緑谷出久のことを少年と呼ぶ個性のお姉さん (海野波香)
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法事 僕のことを少年と呼ぶ幽霊のお姉さん

性癖とひらめきに負けたので新作です。
ヒロアカ二次は初投稿です。単行本勢です。
見切り発車なので不定期更新です。たまに更新します。


 耳が割れんばかりの大合唱に夏の熱せられた大気が揺さぶられ、境内はさながら音の坩堝のようだった。それでも、外よりは幾分涼しく、そして夏休みの喧騒からも一歩隔てられていた。

 足を引きずって歩く。

 石畳の隙間、苔と砂を縫うようにして顔を出した名もなき草花。息遣いが聞こえそうなほどにたくましいその青が、この神社に出入りする人間の少なさを物語っている。

 この神社は緑谷出久にとって特別な場所だった。

 幼馴染の爆豪勝己は昔、この神社に伝わる逸話を怖がってトイレに行けなくなり、寝小便をしてから近寄ろうとしない。だから、どうしても彼を許せない、ひどく気持ちが傷つけられたような日には、出久は決まってここで泣いた。

 

「――おや、来たね少年」

 

 参道から外れた左手にある、小さなあずま屋。

 苔むした慰霊碑への参拝客が足を休めるために作られたらしいそこに、いつもその人はいた。

 白いワンピースに長い黒髪。夏の暑さをものともせずに涼しげな顔で、古ぼけた文庫本を片手に鼻歌など奏でていることもある。出久が知る限り最も文化的で、そしてそのステータスに見合った静かな美しさを秘めている女性だ。

 

「お姉さん」

 

 涙をこらえながら出久は彼女を呼んだ。

 名前は知らない。彼女は出久を少年と呼ぶし、出久も彼女をお姉さんとだけ呼んだ。そういう付き合いは出久がこの神社に迷い込んだ小学2年生から生じ、かれこれ4年は続いていた。

 

「これはまた、こっぴどくやられたものだ。痛いだろう?」

「痛くない、です」

「男の子だねえ、少年は。お堂のほうにまだ使える救急セットがあっただろう、去年君が福引で当てたやつ。どれ、お姉さんが手当てをしてあげよう」

 

 よいせ、と立ち上がった彼女の手はうっすらと透けていた。

 幽霊だ。

 初めてあずま屋でうたた寝する彼女を目にした時のことを出久は鮮明に覚えている。混乱で固まった。そして、その硬直を金縛りと勘違いして心底震え、泡を吹いて倒れた。

 意識が戻った時、出久は幽霊の彼女に膝枕されていた。冷たく、しかし柔らかいその感触を出久は初めて知った。

 

「よくないぞー、まったく。死人に手当てされるヒーローなんて、印象わるわるじゃないか」

「ごめん、なさい」

「精進したまえよ、少年。ま、今の君は小学6年生の男の子でしかないけれど」

 

 そんなことを言ってけらけらと笑うお姉さんは、ずっと昔に亡くなっている。

 彼女の個性は、死霊。ずっと昔、個性犯罪者が起こした大火事から避難するためにこの神社までやってきて、そのまま亡くなったそうだ。それまでは自分を無個性だと思っていたらしい。

 死んで、肉体を失ってただの「意思のある個性」になった彼女は、特に目的もなく神社に居座っているのだと言っていた。

 出久には訊ねる勇気がなかった。慰霊碑に刻まれている名前のどれがあなたなのか、と。

 

「個性がなくとも喧嘩には勝てる。お姉さんだってやんちゃな弟たちによくげんこつを落としていたものだよ。今はうまくやらないとすり抜けちゃうけれど」

「……でも、かっちゃんは強くて」

「おや、あのツンツン坊やがそんなに強いとはね。しかし、自分より強い悪党とだってヒーローは戦うんだろう?」

 

 お姉さんは甘やかしてくれるわけではない。むしろ、いつも突き放すようなことを言う。それもかなりの本気で。

 しかし、出久にはそれが心地よかった。

 出久は無個性だ。それなのに、世界総人口の約八割が個性を持つ超人社会で平和のために戦うこと――ヒーローになることを望んでいる。

 大半が無謀な夢と笑った。ごく少数が無理とわかりながらも応援の言葉を贈ってくれた。それが普通で、当たり前ということは出久自身が一番よく理解していた。

 馬鹿にするでも憐れむでもなく、「ではどうするべきか」を一緒に考えてくれるのは、いま小さなお堂の裏手にある倉庫へ身体を突っ込んでいる幽霊の彼女だけだった。

 趣味の延長線上でしかなかったヒーロー分析ノートに本気で取り組んだ。

 身体を鍛え、持久力をつけるために運動と食事の正しいサイクルを学んだ。

 ヒーローとして緊張せずファンと接する練習と称して、お姉さんを相手にファンサービスもさせられた。これはきっと、お姉さんの趣味でしかないのだが。

 

「あったあった。さて、消毒からだ。しみるぞー」

「ッ……」

「泣かなかったねえ、偉い偉い」

 

 片手で器用に絆創膏を貼りながら、お姉さんは出久の頭に反対の手を伸ばした。

 お姉さんは辛辣だ。しかし、同時に出久の努力を決して無視しない。

 ひんやりとした手のひらが出久の髪を撫でる。飼い犬を愛でるように少し乱雑な手付き。出久のくせっ毛はますますかき混ぜられてしまうが、その乱雑さが心地良い。

 胸の奥でじくじくと痛んでいた傷まで、すっと和らいでいくようだった。

 

「それで、今日はなんで喧嘩になったんだい」

「……かっちゃんが、公園で先に遊んでた年下の子を追い出そうとして。自分たちが使うから邪魔だ、出てかないとぶっ飛ばすぞって」

「なるほど、それはよくない。公園はあらゆる市民のものだからね」

 

 幼馴染の暴虐に歯止めをかけるため、出久は勝ち目のない戦いに挑んだ。

 左膝の擦過傷は彼が宣言通り出久をぶっ飛ばしたことでできたものだ。喧嘩慣れした爆豪が放つ、叩きつけるような右の大振り。身体の小さな出久を吹き飛ばすには十分な攻撃だった。

 

「受けた腕も見せてごらん」

 

 言われるままに左腕を差し出す。

 お姉さんの厳しい言葉に支えられて、出久は少しずつ前に進んでいた。口先だけで夢をぼやくのではなく、這ってでも夢に手を伸ばすための地道な努力を。

 半年前より少しだけ堅くなった腕は、爆豪の一撃を受けても折れたり切れたりせず、痛むだけで済んでいた。それでも、彼のパワーに押し負けてしまったのだが。

 

「こっちは軽い打ち身かな、湿布もいらなそうだ。お姉さんが冷やしてあげよう」

「わっ、だ、大丈夫です!」

「遠慮するな少年、この暑さでくたびれた身体に幽霊のひんやりおてては気持ちがいいぞー?」

 

 ぴとりと添えられた手の冷たさに、かえって顔が熱くなる。

 幽霊とは思えない、いや、幽霊だからこそなのか、ささくれひとつない指。ここ最近頬に丸みを帯びてきた母とは違う、すらりと伸びた白い腕。

 目に悪かった。心臓にも悪かった。眠れなくなるほどに鮮烈だった。それなのに出久はもう4年もここに通っている。きっと何かが間違っていて、しかし、それだけが正しいようにも思えてしまう。

 

「少年はあたたかいな」

「……ゆ、幽霊ってやっぱり、その、寒いんですか?」

「寒い、か……そう、寒いのかもしれない。温度がないというのはね、存外に寒いものなんだよ少年。だから、これからもこうしてお姉さんに暖を取らせておくれ?」

 

 どこか遠くを見る彼女に、出久は否と言えない。

 その瞳の奥で何を想っているのか知りたい、しかし訊ねたくはない、そんな気持ちに出久はまだ名前をつけられないでいる。もしかしたら、この気持ちに名前などないのかもしれない。

 ただ、彼女が寒さに震えない日が来てほしいと、それだけははっきり思っていた。

 

 そんな関係が大きく変わったのは、出久が中学3年生になったころのことだ。

 ヘドロヴィラン。後にそう呼ばれることになるそのヴィランとの戦いを経て、出久は憧れのヒーロー、オールマイトの秘密を知った。

 この日も出久は無謀な戦いに挑んだ。自分をいじめてくる幼馴染がヘドロに呑まれ、その肉体を奪われようとしていた。そのままにしておけば、彼は死ぬだろう。

 恨みはある。つい先ほど自殺教唆もされたばかりだ。ここで足を止めたところで、誰も文句は言わない。

 それでも爆豪を助けようと、出久の足は勝手に前へ進んだ。

 

「かっちゃん!」

「なんで、てめェが!」

「君が、救けを求める顔してた!」

 

 咄嗟に買い物鞄から取り出したのは、学校の帰りにお使いを頼まれていた小麦粉。母の得意料理であるホワイトシチューに使われる予定だった。

 流体のヴィランを少しでも鈍らせようと、出久はそれを盛大にぶちまけた。

 昔よりも鍛えられた腕で放られた1kgの薄力粉が空中で眩い白となって拡散する。

 もし爆豪がまだ個性を使う余裕があるのなら、彼が着火させればヴィランへの有効打になる。爆豪ならきっとそうするという信頼が出久にはあった。

 白く染まるヴィラン。固まったどろどろの奥で目を見開く爆豪。そして。

 

「プロはいつだって命懸け! ――デトロイト・スマッシュ!」

 

 圧倒的な風圧が上空の天気を変えた。

 この事件を解決したのはオールマイトだ。彼の一撃がヘドロの肉体をバラバラに飛散させたことで、爆豪は無事に助かった。

 出久もそれに異論はない。ヒーローたちから受けた説教も正論だとわかっている。

 しかし、オールマイトから与えられたその言葉――

 

「君はヒーローになれる」

 

 その言葉に泣き崩れながら、出久は頭の片隅で幽霊の彼女を思い出していた。

 一度たりとも出久の可能性を疑わず、だからこそ誰よりも厳しく寄り添ってくれた彼女。彼女がいなければ、出久は諦めていたかもしれない。

 夢への入り口はまだ遠い。しかし、そこへと目指す道を歩む権利を、出久はとうとう得たのだ。

 誰よりもまず、彼女に報告したかった。

 

 ところが。

 

「まーたそうやって無茶をする。よくないぞー、少年」

 

 お姉さんはおかんむりだった。

 ぷんすか、と口に出してわざとらしく怒る彼女はどこか幼く、可愛らしい。半透明の手が何度も出久の頭を叩くことから察するに、それなりにお怒りではあるらしかった。

 理由はもちろん、出久が無茶をしたからだ。

 

「二次災害を自分から生みにいくやつをヒーローとは呼ばないだろう? 爆豪(なにがし)は君を殺しはしない。でも、その悪党は君を殺すことだってできたんだ。人質に取ることだってね」

「……はい、ごめんなさい」

「まったくもう。お姉さんは君をそんな考えなしに育てた覚えはないからな!」

「でも、その、お節介はヒーローの特権で」

「生意気を言う口はこれかねー? ヒーローになってから言いなさい、お調子乗りのお馬鹿さんめ」

 

 冷たい指に頬を引っ張られながら、出久はようやく彼女の意図を汲み取った。

 

「心配かけて、ごめんなさい」

「……よろしい。ここで許さなきゃお姉さんが心狭い人になっちゃうからね、許してあげよう。お団子食べるかい? お供物だけど、まあ実質私のものみたいなもんだ」

 

 無神経だったかもしれない。

 少しだけひりひりする頬が、彼女の気持ちを訴えているようだった。

 お姉さんが亡くなったという火災のことを、出久は学校の地域学習で少しだけ知ってしまった。ヴィランが引き起こした災害で、記録的な大火事だったらしい。

 つまり、彼女はヴィランに殺されている。

 出久がヴィランを相手に無謀なことをしたと聞かされれば、いい気分にはならないだろう。彼女と違って、出久は幽霊になって残ることなどできないのだから。

 それに、彼女が時折口にする「弟たち」も――

 

「生意気なことを考えている顔だな、こやつめ」

 

 ぺち、と形だけのデコピンが出久の額を叩いた。

 お姉さんの手には透明なパックに収まった三本のみたらし団子。スーパーやコンビニでよく見かけるそれは、ごくたまに現れる参拝客が置いていったお供物だ。

 時々、出久は彼女が世間的には死人であることを忘れてしまう。それどころか、肉体的にも死人なのだが。

 

「死人の心配をする暇があったら自分の心配をしなさい、甘いもの食べて栄養補給だよ」

「……うん」

 

 お姉さんは食事をしない。

 だから、お供物は大抵出久の胃に収まる。おはぎ、桜餅、あられせんべい。さすがにワンカップ焼酎はお姉さんが処理したらしいが。

 差し出された串を受け取って、一番上に刺さったひとつを頬張る。

 

「おいしいかい?」

「すごく甘くて、こう……甘いです!」

「食レポ、下手だねえ」

 

 けらけらと笑って、彼女は出久の頬についたタレをハンカチで拭った。

 

「お姉さん」

「なんだい、少年」

「僕は……ヒーローになります」

 

 人気のない境内を春の風が吹き抜けていく。木立に遮られてなお、草葉を揺らす力強い風。春の風は新しい時代を運んでくる。

 あずま屋の古びた屋根の下で、出久は昔よりも近い高さになった彼女の目をまっすぐに見つめた。

 

「知ってるよ、ずっと見てきた」

「勇気がなきゃ、僕が目指すヒーローにはなれない。だから……教えてください。あなたの名前を。あの慰霊碑に刻まれてる、名前を」

「……子どもの成長ってあっという間だなあ。男の子なんだから、まったく」

 

 透き通った頬。長いまつげ。なびく黒髪。

 ずっと変わらない、生きた魔法のようなその人のことを、出久は今日までお姉さんとだけ呼んでいた。

 

「生意気だぞー、少年のくせに」

「お姉さんを……あなたを寒いままで、放っておきたくないんです!」

「ふーん。本当に、生意気」

 

 いつもとは違う、少しだけ苦しそうな笑顔。

 お姉さんがあずま屋から出て、境内の隅にある慰霊碑へと向かった。幽霊に足音はない。滑るように、しかしゆっくりと進む。

 

「お姉さん?」

「名前なんて、なくしても構わないって思ってたんだけどなあ」

 

 膝を折って屈み、小さな慰霊碑を指でなぞる。きっと彼女の名が刻まれているであろうそれを。

 そして、不思議なことが起きた。

 慰霊碑が光っている。小さな石に彫られた、火事の犠牲になった無数の人々の名前。そのうちのひとつがまるで呼びかけるようにふわりと光っているのだ。

 その名前を、彼女の細い指先がつついた。

 

美珠(みたま)蓮華(れんか)。それが慰霊碑に刻まれた、私の名前だ」

「蓮華、さん……」

 

 ふわりと、どこかから蓮の花の香りがした気がした。

 蓮華。華やかだが品のある彼女に相応しい名前だと、出久は素直にそう思った。

 胸中でその名前を刻み込むように何度も繰り返す。

 

「これからもよろしくね、出久」

「いずっ……!」

「はは、やっぱり少年は少年か」

 

 からかいの風に揉まれて、春。

 出久の物語が始まった。



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一周忌 僕の特訓を応援してくれるお姉さん

原作どおりの部分は基本ダイジェスト


 オールマイトとの特訓、「目指せ合格アメリカンドリームプラン」は過酷を極めた。

 彼を彼たらしめる超パワーの源、個性:ワン・フォー・オールを継承するために、出久は徹底的な体作りから始める必要があった。

 いくら独学で基礎づくりをしていたとはいっても、所詮は帰宅部の学生ができるレベルのものでしかない。それでも特訓のためのスタートラインには立てていると、オールマイトにはそう励まされた。

 血反吐を吐くような、過酷を極めた訓練。

 幸いにしてと言うべきか、目下最大の妨げとなりそうな幼馴染はヘドロ事件以来すっかり出久に関わろうとしなくなった。それは確かに幸いなのかもしれないが、寂しさの源でもあった。

 

「それで? 自主練サボってお姉さんのとこ来ちゃったんだ」

「サボったわけじゃ……メニューはこなしてきましたし」

 

 積もりに積もった秋色の落ち葉を盛大に舞わせて、蓮華が笑った。

 名前を知っても、二人の関係は何一つ変わらなかった。蓮華は出久を少年と呼び、出久は彼女をお姉さんと呼んだ。そこには少しだけ照れや恥じらいがあったのかもしれないが、少なくとも表面上の変化はない。

 久しぶりの対面だ。

 ここしばらく、出久は受験勉強とオールマイトの特訓メニューに加えて、余暇の全てを自主トレに回していた。オーバーワークを咎められるほどに。

 理由はもちろん、ヒーローになりたいからだ。受験のためではない、その先の先――オールマイトの継承者にふさわしいヒーローを出久は目指していた。

 

「無茶するなあ少年は。身体壊したらヒーローにはなれないんだよ? そこんところ、わかってるのかなー?」

「わ、わかってます。オール、じゃない、先生にも厳しく言われたので。それ用にメニューも調整入れてもらいましたし!」

「ならよし。ね、落葉焚きしない?」

 

 蓮華はこの季節になると落葉焚きをやりたがる。

 一度気を利かせたつもりで出久が焼き芋用にさつまいもを用意したことがあったが、どのみち出久の胃に収まるだけだった。どうやら蓮華は落ち葉を集めて燃やすという行為そのものを楽しんでいるようだ。

 火事で亡くなったのに、と思わないでもない。しかし、それを口にするのは憚られた。

 歯の抜けた熊手を建付けの悪い倉庫から取り出し、落ち葉をかき集めていく。布団が作れそうなくらいに山積みだ。

 

「どんどん集めてくれたまえー」

「お姉さんもちょっとは手伝ってくださいよ」

「ふっふっふ、生きている人をこき使うのは死人の特権なんだぞ?」

 

 おどけた口調でそう口にして、蓮華は出久が集めた落ち葉に飛び込んだ。

 幽霊の曖昧な肉体に追いやられた落ち葉が宙に舞い、彼女の身体を通り抜けて降り注ぐ。すり抜けたりすり抜けなかったり、蓮華は本当に器用な幽霊だった。

 

「火、つけちゃってー」

「どいてくれないと危ないです」

「んー……そっか、そうだよね」

「お姉さん」

「わかってるよー、少年。大丈夫大丈夫」

 

 そう言いながらも、蓮華は落ち葉の山から中々動かない。

 時折、出久は心配になる。

 彼女の心はもう現世には向いていなくて、個性だけが彼女を無理やり縛り付けているのではないかと。だから、こうして自分を荼毘に付させるようなことをするのではないかと。

 蓮華はもう、死を全うしたいのではないかと。

 

「落ち葉ってあったかいんだよねえ……眠くなる……」

 

 どうやら杞憂のようで、安心するやら呆れるやらだが。

 ただ、落ち葉の中を転がっても汚れひとつつかない身体は少しだけ羨ましかった。トレーニングウェアの洗濯頻度が増え、自分で洗剤を買うようになってからますますそう思う。

 特訓は苦しい。受験勉強は辛い。

 それでも夢を追いたい一心でもがいて、足掻いて。

 

「少年?」

 

 気づくと、出久も落ち葉に埋もれていた。

 確かに温かい。風呂や布団とは違った、枯れているはずなのにまだ息づいているかのようなぬくもりがある。呼吸をすれば、むせかえるような土の香り。

 心の奥で強張っていた何かがほぐれていくようだ。

 

「もー、しょうがないなあ少年は」

「わっ、ちょっ、何するんですか!」

「いいからいいから」

 

 突然冷たい手に絡め取られた出久は緊張で固まったが、それを意にも介さずに蓮華の指が出久の髪を梳いていく。

 いつの間にか、蓮華の透き通った身体が出久の下にあった。

 これを膝枕と言っていいのだろうか。半分地面に埋もれるようにして腰掛けた蓮華の太ももに頭を乗せられ、背中にはほのかな冷気を通して蓮華の足が伸ばされているのを感じる。

 まるで蓮華を敷布団に、落ち葉を掛け布団にしているような姿勢だった。

 

「少年が頑張ってるとこ、お姉さんはちゃんと見ててあげるからさ。無理じゃないギリギリのとこまで頑張って、でもちゃんと立ち止まるんだぞー」

「……はい」

「いい子いい子。お、つむじもうひとつ見っけ」

 

 体温は冷たいのに、その手は出久にとって驚くほど温かい。

 しばらくの間、出久はされるがままになって落ち葉の中で半ば眠るように横たわっていた。こんな贅沢を自分がさせてもらっていいんだろうか、と不思議にすら思いながら。

 憧れのトップヒーローから指導を受け、そして憧れのお姉さんからこうして応援してもらっている。これはきっと、とんでもない贅沢だ。罰が当たるかもしれない。

 

「あ、でも少年がヒーロー科の高校生になったらここには中々来れなくなっちゃうね」

「そう、ですね……」

「困ったなあ、お供物食べる人がいなくなると腐っちゃうんじゃない?」

「そこですか?」

「食べ物を大事にしないとだめだぞ、少年。……まあでも、たまには顔出しなよ。うんとくたびれた時とか、喧嘩しちゃった時とかさ」

 

 何も言わずに頷いて、出久は蓮華の顔を見上げようとした。

 しかし、その視線は蓮華が散らした落ち葉に遮られてしまった。照れ隠しだろうか。もし少しでも蓮華が寂しいと感じてくれているのなら、出久は嬉しかった。

 まだうまく言語化はできない。

 ただ、出久は彼女の未練になりたかった。まだ成仏したくないと思えるような、留まっていることを喜べるようななにかに。その思いは出久が抱く漠然としたヒーロー像にも少しずつ影響を与えつつあった。

 

「あーあ、生きてるうちに飽きるくらい焼き芋食べときゃよかったなあ」

「どんな食べ物が好きだったんですか?」

「あ、その質問しちゃうんだ。へー、もうなんにも食べれない人に好物の話振っちゃうんだ、ヒーロー候補生くんは」

「わ、ごめんなさい!」

「許すもんか、こいつを食らえー!」

 

 吹き上がる落ち葉の嵐を隔てた向こうで、蓮華はその日も心底無邪気に笑っていた。

 

 それから、出久は生まれ変わったような心地で特訓に打ち込んだ。

 特訓は入試当日の朝まで続き、出久の肉体は根本から改造された。本当なら全身が疲労で打ちのめされているはずなのに、細胞の一片、血液の一滴に至るまで力がみなぎっている。

 そして。

 

「食え」

「へぁ!?」

「そう、(ヘアー)。別にDNAを取り込められるなら何でも良いんだけどさ!」

 

 恩師の髪を食うという、見方によっては少々猟奇的で変態的な方法によって、出久はついに個性の持ち主となった。

 では、出久は余裕で雄英高校ヒーロー科の入試をパスできたか? 血を吐くような努力を重ね、圧倒的に強力な個性を手に入れた彼にとってこの関門はたやすいものだったか?

 答えはノーだ。

 第一に、人見知りで引っ込み思案な性根が邪魔をした。試験会場では緊張のあまり妨害行為を疑われ、同じ受験生に睨まれたほどだ。

 第二に、不慣れな個性が邪魔をした。使おう、使おうと考えすぎるあまり、一手一手が遅れる。ヴィランを模したロボットの撃墜数を競うという早いもの勝ちの試験システムには致命的だった。

 最後に、基礎能力の低さが邪魔をした。出久はまだ個性の使い方を知らない。戦闘経験の乏しいただの少年には荷が重い課題だった。

 しかし、根本的な人格――緑谷出久のヒーロー性は、確かに発揮された。

 

「――スマッシュッ!」

 

 試験時間、残り1分5秒。

 ただ一人の逃げ遅れた少女を救うため、腕の一本と自分の合格を犠牲にして、出久は初めて使う個性で0Pのお邪魔ヴィランを撃墜した。

 会場に広がるどよめきと歓声。気持ちいいものを見たことへの素直な称賛の一方、「どうしてわざわざ0Pなんかを」という困惑の声も交じる。

 残酷にも、持ち点0のまま出久の試験は終了を迎えた。

 傍目には最後の最後でアピールのために0Pヴィランへ捨て身の攻撃をした可哀想な受験生。出久が何を成したのか、誰を救ったのかに気づいていたのは、ほんの一握りだけだった。



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三回忌 僕の合格をお祝いしてくれるお姉さん

次で書き溜め最後です。


 雄英高校ヒーロー科の入試から8日。

 緩やかに諦めをつけはじめた出久のもとに合格通知が届き、オールマイトの立体映像が緑谷家を狂乱の渦に叩き込んだその翌日のことだ。

 出久は夜の海浜公園に来ていた。オールマイトからの連絡があったからだ。かつて特訓のために自らの手で清掃活動を行ったこの海岸は少しずつデートスポットとしての人気が出はじめていたが、夜はまだ人気が少ない。

 ざく、ざくと二人分の足音が夜のしじまに響いた。波の声もどこか遠い。

 入試当日以来の再会に喜ぶのもつかの間、出久はオールマイトから彼のものだった個性――ワン・フォー・オールについての話を聞かされていた。

 

「僕には……まだ、扱えません」

「まだ、ってところがミソだ。わかってるね、緑谷少年。器を鍛えれば鍛えるほど、力は自在に動かせる!」

 

 鍛えねばならない。

 出久には誰よりも己を鍛える義務があった。それにはオールマイトから力を受け継いだというだけではなく、鍛えなければ自分の命が自分の個性に破壊されかねないという切迫した事情も含まれている。

 特訓を経てなお出久は未熟だ。しかし、いつまでも未熟でいるつもりはない。出久には「まだ」と口にするだけの覚悟があった。

 だからこそ、雄英高校への進学は出久にとって新たな一歩になる。

 

「自分の個性に振り回されてるうちは素人もいいところ、使いこなしてからがスタートだぜ」

「はい、頑張ります! ……自分の個性に、振り回される」

 

 出久の脳裏に浮かんだのは、個性で現世に縛られた彼女の姿だ。

 蓮華は死人だ。彼女は本来、この世に留まっているべき存在ではないのかもしれない。それはある意味、個性に振り回されていると言えるのではないか。つまり、本意でない形で延命させられ続けているのではないか。

 多芸な幽霊である蓮華は幽霊らしいことなら何でもこなす。しかし、成仏するという幽霊にとっての終わりは幽霊らしいことと言えるかどうかいまいち怪しい。

 もちろん、彼女にいなくなってほしいわけではない。しかし、もしもこの世に縛られ続けることが彼女にとって苦痛なら――

 

「――ねん、緑谷少年?」

「……はっ、ごめんなさいオールマイト! 何の話でしたっけ!」

「うん、素直なのはいいことだけど、何の話でもないから大丈夫。悩んでいるようだね?」

「えっと……説明が難しくて」

「さてはアオハル? そういうの、おじさん大好物だよ」

「オールマイトはおじさんじゃありません!」

 

 これからは教員としても長い付き合いになる師と戯れるのもつかの間、出久は終電を逃さず帰るという庶民的なオールマイトに別れを告げ、覚悟を新たに帰路についた。

 しかし、直帰したわけではない。

 夜闇をスマートフォンのライトで切り裂きながら、出久はいつもの神社へと向かった。この1週間、出久は彼女への報告をぐっとこらえていたのだ。

 誰が出久を鍛え上げたかといえば、それはオールマイトだ。

 しかし、誰が出久の背を押し続けたかと問われれば、それは間違いなく彼女の功績だった。

 

「来たね、少年。こんな遅くに出歩いて、悪い子だ」

 

 あずま屋の古びた屋根の下、真っ白な幽霊が微笑んでいる。

 青白い鬼火を頼りに夜闇を漂う蓮華は、人々が怪談でイメージする幽霊そのものだ。知らない人が見れば腰を抜かすこと間違いなし。

 ただの幽霊と違うところを挙げるとすれば、この寒空に合うチョコレート色のムートンコートに青のストールを巻いているおしゃれさんなこと。そして、その着こなしを出久に自慢げな顔で見せつけてくる美人なことくらいだろうか。

 

「冬服、似合ってます」

「ふふん、そうだろ? 少年も少しは見る目が磨かれてきたねえ」

 

 蓮華は相変わらず出久のことを少年と呼んでいる。出久も堂々と名前で呼べる度胸はなく、結局関係は変わっていない。

 会うのは秋に顔を出して以来だった。

 

「お姉さん、僕……合格しました!」

「合格、そっか。おめでとう、頑張ったかいがあったね」

 

 わしゃわしゃと、犬を褒めるように頭を撫で回される。この乱雑で隔たりのない撫で方の心地よさが忘れられず、恥ずかしくなるとわかっていても出久は拒みきれずにいた。

 軽い報告のつもりが、気づけば出久は一部始終を彼女に話していた。

 試験全体のテンポに追いつけず、ただ時間だけを浪費してポイントを取れずにいたこと。

 そんな中で巨大ヴィランに踏み潰されそうになっている受験生を見つけたこと。

 試験前、その子に励ましてもらったおかげで緊張がほぐれたこと。

 考えるよりも先に身体が動いて、個性を使って自爆同然で巨大ヴィランをぶっ飛ばしてしまったこと。

 結局ヴィラン撃退のポイントは0のまま、隠されていた救助ポイントの成績で合格ラインに届いたこと。

 全てを聞いて、蓮華は呆れたようにため息をついた。

 

「考えなしめ」

「うぐ……反省してます」

「まあでも、少年らしいね。お節介焼きのお馬鹿さん。後悔してないんだろ?」

「はい」

 

 嘘だった。

 もちろん、助けたこと自体に後悔はない。しかし、もっと自分を磨いておくべきだったという後悔はある。

 トップヒーローであるオールマイトに師事しているのだから、判断力や情報力の面でも学べることはあったはずだ。その学びを得られなかったのは、他ならない出久の地力不足が原因だった。

 もっと頑張れていれば、救助ポイントだけで合格なんてことにはならなかっただろう。

 それでも、正しいことをしたという自負だけが、出久に「後悔はない」という格好いい嘘をつかせていた。

 

「男の子だなあ、そんなところまで意地張らなくていいんだぞ?」

 

 冷えて赤くなった頬を半透明の指が突く。

 恥ずかしさから声にならない吐息が漏れ、その息の白さが鬼火の光に照らされた。暦の上ではもうすぐ終わるはずの冬はまだまだ寒さでこの神社を包んでいる。

 まだ春の気配すらしない冷たい風がわずかに残って乾ききった落ち葉を攫い、蓮華の身体を落ち葉ごと吹き抜けていった。

 

「おっと、まだ残ってたか。昼間に一応掃いたんだけどな」

 

 こういうとき、出久はどうしようもなく彼女が幽霊であると実感させられる。鬼火を伴っている時よりも、宙を舞っている時よりも、この世のものが彼女に干渉できずに通り抜けてしまう時のほうがよっぽど恐ろしい。

 しばらく蓮華は冷たい指で出久の頬を弄んでいたが、ややあって諦めたように笑った。

 

「ま、しょうがない。今日はおめでとうだけ言っておけばいいよね」

「はい……!」

 

 憧れのナンバーワンヒーローの母校に通うという夢が、ついに叶う。

 通う学校はヒーローになるまでの道筋、過程だ。ヒーロー免許の取得は雄英高校でなければ叶わないわけではない。他にもヒーロー科のある高校は存在するし、一般の普通科高校に進学して大学で専攻するという手もある。

 それでも、出久は夢に進む最も過酷な最短経路を選び、勝ち取った。そのことがたまらなく誇らしい。

 

「今日はもう帰って、お母さんとあったかいものでも食べなよ。たくさんお祝いして、明日からまた頑張るんだぞ? お姉さんとの約束!」

「はい。……その、蓮華さん」

 

 ここに来るまでの数時間、出久はずっと考えていた。

 夢を後押ししてくれた彼女にこの結果を伝えて、なんと言えばいいのだろうか。

 

「ありがとうございました」

 

 深く頭を下げる。

 彼女は死人だ。個性で現世に留まっているだけの彼女に、本来なら出久の夢を応援する必要など微塵もありはしない。彼女はただ善意で出久を支えてくれた。

 結果で報いることはできた。それ以上に、出久は自分の言葉で感謝を伝えたかった。

 

「……ん、どういたしまして。ほら、こんなとこ居座ってないでさっさと帰れー、生意気ヒーロー候補生」

 

 日が暮れ、いよいよ暗くなりはじめた境内。あずま屋の下で、蓮華は笑っていた。出久の見間違いでなければ、少し照れくさそうに。

 

「死なないギリギリまで頑張れ少年、お姉さんは応援してるぞー」

「はい、ギリギリまで頑張ります!」

 

 差し伸べられた手。

 暗闇の中、浮かび上がるように真っ白な彼女の手を出久は感謝を込めて掴み――

 

「……お姉さん?」

 

 美珠蓮華は、消えた。



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四回忌 僕の個性になってしまったお姉さん

これでストック終わり。続きは不定期です。


 夜中にただ一人で阿鼻叫喚を体現した出久からの電話を受け、オールマイトはタクシーを捕まえて出久のもとへ急行してくれた。すでに日付が変わり、あたりは真っ暗だ。

 半狂乱ゆえに要領を得ない説明。

 泣いているでは済まない鼻声。

 しかし、「人がいなくなった、自分が消してしまったかもしれない」という出久が発したワードには尋常ならざる緊急性があった。

 

「詳しく説明してくれるかな、緑谷少年」

 

 詳しくもなにもあったものではない。

 握手しようと思って手が触れた瞬間、目の前から蓮華が消えた。それが全てだ。

 絶望の中で八つ当たりめいた苛立ちを感じながら、出久はことのあらましを詳らかに説明した。この神社に居座っていた不思議な幽霊と、その個性についても。

 

「自分自身の個性が縛りになって成仏できなかった幽霊……」

 

 トゥルーフォームのオールマイトが痩せた顎を撫でながら唸った。

 出久にとっては彼だけが頼りだ。

 蓮華との約束で、彼女の存在はこれまで誰にも明かしていなかった。成仏できない幽霊というだけで独善的な正義感から除霊されてはかなわない、というのは彼女の言だ。

 その約束を馬鹿正直に守っていたのが災いした。出久には頼るあてがないのだ。

 戸籍もない、それどころか名前が慰霊碑に刻まれている明確な故人について、「幽霊として現世に残っていたが行方をくらました」と言い立てるわけにはいかない。

 縋るような思いで、出久はオールマイトを見上げた。

 

「オールマイトなら、似たような話も聞いたことありますよね?」

「いや、ないね。正直、君が色々と限界来ちゃって幻覚見てたってほうが納得いくかもしれない」

 

 えーっと悲鳴をあげる出久を傍目に、あずま屋の長椅子に腰をおろしたオールマイトは缶のココアを啜って小さく笑った。

 

「ごめん、嘘嘘。一回深呼吸してリラックスしなよ、緑谷少年」

「で、でも」

「幸いというべきか、心当たりはある。……あまり、よくないことかもしれないけどね」

 

 笑いを引っ込めたオールマイトの表情に深刻な色を見て取った出久は、それ以上騒ぐことなく彼の向かいに腰掛けた。

 何か、鳥らしきものの鳴き声がする。この神社で越冬したのだろうか。夜闇の底から響くような鳴き声は、まるで獲物を探す妖怪の笑い声のようだ。

 枝が風に揺られるさざめきも感じる。すっかり葉を落とした木々に囲まれ、この神社は気温以上の寒さに包まれている。それを音にも感じ、心が凍える。

 それら全てがくっきりと浮き立つほどに静かだ。

 いつもは蓮華と過ごしているこの神社で、ここまでの静けさを感じた記憶は出久にはなかった。この神社がこれほど荒れ果てて、寒々しいとは。

 もう一口ココアを飲んで、オールマイトはゆっくりと口を開いた。

 

「ワン・フォー・オールが受け継がれてきた個性だということは話したね」

「はい。僕がオールマイトから受け継いだように」

「この個性はね、聖火なんだ。ただ受け継ぐんじゃない、その火を蓄えて次に繋げる力。……ワン・フォー・オールの超パワーは、ストックされた力なのさ」

「ストックされた、力」

「そして、君の話が本当なら、その幽霊さんは……そうだな、意思を持った個性とでも言おうか。そういうものだったんだと思う。つまり、力の塊というわけだよ」

 

 ぞわり、と出久の腕に鳥肌が立った。

 話の結末が見えてしまった。出久は今日、ワン・フォー・オールを継承してから初めて蓮華に触れたのだ。彼女が個性そのもので、ワン・フォー・オールが力をストックする個性なら、彼女はワン・フォー・オールから見て力そのもの。

 脳裏に浮かぶのは、落ち葉に埋もれる白い肌。

 聖火の燃料として荼毘に付された。そう解釈することもできてしまうのではないか。

 

「……蓮華、さん」

 

 震える手をじっと見つめる。

 考えなかったわけではない。これまでの出久と今の出久で唯一違う点、それは個性を手に入れたことだ。真っ先に頼ったのがオールマイトだったのは、ただ尊敬する師だからというだけではなかった。

 可能性として頭によぎりはした。しかし、出久はどうしてもそう考えたくはなかったのだ。己が継承した個性、ワン・フォー・オールが蓮華消失の原因だ、などとは。

 まめと傷に覆われた、ぼろぼろの手。この手が彼女を殺してしまったのだろうか。

 

「蓮華さん……ッ!」

「――夜中に近所迷惑だよ、少年」

 

 出久の口を、冷たく柔らかな指が塞いだ。

 ふわりと香るのは蓮の花。甘く、品があり、どこか遠くを思うようなその香りを纏って、その人は出久の背を抱いている。

 コートの下、冬の斬りつけるような冷たい風になびく白いスカートが、まるで撫でるように出久のそばで揺れた。

 

「出、出たァーッ!」

 

 びっくりしたオールマイトが盛大に血を吐いた。

 

 結論から言えば、蓮華は消えてなどいなかった。ただ、もう少し厄介なことにはなった。

 オールマイトが示唆した推測のとおり、蓮華はワン・フォー・オールの一部となっていた。ただし、力のストックとしてではなく、個性そのものとして。

 

「びっくりしたよー、ぎゅんって吸い込まれちゃって」

 

 前髪をいじりながらのんきに「あー驚いた」などとぼやく蓮華は、半透明の幽霊であることを除けば健康そのもの。これといって不具合もないそうだ。出久はそれを聞いて安堵のあまり腰を抜かしかけた。

 本人の弁によれば、今の蓮華は出久に宿っているらしい。

 彼女が幽霊であるということも踏まえて言えば、これは取り憑かれているようなものだ。違いは取り憑いている当人が離れようとしても離れられないことだろうか。

 これはオールマイトにとっても想定外の出来事だったそうだ。おそらくはワン・フォー・オールの予期せぬ誤動作。もしくは、何か条件が致命的に噛み合ってしまった結果。そういうことらしかった。

 どういうことかというと、美珠蓮華という女性は今日から出久の個性になる。

 

「改めて、どうもトップヒーローさん。美珠蓮華です。蓮に華でれんかね、れんげって呼んだら怒るのでよろしくー」

「はじめまして、美珠少女。……いやあ緑谷少年、本当に君ってやつは予想を覆す天才だね。色んな意味で」

「えっ、ちょっ、お姉さん、これ本当に、本当にですか?」

「落ち着きなよ、少年」

「そうだぞ、緑谷少年」

「たぶん落ち着いてる場合じゃないと思うんですけど!?」

 

 出久はパニックに陥った。

 小学生のころから自分だけが知っていたお姉さん。雨の日にはあずま屋の下でリルケやワーズワースの詩集を嗜み、夏の朝には蝉しぐれの中当てずっぽうででたらめなラジオ体操をして笑っていたあのお姉さんだ。

 憧れやら親しみやら、わけのわからないものが山積みになりながらもずっと付き合ってきたその人が、今日から自分の個性。

 気軽に受け入れられるものではなかった。

 意外というべきか、流石というべきか。オールマイトはどうやら現状を呑み込んだようで、蓮華の許可を取って手に触れ、幽霊の感触を確かめている。

 

「おお、冷たい。まあ、ワン・フォー・オールってストックすることはできても取り除くことってできないからなあ。入っちゃったものはしょうがないよ、緑谷少年」

「で、できないって言ったって……」

「んー……じゃあ、少年の個性は死霊憑きだ! 超パワーとかいうのもほら、お姉さんを取り憑かせた霊的パワーってことにしちゃえばいい感じに隠れるんじゃない?」

「お姉さんはそれでいいの!?」

 

 出久の個性になる。それはつまり、一生出久と一緒にいるということだ。

 自我を持つ個性自体は珍しいものの、全くいないわけではない。プロヒーローにも自分の個性を戦わせ自分はサポートに徹する、ファンタジーゲームでいうところの召喚師のようなスタイルは存在する。

 実際、蓮華が個性として協力してくれるのであればやれることは一気に増える。自爆覚悟の超パワーだけではなく、彼女の器用な幽霊らしさを活用できるのだから。

 しかし、個性とは身体機能だ。発現した以上、死ぬまで付き合っていかなくてはならない。

 出久が悩んでいるのはまさにそこだ。

 ちびで鈍足で人見知りのあがり症なオタク。そんな男にお姉さんを一生付き合わせてしまってよいのか。そんな罪をどうやって償えばいいのか。

 答えを与えてくれたのは、からかうように笑う蓮華だった。

 

「少年には話してなかったかな。お姉さんがずっとここにいた理由ってやつを」

「理由……」

 

 出久の視線が境内の隅、慰霊碑が鎮座しているであろう暗闇に向かった。

 20年以上前のこと、蓮華はヴィランが起こした火事に追われ、この神社で亡くなった。彼女は家族とともにこの慰霊碑に名を刻まれている。

 いつ来ても蓮華がこの神社にいることを不思議に思わなかったわけではない。ただ、幽霊という未知の塊にひとつひとつ不躾な質問を投げかけて暴いていく気にもなれず、知らないままでいた。

 

「お姉さん、地縛霊みたいでさ。ずっとここから出られなかったんだよね」

「地縛霊ってことは……一生、このまま?」

「そのはずだった。それでいいかなあ、って思ってたしね。案外悪くないもんだったよ、ここでの暮らしもさ」

 

 でも、と言葉を続けながら、蓮華が出久の手を取った。

 

「君が連れ出してくれるなら、いいよ」

 

 その瞳が透き通っているのは、きっと蓮華が幽霊だからではなくて。

 出久の頬が熱くてたまらないのは、彼女の髪から香る蓮の上品な甘さに蕩かされたからではなくて。

 思わず出久はその白い手を強く握り返していた。

 

「僕の……個性になってくれますか」

「もちろん。だから、私の主に相応しい男になってくれたまえよ、少年」

「が、ががが、頑張ります!」

 

 細く白い指に顎を撫でられて、出久は脳天まで真っ赤に染まった。

 ちょろいな、というオールマイトのつぶやきが聞こえたような気がした。出久に反論する余裕があれば反論していただろう。思春期の青年が有する矮小なキャパシティでは、この対応が限界だったのだ。

 

「しかし……緑谷少年、身体はなんともないんだね?」

「え? あ、はい。むしろ元気なくらいで」

「妙だな……ワン・フォー・オールのストックを継承しただけで君の器は限界ギリギリだった。その上美珠少女まで取り込んだとなると、パンクしていてもおかしくないんだが」

「パンク!?」

 

 慌てて立ち上がって自分の身体をあちこち叩いて確認するが、今のところその兆候はない。

 考えてみれば、出久はワン・フォー・オールの器作りのために血を吐くような特訓を重ねたばかりだ。それでもキャパシティがギリギリだというのに、蓮華を受け入れてなんともないほうがどうかしている。

 出久が叩いたところをなぞるようにして優しく触れる冷たい手に脇腹を撫でられて、出久は情けない悲鳴を上げた。

 

「お姉さん、器の中に入っちゃってるわけじゃないからねー。なんていうか、こう……縁に座ってる感じ?」

「縁に座ってる……」

「居候みたいな。居候なりに働いてあげるよー、それなりにね。お姉さんがとっても器用な幽霊だってこと、少年は知ってるでしょ?」

 

 改めてよろしく、と微笑まれてしまえば、もう出久は否定する言葉を吐けない。彼女がそれをよしとするのなら、出久にはそれを拒むことなどできやしないのだ。

 こうして、緑谷出久の個性は死霊憑きということになった。

 受け入れるしかない。ポジティブに考えるのなら、出久は蓮華にもう一度学生生活を体験させられるということにもなるだろう。地縛霊としてこの神社にいつまでも居座っているよりかは幾分マシなはずだ。

 

「あ、少年がお風呂とかトイレとかのときはさすがに離れてたいな。お姉さんにだって恥じらいはあるし、少年だってそうでしょ?」

「しまった、そうか……ッ!」

 

 本当に受け入れるしかないのだろうかという煩悶はしばらくの間出久を苦しめることになりそうだった。

 

「正直、何もかもがイレギュラーだ。緑谷少年、少しでも異変があったらすぐ連絡するように」

「はい、オールマイト。この状況がもう異変ではあるんですけど……」

 

 これから待ち受けているであろう苦難に震えながらも、出久は結局嫌だとは言わない。

 どこか満足気な、そしてどこか期待に満ちた瞳で出久を見つめて微笑む蓮華を前にして、そんなことを言えるわけがなかった。



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五回忌 僕の母をお義母さんと呼ぶお姉さん

性癖だけで書いた作品がこんなに好評だと思わずびっくりしてます。不定期で更新していくので楽に構えてお気軽にお楽しみいただければ幸いです。


 出久の母、緑谷引子はまだ起きて待っていた。

 出久はただ「合格の報告に行く」とだけ言い残していた。日付が変わっても帰ってこない息子を心配して待っていたのだろう。悪いことをした。

 まだ中学生の我が子が深夜に女連れで、しかも同世代ではなく大人の女性を伴って帰ってきた引子の驚愕は想像に難くない。出久は申し訳なさを誤魔化すように笑って、詫びるように小さく頭を下げた。

 

「い、い、出久? そちらの方は……」

「お母さん、ただいま。遅くなってごめん。その……説明が難しいんだけど……」

 

 玄関口で出久がもだもだと言葉を探しているうちに、すっと前に出る影があった。さらりと揺れた長い黒髪から蓮の蜜が香る。

 今日から出久の個性になった幽霊――美珠蓮華。彼女は今日を境に神社の地縛霊を引退し、緑谷家の居候となる。これは彼女がワン・フォー・オールを介して出久に根を張ってしまった以上避けられないことだ。

 しかし、そのためには事実上の家長である引子を説得する必要がある。

 

「はじめまして、お義母さん。美珠蓮華と申します。出久くんの終生のパートナーになった者です。今日からお世話になります」

「へぁっ!? あ、わわ、私は出久の母で、緑谷引子と……い、い、出久!?」

「お姉さん、全部が紛らわしいよ全部が!」

「はえ、えっ、それって……」

「ごめんお母さん一旦やり直させて!」

 

 出久の心臓は爆発しそうだった。もしかするとこれがワン・フォー・オールの反動なのかもしれない。

 おそらく出久以上に混乱しているであろう引子は、それでも来客用のスリッパを用意してくれた。パジャマにブランケットを羽織っているだけの格好をしきりに恥ずかしがりながら、なぜか恐縮した様子で。

 

「えっと……美珠さんは」

「蓮華で大丈夫ですよ、お義母さん」

「あら、そう? じゃあ、蓮華さんは、その……出久のいい人なんですか?」

「違います。そういうのでも別にいいんですけどね。ちょっと長い話になるので、遅くで恐縮ですが……ここ少年の部屋? オールマイトだらけだねえ」

 

 部屋を見られてしまった。片付いていない、オールマイトグッズ一色の部屋を。

 家を出る時に部屋の扉を開けっ放しにしていた己の迂闊さを心底恨みながら、出久は蓮華をリビングルームへと通した。

 幸いにして椅子の数は足りている。単身赴任でずっと不在の父がいつ帰ってきてもいいように、この家にはふたりで住むには広すぎるくらいのゆとりが設けられていた。

 テーブルを挟んで出久と引子が向かい合うように座り、蓮華は出久の隣の椅子に。この家でふたり以外がテーブルを囲むのは本当に久しぶりだった。

 

「お茶っ葉切らしてて……ティーバッグの紅茶でよければ」

「ああいえ、本当にお気遣いなく。飲めない身体なんです」

「何かご病気を……?」

「お母さん、落ち着いて聞いてほしいんだけど……お姉さんは、その、僕の個性なんだ」

 

 僕の個性。

 そう口にした時、出久のなかで途轍もないためらいと羞恥心が生じた。蓮華のことが恥ずかしいわけではない。むしろ、こんな素敵な人と親しくさせてもらっていることを誇りにすら思う。しかし、これではまるで彼女を所有しているようではないか。

 テーブルの上に落ちていたおかきの欠片を払っていた引子は、突然明かされた事実に言葉を失った様子で出久に顔を向けた。

 

「……こ、ここ、個性って」

「少年、私から説明してもいいかい?」

「はい、お願いします」

 

 これは打ち合わせにあったことだ。

 オールマイトを交えて話し合ったうえで、出久は個性を「死霊憑き」とすることになった。霊に憑依されることで力を得る、というものだ。

 この嘘のいいところは、出久がこれまで無個性だったことを説明しやすいところにある。つまり、蓮華という「霊になる個性を持った死者」と出会うまで個性が効果を発揮しなかったのだと言うことができる。

 事実、出久は無個性だったし、蓮華に憑かれている。そこまで嘘というわけでもなかった。

 

「実は、息子さんは無個性ではなかったんです」

「そ、そうなんですか!? でも、出久はずっと……」

「失礼ですが、ご両親の個性をお伺いしても?」

「私たちのですか? 私はものを引き寄せるくらいのことしか。今はいないんですが、夫は火を吹きます」

「ああ、やっぱり。出久くんはご両親の個性をしっかり受け継いでたんですよ」

「と、おっしゃると……?」

 

 蓮華は微笑んで、引子に手を差し伸べた。

 怪訝そうにしながらも引子が手を握ろうとする。しかし、その手はすり抜けてしまう。それどころか、蓮華の手はまるで幻のように透けていく。

 蛍光灯の無機質な明かりが蓮華の手を抜け、その向こう側に北欧風のテーブルクロスのシンプルな柄が見えるようになると、引子は感心したように息を吐いた。

 

「すごい個性ですね……?」

「ええ、ありがとうございます。私、個性のせいで成仏できなかった幽霊なんです」

「ゆ、ゆ、幽霊って、そんなご冗談を……冗談よね、出久?」

「……幽霊を引き寄せて、その力を借りる。それが僕の個性だったみたいなんだ」

 

 母親に嘘をつくというのは、出久にとってひどく苦しい行為だった。

 

「これまでは幽霊との出会いがなかったから、無個性だと思われていた。前例が少ない個性ですから、病院でもわからなかったんでしょう。でも、私という幽霊を息子さんが見つけてくれたんです。ね、少年?」

「……うん、そう。そういうことなんだ、お母さん」

 

 出久と蓮華の間で何度も視線をさまよわせた引子は、まだ現実を受け止めきれないようだった。

 無個性だと診断を受け、帰宅したあとのことを出久はまだ鮮明に覚えている。半ば放心状態でオールマイトの映像を見て「僕もヒーローになれるか」と口にした出久を抱きしめ、引子は何度も謝罪の言葉を口にしていた。

 母親には感謝してもしきれないほどに感謝している。だからこそ、出久は彼女に本当のことを話せないことが申し訳なくてならなかった。

 

「じゃ、じゃあ……本当に、出久に個性が?」

 

 がたり、と音を立てて引子が立ち上がった。

 肩に羽織っていたブランケットが落ちるのも気にせず出久のそばへと小走りで歩み寄った引子が、出久の手を強い力で掴む。その手はひどく震えていた。

 

「本当なの、本当なのね、出久?」

「……うん。心配かけてごめん、お母さん」

「心配なんて……当たり前でしょ、お母さんなんだから。よかったねえ、よかったねえ、出久……!」

 

 半ば嗚咽で言葉にならないまま、引子は何度も「よかった」と喜びながら出久を抱きしめた。おずおずと腕を伸ばして抱き返すうちに、出久はいつの間にかもらい泣きしてしまっていた。

 温かい。母親とこうして抱き合うのはいつぶりだろうか。

 父親がいない緑谷家で、引子は出久にとって唯一の家族だった。単身赴任で仕事に励む父親を尊敬してはいるが、寂しさを感じなかったわけではない。そんな出久をめいっぱいに可愛がってくれたのが引子だった。

 

「よかったね、少年」

「……はい、よかったです」

 

 たとえ嘘が含まれていても、引子を安心させることができた。それは本当に喜ばしいことだった。

 

 引子の涙が落ち着くまで、15分ほどかかっただろうか。

 恥ずかしそうにハンカチで目元を拭いながら、引子は改めて蓮華と向かい合っていた。まだ少し目元が赤い。それでも肩の荷が降りたようにリラックスしていて、初対面の蓮華と談笑する余裕も出たようだった。

 出久は自分と母のために紅茶を淹れるお湯を沸かしながら、二人の話に耳をそばだてていた。

 

「それじゃあ、出久が昔からよくあそこの神社を遊び場にしてたのは蓮華さんがいたからだったのね。てっきりこの子がそういう古いものが好きなのかとばっかり」

「出久くんは昔からよく遊びに来てくれて。おかげでお供物が傷まずに済みました」

「あら、じゃあおやつにお供物を? まあでも、ご本人がいいと言ってるんだしいいのかしら」

 

 わかっていたことだが、蓮華はしっかりしている大人の女性だ。最初にぶちかましたことを除けば礼儀正しく、丁寧な口調で引子に接してくれている。

 だからこそ、出久は蓮華の口から自分の名前が出るたびに肩が跳ねそうになるのを必死で抑えていた。彼女に名前を呼ばれるのはどうしても慣れない。バレれば後で散々からかわれる。

 電気ケトルから湯をカップに注ぎ、戸棚の乾物入れを開けて紅茶を取り出す。

 無意識に来客用のカップを取り出そうとして、その必要がないことを思い出した出久は小さく頭を振った。どうにも冷静さが取り戻せない。

 

「もう20年以上あの神社にいたんです。個性のせいか、地縛霊みたいに神社から出られなくて。ずっとこのままなのかなーって思ってたんですけどね。そこに出久くんが来てくれて」

「なるほど……不思議なご縁ってあるのねえ。私、てっきり出久が年上の恋人を連れてきたものだとばっかり」

「優しくて一途な子ですから、大人になるにつれて人気が出ますよ。いずれそういうこともあるかもしれませんね。ね、少年?」

「何が!?」

 

 慌てた出久は危うく熱湯をこぼして火傷しそうになった。

 この調子ではずっとからかわれて生活することになる。それは心臓によろしくない。出久は「もう動じないぞ、絶対に動じない」と自分に言い聞かせながら紅茶の封を切った。

 考えてみれば、蓮華は出久から見てはるかに年上だ。享年がいくつだったのかはまだ訊けていないが、火事が20年以上前だったことを考えると――

 

「おや、少年が失礼なことを考えている気配がするな」

「こ、個性ってそこまでわかっちゃうんですか!?」

「乙女の勘ってやつさ。一体何を考えていたのかねー、まったく」

 

 どうやら出久に勝ち目はないようだった。

 

「そういうわけで、色々とご迷惑をおかけしちゃうと思うんですが、物置にでも間借りさせていただければ大丈夫なので」

「とんでもない! 夫の部屋が空いてるから、我が家だと思って好きに使ってちょうだい。これからも出久をよろしくね、蓮華さん?」

「ありがとうございます、お義母さん」

 

 今度はすり抜けることなくしっかりと握手を交わして、蓮華と引子は微笑んでいた。

 一見すると親子ほどに年が離れている。引子が「出久の彼女」と誤解したのも頷けないではない。もちろん、出久からしてみれば釣り合わないにもほどがある高嶺の花なのだが。

 ティーバッグを入れただけの紅茶をテーブルに運びながら、出久はこれから続くであろう波乱万丈な日々に思いを馳せた。



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六回忌 僕に実力を示してくれるお姉さん

たくさんの感想ありがとうございます。お返事しきれない量の感想というのは初めてでびっくりです。全部読ませていただいています。


「何ができるのか、って?」

 

 出久が蓮華にそんな疑問を投げかけたのは、彼女が緑谷家に越してきて数日経ってからのことだった。

 最初は困惑していた引子も馴染んでくるにつれて「娘ができたみたいで嬉しい、女の子もほしかったから」と喜び、今までよりもさらに緑谷家には賑わいのぬくもりが生まれた。それを生じさせたのが幽霊だというのだから不思議な話だ。

 楽しい日常はさておいて、出久には急務があった。迫る雄英高校入学に向けて、個性についてのすり合わせをしておかねばならない。

 

「はい。その……お姉さんは僕の個性なので、把握しておかなきゃなって思って」

「恥ずかしがるなよ少年」

「恥ずかしがってないです!」

「ふーん、へー」

 

 愉快極まりないと物語る蓮華の視線を避けるように身をかがめながら、出久は最後の段ボールを折り畳んだ。

 この部屋は父親が帰ってきたときのために用意されたものだ。ただ、出久が知る限りではずっと物置として使われていたし、ベッドのマットレスも長いこと荷物の下敷きにされてへたっていた。

 窓にオリーブ色のカーテンが張られ、小さな白いテーブルにはサボテンの鉢植えがひとつ。棚には商店街の古本屋から仕入れてきた文庫本がいくらか並ぶ。

 シンプルで、ともすれば殺風景と言われそうな部屋だ。

 当座の生活資金として蓮華はオールマイトからいくらかお金を受け取っていた。戸籍のない死人である彼女にはお金を稼ぐ手段がないし、あったところで銀行口座が作れない。

 そのお金を受け取って真っ先に買ったのがサボテンと本。出久はなんとなく蓮華の人間性がわかりはじめたような気がした。

 

「むー……なんだか失礼なことを考えている顔だな? うりうり」

「ちょ、やめてください」

 

 脇腹を突こうとする指から逃れて出久が立ち上がると、蓮華は不満そうに頬を膨らませた。

 

「あーあ、もう少年がお姉さんに慣れてきちゃったなあ。小さい頃はあんなに純粋でからかいがいがあったのに」

「いつまでもやられっぱなしじゃ毎日が大変すぎですよ……」

「初めて会った時なんか、気絶しちゃったから膝枕してあげたのになあ。あのころの少年は息がかかるだけで耳まで真っ赤になって可愛かったなあ」

「いつの話をしてるんですか! そうじゃなくて、個性の話です!」

 

 段ボールを放り出して出久は叫んだ。

 これから個性として共に過ごす蓮華のことをもっと知りたい。ヒーローを目指す出久にとって、個性とは戦い、護るための武器そのものだ。

 蓮華は降参を示すように両手を上げて、それからテーブルと対になった小さな白い木の椅子に腰掛けた。

 

「ごめんごめん、からかいすぎた。それで、何ができるかだっけ?」

「まったくもう……」

 

 舌をちろりと出してダメ押しのように「ごめんね」と言われてしまうと、出久はもう許すしかなかった。どうにもこの人には強く出れない。

 出久が分析ノートを取り出してメモを取る姿勢になると、蓮華は考えるように頬に手を当てた。

 

「そうだねえ……まずわかりやすいのは不死かな。もう死んでるからね、攻撃されても死なない。消えちゃうようなダメージを受けても、少年のところに戻るだけだと思う」

「不死……これだけでももうすごく強力だ、お姉さんのすり抜ける身体と合わせれば絶対に情報を持ち帰ることができる斥候役になる! 立てこもったヴィランを刺激せずに内部の情報を集めたり、事故現場を突入前に調査したり、発想次第で幅は無限大だ……!」

「お、スイッチ入ったね」

「……はっ! ごめんなさい……」

「いいよいいよ、むしろその調子で続けて。注意点として、お姉さんが攻撃することはできないってことは忘れないでね。鍛えてなかったし、幽霊の身体って鍛えられないから」

 

 幽霊の身体は鍛えられない。これは出久もよく知っている。

 中学1年生の夏、蓮華は出久とラジオ体操をしていた。普通は毎朝同じ運動をすれば筋が伸びて動きがよくなったり、全身が柔らかくなったりするものだ。しかし、夏休みの間蓮華の動きには一切の変化がなかった。

 それを加味しても、蓮華は個性としてとても優秀だ。きっとこれから何度も出久は彼女に感謝することになるだろう。

 

「距離の限界も確認しておいたほうがいいのかな? お姉さんは今少年に取り憑いてるようなものだから、一定以上は離れられないと思うよ」

「それは大事だ……あとで確認しましょう!」

「おっけー。あとできることって言ったら……あ、これがあるか」

 

 蓮華の立てた指先に青白い炎が灯った。

 これは出久もよく知っている。蓮華が明かり代わりによく使っていた幽霊火だ。熱はなく、攻撃には適さないが、見える者を制限することができるという利点がある。

 部屋の中をふわふわと漂う幽霊火はまるで新しい住処を確認しているようだった。

 

「幽霊火っていくつまで出せるんですか?」

「ひとつだけ。これは鍛えれば増えそうな気もするね。増やして意味があるのかはわかんないけど」

「意味はありますよ! たとえば夜間の活動でヴィランには見えない光源を出すことができるし、その時に複数出せればその分だけ別行動を取る選択が生まれますから! 絶対、絶対特訓しましょう!」

「そうだねー。幽霊ってのびしろあるのかなあ」

 

 蓮華が手を小さく振って幽霊火を消した。

 間取りの都合上、この部屋は陽の光があまり差し込まず日中でも少し薄暗い。指先に幽霊火を灯したり消したりする蓮華は、部屋の薄暗さも相まっていつもよりさらに儚い存在に見える。

 すでに死んでいるから死なない、そんな理不尽に不滅な存在であることを忘れてしまいそうになる。本当は全てが夢で、今この瞬間にもかき消えてしまうのではないか。

 出久にとってそれはきっと悪夢だった。

 

「何を見惚れてるのさ、少年」

「ヘ? あ、いや」

「よいよい、少年はもうお姉さんの主だからね。好きなだけ見ていいんだぞ? お姉さんには逆らう権利がないんだから」

 

 ふわりと宙に舞い上がった蓮華が、まるで水面を漂う花弁のように自然な動きで出久のそばへとやってくる。

 伸ばされた手がそっと出久の頬に添えられた。

 自然と見つめ合う形になってしまう。迂闊にも見惚れていたのがバレてしまったせいで、出久は今自分の耳が真っ赤になっているのを感じていた。

 まだ慣れない。この不思議で素敵な人が自分の一部になったということを受け入れきれないのは、やはり巻き込んでしまったという申し訳なさに由来するのだろうか。

 

「……お姉さん」

「なんだい、少年」

「その、なんていうか……巻き込んじゃって、ごめんなさい」

 

 返事の代わりに、蓮華は出久の広い額を指先で叩いた。

 

「生意気だぞ、少年」

「でも……」

 

 蓮華は望んで出久の個性になったわけではない。ワン・フォー・オールの誤作動で巻き込まれてしまった居候。それを忘れてはならない。

 どこまで頼っていいのか。それをまだ出久は掴みかねていた。

 言ってみれば、蓮華は出久のせいで住処を失った被害者なのだ。その彼女に個性としてヒーロー活動を手伝ってくれ、とすぐに言えるほど、出久は図太くなかった。

 

「まだ納得できない?」

「……はい」

「真面目だなあ、少年は。こんなちゃらんぽらんのお姉さんが居候に転がり込んだんだ、家賃代わりに扱き使ったっていいもんじゃない?」

 

 呆れたように笑って、蓮華はもう一度出久の額を叩いた。

 蓮華はいい人だ。一度たりとも出久の夢を否定しなかったばかりか、惜しむことなく協力してくれた。それは幽霊の暇つぶしだったかもしれないが、少なくとも出久はそれに救われた。

 越してきてから程度が増したからかいも、あるいは出久の罪悪感を軽くするための演技なのかもしれない。そう思える程度には、美珠蓮華という女性は優しい。

 

「お姉さんにはさ、少年の夢を応援した責任ってやつがあると思うんだよ」

「そう、でしょうか」

「お姉さんがそうって言ったらそうなの。少年、おいで」

 

 頭を掻き抱くようにして包まれた出久は、一拍置いて自分が蓮華に抱きしめられていることに気がついた。

 布越しにもわかる柔らかな肌の感触と、それに対比するような冷たく湿った体温。そして、それを覆うようにして香る蓮の蜜。

 鼓動の聞こえない胸に抱かれて、出久は全身を硬直させた。

 呂律の回らない舌で離してくれと言おうとしたそのとき、蓮華がそっと出久の髪を撫でながら優しく語りかけた。

 

「少年が目指してるヒーローって職業は、誰かのためにたくさん傷つくのがお仕事だ。そんな夢、本当なら諦めさせるのが年長者の役目なんだよ。立派な仕事かもしれないけど、傷ついてほしいなんて普通は少しも思わないでしょ?」

「……でも、お姉さんは」

「うん、応援した。正直、自分が死んでるからっていうのもあったよ。関係ないから身勝手な応援ができた。これからは、関係のある話になるね」

 

 勘違いでなければ、出久の髪を梳く蓮華の手はかすかに震えていた。

 何を恐れているのだろうか。

 その疑問が、出久に彼女の細い腕を振りほどくことを躊躇させていた。今振りほどけば、きっと彼女を傷つけてしまう。そんな予感が出久の激しい鼓動をゆっくりと落ち着かせていた。

 

「これで少年がひどい目にあったら、ただの死人じゃ責任取れないからさ。せめて、個性として一緒に戦わせてくれないかな」

「お姉さんは……怖いんですか」

「怖いさ。怖いに決まってる。死ぬってことは、君が思っているよりも重いことなんだよ。だから、もう死んでるお姉さんが助けてあげる。少年が死なないようにね」

 

 しばらく、呼吸の音だけが部屋に響いていた。

 出久にとって蓮華はずっと「お姉さん」だった。出会った頃から彼女は何一つ変わらない。だから、つい忘れてしまいそうになる。彼女がただの人間なんだということを。

 蓮華は死んでいる。それだけではない。彼女の家族もあの神社で他界している。その彼女をヒーローの個性として戦いの場に引っ張り出すのは、間違いなく残酷なことだ。

 しかし、出久はヒーローを諦めるつもりなどない。ただでさえ手段を選ばなくてはならないヒーローにとって個性が生命線なことも熟知している。

 まだ覚悟はできない。それでも――

 

「取り憑いてるって言えば、これもできるのかな」

 

 ずぶ、と出久の頭が蓮華の胸に沈んだ。

 幽霊の身体を通り抜けたというのとはわけが違う。まるで蓮華という海に溺れるように、出久の存在が絡め取られていく。咄嗟に息を吐こうとして、出久の喉が冷たさで満たされた。

 全身が冷たい。冷水の中を漂っているようだ。

 わけもわからずもがくと、出久の指先から青白い光が(おこ)った。蓮華の幽霊火が出久から出ている。そのぞっとするような冷たい光は、確かに出久から放たれたという感覚があった。

 一体何が起きたのか。

 その疑問に答えたのは、出久の内側から響く蓮華の声だった。

 

「さて、問題です。お姉さんは今どこにいるでしょうか!」

「え、ええっ!? 一体何が……」

「ヒントは、そうだなー……心霊スポットの帰り道とか」

「……もしかして、僕に取り憑いたんですか!?」

 

 あったりー、と笑う顔が目に浮かぶような明るい声がまた内側から響いた。部屋には出久ひとりだけが残されている。

 

「これなら学校に行っても困らないでしょ? 我ながらすっごく便利だなあ。いい買い物したね、少年」

「な、なん……じゃあ、今お姉さんは僕の、中、に……」

 

 指先から身体の芯に至るまで、全身に感じる柔らかな冷たさが蓮華の体温だと理解した瞬間、出久の脳は思考を停止した。

 器用な幽霊だとは思っていた。

 しかし、ここまで器用だと困るのは出久のほうだ。確かに学校で蓮華が出久の内側に隠れていてくれるのならとても助かるが、それは同時に学生生活を全て蓮華に目撃されることを意味する。

 それに、「身体がひとつに合わさっている」という端的な事実は出久にとってあまりにも刺激が強すぎる。こみ上げる何かをこらえるので精一杯で、言葉が出てこない。

 

「文字通りの一心同体、なんてね。ところで、さっきの中々様になってたでしょ? カウンセラーとして雄英に雇ってもらうのもありだなー。これもお姉さんの実力としてノートに書いといてね。特に柔らかさとか、いいにおいがしたーとか」

「……もう、なんなんですか、もう!」

 

 もうすぐ春が来る。雄英高校ヒーロー科の新入生として、出久は一歩前に進む。その中でもっと蓮華と触れ合い、そして向き合い方を考えていこう。

 見えない内側でけらけらと笑う蓮華への照れとも苛立ちとも取れない感情を段ボールにぶつけながら、出久はそんなことを思った。



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雄英高校入学編
七回忌 僕の入学を見守ってくれるお姉さん


そろそろ更新ペース落ちます。気楽にのんびり楽しんでいっていただければ幸いです。
おまけ程度に蓮華のプロフィールをまとめました。まだ明かされてない部分は伏せ字になっています。
https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=301855&uid=244813


 慌ただしい生活が続き、春。

 出久はあっという間に入学初日を迎えた。

 実技入試の日に何かと縁のあった明るい女の子、麗日お茶子と再会できたことは出久にとっても喜ばしかった。入試会場でも生真面目の極みだった飯田天哉は教室でも堅物を貫いていたし、幼馴染の爆豪も相変わらずの暴君っぷりを発揮していた。

 蓮華が出久の中に隠れているせいで、出久の体温は普段より少しだけ低かった。

 初日から外に出ていては友達も作りづらいだろうという蓮華の配慮はありがたかった。さすがに保護者同伴の高校生活はうまくやっていける自信がない。

 緊張しながらも少しずつコミュニケーションを取っていた出久だったが、そこに割って入った声があった。

 

「お友達ごっこしたいなら他所へ行け。ここは……ヒーロー科だぞ」

 

 寝袋にくるまってゼリー飲料を吸いながら喋る無精髭の男。

 教室の空気は完全に一致した。なんかいる。全員がその寝袋男に不審者を見る目を向けていた。面白がっていたのは出久の中にいる蓮華くらいだ。

 その人物――相澤消太が自らを担任だと名乗ったこと、そして体操服に着替えてグラウンドに出ろと指示したことで、教室に広がった混乱はますます深まった。

 

――いやあ、自由な校風だからって先生も自由すぎだねえ。

 

 出久だけに聞こえる蓮華の声に、着替えた出久は早歩きでグラウンドに向かいながら同意を返した。

 広大なグラウンド。名門校らしく綺麗に整備された土の上で新入生たちに命じられたのは、個性を使った体力テスト――個性把握テストだった。

 

「入学式は!? ガイダンスは!?」

「ヒーローになるならそんな悠長な行事出る時間ないよ」

 

 確かにどこででも聞けるようなスピーチに拍手をする時間が有意義だとは言わないが、だからといって自由がすぎるのではないか。

 

「爆豪。中学の時、ソフトボール投げ何mだった」

「67m」

「じゃあ、個性を使ってやってみろ。円から出なきゃ何してもいい、早よ」

 

 爆豪が白線で描かれた円の中に立ち、ボールを握って感触を確かめる。

 彼が浮かべた凶暴な笑みに、長い付き合いの出久はこの後彼が発する言葉を察した。

 

「んじゃまあ――死ねえッ!」

 

 汗腺からにじみ出るニトロを発火させ、爆発に至る。

 爆豪の掌から打ち出された ”弾丸” は煙を伴ってはるか空の彼方へ。その威力はボール程度を吹き飛ばすには十分すぎるものだった。

 そして、相澤が手に持つ計測器が距離を示す。

 705.2m。単純計算にして、個性禁止の記録の10倍を超える。

 

「まず、自分の『最大限』を知る。それがヒーローの素地を形成する合理的手段」

 

 にわかに空気が盛り上がった。面白そう、という声が上がる。

 気持ちはわからないでもない。個性を自由に使えることへの解放感、期待が気分を高めさせているのだろう。

 では、出久の気分はどうだったかというと、全くそんなことはなかった。

 出久はまだワン・フォー・オールをコントロールできていない。0か100か、無個性か自爆かの残酷な選択を強いられている。体力テストの8種目をこなすにあたって、出久は無力に等しい。蓮華の個性も使いようがないだろう。

 そして、もう一人気分の悪い人物がいた。

 

「……面白そう、か。ヒーローになるための三年間、そんな腹づもりで過ごす気でいるのかい?」

「ッ!?」

「よし。トータル成績最下位の者は見込み無しと判断し、除籍処分としよう」

「はあああ!? 除籍って……」

 

 まずいことになった。出久は思わず、己の腕をぐっと掴んだ。

 腕は2本。種目数は8種目。

 

「生徒の如何は先生(おれたち)の自由――ようこそ、これが雄英高校ヒーロー科だ」

 

 眼光鋭く笑う相澤は教師というより、地獄の釜に新入生たちを蹴り落とす獄吏のようだった。彼の威圧感を前に背筋を凍らせたのは、きっと出久だけではない。

 新入生の誰もが息を呑む中、出久は腹の底からこみ上げる震えをぐっとこらえて息を吸った。やるしかないのだ。

 

――除籍処分か……波乱万丈だねえ。内側から応援してるよ、少年。

 

 全身を包む冷気が、今は何よりも心強かった。

 

 しかし、テストは順調には進まなかった。

 第1種目、50m走では個性を活かす場面がなかったどころか、並走する爆豪の爆破に邪魔をされてわずかにタイムを落としてしまう。

 続く第2種目、握力では腕を壊したくないという恐怖が勝り、個性を発動できずに終わる。

 立ち幅跳び、反復横跳びと個性を活かすのが難しい種目が続き、周囲が驚異的な記録を連発する中で出久は第5種目へと挑むこととなった。

 現時点で暫定最下位であることは自覚している。

 

「このままだと……」

 

 除籍。

 ソフトボール投げの円に入りながら、出久は焦燥感に震えていた。個性を使わなければいい結果は出せない。たとえ、腕を壊そうとも。

 よく晴れ、空気は澄んでいる。どこまでも広がる青空の重さに押し潰されそうだ。

 運動靴で地面を蹴って均し、足場を整える。

 脳裏に浮かぶのは、今朝見送ってくれた母の姿、「ヒーローになれる」と言ってくれたオールマイトの姿、そしてずっと傍にいてくれる蓮華の姿。

 出久はここで腕を壊すと決めた。壊してでもボールを飛ばしてみせる。そうしなければ、報いることができないまま終わってしまう。

 そして――

 

「46m」

「な……今、確かに使おうって……」

 

 緩やかな放物線を描いて落ちたソフトボールを絶望の目で見る出久に、残酷な言葉が投げかけられた。

 

「個性を消した。つくづくあの入試は合理性に欠くよ。お前のような奴も入学できてしまう」

 

 鋭い眼光、首からかけたゴーグル、そして首に巻き付けた捕縛布。ヒーローオタクの出久にとって、彼の正体を看破するのには十分な情報だった。

 抹消ヒーロー、イレイザーヘッドの個性によって、出久のワン・フォー・オールによる破滅的な超パワーは打ち消された。

 春先のまだ冷たい風が吹き抜けていくなかで、出久はじわじわと絶望が己の輪郭を蝕んでいくのを感じていた。

 

「また行動不能になって誰かに救けてもらうつもりだったか?」

「そっ、そんなつもりじゃ……!」

 

 出久の身体を捕縛布が絡め取る。

 鋭い眼光が間近に迫って、出久は思わず呼吸をつまらせた。

 静かな、淡々とした説教が出久の脳を揺らす。まるで胸ぐらを掴まれて怒鳴られているようだった。

 

「どういうつもりでも、周りはそうせざるをえなくなるって話だ。緑谷出久……お前の力じゃヒーローになれないよ」

 

 昔、同じことを蓮華に言われたのを出久は思い出した。

 自ら二次災害を生みにいく者をヒーローとは呼ばない。今の出久は要救助者を増やすだけの木偶の坊だ。全くもって正論で、だからこそ突き刺さる。

 それでも、出久は考えていた。

 考えること。それはオタク気質の出久が自ら育み、蓮華によって磨かれた出久の技術だ。非力で体格に恵まれなかった出久が持つ、唯一の力だ。

 

「個性は戻した……ボール投げは2回だ。とっとと済ませな」

「……」

 

 行動不能にならない。それでいて、ボールを遠くに飛ばすだけの力を引き出す。

 力の調整はまだできない。ぶっつけ本番で成功に期待するなど愚の骨頂だ。だから、出久はどこかで100%のワン・フォー・オールを発揮しながら立ち続けなくてはならない。

 最大限の力を、最小限の犠牲で。それが出久に求められている課題だ。

 

――()()()()()()()頑張りな、少年。……これはちょっと、お節介だったかな?

 

 内側から聞こえた蓮華の呟きに、出久はぐっとボールを握った。

 振りかぶり、全身のバネを使ってボールを投げる。ワン・フォー・オールを使うのは一瞬、そしてほんのわずかの指先。

 

「ス、マーッシュ!」

 

 ボールが空を割った。

 痛みで涙がにじむ。歯を食いしばらなければ今すぐにも泣いてしまいそうだ。それでも出久はぐっとこらえて、骨折と内出血でズタズタになった指ごと拳を握ってみせた。

 見栄を張って涙をこらえるのは、誰かのおかげで慣れているのだ。

 

「先生……! まだ、動けます!」

 

 記録は705.3m。

 わずかに笑みを浮かべた相澤の手元で、計測器が無機質な電子音を鳴らす。その記録は爆豪のものをわずかに、それこそ指一本の差で超えていた。

 観衆と化していた他の新入生たちが歓声を上げる。その声が聞こえて初めて、出久は注目を浴びていたことに気がついた。

 そして、注目していたのは彼もまた同じだ。

 

「どういうことだこら、ワケを言えデクてめえ!」

 

 右手に爆発の兆候を灯しながら駆け寄ってくる爆豪は、もちろん出久の目覚めを祝福しているわけではない。

 出久が個性を発揮すれば爆豪がいい顔をしないだろうということは、出久ももちろんわかっていた。ずっと無個性の出久を「デク」と呼んで下に見ていた彼がそんなことを認めるはずがない。

 それに加えて、爆豪は馬鹿ではない。個性の発現が見られる上限年齢が4歳であることも、出久が小学校に上がっても無個性だったことも彼は忘れていないだろう。

 そう、爆豪は記憶力がいいのだ。

 

「――流石にそれは見過ごせないかなあ」

「なっ……てめえ、確か、いや……ありえねえ、なんなんだクソが!」

 

 出久の背から姿を現した蓮華に、爆豪は目を見開いて足を止めた。

 ずっと小さい頃のことだ。町内会の会館で催された児童向けの読み聞かせで、爆豪と出久はとある神社にまつわる災害と、怪談の話を聞かされた。

 今思えば「小さい子どもたちに怖い話を聞かせてからかおう」という悪趣味な意図があったようにも思う。その絵本はおどろおどろしい挿絵に彩られていた。

 その後、「幽霊なんていない」と言い張る爆豪の肝試しに付き合わされる形で出久はその神社を訪れた。

 管理者のいない古びた神社だ。いつもの向こう見ずな暴君であれば、せいぜい物置きに落書きをして勝利宣言をし、そのまま帰るくらいのことはしただろう。

 不幸だったのは、神社のあずま屋で幽霊が居眠りしていたことだろうか。

 爆豪は逃げられるだけの気力があった。彼よりも臆病な出久は気絶した。そのおかげで、出久は蓮華と縁を結ぶことができた。

 つまり、爆豪は蓮華を見たことがある。

 小さい頃、寝小便をするほど怯えさせられた幽霊の記憶が残っているはずなのだ。それも蓮華に脅かされたわけではなく、ただ一人で怖がって帰ったという記憶が。

 

「なんなんだ、と問われたからには教えてあげよう。お姉さんはこの健気で一生懸命な少年、緑谷出久の個性だよ」

 

 出久の肩にそっと手が置かれる。

 その冷たい手から労いの気持ちが伝わってきたような気がして、出久は痛みに握りしめた手を少しだけ緩めた。

 同級生たちの口から様々な声が上がる。驚嘆、困惑、なぜか嫉妬混じりの罵声。

 

「ンなワケあるか! テメエはあのとき……」

「おや、覚えていてくれたのかな? 嬉しいね。そう、あれは君と出久が小学2年生のときだった。実はお姉さんもよーく覚えてるんだよ。()()()()()()もね」

「ちょ、お姉さん、挑発しないで!」

「……テメエ、カチ殺す!」

 

 怒りと羞恥のないまぜになった罵声を吐き出しながら、鬼のような形相で爆豪は拳を振り上げた。

 思わず出久は一歩前に出た。後ろに蓮華を感じた瞬間、考えるより先に身体が動いてしまった。すでに死んでいる彼女を守る必要など、本来はないはずなのに。

 衝撃に備えて腕で顔を守る。

 しかし、その爆発は出久に届くよりも早くかき消された。

 

「ふふ、喧嘩を売る相手を間違えたね、爆豪(なにがし)

「……はあ。虎の威を借る狐だぞ」

 

 捕縛布で爆豪を捕らえた相澤がため息をつき、「面倒なやつだ」とぼやいた。勘違いでなければ、それは爆豪ではなく出久に向けられた言葉のようだった。そしておそらくは、その個性である蓮華にも。

 その言葉を気にすることなく、蓮華は声を上げて笑った。何かがツボだったようだ。

 蓮華の澄んだ笑い声と捕縛布に絡め取られてもがく爆豪がなんとも不釣り合いで、次第にグラウンドには弛緩した空気が漂いはじめた。

 

「相澤先生、出久の個性は確認されていますよね?」

「死霊憑き。……なるほど、お前が力の源か」

「美珠蓮華、蓮に華やかと書いてれんかです。れんげと呼んだら怒るので以後よろしく。さて……」

 

 宙を漂いながら出久の隣まで進み出た蓮華が、出久を一瞥して安心させるように微笑んだ。

 事態の推移を見守る同級生たちがざわめく。「え、個性が彼女、てか彼女が個性ってコト?」と誰かが呟き、誰かがそれに激昂した。

 

「先生が打ち消した一回分。個性(わたし)を使って挑ませてもらいたいんですけど、構いませんよね?」

「ッ、お姉さん、それは」

「全力を尽くすってことは、そういうことだよ。わかるだろ、少年?」

 

 微笑みながら、しかし有無を言わせぬ態度で、蓮華は準備体操をするように大きく伸びをした。小さく上がった歓声に、女子の誰かが「最低」と吐き捨てた。

 

「せっかく少年が頑張っていい記録出したんだから、ソフトボール投げじゃないほうがいいかな。うーん……持久走。持久走に出走します。いいですよね、先生?」

「……構わん。緑谷、あとで職員室来い」

「は、はい!」

 

 空気は弛緩したままだ。

 彼らは知らない。蓮華は、つまり幽霊は体力の底など持ち合わせていないのだ。そして走りもしない。ただ浮いて滑る、それだけだ。蓮華が持久走を走るというのは、今の出久ができる最大限のインチキなのだ。

 いくら蓮華が自分の個性だと言われても、出久にはズルをしているようにしか思えなかった。

 

「ご褒美、期待してるぞ?」

 

 蓮華の艷やかな笑顔に黄色い歓声が上がる。同級生たちの順応性はすさまじく高いようだ。

 ただ出久だけが、蓮華に手を出させてしまった無力感に打ちひしがれていた。授かった個性は使いこなせず、地力ですら他の生徒に負け、情けない姿を見せてしまったことに。

 

「かっこよかったぞ、少年」

 

 出久にだけ聞こえるように囁かれたその一言が、どうか気遣いでありませんように。そんなことを願う自分があまりにも女々しい気がして、出久は淀んだ気持ちを吐息に乗せて吐き出した。



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八回忌 僕に実年齢を隠そうとするお姉さん

 結局誰も除籍にならず、これから何度も振り回されることになる「合理的虚偽」に度肝を抜かれた後のこと。

 出久は保険医のリカバリーガールから治療を受け、それから呼び出しに従って職員室を訪れた。理由はわかっている。個性のことだ。

 ずらりと並んだ教員用の机。このひとつひとつがプロヒーローに割り当てられているのだと思うと、出久のオタク魂が疼く。文房具のチョイス、事務椅子にかけられた上着からだけでも誰がどの机を使っているのか予想が付きそうだ。

 

「……おい、緑谷」

「は、はい、ごめんなさい!」

「別に謝ることじゃないが、一応他クラスの個人情報とかもある。あんまりじろじろ見るな。……それで、()()()についてだが」

 

 相澤の表情は読めない。あるいは出久の緊張が観察眼を濁らせているのか。個性に秘密を抱える出久にとって、この簡易的な面談は尋問にも等しかった。

 緊張に手を震わせる出久を窘めるようにして、冷たい手が肩に置かれた。

 

「あいつなんて、随分な呼び方。お姉さん、傷ついちゃいます」

「出たか。ふざけたやつだな」

 

 見上げれば、蓮華はいつもどおり微笑んでいる。しかし、長い付き合いの出久にはわかった。彼女がひどく機嫌を損ねていることを。

 その証拠に、出久の肩に置かれた手はいつもよりずっと冷たい。

 蓮華は意思のある個性だ。彼女の感情は生きた人間のそれよりもずっと深く個性と直結している。今日はめったにない、彼女の感情が荒ぶる日のようだった。

 

「ふざけているのは先生のほうでは?」

「ほう」

「最下位は除籍。それってつまり、()()()()()()()()()()()()()()()()ってことですよね。あの子達はみんなお節介焼き(ヒーロー)の卵ですよ」

 

 思わず出久は息を呑んだ。

 誰かを最下位にしなくてはならない。それはつまり、除籍を回避するために誰かを蹴落として生存しなくてはならないということだ。

 今になって実感が追いついてくる。出久は自分が雄英に残りたい一心で個性を使った。

 

「記録、取る気なんてなかったんでしょう。自己犠牲では解決しない問題をぶつけたかった、違いますか?」

 

 蓮華の糾弾するような言葉に、相澤が初めて深い笑みを浮かべた。

 

「鋭いな。お前、ヒーロー向きだよ。ま、データを取るつもりがなかったわけじゃない。どっちに転んでもいいような選択が最も合理的だっただけだ」

「過分な評価を受けたところで幽霊からはなんにも出てきません。当事者だったら私だって怖くて蹴落とす方にいっちゃうと思いますし」

「それでもいい。お前が危なっかしい緑谷に憑いてるなら俺としても多少は安心できる。調べたぞ、お前のこと」

 

 机からバインダーを取り上げた相澤が、中から一枚のクリアファイルを引き抜いた。

 そこにあったのは、もう23年前になる火事について書かれた新聞記事の切り抜きだ。他にも出久が通い詰めていたあの神社について調べたらしい文書や、そして犠牲者の追悼式典が催されたときの古ぼけた写真も挟まれている。

 どうやら出久が治療を受けていたわずかな時間にここまで調べ上げたらしい。出久はプロヒーローの実力を見せつけられたような衝撃すら感じた。

 

「美珠蓮華、享年22歳。個性届は無個性になっていたそうだが」

「そこまで調べられるんですか?」

「そう簡単に請求できる資料じゃない。だが緑谷、さっきも言ったとおりここにはヒーローやその卵の個人情報が山積みなんだ。不審な人間を出入りさせる理由はないんだよ」

 

 淡々と、しかし諭すようにそう言って、相澤は机に置かれたミネラルウォーターのボトルを手に取り喉を潤わせる。初対面で植え付けられた「不審者」という印象と乖離する、あまりにも真っ当な教師らしい発言だった。

 意外なところで蓮華の年齢を知ってしまった。

 享年22歳。出久は何度か蓮華から大学生活の話を聞かされたことがあった。浪人や留年をしたとは言っていなかったから、大学卒業したてのころに亡くなったことになるのだろうか。

 それから今年の春まで23年間、蓮華は神社の見えざる主だった。

 

「本当の個性は死霊、端的に言えば死後に幽霊になって留まる個性です。私が受けた個性の検査は体育館で一斉にやるやつだったので、漏れがあったんでしょうね。実際死ぬまで自分でも気づかなかったわけですし」

「まあ、その世代ならよくある話だ。俺の世代でもいなかったわけじゃない。最近は滅多になかったんだがな」

「う……」

 

 相澤がじろりと出久を睨んだ。本人には睨んでいる気はないのかもしれないが、彼の無愛想な仏頂面で目を向けられると思わず謝りたくなってしまう。

 もしくは、嘘をついているという罪悪感が出久にそうさせているのかもしれないが。

 

「幽霊になる個性と、幽霊を取り憑かせて力を借りる個性。二人揃ってようやく一人前ってところか。励めよ緑谷、お前に求められる覚悟は一人分じゃ足りない」

「ッ、はい!」

「美珠については俺から報告書を上げておく。前例のないことだから何度か聞き取りで来てもらうことになる」

「それで出久に降りかかる火の粉が払えるなら、ご協力しますよ」

 

 微笑む蓮華と無表情な相澤の視線がぶつかる。

 少しの間、職員室には時計の針が刻む均等な音だけが響いていた。

 

「……最後にこれだけ聞かせろ、美珠。お前にとって緑谷は何だ」

 

 相澤の表情は変わらない。ただ、その眼は今日会ったばかりの出久でもわかるくらいに真っ直ぐで、真剣だった。

 無精髭と倦怠感に満ちたオーラで惑わされたが、プロヒーローらしい芯のある人なのかもしれない。彼の問いかけに、出久は確かな熱のようなものを感じた。

 

「本人の前で言わせるんですか? ……守ってあげたくて、でも背を押してあげたい。そんな可愛くて大切な少年ですよ」

「そうか。いや、個性としてどういう関係かって話だが」

「あなた嫌いです」

 

 わざとらしくむくれながら蓮華が出久の背に隠れた。

 普段は出久をからかってばかりの蓮華が強く出られない相手というのはかなり珍しい。一瞬だけ見えた羞恥に顔を赤らめた蓮華の表情に、出久の胸中に少しだけ「いいものを見た」というよくない感情がこみ上げた。

 

「まあ、詳しくは今後聞かせてもらう。今日はもう帰っていいぞ」

「え、いいんですか?」

「俺にも色々仕事があるんだよ。危険がなくて緑谷から離れないなら急ぎの案件じゃなくなった。ほら、さっさと帰れ」

 

 しっしと手で追い払うような仕草を取りながら、相澤はバインダーを片手で閉じた。

 

「あの、先生」

「何だ」

「その資料……コピー、もらえませんか」

 

 出久は蓮華のことをほとんど知らない。過去のことを尋ねてもほとんどははぐらかされてしまうし、とりたてて有名でもない故人の過去について調べるのは片手間でというわけにはいかない。

 その点、相澤が集めたであろう資料は蓮華の過去について書かれた客観的な事実だ。

 

「ちょっと……少年?」

「僕だって、お姉さんのこともっと知りたいです」

「聞きたければ話すから、別にコピーなんてもらわなくても……」

「ほれ。いちゃついてないでそれ持ってさっさと帰れ」

「ありがとうございます!」

「ありがたがるなそんなものー!」

 

 むくれて何度もぽすぽすと出久の頭を叩く蓮華に呆れたような視線を向けながら、相澤はクリアファイルごと資料を渡してくれた。

 長い付き合いの出久だからわかる。蓮華は今、本気で恥ずかしがっている。

 蓮華は完璧な超人というわけではない。人並みの失敗もそこそこにする。最後にここまで恥ずかしがっていたのは、寝言でモンブランを1ダース注文していたのを出久が指摘した3年前の秋だろうか。

 職員室を後にして足早に昇降口へと向かっている間もずっと、蓮華は出久の傍を漂って不満げな態度を全身で示していた。

 

「むー、後で覚えてろよ少年」

「だって、お姉さん昔のこと全然話してくれないですし……」

「恥じらいってものがあるんだよ、恥じらい! 永遠の22歳を23年もやってみれば少年だってこの気持ちがわかるさ!」

「足したらよんじゅ……」

「永遠の22歳!」

 

 そんな他愛もないやり取りで気力を回復し、帰り道のためになんとか諌めて体内に潜ってもらって、出久は帰路についた。

 

 立派な正面玄関を出て、正門へと向かう道の途中。そこに二人の人影があった。その二人は出久の姿を目視するや否や、手を振って駆け寄ってきた。

 

「やっと来た!」

「やあ、指は治ったのかい?」

「飯田くんと、えっと……」

「麗日お茶子です!」

 

 眼鏡の真面目男子、飯田。そして試験会場から何かと縁のある麗日。ふたりはどうやら出久を待っていてくれたようだった。

 

「駅までだよね? 一緒に帰ろー! えっと、緑谷……デクくん!」

「デク!?」

「あれ、爆豪って人がそう呼んでたからてっきり……」

 

 デク。それは爆豪が出久に付けた蔑称だ。名前の読みを少しもじっただけのシンプルな、しかし木偶の坊を意味するこのあだ名が出久はあまり好きではなかった。

 ただ、そう呼ばれるようになってもう長いこと経ち、付けた爆豪自身がもはや由来を意識せずに使っている節がある。今さらやめてと言うほどのこととも思えず、惰性で放置していたあだ名だ。

 新しい環境でまで愉快ではないあだ名を引き継ぐ必要はない。そう思って、出久は説明しようと口を開いた。

 

「あの、本名は出久で……読みを変えただけなんだけど、かっちゃんが馬鹿にして付けたあだ名で……」

「蔑称か」

「えー、そうなんだ! ごめん! でも『デク』って……こう、『頑張れ!』って感じで、なんか好きだ私!」

「デクです」

「緑谷くん!?」

 

 思わず出久の口から「コペルニクス的転回」という言葉が漏れた。

 

――ちょろいなあ、少年は。

 

 出久の内側で蓮華が呆れたように息を吐いたのが聞こえる。これまで好きになれなかったあだ名を「好き」と言ってもらえた、その衝撃は出久にとってすさまじいものだった。

 二人の関係を知る者には誤解されがちだが、出久は決して爆豪が嫌いなわけではない。幼馴染として付き合いを続ける程度には親しみを抱いているし、実力には尊敬の念も抱いている。ただ、時々許せないような対立があるだけで。

 そんな爆豪から付けられた一番古いあだ名に不快感を覚えながらも、愛着がなかったわけではないのだ。

 そのあだ名を肯定的に見られる日が来るとは思っていなかった。今日はよき日だ。

 

「ところで、持久走の時に出ていたあの人は一体?」

「あ、うん。なんていうか、話すと長くなるんだけど……」

 

 駅までの道のりを歩きながら、出久は蓮華とのつながりをかいつまんで語った。もちろん、ワン・フォー・オールやオールマイトについての事実は伏せた上で。

 随分昔に亡くなって、個性で現世に留まっていた幽霊であること。

 出久の個性が幽霊を憑依させて力を借りるものであり、個性で幽霊になった蓮華と出会うまでは無個性だと思われていたこと。

 今は出久の個性として協力してもらっていること。

 

「え、じゃあ今もおるん?」

「うん。なんていうか、こう……僕の中に潜ってるというか、僕が纏ってるというか。学校では基本隠れててもらうことになってて」

「しかし、それでは彼女は窮屈ではないのか?」

 

 飯田の紳士的な問いに答えたのは、蓮華自身だった。

 リュックを背負った出久の背から冷気がふわりと立ち上る。突如現れた蓮華にふたりは一瞬歩みを止めて身を仰け反らせたが、出久が平然としているのを見て安心すると好奇の視線で蓮華を見上げた。

 

「全然平気だよ。家では自由にさせてもらってるし、外の世界は新鮮で退屈しないしね。お気遣いありがとう、眼鏡の似合うお兄さん」

「おお、なんかふわっと出てきた……」

「お茶子ちゃんだっけ、可愛い名前。本人の可愛さも名前負けしてないね」

「わっ、えへへ……お姉さんこそ、名前もスタイルもめっちゃ綺麗で羨ましいですー!」

 

 あっという間に打ち解けてしまった。ある意味、これもヒーローの才能なのだろうか。

 蓮華の手を握って「幽霊って初めて触ったー」と無邪気にはしゃぐ麗日の様子に蓮華もまんざらではないらしく、得意げな笑みを浮かべている。相性がいいのかもしれない。

 その様子を見ながら、飯田が気難しそうな顔をますます強張らせて眉間を揉んだ。

 

「緑谷くん、なんというか……ぼ、俺の勝手な想像なんだが……君はこれからずっと三者面談状態で学校に通うわけか」

「うん、まあ、その……ズルかなって思うんだけど、個性柄……」

「いや、君を責めたいわけではない。というか、入試でもすまなかったな。ついピリついて」

「ううん、気にしないで」

「まあ、なんだ。俺に姉はいないんだが、中学の頃に授業参観で兄が来るたび気まずい思いをしたのを思い出してな。いや、兄とは良好な関係だし尊敬もしているんだが、そういう時に少々はしゃぐ人だから」

「あー……うん。ありがとう」

 

 今日一日だけでも、出久のメンタルはそれなりに削られた。

 ビル群に沈みゆく春の夕陽は眩しい。

 

「緑谷くん、頑張れよ。いつでも頼ってくれ」

「ありがとう、飯田くん……」

 

 がっしりと交わした握手は、出久にとってとても心強いものだった。

 気苦労は絶えない。これからの日々を思えば不安がちらつく。今日の反省だけで頭がパンクしそうなくらいだ。それでもこうして友達ができ、そして彼らが蓮華のことを受け入れてくれたことを思えば、その程度のことはなんでもなかった。

 まして、気が遠くなるような年月を経て久しぶりに外界へ出た蓮華がこれだけ楽しそうにしているのだから、出久は嬉しさでため息をつく気にもならないのだ。



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九回忌 僕の反省会に付き合ってくれるお姉さん

 激動の入学初日だった。

 荷物を片付け、制服をハンガーにかけ、部屋着に着替えたのもつかの間、出久はノートを取り出して食らいつくように筆を走らせていた。幸いにして、リカバリーガールのお陰で指は違和感なく治っている。

 

「あれじゃ駄目だ、力のロスが多すぎる……!」

 

 本日最大の反省点。それは個性把握テストで記録を伸ばせなかったことだ。

 身体能力で他の生徒に劣っていたとは思わない。確かにオールマイトと出会うまでの自主トレーニングは児戯でしかなかったかもしれないが、しかし真面目に鍛え続けてきたという自負があった。それでも記録は伸び悩んだ。

 蓮華が持久走に出てくれていなければ、最下位は出久だっただろう。自爆した指の痛みをこらえながら走ったところでよい結果が出せたとは思えない。

 

「一点に集中させる……確かにそれで行動不能にはならない。でももっと、もっと何かあるはずなんだ……」

 

 止まない独り言に割り込むように、出久の部屋のドアがノックされた。

 

「しょうねーん、お茶にしようよー」

「もう少し片付いたら行きます!」

 

 蓮華が緑谷家にやってきてから、この家の雰囲気は少しだけ変わった。

 まず、家事を担う人が一人増えたおかげで引子の負担が大きく減った。しかも蓮華は食事をしないから家計を圧迫しない。海外で働く父からの仕送りがあるとはいえ、常に余裕のある家というわけではなかった。

 そして、余裕のできた引子が蓮華と出久のやり取りから影響を受けたのか、フィットネスジムに通うようになった。健康的な体つきになりはじめ自信がついたのだろう、以前よりも快活になったような気すらする。

 そうなると引子がいない間は出久と蓮華のふたりきりになる。出久は蓮華の趣味に付き合う時間が特別なものに思えて好きだった。

 

「もっと負荷を最小限に、たとえば爪だけとか……駄目だ、それじゃボールにいく力がもっとロスする……」

「しょうねーん? 反省会ならお姉さんも付き合うから、とりあえず出ておいでよー」

「……はい!」

 

 一瞬だけ躊躇ったが、出久は承諾の返事をして席を立った。ノートをペンごと畳んで小脇に抱える。確かに、蓮華の意見も聞いたほうがいいだろう。

 部屋の扉を開くと、ふわりと甘い焼き菓子の香りが出久の鼻をくすぐった。

 

「レモンタルト焼いたんだ。お姉さんの特製、食べたい?」

「食べます! 食べたいです!」

 

 幽霊の身体にかけられたエプロンは、帆布の白地に深い藍色の糸で小さな燕の刺繍が入ったシンプルなもの。あまり買い物をしない蓮華が雑貨屋で一目惚れをして購入した。

 火傷はしないはずだが、気分的な問題だろうか、ミトンを嵌めた手をふわふわと揺らして蓮華は笑っていた。

 蓮華は料理がうまい。引子は「せっかくダイエット始めたのに、これじゃ痩せようがないわね」と嬉しい半分苦しい半分といった様子だった。もちろん、出久からすれば引子の優しい料理も引けを取らないのだが。

 オーブンから取り出されたタルトには輪切りのレモンがつやつやと輝いている。爽やかな甘酸っぱさが香りだけでもわかるようだ。

 思わず出久のお腹が鳴ると、蓮華は笑いながらタルトを切り分けた。

 

「お義母さんの分も残しとかなきゃね。はい、召し上がれ。お茶のおかわりはセルフサービスね」

「わあ……いただきます!」

 

 がっつくのは下品だとわかっていても、フォークでタルトを一口分に切り分ける手が「大きく切れ」という脳の命令に逆らえない。

 すくい上げて口に運ぶと、柔らかなレモンクリームのうまみが出久を揺さぶった。コクがあるのに、レモンの爽やかさがそうと感じさせない。これは手が止まらなくなりそうだ。

 

「おいっしい……! こういうのって、時間がかかるんじゃないんですか?」

「ふっふっふ、だろう? レモンクリームとタルト台は昨日仕込んでおいたんだよ。あとは常備してるレモンの蜂蜜漬けを使ってちょちょい、さ」

「昨日から!? 全然気づかなかった……ありがとうございます」

「お姉さんからの入学祝いかな。きっと疲れて帰ってくることになるだろうって思ってたからね」

「本当にくたくたで……でも、本当においしいです。お菓子作りも得意なんですね」

「自分で自分にご褒美を作ることを覚えるとね、どこまでも凝るようになっちゃうんだよ。さて、それで? 反省会、やるんだろ?」

 

 出久は慌てて頷くと、口の中いっぱいに広がっていた甘みを紅茶で流し去って食卓にノートを広げた。

 今の出久はまだワン・フォー・オールを使いこなすだけの土壌を築けていない。超パワーに見合う頑丈な肉体がないせいで、力を使おうと集中させると爆発してしまうのだ。

 本来であれば出久のように0か100かの状態ではなく、出力を絞ることでこの問題は解決されるのだが、この点も目下修行中だった。

 

「今日の個性把握テストなんですけど……思ったより上手くいかなかったなって」

「まあ、そうだね。爆豪(なにがし)と10cmしか記録の差が出なかったのは正直意外だったよ。指、痛かっただろうに」

「い、痛くないです。行動不能にもならなかったですし!」

「ふふ、そこは変わらないねえ本当に」

 

 蓮華に手を絡め取られて、出久は持ち上げようとしていたペンを取り落とした。

 ミトンを外した冷たい指先がそっと出久の指を撫でていく。まるでなぞるように、触れるか触れないかのすれすれをなめらかに走る指が妙に艶めかしくて、出久は思わず目をそらした。

 しかし、目をそらすとかえって指の感覚が際立ってしまう。蓮華のしなやかな指が踊るのを感じるたびに出久の背筋が粟立った。

 まるで鳥の羽根に撫でられているようなくすぐったさ。

 触れていなくとも感じる、蓮華の冷たく湿った体温。

 

「ッ……」

「指に限らずさ、身体は大事にしてほしいなってお姉さんは思うんだ。早く見つかるといいね、自爆しないで使う方法」

「そう、ですね……ッ!」

「こそばいだろう。タルトは飴、こっちは鞭ってことで。少年と遊ぶ指がなくなっちゃったら、お姉さんはとーっても悲しむぞ?」

 

 少年で遊ぶ、の間違いではないのか。

 そう思いながらも出久は嫌だとは言えず、しばらく蓮華に指を弄ばれていた。

 蓮華が満足するまで、時計では5分ほどだっただろうか。出久の体感時間では30分、いや、1時間にも及ぶ拷問を終えて、蓮華はテーブルの向かいから出久のペンを拾い上げた。

 

「内側から見てて思ったのは、いくら部位を限定しても自爆しちゃう以上出力の限界があるってことかな。それどころか、超パワーが集中しちゃってダメージが深刻化しそうな気もする。それを無意識に回避したから記録は伸びなかったんじゃないかな」

「はい……」

「元気ないね。お姉さんがなでなでしてあげよっか?」

「だ、大丈夫です! でも、部位を限定しないってなると自爆で動けなくなっちゃうので……」

「うーん……なんか、根本的に違う気がするんだよな」

 

 ペンを手にさらさらとノートへ書き込んでいく蓮華。出久の字とは違う、細く雅な曲線を伴った筆跡で書かれていくのは、超パワーの発生機序だ。

 

「ワン・フォー・オールの超パワーは個性が発動することで発生するエネルギー、つまりストックの燃焼だ。発動した時点で力はもうそこにあるんだよね」

「はい。それを放出しようとして、反動で自爆しちゃってるんです」

「だとすると、一点に集めるってむしろ高リスクじゃない? 今日は運良く大丈夫だったけど、下手したら指ごと飛んでいったかもしれない」

「ゆ、指ごとって……」

「あ、ごめん、グロかったね。お姉さんが言いたいのは、一点に力を集中させるんじゃなくて分散させたほうがいいんじゃないかってこと。オールマイトが全身力んで見せ筋作ってるみたいにさ」

 

 蓮華の握ったペンが簡単な物理法則をノートに記した。負荷をかける体積が広がれば広がるほど、エネルギーは分散して一点の負荷が下がる。

 全く考えていなかった可能性に、出久ははっと目を見開いた。

 どこを自爆させるかではなく、そもそも自爆させないための運用。一度も自爆せずに成功したことがなかったせいで、その発想に意識が向かなかった。

 

「まあ、鍛えないと全身爆発しちゃうかもだけど」

「ええっ!?」

「そりゃそうだよ。入試ではパンチ一発で腕一本駄目にしてるでしょ、少年は。全身に分散させたから安全、なんて保証はない。でも、分散するって考え方は意識したほうがいいかもね。今はロスが大きいせいで反動が出てるんだからさ」

「力を、分散する……そうか、確かに! オーバーパワーなパンチを撃つより、全身を安定させた上で必要な分をパンチに回したほうが絶対にいい!」

「それができるようになるためにも基礎をしっかり固めなよ。クラスにも同じ全身発動型の子いたでしょ、硬くなってた男の子とか。分散のコツに限らず色々話聞いてごらん?」

「はい!」

 

 出久の脳裏にはもういくつもの可能性が浮かんでいた。

 たとえばパンチを撃つにしても腕にだけ力を集中させるのではなく、肩、体幹、腰、膝、足の裏と分散させてブレを抑えた打撃を放つことができるだろう。

 足腰を意識すれば機動力の向上にもなるかもしれない。攻撃を受けるのに合わせて体幹を強化すれば衝撃からの復帰を早めることもきっとできる。

 

「これが個性の使い方を考える、ってことじゃないかな。……ああ、そういう意味ではちゃんと個性把握テストなのか。むかつくー」

「はは……でも、目から鱗でした」

「目から鱗、ね。お姉さんが学生だったころは異形型への差別につながるって理由でそういう言葉使えなかったんだよなあ。時代、変わったねえ」

「あ、時代って言えばお姉さんが生きてた頃のこと……」

「そーれーよーりー! 少年はどうしてあのときお姉さんに頼ろうとしなかったの? もう自分の個性なんだから、ちゃんと使わないとだめだぞ?」

 

 脱線しそうになった出久を大きな声で遮って、蓮華は頬を膨らませた。

 確かに蓮華は出久の個性になった。個性届も出してあるし、学校でもお披露目したばかりだ。

 しかし、ワン・フォー・オールというもらいものの個性に、事故で巻き込んだ他人。どちらも自分のものと言い張れるほど出久は図太くない。

 どこかで割り切らねばならないのだろう。そこを甘えたまま目指せるほどプロヒーローへの道のりが優しいものではないことは、出久も十分に承知していた。

 

「今すぐ覚悟しろなんてことは言わないけどさ」

「……珍しいですね。そういうところでお姉さんが厳しくないの」

「幽霊になりたての頃はさ、お姉さんも随分戸惑ったもんだよ。そういう意味ではもう20年以上ずっと個性使いっぱなしなんだから、もっと成長しててもいいのにねえ」

 

 蓮華もある意味では元無個性だ。死んだら幽霊になるなんて外れも外れの個性は出久も聞いたことがない。

 小学2年生の夏に出会って以来、出久にとって蓮華はずっと「幽霊のお姉さん」だった。しかし、彼女にも生きていた頃があって、そして個性が目覚めたてのころだってあったのだ。

 

「……心細かったですか?」

「そりゃあ、ねえ。最初の一年は漂ってることしかできなくてさ、自分の死体を泣きながら抱き上げるプロヒーローに声をかけたくても声の出し方がわからなかったし」

「そんな……そんなことがあったんですね」

「実感が湧いたのは慰霊碑が建てられた後だね。自分の名前見つけて、うわー本当に死んだんだーって思ってさ。でも成仏の仕方もわからないし、かといって神社からも出られないし」

「苦しかった、ですか」

「いや、暇だった」

「暇!?」

 

 しんみりした空気のはずが、蓮華はあっけらかんとした表情で「うん、暇」と言い放った。

 

「だって、あんな小さくてなんもない神社だよ? ちょうど実家に帰ってきたタイミングだったから鞄に本が入ってたけど、そうじゃなかったらもう……あれだ、悪霊になるやつの気持ちがわかりそうだった」

「ええ……」

「だから、連れ出してくれた少年には本当に感謝してるんだよ? おかげで新しい本も買えたし、サボテン育てたりお菓子作ったりできるし」

「そ、それくらいは巻き込んじゃったんだから当たり前というか、そもそも僕がお金出してるわけじゃないですし……」

「オールマイトがお金出してくれてるのだってある意味少年のおかげだよ。少年は自由をくれた。だからお姉さんは君を助ける。それじゃ不満?」

 

 まだ覚悟は定まりきらない。

 それでも、心の底から嬉しそうに微笑む蓮華を前にすれば、彼女がお世辞や励ましで言っているわけではないことは手に取るようにわかる。

 頼ってもいいのだろうか。ヒーローになるために、自分自身の力として蓮華とともに戦ってもいいのだろうか。

 

「――出久ー、蓮華さーん、ただいま! わ、いいにおい!」

「おかえりなさい、お義母さん。……忘れないでね少年、君はもうお姉さんのヒーローなんだってこと」

 

 レモンタルトの香りに包まれた我が家で、蓮華の微笑みに出久は小さく頷いた。これ以上否定の言葉を重ねるのは、失礼な気がしたから。



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十回忌 僕の戦闘訓練に力を貸してくれるお姉さん

 プルスウルトラ。

 今日の出久は昨日の出久を凌駕していなくてはならない。雄英高校ヒーロー科に入学したというのはつまり、そういうことなのだ。

 初めての個性を使った対人戦、戦闘訓練はその成果を示すのに十分すぎる機会だった。

 

「Aコンビ、麗日少女と緑谷少年がヒーロー役! そしてDコンビ、爆豪少年と飯田少年がヴィラン役だ! ヴィランチームは先に入ってセッティングを!」

 

 奇しくも対戦カードは爆豪との対面になった。

 出久は震えていた。不安もある。緊張もある。しかしそれ以上に、武者震いが止まらない。

 

「爆豪くん……バカにしてくる人なんだっけ」

 

 麗日の言葉に肯定も否定も返さず、出久は母お手製のオールマイトを意識したマスクを調整して大きく息を吸い込んだ。

 爆豪は頭がいい。運動ができる。何をやらせても飲み込みが早く、失敗というものを知らない。それゆえにいつも自信に満ちていて、その自信と釣り合うだけの目標を目指し続けられる強さも持っている。

 何度も憧れた。何度も立ち向かった。そして、何度も負けた。

 

「凄いんだよ。嫌なやつだけど……でも、だから()()負けたくないな、って」

 

 吐いた息に冷気が混じる。

 内に宿した蓮華がいて、受け継いだワン・フォー・オールがある。単純な条件で言えば互角、いや、一人分のズルをしているとすら言えるだろう。

 それでも、今日は勝つと決めた。

 

「男のインネンってヤツだね……!」

「あ、いや、ごめん。麗日さんには関係ないのに、その……!」

「あるよ、ある! コンビじゃん、頑張ろ!」

 

 麗日の朗らかな笑みに不安感が抜けていく。

 ほどよい緊張だけを残して、出久の拳がぐっと握られた。覚悟を示すように。

 

 この屋内対人戦闘訓練は、ヴィランが核爆弾を手にして立てこもっているという想定で行われる。出久たちヒーロー役は先行して待ち構えているヴィラン役を制限時間の15分以内に捕縛するか、核爆弾を確保しなくてはならない。

 屋内という限定されたロケーションに加えて、ヴィラン側には核というカードがある。実際の現場では、ヒーローは市民を守るため、ヴィランの自爆をも阻止しなくてはならないだろう。

 条件設定は幾分ヴィラン役が有利だ。だからこそ、この苦難には乗り越える価値がある。

 

「潜入成功!」

「通路が入り組んでる……死角が多いから気をつけて進もう」

 

 ビルの中は無数の壁でさながら迷路のようになっていた。

 まず必要なのは情報。ヴィラン役の二人がどこにいて、核爆弾はどこに設置されているのかを把握することから始める必要がある。

 出久は心の中で蓮華に合図をし、索敵を頼もうとした。幽霊である彼女は壁をすり抜けることができる上、攻撃を受けても負傷せず出久の元へ情報を持ち帰ることができるからだ。

 しかし、出久の研ぎ澄まされた聴覚はそれよりも先に麗日を押し倒すことを選んだ。

 

「うわ!」

 

 尻餅をついた麗日を庇える姿勢で立ち上がる。

 咄嗟に反応したにも関わらず、ヴィラン役――爆豪の放った叩きつけるような爆発の余波は出久のマスクを半分以上消し飛ばしていた。

 

「デクこら、避けてんじゃねえよ……」

「かっちゃんが敵なら、まず僕を殴りに来ると思った!」

 

 パラパラと砕けたコンクリートが雨となって降り注ぐ中、煙に巻かれてゆらりと爆豪が身を起こす。まるでファンタジー映画の悪魔のように。

 耳慣れた着火音を聞き取った瞬間、出久は麗日を庇いながら倒れることを選択した。初手に来る大振りな攻撃の機動から回避するには、伏せるのが一番安全だと判断したからだ。

 出久は信じていた。爆豪との凝り固まった確執を。彼が必ず、自分を狙うことを。

 

「テメエには聞かなきゃなんねえことが山ほどある……だがまあ、その前に処刑だ……中断されねえ程度にブッ飛ばしたらぁ!」

 

 躊躇なく振り抜かれた右の拳。

 出久はその重い拳を掴み取り、そのまま盛大に爆豪の身体を地面へと投げた。

 体躯に恵まれなかった出久が執念で磨き上げた技のひとつ。爆豪の拳がどこまでも剛なら、出久はそれを柔で()なせばいい。

 

「かっちゃんは、大抵最初に右の大振りなんだ。どれだけ見てきたと思ってる……!」

 

 冷気に満たされた出久の肺が、覚悟を伴って言葉を吐く。

 爆豪は強い。それはそうだ。しかし、その右は()6()()()()()()()()()()()()()

 

「凄いと思ったヒーローの分析は全部ノートにまとめてる。君が爆破して、捨てたノートに……!」

「ッ……!」

「いつまでも ”雑魚で出来損ないのデク” じゃないぞ、かっちゃん……僕は――」

 

 これは宣戦布告だ。

 対等な、ヒーローを目指す者としての。

 

「 ”『頑張れ!』って感じのデク” だ!」

 

 身体は震える。強者に平然と立ち向かえるだけの強心臓を出久は持っていない。

 それでも、麗日がくれた「新しいデク」は頑張るデクだ。

 爆豪の狂気的に鋭い眼光が出久を睨みつける。出久はそれにたじろぐことなく、毅然とした態度で拳を構えた。

 

「ビビりながらよお……そういうところがムカつくなあッ!」

 

 爆豪が吠えた。

 挑発は十分だ。爆風を推進力に飛び込んでくる爆豪を前に、出久は叫んだ。

 

「麗日さん、行って!」

 

 勝利条件を考えれば、ここで出久が爆豪を足止めしている間に麗日が核を押さえたほうが効率的だ。時間も人手も限られている。

 駆けていく麗日に爆豪は目もくれない。

 空中で放たれた鋭い蹴りを流すように受けながら、出久は手の内に隠していた確保テープをその足に巻き付けようとする。空中で逃れるには個性を使うしかない。

 そして、個性を使わざるをえないほどに追い詰められれば、爆豪は焦る。

 

「クソがぁ!」

 

 右の大振り。癖で放たれるそれを受けて往なす程度のことは、最早出久にとってできて当たり前のことになりつつあった。

 ここで、出久はあえて引く。

 

「ッ、待てやデクゥ!」

 

 出久はまだワン・フォー・オールの制御ができていない。人に向ければ殺してしまうだろう。だから、出久は蓮華が貸してくれる力と自分が培ってきた地力だけで戦わねばならない。

 そのためには乱打戦を避ける必要がある。爆豪の恐るべき点は何よりもそのタフネスだ。手汗を爆発に変換する彼は長期戦になればなるほど発汗し、力を増す。

 

「なァオイ! 俺を騙してたんだろォ!? 楽しかったかずっとぉ! 随分と派手な個性じゃねえか! 女連れで通学たあいいご身分だなぁ!?」

 

 策はある。

 明らかに爆豪は暴走している。斥候役を担うなら破壊音を立てずに機動力を出せる飯田のほうが適任だ。適切な采配ができないほど、連携が取れていない。

 それに、出久はこの組み合わせが発表された時に覚悟を決めたのだ。

 

――男の子だねえ、少年。

 

 今日、出久は爆豪に勝つ。

 決意を新たに出久は走り抜け、爆豪と距離を取りすぎないように気をつけながら4階の中央までやってきた。

 その時、無線が入った。核と飯田を押さえに向かった麗日からのものだ。

 

『デクくんごめん! 飯田くんに見つかっちゃった!』

「場所は!?」

『5階の真ん中フロア!』

 

 出久は天井を見上げた。一枚隔てた真上に核がある。

 天井をも通り抜けられる蓮華であれば核を押さえることはできるが、蓮華に無力化する技術がない以上確保にはならないと先んじて言われてしまっている。わずかな残り時間で爆豪に対処しつつ、真上の核を確保せねばならない。

 負けたくない。個性把握テストのときのような後ろ向きの覚悟ではなく、爆豪に勝ちたいという前向きな意志。

 

「使えよ、デク……舐めてんのか? なあ?」

「かっちゃん!」

「てめえのストーキングならもう知ってんだろうがよお、俺の爆破は掌の汗腺から()()()()()()()()()出して爆発させてる」

 

 爆豪が篭手を構えて出久に向けた。

 彼のコスチュームは全体的に爆発物を模している。特にその大きく嵩張った篭手はまるで不格好なパイナップルのようで、手榴弾にそっくりだ。

 嫌な予感に、出久は咄嗟に姿勢を低くした。どんな攻撃が来てもすぐに膝のバネを使って回避を取れるように。

 これが功を奏した。

 

「な、あ……ッ!」

 

 光が弾けた。

 爆風という言葉では生ぬるい。悪夢と呼ぶには熱がある。その地獄めいた炸裂は、腕を交差させて身を守った出久ごと壁を3枚ぶちぬいた。

 

「――個性使えよ、デク。全力のてめェを、ねじふせる」

 

 篭手にストックした汗を一度に爆発させたのだ。単なる爆破ですら重いというのに、その壮絶な火力は出久の脳裏にオールマイトの一撃をちらつかせるほどだった。

 腹の底から震えがこみ上げる。

 頬を吊り上げて笑う爆豪を前に、出久の決意は一瞬だけ揺らいだ。

 しかし、瓦礫の中から出久は立ち上がった。その身に満ちた冷気が出久を鼓舞する。立ち上がれ、負けるなと。

 

「すげえだろ、すげえよなデク? 来いよ、まだ動けんだろ?」

「麗日さん、状況は!?」

 

 無線に応答はない。どうやら麗日もまた戦っているようだ。

 出久は構えた。乱打戦は避けたかったが、ここで立ち向かわなければいよいよ勝ち目がなくなる。万が一にも先ほどの長距離攻撃を5階に向けられて自爆されれば、問答無用で出久たちの負けだ。

 後ろ手に構えた爆豪が掌で爆発を起こし、飛び込んでくる。出久は反撃を選択した。

 しかし、一日の長はそうたやすくは覆らない。

 

「ぎッ……!」

 

 爆豪は衝突する直前になって空中で機動を変え、出久の背に爆発を直撃させた。

 背骨が軋む。涙がこぼれそうだ。

 

「ホォラ行くぞ、てめェの大好きな――右の大振り!」

 

 咄嗟に受ける腕を出すことができたのは、爆豪を仮想敵とした反復練習の賜物だろう。

 軋んだが、それでも確かに受けきれた。

 安堵するのはまだ早いと嘲笑うように、爆豪はその腕を強く掴む。まるで受けることがわかりきっていたかのような動きで、今度は出久が硬い床に叩きつけられた。

 

「生意気なんだよデク、俺に予想なんてさせるんじゃねえ……てめェは俺より下だ!」

 

 受け身は取った。それでも激しい痛みが骨を、肺を、脳を揺さぶる。

 出久は転げるように立ち上がり、爆豪に背を向けた。

 

「なんで個性使わねえんだデク、俺を舐めてんのか!? ガキの頃からずっと、そうやって! あのアマともグルで! 俺を舐めてたんかてめェはッ!」

「違うよ……!」

 

 ポジションは()()()()

 

「君が凄い人だから、勝ちたいんじゃないか……!」

 

 拳を構えた爆豪の頬から汗が伝う。

 何度も打ち合って、()()()()()()()()()()()()が。

 

「勝って、超えたいんじゃないかバカヤロー!」

 

 出久は拳を振りかぶった。

 力の分散。ぶっつけ本番になる。それでも出久は試したい。その()()は蓮華が稼いでくれた。

 下半身を支えるように力を分配させ、さらに拳を引き絞るために体幹、肩、肘と回していく。回路に次々と電流が流れ込むように、出久の体内がパチパチと弾ける。

 

「ッ、てめェ、何を」

 

 爆豪の掌で()()()()()()()()()

 汗腺から分泌されるニトロのようなものは、あくまで爆豪の汗だ。不純物が混じればその分燃焼効率は落ち、爆発に至るほどの劇的な着火は見込めなくなる。

 不純物。それはたとえば、幽霊の冷気に侵されてかく冷や汗であるとか。

 

「デクゥ!」

 

 爆豪はあの日、出久を置いて神社から逃げ帰った。それは気絶した出久よりも爆豪が強かったからだ。腰を抜かさなかったから走って逃げることができた。

 そして、出久は弱さゆえにこの力を手に入れた。

 

――やれ、少年!

「麗日さん、行くぞ! デトロイト・スマーッシュッ!」

 

 出久の放ったアッパーが、寸分狂わず麗日と核の間にある地面を貫く。

 極限まで透明化した蓮華が密かに持ち帰った情報を元に、出久は麗日へとパスを回したのだ。無重力状態を操る彼女にとって最大の武器、無数の瓦礫というパスを。

 激痛が出久の腕を砕く。

 しかし、()()()()()

 

「ハナっからてめェ……!」

 

 目を見開く爆豪を前に、内出血の疼く腕をなおも構えたまま、出久は立つ。

 

「やっぱ舐めてんじゃねえか……!」

「舐めてないよ、かっちゃん……君に勝つ手は、これしかなかった……!」

 

 ヒーローチームの勝利。

 オールマイトが無線で宣言したその声を聞いてようやく、出久は安堵とともに崩れ落ちた。

 勝ったのだ。

 授業だからできる勝ち方でしかない。これが本物の核なら明らかにご法度な動きだ。ましてや、最後の一撃はぶっつけ本番だった。もし余波が核や麗日に当たっていれば危険だっただろう。

 それでも、出久は今日、爆豪勝己という憧れに打ち勝った。

 

「――っと、いけないいけない。このまま倒れさせちゃ傷に響くからね」

「ありがとうございます、お姉さん……」

「こちらこそ。いい作戦だったよ、少年」

 

 蓮華の柔らかな香りに抱かれて、出久は大きく息を吐いた。

 呼吸に混じる冷たさが、たまらなく心地いい。



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十一回忌 僕の講評でクラスに馴染むお姉さん

中編くらいでさくっと完結させるつもりだったのですが、思いの外楽しめる作品に仕上がりそうなのでもう少し長く書いてみることにしました。
ちゃんと考えないと齟齬が出る部分だけでも最低限考えておこうと思います。次回更新まで少し間が空くと思います。


 出久は勝った。それはそうだ。

 

「まあつっても、今戦のベストは飯田少年だけどな!」

 

 オールマイトの言葉に飯田が驚愕の表情を浮かべる。

 それもまたそうだ。

 しょげかえる麗日、目を伏せて表情の見えない爆豪でもなく、飯田がMVPだ。それはプランを構築した時点で出久にもわかっていたし、指示に従った麗日に責任はない。

 

「勝ったお茶子ちゃんか緑谷ちゃんじゃないの?」

「その前に、君たちの疑問を解消する必要があるね。緑谷少年!」

「は、はい!」

 

 ギリギリ緊急の処置が必要ない状態でこらえた腕を庇いながら、出久はオールマイトの呼びかけに応えた。

 ふわり、と蓮が香る。

 モニタールームの体感温度を0.5度ほど下げながら、白いワンピースの柔らかな裾をたなびかせて、蓮華が全員の前に舞い降りた。

 宙からふわりと現れた蓮華の姿に歓声交じりのざわめきが広がる。どうやら同級生たちからは好意的に見られているようだ。

 

「はい、お姉さんですよー」

「やはり、持久走のときの……では、あなたが緑谷さんの個性なのですね?」

「そういうこと。美珠蓮華、幽霊でーす。蓮に華やかと書いてれんかね。れんげって呼んだら怒るのでよろしく」

「ゆ、幽霊……」

 

 耳たぶがイヤホンジャックになっている女子生徒、耳郎が頬をひきつらせて一歩下がった。

 蓮華の見た目には幽霊らしいおどろおどろしさは一切ない。髪には艶があるし、瞳はいつも好奇心でキラキラしているし、脚もすらりと伸びている。それはそれとして気を抜くと半透明になったり、鬼火を伴っていたりはするのだが。

 

「俺と同じ自我のある個性か」

「あ、えっと……」

「常闇踏陰、常闇で構わん。そしてこいつは黒影(ダークシャドウ)、俺の個性だ」

「ヨロシクナ!」

 

 常闇と黒影それぞれと無事なほうの腕で握手を交わす。

 彼の存在はある意味出久にとって救いだった。自我のある個性だとして蓮華を説明する上でとても手っ取り早いからだ。

 ただ、出久と常闇の間には大きな違いがある。彼の黒影は彼から生み出されているが、出久と蓮華の関係はそうではない。そこをどう説明するかが肝だった。

 

「よろしく。えっと、まず僕の個性は死霊憑きっていって、死者の幽霊に憑依されて力を借りるものなんだ」

「そしてお姉さんの個性は死霊。死ぬまでは無個性と変わらないんだけど、死んだあとに幽霊として蘇ったの。今は出久に取り憑いてるけど、長いこと地縛霊やってました」

「なるほど……俺とは似て非なる存在、さながら太陽の光を受けて輝く月ということか」

「それってなんかずるくねえか? なんつうか、こう……」

 

 眉間に皺を寄せる赤髪の男子生徒、切島の苦言に出久は頷いてみせた。

 

「一人で戦ってないのはちょっとズルかなって自分でも思ってる。でも、蓮華さんの力を借りて初めて僕は誰かを救けられるし、それは……僕にしかできないことだから」

「そのとおりだよ、少年。幽霊の力を借りる個性と幽霊になる個性が出会うなんて運命、見過ごすのはもったいないからね」

「うおお……アツいな、緑谷! 美珠さんも、ナマ言ってすんませんした!」

 

 勢いよく頭を下げる切島に蓮華が無邪気な笑い声を上げる。

 嘘は交じっていたが、少なくとも最後の言葉は出久の本音だった。蓮華を個性として使えるのは出久だけだ。まだ頼るには躊躇いがあるが、それでも出久は爆豪との戦いで一歩前に進んだ。

 

「よいよい、楽にしたまえ。君も中々熱い男って感じだね、これからよろしく。オールマイト先生、他に質問がなければ進めていただいて」

「ああ、自己紹介ありがとう! では、講評だが……誰か飯田くんがベストな理由を答えられる者はいるかな?」

「はい、先生」

 

 手を挙げたのは八百万だ。彼女は持久走でオートバイを創造して蓮華と競りあった。幽霊と競りあう燃費は大したものだと蓮華が笑っていたのを覚えている。

 

「それは飯田さんが一番状況設定に順応していたからです。爆豪さんの行動は私怨丸出しの独断、そして先生も仰っていたとおり屋内での大規模攻撃は愚策でしょう」

 

 出久はちらりと爆豪に目を向けたが、彼はピクリとも反応していなかった。

 自尊心が服を着て歩いているような彼がこき下ろされてこうも沈黙しているというのはあまりにも不気味だ。今にもあの凶笑とともに爆破を始めるのではないかと冷や冷やしていたが、その兆候は見られなかった。

 

「緑谷さんは美珠さんの力を借りて索敵をしていたのでしょう。最後の不発もそうですわね?」

「そう、お姉さんの冷気でちょこっとね。でも、相手が爆豪くんだから通った技だよこれは。だから訓練の趣旨を考えると加点にはならないんじゃないかな」

「本人がそうおっしゃるのならそうなのでしょう。索敵と妨害、司令塔としての役目は果たしていましたが、大規模攻撃という愚策で危険を冒したのは同様です」

「おっしゃるとおりです……」

 

 わかっていたことだが、はっきり言われるとさすがに凹む。

 爆豪への対処に時間を割きすぎた以上、ああする以外に勝ち筋はなかった。しかし、あれを勝ちと認められるのが訓練だけだということも理解できる。

 いい意味でも悪い意味でも、反省点の多い戦いだったと言えるだろう。

 

「そして、麗日さんは中盤の気の緩み。そして最後の攻撃が乱暴すぎたこと。ハリボテを本物の核として扱っていたらあんな危険な行為できませんわ」

「はいぃ……」

「相手への対策をこなし、かつ核の争奪というコンセプトをきちんと想定していたからこそ飯田さんは最後対応に遅れた。ヒーローチームの勝ちは『訓練』だという甘えから生じた反則のようなものですわ」

 

 言い切って「いかがですか」とオールマイトを見上げる八百万に、オールマイトは薄っすらと冷や汗をかきながらも親指を立てた。

 

「ま、まあ飯田少年も硬すぎる節はあったりするわけだが……正解だよ、くう……!」

「常に上意下達! 一意専心に励まねばトップヒーローになどなれませんので!」

「おおー、いい意気込みだね」

 

 顔を合わせてまだ日の浅い同級生からの辛辣なコメントに場の空気は萎縮しつつあったが、その嫌な淀みを蓮華の気楽な拍手が弛緩させた。

 昔から出久も薄々感じてはいたが、蓮華は空気を掴むのがうまい。人に不快感を与えず自分のペースに巻き込む。その巧みさは日頃出久をからかうのに散々発揮されている。

 半ば倒壊したビルから場所を移し、訓練は第二戦へと進む。今はヴィラン役の尾白と葉隠が準備をしているところだ。

 モニタールームで勝負を見学する出久の足元に、小さな影が這い寄った。

 

「なあ、緑谷……」

「ん? えっと……」

「オイラのことなんかどうでもいいんだよ……なあ緑谷、お前お姉さんとはいつどこで知り合ってどんな風にどこまでいったんだよ……なあ……!」

 

 大粒のぶどうのように何粒もまとまったお団子髪の少年。自分よりも幾分背が低い彼に、出久は思わず気圧された。

 すごい眼をしている。

 家族を殺した仇敵であるヴィランを睨むかのような、刑事がずっと追い続けてきた犯人を追い詰めたかのような、重みのある鋭い気迫。一体何を喪えばここまで壮絶な顔ができるのだろうか。

 その重圧に思わず出久の喉が鳴った。

 

「年上彼女なのか、年上彼女なんだろ、年上彼女なんだよな? あの豊満なひんやり半透明ボディにおはようからおやすみまで無駄撃ちの命を捧げてるんだろ? オイラはよお……ヴィランとリア充だけは許せねえんだよお……!」

「峰田少年、授業中だぞ!」

「オイラは今命の授業をしてるんすよオールマイト先生……!」

 

 この峰田という生徒、あろうことかオールマイトにすら反論してのける度胸がある。

 一体何者なのか。

 出久の足が半歩、ずりと後ずさった。その分一歩峰田が詰め寄る。その背から立ち昇る威をたとえるのには鬼の一文字では生ぬるい。手負いの猛獣、あるいは地獄の閻魔。

 

「いくら見せつけられようと構わねえ、オイラは憎しみで愛を引き裂く悪にはならねえ、その代わり……なんでもするんでオイラにも童貞卒業させてくださふべっ」

「弁解の余地もなく最低よ、峰田ちゃん」

 

 峰田がふっとばされた。

 壁にへばりついてずりずりと落下する峰田にクラス中の女子全員から軽蔑の視線が突き刺さる。当事者である蓮華は呆れたような笑みを浮かべてそれを見ていた。

 

「はは……ヒーロー科にもいるんだねえ、こういう自分の欲にまっすぐな子。まあ、素直なのはいいことだよ。ちょっとお姉さんのタイプじゃないのでごめんなさいだけど」

「いいこと、かなあ」

「ケロ、なんでも素直ならいいというわけじゃないと思うわ。蛙吹梅雨よ、梅雨ちゃんと呼んで」

「よ、よろしく」

 

 差し出された蛙吹の手と握手を交わしながら、出久の脳はゆっくりと峰田の言葉を咀嚼していた。圧倒されるあまり何を言っているのかほとんどわからなかった。わからないほうがいいのかもしれない。

 年上彼女。

 年上彼女?

 理解が追いついた途端、出久は羞恥と混乱に悶えた。

 確かに蓮華は綺麗な年上のお姉さんだ。今は一緒に暮らしているし、家族を除けば最も多くの時間を共有している。からかいの対象として以上に大切に思われている自覚がないわけではない。

 しかし、蓮華はちびで鈍足で人見知りのあがり症なオタクである出久にはあまりにもったいない、誰よりも身近でありながら高嶺の花よりさらに遠い存在なのだ。

 

「あああ、あの、お姉さんとはそういう関係とかじゃなくって、えっと……!」

「ふうん? 少年はお姉さんとどういう関係なのかなー?」

「ちょ、わ、近い、近いです……!」

 

 顔を覗き込む蓮華から逃れようにも握手している手を振り払うわけにもいかず、出久は必死になってなんとか身を捩った。

 

「仲良しなのね」

「文字通り一心同体だからねー。梅雨ちゃんとも仲良くなれたらお姉さんは嬉しいな」

「もちろんよ。あなたもクラスの一員だもの」

 

 蓮華はあっという間にクラスに受け入れられ、溶け込んでいく。朗らかに笑う様はまるで本当に最初からクラスメイトのひとりだったかのようだ。

 嬉しい一方で、なぜだか少しだけ寂しくもある。

 ずっと小さな寂れた神社をひとり孤独に漂っていた蓮華がこうして多くの人に囲まれて笑っているのは、きっといいことだ。乾きを癒やすように、空白を埋めるように、蓮華はたくさんの小さな楽しみに笑顔する。

 しかし、それはもしかすると蓮華の未練を消し去っていく行為なのではないか。

 

「お、そろそろ第二戦が始まるかな?」

「そうですわね。(わたくし)と同じ推薦入学者の轟さん、そのお手並み拝見といったところですわ」

「第一戦の緑谷たちがアツかった分、気合入っちまうぜ。自分の番が待ちきれねえ!」

 

 蓮華にとって本当の幸いは、まだ現世(ここ)にあるのだろうか。



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十二回忌 僕の宣言を見守ってくれるお姉さん

ゆっくり更新再開です。書き溜めして何話か一気に投稿する形式になるかも。


 放課後、リカバリーガールの治療を受けた出久は帰路についたという爆豪の背を追って校舎を飛び出した。

 蓮華はいない。彼女の素性と個性についての聞き取りを行うため、出久抜きでの面談が行われている。雄英の敷地内程度の距離であれば、互いに独立した行動を取ることができそうだった。

 ずっと追ってきた爆豪の背中が、今日はやけに小さい。

 

「かっちゃん!」

「……ああ?」

 

 その冷たい視線に足がすくむ。

 出久を衝き動かしていたのは二重の後ろめたさだ。借り物の個性、巻き込んでしまった他人の力。どちらも出久を支えてくれる、しかし出久自身のものではない力。

 ずっとその背を見て育った。だからこそ勝ちたいと思った。その初めての勝利を、出久は自力では成し遂げられなかった。

 

「……これだけは、君には言わなきゃいけないと思って」

 

 出久は必死に言葉を紡いだ。

 母親にも明かしていない、オールマイトから口外を禁じられた大切な秘密。それを抱えたまま、出久は爆豪と対等になれるとは思えなかった。

 これまで、爆豪の強さは出久の憧れだった。しかし、もう憧れていてはいけない。並び立ち、競い合うのなら、憧れは邪魔でしかない。

 

「人から……人から、授かった個性なんだ。誰からかは絶対言えないし、言わない……お姉さん、蓮華さんの力だって、本当は巻き込んじゃったようなもので……」

「ァ……!?」

「まだろくに扱えもしない、全然モノにできてない状態の借り物で……だから、本当はそれを使わないで君に勝ちたかった!」

 

 思い出すのは、弾けるような腕の痛み。

 出久は確かに「力の分散」に成功した。地面を踏みしめた両足をアンカーのようにして安定させ、振り抜いた腕は骨一本砕けることなく超パワーを発揮することができた。

 しかし、それだけだ。実戦の格闘戦であのような停止時間を要求される技など撃っている暇がないことくらい、ヒーローオタクの出久はとっくに理解している。

 まだ出久は発展途上だ。

 未完成の、しかもリスクの大きい技を使わなければ勝てない。出久と爆豪の間にはまだそれだけの隔たりがある。

 蓮華の冷気による爆発の不発も、爆豪が早々にガントレットの備蓄を使い切ってくれたからできたことだ。あれを止めに持ってこられていたら出久は負けていた。

 では、負けを認めるのか?

 君には敵いません、これからも子分で雑魚のデクですと頭を下げるのか?

 

「いつかちゃんと自分のモノにして、僕の力で君を超える。僕にとって君は、超えたい背中だから」

 

 春の風にざわめいていた街路樹が、いつの間にか静まっていた。

 校舎を出た時、出久は爆豪の勘違いを訂正するつもりだった。騙していたわけじゃない、君が知っていたとおり僕は無個性だったのだ、と。

 しかし、言いたいことが波のように押し寄せてきて、結局できたのは中途半端な宣言だ。蓮華に言われるまでもなく、どうにも出久は口下手だった。

 

「何だそりゃ……借り物? わけわかんねえこと言って、これ以上コケにしてどうするつもりだ……なあ!?」

「違っ」

 

 思わず訂正しようとした出久は、言葉を失った。

 

「だからなんだ!? 今日、俺はてめェに負けた! そんだけだろが!」

 

 あれだけ勝てないと、恐ろしいとすら思っていた爆豪の瞳に、涙がにじんでいて。

 

「幽霊の女相手に油断しちまった……そのあと氷の奴見て、敵わねえんじゃって思っちまった! ポニーテールの奴の言うことにだって、納得しちまった……クソ、クソッ!」

 

 こんなに苦しそうな彼を、出久は見たことがなかった。

 いつも自信に満ちていて、誰よりも先頭を走る男だった。世界が退屈なのではないかといっそ心配になるほど、無限の全能感に浸っていた。それが許されるくらいに優秀で、そして停滞をよしとしない努力家でもあった。

 出久は雄英(ここ)まで来た。爆豪と同じステージに。

 オールマイトへの憧れがなければ目指さなかっただろう。蓮華の導きがなければもっと早くに道を違えたかもしれない。

 しかし、絶対に諦めたくないと歯を食いしばる気になったのは、爆豪勝己という一人の幼馴染がいたからだ。彼がただの天才ではない、努力する天才であることを知っていたからだ。

 最高で最悪な、出久が目指した背中。

 

「こっからだ! 俺は……こっから、ここで一番になってやる!」

 

 泣いている。

 だからこそ、ずっと見てきた出久にはわかった。今日、爆豪の導火線に火がついたのだ。

 勝ちたい、負けないという勝負が本当に始まるのは今日、ここからだ。だから出久は丸まった爆豪の背を見送った。どんな言葉も陳腐になるような、そんな気がして。

 

「――爆・豪・少・年!」

 

 突風が吹き抜けた。その風がオールマイトのダッシュだと理解するのに、それほど時間はいらなかった。

 慰めの言葉をかけるオールマイトに、爆豪は気丈にも「俺はあんたをも超えるヒーローになる」と宣言してみせた。彼はもう歩きだしているのだ。

 当然だが、そのあと出久はオールマイトから秘密を漏らしたことについてのお叱りを食らった。

 

「知れ渡れば力を奪わんとする輩が溢れかえることは自明の理! 今回は大目に見るが、君のためにも社会のためにもしっかりと責任を自覚してくれ!」

「本当にすみません……」

 

 仮にワン・フォー・オールのことが世に知れ渡れば、出久から個性を奪おうという者は当然現れるだろう。

 そして、誰でもワン・フォー・オールを継承できるわけではない。器のキャパシティがなければ爆発四散してしまうというのがオールマイトの予想だ。だからオールマイトは出久が蓮華を吸収してしまったときに「パンクするはず」と考えた。

 幸いにして今のところ出久はパンクしていないが、ワン・フォー・オールという強力な個性に加えて蓮華を個性として身に宿している状況は本来異常なのだ。()()()()()()()()というのは本来ありえない。

 無個性の出久が無個性のオールマイトから継承できたのは奇跡の巡り合わせだった。しかし、この無個性の連鎖を明かすことは、同時にオールマイトという絶対にして唯一の平和の象徴が揺らぐことと同義だ。

 

「美珠少女がストッパーとしていなくとも、ヒーローとして正しい判断が下せるよう精進したまえ。さらばだ、緑谷少年!」

 

 白い歯を煌めかせて親指を立てたオールマイトは、突風を伴って空の彼方へと消えていった。退勤ついでにヒーロー活動をするのだろう。

 彼の抱える秘密――深い傷に蝕まれた身体と活動限界について知っている身としては、単なる憧れだけでその姿を見送ることはできない。それでも今はまだ、彼がこの国の平和そのものだ。

 すっ、と蓮の甘く爽やかな香りが出久を包み、ついで身体に心地よい冷たさが滑り込む。

 

「聞き取り調査、終わったんですね。お疲れ様です」

――少年もお疲れ様。途中から見てたよ。オールマイトと一緒にね。

「そうだったんですか!?」

――出ていこうとするの足止めしてたんだから、感謝してよ? あの人、ちょっと空気読めないとこあるよね。

「あはは……ちょっとそうかもです」

――あ、そうそう、クラスの子から伝言預かってるよ。駅前のファミレスで反省会やってるからよければ来てって。

「わ、ありがとうございます。行きます!」

 

 放課後にファストフードで駄弁るような高校生活は送れないかもしれない。

 それでも、こうして支え、導いてくれる人がいて、ともに競う仲間がいる。今はそれで十分で、贅沢すぎるくらいだと出久は沈みかけた西の太陽に思った。

 

***

 

 蓮華の扱いについて、校長たちは頭を悩ませているらしい。

 ひとしきり反省会が片付き、それぞれが頼んだメニューもほとんどは完食したころ。余ったポテトをつまむ段階に入って、蓮華がぽつりとこぼした。

 

「扱いって? 常闇くんの黒影と一緒じゃだめなん?」

「んー、ほら、お姉さんある程度独立して動けるでしょ? それにかっこよくて強い黒影ちゃんと違って鍛えてないからねー」

「ヨセヤイ、テレルゼ」

 

 常闇の肩に顎を乗せて隣の障子にポテトを食べさせられていた黒影がくねくねと身を捩る。照れているようだ。

 実際、蓮華は個性として見るとかなりピーキーな性能をしている。索敵と補助、そして妨害には長けている一方、個人の戦闘力は野良猫にも劣ると言っていい。

 対人戦闘訓練では爆豪への対策として機能した冷気も、言ってみれば彼が汗を原動力とするという知識があったからこその人読みメタだ。実戦で刺さる場面は少ないだろう。

 

「これから鍛えるんじゃ駄目なんすか?」

「幽霊の身体って筋肉とかつかないんだよね。完全に不変って感じでさ。何年か前の夏に一ヶ月ラジオ体操しても全身硬いまんまだったし」

「えー何それ! 画的にはめっちゃエモいのにー!」

 

 ドリンクバーからメロンソーダを注いできた芦戸が座りながら笑う。彼女の言うとおり、夏の神社でちらつく木漏れ日に照らされながらラジオ体操をする蓮華にはえもいわれぬ美しさのようなものがあった。

 

「いいよな……いい……オイラ、そういうジブリ的なエモに弱いんだよな……」

「すげえよな蓮華さんって、存在が夏のアニメ映画じゃん。スクリーンから飛び出てきた感じすらするわ」

「よせやい、照れるぜー」

 

 上鳴のなんとも言えない、しかし共感できる褒め言葉に蓮華が黒影のモノマネで返すと、テーブルがどっと沸いた。

 

「……めっちゃノリいいし、マジに幽霊なのかだんだんわかんなくなってきたわ。上鳴、ケチャップ取って」

「うい。ビビリ損だな、耳郎」

「び、ビビってないし! ただちょっと、こう、幽霊って勝ち方がわかんないっつうか……おい、そういう目で見るな!」

 

 幽霊という自己紹介に躊躇いを見せていたクラスメイトも何人かいたが、この様子なら大丈夫そうだ。

 年上のお姉さん、しかも幽霊である蓮華を伴っての学生生活に不安がなかったと言えば嘘になる。それを理由に諦めるほど出久は軟弱ではないが、うまくいくに越したことはない。

 

「それで、蓮華ちゃんはどういう扱いになるのかしら?」

「当面は座学の授業中、特に英語とか数学とかの普通科でもやるような科目の間に先生たちと色々試すことになりそう。合理的な分担、ってやつ」

「ケロ、相澤先生が言いそうなことね」

「消太ちゃんじゃないんだ」

「先生は流石に恐れ多いわ。本当は蓮華ちゃんだって年上だし、ちょっと申し訳ないとは思っているのよ?」

「お友達でしょ、気にしない気にしない」

 

 表情の変化がわかりづらいながらもうっすらとしょぼくれた蛙吹の頬に蓮華の指が突き立てられた。半ば無理矢理に作られた笑顔を見て、芦戸と葉隠が同じポーズを取る。葉隠は透明だが、きっと笑っているのだろう。

 いいクラスだ。出久は素直にそう思った。

 皆がヒーローを目指しているからか、根っこの部分で人を尊重できる立派な人物が揃っている。まだ出会って日が浅いながらも、出久は彼らを尊敬できる人たちにカテゴライズしていた。

 その証拠に、誰も蓮華が幽霊になった経緯について聞こうとしない。

 幽霊。それはつまり、故人であるということだ。蓮華の死について、出久はあまり多くを知らない。相澤から受け取った資料も蓮華の妨害に遭ってまだ読めていないのだ。

 死んだころの蓮華には家族がいた。そして、彼女を殺したヴィランがいた。

 そういったことを根掘り葉掘り聞こうとせず、クラスの一員として自然に打ち解けてくれたことを、出久は心の底から感謝していた。

 

「オイラもお友達として、そのひんやりハンドを堪能させていただきたい……! そして願わくば、そのひんやりでたわわなふべっ」

「びっくりするくらい最低よ、峰田ちゃん」

「お前好感度の下げ方音速かよ、ホークスの飛行でももう少し遅えぞ」

 

 蛙吹に音速の舌でビンタされ、砂藤にダメ出しされる峰田もまあ、これはこれできっと愛嬌なのだろう。素直になれない人間だと自覚している出久にとって、彼のあり方は少しだけ羨ましくすらある。

 出久は聖人ではない。小学生のころからずっと一緒だった美人で素敵なお姉さんに何も思っていないなどと、口が裂けても言えない。

 ただ、そんな我儘を考える余裕など微塵もありはしないというだけだ。

 

「割り勘いくらだった? あ、いいよ、お姉さんも少し出すから。遠慮するな若人、甘えとけ甘えとけ」

 

 ずっとひとりだった初恋の人がこうして楽しそうに誰かと喋っている、そんな奇跡を目にすることができただけでも、出久は満足なのだから。



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USJ編
十三回忌 僕とともに救助訓練に臨むお姉さん


更新再開早々にたくさんの感想、ここすき、評価ありがとうございます。いつも励みになっています。


 雄英のセキュリティがマスコミに突破されたり、出久がMr.非常口の称号を手にした飯田に委員長の座を譲ったりした翌日のこと。

 ヒーロー科1年A組の一同は、人命救助訓練のためにバスで移動していた。

 

「そういや、緑谷の個性ってどうやってあの超パワー出してんだ? 増強型とは違えんだろ?」

「ケロ、まるでオールマイトみたいなパワーだったわ」

「そそそそそうかな? いやでもその、えー」

――嘘つくの下手だなあ、少年は。

 

 図星を突かれた出久が慌てふためくと、出久の耳元で小さくため息が聞こえた。

 そろそろクラスメイトたちも慣れたのか、蓮華が漂わせている甘くも爽やかな蓮の香りを感じ取って視線が出久の側へと向く。

 今日は外出仕様、白く大きな帽子を被った蓮華が軽やかに宙から姿を現し、そのまま見えない枝に腰掛けるようにしてバスの天井付近に留まった。

 

「――命ひとつ分の生命エネルギーを純粋な運動エネルギーに変換してるのさ。原価はざっと21.3グラムってとこかな」

「お、蓮華さん! ちーす!」

「ちーす、上鳴くん。取り憑かせた幽霊のエネルギーを変換して出力する、そういう意味では出久の個性は増強型っていうより広い意味での発動型になるんじゃないかな」

 

 これはオールマイトとも相談の上で決めた設定だ。

 特別な力を持たない幽霊の力を借りている以上、超パワーの説明をするのにはもうひと手間加える必要がある。蓮華はここに「魂の重量」という昔からの議題、魂の存在証明を持ち込んだ。

 まだ結論の出ていない分野。つまりそれは、いくらでも誤魔化しのきく設定ということだ。そしてある意味では魂そのものとも言える蓮華は当事者として誰よりも説得力のある発言ができる。

 何より、「幽霊本人が言うならそうなんだろう」と思ってしまえば疑う余地がないというのが一番いい。蓮華は人差し指を立てて自慢気にそう言った。

 この提案を受けた時、オールマイトは「詐欺師みたいに口が回るね、美珠少女は」と冷や汗をかいていた。

 

「派手でできること多くて、しかも美珠さんのサポートもある! くうーっ、悔しいけど羨ましいぜ!」

「切島くんの個性もすごくかっこいいと思うよ! プロにも十分通用すると思う!」

「プロなー! しかしやっぱヒーローは人気商売みてえなとこあるぜ?」

 

 切島の懸念どおり、プロヒーローはただ強いだけでは食っていけない。市民の人気を獲得し、企業のスポンサーを得て、それでようやく生活が成り立つのだ。

 そういう意味では、蓮華はとてもヒーロー向きだ。美人でトーク力があり、個性の特徴もはっきりしていてわかりやすい。おまけに得意分野が明確に存在する。問題は出久が付属品としてついてくることだろうか。

 蓮華の鞄持ちとしての認識で終わることのないよう頑張ろうと出久が覚悟を決めている一方で、バスの中では「誰が一番人気が出そうか」という話題が盛り上がっていた。

 

「派手で強えっつったら、やっぱ轟と爆豪だな」

「ケッ」

「爆豪ちゃんはキレてばっかだから人気出なさそ」

「んだとコラ! 出すわ!」

 

 興味がないような素振りを見せておきながら、いざ自分が下に見られるといきり立つ。この性分は確かにヒーロー向きではない。

 とはいえ、人気の一切を切り捨てて活動しているイレイザーヘッドやファンに媚びない姿勢がかえってコアなファンを生んでいるエンデヴァーなどの例もある。一概にヒーロー適性がないとは言えないだろう。

 

「この付き合いの浅さで既にクソを下水で煮込んだような性格って認識されるのすげえよ、これと幼馴染やってる緑谷は前世なにやらかしたん?」

「てめェのボキャブラリーは何だコラ殺すぞ!」

「うんうん、君はボキャブラリーが豊かとは言えないからね。自分に足りないところをしっかり学んで成長してくれたまえよ、爆豪くん」

「殺しなおすぞ幽霊女ァ……!」

 

 あの暴君がからかいの的になっているという衝撃に思わず出久は吹き出した。

 中学のころ、爆豪をからかおうなどという度胸のある者は教師にすらいなかった。どんな不良生徒でも爆豪に言われれば行いを改めたものだ。

 そう考えると、ヒーローとしての覇気のようなものは中学のころにはすでにその片鱗を見せていたのかもしれない。もっともそれは彼の激情的で加虐趣味な性格からくるものではあったが。

 

「わあ怖い。でも、相澤先生もそう思うでしょう?」

「……まあ、美珠の言うとおり直すべき点ではある。口下手じゃファンもマスメディアも相手できないからな。社会人として最低限の振る舞いは身に着けろ」

「チッ……わぁってる」

 

 さすがに教師からのとどめは効いたのか、頬を引きつらせながらも爆豪は窓の外へ視線を逸らした。

 

 それから少しして、盛り上がりすぎたお喋りに相澤からの制止が入ったりした後のこと。

 一行を乗せたバスは停車した。目的地――USJに到着したのだ。

 USJという色々とギリギリな名前に恥じない、大規模かつ多様な事故・災害が再現された演習場。その名も――

 

「ウソの災害や事故ルーム! あらゆる事故や災害を想定し、僕が作った演習場です」

「スペースヒーロー『13号』だ!」

 

 宇宙服を思わせる丸いフォルムのコスチュームに、黒く塗られた特殊加工のヘルメット。災害救助で知られる紳士的なヒーローだ。

 その活動性質上、多くのニュースで活動の姿が報道される13号にはファンも多い。ちょうど出久の隣にいた麗日は嬉しそうな悲鳴を上げながら「いかに13号が紳士的で素敵か」を蓮華に語っているほどだ。

 

「ウチ好きなんよー、ニュースで見るたびについテンション上がっちゃって!」

「うんうん、憧れる気持ちはお姉さんもわかるなあ。誰かを救けるために全力出してるのに、救ける相手を安心させるために態度は穏やかなまま。かっこいいよね」

「わっかるー!」

 

 少しだけ、出久の胸がチクリと痛んだ。

 分散のコツこそ掴みかけているが、まだワン・フォー・オールを上手く発動できないと自爆してしまう。痛みで笑顔どころではない出久としては、13号の姿勢は見習うべき模範のひとつだった。なんとしてでも個性を制御できるようにならなくては。

 13号は相澤と何か小声で会話を交わしていたが、少しして二人が生徒は生徒の集団と向き合った。

 

「えー、始める前にお小言をひとつ、ふたつ……みっつ……」

 

 立てる指が増えるごとに少しだけ空気が重くなる。憧れのヒーローからのものとはいえ、お小言は避けたいのが高校生というお年頃だ。

 

「皆さんご存知だとは思いますが、僕の個性は "ブラックホール" 。どんなものでも吸い込んでチリにしてしまいます」

「その個性でどんな災害からも人を救い上げるんですよね!」

「ええ……しかし、簡単に人を殺せる力です。皆の中にもそういう個性の持ち主がいるでしょう」

 

 しん、とあたりが静まり返った。遠くから偽りの火災が立てる火の爆ぜる音が聞こえそうなくらいに。

 誰しも心当たりがあるのだろう。自分自身や誰かを傷つけてしまった記憶が。

 個性を発現したての子どもが起こす死傷事故は毎年枚挙にいとまがないほどだ。それどころか、ノウハウが蓄積されているにもかかわらず件数が減らないことが問題視されてすらいる。

 そして、出久はこのなかの誰よりも「個性を発現したての子ども」に近い。いつ事故を起こすかわからないという恐怖は、いつも出久にストッパーをかけている。

 

「体力テストで自身が秘めている力を知り、対人戦闘でそれを人に向ける危うさを体験したかと思います。この授業では心機一転! 人命のために個性をどう活用するかを学んでいきましょう」

 

 人命のために。

 出久はふと、自分が目指すヒーロー像の原点となる自らの言葉を思い出した。どんなに困ってる人でも笑顔で救けちゃう、そんな超かっこいいヒーロー。

 オールマイトが悲惨な事故現場から要救助者たちを救出し、笑顔のまま現れたそのシーンは、今でも出久の脳が焦げ付くほど焼き付いている。

 ぐっと手を強く握りしめる。これまで出久は降って湧いた力の使い方を考えるのに精一杯だった。しかし、これからはヒーローとして「力を使ってどうやって救けるか」を考えなくてはならない。

 

「君たちの力は人を傷つける為にあるのではない。救ける為にあるのだと心得て帰ってくださいな」

 

 ともすればマスコットキャラクター的とすら評価される丸く愛らしい13号が、たまらなくかっこいいプロヒーローなのだと全員が痛感していた。

 自然と出久は拍手を送っていた。出久だけではない、1年A組のほぼ全員が。

 

「以上! ご清聴ありがとうございました!」

「素敵ー!」

「ブラボー!」

 

 完全に場が温まった。

 13号のようなヒーローになりたい、そのために訓練を頑張りたいという気持ちが一体となっているのを感じる。

 その空気のまま訓練に挑めれば、どれだけよかっただろうか。

 

「――全員ひとかたまりになって動くな! 13号、生徒を守れ!」

 

 相澤の怒鳴るような指示に困惑しながら、彼が視線を向ける広場のほうへと目をやる。

 最初に見えたのは黒いもやだ。ガスよりは濃く、霧よりは重い質感のそれは瞬く間に噴水広場を覆った。まるでそこだけが夜になってしまったかのようだ。

 悪寒がする。

 その霧からうぞうぞと這い出てくる無数の影に、出久の隣で切島がぼやいた。

 

「何だありゃ、また入試ん時みたいなもう始まってんぞパターン?」

 

 違う。

 出久の肩に手を添えた蓮華から強い冷気を感じる。これは彼女が感情を荒ぶらせている証拠だ。怒り、悲しみ、あるいは――恐怖。

 

「お前ら動くな、あれはヴィランだ!」

 

 出久のすぐそばで、蓮華がその集団に鋭い視線を向けている。

 何を感じ取ったのだろう。いつもの蓮華を満たしている余裕のようなものがまるで消え去ってしまったようだ。彼女の視線を辿ると、その先では脳をむき出しにしたどす黒い肌の巨漢がゆっくりと歩みを進めていた。

 

「……少年、動いちゃ駄目だからね」

「お、お姉さん?」

 

 蓮華がふわりと出久の隣を飛び立った。思わず制止しようと伸ばした手が空を切る。

 素早く宙を駆けた蓮華が相澤の隣に降り立ち、何事か耳打ちする。その小さな声は完璧には聞き取れない。

 

「――もう死んで……加減せず……」

 

 真剣な表情の蓮華から何かを伝えられた相澤は小さく息を呑んで、それから頷いた。

 嫌な予感に出久の腕が粟立つのを感じる。

 声が響いた。その時になって初めて、出久は次々とヴィランを吐き出しているくろいもやに顔があるのに気がついた。

 

「13号に、イレイザーヘッドですか。そちらの女性は存じ上げませんね……先日頂いた教師側のカリキュラムではオールマイトがここにいるはずなのですが」

「やはり先日のはクソどもの仕業だったか」

 

 相澤が腰を落として姿勢を低くし、首元の捕縛布に手をかけた。

 ヴィランの一人、全身に掌をつけた不気味な男がぼそぼそと喋っている。掠れた、ひび割れたような声だ。

 

「どこだよ……せっかくこんなに大衆引き連れてきたのにさ……オールマイト、平和の象徴……いないなんて……」

 

 目に見えない、刺すような悪意が出久の心臓に突き刺さった。

 

「子どもを殺せば来るのかな?」

 

 その言葉と、そして今にも膝を折りたくなるような空気。彼らが本物のヴィランであることを疑う者はもう誰もいない。



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十四回忌 僕の脱出に乗ってくれるお姉さん

 暗闇から抜けて、出久は自分が落下していることに気がついて悲鳴を上げた。

 相澤単独での獅子奮迅の活躍に感嘆させられたのもつかの間、クラスの面々は散り散りになってしまったようだ。黒いもやのヴィランによって飛ばされてしまったのだ。おそらくはワープの個性だろう。

 

「うわあああ!」

 

 幸運だったのは、下が水面だったこと。

 不幸だったのは、水中にごまんとヴィランが配備されていたこと。

 ざぶりと水に沈んだ出久は、真水が鼻に入る痛みをぐっとこらえながら目を開き、そしてくぐもった悲鳴を上げた。

 サメ型のヴィランが大口を開けている。捕食を想像させるその鋭利な歯列を前に、出久は咄嗟に腕を振り上げようとした。しかし、踏ん張りが利かずすべての動作が緩慢になる水中は出久とあまりにも相性が悪い。

 

「来た来た! オメーに恨みはないけど――さいなグボベァ!」

 

 めり込んだ両足がサメ型ヴィランの顎を歪ませる。

 蛙の個性を持つ蛙吹がその水陸両用な肉体を駆使して出久を助けてくれたのだ。感謝を示すハンドサインを送ると、蛙吹は「気にするな」と言わんばかりに小さく手を振ってそのまま出久を舌で巻き取り、放り上げた。

 

「げほっ……やられた」

 

 飲んでしまった水を咳き込むように吐き出していると、身体に馴染んだ冷気が戻ってくるのを感じた。

 

「お姉さん、いますか?」

 

 呼びかけると、ふわりと香る蓮の甘く爽やかな香り。激しく脈打っていた出久の心臓が、少しだけ落ち着いていく。

 現れた蓮華はいつもより真剣な表情をしていて、水中を鋭い目つきで見やっていた。

 

「ただいま、限界距離超えて戻されたみたい。厄介なことになったね」

「広場の、状況は」

「飯田くんが救援呼びにいったはず。大半は飛ばされちゃったけど、残った子は13号と一緒だ。私はこの船の中を確認してくる、少年はここにいて」

 

 返事をする間もなく、蓮華は限界まで身体を透明にして船内へと消えていった。

 その直後、激しい水音に目を向けると、半ば叩きつけるように打ち上げられた峰田の姿があった。

 

「峰田くん!」

「げほ、ごほ……み、みどりゃー……オイラ、もう……」

「大丈夫!? ヴィランにやられたの!?」

「せめて死ぬ前に……蓮華さんから生まれたかったぜ……」

「うん、元気そうでよかった」

 

 介助しようとしていた峰田を放り出して濡れてしまった手を拭く。トリアージはグリーン、自力でなんとかしてもらおう。

 出久の考えが正しければ、悠長にしている暇はない。

 クラスメイトたちを散らした黒いもやのヴィランは「オールマイトを殺す」と言っていた。ただの大言壮語と片付けるには計画性がありすぎる。つまり、オールマイトを殺す算段がついているということだ。

 しかし、あのオールマイトを殺せるほどの用意とは一体なんなのか? そして、もしそれが彼らの誇大妄想でないのなら、誰がどうやって用意したのか?

 二度目の水音に出久が考えるのをやめて顔を上げると、蛙吹が水中から飛び出してきたところだった。

 

「蛙吹さん! さっきはありがとう、助かったよ」

「梅雨ちゃんと呼んで。一通り見て回ったけど、もう水中にはヴィランしか残ってないわね」

「じゃあ、ここには僕と峰田くん、あとつ、つ、梅雨ちゃんだけか」

「とんでもないことになったわね……」

 

 蛙吹の表情は読みにくいが、それでも彼女が不安そうにしているのはわかった。

 こういうときに勇気づける一言が出てこないのが自分でももどかしい。今が危険な状況だとわかっているからこそ、出久には何も言えなかった。

 

「でもよでもよ! オールマイトを殺すなんてできっこねえさ! オールマイトが来たらあんなやつら……」

「殺せる算段が整っているから連中はこんな無茶をしてるんじゃないのかしら? そこまでできる連中に私たち嫐り殺すって言われたのよ? オールマイトが来たとして……私たちもオールマイトも、無事で済むかしら」

「みみみ緑谷ァ!」

 

 怯えた様子で腕を掴む峰田は震えている。

 彼の恐怖は出久にもわかる。しかし、今は恐怖で思考を鈍らせている場合ではない。

 船室に続く壁からぬるりと姿を現した蓮華は、渋い顔をしていた。収穫はなかったようだ。

 

「――船内を見てきたよ、少年。これは訓練用のはりぼてみたいだ、無線機どころか動力すら備わってない。救命胴衣も脱出艇もなし」

「そう、ですか。ありがとうございます」

「蓮華さぁぁぁん! オイラも死んだら幽霊になれるかなあああ!」

「大丈夫大丈夫。なれないし、ならないから。生き残ることが最優先だよ、そうでしょ?」

 

 峰田をあやす蓮華を傍目に、出久は必死に考えた。

 生き残る。それはそうだ。しかし、水中にいるヴィランたちは別に水中でなければ生きられないというわけではない。彼らは船上に上がってくることだってできる。

 もし船上で多数のヴィランに囲まれれば、勝ち目があるとは言えないだろう。

 その時、出久はひとつの疑問にたどり着いた。

 

「……上がってこない?」

「ケロ。警戒してるのかしら」

「警戒……そうか、そうだ! 連中は僕たちを()()()()んだ!」

 

 首を傾げる蛙吹を見て、出久は確信した。

 

「ここにいるヴィランは水中戦を想定してる、つまり連中はUSJの設計を把握して配置してる。でも、それならおかしいことがある。つ、梅雨ちゃん! 君がここに移動させられてるってことだ!」

「だから何なんだよみどりゃー!」

生徒(ぼくら)の個性はわかってないんだと思う。だから警戒して、数で勝負できる水中にいるんだ」

 

 水中にちらりと視線をやる。

 何人ものヴィランが水面から顔を出し、出久たちを睨んでいる。異形型は海洋生物の姿をしている者ばかりだし、発動型や変身型でもきっと水中での活動に特化しているのだろう。

 彼らは有利なフィールドに留まって、数でリンチすることを選択した。つまり、自分たちの質が劣っていることを自覚していて、それでもなお勝つために協同することを指示されているということだ。

 なめてかかっていない。これは出久たちにとって不利ですらある。

 しかし、個性を知られていないというハンデはここから唯一の勝ち筋につながりうる。手札がバレていないというのはそれだけで圧倒的に有利だ。

 出久の意図を理解したのか、蛙吹が自分の個性を説明しはじめた。

 

「私は跳躍と、壁に張りつけるのと、舌を伸ばせるわ。最長で20mほどね。あとは胃袋を外に出して洗ったり、毒性の粘液……といっても、多少ピリッとする程度のを分泌できる」

「分……泌……!」

「峰田くんって本当になんでもいいんだねえ」

「後半ふたつは今は役に立ちそうにないわね、忘れて頂戴」

「薄々思ってたけど、強いね……。僕はなんていうか、説明が難しいけど……僕単体でできることは超パワー、ただ踏ん張りが利かない場所だと自爆しちゃう諸刃の剣的なあれです」

 

 基本的には索敵に特化している蓮華は残念ながら今は出番がなさそうだ。

 峰田に視線を向けると、彼はおもむろにお団子になった頭髪の一部をもぎ取って壁に貼り付けた。

 

「超くっつく。体調によっちゃ一日経ってもくっついたまま。モギったそばから生えてくるけどモギりすぎると血が出る。オイラ自身にはくっつかずにブニブニ跳ねる」

 

 言葉どおり、峰田が押すと弾むように変形しながらも壁からは全く剥がれない。

 扱いが難しそうだが、とても強い個性だ。サポートアイテムを使わずにヴィランを捕縛、あるいは無力化することができる。粘着力を活かして吸着爆弾のような運用をすれば攻撃にも転用できるだろう。

 応用力のありそうな個性に思わず出久が唸ると、何を勘違いしたのか峰田が号泣しはじめた。

 

「だから言ってんだろ、大人しく救けを待とうってよお! オイラの個性はバリバリ戦闘に不向きなんだよお!」

「ち、違うってば、すごい個性だなって思って活用法を考えてて」

「その慰め文はこの人生で10回以上食らってんだよ馬鹿ぁ! オイラ側みてえな雰囲気のくせしてリア充しやがってえ!」

「ケロ、支離滅裂ね」

「不思議な子だね。性格のひねくれ方が髪の丸まり方に出てるのかな。うーん、鶏と卵だ」

「言っちゃいけないこと言ったァー!」

 

 峰田が悲鳴を上げた瞬間、船体に強い衝撃が走った。

 咄嗟に吹き飛ばされないようしがみつく。揺れが収まったとき、船は無惨にも真っ二つに亀裂が入っていた。

 

「ッ、みんな大丈夫?」

「大丈夫よ。でも、このままじゃまずいわね」

「はりぼての船だったからね、じきに沈む。持って1分ってとこかな」

「うわああ!」

 

 半狂乱になった峰田がもぎもぎを水中に投げ込みはじめた。

 その勢いはすさまじく、みるみるうちに水上を彼の投げたもぎもぎが漂いはじめる。

 ヴィランに個性がバレていないというアドバンテージを失いたくなかった出久は、峰田を制止しようとした。

 

「ヤケはダメだ! ヴィランに個性が……あれ?」

 

 そして、気がついた。

 峰田が投げ込んだもぎもぎをヴィランたちは必死になって避けている。彼らは何を投げつけられたかわかっていないのだ。個性を知っている出久から見れば粘着する髪の玉でも、彼らにとっては水中機雷と変わらない。

 そのとき、出久にひとつの閃きがあった。

 

「峰田ちゃん本当にヒーロー志望で雄英来たの?」

「うっせー! 怖くないほうがおかしいだろーがよ! ついこないだまで中学生だったんだぞ!」

「それは本当にそうだよね、同情するよ」

「同情するならおっぱいくれよ! 入学してすぐ殺されそうになるなんて誰が思うかよ! ああ、せめて八百万のヤオヨロッパイに触れてからあ!」

 

 振り返って、三人に向き合う。

 出久の計算通りにいくとしても、チャンスは一度きりだ。

 

「僕に、考えがある」

「やるんだね、少年。いいよ、お姉さんの役割を教えて」

「……囮役を。できるだけ水中のヴィランが船の近くに集まるようにしてください」

「なるほど、わかった。行ってくるね」

 

 蓮華がその場からすっと下に沈む。船を通り抜けてそのまま水中に行ったのだ。

 残るふたりに出久が作戦を説明すると、蛙吹はわずかに顔をしかめ、峰田は「絶対に無理だ」と泣きわめいた。しかし、それしかないと説得し、そして出久は船体から身を乗り出した。

 イメージするのは暴君、爆豪勝己。

 この作戦では出久に視線が集まらなくてはならない。

 

「死ぃねえええ!」

 

 拳を振りかぶりながら飛び降りると、ヴィランたちは出久に馬鹿を見る目を向けながら場所を空けた。

 じれはじめていたところに飛び込む生徒が一人。彼らは出久が着水するのを待って襲うつもりだろう。蓮華の囮が上手くいっていれば、ほぼ全員が出久の自殺行為に気がついていることになる。

 ちょうど出久の着水ポイントを囲むように、輪を描いてヴィランが集まっている。このまま着水すれば出久はあっという間に死ぬだろう。

 これが勝ち筋だ。

 

DERAWARE(デラウェア)――」

 

 手が震える。涙がこぼれそうだ。怖くてたまらない。

 しかし、それでも出久は勝たねばならない。勝って、オールマイト殺害などという決して許せない悪事を阻止しに向かわなくてはならないのだ。

 分散した力の放出先がない以上、空中で力を分散させることはできない。だから、指一本を犠牲にする。

 

SMASH(スマッシュ)!」

 

 出久が放った超パワーが、水面を穿った。

 激痛に思わず右手で左手を強く押さえる。気を強く持たないと持っていかれそうだ。

 

「梅雨ちゃん! 峰田くん!」

 

 出久の身体を蛙吹の舌が絡め取った。彼女の優れた脚力は、船体を蹴ってはるか彼方までの跳躍を可能にする。

 そして、この作戦の主役は彼だ。

 

「うわあああ! くっそがよおおお! オイラだってえええ!」

 

 叫びながら峰田が投げ入れる無数のもぎもぎ。最高で1日離れないほどの吸着力を持つという球体が、出久の生み出した激流に呑まれていく。

 出久が利用したのは、流体の基本的な性質だ。

 水面から強い衝撃を受けた液体は広がり、そして衝撃を受けた点を中心として再び収束する。オールマイト級の超パワーによって生み出された収束は、360度囲うような津波と言っていい。

 ヴィランたちは津波に揉まれ、その最中で放り込まれたもぎもぎにくっついていく。

 そして。

 

「――一網打尽、よ」

 

 蛙吹の跳躍によって水場の端へと脱出しながら、出久たちはヴィランをひとまとめに捕縛することに成功した。

 着水。同時に、出久の身体に冷気が戻る。

 

「ナイスショット、少年。漏れはなし、君が負傷したことを除けば最高の結果だ」

「はは……つ、梅雨ちゃんと峰田くんのおかげです」

「おやおや、お姉さんのことは褒めてくれないのかな?」

「も、もちろんお姉さんのおかげでもあります!」

「ケロ、尻に敷かれてるのね」

 

 そんな、ふざけあう余裕すらあった。

 つまりは油断。もしくは慢心。そう言っていい。自分たちの力がヴィランにも通用したのだと、そんな錯覚を抱いてしまっていたのだ。

 力なく倒れる相澤と、その身体に馬乗りになる脳がむき出しになった巨体のヴィランを見るまでは。



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十五回忌 僕に「死」を教えてくれるお姉さん

 体が動かない。

 小枝でも折るかのように、相澤の腕がへし折られる。人体から決して鳴るべきではない軽く乾いた音が、出久の鼓膜を震わせる。

 出久の足は、前に進まない。

 

「――個性を消せる。素敵だけど、なんてことはないね。圧倒的な力の前ではつまり、ただの無個性だもの」

 

 全身に手を付けたヴィランがぶつぶつと、掠れた声で嘲けるように呟いた。

 その小さな声が聞こえるのは、あたりが静かだからではない。凄みが出久を捉えて離さないからだ。歩みはふらつき、とても戦闘ができるような体つきでもないのに、ぞっとするような凄みが岸辺から様子を伺う出久を縫い止めていた。

 相澤の頭部が地面に叩きつけられる。

 大きな果物を落としたような鈍い音。そして走る罅割れ。そのふたつがはっきりと、巨体のヴィランが相澤を殺す気で痛めつけていると示している。

 

「みどりゃーこれだめだ……さすがに考え改めただろ……?」

「ケロ……」

 

 蓮華は静かに、出久の肩を掴んでいた。

 押し止めるようにぐっと力を込めたその手が震えている。伝わる冷気は震えるほどに高まっているのに、蓮華は何も言わない。

 その時、手のヴィランの側に黒い渦が生まれた。もやのヴィランだ。

 

「死柄木弔」

「黒霧……13号はやったのか」

「行動不能にはできたものの、散らし損ねた生徒がおりまして……1名逃げられました」

「……は?」

 

 死柄木弔と呼ばれたそのヴィランは、苛立ったように唸りながら自分の首を掻きむしりはじめた。

 異常だ。

 

「はあ……黒霧お前……お前がワープゲートじゃなかったら粉々にしたよ……流石に何十人ものプロ相手じゃ敵わない、あーあ……()()()ゲームオーバーだ」

 

 今回は。

 その言葉が出久の耳にしつこく響いた。

 彼らは諦めたわけではない。もう一度機を伺う、そんな用意があるのだ。

 

「帰ろっか」

 

 死柄木がそう口にした。しばらくして理解が追いついたのか、出久の隣で峰田が歓喜の声を上げて蛙吹に飛びついた。

 しかし、おかしい。

 彼らは事前に潜入してカリキュラムを奪取し、計画を練り、これだけの数のヴィランを集めて襲撃に臨んだ。その言葉を信じるのなら、目的はオールマイトの殺害だ。

 そこまでしておいて、あっさり引き下がるだろうか。このまま帰れば雄英高校の危機意識を高めるだけに終わる。それを考えられない相手とは思えない。

 

「気味が悪いわ、蓮華ちゃん」

「油断しないようにね。いつでも水中に逃げられるようにしておいて」

 

 そして、蓮華の警告は正しかった。

 

「その前に、平和の象徴としての矜持を少しでも――」

 

 手が迫る。

 バレていたのだ。出久たちが、未熟な雛が呑気にも棒立ちで観戦していたのが。

 死柄木の手が相澤に与えたダメージを出久は目撃していた。まるで石膏像が風化するように、ボロボロと崩れていく様を。

 その崩壊を引き起こした手が、蛙吹に迫っている。

 

「へし折って帰ろう!」

 

 出久は動けなかった。

 しかし。

 

「――ゲームオーバーなのに無理やり操作するから、こういうバグに遭うんだよ。覚えておくといい。次はないだろうけどね」

「なんだ、お前」

 

 蓮華の手が、蛙吹の頭を突き抜けて死柄木の手を阻んでいた。

 崩れる気配はない。発動条件が整っていないのか、それとも蓮華のすでに朽ちた肉体――幽霊の身体には効果がないのか。

 白く細い指が、決して強くない力をめいっぱいに使っている。蛙吹に触れようとするその手を届かせまいと、必死に追いやっている。ダメージを受けないという確証などなかっただろうに。

 ヴィランが蓮華に触れている。

 その端的な事実が、出久の導火線に火を付けた。

 

「手を……放せ!」

 

 蓮華が危ない。そして、もし蓮華が崩されれば、次に危ないのは蛙吹だ。

 絶対に救けなくてはならない。その一心で出久は、個性を乗せた一撃を放った。

 

SMASH(スマッシュ)!」

「――脳無」

 

 炸裂する打撃音の向こうで、何かを呼ぶような声がした。

 こんな土壇場になって、出久は個性のコントロールに成功した。腕は折れていないし、指も壊れていない。

 成功を確信した出久は、舞い上がった土煙が晴れたことでその確信を捨て去った。

 ついさっきまで相澤を嬲っていたヴィランが出久の前に立っている。その巨体は微動だにしておらず、表情というものが存在しない顔で目だけを出久に向けていた。

 

「え……」

「いい動きするなあ……スマッシュって、オールマイトのフォロワーかい? まあ、いいや……君――」

「少年、離れろ!」

 

 蓮華の悲鳴のような指示に身体が追いつかず、出久は巨体のヴィランに腕を取られた。

 一瞬、出久は死を意識した。目の前で相澤に振るわれていた暴力が、これから己の肉体に刻まれるのか。

 死にたくない。

 その時、噴水広場の向こう、ゲートから破砕音が響いた。

 

「もう大丈夫――私が、来た」

 

 遠目にもわかる、その鍛え上げられた逞しい肉体。

 いつもは笑顔で輝く白い歯を威嚇するようにむき出しにして、オールマイトがそこに立っていた。

 

「あー……コンティニューだ」

 

 蓮華の手を振り払って、死柄木がそう呟いた。

 

***

 

 きっと、いつもなら出久は勇気づけられ、目を輝かせてオールマイトの活躍を見守る無邪気な一観客となったのだろう。

 あっという間に全員を救出し、オールマイトはヴィランとの戦闘に突入した。

 その直前、蓮華はオールマイトに何事かを囁いた。オールマイトは相澤よりもはっきりと驚いて悪態をついた後、「覚えておくよ、美珠少女」と息を吐きながら呟いた。

 その囁きのせいなのだろうか。

 

CAROLINA(カロライナ) SMASH(スマッシュ)!」

 

 相澤を背負って避難のために正面ゲートへと向かっていた出久は、どうしてもこらえきれず、ちらりと振り返ってしまった。オールマイトなら大丈夫、そうわかっていても出久の脳裏には彼の抱える傷のことがよぎるのだ。

 そして、見てしまった。

 オールマイトが放ったクロスチョップが、ヴィランの()()()()。ずっと見てきたファンだからわかる、オールマイトらしからぬ過激な一撃。

 

「――なんで」

 

 普段ならまず人間相手に使わないであろう、過剰な火力。

 人体を壊すような、殺してしまうような一撃を向けてもなお、ヴィランはオールマイトに立ち向かった。

 

「その個性……ショック吸収だけじゃないな!?」

「さすがオールマイトだなあ……そうだ、そいつには超再生も乗ってる。脳無はあんたのためだけに作られた超高性能のサンドバッグ人間、なのにそんな扱いしたら壊れちゃうぜ?」

「壊すために、やってるのさ! そうしても構わないってことはお見通しだからね! これは()()()()()()()()、違うかい!?」

「クソ、なんでバレてんだよ……あいつのせいか?」

 

 思わず出久は立ち止まってしまった。

 凄惨な打撃音に混じって聞こえる声がどこか遠い。

 気づかれにくいよう上手く動いているが、見る者が見れば明らかだ。オールマイトはそのヴィランを殺そうとしている。

 出久には理解ができなかった。

 ヒーローは不殺が基本。どんなに凶悪なヴィランでも殺すことなく捕らえなくてはならない。トップヒーローである彼がなぜそんな暴挙を働くのか。

 その疑問に答えたのは、相澤の頭を包んで冷やしていた蓮華だった。

 耳に寄り添う声が、誰にも知られないまま出久にだけ答えを囁いてくれる。

 

「気づいちゃったか。こうなっちゃったらもう隠しても意味ないよね。……あの黒いのには手加減する必要がないんだよ」

「それって、どういう」

「あれはある意味、お姉さんと同じ。ううん、逆かな。だからわかったんだ」

「同じ?」

「あれ、()()()()()()()

 

 出久の背筋に冷たいものが伝った。

 つまり、蓮華がずっと警戒していたのは、ヴィランに気づいたからでも、悪意を察知したからでもない。同類(死者)が攻めてきたことを見抜いたからだったのか。

 全身に走る怖気は蓮華の冷気でも、ヴィランへの恐怖でもない。もし自分が何も考えずにあの戦いに飛び込んでいたら、一体どうなっていたか。それを想像してしまったからだ。

 

「そ、それって……そんなことは」

「ありえない?」

「だって、それじゃあ……あのヴィランはオールマイトを、本当に……!」

 

 殺しうる。

 ずっとオールマイトを追いかけてきたファンだからこそわかる。彼はトップヒーローとして、人々の笑顔を壊すようなことは極力しない。死体だからといって殺しなおすような残虐な冒涜は、本来ならしないはずだ。

 ありえないと言いたかった。しかし、出久には言えなかった。出久は誰よりも死者の理不尽さを、現世の法則から解き放たれた存在の恐ろしさを知っているのだから。

 あの死体は、オールマイトにそうさせるだけの強さを持っている。

 

「たぶん個性で動かしてるか、もしくは何かを埋め込んであるんだと思う。死体を改造して手駒にしてる。ヴィランでもなんでもない、ただの道具だ」

「ま、待ってください。それって確証はあるんですか? もし間違いだったら、オールマイトが人殺しになっちゃいますよ!」

「あの身体にはもう魂が入ってない。わかるだろ、少年」

 

 蓮華が出久の肩にもたれたまま、手の先にペンを生み出した。

 本当はわかっていた。

 洋服、本、文房具。蓮華は幽霊でありながら色々なものを持ち歩いている。出久はこれまでその法則性についてあまり気にしていなかったが、ひとつだけ知っていることがあった。蓮華は生き物を運べない。

 部屋に置かれたサボテンの鉢植えを、蓮華は自分の手で部屋まで運んだ。それは大切にしているからではない。霊体にして運ぶことができなかったからだ。

 

「お姉さんはちょっとしたものなら自分と一緒に幽霊化して運べる。でも、魂が入ってるものはどれだけ小さくても駄目なんだ。だからかな、見ただけで魂の有無はわかる。……あれはもう、少しも生きてないよ」

「……そう、なんですね」

 

 蓮華が相澤から手を離して前に進み、振り向いた。

 前を歩いていた蛙吹に「なんでもないよ」と手を振ってみせてから、改めて出久と向かい合う。呆然と立ち尽くしていた出久は、蓮華の視線に射抜かれた。

 ぞっとするほど静かな表情。

 今なら誰でも彼女を幽霊だと思えるだろう。それくらいに無機質で、そして冷たい。

 

「死ぬってそういうことなんだよ。死んだら人間はもう()()にしかなれない。だから間違っても、君はあの戦いに混じろうなんて思わないで」

 

 後ろで、粘質な音が響く。

 オールマイトの一撃がどこを穿ったのかは想像したくない。脳無と呼ばれたヴィランの巨躯で唯一剥き出しだった脳のことなど、考えたくもない。

 ヴィランにも自分たちの実力が通用したと、そう思い込んで出久は浮かれていた。勝てると、本気でそう思ってしまっていた。そのままあの戦場に飛び込んでいたら、一体どうなっていただろうか。死ぬような攻撃を食らう側が逆転するだけではないのか。

 そして、もしそうなったなら、オールマイトはきっと身を挺して出久を庇うだろう。彼はトップヒーローだ。

 オールマイトはそうなるのを避けるために全力を出しているのだろう。つまり、生徒たちが万が一にも戦闘に飛び込んでくることのないように。そうなってしまえば、彼は「生徒の前でできるような戦闘」しかできなくなる。

 今、オールマイトが万全でないことを知っているのは出久と蓮華だけだ。「ピンチになってもオールマイトがいるから大丈夫」が通らないことを知っているのも。

 

「君たちも私も、あの戦闘の役には立てない。できることとやりたいことの区別はつけなきゃ駄目だよ、少年」

「……でも、オールマイトは」

制限時間(あのこと)は私も知ってる。そのうえで考えてごらん……本気のオールマイトがあそこまでして勝てない相手、いると思うかい?」

 

 死柄木の罵声と、巨体が崩れ落ちる音。

 今、出久は後悔に包まれていた。それは自分の甘さへの後悔だ。

 ヒーローに憧れてきた出久が見てきたのは、当然不殺の戦いだった。ヒーローは誰しも、誰かを救けるために戦う。殺すために戦うわけではない。

 しかし、現実には殺す気でかかってくるヴィランがいて、それを打ち倒す必要がある。弱ければ、不殺という道を選ぶ権利すらない。今の出久はその手前、戦う権利すらないところにいる。

 ずっと死者が隣にいてくれたのに、出久はそんなことすら考えていなかった。

 

「……ごめんなさい、お姉さん」

「そうだね、君は浅はかだったかもしれない。でも、その浅はかさはお姉さんが教えるのを躊躇ったせいでもある」

「そんな、ことは」

「そんなことはあるのさ。お姉さんだって、好き好んで自分の死因について話そうとは思わない。でも、それを話してれば少年に考える機会をあげられた。責任ははんぶんこ、ね?」

 

 はんぶんこ、と呟いて、蓮華は無理やり笑みを浮かべた。見ているこちらが辛くなるような、痛々しい笑みだった。

 相澤は目を覚まさない。彼が深手を負ったのは、生徒を守ろうとしたからだ。出久は相澤に守られ、蓮華に支えられ、オールマイトに救われた。

 出久はのろのろと歩きはじめた。

 

「緑谷ちゃん、落ち込むことはないと思うわ。私たちは生き残った。一番の目標は達成したのよ」

 

 遠巻きに出久たちを待っていてくれた蛙吹が、出久の顔を見て励ますように言った。

 観戦するクラスメイトたちから上がる呑気な歓声。きっと彼らはオールマイトがしていることに気がついていない。彼がどれほど苦しんでいるかにも。

 オールマイトの抱える秘密を知る出久だけが、彼の余裕の無さを理解できる。

 あのオールマイトにそうさせるだけの難敵だったのだ、あれは。トップヒーローである彼に捕縛ではなく破壊を強要する、それだけの力を持っている。その戦いに出久は参加できない。

 到着したプロヒーローたちの攻撃が始まる。

 どこか現実が遠くにあるような、そんな気分で出久は相澤を背負いながら歩いていた。重い足を引きずり、手の痛みを誤魔化しながら。

 強くなりたい。



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十六回忌 僕のいないところで事情聴取を受けるお姉さん

 香りだけでもと出されたお茶の湯気が、蓮華の冷気にあてられて空中で複雑な図形を象る。

 本当なら保健室で治療を受けている出久についていてやりたい。怪我は指一本で済んだが、心の傷は計り知れないほどだろう。それなのに蓮華は雄英高校の応接室にいる。

 

「まず、君には感謝を伝えたい! 君がいてくれたおかげで迅速に処理を進められたからね!」

「その代わり、仕事も増えた。そうでしょう? お手数をおかけして申し訳ないです」

 

 ネズミともイタチともつかない小動物の校長が、困ったように笑った。

 蓮華は本来であれば常闇の個性である黒影のように、「個性に付随する人格」として書類上は片付く予定だった。戸籍もない、死んでからの年月も経っている蓮華を改めて個人として扱うより、そのほうが都合が良かったのだ。

 個人として扱うための用意も大変だし、蓮華を現代に蘇らせるメリットが誰にもない。

 生々しい話、すでに故人として処理されて23年が経っている蓮華の国民年金や税金の処理を考えると、出久の付属品として計算したほうが誰にとっても損しない結果になるのだ。

 しかし、蓮華は個性で唯一無二の成果を上げてしまった。

 オールマイトによって致死レベルのダメージを与えられ、昏倒しながらも再生し続けていた脳無。それが生きた人間ではなく死体を強引に蘇生して作られた改造人間であることは、すでに科学捜査で判明している。

 今のところ、外見以外の要素で脳無と一般のヴィランを見分けられるのは蓮華だけだ。蓮華の戸籍を復活させるべきか否かの議論は再燃しつつある。

 

「お手数なんてそんな、気にしないでも大丈夫! チョチョイのチョイなのさ!」

「ご尽力、痛み入ります。それに、塚内さんも」

「まあ、僕のほうでもやれるだけのことは」

 

 塚内直正が小さく頭を下げた。

 塚内はオールマイトの旧友だという刑事だ。階級は警部。昨今ではヴィラン受け取り係と揶揄されることもあるが、警察の捜査権限はヒーローに優越する。多くの場合、その実力もまた然りだ。

 中でも腕利きらしい塚内は、今回USJを襲撃した悪党の集まり――(ヴィラン)連合を追っているとのことだった。

 その敵連合が死体を道具にしているとわかった以上、塚内は今後の捜査で死体の入手経路や加工手段を特定しようとするだろう。その際、蓮華はとても役に立つ。

 そうであるにも関わらず、塚内は蓮華をあくまで部外者に置いてくれた。理由は出久にある。

 

「いくら捜査の役に立つからといっても、まだ学生の子を連れ回すわけにはいきませんから」

 

 500mが出久と蓮華の離れられる限界距離だ。最初は150mが限界だったのを、生活の中で訓練することで少しずつ伸ばしてきた。

 ワン・フォー・オールの縁に腰掛ける形で出久に取り憑いている蓮華は、出久という依代を失えばどうなるかわからない。神社に戻るのか、それとも消滅するのか。

 そんな不安定な蓮華を捜査に投入するわけにはいかない。

 それが塚内の警部としての判断だった。そこには少なからず彼個人の良心と打算が含まれているのだろうが、ともかく表向き蓮華は警察に使われることはない。

 問題は警察ではない。もうひとつ、蓮華に目をつけた組織がある。

 

「公安はまず緑谷くんにスカウトをかけてくると思います。オールマイトから聞いている彼の性格を考えれば、公安とはそりが合わないでしょうが……」

「言いくるめられてもおかしくないんですよね、出久は」

「真面目なのも時には困りものなのさ……」

 

 ヒーロー公安委員会。そこが、蓮華に興味を持っている。

 公安とは「公共の安全と秩序」を意味する。事実、ヒーロー公安委員会は公共の安全と秩序を守るヒーローの統括団体だ。オールマイトをナンバーワンヒーローとしているのもこの公安委員会が示すビルボードチャートによるもの。

 しかし、同時に公安とは活動内容を秘匿して国家体制を守るための活動を行う組織でもある。彼らは警察にすら自らの正体を明かさず、時には巨悪や難敵を討つために警察や市民の敵に回ることすらあるという。

 その内容には当然、幽霊向きの仕事も含まれている。

 

()()美珠蓮華にそういうちょっかいをかけてくるとは思いたくないですけどね」

「……やめてください、まだちょっと受け入れきれてないんです」

「それについては申し訳なく思っているのさ! 当時は個人情報の扱いも曖昧だったし、何より悲劇の英雄譚としてマスメディアが盛んに報道してしまったからね!」

「ああ、もう……少年になんて言おう」

 

 蓮華は両手で顔を覆ったが、半透明の手では自分の腰掛けるソファが透けて見えるだけだった。

 もう23年前になる、ヴィランによる大規模火災。その死者である蓮華は、あろうことかプロヒーローが受ける講習の教材に一時期使われていたという予想外の形で名前が伝わっていた。

 美珠蓮華の名は語り継がれていたのだ。無個性の無力な民間人の犠牲によって解決につながった事件、その教訓とともに。

 今なら相澤が手際よく資料を集められた理由がわかる。そもそも彼は「美珠蓮華」という名前に聞き覚えがあったのだ。そのせいで蓮華は出久の前で恥をかかされた。とんでもない仕打ちだ。

 既に風化した事件だと思っていた。

 神社の参拝客もほとんどおらず、慰霊碑にお供え物をしてくれるのも近隣に住む老人くらいのもの。実際、蓮華の名前を聞いて表情を変える者など一人もいなかった。

 それが、こんなところで自分の過去を掘り返されるとは。

 

「本当に、大したことはしてないんですよ? というか、どうせ語り継ぐなら事件を解決した()のほうを語り継ぐべきです」

「その()たっての要望だったのさ! 美珠くんを風化させたくなかったのかもしれないね!」

「あいつ、会ったら覚えとけよ……」

 

 ぐっと拳を握りしめる。喧嘩を仲裁するたびに弟たちを悶絶させた一撃をお見舞いする必要があるようだ。

 

「でも、気持ちは僕もわかりますよ。美珠さんの犠牲がなければ勝てなかった戦いだったわけでしょう? ()にとってはある意味、力不足で救えなかったどころか逆に命懸けで救われたということになります」

「当時の私は無個性でしたから。他の人ならもっと上手くやったと思いますよ」

「いいや、そんなことはないのさ! 正直、()()()()()()()を肯定する気はないけれど……それでも、君の選択が多くの命を救ったのは事実なのさ!」

 

 蓮華はヴィランに殺されたわけではない。

 当時の話、とりわけ自らの死因について蓮華が出久にひた隠しにしているのは、彼に悪い影響を与えたくなかったからだ。蓮華はヴィランによる被害を食い留めるため、自ら命を絶っているのだから。

 後悔はない。そうしなければ勝てない相手だった。蓮華は自分の正義を貫いた。

 だからこそ、出久には真似してほしくない。自分を犠牲にするという選択肢を持ってほしくないのだ。知ればきっと、そうしてしまう危うさが出久にはある。

 

「どのみち、()とは体育祭で会うことになるのさ! 彼の息子も出場するわけだしね!」

「いやあ、今年は層が厚いですね。OBとして鼻が高い。さっきオールマイトも言ってましたよ、この代は伸びるって」

「半分保護者みたいな身としては、ヴィランが生む伸びしろなんてないほうが嬉しいんですけど」

「それはごもっともなのさ……セキュリティの改善で今から胃がキリキリするよ」

「小動物でもストレスでキリキリするのは胃なんですね」

「もちろんなのさ。幽霊はどうだい?」

「さあ、今のところなってないので。ストレスフリーなお姉さんなんです、私」

 

 しかし、これからはそうも言っていられないだろう。

 ヴィランはオールマイトを狙っている。オールマイトはこれからも雄英で教鞭を執る。そして出久はオールマイトと浅くない縁を結んでいる。

 出久の性分を考えれば、いつまでも手をこまねいてはいられないだろう。きっといつか飛び出してしまう。そしてその時、ただの幽霊にすぎない蓮華に彼を止める力はない。

 それに、死体を使うようなヴィランが蓮華を狙わないという保証もない。

 

「お願いします、校長先生、塚内さん。いつか羽ばたく雛だとしても、巣立つまでには時間が必要です。私に言われるまでもないかもしれませんが」

「任せてほしい、というには頼りないところを見せちゃったばかりだけど……校長として、最善を尽くすことを約束するのさ!」

「警察も全力を尽くしますよ。今回の件で少しは上層部も重い腰を上げることでしょう。天下の雄英を荒らされて何もわからないんじゃ、沽券に関わりますからね」

 

 深く頭を下げる。

 冷めはじめたお茶からはまだ、上等な茶葉の香りが立ち昇っていた。

 

***

 

 保健室で手当を受けながら、出久はオールマイトの言葉に耳を傾けていた。

 蓮華がいない状態でオールマイトと話すのは久しぶりだ。それゆえに、この奇妙なもどかしさを抱えている自分が申し訳なかった。それがエゴだと、わがままだとわかっているからなおさら。

 たとえ作り物でも、人を殺すオールマイトはあまり見たくなかった。

 

「……正直、やっちゃったなって思ってるよ。あの時私は教師じゃなかった。できるだけ見えないように立ち回ったけど、子どもたちに見せられる戦いじゃなかったね」

「でも、それだけ強敵だったんですよね?」

「それはそれ、だよ。私はトップヒーロー、笑顔をもたらす存在でなくてはならない。……君にも、謝らなくちゃいけないな」

 

 痩せた、枯れ木のような手をぽんと頭に置かれる。

 この手がたくさんの命を救ってきたのだ。そして、そのためにたくさんのヴィランを倒してきたのだ。圧倒的な力を使いこなす彼だからできた手加減で、殺すことなく。

 そう思うと、オールマイトと「死」を切り離して考えていた自分がたまらなく情けなくなる。彼は死と無縁なわけではない。ただ、強いから死なせないことを選べただけだ。

 そして、彼の継承者である出久もいつかはその高みに立たなくてはならない。これは出久に課された義務だ。

 本当ならあの場で出久は立ち止まっていてはいけなかった。

 

「幻滅したかい、緑谷少年。強敵を前に手段を選べないなんて、失態もいいところだ。情けないところを見せてしまった」

「……そんなことはないです。でも、あなたにそんなことを強いる弱い自分が嫌だ」

 

 出久が油断して棒立ち状態で観戦していなければ。

 蛙吹が狙われた時、咄嗟に動くことができていれば。

 脳無に受け止められた攻撃が、ちゃんとダメージを与えられていれば。

 いくらでも湧き出てくる後悔。出久はまだ守ってもらう側の存在でしかなかった。オールマイトにこんな苦しそうな顔をさせてしまった自分が嫌で嫌で仕方がない。それなのに、目指すべき場所が遠すぎる。

 

「……オールマイトは、不安じゃなかったんですか? 本当はただの人間で、殺してしまうかもしれないって」

 

 出久の問いかけに、オールマイトは一瞬だけ見たことのない顔をした。

 遠い昔に思いを馳せるような、それでいて憎い敵を目の前にしたような、風化した悲しみと怒りがごちゃまぜになったようなその顔はすっとかき消え、オールマイトの手が出久の頭を揺らすように撫でた。

 

「私とて、美珠少女の言うことを鵜呑みにしたわけではないよ。生きた人間ならするはずの反応がなかったり、怪しい点はたくさんあった。それに、そうだね……()()()()()使()()()()()()()に心当たりがあったんだ」

「そんなヴィランが?」

「私の活動はすべてが公にされてるわけじゃないからね。人知れず戦うのもヒーローの務め、さ。もう昔の、終わった事件の話だけどね」

 

 そう笑って、オールマイトは咳き込んだ。

 大きな傷こそ負わなかったものの、戦闘でオールマイトは疲弊している。消耗を避けるためにリカバリーガールが段階を分けて治癒しなければならない程度には。

 

「クラスのみんなはどうだったかな」

「ほとんど気づいてないと思います。みんなオールマイトが来て安心してたし、見てた人も脳無の再生能力のほうに意識がいってたから」

「や、負傷者がいないかってことを聞きたかったんだけど……そうか。それは、僥倖かもしれない」

「でも……僕は忘れません。あなたに、そんな顔をさせてしまったこと」

 

 全盛期のオールマイトなら、あの程度のヴィランは難なく倒しただろう。ヒーロー活動に支障が出るほどの深い傷という秘密を知っている出久だけが彼を庇いにいける立場にいた。

 出久は何もできず、それどころか彼に力を無駄遣いさせてしまった。

 

「……ポジティブに考えるとね、緑谷少年。君のおかげで私は余分な消耗をせずにあのヴィランたちを撃退できたとも言える」

「僕のおかげで?」

「美珠少女が教えてくれなければ、私はあのヴィランを殺さないよう気をつけて戦闘していただろう。悔しい話だが……あのパワーに超回復、ショック吸収。早々に引かせられたが、他の二人も強敵だった。きっと私は軽くない手傷を負うはめになっていた」

 

 それは確かに蓮華のおかげかもしれない。

 しかし、それを「自分の個性だから」と胸を張れるほど出久は無神経でもないし、がめつくもなかった。

 そんな出久の脳天を、オールマイトの手ごとリカバリーガールの杖が打ちのめした。

 

「いつまでメソメソしてんだい!」

「いったあ……」

 

 手をさすりながら恨みがましくリカバリーガールを見やるオールマイトに、彼女は鋭く杖をつきつけた。

 

「そういう愁嘆場はよそでやんな! 保健室にカビが生えるさね!」

「す、すみません……」

「まったく……事が事だ、大目に見てやろうと思ったけどね。オールマイト、あんたもう少し教師としてしっかりしないと導けるものも導けないよ!」

「しょ、精進します……」

「師弟揃ってどうしてこう自罰的なんだか……心配だよあたしゃあ」

 

 半ば追い出されるようにして保健室を転げ出た出久は、後ろ髪を引かれながらも教室へ戻った。帰り支度をしなくては。

 廊下を歩いて教室に向かっていると、ドアに背中を預ける影があった。

 爆豪だ。

 

「かっちゃん?」

「……おいデク、幽霊女出せ」

「えっと、今は事情聴取受けてて……もうすぐ戻ると思うけど」

 

 しばらく爆豪は黙って腕を組んだまま立っていたが、舌打ちをしてドアから身を起こした。

 

「じゃあいい」

「あ、待ってよ、帰るなら一緒に」

 

 いつもなら出ない一言が出久の口から転げ出た。

 自分でもどうしてそんな誘いをかけたのかわからない。爆豪と二人並んで帰った記憶など、もうはるか彼方で色褪せつつある。

 爆豪は一瞬目を見開いて、それから眉間に皺を寄せて舌打ちした。

 

「誰が一緒に帰るかボケ」

 

 目的がわからないまま、出久は帰っていく爆豪の背を見送った。

 彼は飛ばされた先で切島とともにヴィランを片っ端から沈め、オールマイトを狙う主犯格を倒すために広場へと戻ってきたのだという。少なくとも、切島からはそう聞いていた。

 もしかすると、爆豪も気づいてしまったのだろうか。

 オールマイトがあの時背負っていた死、その覚悟の重さに。出久たちが背負わせてしまった、とんでもない重荷の正体に。



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十七回忌 僕の涙を受け止めてくれるお姉さん

 部屋のベッドに寝転がって天井を眺めながら、出久は今日あった事件について考えていた。

 ヴィランによる大規模な雄英高校襲撃。その目的はオールマイトの殺害という、極めて大それたものだった。しかし、それを実現するだけの準備はしていたようだ。

 悪意を挫くため、オールマイトは全力で力を振るった。

 違う。出久たちが振るわせてしまったのだ。

 

「――少年、入るよ」

 

 ノックの後、少し間を置いてから蓮華が出久の部屋の扉を開いた。

 その気になれば幽霊の身体を使って壁を抜けることもできるのに、蓮華は律儀に扉をノックしてくれる。一度たりとも出久が望まない形でプライベートを侵してきたことはない。

 だからこそ、返事する前に扉を開けるという珍しい振る舞いに出久は驚いて体を起こした。

 

「お姉さん?」

「ごめん、邪魔しちゃったかな」

「いえ、そんな。でも、えっと、椅子がないから……」

 

 オールマイトのグッズとトレーニング用品だらけで、人をもてなすことなど微塵も考えていない部屋。それを気にもとめず、蓮華は小さく笑って出久のベッドに腰掛けた。

 存在しない体重がわずかにマットレスをたわませる。

 部屋に広がる蓮の香り。遠くを思わせる霞がかった甘さと、それでいて透き通った爽やかさが、消臭ビーズを置いただけの味気ない出久の部屋に少しずつゆき渡っていく。

 思わず硬直する出久に触れるか触れないかの距離で寄り添う蓮華は、しばらく何も言わずに出久のコレクション棚を眺めていた。

 10分ほどそうしていただろうか。

 次第に出久も緊張が解け、「クッションでも用意すればよかった」と考える余裕ができたころになって、蓮華はぽつり、ぽつりと語りはじめた。

 

「……少年の憧れをさ、お姉さんはあんまりわかってなかった気がするんだ」

「憧れ、ですか」

「オールマイト。好きなんだよね」

 

 頷く。

 オールマイトは出久の原点だ。彼は笑顔を絶やさず、どんな苦難もはねのけ、当たり前のような顔をして人々をあっという間に救けてしまう。そんなヒーローになりたい、そう思ってここまで来た。

 だからこそ、オールマイトの足を引っ張るなどあってはならないことなのだ。

 

「お姉さんが中学生のときだったかな、オールマイトがデビューしたのは。衝撃だったよ、クラスのみんなが彼の話ばかりしてた」

「えっと、オールマイトがアメリカでの活動を終えて帰国したときですよね。あの大災害から10分で100人を救けた伝説の」

 

 出久はそのシーンをレコーダーのBDが擦り切れるくらいに何度も見たものだ。

 絶望的とまで言われた災害現場から笑顔のまま現れ、要救助者たちを抱えて放った「もう大丈夫、私が来た」は今やオールマイトの代名詞となった。幼少期の出久にとってその姿は最も鮮烈な「ヒーロー」だった。

 

「そうそう。ヒーロー志望の子も同級生にいたけど、少年みたいに憧れてたり、反対に絶対超えてやるんだーって気合い入れてたり。みんな彼を意識してた」

「お姉さんは、どうだったんですか?」

「私か。んー……すごいな、とは思ってたよ。でも、それ以上に怖いなって」

「怖い?」

「なんていうかさー」

 

 腰掛けたベッドの上で足を伸ばして、ぱたぱたと揺らしながら蓮華は口を曲げた。

 どこか幼い空気を纏った蓮華は、きっと当時のことを鮮明に思い出しているのだろう。彼女がまだ、ただの「無個性の中学生」だったころのことを。

 

「みんな、オールマイトがいれば大丈夫って思いはじめてた。少しずつだけど、彼がいて当たり前の存在になりはじめてたんだよ」

「……でも、実際この20年以上はオールマイトのおかげで」

「そう、オールマイトが象徴を張ってたから平和な時代だった。でも、少年は今日自分の目で確かめたし、なんなら思ったはずだ。救けたい、救けなきゃいけないって」

「それは……そう、ですけど」

「彼もさ、人間なんだよ。歳を取るし、病気になるし、怪我をする」

 

 蓮華が指さした棚には、各時代のオールマイトが鎮座している。出久が小遣いをやりくりして地道に集めてきたコレクションだ。中にはもう出回っていないものだってある。

 それらはオールマイトがデビューしてからずっと作られ続けてきた。

 アメリカで活動していたころのヤングエイジ、日本でデビューしたばかりのブロンズエイジ、トップヒーローとして輝くシルバーエイジ、そして今もなお日本の平和を守るゴールデンエイジ。

 並べれば、言われなくともわかる。オールマイトは歳を取っている。

 しかし、彼の実力は衰えないと言われていたし、活動は精力的であり続けている。彼が深い傷を負ってヒーロー活動に支障が出るほど衰えていると言っても誰も信じないだろう。

 

「人はいつか死ぬ。オールマイトも死ぬ。今日がその日じゃなかったのは、うん、お姉さんも嬉しい。いい人だからね、長生きしてほしいな」

「僕もそう思います。オールマイトには元気であってほしい」

「そうだね。……お姉さんもきっと、いつか本当の意味で死ぬ日が来るんだと思う。つまり、こうやって幽霊生活するのにも終わりが来るんじゃないかなって」

 

 出久が勢いよく隣を向くと、蓮華は困ったような笑みを浮かべていた。

 

「すぐってわけじゃないよ? どうやったら終わるのかなんてお姉さんにもわからないし」

「よ、よかった……びっくりしました、急に言い出すから」

「ごめんごめん。でも、今日お姉さんは決めたんだ。私はいつか終わる。だから、少年に遺せるものは全部遺してあげたいなって」

 

 遺す。その言葉が、遺産とか遺言とかそんなちっぽけなものを指しているわけではないことは出久にもすぐわかった。蓮華はもっと大きな、押し潰されそうなくらいに大きな話をしている。

 いつか蓮華がいなくなるなど、出久は考えたくなかった。

 逃げるように立ち上がろうとした出久の手を、蓮華が掴んだ。冷たい、湿った体温が伝わってくる。そして感じるのは、かすかな震えだ。

 どちらが震えているのか、出久にはわからなかった。

 怖くてしょうがないのだ。誰かを喪いたくない、その気持ちが溢れて、ずっと堪えきれない。ずっと胃の底がひきつるように震えている。

 

「まだちょっと、自分が死んだときの話はしたくない。でも、少年はもう知ろうと思えば知ることができる。どうせならさ、自分の口で教えたいんだ。わがままかな」

「……わがままです。わがままですよ、それは」

 

 掴まれた手を掴み返して、出久は蓮華を睨んだ。

 大切な人なのだ。ずっと見守ってくれた、ずっと支えてくれた、そして今は一緒に戦ってくれる、なにものにも代えがたい人なのだ。その人のことを知りたいと思うのは当たり前ではないか。

 蓮華は最初からずっと、ずるい人だった。

 

「いつかいなくなっちゃうって言っておきながら、調べちゃだめなんて……ずるいです、お姉さんは。本当に、ずるい」

「そうだよ、お姉さんはずるいんだ。だから、少年もずるくならなきゃいけない」

 

 ふいに蓮華が出久の手をぐいと引いた。

 急にかけられた力を拒めずにベッドに転げ込んだ出久は、蓮華の柔らかな肉体に包まれた。

 慌てる間もなく久しぶりに感じる、髪を撫でる少し雑な手付き。決して温かくないはずなのに、不思議と感じるぬくもり。

 手は繋いだまま、しばらく出久はされるがままになっていた。

 

「ずるくなれ、少年。お姉さんが成仏したくないって強く思うような、とびきりの未練になっておくれ」

「……なります、絶対に」

 

 冷気に全身を抱きしめられながら、出久はぐっと涙をこらえた。

 ずっと泣きたかった。オールマイトに苦痛を強いてしまったことへの後悔、自分の無力さへの絶望に、思いきり泣きわめいてしまいたかった。

 それでも泣かなかったのは、蓮華がいるからだ。泣き虫なところを見せたくない、その矜持だけで出久はみっともなく食いしばっていた。

 そんな出久の背を、優しい手が撫でる。

 

「泣いていいんだ、少年。君は泣いていい」

「泣かない、です」

「それは私がいるから?」

「……絶対に、泣かないですから」

 

 こらえきれなかった涙が、ぼろぼろと溢れ出てくる。もう拒むのが無駄だとわかっていて、それでも出久は涙を止めようとした。

 

「お姉さんもさ、昔、絶対に見られたくないやつの前で大泣きしたことがあるんだよ。悔しかったなあ」

「泣いて、ないです」

「もう、息ができないってくらいに泣いて、怒鳴って。後になってすっごく恥ずかしくなっちゃってさ。今でも覚えてるのかな、あいつ」

 

 泣きたかった。しかし、泣きたくなかった。

 やりきれない悔しさと、八つ当たりでしかない怒りがどろどろになっている。

 わけもわからず、出久は蓮華にしがみついて泣いた。声を上げて泣く出久の背を、蓮華はただ優しくさすって、当たり前のように話を続けてくれた。

 

「中学でさ、いじめがあったんだよ。気に入らなくて、殴り込みにいったんだけど返り討ちにあって。なんてったってお姉さん、そのころは無個性の女子中学生だからね。個性の対人使用が違法どうこうなんてお構いなしだった」

「……はい」

「で、ボコボコにされて、ああ、次にいじめられるのは私なんだろうなって思ってたところでそいつが来たんだ。世の中の全部に興味ないみたいな顔した生意気なやつでさ。でも、個性を使わなくてもすごく強かった」

「……はい」

「いじめの主犯格を叩きのめして、一喝してさ。ああ、どうして私にはできなかったんだろうってすごく悔しくて。むしろそいつに負けた気分になっちゃって、もう大泣きだよ」

 

 馬鹿みたいだよね、と笑う蓮華の気持ちが出久には痛いほどよくわかった。

 無力感。

 誰かの力になれない、なれなかったというその感覚は、ヒーローを目指す出久にとってなによりも辛いものだった。ましてや、憧れのオールマイトを救けるには力が足りないという事実は、よりいっそう出久を打ちのめしたのだ。

 悔しさで、出久はどうにかなってしまいそうだった。その淀んだ苦しみが涙とともに抜けていく。

 

「散々大泣きしたあと、そいつと約束したんだ。無個性だろうとなんだろうと、自分の正義を貫ける人間であろうって」

「……自分の、正義」

「うん。さすがに少年みたいな無個性でヒーロー目指す度胸の持ち主ではなかったけど、それでも正しいやり方で正しいことをする人間でいようって決めたんだ」

 

 見上げると、そこには涙で滲んだ蓮華の顔があった。

 蓮華はいつも出久の背を押してくれた。それはきっと、無個性でヒーローを目指した出久のためでもあり、正義を貫くという未練を残した蓮華のためでもあったのだろう。

 気づかないうちに、出久は言葉を発していた。

 

「じゃあ、もう僕はお姉さんの未練じゃないですか」

「……ふふ。いいぞ、その調子でどんどんずるいやつになっていけ。その通り、少年がヒーローとして正義を貫くところをお姉さんは見たいんだ」

「絶対、絶対になってみせますから」

「うん。……ごめんね、まだ少し他人事のつもりで応援してたかもしれない。これからはもっと、少年の個性として本気で頑張るからさ。二人でなろうよ、最高のヒーローってやつ」

 

 いつしか出久の胸中につかえていたもやは晴れ、涙のかわりに決意がこみ上げていた。蓮華とともに、最高のヒーローになってみせる。オールマイトすら当たり前のように笑顔で救けてしまう、最高のヒーローに。

 明日からまた頑張らなくてはならない。

 いや、違う。頑張りたいから頑張る。



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雄英体育祭編
十八回忌 僕と新たな力を生み出してくれるお姉さん


 雄英高校体育祭の話題に世間が沸き立ちはじめたころのこと。

 出久は特訓に力を入れていた。オーバーワークにならないギリギリを攻める感覚は入学前のドリームプランで身体が覚えている。

 

「気合入ってるね、少年」

「だってっ、オールマイトにっ、言っちゃいましたからねっ!」

 

 ベンチプレスの重量も前より増えた。一歩ずつ出久の肉体は改造されている。

 今日の昼にオールマイトと昼食をともにした出久は、彼の前で宣言した。「僕が来たって、世間に知らしめてみせます」と。

 いつまでも平和をオールマイトに任せきりにはできない。出久は次代のヒーローが育っていることを、ヒーローはオールマイトだけではないことを世間に伝えるため、雄英体育祭で活躍を見せることを決意したのだ。

 

「ぐっ……これで、ラストぉ……!」

「ナイス筋肉。それ終わったらお姉さんとの特訓だからね」

「ぐうっ……よし……いきましょう!」

 

 最後の1セットを終えた出久はトレーニング用品を片付けた後、蓮華とともに自宅を後にした。向かうのは思い出の地、あの神社だ。

 春の盛り、木々が生い茂るこの季節に神社は埋もれ、単なる森の一角と化す。音は緑に遮られ、参拝客もおらず、秘密の特訓には最適の場所と言えるだろう。

 境内の中央に立った出久は目を閉じ、体の隅々まで空気を送り込むように大きく息を吸った。

 その身体に蓮華が取り憑く。指の先、髪の一本に至るまで染み込んだ冷気が、出久の鮮明な輪郭を象っていく。

 

「――これが、僕の形。僕の、器」

 

 蓮華によって鮮明になった自分自身、そのすべてに満遍なくワン・フォー・オールの力を分散させていく。

 緑谷出久という存在そのものに力を満たすようなイメージ。

 丹田で練られた熱が稲妻となって広がっていく。胴から肩へ腰へ、そして腕へ足へと隙間なく広がった力は、出久を壊すことなく描いた輪郭の隙間を埋めていく。

 目を開く。

 一歩踏み出すと、境内の石畳に残っていた落ち葉がぶわりと舞い上がった。

 足は、壊れない。

 

「力の分散。これが……ワン・フォー・オールの使い方」

――すごい力強さだ。内側から見てると酔いそうなくらいだよ。

「これなら……!」

 

 膝を曲げ、一気に跳躍する。

 石畳を震わせて射出された出久は、樹冠を貫いて空へと舞い上がった。広く澄んだ春の空が出久を迎え入れる。遠くに見えていたわたぐもが今なら掴めそうなほどに近い。

 空気が気持ちいい。まるで感覚まで力で研ぎ澄まされているようだ。

 

――少年、これ着地はどうするの?

「え、どうするって……うわあああ!」

 

 重力に従って自由落下を始めた肉体が石畳の染みにならないよう、出久は大慌てで薙ぐような蹴りを放って衝撃波を生んだ。

 地面に戻ってくるころには、境内は出久の生み出した暴風でゴミひとつ落ちていない綺麗な有様になっていた。

 ぬるりと出久の身体から抜け出した蓮華が呆れた目を出久に向ける。

 

「調子に乗るな、お馬鹿」

「うっ、ご、ごめんなさい……」

「まったく……でも、やっぱり正解だったね。少年はあの時にコントロールのコツを掴んだ」

 

 頭を下げて詫びながら、それでも出久はこみ上げる達成感を隠せなかった。

 今出久が全身に纏ったのは、いつもの自爆前提な100%ではない。出久が耐えられるギリギリの出力、イメージで言えば6%といったところか。

 USJを襲撃したヴィラン連合、その兵器である脳無に受け止められてしまった出久の攻撃は、フルパワーで放ったつもりだったにも関わらず身体を壊していなかった。

 初めて人に使ったことでセーフティーが働いたのだろうというオールマイトの推察どおり、出久はあの時力を無意識にセーブしていたようだ。

 その結果、出久はついに力をコントロールする第一歩を踏み出した。

 

「この技、名前はあるの?」

「うーん……オールマイトはパワーアップ技を使ってないので、オマージュ元が思いつかなくて……シンプルに『フルカウル』っていうのはどうでしょう」

「全身を覆うイメージか、わかりやすいね」

 

 今はまだ蓮華のガイドがなければ完成させるのは難しい。準備時間が必要なことを除けば優秀なカードになりうるだろう。

 そして、特訓はこれで終わりではない。

 

「それじゃあ、もう一度」

「はい! ……その、無理はしないでくださいね」

「しないとも、するのは無茶だけさ」

 

 くすくすと笑って、蓮華は再び出久の身体に溶け込んだ。

 もう一度力を隅々まで行き渡らせる。一度成功したからか、先ほどよりも熱が染み込んでいくのが早い。

 違うのはここからだ。

 出久の全身を満たした熱い力が、蓮華に侵食されて性質を変えていく。一歩間違えれば炸裂しそうな奔流はそのままに、熱いものから冷たいものへ。

 

「ワン・フォー・オール、フルカウル……()()()()()()()()()()!」

 

 拳を引き絞る。

 オーバー・ポゼッション。蓮華の憑依による存在の重なりを限界まで高め、ワン・フォー・オールのみなぎるパワーを蓮華に託す。23年間も幽霊(個性)として漂っていた蓮華のコントロール力は、出久のそれを優に上回る。

 狙うのは先ほど暴風に舞い上げられたばかりの葉。その小さく不安定な的に向けて、出久は視線を向け、そして――

 

「――SMASH(スマッシュ)!」

 

 放つ。

 突くように押し出された拳から、衝撃波となった冷気が送り出される。その冷たい不可視の塊は風に煽られて揺らぐ葉を追うように空中で軌道を変え、そして見事に貫いてみせた。

 穴の空いた葉が舞い落ちるのを前に、出久は快哉を叫んだ。

 

「やった!」

――ひゃー、なんとか当たった……とんだじゃじゃ馬だ、手綱を放さないので精一杯だよ。

「それでも、成功は成功ですよ!」

 

 蓮華が制御する追尾弾。これが出久と蓮華の得た新しい力だ。

 力はあるが制御できない出久と、コントロールに長けるが無力な蓮華。二人の長所をかけあわせた、自信を持って披露できる必殺技。

 これで体育祭では対空もこなせる。弱点はスタートダッシュの遅さだが、それは反復練習で改善していくしかない。

 全身に力を行き渡らせるフルカウル、そして蓮華の憑依によって力の制御を蓮華に任せるオーバー・ポゼッション。どちらも出久の切り札として、きっとこれからも活躍していくことだろう。

 

「まだやれそうですか、お姉さん」

――ちょっと休憩ほしいかも、幽霊になってから初めて疲れたよ……今のうちに的とか用意しておかない?

「そうですね、ちょっと自販機でも行きましょうか」

 

 声からして明らかに疲れている蓮華を身体に憑依させたまま、出久は全身に行き渡らせていた力を解除した。

 出久の自宅付近は田舎というほどではないが栄えてはおらず、近所の商店街くらいしか遊ぶところがない。雄英の近くならすぐに見つかる自販機も、辿り着くまでに少し歩く必要があった。

 苔に侵食されつつある石段を下り、雑草だらけの空き地に面した通りに出てしばらくのこと。ようやく見つけた自販機に小銭を入れながら、出久はふと蓮華に問いかけた。

 

「缶ジュースのラインナップってやっぱり昔とは全然違いますか?」

――違うねえ、いつも飲んでたミックスオレとか全く見かけないし。あ、上段の右から2番目のは昔も売ってた。

「上段の右から2番目……これですか? 確かにずっとあるなーとは思ってたんですけど、そんな古いんだ……」

 

 出久の指先がボタンを押す。

 受け取り口に転げ落ちてきたドット柄のレモンスカッシュ缶を取り出して、プルタブを引き上げる。あまり飲んだことはなかったが、甘さ控えめでさっぱりする味だ。

 

――いいなあ……くそー、運動後のレスカなんてずるいぞ!

「レスカって言うんですね……お供えしときましょうか」

――お供えしたって少年が飲むだけだろ、意地悪。

 

 拗ねてしまった蓮華に慌てて謝ってから、出久はもう何本か買って自販機を後にした。

 幽霊である蓮華は食事ができない。香りや温度はわかるようだが、無理に食べようとしても味を感じないし、咀嚼も嚥下もできないそうだ。

 そのためか、最近の蓮華は引子とアロマキャンドル作りにハマっている。

 色々なアロマエッセンスの香りに感想を求められて出久は毎日語彙力の限界を感じている。出久に言わせればどんなアロマよりも蓮華の甘く透き通った香りが一番だが、そんな恥ずかしいことはもちろん言えない。

 

「疲労に効く香りとか、ないんですか?」

――んー、難しいね。普通はラベンダーとかサンダルウッドとかが定番なんだけど。幽霊の疲労って精神的なものなのかな。

「肉体、ではないですもんね」

――ないものは疲れないからねえ。あ、少年はちゃんとケアするんだぞ。今日は新しいことふたつも試したんだから。

「わかってます。筋疲労によく効くストレッチ、砂藤くんに教えてもらったんですよ」

 

 クラスメイトの中でも砂藤は出久と近い個性の持ち主だ。摂取した糖分を力に変換する彼も小さい頃に自爆の経験があると言っていた。

 普段の出久は鍛えてこそいるもののまだ小柄な青年の域を出ない。そこで本来ありえない負荷が筋肉にかかると、どうしても通常以上の筋疲労が発生してしまう。砂藤から教わったストレッチはそこによく効いた。

 最初はどうなることかと思ったが、クラスにも馴染めてきた。男子とは気軽に話せる仲になったし、まだ緊張するが女子とも会話が成立する。

 

――砂藤くん、いい子だよね。私、あの子のおじいちゃんのお店行ったことあるよ。

「えっ、そうなんですか!?」

――声が大きいよ。

 

 神社の近くは滅多に人がいない。それでも目立てば気まずいことになる。出久はあたりを見渡して、人気がないことを確認して胸を撫で下ろした。

 砂藤は代々パティシエの家系で、彼の祖父が営む洋菓子店は開店前から長蛇の列ができることで有名だ。プロヒーローの中にもファンが多く、出久も彼らのオフショットをチェックしていて時折見かけることがある。

 

「ごめんなさい……でも、すごい名店なんじゃ?」

――当時はまだ知る人ぞ知るって感じだったかな。大学1年目で前期の成績がすごくよくて、自分へのご褒美にね。おいしかったなあ、モンブラン。

「ああ、夢の中で1ダース注文してた……」

「――こーら、あんまりお姉さんをからかうな」

 

 出久の身体から抜け出した蓮華が、その細くしなやかな指先で出久の広い額を叩いた。

 蓮華はスタイルがいい。いつも着ている白いワンピースがよく似合う、すらりとした美人だ。きっと生前は食事にも気を使っていたのだろう。

 そんな人が1ダースも食べたくなるモンブラン。出久はだんだん興味が湧いてきた。

 

「体育祭が終わったら、僕も食べてみたいです」

「じゃあ、優勝のご褒美ってことにしよう。特訓再開!」

「はい!」

 

 レモンスカッシュを飲み干し、空き缶を並べる。

 優勝したい。少し前の出久なら考えもしなかったようなだいそれた目標に向けて、出久は拳を構えた。



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十九回忌 僕とともに第一種目を駆け抜けるお姉さん

 体操服の襟を整え、裾を揃え、靴紐を結びなおす。

 呼吸はゆっくりと、回転するように。出久の臓腑を震わせるような緊張は、今も全身を包んでいる冷気によって和らいでいく。

 

――この体育祭が、私たちのスタートだ。全身全霊を尽くすよ、少年。

 

 出久は黙ったまま、胸中で肯定の意思だけを返した。

 雄英体育祭が始まる。

 

『――どうせてめーらあれだろ、こいつらだろ!? ヴィランの襲撃を受けたにもかかわらず鋼の精神で乗り越えた期待の新星!』

 

 プレゼント・マイクの煽るようなアナウンスが入場ゲートまでの仄暗いトンネルに木霊する。

 見知った1年A組の全員がライバルだ。それだけでも強敵だというのに、交流の浅いB組や宣戦布告を受けた普通科など、まだ見ぬ強敵は数知れず。どこにも勝利の確証などありはしない。

 それでも今日、出久は頂点(てっぺん)を獲りにきた。

 

『ヒーロー科! 1年! A組だろおおお!?』

 

 大歓声の上がるスタジアムへ歩みを進める。

 一瞬、眩しさに目が眩んだ。そして視界の晴れた先に見えたのは、数えきれないほどの観客たち。すでにバインダー片手に難しそうな顔をしているプロヒーローから、横断幕とメガホンを手にした応援団まで勢揃いだ。

 

「大人数に見られる中で最大のパフォーマンスを発揮できるか……! これもまた、ヒーローとしての素養を身につける一環なんだな!」

 

 飯田の言葉に頷きを返して、出久は早まる鼓動を体操服の上からぐっと押さえた。

 緊張しないわけがない。

 それでも、出久は笑みを浮かべた。多少引きつっていようと構わない、己を鼓舞するなにかが必要だった。

 

「めっちゃ持ち上げられてんな……なんか緊張すんな、なあ爆豪」

「しねえよ、ただただアガるわ」

 

 闊歩する暴君を見習うように、出久も胸を張った。

 雄英体育祭はかつてのオリンピックに取って代わった国民の祭典だ。この国の平和を守る次代のヒーローとして、出久たちはすでに期待の視線を向けられている。

 

「どした緑谷、今日いい感じじゃん!」

「そうかな、なんだろう……頑張るぞ、って感じだからかも」

 

 出久の返事に芦戸が驚いたような笑みを浮かべた。

 ヒーロー科の入場が終わり、普通科、サポート科、経営科と続く。スタジアムのグラウンドは生徒たちでひしめき合っていた。

 壇上に上がったミッドナイトが鞭を鳴らす。後ろの方で常闇が「18禁ヒーローが高校にいてもいいものか」とこぼし、峰田が「いい」と答えた。声だけで彼のサムズアップが目に浮かぶ。

 

「選手宣誓! 1年A組、爆豪勝己!」

 

 入試一位通過の爆豪が呼ばれ、ミッドナイトの前に立つ。

 

「せんせー」

 

 やる気のない声と長年の付き合いから、出久はこれから爆豪がやろうとしていることを先読みして苦笑いした。

 

「俺が一位になる」

「絶対やると思った!」

「調子のんなよA組オラァ!」

「ヘドロヤロー!」

 

 自身を除く生徒全員を見下すように睨んで親指で首を掻っ切るポーズまで披露し、爆豪は「せめて跳ねのいい踏み台になってくれ」と締めくくって壇を降りた。

 生徒たちの中からだけで収まらず、観客からも野次が飛んでいる。

 しかし、彼らの考えに反して、爆豪は自信過剰なわけでも、慢心しているわけでもない。爆豪勝己という男は、暴君である以前に狂気的なまでにストイックな男なのだ。

 選手宣誓の場すら自分を追い詰めコンディションを高める場に使ってしまった。

 幼馴染の出久からしてみれば、よくも悪くも彼らしい自分勝手さに安心すらこみあげてくる。彼の本気を感じられるからだ。

 

――でも、一位は譲れない。だよね、少年?

 

 蓮華の言葉に出久は小さな頷きを返した。

 第一種目が発表される。障害物競走、スタジアムの外周4kmを走破することだけが条件だ。コースさえ守れば何をしてもいい。

 スターティングゲートに向かいながら、出久は大きく息を吸った。

 当然雄英はプルス・ウルトラを求めてくる。障害物も並大抵のものではないだろう。手段は選ばず、その全てを乗り越えて他よりも早くゴールすること。

 3つ並んだ赤ランプの1つ目が消灯する。

 

――ゲートが狭い。すし詰めになる前に抜けたほうがよさそうだ。

 

 蓮華の言葉に従って、出久は体勢を整えた。

 ただでさえ出久はスタートダッシュに弱い。フルカウルの発動には一瞬の間を必要とするし、素の身体能力で勝負するには体格が不利だ。

 2つ目が消灯する。

 個性を発動していいのはスタートしてからだ。しかし、位置取りに必要な観察をすることまでは禁止されていない。ゲートの向こう、外周に続く壁面との距離を出久は脳内で計算した。

 

――最初はお姉さんの力は温存する、全力でアピールしておいで。

 

 最後の赤ランプが消灯し、そして――

 

「スタート!」

 

 グリーンランプのゴーサイン。

 押し寄せる人波に揺らがされることなく、出久は全身に力を巡らせた。

 緑の稲妻が体表に走る。ワン・フォー・オール、フルカウル6%。蓮華とともに特訓した出久の新たな、そして自爆を必要としない力だ。

 出久は勢いよく足元を蹴った。目指すのは斜め上、ゲート奥の壁面だ。

 三角跳びの要領で空中を駆けていく。

 出久の下で足場が凍っていく。先頭を走る轟の個性だ。かなりの生徒が氷に足止めを食らう中、1年A組の面々をはじめとして素早い対応を取った者たちが先頭集団を形成していく。

 先頭集団の後方につけた出久は、油断することなく前方を見やった。

 

『さあいきなり障害物だ! まずは手始め――』

 

 立ち上がる影。

 

『第一関門、ロボ・インフェルノ!』

 

 入試以来の対面だった。出久が腕一本を犠牲に破壊した巨大ロボだ。何台も立ち並ぶ巨体の下をよく見れば、足元には他にも小型の仮想ヴィランが生徒たちを待ち構えている。

 初めて見た時は思わず恐怖を覚え逃げそうになった。他の生徒達もきっとそうだっただろう。

 しかし、皆前に進んでいる。入試などというはるか昔に乗り越えた障害は、出久たちにとって容易い壁でしかない。

 前方でまずは1台、氷に覆われた巨大ロボが崩れ落ちた。

 爆豪を始めとする機動力を有する者は頭上を越えていく。切島のような頑丈さを売りにする者は正面から突破していく。それぞれがそれぞれの強みで活路を開く。

 足元の小型ヴィランを破壊しながら切り抜けた出久は、轟が凍らせて倒したロボの装甲を拾い上げた。

 

――いい選択だ。()()()()()

 

 霜の降りた金属板に質の異なる冷気が充填されていく。

 霊体化。蓮華が幽霊として有する、無機物を自分の一部として格納する力だ。

 出久はこれで盾にも矛にもなる武器をひとつ手に入れた。短い手足で放つ打撃よりもいくらかリーチを稼ぎやすい。そのうえ、フルカウルのパワーを手に入れた今の出久なら投擲も視野に入れられる。

 遠距離攻撃の手札は限られている。まだ第一種目ですべての手札を晒したくはない。蓮華との合わせ技、オーバー・ポゼッションはまだ封印だ。

 

『オイオイ、第一関門チョロいってよ! んじゃ第二はどうさ!? 落ちればアウト、それが嫌なら這いずりな! ザ・フォール!』

 

 コーナーを抜けた先に待ち受けていたのは、底の見えない奈落と乱立する石柱、そしてそれらを繋ぐ頼りないロープたち。

 ただ戦闘力や機動力があればいいというわけではない。バランス感覚のない者はここで泣きを見ることになる。

 出久はおもむろに装甲板をロープの手前に置き、その上に足をかけた。

 

「……お姉さん、任せます」

――おっけー、少年は前だけ見てなさい。

 

 思いきって蹴り出す。

 轟の凍結によって表面の滑らかさに磨きがかかった装甲板は、ロープの上をスケートボードのようにして走りはじめた。

 奈落の底から吹き上げる風に板は煽られるが、しかし揺らがない。

 

『A組緑谷、ゼツミョーなバランス感覚でスケボー! COOLな魅せプだぜ!』

『ただのパフォーマンスじゃないな。機動力を維持しつつ後続への牽制を狙えるように足場を用意した。合理的な判断だ』

 

 相澤の解説通りだ。

 推進力を得るために出久が片足で後ろに蹴りを放つ。フルカウルのパワーで放たれた衝撃波は、出久の滑るロープから後続を排除する壁にもなっている。

 そして、このスケートボードは見えない蓮華の自動制御付きだ。軽い妨害程度では揺らがない。

 先頭集団の中ほどを維持し、出久は最終関門を迎えた。

 

『そして早くも先頭組は最終関門! 一見ただの荒野だが、かくしてその実態は――! 一面地雷原! 怒りのアフガンだ!』

 

 先頭に見える爆豪と轟が荒野に足を踏み入れる。

 地雷原、つまり埋没した地雷を避けながら進まなければならない。これは地雷が見つかっていない先頭ほど不利な障害だ。エンタメ要素か、それとも優秀な生徒により多くの課題を与えるプルスウルトラ精神か。

 このまま進んでも上位は堅い。しかし、出久は1位が、1位だけがほしかった。

 なにか策はないか。そう考えている時、爆豪が爆発を推進力に先頭を奪うのが目に入った。

 これだ。

 地面に手を当てる。傍からは出久が地面に個性を使っているように見せかけつつ、実際に動くのは蓮華だ。

 

「……地雷の密集地点を」

――了解、最速で見つけるね。

 

 蓮華の索敵能力を活かす時間だ。

 地面に潜り込んだ蓮華が起爆させることなく地雷を見つけていく。その中から最も地雷が密集している地点が出久の目的地――ショートカット地点だ。

 数秒の間を置いて、蓮華が戻ってきた。

 

――前方2時の方向、ここから大股で10歩だ。

 

 出久は駆け出した。

 先頭を奪いあう爆豪と轟の背は見えている。ここで博打を打たず、走って10位圏内を狙うのが世間的には賢い選択なのかもしれない。

 しかし、それでは「僕が来た」とは示せない。

 出久は担いでいた装甲板を地面に叩きつけた。

 

『おおっと緑谷ここで自爆! ぶっ飛んでいくー!』

『いや、これは……あいつ、やりやがった』

 

 恐怖はない。クラスで一番と言っていいほど、自爆には慣れている。

 爆風を装甲板で受けて空へと舞い上がりつつ、空中で姿勢を変えていつでも装甲板を叩きつけられるように持ちかえる。

 風に乗って、出久が爆豪と轟の頭上を越えた。

 

「ッ、デクァ! 俺の前を、行くんじゃねえ!」

 

 爆豪が腕を構える。爆発を撃つつもりだろう。その少し後ろでは轟が足で個性を発動し、地面を凍らせて足場を作っている。

 地雷原に突入したときから、出久はずっと考えていた。

 1位でゴールしたい。そのためにはふたつの方法がある。誰よりも早く進むか、自分より早い者全員を足止めするかだ。

 今の出久に爆豪を越える速度は出ないし、轟の妨害を避けきれる自信もない。だから、ふたりをまとめて足止めする必要がある。

 

――向かって10時の方向! すぐ目の前だ!

 

 蓮華の索敵に従って、出久は装甲板を投げた。

 一瞬の後、盛大な爆発が上がる。

 轟と爆豪の両名を巻き込んだ連鎖的な大爆発。出久を妨害することにだけ意識を割いていたふたりは、思わぬ反撃に対応できない。

 出久は一瞬のチャンスを手にした。

 身体に冷気が戻る。最初に地雷の密集地点を見つけた後、()()()()()()()()()()蓮華が戻ってきたのだ。

 

――あとは君の力を見せるだけだ、少年!

 

 走る。

 胸を張って、堂々と。しかし、後続に決して追い抜かれないよう全力で地面を蹴って。

 

『緑谷間髪入れず後続妨害! なんと地雷原即クリア! イレイザーお前のクラスすげえな! どういう教育してんだ!』

『俺は何もしてねえよ、奴らが勝手に火ィ付けあってんだろ』

 

 相澤の指導があったから、出久は自爆せず個性を発動する手段を模索するようになった。彼もまた出久にとっては恩師の一人だ。

 オールマイトから継承し、蓮華とともに磨き、雄英で育った。

 そして、今。第一競技が終わる。

 

『さァさァ、誰が予想できた!? 今一番にスタジアムへ還ってきたその男――』

 

 外周を抜け、ゲートを潜ってスタジアムへ。

 息を切らしながらも、出久はなんとか笑みを浮かべてみせた。

 

――少年、やるなら今だよ。

 

 本当にやるのか、傲慢に思われるのではないかと最後まで葛藤しながらも出久は拳を掲げ、そして天に突き立つようにして人差し指を立てた。

 1位ではない。まずは1勝目。

 これからあと2勝するという、端的な宣言。

 

『緑谷出久の存在を!』

 

 次代のヒーロー、僕が来た。それを示すために出久は蓮華と相談し、少しだけ強気なアピールをすることに決めていた。出久からすれば過剰とも思えるパフォーマンスだったが、蓮華の強い押しに出久は折れた。

 勇気づけるように、誇るように。出久が高く掲げた人差し指に、スタジアムには割れるような歓声が響き渡った。

 

――ナイスラン、少年。

「お姉さんのおかげです」

 

 小声で返事をしながら、教員席のほうに目をやる。

 そこに座ったトゥルーフォームのオールマイトと視線を合わせて、出久は今度こそしっかりと笑った。



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二十回忌 僕とともに第二種目に臨むお姉さん

 第二種目は騎馬戦。第一種目の順位に基づいて割り振られた持ち点をハチマキに換え、奪いあうことになる。

 そして1位通過の出久に与えられた持ち点は1000万ポイント。

 膝が震える。オールマイトのそれとは違う、刹那的な、なんとか勝ち取っただけのトップの座だ。それでもその重みは出久の全身を軋ませる。

 彼が背負ってきたものを改めて意識してしまう。

 

「それじゃこれより15分! チーム決めの交渉タイム、スタートよ!」

 

 ミッドナイトの宣言に従って選手たちは散り散りになった。

 誰も出久には声をかけてこない。1000万ポイントは当然狙われる。その重荷を進んで背負う酔狂な者などいはしないだろう。

 定跡どおり動くのなら、無難な点数の連携が取りやすいチームを組む。守りに割きつつ機動力を意識した編成にして、終盤に疲労が蓄積した高ポイント保有者を狙いにいく。出久でもそうする。

 問題は出久の個性が多くの選手にとって「謎」だということだ。今の出久と組むのは大半の生徒にとってリスクでしかない。

 

「――デクくん!」

 

 救いの声は背後からかけられた。

 

「麗日さん!」

「組もっ!」

 

 麗日もリスクを考えていないわけではないだろう。

 彼女は実家の苦しい経済状況を改善するためにヒーローを志している。この雄英体育祭はプロヒーローや未来のスポンサーである企業への貴重なアピールチャンスだ。

 それでも麗日は出久に声をかけてくれた。その信頼に応えねばならない。

 

「1000万点、守りきれるかわからないけど」

「デクくんなら大丈夫! それに、仲良い人とやった方が良い!」

 

 麗日のうららかさに思わず出久は目を細めた。

 どうにも麗日の直球な善意は出久の心臓に悪い。蓮華のせいで遠回しな善意とからかいには慣れてきたが、それでもまだ出久の女性への免疫は十分とは言えなかった。

 

「実は僕も組みたいって思ってて。ありがとう、麗日さん。あともう一人、組みたい人がいるんだ。作戦があって……」

 

 出久の作戦、それは飯田と出久のダブルエンジンによる機動戦だ。

 麗日の個性によってふたりを軽くし、フィジカルの強い騎手を乗せて逃げ切りを図る。連携が取りやすい安定したスピード役の飯田とフルカウル状態の瞬発力を有する出久なら1000万点の死守も可能になるだろう。

 しかし、その作戦は飯田の拒絶によって崩壊した。

 

「さすがだ、緑谷くん。だがすまない、断る」

 

 飯田は真剣な表情で眼鏡をぐいと押し上げた。

 

「入試の時から君には負けてばかりだ。素晴らしい友人と思っている。だからこそ、君についていくだけでは未熟者のままだ。……君をライバルとして見るのは爆豪くんや轟くんだけじゃない」

 

 踵を返した飯田が出久たちを背にして加わったのは、轟のチームだった。

 攻撃力の上鳴、応用力の八百万。そこに機動力の飯田が加わる。理想的な構成だ。轟の強さは第一種目でも目にしたばかり、これは強敵になるだろう。

 

「俺は君に、挑戦する!」

「……受けて立つよ、飯田くん」

 

 余裕はない。それでも出久が無理矢理に笑みを浮かべてそう言い放つと、飯田は「それでこそだ」と頷いた。

 こうなれば作戦を変更しなくてはならない。

 その時、背後からガチャガチャと金属が擦れるような音が歩み寄ってきた。どこか機械油のにおいも漂っている。

 

「フフフフ……やはりイイですね、目立ちますもん! 私と組みましょ、1位の人!」

 

 発目明と名乗ったサポート科の女子は、出久たちに明確なメリット――サポートアイテムの提供を提案してきた。

 雄英高校サポート科は文字通りヒーローの活動をサポートすることを目的としている。その主な活動はサポートアイテムの開発だ。彼女が提示したサンプルは、出久たちに不足した機動力を十分に補えるものだった。

 これはありだ。

 何より、出久はサポートアイテムとの相性がいい。小さな道具であれば蓮華が幽霊の身体に格納しておくことができる。伏せ札にもなりうるだろう。

 

――渡りに船だ。有効活用させてもらおう。

 

 蓮華の言葉に頷いて、出久は発目と握手を交わした。

 ただ、蓮華の収納も万能ではない。取り出すためには蓮華が出久から出て、なおかつ姿を顕にしている必要がある。この第二種目が蓮華のお披露目となるだろう。

 そうなれば、思い切って手数を増やす方に舵を切ってしまったほうがいい。

 最後の一人、手数に関して最も期待できる彼に出久は声をかけた。

 

「常闇くん! 組まない!?」

「フ……お前を待っていたぞ緑谷、死を纏う我が同胞よ。俺と似た力を使うお前なら……いや、多くは語るまい。この命運、お前に託そう」

「ヨロシクナ!」

 

 不敵に笑う常闇が差し出した手を取って、力強い握手を交わす。彼の黒影と蓮華が合わされば、このチームは4人でありながら6人の力を発揮できる。

 これでチームが完成した。

 

『さァ上げてけ鬨の声! 血で血を洗う雄英の合戦が今! 狼煙を上げる!』

 

 出久は額にポイントのハチマキを巻いて、3人の騎馬に跨った。

 1000万ポイントだけではない。麗日の135ポイント、常闇の180ポイント、発目の10ポイント。3人から預かったポイントも守りきって、1位になる。

 全身に感じる冷気。蓮華も気合が入っているようだ。

 

『3!』

「麗日さん!」

「っはい!」

「発目さん!」

「フフフ!」

『2!』

「常闇くん!」

「ああ……」

「黒影!」

「オウヨ!」

『1!』

「――お姉さん!」

「ここにいるよ」

 

 出久の背に寄り添うようにして現れた蓮華の姿に、一瞬会場にざわめきが広がる。

 熱気で喉仏を汗が伝う。突き刺さる好奇の視線、その一切を無視して、出久は正面だけを睨んだ。

 

「全員――よろしくっ!」

『STARTォ!』

 

 いくつもの騎馬が押し寄せてくる。狙いは当然、1000万ポイントだ。

 

「麗日さん、発目さん、顔避けて!」

 

 背負ったサポートアイテム、ジェットパックを起動する。背負えるほどの小型とは思えない勢いのジェット噴射が出久の背中に熱を伝える。

 これだけでは飛べない。そこで麗日だ。

 麗日の個性が彼女以外の全員を軽くする。そうすれば、後は空への脱出だ。

 出久たちは飛んだ。

 

「よしっ! 常闇くん!」

「ああ! わかっているな、黒影! 常に死角を警戒しろ!」

「マカセトケッテ!」

 

 この編成に不足していた中距離防御は黒影が担う。

 個性による攻撃をたやすく跳ね除けて、出久たちは迫りくる騎馬の輪から見事に脱した。残された騎馬たちが選べるのはふたつにひとつ。背中を晒して出久たちを追うか、その場の混戦で点数を稼ぐかだ。

 

『さあ、まだ2分も経ってねえが早くも混戦混戦! 各所でハチマキ奪いあいだ! 1000万を狙わず2位から4位狙いってのも悪くねえ!』

 

 実況のプレゼント・マイクが言うとおり、混戦に陥った各チームは少しでも順位を伸ばすために手近な敵を狙いはじめている。

 初動で1000万点がたやすく奪えないとわかった以上、固執するのはタイムロスにつながる。その合理性によって出久たちへのヘイトは少しずつ分散しつつあった。

 しかし、攻勢を弱めないチームもいる。

 

「――奪い合い? 違うぜ、これは……一方的な略奪よお!」

 

 吶喊してきたのは同じA組の障子だ。複製腕の個性を持つ彼が身を屈め、背負った何かを隠すようにして腕を展開している。

 

「一旦距離を取れ! 立ち止まっては……!」

 

 常闇の言葉は最後まで続かなかった。騎馬の最後尾、麗日の足が固定されているのに気がついたからだ。

 黒くぶにぶにとした球体。

 先ほどのハイテンションな叫びと合わせて、出久は誰が障子の背に乗っているかを看破した。おそらくクラスでも随一の妨害役がそこにいる。

 

「峰田くんか!」

「オイラだけじゃないぜえ! リア充への恨み、晴らさでおくべきか!」

「一緒にしないでほしいわ、峰田ちゃん」

 

 障子の背から鋭く伸ばされた舌を避けながら、出久は麗日に脚部装備の解除を指示した。素足が固定されたならともかく、発目が提供してくれたサポートアイテムが地面にくっついただけだ。

 守りは障子の複製腕。殻に閉じこもるようにして隠れた峰田が妨害し、足を止めたところを蛙吹の舌が絡め取る。見事な騎馬だ。

 しかし、出久にも策はある。

 

「お姉さん!」

「はーい、行ってくるよ」

 

 半透明の身体を浮かせた蓮華が障子へと向かう。

 その歩みを止めるようにいくつものもぎもぎが投げつけられるが、幽霊の歩みは何者にも妨げられない。

 ならばと出久に向けられた蛙吹の舌を、出久は片手で掴み取った。

 

「ケロッ!?」

「ごめん梅雨ちゃん、後で謝る!」

 

 これで障子の騎馬は逃げられない。いくら速度の出ない蓮華の浮遊でも、足を止めた騎馬の内側に滑り込むことくらいは容易い。

 そして、障子の背から閃光が炸裂した。

 暗く閉ざされた複製腕の殻、その内側で蓮華が発目から預けられたフラッシュグレネードを炸裂させたのだ。範囲が広すぎて平地では使えない欠陥品とのことだったが、蓮華は見事に有効活用してくれた。

 

「目がァーっ、目がァーっ!」

「ポイントもついでにいただき。ただいま少年」

「おかえりなさい、ナイスでした!」

 

 これで峰田チームはしばらく再起不能だろう。

 ハイタッチを交わす暇もなく、耳慣れた爆発音が空中に響いた。そちらに視線を向けると、凶笑を浮かべた爆豪が宙を舞って出久へと迫っている。

 

「かっちゃん!?」

「調子乗ってんじゃねえぞ、クソが!」

 

 飛来する爆豪に対し、出久は咄嗟にジェットパックを起動した。

 空中戦で爆豪に分があるのは百も承知だ。しかし、騎馬戦というルールの上で戦っている以上、彼の追撃には限界がある。

 爆豪が放った強烈な爆破を黒影が防ぎつつ、出久たちは爆豪の猛撃から脱出することに成功した。

 

『爆豪騎馬から離れて空中機動! アクロバットすぎんだろ! あれってありなのかー!?』

『テクニカルだから、ありよ!』

 

 空中で爆豪が回収されていくのを確認する。瀬呂の個性でどこからでもキャッチできる構成にしていたのだ。

 こうなると爆豪は最も警戒すべき対象になる。

 機動戦は彼の真骨頂だ。エンジンがかかってくる終盤ではどこからでも彼の奇襲があることを警戒しなくてはならない。それに加えて、彼の機動力には火力が伴う。

 逃げ切れば出久たちの勝ち。逃げ切れなければ負け。シンプルなゲームだ。

 

「でも、そう上手くはいかないか……」

 

 飛び退いた先、待ち構えていたのは轟たちの騎馬だった。

 目と目が合う。

 轟には入場前に宣戦布告のようなものも受けている。彼は「オールマイトに目をかけられている出久」に勝つと言っていた。実力は自分のほうが上だ、とも。

 出久は違う。出久は「轟焦凍という強力なライバルをも含めた全員」に勝つつもりでここに立っている。

 

「そろそろ、奪るぞ」

 

 残り時間は、半分。



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二十一回忌 僕の第二種目で勝利の女神になるお姉さん

 残り時間1分。まだ出久は1000万ポイントを死守していた。

 上鳴の電撃でジェットパックは故障したが、全員健在。黒影の「光で弱体化する」という弱点もまだバレてはいない。

 なにより、轟の凍結は右半身からしか放たれない。彼らの左に陣取れば、轟は騎馬の先頭である飯田を凍らせずに凍結を放つ工夫をする必要がある。

 立ち回り。黒影と蓮華という2枚の見せ札による牽制。轟が生み出した氷のデスマッチフィールドで、出久たちはまだ生存している。

 

「――奪れよ、轟くん!」

 

 しかし、そこで立ち止まらない男がいた。

 

「トルク、オーバー!」

 

 ごう、と風が吹いた。

 一瞬出久は何が起きたのかわからなかった。駆け抜けたそれが飯田であったことに気が付き、ハチマキが奪われたことを理解したころにはもう、立場は逆転していた。

 初めて見る飯田の必殺技。ふくらはぎの排気筒から黒煙が上がっている。

 きっと代償があるのだろう、額に汗を伝わせながらも、飯田は誇らしげに宣言してみせた。

 

「言っただろう、緑谷くん――君に挑戦すると!」

『逆転! 轟が1000万! そして緑谷、急転直下の0ポイントだー!』

 

 0ポイント。

 そのアナウンスが脳に響くにつれて、出久の鼓動は早鐘を打ちはじめた。

 

「突っ込んで!」

「上鳴がいる以上攻めでは不利だ! 他のポイントを狙いにいくほうが堅実では……」

「ダメだ、ポイントの散り方を把握できてない! ここしかない!」

 

 これは出久の意地だ。

 運がよければ、他のチームから細かいポイントを奪って残り時間でギリギリのラインを踏めるかもしれない。そのほうが分のいい賭けではある。

 しかし、完膚なきまでの1位は今、目の前にある。

 騎馬の後ろが力強く押された。振り返ると、麗日が覚悟の決まった表情で出久を見上げている。

 

「よっしゃ! 取り返そう、デクくん! 絶対!」

「麗日さん……!」

 

 出久は彼女がヒーロー活動にかける思いを知っている。両親に楽をさせてやりたいという気持ちは、出久にも共感できるものがある。

 それでも麗日はこの賭けに乗ってくれた。

 麗日だけではない。出久はこのチーム全員の想いを背負っている。託すと言ってくれた常闇、1位の注目度を利用するためにと最大限利用させてくれた発目のためにも、出久は勝たねばならない。

 温存していた切り札を使う時が来た。

 

「……お姉さん、使います!」

 

 進む騎馬の上で、出久は腕を構えた。

 全身を満たす熱が侵食され、冷気に置き換わっていく。まるで身体の内側が蓮華で満たされていくようだ。それでいて、体表を走る稲妻の力強さは変わらない。

 

「全員、衝撃に備えて!」

 

 出久は膝を曲げ、大きく跳んだ。

 ヒントは爆豪からすでに得ていた。騎馬に戻ることさえできれば、離れること自体は問題ない。つまり、狙った場所に着地さえできればいい。

 

「フルカウル……オーバー・ポゼッション!」

 

 出久の体表を覆う稲妻が、蓮の香りとともに白い光へと転じていく。

 向かうは騎馬の上、1000万ポイントのハチマキを首に巻いた轟。いくつかあるハチマキの1本、ただ1本だけでいい。1000万ポイントのそれさえ奪い返せれば、出久たちは1位に返り咲く。

 空中を蹴るようにして放った衝撃波で無理やり軌道を変え、出久はひとつの弾丸になって飛び込んだ。

 出久が伸ばした腕を轟の左手――炎を纏った左手が防ぐ。

 轟が左を使うのは予想外だったが、出久は構わず拳を構えた。これからやることは変わらない。どちらにせよ出久はもう射出されたのだから。

 

「上鳴!」

「常闇くん!」

 

 同時に叫ぶ。

 上鳴が放った電撃を黒影が防ぐ。黒影の鋭い爪に反応して八百万が創造した盾は発目が発射したとりもち弾に絡め取られ、地面に落ちた。

 これで轟を守るものはない。

 

「――SMASH(スマッシュ)!」

 

 出久が振るった拳が冷たい突風を生む。白い光を帯びた風は轟の炎をかき消し、反動で出久は轟の騎馬から離れ、自分の騎馬へと戻る。

 一瞬、轟は困惑と安堵の表情を浮かべた。

 1000万ポイントのハチマキは彼の首にかかったままだ。出久が再度飛び込むのには時間がない。このまま決着すれば、出久たちのチームは0ポイントで終わる。

 しかし、出久はすでに()()()

 

「ッ、なんだ!?」

 

 まるで見えない霊にまとわりつかれているようだった。

 力尽きるまで止まない突風が轟を包んで放さない。その風――蓮華が操作する冷たい運動エネルギーは渦のようにハチマキを巻き込み、そして舞い上がっていく。

 轟は慌てて手を伸ばしたが、もう遅い。

 

――さあ、プレゼントだよ少年。彼と君の間に違いがあるとすれば、それはお姉さんという勝利の女神がいたかどうかさ。

 

 1本のハチマキが、差し出した出久の手に舞い降りてくる。

 刻まれている数字は1000万。

 蓮華によって制御され、確実に1000万ポイントのハチマキだけを狙った突風。蓮華は、出久の狙いを完璧に叶えてくれた。

 

『TIME UP! 早速上位4チーム見てみよか!』

 

 プレゼント・マイクのアナウンスが響き渡る。

 出久は身体を包む冷気に心からの感謝を伝えながら騎馬を降り、震える膝に危うく転びかけた。自分で思っていたよりもずっと緊張していたようだ。

 常闇に肩を支えられながら集計結果のボードを見上げる。

 

『4位、鉄て……アレェ!? 心操チーム! いつの間に逆転してたんだよ、おい!』

 

 宣戦布告に来ていた普通科の男子だ。

 騎馬を務めていたメンバーが怪訝そうにしている。一体彼らに何があったのか。特に尾白は驚いたようにあたりを見回している。

 

『3位! 轟チーム!』

 

 互いの健闘を称えるように頷く飯田とは対照的に、轟の表情は明るくなかった。

 それが最後の1000万ポイントの争奪によるものなのか、それとも他に理由があるのかは出久にはわからない。ただ、出久に言えるのは彼がとんでもない強敵だったという事実だけだ。

 

『2位! 爆豪チーム!』

 

 爆豪が怒りの咆哮を上げている。

 轟が構築した氷のフィールドに彼らが現れたのは、タイムアップのわずか2秒前のこと。氷の壁があと少しでも薄ければ、爆破によって乱入した爆豪チームとの三つ巴になっていただろう。

 ある意味では、出久たちは轟に助けられた。強敵がこれ以上増えるなど想像したくもない。

 

『そして――1位、緑谷チーム!』

 

 チームメンバーと顔を見合わせてから、出久は拳を突き上げ、2本の指を立てた。

 上がる歓声にぐわんと頭が揺らされる。心底愉快そうに笑う麗日とハイタッチして、発目に感謝の言葉を伝えて握手を交わし、出久は改めてボードに刻まれた「1位」を見上げた。

 身体の内側からこみ上げる冷気が、勝利に昂る蓮華の気持ちを伝えてくれる。嬉しいのは出久も同じだ。

 2勝目。あとは最終種目を残すのみ。

 

***

 

 第二種目が終わった後、昼休憩でランチラッシュの出張食堂が賑わっているころのこと。

 

「あの……話って、何?」

 

 出久は競技場の片隅で轟と向かい合っていた。

 つい先ほどまで激戦を繰り広げた相手だ。試合とはいえ、気まずさがないわけではない。それでも出久は彼の呼び出しに応えた。

 

「……気圧された。自分(てめえ)の誓約を破っちまう程によ」

 

 轟がポケットに突っ込んだ左手を軽く揺らした。

 授業でも氷を溶かすときにしか使わない左。ヘルフレイムの個性で知られるNo.2ヒーロー、エンデヴァーの息子である以上、彼が炎の個性を有することは誰もが察していた。

 しかし、その左を轟は使った。騎馬戦の最終盤、出久が放った一撃を防ぐために。

 

「飯田も上鳴も八百万も、常闇も麗日も、知らねえけどサポート科のあいつもたぶん、感じてなかった。最後の場面、あの場で俺だけが気圧された。……お前も見てただろ、USJのオールマイト」

「それって」

 

 轟が言っているのは、オールマイトが脳無を破壊する気で戦ったときのことだろう。

 肉を裂き、骨を穿つ一撃。トップヒーローの禁じられた全力を目の当たりにして、出久は思わず立ち止まった。まだ割り切れたとは言えないくらい、出久にとっては衝撃だった。

 

「あのとき、オールマイトは本気(マジ)だった。……お前に同様の何かを感じたってことだ」

「いやその、確かに全力は出したけど」

「……ああ、そういう意味じゃねえ。負けたことに文句はねえよ。最終種目もあるしな。聞きてえのはそこじゃねえんだ」

 

 一拍置いて、轟は真剣な目で出久を見つめた。

 

「お前、オールマイトの隠し子か何かか?」

 

 出久の内側で蓮華が吹き出すのが聞こえる。

 開場前に轟からかけられた「お前オールマイトに目ぇかけられてるよな?」という言葉の意味がようやくわかった。彼は出久とオールマイトの関係を疑っていたのだ。

 もちろん、出久の父親はオールマイトではない。現在出久の父親は海外に単身赴任中だ。

 

「ち、違うよそれは……って言っても本当に隠し子だったら違うっていうだろうから納得しないと思うけどそんなんじゃなくて」

――あ、お馬鹿。

 

 蓮華の呆れるような呟きが何を意味しているのか理解するよりも早く、轟が息を吐いた。

 

「『そんなんじゃなくて』って言い方は、少なくとも何かしら言えない繋がりがあるってことだな」

「それは、その……」

「お前の個性、霊を憑かせてパワーを出すってのは一見筋が通ってる。だが、あの幽霊の個性制御が尋常じゃないことは見ててわかった。じゃあ、お前の自爆はどこから出てきた?」

 

 核心を突かれて、出久は言葉に詰まった。

 超パワーの源は蓮華ではない。ワン・フォー・オール、オールマイトから継承した個性だ。しかし、それを表に明かすわけにはいかない。

 どう誤魔化すべきか。出久が悩んでいると、するりと抜け出した蓮華が中空に姿を現した。

 

「それが気になるのは、君の父親がエンデヴァーだからかい?」

「いたのか。そりゃそうだよな。……そうだ。俺の親父はエンデヴァー、緑谷も知ってるだろ。万年No.2のヒーローだ」

 

 一瞬目を伏せた轟は、ゆっくりと顔を上げた。

 その眼光はひょっとすると、騎馬戦のときよりもさらに強烈で、そして荒んでいる。ぞっとするような、冷たい威圧感が轟から漂っていた。

 

「お前がNo.1ヒーローの何かを持ってるなら俺は……尚更勝たなきゃいけねえ」

「勝たなきゃいけない、か。彼は君に託したの?」

「託す? そんなぬるいもんじゃねえよ。……個性婚、知ってるよな」

 

 思わず出久は息を呑んだ。

 個性婚、それは個性が発見された超常黎明期から世代が進んだ、俗に第ニ・第三世代と呼ばれる層で生じた社会問題だ。

 遺伝するという性質に目をつけ、次世代の個性をより強力なものにするために配偶者を選ぶ。強い子どもが生まれれば、それで家は安泰だ。前時代的な、倫理観の欠落した発想は、しかし社会問題になる程度に横行した。

 轟が強個性だということは前からクラスでも話題になっていた。半燃半凍、実質ふたつの個性を有するようなものだ。

 それが個性婚によるものだとしたら。

 

「実績と金だけはある男だ……親父は母の親族を丸め込み、母の個性を手に入れた」

「そうか、炎を操るエンデヴァーにとって体温調節は唯一と言っていい弱点……じゃあ、轟くんが氷の個性を持ってるのって」

「そういうことだ。俺をオールマイト以上のヒーローに育て上げることで自身の欲求を満たす……鬱陶しい……! そんな屑の道具には、俺はならねえ」

 

 ぎり、と食いしばった轟の奥歯が鳴る。

 蓮華はただ静かに漂って轟を見下ろしていた。彼女が放つ冷気の揺らぎを感じる。怒っているのだろうか。エンデヴァーの非人道的な行いに。

 なんとなく違う気がして、出久は蓮華を見上げた。

 優しい人ではある。他人の苦痛に同情できる人だ。しかし、個性婚の話を聞かされただけでここまで感情を揺らがせるほど、蓮華は轟と親しくしていない。

 

「記憶の中の母はいつも泣いている……『お前の左側が醜い』と母は俺に煮え湯を浴びせた」

 

 轟が左目にそっと手を添えた。

 くっきりと残る火傷痕は、クラスメイトの誰もが暗黙の内に触れずにいた謎だ。彼自身が個人的な話をしようとしないのもあり、今まで明かされずにきた。

 出久は言葉を失った。

 憐れみや同情を向けるには、あまりにも理解し難い経験。肉親から愛されないという残酷さを、出久には理解できなかった。

 

「……君は見返したいんだね。父親の個性を使わずに勝ちたい?」

「そうだ。それで奴を……完全否定する」

「そっか。……お姉さんは部外者だけどさ。ひとつだけ、教えてくれないかな」

 

 ふわりと降り立った蓮華が轟と目線を合わせた。

 浮いていないとわかる、蓮華の小柄さ。本当は出久よりも背の低い彼女が地面に足をつけると、自然と見上げるような姿勢になる。

 出久に背を向けた蓮華の表情は見えない。ただ、その声がいつになく震えていることだけは確かにわかった。

 

「君のお母さんは、今どうしてるの」

「……病院にいる。俺に手をあげたっつって、親父がぶち込んだんだ」

「ッ! ……そっか。ごめんね、嫌なこと聞いちゃって」

「構わねえ、何が変わるわけでもねえし。……緑谷。言えねえなら別にいい。ただ、お前がオールマイトの何であろうと、俺は右だけでお前の上に行く」

 

 背を向けて歩きだした轟に、出久はかける言葉を何も持ち合わせていなかった。

 その凄惨な過去に出久が何を言えるのだろうか。背負っているものがあまりに違う。いつも誰かのおかげで立っている出久と、誰かの手から抜け出すために立ち続ける轟では覚悟が違うのだ。

 それでも、出久は轟に道を譲るモブでいたくはなかった。

 

「時間取らせたな」

「――僕は」

 

 出久の声に、轟は振り返ることなく立ち止まった。

 眩しい陽射しの中、轟の影は一層濃い。その彼にかける言葉を必死で紡ぎながら、気づくと出久も一歩前に出ていた。

 

「僕はずうっと、誰かに助けられてきた。さっきも、今もそうだ。僕は誰かに救けられてここにいる」

 

 母がいて、オールマイトがいて、そして蓮華がいた。

 入試では麗日に助けられたし、入学してからは相澤に導かれ、クラスメイトたちと切磋琢磨している。幼馴染の爆豪すら、勝手にライバル視してきたおかげで出久の糧となった。

 出久が背負う過去は轟と比べれば軽いものかもしれない。それでも、背負った想いで負けるつもりはない。

 

「オールマイトみたいになりたい。1番になる、そう決めて体育祭(ここ)に来た。君に比べたら些細な動機かもしれないけど……宣戦布告、僕からも返すよ」

 

 振り返った轟の目をしっかりと見て、出久は拳を握りながらはっきりと口にした。

 

「僕も君に勝つ!」

 

 轟は何も言わなかった。

 彼は出久を見ているようで見ていない。彼が見ているのは出久の後ろにいるオールマイトだろう。だから「オールマイトと同じ覇気」に疑問を抱いた。

 きっと爆豪なら「気に入らない」と激怒するところだ。轟は戦う相手を見ていないのだから。

 立ち去る轟の背をじっと見る。

 

「少年」

「わかってます、お姉さん。……勝ちましょう」

 

 握りしめた出久の拳に添えられた、柔らかで冷たい掌。

 蓮華は真剣な表情で遠ざかる轟の背を見て、そして頷いた。



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二十二回忌 僕を応援するチアリーダーなお姉さん

スケジュールがきつくなりました。またちょっと書き溜め作ってきます。


 雄英体育祭は必ずしも頂点を決めるだけを目的としたイベントではない。

 祭りなのだ。日々に汗水垂らしてきた人々がその鬱憤を解放し、明るい笑顔で迎える特別な日。それはある意味市民の笑顔を守るヒーローの本懐でもあるのかもしれない。

 経営科が営むたこ焼きやチョコバナナの屋台が立ち並び、サポート科謹製のアイテムが並ぶ露店では一般客がどれを買うべきか吟味している。

 そんな明るい空気の中、最終種目に備えた出久は――

 

「ふぁい、おー!」

 

 チアリーダーの姿ではしゃぐ蓮華を前に、頭を抱えていた。

 最終種目前に用意されたレクリエーション、その一環として女子はチアリーダーで応援をしなくてはならない。……という、嘘をついた者がいた。上鳴と峰田、A組きっての煩悩コンビである。

 彼らの口車にまんまと乗せられた八百万は女子全員分のチアユニフォームを創造し、そして彼女たちは着用してしまった。

 そして蓮華は「私もA組の一員だからね」と自ら参加を申し出たのだ。

 

「少年、見てるかー!」

「見てますけど……その、なんていうか……」

 

 非常によろしくない。

 いつも黒く艶のある髪を背に流している蓮華がそれを束ねたことで垣間見える、透き通った白いうなじであるとか。

 健康的な範囲で露出の多いチアユニフォームから覗く、普段は隠された肌であるとか。

 クラスの女子達に交じってはしゃぐ蓮華の、無邪気で溌剌とした笑顔であるとか。

 

「ケロ、ノリノリね蓮華ちゃん」

「ふっふっふ。何を隠そう、お姉さんは高校時代に応援団長もやってたからね。こういうのはお手の物なのさ」

「そうなん!? なんか意外やわ、蓮華さん文化部っぽいし」

「部活入ってなかったから押し付けられたの。でも楽しかったからよし! 今日も楽しければよし!」

 

 談笑しながらポンポンを振る蓮華を遠目に見ながら、出久は昨晩作って冷やしておいた自作のドリンクで栄養補給をしていた。

 もちろん、蓮華もふざけているわけではない。

 轟から聞かされた話に何か思うところがあったらしく、彼女はしばらく思い詰めたように冷気だけを漂わせていた。その気持ちを発散できるのなら、出久としても止める理由はない。

 ただ、それとは別に意図があるような気もして、出久はなんとなく胸中をざわつかせていた。

 幽霊として23年間漂い続けた蓮華。外界と切り離された彼女がわざわざ大衆の前に姿を現してはしゃいだ理由は、ただお祭りだからというだけではないような気がするのだ。

 

「せっかくかわいい格好したんだし、みんなで写真撮ろー! 私写んないけど!」

「お姉さん写ると心霊写真になっちゃうけどいい?」

「めっちゃいい!」

「いやすごいノリノリじゃん……マジであの馬鹿ども覚えとけよ」

 

 やる気なさげに屈んで頬杖をついていた耳郎がぼやく。騙されて巻き込まれた彼女に応援パフォーマンスをする義理などありはしない。

 ただ、結局は恥ずかしかっただけなのか、芦戸と葉隠に促されると渋々といった様子で写真を撮る輪に加わった。

 

「少年、カメラ係ー!」

「僕ですか!?」

「まあ、緑谷なら普通に撮ってくれそうだしいいか……」

「峰田とかに頼むとアングルやばそうだもんねー」

 

 手渡された芦戸のスマートフォンを操作し、カメラを向ける。

 一人は透明、一人は幽霊。それでも彼女たちにとっては青春の一コマなのだろう、笑顔でポーズの相談をしてはしゃいでいる。眩しくて出久は思わず目を細めた。

 しばらくしてポーズを決めた6人。笑顔の彼女たちが画角に収まるように立ち位置を変え、シャッターボタンに指を添える。

 

「撮りまーす! はい、チーズ!」

「チーズー!」

 

 画像フォルダに刻まれたその瞬間は、きっと一生ものの思い出になるのだろう。

 返されたスマートフォンを操作してはしゃぐ芦戸たちを眺めていると、出久は意図せず自分の緊張がほぐされていることに気がついた。

 最終種目への出場を辞退した尾白から聞かされた、心操の個性。その対策を考えて出久はすっかり頭が茹だっていた。緊張と不安で手の震えが止まらなくなるほどに。

 しかし、仕上がった写真に手ブレはなかった。

 

「……ふふ、少しは力が抜けたかな。リラックスだよ、少年」

「お姉さん……」

 

 いつもどおり浮遊して近づいてきた蓮華に目をやった出久は、視界に入った形のいいへそと引き締まった腰に思わず顔を赤らめた。

 一緒に暮らす我が家でのちょっとした油断にすらドギマギさせられるというのに、こんな健康的で華やかな姿を見せられてしまったら出久はどうすればいいのか。

 

「少年にはちょっと刺激強すぎたかな?」

「な、なんのことか……わぷっ」

 

 顔面をポンポンで叩かれる。

 漂う甘く爽やかな香りが、今日はことさら出久の脳を揺らす。

 

「大丈夫、お姉さんが応援してるのは少年だけだよ」

 

 囁かれたその一言に、出久のなかの何かが危うくこぼれそうになった。

 グラウンドではレクリエーションの障害物競走が佳境を迎え、観客たちからも声援が飛んでいる。その全てがどこか遠くにあって、今は蓮華の纏う冷たさだけがそばにある。

 高鳴る鼓動は止めようにも止まらず、脳の奥からこみあげてくる熱が脈打って騒々しいことこの上ない。

 それなのに、蓮華の声だけははっきり聞こえるのだからたちが悪い。

 

「一緒に頑張ろう、少年」

「……ふぁい」

 

 ようやく顔からポンポンを外された出久は、逃げるように思い切り息を吸った。肺いっぱいに満ちる新鮮な空気に思考が晴れ、そしてそこに混じる蓮華の冷気をつい意識してしまう。

 危うく出久の何かが駄目になるところだった。

 いつもの静かな美しさをたたえた蓮華なら大丈夫というわけではないが、チアリーダー姿はだめだ。先ほどまでの緊張とは違うドキドキで出久の心臓が痛いほどに弾む。

 

「なになに緑谷ー、アオハルしてんねえ!」

「ち、ちが、そんなんじゃ」

「実際、デクくんって何歳くらいから蓮華さんと一緒なん?」

「えっと、小学2年だから……8歳?」

「あのときはまだ7歳だったよ、7月の頭だったから」

「ガチの少年じゃん。へー、だから少年とお姉さんなんだ……」

 

 わちゃわちゃと女子たちに取り囲まれて、出久は赤面した。

 どうにも彼女たちは出久を警戒しない節がある。年下の男の子にでも見えているのだろうか。確かに出久は小柄だが、子ども扱いを受けるほどではないと物申したいところだ。

 グラウンドから「みどりゃーあとで覚えとけよおまえー!」という峰田の絶叫が聞こえた気がする。障害物競走は最終盤、借り物競走に突入している。

 出久からすれば峰田と上鳴のせいで散々ドギマギさせられるような状況に追い込まれたのだから、覚えとけよはこちらの台詞だった。ただ、少しも嬉しくないと断言できるほど出久は男を捨ててはいない。

 邪な思いよ消え去れ、そう念じていると救いの声がかかった。

 

『最終種目の1回戦が間もなくだ、盛り上がってこうぜリスナー! 第1試合の緑谷と心操は控室で待機だ、ギア上げとけよー!?』

 

 ついに最終種目が始まる。

 一対一のガチンコバトル、シンプルゆえに実力が試される最後の難関だ。対人戦闘技術だけでなく、初見の個性にどこまで対応できるかの応用力も測られる。

 出久はすでに二度勝った。あと一度勝てば、頂点に立つことができる。

 オールマイトに誓った約束を果たすのだ。僕が来た、そう示すために全力を尽くす。たとえその相手がどんな重荷を背負っていようとも。

 

「デクくん、蓮華さん、ファイト!」

「ここから応援してるわ」

「みんな……ありがとう! 行ってくる!」

 

 蓮華が空中でかき消え、そのまま出久の内側に冷気が満たされる。リラックスの時間は終わり、ここからは本気の勝負に向けてほどよく緊張を高めていく番だ。

 声援を一身に受けながら、出久は控室に向かって早足で歩き出した。

 スタンドを抜け、清潔な通路を通って控室へ。遠くから木霊するプレゼント・マイクの実況が、レクリエーションの決着を告げている。

 

――ここからは個人戦だね、少年。

「はい。でも、僕はひとりじゃありませんから」

――お、なかなか言うようになったじゃないか。

 

 控室の扉を閉めると、いよいよ静寂がやってきた。

 呼び出しのベルが鳴るまではここで待機しなくてはならない。備品を壊さない範囲であればウォームアップのために使うことも認められている。

 しかし、出久はこの時間を思考することに充てた。

 

「洗脳の個性、どう思いますか」

――んー、私たちが同時にかからなければ大丈夫だと思う。解除条件は衝撃だっけ?

「尾白くんはたぶんそうだろうって言ってました」

 

 第二種目の騎馬戦で、尾白は心操の洗脳によって無理やり騎馬を務めさせられた。結果として勝ち上がりはしたが、彼は自身のプライドを理由に辞退を決めた。

 ストイックな男だ。実力を示す場だからこそ、実力で勝ち上がることを望んでいたのだろう。

 その尾白から預かった「心操の個性」というバトンには、少なからず彼自身の悔しさも籠められている。勝ってくれ、彼の瞳はそう言っていた。

 

――あまり鍛えてる体つきじゃなかったよね、心操くん。

「それでも彼はここまで来た……個性が強いってだけじゃないと思います。心操くんも勝ちに来てる」

――うん。油断大敵、お姉さんが言うまでもなかったね。

 

 2週間ほど前、心操はわざわざ宣戦布告のために1年A組の扉を叩いた。

 それはきっと爆豪の宣誓と同じだ。彼は本気でヒーロー科への編入を目指している。本気で勝ちを狙う、そのために使えるものをすべて使って自分を追い込んだ。

 その彼に出久はこれから勝つ。

 控室の無機質な置き時計から響く秒針の音が、刻一刻と迫る第1試合の気配を感じさせる。最終種目が始まるのはここからだ。

 

――ふたりで一緒に勝とう、少年。

「もちろんです」

 

 入場を促すベルが鳴った。



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二十三回忌 僕の一回戦でハッタリをかますお姉さん

ド多忙ですがストレス発散におねショタを摂取しないと耐えられないので更新再開します


 一対一のガチンコ勝負。ルールは簡単だ。相手を場外に落とすか、行動不能にするか、参ったと言わせれば勝ち。付け加えるならば、ドクターストップでも勝敗はつくだろうか。

 怪我程度では止まらない、本気の戦闘。

 本当のことを言えば、蓮華は出久が戦うことに乗り気ではない。この素直でまっすぐな少年が傷つく姿を見たいとは微塵も思わない。

 ただ、彼が目指すところを知っているから、せめて少しでも負う傷が少ないよう手を貸す。あるいは魂を貸す。彼の個性になるとは、つまりそういうことだった。

 

『一回戦! 大人しそうな顔の割に大胆不敵な勝利宣言で会場は激アツだぜ! ヒーロー科、緑谷出久!』

 

 スタンドから歓声が上がる。

 ヘドロ事件で入学前から顔が売れていた爆豪、親にNo.2ヒーローを持つ轟。そのふたりを押さえて二度の1位通過を果たした出久に、今や会場中が期待の目を向けている。

 緊張を少しでも収めようと深く呼吸する出久の内側で、蓮華は彼に寄り添った。

 試合が始まれば、出久の内側はワン・フォー・オールの熱で満たされる。そのたびに蓮華は少しだけ、己の死を思い出す。だからこそ、蓮華は一度たりとも彼を衝き動かすその力の制御に失敗しなかった。

 出久には言えない、ささやかな秘密。

 

(バーサス)!』

 

 気怠げに首を鳴らしながらステージに立つ心操。

 決してだらしない身体というわけではないが、ヒーロー科の同級生と比べると一歩見劣りする仕上がりだ。素人の蓮華でも見てわかる。それでも彼はこの最終種目まで進んできた。

 素の身体能力で言えば出久が上。それは誰よりも一番近くで見てきた蓮華が保証する。

 問題は個性だ。尾白からもたらされた情報をもとに、蓮華は出久と彼の個性について対策を練った。それがどこまで通用するかは出久次第だ。

 

「『参った』か……わかるかい、緑谷出久。これは心の強さを問われる戦い。強く想う将来(ヴィジョン)があるなら、なり振り構ってちゃダメなんだ」

『ごめんまだ目立つ活躍なし! 普通科、心操人使!』

()()()はプライドがどうとか言って辞退したけどさ」

 

 心操の淡々とした、しかし嘲笑の色が垣間見える声。

 強く握られた拳が出久の憤りを示している。

 ただ勝てばいいわけではない。理念、覚悟、そういったものと勝ち進むことで得られるメリットを天秤にかけて、尾白は辞退を選んだのだ。

 出久が尾白の判断に尊敬の目を向けていたのは蓮華も知っている。同時に、心操の言葉が所詮は個性を発動するための挑発に過ぎないということも理解している。

 

『レディィィィィイ――』

「チャンスをドブに捨てるなんて……バカだと思わないか?」

 

 心操の嘲るような言葉に、出久の足が一歩前に動いた。

 怒っている。

 

『――STARTォ!』

 

 しかし、出久は反論よりも個性の発動を選んだ。

 奥底から火が熾るように、地平線から日が昇るように、出久の内側を熱が満たしていく。蓮華が冷気で示した輪郭をぴったりなぞる塗り絵のようにして、彼の肉体は力で染まっていく。

 

「そうだよな、お前はこれくらいじゃ動揺しない。だって、()()()()()()()()()()()()もんな」

 

 衝撃波を放とうと蹴りの姿勢に入った出久の脚が止まった。

 耳を貸すべきではない。

 心操の個性:洗脳は問いかけに応答した相手を支配下に置く、シンプルで強力なものだ。その個性に対抗するためには何を言われようとも反応しない心積もりでいなくてはならない。

 出久は純粋だ。まっすぐに正義を目指し、まっすぐに誰かを想う。それは美徳と言っていい。しかし――

 

「幽霊の力を借りる個性……噂は普通科にまで流れてきたぜ。()()()()使()()()()()()()()、気分はどうだ?」

「ッ! 僕は……!」

 

 まっすぐだからこそ、出久は自分の過ちを許せない。

 熱で満たされていた出久の肉体が急に醒めていく。地面を強く踏み、蹴り出そうとしていた身体がぴくりとも動かない。

 きっと図星だったのだろう。出久はまんまと心操の術中――洗脳の個性によって支配されてしまった。

 愚かだとは思う。蓮華はもう出久の個性なのだから、そんなことをいつまでも気にしている場合ではないのだ。彼はどうやって蓮華を使うかだけ考えていればそれでいい。

 

「……肝が冷えたぜ。だが、俺の勝ちだ」

 

 心操の勝利宣言と微動だにしない出久に会場がざわめく。

 通常の対戦相手であれば心操の勝ちが決まったと言っていい。これであとは、参ったと言わせるなり自ら場外へと歩かせるなりすればいいのだから。

 問題は、彼の相手が緑谷出久(美珠蓮華)だったということだ。

 

「――ああ、まったくもってまっすぐなお馬鹿さん。でもね、少年。君のそういう堪え性のない馬鹿正直なところ、意外と嫌いじゃないぞ」

 

 ()()()()が笑みを作る。

 ぬるい空気が体操服を揺らす。肉体に感じるのは化学繊維のしなやかな感触と、こもった熱に伝う汗、会場から突き刺さる視線。

 口の中が緊張でねばついている。小さく息を吸えば、混じった砂埃が口の中でじゃり、と鳴る。

 

「だから……特別サービスだ。いや、むしろ私へのご褒美なのかな」

 

 久しぶりに感じる肌を、肉を、神経を。すべてを総動員して、脈打つこの肉体に命令を送る。

 機械人形が再起動するように、力を失った手が再び握られる。

 背筋が伸び、視線がまっすぐ心操へと向く。

 勝利を確信していた心操の表情が、さっと色を失った。

 

「……なんだ、お前?」

「なるほど、面白いね。問いかけへの応答をすれば内容は問わずに支配下に置けるのか。強い個性だ。訓練より実戦で輝くタイプだね、君は」

「ッ……なんなんだよ、洗脳は確かにかかったはず!」

「君は今疑問に思っているだろう。会話しているにも関わらず、私が沈黙しないのはなぜか。理由は簡単だ、私は君と会話をしていない。私は君の問いかけに反応を返していないんだよ」

「なんなんだ……なんなんだよ、お前は!」

「個性一本でやっていくのには限界がある。もっと身体を鍛えなさい。理性があるように見えて独り言を喋っているだけのヴィランも世の中にはいるものだ」

 

 一歩踏み出した()()を不気味がるように、心操が大きく飛び退いて距離を取った。

 出久は洗脳にかかっている。彼の意識は今深くに沈んでいるところだ。蓮華は漠然と彼がワン・フォー・オールの内側に引き込まれたことを知覚していた。

 つまり、この身体は明け渡されている。

 

『心操の個性は強力だ。あの入試はつくづく非合理の極みだよ、ああいうやつを落としちまう。緑谷じゃなきゃ刺さってただろうよ』

『HEYHEYHEY、緑谷の個性ってのが俺にはまだよくわかってねーぜ! 騎馬戦のときに超COOLな美人侍らせてたよな?』

『言い方……まあいい。緑谷の個性は死霊憑き、幽霊を憑依させて力を借りる。あのときのあいつは緑谷に憑いてる幽霊だよ』

『緑谷はレーバイ体質ってやつか! 俺らも昔あったよな、林間合宿の肝試し終わった後、俺が金縛りに遭ってよ!』

『覚えてねえよ。つまり緑谷にとって洗脳は、選手交代だ。そうなんだろ?』

 

 相澤の解説に小さく手を挙げてみせると、会場はさらにどよめいた。

 出久が自我を奪われる。それはつまり、この肉体の所有者が制御権を手放すということだ。放棄された肉体を取り憑いて操作するなんて幽霊らしいことを蓮華ができないはずがない。

 今、蓮華は23年ぶりに肉体を得ていた。

 

「個性の正体は割れた。幽霊が正体見たり、とでも言うべきかな。私は少年と違って、君の問いかけに応えるほど優しくない。さあ、どうする?」

「幽霊を憑かせる……はは、そんなのありかよ。ただ力を借りてるのとはわけが違うじゃねえか。最初からひとり分じゃない、実力に下駄履いてるってわけか?」

 

 拳を構える。

 出久ならきっと今の言葉にも反応してしまっただろう。しかし、蓮華はそこまで純粋ではない。

 第一種目と第二種目での活躍を知っているからか、心操は仕掛けてこない。フルカウルの高機動から放たれる衝撃波を伴った打撃は、心操相手なら十分に決定打となりうる。

 

「どうしたんだい? かかってきたまえ」

 

 拳法家の老師がするようにして、蓮華は挑発的にくい、と手招きをした。心操はそれに舌打ちをして、しかし、飛び込んでくる足取りはまだ腰が引けていた。

 これは10割ハッタリだ。

 蓮華には戦闘の心得がない。まるっきり、これっぽっちもありはしない。自己申告で「戦闘能力は野良猫にも劣る」と宣言しているとおり、蓮華個人の実力は入学前の出久にも及ばない。

 幸いにして、無個性の娘を心配した両親のお陰で護身術は学んだ。様になる構えくらいはまだギリギリ覚えている。ただ、その先は何もない。

 

「……それでも、こんな個性でも夢見ちまったんだよ」

 

 心操のテレフォンパンチを右腕で受けて、蓮華は23年ぶりに感じる痛みに頬を引きつらせた。

 この衝撃で出久が目覚めてくれればよかったのだが、その気配はない。どうやら出久の意識は()()()()()()()()にいるようだ。

 

「ッ……ああ、身体があるってこんな感じだったっけ」

 

 踏み込んで蹴りを放とうとした心操の鼻先めがけて、指先から鬼火を放つ。

 熱も痛みもないただの光源だが、そうと知らない心操は大げさに距離を取った。一見すれば炎を放ったように見えるだろう。

 虚仮威しにハッタリ、口八丁。

 観戦しているプロヒーローには通用しないだろうが、少なくとも目の前の心操を騙しきるくらいのことはできる。出久が目覚めるまで、蓮華は心操に警戒され続けなくてはならない。

 いまだ意識を眠らせている出久を守るため、蓮華は無個性時代に培った技術の数々を全力で駆使していた。

 

「羨ましいよ。超パワーに超スピード、おまけに炎まで出せるなんて……さぞや期待されてきたんだろ、ここに」

 

 個性を警戒して問いかけには答えない。

 出久の身体を操作してはいるが、蓮華にワン・フォー・オールは応えてくれない。発動の権限は出久が握ったままのようだ。

 そして、いくら鍛えた身体であっても蓮華が乗りこなせなければ意味がない。

 鬼火を避けて心操が放った掬い上げるような蹴りをなんとか躱して、蓮華はため息をついた。新しい切り札が見つかったかと思えば、これはとんでもない大外れの札だ。

 

「……まったく、意外なところで課題が見つかるものだね」

「何を言ってる?」

「しかし、これは可能性でもある。君ならきっとそう思うだろう? だから――そろそろお目覚めの時間だ、少年」

 

 蓮華は内側へと手を伸ばした。

 幽霊だから見える、本来人間が知覚し得ない霊的な内側。魂の炉とでも呼ぶべきそこに立ち尽くす出久を、そっと撫でる。

 ぐい、と蓮華は内側から引きずり降ろされた。

 そして同時に、出久が踏み込んだ左足がステージに罅を入れた。

 

「――フルカウル」

 

 再び出久の内側へと押し込められた蓮華は、その身体の隅々までみなぎる熱に目を焼かれた。

 ワン・フォー・オールが胎動している。

 蓮華は出久が継承したワン・フォー・オールの縁に間借りしている存在に過ぎない。だからこそ、その渦巻くような熱と、奥にきらめく九つの星を誰よりもはっきりと見ることができる。

 これを見ていたのか。

 巨大な炉で熱せられた鋳鉄のように、眩い銀河の恒星が発するエネルギーを一杯のコップに収めたように、その光は焼け付くほど眩しい。

 どうやら出久は、ただのねぼすけというわけではなかったようだ。

 

「SMASH!」

 

 波乱の1回戦。

 勝利者として名を呼ばれた出久が心操と言葉を交わす裏側で、蓮華はありもしない心臓をぎゅっと押さえていた。

 ひとつでも失敗していれば、蓮華は出久の目指す完全優勝を勝手に折ってしまっていたかもしれない。大切な誰かの夢を背負って戦うというのは、慣れない経験だった。

 半透明の手が震える。まだ、緊張の余韻が身体を縛っているような気がして。




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二十四回忌 僕の口でたこ焼きを堪能するお姉さん

 一回戦で轟が瀬呂を瞬殺した後のこと。

 出久はクラスの席を離れ、経営科の屋台までやってきていた。小腹が空いたというのもあるが、それ以上に蓮華が「食べたい」と言ったからだ。

 戦いの中で、出久と蓮華には新たな可能性が示された。

 蓮華による完全憑依。それは肉体の支配権を明け渡すというものだ。

 戦闘面でのメリットは薄いだろう。ワン・フォー・オールは継承者である出久にしか応えないようだし、何より蓮華には戦闘の心得がない。

 しかし――

 

「あふ、あっつ、うまぁ……!」

――どうですか、たこ焼き。

「たまらないね……さいっこう……!」

 

 こうも幸せそうにたこ焼きで舌を火傷させる蓮華を、誰が止められるだろうか。

 蓮華曰く、心操の洗脳がきっかけでパスが開いたらしい。出久の同意があれば、蓮華は出久の身体を使えるようになった。

 とても喜ばしいことだ。こうして蓮華がおいしいものを食べられるようになったのだから。

 力を借りて戦うことをずっと心苦しく思っていた出久にとっても、この新たな可能性は嬉しい誤算だった。身体を貸すだけで恩が返せるのなら、いくらでも貸し出そうとすら思う。

 

「とろっとろでふわっふわ……あげだこじゃなくて、ちゃんと関西風なんだね。お出汁とかあったりします?」

「1位の人、通やねえ! はいどーぞ!」

「ありがとー!」

 

 経営科の売り子から出汁の入った紙コップを受け取り、そこにふわふわのたこ焼きをくぐらせる。ふわりと香る鰹節が鼻腔をくすぐる感触を、蓮華は23年ぶりに味わっている。

 そして、よく出汁を吸ってほとんど液体のようにとろけたたこ焼きを一口で頬張る。

 熱さ。香ばしさ。甘み。柔らかさ。そういった「生の情報」を堪能する蓮華を、出久は内側で見守っていた。

 

「んんー……たまらん!」

「そないに気に入ってくれて嬉しいわ! 実家の親父仕込みやから、大阪に来たときはぜひ寄ったってや!」

 

 おまけのもう半パックに加えてお店の名前が印字された割り箸を渡されて、蓮華は出久の身体で目一杯にお礼を伝えた。

 喜んでくれて何よりだった。

 轟の試合を見た後、蓮華は少しピリついていた。鈍い出久でも流石にわかる。蓮華は轟と――もしくは、その親と何か縁があったのだろう。

 それについて、出久はどうこう言えない。きっとその縁は生前のことで、出久が生まれる前の話だ。どう口を挟めばいいというのか。

 だから、こうして蓮華が無邪気に喜んでいる姿を見ることができて、本当に嬉しかった。蓮華にかかる負担はできるだけ減らしたい。それが出久の思いだ。

 

「じゃあ、交代かな。残りは少年にあげる」

――もういいんですか? イカ焼きとか、冷やしきゅうりとかも売ってますよ?

「試合前にお腹いっぱいにしちゃうのはよくないでしょ。また今度貸してね」

 

 下がっていた出久の体温が戻り、そして出久の意識が表層に引っ張り出された。

 傍からはわからない入れ替わりの唯一と言っていい特徴が体温だ。蓮華の纏う幽霊の冷気は、完全憑依の間まるで血液の代わりとなるように出久の全身を巡っている。

 少し冷めたたこ焼きを片手に、出久はクラスの席へと戻るために歩きはじめた。

 

――ありがとね、少年。

「どうしたんですか、急に」

――たこ焼き、心残りだったからさ。

 

 蓮華は23年前にあの神社で死んでいる。

 小さい頃に出久は地域学習で少しだけ事件のことを教わっていた。ヴィランが起こした大規模火災は、納涼祭の最中だった神社を襲ったのだという。

 紙芝居で見せられた、炎に呑まれる盆踊りの櫓。蓮華もきっとお祭りの中にいたのだろう。

 

――屋台のたこ焼き、まさか23年越しに食べられるとは思わなかったよ。

「……それは、よかったです」

 

 まだ聞かされていない、蓮華の死の全て。

 それに思いを馳せるたびに、出久の胸が小さく痛んだ。いつも側にいてくれる蓮華がたまらなく遠いものに思えてしまって、呼吸が苦しくなる。

 出久には秘密の目標があった。

 この体育祭で一位を獲る。それはもちろん、オールマイトとの約束だ。しかし、それと同じくらいの気持ちで、出久は蓮華に勝利を捧げるつもりでいた。

 ここで成果を上げればきっと、蓮華は出久の個性として周知される。もしかすると彼女の親族が連絡をしてくるかもしれない。生前の友人たちと再会することも叶うかもしれない。

 蓮華が人望ある人物だったことは学生時代のエピソードからも伺える。そんな彼女の現在を、かつて美珠蓮華を喪った人々に伝える好機だと、出久はそう考えていた。

 

――お、上鳴くんの試合始まったね。相手の子、すごく綺麗だなあ。

「わ、ほんとに始まってる……すみません、ノート取りながら歩きます」

――はーいよ、前方注意は任せておいて。

 

 蓮華に安全確認を頼んで、ノートとペンを取り出す。

 出久は本気で勝ちに来た。ただ目立つだけで終わるつもりはない。トップヒーローを目指す者として名乗りを挙げ、蓮華にもオールマイトにも報いるのだ。

 ステージではB組の塩崎が伸ばした茨のツルで上鳴の電撃が完封され、そのまま拘束されたところだ。上鳴の全方位無差別放電は伸びしろの塊のような個性だが、今はまだそれを芽吹かせるときではないようだった。

 

「わ、デクくんが曲芸しとる」

「やっぱり拘束系は強いよなあ、それに塩崎さんは手数がある。避けつつ間合いを詰めるのは無理だから……はっ、麗日さん!?」

 

 いつの間にかクラス席についていたようだ。

 出久の内側で蓮華がからかうようにクスクスと笑った。出久が熱中していたのが悪いのだが、蓮華はたびたびこうして出久をクラスメイトと予期しない形で関わらせる。そのたびに出久は少し恥ずかしい思いをする。

 ヒーローの分析、個性の分析、それらを口に出してしまうこと、ノートに書くこと。出久の奇行を受け入れてくれるクラスメイトたちはいい人ばかりだ。

 

「通行人避けて歩いて、スクリーンで観察して、ノート取って。そんで先見越して対策。なんかもう……その筋の人やね!」

「その筋の人!?」

 

 ぽんぽん、と隣の椅子に座るよう示されて、出久は躊躇いながらも麗日の隣に腰掛けた。

 クラスの女子とは交流がないわけではない。ただ、一番緊張せずに話せるのが誰かと言われれば、きっとそれは麗日だった。入試以来の縁だからだろうか。

 書いたばかりのノートを麗日が覗き込む。

 

「デクくん、絵も上手いんやね。塩崎さんやっぱ絵でも映えるなあ」

「や、えと、ほぼ趣味というか……いや違くて、せっかくクラス外のすごい個性見れる機会だし……! A組の皆のもちょこちょこまとめてるんだ、麗日さんの無重力も!」

 

 ページを捲って彼女のために割いた見開き2ページを見せてから、出久は自分がとんでもなく恥ずかしいことをしていることに気がついた。

 これでは「クラス全員分のストーカーをしています」と宣言したようなものではないか。

 このヒーローノートに身内のことを書くのがあまりよろしくないのは、爆豪にはっきりと「ストーカーみてえでキショいんじゃボケ、プロのことだけ書いとけや」と怒られたことで自覚した。それでもやめられないのだから、良くない趣味だ。

 

「……ウチにもちゃんと興味持ってくれてるんだ」

「え? えっと」

「なんでもない! デクくん、会った時からすごいけど……体育祭で見るとやっぱ、やるなあって感じだ」

 

 麗日が立ち上がって大きく伸びをした。

 ついさっきまで少し強張っていた彼女の横顔、その柔らかな輪郭が陽射しを遮る。影となってなお、その笑みの穏やかさが出久にはよくわかった。

 

「……ね、デクくん。蓮華さんのページもあるん?」

「あ、うん。でも、ノート分けてるんだ。まだわかってないことが多いから、収まりきらなくて」

「別枠かー、だよなー!」

「麗日さん?」

「なんでもなーい! ありがとねデクくん、ウチそろそろ控室行ってくるね!」

 

 手を振って走り去っていく麗日の背に応援の言葉をかけて、出久は釈然としないままたこ焼きのパックを開けた。おすそ分けするタイミングを逃してしまった。

 ステージでは、発目と飯田の試合とは名ばかりのプレゼンテーションが終わったところだった。

 

――ふふ、罪作りだねえ少年は。

「な、何がですか?」

――ヒーローは人気者って話さ。オールマイトって恋人とか結婚とかそういうこと考えないのかな。

「そういう噂がなかったわけじゃないんですけど、全部本人が否定してるんです! 一番有名なのはシルバーエイジ時代の通称夢女子事件で……」

――ああ、違うスイッチ踏んじゃった……。

 

 オールマイトの恋愛事情について熱く語りながら、冷めたたこ焼きを頬張る。

 麗日は数試合後に爆豪と対戦することになる。対戦カードとしてはかなり厳しいものの、出久から見て勝ち筋がないわけではない。

 緊張していた彼女が気にならないと言えば嘘になる。できることなら応援したい。爆豪の個性を一番知る出久なら、麗日に的確なアドバイスを送れるだろう。

 しかし、出久はそうしない。

 

――お茶子ちゃんとも戦えるといいね。

「そうですね。ずっと助けられてきましたけど……ライバルでもあるので」

 

 出久は麗日を信じると決めていた。

 敵は強い。爆豪は出久が知るなかでは誰よりも強いライバルだ。その爆豪を乗り越えなければ、麗日は決勝どころか一回戦で敗退になる。

 だからといって、それは麗日を侮る理由にはならない。勝ち上がってきた彼女と決勝で戦いたい、そう願う出久にできるのは彼女を応援することだけだ。

 

「後で控室まで応援しに行こうと思ってます」

――いいんじゃない? 爆豪某が一回戦落ちするのも面白い展開だし。

「はは……それはちょっと、想像できませんけど」

 

 矛盾していると自分でも思う。

 出久は今から爆豪の対策を考えている。彼はすでに蓮華の力を借りた出久と本気でやり合ったことがある。彼のメタ、その上をいくメタを張らなくてはならない。

 それなのに、心では麗日が勝つことを願っている。嘘偽りなく、出久は彼女を応援している。

 

――ところで、その爪楊枝はお姉さんも使ったやつだけど、間接キスになるのかな?

「うぇあっ!? へ、変なこと言わないでくださいよ!」

 

 落としそうになったたこ焼きをキャッチして、慌てて頬張る。

 少し意地悪な蓮華の笑い声だけは、ずっと変わらない本物だった。



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二十五回忌 僕の二回戦で決意をみなぎらせるお姉さん

 炎が揺らめいていた。

 爆豪相手に健闘するも、麗日が敗退したあとのことだった。出久は麗日に背中を押されて、控室を後にした。

 そして、廊下を曲がった時、そこに炎がいた。

 

「え、エンデヴァー……!」

 

 何も言わず、その男は巨躯のあちこちから炎をちらつかせて、そこに立っていた。

 エンデヴァー。轟焦凍の父親であり、オールマイトに次ぐNo.2ヒーローとして知られる男だ。彼はじっと出久を見下ろしていた。

 その瞳は冷たく、しかし、どこか揺らいでいる。

 偉大な人物のはずだ。それなのにその輪郭はどこか、融けかけの傾いた蝋燭にも似ていた。

 

「……あ、あの、何か?」

「君の……個性は、今も一緒にいるのか」

 

 出久の内側で、冷気が拒むように脈打っている。

 蓮華は何も語らない。しかし、その冷気は過去にないほど吹雪いている。炎に顔を覆われたエンデヴァーがすぐ目の前にいるというのに、出久が寒さを感じるほどに蓮華は感情を荒ぶらせていた。

 

「……いや、そんなことはいい。俺にとっては()()()()()()()()()()だ」

 

 その言葉が聞こえた時、吹き荒んでいた冷気が一瞬だけ消えた。

 何かが抜け落ちたように、すとんと静まり返る蓮華。きっといいことではないというのは、出久にもすぐわかった。

 しかし、何をどうすればいいかわからない。

 出久はただ押し黙って、炎を揺らめかせるエンデヴァーを見上げていた。

 

「君の活躍は見せてもらった。興味深い個性だ。トータルスペックの高さと応用の幅、どちらも評価に値する。特に、まだキープしているパワー……そのポテンシャルはオールマイトにも匹敵するだろう」

「何を……言いたいんですか」

 

 とても称賛しているとは思えない冷たい瞳に睨み返す。

 エンデヴァーはオールマイト超えに執念を燃やしている。少しコアなところまで漁っているファンなら誰でも知っている事実だ。その彼から「オールマイトにも匹敵する」という評価を引きずり出したのは、とんでもないことだった。

 素直に受け止められないのは、出久の個性がオールマイトから継承したものだからというだけではない。彼から少しも褒めようという気を感じないのが、出久の違和感になっていた。

 

「僕、試合があるのでもう行かないと」

 

 隣を通り過ぎようとしたとき、エンデヴァーが低い声で囁いた。

 

「ウチの焦凍にはオールマイトを超える義務がある」

「ッ!」

「君との試合は変則的ながら有益なテストベッドだ。くれぐれも、みっともない試合はしないでくれたまえ」

 

 出久は思わず振り返った。

 試合のことも忘れて、出久はエンデヴァーを睨んだ。昼休憩に聞かされた轟の出生、個性婚の話を思い出したからだ。

 そして何より、今も内側で渦巻く蓮華の感情が出久の神経を刺激していた。

 

「僕は、オールマイトじゃありません」

「そんなものは当たりま――」

「当たり前のことですよね。轟くんも、あなたじゃない」

 

 エンデヴァーがかすかに目を細めた。

 言葉にできない苛立ち、不快感、そして悲しみ。それはきっと、奥底でつながった蓮華と共有している感情でもある。そして、プロヒーローとしてエンデヴァーを尊敬していた出久自身のものでもある。

 

「それが、あなたの正義なんですか」

「ッ……それ、を」

 

 自然と口をついて出たその言葉に、エンデヴァーははっきりと表情を歪ませた。

 もしかすると、これは蓮華の言葉だったのかもしれない。

 今や荒ぶる冷気は出久の全身から溢れ出ていた。狭い廊下に立ちはだかるエンデヴァーの巨体を押し潰すように、うねり、渦巻いている。

 つながった奥底で、出久は蓮華の決意を感じた。

 

「僕は僕として、轟くんと戦います。どっちが勝っても、あなたは部外者だ。……失礼します」

 

 立ち去る出久の背に視線が突き刺さる。

 振り返ることはしなかった。これ以上、沈黙したままの蓮華を苦しめたくなかったからだ。

 内側にいるときの蓮華は姿を持たない。だから、表情もないし、声を発さなければその冷気の揺らめき次第でしか感情を感じ取ることはできない。

 しかし、出久は不思議と蓮華が泣いたのを感じた。彼女の涙がその透き通った頬を伝うのを、感じ取ってしまった。

 

「……勝ちましょう、お姉さん。全力で」

――うん。……ごめんね、少年。

 

 その謝罪が何に向けられているのかは聞かなかった。

 廊下を抜け、ゲートを潜る。日は傾きはじめていたが、それでもなおスタジアムの熱気は最高潮に高まっていた。

 ステージにはすでに轟が立っていた。

 お互い何も言わずに向き合う。

 

『今回の体育祭で両者トップクラスの成績! まさしく両雄並び立ち、今!』

 

 プレゼント・マイクの口上もどこか遠い。

 出久は今、これまでにないほど集中していた。不思議な感覚だった。怒りや決意で腹の底は煮えたぎっているのに、全身の神経が感じ取れそうなほど世界が透き通っている。

 そしてその全身に、蓮華の冷気が浸透していく。

 

『緑谷バーサス轟! ――START!』

 

 エンデヴァーに言われるまでもなく、みっともない試合はしない。

 開始の宣言と同時に、出久は拳を振り抜いた。

 迫りくる氷壁が、寸前で砕け散る。日光の下に散る個性のダイヤモンドダスト。その無機質な冷たさを貫くように、出久はもう一発を叩き込む。

 

「ッ、俺に守りの択を押し付けてくんのか」

 

 出久が放った衝撃波は轟の氷に阻まれた。そしてそこから波及するように伸びる氷を出久の蹴りが砕く。

 持久戦。

 授業を含めても、轟の情報は少ない。それは彼が全ての戦いを速攻戦で片付けているからだ。彼の氷にはそれを可能にするだけの速度と威力がある。

 しかし、個性は身体機能だ。彼の父親であるエンデヴァーが排熱に問題を抱えているように、氷を操る彼にもまた必ず何かしらの反動がある。

 一度拘束されれば終わりの敵を相手に、出久は情報を取ることを選んだ。

 

「お前にばっか攻めさせる気はねえぞ、緑谷」

 

 轟の手と脚、両方から氷が放たれる。

 さながら氷の城壁となって迫りくるそれは、出久がこれまで使ってきたフルカウルのパワーでは砕けない。所詮は6%、力不足は否めなかった。

 だから、出久は躊躇せず指をつがえた。

 

「――SMASH!」

「ッ……!」

 

 右手の中指に走る激痛。内出血で変色している。骨がやられただろう。

 しかし、犠牲を払った甲斐はあった。

 完全にリセットされたステージの上で、轟がかすかに震えていた。恐怖ではないことは目を見ればわかる。

 

――攻略法が見えたかい、少年。

 

 出久は返事の代わりに笑った。

 オールマイトのように。誰かを勇気づける、憧れのヒーローのように笑って、痛む手を握りこぶしに変えた。

 

「震えてるぞ、轟くん」

「ッ……」

「僕が言っても説得力ないかもだけど……個性だって身体機能のひとつだ。君自身、冷気に耐えられる限度があるんだろ? でもそれは、左側を使えば解決できるもんなんじゃないのか」

 

 攻略法は見えた。

 千日手。出久がフルカウルで氷を防ぎ続ければ、先に轟がダウンする。最も当たり前で、最も普通の勝ち方だ。

 ()()()()()()()()()

 

「皆、本気でやってる。勝って一番になりたい。僕だってそうだ。半分の力で勝つ?」

 

 見せつけるように拳を掲げる。

 轟に、そしてエンデヴァーに見せつけるように、この勝負で負った唯一の傷を高々と掲げて、出久は宣言した。

 

()()でかかってこい! 僕はまだ、君に傷ひとつつけられちゃいないぞ!」

 

 会場がわっと沸き立った。

 青臭いのが好みと宣言しているミッドナイトの歓声が聞こえる。同時に、解説席に引っ張り出されている相澤の呆れた声も。

 幾度も氷を砕いたステージの上は湿り気を帯び、そしてうっすらと冷たい。スタジアムの熱気と隔絶された世界で、轟が怒りを剥き出しにして出久を睨んでいる。

 

「何のつもりだ……全力……? クソ親父に金でも握らされたか? イラつくな……!」

 

 飛び込んでくる轟。

 個性だけでなく、身体能力も高い彼にはインファイトという選択肢がある。出久の反応速度を超えて凍りつかせることができれば彼の勝ち。その代わりに、出久が当てれば彼の負け。

 リスキーだが、正しい選択だ。拮抗状態を打破できる唯一の選択だっただろう。

 出久が超火力のインファイター(爆豪勝己)を仮想敵としての特訓を積んでいなければ、の話だが。

 

「ぐっ……」

 

 出久の拳が轟の腹にめり込む。砕けた指が軋んでいる。

 吹き飛ばされた轟はなんとか場外に出ずに留まったが、苦しげに呻いて腹を押さえていた。

 それでも攻勢を緩めないのは怒りゆえだろうか。迫る氷壁を出久は蹴り砕く。氷の密度が下がり、砕けやすくなっている。

 蹴り飛ばされた氷の破片が、動きの鈍った轟の頬を斬る。

 出久は勝ちたかった。

 全力の轟焦凍に、勝ちたかった。

 

「なんで、そこまで」

「痛いよね。僕も痛い。でも、笑って期待に応えられるようなカッコイイ人になりたいから、僕はここまできた」

 

 出久は拳を突き出した。

 

「君の境遇も、君の決心も、僕なんかに計り知れるもんじゃない。でも……全力も出さないで一番になって完全否定なんて、ふざけるなって今は思ってる!」

 

 つがえた薬指が特大の氷壁を破砕する。

 轟の体にはもはや見てわかるほどの霜が降りていた。通常なら低体温症でダウンしていてもおかしくないところを、彼自身の個性が生かしている。

 そう、彼自身の個性が。

 借り物ではない、彼だけが持つ、彼が生まれ持った力が。

 

「僕が勝つ。超えていくよ、君を」

「俺は――俺は、親父を……!」

「僕を見ろ、轟焦凍!」

 

 砕けた氷壁が生み出した氷点下の霧、その中で崩れ落ちようとしている身体を必死に立たせている轟に向かって、出久は叫んだ。

 

「――君の、力じゃないか!」

 

 出久の力は借り物だ。どこまでいってもそれは変わらない。きっと、この罪悪感が消えることはないのだろう。

 それでも勝ちたい。

 幼馴染の使いそうな言葉を借りるのなら、出久は「完膚なきまでの一位」になりたい。それ以外の順位に興味はないのだ。

 だからこそ、自分だけの力を出し惜しみするようなやり方でライバルが負けることは、絶対に認めない。

 轟焦凍が下に見ていようと、出久にとっては対等なライバルなのだから。

 

『これは――!?』

 

 ごう、と熱風が吹いた。

 それは冷え切った世界が上げた、荒々しい産声だった。

 

「――勝ちてえくせに……ちくしょう……敵に塩送るなんて、どっちがふざけてるって話だ」

 

 炎を纏い、絡みつく霜を溶かして。

 霧を晴らした轟が、笑った。

 

「俺だって、ヒーローに……!」

 

 ようやく出久と轟の試合が始まる。

 そのとき、スタジアムの観客席から大きな声が響いた。

 

「――焦凍ォオオオ!」

 

 その無粋な歓声は、轟の父親であるエンデヴァーのものだった。

 霧が晴れた今、ステージからでもわかるその歪な笑み。狂ったような熱気を帯びた眼差し。エンデヴァーの炎がなぜだか悍ましく思えて、出久は目を逸らした。

 

「やっと己を受け入れたか! そうだ! いいぞ! ここからが――」

 

 しかし、彼の言葉は続かなかった。

 出久の身体から抜け出した蓮華が、腰に手を当ててエンデヴァーを睨みつけた。

 その視線はまっすぐで、揺らがない。漂う冷気は波打っているが、それでも落ち着いている。

 そして、彼女は出久が知る限りで初めて、怒鳴り声を上げた。

 

「――()()!」

 

 この人はこんな声で怒るのか、とか。

 炎司というのはエンデヴァーの本名なのだろうか、とか。

 やはりエンデヴァーのことを知っていたのか、とか。

 いくつもの納得と不思議がないまぜになった気持ちの向こう側で、この世のものとは思えない蓮華の美しい横顔が凛々しくエンデヴァーを射抜いている。

 

「……そうなのか、お前は、やはり」

「君の……君の野望は、君のものでしょうが! 諦めたんならさっさと引退すれば!? この意気地なし!」

 

 会場の困惑と沈黙するエンデヴァーをよそに、蓮華は振り返って轟に視線を向けた。

 

「焦凍くん。あいつぶん殴るときはお姉さんも手伝うから」

「あんた……親父と知り合いだったのか」

「うん、知り合い()()()。でも、今は関係ない。お姉さんはただのおちゃめで知的な幽霊で、そして君のライバルの個性さ」

 

 そうか、と轟は笑って、炎を纏った左拳を構えた。

 蓮華が出久の内側に戻り、静まり返ったスタジアムの中で、いよいよ両雄並び立つ。

 勝負は一瞬で決まる。出久の中には奇妙な確信があった。

 氷を足場に、そして炎を推進力に翔ける轟。

 フルカウルの出力を限界まで高め、指を犠牲にすることも覚悟の上で立ち向かう出久。

 

「緑谷――」

 

 轟の唇が、「ありがとな」と掠れた声で囁いた。

 爆風に包まれるステージ。

 出久は瞬時に何が起きたかを理解した。限界まで冷やされた空気が急激に熱されて膨張したのだ。そこに出久のスマッシュが加わって嵐が生まれてしまった。

 乱気流に吹き飛ばされ、あたり一帯は霧に包まれている。このまま着地すれば場外になるかもしれない。

 しかし――

 

――これくらいの暴れ馬、乗りこなしてみせるよ!

「お願いします、お姉さん――オーバー・ポゼッション!」

 

 全身に満ちる力の制御を蓮華に委ねる。

 渦巻く熱風の内側で、出久はまるで波に乗るように漂っていた。流れを読み、腕と脚を駆使してその渦を己のものへと変えていく。

 そして、高熱の爆風が過ぎ去ったそのとき――

 

「――轟くん、場外! 緑谷くん……三回戦、進出!」

 

 ステージに降り立った出久に、スタジアム中から歓声が浴びせられる。

 暴風に追いやられた轟は、それでもギリギリまで氷で抗ったのだろう、足元がまだ溶けた氷の跡でぐっしょりと湿っている。しかし、そこはラインの外だ。

 出久が握りこぶしを向けてみせると、呆れたように笑って同じポーズを取った。

 万感の思いで交わしたフィスト・バンプ。

 清々しい表情の轟を見て、きっと自分も同じような顔をしているのだろうと出久は思った。



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二十六回忌 僕の三回戦で迷いを晴らしてくれるお姉さん

 ベスト4まで来てしまった。

 爆豪が切島の速攻策を打ち破ったことで、全ての2回戦が終了。これにより、常闇、飯田、爆豪、そして出久の3回戦進出が決まった。

 ここまでの試合で、出久はそれなりに消耗している。特に轟戦で指2本を犠牲にしたのが大きい。治癒のためにそれなりの体力を必要とされてしまった。

 万全とは言えないコンディション。強力極まりないライバル。

 

「緊張するかい、少年」

「ししししません、ただただ、あ、あがります」

 

 幼馴染の真似をしてみても、ドリンクボトルを握る手の震えは誤魔化せない。

 3回戦の控室で、出久は緊張に身体を強張らせていた。

 ここで勝てば、決勝。

 応援に来てくれたクラスメイトたちも気を使って帰ってしまった今、出久は自分自身の緊張と向き合うしかなかった。

 これまで緊張していなかったわけではない。しかし、それを上回る集中力がなんとか緊張を抑え込んでくれていた。轟戦でのエンデヴァーを見て、妙に気が抜けてしまったのだ。これは言い訳になってしまうだろうか。

 今自分がこうして選手控室にいること自体が奇跡なように思えてくる。出久は震えを誤魔化すようにもう一口お手製のドリンクを呷った。

 

「うーん、やっぱ強く揉もうとするとすり抜けちゃうな。お姉さんにマッサージ師は向いてなさそうだ」

 

 パイプ椅子に座り込んだ出久の肩を少しおどけた様子で揉む蓮華の表情は柔らかい。轟戦まで抱えていた揺らぎとは今のところおさらばしたようだった。

 体育祭が終わったら、訊きたいことがたくさんある。

 蓮華の過去について知るためにも、出久は自らの手で優勝を掴み取りたかった。そう示されたわけではないが、ここで勝てば胸を張って訊けると思ったからだ。

 エンデヴァーと対面した時に蓮華が見せた、渦巻くような苦しみ。大切な人が言葉も発さずに苦しむ姿を全身で感じて、何も知らないままでいられるわけがなかった。

 しかし、それはそれとして飯田が強敵なことに変わりはない。

 勝たなければ何も始まらない。

 

「飯田くんはプロヒーローの家系だ。当然、ノウハウも共有されてると思ったほうがいい」

「そう、ですね……しまった、それならインゲニウムの分析ノートを持ってくればよかった……!」

「大丈夫だよ、少年」

 

 蓮華の柔らかく冷たい腕が出久の頭を掻き抱く。

 

「おおお姉さん!?」

「今更焦らなくても、全部ここに入ってるんだから。君の武器はノートじゃなくて頭脳、そうだろ?」

 

 後頭部に感じる柔らかな感触と、脳を直接くすぐられるような囁き。その両方に込められた優しい冷たさが、じわりと出久の緊張を奪っていく。

 そうだ。出久はずっと準備してきた。

 ノートがなくとも、出久の頭にはプロヒーローたちの、そしてライバルたちの個性や戦い方が叩き込まれている。

 

「少年の野蛮で物騒な幼馴染は、確かにすごいやつだよ。でも、観察眼と分析力で言えば、君は彼のずーっと上をいっている」

「ずーっと、上……」

「見て、考えて、答えを導き出す。その力が君にはある。そしてね、少年。導き出した答えに手を伸ばす勇気だって、君には備わっているだろう?」

 

 存在しない幽霊の鼓動が、冷気を通じて伝わってくるようだった。半透明の肉体に呑まれ、きっとこの世の言葉では形容できない優しい柔らかさに揺蕩う。

 静かな控室の中で、出久の意識はいつの間にかその冷たさだけに集中していた。

 甘く爽やかな蓮の香りが、出久の脳を痺れさせる。余計なことばかり考えていた思考回路が機能を停止して、ただまっすぐな意思だけが残っていく。

 

「少年。無鉄砲なお馬鹿さん。可愛い可愛い、私のヒーロー。君の名前を言ってごらん」

「緑谷、出久です」

「そして、その個性になった、最高にお茶目で知的な幽霊のお姉さんは?」

「美珠蓮華さんです」

「私達はふたりでひとつ。最強のコンビだ。この試合で勝とうが負けようが、そこに何の変化もない。だからさ、教えてやろうよ、ヒーロー」

 

 私たちが来た、ってね。

 その囁きに、出久を縛っていた緊張の鎖はとうとう砕け散った。そうだ、出久は勝つためにここにいるのではない。世に知らしめるために勝つのだ。

 目的と手段の逆転から解放された出久は、冷たい空気を目いっぱいに吸い込んで立ち上がった。

 するりと蓮華が出久の内側に溶け込む。

 

「……ありがとうございます。教えにいきましょう、世界に」

――うん、新しい時代を叩きつけてやろう。気持ちいいくらい盛大にね。

 

 入場を促すブザーが鳴った。

 

***

 

 飯田天哉から見て、緑谷出久というクラスメイトは不思議な人物だった。

 第一印象は決していいものではない。試験会場で彼の態度を飯田は妨害の意図ありと判断したし、そう思う程度には飯田の集中は乱されていた。もちろん、飯田がナイーブになっていたという点は考慮されるべきだが。

 実技試験の終了後に、飯田は出久の評価を改めることになった。あの場で彼だけが試験の意図を理解していたからだ。

 そして、入学後にその評価はさらに高められた。彼は試験の意図を理解していたのではない。試験とは関係なく、その心に従ってヒーローのあるべき姿を実践したのだ。

 出久は尊敬すべき、そして見方によっては同情すべき級友となった。

 

「――緑谷くん」

 

 ステージの上で向き合う出久の表情には、迷いも怯えもない。ただ自然体の彼がそこにいる。

 きっと、出久の個性――美珠蓮華の導きがあったのだろう。クラスの一員として接するなかで、飯田は度々彼女の「先達らしさ」に感嘆させられていた。

 蓮華はどこか飯田の兄、インゲニウムとして知られる天晴に似ている。

 朗らかで、人の心を掴むのがうまく、頼ったり任せたりすることに躊躇しない勇気がある。チームの総合力で勝負するインゲニウムの要とされる、集団の強さがそこにある。

 飯田にはない、真似の仕方もわからない強さだ。

 

「君に……君たちに挑戦する機会をもう一度得られたこと、とても嬉しく思う」

「僕も、飯田くんと戦えて嬉しいよ」

 

 その言葉にいつも出久が見せる躊躇いはない。

 飯田に出久を舐めてかかるという選択肢はなかった。機動力では当然飯田が上回る。しかし、総合的に見れば出久には飯田ができないことをやってのけるポテンシャルがある。

 傾きはじめた陽射しが、飯田の首筋に汗を伝わせる。今か、今かと開始の合図を待つ神経がひりついて、脈拍を加速させている。

 飯田の策は必殺技、レシプロバーストでの速攻。開始と同時に出久の反応速度を超える蹴りで体勢を崩し、そのまま場外を狙いたい。

 しかし、出久には蓮華というレーダーがある。

 

「君たちの快進撃をここで止める」

「僕はまだ止まらないよ」

 

 不気味なほど落ち着いていて、そして自信に満ちあふれている。決して天狗になっているわけではない。慢心しているわけでもない。

 普段の出久なら、とっくに緊張で顔を青くしているところだ。彼が飯田とまた違った形でナイーブな面を持つことは、この数ヶ月の付き合いで理解している。

 では、なぜこうも落ち着いていられるのか。

 それはきっと、蓮華がいるからだ。出久には高い志がある。そして、蓮華は初志を貫徹させるための盾として出久を支えている。

 鋭利な槍と、鉄壁の盾。さながら出久はヒーローの原型、古代の英雄と言ったところか。

 

『準決! サクサクいくぜ! ヒーロー家はこいつの快進撃を止められるのか!? 飯田天哉バーサス緑谷出久!』

 

 飯田には意地がある。

 プロヒーローの一族として、尊敬する兄の名を汚したくないという意地が。いつか兄と肩を並べて戦うのだという夢が。

 

『――START!』

 

 先手を取ったのは飯田だった。

 空中機動では出久に一歩及ばない。ベタ足のインファイトでは超パワーの一撃がすべてを終わらせてしまう。

 しかし、地上での機動戦なら飯田のフィールドだ。

 

「レシプロバースト!」

 

 まるで動きを予測していたかのように、出久は斜め後方の空中へと飛び退いた。

 轟戦での出久の挙動を飯田はしっかり観察していた。彼は地上戦での動き方にまだ慣れていない。しかし、空中ではまるで幽霊のように掴みどころのない動きをする。

 1回戦で起きた入れ替わり現象と併せて考えれば、彼の空中機動は蓮華が担っていると考えるのが妥当だろう。

 蓮華は20年以上幽霊をやっていた。それはつまり、20年以上()()()使()()()()()()()ということだ。使えば使うほど個性は伸びる。飯田は蓮華に最大限の敬意と警戒を向けていた。

 

「空中には、逃げさせない!」

 

 エンジンが止まるまでの10秒間、飯田の脚力は大幅に増幅される。

 飯田が勢いよく空中へと跳び上がり、舞い上がった出久の胴に()()()蹴りを入れる。初めて出久の表情に焦りが生じた。

 脚力の増幅は瞬発的な跳躍力にも当てはまる。まだ、出久には見せていなかった動きだ。

 速度。瞬発力。

 飯田は最大限に自分の強みを活かして出久をステージへと引きずり降ろした。

 残り8秒。

 

「決める!」

 

 受け身を取る間もなくステージに叩きつけられた出久のジャージを掴む。

 このまま走って場外へ放り出せば、そこで飯田の勝利だ。飯田の機動力を持ってすれば、エンジンが止まるころには出久の敗北は確定している。

 残り7秒。

 

「――させ、ない!」

 

 ごう、と吹き荒れた突風に、飯田の身体が揺らがされた。

 その突風は足を掬うようにして立ち上がった。まるで飯田と出久を切り離すように。重みがすり抜ける感触に振り返った飯田は、出久が立ち上がるのを目にした。

 ジャージの背が破けている。超パワーで回転を生んで引きちぎったのだ。

 引きずられている身体でここまでできるとは。

 残り5秒。

 

「しかし……まだだ!」

 

 咄嗟に放った蹴りを出久は受け止め、そのままの勢いで飯田を放り上げた。

 空が青い。

 制御を失ってただ空中を飛んでいく飯田に、つい先ほどまで目指していたはずの場外ラインが迫っている。本当なら、出久をそこに放り出していたはずの。

 

「オーバー・ポゼッション……!」

 

 空中で体勢を整えて着地しようとしていた飯田は、視界に入った出久の表情に負けを悟った。

 彼は笑っていた。

 嘲りではない。勝ちを確信しているような素振りもない。ヴィランによくいるような、戦いに酔った笑みでもない。

 拳を構えるその姿に、飯田はオールマイトを幻視した。

 

「SMASH!」

 

 放たれた冷たい衝撃波が飯田を押し出す。

 

「……やはり、君はすごいやつだな」

 

 衝撃波に支えられる形で場外に軟着陸させられながら、飯田は思わず笑っていた。

 見せつけられた気分だ。心をひとつにして、互いが互いのできることを補いあって、目指すべきところへ着実に手を伸ばしていく。なんと美しい連携だろうか。

 これはインゲニウムにあって、飯田天哉にないものだ。

 

『飯田くん、場外! 緑谷くん――決勝進出!』

 

 なんだかひどく妬ましくなって、飯田は雲ひとつないスタジアムの空を見上げた。負けてしまった。模範としていた兄に似た、飯田が真似できなかった強みを見せつけられて。

 無性に兄と話したい気分だった。



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二十七回忌 僕の決勝戦で鬼札となるお姉さん

 入試の時、出久はただの「路傍の石」でしかなかった。

 個性は得たばかり、体作りも泥縄式、精神面すら十分に磨かれていたとは言い難い。誰も出久を「強敵」だなどと、「恐るべきライバル」だなどと考えていなかった。

 しかし、今は違う。

 出久は雄英高校体育祭の、決勝戦にまで勝ち上がってきた。頂点を決める戦いに挑む権利を自らの手で掴み取った、その事実を否定する者は誰もいない。

 それを彼に知らしめる時が来た。

 どちらが勝っても終わるこの祭りを限界まで盛り上げて、割れるような大歓声のスタジアム。その中央で、出久は因縁の相手である爆豪と向き合っていた。

 

「……ンだよ、そのウゼえ面は」

「嬉しいんだ、君と戦えて」

「勘違いしてんなよ、デクァ……戦うんじゃねえ。テメエは負けるんだよ。この俺の踏み台として、完膚なきまでに」

 

 ピリついている。

 昼下がりののどかな陽射しすら鬱陶しいと言いたげな爆豪の眼光は、今までどおり出久を見下したそれだ。お前にその場所は相応しくないと、そう怒鳴りつけるような目つき。

 きっと彼の中では、決勝戦のステージで戦う相手が出久である可能性はゼロだった。

 爆豪は言動にこそ難があるが、その振る舞いから考えられるような慢心した暴君ではない。勝ち上がってくる可能性のある相手を観察して勝負に活かしてくる冷静さがある。

 では、爆豪は出久を分析したのか?

 もししたのなら、爆豪はついに認めざるをえない――緑谷出久は、己のライバルであると。

 

『お前ら好きだろこういうの! 幼馴染、持つ者と持たざる者の対決!』

 

 持つ者と持たざる者。

 プレゼント・マイクはきっと意図していないだろうが、その表現は少し前まで驚くほど適切だった。強個性と無個性のふたり。鮮烈な光と、それに焦がされ憧れる影。

 違うのは、もう出久は影に甘んじる気がないということだ。

 

「教えてやるよ、デク――絶対のルール、俺という頂点ってやつを」

「授業の時は勝ちきれなかったけど……今日は、正面から勝つよ」

 

 出久が笑みを浮かべたまま睨み返すと、爆豪は舌打ちしながら指の関節を鳴らした。

 誰よりも勝ちたい、負けたくないとその背を追いかけてきた。

 今日、ここにひとつの決着がつくことになる。そう思うと、出久は運命の奇妙さに震えすらこみあげるようだった。

 

『雄英1年の頂点がここで決まる! 決勝戦、爆豪バーサス緑谷! 今――』

 

 その宣言と同時に。

 

『――START!』

 

 ふたつの影は交錯した。

 出久が仕掛けたのは速攻のインファイトだ。爆豪の火力は発汗が進む長期戦に強い。爆発量に限界のある序盤から攻めなければ、出久は勝ち筋を失う。

 しかし、爆豪はそれを拒絶するように出久の横をすり抜けた。

 彼の爆破が出久の背を襲う。離れた距離から放たれるそれは致命的なダメージにはならないが、爆煙が視界を悪化させ次の一手を鈍らせる。

 

「ッ、ミドルレンジ!」

「馬ァ鹿、テメエの狙いに乗るわけねえだろうが」

 

 爆煙の中、音だけで回避行動を取った出久の肌に細かな瓦礫が突き刺さる。

 砕いたステージを爆破に乗せて射出したのだ。即席の散弾。それは、対爆豪戦で麗日が見せた秘策のアレンジだった。

 出久だけではない。爆豪も成長している。

 腕を振るって発生させた強風で爆煙を晴らしたとき、見えたのは合わせた両手を出久に向ける爆豪の姿だった。

 

「ッ、まずい!」

 

 出久は咄嗟に両腕を交差させて耐える姿勢を取った。

 思い出したのは戦闘訓練で見せた圧倒的火力だ。まだ序盤とはいえ、撃たれれば出久は容易く吹き飛ばされてしまう。

 ワン・フォー・オールのパワーを足腰に回し、超火力の爆破に備える。しかし――

 

()()()()()()、間抜けがよォ!」

 

 閃光が網膜を焼く。

 爆豪が放ったのは、常闇を降参させた技――閃光弾だ。火力ではなく、その眩しさに重きをおいた爆発。それは当然常闇の弱点をつくだけではなく、敵の視野を奪うことにも使える。

 そして、爆発の予兆――本命の攻撃が空気を震わせる。

 

「負けて死ねェ!」

「――今!」

 

 白く染まる視界の中、出久は叫んだ。

 それに応えるのは蓮華だ。

 試合開始からずっと離れて、ステージに潜んでいた蓮華。幽霊の肉体を深く沈めた彼女が、冷たく湿った空気を這い上がらせる。

 

「ッ、なんだァ、クソが……!」

 

 困惑に悪態をつく爆豪は、きっと爆破を失敗したことだろう。

 彼の中では今、疑念が渦巻いているはずだ。一体いつ食らったのか。

 彼は一度同じ経験をしたことがある。乱打戦で出久を通して蓮華の冷気が浸透したことで、「幽霊にかかされた冷や汗」が不純物となって爆破を失敗させた。

 それがわかっているから、爆豪は得意なインファイトではなく敢えてミドルレンジを選んだ。リスクを回避したわけだ。

 では、なぜ爆破が失敗したのか。

 

「――たとえるならばそう、これはあの夏の日のやりなおしだ。肝試しに来た君が逃げ帰ったあの日の、ね」

 

 爆豪はずっと蓮華の冷気に触れていたのだ。

 正確には、()()()()()()()()()()()()()()()に。

 セメントスの個性で作られたステージは当然生き物ではない。その大きさは蓮華の内側に収納できるほどではないが、それでも時間をかければ冷気で支配下に置くことができる。

 速攻戦がうまくいかないとわかっているからこその、長期戦のフィールド作り。

 

「いまやこのステージは呪われた舞台になった。せいぜい抗ってみせてよ、爆豪某」

「ッ、ふざけた真似しやがって……!」

 

 本当はもっと温存するつもりだった。

 完璧にステージ全体を包むほど蓮華の冷気を浸透させられれば、爆豪の個性は完封できたかもしれない。しかし、出久はここでこの鬼札を切らされた。

 幾分火力の弱まった爆発を、視界を取り戻した出久の蹴りが迎え撃つ。

 拮抗した火力は両者を追いやり、奇しくもふたりは試合開始時と同じ位置に立っていた。違うのは、出久のそばに蓮華がいることだけだ。

 

「幽霊女ァ……テメエが出てきてからいっつもこれだ。これは俺とデクの勝負だろうが、邪魔しやがって……殺しなおすぞ」

「お生憎様。お姉さんは少年の個性だ」

 

 爆豪の気持ちは、出久にもわかる。

 ふたりだけで決着を付けたい。自分たちの力だけで。そう思わせるだけの因縁が出久と爆豪にはある。ずっと互いの嫌なところを見てきた幼馴染なのだから。

 それでも出久は蓮華の手を取ることを選んだ。今日、出久は()()()()()のために戦っていないのだから。

 

「始めましょう、お姉さん。僕たちの決勝戦を」

「もちろんだとも、少年」

 

 出久の内側に蓮華がとけていく。

 その冷たさと甘くも爽やかな香りを感じながら、出久は爆豪を見据えた。

 ステージを包む冷気は長くは続かない。所詮は纏わせているだけのそれは、蓮華の制御下を離れた今少しずつ陽射しに追いやられている。

 出久は勢いよく拳を振るい、鋭い衝撃波を放った。

 ここに来て、攻守が逆転した。

 

「く……弱体化いれてようやく五分か!」

「クソッ、クソッ、クソッ……アアアアア!」

 

 焦れてきた。

 薙ぎ払うような左の爆破を掻い潜って、出久は爆豪の懐に潜り込んだ。何度もシミュレートした動きが完璧に再現される。

 出久が放ったアッパーを爆発の推進力で避けた爆豪の表情に、もはや余裕は残されていない。

 確かに、爆豪を相手に持久戦を挑むのは得策とは言えない。しかし、爆豪が無限のエネルギーを有しているかと問われれば、それはNOだ。

 汗腺を通る以上、一度に発汗できる量には限界がある。そしてそれが体液である以上、彼は体外に発散しても死なない量の水分しか爆破に使えない。

 爆豪は持久戦に強いのではない。地力の高いスロースターターで、戦い方が上手いのだ。

 そのことを出久は知っている。ずっと分析してきた。

 

「追いついたぞ……かっちゃん!」

「舐めんな……俺を舐めんな、デクゥアアア!」

 

 試合開始時と遜色ない、しかし時間が経ったにしては軽すぎる爆発がステージを砕いた。

 立ち昇る爆煙が出久の視界を遮る。

 警戒しながら拳を振るって煙を晴らそうとしたとき、視界の端でジャージの影が潜り込むように屈むのが見えた。

 

「ッ、そこ!」

 

 拳を放つ。

 ()()()()()()

 

「なっ……!」

 

 一瞬の出来事だった。

 晴れた爆煙の中にあったのは、脱ぎ捨てられた爆豪のジャージで。

 振るった拳に感じたのは、そのジャージが重いほどにじっとりと湿っていたことで。

 そして空中から爆豪が、()()()()()()()()()爆発を放った。

 

「――偽装爆弾(ブービー・トラップ)!」

 

 壮絶な爆発。

 罠を仕込んでいたのは、出久だけではなかったのだ。爆豪は最初からジャージに汗をストックしていた。出久と同様、彼も切り札を持っていたのだ。

 吹き飛ばされた出久は、それでもなんとか空中で姿勢を立て直そうとした。

 意地と疲労がぶつかっている。

 極限状態の出久の研ぎ澄まされた神経が最後に捉えたのは、()()()()使()()()()()爆豪の悔しそうな、歯を食いしばった表情だった。

 

『――緑谷くん、戦闘不能! 爆豪くんの勝利! 今年度雄英体育祭1年、優勝は――A組、爆豪勝己!』



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二十八回忌 僕とともに体育祭を駆け抜けたお姉さん

 立っているのがやっとだったが、出久はなんとか2位の段に立っていた。

 閉会式も司会進行を務めるミッドナイトからは「寝ていてもいい」と言われていた。負ったダメージ量を思えばそうすべきなのかもしれないが、意地が出久を立たせている。

 オールマイトがいるのだ、恥ずかしいところは見せられない。

 

「メダル授与よ! 今年メダルを贈呈するのはもちろんこの人!」

「――私が、メダルを持って」

「我らがヒーロー、オールマイトォ!」

 

 出久の師匠はどうにも間の悪い人だった。

 マッスルフォームで教員席から現れた彼は軽やかな着地を果たし、白い歯を煌めかせていた。

 スタジアム中から歓声が上がる。祭りのあとの疲れを感じさせないほど、観客たちにとってオールマイトは特別だった。

 それは選手にとっても変わらない。あのオールマイトからのメダル授与だ。

 小さい頃の出久に聞かせたらどんな反応をするだろう。「君は将来、雄英体育祭で準優勝になってオールマイトから銀メダルをもらうよ」と教えたら、気絶するのではないか。

 いや、それとも怒るだろうか。小さい頃は爆豪の影響もより強く受けていたから、「どうして優勝じゃないんだ、僕はトップヒーローになるのに」と言うかもしれない。

 どちらにせよ、今日一日の成果が目の前にあった。

 

「緑谷少年、おめでとう」

「ありがとうございます、オールマイト」

 

 首にかけられた銀メダルが、夕陽を反射してキラキラと輝いている。

 嬉しかった。しかし、悔しさもすさまじかった。

 

「一歩……あと一歩及びませんでした」

「そうかもしれない。でも、あと一歩のところまでいけたのは君の努力があったからだ。先達として素直に、君を誇らしく思うよ」

「オールマイト……」

 

 疲労のせいだろうか、一瞬だけ出久の涙腺が緩んでしまった。

 泣き虫は絶対に直すと決めたのだ。泣き顔はヒーローに相応しくないし、何より蓮華に泣いているところを見せたくないから。

 だから、ぐっとこらえて出久は笑みを浮かべた。

 

「君が来た。いや……君たちが来た。そう言うべきかな、美珠少女?」

 

 ふわりと空中に蓮華が現れると、オールマイトは彼女にその大きな手を差し伸べた。

 

「この2位は君たちがふたりで掴んだものだ。君にもおめでとうを言わなきゃいけないな」

「私にも?」

 

 蓮華は戸惑ったように目を丸くした。

 常日頃から口にしているように、蓮華は自分のことを「出久の個性」だとしている。出久に称賛が向けられるような時、彼女は個性に徹して姿を表さない。

 しかし、オールマイトの言うとおり、この結果は蓮華と一緒でなければ掴めなかったものだ。

 この2位で出久が称賛されるのなら、蓮華もまた褒め称えられるべきだろう。

 蓮華は躊躇うように出久とオールマイトの間で視線を迷わせていたが、やがて諦めたように笑ってオールマイトの手を取った。

 

「私は満足してるのに。まったく、ヒーローって本当にお節介なんだから」

「HAHAHA、ならば君も相当にヒーローだよ、美珠少女! おめでとう!」

 

 会場から惜しみなく注がれる拍手と歓声。

 やや照れた様子でそれに応える蓮華は、見た目相応に初々しく、そして可愛らしかった。

 この体育祭では本当に助けられた。蓮華がいなければトップ4に入ることすらできなかったかもしれない。そう思わせるほどライバルたちは強力だった。

 そして、一番強力だったライバルが隣にいる。

 

「さて、爆豪少年。伏線回収、見事だったな」

「……」

 

 いつもの不遜な爆豪らしくない、どこか不満げでいじけたような表情。

 結局出久は彼に勝てなかった。戦いの中で成長した爆豪は、出久の一歩先を行っていた。それがたまらなく悔しい一方で、少しだけ誇らしい。

 対策をした。何度もイメージした。それでも彼はまだ出久に追いつかれていない。それは間違いなく、爆豪が慢心しなかった――出久を相手に本気で戦った証拠だ。

 

「君が一位だ。誰もが認めるだろう。君が今年の頂点に立つ男だ!」

「……まだ足りねえ。俺が獲るのは完膚なきまでの一位だ。だから」

 

 爆豪が顔を上げた。

 隣から見上げるその横顔はまっすぐで、幼馴染の出久でも最後にいつ見たかわからないくらい真剣な表情だった。

 

「来年は、アンタに獲って当たり前だって言わせてみせる」

「うんうん、まだまだ伸びしろがあるのはいいことだ! 一位になってなお高みを目指すその精神こそ、君の強さなのかもな」

 

 オールマイトから授与された金メダルを大人しく受け取って、爆豪は一瞬だけ出久に視線を向けた。

 何も言わない、ただ視線が重なっただけの時間。

 しかし、出久は嬉しかった。その視線が見下すものでも、馬鹿にしたものでもなく、ただまっすぐに出久を見ているものだったから。

 その変化は今日だけかもしれない。たった一度の戦いであり方を変えるほど、爆豪勝己という男は軟弱ではないし、柔軟でもない。

 それでも、彼の内側にまだまっすぐな気持ちが残っているのなら、出久はいつか彼の対等なライバルになれる。

 

「この場の誰にもここに立つ可能性はあった! 次代のヒーローは確実にその芽を伸ばしている! てな感じで、最後に一言!」

 

 オールマイトの合図に合わせて、誰もが口を揃えてあの言葉を叫ぶ。

 

「皆さんご唱和ください! せーの!」

「プルスウルトラ!」

「プルスウルトラ!」

「プルスウルトラ!」

「お疲れさまでした! ……えっ? ああ、いや……疲れたろうなと思って……」

 

 ブーイングが飛ぶような締まらない終わりだったりしたものの。

 達成感と、そして明日から目指すべき目標を得て、出久たちの雄英体育祭は閉幕を迎えた。

 

***

 

 翌日の朝。

 出久は蓮華と喧嘩をしていた。

 

「いーや、目玉焼きは堅焼きに限るね。よく火の入った黄身がもっちりするあの食感が新鮮なサラダとのコントラストになるんじゃないか!」

「そんなことないです! 半熟とろとろのとこにソース垂らしてご飯に乗っけるのが一番お箸進むんですから!」

 

 呆れたように笑う引子はくだらないことと思っているかもしれない。

 しかし、これは一大事なのだ。今後、蓮華は出久の身体で食事を楽しむことができる。しかし、胃袋はひとつのままだ。プロヒーローを目指す身として摂取カロリーやPFCバランスも油断することなく管理したい。

 そういうわけで、体育祭準優勝者とその個性は「目玉焼きのベストコンディション」という譲れない議題で大いに揉めていた。

 

「そんなにやいのやいの言い合わなくても、ふたつ食べればいいじゃない」

「ダメだよお母さん、卵って意外とカロリーあるんだから! コレステロール値も考えると今日みたいな運動量少ない日は制限しないと!」

「そういうものかしら。じゃあ蓮華さん、私と半分こする?」

「ダメですよお義母さん! おいしそうにご飯をいっぱい食べるお義母さんが私は大好きなんだから! いっぱい運動していっぱい食べてくださいね!」

「息ぴったりねえ」

 

 水の入ったコップを引き寄せながら引子は笑った。

 最後には負けてしまったが、自信を持って勝ち進んだ出久のことを引子はテレビの前で夢中になって応援してくれていた。興奮のあまり何度か気絶してしまうほどに。

 母の気絶が心配によるものでなかったことは、出久にとって一番の成果かもしれない。

 

「どっちでもいいけど、早く食べちゃいなさい。出かけてくるんでしょ?」

 

 頬張ったウインナーを咀嚼しながら出久は頷いた。

 今日は大都会、東京まで遠征だ。クラスメイトである砂藤の祖父、超有名パティシエのスイーツを食べにいく。優勝祝いにはできなかったが、準優勝祝いだ。

 普通なら開店前に並ぶような名店なのだが、砂藤から「生前に一度食べて以来、死んでからも夢に見るほど気に入っていた」という話が伝わり、取り置きを快諾してもらえたのだ。

 スイーツを確実に確保するためとはいえ、蓮華は自分の恥ずかしいところをクラスメイトに晒すはめになったわけだ。出久は散々文句を言われたが、それでも夢にまで見たモンブランには敵わないらしかった。

 

「乗り換え大丈夫? 新幹線、最後に乗ったの小さい頃でしょ」

「指定席ネットで買ったから大丈夫」

「そうだ、少年はできるだけ目立たない格好していきなよ? 全国中継の大会で準優勝した翌日なんだから、目立つとすっごいぞー」

「わ、そうかも……お母さん、パーカーって乾いてる?」

 

 食事を済ませ、思っていたよりも慌ただしく準備をして、予定の時間よりも少し早く家を出る。

 薄手のパーカーを羽織り、キャップを被って目立たない準備は万全だ。

 出久には目立たないようにと言っておきながら、隣を滑るように歩く蓮華は初夏のおしゃれ着を引っ張り出してきた。

 ノースリーブの白いワンピースに淡いターコイズブルーのカーディガンを羽織り、つばの大きなストローハットを合わせている。足で歩くわけではないからと、リゾート地で履くような厚底のサンダルまで。

 

「どうだい、少年」

「似合ってます、最高に早めの夏満喫って感じで」

「ふふん」

 

 自慢げに鼻を鳴らしてくるりと回った蓮華から、ふわりと甘く爽やかな香りが広がった。こんなに楽しげな顔をされてしまうと文句も言えない。

 蓮華の格好が目立つかどうかはさておき、早く出て正解だったのは間違いなかった。近所の人々からの労いの言葉を山ほど受けて歩みを何度も止めているうちに、出久は本当に自分が有名になってしまったのだと理解した。

 キャリーケースの車輪がアスファルトの上でがらがらと鳴く。

 向かうのは駅ではない。

 途中で道を逸れ、郊外のほうへ出て、休耕地の並ぶのどかな道を進み、青々と葉を茂らせる木々の合間に突如現れる石段を昇る。

 

「……ただいま、は違うかな」

 

 神社はいつもと変わらない。

 蓮華が陽除けや雨宿りに使っていたあずま屋も、その近くに置かれた小さな慰霊碑も、裏手にある小さな池も。

 蓮華の隣に立って、出久は慰霊碑に手を合わせた。

 そこに死者が眠っているわけではないことは、蓮華から聞かされて知っている。それでも、蓮華がここにずっといたのだから、もしかしたら魂はここを見ているかもしれない。

 きっと蓮華もそう思っているから、ここに来ることを選んだのだ。そして、もしかすると、彼女がここに縛られていたのもまた同じ理由なのだ。

 その想像を出久は口に出すことなく、ただ黙って手を合わせた。

 

「……父さん、母さん、鞍人(くらと)火炉(ひろ)。私、雄英体育祭で準優勝したよ。びっくりだよね」

 

 初めて聞く、蓮華の家族の名前。

 弟がいることは知っていた。やんちゃで手のかかる弟たちだったと、そう懐かしそうに語っていたのを今も覚えている。

 手を合わせながら、ちらりと隣に目をやる。

 柔らかな笑みの奥に、蓮華は少しだけ寂しさを隠していた。蝉時雨の騒々しさでは隠れない、その声のかすかな震え。

 

「ずっとここにいるつもりでいたんだけどさ。もう、ひとりじゃないみたいだから。……行ってくるね」

 

 そう微笑んだ蓮華の横顔に、思わず出久は見惚れてしまった。

 当たり前のように傍にいてくれるこの人は、こんなに嬉しそうに笑うのだ。そしてそれはきっと、出久がいるからなのだ。そう思うと、出久は嬉しさと恥ずかしさでどうしようもなくなって、逃げるように目を逸らした。

 慰霊碑の向こう、神社の隅に作られた小さな池の上に葉を浮かばせた蓮が、淡い桃色の蕾をいよいよほころばせようとしている。

 甘く爽やかな、夏の香りがやってくる。

 




最終回みたいな雰囲気ですが、全然続きます。でも一区切りつきました。

いつも感想、ここすき、評価ありがとうございます。本当に励みになっています。胡乱な思いつきをきっかけに勢いと癖だけで書きはじめた作品です。この作品と真剣に向き合ってここまで書けたのは応援してくださる読者の皆様のおかげです。

また少し書き溜めを作ってから更新を再開するつもりなので、お待たせしてしまうと思います。何卒ご容赦ください。


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職場体験編
二十九回忌 僕の準優勝祝いに東京デートを楽しむお姉さん


来年まで少し立て込んでいるので更新は不定期になります、ご容赦ください


 提灯がどこか誘うように揺れている。

 その暗がりに不気味さを感じないのは、きっと櫓を囲むようにして踊る人々の活気があるからだ。色とりどりの浴衣や法被を身に纏い、少し罅割れた盆踊りの音色に乗る人々が夜を楽しんでいるからだ。

 そして、その納涼祭の隅、パイプ椅子の置かれた休憩スペースにその人はいた。

 

「姉貴、買ってきたよ」

「うむうむ、大義であった」

「ったく、顎で使いやがって……小遣い弾めよな」

 

 弟の鞍人(くらと)から差し出されたかき氷を受け取って、蓮華は満足そうに笑った。たっぷりかかったいちごシロップが夕暮れの境内で貴重な涼しさを放っている。

 蓮華が着ているのは浴衣ではない。夏物の簡素な白いワンピースに、ヒールの低いサンダル。

 傍らに置かれた旅行鞄が、もうすぐ蓮華がここを発つことを示していた。

 

「最終日がお祭りと重なってラッキーだったよ。ここ数年来れてなかったし」

「前来た時と違ってカレシいねーけど」

「炎司とはそういうのじゃないって言ってるでしょうが。子どもも生まれて大変な時期なんだし、余計なこと言わないの。これで好きなもん買ってきな」

 

 差し出した千円札をかっさらって、鞍人は屋台通りへと駆けていった。生意気の盛りだ。少し前までべそをかいて後ろをついて回っていたというのに、姉の恋愛事情をからかうようになるとは。

 お祭りの喧騒に揺られながら、蓮華はかき氷のシンプルな甘さを楽しんだ。

 薄っぺらな紙カップ、ストローを切っただけの扱いづらいスプーン。不便さすらも魅力に変える祭りの魔法にかけられて、最後の夜が過ぎていく。

 蓮華の持つカップの底に砂糖水と化したかき氷が溜まりはじめ、「そろそろ塩気のあるものも食べたいな、たこ焼きとかいいな」と考えはじめたころ、近くのパイプ椅子に腰掛ける影があった。

 

「……あの、大丈夫ですか?」

 

 思わず蓮華は声をかけた。それだけその人の顔色が悪かったからだ。

 年上の男性だった。祭りに似合わないよれたスーツを着ていて、それなのに靴はスニーカー。ちぐはぐな格好の中で、顔だけが青ざめていた。

 一瞬、見回りに来た教師かとも考えた。納涼祭で羽目を外す学生は存外多い。型抜きでムキになって小遣いを溶かす程度の可愛いものならいいが、一生をふいにするような過ちを犯す者もいるだろう。

 しかし、蓮華はその考えをすぐに捨て去った。彼の胸ポケットに煙草のソフトケースが見えたからだ。

 

「……最後だから、お祭りを楽しみたいと言ったのは僕だ。でも、まさかこんなに混んでいるとは思わなかった」

「あー……そうですね、今日はいつもより混んでるかも。何か飲み物でも買ってきましょうか?」

「僕は……僕はただ……許してくれ、どうか僕を許して……」

 

 背を丸めて震える男。嗚咽交じりのその声に蓮華はどうすることもできず、ただ様子を見守った。

 奇妙な男だった。上等なスーツには皺が寄っていて、ところどころに火の粉が飛んだような焦げ跡がある。質のいい紺のストライプは煤まみれで、まるで()()()()()()()()()()()()()かのようだ。

 屋台から漂う香ばしさとは違う、嫌な焦げ臭さ。

 

「あなたは、一体」

 

 男は顔を上げ、そして――

 

「――ねん。少年、おーい」

 

 そこで、出久の目は覚めた。

 新幹線の車内放送が東京駅への到着予定時刻を告げている。気づけば車窓はすっかり静岡から離れていた。

 

「わ……ごめんなさい、寝ちゃってました」

「ぐっすりだったねえ。流石に疲れが出たかな。このへんがむにゃむにゃ言ってたぞ、このへんが」

「ちょ、ちょっと、お姉さん」

 

 蓮華の冷たい手に頬を揉みしだかれて、出久の眠気はすっぱりと消え去った。

 不思議な夢だった。

 あれはきっと、蓮華が死んだという火事の日の記憶だ。ただの夢で片付けるにはあまりにも鮮明で、現実的すぎた。

 あの男は誰だったのだろうか。ヴィランには見えなかった。彼からは微塵も悪意を感じなかった。むしろその声は、出久には救けを求めているようにすら聞こえた。

 

「……ちょっと、少年? 隣にお姉さんという美人を侍らせておいて上の空というのは、ちょーっと生意気が過ぎるんじゃあないのかな?」

「え、いや、違くて……いや、そうなんですけど……」

「しっかりしてくれたまえ。今日はデートなんだから」

「で、で、デートって、そんな、からかわないでくださいよ」

 

 返事の代わりに出久の指を絡め取った柔らかい手と甘く爽やかな香りに、出久はこれ以上考えるのをやめた。

 デートかどうかはともかく、今日は体育祭のご褒美に来たのだ。

 今日は忙しい一日になる。目的の店に行くためには東京駅から地下鉄に乗り換えて、さらに少し歩く。そこから出久はオールマイトグッズを漁りに行きたいし、蓮華の買い物にも付き合う予定だ。

 気になるのは確かだが、夢の正体を明らかにするのが今でなくてはならない理由もない。出久は一旦夢のことを保留して、今日この日と向き合うことに決めた。

 この綺麗で朗らかで少しだけ意地悪なお姉さんと過ごすためには、夢のことにかまけてなどいられない。

 

***

 

 東京は神田の片隅、甘いもの好きなら知らない人はいないとまで言われる老舗洋菓子店の片隅に用意された喫茶室で、出久と蓮華は丸テーブルに置かれたそのモンブランに目を輝かせていた。

 モンブランとは、ただ栗のクリームを網掛けにしたケーキというだけではない。

 台座となる生地とのバランスは総合的な満足感を左右してくるし、上に乗せるのがマロングラッセか甘露煮かでも印象は大きく変わってくる。ましてや栗のクリームにどの程度栗を使うかは言うまでもなく最重要と言ってもいい。

 

「普段は季節になるまで出さねえんだが、ジジイからの労いってことで」

「わあ……! ありがとうございます!」

 

 淡い黄金色のクリームは渦を描いて山を形成し、その頂点を粉砂糖と甘露煮が飾る。さながら雪化粧の霊峰に昇る太陽といったところか。

 

「しょ、少年、先食べていいよ」

「いやいや、お姉さんが先に」

「ぐっ……私はほら、昔食べたことあるから。一口目の衝撃は少年が自分で受けるべきだよ」

「だ、だって23年ぶりなんですよね? 絶対お姉さんから食べたほうがいいですって」

 

 お互いケーキから目を離せないまま、譲りあいの結果出久が一口目をいただくことになった。砂藤の祖父はカウンターの向こうからその様子を微笑ましそうに見ている。

 

「い……いただきます」

 

 フォークを握る手がこころなしか震える。こんな贅沢があっていいのか。

 クリームからタルト生地までをすっと切り分け、掬い上げて口へと運ぶ。近づくだけで香る濃厚な栗の香りは、ここだけ秋が到来したかと錯覚させるほどだ。

 そして、出久はそれを口に含んだ。

 甘い。決して暴力的な甘さではない。しっとりとしていて、それでいて素材の主張が活きている。香ばしいビスケットのタルト生地がそれをしっかりと支えている。舌の上でほろりとほどけ、全てが合わさっていく。

 官能的とは、こういうことを言うのだろう。

 

「……すごい」

「ね、すごいよね」

 

 出久が蓮華に身体を委ねると、凄まじい速度で彼女は出久の身体を乗っ取った。我慢した分の思いがはち切れそうになっている。

 元々このケーキは蓮華へのご褒美のつもりで用意してもらったものだ。全部蓮華が食べても構わないと言ったのだが、「一緒に食べたいから」とそれは断られてしまった。

 しかし、今夢中になってフォークを動かしている蓮華は昔寝言でこのモンブランを1ダース頼んでいる。本当にひとつで足りるのだろうか。

 

「うまそうに食うねえ。嬉しいよ、最近はそういう具合に素直に喜んで食う客もめっきり減ったもんだ」

「だって、本当においしいんですもん! ありがとうございます、オーナー」

「孫によくしてくれてるそうだからな、その礼だよ。それに、この歳になると常連客がぽっくり逝ったなんて話もたまにはあるがね、洋菓子ってのはお供えもんには向かねえんだ」

 

 オーナーはそう言って笑って髭を撫でたあと、「ごゆっくり」と手を振って奥へ引っ込んでしまった。

 もしかすると、オーナーは存命だったころの蓮華のことを覚えていたのかもしれない。当時は彼が鳥取から上京してきてここに店を構えたばかりのことだったそうだ。

 出久なら、こんなにおいしそうにケーキを食べる美人のことは忘れられそうにない。

 コーヒーを楽しみ、甘露煮を頬張って、蓮華は出久の身体でモンブランを満喫していた。

 

「たまらーん……」

――よかったですね、お姉さん。

「優勝祝いにはできなかったけど、それでもおいしいものはおいしいね」

 

 しばらくモンブランの余韻に浸ってから、出久と蓮華は改めてオーナーに感謝を伝え、日持ちするお土産をいくらか買って洋菓子店を後にした。

 夏が迫る東京の熱気に思わず目を細める。アスファルトの照り返しが焼けるようだ。

 あとは何軒か古本屋を覗いて蓮華の蔵書を増やし、雑貨屋で東京限定のオールマイトグッズを買う予定だった。

 

「どういう本買うんですか?」

「んー、せっかくだからちょっと大きい本買っていこうかな。美術史とかの見て楽しめるやつとか、特設展の図録とか」

 

 出久の隣を滑るように歩く蓮華が口元に手を当てる。

 人混みのなかで独り言を喋るのは目立つという理由で蓮華はずっと表に出ている。もしくはせっかくのおしゃれ着を全力で楽しみたいだけかもしれない。

 

「文庫本も少し見ていい?」

「いいですよ、持ちきれない分はキャリーケースで持って帰れますし」

「たぶん収まると思うけど、そのときはお願いしようかな」

 

 幽霊の身体に収納できるキャパシティは決して多くはないが、体育祭を経て少しだけ拡大したらしい。本人曰く「小さい本棚ひとつ分くらい」とのこと。読書好きから心底妬まれそうな個性だ。

 今後のヒーロー活動で蓮華にはますます頼ることになるだろう。

 サポートアイテムを見えない形で持ち運べるのは、間違いなく出久たちの強みだ。準備さえしておけばどんな現場にも対応できると言っていい。

 しかし、蓮華が買った商品を持たせてもらえないというのは、なぜだか少しだけ寂しかった。

 蓮華は買った本を必ず読むタイプだ。だから、本を買えば買うほど彼女は未練を積み上げていることになる。もしかすると出久はその重みを肌で感じたかったのかもしれない。

 

「――見て見て、少年」

 

 その声に出久は呼び戻されて、蓮華が示す先へと目をやった。

 小さな木陰の広場に立つ銅像、のような何か。

 

「パントマイマーだよ、すごいよね」

「……ええっ、あれ人間なんですか!?」

「うん。地元だとあんまり見ないよね、お姉さんも上京して初めて生で見たし。忍耐力、って感じだなあ。もしくはそういう個性?」

 

 出久には銅像にしか見えないそれを蓮華は何度も頷いて見つめ、それからその前に置かれた缶に500円玉を放り入れた。

 途端に銅像はくしゃりと腕を曲げて大仰な会釈をする。直前まで固まっていた硬質なブロンズの表皮が突然動いたことにびっくりして出久は思わず肩を跳ねさせた。

 恥ずかしいところを見られてしまった。

 クスクスと笑う蓮華に思わず恨めしげな視線を向けると、自然と目が合った。

 いつもは出久が少し見上げるような高さを浮遊している蓮華は、今日ばかりは都会に紛れるために自分の足で歩いている風を装っている。

 こうして隣を歩くと、背は出久のほうが少し高いのだ。そのことを出久は今日になって初めてはっきりと認識した。

 

「む、なんだか生意気なことを考えている目だな?」

「そそそ、そんなことないです!」

「じゃあ何考えてたか言ってごらんよ」

「その、こうやって並ぶと僕より背が低くて可愛いなって思って、ほんとそれだけで」

「……少年のくせになかなかやりおる」

 

 顔を背けた蓮華の表情はわからない。

 ただ、パントマイマーのからかうような咳払いがなんとなく答えを教えてくれたように思えて、出久も缶に500円玉を投げ込んだ。

 それからふたりは雑貨屋や文房具屋を覗いた。何度か出久がオールマイト愛を爆発させたり、そのせいで注目を集めて素性がバレそうになったりした。

 大きな文房具屋で、蓮華はレターセットを手にとっていた。

 名画をプリントしたシンプルで大人なレターセットは、蓮華の雰囲気によく似合う。誰に送るのかと尋ねた出久に、レジへ向かう列に並んだ蓮華は少し躊躇ったようにこう答えた。

 

「えっとね……冷ちゃん。焦凍くんのお母さんだよ」

「知り合いだったんですか!?」

「まあ、うん、ちょこっとね」

 

 思っていたよりもエンデヴァーとの関係は深いようだ。

 元々、エンデヴァーの私生活について情報はあまり出回らない。彼はファンサービスをしないし、オフショットをSNSに公開することもないからだ。

 具体的なイメージを抱いて憧れていたわけではないが、体育祭を経て出久の中でエンデヴァーの印象は大きく変化してしまった。

 思い出してしまったあれこれを振り払うように、出久は蓮華が手に持ったレターセットに意識を向けた。

 

「それ、なんて絵なんですか?」

「アルフォンス・ミュシャの『黄道十二宮』だよ。今日買った図録にも載ってるんじゃないかな」

「へえ……」

 

 自然界の様々な意匠で構成された装飾品に身を包むスラヴ系の女性の涼やかな横顔と、それを取り囲む十二星座の紋章。朝の占いで盛り上がっているクラスメイトの女子たちが好きそうなデザインだ。

 存在自体がオカルトの蓮華にこんなことを言うのも妙な話だが、出久の中で蓮華にオカルトの印象はなかった。

 

「そういう絵が好きなんですか?」

「ミュシャの絵がというより、ミュシャのモチーフの使い方が好きなんだ。ミュシャのデザインは近代的な造形でトラディショナルなモチーフを扱ってて、アール・ヌーヴォーの中でも特にわかりやすい。でもチープじゃない」

「……な、なるほど?」

「あれ、言ってなかったっけ。大学でそういうのやってたんだよ。象徴とか、比喩とか。文学と美術史の中間くらいかな。あんまし真面目な学生じゃなかったけど」

 

 初めて聞いた。

 全く未知の分野だ。出久の反応から困惑を読み取ったのか、蓮華は財布を取り出しながら笑った。

 

「お姉さんのころは今よりもっと個性で仕事が決まる時代だったからね。親不孝なことに学ぶ目標を趣味で選んだのさ。少年は興味ないかもしれないけど」

「きょ、興味ないってわけじゃ……」

「そうだよね、少年はそれ以上にオールマイトに夢中なだけだもんね。あーあ、趣味を共有できる人がいなくて寂しいなー」

「よ、読みます! お姉さんが持ってる本全部!」

「ごめんごめん、冗談だよ。そこまでしなくてもいいって」

 

 ちょうどその時に会計待ちの列が進んだので、ふたりは店の外で合流することにした。

 店先で陽の光の眩しさに目を細め、スマートフォンの画面輝度を上げてチャットアプリを立ち上げる。引子に帰りの連絡を入れなくては。今日の夕飯は準優勝のお祝いで寿司の出前を取ることになっている。

 画面をスワイプしながら、出久は先程のやり取りに思いを馳せていた。

 蓮華の趣味に興味がないわけではない。絵を見れば美しいなと思うし、小説のあらすじを聞かされれば結末が気になるくらいのことはある。

 これまで出久はヒーローになるためにがむしゃらで、脇目も振らずにやってきた。

 

「……プロヒーローには教養も必要、だよね」

 

 これは世に出て恥ずかしい思いをしないための、謂わばトレーニングの一環なのだ。決して、そう、決して蓮華の趣味をもっと理解したい、彼女の楽しそうに喋る姿が見たいという気持ちから来るものではないのだ。

 そんな言い訳をひとり呟きながら、出久はこの後本屋に向かうことを決めた。とりあえず、蓮華のおすすめを何冊か買って帰るために。

 



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三十回忌 僕のことを着せ替え人形にして楽しむお姉さん

少しずつ復活です。


 散々からかわれながらも出久が大きな書店で数冊の入門書と小説を買ったあとのこと。

 日が落ちはじめてきた東京で、出久は悲鳴を上げていた。

 

「お姉さん、これ以上はもう……」

「何言ってるのさ、お楽しみはこれからだよ?」

 

 ぐったりと垂れ下がった出久の腕を蓮華が絡め取る。

 空調の効いた室内だというのにやけに暑い。それでいて、感じる疲労は日頃の厳しいトレーニングに勝るとも劣らない。肉体の消耗を遥かに上回る、精神的な摩耗。

 出久は今、蓮華の着せ替え人形になっていた。

 

「うーん……やっぱり鍛えてるだけあって意外とがっしりしてるんだよね。せっかくいい身体してるんだから、オーバーサイズはもったいないよ。はい、次これね」

 

 言われるままに試着室で新しい服を着る。

 出久にはおしゃれがわからない。動きやすさと安全性を考えてスニーカーだけはいいものを買っているが、あとは夏場など適当なTシャツとナイロン生地の短パンで済ませるのがほとんどだ。

 しかし、これからは蓮華が出久の身体を使うこともある。出久の恥は蓮華の恥だ。今までどおりというわけにはいかない。

 

「お姉さんのセンスが疑われるのはちょっと癪だからね。少年のファッションセンスはこの際もう諦めてるけど」

「あ、諦め……ひどくないですか?」

「オールマイトの顔面プリントTシャツを普段着にしてるやつの文句は受け付けませーん。着替え終わった?」

 

 出久がカーテンを開くと、蓮華は脳天から爪先まで出久をじっくりと観察して、それから満足気に頷いた。

 スリムなシルエットのヘンリーネックTシャツに、灰がかった紺のサマーカーディガン。ボトムスは黒のストレッチチノで、アンクル丈のものを合わせてスニーカーを強調している、らしい。

 専門用語の嵐に出久の脳はパンクしそうだったが、とにかく蓮華が満足するコーディネートにはなったようだ。

 

「うん、いいね。アクティブだけど落ち着いてて頼れる感じだ」

「そう、ですかね」

「そうだとも。ヒーローのコスチュームと同じさ、人にどういう印象を与えたいかで選ぶ服って変わってくるもんだよ。もちろん、着たい服を着るのが一番だけどね」

 

 そう言われてから改めて姿見で自分の姿を見ると、そういうものかという納得が出久の内に生じた。確かに落ち着いて見える。大人っぽいと言ったほうがいいかもしれない。

 出久は同世代と比べると少し背が低いほうだ。ただでさえ個性の関係で大柄な人が多い中、出久の対格は決していいとは言えない。それなのに、そう思わせないだけの余裕、安心感のようなものを感じる。

 これをプロヒーローのコスチュームとして考えるなら、市民を安心させるために騎士甲冑をモチーフにしたデザインを採用しているインゲニウムのコンセプトと近いかもしれない。

 

「服ってこういう風に選ぶんですね……」

「まだ背も伸びるだろうし、卒業したら選び方も変わってくるよ。意外とトラッド寄りなのも似合いそうだ」

「トラッド?」

「スーツみたいなカチッとしたやつ。秋になったらお姉さんがジャケットを見立ててあげよう」

「……またやるんですか!?」

「おいおい、当たり前のことを聞かないでよ。これはお姉さんへのご褒美なんだろう? なら、これからもあるに決まってるじゃないか」

 

 そう、出久の服を選びたいと言い出したのは蓮華だ。

 たかが服選びにここまで疲労するとは思っていなかった出久としては遠慮したいところだった。雑に選んだTシャツだけで過ごしてきた人間にとっては軽めの拷問ですらあった。

 しかし、言外にこれからも力を貸してくれることを匂わされて、出久は結局喜んでしまう。自分でもちょろいとわかっていながら。

 

「着て帰ろっか。お義母さん、きっと驚くぞー」

「それはちょっと、いいかもですね」

 

 息子の垢抜けた姿を見て驚く母の姿を想像して、出久はくすりと笑った。

 それから会計を済ませ、着てきた服を紙袋に詰めて、出久と蓮華は駅のホームで新幹線を待っていた。

 こんなに遊んだのはいつぶりだろうか。

 ヒーローを目指すため本格的なトレーニングを積むようになってから、遊びとは無縁の生活を送ってきた。充実して、しかし、張り詰めたような日々だった。

 西の空、帰るべき我が家の方角に夕日が沈んでいく。

 

「ね、少年」

「なんですか?」

 

 真っ赤な空に横顔を照らされながら、正面を向いたまま、蓮華が穏やかに微笑んだ。

 

「今日はありがとう、楽しかったよ」

「いや、お礼を言うのは僕のほうっていうか、その……」

 

 あれこれ浮かんだ言い訳の言葉を、全部かき消して。

 

「僕も……楽しかったです」

 

 その言葉に満足気に頷いて、蓮華は出久の空いている手を取った。

 柔らかで、冷たくて、自分の手とは正反対の手。掴もうとしても掴めない幽霊の手が、出久の手を握っている。じわり、と体温がうつっていく。

 いつか蓮華は「幽霊は寒くてたまらない」と言っていた。もし、出久の手がこうして少しでも彼女の暖になっているのなら、それはとても嬉しいことだ。

 

***

 

 出前の寿司桶をふたつも空にした、その晩のこと。

 蓮華は緑谷家の自室として貸し与えられたその部屋で、ベッドに腰掛けてノートパソコンを操作していた。

 タッチパネルが主体のスマートフォンは幽霊の肉体では扱えない。キーボードとマウスだけで操作が完結する廉価なモデルのノートパソコンは今日の戦利品のひとつだ。

 

「んー……意外だな」

 

 思わず独り言が漏れる。

 蓮華が調べていたのは雄英体育祭絡みのニュースだ。出久の個性としてとはいえ、やや派手すぎるくらいに動いてしまった。

 純真な出久にはマスコミとやりあうのは荷が重いだろう。それは蓮華の仕事だ。

 特に、轟家とのあれこれは醜聞と言って差し支えない。これからどう動くべきか考えるためにも、まずはどう報じられているかを確認するつもりだった。

 しかし、蓮華とエンデヴァーの関係に言及している記事はほとんど見当たらない。

 

「……はーあ、やだやだ」

 

 思い当たる可能性にため息をついて、蓮華はノートパソコンをパタリと閉じた。

 雄英体育祭はかつてのオリンピックに取って代わる一大イベントだ。その最中に繰り広げられたやり取りは、たとえ些細なものであっても値千金と言っていい。

 その報道を封殺できる人物など、この世にどれだけいるだろうか。

 

「権力の使い方ばっかうまくなって、まったく」

 

 エンデヴァーが圧力をかけたのだ。

 彼の妻、冷が入院していることについても記事はないに等しかった。明らかに目立つ焦凍の火傷痕も、話題として取り上げているものはない。

 もちろん、メディア側の忖度もあるのだろう。サイドキックを持たないオールマイトを除けば、エンデヴァーは国内トップのヒーロー事務所と言える。敵に回していい相手ではない。

 しかし、かつての友人が暴君になっているのを見るのは、少し堪える。

 寝る前に買った画集でも開こうかと本棚に向けた視線を彷徨わせていたそのとき、控えめなノックが転がり込んだ。

 

「お姉さん、起きてますか?」

「ん、入っていいよ」

「失礼します。あ、早速使ってたんですね、パソコン」

 

 曖昧に微笑んで、蓮華はベッドサイドのテーブルに置かれたマッチを擦り、アロマキャンドルに火を灯した。引子と一緒に作ったもののひとつだ。

 カモミールの優しい甘さが部屋に充満していく。揺らぐ光の中で出久の影が壁に立ち上がる。

 

「それで、どうしたんだい?」

「その……本、貸してもらおうと思って」

「本当に? 読む暇ある?」

「あります! なくても作ります!」

 

 あまりに張り切っているものだから、おかしくて蓮華はつい笑ってしまった。

 ヒーロー科は忙しい。一般科目だけでも必死に食らいつかねば置いていかれる。そこに科独自の座学と実技が加わり、自主トレーニングも欠かせない。

 それでも己の趣味に興味を持ってくれると言われれば、嬉しいよりも心配が勝つというものだ。

 しかし、こうなった出久が折れないことは蓮華もよく承知している。ベッドから立ち上がり、本棚の前に立って考えを巡らせた。

 

「読めないってわけじゃないもんね。現代文の成績はむしろいいほうだし」

「そうですね、受験科目の中では割と」

「教科書の作品で好きなのとかあった?」

「好きなの……あっ、『走れメロス』がけっこう好きでした。なんか、こう……大変だったけど、最後はうまくいってよかったなあって」

「なるほどね、わかるよ」

 

 悪戯心と良心が拮抗していた。

 苦労に苦労を重ねて何も成し遂げられないような不条理な作品を読ませてみようか。いや、せっかく興味を持ってくれたのだから似た傾向の楽しめる作品をすすめるべきではないか。

 戯曲は読みにくかろう、旧仮名遣いは避けたほうがよかろうと思いつつも、この作品を読んだら出久はどんな顔をするだろうかと気持ちがはやる。

 ややあって、蓮華の指先が一冊の古びた文庫本を取り出した。

 

「ちょっと難しいけど、頑張れるかい?」

「もう……僕、高校生ですよ」

「はは、ごめんごめん。じゃあ、これを貸してあげよう」

 

 出久は少しむくれていたが、感謝の言葉を口にして本を受け取った。

 選んだのはゲーテの『ファウスト』だ。向上心あるファウスト博士と、神と彼の魂を賭けて悪の道へと誘惑する悪魔メフィストーフェレス。その関係はふたりと似ていて、全く違う。

 

「長いお話だからさ、途中途中で感想聞かせてよ。それで、楽しめるようなら続きも貸してあげる。まずは第一部が合うかどうかからね」

「が、頑張ります……!」

「頑張らないで」

 

 ふいにこぼれた言葉が、部屋の静けさを取り戻した。

 蝋燭の火が揺れている。

 ラグの敷かれた部屋の床から少し浮いて漂う蓮華を、出久は少し驚いたように見上げていた。驚いているのは蓮華も同じだった。しかし、それは本心でもあった。

 

「……読書なんてさ、頑張ってするもんじゃないんだよ。たまには頑張らないほうがいいんじゃないかな。少年は頑張り屋さんだからね」

「じゃ、じゃあ……頑張らないよう、頑張ります」

「なんだそれ、不器用さんめ」

 

 半ば八つ当たりのように出久の髪をかき乱す。こそばゆそうに声を上げる出久は、借りた本を落とすまいとして抵抗できないでいる。

 ヒーローを目指す若者に、こんなことを願うのはわがままなのだろう。

 それでも、蓮華には彼に頑張らないでほしかった。出久はまっすぐだ。ひたむきに、どこまでもヒーローになれる。いつか本当にトップヒーローにだってなるかもしれない。

 そして、そうなって、出久のもとには何が残るのか。

 

「……しょうがないな、お姉さんが手伝ってあげる」

 

 顔が見えないように頭を押さえつけて、蓮華は独りよがりな笑みを浮かべた。

 どうかこの少年に、幽霊なんて曖昧なまがい物でない、本当の幸いがありますように。



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三十一回忌 僕とともにコードネームを考えるお姉さん

 朝。通勤ラッシュの混雑とそれを上回る声援にもみくちゃにされて、出久は予鈴5分前に校門を潜った。朝からほんのりと気疲れしているが、雨は遠慮してくれない。

 傘のどこかが破れていたのか、柄を冷たい雫が伝う。

 

――今度おっきい傘買おう、ふたりで入れるやつ。普段はお姉さんがしまっておくからさ。

「確かに。というか、レスキュー用具一式持っておいてもらったほうがいいかもしれませんね、折りたたみの担架とか」

――先生に聞いてみよっか。買うってなったらたぶん学校で補助つくだろうし。

 

 そんなやり取りをする出久の隣に、勢いよく水しぶきを上げて人影が近づいてきた。

 雨合羽に長靴の完全防備。撥水加工の眼鏡が今日も輝いている。

 飯田のその姿を目にした時、出久は一瞬なにを言えばいいか躊躇ってしまった。彼の兄、インゲニウムがヒーロー殺しに敗北し、復帰が危ぶまれるほどの重傷を負ったことはすでに全国でニュースになっている。

 

「遅刻だぞ! おはよう緑谷くん、美珠くん!」

「遅刻って、まだ予鈴5分前だよ?」

「雄英生たるもの、10分前行動が基本だろう!」

 

 その声に曇りはない。

 出久が小走りで彼に並ぶと、飯田は一段声を柔らかくした。

 

「兄の件なら心配ご無用だ。要らぬ心労をかけてすまなかったな」

「……あの、さ」

「さあ、今日も一日頑張ろうじゃないか!」

 

 下駄箱の前で雨合羽の水滴を払うその姿に、結局出久は何も言えなかった。

 肉親をヴィランに傷つけられた苦しみ。それは出久にはわからないものだ。幸いにしてと言うべきか、出久はずっとその苦しみとは無縁だった。

 しかし、今はわかりたい。わからねばならない。

 蓮華は家族をヴィランに殺されている。そのヴィランが引き起こしたのは凄惨な火災だったという。喉を絞める煙、肌を焦がす熱、こみあげる絶望。出久はそれらを知らない。

 知らないまま、ありきたりな慰めを口にすることは侮辱なのではないか。

 遺された者の実例が身近にいるからこそ、言葉のひとつひとつに躊躇いが生じる。踏み出してはならない一線。そんなありもしない距離を勝手に感じてしまう。

 ただ、心配だった。

 

 出久の胸中とは裏腹に、飯田はいつもどおり教室の喧騒に溶け込んでいた。

 いつもどおりの十二分に生真面目な委員長。その振る舞いにクラスメイトたちもそれぞれの安堵を示し、日常が戻っていく。

 予鈴とともに入ってきた相澤も特にインゲニウムのことや飯田の家庭のことに触れることはなかった。あるいは、彼なりの気遣いなのかもしれない。

 

「相澤先生、包帯取れたのね。よかったわ」

「婆さんの処置が大袈裟なんだよ……んなもんより、今日の ”ヒーロー情報学” ちょっと特別だぞ」

 

 すわ小テストかと広がるざわめきを意にも介さず、相澤は淡々と今日の授業内容を告げた。

 

「『コードネーム』、ヒーロー名の考案だ」

「胸ふくらむヤツきたああああ!」

 

 歓声があがった。

 ヒーローはみな、本名ではなくコードネームで活動する。ヒーローに憧れる者なら誰しもが一度は自分のコードネームというものを妄想したことがあることだろう。

 ごっこ遊びではない、本物のコードネーム。それも、自分が決め、自分で名乗る、自分だけのもの。

 出久の手のひらにも自然と汗がにじむ。

 相澤が個性を発動させる予兆とともに睨みをきかせるまで、教室は興奮に包まれていた。

 

「……というのも、先日話した『プロからのドラフト指名』に関係してくる。指名が本格化するのは経験を積み、即戦力として判断される2、3年から」

 

 いくら雄英生とはいえ、1年生の時点でプロに認められることなどほとんどありはしない。1年生のときに得た指名とは有望株として、つまり将来性を見込んでの興味だ。

 2年生、3年生になり、経験を積んで即戦力として期待されての指名もあるだろう。反対に、1年生のときには指名を得てもそのハードルを越えられず、キャンセルの憂き目に合うこともありうる。プロとは厳しい世界なのだ。

 

「で、その指名の集計結果がこれだ」

 

 相澤が黒板に貼り出した指名件数のグラフに、出久は思わず息を呑んだ。

 

「緑谷すげー! 1位2位逆転してんじゃん」

「やっぱプロってあれだな、人間見る目もあんだな」

「ねえわンなもん! クソが!」

 

 緑谷、3,372件。

 雄英体育祭で直接出久を下し1位に君臨した爆豪の2,756件、有志のWEBアンケートでは対出久戦でベストバウト賞を受賞した轟の2,538件を押さえる形となった。

 思わず熱いものがこみ上げる。

 評価されているのだ。プロに、今も最前線で戦うプロヒーローたちに興味を持たれ、「ぜひうちに」と声をかけられているのだ。

 たとえそれが一過性の興味であったとしても、3372件という数字は出久の涙腺を刺激するのに十分だった。この際、怒り狂う猟犬のような目つきで出久を睨む爆豪のことなど関係なかった。

 

「おい緑谷、5%くらいオイラに分けてくれたって(バチ)は当たんねえよな……チアコスのお姉さんを提供したという恩がオイラにはある……!」

「うん、あのときのお礼がまだだったよね峰田くん」

「みぎゃっ! みどりゃーが反抗期だー!」

 

 制服が皺になるほどしがみつく峰田にデコピンをお見舞いしながら、緩みかけた涙腺を引き締める。泣いている場合ではない。

 

「この結果を踏まえ……指名の有無関係なく、いわゆる職場体験ってのに行ってもらう」

 

 そう、これからだ。

 指名件数など、結局は数字でしかない。次に進まねばならない。

 そのことを察して、教室の熱気はより鋭く、真剣なものへと姿を変えた。コードネームを名乗り、コスチュームを纏ってプロヒーローの下で実戦経験を積む日が来たのだ。

 

「それでヒーロー名か!」

「俄然楽しみになってきた!」

「まあ仮ではあるが、適当なもんは――」

 

 相澤の言葉は、教室の扉を力強く開けたミッドナイトにかき消された。

 18禁ヒーロー・ミッドナイト。高校で教鞭を執ることを誰が認めたのか、出久としては目のやり場に困るセクシーな先生だ。

 

「付けたら地獄を見ちゃうよ! この時の名が世に認知され、そのままプロ名になってる人多いからね!」

「まあ、そういうことだ。そのへんのセンスをミッドナイトさんに査定してもらう」

 

 聞こえるか聞こえないかの声量でぼそりと相澤がこぼした「俺はそう言うのできん」という一言は、妙に説得力があった。

 

「将来自分がどうなるのか……名を付けることでイメージが固まり、そこに近づいていく。それが『名は体を表す』ってことだ。 ”オールマイト” とかな」

 

 名前。

 もちろん、出久も考えたことがないわけではない。劇的でヒロイックな名前から、いぶし銀で頼れそうな名前、はたまた往年の名ヒーローをオマージュしたものまで。もちろん、オールマイトのオマージュは1ダースを優に超える。

 しかし、そのどれもが今の出久には上滑りしていく。

 指名件数が1位だとしても、出久が未熟なことに変わりはない。名前が素晴らしいものであればあるほど、恐れ多く感じてしまう。ましてやオールマイトの名など、今はとても背負える気がしない。

 

「ああ、それから――美珠」

「はぁい」

 

 寝袋に収まった相澤の呼びかけに応じて、蓮華がふわりと空中に姿を現した。

 少し暑くなった教室に彼女の纏う冷気が広がり、体感温度がわずかに下がる。いつの間に知り合ったのか、ひらひらと手を振ってミッドナイトとも親しげな様子だ。

 

「お前もコードネーム考えるように」

「……ええっ?」

「緑谷がコードネームなのにお前だけ本名ってわけにはいかないだろ。それとも、チームアップしたプロヒーロー全員にお姉さんって呼ばせる気か?」

「まあ……確かに。いいですけど、そういうののセンス20年以上前で止まってるからなあ。少年、いいの思いついたら言ってね?」

「せ、責任重大ですね?」

 

 蓮華は教室の天井付近でくるりと身を返して、漂ったまま少し困ったように眉を曲げて笑った。

 それから、コードネーム決めが始まった。

 はじめは大喜利のような空気感になってしまったりもしたが、蛙吹の「FROPPY」と切島の「烈怒頼雄斗(レッドライオット)」を口切りに真面目な流れが生まれる。

 いつの間にか発表は進み、まだひとつも案を出していないのは飯田と出久、そしてエアコンのそばを漂いながらフリップを弄ぶ蓮華だけになった。

 少し間を空けて飯田が前に立ち、フリップを立てる。

 天哉。彼の名前がただ一言、A4サイズのフリップの中央に所在なさげに書かれていた。名前をコードネームに選んだのは轟と同じだ。

 

「あなたも名前ね。悪くないと思うわ」

 

 一瞬、出久は違和感を覚えた。彼が慎重にペンで刻んだ音は、それではなかったような気がするのだ。

 しかし、その違和感はすぐにどこかへと消えてしまった。生徒たちの頭上を越えて蓮華が教卓へ降り立つと、自然と全員が蓮華に注目を向けた。

 

「ふふん、自信作だよ」

 

 そこに書かれた文字を目にしたとき、出久は呼吸が詰まったかのような錯覚に陥った。

 たった3文字だ。たった3文字、細い線が迷いなく引かれている。曲線はいつもどおり滑らかで、そのカタカナ3文字の儚さをますます強調している。

 ミレン。

 

「姓から1文字、名から1文字。幽霊のお姉さんっぽさも出てていいでしょ」

「ちょっと重い気もするけど……いいわね!」

 

 説明を聞けば理屈はわかる。カタカナで書かれていることも相まって、異国情緒のある可愛らしい名前にも見える。しかし、そこに出久はどうしても意味を感じてしまう。

 未練。

 いつかの夜、蓮華が泣く出久に語った言葉を思い出す。特大の未練になれ、と。

 教卓の向こうから少し照れぎみにはにかむ蓮華。この年になると少し恥ずかしいな、などとこぼすその笑顔が妙に意味深で、出久は思わずペンをぐっと握りしめた。

 

「あと未発表なのは緑谷くんね。決まった?」

「……はい」

 

 フリップを手に立ち上がる。

 いくつか候補はあった。死霊憑きという表向きの個性を押し出してもいいし、文字通り一蓮托生である彼女のことを意識してもいい。

 しかし、蓮華との出会いよりもさらに昔から耳馴染んだあだ名が出久にはある。

 蔑称だ。好きだったわけではない。見下されていることがわかっていてヘラヘラしている自分を思い出すたび、嫌な気持ちになる。

 前に進もう。

 

「これが……これが、僕のヒーロー名です」

 

 少し下手くそな「デク」の2文字。

 美珠蓮華という個性ありきではいけない。出久は出久としてヒーローになるのだ。そうでなければ、彼女に顔向けなどできるはずがない。

 それに、このあだ名はもう嫌なあだ名ではないのだから。

 どちらかといえば否定的な驚きの声で埋め尽くされた教室で、出久と麗日、蓮華だけが笑っていた。



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三十二回忌 僕の職場体験を後押ししてくれるお姉さん

 伝う雫の一滴一滴が心地いい。

 自主練を終え帰宅した出久は、火照りと疲れを洗い流すためにシャワーを浴びていた。最近の日課だ。

 元々清潔にしてはいたが、蓮華という同居人が現れてからは汗のにおいを残したままうろつくことなど絶対にしなくなった。

 一足早い初夏の気配に熱された筋繊維が冷水を浴びて落ち着いていくと、自然と思考もまとまっていく。

 

「職場体験、か」

 

 蛇口に引っ掛けていた洗顔ネットを取り上げ、そっとゆすぐ。

 職場体験が明日に迫っている。

 オールマイトの強い薦めがあり、出久は職場体験先をグラントリノというヒーローの事務所に決めた。自他ともに認めるヒーローオタクの出久ですら知らない名前だった。

 聞けば、オールマイトが雄英生だったころの師匠だったとのことで、ワン・フォー・オールのことについては出久の先代であるオールマイトよりも詳しいという。

 

「本当に、いいのかな……」

 

 ノブを絞める。水の流れが絶えると、静けさの向こうにキッチンで引子と楽しげに夕飯の準備をする蓮華の声が聞こえる。

 たくさんの指名をもらった中で、そのすべてを蹴って実績の不確かなグラントリノを頼る。そのことに出久は今も躊躇いを感じていた。

 もっと有名なヒーローの事務所に行ったってよかったのだ。

 たとえば、機動力に長けたヒーローの下で市街地でのヒーロー活動を学んでもいい。

 もしくは、自我のある個性を有するヒーローの下でより効率的な連携について学んでもいい。

 いくつもの可能性を出久は切り捨てた。

 

「……ワン・フォー・オール」

 

 掌に走る、薄緑の雷光。

 出久は継承したこの個性のことをまだほとんど知らない。どのような来歴があり、どのように使われてきたのかを知らずに、オールマイトの背だけを追ってきた。

 しかし、このままではよくないという焦りが、時折出久の胸をひどく締め付ける。

 蓮華はこの個性の縁に腰掛けているだけの居候だ。幽霊である彼女は、ワン・フォー・オールの意図しない誤作動で居場所を神社から出久へと移し替えた。

 その「意図しない誤作動」が次に起きてしまったら、蓮華は一体どうなる?

 

「……違う」

 

 どうなる、などと利他的を装ったエゴを振り払って、出久はバスタブに蓋をした。

 杞憂しているのだ。蓮華を失いたくないという利己的な欲のもとに、出久はワン・フォー・オールがいつまでも彼女の居場所(墓場)であればいいと思っている。

 個性として頼ることに躊躇しておきながら、手放したくないなどと所有物のように思ってしまう、己の気持ちがわからない。

 自分は一体、蓮華の何なのか。

 未練。蓮華のコードネームが出久の脳裏にこだましている。

 

「――しょうねーん、大丈夫? のぼせてない?」

「は、はい! 今あがります!」

「んー! ご飯、よそっとくからねー」

 

 薄い扉越しにかけられた優しい声に、出久は返事が上ずりそうになるのをぐっとこらえた。

 くだらないことを考えてしまった。

 出久には立ち止まって悶々としている暇などありはしない。ワン・フォー・オールの継承者として前進し続けねばならないのだから。

 言うことを聞かない髪をドライヤーでなんとか躾けながら、出久は鏡に写った自分を心のなかで叱咤した。

 

 豚肩ロースの味噌漬け焼きでたっぷりの白米を食べ、わかめと豆腐の味噌汁でほっと一息ついたあとのこと。

 出久は蓮華の部屋にお呼ばれしていた。

 ここは自宅だというのに、いまだに異性の部屋というのは落ち着かない。調度品の雰囲気からまず違うということを強く感じるし、甘く爽やかないい香りもする。

 

「はい、お待たせ」

「どうもです」

 

 差し出されたマグカップは東京で買ったお土産のひとつだ。今、緑谷家には三人分のマグカップがある。出久の分、引子の分、そして蓮華の分。

 蓮華は出久の身体を使わなければ飲み食いはできない。それでも香りは楽しめるからと、時たま蓮華のマグカップにもお茶が注がれる。

 よく冷えた香ばしい玄米茶を一口飲んで、出久はちらりと机に目をやった。

 

「手紙、書いてるんですね」

 

 書きかけの手紙。送り先は轟の母親だ。

 どんな関係なのか、出久はまだ聞けていない。ただ、体育祭のときの様子と親しげに「冷ちゃん」と呼ぶところから察するに、生前はそれなりに交流があったのだろう。

 体育祭で聞いた事情が事情だから、出久も母親のことを轟に聞こうという気にはなれない。ただ、気にならないと言えば嘘になる。

 

「うん。でも、久しぶりすぎてなかなかまとまらない。時って残酷だね」

「時は残酷、ですか……?」

「お姉さんは永遠の22歳だけどさ、それから23年も経ってるわけだよ。23年、想像できる?」

 

 出久が頭を振ると、蓮華は「だよねえ」と笑った。

 蓮華が死んだ23年前の火災は、出久にとって生まれる前のことだ。それからずっと俗世を知らずに生きてきた彼女にとって、世界は変わりすぎているのかもしれない。

 

「そういえば、『ファウスト』にも時間の話がありましたよね。メフィストとファウスト博士の約束に」

「お、ちゃんと読んでるね? 感心感心。そう、ファウストは悪魔メフィストと契約した。メフィストはファウストにこの世で享楽の限りをもたらす。その代わり、死後はファウストの魂がメフィストに仕える」

 

 蓮華に貸し出された『ファウスト』という戯曲は、出久にとってかなり難解だった。

 なにせ超常社会以前に書かれた古典だ。言い回しも古いし、大仰で芝居がかっている。そもそも戯曲自体あまり読み慣れていない。

 それでも不思議と出久はこの物語に惹き寄せられていた。

 

「時よ止まれ、お前は美しい……」

「この瞬間が永遠に続けと、そう願いたくなるような最高の瞬間にメフィストはファウストの魂を持っていく。少年なら、そんな契約したいと思う?」

「ぼ、僕がですか?」

 

 考えたこともなかった。

 今のところ、出久は少しもファウスト博士に共感できていなかった。出久は未熟で、発展途上で、夢のためひたすらに努力するべき身だからだ。

 この世に倦み、半ば絶望し、享楽のために悪魔の手すら取る。そんな生き方は少しも理解できない。ありえないとすら思う。

 

「……しません。悪魔に求めなきゃ手に入らないものもあるのかもしれないけど……それは僕のものじゃないから」

 

 出久は無個性でもヒーローになるつもりでいた。もし個性を与えてくれる悪魔がいたとしたら、悩みに悩んで、それでもその手を取らなかっただろう。

 その答えに満足げに頷いて、蓮華は膝の上に抱えたクッションを撫でながら微笑んだ。

 

「うん、少年らしくていい答えだと思う。じゃあ、そうだな……手を伸ばせば届くところにあって、でも悪魔に勇気づけてもらわなきゃ手に取れないようなものはどう?」

 

 手を伸ばせば届くもの。

 果たしてそんなものがあるだろうか。悪魔に唆されて初めて手を伸ばすようなものを、自分が求めることがあるとは思えない。

 そう思いながら視線を落とした時、半透明なまま揺れる蓮華の素足が目に入って出久は慌てて目を逸らした。

 形のいいつま先。目立たないくるぶし。すらりとした足首。薄っすらと透き通る、幽霊の足。

 小さい頃からずっと支えてくれたお姉さんのことを、そういう目で見たことがないはずがない。ただ、あまりにも不毛なその煩悩はヒーローを目指すために邪魔だと封じただけで。

 沈黙の中で、ふわりと蓮の香りが漂った。

 

「ごめん、意地悪しちゃったね」

「……別に、なんでもないです」

 

 伸びてきた指先が出久の頬を撫でる。

 まるで全てお見通しのように、わかっているかのように笑うこの人が、出久は時折たまらなく憎たらしかった。それでも怒る気になれない。

 

「職場体験先、オールマイトの師匠のとこにしたんだよね」

「個性のこと……もっと知らなきゃですし」

「そうだね。ありがとう、少年」

 

 何をとは言わなかった。しかし、それだけで出久には十分すぎるくらいに気持ちが伝わる。

 ずるい人だ。今や、出久の夢――オールマイトのようなトップヒーローになるという夢は、出久だけのものではなくなってしまった。

 それなのに、時折蓮華はあまりにも儚い。

 

「……み、ミレンにも頑張ってもらいますから。職場体験」

「ふふ、そうだね、デク。……お姉さん、このあだ名あんまり好きじゃないんだけどなあ」

「僕もそうでしたけど、麗日さんのおかげで」

「うわ、こういうときに他の女の子の話するー? お姉さんでも流石に傷ついちゃうなー」

 

 言葉とは裏腹にからかうような表情で、蓮華は指先で出久の首元をくすぐった。

 冷たさともどかしさ、相反するような触感が出久の背筋をぞわぞわさせる。思わず喉から情けない悲鳴が漏れた。

 

「ひゃわ、ちょ、ごめんなさい!」

「デリカシーのない少年なんかこうだ、うりうり」

「ひー、も、もう無理、勘弁してください……!」

 

 結局、解放されるころには出久の胸を締め付けていたセンチメンタルな感情もどこかへ隠れてしまっていた。

 息を切らした出久に勝ち誇ったような顔で胸を張って、蓮華はようやく指を怪しげに踊らせるのをやめた。しかし、まだ瞳は悪戯な光を宿したままだ。

 

「寝る前に疲れさせちゃったかな? お詫びに耳かきしてあげよっか」

「え……い、いいです」

「遠慮しなくていいんだぞー少年。昔は弟たちにやってたからそんなに下手じゃないと思うし、なんと今ならお姉さんの膝枕付き」

「ひざまっ……だから断ってるんですよ!」

 

 とんでもない誘惑だ。もしかしたら蓮華の個性は死霊ではなく悪霊とか悪魔とかそういった類のものなのではないか。

 

「そう? やってほしくなったらいつでも言いなよ。……もうこんな時間か。明日は駅に直行なんだっけ」

「はい、集合してから新幹線で甲府まで」

「そっか。それならもう寝たほうがいいね。おやすみ、少年」

「おやすみなさい」

 

 挨拶を交わして、蓮華の部屋を後にする。

 リビングでは引子が頬杖をついてテレビのサスペンスドラマを眺めていたが、出てきた出久に気がつくと、にやりとわざとらしい笑みを浮かべた。

 

「楽しそうだったわね、出久」

「別に、いつもどおりからかわれただけだよ」

「そう? その割には幸せーって空気だけどなあ」

「もう……洗い物したら僕寝るから」

 

 引子の視線から逃れるように流し台に立って、出久はふと自分の頬がそんなに緩んでいるだろうかと手をやった。

 まだ少し、あの冷たい指の感触が残っているような気がする。



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三十三回忌 僕に痛みとぬくもりを与えてくれるお姉さん

 職場体験二日目の夜。

 グラントリノとの組み手でさんざん扱かれた出久は、事務所の薄汚れた壁に背を預けて大きく息を吐いた。

 出会ったときには不安になるほど老人らしい老人だったグラントリノは、しかし、オールマイトの師という肩書きが単なる肩書きではないと出久に実力で叩き込んできた。

 卓越した経験の伴った卓越した実力。その強さが出久の前に立ちはだかっている。疾く、そして巧い。

 

「たい焼きができましたよー、先生」

「お! んじゃあ今日はここまでだな」

 

 エプロンを着た蓮華が皿に焼き立てのたい焼きを積み上げてひょっこりとキッチンから顔を覗かせた。冷凍食品ではなく、縁日用の金型で生地から焼いたいわば天然物だ。

 職場体験初日に長らく使われていなかったキッチンを蓮華が手入れし、そのおかげで出久はこの古ぼけたグラントリノ事務所でも温かな食事を取ることができている。たい焼きの金型はその片付けの副産物だった。

 手作りのたい焼きはおいしそうではあるが、ボコボコにされた直後で喉を通るかは疑わしい。ホットケーキミックスのねっとりとした甘い香りも今は重たく感じる。

 

「俊典のやつが自分で教えたというから、ちいと心配しとったが……戦闘技術に関しちゃなかなか筋がいい。いや、目がいいのかね」

「あ、ありがとうございます……」

「あとはとにかく反復だ、反復。敵は発動を待っちゃくれんぞ」

「そうですよね、頑張ります……」

 

 ワン・フォー・オールの全身発動、つまりフルカウル。これを素早く発動できるようにすることが今の課題だった。

 出久という器に力をまんべんなく満たすため、これまでは蓮華の冷気という補助輪に頼っていた。蓮華の冷気によって露わになった自らの輪郭、それに沿って力を流し込んでいたのだ。

 しかし、この手法が使えるのはあくまで蓮華に憑依されているときのみ。

 死ぬことがなく、壁をすり抜け、味方にだけ見える光源を用意できるという蓮華の斥候役としての強みを発動のためだけに潰すのはあまりに惜しい。グラントリノにそう指摘され、出久は単独でのフルカウルを安定させる練習を始めた。

 

「それで、何かわかりました?」

「んが? ふぁみふぁふぁ(何がだ)?」

 

 テーブルについてたい焼きを頬張るグラントリノを前に、蓮華はトレイを抱いたまま困ったように眉を曲げた。

 

「ワン・フォー・オールと私についてですよ、先生。お願いしたじゃないですか」

「んぐ……うまい」

「先生?」

「そう責めんでもわかっとる。小僧、お前もはよ食わんかい」

 

 促されてふらふらの足取りでなんとか席につくと、蓮華が清潔なグラスに冷たい牛乳を注いでくれた。

 グラントリノの指名に応えた最大の理由。それは、ワン・フォー・オールが蓮華を吸収した原因を知ることだ。

 牛乳を飲み、口内の傷に沁みて軽く顔をしかめ、それからたい焼きをひとつ手に取る。まだ焼き立てで熱く、香ばしさを伴った湯気が立ち上っている。半分に割ってみると、中はカスタードクリームだった。

 

「まあ、なんもわからんかったけども」

「えーっ!」

 

 危うくたい焼きを落とすところだった。

 

「そりゃそうよ、俺は継承者じゃないからな。俊典がわからなかったなら俺にもわからん」

「そんなあ……」

「ま、今日明日でいなくなるもんじゃないことは確かだ。ワン・フォー・オールは力の器だからな。そいつが何かを取りこぼしたって話はとんと聞かん」

 

 たい焼きの尻尾をぽいと口に放り込んで、どうということもないと言わんばかりに楽観的な口ぶりでグラントリノはそう言った。

 思わず、グラスを握ったまま手が止まる。

 

「なんだ、いっちょ前に不安そうな面しやがって」

「そりゃ……不安ですよ。だって、いつまた不具合が起きるかもわからないわけですし」

「そう起こることじゃねえっつっとろうが」

「でも、わかんないじゃないですか。自分の力なのに、僕はこの個性のことを全然知らなくて」

「そう、お前の力だ」

 

 マグカップの牛乳を飲み干して、グラントリノがテーブルを叩いた。

 その表情はもう、つい先程までのようなおちゃらけた老人の顔ではなかった。それは確かに、徹底的なスパルタ教育でオールマイトというヒーローを育て上げたプロの、徹底した鋼のような顔だった。

 彼の眼光に射抜かれて、出久は結露した冷たいグラスを握りしめた。

 

「俺でもねえ、俊典でもねえ、お前がその個性の主だ。ワン・フォー・オールはお前だろがよ、小僧。手前の個性がわかりませんってべそをかくのは、中学生の寝小便みたいなもんだ」

「ッ……だから、知ろうとしてるんじゃないですか!」

「いいや、してねえ。事実、お前は()()()のことを聞きもしなかった。お前が気にしてんのは……」

 

 グラントリノの視線を辿るまでもなく、彼が言いたいことはわかっていた。

 職場体験はヒーローを目指すものとしての成長を期待して招かれるものだ。しかし、出久は今、ヒーローの卵として自分の個性を心配しているのではない。

 

「――先生、それ以上は。ヒーローが身内の心配をしちゃいけないなんて法もないでしょう?」

「……言い過ぎた。年を取るとどうも説教くさくなっていかんわ! おかわり!」

 

 握りすぎて割れそうになっていたグラスを、蓮華がするりとその冷気のうちに回収した。

 

「……走ってきます」

 

 返事を待たず、出久は椅子から立ち上がってテーブルに背を向けた。

 

「あ、ちょっと、少年!」

 

 手つかずのたい焼きを残していくのは心苦しかったが、今は夜風にあたりたかった。

 見慣れない街並みの中、暗がりの冷たさを感じながら走る。脚から伝わる振動が、煮えかけていた脳を揺らしていく。

 自分が冷静さを欠いていることなど、百も承知だった。

 職場体験はヒーローとしてのキャリアを積み上げる第一歩だ。名の売れた、実力の知られたヒーローの世話になるのが一番いい。出久にはそのチャンスがあった。

 オールマイトによる誘いは、出久に言い訳を与えた。

 

「……わかんないよ」

 

 どれくらい走っただろうか。

 切れかけた街灯の下、息を整えながら思わず吐き出した言葉が、出久のすべてだった。

 わからない。

 プロヒーローとして活躍することを目指すなら、蓮華を己の個性として活用するべきだ。蓮華を使()()()、出久はもっと上に行ける。

 しかし、体育祭の日、蓮華が出久の内側で流した涙がずっと忘れられないでいる。

 個性婚というタブーを犯し、ねじ曲がった正義を貫いて、それでもエンデヴァーはナンバー2のヒーローだ。蓮華を泣かせた外道は、偉大な、はるか高みの存在なのだ。

 蓮華を使()()()()()出久に、エンデヴァーを責める権利はあるのだろうか。

 

「――風邪引くぞ、少年」

 

 ふわりと現れた蓮華からは、まだホットケーキミックスのにおいがした。

 

「……ごめんなさい、急に飛び出しちゃって」

「先生びっくりしてたよ。私も距離限界で戻されちゃったし、今頃ひとりで寂しく冷めたたい焼き食べてるだろうなー」

 

 嘘だ。

 オールマイトの師匠だったグラントリノがこの程度で動揺するはずがないし、蓮華と離れられる距離の限界まで来ていないことは出久も肌でわかっている。

 また蓮華に気を遣わせてしまった。

 

「ちょっと、座ろうか」

 

 促されるまま、出久は自動販売機の隣に置かれたベンチに腰掛けた。隣に座った蓮華から伝わる冷気は、夜風に揉まれてより濃くなっているような気すらする。

 汗が冷えると、次第に昼間の組み手で食らった痛みの余韻が際立ってくる。グラントリノの機敏な動きに翻弄され、出久は何度も痛烈な一撃を食らった。

 彼の指導は本物だ。そしてきっと、彼の継承者を評価する眼も。

 

「ひどい目だ。爆豪某に自殺教唆されたいつぞやよりももっとひどい」

「……時々、思うんです。いっそ、かっちゃんが継承者ならよかったんじゃないかって」

 

 言葉にして、ようやく考えがまとまった。

 出久は自分に失望しているのだ。継承者として、オールマイトに誓った夢をねじ曲げてまで、自分の欲を満たそうとしている。そのことがひどく汚らわしいものに思えて、それなのに言い訳はいくらでも浮かんでくる。

 そして、出久がワン・フォー・オールの継承者でなければ、蓮華が出久に縛られることなどなかった。

 

「僕……思い上がってたのかなって。お姉さんを、自由にしてあげられるって思ってたんです。でも、本当は違った。僕はお姉さんを……使っている」

「ま、そうだね。思い上がってる」

 

 突き放したような返事に顔を上げると、出久の脳天に衝撃が走った。

 少しして、それが彼女の落とした拳骨であることがわかると、じわりと痛みが広がった。熱のような、鈍い痛みだった。

 蓮華は出久の両頬を掴んで、静かな眼で出久の顔を覗き込んだ。

 

「約束したよね。個性としての私の、主に相応しい男になってくれるって。使う? 馬鹿言うな、お姉さんはもう君の一部なんだ、緑谷出久」

「それで、納得しろって言うんですか」

「そうだよ。納得しろ、君のためなら何度でも死んであげる。勘違いするな、私が……ミレンが、そうしたいんだ」

 

 はぐらかすことも言いくるめることも得意な蓮華の、まっすぐな言葉とまっすぐな眼から逃れたかった。それでも、出久の両頬を押さえた手を振り払うことはできなかった。

 安っぽい白色灯の街灯に羽虫が飛び込んで焦げるかすかな音すら、今は鬱陶しい。

 

「僕は……僕は、あなたを泣かせたエンデヴァーみたいになりたくないんです」

「君はあいつじゃないよ、少年」

「でも、そうなるかもしれない!」

 

 出久が立ち上がると、蓮華は両手を引っ込めて出久を見上げた。

 腹立たしいくらい美しい人だ。ずっとこの人に励まされて、出久はヒーローを目指してきた。それなのに、出久はこの人のためだと言って、夢を捻じ曲げようとした。

 今ならはっきりわかる。出久は蓮華を失うのが怖くて、ワン・フォー・オールのことを知るためにグラントリノを頼るつもりでここに来た。ヒーローとしてではなく、彼女に少年と呼ばれるひとりの人間として。

 

「……怖いんです。間違っている気がするのに、止まれない」

「止まれるよ。少年、君はそういうやつだ」

「もし止まれなかったら?」

「……あの、さ。お姉さんに殴られて、どうだった?」

 

 まだ鈍く痛みの残る頭を、ぬるい夜風に混じった冷気が撫でていく。

 じんわりと熱を帯びた、響く痛み。

 

「痛かった、です。じんとして、熱くて」

「うん。お姉さんはさ、冷たいんだ。幽霊だからね。だから、少年を温めてはあげられない」

 

 立ち上がった蓮華が、わざとらしく拳を振りかぶった。

 こつん、と軽く拳が振り下ろされる。

 その手は冷たいのに、触れられた傷口は痛みで自然と温かい。

 

「間違ったらさ。本当に間違って、言葉ではどうしようもないなってなったら、またこうやってあげる。お姉さんがあげられる温かさって、きっとそれだけだから」

「……そんなこと、ないです」

 

 止まれると言ってくれる、信じてくれる蓮華のどこが冷たいのか。

 出久にとってはもうとっくに、蓮華の冷気は温かいものだ。欠かせない、己の体温と同じようなものなのだ。

 そう思った瞬間、出久の中で凝り固まっていた何かがほぐれはじめた。

 

「ごめんね。他のヒーロー事務所にも行けたのに、お姉さんのせいで選択肢を捨てさせちゃったね」

「そんなこと、ないんですってば」

「泣き止んだら、グラントリノのところ帰ろうか。一緒に謝るからさ」

「泣いて、ないです」

 

 夜風のぬるさよりも、月の明かりよりも、抱きしめてくれる幽霊の冷気のほうがずっと温かい。そう感じてしまう出久は、きっともう取り返しのつかないところまで取り憑かれていた。

 使うだの、自由にできないだの、そんな悩みはもう無駄なところまで来ていたのだ。間違えたとしたら、それは出久がいつまでも手遅れな悩みを引きずっていたことだった。

 出久はもう、蓮華を失うことなど考えられないのだから。



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三十四回忌 僕の正義を後押ししてくれるお姉さん

 職場体験3日目の夕方。

 出久は肩で息をしながらも、まだ自分の足で立っていた。視界も良好、致命的な傷もない。

 音を立てて事務所の床に転がった杖をゆっくりと拾い上げたグラントリノは、顎髭を撫でながらにやりと笑った。

 

「なるほど、まあ悪くねえ」

「ありがとう、ございます」

 

 笑う余裕はない。しかし、出久の代わりに蓮華がうっすらと笑みを浮かべたのを感じる。

 蓮華に憑依された状態の組み手で出久はついにグラントリノから一本取ってみせた。それは彼の杖を蹴りで払うという、致命的とは言えない一撃だったが、それでも一撃は一撃だった。

 

「元の頭がいいんだろう。美珠の嬢ちゃんがアンテナ張って、その情報を全部処理しとる。こりゃ俊典と同じしごき方は無駄だわな」

 

 一線を退いたとはいえ、プロヒーローからの紛うことなき褒め言葉だった。

 昨夜、事務所を飛び出してしまった出久に対してグラントリノは何も言わなかった。謝ろうとした出久を制して、彼は一言「余計な口出しをした」とだけ言い残し寝室に消えた。

 彼の言うとおり、出久が本気でワン・フォー・オールについて知ろうとするならば、オールマイトのさらに先代について興味を持って然るべきだ。

 それなのに、グラントリノはあれ以来ずっと先々代のことを口にしなくなった。

 

「あとは慣れだな、慣れ。フェーズ2へ行く」

「フェーズ2、ですか?」

「ああ。職場体験だ!」

 

 一瞬あっけに取られたが、出久は職場体験――プロヒーローの日常業務を見学し、さらには可能な範囲で参与することで経験を積むイベントに来ているのだった。

 これまでのグラントリノにしごかれていた2日と半日は言ってみれば授業の延長線上でしかない。ここからが本番だ。

 

「そしたら少年、着替えておいでよ」

「着替えですか?」

「コスチューム。トレーニング用のTシャツと短パンで行くわけいかないでしょ?」

 

 するりと出久の身体から抜け出した蓮華にそう促されて、出久は事務所の風呂場を借りてコスチュームに着替えた。

 母が仕立ててくれたもののデザインをベースに、デザインを担当する企業が繊維から装甲までこだわってくれた一級品だ。まだ未熟な卵には過分ですらある。

 建付けの悪い風呂場のドアを引き開けると、出久は思わずそのまま固まった。

 そこに見たことのない、美しい存在が漂っていたからだ。

 

「お、おお、お姉さん?」

「なんだよ、少年が着替えるんだからお姉さんだって着替えるに決まってるだろ?」

 

 紺色のリボンが巻かれた、主張の控えめな麦わら帽子。

 いつも伸ばした髪はリボンと同じ紺色に白のラインが入ったシュシュでまとめられ、その透き通ったうなじが覗いている。

 どこか振り袖を思わせる、ゆったりとしたボリュームのある袖の白いブラウス。よく見ればそれはただの白ではなく、細やかな刺繍によって幾何学的な模様が浮き出ている。

 一見清楚な紺のタイトスカートの側面にはスリットが入り、幽霊特有のあったりなかったりする半透明の素足がゆらゆらと揺れている。

 美珠蓮華という美が、今、名に違わない華やかさを開花させていた。

 

「綺麗だ……あっえっ、いまのは違くて」

「へえ、少年にしては珍しく直球で褒めるじゃん。嬉しいよ、ありがとね」

 

 いつもの微笑みにほんのりと照れが混じっていることを見て取った出久は、こみ上げる混乱と恥ずかしさにどうすればいいかわからず、ひたすら言葉を詰まらせた。

 嘘をついたわけではない。蓮華は本当に綺麗だ。

 しかし、これではまるで自分が浮ついているようではないか。これから職場体験のために外出するのだから、よそ見をしている場合ではないのだ。

 

「違っ、本当に、その、思わず本音が」

 

 結局、グラントリノのからかい混じりの咳払いで訂正や誤魔化しを挟む余地はなく、出久は甲府駅に向かうタクシーに乗り込んだ。

 目的地は渋谷。治安の悪い地域でヴィラン予備軍のようなごろつきを相手に経験値を積むというのがグラントリノの狙いだ。

 

「新宿行き新幹線ですか?」

「うん。あ、チケット3人分は買わんからな」

「せこっ! いいんですかそれで!」

「少年、こういうのは節約の知恵だよ。今後プロヒーローになったらいっぱい使うんだからさ」

「お姉さんの分のチケット買ってなくて炎上するとか嫌なんですけど僕……!」

 

 そんな他愛ない話をしながらも、出久は友人のことを案じていた。

 今頃、飯田は職場体験に励んでいるだろうか。

 彼が職場体験先に希望したマニュアルというプロヒーローは、現在もヒーロー殺しが潜伏しているとされる保須で活動している。まさかとは思うが、兄の復讐を考えないと断言はできない。

 心配しながらも、出久たちは甲府駅で2人分のチケットを買い、蓮華を出久に格納して新幹線に乗り込んだ。

 

「……グラントリノ、先々代のことなんですけど」

「気にするな。元々、俺の口出していい問題じゃなかった。()()()を育てたときだって、先代だからどうっつう話は大してしとらんしな」

「そうなんですか?」

 

 うむ、と頷きながらグラントリノがシートをリクライニングさせた。小柄な彼がシートを倒すと、自然と視線が低くなる。

 

「俺が聞いてた限りじゃ、話してても精々が心構えとかそういうところだった。なんだったか……あとは()()()()()()、だったか」

「自然に?」

「そうだ。俺は結局、そこについちゃ部外者だからな。……それに、あいつも全部を教えきる前に逝っちまった」

「グラントリノ……」

「ま、そういうわけだ。お前は俺が思っていたよりは優秀! ジジイの昔話に付き合わせるよりは実戦だ、実戦!」

 

 短い付き合いだが、なんとなくわかることがあった。ワン・フォー・オールの先々代とグラントリノは、きっと深い関係にあったのだ。

 彼の苛立ちは理解できた。出久はその先々代がオールマイトに託した力を継承している。それを蔑ろにするべきではない。

 故人であるという先々代。その話をもっと聞かせてもらえるだろうか。

 そんなことを考えていた時、出久のスマートフォンが鳴動した。

 通知が来ていたのは蓮華用のメッセージアプリだった。幽霊の蓮華は出久の身体を使わなければ生体電気を必要とするタッチパネルの操作ができない。だからスマートフォンを共有し、アプリだけを分けていた。

 

「あ、ちょっとお姉さんに代わります。……どうもーグラントリノ」

「それちょっと不気味だぞ」

「すみませんね、幽霊なもので。……あ、これ少年にも関係あるやつだ」

 

 蓮華の感覚を通してメッセージアプリの内容を共有する。それは麗日から送られたものだった。

 内容はシンプル。飯田に送ったメッセージが既読だけで、返事がない。

 飯田はマメな男だ。どんな下らない内容でも、それこそ峰田の猥談でも、既読を付けたら3分以内には返事をくれる。勉強に集中している時を除けば未読無視だってしない。

 そんな彼が返信しない状況というのは、確かに不安になる。

 蓮華から肉体を返してもらって、自分のメッセージアプリを立ち上げる。出久からのメッセージにも返事が来ていなかった。

 飯田がいる街のこと、彼の兄のことを思うと、心配になる。いっそ電話をかけてみるべきだろうか。しかし、今は新幹線の車内だ。

 そう悩んでメッセージを送ろうかと考えた、次の瞬間だった。

 座席を無視して、蓮華が出久の肉体から抜け出した。ふわりと空中に浮かんだ彼女は、窓の外へ鋭い視線を向けていた。

 

「これ……来るよ!」

『お客様、座席にお掴まりください。緊急停止します――』

 

 衝撃と、爆風。

 それは、高速で走行する新幹線の外壁が圧倒的な暴力によって砕かれた結果だった。

 一瞬の沈黙。そして、パニックが広がる。

 

「脳無!?」

 

 ぽっかりと空いた穴の縁を掴んで立っていたのは、USJを襲撃したあの怪物によく似た化け物だった。

 剥き出しの脳、瞼のない目、異常発達した肉体。

 出久が立ち上がるよりも早く、グラントリノが個性で脳無に飛びかかった。

 

「小僧、座ってろ!」

「グラントリノ!」

「……まずい、グラントリノは()()を知らない」

 

 さっと血の気が引いた。

 脳無は生きた人間ではない。致命傷を受けても死なずに戦い続ける、その事実を知っているのと知らないのでは戦い方が大きく変わってくる。

 立ち上がって穴に駆け寄ると、その先には爆炎の上がる街があった。

 保須が燃えている。

 

「……飯田くん」

「――()()、どうしたい」

 

 静かで、少し平坦な声が尋ねる。

 出久は学生だ。まだプロヒーローの免許を取っていない。ここで待機しろと言われた以上、待機するのが役目であり、義務なのだろう。それが秩序の下で正義を成す者のあり方だ。

 何が正しいかはわかっている。それでも。

 

「この騒ぎが……ヒーロー殺しによるものなら、ヴィラン連合と手を組んでるってことです。それは、規模が大きすぎる。学生が手を出すことじゃないかもしれない」

「うん」

「でも……友だちが危ないかもしれないのに、止まった新幹線の中で待ってるなんて、できません」

「そうだね」

「だから……()()()

 

 大きく息を吸って、フルカウルを発動する。

 進みたい道は見失わない。

 しかし、正義を捨てるつもりもない。

 それなら、知恵を巡らせるしかない。

 

「グラントリノに脳無の説明をして、()()()使()()()()を取ってきてください。僕は、飯田くんを探します」

「わかった、10分……いや、5分で合流する」

 

 駆け出す。

 保須の人々も助ける。飯田の安否も確認する。そのためには、単なるバイスタンダーとしてではなく、職場体験の一環としての活動――個性の使用が必要になる。

 蓮華は書類上、出久の個性だ。蓮華がグラントリノに許可を取れば、出久が許可を取ったのと同じことになる。

 これが今できる最善で、最適の動きだ。

 

「すみません、通ります!」

 

 人の流れに逆流する。

 普段ならばビジネス街として栄えているであろう保須は老若男女を問わず人間で溢れかえっている。このままでは混乱から生じる二次災害の危険性すらある。

 立ち止まって避難に協力すべきか。一瞬そう考えた時、出久の耳がその声を拾った。

 

「――天哉くーん!」

 

 幸いにしてというべきか、出久はローカル局で放送された彼のインタビュー映像を見たことがあった。そのおかげで、声だけで彼が誰なのかわかった。

 プロヒーロー・マニュアルだ。飯田の職場体験先である彼がここにいる。

 そして、彼が飯田を呼んでいるということは。

 

「マニュアル!」

 

 そこには地獄が広がっていた。

 ガソリンとゴムと金属の焼ける、廃車のにおいが立ち込めている。その中央で、炎が舐めるようにして脳無たちの影を踊らせている。

 たち。そう、複数(たち)なのだ。

 もはや一刻の猶予もなかった。

 

「マニュアル! 雄英高校1年の緑谷出久です!」

「君、準優勝の……!」

「飯田くんが最後にいた地点! 教えて下さい! 救援要請出します!」

「すまない、助かる! ここから西に三本行った通りのスクランブル交差点までは一緒だった!」

「ありがとうございます!」

 

 戦闘を邪魔せず素早く離れる。

 本当なら脳無のことを話しておきたいが、USJの事件は一般に詳細が公開されていない。出久一人の判断で複数のヒーローに明かせる情報でもないし、蓮華と違って根拠を示すことができない。

 スクランブル交差点まで駆けていった後、出久は必死に考えを巡らせた。

 飯田が消えた理由がヒーロー殺しなら、ヒーロー殺しを探せば飯田を見つけられる。

 保須で活動しているプロヒーローは多いが、数えられる程度でしかない。そのうち、先程の戦闘現場にいなかった者に絞り込めば、自然とヒーロー殺しのターゲットは見えていくる。

 パトロールのルートはSNSやホームページで公開されている記録から大まかに導き出せる。その中で、このスクランブル交差点に近く、ヒーロー殺しが狙いそうな路地裏を通るのは一人。

 

「こっち……!」

 

 駆けながら、出久は素早くスマートフォンを操作した。今は走りスマホがどうこう言っている場合ではない。

 使うのは、防災用に作られた位置情報ツールだ。メッセージアプリと連携して現在地をGPSで一斉送信できる。そしてこのアプリを使うということは、これが救難信号であることを示すことができる。

 1-Aの全員に一括送信する。彼らが職場体験先に選んだプロヒーローに伝えてくれれば、プロヒーローはこの騒動と合わさって何かが起きたことを察してくれるだろう。

 準備はできた。

 

「――じゃあな、正しき社会への供物」

「黙れ……黙れ! 何を言ったって、お前は! 兄を傷つけた、犯罪者だ!」

 

 錆びた刃が振り下ろされる、その直前。

 

「――救けに来たよ、飯田くん」

 

 出久の拳が、ヒーロー殺しの顎を撃ち抜いた。



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