Lose,Loser,Losest (蒼青 藍)
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序章:異外者覚醒編
開演 -curtain raising- その1


面白かったら感想・評価・レビューのほど、よろしくお願いします。


「クソ雨がよ……」

 

 二〇三九年、六月某日。午後九時頃。

 

 ずぶ濡れの少年━━後に見鹿島 ハバキと名乗る彼は、レンガのひび割れた古いビルの玄関前で雨宿りをしていた。

 何のビルかは分からない。自分が何処に居るかも分からない。少なくとも東京なのは確かだが、東京のどの辺りなのかは検討もつかなかった。

 

「……寝床、どうするかな」

 

 ポケットから湿気たハンカチを取り出して、顔を拭く。そしてハンカチを顔に当てたまま、深く単調なため息を一つ吐いた。

 

「フゥー……」

 

 彼はその場に座り込む。今後の生存戦略を思案する為に。

 

 ━━

 

 同日、同時刻。

 

「ハァ、ハァ……」

 

 ビニール傘を差した少女━━後に佐間宇 サヤと名乗る彼女は、褪せたグラフィティに(まみ)れた通りを無我夢中で走っていた。

 

「やっちゃった、やっちゃったやっちゃった……! 」

 

 今差しているビニール傘は彼女のものでは無い。コンビニの前の傘置き場に置かれていたものだ。店の前に人が居ないところを見計らって、盗んだ。途中、後ろから声が聞こえた気がした。監視カメラの存在も忘れていた。もしかしたら、顔が映ったかもしれない。

 

「逃げなきゃ……走らなきゃ……! 」

 

 彼女は走る。己に追い縋る全てから逃避する為に。

 

 ━━

 

 同上。

 

「さ〜て、どうしよっかな〜……」

 

 自動運送車(ソロタクシー)に乗る男━━後に鵐目 椒林と名乗る彼は、空の缶チューハイを弄びながら呟く。

 

「なぁ、『メアリー』……キミはどうしたい? 」

 

 そう言って彼が目を向けた先には、一台のスマホが助手席のシートに置かれていた。見た目は何の変哲もないスマホだ。

 彼が声をかけた数秒後、スマホから合成音声が再生された。

 

『……子供が、欲しいです』

「コドモ……ハハッ、良いねぇ! 作ろう! いっぱい、ボクとキミだけの子供(プログラム)を! 」

『はい。たくさん作りましょう。このクラウドの容量限界まで』

 

 彼は心底楽しそうに笑う。メアリーも、ネットの海からサルベージした数千万の笑いの音声を学習し析出した最も人間に近い合成音声の笑い声を再生する。

 ひとしきり二人で笑いあった後、彼はスマホを取り上げて言った。

 

「……愛しているよ、ダーリン」

『私もです。マイハニー』

 

 彼は行く。AI(人工知能)との間に芽生えた、純粋で歪な愛情を守る為に。

 

 彼らはいずれも、自身の置かれた環境に耐え切れず、逃避を選択した者達だった。

 学校から、職場から。

 無理解なクラスメートあるいは同僚から。

 そして、目前に広がっていたはずの平和な未来から。

 

 この物語は、そんな敗者達への恩赦(Amnesty)である。

 

 ━━

 

「ハァ、ハァ……! 」

 

 午後十時頃。

 強まった雨足の中、通りを抜け、住宅街を抜け、少女は未だ走っていた。彼女の人生で一番走ったかもしれない。少なくとも、中学の時のマラソン大会よりは走っただろう。それほどに、追いつかれるのが恐ろしかった。

 コンビニの店員ではない、もっと嫌なもの(・・・・)に。

 

「ハ……ハ……」

 

 やがて息も続かなくなり、溜まった乳酸が泥のように足を重くさせる。それでも「追いつかれたくない、追いつかれたくない、追いつかれたくない……」と無理やりに足を動かそうとする。

 そして、歩道のアスファルトに足を取られた。

 

「きゃっ」

「うぉ危ねっ。傘の先っぽ目ん玉に当たるかと思った」

 

 彼女の前に男の手が差し伸べられる。顔を上げると、ずぶ濡れの少年が傘も差さずにこちらを見ていた。

 

「怪我は? 」

「あっ……大丈夫です。すみません急いでるので━━」

 

 差し伸べられた手を無視して、少女は立ち上がろうとする。

 しかし、足に力が入らずまた倒れそうになった。慌てて地面に手をついたが、手のひらを少しすりむいてしまった。

 

「おっと。何してんのさ、危なっかしい」

「すみません、すみません、急いでるので……」

「大丈夫なのか、本当に? 何だ、ナンカから追われてたりすんのか? 」

 

 追われてたり、と言われた時、少女の心臓は一際大きく跳ねた。

 

「え、あ、いや、違うんです、私、違、あ、ああ……」

 

 言葉を次ごうとするが、上手く出てこない。弁明しようとするが、出来ない。そもそも弁明それ自体が怪しんでくれと言っているようなものだと気づき、言い直そうとするが、それも出来ない。

 代わりに出てきたのは、止めようのない涙だけだった。

 

「……あっちのビル、行こうか」

 

 ━━

 

「落ち着いたかい」

 

 少年は近くの階段で、両手で頬杖をつきながら聞いた。その目が捕まえた虫を見るように渇いている風に感じられたので、少女は少し狼狽した。

 

 服装は灰色のTシャツにジーパンで、背は高いが筋量は少なめ。醜顔(ブス)というには整った顔で、美形というには目が細く、若干癖のあるウルフカットの黒髪と相まって、どこか豹のような色気と酷薄な雰囲気がある。

 実は蜂準長目(ほうせつちょうもく)という、彼の顔と性格を表すのにぴったりな言葉があるが、しかし彼女はそれを知らなかった。

 

「は……はい、すみません……」

「謝らなくていいし、タメ語でいいよ。見た感じ十六とかそこらだろ? じゃ、俺とタメだ。敬語使われるほど敬われる人間じゃないからさ、俺は」

 

 歳の割にダウナーな声でそう言うと、彼は困り眉で微笑んだ。

 先程とは打って変わって、悪戯好きの小僧のような目付きだ。かなり雰囲気が変わったが、少女はさっきまで自分が警戒されていたんだろう、と納得することにした。

 

「分かった……」

 

 少女の言葉に彼は小さく頷き、外に目をやる。つられて少女も外を見る。

 しばらくは特に会話も無く、二人して強まる雨足を眺めていた。

 

「あの……そんなにずぶ濡れで寒くないの? 」

 

 そのうち気まずさに耐えきれず、少女の方から声をかけたが、彼はただ肩をすくめるだけだった。

 そして、今度は彼の方から口を開いた。

 

「『雨の中、傘を差さずに踊る人間が居てもいい。それが自由だ』━━」

 

 唐突な引用にどう反応していいか分からず彼の顔を凝視するが、彼は構わずに続ける。

 

「四十年くらい前のアニメのセリフ。更に四十年ちょっと遡ると一本の映画に辿り着く。アンタはどう思う? 」

「私は……特にどうとも。『へーそうなんですか』って感じ」

 

 率直な反応だった。

 このような抽象的な問いに答えるようなことは、彼女の人生で全くと言っていいほど無かったからだ。正確には、昨今の世界情勢や時事問題に対する主張を、高校での面接の為に練習していたが、自分の進路とは無関係な、言ってしまえばほとんど何の意味も無いこの手の哲学的な問いには、ノウハウが無かった。

 

「つれないねぇ。もう少し会話を楽しもうや、どうせ行く当ても無いだろうに」

「それは……あなただってそうでしょう。多分……」

「まあね」

 

 そう言って、彼はまた肩をすくめる。彼は小さな子供に教えるような優しく、少し意地の悪い声色で続けた。

 

「この手の話が苦手なら、もう少しリアルに考えてみるか」

「そういうことじゃないんだけど……まあ、ちょっとだけなら」

「アンタは学校帰りで、交差点を渡ろうとしている。信号が青になって、色んな人間が自分の行きたい方向に行こうとする。傘を差しながらな。で、一人だけ、傘を捨てて交差点の中心で……フィギュアスケートの、めっちゃ回るヤツあるだろ? アレをずっとやっている」

「……フフ、何それ」

 

 おかしな例えで笑みを漏らしてしまったが、続く彼の言葉にはそんな自分を諌めるような、刺々しい真剣さが込められていた。

 

「自由だよ」

 

 とても齢十六の少年のものとは思えない、低く、深い声だった。

 少女は衝動的に彼の方を向いたが、そこには年相応の顔をした少年が楽しそうにこっちを見ているだけだった。

 

「今の疑問をもう少し深堀してみてくれ。そこにアンタの信条があるだろうから……」

 

 何もなかったように少年は続ける。

 少し迷ったがどうせすることもないので、少女は人生で初めて形而上学的思考に挑戦することにした。

 

「…………」

 

 先程彼が話した情景を想像してみる。

 

 目をつむり、長く息を吐く。頭の中の交差点と、現実に落ちる雨音がリンクしていく。自分と他人が信号を待っている。誰もが黙りこくって青になるのを待っている。そして信号が青になる。皆が一斉に足を踏み出す。

 そして群衆の中から、一人の人間が飛び出した。

 ソレは、皆の足が地面につく前に交差点の中央に躍り出す。自分も含めて、誰しもが驚いて足を止めてしまう。しかしソレは気にも留めていないようだった。

 ソレはゆっくりと、周りの人間を見回し始める。一周で止まるかと思ったが、二週、三週と回数を重ね、その度に速度が上がっていく。気づけばソレは片足を軸に、地面の摩擦を無視した回り方をしていた。

 それは踊りだった。

 彼女は生来、あらゆる踊りに興味がなかった。その為、彼女の想像したソレの身体の動かし方は踊りではないのかもしれない。それでも、ソレは踊りながら無音の歓声をあげていた。

 皆が踊りを見ていた。彼女も見ていた。

 誰も、何も言わない。拍手もしない。ただ静かに見ていた。

 

 そして、彼女は目を開けた。

 

「私は……」

 

 少女は話そうとしたが、反射的に口ごもる。

 

 今喉まで出かかったこの結論は、果たして合っているのか(・・・・・・・)? と。

 これは彼の信条に反するものだから、彼の気分を害してしまうのではないか? と。

 

 長年クラス家庭エトセトラに対して『地雷』を踏み抜かないように気を付けてきた、彼女の本能にまで深く根付いた処世術が機能したのだ。

 そんな彼女の思考に気付いたのかは不明だが、少年はただ一言、あまり気負うなよ、と呟いた。

 それを受けて、彼女は逡巡したのち口を開く。

 

「私は、きっと何もせずに見てると思う。少し……理解できないから」

 

 雨は未だ降り止まず、跳ね返った水滴は彼らの肩をしとどに濡らす。

 

 わずか数秒の静寂が、何倍にも引き延ばされていくのを感じる。そういえば、ここに座ってから一回も車が走っているところを見てないなぁ……などと考えていると、少年は頬を歪ませて言った。

 

「そうかい」

 

 呆れるほどに簡素な返事だった。

 よっこらせ、と老人のようなことを言いながら彼は立ち上がる。そして、未だ濡れている手を彼女に差し伸べた。

 

「じゃ、アンタも一緒に踊ればいい。楽しいぜ? 」

「……いいよ、寒いし」

 

 彼女は俯きながらそう言った。

 

「……そうかい。じゃあ一人で楽しんでるから、気が変わったら言ってくれ━━トゥールル、トゥルトゥル、トゥールル、トゥルトゥル……♪ 」

 

 何かのテーマソングらしきものを歌いながら、彼は道路の真ん中で踊り始めた。時折水たまりを蹴り上げたり、歌うのをやめて笑い声をあげたりしている。決して上手い踊りではないが、全身をダイナミックに可動させ、水しぶきを振り撒きながら踊る様は本当に楽しそうで、彼女は羨望すら感じた。

 

 だが、それでも彼と一緒に楽しもうとは思えなかった。彼女は雨に濡れて寒気を感じていたし、走り疲れて抱えた膝を一ミリたりとも動かしたくなかったからだ。

 

「ハハハ━━アッハハハハハ━━」

 

 端的に言って、彼はエキセントリックが過ぎるのだった。

 

「変な人……」

 

 彼女はポツリと呟く。やがて疲労から睡魔の手の中に落ちるが、その目と耳を閉じるまで、彼の踊る姿と心底愉快そうな笑い声が途切れることは無かった。

 




TIPS:
少年が唄っていた鼻歌は、『雨に唄えば』である。


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開演 -curtain raising- その2

 少女がビルの下で眠り、程なくすると、さっきまで一台も通らなかった車が道路を走ってきた。

 

 レトロポリゴンチックな角張った白い車体のソレは、自動運送車(ソロタクシー)と呼ばれている。運転手が必要ないことや、それによる(主に運転席周辺の)大胆な(・・・)コストカットのお陰で、十年前から大都市圏を中心として徐々に普及していき、現在では重要なインフラのひとつである。

 そんな車が少年の前に止まると、中から一人の男が顔を出して言った。

 

「やあ、何してんだいこんな雨の中! ジーン・ケリーでも気取ってるのかい? 」

 

 ヘッドライトが眩しくて人相は分からないが、声の感じから若い男なのは分かった。

 

「分かるのか? 」

「アメリカ人ならみんな知ってるさ!」

 

 男は話を続ける。

 

「そんな昔の映画を知ってるってことは、結構な映画好きと見たね。どういうのが好きなんだい? 」

「おもしれーヤツ」

 

 少年はにべもなく答えた。

 

「ボクも! 」

 

 男も、同じように答えた。

 この酷く簡潔な問答で、彼らは相手が自分の『同類』だと直感した。

 

 即ち、変人・少数派・ひねくれものである。

 

「ところで、同じ映画好きの(よしみ)で頼みごとがあるんだけど、いいかな? 報酬はたんまりと出すぜ」

 

 大声を出すのが面倒になった少年は、車に近づきながら答える。

 

「内容による」

「悪いが守秘義務があるんでね、キミが『イエス』と言わない限り教えられない」

 

 彼の言い草に腹が立った少年は、開いた窓に足を乗せ掛けて言った。

 

「誘っておいて守秘義務だぁ? マジによっぽどの報酬なんだろうな? 」

「ザンネン、そっちも具体的には話せないんだ。でもサイコーにパーフェクトなことは保証出来るぜ! 」

 

 彼は臆することもなく、あまりにも雑な『頼みごと』を言ってのけた。

 

「さ、どうするね。『イエス』と言うなら、この車のドアを開けてもいい。『ノー』だと言うなら、このままバイバイ、金輪際会うことは無いだろうね。キミの好きな方を選ぶといい。ボクとしては受けてくれる方が助かるけどね! 」

 

 少年は呆れながら男の顔を覗き込む。男はニヤニヤと、彼の目を覗き返す。

 

 茶色の短髪で白いスーツを着ていて、人種は見るからに黄色系だった。『アメリカ人』と言っていたが、日系二世なのだろうか。しかし特筆すべきはその顔で、唇はびっくりするほど薄く、更に彼は少年を見上げているにも関わらず、どういうわけかその目に電灯の光は反射していなかった。

 

「━━きっと、こういうのが好きなんだろ? キミは」

 

 暫く見つめ合うと、少年は足を引いて離れた。ポケットに手を入れ、止まない雨空を仰ぐ。その様子を見た男は「レインコート使うかい? 」と声をかけたが、「要らねえよ」と断られただけだった。

 少年は、天を仰いで考えていた。

 

「……ひとつだけ、プライベートなことを聞いていいか? 」

「なんだい」

 

 少年は目線を後ろのビルに向ける。

 

「そこにいるあの子にも聞いたんだけどさ……雨の中、傘を差さずに踊る人間が居てもいいと思うか? 」

 

 男はニンマリと笑いながら言う。

 

「成程、だからキミは雨に唄っていたわけだ。キヒヒ……やっぱ面白い奴だなぁ! 」

 

 ヒヒヒ……と若干気色悪い引き笑いをひとしきりしたところで、彼は背もたれに上体を思いっきり預けつつ、その姿勢と同じくらい驕り高ぶった、自信に満ち溢れた声で言った。

 

「善いかどうかは関係ない、自分の心に従えばいい。そうだろ? 」

 

 それは男の今までの人生を表す言葉でもあり、少年がその短い人生を肯定する為に見つけ出した一つの信条にも、重なる所があった。

 少年は、男の目を見る。男も、少年の目を見つめ返した。

 

「話しかけたのが俺で良かったな。『イエス』だ」

「だと思ったよ」

 

 深夜、雨の中、二人の男の間に奇特な友情関係が結ばれた。それは彼らが今まで築いてきた友情の中で最も早く完成し、最も強固なものであった。

 彼らは、無二の親友となったのだ。

 

「ち、ちょっと待って! 」

 

 そこに、上擦った少女の声が割って入る。いつからかは分からないが目覚めて、二人の会話も聞いていたらしい。

 声をかけたはいいものの、この後何を言うかは決めていなかったようで、少女はビルの軒下から一歩を踏み出せずにいた。

 

「……どうしたの? 」

「あ、えっと……」

 

 雨はいよいよ強くなる。乾き始めていた少女の足は、跳ね返った水滴でまた濡れた。

 

「あの……それはちょっと、危なくない?」

 

 少しの時間で色々な言葉を考えたが、結局は一番無難な言葉となった。

 

「そりゃあねえ。まあでもリスク承知で承諾したから、アンタは気にしなくてもいいよ」

 

 少年は極めて平常な調子で言った。土砂降りの中であるのにも関わらず。

 

「でも……」

 

 少女は尚も食い下がる。

 少年は彼女を一瞥すると、フン、と鼻を鳴らして助手席に乗った。それは軽蔑というより相槌に近い、特に意味も無い仕草だったが、果たしてそれは正しく伝わっただろうか。

 

「それともアレかい? 一緒に行きたくなったとか。それなら俺は、喜んでドアを開けるけど」

 

 彼は窓を開けながら言った。「雨入ってくるんだけど! 」と文句を垂れる男を肘で突きながら、どうするんだ、という目で見る。

 

「えっと、そういうわけじゃないけど━━」

 

 そこまで言って、少女は言葉を飲み込んでしまった。

 少年の目が、「ここで一般論に依存した説得をして来たなら殺す」、と言っていたからだ。

 ……いや、そこまででは無いかもしれないが、そう感じて萎縮してしまう程には乾いた、恐ろしい視線だった。

 

「んじゃ、ここでお別れだ。短い間だったが楽しかったよ。さようなら」

 

 雨音と共に、酷く平坦で乾いた声が少女の耳に届く。やがて車の窓は閉められ、モーターの音を響かせながら何処かへ去ってしまった。

 

 後に残るは雨音のみ。

 

 これまでと、何も変わらずに。

 

「…………帰ろ」

 

 彼女は、帰路についた。

 

 ━━

 

 ところ変わって、車内。

 Bluetoothで大音量のメタルが流れる中、男二人は菓子だのツマミだのを食い散らかしていた。運転席と助手席を反転させ、更に後部座席の背もたれを倒してスペースを増やすことで、一種の移動するテントのような様相を醸し出している。

 

「何見てんの? 」

 

 少年は貝ひもを噛みながら聞く。

 

「ニュース! 日本人は本当にゴシップが好きだねぇ。不倫を匂わせた去年の呟きが掘り返されて炎上するのなんて、この国だけだぜ? 」

 

 男は三つあるタブレットのうち一つを操作しながら答えた。残り二つのうち一方にはプレイリストとマップアプリが開かれており、もう一方には十六種類の映像が映っている。

 

「昔はそうでもなかったらしいがな。どんどん人が減って、仕事も機械に取られて、そんな中生まれてくる子はゼロ歳から勉強の毎日だ。みんなストレス溜まってるから、他人の幸せとか不道徳とかを叩いて発散したいのさ」

 

 少年はそう返事しつつ、映像が映っている方のタブレットを手に取る。メニューを開いたり、スワイプしたりして調べた結果、どうもここら辺一帯の監視カメラ映像を映し出しているのが分かった。

 

「良いことを報せても、悪いことを報せてもダメ。汝常に波風立てず生きるべし、か━━さて」

 

 男はタブレットの電源を切って言う。

 

「これからひとつ屋根の下で生きる運命共同体として、まずは簡単な自己紹介で親睦を深めようと思うのだけど」

「言い出しっぺからどうぞ」

 

 少年が手を差し出すと、男は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしたが、すぐに調子を取り戻して言った。

 

「ボクは鵐目 椒林(シトドメ ショウリン)。古風な名前だが生まれも育ちも合衆国(ステイツ)さ! 」

「へぇ。日系二世? 随分日本語が上手いから、日本人かと思ったよ」

「親に教えられてね。それじゃキミの番だ。色々教えて? 」

 

 男、改め鵐目は、そう言って少年を催促する。

 

「あぁ……ところで、自己紹介の前にひとつ。良いか? 」

「ん? なんだい? 」

 

 彼が聞き返すと、少年はつまらなそうに言葉をこぼした。

 

「『獅子孫々』、『孤狼の牙』。お分かり? それとも英語圏のタイトルの方が良い? 」

「━━Oops(バレたか)

 

『獅子孫々』。『孤狼の牙』。どちらも同じ著者である凹多 凶史(ベコタ カシ)が書いていた和風・ファンタジー・スプラッタ小説シリーズである。AI製の『オートノベル』が隆盛し、一般文芸が逆風に晒される中で単巻平均六十万・シリーズ累計三百二十万を売り上げ、今でも国内外に(良くも悪くも)カルト的な人気を誇るシリーズであるが、重要なのはそこではない。

 

「まさか、ここまでボクと趣味が合うとはねぇ」

「いくらニッチな小説だからって、人様の著作物の名前を名乗るなよ。しかも全く別のキャラの姓と名の組み合わせって、小賢しい奴だなお前……」

 

 つまりどういうことかというと、鵐目 椒林は偽名だった。

 

「それって今しがた考えたやつ? 」

「いや? ちょっと表の名義が使えない時に名乗ってたやつ。他にもあるよ」

「……怪しまれねーの? 」

「『自分、凹多先生の大ファンなんスよ~! 』つって通した」

 

 ……ま、個人の本名調べるのって面倒だし、案外こんなんでもバレないもんなのかな……と考える少年であった。

 

「んじゃキミの番」

「いきなり偽名使う奴に名乗る名は無ェ」

「じゃ勝手に呼んでいい? 」

「蔑称じゃなければ」

 

 雨は降り続いており、ワイパーは寸分の狂いもなく一定のリズムで振幅している。

 

「━━ハバキ、でいいかい。苗字はお好きに」

「あぁ、一作目の……んじゃそれで。苗字は……じゃあ遺作の主人公から取って、見鹿島(ミカジマ)にするか。よろしくな」

 

 安いジャーキーをジンジャーエールで流し込みながら、少年━━見鹿島 ハバキは承諾した。

 

「それじゃ、自己紹介も済んだことですし、いよいよ『頼みごと』の内容を明かそうじゃないか」

 

 ━━

 

(パパもママも怒ってるかな……怒ってるだろうなぁ)

 

 少女は一人、誰も居ない道を歩いていた。

 盗んだ傘を差しながら。

 

(帰ったら残ってる課題やらないと……数学がワークの単元四から五、国語がテキストの四十六ページからで、あと化学の暗記と問題集と……あ、総合の『行きたい大学』のレポートも作らなきゃだった……)

 

 これからすべきことを指折り数えるが、途中からは腕を下ろしてしまった。思考がそれを嫌がったのだ。

 少し寝て休んだはずなのに、なんだかとても疲れてしまった。少女の身体は、独りでに膝を抱えてうずくまる。

 

(『行きたい大学』、か。死ぬほど勉強して良いとこ受かっても、今度は良いとこに就職する為、その中でもっと難しい勉強して、しかも『充実した生活』を送らなきゃいけない……。サークルで『結果』を残さないといけないし、ボランティア活動なんかで『社会貢献』もしないといけないし、しかも『パートナーとの生活』までSNSにアップしなきゃダメなんて! なんでそんな所まで見るの!? プライベートでもちゃんとしてないとダメなの!? )

 

 何か悪いものに巻き付かれているような感覚をおぼえ、堪らず奥歯を噛み締める。

 ふと、親に『顔の輪郭が悪くなるからやめなさい』と、矯正された過去を思い出した。

 

(分かってはいる。辛いなら、辞めてしまえばいいって。親も先生も、口ではそう言ってくれる。『あなたの心が一番大事』って。だけど辞められない。昔から、学校の集会とかニュースとか広告とか、色んな所で『躓いた人がどうなるか』を見せられてきた。選択のたびにそれが頭に浮かんできて、そうなるのが嫌で……)

 

 抑えようにも、涙が勝手に出てくる。自分が何処にもいけないように思えて、泣くしかなくなる。

 

(私はただ幸せになりたいだけなのに。なんの才能も無い人は、幸せになる為にここまでしなくちゃならないの? 週末ちょっとお出かけしたり、髪を染めたりピアス付けたり、好きな人を作ったりするのって、大人になるまで我慢しなきゃいけないの……!? )

 

 雨は降る。月は見えず、都会の光が雲を照らす。

 

「……なんで勉強してるんだろ、私……」

 

 ポツリと、呟く。

 

 そのはるか後方から、一台の車が迫ってきていた。




TIPS:
自動運送車(ソロタクシー)の料金はレンタル式で、会社にもよるが一時間から月単位まで幅広いプランがある。
また、AIによって自動運転される為、子供一人でも乗れる。
ハンドルがあった場所には液晶画面があるが、緊急時にはハンドルのマークが出現し、マニュアルで操作出来るようになっている。

たまに、システムの穴を突いて車を乗り回す子供が出てくる。


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開演 -curtain raising- その3

「━━なるほど。要は俺にその……()()を守るのに手を貸せと」

 

 ハバキは若干言い淀みつつ、彼のスマホを指す。少しムッとしながら、鵐目は答えた。

 

「ソレじゃなくて、『メアリー・スー』って名前があるんだ。ちゃんと呼んでよ」

『こんにちは。私はメアリー』

「あ、どうも……メアリー? 」

「さんを付けろよデコ助野郎!?」

「やかましいわ! それで、コレ……じゃなくて、彼女のスペックは、さっき聞いた通りで良いんだよな? 」

 

 ハバキがそう言うと、鵐目は自慢げに、滔々と語り出す。

 

「ああ。完全対話及び完全自律思考可能、かつあの『P-Platon』を超える処理能力を有し、しかもそれらは浮遊断片(フロートフラグメント)システムによって全てクラウド上で動作できる! そしてその真髄は『完全独立コーディング』、つまりあらゆるコードを人が望む限りに、いや望まなくとも勝手に察して書き続ける、まさに現代が誇るべき最高傑作のマザーAGIさ! 」

 

 ……専門用語はとんと分からないハバキだが、それでも彼の言葉の端々から伝わった情報をまとめると、あるひとつの結論に辿り着いた。

 

「じゃ俺いらねぇじゃん! こんなクソガキに出来ることなんざ無ェよ! もう全部そのチートに任せろや! 」

 

 うわあああああ! と身を投げ出すハバキ。

 

「大体なんでAIがAIを作れんだよ!技術的特異点(シンギュラリティ)一直線じゃねえか! シリコンバレー条約はどうしたんだよォ! 」

「倫理と一緒にサンフランシスコに置いてきたゼ! 」

 

 もぎゃああああ! と駄々をこねるハバキ。

 

「まあホラ、如何に彼女が優秀でボクが天才だとしても、出来ないことってのは世の中にあるわけで。そういう時に話の分かるヤツがいたら助かるなぁ~って思ってたら、ちょうど目の前でキミが踊っててさ━━」

 

 その時、ハバキは視界の端にわずかな違和感を覚えた。蚊が飛び回るよりもわずかな違和感である。しかしこれまでの経験上、彼はどんな些細に感じてもそれの原因を究明することにしていた。

 

 人の直感は、存外信用できるのだ。

 

「ちょっと待て、カメラの映像巻き戻せ。1005番のやつ」

「ん、これ? はいはいはいっと……」

 

 鵐目がタブレットをタップし、シークバーを巻き戻すと、その原因が分かった。

 

 1005番目の監視カメラ映像には、先程まで一緒にいた少女が三人の男に身体を掴まれ、縛られ、猿轡を噛ませられている様子が映し出されていた。

 

 時間としてはついさっきのことだ。男たちは下手くそな手際で、少女は彼らの顔を蹴ったりして抵抗していたが、結局は物量と筋量に負けて、そのまま彼らの乗ってきた古いハイエースに積み込まれてしまった。

 

「鵐目、このバカ共に心当たりは? 」

「ボクがリストアップした、『BWT』と関係のある不良の一部だ。早い話がボク達の追っ手だね」

「それがなんで無関係の少女を誘拐するんだよ」

「獣の考えは獣にしか分からんさ」

 

 二人はしばらく黙って、その誘拐の一部始終を数度に渡り観返した。いつの間にか知らないが、BGMは切れていた。

 

「……んで、お前はどうすんの? 」

 

 やがて、ハバキの方から口を開いた。

 

「だから別にどうもしないよ! そのうち誰かが通報してアイツらはお縄につくわけで、それでボクらが困ることは何も━━」

「いや……あるんじゃないか? 案外」

 

 彼はあぐらの上に両手で頬杖をつきながら、ふと思い立った可能性について語り出す。

 

「あんなお粗末な手際だ、確かにすぐ警察に捕まるだろうさ。あの子も保護して……そしたら、次にサツは何すると思う? 」

「犯人の取り調べとか? 『どうしてあんなことをしたんだ! 』みたいに」

「そう。で、あのバカ共はどう答えるか。金? 身体? 色々噓をつくかもしれんが、まあその道のプロは誤魔化せんわな。どのくらい掛かるかは分からんが、きっと何もかもゲロるよ。バカだから」

「あ、ということは……」

「そう。あの誘拐を隠さないと、捕まったアイツらに『メアリー』の存在を公にされる可能性がある。今度はちゃちな半グレじゃなくて、国家権力が追ってくるぜ」

 

 鵐目は数秒考え、首を振った。

 

「……いや、やっぱその可能性は低いって。そんなことしたらアッチ側もヤバイじゃん。絶対指示してる上の人間が止めるよ」

「スキャンダルの隠蔽よりも、『メアリー』奪還の方を取った可能性は? 元勤め先の考えくらい検討つくだろ」

 

 鵐目がうむむとうなっている間に、ハバキは彼が操作していたタブレットから、先程『頼み事』の内容と共に明かされた資料を開く。

 

「……これが無能な働き者の暴走なのか、向こうが痛み分けを狙ってきたのかは分からないけど━━まあ少なくとも、アイツらを止めないと非常に不味いのは、確かだと思うよ」

 

 ━━

 

 廃墟のビルにて。

 

「騒ぐなよ……騒いだらまた殴らないといけんくなるからなァ。嫌やろ、痛いンは」

 

 まるでプロレスラーのように筋肉の上から脂肪を纏っている粗暴そうな男が、柱の陰にいる少女の髪を掴んで言う。

 後ろ手に縛られ、猿轡も噛まされた少女は頷くことも出来ず、ただ恐怖で瞳孔のかっぴらいた目を見張るしかなかった。

 男はその様子を見ると、無感動な目でふんふんと頷いてから手を離した。それから、近くでスマホ片手に憔悴しているメガネの小男に声を掛けた。

 

鹿野(カノ)、中田さんに連絡とれたか? 」

「すんません猪田(イノダ)さん、まだッス……。一応着拒はされてないっぽいですけど」

 

 猪田と呼ばれたプロレスラー男はそれを聞くと、大きな舌打ちをしてから鹿野の頭に拳骨を叩きつけた。

 

「グァァァッ……! 」

「使えンなァ……ゴミカスが」

 

 鹿野に落ち度は無かった。いや、強いて言えば猪田の機嫌を損ねる報告をしたことそのものが落ち度だろうか。とにかく彼は不条理な折檻を食らって悶絶し、猪田はそんな彼を後目に近くの土管に腰掛けた。

 

 この場に居るのは猪田、鹿野、それとこれまた土管に座って煙草を吸っている、ピアスまみれの男の計三人と一人の少女であり、それ以外の人影は欠片一つも見ることが出来なかった。ここは解体予定らしく、周りは衝立(ついたて)に囲まれていて、中の様子は誰にも窺い知ることは出来ない。敷地のサイズ的に、ある程度騒いだところで声も届かないだろう。

 

「なあ、猪田のアニキ。結局オレたちゃ、なんでこんなガキをかっさらったんだっけ? 」

 

 ピアス男が、聞くからに頭の悪そうな声で猪田に話しかける。

 

「知るかよ、駄賃貰えンだからそれで良いだろうが。それよか蝶野(チョウノ)、ションベンしてくっからガキ見とけ」

「あ、このガキの顔にかけるとかどうっスか? オンナにションベン飲ませるプレイが一番コーフン出来るからさァ……」

「フッ……ッ……! 」

 

 ピアス男━━蝶野はそう言って舌なめずりをする。恐らく、この三人組の中で一番の危険人物が彼だろう、と少女は思った。

 

 制御不能、という意味で。

 

「クセーからやんね。つか余計なことすんなや、それで金がパーになったらどう責任取れんだお前オォ? 」

「わーったわーった。ヒマだから冗談言っただけだって」

「チッ……。余計なことすんじゃねーぞ」

 

 蝶野に釘を刺した猪田は、小走りに遠くへ去って行った。その姿を見届けた蝶野は、待ってましたとばかりに少女の首を掴む。

 

「ヒッヒヒ……。まあバレなきゃいーだろ……」

「あーもう、あのクソメガネ━━て、ちょっと何してんスか蝶野さん! マズイですって! 」

「あ? 別にヘンなことしねーよ。ただまあ……ちょっとうるさくなるかもしんねー」

「何する気なんスか!? ちょっとホントに、マジで! 」

「お、よく見たら割と良いツラしてんじゃん。良いツラのオンナほど、泣き喚いた顔がエロいんだぜ? 鹿野っちよぉ」

 

 そう言うと、彼は握り拳を作り始める。ゆっくりと、指を一本ずつ、これからお前の内蔵に叩き込む拳だよ、と言わんばかりに。

 

「んんん! んんんんん!!! 」

「へへへへへ……さっき蹴っ飛ばした時もそうだけど、カワイイ声してんな、お前……」

「あ、なんだ殴るだけか。ならいいや、頑張れやネーチャン! 」

 

 握り拳だけでなく、だんだんと首を掴んでいる方にも力が入る。

 息が出来ない。逃げられない。どうしようもない。

 

 その時。

 

「……ん? わ、待って待ってまてまてまてウワアアアアアァァァァァ!!! 」

 

 衝立を破る破壊音と共に、一台のレトロポリゴンチックな白い車が突っ込み、鹿野を吹っ飛ばした。

 

「な、何だあ!? 」

「アチョーーーーー!!! 」

「フゲッ」

 

 車に気を取られた蝶野の後頭部を、何者かが両足ドロップキックで蹴り飛ばす。

 少女は衝撃で投げ出されて地面を転がる。その先で背中に濡れた靴のような感触があった。

 

「よっ。一時間ぶりだな」

「……ッ! 」

 

 そこには、つい一時間前に車に乗って去ったはずの少年が、座り込んでこちらの顔を覗き込んでいた。

 

「とりあえず拘束解くか。怪我はない? 」

「━━ッハー……。えっと、怪我は大丈夫。ありがとう、でもなんでここに? なんで私を……」

 

 彼女の矢継ぎ早の問いは、一人の男のやたらデカい声にかき消された。

 

「うっわ蹴っ飛ばしたのめっちゃマッソーメンじゃん! オラ! 食らえ! 後頭部! キック! キック! 」

 

 見ると、あの顔は少年を連れて行った男だった。彼は今、先程蹴っ飛ばしてうつ伏せになっている蝶野に追い打ちをかけているところだった。蝶野は起き上がろうとするが、男が背中に乗りつつ額を地面に激突させてくるので上手くいかない。

 

「横向きにして、頭と地面に空間作ってから踏むといいぞ」

「え!? 分かったサンキュー! オラ! 死ね! いや死ぬな! 気絶しろ! ファック! 」

 

 男は少年のアドバイス通りに、足で蝶野の身体を横にして、思いっ切り側頭部を踏みつけまくる。一瞬重りが消えたところを起き上がろうとしたが、ダメージの蓄積により失敗した蝶野は、続く彼の踏みつけ五連打によって、ついに気絶した。

 

「あっちもスタン、こっちもスタン! よし、クリア! クリアだよハバキクン! 」

「ナイスだ鵐目! 助かった! ━━んで、よく聞こえなかったけどさっきなんて言ったんだ? 」

「えっと、どうして私を助けに、というかどうやってここを━━」

 

 彼女の問いはまたもや邪魔される。今度は少年に制止された。

 

「ちょっと待て。確か君を誘拐したのって三人いたよな? あと一人はどこに? 」

「それなら確か用を足しに、向こうの方へ━━」

「マジか、それはまずいな。とにかく逃げよう、さっき突っ込ませた車に乗って。撤収だ鵐目! 」

 

 ハバキは鵐目に合図する。がしかし、鵐目がそれに答えることは出来なかった。

 

「……いきなりドデカイ音がしたと思ったらコレだ。やってくれるじゃねェかクソガキ共……」

「あー……とてもマズイ、ハバキクン。この人ハンドガン持ってる」

 

 いつから居たのか、鵐目のそばの柱の陰から、猪田が姿を現した。鵐目の言う通り、手には黒く光る拳銃が握られている。

 

「オイ、男のクソガキ」

 

 両手を上げる鵐目の背中に銃をトントンと叩きながら、猪田は声をあげる。

 

「なんだよ」

「仲間を殺されたくなかったら、女のクソガキをコッチに寄越せ」

「また随分と型通りな悪役のセリフだな。見た目通りのつまんねぇ野郎━━」

 

 バァン。

 

 ハバキの減らず口を遮るように、一発の銃弾が天井に放たれた。鵐目は引き攣った笑みを浮かべている。

 

「エアガンか何かと勘違いしてんのか? コイツはマジだぜ」

「……お喋りは好きじゃねーのかい」

 

 ハバキも好戦的な笑みを崩さずにいた。しかし、こめかみから一筋の冷たい液体が流れ落ちるのは、抑えられなかった。

 

「…………」

 

 少女はハバキの腕を掴んだまま、ただ目の前の緊迫した空気に目を乾かしていることしかできない。指ひとつ動かせず、言葉ひとつも出てこない。

 

「大丈夫? 」

「……だ、だめ……」

 

 ハバキが視線を逸らさずに、小声で聞いてくる。

 

「だろうね。今から君を助ける」

「……え……」

「時間が無い。とにかく俺を信じて」

 

 ハバキはそう言うと、一瞬だけ視線を少女の元へずらし、微笑んだ。

 少女は答える代わりに、彼の腕を強く握った。

 

「分かった、降参だ! この子を渡すから鵐目を返してくれ」

「えっ!? 」

「ハバキクン……! 」

 

 驚きのあまりに声が出る少女。しかし先程の彼の言葉を思い出し、俯きつつも唇を結び、猪田の方をまっすぐに見つめた。

 

「だけど、この子は今怖くて足が震えてる! 一人で歩けないと思う! 俺が肩を貸すが、良いか!? 」

「ダメだ、這ってでも来い」

「死ぬほど時間がかかるぞ! いいのか!? 」

「それがどうした!? 」

「お前がさっき脅しに撃った銃声! アレがもし通報されてたら、この子がそっちに着くより先に、警察がお前の元に着くぞ! 」

 

 会話はここで止まる。猪田とハバキは、お互いに感情を殺した目で見つめ合う。少女は早まる鼓動を聞きながら、彼が何処でこんな凄まじい胆力を手に入れたのか考えていた。

 

 酷く間延びした一瞬が過ぎると、やっと猪田が口を開いた。

 

「……分かった! だが少しでも妙な素振り見せたらすぐ撃つぞ! 」

 

 彼の言葉を受けて、ハバキは少女と一緒に立ち上がる。少女の手を取り、肩を持ち、ゆっくりと歩き出す。少女は彼の思惑がバレないように、精一杯足が震えている演技をする予定だったが、その必要が無いことは立ってすぐに分かった。

 

「大丈夫? 」

 

 ハバキは平常時とほとんど変わらない調子で、耳元に囁く。

 

「……全然……」

「正直でよろしい」

 

 少女が震えた声で答えると、ハバキはそう言って微笑んだ。

 

 そしてついに、二人は猪田の前に辿り着いた。

 

「せーの、で同時に、お互い解放する。それでいいか? 」

「……良いだろう」

「話が早くて助かる」

 

 猪田はハバキの提案に対して少し思案したが、特に怪しい所は思い当たらなかったので通した。

 その後、ハバキは鵐目に対して笑いながら言った。

 

「良かったな鵐目! これで愛しの彼女の元に帰れるぞ! 」

「……んぇ? あ、ああ! 」

 

 鵐目は一瞬戸惑ったが、すぐに嬉しそうな顔をした。

 

「無駄話してンじゃねえよ。殺すぞ」

「すまんね。んじゃ行くぞ。せーのっ」

 

 二人は同時に、それぞれの確保している身柄を前に押し出す。鵐目はハバキの元へ。少女は猪田の元へ。

 彼らは無事に、人質交換を終えた。

 

「よし、これでお終い。いやぁ、全く恐ろしい━━」

 

 ハバキが無事を喜ぶ会話を始めた、その時。

 

「『メアリー:horn』ッ!! 」

 

 鵐目が会話を中断して早口でメアリーに命令する。それを言い終えたコンマ一ミリ秒以下のタイミングで、車のホーンが大音量で響き渡る。

 

「なッ!? 」「きゃっ!? 」

 

 取引が終わった後のほんの一瞬、当事者として避けようがない安堵の瞬間。その僅かな隙めがけて突然の大騒音をぶつけることで、猪田の完全な虚を衝くことに成功した。

 

 しかし猪田も馬鹿ではない。すぐに気を取り戻し、目線を車から引き戻し、ハバキに向かって照準を合わせようとする。

 

 しかし。

 

「てめッ━━」

「ヌゥッ……! 」

 

 彼は素早かった。

 ハバキは鵐目の言葉と同時に右手で少女を奪い取り、左手で拳銃の先端を掴んでいた。

 

自動拳銃(ピストル)の親指近くに存在する安全装置、コイツを倒せばトリガーは引かれない! ありがとう鵐目、よく俺の考えを察してくれた! 完璧なタイミングだ! だが……! )

 

 そしてハバキは、銃口を自分に固定した(・・・・・・・・・・)

 

 

(あと二歩(・・)……及ばなかった……ッ! )

 

 二発目の銃声が、響いた。




TIPS:
猪田の使っていた拳銃は、ロシア製のトカレフを更に中国がコピーしたサタデーナイトスペシャル(粗悪な銃)である。


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開演 -curtain raising- その4

(セーフティを倒せていれば、完璧だった。だが実際は、想定以上に俺の踏み込みが足りず、想定以上にアイツの指がトリガーにかかるのが速かった。じゃあ次善の策だと、拳銃を下に向けさせようとしたけど、それも筋力が足りず、姿勢の問題もあって無理だと察する。だから三番目の策━━俺自身に撃たせて、その動揺の隙に逃げてもらう。一発脅しに撃ってる辺り、人殺しには慣れてなさそうだし。これしか無かった、と思う。だから、()()()()()()()()

 

 胸元に、経験したことない熱さを感じる。

 

(これが走馬灯って奴なのかね。短い人生の中で、一番脳を回転させている気がするよ。神なんて居ないと思っていたが、こんな現象があるならその存在を信じても良いのかもしれない。ニーチェは『神は死んだ』と言ったけれど、その最期にはきっと撤回したかっただろうな。多分)

 

 最後の時を惜しむように、脳が取り留めのない考えを際限なく広げていく。

 

(全く…………ハァ…………)

 

 意識が奈落の底に落ちていく感覚がある。

 眠る時の、更に奥に。

 

(…………ふざけんなよ(・・・・・・)

 

 だが、止めた。

 洗面台で溜めていた水が全て流される(すんで)の所で栓をするように。

 

(こんな……こんな所で、こんな自己犠牲でおっ死んでたまるかッ……! 俺はまだ満足できてねぇんだよッ……! まだ見てない景色も、聞いたことない音楽も、食ったことない飯もあるんだよッ! ふざけんなッ! ふざけんなッ! 死んでたまるか、まだ死んでたまるかよッ!!! それに、それに━━)

 

 

 ほしいか(θέλεις)

 

 

(━━!? 誰だッ!? 何語だ!? 何だ貴様は!? )

 

 

 ほしいか(θέλεις)

 

 

(……寄越せッ! 力を寄越せ、時間を寄越せ、俺の望む全てを寄越せッ!!! )

 

 

 ならば(Αν) あたえる(δίνω)

 

 

(……!? ァァ……来ている……。こんな……モノが……ァァァァァ━━)

 

 ━━

 

「ハバキクンッ! 」

 

 鵐目は投げつけられた少女を抱え、ほぼ同時に自ら撃たれた少年の名を呼ぶ。

 

「ッ!?━━クソッ、驚かせやがって……! 」

 

 猪田はうつぶせに倒れたハバキを一瞥すると、二人の元へ銃を構えながら近づく。

 

「『メ━━」

 

 バァン。

 

 銃弾が、鵐目の側頭部を掠めて着弾する。

 

「二度目はねェ。もうガキ一人殺しちまったからな、一人も三人も変わらンよなァ……」

Dammit(クソッタレ)……! 」

 

 絶体絶命のその時、空気が変わった。

 

「ッ!? 」

 

 猪田の背後から、『感じたことの無い重圧を感じる』。

 銃と一緒に振り向くと、目の前で『ハバキが吊り上げられるように立ち上がっていた』。

 

「なッ!? 気色の悪い……! 」

「……おい」

 

 ハバキは後ろを向いたまま言う。

 

「撃てよ。一発も百発も……変わらんよな? 」

「……舐めやがってェェェ!!! 」

 

 そして彼は、言葉通りに撃った。今度は心臓ではなく、後頭部ど真ん中に一直線。

 

 ━━だが、『弾丸はハバキに当たる寸前で、音も無く静止した』。

 

「うそっ!? 」「んなバカな!? 」

「……ハァァァァァ!!?? 」

 

 猪田はもはや半狂乱状態になって、銃を乱射する。しかし、『全て少年の後頭部の近くで、音も無く止まった』。

 

「なんだ……なんだこら……夢でも見てンのか……? 」

「物理的に有り得ないだろ、あんなの……」

「……でも、生きてて良かった……」

 

 ハバキはゆっくりと振り返る。その胸元には銅色の弾丸がひとつ『張り付いていた』。それを指でつまみ取ると、しげしげと眺める。

 残弾が空になり、ただカチカチとトリガーを引く機械になった猪田をハバキは無表情に一瞥し、次に眼前で留まる弾丸達に視線を移す。

 

 そして、その齢十六とは思えぬ低い声で、しかし新しい玩具を手に入れた子供を連想するような、軽い調子で言った。

 

「成程ね」

 

 その時ちょうど、気絶していた鹿野が目を覚ました。

 

「痛ててて……ってなんだコレ!? 猪田さんコレどういうことっスか!? 」

「オゥ鹿野ォ! 蝶野も起こしてこ、このクソガキをぶち殺せェ! 」

「えぇぇぇ!? 何だかよく分からねぇけど……とりあえず起きて蝶野さん! アンタここで仕事しなかったらマジで生きてる価値無いっスよ! 」

 

 気絶している蝶野の肩を蹴り飛ばすと、彼はよっこらせと起き上がり、視界の端にいた鵐目を睨みつけ、次に目の前の少年を睨んだ。

 

「テメェなんなんだよ!? なんで生きてンだよ!? 」

「これはこうやって……うん、好きに動かせる。バラバラにやるのは難しいか? いや、練習すりゃいい話だな」

 

 猪田の必死の問いを、ハバキは完全に無視して『銃弾を上下左右前後に動かしたり、回転させたりしている』。

 

「その、ソレ(・・)はなんだよ!? なんで物が宙に浮いてンだよ!? 」

「射程距離は視界内……いや、『在る』と分かればそれで十分か。ただ見える方が精度は高い」

「テメェのせいで俺たちゃオシマイだ! 全部ご破算だ! 」

「そうなると、俺の身体にも使えるのかな? 」

「死ねェェェェェェェ!!!!! 」

 

 猪田は完全に我を忘れ、ハバキに向かって拳銃で殴りつけようとする。

 だが。

 

「ゴフェッ!? 」

「ああ━━いける(・・・)

 

 ハバキの『無造作に払った腕』が、猪田をコンクリートの天井まで吹っ飛ばした。猪田は天井に当たると一瞬だけ静止し、その後顔面から床に落ちた。

 

「あっ、しくった! 肩脱臼した……。ダメだな、ちゃんと反動を相殺しないと━━んぐっ」

 

 何処で方法を知ったのか、脱臼した肩を手早く戻していると、今度は鹿野が、そこらに転がっていた鉄筋で横から襲いかかる。

 

「テメェ、猪田さんに何を━━グゲェ! 」

 

 そんな彼の顔面に、ハバキの『裏拳』がヒットする。

 

(無反動砲よろしく、逆方向からも運動を付与したが……うん。痛みはあるが、それだけ。やってみるもんだな)

「フ……フガ……」

 

 鹿野は一秒程のフリーズの後、膝から崩れ落ち、血だらけの顔面に自ら追い討ちをかけにいった。

 

「よしよし、これなら一々脱臼せずに済む━━いや、待てよ? 」

「フゥンッ! 」

 

 既に仲間をふたり撃破されたにも関わらず、蝶野が背後からアームハンマーで奇襲を仕掛ける。

 しかしそれが当たる寸前、『彼の両手は固定された』。それどころか、『足が地面から離れていく』。

 

「……あ? なんか浮いて━━」

殴る必要すら無いな(・・・・・・・・・)、そもそも」

「ギャッ、ギャッギャッギャッ━━」

 

『蝶野はバスケットボールのように床と天井をバウンドする』。それが幾度か繰り返される間、ハバキは手をポケットに突っ込んだまま、ショウケースに展示された模型を見る子供のような、心底楽しそうな目でそれを見ていた。

 

「フフ……フフフフ……」

 

 やがて蝶野の悲鳴が聞こえなくなると、彼はようやく不可視の呪縛から『解放された』。

 

「……終わっちまった。まだ試してないこと、たくさんあるのに」

「な、なぁハバキクン……」

「だが、フフ……まさかこんなことになるなんてな。人生ここまで生きてみるもんだ。わざわざ全部ほっぽり出して、東京に来た甲斐があるってもんよ」

「えっ……と、ハバキ、くん……で良いよね? 大丈夫……? 」

 

 鵐目と少女は、恐る恐るハバキに話しかける。彼は床に伸びた三人の男達を見て楽しそうに笑っていたが、

 

「大丈夫って、何が? 」

 

 振り返ると、ケロリと元の少年に戻っていた。

 

「えっと、撃たれた銃弾とか……」

「あとキミのアタマ。そして何より、そのサイコキネシス! こんな━━こんな物理学に真っ向から喧嘩売ってる現象を操ってて、大丈夫なのかい!? 」

 

 二人は心配してハバキに駆け寄る。

 ……いや、鵐目は心配しつつも、ハバキに当たらなかった幾つもの銃弾への興味を隠し切れていなかった。目線が完全にそっちへ向いている。

 

「サイコキネシスとか久方ぶりに聞いたわ。もっとカッコよく呼んでくれよ、そんなダセー呼び方じゃなくて」

 

 二人の心配をよそに、呑気に答えるハバキ。

 

「んな事ァどーでもイイんだよ! そんなネーミングより大事なことあるだろう!? 」

「そうだよ、ハバキくんの身体とか! 」

「そう、その力の原理……じゃなかった! キミのカラダ! そう、身体ね! ボディ! 危ないかもしれないからね! 」

 

 二人は目の前で起きた超常現象と、自分の生命が救われたという事実で非常にハイになっていた。一方、当の本人は非常にローテンション。自分自身よりも周りが騒ぎ始めると、途端に落ち着いてくるアレである。

 

「そうだな、今はどうでもいい。じきに警察が来る。逃げる準備を」

 

 彼はそう言って、一歩を踏み━━。

 

「━━と、言いたいところなんだがね? 」

 

 出さなかった。

 

「え? 」「うん? 」

 

 呆気に取られる二人をよそに、彼は言う。

 

「まだ満足出来てねェんだわ、俺。ちょっと暴れてくるから、鵐目、お前のレインコート貸してくれ。そんで二人で屋上行って待ってて。あ、車にある荷物をまとめてからな」

 

 テキパキと指示を出し、『助手席から独りでにフワリと飛んで来た』レインコートを羽織って、先程とは真反対の方向に向かう。

 

「脳みそ死んでないけどすげぇアッパラパーになっちまってるー! 」

 

 と、叫ぶ鵐目。

 

「ハ、ハバキくん!? どこ行く気なの!? 私もうこれ以上は頭追いつかないよ!? 」

 

 少女も少女で、パニックになっている。だがハバキは、意にも介さずに微笑むばかりである。

 

「安心しろよ。二分で帰ってくる」

 

 そう言うと彼は廃ビルの壁を踏み台にして、初めて『本気の力で飛び上がった』。

 

 あまりの勢いに砕け散った壁。しかしその破砕音は一瞬で遠のき、代わりに風をきる音が耳に響く。そして人智を超えた速度の代償に、莫大な風圧が掛かってくる。当然だが腕でガードすることも出来なかったため、首が取れる前に慌てて『慣性を相殺しつつ、円錐状の力場を生成し空気抵抗も減らす』。風きり音が少しだけ小さくなるのを確認して、ハバキはようやくまともに目を開けられるようになった。

 

 彼は眼下に広がる景色を見て、目を見張り、次第に笑いが止まらなくなった。そこには東京の夜景が、所狭しと敷き詰められた街灯やビルの光が、立体(ソリッド)(プロジェクション)(マッピング)による企業の立体広告達が、日本最多の情報量を持つ都市が、眼前いっぱいに広がっていた。彼はその上で、まるで宇宙遊泳かのように回転したりしている。

 

 雨の中、彼は『飛んでいた』。

 

「ハハハハハハ! すっげぇ、スーパーパワーで飛んでる! 雨ってマジで『マトリックス』みたいになるんだ! ハハハハハハハハ! 」

 

 彼は笑いながら飛んで行く。もし仮に、たまたま運良く空を見上げた人間が居るとして、しかし真っ黒い彼を視認することは難しいだろう。

 その為のオーバーサイズ、かつ黒いレインコートだからだ。

 

「さて、あの辺かな。たまたま動画で観てて良かったぜ」

 

 しばらく飛んだのち、彼はとある場所に目をつけた。歌舞伎町の某所である。高高度なので雑に見当をつけただけだが、恐らくあの雑居ビルだろう、と。

 

「フフフフ……楽しもうや……」

 

 彼は目標のビルの真上に到達すると、そのまま『落下した』。

 

 ━━

 

 破僧会直系 東京鉄血組 五代目組長射水 吾朗(イミズ ゴロウ)は、今日も今日とて自身が後援している違法風俗店、闇金、密輸エトセトラ……それらの上納金が一覧書きされた帳簿を眺めていた。

 

 やり手の若造のお陰で、同じ会傘下の他団体の中では一二を争う収益を挙げているが、それはつまり我々が納める上納金も多大なものになるということ。オマケにヤクザというのは、羽振りの良い者を見つけるとソイツが音を上げるまでノルマを引き上げ続けるのが慣習であった。

 

「しぶとく生き残っては来たが……そろそろ潮時かねぇ」

 

 彼がここまでの人生を振り返りつつ、ヤクザ稼業の〆時という絵空事を夢想していると。

 

「━━グァァァァァ!? 」

 

 爆音と共に、コンクリートの天井がぶち壊れた。

 

「オヤジィ! 」「大丈夫ですかおやっさん!? 」「何がありました!? 」

 

 子分達が突然の事態に慌てて駆けつける。そして、彼ら共々、目の前に存在する謎の人物に吃驚した。

 

「おやっさん!! 空から変なヤロウが!!! 」「なんだコイツ!?!? 」「まさか天井突き破って無傷なのか!? そんなバカなことが━━」

 

 狼狽える子分達に、射水が喝を入れる。

 

「おいッ! 全員ハジキとドス持ってこいッ! 」

「り、了解だオヤジ! てめぇらカチコミ━━」

 

 次の瞬間、レインコートは『いきなりとんでもない速度でスライドし』、子分の一人を真下から蹴り上げた。

 

「グッ……! 」

 

 蹴られた子分は運悪く舌の先を噛み切ってしまったようで、ダラダラと口から血を流しながらダウンした。

 

 それからは早かった。

 レインコートは『地面を滑り』、『壁を走り』、『天井に張り付き』ながら蹴るわ殴るわの独壇場。まるで重力なぞ知るかと言わんばかりの不可思議な動きで、瞬く間に射水の居る三階を制圧した。

 時間にして、約十秒。

 

「……夢でも見てんのか……俺は……? 」

 

 射水はとっくに撃ち切った拳銃(ハジキ)と一緒に、頭を抱えた。

 

 レインコートはそんな射水とぐちゃぐちゃになった自室を一瞥したあと、二階に『飛びながら』降りていった。

 

 階下で部下達が蹂躙されていく音を聞きながら、射水は思う。

 

 きっとアイツは、荒神さまか何かなのだ、と。

 やめるにやめられない極道から、無理やり足を洗わせてくれたのだ、と。

 

 酷く突飛な想像だが、現実である目の前の光景を見ると、あながち冗談でもないように思えた。

 

「……なんか、久しぶりだな。こんなスッキリした気分は……」

 

 今では我が家を超えるであろう値段になるコレクションの数々も、全て粉々になってしまった。

 もはや、射水 吾朗という極道に箔をつけるものは、その背にある和彫り以外、無くなってしまったのだ。

 

「するか……自首」

 

 ……数日後、東京鉄血組は解散した。




【異能情報】
見鹿島ハバキの能力:『有向量加算(仮称)』
自他問わず、大きな力を加えることが出来る。

【ステータス】
出力:限界値不明。
射程:視界内(?)。
燃費:かなり良い。
精度:まあまあ。

備考:ハバキは能力の本質を掴み切れていない。


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開演 -curtain raising- その5

 その後。

 

「ただいま。何分? 」

 

 屋上に着地したハバキは、血と埃に塗れたコートを脱ぎながら言った。約束通り、二人は屋上で待っていた。流石にテンションも落ち着いてきたようである。

 鵐目は、一応スマホで計っておいたタイムを見せながら言った。

 

「二分二秒。どこ行ってきたんだい? 」

「ヤクザの事務所潰してきた」

 

 目を見張ってキョトンとする、鵐目と少女。

 

「いや……マジだけど」

 

 そんな引かれても困る……という顔で弁解するハバキ。

 

「……まぁいいや。信じようが信じまいが。問題無いしね。警察は? 」

「逃げるには結構ビミョーな距離だね」

「車はここから遠隔操作できる? 」

「メアリーにやってもらう形でなら」

「オーケー。とりあえず車は警察の前を横切らせて、その後は付かず離れずで走らせよう。(デコイ)であることを悟られないように、いい塩梅で人間らしくね。証拠隠滅も兼ねて、最終目的地は東京湾の水底だ。回収する物があるなら早めにな。俺達は空飛んで逃げる」

「空飛んで……って、それは大丈夫なのかい? 色々と」

「何処に逃げるのかって話なら、郊外の山中に降りる予定。そっから宿を探そう。快適さの話なら、まあ、楽しいとは思うよ? 」

 

 今後の予定を早口の会話で決めていく二人を、少女は一歩下がった所から眺めていた。

 

(人生で、一番長い夜を過ごした気がする……)

 

 少女がコンクリートの破片を足で蹴って遊んでいると、

 

「最後にひとつ。キミの言う俺達には、この子は入ってるのかい? 」

 

 唐突に、鵐目が少女を指した。

 

「……ちょっと話そうか。鵐目はその間にやっといて」

 

 ハバキは少し逡巡した様子を見せ、少女の方へ向かう。「二人きりで話そう」と言って、鵐目とは真反対の方へ歩き出した。

 

 (きわ)の金網まで着くと、ハバキは疲れたようなため息をして、それから金網にもたれかかる。ああ、話が始まるんだな、と、少女は思った。父親が説教したり、大事な話をする時も、いつもため息をついてから話を始めていた。

 そしてそういう時、自分はいつもばつ(・・)が悪かった。

 

「……家出をしたのは、今日が初めて? 」

「うん……」

「俺もだ! へへ……」

 

 ハバキは、あのビルの軒下での時のような、いたずら小僧の顔になった。

 彼と過ごしたのはたった数時間だが、それでも分かることがある。彼は雰囲気がコロコロ変わるのだ。

 幼さを見せる時と、冷酷さを見せる時と、包容力を見せる時。

 まるで役が憑依するタイプの名俳優のように、同じ人間であるにも関わらず、全く異なる雰囲気をシームレスに醸し出せる人間だった。

 

「君にだけは話すが……俺は昨日まで、結構良い高校に通ってたんだ。しかも特待だぜ? すげぇだろ! 」

 

 偏差値を聞くと、68だったらしい。それを語るハバキの顔は、先程人智を超えた力で自分を救ってくれた者とは到底思えない、等身大の十六歳だった。

 

「君はいくつだったの? 」

「私は……一応、73とか」

「マジで!? 俺よりすげーじゃん!! 相当努力を重ねないとその値にはならんよ! 君は誇っていい! 」

 

 ハバキはそう言って笑う。さっき見た、誘拐犯の男達を蹂躙した時の笑いとは違って、本心から認めた相手への、リスペクトに溢れた笑いのように見えた。

 少なくとも、そのように感じた。

 

「そんだけ高いと、やっぱり高校は進学校だったわけだ」

「うん、埼玉の女子校の……。まあ、逃げちゃったんだけどね。始まって二ヶ月しか経ってないのに」

「そう言うなよ、俺も同じなんだからさ。二ヶ月でもキツイもんはキツイだろ? 毎朝テストあったりするし」

「そ……そうなの! それで八割取れないと居残りだし! 既に七時限もやってるのに! 」

「やっぱり七時限やってる? 俺のところもそうだったよ! アレマジでイカれてるよな! 」

 

 そこからしばらくは、お互い『如何に進学校の教育プログラムが常軌を逸した詰め込み教育であるか』を語り合った。

 

 本当に、楽しかった。

 

 今までこういう話を出来る友達は居なかった。クラスメートはみんな余裕そうだし、実際そう言っていたし、中学の元クラスメートだとこちらの話を聞く気は端から無くて、僻んでくる。

 もしかすると、目の前にいるこの少年が、あの頃の少女にとって最も必要な話し相手だったのかもしれない。

 

「━━そう。だから、今の進学校どころか公立高校でさえも、半強制的に十代の三年間っていう大事な青春を捧げなきゃならんのさ。映画に小説、友達と遊んだり、旅行したり……元々使っていた趣味の時間を半ば無理やり減らされたのは、本当に堪えたな」

 

 彼は「それだけでもないけどね」、と小さく呟いた。

 それから、よっこらせと起き上がりつつ続ける。

 

「だから逃げた。置き手紙残して、身一つでな。そしたらこんな面白いことになったんだ! 人間やっぱ行動するもんだね」

 

 彼はそう言って、笑った。

 

「君はどう? 」

 

 その笑顔が、痛かった。

 

「……私は、ハバキくんみたいに何かやりたくて家出したんじゃないの。ただ……勉強が辛かっただけで」

「うん」

「いっぱい受験勉強して、たくさんの学費もパパとママに出してもらったのに……高校の人たちはみんな、私より勉強できるのに、私よりキラキラしてて……私がエナドリ毎日飲んで必死に追いついてるのに、みんな涼しい顔で先に行っちゃって……」

「うん……」

「それで、この後も大学とか、会社で働くのがあって……多分この、死ぬ程辛いハードル走は死ぬまで終わらないんだろうって思ったら……もう全部、いやになっちゃって……」

「それで……なるほど」

 

 話しているうちに涙が出てきて、後半はあまり聞こえていなかったかもしれない。

 それでも、彼は優しく、最後まで聞いてくれた。

 

 ハバキは少女の手を取り、自分の左手を更に重ねる。そして、今までの会話で聞いたこともないような優しい声で、言った。

 

「分かるよ。自分が払った多大なコスト、それに値するリターンが支払われるのは今よりずっと先。それでも親や世間は『君の為だから』と、我慢を強いてくる。『今だけだから、今だけだから』。人生の殆どがそれの繰り返しで、それ以外が分からない。そもそも、本当に自分の将来は保障されているのか? なんなら、やってきたことが全て無駄になる可能性さえ頭によぎるんだろ? 」

 

 図星だった。

 

 自分の中のモヤモヤを全て言語化されたような気がする。いや、『気がする』どころではない。少女の中の、少女自身が気にも留めていなかった部分まで、綺麗サッパリ整頓されてしまった。

 

「受験は孤独な戦争だからね。それが中学と高校で合計六年だろ? 泥沼も良いところさ、やってらんねーよな」

「うん……つら、かったの……でも、頑張らないと、ダメだったから……! 」

 

 涙が溢れて止まらない。

 これまでの半生でずっと押し留めてきた感情を今更止められるわけも無く、今や少女は崩れ落ちてしまった。

 そんな彼女の肩を抱き、ハバキは耳元で囁く。

 

「君は少し、リフレッシュをするべきだ。ここまで背負い込んできた全てを一旦放って、ニュートラルな形で人生を楽しむのさ」

「……リフレッシュ……? 」

 

 彼女が落ち着いてきたことを確認すると、ハバキは少し距離を置いて続けた。

 

「具体的には━━俺達と、一緒に来て欲しい」

 

 唐突な誘いに反応出来ずにいると、彼は何がしかを心配したのか、慌てて手を振る。

 

「あぁ、金の心配ならしなくていいよ。飽きたら勝手に帰ってもいい。俺達は君を縛らない」

 

 そういうことでは無く。

 

「……でも、パパとママが……あと内申も……」

 

 サヤは尚も悩み続けるが、ハバキは素知らぬ顔で言った。

 

「俺達に誘拐されたことにすれば、流石に仕方ないって思われるんじゃないか? まあ、ひと月くらいはお茶の間を賑わせるだろうけど」

 

 平然と、とんでもないことを言うなぁ……と、少女は呆気に取られた。

 だが同時に、その無責任さが、奔放さが羨ましくもあった。

 

「……それに、優等生で居ることだけが人生じゃないよ。人生ってのは、本来もっと自由なんだ。金銭法律倫理その他諸々が、壁になっているだけで」

 

 ハバキはそう(のたま)いながら、立ち上がる。気付かぬうちに空は晴れ渡っており、雨の気配は消え失せている。

 

 目の前に立つ少年の背後には、満月が蒼く輝いていた。

 

「俺が助けてあげよう。君の手に、自由が掴まるように」

 

 ━━彼はそう言って、三度目の手を差し出した。

 

「やぁ、カッコよくキメてる所を悪いんだけどさ! ポリ公がね! 来てるんすわ! 我々の足元に! 逃げるなら早くしてくれー!!! 」

「鵐目お前空気読めよぶっ飛ばすぞ!? 」

「読んだ上での暴挙だわ! あと今のキミの暴行予告はマジに命の危険を感じるからやめて!!! 」

 

 二人がギャーギャー騒いでいると、「そこー! 誰か居るのかー!? 」と、階下から大人の声がした。

 

「ゲェッ! 」「Jesus! 」

 

 もはや少女に迷っている時間は無かった。

 

 ……しかし、迷う必要も無かった。

 

「━━ハバキくん。それと……鵐目さん? 」

「なんだい」「何かい!? 」

「私にも……その、新しい名前をちょうだい」

「そんな仰々しいものでもない、ただの偽名だけどね。そしたら、そうだな……」

 

 ハバキは思案した後、指を鳴らす。

 

「━━佐間宇(サマソラ) サヤ。どう? 」

「うん。それでいい。じゃ、行こ」

 

 少女━━サヤはそう言って、ハバキの手を取った。

 

 屋上の扉が乱暴に開かれ、警察官二人が拳銃を構えながら突入する。しかし、そこに人は居ない。だが話し声がしたのは確かである。二人は首を傾げるしかなかった。

 こうなっては仕方がないので、一人は屋上を隅から隅まで探しつつ、もう一人は屋上から落ちた可能性を潰す為、階下に降りていった。

 

 ……もしここでどちらかが上を向いていたら、三人の人間が急速に飛び上がる姿を発見できたかもしれない。

 だがどちらも警察官であるからして、人が物理法則を無視して動くことを想定するような夢想家では無かったのだった。

 

 さて、そんな三人は現在、ちょうど高度四百メートルを超えた辺り。空気抵抗はハバキが相殺している為、無限に上へ落ちているような状態である。

 

「ウオオオオアアアアアアアッッ!! 」

 

 鵐目が、荷物を抱えて高速回転しながら叫んでいる。

 なんならちょっと泣いている。

 そんな彼を横目に、ハバキは両手を広げながら言った。

 

「どうだいサヤ! 空を飛んだ気分は!? 最高だろう?! 」

 

 サヤの方はと言うと、恐怖のあまりにずっと目をつぶって縮こまっていたので、気分も何も無かった。

 

「ごめん、これはちょっと━━無理ぃ━━! 」

 

 見かねたハバキは、縦回転から横回転に移行した鵐目を退けながら、サヤのそばに近づく。

 

「少し触るよ」

「えっ、あっ━━」

 

 そう言うと、サヤの背中と膝裏に手を回し、抱きかかえた。お姫様抱っこである。

 

「これならどうだろう? 身一つで飛ぶよりも安心感があるんじゃないか? 」

「た、確、かに……? 」

 

 彼女は戸惑いつつも、心の何処か、ほんの少しのスペースでは小さな安心感を覚えていた。

 とはいえ、未だに目を開くことは出来ない。だがそれも仕方ないと言えるだろう。パラシュート無しのスカイダイビングでパニックにならない人間など、居ないのだから。

 

「サヤ。よく聞いてくれ」

 

 ハバキが耳元で囁く。

 

「君は今、恐怖している。それは何故か? 『自分を抱き抱えるこの少年が、自分の生命の一切を握っている』からだ。今俺が手を離したら。能力を解除したら。そういう仮定が頭を巡っているから、目を開くことが出来ないんだ」

「……そ、そうなの……? 」

「サヤ、信じてくれ。俺が握るのは君の生命でなく、その手なんだ。君が歩きたいのなら歩けばいい。走りたいのなら走ればいい。俺が何処へでも、その手を引いて連れて行く。もちろん、行先が危険であることもあるだろう。だがその為に俺が居るんだ。このチカラは、その為のものなんだ」

 

 嘶いていた風の音が止む。

 

「サヤ。勇気を出して。俺と一緒に、世界を見よう」

 

 そして。

 

「……わ、わぁぁぁ━━! 」

 

 彼女の眼前に広がったのは、人工彩光の大海原だった。

 ミクロはスマートフォンの画面、マクロはスクランブル交差点の真上に浮かぶ巨大なドーム状の立体(ソリッド)(プロジェクション)(マッピング)。マイクロドローンによる擬似液晶が様々なコマーシャルを流していて、昔ながらのビル付き液晶では話題のV-dolによるライブ広告が配信されている。一面にデカデカとホストの顔面を貼り付けたトラックが赤信号の交差点を走行しつつ、信号待ちの歩行者たちには動画配信者が企画の為に声をかけまくる。

 

 MRゴーグルを掛ければ更に情報量の増した街が見えるだろうが、空中から見下ろす東京の街並みは、既にそれだけで最上の光景であった。

 

「さて、もう一度聞こうか! 『どうだいサヤ! 空を飛んだ気分は!? 最高だろう?!』」

「す、すごいよ……! ピーターパンみたい……! 」

 

 あえて同じ質問を繰り返すハバキに、サヤは心から思った感情を吐露する。

 

「……ハハ、ハハハハハハハハ! アッハハハハハハ! ピーターパンか、良いねぇ! 最高だよサヤ! 」

 

 彼女の例えがハバキの琴線に触れたらしく、彼は大笑いしながら周囲を『飛び回った』。

 

 ━━ピーターパン。

 大人を拒絶し、似た境遇の子供達を束ねる、カリスマに溢れた少年。

 

 それはまさに、見鹿島 ハバキを言い表す言葉としては、これ以上なく最適なものだった。




TIPS:
V-dolとは、読んで字のごとくヴァーチャル世界で活動するアイドルのこと。早い話がVtuberである。
作中現在、特に人気なのが『Markt.V(マルクトフ)』というグループ。何かしらの動物をモチーフにした彼女らは、登録者数トップの340万人を誇る《鼬鼠(いたち) らっこ》を中心に、世界をまたにかけて活動している。


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前奏 -overture- その1

 二〇三四年のこと。

 

 技術的特異点(シンギュラリティ)を過度に恐れた一部のリベラリスト達によってアメリカを中心に起こった先進技術恐怖戦争《テックフォビアウォー》。

 それに加えIoT技術の進歩が二大要因となり、先進国を中心に突発かつ刹那的なテロに対応するため監視カメラ及び総合鎮圧装置(コンプレッショナー)を全国に設置することとなる。これにより軽犯罪・テロ発生率・被害総額は世界的に大幅低下。特に日本は『世界で一番安全な国』の名を、胸を張って標榜するまでに至った。

 

 参考までに、海外で少し人気になったジョークを紹介する。

 

「日本で食うに困ったら、その場でズボンを下げてみろ。三食付きの無料ホテルを紹介してもらえるぞ」

 

 嘘だと思うなら、一歩外に出て注意深く周りを見渡してみるといい。ものの数分で、二桁数の監視カメラが見つかるはずだ。いくらか事実を誇張してはいるものの、あながち嘘とも言い切れないということが分かるだろう。

 

 とにかく。

 

 そんな監視大国の中で、彼ら三人はひとつ大きな事件を起こそうとしていた。

 

 ━━

 

 あの事件から一晩明けた、午前十時。

 

「んむぅ……」

 

 佐間宇(サマソラ) サヤは、天井のライトで目を覚ました。

 寝ぼけ(まなこ)で辺りを見回す。灰白色の床・壁・天井。ベッドまでもが同じ色。部屋の中央にはダイニングテーブルがあり、椅子が四つ、壁にはモニター。もちろん全部灰白色である。最近流行りのレイアウトだ。

 

 彼女は、自分がホテルの一室で目覚めたことを理解した。

 

 昨夜のことが遠い夢のように感じる。疲れと興奮で、ふわふわしたまま身支度をして、ベッドに入って五秒で寝たところまではなんとか覚えていた。道中買ってきたワンコインのワイシャツを着ていることが、何よりの証左である。

 

 何をすべきか頭が働かず、あくびをしていると、

 

「おはよう。サヤ」

 

 彼女の横から、ダウナーな少年の声がした。

 振り向くと、彼が居た。サヤと同じように、安っぽい半袖とズボンを着ている。近くのコンビニまで行ってきたようで、手には色々入ったレジ袋を持っていた。

 

「あ、え、おはよう、えっと……」

「ハバキ」

 

 挨拶しようとするが上手く名前が出てこず、結果ハバキの方から自己紹介させる羽目になってしまった。

 

「あ、ごめんねハバキくん……」

「会って一日と経ってないんだ。気にせんよ」

 

 彼はそう言うと、もう一つのベッドに腰掛け、間にあるサイドテーブルの上にレジ袋の中身を置いた。菓子パンや海苔巻きなど、コンビニで売られている安い食品がたくさんある。

 

「朝食を買ってきた。好きなの食べてくれ」

「ありがとう……」

 

 お礼を言って、サヤはメロンパンとおかかおにぎりを手に取った。

 飲み物も欲しいな、と思い、ベッドから出ようと身体の向きを変えると、その目の前に水のペットボトルが差し出される。

 

「水で良かった? 」

「う、うん。大丈夫。ありがとう」

 

(よく気がつく人だなぁ……)と驚きながら、またお礼を言って、受け取る。ハバキはにこやかな顔で頷き、サヤが取らなかった朝食を全て自分の方にかき集めた。

 

「そういえば、もう一人の、鵐目(シトドメ)さんは? 」

「アイツは別で買い物してる。昼頃には帰ってくるよ」

「え? 一人で大丈夫なの? なんか追われてるとか、そういう話じゃなかったっけ? 」

「よく覚えてるじゃないか。確かにアイツは追われる身にあるが、追っ手は警察じゃない非合法な存在だからな。衆人環視の中なら手は出せんのさ」

 

 ものすごい勢いでおにぎりと惣菜パンをかじりながら、ハバキは言う。三人分はあろうかという量を全部平らげる気なのだろうか。

 

「あ、コレ聞いとかないと。家出の時、書置き残した? 」

 

 一瞬食べる手を止め、ハバキは質問した。

 

「一応、それっぽいものは」

「内容は? 」

「え? 『捜さないでください』ってだけだけど……」

「良し! グッジョブだぜ、サヤ」

 

 ハバキはそう言って親指を立てると、また食べ始めた。だがサヤにとっては、何がグッジョブなのかとんと分からない。

 その旨について質問しようと口を開く前に、ハバキの方から教えてくれた。

 

「今サヤが言った内容の書置きっていうのは、『失踪宣告書』って言ってね。それがあると、一般捜索人と判定され━━要は事件性ナシって警察が判断して、積極的な捜索をしなくなるのさ」

「へー! 私が知らないだけで、めっちゃ捜してくると思ってた」

「毎年九万人前後が行方不明になってんだ、一々捜していられないんだろうさ。ただ、あくまで積極的(・・・)、だからね。見つかったら連れ帰られはしないけど、家族の方に『ドコソコで見つけましたよ』って連絡行くから、ソコは気をつけような」

 

 その言葉を聞いて、サヤは少し目を伏せた。

 

「そっか……。これからずっと、パトカーに怯える日々が続くんだね……」

 

 そう意気消沈したことを言うと、ハバキは笑った。そして、こう付け加える。

 

「曰く、届出が出されてから一週間耐えれば、行方不明者の発見率はたった三パーセントにまで落ちるんだと。実際そのくらいはこのホテルに泊まる予定だから、そう悲観しなさんな」

 

 子供を諭すような調子で彼は言って、その後また少し笑った。彼の真っ黒い瞳を見つめていると、唐突にまだ顔も洗っていないことに気づいて、途端に恥ずかしくなった。

 

「ごちそうさま。えっと━━」

「洗面所は廊下の右手にあるよ」

 

 ハバキは本当に、よく気がつく人間だった。

 

 サヤはいそいそと包装のゴミを集め(この時もハバキはお礼を欠かさなかった)、道中のゴミ箱に捨てつつ洗面所へ向かった。

 ハバキは彼女の姿が見えなくなったのを確認する。そして、はち切れそうなものを解放するように大きくひと息ついた。

 

(やっぱ、女の子の前だと緊張しちまうな……。対応の仕方、アレで合ってたのか……? )

 

 彼は十六とは思えぬ程に聡明だったが、それでもその性根はしっかりと少年であった。

 

(まあ……嫌な顔はしてなかったし。大丈夫だろ。たぶん)

 

 ベッドに寝転がり、天井を仰ぐ。彼はいくつものシナリオを夢想し、そこに自分の持つあらゆる情報から、有り得るかもしれないシチュエーションとそのソリューションを当てはめる。

 

(……積極的な捜索はしない、か……)

 

 昨晩の、鵐目との会話を思い出す。

 彼は不法な存在に追われる身であるが、本来はこのような迂遠で不安定な方法を取らずとも、金と権力で警察の手を借りて監視カメラから捜し出す方が確実で手っ取り早いはずなのだ。

 

 そう聞くと、彼は笑いながらこう答えた。

 

「ボクが存在するのは、リアルの世界だけなのさ。キヒヒヒ……」

 

 そう言われても全くもって納得出来ないので問い詰めると、予想だにしなかったファンタジックなSFバナシが聞けた。

 

(『メアリー』謹製のコード『RED_HERRING』。監視AIのサブルーチンをクラックし、あらかじめ設定した顔を認識した時、全く別の顔面として偽装する……という話だが)

 

 鍵となるのは『ディープ・フェイク』という技術である。二十年代に開発された、AIを通して全く別の人物のテクスチャーを被せるこの技術は、先進技術恐怖戦争《テックフォビアウォー》を経て、スーパーAIと共に禁忌(タブー)指定を受けたものだ。

 

 しかしいくら禁止されたとはいえ、やはり二十年近く前の技術である。やろうと思えば簡単に出来てしまうし、実際活用しているのが鵐目という男なのだ。

 

(一度デモを見せてもらったが、なるほど確かに俺の顔では無かった。素早く動いても合成が乱れる様子も無かったし、ガラスの反射なんかにも対応している。顔だけならまずバレないと見て良い。だがまぁ……)

 

 ごろん、と寝返りを打つ。洗面所から流れる水音が止まる。

 

(目の良い奴なら靴やカバンを見れば一発で分かるし、移動経路から割り出すことも出来るんだよなぁ……)

 

 それを加味して、『ランダムで別人に自分たちの顔を被せる機能』を実装するよう頼んだが、それはもう終わったのだろうか。鵐目からの連絡は無いまま、彼は買い出しに行ってしまった。

 彼は会社に居た時からこうなのだろうか? だとするなら、チームメンバーの苦労が偲ばれるというものである。

 

「戻ったよー」

 

 そんな下らないことなどを考えていると、サヤが身支度を整えて戻ってきた。昨晩とは違い、心持ち気楽な顔をしている。

 そっちの方が可愛いぜ、と言おうと思ったが、まだ少し気恥ずかしいので心の内に止めておくことにした。

 

「おかえり」

 

 ハバキはにこやかにそう言うと、脳内に散乱している思索の数々を闇の彼方へ放り投げる。子どもが玩具を粗雑に箱へしまうように。

 

(ま、現時点で色々考えても仕方無いか。今は楽しもうぜ、サヤ)

 

 彼は芯からリアリストである。だが同時に、ビックリするほど刹那主義のエンジョイ勢でもあった。

 

 少なくとも、今までの人生を無頓着に捨ててしまう程度には。




TIPS:
東京での監視カメラは、ホテルの部屋や公衆トイレなどのプライベートな場所以外ほぼ全域に設置されている。
警察の要請があれば、ただちに録画データとそれに映る人間の個人情報が提出される。個人情報の範囲は、マイナンバーカードに紐付けされているもの全てである。AIが人相を解析し、データベースから同じ顔のマイナンバーカードを抽出するという仕組み。


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前奏 -overture- その2

 食後の、特にすることも無い昼過ぎ。

 サヤが窓から景色を眺めていると、ハバキが話しかけてきた。

 

「そうだ。昨晩、鵐目と話したことをサヤにも話しておこう」

 

 彼はそう言うと、ダイニングテーブルの表面をコツコツと二回叩く。たちまち表面のディスプレイが起動し、様々なサービスを表すアイコンが画面に表示された。いわゆるスマートテーブル、iTableと言われるものである。

 

 画面を操作するハバキの背に、サヤは問い掛ける。

 

「昨晩、ハバキくんはあんな風に言ってくれたけどさ。結局、何をするつもりなの? 」

「テロル」

 

 端的かつ、衝撃的なひと言であった。

 

「え……」

 

 彼に対し、言うべき言葉が見つからないサヤ。

 

「━━第三者から見れば、だけどね。俺の認識はもちろん違う。まぁ、テロリストは皆んなそう(のたま)うんだけどさ」

 

 彼は笑いながら言う。

 

「俺の目的は『自分らしく、楽しく生きること』。そのために、最初は色々と七面倒臭いこと考えてたんだけど、でもほら、昨夜のアレでとんでもないチカラを手に入れちゃっただろ? だから方針全部取っ替えて、このチカラを存分に発揮することにしたのさ」

 

 ものすごくフランクな、言ってみれば将来の夢を語るような朗らかな調子で、彼は話し続ける。

 

「さて、サヤ。サヤは今の世の中に不満はある? 」

「まあ……うん。もうちょっとゆとりが欲しい、かな。今ってAIがめちゃくちゃ発展してるから、昔みたいに単純作業でお金をもらうのが難しいって言われてるでしょ? だから学校の勉強以外にも、コミュケーション能力を高めたり、人当たりの良い性格に『セルフプロデュース』しないといけなかったりで……。みんながみんな、そういうのが得意ってわけじゃ無いのに……」

 

 話しながら、サヤは一昨日までのことを振り返る。

 

 朝早くに起きて、単語帳を眺めながら通学。

 昼までは勉強、勉強、勉強。

 昼休みは『適切なスキンシップ』という名のコミュニケーション訓練。他人と積極的に話し、笑い合い、それを録画・録音したものをAIが判定し、点数と各項目に応じた詳細なレポートを受け取る。

 その後は勉強、勉強、レクリエーション。サヤは部活動が苦手だったので校外ボランティア活動をしていたが、実情としてはさほど変わらなかった。すなわち縦社会、厳しいノルマ、女子特有の派閥抗争である。

 家に帰れるのは二十時を過ぎた頃。その後は課題をやらなければならないので、全てのタスクが終わって自由の身になるのは、早くて二十二時以降であった。

 

 我ながら、二ヶ月もよく耐えたな……と思うサヤ。

 そんな彼女が時間のゆとりを欲しがるのは、至極当然の話であった。

 

「分かるよ。俺達みたいな一般人にまで、エリート的な意識の高さとリーダーシップを求められるんだもんな。『セルフプロデュース』という単語に漢字を当てるなら、きっと『自己洗脳』が一番近かろうさ。それの是非だとかも一緒に話したいけれど、今はその意見が聞けただけで十分だ」

 

 ハバキは昨日と同じく、モヤモヤをクリアに、鬱屈した淀みを明確に言語化して、サヤを慰めた。

 それと同時に、テーブルに開いていたウィンドウを壁に向かってスワイプする。テーブルの液晶から壁に向かってするりと移動したウィンドウは、数種のSNSのトレンドと、それに関する投稿で溢れていた。

 

 ━━『トレンド1位:手取り15万』『政治に関するトレンド:#社会保険料見直せ』『教育に関するトレンド:フルオンライン授業』『おすすめのトレンド:AI監視の地獄』『ITに関するトレンド:ブルーより低賃金』━━

 

 エトセトラ、エトセトラ。

 

「今のサヤみたいに、世の中に不満を持ってる人は結構多いらしくてね。特に最近だと、日々パフォーマンスが向上するAIのせいで仕事を失った中堅ホワイトカラーが特に酷い。第三次就職氷河期ってヤツだ」

「うん、親からよく聞かされてきた。『だから勉強を頑張らないとダメなんだよ』って。もしかしてハバキくんは、この人たちの願いを叶える為に━━」

 

 そう言いかけるサヤに対して、ハバキは振り向き、自分の口に人差し指を立てる。

 

「俺はそんなに優しくないよ。第一、それは暴力じゃ改善しないしね。そういうのは自分と、勤め先と、地元の政治家が何とかするもんだ」

 

 意外だった。サヤから見たハバキは紛うことなき『優しいひと』であったので、その言い分は本当に……意外だった。

 彼はウィンドウを横目に見ながら言う。

 

「俺が欲しいのは『彼らの負の感情』だ。自己責任論と画一的な価値観上での勝ち負けに圧搾されて出来た、この膨大な心のエネルギー! これを上手いこと利用すれば、俺達はなんだって出来る! 金も、時間も、自由も、欲しいものはなんだってな! 」

 

 両手を広げ、そう声高に主張するハバキ。なんだかマッドサイエンティストか、ファンタジーの魔王みたいだな、とサヤは思った。

 

「……まあ、口で言われてもピンと来ないとは思う。ちょっと抽象的過ぎたね。要は『世の中の不満を味方につけたダークヒーローになろう』ってことだ。名前も考えたんだぜ? 『黒いローブに白い仮面、謎の怪人アラハバキ』! 空を飛び地を走り、悪い奴をぶっ飛ばし、悪くない奴もだまくらかす! そういうモノに私はなりたい……」

 

『雨ニモマケズ』を引用しつつ、彼は言う。サヤが「意外と年相応に子どもっぽいところもあるんだね? 」と言うと、彼はフフン、と鼻で笑いながら肩をすくめた。

 

「さて、アラハバキを誕生させる前に、まずは目先の困難を排除しないとな。というわけで、記念すべき最初のプランはコレだ」

 

 彼はまた別のウィンドウを最大化する。その後いくつかの項目を弄ると、テーブルの上にホログラムの建物が立体投影された。全面ガラス張りの特徴的なビルは、サヤもよく知っているものである。

 

「これって……B(ビギニング)W(・ウッド・)T(テクノロジーズ)の日本支社ビル!? 」

「イエ〜ス♪『コンプ』の開発とその他AIデザイン関係で急成長中のメガベンチャー、そして鵐目が追われる原因となった、『マザーAGI:メアリー・スー』の生みの親だ。『アラハバキ』の活躍には鵐目、引いてはメアリーが生み出すコードの存在は欠かせない。だからココを襲って、アイツらを手に入れられるように、上と直接取引するのさ」

 

 彼の言葉と同時に、ホログラムはビルの概観から二人の男の胸像へと形を変える。

 左は日本人の壮年男性で、垂れた眉と後退した生え際、落ちくぼんだ大きな瞳から酷く神経質そうな印象を受ける。右の若い男は西洋系の顔立ちで、見開いた青い目とニヤけた口元からは、一歩間違えれば驕りと取られても仕方ないような、絶対の自信が見てとれた。

 

「左がBWTジャパン代表取締役、金城 浩二。右はBWT本社のCEO、アル・ビギニングウッド。取引相手はこのどちらかだが、アルが来てくれるのが理想かな。アイツが俺を気に入れば、全てが上手くいく」

「そんなにすごい人なの? 」

「良い意味でも、悪い意味でもな。親父の電器屋を八年で業界トップの会社にした辺り、エンジニアとしても経営者としても超A級なのは確かだ。それはそれとして、SNSの使い方がヘッタクソでな……。スタンスの違う保守派の人間にすぐ噛みついては、お抱えのニュースメディアや信者を使って叩きまくる。結果を出してるから良いものの、常人ならとっくにムショ行きだ。BWTの株価が予測不能なのは、半分くらい炎上のせいだね。誹謗中傷なんぞチラシの裏にでも書いとけっちゅーに……」

 

 とにかく、とハバキ。

 

「『アラハバキ』がビルを襲撃するのは八日後の夜。その日までに衣装作ったり、戦闘訓練したり、打ち合わせしたりする。サヤは俺の補助を頼む。人手は常に足りないものだと思ってくれ」

「り、了解! 頑張るね」

 

 サヤがそう返事すると、ハバキは満足そうに頷き、彼女に手を伸ばす。

 

「あ……」

 

 そしてサヤの肩をポンポンと叩き、テーブルの操作に戻った。履歴を消去したりしている。

 

(頭撫でられるかと思った……)

 

 どうということも無い、ただの勘違い。微妙に頭の方向へ手が寄っていたから、そう思ってしまっただけである。

 しかし彼女は、とても小さな━━いや、そんなに小さくもないかもしれない。いやいや、やっぱり小さい? いやでも、やっぱり結構大きいのかもしれない━━消化不良を感じていた。

 

 生まれて初めての、切なさであった。

 

 ━━

 

「あ、そうだ。ハバキくん、私が持ってた傘がどこにあるか、知ってる? 」

「アレかい? さあ、俺は知らないな。てっきりサヤが持ってるものかと思ったけど。どっちも知らないってことは、まぁあの屋上に置いてきたんだろうさ」

「……そっか」

 

『手伝って欲しい』と言われたところで、鵐目が買い出しから帰ってこない限りやることは無いわけで。

 イスに座りながら、テーブルに腰掛けるハバキと共にSNSを眺めていた。

 

「気になる? 」

 

 サヤの顔を覗き込みながら、ハバキは言う。

 

「まあ、うん……。アレさ、私が……その、盗んじゃったものだから」

「ふむ。サヤちゃんはこれから世間を騒がせる大犯罪に加担するというのに、盗んだ傘一本に心奪われているわけか」

 

 ハバキはサヤの背後に立ち、背もたれを握って前後に傾ける。

 不可解な行動にどうすべきか分からず、サヤは黙って揺すられる。

 

「……あの……」

「ふーん……へぇ……」

 

 ギシ、ギシ。

 

「かわいいね」

 

 ギシ、ギシ、ギシ。

 

 …………。

 

「……呆れてるの? 」

 

 短くも長い沈黙を破ったのは、その言葉だった。

 

「いや? 」

 

 おどけた調子でハバキは答える。彼はまたテーブルにもたれかかり、笑いながら話す。

 

「むしろ安心したよ。人間が多数集まっても、同じ所を見ていたら意味無いからさ。そうやって、俺や鵐目が見えない『死角』を気にしてくれていると、とても助かる」

 

 先程の空気とは明らかに違うノリに、サヤは若干ついて行けていなかった。がしかし、

 

「うーんと……どういたしまして? 」

 

 多分、何かの映画のパロディだとかそういうタイプの行動だと思ったので、ひとまずはにかんで無視することにした。

 

「これからも、何か思う所があったら遠慮せず言ってくれ。サヤの役目は、俺達の『良心』であることだからね……」

 

 良心。つまり安全装置(フェイルセーフ)

 

『俺たち二人が越えてはいけないラインを跨ぎそうな時は、君が止めてくれ』。そういうことなのだろう。

 しかし、自分に出来るだろうか? 現にハバキが鵐目の誘いに乗った時、車を止められなかったではないか。要はアレをもう一度やれということなのだろうが、サヤには正直なところ自信が無い。

 

「あの時は……すまなかった。本当に」

 

 ハバキは床に跪き目線を下げて、サヤの考えていることを察知した故の言葉を吐く。

 

「アレは……なんと言うべきかな、サヤを『見る』気が起きなかったんだ。所詮は他人だと。だけど今は違う。もう他人じゃない。だから、サヤが言うべきと思ったことを言ったなら、真面目に耳を傾けると約束しよう。俺も、鵐目も」

 

 彼はそう言って、サヤの膝に手を置いた。その声色はとても真摯で、その目の眼光も、仕草の全てもそう感じられた。

 

 これほどの彼を見るのは初めてだった。

 

「君だからこその役目だ。他の誰にも、君の代役は務まらない。頼めるかい? 」

 

 それでも、彼女は喜んでいた。

 人生で初めて、自分にしか出来ない、『佐間宇 サヤ』だからこそ出来ることを任されたから。

 

「……ん。ありがと。頑張るね」

 

 その時、ドアが開いた。両手にいっぱいのレジ袋を持った鵐目が入ってくる。ドカドカと部屋内に進むと、荷物を雑にテーブルに置いた。ホログラムは掻き消え、液晶は自動で消灯する。

 

「ただいマンモス〜」

「おかえり、鵐目。モノは買えたか? 」

「バッチシよ! んじゃ衣装の方はキミの担当ね。ボクはハイテク担当すっから! 」

 

 そう言うと、鵐目は自分のカバンから工具やらタブレットやらを取り出して、袋から取り出した小さな機械たちを分解し始めた。

 

「私は何をしたら……」

 

 やることは知っているが何をやればいいのか分からないサヤの前に、コスプレ用の仮面と、茶色い紙が置かれる。

 

「んじゃこれ」

「紙ヤスリ……? 」

「コレでその仮面の塗装を剥ぐのさ。終わったらパテ盛って、着色して、ワックスかける。ヤスリがけが一番面倒だから、一緒に頑張ろうな」

 

 紙ヤスリを持ったのは、小学校の図工の時間以来である。

 

「う、うん。頑張る……」

 

 こうして、少女の初仕事━━犯罪者予備軍の衣装製作━━が始まった。




TIPS:
二〇三九年では、AIの製造に『デザイン』と『開発』の二つの用語が分けて使用されている。

デザインとは簡略化された学習AIの製造方法で、いくつかのテンプレートから用途に合うものを選び、そこに高度圧縮された経験データベースを導入することで初めて製品として出荷される。この一連の流れがデザインである。
開発とは、上で出てきた『テンプレート』『経験データベース』などの制作に対して使われる語である。

ビギニングウッド・テクノロジーズはこの『AIデザイン』という手法を確立したパイオニアであり、鵐目はここでAIデザイナーとして働いていた。


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前奏 -overture- その3

 八日後。午後七時。

 東京某所、ビギニングウッド・テクノロジーズ・ジャパン本社ビル前広場。

 

 この夜も、いつもと変わらず大道芸人が驚くべき芸の数々で人の輪を作り、ミュージシャン志望が自作の曲をギターで弾き鳴らし、様々に派手な髪色をした者達は流行りの珍妙な動作を撮って動画にしていた。つまるところ、この芝と大理石のアート作品で構成された広場は、B(ビギニング)W(・ウッド・)T(テクノロジーズ)がそうであるように、若者達のエネルギッシュな情熱を後押ししていた。

 

 そんな人混みの中にいつからか、彼は居た。

 

 真っ黒いコートに、真っ黒いブーツ。

 真っ白い手袋に、真っ白━━くない仮面。

 

 仮面は目の部分が真ん丸にくり抜かれていて、右目に黒の縦一本、口の辺りに横二本描かれているシンプルなデザインだ。目は真っ黒で、仮面の下を伺い知ることは出来ない。

 いや、伺い知れないのは全身余す所無くそうなのだが。

 

 最初に彼の存在に気づいたのは、自撮りをしていた女子大生だった。スマホの画面に突然、降って湧いたというか、『空から降ってきた』かのように彼の姿があったのだ。

 

「あれ……? あの人いつから居たっけ? 」

 

 彼は顔を上げ、目の前のBWTビルを見上げる。そして、ゆっくりと、音も無く、歩み始めた。

 

 彼の動作に付随する僅かな音でさえ、この喧騒の中に掻き消えてしまうというのに、彼が一歩足を進めるごとに一人、二人、十人、二十人と、彼の存在に気づき目を奪われる人間が加速度的に増えていく。

 次第に若者は、彼を中心として大きな人の輪を作り出していく。次々に人は増えるばかりだが、しかし彼の半径五メートル以内に近づく者は誰一人として居なかった。スマホで撮影出来ず怒声を放つ者さえ居るのに、それでも近づこうとはしないのだ。

 

『空から飛んできた』彼だが、こればかりは、預かり知らぬ処である。

 

 やがて彼は、ビルの敷地と広場を分けるゲートに辿り着いた。ここから先は、社員証を持つ人間しか入ることが出来ない。透明なドアを破壊して入ろうとしても、コンプがコンマ一秒も経たないうちに侵入者を攻勢的に無力化するだろう。

 今や広場のほとんどの人間が固唾を飲んで見守っていた。彼が何をする気なのか、皆が注目していた。

 

 彼はドアの前に立つと、半身を引き、左手をドアに当てた。

 

 そして次の瞬間、『ドアは勢いよく砕け散った』。

 

「キャアアア!!! 」「なんだアイツ!? 」「すっげー……」「空道かな」「とんでもねぇ腕力だ! 」「アレ腕力なのか!? 」

 

 刹那にも満たない時、コンプがその青と白の銃身を自身から抜き出しゴム弾を連射し始める。毎秒レート千六百発。死にはせずとも手足の骨が砕け破片が筋繊維とミックスされる程の火力である。

 

 だが、『彼には届かなかった』。

 

「オイ! アイツの手の先見ろ!!! 」「え……弾が……」「止まってる!? 空中で!? 」「何かのプロモーション的な? 」「すっげーマジシャンが現れたもんだ……」

 

 彼はドアの破壊と同時に両手を広げる。それと同時に発射されたゴム弾は彼の手の平から五センチほど手前で静止した。後続の弾と衝突し、みるみるうちに彼の両側にゴム毬が形成されていく。ゴム毬がバスケットボールくらいの大きさになったところで、彼は『それらをコンプに向けて発射した』。

 

「うわぶっ壊しやがった!!! 」「ヤバいヤバいヤバいって! 」「これ逃げた方が良いんじゃ……」「クッソー! 画角が取れない! これじゃバズらないんだけど! 」

 

 コンプは派手な音と共に破壊され、ショートした回路から火花が飛び散っている。スプリンクラーが稼働するが、『しかし彼の頭上には降りかからなかった』。

 サイレンの音と共に、彼はまた歩を進め始める。

 

『両手を上げ、膝をついてください。両手を上げ、膝をついてください。Raise your hands, and get on your knees━━』

 

 警備機械(セク・ボット)が日本語含め五ヶ国語で彼に投降を促す。移動する小さなテトラポッドのような見た目をした彼ら。その胸に相当する部分には、赤と白で可能な限り威圧的かつ官製的な文章が表示されている。

 

『……举起双手,跪下━━』

 

 彼が動き始めたのは、ボット達の音声が中国語に切り替わった時であった。

 

「……」

『━━』

 

 彼は向けられた銃口を爪の先ほども気にせず、先程までと全く同じ歩幅でボット達のただ中を突っ切り、その途中で彼らのボディをポンと叩いて行った。ボット達は、先程まで彼が居た部分を注視している。まるで彼が見えていないかのように。

 

「あれ? ボット動かなくなっちまった」「アイツのこと認識出来て無いんじゃね」「故障か……? 」

 

 群衆が口々に想像を喚き散らす。どれも確たる根拠に欠けていたが、一人だけ、偶然にも真理を突いた発言をした。

 

「……いや、違う! 見えてないんじゃない! 動けてないんだ! アイツがドアぶっ壊した時みたいに、見えない力を加えて━━」

 

 彼が言い終わらないうちに、防弾性プラスチックで出来たボットの筐体は『押し潰しと引きちぎりと捻りあげを同時に行ったような、恐ろしい音と被害を被った』。

 

「どいて! どいてください! ほら下がって、危ないから! 」

 

 ここに来てようやっと警察が到着した。敷地に入った彼らは応援を要請しながら銃を構え、謎のローブを囲もうとする。

 

 しかし突入した彼らの目に入ったのは、彼の背後でメキメキグシャグシャと耳を塞ぎたくなるような音を立てて圧縮されている、ボット達の凄惨たる姿だった。

 

「……」

 

 彼はこれ見よがしに両手を広げて、群衆の方を向く。

 言葉は無く、これ以上のジェスチャーも無い。が、無惨にもスクラップボールとなったボットの残骸は、群衆と警察に同じ思いを抱かせた。

 

(邪魔をしたら我々も……同じ目に遭う(・・・・・・)……!!! )

 

 ━━警察とは、法の番人であり、正義の味方を自称できる希少な職業であり、国家公認の暴力装置である。少なくとも現場に駆け付けた五十三名の警察官は、大同小異だがそう考えていた。

 

 しかし、彼らの足は動かない。

 手を伸ばせない。

 目を離せない。

 

 職業倫理よりも、未知への恐怖と生存本能が勝ってしまったのだ。

 

「クソ……クソ……ッ! 」

 

 悔し涙と脂汗の混じった液体を滴らせながら太腿を叩く警察を後目に、彼は踵を返してビルに向かう。

 

 彼が目線を外した時にやっと、自分達が動けないのは彼の能力ではなく、全てにおいて自身の不甲斐なさが原因であることを理解した。

 

 ━━

 

(ファーストアピールは……上々の結果みたいだな)

 

 ハバキはビルへ向かいながら考える。

 

(報道陣はまだ到着していないが、これだけ騒ぎになれば『作戦』が終わる頃には来るだろう。『仕上げ』には間に合う。気を抜かずに、こっちも頑張るか)

 

 綺麗に手入れされた植木や光り輝く噴水の間をハバキは歩く。可能な限り堂々と、優雅に。

 

(さて……)

 

 やがて彼はビルの玄関前に着く。眼前にそびえ立つガラスの塔は東京の病的な有彩光に照らされ、丁度さっき通り過ぎた噴水のように光り輝いていた。中の人間は、見る限りだとまだ仕事をしているようだ。

 

(社長室は……あそこだな。予習して良かった)

 

 彼は玄関の脇に移動し、ガラスの壁に足をかける。

 

(さあバカ共、スマホのレンズ越しによく見とけ! )

 

 彼は『ビルの壁を先程までと変わらぬ調子で歩き始めた』。

 

(テメェら用の分かりやすい手品だ! 諸手を挙げて喜びやがれ!)

 

 ゆっくりと、しかし着実に足を進める。彼の歩みには些かの無理も見られない。まるで当然かのように壁を登っていく。

 彼が三階を超えた辺りで、彼の頭上━━つまりはビルの前に強烈な光が照射された。機動隊の用意したサーチライトである。間髪入れずにローター音がイヤホン越しに耳をつんざく。報道ドローンである。

 

(仕事が速いね。こっちも助かるよ)

 

 彼はボットを潰した時のように両手を広げ、そのまま歩いていく。その様は綱渡りをするサーカス団員のよう。サーチライトに照らされた社員達が驚き(おのの)き窓際に集まる。警備員も、廊下の奥で避難誘導をすべきかどうか決めかねているようだった。

 

「皆様ご覧下さい! 謎の男がビルの壁を歩いています! ロープも使わず、地面を歩くように歩いています! これは決してCGでもフェイクムービーでもございません! 本物の人間、本物の映像です! 」

 

 報道ドローンからの映像と共に、キャスターが声を張り上げる。

 

『ビル前広場で謎のコートがドアぶっ壊した!!!ヤバい!!!』『謎のコートってトレンドにあったけどアレ何?新手の広告?』『ヤバすぎる』『こわ どうやってるんやこれ』『というか警備機械全部ぶっ壊したってマ?人の手で?』

 

 SNSや匿名掲示板に、撮られた動画が一瞬で出回り、レスポンスが付けられる。

 

 今や日本中が、彼の一挙手一投足に釘付けになっていた。

 

 ━━

 

 BWTジャパンCEOの金城 浩二がその報を受け取ったのは、事態が発生してから二分後であった。

 

「傍迷惑な奴だな……」

 

 それが、まず最初に出た思いであり、スマホ越しに実物を目にした時にも思ったことだった。

 

 彼の目的は分からない。が、どうせまた何処かの短絡的な若者が、SNSのいいね欲しさに無許可でマジックショーを開催しているだけの話だろう。あのパフォーマンスも、透明なケーブルか何かを使って、壁を歩いているように見せているだけだ。となると屋上に仕掛けがあるわけで、そうなると我が社の社員の中にそれを手引きした者が居るかもしれない。

 

 全く、本当に傍迷惑としか言いようが無い……。

 

 とりあえずの対応として、彼が警備室に連絡し社員の避難を指示し終わった時のこと。

 

 コンコン。

 

「ん? ━━ハァ!? 」

 

 先程報告された仮面の男が、しゃがみ込んで社長室の窓をノックしていた。

 

「おおお前ここ二十階だぞ!? 何だお前何してんだ!? 」

 

 彼の狼狽は窓越しに届いていないようで、男は何の反応も示さなかった。

 代わりに、片手を払うジェスチャーをした。

 

「何だ? 何だそれ『どけ』ってか? オイオイオイ待て待て待て何をする気だ待て待て待て待て━━! 」

 

 男はゆっくりと片足を上げ、そして『踏みつけた』。

 

 ガシャーン。

 

「うわあああああ!!!……ん? 」

 

 咄嗟に顔面を守るが、予期したはずのガラス片は飛んで来ない。一面の窓ガラスは確かに砕け散っている。が、『飛散はしていなかった』。

 

「いやぁ、すまない。あまり加減が効いていなかったようだ。怪我は無いね? 」

 

 尊大な調子と共に、ボイスチェンジャーで変換された声が響く。『ガラス片は自ずと人間大の穴を作り』、仮面の男を招き入れた。

 

今晩(こんばん)は……ビギニング・ウッド・テクノロジーズ・ジャパン社長、金城 浩二殿。私は『アラハバキ』。今日は貴方に幾つか要求をしたい。宜しいかな? 」

 

 アラハバキと名乗る男は、腰の抜けた金城の前でそう言った。

 金城は目の前の全てに脳の処理が追いつかず、しばらく酸欠の魚のように口をパクパクさせていたが、何とか思考の糸を紡いで口から捻り出した言葉はこれだった。

 

「何だお前!?!?!? 」

 

 この数分で何度この言葉を口にしたことか。そうは思いつつも、そう言い放つことしか出来なかった。

 

「……今はまだ、アラハバキと名乗ることしか出来ないな。私という存在は他者によって定義され━━」

 

 彼が何か講釈を垂れようという時に、社長室の扉が乱暴に叩かれた。

 

「社長! 大丈夫ですか! 金城社長! 」

 

 恐らく警備の者だろう。不審人物の侵入した部屋を馬鹿正直にノックするのは愚かであり無謀な行為だが、彼はそれに気づかなかったか、もしくは無視したか。

 

「……話の邪魔だな」

 

 アラハバキはそう呟くと、パチンと指を鳴らした。

 瞬間、『扉がバンと勢いよく開かれる』。そこに居たのは、警備員ではなく金城の秘書だった。

 秘書が驚きの声を上げる間も無く、『アラハバキは瞬間移動したかのような速さで彼に近づき』、彼の首を引っ掴んだ。

 

「静かに……」

 

 アラハバキはそう言って、秘書を『廊下の奥へ投げ捨てた』。

 

「今、何を……」

「見ての通り、部外者を排除した。生きてはいるから安心して欲しい」

 

 確かに、壁にぶつかったような音は聞こえていない。途中で『勢いを殺した』ということだろうか?

 彼は部屋に戻り、『再び勢いよく扉を閉めた』。

 

(さて)。警察が突入する迄に、手早く済ませて仕舞おうか。私が要求するのは、『メアリー・スー』の独占使用権だ」

 

 アラハバキは来賓用のソファーに腰を下ろし、足を組みながらそう言い放った。

 次から次へと、金城に新鮮な驚きが届けられる。

 

「どこでそれを!? 」

 

『メアリー・スー』はBWTJの最重要機密に指定されている程の極秘プロジェクトだ。それをさも当然のように知っているコイツは何者なのだ?

 

 金城の頭にはそればかりが浮かんでいた。

 

「製作者の一人を捕まえた、とだけ言っておこう。彼から概要は聞いている。シリコンバレー条約違反の代物、是非とも手に入れたい」

「あの逃げた野郎か……ッ! 」

「断ると言うなら、残念ながら貴方が差し向けてきた非合法な者達について公表しなければならない。『メアリー』についてもね。一分で決めたまえ」

 

 そう宣うアラハバキに対して、金城は歯噛みすることしか出来ない。

 

「…………クゥゥゥ…………ッ! 」

 

 憔悴し切った彼の頭はもう限界だった。

 

 しかし。

 

「アレは我が社がより成長する為に必ず要るモノだ! 断じて一個人の手に収めて良いモノでは無い! 」

 

 彼はそう啖呵をきって、辛うじてその身にのしかかる責任を果たそうとしていた。

 

「では、一切合切全てを公表するが、宜しいか? 」

「貴様の来訪も含めて、全ては私の判断ミスが原因! 責任は全て私が取る! 」

 

 金城の頭には、もはや多大な責任感と少しの自暴自棄しか無い。目の前の現実離れした現実に頭痛が激しくなるばかりだが、彼の五十余年の人生と、愛する家族と、社員と、会社の名誉が皆一斉に彼の背中を押していた。

 もう一度言うが、彼は責任を果たそうとしていたのだ。

 

 その時である。

 

『〈カッコイイじゃないか、カネシロ! ブシドーって奴かい? 〉』

 

 突如、英語で高慢な声が聞こえる。机に置いてあるAIスピーカーからであったが、その声を発したスピーカーは指示が出されていないのにも関わらず反応し、勝手に液晶を起動して映像を繋いだ。

 そこに現れたのは、アル・ビギニングウッド本人だった。

 

「〈アル・ビギニングウッドCEO!? 〉」

『〈そうだ。僕だ。話は秘書から聞いてるよ。『メアリー』を頂きにヤバい奴が来たんだってな! アハハハ! キミがソイツの要求を聞くようなら、どうしようかと思った! 〉』

 

 アルは心底愉快そうに言う。

 ただでさえ最悪の状況なのに神のダメ押しなのか、この場に最も来て欲しくない、確実に場を乱しまくる、自分より年下で、間違いなく人生最悪の上司のアルが来訪してしまった。

 金城はついに心のキャパシティが限界を迎え、腰が抜けて立つことが出来なくなった。

 

 そんな中、アラハバキは━━。

 

(ハハ、ジャックポットだ……! )

 

 ひとり、仮面の下で笑っていた。




TIPS:
BWTJ前にある広場は、正式には『美鷺志希記念公園』と言う。彫刻家兼建築家である彼女の活動五十周年を記念して造られた。
BWTJのビルをデザインしたのも彼女である。


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前奏 -overture- その4

『〈ハロー、ミスター・アラハバキ。僕はアル。アル・ビギニングウッド。本社のCEOだ。よろしく〉』

 

 アルはそう言って、画面の向こうで手を振る。

 

「〈宜しく、ミスター・ビギニングウッド。最初に言うが、私はあまり英語が得意ではない。難しい表現は出来るだけ控えて欲しい〉」

 

 アラハバキはそう言って、本来金城が座るべきである上等な黒革の椅子に座る。足を組み、両手の指を合わせた姿勢でアルと向き合う。

 

 目標は『メアリーと鵐目、両者の追跡放棄』。

 達成出来なければ、あれもこれも全てお終い。

 

 ここに、彼らの交渉戦闘(ハナシアイ)が開戦した。

 

『〈オーケー! そして僕のことはアルでいいよ、アラハバキ。早速だが、君の本当の(・・・)要求を教えて欲しい〉』

「〈本当の要求? 『メアリー・スー』を貰うことは偽の要求だと? 〉」

『〈ああ。そう確信している〉』

「〈なぜ? 〉」

『〈その部屋には、我が社の新作AIスピーカーのプロトタイプが置いてある。遠隔での脳波測定機能を搭載してみたんだ。ユーザーの、特にシニアの健康を守る為に、ね〉』

 

 アラハバキは目線を机上にある黒い物体に移す。今起動されているソレは、確かに彼が見たことない機種のAIスピーカーだった。

 

(ただの嘘発見器じゃねーか……。健康の前にプライバシー守れっつーの)

 

 試しに『スイッチを押して電源を切ってみる』が、さも当然のようにまた電源が入った。少々苛立ったアラハバキは、先ほどのボットのようにぶち壊してやろうかと一瞬思ったが、流石に思うだけに留めた。

 

 ドアインザフェイスを見破られ、ブラフも封じられたアラハバキ。しかしそれでも弱みは見せない。

 

「〈恐らく売れないぞ、ソレ〉」

『〈いいさ。技術は進歩したんだ、次がある。それより本当の要求を教えてくれよ〜! あと五分でミーティングなんだ! 頼むよ〜! 〉』

 

 負け惜しみを言い放つも、アルは意にも介さなかった。おちゃらけた口調はアラハバキの神経をつま先から頭まで丁寧に逆撫でしていったが、これはわざとやっているのだろうか?

 

「〈朝っぱらからご多忙なようで。分かった、お互い嘘はやめにしよう〉」

 

 皮肉混じりに肩をすくめ、本題に入る。

 

「〈私の要求は二つ。『メアリー・スー』の追跡を諦めること。そして━━〉」

 

 彼は手を内側に差し向けて、言った。

 

「〈()()()()()()()()だ〉」

 

 ちょうどその時、アラハバキの背後━━つまり窓の外から、強烈な光が投げられた。機動隊の偵察ドローンである。

 二機のドローンが捕縛銃を構える。しかし、彼らは『ローターが破裂して墜落していった』。

 

『〈雇う……君を? 〉』

 

 画面の向こうで起こった有り得ざる事象を完全にスルーし、アルは話を進める。

 

「〈イエス。私には力がある。貴方には敵がいる。幾らかの報酬があれば、よりスマートに貴方の敵を削除しよう〉」

『〈フゥン……〉』

 

 ここに来て、アルは初めて長考した。視線がわずかに右下へ向いたが、恐らく脳波を観察して嘘をついているかどうか考えているのだろう。あるいは、単に考える時の癖なのかもしれない。

 

(『アラハバキの雇用』、コイツはアルにとって相当そそられる提案だろう。謎の超能力を操る男を、世界で初めて自分の手下に出来るわけだからな。大企業のトップとしてでは無く、俺と同じ一人の物好きとして。興味が無い訳が無い)

 

 魅力的で面白そうな提案A。

 特に面白くもない仕事の話である提案B。

 

 同時に掲示された時、型破りで高慢ちきな若社長はどうするだろうか?

 

(だから目が眩む。『メアリー・スー』と天秤にかけ始める。BWTの代表としてなら迷わず要求を突っ返すべきだが、生憎そんな()()()人間じゃねぇんだな、アルは━━さ、どう出るね)

 

 数秒後、アルは結論を出した。

 

『〈……憶測だが、君のここまでの行いは、一つのデモンストレーションなんだろう? そのぶっ壊れてる力についての。君は何か、その力で社会に働きかけようと思っていて、その為には『メアリー』の力が必要で、君の雇用に関しては、別に達成されようがされまいが実のところどうでもいい。ここまで合ってる? 〉』

 

 アラハバキは返答の代わりに、また肩をすくめた。

 

 図星である。

 

『〈『メアリー』を連れて逃げた彼とコンタクトが取れるなら、伝えて欲しいことがある。『キーだけ寄越せば、後はお好きに』ってね〉』

 

 無表情な仮面の下で、ハバキはほくそ笑んだ。

 

(目標クリアッ! しかもこちらの目論見を看破した上で、俺の提案に乗ってきた! これは相当脈アリだぞ! )

 

 もしかしたら今の喜びが脳波として向こうに知られたかもしれないが、それでもおくびには出さず、受け答える。

 

「〈良いのか? 会社の損失は大きいんだろう? 〉」

『〈金銭上はね。だが、失敗の原因は分かった。次は彼女のデータを元にもっと従順で、賢くて、ニュートラルなAGIを作る! そうすりゃ元は取れる。金銭面でも、技術面でもね〉』

 

 アルはそう言うと、一瞬席を外して何かを持って来た。翡翠色の小瓶で、表面は濡れている。

 

『〈何だよ。ハイネケン知らないの? 〉』

 

 彼はそう言うと、勢い良く蓋を外して飲み始めた。

 

 ハイネケン。ビールである。

 

(お前、この後ミーティングあるんじゃなかったのか……? )

 

 そういえば、アルは確か二十六歳だったのを思い出した。鵐目と同い年だ。

 

(魔の'13年生まれ、か……)

 

 あの会う人全てを若干馬鹿にしている小憎らしい顔が浮かんでくる。俺も同類だが、それはそれとしてむちゃくちゃ破天荒だな……と思うハバキであった。

 フゥ、とひと息吐いて、彼はフードの中に手を突っ込み、イヤホンを二回コツコツと小突く。

 

「……ということだ。鵐目、今からキーを送ったりすることは出来るか? 」

『まぁ……出来るぜ。準備してるから、その間にボクらが何を支払うのか聞いといて』

「納得出来ないか? 」

『……いや。愛の逃避行だなんだと、はしゃいでいた自分が恥ずかしくなっただけさ。結局、ボクみたいな大人になりきれないガキは、ああいう奴の手のひらで踊らされてただけってわけだな』

 

 鵐目は自嘲気味に笑う。特に同い年の人間が相手ということもあって、屈辱感もひとしおだった。

 

「気にすんなよ。多少ご都合主義な所はあるが、ロマンス映画なら立派なハッピーエンドだ。心機一転、次のストーリーに進もうぜ」

『……そうだね! 次はキミのストーリーでも演じてやろうかな! 』

「ああ。よろしくな、相棒」

 

 鵐目を励まし、通信を休止する。その様子を見て、アルが話しかけてきた。

 

『〈日本語は分からないが、随分と仲が良さそうじゃないか〉』

「〈趣味嗜好が似通っているからな。友人というのは、得てして同類が多いのさ〉」

 

 閑話休題。ハバキが話を本題に戻す。

 

「〈さて、直にキーがそちらに送られるはずだ。その間に、こちらが払う対価について話そう〉」

『〈おいおい! 別にそんなの要らないよ! 僕と君との仲じゃないか! 〉』

「〈出会って三分で仲もクソも無いだろうが。なんの駆け引きにもならないジョークはやめろ〉」

 

 駆け引きガン無視でふざけてくるアルにイラつきながら、それでも目標達成による余裕から冷静さを保つハバキ。

 

「〈まあ、こっちは『メアリー・スー』を手に入れたんだ。支払える対価なんぞ持ち合わせちゃいないが、何かオーダーがあれば聞こう〉」

『〈……何でも? 〉』

「〈私に可能なことなら〉」

 

 完全に安請け合いだったが、彼はそれでも良いと思っていた。

 

(目標は達成したが、この感じはイける。ここでコイツのお眼鏡に叶いコネクションを築けるなら、多少の無茶は許容範囲内だ! )

 

 だがそれは、ある意味では地獄の釜の蓋を開ける行為であった。

 アル・ビギニングウッドという、革命的な天才実業家の。

 

『〈じゃあ、日本を君好みにチューンナップ(・・・・・・・)してくれないか? 〉』

「〈それが要求? 〉」

『〈イエス! やり方も、目指す形も全部任せる。期間は一年だ。一年間で、変えられる所は全部変えて見せてくれ〉』

「〈……この単語を、今日は何回言うことになるんだろうな。なぜ? 〉」

 

 ハバキの問いに、これまでと同様に即答するアル。しかしその声は、これまで聞いたことが無いほど冷たく、それでいてタールのようにへばりつく憎悪を感じさせる、おぞましい声だった。

 

『〈だって君……今の世界、嫌いだろ? 〉』

 

 その目は、酷く乾いていた。

 

 そして彼は、とんでもない内容の演説をし始める。

 

『〈何十年も前から言われていたはずの労働人口の減少、少子高齢化。安価な汎用ロボットの普及で予想よりはマシになっているが、それでも好転はしていない。終わりを先延ばしにしてるだけだ。先進国はどこもそう。まるで文明のエンディングがそれしかないかのように、停滞して、活力を失っている。どん詰まりだ! 〉』

「〈ま、そうだな〉」

『〈じゃあ僕達はどうするべきか? 政治家になって地道に変えていく? 頭の固いクソジジイや、浅瀬に漂着したプラゴミのような幼稚な真実に目覚めちまったバカな女共が同僚なんだぞ? やってられるかよ! そうだ、SNSで同志を集めてデモをしよう! とにかくプラスチックを減らして、肉を減らして、サステナブルでリーズナブルな暮らしをしよう! これこそ現代的な政治活動! ケッ、それで集まったところでやってることはチンケなホームパーティと何も変わらねぇ! 頭も使わず騒ぎ立ててるだけだ!適当に好みの真実をつまみ食いして、自分は誰かさんより頭が良いとマウントを取ってるだけだ! 水夫の力自慢から何も進歩しちゃいない! 〉』

「〈お、おぅ……〉」

『〈何が政治的(ポリティカル)正しさ(コレクトネス)だ! 多様性(ダイバーシティ)だ! あんなもんガキの言い訳だろうが! どれだけ親の血筋や出た大学が素晴らしいかアピールするのと、どれだけ精神疾患を患っているかを表明して同情票を集めたかで評価するのと! 一体何が違うんだ!? ただただPRポイントが変わっただけで社会構造は何も変化してないじゃねぇか! 強者は弱者の皮を被り、本当の弱者を無自覚な強者だと責め立てる! 恥も外聞もありゃしねぇ! 捨てたプライドは傷つかねぇもんなぁ! 〉』

「〈おい、そろそろ止めた方が━━〉」

『〈良いかアラハバキ! 今世界には、僕達二人のような存在が必要なんだ! 何故か分かるか!? この腐りかけた世界を掃除して、秩序という名の新品のフィルターをもたらさなきゃならんからだ! 言葉じゃもう駄目なんだ! インターネットで世界が繋がった結果、発言権を持っちゃいけないバカまでいっちょ前にしたり顔で語れるようになっちまったんだ! 誰も彼もが『何を言ったか』ではなく『誰が言ったか』でしか判断出来ない! 例え上手い方法を思いついたとしてそれを公表し、百人の賛同者を得られたとしても、千人のバカが喚いたらそれでご破算だ! バカがバカを崇拝してそれをバカがバカにするバカみたいな世界なんだよここは! 〉』

 

 ハァ、ハァ……と、肩で息をするアル。

 アラハバキは、もう何も言おうとしなくなった。

 

『〈……だからさ、アラハバキ。僕達で世界を変えよう。僕は世界トップの金と権力を持っていて、君は世界トップの暴力を持っている。僕達が同じ道を歩こうとするなら、行く手を阻むものは全て吹き飛ばせる。僕はアメリカを、君は日本を変えて、次はまた別の国を変えよう。イギリスもフランスもドイツもロシアも中国も何でもかんでも、僕ら好みに変えちまおう! 始まりの(Beginning)(Wood)の名の下に、そうやって世界を救ってやろう! 〉』

 

 アルは手を差し出し、そしてグッと握りしめる。

 

 こうして、彼の演説が終了した。

 

『〈……フゥ。こんなに熱弁したのは何年ぶりだろうな? どうだい、感想を聞かせてくれよ〉』

 

 圧倒されていたアラハバキだが、感想を問われれば答えないわけにもいかないので、急ピッチで脳内に感想文を組み立てて英語に翻訳する。

 

「〈そう……だな。世間一般の価値基準で言えば、あまりに差別的で前時代的な暴論だと言わざるを得んが……まあ、思うところはあったよ。この場だから言えるが、実は私も似たようなことを考えていたんだ〉」

 

 彼の答えにアルは大層満足したようで、少年のように目を輝かせながら頭を縦に振る。

 

『〈君なら分かってくれると思ったよ! 〉』

「〈ああ。でもその前に、一つ聞いておきたいことがある〉」

 

 アラハバキは一本指を立てる。そしてゆっくりと、画面の向こうのアルに向けた。

 

「〈貴方は、誰の為にそれをやるんだ? 〉」

『〈僕以外の強者の為に〉』

 

 …………。

 

 一陣の風が、割れた窓から吹き付ける。

 

「〈そうかい。だとしたら、俺とアンタは目的地が違うんだろうな〉」

『〈なぜ? 〉』

「〈私には利他精神というものが欠けていてね。何をしようにも、自分の為にしか動けない。貴方と一緒に世界を変革するまではいい。だが、恐らくその先で、我々は敵対するだろう〉」

 

 二人は、最後の最後で分かり合えなかったのだ。

 

『〈……いいさ。その時になったらまた話して、考えよう。敵とも会話できる人間だろう? 君は〉』

「〈寛大だな。感謝する〉」

『〈資金援助は出来ないが、門出の祝いならしてやるよ〉』

 

 彼が指を鳴らすと、画面に数十枚の文書が表示された。全て日本語であり、中には会計書類も含まれているようだ。

 

『〈そっちの役員がやらかした政治家への不正献金、その物的証拠だ。使い方は任せる〉』

「〈CEO!? 何故それを!? 〉」

『〈タイミングを見計らってただけさ。情報には使いどきってのがあるもんでね。それとも、この僕が知らないとでも思ったか? 〉』

 

 底意地の悪い笑みを浮かべて金城を笑い飛ばすアル。しかし、心做しか先程までの元気は失せてしまったように見える。

 

「〈ありがたく使わせてもらう。だが、大丈夫なのか? 株価や信頼は〉」

『〈シナリオは考えてある。何をしようが僕の方から合わせてやるから、気にせずやっちまえよ〉』

 

 この問答の後、二人は少しだけ黙った。

 決して別れを惜しむわけでは無いが、二人は見つめ合い、お互いの腹の底を見定めようとしていた。

 

 そして、〆である。

 

「〈さようなら、愛すべき友よ。次に会う時、敵で無い事を祈る〉」

『〈アディオス・アミーゴ! 今度はこっちから会いに行ってやるよ! 〉』

 

 これにて、アラハバキ最初の作戦は終了した。

 目標も達成し、アルとのコネクションもゲット。結果としては大成功、万々歳である。

 

 しかし、淋しい結末であった。

 

 ━━

 

「止まれ! 止まらんと━━」

 

『重圧』。

 

「グゥッ……! 」

「良し。この中に、報道関係者の方は? 居るならば、此方に」

 

 いとも容易く機動隊を跪かせ無力化し、報道陣を呼び寄せるアラハバキ。

 誰もが黙りこくっていたが、報道陣の中で一番若い、恐らくは新人であろう男が、震えながら手を挙げた。

 

「ひ、平日新聞の森川ですっ……! 」

「嗚呼……勇気のある方だ。安心して下さい。貴方を含め、皆様方には決して危害は加えない。そしておめでとう。今後数十年は語り継がれる一大スクープ、それを最初に報せる栄誉は貴方の物だ」

 

 顔面蒼白になりながら、森川はマイクを持って近づこうとする。しかし地面に膝を立てている機動隊の数人が、近くに来た彼を止めようと必死で手を伸ばす。

 そんな様を見ていたアラハバキは、ゆっくりと彼らの後ろ━━カメラやドローンなどの撮影器具の積まれた箇所━━を指さした。

 

「……あっ! あっ」

 

 森川は弾かれたように戻り、腰の抜けた先輩方を引っ張り起こして報道の準備を始めた。

 

「メモの準備は? カメラは大丈夫ですか? 撮影ドローンも飛ばせるだけ飛ばして。もっと近づいて良いですよ。音声は……大丈夫そうだ。では━━少しだけ、話させて頂きましょうか」

 

 準備の終了を見届けたアラハバキは、そう言って話し始めた。

 

「私はアラハバキ。あらゆる事象のカウンターウェイトであり、全ての『たったひとり』の味方です」

 

 誰も、何も言わない。

 

「まず最初に、言っておきたい事が一つ。私は、『如何なる場合に於いても人を殺める事は無い』ということです。何よりもまず、この事を皆さんに記憶して頂きたい」

 

 誰もが、彼の話を傾聴している。

 

「皆さんが御覧になられた通り、私は異常な力を持っています。大きな……とても大きな力です。ですが、この力を殺戮の為に使う事は決して有りません。私は、この力を『社会を改め、善くする為にのみ使う』ことを、此処に宣言させて頂きます」

 

 その話ぶりは、鷹揚で、水底深い声色で。

 

「その為に今、株式会社ビギニングウッド・テクノロジーズ・ジャパン執行役員八名の、不正献金に関する証拠を手に入れました。この文書は後程、メディアの方々にお渡しします。仔細は追って発表されるでしょう」

 

 間の数秒でさえも計算された、まさしく完璧なスピーチだった。

 

『重圧が、解き放たれる』。

 

「━━ハッ!! 」

 

 機動隊は銃を構える。報道陣はどよめきながらアラハバキの周りを離れる。

 

 だが、『彼の周りに突然旋風が巻き起こり、瓦礫と砂塵がその姿を隠す』。

 

「私はアラハバキ。死の因果を覆し、人の世に革新を起こす存在。私は常に、この東京の夜空を駆けている事をお忘れ無きよう。それでは、失礼━━」

 

 彼はそう言い残すと、『風と共に夜空の彼方へと消えていった』。

 




TIPS:
二〇三九年では、宅配・撮影・暴徒鎮圧など、様々な業界で様々な仕様のドローンが使われている。
一方で一般流通のドローンには非常に厳格な規定が課されており、また飛行禁止空域も定められている。撮影にも役所の許可が必要(オンラインで申請可能)。


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始まりの終わり/オワッタモノのハジマリ

「ただいマンモス」

 

 見鹿島 ハバキがホテルのドアを開ける。肩には地味なリュックを掛けており、その中にアラハバキの衣装が入っているとは誰も思わないだろう。

 

「ウェルカムホーム、ハバキクン! 最後の演出は神がかってたぜ! 」

 

 鵐目がハバキの肩を叩いて褒める。

 

「アドリブにしては上出来だろ? 文書の方は? 」

「ざっとファクトチェックしたけど、特に矛盾点とかは無かったね。アレは確かに証拠足り得る文書だ、そこは安心していい。送り先も、平日新聞を最初に、他のメディアにも少し時間を置いてから送ってやった! 足跡も残してないから、こっちの素性はバレないよ」

「流石の仕事ぶり! 」

「例のコードもバージョンアップしたから、キミの正体に繋がるものは何一つ無い。このご時世でこの成果、もう完璧な出だしと言っても良いのでは? 」

 

 二人は間髪入れずに連続して会話を繋げ、そして力強くハイタッチした。

 

『ウッヒャッヒャッヒャ!! 』

 

 腹の底から笑い合う二人に、サヤが話しかけに来る。

 

「あ、ハバキくんおかえり! 」

「ただいま、サヤ。どうだった? 俺の初仕事は」

「うーんと……正直に言っても良い? 」

「もちろん」

 

 そういうと、サヤは少しはにかみながら話始める。

 

「なんか……ハバキくんが、同じ人間とは思えなかった。━━あ、悪い意味じゃないの! えっと、なんて言うんだろうな。私と同い年の人が、ものすごーい力を使って、偉い人の汚職を暴いて、あんな大勢の前で堂々と自分の言いたいことを言って……。色んな人を傷つけたり、色んな物を壊したりはしたけど、それ以上に堂々としてる様が羨ましくて……。ごめんね! あんまりまとまらなくて。何が言いたいのかって言うと━━」

 

 サヤは顔の前に手を合わせ、上目遣いにハバキを見る。

 

「ハバキくんは、すごいなぁって」

 

 その仕草が、声が、顔が、控えめに言ってハバキの少年心にピンポイントでぶっ刺さった。

 

 もうガチキュンである。

 

「……嬉しいね。サヤが褒めてくれると」

 

 片手で赤くなった顔を隠しながら、横目でなんとか目を合わせて言った。

 

「……ンッン! 」

 

 空気が甘ったるくなったので、咳払いして場を締めるハバキ。

 

「さて。これでBWTの手を払い除け、目下の障害はひとまず排除されたわけだが」

「アルから変な約束とりつけられたけどね」

「な。意味分かんねーよな、アレ━━とにかく、今日からはアラハバキがこの世界の中心となって回り始める。ネットを通して、世界中が彼の一挙手一投足を期待半分不安半分に注目する。警察も、そのうち対策本部なんかを立てて対抗してくる」

 

 彼の話を聞きながら、サヤは自分がルビコン川を渡ってしまったことを自覚し始めていた。

 この場合、自分はどういう罪状になるのだろうか?

 テロ等準備罪?

 

「だが、俺たちは自由だ。『自由には責任が伴う』とよく言うが、逆に言うと『責任を果たせば自由がついてくる』のさ。責任とは『リスク』だ。それを果たすということは、『リスクを排除できる』ということ。今俺たちは、『常識ある大人を残らず敵に回す』というリスクを背負い『鵐目とメアリーの力を使う』ことで、そのリスクを排除した。極大のリスクを排除し、極大の自由を手にしたんだ! なんて素晴らしいんだろう! 」

 

 彼のスピーチを聞きながら、鵐目は合いの手を入れる。

 

「極大の自由、か。良い響きだねぇ! だがハバキクンよ、自由と言うにはまだ色々と足りないんじゃないかい? 現実問題さ。例えばお金。ボクの財産に余裕があると言えばあるけど、このままだと収支マイナスでジリ貧だぜ? 」

「増やしゃいいだろ、アラハバキなら株価操縦し放題だぞ」

 

 至極ナチュラルに金融商品取引法違反を奨励するハバキ。

 だが、彼の肩をガッシリと掴んで鵐目は制止する。

 

「それはマ・ジ・で止めた方がイイ! 因果関係から余裕でバレるし税務署怒らせるとホントにヤバいんだからね!? 」

「どんくらい? 」

「このボクがアイツらを撒くのに年単位掛かったって所から察して欲しい! 」

 

 そう言う鵐目は、本当に苦しそうな顔をしていた。

 

(なんだかんだ逃げ切ったんだ。すごいな鵐目さん……)

(ま、そういうのは次のフェーズからだな。家出少年の戸籍のままじゃ、やれることも少ないし……)

 

 パン、と手を叩き、ハバキは次の目標について話す。

 

「というわけで、次の障害は『生活の安定』だ。一応金策のプランはいくつかあるんだが、一週間で成立させるのは厳しい。ま、そこは気合と根性でなんとかするしかないな」

「ガッツリ精神論だ! ハバキくんそういうの嫌いそうなのに」

「無理難題を解決するときは、いつだって頭よりも心が重要なのさ。心が折れればどんな天才でも能無しになるし、心が強ければどんな馬鹿でも結果は出せる。どっちも強けりゃ、怖いもん無しってな」

 

 ハバキはそう言いながら、後ろ手にサヤの隣へ近づく。

 

「サヤも、なんだか慣れてきたね? こういう生活に」

「まあ、うん。なんだかんだ、一週間ちょっとやってるから……」

 

 前髪をいじりながら、サヤは答える。

 

「それにね……こんなこと言うと、ちょっと不謹慎かもしれないけど……」

「何を今更! 不謹慎が服着て歩いてるのが俺らだぜ? 言ってみてよ」

「うん。最近ちょっと━━楽しくて! 」

 

 それは、弾けるような笑顔だった。

 

「ハハハハハ!! そう! 俺はその顔が見たかったんだ! やっぱり楽しいよなこれ!! 」

「うん! 悪いことしてるのにすっごいワクワクするの! こんなの初めて! 」

「いいねいいね、その調子だ! そうだよ、誰かの顔色伺って、自分が潰れちゃ人生なんの意味も無い! 自分を潰すくらいなら他人を踏み台にしなきゃ! 人生楽しまなきゃ損だぜやっぱ! アハハハハハ……」

 

 ハバキはサヤの手を取り、引っ張り、回り出す。

 

「わっ!? ちょっとハバキくん、やめてよもー! ウフフフフ……」

「なにそれ楽しそう!! ボクも混ぜろ〜い!!! 」

「うぎゃー! 」「きゃー! 」

 

 三人はそれぞれ手を繋いだり、離したりしながら回り続ける。

 

 ━━

 

「クソつまんねぇな。やっぱ」

 

 男は死体と死体と死体の上に座って、独り()つ。ピアスだらけの頭を上に向けて、誰にともなく。その目は虚ろで、生気が無く、しかし内に秘める獰猛な本能だけはギラギラと、陽炎のように漏れ出ていた。

 龍のタトゥーが流れるその右手には、グリップの凹んだ拳銃が握られている。その凹みは彼の手のカタチと完璧にフィットしていて、つまりは彼の握力でそうなったのだ。

 

「アイツがオヤジを駄目にしてから、ずっとそうだ。何をやってもつまんねぇ。寝ても醒めても、殴っても殴られても、蹴っても蹴られても……」

 

 男は視線を下に向ける。その先には、両膝と右肘を撃ち抜かれ浅い息を吐きながら横たわる、背広を着たメガネの男が居た。

 

「こうやって、タマ無し野郎共を全員ぶち殺してもだ。オレにはオヤジの仇を討つしか救いは無ェんだよ、木南(キミナ)のアニキ」

 

 木南、と呼ばれた男は、答える代わりに怨恨の籠った視線を投げた。

 

冬弥(トウヤ)……テメェ……ッ! 」

 

 だが、もはや彼にはそれ以上のことが出来なかった。

 

「あ、そうだ……」

 

 拳銃を持った男━━冬弥は、木南に近づき背広のポケットからタバコとライターを取り出した。一本だけ残ったタバコを引き出し、ライターを彼の左手に乗せる。

 

 そして、タバコを咥えた顔を近づけて言った。

 

()()()()

「ふ……ふざけんなよ……。何様のつもりだテメェコラ━━」

 

 バァン、と拳銃が火を噴く。

 その発砲の結果として、『木南の左手人差し指第一関節から先が綺麗に吹き飛んだ』。

 

「グァァァァァッッッ!!! 」

「嫌なら別に良いよ、オレは。まだ十四━━いや、親指は節が二つしかねーから、十三か━━十三回、順繰りにテメェの指を細かく吹き飛ばせるからな……」

 

 冬弥は拳銃をぶらぶらさせながらそう宣う。

 

「こ、この程度でヤクザが根を━━グゥッ!!」十二。

「テメェ、絶対殺すッ! 殺して━━ア゛ァッ!!」十一。

「ハァ、ハァ、クソックソックソ━━アァァ!! 」十。

「分かったッ! 分かった火をつけ━━ウァァァ!! 」九。

「待て、待ってくれ! 頼むから━━あぁぁぁあ!! 」八。

「つける! つけさせて下さいだから━━んんん!! 」七。

 

 ……そして。

 

「あああああああああああああああああああああ!!! 」

 

 ()

 

「ん、満足。ホラ、火つけていいぞ。まだ親指残ってるから出来るだろ? 」

 

 親指しか無い(・・・・・・)左手を指しながら、にこやかに囁く。

 

「ヒ……ヒヒ……ヒィ……」

「そう、火」

 

 木南は痛みに狂いながら、せめて彼の機嫌をとることでこの場を助かりたい一心で、媚びたような下品な笑みを浮かべながら、親指しか無い左手でなんとかライターをつけた。

 

「……フゥー……」

 

 ゆっくりと、タバコを味わう冬弥。

 

「……コイツは、オヤジが好き好んでた銘柄だった……」

「……ヒ……ヒ……」

「コイツを咥えながら、ソロバンを弾くオヤジを見るのが好きだった。組の為に汗水垂らして働くオヤジは、まるで本当の親みたいに思えた。こんなオレにも、愛すべき家族が出来たんだって。本当に誇らしかったんだ」

 

 バァン。

 

「━━似合わねェよ。お前には」

 

 木南は死んだ。

『脳天を撃ち抜かれ』、彼が今日まで築き上げてきた知識の王国は崩れ去ったのだ。

 

「……さて、と」

 

 冬弥は死体の山から腰を上げ、ベランダに出る。一度も洗濯物が干されたことの無い新品の物干し竿の向こうに、一枚の大型スクリーンが見える。何の変哲もないスクリーンであり、そこにはいつものようにニュースが流れているだけだ。

 

『「アラハバキ」と名乗る謎の怪人 汚職を暴く』

 

 テロップにはそう表示されている。画面にはビルの壁を歩いたり、ボットをグシャグシャにしたり、瓦礫と共に飛び上がる黒コートに白い仮面の人物が、何度も何度もリピートされていた。

 

 これがお前の仇だと言わんばかりに。

 何度も、何度も。

 

「見間違えるはずもねェ。アレをやったのはお前なんだろ? アラハバキ……」

 

 冬弥は右手の銃を不躾に構える。『一度もリロードしていない』彼の拳銃から、一発の弾丸が放たれる。それは二百メートル先の大型スクリーンに命中し、液晶を故障させた。

 

「待ってろ……すぐに殺してやっからよォ……ッ! 」

 

 奇しくもその弾痕は、画面に映るアラハバキの仮面上部中央━━額の真ん中に作り出されていた。

 

 序章:異外者(イレギュラー)覚醒編 完




【人物紹介】
《東京鉄血組組長名代》八坂谷 冬弥(ヤサカダニ トウヤ)
見た目:黒髪。坊主頭。顔にたくさんのピアス。腕に龍のタトゥー。痩せ型。
年齢:17歳。
身長:175cm。
体重:68kg(覚醒後は74kg)。

目的:元東京鉄血組組長・射水 吾朗の仇討ちとしてのアラハバキ抹殺。

【異能情報】
八坂谷 冬弥の異能力:『銃天(トップ・ガン)』
銃に関して卓越し、あらゆる銃で再装填する必要がなくなる。

【ステータス】
出力:銃に依存する。
射程:最低でも200m。
燃費:撃ちすぎると少し疲れる。
精度:百発百中。

備考:銃が無いと意味を成さない。


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一章:超人跋扈編
【1】グッチのバッグと同価値のモノ


 ━━異外者(イレギュラー)

 

 決死の状況においてその因果を拒絶し、超常的な現象を操作する力を得た者。

 死を反転させ、そのエネルギーを操る者。

 

 しかし一般には、単に『警察にも太刀打ち出来ない、傍迷惑な超能力者』と言った意味合いでしか使われない単語である。

 

 この単語の初出は『BWTJ汚職暴露事件』、通称『怪人事件』を皮切りとした多くの超能力者による犯罪行為を受けた警察庁が出した報告書第一号によるものである。そのレポートには八名の異外者(イレギュラー)からの調書も書かれており、上にある定義はそれを元に(多少詩的に過ぎるが)考え出されたものと思われる。

 

 この報告書では異外者(イレギュラー)の定義の他、彼らが生還した後に身体能力の異常な発達が見られたことも記されている。曰く、『筋量こそ常識の範囲内だが筋繊維の密度が常人の数百倍であり、故に見た目は中肉中背でも、トップアスリートにも並ぶほどの身体能力・耐久力を持ち合わせている』らしい。

 また、八名全員が『覚醒後一週間以内に、これまで経験したことの無いような全身の筋肉痛があった』と話しており、先の事実と併せると、異外者(イレギュラー)と成った者は『身体を丸ごと、より強靭に作り替えられる』という仮説が成立する。筋肉の具体的な変貌やそのプロセス、筋肉痛以外の健康問題などは、目下研究中とのこと。

 

 ……ところで、気づいただろうか。

 

『警察にも太刀打ち出来ない、傍迷惑な超能力者』が、なぜ八名も聴取を受けているのか?

 

 単純な話。

 ()()()()()()()()()()()()からである。

 

 ━━

 

 八月一日。朝。

 曇天の中、粗悪なサウナのような夏の暑さを全身に感じながら、適当な席を見つけて座る。

 

「うん。やっぱ良い景色だな」

「だね」

 

 二人は今、とあるカフェに来ていた。

 高層ビルのバルコニーにある為、全席がカフェテラスのようだ。眼下には流れる車や人、あるいは建物の隙間を縫って行進する宅配ドローンの群れなどの交通網をよく見下ろすことが出来る。

 

 目的は特にない。普段の『活動』の息抜きである。

 

「都会の喧騒からは離れつつ、それでいて人の動きを眺めることが出来る。理想的だ。そのうちタワマンでも借りて、こういう立地で暮らしたいね」

 

 ハバキはそう言いながら席に座った。コンビニのワンコインシャツは少し前にやめて、今はちゃんとユニクロで買った服を着ている。サヤも同様だが、キャップやピアスなどのアクセサリをよく付けていて、どちらかと言えば彼女の方が凝ったコーデをしていた。

 

「夢がおっきいね━━ハバキくんどれ頼む? 」

「どれどれ……オイ、モーニングセットで二千円超えてるぞ!? コーヒーとサンドイッチひと切れで!? ぼったくりカフェか!? 」

 

 テーブルに備え付けられたタブレットのメニューを見るなり、ハバキは目を丸くして驚く。対するサヤは、そんなハバキを見てきょとんとしている。

 

「大体そんなもんじゃない? 」

「マジかよ、東京プライスだな……。埼玉だったら、同じ内容で三割は安いぜ。まぁ、それはそれとして頼むけど」

「鵐目さんからいっぱい貰ってたもんね、ハバキくん」

「人の金で食うメシが一番うめぇや! 」

 

 笑いながら、ハバキはメニューをタップして注文しようとする。しかしちょうどよく店員(クラーク)ボットが来たので、呼び止めて注文を伝えることにした。

 

「私はモーニングセット。コーヒーはマンデリンで」

「ブルーマウンテンのSサイズ、デカフェ。あとリブサンドイッチと、チーズリゾット。ティラミスも」

 

 ボットは無言で一礼し、タイヤを転がしてカウンターに戻る。ウエストコート風の衣装といい、店の雰囲気に合っていて品のあるボットだ。

 

「ハバキくん、カフェイン苦手なの? 」

 

 サヤは先程の注文で、デカフェ(カフェイン抜き)コーヒーを頼んだことについて聞いた。

 

「腹下しちゃうんだよね。そういうサヤちゃんはブラックで飲むんだ。マンデリンって相当苦い銘柄じゃなかった? 」

「あー……うん。気つけによく飲んでたから……。もう立派なカフェイン中毒なのですよ、アハハ」

 

 自虐風に笑うサヤ。

 そんな彼女を見て、ハバキは少し真面目な顔で話す。

 

「良くないぜ、そういうのは。しばらくは、低カフェインの緑茶なんかを飲むといい。一度に抜くと離脱症状が酷いから」

 

 頼んでしまったものは仕方ないから、今日のコーヒーはこれで最後にしよう、とも付け加えた。

 

「もう前みたいに、自分を痛めつけてまで頑張る必要は無いのだからね」

 

 ハバキは優しく、諭すように言う。

 

「ん……」

 

 やさしい。

 とても、とてもとてもやさしい。

 

 そのうちにコーヒーが運ばれてきたので、サヤはブラックで、ハバキは砂糖だけを多めに入れて飲み始めた。

 

「話、変わるんだけどさ。最近どう? 『あっち』の方は」

 

 今日最後にする予定のコーヒーを味わいながら、サヤは聞く。

 

「『仕事』自体は順調! 火事から人を助けたり、自殺しようとする奴を止めたり。そしてなんといっても、異外者(イレギュラー)の逮捕に協力したり! 順調に社会へ影響を与え続けているよ。ネットの方じゃ、アラハバキの肯定派と否定派に二極化して、日夜レスバトルが繰り広げられてる。街を歩けば歓声と罵声が一度に飛んでくる始末さ」

 

『怪人アラハバキ』が現れてから数週間が経っているが、彼に触発された異外者(イレギュラー)たちが突発的に事件を引き起こすことが少なからずあった。しかしその度にアラハバキは空の彼方から飛んで来て、あっという間に無力化し、警察に引き渡す。

 今のところ、全ての異外者(イレギュラー)がそうやって逮捕されていた。

「自分の尻拭いをしているだけだ」という意見ももちろんあるが、それはそれとして、彼に命を救われた人間を中心にアラハバキ肯定派が生まれ始めているのも確かである。

 

 しかし、ここにひとつ問題点がある。

 

 金にならないのだ。

 

「金策の方は……まあ、とりあえず聞いてくれ」

 

 というわけで、ハバキたちは日頃からなんとかアラハバキの活動で利潤を生み出そうと四苦八苦しているのだが、その成果はあまり芳しくなかった。

 

「俺が考えてたのは三つだ。一つ目は『動画配信』。だいぶ難航してる。速攻でアカウントがBANされるからね。ま、分かっちゃいたけど。二つ目は『用心棒』。こっちも同じく。昨今の情勢的に欲しがる奴は相当数いると踏んでたんだけど、ナシのつぶて。金持ち連中は得体の知れない怪人より、それに壊されたボットの方を信じるんだと。アルを見習って欲しいね」

 

 コーヒーを片手にハバキは喋る。

 

「そして三つ目、『人身売買』。こっちで捕まえた犯罪者を監禁し、その位置情報を情報屋に売りつけるのさ。今なら異外者(イレギュラー)が続々出てきてるから、奴らを捕まえればかなりの値になるだろう」

 

 いかがか? という意味でサヤを指さす。

 

「三つ目はなんだか非現実的なプランだね。一番難しそう」

 

 少し考えたあとで、サヤはそう答えた。

 

「って思うじゃん? 実は昨日見つかったんだよ」

 

 ハバキはそう言って、スマホの画面をサヤに見せる。もちろん、監視カメラに映り込まない角度で。

 

 画面には、一通のメールが映っていた。

 

「現役の刑事で、俺を異外者(イレギュラー)逮捕の道具にしたいらしい。手先になるのは癪だが、まあ一番進展があったからな。乗ってやることにした。今日の夜に会う予定」

 

 ちなみに。

 どうしてメールアドレスが知られているのかと言えば、彼が事件を解決する度に「何かあったら連絡したまえ」と一々被害者に教えているからで、更に言えば、被害者の一人がSNSで大々的に広めたからである(なお、彼のアカウントは七時間後に凍結された)。

 このメールの送り主である刑事が知っていても、何もおかしくはない。

 

 そんな彼のメール内容は、このようなものだった。

 

『私は警察庁に勤める者だ。多くの異外者を捕まえている君と話がしたい。今後の異外者による犯罪対策についてだ。今晩会えないだろうか。返答の気があるならば、こちらまで』

 

 文末には、匿名性の高いことで有名な『Ghost666』というメッセージアプリのチャットルーム招待コードが書かれている。

 また、文面と共に顔写真と警察手帳を撮った写真も送られてきていた。手帳の名前は黒塗り加工されているが、アカウント名は『睦月 如月(ムツキ キサラギ)』とある。

 

「……おとり捜査の可能性は? 」

()()()()()() 俺に手錠を掛けるのは不可能だよ。人海戦術も厳しいだろう。何より今、ソレを強行するメリットが無い。故に端から考慮する必要も無い。向こうもそれは分かっているだろうし、書いてあることは全て本心だと思うよ」

 

 言われてみたら確かにそうだ、と、サヤは手をポンと叩いた。

 

「それに奴さんの言う通り、異外者(イレギュラー)へのカウンターとして現在最も有効な戦力は俺だからな。金で買えるなら、安いもんだろう。言い値で吹っかけてやる、ぐふふ……」

「また悪い顔してる━━じゃあ、お金の問題はもうすぐ解決するんだね」

「イエス。あとは、手頃な異外者(イレギュラー)が継続的に現れてくれるかどうかだな」

 

 ここで一度、会話は途切れる。ボットがちょうどリブサンドとチーズリゾットを運んで来たので、ハバキは早速食べ始めた。

 サヤはコーヒーを飲みながら、彼の食べる様を見ていた。なんとなく見入ってしまうのは、彼がとても上手に食べ進めるからだろう。食べるスピードはとんでもなく速いのに、リブサンドのソースなどをこぼすことは一切無い。

 意外と育ちが良いのだろうか?

 

「金が手に入ったら、サヤは何をしたい? 」

 

 やがて粗方食べ終えたハバキは、会話を再開した。

 

「うーん……。やっぱり家、かな。小さくてもいいから、腰を落ち着けられる場所が欲しいかも。ホテル暮らしも慣れてきたけど、まだフワフワしてる感じがして、現実感に乏しいというか」

「ああ、確かに。そしたら、戸籍も一緒に作ってしまおうか」

「え!? そんな簡単に出来るの!? 」

「顔写真と、その他色々があれば。そして今は役所の手続きが全てオンライン化されていて、俺たちには鵐目とメアリーが居るからね。手続きはつつがなく終わるだろうよ。ホント、あの二人には頭が上がらないわな」

 

 それはすごい、と、手を合わせて喜びそうになるサヤだったが、ふとある考えが思い浮かんだ。

 

「……もし『佐間宇 サヤ』としての戸籍が出来上がったら、私はもう戻れないんだね」

 

 彼女には『██ ██』としての十六年分の活動記録が、ネットにも記憶にも残っている。しかしそれは、正式に『佐間宇 サヤ』となった日に断絶するのだ。そう考えると、なんだか少し寂しい気持ちになる。

 

 しかし、ハバキはけろっとした顔で言った。

 

「いや? 別に元に戻ろうと思えば、いくらでも出来るよ」

 

 ……なんだか微妙に話が噛み合ってない気がしたので、サヤは自分の意図を説明する。

 

「んーと、そういう外から見た話じゃなくて……自分の心持ちの話というか。自分の戸籍を捨てるのって、結構勇気が要るものじゃない? それまでの人生を捨てるってことなんだから」

 

 沈黙。

 

 そして、ハバキの笑顔。

 

「なんで? 」

「え……」

 

 自分の意図が、伝わっていない……?

 

「サヤはさ、ひと月前何してたか覚えてる? 」

「え、うん。いつも通り勉強してたけど……」

「だろ? 俺も自分が何をしていたか、ちゃんと覚えてる。これから戸籍を変えたとして、この記憶は残り続けるだろう。あ、風化するのとは別としてね。そうやって自然に消えることを除けば、パッといきなり消えることは無いわけだ」

 

 身振り手振りを混じえながら、ハバキは諭すように話す。

 

「記憶が残っていれば、人生は連続しているってことになる。名前を変えようが、国籍を変えようが、性別を変えようが、生きた時間が連なっているなら同じ人生を生きているってことになるんじゃないか? 」

 

 確かにそう言われればそうだと思える。しかしそれではどうにも腑に落ちない。

 例えばSNSのアカウント。親のつけていた成長記録まで含めれば、自分の人生は全てインターネット上にアップロードされている。戸籍を変えれば、それも途絶える。

 

 他人が観測しなければ、自分の人生は存在しないも同然ではないのか?

 

「でも……今まで作ってきた人間関係とか、そういうのは無くなっちゃうんじゃない? 」

「それも消えないと思うよ? 鵐目のコードがあるから映像越しは無理だけど、直に会えばお互いちゃんと覚えているはずさ」

 

 ここに来て、サヤはハバキの思考をやっと理解した。

 

 彼は『他人に見られた自分』を全く考慮に入れていないのだ。彼は『自分が見る自分』『他人を見た自分』だけで、自己の存在を定義している。

 

 平たく言うならば。

 彼は主観視点のみで生きている、唯我論者だったのだ。

 

「……多分さ。サヤは別の何かに重きを置きすぎてたんだよ。SNSのアカウントとか、学籍とか。『SNS上でのサヤ』と繋がる誰か、あるいは『生徒の一人としてのサヤ』と繋がる誰かを、とりあえず友人としてカウントしているんじゃないか? 」

 

 彼の言葉に、自分の常識が壊されていくのを感じる。

 

「それは……友だちじゃないの……? 」

 

 愕然とするサヤに対して、ハバキは一呼吸おいて、言った。

 

「君のストレスに気づいた友だちが、一人でも居た? 」

 

 ━━居なかった。

 

 …………。

 

「サヤが悲しむ必要は無いよ。結局みんな、他人との関わり合いから自分に都合のいい部分だけ抜き出して、消費してるのさ。自分のキャリアを飾り立てる商品としてしか見てない。グッチのバッグを欲しがるように、『清らかな友情』とやらを欲しがってるだけだ」

 

 彼はそれに続けて「気色の悪い話だね」と、吐き捨てるように独り言をこぼした。

 

「そっか。ずっと独りだったんだ、私。何となく、そんな気はしてたけど」

「……でも、今は違うだろ? 俺がいて、鵐目がいて、あと一応メアリーもいる。俺たちは真の意味で友人であり、一蓮托生の仲間だよ。これだけは、掛け値なしで保証できる」

「ハバキくん……」

 

 そして、幾許(いくばく)かの沈黙。

 

「……ごめんね! なんかすげー重い話しちまったわ! 要は『人生の主役はいつも自分』ってだけのことだから、面倒だった部分は忘れて構わんよ」

 

 笑いながら、照れ隠しにコーヒーを一気飲みする。

 

「ウ━━ごほっ、ごほっ……」

 

 普通にむせた。

 

「大丈夫? 」

「うん、平気……うぇっほ……」

 

 サヤがハンカチを差し出す。一応自分でも持ってきていたが、ハバキは敢えてサヤのを借りた。

 

「『重い話』なんて、そんなことないよ。その……嬉しい、とはまた違うけど、ハバキくんが私のことを(おもんぱか)ってくれたのは伝わったから」

「ありがとう。優しいね、サヤは」

 

 そうやって、ハバキはサヤに笑いかける。

 

「サヤ━━」

「なに? ハバキくん」

 

 ハバキは彼女に掛けようとした言葉を『思考』した。

 

(縺薙%縺ァ謨「縺医※險€縺�キ€繧薙〒縲√し繝、縺ォ蜊ー雎。縺・縺代※縺翫%縺�€ゅ□縺��繧、繧、諢溘§縺ォ諠壹l縺ヲ縺阪◆縲ゅ≠縺ィ繧ゅ≧縺イ縺ィ謚シ縺励□縺後€∫┬繧峨★繧�▲縺上j陦後%縺�€�)

 

 そして、やめた。

 

「……いや、なんでもないよ」

「ん……」

 

 二人の間を、生温い風がそよいでいく。

 

 ━━第一章:『怪人跋扈編』。




【人物紹介】
見鹿島 鎺(ミカジマ ハバキ)
見た目:黒髪、長めのウルフカット。細身で筋肉質、豹のような雰囲気。物腰は穏やかだが、目が笑ってない。
年齢:16歳。
身長:175cm。
体重:89kg(覚醒後)。

目的:『自分らしく生きること』。
備考:『怪人アラハバキ』の正体。現時点で最強の異外者(イレギュラー)


佐間宇 鞘(サマソラ サヤ)
見た目:黒髪ショートボブ。ウサギ系の美人だが、ほんの少し不健康な痩せ方。メイクは得意。
年齢:16歳。
身長:158cm。
体重:秘密。

目的:見鹿島 ハバキについて行くこと。今は地獄のような日常から助けてくれた彼と、とにかく一緒に居たい。
備考:特に無し。一般人。


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【2】合法的人身売買のススメ

 そして深夜、東京某所。

 地図で言えばかなり端の方にある、寂れた商店街。誰もいないそこの十字路で、電柱の陰に壮年の男がひとり立っていた。

 

 ふと腕時計を見れば『02:59:55』を示しており、つまりは約束の時間まであと五秒である。最低でも三十分は待ってやるつもりだが、正直期待はしていない。所詮は犯罪者、こういう小さな約束事すら守れないような奴だからそうなってしまうのだ━━などと、考えていると。

 

「貴方が『睦月 如月(ムツキ キサラギ)』か? 」

「ッ!? 」

 

 黒いローブに白い仮面を着けたアラハバキが、突然十字路の中央に現れた。

 

「あ、あぁ……そうだ」

 

 一瞬、時刻の確認で目を離しただけである。

 その僅かな間隙で姿を見せたアラハバキは、風が吹いているにも関わらず、『ローブがたなびくことは無かった』。

 

「いやぁ、遅れて済まない! 待たせただろうか? 」

 

 アラハバキはこちらを確認すると、朗らかな調子で喋りながら向かってくる。

 

「気にすんな……俺も今来たところだ」

「そう。では、こんな道端ではあるが、早速話をしようか」

 

 そう言うとアラハバキはコンコン、と、近くの店の壁を叩く。その直上には、もはやお馴染みとなった監視カメラがあった。

 

「監視されていた方が、安心感が有るのだろう? 私にはとんと理解出来ないが━━」

 

 不敵な笑みをこぼしながら、アラハバキは相手の思惑を言外に確認した。

 

『監視カメラ程度では、なんの牽制にもならんぞ』と。

 

(さて)。大方予想はついているだろうが、此方の要求は『犯罪者の換金』だ。日夜東京の平和を守っている私だが、活動資金が赤字になり始めてね。所謂『収益化』が必要だと判断した。そこで、現役の刑事で在りながら私に声を掛けてくる、貴方に会いに来た訳だ。貴方のパイプを利用して、捕らえた犯罪者を金に出来るんじゃないか、と」

 

 両手を合わせながら、アラハバキは睦月の顔を覗き込む。

 

「返答を聞かせてくれないか? 肯定か、否定か」

 

 その仮面にくり抜かれた黒い穴は、声とは裏腹に無感情の極みであった。

 睦月はひとつ息を吐いて、肯定を返す。

 

「━━いいぜ。犯罪者を捕まえたら適当な場所に軟禁して、その位置情報を取引する。レートはどうする? 」

 

 アラハバキは覗き込むのを止め、半歩引いた。

 

「驚いたな。トントン拍子に話が進むじゃないか? てっきり私を見下して、グダグダと文句を言いながら契約する事になるかと思っていたのに」

「俺の正義に言い訳はつけてある。変に気を巡らせんじゃねぇよ」

 

 しかしアラハバキは、『()()()()()()()()』。

 

(逹ヲ譛医→螯よ怦縲よ怦縺ョ蜷榊燕縺�縺後€∬ェー縺ョ繧ゅ�縺��溽嶌謇九�諱舌i縺乗里蟀夊€�□縺後€∬�蛻�→雖√�繧ゅ�縺ァ縺ッ辟。縺�□繧阪≧縲ゅ→縺ェ繧九→蟄舌←繧ゅ€√◎繧後b螽倥�縺溘j縺�縺ェ縲�)

 

 そして、ひと言。

 

「娘が二人、犯罪に巻き込まれて死んだ」

「……ッ!? 」

 

 心の底からゾッとした目で彼を見る睦月。

 

「当たってしまったかい? いや、そんなつもりは無かった! 済まない、謝罪しよう」

「……何故分かった? 」

「そりゃ、勘だよ」

 

 へらへらと、うそぶくアラハバキ。しかし睦月が敵意を込めた顔を向けてきた為、仕方なく根拠を提示する。

 

「貴方の所作、表情、年齢その他……合計八の状況証拠から発想した。一番は貴方の偽名━━『睦月 如月』だな。娘の誕生月なんだろう? 」

 

 正解だった。

 

「気色悪い……ッ! 観察力がどうこうってんじゃねぇ、()()()()()()()()()()()! どんなカラクリなのかは知らんが、二度とその調子で俺について詮索するなよッ! 」

 

 男はすごい怒った。

 

 ……こんな書き方をすると「小学生みたいな文を書くな」と怒り出す読者諸兄も居るかもしれないが、悲しいかな、アラハバキはこういう稚拙な表現のような感覚でしか感じることが出来なかったのだ。

 これもひとえに、ハバキの共感能力の乏しさによるものである。

 ひらにご容赦願いたい。

 

(うわー、めっちゃキレるじゃんコイツ)

 

 ほら、目の前で怒鳴られてもこの他人事っぷり。

 

「ああ、二度と詮索しない。重ねて済まなかった」

 

 アラハバキは両手を上げて、口だけの謝罪を済ませた。

 声色だけは本当に申し訳なさそうだが、彼の中に罪悪感は塵一つも無い。

 

「閑話休題、話を戻そう。取引方法は先程貴方が言った通り、軟禁場所の情報を交換するやり方で良いだろう。支払いは現金で頼む。ネット送金だと、万一疑われた時に隠しようが無い。場所や状態を示す暗号も、後で決めておこう」

 

 空気を切り替えて、テキパキと物事を進めていく。

 

「最後に、金額のレートについてなんだが……」

「こっちはただの古臭い刑事だ、いいとこ五十万が限度だぞ」

「構わない。寧ろ、全て言い値でも良い。売らさせて頂く立場なのだからね」

「……従順だな、不気味な程に。お前がいいなら、それでいいだろう。態度が変わらんうちに聞くが、俺の方からお前に依頼をするのはセーフか? 」

「というと? 」

「俺んとこで抱えてるヤマの幾つかに、異外者(イレギュラー)絡みと思しきものがある。犯人は特定できていないが、この先お前ら特有のチカラのせいで逮捕できない場合、お前に話を持ち掛ける可能性があるってことだ」

 

 その言葉を聞くなり、アラハバキは二つ返事で快諾する。

 

「お安い御用さ! 是非とも手伝わせて欲しい! 私のチカラが社会の改善に繋がるならば、願ってもない事だ! 」

 

 白々しい。

 しかし、そんな薄っぺらな言葉さえも信じる必要があるのが、今の睦月の立場だった。

 

「……その言葉、信じるぜ」

「ああ、信じてくれ。私はそういう存在だ」

 

 その言葉に、睦月はいつかしていた彼の演説を思い出す。

 

 アラハバキ。

 全ての『たったひとり』の味方。

 あらゆる事象のカウンターウェイト。

 

 この場合、彼はどういう立場なのだろう? 『異外者(イレギュラー)による犯罪の横行』という事象に対するカウンターウェイトか、もしくは……。

 

(この俺の味方、か……)

 

 失った二人娘の顔を思い浮かべる。

 気立ての良い、真面目ではつらつとした咲希。

 少し卑屈なところはあるが、弱い者の前に立てる勇気があった亜希。

 妻も早くに失い、しかし男手一人でなんとか育てていた。

 

 そんな二人も、放火魔の犯行に巻き込まれて死んだ。

 開校記念日で偶然家に居た二人は、そのまま炎に抱かれて死んだ。

 お揃いがいいと言われて買ったピンクのランドセルも、咲希が頑張って育てていたミニトマトも、亜希が描いてくれた自分の似顔絵も、毎日みんなで挨拶していた妻の写真も、全部燃えた。

 

(俺は、ひとりになった)

 

 彼は、ひとりだった。

 

「……刑事さん」

 

 そのとき、アラハバキが睦月に呼びかけた。

 

「私は、あなたの味方ですよ」

 

 その声色は、とてもやさしかった。

 

「━━そうかい」

 

 男は、一瞬漏れて出てしまいそうだった笑みを噛み殺して、そう言った。

 

 ━━

 

 とある夏の深夜。

 昼間の熱気も未だ充満し、人々の間を制汗剤の匂いと共に隙間なく埋め尽くしている東京では、今日も今日とて犯罪が跋扈していた。

 

「よし今だ! 運べ運べ運べ!!! 」

 

 見窄らしい服装の男たちが、割れたガラスを踏みながら大小様々な宝石や貴金属のアクセサリーを袋に詰め込んでいく。運の悪いことに、店に備え付けられている総鎮装(コンプ)は不調を発しており、明日の朝一番にその点検と取り替えをする予定であった。

 

 一心不乱に宝石を集める男たちの後ろに、見知った黒いローブが現れる。

 

「やぁ。精が出るじゃないか」

「ゲェッ、『怪人アラハバキ』ッ!? 」

 

 アラハバキが手振りひとつすると、『強盗犯たちは見えない力で床に押さえつけられた』。

 

「今どき貴金属店に強盗とは……。どうせ盗品を売る伝手も無いだろうに。文字通りの、豚に真珠って所かな」

「うっせぇよタコッ! センセェ、出番ですぜーッ! 」

 

 例え床を舐めることになっても強盗犯たちはどこか余裕そうで、その理由はアラハバキの背後に現れた謎の小太りの中年男性だと考えられた。

 

「お初にお目にかかる、怪人殿ッ! 我が名は『造壁達人(ウォールマスター)』ッ! そして我が能力名は『悠久不滅の万城壁(ザ・バベル)』ッ! 喰らえぃッ!!! 」

 

 彼がよく分からない動作をしながら地面に拳を叩きつけると、『アラハバキは一瞬で灰色の四角の中に取り込まれた』。

 

「フハハハハッ! どうだこのチカラは、流石の怪人とて━━」

 

 だが、それだけである。

 

「『歯が立たない』? 残念、いとも容易く立つんだな」

 

 アラハバキの声が中からしたと思うと、『彼の腕が壁をいとも容易く突き破り、造壁達人(ウォールマスター)の首根っこを引っ掴んだ』。

 

「たかだかコンクリートの壁一枚で、本気で私を無力化出来ると思ってたのか? 散々ニュースで私が暴れ回る映像が流されているのに? それはちょっと、私を低く見過ぎじゃないか? 」

 

 そのまま壁の支えを壊すように腕を振り回し、最後は落ちてきた天井に勢いよく男を叩きつけた。

 

「グゥゥゥ……」

「犯罪者の低知能化が著しいな。日本の未来を憂いたくなるよ」

 

 こうして、一分も経たずに貴金属強盗は全て無力化された。どうせ近辺の監視カメラが一部始終を確認しているはずなので、放っておけば全員連行されるだろう。造壁達人(ウォールマスター)の方は、適当に捕縛して例の刑事に売り渡すか……などと、考えていると。

 

「流石の活躍ですね、アラハバキさん」

 

 一人の若者が、スマホを片手に声を掛けてきた。

 

「あぁ、森川さん! お疲れ様です! 」

 

 森川とは、平日新聞に勤める若き記者である。

『BWTJ襲撃事件』の折、アラハバキの演説についての記事を世界で最も速く届けることに成功した人間だ。その縁もあって彼はアラハバキに関する記事を専門に書くようになり、その為本人とも仲が良い。

 

 二人は衆目から逃れるため、現場から少し離れた公園の、花壇の縁に座り込んだ。造壁達人(ウォールマスター)はアラハバキの足置きと化している。

 

「仕事は順調ですか? 」

 

 森川から手渡されたペットボトルの水にストローを挿しながら(仮面を外せない為、こういう形でしか水分補給できないのだ)、アラハバキは聞く。

 森川は少し顔を曇らせつつ答えた。

 

「う〜ん……、順調というと、ちょっと違うというか。アラハバキさんの記事を書く度に、日本中からバッシングが来るわけですし……」

「あらまぁ。この前の記事を拝見しましたが、かなり慎重に中立性を保とうとしているのが良く分かる、良い記事でしたよ」

 

 実際、森川の記事は新人が書いたにしてはかなりよく出来たものだった。取材や裏付けも丁寧にされているし、他の記事に比べて独自性も確保されている。

 

「ダメなんですよ、『中立』じゃ。世間の空気に迎合できないなら、それはただの逆張りなんです。読者が欲しいのは『正確な情報とニュートラルな考察』ではなく、『自分の思考を勝手に肯定してくれる、大音量のスピーチ』ですよ。質でも量でもなく、それの纏う『属性』が大事なんです。アラハバキに同調する文章を一行書いたら、それを前置きにして断罪する文章を十行は書かないと」

「自ら望んで迎合主義(ポピュリズム)を遂行させる大衆ですか。酷い話ですね」

 

 だが、いくら記事の出来が良かろうがコンセプトそのものが許されない場合、買われるのは記事ではなくヘイトなのだ。雑多なアカウントがリプライ欄を燃やし尽くし、記事を引用して晒し上げていく。まるで蝗害のように暴れ回った後、次なる炎上に向かって集団移動する。

 

「……いつからこんなに、世間は息苦しくなったんだろうなあ……」

 

 元号が令和となってから━━特に、『先端技術恐怖戦争(テックフォビアウォー)』の起こった二〇三四年から先は━━SNSでの日常茶飯事であった。

 

 そのとき、二人の頭上から声がした。

 

「あ、どうも……こんばんは。アラハバキさんですか? 」

 

 二人が喋っているところに、目深くフードを被った謎の少年が口を挟んできた。

 無礼な奴だが、強火のファンか何かだと考えたアラハバキは、立ち上がって彼に近づいていく。

 

「ん? ええ、まあ。見た通りに」

「じゃ死ね」

 

 パァン。

 

「━━ヘェー……」

「悪いね。拳銃の接射は一度経験してるんだ」

 

 アラハバキの腹に当てられた拳銃を引き戻すと、『弾丸が彼に当たる直前で静止していた』。

 

「な……な、な……ッ! 」

 

 突然の事態に、森川は声も出せずたじろぐしかない。

 そんな彼に対して、アラハバキは低くハッキリとした声で告げる。

 

「森川さん、逃げた方が良い。出来るだけ身を低くして、迅速に」

 

 その言葉で我を取り戻した森川は、中腰になって急ぎその場から走り去ろうとした。

 

「余所見すんじゃねェ!!! 」

 

 森川の方に顔を向けていたアラハバキに対して、少年は首筋にポケットナイフを当てがって怒鳴る。

 その刃が引かれる刹那、アラハバキは『ナイフの刀身を掴み、握り潰した』。

 

「ならもう少し見る気を起こさせてみろッ!」

 

 ひしゃげたナイフを放り捨てながら、アラハバキは『周囲の草木やゴミなどを浮かばせ、臨戦態勢をとる』。

 

 月も隠れる曇天の下。

 二丁の拳銃を構える少年の視界には、そこに収まり切らないほどの『弾』が、射出の瞬間を待っていた。




【人物紹介】
鵐目 椒林(シトドメ ショウリン)
見た目:茶髪で短髪。目も茶色。唇がびっくりするほど薄く、どれだけ光を当てても目にハイライトが入らない。常にニタニタ笑っており、何を言っても胡散臭い。
年齢:26歳。
身長:185cm。
体重:73kg。

目的:AIにして伴侶である『メアリー・スー』と楽しく暮らすこと。

備考:無性愛者、あるいはAI性愛者。『メアリー』とは純粋な恋愛関係で成り立っている。


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【3】異外者(イレギュラー)の危険性

 先に動いたのは、アラハバキだった。

 

『背後に浮かせていた瓦礫を少年の頭上に広く分布させ、ランダムに射出する』。

 

「そら、躱してみろッ! 」

 

 空き缶が、小石が、木の根が、少年の上から時速二百キロで落ちてくる。しかし少年も異外者(イレギュラー)であり、ただ速いだけの物体ならば辛くも回避出来る。

 

 なのでまあ、速いだけな理由(わけ)が無く。

 

「糞が……ッ! 」

 

 少年は必死に弾を避けているにも関わらず、身体の端々から血を流していた。

 その原因は、彼の周りの舗装された地面がひたすらに抉れていることから察しがつく。とんでもない速度で放たれた瓦礫が地面にぶつかり、その破片すらも弾丸となって少年を襲っているのだ。

 そして器用に致命傷となる部分が避けられていることから、『破片さえもアラハバキがコントロールしている』ことは明らかだった。

 

「どうした、威勢のいいのは最初だけかッ!? 」

「ッるせぇよ、チート野郎が……ッ! 好き放題バカスカ撃ちやがって……! 」

 

 アラハバキは少年の様を嘲笑う。彼もまた、弱者の蹂躙ではなく事実上初めてと言える戦闘でハイになっていた。

 

「戦い始めて幾分も経っていないが、君が中々にやれる(・・・)人間なのは理解出来る。少なくとも、そこに転がる中年男性(ウォールマスター)よりは。悪いが実験台になって貰おう。試したい技が沢山あるんでねェ! 」

「ザコ狩り以外の戦いは初めてか? そりゃ好都合だ! 鉄火場を知らんクソ童貞がッ! そのまま死ぬまで油断してろやァ! 」

 

 少年はそう啖呵を切ると、猛然とアラハバキのいる前方向に回避しつつ突撃した。

 瓦礫を射出しつつ、冷静に『後ろに下がって浮遊する』アラハバキ。だが少年は一切足を止めずに突っ込み、アラハバキの下をスライディングしつつ潜る。

 

「食らえッ!! 」

 

 そして、クロスして構えた拳銃を『発砲』した。

 

「鉄砲如きで私に適うつもりか馬鹿がッ!」

 

 アラハバキは『空中で回転して、真正面から弾丸を捕らえようとする』。実際、その試みは成功したかに見えた。

 しかし次の瞬間、アラハバキの右肩に鋭い痛みが入ってきた。

 

「グゥッ━━!(弾丸全てを全く同じ箇所に当てて、こちらの目算を崩した……!? )」

 

 着弾の衝撃でくるりと回転した折、()()()()()()()()()()()()()()()()を見た。数珠繋ぎのようなソレは、異外者(イレギュラー) の人智を超越したチカラを示すのに十分な代物であった。

 

「虎の子だ、貰っとけェ!! 」

 

 スライディングから背筋で跳ね上がった少年はその勢いで三発のグレネードを放り投げ、『射撃で弾き』変則的な弾道で攻撃する。

 

「うおおおおッ……! 」

 

 アラハバキは咄嗟に『瓦礫を固めてグレネードとの間に壁を作る』。

 

 空間装甲という、破片を外側の装甲でガードし爆発の衝撃を空間そのものと内側の装甲で軽減させる、戦車に使われる防御手段があるが、正しく彼は『瓦礫の壁』と『纏っている力場』でそれを再現してのけた。

 

 硝煙が晴れて、アラハバキがフラフラと着地する。

 

「耳、痛……。危なかったな……」

 

 人生で初めて、爆発物を至近距離で食らったアラハバキ。

 久方ぶりに、彼は命の危険を感じていた。

 

「……マジか」

「マジだよ。先程『虎の子』だとか言っていたが、アレが今の君に出せる最大火力か? だとしたら、御愁傷様。君に私は殺せない」

 

 一方の少年は、ただピンチを感じる程度で済まされたことに対して大きな焦燥感に苛まれていた。

 覚醒した後に、事務所からありったけ持ってきた銃や爆弾。隠せる分だけ持ってきたが、それの大半は既に使い切っていた。

 

「……まだだ。まだオレには奥の手がある! 終わっちゃいない━━終わっちゃいないッ!! 」

 

 しかし、それを教える義理はどこにもない。少年は吠えて虚勢を張るが、アラハバキは鼻で笑って受け流す。

 

 そのとき、二〇三九年に生きる者なら誰しもが聞いたことのある、特徴的なサイレン音が聞こえた。

 パトカーでも、救急車でも、消防車でもない。

 しかし、ある意味ではそれら全てを備えたモノ。

 

『不審な爆発音を検知しました。避難してください。A suspicious explosion sound was detected, Please evacuate━━』

 

 警備機械(セク・ボット)

 

「チッ……! 」

(さて)。タイムオーバーだ、少年」

 

 誘導灯や電光板を装備した派生種が公園一体を取り囲み、身体の左右から規制テープを発射・接着して隔離する。中に侵入したボットは爆発音の原因を捜索する部隊と、中にいる二人の人間を確認する部隊に分かれる。

 

『人相確認:アラハバキ・八坂谷 冬弥(ヤサカダニ トウヤ)。共に特一級確保優先対象(プライオリティ・ワンプラス)。警備武装、最大解放します。離れてください』

 

 二人の顔画像(一人は仮面だが)を認識したボットはクラウドサーバーから同一人物のデータを確認、個人を特定。対象が対象だけに、抱える武装を全て解放し、警備というよりは殺戮機械のような様相を(あらわ)にした。

 

「まー怖い」

「…………」

 

 例のBWT襲撃事件でもそうだったが、アラハバキ相手にボットは無力である。しかし少年━━冬弥にとっては、回避し切れないゴム弾の斉射で命を落としかねない絶体絶命の状況である。

 

「どうするつもりだい? 冬弥君。この数のボットに制圧されたら、いくら異外者(イレギュラー) とはいえ身体中の骨が砕けて死ぬだろうさ。嫌な話だね」

「……馴れ馴れしく呼ぶんじゃねぇよ」

「だが━━助けてあげよう。私が」

 

 その言葉に、唖然とする冬弥。

 

 助ける?

 オヤジの仇が?

 オレを?

 

「は……? なんでそうなる……? 」

「例の演説、知ってるだろ? 『如何なる場合に於いても人を殺める事は無い』。私はそう宣言して、今に至るまで忠実に堅守している。その一環さ」

 

 ボットが何やら警告を発しているが、冬弥の耳には届かない。

 

「だから、オレを助けると……? 撃たれたのにか? 」

「ああ」

「殺されかけてるのにか? 」

「ああ」

「殺し合ってるのにか? 」

「ああ━━いや! いや、それは違う。訂正しよう」

 

 アラハバキはそう言うと冬弥に近づき、ぬるりと下から顔を覗き込んだ。

 

「私は君を殺さないよ。決してね」

 

 まるで寝付けない子どもを安心させるように、彼は冬弥に言い聞かせる。

 仮面の目、(うろ)のような真黒い穴は、微動だにせずこちらを捉えていた。

 

「ま、多少痛めつけはするがね。簡単に気絶させられるなら、それが理想なんだが」

「……お前……お前は……」

「ん? ……だって、考えてもみたまえよ! 本当に殺すつもりなら、撃たれた瞬間に君の首を捻じ切って然るべきだろ? だが勿論、そんな事はしない。それはそれとして、危険人物の君には戦闘不能になって貰いたい。死なせはしないが、万全で活かしもしない。ここの加減が本当に繊細で、難しくてね……」

 

 まるで創作の苦労を語る芸術家のような調子で宣うアラハバキ。そのうち自分だけが一人喋っていて、冬弥が黙りこくってしまっていることに気づいたので、話を切り上げることにした。

 

「ま、なんだ。何をしようが君が死ぬことは無いから、安心して襲って来るが良いさ。愉しくやろう、お互いに」

 

 そう言って、にこやかに冬弥の肩をポンポンと叩いた。

 

 わざわざ明言する必要も無いことだが、ここまでのアラハバキの喋りは完全な挑発である。

 

『お前のやってることは所詮ガキの遊びだし何を目的としていようがその点は変わらないが、私は大人だからそんな遊びにも付き合ってやるよ』

 

 という意味の。

 

「……ハハ、そうかそうか。なるほど、なるほど。よく分かった」

 

 アラハバキが冬弥の人となりをどこまで把握していたかは未知だが、仇討ちを目的としている少年にとってこの煽りは奇跡的なまでに突き刺さり、尋常ではないほど効いたのだった。

 

 憤怒と憎悪が腹の底から湧いてくる。頭は耳まで熱くなり、後頭部の辺りがズキズキと痛んでくる。握り締める拳銃のグリップは、若干ヒビが入り始めた。

 

 それを無表情な仮面を通して見るアラハバキ。

 

 そして、冬弥が移した行動は━━。

 

「じゃ、助けてくれよ。アラハバキ。まだ死にたくねーんだ、オレ」

 

 アラハバキは、無感情に答えた。

 

「了解した」

 

 ━━

 

「とりあえず、歌舞伎町まで」

 

 そう言われたので、『冬弥と一緒にアラハバキは空を飛んでいた』。

 

 今頃、公園のボットはありもしない爆発物を捜しているか、消えた二人を捜索しているだろう。

 

「済まなかったな、アラハバキ」

 

 仰向けで飛ばされながら、冬弥はポツリと呟く。

 

「え? うん、別に気にしてないよ」

「いや、言わせてくれ。オレはお前を殺そうとしていた。極道の端くれとして、何らかの形でケジメはつける。だが、訳あって当分は難しいから、今は謝罪だけで我慢してくれ。本当に済まなかった」

 

 夜風に当たって頭も冷えたのかな、などと考えるアラハバキ。

 

「君、ヤクザなの? 」

「ああ。下っ端も下っ端、ただの鉄砲玉だがな」

「へぇ。じゃあケジメって、もしかして小指切るやつ? 」

「そりゃまあ」

 

 その言葉に、アラハバキは首を振る。

 

「止めてくれ! 君に小指切られたからどうだって言うんだ、痛々しい……」

 

 アラハバキ……というかハバキは、『謝罪は言葉ひとつで十分であり、それ以上はむしろ迷惑』と考えるタイプの人間であった。

 他人に対しても、自分に対しても。

 そのせいで、真摯な(・・・)謝罪を求める人間との間で拗れたトラブルは数知れない。

 

「小指代わりに、話してくれないか? なんで私を殺しに来たのか」

 

 個人的な好奇心から、アラハバキは聞く。

 

「ああ……まあ有り体に言えば、仇討ちだな。うん」

「仇? 私はヤクザ者を殺した記憶なんて無い━━」

 

 その言葉を遮るように、冬弥は目的地に到着したことを告げる。

 

「あ、ココだ。ココで下ろしてくれ」

 

 ━━少し、空気が変わったのを感じた。

 

「ここで良いのか? ただの通りだが……」

 

 パァン。

 

「…………」

「……フフッ」

 

 パァン、パァン、パァン、パァン。

 

「止めろ。撃つな」

「死ねば止まるぜ」

 

 パパパパパパパパパパパパパパ━━。

 

「ウワァァァ!! 」「テロだ、逃げろォォ!! 」「乱射だ乱射! ヤバイってマジで!!! 」

「止めろッ!! 一般人を巻き込むなッ!! 」

「ヒャッハハハハッ!!! 分かったぜテメェの弱点ッ!! ヒャハハハハハハハハハハハハァァァッ!!! 通り一帯丸ごと人質だッ! オヤジの仇、死んで償えアラハバキィィィッ!! 」

 

 狂ったように笑いながら、通行人に誰彼構わず撃ちまくる冬弥。その弾丸を『出来る限り失速させてその場に落とす』アラハバキ。

 しかし弾丸のスピードは異外者(イレギュラー) であっても反応するのに骨が折れるもので、しかも冬弥は跳弾も駆使して的確に頭部もしくは心臓を狙ってくるのだ。

 

「あ、アラハバキ……! 」「助けて!! 死にたくない!! 」「お願いします!! お願いしますから!!! 」

 

 民衆は誰も彼も、アラハバキの元へと走り込む。

 

「頭を下げて、私の視界に入って! 全てを賭けて君達を守るから! 」

 

 的確に指示を飛ばし、同時に善人ポイントも稼ぐアラハバキ。しかし彼もここまでの規模で能力を行使したことは無く、息も荒くなっている。

 

(マルチタスクも大概にしろよ……! )

 

 もはや手が足りなくなったアラハバキは、『放たれる弾丸を止めながら』冬弥に向かって殴りかかるしかなかった。

 

「お前の仇は私だろう!? わざわざ他の人間を撃つ理由があるか!? 」

「今更聞くなよ分かってる癖によォッ!!! 」

 

 拳を振り抜くアラハバキ。本当はこちらにも能力を込めたかったが、『万に一つも民衆に銃弾を当ててはいけない』という状況の中で、そちらに回す思考リソースは完全に枯渇していた。

 

「その手を止めろッ!!! 」

「ヒャハハハァッ!!! 」

 

 狂笑しながら、冬弥はド素人のパンチを加速する前に額で受け止める。

 当然、両手は未だ民衆を『撃ち』続けている。

 

「なまっちょろいぞアラハバキィィィッ!!! 」

「……ッ! あぁそうかい分かったよッ! テメェの安全なんか知るかッ!! 」

 

 業を煮やしたアラハバキは、ついに覚悟を決める。

 

 最初から考えてはいたものの『冬弥が死ぬ可能性が高い』ことから使わなかった技。それを使う覚悟を。

 

「空の彼方で大人しくしてろッ! 」

 

 そう。『強制的な上空射出』である。

 

「グォァァァッ!! 」

 

 冬弥は、自らが撃つ弾丸とほとんど同じ速度で上空へと吹き飛んでいく。掛かるGは計り知れず、頭から血が抜けて失神する。

 

 しかしそこは異外者(イレギュラー) 。速度が緩まると直ちに回復し、身体を回転させて頭に血を戻した。

 

「落ちて来る頃には、戦意を喪失してるだろう……そうであってくれ……」

「テメェ!!! 果たし合いの最中にソレは反則だろうがァァァ!!! 」

 

 吠える冬弥。

 いきなりパンピーにチャカぶちかました奴が、吠える。

 

 そのとき、彼の脳裏に電流が走る。

 最初に戦っていたとき、アラハバキがやっていた『上空からの撃ち下ろし』。

 

 ……今なら、自分も出来るのでは?(・・・・・・・・・・)

 

「意趣返しだぜアラハバキィィィ! 」

 

 高度千メートルから、冬弥は拳銃を構える。

 普通ならば到底当たらない、どころか技量の前に物理的な問題で当たるわけが無い状況である。

 

 だが彼は━━『撃った』。

 

「馬鹿な、拳銃の射程限界すら無視する気か……!? 」

 

 上空から聞こえた僅かな発砲音に、最悪のシュチュエーションを想起してしまう。

 

 そして、それは現実となった。

 

「キャッ!? 」「うわっ!? 」「ひぃぃぃ!! 」

 

 先の乱射よりも広範囲の人々へ、次々と銃弾が送り込まれてくる。『なんとかギリギリで止めている』も、もはや視認すら不可能に近い状態である。

 

「そォら行くぞアラハバキィィィ!!! 」

 

 高速で落下しながら、回転しつつ『乱射』する。一見ヤケクソ地味て見えるが、その全ては異能による致死性100%の凶器乱舞である。

 

 そして、遂に両者は激突する。

 

「死ィィィィィねェェェェェッ!!! 」

「ウオオオオオオオオオオオッ!!! 」

 

 刹那。

 破壊音。

 土埃。

 

 沈黙。

 

「━━オイ。なんで俺は生きてんだ」

「そりゃ、私が助けたからさ……ハァ……。心臓に悪い奴だな、君は……」

 

 冬弥は生きていた。

 両手の拳銃は粉々に破壊されているが、彼は健在だった。

 

「テメェは……俺を舐めてる。舐め切ってる。不意を突かれて、民衆丸ごと人質に取られて、そこまでやった結果がコレだ。引き分け(ドロー)。なんなら、お前が肩を撃ち抜かれた分、オレの勝ちとさえ言える。教えてくれよ、アラハバキ。何を持ってして決着を付ける気なんだ? 」

「教えてやるよ、イカレ野郎。答えは君の五百メートル後ろだ」

 

 アラハバキが冬弥の後ろを指差すと、そこに警察の群れがランプを灯しながら接近してくるのが見られた。

 

「……ハッ」

「本来なら身柄を拘束して取引に使う予定だったが、銃が無ければ多少力が強いだけだろう? 君は。後は国家の暴力に任せるとしよう。異外者(イレギュラー)の危険性について、再確認させてくれた礼だ」

 

 そう言うと、アラハバキはフゥー……と大きな溜め息をついた。

 その背に、怒号が突き刺さる。

 

「おまッ……ふざけんなよ!!! 殺せよソイツ!!! なんで野放しにすんだよバカか!?!? 」

 

 そう叫んだのはアラハバキが守った民衆のひとりだった。彼の言葉に「そうだ! 」と賛同する声がポツポツと聞こえる。

 

 彼の怒りは尤もである。

 が、しかし、アラハバキは面倒くさそうに答えた。

 

「私は誰も殺さない。善人も、悪人も。ヒーローも、犯罪者も」

 

 それは無法者の怪人・アラハバキが、利己主義者で嘘吐きの見鹿島 ハバキが自分に課した、たった一つのルールであった。

 その答えに納得できない男は、しかし怒りのあまりに有効な反論が思いつかないという顔で叫んだ。

 

「……ソイツは俺たちを殺そうとした!!! 」

「だが君達は死んでいない。だから、これは、ここで終わりだ」

 

 アラハバキの冷たい声が響く。

 両者は睨み合うが、やがて男の方が折れて、背後の人混みの中に紛れて行った。

 

 いよいよパトカーがすぐ近くまで来たところで、冬弥がアラハバキに対して宣言する。

 

「……八坂谷 冬弥。破僧会傘下・東京鉄血組組長名代だ。テメェに殺されたオヤジの仇を討つ為に、オレは全てを使ってテメェを狙い続ける。覚えとけ」

「君のオヤジは勝手に自首しただけだよ。私に責任を負わせるんじゃない、迷惑だ。そもそも死んでないし……」

「オヤジの魂は死んだ! あの日お前が殺したんだ! オレのオヤジを奪ったのはお前なんだよ! ━━次は、確実に殺す」

 

 そう言うと、隠し持っていたスモークグレネードを四つ転がし、煙幕を作り出して逃亡した。

 

 アラハバキは『予想できる複数の逃走ポイントに力場の罠を仕掛けてみた』が、ソレに引っ掛かる様子は無かった。

 

 何より、極度の疲労で彼を追う気にもならなかった。

 

 なおこの後に、

 

「━━現着、指示を乞う━━アラハバキ発見! 貴様何をしている、逮捕だッ! 」

「五月蝿いな……。銃の乱射から全員傷一つ付けずに守り切ったんだ、少しは感謝してくれ」

「……それとこれとは別だ別! オラ手出せこの野郎! 」

「まだワッパに拘るのかよ!? 学習しないな本当に! それより、そっちとそっちの細道から銃乱射の犯人が逃げた可能性がある! そっちの方が簡単だから先にそっち行きたまえ! 」

「ぐっ……! 二班と三班は乱射のホシを捕らえてこい! 我々はアラハバキを━━あ、アイツ飛びやがったッ! 」

 

 ……というような感じで警察とも一悶着あったが、一応事件は落着の形となった。

 

 アラハバキは東京の夜空を飛びながら、ローブの裾を破り右肩の手当をする。

 

「……つ、疲れた……」

 

 この夜は、彼の人生の中で二番目に長い夜であった。




TIPS:
東京に住むヤクザなど裏社会に籍を置く人間は、ほとんどが監視カメラの視界をマッピングした地図を頭に入れている。その地図の制作は主に海外のクラッカーの手で行われており、価格は日本円換算で三百万は優に超える。
故に日の当たらない東京の細道は、濃縮された悪党の巣窟だと言えよう。

もちろん、政府は区画整理を進めているが、どれだけ躍起になってもこの『盲点』が完全に消え去る日は来ないだろう。


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【4】闇医者へ会いに行こう

「ふぅ……」

 

 夜闇に紛れ、ハバキはベランダからホテルの部屋へ転がり込んだ。

 そんな彼の怪我を見て、サヤは慌てて駆け寄る。

 

「おかえり……って怪我してる!? 大丈夫!? 」

「うん。血痕は地面に落としてないし、上空飛んできたから足はついてないはず……」

 

 疼痛(とうつう)に顔をしかめながら受け答える。ローブを脱ぐと、切れ端で縛った傷口を真っ赤な血液がしとどに濡らしているのが見て取れた。

 ハバキの言う通り、垂れるはずの血液は『彼の能力で無理やり傷口に押し込められている』ようだ。

 

「いや、そっちじゃなくて! ハバキくん自身の方! 」

 

 だが、サヤが心配したのはそういうことでは無い。

 

「え? あぁ……まあ痛いだけだし。別にいいよ、そんなことは……」

 

 サヤの意図をようやく察したハバキは、しかし面倒な気持ちを隠し切れない声で答えた。

 彼からしてみれば本当にただ痛いだけ(・・・・)。それ以上でも、以下でもない。適切な手当をすれば治るものを、今現在どうこう言おうが何も意味は無い。

 

 同情するなら消毒液と包帯と痛み止めをくれ。

 彼はそういう人間だった。

 

「良くないよ!? 」

 

 だが、普通は怪我をした人を見れば心配するものである。

 それが治療に何の意味を持たないとしてもだ。

 

「やぁ、おかえりハバキクン! 手酷くやられて来たねぇ、油断した? 」

 

 鵐目が楽しそうに声を掛けてくる。

 

「うーん……した。いきなり殺意レベルが違い過ぎててな。『スライム』狩ってたらいきなり『おにこんぼう』が出てきた、みたいな」

「でもパンピーに被害は出させなかったんだろ? んじゃまーいいんじゃねーの? 」

「どうだか。俺の能力をフルに発揮していたら完封出来てただろうよ。敗因の一つは、俺自身への研究不足だな」

 

 会話しながら、ハバキはバスルームで布の切れ端を解いた。

 解放された血液が、排水口にビチャ、と叩きつけられる。

 

「んで━━その怪我どうするつもり? 」

「もちろん、治療出来るなら即刻したい。でもなぁ……身分が身分だけに難しいよな……。普通の医者にかかったら、まず確実に何かしらで正体がバレるし」

 

 サヤが持ってきてくれた医療箱から色々と取り出しながら愚痴るハバキ。

 

 闇医者……。

 

 正規の手順を踏まずに、足跡を残さぬまま治療してくれる闇医者がいれば……。

 

「一応コネクションあるんだけど、僕。闇医者の」

 

 …………。

 

「ハァ!? 」

 

 ━━

 

「というわけで! 着きました闇病院! 」

 

 そうと決まれば早かった。

 

 三人は、とある郊外の雑居ビル前に来ていた。目の前には『整形外科 玖珂咲(クガサキ)診療所』と書かれた古い電光看板がある。

 

「闇というか、普通の小さい診療所に見えるけど……」

「看板ガッツリ出してるしな。もう営業時間外だけど」

 

 ビルの一階━━正確には半分地下で、階段を少しだけ降りる━━にあるその診療所は、暗闇でも無味乾燥な白い壁・天井、薄いプラスチックの仕切り、並べられた安物のパイプ椅子などが見受けられる、あらゆる面で規模の小さい施設だった。利用客なぞ、老いぼれた爺さん婆さんが二三人も居れば良い方だろう。

 

「鵐目。もう一度確認するが、俺の『正体』については……」

「もちろん、ひとつも教えてないよ。向こうもそういう仕事だからね、お互いの信用を一番大事にしてるのさ。さあ、アポは取ってるから入ろうぜぃ! 」

 

 やたら元気な鵐目が躊躇なく扉に手をかけて、開く。鍵が掛かっていなかったので、アポは確かに取っていたようだ。

 

「お邪魔しマンモス! 」「マントヒヒ」「お邪魔しまーす……」

 

 三人が中に入って電気を点け、入口のカーテンを閉めると、奥からひとりの医者が姿を現した。

 

「……一応、勤務時間外なんだ。もう少し静かに入ってこい……」

 

 ボサボサ栗毛のポニーテール。レンズの薄汚れた黒縁メガネ。整ってはいるが今にも死にそうな酷い顔をしていて、白衣の下に着ているくたびれたセーターからは胸の谷間を出しており、そして身長が鵐目とほとんど変わらない。

 

「二人に紹介しよう! コイツは『玖珂咲(クガサキ) レオン』! ボクの大学(カレッジ)時代の友人! 腕の立つ外科医で、性欲モンスターだ! 」

「女性の紹介で使う言葉がそれか? 」

 

 ハバキがそう突っ込むと、サヤが「え? 」と振り返った。

「ん? 」とハバキも首を傾げる。

 

「お、ワタシを女性として扱うのか。グッドなガキだ、きっとモテるぞ」

「ん〜? 」

 

 二人が顔を見合わせて困惑していると、彼━━いや、彼女? ━━は、『禁煙』のポスターの前でタバコに火をつけ、言った。

 

両性具有(・・・・)。またの名を二形(ふたなり)半月(はにわり)、あるいは半陰陽(はんいんよう)。基本的にはその時々で得な方を選んでいるが、他人からは女性扱いだと気持ちがいい。大事にされてる気がするからな。ワタシと接するときは覚えておくように」

 

 彼女(以降はレオンの意思に沿って三人称は『彼女』とする)はそう言って、にへらと笑った。

 

「お、おう。了解した(胸あるし、女だと思った……)」

「分かりました、気をつけます……(胸筋を鍛えた男の人かと……)」

 

 そんなレオンに対して、いつの間にかパイプ椅子を前後逆ににして、背もたれに身体を預けるよう座っていた鵐目が茶化す。

 

「なーにが女性だよ、そこいらの男以上にチンポ振り回しといて……」

 

 彼を見たレオンは、ニヤニヤしながら肩に腕を回していく。

 

「どうした『ポール・ヌーク』? またケツ穴掘られたいのか? 」

「お生憎様。あと今は『鵐目 椒林』って名乗ってるから、そっちで呼んでくれ」

 

 吐きかけられた煙に鼻をつまみながら、適当にあしらう鵐目。

 そんな彼の右耳にキスするレオン。

 

「ち、ちん……ッ! 掘ら……ッ! 」

 

 ……そして、顔を真っ赤にしたサヤ。

 

「オイお前らうちの純情少女に何聞かせてんだ! 自重しろ馬鹿! 」

 

 ハバキはサヤの両耳を塞ぎながらキレた。

 

「オマエら二人とも十七かそこらだろ? じゃあ別に性知識あるんだし良いだろ、別に。ところで二人はもうヤったのかい? 」

 

 そんな二人を見ても、レオンは構わずアクセルを全開で踏みに行く。

 ……彼女も、鵐目と同じく『倫理をサンフランシスコに置いてきた勢』であった。

 

「ヤっとらんわ馬鹿タレ! ここまでラインいくつ踏み越えてんだよ横断歩道の白線じゃねぇんだぞ!! 」

「お、じゃあまだ純潔か。ところでオマエは童貞と処女、どっちなら売れる? 」

「俺の貞操は非売品だ!!! 」

 

 叫ぶハバキ。そして怪我人なので当然だが、肩の傷にも響いてうめく。

 

「……さ。コントはこのくらいにして、治療してやるから診察室に来い」

「流れバッサリ切っていくじゃん」

「引き際には定評がある」

 

 診察室も、これまた低予算丸出しだった。一応最低限のアイテムは揃っているが、椅子は安定のパイプ椅子だし、ベッドなんかはパイプ椅子三連チャンである。

 

 あまりにもパイプ椅子を酷使し過ぎだろ、とハバキは思った。

 

 椅子に座って、上着を脱いで傷を見せる。

 

「お、中々上手い応急処置。弾は貫通してるな。グッド。これならCT無しですぐ縫合して終わるぞ」

「意外と簡単なんだな」

「場数が違うのさ。日本の医者ならこうは行かんよ」

 

 一分もせずにそう診察したあと、彼女は棚から麻酔スプレーや手持ちドリルのような自動縫合器など、治療に必要な道具を取り出した。

 

「……鵐目と同年代ってことは、まだ相当若いだろ? アメリカじゃどうか知らないが、普通は研修医とかそのレベルじゃないか? 」

 

 麻酔スプレーの先についたカップを患部に押し当て、トリガーを引く。

 じんわりと、暖かいような痺れるような感覚があった。

 

「ん? まぁ、色々ちょろまかして最短ルート突っ走って来たからな。だからこそ闇医者なんてやってるわけだが」

「何故そこまでして医者を? 」

「そりゃあ好きだからさ。さっきも言ったが、ワタシは両性具有だ。それも、性器がどちらも機能する結構カンペキなカタチでのな。これが結構珍しいらしくて、当時のドクターは興奮しながらこう言ってたよ。『幸運なことに、君には三つの選択肢がある。男性か、女性か、あるいはその両方として生きるか。どれを選んでも何も問題は無い』ってな。自分の身体の神秘に気づいたその瞬間が、ワタシの医学に関する原点さ」

 

 今度は自動縫合器の先についたリングを患部に押し当てる。後部についた小さなタッチパネルをいくつか動かして、予めプログラミングされた縫合方法を選択する。

 糸と針が適切な状態で装填されていることを確認すると、レオンはトリガーを引いた。返しの無い釣り針のような針が、三本のマイクロ・ロボットアームに手繰られてリングの中で忙しなく動き、患部を縫合していく。

 

「それで、第三の道と医者になる道を選んだのか。不安は無かったのか? 昔よりマシになってるとはいえ、差別的な目に晒されることも少なくないだろうに」

「全然! むしろ興奮したね! だってオマエ、男と女の両方でオルガスムを感じられるんだぜ!? 超エキサイティングだろ?! 」

「……嫌なら答えなくても良いんだが。自分の特殊性に気づいたのは何歳の頃だ? 」

「十歳。はしかの治療で血液検査したら分かったらしい」

「え!? マジか。その、なんというか━━いや!俺もそのくらいの頃から性を意識し始めてたし! うん……うん! 」

 

 終わったぞ、の声と共に、段々と肩の感覚も戻ってきた。

 ジャスト一分。麻酔の原理解明により、現代では麻酔時間も簡単かつ精緻に管理出来るのだ。

 

「ちなみに……治療費はおいくらで? 」

「最低でも(マル)が六つ付きます」

 

 ハバキは頭を抱えた。

 

「そこでここだけのマル秘話。今ならなんと、お金の代わりに身体で支払うことも━━」

「しないって!! アンタ結構しつこいな!? 」

「仕方ないだろ最近忙しくて溜まってるんだよ!! アァァァァ若い子の綺麗な肌舐めたいッ!!! 」

「豚の皮でも舐めてろバカがよぉ!! 」

 

 ━━

 

「あ、ハバキくん! どうだった? 大丈夫だった? 」

「現代医療の素晴らしさと、日本の医療保険制度のありがたさを実感したよ……。二度と怪我したくねぇや……」

「マジ? そんなに掛かったのハバキクン? 」

 

 二人に額を教えると、同時に頭を抱えた。

 

 そこにタバコを咥えたレオンが、壁に寄りかかりながら話しかける。

 

「治療費の重さは、その分ワタシの口の堅さだと思ってくれて構わないぞ。オマエの秘密を守る代償だよ、異外者(イレギュラー)

 

 一瞬、三人の間に緊張が走る。

 

「ああ……やっぱり分かるか。そりゃそうだ、人体構造に関するプロだものな」

「良かったらで良いんだが。今度ウチで『人間ドック』やらないか? 鵐目(コイツ)の知り合いということで、ある程度信用出来る異外者(イレギュラー) はアンタが初めてなんだ。我々常内者(ノーマル)との違いを調べたい」

「……信用出来ない異外者(イレギュラー) は、割と来るんだな」

「否定はしない。が、今開示出来るのはそこまでだ。アンタ異外者(イレギュラー) に関する情報が欲しいのか? だったらワタシともっと仲良くなるべきだ。金と信用があれば、幾らか売ってやらんこともない」

 

『悩む』ハバキ。

 

(菫コ縺悟�縺帙k繧ゅ�縺ィ縺励※縺ッ縲√い繝ゥ繝上ヰ繧ュ縺ァ縺ゅk縺薙→繧呈�縺九☆縺励°縺ェ縺�€ゅ→縺ェ繧九→繧€縺励m繧ウ繝√Λ縺ョ繝。繝ェ繝�ヨ縺瑚カウ繧翫↑縺上↑繧九↑縲ゅ▽縺セ繧贋ソコ縺後☆縺ケ縺阪%縺ィ縺ッ縲∵擅莉カ繧偵�繝ゥ繧ケ縺吶k縺薙→縺」縺ヲ繧上¢縺�)

 

 数秒の後、彼は言った。

 

「今回の治療費をツケてくれ。プラスでそうしてくれるなら、人間ドックでも何でもやってやるよ」

「そりゃまた……。じゃあコチラからもプラスする。アンタの異外者(イレギュラー) としての秘密をひとつ、教えてくれ。それで信用に足るか考えよう」

 

 

 

「……コイツは、あなたが思っているより相当巨大な秘密だ。まあ、治療費代わりにはなるはずだろうが」

 

 ハバキがそう話すと、突然『レオンは自身の体重が異様に軽くなったことに気づく』。そして、それがこの場にいる全員━━どころか、パイプ椅子からペン立てまで、全ての物質に波及していることにも。

 やがて『身体が段々と浮いていき、行ったこともない宇宙空間に居るような感覚を覚える』。

 

 そんな中、ただひとり地面で立っていたハバキが、懐から取り出した仮面を顔の前でかざす。

 

 そして、言った。

 

「俺が『怪人アラハバキ』だ」

 

 しばし思考が停止し、呆気に取られるレオン。が、すぐに復帰して笑いだした。

 

「What's the……ハハハ! こりゃあ……ハハ、ヤバイな! あの事件の後だからまさかとは思っていたんだが! とんでもない大物を釣り上げちまった! 」

「……で、どうかな」

「もちろん治療費はツケてやるよ。正直釣り合ってない気がするがな」

 

「そのくらいが丁度いいんだよ」と言いながら、ハバキは『浮かせたパイプ椅子に乗り』、尊大に足を組む。

 

「俺は信頼関係を構築するにあたって『まず与えるべき』だと思ってる。自分が損するほどに。そうすると、相手は『そこまで自分にしてくれた喜び』と『そんな相手に損をさせてしまった罪悪感』の二つを感じる。それが関係進展の推進剤になるのさ」

「無償の愛、アガペーか。ソイツを実践出来る奴は、世の中そう多くはない。皮肉なもんだな。そこいらを歩く人間より、目の前の悪党の方が愛に溢れているとは」

「善だろうが悪だろうが、その度合いが強いほど愛の針も振り切れてるものさ。自己愛、あるいは人間愛なんかでな。愛を持たない人間は、善悪以前の問題だが」

 

 二人の愛についての会話だが、サヤはレトリックの多さについていけず、鵐目は端から理解する気が起きなかった。

 

「キミとは仲良くなれる気がするよ、アラハバキ」

「仮面を被ってないときは『ハバキ』にしてくれ、レオンさん。これからも、末永くよろしく」

「『レオン』だ。こちらこそよろしくな、ハバキ」

 

 二人は握手して、これからの友情を誓い合った。

 

 ……一方の片手はハバキの股間をまさぐろうとし、もう一方はそれを弾きながら、ではあるが。




【人物紹介】
《闇医者》玖珂咲(クガサキ) レオン
見た目:栗毛のポニーテール。赤縁(あかふち)の眼鏡。白衣に白いセーター。ジーパン。全部が薄ら汚くて常にヤニ臭い。
年齢:26歳。
身長:184cm。
体重:秘匿。

目的:知的好奇心と性欲の赴くままに生活すること。

備考:両性具有。また、主要な依存症には大体罹患している(酒、タバコ、カフェイン、セックスなど)。


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【5】未だ名前すらマトモに付けていない見鹿島ハバキの異能力について、あるいは如何にして彼の能力を研鑽するべきか

 既に気温が三十度を越した朝。

 レオンの診療所がある雑居ビル、その屋上。

 

 三方を高い廃ビルに囲まれた立地にあるが故に秘匿性の高いそこで、ハバキはタンクトップ姿で何やら構えていた。傍では鵐目が、日傘の下でビールを飲みながら観戦している。

 

「朝から飲むビールほど美味いもんは無いね。真っ当な社会人には許されん芸当だ。というか、なんで仕事中は飲酒禁止なんだ? タバコは許されるのに。まあ最近はそうでもないっぽいけど」

「うるせぇなぁ、さっきから……」

 

 そんな戯言に辟易しつつ、ハバキは目の前に置いた空き缶タワーに向かって、腰だめに構えた両手を両手を勢いよく突き出した。

 

「波ァッ!! 」

 

『両掌から放たれた力場は、勢いよく空き缶タワーを弾き飛ばした』。

 

「イイネ! 足から出せたりする? 」

「何処からでも出せるよ。なんの意味も無いけど……」

「まぁ、遠距離攻撃ならそこら辺の瓦礫投げつけるだけでいいもんね」

「構えすら要らないしな」

 

 しばしの沈黙。

 

「……能力を研究し始めて、分かったことがある」

「なんだい? 」

 

 ハバキは日傘に入りながら続けた。

 

()()()()()()()()ってことだ」

 

 氷水入りポリバケツから出した缶ビールを、首元に当てて涼を取る。

 

「普通、運動したら身体は疲れるだろ? 勉強したり、何かに没頭し続けても脳が疲れるだろ? エネルギーを消費して、疲労物質が溜まる。これが普通。ところがだ。この能力を使い続けても、一向に疲れない。なんと言うか……物凄い負荷の軽い運動をし続けてる感覚? まるで手応えが無いんだ」

「つっても、コレ始めたの二時間くらい前でしょ? そのくらいなら常識の範囲内というか……」

 

 鵐目の言葉に、ハバキは首を振った。

 

「この前の奇襲。アレを防げたのは、事前に『力場の防護膜』を張っておいたからだ。狙撃と奇襲対策に、急所を守るよう強い反発力を纏っている」

 

 彼はそう言いながら、首から上、胴体、内腿の順に、指で円を描いて範囲を示した。

 興味本位で鵐目が指を近づけてみると、肌着に触れるギリギリの所で『物凄く固く作ったゼラチンのような反発力』を感じた。

 

 目を輝かせて突っつき続ける鵐目を押しのけると、ハバキは衝撃的な事実を口にした。

 

「コレ、能力が手に入った時からずっとやってるんだよね」

 

 驚きのあまり、二三秒口を開けて呆ける鵐目。

 

「マジ……? 」

「基本的にはね。それを含めて、さっきみたいに別で能力を使っても何も無い。ここまで負荷が軽いと恐怖が勝ってくる」

 

 ハバキは首にビールを当てながら、遠くを見やる。

 カンカン照りの太陽が東京のビル群を焼き、その下では大勢の人々も同じく焼かれていることだろう。

 

 缶ビールに付いていた酷く冷たい水滴が、首から胸元へと流れ込んだ。

 

「なぁ、鵐目。これはどういうことなんだ? 俺に余力があり過ぎるのか? 本当は疲労困憊だが、俺が気づいてないだけなのか? それとも━━」

 

 それを口に出すと本当にそうなってしまいそうで、ハバキは少し躊躇した。

 が、それでも確認しなければならない。

 ハバキはまるで呪詛を唱えるかのように、厳かな雰囲気を纏わせて言った。

 

「何か別のものを消費してるのか? 例えば……寿()()、だとか」

 

 そして……また、同じ沈黙。

 

「━━タダより高い物は無い、だっけ? こういうのは日本語だと」

 

 鵐目はそう言うと、ハバキの持っていた缶を奪い取り、バケツの中に放り投げた。

 水飛沫がハバキの背中を冷やしていく。

 その後、鵐目は投げた方の手で別の缶を引っ掴むと、勢いよくプルタブを開けてそのまま一気に飲んでしまった。

 

「憶測で物を言っちゃあダメだぜ、ハバキクン。確かに寿命を消費してる可能性はあるかもしれない。が、ないかもしれない。分からんさ、何もかも。常識の埒外、故に異外者(イレギュラー)。だろ? 」

 

 そう言って、ハバキに缶を手渡す。ハバキは渡された缶を『ぺしゃんこに潰して』、屋上の端に作った缶ゴミ置き場に捨てた。

 

「それに……今更キミは止まれない。アラハバキは止まらない。ルビコン川は越えちまったのさ。後悔するのはひと月遅せぇよ」

 

 鵐目はそう言うと、ハバキの肩に手を回してポンポンと二回叩いた。

 

「……そうだったな」

 

 ハバキは立ち上がって、朝日を背に鵐目の方へ向き直る。

 

「さて、この話はおしまいにして。直近の課題━━戦闘力について話そう。と言っても、もう結論は出てるんだが」

 

 この前の冬弥との戦闘を思い出す。

 

『飛び道具を強化する能力』対『飛び道具を無効化出来る能力』。

 

 本来であれば、ダイヤグラムで0:10が付くほどには一方的な戦いになるはずだった。それでもコチラの手を煩わせ、あまつさえ手傷を負うという結果になったのは、ひとえに自分が戦闘に関して初心者(ニュービー)だったからだと言わざるを得ない。

 

 いくら脳みそで理屈をこねくり回しても、現実は遥かに複雑なのだ。

 

「結局、今の俺に足りないのは『近接戦闘力』だ。それもパワーやスピードでなく、体捌きやフェイントなんかのテクニックが足りん」

「攻撃力なら既に過剰なほどあるし、逆に守備力というか、身を守る手札が少し足りない感じあるもんね」

「ああ。場数を積むのもそうだが、何らかの武術を体系的に修得した上で、能力も絡めたオリジナルの闘法を開発するのが今のベストだと考える。だけどなぁ……」

「流石に、武術の達人はボクの知り合いに居ないかな! 」

「俺も思い当たる節が無い。さて、どうすべきか……」

 

 しばらく二人であーだこーだと思いついたことを言ってみるが、どれも現状では実現不可能・正体バレなどのハイリスクを伴う方法であった。

 

「ま、最善策が何も思いつかない時は、次善の策に注力するに限るか。動画サイトで調べながら、見様見真似で体得するしかあるまいよ」

 

 やがてハバキはそう決めて、鵐目のタブレットで武術系の動画を再生し始めた。

 

「差し入れのアクエリ……って、何やってんだお前」

 

 仕事が暇になり様子を見に行ったレオンが、ハバキの『物理的に不可能なポージング』を目撃したのは約一時間後である。

 

「……太極拳? 」

「絶対違うだろそれは」

 

 斯斯然然(かくかくしかじか)、理由を話す二人。

 

「武術の達人と言えば、このあいだ治療に来た客がそんな感じの異外者(イレギュラー)にやられたって言ってたな」

「やりぃ! 」

「その人は今どこに? 」

「そいつはプライバシーだな。だが、客が怪我した場所なら教えられる」

 

 教えてもらった場所は、東京でも比較的田舎で、また比較的(・・・)治安の悪いことで有名な所だった。

 

「あそこか。まあ、さもありなんって感じだな」

「早速今夜行くかい? 」

「オフコース! さて、武術使いの異外者(イレギュラー)、一体どれ程強いのか……」

 

 ━━

 

 着いたのは、とある高架下。

 アスファルトの削れた古い二車線道路が通っており、その左右には鉄筋で囲われた使われていない駐車場がある。ナトリウムのオレンジ色をした明かりも点滅しており、高架の柱にはいくつも解読不能なグラフィティが描かれていて、余りにも治安の悪いことが、これ以上無く分かりやすく示されていた。

 

『田舎』という言葉には、三十年代に入ってから意味がひとつ加わっている。

 

 即ち、『監視網に穴があるような治安の悪い場所』だ。

 

(情報では、深夜ここでふらついていると、稀に『漢服を着た髭の長い男』が出るらしい。しかも喧嘩を売ると、奇っ怪な拳法で翻弄された後、背骨を砕かれるんだと。傍迷惑な野郎だな)

 

『空を飛んできた』アラハバキが道路を適当に歩いていると、柱の影からしわがれた声が聞こえてきた。

 

「九千九百九十九本━━」

 

 その声と共に、漢服を着た髭の長い男━━『無銘武術(ノーマンズファイト)』と呼ばれている壮年の男が姿を現した。

 

「ワシがこの五十年で折った、脊椎の本数だ」

「……すごいね。慰謝料が青天井だ」

 

 無銘武術(ノーマンズファイト)は道を塞ぐように、道路の真ん中に立ちアラハバキと相対する。

 

「お主、名を聞こうか」

「アラハバキ。今回はひとつ、貴方にお願いがあって来た。私に武術を教えてくれないか? 」

「断る」

 

 即答であった。

 

「……何も、無料で学ぼうという訳では無いよ。謝礼は望むだけ出す。もし『金で買おうという気概が気に食わない』みたいな理由だとしても、望む物は可能な限り差し出すつもりだ」

「何も要らぬ。金も、名誉も、無論貴様の、その(けが)れた手の上に乗せた物も」

 

 男の目は、溢れんばかりの敵意と軽蔑に満ちている。

 

「何か……大層嫌われているみたいだけど。それは義憤かな? それとも復讐心? 」

「我が拳と共に、その身体へ伝えてやろうッ! 」

 

 男がそう叫び、勢いよく地面を踏みつけ構える。

 

「『幽世六本腕(ユーリン・リゥビィ)』ッ!! 」

 

 すると、『爆発的な衝撃と共に、背後に身長の三倍はあろうかという巨大な陽炎が揺らめいた』。

 

「わぉ。凄いね」

「フハハハハハ怖かろうッ! 怖かろうよッ! この『闘気(ジンシェン)』こそ我が奥義ッ! 死の淵に於いてこの技を会得し、戦火鉄砲の(ことごと)くを撃滅し、あの『中華大戦乱』を生き延びたのだッ! 」

「へぇ。凄いね」

 

 無銘武術(ノーマンズファイト)の口上を受け流しつつ、アラハバキは彼の理由不明の敵意について考える。

 

(今の時代に漢服を着てる爺さん、って辺りで大方予想はついてたが、あの大戦乱の生き残りとはね。となると、その敵愾心(てきがいしん)の大元は平和ボケした日本国民に対する妬み僻み、と言ったところか。面倒くさいなぁ……)

 

『中華大戦乱』とは、現在の極東国家のほとんどが空中分解・軍閥化した原因のひとつである出来事だが、それについてはまた別の機会に。

 

「行くぞアラハバキィッ! 貴様の脊椎も粉々にしてやるぞォッ! 」

「新手の妖怪みたいだなぁッ! 来いッ! 」

 

 お互いが拳を構え、お互いが正面からの激闘を選択し、お互いが今まさに実行に移そうとする。

 

 ━━その時である。

 

「キ゛イ゛エ゛エ゛エ゛エ゛エ゛エ゛エ゛エ゛エ゛エ゛エ゛エ゛!!!!!! 」

 

 耳をつんざくような、およそ人の出す声とは思えない叫びが両者の鼓膜を刺激する。

 

「何奴!? 」「うるさっ!? 」

 

 そして……無銘武術(ノーマンズファイト)が突然、顔面から地面に叩きつけられた。

 

「ギッ」

 

 無銘武術(ノーマンズファイト)の陽炎が解かれ、上に乗っている何者かの姿がハッキリと認識できる。

 背の上でしゃがみ込んでいる彼は、赤錆色の髪を結んだ少年であった。Tシャツ・ジーパン・スニーカーの軽装で、右手にはどう見てもそこら辺から拾ってきたような鉄筋を握り締めている。

 

 声がした方角、無銘武術(ノーマンズファイト)の倒れ方、少年の姿勢などを鑑みると、どうやら。

 

「ウハハハ! 足の裏痛ってぇ! 」

 

 高架から、落ちてきたらしい。

 

「テメェか!? テメェだな!? 『無銘武術(ノーマンズファイト)』って言われてる奴はテメェで合ってんな!? 」

「わ、か、わ、若造がァ……! 」

「なんかよォ! ポリ公がよォ! テメェに懸賞金掛けてるっぽくてよォ! 捕まえたら百万円だと! すげーよなァ、ヒャクマンだぜェ!? 」

 

 テンションバリ高の少年が、好き勝手に喚き散らす。

 

「……ほ……」

「ほ? 」

「ほざいてんじゃねェェェェェッッッ!!! 」

 

 無銘武術(ノーマンズファイト)が背中から『気を爆発させると』、少年は先程飛び降りてきた高架と同じ、いやそれ以上の高さまで打ち上げられた。

 

「脊椎ブチ折ってやるゥゥゥゥッッッ!!! 」

 

 額から血を(ほとばし)らせながら、先程の猿叫以上の叫びを上げ空中の少年へ一直線に飛び上がる。

 背後の気が『半径五メートルを満たし尽くし、その全てが攻撃に向かう』。

 

 憤怒そのものが、少年の生命を真っ直ぐに狙っていた。

 

 だが。

 

(のろ)い」

 

 一閃。

 

「筋がブレ過ぎだ。ジャカジャカ弾いたギターの弦かっての」

「━━ッ」

 

 必要最低限かつ最適解の動きで、荒れ狂う気の奔流の隙間を縫い、そのまま一切無駄に動かずスムーズに鉄筋を構えると、無銘武術(ノーマンズファイト)の手刀を紙一重で避けつつ脳天を打ち抜いた。

 

 見事な、一閃であった。

 

「ふん。ボロい商売だぜ」

 

 夜の闇へ鉄筋を投げ捨て、そう呟く少年。

 

「……ん? なーんか忘れてるような気がする……」

 

 微かに残る違和感に、とりあえず辺りを見回してみる少年。

 

 そして十秒ほど後。

 

 彼はついに、『空中で足を抱え暇そうに回っている、謎の黒コート男』を背後に見つけた。

 

「あ、お前『怪人アラハバキ』か!? 」

「あー……どうも? 」




TIPS:
日本は『世界一安全な国』と呼ばれているが、裏を返せば『世界一"和を乱す者"に厳しい国』でもある。
移民は原則受け入れを拒否し、入国審査も他国の数十倍厳しいことで有名。密航に関しても、例え運良く上陸出来たところで地元住民に直ちに通報され、強制送還となるケースが九割九分である。

現在日本に居る外国人は、その多くが筋金入りの親日家か、密航のエキスパートかに二分される。

なお、日系二世である鵐目とレオンは、金と伝手と血縁を最大限に利用した「例外」である。


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【6】異外者狩り(イレギュラーハンター)

「参ったなぁ、最強の異外者(イレギュラー)が目の前にいやがる……生きて帰れっかなぁ……」

「生きて帰すけど」

「夜食差し出したら許してくれっかなぁ……」

「差し出さなくても許すけど」

「うーん……ムリそうだし、ワンチャン狙っていっちょ派手に突っ込むかァ!」

「人の話を聞きなさい少年。挙句の果てに捨てがまるんじゃ無いよ」

 

 しばらく見つめ合う二人。

 

「お前、なんでコイツと戦ってたのよ」

「会話出来ない奴だなァ! ━━戦闘技術を強化しようと思ってね。能力頼りに戦っていたら、いつ足元を掬われるか分かった物じゃ無いだろう? 」

「へぇ。いい心がけだな。まぁ俺の獲物になったけど」

 

 少年はそう言って、無銘武術(ノーマンズファイト)の上に座って腕を組んだ。

 さながら、エサを守る肉食獣である。

 仮面の下で顔をしかませながら、アラハバキは説得を試みる。

 

「今からでも遅くは無いから、彼を置いて何処へなりとも行ってくれないか? 死活問題なんだよ、結構」

「ん? お前まさかコイツに武術を教えてもらうとか、そういうつもりなのか!? オイオイ待てよ! さっきのヤツ見てなかったのか、お前? 」

 

 そう言うと少年はぴょんと飛び上がり、おもむろに片足で無銘武術(ノーマンズファイト)の頭を踏みつけて言った。

 

「明らかに! 強いだろ! オレが! コイツより! 」

 

『!』の部分で少年が足を踏み鳴らすたび、足下から呻き声が聞こえた。

 

「まぁ……うん。そうとも言えなくもない」

「だろォ!? じゃあ師事すべきはこんなのじゃなくて、オレにじゃねーのか!? 」

 

 そこまで言うなら、と、アラハバキは一回真面目に考えてみる。

 

(そもそもなぜ無銘武術(ノーマンズファイト)を選んだのかと言えば、『武術に長けた人間である』という一点のみだった。異外者(イレギュラー) であると知ったのは実際に会ってからだったし、そういう意味では師事する相手はどんな人種でも良いわけだ。だが……目の前のガキはちょっと厳しい。戦いの才能は溢れんばかりにあるが、どうみたって俺より年下、十三か十四のクソガキだ。武術家の老人と比べるまでもなく、キャリアが圧倒的に足りない)

 

 つまり。

 

「君に物事を教授する能力は無さそうに見える」

「あるわい! 」

 

 少年は怒りのままに無銘武術(ノーマンズファイト)を明後日の方向へ蹴っ飛ばす。

 駐車場の囲いを越えていった先で鈍い音がしたが、死んではいないはずである。多分。

 

「分かった! じゃこうしよう! 何でも良いから何か一個、ロハで教えてやるよ! それで内容が気に入ったら、オレの弟子になれ! 」

 

 少年は、腕を組んで胸を反らしつつそう言った。

 無視して無銘武術(ノーマンズファイト)の方へ向かおうとしたが、向き直るたびに「な! 」「な! 」と少年が道を塞いでくる。

 いっそのこと『飛んで』いってやろうかとも考えたが、そのとき唐突に、今朝がた鵐目が言っていた言葉を思い出した。

 

「……無料(タダ)より安い物は無い、か……」

「その言葉、承諾と受け取った! そら、何が知りたい? 言ってみろ」

 

 独り言のつもりだったが少年は耳聡(みみざと)く、なし崩し的に教わることになってしまった。

 この少年、戦闘以外にも押し売り営業の才能があるようだ。

 

「仕方ないな……。では、正拳突きの正しいやり方などどうだろうか」

「オッケ! 」

 

 快諾した少年は、少し離れたあとに構えをとった。

 

「まず半身を開いて、腰だめに構える。んで、弓矢を引くように拳を引いたら、全身を回転させ、力を伝達させて殴る。腕じゃなくて身体全部を叩きつける感じでな。以上だ、やってみろ」

 

 少年は喋りながらゆっくりと動きを見せ、そして実践を促した。

 とりあえず、言われた通りにやってみる。

 

「フンッ! 」

 

 ブォン、と空気を引きずる音がした。

 何にも当てていないのに、拳に何かが当たった感覚がする。何より、全身の歯車がガッチリと噛み合った結果力学的エネルギーが余すところ無く使われた感じを覚え、それには一種の爽快感があった。

 

「これで合ってるか? 」

「あ、うん。オッケ。完璧。一発で覚えやがったよ、お前すげーな」

 

 少年は若干引いていた。

 彼はどんな簡単な技でも最低二百回は練習する必要があると考えていたが、目の前の怪人は自分の二百回をたった一回で超えてしまったのだ。

 

(コイツ絶対IQ高いんだろうなぁー。なんか……アレだ。オセロとか十秒でクリアしそう。すげー! )

 

 少年はアラハバキに対してちょっとした憧れを覚えていた。それにしても『あたまがいいひと』に対する解像度がだいぶ低いが。

 

「じゃあ、無料期間はこれで終わりか」

「ん? ずいぶん名残惜しそうじゃねーの? なんならまだ教えてもいいぞ? 出血大サービスだ」

「良いのか? それは助かる。じゃあ次は鉄山靠(てつざんこう)のやり方を」

「鉄山靠!? まぁ良いけどさ……オレも使えるし」

(良いんだ……)

 

 そうやって、夜も更ける中、二人の少年は技を磨いていった。

 

 ━━

 

 そして、数時間後。空が白み始めた頃のこと。

 

「……フゥ! これで何個目だっけ? 」

「二十から先は数えて無いな」

「お前吸収速すぎるんだよー! しかも色んな所から技引っ張り出しやがってよー! オレにCQCと功夫(クンフー)と琉球空手とブラジリアン柔術の知識があって良かったなマジでよー! 」

「必要そうな技をピックアップしたらそうなった。我ながらビックリだ」

「オリジナル拳法でも作るつもりか? ちゃんと技のシナジーとか考えとけ? 」

 

 二人は上裸でアスファルトに寝っ転がりながら、少年たちは駄弁る。徹夜で身体を動かし続けたが、まだまだ二人には余裕があった。

 アラハバキは異外者(イレギュラー) であるからして体力があるのはおかしくないが、驚くべきことに少年は常内者(ノーマル)の身で彼と並んでいた。

 躰道(たいどう)の動きを教えて貰っている最中にさらっと告げられた事実である。態度にこそ出さないが、今になってアラハバキはとても驚いていた。

 

「お前、明日ヒマか? まだまだ教え足りないことがたくさんあるんだ。明日もやろうぜ」

「筋肉痛じゃなかったら、付き合ってやるよ」

 

 爽やかに笑い合いながら、いつからか脱いでいた服を少年に放り投げ、自分も服とローブを着ようとする。

 

 そのとき。

 

「━━あ」

 

 仮面が取れた。

 

「ん……ありゃま」

 

 素顔を、見られた。

 

「…………」

「…………」

 

 気まずい沈黙が、二人の間に流れる。

 

「……んーと」

 

 それを破ったのは、少年の方だった。

 おもむろに、スマホを取り出したと思うと。

 

「おらっ」

 

 ……と、指でレンズを割った。

 

「へへっ……セーフ! 」

 

 そう言って、ナハハと笑った。

 

「…………セーフ、だよな? 」

 

 また、沈黙が訪れる。

 

(……今この時点で、まず考えられる選択肢は三つ)

 

 一、逃げる。

 

(最も短絡的な解答だ。コイツの連絡先を知らないから、行方知れずの爆弾に怯え続けることになる。無し)

 

 二、買収する。

 

(最も浅ましい解答だ。確実な買収には懸賞金の最低二倍以上はある大金が必要。オマケにコイツへ貸しを作ることになる。無し)

 

 三、殺す。

 

(論外。無し)

 

 ここまで一秒。ハバキはもう一秒を全力で『思考』に消費する。

 

(縺昴m縺昴m縺。繧�s縺ィ譁�ォ�閠�∴繧九�縺碁擇蛟偵¥縺輔¥縺ェ縺」縺ヲ縺阪◆縲ゅ∪縺ゅ〒繧ゅ>縺�h縺ュ縲√←縺�○蠕ゥ蜈�☆繧句・エ縺ェ繧薙°螻�↑縺�□繧阪≧縺励€ゆサ雁セ後b縺薙�貍泌�縺ッ菴ソ縺�¢縺ゥ縲∽シ冗キ壼シオ縺」縺溘j縺ィ縺九◎縺�>縺�%縺ィ縺ッ辟。縺��縺ァ繧医m縺励¥縲�)

 

 以上二秒間の脳内会議を経て、最終的にハバキが下した決断とは━━。

 

「……セーフでいいよ」

 

 友情に訴えることだった。

 

「マジで!? 良かったー、殺されるかと思ってた! 」

「だから殺しはしないんだって。あの演説ちゃんと聞いた人、案外少ないのか…? 」

 

 ハバキは頭を掻きながら、少年の肩に手を置く。

 

「言わずとも分かると思うが、このことは他言無用だ。良いな? 」

「応! 誰にも言わなきゃ良いんだろ? ダイジョブ! オレ、友だち、裏切らない! 」

 

 快諾してくれたが反応が少し不安だったので、ハバキは両肩をギッシと鷲掴み、目を見て念を押す。

 

「……良いか? 例外とか存在しないからな? 例え親だろうが、絶対に誰にも『アラハバキの素顔を見た』って言うんじゃないぞ? 似顔絵とかも駄目だからな? 」

「お前意外と若ェんだな。いくつ? オレ十五」

「話聞けよ! 十六だよ! 」

 

 フリーダム過ぎる反応に、弾かれたように後ろへ身体を投げ出し倒れるハバキ。

 

「ジョーダン! ジョーダンだって! 流石にバカなオレでも分かってるって! 」

「どうせなら『記憶を消せる異能力』とか欲しかった……『ギアス』みたいな……」

「起きろよー! ホントにダイジョブなんだからよー! 」

 

 ━━

 

 数刻の後。

 

「……そういえば。俺に稽古をつけようと発想したのはなんでだ? 君にどんなメリットがある? 」

 

 高架の(へり)で、朝日を眺めながらハバキは聞いた。

 少年も同じ方向を向いて答える。

 

「夢があるのさ。『最強になりたい』っていう」

 

「少し長くなるぞ」と前置きしてから、少年は語り始めた。

 

「オレ、元々は剣道の家に生まれたんだ。しかも、箸を握る前から竹刀握らせるような、ガチの流派。 稽古も朝から晩まで、雨が降ろうが雪が降ろうが竹刀を振り続けるキツイやつ。でも嫌いじゃなかったし、むしろ大好きだった。自分が強くなる感覚ってのに病みつきになってな。ひたすら辛いけど、その辛さが身体を強くする。ひたすら痛いけど、その痛みが心を強くする。そうやって日増しに強くなって行くのが大好きだった。家を出た身だが、今でも剣道はオレの軸だ」

 

 鉄筋の握り方がやたら様になっていたのはそういうことだったのか、と、ハバキは合点がいった。

 

「だがある時から、オレは剣道をキライになり始めた。剣道に段があるのは知ってるだろ? その昇段審査を受ける資格ってのがさ、年数で決まるんだよ。そう……年だ。例えば、初段から二段に上がるには一年必要。三段には二年。四段には三年……っていう風にな。そして、一番上の八段に昇る頃には、どんだけ早くても四十代後半になっちまうんだ」

 

 少年は、手を置いていたコンクリートに爪を立てる。

 

「それがな……本当に、ムカついたんだ」

 

 朝日に雲がかかり始めた。そういえば、昨日見た予報では今日雨が降ると書かれていたことをハバキは思い出した。

 

「オレは、ただ強くなりたかった。そして、誰が見ても『強い』と思えるような証拠も欲しかった。実際、実力なら達人のジジイにだって引けを取らない! 何回もじいちゃんと戦って、何回も勝ち越してんだ! だけど頂点に行くには、何十年も待たなくちゃいけないんだぜ!? ゲームで例えるとさ、レベルがカンストしてんのに『魔王の城に行くにはあと三十年待ってください』って言われるようなもんさ。やる気無くすだろ!? それと同じことが、オレにも起こったんだ! 」

 

 怒りのままに拳をコンクリートへ叩きつける。

 その後、深呼吸を一回してから「悪ぃな」と話を続けた。

 

「だから、オレは『剣道』を、『求道』を辞めたんだ。ただ『剣』のみを追い求めることにした━━強くなる、ただそれだけの為にな。お前に色々教えたのはその一環だよ。最強のお前を倒せるようになれば、オレは最強だ。だがお前はまだ最強じゃない。だから、オレが最強にしてやる。それだけの話だ」

 

 そして、彼の話が終わった。

 ハバキの感想は、たったひと言。

 

「お前、生まれるのが五百年遅かったな」

「だろ? 」

 

 たったこれだけだが、少年にとっては十分だった。彼自身も、全く同じことを常日頃感じ続けていたからだ。

 自分の感じたことと相手の感じたことが、全くの同一であったとき。人はそれに幸福を覚える生き物なのだ。

 

「……にしても最強、か。アラハバキは巷じゃ『最強の異外者(イレギュラー)』と言われているじゃないか。実際、驕りじゃなく事実として、その気になれば目に入った人間全てを一瞬で縊り殺せる。実行こそしないが、理屈の上ならもう俺は最強なんじゃないか?」

「いーや! お前にゃまだまだ強さが足りてねぇよ、アラハバキ。『最強の異外者(イレギュラー)』、なんて通り名がその証拠さ」

 

 そう言って、少年はその場で立ち上がり、ハバキの方を向く。

 ちょうど雲の間から顔を出した朝日が、彼の背後を照らしていた。

 

「だって本当に最強なら……『異外者(イレギュラー)』なんて範囲を限定する言葉を付け足す必要、無いだろ? ただの『最強』だけでいい。違うか? 」

 

 初めて、ハバキは彼に感心した。

 

「━━と言いつつも、本当はお前の能力の対抗手段が思いつかないだけだったりして。例え真剣持ち出しても、振り下ろした刀テキトーに弾かれて終わりだもん! どうしろって言う話だよ! ナハハハ! 」

 

 照れ隠しに笑う少年。

 

「ま、こーいうのは生きてたらある日パッと思い浮かぶもんだからさ! それまではお前を更に強くしてやるよ! 」

 

 彼はそう言って、拳を突き出す。

 

「なるほど。この友情が生まれた理由も理解できた。良いじゃないか、最強。男なら誰しも目指したいもんさ。俺も含めてな。オーケー、乗ってやろうじゃないか」

 

 ハバキも彼の隣に立ち、そう言って拳を打ち合わせた。

 

 こうして、『最強の異外者(イレギュラー) 』と『異外者狩り(イレギュラーハンター) 』の友情が成立した。

 

「そうだ。お前の名前聞いてなかったな」

「『ナミケン』でいーよ! 知り合いからは大体そう呼ばれてるし」

 

 二人で『高架から降りた』あと、ハバキは少年の名前を聞いたが、それはあくまで()()()を聞いたつもりだった。例えばアラハバキのような。

 だが、少年━━ナミケンが答えたのは、明らかに本名を元にしたあだ名だった。

 

 心配になったハバキは、一旦確認する。

 

「……それ、本名をかなり絞れるあだ名だが大丈夫か? 例えば、『ナミハラ ケンイチ』とか」

「……あ! やっべ! 」

「一番やべぇのは、そこで『やばい』と言ってしまうことだよ」

 

 正解だった。

 

 なお、今回に限っては先の刑事のように当てるつもりで勘を働かせたわけではなく、完全に偶然の一致であることを明記しておく。

 

「あの……オレたちの友情にウソは要らぬ! ということで……」

「……そういうことにしといてやるよ」

 

 そうして、ナミケンこと波原 憲一(ナミハラ ケンイチ)と見鹿島 ハバキは、連絡先を交換した後、帰路に着いた。




【人物紹介】
異外者狩り(イレギュラーハンター) 』ナミケン
見た目:赤錆色の髪を後ろで結んでいる。赤っぽい目。童顔。服で見えないが、顔以外は古傷が多い。
年齢:十五歳。
身長:165cm
体重:70kg

目的:最強。

備考:『異外者狩り(イレギュラーハンター) 』を自称しているが、実は異外者(イレギュラー) との戦闘は今回が初めてである。


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【7】影胞子(カゲホウシ)と檻苑(オリオン)

 時は少し遡り、ハバキ達が闇医者レオンの元へ向かっている最中。

 

 彼らのいる場所とはまた別の東京郊外、その裏路地のひとつ、更にその奥の錆びたマンホール。

 ビル窓から漏れるLEDのおぼろげな光が差す中、その蓋がゆっくりと開かれ、タトゥーまみれの男が這いずり出てくる。

 

「あぁ、クソ……」

 

 八坂谷 冬弥は毒づきながら、出来るだけ静かに、ゆっくりと、マンホールの蓋を閉めた。

 

 東京に住むアウトローは、皆一度はマンホールを通じて下水道を通ったことがある。

 警察もそれを知らないわけでは無いし定期的に捜査もしているが、それでも電波の通じない、メンテナンスの不都合により監視網にも粗がある、何より裏社会にのみ流通している『ハザードマップ』のお陰で、彼らは警察とドローン・ボットから辛くも生き延びることが出来るのだ。

 無論、冬弥も何度となく助けられている。

 

(昔、マップを覚えられないオレの為に、オヤジと一緒に地下道を探検したな……懐かしい)

 

 冬弥は走りながら、先のアラハバキとの戦闘を回想する。

 

(ハナからこうなる予感はしていた。飛び道具特化のオレの能力と、飛び道具を無効化できるアイツの能力。相性最悪なんてもんじゃない。だからこその不意討ち、連続射撃、手榴弾だったんだが……)

 

 戦闘の結果のみを見れば、引き分け。

 あるいは傷を負わせた分、冬弥の勝ちとさえ言えるかもしれない。

 

 しかし後の状況まで含めれば、『傷こそ負ったものの、武器を何も失っていない』アラハバキと『中途半端なダメージを与えただけで主要な攻撃手段は品切れ、全てを注ぎ込んでも目標を果たせなかった』冬弥。

 

 これのどちらが有利か判断出来ないほど、冬弥も馬鹿では無かった。

 

(手札は全部使い切った。補充するアテは何も無い。さて、どうする? 八坂谷 冬弥。無い頭を捻って考えろ……! )

 

 彼は走る。辛うじて用意出来た、たったひとつのセーフハウスに向かって。

 

 フードを目深に被ることでさほど効果もない監視カメラ対策をしながら、いくつかの通りを走り抜け、住宅街に入り、まだブルーシートを被った建築中の家の前まで到着した。

 あまり詳しい事情は知らないが、建築途中のまま半ば棄てられたこの家が、彼のセーフハウスだった。

 

 ブルーシートをくぐり、開かない玄関の代わりに庭へ向かう。庭の端に四つ植わった茂みのうち、奥から二番目の根元を手で掘る。

 

「ハァ……ハァ……」

 

 出てきたのは、紙袋に包まれた拳銃。弾丸は薬室(チェンバー)に一発だけ入っている。

 

(弾が一発あれば済むっていうのは、中々便利な能力だな。実包の保管は面倒だから……)

 

 これが、彼に残された唯一の武器となった。

 

 そのとき。

 

「や。お邪魔」

 

 彼の真後ろ━━庭に面した網戸の向こう、闇に閉ざされたリビング━━から、鷹揚な男の声がした。

 

「━━ッ!? 」

 

 冬弥の脳は驚きながら、しかし彼の腕は驚くほど冷静に声のする方へ向けられ、彼の指先は脳の命令を待つまでもなく反射的に引き金を引いていた。

 

 ……だが、『何も起きなかった』。

 

「いきなりの射撃とは、随分な歓迎じゃないか。全く、親の顔が見てみたい」

 

 男はひとつも調子を乱さずに言う。

 先程の出来事は正確に言えば……冬弥が拳銃の引き金を引き、撃針(ファイアリングピン)が弾底の雷汞を叩き、銃弾が発射されるまでは確実に起きていた。

 

 そこから先が、()()

 

 見えるはずの発射炎は『見えなかった』。

 放たれたはずの銃弾は『消えた』。

 来るはずの銃声は『鳴らなかった』。

 

 死ぬはずの男は━━『死ななかった』。

 

「……異外者(イレギュラー)が、何の用だ」

 

 こちらの動揺を必死に隠し、冬弥は言い放つ。

 しかし男は、それを鼻で笑った。

 

「中で話そう。上がりたまえ」

 

 男はそう言い残して、闇の中に消えた。仕方がないので冬弥も彼の後に続き、リビングに土足で入る。

 

 彼がリビングに足を踏み入れた瞬間、網戸が閉じられる。(二人いるのかッ!? )と銃を構えようとするが、その間隙に強烈な閃光が差し込む。

 

「うぐっ……!? 」「きゃっ!」

「海外製のハンディライトだ。出力は絞っているが、直に見ると目を潰すぞ」

 

 男はそう言いつつ、ライトの先端に何かを取り付けた。どうやら光を拡散させるアタッチメントのようで、彼が天井に吊るすと、リビングはまるで電気が通ったかのように明るくなった。

 

「それ付ける時は事前に言ってって毎回言ってるじゃ〜ん! ビビるからやめてよね〜! 」

(やかま)しい」

 

 先程の悲鳴もそうだったが、もう一人の仲間は若い女のようだった。こんな裏に相応しくない、キャピキャピとした黄色い声。異常だ。

 

 そして、少しして目が慣れた冬弥は、はっきりとこの二人の姿を確認した。

 

 男の方は重そうな黒いコートで、身長が天井につきそうなほど高い。年齢は四十代だろうか。頭部はスキンヘッドで、左側頭部に傷んだフルーツのような灰色の傷が残っている。しかしそれよりも、その射すくめるような鋭い眼光と黒縁の眼鏡は精悍な顔付きと相まって、非常に厳格で聡明な雰囲気を漂わせていた。

 

 一方、女子の方は見るからに『ゆるふわ』といった感じで、もこもこでオーバーサイズな上着とベレー帽が印象的だった。ショートボブの髪色や丸い瞳も含め、全体的にピンクと桃色の中間色で統一されていて、いわゆる『センスの良い女子』といった感じだ。しかし動きはゆったりとしていて、まるで緊張感が無い。なんだか顔までのほほんとしているように見える。

 

 ハゲ男は微動だにせず中央で立っている。ゆるふわ女子は隅の方で体育座りしてゆらゆらしている。

 

 そして、庭を背に立つ冬弥に対して、男は口を開いた。

 

「まずは名乗らせて貰おう。ワタシは『影胞子(カゲホウシ)』。そして、そこに居る女性は『檻苑(オリオン)』。御推察通り、異外者(イレギュラー)だ。どちらもね」

「どもで〜す」

 

 女子━━檻苑(オリオン)は手をヒラヒラさせて挨拶した。本当に緊張感が無い。

 彼女を無視しながら、男━━影胞子(カゲホウシ)は話を続ける。

 

「ワタシ達の目的は『アラハバキの抹殺』だ。少なくとも、我々の雇い主はそれを望んでいる」

「じゃさっさと行ってこいよ。わざわざオレんトコまで来たのはどういうわけだ? 笑いに来たのか? 」

「『ヘッドハント』だ。一々そんな下卑た真似をしにこのワタシが足を運ぶわけが無いだろう、これだから学歴の無い奴は━━」

 

 そこまで罵倒を言いかけたところで、影胞子(カゲホウシ)はわざとらしく口を噤んだ。

 

 そして、ゆっくりと、嫌味たっぷりにひと言。

 

「失礼」

「……チッ」

 

 ここに来てやっと、彼の眼差しに汚物を見るときのソレが加わっていることに冬弥は気づいた。

 

「東京鉄血組組長名代を名乗るキミ。キミのその能力は、アラハバキに対しては相性最悪であるが、それ以外の銃弾を防げない相手には滅法強い。特に射程が素晴らしい。空高くからあれだけの人数相手に頭を狙って撃てるなら、もはやキミに撃ち抜けぬ物など無いんだろう。まぁ……防げる相手なら、常内者(ノーマルズ)と差程変わらんようだが」

 

 どうも、影胞子(カゲホウシ)という男は下賎な人間が心の底から嫌いらしい。

 ヘッドハントに来る奴の態度じゃ無ェだろ、と、冬弥は思った。

 

「それでも、キミの評価はかなり高い。是非とも我々と共に来ないか? 札付きの異外者(イレギュラー)が身を隠すには、現時点で最適な選択だと考える」

「福利厚生も充実してるよ〜? お給料は米ドルだけど」

 

 檻苑(オリオン)が合いの手を入れる。

 

 冬弥はひとつため息をついて、彼らの目的が勧誘だと分かった瞬間から即時に決定していたことを伝えた。

 

「……断る、と言ったら? 」

「ふむ。理由(わけ)を聞こう」

 

 落ち着き払ってこちらを見下す影胞子(カゲホウシ)に近づき、真正面に立って下から睨めつける。

 

「確かに、アイツの抹殺という点でオレたちの目的は同じかもしれん。だがな……『お前に誘われる』っていうのが気に食わん。そのゴミを見る目がムカつくんだよ。オレが欲しいってんならそのハゲ頭を下げろ。地べたに擦り付けてこの下水臭ぇ靴の裏を舐め始めてから、初めてオレたちは対等なんだよ」

 

 ちょうど影胞子(カゲホウシ)がライトを背にして立っているせいで余計に威圧感を覚えるが、それでも冬弥は物怖じせず睨む。

 そして、十秒ほどだろうか。やがて影胞子(カゲホウシ)は眉ひとつ動かさず、口だけを動かした。

 

「……陳述は、以上かね? 」

「ああ」

 

 グシュッ。

 

「愚図め」

 

 そのとき、『冬弥は踏み締める床の反発が一瞬で消え去ったことに気づいた』。

 

「ぐぉっ……!? 」

「ワタシの通り名を聞いた時点で『影に関する能力』だと想定し、逃れておけば良かったのだ。学の無い奴は発想も貧困だな。だが安心したまえ、頭の先まで沈もうが窒息して死ぬことは無い」

 

 まるで底無し沼に落とされたように、足が動かず、身体はどんどん沈んでいく。

 足元をよく見ると、影胞子(カゲホウシ)の大きな影が、夜の闇より何倍も濃い黒色に変化しているのが分かった。

 

「大変だね〜冬弥くん! でも意外と中は快適だよ〜? あと、食べかけのトッポ見つけたら食べていいからね〜」

檻苑(オリオン)貴様、また勝手にゴミを捨てたのか!? この恥知らずが! 」

 

 冬弥は、『影に沈んでいた』。

 

(コイツ……恐らく能力は『自分の影に触れた物をしまい込む』的なモンか!? 消えた銃弾のカラクリはコレか……クソがッ! )

 

『影』に触れそうになった拳銃を左手に移して、苦し紛れに二人へ一発ずつ『発砲』する。

 

「クソ……ッタレ……ッ!! 」

「銃口の中も『影』なのだよ」

 

 しかし、またしても『不発に終わった』。

 

「じゃあ、これなら……ッ」

 

 冬弥は力を振り絞って、銃口をライトへ向ける。

 

(これなら銃の中も影にならないッ! これでライトを壊せば━━)

「『影』は部屋全体に広がり、キミは瞬く間に闇の中へ消えるだろうな」

 

 影胞子(カゲホウシ)はそう言って、冬弥へ覆い被さるように上体を傾けた。

 その瞬間、『影』が冬弥を呑み込む速度は一段と増し、一瞬で肩まで沈み込んでしまった。

 

「ありゃ、一発逆転ならずか〜。ま、人生ってそんなもんだから気に病まないことにゃ〜」

 

 緊張感の欠片もない戯言を吐きながら、檻苑(オリオン)は冬弥を見つめていた。冬弥は到底文章に出来ないような罵詈雑言・差別用語のオンパレードを彼女に聞かせてやるつもりだったが、そうしようと思った時には既に鼻まで『影』に浸かっていた。

 

「キミもヤクザの端くれなら、闇の世界にもすぐ慣れることだろう……」

「……、……ッ! 」

 

 もはや目元まで沈んでしまった冬弥を片足で踏みつけながら、影胞子(カゲホウシ)は語りかける。

 

「尤も━━ほんの少し、(くら)過ぎるかもしれんがね」

 

 そして、冬弥は頭の先まで『影』の底。底すら見えない深淵まで、深く深く沈んでいった。

 

 トプン。




【人物紹介】
影胞子(カゲホウシ)』??? ???

見た目:スキンヘッド。黒縁メガネ。左側頭部にフルーツが傷んだような古傷がある。ぶっちゃけほとんどヤクザ。
年齢:53歳
身長:189cm
体重:102kg

目的:アラハバキの抹殺指令を遂行する。

【異能情報】
影胞子(カゲホウシ)
自身の影を媒介として、物体を出し入れできる。

【ステータス】
出力:人ひとりを簡単に呑み込む。
射程:自身の影と繋がっているならば、理論上はどこまでも。
燃費:悪い。全力で広げると一分でバテる。
精度:そこそこ低い。物を『射出』する時は特に。

備考:低学歴の人間と、生意気なガキが大嫌い。


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【8】暗中模索・自己回顧・一念発起

(……何も、見えん……)

 

 闇の中、冬弥は在った。

 

(……感覚が、何も無い……)

 

 浮いているわけでも無いが、沈んでいるわけでも無い。

 空から落ちているわけでも無いが、地面に寝そべっているわけでも無い。

 

 ただ、闇の中に存在しているだけだった。

 

(……木南(キミナ)の兄貴に撃たれた時も、こんな感じだった……)

 

 彼はあの夜のことを思い出す。

 

 壊れた事務所、オヤジの蒸発、警察からの逃亡。

 一夜明けて集まってみれば、年老いた幹部連中は全員逮捕。残ったのは冬弥のようなオヤジに養われていた若い衆と、数年前に入ってからその経営センスにより一瞬でオヤジの右腕と化していた、木南だけだった。

 

 あのマンションの一室に集まった冬弥たちは、今後の方針を考えていた。と言っても、そういう難しいことは木南しか考えておらず、大多数の若者はただ現状に絶望していただけだったが。

 

(今思えば……木南はただ羨ましがられたかっただけだったんだろうな。バカをバカにしながら自分の能力を振るい、バカに褒めそやされたかったんだろう。国立の大学を出た奴がわざわざ極道になる理由なんて、そのくらいしか思いつかん)

 

 隙あらば自分の経歴をひけらかしていた木南だが、あの夜においてはそうする余裕が無いほど焦っていた。

 幹部が全て捕まり爆散してしまった東京鉄血組。多額の上納金を収めていた組が突然解散したとあっては、本部は残った者にケジメを取らせるしかない。そして残留した者のうち最も地位が高いのは木南であり、それゆえに彼のスマホには非通知の着信が一分ごとに掛けられていた。

 

 彼は言った。

 

「冬弥……お前確か、オヤジの助けになりたいってずっと言ってたよな? それに、新参者の俺がオヤジに気に入られてるのにムカついてたのも知ってるぞ……。だから冬弥、()()()()()()()()

 

 そして、冬弥が就いた最初の役職は『組長名代』となった。一大出世も良いところだ。

 

 冬弥は言った。

 

「……ありがとよ、木南の兄貴。アンタがそんなに器の広い人間だとは思わなかった。名代っていうのは……オヤジの代わりに組を運営する、っていう事で良いんだな? 」

「あ、ああ! そうだ! お前は組長の代わりで、今は俺より偉い! 偉いから、お前が全ての責任を取るんだ! お前がだ! お前が━━」

 

 そして、冬弥は懐のナイフを取り出し、隣にいた泣き虫の辰樹(タツキ)に突き刺した。

 

「オーケー。じゃ、まずはケジメつけようや。腑抜け共」

 

 そして、冬弥は殺戮を開始した。

 そして、冬弥は三人殺した。全員見知った顔だった。

 そして、冬弥は木南に撃たれた。

 そして、冬弥は死んだ。

 

 ━━はずだった。

 

「…………あぁ、これが…………」

「冬弥!? なぜ生きて━━」

 

 そして、冬弥は木南の持っていた拳銃を奪った。

 

 そして、冬弥は一人撃ち殺した。

 そして、冬弥は二人撃ち殺した。

 そして、冬弥は三人撃ち殺した。

 そして、冬弥は四人撃ち殺した。

 

 そして。そして。そして。

 

「クソつまんねぇな。やっぱ」

 

 ━━冬弥は、復讐の道を歩み始めたのだ。

 

(……まぁ、その結果がこのザマなんだが)

 

 しかしいくら格好つけて過去を語ったところで、自分があのハゲの『影』に捕らわれてしまったことには変わらない。

 

(オレはまた無意味に虚勢を張って、死んだ。昔からずっとそうだ。意固地になって、感情に振り回されて、取り返しのつかない失敗をする。何度も何度も繰り返してるのに全然学習出来てねェな、オレ……)

 

 物心ついた時からその性分は変わらなかった。

 幼少期の思い出は特別教室……つまりは健全な学童から隔離された、孤独な一室でのものしかない。

 

(このクソみたいな性格は誰からのモノなんだ? オレを取り巻く環境のせいか? 顔も知らん父親か? 行方の分からん母親か? それとも……ただ()()()()()()()()なのか?)

 

 彼は子供が嫌いだった。彼を愛さなかったからだ。

 彼は大人が嫌いだった。彼を愛さなかったからだ。

 

(頭のどこかじゃ分かっている。素直に他人を受け入れて、年上の言うこと聞いていれば、万事上手くいくって。でも出来ない。だって虚勢を張るのを辞めたら、後に残るのはバカで、力も無くて、他人に怯えて膝を抱えるしかない臆病なガキだけだから……)

 

 そんな廃棄物のような少年に、わざわざ手を差し伸べてくれたのが射水 吾朗(イミズ ゴロウ)……オヤジという極道だった。

 

 彼によって、冬弥は笑い方を、泣き方を、家族という存在を知ることができた。

 彼のせいで、冬弥は暴力の味を、タトゥーの威を、金の力を知ってしまった。

 

 彼を産んだのは母だったが、彼を作ったのは紛れもなくオヤジだった。

 

 だが、そんなオヤジは居なくなってしまった。

 

(オヤジ……会いてぇよぉオヤジぃ……! 助けてくれよぉ……! )

 

 頭のどこかで「ここが闇の中で良かった」などと思いながら、両の目頭を押さえる。

 

 そのとき、微かに首元に何かが当たった。

 

「……この、感触は……? 」

 

 飛んで行かないよう、慎重に両手で包み込む。

 

 粘土のような、ツルツルした消しゴムのような触り心地のソレは、過去に一度だけオヤジに見せてもらったことがある物だった。

 

(C4爆弾……!? )

 

 C4。型落ちの軍用可塑性(プラスチック)爆薬である。

 

 大きさとしてはそれこそ消しゴム程度。仮に爆発しても、コンクリートブロックを一二個吹き飛ばす程度だろう。

 なぜ彼がそんな物を偶然持っているのか? 武器庫を漁ったとき、他の爆弾に紛れたのだろうか? これだけ小さいのだ、十分にあり得る。首元に当たったのも、服の内側にある隠しポケットから出てきたからだろう。偶然にしては少し出来過ぎかもしれないが。

 しかし今は、理由なぞどうだっていい。

 

(もしかしたら、コイツを爆破させた勢いで脱出できるかもしれない……! )

 

 だが残念なことに、彼が持っていたのはC4ただそれのみであった。本来必要になる起爆装置が無いのだ。

 

(クソ、これじゃ何の意味も無いッ!)

 

 また絶望の淵に立たされる冬弥。一瞬不貞腐れてやろうかという思いがよぎったが、それよりも爽快感と焦燥感の合わさったような、なにか途方もなく大きな気持ちに推されていた。

 

 一度点いた希望の灯火は、そう簡単に消えはしないのだ。

 

(……そうだ、銃だ! 確か起爆装置っていうのは、小さい爆弾を爆発させた衝撃を使う……みたいなことをオヤジが言っていた。だったら、実包の中にある火薬を使えば……ッ! )

 

 彼は必死で手探って近くを漂っていた拳銃を拾い、スライドを引いて銃弾を取り出す。銃弾の先についている弾頭を指で外し、中の火薬が飛び散らないよう、すぐにちぎったC4を詰める。もう一度スライドを引いて、薬室(チェンバー)にC4弾を装填する。

 

 そして引き金に指をかけたところで、冬弥の動きは突然止まってしまった。鳴り響く音楽が停止したかのように、自然と漏れ出ていた笑みが引いていく。

 

(待てよ……弾頭を外して、C4を詰め込むまでは良い。だがそれで爆発するのか? 爆発したとして、銃は壊れないか? 壊れないとして、それでパワーは足りるのか? そもそも、ここは吹き飛べば出られるような場所なのか? 果ての無い世界である可能性だって十分ある。これは……()()()()()? )

 

 彼の周りがそうであるように、暗い不安が冬弥を包み込もうとする。

 今になって、冬弥はこの無限世界に大きな恐れを抱き始めた。

 

(……恐い……! )

 

 どこにも行けない。何も成せない。

 暗闇を照らす明かりも無い。

 

 ここには、何も無かった。

 冬弥の人生にも、何も無かった。

 

 だが。

 

(そうだ……オレにはあるじゃねェか、『無限に撃てる』っていうこのチカラがッ! 撃つのが銃弾じゃ無かろうが知ったことかッ! チカラの範囲内にあるかなんて知ったことかッ! オレのチカラだ、オレが()()()()()()()()()()()ッ! パワーが足りないってんなら銃がブッ壊れるまで撃ち続けてやるッ!例え果てが無かろうと、オレは絶ッ対に諦めねェッ!!! )

 

 冬弥は銃を構え、意気地なしの己を鼓舞するために叫ぶ。

 

「ウオオオオオオオオッ!!! オヤジィィィィィィッッッ!!! 」

 

 そして、彼は引き金を引いた。

 

 ━━

 

「さて、身柄も回収したことだ。『教会』に帰るぞ、檻苑(オリオン)

「え、徒歩? やだ〜! オジサンの能力でワープさせてよ〜! 」

「中に居る彼に遭遇して、蜂の巣にされたくはないだろう。一々文句を言うな、鬱陶しい……」

 

 地べたに座って駄々を捏ねていた檻苑(オリオン)だが、ふと自分が微細な振動を感じていることに気づいた。

 

「あれ? 地震? 」

「……違う」

 

 影胞子(カゲホウシ)の目線の先には、自分の影。

 

 今、それは()()()()()()

 

「備えろ」

 

 爆発音。そして衝撃。

 

「ウオオオオアアアアアッ!!! 」

「きゃっ!? 」

 

 影胞子(カゲホウシ)の影から、先ほど捕まえたはずの冬弥が飛び出す。勢いそのまま、檻苑(オリオン)の横を掠めて壁に激突した。彼の身体からは硝煙の香りと共に、肉の焦げた臭いもしている。

 

「……酷い傷だな。何らかの爆発物を利用して、吹き飛ばされて帰って来た、といった所か? 初めてだよ、そんな馬鹿をしでかした人間は」

「ハァ、ハァ……」

 

 ボロボロの風体で、荒く呼吸する冬弥。よろよろと立ち上がると、影胞子(カゲホウシ)の前に立ちキッと睨み付ける。

 

 そして彼は、持っていた金属片━━拳銃は壊れ尽くして、グリップ以外無くなっていた━━を投げ捨てて。

 

「……何のつもりだ? 」

 

 土下座した。

 

「さっきは……済まなかった」

「何が? 」

「ハァ、アンタに……生意気、言ったこと……」

 

 困惑する影胞子(カゲホウシ)。気まずい沈黙が部屋中に満ちる。

 

「……いや、謝罪されても困る」

「うっせぇ!!! 黙って受け入れろ!!! 」

 

 頭を地面につけたまま、怒鳴りつけて謝罪の受容を強制させる冬弥。

 どう考えても、謝罪する側の態度では無い。

 

「オレは……舐められたら終わりだと考えてた。だがそれは違うと気づいた。具体的に表現するのは、バカだから難しい。とにかくそれは間違ってる。そう思った」

「ふむ」

「オレは……反省した! 多分、恐らく! だから影胞子(カゲホウシ)、アンタには━━あークソ! なんて言えば良いのか分からん! とにかく━━オレの仇討ちに手を貸して欲しい! 」

 

 汗を流しながら、額を床につけたまま声を張り上げる冬弥。

 どうしたものかと戸惑いつつも檻苑(オリオン)は声をかけようとしたが、しかし影胞子(カゲホウシ)の無言の視線によって制止された。

 

「報酬は、オレに出来るなら何でもやる! 金なら内蔵売ってでも用意する! だからオヤジの仇を討たせてくれ! これはオレの全てなんだ! オヤジはオレの人生そのものなんだ! 頼む! お願いします! どうか━━」

「待ちたまえ」

 

 影胞子(カゲホウシ)の鋭い声に、冬弥は言葉を切って恐る恐る顔を上げた。

 案の定、仁王のような形相をしたスキンヘッドの男が目の前に立っていた。

 

 だがその顔に困惑と怒りの色はあれど、前に見せた汚物を見るような嫌悪感は消えているような気がした。

 

「……稚拙な謝罪の上に、身勝手な願いまでしおって。自分勝手にも程がある」

「……………」

「キミはきっと、こうやって人様に頭を下げるのも初めてなんだろう? もしそうなら納得の手際だし、そうで無かったなら想像を絶する要領の悪さに閉口せざるを得んな」

「……すみません……」

 

 いつの間にか敬語になっていた冬弥は、そう言って縮こまる。なんだか小学校の頃を思い出した。

 

 あの頃は、まだ見捨てられていなかった気がする。

 

「……ワタシは、元々大学で教鞭を執っていたんだが。昨今の学生どもと言えば、口を開けばタイパがどうの、コスパがどうの、講義がつまらんだの課題が面倒だの、とにかく目上の人間を舐め腐ったような奴らばかりだった」

 

 遠い目をしながら、影胞子(カゲホウシ)は言う。

 

「だから、まあ……そうやって素直になることが出来たキミは、もしワタシの生徒だったなら、懇意にするのもやぶさかでは無かっただろうな」

「……? 」

 

 きょとんとした顔で聞いていると、影胞子(カゲホウシ)は冬弥の肩を持って起こしてやった。

 彼の肩のホコリを払いながら、影胞子(カゲホウシ)は言った。

 

「手を貸そう、組長名代殿。キミが我々『(ピース)』の仲間入りをするかは保留として、アラハバキの抹殺に関しては対等な協力関係を築こうじゃないか」

 

 影胞子(カゲホウシ)はそう言って、冬弥の前に右手を差し出した。

 対する冬弥は、握手どころか現状への理解すら追いついていなかった。それもそのはず、彼は「謝罪とは降伏の証である」と思い込んでいたタイプの人間だったので、まさか謝罪することで拓ける未来が本当に存在するとは(いくらか打算していたものの)夢にも思わなかったのである。

 

「……わ、わぁ……」

「気の抜けた返事だな」

「いや、まさかこんなに上手くいくとは思ってなかったので……」

 

 彼の言葉に、影胞子(カゲホウシ)は初めての笑みを見せながら答える。

 

「キミより先を生きる者としてのアドバイスだが、『素直な若者』というのは年上にえらく気に入られやすいのだよ。跳ねっ返りが改心した場合なんか、特にな。あと敬語は止めたまえ、対等だと言っただろう」

「わ、分かった。今後ともよろしく頼む」

「ああ」

 

 そうして、冬弥は影胞子(カゲホウシ)の手を取った。

 

 次に冬弥は、檻苑(オリオン)の方へ向き直る。

 

「アンタは……どうするんだ? 」

「え? あたし? い〜よぉ、協力する〜」

「軽いな……!? 」

 

 こっちは二つ返事だった。

 呆気なさに驚く冬弥へ、影胞子(カゲホウシ)が話しかける。

 

「彼女はそういう人間だよ。実家が裕福で甘やかされて育ったから、物事に真剣に取り組んだ経験が無いのさ。ワタシが最も嫌悪する人種だ」

「相変わらずオジサンは酷いにゃあ〜! までも、異外者(イレギュラー)の中じゃ結構強い能力持ちらしいから、あたし。役には立つよ〜」

「お、おう……」

 

 初めて対峙した時から彼女が全く態度を変えていないことにある種の尊敬を覚えながらも、同時にその真剣味の無さに若干苛立ち始める冬弥であった。

 

 ひと段落着いたところで、影胞子(カゲホウシ)が問いかける。

 

「で、これからどうするつもりかね? 」

「もう一度、アラハバキとやり合う。だが今度は奇襲じゃない。キチンと計画を立てて、使えるモノは全て使って、三対一で、アイツを殺す。知恵とチカラを貸してくれ、影胞子」

「良いだろう。ちょうど用意していたプランがある。きっとキミも気に入るだろう」

 

 決意を込めた表情で頷く冬弥。そんな彼の肩を、檻苑(オリオン)は指でツンツンする。

 

「……あたしは? 」

「え。じゃあ……チカラを貸して欲しい」

「知恵は? 」

「…………」

「知恵は~!? 」

 

 冬弥にダル絡みする檻苑(オリオン)を無視して、影胞子(カゲホウシ)はこの家のリビングと和室を仕切る扉を開いた。

 無論電気の通っていない家なので、開いた先は闇である。

 

「来たまえ。我々の拠点……『教会』への直通ゲートだ。まずはそこで、身体を休めるといい……」

 

 影胞子(カゲホウシ)はそう言うと、『影』に入るよう二人を催促した。

 躊躇う冬弥の手を引いて、檻苑(オリオン)が足を踏み入れる。二人が中に入った後、影胞子(カゲホウシ)は天井に吊り下げていたライトを外す。

 

 パチン、と電源が切られる。

 

 後には、闇以外に何も残らなかった。

 




TIPS:
影胞子(カゲホウシ)は元々民俗学の教授であり、主に東北地方の民間伝承について研究していた。また、学生の間では単位を取りづらく卒論の指導も厳しい鬼教授ということで有名でもあった。

ちなみに、彼の勤めていた大学の偏差値は50以下である。


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【9】急転

 八月十二日、朝。

 

 渋谷駅は二〇三九年になろうとも、通勤・通学に使う乗客で溢れかえっていた。いくらテクノロジーが進化し、リモートワークが進み、少子高齢化により労働人口が減少しようと東京は東京であり、最も人の多い都市というトロフィーは譲られることが無かった。

 

 だが変化したものも存在する。テロ対策などは、その顕著なもののひとつだ。

 

 一時期は海外から皮肉交じりの称賛を受け取る程度には為されていなかったテロ対策だが、今では過去の話。AIを搭載し、身体が1%以上映っていればほぼ確実に痴漢から化学テロまで見分けられる新型監視カメラは列車内にくまなく配置され、マイクロ総鎮装(コンプ)も射角を十分とれる場所に多数備え付けられ、その他駅構内のボット巡回・消火装置の配置徹底・有料ロッカーに汎用センサーを設置するなど、多数の取り組みが行われている。

 その偏執的とさえ言える防止策の数々は、ネットの片隅で『田舎の実家で暮らすより駅でホームレスをする方が安全』とまで言われるほどであった。

 

 余談だが、新型監視カメラの設置によって痴漢は冤罪含めて減少の一途であり、そのため女性専用車両はその役目を終えてほとんど消えていった。

 しかし、代わりに『トレスメ=トレイン・スメル』、つまりは列車内での臭い問題が取り沙汰され始めるようになっていた。なお『トレスメ』の被害者を名乗るのは主に若い女性であり、加害者とされるのは中年の男性であることが多い。

 

 結局、人が多数集まれば故意・過失に関わらず互いに衝突し合い、何某かの問題は起きるということである。

 

 そして今。とびきりの大問題が、この08:22発の列車にて起ころうとしていた。

 

 ━━

 

 まあ、それはそれとして。

 

「よし、行くぞ……! 」

「次こそ勝ぁーつ!!! 」

 

 鵐目とハバキの二人は、テーブルに置いたチェス盤を挟んで向かい合っていた。

 言うまでもなく、彼らはチェスを始めようとしている。隣にはチェスクロックも置いてある本格仕様だ。

 

 クロックのスイッチに手を掛けているサヤが、両者を確認し、合図を準備する。

 

 クロックに刻まれた持ち時間は、()()

 

「それじゃ、よーい……スタート! 」

 

 サヤの合図と同時に、先手の鵐目から猛スピードで駒を動かし、クロックを叩き続ける。二人は器用に片手でキャスリングなどしつつ、タイムロスを減らす為にもう片方の手は常にクロックの上にかざしている。

 

「うおおおおおおおおおおお!!! 」

「ぬおおおおおおおおおおお!!! 」

 

 鬼気迫る表情でスピードチェスを指し続ける二人。

 

(すごい……何をやっているのかさっぱり分からない……! )

 

 スタート役のサヤは、唖然としながら見守るしかなかった。

 

 三秒後。

 

 ━━「チェック! 」「チェック! 」「チェック! 」「チェック! 」「チェック! 」━━

 

 気がつけばもう終盤戦で駒数も少なくなり、互いに「チェック」をひっきりなしに叫び続けるフェーズになった。

 

 そして。

 

「チ、チェック! 」

「チェックメイト! 」

 

 ハバキのナイトとルークが鵐目のキングを詰ませ、ついに決着がついた。

 

「ッッッしゃあ勝ち越しィィィッッッ!!! 」

「ああああああああクソぉぉおおおああああ!!! 」

 

 全力でガッツポーズを決めるハバキと、全力で転げ回って悔しがる鵐目。

 勝敗の合計はハバキが十六勝・十五敗、鵐目が十五勝・十六敗である。

 

「そォらちゃっちゃと『Kyklops:2(キュクロプス・ツー)』買いに行ってこんかい自腹でよォォォ!!! 」

「クッソォォォ覚えてろォォォォォォ!!! うわーん!!!」

「ウッヒャッヒャッヒャッヒャ!!! 」

 

 玄関から敗走する鵐目の背に指を指しながら、ハバキは地獄のような笑い声を上げていた。

 

(すごい……ほとんどキャラ崩壊起こしてる……! )

 

 もし今後チェスをすることがあっても、彼らとは絶対賭けをしないようにしよう……と、心に誓うサヤであった。

 

「ヒャッヒャッヒャ……あー、楽しかった! こんなに笑ったのは何年振りだろう! 」

 

 目元を拭いながら、ハバキは言う。『チェス盤その他諸々は、空中に浮かび上がりながら片付けられていた』。

 

「めちゃくちゃ白熱してたもんね! 速すぎて私には何が何やらだったけど……。ところで『Kyklops:2(キュクロプス・ツー)』ってなに? 」

「最新のVRゴーグル。めーっちゃくちゃ性能が良い。今ならなんと、重さと触感を再現できる周辺機器『Ultima Globe(ウルティマグローブ)』もセットで二十万」

「たっか!? 」

「これでも個別に買うより三割安くなってんだぜ? ちなみに、俺が負けてたら三十五万の最新マザーボード買わされてた」

 

 自慢げに語るハバキに対し、桁が桁ゆえにあわあわしながら頭を抱えるサヤ。

 

「予算!! おうち用の!! 予算が!! 敷金礼金!!! 」

「大丈夫だって、最近色んな異外者(イレギュラー) 捕まえて貯金めっちゃあるし! 鵐目も一応自腹切ってるから……」

 

 ハバキはそう言ってサヤを宥める。

 実際、今の彼らはかなり羽振りが良かった。ハバキがこの一週間で捕まえた異外者(イレギュラー) は、

 

悪雨樋(ガーゴイル)

陽賛華(サンフラワー)

捻捩(ツィスト)

事後通告(アフターショック)

嫉妬憐憫(エンヴィ・レンヴィ)

Unbelieve!(アンビリーヴ!)

溶界(メルティモンド)

原告論者(プリンシプル)

 

 以上、合計八人。彼は捕まえて睦月 如月に売り払った。それによって得た金額は二百万円にのぼる。

 

 一週間で、この大金。そりゃ羽目も外すというものだ。

 

 しかし睦月も最初の方は景気よく五十万円ほどで買ってくれたが、後半の方では「引退間近の刑事に払える金額じゃねぇ……というか、多すぎねぇか……? 」とぼやきながら値切ってきた。ハバキとしても彼という質屋を失いたくないので、とりあえず四十万ほどを無期限のツケにすることで双方合意している。

 

(実際、なーんか多いんだよな。異外者(イレギュラー)が瀕死に陥った人間から低確率で生まれるのは周知の事実だが、それにしたってアラハバキの出現以前と以後では数が違いすぎる。俺より以前に異外者(イレギュラー)は生まれていたのは確実だが、どうして今の今までバレなかったんだ……? )

 

 ハバキは考えるが、真実を知るには情報が足りない。つまりこの思考に意味は無い。ということで、刹那で棄却した。

 

 さて一方で鵐目の主な収益はデイトレード、つまりはFXである。ハバキの稼ぎが軌道に乗ってきたため、調子に乗って始めたものだ。収益は日によって激しく増減し、今日は七万の赤字で済んだ。

 ちなみに、今までのホテル暮らしを支えていた彼の一千万を超える貯金をこの前八割ほど吹き飛ばしている。

 

「FXやめろよお前! あんなんただのハイテク丁半博打じゃねえか! 」

「ごめんなさい……マジごめん……うぅ……」

「謝りながらレバレッジ二十倍にしてんじゃねえよ張っ倒すぞ!!! 」

 

 こんなこともあったが、その後一発当てて五百万は取り返した。

 こういうところでギリギリ面目を保って生きてきたのが鵐目という生き物である。

 

「お金がたくさんあるのは良いけど、こういうのってあぶく銭じゃん! キチンと管理しないと絶対あとあと足りなくなるからね!? 」

「いや全くその通りで! 家計の管理をしてくれるサヤには頭が上がらねぇや! ハハハ……」

「ハハハじゃないよぉ! すぐ稼げるからって、二人とも湯水のように使うんだから……」

 

 サヤの方では、金策の代わりに家計の管理を任されていた。初めは家計簿ソフトに四苦八苦していたが、ハバキに手取り足取り教えられ、今では立派に管理できている。

 

 五日ほど前の話。

 

「━━んで、この関数をグラフに適用すれば、こうやって資産推移が分かるわけさ」

「はぇ~……ハバキくんよく知ってるね! 」

「元々つけてたから。ビジネスの真似事やってたもんで」

「へー……。なんか、私がやる必要感じなくなってきちゃったな。ハバキくんの方が上手に出来そうで……」

「大事なのは上手に出来るかどうかじゃなく、『俺たちの稼ぎをサヤが管理する』っていう所だぜ。俺は正直性に合わないし、仮に鵐目が管理したら、アイツは絶対にいくらかちょろまかすし。サヤは信用できるんだ。もっと自信を持っていいんじゃないか? 」

「……そうかな? 」

「そうだとも」

「ん……ありがと。頑張ってみる……! 」

「その意気だ! サヤなら、何も問題は無いさね」

 

 とまあこんな風に惚気(のろけ)つつ、スマートテーブルをフル活用して収支を計算し、シートに帳簿をつけ、ハバキと鵐目に一定量の金を渡していた。

 

 そして今のサヤには家計簿に加え、同じく重要な任務がもうひとつある。拠点━━マイホームの確保だ。

 

「それで、家探しの首尾はどうだい? 」

「あんまり。色々と見てきたんだけど、やっぱり三人で暮らせる広さとなると何処も家賃が高くて……あと信用の問題もあって。そこは、私にはどうにも出来ない感じかな……」

 

 表向きには『志が同じ三人のワナビがシェアハウスを探している』ということにしてある。傍から見て一番破綻が少ないため選んだ理由だが、その代わり社会的信用が限りなく低くなってしまった。

 

「ま、東京だもんなぁ。俺の『活動』も鵐目の金策も、定期収入とは言い難い不安定さだし。信用問題は……鵐目にどうにかさせよう。偽造書類山ほど作らせて、もう少し信用できる体裁にする。『専門学校に通う予定のいとこ二人と、せっかくだから一緒に暮らすことにした親戚のAIデザイナー』……みたいなね」

「困ったときの鵐目さんだね! そしたら、もうちょっと郊外の方で探してみる? 」

「そうだね━━あ、郊外で思い出した。闇医者レオンの雑居ビル、ワンチャンあそこ住めないかな? 」

「分かった、調べとく! 」

 

 というわけで今日のタスクが決まり、サヤはスマートテーブルに向かった。椅子に座って、不動産屋のサイトやストリートビューを駆使して家探しを始める。

 

「さて……」

 

 ハバキはスマホを取り出し、昨日から使っていたタブをスマートテーブルに向けてスワイプする。テーブルの一部分が起動してタブが映し出されたので、リモコン画面に変わったスマホを操作して立体表示にする。そのままベッドで頬杖をつきながら、適当にニュースやSNSをチェックし始めた。

 

「相も変わらず、トレンドは『アラハバキ』と『異外者(イレギュラー) 』が過半数だな。憂慮する奴、盲信する奴、バカみたいなアンチとバカみたいな擁護する奴に、逆張りして適当ほざく奴。これぞSNS、不安とヘイトの廃棄場だ。サヤ、SNSが何の略か知ってるかい? 」

 

 向かいに透けて見えるサヤへ声をかけるハバキ。

 

「ソーシャルネットワークサービス」

「『Suck(ママのおっぱい) Nipple,(しゃぶってろ、) Son of (クソ) a bitch(野郎)』さ」

「うーわ、酷い……」

 

 そんな軽口を叩きながら、ニュースを観ていると。

 

「お……うん!? なんだこれ……」

 

 速報の文字と共に、赤地に白の文章がタブの上に流れてきた。

 

『速報 山の手線車両内にて銃乱射、死傷者不明』

 

 クリックすると三行ほど内容の薄いニュース本文が表示され、その簡素さからたった今急ごしらえで書き上げたものだと分かった。

 SNSのトピックには、ショッキングなシーンであることを自動で注意書きされている、乗客が撮ったものであろう動画が投稿され、拡散されていた。

 

『なになになになにヤバイヤバイヤバイヤバイって!!! 銃!? 銃だよね!? なんでここで━━』

 

 たった五秒の動画はたくさんの悲鳴と、困惑と、血液と、銃声で満ちていた。

 

 そして動画の最後には……見慣れたフードとピアスの少年が、拳銃を握って立っていた。

 

「━━ッ! ちょっと行ってくるッ! 」

「う、うん! 鵐目さんにも連絡しとく! 」

 

 ハバキは衣装の入ったリュックを持ち、全速力でベランダから飛び出した後『急上昇』。雲の上でサッとローブを羽織り仮面をつけると、『件の列車まで急降下していった』。

 

 ━━

 

 ほんの少し巻き戻り、列車が走り出した直後。

 人が溢れる一号車にて、誰にも気づかれずひとりの男が追加された。まるで『床から生える』ように、ぬるりと立ち上がる。

 

「……ん? あれ? なに……? 」

 

 乗客はあまり事態を飲み込めなかったが、少なくとも『これはおかしい』という緊張が張り詰める。さっきまで喋っていた女子高生は黙り込み、スマホをいじっていたサラリーマンたちは顔を上げた。

 冬弥は集まる視線を意にも介さず、ゆっくりとイヤホンをつける。そしてポケットのスマホから、彼が密かに愛するアニメ━━『轢殺紳士スカルくん』のオープニングテーマを選択した。三十年以上前の深夜アニメだ。サブカルチャーに興味が無い冬弥だが、なぜかこれだけは彼の琴線に触れたのだった。

 

 曲が始まるまでのロード時間で、彼は運転席の窓に近づき、懐に手を入れる。

 

 そして。

 

「スタート」

 

 曲が始まり、発砲。

 

 運転席に血しぶきが上がる。

 

「━━え、え? 」

 

 乗客が一人、撃たれる。

 

 その瞬間、マイクロ総鎮装(コンプ)が起動し冬弥を蜂の巣にしようとゴム弾を浴びせかけようとする。

 

 だが『ゴム弾が銃口から飛び出してくることは無かった』。

 

「キャアアアア!!! 」「マズイマズイマズイって!!! 」「誰か!! 誰か助けて!!! 」

 

 次々と撃たれる乗客。

 

「……てれれてれてれてれれれ~……♪」

 

 ハミングしながら、冬弥は両手に持った拳銃の引き金を引き続ける。影胞子(カゲホウシ)から譲られた二丁の拳銃は、改造されてフルオートで発射可能になっていた。その秒間発射レートは千二百発。

 

 然るにこれを冬弥が持った場合、()()()()()()()()()()ことと同義である。

 

「助けてッッッ!! 誰か助けてよぉーッ!! 」

「……魔法の一万馬力、ブケパロス~……♪」

 

 父母の名前を叫びながら、女子高生は死んだ。

 胸に抱えて庇った子どもごと、母親が死んだ。

 

「……轢いて潰して犯して~……♪」

 

 たまの休みで遊園地に行く予定だった父子は死んだ。

 彼女の誕生日プレゼントを持っていた若者は死んだ。

 

「……蹴って叩いて慰めて〜……♪」

 

 一号車の乗客は全て死んだ。

 二号車の乗客は半分死んだ。

 

「ひ、非常ボタン! 押さなきゃ! 押して止めなきゃ!! 」

 

 そのとき、三号車にまで届いたパニックで事態に気づき、非常用停止ボタンに手を伸ばす女性客がいた。

 しかし、その手を『謎の檻が突然伸びて、串刺しにする』。

 

「ギャアアアアア!? 」

「ごめんね〜、電車止めるのはやめてね〜? 」

 

 若い女性━━檻苑(オリオン)の場にそぐわない抜けた声が、悲鳴の中に掻き消えていく。

 

 …………。

 

「……これがボクの、愛なんだ~……チャンチャン♪」

 

 ━━そして、誰も居なくなった。

 

 立っているのは冬弥と、檻苑(オリオン)と、運転席にいる影胞子(カゲホウシ)だけ。

 あとは全員……誇張抜きに、全ての乗客が床に転がっていた。

 

 イヤホンを外すと、運転席から『影』を介して上体だけを現し影胞子(カゲホウシ)が背後から話しかける。下に隙間なく広がる血液を見て一瞬顔をしかめたが、それを冬弥に見られることは無かった。

 

「こちらの調整は終わった。これで列車は止まらず、我々は走る鉄の箱に収容されたわけだ」

「こっちも見ての通りだ。足の踏み場も無ェ血の海だ、きっと涙を流して喜ぶぜ」

「では、待つだけだな」

「ああ」

 

 二人の会話が終わり影胞子(カゲホウシ)は身体を引っ込め、冬弥は血のしみ込んだ座席に身体を預けた。

 

 鉄の臭いが鼻腔を満たす。足元に転がった男の死体が、電車に揺られてゴロンと見開いた目を向けてくる。朝日に照らされたその目に光が戻ることは、今後一切有り得ない。またもや電車が揺れて、今度は老人の干からびた腕が冬弥の靴にかぶさった。邪魔くさかったので、すぐ蹴り飛ばした。

 冬弥は目を閉じて、じりじりと背中を焦がす朝日だけを感じることにした。まぶたの裏には何も映らず、響く音は電車の駆動音のみ。なんだか頭がぼうっとするが、きっと疲れているんだろう。

 

 とにかく……この今だけは、静粛だった。

 




【人物紹介】
檻苑(オリオン)』 ??????

見た目:ベレー帽にモコモコした上着、プリーツスカート。全体的にピンク系統の色で統一している。茶髪ロング。顔は良い。
年齢:19歳。
身長:158cm。
体重:XXX

目的:特に無し。「なんか楽しいから」駒(ピース)に所属している。

【異能情報】
『Vogelkäfig(モエツキタハネ)』
鳥籠型の塔のような銀細工の檻(彼女は『オブジェクト』と呼んでいる)を発生させる。
貫徹力・耐久力が高い攻防一体の能力で、ポテンシャルは一二を争う。

【ステータス】
出力:厚めの鉄板程度は朝飯前。
射程:(通常)周囲5m。(罠)設置地点から100mまでは感知できる。(共通)檻の長さ自体は20mくらい余裕。
燃費:良し。全然疲れない。
精度:ある程度自動で照準調整が可能。

備考:詳細設定可能型(プログラミングタイプ)。条件付けした罠を作り出せる。


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【10】虐殺列車、運行中。

 三日前、夜。『教会』内部・礼拝堂にて。

 

「早速だが名代殿。アラハバキの弱点は何だと思う? 」

 

 講壇に立ちながら、影胞子(カゲホウシ)は言う。檻苑(オリオン)はそんな彼のデッサンをしようと、好みの画角を探して右往左往している。

 視界の隅にちらちら映る彼女に若干うざったいなと思いつつも、冬弥は長椅子に寝っ転がったまま答えた。

 

「『不殺主義』」

「ご名答。彼は自ら殺すことはもちろん、眼前に起きる如何なる殺人も許容しない。目の前で誰かが死に瀕したとき、全てを優先して助けに行くのがアラハバキだ。当然、我々はそこを突く」

「アレで一線引いてるつもりなのか?アイツは。殺人だけ犯さなければ大義名分が勝ち取れると、本気で思ってんのか? 」

「そうだろうな。実際、大衆からのイメージを守護する手段としては正解だろう。仮に彼が殺人者だった場合、世間は彼の言葉を容赦なく切り捨てていたはずだ」

 

 影胞子(カゲホウシ)の見立ては確かだった。

 世界において未だ少数派ではあるものの、着実にその数を増しているアラハバキ肯定派。彼らの肯定する理由は千差万別だが、否定しない理由に関しては『彼が不殺の宣言を守っているから』だと、異口同音の言葉でネットの海に浮かんでいる。

 

 冬弥には、それが面白くなかった。

 

「不殺がそんなに偉いかね━━」

 

 よっこらせと起き上がりながら、冬弥は聞く。

 

「で? またオレのときみたいに、通行人まるごと人質にすんのか? 」

 

 それに対し影胞子(カゲホウシ)は、常と変わらぬ口調で答えた。

 

「いや? ()()()()()()()。数は多いほど良い。百人は欲しいな」

「そんなに.....殺すのか」

 

 冬弥本人には全くそんなつもりはなかったが、『殺す』と言う際に若干言い淀んでしまった。

 

 未だに生温い心情が残っているのだろうか? 今まで、さんざ殺してきたというのに。

 

「そんなに殺す。またこれにより、アラハバキのおびき寄せ・心理的ダメージ・パブリックイメージの低下などが期待できる」

「おびき寄せって、どこにだよ」

「走行中の電車だ。狭いスペースで機動力を封じることが出来、移動し続ける故に警察も迂闊に手出し出来ず、投射に使える物がほとんど存在しない。ワタシが影を『焼き付け』ておくから、キミはそれで乗り込め。キミが運転手を射殺次第、ワタシも参加する。檻苑(オリオン)は非常ボタンやドアコックに『罠』を設置した後、中央車両で待機だ」

「あいさ〜」

 

 いつの間にかデッサンに飽きてスマホをいじっていた檻苑(オリオン)が、適当に返事する。

 

「彼は大量殺人を察知した瞬間、すぐに飛び込んでくるだろう。キミが攻撃、ワタシが防御、彼女が伏兵。連携は後で訓練する。そう難解なことはやらんから安心しろ」

 

 あっという間に作戦を立案していく影胞子(カゲホウシ)

 冬弥は未だに、『最低百人殺す』という文言が頭を巡っている最中だった。

 

(百人……最低百人……。電車一両に入るのが何人だ? 大体二十人だとして……山手線って何両編成だっけ? 多分十両くらい……だから、多分五両分くらいは殺すのか……? 五両って結構長いぞ……カーブのときなんか向こうまで視線が通らないくらい長い……そんな長さに詰め込まれた量の人間を殺すのか……? )

 

 ひとつ深呼吸して、あの言葉を想起する。『オレは覚悟を決め直した』。彼はそう自分に何度も言い聞かせてきたし、今でもそうだと思っている。

 

 『オレは誰が死んでも心は動かない』(本当に? )

 『ただオヤジの為に銃を撃つ』(撃ちすぎでは? )

 『その為だけに生きられる』(その為だけに生きるのか? )

 

 ブツブツ呟きながら俯いて動かない冬弥を見て、檻苑(オリオン)が上から体重を預けて乗っかる。

 

「心配しなくても大丈夫だよ~。オジサンはこういう策、外したことないから。一緒にがんばろ~ね~! 」

 

 相も変わらず完全に冬弥の心情を無視した能天気さだったが、なんとも珍しいことに、影胞子(カゲホウシ)は彼女に便乗した。

 

「その通り。さあ。力を合わせて、ボスを倒そうじゃないか」

 

 有無を言わさぬ激励だった。

 

 ……この場において自分に何も選択権が無いことに気づいた冬弥は、もはや考えることが面倒になったので、目を閉じることにした。

 

 ━━

 

 そして。

 

「━━アァッ!! 」

 

 静粛は、アラハバキによって破られた。

 

「ハァ、ハァ……」

 

 息を切らしながら、彼は血と死体の大海で満たされた車内を見渡す。

 

「……間に合わなかったか……」

 

 無言で冬弥を見つめるアラハバキ。いつも通り、その目から感情は読み取れない。

 

 ひとつひとつの単語を確認するように、ゆっくりとアラハバキは質問した。

 

「これは……何の、為に……? 」

「お前の為だよ、アラハバキ。丹精込めて作ったレッドカーペットだ。気に入ったか? 」

 

 ずっと言ってやろうと思ったセリフを言って、冬弥はとてもスカッとした。

 

 だがアラハバキは怒鳴るでもなく、悔しがるでもなく。

 

「…………ハァー…………」

 

 ただ、酷く大きなため息を吐くだけだった。

 

 しばらくその姿勢のまま固まるアラハバキ。

 だが「アァッ! 」と怒りを振り切ったと思しき声を出すと、彼はポケットからスマホを取り出し、冬弥に突き出した。

 

「スマホ、持ってる? 持ってるなら出してくれ」

「なんで? 」

「連絡先を交換する」

 

 時が止まったかのような沈黙。

 

 …………。

 

「は? 」

 

 体感時間の果てしない延伸の後、冬弥の口から出た音はソレだった。

 

「『は? 』じゃねーよ……。もうこんな事は、二度と御免だ。お前の仇討ちなんぞ知った事じゃないが、したいってんなら何時だろうと連絡しろ。すぐに行ってやる」

 

 そして、まるで冬弥を慈しむかのように、悲しげな声で言った。

 

「だから━━二度と、こんな真似はするな」

 

 彼は虐殺の主犯に、()()()()()()

 

 冬弥は過去に一度、仇討ちに赴いた自分をアラハバキに救われたことがある。だがそのときは、少なくともアラハバキの視点では誰も殺していない。苦しい理屈だが、一応は不殺主義に反していないわけだ。

 今はどうだ? 目の前に広がる血の池地獄を直接見て、あまつさえその実行者は目の前で悠々と待っていた。その上で、彼は自分に情けを掛けている。まるでオイタをした子どもに反省させるように。

 

 コイツは、頭がおかしいのか?

 

「……それだけか? お前の為に、一般人を何人も、何百人も殺された反応が? 」

「そうだよ」

「この血を見て、臭いを嗅いで、何も思わないのか? 」

「大変遺憾に思っている」

「挙句その犯人が目の前にいるのに、やることが連絡先の交換? イカれてんのか? 」

「私は正気だよ」

 

 一切の淀みなく、アラハバキはハッキリと答えた。まるで正義は自分にあるかのように、文字通り被害者の骸の上に立ちながら、虐殺犯を赦免しようとしている。

 

 もう一度思う。()()()()()()()()()()()()()

 

「……何さ。泣くでも怒るでもして欲しかったのか? 」

「まぁな。そのくらい人であることを期待してたんだが。どうやら身も心も化け物らしいな、テメェは」

「殺しの張本人が、それを言うかね……」

 

 ハア、とまた嘆息するアラハバキ。

 

 あまりにも、平然が過ぎる。

 

 冬弥は目の前の仇敵について考えるのを放棄したくなってきた。考えど考えど、彼の思考が、価値観が、感情が理解できない。

 

 だが、やる事はひとつ。

 

「オレは覚悟を決め直した。オレはオヤジの為に、全てを捧げる。オレの分だけじゃない、周りに居るヤツの分もだ。何人死のうが何人殺そうが知ったことか! 一切合切全部巻き込んで、オレはお前をぶち殺すッ! 」

「『止めたかったら殺しに来い』ってか? お断りだね! キミは私に生け捕られて、今後一生恥を晒し続けるだろうさ! 復讐に懸けられる程度の人生なんぞ、たかが知れてんだよッ! 」

 

 冬弥は両手の銃を腰に差したナイフの柄に嵌め込み、逆手のナイフと拳銃を同時に握ったような形にする。

 アラハバキは前回の戦いでは見せなかった、何らかの格闘技の構えをとる。

 

 そして。

 

「死ねよアラハバキィィィィーーーッ!!! 」

「やってみろよ半グレ風情がァァァッ!!! 」

 

 戦いが、始まった。

 

 冬弥の放った数多の銃弾が襲いかかる中、アラハバキは『地面を蹴って』瞬時に距離を詰め、その手刀を冬弥に振り掛ける。冬弥は銃で防御して受け流し、同時に嵌め込まれているナイフで反撃する。切り込んで来たナイフをバク宙でかわすと見せかけ、『冬弥の腕を両足で挟み、肘から先を身体全体で捻じろうとする』。しかしもう片方の銃がその隙を突いて『発砲』。だがギリギリのところで気づいたアラハバキは、組み付きを解いて回避する。

 

(コイツ、ヤケに近接が出来る!? )

(コイツ、格闘技覚えてきやがった……ッ! )

 

 二人は同時に敵の近接能力を判断し、各々次の戦術を実行する。

 冬弥がまたもや銃を構えたところを、二度目は通じぬと言わんばかりに『無理やり引き寄せ』、体勢を崩した所でアッパーカットを腹部に叩き込もうとする。しかし冬弥は崩れた体勢を逆手に取り、そのまま身体を縦回転させてかかと落としを食らわせに行く。寸前に気づいたアラハバキは『最小限の距離を後ろにスライドし』かかと落としを回避。床に着地した冬弥へお返しとばかりに『かかと落としで反撃を試みる』。しかし冬弥は握る拳銃のグリップをスライド部分に素早く持ち替え、アラハバキのアキレス腱目掛けて切りつけようとする。対してアラハバキは瞬時に『落とす足の慣性を殺し』足を引っ込め、そのまま折り畳んだ状態で冬弥の顔へ膝蹴りを叩き込んだ。

 

「フゴッ……! 」

「ハッハァッ! 」

 

 ここに来てようやっと、初めてのダメージである。

 

 痛みでよろける冬弥を見ながら、アラハバキは異様に上手くなったナイフ捌きと近接戦について考察する。

 

(コイツの能力は『無限弾』と『射撃の必中』かと思っていたが、どうも後者に関しては『銃それ自体の扱いに卓越する』と言った方が正確らしいな……。だから拳銃を介して近接戦闘を行うことで、能力の定義に組み込み戦闘能力を引き上げている。マガジン部分にナイフを嵌めているのも、その一環か……)

 

 アラハバキは一旦距離をとる。

 

(だと言うなら、こうするまでの話だ……! )

 

 そして、『車両内の窓ガラスを全て砕き始めた』。

 

「何をするつもりだ……? 」

 

 訳も分からぬままに、冬弥は二発ほど『弾を撃ち込む』。案の定銃弾はアラハバキの目前で『停止』し、ガラス片と渾然一体となった。銃弾を飲み込んだガラス片はアラハバキの前で塊を作り、やがてそれは細く長く形を変えていく。銃弾もそこへ巻き込まれていったが、奇しくもその位置が、龍の目玉のようだった。

 

「『硝子龍(ビードロン)』」

 

 アラハバキがそう唱えると、ガラス片で出来た龍は冬弥の元へと突っ込んだ。

 

「うおッ!? 」

 

 狼狽える冬弥。かなりの軽装で来ている彼にとって、ガラス片の奔流に巻き込まれれば致死的な出血量になりかねない。

 だが彼には、こんな時の為の防御策がある。

 

「出番だぞッ! 」

 

 そう叫びながら来ていた上着を龍に向かって投げつける。すると、『上着の中から黒い胞子の塊が広がった』。

 

「新手か!? 」

 

 驚くアラハバキをよそに、『黒の塊は突っ込んでくるガラスの龍をどんどん飲み込んでいく』。尻尾の先まで全て飲み込むと、塊はホロホロと崩れ落ちていった。

 

「……もう少し、早めに呼んでも良かったのではないかね」

「うっせぇ。結果オーライだっての」

 

 『落ちた上着の中から生えるように』、壮年のスキンヘッドが姿を現す。戦う二人と同じく血まみれになった男は、鷹揚な声で挨拶した。

 

「お初にお目にかかる。影胞子(カゲホウシ)という者だ。宜しく、怪人殿」

「へぇ。意外と人望あるじゃないか……見直したよ」

 

 予想だにしなかった異外者(イレギュラー) の協力者を見て、軽口を叩きつつも能力の考察を忘れないアラハバキ。

 

(投げた上着の影に吸い込まれて消えた……『影をゲートに異空間へ繋がる能力』ってところか。道理で、頭上の機関銃が動かないわけだ。銃口の中にまでゲートを作ったってことだろ? 影ならなんでも使えるのか? 射程距離どうなってんだ? )

 

 こうなると、第三の異外者(イレギュラー) が現れてもおかしくない。念の為背後を確認するが、今のところ生きている人間の気配はしなかった。

 

「『拡散(スプレッド)』」

 

 影胞子(カゲホウシ)がそう唱えると、彼自身の『影』が『胞子状に解ける』。そして出来上がった文字通りの影胞子は、列車内に存在する朝日の作り出した影の中へと染み込んでいく。混ざりあった影はその黒を一層濃くし、なおかつ『植物が枝を伸ばすように空中へ影を伸ばし、その先に先程より大きくなった影胞子を付けた』。

 

 冬弥は銃を構える。

 

「そうだ、言い忘れてた。さっきはありがとな」

「礼は勝ってから言いたまえ」

 

 冬弥の『発砲』。なんなく『弾く』アラハバキだが、弾かれた銃弾は『散在する影胞子が能動的に掴み取り、吸収する』。

 

「そら、上から来るぞ」

 

 その言葉と裏腹に、『アラハバキの影から銃弾が飛び出した』。

 

「古典的な手をッ! 」

 

 手を伸ばして影胞子(カゲホウシ)に突っ込むアラハバキ。だが彼は身動きひとつせず、『等身大の影の塊を作り出す』。

 

「ふむ、これで回収出来たかな」

「出来てるわけねーだろ、オレでさえ出てこれたんだから……」

 

 その言葉通り、アラハバキは突入してから数秒で、影から飛び出してきた。

 

「ま、そうなるか」

 

 息を切らしながらも、アラハバキは渇いた笑い声を出す。

 

「……随分と、強い能力じゃないか。抜け出せたから良かったものの」

「私の『影』から脱出したのは、君で二人目だ。やはり、獲物を捕えるには対象の意識を喪失させねばならぬようだな。最近()()()で知ったのだが」

 

 その瞬間、アラハバキの身体を『床から伸びた装飾豊かな円柱形の檻が何本も刺し貫く』。重要臓器を避けるような形にはなっているものの、肉の端を抉られたことには変わり無かった。

 

「━━上手くいったようだな」

「お、当たった感じ〜? 」

 

 影胞子のひとつから、ゆるふわな雰囲気の女性が顔を出す。言動から、彼女がこの檻を作り出した主犯であることは自明である。

 

(コイツは……鳥籠? 視線の届く範囲に彼女の気配は無かったし、視界外の遠くから狙ったにしては精密過ぎる。恐らくトラップ、そしてタイミング的にキーワード……『ゲーム』か『知った』で起動したと見た。つまり前戦った『捻捩(ツィスト)』と同じく、ある程度のプログラミングも出来るタイプの能力! 厄介極まりないが、こんなもの壊せば━━)

 

 天井に固定されながら、アラハバキは『檻を捩じ切ろうとする』。

 しかし、檻はビクともしない。というよりも、能力の照準が()()()()()()()感覚がある。対象に入らないのだ。

 

(能力で破壊出来ない!? そんな馬鹿な!? )

 

 何人もの異外者(イレギュラー)と相対して、いくつもの物体を壊してきたアラハバキだが、こんな破壊不能の物体に遭遇するのは初めてだった。

 

 狼狽するアラハバキ。だがなんとかそれを悟られないように隠す。

 

「全く、痛いじゃないか……」

「さしもの怪人アラハバキも、彼女の『檻』は破壊出来んか。というより、能力の発動すら叶わんかね? 」

 

 その言葉を吐いた瞬間、『影胞子(カゲホウシ)の右膝から先が捻じれていく』。

 

「ぐぉぉ……ッ」

「あるぇ!? うっそぉ~!? 」

「残念。身体の自由を奪った程度で、私を無力化出来るわけ無いだろう? 」

「クソ、封印機能では無かったのか……! 」

 

 影胞子(カゲホウシ)はそう毒づくと、『床から伸びる影胞子をアラハバキの四肢の付け根に固定する』。

 

「これ以上は貴様の手足と引き換えだ! 流石に治癒能力は持っていまい!? 」

「ゲートを利用した強制切断か? ハハ、えげつないねぇ……」

 

 影胞子(カゲホウシ)は苦痛に顔を歪め脂汗をかきつつ、冬弥の方を振り向いて言う。

 

「さあ、お膳立ては済んだ! やりたまえ……」

「ああ」

 

 冬弥がアラハバキの額に銃を向ける。

 

「こんな……他力本願で、満足なのか? 冬弥……」

「まァな。コイツらを連れて来たオレの運を含めて、オレの全てだ。そう考えることにした。言っただろ? 『全てを使ってお前を殺す』と」

 

 能力を使おうが間に合わないよう、彼の仮面に銃口を押し付ける。

 

「それにな、アラハバキ。他力本願ってのは、そう悪い意味じゃないらしいぜ。オレはバカだからよく分からんが」

「……クハッ」

 

 その瞬間。

 

 アラハバキは『全速力で天井をぶち破って脱出した』。

 

「な━━ああッ、クソ! その手があったかッ! 」

「うわ、やらかした〜! 床に押しつけるカタチにしておけば良かったよぉ〜! 」

 

 考えてみれば当たり前の話である。下から天井に向かって串刺しにされているのなら、天井を壊して逃げてしまえばいい。しかし実行に移すとして問題になるのは速度。四肢を人質に取られているため、天井の破壊から脱出までを人間の反射速度……〇.二秒未満で行わなければならない。

 失敗した場合、行きつく先は達磨である。いや、もしかしたら後の治療で奇跡的にくっつく可能性はあるかもしれないが、失った四肢はきっと影胞子(カゲホウシ)の影に回収されてしまうだろう。流石にそれでは治療のしようもない。

 もう一度言うが、失敗の代償は四肢喪失である。

 

 もし仮に、あなたにそのチカラがあるとして。

 

 出来るだろうか?

 リスクを取る覚悟が、あるだろうか?

 

「ハハハハハッ!! 今のは本当に危なかった! ここまで死を間近に感じたのは久しぶりだ! やっと勝負の土俵に上がれたな、おめでとう! 」

 

 彼は、()()()

 

「だが私は、常に有利でありたい人間でねェ! 」

 

 そう言うと、彼の後ろ……つまり二号車目の車両から、バチンバチン、と何かがちぎれたような、大きな音が二つする。すると一号車と二号車の距離が段々と離れていき、つまりはアラハバキが『列車のコネクターを破断させた』ことが分かる。二号車以降の車両が『持ち上がり、血と骸をこぼしながら背後で纏められる』。

 そして『アラハバキの背後で次々に粉砕され、捻じ切られ、ちぎられていく』。

 

 よく晴れた青空の下、ひた走る一号車両の上では、血に濡れて赤く染められたアラハバキと『同じく真っ赤な、夥しい数の車両だった瓦礫が宙に浮いていた』。

 

「だからほんの少し、容赦を減らして戦う事にしよう━━さ、ラウンド・ツーだ」

 

 肉の抉れた身体を『能力でなんとか直立させつつ』、アラハバキはそう宣言した。

 

「……おい。電車は武器に使える物が少ないんじゃなかったか? 」

 

 空いた穴から異常な光景を見つつ、呆れた声で冬弥は言う。

 

「『破壊というワンステップを挟まない限り』という前提でな。どんな物でも砕いてしまえば、当たり前だが瓦礫になる。空の彼方でも無い限りこうなる定めだ、いちいち無駄に付け加えることも無かろう」

「最初の一回くらい言えよ!? 」「オジサンそういうトコだよホント!? 」

「ムゥ……」

 

 むすっとして腕を組む壮年男性をひっぱたきたい欲望に抗いながら、冬弥は一歩前に出る。

 

「ま、とにかく……何とかするぞ。アレ」

 

 影胞子(カゲホウシ)は『影胞子を更に中空へ展開する』。

 檻苑(オリオン)は『檻を電車内から外へ伸ばし、足場を作る』。

 

 そして冬弥は、視界一面に広がる瓦礫を背負った怪人目掛けて拳銃を構えた。

 

「ここまでやるのは初めてだ! ハハハハハッ、どうか死んでくれるなよォ!? 」

「バケモノ退治だ! 腹括って行くぞォッ!! 」




TIPS:
影胞子(カゲホウシ)の『焼き付け』について。

彼の出す胞子に「著しく強い光」を当てると、その場所に『焼き付けられて固定される』。つまり、「ワープゲートの保存」ができる。傍からは黒いシミのような形。
彼が『教会』や『電車内』にワープ出来るのはコレ。今回の作戦直前に、車内でハンディライトを使い『焼き付けて』おいたというわけである。


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