精霊の御子 カレは美人で魔法使い (へびひこ)
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序章 大祭の巫女

 関東に根を下ろし『精霊術』を伝える藤宮一族。

 この国を歴史の裏で守り続けてきた魔術師の名家。関東でももっとも歴史の深い魔術師の家系の一つである。

 

 今夜は一族の秘術が行われる日。

 藤宮の『大祭』の日であった。

 

 

 

 空気さえ動きを止めているような静寂の中でかすかな衣擦れの音が耳に響く。

 ゆっくりと歩く巫女装束の子供。

 

 周囲を照らすかがり火が夜の闇を焼き、炎に照らされた祭場に一人の巫女が足を踏み入れる。

 

 まだ小さな子供だ。

 巫女装束に身をまとい。頭に銀の冠を乗せ、右手に太刀、左手に鈴を持つ子供。

 

 祭場の周囲を和装の大人たちが囲み、張り詰めた緊張感のなか巫女を見つめる。

 

 緊張、不安、疑心、心配。

 様々な感情が込められた視線が巫女に向けられていた。

 

 まぁ、当たり前かな。

 そんないっそ気楽な態度で大人たちの視線をその巫女は無視した。

 

 少年の名は藤宮司、藤宮一族当主の息子である。

 

 自分の評価は父親から聞いた。今まで気にもとめていなかったし母親はむしろ喜んでいたからそれが『悪い事』だと認識していなかったのだ。

 

 けれどそれではいけないのだと父に諭された。

「おまえはこの藤宮の子。私の跡継ぎなのだから」と。

 

 だからこの役目も文句など言わずに引き受けた。

 今日まで一ヶ月、ずっと練習もした。

 

 正直あまり楽しくはなかった。母と一緒に剣の稽古をしている方が楽しいが『自分が楽しいと思うことだけしていることはいけないこと』だと教えられた。

 

「藤宮の家に生まれた義務と責任を果たしなさい。おまえはそれをしていない」

 父は厳しい顔でそう叱った。

 

『義務と責任』を果たさないのは悪い事だ。

 特に『藤宮』の『義務と責任』を果たさないことはとても悪い事だ。

 

 みんな『藤宮』のために働いている。努力している。がんばっている。

 だから『藤宮』に生まれた自分もがんばらなくてはいけないのだ。

 

 僕は『藤宮の子』なのだから。

 

 巫女は確かな決意を胸にして穏やかに微笑んだ。

 今日この日はその決意を皆に認めてもらう場所なのだと理解していた。

 

 

 

 

 普段は封印された聖地。

 この地を管理する藤宮一族の許可なく人が入ることは許されておらず。むしろ入ることなど出来はしないというほど強固に守られた藤宮の神域。

 

 小高い木々に囲まれ、周囲から閉ざされた広場にある巨石。

 

 この巨石には藤宮の初代と契約した神とも称される『世界最古の精霊』が宿っている。

 見る者が見れば内部に存在する莫大な力に畏怖すら感じるだろう。

 

 すくみあがりそうな静けさのなかで巫女が巨石に一礼する。

 その流れるような動きに周囲の大人たちは一瞬目を見張る。その動作の美しさに驚いたのだ。とてもただの子供ができる所作ではない。

 

 白と朱の衣装を身につけた巫女。

 そのふっくらした顔には白粉が塗られ、小さな唇には紅が引かれている。

 

 まだ幼い十歳の男の子。

 

 まず女性的な柔らかい印象の顔立ちが目を引く。

 神事の巫女をつとめるために化粧を施し、女性の装いをしたその姿は少女にしか見えない。

 

 すべてを受け入れるような穏やかな瞳。気性の優しさを示すような細く緩やかな曲線を描く眉、すっと通った鼻筋、ふっくらとした頬、柔らかそうな唇にうっすらと浮かんだ笑み。

 

 もし少年が女性に生まれていたら将来は絶世の美女になるだろうと賞賛を受けただろう。

 

 その穏やかな表情に周囲の大人たちが目を疑う。

 

 あれが魔術の修行を放り出していた跡取りかと。

 魔術の修行よりも母の使う剣術の修行を好んでいた少年に大人たちは不安を感じていた。

 

 しかし目の前の少年は、思わず『これは』と感嘆するようなたたずまいだった。

 

 緊張など感じてもいないように少年が舞い始める。

 

 神を祀る巫女の舞い。儀式魔術を構成する魔術師の舞い。

 一族が代々守り続けてきた祭場で少年は巫女となり奉納の舞いを舞う。魔術師として儀式魔術を舞いという形で行う。

 

 藤宮に伝わる儀式魔術『大祭』がはじまったのだ。

 

 

 

 

 篝火に照らされた祭場。

 黄金拵えの太刀を右手で振るえば音も無く空気が斬り裂かれ、左手の鈴がしゃらりと美しい音色を響かせる。

 

 少年の足取りはいささかの迷いもふらつきもない。

 しっかりと祭場を踏みしめて流れるように舞い続ける。その動きは幼い少年のものとはとても思えない。修行を重ねた巫女にも見劣りしないだろう。

 

 周囲の大人たちの目から見ても、立派な『大祭の巫女』の姿であった。

 

 少年は思う。

 これくらい出来ないと母さんが馬鹿にされる。父さんが悪く言われる。

 

 最強の剣士と信じる母に肉体を鍛えられ、同じく最強の魔術師と信じる父に魔術の手ほどきを受け、この一ヶ月はこの『大祭』のための訓練に明け暮れた。

 

 母との剣の修行は無駄などではない。

 父との修行を無駄になどしていない。

 

 僕は今日、父と母がけして間違っていなかったことを証明する。

 僕は出来損ないじゃない。僕は落ちこぼれでも怠け者でもない。

 

 父と母に育てられた僕が『そんなもの』のはずがない。

 

 少年の想いは決意となりその強い意志が身体を動かす。

 純粋に父と母を想い。ただその想いに応えようと舞う姿は息を止めるほどに美しかった。

 

 純粋な想いは美しい。

 純粋な想いを抱くその魂は人を惹きつける。人を魅了する。場合によってはその輝きは神々さえも虜にする。

 

 父と母の愛を信じ、父と母への愛をもって舞う少年は胸を衝くほどに美しかった。

 

 

 

 目を見張る一族の大人たち。そんな大人たちをちらりと視界におさめて司はかすかに笑みを浮かべる。

 

 これが母が鍛えた僕だ。他家の剣術であってもそれのおかげで僕は強くなった。

 そう思いっきり自慢してやりたい思いで胸が一杯になる。『大祭』が終わったら自慢してやろうと決めて今は儀式魔術に集中する。

 

 実際に母の苛烈な修行のおかげで司は同年代の子供とはあきらかにレベルの違う運動能力と体力を持っている。

 普通の子供ならふらふらになりながら務めるだろう『大祭の舞い』も司にとっては軽いものだ。

 

 太刀を持つ手にも不安を感じさせない。自然にそして軽やかに振るう。

 

 その太刀筋に剣術の心得のない者たちも感嘆の声をもらす。

 心得のある者はむしろ度肝を抜かれる思いだ。なにしろ司の太刀筋は子供のものとはとても思えないほど美しく自然だった。もし実戦で刀を取ればどれほどのものになるだろうとつい想像してしまう。

 

 少なくとも同年代の子供では相手にならないだろうと結論を下し、改めて司の舞いを見つめる。どこまでの実力を身につけているのか、どこまでの才があるのかと胸を高鳴らせながら。

 

 そして魔術の修行も怠けていたわけではない。

 司は才能があった。大人たちが思うよりもさらに恵まれた才能があったのだ。

 

 司は自分の才に驕ってはいなかった。だから自分に合う修行方法を父から聞き出して独自に修行した。

 

 だから他の人と一緒に修行する気になれなかった。一人でやった方がはるかに上達できたから。

 

 父さんと母さんはなにも間違っていない。

 だって僕はこんなに強くなった。こんなに上手く魔力を扱える。

 

 司は父と母の正しさの証明のために舞い続ける。

 儀式魔術により集まってくる魔力を司の舞いは見事に制御して安定させ、さらに増やしていく。

 

 これなら問題ない。

 

 司はこの時点で成功を確信した。

 このくらいのことならば自分ならば問題なく出来る。

 

 一層笑みを深めて左手の鈴を鳴らす。

 これでみんな父と母が正しいと認めてくれるだろうと確信して。父と母の愛と信頼に応えられることを喜びながら。

 

 左手の鈴がその清らかな音色を響かせ大人たちは巫女に魅入られていたことに気がついて我に返る。

 

 司の動きに合わせて周囲の魔力が練り込まれていく。そして祭られた巨石と共鳴してさらに魔力を高めていく。

 その様子を一族に連なる大人たちがじっと見つめている。

 

「見事……」

 

 誰かが呟いた。

 そしてそれに肯く者が幾人もいた。

 

 中には涙を浮かべて司の姿を見つめる者もいた。

 

 あの子もやはり藤宮の血を引く子なのだ。

 一族を統べる家に生まれた子供なのだと。

 

 確かに嫡男の教育方針に問題があるのではと司の父親に苦言を言った者はいた。甘やかしすぎているのではと愚痴を言った者もいた。

 

 藤宮の魔術よりも実家の剣術を熱心に仕込む司の母の態度に憤った者もいた。ここは藤宮だ。神鳴流を伝える青山ではないと。司は藤宮の嫡男であって青山の子ではないのだと。

 

 母の教える剣術に熱中して藤宮の魔術に興味を示さないように見える司に落胆した者もいた。

 

 それでも彼らは藤宮の一族だった。そして司を一族の子として認め愛していた。

 

 当主である司の父の力量と人格を認めていた。彼が選んだ妻である司の母が優れた剣士であり愛情の深い母であることも認めていた。

 

 その子が才を磨かず。才を芽吹かせる事無く潰えることこそ一族の者はもっとも危惧していた。

 

 だから予想外の成長と溢れる才を披露した司の姿にまるで我が子の晴れ舞台を見たように皆喜んだ。

 

 

 

 

 司は舞う。

 無邪気な笑みすら浮かべて。

 まるで別の世界にあるかのように。別の世界を見るように。別の世界に踏み入れるように。

 

 莫大な魔力を顔色一つ変えずにまとめあげていく。一族の期待を一身に浴びて『大祭の巫女』を務める。

 

 祭場の魔力はいよいよ高まり、ほぼ成功間違いなしと大人たちが安堵したとき一発の銃声が響いた。

 

 司の表情が変わった。

 まるで夢から覚めたような呆気にとられた表情で自分の肩を見る。

 

「……なんで?」

 

 司は理解出来なかった。

 なぜ自分は銃などに身体を撃ち抜かれたのだろう? この大事なときに。

 

 いまだ未熟な子供でありながら自分の状況を一瞬で理解出来たのは実戦さながらの母の修行のおかげだろう。

 

 それでもわからない。

 なぜこの大事なときに、自分はたかが銃に撃たれているなんて間抜けなことをしているのだ?

 

 理解出来ない。わからない。わかりたくない。自分は知らない。こんな事はありえない。

 司が混乱すると同時に制御されていた魔力の手綱が緩み暴れはじめる。

 

 銃弾は司の右肩を貫通していた。

 傷口から血が流れだして白い衣装を赤く染めていく。右手の握力が失われ太刀を取り落とす。膝から力が抜け、巫女は初めて姿勢を崩した。

 

 周囲は騒然とした。

 警備担当の術者が素早く動き出して不埒な妨害者を排除に向かい『大祭』を補佐する術者たちが巫女を失った儀式魔術が暴走するのを押さえるために補助に入る。

 

 そのとき誰にとっても予想外なことが起きた。

 

 わずか十歳の少年が一瞬ぎゅっと目を閉じ、再び目を開いたときにはその瞳には烈火の気迫が宿っていた。あまりの気迫に周囲の大人たちが一瞬目を疑ったほどだ。

 

 ゆるせない。認めない。こんな事はあってはいけない。

 

 司を、その幼い身体を動かしたのは圧倒的な怒りとそれに匹敵する誇りだ。

 

 怒りは理不尽と戦う闘志となり身体に力をみなぎらせる。その瞳は大人しい少年のそれではなく戦場で勝利を求める戦士の眼光に近いものだった。その苛烈な瞳が祭場をそして一族の守り神たる『大神』の巨石を睨みつける。

 

 怒り。

 目の前にあった。すぐそこにあった。手を延ばすまでもなく自分の元へ来たはずの幸せを壊した。

 

 もう少しですべてが上手くいくはずだった。

 自分が『悪い子』だったために周囲から批判された両親。

 今回のことが何事もなく成功すればきっと両親も一族から認められて褒められただろう。

 そして自分は『いい子』になれたはずだったのだ。

 

 それを失敗した。その機会を失った。許せるわけがない。認められるはずもない。

 

 許せないのも認められないのもこの銃を撃った襲撃者ではない。

 たかが銃も避けられなかった自分自身(・・・・・・・・・・・・・・・・・)だ。

 

 司は母からこう教わっている。

 

「神鳴流に銃など通用しない」

 

 それは優れた動体視力と並外れた運動能力。そして歴史のなかで磨かれた剣技の前にたかがまっすぐ飛んでくるだけの鉛玉が当たるわけがないという。神鳴流を伝える青山家の常識であり、誇りだ。

 

 もちろんそれは修行を重ねた一人前の神鳴流剣士の話だ。

 

 母から修行を受けているとはいえまだ十歳の司に当てはめるのは少々酷な話ではある。

 ましてや真正面から撃たれたわけではない。儀式魔術に集中しているところを背後から撃たれたのだ。

 

 他のことに極限まで集中している状態からの死角からの不意打ち。神鳴流剣士でも一流と言われる達人たちならなんとかするかもしれないが、あるいは不覚を取る事もありえるかもしれない条件だ。

 

 それでも司は怒った。

 これでは司の母は嘘をついたことになる。司自身が母の言葉を嘘にしてしまった。

 神鳴流剣士の教えを受けた自分がただの銃弾を、それももっとも大事な場面で身に受けた。

 

 それは許せることではない。

 このまま無様に倒れて、大事な『大祭』を失敗させたら自分は『悪い子』のままだ。父と母は『悪い子』の両親のままだ。司はひたむきにそう思い込んだ。

 

 認められるはずがない。

 

 許せるはずがない。

 

 これは自分の油断だ。儀式魔術の成功を確信し驕った自分への罰だ。

 断じて母の教えが間違っていたわけではない。

 

 それを証明する。

 

 自分が未熟だった。油断した。驕った。なにより自分は『悪い子』だった。

 

 けれどそれでも証明してみせる。

 

 母の修行は間違っていない。それを認めた父も間違ってなどいない。

 

 崩れかけた足を祭場に叩きつけるようにして姿勢を正す。

 太刀を地に落とし、動かない右手にも銃撃を受けた肩にもかまうことなく司は再び祭場を踏みしめ舞い始める。

 

 ぽたりぽたりと紅い雫が祭場を汚す。白い巫女の正装が血を吸って紅く染まる。

 

 それでもしゃらりしゃらりと鈴の音が響く。鳴り響く。

 

 先ほどまでの優雅でどこか女性すら感じさせた舞が一変していた。

 その足取りは力強く、振るう鈴の音はまるであらゆる敵を討ち払うかのように激しく鳴り響く。

 

 噛みしめるように引き締められた唇。そしてその瞳には不屈を体現したかのような強烈な意志。

 

 けして負けてはならない。

 

 けして失敗してはならない。

 

 この場面において、例え命を燃やし尽くしてでも成功させなければならない。

 

 母は正しいのだ。

 母の修行のおかげで自分はまだ立っている。

 

 父は正しいのだ。

 父の教えてくれた修行を続けた自分はこの状況でもしっかりと儀式魔術を制御している。

 

 僕はその証明のために。

 例え死んでも成さなければならない。

 

 僕が『悪い子』であったとしてもそれは僕がいけないからだ。

 母のせいではない。父のせいではない。

 

 一族のみんなもきっと認めてくれる。

『大祭』は一族の重大な儀式魔術だ。それを成功させればきっと認めてもらえる。

 

 ただ純粋に、そして一途に司はそう思い込み。激情を力に変えて舞い続けた。

 

 

 

 

 司は不思議な感覚に包まれていた。

 頭がとても澄んでいて自分のことも周囲のこともなにもかも見通せる気がした。

 

 おそらく血管を撃ち抜かれている。出血もひどい。時間をかければ命を落とすかもしれない。いやそれ以前に出血が多くなれば動けなくなってしまう。巫女が倒れれば儀式魔術が失敗する。

 

 右腕に力が入らない。動かせないと判断して足下に落とした太刀のことは意識から閉め出した。拾っている余裕もなければ拾うための腕が動かない。

 

 身体が重い。肩が耐えがたいほど熱い。動くたびに激痛が走る。

 

 いくら母に鍛えられたとは言っても司はまだ十歳の子供だ。身体のできあがった大人に比べればやはり劣る。この負傷は司が耐えうる限界を超えていた。そのまま力なく倒れ込み身動き一つとれなくても仕方がないほどに。

 

 それでも司は舞っていた。

 烈火の気迫を周囲に振りまきながら儀式魔術を持ち直させた。

 

 体力はすでに限界。意志の力だけで動いているように周囲には見えた。

 

 それはもう大人たちに教えられた舞の型ではなかった。

 それでも巫女は流れる血など無視し身体を苛む激痛にもひるむことなく舞い続ける。

 

 それはまさしく戦士の舞いであると大人たちはその気迫を受けて感じていた。あの大人しい子がと司の豹変をいまだに信じられない思いで見つめる者もいた。

 

 不安定になりかけた祭場の魔力が急速に安定していく。

 周囲の視線が現当主である藤宮宗鉄に向いた。中止か続行かと。

 

 巫女の身体をいたわるならば中止すべきだ。あきらかに子供の耐えられる負傷ではない。だがその巫女は普段の彼を知るものからすれば信じられない気迫をもって舞い続けている。もしかしたら儀式終了までもたせられるかもしれない。

 

「続けよ」

 

 宗鉄は一言、無表情にそう宣言した。

 内心では止めたい。しかし息子のあの気迫を見れば止めたところで言うことを聞くか自信が無い。

 

 追い詰めてしまったかと悔やむ。

 普通なら中止して当然の負傷を受けてなお『大祭』を成功させなければならないと幼い息子が思い詰めるほど自分は息子を追い詰めてしまったのか。

 

 この儀式は司の命を捨ててまで成功させる意味がない。なにしろやり直しがきくのだ。司の傷が癒えてから再度行ってもいいのだ。

 

 しかし当の本人が中断されることを拒むように舞い続けている。

 痛いだろうに苦しいだろうに。涙一つこぼさず泣き言など口にも出さずにただ自らの役目を、藤宮の『義務と責任』を果たそうと儀式魔術を続けている。

 

 警備担当者はすでに狙撃手を捕らえると周辺の警備を強化する。

 補助の術士は少しでも巫女の負担を軽くすべく祭場の魔力を整える。

 

 反論はなかった。

 銃弾を受けてなお巫女の役目を果たすと立つ幼子の気迫に圧倒され、反論の声さえ出せずにいた。その姿に感動さえした。

 

 まさに藤宮の直系。藤宮の跡取り。

 

 一族の者はなんとしても愛しい一族の子の願いを叶えようと可能な限りの助力をはじめる。

 

 口惜しいのは儀式魔術の最中である司に治癒の魔術を使えないことだった。そんなことをすれば複数の魔術が競合を起こし儀式魔術が崩壊しかねない。

 治癒を得意とする術者がいつでも司を治療出来るようにそばに控えることしかできない。

 

 鈴の音が鳴り響く。

 

 しゃらん。

 しゃらん。

 しゃらん。

 

 司はいまだに舞い続けていた。すでに体力は限界に近く、出血も危険なほどであるはずなのに。

 

 足さばきと左手一本で舞い続ける少年の鈴の音。

 その強烈な意志は『大祭』の失敗を許さず。集められた魔力を制御するとまとめあげていく。

 

 父が難しい顔をしてこちらを見ていることに司は少しだけ困った。

 父は無愛想でわかりにくいが実は感情豊かだ。今も自分を心配していつでも助けられるようにと焦れている。

 

 ふと視界に入った祭場の隅に見知った顔が数人待機している。彼らは治癒術に優れた術者のはずだ。おそらく父の指示かあるいは命じられるまでもなく動いたのだろう。

 自分が倒れるか、儀式が終了したら即座に治療出来るようにと。

 

 ああ、こんなに心配をかけてやっぱり僕は『悪い子』なんだ。

 僕は結局『いい子』になれない。司は胸に冷たい空気が差し込んだような空虚さを感じて泣きだしたい気分になった。

 

 母の言葉を嘘にした。

 父に心配をかけた。

 一族の人たちも心配そうにこちらを見つめている。『大祭』が成功するかどうかではなく、自分を心配しているのだと何故か理解出来た。

 

 この場にいる自分以外の大人は『大祭』を失敗させてもいいとまで考えてくれていることもなぜか理解出来た。

 一族の子を失うくらいなら『大祭』を失敗させてでも救い出そうと決意しているのだと。

 

 何故か今までわからなかったことも理解出来る。不思議な万能感にも似たなにかが司を満たしていた。

 

 大丈夫とみんなに笑いかける。

 

『大祭』は成功させてみせる。

 それだけはけして譲れない。これで失敗するなんて認められない。許せない。ありえない。

 

 そう今なら『大祭』なんて簡単に成功するはずだ。理由なく司はそう理解していた。

 

 なにかの声が聞こえる気がするが司は無視した。

 いまは『大祭』を成功させることが重要なのだ。それ以外などたいした問題ではない。

 

 祭場の魔力が収束していく。まるで世界中の魔力を集めたと錯覚しそうな程の強力な魔力がその場に満ちる。

 そしてそれは藤宮が祭る巨石へと吸い込まれていった。

 

 魔力を集め、収束し、『大神』を祭る巨石に捧げる。

 簡単にいえばこれが藤宮一族の『大祭』である。

 

 言葉にすれば簡単だが、莫大な魔力を集めてそれを制御しきるのはかなりの難事だ。だからこその儀式魔術であり補佐をする大人たちがいる。

 

 仮に失敗しても司の将来に傷がつくことはなかっただろう。負傷した身で行えるほど巫女の役目は容易くないのだ。

 それが負傷してなお司は『大祭』を成功させた。周囲の一族の者たちが司を見る目が一変したと言っていい。

 

 子供のわがままと思っていた剣術は確実に司の血肉になっていた。あれほどの精神力と気迫。いったい司に剣を教えた宗鉄の妻はどれほど厳しい修行を息子につけたのか。

 

 魔力の制御も見事の一言だ。とても魔術の修行をさぼっていた者とは思えない。おそらく人目につかないところでしっかりと基礎の修行はしていたのだろうと皆考えた。

 

 司は将来よい術者に、そして立派な当主になり得る。

 一族の者はそれを喜び、自然気も緩んだ。

 

 

 

 

『大祭』の成功を確認した司はこれで終われると安堵した。

 周囲を見てもみんな喜んでくれている。これなら僕はきっと良いことをしたのだと。

 

 ふいに意識が薄れていく。身体から力が抜け落ちていく。

 そして司は藤宮の『義務と責任』をやりとげた満足感を抱いて意識を失った。

 

 

 

 そのとき再び思いもかけないことが起こった。

 

『大祭』は無事終わったと思い周囲の人間が安堵した瞬間。

 巨石から巨大な魔力が放たれ、巫女たる少年を包み込んだのだ。

 

 大人たちは驚きつつも動き出した。

 大人たちは『大祭』の魔力が術者たる巫女に逆流したと考えた。

 

 珍しい現象ではある。滅多にない話だ。だが十分にありえると一族の者は知っていることだ。

 

 失敗した『大祭』の儀式魔術により『大神』の魔力の一部が暴走して術者を襲う。可能性としてはある。だが滅多に起こらない。よほどひどい失敗をしない限りは起こりえない事態だ。

 

 そしてその場合。莫大な魔力にあてられた術者は命の危機さえあるだろう。

 

 一族の幼子を。藤宮の後継者を救うために全員がかりで『大神』を鎮めるべく決死の覚悟で術を使う。

 

 しかし手応えがない。

 

 儀式魔術が暴走したにしてはまるで手応えがない。

 巨大な落石を受け止める気でいたら小石すら降ってこないような肩すかしを食らって大人たちは困惑した。

 

 そうしている間にも巫女は巨大な魔力に包まれて意識を失っていた。

 しかしこれは暴走しているというよりも……。

 

 

 

 

 司の意識に語りかけてくる声があった。

 それは穏やかで優しそうでどこか悪戯っぽい稚気を感じさせる女性の声だった。

 

『本当におもしろい子だね君は。まさかその幼さで『気と魔力の合一』を実現させるとは思わなかったよ。死にかけで生存本能がリミッターを外していたけれどそれでも普通無理だと思うんだけどな。気で身体を強化しながら魔術を行使する『気と魔力の多目的同時利用』なんてさ。そんなこと出来る人間なんて現在ではたぶんいないよ』

 

 興味深そうにこちらを覗き込むような空気を感じて司の意識は不思議に感じた。この人は誰だろうと。

 

『君は本当におもしろい。君ならばこのつまらない世界も変えてしまえるかもしれない。『偽りの英雄』など飛び越えて『道化』などものともせずに救いを望みながら救われずに暴走した哀れな『亡霊』をも救えるかもしれない』

 

 偽りの英雄。道化。救われなかった亡霊。

 

 よく理解出来ないなりにいくつかの単語が印象に残り司は戸惑う。たぶん女の人だと思うけど彼女はなにを言っているのだろう。

 

『うん決めた! 君こそが真の英雄。この世界のヒーローだ! この雫さんが力を貸してやろうじゃないか! 赤毛の馬鹿親子なんてぶっ飛ばして君が世界を救うのだ! そうそれがいいよ! だってあいつら馬鹿だもん。悪役ぶっ飛ばして世界救ったと自己満足しながら実際なにも出来なかったし、それの後始末を息子に押しつけて息子の方も馬鹿だから一度は拒否した案で革命起こして世界に紛争と混乱をばらまいたあげく戦争を引き起こすし、なにが『世界を救った英雄』だか、ホント笑わせるよね! おまけにわたしのおうちまで破壊してくれたからこうして過去っぽいところに逃げ出すはめになるしさ! あいつらは結局自分のやりたいように気にくわない奴をぶっ飛ばして世界を弄くり回しただけだよ! とんだ疫病神さ! いっそ『亡霊』に魔法世界を綺麗さっぱり救ってもらった方がよほど平和だったろうにさ!』

 

 やけにテンションが高く、子供のようにはしゃいだかと思えばよほど鬱憤でもたまっているのかぐちぐちと文句を連ねる。

 司には何が何だかわからない。

 

 当然だ。彼女は司のまだ知らない異世界と未来について語っているのだから。彼女の言葉を借りれば『未来っぽいところ』から彼女は来ている。その彼女の語る英雄は地球では無名の人物であり、その息子は現在はまだ幼児だ。司が知るわけがない。

 

『君なら素質もばっちりだし魂もあの馬鹿親子なんか目じゃない。そのうえ雫さんが力を貸せば世界の一つや二つ救えるさ! 君は君の思うままに生きればきっと勝手に世界が救われているよ(・・・・・・・・・・・・・・・・)! だって君は……』

 

 ――藤宮の大神たるわたしが選んだ御子なのだからね!――。

 

 

 

 

「……もしや『大神』がこの子を守っているのか?」

 

 宗鉄はそうつぶやくと改めて正体不明の魔力を観察する。

 

 強力な魔力に包まれている息子の姿は少なくとも害を加えられているようには見えない。むしろ守られているようにしか思えない。

 魔力も敵意や害意を感じずむしろ暖かな慈しみすら感じる。

 

『大神』の魔力が暴走する気配がない。

 ならば『大祭』は無事成功したのだろう。

 

 では、あれはなにか?

 

 脳裏にひらめくものがあった。

『大神に愛された者』

 そう呼ばれた過去の達人たち。

 

『大神』の加護を受けたといわれる歴代の達人たち。

 

 宗鉄は周囲の制止を振り切って『大祭』をやりきった息子のもとへ向かう。

 巨大な魔力に包まれて宙に浮かぶ息子の前に立つと息子の様子を見る。

 

 まるで安らかに眠っているようだった。『大祭』の疲労も負傷の痛みも、ましてや巨大な魔力に襲われ食われている様子もない。

 

 まさかと思って息子の右肩を見ると怪我が傷跡もなく癒されていた。

 そして息子を包む魔力も暴走しているというよりも息子を大事に守っているように感じられた。

 

「『大神』の加護でも受けたか……」

 

 手を差しのべて小さな息子の身体を受け止め抱きしめる。

 すると魔力はそれを見届けたかのように消え去った。

 

「当主! ご無事ですか!?」

「なんという無茶をなさるのです!?」

「うろたえるな」

 

 騒ぎ出す周囲を煩わしそうに静める。

 

「あれは『大祭』の……儀式魔術の暴走ではない」

「では、いったいあれは?」

「どうやら息子は『大神』に気に入られたらしい」

 

 当主の言葉に周囲はなにをいっているのかという顔をしたがやがて気がついた。

 

「まさか……加護を受けられたのですか?」

「そうとしか思えまい。ほれ、銃撃された傷もふさがっておる」

 

 血を流しながら舞ったにしては血色の良い少年の顔色を。右肩の傷が綺麗にふさがっているのを。最後に巫女をつとめた少年の魔力を感じて周囲は感嘆の声をあげた。

 

「これは、若様の魔力が以前に比べて格段に大きくなっておりますな」

「ああ、過去に前例もある。『大祭』の巫女が『大神』の加護を受け、その後偉大な術者になったという。まさか我が子がそうなるとは思わなかった」

 

 普段は人前ではいかめしい表情を崩さない宗鉄が表情を綻ばせる。周囲の一族の者たちもおそらくはそうだろうと納得しながらも慎重論をのべた。

 

「いやいや、まだ決めつけるのは早いですぞ。ことは藤宮一族の重大事。もう少し様子を見てからの方がよろしいでしょう」

 

 それほど『大神』の加護を受けたという事実は一族の者にとっては重い。軽々しく事実と認めるのは危険である。

 

 もし誤りであったら司に『大神』の加護を受けたと詐称させたことになってしまう。

 この子の将来を考えれば少なくとも周囲の者が納得できるだけのなにかがはっきりするまでは秘するべきだった。

 

 周囲の忠告に宗鉄も冷静さをとりもどした。

 純粋に一族の当主として、そして親として『大神』の加護を得た息子の将来を期待して喜んでしまったがただ無責任に喜べることでもない。

 いつものいかめしいしかめっ面に戻った宗鉄はとりつくろうように言い訳を口にした。

 

「そうだな……あるいは怪我をしてなお舞う巫女を哀れんで怪我を癒してくれただけかもしれん。魔力に関しても逆境で儀式魔術をおこなったことで増大した可能性もある」

「我らが大神は伝承では人情味のある方らしいですからな、多いにありえましょう」

 

 周囲の者は『そういうことにしてとりつくろえ』という事だと察して話に乗った。

 

 この子が『大神の加護を得た者』として誰にも非難されないほどの実力や実績を持つまでは『大神』の慈悲を受けたとしておいた方がよい。その方が周囲に与える印象ははるかに軽くなる。

 

 事実はこの子がそれにふさわしい実力を得たときに『実はあの子は』と公表すればよいのだ。場合によっては一生秘したままでもいい。

 

 神の加護を得た人間という称号など他の魔術組織から狙われる可能性をあげるだけなのだから。

 

 危険ばかり増え、その肩書きを利用しようとする輩ばかり寄りつくのが簡単に予想できる。苦労ばかりさせるようなものだ。

 

 それに実際に一族の歴史書をひもとけば『大神』が哀れな境遇の人間を哀れんで施しを与えたり、その力を貸し与えたりという逸話は多い。

 

 この地に移り住んだ賊の退治に力と知恵を貸したり、日照り続きで作物が育たなかったときは雨を呼び、病に苦しんでいたときは病に効く温泉を掘り当ててそれを民衆に与えたり、伝承ではこの地の人々を愛し慈しむ慈悲深い神だと伝えられている。

 

「どちらにせよ。今日は我が子の成長が見られた。それだけでも喜ばしいことだ」

「確かに、今日の若様は見事なお振る舞いでしたな」

 

 負傷をしながらも『大祭』を最後までやりとげた胆力と魔力制御の技術。

 ここにいる大人たちのなかで司の資質を疑う者はもういないだろう。

 

「できれば今後は魔術の修行にも熱心になられると申し分ないですな」

 

 一族の年寄りが『あれだけの才能を磨かないのは惜しい』と首を振る。

 本当に見事な才能なのだ。剣術に注ぐ情熱の半分も魔術に向ければきっと大成するだろう。

 

「それは私から言い聞かせよう。あれほどの才があるのだ。鍛えれば必ずものになるだろう」

 

 抱きしめた息子の身体の小ささ、腕にかかる軽さに少しだけ顔がほころぶ。

 この息子はこの小さい身体であの『大祭』をやりきったのだ。

 周囲の反対を押し切ってまで強行した甲斐があった。これを機会に息子が藤宮の跡取りという立場を理解して精神的に成長してくれればと願う。

 

 結果は期待以上だったのだ。

 補佐があれば『大祭』を乗り切れる才能はあると考えていたがほとんど独力でなしとげかけ、妨害により負傷してもなお諦める事なくやりとげて見せた。さすがに負傷後は周囲の大人たちが手を貸したが、さすがにそれは仕方がないだろう。

 

 修行を嫌がっていたが今日の『大祭』を見る限り魔力制御の技術はすでに一流に手が届きかねないほどだろう。おそらくは剣術の修行で精神力が鍛えられたことと後はおそらくこっそり修行していたのかもしれない。

 

 銃撃を受けてもひるまないなど胆力も申し分ない。

 あるいはそれも剣術の修行で磨かれた胆力かもしれない。

 

 なにしろ息子の剣術の師である妻はあの神鳴流を伝える青山家の出身だ。

 最強の一角に数えられた女傑の修行なのだ。生半可な修行ではない。

 その妻をして年齢を考えれば優秀だと褒めるほどだ。青山の家にも同年代で司以上の才のある者は少ないだろうと。

 

「本当によくやった。司」

 

 腕の中で眠るまだ小さな息子に微笑みかけた。

 

 この小さな身体が自分よりも大きく育つ頃にはいったいどれほどの人物に育っているのだろうか。

 

 息子の将来に期待し、その将来性を信じて幸福に浸る父親の姿がそこにあった。

 

 だが宗鉄はすぐに現実に気がついて全身に冷や水を浴びる羽目になる。

 

 それは息子の司が、関西呪術協会の姫である近衛木乃香とならぶ『極東最大の魔力保持者』と世界中に認定されたと知ったときであった。

 

 

 

 

 藤宮司は十歳の幼さで一族の一大行事たる『大祭』の巫女をやり遂げた。

 その件で元から大きかった魔力保有量がさらに増加して、関東最大の魔力保有者と呼ばれ、関西の近衛木乃香に並ぶ者と呼ばれた。

 

 父と母、一族に温かく見守られながらも厳しく鍛えられた司は『極東最大の魔力保持者』の名声に恥じない実力を身につけ、まだ幼く未熟であってもけして魔力だけの張りぼてではない実力者に育った。

 

 そして地元の小学校を卒業し、司は麻帆良学園に招かれる。

 麻帆良学園中等部の新入生として。

 



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第一話 麻帆良の出会い

「はぁ~、大きいねぇ」

 

 麻帆良学園の名物『世界樹』を見上げて、藤宮司は感嘆の声をあげる。

 

 男性にしては長く伸ばされた黒髪を肩の辺りでくくっている。女性が見れば羨むような癖のない美しい髪質は昔から女子の羨望と嫉妬の的だった。

 

 同年代の男子と比べると若干小柄で華奢な印象を受ける。

 おまけに美人と評判の母親によく似た優しげで穏やかな顔立ちとどことなく気品あるたたずまいは男と主張しても疑われるレベルに達していた。

 

 男子校の制服を着ていても無理をして男装する少女にしか見えない少年は世界樹広場と呼ばれる公園のような場所で呆れるような大きさの巨木を見上げていた。

 

 その口調には呆れという微粒子が多分に混じっていることに気がつく者もいるだろうか。

 表情はいかにも絶景を楽しむ観光者のような楽しげな笑顔。その裏で司は麻帆良の魔法使いの神経の図太さに呆れていた。

 

 よく晴れた青空に向かって雄々しくそびえ立つ大樹はその姿の雄大さもさることながら内包する強大な魔力に目を見張る。それを感じるのに熟練の魔術師である必要がないほどに。これなら年の若い見習いでさえ気がつくだろう。

 

 この大樹『世界樹』の内包する魔力は藤宮一族の護る『大神』の巨石にも劣らない。

 

「あれかな。ここまで大きいと隠すのも無理だからいっそ堂々と見せてしまえという開き直りかな」

 

 呆れつつ推察する。たぶん正解だという確信じみた直感があった。

 というかそれぐらいしか理由が思いつかない。普通に魔法で隠そうとしてたぶん隠せなかったのだろう。巨大すぎるし強力すぎる。おまけに人がすぐ近くに多くいる。

 

 昔はこの大樹を守る一族もいたらしいがすでに絶えてしまったらしい。

 その一族が廃れたから西洋魔法使いが来たのか、それとも西洋魔法使いがその一族からこの地を奪い取ったのか。それはわからないが。

 

 わかっているのは現在のあの大樹の管理者は関東魔法協会。つまりこの麻帆良の裏の支配者である西洋魔法使い達だということだ。

 

 関東魔法協会に反目する関東の魔術組織は彼らが歴史ある守護者たちを滅ぼして土地を奪った侵略者だと非難している。

 事実かどうか確認しようにもその一族は姿を消しており西洋魔法使いたちは自分たちこそがこの土地を治める正当な権利を持っていると主張している。

 

 事実確認しようにも西洋魔法使いがやってきたのは戦後の混乱期だ。どの組織も自分たちの土地を治めるのに精一杯で気がついたらここは西洋魔法使いの拠点になっていた。

 

 抗議しようにも正当なこの土地の守護者はどこにも居らず。他の魔術組織にこの土地の支配権があったわけでもない。西洋魔法使いが正当な手段で譲り受けたと主張している以上それ以上追求できるものでもない。

 

 そのような事情もあり関東の魔術組織の大半は彼らに対して非協力的だった。それらを交渉によって傘下に収め、敵対すれば攻め滅ぼし、やがては関東魔法協会は関東を支配する組織になったのだ。

 

 司の一族は敵対はしないが協会に参加もしないという中立的立場で独立している。

 それを押し通せるだけの力が藤宮にはあったから実力で中立を勝ち取ったのだ。もし力がなければ無理矢理傘下に入れられるか滅ぼされていただろうと一族の者から教わっている。

 

 そんな一歩間違えば敵対していてもおかしくない土地に藤宮の後継者候補の自分がいるというのが司にとっては実感がわかない。というよりもそんな実感欲しくないと切実に願う。

 一応友好を結んだ関係なので今は敵ではない。とも教わってはいる。

 

 ただし『今は』だ。

 

「それって過去敵対していたって事なんだよね……」

 

 実力で独立を勝ち取ったと誇らしげに語る一族の老人を思い浮かべる。

 

 実にいい笑顔だった。

 

 心底ざまあみやがれと思っているのがはっきり伝わってくるような笑顔だった。

 

 心もち重苦しく感じるお腹を撫でる。

 

 藤宮一族は一戦して西洋魔法使いを追い払ったのだ。

 その後敵対するには厄介だと協会は藤宮一族の独立性を尊重した。

 

 同じように独立性を守った魔術組織が現在にも関東の有名どころだけで十数件ある。いずれも歴史と力のある一族だ。

 西洋魔法使いたちも無下にはできずにそれなりに礼節をもって接している。

 

 それでも彼らにしてみれば関東は自分たちの支配圏だという意識が強い。関東魔法協会を名乗っているのだから当然だろう。

 

 藤宮一族や他の魔術組織に独立性を認めつつも自分たちに協力するのが筋だと主張している。

 そして魔術組織たちは一致団結して中立という名の不干渉を貫いている。敵対はしない。ただしこちらに干渉するな。というわけだ。

 

 その一族の後継者候補が何故かここにいる。しかも三年間彼らの支配下にある中学に通うのだ。

 自分が微妙な立場にあることを察して胃が痛い。

 

 例えるならばかつて戦争をしたことがある国に和睦したとはいえ小国の王子が留学するようなものだろう。しかも相手は大国ときている。

 控えめに見ても人質にしか思えない。友好の使者という意味もあるのだろうが。

 

「先生もなにを考えているんだか……」

 

 愚痴る。

 

 そもそも自分を呼んだのは自分に西洋魔法の基礎を教えた先生だ。

 

 正直なところ藤宮の魔術を使う司に西洋魔法は必要ない。それをいろいろと理屈をつけてわざわざ藤宮の地に出向いて西洋魔法の基礎を仕込んでいった。

 

 将来的に西洋魔法使いと日本の魔術師との架け橋になる事を期待されたらしい。

 そのためにはお互いを知るべきであるという交流の一環として司は西洋魔法を習うことになったのだが両者の友好と言われてもあまり興味がもてない。

 

 現在の状況が続いても藤宮一族はあまり困らない。おかげで西洋魔法の術式を藤宮の魔術に取り込めたのは収穫だったが。

 

 そんな司に今度は彼らの本拠地への留学話だ。どう見ても自陣営側に司を取り込もうという動きにしか見えない。

 

 だいぶもめたらしいが期限付で麻帆良の学校に通うだけならと最終的に一族が妥協した。引き替えにかなりの条件を関東魔法協会から引き出したらしい。

 

 外交取引で売り飛ばされた気がしなくもないのが悲しいところだ。

 けれど期限付の貸し出しであり返却は必ず行われる約束なのが救いだろう。これが無期限の譲渡だったら温厚な司でも暴れたと思う。

 

 だけど自分を麻帆良の学校に通わすだけにそんなたいそうな対価を払うわけがない。

 なにか理由があるのだ。そこまで譲歩して期間限定であっても自分の身柄を手元に置きたい理由が。

 

『極東最大の魔力保持者の一人』

『藤宮の後継者候補』

 

 自分の持つ価値は日本の裏の世界ではかなり上位にある。

 特に『極東最大の魔力保持者』の看板はかなり有名らしい。そんな自分を手元に置きたがる。なにか企んでいると考える方が自然だ。

 

 なにか思惑があるのは察しているがそれがわからないから余計精神的にお腹が痛くなる。

 

「三年間か……大丈夫かな」

 

 中学を卒業するまではまず離れられない。よほどのトラブルが、それも藤宮側が約束を反古に出来るレベルの失態を協会側がやらかさない限りは帰れない。

 

 そう思いつつ司としてはすでに気が重い。出来ればこのまま帰りたいほどに。

 入学初日からすでに実家が恋しくてたまらない。今なら自分を着せ替え人形と勘違いしている地元の女子たちに会っても心から笑顔になれる自信があった。

 

 

 

 

 入学式とその後のクラスでの自己紹介を無難にこなし、今現在の藤宮司は麻帆良見物の途中である。

 世界樹を眺めて自分が場違いなところに来たと痛感していたが、悩んでいても仕方がない。諦めて麻帆良見物を楽しんでいた。

 

 見るものすべてが目新しい麻帆良の中でもやはり世界樹は一際目を惹いた。

 あまりの堂々とした非常識っぷりから自分の現状の理不尽を思い起こして精神的な腹痛を発生させたりもしたし、軽いホームシックを患ったりしたが。

 

 学校帰りで制服姿のままの司はおのぼりさんのように麻帆良をぶらぶらしていた。

 

 麻帆良は司にとってなかなか興味深い場所だった。

 学園都市などと聞いていたから学校ばかり建ち並ぶ堅苦しい場所を想像していたが、これはもう立派な都市だ。

 

 しかもかなりの都会。

 

 区画整理された街並みが整然と並ぶ様はある意味美しかった。道路にはさまざまな車が絶えることなく走り、色とりどりの目を引く看板が街並みを飾っている。歩道にはたくさんの人たちが好き好きに歩いていた。

 

 放課後のため学校帰りの学生が多い。友人と連れだって歩く姿をよく見かけるが司のように一人街並みを見て歩いている者もいる。きっと司と同じように学生と言うよりは観光客と化してしまっている同類だろう。

 

 関東地方でもかなり辺鄙な田舎出身の司にしてみればこの都会の空気だけでも新鮮だった。たまに一族の『仕事』で遠出をしたことはあるがあまり都会に行く機会はなかった。

 なにしろ首都を含める関東地方のど真ん中が関東魔法協会の縄張りなのだ。藤宮の一族である司が『仕事』で足を踏み入れる機会などまずない。学業と修行に忙しかった司が用もなく都会に遊びに行く暇などもちろんなかった。

 

 そのようなわけで自分が都会をろくに知らない田舎者である自覚はあったので素直に麻帆良の最先端都会風景に感動していたりする。なんというか外国にでも来たように感じられる。それくらい異質で綺麗な街並みに思えた。

 

 都会の景色を楽しみながらも風が吹き抜け草木の奏でる旋律がないことを寂しく思う。それは自分が自然を身近に感じるタイプの魔術師だからだろうか、それともただ単に田舎の自然環境に慣れ親しんだせいだろうか。などとどうでもいいことを考えるのも楽しい。

 

 人混みに不慣れな司にすれば人の気配に当てられて酔ってしまいそうだった。

 そしてときおり周囲の視線が自分に向く。だがすぐに気にしないことにした。

 

 男のくせに髪が長い。

 男のくせに女みたいな顔をしている。

 女みたいな顔と髪をしているくせに男子生徒の制服を着ている。

 

 おまけに美人だ。

 

 母親によく似たため司は幼い頃から女の子と間違われてきた。

 そして女子のおもちゃにされる日常を過ごした。

 

 綺麗な髪でうらやましいといろいろな髪型にされる。

 演劇部に連行されて女物の衣装を着せられる。

 女子の集団特有のパワーに圧倒されて司は完全に女子たちのおもちゃ扱いだった。

 

 実際司は女子も羨むほどの美人に成長した。

 人目を惹く黒髪は艶やかでさらりと背中まで流されているのを首のところで軽くくくっている。その髪質は小学校時代に女子の羨望と嫉妬の的だった。いったいどんな秘訣があるのかと何度聞かれたかわからない。

 

 細く優しそうな印象を受ける眉。穏やかで理知的な雰囲気の瞳。柔らかそうな頬。唇も小さく健康的な紅さが目を惹く。特に手入れもしていないのに血色のいい薄紅色はまるでうっすらと口紅を引いているようにも見える。

 

 肩幅はあまりなく撫で肩ぎみでますます華奢に見える。

 そして幼い頃から厳しく躾けられたため姿勢が綺麗で、まるで良家のお嬢様のような雰囲気をただ歩くだけで醸し出していた。

 

 肌も白く、見ただけで滑らかなさわり心地を想像できそうなくらいだ。

 中性的な服を着ればごく自然に女性に見えるだろう。

 

 性格も穏やかでどちらかといえば内気な性分で日常の言動を目にしても彼から男性的イメージを得るのは困難だった。

 幼い頃から修行した武術や剣術の腕を披露してさえ『強くて格好いい女の子』という評価しかもらえなくてこっそり泣いたこともある。

 

 目立つ容姿をしていることは司自身承知しているため視線は気にならなかったがやはり女性と思われているのかと思うと内心忸怩たるものがある。これは何年経っても克服できそうにない。

 今は男子校の制服を着ているため外見と服装のギャップで余計悪目立ちしていた。

 

 司は見る者すべて目新しい都会な麻帆良散策を楽しみつつもやはり心は重かった。

 

 正直なところ観光だけして帰ったらだめかなと思えてならない。

 お店はいっぱいあるし、人はいっぱいいるし、都会に来たと思えば楽しいけれど。

 どうも裏の魔法関係に関わるのは気が重い。まさか本当に麻帆良の学校に通うだけでは済まないだろう。

 

「本当に先生もなにを考えているのだか……」

 

 西洋魔法を習った師のとらえどころのない態度を思い出して再び憂鬱になる。

 優秀な魔法使いで、優秀な師だった。

 だがどうにも正体不明でなにを考えているのかわからない人だった。そもそも藤宮の最有力の後継者候補に西洋魔法を教えようとわざわざねじ込んでくるのだから行動がぶっ飛んでいる。

 

「わしは山に住む仙人じゃ」

 

 そう自己紹介されたらきっと全力で納得できたかもしれない。

 そのくらい得体の知れない人だった。外見も内面も行動も。

 

 果たして司が麻帆良でまともな扱いを受けるのかさえ不安だ。向こうから見れば大事な客という解釈も出来るのだからそう無茶はしないと思いたい。

 

「まぁ、会ってみないとその辺はわからないか……決めつけはよくない、うん」

 

 外見だけ見てオカマと決めつけられれば自分だって気分が悪くなる。

 僕は女装趣味もなければオカマでもなく。ましてや同性愛好家でも実は男装した女子というオチもない。そう司は胸の内で呪詛に近いレベルの念を渦巻かせる。どれも過去に影ながら噂されたことである。

 

 せめて髪を切れば印象が違うのではないかと思ったこともあったが普通に髪を短くした女の子扱いされた。

 

 おまけに。

「なんだか髪が長かったときの方がまだ男の子に見えた」

 

 そう女子に言われたときには周囲の級友が言うには目が死んでいたらしい。そのまま屋上から飛び降りるか手首を切るかとずいぶん心配された。

 

 女子たちが言うには髪が長かったときは『女の子のような綺麗な男の子』という認識だったらしい。それが髪を短くしたら本気で『ちょっと男の子っぽくしている女の子』にしか見えないと断言された。

 

「髪を短くすると余計に女子にしか見えなくなるっていったいどういう理不尽なの?」

 

 そう尋ねる司から級友たちは一斉に目をそらせて返答を避けたものだ。

 もちろん良い思い出になどなるはずがない。全員呪ってやろうかとどす黒い感情を抑えるのに苦労した。いやいっそやってしまうべきだったのか? 案外すっきりしたかもしれない。

 

「……友情なんてないんだ」

 

 そう絶望したりもした。良い思い出どころかトラウマ体験に近い。よく人間不信に陥らなかったものだ。

 

 そして結局また髪を伸ばして周囲に「あー、こっちの方がまだ納得できる」と言われなにを納得できるのかと尋ねると。

 

「そもそも顔が可愛いけど。髪も綺麗だし長くしているから女の子に見えるんだなって思える。髪が短いと本気でなんでこいつ男なのとしか思えない」

 

 その瞬間周囲から一斉に『死ぬな! おまえは生きろ!』と絶対遵守の命令でもかけるかのように司が正気に戻るまで気合いの入ったその言葉がエンドレスで繰り返された。どうやら本気で死にそうな顔をしていたらしい。

 

 発言者の女子はいくらなんでもデリカシーに欠けると責められたらしく謝ってきた。

 けれど謝りはしたけれど発言を撤回はしなかった。むしろ『大丈夫! 可愛いは正義だよ!』と意味不明の励ましをもらった。

 

「ふふふ、どうせ僕は……大神様、僕に恨みでもあるんですか? それとも実は加護に見せかけた呪いですか?」

 

 なんとなくあの慈悲深いと言い伝えられている藤宮の守護神が今の司を眺めて指さして笑っている光景が目に浮かぶ。

 

 実は祟り神じゃないだろうな?

 

 一族の守護神に実際に会って話をした(・・・・・・・・・・)司はそう疑う。そのくらい伝承とかけ離れたはっちゃけた女だった。会ったのは司だけなので一族の者はいまだにあの頭のネジの緩んでいそうな女を慈悲深く心優しい守護神と信じている。

 

 事実をぶちまけたところで信じてもらえないだろう。そのくらい一族では大神を神格化して信仰さえしているのだ。

 

 虚ろな眼差しで空を見上げながらそう黄昏れている司を周囲の人間が自然に避けて通る。まるで見えない結界でもあるかのような避けっぷりだった。

 

 都会の人間の回避力すごいとちょっと感心した。田舎だと間違いなく声をかけられる。心配されるか邪魔だからどけと言われるか。確率は半々か。

 

 となにやら鋭い声が聞こえてきた。

 

「うるっさいわね! いい加減しつこいのよ!」

 

 なんだろう?

 

 野次馬根性で近づいていくと黒髪の綺麗な女の子を背後にかばいながら髪を頭の両脇で結んでいる元気のいい女の子が吠えていた。

 

 高校生ぐらいの三人の男たちに向かって歯を剥いている。

 黒髪の少女が後ろでその女の子を服を引っ張って止めようとしているが意に介さず男たちを睨みつけていた。

 

「あたしたちはあんたたちに用なんてないのよ! わかったら失せなさい!」

 

 度胸のある女の子だなぁと感心した。同年齢ぐらいだろうか。真新しい制服を見ると新入生に見えるがあいにく制服を見ただけでどこの学校かわかるほど司は麻帆良に詳しくない。同年齢ぐらいで新入生ならたぶん中学生だろうと思うが。

 

 体格で劣り人数で劣っているのに一歩も引かずに男たちを威嚇している。よほど気が強いのか、それとも実は腕に自信があるのか。少し判断がつかない。

 司の目から見て妙な二人組だった。正直一般人には見えない。

 

 けれどあれはどう見ても逆効果だろう。

 はじめはニヤニヤ余裕の笑みを浮かべていた男たちも年下の女の子にいいように怒鳴りつけられて次第に苛立ってきたのか目の色が変わってくる。

 

 どうもこの男たちがしつこく彼女たちにつきまとい。ついに女の子が怒ったという状況らしいと会話とも呼べない言葉のぶつけ合いから判断する。

 

 止めないとまずいかな?

 誰か止めてくれないかな?

 

 司は周囲を見てみたがどうも誰も止めそうもない。

 このまま見物しているには司は少々お人好しでお節介な性分だった。

 押しが弱く普段はぽけっとしていているくせに見て見ぬ振りは出来ない少年なのだ。そんなお人好しだから故郷で女子のおもちゃにされたのだが。

 

 しかたがないかと司は覚悟を決めた。

 先手必勝の法則に従って司は勢いよく助走すると綺麗なフォームで跳び蹴りをぶちかます。断じて自分のストレス解消の八つ当たりではないと自分に言い聞かせたが、ちょっとすっきりしたのは事実だった。

 

「ぐおっ!」

 

 司の跳び蹴りが少女に掴みかかろうとした男の側頭部に突き刺さる。

 見かけより破壊力のある蹴りを頭部に受けて先制攻撃を受けた男が目を回して倒れた。

 

「ええと、とりあえず女性に乱暴はいけませんよ?」

 

 無言で倒れ伏した仲間を見て呆然とする男たちに話しかける。

 

「おまえ……なに? なんなの?」

 

 本気でいぶかしんでいる様子だった。それはいきなり見知らぬ他人に仲間が跳び蹴りを食らえば不審にも感じるだろう。

 

 尋ねられて司も困った。

 はたして自分はこの場合どういう立場になるのだろう?

 念のため女の子に話しかけてみる。

 

「ええと、お邪魔でしたか?」

「うーん……まぁ、助かったのかしら?」

「ならついでに他のも追っ払いますか?」

「まぁ、出来たらお願いしたいけど。無理はしなくていいよ。私でもなんとかなると思うし、私たちのせいであなたが怪我しても困るし」

 

 元気のよい少女が困惑したように答える。

 とりあえず問題ないと判断する。今度は男の方へにっこりと微笑んだ。音を立てて男たちが後ろに下がる。とても怯えられているらしい。少し傷つく。

 

「えっと。とりあえずそっちの人を連れて帰ってもらえませんか? あと今度から女性に話しかけるときはもっと紳士的にした方がいいと思いますよ」

 

 司的には精一杯の好意的助言のつもりだ。司から見ると彼らの態度はガラが悪すぎる。そんな態度で話しかけられても女の子が怯えるか怒るだけだろう。仲良くなりたいのならもう少し紳士的に振る舞うべきだと思う。

 

「なめてんのかコラ!」

 

 やはりいきなり蹴り飛ばして穏便にお引き取り願うのは無理だったらしい。男たちが激昂して殴りかかってくる。

 

「短気だなぁ……」

 

 あまりの沸点の低さとそこから暴力へとつながる短絡さに呆れるが、本来司が言えることではない。先制攻撃を盛大にぶちかましたのは司の方である。彼らにしてみれば売られたケンカを買ったというつもりだろう。

 

 やはり先制攻撃はまずかったのだろうか? 判断を間違えたかもしれない。いろいろため込んでいたせいでつい即時殲滅の精神で攻撃してしまったがまずは話し合うべきだった。

 司は一瞬だけ反省した。だがすぐに母の教えたる『女性に優しく』の精神を拠り所にあきらかに女性を脅しつけていた彼らにも非があると精神的に立ち直る。

 

 殴りかかってきた男の拳を一歩踏み込むことで避け、側頭部に掌底による一撃を加える。

 たいした力も入っていないように見える一撃でくるりと男の目が白目をむいてひっくり返る。実は見かけよりかなり凶悪な一撃だったりする。

 

「ホントになんなんだよテメェは!」

 

 仲間二人がのされて最後の一人になった男が拳を握りしめて殴りかかってくる。その男の腕を取ると突進の勢いを利用して投げ飛ばした。

 背中からアスファルトに叩きつけられた男が口からよだれを垂れ流して悶絶する。

 

「あ、やりすぎたかな……だいじょうぶ?」

 

 ついいつもの感覚で投げてしまったが下は舗装されたアスファルト。しかも相手は受け身すら取らなかったということは完全な素人。

 あきらかにやりすぎたと思って声をかけたが。

 

 返事がない。意識すら失ったようだ。

 

「うん……」

 

 素人同然の相手とはいえ衆人環視の中で三対一、しかも護衛対象ありなら仕方なかったと思うことにしようと自分を納得させる。

 なにしろ護衛任務では護衛対象に怪我をさせたら失敗なのだ。敵は発見次第可能なら即時殲滅が司的に基本である。護衛対象から離れられないため逃げてくれるなら追いはしなかったのだが。

 

 司は基本的に格上に挑むことになれすぎていて格下相手の手加減というものは苦手なのだ。なにしろ剣術最強の母と藤宮屈指の槍使い相手に挑み続ける毎日だったのだから手加減よりも格上相手にいかに戦うかの方が上手くなるのは当然だ。

 

「すこしやりすぎじゃない? 助けてもらってなんだけどさ」

 

 髪を頭の両サイドでまとめている少女がどこか責めるような目でこちらを見る。

 両目の色が違う事に少し驚いたが顔には出さなかった。女の子は自分の容姿に関する話題に非常に敏感だ。それが修正不可能なものならなおさら。小学校のとき目元にほくろがあるのを気にしている女子もいた。彼女が滅多に見かけないオッドアイという特徴を気にしていないという確証はないのだから触れない方がいいだろう。

 

 黒髪の少女も地面で伸びている男たちに同情的な目を向けていた。彼女もやりすぎだと感じているのだろう。

 それでも精一杯、自己主張はするべきだ。例え内心「ヤバイやりすぎた」と後悔していてもここで沈黙するのは有罪の確定につながりかねない。

 

「基本的に手加減って苦手なんだけど、これでも手加減した方なんだよ?」

 

 言い訳にもなっていないが精一杯努力したとアピールする。二人の少女は微妙な顔をした。

 少女たちの目にはあきらかにやりすぎに見えたが助けてもらった手前非難しにくいし、なにより三対一だったのだ。半端に手加減していたら目の前の綺麗な少年が逆に殴り倒されていた可能性を考えるとますます非難できない。

 

「あんた武術とかやっているの?」

 

 ツインテールの少女が話題を変える。正直目の前の少年があまりにも強くて素人とは思えなかったのだ。

 

「実家が古流武術を伝える家柄なんだ」

 

 司はそう答える。

 嘘ではない。藤宮一族の表の看板の一つは『藤宮流古武術道場』だ。

 

 なので藤宮一族には魔術師は接近戦に弱いという常識が通用しない。特に西洋魔法使いは接近戦闘を軽視しているから非常に接近戦に弱い。なにしろ従者に守られなければろくに戦闘も出来ないようなのが大半だと聞いている。

 

 藤宮一族ではむしろ接近戦の方が強い連中がごろごろいる。ある意味西洋魔法使いからしたら相性の悪い敵だ。下手に戦争を続けるよりも中立でもいいから敵対しないでくれればいいやとも思うだろう。

 きっと過去の戦争もいざ尋常に魔法合戦と意気込んでいた西洋魔法使いを剣で斬り槍で突き拳で砕きと好き放題に暴れたに違いないのだ。

 

 加えて司は母から神鳴流剣術も教え込まれたので接近戦だけなら一族でも上位だろう。それでも一族最強の名は遠いのだ。あの人達は本当に人間なのだろうかと少しだけ疑問を感じる。人外認定したくなるほど藤宮の最強連中は本当に化け物揃いなのだ。

 

「だからそんなに強いのね」

「うん、それなりにだけどね」

 

 少し納得したようにツインテールの少女が感心する。その後ろで「そんなに強いんならもっと手加減できたんと違うか……?」と黒髪の少女が首をかしげているが聞こえないフリをした。

 

 基本的に一撃必殺。敵は即時殲滅が司の基本スタイルなのだ。

 手加減というものを習うような環境ではなかった。なにしろ強くならなければならない身だったのでとにかく稽古相手は格上だけだったのだから。

 

 しかも藤宮最強に名を連ねる化け物連中にしごかれながら生き残るのに手加減というものを学習する余地などない。

 そもそも彼らにだって手加減というものはあったのか? 死なないように気をつけてはいたらしいが生かさず殺さずのラインを見極めて徹底的に叩きのめすのを手加減とは言わない。きっとそれは別の言葉で表現されるなにかだ。

 

「明日菜、そんなことよりきちんとお礼いわへんと」

 

 後ろにいたストレートの黒髪をした少女がにこにこと話しかけてきた。とりあえず問答無用で男三人衆を叩きのめしたことは水に流して忘れることにしたらしい。

 自分たちに害はないし、というかむしろ助かったので非難する理由もないと言うことらしい。

 

「ほんまにありがとな。おかげでたすかったわ」

「うん、役に立ったならよかった」

 

 可愛い女の子にお礼をいわれて司はうれしくなった。まさか自分のストレス発散も兼ねていたなどという事実はなかったことにする……そんな記憶は抹消指定だ。

 

 正義の味方はストレス発散のために悪党を殴り飛ばしたりしないだろう。ここは正義の味方らしくあるべき場面だ。空気は読むべきだ。

 

 正直司は自分が正義の味方が似合うとはあまり思わない。基本的に『世界平和』よりも『自分と身内の幸福』な人だ。

 

 にっこり微笑むと少女たちも緊張が薄れたのか笑顔を浮かべた。心なしか黒髪ストレートの少女の頬が赤い。そしてツインテールの少女の口元が引きつっている。両者の内心は逆方向に向いていた。「ホントに綺麗な男の子やなぁ」と「こいつホントに男? ありえなくない?」である。司に対する初対面の反応としては極めてスタンダートなものだ。

 

「うちは近衛木乃香、こっちは明日菜や」

 

 近衛木乃香と名乗った少女が自己紹介する。

 ニコニコと微笑みながら司を見つめている。そしてなにやら納得したのか満面の笑みを浮かべた。女の子の格好させたら似合いそうだなんて本音を綺麗に隠して友好的に振る舞っている。

 もう一人の方は司の身体にちらちら視線を向けていた。本当は女の子じゃないかと疑っているらしい。

 

「僕は藤宮司」

「その制服、男子中等部やな? 新入生?」

「そうだよ」

「そんならうちらもや、ぴかぴかの一年生。女子中等部1-Aや」

「僕も1-Aだね」

「奇遇やなぁ」

「奇遇だねぇ」

「これで共学やったら運命感じてまうわぁ」

「残念なことに別の学校だねぇ」

 

 本当に残念な気がする。

 おっとりしていて優しそうでとても魅力的な少女だ。同じクラスだったらぜひお友達になりたい。きっと気も合う気がする。

 

 そう司が考えている少女が内心で司にはどんな衣装が似合うか妄想していることを知らない。知らない方がきっと幸せだろう。

 

「怪我はないかい? 明日菜君、木乃香ちゃん」

「高畑先生!」

 

 明日菜と呼ばれた少女が笑顔で手を振る。

 

「先生?」

 

 まずい現場に来られたかなと思うがいまさら逃げ出すわけにもいかない。

 ケンカの現場ととられてもこの子たちが証言してくれればそう悪い事態にはならないだろう。

 

 ……ならないといいなぁ。

 

 振り返ると髪を短く刈り込み、眼鏡をかけて無精髭を生やした教師らしき人物が歩いてきた。

 

 無駄に動作がダンディズムにあふれている。ただ歩いているだけなのに。

 片手をポケットに突っ込んで右手を友好的にこちらに振っている。

 

 全身から『僕は渋いおじさんだよ。格好いいだろ? 男ってのはこうでなくちゃ』という声なき声が司の耳には聞こえるようだ。

 

 自分ならあと二十年経ってもあの領域にたどり着けないだろう。自分はきっと別方向に進化すると諦めている。それもこれも大神の加護のせいだ……本当に呪いではないのだろうか?

 なので若干の憧れと盛大な嫉妬をもって『ダンディ先生』と呼んでやろうかと内心唸る。

 

「やぁ、入学早々やらかしたね」

「あ、あの! 彼は私たちを助けてくれたんです!」

「ほんまやで、しつこいナンパで往生しとったんや。もう少しで拉致されるところやったわ」

 

 二人がそれぞれ一生懸命に司に非はないと証言してくれる。

 それを見てやってきた教師は少しだけ苦笑を浮かべた。

 

「うん、まぁ途中から見ていたからわかっているよ」

「見ていたのなら助けましょうよ。先生でしょう?」

 

 見ていたのかダンディ先生。思わず声が尖る。

 さっさと出てきて事態を収拾してくれていれば自分が暴れる必要はなかったのだ。そうすれば入学式当日に教師に目をつけられることもなかっただろう。

 

「はっはっは、いやぁ若い子がどんな反応をするかと気になってね。女の子を助けに割って入ったのが君一人というのは少しばかり悲しいね」

「誰だってケンカはしたくないでしょうから」

 

 痛いのも怖いのも嫌だというのは普通の感性だと思う。

 司もできれば面倒ごとは起こしたくはなかった。立場的に後々面倒そうなのはわかりきっている。

 

「僕は高畑・T・タカミチ。女子中等部で1-Aの担任と広域指導員をしている」

 

 さっそく指導員に目をつけられるのかと内心気落ちしながら自己紹介する。

 

「男子中等部1-A、藤宮司です」

「いやぁ、可愛い顔してすごいね。こいつらは毎回面倒をおこしてくれる懲りない連中なんだけどケンカは割と強い方なのに……一発でのしちゃうなんてね」

「ホント、女の子みたいなのに強いわよね」

「男子校の制服着てなかったら、絶対わからへんよな」

 

 それは男に見えないという意味ですか?

 ……まぁいまさらだけど。

 

 でも中学生になれば男っぽくなるかなと儚い期待はしたのだ。

 男子校の制服を着ていれば少しは男っぽく見えるのではないかとちらりと夢想していた司は人知れず落ち込んだ。

 

 かくして問題児三人組はダンディ先生こと高畑先生によって連行されて、司は頼りになる女子二人組の証言のおかげで無罪放免となった。

 

 先に手を出したのは司なのだが。そのあたりは女の子を守るためという大義名分の前でうやむやにされた。

 

 そのあと「お礼にデートしたる」と黒髪の少女に連れ回されて麻帆良をあちこち回ることになった。

 初日で女の子と知り合ってデートもどきなんて結構運がいいのだろうか。なんだかその後ですごい運勢の揺り戻しが起こりそうで若干怖い。

 

 しかし司は素直に現状を楽しむことした。この機会を逃せばたぶん次はない。

 司は自分の容姿が別の意味で女性受けしないことを理解していた。男扱いされないのだから当然だ。

 

 指導員に目をつけられたかもしれない事実も後で考えることにする。

 さようならダンディ先生。出来れば二度と会いたくありません。僕はあなたのような男性に憧れますがやっぱり大嫌いなんです。どうせ僕はあなたのようになれませんから……くたばれイケメンダンディ。

 

 自嘲しつつ密かに嫉妬の呪詛を吐く。もちろん本気で呪いはしない……とりあえず今は。

 

 一緒に売店のクレープを食べ、ゲームセンターで遊び、麻帆良の街を散策する……なかなか楽しい。

 女の子たちと出歩くのは初めてというわけではないけどいつもはおもちゃ扱いだったのできちんと男性として扱われて女子と一緒に遊ぶというのは新鮮な感動すら感じた。

 

 なんとか涙はこらえた。これで泣いたら挙動不審者だろう。

 

 そろそろ日も暮れるという時間になって携帯のナンバーを交換しあって別れる。

 

「また今度一緒に遊ぼーな」

 

 そういって別れた木乃香の笑顔が非常に癒される感じで好印象だった。

 

 うんうん、いい子たちだった。

 特にやっぱり近衛木乃香さんはいい。

 神楽坂明日菜さんは、僕の苦手な元気系の女子だったけど。

 

 木乃香さんはなんというかそばにいて落ち着く何ともいえない雰囲気がいい。

 司としてはなかなか有意義な初日だった。

 一人でぶらつくよりかは女の子と遊んだ方がやっぱり楽しい。

 

 残念なことに小学校の時は司()遊ぶことに熱心な元気がありあまっている女子ばかりだった。『で』だ『と』じゃない。彼女たちにとって司はきれいな等身大着せ替え人形だった。そうとしか思えない。

 

 だから元気系はあまり好きじゃなかった。軽くトラウマになっているのかもしれない。集団女子のパワー怖い……。

 

「あ……僕は馬鹿だ……」

 

 奇妙な女子二人組については深く考えないことにしていたが、別れた後になって冷静になるといろいろなことを思いだした。

 

 自分のうかつさが本気で悔やまれる。ここまで自分は間抜けだったのだろうか? すぐに気がつくべきだったろうに。あの魔力に気がついていたのに。自分と同じだけの魔力保持者なんて日本にあと一人しかいないのに。

 

 しかも『近衛』を名乗ったのだ。その時点で気づかなかったのは明らかに舞い上がっていたとしか思えない。

 

 関西呪術協会の長の家名であり司の西洋魔法の師の家名。しかもよく思いだしてみるまでもなく自分と同じ『極東最大の魔力保持者』の名前も『近衛木乃香』しかも同年齢らしい。

 おまけにあの魔力とくればもう確定だろう。同姓同名の別人の可能性は極めて低い。

 

 日本の西半分を支配する関西呪術協会、その長の一人娘。

 彼女は関西のお姫さまだ。明日菜という少女はお姫さまの護衛だろうか、それにしては素人っぽかったが。

 

 彼女たちのナンバーとアドレスの登録された携帯電話に視線を落とす。なんてことをしたのだろう。これで麻帆良に来て初日で日本の裏の最重要人物の一人と接触したあげく連絡先まで交換したことになる。

 

 不幸な予感しか感じない。かといっていまさら他人の振りも出来ない。何というかひたすら底なし沼を進軍していく気分だ。どんどん沈んでいく気がしてならない。

 

「帰ろう。そして寝よう……きっとなんとかなると信じよう」

 

 司は考えることをやめて敗北者の哀愁を漂わせながら男子寮に戻る。途中ふと今夜の予定を思い出した。

 そういえば夜に魔法関係者の集まりがあるのだ。

 

「サボるわけには……いかないか」

 

 ため息が自然にこぼれる。どう考えても楽しい時間になるとは思えない。

 行きたくない……これならずっと可愛い女の子二人と遊び歩いていたかった。彼女の素性になど気がつかなければよかった。いろいろと思い出さなければ幸せな気分でいられただろうに。

 

「僕は……本当に呪われてないか?」

 

 いくらなんでも運命が仕事しすぎだろう。

 初日に関西のお姫さまを悪漢から助けて仲良くなるってあきらかに巻き込まれるフラグだろうに。

 

 ああ、あのネジの緩んだ爆笑が聞こえてきそうだ。

 司は憂鬱な気分でため息をつき、とにかくなんとかなると信じて歩き始める。その背中はなんとなく無条件に『とりあえずがんばれ』と応援したくなるほどだった。

 



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第二話 魔法使いたち

 夜の世界樹広場には魔法関係者が集まっていた。

 

 電灯で照らされた世界樹広場は昼間とはまた違った空気を感じさせた。いかにも魔法使いが生きる世界だと思わせるような冷たく静けさに包まれた世界。

 

 都会の喧噪よりも司としては慣れ親しんだ空気だった。司は生まれながらのこちら側の住人なのだ。

 

 一帯に結界を張って一般人の侵入を防ぐなどの処置もおこなっている。その手際はさすが大都市に本拠を構える大組織の魔法使い達だと感心するものだった。

 

 どうやら今日はそれほど重要な話もなく。ただの魔法関係者の顔見せのようなものらしい。

 学園長、近衛近右衛門が「また今年一年がんばりましょう」的な挨拶をしているところを見ると毎年やっているのかもしれない。

 

 それぞれ互いに挨拶を交わしている数十名の魔法使いの輪から離れ、司はなるべく目立たないように隅っこでおとなしくしていた。

 

 事前に制服姿で良いと伝えられていたので司も男子中等部の制服のままだ。

 周囲を見るとスーツ姿の教師たちに混じってちらほら中等部や高等部などの制服姿も見かける。女性も多い。あの私服姿は大学生だろうか?

 

 この場に来てもいまだに麻帆良の魔法関係者とどう接したらいいのか。司は密かに悩んでいた。

 周囲を見ると初対面と思われる者同士も親しげに挨拶を交わしている。自分もそうすべきなのだろうかとも思うのだがどうにもそういうのは苦手だ。

 

 ほとんど一族の中で身内に囲まれて過ごしてきた司はあまり社交性が高いとはいえない。

 いずれは藤宮の一族として最低限の社交性を身につける必要があるだろうと考えながらも誰に声をかけるでもなくその様子を眺めていた。

 

「久し振りね。司くん」

「あ、刀子さん。お久しぶりです」

 

 顔見知りに声をかけられて反射的に頭を下げて挨拶する。

 

 葛葉刀子。

 神鳴流の剣士で母の知り合い。

 

 きりっとしたいかにも厳しそうな女性に見えるが、親しい相手には優しい人物だ。

 昔稽古をつけてもらったこともあるので司としては話しやすい。

 

 その後ろに女子生徒が立っているが、いやにきつい目をしているなと司は感じた。

 なにか気に障るようなことをしたのだろうか、それとも機嫌が悪いのだろうか。

 

「この子は桜咲刹那、私が担当している魔法生徒で近衛木乃香さんの護衛よ」

 

 麻帆良では教職に就いている大人の魔法使いを魔法先生、生徒として在籍している魔法使いを魔法生徒と呼ぶと事前に説明を受けている。

 

 大抵の麻帆良の魔法使いは魔法先生と魔法生徒という身分に就くらしい。たまに大人でも教職に就かずに別の職業に就いていたり、あるいは表の職業には所属せずに裏の仕事に専念する人もいるらしい。

 子供はよほどの例外でない限り学校に通うらしいが。

 

「護衛?」

 

 司は昼間会った近衛木乃香の顔を思いだし、さて彼女はあの場にいたかと自問した。

 少なくとも司は気がつかなかった。ということは司さえ欺ける腕利きか、あるいはあの場にいなかったかのどちらかだろう。女の子と遊ぶのに夢中で司がうっかり気がつかなかった可能性もある。

 

「近衛木乃香さんというのは先生のお孫さんのことですか?」

 

 念のため確認する。それ以外に誰がいるのだろうと尋ねてから自分の質問の馬鹿さ加減に呆れた。

 

「先生?」

 

 桜咲と呼ばれた生徒がいぶかしげな声を出す。

 刀子がそんな桜咲刹那に説明する。

 

「刹那、彼は学園長の弟子なのよ」

「学園長の……」

 

 少し驚いたような顔をする。どうやら知らなかったらしい。

 

「学園長自慢の弟子よ。それに彼のお母さんは青山の家の出身で神鳴流も習っているの。そういえば聞いたわよ。皆伝を受けたそうね? お祝いが遅れたけれどおめでとう」

「か、皆伝!?」

 

 桜咲刹那が大声で驚く。

 刀子は少し悪戯っぽく笑った。

 

「見かけで判断したら痛い目に遭うの典型よ、彼は。青山宗家から免許皆伝を許された神鳴流剣士でもあるから、今の刹那ではたぶん勝てないわね」

 

 どうも高く評価されているなと苦笑が漏れる。確かに皆伝は受けた。政治的なしがらみではなく実力で得たのだから胸を張れと青山宗家の人にも言われたが、司としては母に手も足も出ていない現状では皆伝をもらっても素直に喜べないのだ。

 

「いえ、僕なんてまだまだですよ。いまだに母に勝てないですし」

「恵さんは神鳴流の達人だもの、あの方に届かなくてもあなたは私が手合わせした時点ですでに一流だったわ……そうね、今度久し振りに稽古でもしましょう。刹那も一緒にどう?」

「よろしければご一緒します」

 

 心なしか桜咲刹那が司に向ける視線が柔らかくなった気がする。

 

「彼女も神鳴流なのですか?」

「ええ、なかなかの使い手よ。女の子だからと甘く見ると怪我をするわよ?」

 

 刀子がまるで妹でも見るかのように刹那に視線を向けると自慢げに褒める。

 

「女の子だからと甘く見たりしませんよ。僕の知っている剣術最強は母ですから」

「それもそうね」

 

 司の言いように刀子の方が苦笑する。あの人に女は弱いなどと馬鹿にしようものなら笑顔でぶっ飛ばされるだろう。

 

「あの、それほど強い方なのですか? その方は」

 

 おずおずと桜咲刹那がたずねる。彼女から見れば刀子でさえ自身が敵わない使い手なのだ。皆伝を受けた少年が最強と称し、刀子も認める人物とはどれほどなのだろう。

 

「現在の神鳴流のトップクラスね。昔私と司くんの二人がかりで試合したことがあるけど……あれはひどかったわねぇ」

「そうですねぇ」

 

 二人で夜空の星々に視線をやる。まるでなにかを思い出すような。それでいてその事実から目をそらしたいような妙な空気だ。

 

「ど、どうなったのですか?」

「瞬殺されたわ。その上にこにこ笑いながら『まだ立てるでしょう?』ってそのまま気絶するまで叩きのめされたわね」

「そ、それは……」

 

 桜咲刹那は少々顔をしかめた。

 やりすぎだ。と思ったのだろう。

 

「刀子さんがいけないんですよ。母に向かって『ご結婚なさって腕がなまったのではありませんか?』なんていうから母がむきになっちゃって……」

「悪かったと思ってるわよ。つい口が過ぎちゃって……」

 

 ほんの冗談のつもりが相手を激怒させてしまったのだ。

 二人で地獄を思い出してどんよりしていると桜咲刹那が顔を青ざめさせていた。

 

「すごい方なのですね……」

「正直、一生勝てる気がしないわね」

 

 刀子の言葉に桜咲刹那の顔からますます血の気が引く。それはいったいどんな化け物だと表情が語っていた。

 

「まぁ、それはともかく刀子さんみたいな知り合いがいてよかったです。正直どうしたらいいのかわからなかったですから」

「あら、どうして?」

「だって、僕これでも一応藤宮一族の後継者候補ですよ? 西洋魔法使いの本拠地に来てなにをしろと?」

 

 刀子は少し真面目な顔で肯いたあと元気づけるように微笑んだ。

 

「上には上の考えがあるのでしょうけど、司くんは自分の思うように学生生活を送ればいいのよ。だいじょうぶ。ここは別に司くんにとっての敵地ってわけではないし、司くんの味方もたくさんいるから」

 

 桜咲刹那がなにか聞きたそうな顔をしていたが、刀子がその場を離れると司に綺麗な一礼をして去って行った。

 

「なにかあったら刀子さんに頼るか……なにもないのが一番だけど」

 

 司は周囲からの視線を感じつつ再び目立たないように隅の方で立っていた。

 

 神鳴流の免許皆伝。

 藤宮一族の後継者候補。

 

 そんな言葉が視線と共にちらちら耳に届く。もう手遅れかもしれないなと再び精神的な腹痛を感じてお腹を撫でた。

 

 

 

 

「刀子さん、さっきの方ですが……何者です?」

「司くん? 彼は藤宮司。関東に拠点をもつ『精霊術』の藤宮一族の長男よ」

 

 刹那の疑問に刀子は簡単に答える。詳しく説明するには事情が複雑すぎるし現状刹那にどこまで明かして良いか判断もつかない。彼の存在は麻帆良側でもデリケートな問題と認識されていた。うかつなことは言えない。

 

「かなりの使い手に見えました。いえ、剣士としてもありますがそれよりも魔法使いとして優れているように思えました」

 

 刹那はそれほど魔法や魔術に優れていない。そちらの修行に力を入れておらず剣術の補助程度にしか使っていないから最低限必要な術しか修めていない。

 

 それでも相手の魔力から実力を推し量るくらいはできる。自分の感覚が確かならば彼はほぼ完璧に自身の魔力を制御していたように見えた。

 当然魔法の腕もそれに見合ったものがあるだろう。つまり魔法使いとしても優れているだろうと感じた。

 

「彼は剣士と魔法使いの両方に才能がある子よ。なにしろ関東最大の魔力をもつ魔法使いだもの」

「彼が?」

 

 刹那は今度こそ驚愕する。あの少年が自身の大切な『お嬢様』と日本において唯一肩を並べる存在であると気がついたのだ。

 

 それを肯定するように刀子は説明する。最低限の説明はした方がいいと判断した。

 そうでないとこの不器用で頑固で無鉄砲な少女はまかり間違って司を危険人物と敵視しかねない。神鳴流の皆伝と聞いて態度を軟化させていたがそれも西につながっていると勘違いすれば十分ありえる事態だ。

 

「そう、この国で木乃香お嬢様と同等の魔力をもつ唯一の少年よ」

「そんな彼がなぜ麻帆良に?」

 

 当然の疑問だ。木乃香が麻帆良にいることだって西を統べる関西呪術協会では問題視されているのだ。その上もう一人の極東最大の魔力保持者を麻帆良に招くなど爆弾を抱え込むようなものだ。

 日本の魔術組織から才能のある二人を取り上げようとしていると西や関東の魔術組織が騒ぐだろう。

 

「学園長が呼んだらしいわ。理由は……彼にはいろいろと期待しているらしいわね」

 

 言葉を濁す。刀子さえすべての事情を説明されたわけではないし、生真面目な刹那には言い難いものもある。

 

 まず関東で歴史のある一族が跡継ぎを麻帆良に預けるという政治的効果。

 関東最大の魔力の持ち主を一時的にではあっても自分たちの陣営に引き込むという目論見もあるだろう。

 

 さらに藤宮一族は関西にも顔が利く。

 これを機会に藤宮一族の力を借りて関西との融和を進めたいのだろう。

 

 同じように関東の有力な魔術師の家系の子供たちが麻帆良に招かれてもいる。

 関東の結束を強くし、さらに関西との交渉役も手に入れる。

 

 さらに言えば『闇の福音』の問題もある。

 

 いろいろと思惑はあるだろう。

 刀子の知る司は温厚な人の良い少年だが勘のいい子でもある。そんな微妙な空気を感じて戸惑っているのだろう。

 

「あの子は木乃香お嬢様と同じくらい微妙な立場の子だから、刹那も良かったら気にかけてあげてちょうだい」

「はい、青山家に連なる方となれば無下にもできません」

 

 刹那にとって青山家は特別だ。

 神鳴流の宗家であり、自分を木乃香の護衛に抜擢した関西呪術協会の長、近衛詠春の実家でもある。

 その血縁であり神鳴流の皆伝を受けるほどの人物なら、刹那にとっては重要人物だ。

 そんな堅苦しい刹那の力を抜くように刀子は軽く刹那の肩を叩いた。

 

「そんなに難しく考える必要はないわ。司くんの友達にでもなって愚痴の一つも聞いてあげなさい。それだけでもあの子にとっては助かるはずですから」

「と、友達など畏れ多い……」

「もう、本当にあなたは……もう少し頭を柔らかくしなさい」

「……申し訳ありません」

 

 軽く頭を下げたあと少し躊躇したが意を決して尋ねてみた。

 

「あの先ほどの司様ですが……」

「様って……せめて普通に呼びなさい」

 

 少し頭痛を感じたかのように眉間に指を当てる刀子に刹那は気になっていたことを聞く。

 

「先ほど『長男』と言っていましたが……本当に男性なのですか? 私には女性にしか見えませんでした」

 

 それもかなり美人の女性だ。

 刹那のクラスメイトも美女美少女が多い。その中に混じってもあれはトップランクの美少女だろう。

 胸はないように見えたが中学一年という年齢ならそう不自然ではないし、どう見ても女性にしか見えない容姿だった。雰囲気も男性的とは言いがたい。

 

 刀子はいよいよため息をついた。

 

「それはあの子に面と向かっていってはだめよ。傷つくから。それと司くんは間違いなく男の子よ。昔私も疑問に思って確かめたもの」

「確かめた?」

 

 どうやってと刹那が首をかしげる。

 

「別にたいしたことではないわ。修行のあと一緒にシャワーで汗を流しただけよ。ちゃんとついてたわよ」

「だ、男性とシャワーを浴びたのですか!」

「男性といっても子供よ? 小学生の頃の話だし、いろいろと可愛かったわよ?」

 

 お、大人だ……。

 自分ではとうてい出来ない表情で悪戯っぽく微笑む刀子に刹那はそう慄いていた。

 

 

 

 

 世界樹広場での顔見せの後、学園長室では近衛近右衛門と来客の金髪の少女が向き合っていた。

 

 日頃はこの部屋に招かれても不機嫌さを隠さない金髪の少女が実に楽しそうな笑顔を浮かべているのに近右衛門としては気が気ではない。だが下手につつけばやぶ蛇になると無視していた。

 

「ふん、今年はおもしろそうなのがいるじゃないか」

「ふぉっふぉっふぉ、じゃろう? わしの自慢の弟子じゃ」

 

 さっそく目に止まったかと内心ため息をつく。

 あれは正直よく目立つ。目立ちすぎる。あの場に集まった魔法関係者も興味津々だったが声をかける者は少なかった。事情を知るものはいろいろとデリケートな問題だと理解していたし、知らない者もあの雰囲気では声をかけづらかっただろう。

 

 司も立場を理解しているのかいないのか積極的に動く事なく無難に時間が過ぎるのを待っていた。

 

 近右衛門としてはもう少し麻帆良の魔法使いと交流を持って欲しいと思うが、徐々に慣れてもらうしかないだろう。追々その機会をつくっていけばいい。

 

「魔力はたいしたものだ。それと制御能力もいい。問題は実戦に使えるかどうかか……ひとつ腕を見てやろうか?」

「そいつは勘弁しとくれ、あの子が襲われたなどと藤宮の連中に知られたら面倒ごとになる」

 

 予想通りの反応に近右衛門は顔をしかめた。

 彼女は退屈な日常を長く過ごしていたため興味を引くものに対しては多少執着する傾向がある。おおかた思わぬ実力ある子供を見かけてその実力がどの程度か知りたくなったのだろう。

 

 しかし司の麻帆良進学は結構骨を折ったのだ。

 それを台無しにされたくはない。

 

「たかが極東の魔術一族相手に弱気なことだ」

 

 そんな近右衛門をせせら笑うエヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。

 来客用のソファーに行儀悪くあぐらをかいている姿は一見ただの気の強そうな少女だが『闇の福音』と呼ばれる自称『悪の魔法使い』であり、事情があって全力が出せない現時点をもってしても麻帆良の最大戦力に数えられる人物だ。警備員として働きながら女子中等部に通う女子生徒でもある。

 

「藤宮の『精霊術』は馬鹿にできん。それにあそこは関西にも影響力がある。藤宮一族の機嫌一つで関西との融和の成否が決まるといって良い」

「ふん、わたしには関係のないことだな」

「そっちは確かに関係ないかもしれんが、忠告しておくが彼の機嫌を損ねないほうがいいぞ?」

「ほう、なぜだ?」

「お主の呪いをとけるかもしれない人材として招いたのに、お主が気に入らないからときたくないと駄々をこねられたら困るじゃろう?」

 

 エヴァンジェリンの目が冷たく光った。呪いの解呪が出来るかもしれない人材。とうてい聞き流せない言葉だ。

 

「じじい……冗談口ではすまんこともあるのだぞ? じじいですらとけない呪いをあんな小僧がとけるとでもいうつもりか? おい『関東最強の魔法使い』よ?」

 

 近右衛門は飄々と肩をすくめて見せた。

 

「じゃから言ったじゃろう? 藤宮の『精霊術』は馬鹿にできんと……それに彼はナギ以上の魔力をもち、かつそれをほぼ完璧に制御出来る。わしは『精霊術』も使えなければ、魔力もナギに劣る」

「ナギ以上の魔力と、極東に歴史ある魔術体系か……確実にとけるのか?」

「やらせてみなければわからん。なにせナギのかけた呪いは極悪なデタラメさじゃからのう」

「他の魔法使いが騒ぐのではないか?」

 

 エヴァンジェリン的には解呪さえされればどうでも良いことではある。しかし解呪したあの子供まで『闇の福音』に与したと討伐でもされたらさすがに目覚めが悪い。

 

「もう説得済みじゃ。なにしろお主はかのサウザンドマスター、ナギ・スプリングフィールドからの期限付きでの預かり物でしかもその期限はすでに切れておる。お主が麻帆良に害をなさないと約束さえしてくれれば問題ないわい」

 

 説得には骨を折っただろうと察せられる疲れ切った口調だった。だがそこで労うのでなくさらに鞭打つのが彼女の彼女たる由縁だ。特にこの老人に対しては労う気など欠片もない。

 

 そもそもこの『関東最強の魔法使い』がさっさと解呪出来ていればなんの問題もなかったのだ。おそらくナギも万が一自分が解呪出来なくても近右衛門がいればと麻帆良に預けたのだろうと考えている。それなのにこの老人はさんざん時間をかけて研究した結果自分では不可能とさじを投げた。正直それを聞いたときは殺そうかと思ったほどだ。

 

 エヴァンジェリンが意地悪くにっと笑った。

 

「害をなしたら?」

「そのときはわしの首が物理的に飛ぶの。わしとタカミチ君でお主を討伐することになる。呪いがとけたお主ならわしらを返り討ちにするのは容易かろう」

「タカミチも道連れか!」

 

 エヴァンジェリンが大笑いするが近右衛門にとっては笑い事ではない。

 

「わしとタカミチ君、二人がかりでようやく押さえ込めるというのが麻帆良の魔法使いの認識じゃから仕方あるまい。だからくれぐれも問題を起こしてくれるなよ。わしが死んだらタカミチ君と一緒に夜な夜な枕元に立って恨み言を延々とささやき続けるぞい」

「じじいの夜這いなんぞいらん。それにわたしはそんなに暇ではない。麻帆良の半人前どもと遊んでも退屈なだけだ」

 

 エヴァンジェリンの言葉に少し安心した近右衛門は今後の予定を話す。

 

「いまは入学したてでごたごたしておるじゃろうから、少し落ち着いたら彼に話すつもりじゃ」

「やつが断る可能性は? わたしは『悪の魔法使い』だぞ?」

「司くんは日本生まれじゃ、お主の悪名などしらんじゃろう。それにあの子は風評で人を判断するような愚か者ではない」

「ずいぶん高く買っているな」

「当然じゃろう? わしの弟子じゃぞ?」

「ふん、では期待しないで待っていてやろう……ああ、挨拶くらいはしてかまわんだろう?」

「くれぐれも穏便にの、彼にへそを曲げられたら困る」

「一応気をつけよう。それにしてもいい駒を手に入れたな、じじい」

「将来有望な弟子をもってわしは幸せ者じゃよ」

 

 エヴァンジェリンの皮肉にも動じずに近右衛門は静かに目を閉じた。

 思い出されるのは西洋魔法の基礎を教え込んだ時の光景。

 

 飲み込みのいい生徒だった。

 あっという間に基礎を身につけた少年に気をよくした近右衛門は様々な魔法書を贈った。きっと独学でも一流に手が届いてしまうのではないかと思わせるほどの才能だった。

 

 人間性のタイプが違うが司はナギ・スプリングフィールドと同じ、ある意味世界や時代に選ばれ愛された人間なのだろうと考えている。将来はきっと自分など及びもしない大きなことをなせる人物だと期待していた。

 

 あるいは彼ならば確執の深い西洋魔法使いと日本の魔術組織の融和さえ出来るかもしれないとも夢想する。

 歴史有る血筋と傑出した実力。これから時間をかけて大人になり人格と能力を磨いて十分な味方を得れば不可能ではないだろう。

 

 あれからもう数年。

 どれほどの才能に成長したか楽しみだった。

 

 できればのびのびとこの麻帆良でその才能をさらに伸ばして欲しい。

 ここは子供たちが学び、成長する場なのだから。

 



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第三話 級友

「ようツカサ、部活は決まったか?」

 

 クラスメイトに声をかけられて司はぼんやりしていた意識をしゃんとさせた。

 昼休みの教室はそれぞれ思い思いの席に着き自由に時間を過ごしている。クラスの半分程は教室を出て学食や他の場所で昼食を取っているようだ。

 

 司は自分の席で朝軽く握ってきたおにぎりを食べていた。

 

 声をかけてきたのは級友であり寮で同室になったルームメイトの高木信繁。

 親しみやすい雰囲気の少年だ。

 社交性が高くもうクラスに溶け込み交友関係を広げている。

 どちらかと言えば人付き合いが下手な司を心配しているのかクラスでもよく声をかけてくれた。

 

 入学からそろそろ一ヶ月近く経つ、みんなそれぞれ新しい環境に馴染み始めた頃だが、いまだに司は麻帆良の環境に困惑していた。

 

 田舎の小学校とは何から何まで違う学生生活に馴染みのないクラスメイト。さらにはまだあまり接触はないが麻帆良にいる魔法使いたちの存在。

 司を悩ませ戸惑わせるものには事欠かない。

 

 そんな司を心配して信繁は司とよく話し、級友たちとも交流を持たせるようにしている。おかげでその容姿から男子生徒の間で浮きがちな司も平穏な学生生活を送れている。

 

 司にしてみればありがたくて感謝しきれない。

 

 そのような訳で彼の昼食も司が用意している。

 もっともそんな手の込んだものではなく大抵はおにぎりとかサンドイッチなど短時間で作れるものだ。

 

 寮生活では食事は司が、掃除洗濯は信繁が分担しておこなっている。

 信繁に言わせれば『ご飯を作ってくれる人は神に等しい』とありがたがりその他の雑用は率先しておこなってくれる。たいした料理をつくっているわけではない司としては恐縮する限りだ。

 

「やっぱ女子と一緒の部活がいいだろ。なんで麻帆良には共学の中学がないんだ? せっかくの青春が男まみれの灰色になったらどうしてくれるんだよ。なぁ?」

 

 隣の席にどっかり座り込み話しかけてくる。聞いてみると昼食はもう食べたそうだ。

 おにぎりはかつお節に限るなと絶賛された。

 それはともかくと信繁は話を続ける。

 

「おまえ確か武術をやっていたんだろ? ならそっち系か?」

 

 自己紹介で多少武術をやっていると言った。

 けれど麻帆良に来てからはほとんど鍛錬をしていない。麻帆良になれるのに手間取ったのと修行場所を探すのにも苦労したせいでもある。

 

 つい先日刀子や桜咲刹那と稽古をしたがたった一月で自分の腕が予想以上になまっていることを実感して愕然とした。

 

 身体能力そのものはたいして落ちてはいないが、勘が微妙に狂っている。たったそれだけで自分では驚くほど弱くなったと評価していた。

 

 刹那には尊敬され刀子には褒められたが、母だったなら容赦なく叱っただろう。

 普段は息子に大甘な母だが剣術に限れば鬼のように厳しい人なのだ。勘を鈍らすなどたるんでいた証拠だと叱られる光景が目に浮かぶ。

 

 そして確かに司は最近他のことばかりに気を取られていて故郷では毎日行っていた基礎のトレーニングさえサボりがちだった。言い訳さえ出来ない。

 

 剣道部や格闘系のサークルをいくつか思い出し、無理かと思い直す。

 一般人に混じってサークル活動をしたぐらいで鍛え直せるとは思えない。本気でやるなら一人で修行するか刀子か桜咲刹那と立ち合った方がよほどいい。

 

「武術はやらないと思う。それほど好きなわけでもないし」

 

 そう取り繕う。まさか要求されるレベルが違いすぎて役に立たないとは言えない。

 今度から時間を見つけてせめて基礎トレーニングぐらいはしようと決める。それだけでもだいぶ違うはずだ。もしくは学園長である近右衛門に相談して修行場所の都合をつけてもらおう。

 

「そっか、剣道着とか似合いそうなのになぁ。写真撮ったらたぶん売れるぞ」

「男の剣道着姿なんて誰が喜ぶんだよ」

 

 剣術もやっていたということは話してあるが、そこでなぜ剣道着が似合うし写真が売れるになるのかと言いたい。少なくとも男に向ける話題ではない。

 

「おまえは特別だからな。おまえの写真は売れるんだよ。いやマジで」

 

 実はさっそく隠れてファンクラブじみた行動をしている男子生徒たちがいるらしいと教えてくれた。

 司は隠すことなくうんざりした表情をする。都会の人間の行動はときどき司の理解を超えていく。一生徒のファンクラブなどつくってなにをする気なのだろう?

 

「下手な女子より美人だからな。そういうこともあるさ。ああ俺はやってないから安心しろ」

「君がもしそんなことをしたら部屋から叩き出すよ」

 

 自分の写真を撮って見ず知らずの他人に売るような人間と一緒に生活など出来るわけがない。

 

 その台詞に信繁はいささか居心地悪そうに顔を引きつらせた。

 実は小遣い稼ぎになるかもと連中に接触はしたのだが、一度取引をすると際限なく深みにはまりそうな危機感を感じて撤退したのだ。

 

 これは言えないなと信繁は内心謝りながら表面上はもちろんだと肯いて見せた。

 

「なんだい。部活の話しかい? ボクも混ぜろよぉ」

 

 おっとりとした顔に穏やかな笑みを浮かべた級友が司の前の席に座った。

 肥満体が見苦しくなくむしろ恰幅がいいと形容したくなるほどはまっている。

 どこか気品があり上品に見えるのは穏やかな表情のせいだろうか。

 実際実家は公家の血を引く名家らしい。田村公磨(たむらきみまろ)といい、あっという間に『まろ』という愛称が定着した人物だ。

 

「おお、まろ。今日の学食はどうだった?」

「うん、日替わり定食がいいねぇ。味もまぁまぁでボリュームもある。学食のおばちゃんはよくわかっているよ」

 

 信繁の問いに「やっぱり昼食はがっつり食べないとね」とダイエットなど眼中にない感想を述べる公磨。

 司のおにぎりを見て「それだけじゃ物足りなくない? ポテチ食う?」と持っていたお菓子を勧めてくる。

 

 どちらかと言えば小食気味な司は遠慮した。

 お菓子の袋を開けてぱくつきながら公磨が話し始める。

 

「実はボクも部活で迷っているんだよね。誘われてはいるんだけどそこは新設の部で男ばっかりらしいんだよ」

「誘われているってどこだよ?」

「ん? 興味ある? 『麻帆良美少女同好会』っていって人気の女子の写真撮ったり会報売ったりするらしいんだけど」

「あれ? それって新設か? 確かそんなのがあったような」

 

 信繁が首をひねる。

 公磨がお菓子を食べながら説明した。

 

「元は『麻帆良アイドル写真部』から分派したメンバーで構成されているんだって、なんでも行動方針でもめて別れたらしいけど」

 

 あまり興味なさそうな態度に信繁が訝しげになる。

 

「おまえ好みの所だろうに、興味なさそうだな」

「だって男ばっかなんだよ? そりゃボクは女の子大好きだけどさ。写真だけ見て満足するのって違うと思うんだよ」

「どうせなら女の子がいて、ついでに仲良くなった方がいいと?」

「どうせノブもその口だろ?」

 

『ノブ』とは信繁の愛称だ。

 同志よ。と意見の一致した二人はがっしり握手を交わす。

 これも美しい男の友情なのだろうか。欲望と煩悩まみれの握手にしか見えない司はどうにも空気についていけない。

 

「というわけでツカサ。なんかいいところないか?」

「なんで僕に聞くのさ」

「この面子なら女受けが一番良いのはおまえだろう?」

「ツカサは美人だからね。たぶん女子校エリアに行っても普通に違和感ないよ。ボクが歩いていたら即座に通報モノだろうね」

 

 自虐ネタを眼鏡を光らせて話す公磨。そこはかとない哀愁が漂った。

 さすがに通報はされないと思うが周囲の視線を集めることは間違いないだろう。場違いなものを見るような視線が突き刺さるのは居心地がさぞ悪いに違いない。

 

「俺でも無理だ。俺はなぜか女子に人気がない。小学校の頃からそうだった」

「ノブは下ネタ自重すればそこそこ人気あったのにね。顔は普通なんだからさ」

 

 公磨によれば信繁は女子にも男子と同じように下ネタトークを全開で話すため小学校時代嫌われたらしい。

 この二人は麻帆良の小学校からそろって男子中等部に上がったのだ。

 

「その点、ツカサは美人で真面目だから女受けいいだろ?」

 

 期待の視線が二人から向けられるが司は自嘲っぽく暗く笑った。

 

「……僕はどちらかといえば女子のおもちゃだったから。女受けとか関係ない気がする」

 

 小学校時代の女子にあまりいい思い出はない。

 引っ張り回され、いじり倒され、さんざん振り回された。

 

「暗い青春だったんだな……俺たち」

「そうだねぇ……世間はデブに厳しいし」

「女顔にも厳しいよ……男扱いされないもの」

 

 下ネタ下品男。

 デブ眼鏡。

 女男。

 

 男三人そろって暗く黄昏れる。

 今なら魔王だって呼べそうな気分だった。

 

 

 

 

「暗い過去と決別して明るい中学時代を送るためにも、女子と仲良くなれる部活に入るべきだと俺は思う!」

 

 信繁が気を取り直して場を仕切る。

 

「賛成だよ。やっぱり生活に彩りが欲しいよね」

 

 公磨も同意する。

 そして二人の目が『なんとか出来ない?』と司に向く。

 

 二人は物静かで押しが弱いが頭の回る司を結構評価していた。

 付き合いは短いがこいつは頼れる奴だと考えていたのだ。

 

 そんな二人の評価に気がつかずになんで僕に解決を求めるのだろうと思いながらも司は考える。

 

 女子と合同の部活で女子と仲良くなれるもの。

 

 武術系はだめだろう。

 まず男が多いだろうし、真面目に強さを追求するところなら女子と仲良くするような雰囲気ではない。

 

 スポーツはどうだろうと考えて否定する。

 真面目に取り組んでいる部活ならやはり女子と仲良くなる雰囲気などないだろう。

 それに種目によっては男女別の活動ということも十分ありえる。

 

 なら文化系か……。

 それなら交流を目的としたサークルも多い。武術やスポーツほど目的だけに熱心ということもないだろうし、男女別になる事もないだろう。

 

「文化系で女子が多くて、男子が入っても違和感なくて、比較的活動がゆるいところが狙い目、かな?」

 

 司の回答とそれに至った説明に信繁と公磨が納得したように肯く。

 

「さすがツカサ。俺たちの諸葛亮だ」

「ボク的には竹中半兵衛がおすすめ。半兵衛ちゃん好きだし」

「半兵衛ちゃん?」

 

 アニメのキャラだと公磨は答えた。かなり萌えるらしい。

 

「とりあえずその条件の文化部はどこだ?」

 

 信繁が問いかけると公磨が宙を見てぽつりぽつりと候補を挙げる。

 

「……演劇部は美人が多いと思うけど」

「たぶん真面目に演劇の練習するから、女の子と仲良くしている暇がない気がする。真面目に活動しながら仲良くなるなら別だけど。演劇に興味ある?」

 

 司の問いに二人とも曖昧な笑顔で首を振った。

 演劇などろくに観たこともない。

 

「天文部……星空を女の子と一緒に見るのってありっしょ」

「星座なんてろくに知らんが、それだとまずくないか?」

 

 信繁の言葉に公磨が『ダメか』と呟く。

 

「占い研、女子って占い好きだし」

「俺が占い研入るって言ったら引かれないか?」

 

 どう考えても女子がメインの部活だ。男子などほとんどいないだろう。

 信繁の指摘に『きっとボクは門前払いかも』と公磨は軽く自嘲する。外見は普通の信繁が引かれるなら外見に問題のある公磨は問題外になるだろう。

 

 信繁や公磨が問題なく迎え入れられて女子と仲良くなれる部活をと考えると意外に少ない。

 たかが文化部と侮ったわけではないがよく考えると活動内容になんの興味もない人間が入っても場違いで肩身が狭いだけだろう。

 

 二人の視線が司に向く。

 そろそろ行き詰まったらしい。

 

 司は少し考えてから麻帆良見物で目にしたある光景が頭に思い浮かんだ。あの場所で活動する部活動なら人数は多いだろう。

 

 湖に浮かぶ図書館島。

 島一つが巨大な図書館であり、そこは半ば迷宮化していると噂の麻帆良が誇る秘境である。

 

 女子もおそらくいるだろう。男子だって少なくないはずだ。

 そしてきっかけと度胸と行動力さえあれば女子と仲良く活動することもあり得なくない気がする。

 

「二人とも本は読む? 読書は好き?」

 

 唐突な司の問いに二人は少し考え込んでから答えた。

 

「俺は嫌いではないな。小説とか好きだし」

「ボクは歴史物が好きかな。本も結構読むよ」

 

 司は特にジャンル問わずに気が向けば読む雑食派だ。

 

「なら図書館探検部はどうかな?」

 

 文化系のサークルでは規模が大きく。中学生だけではなく高校生や大学生も参加している。

 本好きや探検好きが集まる部活なので女子も男子もなく人数が多い。

 好きな本を通じて女子と親しくなることもありだし、迷宮と噂される図書館島を探検するときに女子に同行するのもありだ。

 ここなら信繁も公磨も違和感なく入れるだろう。もちろん司もだ。

 

 そして女子と一緒に行動してもそう不自然ではないだろう。危ない場所で女子を手伝ったり、重いものを持ってあげたりとアピールする機会もあるだろう。

 信繁は勢いよく司の背を叩いた。司は思わずよろけた。

 

「さすが俺たちの諸葛亮! 俺はおまえを俺たちの軍師と認めるぜ!」

「いやいや、ツカサは半兵衛ちゃんの方でしょ。ちょっと気弱で物静かなところが」

 

 二人とも笑顔で司を賞賛する。

 信繁は運動神経も良いので探検活動でも活躍できそうだし、公磨はこう見えて教養派だ。図書館なんてむしろ彼の独壇場だろう。

 

 そして司も問題ない。

 本も好きだし、探検活動も問題なくやれるはずだ。

 

「よし、とりあえず三人で見学にでも行くか? 確か体験入部はまだやっていたと思うが」

「確か体験探検コースってのがあったはずだよ。後で予約入れよう。ツカサもいいっしょ?」

 

 見知らぬ部活に一人で行くのも気が引けるのでこの二人が一緒だと心強い。

 司も同意して三人で図書館探検部に見学を申し込むことにした。

 




オリキャラ男子メンバー登場。
ネギま!って男子生徒がほとんど名前無しのモブキャラなんですよね。
おかげで女性主人公だと主要キャラと恋愛させようとするとネギかフェイトかコタロウぐらいしかいない。あとは先生たち……既婚者が多いから高畑か瀬流彦くらいか?
男少なすぎ……。

男子校に男の娘な司を突っ込んだら絶対に浮くだろうという確信の元、彼をサポートする友人たちの登場です。


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第四話 図書館探検部

「どうしてこうなったんだ? 俺たちは……」

 

 高木信繁が憂鬱そうに呟く。

 

「図書館探検部にはいって女の子と仲良くなるはずだったのにねぇ」

 

 田村公磨がトラップを手早く解除しながら愚痴る。

 

「えっと、この先はまっすぐだね。脇道に入ると危険そう」

 

 藤宮司が地図に手早く書き込みしながらルートを指定する。

 

 ここは巨大な迷宮、図書館島の地下エリア。

 複雑な迷路、数々のトラップが目白押しの探検家の欲求を十分に満たす秘境。

 そこを男三人で探索中である。

 

 そう男三人で。

 

 あれから図書館探検部に見学を申し込んだ三人はそのままチームを組んで図書館探検を体験した。

 そしてどういうわけか知らないがかなりの好記録を叩き出したらしい。

 

 到達時間がどうとか、罠回避能力がどうとか、ルート取りがどうとか絶賛された。

 そして諸手を挙げて入部を歓迎され、そのまま三人でチームを組んで図書館島を探検することになった。

 

 冷静に我が身を振り返れば実にいいチームではあった。

 

 自然とリーダーシップを発揮し、判断力と決断力があり、その優れた身体能力で少々のトラップなど粉砕する高木信繁をリーダー件斬り込み隊長に。

 

 慎重な観察力と手先の器用さを生かして数々の罠を発見、解除する田村清麿をトラップ対処担当に。

 

 思考能力と勘の良さで適切なルートを選び出す藤宮司が迷宮のナビゲーターとなる。

 

 このままいけば今年の一年でもっとも優秀なチームと呼ばれるかもしれないと上級生に褒められたが、信繁たちの目的は部活で好成績を出すことではない。

 

「なぜ俺はあの時、勇気を出して女子と組ませて欲しいと言わなかったんだ! 俺のチキンさが憎い!」

「頼めばあの先輩が一緒に来てくれそうだったのにノブがかっこつけて自分たちだけでいいとか言っちゃったんだよね。ああ、清楚な眼鏡美人なのにあのおっぱいは反則でしょ。もうアレは凶器だったよ」

 

 公磨が件の先輩を思い出しているのか手をわきわきと動かした。

 妄想の中で揉んでいるのかもしれない。気持ちはわかるが本気でもてたいなら自重して欲しいと司は思う。女子は女子同士なら平気で下ネタトークもするが男子の下ネタは許容しないという不思議な価値観を持つ生物なのだ。

 

「まぁ、評判はいいみたいだからそのうち女の子とも仲良くなれるんじゃないかな」

 

 二人ほど飢えていない。女の子と仲良くなることに意欲を燃やしていない司がそうなだめる。正直入ってすぐに仲のよい女子が出来るなど都合よく考えてはいなかったのでさして落胆していない。

 

 ここ数日はこんな感じだ。

 実際図書館探検部での三人の評判は良い。

 なにせ入部わずか二週間足らずで新入生最優秀チーム候補と目されるようになったほどだ。

 

 女子になかなか出会えないおかげで真面目に活動していたので、男女問わず先輩からは良い後輩だと可愛がられ同級生からは素直な賞賛と信頼を向けられている。当然女子部員も好意的な態度で接してくれる。

 

 もちろん競争相手として対抗心を燃やされる場合もあるが敵意を向けられるほどではない。そのあたりの空気は非常によいところなのだ。

 

「そういえば評判がいいな俺たち、ちょっとまろと手分けして聞いてみたんだが、かなり高評価だったぞ」

 

 信繁が若干信じられないという顔つきで言った。

 

 信繁はリーダーとして評価されていて、リーダーシップがある男子として頼りになりそうと好評。

 

 公磨は礼儀正しく博識なところが好印象。特にトラップ対処能力は男女問わずに教えて欲しいと人気だ。

 

 司はとにかく美人ということでこちらも男女問わず人気。男子はあれが女なら即座に口説くと若干残念そうにしており、女子はどうしたらあの美貌を維持できるかと興味津々だ。

 

 要約すると信繁は頼れる男子として注目株。公磨は見た目の割にいい人と友人として高評価、司は男女問わず憧れの美人という感じだそうだ。

 

「ちょっと我ながら信じられないな」

「最近ノブも真面目にやっていたからね。真面目なノブはふつーにモテると思うよ? むしろボクの方が意外でしょ?」

「外見より内面ということじゃね? 中身の性能なら俺より上だしな」

 

 勉強ではさりげなく上位にいる公磨である。運動も普通程度には出来る。探検活動で信繁と司にまったく遅れずついてくるあたり見かけより体力と運動能力があるらしい。

 

「……僕の美人っていう評価は?」

「妥当な評価だろ?」

「ま、第一印象ならそうなんじゃないかな」

 

 二人が内面や能力を評価されたのに比べると外見しか評価されていないようで悲しい。

 

「まだまだこれからだろ。俺らは絶賛売り出し中だからな」

「そのうちモテモテになるといいなぁ」

「贅沢はいわん。彼女の一人は欲しい」

「ボクも二人はいらないから、ボク好みの彼女が出来たらそれで満足だよ。満足すぎて成仏しちゃう」

「成仏したら死んじゃうよ……」

 

 彼女が出来たら死んでも悔いはないといいたげな二人にさりげなく突っ込む司だった。

 

 

 

 そのまま迷宮じみた図書館内を探索する。

 とりあえずの目的地は配布されたマップに記された到達目標点だ。

 

 いくつもの箇所にあり、どこまで到達出来たかで探検部の活動評価につながる。

 

 もっとも中学生はあまり危険な箇所には入れてもらえないのだが、それでも中学生の最終到達点にたどり着ける中学の部員は全体の半数程度らしい。

 

 本を読むのが専門で探検はほとんどしない部員もいるし、逆に本はろくに読まないが探検三昧という部員もいる。

 

 本当にいろいろな部員がいるので司たちも普通に入部できた。

 もちろん入部動機はそれぞれ適当にごまかした。ちなみに司は『たくさんの本に囲まれて生きたい』と書いた。他に思いつかなかったのだが、ふざけていると怒られるかなと思ったら『君は実にいい感性を持っている』と多いに同意を得られた。

 

 本が好き過ぎている人たちの感性は司にはちょっと理解出来ない。

 

「あれ? ボクらの他にも人がいるよ」

「それはいるだろ? 探検部は人が多いんだし、みんなここをうろついているんだし……むしろ今まで探検中に誰も出くわさなかった方が異常だろ」

 

 つまらなそうに答える信繁に公磨はわかっていないと言いたげな顔を向けた。

 

「ボクらが通っているルートはボクらの軍師が割り出した安全な最短ルートだよ。大抵の部員は罠たっぷり困難いっぱいのダミールートに行っているって」

 

 その言葉に信繁は顔色を変える。

 

「ちょっとまて! それはつまりあれか? これまでやけに他の部員を見ないと思ったら俺らのルート取りが特殊すぎたせいだっていうのか!?」

「なにをいまさら」

 

 公磨がなにを当たり前なことをと肩をすくめる。

 

「ツカサ! おまえ俺らの目的わかってんのか? 俺たちは好成績が欲しいわけじゃねぇ、出会いが欲しいんだよ! わざわざ人のいない道通ってどうすんだ!」

 

 あっと司が今気がついたというように意表をつかれた顔をする。そういえばそういう目的もあったのだった。ゲーム感覚で探検ごっこをするのが意外に楽しくてあまり気にしていなかった。

 

 すごい剣幕で怒る信繁を公磨が非難するような目で見やった。

 

「ツカサを責めるのはひどくない? 最初に聞かれたじゃん。面倒くさいけれど一般的な道と楽そうな道どっちがいいかって」

「確かに俺も楽な方がいいと言ったぁ!?」

 

 頭を抱えて絶叫する。選択肢を提示されながら自分も気がつかずに出会いのない方を選んでいたのだ。怒りは行き場を失った信繁は呆然とした。

 そんな信繁の肩を公磨がぽんと叩いた。

 

「ノブ、よく考えなよ。ツカサのルート取りのおかげでボクらは好成績を出して評判があがっているんだよ? このまま最初はちょっとがんばって評判あげてからの方がきっとモテるって」

 

 なにも考えていなかった司や信繁とちがって公磨はちゃっかり下心あっての行動だったらしい。

 

「……部活で活躍してモテモテルートか?」

「現に今もボクら人気者になりかけてるじゃない? フラグは立ててるって」

 

 公磨の言葉にすっと信繁が立ち直った。

 

「よくやったツカサ。その調子で頼むぞ俺たちの諸葛亮!」

「こだわるねぇ。ノブは三国志好きなの?」

「男のロマンだろ?」

 

 調子よく司を持ちあげた信繁は軽くツッコミをいれた公磨にぐっと親指を立てて断言する。よくわからないがこだわりがあるようだ。

 

「僕はそんなたいしたものじゃないよ」

「別にたいした意味はねーよ。ちょっとしたジョークなんだからそんな真面目に取るなよ」

 

 どこか迷惑げに眉を寄せる司の肩を抱いて信繁が快活に笑う。

 

「三国志なら周瑜じゃない? 美周郎的に。司も美人だし」

 

 公磨が司の顔を値踏みするように観察しながら発言する。そう言えばと信繁も考え込むが司は無視した。

 

 

 

 

 そんなことを話しながら歩いているとやがて四人の少女の姿がはっきり見えてきた。

 その光景を見た信繁が感動に震える。

 

「……俺は神に感謝したくなった。天は俺を見捨ててはいなかった」

「レベル高い美少女たちだね。仲良くなれるかな?」

 

 相手が不快にならないように素早く観察した公磨がぽつりと呟く。

 

 長い黒髪の綺麗なおっとり系美少女。

 好奇心の強そうな目をしたメガネっ娘。

 つまらなそうな顔をしながらもその目は冷静にこちらを観察している知的おでこ娘。

 前髪が長くて顔が見づらいが気弱そうな感じの小動物系少女。

 

 それぞれ方向性が違うがかなりの美少女たちだ。

 

「やっぱり司くんやった。おひさやねぇ~」

 

 おっとり系美少女が笑顔で手を振ると男二人が司に目線をやった。

 

「ひさしぶりですね。木乃香さん」

 

 あの日以来会っていなかった近衛木乃香に挨拶をすると即座に信繁と公磨に肩をつかまれる。

 

 司は驚いて二人を見た。

 

 目の色が違う。まるで裏切り者を発見した密偵か秘密警察のような目だ。

 さて捕らえて吐かそうかこのまま殺そうかと言ったような。

 

「おい、おまえあの子と知り合いなのか?」

「うん、以前会ったことがあって」

「おまえは! おまえは友達だと信じていたのに実は一人だけ女に縁があったのか!?」

 

 血の涙でも流しそうな信繁の必死の形相に司は一歩後ずさった。

 

「ちょっと会ったことがあるだけだよ」

「とか言いつつ実はメアドとか交換していたりしない?」

 

 言い訳がましく弁明するが公磨も眼鏡を光らせて追求してくる。

 

 確かに携帯ナンバーとアドレスも教えてもらっている。

 しかし素直に肯けない気迫が公磨たちから発せられていた。肯いて見せたらなにか別の存在に変身しそうな程の迫力だ。

 

「あはは、仲良いねぇ。木乃香の友達?」

「うん、司くんは恩人や。あとの二人は初対面やな」

 

 メガネっ娘の楽しそうな声に木乃香も笑いながら答える。

 信繁と公磨は姿勢を整え、きらりと紳士的な笑みで自己紹介した。

 

「高木信繁です。こいつのルームメイト兼クラスメイト兼親友です」

「田村公磨。ツカサの親友です」

 

 光り輝くような笑顔だった。

 それまで異様な迫力でその親友を脅しあげていたとはとても思えない。

 

 すごい握力で握られていた肩をやっと放してもらえたツカサは軽く肩を回して調子を確かめながら自己紹介した。

 

「藤宮司です。木乃香さんとは入学式の日に会いました」

 

 クスクス笑いながら木乃香たちも自己紹介する。

 

 おっとり系美少女、近衛木乃香。

 メガネっ娘、早乙女ハルナ。

 知的おでこ娘、綾瀬夕映。

 小動物系娘、宮崎のどか。

 

 図書館探検部に所属する。女子中等部1-Aの生徒だった。

 

 木乃香とハルナは好意的な笑顔を浮かべていたが夕映は興味なさそうに三人を一瞥してぶっきらぼうに、のどかは木乃香たちに隠れるようにおどおどと自己紹介した。

 それから七人で探索を開始する。

 

 せっかく会ったのだから一緒に行こうと木乃香が提案し、信繁たちは文句はなく他の女子たちも特に反対はしなかった。

 

「そうですか、あなたたちが今年最優秀候補の新入生だったのですか。道理でこのルートを通るはずです」

 

 夕映はそう納得したように肯いた。

 自分たち以外は通るわけがないと思っていたという。

 

「一見遠回りだけど一番安全なルートだからね。面倒なトラップや回り道が少ないから結局最短ルートだと思うし」

「ルート取りはあなたが?」

「うん、うちのナビゲーター役だから、公磨がトラップ担当で信繁がリーダー兼実力行使担当」

 

 綾瀬夕映は若干興味を引かれて目の前の少女にしか見えない男を見た。

 

 たいそうな美人だ。

 

 自分の容姿にたいした興味も価値も認めていない夕映をして若干妬ましく感じるほどだから相当だろう。

 どうやら頭も回るらしいし、木乃香が話した武勇伝が本当なら腕も立つのだろう。

 

 どんな完璧超人ですか?

 そう呆れかけたが穏やかに微笑む司を見て、最大の欠点は男に見えないことですねと結論づけた。

 

 間近で見て話しても男性とは思えない。

 下手な女性よりも綺麗な顔立ちにすらりとした品のあるたたずまい。

 口調も穏やかで声も綺麗だ。服を変えるだけでほぼ完璧な女装が出来るだろう。

 

 これでは異性から男性として見てもらうのは困難だろう。男性から同性と認めてもらうことすら苦労しているかもしれない。

 おかげで男性恐怖症の気があるというのどかも彼が側を歩いてもあまり緊張しないようだ。

 

 男性的イメージを抱きにくく、いかにも善良そうで優しそうなので相手に恐怖心や警戒心を感じさせない。本人もどこか育ちが良さそうでのほほんとしている。

 

 人に好かれて周囲に助けられるか、悪い人に言葉巧みに利用されるかどちらかのタイプですね。

 そう夕映は判断した。

 

 三人の少し後ろを木乃香とハルナ、そして信繁と公磨が続く。

 お互いに図書館島の感想やら攻略のコツなど情報交換しながら歩いているため、どこか気が緩んでいるが悪くない雰囲気だ。

 

 最初はようやく打ち解けはじめたばかりの友人たちとのひとときを邪魔されたように感じていた夕映もこれはこれでたまにはいいでしょうと考えた。

 ルート取りの最大の決め手は直感という司に情報を吟味して選択するのが一番だと主張しながら歩く。

 

 突然のどかが小さな声をあげた。

 

 反射的に目を向けると、いつの間にか少し前を歩いていたのどかが足下を見て目を見開いている。

 どうやらトラップのスイッチを踏み抜いたらしいと考えるよりも速くのどかの頭上にいくつかの鉄球が落ちてくる。

 

 その瞬間夕映は地下なのに風が吹いたように感じた。

 隣にいた司とトラップにかかって硬直していたはずののどかの姿が消える。

 

 そして誰もいない場所に夕映の拳くらいの鉄球が三つほど落ちた。意外に重い音にひやりとする。当たり所が悪ければ怪我をしていたかもしれない。

 

「大丈夫?」

 

 慌てて声の方を向くと先ほどの場所から少し離れた所で司がのどかを抱きかかえていた。

 

「は、はい……だいじょうぶ、です。ありがとう、ございました」

 

 頬を赤く染め、蚊の鳴くような声で礼をいう。

 そんな彼女を優しい手つきで立たせて司は「よかった」と微笑む。

 

 まるで大事なお姫様でも扱うような柔らかな物腰だ。

 仮にも同年代の異性を抱きかかえたというのに照れも下心も感じさせない綺麗な笑顔だった。

 その笑顔にのどかはますます顔を真っ赤にして言葉につまっている。

 

 木乃香とハルナが「だいじょうぶ?」と声をかけてくるが夕映の頭の中はまったく別のことで思考がフル回転していた。

 

 今のはなんです?

 

 すぐ隣にいた司が、話に夢中で少し遅れた自分たちより先に進んだのどかの場所まで移動して、彼女を罠の地点から抱きかかえてさらに移動した。

 それを今の今まで話していた自分にまったく知覚できない速度で、罠の鉄球が落下するより速く行う。

 

 瞬間移動? 馬鹿な。そんな非科学的な、ありえません。

 でもクラスにも能力的にずば抜けたクラスメイトもいる。彼も同じように少し特殊な人間なのでは?

 

 いえ、それでも今の動きは速すぎる。

 本当に瞬時に移動したとしか思えない速さ。

 

『まるで魔法でも使ったかのよう』

 

 自分の思考に呆れつつも彼から目が離せない。

 

 穏やかに笑う少年。

 外見はまるっきり少女にしか見えない。

 しかし、そんなことは些末なことだ。

 

 目の前で起こった『不思議』に比べたら女顔で美人な事ぐらいなんの意味も価値もない。

 

『不思議な男』

 

 世界から色彩が抜け落ちたかのような退屈な日々の中で穏やかな時間をくれた友人たち。

 そして今日、綾瀬夕映は自分の心を震わせる『不思議』の一欠片を目撃した。

 

 問い詰めたところで、素直に教えてくれるかわからない。

 

 ならば調べよう。

 あらゆる知識を調べ抜いて今の現象がなにかを知ろう。

 そう考えるとわくわくしてきた。

 

 自然に唇が笑みを浮かべる。

 

「あなたの正体を、私は必ず『知る』です」

 

 宣戦布告するような小さなつぶやきは誰の耳にも届かない。

 綾瀬夕映のその瞳は好奇心と探究心で輝き、頬を興奮で朱く染めていた。

 




 ゆえ吉がツカサを探究心対象としてロックオンしました。
 原作のどかの階段落ちイベントをネギを司、明日菜を夕映に置き換え場所を図書館島に。

 夕映ならその場で詰め寄って追求するより、自分でその不思議現象を調べるかなと。
「いまのはなんですかー!」
 と詰め寄るのもありだったかも、いやその方が自然だったかも?


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第五話 夜の世界

「あ~、さすがに少し疲れたです……」

 

 あれから数日、綾瀬夕映は放課後の図書館島で調べ物をしていた。

 読書スペースの一番奥の目立たない席に陣取ってひたすらあの謎の現象を解明しようと本を集め読みふけった。インターネットも調べたが事実かどうかもわからないオカルトサイトしか見つからずにさっさと断念した。

 

 インターネットは情報量こそ多いが情報の信頼性では書籍に劣る。そしてこの図書館島はインターネットに負けないだけの莫大な蔵書による情報量を誇るのだ。利用しない手はない。

 結果数日彼女の専用席となっているスペースでは多数の書籍が山と積まれていたりするが希にあることなので注意もされない。

 

 目元を揉む。少し疲労を感じた。軽く伸びをして肩のこりをほぐす。

 さすがに根を詰めすぎたかとも思うがなんとしても解明したいという欲求が疲労を上回っていた。

 

 やる気のないことは徹底的に手を抜いて気が向いたことには全力投球する。それが綾瀬夕映という少女だった。おかげで読書家であり頭の回転が悪いわけでもないのに学業の方は超低空飛行状態だ。

 

 探検に誘ってくる友人の誘いも断って調べ物に没頭していた。だが未だに『正解』と確信できる回答を得られなかった。

 

 近衛木乃香から藤宮司の実家が武術の道場で彼もそれを習っているという情報を聞き出した夕映はそこから調べだした。

 

 そしてそれらしきものは見つけた。

 

 古い武術には特殊な歩法で高速に動くという技がある。

 それこそ流派ごとに名前も中身も違う技を調べ上げ、その技をだいたい理解した。

 

 現実的な解釈をすればその技は特殊な技術を用い対戦相手の目をくらませて間合いを変えるものであると推測できる。

 まだ遠くにいると思った相手がなにかしらのトリックを使ってまるで一瞬で間合いを詰めてきたように感じる。これがその技の正体だろうと夕映は仮定している。

 

 だがそれでは『正解』に至らない。

 

 トリックでは現実に離れた場所に瞬時に移動してのどかを助けるような真似はできないのだから。

 

 つまり彼が行った事とは違うのだ。

 どちらかといえばこちらの……と一冊の本を手に取りぱらぱらめくる。

 

 そこには人体に『気』というエネルギーがありそれを活用することで肉体の能力を上げたり高速で移動するようなことが出来ると書いてある。

 それは誰にでもあるエネルギーであり、元となるのは生命の力であると。

 

 いわゆる超能力などのたぐい。オカルトだ。

 

「結局、この路線しかあの現象を説明できるモノがないです……いささか荒唐無稽ではあるのですが」

 

 調べてみると意外に図書館島にはこの手の本が多かった。

 ただし詳しく書かれた資料はかなり見つけにくい場所。しかもまるで隠されるようにあったので手間がかかったが。

 

「気、そして魔力」

 

 そして偶然見つけた一冊の古い本。

 それにはもう一つの可能性が書かれていた。

 

『魔法』

 

 その本によると魔力というものも個人の素質の差こそあれ誰しもが潜在的にもつ力であり、訓練することによって様々な現象を起こせるとある。

 

 魔法の矢という攻撃の魔法。

 魔法障壁という防御の魔法。

 身体強化という魔力で運動能力を底上げする魔法。

 

 特に三つ目の項目の中に注目すべき一文があった。

 

「魔力制御の熟練者ならば魔力を集中させることで高速の移動を可能にする……ですか」

 

『瞬動術』というらしい。

 

 魔力を引き出す訓練法なども書かれていたがそちらの方は適当に流し読んだ。

 まさかこの本に書かれたとおりに訓練すれば魔法が使えるなんて素直には信じられない。とうてい真面目に読む気にはなれなかった。

 

「魔法……魔法使いですか。本当にそんな人がいるのなら会ってみたいものです」

 

 この本を読む限り、魔法とはおとぎ話のようになんでも出来る万能の力ではなさそうだ。

 きちんとした法則があり、それはまるで学問のように整理された知識であり、それを学び適切な訓練をして初めて先人の残した魔法という神秘の技を使えるのだ。

 

 間違っても万能の力などではない。

 呪文一つで財宝の山を築き、望めば世界で不可能なことはないなどということはありえないのだ。

 

 夕映はもし魔法というものがこの本の通りだとしても失望したりしないだろう。

 むしろランプの精霊のようになんでも叶えられる万能の力だといわれた方が落胆する。

 

 夕映にとってはこの本にあるような学問然とした『魔法』のほうがはるかに好みに合った。

 

「彼がホウキに乗って空を飛ぶ姿は……まぁ、なんだか似合っていますね。マンガな感じの魔法少女的に」

 

 外見はまるっきり美少女だ。背もそれほど高くないしモノによっては魔法少女の衣装が似合うかもしれない。

 魔法少女のコスプレをして空を飛ぶ司を想像して夕映は発作を起こしたようにぷるぷるふるえながら笑いをこらえた。

 

 ……似合いすぎる。

 

 想像の中の司が天真爛漫な笑顔で魔法の杖を振るう……お腹が痙攣を起こしそうだ。

 

 ここが図書館じゃなかったら笑い転げていたかもしれない。

 なんとか大声で笑うのをこらえて目に浮かんだ涙をぬぐう。

 

 ふとある噂を思い出した。

 そういえば麻帆良には『困ったことがあると魔法使いが助けてくれる』という都市伝説があった。

 

 見かけたことがある。話を聞いたことがある。助けてもらったことがある。

 可愛い魔法少女だった。いやあれは魔法オヤジだったなど麻帆良では有名な噂だ。

 

 それだけ噂が定着するならなにかしら根拠となる何かがあったのではないか?

 

「まさか……本当に魔法があって、魔法使いがいるとしたら」

 

 彼は魔法使いということになるのか?

 

 馬鹿馬鹿しいと首を振る。

 けれどここ数日調べてもオカルト的なものでしかあの現象は説明できなかった。

 

 ふと真剣な目で黒一色の『魔法』の本を見る。

 手になじむ革張りの古そうな本。所々すり切れているのに不思議と色あせた感じのない奇妙な本だ。

 

 タイトルも著者も書かれていない一目見ただけではなんの本かもわからない本。

 

 なのに妙に目を奪われ、心惹かれる力のようなものを感じる。

 

 まるで隠されるように図書館の奥。オカルトコーナーの見つけにくい場所にあった。図書館探検部の活動による経験では大抵罠や罠の解除スイッチのある場所だ。もし図書館探検部に所属して探検を経験していなければ見つからなかっただろう。

 

 これが本当に『魔法』の世界へと導く教本だとしたら。

 この世界に隠された秘密があり、それを知る手がかりだとしたら。

 

 日常では誰も信じない。そんな不思議な力。

 長い歴史の中で育まれ隠され続けてきた神秘の力が存在するとしたら。それはとても素晴らしいことだろう。少なくとも綾瀬夕映という少女はそう思う。

 

 退屈な日常が、友人たちと出会ってからそれほど意識することはなくなった無色の世界がまるで物語の世界のように色とりどりの色彩を放っているように様変わりする。その光景を幻視してしまう。

 

 意識せずにゴクリと唾を飲み込んだ。

 

 ゆっくり本を開く。

 先ほど読み飛ばすようにページをめくった箇所をゆっくり頭に刻み込むように読み始めた。

 

 魔力知覚の訓練。魔力制御の訓練。魔力発動の訓練。

 魔法の基礎の知識と、魔力と魔法の関係。

 

 黙って読み続け、訓練方法を読み終わったあと反芻するように目を閉じ頭の中で訓練法を読み上げる。

 

 そして頭を空っぽにして最初の訓練と記されていた魔力知覚の訓練をおこなう。

 

 たいしたことは必要ない。

 魔方陣を描いて呪文を唱える必要も生け贄の鶏を捧げることもない。

 

 ただ自分という存在を五感すべてで知覚する。

 そこにある自分をはっきりと感覚に叩き込む。

 そして自分の中で燃えさかるエネルギーを想像し、把握する。

 それは染み渡るように身体を流れて体外へ放出されていく。そして体外のエネルギーを吸収し身体を巡り、再び身体の外へと染み出していく。

 

 想像し、ひたすら自分の頭と心にそれがあることを叩き込み、そんなものはないと主張する常識論を力ずくでねじ伏せ非常識を優先させる。

 

 ごく当たり前にその存在を、未知のエネルギーを受け入れる。

 それがあることは当たり前のことである。

 それこそが世界の『本当の常識』なのだから。

 

 そう自然に心に思い浮かんでくるまでそれを続けた。

 

 ゆっくり目を開けるとうっすらと身体を覆う光のようなモノが見えた気がした。

 驚いて思わず『魔法』の本を見る。

 黒い本がうっすら光を放っていた。他の本はなにも変わっていないのに。

 

 さまざまな感情が溢れてくる。歓喜であり恐怖。満足感もあれば拍子抜けしたような気もする。

 手の光を見つめると軽く力を込めてみる。すると光が少しだけ強くなった気がした。

 

 うっすらと夕映の口元に笑みが浮かぶ。確信した。これは本物だと。少なくとも自分が知らなかったなにかであると。

 

「夕映~、もう暗いから帰ろうよ~」

 

 友人の穏やかな声が耳に届く。はっと我に返ると身体を覆う光などまるで見えなくなってしまった。

 

 幻覚だったのか、気のせいだったのか。

 先ほどうっすらと光に包まれていたように見えた自分の手をまじまじと見つめる。

 もうそんな謎の光は見えない。

 

「夕映~……どうしたの?」

 

 近くに寄ってきたのどかが顔を覗き込んでくる。

 目元を隠すように伸ばされた前髪から心配そうに見つめる瞳が見えた。

 夕映は軽く頭を振って先ほどの感触を振り払い、頭をしゃんとさせた。

 呆けている場合ではない。友人に心配をかけてしまう。

 

「いえ、少し疲れただけです。そうですね。そろそろ帰りましょう」

 

 黒い本をさりげなくバックの中に入れ席を立つ。

 この本のことはもっと詳しく調べたかった。

 今の現象はなにか? もう一度再現出来るのか? この本に記された他の『魔法』も使用できるのか? きっちりと調べたい。

 そのためには持ち帰る必要がある。ここに置いて帰り明日来たときには無くなっていたら後悔してもしきれない。

 

 ちょっと借りるだけなら問題ない……問題ないと思う。思いたい。

 無断借用になるが馬鹿正直にこの本を借りられるかどうか聞く気にはなれない。

 直感のようなものがそれをしたら二度とこの本を手にすることはなくなると告げていた。

 

 

 

 

 外はもう闇色に染まっていた。丸い月が夜の空に輝いている。

 美しい満月だ。雲すらかかっていない。しかし風景を楽しむような余裕はあまりなかった。夕映ものどかも女子寮に住んでいる。門限などうるさくはないがあまり遅くなるとさすがに注意されるかもしれない。

 

 麻帆良は治安がいいとはいえ女子中学生が出歩くには遅い時間だ。もう少し早く帰るべきだったかと反省した。

 

 自分はともかく一緒に付き合ってくれた友人が補導されたら申し訳ない。いや、もし変質者に襲われたりしたら一生後悔するだろう。

 図書館島を出て女子寮へと向かいながらのどかと軽く会話をする。夜の闇を少し怖がっている友人の気晴らしになればと思った。

 

 にぎやかな学校でのこと、居心地のよい部活の話、そして話題は先日会った少年の話になった。

 

「やっぱり、ちゃんとお礼を言おうと思うんだ……あの罠は結構危険だったし、下手したら怪我していたかもしれないんだもの」

「そのときは一緒に行ってあげます。一人で男性に会うのはのどかには大変でしょう」

「ありがとう……でも司さんって男の人って感じがしないんだよね。ってこんな事言ったら怒られちゃうかな……」

「きっと言われ慣れていますよ。私の目から見ても女性にしか見えませんでしたし」

「うん、けど言われ慣れてても嫌な事ってあると思うから、そういう風には言わないようにする……」

 

 夕映は微笑を浮かべた。

 

「のどかは優しいですね」

「そ、そんなことないよ」

 

 本当に心の優しい友人だ。

 自分などにはもったいない。

 

「あれ? 夕映どこ行くの?」

 

 不意にかけられた声に夕映は驚いた。

 

「どこって女子寮ですよ。いつもの道じゃないですか? こっちを突っ切った方が早いです」

「え? でもそっちは『行ってはいけないんだよ』」

 

 夕映は形の良い眉を微妙な角度に動かした。

 行ってはいけない? 別に進入禁止の看板もない。なにか工事しているような様子もない。それにいつも通っている道ではないか?

 

「どうしたのです、のどか。いつも通っている道ではないですか?」

「うん、あれ? なんでだろう……そうだよね。でもなんか変な感じがして」

 

 頭に手を当てて少しぼんやりする友人の姿に疲れたのだろうと考える。

 思えば遅くまで付き合わせてしまった。この大人しそうな友人も見かけより体力があるといえ数日も遅くまで図書館詰めを続ければ疲れもするだろう。申し訳なく思いながら夕映はのどかの手を引いた。

 

「きっと疲れているです。早く帰ってお風呂にでも入ってゆっくりしましょう」

「うん……そうだね」

 

 そして夕映は越えてしまう。大切な友人の手を引いたまま。

 

 昼の世界から夜の世界への境界を。

 日常から非日常の世界へと。

 

 まだ自覚してもいないかすかな魔力を身につけたことにより魔法使いの張った結界を越えて。

 

 そこを進めばちょっとした広場があり、そこを突っ切れば中等部の女子寮だ。

 その広場に二人の人影を見とがめて夕映は足を止めた。

 

 こんな夜中に何をと不審に思う。

 

 金髪の小柄な少女はクラスメイトのエヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。

 少し距離を置いて対峙するのは長い黒髪を肩のところで軽く結った少年。図書館島で出会った藤宮司だった。

 

 

 

 

「あなたがこの手紙を?」

 

 司は手に持った便せんをすっと金髪の少女に放った。

 

 内容はシンプルだった。

 あなたに会いたい。会って話があると時間と場所を指定してきただけの簡潔な手紙。差出人はエヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。

 便せんに込められた微弱な魔力にこれを受け取った司は顔をしかめたものだ。

 

 あきらかに魔法使いからの手紙。

 無視しようかと思った。しかしこれが麻帆良の魔法使いからだとしたら知らぬ顔をしたら角が立つかもしれない。

 

 そう考えて仕方なく司は夜も遅くに満月を見上げながら約束の場所まで来たのだ。

 司の手を離れた便せんはまるで紙飛行機のように風に乗る。

 手元にまで飛んできたそれを指で挟んで受け取ると少女は唇を吊り上げるように笑った。

 

 背が低く幼く見えるがその表情は子供のものと考えるには違和感がある。

 黒いゴシックドレスに身を包んだ金髪の少女は興味深そうな目で司を観察しているようだった。

 

「まずは招待に応じてくれたことに礼を言おう。藤宮司、ごくろうだった」

 

 少女は尊大な口調で足を運んできた少年を労う。

 少年は表情の読みにくい微笑を浮かべて問いかけた。司とて歴史ある魔術組織の一族の子である。他の魔術師、あるいは魔法使いと接する態度ぐらい作れる。

 

「なにかお話があるそうですが、僕にいったい何の用事でしょう?」

「なに、たいしたことのない用件だ。関東最大の魔力を持つ小僧とやらを直に見てみたくてな」

 

 あきらかに年下に見える少女に小僧呼ばわりされても司は腹を立てなかった。

 目の前の少女は『違う』と司は感じていた。

 見た目通りの存在ではないと。さすがに『大神』クラスとはいわないが普通の人間の気配ではない。油断は出来ない。

 

「感想を聞いても?」

「なかなかおもしろそうな男だと感じているよ」

 

 くっくと喉を鳴らして笑う。

 

「見た目はあきらかに女だな。声も女のそれだ。匂いさえ男のものではない。おまえは本当に男なのか?」

「ええ、男ですよ。あいにくこの場で証明するのは勘弁してもらいますが」

 

 その言葉に少女は大声をあげて笑った。快活な笑いであり不快には感じない。嘲るような空気がないせいだろう。

 単純におもしろいから笑った。そのような印象だ。

 

 白いシャツと紺色のズボン姿の少年を見ても女の子が男物の服を着ているようにしか見えない。

 本気で証明させようとしたら脱がすか触るしかないだろう。

 

 それは勘弁して欲しいと怒るでもへりくだるでもなく堂々と言い放った少年の物言いが実際少女にはおもしろかった。彼女を相手にそんな口をきける人物はそうはいない。

 それが例え無知から来るものだとしても少女にしてみれば新鮮ではある。

 

「それも一興といいたいが、今わたしが知りたいのはおまえはいったい何者なのかということだ。性別などそれに比べたら些細なことだな」

「どういう意味です?」

 

 司は微笑を浮かべて尋ね返す。その笑顔からは内心を伺うことが出来ない。小僧にしてはなかなか場慣れしていると少女は評した。

 

「言葉通りの意味だ。貴様、ただの人間ではないだろう? わたしはこれでも他者の気配に敏感でな。貴様のそれは人間の気配とは若干違っている。それとも藤宮一族とは皆そうなのか?」

 

 司は腹の中を見せない微笑を崩さない。

 

「藤宮一族についてはどのくらい御存知です?」

「精霊術とやらを伝える関東に歴史のある一族だということぐらいか」

 

 それを知っているのならば十分だと司は肯いた。自分が藤宮一族であり、その一族が精霊術を伝える歴史ある一族と認識しているならば言いたいこともわかるだろうと。

 

「これは一族の秘奥に類することです。軽々しくお話は出来かねます」

 

 礼儀正しい拒絶の言葉だ。

 

 これは秘奥と言うには知るものは知っていることだ。だがだからと言ってぺらぺらとしゃべっていいことではない。

 

 そしてこう言えば大抵の魔術に関わるものは追求を諦める。

 一族の秘奥を明かせなどという要求をすれば下手をすればその一族と戦争になりかねないからだ。そのくらい魔術組織や魔術を伝える一族が伝え守る秘奥や秘伝のたぐいは重要視されるし尊重もされる。

 

 少なくとも秘奥を明かせというならば自身の伝えるそれに類するものを明け渡さなければならないだろう。そしてそんなことをする魔術一族などそうはない。

 秘奥のたぐいは独占しているからこそ価値がある。その一族の存在価値となり名声となり力となるのだ。

 

 いくら青山の血を引いているからとはいえ本来は部外者である司に青山の伝える神鳴流の奥義や皆伝を許すことの方が異例なのだ。当時大人同士の話し合いが当然あっただろう事は司も察している。

 

 そして事は藤宮一族の祀る『大神』と藤宮の魔術『精霊術』に関することだ。初対面の得体の知れない相手に教えることではないだろう。

 

 少女は不満そうにふんと鼻を鳴らした。

 

「秘奥……秘奥か。じじいは知っているのか?」

「じじい?」

 

 疑問の声に煩わしそうに「学園長のじじいだ」と答えが返ってくる。

 

「いえ、先生も知らないはずです」

 

 あるいはなにか耳にしているかもしれない。関東魔法協会の長である老人だ。なにも知らないと考えるのは楽観的だろう。

 

 けれど司の師とはいえ部外者の彼がその本当の意味を知るはずもない。

 ましてや近右衛門は一族の者からはずいぶん警戒されていた。司自身も近右衛門に一族の情報をほとんど与えなかった。

 

「そうか……じじいにすら隠す秘密か、興味深いな。ぜひ教えてもらおう」

 

 その言葉に司は実はひどく驚いたし狼狽した。どうやらこの少女は魔術師の常識が通用しない相手らしい。

 けれど表情を崩すことなく応対する。

 

「お断りします」

「そうつれなくするな。すぐに自分からしゃべりたくなるさ」

 

 少女の指がかすかに動いた。

 その瞬間、司は背中の産毛が総毛立つような感覚を感じた。まるで全方位から敵に包囲されているような……そしてすぐに理解した。

 

「小僧ではわたしの相手にもならんよ」

 

 自信たっぷりに少女が嗤う。先ほどはなかった嘲るような笑みがそこにあった。

 

 仕掛けにまったく気がつかない格下と侮られたと悔しく思う。だがそれも仕方ないと諦めた。周囲を完全包囲されるまで気がつかなかったのだ。馬鹿にもされるだろう。

 

 司を包囲した少女の兵隊。それは糸だった。

 

 いつの間に張り巡らせたのか魔力が通った糸が十重二十重に司を囲み、今にも束縛しようとしている。勝利を確信したように金髪の少女が笑う。その桜色の唇から白い牙が覗いた。

 

 その瞬間司は真紅の炎に包まれた。音もなくただ熱と光をまき散らして炎は司を包み込む。

 

「なに!?」

 

 突然の業火に金髪の少女が顔色を変える。

 指を動かすが手応えがない。糸はあの炎で焼き切られた。

 

「僕をその程度で止められると思わないことです」

 

 炎が一瞬で鎮火するとそこから火傷一つない司が現れた。身につけていた衣服も焦げ目すらない。本当に炎に包まれたのかと疑いたくなるほどだ。

 

「自分ごと燃やすとはイカれた奴だと思ったが、自分は燃やさずにそれ以外を燃やしたのか……」

 

 馬鹿げていると内心吐き捨てる。少女の魔法の常識からすればありえない。

 

「こういう加減は得意なんです。魔力制御は父も先生も褒めてくれました」

 

 飄々と微笑む少年に少女は好戦的に笑った。

 

「謝罪しよう。貴様を甘く見た。ここからはこのエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルが今出せる全力でおまえの相手をしよう」

 

 金髪の少女。『闇の福音』と麻帆良で、そして世界で恐れられる大魔法使いは慢心を捨てて少年と対峙する。

 

 封印され弱体化している今の自分の前に立つ資格がこの妙な少年にはあると認めた。全力状態ならまた違うのだがと惜しく思う。

 

 六百年生きた真祖の吸血鬼。

 その知識をもってしても今の魔法はいささか好奇心を刺激される未知の魔法だ。

 

 呪文の詠唱もなく自分を包み込むような炎を発生させ、魔力の込められた糸を瞬時に焼き払った。

 ただの無詠唱呪文や発火の呪文であるわけがない。それなら彼自身火だるまになっているはずだ。

 

 じじいの言っていた『精霊術』か? そうエヴァンジェリンは推測した。

 六百年生きてきてまだ見たことのない極東の魔術。

 退屈していたエヴァンジェリンの好奇心を刺激するには十分だった。

 

 近右衛門との約束などすでに頭から追い払っている。要は殺さなければいいのだ。殺さず重傷を負わせずに終わらせればいい。そうすればただの手合わせで始末がつく。いや、つけさせる。

 その自信がエヴァンジェリンにはある。勝負に勝つ方も近右衛門にこの件の後始末をさせる方もだ。

 

 エヴァンジェリンは実力者であったが自信家でもあった。

 弱体化しているとはいえ自分の張った人払いの結界に自信があった。だから関心も警戒も目の前の美しい少年だけに集中していた。だから気がつかない。

 

 藤宮司は慎重な人物だった。

 だからこそ未知の魔法使いを最大限警戒し、それに対処するために全神経を集中していた。一般人を遠ざける結界が張られていることに安心もしていた。彼も気がつかない。

 

 その場に本来魔法の世界と関係ない人物が紛れ込んでいることに二人とも気がつかなかった。

 

 偶然から魔力が込められた入門用の魔法書を手に入れて中途半端とはいえ魔力に目覚めてしまった少女。

 一般人を追い払う人払いの結界は未熟とはいえ一度は魔力をその身にまとった少女を一般人と認識しなかった。

 

 その彼女に手を引かれて、なにも知らない少女が震えながらその光景を見守っていたことにも気がつかなかった。

 

 

 

 

 綾瀬夕映は物陰に身を隠し、のどかを抱きしめるように庇いながらその光景を見ていた。

 会話の内容はよく理解出来なかった。

 しかし少年が突然炎に包まれてまったく傷つくことなく無事な姿を現したこと。一瞬で爆発的に燃え上がり消えるときも一瞬であった不自然な炎をはっきりと目撃した。

 

「魔法使い……」

 

 その光景に目を奪われる。胸の鼓動がうるさいくらいだ。緊張で喉が渇き手に汗をかいている。

 

 まさに。

 

 まさに自分は『魔法』を見たのではないか?

 目の前にいる人物こそ『魔法使い』ではないか?

 だとしたら自分は……世界の神秘を『知った』のだ!

 

 歓喜と感動。そして興奮が夕映の心を震えさせた。もうあの美しい少年から目が離せない。

 

 おそらく、いや最低でもあの少年かマクダウェルのどちらかは『魔法使い』だ。

 

 会話を思いだしてそれを必死に分析する。

 そして思い直す。いやほぼ確実に二人とも少なくとも『魔法』を知る人物だろう。あれは無知な者を相手にする会話ではなかった。

 

 夕映はただ息を潜めて二人を見続けた。

 きっと二人は自分にこの世界のもう一つの姿を、歴史に隠された神秘を見せてくれる。

 

 人形のような美貌に不釣り合いな好戦的な笑みを浮かべる級友。

 内心を伺わせない微笑を浮かべながらも鋭く目の前の少女を見据えている少年。

 

 もはやそれ以外目に入らないかのように目が離せない。

 まるで魂が魅了されたようだと少女の冷静な部分が指摘する。

 

 ああ、そうでしょう。

 見せられた。魅せられた。惹きつけられ魂をその手に鷲づかみにされた。

 

 もはやなにがあろうと目が離せない。けして手放してはならない。これこそが自分の胸に燻り続けていた欲望。けして叶うことないと諦めていた夢。

 それが目の前にあるのだ。もはや他のことなど忘れて見入っていた。

 

 そんな夕映の腕の中でのどかは心細い視線でこちらに目も向けない友人を見やり、そして自分を助けてくれた少年を見つめた。

 

「司さん……あなたはいったいなんなのですか?」

 

 その声に恐怖はなかった。

 ただ微笑を浮かべて立つ少年の姿を痛々しい気持ちで見つめていた。

 

 今の少年の姿を見ると胸が痛い。

 

 図書館島で楽しそうに夕映と話していた彼。

 自分をまるでおとぎ話の騎士か魔法使いのように罠から助けてくれた彼。

 

 優しそうで穏やかな雰囲気の人だった。

 暖かい世界の中で微笑んでいるような人だと感じたのに。

 

 それが今の彼は顔は穏やかに笑って見せてもとても無理をして、苦しんでいるように見えた。

 なぜ二人が険悪な雰囲気になっているのか、先ほどの炎はなんなのか。まったく理解出来ないがそれでも彼のことが心配だった。

 

 なにが起こるのかわからない。けれどのどかは司の無事を祈っていた。

 




 ゆえ吉、独力で魔法関係に手を染める!
 ……無理がありますかね?
 でも図書館島ならこっそり魔法関係の本が隠されてあっても不思議じゃない気がします。
 麻帆良だし。
 秘匿意識が高いのか低いのかわからない世界ですから。


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第六話 藤宮の精霊術

 なんでこんな事になるのだろう?

 やはり麻帆良に来るべきではなかったかもしれない。司は虚しく考える。

 

 捕縛用の魔力糸を焼き切られると目を輝かせてさらに好戦的な『イイ笑顔』になった金髪の少女。エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。

 

 どうやら西洋魔法使いらしい。

 ということは麻帆良の魔法使いだろう。

 

 つまりこの襲撃に師である近衛近右衛門が関与している可能性がある。

 あの師ならば「弟子の実力を見てみたかった」などととぼけた顔をしながら覗き見していてもおかしくない。

 

 しかしそれにしては目の前の彼女は司の目には誰かに使われるような人物に見えない。非常にプライドの高い独立心の強い人物だと思えた。

 

 あるいは彼女の独断かもしれない。

 

 どちらにせよ一戦する必要はありそうだ。

 話し合いで済ませられるような雰囲気ではない。

 

 慎重に彼女を観察する。

 

 小柄な身体は小学生と言われても納得できそうだ。到底格闘戦に向きそうには見えない。だが魔力で強化されたら子供でも大人を殴り飛ばせるのだから体格差があってもあまり油断は出来ない。

 

 魔力自体は普通の魔法使い程度なのだろうか。司は西洋魔法使いの基準をよく知らないのでわからない。しかし取り立てて魔力に恵まれているとは思えない。標準かあるいはそれより少なめ程度だろう。

 

 しかし先ほどの魔力糸はすさまじかったと思い浮かべる。なにしろ気がついたらあっという間に包囲されていた。

 おそらく自分並みかそれ以上の制御能力があるのだろう。やはり油断は出来ないと司は憂鬱になる。

 

 そんなのと戦わなくてはならない。魔力が少ないことなどなんの慰めにもならない。

 

 魔力が少なくても戦い方と経験でどうとでも出来ることが多々ある。

 本格的な修行を始めたばかりの司が良い例だろう。

 

 大祭後『関東最大の魔力量』と持ちあげられたが、司は自分より魔力量で劣る先輩や父や近右衛門にさんざん叩きのめされていた。

 

 大きな魔力も使いこなせなければ意味はなく。あの頃の司はただ制御が得意なだけの子供だった。魔力の制御は出来ても肝心のそれを活かす技や技術を知らないのだ。熟練の魔術師達に勝てるわけがない。

 

 そして多くの人に鍛えられて成長した今でも最強には手が届かない。

『関東最大の魔力を持つ魔術師』イコール『最強の魔術師』ではないのだ。

 

 それでも怪我をしたくないし死にたくもないのでがんばるしかない。

 おそらく戦いはじめればきりのいいところで制止が入るだろうと司は予想している。

 

 これが近右衛門の手のひらの上なら確実に。そうでなくてもここが麻帆良であることを考えれば戦いはじめれば確実に麻帆良の魔法使いが気がつくはずだ。

 

 相手は正体不明の実力者。所属はおそらく麻帆良の魔法使い。

 

 負けるわけにもいかず。かといって容赦なく彼女をぶちのめすわけにもいかない。

 手加減が苦手なことは自覚している。だが万が一重傷を負わせたら問題になる可能性があった。

 

 それ以前にこの正体がいまいちつかめない少女は全力で挑んでも平然としていそうな予感がする。

 

 仕方がない。と決断する。

 怪我をすれば治療すればいい。それが自分であれ相手であれだ。

 麻帆良側も自分から仕掛けておいてことさら問題視はしにくいだろう。そう思いたい。

 

 司の雰囲気の変化に気がついた金髪の少女が楽しそうに笑う。

 

「ふん、ようやく腹を据えたか? 煮えきらん男は嫌われるぞ」

「失礼しました。こういうお誘いは珍しいので困惑していました」

 

 司は女性からまっとうなお誘いなどろくに受けたことがない。ろくでもないお誘いは多かった。おもちゃ的意味で。

 それでも会ってすぐさま『戦おう』と言われるのは珍しい。青山の宗家に出向いた時ぐらいか、それでもあれは一応皆伝のための試験という名目だった。

 

 そしてその手の女性は大抵司の意見など聞きもしないのだ。

 正直女性はか弱くて守るべきものであるという言葉に無性に反論したい。あのパワーは男ではたぶん無理だと思う。守る必要があるのだろうか?

 

「ふふっ、良いところを見せたら食事ぐらいは誘ってやるよ」

「そしてその場で僕の秘密を聞き出すのですか?」

「よくわかったな。安心しろ、無粋な方法は使わん。それほどの男には相応の扱いをしてやるさ」

「では無様に負けたら?」

「負け犬には負け犬にふさわしい扱いがあるだろう?」

「よく理解出来ましたよ」

 

 大人たちに藤宮の跡取りとして鍛えられた笑顔の仮面で会話する。

 

 ……胃が痛い。

 

 麻帆良にいる間はこんな事をし続けなければならないのだろうか?

 これなら地元の学校で女子のおもちゃになっていた方がマシだったか。

 

 どちらかというと素直な性分の司は本心を隠しての会話は疲れるし、気質的に好まなかった。

 本心では素直にとにかく争いごとはしたくないと伝えたい。

 そしてなんとか穏便にすませたい。

 

 けれどそれは『藤宮の跡取り』には許されない。特に麻帆良で麻帆良の魔法使いに対しておこなうことは絶対に許容されない。

 

 藤宮は麻帆良の下部組織ではないのだ。

 正式には関東魔法協会に加入すらしていない独立勢力であり、その跡継ぎ候補である司が麻帆良の魔法使いに非もなく頭を下げ許しを請うなどあってはならない。

 

 そのあたりの教育は麻帆良に来る前にきっちり受けた。

 

「藤宮の名と誇りと共に歩め」

 

 そう言って送り出した父の姿を思い出す。

 藤宮最強の魔術師の一人であり、威厳と指導力溢れる藤宮当主だ。

 

 司の尊敬する父が司ならば問題ないと認め送り出してくれたのだ。

 その期待と信頼を背くことは出来ない。

 

 それは『藤宮司』には許されない。

 

「では藤宮司、この美しき満月の下で共に楽しもうじゃないか。このエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルがお相手しよう」

 

 金髪の少女、エヴァンジェリンの手に試験官に似たガラス容器が握られる。どうやら服に仕込んでいたらしい。

 

 試験管を放り投げエヴァンジェリンが呪文詠唱に入る。

 

 即座に魔力が練り上げられ、魔法という形になる速度のすさまじさに目を見開いた。

 この速度と制御力、さらに完成された魔法の熟練度は師、近右衛門すら超えるだろう。

 

「魔法の射手、連弾、氷の三十一矢」

 

 司の立っていた場所に西洋魔法の基本攻撃魔法『魔法の射手』が打ち込まれる。

 その威力に司は驚いた。

 込められた魔力の少なさに比べて威力が途方もない。

 

 呪文詠唱前に投擲した試験管。あれになにか液体が入っていたが、おそらく呪文発動のための触媒だろう。

 触媒の力を借りたとはいえあれっぽっちの魔力でよくあの威力がでるものだ。司に同じ事をやれと言われてもできないと断言できる。

 

「逃げ足が速いな? 藤宮司、それが藤宮の戦い方か?」

 

 とっさに空へ逃げた司を追撃するでもなくゆっくり視線を向けて笑いかけてくる。

 

 司としては可能なら死角からの攻撃を加えたかったが、相手に隙がないので諦めた。結果ただ上空で突っ立っているようにも見えた。

 

 そんな司にエヴァンジェリンは心底楽しげに笑みを浮かべる。

 

 彼女は彼女で司の技量に驚いていた。恐ろしいほどにスムーズな瞬動からの空中を浮かぶ魔術へのつなげ方。緊急回避一つに無駄に熟練の技術が込められている。並の術者ではありえない。

 

「心配するな、わたしは大抵のことでは死なない。だからそれほどおっかなびっくり戦う必要はないぞ?」

 

 攻撃をためらっているのを見抜かれたらしい。司としてはお互い怪我なく実力を讃え合って終わりという結末がもっとも波風立たない方法で望ましいのだが。

 

「怪我をした場合は治療しますから、安心してください」

 

 するとエヴァンジェリンは噴き出した。

 

「おまえはなにも知らないんだな? まったく笑える無知さだ。怪我の心配なら自分の綺麗な肌でも心配していろ。いや、そうだなそちらがそういうつもりならこちらも加減してやろうか?」

 

 魔術で宙に浮く司にエヴァンジェリンがさらに魔法を放つ。

 

「氷結、武装解除!」

 

 投げつけられた試験管が爆砕し、相手を無傷で武装解除させる魔法が発動した……はずだった。

 

「氷よ。安らかなれ」

 

 司のその一言で、エヴァンジェリンの魔法がかき消えるように無効化された。

 彼女の目が驚愕に見開く。

 

「……なにをした?」

「教えてあげません」

 

 その答えにエヴァンジェリンが笑う。腹の底から楽しげに。

 

「そうか、それが『精霊術』か! 西洋魔法のように魔力を対価に精霊を使役する魔法ではなく……おそらく精霊と同調し、自ら精霊の技をふるう魔術だな?」

 

 一目でまるっとお見通しらしい。

 司は少し驚いた。

 

「先生でも一目で見抜いたりはしませんでしたよ……」

「ふん、じじい程度とわたしを比べるな。わたしは封印さえなければ最強の魔法使いだぞ?」

「封印?」

「その話は後で話そう。今はもう少し遊ぼうじゃないか。わたしも身体が温まってきたところだ」

 

 どうやらなにか事情があるらしい。

 そしてまだやる気まんまんらしい。

 

「今のがわかったのなら理解出来たはずでは? あなたの魔法は僕には効きません」

 

 笑顔ではったりをかますが、これはさすがに無理があったらしい。即座に否定された。

 

「さてそれはどうかな。おまえは初撃の魔法の射手を無効化せず避けた……なぜ無効化しない? 出来なかったのではないか?」

 

 どうやら術の特性まである程度見抜かれたらしい。はったりなど通用しないようだ。

 

「その術は対魔法用の防御としては優秀だ。だが欠点もあるだろう? おそらく相手の使う属性を見極めた上で、同じ属性の精霊を使って無効化する必要がある。だから最初の一手、発動の速いわたしの魔法に対処が遅れて貴様は回避を選んだのだろう?」

 

 司は口元を引きつらせた。

 図星だ。

 

 予想外に速い魔法展開に司の精霊による干渉は間に合わなかった。

 おかげで慌てて上空に逃げたのだ。

 

 二撃目はすでに魔法の速度を見ていたのでなんとかそれに合わせられた。

 かなりぎりぎりで追いすがるのがやっとだ。さらに速度を上げられたら司では追いつけない。

 

「万能の防御呪文などない。完全な攻撃呪文がないようにな。ようするに……」

 

 彼女が選ぶ手はおそらくこちらの予測を外す攻撃だろう。司は予想する。

 

 精霊干渉による防御は相手の魔法を認識している必要がある。

 つまり。

 

「貴様は奇襲に弱い」

 

 エヴァンジェリンが断じた。その通りだと司は顔を引きつらせた。

 再び糸が司の足を絡める。焼き切ろうと意識を集中するより速く強力な力で地面に引きずり落とされた。

 

「そしてその魔術は、その特性故に精霊属性の魔法しか防げない。純粋な魔力を無効化は出来ない」

 

 にやっとエヴァンジェリンが笑った。

 貴様が拘束用の魔力糸を燃やしたのもそれが理由だろうと。その魔術では魔力糸は無効化できないのだろう? そういいたげな笑顔だった。

 かろうじて受け身を取り、まとわりついた糸を炎で燃やして司は立ち上がる。まったくの事実なので反論できない。

 

「そしてこれは推測だが、おそらく相手の魔力を上回る魔力が必要なのではないか? そうでなければ相手に支配された精霊が言うことを聞くまい」

 

 まぁこれは貴様にとっては特に弱点になるまいと笑ってみせる。

 

 確かに司ほどの魔力量の持ち主は希だ。

 司が自身の持てる全魔力を一度に運用できると仮定すれば、司は個人戦に限定すれば大抵の魔法を無効化できることになる。

 

 現実には司はまだその領域に届いていないが。

 

 かなりの規模の魔力も扱えるようになったが、魔力が巨大化するにしたがって発動に時間が必要になってしまう。これでは実戦ではろくに使えない。

 

「じじいの世迷い言もたまには役に立つ。貴様ならあるいはわたしの呪いも解けるかもしれん」

「呪い? 先ほどは封印と聞きましたけど」

 

 封印された上に呪いまでかかっているのだろうか?

 司の言葉にエヴァンジェリンは苦い顔をした。

 

「似たようなものだが、貴様に期待しているのはわたしの身を苛む呪いの解呪だ。これはじじいからいずれ伝えられるだろう」

「まさかそれを伝えるためにこんなことを?」

「まぁな。本当にそれが可能な力量を持つものか確認したかった。未熟者にあれこれいじられて悪化でもしたら目も当てられんからな」

 

 だったら最初からそう言って欲しかった。司は内心で恨み言を吐く。

 

 そうすれば自分の魔術の特性を話し、あるいは実演して見せただろうに。

 自分の体質はともかく精霊術を見せる程度なら特に問題はないのだから。

 

 でもこれで終わりかと安心しかけたところでエヴァンジェリンが再び試験管を取り出した。

 彼女は輝かんばかりの笑顔だった。司はいやな予感で背筋が震える。なんというか司をおもちゃ扱いする女子と同類の気配を感じる。

 

「おいおい、まさかこれでお開きなんて腑抜けたことを考えていないだろうな? 言っただろう? 良いところを見せてくれよ、藤宮司!」

 

 同時に三つの試験管が舞う。

 

「闇の吹雪!」

 

 ちらりとエヴァンジェリンの期待に満ちた表情が目に入り、一瞬で魔力は魔法となり巨大な暴力となって吹き荒れた。

 

 彼女は期待している。

 自分がまだ手札を隠しもっていると。

 

 それを見せろと要求している。

 ならばおとなしく見せましょうと司は諦めた。

 

 ああいう強引な人間にはなにを言っても無駄だろう。

 きっと満足するまで続ける気だ。

 

 ならば早めに満足してもらおう。

 

「……すべてを燃やし尽くす!」

 

 司は目の前の自身を消し飛ばしかねないほど強大な魔法を睨みつける。慣れ親しんだ魔術は特に強く意識するまでもなく形となりその猛威を振るった。

 

 こちらを喰らい尽くそうと突進してくる闇と氷の暴風に対して司は巨大な炎を顕現させる。すべてを燃やし尽くす業火は爆炎となって夜の気色を真昼のように照らし出した。

 

 藤宮に伝わる精霊術。

 精霊と同調し、精霊の力を借り、精霊の力をふるう。

 

 藤宮の子、司の操る炎は文字通りすべてを燃やし尽くす。それが物であろうとも、者であろうとも、例え魔法であったとしても。

 

 エヴァンジェリンの呆気にとられた顔が少しおかしかった。おそらく自信のあった魔法なのだろう。それだけの威力があった。

 

 誰が思う。

 誰が想像する。

 

 放たれた魔法を一瞬で『燃やされる』などという非常識を。

 

 闇と氷が炎に喰われ燃やされ、魔力の残滓すら残さずに消滅する理不尽。魔法が力負けして敗れるなら理解出来るだろう。しかし相手の魔法を消滅させる魔法や魔術は通常存在しない。それこそ希少技能である『完全魔法無効化』ぐらいだろう。

 

 エヴァンジェリンの放った『闇の吹雪』は司の一睨みですべて『燃やし尽くされた』格好になった。エヴァンジェリンどころかほとんどの西洋魔法使いが度肝を抜かれる光景だろう。

 

 これこそが近右衛門が藤宮を軽視してはいけないと自戒する要因の一つ。『魔法を滅する魔術』である。世界的にも珍しい魔術であり。近右衛門達麻帆良の西洋魔法使いでは再現不可能な技能である。

 

「くっくっく……はっはっはっはっは!! なんだそれは!? 魔法すら燃やす魔術か! これは驚いたよ。先ほどの無効化が児戯に見えるほどだ!」

「実際、精霊の干渉による魔術無効化は精霊術では基本の術です」

 

 司は狂ったように大笑いするエヴァンジェリンに若干呆れつつ説明した。

 

「それに比べれば魔法だろうと魔術だろうと滅ぼす術行使は通常の術より上位の技術になります。基本的にこの上級精霊術が使えて初めて一人前扱いですね」

 

 藤宮では精霊を操って普通に魔術を行使するのは下級精霊術。精霊干渉はこれに属する。

 さらに上級の技術で相手の魔術、魔法すら滅する。つまり精霊も魔力も滅することが出来る術は上級精霊術に分類される。

 

 上級精霊術を使えて初めて藤宮の精霊術士として一人前と認められるが、その上級精霊術も上を見上げればきりがない。

 司が今見せた『魔法を滅する魔術』など上級精霊術の初歩といっていい。

 

「なるほど降参だ。今の魔法の威力を見る限りおまえはその気になればわたしをいつでも殺せる攻撃手段をもち、かつわたしの魔法を理論上すべて滅ぼせるのだな? ならばこの条件ではわたしが不利だ。全力を出せるならばおまえの無効化も今の炎も上回る魔力で魔法を使えるが、今の封印された身では不可能だ。おまけに今の一撃に魔力の大半を使った。もう残りの魔力が心許ない。ここは素直におまえの健闘を称えて降参しよう」

 

 予想外にあっさり引き下がったことに司が驚く。

 するとこちらの感情を読んだのかエヴァンジェリンが若干おもしろくなさそうに腕を組んだ。

 

「わたしはおまえを殺す攻撃ができない。わたし自身女子供を殺さない主義というのもあるが、おまえはわたしの呪いの解呪に必要だ。だから殺せない。殺し合いならばわたしにもまだ打つ手があるが、そこまでやる必要はないし、やるわけにもいかん」

 

 おまえには期待しているからなと。降参といいながらむしろ勝者のような晴れ晴れとした笑顔でエヴァンジェリンが笑う。

 

 実際彼女に勝てるかは半々だろう。

 

 魔力を消費させ持久戦に持ち込めば勝てるだろうが、それを許すか疑問だ。

 精霊術も初見なら通用しただろうが、すでに見せてしまった以上なんらかの対策をするだろう。

 

 精霊干渉による無効化さえあっという間にその特性を見破ったほどの魔法使いだ。上級精霊術の特性すら見破ってもおかしくない。藤宮の精霊術も無敵でもなければ万能でもないのだから。

 

 本気で勝とうとするならば、それこそ全力で潰しにかからなければならない相手だろう。そんな相手と意味のない戦いなどしたくないのが司の本音だ。

 

「ところで一つ聞きたいんだがな」

 

 エヴァンジェリンが皮肉げな笑顔をこちらに向けた。

 

「あの炎を使ったときのおまえは人間だったか?」

 

 やっぱり気がついたか……。

 諦めたように司は説明した。ばれてしまっているのなら教えても良いだろう。教えてかまわない範囲なら。

 

「精霊術を使うには基本的に精霊と同調できる能力が必要ですが、上級精霊術を使うには通常以上の精霊との同調が必要です。そうですね。精霊を憑依させたに等しい半精霊といっても差し支えない状態になります。人間とは気配が違うかもしれません」

「おまえの奇妙な気配はそれのせいか……なんとも無茶な魔法を使うものだ」

「それほど危険はありませんよ。きちんと制御能力があり、精霊との適性が高すぎたりしなければ問題ありません」

「高すぎればどうなる?」

「低ければそもそもこの術が使えませんが、高すぎると精霊と同化して人から外れます。その後も生き続けられるかは半々ですね」

「おまえは適性が高すぎる口か?」

 

 司は見透かすようなエヴァンジェリンの問いに答えなかったが、彼女はなにやら納得したようだった。

 

「魔法使いが魔法に呑まれて死ぬなど哀れを通り越して滑稽でしかないからな。まぁ気をつけることだ。ツカサ」

 

 司の常人とは違う気配も精霊術の副作用程度に認識したのだろう。

 それならそれでかまわない。わざわざ初対面の相手に話すことではない。

 

 上機嫌に納得するエヴァンジェリンの言葉を司は訂正しなかった。本来、司ほど人からはずれることなどありえないなどと部外者にわざわざ説明することではない。

 

 憑依云々は精霊術の素人にわかりやすく説明した結果に過ぎない。上級精霊術を使うのに精霊との親和性が重要になるが、憑依までさせるのはまた別の術だ。

 見習いへの訓練で『精霊をその身体に宿すつもりで術を使いなさい』と教わるからまんざら嘘でもないが。

 

 精霊術を修め、極めようとする藤宮一族はその身に精霊の気配を強く宿す。だがそれだけだ。『人の気配から外れている』などと指摘されるのはよほどの例外だ。

 

 そして司は『世界最古の精霊』とも言い伝えられている藤宮の守護神『大神』の加護を受けた人間だ。藤宮一族の中でも特別な存在である。

 初対面の西洋魔法使いにそこまで明かす義理はない。なので司はすっとぼけることにした。

 

 

 

 

「あ、あの!」

 

 突然の第三者の声。

 戦闘を終えて気が緩んでいた二人は驚きを表情に表した。

 

 振り向くとそこにはおでこを出した少女と目元が隠れがちな程前髪の長い少女がいた。

 

「綾瀬夕映と宮崎のどかか……いったいどうやってここに入り込んだ?」

 

 舌打ちをしてエヴァンジェリンが一気に不機嫌になった。

 面倒ごとになったと感じたのだろう。

 

 司も内心多いに顔をしかめていた。魔術の秘匿は藤宮一族でも基本だ。

 彼女たちに見られていたのなら対策をする必要がある。

 

「あなたたちは魔法使いですか?」

 

 夕映が緊張しながらも目を輝かせて尋ねてくる。

 エヴァンジェリンはもう一度大きく舌打ちするとこちらを睨みつけた。

 

「おい、ツカサ。貴様の一族ではこの場合どうなる?」

「……記憶封印か、あるいは説得か」

「だいたい変わらんな。こちら側もだいたい同じだ……魔法をばらした奴はオコジョに変えられるという罰則もこちらにはあるが」

「笑えないジョークですね」

「いや、現実に西洋魔法使いではありふれた罰則だぞ。オコジョ刑は」

 

 変な罰則もあったものだ。

 その法律を決めた人間はよほどオコジョが嫌いだったのか、あるいはオコジョになりたいという願望でもあったのか。

 

「さてどうする?」

「麻帆良側としてはどうしたいのです?」

 

 エヴァンジェリンに問いかけられるが司こそ彼女の方針を知りたい。質問を返すと彼女はきょとんとした。

 

「ああ、貴様はまだなにも知らんのか。わたしは厳密には麻帆良の魔法使いではない。ここに少々厄介にはなっているが、ここに所属している訳ではない」

 

 少々変わった立場らしい。

 ということはこの件に麻帆良の助力や庇護は期待できないのだろうか。

 考え込む司に夕映は少し怯えた顔をした。

 

「なにを話しているのですか?」

「おまえたちの処遇に決まっているだろう綾瀬夕映。好奇心猫を殺すとはよく言ったものだ」

 

 彼女たちに向けて露悪的ににやりと笑ってみせるエヴァンジェリンに司は眉をひそめた。

 どうも怯えさせて楽しんでいるようにしか思えない。どうやら彼女は性格に問題がある魔法使いのようだ。

 

 二人の少女は怯えて後ずさる。のどかを背後にかばうように夕映が立ちはだかっていたが足が震えているのが一目でわかる。

 

 司は彼女たちがかわいそうになった。

 おおかたなんらかの事故で結界をすり抜けてきたのだろう。

 そこで超常現象を発生させて戦う自分たちを見て、興味を持ったのだろうと考えた。

 

「エヴァンジェリンさん……女の子を脅かすなんて趣味が悪いですよ」

「ふん、ならおまえがなんとかしろ。わたしは面倒ごとは嫌いだ。また魔法使いどもがうるさいからな」

 

 面倒ごとを丸投げされて司は少し肩を落とした。

 面倒ごとは司も嫌いだ。

 

 けれどここで彼女たちを放り出したら後が怖い気がする。

 

 エヴァンジェリンが麻帆良の魔法使いなら彼女に任せるという選択肢もあったのだが、そうでないのなら彼女たちの対処はエヴァンジェリン自身の都合が優先されるだろう。

 

 組織ならともかく個人では彼女たちのことを考えた配慮をしてくれるという保証がない。

 それは組織でもあまり変わらない気もするが。それでも一般人への魔法バレに対するノウハウをもっている組織と個人ではやはり組織の方が穏便に事をおさめる傾向がある。

 

 女子供は殺したくないというようなことを言っていたから、目撃者には死をなんていう過激なことはしないと思うが。

 

 それでもいまだに麻帆良での立ち位置や行動方針が読めない彼女に、目の前で怯える女の子たちを預けるのは気が引けた。

 

「二人とも怖がらずに落ち着いて聞いてください」

 

 司はできる限り穏やかに、相手を刺激しないように話し始めた。

 二人の少女の目には、好奇心や不安、怯えなどに混じってかすかにこちらを頼るような色が合った。

 

 さて、無事に説得できるといいのだけど。

 




司対エヴァンジェリン。
エヴァンジェリンってたぶん封印状態でも強いですよね?
しかも種族的に満月の夜なら特に。
ネギとの対戦は絶対に手抜きしまくっただろうと考えています。
封印結界の落ちた全力状態でもかなり手を抜いていた感じですし。


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第七話 説明と説得

「こんな夜遅く、女に外で立ち話をさせる気か?」

 

 司が説得をするつもりだと察するとエヴァンジェリンはそう言って話し合いの場に自分の家を提供した。

 

 人気の少ない地に建てられた木製のログハウス。

 なかなかの広さであり手入れも行き届いているため見かけよりもよほど快適な家だ。

 

 エヴァンジェリンが従者の絡繰茶々丸に茶の用意をさせ、温かいお茶を飲みながらロビーで話し合いをはじめる。

 司は相手に余計な恐怖心や警戒心を与えないように注意しながら自分たちのことを説明していった。

 

 話を聞いていくうちに夕映とのどかはその内容に驚き、かつ目を輝かせた。

 

 世界に隠された魔法。

 隠れ住む魔法使い。

 麻帆良は魔法使いの都市であり、藤宮司やエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルも魔法使いである。

 

 まるで物語のようだと二人とも興奮し、感動さえした。

 けれど身をすくませるような話もあった。

 

 魔法は秘密にされるものであり、魔法使いはそう教育を受ける。

 そしてその秘密がばれた場合。

 記憶を操作して魔法のことを忘れさせることもあるのだという。

 

 その理由は社会を混乱させないため一般には魔法は秘匿されるべきという理念であり、一般人を危険な裏の世界に巻き込まないための対処法であると。

 

 危険。

 そう危険なのだ。

 

 どこが危険なのかと首をかしげる二人に司は言った。

 

「僕たちの戦いを見たのでしょう。あの魔法が自分たちに向かって撃たれていたらどうなったと思いますか?」

 

 優しい口調だった。

 けれどその言葉の意味するところを想像して二人は身体がこわばった。

 

 二人は魔法使いだからお互いの魔法から身を守ることが出来た。

 自分たちはどうか、あの爆発や炎が襲いかかってきたらなにが出来る?

 

 なにもできない。

 抵抗などできずにただ命を落とすしかない。

 

「魔法使いはその気になれば簡単に人を殺せるんです。そして場合によってそれは魔法使いの社会で許容される。いえ賞賛される場合さえある」

「人を殺すのが認められるなんて、そんなことあるはずがありません……」

 

 司の真剣な口調に萎縮したのか、夕映の反論もどこか弱い。

 

 人殺しが認められるという発言は二人にとって衝撃が強かった。

 現代日本で生まれた普通の中学生にとって人殺しは禁忌に近い。犯罪以前に人間としてするべきでないと骨の髄まで染み込んでいる。

 

 司は困ったように首を振った。

 

「魔法使いの世界は夢のような優しい世界ではないです。もっと俗でそして野蛮な世界です。敵だから殺す。邪魔だから殺す。秘密を知ったから殺す。そういったことが当然のようにあります。もちろんすべての魔法使いがそうであるわけではないですが」

 

 所属する組織によっても違うし、魔法使い自身の意識によっても違うという。

 

 そして表の世界に善人や悪人がいるように、ニュースで見飽きるほど凶悪犯罪が起きるように。魔法の世界でも当然のようにそれらはあるのだと。

 

「今回のケースも普通なら拘束して記憶を封印。何食わぬ顔で日常に戻すのが一般的な対処法ですが、人によっては目撃者は消してしまえばいいと考える人もいるでしょう」

 

 司の言葉に二人はエヴァンジェリンに怖々と視線を向ける。

 優しく説明してくれる司には一定の安心感を感じるが、事態を面白がるような顔で沈黙を守る彼女は不気味に思えたようだ。

 

 視線に気がついたエヴァンジェリンが物騒な笑みを浮かべた。

 

「そういう奴もいる。わたしもそれが一番後腐れない気もするな……行方不明者が二人ぐらい出たところで少しの間騒がしくなるだけだ。一年後には誰も気にしなくなるさ」

「エヴァンジェリンさん……」

 

 あきらかにおもしろがっているエヴァンジェリンに司が呆れたような声を出す。

 エヴァンジェリンが大袈裟に肩をすくめて沈黙すると気を取り直したように再び話し始めた。

 

「僕としてはできる限り穏便に済ませたいのです。秘密を守ってくれると約束するのならば僕らは君らに危害を加えない。約束を守る自信がないというのなら記憶を封印するけど心配しなくてもだいじょうぶです。あの場に君たちは行かなかった。だから魔法など見なかったという風に記憶が操作されるだけで、それ以上の事はしないですから」

 

 のどかは思い切って口を開いた。

 

「わ、私はしゃべったりしません」

 

 優しい目でのどかに肯き返し司の視線が夕映を向く。

 

「私も秘密をばらしたりしないです」

 

 その言葉に司は安心したようだった。

 これで説得は上手くいった。そう思ったのだろう。

 

 

 しばらく考え込み、躊躇し、それでもと思いきって夕映はバックから黒い本を出した。その本に魔力を感じ取ってエヴァンジェリンがかすかに眉を動かす。

 

「私はこれを図書館島で見つけたです」

 

 司に本を差し出す。

 

「この本は本物なのではありませんか? 私はその通りに訓練を試して不思議な光を目撃しました」

 

 本を受け取って軽く読むと司は若干疲れた顔をした。

 

 それは本物の魔法教本だった。

 

 誰が書いたのかわからないがご丁寧に魔力を自覚しやすくなる暗示が本にかけられてある。他にも魔法がかけられているがおそらく無関係な人物がこの本に興味を向けないようにするための魔法だろう。正常に作動しているとは思えなかったが。

 

 エヴァンジェリンが興味深そうに口を開いた。

 

「ほう、本を読んだだけで魔法に目覚めたとでも言うつもりか? 本当ならたいした才能だ」

 

 司は無言でエヴァンジェリンに本を渡した。見ればわかるという態度だ。

 その本を観察したエヴァンジェリンは軽く中身を確かめると納得したように肯いた。そして少し落胆した。確かにこの魔法教本なら素人でも魔力の知覚くらいは出来るようになるだろう。そういう魔法がかかっているのだから。

 

「綾瀬夕映、おまえが試したのは魔力知覚の訓練か?」

「はいです。最初の訓練だと書かれていたのでまず試しました」

「おまえが見たのはおそらく魔力だろう。魔力を光という形で視認したのだろうな」

 

 夕映の頬が興奮したように紅潮し、のどかが「すごい」と素直に感心した。

 

「別にすごくはない。この本は魔力の自覚を促す魔法が込められている。実に初心者に優しい入門書だな。大抵の者はこれを読んで実践すれば魔力を自覚する程度は出来るだろう。才能はあまり関係ないな……なんならおまえも試すか?」

 

 たいしたことではないと言われて夕映はかすかに肩を落とし、本を手渡されたのどかは好奇心に負けて中身を読んだ。

 

「えーと、訓練法……魔力知覚の訓練、これなのかな?」

「やってみろ」

 

 悪戯っぽくエヴァンジェリンが促す。

 ゆっくりと本を読み、読み終わるとのどかは胸の前で祈るように手を組んで目をつぶった。

 その様子を幾分緊張したように夕映が見守る。

 

 司は小声でエヴァンジェリンに抗議した。

 

「なにを考えているんですか? 一般人に魔力を自覚させてどうするんです?」

「まぁ見ていろ。案外おもしろくなるかもしれん」

 

 エヴァンジェリンはまったく取り合わない。手軽な実験でも眺めるような気楽さで宮崎のどかを観察していた。

 

 数分が過ぎゆっくりと目を開けたのどかは小さく悲鳴をあげた。

 のどかの目にはここにいる全員がうっすらとした光をまとっているのが見えていた。

 

 自分と夕映がもっとも弱くぼんやりしている。

 手に持った本の方がいくらかはっきりとした光だった。

 エヴァンジェリンと司はさらにくっきりと光が見える。まるで後光が差しているようだ。二人の美しい容姿もあって天使かなにかに見える。

 

 そして司だ。

 目に見える光こそエヴァンジェリンと同じようだがのどかは胸の奥が騒がしくなるほどの強力な存在感を司から感じていた。

 

 けれど不思議と怖くはない。

 まるで本物の天使に出会った気分で、なにかすごい存在感を感じる司に目を奪われた。

 

「まるで一目惚れした乙女のようだな? 宮崎のどか」

 

 その様子を見ていたエヴァンジェリンにからかわれてのどかは真っ赤になってうつむいた。

 

「のどかも……見えたのですか?」

「うん、はっきり見える……すごい綺麗……」

 

 夕映に答えながらもちらちらと司を見ては顔を赤くしている。

 喉を鳴らしてエヴァンジェリンが笑った。

 

「どうだ。どうせ魔法を知ったのだ。ついでに魔法を習ってみたらどうだ?」

「よいのですか!?」

「ああ、ツカサに習うといい。若いがなかなかの腕前だ。わたしも稽古ぐらいならつけてやろう」

「エヴァンジェリンさん! なにを言い出すんですか!?」

 

 エヴァンジェリンの提案に夕映は喜び、のどかも興味深そうな顔をした。

 そして司は多いにうろたえた。

 

 一般人を、それも麻帆良の生徒に自分が魔法を教える?

 そんなことが許されるのか? 問題になりはしないか?

 

 そもそもなぜ彼女はそんなことを提案するのだ?

 司の悲鳴のような声にエヴァンジェリンはこらえきれないとばかりに噴き出した。

 

「いいじゃないか。じじいにはわたしからも伝えておく。どうせ綾瀬夕映はわたしたちのことを目撃する以前から魔法のことに気がついて、魔力の知覚まで出来るようになったのだ。遅かれ早かれ魔法の世界に足を踏み入れていただろう。独学で学ぶぐらいならおまえが教えた方が安全だろう」

 

 もっともらしく口にしながらもその目はうろたえる司を見て楽しんでいた。

 やはりすまし顔よりもこっちの方がよほど見ていておもしろい。

 

 エヴァンジェリンは司という人物に不思議な好感を抱いていた。

 まだそれほど深く人柄を知ったわけではないが、どこか気安い雰囲気があるのだ。

 彼の側にいることが不快ではなく、むしろ滅多にないほど穏やかな気持ちになる。

 

 彼を見ているのが楽しく、興味深い。

 知り合ったばかりなのに不思議だが、そういう人物なのだろうと納得していた。

 

 まれにいるのだ。

 自然と人を引き寄せ、その心をとろかすような人間が。

 

 ふと自分に呪いをかけ、麻帆良に封印した男を思い出す。

 あれもタイプは違うがそういう男だった。

 あれがどこまでも力強い太陽のような男なら、この少年はその美しさに自然に心を癒され惹かれる月のような人物なのかもしれない。

 

 この少年はいったいどんな月に育つだろう。

 あるいは自分が手を加えて、より美しい月を完成させるのもおもしろい。

 

 エヴァンジェリンの視線の先にいるのは、期待のこもった視線で自分を見つめる少女たちになにを言っていいのかわからないとうろたえている少年。

 とても自分をあしらった魔術師とは思えない。年齢相応の少年に思える。

 

 宮崎のどかは魔法教本の暗示の助けがあるとはいえわずか数分で魔力を知覚するに至った。おそらく綾瀬夕映もそれほど苦労はしなかっただろう。

 

 二人にはそれなりの才能があるとエヴァンジェリンは認めた。

 この魔法教本には魔力の自覚をうながす魔法がかかっているがそもそも適性がなければ意味を成さない。最低限の才能はあると期待できる。

 

 同年齢の男女が師弟として同じ時間を過ごし、魔法という共通の秘密を抱えて暮らしていく。これでなにもない方がおかしい。思春期の子供にとっては十分に相手を『特別』と認識できる要素だろう。

 

 見れば宮崎のどかはあきらかに司を意識している。最初から司を信頼しているように見えたがそれがこの短時間でさらに進んでいるようだ。

 

 綾瀬夕映も司に好意的だろう。二人の司への好意と信頼は自分への恐怖と不信感の裏返しがきっかけだったのだろうとエヴァンジェリンは推察する。

 

 二人並んだ魔法使いの一方が怖くなにを考えているかわからない人物、そしてもう一人は優しく穏やかな人物なら当然そちらに好感を抱き、信頼し、頼るだろう。

 

 狙ってやったわけではないが結果的におもしろい事になったとほくそ笑んだ。

 

 

 エヴァンジェリンは興味深く三人を眺める。いっそ三角関係にでもなれば良いと思いながら。

 

 いいおもちゃを見つけた。

 これで当分退屈しないだろう。

 

 うろたえる司と、ついに魔法を教えてくれと頼みはじめた二人の少女を見やってエヴァンジェリンは愉快そうに笑った。

 

「エヴァンジェリンさん! 笑い事じゃないですよ!?」

 

 眉を吊り上げて怒ってみせる司の仕草がまたおかしい。

 怒りの表情がここまで迫力のない男も珍しいだろう。まるで威圧感がない。

 

 まだ戦っているときの真剣な顔の方が迫力があった。

 女でももう少し威圧感を感じさせるだろうと思うとエヴァンジェリンはついに腹を抱えて笑いはじめた。

 

「笑い事じゃない! 二人も話を聞いていたの? 危険なんだよ?」

「新しい挑戦に危険はつきものです」

「司さんが一緒ならだいじょうぶ……なんじゃないかな~」

 

 楽観的な二人の言葉に司はついに目眩をおこした。

 

 なにも理解していない。いったいなにを聞いていたのかと司が嘆く。

 そんな司を見てエヴァンジェリンはさらにおかしそうに笑う。

 

 エヴァンジェリンに言わせれば司の説明などしょせん言葉だけのものだ。実際に魔法で怪我を負ったわけでもなければ、人が殺される場面を見たわけでもない。

 

 こういう子供は理屈を並べてもその本質を理解することは出来ない。

 壁にぶち当たり、その痛みに涙してようやく気がつく。

 

 要するに痛い目を見るまでは本質的に理解することは不可能なのだとエヴァンジェリンは思う。わかった気になるのがせいぜいだ。

 

 そしてこの世界の怖さを理解したとき、そのときになったら『悪い魔法使い』の口車に乗ったことを後悔するかもしれない。だがそれは自己責任というものだ。自分はなにも強要はしていない。

 

 しばらく楽しくなりそうだ。

 エヴァンジェリンは手に入れたおもちゃたちを眺めて、満足そうに薄紅色の唇を吊り上げた。

 




 うちのエヴァンジェリンは暇を持てあましているので彼女的におもしろそうなことが大好きです。
 活きのよいおもちゃが三つも手に入ってご機嫌でしょう。
 自称『悪い魔法使い』なので、一般人が魔法の世界に足を踏み入れて日常を失おうと知ったことではないです。


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第八話 弟子入り

「べつにかまわんよ? 本人が望んでいるなら問題ないぞい」

 

 朝も早くに学園長室に押しかけてきた弟子に近右衛門は気軽に答えた。

 

 魔法バレしたのは確かに痛い。魔法の秘匿は東西問わず魔法使いの常識だ。

 けれど状況からほとんどエヴァンジェリンの責任である事は明白に思えた。

 

 場所を設定したのも、結界を張ったのも、戦闘を仕掛けたのもエヴァンジェリン。

『闇の福音』相手に交戦しながら一般人の気配に気がつけと要求するのは酷だろうと誰しも判断するだろう。

 

 けれど呪いの解呪を控えている彼女に問題を起こされても困る。

『闇の福音』の解呪に反対の立場を取る者もいる。彼らはこの件を追求してエヴァンジェリンの危険性を主張し、呪いの続行を主張するだろう。

 

 魔法生徒を襲い、その光景を一般人に目撃された。

 そんな危険な人物の呪いを解呪するなんてとんでもないと。

 

 近右衛門はそれを望まない。

 エヴァンジェリンが麻帆良に封じられてもう十四年。

 呪いの期限はたった三年。すでに十年以上超過している。

 

 もう十分じゃないかと思う。

 

 魔法を目撃し、保護した一般人が魔法使いになりたいと希望することも珍しいことではない。

 魔法という神秘を目にした一般人がそれに惹かれてその道を目指すなどありふれていると言ってもいい。

 

 事態を丸く収めたい近右衛門としては問題にする気もなく、また問題にする必要もないことである。

 

 昨夜エヴァンジェリンから報告は受けているし、司自身からも深夜に電話で報告があった。エヴァンジェリンからのものは報告というよりも「やることはわかっているな? さっさと揉み消せ。出来るだろう?」という具合のほとんど命令だったが。

 

 ともかく司はきちんと事態が大きくなるのを防ぎ、報告もしてきている。

 新米の魔法生徒としては合格点をあげていいだろう。

 

 なので司にエヴァンジェリンの情報と、その呪いの解呪を依頼して「とっとと授業にいけ」と追い出した。

 今日は平日であり、当然午前中には授業がある。

 学園長室を追い出された司は途方に暮れた顔をしていた。

 

 

 学園長室を追い出された司は父にも電話した。

 藤宮の当主である父は事情を聞くと質問してきた。

 

「麻帆良側の対応はどうなっている?」

 

 魔法バレについては麻帆良側の魔法使いの失態が大きく、またその魔法使いにも事情があるため公式には魔法バレなどなかったことになると近右衛門の言葉を伝える。

 

 エヴァンジェリンは麻帆良の所属ではないと言ったが、外から見れば麻帆良に厄介になっている時点で十分に麻帆良側の魔法使いだ。なので近右衛門は今回の件は麻帆良側の責任が大きいと認めた。

 

 そして事情があるため責任の追及が出来ないからと事件自体をもみ消すと。

 

 当主はそれが司にとって損な動きではないと見た。

 失態自体がなくなるのだから悪くはない。後からその件でなにか言おうにもより責任が重いのは麻帆良側の魔法使いだと認めている。そう無体な要求は出来ないだろう。

 

「二人が望むなら精霊術を教えてもいい。もちろんものになれば一族に属してもらうが」

 

 苦悩する司に軽く伝える。

 それでいいのかと問い直すが、父はなにも問題はないと鷹揚に弟子をとることを認める。

 

「良く育てることだ。若い才能が一族に加わるのは良いことだからな」

 

 司は電話を切った後、茫然自失した。

 

 司は近右衛門か父親があの二人を止めてくれるのではないかと期待したのだ。

 そのくらい司は一般人が魔法に関わることに忌避感がある。なにしろ魔法使いになればもう普通の人生は望めないのだ。

 

 生まれながらの魔術の名家に生まれた司にすれば、自分が望んでも得られない平穏な幸福をあっさり捨てる二人が理解出来ない。

 

 しかし麻帆良と藤宮のトップは奇しくも似たような思考をした。

 

「本人が望んでいるのなら、どうなっても本人の責任」

 

 そう突き放したのだ。

 

 近右衛門にしてみれば重要なのはエヴァンジェリンの解呪を滞りなく実行することであり、司の今後の麻帆良での生活に悪影響を与えない事である。

 

 藤宮の父も大事なのは司であって、一般人の少女が道を踏み外して魔法の世界に足を踏み入れようとも、本人が望んでいるのならその責任まで背負う気はない。

 

 魔法バレについては事態の隠蔽。

 弟子入りについては本人の希望なら誰も特に反対する必要がない。せいぜい忠告する程度だろう。

 

 そして忠告は司がすでに行っているのなら、もはやなにも言うことはないと。

 こうして司の退路は断たれた。

 

 

 

 

 放課後にエヴァンジェリンの家に集まった二人の少女に司は弟子入りが認められたことを伝えた。

 二人は大喜びで抱き合ってはしゃいだが、司の顔色は晴れない。

 

 やはり自分の一存で断るべきだったか?

 けれどこの二人のやる気を見るに、自分が断っても他の魔法関係者に弟子入りを希望しそうだ。

 司としては諦めるしかない。

 

「二人は藤宮一族の見習いという立場になります。将来は藤宮一族に正式に所属して一族の勤めを果たすことになるでしょう」

「一族の勤めとはなんですか?」

 

 夕映の当然の疑問を司は申し訳なさそうに突っぱねた。

 

「今は教えられません」

 

 夕映の顔が不満げになり、のどかは不安げにこちらを見る。

 

 まだ精霊術も扱えない入門したての見習いに教えることではないのだと説明する。

 二人は一応当主の認めた藤宮一族の見習い扱いだが、まだ精霊術も使えず一族の元へ顔を出してもいない。現状ではただの魔術師志望の一般人だ。とても一族の重大事を打ち明けられる立場にいない。

 

 その様子を眺めていたエヴァンジェリンが助け船を出した。

 

「魔法使いの組織にはそれぞれ規則や使命がある場合が多い。そしてその中でも重要なものは下っ端には教えられないことも多い。まだ入門したてで魔法使いとして使い物になるかもわからないものに教えられるものではないだろうさ」

「魔法使いとして一人前になれば教えてもらえると?」

「そういうことになりますね」

 

 まだ不満そうな夕映にいささか投げやりな気分で答える。

 司としてはその前に諦めた方が幸せではないかと思うのだが。

 

 

 

 

 エヴァンジェリンが修行にちょうど良い場所があると案内された先は、広大な魔法空間だった。

 地下室に鎮座した魔法球の中に存在する異空間であり、エヴァンジェリンは『別荘』と呼んでいた。

 

 中世の城やビーチなど様々な環境があるらしい。

 今は海を眺めながら砂浜にいる。作り物とはとても思えない。

 

 夕映とのどかは感動したように喜んでいるが、ここでの一日は現実の一時間に相当し、使えば使うほど早く歳をとると説明されて微妙な表情をした。

 

「いいのです。勉強の合間の修行ではいつまで経っても一人前になれません。ここは修行時間が確保できたことを喜ぶべきです!」

「そ、そうだね~、それに早く大人になれると思えばそんなに悪い気もしないかも~」

 

 前向きに考えることにしたらしい。

 

「ほら、修行をつけてやれ。先生」

 

 意地悪く『先生』などと呼ぶ、司が乗り気でないことなど百も承知だ。

 白い椅子に腰掛けて、悠然と足を組んでいるエヴァンジェリンは完全に見学する気満々である。

 

「なんでエヴァンジェリンさんまで一緒なんです?」

「場所代だと思え、見学ぐらいかまわんだろう?」

 

 極東の歴史ある魔術に興味津々なエヴァンジェリンは修行風景を見ることで精霊術を見極めようと考えているらしい。

 

「かまいませんけど、あまり周囲に漏らさないでくださいね? 門外不出というほどではないですが、基本的に一族以外に教えない魔術ですので」

「わかっている。単に興味があるだけだ」

 

 うるさそうに手を振る。

 実際興味はあるし、もし有効なようなら自分の魔法に取り込めないかとも考えているが人に教える気はない。

 

 そもそもエヴァンジェリンには人に魔法を教えるという発想がほとんどない。

 自分の魔法は自身が心血を注いで研鑽を注いだ成果であり、おいそれと他人に渡す気はない。そもそもエヴァンジェリンが本気で自分の魔法を教え込めるような素材がそうそういるとは思えない。

 

 司は精霊術が主体の藤宮の後継者だ。

 素材としては申し分ないがエヴァンジェリンの西洋魔法を覚える気はないだろう。

 

 夕映やのどか程度ではエヴァンジェリンの目からは不足と映る。

 一般の魔法使いとしてなら優秀な部類にまで育つかもしれないが、一流を超えた最強ランクまではたどり着けないだろう。

 

 そんなエヴァンジェリンから見たら平凡な素材を司がどう育てるのか、興味がある。

 西洋魔法使いとしては平凡な素材でも、精霊術の観点から見たら違う可能性があるのではないか?

 

 エヴァンジェリンの興味は尽きない。

 当分退屈はしないで済みそうだ。そう楽しげに笑った。

 

 

 

 

「まず二人にこれを渡しておきます」

 

 そう言うと光の中から二つの指輪が現れ司の手のひらに落ちた。

 

「今のも魔法ですか?」

「ええ、西洋魔法の転移魔法を精霊術で再現したものです」

 

 こともなげにいうから二人の少女はただすごいと納得するが、エヴァンジェリンは思わず目を見開いた。

 

 つまり司は西洋魔法さえ、精霊術に取り込める能力があるのだ。

 いくら近右衛門に魔法を仕込まれたとはいえそこまで才能があるとは思っていなかった。

 

 言うは易いが実行するのは困難なはずだ。

 両方の魔法、魔術に精通して初めて出来ることだろう。

 

 西洋魔法も精霊を使って魔法を行使するが、精霊術はエヴァンジェリンの知る限り精霊そのものの力をふるう魔術だ。

 

 精霊という共通点はあるが、まったく違う魔法なのだ。

 

 しかも転移魔法は西洋魔法の中でも上級に位置する魔法である。その分難易度も高い。

 それを呪文詠唱すらなく、遠くにある目的のものを手元に引き寄せるなどエヴァンジェリンでさえ出来ない。

 

 もっと注意してみておけば技を盗めたかもしれないが、こんな自然にとんでもない技術を披露するとは思っていなかったので見過ごした。

 舌打ちしたい気分だが、まだ見る機会はあるだろうと機嫌を直す。

 

「これは精霊術士の見習いが使う補助用の魔術装具です」

 

 主に精霊の知覚化の補助、精霊との同調の補助に使うのだという。

 自転車の補助輪のようなものだという説明に二人は納得したように指にはめてみる。指にはめてみるとまるで指輪が生きているように指にぴったりとサイズを変えたので驚いていた。

 

「最初の目標はこれを使っての精霊術を使えるようになること。次はこれを使用しないでの精霊術の行使となりますね」

「これを使わないで魔法が使えたら一人前ですか?」

 

 夕映は補助用の道具なしで魔法が使えれば一人前だろうと思って尋ねるが司は首を振って否定した。

 

「いえ、半人前程度ですね。その時点で精霊術士としては認められるでしょうけど」

 

 半人前という言葉に二人が少しがっかりした顔をする。魔法さえ使えれば認められると思っていたのだろう。

 

「ではどうしたら一人前と認められるのですか?」

「上級精霊術が使えたら、だいたい一人前扱いですね。一応それを目指してもらいますけど、まずは自力で精霊術が使える程度になれないと話になりません」

 

 夕映の問いに司は一族の基準を教える。

 藤宮一族では上級精霊術が使えればだいたい一人前扱いされる。もっともそこから一流と呼ばれる術士になるまでの道が長いのだが。

 

「上級精霊術っていうのはなんですか?」

 

 のどかが小首をかしげて尋ねる。

 

「普通に精霊を使って魔術を使うのが下級精霊術」

 

 こんな感じです。そう司は自身の周囲に炎を浮かべ、雷を走らせ、光を灯し、風を起こしてみせる。

 目の前で起こる不思議な現象に二人の少女は目を丸くする。

 

「さらに精霊の力を引き出した術が一般に上級精霊術と言われます。さっきのこれも上級精霊術に当たります」

 

 司の背後が光り輝き、光の中から一本の槍が現れる。

 身長ほどもある赤い槍を手にとって軽く振り回す。その綺麗な舞のような動きに二人の少女は感嘆の声をもらした。

 

 エヴァンジェリンは軽々と槍を操る司の姿に槍の心得もあったのかと感心した。

 

 あの様子なら接近戦闘も不得意ではないだろう。いやそういえば神鳴流の使い手だったかと思い出した。つくづく底の知れない少年だと感心する。

 

 神鳴流といえば有名なのは剣術だ。槍術は珍しい。あるいは神鳴流の技ではなく藤宮に伝わる武術なのかもしれない。

 

 一通り槍を自由自在に操ってみせると司は再び背後の光の中に槍を戻す。

 光に吸い込まれるように消える槍を二人の少女は驚きと好奇心を隠せずに凝視していた。エヴァンジェリンはその魔術を凝視してなにか納得したような笑みを浮かべた。

 

 司にしてみれば魔法を撃ち合うだけが藤宮の精霊術士ではないというパフォーマンスのつもりだったが目の前の二人に通じたかどうかは疑問だ。

 

 精霊術を教えながら、身を守る武術を教えていかなければならないだろう。

 

 藤宮の精霊術士は前衛後衛、不得意こそあれどちらも学ぶ。理想的なのは距離に関係なく強い術者だ。前衛に守られなければ戦えない魔術師というのは近距離でも十分な戦闘力を持つ精霊術を扱う藤宮では人気がない。

 

 彼女たちが一族に問題なく認められるためにも藤宮の武術を教えておくべきだろう。

 

 ちなみに司の槍術は一族の先輩に習った藤宮の武術だ。神鳴流ではない。

 

 目の前の二人に神鳴流の技を授ける気はない。青山宗家からは司が認めた相手になら技を伝授して良いと皆伝を得たときに許しを得ているが、目の前の少女たちを神鳴流剣士にする気はない。彼女たちが背負うものは藤宮一族の看板だけでも十分重いだろう。

 

 もっとも今はとりあえず精霊術を使えるようにしなければどうしようもない。

 それすら出来ないなら彼女たちには悪いが記憶封印したうえで破門という形になりかねない。

 

「上級精霊術というのははっきり言ってしまえば『普通ならありえないことさえ起こせる』魔術です。今見たように光を通して物や人を移動させたり、相手の魔法を消し去ったり、通常ありえないほどの威力を出したり、いろいろですね」

「ではまず私たちが学ぶ『精霊術』というのは?」

「一般的に下級に分類される精霊術です。ゲームとかでおなじみの炎を出したり、明かりをつくったりとかですね」

 

 つまり上級精霊術とは物理法則すら越える力を精霊に出させる魔術なのかとエヴァンジェリンは得心がいった。

 

 西洋魔法でも特殊なものは彼のいう上級精霊術相当なのだろう。

 転移魔法や、別荘を作っている異空間魔法。あとは大規模殲滅魔法も上級精霊術相当になるのかもしれない。

 

 まずは基本からと精霊を認識するための瞑想を二人にさせはじめた司を見てエヴァンジェリンは一度本気で戦ってみたいものだと考えていた。

 まだまだ手札を隠していそうな少年だ。さぞかし心躍る時間になるだろう。

 

「……そういえば解呪の話はどうなったのだ?」

 

 実はたいして期待していなかったことと、司で遊ぶことがおもしろかったのでうっかり脇に置いたままだった。

 

 よくよく考えてみれば魔法すら無効化できる魔術を扱う司は解呪にはうってつけの人材だ。しかも魔力総量はナギを越える。解呪出来る可能性は十分ある。

 

「……じじいめ、いい加減わたしのことも話したのだろうな?」

 

 後で問い詰めようと決めた。

 




 夕映とのどかの弟子入り。
 二人には立派な魔術師になってもらいたいです。

 ぬらりひょん。さりげなく一般人が道を踏み外すのを放置します。
 きちんと説明した上で本人たちが望んでいるのならなにもいうことはない。
 そういう姿勢です。
 
 


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第九話 吸血鬼の少女

 吸血鬼。

 

 吸血鬼の詳しい情報は実のところ少ない。

 人を襲い血を吸う化け物という認識が一般的だろうか。

 しかしなかには理知的で人と共存する吸血鬼という存在もいるという。

 

 総じて個体としての能力が人間より高く、身体能力、魔法的才能などあらゆる面で人間に勝る。

 

 弱点もあるがそれは諸説あって真偽が定かではない。

 有名なのは太陽光と銀の武器、心臓を破壊すれば滅ぼせるというものだろうか。

 

 その中でも真祖と呼ばれる吸血鬼は特別であり、その力はさらに優れている。

 

 真祖と普通の吸血鬼の違いはなにか?

 

 それは人間がなにかの条件を満たして転化するのが真祖。

 

 他の吸血鬼によって一族に招かれたものを普通の吸血鬼とするのが一般的な考え方だが、それが正しいという証拠はない。

 

 なぜなら吸血鬼から情報を得ること自体がまず困難であり、真祖ともなれば存在を確認することさえ不可能に近いからだ。

 

 吸血鬼と出会い、平和的に話し合える可能性など限りなく低く。

 なかでも真祖に出会えるなど伝説の生物に遭遇する可能性を論じるようなものだ。まったく現実的ではない。

 

 そして目の前にいるエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルはその真祖の吸血鬼である。

 司としては冗談だと言って欲しい。

 

 なぜ自分がそんな伝説級の存在と関わらなければならないのだろう?

 

 

 

「わたしのことはもう聞いたか?」

「一応先生から聞きました」

 

 これで知らないなどといったらどうしてくれようかという目で睨みつけられて司は内心近右衛門を罵っていた。

 

 ……先生。そういう大事なことはもっと早く教えてください。

 

 司の内心など気にもせずにエヴァンジェリンは話を進める。

 

「呪いのことも聞いたな?」

「ええ、サウザンドマスターという人がかけたと」

 

 そしてそれの解呪の約束をすっぽかした。

 とは続けない。なんとなくそれをいうと怒られそうな気がしたからだ。

 

 夕映とのどかの修行開始から一日が経ち、二人はもう外へ出ている。

 別荘の中にはエヴァンジェリンと司の二人だけだ。

 場所を移して室内で二人は向き合って座っている。

 

「その解呪を依頼されたはずだが?」

「確かに依頼はされました」

 

 それは間違いない。

 そしてこうも言われた。

 

「これは麻帆良の長としての正式な依頼じゃ。この依頼を司くんは断れなかったということにしてほしい」

 

 つまりこの件に関して司は近右衛門の依頼で動いただけで責任を持たないでいいという意味だ。責任は強制させた自分にあると。

 

 司は少しばかり考えざるを得ない。

 つまり近右衛門はこの件で司が非難される可能性を考慮しているということだ。そしてそうなった場合『自分が命じた』とその責任を引き受ける気なのだろう。

 

 この人物の呪いを解くことはそういう問題を引き起こす可能性があるということなのだ。

 

「解呪は可能か?」

「その前に確認したいことがあります」

 

 自分の問いが無視されて不快そうな顔をするエヴァンジェリンに司は尋ねる。

 

「あなたはなぜ呪いをかけられたのですか?」

 

 なにしろ簡単な事情しか知らされていない。

 これではなにも判断が出来ない。

 むしろそうであるように近右衛門は詳しい情報を与えなかったのだろう。

 

 司が知らされているのは、エヴァンジェリンが真祖の吸血鬼であること。

 

 かつて賞金首にもなった『闇の福音』という高名な魔法使いであること。ただし現在は賞金首指定は凍結されていること。

 

 サウザンドマスターという人物によって麻帆良に期限付きで封じられたこと。

 

 三年という期限を過ぎても彼が解呪に来ず。そして誰も解呪が出来なかったため十四年も麻帆良に閉じ込められていたことぐらいだ。

 

 なにも知らずただ近右衛門の指示によって封印を解いた。

 それならその行為を軽率だと指摘されてもそう指示したのは麻帆良の学園長である近右衛門であり、その近右衛門自身が詳しい情報を与えなかったとすれば司を責める者は少ないだろう。

 

 司は麻帆良に来たばかりであり、日本育ちの日本の魔術師のため西洋魔法使いの世界について疎い。

 事情を知らない子供になんの情報も与えずに呪いを解呪させた近右衛門こそが責められる。そういう流れになると近右衛門は読んでいるのだろう。

 

 けれど司はそれが気に入らない。

 いつまでも子供扱いをする。と反発も感じているし、師にすべての責任をかぶせて平気な顔を出来るほど図太い神経もしていない。

 

「わたしが呪いをかけられた理由か? 知ってどうする?」

「納得がいかないようなら協力できません」

 

 エヴァンジェリンは不機嫌そうに鼻を鳴らした。

 

「じじいはやれと言ったのだろう?」

「僕が先生の言いなりになる理由はありませんから」

 

 司はそこも気に入らない。

 麻帆良に来たからには麻帆良の長に従うのが当然だと近右衛門でさえ思い込んでいるようなのがまた気に入らない。

 

 藤宮はあくまでも麻帆良とは対等な外部勢力だ。

 

 司は確かに麻帆良学園中等部に入学した。けれど麻帆良の魔法使いの組織に属することを了承してはいない。

 その命令を聞くいわれはないのだ。

 

 

 

 

 エヴァンジェリンはその瞳に苛立ちと興味を浮かべて司を見ていた。

 それから小さく笑った。

 

 これは駒にはならない男だと。

 

 初めて見たときは近右衛門は良い手駒を手に入れたと思ったが、こうして実物と話してみると自分の思い違いに気がつく。

 

 自覚があるのかないのか知らないがこの男は誇り高い。

 誰かの操り人形の立場に満足する気性ではなく、操る糸を引きちぎる力も持っている。

 温和な性格がそれを覆い隠しているが、その本性はしれたものではない。少なくともただのお人好しの少年などではない。

 

「おまえはおもしろいな」

「急になんです?」

 

 不思議そうな顔をする少年にエヴァンジェリンは今度は上機嫌に笑った。

 かまわない。むしろエヴァンジェリン好みの男だ。

 

 似ていないと思っていたナギと司の共通点を見つけてエヴァンジェリンは楽しくなってきた。

 

 これもまたナギとはタイプは違うが我が道を行く男だ。

 他人の言いなりにはならずに自分の誇りと価値観に従って進んで行く芯のある男だろう。

 

「いいだろう。おまえをわたしの話を聞く価値のある男だと認めよう」

 

 そう大仰な物言いでエヴァンジェリンは話し始める。

 

 真祖の吸血鬼、その六百年の生き様を。

 

 十歳の誕生日に知らぬ間に吸血鬼にされ、それを行った男を殺した。

 

 人間の世界では魔女として追われ、それはどこに行っても変わらなかった。

 安穏の生活などどこにもなく、ただ吸血鬼であるというだけで魔法使いたちに命を狙われ続けた。

 

 自身を守るために戦いの技術を身につけ、魔法の腕を磨いた。

 襲いかかるすべての敵を殺し続け、いつの間にか賞金をかけられ『闇の福音』などの異名で呼ばれていた。

 

 そしてナギ・スプリングフィールドと出会った。

 それが高名な英雄である『千の呪文の男(サウザンドマスター)』であったが、そんな名声よりもその人柄に惹かれ彼につきまとった。

 

「あの男を手に入れたい。そう思ったのだ」

 

 懐かしくその当時を思い出しエヴァンジェリンはそう胸の内を語った。

 

 欲しかったのだ。あの太陽のような男が。

 

 力強く、眩しいばかりのエネルギーに溢れていた男。この世界のあらゆる不幸も災厄も理不尽も笑って薙ぎ払ってしまいそうな程に破天荒な男。

 

 あの男を得られれば、こんな自分でさえ別のなにかになれるのではないかと思わせたナギ・スプリングフィールドが。

 

 そしてナギによって呪いをかけられ麻帆良に預けられた。

 三年経ったら呪いを解きにくると約束してナギは去って行った。

 

『光に生きてみろ』

 

 そう言っていたが、自分は結局光に生きることが出来たのだろうか。十四年たってもはなはだ疑問だった。

 

 女子中等部で三年間過ごす。

 そしてクラスメイトたちは卒業し、エヴァンジェリンはまた一年生に戻される。

 

 ただ虚しいだけの毎日だった。

 

 なにも意味などなく、ただ時間が無為に過ぎ去るだけの日々。

 危険こそないに等しいが、同時に心躍らせるものもない生活。

 

「それが光というものならわたしはいらないと思ったよ」

 

 しみじみとエヴァンジェリンは言葉をつむぐ。

 

 不思議と素直に自分の心情を語れる。本当に不思議だ。

 司は穏やかな瞳でただ自分の話を聞いている。

 

 同情も嫌悪をなく、ただあるがままを受け入れるようなそんな瞳がエヴァンジェリンを映していた。

 

「エヴァンジェリンさんは、呪いが解かれたらなにをしたいですか?」

「そうだな。ナギを探したいが、情報がない。あの馬鹿がそう簡単にくたばるとは思えないからひょっとしたらどこかに身を隠しているのかもしれない。探したいが……」

 

 彼が死んだという噂が流れてからもうかなり経つ。彼の足跡を追いかけるには時間が経ちすぎたと悔しく思う。

 もしあの時に自分が自由の身だったら即座にナギの足取りを調べて追いかけただろう。

 

「他には?」

 

 柔らかい笑顔で司が尋ねる。こんな笑顔を向けられるのはいったいいつぶりかと考えて苦笑する。

 まるで聖母のような慈愛を感じさせる。そう言ったら彼はひどく嫌がるのだろうなと意地悪く思った。

 

「そうだな……旅に出るのもいいかもしれん。行くあてもなくふらりとな」

 

 ふと口に出たが、考えてみればそれも魅力的に思えた。

 今の時代十四年の月日は長い。世界も自分の知る姿からずいぶん変わっただろう。

 

 ただ気ままに旅をして、そしてナギの噂でも聞けたら言うことはない。

 ナギの消息はわからずとも代わり映えのない日々を過ごしてきた今の自分から見ればただ世界をさすらうことがとてつもなく魅力的に思えた。

 

 あらゆる束縛を受けずにただおのれの意志のままに世界を歩く。

 思えばそんな簡単なことも今の自分は出来ないのだ。

 

 

 

 

 そんなエヴァンジェリンを見つめて司は決心した。

 これが正しいのだとすとんと胸に落ちていく。

 

 彼女は救われたがっているのだ。

 

 自覚しているのかはわからないが、終わりのない牢獄の闇から救われることを切望している。

 

 ならばその手を取ろう。

 その手をつかんで彼女が望む世界への一歩の手助けをしよう。

 

 ナギという人物がなにを思って彼女を麻帆良に閉じ込めたのかはわからない。

 おそらく平穏とはほど遠かった彼女の生き様を知り、つかの間の平和な暮らしを与えたかったのではないかと思う。

 

 そして彼女は平和な時間を過ごし、再び自由を望んでいる。

 傷つかないようにと籠に入れられた鳥は、再び大空を飛びたいと願っている。

 

 ならばそれを叶えよう。

 

 元賞金首? 大勢の魔法使いを殺した?

 そんなものは自分には関係がない。

 

 今目の前にいるのはただ外の世界に惹かれ、そこを自分の足で歩くことを夢見る女の子がいるだけだ。

 泣くことも出来ず絶望している女の子がいたら手を差しのべるのが男というものではないのか?

 

 

 

 

「エヴァンジェリンさん」

 

 司が綺麗な笑顔を浮かべた。思わずエヴァンジェリンでさえどきりとした。

 

「あなたはもう光を知っている。あなたはそれに手を伸ばしたいと願っている」

 

 なにを言いだすのかと笑い飛ばしてやりたい。けれどまるで本物の聖女でも現れたような笑顔になにも言えなかった。

 

「あなたの歩む道が幸福でありますように、その伸ばした手のひらが温かい光を得られるように」

 

 引き込まれるような温かい笑顔に自然に目が、意識が、心が吸い寄せられていく。

 そして一瞬感じた違和感にはっとした。

 

 自分自身が信じられない。この自分が、真祖の吸血鬼『闇の福音』がたかが子供の表情と声に気を取られてまったく気がつかなかったのだ。

 

 自分の周囲にすさまじいばかりの魔力が集まっていた。まるでそれが当たり前であるかのようにほとんど違和感もなく。

 

 ナギが自分に呪いをかけたときとは何も彼もが違う。

 あの時はその魔力の凄まじさに圧倒される思いだった。しかし今感じているのはまるで天から救いの手が差しのべられたような安堵感だ。

 

「……なんだ、これは」

 

 呆然と呟く。

 

 理解出来ない。

 ここまで強力な魔力を感じながらまったく危機感を抱かない。今まで経験したことのない感覚だった。

 

 司の言葉は続く。

 

「全身に光を浴びてあなたが笑えるように。すべての精霊はあなたの自由と幸福を望み、ここに祝福します」

 

 司の言葉と共に全身に魔力がみなぎる。

 司の魔力と融和し、司の魔力によって引き出されたエヴァンジェリンの魔力。

 二人の魔力は呪いの精霊をことごとく打ち払った。

 

 エヴァンジェリンは呆気にとられた。

 誰にも解けずにその身に馴染んですらいた呪いが呆気なく崩壊した。

 

 もはや司の導きがなくてもエヴァンジェリンは自身の魔力を望むままに引き出せる。

 頭が上手く働かない。

 ただ自分自身の両手を見下ろし、身体に流れる魔力を感じ、有って当たり前であった呪縛が無くなっている事実に驚愕した。

 

「……呪いが解けたのか?」

 

 自分の声とは思えない。力のない声だった。

 

「はい、解きました」

 

 それを笑うでもなく、不思議に感じた様子もなく。まるでなんでもない事のように司は肯定した。

 

 エヴァンジェリンが独力での解呪を研究しつつも挫折し、近右衛門でさえさじを投げたあのナギの呪いをこの少年は椅子に座り笑顔のままに解いて見せた。

 

 エヴァンジェリンでさえ少年がなにをしたのかわからなかった。

 

「これが……精霊術か」

 

 確かにこれは警戒に値する。極東の弱小勢力だなどと笑えない。

 まるで神の奇跡でも見たかのような気分だった。

 呆然と、ただ自分の感じたあの体験を反芻して呟く。

 

「はい、これが本物の精霊術(・・・・・・)です」

 

 少し悪戯っぽく少年が笑った。

 

 なにをしたのかはわからない。

 しかしこの少年が誰にも解けなかった呪いを苦もなく解いたのは確かだ。

 

 これでわたしは自由だ。

 

 そう胸中で呟いてもあまりの事に歓喜さえ湧いてこない。それどころか不意に空虚な想いが溢れる。

 

 エヴァンジェリンの胸の内に麻帆良での十四年の生活が思い返されていた。

 

 最初の三年間は良かった。

 

 三年後のナギとの再会を楽しみに、慣れない日本の学生生活に四苦八苦した。

 しかしナギは現れずに親しくなった日本の少女たちは卒業と共に自分を忘れてしまった。魔法によって記憶を封印されたのだ。

 

 呪いは解けず再び学校に通わなければならないと聞いたとき、エヴァンジェリンは深い絶望を感じた。

 それは三年後に再び、知り合ったすべての少女たちに忘れられてしまうということなのだ。

 

 確かに必要なことかもしれない。エヴァンジェリンがずっと中学生を続けるためにはそうしなければ問題が起こりかねない。

 

 けれどその当時のクラスメイトの顔を、自分を呼ぶ声を思い出す。

 世話好きなお節介がいた。西洋人に憧れて自分を可愛がってくれたうっとうしいが気のいいやつもいた。気むずかしいが不思議と気の合う友人もいた。

 

 彼女たちはすべてエヴァンジェリンを忘れた。

 

 進学し、エヴァンジェリンとすれ違ってもその容姿を珍しがるだけで、かつて見せてくれた親しみなどなくなっていた。

 

 それからはもうエヴァンジェリンは級友と親しく接することはなくなった。

 

 どうせ忘れられてしまうのだから。

 親しくなっても辛いだけだから。

 

 それから数年が経ち、ナギが死んだと聞いた。

 近右衛門やその当時麻帆良にいた魔法先生たちもさすがにエヴァンジェリンを哀れみ呪いの解呪に奔走したが、結局解けなかった。

 

 やがてエヴァンジェリンは孤立した。

 

 エヴァンジェリンが必死に麻帆良の生活に馴染もうとしていたことを知っている古株の魔法使いたちは次々と麻帆良を去り、代わりに来たのはエヴァンジェリンの悪名だけを知り偏見の目でしか彼女を見ない者たちばかりになった。

 

 クラスに馴染もうとしないエヴァンジェリンは表でも問題児であり、裏では『闇の福音』として恐れられ疎まれた。

 

 そこに光などなかった。

 光はエヴァンジェリンにつかの間の夢を見せ、すべてを奪い去っただけだった。

 

 もし。

 もし約束の三年でナギが呪いを解いてくれたら、自分は素直に光と共に生きる生き方も悪くないと思えたのだろうか?

 

 もしそのときに司のように自分を解放できる魔法使いがいたならば?

 

 首を振って感傷を振り払う。だがその動作さえ重苦しく。億劫だった。

 

「わたしは自由になったんだ……」

 

 今はただ喜ぼう。解放されたことを。自由を取り戻したことを。

 過去を想っても仕方がないのだから。

 

 ふわりと心地よい香りが自分を包み込んだ気がした。

 気がつくと自分の正面に司がいて、自分を抱きしめていた。

 

「なにをする……放せ」

 

 拒絶する声も自分でも情けなく思うほどに弱々しく震えていた。

 

「だいじょうぶ、あなたはもうだいじょうぶです」

 

 心に染み渡るような優しい声と温かい人の体温に思わず涙がこみ上げてきた。

 優しい手つきでまるで髪をすくように頭を撫でられる。

 

 なにがだいじょうぶだ。

 ガキに心配されるほど落ちぶれていない。

 

 そう怒鳴り返したかったが、声が出せない。

 目から涙が溢れ出し、いま口を開くとみっともなく大声で泣きだしてしまいそうだった。

 

 司の胸に抱かれて黙って涙を流す。

 

 なぜ。

 

 なぜおまえのような奴がもっと早くわたしの前に現れなかったのだろうな?

 囚われの姫を気取る気はないが、助けに来るのが遅すぎだと文句を言いたい気分だった。

 

「十一年も待たせたのだ……遅すぎだ、馬鹿め」

「はい、遅くなりました」

 

 理不尽なエヴァンジェリンの文句も司は優しく受け入れる。

 

 ああ、ナギ。

 おまえはなぜあの時来てくれなかった。

 そして今なぜわたしの前にいないのだ。

 

 おまえがそんなざまだから、わたしはこんなガキの前で泣く羽目になったのだ。

 そんな腑抜けた男だとわたしのようないい女をガキにとられるぞ?

 

 ああ、温かいな。

 わたしをこうやって抱きしめてくれた人はいつ以来だろう?

 

 ナギは声をかけてくれたが抱きしめてはくれなかった。

 この子供はなぜ化け物である自分にここまで優しくなれるのだろう?

 

 別に愛してくれているわけではない。この身に惚れているわけでもない。

 

 心も身体もとろかすような優しさと暖かさに包まれながらエヴァンジェリンは笑みを浮かべた。

 いつもの斜に構えた笑顔ではなく、ただこの少年の暖かさに幸福を感じる少女のような素直な笑顔だった。

 

 しばらくこの子を見守ってみよう。

 どうせ暇を持てあましていたのだ。かまうまい。

 




 こんなのエヴァじゃない。
 エヴァはこんな簡単にデレない。
 書いている僕でもそう思いましたから、そう思う人は多いかもしれません。

 原作でも結局最後までネギに恋愛感情を持たなかった感じのエヴァですからね。
 結局ネギはエヴァにとってはナギの息子でしかなかったのだろうなと思います。

 ちなみに僕はエヴァも大好きです。
 そして女の子が弱ったときに優しくして落とすのは定番だと考えています。


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第十話 休日

 期末テストも終わりどこかほっとした空気が流れている。麻帆良の町を歩く学生の姿も笑顔が多い。

 

 司は待ち合わせをしていた。

 女子寮近くの公園。ここでエヴァンジェリンと会ったがために一般人を弟子に取るはめになった司的いわくつきの地である。

 

 綾瀬夕映と宮崎のどかの修行は順調に進んでいる。

 エヴァンジェリンの協力のおかげで修行場所には『別荘』を貸してもらっているため修行場所と時間には悩まないで済んでいた。

 

 一日一時間、別荘の中で一日分の修行をしている。

 つまり一日で二日分の生活を送っているわけだが、二人とも今のところ問題がない。

 

 このまま一年修行を続けたら、二人は一年で二年分の歳をとることになるのである程度成長したら修行の頻度を落とそうと司は考えている。

 成長期の子供の成長は早いと聞く。それを二倍の速度で生きたらあきらかに成長が早すぎてしまうのではないかと心配なのだ。

 

 もっとも本人たちはこそこそと『早く身長が伸びる』だとか『ひょっとしたら胸も大きくなるかもしれない』などと話し合っていたからあまり気にしていないのかもしれないが。

 

 実力もだいぶついた。というか破格の成長速度に正直驚いた。

 

 数日の修行で精霊術の発動に成功し、二週間もすれば補助用の魔術装具が必要なくなった。

 今は槍術と格闘術を学びながらより実践的な精霊術の使用法を学んでいる。

 

 すでにそこらの雑魚が相手なら十分な実力がある。二人がかりなら魔法使いを相手にしても勝てるかもしれない。

 

 魔力で身体強化して槍を操る夕映を前衛に、のどかは後衛で補助と攻撃の魔術を使う。

 

 魔力制御に才能があり、度胸と身体能力のいい夕映は槍を振るいながら発動の速い魔術を繰り出すのに適性がある。

 

 のどかは精霊との同調に才能があり一撃の威力が高く、夕映より多種の精霊を縦横に操る才能がある。なので後方で補助魔術や攻撃魔術を使う方がより手腕を発揮出来る。もちろん彼女も接近戦闘は出来るが、やや思い切りにかけるところがあって夕映には届かない。

 

 目に見えて結果が出ているので二人とも楽しそうに修行をしている。

 

 

 エヴァンジェリンは呪いが解けてからというもの不登校児の不名誉を大喜びで受け入れて毎日家でだらだらしている。以前は麻帆良の警備員としても働いていたらしいがそれも辞めてしまった。

 

 本人に言わせれば「わたしは誰よりも中学校に通った。わたし以上に中学に通った人間などいるわけがない」とせめて登校してくれと頼み込む担任教師の高畑・T・タカミチを「今時不登校など珍しくもないだろう」と追い払っている。

 

 一年生の一学期目から不登校を決め込まれては担任教師である高畑への周囲の視線は厳しいらしい。ただでさえ彼は『出張』と称して魔法関係で麻帆良を離れることが多い、担当クラスの面倒を十分見ているとは言えないのだ。

 

 表向きはただの新入生であるエヴァンジェリンが不登校になる理由など一般の教師はなにも思いつかなかったらしい。結果、学年主任の新田教師などに「あなたの指導に問題があったなどということはないでしょうな?」などと担任教師が不登校の原因ではないかと疑われて高畑としては困り切っているらしい。

 

 滅多に授業に来ない担任が生徒に悪影響を与えたのでは?

 

 一般の教師たちがいろいろ調査をしても『入学後の』エヴァンジェリンが問題を起こしたことなどない。また特にイジメや対人関係で悩んでいたようにも見えない。

 

 となるとこれは担任のせいでは?

 

 そう疑われて高畑は低姿勢でエヴァンジェリンに登校してくれるように頼み込んだがにべもなく拒否されている。

 

 司にも高畑は登校するように説得してくれと頼んで来たが司は説得を断っている。ダンディ先生こと高畑が嫌いだからではなく、エヴァンジェリンの境遇を思えばむしろ理解して便宜を図るぐらいすべきだと考えたからだ。

 

 エヴァンジェリンは今までずっと中学に通い続けてきたのだ。呪いが解けたのなら可能な限り彼女の自由を尊重すべきだと司は逆に高畑を説得した。

 

「君の言うとおりだと思うけど……僕にも担任としての立場があるんだよ」

 

 そう弱り切っていたが司としては高畑の立場など興味がない。

 

 呪いで弱体化していたときのエヴァンジェリンが虚弱体質であったことを聞き出して、「なら病弱で自宅療養しているとでもごまかしたらどうですか?」とアドバイスすると「それしかないかなぁ、来てくれるだけでいいんだけどなぁ」と肩を落として去って行った。

 

 かくしてエヴァンジェリンは不登校児のレッテルを貼られつつ、それをまったく気にせずに毎日だらだらと自堕落な生活を楽しんでいる。

 

 家にこもりっきりでも従者である人間そっくりのアンドロイド、絡繰茶々丸が世話をしてくれる。学校の情報も茶々丸が同じクラスに所属している女子生徒なので容易に手に入る。

 

 放課後になれば司が夕映とのどかを連れてきて別荘で修行をするのを見物し、たまに司相手に模擬戦をして軽い運動もしている。

 

「正直、今まで無理矢理学校に通っていたよりよほど充実していて健康的じゃないかと思うがな」

 

 魔力が戻ったおかげで風邪もひかんし、とエヴァンジェリンは漏らしていた。

 

 魔力が封じられた状態ではすぐに風邪はひく花粉症にはかかると大変だったらしい。

 それに比べれば日中はだらだらとゲームなどで遊び、夕方になれば夕映やのどかの修行にたまに手を出し、司相手に魔法合戦して適度に運動もしている。

 

 確かに充実していそうだ。

 

 夕映ものどかもエヴァンジェリンのことを『すごい魔法使い』と尊敬しているので彼女を『闇の福音』として敬遠することはないのでまず友人といっていい対人関係をつくっている。

 

『闇の福音』の呪いが解かれ、彼女が自力で学園結界をごまかし全盛期の魔力を取り戻したことに危機感を感じた魔法関係者もいたらしいが近右衛門が黙らせた。

 

 実際エヴァンジェリンは麻帆良の脅威になるようなことをなにもしていない。

 せいぜい担任の高畑が泣かされているぐらいだろう。あとは貴重な警備員が一人減った事に近右衛門が人手不足を嘆いたぐらいか。

 

 麻帆良の魔法使いにしてみれば全盛期の力を持つエヴァンジェリンが一般生徒が多数いる女子校内をうろつくよりかは家に引きこもってくれた方が安心出来る。

 

 あまりにも静かすぎてそれはそれでなにか企んでいるのではないかと疑う者もいたが、近右衛門がなにかあれば高畑と二人で鎮圧すると宣言しているため、ひとまず様子を見ようというのが大多数だ。

 

 そして呪いを解いた司だが、驚いたことに司を非難する声はほとんどなかった。

 

 これは事前に近右衛門から司はエヴァンジェリンの呪いを解けるかもしれない人材として麻帆良に招いたと知らされており、またその件は話し合って承諾したことであるからとくに司が責められるようなことはなかった。どちらかといえばひたすら驚かれた。

 

 そしてそこまでの能力が司にあるのならぜひ『立派な魔法使い(マギステルマギ)』になるべきだと主張する声が起きた。

 

 サウザンドマスターがかけ、誰も解けなかった呪いをまだ中学生の少年が苦もなく解いたというのだ。その才能はサウザンドマスターに匹敵するかもしれない。

 

 さらに極東最高の魔力保持者の一人であり、『関東最強の魔法使い』近衛近右衛門から西洋魔法も習った人物である。

 

「立派な魔法使いを目指すなら力添えは惜しまない」

 

 そう主張して司に接触してくる魔法使いが増えた。

 司はそのたびに「自分は家を継ぐ身だから西洋魔法使いの名誉に興味がない」とやんわりと断っている。

 

 司にその気がないことを惜しみつつ、「家を継ぐのではしかたがない」とほとんどの魔法使いは諦めた。本人にやる気がないのでは無理強いが出来ることではないのだ。

 

「気が変わったらいつでも言ってくれ、私にできる限りで力になろう。それとなにか困ったことがあったら言ってきなさい。相談に乗ろう」

 

 ガンドルフィーニという教師が「君の才能を日本という島国に閉じ込めるのは惜しすぎる」と嘆きながらもそう言って連絡先を教えてくれた。

 

『立派な魔法使い』となって世界を舞台に活躍出来る才能があると言われても司の根っこには藤宮の子という意識がある。

 

 藤宮家の人間として精霊術を極め、『大神』を守り、その血と技を後世に伝えていく。

 司は世界になど興味がないのだ。

 

 そんな司の価値観を理解したのかガンドルフィーニも無理強いはせずに、なにかあったら力になるからと言ってくれた。

 

 親切な教師ではあるらしい。ただ頭が固い人物と評判も聞いた。

 さらにエヴァンジェリンの解呪に難色を示した人物でもあるらしいが司には好意的だった。

 

 才能ある子供を育てることに喜びを見いだす教師で、わりといい先生らしい。

 エヴァンジェリンの解呪に難色を示したのも、エヴァンジェリンが生徒たちに危害を加える可能性を考えてのものだったのだろう。

 

 実際エヴァンジェリンが解呪後もおとなしく家に引きこもっているのを見て安心したように言ったらしい。

 

「闇の福音も麻帆良暮らしで丸くなったのかもしれないな」

 

 解呪されたエヴァンジェリンが望んでいることは家で自堕落な生活を送ることだと高畑から聞いたときには眼鏡をずり落としたらしい。

 

 伝説の悪の魔法使いのイメージが粉々になったのだろう。

 

 

 

 そのようなわけで現在司たちは割と平和な中にいる。

 

 司が弟子を取ったことも特に問題にならずにせいぜい「ものになるようだったら修行がてら麻帆良の警備などに参加してもらえないか」という打診程度だ。

 

 それには司はまだ彼女たちには早いといって断っている。

 

「ごめんな~、遅くなったわ」

 

 普段着のスカートをひらめかせて木乃香が小走りに駆け寄ってくる。

 その様子に司はかすかに頬を綻ばせた。

 

 彼女が『極東最大の魔力保持者』の一人だとは外見からは想像もつかないだろう。

 

「いえ、だいじょうぶですよ」

「ちょっと気合い入れて服選んでたら、気がついたら時計がすすんどったわ。ホントごめんな」

 

 そう言って茶目っ気たっぷりに両手を合わせてみせる。

 木乃香の姿を観察するが普段の服装とどこがどう違うのか司にはよくわからない。

 

 いや、スカートが少し短いだろうか?

 

 よくわからないなりに気合いを入れてきたという服装を褒めると木乃香が頬を赤く染めて微笑んだ。

 

「ありがとな。じゃあいこか」

 

 自然に二人並んで歩き始める。

 木乃香とはメールのやりとりをしているが休日にはこうして出かけることもある。

 

 ほとんどはただの散策のようなものだ。適当にぶらぶらして目についたお店を見て回るだけ。

 けれど彼女と一緒にいる時間が司にはとても心地よい。

 

 なんというか彼女といると落ち着くのだ。

 木乃香は司の容姿をうらやましがることはあっても馬鹿にはしない。

 それも一つの個性だと断言してくれたほどだ。

 そして自然に司を男性として扱ってくれる。

 

 それがすごく嬉しい。

 

 司は女性から美人だと羨望の視線を受けても、男として憧れの視線を向けられることはない。

 それどころかまともに男扱いされない。かといって女性として扱われるわけでもなくせいぜいが可愛いペットかおもちゃ感覚で遊ばれる。

 

 木乃香はそういう態度は見せない。

 あくまで一人の綺麗な男性として扱う。

 

 そんな心配りが司にはひどく嬉しい。

 

「今日は思い切って食べ歩きでもしよか?」

「それもいいですね。どこかいいお店はあるかな?」

 

 平穏を象徴するような少女と歩きながら司の心の片隅では沈んだ声がささやく。

 

『彼女はいったいいつまでこのような日常を暮らせるか……』

 

 自分以上に微妙な立場に立っている木乃香を司は心配していた。

 日本の裏を支配する関西呪術協会の長の娘であり、極東最大の魔力を持つ一人。

 

 近右衛門からも相談を受けているが、裏の世界で多いに手腕を発揮する近右衛門でも手を焼くことが司に簡単に解決出来るわけがない。結果二人で頭を抱えている。

 

 本人はなにも知らない。知らされていない。

 

 近右衛門が必死に木乃香を守り、そして木乃香が自力で身を守れるように誘導しているようだがどちらにせよ今の平穏な暮らしはいつかはなくなるだろう。

 

 木乃香の父、近衛詠春は『娘には普通の生活を送らせてやりたい』といって木乃香を膝元の関西から麻帆良に送った。

 

 関西の魔術師が木乃香に干渉するのを嫌ったのだろう。

 けれどその一方で木乃香が次期長候補であることを否定していない。

 

『娘の意志が大事』などといってはっきりしたことを言わないのだ。

 

 木乃香を魔術師にするのか、しないのか。

 関西の長にする気なのか、それとも他の候補を立てるのか。

 

 なにも決めずにいるために関西の魔術師はその優柔不断ぶりにかなり神経をとがらせているらしい。

 

 政治的には近右衛門の手が守り、物理的な危害からは桜咲刹那の剣が守っている。

 

 しかし近右衛門は現状に不安を抱いていた。

 自分が健在なうちはいい。いくらでも守る。

 だが自分が死んだ後はどうなる? 誰が木乃香の後ろ盾になれる?

 

「婿殿は現実が見えていない。叶わぬ夢ばかり見ておる」

 

 娘婿の詠春では無理だと近右衛門は見切りをつけている。

 彼は娘可愛さのあまり現実が見えていない。しかも問題を先送りにするばかりでなにも決断出来ない。

 

 サムライマスターと呼ばれ剣の腕なら最強の座に君臨した男だが、長という立場で政治向きに有能な男かと見ればその能力と資質に疑問符がつかざるを得ない。

 

 そもそも無理なのだ。

『極東最大の魔力保持者』が魔術や魔法に関わらないなどありえない。

 

 本人が魔術を知らなくても誰かがその莫大な魔力を利用することを考えるだろう。

 さらに日本の西半分を支配する関西呪術協会の長の娘だ。利用価値などいくらでもある。

 

 木乃香を傀儡の長にすれば日本の西半分が手に入る。

 木乃香が長にならず、他の誰かが長になっても先代長の娘の発言力は関西では十分有効だろう。

 

 木乃香は力を持たなければ誰かに利用されて終わりかねない危険な立場にいるのだ。

 普通の生活を送らせたいなどというのは夢想以外の何者でもない。

 

 力がなくてはなにをされてもある程度許容されてしまうのが裏の世界だ。

 木乃香に選択肢はない。

 誰にも利用されず誰にも踏みつぶされないだけの力を得るしかないのだ。

 

「僕と同じか……」

「え? なんや急に?」

 

 不意の独り言に木乃香が驚いた顔をする。

 

 彼女は司と同じなのだ。

 二人の『極東最大の魔力保持者』

 

 力をつけなくては自分の身を守れない。

 

 司の両親と一族は早くからそのことを危惧して司を厳しく育てた。

 

 木乃香の父親はそのことから目をそらしてただ娘を無知なまま平穏の中においた。

 

 そして今祖父が苦悩している。

 木乃香を守るために、どうすべきかと。

 

 僕に守れるだろうか?

 親のわがままで、危険を知らず力を持たずに育った少女を。

 

 司は泣きそうな表情で木乃香の頬に触れた。

 柔らかく温かい。普通の少女。

 

 でも、彼女が普通でいることが許されるのは、きっとあとわずかだろう。

 

「変な司くんやな……」

 

 不意に触れられても嫌がるそぶりも見せずに木乃香は頬に触れる司の手のひらを両手で包み込んだ。

 

 守れるだろうか?

 僕は彼女を守りたいのだろうか?

 

 司は自問しつつ、木乃香に突然触れたことを詫びていつも通り二人で歩き始めた。

 木乃香のなにもかも見通し受け入れるような黒い瞳がひどく印象に残った。

 




 京都弁なんてわかりません。
 よって木乃香の口調はかなりいい加減ですが勘弁してください。無理です。

 原作では『才能ない』と魔法を教えるのを断られていたのどかですが、うちでは精霊との同調に素質ありにしました。

 夕映は魔力制御が得意、兼前衛の素質ありに。
 原作でも遅延呪文やらいろいろと使っていたのでそう不自然ではないと思います。

 前衛の素質? 運動神経いいらしいし度胸がありそうですから、素質ありにしました。
 どちらにせよ二人とも破格の速度で成長しています。
 初歩の魔術を覚えるのに何年もかけていたらなんの役にも立ちませんから。


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第十一話 帰郷

「よお、ひさしぶりだな! 元気そうじゃないか!」

 

 駅まで車で迎えに来ていた恭也の明るい声に司は顔をほころばせた。

 帰ってきたのだという実感が胸に広がる。

 

 それほど離れていたわけではないが生まれ育った故郷に帰ってきて顔見知りに会うとなんとも言えない安心感が司を満たした。

 

「ええ、元気にやっています」

 

 その無邪気な笑顔に一緒にいた夕映とのどかは目を奪われた。

 

 麻帆良ではどちらかといえば大人っぽい印象の司が、まるで子供のように笑っている。

 普段見ない表情に見とれてしまった。

 

 司の頭を乱暴に撫でる青年。

 二十代前半の若い男性で背が高く身体つきがしっかりしているため大柄に見える。

 女顔で小柄な司と並ぶとまるで兄と妹のようだった。

 短く刈りこんだ髪を逆立て、首にはシルバーのアクセサリーをさげている。

 

 のどかなどは少々尻込みしてしまうほど司とは正反対のワイルドな雰囲気の男性だった。

 

「彼は僕の槍の先生で菊池恭也さんです」

「司さんの先生ですか?」

 

 夕映が少し驚く。

 師匠というには目の前の青年は若すぎる気がしたのだ。まぁ同年齢の司に師事している自分が言うのはおかしいかとは思ったが。

 

「若いがかなりのものだろう。なるほど司の師か、納得だ」

 

 同行していたエヴァンジェリンが恭也を見定めて褒め称える。

 恭也がエヴァンジェリンに視線を向ける。

 

「あなたが麻帆良のお客人かな?」

「ああ、世話になる。エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルだ」

 

 少しばかり目を細めてから唇を吊り上げた。

 

 司の二人の生徒、綾瀬夕映と宮崎のどか。そして同行してきた麻帆良の魔法使いエヴァンジェリンとその従者絡繰茶々丸。

 

 菊池恭也は探るような表情を引っ込めると人当たりの良さそうな陽気な笑顔を浮かべた。

 

「ようこそ藤宮の里へ。我々はあなたたちを歓迎するよ」

 

 

 

 

 夏休み、司は故郷に帰ってくることになった。

 理由は二人の弟子を一族に紹介すること。

 

 すでに精霊術士として初心者程度の実力を身につけている二人はおそらく一族に認められるだろう。

 司は二人にそう話し、少女たちは自分たちが認められると聞くと喜んだ。

 

 実際二人の魔術の技量は見習いとしては上等の部類だ。修行期間の短さを考えれば破格とさえ言える。

 

 司だけではここまで鍛えられなかった。彼女たちが化けるきっかけをくれたのはエヴァンジェリンだった。

 

 

 

 

 実技と並行して魔術師としての心得や裏の世界の常識も二人には教えていった。

 最初は司が座学で教えていたのだが、エヴァンジェリンはそれを『おまえは手ぬるいな』と笑って『少し手を貸してやろう。良いモノを見せてもらっている礼だ』と司の精霊魔術を見た返礼として二人に裏の世界のことをまだ若い司などよりもより深く詳細に語った。

 

 そして二人の様子にまだ実感出来ていないと見るや。

 

「おい、今から『現実』を見せてやる。覚悟を決めて腹を据えろ」

 

 問答無用で二人に幻術をかけ、世界に存在する魔法使い同士の紛争。魔法使いによる凶悪犯罪。魔法使いが自然と行ってしまう非人道的行為を実際に『見せた』

 

 最初二人はそのあまりの悽惨さ、自分たちの常識との違いに顔色を失って吐いた。

 司はやりすぎだと止めたがエヴァンジェリンは意に介さなかった。

 

「おまえはなかなかよく指導している。しかしおまえのやり方は魔術師を志し、裏の世界に生きる子供に教えるやり方だ。おそらくおまえはそう習ったのだろうが、それではこいつらはおまえの望む『藤宮の魔術師』になれない。せいぜい魔術をかじった魔術師もどきができあがるだけだ。素人を鍛えるにはそれなりのやり方がある」

 

 そう言って、その日はもう精神的に無理だった二人を『情けない』と罵りながらも休ませた。そして次の日も当然のように『現実』を二人に見せた。

 

 それが数日続き、二人がそれに耐えられるようになると『裏の世界に関わるための最初の試験と思え』と言って再び幻術をかけた。

 

 司はもう止めなかった。必要なことだとエヴァンジェリンの話を聞けば理解出来たし、エヴァンジェリンは厳しいがきっちり彼女たちの限界を見極めて無理なく教えてくれていると信頼していた。

 

 だがその日は違った。

 幻術が終わった瞬間、二人は金切り声で悲鳴をあげて錯乱状態に陥り、初日のように盛大に吐いた。涙を流しながら吐き続け、苦しみもがきながら失禁までしていた。床一面に広がる汚物と排泄物の異臭以上に二人の様子に司は顔色を変えて、すぐさま彼女たちの精神を落ち着かれる術を使おうとしエヴァンジェリンに止められた。

 

「いったいなにをしたんです!?」

「言っただろう? 最初の試験だ。平和ボケしたただの中学生が裏の世界の住人になるためのな」

 

 問い詰めてもエヴァンジェリンは顔色一つ変えない。

 

「なにたいしたことではない。今までと変わらんさ。ただ今まで見た物はあくまでも第三者として裏の世界を見ただけだった。今回はその被害者の立場に立っただけだ」

 

 その言葉に司は絶句した。

 

「外道どもに殺されるなど序の口、本格的な地獄は生きたまま下種どもに捕らえられたあとだろう。その末路を何度も何種類もこいつらは経験したんだ」

「なんていう事をした!? エヴァンジェリン!」

 

 さすがに温厚な司も激怒した。司は一族の務めとして魔法犯罪者の摘発に同行したこともある。その現場の悽惨さ、被害者の無惨さは魔術師として育ちながらもまだ幼い司では耐えきれず。その場で吐いたあげくに感情を暴走させてその犯人を惨殺したほどだ。

 

 そんな末路を体験させた? まだ幼いと表現される少女たち、しかもまだたいした心得も出来ていない素人に?

 

「おまえは甘い。師としてはまだ二流だ。こいつらは出来るだけ早く現実を知らなければならない。そうでなければ甘ったれた魔術師気分の魔術師もどきになるだけだ。素人を鍛えるというのはこういうこともしなければならない。憶えておけ。おまえが一族の後継者というのなら将来きっと必要になることだ」

 

 言いたいことはわかる。わかるが……まだ早かったのではないかと思う。ようやく裏の世界の現実を知ったのだ。それを実感させるのならもう少し穏便な方法はなかったのか……。

 

「やはりおまえはまだ甘いな。こういう甘ったれた子供はな。痛い目にあわないと痛さというものを本当の意味では理解しないんだよ。こいつらがおまえのいないところでなにを話しているか知らないだろう。知っていたらそんな態度はきっと取らないだろうよ。こいつらは神妙な顔でおまえの授業を受けた後で『そんなことがそうそうある訳がない』と他人事のように笑っていたんだぞ?」

 

 もうなにも言い返せなかった。司に出来ることは人間そっくりの人形。エヴァンジェリンに仕える従者たちに頼んで二人を綺麗にしてあげて寝室に寝かせてあげるぐらいだった。

 

 一人になりたいか、二人一緒がいいかと確認すると二人は一緒にいたいと希望した。

 だから二人を同じ部屋の一緒のベッドに寝かせて司はその枕元に椅子を用意して座っていた。

 

 女性の寝室に男が居座るなど非常識だと思うが、今の彼女たちの精神状態を思うと目が離せない。エヴァの従者たちに任せたいが彼女たちは基本的にエヴァンジェリンの意志を優先する。少なくとも今の彼女たちの精神的ケアをエヴァンジェリンに任せる気にはなれない。

 

「司さん。裏の世界って本当に怖いことがいっぱいあるんですね」

「……ええ、そうですね」

 

 のどかの力ないつぶやきにそう答えるしかない。この場でそんなことはそうはないなどと言ったらエヴァンジェリンの気遣いを無駄にしてしまう。そもそも嘘をついたところでいずれ彼女たちは現実を知るのだ。

 

 世界には悲劇と狂気がごく当たり前のようにちりばめられていると。

 

「私はどこかで、魔法使いという存在をファンタジー的な。幻想の物語のようにとらえていました……賑やかで華々しくて、とても楽しい世界を夢想していました。でもそんな世界は存在しないのですね」

「ええ……どんな偉大な魔法使いだろうと希代の天才魔術師だろうと、世界を理想郷には出来なかったんです」

 

 夕映のまるで懺悔するような告白にも司は事実を告げるしかない。

 

 それから司は二人が眠るまで、少しでも気晴らしになればと自分の昔話などしていた。

 正直自分の過去をばらすなど恥ずかしいからこんな状況でもなければ話さなかっただろう。

 

 自分が幼い頃は魔術の修行が退屈で、母の教える剣術ばかりしていたので落ちこぼれ扱いされていたことや、それでも見捨てずにいてくれた一族の人たち。小学校に上がったときは男だと認識されずに必死に自分は男だと主張した日々。女子におもちゃにされながら暮らした故郷での生活。

 そんなたわいもない話を優しい声で続けた。

 

 やがて彼女たちはときおり笑みをこぼすようになり、ゆっくりと寝息を立て始めた。

 彼女たちが早く立ち直ることを祈りながら司はずっと彼女たちの側にいた。

 

 あとでエヴァンジェリンには過保護だと笑われたが。

 

 その後は修行もより実戦的になり、彼女たちも怪我をすることなど当然。重傷を負ってもそれが当たり前と受け止めるようになった。そう彼女たちが望んだ。

 自分たちはあのような目に遭いたくない。そのためには身を守れるぐらいには強くなりたいと。

 

 いったいなにを見せたのかとエヴァンジェリンに問うたら。

 

「人としての尊厳をすべて失いながらただ実験動物として生きる様や、女としての自尊心を踏みにじられて性玩具として生きる人生などさまざまだな。よくある話だろう?」

 

 おまえも力がなければそうなっていた可能性は高いな。とエヴァンジェリンはどこか意地悪な笑みを浮かべた。

 司は『極東最大の魔力保持者』にして藤宮の技を継ぐ直系。しかも美しい容姿だ。確かに弱ければ踏みにじられていてもおかしくない。

 

 結果、彼女たちは凄まじい熱意で才能を伸ばした。

 司ももう彼女たちを素人の女子中学生とは扱わず藤宮の見習い魔術師と思って修行をつけた。結果修行はより厳しくなる。二人は重傷を負ってもひるまずにすぐに治療を受けて修行に復帰するぐらい逞しくなった。

 

「ようやく半人前くらいか。あいつもやれば出来るじゃないか、最初からああしていればわたしがわざわざ手を出す必要もなかったものを」

 

 三人の修行風景を眺めながらエヴァンジェリンはそう笑っていた。満足そうに。

 

 

 

 

 そして実力も精神も、藤宮の見習いとして十分な水準に達したと判断した司は二人を一族へ披露することにしたのだ。

 

 

 エヴァンジェリンは最初は興味なさそうにその話を聞いていたが、藤宮の里に温泉があると聞くと強引に同行を決めた。

 

 渋る司を押し切った彼女は実に楽しそうに旅行の支度をしており、茶々丸はその様子を嬉しそうに眺めていた。

 

 茶々丸にとって司は主を明るくさせた恩人である。

 呪いを解き、退屈だった主の生活を一変させた。

 

 茶々丸は司がエヴァンジェリンの同行を望まないことに気づいていたが、主がこれほど望んでいるならと自身も頼み込み結局司が折れた。

 

 久し振りの麻帆良の外にテンションが上がりっぱなしのエヴァンジェリンと一緒に五人で電車に揺られ藤宮一族の支配する土地までやってきたのだ。

 

 駅周辺はそれなりに開発された町という印象だったが恭也の運転する車で三十分も走ると周囲はのどかな畑が広がり、山が大きく見えるほど近くにあった。

 

「きれいな景色ですね」

「うん、景色だけはいいからね。他になんにもないけど」

 

 司は故郷を褒められて嬉しそうにのどかに答えた。

 

「基本的に田舎だからなんにもないけど、のんびりしていていいところなんだ」

 

 観光客などもたまに来るらしいが、あまり観光事業に力は入れていないため隠れた名所扱いだと司は言った。

 

「ほう、名所か。なら温泉も期待出来るか?」

「藤宮の本宅に温泉をひいていますから、入れますよ。景色も悪くはないと思います」

「今の季節だと山や木々を見ながら湯につかるって感じだな。冬になれば雪景色がいい感じだが、夏は夏でいいものだ」

 

 運転手を務める恭也が口をはさみ、エヴァンジェリンは満足そうに肯いた。

 

 

 

 

 一面に広がる屋敷の大きさに夕映とのどかが驚き。

 魔法を継承する歴史ある一族の家ならこの程度は普通だとエヴァンジェリンにいわれて二人はおっかなびっくり司の後についていった。

 

 案内がいなければ迷子になるのではないかという距離を歩き、一同は当主の部屋へ入る。

 

 そこには厳しそうな雰囲気の男性が静かに座っていた。

 天井も高く、何十人も押しかけて宴会が開けそうな大広間なのに二人の少女は息苦しさすら感じた。

 

「ただいま戻りました」

 

 奥に座る男性に対面し、すっと司が畳に正座して頭を下げた。

 その様子に夕映とのどかは慌てて司の後ろに座り、自分たちも頭を下げるべきか悩んだ。

 

 エヴァンジェリンは泰然と座る男を見つめて感心したように声を漏らした。もちろん彼女は正座などしないし頭も下げない。茶々丸は一同の後ろで使用人のように背筋を伸ばして立っていた。

 

 それぞれの様子を見せる息子とその客を視界におさめ、藤宮の当主藤宮宗鉄はそのいかめしい顔をほころばせた。

 

「よく戻った。麻帆良では上手くやっているようだな」

「はい、先生もいろいろ協力してくれています」

「近右衛門か……信用するのはわかるがあまり信用しすぎるな。あれも麻帆良の長なのだからな」

 

 その言葉に夕映とのどかはかすかに身をこわばらせた。声に含まれた不信感のようなものがまるで麻帆良の人間は信用出来ないと言われたようで恐怖すら感じる。

 

「はい、藤宮の人間としてけして馴れ合う事なくお付き合いをしております」

 

 司の言葉に夕映は改めて麻帆良の魔法使いと藤宮の魔術師は違うのだと実感した。

 西洋魔法使いと日本の魔術師の対立関係は聞いていたが今までぴんとこなかった。

 

 けれど目の前でやりとりされれば嫌でも肌で感じる。

 

 目の前の藤宮の大人も、そして司でさえ、麻帆良の魔法使いを信用してはいないのだと。

 

「さて、自己紹介が遅れたな。私は藤宮宗鉄。司の父であり、一族の長を務めている者だ」

「綾瀬夕映といいます。司さんに弟子入りしています」

「宮崎のどかです。私も弟子入りしています」

 

 二人の少女の精一杯の自己紹介に宗鉄は穏やかに肯いた。そして鋭い視線を金髪の客人に向ける。

 

「エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルだ。ここには温泉旅行に来ただけだから私のことは気にする必要はない」

「従者の絡繰茶々丸と申します」

 

 二人の自己紹介にしばらく黙考したあと肯く。

 

「お二人にはお客人として離れをお貸ししよう。温泉をご希望ということなので当家の湯を堪能されよ」

「ありがたく受けておこう」

 

 鷹揚にエヴァンジェリンは受け入れる。

 そして案内の女性についていき退出する。エヴァンジェリンと茶々丸がいなくなって夕映とのどかは少し心細さを感じた。

 

「ふむ、あれが真祖の吸血鬼か。なるほど司では手に負えまい」

「模擬戦などで鍛えてもらっていますが、全力で挑んでもおそらく無理です」

 

 宗鉄の言葉を司は肯定する。

 

「俺でも無理か?」

 

 恭也の問いに司は少し考えて首を振った。

 

「相性が悪いです。相手は少しの負傷などあっという間に回復してしまう真祖の吸血鬼、しかも大規模魔法を得意としていますから」

「槍をつけても回復され、距離を置かれたら最後か……敵にはしたくないな」

「今は敵対する意志はないようだからそう心配する必要はあるまい。こちらから喧嘩を売る理由もないからな」

 

 宗鉄の言葉に恭也と司が肯き、それで会話が終了する。夕映やのどかなど口を挟める雰囲気ではない。

 

「二人は藤宮の一門に入門するということでよろしいかな?」

 

 自分たちに問いかけられているのだと気がついた夕映とのどかが肯くと宗鉄は視線を司に向けた。

 

「二人の才能は希有なものです。特に精霊術との相性は良く飲み込みもいい。わずかな期間で初歩の精霊術をすでにおさめています」

「才能は問題ないと?」

「はい」

 

 宗鉄の視線が向いたのを感じて二人は身体を固くする。

 

「よかろう。一門に迎え入れるのを許可する。いずれは顔見せもさせよう」

「今回は見送るのですか?」

 

 司は不満げな声を上げた。

 今回二人を一族に紹介し、迎え入れるために連れてきたのだ。当主の許しを得た以上目的を達したに等しいが、出来れば一族の主立った者に会わせたい。

 

「そう怒るな。おまえを信用していないわけではない。ただ今は主立ったものが留守にしておるのだ。別に今すぐ一族に紹介しなければならないわけでもあるまい」

「なにかあったのですか?」

「とある一族が不穏な動きをしているらしい。あくまで噂だがな」

 

 司は視線を恭也に向ける。恭也は司の視線に気がついていながら知らぬ顔をしている。つまり知らせる気がない。関わるなということだと判断した。

 

「わかりました。では今後の予定は?」

「静香を呼んである。彼女と恭也に二人の実力を見てもらおうと思う。二人にもいい刺激になるだろう」

「僕も立ち会いますがよろしいですね?」

「おまえは別の用事がある。先生に来てもらっている」

 

 司は表情を曇らせた。

 

「そう嫌がるな。いつもの検査だけだ。なにもなければそれでいい。父や母を安心させると思って引き受けてくれ」

 

 少しの間司は迷ったが受け入れた。

 

「わかりました」

「そう嫌な顔をするな。私も親だ。おまえのことが心配なのだ」

 

 夕映とのどかにはなんのことかわからない会話が交わされ、恭也に連れられて退出した。

 廊下を歩きながら恭也が人なつっこそうな笑顔で言う。

 

「じゃあお嬢ちゃんたちは俺と一緒に来てくれ、おまえさんたちの魔術の腕前を見せてもらう」

「司さんはなにか用事があるんですか?」

「ええ……すこし時間がかかりますから一緒に行けません」

 

 その答えにのどかは心細そうな目で司を見た。

 

「だいじょうぶです。これから会う相手は立花静香さんといって僕の精霊術の師の一人です。優しい人ですから心配はいりません。恭也さんも付き添ってくれますし」

「のどか、だいじょうぶです。私たちは藤宮の当主に入門を認められたのです。言ってみればもう身内なのですから心配はないでしょう」

「お嬢ちゃんのいうとおりだ。心配はいらないよ。ただ今の実力がどの程度か知りたいだけだからな」

 

 そういわれてものどかから見れば今日初めて会った知らない人であり知らない場所だ。

 エヴァンジェリンたちも別行動を取り、このうえ司とも離れるとなると心細い。

 

「だいじょうぶですよ。私がいます」

「……そうだね。夕映と一緒なんだから大丈夫だよね」

 

 夕映がのどかの手をしっかりと握って力づける。

 そんな様子を見て司はすまなそうに離れていった。

 

 またあとでと声をかけて歩き出す。振り返ると恭也の後ろを夕映とのどかが手をつないで歩いて行く。

 

 彼女たちは大丈夫だろう。

 実力に不安はない。初心者ということを考えれば破格の能力なのだから。精神性もエヴァンジェリンのおかげで強靱な精神力を身につけている。

 

 それよりも自分の方が不安だ。

 だいじょうぶだと思う。

 けれどやはり医者の元に行くとなると気が進まない。

 

 自分が普通ではないと毎回認識させられるのが不快で仕方がない。

 

 いつも通り悪化はしていないだろう。

 しかし間違っても回復などしていないに違いない。

 

「医者なんて嫌いだ」

 

 八つ当たり気味に呟く。

 ため息を一つつくと諦めて幼い頃からお世話になっている医師の待つ離れへと向かった。

 




 夏休みの帰郷です。


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第十二話 露天風呂

 司の実家、与えられた客間で夕映は拳を握りしめた。全身から気合いが立ち上っているのがのどかにも見える。

 

 昼間の魔術のお披露目は大成功し、夕映ものどかも褒められた。

 藤宮一門への入門も問題なく受け入れられ、夕食の席では司の家族にも挨拶した。

 

 温かい歓迎ムードに緊張もほぐれ、不安はもう感じない。

 

 そして夜。

 一夏の思い出、親しい男の子の実家に旅行というシチュエーションに夕映のテンションはマックスを通り越して大噴火していそうだった。

 

「ここが勝負所なのです!」

 

 力強く断言する友人にのどかは少しだけ引いた。

 普段はとても冷静で、落ち着いていて、頭の良い友人がなんとも言いがたいことを提案していた。

 

『司と一緒にお風呂に入って仲良くなろう。なんなら色仕掛けも可』

 

 こんなの夕映じゃない。

 そう思うが、ここ最近の友人を思い出す限りあるいはこちらが本性かとも思う。

 

 控えめなのどかを扇動し、手応えのない司にアタックを繰り返させたのはこの親友だ。

 

 のどかは司のことが好きだ。好きなのだろう。あの時のことは決定的だった。

 

 精神的にこれ以上ないほど追い詰められたとき、ずっと傍らにいて昔話をしてくれた。ちょっと不器用だけど必死に自分たちを気遣ってくれたのだとわかると胸の奥が熱くなってもう抑えきれなくなった。

 

 すごく綺麗で、すごく優しくて、しゃべることが得意ではない自分とも嫌な顔をせずに話してくれる。

 

 放課後のエヴァンジェリンの別荘で、丸一日を一緒に過ごす男性だ。

 いやでも親しくなるし、親しくなれば好意も持つ。さらにあの一件は決定的だった。

 

 のどかや夕映にとって司以上に親しい身近な男性など存在せず。そして彼はすごく魅力的であった。なにしろ女性と間違うほどの美貌と、温和で優しい人となり、ついでに実家はこのとおり大邸宅をもつ家の跡取り息子だ。

 

 正直彼のことを詳しく知らない女子でも惹かれる条件がごろごろしているレベルの男子だ。特にのどかにとっての彼はそんな条件すら霞むほどの魅力的な男性だ。

 

 同じ歳の男子にあの奥深い優しさと包容力は絶対に期待できないと夕映も同意してくれた。高等部の先輩ですら無理だろうと思う。

 

 そして夕映も、口には出さないが同じように彼に惹かれているのだろう。

 司に触れられたとき、頬を染めて恥じらっていたのを知っている。その手が離れたとき切なそうな寂しそうな顔をしたのを見ている。

 

『のどかの恋を応援するため』

 

 そうは言っているが彼女自身も司に恋い焦がれ、彼の近くにいたいと願っているのだろう。彼に少しでも良いから想われたいという想いがあるのがわかる。

 

 それを口にするとあわあわとうろたえながら否定するのだが。

 

 夕映が司に惹かれるのはいい。

 なぜかそれはかまわないと思える。

 

 もし司の横に夕映が寄り添うことになってもおそらく自分はそんな親友の幸福を祝福するだろう。

 もちろん多少の寂しさや悲しさはあるだろうが、なぜかすとんと納得も出来るのだ。

 

 何食わぬ顔で休日にデートをしているらしい木乃香やときおり猛禽の目つきで舌なめずりしそうなエヴァンジェリンよりかはマシだ。

 

「いきなり裸というのはハードルが高すぎるので、水着を着用するです」

 

 友人の言葉に『ああ、これは旅行前から計画されていたのか』とのどかは納得した。

 旅行の支度をしているときになぜか水着をもっていくように言われたときは『なんで?』と不思議がったものだが、はじめから風呂場に乱入する予定だったのか。

 

 なんとも度胸があるというか、なんというかそれは犯罪ではないだろうかと心配になる。

 

 男女を逆に置き換えたら問答無用で変質者扱いされる。

 女性が入浴中に風呂場に乱入する男。これはダメだろう。たぶん世界の常識だろうと思う。

 

 逆はいいのだろうか? ダメな気がする。

 

「いいですか? あの鈍感男にはこれくらいしないと効果がないのです! なんならおさわりもオッケーとします。それでも効果がないときは覚悟を決めて脱ぎましょう!」

 

 もはや変なテンションというより大暴走を引き起こしている夕映がとんでもないことを宣言する。

 

 のどかは想像する。

 

 司にお風呂場で身体を触れさせる?

 しかも目の前で水着を脱ぐ?

 

 もはやそれは……なんというか変態さんではないだろうかと思うが夕映の気迫が怖くて口に出せない。

 

 確かにそれぐらいしないとアピールにならないかもしれないとも思う。

 

 司は中学生の男女だというのにエヴァンジェリンの別荘の中で寝食を共にしてもまったく『あやまち』など起こる気配もない男性である。……実は女の子というオチはないだろうかとのどかでさえ疑う。本当についているのだろうか?

 

 二人でそれなりにアプローチはしたつもりだが、どうもまったく気づかれていないような気がした。

 

 でもだからといって彼の前で脱ぐのはさすがに度胸が足りないし、自信もない。

 発育のいい一部のクラスメイトと違い。のどかは平均的な女子中学生程度の体型でしかない。たぶん色気が足りないだろうことは自分ではっきりとわかる。

 

「ゆ、ゆえ~、それはやりすぎじゃ……」

「なにをいうのです! あんな顔をしていても彼も男です! 女の子と一緒に入浴し、かつその身体に触れることを許され、さらには裸まで見せてもいいといえば本丸陥落は間違いないのです!」

 

 むしろ引かれないだろうか?

 

 司と自分たちの仲はせいぜい友人程度だ。

 そんな男の子向けのマンガでやるような色仕掛けはかえって逆効果ではないか?

 

 今まで友人と思っていた女の子が、旅行先でなぜかいきなり風呂場に乱入してきた。

 あなたはどうしますか?

 ……悪い結果しか出ない気がする。

 

「とにかくやるです! チャンスは今しかありません。好機は自らつかみとるものなのです!」

 

 ふんぬと支度も万全に立ち上がる親友に、流されがちなのどかは見事に流されて荷物から水着などを取り出した。

 

 だいじょうぶ。

 一緒にお風呂に入るだけだし、水着も着ているんだし。

 

 そうひどいことにはならないんじゃないかな……。

 

 いくらなんでも脱ぐというのは冗談だろう。そうだきっと冗談に違いない。

 自分も色気が足りないが、夕映はさらに低年齢に見られかねない小柄かつ発育の足りない身体なのだ。まさか本気で脱ぐなど言わないだろう。

 

「司さんの入浴時間はあらかじめ聞いておきました。敵は露天風呂にあり! いくですよ!」

 

 やたらテンションの高い親友に引きずられてのどかは露天風呂に向かった。

 

 なんだかんだいいつつ胸が高鳴る。実はちょっとだけ、司の裸というものに興味があったりした。

 なんだかんだで男の子と一緒の旅行、しかも行き先は男の子の実家ということでのどかも夕映に負けず劣らずテンションが上がっているのだ。

 

 

 

 

「なぜあなたが……」

「ふん、抜け駆けとはいい度胸だな?」

 

 藤宮本宅の露天風呂。その脱衣所でばったりとエヴァンジェリンと鉢合わせした。

 驚きを隠せない夕映ににやりと笑うエヴァンジェリン。

 

 貴様ら如きの浅知恵などお見通しだと嘲笑われているようだった。

 

「えーと、エヴァンジェリンさんは確か別棟のお風呂が貸しきりだったんじゃあ?」

 

 のどかが尋ねる。貸し切りのお風呂があるのになぜわざわざ離れた本宅の風呂に来ているのか?

 

 司たち家族が住んでいる本宅から少し離れた場所にある別棟の一つがエヴァンジェリンに貸し出されていたはずで、そこにも露天風呂はあるという話だった。

 

「なにこちらの方が広いと聞いてな。少しばかり堪能しに来ただけだ」

 

 わざわざ司さんが入っているときにデスカ?

 胸の内から黒いなにかが漏れそうになるのをのどかは抑えた。

 

「……旅行中くらい譲ってくれてもいいじゃないですか?」

「ふん、なんのことかわからんな。私は湯を楽しみに来ただけだ。まぁ偶然あいつの裸を見るかもしれないし、ついでに裸の付き合いでもするかもしれないがな」

 

 その言葉に二人の少女は落雷に撃たれたように身を震わせた。

 

「ま、まさかあなたは……裸で行くつもりなのですか!?」

 

 夕映が慄く。

 エヴァンジェリンはなにを当たり前なことをといいたげに鼻で笑い。こちらの荷物の中に水着を見とがめるととたんに見下すような目になった。

 

「はっ、温泉に水着着用など風情のわからん小娘たちだな。その貧相な身体をさらす覚悟がないのなら尻尾を巻いて部屋に帰れ、ここからは大人の時間だ」

 

 はっはっはと勝ち誇って服を脱いでいく。

 その哄笑に夕映は顔を引きつらせ、ついに決断した。

 

「のどか……この万年幼児体型にここまでいわれては私たちも覚悟を決めなければなりません」

「夕映……そんな、無理だよ。いくらなんでもそんなことをしたら」

 

 女の子として大事なものが死んでしまう!

 

 もうすでに何百年も生きている実質ご老人の万年ロリ体型ババアの金髪吸血鬼はともかく自分たちは花も恥じらう乙女なのだ。変に意地を張って女を捨てるようなことをしては!

 

 さりげなく胸の内でエヴァンジェリンを罵倒するのどか。入学当初から比べればだいぶはっちゃけてきた。本性が見えてきたかもしれない。

 

 夕映は優しい眼差しでのどかに笑いかけた。

 

「私は行くのです……けれどのどかには強制はしないです。あなたは犠牲になる必要はない」

 

 万の軍勢が待ち受ける戦場に丸腰で特攻する兵士のような笑顔で夕映は服に手をかけた。

 

「私の覚悟、見届けるです!」

「ゆえ!」

 

 ぶわっとのどかは涙を流して夕映の手を取った。

 

「のどか……」

「私たちは一緒だよ。親友だもの」

「のどか……!」

 

 ゆえ……痴女と蔑まれるなら、せめて二人一緒に散ろう……。

 なんというか二人とも雰囲気に酔って盛大に流されていた。

 

 

 

 

 長い黒髪をゴムで束ね、司は岩づくりの温泉に肩までつかって思いっきり手足を伸ばしてくつろいでいた。

 空には星空、涼しい風が髪を撫で、温かい湯に包まれて身も心も温まる。

 

「やっぱりうちのお風呂はいいね……」

 

 麻帆良の男子寮も大浴場があり、広い湯ではあるのだが司はずいぶん不自由をしていた。

 他の男子が入っている間は司は入れないからだ。

 

 司は気にしなかったのだが、周囲の男子たちから懇願されて司だけは入浴時間を決めて別で入浴することになっている。

 

「身体が持たない」

「欲望を持てあます」

「情熱が鼻から溢れて止まらない」

「股間がマックスパワーになってしまって恥ずかしい」

「というか女湯に行け、そのほうがきっと違和感がない」

 

 などなどひどいことを言われて司は男湯から追放された。

 司が入浴するときは脱衣所には『司くん専用』という暖簾が掛けられる。

 イジメなのではないかとさえ思うが、『俺たちが道を踏み外す前に自重してくれ!』と泣いて懇願されればしかたがない。

 

 なんというか、目が血走ったり鼻息が荒い男どもに混じって風呂に入るのも居心地が悪かったのも事実だ。

 

「男に見えないらしいから……」

 

 自分の身体を見下ろしてため息をつく。

 

 瑞々しい白い肌。

 柔らかく細い手足。

 華奢で、なだらかな曲線を描く腰のライン。

 股間さえ見なければ女と言って通用する。というか男と言っても信じてもらえない。

 

 プールでさえ、司は上半身裸を禁止された過去を持っていた。

 一人だけ上半身にTシャツを着せられ、水に濡れて張り付くTシャツ姿も色っぽいと何人かの男子生徒が股間を隠して動けなくなったりもした。女子はそれを見ておもしろがっていた。

 

 麻帆良に来たら来たで、近右衛門から特注の水着を与えられていた。

 タンクトップとショートパンツ……デザインこそ控えめだったが女性用水着とそう変わらない。

 

「お主の裸は男子生徒には刺激が強すぎる」

 

 真面目な顔で断言する近右衛門を心底殴りたいと思った。

 試しに部屋で着てみれば同室の信繁は気まずそうに目をそらして「すまん……女にしか見えん」と謝ってきた。

 

 もはや力なく笑うしかない。

 

「おのれ、やはり大神の加護は呪いなのか……!?」

 

 この身を蝕む大神の加護が恨めしい。というか絶対にそんな司を指さして笑っているに違いないのだ。あの女神は。

 

 日中の検査では身体に異常はなかったが、外見だけはあきらかに異常だ。この年齢になっても男性的特徴が現れない身体はあきらかに普通ではないのだ。

 しかたがないともう諦めてもいるが、やはり悲しい。

 

 ふと脱衣所の方で声が聞こえた気がした。

 目を向けると脱衣所の扉が開かれて裸体姿を堂々とさらしたエヴァンジェリンと目が合った。

 

「邪魔するぞ」

 

 なんら後ろめたいことはないという態度でかけ湯をして湯につかる。

 前も後ろも隠す気はいっさいないとばかりのあまりの居直りっぷりに司は言葉が出なかった。

 

 それでも『エヴァンジェリンだし』と納得も出来た。

 

 なんと言っても六百年生きた吸血鬼だ。

 いまさら十代の子供に裸を見られたところで騒ぎはしないのだろうと。

 

 しかしすぐその後に二人の少女が手ぬぐいを片手に入ってきて司は思わず湯船の中で滑りそうになった。

 

「な、なにをやっているんですか?」

「お、お風呂に入りに来たのです!」

「……お邪魔しますぅ」

 

 夕映とのどかはさすがに恥ずかしそうに手ぬぐいを身体の前に垂らしているが、身体は隠しきれていない。

 むしろ一歩歩くたびに手ぬぐいが揺れてちらりちらりと膨らみはじめた胸や下半身の隠すべき場所、すらりとした身体のラインなどが見え隠れして余計に扇情的だった。

 

 さすがに凝視出来ずに目をそらす。

 二人は顔を真っ赤にしながら湯につかり、こちらをちらちらと見てきた。

 

「なにを考えているんですか……一応僕は男ですよ?」

「はっ、貴様に女を襲う甲斐性はあるまい。気にするな」

 

 エヴァンジェリンが鼻で笑う。

 

「夕映さん、のどかさん、あなたたちまでなにを……」

「ゆえ~、やっぱりやりすぎだったんじゃ?」

「ここまできたら女は度胸です! のどかももっと堂々とするのです。エヴァンジェリンさんに負けてしまいます!」

 

 司の非難など耳にも届かずに二人でこそこそ言い争っている。

 

 はぁとため息をつく。

 

 昔から司に肌をさらすことに抵抗感のない女性は多かったが……女性の裸が見られてラッキーと思うよりも、男扱いされていないと落ち込んでしまうのが司であった。

 

「なんだ元気がないな? いやむしろこの状況なら元気が有り余っているのか? なんならすっきりさせてやろうか?」

 

 エヴァンジェリンが右手でなにかを握るようにしてそれを上下にゆっくり振ってみせる。下品だった。

 

「くっ……エヴァンジェリンさん、あなたはどこまで勇者なのですか!? さすがにそれは……」

「あわわ、司さんが裸で、司さんのをにぎって、司さんが気持ちよく、司さんがすっきりと……」

 

 夕映が戦慄し、のどかが沸騰してぶつぶつと自分の世界に旅立つ。

 

 露天風呂はそれなりにカオスになってきていた。

 司は女性陣を見ないように視線をそらせて、少しお小言を言った。

 

「女の子なのだからもう少し慎みを持ってください。何度も言うようですが僕は男ですよ」

「ふん、いまさらガキに裸を見られたぐらいでどうということはない」

 

 エヴァンジェリンは『見たいなら見ろと』胸を張る。

 

「えっと……司さんなら、見られてもいいかなぁ、なんて……」

 

 普段からは考えつかないような大胆発言をしてのどかが耳まで真っ赤になって縮こまる。

 

「いいではないですか、女の子と一緒にお風呂に入るなんて他の人が聞けばうらやましがるようなことでしょう? もっと素直に喜んでください」

 

 口では開き直りつつ顔を真っ赤にして司から視線をはずし、もじもじとお湯の中で身体を隠す夕映。

 

 三者三様の有様に司はふと。

 ひょっとして今僕はモテているのか?

 

 旅行先の露天風呂で――といっても司の自宅だが――女の子たちが裸で一緒に入浴してくれる。

 

 ひょっとしなくても好意がなければ出来ないことだろう。

 

 そういえば三人とも、普段から司に良く近づいてきたりしていた。

 いままで男と見られていないから距離感が狂っているのだろうと寂しく思っていたが、アレはひょっとして男性として好意を持っているから近寄ってきていたのではないのか?

 

 しかしさんざん女子たちにおもちゃにされた経験が司の思考を後ろ向きにする。

 

「あんまり僕をからかわないでください。僕だってそのうち我慢出来なくなって襲いかかるかもしれませんよ」

「ふむ、そのときは優しくリードしてやるぞ?」

 

 エヴァンジェリンが妖艶に笑い。

 

「はわわ、襲われるってナニがナニをナニされるの……」

「おう……これは、この破壊力は……もはやこれまでです……」

 

 のどかは思考回路が暴走してかなたの世界に飛び去り、夕映は顔を赤らめてふてくされたような『襲っちゃうぞ?』宣言に魂を直撃されて情熱が鼻から漏れないようにするので手一杯だった。

 

 

 

 

 情欲やら欲望やら情熱が暴走したり溢れそうになったりしながらの混浴体験が終わり部屋に戻った夕映とのどかはぼーっと布団の上で二人向き合っていた。

 

「司さん、綺麗だったね」

 

 のどかがぽつりと呟く、脳裏には湯につかる司の姿が鮮明に浮かぶ。温泉旅館のパンフレットに使えそうなくらいに美人だった。

 

 えへへと口元が緩む。

 

 なにしろ女の子でもつばを飲むほどの色っぽさだった。この記憶は永久保存決定だ。可能なら時間をさかのぼってあの場にカメラを持ち込みたい。きっと生涯の宝になっただろう。

 

「そうですね。肌が白くて、触ったら気持ちよさそうでした」

 

 夕映も先ほどの光景を思い浮かべるようにうっとりとした。

 あのすべすべの肌に触れ、抱きしめられたらきっと天国に召されてしまう。その光景がもんもんと頭の中で再現されて夕映は身体がとろけるような気がした。

 

「女の子にしか見えなかったね……」

「私たちより色っぽかったかもしれません……」

 

 確かに女の子にしか見えなかった。しかもすごく色っぽかった。

 湯で暖まり朱が差した肌。男の子とは思えないほど華奢な身体を湯の中で丸めるように膝を抱えて座っていた。

 

 心が揺さぶられ、理性が決壊し、欲望がみなぎってしまいそうだった。男だったら間違いなく股間を隠してうずくまっていただろう。

 

 女として少し敗北感も感じるが、この二人はただでは起きなかった。

 

「……でも男の子だったよね」

「……可愛いぞうさんでしたね」

 

 しっかりと司が男の子である証を記憶領域に最高画質で保存していた。

 

「ちょっと可愛かったね」

「ええ、あれは良いモノでした」

 

 他と比較するほどに知識はないが、二人の目には司の男の証は可愛らしいものに映った。多分に恋心補正が効いているだろう。

 

 実際、刀子もそれを見て『可愛らしい』と評価したことを二人は知らない。それは小学生の頃の話だが、司は事情があって身体に男性的特徴が非常に出にくい体質だ。股間だけは男らしく逞しく成長するなどという都合のいい現象は起きない。

 

 自分の裸を見られたことも、司の裸を見たことで相殺されてそれほど心理的抵抗もダメージもなかった。

 

 むしろ自分の裸を見て司が魅力的に思ってくれたかどうかが気にかかるほどだ。

 

 もともと司は男性的イメージを抱きにくいため肌をさらすことや触れることに抵抗をあまり感じない。

 そうでなければいくらエヴァンジェリンに挑発されても裸を見せることはしなかっただろう。

 

「可愛かったね……」

「可愛かったですね……」

 

 すっかり湯ではないものにのぼせあがった二人は上の空で顔を真っ赤にさせていた。

 今日は幸せな夢が見られそうだった。

 




混浴イベントです。
温泉ならこれをやらなければならないと燃えました。おかげで書いていて楽しかったです。

夕映大暴走、流されるのどか。

いままであまり恋愛関係は書いてなかった気がするので唐突な感じかなと心配ですが。
今までろくに描写せずにいきなりマッパで混浴は唐突すぎるかもしれません。

今回、ちょっとやりすぎたかなと思ったので新たにR-15タグをつけました。いらない気がするのですが、この程度なら全年齢でもオッケーですよね?


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第十三話 藤宮の御子

「朝だ……」

 

 司は憂鬱そうな顔で呟いた。

 

 朝食の席に行けば、間違いなくあの三人と顔を合わせることになる。

 風呂場に乱入という暴挙を行った三人とだ。

 

 あの場は雰囲気と勢いで流されてしまったが、部屋に戻って冷静になると死ぬほど恥ずかしかった。

 

 同年齢の少女と一緒のお風呂に入ったのだ。

 お互い全裸で。

 

 女性の裸を見たことがないわけではない。

 女性に風呂場に連れ込まれるなども結構あった。

 

 同年齢から年下年上、そろいもそろってなぜか司はそういうことに縁があった。

 けれどやはり恥ずかしいものは恥ずかしい。

 

 そういった女性たちは司の身体を見て『綺麗』だの『可愛い』だの言うが、司にとってはコンプレックスを感じる身体なのだ。

 

 男性らしさのまったくない。少女のような身体。

 

 開き直って「僕って綺麗でしょ」とでも言えれば幸せに生きられるのかもしれないが、まだそこまで到達していない。自分では男のつもりなのだ。

 

「とりあえず……このことは誰にも話さないように口止めしよう」

 

 麻帆良で混浴したことをばらされたら人生が終わりかねない。

 女子と親しい事への嫉妬など楽に飛び越えて、男どもたちから私刑制裁を喰らう。

 

『モテ男死ね』

『イケメンに呪いを』

 

 呪詛を口に出しながら世界を呪いそうな男どもの怨念は、司から見ても怖い。

 

 

 

 

 朝食の席は意外なほど普通だった。

 夕映ものどかもごく普通の態度で接してきて昨日あのような行動を取ったとはとても思えない平常運転っぷりだった。

 

 まさか夢か? 夢だったのか?

 

 そう疑いたくなるが耳元でささやいたエヴァンジェリンの言葉が逃避を許さない。

 

「昨日はよく眠れたか? ……さぞいい夢が見られただろう? もし我慢出来なくなったらいつでも言え、大人の世界を教えてやる」

 

 背筋がふるえるような甘い声音だった。

 

 大人の世界ってナンですか? ……ええ、わかっています。アレですね。いえ、まだ結構です。ボクはまだコドモで結構ですから。

 

 中学一年生でそういうことはいくらなんでも早すぎな気がする。

 

 司如き幼い少年では少女たちの内面をすべて見通すことなど出来るはずもなく。

 内心では恥ずかしさと若干の後悔で死にかけていた二人の少女の羞恥など気がつくはずもない。

 

 もちろんエヴァンジェリンが誘惑してくる理由もわからない。

 わからないなりに司は。

 

「とりあえず昨日のことは気にしないことにしよう」

 

 きっと旅行で羽目を外しただけだろう。

 あるいは男とも思われていなかったか、本当は女なのではないかと疑って確認のために乗り込んできたのかもしれない。

 

「そういえば刀子さんもそうだった」

 

 一緒にシャワーをあびましょうと引っ張っていって、こちらの股間を見て目を丸くしていた「ホントに男の子だったんだ」というつぶやきはきちんと聞こえていた。

 付け加えるなら同様のことをやった女性は刀子だけではない。

 

「まったく……人のことをなんだと」

 

 思いだしたら腹が立ってきた。

 

「それはともかくそろそろ彼女たちにも説明した方がいいかな?」

 

 気を取り直して目前の問題に意識を向ける。

 

 夕映ものどかも精霊術を学んでいる。

 

 あの習得速度なら直に上級精霊術も身につけるだろう。

 そのときに『上級精霊術を使えば司のように精霊の侵食を受ける』などと誤解して欲しくない。

『普通の精霊術』で司ほど侵食を受けることなどまずありえないのだから。

 

「これは特殊だから」

 

 司はほんの少し自嘲する。自分の運命を呪いはしない。しかしそれでも普通に生きている人が羨ましく感じるときはある。

 

『大神の加護』

 

 それにより司は極東最大の魔力を得た。そして同時にその魂を精霊に近づけることになった。

 

 エヴァンジェリンのように気配に鋭敏なものなら一目で違和感を感じるほどに人間から外れている。

 

 司が加護を受けたと考えた一族が調べ上げた結果わかったこと。

 

『大神』とは太古の精霊である。

 それは意志を持つ人外であり、人と何ら変わらない姿で千年を生きる神にも等しい存在である。

 その姿は常に美しい少女の姿であり、藤宮の初代に精霊術を伝えた。

 それ以来藤宮の家と共にあり、時に姿を現しては藤宮の人間を助け、今は眠りについている。

 

 その『加護』とは。

『大神』と祀られたその精霊に等しい存在になること。

 神と讃えられたその力、その存在に近づくこと。

 

 それ故に人ではなくなる。

 

 もっとも歴代の『加護』を受けた先人たちも、完全に『大神』と同等にまでなる事は出来ず。せいぜい人より優れた力を持ち、多少長く生きた程度だったらしい。

 

 司もおそらくそうだろうと一族は考えている。

 

『大神』の外見を受け継ぎ、魔術の才を得て、多少の長寿を得る。

 そのあたりが人の身で『神に似せる』ことの限界であろうと。

 

 もっとも外見に関して言えば、生まれつきの可能性もないわけでもないが。

 幼児期ならともかく思春期になっても男性的特徴が現れないのは、『加護』を得たせいではないかと考えた方が自然だろう。

 

 

 

 

「つまり、私たちがそうなることはありえないということですか?」

 

 一室で事情を説明された夕映とのどかは目を丸くしていた。

 なにしろ自分は神様の加護を受けていると宣言したのだ。魔法を知る前の二人なら冗談かと笑い飛ばしたかもしれない。

 

 藤宮の家の成り立ち、その使命。

『大神』の存在なども聞かされて、二人は目を輝かせていた。

 

「なんというか……まるで選ばれた勇者というか、特別な血筋の主人公というか」

「すごいね……本当にこんな事ってあるんだね」

 

 どこか興奮した様子で語り合う。

 

 確かに藤宮の家や司の存在はそう言えなくもない。

 もっともそこで生まれ育った司にしてみればありがたがるようなものではないと思うのだが。ましてや司はその『大神』と面識がある。一族でも限られた者しか知らない秘事であり、まだ彼女たちに明かせる話ではないがアレは断じてそんなありがたがるような大層なものではないと思える。

 

 昔、そう父に言ったら『馬鹿者』と頭に拳骨を落とされ『他ではけして言うな。おまえは分別のない人間ではないだろう』と口止めされた。その後興味深げに『おまえがそれほど言うとはいったいどのような人物なのだ?』とこっそり聞いてきた。

 

 あの藤宮の守護神は司以外の人間に会わない。今は気が乗らないのだそうだ。なので藤宮当主である宗鉄すら会った事がない。

 

 司から自分たちの守護する『大神』の人となりを聞いた宗鉄は、少し頭痛をこらえるように額に手をやり『他言無用』と念を押してきた。

 

 さすがの藤宮当主も多少ショックだったらしい。なにせ伝承では慈悲深く美しい女神なのだ。きっと歴代の藤宮一族が少しでも『大神』の威厳を出すために改竄したのだろうと司は思っている。

 

「ふん、つまりおまえは神の加護を受けた勇者な訳だな。しかも選ばれた一族出身の? これでなにやら悲劇でも背負っていたらまさに王道だな。ありふれすぎていて笑える」

 

 なぜかその場で話を聞いていたエヴァンジェリンがせんべいをかみ砕きながらつまらなそうに口を挟む。

 

「それで? おまえは世界でも救うのか? それとも悪の大魔王を倒すのか?」

「からかわないでください。多少人と違う力があっても僕は普通の人間のつもりです。そんな物語じみたことにはなりませんよ」

 

 冗談ではない。

 司としては無事一族を継いで、次代に血と技を残せれば十分なのだ。

 

 ゲームのような大冒険などする気がない。

 だいたいそういう主人公って大抵不幸な目に遭うじゃないかと思う。

 たとえば、恋人が死んだり、信じていた親友に裏切られたり、死にそうな目に遭ったり。

 

 普通ではない家の生まれで、普通ではない身の上だが、これ以上人生を波瀾万丈にしたいとは思わない。

 

「普通? おまえが? ありえんな」

 

 エヴァンジェリンは唇をひん曲げて嘲笑した。

 

「おまえもわかっているだろうに……『自分はちがう』とな」

 

 口では嘲笑いながらもその視線はどこか哀れむような視線だった。

 

 

 

 

 少女のような外見。

 話の通りなら、おそらく大人になっても中年になっても司は女性のような外見のままだろう。

 

 魔術の才。

 極東最高の魔力保持者の一人。それに加えて魔術の才も際立っている。順調に成長すればおそらく極東最強の称号も得るだろう。

 

 日本に根を下ろす歴史ある一族の嫡男。

 例え跡を継がずとも、その血筋であるというだけで平凡な人生など送れまい。

 

 確かに普通ではない。だが自分とは違う。

 エヴァンジェリンは少しばかりの悲しさと共にそう思うが、それでもと考える。

 

 人に忌み嫌われ、排斥されるような人生ではないだろう。

 だがそれでも凡人の暮らしは送れず。平凡など夢見ることしか出来ない人生であろうと。

 

 その外見は良くも悪くも人の目を引くだろう。

 藤宮の治める地元に育ち、いろいろな意味で常識外れを許容出来る麻帆良にいるうちはいいだろう。

 

 しかし他の土地で普通に受け入れられるか?

 

 難しい。

 

 麻帆良でさえ注目を受けるのだ。

 よその土地などではとても人の目がうるさくて生きづらかろう。

 

 そして極東最高の魔力に歴史ある一族の血筋。

 利用しようと考え、すりよる者など掃いて捨てるほどいるに違いない。

 

 いまは一族に守られているのだろう。

 だがその庇護を失ったら?

 

 自分の人生を生きるどころか日々の自由さえ失いかねない。

 

 そして最強の魔法使いと自認する自分でさえ目を剥く魔術の才。

 

 まさしく藤宮司は天才だ。

 今は経験不足から『最強』とは言えない。

 

 しかし素質は十分なのだ。その器はあると見ている。

 十年後、いや数年真面目に修行するだけでこのエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルとも並べるだろう。

 

 そんな男が、平凡に平穏に日々を暮らせるか?

 出来るわけがない。

 

 最強の魔法使いが平穏を謳歌するなどありえない。

 

 自分はその力ゆえに疎まれ恐れられた。

 

 ナギもまたその力と存在を利用され、それを嫌ったかのように風来坊のように放浪していた。

 

 近右衛門も極東最強と目され、麻帆良の長に据えられ魔法世界と現実世界をつなぐ橋渡し役として存在している。ほぼ麻帆良の置物扱いだ。彼に自由などあるのか?

 

 噂に聞く限り大戦で活躍したナギの仲間たちも平凡とはほど遠い生き方をしている。

 

 ある者は行方不明。ある者は隠遁生活。所在のはっきりしている者は近衛詠春のみだが、彼としても剣士として名を馳せていながら日本の魔術師を束ねる関西呪術協会の長という立場は不本意ではないのか。

 

 力あるものは恐れられ、排斥されるか。畏れられ、利用されるか。

 

 目の前の少年もいずれはそうなるだろう。

 エヴァンジェリンの問いかけにわずかに不快そうな顔をしている少年。

 

「今はわからなくてもしかたがないが、いずれわかる。力にはしがらみがついてまわるものだとな」

 

 哀れではある。

 才こそ際立っているが、司の精神はその才能に比べれば穏やかすぎる。

 

 野心がなく、平穏を愛し、小さな幸福を手に満足してしまいそうなところがある。

 いっそ彼が野心家であれば、いやせめて一生を激しく生きることの出来る目的でもあればその人生は華麗で鮮やかな生き様になっただろう。

 周囲もその生き様に瞠目し、自身も満たされたことだろう。

 

 だがこの美しい少年にはその激しさがない。

 才能にふさわしい人格をもたないことは不幸だろう。

 

 才のない野心家はその一生を不本意に生きるだろう。

 野心なき天才は平穏に生きることを周囲に認められないに違いない。

 

 

 そういう意味では司は自分に似ている。

 そう同情と哀れみを込めて思う。

 

 自分の意志とは関わりのないところで、すでにその人生の舵は決められている。

 排斥されるか、利用されるかの違いでしかない。

 

 司がどんな夢を見ようと、それを叶えられることはないだろう。

 

 ただ周囲の望むままに生き。

 ただ周囲に許されるだけの自由を胸に抱える。

 その虚ろな生き方にこの幼く優しい少年は耐えられるだろうか?

 

 あるいは誇り高い面もある少年だ。ナギのようにあらゆるしがらみを捨てて世界をさまようかもしれない。

 

 心優しい天才がどう生きるのか。

 それを見届けるのも一興かもしれない。

 

 口元が緩む。

 それは見ていた夕映やのどかたちが驚くほどに綺麗で、優しい微笑だった。

 




司回のはずが、なぜか後半エヴァンジェリンが語りまくっています。

うちのエヴァは、恩人である司に好意を持っています。
ナギに似ているところがある。
自分に似ているところがある。
なんて喜んでいます。
すでに原作エヴァとは別人です。


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第十四話 日常から

 帰省旅行を終えて麻帆良に帰り、そして二学期がはじまった。

 

「……なぜこうなる?」

 

 司は憮然と呟いた。

 視線の先にあるのは校内掲示板の新聞。

 麻帆良の新聞部が発行している新聞だ。

 

 小学校から大学まで、ほぼ麻帆良全域にばらまかれる結構規模の大きい発行物である。

 そこにはどこぞのお嬢様のような品の良い笑顔を浮かべる『自分』の写真が写っていた。

 

「麻帆良のプリンセス……」

 

 麻帆良男子中等部に在籍している一男子生徒を特集した記事だ。

 

『麻帆良のプリンセス』

 

 それがこの写真の人物……司に贈られた称号だった。

 男子中学生でありながらそこらの女子がかすむほどの美貌と気品をもつ人物として盛大に持ちあげられている。

 

 ファンクラブの会員が千名を超える。

 その写真販売をしていた生徒たちはかなりの高額の利益を出した。

 なかでも掲載されている写真は数が少ないため『幻の微笑み』と呼ばれて希少価値が高く高額で取引されているらしい。

 年齢性別を超えて人気があり、中学どころか小学校や高校やら大学にもファンがいるらしい。

 

『妹に欲しい』『恋人にしたい』『むしろ俺の嫁』『ひざまづいて忠誠を誓いたい』『姉妹の契りを交わしたい』『憧れのお姉さま』『声をかけられただけで昇天する自信がある』

 

「どこのアイドルだ……?」

 

 なにやら知らぬうちにけっこうな人気らしい。

 元から隠れた人気はあったらしいし、噂にもなっていたのは知っている。

 

 けれどこうも大々的に取り上げられるほどとは知らなかった。

 

 周囲の視線がひどく気に障る。

 馬鹿にするような視線ではない。むしろどこか親しみすらある。

 

「俺たちの姫が全校に認められた!」

 

 そう喜んでいるのだ。この学校の馬鹿どもは。

『プリンセス』の異名も彼らが影で司のことを『姫』と呼んでいたせいらしい。

 

「なぜこうなった……」

 

 頭痛すら感じて司は額をおさえた。

 

 

 

 

「本当に好きよね、木乃香は」

 

 神楽坂明日菜はどこか呆れたような口調で熱心に写真に見とれる親友に声をかけた。

 近衛木乃香の手にある写真は隠し撮りと思わしき、一人の男子生徒の日常の光景だ。隠し撮りなのだろうが画質はいい、生き生きとした表情の彼の姿が良く撮れている。

 

 彼のファンクラブが販売しているもので予約注文していた数枚がようやく彼女の手元に届き、いまはご満悦状態だ。

 

 明日菜としては悪い人物とは思わないし、むしろその人柄には好感を感じてはいるがその写真を買い取って、休み時間の教室で眺めて悦に浸るほど好きかと言われればそうでもない。

 

 むしろ外見的には嫌いかもしれない。

 男らしくないと感じるし、男のくせに自分より美人というのはどういう事かと問い詰めたくなる。

 

 明日菜の好みは渋い中年男性だ。写真の人物のような性別不明の生き物は正直あまり好かない。これでなよなよしたオカマ野郎だったら口も聞かないだろう。

 

「ええやん。こんなに美人なんやで……ええわぁ、こんど着物着てもらえへんかな?」

「着物? まぁ似合うと思うけど……」

 

 艶やかな黒髪をしたおしとやかな美人だ。和服姿も似合うだろう。

 ただと明日菜は少し頭痛を感じる。

 

「どう考えても男物の着物姿が想像出来ないわね」

 

 むしろ女物の着物をきっちり着こなしてしずしず歩く姿なら簡単に想像出来る。すごい美人だ。きっと実物も似合っているに違いない。

 

「あぁ~着てくれへんやろか……」

 

 木乃香が小さくため息をつく。同性の目から見ても今の木乃香はどこか色っぽい。さながら恋する乙女か。男性に女装させて楽しみたいというのは少し違う気がするが。

 

 明日菜としてはあんたのほうが普通に似合うんじゃない? と思う。

 この親友は実に理想的な日本人女性というような雰囲気と容姿の持ち主だ。和服だって似合うだろう。

 

 もっとも彼女の気持ちも理解出来る。これほどの美人なのだ。自由に着せ替えできるとなれば楽しいだろうと思う。

 だが。

 

「無理じゃない? あいつ女扱いされるのが嫌いみたいだし」

 

 写真の人物。藤宮司とは面識がある。

 女性のような外見をしているが、真面目で人当たりの良い男子だった。間違っても女装して喜ぶ変態ではない。

 

 彼に女装を提案したら、きっと盛大に顔をしかめて断るだろう。

 精神的には本当にまともな男子なのだ。

 

 だから明日菜も友人付き合いをしているし、木乃香が一目惚れに近い入れ込みようをしていてもそれを止めようとは思わない。

 

「あー、それプリンセスの写真? ねぇねぇどんなの!?」

 

 明るい声によく似合う快活な笑顔を浮かべた級友が木乃香に声をかけた。

 木乃香の手元の写真を覗き込んで表情を輝かせる。

 

「あー、いいなぁ私服姿のがあるんだぁ……私は制服姿しか買えなかったのに」

 

 佐々木まき絵が悔しそうに唇を尖らせた。

 司の写真は制服が最も多く値段が安い。次に私服があるが数は少なく値段も割高、水着姿はあっという間に売り切れて入手不能。さらには学園新聞にも載ったレア写真まである。

 

「まき絵も買っとるんか?」

「うん、何枚か。いいよねぇ、こんな可愛い男の子がいるなんてびっくりだよね」

「そうやなぁ、人体の神秘やな」

「ドレス姿とか似合いそうだよね? なにかのイベントとかで着てくれないかなぁ」

「ドレスか、ええなぁ。やっぱお姫様にはドレスやな」

 

 二人で意気投合している。

 

「……絶対に嫌がると思うけど」

 

 明日菜がぼそりと呟くが二人には聞こえない。

 

「え、えーと明日菜、もしかしてプリンセスと知り合いなの?」

 

 横から声をかけられて振り向くと驚いた顔をしている和泉亜子がいた。

 

「うん、友達だけど」

「えぇえええええええええええええ!!!!」

「ちょ、驚きすぎ!」

「ご、ごめん、でも……そっか、ええなぁ」

「あんたもファンなの?」

 

 お前もかという目で見る。正直友人たちがここまで目の色を変えるのが理解出来ない。

 

「……明日菜、私たち友達だよね?」

「……なにがいいたいのよ? 言っておくけど私より木乃香の方が親しいわよ? 二人っきりで遊びに行くくらいだし」

 

 直後二人の少女が席に座って写真を見つめていた木乃香の両隣に立った。

 ぽんとその肩に手を置く。両肩に異様な重みを感じた木乃香は表情をこわばらせた。

 

「木乃香……私たち友達だよね」

「木乃香は友達思いの良い子や、うちは信じとる」

 

 怖くて振り返れない。背筋が冷たくなりいやな汗が止まらない。というか二人ともこんな声が出せたのか? まるで平坦な感情を感じさせない冷たく暗い声。

 

 あかん。

 ここで選択肢を間違えたらうちは死ねる!

 

 木乃香は愛想笑いを浮かべながらなんとか口を開いた。

 

「こ、今度一緒に遊びにいかへん……? 紹介するで?」

「うん、楽しみにしているね……本当に楽しみだなぁ」

「うちは木乃香を信じとる……楽しみやなぁ」

 

 言外に約束を破ったらどうなるかわかっているなと突きつけられた気がする。

 そんな様子に呆れている明日菜に異変に気がついた雪広あやかがやってきた。

 

「ちょっと、明日菜さん。あれは大丈夫なんですの?」

 

 うつろな目で木乃香の肩に手を置く二人に視線をやって尋ねる。クラス委員長としては少々見とがめる光景だ。なんというか二人に威圧されている木乃香が気の毒で仕方がない。

 

「いいんちょ、私に聞かないでよ……たぶん大丈夫じゃない。たぶんだけど」

 

 いいんちょとは雪広あやかのあだ名みたいなものだ。

 クラス委員長だから『いいんちょ』

 真面目な優等生で、クラス委員長としてクラスをまとめる彼女にささげられた名称だ。

 

「それにしても、プリンセスとやらはたいした人気ですわね。確かにあれほどの美しい男性がいるというのは驚きましたが」

「いいんちょは……聞くまでもないか」

「なんですの? わたくしの好みに口を出す気ですの? 明日菜さんが?」

「別に、なにもいってないじゃない」

 

 あやかは小さくて可愛らしい男の子が大好きだ。

 そのストライクゾーンからするとその美貌はともかく、同年齢であるプリンセスはストライクゾーンからやや外れる。

 明日菜とはショタコン、オジコンと罵りあう仲だ。それでも小学校以来の親友でもあるのだが。

 

「それはともかく、あの写真は隠し撮りでしょう? 勝手に写真を撮られて売り買いされるなんて、きっと困っているのでしょうね。これはなんとか対策を取った方がいいのではないかしら」

 

 委員長という立場もあるがもともと正義感の強いあやかはそう言って司に同情する。その眼差しを受けて木乃香は目をそらした。

 

「あかん……いいんちょ、わかっとらんわ」

 

 亜子がその瞳に力を取り戻してあやかを一睨みした。

 思わずあやかがびくりとふるえるほどの威圧感だ。

 

「い、和泉さん?」

 

 日頃おとなしい彼女に似つかわしくない強烈な視線に多少うろたえる。

 

「うちらみたいな運もなく度胸も行動力もない一般人はプリンセスに話しかけることも出来ん。近寄ることすら出来へんのや。そんな行き場のない想いを彼の写真を見つめることで慰めるんや……これはうちらみたいな凡人への救済や。恵まれぬうちらへの救いの手や。それを隠し撮り写真がどうとかゆうて取り上げようなんて……なんて残酷なことをいうんか、いいんちょは!」

「そうだよ! これは恵まれない私たちの最後の希望なんだよ!」

 

 まき絵もそう息巻く。

 二人のあまりの剣幕にあやかは後ずさる。

 

「はっ! 殺気!?」

 

 慌てて周囲を伺うとこちらに非好意的な視線がクラスの中から数点。

 たぶんプリンセスのファンだろう。隠し撮り写真の購入者に違いない。

 

「べ、べつにわたくしはそんなつもりでは……ただその方が困っているのではと、あなた方だって自分の隠し撮り写真がばらまかれたら困るでしょう?」

「いいんちょ」

 

 ぽんと肩が叩かれる。振り返るととてもいい笑顔をした朝倉和美がいた。

 

「確かに隠し撮り写真をばらまくなんてプライバシーの侵害だね」

 

 自称ジャーナリストらしい倫理観を聞いてあやかの表情に力が戻る。『パパラッチがなにを言うか』という周囲の声は無視だ。

 

「そ、そうですわ。わたくしは当然の指摘をしただけで」

 

 そんなあやかにいい笑顔を浮かべて和美が言葉を続ける。

 

「でもね。世の中きれい事だけでは回らないんだよ? プリンセスの写真が欲しいっていう人間はいくらでもいる。販売を禁止したらみんなきっと自分の手でプリンセスの写真を手に入れようと行動すると思うよ。そうしたらもっと彼に迷惑がかかるんじゃないかな?」

 

 言葉が出ない。

 必要悪だと主張する和美に、あやかは口ごもった。

 

「まぁ、本音を言えばこれって儲かるらしいからきっと規制しようが弾圧しようがきっと無理だって」

 

 あははと笑う。

 その笑顔にあやかは激昂した。

 

「結局お金儲けなんですの!?」

「買う人がいるからしょうがないでしょ。有名税ってヤツ?」

「なっとくできません!」

 

 ぎゃあぎゃあと盗撮写真容認派と『いいんちょ』こと雪広あやかの論戦がおこなわれる。

 あやかの弁舌は豊かだが、容認派は数で攻める。中立派は高みの見物どころか両者を煽っていた。

 

 今日も騒がしい1-Aだった。

 

 

 騒がしいクラスメイトから離れた場所で夕映はどこか悪役っぽい笑みを浮かべてみせた。

 

「ふふ、非公認ファンクラブの盗撮写真で満足するなんてしょせんもぐりなのです」

「夕映……そんなこと言ったら悪いよ」

 

 のどかが小さな声でたしなめるが夕映は止まらない。

 

「我々には茶々丸さんがいます。あんなものに頼る必要はないのです」

「はい、司さんの日常の記録でしたらいくらでも」

 

 どこか勝ち誇ったように茶々丸が応じる。あんな盗撮写真など比較にならないお宝が彼女の元にはあるのだ。

 

 科学の粋を結集したアンドロイドの茶々丸ならば、目視した司の姿を写真だろうと動画だろうと保存できる。

 それを夕映、のどか、エヴァンジェリンらと共に鑑賞して楽しむのだ。

 

 茶々丸自身も司のデータはエヴァンジェリンのデータに匹敵するお気に入りである。

 トップスリーは『一緒に料理をする司』『戦闘訓練をする司』『司の寝顔』である。どれも非公認ファンクラブなどがどれほど欲しても得られないお宝だ。

 

 悪いといいながらものどか自身、盗撮写真でしか彼を知らないクラスメイトより、彼の弟子であり、エヴァンジェリンの別荘で寝食を共にしている自分たちの方が司に近いという優越感はある。もちろん他の二人にもそれがあり、大騒ぎするクラスメイトをどこか対岸の火事を眺める野次馬の様子で眺めていた。

 

 彼女たちにとっては非公認ファンクラブの盗撮写真がどうなろうと関係がない。

 

 他にもプリンセスにそれほど興味がないクラスメイトも多い。

 話題のタネくらいにはしても写真を買い込むまでは興味がない。それが基本的に大多数だろう。実際クラスの輪の中であやか相手に積極的に口論しているのは数人程度だ。

 

「けど司さんも有名人になったね」

「まぁ、目立つ人ですから仕方ありません。本人はいやな顔をすると思いますが」

 

 有名人になった自分の姿を憮然とした顔で睨みつけている姿が容易に想像出来る。

 

「司さんが人気者になろうと私たちのすることは変わりません」

 

 茶々丸の言葉に夕映とのどかが肯く。

 

「さっそく今夜でもどうでしょうか? 司さんが帰った後にでも」

「楽しみです。今日はどんな司さんが見られるのでしょう」

「鑑賞会、楽しみだね」

 

 司を話のタネに仲の良い三人であった。

 

 

 

 

「あはは、いやぁ今日はひどい目にあったわ」

 

 放課後、明日菜と二人で帰路を歩きながら陽気に笑う木乃香だったが、あの時は本当に怖かった。まさかあれほど怒るとは……。

 

 明日菜もあの時の二人を思い出す。

 ……確かに怖かった。

 普段は明るいまき絵と普段おとなしい亜子が別人のような威圧感を放っていた。

 

「いいんちょのおかげでごまかせたけど、どうするの?」

 

 矛先があやかにうつったおかげでうやむやになったが、そんなごまかしでは二人は納得しないだろう。

 

「ん~、司くんに会わせればなんとかなるやろ」

 

 そう木乃香が笑う。

 明日菜もたぶんそれで大丈夫だろうと思った。

 

 根にもってイヤなことをしてくるような友人たちではない。

 憧れのプリンセスに会えたら、むしろ引き合わせてくれた木乃香に感謝するのではないだろうか?

 

「失礼お嬢さん」

 

 電車を降りて女子寮に向かう途中声をかけられて二人は足を止めた。

 

 正面に立った男性に視線を向ける。声をかけてきたのは間違いなく彼だ。

 黒髪を短くした二十代くらいの男性。長身で顔立ちが整っているのでモデルのようだ。スーツ姿がよく似合う。

 

「なにかご用ですか?」

 

 身なりもしっかりしていて、いかにも人の良さそうな笑みを浮かべている男性に特に危機感もなく木乃香は問いかけた。

 

「近衛木乃香嬢はあなたで間違いないですよね?」

「そうやけど、あんさんは誰や?」

 

 見知らぬ男性の顔をよく見て、やはり心当たりはないと再確認する。

 もしかしたらお爺ちゃんの知り合いやろか?

 祖父である近右衛門はなにかと顔が広い。自分の知らない知り合いがいてもおかしくない。

 

「いえね、少しご一緒してもらいたいのですよ」

「すまんなぁ、うちは見知らぬ人についていったらあかんってお父様にいいつかっとるんよ」

 

 やんわりと拒絶する。

 さすがにそのくらいの警戒心は持っている。

 

 目の前の男性が外見が良いだけの誘拐犯や変質者である可能性はないとはいえない。

 いきなり現れてついてこいといわれてついていくほど木乃香は馬鹿でもなければ幼くもない。

 

 話は終わりだろう。

 この男性が不審者ではなく本当の客なら祖父に連絡を取って、祖父から話が来るだろう。

 この場は避けてしまって問題ない。

 

 例え客でも自分の名前も名乗らない人物のいいなりになる気はない。

 

「そうですか、しかたないですね」

 

 男性は小さく肩をすくめて、そして消えた。

 

「え?」

 

 気がつくと木乃香は男性に後ろから抱きしめられていた。

 

「な、なにする……んや……」

 

 強い拒絶の言葉も勢いを失って消えていく。

 身体から力が抜け、意識がかすみがかったように薄れていく。

 

「木乃香!?」

 

 親友の悲鳴が聞こえる。すぐになにかの気配と重い打撃音が聞こえて誰かが倒れる音がした。

 

 あかんなぁ、うち死んだかもしれん。

 

 これが誘拐に属するものであると瞬時に判断した木乃香はそんなことを思い。絶望を胸に抱きながら意識が薄れていく。

 

 死にたくないなぁ。

 ひどいこととかされたくないなぁ。

 明日菜は大丈夫やろか?

 

 そんなまとまりのない思考の中で、優しい笑みを浮かべる少年の顔が浮かんで消えた。

 もし助けに来てくれたら……お嫁さんになってあげてもええわ。司くん……。

 

 そんな夢想で絶望感をごまかし、木乃香の意識は暗闇へと落ちていった。

 

 

「すみませんね。こちらには時間がないのですよ……そっちの少女は放っておきなさい。知られたところでいまさらなにも出来はしない」

「はい、衛史郎様」

 

 意識を失った木乃香を抱えて男性はその場から消える。

 

 

 

 その一時間後、麻帆良を守る結界が消滅した。

 日が地平線に沈み。夜の世界へ移ろう頃のことだった。

 




 正直、このあたりから物語を書き始めても良かったのでは? と思います。

 設定的に司や木乃香の日常は唐突に破られてこそだと思いましたが、唐突すぎたかもしれません。


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第十五話 開戦

 学園長室に麻帆良の魔法使いのトップたちが集まっていた。

 部屋には緊迫した空気が流れている。事態がただ事ではないという認識はここにいる全員に共通したものだ。

 

「結界が消えた理由は不明です。電力、魔力などの機材に不具合はありませんでした。外部からの干渉により落とされたと見るべきかと」

 

 明石教授の報告に近右衛門は顔をしかめた。

 

「麻帆良の結界が外部からの攻撃で消えるとは……」

 

 麻帆良を守る結界は強力だ。

 呪いでくくられていたとはいえあのエヴァンジェリンの力さえ封じていたほどなのだ。現在は対処されてしまったが。

 

 麻帆良学園全域を覆う大結界。よほどの大魔法使いでも外部からそれを無効化するのは困難であろう。近右衛門にすら不可能だ。

 

 妖怪魔物のたぐいを無力化し、麻帆良に封じられた鬼神の力さえ奪う結界。

 侵入者を探知し、外部からの攻撃をほぼ防ぐ防壁。

 

 麻帆良最大の守り、麻帆良の城壁があっという間に崩れ落ちたのだ。

 

 皆顔色が悪い。

 これほどのことをしてくる『敵』が、この無防備になった麻帆良を見逃すはずがないのだ。

 

「いったいどこが……」

 

 ガンドルフィーニがうめく。

 魔法使いたちが口々に声を上げる。

 

「かなりの数の魔法使いが動いていると見るべきでしょうな。組織ごと敵に回った可能性がある」

「……関西呪術協会か?」

「あそこは表向きはともかく実際に戦争を仕掛けてくるとは思えないですよ。一部の暴走程度では麻帆良の結界がおとせるはずがないですし」

「あとは日本の魔術組織か? 最近関東の魔術組織がごたごたしているとは聞いていたが?」

 

 関東か……。

 近右衛門は藤宮一族からの情報を思い出していた。

 

『関東のいくつかの魔術組織が手を組み何事か企んでいる』

 

 いったいなにをしようとしているのか、どこが実際に動いているのかまではわからなかったがそういう噂があるらしい。藤宮一族も調査に人手を出していたらしいがつかみきれなかったようだ。

 

 まさかその標的が麻帆良だったのでは?

 

 関東の魔術組織は関西に比べれば麻帆良に協力的だ。

 しかしやはり西洋魔法使いに対する反発はある。もっと情報を重視してこちらも調査、対策を取るべきだったかと近右衛門は後悔した。

 

 まさか麻帆良の結界が落とされるとは想像もしなかった。

 

「鬼神の封印などはどの程度もつ?」

「現在追加で封印処理をおこなっています。数日なら持たせられるでしょう」

 

 近右衛門の問いに葛木刀子が答える。

 その返答に一同は小さく安堵する。

 

 外に敵がいるのがほぼ確実なのだ。内にも敵がいる状態は避けたい。

 だが逆に言えばその数日で結界を復帰させられなければ、麻帆良の地下から強大な力をもつ鬼神たちがよみがえり、麻帆良で暴れ回ることになる。

 

 猶予は少ない。

 敵がその情報を持っていた場合は危機的状態に陥る。

 

 隠れて結界だけ妨害されたら、麻帆良にとっては悪夢だ。

 敵が攻めてくれば戦って追い払えば良い。

 しかし姿さえ見せずに麻帆良の自滅を画策していたら。

 

「結界の復帰は最優先でやるべきです」

 

 魔法使いたちはそう進言する。だが近右衛門はうなずけない。

 もし敵の狙いが、無防備な麻帆良に攻めこむことであった場合。結界の復旧に人材を使えば当然麻帆良の防衛戦力は少なくなる。

 

 人手不足の麻帆良だ。

 人材の割り振り、この場合戦力の活用は慎重であるべきだ。

 しかも。

 

「こんな時に高畑先生が出張なんて」

 

 誰かが唸るように呟いた。

 間が悪いとしか言いようがない。近右衛門を除けば麻帆良の最大戦力が不在なのだ。

 

 高畑・T・タカミチは彼らの中で群を抜く実力者だ。

 

 魔法世界の英雄『赤き翼(アラルブラ)』に所属していた人物で、魔法世界の有名人でもある。戦士として優れており、本来なら今この麻帆良にこそ必要とされる人物だが、魔法世界での『使命』のためにたびたび麻帆良を離れることが多く。今回もその留守を狙われた格好だ。

 

 このときばかりは麻帆良に腰を落ち着けてくれない高畑が恨めしく思える。今から連絡し、呼び戻すまでに麻帆良が無事である保証はない。もし彼がいればたとえ軍勢が押し寄せてきてもある程度安心出来るのだが。

 

「今いる戦力で麻帆良を守るしかあるまい。まずは情報収集を密にする。どんな些細な変化も見逃さずに報告せよ」

 

 近右衛門の言葉にガンドルフィーニが言いにくそうに口を開いた。

 

「……学生を、魔法生徒を使いますか?」

 

 麻帆良の魔法使いは大きく分けて二種類いる。

 大人の魔法使いと子供の魔法使い。

 

 大人たちはそれぞれ教職につき、魔法先生と呼ばれながら活動している。それぞれ熟練の魔法使いであり麻帆良の主力と言っていい。

 

 そして子供の魔法使い。

 多くが見習い魔法使いであり、麻帆良の学校に通いながら修行している。魔法生徒と呼ばれ、簡単な活動などもするがあまり危険なことはさせない。

 

 実力的には一部大人顔負けの実力者もいるがほとんどは見習い程度の未熟者たちだ。

 本来ならこの状況で子供であり見習いに過ぎない魔法生徒を使うはずがない。

 

 しかし、人材不足であり戦力の足りない現在の麻帆良、この危機的状況では彼らさえある程度あてにしなければならない。麻帆良の広さに比べて大人の魔法使いの数が少ないのだ。

 

 だからこそ、ガンドルフィーニは確認した。

 本心では子供たちは避難誘導などの安全な任務に就かせ、最前線は大人だけで行くべきだと考えていたが、どう考えても手が足りない。

 

 麻帆良の結界の復帰、結界が落ちた原因の究明、犯人の探索、地下の鬼神への対策、未知の敵への備え……いくら人手があっても足りない。

 

「うむ……やむを得まい。彼らも偵察にだす」

「学園長……」

 

 非難するような視線が近右衛門に集まる。だが手が足りないのが現実なのだ。見習いであっても子供であっても使えるなら使わなくてはならない。

 

「ただし敵を発見しても交戦は禁じる。あくまでも偵察にとどめ報告させることを徹底させよ。偵察に出す魔法生徒の基準は任せる」

 

 戦闘はなるべくさせたくない。

 大人たちの監督のもとおこなわれる夜間の警備とは訳が違う。今回のは下手をすれば魔法使い同士の戦争なのだ。

 

 だから『戦えない者』『幼い者』は除外したい。それが基準の委任という言葉になり魔法先生たちもそれを飲み込んだ顔をした。

 その条件をつけると使える魔法生徒の数は半数以下に減る。だが実力のないものを敵がいるかもしれない場所へ出すことは出来ない。

 

「最前線は魔法先生で行き、後方を魔法生徒で警戒させようと思いますが?」

 

 ガンドルフィーニはせめてこの提案だけは通したい。

 敵とまずあたるのは大人であるべきだ。未熟な子供たちでは敵に発見され、逃げることも出来ずに死ぬこともありえる。

 

 最前線は大人たちでかため、その指揮のもと後方の確認に子供たちを使う。危険がないわけではないが、いきなり敵と交戦におちいって死ぬ可能性は減るだろう。

 

「任せる」

 

 近右衛門の承認に安堵してガンドルフィーニは指揮を執るために部屋を出ようとした。

 そのとき学園長室の電話が鳴った。

 

「うむ、わしじゃ……なんじゃと?」

 

 近右衛門は電話を取り、受話器越しに絶句した。

 そしてすぐに指示を出した。

 

「強制認識魔法を許可する! 一般人すべてを屋内に避難させよ! 戦力は今向かわせる!」

 

 受話器を乱暴に置き、近右衛門は口を開いた。魔法先生たちはその様子に来るべきものが来たのだと覚悟した。

 

「敵が来た。大量の妖怪が召喚され、こちらに向かっておる」

「……一般人の避難は?」

 

 間に合うのか? という問いに近右衛門は答えない。

 日が暮れたとはいえまだ深夜とはいえない。当然人通りはある。目撃者も出たに違いない。

 

「魔法の秘匿を守る気はないか……」

 

 誰かがうめいた。

 

 おそらくそうだろう。

 この敵は魔法の秘匿を気にかけ一般人の目にとまらぬようになど考えてくれる甘い敵ではないらしい。

 

 だがそれは世界中の魔法使いの掟に背いているということになる。常識外れであり忌むべき裏切り者である。

 

「諸君、もはや出し惜しみは出来ん。全力を持って敵を迎撃……」

 

 再び電話が鳴った。

 それにでた近右衛門は小さくうめいた後、「わかった」と言って電話を切った。

 

「学園長?」

 

 悪い知らせかと明石教授が目で問いかける。

 

「木乃香がさらわれたそうじゃ」

 

 路上で保護された神楽坂明日菜が目を覚まし、何者かに木乃香が誘拐されたことを話したらしい。誘拐からすでに二時間以上経っている。

 

「そんな、刹那はなにをやっていたの……」

 

 刀子が呆然と呟いた。そのための護衛のはずだ。彼女がいたのなら防げたはずだ。いや例えそれがかなわなくてもそのことをすぐ報告しただろう。それが報告がなく、明日菜が目覚めるまでの二時間を無為に過ごすことになった。

 

「刹那君は部活にでておったそうじゃ」

 

 忌々しげに近右衛門が答えた。

 桜咲刹那が木乃香を避け、護衛としては今ひとつ頼りないということは知っていた。

 だが麻帆良にいる限りは大丈夫だろうと安心し、二人の仲が修復されるのを見守っていたが裏目に出た。

 

 木乃香は明日菜と二人で帰宅し、刹那は部活に出ていて護衛として機能していなかった。

 そこを狙われ、何者かに木乃香はさらわれた。明日菜という目撃者が残されていなければこの事実を知るのにさらに時間がかかったことだろう。

 

 大失態といっていい。

 

「これは……今の麻帆良の状況に関わる可能性は?」

 

 敵が麻帆良を攻めるのと同時に木乃香をさらったのでは。

 その場にいる者にとって当然の発想だった。無関係とは思えない。

 

「わからん。木乃香が目的だったにしては大袈裟すぎる。だがこうもタイミングがよいと無関係には思えん」

 

 近右衛門は頭を振った。

 

「お嬢様の捜索は?」

 

 刀子が前に出て尋ねる。許可さえもらえれば自分が出るという意思表示だろう。

 

「今は麻帆良の防衛が第一じゃ」

 

 その言葉に刀子は息をのんだ。

 

 確かに今はそれが大事だろう。

 木乃香のことは痛恨といっていい事態だが、現状の危機の中では優先順位は低い。なにしろ麻帆良が壊滅しかねない事態なのだ。関西からの預かり物である木乃香の身柄を奪われたのは麻帆良の失態だ。必ず後で問題になるだろう。だがいま木乃香捜索に人手を割く余裕がない。

 

 近右衛門は麻帆良防衛のために孫娘を切り捨てる決心をしていた。

 その心情を察して魔法先生たちは黙り込む。

 

 痛恨。娘を早くに亡くした近右衛門にとっては孫娘を失うことは身を引き裂かれるような思いだろう。

 だが、どうにもならない。

 怒り狂っても嘆き悲しんでも限られた戦力は増えない。

 

 目の前の危機は去りはしない。

 

「木乃香のことは後でわしが責任をもつ。今は麻帆良の防衛に全力を傾けよ」

 

 近右衛門の言葉に魔法先生たちは黙って頭を下げた。

 かける言葉さえ見つからなかった。

 

 

 

 麻帆良防衛のために魔法先生を主力にした魔法使いたちが出撃する。

 

 魔法生徒である子供たちは初めての戦場の空気に恐怖しながらも魔法使いの使命を果たすために恐怖を押し殺して大人たちの指示に従って出撃していく。

 

 麻帆良全域を包む強制認識魔法が発動し、一般人はすべて屋内に避難している。

 

 無人を思わせる麻帆良の町をさまざまな妖怪魔物の群れが進軍する。

 それを迎え撃つ麻帆良の魔法使いたち。

 

 麻帆良の魔法使いたちがほとんど初めて経験する『戦争』がはじまった。

 

 

 

 近右衛門はもはやなりふり構っていられないと決心し、たった一人残された学園長室で受話器を取った。

 

「今の事態は把握しておるかの? この老いぼれの願いを聞いてはくれんかね?」

 




驚愕の麻帆良の魔法使い。
自慢の学園結界があっさり破られました。

痛恨の刹那。
部活をがんばってたらお嬢様がさらわれました。

やはり木乃香は悪い人にさらわれるお姫様なイメージです。
そして……困ったことに麻帆良の魔法使いってあまり役に立つイメージがないです。
原作でも学園祭ではネギ不在だと敗戦。ネギが復活してもあっという間に時空跳躍弾で脱落。
仮にも麻帆良という西洋魔法使いの拠点を任されているのだからそれなりに優秀なんですよね。たぶん。


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第十六話 来訪

「この麻帆良が戦場になるとはな……」

 

 エヴァンジェリンは忌々しそうに呟いた。

 

 長い間呪いによって閉じ込められた場所であっても、その年月自分に平穏を与えた平和な町が戦場になる。自分の呪いが解かれたとたんに災厄が訪れたと考えるとなんともいえない不快感がある。

 

「準備できました」

 

 エヴァンジェリンの家から藤宮司、綾瀬夕映、宮崎のどか、絡繰茶々丸が武装して歩み出す。

 

 司は両手に二本の槍を持ち、身体を包む空色のマントを羽織っている。

 

 夕映も漆黒の槍を大事そうに握り、司のマントに似た装飾の黒いマントを羽織っている。

 のどかも同じ格好だ。

 

 それぞれ司の所持する魔術道具で武装している。槍もマントも藤宮一族が保有する一級品のマジックアイテムらしい。他にも可能な限りの防御魔術が込められた護符なども身につけている。まさに完全装備だ。

 

 さらに魔術の込められた呪符も各種持っている。

 様々な魔術を操る司にはそんなもの必要がなさそうだが、戦場ではなにがあるかわからない。保険としてそれらの品も重要だ。夕映やのどかにとって自身では使えない高度な魔術を発動できる呪符はいざというときの切り札になり得る。

 

 茶々丸も制作者である超鈴音や葉加瀬聡美が面白半分で制作した重火器を装備している。腕に抱える巨大なガトリングガンの砲身はなかなか迫力があった。

 さらに背中に試作型の飛行ユニットを装備して単体でも飛行できる茶々丸の空中機動力をさらに向上させている。体内の武装オプションもすべて実戦用のものに交換していた。

 

「ふん、格好だけは一人前だな」

 

 エヴァンジェリンは特に二人の少女を見て呟いた。

 

 茶々丸はいい。自分の従者だ。彼女はアンドロイドでありもともと戦闘も想定されている。戦闘に対しての忌避感や恐怖などない。

 

 司のことも認めている。模擬戦とはいえ自分を相手に一歩も引かずに戦える少年だ。これまでその人となりを見てきたが、師の教育が良かったのだろう。戦闘に対しても過度な怯えや慢心がない。生半可の相手に遅れはとらないだろう。

 

 だがこの二人の少女はつい最近まで平穏な生活を送るただの一般人だった。

 司と二人で性根から叩き直したが、まだ物足りない仕上がりだ。実戦で人間を相手に戦えるのか疑問だし、おそらくまだ人を殺すことは出来ないだろう。

 

 近右衛門からの救援要請を受けてエヴァンジェリンと司は承諾した。二人とも自分自身だけの参加のつもりだったが、弟子である少女たちは自分たちも力になると訴えた。

 

 結局説得する時間が惜しいことと、勝手に暴走されては迷惑ということで司によって十分な武装を渡された上で参加することになった。

 

「もう一度だけ聞いてやる。『戦争』をする覚悟があるか?」

「あるです!」

「だいじょうぶです」

 

 元気のいい返事もエヴァンジェリンから見れば現実を知らない子供の言葉にしか聞こえない。

 司も心配そうに見ているがそんな彼にエヴァンジェリンは鋭い視線を叩きつけた。

 

「貴様もだ小僧」

 

 底冷えのする声音に司は少し驚いた顔をする。無性に腹立たしくエヴァンジェリンは舌打ちした。

 

「おまえたちに人を殺す覚悟があるか? 手足をもぎ、そののど笛を食いちぎる覚悟は出来ているのか?」

 

 夕映とのどかは声も出せずに顔色を失った。

 

 そこまでする必要があるのか? そう考えていることが手に取るようにわかる。あれほど裏の現実を叩き込んでやったのにいまだに表の常識を引きずっている少女たちに失望し、苛立った。

 

 貴様もかと視線を向けると司は何事か考え込んでいた。

 

 司の脳裏によぎったのは藤宮の大人たちの姿。その言葉だった。

 

『一族はその繁栄と平穏のために戦ってきた。それは他者を殺し、他者から奪い、他者を踏みにじってきた歴史だ。そうして我々の先祖は代々一族を守ってきたのだ』

 

 それが藤宮に生まれた者の『義務と責任』

 

 ここは藤宮の地ではない。司が戦わなければならない理由は少ない。

 それでも友人たちを、弟子たちを、自分が数年過ごすことになる土地を守ることは間違っていないだろうと決断する。

 

 そして視線をあげ、エヴァンジェリンと目を合わせたときその瞳に強烈な意志が宿っていた。

 

「僕は一族を守るために鍛えられてきました。一族を守るための(いくさ)ではありませんが、僕の過ごす町を守る戦ではあります。僕は戦おうと思います」

「……そうか」

 

 そうだろうとエヴァンジェリンは心が躍るのを感じる。

 この少年ならそうでなければならない。自分が認めた男が目の前の戦いに参加も出来ない腰抜けであっていいはずがない。

 

 迷いのない瞳には、確かな『誇り』がうかがえる。藤宮の一族であるという誇り。一族に鍛えられたという誇り、そして戦いにのぞみ自己を貫き通す誇り。

 

「私もいくです」

「……私も少しでも力になれるなら」

 

 司に引きずられるように夕映とのどかも参加を主張する。その目にはもう迷いはない。ただ自らの信じる人の後に続こうというひたむきさがあった。

 

 まだ正直不足だ。だが本当に『覚悟』を得るためには実際に戦う必要があるだろう。その身体が血を流し、自らの手を血で汚して初めて『覚悟』というものを実感出来るのだ。その下地は十分叩き込んだ自信がある。

 

 にぃと犬歯をみせてエヴァンジェリンは笑う。

 

「ならば行こうか、血と惨劇の宴に」

 

 

 

 

「いや、なかなかの見物だったよ」

 

 唐突なその声にエヴァンジェリンは億劫そうに視線をやった。

 気づいてはいた。

 だから驚きはしない。闇に紛れようとこれほど至近距離にいてエヴァンジェリンが見逃すことなどそうはない。しかもこれほどの魔法使いをだ。

 

 現れたのは白髪の少年だった。十歳程度だろうか、感情の見えない表情はまるで人形のようだ。どこかの学生服のような服装でエヴァンジェリンの視線を受けても悠然とたたずんでいる。

 

 その身体に秘められた膨大な魔力。隠しているつもりだろうがエヴァンジェリン相手にこれほどの力を完全に隠せるはずがない。魔力だけなら最高位の魔法使いだろう。

 

「おまえは何者だ?」

「ただの通りすがりさ」

「もう一度だけ聞いてやろうか?」

「怖いな、そうすごまないでくれ。エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル」

 

 怖いといいながらその表情はぴくりとも動かない。

 

「噂とはずいぶん違うので驚いたよ。本物の『闇の福音』はずいぶん優しい人物らしい」

 

 少年の言葉にエヴァンジェリンは不快感をあらわにした。

 

「ガキどもに心得を叩き込んだだけだ」

「覚悟のないものを戦いに巻き込まないようにかい?」

 

 ちっと音を立てて舌打ちする。険のある視線が白髪の少年を射貫いた。

 

「殺しあいが望みか、小僧」

「ふふ、そう怒らないでくれ。怒らせる気はなかった。純粋に感心したんだよ。戦う覚悟のない素人が戦場をうろつくなんて僕も不快だからね」

 

 そういって居並ぶ『少女たち』に視線をやる。

 

「使いものになりそうなのはそこの二槍の少女だけのようだね。そっちのロボットはマシそうだけど」

 

 戦力外だと指摘された夕映とのどかが表情を険しくする。

 別の理由で司も憮然としていた。いい加減にして欲しいというのが本音だ。

 

 エヴァンジェリンの口元に場違いな笑みが浮かぶ。

 こんな状況だが、腹を抱えて笑ってやりたい気分だ。

 

「そこのガキは男だぞ?」

「え?」

 

 不意に無表情が崩れた。ぽかんとした顔で白髪の少年が司を見る。

 

「はじめまして、藤宮司です。一応男です」

「ああ……ああ、そうか君が藤宮の嫡男か、あの『極東最高の魔力保持者』『極東最強の弟子』か、これは失礼したね。君の名は聞き知っていたが姿までは知らなかった。たいそう美しい少年だと聞いていたが、いやこれほどとはね」

 

 なるほど、そういえばすごい魔力だねと感心している。

 

「すまない。無礼をしたね。『不死の魔法使い』ばかりに目がいっていて君の実力を見誤った。確かに君の魔力は極東最高といっていい。いやはやとんだ失態だな。よく見ていればすぐにわかっただろうに」

「それで貴様はなにをしに来たのだ? 司に喧嘩を売りに来たのか?」

「まさか、僕が来たのは情報提供をしようと思ったからさ。この状況であいつらの計画をつぶせる人物に必要な情報を渡そうと思ってね」

 

 その言葉にエヴァンジェリンの目が細まる。

 

「なるほど……それはありがたいな。この馬鹿騒ぎをおこした愚か者のことをわざわざ教えてくれるのか?」

 

 礼を言うエヴァンジェリンの口調は皮肉げだ。信じていないという意志がその場にいる誰にも露骨に感じられた。

 

 しかし白髪の少年は顔色一つ変えない。平然としたものだった。

 

「ああ、彼らの計画は僕にとっても有害だからね。出来ればつぶして欲しいんだ。エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル、君なら戦力として申し分ない」

「そんな情報ならなぜじじいに教えてやらない? きっと大喜びするだろうに」

「じじいというのは近衛近右衛門のことかい? 彼は確かに優秀だがその部下はそうでもない。しかも高畑・T・タカミチが不在だ。力不足だね」

 

 あっさり麻帆良の魔法使いは役に立たないと断言する。

 

「……そうは思わないかい? 自慢の大結界が機能していないとはいえここまで簡単に部外者の侵入を許すのだからね。近衛近右衛門」

「確かに不甲斐ないの。気がついたのはわしだけ。しかも動かせる手札もないと来てわし自身が出向かねばならぬのだから」

 

 その声に見上げると空にまるで散歩にでも来たような近衛近右衛門の姿があった。

 

「先生……」

 

 司がその姿に驚く。

 夕映やのどかも初めて見た『魔法使い』としての近右衛門の姿に声すら出ない。

 

 外見は特に変わっていない。いつものような和服姿だ。しかしその存在感は普段見たことのある飄々とした老人『学園長』とはまるで別人だ。すさまじい魔力が秘められているのが一目でわかる。夕映やのどかでは100人でかかっても手も足も出ないだろう。

 

「ふむ、名を聞いても良いかの?」

「フェイトと名乗っているよ」

 

 近右衛門の問いかけに白髪の少年は簡単に名乗った。

 

「僕の名前よりも今はもたらす情報の方が重要だと思うけどね」

「聞こう」

 

 音も無く地面に降り立つ近右衛門の言葉にフェイトと名乗った少年は無表情に肯いた。

 

「敵の目的は魔法世界の破壊だよ。そのために麻帆良を無力化し、近衛木乃香をさらい、今まさにそのための儀式の真っ最中さ」

 

 その言葉に近右衛門は目を見開き、エヴァンジェリンは小さく笑みを浮かべた。

 

「近衛木乃香か、アレの魔力は膨大だが、魔法世界……『異世界』を破壊出来るのか?」

 

 出来るはずがないとエヴァンジェリンは笑い飛ばす。魔法世界は異空間に存在する異世界だ。それを破壊しようとすれば最低でも地球を粉々に砕くほどの力が必要だろう。近衛木乃香の魔力がどれほど膨大でもしょせん人間一人の持つ力だ。星を砕くほどではない。エヴァンジェリンでも不可能だろう。

 

 フェイトは気を悪くした風もなく言葉を続けた。

 

「そのために麻帆良を無力化し、世界樹を手に入れた」

「なに!?」

 

 近右衛門が鋭い声を上げた。

 

「今麻帆良に攻め寄せている中に一人でも『人間』がいたかい? あれは陽動に過ぎない。本命は結界を落とされ、戦力を引きずり出されて無警戒になった世界樹に陣取っているよ」

「世界樹か、目の付け所はいい。しかしそれでも足りん」

 

 再びエヴァンジェリンが否定する。世界樹の魔力は確かに莫大だ。だがそれでも足りないだろう。

 

「そうかい? 世界樹は大発光に備えて魔力をためている。しかも別に魔法世界すべてを吹き飛ばす必要はないんだ。僕の調べた限りでは針の一差しで魔法世界を崩壊させる。そんな計画だよ。しかも使える魔力は世界樹だけではない。世界中の霊地の魔力すら使えると言ったら?」

 

 ついにエヴァンジェリンも沈黙した。

 

 世界樹――神木『蟠桃』は莫大な魔力を持つ、しかも二十二年に一度の周期で魔力保有量限界に達し大発光という現象を引き起こす。次の大発光は数年後だがすでにかなりの魔力がたまっている。

 

 それに世界中の霊地の魔力を集中させたら?

 

 その魔力は莫大の一言では表現できないほどになる。それこそ世界規模の魔法さえ使えるだろう。その魔力で魔法世界という異世界を崩壊させるための魔法儀式をおこなえば?

 

 可能だろう。

 

 儀式魔法に長けた一流の魔法使いと、トリガーを引くための膨大な魔力があれば良い。

 

 そのための近衛木乃香。極東最大。世界でも有数の魔力を持ちながらなんの力も持たない無力な少女。自衛する力を自身では持たない彼女をさらうなど簡単だっただろう。一応護衛として桜咲刹那という神鳴流剣士がついているが、彼女は護衛対象から離れがちだ。隙をつくなど簡単だろう。麻帆良が機能していない状況でなら麻帆良の魔法使い、近右衛門の手も届くまい。

 

「よく考えたものだ……」

 

 誰かは知らないがこれを仕組んだ奴はかなり頭が回り、そしてなにより運が良い。

 

 麻帆良は万年人材不足でありその防衛を結界に頼っている。これを落とすだけでも麻帆良は混乱するだろう。麻帆良が混乱すれば極東の西洋魔法使いは組織だって動けない。麻帆良は極東においての西洋魔法使いの要なのだから。

 

 そして麻帆良には世界樹があり、近衛木乃香がいた。

 

 麻帆良が混乱していれば世界樹防衛の力は削がれる。近衛木乃香への目も逸れるだろう。

 結界一つ落とすだけで彼らの望むものはほとんど無防備に目の前にさらされるのだ。これを幸運と呼ばずしてなんという。

 

 彼らにとって不運があるとすれば。

 

 にぃっとエヴァンジェリンは嘲笑った。

 麻帆良は彼女のテリトリーであり、庭先だ。そこで暴れることがどういう事か理解していたのだろうか? それとも呪いで無力化されていると無視したのか。

 

 しかし呪いは司によって解かれている。結界はエヴァンジェリンによって攻略済みだ。いや呪いは麻帆良にくくるものであり麻帆良内なら意味はない。そして力を封じる結界は彼らが落とす。どのみち彼らにとって自分は最大の障害になり得たのだ。

 

 そしてここにはもう一人の極東最大魔力保持者がいる。その実力は麻帆良の魔法使いなどものともしない。高畑でさえ、初見であれば司に勝てるかどうか怪しい。

 

「おもしろい。魔法世界になど興味はないが私を愚弄した愚か者どもに身の程を教えてやろう」

「あなたならそういうと思ったよ『闇の福音』」

 

 フェイトが無表情に口を開く。自分は力を貸せない。自分は出来れば目立つわけにはいかない立場だと。近右衛門は不審には思ったが追求しなかった。エヴァンジェリンはそもそも見知らぬ他人の力などあてにはしていない。

 

「急いだ方がいい。儀式魔法はおそらくすでにはじまっている」

 

 エヴァンジェリンがその場にいる『魔法使い』を見渡した。

 

『関東最強の魔法使い』近衛近右衛門。

『もう一人の極東最大魔力保持者』藤宮司。

『藤宮司の弟子』綾瀬夕映、宮崎のどか。

 そして従者の絡繰茶々丸。

 

「オイオイ、殺シアイダロ? オレモマゼロ」

 

 エヴァンジェリンの家から人形が歩いてくる。

 子供のような小さな姿。両手に持つナイフ。茶々丸に似通った顔。

 

「チャチャゼロか、外に出てくるとは珍しいな」

 

 エヴァンジェリンのもう一人の従者。古くから彼女に付き従う殺戮人形。

 

 科学と魔法のハイブリッドである茶々丸と違いエヴァンジェリンの魔法技術の結晶である存在。普段は外の世界は退屈だと『別荘』で自堕落に酒を飲んで暮らしている。ときおり司たちと模擬戦をして憂さを晴らしていた。司はともかく夕映たちは涙目になって逃げ回っていたが。

 

 チャチャゼロはぴょんと跳び上がると茶々丸の頭に乗った。

 

「ふふ、じじいもかまわんな?」

「こっちから頭を下げて頼む所じゃて、本国消滅の危機じゃ……いっそ消えてくれた方がすっきりしそうじゃがな」

 

 ふぉっふぉっふぉとそんな冗談を飛ばす。

 

 麻帆良の上位組織は魔法世界に存在する。近右衛門は立場上魔法世界の危機を見過ごすわけにはいかない。

 だがなにかとうるさい本国が消えてくれた方がすっきりすると思うのは実は本心だったりする。それでも魔法世界に住むすべての者の危機とあれば見て見ぬ振りなど出来るわけがないが。

 

「司、夕映、のどか、茶々丸」

 

 名前を呼びその表情を確かめ、大丈夫だと安心した。

 少なくともなにもわからずに戦場に乗り込もうという愚か者はこの中にはいない。

 

「行くぞ」

 

 エヴァンジェリンの歩みに近右衛門と少年少女たちが続く。

 それを見ていたフェイトが小さく呟いた。

 

「……旧世界に新たなる英雄現る、そうなるとおもしろいかもしれないね」

 

 そのまま転移魔法で姿を消す。

 

 エヴァンジェリンはそんな彼にもう注意を払わなかった。正体不明の情報提供者よりも、目の前の敵だ。万が一情報が虚偽だった場合は自分がいかに愚かなことをしたのか世界の果てまで追い詰めて思い知らせるだけだ。

 

「この情報はおそらく……」

 

 虚偽ではあるまい。

 すべてを明かしたわけではないだろう。もしくはなにかしら嘘が混じっているかもしれない。しかし世界樹になにかあるのは確かだろう。それが今明らかになった。

 

 エヴァンジェリンの視線の先で夜の闇を払うほどの光が見える。

 

「……世界樹じゃ」

 

 近右衛門がうめく。

 

「儀式魔法とやらがおこなわれているのですか?」

 

 夕映の問いに司は肯いた。

 

「たぶんね。とんでもない魔力が世界樹に集まりはじめている」

 

 先ほどまでまるで変わらなかった姿が嘘のようだ。おそらくなんらかの魔法で擬態していたのだろうとエヴァンジェリンが断言した。そうでなければ自分が気がつかないわけがないと。

 

「さて、愚か者を狩りに行くぞ」

 

 不敵に笑うエヴァンジェリンに司たちはそれぞれの表情で肯いた。

 




フェイト登場。
実は彼はけっこう好きです。

エヴァさんによる気合い入れ。
やはりエヴァは好きです。書いていると楽しい。
うっかり司が空気化しないか心配です。


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第十七話 戦場へ

 意識がぼうっとする。

 目の前で木乃香が見知らぬ男性に捕まり、自分はなにも出来ずに誰かによって意識を失った。

 

 明日菜の目から涙がこぼれる。

 自分はなんて無力なのだろう。

 

 目覚めたのは女子寮の一室だった。生徒たちには保健室と呼ばれている。

 簡単な薬などが常備されていて寮生ならば誰でも利用できる部屋だ。身体が丈夫な明日菜にはあまりなじみのない部屋だった。

 

 本来なら寮長によって生徒のケアをおこなう部屋なのだろうが、寮長が不在なため主に保健委員たちによって運営されているらしい。

 

 その部屋に敷かれた布団の中で目が覚め、木乃香が一緒でないことに恐怖した。

 

 明日菜が目覚めたことを知り事情を聞きに来た先生に見知らぬ男性に襲われたこと、おそらく木乃香がさらわれたことなどを話した。

 そして自身はゆっくり休むように言われてただ横になっている。

 

 こうしている間に木乃香はあの男性にひどいことをされているのではないか、もしかしたら殺されてしまうのではと考えたら恐怖で身体が震えてくる。

 

「明日菜……だいじょうぶだよ。木乃香だってすぐに先生たちが見つけてくれるよ」

 

 保険委員の和泉亜子が付き添ってくれている。彼女が慰めてくれていなかったら自分は狂ったように泣き叫んでいたかもしれない。

 それでも暗い思考が頭にこびりついて離れなかった。

 

 どうしよう。

 このままだと木乃香が殺される。二度と会えなくなる。

 恐怖に身体が震え、心配した亜子に抱きしめられる。

 

「だいじょうぶ、明日菜はなんも心配いらん。きっとだいじょうぶやから」

 

 そう繰り返す亜子の目に涙がにじんでいた。それを見て明日菜は思った。彼女もどこかで思っているのだ。木乃香はきっと想像したくもないような目にあっているのではないかと。

 

「亜子~明日菜起きた? 明日菜! プリン買ってきたけど食べる?」

 

 佐々木まき絵が近くのコンビニのビニール袋片手に駆け寄ってきた。わざわざ買ってきてくれたのだろう。

 

「明日菜心配したよ~、プリンでも食べて元気だしなよ!」

 

 いつものような笑顔でそう言ってくる友人に苛ついた。

 

 木乃香がさらわれたのに、なにをへらへら笑っているの?

 

 尖った感情が漏れたのかまき絵の笑顔が陰った。迷うように亜子を見て、亜子が小さく首を横に振る。

 

「明日菜……明日菜まで元気なくなったらイヤだよ。一緒にプリン食べよ? そのうちきっと木乃香も帰ってくるよ」

「ごめん、すこしいらついてた」

 

 まき絵の泣きそうな顔に明日菜は小さな声で謝罪した。

 彼女だって心配なのだ。心配だから、少しでも気を紛らわせようとしているのだ。

 

 手渡されたプリンを受け取り、涙がこぼれる。

 

「……なにやってるのよ。私」

 

 ガラにもなく落ち込んで、ふさぎ込んで心配をかけて、慰めてくれようとした友人にも迷惑をかけている。

 

「こんなの私じゃない……私はもっと」

 

 そう自分はもっと前を見て歩くのだ。

 いつまでもウジウジしているような安い根性はしていない。

 

「そうだ……たすけにいかないと」

 

 明日菜は顔を上げた。からになったプリンの容器をまき絵に押しつける。

 なにか考えがあるわけではない。誘拐犯から木乃香を救うような力があるわけでもない。

 

 それでも木乃香を探しに行くべきだと。勝ち気な心が叫ぶ。

 布団をはねのけて起き上がり、驚いた様子の亜子に止められる。

 

「あ、あかん。もう夜や。あぶないで!」

「うん、でも行くわ。なにも出来ないかもしれないけど……木乃香を探す」

「あかん! 外にでてはいけないんや(・・・・・・・・・・・)!」

「そうだよ。寮の中にいないといけないんだよ(・・・・・・・・・・・・・・・)?」

 

 二人の言葉に違和感を感じた。

 しかし気にせずに明日菜は部屋から飛び出す。

 

「あかんって明日菜! ああもう!」

「明日菜~、ちょっとまってよ~!」

 

 見過ごすことも出来ずに亜子とまき絵も明日菜を追って駆け出す。

 そして三人は外に出てしまう。

 

 夜の世界。

 戦場となった麻帆良に。

 

 

 

 

「いかん!」

 

 近右衛門の視線が不意に遠方に向く。

 

 司も振り向いた。

 その方角では麻帆良の魔法使いたちが妖怪の軍勢を迎え撃っているはずだ。

 しかしその気配が乱れはじめていた。

 

「崩れたか……脆かったな」

 

 つまらなそうにエヴァンジェリンが呟いた。

 

「……負けたの?」

 

 不安そうにのどかが司を見る。

 司は答えられない。彼には大規模戦闘の知識も経験もない。確かに苦戦しているだろうことは察していたがそれが敗北に結びつくかどうかはわからない。

 代わりにエヴァンジェリンが答えた。

 

「まだ総崩れというわけではないが、津波を押し返す壁に穴があいたようなものだ。後はそこから崩れていくだけだな」

 

 時間稼ぎにすらならんと吐き捨てる。

 

「やはり子供たちには荷が重かったか」

 

 ぽつりと悔恨の言葉を漏らし、近右衛門はきびすを返そうとした。

 

「どこへ行く?」

「救いに行かねばなるまい……見殺しには出来ん」

「孫娘はいいのか?」

 

 エヴァンジェリンの言葉に近右衛門の顔が歪む。

 彼らは陽動を無視して敵の本陣を叩く気でいた。けれどそれを防ぐ麻帆良の魔法使いたちが持ちこたえられなくなっているのだ。作戦が崩壊している。

 

 自分とエヴァンジェリン、そして司がいれば大抵の敵には遅れはとらないだろう。そう楽観していたが、甘かった。

 予想外に敵の勢いがあったのか、それともやはり麻帆良の魔法使いの力不足か。このままでは防ぎきれないだろう。

 

「ふん。誰かが行けばいいのだろう? 私が行ってやる」

「おぬしが?」

「じじいは孫娘を助けて魔法世界の危機とやらを防げばいい。私は私の庭を汚した屑を掃除してくる」

 

 そう言うと返事も待たずに飛び去っていく。茶々丸が頭にチャチャゼロをのっけたままそれに続いた。

 

「かたじけない」

 

 その後ろ姿に近右衛門は頭を下げた。

 近右衛門の立場を思いやってくれた友人に感謝する。

 

 麻帆良の長としての彼の立場では魔法世界の危機を阻止することこそ優先しなければならない。麻帆良は魔法世界の組織の傘下なのだ。これを見過ごすことや手をこまねいていることは許されない。

 

 そのために麻帆良の魔法使いたちが、子供を含めてどれほど犠牲が出ようとも受け入れるしかない。優先順位は魔法世界の危機の方が上なのだ。魔法先生、生徒の犠牲は必要な犠牲として処理されるだろう。場合によっては麻帆良に被害が出ても許容される。それほど魔法世界の危機は重い。

 

 公人としては魔法世界の危機を防ぐ。

 私人としては孫娘を救いたい。

 

 どちらにしても近右衛門は世界樹にいるだろう敵を倒し、木乃香を救いたいのだ。しかし部下を、特に子供たちを見殺しには出来ないでいた。

 

 エヴァンジェリンはそれを察して、自ら動いた。

 近右衛門としてはいくら感謝してもしたりない。ましてや彼女は今回の騒動に関して力を貸す義理などないのだ。

 

「先生」

 

 弟子の声に一つうなずき近右衛門は走り出す。

 そして懐から携帯電話を出して連絡をとった。

 

 あちらにエヴァンジェリンが行くのならば、もうあちらの心配はないだろう。ならばこちらに多少戦力を呼ぶべきだ。

 

 信頼できる戦力は近右衛門自身と弟子の司のみ、二人の女子生徒はどこまであてにしていいかわからない。信頼できる戦力があと一人ぐらいは欲しい。

 

 ……あの子もきっと気に病んでおるじゃろうしの。

 近右衛門は生真面目な剣士の姿を思い浮かべてかすかに笑った。

 

 

 

 

「きりがありません!」

 

 姉と慕う先輩の声に隠しきれない焦りと恐怖を感じ佐倉愛衣は背筋が震えた。それでも必死に敵を睨みつけ魔法で攻撃する。

 

 愛衣はまだ中学生であったが優秀な魔法使いだと評価されていた。当然それなりに自信もあった。争いごとが得意なタイプではないが、自分が足手まといになるなど思わなかった。

 

 それでもここが戦場なのだと思うと恐怖に足がすくみそうになる。

 

 鬼のような姿の敵。子供のような小柄なものから巨人のような大柄なものまで大きさこそばらばらだが姿はだいたい一緒だ。

 頭に角を生やし、その醜い形相を歪ませて笑っているように見える。筋肉に覆われた身体は頑丈で『魔法の射手』を数発当てても倒れない。力もあり無造作な腕の一振りでも当たれば骨が砕けるだろう。

 

 そんな敵がメインストリートを埋め尽くすほどにいるのだ。しかもここだけではない。

 魔法先生が主力となり最前線で食い止めているが圧倒的な数に対処できずに討漏らした敵がここまで押し寄せている。

 

 一体どのくらいの敵がいるのか、敵ながらよくもこれだけの数の鬼を召喚できたものだと呆れる。

 

 前衛を高音・D・グッドマンが影魔法で自身を強化してなんとか防いでくれるおかげで愛衣が後方から魔法で狙い撃ちに出来るが、正直もうくじけてしまいそうだ。

 

 もう何体の鬼を倒したか憶えていない。

 緊張と恐怖で身体が重い。実戦がこれほど怖いとは知らなかった。

 夜間の警備任務などをしたこともある。それも緊張はしたがこれほどではなかった。

 

「お姉さま……もう無理です! 退きましょう!」

 

 自分の喉からでる悲鳴のような声。まるでヒステリーを起こしたような金切り声に、頭のどこかで情けないと感じた。

 

「しっかりなさい! これ以上侵入を許せば手のつけようがなくなるのです! ここで食い止めなければ!」

「応援は来ないのですか!?」

「……どこも手一杯でしょう」

「もう無理です!」

 

 もうなにもかも投げ捨てて逃げてしまいたい。

 先ほど鬼の手に掴まれて投げ捨てられた仲間がいた。遠目からわかるほどの重傷だった。血を吐き、腕がへし折れ、悲鳴すら上げられないほどの有様だった。仲間たちが必死にかばって後方に移送させたが、次は自分がそうなるかもしれないと想像するとなにもかも放り出して泣きだしたくなる。

 

 愛衣だけではない。ここで戦っている魔法生徒たちの大半が疲労と恐怖に苛まれ、可能であれば逃げたいと思っているのがはっきりわかる。

 

 誰だって死ぬのは怖い。痛いのはいやだ。

 

「しっかりなさい! 魔法使いとしての義務を果たすのです!」

 

 それでも逃げ出さないのは高音をはじめとする年長者が、必死に前線に立ち泣き言一つ言わずに戦っているからだ。

 

「一般人を守るのは魔法使いの義務だ!」

 

 高等部の男子生徒がそう叫ぶ。

 

 

『魔法使いの義務』

 

 力を持つものが弱者を守り、世を正しい方向へ導く……そんな理想。

 その理想の具現化が『立派な魔法使い(マギステルマギ)』という存在である。

 それを目指す子供たちは、口々に『魔法使いの義務』を口に出して自らを鼓舞する。

 

 

 それでもと愛衣は思う。

 

 このままだと負ける。

 数が足りない。今は必死に抑えているがこの場にいる魔法使いはなんとか自衛程度の魔法が使えるような未熟者を含めても二十に届かない。愛衣でさえこの場の戦力としては上位に位置するだろう。

 

 さらに熟練の魔法使いや大人たちはさらなる激戦地におもむいておりこの場にいない。高音や他数名の高校生が残っているが他は中学生以下の子供たちだ。本来ならここまで敵が来るはずではなかったが、押しに押され後方に配置された自分たちも必死になって戦わねばならない状況に陥っている。

 

 奮戦している。大人たちが見たらきっと褒めてくれると思えるほど、実力以上の力を出して応戦している。

 

 それでも足りない。

 じわじわと押し込まれ、負傷者が出始め、負傷者を守って後方に離脱する仲間が出始めた。

 

 負ける。

 

 愛衣は涙のにじむ目で戦況を見てそう感じた。

 魔法は無限に使えるものではない。魔力が尽きたら魔法使いなどなんの戦力にもならない。

 高音や愛衣のように魔力量に恵まれているものはまだなんとかなるが、それ以下の魔力量しかないものはもうじき戦えなくなるだろう。

 

「なんとかしないと……」

 

 敵の集団を見て、今ならいけるかと考えた。敵は密集している。そこに大規模な魔法を撃てば多少は敵を減らせる。敵の前進も鈍るかもしれない。

 

 集中して呪文を唱え、自身が会得している最大魔法を使おうとした。

 炎を得意とする愛衣の会得した中規模殲滅魔法『紅き焔』

 威力は『魔法の射手』の比ではない。これを叩き込めばと意気込む愛衣に高音が注意を促した。

 

「愛衣! 下がりなさい!」

「え?」

 

 激痛。

 なにが起こったかわからないうちに地面を転がり、せっかく完成しかけた魔法も意味のないものになってしまう。

 

 なにが起きたのか?

 痛む身体が言うことを聞かない。

 それでも必死に起き上がる。ここは戦場なのだ。痛いからと寝そべっていたら殺される。

 

「……あ、あぁ……」

 

 顔を上げた愛衣の視界に人くらいの大きさの鬼が入る。醜悪な顔を歪めて鬼が愛衣を嘲笑った。魔法に集中していた愛衣はこの鬼の接近を見落とし、殴り飛ばされたのだ。高音が助けに来ようとするが他の敵につきまとわれてこちらにこれないでいる。

 

 鬼がこちらに見せつけるように手を振り上げる。その太い腕が振り下ろされたら自分の身体などつぶれてしまうに違いない。

 身体がこわばり、思考が乱れる。魔法を使う余裕などない。

 

 助けを呼ぶ悲鳴すら恐怖に凍りついた愛衣にはだせない。ただ意味のない声が馬鹿みたいに漏れる。

 

 死にたくない。死にたくない。死にたくない。

 誰か助けて、助けてよ!

 

 泣き叫びたいほどの恐怖が心を乱す。こんな状態で魔法など使えるはずがない。皆に認められる魔法の才も近接でも使える無詠唱魔法も、役に立たない。ただ子供のように怯えて震えて、ただ心の中で誰かが助けに来てくれることを叫び続ける。

 

 鬼の腕が振り下ろされる瞬間、喉が裂けるほどの悲鳴が迸った。

 

「ウルセーガキダナ。ソンナニ怖イナラ戦場ニ来ルナヨ」

 

 人工物がしゃべるような不自然な声。

 涙の溢れる視界にぼんやりと小柄な背中が見える。この場には不似合いなフリルをあしらった小柄な人形。その手にはナイフを持ち、鬼の腕を受け止めている。

 鬼が再び腕を振るおうとしたとき、その胸を何者かの魔法が貫いた。

 

「……『魔法の射手』? でも」

 

 見慣れた魔法、けれどまったく違う魔法。

 見上げるとそこには漆黒のドレスに身を包んだ金髪の少女が浮かんでいた。

 

「ふんっ、雑魚ばかりがうじゃうじゃとうっとうしい……」

 

 少女の手から無詠唱で数十本の『魔法の射手』が放たれる。

 それは狙い澄ましたかのように一本一本が鬼を貫き、仕留めていく。

 

「うそ……たった一本の『魔法の射手』で……」

 

 誰かが呆然と声を上げる。

 自分たちが数発から十数発の『魔法の射手』を撃ち込んでようやく倒した鬼を空に浮かぶ少女はたった一撃で倒してみせた。

 

 もはや自分たちの使う『魔法の射手』とは別の魔法だと言われた方がまだ信じられるほど威力が違いすぎる。

 

「……エヴァンジェリン?」

 

 高音がいぶかしむような声を上げた。知り合いなのだろうか?

 

「ふはは、未熟者のガキども! 目を見開いてよく見ておくがいい、これが本物の魔法使いというものだ!」

 

 少女の声が夜の麻帆良に響く。

 その呪文の詠唱が耳に届く、放たれた魔法を愛衣を涙ににじむ視界ではっきり見た。

 

 百を超える『魔法の射手』が一本一本意志があるように軌道を変えて鬼たちを貫き一掃する。

 自分たちがあれほど苦戦した鬼の軍勢がまるで塵芥のように蹴散らされる。

 

 空に浮かぶ少女は大仰に胸を反らせた。

 

「見たか!? これが本物の魔法というものだ! この最強の魔法使い、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルの実力だ!」

「エヴァンジェリン……」

 

 こわばった唇が彼女の名前を紡ぐ。知らない名前だ。もしかしたら魔法生徒なのだろうか。いや見かけたことがあるような気もする。

 

 突然現れた愛衣の知らない魔法使い。年下のように見えるがその実力は比べものにならない。少なくともあんな魔法を愛衣は使えない。

 

「……エヴァンジェリンさん」

 

 涙がこぼれる。

 

 応援が来たのだと思った。

 それも『最強の魔法使い』が。

 そして自分を助けてくれた。

 彼女の正体などどうでもいい。

 

 ただ佐倉愛衣は自分を助けてくれた『最強の魔法使い』を見つめて、感謝していた。

 

 周囲の魔法生徒も程度の差こそあれ似たようなものだった。

 この窮地に駆けつけてくれた少女を見る子供たちの視線は救世主を得たかのように輝いていた。

 

 高音を含む事情を知る年長者は少々複雑な顔をしていたがそれを口に出すことはなかった。

 

「さて、一掃するぞ」

 

 エヴァンジェリンの力強い宣言に疲れ切っていた身体に活力が戻った気がした。

 

 愛衣も立ち上がり、杖を握りしめる。

 まだ戦える……いえ、彼女がいれば勝てる。

 まだ幼い魔法使いたちは頷きあい、エヴァンジェリンに続いた。

 




愛衣ちゃん、可愛いですよね。
強いのだか弱いのだか不明ですけれど、可愛いです。

エヴァンジェリンのことはこの作品では麻帆良でも魔法先生たちと年長の魔法生徒の一部が知っている程度です。
普通、子供にまで教えるようなことではないと思うのですよね。
原作でも美空がある時期までは知らなかった……ような気がします。

そして明日菜といえば思いついたら即行動、根拠なんかいらないさ、やる気があるならレッツゴー!
って感じでいいですよね。確かそんな感じだったような。
そして巻き込まれる二人。まき絵と亜子、この二人も好きです。


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第十八話 老魔術師の願い

「なかなか早いお着きだな、近衛近右衛門。どうやら麻帆良の魔法使いも無能ではなかったらしい」

 

 世界樹広場へと宙を跳ぶように駆ける司たちの前に一人の老人が姿を見せた。

 禿げあがった頭によく手入れされた白いひげ。和服姿だが、サンタクロースのお爺さんだと言われたら信じてしまいそうだとのどかは場違いな感想を抱いた。

 

「法条の御当主か……お主が今回の仕掛け人か?」

「いかにも。ワシが企んだことよ。いささか拍子抜けするほど上手くいったわい。無能を率いるのはご苦労なことだな? 近右衛門殿」

 

 いかにも好々爺と言った笑顔で笑う。その言葉は表情と不釣り合いなほど辛辣だ。

 

 法条家。関東の魔術師。その名家だ。

 その歴史と格式は司の藤宮家に劣るものではない。また実力も高いと言われている。彼らも実力で西洋魔法使いから独立を勝ち取った家なのだから当然だ。

 

 近右衛門の言うとおりならば目の前にいるのはその当主だ。ならば法条家、その一門すべてが敵に回ったと思わなければならない。

 

「なぜ法条家が……」

 

 司が思わず呟いた。

 法条家は藤宮家とも交流のあった家のはずだ。司自身はそれほど知らないが浅い付き合いではないはず。なにしろ協力して関東魔法協会に対抗する同盟相手なのだから。

 

「そこにいるのは藤宮の嫡男か。立派になったのう。お主は憶えていないだろうが幼い頃藤宮の夫人に鍛えられ木刀を振るっていた姿を見かけたことがある。本当に立派になった。一目見て一流と思える魔術師に育った」

 

 まるで久しぶりに会った親類の子供にでも語りかけるような親しげで温かい言葉だった。近右衛門に向けた辛辣さなど欠片もない。

 

「母親に似たのか……その強い意志を宿した瞳と温和な顔立ちが瓜二つ。良い顔立ちになった。もう一人前の男の顔だ。もしよかったら孫娘を嫁にやっても良いと思えるほどだのう」

 

 べた褒めだ。初対面の相手にこれほど褒められると司としてはむしろ薄気味悪く感じてしまう。敵対者ならなおさらだ。なにか思惑があるのではないかと裏を疑ってしまう。

 

「なぜ、こんな事を?」

「ふむ、まだ大人の社会はよく知らないものと見える。藤宮の当主め、相変わらず過保護なことだ。これほどの実力と覚悟のある男ならば一人前に働けるであろうに」

 

 かすかに苦笑を浮かべるが「気持ちはわかるがな」と独りごちた。

 

「さて、ワシが事を起こした理由か。当然なにをしようとしているかは理解しているな?」

「魔法世界を破壊すると聞いています」

「そのとおり。麻帆良の魔法使いもまるきり無能ではないらしい。いや藤宮あたりが調べたか?」

 

 出来のいい生徒を見る目で老人は司を見つめる。その視線は暖かで優しげだ。まるで我が子の成長を喜ぶ親にも似ている。なぜこれほど彼が自分に友好的なのか司にはさっぱり理解出来ない。

 

「ワシがやりたいのはな。西洋魔法使いの力の根源を破壊したいのだよ」

「力の根源?」

 

 夕映が思わず呟く。

 彼女に視線を向けるとその装いからなにか納得したのか一つ肯いた。

 

「君は藤宮の嫡男の従者かな? まさにだ。奴らがなぜこの地球で我が物顔で振る舞えると思う? それはな。魔法世界という異世界にある『本国』とやらの後ろ盾があると増長しておるからよ。いざとなればそこから援軍が来る。地球の魔術師などに負けぬとな」

「それは違う。わしらはけしてそのような……」

「ふん、いまさら奇麗事で取り繕う気か? それとも子供や藤宮の嫡男に知られたくないか? 貴様らが交渉に行き詰まるたびに何度『本国』という言葉を出して他者を威圧したか覚えがないと抜かすか?」

 

 近右衛門が言葉に詰まる。確かに子供には、しかも最近裏に入ったばかりの二人の少女には聞かせたくない。この手の話を聞けば潔癖な年頃の子供は一方的に西洋魔法使いを敵視しかねない。

 

 誰とて力で他者を屈服させている組織に無条件で好意的にはなれないだろう。かかげている理想が『和平による平和』『魔法使いの義務を果たして世界に貢献』などというものならなおさら現実との落差に嫌悪するかもしれない。

 

 司はそこまで単純ではないだろうが、やはりあまり聞かせたい話ではない。この二人の女生徒に至っては信頼するには情報がなさ過ぎる。しかもつい最近までただの女子中学生だったのだ。こんな話を許容できるほど大人だとは思えない。

 

 近右衛門は一人の大人としてまだこの手の話を理想と夢を抱く子供たちの耳に入れさせたくない。この三人はまだ子供だ。それはもう少し大人になり世間を知り、世間が奇麗事だけではまわらないのだと理解してからでも遅くないはずだ。その時になればきっと理解してくれる。理想をおこなうためには手を汚す必要があるのだと。

 

「魔法世界が消えれば……西洋魔法使いはその力の背景を失う。世界に対する影響力を失う」

 

 司はその内容を噛みしめるように呟いた。確かにいい手かも知れないと頭のどこかで思う。師である近右衛門には悪いが司は魔法世界に興味がない。栄えようと滅ぼうと好きにすればいいと思う。

 

 もし魔法世界がなくなれば西洋魔法使いが強引に力を振るうことはなくなるだろう。話に聞く限り西洋魔法使いは少々強引すぎた。今は比較的穏やかだがその勢力を拡大していた昔はごく当たり前に魔術組織を脅しあげて傘下に加え、逆らうならば攻め滅ぼしたと聞いている。

 

 その恨み辛みは当然のように世界に残っている。日本でも関西はいまだに関東魔法協会への恨みが強い。強引に押しかけてきた余所者で歴史ある魔術組織を数多くその秘伝と共に失わせた野蛮人たち。関東でさえ反感を持つ組織は多い。

 それでも西洋魔法使いが地球でかなりの力を発揮するのは魔法世界という異世界の後ろ盾があるからだ。

 

 後ろ盾を失った彼らはおそらく地球の魔術組織と同等程度まで力を落とす。もしくは報復がおこなわれるかもしれないが彼らも無力ではない。

 

 むしろ地球でもかなりの規模を誇る組織だ。戦えば規模は大きくなり犠牲も多くなる。考えなしの阿呆でなければ戦争より交渉により西洋魔法使いが当たり前に手に入れてきた特権を奪う方を選ぶだろう。多少の争いはあっても将来的には力の均衡による平和が実現するかもしれない。

 

「そのとおり。さすれば地球の魔術師たちは西洋魔法使いの横暴に怯える必要はもはやない。理想的なことだとは思わないかな。藤宮の跡継ぎ殿」

「横暴とは……」

 

 近右衛門は心外そうに口を挟もうとするがぴしゃりとさえぎられる。

 

「横暴とは力を背景に他者を脅し無理矢理従わせることを言う。貴様らが今までやってきた。いや今もやり続けていることだ」

「じゃから東西和平を。西洋魔法使いと日本の魔術師の融和が必要なんじゃ。それを足がかりに世界に広め、ゆくゆくは互いに尊重し合う関係になれば問題は解決するじゃろう」

「ふん、無理だ。不可能だ。現に貴様とてその『本国』とやらの意向に逆らえんのだろう。そんな状態で融和などしても西洋魔法使いの影響力が世界を覆うだけのこと。逆らえば潰すと脅しあげてな」

 

 近右衛門の理想を法条の当主は真っ向から否定する。不可能だと。その結果は西洋魔法使いによる地球の支配だと。

 

 おそらくそうなると司も思う。近右衛門の理想もわかる。本気でそう願っていることも理解出来るつもりだ。しかし他の者もそう考えるだろうか? 自分たちの影響力を広げ力をつけることを選ばないだろうか?

 

「藤宮の跡継ぎ殿。ワシらは藤宮と敵対する意志はない。ワシらはただ西洋魔法使いの増長の源を破壊するだけ、藤宮に害を及ぼさない。退いてはもらえまいか?」

 

 司の目にわずかに逡巡が走るのを法条の当主は満足そうに見やった。

 その場の空気を感じてやられたと近右衛門は内心唸った。

 

 法条の当主はいつの間にか司を『藤宮の跡継ぎ』と呼んでいる。つまり藤宮一族としての判断をせよと要求しているのだ。

 

 司が藤宮一族として考えたらどういう結論を出すか近右衛門でも予測出来ない。いや、したくない。最悪その槍でそのまま麻帆良の長である自分を貫きかねない。

 

 法条は藤宮の同盟相手。麻帆良は藤宮にとっては不干渉の相手。

 法条が麻帆良になにをしようと藤宮が首を突っ込む理由はあまりない。

 

 今ここにいるのは司個人の好意だ。近右衛門という師の危機に善意で手を貸しているにすぎない。

 

 しかし事が藤宮の一族も絡めばどう判断する。

 責任感が強く、なにより一族を大事にする子だと判断している。そんな子がどう考える?

 

 なんとかしなくてはと焦るが、この場で出せる手札が近右衛門にはない。

 せめて事前に藤宮一族と連絡をつけて協力を確約させるべきだった。

 

 個人的な縁を頼りすぎたと近右衛門は後悔する。確かに司は自分の弟子だ。師として敬ってもくれる。だが一族が絡めばそんなものは些事になりはてる。司は一族の子、その後継者として教育を受けた藤宮の魔術師だ。師への好意より一族の利益をこそ考えるだろう。

 

 しかししばらく考え込んだ司の発言は予想外のものだった。

 

「この先に木乃香さんがいるのですか?」

 

 まるで今までのやりとりをなかったことにするような問いだ。近右衛門はなにを考えているのかと藤宮の後継者を見る。その表情は澄んでいて迷いなどどこにもない。

 

 あるいはなにか考えがあるのか、あるとしたらどういったものか。どちらにせよ下手に邪魔はしない方がいいと近右衛門は沈黙を守った。

 

「いるが、それがどうしたかな? なにか藤宮に不都合でも?」

 

 法条の当主がにこやかに応じる。だがその瞳は油断なく司を見ていた。

 

「魔術儀式に使用するつもりですか?」

「術式の発動、そのための魔力装置として利用する」

 

 その瞬間司の雰囲気が確かに変わった。

 

 近右衛門は背筋にぞくりとしたものが走るのを感じた。才能があると思っていた。頭もけして悪くはない。その将来に期待もした。だが今の司はそれ以上の傑物に思える。おそらく現時点でも一流を名乗れる魔術師だ。それはエヴァンジェリンの解呪で確信していた。

 

 だがこの雰囲気は中学生の子供が出せるものではない。ただ魔術の腕があるだけの子供では断じてない。もはや大人に匹敵する。今の司はそれほどの気迫を感じさせる。

 

 空気の流れが変わったのを敏感に察して法条の当主が顔を険しくする。

 そして次の司の言葉に一瞬唖然とした。司の言葉の槍は老人を貫かんと突き出された。それも予想外の方向から来た。

 

「彼女は魔術師ではない。現段階では一般人です。その事は理解されていますか?」

 

 それが司の出したこの場での回答。

 藤宮の跡継ぎとしての姿勢。

 

 司は自身も木乃香と同じ『極東最大の魔力保持者』だ。一族はその肩書きを危険視した。将来司に災いが及ばないように手を配り、司自身がその困難に負けないように鍛え上げた。

 

 しかし近衛木乃香は違う。

 父親の意向で一般人として育てられた。聞いた限りでは魔術を知らず。裏の世界を知らず。自身のことすら知らないらしい。

 

 これではただの一般人だ。

 たとえ魔術の名家に生まれていてもこれでは魔術師ではない。

 一般人を裏に無理矢理関わらせ、魔術儀式に利用するのならそれは魔術師の禁忌に触れる。『一般人を害さない』というごく当たり前のルールであり常識を破っていることになる。

 

 そもそも彼らは街を鬼の大軍に攻めさせることで『魔術、魔法の秘匿』すら破った。その上『一般人を害さない』というルールを破るのなら藤宮がその言葉を聞く価値のある相手ではない。なぜなら彼らはすでに犯罪者集団に近いからだ。犯罪者集団が藤宮の跡継ぎに交渉を持ちかけるなど『立場をわきまえろ』と一喝しても誰も責めないだろう。

 

 法条の当主は目を鋭く光らせたが、穏やかに微笑んで見せた。

 

「これはこれは近衛の一人娘。『関西の姫』を一般人呼ばわりとは関西呪術協会が聞いたら激怒しますぞ。藤宮の跡継ぎ殿」

 

 関西呪術協会の跡取りを一般人と主張するのか?

 そう問いかける。いや責める。それで引き下がればよし。それでも退かぬならばと考えているのが司にもわかる。

 

 彼はなぜかは知らないが司と。いやあるいは藤宮と事を構えたくないのだと考えざるを得ない。彼が司に友好的だった理由もそれだろう。なんとか言いくるめて穏便に去って欲しかったのだ。

 

 魔法世界を滅ぼしたあと藤宮を味方につける気だったのかも知れない。いや関東の魔術組織すべてに声をかけて関東魔法協会に圧力をかけるつもりだったのだろう。

 

「では彼女の祖父に尋ねましょう。近衛木乃香は現時点で一般人ですか?」

 

 司の問いに対して近右衛門の答えは決まっている。まさか娘婿の優柔不断がこんな奇貨になるとは思いもしなかったと近右衛門は若干苦く思う。あるいは普通に魔術師として育てていれば避けられた事態かもしれないが、土壇場で有力な味方を引き込む札になり得た。

 

「……あれは一般人じゃ。魔術を習得しておらず。裏の世界も知らない。ただ魔力を持っているだけの人間を『魔術師』とは呼ばん」

「関西呪術協会も同意見と解釈しても?」

「かまわん。婿殿の意見も娘には一般人であって欲しいというものじゃった。間違いない」

 

 老人の顔が歪んだ。当てが外れたのだ。それも予想もしなかった屁理屈で。

 

 近右衛門は心底安堵する。そして自分がよほど余裕なく焦っていたことに気がついた。いつもならばそんな逃げ道ぐらいすぐに見つけられただろう。子供に出し抜かれるとは自分もまだまだ甘いと思う。けれどそんな弟子の成長が眩しく思えた。

 

「僕は藤宮一族の務めとして不当に魔術師に拘束され、魔術儀式に利用されようとしている一般人を救出するために動きます。邪魔をするならば排除しますが?」

 

 司がその美貌に冷たい笑みを浮かべて法条の当主を一睨みした。

 法条の当主である老人は一層笑みを深くしてそんな司を見つめた。出し抜かれ、やり込められたというのに悔しがりもしなければ慌てもしない。むしろそんな司を好ましく思っているような態度だ。

 

 

 

 

 その場には老人二人が残った。

 近右衛門が司に命じたのだ。

 

「ここはわしが引き受ける。お主は魔術儀式の阻止を頼む。エヴァの呪いすら解呪したのだから、問題はあるまい?」

「……止めるだけなら楽ですが、周囲に被害のないようにと考えると規模が大きすぎます。それなりの被害は覚悟してください。努力はしますが」

「やむを得ん。わしでもこんなアホのような魔力をまったく反動なしに止めるなど不可能じゃ」

 

 もはや世界樹にはとんでもない魔力が収束され光り輝いている。

 あれを無力化するなど人間には不可能だ。せめて魔術儀式を破壊し、魔力を可能な限り拡散させるのがせいぜいだろう。

 

 そして司は二人の女生徒を連れて世界樹広場へ向かった。

 追っ付け近右衛門の手配した援軍も向かう。向こうはまず問題なかろうと考える。

 

「ふむ、見逃してくれるとはありがたいの。それとも諦めたかの。なら降伏して欲しいんじゃが」

「なにを馬鹿なことを。たとえ世界樹に辿り着いてもそこにはワシの孫がいる。藤宮の跡継ぎにも負けはせん」

 

 自信を持って言い切る姿に近右衛門はまさかと思う。だが法条は実力の高い魔術の名家だ。司もその事は知っているはず。ならば油断はしまいと思うが心配ではある。

 

「それにあの藤宮の嫡男を後ろから討つなど出来るものか」

「どうも司に好意的なようじゃったが、縁でもあるのかの?」

 

 近右衛門の疑問になにを馬鹿なことを聞くのだという顔をした。

 

「あれは将来日本の魔術師たちを束ねて西洋魔法使いに立ち向かえる子だ。そんな将来有望な子を殺すなど出来る訳がない。もしワシらの計画が潰えてもあの子がいるのならば日本が西洋魔法使いに屈するなどありえん」

「ずいぶん高く買っておるの」

 

 自身も彼を将来西洋魔法使いと日本の魔術師の架け橋にと願った。目の前の法条の当主はむしろ日本の魔術師の旗頭となる事を願っているらしい。あちこちから期待されてあの子も難儀なことだと心配になる。重責に押しつぶされることがなければ良いのだが。

 

「貴様は小細工をしたようだが、あの子はワシの目で見た限りほぼ魔術師寄りだ。貴様ごときの手駒にはならんぞ? 今回はどうやらワシらのやり口が気にくわなかったらしいがな」

「あの子は木乃香の友人じゃ。そうでなければあるいはお主の目論見通りに退いていたかもしれん」

「なるほど『関西の姫』とすでに友誼を結んでいたか、それもまためでたい。あの二人が結ばれれば日本の魔術師たちはあの二人の元へ馳せ参じるのに抵抗はあるまい。『関西の姫』と『藤宮の息子』共に『極東最大の魔力保持者』実に結構なことだ」

 

 ありえる未来ではある。

 そうなれば二人は西洋魔法使いと和解を目指すだろうか、それとも排除に向かうだろうか? 今の気性なら和解を目指しそうだが子供は変わる。大人になったときも今と同じ思想や人格のままとは限らない。

 

「あの子や木乃香は日本の未来を、西洋魔法使いと地球の魔術師の未来まで背負うのか……哀れな」

「それが魔術師の家に生まれその血を継ぐものの義務だ。それを放り出して西洋魔法使いの組織に身を置く貴様には理解できんかもしれんがな」

 

 法条の老人はごく自然にそれが二人の『義務』だと言い切った。

 おそらく多くの魔術師がそう思い。そう口にし、彼らにそれを期待するだろう。

 

「夢を見ることは出来てもその夢が叶うことはけしてなく。ただ一生を魔術師たちのために捧げて生きる。哀れとは思わんのか?」

「貴様も西の長の同類か? 言ったはずだ。それが魔術師の家に生まれた者の義務だと」

 

 生粋の魔術師だの。

 その皮肉は口にださない。自分とて他人の事は言えない。二人には大きなことを期待しているのだ。自分には不可能でもあの二人ならばと。

 

「そろそろ始めるかの。出来れば弟子と孫を助けに行きたいのでな」

「ワシも孫の手助けに行きたいのだ。貴様ごときに手間をかけたくないが『極東最強』が相手では軽くひねるというわけにもいくまいな」

 

 互いになんの合図もなく空中で近右衛門の放った無詠唱魔法と法条当主、法条源助が軽く片手で印を組むだけで発動させた魔術が激突する。

 

 空に凄まじい魔力がぶつかり合い。打ち消し合い。せめぎ合う。

 

『極東最強』対『法条一門当主』の戦いが始まった。

 




お久しぶりの更新です。最近改定作業をしたとはいえ、更新はほぼ一年ぶりです。

ちょうど麻帆良での戦争が始まり、これからというところで力尽きてそのまま放置。
すでに忘れられているかも知れません。

これからは若干マイペースとはいえ、ある程度しっかりと更新していきたいです。


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第十九話 魔術師の少女

「どうかしましたか?」

「いえ、なんでもありません。先を急ぎましょう」

 

 気鬱げにため息をついた司を見とがめて夕映が声をかけてくる。それに何でも無いように笑いかけて司は足を速めた。

 

 正直先ほどの交渉でずいぶん冷や汗をかいた。

 表面はいかにも正論を述べているかのように自信ありげに見えただろう。だが内心は交渉決裂を覚悟していた。

 

 なにしろ『彼女は一般人だから助けに行きます』などあの状況では屁理屈以外の何物でもない。

 法条の当主は『藤宮一族はこの局面でどう動く?』と問いかけてきたのだ。

 その回答が『一般人を助けます』ではまったく道理を知らない子供の返答だ。笑い飛ばされなかったのが不思議なほどだった。

 

「僕を先に通してでも、敵対は避けたい……ならこの先には僕を止められる人物がいるか、もしくはもうこの魔術儀式は止められないのか」

 

 悲観的な予想が口から出るが後ろに続く二人の少女には届かなかっただろう。

 

 本当にこの二人は成長した。

 ただの一般人であったはずなのに、司と共に戦場となった麻帆良を駆けて息一つ乱さない。

 先ほどの交渉でも思うところはあるだろうに立場をわきまえて口を挟むような真似はしなかった。

 

 正式に自分の従者として認めてもいい。そのくらいの実力と精神を身につけている。

 そこらの魔法使い相手なら後れを取ることはないだろう。手練れとやり合っても二人がかりならば戦えるだろう。

 

「本当に強くなった……エヴァのおかげかな」

 

 自分だけではここまで鍛えられなかっただろう。

 

 今まさに最強の魔法使いとしての力を振りまいているだろう友人を思い浮かべてかすかに笑う。

 

「僕も負けてはいられないかな」

 

 藤宮の一族として、戦場に立つと決意した男として不甲斐ない行いは出来ない。

 

「もうすぐ世界樹です!」

「木乃香さんを助けるですよ!」

 

 のどかと夕映もやる気十分だ。友人の危機だからだろうか、戦場にいるという威圧感をそれほど感じずに済んでいるようだ。

 

 出来れば彼女たちはまだ……まだ彼女たちには早すぎる。

 人を殺すのは。彼女たちはまだ早い。

 

 そんなことを考えてしまう。

 そしてそんな司を嘲笑う金髪の少女の姿がはっきり浮かぶ。

 

『まだそんなことを思い悩んでいるのか? 決断し、走りだしたならばなにがあろうと駆け抜けろ。親兄弟が切り刻まれ焼き殺されようとも、血を流し、力尽きようとしてもだ。命が燃え尽きるまで駆け抜けろ。それが『戦う』という事だ』

 

『一度信じたならば、信じ抜け。信頼したふりをして内心で疑うような男に人は従わない。おまえは藤宮の跡継ぎだ。自らに従う者を信じ切れないような屑に俺たちを導くことなど出来はしない』

 

 槍の師である青年の言葉が思い起こされる。

 そうだ。僕は信じたのだ。信じてここに連れてきた。ならばここで疑ってはいけない。

 彼女たちならば、例えその手を血で汚そうともきっと崩れることなどない。

 

 

 

 

 世界樹広場前には二人の人物が待ち構えていた。

 刀をぶらりと片手に握る同年代の少年と巫女装束に身を包んだ黒髪の少女。

 

「ああ、来てしまいましたか……お爺様は止めなかったのでしょうか?」

「近右衛門がいません。おそらく足止めをされているのでしょう」

 

 少女は少し納得出来ないように疑問を口にすると少年が生真面目な口調で返した。

 

 自然と司の足取りはゆっくりとしたものになった。目の前の二人は少なくとも軽く蹴散らせるような人物ではない。そう感じた。夕映とのどかもかすかに緊張しつつ油断なく司に続く。

 

「騒がしくして申し訳ありません。けれどもう少しおとなしくしてもらえますか? もうすぐ兄様がすべてを終わらせてくれますから」

 

 腰まで伸びた黒髪が街灯の明かりに煌めくようだった。

 そんな美しい少女のごく自然な口調に夕映とのどかは気圧された。

 

 司はそんな雰囲気に危機感をもった。もしかしたらこれは少しまずいかもしれない。

 目の前の少女はおそらく一流の術者。そして少年もまた剣においてはかなりのものだろう。司にはそれがわかる。二人もそれを感じているのだろう。

 

「あなたは?」

「法条佳奈子と申します。そちらは藤宮司様ですか?」

「僕を御存知で?」

「有名人ですから」

 

 そう手で口元を隠し、ころころと笑う。

 

「藤宮家が麻帆良に付くとは思いませんでした……正直、悪くても静観を決め込むものとお爺様とお兄様は予想されていましたから」

「正確には麻帆良の味方でもないのですが」

「ではなぜとお伺いしても?」

「近衛木乃香は僕の友人です。それで納得してもらえますか?」

「あらあら、それはまた」

 

 少女は心底楽しげに笑っていた。

 

「なんとも羨ましい」

 

 その一言を吐き出したとき少女の瞳は一瞬、憎悪に暗く陰っていた。その瞬間に隣に控えていた少年が一足で間合いに踏み込み刀を振り下ろす。

 

「二槍使いとは馬鹿にしてくれる……宮本武蔵もびっくりだ」

「これでもそれなりに修行したんだよ」

 

 少年の刀を左手の槍一本で受け止めて右手の槍を突き出す。

 

 その槍先を避けて少年が体重がないような歩法でふわりと下がる。

 

「ふん、見かけ倒しではないか。お嬢様、これは少々厄介です」

「冬馬でも敵いませんか?」

「正直、衛史郎様クラスですよ。こいつは」

 

 今まで片手で刀を握っていた少年が両手でしっかりと刀の柄を握り直す。

 それを見た佳奈子は少し驚いたようだった。

 

「お兄様クラスで冬馬が()()()使()()()()()()()ですか……これは少し荷が重いかもしれません」

 

 そういった少女の手にはさまざまな呪符が握られていた。

 

「でも足止め程度ならなんとかなるでしょう。近衛のお姫様が干からびるまでぐらいなら」

「……あなたは木乃香さんに恨みでもあるのですか?」

 

 その物言いになにかを感じとったのか夕映が口を開いた。

 

「恨み? 面識もありませんからなんとも。強いていえばただの八つ当たり、嫉妬というものです。苦労知らずに日常を楽しむお姫様。そして危機となればこうして王子様が自ら槍をとって駆けつける。羨むなと言う方が無理でしょう?」

 

 少女はかすかに羨望を込めて両手に二振りの槍を構える司に視線を向けた。

 

「今まで楽をしてきたのですから、ここらで苦労をしてみろと思うぐらいは許されるのではないでしょうか? 貴方も今まで大変な思いで生きてこられたのでしょう?」

 

 裏の世界の重要人物でありながらそれを知らず。

 ただ父親と祖父に守られ、それすら知らず。

 自分はただの女の子に過ぎないと思い込んで日々自由に生きている。

 

 魔術師の家に生まれ、魔術師として育てられ、それ以外の生き方など許されない立場から見ればなんと羨ましいことか。

 

 司には彼女の言いたいことがよくわかった。

 自分だって苦労はした。修行は厳しかった。遊ぶことなどほとんどなかった。なぜ自分は他の子供のように『将来の夢』すらもってはならないのかと悩んだこともある。

 

 しかしそれは。

 

「それは木乃香さんの罪ではないでしょう……」

「西の長が愚かだっただけ、そしてその愚かさで娘を失う。因果応報というものでしょうか」

「そ、そんなのおかしいよ! 木乃香さんはなにも悪くないじゃない!」

 

 のどかの悲鳴のような叫びにも佳奈子は微塵も動揺しなかった。

 

「それが魔術師というモノ。魔術師の家に生まれた者の運命でしょう? 父親の愚かさで彼女はつかの間の幸福を味わい。そして死んでいくのですよ」

 

 いっそ他人事のように言い放つ。その姿にのどかは呆気にとられた。彼女には……いやきっと魔術師や魔法使いには自分のこの出口も見つけられずに荒れ狂う感情は理解されないのだとわかってしまった。

 

「こちらの要求は『一般人である近衛木乃香の解放』です」

「こちらの要求は『日本の魔術師の未来を守るためにこの魔術儀式を完遂する。その邪魔はしないでいただきたい』です」

 

「決裂ですか……」

「決裂ですね」

 

 司が二振りの槍を構える。夕映が槍を両手で握る。のどかがいつでも術を発動出来るように集中する。

 佳奈子が呪符に魔力を通す。冬馬と呼ばれた少年が刀を構えてこちらをひたと睨みすえる。

 

「では押し通る!」

「兄様の元へなど行かせはしません!」

 

 冬馬の刀と司の槍が打ち合う。その一太刀の重さに司は驚いた。先ほどの一撃など比べものにならない。これはまさに豪剣と称せられる一撃だった。

 

 佳奈子の呪符が数頭の炎の獣となって飛びかかる。その一匹を夕映の槍が貫き、討ち漏らした二匹をのどかの放った炎が焼き尽くす。

 

 これは……まずい。

 

 重い一太刀だが防げないほどではない。だがこちらが攻めきるにはなんとも邪魔な一撃の威力だった。防ぐことにかなりの力を割いているため思い切りよく攻められない。

 結果、互いに打ち合いながらの勝負になってしまった。これではすぐに決着はつかない。

 

 夕映とのどかも果敢に槍で挑む夕映と後方で支援するのどかという戦闘スタイルで戦えてはいるが、攻めきれない。

 佳奈子の手数はのどかの対処能力を上回ってしまっている。結果攻撃役の夕映も防御行動に力を割かれ、攻めきれない。

 

 司は顔をこわばらせる。

 戦況は冬馬対司。佳奈子対夕映とのどかで拮抗してしまった。

 

 実力では冬馬は司に劣るだろう。司にはまだ余裕がある。槍でも魔術でもだ。

 だが司はここで全力を出し尽くせない。話を聞いた限りではこの少年以上の手練れがこの先にいる可能性が高い。

 

 佳奈子はまさに一流の術者だった。夕映とのどかでは互角に戦えていることをむしろ褒めるべきだろう。

 

 全力で二人を潰して、そしてさらにもう一人の強者と戦って勝てるか?

 だがここで力の出し惜しみをしてもずるずると足止めされるだけだ。

 

「そんなもんか! 関東最高の魔力保有者! 自慢の魔術の一つも見せてみろ!」

 

 槍しか使わない司を挑発するように冬馬が刀を振りながら嘲笑う。

 

 魔術儀式の中断が目的である以上魔力の無駄遣いは避けたい。

 いくら極東最高の魔力と言っても無限の魔力を持つわけではない。さらに強敵があと一人控えているならなおのことだ。

 

 消耗戦を仕掛けられたか……。

 

 司は状況を打開すべく戦いながら思考する。

 

 エヴァンジェリンの離脱が悔やまれる。

 彼女がいれば世界樹に陣取っているだろう強敵を任せられた。自分は目の前の敵と魔術儀式の停止だけを考えれば良かった。

 

 同時に三つの目標を完遂するのは難しい。どれも手に余りかねない難事なのだ。

 

 もはや後先考えずに戦うしかないかと半ば自棄を起こしかけた司の耳に知り合いの声が届いた。

 

「司さん! 学園長の指示で助太刀に来ました!」

 

 その声を聞き、司は一瞬冬馬との間に牽制の炎を出現させ、さらに佳奈子にも同じように牽制の攻撃を打ち込んだ。

 

 その一手で戦場は仕切り直すように互いに距離を取る形になる。

 

「さ、桜咲さん……来てくれたんだ」

「宮崎さん、綾瀬さん……よく頑張ってくれました。後は私に任せてください」

 

 思わぬ援軍に安堵の息をついた級友に微笑みかけ桜咲刹那が刀を握った。

 司は夕映とのどか、刹那。そして佳奈子と冬馬に一瞬視線を走らせるとすぐに指示を出す。

 

「桜咲さんはあの剣士を、夕映さんとのどかさんは術者を、僕は先へ進みます」

 

 その言葉に夕映とのどかは一瞬目を見張り、すぐに互いに視線を交わして頷きあった。

 

「任せてください」

「私たちは大丈夫ですから司さんは木乃香さんを助けてあげてください」

 

 その発言に刹那のほうが仰天する。

 

「司さん! 素人にこれ以上無理をさせるのは危険です! 私と司さんならこの二人を無力化も出来るはずです!」

「もう時間がない」

 

 そんな刹那に司は光り輝く世界樹に視線を向けることで答えた。

 光はさらに強くなっている。もう猶予はないと見るべきだろう。

 

 そして司はほんの少しだけあった不安を飲み込み、振り返った。

 

 夕映ものどかも苦戦しただろうに少しも()()()いない。むしろこれからが本番だと言いたげにそのまっすぐな瞳に強い光を煌めかせている。

 

「それに」

 

 苛立たしげにこちらを見据える刹那に、司はいつもの穏やかさで微笑んだ。

 

「この二人は強いんですよ?」

 




 なるべく読みやすく簡潔にと思ったのですが、なんだかあまり変わっていない気も……。
 手直しで多少削ったのですが、やはり書き方はそう簡単には変わらないのでしょうか?


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第二十話 法条衛史郎

 これで麻帆良は三つの戦場をもった。

 

 鬼の大軍を迎撃するエヴァンジェリンと魔法使いたち。

 法条家の当主と戦う近衛近右衛門。

 世界樹広場前で最後の防衛戦を任されていただろう法条佳奈子と彼女に従う冬馬という少年剣士。それに挑むのは桜咲刹那と綾瀬夕映、宮崎のどか。

 

 不安がないわけではない。

 

 それでも司は自分がやるべき事を果たすことに集中すると決めた。

 

「桜咲さんは不満そうだったな」

 

 最終的には納得してくれたが、やはり最近魔術を習い始めた夕映とのどかを戦力として信頼出来なかったらしい。司が保証することでなんとか納得した。

 

「彼女たちはそれほど弱くはないと思うけど、こればかりは仕方がない……あらら、これは本当にもう余裕がないかもしれない」

 

 世界樹の高まる魔力を肌で感じて危機感を募らせる。

 正直、異世界である魔法世界を滅ぼすなど実感がなかったがこれならばもしかしたら可能なのではと思うほどの馬鹿げた魔力だ。

 

 いったい自分が何人いたらあれほどの魔力が出せるのだろう? 百人? 千人でもまったく足りない。

 

「一戦して、この魔術儀式の中断……出来るかな?」

 

 少し厳しいかもしれない。

 

 こんな馬鹿げた大魔術を行使出来る魔術師相手に余裕など持てるはずもない。

 

「おや、お客さんですか……ここまでわざわざ来てくれるとは実に面白い」

 

 光り輝く世界樹を前にしてゆったりとくつろいでいた青年がこちらを振り返った。

 もう魔術儀式は終わったのだろうか。特になにかしている様子はない。後は発動を待つばかりといった様子に見える。

 

 やはり急いでここに来たのは正解であったようだ。

 

「しかも藤宮の跡継ぎですか、これは予想外ですね。正直ここに来るとしたら真祖の吸血鬼か近衛近右衛門だと考えていました。あの二人に信頼されて送り出されたのだとしたら実に素晴らしい」

 

「近衛木乃香はどこです?」

 

 てっきり魔術儀式の中心であるこの場所にいると考えていたのだが、姿が見えない。

 

 その言葉に青年は微かに笑った。

 

「お姫様なら、貴方の目の前にいますよ?」

 

 目の前?

 

 理解出来ずに司は青年を睨みつけた。

 

「古来より、大魔術に贄を使うのは良くあること。ましてや彼女ほどの素質ある巫女は神にささげられてもおかしくないでしょう。優れた魔力を持つ汚れなき乙女。まったく良い仕事をしてくれます」

 

 ちらりと世界樹に目を向ける青年に司は心が押しつぶされたように顔を歪めた。

 

「……世界樹の贄にしたのですか?」

「ええ、大変生きのいい餌にほらこんなに世界樹が喜んでいますよ」

 

 瞬間。司は槍を突き出していた。

 

 空気さえ抉り切るような突き。

 

 両者の距離を一歩で踏み越えて右手の真紅の槍が目の前の敵を貫こうとする。

 

 そして司は愕然とした。

 慎重に間合いを取って後方に下がる。その右手には槍がない。

 

「ああ、なかなかのものですね」

 

 そう司の力量を褒め称える青年は突き出された槍をまるで巻き込むようにたぐり寄せてはじき飛ばしたのだ。まるで当たり前のように軽々と。

 

 自分の手から槍が一瞬で奪われ、失われた。

 確かに激情に駆られたのは否定出来ない。だが油断はしていなかったし本気の一撃だった。

 それを子供をあやすように無力化され、武器を奪われた。

 

 その行為を誇るでもなく司を見下すでもなく、むしろ楽しげに青年は口元に笑みを浮かべる。

 

「さすが藤宮の跡継ぎ。その年齢でこれほどの技術はなかなか身につくものではありません。僕が君ぐらいの年齢の頃と比べれば雲泥の差だ」

 

 穏やかに青年は微笑む。

 得体の知れない恐怖が司の心臓を握りしめた。

 

「改めて自己紹介を、僕は法条衛史郎。次期法条当主であり、この事件を計画したこの騒ぎの元凶だよ」

「なぜ……法条家がこんな事を?」

 

 かすれるような声に青年、衛史郎は不思議そうな顔をする。

 

「お爺様に聞かなかったのかな? 僕らの目的を」

「聞きました。けれど魔法世界を破壊するにしてもこんな方法を使う必要はなかった。もっと確実で邪魔の入らない方法もあったはずです」

 

 麻帆良は西洋魔法使いにとって日本の根拠地であり、そこには十分な戦力がある。

 近衛木乃香は麻帆良、日本のどちらにとっても重要人物でありそれをこのような事に利用するのは問題がある。

 そして麻帆良には最強の魔法使いと言われる真祖の吸血鬼エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルがいる。高畑・T・タカミチが不在であっても十分に戦える。

 

 確かに上手くいっている。

 このまま行けば彼らの計画は成就する。

 

 だが失敗する可能性も十分ありえたはずだ。

 

 麻帆良に事前に情報が知られ、警戒されているだけでかなり手こずったのではないか。

 実際藤宮はなにかしら知っていた可能性が高いと司は思う。

 

 帰郷の時に主だった者が不在だったのはこれを調べていた。もしくは一族の方針を検討していたのだろう。

 あるいは黙認した可能性すらある。藤宮はけして麻帆良の味方ではないのだから。

 

 二十代も半ば頃の若者は楽しげに笑った。

 

「そうですね。この方が面白いからですかね」

「面白い……?」

 

 一瞬なにを言われたのかわからなかった。

 

「そう、面白いでしょう? 西洋魔法使いのお膝元に攻めこみ、彼らが後生大事にしているものを二つも奪ってそれを利用する。そして彼らの拠り所を壊す。こんなに痛快なことはないと思いませんか?」

 

「そんな理由で……」

「お爺様は違うでしょうが僕は面白そうだから計画しただけです。安全確実に行くのなら関西呪術協会を抱き込み、近衛詠春を幽閉して実権を握り、関西の呪術拠点を利用して同じ事をしたでしょう。この方が邪魔は入らない。贄は他に探せばいい。いなければ佳奈子辺りでも十分です」

 

 お兄様と親しげに呼んでいた少女を平然と生け贄にすると言う。

 

「けれどそれではあまりにつまらない。退屈でなにも楽しくない。鉄壁と信じた守りを崩され驚愕する魔法使いたち、孫をさらわれ苦悩する長、途切れることない大軍と延々戦い続けて絶望する魔法使いたち、そして世界樹は輝き魔法世界は泡と消える。彼らはどんな顔をするのでしょう? 想像するだけでも胸が高まり、魂が震えるでしょう?」

 

 まるでお気に入りの映画を絶賛するような振る舞いに司の肌は粟立った。

 

「そんなことで、貴方は木乃香さんを……」

「ああ、君が怒っているのはそれですか。誤解しないように、彼女はまだ死んでいませんし、おそらく死ぬことはありませんよ」

 

 それはまだ助けられるということか?

 司の目が世界樹に向く。なんらかの魔術的処置でおそらく世界樹に埋め込まれた。あるいは封じられたのだろうか。自分ならそれを解けるだろう。救えるかもしれない。

 

「これは面白い」

 

 衛史郎はますます楽しげに喉を鳴らして笑った。

 

「愛しい少女を助けるために立場を乗り越えて馳せ参じた少年。しかし少女はすでに息絶えていると絶望したが、実はまだ生きている。救える望みがあると奮い立つ……いいですね。まさに王道な展開もまた楽しい」

 

 そのためにはこの男を排除しなければならない。

 

 無言で再び繰り出された槍を衛史郎は少し驚いたようにはじく。先ほどより速い。そしてはじかれた槍は司の手を離れない。

 

「これはこれは……やはり二槍は本領ではありませんでしたか」

「あれは幼い頃に師に勝つために編み出した我流です。多数相手には有効ですし、不意も突けます。二槍による攻防一帯の構えは同格相手にも有効でした。ですがやはり槍とは本来両手で使うものです」

 

 槍とは両手で握り、身体全体で操ることで攻防自在の武器になる。

 片手で、それも両手に持って扱うなど正気ではない。槍の利点を半分以上捨てているようなものだ。

 

 それを初めて師に見せたときの呆れ顔は今でも忘れられない。

 

『司、おまえは頭がいいと見せかけて実は馬鹿だろう?』

 

 本気で呆れ果てていた。一本でまったく敵わないなら二本で挑めば勝てるのではという子供の発想だったが予想以上に馬鹿にされた。

 

『いいか、おまえにわかりやすく言うとだ。刀だって片手で振るうよりも両手で振った方が威力が出るし安定もする。そもそも刀も槍も腕で振っているうちは素人だ。重要なのは身体だ。全身で振るってこそ刀も槍も十全の扱いが出来る。そんなことはもうあの人に叩き込まれているはずだろうになんでこんな馬鹿げた事をする? おまえのやっていることはせっかく達人一歩手前まで鍛えられた技を捨てて素人の技を使おうとしているようなものだ。悪い事は言わないからそんな馬鹿げたことはやめろ』

 

 あまりの酷評に腹が立って密かに二槍の扱いを修行して『馬鹿も極めればたいしたものだ』と呆れ混じりの賞賛をもらえるまでになった。

 

 それでも師の教えてくれた槍術には及ばない。

 あるいはもっと体格に恵まれれば二槍を操れるかもしれない。師にはそう言われたが、司は体質的にそこまで体格に恵まれることはないだろう。

 

 だから本気で戦うならば槍は一つ、それを両手で握って身体全体で操る。師に鍛えられた型になる。

 

 先ほどそれをしなかったのはもともと多数と戦う用意としての二槍であり、あの場には剣士の少年と術者の少女がいた。いざというときは二人を相手取れるようにと二槍のまま戦ったのだ。

 

 目の前の相手は本気の槍をもってしてもおそらく格上の魔術師。この巨大な魔術儀式をこなしただろうに涼しい顔をしている正体のつかめない男。

 

「僕と戦いますか? ならば急いだ方がいい。修行をした魔術師であるならばともかく、素質だけ一流の素人では魔術儀式に耐えられずに壊れてしまうかもしれませんからね。あの美しい少女が狂人か、あるいは廃人に成り果てたら君がどんな顔をするのかにも興味はありますが」

 

 その言いようと心底その光景が楽しみだと言わんばかりの笑みにひどく苛立つ。

 

「……一言いいですか?」

「なんなりと」

「おまえなんて大嫌いだ」

「これは手厳しい……僕は君が大好きになりそうなのですが、いえすでに愛していると言ってもいいかもしれません。美しく気高く真っ直ぐであり、才に恵まれ努力を重ね。まるで物語の主人公のように悪に立ち向かいヒロインを救う。ああ、とても胸躍り心惹かれる」

 

 司の嫌悪あふれる罵声にもまるで賞賛の言葉を聞いたように心地よさげな笑みを浮かべて戯言を語る。心底気持ち悪い。

 

「おまえはここで死ね」

 

 普段の温和さなど微塵も感じさせない冷淡さで司は吐き捨てた。ここまで他人を嫌悪したことなど記憶にない。それほど目の前の男が気に入らない。

 全身から炎が吹き上がり手に持つ槍は炎の槍と化す。

 

「ああ、実に美しい。悪を倒してヒロインを救い。異世界の危機を救う勇者になるか。力及ばず敗北し、廃人となって人形のように成り果てたヒロインを抱いて絶望の涙を流すのか……どちらにせよとても楽しみだ」

 

 心底嬉しそうに語るその顔面を思い切り殴りつけてやりたい。ここまで暴力的な発想をするとは自分でも驚きだ。

 

 司の身体から炎が弾丸となって撃ちだされ、衛史郎はそれをするりとかわして軽く印を組むと司の身体にすさまじい重さがかかる。それを気合い一つでかき消して槍を繰り出せば対抗するように長い手足で拳を打ち込み、蹴りを放ってくる。

 

 衛史郎と司の戦い。

 これが四つ目の戦場だった。

 



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第二十一話 司対衛史郎

「なるほど」

 

 戦いながら衛史郎は納得したように肯いた。

 

「藤宮の精霊術……噂は聞いていましたが、要は『神降ろし』の応用ですか」

 

 司は少しだけ顔を歪めた。

 藤宮の精霊術。それは精霊をその身に宿す『神降ろし』『巫女(シャーマン)』の術。

 実際に見ればわかるだろう。だが()()()()()()()()()()()宿()()()()使()()()()()()

 

 なのに術の正体を見破った。

 自由自在に精霊を操り、魔術を行使する源を見抜いた。

 

 異常と言ってもいい。

 エヴァンジェリンでさえ、初見でそこまでは見抜けなかった。

 

 ただ炎を操っているのを見ただけで、神降ろしの系統だと見抜く? ありえない。

 

「……化け物め」

「そんなに褒めないでください。照れてしまいますよ」

 

 漏れ出た悪態に返されたのはすさまじい魔力の砲弾。

 精霊術の炎で燃やし尽くしながらすぐに瞬動で場所を変える。この男相手に立ち止まるのは危険なのだ。動きを止めれば容赦なく格闘での追撃を受ける。

 

 法条衛史郎は術の発動が速く、一撃の威力が高く、しかもそれすら囮にして格闘戦さえ仕掛けてくる厄介な敵だった。

 

「いつまで出し惜しみをするのですか? 長々と戦う余裕は君にはないはずですが。君はまだ本気ではない。舞台に上がった主人公が手を抜いていては興ざめです」

 

 瞬動で間合いを詰められ、槍にも劣らない鋭い手刀による突き。咄嗟に身を捻ってかわす。食らっていたら脇腹に穴が空いていただろう。

 

「弱者が力を惜しむなど、愚かすぎて失望すら感じますね。なにを考えているか予想はつきますが力を温存して僕に勝てると本気で思っていますか?」

 

 悔しさに歯を噛みしめる。

 確かに今の司では法条衛史郎に届かないのだ。

 

「天才は自分だけだと慢心していましたか? 自慢するわけではないですが僕も天才児ともてはやされていたのですよ?」

 

 蹴りを余裕をもってかわす。寸前でかわすのは危険だった。

 この男は格闘にさえ魔術を上乗せする。それもその気配を感じさせずに。それに気がつかなかった当初危うく腕を切り飛ばされるところだった。

 

 すでに司の手に槍はない。

 目の前の男の手によって切断され、失われた。

 藤宮一族が司のために用意した業物がまるで棒きれのように真っ二つにされた。

 

 そして格闘ではこの男に司は届かない。せめて槍があればまだ戦いになるだろうにと悔やむ。

 一本はどこかに吹き飛ばされた。一本は真っ二つに斬り裂かれた。予備を魔術で呼び出す隙などあるわけがない。

 

 魔術儀式停止のため、近衛木乃香の救出のために魔力を温存している余裕は残念ながらない。

 

「仕方ない……」

 

 司は決断した。

 先ほどとは違う。この男を倒せば木乃香を救える場所にいるのだ。ならば全力を出すべきだ。その上ですぐにでも魔術儀式を止める。手を抜いてだらだら戦いを長引かせればこちらが負けるのだ。

 

 全力でこの敵と戦った後に魔術儀式を止めるだけの余力があるのか。それはもう後で考えるしかない。この男を排除しなければそこへ辿り着けないのだから。

 

 光り輝く世界樹の存在を意識して若干げんなりする。

 正直、この馬鹿馬鹿しくなるほどの魔力をどうにかするのならば万全の状態でありたかった。けれどもうそんなことを言っている余裕がない。

 

『精霊憑依』

 

 身体を器に。

 その魂は友を抱くように受け入れる。

 

 その透明な杯に精霊という力の水を流し込む。

 杯に満たされた力の水は杯の色すら一時的に変える。

 

 精霊との同調能力では一族でも頂点にいる司の肉体はなんの障害もなく精霊の力に満たされる。

 

 衛史郎曰く『神降ろしの応用』、エヴァンジェリン曰く『人が使うのには過ぎた狂気の技』

 

 完成するのは司の奥の手の一つ。精霊憑依『炎王破邪』

 

 その身に炎を宿し、炎をその意志一つで操る上級精霊術。

 槍と炎を自在に操る師、菊池恭也の戦闘スタイルを参考に編み出した攻防一体の武器。

 

 その炎は身を守り、そして敵を焼き尽くす。

 

 エヴァンジェリンはこれを見たとき、唖然とし、直後腹を抱えて笑い転げた。

 

『まさかわたし以外にそんな気の違った技を使う人間がいるとは思わなかった。おまけに一族に代々伝わる術だと? どんな冗談だ! それなら藤宮一族とやらはすでに人ではありえぬであろうよ。おまえだけが例外ではない。人の身に精霊を降ろす? それは人であるのを辞めるようなものだ!』

 

 涙を流して笑い、なぜか怒り、それが済めばしばらくむっつりと考え込んで司に二、三質問すると納得したように肯いた。

 

『神の与えた術、神の加護がある一族か……だからまだ人でいられるのか? そもそもその『大神』とはなんだ?』

 

 そうぶつぶつと思考に没頭してしまったが。

 

「なるほど、確かにそれは『神降ろし』ですね。すでに半ば失われつつある太古の秘術の欠片。良い物を見させて貰いました。これだけでもこの馬鹿騒ぎを起こした甲斐があった。まさかこんな近くにその技を継承する一族がいるとは!」

 

 衛史郎は目を輝かせ、どこか浮かれたように喜びを露わにする。

 司はどこか心に引っかかるものを感じた。

 

 今までどれだけ楽しそうに語ろうとも飄々とした態度を崩さなかった男がこうまで喜び興奮している。

 違和感を覚えるし、心がひどくざわめく。

 

 もしかして彼は……神降ろしの技こそ欲していた?

 

 しかし藤宮の技はあくまで精霊術。本物の神降ろしの技ではない。彼の言うとおりその一欠片程度の技だろう。

 神をその身に宿す大魔術などもはや失われている。少なくとも一般的にはそう伝えられている。

 

「噂を聞きまさかとは思いました。藤宮の精霊術は精霊をその身に宿すほどに強力だと。でもまさか()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()とは……この世界も捨てたものではない」

 

 衛史郎は感慨深げに静かに呟く。

 

「神に見放されたかと絶望し、再び神の恩寵をこの目で見た。これほどの喜びを僕は知らない……」

 

 どこか呆然と、降って涌いた幸福を持てあますように衛史郎は静かな目で司を眺めていた。

 

「感謝しますよ。藤宮司君。とても良い物を見せてもらえた」

 

 よくわからないが、おそらく彼の個人的な目的が神降ろしの技に関する情報だったのだろう。

 

 現代で神を降ろす必要などまずない。なのになぜ彼はそれを求めているのか。

 

 司にはそれはわからないがこうして静かな瞳で見据えられると先ほどまでの狂気じみた愉快犯、快楽のみを貪る面影が薄れて、どこか生真面目そうな表情が垣間見える。

 

「さて、僕はもう満足しましたが……お爺様の願いですからね。もう少しだけ付き合うとしましょう。君には迷惑かもしれないですがね」

「満足したのなら退いて欲しいですね」

「そう言わないでください。僕にも義理やしがらみがあるのですよ。そして僕も西洋魔法使いが好きではない。ああ、そうだ。近衛木乃香に関してはあまり心配しなくていいですよ。常人ならともかくあれだけ破格の魔力保有者ですからね。まず危険はない。そうでなければお爺様が彼女を使うことを承知する訳もないでしょう。お爺様は君や近衛木乃香にだいぶ期待しているようでしたからね」

 

 先ほどとはうってかわって優しげに語りかけてくる。その様子は穏やかな好青年そのものだ。

 先ほど見せた愉快犯じみた物言いと誠実そうな優しさ。いったいどちらが本当の法条衛史郎なのか司にはわからない。

 

「さあ、お姫様をさらった悪党と主人公の一騎打ち。その幕引きの場面ですからね。拍子抜けさせないでくださいよ、司君!」

 

 口元に先ほどのような笑みを浮かべて襲いかかってくる。実に楽しそうに。先ほどのようにこの状況が楽しくて仕方がないといった笑顔で。

 

「よくわからない人だ……」

 

 理解出来ない人物に対する感情は脇に置いて、司は遠慮なく力を解放した。

 

 極東最高の魔力保有者の肩書きは伊達ではないと思わせるほどの炎の弾幕。絶える事ない炎の魔術がたった一人に向けられるには過剰なほどに放たれる。

 

「は、はっは……なるほど、これが『極東最高の魔力保有者』『藤宮の跡取り』の実力ですか。思わず嫉妬してしまうほど馬鹿げた力ですね!」

 

 拳で打ち払った炎の弾丸に肌を焼かれて、弾幕から逃げ回りながら衛史郎が愉快そうに笑う。周辺を焦土と化すような勢いに押し負けて空に逃げれば、司も空に舞い上がり空一面を炎の弾幕で彩る。

 

 砲台として撃ちまくる司と一撃の威力が圧倒的に上がったため防御が出来ずに逃げ回る衛史郎という構図。攻守の立場が入れ替わった。

 

 司が攻め、衛史郎が必死に避ける。

 

「さすがですね。お爺様があれだけ期待するのも理解出来る。これならば夢見てしまう。希望を託したくなる」

「……勝手に期待されても迷惑なのですが」

 

 司は衛史郎の言葉に不機嫌そうに応える。衛史郎は愉快そうに笑った。

 

「力持つ者は力ない者に羨望され、嫉妬され、利用され、排斥される。いつの世も変わらぬ人の世の有様でしょう」

「あなたも十分に力があるでしょうに」

「ええ、だからこそ僕は法条家に受け入れられた。力が無ければきっと誰にも省みられる事なく途方に暮れていたでしょう。いや、もしかしたら案外平穏に暮らせていたかもしれませんね。無力な一般人に混じって力ある選ばれた人物に羨望しながら、ね」

 

 反撃の魔力弾も司の炎の群れは飲み込み燃やし尽くす。

 かつてエヴァンジェリンの魔法を無力化した炎がそれこそ雨あられと撃ちだされるのだ。相手はたまったものではない。

 

『初見ならばタカミチにも勝てる』

 

 そうエヴァンジェリンに評された理由がこれだ。豊富な戦闘経験と確かな実力を持つ高畑がおそらく事前知識がなければ一方的に負けるだろう物量による飽和攻撃。

 

 豊富な魔力量と一流と言える魔術の技術。さらにそれを何倍にも増幅する精霊の憑依術。

 事前に対策をしていればまだしも、初見で対処出来るのはそれこそエヴァンジェリンのような最強クラスの人物ぐらいだろう。

 

 司よりも優れた格闘術を修め一流の魔術師である法条衛史郎をもってしても対処不能の『技ですらない数の暴力』に衛史郎は口元をほころばせた。

 

「ああ……すごいですね。これでこそ舞台上の主人公だ。主人公はこうでなければいけない。卑劣な悪党に負けるような主人公はいらない。劣勢でありながらもここぞという場面で勝利の手札を持ち、それを躊躇なく切れる。やはりこうでなくては美しくない」

 

 陶然とした口調。しかしその目にはどこか悲しげな、圧倒的な力を振るう司を羨むような色があった。

 

「格上の敵に今まで伏せていた実力を出し切って勝利する。まさに理想の物語です。君はきっとお姫様を救い。世界も救うのでしょうね」

 

 すでに回避も限界らしくあちこち被弾している。手数で押し切る弾幕でも当たれば十分なダメージを与えている。一撃の威力を高めた攻撃なら十分にこの男を打倒出来ると司は思考した。

 

「つまらない演目かと思いましたが予想外の登場人物に出会えた。ここで幕を引いてもきっと美しい光景が見られるに違いない。それに満足して僕は次の舞台に行きましょう」

 

 衛史郎は微笑んだ。その瞳はまるでこちらの姿を写し取るように真っ直ぐに向けられている。司はなぜか緊張した。理由はわからないがなにかが危険を感じた。

 

 確実に仕留める。

 

 そう決断したのはとっさの判断だった。

 この男を生かしておけばきっとまた大変なことになる。

 

「司君。君が僕の舞台に来ることを祈っていますよ? 君ならばきっと『救える』だろう。きっと救ってしまうのでしょうね……そうでしょう()()()?」

 

 ぞわっと怖気が走った。

 あの男はなんと言った? 一体誰の名を呼んだ?

 

 シズクとは、『雫』とは『天ノ雫』と呼ばれる藤宮の『大神』の名。

 藤宮に迎えられた夕映やのどかでさえ知らされていない名前。なぜ部外者が知っている? 藤宮の人間でも限られた者しか知らない。一般には『大神』としか知られていない名をなぜ知っている?

 

 殺すべきだ。

 

 そう強く決心する。

 

 心が、魂が。危険をがなり立てる。

 理屈などわからない。理由も理解出来ない。ただ危険だと本能のように突き動かさせる。危険だから殺せと。

 

 明確な殺意を露わにした司の頭上に特大の火炎の玉が形成されるのを見て、衛史郎は懐の転移符に密かに魔力を通した。

 

「もし君が、僕の世界にいてくれたならば……」

 

 悲しげな呟きは誰の耳にも届く事なく消えていった。

 



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第二十二話 老兵の最後

「ふむ、そろそろ底が見えてきたか」

 

 空中から麻帆良の町を、そこを闊歩する鬼の軍勢を眺め降ろしてエヴァンジェリンは不機嫌そうに鼻を鳴らした。

 

 鬼の軍勢の圧力が弱くなっている。

 疲労した魔法使いたちでもなんとか戦線を押し上げている。

 

 当初は倒しても倒しても湧いて出てくるように押し寄せた鬼達。

 それがあきらかに数を減らしている。

 

 空から見下ろすエヴァンジェリンにはそれがはっきりと見える。離れた場所で戦っている茶々丸からも敵の勢いが弱まっているという報告が来ている。

 

 これだけの鬼の召喚などたいした手並みだったがさすがに無限に召喚するなどといった非常識は出来なかったらしい。

 

 簡単に言えば魔力が底をついたのだろう。

 

「つまらん。これならばじじいに任せてわたしも世界樹に行けば良かった」

 

 鬼にやられそうになっている魔法生徒を無詠唱の魔法の射手で助けながら眉間にしわを寄せる。

 

 最初こそ久し振りに大暴れ出来るのでハイテンションだった。

 だが手応えのないくせに数ばかり多い敵と、足ばかり引っ張る味方のフォローばかりでまったく楽しくなかった。

 

 おまけにこれだけの大事を行った召喚者である魔術師の顔すら見ていない。

 その力量に多少の興味があっただけに失望感で苛立っていた。

 

「こういう事はタカミチの仕事だろうに。わたしは警備員をやめたんだぞ」

 

 この場にいない男の老け顔を思い浮かべて悪態をつく。

 これは酒の一本や二本では割に合わない。

 

「さてじじいとタカミチにはこの埋め合わせをどうつけさせようか」

 

 腕を組んでどうしてくれようかと二人で遊ぶことを考えながらも絶え間なく魔法で鬼達を滅ぼしていく。

 

 それにしても……。

 

「……あいつらはなんなんだ?」

 

 こちらをときどき輝くような瞳で見つめる年若い魔法生徒たち。その視線に居心地の悪さを感じながらもとりあえず自分から買って出た役目は果たすエヴァンジェリンだった。

 

 

 

 

「なるほど、司さんは正しかったわけだ」

 

 世界樹広場前で桜咲刹那は自分と戦う剣士の実力に内心驚いていた。そして納得した。

 

 この場でこの剣士と術者を倒すよりも、先行して魔術儀式を止めて木乃香を救出した方がいい。

 下手に戦うことを選べばこの敵は負けない戦いに終始し、徹底的にこちらの足止めをしてきただろう。そのぐらいの実力はある。

 

「あの二人も良くやっている……本当につい最近まで素人だったのか?」

 

 綾瀬夕映と宮崎のどかの戦いをちらりと見やって感心する。

 二人は連携して術者を完全に封じ込めていた。おかげで刹那はなんの心配もなく少年剣士相手に戦えるのだ。

 

 正直とても最近まで素人だった見習いには思えない。

 

「余所見とはたいした余裕だ」

「貴様は確かにたいした腕だが、司さんほどではない」

 

 稽古で剣を交える機会もあった。学ぶことの多い実りある時間だった。

 

 さすが神鳴流の本家、青山家が皆伝を認めるだけのことはある。

 そう素直に司を尊敬した。

 

 今日はなぜか剣ではなく槍を持っていたのが少し残念だったが。

 

「司さんならきっとお嬢様を救ってくださる……」

 

 叶うならば自らの手で救いたい。

 弁解の余地もない失態を犯した身としてはそれぐらいしなければ申し訳なさ過ぎて合わせる顔がない。

 

 守ると心に誓った幼なじみにも、自分にこんな大役を任せてくれた西の長にも。

 

 しかしわがままを言える状況ではないのだ。

 せめて与えられた役目はきちんと果たしてみせる。

 

「こんな私を信頼しこの場を任せてくださった。せめてその期待には応えさせて貰う!」

 

 負ける気はしない。

 

 自分の最愛の幼なじみ、近衛木乃香を救うために。

 任せられた戦場で敗北など出来はしない。

 

 

 

 

「のどか!」

「うん!」

 

 親友に声をかければまるで心がわかるかのように適確なフォローが来る。

 これも厳しい訓練の賜物だと思うと司とエヴァンジェリンには頭が上がらない。綾瀬夕映はここまで鍛え上げてくれた二人に感謝していた。

 

 正直なところもう少し優しくしてくれても……と思ったりはしたけど。

 

 特にエヴァンジェリンとチャチャゼロ。あの金髪吸血鬼と刃物人形には何度殺されると絶望したか……。

 

「まったく……藤宮の精霊術は予想以上に厄介ですね」

 

 ほぼ同年代と思われる敵はそう愚痴っている。少女の美しい顔立ちは不機嫌さを露わにしてもやはり絵になった。

 

 外見がいいのは得ですね。そんな場違いな感想を持つ。

 

 前衛を引きはがされた後衛型に二人がかりという状況。

 そんな有利な条件のおかげで互角に戦えていた。一対一ならまず勝てない相手だったろう。

 

 美人で才能があっておまけに名家の生まれ?

 木乃香さんに嫉妬しているみたいなことを言っていましたが、あなただって恵まれているでしょうに。

 

 私が昔、なんて呼ばれたかわかりますか?

 デコ助とかデコっぱちですよ? なんなんですかそれは。おでこが広いくらい個性でしょうに。

 

 おまけにあまり背ものびないですし……女性的発育に関してはきっと未来があると半分泣きながら自分に言い聞かせているのですよ?

 

「夕映? だいじょうぶ?」

 

 どうやらのどかに心配をかけてしまうほど不審だったらしいと夕映はこっそり落ち込んだ。

 

「大丈夫です。のどか」

 

 少しだけ親友を振り返り笑顔を浮かべる。

 花がほころぶような笑顔を返してくれた。それだけで胸の内が晴れて温かく感じる。

 

 本当にのどかは可愛くなったと夕映は思う。

 

 以前は前髪を長くして顔を隠しがちだった。おかげでどこか暗い印象があった。

 けれど最近は前髪を少し切り、可愛らしい顔がはっきりと見える。おかげで普通に美少女揃いのクラスでも通用する可愛らしさを持っている。

 

 気持ちを切り替えて漆黒の槍を構える。

 さんざん鍛えられたおかげで少しは様になってきたと思う。少なくとも槍を振り回して取り落とすような無様はもうしない。たぶん。

 

「のどか、このまま桜咲さんが勝つまで押さえ込むです」

「うん、無理に勝とうとするよりもその方がいいね」

 

 冷静に状況を分析する。

 結果、自分たちが無理に勝ちに行く必要はないと判断した。

 

 司が先に行ったことで夕映達は目的の半分を果たしている。彼ならばきっとこの魔術儀式を止めて木乃香を助けてくれると信じていた。

 

 後はこの二人を足止めすればいい。

 桜咲刹那が勝利すれば三対一。無理せずに勝てるだろう。

 

「あと少しです。がんばるですよ」

「うん、きっと大丈夫だよ」

 

 二人で声をかけあう。

 うん、きっと大丈夫だ。

 

「あれ……なにこれ?」

 

 その時後ろからどこか困惑したような声をかけられて二人は愕然と振り返ってしまった。

 

 それはここにいないはずの人だったから、それは知り合いだったから。

 

「……ほ、本屋ちゃんに夕映ちゃん。そんな格好してなにしてるの?」

 

 そこには驚いたような表情の神楽坂明日菜がいた。

 予想外の事態に夕映ものどかも動きを止めてしまう。思考すら真っ白になってしまった。

 

 一般人は屋内にいるはずでは……?

 ここに向かう途中でそう聞いている。だからこれ以上一般人に被害は出ないと。

 

 なら関係者なのか? とてもそうは見えない緊張感のなさだが。

 

 思考能力が自分の強みだ。だが考えすぎるのは弱点につながるとも指摘されてはいた。

 

 さまざまな可能性を考え、思考に没頭しかけた夕映。

 どうしていいかわからないのどか。

 

 その隙を法条佳奈子は見逃さなかった。魔術のかけられた短刀を二人の少女に向かって投げつける。

 

 一瞬の早業で投げられた短刀の数は六。

 

 その気配に慌てて振り返った夕映は悲鳴を上げかけるほど驚いた。

 

 強力な魔力がこめられた武器。おそらく敵の切り札か隠し武器。

 あれは危険だ。この身を守り続けてきた高い防御効果のあるマントや護符もどこまで効果があるか……。

 

 自分の心配をするよりもまず気をそらしているだろう親友に声をかける。

 

「のどか!」

 

 親友を助ける余裕がない。

 

 高速で飛んでくる複数の飛び道具。

 それを槍で叩き落とす技量は自分にはない。のどかにも無理だろう。

 

 迫り来る三つの短刀の刃に夕映は背筋が凍りつく感覚を味わった。

 

 

 

 

「さて、どうしたものかの」

 

 麻帆良の上空で対峙する近衛近右衛門は遠目に麻帆良を攻める鬼の軍勢が崩れていくのを確認して安堵していた。

 

 司も心配だが、あちらには助っ人も送った。

 よほどのことがなければ大丈夫だろうと考える。

 

 むしろエヴァンジェリンの方が心配だった。

 

 実力は司よりも信頼出来る。だが彼女の悪名を知る人間が前線には多くいる。

 魔法先生達と一部の魔法生徒。彼らがエヴァンジェリンを敵と認識したら目も当てられない惨事になっただろう。

 

 敵を前にそんな愚かなことはしないだろうと考えてはいたがやはり不安ではあった。どうやら杞憂だったようだが。

 

「後はあちらか……まぁ、あの子ならばなんとかするだろうがの」

 

 そんな無条件の信頼が自分でもおかしく思える。客観的に見ればどれだけ実力者でもまだ中学生の子供だ。この状況で無条件に信じるには幼すぎる。

 

 しかし信じてしまう。それがすとんと胸に納まるのが自然であると思える。

 本当に不思議な子だ。

 

 対峙する法条家当主、法条源助は荒れる呼吸をなんとか静めつつも胸の内に空虚さが広がるのを抑えきれなかった。

 

「やはり『極東最強』は強いな……わしでは届かぬか」

「降伏してくれぬか? 一門にもけして無体な真似はせぬよ」

 

 二人の勝負は単純な力比べになった。

 真っ正面から近衛近右衛門に勝つことを法条源助は望んだ。

 

「……わしは負けたか」

「降伏を受け入れると言うことで良いな?」

 

 その言葉に源助は微かに笑った。

 

「わしは負けた……力が足りなかった。それは仕方がない」

 

 どこか満足げな笑みに近右衛門は警戒した。まさかなにか隠し球でもあるのかと。

 しかし源助はぶらりと力なく空中に立っているだけだった。

 

「だが近右衛門よ。お主はこのままでいいのか?」

「このままとは?」

「この期に及んで余計な問答をさせるな。わしは疲れておるのだ」

 

 相手の真意を探ろうとする言葉を笑って受け流される。

 

 意外だった。

 どちらかといえば頑迷な老人だったはずだ。それがなにやら知己のような気安い笑顔で語りかけてくる。

 

「お主がいかに理想を語ろうとも東西和平の先にあるのは西洋魔法使いによる支配になる。お主もわかっておるだろう?」

「それは……」

「西洋魔法使いどもが皆お主のようであるわけがない。互いに手を握り、友のように語らい力を合わせて繁栄する。素晴らしい理想だ……だが夢に過ぎぬよ」

 

 嘲笑うでもなく心底その理想に憧れながらも不可能だと諭すような口調。

 近右衛門は胸をつかれる思いだった。

 

「お主がどれほど手配りしようとも、お主はしょせん極東の実力者に過ぎぬ。地球における西洋魔法使いの代表でさえなく、本国とやらに至っては貴様の願いなど気にもかけまい」

 

 反論など出来るわけがない。

 まったくその通りなのだから。

 

「本当にいいのか? このままではこの日の本は……いやこの世界は、魔法世界とやらに引っ込んで囀る連中の食い物にされるのだぞ?」

「そのような事、させはせぬよ」

「ならいいがな……」

 

 近右衛門は源助の異変に目を見開いた。

 

「お主、それはどうした!」

「ああ、これか? いささか無茶をやった代償よ。お主も知っておろう。身の丈に合わぬ魔術は心身を、魂すらも食いつぶすと」

 

 源助の腕が石のように色彩を失い。砂のように崩れていく。

 はっと近右衛門の脳裏に莫大な、異常とも思える鬼の軍勢が思い浮かんだ。

 

 あれほどの鬼の大軍。極東最高の魔力量を誇る木乃香や司であっても独力では呼べまい。

 

「お主、身を捨ててあの軍勢を呼んだのか……」

 

 そしてそんな身体で自分と戦ったのか。

 身を捨てて戦争を仕掛け、自身が万全でないことを承知で挑んできた。

 

 近右衛門はなんとも言えぬ寂寥感を感じた。

 

「お主ほどの男が、なんという短慮を……お主がおれば東西和平が成っても日本の魔術師を守るくらい出来ただろうに」

「わしには無理だ。貴様が嫌いだからな」

 

 むしろ楽しげに笑い飛ばされた。

 本当にこの男は自分を嫌っているのかと疑問に思うほど陽気な声だった。

 

「わしには無理だった。わしと共におった年寄り達にも不可能だった。だから命を捨てて賭けることにした」

「お主、一族の者にも命を捨てさせたか」

「ふん、どいつもこいつも石頭の馬鹿ばかり。わし一人でやるというのに勝手についてきおった損得勘定の出来ぬ老いぼれどもよ……若い者達はさすがに参加させなかった。こんな下らぬ意地を張って死ぬのは年寄りだけでよい」

 

 これは法条家の古い世代の最後の反抗じゃったか。

 

 近右衛門はいまさらながら彼ら日本の魔術師、それを束ねる一族をもっと大事に扱うべきだったと後悔した。

 

「孫達には失敗したら逃げろと言った。あれは目端の利く男だから逃げおおせるだろう。いささか腹の底が読めぬがたいした実力者だ」

 

 なんの苦痛すら見せずに関東でも名門の当主の身体が崩れ、風に吹かれて散っていく。

 

「あれはきっと日本を守るためにまだ戦い続けるだろう。いや、あれの頭にあるのは日本ではなくこの世界かもしれん……それでもよい。希望は残る。西洋魔法使いの横暴に立ち向かう男がいる。本当に良い拾い物だったな」

「拾い物とは?」

「衛史郎はわしの息子の養子だ。血は繋がっておらぬよ……まったくあの馬鹿息子はあんな男をどこで拾ってきたのやら、しかも次期当主にしたいなどと。その才能欲しさにそれを許したわしもたいがいだがな。しょせん馬鹿者どもの集まりだったのだな。我が一族は」

 

 近右衛門は姿勢を正して老魔術師に約束した。

 

「けして法条家に無体な真似はせぬ。わしの名において約束する」

「ふん、そんな事をしては弱腰の誹りを受けるぞ?」

「いまさらじゃな」

「そうか、いまさらか」

 

 関西呪術協会との決着をつけずに和平を目指している。

 それだけでも麻帆良の魔法使いはともかく、本国からは弱腰と強硬派から非難を受けているのだからいまさらだ。

 

「藤宮の跡取りに、関西の姫、それに衛史郎に佳奈子。きっとわしに出来なかったこともやってくれるだろうよ」

「子供達に西洋魔法使い打倒を託すのかの」

 

 法条源助は近右衛門の問いに無邪気な子供のような笑みを浮かべた。

 

「わしがあの子達に託すのは……ただこの美しい国が平和であることよ」

 

 和平だろうと戦争だろうと、その先にこの日の本と魔術師達の平穏と繁栄があるのならばかまうものか。

 

 その言葉を最後に、法条家当主の姿は崩れて消える。

 近右衛門は一人きりになったその場でただ立ち尽くしていた。

 

「またこの国を、この世界を守れる実力者が逝ってしもうたか……せめて後始末ぐらいは手伝っていけばよいものを。すべてわしと子供達に放り投げおって」

 

 厄介ごとをこちらに押しつけて勝手に黄泉の国に去った老人。

 その人の悪い笑顔を、頑固そうなしわだらけの顔を、日本を守るという気概にあふれた姿を幻視する。

 

「……馬鹿者が」

 

 寂しげにそう吐き出すと。近右衛門は世界樹へと夜の空を舞った。

 



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第二十三話 藤宮の少年

「さようなら、また会いましょう。司君」

 

 そう微笑んで青年は姿を消した。

 今まさに自身を焼き尽くす大魔術が迫っていても彼は平然たるものだった。

 

 その姿を直接見たわけではない。自分が放った巨大な炎にさえぎられ見えるはずもない。

 

 しかしその声は確かに耳に届いた。

 まるでその光景をこの目で見ているかのようだった。なんの危機も問題もないと言いたげな青年の笑顔が脳裏にこびりつく。

 

 法条衛史郎。

 

 司の必殺を狙った大魔術。

 彼は転移魔術で逃げ去って見せた。鮮やかな手並みだった。事前に逃げる用意もしていたのだろう。

 

 あるいは最大威力など求めずに手数で押し切れば殺せていたかもしれない。徹底的に素早い手数で攻めきれば逃げ出す隙もなかっただろう。

 

 彼はなにを知っていたのか。そして彼はいったいどういう人間だったのか。

 

「よくわからない人だった」

 

 そう首を振る。

 目的は果たしたのだと自分を納得させた。それでも考えてしまう。それほど印象深い人だった。

 

 ただ楽しむことだけを求めているかのように振る舞い。

 しかし真面目で穏やかな笑顔を見せた青年の顔が消えてくれない。

 

 不思議な人だった。人間性の事だけではない。

 

 今思うと彼は全力で戦っていたのだろうか。

 

 全力で殺しに来れば自分では勝てなかったのではないかという凄みがあった気がする。

 当初圧倒されたのも思えば本当に全力だったのか、自分より一段上程度の実力であしらわれた。思い返すとそんな考えばかりが浮かんでくる。

 

「彼は、なにをしたかったのだろう……」

 

 あるいはこの騒動などどうでもよかったのだろうか。だとしたら自分はなんのために戦ったのだろうか。

 

 徒労感だけが背を重くする。

 

「……今は木乃香さんのことだ」

 

 そう割り切ろう。

 悩むことは後で出来る。今はきっと怖がっているだろう彼女を助け出そう。

 

 世界樹に向かって歩く。

 自分の足がこんなに重いことに少し驚き、困惑し、気が沈んだ。

 

 たった一戦しただけでここまで疲労している。

 魔力も多少減ったがこの体力の消耗は自分の未熟さそのものだ。

 

 実戦をろくに知らない子供。

 

 命のかかった実戦を一戦しただけで、まだ魔術師としては余力があるはずなのにこんなに消耗している未熟者。

 

 魔力ではなく。精神的な部分で体力が削られていると自己分析する。

 両親や一族に鍛えられた自分。その不甲斐なさに涙が流れそうな程悔しい。

 

 もっとがんばらないと。

 

 そう決意して顔を上げる。落ち込む事も反省する事も後で出来る。

 

「あと少しなんだ……がんばらないと。夕映さんやのどかさんもきっとがんばっている。大丈夫かな? ……大丈夫なはずだ。きっと」

 

 世界樹の側に立ち、その魔術儀式を解析する。

 その膨大な魔力に頭痛すら感じた。魔力を感じすぎて感覚が狂いそうになる。

 

 予想以上の魔力だった。それほど世界樹は途方もないほどの魔力を集めている。

 

「なんとかなるかな? なんとかするしかない……これはちょっとまずい」

 

 下手に暴発すれば麻帆良が地図から消えかねない。

 さすが異世界にあるという魔法世界を滅ぼすと豪語する魔術儀式だ。法条一門は確かに関東の名門たる実力を持っていたと感心した。

 

 失敗は出来ない。自分の失敗は自身だけでなくこの地に尋常でない災厄をもたらす。

 ならば最初から奥の手を使うべきだ。出し惜しみをして失敗しては話にもならない。

 

 衛史郎との戦いだって出し惜しみした結果、敵から忠告される無様を晒したから余計にそう思う。

 

 覚悟を決めて集中する。

 思い描くのは故郷。かつて幼い日に舞ったあの神域。あの日に体験した感覚。

 そして知り合った一族の守り神の女性。その無邪気で悪戯っぽい笑顔。

 

「藤宮を守護する太古の精霊よ。我らが大神よ」

 

 司の詠唱が響き渡る。

 女性に近い高めの澄んだ声で紡がれる神にささげる言の葉。

 

「大神の子が一人。我らが母に願う」

 

 藤宮一族は等しく大神の子供達。

 彼女が愛おしむ人の子ら。

 

 彼女が知恵を与え、力を与え、見守り続けた子供達の血族。

 

「我が前に災いあり、非力な子は母に救いを求める」

 

 ちっぽけな力を磨き続けて小さな繁栄を守ってきた子供達。

 そんな自分たちを愛する女神に縋る。

 

「どうかその手を。子の願いを叶えるために、母の慈悲を」

 

 ふざけた性格をしているが、長い歴史の中で一族を見守り続けてきた一族の母に。

 

 どうか助けてください。と。

 

『仕方のない子だね』

 

 言葉とは裏腹にどこか嬉しそうな。楽しげな声が頭に響く。

 そしてこの身にありえない程の存在感が宿った。

 

 

 

 一族の秘術。

 最後の一手。

 神に縋り、その慈悲を願う。藤宮の精霊術の究極にして原点。

 

 精霊術を『神降ろし』と看破した法条衛史郎は間違っていない。

 それこそが藤宮一族のはじまりだったのだから。

 

 そして自由自在に神を降ろす事は叶わないが、一族の守護神である『大神』をその身に降ろして奇跡を起こす術は確かに受け継がれている。

 

 精霊を操る術などその派生に過ぎない。司はそう聞いていた。

 藤宮の『精霊術』は太古の精霊『大神』をその身に宿して奇跡を起こす秘技であると。

 

 

 

 目の前には途方もない魔力を秘める世界樹。

 正直正面から手をつけたら命がいくつあっても足りない。

 

「それでもやると決めたのだから、ね」

 

 男の子ならきちんとやりとげないと。

 

 司はそう穏やかな笑みを浮かべて世界樹の魔力に干渉する。

 まだこの状態で戦闘を行うほどの能力はない。けれどこの程度はこなしてみせる。

 

 自分という強力な力を使い世界樹の魔力を世界に還す。

 世界からかき集めた魔力を、さらに別の道筋を作って世界へ還す。

 

 法条だってこの世界樹の占領からごく短時間でこの魔術儀式を完成させた。なら自分だってと奮起する。

 

 一族の守り神の力を借りてようやく可能な大魔術。

 司は世界樹に祈る巫女のように、力強く輝く世界樹に手を差しのべた。

 

 

 

 麻帆良で戦う魔法使いたちはそれに気がついた。

 

「……学園長か?」

 

 ガンドルフィーニは肩で息をしながらも世界樹の方を振り向いた。

 

 世界樹から感じられる魔力が減っていくのだ。先ほどまで力が増すばかりだったが今は徐々に力を弱めている。

 

 それにどのような意味があったのかは知らないが間違いなく敵の手によるものだろう。あるいはこの鬼の軍勢の魔力源として利用されていた可能性もあるとガンドルフィーニは考えていた。

 

 それを誰かがなんとかしたのだと考えると真っ先に思い浮かぶのは近衛近右衛門だった。

 

「結局私はなにも出来なかったな……」

 

 疲労と無力感に膝をつきたくなる。

 この戦いほど彼の心を苛んだものはなかった。

 

 学園最強の戦力は不在。最強の守りと信じた結界は攻略される。

 そして自分たちは敵を倒しきる事も出来ずに子供達を戦いに巻き込み、犠牲すら出している。

 

「……自分の弱さがここまで憎いのは初めてだよ」

 

 自分がもっと強ければ。いざとなれば高畑や学園長がいるなどと安心せずにもっと鍛えていれば。

 

「僕も、戦いが苦手だからと言っていた自分を殴りたい気分ですよ」

 

 すぐ近くで戦っていた瀬流彦が普段は温和な表情に苦い色を浮かべていた。

 

「我々は勝ったのか……?」

 

 周囲を見れば鬼の軍勢もすでに壊滅状態。これならば直に掃討出来るだろう。

 別の場所で戦っていたはずの瀬流彦が側にいるのも鬼達の残党を追っているうちに合流してしまったからだ。それだけ敵は数を減らしている。

 

「たぶんそうでしょう。エヴァンジェリンのおかげでこちらもなんとかなりましたし、あっちもたぶん学園長が手を打ったんでしょうし」

「闇の福音か……」

「そう難しく考える必要はないんじゃないでしょうか? 彼女も麻帆良の生活できっと変わったんですよ」

 

 今ひとつエヴァンジェリンを信じ切れていなかったガンドルフィーニは彼女が自分達を助けてくれるなど想像もしていなかった。

 だからこそ少々思うところがあった。

 

「我々も変わらなければならない。そういう事なのかもしれない」

「そうかもしれませんね」

 

 瀬流彦は困ったように苦笑していた。

 彼は自分が闇の福音を受け入れがたく思っていると想像したのだろう。そう思われても仕方のない自分の言動を思えば文句も言えない。

 

 しかしガンドルフィーニとて馬鹿でもなければ恩知らずでもない。

 助ける義理などないだろうにこちらを救ってくれた。そんな彼女に一方的に反発するほど頑迷ではないつもりだ。

 

 それに闇の福音の事を知らない多くの魔法生徒から見れば彼女は紛れもなく命の恩人であり、英雄だ。

 事情を知るものでさえ恩に感じているかもしれないほど彼女の助力は大きかった。

 

「……麻帆良も大きく変わるのかもしれない」

 

 そんな予感をガンドルフィーニは感じていた。

 

 そして自分も変わらなければ、もっと強くならなければと決意する。こんな事は二度と起こしてはならない。そのために努力するのは大人として当然の事だ。

 

 彼の魔法使いとしての感覚は世界樹の魔力がほぼ通常の状態に戻っていくのを感じていた。

 

 

 

 まどろみから目覚めたとき、その目に入ってきたのは想像していた優しい顔だった。

 

「やっぱり司君やったか……」

 

 そうぼんやりと呟く。

 眠りに落ちながらも誰かの気配を感じていた。

 

 それはよく知っている人で、温かく優しい人の気配だった。

 

「ありがとなぁ……たすけてくれて……ほんまに、ありがと……」

 

 彼の胸元に頭を寄せて、彼の温もりに抱かれて木乃香はぼんやりと考えた。

 

 ああ、これお姫さま抱っこやん。

 司君も案外隅に置けんわ。

 

「大丈夫ですか?」

「うちはだいじょうぶ。司君の方こそだいじょうぶなん? なんだかわからんけど、疲れ取るように見えるで」

 

 女の子のような顔に手を当てる。柔らかい頬の感触を楽しみつつも彼の雰囲気がいつもと多少違う事を感じていた。

 

「少し休めば大丈夫です……本当に無事でよかった」

「囚われのお姫さまは王子様にきちんと助けられるもんなんやで?」

 

 その言葉に司は微かに笑った。

 笑顔にいつもの暖かさとほんの少しの男らしさを感じて木乃香は胸が高鳴った。

 

 ああ、こういう場面やったら感激して抱きついたり、感謝のキスくらいするべきやろか?

 

「……あかん、恥ずかしすぎてダメや」

「どうしたんです?」

「なんでもあらへんよ、なんでもあらへん……」

 

 不思議そうな顔をする司に恥ずかしくなってつい顔を背ける。

 

 自分でもわかるほど顔が熱い。きっとトマトみたいに真っ赤だろう。

 

 うちがこんなに恥ずかしい思いをしとるのに、この男はなに平然としとるんや?

 仮にも女の子を抱いていて顔色一つ変えんて……ちょっとイラッとくるんやけど。

 

 だからほんの少しの意趣返し、ちょっとした悪戯のつもりだった。

 

「ありがとな。王子様」

 

 彼の首に腕を回して顔を近づける。一瞬だけ唇に柔らかな肌の感触が伝わってくる。目を開けてみるともうちょっとで唇と唇が重なっていたかもという微妙な位置だった。

 

 死ぬほど恥ずかしかったが、澄まし顔で相手の表情をうかがう。

 理解出来ないという顔をしていた彼が、次の瞬間火がついたように真っ赤になった。

 

「え? ……え?」

 

 なにやら真っ赤になって狼狽えはじめた様子に木乃香はしてやったりと微笑んだ。

 そして真っ赤になってあうあう言っている女の子のような可愛い男の子の姿になにやら胸が高鳴った。

 

「……なんやのこの可愛い生き物。こうキュンキュンくるなぁ」

 

 抱き上げた木乃香を放り出す事も出来ず。お姫さま抱っこの姿勢のまま狼狽え続ける司。どうしたらいいのかわからないのだろう。もうほとんど涙目だ。

 

 そんな普段見られない純情少年な狼狽っぷりを木乃香はおおいに楽しんで、満足していた。

 

 ちゃんと男の子やったんやなぁ……それにしても可愛いなぁ、お持ち帰り出来へんかな。

 



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第二十四話 戦争の終結

 戦闘が終了した。

 

 鬼の軍勢は討ち果たされ、魔術儀式は停止して世界樹は普段の姿に戻り、近衛木乃香は救い出された。

 

 かなりの被害を出しつつも麻帆良は守られ法条一門の計画は阻止された。

 魔法関係者だけでもかなりの負傷者がでた。死者すらいたと聞いている。

 

 夕映、のどかも負傷したらしいが渡しておいた呪符を使って治癒したらしい。

 二人の無事な姿を見て司は安堵した。信頼はしていたつもりだがやはり心配だったのだ。

 

 対峙していた敵に逃げられてしまった事を詫びていたが、むしろ格上の敵を初陣の二人に任せた自分の責任だった。だから気にする事はないと言っても二人の表情は晴れなかった。

 

 二人の話で戦闘に一般人が巻き込まれかけたと聞き。司はその話をそのまま近右衛門に報告してその一般人の処置を頼んだ。

 

 魔法バレしたのは神楽坂明日菜。司の知り合いであり、木乃香の親友だ。

 

 さらに二人の同級生が彼女を追っていたらしい。しかし魔法使いも驚く身体能力を持つ明日菜に追いつけずに置いてけぼりを食らったところを警戒中の魔法生徒に保護されていた。

 

 麻帆良で起きた魔法バレ、しかもこれだけの大事件に巻き込まれかけた一般人。

 

 司としてはたとえ知り合いであっても口出しは難しかった。なのでせめて近右衛門に直接報告してなるべく穏便な処置をと頼むぐらいしか出来ない。

 

 夕映とのどかの件はエヴァンジェリンや司の立場、状況が特殊だった。だからこその例外的処置に過ぎない。

 

「明日菜さん。大丈夫だといいけど」

 

 司がそう心配すると夕映は素っ気なく言った。

 

「心配しなくてもきっと大丈夫ですよ」

 

 そんな夕映をのどかがなにか言いたげに見ていたのが気になったが。

 

 

 

 誰もが忙しく働いていた。

 なにしろ麻帆良で戦争と言うべき規模の戦いが起きたのだ。やるべき事はたくさんある。

 

 麻帆良を守る結界の復旧。残党がいないか警戒のための見回りの強化。負傷者の治療。犠牲者の供養。一般人への魔法バレ対策。混乱に乗じて事を起こそうとする不穏分子への警戒などなど。

 

 魔法先生は負傷や疲労など感じさせないほどに忙しく飛びまわり、その姿を見た魔法生徒も積極的に協力していた。

 

 そして司は麻帆良にとってお客さん。つまりは部外者である。

 司の立場では出来る事は限られている。手伝えた事は負傷者の治療ぐらいだ。

 

 治癒魔術の使い手が麻帆良所属だろうが外部の人間だろうが違いなどない。気にしている余裕もない。

 

 治癒魔術も得意で、重傷であろうとも治癒出来る司。

 部外者だろうとこの際関係ない。どうせ機密とは無縁の仕事だとかなり頼りにされた。

 

 結果すさまじく忙しく働く羽目になった。普通の魔法使いなら魔力が少なくなれば休める。だが司の魔力量は極東最大。比べるのも馬鹿らしいほどある。

 

 おかげでろくに休みもなく負傷者の治療を続ける羽目になった。

 人の役に立つのだし、怪我をして苦しんでいる人を救えるのだからやりがいはあったが……それでも疲れるのだ。多少は休ませて欲しかった。

 

 

 

「ようやく落ち着いてきましたね……」

「ああ、ここ数日はずいぶん慌ただしかったがようやく落ち着いてきた」

 

 さすがに疲れを見せる司にエヴァンジェリンは言葉通りにようやく落ち着けたとばかりにのんびり紅茶を飲んでいた。

 

 数日のばたばたした日々が過ぎるとようやく落ち着ける時間がとれた。なので司達はエヴァンジェリンの家で思い思いにくつろがせて貰っていた。

 

 夕映とのどかも茶々丸にお茶をいれて貰い。お菓子を食べてくつろいでいる。

 

「そういえば神楽坂明日菜の処遇が決まったらしいぞ?」

「どうなりました?」

「魔法の事は口外しない約束で特に対処は無しだ。以後は魔法を知る一般人という扱いになるらしい」

「そうですか」

 

 少し安心した顔を見せた司にエヴァンジェリンは意地悪い笑みを浮かべた。

 

「だいぶ揉めたらしいぞ? クラスメイトが記憶処置されたと聞いて大暴れしたらしい」

「えっと……和泉さんと佐々木さんでしたか?」

「そうです。明日菜さんを追いかけるために寮を出て魔法生徒に保護されたそうです」

 

 夕映がそう司に説明する。夜道でうろついているのを魔法生徒に保護され、その場で簡単な記憶操作をされそのまま寮に戻されたらしい。

 

 事態が落ち着いてから改めて魔法先生が面接を行い。あの夜の記憶を封印して元の生活に戻したそうだ。

 

 どこに揉める要素があるのか司にはわからなかった。かなり穏便な処置だ。

 少なくとも魔法バレしたから弟子にさせるなどという非常識よりははるかにまともな対処だろう。

 

「なにか問題が?」

「生粋の魔術師の生まれであるおまえにはわからんだろうな。神楽坂明日菜の立場に立って見ればただ夜道を歩いていただけの友人が捕まって、得体の知れない連中に頭の中を弄られたのだぞ? 向こう見ずな正義感だけは強い小娘が騒ぐのには十分な理由だろう」

 

 そう言われて司は納得した。

 確かになにも知らない一般人からすれば魔法使いやその組織を無条件で信頼出来るはずもない。記憶を弄ると言えばむしろ悪い方向に想像してしまうだろう。

 

「よく記憶処置の対象になりませんでしたね」

 

 こちらを信用せず。むしろ敵意を見せたのならばそうなりそうなものだ。

 

 友人として思うところもあるし、ささやかながら口添えもした。

 だが魔術や魔法の秘匿から考えればこちらを信用せず不信感を抱えている人物を野放しにするのはどうかと思う。

 

 記憶封印の後、一般人にもどす。それが一番妥当な気がする。

 実際彼女の友人達にはそう対処している。明日菜だけ記憶を残すという判断は正直納得いかないものがある。

 

「そういう意見もあった……いやそれが多勢だった。しかしタカミチが帰ってきてな。あいつが説得することで納得させたらしい」

 

 ああ、あのダンディー先生か。不精髭の中年男性の顔を思い浮かべる。

 

 親しいようだったし彼の言う事なら聞いたのだろう。しかしなぜ彼女だけ記憶を残すのかという疑問は残る。

 

「おまえは神楽坂明日菜と親しいのか?」

「ええ、友人ではありますね。それがなにか?」

 

 司の答えにエヴァンジェリンは小さく笑った。

 

「友人を大切にするのもいいが、よくこの状況であいつの心配など出来るものだ。おまえなら怒り狂うかと思ったが」

「なんの話です?」

「聞いていないのか? そこの二人が負傷したのは神楽坂明日菜のせいでもある。おまけに重傷だった宮崎のどかの治療を邪魔さえしたそうだぞ?」

 

 司は無言で二人を見た。

 のどかが叱られたように小さくなり、夕映が無表情で断言した。

 

「事実です。明日菜さんに気を取られたのは私たちの未熟ですが、のどかの治療の邪魔をしたのは少し腹に据えかねています」

 

 夕映は左腕に短刀が一本。のどかは腹部に三本刺さる重傷だったらしい。

 

「邪魔をしたというけど、具体的にはなにをしたの?」

 

 司の知る神楽坂明日菜は友人が怪我をしたという状況で邪魔をするような人間ではない。むしろ積極的に助けようとするだろう。

 

「呪符を使おうとしたら呪符を取り上げ、あげくに『救急車を呼ばないと』と喚きながらさんざん邪魔してくれました」

「くっくっく、一般人の神楽坂明日菜からすれば怪我人がいれば然るべき場所へ連絡するのが筋であり、間違ってもオカルトじみた呪符で怪我が治るなどとは信じられなかったのだろうよ」

 

 エヴァンジェリンは愉快そうに笑う。だが笑い事ではない。司はため息をついた。

 

 要するに明日菜としては善意で行動したのだろう。しかし一般人の感覚で行動した結果として夕映の足を引っ張り治療の邪魔をしてしまった。

 

「おかげでのどかが死ぬかと思いました。結構出血が多かったのですぐに治癒したかったのですが」

 

 夕映はよほど腹に据えかねているらしい。そんな夕映をのどかがなだめている。

 

「そんなに怒らなくても……私は無事だったんだし、あのくらいの怪我は修行でよくあることだよ」

「しかし、出血が多くなってのどかは立つことも出来ないほどになったではないですか!」

「大袈裟だよ。ちょっと目眩がしただけだって」

「出血多量で貧血を起こすまでのどかの治療を邪魔したのですよ!」

「わ、悪気はなかったんだろうし」

「善意ならばなにをやっても許されるわけではありませんし、むしろ悪意があったのなら私が殺していましたよ」

「夕映~……」

 

 頑なな夕映にのどかが情けない声を出す。

 

「よほど揉めたみたいですね……」

「ああ、仲良しこよしのクラスメイトが一夜にして一色触発のムードへ突入だ。楽しくなるな」

「……趣味が悪いですよ」

「わたしは悪の魔法使いだからな」

 

 なんの理由にもなっていない言葉でエヴァンジェリンは胸を張る。

 

 司は後で木乃香にでも取りなしを頼もうと考え、あの時の事を思い出して頭を抱えた。

 自然に顔が熱くなる。忙しさにかまけてあれから木乃香に会っていないが、どんな顔で会えばいいのだろう?

 

 そもそもあれはどういう意味なのだろう。

 

 助けてくれた事への感謝だろうか?

 けれど物語ならともかく現実に助けて貰ったからと女の子がキスなどするのだろうか?

 

 少なくとも自分なら出来ない。相手の事が好きならもしかしたら……もしかしたら?

 

「もしかして……いやいや、いくらなんでも自意識過剰なのでは……でも木乃香さんがそんな事を軽々しくするとも思えないし」

 

 誰にでもキスするような女の子だとは思えないし、思いたくもない。

 ならもしかして、自分は彼女に好かれているのだろうか? 異性として?

 

「おやおや、なにやら悩んでいたと思ったら茹で蛸のようだな。いったいなにを考えているのやら」

 

 そんなエヴァンジェリンの声も耳から素通りする。

 司は結局『いい加減うっとうしい』とエヴァンジェリンに殴り飛ばされるまで真っ赤になったまま悩み続けていた。

 

 

 

 

 こうして麻帆良で起こった戦争は終わった。

 

 関東の魔術一門に配慮するという理由で犯人の名前に法条一門の名前が公表される事はなく。魔法犯罪組織の犯行とされた。

 

 法条一門は当主が病死したと発表。

 次期当主に指名されていた人物は修行の旅に出て不在であるため、しばらくの間一族の長老格の人物が当主代行を務めるらしい。

 

 彼らは今回の事件とは無関係であり、麻帆良に侵攻してきた者に法条一門の人間などいなかった。

 つまりはそういう事になった。

 

 麻帆良では真実を知る一部の魔法使いの中で不満があったらしい。

 それも『下手に追い詰めると関東の魔術一門がそろって麻帆良に攻め寄せる事になる』や『むしろ面子を立てて貸しを作り東西和平に協力させる』などと近右衛門に説得されて納得したらしい。

 

 伏せられた真実の中に、あの魔術儀式の内容も含まれる。

 

 あれが魔法世界を破壊するためである事は一部を除いて知らされる事なく、麻帆良を破壊するための物であったとすり替えられた。

 

 理由は『魔法世界を破壊する方法があるなどと公表は出来ない』という事だった。

 

 そんな事を知ればまた麻帆良の世界樹を狙うものが増えるだろう。

 単なる侵入者とは比べものにならない戦力を準備をした組織。それが攻め寄せてきたらどうなるのか。

 

 さらに言えば世界樹で出来る儀式が他で出来ない保証はない。

 魔法世界は常に滅ぼされる危険に怯え続けなくてはならなくなる。魔法世界を滅ぼせる方法など知るものは少ない方がいいのだ。

 

 もちろん術式は失われている。再現は不可能だろう。

 解呪した藤宮司でも解呪しただけであって術式を再現することは不可能と断言した。

 

 可能性があるとすれば逃亡中の法条衛史郎一派だろうが、それは密かに捜索が続けられるらしい。

 

 もっとも追っ手という意味ではなく、交渉によって穏便に法条家に帰って貰うというものだった。

 

 危険人物が野放しになるより、法条一門という立場に縛りつけた方が麻帆良としては都合がいいらしい。おそらく監視しやすいという事だろう。

 

 

 

 そんな話はすべて大人達のした事だった。

 司は詳しい事はほとんど知らされる事なく、今回の事件の大部分が機密扱いになったと告げられただけだった。

 

 それに反発するほど司は幼くはないし世間知らずでもない。

 けれどすぐに納得できるほど大人でもなかった。

 

 なんとも言えないもやもやした気持ちを抱えていた彼にさらに信じられない現実が突きつけられた。

 

 藤宮司が今回の事件で首謀者を撃退して魔術儀式を止めた功労者として賞される事を。

 それは藤宮司が麻帆良を守った『英雄』と呼ばれる事を意味していると。

 

 真実を知るものにはさらに重い意味を持つ称号。

 藤宮司が守ったのは麻帆良だけではない。魔法世界を守ったのだ。世界すら救ったのだ。

 

 まさしく藤宮司は『英雄』なのだ。

 

 

 藤宮司は『英雄』になる。『英雄』として一歩を踏み出す事になる。

 極東最高の魔力保有者が、極東最強の弟子が、藤宮一族の後継者が。

 

『大神』に愛された御子が『英雄』になったのだ。

 



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終章 楽しき賑やかな明日

「麻帆良にもずいぶん慣れたかな」

 

 司は麻帆良の町を歩きながらそう呟く。

 はじめは都会の空気に新鮮さを感じたものだが、すでに慣れ親しんだ雰囲気だ。

 

 あれから時が経ち司は二年生になった。

 そしてもうすぐ年が終わる。年が明ければすぐに三年生だ。

 約束の三年間もあっという間に過ぎてしまうだろうと思える。

 

 クリスマスも過ぎ、大晦日の夜。

 肌寒い夜風が髪を撫でていく。彼女が好きだと言うから切らないでいるが、やはり切るべきだろうかと背中まで伸びる髪を気にしていた。

 

 背もあまり伸びていないし、相変わらずちっとも男らしくならない容姿だ。

 けれどそんな自分を好きだと言ってくれる人がいればそれもあまり気にならなくなる。自分は結構単純だったのだなと呆れた。

 

 実力ではすでにエヴァンジェリンから『もう十分に最強クラスを名乗れるだろう。おまえに勝てる者など数える程しかいない。もちろんわたしは負けないがな!』と評価されている。

 

 さんざん彼女に鍛えられ、世話になった。

 あの事件で未熟を実感して本格的にエヴァンジェリンに鍛え直して貰った。その結果が出たと思えば素直に嬉しい。

 

 夕映とのどかもすでに一流と名乗れそうな程に成長した。

 短い修行期間でそこまで成長した二人を司は誇らしく思う。

 

 才能もあっただろう。けれどそれ以上にあの事件で思うところがあったようだ。

 

 そして木乃香も呪術の修行を始めている。近右衛門が嬉しそうに教えていた。

 あの事件で狙われ、さらわれたのがかなり衝撃だったらしい。父親の近衛詠春も自分のわがままで娘を無知で無力のままにしておけないと決断したらしい。

 

 彼女の側には常に桜咲刹那がいた。

 個人的感情で木乃香を避けて不覚を取った刹那だったが今では和解して仲のよい幼なじみであり、信頼関係で結ばれた主と従者になっている。

 

 

 

 

「お待たせ、司君」

「いえ、さぁ行きましょうか。木乃香さん」

 

 振り袖姿の木乃香と並んで歩く。自然に木乃香が腕を絡めてきた。

 もう慣れたと思ったがやはり少し気恥ずかしい。

 

 年越しに神社へと二人で向かう。

 こうして見ると恋人同士で歩いている人もちらほらいる。自分たちも恋人同士に見えるだろうか?

 

 二人でお詣りを済ませると明るい口調で知り合いが声をかけてきた。

 

「あら、木乃香に司じゃない。大晦日にもデートとは羨ましいわね」

「クリスマスは譲ったからなぁ、今日はうちが独占や」

 

 明日菜の少し茶化した口調に木乃香が嬉しそうにしがみついてくる。

 

 彼女にも少し驚いた。

 事件の後、彼女と夕映の関係を心配したのだが。結果としてなんの問題もおきなかった。

 

 司が木乃香に取りなしを頼むまでもなく夕映とのどかへ謝罪に来たのだ。

 

「ごめん……本屋ちゃん、夕映ちゃん。なにも知らないで迷惑かけた」

 

 そう目に涙を浮かべながら頭を下げる光景に司も居合わせた。

 二人がエヴァンジェリンの家によく行っていると聞き出してすぐさま突撃してきたのだ。その行動力と潔さは素直にすごいと思う。

 

 なんでも魔法を知る一般人として最低限の魔法関係の常識を教わり、いかに自分が迷惑をかけたのか理解したらしい。

 

『あの時は正直、死にたくなるほど後悔したわ。馬鹿だ馬鹿だとは言われていたけどここまで馬鹿だったなんてちょっとショックだった』

 

 自分のせいで危うく友人が命を落とす所だった。

 そう聞けばさすがの自分もとんでもない事をしてしまったと反省もするし後悔もすると落ち込んでいた。

 

 さすがにそこまでされれば夕映も後に引きずる事もなく関係は修復された。

 明日菜にとっても魔法関係で気安く相談できる夕映やのどかは貴重な友人らしく、それ以後は親友と言っていいほど仲良くなっていた。

 

「クリスマスはみんなで集まってパーティをやったものね」

「あれも楽しかったんやけど、やっぱり二人っきりも捨てがたいわぁ」

 

 クリスマスはエヴァンジェリンの家でパーティをした。明日菜も呼ばれている。

 木乃香の他には夕映やのどか、それに刹那も招かれて楽しく騒いだ。

 エヴァンジェリンもまんざらでもないようにもてなし、茶々丸は若干嬉しそうに料理などを支度していた。

 

 

 そういえばあの事件の後、エヴァンジェリンの評価が少し良くなっていた。

 

 やはり命を助けられたのは大きかったのだろう。多くの魔法生徒たちはエヴァンジェリンに感謝し、その実力を尊敬した。

 魔法先生の間でも『闇の福音も変わったらしい』と一方的に警戒するような事はなくなっていった。

 

 あの戦いでもっとも功績を挙げたとされる司が親しくしているのもプラスに働いたらしい。

 

 近右衛門は麻帆良の魔法関係者の認識次第ではエヴァンジェリンの事を公表するべきだと考えていた。

 もちろん麻帆良の魔法関係者が十分受け入れられると見極めた上でとなる。

 

 今はまだ公表に関して慎重な姿勢を持つ魔法先生が多いので見送っている。だがいずれは彼女が自由に生きられる環境を少しずつであっても作っていきたいと話していた。

 

 彼女は『闇の福音』という悪名高い魔法使いである。それこそ伝説級の悪党だ。

 

 エヴァンジェリンは『そうだな。ゲームで例えるならかつて世界を蹂躙した大魔王程度には恐れられているな』と他人事のように評していた。

 

 密かにそれらは噂として流れてはいる。

 

『あの金髪の魔法使いは『闇の福音』らしい』と。

 

 それでも特に年若い見習達からは予想外の支持がある。人伝に聞いた悪名よりも実際に自分たちを助けて戦っていた姿の方が信じられるのだ。

 

 なので『闇の福音は改心し、今では善良な一魔法使いとして麻帆良で隠棲している』などといった噂まで流れていた。

 それを聞いたエヴァンジェリンはなんとも言いようのない微妙な顔をした。

 

 うるさい連中が馬鹿みたいに騒がないのはいい事だが、悪である事を誇りにする彼女にしてみれば勝手に改心した事にされるのは納得がいかないらしい。

 

「住みやすくなりますし、いいことだと思いますけど」

「うるさい、ガキになにがわかる。いや、どうも都合が良すぎる気もするな……そうかこれもあのじじいのせいか!」

 

 司の言葉など切り捨ててそのまま学園長室に特攻した。

 そしてとても満足げな笑顔で帰ってくるとそれ以来周囲の声には無関心になった。

 

 茶々丸が言うにはなにやら学園長からかなりの対価を巻き上げてきたらしい。

 

 噂の発信源は先生だったか……。

 

 エヴァンジェリンの受け入れ体勢を整えるための情報操作だったのだろうが、本人の許可なく行うのはどうだろう。司としてはせめて相談くらいはしようよと師に呆れていた。

 

 

 

 司自身は再び『立派な魔法使い(マギステルマギ)』を目指さないかと声をかけられたが、しばらくすれば落ち着いた。

 

『麻帆良の英雄』

 

 そんな名誉も、周囲の魔法先生の期待の眼差しや魔法生徒の羨望と尊敬も。

 それらはすべて学園長である近衛近右衛門の手のひらの上と思えば嬉しくもない。

 

「麻帆良を助けて貰ったのに、なにも出さないでは藤宮に言い訳が出来ん」

 

 そう言って結構な金品が司に送られた。一族の方にもいろいろと配慮したらしい。だがおそらくそれだけではないだろう。

 

 日本の魔術師一族出身である司を西洋魔法使いの重要拠点である麻帆良で英雄視する。

 

 これも東西和平。融和政策の一環だろう。

 

 日本の魔術師であっても実力があれば評価される。西洋魔法使いはそれを認め受け入れる。そういうメッセージを日本中へ発したのだ。

 

「迂闊だったな、司。近右衛門に利用されたな」

 

 そう父から電話で叱られた。

 そして知らされた。自分が東西和平の足がかりに使われている事を。

 

「油断も隙もない先生だ。弟子をそんな事に利用しないで欲しいなぁ」

 

 山に住む仙人のようなとらえどころのない師。

 もはやなにも言う気が起きない。利用された自分が甘いのだ。

 

 東西和平を否定する気はない。けれど特に手伝いたいとも思わない。

 

 法条家の老人が語ったことを忘れていない。

 和平を結んだからすべて上手くいくという話ではないのだ。

 

 司としてはこのまま穏やかな不干渉を続けていければそれで平和ではないかと思うのだ。

 なにも無理矢理仲良くする必要はないだろう。交流しなければやっていけないわけではないのだから。

 

 ふと法条衛史郎を思い出した。法条佳奈子と従者の少年共々姿を消したままだ。

 

 彼ならばなにを考えるだろう。どう動くのだろう。

 

 あるいは彼はすでに動いているのかもしれない。だとしても今の司に出来る事はなにもない。

 

 それにあの事件では敵対したが今後も敵であり続けるとは限らない。

 

 目的が一致すれば一緒に戦う事もあるだろう。彼もまた日本の魔術師なのだ。そして司は別に西洋魔法使いの味方ではない。

 

 麻帆良の魔法使いたちに『英雄』と期待されても司はやはり藤宮の一族なのだ。

 期待されたからと言って応えなければならない義務などないと胸の内でうそぶいていた。

 

 

 

「デートの邪魔をするほど野暮じゃないわよ」

 

 そう笑っていた明日菜と別れて、二人で夜店で適当なものを食べながら過ごす。

 こんな普通の時間が故郷にいた頃にあったろうか。そう思えば麻帆良に来た意味もあったのだろう。

 

「初日の出やで……」

「そうだね」

 

 二人で初日の出を拝み、あとはゆっくり歩く。

 

「なぁ、そう言えばうちらって恋人なんかな?」

「……どうなんでしょう?」

 

 お互い首をかしげ、笑い合ってしまった。

 

 いつの間にか一緒にいるのが当たり前になって、周囲には付き合っているものと認識されていた。告白もしていない事を思えば自分と木乃香の関係はさて、どういったものなのだろう。

 

「ノブやまろは怖かったなぁ……祝福してくれたけど」

 

 友人二人から怨嗟の声を受け、最後には「幸せになれよ」と祝福されたがその時には「気の早いことだ」としか思わなかった。

 

「面白い友達は大事にせなあかんよ」

「十分大事にしていると思うけど」

 

 学校生活ではなにかと助けられた。入学当時に比べれば司もだいぶ学校に馴染んだがそれも二人の友人が側にいてくれたおかげだろう。

 

 クラスでも部活でも一緒に行動していた。もはや三人組として定着している気がする。

 

「で、司君はうちのこと好きなん?」

 

 木乃香の真っ直ぐな視線に少し照れながらも肯いた。

 

「好き。だと思う……正直初めてだからよくわからないけど」

「後半で台無しや。男だったら断言せな」

 

 若干呆れられたが、嘘はつきたくないのだ。

 正直まだ恋というものがよくわからない。

 

 ただ彼女と一緒にいるのが楽しい。穏やかな気持ちでいられる。時々とんでもなくドギマギする羽目になったりするが別に嫌ではない。これは恋なのだろうか?

 

「うちは大好きやで」

 

 笑顔で断言されて返答に詰まる。

 顔が赤くなり意味もなく口を動かして視線をうろうろさせる。なにか言わなければと思うのだが言葉が出ない。

 

「司君は相変わらずうぶやな……まぁ変に女慣れするよりええけど」

 

 後半低い声でぼそりと呟く。

 そして少し距離をとるとまるで和服モデルのようにぴしりと背筋を伸ばして一礼する。

 

「藤宮司様。私とお付き合いしてくださいませんか?」

 

 ぽかんとしてしまったが、司はすぐに我に返った。

 そして覚悟を決めて手を延ばす。いつかこんな日が来るかもと妄想したこともある。それが役に立つ日が来るとは思わなかった。

 

「はい。僕でよろしければお付き合いしてくださいませんか?」

 

 女の方から告白されるって男としてどうなのだろうと一瞬虚しくなる。こんな有り様だからちっとも男らしくなれないのではないか。

 

 すっと木乃香が近寄り司の胸に顔を埋める。

 彼女の肩が小刻みに震えていることに驚いたが、ゆっくりと背を撫でる。

 

「これで恋人同士ですね。すみません……本当なら僕がもっと早く言うべきだったのに」

「ええんや。うちはこうしているだけで満足やから……それにそういうたぐいの甲斐性はあまり期待しとらんし」

 

 なにかひどいことを言われた気がする。

 

「そんなに頼りないですかね」

「のどかと夕映の気持ちに気がついていない時点で言い訳出来んと思うで」

「え?」

 

 木乃香達はいつの間にか互いに呼び捨てで呼び合うようになっていた。司から見ている限り親友のように仲のよい女の子達だった。

 

 でも……二人の気持ち?

 

「あの二人は司君に惚れとるんや、現在進行形で」

「……え?」

 

 あの二人が?

 ではもしかしてあの妙な行動も自分の気を惹こうとしていた? 自分の自意識過剰ではなく?

 

「ほんまに気付いとらんかったんか……あの二人が可哀想や」

 

 脇腹を結構な力でつねられて顔をしかめる。

 

「あの二人に関しては愛人という手もあるんやけど……ああ、もしようわからん女に手を出したら根元からさっくり切り落とすから気を付けや?」

 

 背筋が凍りついた。

 本当にこれは木乃香だろうか。彼女はこんなことを言う女の子だったろうか?

 

「男の子やろ。ここはびっと覚悟を決めるんや。司君は出来る子や」

 

 今度は一転して優しくささやかれる。

 そう言われるとここはしっかりしなければと思う。自分は結構お手軽なのだろうか?

 

「えっと……今後ともよろしくお願いします?」

「よろしくなぁ、司」

「……えっと木乃香さん」

「木乃香や。恋人になっても他人行儀なんは好かん」

「木乃香?」

「なんや? 司」

「愛人って本気?」

「うちが認めたらの話やな」

 

 そう笑顔で言うが、目は限りなく暗く冷たい。

 

 本心では認める気などさらさらないのでは?

 男女の問題に関しては鈍い司でもそう感じる。

 

「まぁ、そんな話はともかくや」

 

 そんなに軽く流せる話ではなかった気がする。

 

「これから末永くよろしくお願いします。ふつつか者ですがあなたにふさわしいように精一杯努力します」

 

 真面目な瞳を向けられて言葉に詰まる。

 なんというかあの話の後で急に態度を変えるのは、ちょっとあれだ。卑怯じゃないですか?

 

「大好きや、司。ずっと一緒やで」

 

 けれどそう幸せそうに微笑まれてしまうとなにも言えない。

 そうだ。きっと先ほどのは場をほぐす冗談だろう。そうに違いない。

 

 女の子らしい柔らかな身体を抱きしめてそっと顔を寄せる。

 

 この日、二人は恋人同士になった。

 新年の美しい日差しが空に浮かび始めた。人気のない路上での誓約。

 

 唇を離すと互いに照れくさそうに笑う。

 

「こんな所でする事やなかったなぁ」

「人がいなくて良かったですね」

 

 寄り添うようにしながら二人は歩き始めた。

 

 これからは二人で幸福に生きられる。

 そう無条件で信じられる空気がそこにはあった。

 

 が。

 

「やっぱり抜け駆けしていましたー! 明日菜さんの言うとおりでした!」

「おのれ、なにが初詣はみんなで一緒に行こうですか! 騙し討ちとは卑怯です!」

「お、お嬢様の邪魔をする事はお二人とはいえ許さん! ここはけして通しません……ぐはっ!」

「邪魔しないでください!」

「邪魔です!」

「……お嬢様、申し訳ありません……正直もうこの二人は私の手に余ります。強くなりすぎでしょう……」

 

 騒がしい声に振り返る。

 そこにはなんとか足止めしようとする刹那を殴り倒したのどかと夕映がいた。

 

 突然の事に呆然とする。

 

「……え?」

「情報源は明日菜か。口の軽い子にはお仕置きが必要やな……新しい呪術の的にでもなってもらおか」

「え!?」

 

 おっかない発言が聞こえた気がして振り返る。

 つい先ほど可愛らしく微笑んでいた恋人が邪悪に染まっていた。

 

「ひどいじゃない! 約束したのに!」

「そうです! あなたいったい何度私たちとの約束を破る気ですか!」

 

 のどかと夕映に非難されても木乃香は涼しい顔をしていた。

 

「悪いなぁ……でももう決まったことやから、二人は他にいい人を探してや。応援するで?」

「な!?」

「う、嘘です。きっとまた嘘です! そうですよね? 司さん!」

 

 わけがわからない。

 

「もう告白して受け入れてもらえたんよ。二人も祝福してくれるやろ?」

「無効だよ! 協定を無視した抜け駆けなんて認めないよ!」

「そうです! いくらなんでもあなたの協定破りはひどすぎます!」

「でももうキスもしたからなぁ」

「な!?」

「き、きっとデタラメです!」

 

 先ほどの幸福な空気はどこかへ逃げ去った。自分も一緒に逃げたかったなと遠い目をする。

 そうか、自分の知らないところでこんな風に三人は争っていたのか。

 なにも知らなかった自分の鈍さに少し涙が出てきた。

 

「じゃあ……みんなでもう一度お詣りに行く? それでええやろ?」

 

 そう言って木乃香が司の腕に自分の腕を絡める。

 

「なんでくっつくの!?」

「うーん……恋人同士やから?」

「認めません!」

 

 猛然と噛みつく二人を木乃香が余裕の笑顔であしらっている。

 これは自分が発言するべきなのだろうか。なんだか逆効果になりそうで怖いが。

 

「えっと、告白したのも受け入れたのも本当なんだけど……」

「嘘だ!」

「嘘です!」

 

 おずおずと木乃香の言葉を肯定したら即座に否定された。

 

「司さんは騙されています! 正気に戻ってください!」

 

 のどかが必死にこちらを揺さぶる。一応正気なんだが。

 

「司さん! 人生の墓場へ一直線に行く必要はありません! これは地雷物件です! ここは……私の方が」

「夕映!? どさくさになに言ってるの!?」

 

 さりげなく自分押しをした夕映にのどかが信じられないという顔で叫んだ。

 

「うーん、ええ具合にカオスになったなぁ」

「いいのですか、お嬢様。上手くいっていたのでは?」

「せっちゃんはわかっとらんなぁ……こうしているのも楽しいやんか」

「はぁ……そんなものでしょうか」

 

 本当に楽しそうな幼なじみになにも言えずに刹那は沈黙する。

 

「それに最後に勝つのはうちや」

「……そうですね」

 

 その自信はどこから来るのだろうという顔をしている刹那。

 木乃香は二人に騒がれてあたふたしている司を楽しそうに眺める。

 

「だって司君は初めて会った時からうちに惚れとるんやで?」

 

 そう笑顔で断言した。

 

 

 

 

「そんなに騒いだら迷惑やで? みんなで初詣にでも行こ!」

「……元はといえばあなたのせいなのですが、まぁ初詣には行くです」

「そうだね。ここで騒いでいても仕方ないし……あ、司さんも一緒に行きますよね? ……夕映は後でじっくりと話し合おうね」

「お嬢様が楽しんでいらっしゃるならいいか……いいのか? まぁ、司さんががんばってくれれば私の苦労も減るな、うん」

「えっと、僕は木乃香さんにちゃんと付き合うって言いましたよ? 嘘じゃないですよ? ねぇ? 聞いてますか?」

 

 

 

 楽しき賑やかな日々。

 藤宮司が平穏な日々を送るのはまだ先の話になりそうだった。

 




 応援してくださった方。ありがとうございました。
 書き始めてからだいぶ経ってしまいましたが、一応これで完結です。

 きりのいいところまでは書きたいとずっと思っていましたが、だいぶ時間がかかってしまいました。

 当初の考えでは続きがあったのですが、
 いろいろと考えてここで完結にしました。

 それでは皆様、最後まで読んでいただいてありがとうございました。 


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