はるかかなた Sisters' wishes. (伊東椋)
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01.僕の彼女は風紀委員長

別サイトにて2010年に投稿された作品です。
(※)原作のネタバレを含みます。ご注意ください。


 夏休みが近づき、じりじりと夏の暑さが照りつける今日。至って普通の放課後だが、いつもなら恭介たちと野球をするか、恭介が発案したミッションで遊ぶのが僕の日常だった。

 しかし、最近は恭介がまた就職活動に行ってしまったためにその機会は少なくなっている。あの修学旅行のバス事故があって、リトルバスターズの皆で修学旅行をやり直した。だが、僕たちと違って三年生である恭介は長らく入院していたために就職活動に出遅れてしまった。だから、恭介は遅れた分を取り戻すように最近は外に出ることが多かった。

 恭介がいないと、大抵暇になる。リトルバスターズは恭介がいて、皆で遊ぶからこそ、楽しいものだから。

 だから僕は、今日も彼女の下にいた。

 「直枝、そっちのプリントを取ってくれるかしら」

 忙しそうに筆を走らせながら僕に言葉を投げた彼女は、風紀委員長の二木佳奈多さんだ。

 彼女は風紀委員長として、学園の風紀を取り締まり、学生生活において日々忙しい毎日を送っている。

 ちょっと吊り目で、鋭い瞳を持った彼女だが、実はこれでも初めて出会った頃と比べたら随分と柔らかくなったものだ。少しずつだけど、双子の妹に近くなっている気がする。

 何が彼女をそこまで変えたのかと問われれば、きっとあの事故の後、葉留佳さんとの仲直りが主な原因だろう。

 そしてそれとほぼ同じ時期に、僕の彼女になってくれたことかな――――

 「はい、二木さん」

 「……なにをニヤけているのよ、直枝」

 僕は言われたプリントを二木さんに渡すが、僕のふぬけた顔を見て、二木さんはまるで気持ち悪いものを見るような目つきで僕を見詰めた。

 「何もない所でニヤけるのは、端から見れば気持ち悪いだけよ」

 「ひどいなぁ」

 「ひどいのは直枝の顔でしょ?」

 「……それはいくらなんでも、ひどすぎだと思う」

 僕が本気でしょぼくれると、二木さんはふんっと鼻で笑う。

 「そう言われたくなければ、真面目に仕事をすることね」

 「はいはい……」

 そう、僕は二木さんの仕事の手伝いをするのが最近の日課になっている。

 恭介の就職活動でリトルバスターズの活動が休止している間、僕はいつも忙しそうにしている二木さんの手伝いをすることに決めていた。

 最初は僕の申し出を受けた二木さんは

 「あなたなんかに出来るの?」

 といきなり厳しいことを言ってきたが。

 「二木さんのためなら、僕はなんでもするよ」

 「……人手はないよりマシね。 なら……仕方ないわ。 じゃ、邪魔にならないでよね……ッ」

 と、顔を赤く染めてそっぽを向いた二木さんの言葉を了承と受け止めて現に至る。

 「……あの時の二木さん、可愛かったな」

 「なにか言った? 直枝」

 「なんでもないよ」

 筆を走らせながらも、ジロリと見詰める二木さん。ちょっと禍々しいオーラが見えるのは気のせいかな……?

 「なら、仕事をさっさと終わらせるためにもちゃんとやりなさい。 ほら、次はその資料を取って」

 「うん」

 「あなたは労働基準法が適法されない強制労働者の身分だと思って、仕事に没頭すれば良いわ」

 「それは、ひどいなぁ…」

 と言いながらも、僕は言われた通りに二木さんに資料を渡す。そして、僕は二木さんと二人だけで、いつものように夕日が暮れるまで仕事に明け暮れるのだった。

 

 

 気がつくと、外はオレンジ色に染まっていた。時計の時刻は、夕暮れを指そうとしている。

 二木さんも一段落着いたのか、筆を置くと、ぐっと腕を伸ばす。腕を伸ばした拍子に、時計の針が二木さんの視界に入る。

 「もうこんな時間なのね」

 「二木さん、そろそろ終わろうか? 日も暮れてきたし」

 「そうね、とりあえず今日の分は一応片付いたし……」

 ガタ、と二木さんが椅子から立ち上がる。二木さんが立ち上がった時、さらりと揺れた長髪が夕日の光に照らされて、オレンジ色に煌めく。

 「夕日が眩しいわね」

 「そうだね」

 眼を細め、手を眼の上に構えた二木さんは夕日の方を見る。オレンジ色の光を浴びる二木さんは、どこか綺麗だった。

 そして、僕と二木さんは教室を後にして、学園を出た。寮までの帰り道、と言っても歩けば五分もしないうちに着くのだが、それでも僕たち二人はこれでもカップルだ。二人で帰るのは当然だ。

 「……………」

 「……………」

 そして……うん、やっぱり無言。二木さんと並んで歩いていると、僕の方から話題を振らない限り、二木さんとの間はあまり会話が生まれない。仕事の時など、用がある間は良いが、ただこうして帰るだけの時は、こうなってしまう。

 あと、カップルだから二人で帰るのは当然だと言ったけど、ぶっちゃけカップルじゃなくても、男女二人が帰るなんて、別にカップル限定ってわけじゃないよね。友人同士とかだったら、普通にいるし。

 そう、この行為をしない限り、カップル限定とは言えない。

 それは……手を繋ぐこと。

 僕が過去に何度挑戦し、敗北したことか。まぁ、主に自分に負けているんだけどね。

 手を繋ごうとしても、二木さんの雰囲気がそれを妨げる。

 いや、それはただの言い訳に過ぎないね。

 僕がヘタレだというのが正解だと思う。実際、彼女から拒否されたことはないのだから。

 僕が、躊躇しているだけ。

 僕がしっかりすれば良いだけの話なんだ。

 だから、僕は毎回、そして今日も二木さんと手を繋いで帰ることに挑戦している。

 寮までの短い帰路、時間は限りなく少ないッ!

 行くんだ、僕ッ! 今度こそ、男として、彼氏として、彼女のその白い手を掴み取れ―――!

 

 「……ところで、直枝」

 「うひゃうッッ!!?」

 思わず、僕はビクッと思い切り跳ね除けてしまった。僕の異常な反応を見て、二木さんが呆れた表情を浮かべる。

 「……なにしてるの?」

 凄い。とても冷めた眼で、僕を見ている。こんな冷めた眼で彼氏を見詰める彼女はそうそういないと思う。

 「いや、なんでもないよ。 …ところで、なにかな?」

 二木さんは怪訝な表情を浮かべていたが、一つ溜息を吐くと、いつもの表情に戻った。

 「最近、夏休みが近づいているじゃない」

 「うん、そうだね」

 修学旅行の件で色々とあったけど、もう一学期ももうすぐ終わりだ。そして、学生たちにとっては待ち遠しい夏休みが近づいている。

 「そのせいか、やっぱり学園の風紀が最近乱れているというか、緩くなっているのよね」

 「ああ……」

 やっぱり、学生たちにとっては夏休みという長期休暇は大きな楽しみの一つだ。そんな夏休みが目前まで迫れば、つい浮かれてしまうのは当然の摂理だろう。

 「おかげで、ちょっとのことで風紀を違反する輩や、素行が目立つ輩が増えているのよ」

 「なるほどね」

 「夏休みが近いから浮かれてしまうのは私でも少しはわかる。 でも、だからこそ最後まで引き締めておかないと駄目だと思うのよ。 もうすぐお望みの夏休みが来るんだから、それぐらい我慢してほしいものだわ」

 「あはは……そうだね」

 「一学期も終盤になって、忙しくなるのは私たち風紀委員なのよ。 まったく、生徒たちには自覚が足りないわ」

 「う~ん、まぁ……つい浮かれてしまうのは仕方ない事だと思うよ。誰しも、夏休みは楽しみだからね」

 「せめて、一番の厄介者であるリトルバスターズが活動を休止していることが幸いね」

 「う…ッ」

 僕の胸に何かがグサリと突き刺さる。

 「本当、あなたたちには世話を焼いたものよ。 特に棗先輩には、どうしても勝てないわ」

 「あはは……」

 「……ま、それもあの時までの話だったけどね」

 

 あの時―――

 

 僕たちの乗ったバスが崖から転落した、修学旅行の中で起こった不幸な事故。

 

 あの出来事があって、僕たちは色々な虚構の世界を旅した。恭介たちに救われ、そして恭介たちを助け、僕たちはやっとの思いで現実世界へと還ってきた。

 リトルバスターズの皆は僕と鈴を除いて、長く入院していたけど、恭介を最後に、僕たちリトルバスターズは以前の僕たちのように復活を遂げた。

 そして僕たちだけで修学旅行をやり直し、また野球や色んなミッションで遊んだけど、恭介が就職活動にまた出るようになって、最近はリトルバスターズの活動は休止状態になっている。

 休止状態と言っても、恭介が戻ってくればまた遊べるし、それにやろうと思えば僕たちだけでも遊べる。だけど、僕は恭介がいた方がもっと楽しいと思うし、二木さんの手伝いもしたいから、一応リトルバスターズの活動は休んでいる。

 

 「……私は、あの事故で失いかけて、初めて知ったわ。本当に大切なものを」

 「二木さん……」

 事故の後、僕たちは皆大きな病院へと搬送された。そして、最も重傷だったのが、特に僕と鈴を除いたリトルバスターズの面々だった。

 「二木さんは確か、病院に駆けつけてきたよね」

 「……ええ」

 一番傷が軽かった僕は、皆が収容された集中治療室へと足を運んだ。そして、集中治療室の前で見つけたのは、二木さんだった。

 二木さんは、これまでに見たことがない二木さんだった。いつも強気だった瞳は涙で潤み、いつも敵意を剥きだしていた表情は歪んでいる。

 二木さんが目の前にした扉は、葉留佳さんが収容された集中治療室だった。

 「……あの娘を失いかけた時は、本当に私はどうにかなりそうだった。 あんな思いは、初めてだったわ」

 いつも僕たちの前で、特に葉留佳さんの前では敵意を剥きだしにしていた二木さん。だけど、それは長年演技の末に出来てしまった、素顔とくっついて取れなくなってしまっていただけの仮面だった。

 その仮面が、葉留佳さんを失いかけた時、粉々に割れて砕けた。

 初めて、大切なものを失いかけた瞬間に、思い出した。

 二木さんの泣く姿を、僕はその時、初めて知った……

 「でも、葉留佳が助かったのも、そして私が葉留佳と仲直りできたのも、あなたのおかげよ。直枝」

 そう言って、顔を上げて振り向いた二木さんの表情は、微笑んだ表情で、とても可愛かった。僕はドキッとして、思わず戸惑ってしまう。

 「そ、そんなことないよ。 それは、二木さんと葉留佳さん二人の力であって、僕は何もしていない」

 「あなたはそう思っていても、少なくとも私たち双子はそう思っている。だから、素直に受け止めたらどう?」

 「そ、そうかな…」

 「そうよ。 そして――――」

 「?」

 二木さんは、突然口を閉ざし、顎を引いた。前髪を指で摘み、もじもじと弄んでいる。微かに見えた頬は、赤みを帯びている。

 「あなたとこうして、付き合うようになったことも、感謝している……」

 頬を赤らめ、視線を合わせようとしない二木さんが恥ずかしそうにそんな言葉を紡ぐ。僕の心臓は釘を打ち込まれたかのように、思い切りドクンと高鳴る。

 「ありがとう、二木さん」

 「わ、私が感謝しているのになんで直枝がお礼を言う――――ひゃあッ!?」

 いきなり二木さんの肩がビクンと震える。

 それもそのはず。何故なら、僕の手が二木さんの白くて、意外と小さかった手を、ぎゅっと握っているからだ。

 「な、ななな直枝……ッ!? あ、あなた何して…ッ!!」

 「さぁ、帰ろうよ。二木さん」

 あれほどまでに躊躇していた僕の手は、いとも簡単に二木さんの手を掴んでしまった。

 僕の気持ちは、青空のように広く澄んだ気分だ。

 顔を真っ赤にして動揺しているけど、抵抗はしない二木さんの手を引いて、僕たちは寮の帰路へと進んでいく。

 僕はとても笑顔だった。だが、二木さんはそんな僕の笑顔を見ても、さっきみたいに気持ち悪いとは言わない。

 顔を真っ赤にして、二木さんは唇を尖らせるだけで、僕の掴む手に抵抗を見せなかった。

 夕日に照らされ、地面に射した僕と二木さんの影が寄り添って、一つに繋がって歩いていた。



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02.長袖の下に隠された秘密

 今日も夏らしい暑い一日だ。青空から照りつける太陽がギラギラと射し、中庭にいる猫たちもバテるほどの暑さだった。

 「うう……暑い……」

 「大丈夫? 鈴」

 授業の合間の休み時間、机にぐったりとしている鈴に僕は声をかける。

 「畜生、こんな時に限って冷房の調子が悪いとかついてねーぜ」

 すぐそばで同じく夏バテしている真人。その鍛え抜かれた筋肉は汗だらけだ。

 「本当だね」

 真人の言葉に頷く。これからどんどん暑くなっていくのだろう。早く冷房を直してもらわないと死活問題に関わりかねないかもしれない。

 「暑い……。 理樹、なんとかしろ」

 「なんとかしろって言われても、僕には無理だよ」

 「うー……。 こんなに暑いと、猫たちが死んでしまうじゃないか……」

 鈴はいつも中庭にいる猫たちの世話をしている。どうやら猫たちもこの暑さにはバテているらしい。

 「猫たちはどうなってるの?」

 「みんな死んでる」

 「あ、もう死んでるんだ……」

 「もー、くちゃくちゃだ。 みんな寝そべって、動こうとしない。 特にドルジが一番ジュウショーだ。 あいつ、本当に死ぬんじゃないか?」

 僕は人一番体格が大きい真人の暑さにやられている姿を一瞥する。猫の中でも特別大きいドルジも同じ姿になっているのだろうか。

 「うー、暑くてうっとおしい……ッ!」

 遂にイライラし始める鈴。まるで機嫌が悪い猫のようだった。

 「それにしても、謙吾は平気そうだね」

 「む、ほんとだ。 暑くないのか?」

 みんなが猛暑に倒れている中、蒸し暑い教室で唯一平然としているように見えるのが、謙吾だった。いつも持ち歩いている竹刀を組んだ腕に抱え、この暑さにも全然根をあげていない。

 「へっ、どうせやせ我慢だろ?」

 真人の挑発的な言葉に、謙吾はそれも無反応だった。

 「それともあれか、えーと……」

 真人は何か言葉を思いだそうと、思考を巡らせる。

 「そうだ、思いだしたぜ。 確か、“火も股には気持ちいい”だろ?」

 奇跡的に壮大な間違いを口走っていた。

 「……サイテーだな」

 鈴が引くのも無理はないかもしれない。

 「……火もまた涼し、だ。 この馬鹿」

 「なにぃぃぃぃッッ!!?」

 衝撃的に驚く真人。僕はよりによってそんな間違いをする真人に衝撃的だけどね。

 「そ、そんなはずはねぇ…ッ! 俺は確かにその言葉をどこかで……!」

 どこで聞いたのさ……?

 謙吾が呆れたように溜息を吐き、頭を抱える真人に向かって口を開く。

 「ちなみに、正しく言えば“心頭滅却すれば火もまた涼し”だ。  無念無想の境地にあれば、どんな苦痛も苦痛と感じない。 そういう意味だ」

 「うおおお、よくわかんねえ難しい言葉ばかり並べやがって……ッ!」

 「お前が馬鹿なだけだ。 この暑さでさらに頭をやられてしまったようだな、真人」

 「……言うじゃねえか」

 汗を流し、机にへばりついていながらもニヤリと笑った真人は、ガタンと立ち上がる。

 「いっそ運動しちまえば、暑さも吹っ飛ぶかもしれねぇな。 俺の筋肉がこんな暑さでバテるほどヤワなもんじゃねえって所を見せてやるぜ」

 「既にバテていたではないか」

 「るせぇッ! さっさと勝負しやが――――」

 「このクソ暑い時に、余計に暑苦しいんじゃボケ―――――ッッ!!」

 「ぐほぉッ!?」

 鈴のハイキックによって、真人は撃沈した。顔面から煙をあげる真人は、その場に倒れてピクリとも動かなかった。

 「筋肉馬鹿のせいで余計に暑くなったわッ!!」

 鈴は怒り心頭で、何度も真人のお尻を蹴り続ける。あまりにも真人が可哀想になった僕は鈴を止めに入る。と、同時に休み時間終了のチャイムが鳴り、僕はフーッと怒りがおさまらないでいる鈴を宥めて、鈴と一緒に席に戻った。真人は教室に入ってきた授業の先生に言われるまで、その場に沈んだままだった。

 授業を受けている間、僕は確かに思った。

 冷房をなんとかしてもらわないと、確かに困る。

 もうすぐ夏休みとはいえ、一学期が終わるまでの辛抱と言っても、生徒たちも耐えられるかわからない。

 それに、夏休みの直前にはアレがある―――

 僕は今日の放課後に、この意思を伝えようと決意した。

 

 やっぱり暑さが変わらない放課後。

 部活に属している者は各々の部活動に向かい、部活に入っていない生徒は冷房が生きている寮へと急いで避難する。

 しかし、僕は冷房の調子が悪い学校の中に居残っていた。

 今日もまた、彼女の手伝いをするためだ。

 「二木さん、ちょっといいかな」

 「忙しいから、短く済ませて頂戴」

 二木さんは各委員会から提出された資料の整理や、風紀委員会内での書類に対する仕事に没頭している。僕もその手伝いをしている最中だ。

 「ここ最近、結構暑い日が続いてるじゃない?」

 「そうね」

 二木さんは視線を書類に外すことなく、筆を走らせる手を動かしたまま、僕の言葉に応える。

 「学校の冷房が調子悪いけど、なんとかできないかなって思って」

 「……そういえば、そんな話があったわね」

 この暑さなのに、二木さんは相変わらず長袖の上着を着込んでいる。だけど、その表情に苦悶の一つも無く、汗も浮いていない。この暑さにも負けていない表情で仕事に集中し、なおかつ僕の話に耳を傾けてくれている二木さんは、やっぱり凄い人だと思う。

 「うん。 これからどんどん暑くなっていくと思うし、どうにかならないかな」

 「……それを私に言ってどうするの?」

 「う……いや、二木さんなら、なんとかしてくれるかなって思って」

 「随分と頼られたものね」

 「あ、いや……ご、ごめん」

 「なにを謝ってるの?」

 ふんと鼻で笑う二木さん。

 そして二木さんは手の中でくるりと弄んだ筆を口元に持っていき、ぽつりと口を開く。

 「ま、そうね……。 夏休みの直前にはアレがあるし、あまりに暑いと授業に集中できなくなる生徒も出るかもしれないから……その辺りに関して、検討した方が良いのかもしれないわね」

 「で、でしょ?」

 「アレが近づいているから、生徒には本業としての勉強をしっかりしてもらわないといけないし」

 そう、夏休み直前のアレとは―――

 期末テストだ。

 勉学を本業とする学生なら必ずしも定期的にぶつかる壁、それがテストだ。

 一学期の最後、夏休みに入る前にはまず期末テストという難問がある。そこを突破しなければ、真の夏休みは訪れない。もしテストで落としてしまえば、真人が何度も経験したことがある補習付きという夏休みが待っている。

 「ほ、ほら。 やっぱりしっかりと勉強できる環境は整えたほうがいいじゃない?」

 「確かに一理あるわね」

 「でしょ?」

 二木さんは風紀委員長として絶大な権力を持っているし、各委員会の中でも結構頼られている存在だ。学園の風紀を取り締まる二木さんに何かと相談するのは最良の手段だと思う。

 「わかったわ、私から冷房の修理を早急に行ってもらうように生徒会に掛け合ってみるわ」

 「やった。 ありがとう、二木さん」

 「……ッ。 べ、別にあなたなんかの為じゃないわよ……」

 僕の笑顔を見て、顔を赤くしてそっぽを向く二木さんが可愛らしい。

 こんな可愛い子が僕の彼女なんだなと思うと――――イダダダッ!!

 「……なんか調子に乗ってない? 直枝」

 「ヒョ、ヒョッヘハイッ!(乗ってない!)ヒョッヘハイ!(乗ってない!) ヒハイヨ、フハヒハン!(痛いよ、二木さん!)」

 ジロリとした視線で僕を睨みつけながら、僕の頬をぎゅ~っと抓る二木さん。

 二木さんがぱちんと手を離し、僕は解放され、抓られた頬を擦る。

 「うう、ひどいよ二木さん……」

 「あなたがニヤニヤしてるからよ、直枝」

 二木さんは「まったく……」と額に手を当て、溜息を吐く。

 「あなたはどうして、私といる時は気持ち悪い所を見せつけてくれるのかしら。 あなた、本当にどこかおかしいんじゃないの?」

 「……二木さんになんて言われようが、もう慣れたよ」

 「ふん、遂にMに目覚めたのかしら?」

 「でも僕は、二木さんといて楽しいから、こうしていつも笑えるんだ」

 「――――ッッ!」

 二木さんがぼっと顔をトマトのように真っ赤にして、バッと背を向ける。

 背を向ける二木さんが「その……が、反則……なのよ…」と、何かボソボソと言っているみたいだった。

 くるりと振り返った二木さんの顔には、まだ微かに赤みが帯びている。

 「いい加減にして、さっさと仕事を再開するわよ」

 「そうだね」

 ニコッと微笑む僕。二木さんはまた唇を噛んだが、無言で筆を走らせる作業を再開した。

 「それにしても……二木さん、暑くないの?」

 「……平気よ」

 この暑さに、二木さんは相変わらず上着を着ている。だが、この暑さでも二木さんは上着を脱ぐ様子はまったくなかった。

 冷房が効いていない状態で、暑くないはずはないのに。

 「それに、これを脱いだら私の身体がどうなっているのか、あなたは知っているはずよ」

 「……………」

 二木さんの上着に隠されているその身には、二木さんの傷ましい過去が刻まれている。

 それは、二木さんにとっては生涯忘れられるはずがない記憶のもので、他人には絶対に見せたくないものだった。

 「……こんなのを見ても、あなたは気持ち悪いだけよ」

 「そんなこと、ないよ」

 上着の長袖部分に手を触れ、ぎゅっと握る二木さんに対して僕ははっきりと告げ、首を横に振る。

 「ここには僕と二木さんの二人しかいないし、僕は全然平気だよ」

 「これはね、直枝。 私の忌々しい過去なのよ。 だから、思い出したくない。 だから、脱がない。 どんなに暑くても、この傷は私をとことん凍らせる。 だから、私は現実の暑さの方を選ぶのよ」

 「二木さん……」

 二木さんの過去は、僕だって知っている。

 どんな境遇だったのか、どんな忌まわしい過去が二木さんを、そして―――葉留佳さんとの間を蝕んでいたのか。

 二木さんは上着を手放したくないと示すように、ぎゅっと袖を掴んでいる。

 その長袖の下には、二木さんの辛い過去が隠されている。

 だけど、僕は思う。

 それは確かに二木さんにとって、とても辛いものだっただろう。だけどそれは同時に、二木さんの努力の結晶でもあると思うんだ。

 葉留佳さんと二人で闘い、乗り越えてきた証でもあるんじゃないかな。

 「はっきり言って、他人である僕が出しゃばるのはおせっかいにも過ぎるかもしれない。 だけど、それが僕だから遠慮なく言わせてもらうよ。 二木さんのソレは、必ずしも全部を否定するのは良くないと思う」

 「本当に遠慮がないわね……」

 「それは、確かに二木さんにとっては辛いものだったんだと思う。 でも、それと同時に、二木さんが一生懸命生きてきた印だとも、僕は思うんだ。 だから、全部を否定するのは、良くないと思う。 それは、二木さんの努力や、生きてきた証も、否定することになってしまうから」

 「……………」

 「僕は、そんなのは嫌だな。 二木さんは、今の今まで、立派に生きてきたんだ」

 そして、これからも。

 二木さんは強い。あのバス事故で、鈴と共に虚構の世界を駆け抜けてきた僕なんかよりも。

 僕とは比べ物にならないほど、二木さんは強い人なんだ。

 「そんな二木さんの強さや生き方は、本物だから。 僕が、保障する」

 「……随分と、偉そうに言うわね。あなたは」

 二木さんは嘲笑するように笑うが、その笑みもすぐに消えた。

 「あなたは簡単にそう言ってくれるけど、私自身はもう誰かを簡単に信じることなんてできないのよ」

 「少なくとも、僕は二木さんを信じてるよ」

 「……………」

 「僕は二木さんにどんな傷があっても、気にしない。 これは、本当のことだよ」

 「……だから、簡単に信じられるわけないじゃない……私は、もう……」

 長袖を両手で抱くようにぎゅっと掴み、小さく震えるような声を絞るように呟く二木さん。

 「忘れた? 僕は、二木さんの――――佳奈多さんの彼氏だ」

 「――――!」

 大きく目を見開いた二木さんが、僕の方に視線を向ける。

 「佳奈多さんは僕の大切な人だよ。 僕は、佳奈多さんを信じている」

 「直枝……」

 二木さん―――いや、佳奈多さんは顔を俯け、自分の身を抱き締めるように両手で袖を掴んでいたが、やがて口元を緩ませ、顔を上げた。

 「本当に、直枝は無遠慮で、お人よしね」

 「よく言われるよ……」

 苦笑する僕だったが、佳奈多さんはクスリと、とても綺麗な微笑みを漏らしてくれた。

 「あなたなんかに気を遣うのが馬鹿馬鹿しく思えてきたわ」

 「うん、気を遣ってくれなくてもいいよ。 僕は、佳奈多さんの彼氏だから」

 「…それ、とてつもなく恥ずかしいから、やめてくれないかしら」

 「え? いや、そろそろ下の名前で呼ぶのもいいかなーって思って……」

 「下の名前もそうだけど、か、彼氏とか……その、そういうのをはっきり言うのは……」

 「なんで? 事実じゃないか」

 僕がそう言うと、佳奈多さんがキッと睨んでくる。

 そして顔を赤くしながら、ちょっと怒っているような表情で、佳奈多さんは僕にズイッと顔を近づける。

 「そういうのは、もうちょっと心の準備が出来てからお願いできるかしら……悪いけど…」

 「僕はもう平気だよ」

 「私が平気じゃないのよ…ッ!」

 恥ずかしさと怒りで真っ赤にしている佳奈多さんの顔が、お互いの息がかかるほど近いと気付いた僕だったけど、佳奈多さんはどうやら気付いていないみたいだった。

 「まったく…ッ! あなたのおかげで全然仕事が進んでないじゃない! さっさと片付けるわよ」

 「う、うん。 あ、佳奈……」

 ギロリと睨みつける佳奈多さん。

 「―――二木さん」

 言いなおす僕。

 「なに?」

 「上着……」

 「脱がないわよ」

 「あれ~」

 「大体、もうすぐ日が落ちれば少しは涼しくなるから、脱ぐ必要はないわ。 …って、もうこんな時間ッ!? あなたのせいで全然進んでないじゃない、直枝ッ!」

 「え、ええっ? ぼ、僕のせい??」

 「当たり前よ。 ほら、ちゃっちゃとやるわよ」

 「うん……」

 こうして、なんだか少し機嫌が悪くなってしまったような二木さんと仕事を再開する。ちょっと気まずい微妙な空気だったけど、それは日が落ちるまで続いたのだった。

 

 その日の後、生徒会から数日以内に出来るだけ早く、学校内に設置されている冷房の点検と修理が実施される旨が全生徒に通達された。真夏に近づく暑さに参っていた生徒たちには喜ばしい報せだった。その裏では、厳しくもやる事はしっかりとやる風紀委員長の促しがあったのはまた別のお話。



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03.姉想いの妹

 夏休みが近づくと同時に、もう一つ、学生たちにとっては夏休みとは別の意味で大事な行事が近づいている。

 それが一学期分の成績を評価するための試験、期末テストだ。

 夏の暑さが照りつけ、最近になってようやく調子が悪かった冷房が完全復活を成し遂げ、学生たちに心地よい環境を与える今日。テスト期間ということで、学生たちはテスト勉強に明け暮れていた。

 「おい、理樹。 筋肉で遊ぼうぜッ!」

 昼食の学食を食べ終え、教室に戻ったお昼休みの時間、幼なじみの一人である真人が僕に筋肉関連の遊びを誘ってきた。

 大好物のカツ定食を食した真人は元気ハツラツだ。

 「真人、テスト勉強しなくていいの?」

 「う…ッ。 な、なんだよ、理樹。 お前、こんな休み時間にまで勉強なんかするつもりか?」

 「いや……というよりは、そんな遊びをするぐらいだったら、テスト勉強した方が有益なんじゃないかと」

 「ひでぇぜ、理樹ッ!」

 大袈裟なぐらいに衝撃に打たれる真人。そんなに泣くくらいショックだったのだろうか。

 「くそぅ……勉強と筋肉、どっちがいいかと聞かれたら、断然筋肉に決まってるじゃねえか……」

 四つんばいになり、床に涙を落しながら、真人は拳を握り締める。

 そんな真人の肩に、ぽんと優しく叩かれる手。

 「井ノ原さん、元気を出してください!」

 「クー公……」

 えきぞちっく(自称)なマスコット、蒼い瞳と亜麻色の長髪が特徴のクォーターのクドが落ち込む真人に天使の微笑みを与えている。

 「井ノ原さんの筋肉はサイコーです! 決して無益なんかではありませんよー」

 「ほ、本当か…ッ! 俺の筋肉は……最高だよなッ!」

 「はいっ!」

 「よぉしッ! なんだか筋肉がみなぎってきたぜッ!」

 「その意気ですよ、井ノ原さーんッ!」

 元気を取り戻した真人が、クドと共に「筋肉、筋肉~ッ!」と、踊り始めてしまった。

 僕はそれを暖かく見送るしかなかった。

 「あほだな」

 鈴は冷やかしの瞳で見送っていた。

 そしてそんな真人とクドの二人に、突如として乱入してきた来ヶ谷さん。クドを捕まえて、ギリギリなスキンシップを始めている。そしてそんな来ヶ谷さんに自分のことも構ってほしいのかアピールしている葉留佳さん。いつの間にか向こうでいつものリトルバスターズメンバーがドタバタと騒いでいた。

 その時、教室の扉が開くと、謙吾が現れた。

 「あれ、謙吾」

 謙吾は教室に入るとまっすぐ、僕の机までやってくる。

 「今日も外で食べてたの?」

 「……まぁ、そんなところだ」

 最近、謙吾はお昼の時、食堂ではなく外に行くことが多かった。以前までは僕たち幼なじみ五人が必ずと言って良いほど一緒に学食を食べていたけど、恭介が就職活動で抜け、続いて謙吾も別の所へお昼を食べているらしい。

 噂を聞く所によると、謙吾はとある一人の女子生徒と校舎裏でお昼を一緒にしているという話だ。そして、僕は返事に歯切れを悪くする謙吾を見て、その女子生徒は誰なのかなんとなく察しは付いていた。

 多分、謙吾と最近お昼に一緒しているのは古式みゆきさんだ。彼女の件で、僕たちも多少なりとも関わったことがある。

 そして謙吾にとっても、彼女はある意味放っておけない存在になっているんだと思う。

 それは、謙吾をよく知る僕をはじめとした幼なじみ五人組でも察しが付くことだった。

 「ところで、理樹。 あいつらは何をしているんだ?」

 謙吾は僕からの追及をおそれたのか、さっさと話題を振ろうとする。別に、僕は幼なじみとして謙吾のことはよく知っているし、深い追求は最初からしないけどね。

 「まぁ、いつものことだよ」

 「だろうな……」

 クドにぎゅっと抱き掛かって愛でる来ヶ谷さん。そしてその周りで真人と葉留佳さんが各々で騒いでいる光景。

 丁度、屋上から戻ってきた小毬さんと、中庭から戻ってきた西園さんも集まり、就活に出ている恭介以外のリトルバスターズメンバーが集合したことになる。

 「もうすぐ試験だというのに、来ヶ谷は良いとして、真人たちはあんなに遊び呆けて大丈夫なのか?」

 「う~ん、どうだろうね?」

 僕は苦笑して返すしかない。

 「泣いて飛びつくのがオチだろうがな」

 いつもの展開を口にして、謙吾はさっさと自分の席に戻ってしまった。謙吾の背に広がるリトルジャンパーのロゴが僕の視界に目立っている。

 なんだか、最近の謙吾はいつもとは違う。

 あの広い背中に、何か抱えているものがあるような。

 そんな気がした。

 それは、古式さんと関係があるのだろうか。

 「り~きくんっ!」

 突然、僕の視界斜め上から降りかかった声。振り向くと、そこにはさっきまで来ヶ谷さんたちの輪にいた葉留佳さんがいた。

 「どーしたのっ? ぼーっとして」

 二木さんの双子の妹、葉留佳さん。

 あの修学旅行までは仲が悪かったけど、バス事故の件で色々あって、無事に仲直りした姉妹。その片方である葉留佳さんは、二木さんとは正反対の性格をした、マイペースで元気いっぱいの女の子だ。

 「ううん、なんでもないよ」

 「そうデスか?」

 「うん」

 「理樹くんがそう言うのなら、はるちんは信じましょー。 そうそう、ところで理樹くん」

 「なに? 葉留佳さん」

 「―――最近、お姉ちゃんとはどこまで進んだのかな?」

 思わず、ぶっと吹き出す僕。

 そんな僕を見て、葉留佳さんは面白い風に笑っている。

 「な、なな何を…ッ!? は、葉留佳さん…ッ!」

 「おやおや、その反応からして見ると、あまり進展はしていないようデスねッ?」

 葉留佳さんはぷぷ、と口元をおさえ、はにかんでいる。その無邪気な笑顔は、葉留佳さんの専売特許だと思う。

 「うっ」

 「図星のようデスね」

 葉留佳さんは無邪気な笑顔を崩さないまま、周りには聞こえない、僕にしか聞こえないような声で、ずいっと近づく。

 「イイですかッ? 理樹くんとお姉ちゃんはレッキとしたカップルなんだから、お二人はその自覚を強く持ってもらわないといけないわけデスよッ?」

 「そ、それはそうかもしれないけど……でも、なんでそんなに唐突な…」

 「で、実際どこまで進んだの?」

 僕の言葉を無視して、葉留佳さんは一方的に迫りくる。

 どうやっても、葉留佳さんから逃れる術がないと観念した僕は、諦めて真実を語った。

 「………手を、繋いだぐらいだよ」

 僕の渾身の勇気を振り絞って、その答えが紡がれる。

 にも関わらず、葉留佳さんはきょとんとした表情だった。

 「は?」

 「だから、手を繋い……」

 「ええええええええええええええッッッ!!!?」

 突然、教室中に響き渡るような大声を出されたものだから、大いに僕は驚いた。教室にいるクラスメイトたちも葉留佳さんの絶叫に驚いたらしく、全員がこっちを見ている。

 特にリトルバスターズのメンバーが、各々の表情で僕たちに視線を釘づけにしている。

 「ちょ、ちょっと葉留佳さん…ッ!」

 「理樹くんッ! その話はマジのマジのマァァァジーングデスかッ!?」

 「混乱して言ってることが滅茶苦茶だけど、とりあえず落ち着いて!」

 深呼吸を促し、葉留佳さんは深呼吸をして落ち着いて見せる。何もそこまで驚かなくても……

 「なんだ、どうした?」

 鈴や謙吾たち、リトバスターズのメンバーが集まってくる。

 「な、なんでもないよッ! 大丈夫だから!」

 何が大丈夫なのか僕自身も聞きたいが、とりあえずこの話を皆に聞かれるのはあまり好ましくない。

 とりあえず僕は必死に皆を遠ざけ、再び葉留佳さんと二人で続きを始める。

 「ちょっと理樹くん、それはいくらなんでもないデスよッ!?」

 「え、ええっ? ど、どこが?」

 「どこもなにも…ッ! まだ手を繋いだぐらいって……その程度だとまだまだ小学生レベルだヨッ!?」

 葉留佳さんは予想以上と言う風に落胆してみせ、盛大に溜息を吐いてくれた。

 「まったく……仕方ないデスね……」

 「へ?」

 「いい? あのお姉ちゃんと付き合える男なんて、そうそういないデスよ。 その分、理樹くんは本当に恵まれた男の子なのデスッ」

 「そ、そうかな……」

 確かに、風紀委員長として刺々しい雰囲気を身に纏ってきた二木さんに、近づける男は滅多にいなかっただろう。

 だけど、葉留佳さんとの一件以来、その雰囲気も今となっては少しは和らいでいるように僕は感じられる。

 二木さんと付き合っていると、彼女の意外な素顔がわかって、とても楽しい時間が過ぎていく。

 そんな二木さんの素顔を知ることができる男は僕だけだと思うと、嬉しい気持ちになる。

 「おや、意外と理樹くんは独占欲がお強い?」

 「え…ッ!?」

 「理樹くんの考えていることは、お見通しなのデスよっ」

 最近の葉留佳さんには何だか、勝てる気がしない……。

 二木さんと仲良くなって、葉留佳さんもどこか変わってきているような気がする。

 それは、きっと良いことなんだと思う。

 「さっきも言ったように、お姉ちゃんのそばにいられる男の子は、理樹くんだけなんだよ。 だからさ、理樹くん」

 葉留佳さんは僕の正面に顔を近づけると、にっこりと微笑んだ。

 その笑顔と、その上お互いの顔の近さに、僕は不覚にもドキリとする。

 「かなたを、よろしくね」

 いつものとびっきりの笑顔とは違う、穏やかで優しい葉留佳さんの笑顔が、そこにあった。

 「葉留佳さん……」

 「かなたはウブだから、理樹くんからどんどん攻めていかないと進むものも進まないデスよッ! だから理樹くん、ガンガン積極的にGOッ!」

 「そ、それは……」

 「理樹くんは、どこにでもあるラブコメにいるようなヘタレの主人公じゃないよね?」

 「う、うん……」

 つい、葉留佳さんの威圧感に、頷いてしまう僕。

 「だったら、とことん攻めるがいいよ。 なんと言っても、はるちんの許可が下りたんだからねッ!」

 そう言って、ビシリと親指を立てる葉留佳さん。色々とツッコミたい所はあるけど、僕はあえて葉留佳さんの言うことをすべて受け止めた。それが本当に僕たちのことを考えてくれた葉留佳さんの言いたかったこと、葉留佳さんの僕たちを想う気持ちだったから。

 

 

 

 

 

 

 

 ―――だけど、僕はこの時、本当の葉留佳さんの気持ちを、わかっていなかったんだ―――

 

 

 ―――いや、本当はわかっていたのかもしれない―――

 

 ―――ただ、眼を背けていただけなのかもしれない―――

 

 

 

 その時、葉留佳さんの微かに過ぎった感情を、僕は気付いてあげられなかった。

 



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04.二木佳奈多の憂鬱

 学園内はテスト期間の真っただ中にあった。それさえ乗り切れば、学生たちにとっては待ち遠しかった夏休みが待っている。

 土曜日で授業が午前中に終わり、午後、寮長室で僕と二木さんは二人でテスト勉強をしていた。何故、寮長室でテスト勉強をしているのかと言うと、以前まで女子寮の寮長であるあーちゃん先輩の手伝いを佳奈多さんと二人でしていたからだった。

 「本当に助かるわ。 ありがとう、二人とも」

 風紀委員の仕事とは別に、あーちゃん先輩の手伝いも普段から行っているものだ。

 そして今回、僕も二木さんと一緒にあーちゃん先輩の手伝いをしていると……

 「そういえば、もうすぐ期末テストねぇ。 二人は勉強とか、してる?」

 唐突に、あーちゃん先輩が僕たちに問いかけてきた。

 書面に筆を走らせていた僕はその作業を一時中断し、答えを返そうとする前に、あーちゃん先輩がすかさず続けた。

 「どうせなら、ここで勉強していきなさい」

 あーちゃん先輩はニッコリとした笑顔でそう言った。

 僕と、そして二木さんでさえ、あーちゃん先輩は敵わない先輩だ。二木さんは少し不満そうな表情だったが、あーちゃん先輩の気持ちも無碍に出来ず、こうして僕たちは手伝いが終わった後も寮長室に残り、テスト対策の勉強をしている。

 ちなみに当のあーちゃん先輩は「私はお邪魔みたいだから、ごゆっくり~」と、なんだか変な気遣いをさせてしまったみたいで、僕と二木さんを残して寮長室から出て行ってしまった。

 そしてかれこれ三十分、僕たちは無言で、ペンを走らせる音だけを響かせながら、勉強をしていた。

 でも、頭が良い二木さんとテスト勉強をすることは、僕にとっては助かっていた。

 僕がわからない所を聞くと、二木さんは決まって「なに? こんなのもわからないの?」と相変わらず棘のある返事をくれるのだが、そう言いつつもちゃんと丁寧に教えてくれる部分が、二木さんらしい。

 「二木さんは本当に頭がいいね」

 褒め言葉のつもりで僕は言うが、二木さんは逆に怪訝な表情を浮かべる。

 「…いい、直枝? 人というのは最初から頭がいいわけではないのよ。 しっかりと勉強して、懸命に努力するからこそ、人は必要な知識を得ていくの。 直枝だってちゃんと勉強して努力すれば、すぐに私みたいになれるわ」

 「そ、そうかな……」

 「努力をしない人間は、その程度の人間なのよ」

 相変わらずの容赦ない言葉。だけど、その言葉の真理には、二木さんの隠された過去が垣間見える。

 二木さんは家族や親族同士の因縁で、常人には想像できないような努力を重ねてきた。ここに二木さんがいるのは、二木さんの生きる上での努力があったからこそだった。

 「私は最初から頭がいいわけじゃない。 陰でちゃんとやってるだけよ」

 風紀委員長として、二木の名字を背負う者として、常に上に立つ者でなければならない。

 そんな重圧(プレッシャー)が常に彼女にあるのだ。

 「そうだね……ごめん、二木さん」

 「あなたが謝ることじゃないわ……」

 それを最後に、二木さんは黙々とノートにペンを走らせ、教科書にマークを付けていく作業に戻った。僕も、目の前の広げられた問題を前に、ペンを走らせる作業を再開する。

 

 さらに時計の針が進み、二人のテスト勉強は黙々と続けられる。

 そんな中、僕はチラリと、ノートに視線を集中させる二木さんの顔を見詰める。

 僕は葉留佳さんの言葉を思い出す。

 確かに、僕と二木さんは付き合っているが、まだ恋人らしいことはしていないのも事実だった。最近やっと手を繋いだ程度。まだ、キスもしていないという中学生、いや小学生並みの恋愛経験しかない。

 急ぐ必要はないのかもしれないけど、妙に葉留佳さんの言葉が引っ掛かる。

 自分たちのペースでやればいい、そうは思っていても、僕の心は正直に焦っている。

 実際、二木さんに恋人らしいことをしてあげたいのも事実だ。そして僕自身もそれを望んでいる。

 二人の男女が個室にいて、ただ黙々とテスト勉強をしているというこの光景は客観的に見れば如何なものだろう。

 おかしいことではないかもしれないけど、もし葉留佳さんが見れば、また落胆されるかもしれない。

 僕は二木さんの彼氏として、どうすればいいのかな。

 そんな風に悩んでいる僕に、二木さんが怪訝に問いかけてくる。

 「……どうしたの、直枝?」

 二木さんの声に、僕はハッと我に帰る。

 「何か思い悩んでいるみたいだったけど、そんなに難しい問題でもあった?」

 「い、いや……その…!」

 二木さんのことで悩んでいたとは言えないよね。

 僕がなんて返そうか迷っていると、二木さんは一瞬悲しげに瞳を細くした。僕は、それを見逃さなかった。

 「……?」

 「………直枝、ちょっと聞いてもいいかしら」

 どうしてだろう、今の二木さんを見ると、どこか違和感を感じる。

 まるで別人のように一変して、暗い雰囲気が身に纏う。

 「なに?」

 二木さんは口を開きかけたが、戸惑うようにぐっと口を紡ぐ。だが、また躊躇気味に開かれ、言おうかどうかを迷っている。

 そして、意を決したように、二木さんは口を開いた。

 「……葉留佳のこと、なんだけど」

 ―――葉留佳さんのこと?

 二木さんの口から出てきた、葉留佳さんの名前。仲直りして以来、二人は仲の良い姉妹に戻ったみたいだが、今の二木さんの口から出る葉留佳さんの響きは、どこか悲しげだ。

 「葉留佳さんが、どうかした?」

 僕が聞き返すと、二木さんは少しの間沈黙したが、やがてやっぱり悲しげに口を開く。

 「葉留佳、どこか変わった所とか、ある…?」

 「変わった所?」

 意外な内容だった。葉留佳さんに変わった所があるかなんて、どうしてそんなことを聞くのだろう。

 「……いや、特に変わった所は見てないけど」

 「本当に?」

 「……うん」

 詰め寄るように言われると、ちょっとぐらりと揺らぐ。いや、確かに葉留佳さんの変わった所なんて、覚えがない……と、思う。

 「どうして? 葉留佳さんに何かあったの?」

 僕がそう聞くと、二木さんは珍しく戸惑いがちに返答する。

 「……ううん。 直枝がわからないなら、別に構わないわ」

 あっさりと、二木さんは首を横に振った。

 「え?」

 「私の、気のせいかもしれないし」

 そう言う二木さんの表情は、相変わらず悲しげだった。

 でも、双子の姉妹である二木さんがそう感じているのなら、きっとそうなんじゃないだろうか。僕なんかより、二木さんの方が信頼があるんじゃないかと僕は思うけど……

 「……そう、直枝は……まだ、わからないのね」

 「?」

 どうしてだろう、僕は二木さんの口から意味深なことを聞いた気がした。

 「ねえ、直枝……」

 「な、なに? 二木さん」

 二木さんの口から出る言葉に、既に僕は緊張していた。

 今までのこともあって、今度はどんなことを聞かれるのか、言われるのか、最早僕には想像ができなくなっていた。

 ただ、これだけはわかる。

 いつも棘のある口調、凛々しくも強い眼差しを宿した瞳、凛とした態度、時に見せる彼女の女の子らしさ。

 それらの二木さんとはまた別の、どこかで見たことがあるような、悲しげな二木さんが僕の目の前にいた。

 「……私は、直枝の恋人よね?」

 突然、そんなことを言われた僕の心臓がドクンと、強く脈打った。

 悲しげに、どこかのか弱い少女のような甘い、弱々しい声。

 そして二木さんのその言葉に、どんな意味があったのか。この時の僕にはまだわかっていなかった。

 「……うん。 僕は、二木さんの恋人だよ」

 その言葉を返した僕の顔が、熱くなるのを感じる。

 そして、目の前の二木さんもまた、ほのかに頬を朱色に染める。

 「………………」

 僕はやっぱり、二木さんに恋人らしいことをしてあげられていないのではないか。

 そして、二木さんはどうしてそんなに悲しそうなのか。

 僕や葉留佳さんのことが関わっているのか。

 とにかく、せめて今の僕が二木さんにしてあげられることは、これしかないと勝手に思った。

 「二木さん、気晴らしに外に出てみない?」

 「え…っ?」

 僕はある提案をしてみた。二木さんはきょとんとした表情になる。

 それもそうだ。テスト期間の真っただ中なのに、外に出ようだなんて。

 「明日は日曜日だしね。 こんな気晴らしもいいと思うな」

 「で、でも直枝……」

 「行こうよ、二木さん」

 僕の誘いに、二木さんは戸惑いを隠せなかったが、やがて僕の誘いに乗ってくれた。

 「し、仕方ないわね……」

 「ありがとう、二木さん」

 「……ふん」

 照れつつも、了承してくれた二木さんに、僕は感謝する。

 そして僕たちはとりあえず目の前にある勉強を再開することにした。二人だけの寮長室には、日が暮れるまで、いつまでも筆が走る音が響いていた。

 



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05.校門前での不思議な遭遇

 翌日の日曜日。

 校門の前で、僕はチラチラと腕時計を確認しながら、二木さんを待っていた。

 「二木さん、まだかな……」

 日曜日になり、僕は約束の待ち合わせ場所として指定した校門前で、二木さんを待ち続けていた。

 まだ待ち合わせの時間まで十分あるのだが、どうしてもそわそわしてしまう。

 まぁともかく、こうして二木さんとデートを取り付けることができて良かったと思う。

 テスト期間という時期だけど、こういう息抜きも大事だと思う。

 それに、僕は二木さんと一緒に出かけてみたいと思った。二木さんには出来るだけ楽しい思いを味わせてあげたい。

 最近仕事で忙しかったし、二木さんには気晴らしが必要だ。

 どこへ行こうか、何をしようかと考えていた僕は、校門にやって来た人物を、はっきりと確認もせずについ二木さんであると思いこんで振り返った。

 「あ、二木さ――――」

 「な…ッ」

 僕の視界に入ってきたのは、二木さんではなかった。

 僕はその人物を見た時、言葉が止まってしまった。そして、僕の目の前にいる彼もまた、驚いた表情で僕を見て固まっている。

 それは僕のよく知る人物、宮沢謙吾だった。

 「り、理樹……ッ! お前、何故ここに……」

 謙吾はどうしてか、ひどく驚いている。というか、動揺している。いつもクールな謙吾らしくない。

 「……あれ、謙吾。 珍しいね、一人で寮を出るなんて」

 普段は滅多に寮を出ない上、しかも学校の制服ならまだともかく、これもまたどこの祝辞に行くのやら正装姿だったのだが、僕の方が尚更ビックリだった。

 「どこにいても剣道着姿だった謙吾が正装なんて……どこかに行くの?」

 「う……、ま、まぁな……」

 しどろもどろになりつつ、視線を泳がしながら答える謙吾。

 でも、僕や恭介たちと街に出る時でもいつもの剣道着姿だったのに、どうしてこの時は正装なんだろう。

 余程、正装で行くほどの用事が謙吾にあるのだろう。

 「……り、理樹。 お前は……どうしてこんな所にいるんだ?」

 「どうしてって……僕はここで二木さんと待ち合わせをしているんだよ」

 「なに…ッ!?」

 また驚愕する謙吾。

 なんだかそんな謙吾に違和感を覚えて仕方がない。

 僕がここで二木さんと待ち合わせしていることに、そんなに驚くものなのだろうか。

 それとも、謙吾もここで誰かと待ち合わせでもしてるとか?

 「謙吾も校門前で、誰かと待ち合わせ? 真人か剣道部の人?」

 「ぐ……いや、その……なんだ」

 ここまで謙吾らしくない謙吾も珍しい。

 視線を逸らし、なんて言おうが迷っている謙吾の様子は明らかに怪しかった。

 そして、その怪しさの原因がはっきりとわかる瞬間が訪れる。

 「あ、二木さん」

 僕は謙吾の肩越し、その向こうの学校と寮がある方向から歩いてくる二木さんの姿を見つけた。

 そして―――

 「あれ?」

 謙吾の身体で遮られて見えなかったが、彼女たちが近づいてきてようやくわかった。二木さんは、とある女学生と二人で僕と謙吾の所に歩み寄っていた。

 二木さんの隣で歩いているのは――――

 「―――古式みゆきさん?」

 「なに…ッ!?」

 僕がその彼女の名前を呟くと、謙吾がものすごい勢いで二人の方へと振り返った。振り返った謙吾の驚愕した表情を見て、怪訝な表情を浮かべる二木さんと少しだけ驚いた古式さんの二人が、校門前の僕たちの所にやって来た。

 「なに? あなたは。 彼女が来たというのに、その顔で迎えるなんてどういうことなの?」

 「ふ、二木…ッ! お前、何故古式と……」

 「丁度寮を出るときに彼女と一緒になってね。 折角だから、同じ境遇の者同士、仲良く二人で一緒しようってことになってね」

 「……す、すみません。宮沢さん…」

 「いや、古式が謝ることではないのだが……」

 同じ境遇の者同士?

 そういえば、謙吾もここで誰かと待ち合わせをしているのかと思った。

 もしかして……謙吾は古式さんと校門前で待ち合わせをしていたのかな。僕と二木さんのように。

 「謙吾……?」

 「ち、違うぞ理樹…ッ! お前はきっと誤解をしていると思うが、俺と古式は決して男女の関係というわけではなくてだな……ッ!」

 「まだ僕、何も言ってないよ?」

 「ぐおおおお……ッ! ふ、不覚だぁ……」

 頭を抱えてから、崩れるようにして地に手を付ける謙吾。

 そのそばで古式さんが戸惑いつつも、謙吾に心配そうに名前を呼び掛けている。二木さんは蔑むような瞳で、謙吾を見下ろしていた。

 「宮沢さん、しっかり……」

 「ふん、情けない男ね。 古式さんも、馬鹿な男を相手にして大変ね」

 「……そんなこと、ありませんよ。 私は」

 古式さんは小さく微笑み、二木さんもまた肩をすくめて笑みを浮かべている。僕が見る限り、二木さんと古式さんの間柄は、どうやら親しいみたいであった。

 だからこそ、僕は驚いていた。

 二木さんと古式さん。この二人の組み合わせはどう見ても、接点があまりないものだと思う。

 どうして二木さんと古式さんは知り合いなのか。

 そして、謙吾と古式さんはどういった関係なのか。

 僕は非常にそれらの点が気になって仕方がなかった。

 「そういえば謙吾と古式さんも街に行くの?」

 僕は四つんばいになって落ち込んでいる謙吾の方に声をかける。

 「……ま、まぁな」

 苦し紛れの返答。そろそろ潔くなればいいのに。

 「僕たちみたいに、デート?」

 その僕の何気なく発した言葉に、僕以外の三人がそれぞれの反応を即座に見せてくれた。

 「な、ななな、何を言っている理樹ッ!」

 「そうよ直枝ッ! 大体人前でそんな堂々とデートだなんてこと、言わないでくれるかしらッ!?」

 「……あの、その……えっと……」

 あまりの気迫に、僕は思わずたじろうでしまう。

 「え、えーと……」

 でも男女が二人で街に行ったりするのって、明らかにデートだと思うんだけど。

 僕は唯一、この場でまともで落ち着いて話せそうな人物に声を掛けてみることにした。

 「古式さん、謙吾と街に行くんだよね?」

 「……は、はい。 確かに今日は、いつもお昼をご一緒させていただいたり、話をしてくださる宮沢さんへのお礼として、私が今日映画に誘……「メーーーーーンッッ!! マァァァァァンッッ!!」

 突然、古式さんの話を遮るように謙吾が竹刀を振る素振りをしながら僕と古式さんの間に割って入ってきた。

 「さぁて、古式ッ! もたもたしていると日が暮れてしまうからさっさと行くかぁッ!」

 「え、あの……宮沢さん…?」

 まだ朝なのに、謙吾はやけにハイテンシヨンにそんなことを言いながら、戸惑う古式さんの白い手をぎゅっと握ってしまう。

 その時、古式さんの頬に赤みがさしたのを、おそらく謙吾は気付いていないだろう。

 「そうだ、理樹。 お前に言いたいことがある!」

 「な、なに? 謙吾」

 「夕飯までに帰ることはできないが、俺が寮に戻り次第理樹の願い事をなんでも聞いてやろう。 わかったな?」

 要は、夕飯の時に自分がいない間、僕が真人や鈴たちにこの事を口外するなと言いたいわけだね。そして願い事とやらは口止め料というわけか。

 「わかったよ、謙吾。 ということは、夕飯も古式さんとご一緒に……」

 「ははははさらばだ理樹ッ! 二木も達者でなッ! リトルバスターズは、不滅だッ!」

 最後にワケのわからないことを言い残し、謙吾はものすごいスピードで古式さんの手を引いて、僕たちの前から行ってしまった。

 校門前に残される、僕と二木さん。

 「……馬鹿丸出しね」 

 「あはは…」

 二木さんの吐き捨てた言葉に、僕は苦笑するしかなかった。

 「じゃあ、僕たちも行こうか?」

 「……そ、そうね」

 僕が言うと、二木さんは少し照れながらも、ずんずんと先頭を切って歩き始めてしまった。

 僕は二木さんの背後を見て、口を開く。

 「そうそう、二木さん」

 「なに? 直枝」

 「二木さんの私服姿、似合ってて可愛いね」

 「な……ッ!!?」

 勢い良く振り返って、僕に驚愕の表情を見せつける二木さん。その顔は既に真っ赤だった。

 二木さんの私服姿はスカートの部分がひらひらした、とても可愛らしい白いワンピース。薄い生地で、夏には涼しそうな外見になっている。

 対して僕は青いジーパンに文字や絵が描かれた白いTシャツという至って普通の格好だ。

 傍目から見ても、やっぱりデートっぽい。特に二木さんは彼女という雰囲気が満開だ。

 いや、デートっぽいではなく、僕たちは恋人同士なのだから、本当のデートなんだ。

 「は、恥ずかしいこと言ってないでさっさと行くわよ、直枝ッ!」

 怒られてしまった。

 でも、あれは彼女の照れ隠しなんだと、僕はわかる。

 そして―――

 「でも……ありがと」

 こうやって、ちゃんとお礼を言う所も、彼女の良い所なんだということも。

 僕は先頭を歩く二木さんの横に駆け寄って、肩を並べて歩き始める。二人が向かう先は、謙吾と古式さんが消えた街の方角であった。



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06.その笑顔

 日曜日の街中で、僕は二木さんと色々な所を回った。

 最初は街中でも大きなデパートに入って、衣服コーナーに向かった。

 今着ている二木さんの私服姿もいいけど、二木さんは僕を連れて衣装売り場へと足を運んだ。ここで僕好みの服を二木さんに着せれるチャンスかもしれない。

 「二木さん、こんなのなんてどうかな?」

 僕は早速、数多く並ぶ様々な衣装の中から、選りすぐりの二木さんに似合っていそうな衣装を引っ張った。

 僕の選んだ衣装を見て、二木さんはジトッとした瞳で僕を見詰めてきた。

 「……直枝は女性の太ももが好みなのかしら」

 「え…ッ!? いや、そんなつもりは……ッ! ただ、二木さんに似合いそうだなと思って……」

 「……冗談よ」

 そう言うと、二木さんは僕の選んだ衣装を受け取り、試着室へと入っていった。

 二木さんの着替えが済むまで、僕はちょっとドキドキしながら待つ。

 カーテンが開いて、二木さんの可愛い姿が見られると思うと、待ち遠しくなる。

 そうしてそわそわしている内に、遂に試着室のカーテンがシャッと開かれた。

 その瞬間、僕は息を呑んだ。

 ひらひらしたピンク色のミニスカート。学校では風紀を厳守する風紀委員長として、スカートの丈を短くしないようにしている彼女には、考えられないほどの短さだった。ミニスカの中でも短いという部類の一つらしく、二木さんの眩しい太ももが輝いて見える。

 そんな二木さんの姿に、僕は言葉を失って見惚れていた。

 「……ど、どうかしら」

 二木さんのおずおずとした声に、僕はハッとなる。

 「……こういうの、慣れてないから……へ、変でしょ…?」

 「そんなことないよ。 凄く、いい…!」

 僕は正直に答えた。

 嘘偽りなんてない。素直に、今の二木さんは凄くいいと思う。

 慣れていないのは本当らしく、照れるように顔を赤くする二木さんは僕と視線を合わせようとしない。でも、そんな仕草もまとめて、今の二木さんは可愛かった。

 「そ、そうかしら……」

 「うん。 とても似合ってるよ、二木さん」

 「あ、あまり褒めないで。 褒めても何も出ないわよ」

 「僕はもう十分、貰ったよ」

 僕がそう言うと、二木さんは唇を噛んで、真っ赤にした顔を俯く。ぎゅっとミニスカの裾を握って、じっと何かに耐えるように固まった。

 「……でも、ちょっと露出がありすぎない? こんなに足とか見せて……こんな、傷だらけの身体の一部を晒して……」

 二木さんはどこか悲しげに、少し悔しげに、裾を掴んで顔を俯かせた。

 「二木さんの足は、とても綺麗だよ」

 「……ッ!」

 僕の言葉に、二木さんが息を呑む。

 そう。

 たとえ二木さんの身体に、どんな傷跡があっても、気にすることじゃない。

 僕は二木さんの恋人だ。だから、僕は二木さんのことが好きだ。愛していると言っても良い。

 世界中の誰よりも、僕は二木さんのことを愛している。

 そんな僕が君の足を綺麗と思うなら、君は僕を信じて、自分に自信を持ってほしい。

 僕は、その想いを二木さんに伝えた。

 お互いに恥ずかしくもあるが、僕は嘘をついていない。

 「これは、僕の正直な気持ちだよ」

 「……………」

 僕は微笑んで、二木さんに言ってみた。

 二木さんはじっと僕の方を見詰めていたが、やがて諦めたように、フッと肩の力を抜いた。

 「世界で一番恥ずかしいことを平気で言ってのけた男の人は、あなたが初めてだわ」

 そう言って鼻で笑った二木さんは、そのまま僕の選んだミニスカをレジまで持って行った。

 僕は喜んで、頬を赤く染める二木さんの隣で、財布の中身を有難く店員さんに差し出すのだった。

 

 「そういえば、二木さんって古式さんとどういった関係なの?」

 デパートの中にあったハンバーガーショップで昼食を取っていた僕と二木さん。僕は、目の前でもふもふとピクルス抜きのハンバーガーを口にしている二木さんに、ずっと気になっていたことを聞いてみた。

 僕の言葉に視線を向けると、二木さんは、ハンバーガーから口を離した。あ、口元にケチャップ付いてる……

 「まるで浮気を追及するような言い方ね」

 「え…いや、そんなつもりは……」

 二木さんがふんっと鼻で笑っている。

 僕は相変わらず二木さんの言うことにはしどろもどろになってばかりだった。

 でも、口元にケチャップをつけながら鼻で笑う二木さんも可愛く見えるのは秘密だ。

 「もう、二木さんったら」

 「な、なによ直枝。 なんか気持ち悪いわね……」

 「ひどいなぁ、二木さんったら」

 「ちょ…、な、なんで人差し指を立てて近付くの―――ひッ?!」

 僕はニコニコと二木さんの口元に付いているケチャップを、指でひょいっと拭ってあげた。

 「ケチャップ、付いてたよ」

 そう言って、僕はその指をぱくっと咥えた。

 「……………ッ」

 二木さんは顔を真っ赤にして、頭から蒸気を噴き出しながらバターンと前のめりに倒れてしまった。

 めりめり、と机に二木さんの額がめりこんでいるように見えるのは気のせいだろうか。

 「ふ、二木さん……?」

 周りの客の視線を浴びながら、おそるおそる問いかける僕の問いかけに、額を机に突っ伏す二木さんが口を開く。

 「私はあなたのような、羞恥に対して何の抵抗も示さないおかしな精神を持ち合わせてないのよ……」

 「ええ~……」

 ゆっくりと顔を上げた二木さんの額は、ちょっと赤くなっている。

 頬もまだ赤みを帯びていたが、こほんと咳払いすると、二木さんはキッと僕を睨み据えた。

 「……そろそろ、さっきの質問に答えさせてもらってもいいかしら?」

 「ど、どうぞ」

 二木さんは深呼吸を終えると、真剣な表情に変わる。

 そして、ゆっくりと言葉を紡いだ。

 「古式さんに関しては、例の一件があったからよ」

 それは、僕たちにとっても背筋が凍るような体験だった。

 屋上から飛び降りた古式さん。いや、正確には、飛び降りそうだった所を、教師たちに追い詰められた古式さんが足を踏み外してしまった。屋上から足を踏み外してしまった古式さんに向かって、咄嗟に飛び出した謙吾。二人は奇跡的に助かったが、古式さんはあの事件の後も、色々とあったらしい。

 「飛び降りてしまった彼女は、その後もご両親との面談や、校内での彼女に対する懲罰や対処も検討された。 風紀委員長である私も、古式さんの相談に乗っていたわ」

 古式さんの身には確かに色々とあった。だが、古式さんはそれが自身が招いた罰として受け止め、ずっと耐えてきた。そんな彼女の内には、きっと罪滅ぼしだけじゃない。謙吾の存在もあったからだろう。謙吾の古式さんへの思いが、古式さんに伝わったからこそ、謙吾と古式さんは今も二人一緒なんだ。

 「相談に乗っていくうちに、私は古式さんと、プライベートに関しても気兼ねなく話せる関係になっていた。 そして―――」

 二木さんは、ふっと目を細くした。

 「あなたたちのバスが崖下に転落した事故の時も、病院に駆け付けた私の他にもいたのが、彼女だった」

 あの修学旅行の最中に起こったバス事故。

 僕たちが収容された病院には、同じ学校の生徒さえ行くことは、学校側からは許されなかった。事故当時、学校にいた他の学年は休校となって寮で自主待機を指示されたらしいし、事態が落ち着くまで外出さえ許可が下りなかった。あーちゃん先輩も、僕たちのことを本当に心配してくれて、すぐに病院に行こうとしたが、いくら女子寮長のあーちゃん先輩でも、その学校側からの指示のせいで無理だったと聞いたことがある。

 そして同じく、事故に合わなかった方の、同じく修学旅行に参加していた別クラスは、直ちに学校に戻るよう連絡されていた。

 僕たちが病院に収容され、別のクラスは全員、学校と寮に帰るはずだった。

 だが、意外にもそこから飛び出したのが、二木さんと古式さんだったらしい。

 二木さんや古式さんたち、別クラスの乗ったバスは事故現場から近い旅館に停まり、そこで帰り支度をして学校に帰る手はずだったらしい。

 「生徒たちは少しの間、待機するように言い渡された。 でも、私は葉留佳がまさか、あの崖下に落ちたバスの中にいただなんて、想像していなかった。 それを知った時、私は初めて風紀を違反する決意をしたわ」

 

 

 そう、私の中で“風紀委員長の二木”より、“葉留佳の姉”である私が、子供の頃以来、しばらくぶりに甦ったのだ。

 「教師の目を盗み、こっそりと抜け出した私が丁度目にしたものは、同じく抜け出していた古式さんの姿だったわ」

 『あなた、なにしてるのッ!? こんな暗い時間帯の中を一人で…ッ!』

 つい、風紀委員長としての貫録が出てしまっていた私。

 だが、古式さんは即座に私に向かって反論した。

 『お願いです…ッ! 皆さんが運ばれた病院に、今すぐにでも行きたいんです…ッ! 私、宮沢さんに……宮沢さんに……ッ!!』

 そう言いながら、最後の方は泣きそうな声で膝を崩した古式さんに、私は戸惑っていた。

 普段の彼女にはとても信じられないような、必死な、大きな声だった。

 『し、静かにしなさい…ッ! じ、実は私もあなたと同じなのよ……』

 『二木さんも……?』

 『そ、そうよ……なんか、悪かったわね……』

 きっと古式さんは、自分が止めに来たと思ってしまったのだろう。私はそれを思って、反省し、古式さんに謝った。

 だけど―――

 『…いいえ、むしろ二木さんと会えて良かったです。 私一人では、ちゃんと病院に辿りつくかどうかさえ、不安でしたから……』

 そう言って、私の手を優しく握りながら、彼女は微笑みを浮かべた。眼帯とは別の、片方の瞳の緑に涙を光らせながら。

 『そうと決まれば、早速行きましょう……一緒に』

 『ええ』

 そして、古式さんは走り出した。

 『ちょっと待って! あなた、病院の場所、知ってる?』

 『………どこでしたっけ』

 恥ずかしながら戻ってきた古式さんに、私は溜息を吐いた。本当にこの娘が一人で行っていたら、無事に病院まで辿りつけなかったかもしれない……

 仕方ないな……もう。

 私は古式さんの手を引いて、一緒に駆け出した――――

 

 

 「……意外だね、あの古式さんが」

 そして二木さんも。

 「彼女をあそこまで変えた宮沢に嫉妬するぐらいだわ」

 言いながら、二木さんはセットに付いているドリンクのストローを口にした。

 一緒に大切な人の所に向かって、ずっと願いをこめていた似た者同士の二人。

 それが、二木さんと古式さんを共通させる部分だったのだろう。

 「当時のことを話して、改めて思ったから言わせてもらうわ」

 「え、なに?」

 ポテトに手を伸ばしかけていた僕だったが、二木さんの言葉によって、手を止める。

 「葉留佳を助けてくれて本当にありがとう……」

 「二木さん……」

 「私も、古式さんも、あなたには感謝してる。 だって、あなたと、そして棗さんの二人で葉留佳や皆を救い出してくれたものね……本当に、私の大切な妹を助けてくれて、ありがとう」

 おかげで、大切な人を思い出すことができた―――

 二木さんは、そう言っているかのような穏やかな表情を、僕に向けていた。

 だが、その穏やかな内に悲しげな瞳が一瞬見えたのは、気のせいとは感じなかった。

 「二木、さ……」

 「さ、そろそろ行きましょう、直枝。 もう食べ終わったかしら?」

 「え…あ、う、うん……」

 僕はすっかりとしなびてしまったポテトをチラと見つつ、答えた。それに気付いていないのか、二木さんは「そう」と荷物を持って立ち上がってしまった。

 「行くわよ、直枝」

 「う、うん。 あ…待って、二木さん」

 二木さんはニコリと微笑んで、先にレジの方に歩いていってしまう。僕は急いで二人分のお盆を片付けると、レジで会計を済ませた。外で待つ二木さんに、僕は駆け寄る。そんな二木さんの肩にかけているバッグの中身は、僕が買ってあげた二木さんのミニスカがあった。

 二木さんは本当に優しそうに笑っている。普段の彼女にはあまり拝めない貴重な表情だったけど、何故か、僕は何かが引っ掛かる気分で仕方がなかった。

 彼女がデートを楽しんでくれていると思う。だから笑っている。それは否定はしない。でも、この笑顔は何故か、無理をして笑っているように見えなくもなかった――――

 

 「そこのお熱い二人、ちょっといいかい?」

 

 僕は何か紐で引っ張られたかのように、ぐっと踏みとどまった。その二重に重なるようなちょっと不気味な声に、僕はゆっくりとその声の主の方へと振り返る。

 そこには、黒マントで身を覆い、仮面をかぶった男が、路上の隅にいた。

 「え……?」

 僕はその仮面の男を見た途端、脳裏にノイズが走った。

 古い映画のフィルムのような映像が、記憶の中に甦る。だが、雑音と乱れた映像が酷過ぎて、ほとんどのことが思い出せなかった。

 一瞬、自分と対峙する仮面の男がいたような……?

 「ちょっとこっちに立ち寄ってみないか、お前たち」

 明らかに怪しい。黒マントで身を覆い、漫画に出てくる悪役みたいな仮面をかぶっている上に、帽子を深くかぶっているために、素性が全然わからない。

 一〇〇パーセント怪しいのは確実だったが、どうしたわけか、僕はその男のことが気になっているのも事実だった。

 「どうする、二木さん…?」

 二木さんも怪しい男を怪訝な表情で見詰めていた。

 「……ちょっと、寄ってみましょう」

 「ええっ!? ほ、本当に?」

 「どんなものなのか、興味はあるわね」

 「た、確かにそうだけど……」

 まさか二木さんが頷くとは思わなかった。

 でも、僕も仮面の男を見た時、自分でもよくわからないような違和感と興味が沸いていた。だから、僕も変な魔力に引き寄せられるかのように、二木さんと共に、その怪しい仮面をかぶった男の方に歩み寄った。



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07.託す想い

 路上の隅に佇んでいたのは、黒マントを覆い、奇妙な仮面と帽子で素顔を隠した一人の男だった。

 声を掛けられた僕と二木さんの二人は、見るからに怪しさ満載の男を目の前にする。

 どこからどう見ても、怪しいことは変わらない。

 だけど、僕たちの学園の制服が、黒マントの間から微かに伺える。とりあえず彼の正体が、同じ学園の生徒であるからか、どうしてかわからないけど、何故か彼のことを初対面とは思えない僕がいた。

 奇妙な違和感を抱いていた僕だったが、二木さんの声で我に帰る。

 「で。 あなたは何者なの? どうして私たちに声を?」

 仮面の裏で、男が微かに笑った気配が伺える。

 「なに、ただの気まぐれさ。 だが、俺が声を掛けたことによって、お前さんたちが俺の所に来たということは、お前さんたちはこれから起こる現実を受け止める覚悟をしたということだ」

 仮面を被っているからか、男の声は妙にくぐもっているというか、どこか不協和音な声だった。

 それにしても、覚悟とか大袈裟なことを言う人だ。

 二木さんのほうをチラと様子見すると、二木さんはいつものような鋭い目つきだ。目の前にいる仮面の男をジッと見詰め、男の言葉を真剣に受け止めているみたいだった。

 「あなたは、これからの現実を知っているの?」

 何故だろう。これからの現実という言葉が、二木さんの口からだと、妙に重たく感じる。

 「さぁな」

 彼の返した一言に、二木さんは眉間に皺を寄せる。僕以上に、二木さんは目の前にいる彼のことを怪訝な視線でずっと見詰めていた。

 「だが、俺はこれから一人で消えようとしているヒーロー気取りの存在を、近くにいるくせにそれも気付かない鈍ちんに教示してやろうとしているだけだ」

 「!!!」

 その時、二木さんの肩が大きくビクリと跳ねた。

 僕が驚いて二木さんの顔を覗くと、二木さんの鋭かった瞳は、今は目一杯に広がり、驚愕の色に満ちていた。

 そして、徐々に怒りの色に変色していく様子を僕は目撃する。

 「あ……なた……」

 二木さんの声が、わなわなと震えている。

 さっきから感じていたことだけど、二木さんはどうやら目の前の彼を知っているのではないかと思うほどの態度を見せていた。

 そして今の二木さんこそ、まるで余計なお世話をする知人に対して物凄く怒っているような、そんな感じだった。

 「どういうつもり……?」

 噴き出しそうになった怒りをぐっと抑えたかのように、二木さんは声を落ち着かせるようにして、彼に問い詰める。

 「ふん」

 彼は、仮面の底から鼻で笑う。

 「人は人を救えない」

 「ッ!?」

 彼の呟いた言葉。それに過剰に反応する二木さん。僕はただ、その二人の光景を傍観することしか出来ない。

 でも、見ている僕だからこそわかる。

 まるで、彼の言葉が、二木さんの言葉のように聞こえた。

 「そんなことを勘違いしているのは、大きな間違いだ」

 「あなた、なんで……」

 「依頼人から受け取ったもんだ。 お前さんがよく知っているはずだが」

 依頼人?

 ますます、わからなくなってくる。

 この男は二木さんの知っている人で間違いないだろう。

 そして、もしかしたら僕も……

 でも、何が目的で、何を二木さんに伝えたくて、この人はそんなことを言っているのだろう。

 「あのこ……」

 「え?」

 二木さんは顔を俯いて、ぐっと下唇を噛んでいる。

 「お前さんがやろうとしていることは、誰一人として望んじゃいない。 そして、それが最善の未来であると、お前さんは自分にそう言い聞かせているだけで、本当は納得なんかしていないはずだ」

 顔を下げた二木さんの表情は見えない。

 だけど、握り締めた拳が、ふるふると震えている。

 「そして、そこの小僧」

 「こ、小僧って、僕のこと…?」

 小僧なんて呼ばれたのは生まれて初めてかもしれない。

 しかも、妙に威圧感がある。

 「お前は気付いているかどうかは知らないが、この女には、お前という存在しかいないということを忘れるな」

 え……?

 「なにを、わかって……ッ!」

 二木さんの声が、怒りと微かな悲しみを帯びて、放たれる。

 「あなたなんかに、私の何がわかるというの……ッ!」

 二木さんの怒りに満ちた形相が、仮面の男に真正面から向けられる。二木さんは彼に負けない威圧感をビシビシと走らせていたが、彼はそれらを全て仮面に受け止めても、微動だにしない。

 「二木さん……」

 そこで、僕は気付く。

 二木さんの瞳の縁に、じわりと滲む涙。

 そして、悔しそうに歪む口端。

 まるで、隠していた秘密がバレて、親に怒られたような、子供の顔だった。

 いつの間にか、周囲の視線が僕たちに突き刺さっていた。険悪な雰囲気を醸し出す僕たちに突き刺す周囲の視線は、喧嘩か何かを見るような冷たい視線だった。

 「二木さん、そろそろ行こうか……」

 僕が声をかけ、そして、そっと二木さんの固く握り締めて震える拳にそっと手を添えると、二木さんはやっと僕のことを気付いたかのように、ハッと僕の方を見た。

 僕を見た二木さんの顔からは、既に怒りも何も消えてなくなっていた。

 「直枝……」

 二木さんも、集まりだした周囲の視線に気付く。

 僕は二木さんの手を引いて、周囲の視線の輪から急いで抜けだした。

 周囲の視線が立ちさる僕らを見送る中、僕はチラリと、そこに佇む仮面の男を見た。仮面の男はじっと立ち去る僕たちの背中を見ていたが、やがて仮面の男は人の波の奥へと消えていった。

 

 あの場から逃げ出し、こうなってはデートを続ける気分ではなかった。

 だから、僕たちは学園の寮への帰路についていた。

 いつの間にか夕日が空をオレンジ色に染めている。気がつけば、結構街の中で時間を費やしていたんだなと僕は思った。

 夕日に染まった河川敷の土手を、二人並んで歩く。

 二木さんは、あの仮面の男のことがあって以来、一言も口を開くことはなかった。視線を下げ、静かに僕と並んで歩いているだけだった。

 本当に彼は何者だったのだろうか。そして、二木さんは……

 僕は、あの仮面の男が言っていたこと。そして二木さんの言葉と反応が、妙に引っ掛かっていた。

 「……直枝、さっきのことなんだけど」

 まだ土手の半分ぐらいの辺りを歩いていると、二木さんが急に立ち止まった。そして、先に歩き進んでしまった僕に声を投げかける。

 僕は立ち止まり、二木さんのほうに振り返る。

 「なに? 二木さん」

 「さっきのことは、気にしないで頂戴……」

 さっきのこと。

 僕が、ずっと気になっていたこと。

 その事に気にしないでほしいと言った二木さんの表情は、どうしてか、とても寂しそうだった。

 「二木さん……」

 僕の声に、ビクリと震える二木さん。

 「な、なによ……」

 「二木さんは、一人で消えようとしているの……?」

 「―――ッ!!」

 仮面の男が言っていた言葉。

 あれはきっと、二木さんのことを言っていたんだ。そして、二木さんがこれから何をしようとしているのかを。

 言われるまで気付かなかったのだろうか、僕は。

 でも、最近の二木さんには奇妙な違和感を感じていたのは、確かに本物だった。

 そしてその違和感の正体を、ここで初めて気付いたと思う。

 二木さんは沈黙した。

 僕は、二木さんと視線を絡める。

 聞こえるのは土手の近くに生える草の絨毯が、風に撫でられる音。そして、流れる川の音。沈んでいく夕日の光が、二木さんの身体を染めた。

 「……もし、そうだとしたら、直枝はどうする?」

 二木さんは、僕の問いかけに肯定するかのような返し方をした。

 そして僕はそんな二木さんの言葉に、驚きを隠せなかった。

 「まさか本当なの……? 二木さん……」

 驚きを隠せない僕の表情に対して、二木さんの表情は悲しそうな色に染まっていた。

 「消える……って、本当に……? どういうことなの、二木さん…ッ!」

 「直枝には、話してなかったわね……」

 話して無かったって何さ。

 どういうことなのか説明してよ、二木さん…!

 僕は必死に、そんな言葉を心の中で叫んでいた。

 僕の心の叫びに対して返すように、二木さんは言葉を紡ぐ。

 「私はね、近い将来、三枝本家の跡取りとして、顔も知らない男の人と結婚しなければいけない運命なの」

 「え……?」

 三枝本家。

 それは、葉留佳さんと二木さん二人の姉妹の本来の家。そして、葉留佳さんと二木さんを引き離した忌々しい家紋を背負った家。

 「近い将来というか、もしかしたらこの学園を卒業したら……早ければ、学年を進級する前にこの話は来るかもしれない」

 「……!!」

 「私の恋人である直枝には悪いけど………私には、本家が勝手に決めた婚約者がいるのよ。 それも三枝本家跡取りにふさわしい血筋と能力を持つと認められた、顔も知らないような男よ」

 「……………」

 「そして私は、私個人の意思なんて関係なく、その男と結婚させられ、三枝本家の為だけにこの身を私の夫となる男に全てを捧げることになる。 結婚前まで顔も知らなかったような、好きでもない男に抱かれ、跡取りを産まされる。 跡取りを産まされたら、私はどんな扱いにされるかわからない。 それが、私の課せられた運命」

 「そんな……そんなのって……」

 「あるのよ、直枝。 そんな馬鹿げたような話が、実際に私のすぐそばに昔から決められていたのよ。 その時が、もうすぐ来るというだけ」

 「……凄く、酷い話だ……」

 「そうね、酷いわね」

 二木さんは、自虐するように笑うが、その瞳は悲しそうに揺れている。

 「許せないよ……」

 その人たちが。

 二木さんを本家の道具のように扱う、赤い血が通った人間だとは信じられないような人たちが。

 「……私とあなたは、確かに彼氏彼女の関係だった。 でも、こうなることがわかっていたのに、私はあなたを受け入れてしまった……それが、間違いだった……」

 「二木さん……」

 「だって……本当に好きな人を知ってしまったら、これから自分の未来に訪れる現実が、とても嫌に感じるから……本当に好きな人がいるのに、好きでもない男に抱かれると思うと、一人の女として、とても嫌……もっと、嫌………」

 徐々に、二木さんの声も悲しみに震えていた。

 「でも……これは……大好きな葉留佳を守るためでもあるから………私が犠牲になるしかない……三枝の忌々しい呪縛は、私の身体が全て引き受ける……そして、私一人だけが、いなくなれば全て解決……葉留佳は、幸せになる……」

 「……ッ! それは、違うよ……ッ!!」

 それは、違う。

 二木さんがいなくなってしまえば、葉留佳さんは絶対に悲しむはずだ。

 自分のためだったと知れば、尚更。

 そして僕もそうだ。

 二木さんが一人だけ全てを抱え込んで消えてしまうなんて、そんなのが許せるはずがない。

 

 

 

 ――――でも、私は許せたのよ。

 どんなに理不尽で、死んだ方がマシなほどに嫌なことでも、葉留佳のためなら、私は受け入れることができた。

 失いかけて思い出した、大切な存在。

 それを思い出させてくれた人。

 そして、心を許せる大切な人を、見つけてしまったから。

 だから、私は一人で消える決意ができたのよ。

 

 

 実を言うと、私が話したことは少し嘘でもあった。

 婚礼の話は、卒業した後……あるいは、早ければ三学年に進級する前に、と言ったが……

 実際の所は、もっと早かった。

 私と葉留佳の仲が戻ったことを、学園内にいる三枝本家の監視役が察したらしく、婚約の話は急遽早急に行われることが決定された。

 葉留佳との関係を取り戻した私によって面倒なことが起きない内に、早目に葉留佳がいる学園から出して、結婚させてしまえという本家の方針からだった。

 そして、私がある男と付き合っているという情報が、致命的となったのも事実だった―――

 頑張って気付かれないようにしたけど、監視役の目は、長くは誤魔化す事が出来なかった。だが、これは仕方のないことだった。

 「私を好きでいてくれて、ありがとう直枝。 そして、これからは私の大事な葉留佳を、守ってあげて―――」

 「……………」

 葉留佳を託せる。

 自分の心を許せる彼には、葉留佳を託すのにふさわしい。

 ちょっと頼りないかもしれないけど。

 彼ならきっと、葉留佳を幸せにしてあげられる。

 

 だって、葉留佳も私と同じだから――――

 

 「二木さ――――ッ!?」

 突然駆け寄った二木さんに、唇を塞がれる。

 二木さんに何かを言いかけた僕の言葉が、二木さんからの初めてのキスによって、出ることを許されなかった。

 僕の胸に手を当て、つま先を上げ、そっと唇と唇を離した二木さんは、最後に微かな笑みを浮かべた。だけど、その瞳は悲しみに揺れているのを、僕は見逃さなかった。

 僕は二木さんを引き止めたかった。

 だけど、まるで二木さんのキスによって力を吸い取られたかのように、僕は動く事が出来なかった。

 唇を離した二木さんは、僕の横を通り過ぎて、小走りで立ち去っていく。

 僕の横を通り過ぎる間際、二木さんは小さな声で、僕に言った。

 「―――さよなら、直枝」

 それは、永遠の別れの言葉だった。

 その言葉を聞いた時、僕の身体に力が戻ってきた。

 既に遠くへと離れてしまっていた二木さんの背中に向かって、僕は息を吸い込み、大声で言った。

 「二木さんッ!!」

 僕の声に、遠くで、二木さんの背中が立ち止まる。

 「僕は決して、きみを見捨てないッ! たとえ、本当にそんなことが起こったとしても、二木さんが僕や葉留佳さんたちの前からいなくなっても、僕はきみの元へと駆け付けるッ!」

 僕は思いのたけを叫び続ける。

 遠くで立ち止まっている二木さんに届いていると信じて。

 「僕は、絶対に助けに行くよッ!!」

 一人で消えていこうとするヒーロー気取り。

 あの時、仮面の男はそう言った。

 だけど、違う。

 僕こそが、ヒーロー気取りだ。

 いや、本物のヒーローになる。二木さんを救うヒーローに。

 なんて言ったって……

 僕は、正義の味方、リトルバスターズの一員なんだから……ッ!

 

 僕の叫ぶ思いが伝わったのかどうかはわからない。だけど、遠くにいる二木さんは、微かに頷いてくれたように見えた。遠くにいたから、ただの僕の気のせいかもしれない。

 でも、僕は信じる。二木さんは僕の言葉と一緒に、僕たちのことを忘れないでいてくれる。二木さんの手には、僕がデパートで買ったプレゼントが、しっかりと持たれていた。

 翌日、学園から二木さんの姿が消えた。二木さんが学園からいなくなったと知った時、僕はすぐに行動に移していた。葉留佳さんも所属する、正義の味方、リトルバスターズと共に。



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08.集まるカケラ

 明くる月曜日、突然のように学園から二木さんがいなくなった。

 あーちゃん先輩によると、部屋もモヌケの空だったらしい。正式な手続きにおいても、二木さんが退寮したことが確認されたが、当の女子寮長であるはずのあーちゃん先輩は何も事情を聞かされていなかった。

 風紀委員の人も誰一人、二木さんの行方を知る者はいない。

 二木さんに何が起こったのか、僕だけがそれを知っていた。

 だから、僕はすぐに行動に移した。二木さんを助けるために。

 「みんな、いきなりなのに集まってくれてありがとう」

 今や僕たちリトルバスターズの根城となった野球部の部室で、僕を中心に、リトルバスターズのみんなが集まっていた。

 就職活動から帰ってきていない恭介を除いて、リトルバスターズメンバーが全員集結している。

 何故、みんなを呼んだのか。

 二木さんを救い出すためには、僕一人だけの力ではどうしようもできない。

 だから、みんなの力を借りることに決めた。

 「ここにみんなを集めたのは他でもない、今日から突然学園からいなくなってしまった二木さんのことなんだけど……その二木さんの関係で、みんなの力を借りたい」

 二木さんの話は、既に学園中に広まっている。誰一人知らないうちに、忽然と退寮までしてしまったのだ。この異常さは、話題にならない方がおかしい。

 みんなの真剣な表情を一つ一つ見て回り、そして―――葉留佳さんの顔を見据える。

 葉留佳さんも、二木さんを想う表情になっている。

 僕はみんなに、二木さんに関する事情を説明した――――

 

 

 事情を説明し終えると、部室には張り詰めた空気が辺りを包んだ。

 初めて知った、二木さんのこと。二木さんと、そして葉留佳さんとも関わりが深い、三枝本家との因縁。

 それらを初めて聞かされたみんな、そして改めて聞き、二木さんのずっと抱えていた気持ちを知った葉留佳さん。

 「……色々と思うことはあるかもしれない。 突然こんな話をして、みんなを巻きこませようとしていることは本当に悪いと思ってる。 でも、僕は―――」

 「理樹くんッ!」

 部室に響いた、声。

 その声に、一斉にみんなの視線が集中する。

 「葉留佳さん……」

 普段はイタズラ好きのサイドポニー少女、二木さんの妹である葉留佳さんが、決意染みた表情をして、僕の方にずんずんと歩み寄ってきた。

 「理樹くんは、勘違いしてる」

 「え…っ?」

 僕の目の前で、葉留佳さんの真剣な眼差しが、僕の瞳を射る。

 「巻き込ませたのは、私たちの方だヨッ! これは、元々私たち姉妹の問題……理樹くんは、私たち姉妹に巻き込まれただけなの」

 「葉留佳さん……」

 葉留佳さんの表情が、弱々しくなっていく。葉留佳さんも、二木さんのことが本当に心配なんだ。

 

 違うよ、葉留佳さん。

 巻き込まれたとか、そんなのじゃない。僕が自分から、大切な人として、二木さんと一緒にいたかったから来ただけなんだ。

 だから、もうこれは二人の問題じゃない。僕の問題でもあるんだ。

 

 「僕は、一人じゃ何もできない。 そんな情けない僕だけど、二木さんを助けるために、みんなの力が必要なんだ。 勿論、葉留佳さんも……」

 「理樹くん……」

 僕はそっと葉留佳さんの両肩に手を添えた。崩れてしまいそうなほどに弱々しくなってしまっている目の前の彼女のためにも、僕が支えてあげないといけない。二木さんを、救い出さなければならない。

 

 その時、部室の空気がふわっと和らいだ感じがした。

 「水臭いぜ、理樹。 俺たちが力を貸さないとでも思ったのか?」

 「そういうことなら、ぜひ協力させてもらおう」

 「真人、謙吾……」

 開口一番、真人が筋肉を自慢しながら、笑いかけて言ってくれる。その隣にいる謙吾もまた、続いた。

 「ふむ、二木女史と葉留佳くんの為だ。 喜んで力になろう」

 「姉御…!」

 フ、とクールに微笑む来ヶ谷さんに、葉留佳さんは瞳を潤ませた。そして来ヶ谷さんに続くように、次々と表明する女性陣。

 「もちろん、おーけーだよ~」

 「わふーっ! 佳奈多さんは必ず助け出しますッ!」

 「私も、微力ながら参加させていただきます……」

 「あたしもだ」

 「みんな……」

 みんなの好意に、自然と目頭が熱くなる。

 「私も、協力させてもらうわ」

 部室の扉から掛けられた声。開いた扉越しに背を預けている人物に、僕は驚きの声をあげる。

 「あーちゃん先輩ッ!?」

 女子寮長であり、二木さんとも親交が深いあーちゃん先輩がそこにいた。そして、その隣にはもう一人……

 「古式ッ!?」

 今度は驚愕の声をあげる謙吾の声。

 あーちゃん先輩と一緒にいた人物は、眼帯の少女。古式みゆきさんだった。

 「女子寮長である私の許可無しに、いなくなるなんて許せないわ。 しっかりと、門限までに帰ってもらわなきゃ、ね」

 いつものように優しく声を掛けるように言いながら、ウインクをして見せるあーちゃん先輩。

 「あーちゃん先輩……」

 「……私も、二木さんには本当にお世話になっています。私も、二木さんを……助けたい、です」

 「古式……」

 リトルバスターズに加えて、あーちゃん先輩と古式さんの二人が賛同する。

 いつの間にか、二木さんを助け出そうとする人が、こんなにも僕の周りに集まってくれていた。

 

 僕は、より強く思った。

 

 二木さんを助けようと、力になってくれる人がこんなにもいる。一人で消えようとしている二木さんを連れて帰ることが、本当にできるかもしれない。

 いや、絶対に連れて帰ってみせる。

 みんなの好意を無駄にしないためにも。

 僕は、まだこの状況に信じられないという風に呆然としている葉留佳さんと顔を見合わせ、僕は微笑み、そして力強く頷いた。

 そんな僕を見て、葉留佳さんも顔を綻ばせる。

 「みんな、ありがとう……」

 そんな感謝に満ちた呟きが、葉留佳さんの口から、そして僕からも零れ落ちる。

 「で、どうやってあの風紀委員長を連れ戻すんだ? 理樹」

 「うん」

 「どうやら、何か考えがあるようだな?」

 二木さんからいなくなると聞かされたあの日、僕は二木さんを救い出す決意を固めた。その時から、僕の二木さん救出作戦は始まっていたんだ。

 僕はみんなを輪にして集めて、説明を始める。

 「これは危険な賭けかもしれない。 でも、これしか方法はない。 みんな、耳を貸して―――」

 

 

 もし、ここに恭介がいたら―――と、思うことがあるかもしれない。

 恭介ならもっと良い考えで、最善の方法で、いつものように華麗にミッションをこなすだろう。

 でも、これは甘えだ。

 これは僕の責任で実行しなければいけない。

 

 葉留佳さんのために、周りの人たちのために自己犠牲に走る二木さんを引き止めることは、僕たちにしかできないことだ。

 必ず、二木さんの手を引いて、連れ戻す。

 そして教えてあげるんだ。

 

 君の周りには、こんなにも大勢の人がいたんだってことを―――

 

 君が守ろうとした周りの人たちもまた、君のことを救い出そうとしていたことを。

 彼女に、教えるんだ。

 

 待ってて、二木さん。

 必ず、みんなと一緒に助けに行くから―――――

 



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09.私と妹

 大きな家の子として生を受けたとしても、幼い頃の私と葉留佳の待遇や、私たち姉妹の関係は決して恵まれたものではなかった。特に、葉留佳に関しては……

 本家の醜いご都合に、私たち姉妹はいつも酷いことばかり強制されてきた。どっちが本家を継ぐのにふさわしいか、どちらが本家に利を齎すモノなのか、ただ、家のためだけに私たち姉妹は大人たちの手のひらで踊らされた。

 そしてその過程で、良い成績を残していく私が徐々に株を上げ、そして妹の葉留佳がそれに比例するように虐げられていくという現象がずっと続くようになる。

 良い成績を見せる私。私と正反対な葉留佳。

 「本当に何をやっても駄目な子ね。 お前はいらない子だ」

 いつしか、葉留佳を虐げる行いも本家の大人たちに強制されるようになった。思ってもいない罵声を、私は葉留佳に叩きつける。地べたに崩れ、虚ろな瞳を向ける葉留佳を見下ろして、私は葉留佳に酷い言葉ばかりを吐き散らす。

 本当はこんなこと言いたくない。でも、やらないと駄目。

 だって、絶対に逆らえないことだから。

 先ほどまで大人たちが集い、葉留佳を徹底的に罵倒した部屋には、私と葉留佳しかいなかった。今日は学校のテストが返却された日で、私は全教科を大人たちが納得するような成績を収めた。だが、葉留佳はまた、酷い結果を残してしまった。

 幼い私たちには広すぎる畳の部屋には、葉留佳の鼻をすする音が聞こえる。体育座りして、膝と膝の間に顔を埋めて鼻をすする葉留佳の背中を、私は心配げに見詰めていた。

 「はるか……」

 「……かなたはいいよね。 頭が良くて……」

 「……最初から頭が良い人なんていないよ。私も一生懸命勉強したもの」

 だけど、きっと葉留佳も必死に勉強したんだと思う。葉留佳はいつだって一生懸命だった。私に負けないくらいに。でも、不器用にも結果は良い方向に転がることがなかった。

 「あのね、今日はクッキー箱を貰ったの。 はるか、また半分こ、しよう?」

 「……いいよ、私は。 かなたがもらったんだから、全部かなたのだよ」

 「言ったでしょ。 これから先、私がお家の方から貰ったものは、みんなはるかと半分こするって。その髪止めも、そうでしょ……?」

 葉留佳の頭にちょこんと生やした髪の下には、私と分け合った、初めて半分こした丸い髪飾りが添えられている。

 私も頭の後ろのほうにお揃いの髪飾りを付けている。

 お揃いの髪飾りが象徴するように、私たち姉妹の仲は決して悪い方ではない。むしろ、本家の目がない所では、私たち姉妹は仲良しだった。

 「これ、きっと高級だから、おいしいはずだよ」

 「だから、いいってば……」

 「わぁ、おいしそう」

 カパッと開けてみると、色とりどりな形のクッキーがぎっしりと詰まっていた。ハート形やひし形、色々。とても甘くて美味しそう。

 「ほら、はるかもお腹減ってるでしょ?」

 「……………」

 私はクッキーがぎっしりと詰まった箱を葉留佳の顔元に寄せ付ける。葉留佳はちらちらとクッキーを見ていたが、やがて、ぐぅ~という虫の音が葉留佳のお腹から鳴った。

 顔を赤くする葉留佳、クスリと笑う私。

 「はい」

 ハート形のクッキーを、葉留佳の前に摘んで持っていく。葉留佳は目の前に差し出されたクッキーを見詰めたが、遂に私からのクッキーを口にしてくれた。

 「おいしい……」

 「ほんと?」

 私も一つ摘んで、口にしてみる。甘くてほのかな香りが口全体に広がり、舌がとろけるような錯覚に陥る。

 「うんっ。 すごくおいしいね」

 今度は葉留佳が自分から、クッキーを一つ摘む。

 「ほんとにおいしい。 ありがと、おねえちゃん」

 その時の葉留佳は、既にいつもの笑顔に戻っていた。

 そうして、私と葉留佳は二人だけで、全部なくなるまでクッキーを食べたのだった。

 本家の意向によって、私と葉留佳は何事も比べられ、争われる。私と葉留佳はお互いのために、演技を続けることにした。私が葉留佳を見下し、罵倒する。葉留佳はずっとそんな私の罵倒を大人しく受け続ける。私が葉留佳に酷いことばかり言うのをやめるためには、葉留佳とのこんな偽りの関係を消し去るためには、葉留佳を救うには、私がもっと頑張らなくてはいけない。もっと頑張って、良い成績を残して、本家に選ばれるような人間にならなくてはならない。

 そして選ばれた後、今より強くなった私が葉留佳に救いの手を差し伸べるんだ。そんな目標が、私の中で芽生え、そして成長しつつあった。

 

 そして、私は本家に選ばれた――――

 

 三枝本家を継ぐふさわしい人材として。

 これで、やっと葉留佳との偽りの関係を消し去ることができる。私が、葉留佳を助けるんだ―――

 

 「葉留佳、私――――」

 でも、私は気付けなかった。

 妹が――――

 葉留佳が、既に壊れてしまっていたことを。

 「良かったね、おねえちゃん……」

 「葉留、佳……?」

 何の感情もこもっていない虚ろな瞳が、ゆっくりと私の方に振り返る。乾いた笑みが浮かんだ。

 「選ばれて、さ」

 葉留佳は、もう限界だった。

 本家に、そして私に卑下にされる毎日。私の場合は偽りだったとはいえ、葉留佳には、もうその区別さえ付けられなくなったほど、弱々しくなっていたんだ。

 「かなたは選ばれた。でも私は……いらない子だ」

 いらない子。

 それは私が散々、葉留佳に吐きかけた言葉だった。

 ぞわっと、私の血の気が引く。

 「葉留……ッ!?」

 私は葉留佳に手を差し伸ばそうとした。でも、その手にパシンッと、乾いた音が響いた。同時に、弾かれた私の手がジンジンと熱を帯びていく。

 「え……」

 呆気にとられる私。そして、私の目の前にいたのは、憎悪を剥きだしにした葉留佳の瞳だった。

 それは、偽りではない、本物の憎悪だった。

 私はここでやっと気付いた。

 とっくに、私たち姉妹の関係は壊れていたんだと。

 偽りが、いつしか本物に変わっていたのだと。

 気付くのが遅すぎた。

 そして、どうしようもなかった。

 それから、私たちの関係はベルリンの壁のように寸断されてしまった。私たち姉妹の冷戦はずっと続くこととなり、学園内でちょっとでも顔を会わせたり、注意をしたりすれば、すぐに口論に発展した。

 偽りだった関係は、本物となった私たち姉妹は、あの事故が起こるまで元に戻ることはなかったのだ。

 

 葉留佳が崖下に転落した直枝たちのバスに乗っていたという話を聞いた時から、私はまた気付くのが遅すぎた。

 確かに大切な人だった葉留佳。失いかけて、気付いた。私はいつも、気付くのが遅かった。

 本当に私は馬鹿だ。

 病院に駆けつけ、ベッドに眠る葉留佳のそばに居て、そして目を覚ました葉留佳と色々な話をし、お互いにたくさん謝った。私と葉留佳の間に直枝という存在がいてくれたことも大きかった。おかげで、私たち姉妹は和解することができたのだ。

 そして私は直枝と付き合うようになり、葉留佳との関係も良好に保つ事が出来ていた。

 でも、三枝という家に生を受けたことを忘れてはいけない。

 私は三枝に選ばれた人間。直枝と恋人関係になったり、葉留佳と戯れたり、そんな色恋や平安に甘えることは本来許されることではなかった。

 

 直枝と付き合い、葉留佳と仲を取り戻し、私は改めて気付いた。

 

 私は葉留佳を助けるために、三枝本家に選ばれる人間になったのだ。

 だから、私は葉留佳を助ける。これは、私の本気だ。

 直枝やあーちゃん先輩、周囲の人の迷惑になることは当然許されない。私は一人で、元々そのつもりだったけど、葉留佳を救うために本家の元へと戻った。

 

 そして今、私はとある高級ホテルの待合室にいる。

 整った高価なウエディングドレスを身に纏い、化粧を施し、他人に嫁ぐ女としての姿が、今の私だった。私はこれから顔も知らない、本家が決めた婚約者と出会わせ、私に本家の跡継ぎを産ませるために結婚させるのだ。

 これは昔から、私が本家に認められた時から決まっていた、私自身の運命。私が、決めた道。

 これで葉留佳の方に忌々しい家督の因縁が関与されることもなくなれば、私は十分だ。姉として、たった一人の妹が救われれば、それで良い。

 

 まぁ、正直に言えば……

 

 ちゃんとお別れしたかったなぁ、というのはあった。

 

 でも、それでは意味がない。私が一人で消えるためには、ばっさりと今まで築いてきた関係を切り捨てるしかない。

 

 これは私が葉留佳を救うために、私が決めたことなんだから。

 

 やがて、私は遂に婚約者と顔を会わせるために待合室を出た。

 周りを、まるでSPのように家の大人たちが私を囲みながら一緒に歩いていく。別に、今更逃げも隠れもしないのに……

 まるで囚われの身。籠の中に閉じ込められた鳥のように、私は逃げられない立場にいることを再確認されてるかのよう。

 そんなことを考え、嘲笑する。

 そこでふと、あの時の河川敷での事を思い出す。夕日のオレンジ色で染まる中、直枝が叫んでいた言葉。

 

 ―――絶対に助けに行くよ…ッ!―――

 

 絶対に助ける、か……

 私もかつてそう決意して、だけど出来なかった。あの時、私は助けようと決意した大事な人を、助けられなかった。

 人は人を救えない。

 そんな主張を心の中に隠していた。でも、あの男はいとも簡単に見抜いた。いや―――

 私は既に、“夢の中”で、あの子たちにバラしていたんだ。

 どうしてか、葉留佳が事故にあった時間の間、私はよく夢に葉留佳を見ていた。葉留佳だけじゃなく、直枝をはじめとしたリトルバスターズの面々とも。そこはいつもと変わらない学園で、普通に私たちは現実と同じ学園生活を過ごしている。

 そしてその中の夢の一つとして、私が葉留佳と色々あり、葉留佳と仲を取り戻すという本当に夢のようなお話。

 そんな夢を見たこともあってか、病院に駆け付けた私はより強く、葉留佳のことが心配で仕方がなかった。

 夢ではないような夢。

 そんな不思議な虚構の世界。

 でもそんな夢を見たからこそ、私は現実の世界で、葉留佳とよりを戻すことができたのだ。

 あの子にはもう会えない。

 私は罪滅ぼしのためにも、自分を犠牲にしてでも葉留佳を助けるんだ。

 それが私の助け方。

 本当に、彼は助けに来てくれるのかしら―――?

 なんて、現実的じゃないことを考えながら歩いていると、気がついた時には既に私は会場へと到着していた。

 この中には、三枝本家をはじめとする二木家、分家の大人たちが待っている。家の伝統、お金、様々な汚い大人の事情で塗られた、卑しい大人たちがひしめき合う、その会場への扉が、私の決意の前で、遂に開かれた。

 



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10.密かな夜

 賑やかな会場。結婚式場と言えば華やかしいが、雰囲気はどこか卑しい風にしか見えない。それはこの会場の中身を知っているからこそ、感じることかもしれない。

 僕たちは息を潜め、会場の場を見渡す。葉留佳さんの親戚たちが集まるこの会場に、もうすぐ二木さんも姿を現すだろう。

 「理樹くん……」

 僕の後ろのすぐそばから、葉留佳さんの不安に色付いた声が僕の耳に届く。葉留佳さんの不安に揺れる瞳をしっかりと見詰め、僕はその不安の色を取り除くように、力強く頷いた。

 「大丈夫だよ、葉留佳さん。 きっとうまくいく」

 ちゃんとその辺りの保険もかけているつもりだ。

 僕は、ミッションの前の夜を思い出す―――

 

 僕の呼びかけに、みんなが応えてくれた。リトルバスターズの面々だけでなく、古式さんやあーちゃん先輩まで。

 その日の夜、深夜と言える時間帯に僕は校舎の裏庭に一人で来ていた。みんなが寝静まった、静かな裏庭で、僕はある人物を待っていた。

 闇が溶け込んだ裏庭は、見慣れているはずなのに視界が悪いだけで異世界のようにも感じられてしまう。そんな場所に一人でいれば、背後から近付く気配など、僕には気付きもできなかった。

 「動くな」

 腰に押しつけられる冷たい感触。

 「2年E組、出席番号22番、直枝理樹だな?」

 手を挙げた僕は、コクリと頷く。

 「証拠は?」

 「こんな夜更けに、ここに来る人なんて僕以外にいないと思うけど?」

 「それもそうね」

 僕の腰から、当てられていた冷たい感触が離れる。その冷たい感触の正体は確かめようがないが、知らない方がよさそうなので詮索はしない。

 僕は振り返る。そして目の前にいたのは、一人の女生徒。彼女を知る者は、リトルバスターズの中では僕しかいない。彼女は別のクラスの生徒であり、そしてちょっと特別な人だからだ。

 暗い闇が被さっているため、彼女の姿は至近距離とはいえはっきりとは見えない。だが、その中でも黄金のような金髪と、サファイアの宝石に似た蒼い瞳は、彼女という存在を強く示していた。

 「こんな夜更けに呼び出して悪かったけど、生憎こっちにも事情があってね。 夜の顔、でないとあなたには会えないから」

 「うん、それは僕も承知しているつもりだよ。 出来れば君とは、この用件とは関係なく、お昼の顔としての君との関係を持ちたかったけど……それは野暮というものだね」

 「悪いけど、仕事以上の範囲内ではあなたとは会えない。 私はただの雇われだから」

 彼女と知り合ったのは、突然僕の携帯に彼女が電話をかけてきたことだった。

 彼女はとある方面から依頼されたプロのスパイだと言う。彼女は二木さんを助ける僕たちに惜しみなく助力を与えてくれた。諜報活動を得意とする彼女は必要な情報を揃え、事あるごとに僕に伝えてくれた。ここまで準備が進んだのも、彼女のおかげでもある。

 誰が彼女を雇ったのか。おそらく、三枝本家と二木家を良く思わない末席辺りの分家が仕組んだのではないかと考えられている。葉留佳さんが言うには、三枝家の筆頭に立つ三枝本家とそれに次ぐ二木家は確かに数ある分家の中では内外に誇る力を持つが、それを良く思わない分家も存在するそうだ。

 二木さんを三枝本家と二木家の陰謀から救い出したいとする僕たち。もし僕たちが二木さんを救い出す事が出来れば、三枝本家と二木家の陰謀は崩れ、その面子も丸潰れとなるだろう。それは三枝本家と二木家の失脚に繋がる可能性も秘めている。そしてそれを望む、三枝本家と二木家を敵視する分家の利害が一致したことにより、彼らは僕たちに協力する。

 二木さんとデートに行ったあの日に出会った怪しい仮面の男。あの男もそれに関連した人物なのかもしれない。あくまでこれもまた推測だが、そういうこともあって、彼女の存在もまた僕たちにすんなりと受け入れられていた。

 僕と葉留佳さんが考えた推測が正しければ、彼女は心強い味方だ。向こうがどういう思惑であれ、二木さんを助ける事が出来るなら、何でも良いと思っていた。

 「そっちの準備は整ったかしら?」

 「うん。 人数も集まったし、色々と明日の準備は整ったよ」

 「こっちもあらかたの準備は万全よ。 こっちが完璧にバックアップしてあげるから、安心して思う存分暴れなさい。 逃亡ルートも確保してあるし、資金は既に三枝葉留佳の両親から調達する旨を了承済みよ」

 「わかった」

 「それじゃ、明日のためにも十分に休養を取りなさい。 私からは以上よ。 そちらからは何か質問はある?」

 「あ、一つ聞きたいことがあったんだ」

 「なに?」

 「君はどうして、僕たちに―――いや、二木さんにここまでしてくれるの?」

 「……………」

 暗くて表情がよく見えないが、彼女が目を丸くしている気配が伝わる。

 「……何を聞きたいのか知らないけど、あたしはその二木佳奈多とか言う娘のことはよく知らないわ。これは本当よ」

 「でも、君からは仕事柄というより、君個人の優しさが感じられたよ。 二木さんや僕たちのことを知っていなかったら、そんなことはできない」

 「あ、あたしはプロのスパイなのよ? あなたたちのことは仕事の関係上知っておく必要があるんだから当然よ……」

 「それでも、君の力は確かにとても助かったよ。 ―――ありがとう」

 「……よ、用件はそれだけ? さっさと寝ないと、明日の作戦に支障をきたすわよ?」

 「そうだね。 今まで協力をありがとう」

 「お礼はいらないわ。 あたしは―――スパイ、なんだから……」

 彼女が背を向け、歩き去ろうとする。この場から逃げようとするかのように去る彼女に、僕は最後に声をかける。

 「君とは、また会えたらいいね。 今度は、友達として」

 一瞬、彼女の足が止まったが、彼女は僕の方に振り向きかけるや否や、また歩き出してしまった。

 やがて、彼女の揺れる金髪と背中は闇の中へと消えていき、静寂が支配した裏庭には僕一人だけが残った。

 

 

 皆が寝静まり、物音一つしない女子寮の廊下を、あたしは自分の部屋に帰るべく一人で歩いていた。

 さっきの彼の言葉が胸に閊え、離れない。もう、こんな気持ちになるのは止めようと決めていたのに。

 今日で彼と会うことも、無いだろう。もしくは明日で全てが決まり、そして終わる。

 あたしは自分の部屋の前に止まる。表札には、あたしと、そしてあたしのルームメイトの名前が刻まれている。

 「ただいま……」

 静かにドアを開け、真っ暗な空間の中をあたしは足を忍ばせる。眠っているであろうルームメイトを起こさないよう気を付けて、あたしは自分のベッドへと向かった。

 静寂な空間に、彼女の可愛らしい寝息が聞こえる。あたしは制服を脱ぎ出すと、ベッドに身を倒した。

 明日のためにも、身体を休ませておかなければならない。

 あたしが目を閉じようとしたその時、彼女の寝言があたしの耳にはっきりと届いた。

 「むにゅ……佳奈多さん……待ってて、くださぁい……」

 「……!」

 あたしは閉じかけた目を開け、熟睡しているはずの彼女の方を見る。

 「不肖クドリャフカ……必ず佳奈多さんを……助けてみせます……なのですぅ……」

 犬のように布団の中に丸まって、可愛らしい寝息を立てているルームメイトに、あたしはクスリと微笑んだ。

 「この娘のためにも、この娘が大好きな人を助けてあげなくちゃ―――ね」

 あたしは少し乱れた布団を、彼女にかけてあげた。

 「おやすみ、能美さん」

 あたしのルームメイトであり唯一の友人である、能美クドリャフカに、あたしは静かにおやすみを言った。

 二木佳奈多という女生徒については、よく彼女から聞かされた話だった。彼女がどれだけ二木佳奈多を慕っていたのか、よくわかるほどに。

 ある些細なきっかけで自分をルームメイトにしてくれた、純粋無垢の心優しい少女のためにも、あたしは彼らが彼女を必ず助けることができるように全力で力になってあげないといけない。

 そして、その救出作戦にはこの目の前にいる小さな少女も参加するというのだから、ますます力になってあげなくてはいけない。

 「頑張ろうね、能美さん……」

 寝息を立てるわんこに、あたしは優しく囁いたのだった。

 



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11.約束

 賑やかさが沸き立つ会場。家柄にふさわしい場として選ばれた高級ホテルの会場はとても豪華で広く、そしてその広さは卑しい家の人間たちを包み込み、最早ここは奴らの巣窟だ。

 巣と行ってもあながち間違いではない。巣とは“家”であり、子を産み、育てる空間でもある。

 そして私は本家の跡継ぎを産ませるためだけに、ここにいる。隣にいる初対面の婚約者は私を孕むためだけにいる。結婚式と言ったら、世間一般では愛が成熟した男女の華やかしい場として認識されているが、ここは全くと言って良いほど、異なる世界だ。

 三枝や二木家をはじめとする家々の人間たちが互いに祝福し合っている。だが、それは表向きのみの虚偽。その裏は本家と分家の醜い因縁やら何やらが渦巻いている。

 何故、私がここにいるのか。それは私自身が、妹を護るために選んだ道だからだ。

 この家に生を受けた私と葉留佳。理不尽な人生のスタートだったが、ここまで来れたのも、私にとってたった一人の妹の存在がいたからこそだった。

 

 これで葉留佳は救われる。私一人が人柱になれば、全て済む。

 

 これは小さい頃から、ずっと昔から決めていたこと。

 

 ただ、唯一想定していたことと違ったことは、葉留佳と関係を改善できたことかしら。

 あの修学旅行のバス事故が無かったら、私と葉留佳はずっと憎しみ合っていたままで終わっていただろう。

 でも……むしろ、その方が良かったのかもしれない。

 もしそのままこの瞬間まで居られたら、葉留佳は私に気をかける必要もなかったし、それに……

 

 彼に、あんなことを言わせることもなかった。

 

 葉留佳と仲直りし、彼と恋仲になり、大切な人が増えてしまったことで私はその日常に未練がちになり、辛い別れを経験する羽目になってしまった。少なくとも、ヒーローが現れる可能性を作ってしまったことに、私は自分に嘆く。

 私は一人で、誰にも知らないまま、消えていこうとしていたのに……

 いつの間にか、私の周りには大切な人が増えていた。

 そして、無意識の内に私は――――

 

 

 ―――ガシャァァァァァンッッ!!!

 

 会場に響き渡る音。悲鳴。そして、煙幕が張られると同時に舞い降りる幾数の影。

 その影たちが、真っ直ぐに私の方に向かってくる。

 

 「お姉ちゃんッッ!!」

 

 

 突然、会場に襲いかかった光景を目の前に、私は聞き慣れた身うちの声をはっきりと聞いた。

 そして、私に手を伸ばす、彼―――

 

 「二木さん、助けに来たよッ!」

 

 目の前には、ここにはいないはずの二人が私に手を差し伸ばしていた。

 直枝と、葉留佳。

 私の、大切な人―――

 

 「………ッ!」

 

 そして私の身体は、自分でも驚くくらいに、ありえない反応を見せた。

 彼の伸ばされた手を、しっかりと掴む自分の手。

 そして私は彼に手を引かれ、妹に背を押され、その場から駆け出していた。

 

 

 私は一人で消えていこうとした。

 

 でも、そう……私は無意識の内に――――

 

 ヒーローが現れてくれることを、待ち望んでいたんだ―――――

 

 

 

 

 会場への奇襲は大成功だった。ひっそりと息を潜めていた僕らは予定の時刻に合わせて、会場に突撃した。真人の自慢の筋肉が唸りを上げ、混乱の渦を巻きあげるためのちょっとした破壊工作を実行させる。ちょっと過激ではあるかもしれないが、真人の筋肉は大いに役立った。大した事ではなかったが、ちょっとの事で会場は一瞬にしてパニック状態。煙幕で辺りの視界を誤魔化せば、後の二木さん救出は順調に進むことが出来た。

 僕は二木さんの手を引いて、葉留佳さんと三人で会場を飛び出す。

 煙幕が張られた会場から、追手が何人か向かってきたが、すぐに真人の筋肉によって容易く食い止められた。

 「あ、あなたたち……どうしてここにッ!?」

 「その話は後だよ! まずは一刻も早く、ここを出ようッ!」

 「そうデスよ。 お姉ちゃんは黙ってはるちんたちに付いてくれたら良いのデスよッ!」

 「あのねぇ…ッ」

 何か言いたげな二木さんだったが、ウェイディングドレス姿の二木さんには走るので精一杯だったため、それ以上口を開くことはなかった。

 僕はさっきの、二木さんに手を伸ばした時を思い出す。あの時、二木さんは僕たちの登場に驚きながらも、僕の伸ばした手にすぐに返してくれた。やっぱり、二木さんも自分でも知らぬ内に、誰かに助けを乞うていたんだ。

 僕たちが走る目の前を、黒い服を着たサングラスの大人たちが行く手を阻む。

 「うわ、ベタですネ~」

 葉留佳さんが可笑しそうに言う。

 「なんでそんな余裕なのよ…ッ!」

 二木さんは現れた追手を前に、どうするのよと僕たちに視線で訴える。

 でも、余裕になるのは無理もない。何故なら僕たちには―――

 

 心強い仲間たちがいるのだから。

 

 景気の良い音が鳴り響くと、行く手を阻もうとしていた大人たちが次々と倒れていった。そして代わりにそこに立っていたのは、竹刀を手に持った謙吾と古式さんコンビだった。

 「遅いぞ、理樹」

 「謙吾ッ! ありがとう」

 「な、なんで古式さんまで…ッ!?」

 「二木さん……!」

 ここに古式さんまでいることに、二木さんも驚きを隠せないのだろう。色々な意味で驚きを隠せない様子だった。

 「あなたまで、どうして…ッ!」

 「詳しいことは後です。 さぁ、早く着替えてください」

 「え…ッ!?」

 「ここからは私が二木さんになりすまして、囮になります。 その隙に、二木さんは私の制服を着て逃げてください…!」

 「そ、そんなこと……!」

 これは、作戦会議の時に古式さん自身が提案したものだった。

 二木さんを救出した後、指定した地点にて落ち合い、そこで自分が囮役を買って出るという提案だった。その提案に敏感に反応し、反対を表明したのが謙吾だった。囮役は余りにも危険すぎる。大きなリスクを古式さんが買うことに、謙吾は同意しかねたのだ。

 でも、反対を示した謙吾を正面から対峙したのが古式さんだった。古式さんは頑としてこれを譲らなかった。以前まではいつも孤独そうで、唯一謙吾としか話していなかった古式さんが、あそこまで強い意志を表す所を見たのは、初めてだった。弓道を失い、生きがいをなくしていた古式さんの片目には、両目に勝るとも劣らない頑強な強い光が宿っていた。

 ―――それしか、私に出来ることがないから―――

 それが、古式さんが一歩も引かずに譲らなかった時に、言い放った言葉だった。

 弓を引くことも出来なくなり、何の力も持たないか弱い自分が出来ること。古式さんなりに精一杯考えた結論だった。

 そんな古式さんを前に、謙吾はとうとう諦めた。

 ただし、謙吾ははっきりと言った。

 ―――俺も付いていく。お前一人にはやらせない―――

 そうして、古式さんの案は謙吾と共に実行することで皆の賛同を得て採用され、作戦の中に練りこまれた。

 追手が来る前に、真人たちが時間稼ぎをしてくれている。その間に、二木さんと古式さんがそれぞれの衣を交換する準備を始めた。

 倉庫のような一室で、すぐ応援に駆け付けた来ヶ谷さんによって二人の着替えが始まった。葉留佳さんも二人の着替えを手伝っているため、僕と謙吾は部屋の扉の前で、追手が来ないか警戒を強めていた。

 「ねえ、謙吾……」

 「なんだ、理樹」

 扉の前で男二人だけになった空間の中、僕はふと、謙吾に話しかける。ただし、周囲の警戒は怠らずに。

 「場違いではあるかもしれないけど」

 「?」

 「……謙吾は古式さんのこと、好きなの?」

 「ッッ!!?」

 激しく動揺する謙吾。いつも冷静沈着な謙吾が、ここまで動揺するなんて珍しい。

 「り、理樹ッ! お前、いきなり何を言って……」

 「どうなの?」

 「…………ッ」

 僕は謙吾の方に視線を向ける。謙吾は頬を上気させ、ぐ…っと後ずさるような仕草を見せるが、実際はその足は一歩も動いていない。何故なら、僕たちは彼女たちがいる扉の前を守らなければいけないわけだし、ここから一歩も離れるわけにはいかないからだ。

 そして、謙吾にとって、あの少女も扉の先にいるわけで。

 「自分でもこんな時に、こんなことを聞くのはおかしいと思うけど、一応聞いておきたくって」

 「……………」

 謙吾は僕の視線から逸らそうとするが、やがて思い止まるように、自分の視線を泳がせることも止め、まっすぐに僕の視線に絡んできた時は、意を決するように口を開いた。

 「そうだと、したら?」

 「別に、驚かないよ」

 「……………」

 謙吾は僕から視線を外し、上を仰いだ。少し顎を上げた程度だが、その目は遠い空を見ているかのような瞳だった。

 「少なくとも、俺は古式に対して、友情以上の気持ちを抱いていることに関しては否定できない。 俺は、古式の生きがいになろうとした。 何故なら、古式が片方の光を失い、弓道という夢を棄てざるを得なくなった時、あいつの生きる理由がなくなってしまったからだ。 古式自身も、弓道が自分の生きる全てだと俺にはっきりと言った」

 「……………」

 「俺は古式の話相手になっていくうちに、古式のことを知るようになった。 そして、だからこそわかった。 弓道という生きがいを失くした古式には、新たな生きる理由が必要だと。 でないと、古式はまた、絶望して自ら命を投げ出すような行為を取るおそれがあったからだ」

 事故で片目の視力を失い、弓道が出来なくなってしまった古式さん。彼女にとって、弓道は自分自身でもあった。しかし、それを失ったことにより、彼女は生きる意味を失い、寂しすぎる孤独と絶望を得た。

 そんな古式さんの話相手になるよう頼まれたのが、謙吾だった。弓道の古式さん、剣道の謙吾にとって、二人の間には何かしらの共通点があった。それを二人自身も、お互いに理解したからこそ、二人の関係は続いた。

 だけど、古式さんの弓道に対する絶望を拭えるわけではなく、何度か古式さんは自殺をするようなことをしては、よく学校から家に戻されていた。その中で、危うく死んでしまう所を、謙吾が救ったこともあった。

 それをきっかけに、二人の間はますます切っても切ることはできないようになった。謙吾は、自分が古式さんの生きがいになることで、古式さんを助けようとした。

 それは、謙吾が古式さんに対して、自分の気持ちに気付いたからこそ、決断できたものだった。

 「理樹、前に校門前でお前と出くわしたことがあっただろう」

 「二木さんとのデートの時だね。 謙吾も、古式さんと一緒に……」

 「そうだ。 あの時は無様な所を見せてしまったが、今言おう。 あれはお前の思っていたことと間違っていない、と」

 「やっぱり……」

 「あれは古式の方が誘ってくれたものだったんだがな。 だが恥ずかしいことに、どこか嬉しく思ってしまった自分もいた。 そこでようやく、俺が古式の生きがいになるための一歩となったと、浮かれてしまうほどにな」

 「きっと、古式さんもとっくに、謙吾と同じだと思うよ」

 「……だといいがな」

 「謙吾」

 「なんだ、理樹」

 「ここからは、お互いにそれぞれの大事な人を必ず守り抜いていこう。 男と男の約束、ってことでどうかな」

 僕の言葉に、謙吾は目を丸くしていた。

 そして、フッとその口元を緩ませる。

 「まさか、理樹と男と男の約束が出来るとはな」

 「それ、どういう意味かな……」

 「良いだろう。 勿論、約束しよう。 ただし理樹。 お前も必ず守れ」

 「うん」

 僕と謙吾は、お互いの大事な人のために、それぞれ守り抜くことを誓い合った。

 親指を上げ、お互いの拳をコツンとぶつける。

 それと同時に、遂に扉が開かれた。

 「待たせたな、紳士諸君。 二人の花嫁の登場だ」

 顔を出した来ヶ谷さんが、開いた扉の奥から二人の少女を招く。

 僕、そして謙吾が、つい感嘆の溜息を漏らしていた。

 ウェイディングドレスを身に纏った、古式さん。いつも結んでいた髪を背中まで降ろし、いつもと違う雰囲気を更に醸し出している。正に、絶品の花嫁姿だった。

 その隣には、古式さんの制服を着た二木さん。学園の制服だから、姿は学園にいる普段と特に変わらないが、髪を結び、古式さんヘアスタイルとなっている。用意された眼帯を付け、なんだかこれはこれでいつもと違う二木さんが見れて、僕の心臓が妙にときめく。

 「見惚れている場合か? 男ども」

 「「ッ!」」

 ハッと我に返る僕と謙吾。

 その目の前には、顔を赤くしてそれぞれ恥ずかしそうにしている二木さんと古式さん、そしてニヤニヤしている来ヶ谷さんと葉留佳さんがいた。

 「直枝…ッ! こんな時に……」

 「ご、ごめん二木さん…!」

 「あ、あまり見られると……は、恥ずかしいです……」

 「む、いや……す、すまん……」

 「なんだか見てる方も恥ずかしい空間が広がっているが、そろそろ本気で急がないと、間に合わなくなるぞ?」

 来ヶ谷さんの発言に、僕たち四人は一斉に今の状況を思い出す。

 「ではここからは別行動だな。 俺と古式がなんとか引きつけるから、理樹たちは予定通りに行け」

 「わかったよ、謙吾」

 僕が頷くと、謙吾も微笑を浮かべて頷く。

 「よし。 行くぞ、古式」

 「は、はい…ッ!」

 「安心しろ。 必ず、守ってみせるから」

 「……信じています…ッ」

 竹刀を手に持った謙吾と、ウェイディングドレス姿の古式さんが動きにくそうにしながらも、謙吾に支えられながら懸命に駆け出す。その背中に、僕は投げかける。

 「謙吾ッ! 気を付けてッ!」

 僕の言葉に、謙吾が走りながら、背を向けたまま腕を上げてくれた。

 そうして、謙吾と古式さんの二人は追手がいる方へと向かった。

 「僕たちも行こう」

 「ええ……」

 「急ごう、理樹くん、お姉ちゃん!」

 「ゴールは、もうすぐだと思えば良い」

 僕と二木さん、そして葉留佳さんと来ヶ谷さんも続く。

 僕たちは予定通りの道へと駆け抜ける。それは僕たちのゴールへの道。謙吾と古式さんの向かった方向から聞こえてきた喧騒を背に、僕たちはみんなのゴールへと駆け出した。



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12.未来へと

 「これからはきっと、楽しい毎日が続くよ!」

 

 葉留佳と仲直りしたあの日、あの娘の病室で、妹は笑顔でそう言った。それは私にとって、久しぶりに見た妹の満面な笑顔だった。

 私自身に向けられた笑顔は、小さい頃以来だった。

 リトルバスターズという棗先輩と直枝たちのグループに入ったあの娘の楽しそうな姿を、私は遠くからよく見ていたものだった。その笑顔が、また私に向けてくれる日が来てくれるのだろうかと、私は無意識の内にそう思っていたのかもしれない。願っていたのかもしれない。

 あの事故の後、一命を取り留めた葉留佳と私は元の仲の良い姉妹に戻る事が出来た。葉留佳は再び、私にその笑顔を向けてくれた。それを目の前にした時、私は涙が溢れそうになった。

 葉留佳の笑顔は本当に無邪気で、可愛らしい。子供のような笑顔は、小さい頃から変わらない。

 だけど、その娘の笑顔が、嬉しかった。

 葉留佳は私の手を取って、色んなことを楽しみに言ってくれた。退院したら、二人で服でも買いに行こう、今の葉留佳の両親がいる家に姉妹で帰ろう、色々なことをして遊ぼうと。葉留佳は笑ってそう言ってくれたのだ。

 でも私は、知っていた。これからは楽しい毎日が始まるだろう。だけど、それは永遠ではないことを。

 とても、短い間の幸せであることを。

 何故なら、私は葉留佳のために一人で消えていこうと決意していたから。

 

 「お姉ちゃん」

 ホテルの廊下を走る中、葉留佳が私に優しく声をかけた。

 「なに? 葉留佳」

 今の私は、囮を買って出てくれた古式さんスタイルだ。眼帯をし、古式さんのように髪を一つにまとめている。葉留佳はまじまじとそんな私を見渡すと、笑顔になって言った。

 「お姉ちゃん、可愛いデスよ」

 「な…ッ。 あなたはこんな時に、何を言って……」

 「ああ、それに関しては私も同感だ。 佳奈多くんの眼帯も中々萌えるものがあるな」

 「来ヶ谷さん! あなたまで……」

 「なあ、少年もそう思うだろう?」

 「え? うーん……僕は眼帯より、髪を一つにまとめている所がいいかな……なんて」

 「あなたまで何を言ってるのよ…ッ!」

 まったく、この人たちは。

 こんな状況なのに、この人たちは楽しそうにやっている。どんなことも楽しくしようとする彼らは、凄いとは思う。

 不意に、ちょっとだけ噴き出してしまう。

 そんな私を、来ヶ谷さんだけが気付いていたが、彼女は何も言わなかった。

 それにしても、古式さんは大丈夫だろうか。

 勿論、彼女にそんな危険な役をやってほしくなかった。だからかなり心配だ。でも、あの剣道バカがいるのなら、彼女の安全は保障されると思う。

 私は古式さんや葉留佳たちの想いを無駄にしてはいけない。だから、私も頑張らなくては。

 「いたぞッ! こっちだ!」

 「―――!?」

 途中で、追っ手と出くわした。やっぱり、簡単には逃がしてくれそうにないらしい。

 「く…ッ! もう少しなのに……」

 「大丈夫だよ、葉留佳さん。 これも計算の内」

 直枝がはっきりと断言する。

 何故、追手が目の前にいるのに彼はここまで余裕でいられるのか。

 その理由が、すぐにわかった。

 

 その時、上から一つの影が降りてきた。それが私たちの前に降り立つと、その毅然とした姿を現した。

 

 「ふん、手間のかかる奴だ」

 聞き覚えのある声と、見慣れた背中。

 私たちの学園の制服を着た男子生徒。帽子をかぶり、その顔には奇妙な仮面があった。

 「恭……介……?」

 直枝は彼の背中を見てその名前を言いかけたが、彼の付けている仮面を見て、声が小さくなった。

 「……何やってるんスか、恭介さん」

 葉留佳も唖然としている。

 「……ふむ、何かの趣味か?」

 「恭介? それは誰のことだい?」

 二重に重なるような人工的な声で、冷静な態度で言い放つ彼だが、あの時同様、彼の正体に気付いていないのは直枝だけのようだ。

 「え? えっ? あ、やっぱり恭介なの……?」

 気付いていないと思われていた直枝も薄々は勘付いていたらしい。

 「違う。 俺は闇の執行部部長。 時風瞬」

 「痛い! 痛いデスよ、恭介さん! その仮面も何か変態っぽいです!」

 「ふむ。 彼は現役の厨二病患者だからな。 あまり言ってやるな、葉留佳君」

 「……………」

 仮面のせいで表情が見えないが、肩を微かに震わせて見えるのは気のせいではないのかもしれない。

 ちなみに直枝はここで確証を得たようで、幼い頃から尊敬の念を抱いていた彼を、可哀想なものを見るような目で見詰めていた。

 「おお俺が助けに来たからにはもう安心だぜ。 さ、さぁここは俺に任せて早く逃げ……ぐす、逃げてくれ……」

 泣いてる。泣いてるわ、この人。

 なんか本当に可哀想に見えてきた。

 何故、この人は前からこんな格好なのだろう。

 それは後で聞くことにした。

 「彼の好意を無駄にするわけにもいかんな。 では遠慮無く行かせてもらおうか、皆」

 「そ、そうデスね姐御。 きょ……トキカケさん、後は任せたデスよ!」

 「名前間違ってるからね、葉留佳さん。 そ、それじゃあ恭……じぁなかった、時風さん。よろしくお願いします……」

 「ああ、さっさと行ってくれ。 頼むから」

 最後に本音が出ていた。

 私たちは先輩……じゃなかった、今は時風瞬というらしい彼に任せて、その場を後にした。

 

 

 さっきまで呆気としていた追っ手たちもようやく彼女たちを追いかけようとしたが、その進路を彼に阻まれる。

 「おっと、この先は行かせないぜ。 この煮えたぎるような複雑な思い、ここで完全燃焼してやる」

 彼の威圧感は、追っ手たちをたじろがせた。

 仮面の目が奇妙に赤く光る。その奇妙な威圧感に苛まれる追っ手たちだったが、所詮相手は学生。大人の数人掛かりで抑え込めば、負けることはない。そうして追っ手たちは仮面を付けた彼に一斉に襲いかかったが、その行く手を妨害するように銃弾の雨が降り注いだ。

 思わず後方に下がった追っ手たちだったが、何が起こったのかわからなかった。自分たちと仮面の男の間に、無数の銃痕が開いていた。それを見て、ぞぞっと寒気を感じる追っ手たち。

 「あー、もう。 やっぱり腕、鈍っちゃったかしら」

 そんな声が頭上から聞こえてくる。

 そしてそこに降り立ったのは、一人の少女。ふわりと舞った長髪は金色に輝き、鳥の羽のようなリボン、そしてサファイアの宝石のような蒼い瞳が開く。

 銃を手に持った一人の少女。彼女は髪を払うと、口を開いた。

 「ていうか、ここはあたしが最初に登場する予定だったのに何であんたが割りこんでるのよ。 おかげで理樹くん、びっくりしてたじゃない」

 「正義の味方というのは、唐突に現れるものなのさ」

 「その身なりでよく正義の味方なんて言えるわね。 本来ならあなたは敵のボスで、あたしが仕留めるはずの立場よ」

 「それはまた別のゲームの話だろう」

 「じゃあ、これは一体どんなゲームなのかしら?」

 そう言って、彼女はにやりと笑う。男の方は仮面で隠れて見えないが、男からも笑った雰囲気が伺えた。

 「あなたに呼ばれてみれば、こんなことになるとはね。 ま、面白いからいいけど」

 「まだ、続けるのかい?」

 仮面の男、時風の言葉に、彼女は「当然」と言い放つ。

 「まだまだゲームは終わって無い。 いいえ、これが始まりなのよ」

 「ふ、良いだろう。 ならば、ゲームスタートといこう」

 「そうね」

 彼女は振り返る。追っ手たちを前にして、彼女は不敵な笑みを浮かべた。

 「ゲーム・スタート!」

 

 

 「ねえ、結局なんで恭介さんはあんな姿で助けに来てくれたんでしょうネ?」

 走りながら、また葉留佳さんが聞いてきた。

 それを聞かれても、僕もなんて答えたら良いかわからない。

 また何かの漫画の影響かもしれないけど……だからか、僕自身もどこかで見たことがあると思った。何だか恭介から借りた漫画に似たようなものを見たような気がする。

 というか、就職活動からいつの間に帰ってきてたんだろう。

 ちょっと、色々な意味でもやもやするけど、そんな気持ちを気にしている場合ではなかった。

 既に僕たちは脱出路を走り抜け、遂に出口寸前まで辿り着いた。ここまで来れば、追っ手の心配もないだろう。後はここを脱出するだけだ。

 「いよいよだよ、二木さん!」

 「お姉ちゃん!」

 僕と葉留佳さんが、同時に二木さんに向かって手を差し伸べる。二木さんは少し呆気になった表情だったけど、すぐにその表情を緩ませて、僕と葉留佳さんの手に、その手を伸ばそうとした。

 だけど、そんな僕たちを最後まで阻むものがあった―――

 

 「残念だが、諸君。 どうやら簡単には行かせてくれないようだ」

 「え…? 来ヶ谷さん、どういう……」

 「あれを見ろ」

 僕たちはそれを見て、足を止める。

 というよりは、足が止まってしまった。

 出口は目前だという所で、そこに一人の人物が、僕たちの前を立ち塞がっていた。それは、僕も見たことがない、知らない人物だった。

 「え……?」

 そこにいるのは、一人の少女。

 葉留佳さんや二木さんと同じ色の髪を肩にかかる程度まで伸ばし、身なりもまた二人とそっくりだった。氷のような冷たい無表情をしていて、その顔にある二木さんと同じ色をした瞳が、僕たちをジッと見据えていた。

 まるで、葉留佳さんや二木さんと似ている。彼女は何者なのか、僕は知らなかった。

 ただ、葉留佳さんと二木さんが警戒しているのを見て、やはり彼女は二人の知り合いであることを僕はここで初めて知った。

 「あの娘は……二人の知り合いなの?」

 「理樹くん、あいつは私たちの知り合いというか、親戚というか……」

 敵意を僅かにむき出しにして、警戒する葉留佳さんが答え、

 「……私たちの、監視役よ」

 二木さんが続くように、言葉を紡いだ。

 「え…ッ!?」

 そういえば―――と、改めて彼女のことを見渡してみると、見れば見るほど本当に二人と似ている。彼女もまた三枝本家や二木家と関わりを持つ人物であることは容易く想像できた。

 そういえば二人を監視し、本家に動向や情報を伝える監視役がいることを、二木さんの口から聞いたことがあるような……

 「驚いたわ。 まさか最後の最後で、あなたがいるなんてね……」

 二木さんの言葉にも、彼女は一切表情をぴくりとも動かさない。まるで、本当に氷のように凍っているかのようだ。

 「……佳奈多さん、葉留佳さん」

 そんな彼女が、ただぽつりぽつりと、小さく漏らした。

 僕たちは身構える。何かあるのかを警戒する。

 だけど、次に出てくる彼女の言葉に、僕たちは動揺することになった。

 「……私はあなたたちを止める権限はありません」

 彼女の言葉に、僕たちは驚愕する。

 それは、どういうことなのか。

 つまり……

 「―――僕たちを、見逃してくれるってこと?」

 彼女はコクリと頷く。

 「な、なんで……」

 その疑問にも、彼女は静かに答えてくれた。

 「……私はお二人の監視役に過ぎません。 ただ私は二人を監視し、その情報を家にお伝えするだけ……ただそれだけの、つまらない分家のつまらない役目です」

 「……………」

 「……あなたたちを見ている事しかできなかった私が、あなたたちを見ること以外のことをするなど、できません。 そんな権限も、あるはずがありません」

 どうしてだろう。

 彼女のことが、少しだけ寂しそうに見える。

 「……だから、私はあなたたちがどうやってこの先に進むのか、見届けたいと思います」

 彼女はただ最後まで淡々と、無機質な表情一つ変えず、言葉を紡いだ。

 僕たちより、葉留佳さんや二木さんの方が衝撃が大きかったみたいだった。

 それはそうだ。彼女は今まで二人を監視していた三枝本家をはじめとした家々の使い。敵も同然の彼女が、見逃すと言ってくれたのだ。驚くのも無理はなかった。

 でも、彼女の好意が本物なのは確かだ。僕たちを見逃してくれると言ってくれた彼女の好意に、僕は感謝する他ない。

 「行こう。 二木さん」

 僕は振り返り、さっきは繋げなかった手を、スッと伸ばした。

 二木さんはおずおずとしながらも、僕の手にゆっくりと触れてくれた。その瞬間、僕はぐっと二木さんの手を握った。

 そして、その僕たちの手を、葉留佳さんも握ってくれた。

 「ありがとう。 見逃してくれて」

 「……………」

 彼女は無言で、ただ僕をじっと見るだけだった。

 「ねえ、君の名前は?」

 「……四葉」

 案外、簡単に彼女は答えてくれた。僕と彼女とのやり取りを、二木さんたちは黙って見てくれている。

 「下の名前は?」

 「……此波多。 四葉(よつのは)此波多(こなた)……」

 「ありがとう、四葉さん」

 僕はもう一度、お礼を言った。今度は彼女の名前と一緒に。

 二木さんや葉留佳さんも、四葉さんにお礼を述べる。

 「……ありがとう」

 「……いい。 早く、行って……」

 彼女に促されるように、僕たちは遂に、出口へと向かった。

 二木さんと葉留佳さんは四葉さんのことを気にしていたようだった。

 「なんで……あの娘……」

 「きっと、四葉さんも二人みたいに、仲良くしたかったんじゃないのかな?」

 「へ?」

 「どういうこと? 直枝」

 なんとなくだけど、僕は思う。

 彼女は表情を何一つ変えなかったが、僕はどうしてか、彼女の気持ちが少しだけわかったような気がした。彼女のその寂しそうな雰囲気を、僕は知っている気がした。

 まるで葉留佳さんと仲直りする前の、棘のある風紀委員長時代の二木さんにそっくりだった。表に出しているものは違うけれど、その寂しさは、似ているものがあった。

 もしかして、彼女もまた二木さんたちと、仲良くしたかったのかもしれない。親戚として、同世代の女の子として、二木さんたちと接したい部分があったのかもしれない。

 あくまで、これは僕が勝手に考えたことだけど。

 「……もし、あの学校に戻ることができたら」

 「え?」

 二木さんが、優しい微笑みを浮かべながら、言う。

 「あの娘と仲直りするのも、良いかもしれないわね……」

 二木さんの言葉が、どこまでも優しく空気に浸透していった。

 「きっとできるよ」

 僕は信じる。きっと、そういう未来があることを。

 いや、できる。何故なら、僕たちはこの現在(いま)の瞬間を、脱出することができたのだから―――

 縛られていた鎖は解かれ、自由の身となった二木さんと一緒に、僕は駆け抜けようと思う。

 毎日が楽しい、そんな未来へと。

 



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13.遥か彼方

 僕たち三人は学校の通りにある川の河川敷で、静かに水が流れる川を見詰めながら、明るい日差しの下で僕たちは今後のことを話し合っていた。

 二木さんの救出作戦は、みんなの協力もあって無事に成功した。二木さんは今、僕の隣で葉留佳さんと楽しそうに話しているし、ここまで逃げることができたのだから、ひとまず安心だろう。

 事前に脱出ルートを用意してくれた朱鷺戸さんのおかげでもある。朱鷺戸さんや、協力してくれたみんながいてくれたからこそ、この瞬間を掴み取ることができたんだ。

 「それにしても……本当にあなたたちは無茶なことをしてくれたものね」

 二木さんはさっきから呆れた様子だった。葉留佳さんが楽しそうに今後のことで何かを言うたびに、二木さんは以前のように、僕たちに呆れながらも、笑って話せるようになっていた。

 「しょーがないじゃん。 これで何もかも、ぜーんぶ終わりにしようと思ったんだから」

 「でも、これから一体本当にどうするのよ……」

 あれだけのことをしたのだ。三枝本家も二木さんを連れ戻そうと躍起になるかもしれない。それでは、学園に戻ってもまた三枝本家が現れる可能性は高い。

 「というわけだから、もう学校には戻れない。 だから、ほとぼりが冷めるまで僕たち三人で、どこかで一緒に暮らすっていうのはどうかな、二木さん」

 「はぁッ!? 直枝…ッ? あなた、何を言って―――」

 「半年ぐらい時間をおいて戻ればいいよ」

 「いや、でもね……」

 「両親ズも了承済みなのデスよ」

 「ま、そういうわけだから諦めてよ二木さん」

 「……あなたたちは本当に馬鹿ばっかりだわ」

 僕たちのどこかに三人で一緒に暮らすという無鉄砲な計画に、二木さんは呆れていた。でも、その手が一番最善の手段であることは二木さんも理解してくれるはずだ。

 「いやー、どこに行こっかな~。 ねえ、理樹くん?」

 「うん、そうだね。 どこが良いかな、二木さん」

 「そんなの知らないわよ……」

 「あったかいところがイイですヨッ」

 「こういうどこかに逃げるって、北の方に逃げるのが普通って思うんだけど」

 「いや理樹くん。 そこを逆手に取って、南に逃げるのがイイですヨ」

 北か南、どちらに逃げようかと僕と葉留佳さんが話し合っている所を、二木さんは最早呆れて物が言えない様子だった。額に手を当てて、やれやれと首を振っている。

 「バイトしないとねぇ」

 葉留佳さんがぼんやりとそんなことを呟いたりしている。

 遂に二木さんが、痺れを切らしたように口を開いた。

 「……あのね、葉留佳。 そんなことより、考えることがたくさんあるでしょう?」

 「いやあ、あはははっ」

 「笑って誤魔化さないのッ! 本当、馬鹿ね……」

 そう言う二木さんも、顔を少し赤くしながらも、微かに笑っていた。

 ようやく笑顔を見せた二木さんを見て、葉留佳さんもいつものように笑ってみせた。

 二人の姉妹が、仲良さそうに笑い合う。

 これから、僕たちは三人で暮らすことになって、様々な困難が待ち受けているのかもしれない。

 まだまだ苦労は続くけど、今の二木さんは決して一人じゃない。葉留佳さんという妹、そして僕や仲間のみんなと手を取り合えば、何も心配はいらないはずだ。

 僕たちは互いに手を取り合って、助け合うことができる。

 そして、描くんだ。

 固く結ばれた絆があれば、どんな夢も描いていける―――

 

 

 

 その日の夜、僕たちは三枝さんの家に集まっていた。

 無事に本家から戻ってこれた二木さんの姿に、葉留佳さんの両親は大いに喜んでいた。葉留佳さんの両親は二人を快く迎え入れ、二木さんが知らない間に、僕たちはある準備を三枝さんの家で進めていた。

 それは―――

 「ではこれより、二木が無事に帰ってきたことを祝ってパーティを開きたいと思う」

 恭介の言葉に、みんながわ~と声をあげ、拍手を喝采した。

 一人理解できていないのは、二木さんだけだった。

 「え……なにこれ?」

 「あはは、お姉ちゃん驚いた?」

 今、三枝さんの家には僕たちだけではなく、二木さんの救出に協力してくれた全員がここに集まっていた。余り大勢でいられるほど広くはない葉留佳さんの家だけど、実際には僕たちに協力してくれたみんながそこに集まっていた。リトルバスターズのみんな、古式さんやあーちゃん先輩、更に朱鷺戸さんまでいた。

 「これは一体どういうことなのよ、葉留佳。 荷物を取りに戻っただけじゃ……」

 「今言った通りだ、二木」

 就職活動から帰ってきたらしい恭介。今まで就職活動に行っていたと思っていたのに、いつの間に帰ってきたのか。まあ、あの変な人と関係があるだろうなとは思うけど……

 というか、あれって恭介だよね?

 「知らん、人違いだ」

 と言っても、恭介は頑として否定するけど。

 というか正に恭介らしいとも思うけどなぁ。むしろ恭介じゃない所を見つける方が難しいと思う。

 でも、恭介がそう言うのならそういうことにしておこう。

 「何はともあれ、お前たちは無事に帰ってこれたんだ。 それはぜひ祝うべきだろう。 だが、お前たちはこの先休学するからな。 やるとしたら今しかない」

 「別に無理してやることは……」

 「甘いな、二木。 仲間の無事を祝うのは俺たちとしては当然のことなんだぜ」

 そう言って、恭介は笑った。

 そして、周りのみんなもそれぞれの笑顔を向けてくれた。勿論、僕や葉留佳さんも笑う。みんなの優しい笑顔に囲まれて、二木さんは目を丸くしていたが、やがて二木さんもその口元を和らげた。

 「本当……あなたたちと言う人は……」

 「にゅっふっふ、あら? かなちゃん、もしかして泣きそう?」

 「ば……そ、そんなわけないじゃないですか…ッ! あとかなちゃんって呼ばないでください!」

 「にゃはは、ごめんごめん」

 「ていうかいたんですか、あーちゃん先輩」

 「ひっどぉ~いッ! 私だってかなちゃんを助けるのに協力したのにぃ~~」

 「……冗談ですよ」

 そこで今度は、どっとみんなから笑いが起こる。

 嘆息を吐くように、しかし微かに微笑む二木さんと、「ひど~い」と頬を膨らませるあーちゃん先輩。

 そして無邪気に笑う葉留佳さん。

 僕たちの手に入れた笑顔が、今僕たちの前で広がっている。こうして仲間たちと笑える時間が、取り戻すことができたのだと、実感させられる。

 それは二木さんも同じ思いなのだろう。僕の視線に気付いた二木さんが、呆れたような、嬉しいような、そんな表情で微笑んでいた。その二木さんの隣には、以前のように無邪気に笑う葉留佳さんがいた。

 「さあ、皆。 今日は理樹たちの門出を盛大に祝い、暖かく見送ってやろうぜ」

 「「「おーッ!」」」

 恭介の号令に、僕たち三人以外のみんなが一斉に歓声をあげてくれた。

 僕たちの意志に関係なく、恭介たちはわいわいとお祝いの準備を始める。そんなみんなの顔は、まるでいつもと変わらない、いつも遊ぶ時と同じような、楽しそうな顔をしていた。いや、実際そうなのだろう。僕たちをお祝いしてくれる気持ちは本物、そして騒いで楽しむというリトルバスターズならではのお約束も、それもまた本物なのだから。

 「人の家なのに、全く遠慮も無いわね……」

 「あはは……」

 いつもと変わらないリトルバスターズの面々に、二木さんは呆れるように嘆息を吐いた。

 「よーし、それじゃあまずは何をする?」

 恭介の言葉に、みんながそれぞれ提案を申し出る。

 「私、今丁度ポッキー持ってるから、ポッキーゲームぅぅ~~~」

 「…王様ゲーム」

 「野球拳なんてどうだ?」

 「いや、ここは筋肉だろうッ!」

 「見事に風紀を違反する気満々な提案ばかりだが、むしろアリだ」

 「いや、何言ってるのあなたたちッ!?」

 さすがに二木さんも声をあげる。「そんなこと許されるわけないでしょッ!」と説教を始める二木さんを見ていると、何だか以前の僕たちを見ているようで懐かしい感じがしたのはきっと気のせいではないかもしれない。

 「お前も黙ってないで、何か提案してみたらどうだ」

 「は…ッ!? なんであたし……ッ、ていうか、あなたが無理矢理連れてきたんでしょうがッ」

 「何の事やら。 お前が羨ましそうな顔をしていたから、気を遣ってやったというのに」

 「~~~~ッ!」

 さっきから見ていたけど、恭介と朱鷺戸さんは知り合いみたいだった。それも結構仲が良さそうに見えるのは僕だけだろうか。恭介が変な格好をして登場した時も、朱鷺戸さんと良いコンビだったみたいだし。

 「二木さん、元気そうで良かったです……」

 「ああ、風紀委員長だった頃に戻ってきているようだな」

 古式さんと謙吾が、説教を言う二木さんの姿を見て、そんなことを話していた。

 二木さんを怒らせる提案をした小毬さん、西園さん、来ヶ谷さん、そして恭介の四人を正座させ、くどくどと説教を続けている二木さんの背後に、そろ~っと近付く影。

 「大体、あなたたちはいつも……」

 元風紀委員長としての貫録が滲み出て、説教に夢中になっている二木さんはその影の存在を知る由もなく―――

 「おねーいちゃんッ♪」

 後ろからぴょこんと抱きついてきた葉留佳さんの存在に、二木さんは全く気付くことはなかった。

 「ひゃッ!?」

 葉留佳さんが二木さんの後ろから抱きつき、二木さんを大いに驚かせる。ビクリと肩を震わせた二木さんの顔は、既に真っ赤だった。

 「は、葉留佳ッ!?」

 「お姉ちゃん、今日は怒ってばかりじゃ駄目デスよ。 ほら、リラックスリラックス」

 「いや、ちょ……葉留佳……くすぐった…ッ!」

 後ろから抱きつく葉留佳さんがすりすりと二木さんに擦り寄る姿は、微笑ましかった。無邪気に笑う葉留佳さんと、戸惑いながら顔を耳まで真っ赤にする二木さん。微笑ましいほどの仲良し姉妹が、そこにいた。

 「ほう、これは良いものだ。 葉留佳君、もっと存分にやりたまえ。 ああ、二木女史の恥じらいがもっと見たい」

 「はるちゃんも、かなちゃんも、仲良しさんだねぇ」

 「ひゅー。 ラブラブだね、お二人さん」

 来ヶ谷さんやあーちゃん先輩たちが、仲良し様を披露する姉妹に向けて茶化しの言葉をおくる。ある所からは小さな拍手までおくられていた。

 「葉留佳……ッ、いい加減にしなさ……」

 「おねえちゃんっ」

 「な、なによ……」

 顔を真っ赤にし、葉留佳さんに止めるよう促そうとするが、二木さんは決して強くは拒もうとはしなかった。突然、葉留佳さんの呼びかけに、二木さんは一旦抵抗を止めた。

 「大好き―――だよっ」

 葉留佳さんの言葉に、目を見開いた二木さんの顔は、更に真っ赤だった。

 にこにこと子供っぽい笑顔を浮かべる葉留佳さんに、抱きつかれる二木さんは、赤くした顔を下げて表情を見せない。下を向いてしまった二木さんは、ぽつりと何かを呟いていた。抱き締める葉留佳さんの次に、近くにいた僕だけが、聞こえていたのかもしれない。多分、二木さんはこう言っていた。

 私もよ―――って。

 「折角だから、このまま撮っちまうか。 ほら、こっち見ろ二人とも」

 いつの間にかカメラを手に持った恭介が、くっついている葉留佳さんと二木さんの二人を、レンズ越しに眺めていた。何故カメラを恭介が持っているのか、色々と聞きたいことがあったが、それはすぐにわかった。

 それは―――元々、葉留佳さんの両親が用意していたものだった。

 長らく離れ離れにされていた二人は、アルバムの中で姉妹一緒に映った写真が限りなく少なかった。初めて二人で撮った写真は、あの時、二人が仲直りした時の頃だった。葉留佳さんと仲直りをして、初めて葉留佳さんの家に遊びに来た二木さん。その時、葉留佳さんの両親の提案で、初めて姉妹の写真が撮られた。

 そして今、またこうして姉妹一緒に映った写真がアルバムに一枚、追加されようとしていた。撮る、という言葉に反応して、顔を上げた二木さん。その表情は、え?とまだ赤みを残した、呆けた表情だった。そんな二木さんに抱きついている葉留佳さんはとても無邪気で、ピースしているほど明るい様子だった。

 そんな二人を、カシャリとシャッターを切って撮影するカメラ。恭介の撮った写真は、見事に二人のそれぞれの表情を映していた。突然のことに驚く二木さんと、無邪気な笑顔でピースを掲げる葉留佳さん。

 「うーん、やはりもっとちゃんとしたものの方が良いな。 二木、笑え」

 「あのねえ…いきなり勝手に撮っておいて……」

 呆れて溜息を吐く二木さん。

 でも、その口元は既に柔らかく微笑んでいた。

 それに気付いた恭介が、フ、と微笑を浮かべると、再び二人をカメラのレンズ越しに眺め始めた。

 そして、そのシャッターが押される。

 「お姉ちゃん……」

 「なに? 葉留佳」

 その直前、葉留佳さんがぽつりと二木さんの耳越しに囁いた。

 「―――ずっと、一緒だよっ」

 

 カシャ。

 

 その時、写真に映った二人は、とても幸せそうな、眩しい笑顔を輝かせていた。

  

 これからも、二人の姉妹は一緒に過ごしていく時間が続いていく。

 それは誰にも変えられない。

 彼女たちが、決める。

 

 こうしてずっと姉妹仲良く生きていくこと。

 

 それが彼女たちの――――姉妹の願い。

 

 共に手を取り合い、同じ道を歩むことを恐れず、一歩踏み出していけば―――

 その願いは、どこまでも叶い、未来へと進むことができる。

 そう、どこまでも遠く―――

 

 遥か彼方へと。

 

 




私情により当初の予定から変更し、完結まで一直線に加速した形で更新を実施致しました。
本作は原作本編の佳奈多ルートをベースとしており、オリジナル色が弱い仕様になってしまった点がありました。今回の更新の機会を利用して修正を加えようと試みましたが諸事情により断念し、別サイトにて投稿した当時の文章をそのまま転載した形となりました(言い訳)
ぶっちゃけ沙耶アフターの方もほぼ転載でしたが。

ご愛読ありがとうございました。


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