若武者組の中では背丈が低い黒兎はそれを使いこなしていた。

 

 

「退けっ!蓮華様には近づけさせん!!」

 

 

「畜生!?何だあのチビ!?あの鉄の輪っかみてえな武具をああも軽々と…!」

 

 

「それだけじゃねえ!?あの鉄の輪っかみてえな武具、手から離れたってのにそのまま回転して地面に轍を作ってやがる!!」

 

 

 彼女と戦っている賊がぼやいたように、黒兎が振るっている断月刃-宗也が製作し、贈与された『百鬼潰断』と銘打たれているーを、彼女が回転させながら投擲したので近づこうとしたのだが、彼女の手から離れた断月刃は、回転を止めるどころかそのまま地面を抉りながら彼女の周囲を薙ぎ払っていくのだ。

 

 

 ましてそれがぶつかった相手は、まるで巨大な獣に引き裂かれたかのような痕を遺して吹き飛ばされて命を落とすのだ。迂闊に近づく事も出来ない…!郭石の号令で一時死兵となって突っ込んだ賊兵もその光景に戦意を削がれてしまっていた。

 

 

 だが、もはや自分達に退路はない事を、他ならぬ彼ら自身が何よりも理解していた。やがて一人の賊が黒兎が再び放った断月刃が自身の眼前を回転しながら通り過ぎた瞬間に彼女に突っ込んだ。

 

 

 この賊兵の決断は、ある意味で英断でもあった。断月刃は回転しながら周囲を薙ぎ払ったり、前方で留め置きながら回転させる事も出来る武具なのだが、回転を終えて手元に戻す隙を突かれるという弱点も存在するのである。

 

 

 そうして一気に懐に入り込んだ賊が黒兎に手にしている斧を振り下ろそうとして…その斧は彼女との間に割り込んだ大楯で阻まれた。

 

 

「黒兎、油断しすぎだよ」

 

 

「白百合か。感謝する!」

 

 

 黒兎を助けたのは白百合だった。彼女は大楯と叉突矛を駆使した攻防一体の戦いを行っており、派手さこそ黒兎に後れを取っているのだが、堅実さと言う点では彼女を大きく上回っていた。

 

 

 しかし白百合とて、ただ堅実なだけではない。相手の攻撃を大楯で防ぎながら弾く事で体勢を崩すと、間髪入れずに叉突矛で相手の首を挟み込むように突き出し、そのままの状態から相手を転倒させる。そして倒れた相手の首元目掛けて大楯の下の部分の縁で叩き潰すかのように振り下ろすのである。

 

 

 盾と言う武具は、敵の攻撃を防ぐためのものと言うイメージが強いかもしれないが、盾の面や端の部分で殴りつける事でも使用される事がある。また、北欧などのヴァイキングが使う楯は端の部分の金属を研磨し、刃の様にすることで切りつけるという事も可能になっている。

 

 

 つまり、彼女の大楯もまた容易に人の命を奪う事が可能だという事だ…。現に彼女の大楯を喉に振り下ろされた賊兵は、喉を潰された事で血反吐を吐いて息絶えている。

 

 

「白百合、だいぶ敵の数が少なくなった気がするが!!」

 

 

「多分そうだね黒兎!けど何人かすり抜けて蓮華様の方に向かったのを見たよ!!」

 

 

「なにっ!?いかん、蓮華様が危ない!」

 

 

 そう言って踵を返して蓮華の下へ向かおうとする黒兎であったが、それを白百合が諫めた。

 

 

「駄目だよ黒兎!ここで僕達が抑えているからこそ、蓮華様の身は守られてるんだ!ここで持ち場を離れたらますます蓮華様の身が危うくなる!」

 

 

「し、しかし…!『心配は無用ですわ!』蒼蓮!?」

 

 

 黒兎が蓮華の身を案じていると、射撃をしながら他の若武者組の援護にあたっていた蒼蓮が近くに来ていた。

 

 

「今の蓮華様の近くには…宗也殿がいますもの!御覧なさい、蓮華様の方を!!」

 

 

 蒼蓮が蓮華の方を指差した為、黒兎らがその指差す方を見ると…そこには、数人の賊の亡骸とその亡骸を前に及び腰となっている郭石と数人の賊兵。そして…馬上の人となっている蓮華と穏を護るかのように、鮮血が滴り落ちている大戦斧を構えながら郭石達賊兵を射抜くように見据えている、宗也の姿があったのである…!

 

 

・・・・・・・・・・・・・

 

 

 激闘の末、賊を討ち倒した宗也達。だが、戦後処理をしていく中で宗也は、三国志に置ける『始まりの大乱』を示すある物を見つけてしまう。そして、その時が訪れようとしていた…続きは次回の講釈で。




 初めての前後編でお送りしますが、次回もお楽しみいただければ幸いです。


 では、失礼いたします…!


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