TSメスガキ鬱ゲークラッシャー (WhatSoon)
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#1 鬱ゲーを破壊する者

自分の死をイメージできる人間は少ない。

山も谷もない人生を送っていれば、尚更イメージできはしないだろう。

人は誰もがいつか死を迎えるのだと、言葉だけでは理解していても……それが己に降りかかるという事実を理解していない。

 

俺もそうだった。

 

 

コンクリートで舗装された道路に倒れ──

 

 

雨を落とす曇天を見上げて──

 

 

流れ出る血と共に身体の熱が奪われて──

 

 

そこでようやく、俺は自分が死ぬのだと理解した。

しかし、その時には意識も朦朧としていて、死の恐怖なんて感じている暇もなかった。

遠く離れた所から見ているかのように、自分の命が失われる瞬間を他人事のように見ていた。

 

 

そうして死んだ『俺』は、『私』に生まれ変わった。

 

 

『俺』が生きていた世界とは異なる、別の世界に『私』は産まれた。

といっても、物理現象は変わらないし、太陽は一つで、夜になれば空も暗くなる。

時代が数百年ほど前のようで、国も日本ではなかったが……それでも、『俺』の生きている世界と大きな差異はなかった。

 

……産まれて直ぐの頃は、そう思っていた。

 

『俺』が生きていた世界とは異なる法則が存在すると知ったのは……『私』の親が死んだ時だ。

 

 

 

父と母は、黒くて『不明瞭』な化け物に殺された。

 

 

 

山羊のような頭、黒い人肌の上半身、獣のような下半身、蝙蝠の羽、蛇のような尾。

凡そ、イメージし得る『悪魔』のイメージ、そのままだった。

 

母に小さなクローゼットに押し込められた私は、戸の隙間から『悪魔』に生きたまま食い殺される両親の姿を見た。

見てしまった。

 

そうして、『悪魔』は私の産まれた村を蹂躙して去っていった。

私は一人、誰も居なくなった村に取り残された。

 

助けて貰ったのだから死ねないと……私は、家屋から食料を拝借し、食い繋いだ。

 

そして、三日後。

深い小豆色の生地に金の刺繍が施された修道服を着た女が、かつて村だった場所を訪れた。

 

私は……その女に保護され、修道院が経営している孤児院に入れられた。

 

 

 

その女は『悪魔』を滅ぼす『祓魔師(エクソシスト)』を名乗っていた。

人の身を超えた奇跡を身に纏い、聖なる力で戦う戦士……それが、祓魔師(エクソシスト)だと彼女は言った。

 

 

そうして、ようやく理解した。

この世界は物語(フィクション)の世界だと。

 

 

『純血の祓魔師(エクソシスト)』。

選択肢によって物語が変動するアドベンチャーパートに、申し訳程度のRPG要素の入ったPCゲーム。

アニメ化はしなかったけれど、ノベライズぐらいはされた……コアな人気があった作品だ。

 

 

何故、コアなのか。

 

 

……とんでもない鬱ゲーだからだ。

登場人物の9割は死亡する。

プレイヤーが魅力的に感じたキャラは碌でもない死に方をする。

まともで優しい人から先に、尊厳が破壊されて死亡する。

凄惨な過去を持つキャラクターばかり。

 

……まぁ、つまり、『目の前で母親が食われるのを眺めていた私』ぐらいの人間が沢山存在するし、これからも沢山現れるのだ。

 

 

『俺』は確かに、『純血の祓魔師(エクソシスト)』が好きだったが……『私』からすれば嫌いだ。

物語(フィクション)の世界で陰鬱な物を読むのは良いが、現実(リアル)で体験したり見たい訳ではない。

 

困っている誰かが居れば、助けてあげて欲しい……そう考えるのは私が特別、善良な訳ではなく……きっと当然の事だ。

 

 

だから──

 

 

私も祓魔師(エクソシスト)になった。

この世界が『鬱ゲー』ならば、せめて知っている範囲の『鬱』を破壊してやろうと大それた事を考えた。

この物語(フィクション)を破壊してやろうと、そう思った訳だ。

 

私は、廃村から私を救い出した先輩祓魔師(エクソシスト)に頼み込み……教会に入った。

 

『聖葬教会』。

この世界で唯一信仰されている聖葬教の教会だ。

そして、『悪魔』に対して唯一、対抗手段を持つ祓魔師(エクソシスト)が所属している教会だ。

 

私はそこの修道院で『悪魔』狩りの技能を学んだ。

そして、悪魔を狩る為の力と、知識を蓄えていった。

 

 

 

私には才能があった。

『悪魔』狩りの、祓魔師(エクソシスト)としての才能が。

 

祓魔師(エクソシスト)は誰にでもなれる。

努力さえすれば。

 

しかし……その祓魔師(エクソシスト)の間には、生まれながら才覚の差がある。

それは『奇跡(サイン)』と呼ばれる異能の力。

 

聖葬教会では『神様から与えられた祝福だ』と定義している『それ』は、持つ者と持たざる者の間に埋めようのない差を生み出す。

 

例えば無から炎を生み出す『奇跡(サイン)』。

土を操る『奇跡(サイン)』。

空を飛ぶことが出来る『奇跡(サイン)』。

 

最早、人間とは思えない神の御業。

そんな能力が……ふとした瞬間に神の啓示を受けたかのように、脳に焼き付けられる。

 

奇跡(サイン)』と呼ばれてもおかしくはない。

 

聖葬教会も『奇跡(サイン)』持ちの祓魔師(エクソシスト)を特別視しており、『聖人』と呼んでいる。

 

 

私はその『奇跡(サイン)』持ちだ。

修道院で鍛錬に励んでいる時、頭痛と共に使い方を『悟った』。

 

しかし、教会に話すつもりはない。

 

何故ならば『奇跡(サイン)』持ちの祓魔師(エクソシスト)は、教会に縛られるからだ。

教会は『聖人』が危険な任務には就かないようにしている。

 

『聖人』を死なせたくないのだろうが……代わりに『奇跡(サイン)』を持たない祓魔師(エクソシスト)がその任務に就き、死亡している。

 

この世界はクソだ。

 

私の行おうとしている鬱要素の破壊……それには、ある程度、自由な行動が保障されていなければならない。

私は『奇跡(サイン)』を持たない、一般の祓魔師(エクソシスト)のフリをして……今日も最前線で戦っている。

 

 

私の『奇跡(サイン)』は誰にも知られていない。

 

 

しかし、知られても良いとしても無闇に使う事は出来ない。

私の『奇跡(サイン)』は寿命を縮める物だからだ。

身体が傷付いたり、内臓が劣化したり……なんて物じゃない。

 

文字通り、寿命を縮める。

寿命という概念を縮めるのだ。

 

私の『奇跡(サイン)』、それは『寿命を代償に力を得る』こと。

気の利いた能力名もなく、ただ漠然とそういった力だと脳裏に浮かんだ。

 

使用すれば凄まじい力を得られるが……代償は大きい。

普通の『聖人』からすれば『ハズレ』としか思えない『奇跡(サイン)』。

だが、この能力によって得られる力は……代償に見合った物があった。

 

 

 

……主人公や、その仲間達がどれだけ頑張っても回避できなかった鬱要素。

それを私の寿命を代償にすれば、回避できるのだ。

 

強敵に打ち勝ち、仲間を助ける事が出来る。

 

私は……早死にするだろうが、それでも、この力を使わない理由にはならなかった。

 

両親に救われ、先輩の祓魔師(エクソシスト)にも救われた。

 

だから、これ以上の望みはなかった。

助けられたのだから、この命を有効に使わなければならないと悟ったのだ。

 

 

私は『悪魔』と戦った。

物語の知識を頼りに、悲劇が起こる場所へ先回りし、『悪魔』を討った。

私の祓魔師(エクソシスト)としての素質を超えた強敵には、躊躇なく『奇跡(サイン)』を使った。

 

記憶にある鬱要素を破壊して回ったのだ。

 

そうして『悪魔』を殺し、寿命を縮めて……ふと、気付いた。

 

このままでは助けた人間や、同僚から……良い人だと思われてしまう事に。

一見すれば何も悪い事ではない。

 

だが、寿命を縮めて死へと突き進む私に親しみを覚えてしまえば……私が死んだ時、彼らは悲しんでしまう。

それは……鬱要素を破壊しようとしている私にとって、本末転倒だと思った。

 

皆が幸せになるために戦っているのに、皆を悲しませてはならない。

 

だから、私は……人に好かれない努力をする事にした。

 

 

高飛車に、他人を蔑ろにする。

 

自惚れて、増長する。

 

人を見下し、嘲笑する。

 

 

そういった行動をしていれば、自然と周りから人が居なくなっていった。

それでいい。

 

誰からも好かれないようにと、振る舞い続けた。

 

 

 

そうして、気付けば──

 

 

 

「はぁ?ちょーキモいんですけど!こんな雑魚と一緒に任務を受けるなんて、有り得ないんですけど!」

 

 

 

私は、メスガキになっていた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

僕の同僚の祓魔師(エクソシスト)、エルシーは変な人だ。

 

すぐに人を見下してくる。

僕を馬鹿にしてくるし、とんでもない自惚れ屋だ。

だけど、実際に人を見下せる程の実績があって、人を馬鹿にするのも分かるほど努力してる。

自惚れるのも理解できるほど……その、可愛いし。

 

僕と同年代の16歳らしいけれど、僕とは大違いだ。

その自信満々な部分も含めて。

 

 

「ユーリ、遅くない?私、老衰で死んじゃうんだけど〜」

 

 

なんて言いながら、馬鹿にするような笑みを浮かべる彼女を見てそう思った。

 

薄紅色の髪の毛は肩ぐらい伸びていて、左右を縛っている。

吊り目気味な金色の目が僕を見下していた。

 

 

「ご、ごめん……すぐ用意するから……」

 

「早くして欲しいんですけど……私の時間を浪費するのは人類にとっての損失なんだから」

 

 

そう言ってエルシーはフン、と鼻を鳴らした。

傍若無人に振る舞っている……ように見えて、ちゃんと僕の事を待っている。

 

僕がアタッシュケースに必需品を入れて、慌てて立ち上がる。

同じ形状のアタッシュケースを彼女も持っている。

 

しかし、僕とエルシーの服装は異なる。

 

僕は濃緑色の修道服、彼女は小豆色の修道服だ。

この服は聖葬教会の祓魔師(エクソシスト)の階級を示している。

 

 

上から──

 

『聖人』、紺色。

 

『上位』、小豆色。

 

『中位』、紫色。

 

『下位』、濃緑色。

 

 

つまり、エルシーは『上位』で、僕は『下位』だ。

『聖人』は『奇跡(サイン)』持ち、つまり実戦が殆どない特異階級だから……エルシーは実質的に祓魔師(エクソシスト)で一番上の階級って事になる。

 

同い年なのに、大きな差がある。

 

そんな彼女と何の因果か、僕は相棒(バディ)なんかやっている。

 

 

「ユーリがノロマだから、切符ももう買っちゃったし。ほら、手を出せば?」

 

「え?あ……ありがとう」

 

「プッ、犬みたいなんですけど」

 

 

任務地へ向かう為の汽車の切符を押し付けられ……僕はお礼を言った。

彼女はくすくすと笑っていた。

 

……こういう面倒見の良い所が彼女にはある。

そもそも、彼女は『変な人』だが『悪い人』ではない。

 

人を馬鹿にするような事をよく言ってるけれど、生まれや性別、容姿は馬鹿にしないし。

本当に落ち込んでいる人相手には何も言わないし。

人助けをするためにボロボロになりながら悪魔と戦っているし。

 

 

「ほら、早く乗れば?私、窓際の席嫌なんだけど」

 

「うん、分かったよ……」

 

 

彼女に押されて、僕は汽車に乗った。

箱席の窓側に座らされ、エルシーは向かい側の対角線上に座った。

 

彼女は言葉と行動が一致しない人だ。

どうしてかは分からないけど、人の神経を逆撫でするような事ばかり言っているから……第一印象は本当に悪いんだけどね。

実際、僕も彼女と初めて会った時は『嫌な人だな……』って辟易したし。

 

でも、まぁ……それでも、ずっと一緒に任務を受けていれば、それが誤解だったって気付いたし──

 

 

「は?何でコッチ見てんの?キモいんですけど」

 

 

……うん、まぁ誤解だと思う。

エルシーと僕には身長差がある。

僕の方が頭ひとつ分ぐらい大きい。

 

だから、自然と彼女が僕を見る時、見上げるような形になる。

 

僕は苦笑しながら窓の外へ目を向ける。

秋になって、少し枯れた草木が流れていった。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

ユーリは『純血の祓魔師(エクソシスト)』の主人公だ。

今はまだ『下位』の祓魔師(エクソシスト)だが、いつか奇跡に目覚めて『聖人』になる。

 

彼の手によって何人もの人が助けられたり……まぁ、助けられなかったり。

 

まぁ、そんな今は頼りない彼だが、物語の主人公という立場上、死亡ENDがたくさん存在する。

前世のプレイヤーからは、死に過ぎて『豆腐』と呼ばれていた。

豆腐みたいに柔らかくて儚い命だからだ。

 

あ、あと髪の毛が白いからだ。

この世界の人間の髪は何故かカラフルだ。

私もピンク色だし。

 

 

そんな『豆腐』……じゃなくて、ユーリを連れて汽車に揺られ……目的地に到着した。

汽車、というか線路がちゃんと整備されていないのかメチャクチャ揺れた。

だから、ケツがメチャクチャ痛い。

 

とにかく、首都から遠く離れた村に到着した。

時間は太陽が少し落ちてきた頃……夕方までに情報を収集しなければならない。

 

この世界に於いて『悪魔』は実在する物だと認識されている。

私は前世の知識があった所為で、両親から教えられても『迷信だ』なんて信じていなかったけれど。

 

さて、この村では夜、行方不明者が出ているらしい。

十中八九『悪魔』の仕業だと、そう思った村長は『聖葬教会』に悪魔狩りの依頼をしたという訳だ。

 

村民から小さな証拠……つまり、夜な夜な狼の遠吠えが聞こえるとか、それが何処からだとか……そんな情報を集める。

 

お気に入りの小さな手帳に万年筆でメモをしつつ、事情を聴取する。

 

 

……『悪魔』は毎晩、山の方から来るらしい。

狼の遠吠えの数からして、悪魔は一体だが……分裂する能力を持っているようだ。

 

山から近い空き家……つまり、『悪魔』に連れ去られた人の住んでいた家に、ユーリと陣取る。

 

……村長や、村人は『連れ去られた人を助けてほしい』なんて言っていたが……無理だ。

『悪魔』は動物ではない。

人間の負の感情が集まって生まれた、悪しき魔なのだ。

 

奴らは食うために人間を襲っている訳じゃない。

ただ己の快楽のために人を殺す、それだけの目的なのだ。

 

だから、連れ去られた人々は……既に死んでいるだろう。

それも碌でもない死に方をしている。

そう確信していた。

 

だが、そんな事を彼等には言えない。

適当に誤魔化して、会話を打ち切った。

 

そうして今、『悪魔』を迎え撃つべく空き家に待機していた。

アタッシュケースから取り出した武器や、道具を用意する。

 

『悪魔』は人間とは比べ物にならない身体能力を持っている。

普通ならば勝ち目はない。

 

しかし、人間の武器は身体能力ではない。

遥か昔から、道具を使って自身より巨大な獲物を狩ってきた……その狩猟能力こそ武器なのだ。

 

己の技能を過信して死んでいく祓魔師(エクソシスト)は多い。

だが、私は油断しない。

 

この世界は鬱ゲーだからだ。

調子に乗った奴から先に、無惨な死を遂げる。

 

念入り……というには念入り過ぎる装備をして、私はベッドに腰掛けた。

簡素な携帯食料を食べ、仮眠を取る。

 

 

時間が過ぎて、夜が更ければ──

 

 

狼の遠吠えが、聞こえた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

「ユーリ、ビビってんの?」

 

 

エルシーが馬鹿にするように笑った。

僕は……少し震えている拳を握った。

 

 

「だ、大丈夫だよ」

 

「ふ〜ん?」

 

 

否定はしたけれど、エルシーにはバレているだろう。

それでも、彼女はそれ以上、何も言わなかった。

 

装備を確かめて……エルシーと僕は空き家の外に出る。

遠吠えがした方へ目を向ける。

 

黒いモヤ……『悪魔』が現れる前兆が見えていた。

僕は胸元の『ロザリオ』に指を触れた。

 

これは『悪魔』に対して有効な『聖なる銀』で作ったロザリオだ。

そして『聖なる銀』には特殊な能力がある。

 

銀色の十字架が……一瞬で形を変えた。

材質は変わらず、大きな剣の姿へ。

 

僕のロザリオが変形し、大剣へと姿を変えた。

 

これは全ての祓魔師(エクソシスト)が持っている『悪魔』を討つ為の武器、『聖銀器』だ。

所有者の祈りに応じて、その者に最も相応しい姿に形を変える。

なので、教会はその武器に応じた洗礼名を祓魔師(エクソシスト)に与える。

 

僕の『聖銀器』は『大剣(クレイモア)』。

つまり、『大剣(クレイモア)祓魔師(エクソシスト) ユーリ』と……教会に登録されている。

 

僕が大剣を握っている中、少し前に立ったエルシーは素手のまま立っていた。

 

そして、腰のポーチを開けて……小瓶を二つ手に取った。

祈る様な仕草で、口を開く。

 

 

「『主よ、悪しき者に正当なる怒りを知らしめよ』」

 

 

聖書に書かれた聖句を唱えて……小瓶を前方に投げた。

その小瓶は宙で砕けて、液体が飛び散る。

 

瞬間、光が闇を照らした。

 

 

「『聖なる一撃(ホーリースマイト)』!」

 

 

割れた小瓶は洗礼を受けた『聖水』が入っていた。

そして唱えたのは聖書の『聖句』。

それによって『聖人』のみが起こせる『奇跡』……その現象を再現したのだ。

 

光が質量を持って降り注ぎ、地面を抉る。

黒いモヤが弾けて、散り散りになった。

 

そして……それらは黒い、毛のない狼になった。

聖なる一撃(ホーリースマイト)』を受けた『悪魔』が分裂したのだ。

 

 

「ダッサ〜!真正面から戦う事も出来ないの〜?」

 

 

気持ち、少し大きめの声でエルシーが嘲笑した。

『悪魔』は人語を話さないが……意味は理解している。

そして、奴らは人の悪意から生まれた存在だ。

 

嘲笑に苛立ち、黒い狼となった悪魔がエルシーに殺到する。

 

その様子に彼女はほくそ笑み、数歩下がった。

……僕の出番って事だ。

 

 

『聖なる銀』で出来た大剣を振りかぶり、前に飛び出した。

黒い狼は……7体に分裂していた。

そいつらに向けて、剣を振るった。

 

『聖銀器』は『悪魔』に対して特効と呼べるほどの力がある。

少し触れただけでも、その身体を抉り取り浄化する程に。

 

横に薙ぎ払った大剣の一撃で、狼を2匹消し飛ばした。

だが……残りはエルシーに向けて走っていた。

 

直後、エルシーも胸元のロザリオに触れた。

彼女の手に『聖銀器』が現れる。

 

悪魔を滅ぼす為の武器……聖なる銀で出来た『大きなハンマー』が、手に握られている。

柄は長く、先端は大きい。

 

凡そ、僕よりも小柄な少女が持つには大き過ぎる大鎚が……振るわれた。

 

黒い狼の頭を叩き潰し、打ち払う。

柄で狼の目を突き刺し、薙ぎ払う。

 

まるで暴風のような暴れ様。

 

彼女は……『大鎚(スレッジハンマー)祓魔師(エクソシスト) エルシー』。

上位祓魔師(エクソシスト)だ。

 

 

「弱過ぎなんですけど〜?ウケる」

 

 

嘲笑して誘き寄せつつ、大鎚(スレッジハンマー)を振るう。

一度振るう度に悪魔が弾き飛ばされて……砕ける。

 

べちゃり、べちゃりと異音を立てつつ悪魔が爆ぜる。

 

身体の大半が削れた事で『悪魔』もエルシーの嘲笑の意味に気付いたようで……逃げようと身を翻し──

 

 

「このっ!」

 

 

僕が大剣で叩き潰した。

切れ味よりも重さを優先した大剣(クレイモア)

 

悪魔の祓い方については、エルシーの大鎚(スレッジハンマー)と大した違いはないのかもしれない。

結果的に叩き潰す、というのは変わらないからだ。

 

そうして、最後の一体を叩き潰して……息を深く吐き出した。

緊張からの解放と共に膝から崩れ落ちそうになる。

 

さっきの『悪魔』、危なげなく祓う事が出来たように見えるだろう。

 

だけど、実際はそうじゃない。

少なくとも僕に取っては。

 

『下位』の祓魔師(エクソシスト)にとって、あの狼に分裂した『悪魔』は脅威だ。

僕一人では、間違いなく勝てない。

 

エルシーが注目を集めて、大半を倒してくれたから……僕は1対1に注力できた。

本体の7分の1相手だから勝てたんだ。

 

複数体に同時に、多方向から襲われたら確実に死んでいただろう。

下位の祓魔師(エクソシスト)に取って、命の危機は日常茶飯事だ。

『悪魔』との戦いは命の危機の連続だから……こうして、今日も死なずに生き延びたのは奇跡に等しい──

 

 

「ユーリ!」

 

 

怒声に近い声が聞こえた。

 

 

「えっ──

 

 

瞬間、目の前に黒い狼が現れた。

 

なんでっ──

 

7体、倒した筈なのに──

 

いや、分裂したのは7体だったけれど、分裂できる最大数が7体と決まった訳じゃない。

 

僕が最後に倒した黒い狼……手応えがなかった。

斬られる瞬間に分裂したのだとしたら──

 

真っ黒な狼が、『悪魔』が……飛び掛かってくる。

全てがゆっくりに見えた。

 

牙が、僕の、目の前に──

 

 

 

瞬間、後ろに引っ張られた。

 

 

 

エルシーが走って……僕を後ろから引っ張ったのだ。

そのまま尻餅を搗くように僕は倒れて……エルシーの、腕に──

 

 

狼が食い付いた。

 

 

()っ──

 

 

大きなナイフのような牙が、彼女の白くて細い腕を……滅茶苦茶に突き刺して、血で染めた。

鮮血が僕の前に飛び散った。

 

 

「あっ──

 

 

瞬間、僕は大剣を握りしめた。

震える足で地面を踏み締めて、狼の胴体へ剣を振るった。

 

そのまま……切り裂かれた狼の下半身が宙を舞う。

 

身体に『聖銀器』を叩き込まれた『悪魔』は浄化され……彼女の腕に食いついていた頭部ごと消え去った。

 

 

だが、彼女の腕の傷は消えない。

 

 

「エ、エルシー……」

 

 

複数の方向から刃物のような牙で噛み付かれた腕は、見るも無惨な姿になっていた。

エルシーは脂汗を浮かべて、血の気の引いた顔で……僕を見た。

 

 

「……ユーリ」

 

 

いつもの嘲笑を浮かべている笑みではなかった。

精一杯、という顔。

辛そうな顔を浮かべていた。

 

僕は彼女からの叱責を覚悟したのに──

 

 

「無事で、良かった」

 

 

なんて、言葉を掛けられた。

いつもの彼女から出ない筈の、心配するような声。

 

その傷は僕が悪いのに、僕の所為なのに。

 

 

「あ、あ、あぁ……」

 

 

思わず呻いて……涙が少し出て……今、そんな事をしている場合じゃないって気付いた。

慌てて、応急手当て用の包帯や、『聖水』を出して彼女に駆け寄った。

 

悪魔に付けられた傷口を浄化する為に、『聖水』をかける。

 

 

「い、っつ……」

 

「ご、ごめん!すぐ終わるからっ」

 

 

沁みたようで顔を顰めるエルシーに謝りながら、それでも『聖水』を掛ける。

『聖水』には人間の生命力を強化する効能がある。

つまり、治癒能力を高める事が出来るのだ。

 

そのまま包帯で巻きながら……彼女に視線を合わせた。

いつもの見下すような顔じゃない、不思議な表情。

 

何だろうか、と考えて──

 

 

あぁ、これは……安堵の表情だと、僕は気付いた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

傷口が死ぬほど痛々しい件について。

死ぬほど痛かったが……教会で治療の『奇跡(サイン)』を受けた事もあり、直ぐに治った。

 

だが、神様の奇跡も万能じゃない。

欠損した部位を治す事は出来ない。

結果的に……血管や筋肉の筋は治ったけれど、皮膚の表面に違和感が残った。

 

稲妻のような、ヒビ割れたような傷口が腕に残った。

滅茶苦茶、痛々しい。

 

……まぁ、気にしないけど。

こんな傷跡が残る程度で、誰も死なずに済んだんだからラッキーぐらいの気持ちだ。

 

というか、やっぱりユーリは……死ぬほど運が悪いんだな。

あの黒狼の分裂能力……『中位』や『下位』の祓魔師(エクソシスト)なら手も足も出ずに殺されていただろう。

 

最後の初見殺し(分からん殺し)も、気付かなくて仕方ない。

複数に分裂して乱戦に持ち込みつつ、陰で分裂して不意打ち……という狡猾な立ち回りをする『悪魔』だった。

 

ユーリと『悪魔』が戦っている場所から離れた、俯瞰した視点から見れたから気付けただけだ。

 

だから──

 

 

「は〜?いつまで辛気臭い顔してんの?臭いのが移るからやめて欲しいんですけど」

 

 

こうして落ち込んでいる……というか、私に対して負い目を感じているユーリを見ると少しモヤモヤする。

 

 

「ご、ごめん。エルシー……僕の所為で……」

 

 

ユーリの所為ではない。

確かに彼は失敗したかも知れないが、助けたのは私で、怪我を負ったのも私の決断の所為だ。

……だが、そんな事を言えば、彼の好感度を稼いでしまう。

 

折角、彼に『嫌われている』のだから……現状を維持しなければならない。

 

 

「え?ホント、有り得ないんですけど」

 

「……ごめん」

 

 

……これは重症らしい。

傷を負った私の方が元気って、どういう事なんだ。

内心で少しイラっとしつつも、こうして好きでもない相手を心配出来るのは……彼の美点だと感じた。

少し頼りないけど、底抜けに優しい。

だからこそ、彼がこうして申し訳なさそうにしているのは……少し、嫌だと思った。

 

私はため息を吐いて、ユーリの頬に触れ──

 

 

「え?エルシー?」

 

 

全力で抓った。

 

 

「あ、痛っ、痛いっ!」

 

 

さっきまでの辛気臭い顔から、『何でそんな事するの?』って顔に変わった。

私はいつも通り、顔に張り付いた嘲笑を浮かべてユーリを見下す。

 

 

「アレもコレも自分の所為って……自惚れ過ぎなんですけど?アンタみたいな雑魚が責任を感じるって……責任負える程、偉い立場になったつもり?」

 

「あ、いや……でも……」

 

「キモいんですけど〜?もっと鏡でも見て自己評価したら?自分がへなちょこ雑魚祓魔師(エクソシスト)だって自覚したら?」

 

「え、う……うん」

 

 

それでも申し訳なさそうな顔をするユーリに呆れつつ、私は彼から離れた。

 

 

「アンタ、私が身を挺して助けたとでも思ってる?」

 

「えっと……」

 

「違うんですけど?相棒(バディ)が死んだら私の評価が下がっちゃうから、嫌々助けただけなんですけど?」

 

「えっ……あ、そう……?」

 

「それとも、私がアンタみたいな雑魚が大切だから、助けたとでも思ってるの?キモいんですけど〜?自意識過剰なんですけど?」

 

「え、いやっ、そういう訳じゃ……」

 

 

しょぼしょぼと萎れたような表情を浮かべたユーリを見て、ほくそ笑む。

 

 

「あーあ、傷、残っちゃった〜」

 

「う、ごめん……」

 

「一生返せない貸しを作っちゃったんですけど?」

 

「そ、そうだね……」

 

「って事で、アンタ。一生、私の奴隷だから」

 

「えっ、あっ……ハイ」

 

 

まぁ、これだけ言えば、彼も罪悪感を感じずに済むだろう。

これじゃあパワハラ上司だもんな。

嫌われても好かれる理由が見当たらない。

 

しかし……心臓の辺りが、痛いな。

ユーリを助ける時、距離が遠かったから……咄嗟に私の持つ『奇跡(サイン)』を使ったからか。

 

私の『奇跡(サイン)』は代償に寿命を捧げる。

どれだけ削られているかは分からないけれど……まぁ、どうでも良いか。

 

私は鬱要素を破壊する為に祓魔師(エクソシスト)になったのだから。

この命を擦り潰して……助けられる範囲の人を助けていくのだ。

 

……どうせ、私に家族はもう居ないし。

私の事を大切だと思っている奴も居ないし。

死んだって……あの生意気で態度の悪い奴が死んだんだな……ってぐらいに思って欲しいし。

 

 

「ユーリ、私、甘いもの食べたいんですけど……」

 

「え?」

 

「気の利かない奴隷ね。さっさと何か買ってくれば?勿論、アンタの奢りで」

 

「……うん、すぐ買ってくるよ」

 

 

今日も今日とて……誰にも好かれないように、私は振る舞い続ける。

私は、この世界を……鬱ゲーを破壊する為に生きているのだから。



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#2 過去と現在と未来

私達祓魔師(エクソシスト)は『聖葬教会』に所属している。

五万に近い熱心な信徒と、二千人に近い祓魔師(エクソシスト)、そして数百人程度の司祭で形成された組織……いや、宗教団体だ。

 

司祭は教義を広めて、信徒に活動資金を寄付させて、祓魔師(エクソシスト)に依頼を割り振る。

だからといって、単純に立場が祓魔師(エクソシスト)より上だという訳ではない。

教義的には立場の差はない。

しかし、殆どの祓魔師(エクソシスト)は司祭の指示は厳守している。

 

祓魔師(エクソシスト)の大半は、聖葬教の熱心な信徒でもあるからだ。

私は……熱心という訳ではないが、教えを馬鹿にする程でもない。

 

そんな聖葬教会の本拠地は、『聖地レイライン』に存在している。

規模が大きく、祓魔師(エクソシスト)という人の枠組みを外れた武力を持つ教会は、国からも一定の配慮をされている。

結果的に、『聖地レイライン』は法を逸脱した……最早、一つの国家と言って良いほどに独立している。

 

『聖地レイライン』には祓魔師(エクソシスト)達が集まる。

依頼の請け負いや、鍛錬……悪魔との戦いで負った傷の療養など。

様々な目的を持って集まる。

 

祓魔師(エクソシスト)からすれば、帰る場所なのだ。

生まれとは別の第二の故郷と言ってもいい。

 

そんな『聖地レイライン』に今、私も帰還していた。

ユーリとの任務の結果、負った傷を治療する為に、治癒の『奇跡(サイン)』を持つ『聖人』が必要だった。

 

奇跡(サイン)』を使用できる祓魔師(エクソシスト)は『聖人』と呼ばれて、聖葬教会に丁重に扱われている。

教義では『奇跡(サイン)』は主からの贈り物だから、だそうだ。

つまるところ、神の愛し子たる『聖人』を危険な地には送れない。

通常の祓魔師(エクソシスト)と違って、任務なども余程のことがなければ割り振られない。

 

そんな『聖人』は何処で守られているのかと言えば……そう、この『聖地レイライン』で、だ。

 

重傷を負った私は『奇跡(サイン)』に頼らざるを得ないため、『聖地レイライン』まで戻ってきたという訳だ。

 

治療の結果、左腕に亀裂のような生々しい傷跡が残ってしまったが……まぁ、隠せば良いだけの話だ。

 

今は教会に発注して作らせた、黒くて伸縮性のあるアームカバーを左腕に纏っている。

 

ちなみに、細かな動作の邪魔にならないよう、先端は指抜きグローブみたいになっている。

 

しかし、こう……なんだ?

この装備は、ちょっと男心がくすぐられるな。

今世は女だけど。

 

ちら、と窓ガラスに反射する私に目を向ける。

歩みに合わせて、薄紅色の括った髪が跳ねた。

 

今日の目的も終わったし、少し修練場の様子だけ見て帰ろうかと足を進め──

 

 

「……エルシー」

 

 

名前を呼ばれて、私は振り返った。

ユーリではない、大人の女性の声。

振り返れば赤焦げた髪の、目付きの鋭い女が立っていた。

服装は私と同じ、小豆色の修道服……つまり『上位』の祓魔師(エクソシスト)という事だ。

 

私は内心、苦虫を噛み潰したような顔をした。

あまり会いたくない相手だったからだ。

 

しかし、そんな私とは対照的に、女は少し頬を緩めた。

 

 

「奇遇だな。何か教会に用事でもあったのか?」

 

 

なんて気楽に、探るような事を言ってくる。

私は手を口元に当てて、いつも通りの笑みを顔に貼り付けた。

 

 

「えー?何で?そんなに知りたいの?」

 

「あぁ、気になるさ。教えてくれるか?」

 

「教えてあげるワケないんですけど?ストーカーなの?」

 

「連絡を寄越さない弟子の近況を知りたいのは、普通の事だと思うのだが」

 

 

突き放すような言葉を無視する彼女に、私は息を深く吐いた。

 

この女性は、私の師匠。

『悪魔』に両親を食われた私を保護してくれた、祓魔師(エクソシスト)だ。

実際に私に武器の持ち方や、祓魔師(エクソシスト)の立ち振る舞いを教えてくれたのだから……保護者のような立ち位置だ。

 

そんな関係性を私は持ちたくない。

 

 

「弟子に実績を追い越される師匠なんて、私には必要ないんですけど〜?」

 

「お前がどれだけ生意気だろうと、立派になろうと……私からすれば可愛い弟子なんだよ、エルシー」

 

 

彼女の名はフロイラ。

斧槍(ハルバード)祓魔師(エクソシスト) フロイラ』だ。

 

彼女はその草臥れた不良のような風貌からは考えられないほどに、お人好しだ。

私の嘲る言葉を受け流してしまう程に。

 

命の恩人で、血は繋がってないが親……いや、年齢的には少し歳の離れた姉のように思っている。

尊敬している。

 

だからこそ、私の所為で泣いて欲しくない。

彼女はきっと自身の弟子が先に死ねば泣いてしまうだろうから……せめて、従順な可愛い弟子ではなく、生意気で態度の悪い弟子だと思ってほしかった。

 

 

「しかし……その腕の、何だ?怪我でもしたのか?」

 

 

心配するような視線を感じて、胸の中が渦巻く。

だから、また悪態を吐く。

 

 

「別に大した事じゃないんですけど?ウチの相棒(バディ)がバカでノロマだったから怪我しちゃっただけ」

 

「……そうか」

 

 

フロイラは何か感じたのか顔を顰めた。

仲間想いの彼女からすれば、こうして自分の相棒(バディ)を馬鹿にする私の言動は気に障るだろう。

 

よし、これで好感度下げに成功したな。

私はほくそ笑んだ。

 

 

「用事は終わり?私、暇じゃないんですけど?」

 

「あぁ……そうだな。ついて行っても良いか?」

 

「良い訳ないでしょ。キモ過ぎなんですけど〜」

 

 

私がフロイラを無視して横を通り過ぎれば……彼女は私の後ろをついて歩き始めた。

……来るなと言っても、ついてくるんだろう。

彼女は頑固なお人好しだからだ。

 

こうなったら何をしても無駄だ。

私は彼女から見えないように、本気のため息を吐いた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

目の前で歩く少女の、薄紅色の髪を視線で追う。

 

私の弟子、エルシーは優しい娘だ。

 

初めて会ったのは、狡猾な悪魔を追って村の跡地に到着した時だ。

当時の相棒(バディ)を、その『悪魔』に殺された私は……単独で『悪魔』を追っていた。

その先で『悪魔』によって滅ぼされた村を見つけて、彼女に出会ったのだ。

 

 

 

 

虚な目で虚空を見ながら、半壊した井戸の淵に彼女は座っていた。

その手は土で汚れていた。

 

理由は直ぐに分かった。

村の中に幾つもの簡易な墓が立てられていたからだ。

木の枝を折って、十字に紐で結ばれた……吹けば飛ぶような墓だ。

 

私は思わず、彼女に問いかけた。

 

 

「……君が埋めたのか?」

 

 

彼女は頷き、それでも私へ視線を向けなかった。

 

 

「うん……でもまだ、あと何人か残ってる」

 

 

掠れた声を聞きながら、私は周りの墓を数えた。

一家族……二世帯よりも、遥かに多い。

家族の分だけじゃないだろう。

 

 

「村の全員を埋めるのか?」

 

「うん」

 

 

彼女は足元にあった農業用の鋤へ目を落とした。

しかし、村人全員、か。

 

墓を作るのは重労働だ。

人を一人埋めるには、かなり大きく掘らなければならない。

 

そんな苦労を度外視しても、彼等を弔いたいのは……それだけ仲が良かったのだろう。

 

 

「……随分と仲が良かったんだな」

 

「ううん……別に。知らない人の方が多い、かも」

 

 

そう呟く彼女に、視線を落とした。

 

 

「……なら、どうして弔う?君にとって彼等は──

 

「助けられたから」

 

「……彼等にか?」

 

「ううん、父と母に」

 

 

彼女の視線は私へ向いて居なかった。

虚に、しかし何か決めたような顔で周りを見渡し……口を開いた。

 

 

「だから、二人に私を……助けて良かったって、思われたいから。理由なんて、それだけ」

 

 

掠れた声を聞き、私は思わず息を呑んだ。

幼い少女だというのに……どうして、こうも。

 

辛いだろうに、苦しいだろうに。

それでも……他者を優先するのか。

 

思わず、私は彼女の足元にあった鋤を拾った。

 

 

「私も手伝おう」

 

 

『悪魔』を討ち殺すという目的は、彼女を助けなければならないという感情で上書きした。

正確に言えば……私は彼女を、『悪魔』を追えない理由にしたのだ。

 

確かに相棒(バディ)を殺した『悪魔』は憎い。

だとしても相棒(バディ)と共に戦っても倒せなかった『悪魔』を私一人で倒せる訳がなかった。

感情の起伏で力量の差を埋められない事を、私は知っていた。

 

だから、理屈と感情の折り合いを付ける為に……彼女を、『悪魔』を追えない理由に仕立て上げたのだ。

本当に、見窄らしい話だ。

 

 

 

数時間をかけて墓を作り終え、故人との別れを済ました。

そして、私は『悪魔』に母親を食い殺された子供を連れて村を出た。

 

小さい体の細い指が、私の手に触れた。

……握り返せば、骨ばった感触がした。

 

 

「……そういえば、君の名前は?」

 

「私は……エルシー」

 

「そうか、良い名前だ」

 

 

エルシーは笑わない娘だった。

だが、それは彼女本来の性質ではない。

目の前で母親を食われた光景……それが、彼女の表情を曇らせ続けているのだろう。

 

エルシーは『聖葬教会』の『修道院』預かりとなった。

『悪魔』の被害者は、『悪魔』を恨む事が多い……だからこそ、祓魔師(エクソシスト)の素養があると、教会は積極的に保護しているのだ。

 

実際、教会の思い通りというべきか……彼女は祓魔師(エクソシスト)になりたいと言い出した。

 

正直、私は反対だった。

祓魔師(エクソシスト)という仕事はクソだ。

相棒(バディ)が殺された後にようやく理解した。

祓魔師(エクソシスト)は誰かを助けるために命懸けで戦っている。

死に近付き過ぎる時もある。

だが、そんな私達を誰が助けるというのか。

誰かの為にと戦って、結局は見窄らしく死んでいく……それが祓魔師(エクソシスト)の本質だ。

 

辞めるつもりはないが、彼女にこの道を踏ませたくなかった。

 

だが、彼女には祓魔師(エクソシスト)の才能があった。

戦う技術も、知識も、まるで乾いた砂が水を吸うように吸っていった。

 

そうして気付けば、彼女は中位の祓魔師(エクソシスト)になっていた。

駆け上がるように、生き急ぐように彼女は強くなっていく。

 

その頃には笑顔も見せるようになり、周りには沢山の人が集まっていた。

彼女には実力があり、人柄も良かった。

だから、慕われていた。

 

……そう、慕われていたんだ。

 

 

「はぁ?ちょーキモいんですけど!こんな雑魚と一緒に任務を受けるなんて、有り得ないんですけど!」

 

「そ、そんな……エルシーちゃん、一人でなんて──

 

「雑魚に心配されるほど、私は弱くないんですけど〜?」

 

 

彼女はいつからか、人を侮辱するようになっていた。

傲慢で、人を見下す……そんな人間になっていった。

 

彼女を知らない者は、敬遠した。

彼女を少し知る者は、失望した。

彼女をよく知る者は、困惑した。

 

 

私は、どれだったか。

 

 

 

 

 

今は……そうだな、少なくとも──

 

 

 

 

 

目の前で薄紅色の髪を揺らす、彼女を見る。

自信に満ちた足運びだ。

羨ましい程に。

 

それでも歩みは緩やかだ。

私がついて来るのを嫌がっている癖に、振り切ったりせず……小走りもせずに歩いて居た。

彼女は優しい娘なのだから。

 

 

少し歩いて、到着したのは修練場だ。

祓魔師(エクソシスト)が悪魔と戦う時に使用する武器、『聖銀器』。

それを扱うには日頃の訓練が重要だ。

 

鍛錬で自由自在に動かせない人間が、実戦で戦える訳がないのだから。

 

修練所は広い。

石材の積まれた壁はあるが、風がよく通る。

地面は踏み固められた土があるだけで床もない。

 

建物、というよりは……敷居のあるだけの広間だ。

 

そんな修練所に、彼女は足を踏み入れた。

修練所の中に人の姿は……一人だけだった。

任務で悪魔退治に出掛けているのか、それとも休んでいるのか──

 

しかし、エルシーはその修練所の一人に目を瞬かせた。

 

 

「……ふーん?」

 

 

そうして、意地の悪そうな笑みを浮かべた。

視線の先に居たのは少年だった。

遠くからでも分かる、鍛えられた無駄のない筋肉に……白髪。

手には彼が持つには手に余るような大きな銀の剣を持って居た。

 

エルシーは何やら大股で彼に向けて歩き出した。

彼女がああして、上機嫌な『フリ』をしている時は碌な事が起こらない。

そんな経験則からの予測だが──

 

 

「こんな所で何してんの〜?腰も入ってないし……お爺ちゃんみたいなんですけど。恥ずかしくないの?」

 

 

どうやら、予測は的中したらしい。

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

私は目の前で『聖銀器』を握ったまま、呆けているユーリに目を向けた。

 

いつもの修道服ではなく、薄着だ。

同年代に比べて筋肉質な身体には、汗が伝って居た。

恐らく、鍛錬に来たのは先程……という訳ではなく、鍛錬を長時間続けていたのだろう。

 

 

「何って……鍛錬だけど。エルシー……その、僕に何か用事?」

 

 

私の侮蔑に悲しむ訳でもなく、怒る訳でもなく、少し困惑した様子で問い掛けてきた。

私は大きなため息を吐きつつ、左腕を振った。

アームカバーが付いている方の腕だ。

 

 

「私も鍛錬しに来ただけ。誰かの所為で怪我しちゃったから、具合を確かめないといけないんですけど?」

 

 

なんて言葉を口にすれば、ユーリはバツの悪そうな顔を……いや、申し訳なさそうな顔をした。

 

 

「あ……ご、ごめん。エルシー、傷はその……大丈夫?」

 

 

ここで痛がるフリをしても良いが……心配されたい訳ではない。

私はあくまで誰とも仲良くなりたくないだけであり、他人を傷付けたい訳ではない。

 

 

「この程度、擦り傷なんですけど?ユーリと違って」

 

「……そっか」

 

 

安堵の息を吐いたユーリを横目に、私は鼻を鳴らした。

彼は底抜けに良い奴だ。

私がどれだけ嫌われるような言動をしていても、こうして心配してしまうのだから。

 

 

「で?ユーリは何で休みの日に鍛錬してんの?自分がよわよわ雑魚祓魔師(エクソシスト)だって自覚したから?」

 

「それは……うん。足を引っ張っちゃったし」

 

「雑魚の自覚はあるんだ?」

 

「ま、まぁね……」

 

「褒めてないんですけど〜?」

 

 

手を口元に当てて笑う。

何故、手を口元に当てるのか。

 

私は笑顔が下手だからだ。

笑えているか確認したくて、無意識のうちに口元に手が伸びてしまう癖があった。

 

 

「…………」

 

 

ユーリは後頭部を掻いて、目を逸らした。

視線は私の後ろにいるフロイラに向いている。

恐らく、私と彼女の関係について聞きたいのだろうが……何と訊けば良いか迷っているのだろう。

あわよくば私から紹介して欲しい、なんて腑抜けた考えが透けて見えた。

情けない。

 

しかし──

 

休日だというのに、自分の力不足を顧みて、鍛錬をしようというのは偉い。

ユーリは『下位』の祓魔師(エクソシスト)……底辺(ドベ)だ。

まぁ『下位』の中では上澄みだが。

 

私は自身の胸元の『ロザリオ』に触れた。

そして、そのまま──

 

 

「ユーリ」

 

 

声掛けに視線が戻ったと同時に、『聖銀器』へと変形させた。

そして、そのまま大鎚を振りかぶり──

 

 

「えっ──

 

 

気付いたユーリは手元の大剣を盾のように構えた。

なるほど、あの時の……狼の『悪魔』に不意打ちされた時の反省は活きているようだ。

 

だが、まだ甘い。

 

私は大鎚の頭ではなく、柄を大剣とぶつけさせた。

そのまま引っ張り、大鎚の頭を大剣の剣身に引っ掛ける。

そうして固定したまま、捻る。

 

 

「うわぁっ!?」

 

 

重心を奪い、ユーリの体勢を崩させた。

 

 

体格差や筋肉の差があろうとも、ユーリの方が上に見えるだろう。

実際、素の身体能力なら彼の方が上だ。

 

だが、祓魔師(エクソシスト)の力の源は身体だけではない。

そもそも人間の身体能力だけでは『悪魔』に勝てない。

それだけ『悪魔』と身体能力の差がある。

 

その差を埋めるのが『神聖力(エーテル)』。

人間の魂から発露されるエネルギーだ。

どんな人間でも持っている力だが、その量は少ない。

祓魔師(エクソシスト)は、この『神聖力(エーテル)』を修業や、儀式によって量を引き上げている。

 

そして、この『神聖力(エーテル)』こそが祓魔師(エクソシスト)祓魔師(エクソシスト)たらしめている。

肉体の強化、奇跡の再現、自然治癒力の増幅等……使用用途は多岐に亘る。

 

ちなみに神聖なる〜って意味が言葉に含まれているが、実際は悪人だって扱える『ただのエネルギー』だ。

聖葬教会の都合で、聖なる物として扱っているだけ。

 

 

閑話休題(それはともかく)

 

 

大剣を引き寄せられ、姿勢を崩したユーリの顔面へと聖銀の大鎚を振るう。

 

『聖銀器』は『悪魔』に特効が付いているが、人相手ならば普通の鈍器だ。

神聖力(エーテル)で身体強化されていれば骨折もしない。

 

だが、腐っても鈍器。

 

顔面に命中すれば──

 

 

しかし、ユーリは足で地面を蹴り、そのまま私を飛び越した。

空中で反転し、地面を滑りながら着地した。

 

そして、私を見て顔を顰めた。

 

 

「エルシー、急に何をして──

 

 

ユーリの背後にいるフロイラに視線を向けた。

呆れたような顔をしているが、止める気はないらしい。

 

まぁ、彼女には分かるだろう。

今から行うのは──

 

 

「ん〜?弱い者虐め」

 

 

実践形式の訓練だ。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

ユーリ、と呼ばれた少年相手に大鎚(スレッジハンマー)を振り回すエルシーを見る。

大鎚という武器は先端は重く、柄が長い。

彼女の武器は特に、その特徴が顕著だ。

 

先端の(ハンマー)は彼女の頭の二倍ほどの大きさだ。

しかして、柄の長さが彼女の身長の半分以上はある。

 

まるで、槍のように長い柄。

それを棒術のように巧みに振り回す。

 

先端の頭の『重さ』を感じる武器遣い。

素人ならば「重さを感じない程、軽々と使える方がいいんじゃないか」と言うだろう。

確かに重い武器を軽々と振り回せる方が良い場合の方が多い。

だが、彼女の武器である『大鎚(スレッジハンマー)』は別だ。

 

先端を重りにして、遠心力で武器に『振り回される』ように振るう。

重さと回転、それを速度と威力に変える。

それが彼女の戦い方だ。

 

 

「ほらほら〜反撃しないと一方的に殴られて終わりなんですけど〜?」

 

「っ──

 

 

ユーリはそれを大剣で捌きながら、それでも押されて後ずさっている。

武器を振るう技量の差、そして神聖力(エーテル)を練り上げる技量の差が見て取れる。

 

しかし……エルシーは手加減をしているようだ。

ユーリに大鎚を当てても致命傷にならないように、身体に込める神聖力(エーテル)の量を調整している。

 

証拠に──

 

 

「ぅ()っ!?」

 

 

あぁして、殴られても悶絶する程度で済んでいるのだから。

蹲るユーリを、エルシーが見下している。

 

 

「痛い程度で怯んだら、死んじゃうんですけど〜」

 

 

言い方は悪いが、それは正しい。

殴られても、傷を付けられても、腕を斬られても……動きを止めてはならない。

『悪魔』は人間に対して一切の情を持たないからだ。

 

エルシーがユーリを大鎚で小突き、転がした。

 

 

「雑魚過ぎなんですけど〜。祓魔師(エクソシスト)してても無駄死にするだけだし、辞めちゃえば?」

 

 

嘲笑う彼女に、ユーリは……それまで浮かべていた情けない表情を引き締めて、立ち上がった。

 

 

「それは……エルシーに言われたって、辞めない。僕は……僕に出来る事を、しないと……っ」

 

 

彼には彼の事情があるのだろう。

 

だが、それは珍しい事ではない。

祓魔師(エクソシスト)には大なり小なり戦う理由がある。

彼にも、彼女にも、私にだって。

 

しかし、その事情を信念にして、立ち上がれるのならば……それだけで、祓魔師(エクソシスト)としては十分だ。

人間より強大な『悪魔』に立ち向かうのに必要なのは強さだけじゃない。

 

自身の恐怖心に打ち勝てる、戦う理由が必要なのだ。

 

 

エルシーは立ち上がったユーリ相手に笑っていた。

普段の嘲笑うような笑みとは少し違う……だが、すぐに嘲笑へと戻った。

 

 

「カッコいい啖呵切ってるだけじゃ、『悪魔』に……私にも勝てないんですけど?」

 

 

彼女は大鎚を回転させた。

横に縦に、縦横無尽に。

少しずつ速く、重く、鋭く。

 

『溜めて』いるのか。

 

……私はユーリへと視線を向けた。

大剣を構えていた。

 

迎え撃つつもりか。

明らかに、無謀な──

 

瞬間、エルシーの足元が爆ぜた。

剥き出しの地面に、彼女の足跡が残っていた。

 

凄まじい力で踏み切ったから、地面が砕けたのだ。

 

宙を回転しながら、大鎚が振るわれた。

 

 

ユーリは──

 

 

「……ふふ、成程。エルシーが気にかける訳だ」

 

 

大鎚の柄を、剣の鍔で押さえつけていた。

 

大鎚を受け止めた訳じゃない。

迎撃したのだ。

 

凄まじい加速と重みで迫る大鎚を受け止められないと悟ったユーリは、迫り来る大鎚へ向けて大剣を打ち合わせたのだ。

そして、力負けはしたが……威力を削いだ大鎚を受け止めることに成功したのだ。

 

怯えて受け止めるだけじゃない。

立ち向かう勇気があるのだと示して見せたのだ。

 

そんなユーリは精一杯な表情を浮かべていた。

対して、エルシーは愉快そうに頬を緩めていた。

 

 

「……ふーん?」

 

 

そして、笑いながら……ユーリを蹴り飛ばした。

 

まぁ、確かに。

大鎚を防いでも両足は空いているのだから、そうなってもおかしくはないか。

 

吹っ飛ばされて地面に転がるユーリを見ながら、そう思った。

 

 

「最後のはちょっと良かったけど、やっぱりよわよわ祓魔師(エクソシスト)。一生、下位で泥水舐めてるのがお似合いなんですけど〜」

 

 

なんて侮辱するが、彼女には分かっているのだろう。

先程のやり取りを見ただけで部外者の私が分かるぐらいなのだから。

 

ユーリは下位に収まっていい実力ではない。

少なくとも『聖銀器』の扱いだけならば中位……いや、上位にも指がかかる程だ。

 

足りないのは実績と、経験……後は、知識か。

 

ユーリが立ち上がると、顔に土が付いていた。

 

 

「……ぷっ。情けなさすぎ」

 

 

それを見て更に笑うものだから、ユーリは表情を歪めた。

……少し、可哀想に思えて来たな。

 

私は息を深く吐き、エルシーへと声を掛ける。

 

 

「エルシー、流石にやり過ぎだ。鍛錬と言えど──

 

「鍛錬?弱い者虐めして楽しんでるだけなんですけど?」

 

 

……何が彼女をこうも、露悪的に振る舞わせているのだろうか。

少し頭が痛みそうになりながら、彼女に視線を戻す。

 

 

「……そう言いたいのなら、それでいい。だが、言い過ぎだ」

 

 

彼が増長しないように戒めているのかと思っていたが、言い過ぎだ。

これでは彼女への反感を招くだけだと私は思った。

 

私は、彼女に孤独になって欲しくないのだ。

 

 

「は?何様?部外者は黙ってて貰って良いですか〜?」

 

 

しかし、彼女は真逆のようだ。

私にも喧嘩を売ってくる始末。

 

苛立ちはしない。

感じたのは不可解さと、悲しさだ。

 

 

「私はお前を守る義務がある。戦い以外からもだ」

 

 

私の言葉に、ユーリが私を一瞥した。

……少しは私と彼女の関係に当たりが付いたらしい。

エルシーの過去を彼が知っているならば、私が彼女を保護した祓魔師(エクソシスト)なのだと気付くだろう。

 

しかし、エルシーは私の言葉を聞いて……顔を歪めた。

何を考えているのか分からないが、何かに嫌悪しているような顔だ。

 

 

「キッショ……親代わりのつもり?」

 

「違う。だが、お前のことを大切だと──

 

「自分より弱い人に守って貰わなくて結構なんですけど?」

 

「……そうか」

 

 

私の納得したような言葉に、エルシーは勝ち誇ったような笑みを浮かべた。

しかし、その表情はすぐに歪んだ。

 

私の手に『ロザリオ』から変形させた『聖銀器』が握られていたからだ。

 

 

「何のつもり?」

 

「自分より弱い人間の意見は聞けないのだろう。だからだ」

 

 

手に持つのは『斧槍(ハルバード)』。

彼女の持つ大鎚(スレッジハンマー)より長い柄の先には、戦斧と……槍が合体していた。

そして、斧の裏には鋭い突起。

 

突く、斬る、引っ掻く、殴る。

様々な攻撃手段を兼ね備えたポールウェポン、それが『斧槍(ハルバード)』だ。

 

 

「……へぇ。ボコボコにされて祓魔師(エクソシスト)引退しても、私、責任取りたくないんですけど」

 

「安心しろ。医務室のベッドに沈むのは、お前の方だ」

 

 

彼女が大鎚を構える。

私も斧槍を構えた。

 

身体に神聖力(エーテル)を満たす。

 

気迫が衝突し、空気が歪む。

幻覚ではない。

互いの神聖力(エーテル)が衝突し、干渉し合っているのだ。

 

だから、これは──

 

 

「ふ、二人とも、落ち着いて──

 

 

瞬間。

反射的に、私は声を掛けてきた方へ武器を構えた。

 

 

「く、ください……」

 

 

そこには、斧槍の槍先を突きつけられて怯えるような表情を浮かべたユーリが居た。

思わず、武器を下げた。

 

エルシーも武器を下ろして……手に持つ大鎚(スレッジハンマー)を『ロザリオ』へ戻していた。

 

 

「ふーん、まぁいいや。ユーリに免じて許してあげる。私、暇じゃないし時間もないし〜?」

 

「……エルシー」

 

「じゃあ、よわよわ祓魔師(エクソシスト)くんは無駄な鍛錬でも続けてれば?私はお暇させて貰うけど」

 

 

なんて言いながら、彼女は踵を返し……修練所を後にした。

 

 

「待っ……はぁ」

 

 

私は一瞬、彼女を追おうとして……足を止めた。

背後にいるユーリを優先したのだ。

 

私に視線を向けられて、彼は一瞬怯んだ。

……まぁ、私は目付きが怖いとよく言われる。

怒っていなくとも、怒っているんじゃないかと思われる程には。

 

私はため息を吐き、口を開いた。

 

 

「どうして止めた?」

 

「え、あっ……えっと……」

 

 

挙動不審になるユーリを見て、私は再度、ため息を吐いた。

先程、エルシーと戦っていた時のような覇気が少しも感じられなかったからだ。

 

「……喧嘩して欲しくなかったんです」

 

「何故だ?」

 

「だって……その、貴方の名前ってフロイラさん、ですよね?」

 

「それがどうした?」

 

「……エルシーが、貴女の事を話す時、少し嬉しそうにするんです」

 

 

私は思わず、目を開いた。

 

 

「私の?」

 

「はい……いつも通り、口は悪いですけど……ちょっと嬉しそう、なんですよ」

 

「……そうか」

 

 

手を顎に当てる。

この少年は打算で私に嘘を言っているのではなく、本当にそう感じているのだろう。

しかし、この話と喧嘩をさせたくないという話は紐付かない。

 

 

「それで?それが何故、私と喧嘩をさせたくない理由になる?」

 

「二人とも、お互いに大切だと思ってるなら……喧嘩して欲しくないと思うのは普通じゃないですか……?」

 

 

目を瞬く。

簡単で純粋な理屈に、思わず──

 

 

「く、ふふ、ふふふ、そうか。そうだな」

 

 

笑ってしまった。

笑っている私を不可解そうに見ているユーリへ、視線を戻す。

 

 

「お前、ユーリであってるか?」

 

「はい、そうですけど……」

 

「アイツの相棒(バディ)だろう?……いつも、あんな感じなのか?」

 

「……まぁ、はい」

 

 

顔を窄めた彼の表情を見るに、ああいった立ち振る舞いは今に始まった事じゃないらしい。

そんな苛烈な彼女に振り回されても相棒(バディ)を続けているのだから……彼はきっと、私と同じくエルシーを信じているのだろう。

 

 

「そうか、大変だな。昔はああじゃなかったんだが……」

 

「昔……あんな感じじゃなかったんですか?」

 

「あぁ。もっと素直でな、優しい──

 

 

初対面だったが、彼になら話して良いと思えた。

彼女の過去と、私の想いを。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

「くしゅん」

 

 

鼻を擦りながら、私は水を浴びていた。

シャワーなんて気の利いた物は、この時代には無いけれど……水道は存在する。

蛇口を捻れば水が出るだけだが。

温水もない。

 

修練所で流した汗を水で流しつつ、先程の出来事を思い出す。

 

ユーリは随分と強くなった。

教会の段位認定を受ければ中位にもなれるだろう。

だが、私は彼に受けさせるつもりはない。

 

祓魔師(エクソシスト)としての階級が上がった所で、本人が強くなる訳じゃない。

だが、割り振られる任務の難易度は上昇する。

より凶悪な悪魔と相対しなければならなくなる。

 

そうすれば、ユーリの死亡する確率が爆発的に上昇する。

最初は『物語の主人公』という肩書きに興味を持って彼に接触したが……今では、肩書きではなく一人の人間として彼を大切に思っている。

少なくとも、死なずに幸せになって欲しいと思う程度には。

 

水滴が肌を伝う。

目立たないが、それでも身体中についた目に見えない傷跡の上を……水が伝う。

 

誰からも好かれないようにと考えている癖に、自分が大切にしたいと思う人間を増やしてしまうのだから……きっと私はバカなのだ。

大バカだ。

 

ため息を吐いて、蛇口を閉じる。

身体を拭きながら、思考する。

 

フロイラとの争いをユーリが止めてくれたのは助かった。

私と彼女の力量の差……私はああして煽っているが、実際は彼女の方が強い。

奇跡(サイン)』込みなら勝てるが、無しなら勝てない。

 

彼女を黙らす為に『奇跡(サイン)』を使えば良いだけの話だが……私は教会に『奇跡(サイン)』を隠している。

あんな場所では使えない。

 

それに、私の『奇跡(サイン)』は寿命を消耗する。

『悪魔』から誰かを守る為ならまだしも、身内との喧嘩で消耗するのは避けなければならない。

 

だから、ユーリには感謝している。

彼のお人好しも役に立つ。

 

布で水滴を拭って、修道服に袖を通す。

 

まぁ、ユーリとフロイラの顔合わせが出来たのだから、良しとしよう。

そもそもゲームに於いてフロイラは私の師匠ではなく、ユーリの師匠なのだ。

 

私が死んだ後、彼が一人になったとしても。

彼女が居れば安心だ。

 

私のような人間を上位の祓魔師(エクソシスト)まで育てられるフロイラならば、彼の素養に気付くだろう。

 

そう、私が死んだ後も……この世界は続いていくのだから。

私の死に誰も悲しんだりしないように、振る舞わなければならない。

 

しかし、今日のでフロイラからは嫌われただろう。

彼女がああして怒っている姿を見たのは久々だ。

それぐらい、私の言動が許せなかったのだろう。

 

上手くいった。

 

修練所にユーリが居たのは想定外だったし、即興だったが上手くいったな。

 

 

フロイラは私に幻滅しただろう。

彼女は良識人過ぎる。

祓魔師(エクソシスト)という仕事をしているのに……。

 

そんな彼女の事が私は大切で、だからこそ、嫌われなければ──

 

 

水滴が落ちた。

それはきっと、先程浴びた水の……拭い忘れだ。

 

ぽつり、ぽつりと……修道服を濡らしていた。

 



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#3 感傷は夢の中で

ここは『聖地レイライン』。

聖葬教会の本拠地であり、祓魔師(エクソシスト)が集う場所。

 

……まぁ、原作基準で言えば道具の購入や、能力上げの訓練など、キャラクターの育成要素はここで行われる。

 

そして、任務の受諾も。

 

任務が貼られた掲示板の前に、二人の女が並んでいた。

 

 

「この任務良くない?」

 

「良いね。丁度『中位』の『悪魔』だし」

 

「それにほら、海の側!帰りに買い物もしていこうよ。貝から取れる宝石?が名産品なんだって!」

 

「……リリ、無駄遣いはやめた方がいい」

 

「良いじゃん!お洒落は無駄じゃないもん」

 

 

女三人寄れば(かしま)しいというが、二人でも十分に盛り上がっているようで。

二人の目は掲示板に貼られた紙に向けられている。

 

 

祓魔師(エクソシスト)に割り振られる任務には二種類ある。

 

司祭から直接、祓魔師(エクソシスト)個人に対して割り振られる『指名依頼』。

祓魔師(エクソシスト)が個人の判断で受託する『任意依頼』。

 

彼女達が見ている掲示板には、後者……つまり、司祭が個人に割り振らなかった余り物の『任意依頼』が貼ってあった。

 

『任意依頼』を受ける意味は、実績や小遣い稼ぎなどだ。

実際、『指名依頼』だけ熟している祓魔師(エクソシスト)と、『任意依頼』に積極的な祓魔師(エクソシスト)では昇格速度に差が出る。

 

まぁ、なんだ?

ぶっちゃけると、ゲームで言う所のフリークエストって奴だ。

受けなくても物語に関係ない、小遣い稼ぎ……と思いきや、この中にも幾つか登場人物の生死に関わる物がある。

だからこそ、私は『聖地レイライン』に滞在している間は毎朝、掲示板を確認している。

 

そんな『任意依頼』の紙が貼られた掲示板を横目に、騒がしい二人組に目を向けた。

 

赤い髪の女と、青い髪の女。

紫色の修道服から『中位』の祓魔師(エクソシスト)だと分かる。

 

初めて会った筈だ。

会話した事もない。

なのに、何故か覚えがあった。

 

 

二人は原作の登場人物だ。

 

 

私は彼女達が掲示板から剥がした任務の紙に、視線を向けた。

『中位』の『悪魔』を聖伐対象とした依頼だ。

 

祓魔師(エクソシスト)に『下位』や『上位』といった位階があるように、『悪魔』にも存在する。

といっても、聖葬教会が判別して暫定で付ける位階だ。

 

『悪魔』が「自分は上位だ」なんて自己主張する訳じゃない。

被害の規模や、対象の推定戦力などを考慮して、聖葬教会の司祭達が割り振っている。

 

そして、その位階の基準は、同一位階の祓魔師(エクソシスト)が悪魔を討伐できる事を基準としている。

 

つまり──

 

『中位』の祓魔師(エクソシスト)である彼女達は『中位』の『悪魔』を討伐できるという事だ。

それに彼女達は二人組の相棒(バディ)だ。

個人で安定して討伐できるのならば、二人組ならば更に安定するという事。

 

そう、何も問題はない。

 

本当に『中位』の『悪魔』ならば、だ。

私は彼女達の背後に近寄り──

 

 

「へぇ〜この任務、良さそ〜?」

 

 

依頼書をひったくった。

 

 

「ちょっと!人が持っている依頼書を取るなんて──

 

 

赤髪の女が振り返り……私を見て、吃った。

私の着ている修道服から、こちらが目上の位階であると気付いたのだろう。

 

少し遅れて青髪の女も私に視線を向けた。

警戒するような視線を身に受けながら、私は手元の紙をひらひらと動かす。

 

 

「これ、私に頂戴?」

 

「な……なんで──

 

「なぁに?文句あるの〜?」

 

「……い、いえ」

 

 

赤髪の祓魔師(エクソシスト)は文句を言おうとして、悩み、口を閉じた。

彼女は『中位』の祓魔師(エクソシスト)だ。

対して私は『上位』の祓魔師(エクソシスト)

 

教会の教え的には位階の差で偉い、偉くないとかが決まる訳じゃない。

それでも自分より位階が上の祓魔師(エクソシスト)相手を恐れてしまうのは、仕方のない話だ。

 

対して、青髪の祓魔師(エクソシスト)が私を睨んだ。

 

 

「返して貰えますか。それは私達が先に取った依頼です」

 

「ちょ、ちょっと……ミアちゃん、まずいよ……!?」

 

 

ミア、と呼ばれた青髪の祓魔師(エクソシスト)は首を横に振った。

 

 

「リリ、相手が『上位』祓魔師(エクソシスト)だからって、理不尽に屈する必要はない」

 

「でもっ……」

 

 

リリ、と呼ばれた赤髪の祓魔師(エクソシスト)が怯えた目で私を見た。

 

青髪の方が『連節棍(フレイル)祓魔師(エクソシスト) ミア』。

赤髪の方が『曲剣(ショーテル)祓魔師(エクソシスト) リリ』。

どちらも、原作で仲間にする事が出来て……死亡する祓魔師(エクソシスト)だ。

 

その死因は……どうもタイミングが良かったようで、私が今、手に握っている任務だ。

 

『中位』と記載されているが、実際は『上位』の『悪魔』が現れる依頼。

この任務を主人公が消化しなかった場合、彼女達の『どちらか』が死亡する。

そして、相棒(バディ)を失ったもう片方も……いずれ、どこかの任務で死亡する。

 

そんな『鬱フラグ』が、この依頼書だ。

彼女達はどうやら運が良かったらしい。

 

……後はどうやって、諦めさせるか。

この依頼の討伐対象が実は『上位』だ……なんて言っても信じる事はないだろう。

私と彼女達は初対面である故に信頼がなく、知識の元を明かせない故に証拠もない。

 

ならば、『いつも通り』でやるしかない。

 

私は鼻を鳴らして、青髪の……ミアを見下す。

身長に関しては彼女達の方が少し高いけれど。

 

 

「えー?まだ依頼を司祭に渡して受諾もしてないでしょ?じゃあ、アンタ達の依頼、って訳でもないよね?」

 

「ですが、私達の手からひったくって……それは、許される事ではっ──

 

「はー?それって教義で決まってるの?知らなかった〜」

 

「それは……」

 

「決まってなくなーい?自分ルールを押し付けてくるの、やめてくれない?キモいんですけど」

 

 

ミアが私の目の前で、唇を噛んだ。

確かにモラル違反だが、ルールを違反している訳ではないのだ。

だから、彼女の理屈は感情論でしかない。

それを自覚しているからこそ、言い返せないようだ。

 

彼女は少し悩んだ表情で、先ほどの勢いもなく口を開いた。

 

 

「……貴方は『上位』の祓魔師(エクソシスト)の筈です。私達、『中位』の依頼を奪う必要はあるのですか?」

 

掲示板(ここ)に『上位』の依頼は貼られない。そんな事も知らないの?」

 

 

教会内の掲示板に『上位』の『悪魔』に対する任務は貼られない。

何故ならば、『上位』の祓魔師(エクソシスト)の数が少ないからだ。

現在、私を含めて『上位』の祓魔師(エクソシスト)は16人。

掲示板に貼った所で、依頼を引き受けてくれる可能性も少なく……『上位』の『悪魔』が出没した場合は『指名依頼』として司祭から名指しで割り振られるのだ。

 

だから、このフリークエストに『上位』の任務は張り出されない。

 

しかし、この規則を知っているのは『上位』と、規則に詳しい事務員ぐらいだ。

彼女達が知らなくても仕方はない。

 

 

「で、ですが……」

 

 

それでも食い下がって来ようとするミアに、私は舌を出した。

 

 

「アンタ達じゃ力不足だって言ってるんですけど?」

 

「それは『中位』の『悪魔』の依頼です……!私達も『中位』の祓魔師(エクソシスト)として──

 

「えー?アンタ達、『中位』だったのー?雑魚臭すぎて『下位』だと思ってた!ごめんね〜?」

 

 

勿論、嘘だ。

祓魔師(エクソシスト)の位階は修道服の色で、一目で分かる。

だから、これは……明らかな侮蔑、嘲笑。

 

それはミア達にも分かったのだろう。

 

 

「良いから、それを返して下さい!」

 

 

瞬間、彼女が私に近付いて、依頼を無理やり奪い取ろうと手を伸ばして──

 

 

「……ふーん?」

 

 

私は彼女の手首を取り、引っ張りながら……足を引っ掛けた。

身体の中心を軸にして、振り回すように背を押して──

 

 

「うぐっ」

 

 

床に転ばせた。

 

 

「野蛮過ぎなんですけど〜?」

 

「ミ、ミアちゃん!?」

 

 

白磁のような大理石で出来た床だ。

神聖力(エーテル)』での咄嗟の防御も、受け身も取れなかった。

それでも祓魔師(エクソシスト)は人より丈夫だから、『痛い』ぐらいで済む。

 

床に転がった彼女の見下し、私は笑う。

 

 

「ダッサ〜?恥ずかしくないの?相手との力量差も見抜けない祓魔師(エクソシスト)は早死にするんですけど」

 

「……くっ」

 

 

歯を食いしばりながら私を睨む彼女を、鼻で笑う。

 

 

「フフン、負けは負けって認めた方がイイんですけど?……アンタみたいな雑魚は祓魔師(エクソシスト)を辞めた方が──

 

「ご、ごめんなさい!」

 

 

私の言葉を遮り、赤髪の……リリが頭を下げた。

ミアを庇うように、私の前に立ち、頭を下げたのだ。

 

怯えた目をしているが、それでも友人であるミアを守りたいのだろう。

……チラ、と床に転がるミアを見る。

 

意思が強く、強者にも屈しないミアと……友人の為ならば頭を下げられるリリ。

二人とも、悪い人間ではない。

 

善良な祓魔師(エクソシスト)なのだ。

 

悪いのは──

 

 

「は?何?私を悪者扱いしたいの?」

 

 

私だ。

 

笑みを浮かべた分厚い仮面を被り、彼女達に悪態を吐いた。

そうすれば、ミアは悔しそうに顔を歪ませ……リリは私に頭を下げた。

 

 

「違っ……違います……ミアが、その……すみませんでした」

 

 

きっと彼女はミアが悪いとは思っていない。

だが、この場で彼女を守るためには謝るのが最適だと理解しているのだろう。

 

……私の目的は、別に彼女達を虐めることではない。

この任務を強奪する事だけだ。

 

だから、彼女の謝罪を受け入れて頷く。

 

 

「分かれば良いけど。二度と突っ掛からないでね」

 

 

そう口にして、依頼書を握って彼女達に背を向ける。

そして、白塗りの壁に反射する彼女達の姿を見た。

 

リリはミアを立ち上がらせようと手を伸ばしていた。

ミアは申し訳なさそうに、その手を握った。

 

良い信頼関係のある祓魔師(エクソシスト)達だ。

 

だからこそ、この世界では生き辛い。

この世界では、大切な人を守ろうとする祓魔師(エクソシスト)から先に死んで逝く。

誰かを守ろうと、己の領分を越えれば……そこに待つのは凄惨な最期だ。

 

小さくため息を吐いて、私はその場を後にした。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

「任務、取ってきた。今から行くから」

 

 

なんて、エルシーに急に言われた。

 

僕は慌てて準備をした。

今日は休日のつもりだったから、今から修練場で鍛錬する予定だったからだ。

それもフロイラさんとの鍛錬予定だった。

 

エルシーにボコボコにされた日から、僕は彼女に稽古を付けて貰っている。

少しでもエルシーに近づければ、と思って。

 

有難い事に、フロイラさんは日頃から『聖地レイライン』に篭っている。

奇跡(サイン)』を持つ『聖人』だから……ではない。

彼女は普通の『上位』……いや『上位』って時点で普通ではないかもしれないけれど、とにかく『奇跡(サイン)』は持っていない普通の祓魔師(エクソシスト)だ。

 

ただ、彼女は祓魔師(エクソシスト)の仕事に意欲がない。

相棒(バディ)が死ぬ前までは、司祭に指示される『指名依頼』だけではなく『任意依頼』も受けていたらしいが……今は最低限、『指名依頼』しか受けていないらしい。

 

……彼女の相棒(バディ)は6年前に殺されてしまったらしい。

だから、それ以降……彼女は一人で任務を熟しているとか。

新たに相棒(バディ)を作らないのも、『任意依頼』を受けないのも、きっと──

 

 

ため息を吐く。

 

 

僕は『聖水』や装備を準備し、エルシーと共に『聖地レイライン』唯一の駅に来ていた。

 

 

「それで、エルシー……何で急に任務を?」

 

「え?気分ですけど?」

 

 

なんて、遠出用の鞄を持ちながら悪びれる様子もなく答えられた。

僕は少し苦笑しながら、彼女の後ろを歩いた。

 

僕は彼女の『相棒(バディ)』だから、彼女の任務に同行しなければならない。

 

 

祓魔師(エクソシスト)には『相棒(バディ)制度』という物が存在している。

これは祓魔師(エクソシスト)の任務達成率や生存率を上げるための制度だ。

単純に一人より二人の方が強いから、というのもあるが──

 

一人で任務に行き、『悪魔』に負ければ……その情報は聖葬教会に届かない。

だが、二人なら片方が離脱し……聖葬教会に『悪魔』の正しい情報を運べる。

 

だからこその相棒(バディ)制度。

必ず相棒(バディ)を作らなければならないというルールはないが、それでも殆どの祓魔師(エクソシスト)相棒(バディ)を作り、二人で行動している。

 

 

僕と、エルシーのように。

 

 

汽車の中で、エルシーから依頼書を渡された。

南海辺の近くの港町からの依頼だ。

夜、海から唸り声が聞こえて……家と同じぐらいの大きさの『悪魔』を見た、という話。

 

まだ被害者も出ていない『中位』の依頼。

 

……エルシーはどうして、この依頼を急に受けたのだろう。

気分だなんて言っていたけれど、彼女はそんな気まぐれで動くような人じゃない……多分。

だから、きっと本当は別の理由が──

 

 

「じゃあ、私寝るから。着いたら起こして?」

 

「あ、うん」

 

 

まだ日は昇っているけれど……昨日、夜更かしでもしたのだろうか?

いや、自由依頼の任務を取るために早起きしたのかも知れない。

 

そう考えていると、彼女は口元を手で隠した。

 

 

「言っとくけど〜、変な事したら許さないから」

 

 

……そうニヤニヤ笑う彼女に、僕は慌てて首を振った。

 

 

「す、する訳ないよ!」

 

「そう?ユーリはムッツリだから信用ないんですけど〜」

 

「ムッツリって……ち、違うけど?」

 

「本当に?スカートを覗くのもダメだからね」

 

「しないよ!」

 

「え〜?否定するのに、必死過ぎなんですけど〜」

 

 

必死の否定をくすくすと嗤われて、僕は少しムカついて……飲み込んで、ため息を吐いた。

言っても無駄だからだ。

 

それどころか、彼女に1つ反論すれば3つ罵倒が返ってくる。

彼女に揶揄われた時の正解は『沈黙』なのだ。

 

そんな僕の態度が退屈なのか、彼女は視線を窓の外に向けて……汽車が、出立した。

 

窓から景色が見える。

『聖地レイライン』の街並み。

石造の外壁。

聖地に向かおうと足を進める信者の列。

 

聖地から離れるにつれて建造物は減り、豊かな自然が姿を現す。

窓の外に見える景色が、青い空と緑色の草っ原で埋められていく。

 

がたり、ごとりと揺られ……気付けば、目の前で──

 

 

「すぅ……ん……」

 

 

エルシーは微かに寝息を立てて眠っていた。

 

いつもの物言いの激しい様子は鳴りを潜めて、静かに眠っていた。

普段は人を見下すような言動をしているから気付き難いが……彼女は人並み以上に可愛いという事を嫌でも理解させられる。

 

 

「…………」

 

 

思わず目が吸い寄せられる。

いつもの、常に何かに怒って、馬鹿にするような表情ではない。

 

まるで、母親と離れてしまった子供のように、少し不安げな表情で……彼女は眠っていた。

 

 

「……はぁ」

 

 

僕は視線を逸らした。

何だか悪い事をしている気分になったからだ。

何だか、僕の知らない彼女の『何か』を覗き込んでしまいそうで。

 

代わりに僕は窓の外を見た。

流れる景色を目に、彼女の寝息を耳にして……僕は椅子に深く、座り直した。

 

エルシーは寝ている。

周りに他の人間はいない。

だから、少し退屈だ。

 

そして、その退屈さは僕を思考に没頭させた。

今日の任務の事とか、これからの事とか、エルシーについてだとか……様々な事が脳裏に浮かんでは、沈んで。

 

そうして頭の中はぐちゃぐちゃな連想ゲームを行って──

 

 

そして──

 

 

僕が彼女(エルシー)と初めて出会った時のことを思い出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

彼女と出会ったのは一年前。

 

聖葬教会の祓魔師(エクソシスト)に任命されて、三ヶ月後の話だ。

 

僕は落ちこぼれだった。

 

言い訳になるけれど、周りの人間とは経験に差があったんだ。

同時期に祓魔師(エクソシスト)になった人達は、誰も彼もが子供の頃に『悪魔』に家族を殺されて……幼い頃から修道院で鍛錬してた人達だった。

 

僕は違った。

 

祓魔師(エクソシスト)になったのは一年前。

祓魔師(エクソシスト)になろうと思ったのも一年前だ。

 

何でもない。

『不幸な日』が来るのが、僕は周りより遅かったんだ。

 

それは喜ぶべき事で……いいや、そもそも『不幸な日』なんて来なければ良かったのに、なんて。

 

今でも時々、そう思う。

だけど、思った所で現実は変わらない。

 

みんなは家族や大切な人を殺した『悪魔』が憎くて祓魔師(エクソシスト)になった。

だけど、僕は……そんなに『悪魔』が憎い訳じゃなかった。

 

でも、『悪魔』によって僕の家族みたいな……理不尽な死に方をする人がいるなら、『悪魔』を倒さなきゃならないと思った。

 

それだけだ。

他の人よりも甘くて、弱々しい動機だ。

 

 

結局の所、僕は相棒(バディ)も作れないような、落ちこぼれの祓魔師(エクソシスト)になった、

身を焦がして生き急ぐような動機が無かったからだ。

 

 

そんな僕にただ一人、話しかけてくれたのは──

 

 

「えー?聖書の詠唱も出来ないの〜?よわよわ祓魔師(エクソシスト)なんですけど!」

 

 

傍若無人に振る舞うエルシーだけだった。

 

彼女は同年齢だったけど、祓魔師(エクソシスト)としては僕より先輩だった。

彼女は幼い頃から祓魔師(エクソシスト)をしていたらしい。

 

そして、彼女は僕よりも偉かった。

数少ない『上位』の祓魔師(エクソシスト)だからだ。

 

それに、彼女は僕よりも強かった。

僕の何倍も、その何倍も。

力も、知識も、意志の強さも。

 

 

そんな彼女が、何故か──

 

 

「決めた!貴方、今日から……私の相棒(バディ)決定ね」

 

 

僕を無理矢理、相棒(バディ)にした。

僕に拒否権はなかった。

 

そうして、何度か任務に行って……何度か僕は死にかけた。

彼女は『上位』で……相対する『悪魔』は『中位』ばかり。

対して、僕は『下位』の新米の祓魔師(エクソシスト)

 

死にかけて、頑張って、助けられて、また頑張って。

気付けば彼女に出会う前に比べて、随分と成長した。

 

 

「エルシーさんは──

 

「同年代相手に敬語?キモ過ぎなんですけど〜」

 

 

僕を見下す彼女の目は、同期が僕を見る目と少し違った。

何が違うかは……よく、分からないけれど。

 

小馬鹿にするような表情を浮かべていても、その目の奥に感じる『何か』は……僕を、見ていた。

 

 

「じゃ、じゃあ……エルシー?」

 

「何?」

 

 

他の人とは、違ったんだ。

 

彼女は僕を褒める事は殆どないし、僕の事をすぐに馬鹿にしてくる。

 

それでも、彼女は──

 

 

「どうして僕を、その、相棒(バディ)に?」

 

「別に?何となく……他の奴よりはマシってだけ。だから、自惚れないで欲しいんですけど?」

 

 

僕を見限らなかった。

 

どれだけ弱くても。

どれだけ情けなくても。

 

だから……だからこそ、彼女には甘えたくない。

 

足を引っ張らない為に。

彼女を助けられるように。

相棒(バディ)にして良かったと思って欲しくて。

 

 

「……ん……ぅ……」

 

 

……思考から、現実へ引き戻される。

目の前にいる、眠る彼女へ視線を向ける。

 

傷を隠すための腕の装飾品に、視線を落とした。

先日の『上位』の『指名依頼』によって発生した、傷だ。

 

結局の所、僕はエルシーに助けられてばかりの……足手纏いだ。

 

彼女を傷付けたのは『悪魔』だけど、その原因を作ったのは僕だから……僕が傷付けたようなものだ。

 

 

自分の手を、強く握る。

強くならなければ。

 

祓魔師(エクソシスト)として誰かを守れるように。

彼女の足手纏いにならないように。

 

 

……脳裏に、フロイラさんの思い出話が浮かぶ。

 

 

『元々、エルシーは優しい娘だった……今もそうだが。昔はあんな捻くれ方はしてなかった』

 

 

彼女が優しい事は知っている。

言葉と行動が釣り合ってない事を、よく知っている。

だからこそ、フロイラさんの言葉に頷いたんだ。

 

何が彼女を変えてしまったのか……どうして他人を助けながら、他人を拒絶してしまうのか。

 

 

フロイラさんは一つ、思い当たりがあると言っていた。

 

それは、恐らく──

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

今でも思い出す。

 

クローゼットの隙間から見てしまった、己の母親が喰い殺される光景を。

 

私の存在を『悪魔』に察せられないように、最後の一瞬も……私に視線すら向けなかった母を。

 

狭い空間で足を抱えて、震えを抑えて……恐怖が過ぎ去るのを待ち続ける私を。

 

昨日まで話していた人達が、物言わぬ骸になった事を。

 

 

……そして、私の前に現れた祓魔師(エクソシスト)を。

 

 

 

そして、私は……祓魔師(エクソシスト)になった。

 

全ての悲劇を消し去ってしまおうとした。

それが、助けられた者の義務だと思ったからだ。

 

誰にでも優しく振る舞い、困っている人がいれば助けて回った。

自身の身を挺して、誰も彼もを守った。

 

そうして気付けば、私は『中位』の祓魔師(エクソシスト)になっていた。

 

 

手の届く範囲が広がって、助けられる人が増えた。

他人からの評価が上がって、頼られるようになった。

それはとても良い事だと……この時は、思っていた。

 

 

 

 

二年前までは。

 

 

 

 

相棒(バディ)?」

 

 

私が首を傾げると、『師匠』兼『保護者』であるフロイラが頷いた。

 

 

「そうだ。一人より二人の方が安定性が上がる。万が一の事があれば……尚更だ」

 

「へぇ……」

 

 

自身の顎に手を当てた。

私は確かに『寿命を代償に力を得る』という強力な『奇跡(サイン)』を持っている。

 

だが、無条件に連発できない都合もあり、実際の力量はもっと下がるだろう。

一人では助けられない人も居る。

だが、二人ならば……どうだろうか?

 

周りの祓魔師(エクソシスト)の大半は相棒(バディ)を結成し、二人組で活動している。

その事実も、私の背を押した。

 

 

「確かに、相棒(バディ)は用意した方が良いかも」

 

「だろう?『中位』に上がった今、任務で相対する『悪魔』も強くなる。これを期に作ると良い」

 

「ふーん……なら、フロイラがなってよ。私の相棒(バディ)に」

 

 

思い付きだった。

フロイラは現在、相棒(バディ)が居ないし。

実力も『上位』だ……申し分ない。

 

それに、私は知っている人間と相棒(バディ)を組みたかった。

人見知りという訳ではないが。

 

だが、彼女は首を横に振った。

 

 

「いや……私は相棒(バディ)を作る気はないんだ」

 

「えぇ?どうして?」

 

「……まぁ、な。今は先に、お前の事だろう」

 

 

なんて、はぐらかされた。

私は食い下がる事なく、頷く。

 

 

「具体的に相棒(バディ)なんて、どうやって作れば良いと思う?修道院で一緒だった人達、殆ど死んだか、辞めたかのどっちかだし」

 

 

祓魔師(エクソシスト)は死亡率が高い。

離職率もだ。

 

身体が先に壊れるか、心が先に壊れるか……どちらかの差だ。

 

 

「……そうだな。私が見繕うとしよう」

 

「当てがあるの?」

 

「あぁ。『上位』の知人が、お前と同年代の弟子を取ってる。確か、そいつも相棒(バディ)が居なかった筈だ」

 

「へぇ……女の子?男の子?」

 

「女だ」

 

 

安堵の息を吐く。

祓魔師(エクソシスト)という仕事の都合上、相棒(バディ)と共にいる時間は長い。

プライベートな時間も一緒になる事が多い。

 

異性だと、同性同士ではない面倒事が沢山でてくる。

いや、私からすれば男性は異性なのか?

分からない。

 

 

結局、そこで話は打ち切られて……後日、『聖地レイライン』で会わせて貰える事となった。

 

 

 

 

 

 

 

教会内でフロイラの後ろを歩きながら、窓ガラスに反射した自分を見た。

薄紅色の前髪を、指で弄る。

 

紫色の『中位』の修道服の皺を伸ばして──

 

 

「エルシー、何をしてるんだ」

 

「え?」

 

 

気付けば足を止めていたようで、フロイラがため息を吐いていた。

私は慌てて弁明する。

 

 

「ほ、ほら!人間って第一印象が大切ですし?ね?」

 

「……はぁ。まぁ良いが」

 

 

踵を返したフロイラの後ろを小走りで追いかける。

そうしてそのまま教会内の廊下を歩き……目当ての部屋に到着した。

 

 

「入るぞ」

 

「う、うん」

 

 

フロイラに急かされて、二人で入る。

 

私と同年代の少女と……小豆色の修道服を着た、二十代後半らしき女性がいた。

ドアが開いた瞬間、少女の方は自身より年上の女性の後ろに隠れてた。

 

訝しんでいると、歳上の方の祓魔師(エクソシスト)がフロイラに声を掛けた。

 

 

「よく来ましたね、フロイラ」

 

「久しぶりだな。一年ぶりか?」

 

「……いえ?半年前に一度、会いましたが?」

 

「そうだったか?」

 

「……はぁ。貴女はいつも良い加減ですね」

 

「お前が逆に几帳面なだけだ」

 

 

服の色から分かる。

相手側の『上位』祓魔師(エクソシスト)だ。

濃い緑色の長髪の、お淑やかそうな女性が──

 

 

「貴女がエルシーですか?」

 

「は、はい!」

 

「私はミレイユです。よろしくお願いしますね?」

 

 

こくこくと頷く。

 

ミレイユという名に覚えがあった。

過去に師匠であるフロイラが話していたから……というのもあるが、原作で言及されていたキャラクターだからだ。

 

薙刀(グレイブ)祓魔師(エクソシスト) ミレイユ』。

『上位』の祓魔師(エクソシスト)であり、その戦闘能力は『上位』の『悪魔』を容易く葬れる程。

 

だが、彼女に弟子がいたなんて話に、私は覚えはないが──

 

 

「シェリ、貴女も自己紹介なさい」

 

 

そうミレイユが言えば、彼女の後ろにいた少女がおずおずと前に出てきた。

その少女は──

 

 

「シェ、シェリ、です……よ、よろしくお願い、しますっ!」

 

 

凄く……凄く、緊張していた。

 

薄緑色の綺麗な髪はボブカットに整えられており、表情は強張っていた。

視線は泳いでおり、緊張を感じさせる。

 

私も初めて会う『上位』の祓魔師(エクソシスト)相手に緊張していたが、彼女を見ると冷静になってきた。

人は、自分より遥かに緊張している人を見ると逆に落ち着くのだ。

 

 

「私の名前はエルシー。よろしくね?」

 

「は、はひっ……」

 

 

上擦った声に笑いつつ、彼女と握手をした。

 

これは今から二年前。

半月斧(バルディッシュ)祓魔師(エクソシスト) シェリ』と出会った時の思い出で──

 

 

 

 

 

 

「エルシー、着いたよ」

 

「……ん、え?」

 

 

肩を揺らされて、私は目を開けた。

ユーリが目の前にいた。

 

 

「ほら、目的地に」

 

 

寝起きで混乱している私の鼻に、磯の香りがした。

汽車は止まっている。

 

窓の外を見れば……少し離れて海が見えた。

 

 

「……そっか」

 

 

私は思い出を振り払い、立ち上がった。

優しい思い出だった。

 

……もう少し浸っていたかった気がする。

だけど、あそこで終わった方が良かったのだと……そんな思いもある。

 

ダメだな。

 

感傷を振り払うように、荷物の半分をユーリに投げ渡す。

 

 

「わ、わっ……!?」

 

「荷物持ち、よろしく〜」

 

 

少し不服そうなユーリを笑う。

 

手は、口元に。

 

大丈夫。

 

今は、笑えてる。

 

 

「……じゃあ、さっさと悪魔を片付けよっか。観光もしたいですし?」

 

 

大きく深呼吸すれば、磯の香りが鼻を突き抜けた。

少しツンとして、思わず……少しだけ、ほんの少しだけ目が潤んだ。

 



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#4 本当は……

港町ウェラポリ。

そこは『聖地レイライン』から汽車で半日程の距離にある港町だ。

大陸東部の海原に隣接しており、豊かな海の資源が名産。

 

漁だけではなく、貿易も盛んな町。

それが『港町ウェラポリ』。

漁師の気迫と、商売人の熱気が入り乱れる賑やかな町なのだ。

 

だが、そんなウェラポリは今……静かで、鬱屈した空気に満ちていた。

 

太陽が沈み始めているからだろうか?

いいや、違う。

 

ウェラポリには酒場が沢山ある。

船乗りが入り浸っており、昼も夜も騒がしい程だ。

 

しかし、酒場で酒を飲んでいる船乗りの顔に覇気はない。

その酒を提供する店主すら、表情に笑みがない。

 

 

原因は分かっている。

先日、海上で『悪魔』が目撃されたからだ。

大きさは住宅程で、海上を滑るように走っていたらしい。

 

脅威としては、海上での戦闘難易度を考慮しても『中位』の『悪魔』と認定された。

もし地上で発生した悪魔ならば、『下位』だったかもしれない……少なくとも司祭もそう認識している。

 

だが、『悪魔』に対して有効な対策を取れない漁師や貿易業者達は、船を出す事も出来ずにいる。

 

 

「…………」

 

 

汽車から降りた私とユーリは、そんな光景を目にしていた。

ユーリの顔は少し険しくなっている。

 

……人の痛みを悲しめるのは、人として美点だ。

だが、まぁしかし、ここで同情をしていても彼らが救われる訳ではない。

 

 

「足を止めないで欲しいんですけど〜?ほら、この町の教会まで行くから」

 

「あ、えっ……と、うん」

 

 

手持ちの鞄でユーリを小突き、彼の前を歩く。

 

町の喧騒も無くなっているが、まだ『悪魔』の被害者が出た訳ではない。

だから、私の知っている『悲劇』に比べれば……この町はまだ平和だ。

 

気負う必要も、必要以上に義憤に駆られる必要もない。

祓魔師(エクソシスト)として、いつも通りの仕事をするだけだ。

 

それにしても──

 

 

「……辛気くさ〜い」

 

 

漁に出られない。

貿易が出来ない。

 

確かに、仕事が出来なければ不安にもなるだろう。

だが、それを顔に出して酒場に入り浸っているのはどうかと思うが。

 

理解は出来る。

同情も出来る。

 

それでも憎まれ口を叩く。

それが今の『私らしい』言動だからだ。

 

私の言葉にユーリが反応した。

 

 

「エルシー、『悪魔』が出たんだから仕方ないよ……町の人は困ってるんだから。そんな事言わない方が──

 

「はいはい、ご忠告どーも」

 

 

適当に返しつつ、私はユーリの前を歩く。

 

ちょっとやそっとの失言では、彼は私を嫌いにならない。

だから、こうして定期的に好感度を下げなければならない。

 

私が敢えて失言をする。

その度にユーリは、私を諌める。

それが私達、相棒(バディ)の歪な日常なのだ。

 

折角、今、ユーリに嫌われているのだから……現状を維持しなければ。

 

石畳の坂を下る。

この港町ウェラポリは街全体が坂道のようになっている。

海に近付く度に下がっていく形だ。

 

そんな町の、海が見えるほど近い場所に……目的の建造物があった。

白塗りの建物には、聖葬教会のシンボルが掲げられていた。

だが、その白塗りの壁は所々、剥がれているように見えた。

 

 

「あれが、ここの教会?貧乏くさ……」

 

「……あー、うん。確かに、ちょっと……廃墟みたいだね」

 

 

そう、ここが港町ウェラポリの教会だ。

つまり、聖葬教会の所持している地域拠点だ。

 

ここに在籍している司祭は聖葬教の信徒を増やすべく布教したり、今回のような悪魔の目撃情報を『聖地レイライン』まで届ける役目がある。

 

と言っても、直接、『聖地レイライン』まで情報を運ぶ訳ではなく、手紙などの郵送になるのだが──

 

教会がある地域では祓魔師(エクソシスト)も仕事がし易い。

何故なら、装備の補充が現地で行えて、宿泊施設を用意する必要がなくなるからだ。

こうして、ある程度の規模の町には教会が建っているのだ。

 

 

私は勝手知ったる顔で教会の戸を開けた。

 

 

「おじゃまします……」

 

 

律儀に挨拶をしているユーリを横目に、無言で室内を見渡す。

 

内部の状態もあまり良いとは言えない。

潮風による風化が早いのか……それとも、修繕費に金銭が回らないほどお布施が少ないのか。

それとも、両方か。

 

木目が剥き出しになった長椅子を手でなぞり……視線を逸らせば、礼拝堂の奥に白髪の混じった初老の男を見つけた。

初老だが、背中は大きい。

漁師か何かと見まごうほどに筋肉質だ。

 

その男に近付きながら、私は口を開く。

 

 

「……アンタが、ここの司祭?」

 

 

そう背後から問いかけると、初老の男は驚いたように振り返った。

……少し着崩しているが、確かに聖葬教の祭服を着ている。

『聖地レイライン』なら指導対象になる。

 

あまり、敬虔な司祭ではなさそうだ。

 

 

「えぇ、はい、そうです。貴方達は──

 

祓魔師(エクソシスト)のエルシーと、ユーリ。『悪魔』の討伐に来たわ」

 

「おぉ、来て下さったのですね!」

 

 

満面の笑みで握手を求められた。

私は視線を手に、そして司祭の顔に向ける。

……ちょっと汗ばんでいる。

 

私は頬を引き攣らせながら、手を伸ばした。

司祭はその手を強く握り、上下に振った。

 

他人との距離が近く、無遠慮で無配慮。

私の苦手なタイプだ。

 

心の中で悪態を吐きかけていると、目前の司祭が口を開いた。

 

 

「私はウェラポリ教会の司祭、オーヴェンと言います」

 

「ふーん、そう」

 

 

自己紹介を適当に遇らう。

 

そして、今度はユーリが手を握られていた。

苦笑していた私と違って、ユーリは愛想笑いをしていた。

彼は真面目だ。

 

私はこっそりと修道服の裾で手を拭い、視線を司祭オーヴェンへ戻した。

 

 

「それで、現状は?依頼書を発行した時と変わってないの?」

 

「えぇ、はい。被害者は出ていません。ですが──

 

 

司祭オーヴェンが指を立てた。

 

 

「海に現れた『悪魔』。それが目撃される度に、少しずつ陸地に近付いて来ています」

 

「……ふーん」

 

 

私は自身の顎に指を当てた。

 

『悪魔』は人間の負の感情と、人体が発する神聖力(エーテル)の残滓が結合して生まれたバケモノだ。

奴らは人間から生まれ、人間を食らって成長する。

 

現在は海上で目撃されているが、最終的な目的は──

 

 

「この『港町ウェラポリ』に上陸するのも時間の問題でしょう」

 

「そうね」

 

 

何の事なく私は返事をしたが、ユーリは少し顔を強張らせた。

 

『悪魔』が町に来る。

即ち、『悪魔』と人間の接触が起きる。

……間違いなく、死人が出る。

それを懸念しているのだろう。

 

 

「……如何しますか?エルシーさん」

 

 

ならば、私の判断は──

 

 

「どうもこうもないわ。来るなら来てから叩けば良いでしょ」

 

 

町に上陸後、迎撃する。

そう告げれば、ユーリが目を見開いた。

 

 

「エルシー……」

 

「なに?」

 

「町の人も困ってるし、早めに討伐した方がいい、と思うけど……その、上陸されたら町の人に被害が出るかも知れないから」

 

 

なんて言われた。

……まぁ、私も当初はその予定だった。

海上にいる『悪魔』を討つ予定をして、この町に来た。

 

だが──

 

 

「地上に来るなら、話は別。海上で相手しなくて良いなら、しない方が良いでしょ。船の上じゃ『悪魔』と戦うのも大変ですし?」

 

「それは、そうだけど……」

 

「……ねぇ?いつから、そんなに偉くなったの〜?」

 

 

ユーリの脛を軽く蹴った。

 

 

「ゔっ」

 

 

当たりどころが悪くて、膝を抱えてしゃがみ込んだが……気にせず、話を続ける。

 

 

「『悪魔』を舐め過ぎなんですけど?確かに目撃された『悪魔』は、海上という討伐難度を考慮しても『中位』程度……でも、それが正しいと決まった訳じゃなくない?」

 

 

実際、原作と同様の『悪魔』ならば、実際の位階は……『上位』なのだ。

海上で相手するのは堪える。

 

腕を組んで、指を立てる。

 

 

「常に最悪の事態を想定して、周到すぎる用意で迎え撃つのが鉄則なんですけど?焦った祓魔師(エクソシスト)から先に死んでいく……分かってないの?」

 

 

そう説教すると、ユーリは頷いた。

少し涙目だ……蹴られた膝が余程、痛かったらしい。

 

 

「ごめん……エルシー。僕が間違ってた」

 

 

……まぁ、さっきのユーリの発言は褒められた物じゃなかったけれど。

こうして自分が間違っていると理解出来たら、素直に謝れるなら問題ない。

 

世の中には「『悪魔』憎し!」だけを原動力にして動いてる祓魔師(エクソシスト)も多い。

そういう祓魔師(エクソシスト)は理屈を捨てて感情で動き……早死にする。

 

理屈で感情を飲み込む事。

それは祓魔師(エクソシスト)に取って重要だけど、鍛え難い感性。

ユーリはそれを持っている。

 

だから、ユーリに足りていないのは経験だ。

物事を判断するには知識と経験が必要だ。

 

……私が居なくなるまでに、出来るだけ経験を積ませないと。

ため息を吐いて、ユーリから目を逸らす。

 

 

「ま、分かれば良いんですけど〜」

 

 

司祭が居る手前、あまり説教を長引かせたくない。

切り上げて、司祭の方を見ると……何だか、少し微笑ましいものを見る目で私達を見ていた。

 

私は眉を顰めた。

 

 

「何で笑ってんの?」

 

「いえ、良い信頼関係だと思いまして」

 

 

更に眉を顰めた。

今のどこに『良い信頼関係』があるというのか。

 

ちら、とユーリを見ると少し照れていた。

……ほら、変な勘違いをしたじゃないか。

 

 

「コイツは私の奴隷なんですけど?」

 

「……ふふ、そうですか。そうですか」

 

 

なんだこの司祭、うっざ。

久々に本心からの「うざい」という言葉が口から飛び出そうになる。

 

 

「うっざ」

 

 

飛び出た。

我慢出来なかったのだ。

その瞬間、ユーリが私に目を向けた。

 

 

「その、司祭さんに……そんな事言わない方が──

 

「分かってるんですけど?それを配慮しても尚うざいから、うざいって言ってるの」

 

 

確かにユーリの言う通り、司祭とは友好関係を結んでおくべきなのだ。

祓魔師(エクソシスト)と司祭は同じ聖葬教会に所属しているが、管理体系が異なる。

単純にどちらが上だという話はない。

 

故に、立場は対等なのだ。

例え、私が『上位』の祓魔師(エクソシスト)であり、祓魔師(エクソシスト)としての立場が高かったとしても。

 

だがまぁ……幸いな事に、こうして悪態を吐いても司祭オーヴェンは気にしていないようだ。

彼はそのまま会話に戻った。

 

 

「では話を戻しますが、『悪魔』の討伐用に船は用意しなくて良いと?」

 

「ええ、地上で迎撃するから」

 

「分かりました。でしたら、滞在期間は長引きますね……上陸までの間、宿泊部屋を用意しましょう」

 

 

私とユーリが頷いた。

 

この町は貿易が盛んだ。

他に宿泊施設もあるだろう。

貿易相手が一時的に泊まる施設があるからだ。

 

だが、手配するのも面倒だ。

教会内に派遣された祓魔師(エクソシスト)用の宿泊場所を用意するのは、教会に対する義務だ。

どこの教会にも内部に客室を──

 

 

「あぁ……言い忘れていましたが──

 

「なに?」

 

「この教会に宿泊できる部屋は一つしかありません」

 

 

用意しているもの……で、あれ?

 

 

「ベッドも一つしかありませんので、譲り合って下さいね」

 

「「え?」」

 

 

ユーリと声が被ったが、仕方のない話だろう。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

「はぁ……最っ悪、なんですけど」

 

 

教会内で割り当てられた部屋の中で、悪態を吐くエルシーの姿を見た。

それを咎める余裕は、僕にはなかった。

 

部屋の隅に机が一つ。

大きなベッドが一つ。

 

そんな簡素な部屋に、僕とエルシーは二人っきりだった。

 

というのも、司祭のオーヴェンさんは教会外に自宅があるらしく……夜も更けたからと帰ってしまったのだ。

 

エルシーと二人っきり……という事を別に意識している訳ではない。

祓魔師(エクソシスト)という仕事をしていれば野宿に近い事もするし。

 

だから、部屋があるだけマシで……いや、部屋の中だからこそ拙いのか?

安全な場所で二人っきりになるという事は、外敵に対する緊張感もなくて、逆に意識してしまうような──

 

 

「ユーリ」

 

「え?うん、どうしたの?」

 

 

突然、声を掛けられて慌てて思考から現実に戻る。

エルシーはタオルを持っていた。

 

 

「水、浴びてくるから」

 

「あ、うん……分かったよ。行ってらっしゃい?」

 

「……フン」

 

 

彼女は鼻を鳴らして、部屋の中にあった木桶を持って出て行った。

それに対して何も考えず返事をしたのだけれど……。

 

隣室から水が流れる音が聞こえた。

汲み上げポンプの稼働する音も聞こえる。

 

……うん?

 

水浴び用の部屋って隣だったんだ。

へぇ、と思いながら……思考の隅に、何かが入り込んできた。

 

 

エルシーが、隣の部屋で水浴びをしている。

隣の、部屋で?

 

 

首を横に振った。

邪な考えを振り払うように。

 

 

「……別の事を考えよう」

 

 

持って来た道具を、床に並べて整理する。

『聖水』や縄、固定用の留め具や、投擲用の小さな銀杭、ついでに『聖書』も。

海上での戦いを想定して色々、持って来た訳だけれど……どうやら無駄に終わりそうだ。

 

 

「……はぁ」

 

 

さっき、エルシーの「地上で迎撃する」という案に反論したけれど……あれは失敗だったな。

 

町の人が困ってるし、上陸されれば町の人は危険に晒されてしまう。

この二つから、海上で早く討伐しようと焦ってしまった。

 

……僕は無意識のうちに『悪魔』を舐めていたのだろう。

自分が危険に晒されても、それでも誰かを守れたら良いと思ってしまっていた。

 

だが、それは危険に晒されても死なないという甘えた考え方なんだ。

そんな根拠のない無謀に、相棒(バディ)であるエルシーを巻き込もうとしていた。

 

僕達が死ねば……町の人も危険に晒されるのに。

 

祓魔師(エクソシスト)が殉職すれば……誰が、『悪魔』からこの町を守るというのか。

僕達が死んで新たな祓魔師(エクソシスト)が派遣されるまでの間に、『悪魔』が町に上陸してしまったら──

 

 

「……情けないな」

 

 

ダメだな、僕は。

最近はフロイラさんに鍛えて貰っているから、少しは強くなれたと思っていた。

 

だけど、強くなっただけではダメなんだ。

『悪魔』に対する判断力が足りていない。

 

戦えるだけでは祓魔師(エクソシスト)としてはダメなんだ。

 

一人、反省会をしていると……ふと、水浴びできる隣室側の壁で……少し、濡れている箇所があるのを見つけた。

 

 

「……何だろう?水漏れかな」

 

 

立ち上がって、壁に近付く。

心臓に悪い水音を聞きながら、その濡れている箇所に目を向ける。

 

人差し指ぐらいの、穴が空いていた。

水がそこから漏れているようだ。

……まぁ、この教会は老朽化している。

壁に穴が空いて水漏れしていても、おかしくはない。

 

だけど、その穴の先は隣室の──

 

 

「っ……!?」

 

 

慌てて、僕はその穴にタオルを詰めた。

穴が埋まって、水漏れもしなくなった。

そして……穴の先にある光景も、見えなくなった。

 

心臓がバクバクと鳴っている。

息が荒れる。

 

覗いてないし、見えてはいない。

だけど、その、穴の先に……エルシーの姿が──

 

 

頭を床にぶつけた。

 

 

大丈夫。

平常心、平常心、平常心平常心平常心……。

 

落ち着いた。

うん、落ち着いた。

へいじょーしんだ。

 

僕は男で、しかも16歳。

そういう事に興味がない訳ではない。

だけど、それはそれとして覗きなんて、そんな事がしたい訳じゃない。

 

だから大丈夫。

 

それでも煩悩が脳裏を駆け巡る。

勝手に脳内でエルシーの、水浴びをしているイメージが──

 

 

頭を床にぶつけた。

 

脳が良い感じに揺れて、思考が掻き乱されて──

 

 

 

「……何してんの?」

 

 

気付けば、エルシーが部屋に戻って来ていた。

普段着の修道服ではなく、白い薄手の布地を使った服を着ていた。

寝巻き、なのだろう。

 

そんな彼女は、床に転がっている僕を見て訝しんでいた。

 

 

「な、なんでもないよ……」

 

 

なんて言いながらも、僕は彼女から目を逸らした。

 

薄手の生地は少し湿っている彼女の肌に張り付いていて。

普段見る彼女とは違う一面が見えて。

何だか妙に意識してしまって。

ドキドキしてしまって。

 

僕は、彼女を直視出来ずに居た。

 

 

「まぁ、いいけど。ユーリも水浴びしてきたら?汗くさいし」

 

「……あ、うん。そうするよ、うん」

 

 

気まずい。

 

僕は急いで自分の寝巻きを荷物から出して、部屋を出た。

 

軋む廊下を踏み締めて。

 

目を瞬く。

口からため息。

 

 

「……はぁ」

 

 

自分の中にあるモヤモヤとした感情を全て吐き出すように、深く息を吐いた。

だけど、それでもモヤモヤとした感情は渦巻くばかりで消えはしなかった。

 

隣部屋のドアを開けて、タイルの張られた部屋に入る。

籠に着替えを入れて、タオルを手に取る。

 

ポンプを動かして水を流させる。

桶に水が溜まって行くのを見つめる。

 

水面に映った自分の顔は……酷く、ぎこちない笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

ユーリの挙動がおかしい。

私はベッドの上で胡座をかき、手を顎に当てた。

 

彼は気弱であがり症だから、ああして挙動不審になる事も多い。

だが、それを考慮しても普段より「変」と言わざるを得ない。

 

 

「……何か、あったのかな?」

 

 

しかし、彼は私に何も言わなかった。

という事は私に対して隠したい事があるという事だ。

 

気になる。

 

私達は祓魔師(エクソシスト)という危険な仕事をしている。

そして、少しの悩みや不調が……命の境目を分ける可能性だってある。

だから見逃せない。

 

 

「…………」

 

 

ベッドの上に上半身を倒して、寝転がる。

足をベッドから出して、ぶらぶらと揺らす。

 

先程の司祭とした会話で、割り込んでしまった事を反省していたのだろうか。

 

あり得る。

ユーリは寝る前とかに反省会をするタイプの人間だ。

必要以上に気にしてしまう小心者だ。

 

それが悪いとは言わないが……悩みすぎると、必要以上に落ち込んでしまって更にミスが増える。

それは良くない。

 

どちらにせよ、彼一人で悩むぐらいなら……私から──

 

いや、だがしかし、私が直接「お悩み相談」するのは違うか。

彼にとってのエルシーとは、気分屋で人当たりが悪い癖に位階が高くて偉そうな相棒(バディ)だ。

 

そう思われるように立ち振る舞っているのだから、当然だ。

そして私は陰湿で性格の悪くて傲慢な相棒(バディ)という印象(イメージ)を損ないたくないのだ。

 

 

「……せめて、悩みが分かれば良いんだけど」

 

 

ポツリ、と独り言を呟き、視線を彼がいる隣の部屋へ向け──

 

 

「あれ?」

 

 

壁にタオルがかかって、いや、刺さっているのが見えた。

何かに掛けられている訳でもないのに、壁からタオルが垂れている。

 

タオルは小綺麗で、部屋に元からあった訳ではないと推測できる。

なら、このタオルは……ユーリが持ち込んだ物だろう。

 

 

「……何のつもりなんだろ?」

 

 

ため息を吐いて、壁へ擦り寄る。

そのままタオルに触れて、引っ張れば──

 

ぽとり、と床に落ちた。

そのタオルは湿気ていたようで、少し重たかった。

 

視線をタオルが刺さっていた場所へ戻すと……穴が空いていた。

 

 

「……穴?」

 

 

私がその穴に顔を近づけると……隣室の景色が見えた。

つまり、水浴び用の部屋で……身体を流しているユーリの姿が、見えた。

 

 

「……っ!?」

 

 

思わず飛び退いて、床に尻餅を突いた。

 

視界に入った情報を、脳が処理していく……。

今のはユーリの、いや、それは、まぁ、前世では見慣れた物だ。

それはいい、いや、よくはないが。

 

穴へ視線を戻す。

 

木のうろか、腐ったのか……自然に空いた穴のように見える。

人工的な穴ではない。

 

司祭オーヴェンも気付いていない、部屋の欠陥だろう。

この部屋に人が泊まることは稀なのだ。

家具の上の埃を見れば分かる。

 

だから、故意ではないのは分かった。

これは作られた覗き穴ではない。

 

だが、この老朽化で出来たであろう穴に、真新しいタオルが突き刺さっていたという事は──

 

 

「…………」

 

 

私はベッドの上に腰掛けた。

脳裏には先程の景色が渦巻いていた。

 

……筋肉質だった。

普段は服の下にあるから知らなかったけれど、そうか、彼は普段から鍛えている。

引き締まっていて……それが、濡れ──

 

振り払うように、私は首を横に振った。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

「……ふぅ」

 

 

水浴びを終えた僕は、髪をタオルで拭きながら部屋のドアを開けた。

 

すると──

 

 

「…………」

 

 

エルシーがベッドに座り込んで、部屋に入ってきた僕を凝視していた。

心なしか、表情は険しく見える。

 

 

「……エ、エルシー?」

 

 

思わず、名前を呼ぶ。

エルシーは険しい表情のまま、視線を室内の壁へ向けた。

 

視線の先には……穴。

湿気たタオルが床に落ちていた。

 

あっ。

 

 

「エルシー、そのっ、それは──

 

「そこ、座って?」

 

「……はい」

 

 

エルシーが床を指差した。

……何を言っても、言い訳になるだろう。

 

僕は黙って床へ座った。

 

 

「で?この穴は?」

 

 

異端審問が始まった。

被告は僕だ。

 

 

「その、この部屋に最初っからあったみたいで……僕が空けた訳ではなくて、その……」

 

「ふーん……で?見たの?」

 

 

それは核心を突く言葉だった。

慌てて首を横に振った。

 

 

「み、見てないよ!」

 

「本当に?」

 

「本当だよ!覗きなんてしてないから、僕は……」

 

「ふ〜ん……」

 

 

僕は目を瞑って、拳を握る。

この発言に信頼性はないだろう。

実際、覗ける状況だったには違いなくて……反論するにも証拠がない。

 

僕は自分の無実を証明する事が出来な──

 

 

「そう。ま、信じてあげようかな〜?」

 

「……え?」

 

 

エルシーの口から出た言葉は、想定していた言葉の反対だった。

彼女は膝に手をつきながら、目を逸らした。

 

 

「だって、ユーリは、優し……じゃなくて、覗きをするような度胸はないでしょ。よわよわヘタレですし?」

 

「ゔっ」

 

 

思わず呻いた。

信じてくれるのは嬉しいけれど、言葉が刺々しい。

 

 

「だから、まぁ、信じてあげる。良かったねぇ〜、ユーリ。へなちょこ童貞で」

 

「どっ、童貞……?」

 

「違うの?」

 

「いや、その、そうだけど……」

 

 

何でそんな事、言われなくちゃならないんだろう。

落ち込んでいると、エルシーがベッドから立った。

 

そして、僕の前に立った。

 

 

「で?いつまで床に座ってるの?」

 

「え?エルシーが座れって言ったんじゃ──

 

「アンタ私の所為にするつもり?自己中過ぎるんですけど〜」

 

 

聞き慣れた彼女の嘲笑を受けて、頬を引き攣らせつつ立ち上がった。

 

エルシーが少し、上目遣いになる。

僕が彼女より少し身長が高いからだ。

並べば自然と、彼女の視線は上へ向いてしまう。

 

 

「あの穴、埋めるのは明日で良いけど。ベッドはどうするつもり?」

 

 

そうだ。

この部屋にベッドは一つしかない。

 

二人で一つのベッドに寝るなんてあり得ないから、どちらかがベッドで、もう片方は床で寝るしかない。

 

 

「あー、そうだね。床に寝るなら、大きめのタオルを一つぐらい貰えると嬉しいかなー……なんて……」

 

 

床で寝るのは辛そうだけど、野宿よりマシだ。

それでも、タオルぐらいは欲しいな、なんて口にしたのだけれど……エルシーの顔は強張ったままだ。

 

 

「……ユーリが床で寝る前提なの?」

 

「え?そうだと思ってたけれど……」

 

 

エルシーの片眉が上がった。

……あの表情は、不機嫌な時の表情だ。

付き合いが長くなってから気付いた、彼女の癖。

 

僕は背筋に冷たい物が走った。

 

 

「それってぇ、私がユーリより立場が上だから?」

 

「……え、っと、いや。そういう訳じゃないけど……」

 

 

確かに彼女は『上位』の祓魔師(エクソシスト)で、僕は『下位』の祓魔師(エクソシスト)だ。

だけど、ベッドを譲る理由としては考えていなかった。

 

 

「じゃあ、何で?」

 

「それは……だって、エルシーだし」

 

「はぁ?意味分かんないんですけど?」

 

 

彼女に良くしようとするのは何故か。

 

彼女が怖いからか?

彼女が不機嫌になるからか?

彼女を敬っているからか?

 

それは確かに理由に少しは含まれているかも知れない。

だけど、そうじゃない。

 

 

「……えっと、何でだろう?ごめん。僕も分からなくなってきた、かも」

 

 

彼女に良くしたいと思っているのは、きっと……僕が彼女を好ましく思っているからだ。

本当は優しい彼女に報いたいと思っているからだ。

 

だけど、そんな事を言えば彼女は不快に思うだろう。

だから、口にはしなかった。

 

 

「…………はぁ」

 

 

すると、エルシーが大きなため息を吐いた。

 

そして……僕の肩を殴った。

結構、力が込められていたけど、手加減を感じた。

 

 

「エルシー……?」

 

「……身体をキチンと休ませるのも祓魔師(エクソシスト)の仕事。で、私は昼に仮眠取ったから……今日はユーリがベッドで寝るべきだと思うんですけど?」

 

「そ、そうかなぁ……?」

 

 

あまりにも支離滅裂な理論に、思わず頬を引き攣らせた。

これは、彼女が自身の優しさを悟らせたくなくて、露悪的に振る舞っている証だろう。

 

 

「何?私の言ってる事に逆らうつもり?」

 

「あー、いやぁ……」

 

 

これで誤魔化せているつもりなのだろうか。

思わず、視線を逸らす。

 

 

「じゃあ決まりね。今日はユーリがベッドで寝て。明日は町で寝具買うから」

 

 

自信満々に彼女は鼻を鳴らすが……これ以上、反論しても無駄みたいだ。

僕は頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、夜は更ける。

『悪魔』の目撃情報から、エルシーは上陸を少なくとも五日は先だろうと見立てた。

今日は安心して眠れそうだ。

 

……と、思ってたんだけど。

 

床にエルシーを寝かせて、僕はベッドの上。

その事実が僕の安眠を妨害していた。

 

申し訳なさが睡眠の邪魔をする。

 

それでも時間が経てば……少しずつ眠気が来る。

今日は汽車に揺られて、町の中も歩いた。

肉体に蓄積していた疲労が、睡眠欲を掻き立てる。

 

 

ゆっくりと意識が朦朧としてきて──

 

 

ギィ、と軋む音がした。

……エルシーがドアを開けた音だ。

 

ちらと、暗闇の中視線を向けると……厠に向かったようだ。

僕は慌てて視線を逸らした。

 

少しして、水の流れる音が聞こえて──

 

また戸が開く音がした。

 

戻ってきたんだな、なんて思っていると……ベッドが揺れた。

誰かが、いや、誰かがじゃなくて、エルシーが……ベッドに入り込んできたのだ。

 

な、なんで!?

 

思わず声が漏れそうになる。

慌てて、顔をエルシーの方に向けると──

 

彼女の顔が、近い。

だが、その目は瞑られている。

 

……寝ぼけていたのだろう。

床じゃなくてベッドに来てしまったのか。

 

そう納得して、僕はベッドから抜け出そうとする。

寝ている彼女を起こすのは悪いし、このまま彼女を寝かせようと思った。

 

だけど、彼女の位置は近い。

それに寝巻きが何かに引っ掛かって……いや、彼女に握られていた。

 

抜け出すのは不可能に近い。

 

そうして硬直している僕は、彼女の顔に視線を戻した。

……エルシーって、こんなにまつ毛が長かったんだ、なんて考えてしまう。

静かな吐息が聞こえる。

 

心臓が高鳴る。

 

壊れてしまいそうな程、鳴り響く。

この心臓の音が彼女に届いて、起こしてしまうのではないかと疑う程に。

 

これ以上、この状況が続けば死んでしまう。

 

何とか穏便に抜け出そうともがいて──

 

 

「…………行か、ないで」

 

 

ポツリと言葉が聞こえた。

エルシーの声だ。

 

起きているのかと驚いて、彼女の顔に目を向ける。

いいや、寝ている。

だからこれが寝言か。

 

だが、彼女はうなされているようで悲しそうな顔をしていた。

 

 

「……エルシー」

 

 

思わず名前を小さく、彼女を起こさないように呼んだ。

普段は苛烈な彼女だけど……それでも。

 

本当は誰よりも優しくて、面倒見が良くて、こうして……弱気な面もあるのだと。

僕は知っている。

 

そして彼女はまた、掠れて、揺れるような声で寝言を呟く。

 

 

「……シェリ」

 

 

それは名前だった。

 

僕も……知っている名前だ。

彼女の師匠であるフロイラさんから聞いた名前だ。

 

エルシーの元・相棒(バディ)

僕より前の相棒(バディ)だ。

 

彼女といた頃のエルシーは今のような振る舞いではなく、誰にでも優しい献身的な振る舞いをしていた……とフロイラさんから聞いた事がある。

 

そう、彼女が変わってしまったのは……きっと。

 

 

彼女の相棒(バディ)であるシェリさんが──

 

 

死んでしまった事が原因、なのだろう。

 

 

彼女の寝顔を見る。

目元が薄らと濡れていた。

 

少しして、僕の服を握る力が強まった。

 

 

「…………」

 

 

すると、少しだけ……表情が穏やかになった。

きっと、彼女はその手の感触から、シェリさんが側に居るのだと思えたのだろう。

 

……もう少し、このままで居よう。

彼女が目覚めるまでの間、側に居よう。

 

僕は彼女の相棒(バディ)なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

翌朝、目が覚めたらエルシーのビンタで、僕は目覚めた。

随分と苛烈な言葉を吐かれたけれど……彼女はベッドに間違えて入ってしまった自覚もあったようで。

少しすれば落ち着いて、少し申し訳なさそうな顔をしていた。

 

……ちょっとしたハプニングだ。

僕は叩かれたし、よく眠れなかったし。

 

それでも僕はあまり後悔していなかった。

 



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#5 潮風の香り

早朝。

港町ウェラポリ教会。

自宅からやってきた司祭オーヴェンは、私とユーリを交互に一瞥し……口を開いた。

 

 

「昨日はよく寝れ……てないようですね?何かありましたか?」

 

 

彼の視線はユーリに向けられた。

その頬が少し赤くなっているからだ。

 

 

「「いえ、何も……」」

 

「はぁ……?なら、良いのですが」

 

 

私とユーリの異口同音の返事に、司祭オーヴェンは首を傾げる。

私は指先を弄りながら、早朝の出来事を思い出していた。

 

 

昨日、ユーリと私は教会の同室で睡眠を取った。

ユーリはベッドで、私は床で寝ていた──

 

筈だったのだが、目が覚めると私もベッドで寝ていた。

 

驚いた私は思わず、ユーリを叩いてしまったのだが……どうやら、その私が寝ぼけて入ってしまったようで。

 

冷静になると、流石にユーリが可哀想である。

かといって、好感度を上げたくない私は謝る事も出来ない。

互いに罪悪感を拗らせて……こうして二人、気不味いまま今を迎えた。

 

ため息を吐いて、話題を逸らすべく口を開く。

 

 

「……にしても、ここの教会ボロすぎない?部屋に穴が空いて、水漏れまでしてたんですけど?」

 

 

壁に穴は空いているし、床は軋むし、塗装は剥げている。

野宿よりはマシだが、宿泊施設としては下の下だ。

 

私の悪態混じりの疑問に、司祭オーヴェンは申し訳なさそうな表情を浮かべた。

 

 

「あー、っと、申し訳ない。ウェラポリ支部には金銭が無くて」

 

「貧乏って事?そんなにお布施貰えてないの?」

 

「いえ……まぁ、そう……そんな所ですね」

 

「はぁ……?」

 

 

濁すような返事に思わず眉を顰める。

葬送教会の教義として、信徒からのお布施を私財として着服する事は重罪だ。

規模にもよるが極刑は免れない。

 

訝しむ目を向けていると、司祭オーヴェンは苦笑した。

 

 

「はは、では。教会を開けなくてはならないので……準備に向かわせて頂いてもよろしいですか?」

 

「……好きにすれば〜?」

 

 

腕を組みながら、私は壁にもたれる。

この司祭が何か悪事を働いていようとも、今回の任務に関係はない。

 

『悪魔』討伐の邪魔さえしなければ、私は干渉するつもりはない。

『人』と『悪魔』を同時に相手取るのは難しいからだ。

『悪魔』の前で面倒ごとは避けたい。

 

 

「あ、あの、オーヴェンさんっ──

 

 

私が無関心を貫いている中、ユーリが手を上げた。

 

 

「教会の準備、僕も手伝って良いですか?」

 

 

私は目を瞑り、眉間に指を当て……ため息を吐いた。

 

筋金入りのお人好しだ。

 

確かに、私達に予定はない。

町の人への聞き込みも、司祭オーヴェンからのまた聞きで問題ない。

そして『悪魔』は夜間にしか行動しない。

 

つまり、暇……自由時間なのだ。

ならば、自由時間に何をしようとユーリの勝手だ。

 

しかして、司祭オーヴェンは満面の笑みでユーリに視線を向けた。

 

 

「えぇ、はい。しかし、よろしいのですか?」

 

「はい、泊まらせて頂いてますから……何か、恩を返したくて……」

 

 

目の前で暑苦しい見た目をした初老の男と、修道服を着た若い男が目を輝かせている。

こっそりフェードアウトしたい気分だ。

 

 

 

 

結局、ユーリは教会の掃除や、花の入れ替え等、色々と仕事を任せられていた。

 

まぁ、私は手伝うつもりはない。

単純に面倒だという気持ちもあるが、こういう善人ムーブは私の御法度なのだ。

 

私は教会内の長椅子に座り、講壇を布で拭くユーリを見ていた。

隅から隅まで、几帳面に拭いていく姿に少し感心する。

 

しかし、何もしないのも苦痛である。

私は口を開き──

 

 

「ねぇ〜、ユーリ?」

 

 

ユーリに声を掛けた。

 

 

「え?何?どうかした?」

 

「なんで教会の手伝いを買って出たの?」

 

「なんでって……オーヴェンさんに言った通りだよ。これから世話になるし、手伝える時に手伝いたいなって」

 

 

本当にお人好しだ。

だからこそ、こうして良いように使われているのは少し気に食わない。

 

 

「……祓魔師(エクソシスト)の仕事は『悪魔』狩りなんですけど?」

 

「分かってるよ。でもさ、それでも……誰かに良くされたら、それを返したいんだよ。僕は」

 

「……ふーん、まぁ良いけど」

 

 

教会が祓魔師(エクソシスト)の面倒を見るのは義務。

つまり、仕事だ。

それをユーリが知らない訳はないだろう。

それでも、恩を受けたのだから返すべきだと思っている。

 

そこを……否定するつもりはない。

その善性は美徳だ。

冗談でも、嘘でも、彼のお人好しを馬鹿にするつもりはなかった。

 

代わりに、疑問を口にする。

 

 

「でも、ここの司祭ってさ、少し怪しくな〜い?」

 

 

この町は漁も貿易も盛んで、規模も大きい。

お布施もそれなりに貰っている筈だ。

なのに、教会の修復費用すら賄えていない。

 

だから、この教会を管理している司祭は怪しいと感じた。

 

事を荒立てるつもりはなくても、この疑念はユーリと共有したかった。

人を信用するのは良いが、疑う事も覚えて欲しかったからだ。

 

 

「まぁ、それは……そうかもね。でも、僕はオーヴェンさんが悪い人だとは思わないよ」

 

「……何で?」

 

「だってほら、良い人だから」

 

「……はぁ?理由になってなくない?根拠は?」

 

 

思わず、組んでいた足を崩し、前のめりになる。

 

 

「えっと……う、うーん……勘?」

 

「何それ、ウケるんですけど」

 

 

嘘だ、愉快な訳がない。

本心では苛ついている。

 

『お人好し』なのと『騙され易い』のは別だ。

前者は治す必要のない美点だが、後者は明確な欠点だからだ。

 

説教しようと思って口を開こうと──

 

 

「僕、結構そういうのは得意だから……」

 

 

ユーリに遮られた。

眉を顰めて、私は問いかける。

 

 

「は?『そういうの』って何?」

 

「良い人か、良い人じゃないかを見分けるのが……僕は、得意なんだよ」

 

「……ふーん」

 

 

思わず失笑した。

人を見る目があるなら、私と相棒(バディ)なんか組まないだろうに。

 

何を自信満々に言っているのかと、呆れてため息を吐く。

 

 

「はぁ……まぁ、別に?好きにすれば?私は手伝わないけど」

 

「うん、僕が勝手にやってる事だからね……エルシーはそのまま座って良いよ」

 

「ユーリに言われなくても」

 

 

私は長椅子に深く座り直して、体重を背もたれに預けた。

 

 

 

 

そうして、少しして。

掃除を終えて。

 

 

 

 

「ありがとうございます、ユーリさん。貴方のお陰で綺麗になりましたよ」

 

「い、いえいえ」

 

「本当に助かりました……この教会に在籍している司祭は私一人ですから。普段はもっと小さな規模で掃除しているんですよ?」

 

「は、はは……」

 

 

褒められなれてないのか、ユーリは照れている。

そんな彼の様子を私は細目で見ていた。

 

しかし……ふーん、どうりで。

客室の家具に、埃がのっていた訳だ。

彼一人で教会を掃除しているのだから、普段は誰も来ない客室など後回しになるだろう。

 

納得していると、司祭オーヴェンが再び口を開いた。

 

 

「それでは……私は、これからお客さんをお迎えしなければなりませんので──

 

「はぁ?客ぅ?」

 

 

思わず疑問を口にすれば、司祭オーヴェンが私へ目を向けた。

その顔には朗らかな笑みが浮かべられていた。

 

 

「はい、小さなお客さんです」

 

「答えになってな──

 

 

勿体ぶるような返事に眉を顰めていると……教会のドアが開いた。

そこには一人の少年がいた。

 

 

「先生!おはようございます!」

 

「えぇ、おはようございます。ケビン」

 

 

この、ケビンと呼ばれた少年が小さなお客さんか。

決して上等とは言えない服装から、町の権力者の子供って訳でもなさそうだ。

どこにでもいる……いや、少し見窄らしい少年。

そんな印象を抱いた。

 

しかし、そんな少年が客?

一体、何者かと──

 

 

「おはようございます〜」

 

「えぇ、おはようございます。エミリ」

 

「……おはよ」

 

「はい、おはようございます。メアリー」

 

 

一人、また一人と教会に人が増えていく。

その誰もが十代前半ぐらいの子供だ。

そして、その一人一人を司祭オーヴェンは認識していた。

 

気付けば20人近い子供が来ていた。

訝しみつつも、困惑している私を司祭オーヴェンは一瞥した。

 

そして、子供たちに視線を戻した。

 

 

「皆さん、先に勉強部屋まで向かってくれますか?」

 

「はーい」

 

「はい!」

 

 

子供達は『勉強部屋』に向かうべく、足を進めた。

そうして子供達が居なくなって、ようやく司祭オーヴェンの向き合えた。

 

 

「さっきの子供(ガキ)達は何?」

 

「この街の……両親を亡くした子供ですよ」

 

 

つまり、孤児という事だ。

 

……薄っすらとは勘付いていた。

二人、三人と増えていく中、裕福な格好をした子供が居なかったからだ。

だから、私にとっては答え合わせでしかなかった。

 

しかし、ユーリは気付いていなかったようだ。

その様子に司祭オーヴェンが説明を始める。

 

 

「ここは聖地から離れていますからね。町に修道院もありません……孤児院も」

 

 

ユーリが首を傾げる。

 

 

「それは、そうですが……彼等は『悪魔』の被害者なんですか?」

 

「いいえ?ですから、聖地の修道院に送るのも憚られるのです」

 

 

司祭オーヴェンは首を横に振った。

ユーリは目を瞬いて、私を一瞥する。

何故、この町に孤児が多いのか……分かってなさそうな顔だ。

私はため息を吐いて、指を立てた。

 

 

「ユーリ」

 

「う、うん?」

 

「この町は港町。船乗りが多い町って分かってる?」

 

「うん……でも、それで何で孤児が──

 

「船乗りは、危険を伴うから。分かる?」

 

「あっ……」

 

 

そこまで言えば気付いたようで、ユーリは司祭オーヴェンへ目を向けた。

 

 

「あの子供達は海で亡くなった船乗りの……子供、ですか?」

 

「はい、そうです。この町で親の居ない子供の九割は、亡くなった船乗りの忘れ形見ですよ」

 

 

司祭オーヴェンは憂うような表情を浮かべていた。

……この時代、海に出るのは命懸けだ。

近代のような船ではなく、安全は保証されていない。

それでも海に出るのが彼等の仕事だ。

 

私は自分の考えが正解していた事に頷き……この教会が貧乏な理由を悟った。

 

視線を司祭オーヴェンへと向けた。

 

 

「アンタさぁ……もしかして、お布施を孤児の炊き出しに使ってる?」

 

「はい。ですが、炊き出し以外にも使ってますよ」

 

「ふーん……あっそ」

 

 

私は首の裏を掻く。

聖葬教の教義からすれば、彼の行いは褒められた物ではない。

教会は慈善事業ではないからだ。

 

しかし、私は事を荒立てるつもりはなかった。

 

面倒だから、だけではなくなった。

彼の行いに賛同する気持ちがあるからだ……決して、口にはしないが。

 

そして、孤児を預かっている所為で教会が貧乏だという秘密を、どんな心境の変化か教えてくれたのだ。

私を……いや、ユーリの行動から信頼に足る人物だと認識したからだろう。

私は何もしていないが、その信頼を裏切るつもりはない。

 

私は司祭オーヴェンへと視線を戻した。

 

 

「……で?アンタはコレから、その孤児(ガキ)共に勉強を教えにいくつもり?」

 

「はい、そうです」

 

「……物好きね。見返りもないのに」

 

 

貧乏な子供は、一銭も払えはしないだろう。

無償の奉仕だ。

 

ユーリを横目で見れば、目を輝かせていた。

……尊敬の念、という奴か。

そんなユーリへ司祭オーヴェンが視線を向けた。

 

 

「あぁ、そうだ。ユーリさん。よろしければ彼等に勉学を教えて頂けませんか?」

 

「え?僕が、ですか……?」

 

 

ユーリが私を一瞥した。

勉学に自信がないのだろう、助けを求める目だ。

私はそれを敢えて無視した。

 

 

「なに、聖葬教の教義や歴史についてでも話して頂きたいのです」

 

 

対して、司祭オーヴェンは彼に勉学ではなく、祓魔師(エクソシスト)として教義の話をして欲しいと語った。

しかし、その言葉に私は眉を顰めた。

 

 

「そんなのアンタが教えれば良いと思うんですけど。聖葬教の司祭でしょ?」

 

「それでは意味がないのですよ。私だけが教師をしていれば考え方が凝り固まってしまいます。彼等には様々な視点を持って欲しいのです」

 

「……あっそ」

 

「それに──

 

 

そして、司祭オーヴェンが視線を下げた。

着崩した祭服に視線が移る。

 

 

「恥ずかしながら、聖葬教の教義について詳しくないんですよ。見ての通りですが」

 

「……アンタ、司祭よね?」

 

「はい、司祭ですが」

 

「…………はぁ」

 

 

思わずため息を吐いた。

司祭の仕事は教義を説いて、信徒を増やす事だ。

こんなので、ちゃんと信徒を……いや、ちゃんとしてないから信徒が少なく、お布施も足りず貧乏なのか。

 

呆れている私から、ユーリへと視線が戻る。

 

 

「で、どうでしょう?ユーリさん」

 

「あ、えっと、その……」

 

 

ちら、ちらとユーリが私を見る。

許可が欲しいのか?と思っていたが……どうやら、違うようだ。

 

観念したように口を開いた。

 

 

「……すみません、僕も。その、詳しくなくて。教書ぐらいの話しか出来ませんし……」

 

 

私は聞こえるようにため息を吐いた。

その仕草にユーリは誤魔化すような笑みを浮かべている。

 

そして、二人に顰めた顔を向ける。

 

 

「はぁ……二人とも、教会に所属している自覚がないってこと?ありえないんですけど」

 

 

正論を投げ付けると、彼等は視線を逸らした。

情けない話だ。

 

特に、ユーリは座学を軽視しているのか?

確かに祓魔師(エクソシスト)として『悪魔』狩りには不要な知識かも知れないが……それでも、自身の所属している組織の起源について詳しくないのは拙いだろう。

 

私が眉間を指で揉んでいると、司祭オーヴェンが口を開いた。

 

 

「……では、エルシーさんは詳しいのですか?」

 

「当たり前なんですけど?私は『上位』祓魔師(エクソシスト)……座学の試験も評価対象なんですけど?」

 

 

ユーリが横で小さく「え、そうなんだ……」って驚いていた。

彼は『下位』の祓魔師(エクソシスト)だ。

一度も昇格した事がなく、知らないのも無理はない。

いや、知っていて欲しいが。

 

祓魔師(エクソシスト)にとって教義は法律で、聖書は思想の根幹だ。

教会も自身と同じ法で動き、同じ思想を持つ者を優遇したいに決まっている。

当然の話だ。

 

そんな私の考えを知らずか、司祭オーヴェンは嬉しそうな表情を浮かべた。

 

 

「それはそれは……では、エルシーさんが彼等に教えて頂けませんか?」

 

 

なんて口にするから、私の眉間に皺が寄った。

 

 

「は?何で私が──

 

「えぇ、頼みます。私も教本程度しか彼等に教えられませんから」

 

「やるって言ってな──

 

「私では彼等の疑問に答えられませんから……本当に喜ぶと思いますよ」

 

「ちょっとは話を聞きなさいよ!」

 

 

私が怒鳴ると、隣のユーリの肩が跳ねた。

対して、司祭オーヴェンは怯える様子も驚く様子もない。

 

肝が据わっている。

……この見た目だし、司祭をする前は船乗りでもしていたんじゃないか?

そう思わずにはいられない。

 

彼は目を瞬き、私に視線を向けた。

 

 

「……していただけないのですか?」

 

「やる訳ないんですけど?」

 

「そうですか、残念です」

 

「…………ふん」

 

 

司祭オーヴェンが目を伏せる。

申し訳なさそうな、不甲斐ない表情を浮かべている。

私は無言で腕を組み、それを無視していた。

 

 

「現役の祓魔師(エクソシスト)さんから話を聞ければ、子供達も喜ぶと思ったのですが……」

 

「…………」

 

 

無視しながらも、内心の中でモヤモヤとしたものが渦巻く。

 

 

「本当に残念です……ですが、エルシーさん達にも仕事がありますからね。仕方ありません」

 

「…………」

 

 

指で、自身の二の腕を叩く。

 

先程の子供達を脳裏に思い浮かべる。

貧しそうな格好をしていた。

船乗りである父を失い、母の手一つで育てられて……いや、もしかしたら母親も居ないのかも知れない。

 

そんな子供を……孤児達を、私は突き放すのか?

いや、だが仕方ないだろう。

 

子供を想い、無償で働くオーヴェンのような行動は、間違いなく善行だ。

 

私は寿命を代償に『奇跡』を行使している。

後どれほど生きられるかも分からない。

そう、きっと私の生い先は短い。

 

そんな私が誰かに優しくしてしまえば……誰かに好かれれば。

間違いなく、残された者たちへの負担になる。

だから──

 

 

「はぁ……」

 

 

言い訳を脳裏に幾ら浮かべても、それは現実逃避でしかない。

側にいるユーリに視線を流す。

私と目があって、彼は逸らした。

 

……やはり、彼から私への好感度は低いだろう。

だから、少しぐらい……素直になっても、大丈夫だろう。

それにどうせ、任務が終われば孤児と会う事も二度となくなる。

だから──

 

 

「……仕方ないわね。やってあげても良いわ」

 

「……はい?」

 

子供(ガキ)相手に座学を教えるぐらい、訳ないって言ってるんですけど?」

 

 

隣のユーリが少し驚いたような表情を浮かべていて、少しうざったかった。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

今から1000年以上前。

人間を食らう黒いモヤと、人は争い続けていた。

しかし、人は無力だった。

その黒いモヤ……『悪魔』と戦う術など持っていないのだから。

 

そんな中……後に『聖地』と呼ばれる土地に、1人の女の子が生まれた。

 

彼女こそが『聖女レイライン』。

神に愛された子であり、『悪魔』に対抗する力を得た『奇跡』の子だ。

 

 

彼女は128の『奇跡』を身に宿していた。

あらゆる事が出来て、あらゆる『悪魔』を討つ事が出来た。

 

それだけではない。

彼女は自身の『あらゆる物を言語化できる奇跡』を使用し、自身の持つ『奇跡』を本に纏めた。

 

言語化された『奇跡』は聖句と呼ばれ、特定の手順で詠唱する事で神聖力(エーテル)を引き換えに再現される。

それは彼女自身ではなく、他の人が『悪魔』に対抗できるようにという優しい願いだった。

 

彼女は神聖力(エーテル)の扱い方を人に指示し、『悪魔』を討つ為の組織(システム)を作り出した。

 

それが『聖葬連盟』。

彼女の死後も、人が『悪魔』に立ち向かえるように作られた組織だ。

そして彼女の死後、残された者たちによって聖女レイラインは神格化され──

 

現在の『聖葬教会』へと在り方を変えたのだ。

 

 

──ってこと。分かった?」

 

 

そう、教書に書かれた内容に予備知識を盛り込みつつ、エルシーは子供達に教えていた。

時には歴史だけではなく、現状を交えて。

ただの過去の知識ではなく、彼等の糧になるように。

 

 

「「はーい!」」

 

 

エルシーの問いに、子供達は元気に返事をしている。

僕は子供達より離れた席に座り、彼女の講義を聞いていた。

そして、僕の隣には司祭オーヴェンも居る。

 

彼は感心したような顔で頷き、僕へと視線を向けた。

 

 

「……驚きました。彼女は教師に向いていますね?」

 

 

小さな声で、授業の邪魔にならないように。

エルシーに聞こえないように話しかけてきた。

 

 

「……僕も、ちょっと驚いてます」

 

「そうなのですか?人に物を教えるような事は、経験がなければ熟せません。誰かに教えているような場面を見た事はないと?」

 

「それは──

 

 

ふと、脳裏に浮かぶ。

普段の彼女の姿を。

僕に対して偉そうに、それでも為になる教養を語る姿を。

 

僕は首を横に振った。

 

 

「普段から……確かに、僕に色々と教えてくれてます」

 

「……そうですか」

 

「といっても、あんなに優しくはないですけど」

 

 

僕は自嘲気味にそう言った。

相手は子供達なのだから、僕と比べるのは良くないけれど。

 

普段見せている彼女の苛烈さは今、鳴りを潜めていた。

 

普段の彼女は何故、どうして……。

僕は椅子に深く座って、教壇に立つ彼女の姿を見つめる。

どこか、少し楽しそうな彼女を──

 

 

「彼女は優しい人なんでしょうね」

 

 

横から声が聞こえた。

 

 

「……エルシーが?」

 

「はい。貴方もそう思いませんか?」

 

 

僕はその言葉に視線を向けず──

 

 

「……はい」

 

 

ただただ、小さく頷いた。

彼女は何故か露悪的に振る舞っているけれど、本当は……今の姿の方が、彼女の本当なのだろう。

 

……いつか、彼女が素直に振る舞えるようになれば良いな……と、僕は思った。

そして、その時、僕が彼女の手伝いが出来れば良いな……とも。

 

手元にあるボロボロの教書を、僕は捲った。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

「……全く、余計な事で寄り道しちゃったんですけど」

 

 

文句を言いながら、エルシーが砂浜に杭を刺した。

杭は銀色で、聖葬教会の紋様が彫られていた。

 

 

「……ごめん、エルシー。付き合わせちゃって」

 

「……別に。謝る必要はないと思うけど」

 

 

僕は彼女が砂浜に刺した杭を、強く踏んで深く突き刺す。

杭の頭が目立たくなるまで、砂浜に埋める。

 

これを何度も、港町ウェラポリの海沿いの砂浜に設置していく。

桟橋がある箇所は縄を使って固定する。

 

教会での用事が終わった後、僕達はウェラポリの海沿いに来ていた。

そうして今、作業を終えた頃には……空の色も茜色になっていた。

結構な重労働だ。

 

そして、何故、こんな事をしているのかと言うと──

 

 

「準備完了っと……ユーリは少し離れて」

 

「あ、うん」

 

 

エルシーが杭の一つの前に立ち、両手で杭を押さえた。

彼女の身体から、神聖力(エーテル)が溢れる。

目に見えるほどに膨大な神聖力(エーテル)が、杭と隣接する杭へ繋がる。

杭から杭へ、その杭から別の杭へ。

 

今まで設置してきた杭を中継し、港町ウェラポリの海岸を覆う。

 

 

「『主よ、貴方に仇為す悪しき者の不義を照らしたまえ』」

 

 

聖句の詠唱と共に、彼女の神聖力(エーテル)が『奇跡』へと変化する。

 

 

「『聖なる境界(ホーリーアレイ)』」

 

 

杭が青白く光り、空間を照らす。

頭上に立ち昇り、光の柱がウェラポリの港を空へと繋ぐ。

少しすれば……光は収まり、足元の杭が辛うじて光っているだけとなった。

 

 

「……ふぅ、こんなものね」

 

 

エルシーは汗を拭って、息を深く吐いた。

 

これは『悪魔』の接近を知らせる『結界を作り出す奇跡』。

つまり、聖女レイラインが持っていた128の『奇跡』の一つ……それを再現したのだ。

 

結界は杭を中心に発生し、範囲の中に入った『悪魔』の位置を術者に知らせる。

結界の範囲は込められた神聖力(エーテル)によって変動するが……先程の様子から、エルシーは大量の神聖力(エーテル)を注ぎ込んだに違いない。

これで海から上陸しようとする『悪魔』が、上陸する前に発見できるだろう。

 

エルシーの手際の良さに敬服する。

落ちる太陽の光を浴びて、彼女の頬は赤く染められていた。

 

それはまるで、町で売られている美人画のようで──

 

無意識の内に見惚れていた僕に、彼女が視線を戻した。

そして、訝しむような表情を浮かべた。

 

 

「……なんで呆けてんの?」

 

「え、あっ……そ、その、ごめん」

 

「はぁ……?意味分かんないんですけど」

 

 

彼女は疲労からか、それとも僕に呆れたのか……いいや、両方の意味でため息を吐いた。

 

 

「あーあ。ユーリも早く、これぐらい出来るようになって欲しいんだけどなぁ……」

 

「……ご、ごめん」

 

 

彼女の頬に汗が伝う。

肉体的疲労と、神聖力(エーテル)を扱った疲労が重なっているのだろう。

 

申し訳なく思っていると、エルシーは少し呆れたような表情で笑った。

 

 

「ユーリは幾つ、『聖書』の『奇跡』を使えるの?」

 

「……3つだよ」

 

「……頭わるわる祓魔師(エクソシスト)なの?」

 

「……うっ、でも同期に比べれば……覚えてる方だし……」

 

 

この言い訳は事実だ。

『下位』の祓魔師(エクソシスト)の殆どが『聖書』の『奇跡』を1つ再現出来る。

その中でも詠唱が得意な祓魔師(エクソシスト)は2つ、3つ覚えている。

だから、僕は多い方なのだけれど……。

 

 

「やっぱり、バカなの?」

 

 

そんな僕の言い訳を聞いたエルシーが、僕の頭に手刀を喰らわせた。

……痛くはない。

力も神聖力(エーテル)も込められてないからだ。

 

 

「その辺の『下位』祓魔師(エクソシスト)と比べても仕方ないんですけど?」

 

「……ご、ごめん」

 

「全く……」

 

 

エルシーに出会うまでは1つしか使えなかった、とは言わない方が良いだろう。

何を言っても言い訳でしかないからだ。

 

そして代わりに、ふと疑問が湧いた。

 

 

「……エルシーは幾つ使えるの?」

 

「101よ」

 

 

……目を瞬く。

確かにエルシーの詠唱する『聖句』の種類は多いと思っていた。

任務によって最適解の『奇跡』を再現しているからだ。

 

だがしかし、まさか……128個中、101個使えるなんて──

 

 

「じゃあ……あと、27個覚えたら全部使えるって事?」

 

「……はぁ、バカ過ぎなんですけど?」

 

 

僕の問いに対して、返答の代わりに罵倒と手刀が落ちてきた。

心なしか、先程より少し力が籠っていた気がする。

 

何故叩かれたのか分からなくて目を回す僕に、エルシーがため息を吐いた。

 

 

「聖女レイラインが聖書に残した奇跡は101個だけなんですけど。そんな事も知らないの?」

 

「え?……そうなの?128個持ってたのに、なんで?」

 

「……はぁ」

 

 

エルシーが眉間を指で揉んだ。

そして、砂浜から立ち上がり歩き出した。

慌てて、僕は彼女の後ろを歩く。

 

 

「聖女レイラインが持っていた『奇跡(サイン)』は128個。だけど、その128個全てが再現して良い『奇跡』ではなかったってこと」

 

「……再現したらダメな奇跡ってあるの?」

 

「そう。何かを代償に扱える『奇跡』があるの。命とか、身体の一部とか、記憶とか……寿命とか」

 

「え……?」

 

 

凡そ、『奇跡』と呼ぶには物騒な話に驚く。

 

 

「聖女レイラインは自分が残した『奇跡』で誰かが傷付くのが嫌で、残さなかった……そして、教会も信仰を守るために明示しなかった」

 

 

砂浜に残る彼女の足跡をなぞり、僕は歩く。

 

 

「それが『27の知られざる奇跡』。別に教会が隠しているって訳じゃないけど、教書には書いてない公然の秘密」

 

「……そんなのが──

 

 

って、『聖書』に残されていない奇跡は27だって?

128個中の27個が再現できない奇跡だとしたら──

 

 

「って、あれ?じゃあエルシーが使える奇跡は101個って事は──

 

「そう。現存する『奇跡』の詠唱と再現が、全て出来るって事」

 

 

目を瞬く。

 

 

「……エルシーって凄いんだね」

 

「は?今更?」

 

 

いや、凄いのは知っていた。

僕と同年代なのに『上位』だという事も。

僕なんかよりも何倍も『聖銀器』の扱いが上手いという事も。

 

 

「え、いや、その……改めて凄いな、って」

 

「……ふーん、そう」

 

 

エルシーは何故かバツの悪そうな顔をして、視線を逸らした。

彼女は自信満々で、いつも不遜なのに……こうして褒められると嬉しくなさそうな顔をする。

 

照れ隠しでもなく、本当に嬉しくなさそうに──

 

 

「はぁ……ユーリ、そろそろ帰らないと。司祭に譲ってもらった寝具、室内に運ばないといけないでしょ」

 

「そ、そうだね」

 

 

不機嫌そうな表情で、僕に視線を戻した。

僕は慌てて彼女の側に駆け寄った。

 

横に並べば、僕より低い彼女の……薄紅色の髪が目に映る。

 

波の音と、潮の香り。

茜色の夕日。

 

全てが彼女の魅力を引き立てているようで。

 

僕は動悸している。

大きな心臓の音だけが聞こえていた。

 

 



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#6 余計なお節介

私は孤児院の子供達に勉学を教えて。

ユーリは教会の清掃や修復をして。

 

そうして毎日を過ごす。

 

ユーリは夜にこっそりと、机に向かって勉強していたけれど。

多分、私の授業にあてられたのだろう。

 

そうして、二日、三日と過ぎて行き──

 

 

 

 

十日後。

 

 

 

 

港町ウェラポリ、深夜。

私とユーリは修道服を着て、浜辺に来ていた。

 

浜辺に設置していた杭から、『悪魔』の気配を察知したからだ。

 

 

「……ユーリ、準備は?」

 

「うん……大丈夫」

 

 

私の問いにユーリが頷く。

海から来る『悪魔』の上陸に備えて、完全装備をして来ている。

腰のポーチには聖水が二つ。

投擲武器の聖なる銀で出来た杭を二つ。

 

胸元の『聖銀器』、ロザリオを武器へと変える。

ユーリは大剣(クレイモア)に。

私は大鎚(スレッジハンマー)に。

 

暗闇。

雲が月を隠している。

暗闇が続く水平線から、何かが来ているのが見えた。

 

……神聖力(エーテル)の無駄遣いはしたくないが、背に腹は代えられない。

 

 

「『主よ、全てを見通す眼にて厄災を知らせたまえ』」

 

 

聖句の詠唱をして、『奇跡』の再現を行う。

 

 

「『聖なる不盲(ホーリーバインドネス)』……」

 

 

視界を覆う暗闇が晴れていく。

だが、これは現実で光を照らす奇跡ではない。

自身に対する暗視強化(バフ)、『暗闇を見通す奇跡』の再現だ。

 

これは他人に適用できない、自己強化。

だから、ユーリは暗闇の中『悪魔』と戦わなければならない。

……地上、砂浜には多少の灯りはあるが。

灯台から漏れる光だけが頼りだ。

 

私は『聖銀器』である大鎚(スレッジハンマー)を構えて、一歩前に出る。

 

 

「いい?ユーリ、『悪魔』を十分引き付けて、必ず地上から海に帰れない位置まで誘き寄せること」

 

「……うん、分かってるよ」

 

「町を守ろうなんて考えず……ちゃんと陸地まで引き付ける事。分かってる?」

 

「……大丈夫だよ」

 

「なら、いいけど」

 

 

この話は既に、何度もした話だ。

それでも、この緊張した局面で忘れていないか確認したかったのだ。

 

ユーリは甘い。

『悪魔』が地上に……町へ向かう可能性が出た時、無理をしてしまう可能性があった。

故に、念押ししたのだ。

 

 

「……ふぅ」

 

 

聖なる銀で出来た大鎚(スレッジハンマー)を強く握る。

相手は手配書で『中位』指定。

だが、本当は『上位』の悪魔だ。

ゲームの知識では巨大な熊の手足の生えた鮫……つまり、『サメグマ』の『悪魔』だった。

単純な肉弾戦能力と、切断系攻撃を軽減する強靭な皮膚……逆立つヤスリのような肌が特徴の『悪魔』だ。

 

だが、私の武器は大鎚(スレッジハンマー)

『サメグマ』の『悪魔』に効果的な筈だ。

 

だが油断するつもりはない。

出し惜しむつもりもない。

 

私の視界に『何か』が映る。

確かに、海の上を走るように滑っている。

 

……いや、待て。

 

確かに、手配書には『海上を滑るように』と書いてあった。

それは『サメグマ』が水面のすぐ下を泳ぎ、背のヒレが走っているように見えるから……だと思っていた。

 

……だが、違う。

 

何だ、アレは?

鮫の背ビレではない。

 

本体が、海の上を走っている。

アレは鮫でも、熊でもない。

 

 

「……っ──

 

 

思わず不安と驚愕で声が漏れそうになる。

だが、それを飲み込む。

 

落ち着け。

私が不安になってしまえば、ユーリに伝播してしまう。

 

私は深呼吸して、こちらに迫る『悪魔』の姿を見た。

 

アレは『マンタ』だ。

鳥のようなヒレを左右に持ち、2本の口ヒレがツノのように備わっている海洋生物。

 

そんな海洋生物の姿を模した『悪魔』が水面を滑るように走り、急速に向かって来ている。

 

想定外の姿に混乱しつつも、それでも立ち向かわなければならない。

 

 

「ユーリ、迎撃準備!上陸まで……12秒!」

 

「分かった……!」

 

 

気を遣っている余裕はない。

『悪魔』との戦いにおいて『彼から嫌われよう』とか『好かれたくない』とか、そんな事を考えている余裕はない。

 

特に、今回は──

 

何故、原作と違う『悪魔』の姿に?

あの『悪魔』は強いのか?

どんな能力を持っているのか?

 

湧いた疑問を脳裏に押し込み、迎え撃とうと──

 

瞬間、『悪魔』が水上を跳ねた。

 

 

「はぁ!?」

 

 

凡そ、海洋生物らしからぬ挙動。

しかし、そのマンタを模った部位の下を見て、私は理解した。

 

そこにあったのは、触手だ。

吸盤のないタコのような足が、何本も並んでいた。

その触手は水の上を弾くように、マンタ型の頭部を持ち上げていたのだ。

 

禍々しい姿に一瞬、息を呑んだ。

 

そんな『悪魔』の触手が水面を叩き、宙へ飛び上がった。

 

 

「……っ!ユーリ、上から!回避!」

 

「えっ──

 

 

瞬間、巨大な影が私達を覆った。

触手の生えた巨大なマンタが、私達に向かって飛び込んできたのだ。

 

私とユーリは、即座に左右に分かれて回避した。

砂が巻き上がり、私たちの顔を打つ。

 

 

「くっ……」

 

「うわっ!?」

 

 

同じ方向へ避けないのは、マンタが空中制御を出来た場合を考えて、だ。

 

幸い飛行能力はないようで、先程まで私達が居た場所に着地していた。

 

私とユーリで『悪魔』を挟むように立ち回る。

下手な木より太い触手が、マンタである本体部らしき頭を持ち上げた。

 

大きい──

 

いや、大き過ぎる──

 

立ち上がれば小さな建造物……それこそ、この町の教会より、背丈は高い。

一瞬、気圧されそうになるほどの威圧感。

 

『中位』な訳がない。

間違いなく『上位』……危険度が識別(カテゴライズ)不能の『悪魔』だ。

 

怖気、威圧感、恐怖。

それらを振り払うように、体に神聖力(エーテル)を満ちさせる。

呼吸一つ、身を引き締めて……大鎚(スレッジハンマー)を大地へと叩きつけた。

直後、大鎚(スレッジハンマー)が砂浜が爆ぜさせた。

 

その反動は跳躍力となり、私を宙へと投げ出す。

 

 

「はぁっ!」

 

 

そのまま、大鎚(スレッジハンマー)を『悪魔』へと振り被る。

 

私の動きに『悪魔』は反応出来なかったか──

 

それとも脅威と見做されていないのか──

 

大鎚(スレッジハンマー)が直撃し、爆ぜた。

 

込められた神聖力(エーテル)が聖銀器を通して、『悪魔』に対する特効となる。

直撃した『悪魔』の頭部を抉り取り……私は『悪魔』を飛び越えて、ユーリの居る側へ着地した。

砂の上を滑り、『悪魔』へと向き直る。

 

確かな手応え。

確実にダメージになった筈だ。

 

視界に映ったのは頭部の一部が消失した『悪魔』の姿だった。

ユーリの表情が少し明るくなる。

 

 

「エルシー!このまま畳み掛けて──

 

「待って!何か、変なっ──

 

 

おかしい。

『悪魔』に焦る素振りも、暴れる素振りもない。

極めて冷静な姿だ。

頭を抉られたというのに。

 

『悪魔』は人の悪意が集約して生まれた仮想生物。

人間と同程度の知能を持つが、本能で動く獣。

自身の危機には取り乱すし、怒りもする。

 

だから、この冷静さは──

 

瞬間、『悪魔』の持つ触手が揺らいだ。

 

 

「まずっ──

 

 

私とユーリ、双方の息を呑む声がした。

そしてそれを認識する間もなく、触手がこちらに迫って来た。

 

速い!

巨体に似合わない、触手を使った鞭打。

しかし、見えない程ではない。

 

私は大鎚(スレッジハンマー)を回転させ、触手を叩き返す。

一本、二本と殴り返せば、触手は『悪魔』の元へと帰っていった。

 

ちら、とユーリを一瞥すれば……その触手を大剣(クレイモア)で叩き切っていた。

叩き切られた触手は地面に転がり、動きを止めていた。

私の大鎚(スレッジハンマー)とは違う、斬撃系武器の利点が出ていた。

 

しかし、そんな事も喜べない光景が目の前にあった。

 

 

「……最っ悪なんですけど」

 

 

『悪魔』は五体満足で砂浜に立っていた。

そう、少しも欠損していない。

先程、頭部を抉った筈なのに。

 

再生能力。

『悪魔』は確かに、多少の欠損は再生する事が出来る。

だがそれは、長時間かけてだ。

こんな一瞬、目を離した隙に大きな傷が治るなんて……異常なのだ。

 

……この再生能力こそが、この悪魔の能力か。

声には出さず、結論を出す。

 

 

「エルシー……あの『悪魔』は──

 

「分かってる」

 

 

言うならば、『超再生能力』。

多少のダメージでは、この『悪魔』に対しては無意味だという事。

 

ユーリも同じ結論に達したようだ。

頷いて、大剣(クレイモア)を握り直していた。

 

そして先程の光景を思い出す。

大鎚(スレッジハンマー)の攻撃では足りない。

私の神聖力(エーテル)だけでは、威力と範囲を補えない。

 

それなら──

 

 

「ユーリ、前衛お願い」

 

「分かった」

 

「死んだら殺すから」

 

「……分かってるよ」

 

 

ユーリが大剣(クレイモア)を構えて、私の前に立った。

対して私は数歩下がった。

 

そして、腰のポーチを開き……聖水を二本、口に含む。

聖水に込められた神聖力(エーテル)が、私の神聖力(エーテル)を引き上げる。

一時的に、自身の身体から生み出される神聖力(エーテル)量を底上げする。

 

しゃがみ込み、腰の杭を二つ、砂浜に刺した。

この二つの杭を教会の二柱に見立てる事で、簡易的な聖域を再現する。

それは『奇跡』の精度と規模を拡張する、儀式の形代だ。

 

瞬間、『悪魔』が動いた。

私が何かしようとしているのを察したようだ。

私の方へ触手が伸びるが……回避行動は取らない。

この聖域の再現が損なわれるからだ。

 

なら、どうやって対処するのか。

……ここに居るのは私だけではない。

 

 

「行かせないっ!」

 

 

ユーリが触手を切り落とした。

大丈夫、信頼している。

彼なら対処できると。

 

私は少しも迷わず、躊躇わず、気にもかけず……聖句の詠唱を始める。

 

 

「『主は、その手で邪なる者へ裁きを下す』」

 

 

触手が再び、私へ向けて伸びてくる。

それでも詠唱は止めない。

聖句を重ねる。

 

 

「『何を以って邪とするか』」

 

 

ユーリが守ってくれるから。

気を逸らさずに、今はただ全身全霊で『奇跡』を再現する。

 

 

「『主に仇為す者を邪とし』」

 

 

聖句を繋ぐ。

聖句の詠唱は短くする事だって出来る。

慣れれば一節だけで『奇跡』の再現を行える。

 

 

「『弱き者を虐げる悪逆を取り除く』」

 

 

だが、略唱では『奇跡』の強度が落ちる。

それではこの『悪魔』を討てない。

 

だから、今。

全ての聖句を詠唱し、完全な『奇跡』を再現する必要があるのだ。

 

 

「『光の審判を』!」

 

 

相手が再生能力を持つ『悪魔』ならば、再生できない程にダメージを与えればいい。

それだけの話なのだ。

 

 

「『聖なる稲妻(ホーリーライトニング)』!」

 

 

詠唱を終えた瞬間、身体から急激に神聖力(エーテル)が抜けていく。

聖域の形代にしていた杭が砕けた。

 

私の本来持つ神聖力(エーテル)

聖水による増幅。

更には儀式化による強化。

その全てが一つの『奇跡』を再現する為に──

 

 

瞬間、轟音と共に空が光った。

 

 

深夜の水辺を光が覆う。

強烈な目を焼く程の、刹那の光。

 

それは、雷だ。

 

天から『悪魔』に向けて、雷が落ちたのだ。

その速度は光より少し劣る程度。

一瞬よりも速すぎる一撃。

回避不能の膨大な力が、『悪魔』を貫いたのだ。

 

主の裁き……即ち、稲妻の再現。

莫大な神聖力(エーテル)と引き換えに再現する、私の『とっておき』だ。

 

 

結果は──

 

 

焼ける音。

爆ぜる音。

 

そして、大気が震えた。

 

雷は『悪魔』の身体を貫通し、それは熱となり内側から爆散させたのだ。

『悪魔』の頭部、そして身体である『マンタ』の姿はもう、無かった。

 

 

「っ……!はぁっ、はぁ……」

 

 

息を深く吸う。

神聖力(エーテル)は生命力だ。

急激に抜ければ、身体に不調となって現れる。

 

突然の眩暈。

平衡感覚が失われる。

そして吐き気まで。

 

気持ちの悪い感覚と共に、膝から崩れ落ちる。

 

 

「……き、っつ」

 

 

汗が大量に流れる。

 

そして──

 

 

「エルシー!まだ終わってない!」

 

 

視線を戻した。

 

そこでは『悪魔』が再生を始めていた。

 

 

「え……?」

 

 

私の全力を受けて、まだ再生できる余裕があるのか?

 

どこかぼんやりした意識。

まるで壇上の踊り子を観る、観客のような他人感。

そんな現実味を帯びない感覚で私は──

 

 

……っ!?

 

 

ようやく意識が覚醒してくる。

そして現状を正しく理解した。

 

私の最大攻撃力を持つ『稲妻を再現する』奇跡が効かなかった。

正確には、効いたが……仕留めるに至らなかった。

 

その傷も治りつつある、という事だ。

失態、二つの文字が脳裏に浮かぶ。

 

だが、後悔していても意味がない。

意識を切り替えて──

 

 

「ユー、リ!」

 

「っ、分かった!」

 

 

声を掛ければ、ユーリが飛び出した。

詳細を言わなくても、理解してくれたようだ。

 

言わずに済むのは大きい。

何故なら、『悪魔』が人語を理解しているからだ。

相手が物言わぬ獣だからと油断すると、手痛いしっぺ返しを貰う事になる。

 

 

「はああぁっ!」

 

 

ユーリが大剣(クレイモア)を振りかぶり、回転した。

触手を切り払い、『悪魔』の本体へ向かって走り出す。

 

『悪魔』が半壊している今、これが好機だ。

ここで可能な限り削り……討つ。

 

ユーリが飛び上がり、大剣(クレイモア)を『悪魔』の頭部へ突き刺した。

『悪魔』は振り払おうとするが……ユーリは大剣(クレイモア)を捩り、頭部へと固定した。

 

そして──

 

 

「『主よ、悪意ある者を罰したまえ』!」

 

 

ユーリが聖句を詠唱し始めた。

 

 

「詠唱……!?」

 

 

私は驚愕しながら、その景色を見ていた。

ユーリが得意とする詠唱に有効打となり得る物は──

 

 

「『聖なる電撃(ホーリースパーク)』!」

 

 

瞬間、ユーリの持つ大剣(クレイモア)を中心に、電撃が発生した。

つまり、悪魔に突き刺さっている今ならば──

 

体内に直接、電気を流したのならば──

 

『悪魔』が身を捩り、もがく。

その軟体は水分を過分に内包しているのだろう。

電気はよく通るようだ。

 

しかし、あの『奇跡』をユーリが使っているのは初めて見た。

きっと、毎夜練習していた『奇跡』なのだろう。

 

思わず、頬を緩めて……己の膝を叩いた。

 

ここで立てなきゃ──

 

ここで戦えなければ──

 

何のために私は生きているのか?

 

震える身体を無理矢理立たせる。

 

 

「こ、のぉ……っ」

 

 

息を深く吐き、深く吸う。

そして『奇跡』を発現させる。

 

私の扱える101の『奇跡』の模倣ではない。

本物の『奇跡』、この身に刻まれた『奇跡(サイン)』だ。

 

『奇跡』の模倣は、本来扱えない者が神聖力(エーテル)を消費して再現する技能。

 

対して、本物の『奇跡(サイン)』に神聖力(エーテル)は必要ない。

神の祝福とはよく言ったもので、無際限に扱う事が出来る。

 

だから、今。

神聖力(エーテル)が枯渇している状態でも、本物の『奇跡(サイン)』ならば扱える。

 

 

そして、その『奇跡(サイン)』は──

 

『寿命を代償に力を得る奇跡』。

 

 

その得られる『力』とは何か。

腕力か、脚力か、それとも知力か?

 

答えは、どれでもある、だ。

 

この『奇跡(サイン)』の本領は、単純な肉体の強化ではない汎用性だ。

凡そ、力と呼べる物ならば如何なる物にでも変換できる。

 

なら、今、必要な『力』とは──

 

 

「く、ぅ……!」

 

 

寿命を代償に、神聖力(エーテル)へと変換する。

 

まるで水瓶に穴が空き、中身が溢れていくような感覚。

残りの(寿命)は分からない。

 

それでも、出し惜しみは出来ない。

自らの不足で誰かが死んでしまったら、私はもう立ち直れなくなる。

今、ここで、私が立ち続ける為には押し通さなければならない物がある。

 

その為に。

 

私の命を神聖力(エーテル)へ変換して──

 

 

 

「エルシー!避けて!」

 

 

 

ユーリの声が聞こえた。

 

身体の内面に集中し過ぎていた。

神聖力(エーテル)の欠落による意識の混濁と、疲労による思考力の低下で気付かなかったのだ。

 

顔を、上げれば──

 

マンタの触手が、私に向けられていた。

それは、捻れて……人を殺傷するのに最適な形をしている。

 

 

「あっ──

 

 

ユーリは地面に投げ捨てられていた。

その手に聖銀器はない。

 

頭部に突き刺さったままだ。

それでも『悪魔』は、その大剣(クレイモア)を引き抜くよりも……私という『障害』を排除する事を選んだのだ。

 

先程の、雷を撃たせない為に。

 

 

捻れて、鋭くなった触手が私へ向けて──

 

 

「エルシー!」

 

 

射出された。

 

速い。

まずい。

 

避けられなっ──

 

 

()っ……!?」

 

 

鮮血が私の左肩から散った。

激痛と共に、異物が身体を貫通した違和感。

それらを感じながら、私は砂浜を転がった。

 

間一髪、人体の重要な部位への直撃は避けられた。

 

だが、回避は間に合わなかった。

血が修道服を染める。

 

奇跡(サイン)』によって生まれた神聖力(エーテル)で身体の自己治癒を強化しつつ、片手で砂浜から立ちあがろうと──

 

そんな猶予を『悪魔』が許す訳ない。

再び、触手を捻りながら私へ向けて──

 

 

発射した。

 

 

触手が。

 

死が。

 

私へと迫る。

 

 

自身でも驚くほど、冷静に迫り来る『死』を見ていた。

全てが遅く見えた。

そして、もうどうしようもないのだと……そう自覚した。

最初から『奇跡(サイン)』で寿命を使っておけば良かった、なんて。

結果論だけの僅かな後悔を抱いて。

 

 

 

私に、触手が──

 

 

 

また、血が飛び散った。

 

だけど、痛みはなかった。

致命傷だから、脳が痛みを感じなくしたのか?

 

違う。

私に新たな傷はなかった。

 

 

「あ……」

 

 

貫かれたのは私ではなかった。

私の前に、私を庇うように立っている。

彼が。

 

 

「ユ、ユーリ……?なんで……?」

 

 

そのまま投げ飛ばされて、地面に転がった。

受け身も取れず、無気力に。

そして、その身体の下に血溜まりが出来ていた。

 

 

私の相棒(バディ)が、腹を、貫かれて──

 

記憶の奥底に焦げ付いた景色が重なる──

 

私を慕ってくれていた少女の死体が──

 

焦燥が──

 

後悔が──

 

懺悔が──

 

私を──

 

 

 

瞬間。

 

 

 

「ぐっ」

 

 

私は唇を噛んだ。

血が出る。

痛みが、朦朧としていた意識を呼び覚ます。

 

今、出来る事を全力で実行する。

それだけしか考えられない。

 

全身、全霊。

私に刻まれた『奇跡(サイン)』を発現させる。

 

 

「う、あぁ……!」

 

 

莫大な神聖力(エーテル)が、瞬時に身体の傷を塞いだ。

大鎚(スレッジハンマー)を手に、立ち上がる。

 

 

「ああぁあ!」

 

 

言葉にならない感情の発露と共に、私は地面を蹴った。

 

私の本来持つ神聖力(エーテル)の数十倍を込めた身体強化。

それは暴力的なまでに肉体の性能を向上させていた。

 

宙を飛んだ私は、『聖銀器』に神聖力(エーテル)を込める。

鈴のような音が鳴り響く。

 

『聖銀器』の限界を超えて込められた神聖力(エーテル)が、大気を震わせている。

これは大鎚(スレッジハンマー)が悲鳴をあげている声だ。

 

宙を飛んだ私に、触手が殺到する。

防御もせずに、その嵐のような攻撃に突っ込む。

 

身体の表面に傷が走るが、神聖力(エーテル)で強化された肉体に大きな傷を与える事はできない。

 

 

「こ、のおぉっ!!」

 

 

怒声と共に、再び大鎚(スレッジハンマー)を『悪魔』へと叩きつけた。

狙いは、ユーリが残した大剣(クレイモア)だ。

 

その大剣(クレイモア)の柄尻に、大鎚(スレッジハンマー)が衝突し──

 

 

神聖力(エーテル)大剣(クレイモア)を通して、爆ぜた。

『悪魔』の内部を中心として、神聖力(エーテル)が爆発する。

 

即ち──

 

 

「く、った、ばれぇっ!」

 

 

閃光。

本来、神聖力(エーテル)は視認できないが、飽和した膨大な神聖力(エーテル)は目に見える。

 

光となって、爆ぜるように輝く。

 

『悪魔』が、砕けた。

マンタ型の頭部から、その触手の先に至るまで神聖力(エーテル)が走り、爆ぜたのだ。

その反動に吹き飛ばされて、私は宙へ弾き飛ばされた。

 

 

「あ、がっ」

 

 

砕けた『悪魔』が霧散していく中、私は砂浜に落下した。

着地の事は考えていなかったから、そのまま顔から転げ落ちた。

 

 

「く、う、げほっ」

 

 

口に入った砂を吐き出す。

『悪魔』は崩壊した。

 

確実に仕留めた。

詳しく確認しなくても分かるほどに。

過剰に破壊された。

 

 

「後、は……ユー、リを……」

 

 

だが、まだ、やらなければならないことがある。

とうに限界を迎えている身体に鞭を打ち、私は……砂浜に倒れているユーリの下へ辿り着いた。

 

 

「あ……」

 

 

彼の息は、荒い。

腹に穴が空いている。

 

治癒の『奇跡』の模倣では治せなさそうな、欠損した傷。

 

絶対に苦しいのに。

痛いのに。

辛いはずなのに。

 

 

「ご、めん……エル、シー……」

 

 

それでも、少し満足げだった。

彼の目は私と、倒された『悪魔』に向いていた。

 

きっと、私を守れた事に。

『悪魔』が倒された事に。

その二つで満足しているのだろう。

 

その表情を、私は知っている。

私を助けて満足げに逝こうとしている、その顔を。

 

見た事が、あった。

彼ではなく、別の人間が浮かべているのを見た事があった。

 

だから、無性に腹が立った。

本当に凄く、凄く腹が立った。

凄く、凄く、凄く凄く凄く凄く腹が立って。

 

 

「……死なせて、たまるか……」

 

 

本当は罵声を浴びせたいぐらいだけど、そんな余裕は私にも彼にもない。

 

絶対に、死なせない。

死なせたくない。

死んで欲しくない。

死なないで欲しい。

 

だが、この傷は深い。

一目で分かる、内臓の欠損。

 

神聖力(エーテル)を使った『奇跡』の再現では、治しきれない。

間に合わないし、足りないだろう。

 

だけど『あの時』とは違う。

私は強くなった。

出来る事も増えた。

 

だから──

 

私は震える手で、ユーリの腰のポーチを開けて……聖水を二本、拝借した。

 

そして、それを口に含む。

口に含むだけ、飲み込む訳じゃない。

必要なのは神聖力(エーテル)を含む媒体。

 

それを私の体の一部……切れた唇から流れる血と、唾液を混ぜて──

 

 

ユーリの頬を掴んだ。

 

 

「エル、シー……?」

 

 

そして私は──

 

 

「んっ」

 

 

ユーリと唇を重ねた。

 

 

ユーリの目が見開かれる。

私が何をしているか分からないのだろう。

 

口に含んでいた聖水と唾液の混合物を、ユーリの口に流し込む。

 

内臓の傷から血が逆流していたのだろう。

ユーリの唾液からは、血の味がした。

 

神聖力(エーテル)を含む聖水と、私の体液。

それらを媒体に、ユーリを私の身体の一部として認識させる。

 

今、この一瞬だけ、辛うじて。

ユーリと私の間に、隔てる壁はなくなった。

 

故に……私の『奇跡(サイン)』が適用される。

私の寿命を捧げて、ユーリの自己治癒能力を引き上げる。

 

長いような、短いような間……私はユーリと唇を重ね続けた。

 

そして、少しして。

ユーリの腹の傷が無くなっているのを確認して──

 

 

「……っ、はぁ」

 

 

私は唇を離した。

艶やかな粘性のある液体が、私とユーリの唇の間に糸を引いた。

 

ユーリは自身の傷が塞がっているのに気付いたようで、それでも先程の状況が余程衝撃的だったのか何も言えず、呆けたような表情で私を見ていた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

僕の唇に残る柔らかい感触。

口に残った異物感。

甘い匂い。

血の臭い。

 

入り混じって、頭がくらくらする。

 

それでも、頭上のエルシーの顔を見れば……少しだけ落ち着いてくる。

 

彼女は……どうしてか、僕が倒れた瞬間、急激に強くなって『悪魔』を祓った。

それは本気を出した、とか、きっとそういうのじゃない。

何か、僕には教えてくれていない彼女の秘密が関係しているのだと思った。

 

それは、恐らく……彼女が生まれながら『奇跡(サイン)』を持つ『聖人』だということ。

何故それを隠しているのか、それは分からない。

 

それでも──

 

その隠している筈の『奇跡(サイン)』を使って、傷の治療をしてくれた。

 

 

だから──

 

 

だから……。

 

 

僕の頬に水滴が垂れた。

それはエルシーから溢れた感情の発露だ。

 

彼女は眉を顰めて、怒っていた。

だけど、その目からは涙が溢れていた。

 

その表情の意味が、分からなくて。

僕には声を掛ける事もできない。

 

……彼女の唇が震えながら、動いた。

 

 

「なんで……私を、助けたの?」

 

 

それは疑問だった。

あまりにも簡単な疑問。

 

僕は口を開く。

 

 

「……エルシーに死んで欲しく、ないから」

 

 

そう回答すれば、エルシーは更に表情を険しくした。

 

 

「……そんなの、そんな、違う……おかしい、だって……そんなのっ!」

 

 

そして、声を荒らげた。

 

 

「どうして私より弱い癖に、私を守ろうとしたの!?なんで!?そんなの、要らないのにっ!好きでもない私を!」

 

 

感謝の言葉はない。

罵倒だけが返ってくる。

 

だけど感謝が欲しくて彼女を助けた訳じゃない。

ただただ、死んで欲しくなかったからだ。

 

僕の顔を見て、エルシーは言葉を吐き出す。

 

 

「私なんかを庇って!勝手に、良いことしたつもりになって!誰も、望んでないのに!」

 

「エル、シー……?」

 

 

彼女の心と行動のズレ。

その正体が薄らと見えてくる。

 

 

「シェリもそうだった……!私は望んでないのに!私を庇って、勝手に死んで……!迷惑なんだから!」

 

 

彼女が『こう』なったのは、元の相棒(バディ)が死んだからではない。

元の相棒(バディ)が自分を『庇って』死んだからだ。

 

だから、きっと。

 

彼女は誰にも好かれたくないのだろう。

自分を守ろうとして死ぬ人間を見たくないから。

 

彼女の抱えていた暗い感情を目の前にして、僕は何も言えなくなっていた。

そんな僕へ、彼女は己の感情を吐き出す。

 

 

「みんな、バカなんだから!私を庇った所で意味ないのに!なのに……なんで……!どうして……?もう、嫌なのに……!嫌なのに……」

 

 

彼女の表情が歪んでいく。

怒りから悲しみへと。

 

僕は彼女にこれ以上、辛い思いをして欲しくなくて……口を開いた。

 

 

「エル、シー……僕は──

 

「嫌い……嫌い、嫌い!ユーリなんて、大っ嫌い……!」

 

 

吐かれた言葉は僕に対する嫌悪の言葉。

なのに、その言葉を吐き出す度に彼女は傷付いた表情をしていた。

 

 

相棒(バディ)も解散するから……!二度と、私の仲間面しないで!もう、二度と!」

 

 

ポツリ、ポツリと。

 

彼女の感情にあてられたように、雨が降り始めた。

月を覆っていた雲は雨雲となって、僕と彼女に雨を降らせていた。



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#7 変われないモノ、変わらないモノ

「エルシーさん!一緒にご、ご、ごはん食べませんか!?」

 

「え?あ……うん、いいけど」

 

「やった!」

 

 

薄緑色の髪をした少女が嬉しそうに笑った。

 

彼女の名前はシェリ。

私の相棒(バディ)だ……いや『だった』か。

 

 

「最近、街では琥珀のブローチが流行ってるらしいですよ!」

 

「ふーん、そうなの?」

 

「はい!それで、その、よかったら一緒に買いに行きませんか!?」

 

「……うん、付き合うよ。何が欲しいとかもう決まってるの?」

 

「え、あれ?エルシーさんも買うんですよ?」

 

「いや、私は良いかなぁ……」

 

「えぇ!?折角だから買いましょうよ!お揃いで!」

 

 

彼女は少し気弱だったけど、妙な所で積極的で……優しくて可愛らしい女の子だった。

互いの師匠から勧められて相棒(バディ)となったが、義務感で付き合っている訳ではなかった。

 

彼女は私と仲良くしようと行動してくれた。

だから、私も彼女に寄り添った。

 

相棒(バディ)となった私達は、一緒に居る事が多くなった。

 

 

「ではっ!一緒に任務へ向かいましょう!」

 

「……汽車の切符は用意したの?」

 

「切符ですか?え!?まだ取ってないです……す、すすすみません」

 

「……まぁ、いいけど。一緒に買いに行こっか」

 

「は、はい!」

 

 

何処に行くにも。

 

 

「香りのする蝋燭を買ってみたんです!今夜、エルシーさんの部屋に行っても良いですか?」

 

「……なんで私の部屋で焚くの?」

 

「女子会したいからですよ!」

 

「……前回、私の部屋でパンケーキ焼いた時、ボヤ騒ぎになったの忘れてないからね」

 

「いえいえ!大丈夫です!そんなに火の勢いは出ないですって!……た、多分」

 

 

何をするにも。

 

 

「このカップケーキ美味しいですね!」

 

「そうだね」

 

「あ、その、エルシーさんのも美味しそうで……」

 

「……食べる?」

 

「あ、いえいえ!おかまいなくぅ……すみません!では、一口だけ頂きます!ふごっ──

 

「……シェリの一口、私の一口の3倍ぐらい食べてない?」

 

「ふふほんはほほいへふよ!」

 

「……飲み込んでから話そうね」

 

「ほひ」

 

 

私達は一緒だった。

 

互いの背を預け合って、『悪魔』と戦った。

何度も何度も何度も。

 

時にはピンチになる事もあったけれど、それでも二人なら打破出来た。

 

そう。

二人なら何でも出来ると思っていた。

 

きっと、これからも……そう思っていた。

 

 

だけど──

 

 

目に焼き付けられた光景は、傷だらけの相棒(バディ)の姿。

 

 

「……エルシー、さ、ん……」

 

 

血溜まりの中に倒れている、彼女の姿。

 

油断はなかった。

だから、ただの実力不足。

妥当な結末だったのだ。

 

単純な答えだ。

私達より『悪魔』がほんの少しだけ上手だった。

私は『悪魔』の攻撃を回避し損ねて……シェリに助けられた。

 

私が『奇跡(サイン)』を使用するより早く、彼女は私を庇ったのだ。

 

 

「ごめんなさ、い……いえ、エルシーさんの、所為では……貴女が、気に病む必要は、ないのです、から」

 

 

私自身が傷を負っても、『奇跡(サイン)』で自己治癒ができた。

……彼女が、その身を犠牲にしていなければ、私の寿命を捧げるだけで済んだのだ。

 

だけど、そんな事はシェリは知らない。

私が話していなかったから。

 

だから、現実は──

 

 

「……本当に、気に病まないで、下さい……エルシー、さん……」

 

 

何事にも楽しそうに輝かせていた彼女の目は……虚になり、もう私を見ていなかった。

お洒落好きで綺麗に整えられていた爪は割れていた。

背中を流し合った事もある綺麗な肌は、傷塗れで青紫色になっていた。

 

明確に理解できる。

彼女の死が、すぐそこまで迫っていた。

 

 

「……そう、ですよね……?今更過ぎますが……それなら、最後に……エルシーと……呼んでも、良い、ですか?」

 

 

私は必死に彼女を治そうとした。

だけど、何をしても意味がない。

治癒の『奇跡』の再現では、もう助からない。

 

 

「……ありがとう、ござい、ます……エルシー……」

 

 

彼女の名前を呼ぶ。

 

 

「本当に……本、当に……」

 

 

何度も、何度も何度も、何度も何度も何度も。

彼女の名前を呼んだ。

 

だけど──

 

もう……返事は返って来なかった。

 

 

嬉しそうに私に話しかけてくれる声も。

慌てた様子で弁明する声も。

 

もう二度と聞く事は出来ない。

 

 

彼女は死んでしまったのだから。

 

 

私を庇って死んでしまったのだから。

 

 

シェリはどうして死んでしまったのか?

 

何故、私を庇ってしまったのか?

私が相棒(バディ)だからか?

いいや違う、きっと立場だけが理由じゃない。

 

私とシェリは親友だった。

互いに互いを大切だと思っていた。

 

それがきっと、原因なのだ。

私を大切だと思ってしまったのが、不幸の原因なのだ。

 

私を守ろうとした所為で。

 

この世界、所謂『鬱ゲー』と言われる世界で、私は不幸を取り除きたかった。

 

なのに、結局は……私が原因で──

 

 

「……エルシー、あまり気に病むな。お前の所為じゃない」

 

 

フロイラからの励ましも、今だけは欲しくはなかった。

いっそ罵倒して欲しかった。

その方が気を楽に出来たから。

 

 

「……最後に、別れを言っておけ。言わなければ、きっと後悔する」

 

 

生きていた頃の面影が少ししかない、彼女の遺体を棺桶に入れた。

 

 

シェリは私の所為で死んだ。

私が迂闊だったから。

 

この世界に生まれて、両親に助けられて、生き延びて。

 

誓った筈なのに。

この身を擦り減らしてでも、誰かを助けられたら、と。

 

なのに、私は……甘えてしまった。

独りが嫌だったから、親しい人を作ってしまった。

己の寿命を捧げるのを躊躇って、彼女に無理をさせてしまった。

 

 

 

だから──

 

この悲劇は──

 

私の、所為だ。

 

 

 

土をかける。

幸せな思い出を埋めるように。

私の中にある甘えを捨てるように。

彼女の遺体と共に、私の心を埋める。

 

 

もう二度と、誰かと親しくならないように。

私を大切に思おうとする人が現れないように。

 

 

私は悪辣に振る舞った。

人を貶して、自惚れて、愚弄して。

 

誰からも好かれない私を、私は演じていた。

 

こんな女を守ろうとする人間が現れないように。

 

 

 

なのに。

 

 

それなのに!

 

 

筈だったのに!

 

 

 

ベッドの上で横たわる、ユーリを見下ろした。

砂浜での『悪魔』との戦闘後、致命傷を負ったユーリを治療した。

 

シェリが死んでしまった後、ずっと後悔し続けて学んだ治癒方法で、だ。

 

それでも肉体の疲労は残る。

ユーリは疲労で気を失ったのだ。

私と違って、彼は『悪魔』相手に近接戦闘をしていたからだ。

 

そうして、ユーリは気を失い……私は教会まで彼をおぶって来たのだ。

外は既に明るくなっているというのに、それでもユーリは目を覚さない。

 

私は視線を下げて、ユーリの寝顔を見る。

 

あどけなさが残る、まだ若い男の顔。

その頬には昨晩付けられた傷が痕になって残っている。

 

それを指でなぞる。

痛まないように、優しく……微かに。

 

 

「……ユーリ」

 

 

名を呼びながら、昨晩の出来事を思い出す。

私を庇って傷付いたユーリを。

疲弊と疲労で……本音を溢してしまった私を。

 

どちらも、耐え難い。

 

ユーリは私を嫌っていると思っていた。

普段から、あんな振る舞いをしているから。

少なくとも好意は抱いていないだろうと。

 

それなのに、彼はその身を犠牲にしてまでも私を助けてしまった。

頼んでもないのに、願ってもないのに……私を助けてしまった。

 

 

何も、変わっていない。

あの頃から、私は……。

 

変わったつもりだった。

『つもり』だった。

 

今も、変わらない。

私はまた間違えた。

 

間違え続けている。

 

 

……このまま、私の相棒(バディ)に置いてはおけない。

 

これ以上、情を持たれたくない。

そして、彼に対して情を持ちたくもない。

 

間違いは直さなければならない。

だから、お別れだ。

 

 

私はベッドの側から離れて、鞄を手に取る。

……帰りのチケットを机に置いて、私は部屋を出た。

 

朝日が窓から照らしてくる。

鬱陶しく思い、少し目を細める。

 

不快感と疲労感、不安と喪失感に苛まれながら……私は教会を出て──

 

 

「おや、エルシーさん?何処かに行かれるのですか?」

 

 

司祭であるオーヴェンと鉢合わせた。

 

 

「……『悪魔』を討伐したから。だから、帰るんですけど?」

 

「あぁ、そうなのですか!これで漁師達も安心して海へ出られます……が、ユーリさんは?」

 

「まだベッドで寝てる。だから……そう、起きたら面倒見てあげてくれる?」

 

「えぇ、はい。それは構いませんが……お一人で先に帰られるのですか?」

 

「別に良いでしょ?文句でもあるの?」

 

 

睡眠不足のまま彼を睨むと、普段より不機嫌に見えてしまったようで司祭オーヴェンは自身の頬を掻いた。

 

 

「いえいえ、ですが……彼と喧嘩でもしたのですか?」

 

 

喧嘩?

……いいや、違う。

ただ、私が突き放しているだけだ。

 

喧嘩なんかより、ずっと下らない。

 

 

「違うんですけど?でも、二度と顔を合わせたくないかも」

 

「……そうですか」

 

 

司祭オーヴェンは少し悩ましそうな顔をした。

 

 

「もう帰っていい?無駄な時間を過ごしたくないんですけど」

 

 

その声なき疑問を無視して、私は司祭オーヴェンの横を通り過ぎようとした。

しかし、司祭オーヴェンは無言で一歩横にズレた。

私を遮るように……それでも、私が本気で嫌がったら通り過ぎる事が出来るように『一歩』だけズレたのだ。

 

 

「何?邪魔なんですけど」

 

 

このまま無視してもいい。

だけど……彼の真剣な表情を見れば、無視できなかった。

 

 

「すみません。要らぬお節介かも知れませんが……ユーリさんと一度、話し合った方が良いと思いますよ」

 

「はぁ?何で?」

 

「貴女は今、『悪魔』を祓う戦士というより、迷える子羊に見えますから」

 

「本当に要らないお節介なんですけど……何でアンタにそんなアドバイス貰わなきゃなんないワケ?」

 

「知っていますか?これでも私は、聖葬教の司祭なんですよ。牧師の経験だってありますから」

 

「……チッ」

 

 

舌打ちして、通り過ぎようとする。

司祭オーヴェンは、私を物理的に止めようとはしなかった。

 

だから、触れられない距離感で、私の後ろ姿に声を掛けてきた。

 

 

「エルシーさん。想いや考え、願いは案外……素直に人へ話した方が叶うと思いますよ」

 

「…………」

 

「想っているだけでは人に通じません。想いを伝え合う為に、私達は言葉を話せるようになったのですから」

 

「……それでも、言いたくても言えない事が、世の中には沢山あるから」

 

 

一方的にあれこれ言われる苛立ちから反論した。

それでも司祭オーヴェンは、私の言葉に眉を顰める事もなく笑顔のままで頷いた。

 

 

「はい、知っていますよ」

 

「だったら──

 

「しかし、エルシーさんとユーリさんは相棒(バディ)なのでしょう?」

 

「それと何の関係があるの?」

 

 

眉を顰めれば、対照的にオーヴェンは微笑んだ。

 

 

「私は祓魔師(エクソシスト)ではありませんから、少ししか分かりません。それでも『相棒(バディ)』という関係は、大切な仲間なのだと知っています」

 

「…………」

 

「それならば、きっと……彼は貴女の悩みを理解してくれますよ」

 

「……もう、私とユーリは相棒(バディ)じゃないから」

 

 

私はそのまま、オーヴェンへと背を向けた。

その背にまた、声を掛けられる。

 

 

「エルシーさん、子供達に何か伝えておきたい事はありませんか?」

 

「…………」

 

 

反射的に否定の言葉を吐き出しそうになった。

しかし、それでも……少し、私は吃って……口を開いた。

 

 

「ありがとう、って言っておいて」

 

 

短い感謝の言葉。

教師役をしただけの他人が、生徒に投げるべき言葉ではないかもしれない。

それでも、私は感謝をしたかった。

 

教師役がほんの少し、楽しかったから──

 

 

「分かりました。子供達に言っておきましょう」

 

「……別に言わなくてもいいけど」

 

「また会いに来てください」

 

「……気が向いたら、ね」

 

 

もう二度と来るつもりはない。

 

司祭オーヴェンの言葉を聞き流し、私はその場を後にした。

聖地レイラインへ帰るために。

 

 

「……やはり、優しい子ですね」

 

 

背後から薄らと聞こえた独り言を無視して、帰りの切符を握りしめた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

ボヤけた記憶。

混濁した感触。

倦怠感のある身体。

 

それらを知覚していくと同時に……僕は、目を開けた。

 

見覚えのある天井。

それがウェラポリの教会である事に気付いた。

 

 

「っ……」

 

 

身体にかけられていた布団を蹴って、上半身を起き上がらせた。

力が上手く身体に入らない。

汗が大量に出ている。

 

……息を深く吐いて、部屋を見渡す。

誰もいない。

 

窓の外は明るい。

朝のようだ。

 

 

「……あ、れ?」

 

 

頭を抱えて、混濁している記憶を整理する。

僕は昨日、エルシーと一緒に『悪魔』の討伐に向かって──

 

倒しきれなくて──

 

僕は、エルシーを庇って──

 

 

「…………」

 

 

自身の唇に手で触れる。

 

覚えているのは柔らかい感触。

仄かな熱と、血の味。

 

そして、そんな事よりも──

 

 

「……エルシー」

 

 

彼女の泣き顔。

懺悔と後悔、突き放すような言葉。

 

……エルシーがどうして、ああも人を突き放すような振る舞いをしているのか、ようやく分かった。

 

彼女は『大切な仲間が死んだ』から人と距離を置いているんじゃない。

大切な仲間が『自分を庇って死んだ』から距離を取っているんだ。

 

誰も自身を助けようと思わないように。

……どうして自分の命を軽く見られるかは分からないけれど。

 

 

「…………」

 

 

エルシーは『悪魔』を一人で倒し切った。

あの瞬間、普段の彼女より遥かに強かった。

彼女は隠しているみたいだが、『奇跡(サイン)』持ちの『聖人』なのだろう。

 

それが自分の命を軽く見ている原因なのか?

分からない。

 

訊かなければ。

話さなければ。

 

彼女の涙の理由を、僕は知らなければ。

 

僕はベッドから足を下ろし、立とうとして……よろめいた。

エルシーが治療をしてくれたけど、それでも本調子じゃないようだ。

 

身体に疲労が残っている。

まだ少し、せめて半日は休息しなければならない。

そう感じる。

 

だとしても、今は休んでいる暇はない。

 

 

「エルシーは……?」

 

 

彼女の名を掠れる声で呼んで、部屋を見渡す。

 

部屋の中にある筈の、彼女の荷物は無くなっていた。

机には、帰りの汽車の切符。

 

……それは彼女の意思表示だ。

僕に対する拒絶の意味。

 

 

『ユーリなんて、大っ嫌い!』

相棒(バディ)も解散するから!』

『二度と、私の仲間面しないで!』

 

 

僕が気を失う直前、彼女が吐き捨てるように口にした言葉を思い出す。

……僕はその切符を手にして、見つめる。

 

 

彼女を庇った事に、後悔はない。

それでも、その行動が彼女を傷付けてしまったという事に、僕が考えている以上に僕は心に傷を受けていたみたいだ。

 

彼女からすれば、僕はもう相棒(バディ)ではない。

僕が追ってくる事を、彼女は望んでいない。

 

だから、僕が追いかけても、きっと……自己満足でしかない。

彼女の辛さを知って、悲しみを知って、助けたい……そう考えているのは僕の身勝手だ。

僕の身勝手で、また彼女を傷付けるのか……?

 

 

「……どうすれば、いいのだろう」

 

 

分からない。

きっと、僕が未熟だからだ。

 

大切な人も守れない。

傷付いている理由も分からない。

 

そんな僕に何が出来ると言うのか──

 

 

ガチャリ、とドアが開いた。

そこには、この町の司祭が立っていた。

 

 

「……オーヴェン、さん」

 

「おや、目が覚めましたか?ユーリさん」

 

 

少し体格の良い初老の男の手には、ガラス製の小さな水瓶が握られていた。

 

 

「……その、エルシーは──

 

「ユーリさん。まずは自分の事ですよ……ほら、喉が枯れています」

 

 

司祭オーヴェンさんから水瓶が差し出された。

僕はそれを受け取り……僕は喉を潤した。

 

ずっと寝ていたからだろう。

本当に……美味しく感じた。

 

 

「っ、ふぅ……ありがとうございます、オーヴェンさん」

 

「いえいえ、貴方は町を救ってくれた英雄ですから」

 

 

そう言われて、苦笑する。

 

 

「『悪魔』の討伐、の功績の殆どはエルシーのお陰ですよ。僕は、何も……為せてないです」

 

「……そうですか。ですが、貴方がそう思おうと、私を含めて町の皆はそう思いませんよ」

 

「…………」

 

 

オーヴェンさんは小さくため息を吐いた。

 

 

「エルシーさんですが……早朝に、汽車に乗って聖地へと帰りました」

 

「……エルシーが?僕を、置いて?」

 

「はい。二度と顔も見たくないとか、そんな事も言ってましたね」

 

「……そう、ですか」

 

 

僕は目線を下げる。

エルシーからの拒絶……分かっていたけれど、それでも辛い。

 

彼女は僕に対して何も望んでいない。

寧ろ、何もしない事を望んでいるのだ。

 

だから──

 

 

「ですが──

 

 

オーヴェンさんが、言葉を発した。

僕の思考は中断される。

 

 

「アレは確かに本音でした。貴方と会いたくないというのはエルシーさんの本音です」

 

「……やっぱり」

 

「しかし、その言葉が全てではありません」

 

「……え?どういう事ですか?」

 

 

意味が分からない。

オーヴェンさんが何を言いたいかも分からない。

 

 

「人の感情というのは複雑です。一つの物事に一つの想いが紐付いているだけ……ではない事もあります。相反する感情があっても、仕方ない事なのです」

 

「……えっと?どういう、事かわからないんですけど……」

 

「えぇ、構いません。全てを理解しなくても……それでも、一つだけ覚えておけば良いのです」

 

 

何を、覚えておけば良いというのか。

 

 

「理性による結論と、感情による願望……その二つが相反する事だってあるという事です。エルシーさんはきっと、前者を取りました」

 

「……僕を拒絶しているのは、彼女の理性ということですか?」

 

「はい。だって彼女は……ユーリさんに対して、優しいでしょう?本当に拒絶したいだけならば、優しくする必要性はありませんから」

 

「……確かに、そうですけど」

 

 

僕は頷く。

 

誰からも嫌われようと振る舞いながらも、徹しきれていない甘さ。

それがエルシーにはあった。

 

 

「先程が理性と言いました。ですが、それが良い事だとは思っていません。思い込みと言ってもいいぐらいですからね」

 

「……だとしても、拒絶されているのは事実で……僕は、一体どうすれば……良いんですか?」

 

 

僕の中にある惑いを言葉に乗せて、オーヴェンさんに質問する。

彼ならば正解を答えてくれるのではないかと、期待を込めて。

 

 

「さぁ?私には分かりませんね」

 

 

しかし、返ってきた言葉は『分からない』だった。

僕が目を瞬くと、オーヴェンさんは少し真剣な表情を浮かべた。

 

 

「『何をすべきか』、その指針を私や彼女に頼ってはいけません。決めるのは、ユーリさん。貴方です」

 

「……僕、が?」

 

 

オーヴェンさんが、僕の胸元を指差した。

 

 

「そうです。貴方は他人を憚り過ぎなんです。誰かを傷付けないようにと怯えている……これは彼女にも言える事ですがね」

 

「……それは、悪い事なんですか?」

 

「いいえ、優しさと配慮は美徳です。ですが、人の行動指針はもっと単純でも良いんです」

 

 

そしてそのまま、僕の頭を指差した。

 

 

「『何がしたいか』、それだけで構いません。他人に理由を求めてばかりではいけません。己の足で、己の頭に描いた地図を歩かなければ」

 

「己の、足で……」

 

 

僕は、エルシーを追いかけない理由を探していたのかも知れない。

一度、拒絶されたのが辛くて、また拒絶されたくないからと。

 

無意識のうちに、行動しない理由を彼女の所為にしていた。

 

……僕は自分の頬を叩く。

乾いた音がした。

 

 

「……オーヴェンさん。ありがとうございます、目が覚めました」

 

「……ふふ、いえいえ。構いませんよ」

 

「僕はエルシーを追います。会って……何を話すかは決まってませんけど。それでも、彼女を独りにしたくないですから」

 

「応援していますよ、ユーリさん」

 

 

オーヴェンさんが笑い、僕が頷いた。

鞄を拾って、背負う。

 

足取りは重い。

疲労があるからだ。

 

足取りは軽い。

迷いがないからだ。

 

肉体と精神のズレを自覚しつつ、僕はオーヴェンさんに頭を下げた。

 

 

「ありがとうございました、オーヴェンさん。凄く、お世話になりました」

 

「……こちらこそ、ありがとうございました。本当に助かりましたし……貴方達の仲が修復される事を祈ってますよ」

 

 

切符を手に取り、僕は教会の扉を開けた。

もう一度だけ頭を下げて、僕は駅に向けて走り出した。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

ユーリさんの為に用意していた朝食を、口にする。

窓の外を見れば、ウェラポリの景色が見える。

ここ最近、変わらない元気のない町人達。

しかし、それも今日までだろう。

 

エルシーさんとユーリさんの活躍で『悪魔』は討伐された。

この情報を共有すれば、また以前のような活気が戻るだろう。

 

 

「……大人としてなんとまぁ、情けない事か」

 

 

まだ年若い祓魔師(エクソシスト)の二人。

彼女と彼に責務を負わせてしまった事実、それは私の心に重くのしかかる。

 

子供扱いは望まれていないだろうが、それでも大人として……出来る事をしなければならない。

 

 

そう、子供達のために。

胸元のペンダント、ロケットを開く。

 

まだ若かった頃の私と、亡くなってしまった妻と、娘。

愛おしく、辛く、忘れられない記憶が残っていた。

……それを閉じて、戻す。

 

私は子を失った痛みを、他人の子を助ける事で誤魔化しているのだろう。

父親のように振る舞いたいという欲を、善行に押し付けているのだろう。

 

孤児を教会で支援しているのも、自身の願望の押し付けに過ぎない。

 

これは偽善だ。

褒められた事ではない。

だが、それでも一人でも多く助けられるなら、それで良いと思った。

 

 

子供が困っていた時、導くのが大人の仕事だ。

我が子には出来なかった事だが……。

 

 

だからこそ──

 

 

彼等にお節介をしてしまった。

どちらも迷っていた。

 

互いに何かが欠落していた。

エルシーさんだけじゃなく、ユーリさんも。

 

この短い滞在期間の間にどうにか出来ればと思っていたが、たった10日前後では人は変えられない。

だが、それでも……変わるキッカケにさえなればと。

 

 

そう思った。

 

 

私は小さくため息を吐いて、手を組んだ。

 

 

私は信心深くはない。

司祭をしているが主の存在を信じていない。

もし万能で全なる主がいるのであれば、この世界に悲劇は生まれないだろう。

 

私の妻子が死ぬ事もなければ、孤児達の親も亡くなっていない。

 

だってそうだろう?

善性を持つ者に祝福を与える主が居るのであれば、不幸を負った者達は全て悪人という事になってしまう。

 

だから、信じてはいない。

この世界に神はいない。

 

 

だとしても……祈らずにはいられなかった。

 

 

「……若き二人が、幸多き未来を……いえ、せめて悔いなき終わりを迎えられる事を」

 

 

主など居ないと思っていても。

祈るだけなら、何も失う事はないのならば。

 

せめて、私は彼等の為に祈りたいと……そう思ったのだ。

 

 

教会のドアが開く音が聞こえた。

 

 

「先生、おはようございます!」

 

「おや、もうそんな時間ですか」

 

「……エルシー先生は?」

 

「彼女はもう帰ってしまわれましたよ」

 

「えー!?お別れの挨拶は?」

 

 

私は教壇から離れて、彼等の下に向かう。

 

 

「それは出来ませんでしたが、一言貰ってますから」

 

「何て言ってたの?」

 

「ケビン、それは他の子達が来てからにしましょう」

 

 

子供の頭を撫でて、背を押した。

 



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#8 追走、追想、追葬

港町ウェラポリからエルシーを追い、僕は聖地レイラインまで帰ってきた。

次の汽車は明日まで無いと言われてしまったため、駅員に頭を下げ貨物線に同乗させて貰ったのだが……。

 

通常の汽車よりも貨物がある分、遅く……聖地レイラインへの到着は日が沈んでからとなった。

 

そして、閉まる直前に任務の窓口へ到着した。

港町ウェラポリでの任務報告を、エルシーがしていると思って来たのだけれど──

 

 

「もう別の任務に向かっているって……本当ですか!?」

 

「え、えぇ、はい。そうですが……知らされていないのですか?」

 

 

受付の方に聞き直してしまう程の衝撃があった。

彼女は僕を突き放す為に、聖地レイラインへの帰還後すぐに任務に出奔したというのだ。

 

思わず頭を抱える。

 

エルシー、疲れているだろうに。

そんなに僕に会いたくないのか。

 

 

「その任務は?何処に行ったんですか?」

 

「これですけど……」

 

 

渡された紙を読む。

場所は、商業都市ジュネス。

ここから汽車で半日掛かる場所だ。

 

港町と違って、商業都市だから遅くまで汽車が動いていたのか……。

納得しつつも、焦る。

 

 

「汽車は……?そのっ、今からもありますか?」

 

「む、無理ですよ……?本日の最終汽車は五時間前に出ましたから」

 

 

夜間の運行は危険だ。

理由は分かるが……今、この時だけは運行して欲しかった。

 

 

「な、何とか向かう方はないですか!?出来るだけ早くエルシーと合流しないと──

 

「ユーリ、何をしているんだ」

 

 

冷水を浴びせられたような気持ちになり、振り返る。

そこにはエルシーの師匠であり、親代わりであり……僕を指導してくれている上位祓魔師(エクソシスト)のフロイラさんが居た。

 

 

「フロイラさん、これは、その……」

 

「彼女はただの受付だ。そんな事を要求しても仕方ないだろう?」

 

「それはっ、そう……です、ね……すみません」

 

 

僕は受付の方へ頭を下げた。

焦っていた所為で、混乱してしまっていた。

 

 

「いえ、お気持ちは分かりますから」

 

「それでも……すみません、自分勝手でした」

 

 

気にしていないという素振りの受付嬢に頭を下げて、受付から離れてフロイラさんの側に寄る。

 

 

「それで……ユーリ、何があった?」

 

 

僕の肩に腕が置かれる。

重い。

 

 

「それは、その……エルシーが──

 

 

僕は語った。

港町ウェラポリであった事を。

彼女を庇って、その結果、絶縁された事を、

彼女が泣いていた事を。

 

そして、今……一人で任務の地へ向かっている事を。

 

 

「……そうか、エルシーが──

 

 

フロイラさんは顎に手を当てて、目を細めた。

その目線の先は遠く、ここではない何処かを見ているようだった。

 

 

「あの馬鹿……」

 

 

彼女は悪態を吐いて、ため息を吐いた。

そして、僕の頭を乱暴に撫でた。

 

 

「ユーリ、お前がエルシーを大切に想う気持ちは分かる。今すぐ、追いたいだろう」

 

「……はい」

 

「だが、諦めろ」

 

「……え?」

 

 

その言葉に思わず視線を上げる。

フロイラさんは苦笑していた。

 

 

「あぁ、違う違う。エルシーを追うことを、ではない。今から追うのは諦めろ、という事だ」

 

「あ、あぁ……そういう、事ですか」

 

「当然だ。私も……他に何もなければ、エルシーを引き摺ってでも連れ帰りたいさ」

 

「……フロイラさんは、追わないんですか?」

 

 

フロイラさんがまた、ため息を吐いて俯いた。

 

 

「私は明日、別地で任務がある。ヘマをした下位祓魔師(エクソシスト)の尻拭いだ……だから、行けない」

 

「そうですか……」

 

 

心細くなる。

フロイラさんは頼りになる。

その強さも、大人としての判断力も……エルシーに対する扱い方も。

 

そんな彼女が──

 

 

「だから、エルシーの事は……ユーリ、お前に任せる」

 

 

僕に『任せる』と言った事に驚いた。

 

 

「僕に任せて、いいんですか?」

 

「いい。お前が適任だ、ユーリ」

 

 

目を瞬く僕へ、フロイラさんが自嘲した。

 

 

「恥ずかしい話だが……私は、今まで勘違いし続けていた。本音で話された事もなかった」

 

「本音で……?」

 

 

目を伏せて、少し羨ましそうな顔で僕を見た。

 

 

「あぁ。エルシーは私の前では大人の仮面を被っていた。素顔を見せた事もない。だから……お前には期待しているんだ、ユーリ」

 

「僕に期待を……?でも、エルシーは──

 

「エルシーはお前の事を『特別』だと思っている。お前の事をどうでもいいと思っているのなら、本音で話はしないさ」

 

 

僕は少し涙腺が緩むのを感じながら、悩んで……ゆっくりと、頷いた。

 

 

「エルシーと話し合います。絶対に何とかして、みせます……」

 

「……それでいい。お前なら何とか出来そうだ」

 

 

僕が決意を語れば、フロイラさんも頷いた。

彼女は普段よりも優しげな表情をしていた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

翌朝、早朝。

商業都市ジュネス行きの始発汽車に乗った。

 

そして、エルシーが受注した依頼を改めて読む。

 

商業都市ジュネス内の司祭からの定期連絡が途絶えた。

生死は不明……『悪魔』による街への襲撃と推定されたが、商業都市ジュネス全体に異常はなかった。

 

貨物の輸送も平時と同じであり、司祭からの連絡のみが途絶えた状態。

派遣した『中位』の祓魔師(エクソシスト)は二名が行方不明。

恐らく死亡していると思われるが、街に変わった様子はない。

 

『悪魔』に対する危険度の判定を推定『中位』から『上位』に修正された。

 

……これが、商業都市ジュネスの現状。

『悪魔』の正体も不明……いや、そもそも『悪魔』が犯人なのかは分かっていないが。

一般人では祓魔師(エクソシスト)を害する事は出来ないだろう。

 

兎に角、不明瞭。

被害者は出ている筈なのに街に異常がないのも変だ。

 

何かが起きている事だけは分かる。

 

……背筋が冷たくなる。

冷や汗が流れた。

 

 

「……エルシー」

 

 

そんな場所へ一人で向かった相棒(バディ)の事を想う。

 

もし、万が一にも……彼女が、死んでしまった……としたら、僕の所為だ。

仲違いしてしまったのが原因だから。

 

早く、彼女に会わなければ──

 

僕は胸元のロザリオに触れた。

深呼吸して、強く握る。

 

瞬間、うつら、うつらと……強烈な眠気がきた。

寝ている場合じゃないと思いながらも、早朝だからという理由もあり──

 

 

一瞬だけ、気を失ってしまっていたようで……気付けば、汽車は目的地へと到着していた。

 

 

巨大が外壁が街を囲う、堅牢な都市。

商業都市ジュネスだ。

 

外壁には獣だけではなく、『悪魔』を寄せ付けないようにする意図があるのだろう。

巨大な門を汽車が潜り……駅へと停車した。

 

昼前だからか、街には人が溢れていた。

人、人、人……活気がある。

 

 

「……本当に『悪魔』が居るのかな」

 

 

何かしら危機が迫っているような状況には見えない。

だが、それでも……この街の司祭も、派遣された祓魔師(エクソシスト)も行方不明になったと言われている。

 

気を引き締めつつ、汽車を降りた。

……何か、花のような香りがした。

 

確かに駅前で薄紅色の花を売っている少女がいた。

それを横目で見ながら、駅から離れる。

 

 

まずはエルシーを見つけないと……。

 

 

石で組まれた床を踏み締めて、煉瓦を積んで作られた建物を横目にする。

この街は港町ウェラポリよりも栄えてるらしい。

 

……取り敢えず、手掛かりが欲しい。

祓魔師(エクソシスト)は修道服を着て活動しているから、エルシーも目立っていただろう。

目撃者を探そう。

 

活気のある大通りを歩き、屋台を出している商人に目を付けた。

串に刺さった肉を焼いている男だ。

 

 

「すみません、少し話を訊きたいんですけど──

 

「おう、にいちゃん。俺は客以外と話すつもりはねぇぜ?」

 

 

彼の言い分は最もだ。

僕は財布を取り出し、開いた。

 

 

「すみません、では串を二つ……」

 

「あんがとよ……で?訊きたい事ってなんだ?」

 

 

男が肉を焼きながら、問いかけてきた。

 

 

「その……僕と似た服装で、えっと『小豆色』の修道服を着た女の子を見ませんでしたか?」

 

「小豆色?……ん?あぁ……それなら、アレだな。さっき見たぜ……薄紅色の髪の女の子だろ?」

 

「えっ!?本当ですか!?」

 

 

幸先が良い。

自身の運の良さに感謝しながら、続きを促す。

 

 

「あぁ、あっちの奥へ向かったな……おっと、肉が焼けたぜ。二つで──

 

 

金を払って肉串を受け取り、僕は彼の指し示した方へ向かう。

紙袋に入れられた肉を脇に持ち、人ごみをすり抜けて……奥へ、奥へ。

 

そうして進んで広場へ到着した。

中央に大きな噴水がある広場だ。

 

……周りを見渡して、エルシーを探す。

だけど、居ない。

 

またどこかへ移動したのだろうか。

ここから道が幾つも分かれている……追いかけるのは難しそうだ。

 

僕は息を吐いて、噴水前のベンチへ座った。

……鼻を擦る。

 

また花の匂いがしている。

見渡すと、噴水前の花壇に花が植えられていた。

 

この花は、この街の名産品なのだろうか。

至る所に植えられている気がする。

 

僕は紙袋へ視線を落とした。

……折角、買ったんだから食べないと。

 

串に刺さった焼けた肉を口に含み──

 

 

「っ、んぐ!?」

 

 

噛みちぎった肉片を、地面へ吐き捨てた。

 

異臭がした。

酸っぱい味がした。

舌の上が痛い。

 

……これ、何の肉だ?

僕は何を買わされたんだ?

 

地面に落ちた肉片を注視しようとして──

 

 

「何してんの?ユーリ」

 

 

声を掛けられた。

 

 

「……えっ、エルシー?」

 

 

探していたエルシーが、呆れた顔で立っていた。

腕を組んでため息を吐いていた。

 

思わず僕はベンチから立ち上がった。

 

 

「何って……それはっ、僕は君を追ってきて──

 

「あ、そう。悪かったわね」

 

 

僕の言葉に彼女は少し申し訳なさそうな顔をした。

素直な様子に、僕は強張る顔を緩めた。

 

 

「……っ、でも良かった。合流できて……」

 

「必死すぎなんですけど?何かあったの?」

 

「何かって……!この街は──

 

 

僕は、あれ?

 

 

「この街がどうかした?」

 

「え、いや……何もない、けど」

 

 

何で、エルシーを追ってきたんだっけ?

 

 

「変なの。ボケたの?」

 

「い、いや……ボケてはないけど……あれ?」

 

「……まぁ、良いんですけど。折角来たんだし、少し観光していく?」

 

「あ……うん、そうしようかな?」

 

 

頭に霧がかかったような感覚。

 

違和感。

何かがおかしい気がする。

だけど、何がおかしいかは分からない。

 

違和感。

何かを忘れている気がする。

だけど、何を忘れているかは分からない。

 

違和感。

 

 

「……ユーリ?行くなら早くして欲しいんですけど?」

 

「あっ、ごめん!すぐ行くよ!エルシー」

 

 

違和感。

 

甘ったるい花の香りが、僕の鼻を擽る。

薄紅色の花が、鮮やかに……毒々しい程に、咲いていた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

「エルシーさん、どうかしました?」

 

 

シェリが振り返った。

私を見て、長いまつ毛が揺れた。

 

私は首を横に振る。

 

 

「え?いや、何も……?」

 

 

私は呆けていたのだろう。

何故か、誰かに呼ばれた気がしたが……気の所為だ。

この街に私の知り合いは居ないはずだ。

 

 

「その……疲れているなら宿に帰りますか?」

 

 

シェリに心配するように顔を覗き込まれて、また首を横に振った。

 

 

「だ、大丈夫だから!気にしなくて良いんですけど?」

 

「ですけど?」

 

 

シェリが訝しむような表情をした。

……気が動転して、変な口調で喋ってしまったからだ。

 

 

「本当に気にしなくていいから!ほら、行こう!」

 

「何だか隠してるみたいで……変なエルシーさんですねぇ」

 

 

私は無理矢理、シェリの手を引っぱった。

青い空には雲が千切れている。

薄く、細く、不恰好な雲が流れる。

 

私とシェリは大通りを歩く。

行商が出している露店を渡り歩き、冷やかしながら進む。

 

 

「へぇ、面白いですね」

 

 

そうしていればシェリの不信感も薄れたようで、いつものように少しミーハーな部分が出てきた。

 

 

「エルシーさん、見てくださいよ。これっ!折ったら光る棒です!」

 

「……買うつもりなの?」

 

「はいっ!」

 

「で?何に使うつもりなの?」

 

「それは考えてませんけど……」

 

 

シェリは短く切り揃えた髪を撫でて、愛想笑いを浮かべた。

そんな彼女に呆れて、私はため息を吐いた。

 

 

「無駄遣いは良くないんじゃないの?」

 

「えー!?そんな、無駄じゃないですよ!見てください!ほらっ、光るんですよ?」

 

「光ったからって、何に使えるのよ。それ……」

 

 

呆れる私にシェリは頬を膨らませた。

 

 

「エルシーさんには分からないみたいですね」

 

「え、何が?」

 

「ロマンですよ!ロマン!キラキラ光って綺麗じゃないですか?」

 

「別に分からなくていいけど」

 

 

シェリの子供っぽい一面を笑い、笑われた彼女がまた憤る。

いつも通りの光景だ。

 

 

「しかし、ジュネスには面白い物が沢山ありますね!」

 

「そうね……ま、商業都市だから色々あるんだろうね」

 

 

そんな会話をしながら、また別の露店を見る。

 

商業都市ジュネスは大きな街だ。

聖地レイラインよりは規模は小さいが、様々な物品が集う街だ。

 

珍しい品物も多い。

観光するならうってつけで、シェリとも来たかった──

 

 

「あれ?」

 

 

シェリはここに居るじゃないか。

来れたのだから良いじゃないか。

何を考えているのだろうか。

何か変じゃないか。

何か忘れているんじゃないか。

 

 

「エルシーさん?」

 

 

いいや、何も異常はない。

 

 

「あ、いや……大丈夫」

 

 

シェリに不審がられないよう、思考を隅へ追いやる。

今はこの現実を見ないと。

 

 

「もう本当に大丈夫なんですか?疲れているなら、宿屋に戻りましょうか?私は心配ですっ」

 

「……う、うん。そうしようかな」

 

「そうしましょう!大丈夫ですよ、また明日来れば良いですから!」

 

 

シェリが私に笑いかける。

そうだ、また明日に来れば良いじゃないか。

 

大丈夫。

時間は沢山ある。

 

息を深く吸う。

花の香りがした。

 

視線を景色へと向ける。

 

賑わっている商店街だ。

シェリが私へ笑いかけている。

子供が蜻蛉を追って走っている。

小鳥が囀っている。

水溜りに景色が反射している。

空の青さを映している。

花壇の花が私へ笑いかけている。

赤黒い腐った肉が地面に転がっている。

誰かが私へ手を振っている。

あぁ、シェリだ。

彼女は死んだ筈では?

いいや生きているじゃないか。

それで良いだろう。

暗闇の中で八つの目が並んでいる。

 

私は彼女を追うように、歩き出した。

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

エルシーと並んで、商業都市ジュネスを歩く。

歩くたびに彼女の薄紅色の髪が跳ねる。

 

それを目で追いながら、僕は少し悩んでいた。

思考に霧がかかったような感触がある。

絶対に何かがおかしいのに、それが分からない。

 

何とか思い出そうと──

 

 

「ユーリ、宿は取った?」

 

 

エルシーの言葉に思考を中断する。

 

 

「え?あ、いや……まだ取ってないけど」

 

「なら私と同じ所にすれば?二人用の部屋にすれば少しは費用も浮くし」

 

「えっ?いや別に別室で、えっと……」

 

「嫌なの?」

 

 

エルシーが少し眉尻を下げた。

僕は慌てて首を横に振った。

 

 

「ち、違うよっ」

 

「じゃあ何で?普段から同室なんて事はあったでしょ?ほら、ウェラポリでも」

 

「それはそうだけど──

 

 

ウェラポリ……?

何で同室で……あ、教会で寝泊まりしたからだ。

でも何で分かれて……喧嘩したから……。

 

この街に来た理由は──

 

 

「っ、エルシー!」

 

「な、何よ?急に大きな声出さないで欲しいんですけど……」

 

「この街の『悪魔』は……?」

 

「『悪魔』?何の話?ここには息抜きに来たんでしょ?」

 

「あ、え?」

 

 

頭に中がぐるぐると回る。

黒いモヤのようなものが渦巻く。

甘い匂いが嗅覚を支配する。

視界がボヤける。

うるさい程に心臓が動悸する。

 

 

「ユーリ、アンタ……やっぱり今日、ちょっと変じゃない?」

 

 

違和感……無視した方がいい気がする違和感。

だけど、無視してはならない。

 

 

「……エルシー、この街に『悪魔』が居る筈なんだ」

 

「え?何を根拠にしてんの?」

 

「だって……あ、く……え?いや、だけど…──

 

 

頭の中が渦巻く。

思考が不明瞭になる。

 

ぐるぐると、ぐるぐると、ぐるぐると。

混ざり、甘い何かが差し込まれる。

 

首を振って、無理矢理払う。

 

あぁ、そうだ。

 

 

「だって、僕達がこの街に来たのは、この街の異常を……『悪魔』を討伐するためじゃないか!?」

 

「そんな事ないと思うけど?」

 

「いや、絶対にそうなんだ……何か、何かがおかしい……!」

 

 

僕の声に周りの人間の目が集まる。

それでも恥ずかしさよりも、この異常に対する警戒心が勝る。

 

甘い匂いがする。

甘い臭いがする。

甘い腐臭がする。

 

頭に甘い何かが割り込んでくる。

それはまるで本に挟まる栞のように、僕の思考を中断させる。

 

 

「ユーリ……?」

 

 

エルシーが心配するような表情を僕へ向ける。

……だめだ、彼女を心配させたらダメだ。

そんな事をしたい訳じゃない。

だって、僕は……。

 

まだ、彼女と仲直りをしていないのに。

 

 

「……エルシー?」

 

「よかった。戻っ──

 

「お前は、誰なんだ……?」

 

 

そうだ。

まだ仲直りはしていない。

この言動は彼女らしくない。

 

あまりにも僕の『こうだったらいいな』に寄り添い過ぎている。

違う。

 

彼女はいつも僕の想定から外れて、振り回してくるような人だ。

こんなのっ──

 

 

「エルシーじゃない……」

 

「な、何を言ってるの?ユーリ?変になっちゃった?」

 

 

鼻につんと甘い臭いがした。

……この臭いは花の匂いなんかじゃない。

焦げたような臭いだ。

 

僕は胸元のロザリオを握る。

 

 

「ユ、ユーリ、何を──

 

 

強く、強く握る。

 

 

「僕はエルシーと仲直りするためにここに来たんだ……お前と、じゃない」

 

 

ロザリオが手に食い込んで、血が流れる。

そうして全力で神聖力(エーテル)を注ぎ込めば、聖銀が神聖力(エーテル)を変換した。

『悪魔』を討ち払う為の、聖なる力へと──

 

傷付いた手のひら。

流れる血。

 

そこから体内へと循環させる。

ロザリオを、『聖銀器』を体の一部として神聖力(エーテル)を循環させる。

 

身体が、血管が、血が、焼けるように熱い。

いいや、本当に焼けている。

 

何か、僕の身体に入っていた不純物が燃えているんだ。

 

 

「…………」

 

 

目を閉じて、集中する。

エルシーのような声はもう聞こえない。

 

体内で脈打つ音に集中する。

身体の中を神聖力(エーテル)が走り、目に見えない程に小さな『何か』を焼き尽くし──

 

 

「……っ、はぁ」

 

 

目を開けた。

そこにはエルシーは居なかった。

 

先程までの煌びやかな景色もなかった。

薄暗く、黒いヘドロがあちこちに付着した街並みが見えた。

 

空を見上げれば、青空は無く……黒い雲が空を覆っていた。

日光を遮って、代わりに赤い光が落ちてきている。

 

視線を落とす。

街に生えていた花は……綺麗な花なんかじゃない。

薄紅色の花弁は内臓を裏返したような見た目をしていて、柱頭には牙のような物が並んでいる。

 

 

「……これが、ジュネスの本当の姿……?」

 

 

街中で確かに人が歩いている。

だが、虚空に向かって話している人も多く……恐らく、僕と同じように幻覚を見せられているのだろう。

 

明らかな異常だ。

甘ったるい毒のような異臭が鼻に来る。

 

 

明らかに『悪魔』の仕業だ。

僕は思わず口元を覆いながら、露天へ目を向けた。

 

……ガラクタが並べられている。

この街の人間は、まともな思考能力を損失しているのだろう。

 

 

だから──

 

 

手元の紙袋。

串に刺さった肉を捨てた。

 

色は変色していて、粘り気がある。

……腐っていた。

 

気分が悪くなるが吐き気を抑える。

今ここで体力を無駄に消費する訳にはいかない。

 

 

「……っ、エルシーを……探さないと……!」

 

 

『悪魔』が思考力を奪うのならば、自衛は困難だろう。

どんなに強い祓魔師(エクソシスト)でも無防備な所を攻撃されたら……。

 

僕は手元のロザリオを大剣(クレイモア)へと変えて、異臭のする大通りへと向かった。

 

 



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#9 二人の相棒

笑顔、会話、やつれた頬。

誰もが正気を失いながら、非日常の中で日常を過ごしている。

彼らは『悪魔』に魅せられた夢の中で生きている。

先程までの僕と同じく。

 

鼻を甘い腐臭が貫く。

 

 

「……酷い……臭いだ」

 

 

僕は修道服の裾を引き上げて、口元を覆う。

これで多少はマシになる筈……と思ったけど、どうやら焼石に水みたいだ。

 

熟した……いや、熟し過ぎた果実のような臭い。

 

恐らく、この臭いが街の人を狂わせている原因だろう。

神聖力(エーテル)による浄化が可能な事から、『悪魔』の能力で生成されている物質に違いない。

 

僕は街の中にいる人達を助ける事を、今は諦めている。

これだけの人数、僕の神聖力(エーテル)量では助ける事は出来ない。

今、命の危機ではないなら後回しにするべきだ。

 

今はただ、『悪魔』を討つ事を優先する。

そして、その為には──

 

 

「エルシーと合流しないと……」

 

 

自身の相棒(バディ)と協力する必要がある。

この能力の規模から、『悪魔』の位階は恐らく『上位』だ。

僕一人で勝てるかは怪しい。

 

勝てない相手に、準備もせずに挑むのは勇気じゃない。

戦う前にできる事をしてから戦う。

……エルシーがよく言っていた。

 

僕の敗北は街の人々に対する危機に繋がる。

だから、負ける訳にはいかない。

 

 

「…………」

 

 

……街を出歩いている人の数が普段より少なそうだ。

道幅から分かる。

普段はもっと活気がある筈だ。

 

じゃあ、何で……人が減っているのか?

 

 

「…………っ」

 

 

『悪魔』は人間を食らう。

腹が減るから、ではない。

人の負の感情から生まれた『悪魔』は、人を食らう本能を持っているからだ。

それにより肉体を構成する負のエネルギーを増幅させて、より強大な『悪魔』になる。

 

なら、この街を支配している『悪魔』は?

……この能力の規模、何人食ったんだ?

 

聖銀の大剣(クレイモア)を握る力が強まる。

最悪の事態を想定しつつ、それを否定する事で心を保つ。

 

エルシーがこの街に入ったのは前日だ。

なら今、彼女は……最悪の、場合──

 

 

「……大丈夫、エルシーなら」

 

 

エルシーは僕なんかより凄い『上位』の祓魔師(エクソシスト)なのだから。

自分に言い聞かせるように何度も脳内で反芻する。

 

だけど、それでも僕は焦る気持ちを抑えられずにいた。

 

気付けば早足になっていた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

「……あ、れ?シェリ?何処に向かおうとして、るの?」

 

「え?さっき言ったじゃないですか!宿屋に行くって!」

 

 

シェリの言葉に、私は首を傾げる。

 

 

「でも、宿屋なんて取ってなかった筈なのに……」

 

「エルシーさん、忘れたんですか?ここに来た時、最初に取ったじゃないですか」

 

「え、あれ?」

 

 

そうだっけ?

そうだった気がする。

そうだった。

 

そう、私達はこの街に来た時に宿屋の予約をとっていた。

何故忘れていたのだろう。

 

 

「ほら、エルシーさん!やっぱり体調が悪いんですよ!ちゃんと宿屋で休まないと……」

 

「そ、そんな事はない筈だけど……」

 

 

身体は動く。

頭も動く。

 

頭痛はない。

吐き気もない。

 

だから、疲れてなんて、ない……のに。

思考に霧がかかったように不明瞭で、分からない。

 

 

「大丈夫ですよ!エルシーさん」

 

 

甘い香り。

 

 

「何も、おかしな事なんてないですから」

 

 

甘い思考。

 

 

「だから、気にしなくて良いんですよ」

 

 

甘い思い出。

 

 

「さぁ……行きましょう、こちらへ──

 

 

手を引っ張られて、私は路地裏へ──

 

 

暗がりの中へ、足を──

 

 

瞬間、もう片方の手を引っ張られた。

 

 

「……え?」

 

 

シェリは私を路地裏へ引っ張ろうとしている。

その反対側には……知らない男の子が居た。

焦ったような表情で口を開く。

 

 

「エルシー!ダメだ、そっちに行ったら……!」

 

 

その男の子は、私を知っていた。

でも私は知らなかった。

 

誰だろう?

知らない。

 

 

「エルシーさん!そんな人、放っておきましょう!」

 

 

あぁ、そうだ。

私はシェリと一緒に行かないと。

 

 

「エルシー!目を、覚ますんだ!」

 

 

何を言っているのだろう。

私は眠ってなんかいないのに。

 

それでも必死な形相の男の子を無碍に出来なくて、私は小さく頭を下げた。

 

 

「私、シェリの所に行かないと……だから」

 

「シェリ、さん……?まさか……」

 

 

私の言葉に何か気付いたようで、首を横に振った。

 

 

「違う!それは『悪魔』が見せている都合のいい幻覚だよ……!」

 

 

幻覚?

違う、幻覚な筈がない。

ここが現実の筈だ。

シェリは生きている。

生きていて欲しい。

 

だってほら、今も私の手を引っ張っている。

 

 

「エルシーさん!そんな知らない人、放っておきましょう!」

 

 

もう片方の手も引っ張られる。

 

 

「ダメだよ、エルシー……!」

 

 

左右から声を掛けられる。

 

あぁ、うるさい。

うるさい、うるさい、うるさい。

静かにしてほしい。

 

私はただ、大切な人と一緒にいたいだけなのに……どうして止めようとするのか。

睨み付けようと、引っ張る男の顔を見れば……そこには、凄く悲しそうな表情を浮かべていた。

思わず息を呑んだ私に、彼が諭すように話しかけてくる。

 

 

「エルシー……君が傷付いているのは、僕も知ってる。僕が君を庇ったからだって……それは、謝るから」

 

 

引かれる手は少し熱っぽい。

力強く、それでも私を傷付けないように優しく握られている。

 

 

「過去に戻りたいと思うのは分かる。だけど、それでも、今を捨てたらダメなんだ」

 

 

その言葉は不快だ。

私を知ったような気になって語りかけてくる。

だけど、どうしてか耳を傾けてしまう。

 

それはきっと、言葉の根本に……私を想う感情を感じられるから──

 

 

「エルシーさん!そんな奴の言葉を聞く必要はないです!」

 

 

瞬間、また逆の方向から声を掛けられた。

私を乱暴に、強く引っ張ってくる。

 

 

「まだ私と居たいですよね?あの辛いだけの日々に戻りたくないですよね?」

 

「ぁ……そ、それは、い、嫌……」

 

 

嫌だ。

誰かに嫌われる為だけに、生きたい訳がない。

 

嫌だ。

それでも私の所為で誰かが傷付くのは、見たくない。

 

嫌だ。

私が居なくなっても大切な人には、笑顔でいて欲しい。

 

嫌だ。

どうせ死ぬなら、この優しい夢の中で──

 

 

「エルシー……」

 

 

うるさい。

私を呼ばないで欲しい。

頼むから、静かにして欲しい。

もう、放って置いて欲しいのに──

 

 

「どれだけ過去に帰りたくても。今が魅力的じゃないとしても……それでも、過去に戻る事は出来ないよ」

 

「うる、さい……」

 

「だから──

 

「うるさい!そんなの私だって分かってる!これが都合のいい現実だったとしても、私は……!」

 

 

ここに居たい。

ここから離れたくない。

このまま、眠るように……安らかに。

例え、朽ちて死ぬとしても。

 

 

「私が居たい場所はここなの!邪魔しないでよ!」

 

 

全てを、捨ててもいい。

今も、未来さえも。

 

 

「辛いだけの現実なんかに帰りたくない!どうせ私にはっ──

 

 

だって私には、未来なんてない──

 

 

「それなら、僕が何とかするよ……」

 

 

ないのに。

 

 

「僕が……これから先、エルシーが人生を楽しめるように努力するよ」

 

 

何で、そんな事を言うのか。

 

 

「……どうやって?何が出来るの?」

 

「それはっ……その、今は分からないけど……」

 

「…………」

 

「……ごめん。でも何とかするよ。僕は……君が今日を、明日を楽しめるように……」

 

 

その顔は自信がなさそうだったけれど、覚悟だけはあった。

不確かな未来をより良い物にしようという、覚悟が。

 

少し眩しく見えて、目を細める。

 

 

「………つまり、無計画ってこと?」

 

「うっ……そ、そうだよ。無計画かも知れないけど……」

 

「……そっか」

 

 

思わず笑ってしまった。

だけど、嘲笑ではない。

穏やかな気持ちで自然と笑ってしまった。

 

そう、そうだった。

彼は……ユーリは、こんな人間だった。

細かい事は後にして、自分が正しいと思った事に全力で取り組もうとする。

 

不器用で。

少し頼りなくて。

 

それでも、優しくて。

誰かのために頑張れる。

 

シェリが亡くなって、もう二度と相棒(バディ)なんて必要ないと思ってた私が……。

それでも相棒(バディ)に選んだ相手なのだから──

 

 

「エルシーさん!ダメです!耳を傾けては!」

 

 

喚くような声が頭に響く。

まるで耳元で叫ばれているかのような声。

 

 

「エルシーさん、私を捨てるつもりですか!?大切な相棒(バディ)を捨てるんですか!?」

 

「……シェリ」

 

「貴女にとって私は、そんな人間だったんですか!?今からでも遅くないです!『悪魔』の事は忘れて──

 

「いい加減にして」

 

 

私はシェリの……シェリによく似た偽物の手を払った。

 

 

「っ、エルシーさ──

 

「シェリを侮辱しないで。彼女がそんな事を言う筈がない」

 

 

私は首から下げた、銀のロザリオを握った。

強く、強く握った。

 

痛みがこの喪失感を上書きできるように、強く……強く。

血が滲む程に。

 

そうして流れた血に、神聖力(エーテル)を走らせた。

 

 

「シェリは祓魔師(エクソシスト)だった……」

 

 

聖銀器と私の間にパスを通して、神聖力(エーテル)を循環させる。

 

 

「そして、私の相棒(バディ)だったから」

 

 

神聖力(エーテル)を体内で燃やす。

 

 

「シェリは、誰かが苦しめられているのに無視できるような人間なんかじゃない!」

 

 

爆ぜるように神聖力(エーテル)が身体から漏れて、血に潜んでいた不純物を焼き払った。

身体に侵入していた幻覚を引き起こす『悪魔』の一部だ。

 

……そして、気付けば──

 

ロザリオは大鎚(スレッジハンマー)に変わり、私の手に握られていた。

 

もう片方の手には──

 

 

「エルシー……もう、大丈夫かな?」

 

 

今の、私の相棒(バディ)の手が握られていた。

 

 

「……ユーリ、助けに来たの?」

 

「うん」

 

「……何で?あんなに酷い事を言ったのに」

 

「あれぐらいで嫌いにならないよ。嫌いになるなら……僕はエルシーの相棒(バディ)なんかとっくに辞めてるよ」

 

「……何それ」

 

 

曖昧な笑みに、私は小さくため息を吐いた。

そしてまだ握られている左手を見た。

 

 

「で……?この手は?」

 

「え?あ……っ、ごめん」

 

 

ユーリが慌てて離そうとした手を、今度はこちらから握った。

私にもよく分からなかったけど、今は……そうしたかったから。

 

 

「え、エルシー?」

 

「別に嫌だって言ってないんですけど……こっちの方が神聖力(エーテル)を循環し易いし……」

 

「あ、う、うん?そうだね……?」

 

 

羞恥から挙動不審になっているユーリを見て、少し気持ちが落ち着く。

少しずつ、そう、本当に少しずつ……ぐちゃぐちゃになっていた心が解きほぐれていく感覚があった。

 

視線を握っている手から、ユーリへ戻した。

 

 

「で?ユーリは、どうやって『悪魔』の幻覚から逃げられたの?」

 

「どうやって……って、エルシーと一緒だよ。聖銀器を使って神聖力(エーテル)を身体の中で回したから──

 

「そういう意味で訊いた訳じゃないんですけど」

 

 

私が半目でユーリを見ると、彼は目を瞬いた。

 

 

「え、えっと……?」

 

「どうやって、幻覚を見せられてるって……自覚したか訊いてるんですけど」

 

「あ、それは……違和感があったから」

 

「違和感?」

 

 

幻覚攻撃によって受けた疲労感を、体内の神聖力(エーテル)によって補いながらユーリの方を見た。

 

 

「うん、凄く都合のいい夢だったから。現実には見えなかったんだ」

 

「……ユーリはどんな幻覚を見せられたの?」

 

「え?あ……それは、えっと……」

 

「……ふーん?言えないような夢なの?」

 

 

ユーリは視線を逸らして、恥ずかしそうな表情を浮かべながら口を開いた。

 

 

「エルシーと仲直りする幻覚、だったんだ……」

 

「は……?私と?」

 

 

目を瞬く。

この『悪魔』はその人間の願望を幻覚として見せる。

 

……なのに。

ユーリの願望は……そんな事だったのか。

 

金持ちになる夢でも、なく。

誰よりも強くなる夢でも、なく。

女の子にモテる夢でも、なく。

 

ただ、私と仲直りできる夢。

そんな小さな、他愛無い……夢。

 

……そうか。

この『悪魔』は人の『願い』を引き出して幻覚を見せる『悪魔』だ。

 

そして、人の『願い』は二種類ある。

私のように過去を望む『願い』と、ユーリのように未来を望む『願い』。

前者は叶える事が出来ない願いで、後者は叶う可能性がある願いだ。

 

欲深い人間、そして過去に未練がある人間ほど逃れられないのだ。

……私は、この『悪魔』と相性が悪かったのか。

 

 

「はぁ……」

 

「え?そ、そんなに情けない幻覚だったかな……?」

 

「自意識過剰。ユーリに対してのため息じゃないし」

 

 

私は額を指で揉む。

 

この街にいる『悪魔』。

その正体は……原作にも存在していた、人の『願い』を幻覚にして操る『悪魔』だ。

その幻覚は……街のいたる所に生えている花の甘い臭いが原因だ。

アレは『悪魔』の身体の一部で、幻覚作用のある体液を霧のように空気中に発生させている。

それを吸った人間の思考は『悪魔』に支配されるという事だ。

 

この能力の恐ろしい所は、『願い』を再現する幻覚を『悪魔』がコントロールしている訳ではなく、能力下に置かれた人間が自分自身で幻覚を生み出している所だ。

だから、一度に複数の人間……それこそ、街全体を幻覚の渦に沈められるのだ。

 

……しかし、一つ違和感がある。

 

 

「……ユーリ、今の時間は?分かる?」

 

「え?ちょっと待って……」

 

 

ユーリが首からぶら下げていた懐中時計を開いて、時間を確認した。

瞬間、訝しむような目を浮かべた。

 

 

「エルシー、今は……まだ14時だよ」

 

 

『悪魔』は日中の活動を抑制される筈だ。

実際、原作でこの『悪魔』も夜しか活動できていなかった。

 

そして今……この時間帯ならば、太陽も上がっている。

つまり、夜ではない。

 

私は視線を上げて、空を見た。

赤黒い雲と、赤い光が見える。

 

 

「……これは、幻覚じゃない?」

 

「……うん、多分。……だよね?」

 

 

この赤い空は現実。

『悪魔』による幻覚ではない。

つまり、この空は……何らかの能力下にある。

 

……光はあるが、どうやら太陽光ではないようだ。

『悪魔』が日中である筈の今、活動できている理由か。

 

私も無策で、この街に来た訳じゃない。

日中になるように汽車内で一泊し、日が登ってから到着するように調整して街へ入った。

原作の知識で『匂い』を司る『悪魔』の存在は知っていたからだ。

 

日中ならば幻覚効果を受けない、と。

 

だが、結果はこの様だ。

日中の街の中で、『悪魔』を活動させる事が出来る『悪魔』も居たのだろう。

 

 

つまり──

 

 

「この街に『悪魔』は……二体いる」

 

「……え?」

 

 

ユーリはこの街の異常を一体の『悪魔』の能力の所為だと思っていた。

 

だが、私の知っている『悪魔』の能力……それと別の能力。

原作知識がなければ、私も二体居るという確信は得られなかった。

 

口元に手を置き、悩む。

 

 

「…………」

 

 

現実と記憶の乖離。

 

港町ウェラポリでもそうだった。

知っていた『悪魔』とは異なる、より凶悪な『悪魔』が現れた。

原作知識をあまり頼りにし過ぎてはダメなのだろう。

 

『悪魔』は本来、群れない。

負の感情から生み出された『悪魔』に連携は難しい筈だ。

 

だが、しかし。

 

……私は小さく息を吐き出した。

今は考えても仕方ない。

 

一先ずは──

 

 

「ユーリ、『悪魔』を討ちにいくわよ」

 

「え?『悪魔』の居場所が分かるの?」

 

「分かってなかったら、言ってないんですけど?」

 

 

私はシェリ……の幻覚が手招きしていた路地裏に視線を向ける。

奥に行けば行くほど暗くなっていく……太陽光も灯もないからだ。

この空を作っている何者かが意図的に暗くしている。

 

だから──

 

 

「少なくとも私を喰おうとした『悪魔』は、間違いなくこの先にいる」

 

 

『悪魔』が人間を襲う理由は何か。

人を喰うためだ。

 

では、私が幻覚に誘導された理由は何か。

私を喰うためだ。

 

だから分かる。

この先に、『悪魔』は居る。

 

 

「……分かった。行こう」

 

 

ユーリも少し考えて、頷いた。

私の言葉の意味を理解したのだろう。

 

聖銀で出来た大剣(クレイモア)を手にして、私の前に出た。

私の前に、だ。

 

……ユーリは、私との力も差を理解している。

だから、私が前に立った方が良いのも分かっている筈だ。

だが、それでも……今、それだけ私が弱っているように見えるのか。

 

思わず舌打ちしそうになる。

ユーリに対してではなく、情けない自分に対して苛立ったからだ。

 

 

「……ユーリ、暗闇見えるの?」

 

「え……いや……う、うん。少しだけなら」

 

「なら、代わって」

 

「うっ、ごめん……」

 

 

私は暗視の『奇跡』を使用しつつ、ユーリの前を歩く。

この先だけ、異様に暗い。

……間違いなく意図的なものだ。

 

暗闇は人間の視界を悪くさせ、『悪魔』の能力を発揮させる。

 

確かな地面の感触を感じながら、進む。

静かだ。

 

 

 

息を小さく吐く。

 

 

 

物音を立てないように、奥へ。

奥へ──

 

 

瞬間、真横から何かが飛び出した。

 

 

「っ!」

 

 

狙いは先導している私だ。

飛び出したのは……槍。

 

『悪魔』の武器じゃない!

 

 

「……に、人間!?」

 

 

突き出された槍を大鎚(スレッジハンマー)の柄尻で弾く。

暗視能力で強化された視界には……この街の見回りをしている、街の衛兵らしき男が居た。

 

……目は虚ろ、口元からは涎。

間違いなく、『悪魔』に操られている。

 

 

「悪趣味、なんですけど!」

 

 

身体が軋む。

……やっぱり、疲労が身体に蓄積していた。

ウェラポリでの戦闘から今まで、一度も大きな休息を取っていない。

 

長期戦は不利。

かといって撤退すれば、『悪魔』がこの街から逃走する危険もある。

 

 

「先に謝っておくけど、凄く痛いから!『疾れ』!『電撃(スパーク)』!」

 

 

略式、詠唱。

即ち、『奇跡』を再現する際に必要な詠唱を省略する技術。

しかし、その分、精度も規模も落ちる。

 

先程の『電撃(スパーク)』は『聖なる電撃(ホーリースパーク)』の略式版だ。

 

『悪魔』本体には、あまり有効じゃないだろうけど。

操られている人間を気絶させるには、これで十分だ。

 

瞬間、甘い匂いが鼻を突き抜けた。

 

 

「くっ、ユーリ!幻覚から防御!」

 

「大丈夫!もうしてる!」

 

 

自身の体内に神聖力(エーテル)を巡らせて、幻覚作用のある『悪魔』の体液を焼く。

街に生えていた花とは違う、一瞬で気を失いかねない強烈な成分。

 

再び、槍が私に迫る。

……まだ衛兵が居たのか。

 

大鎚(スレッジハンマー)で弾き飛ばし──

 

 

「エルシー!囲まれてる!」

 

 

周囲にまだ、複数人の衛兵が居た事に気付いた。

 

 

「……面倒くさいんですけど、もう!」

 

 

衰弱しているのか、弱々しい攻撃を避けて蹴り飛ばす。

……『悪魔』による幻覚の所為で痛覚がないのか、恐れる事なく私達に攻撃してくる。

 

ユーリも大剣(クレイモア)の峰で操られている人を殴っている。

 

そしてまた、甘い匂いが鼻腔を貫く。

 

 

「っ……!」

 

 

神聖力(エーテル)で自身の体内を浄化しながら、身体強化を続ける……言うは易しだが、難しい。

 

一度でも浄化に失敗すれば、私も目の前の衛兵達と同じ末路を迎える。

 

だから──

 

 

「ユーリ、ここ任せる!」

 

「……っ、分かった!」

 

 

ユーリに任せて、私は地面を蹴った。

目の前の衛兵の背を踏み、跳躍する。

 

甘い匂いが来る方向へ、と。

 

神聖力(エーテル)で強化された身体能力を頼りに、路地裏を突き進み──

 

 

「見つ、けた……!」

 

 

壁に張り付いた巨大な花……いや、花を模した『悪魔』を見つけた。

真っ赤な弁は舌のような艶やかさがあり、中心には充血した目が生えている。

薔薇の茎のようにトゲのある触手が、壁にビッシリと突き刺さっている。

 

私の知っている通りの姿。

だが、そのままではなかった。

 

コイツ……成長している。

原作よりも、大きく……凶悪に。

 

巨大な花弁のような部位から、薄紅色の煙を……私に向けて噴射してきた。

 

 

「くっ、そ、キモいんですけど!」

 

 

神聖力(エーテル)を体内で回して浄化を……っ、量が、多過ぎる。

浄化が間に合わない程の幻覚物質が、私を──

 

 

「この!『燃やせ』!『聖炎(フレイム)』!」

 

 

再び、略式詠唱。

使ったのは炎の『奇跡』だ。

『悪魔』に対して特効のある聖なる炎。

 

しかし、略式詠唱では『悪魔』に対しては有効打になり得ない。

 

それでも私は、略式詠唱を選択した。

理由は──

 

 

「う、ぐっ……!」

 

 

自身を対象に発動したからだ。

私の身体を炙るように焼く。

 

体内に入ろうとしてくる『悪魔』の体液を一瞬で浄化するためだ。

直接的な神聖力(エーテル)による浄化よりも、『奇跡』の炎による浄化の方が早い。

 

しかし、それはつまり、私自身を焼くという事であり──

 

 

「『主よ、傷付いた者を癒したまえ』……!『聖なる治癒(ホーリーヒール)』……!」

 

 

痛みで脳が麻痺する前に、私は自身に治癒の『奇跡』を発動した。

この『奇跡』は大きな傷や欠損は治せないが、軽い火傷程度なら治せる。

 

焼け焦げてボロボロになってしまった修道服の下、傷が治っている事を目視で確認した。

 

そうして、そのまま──

 

 

「人の弱みに勝手に触らないでくれる?キモいんですけど、クソ『悪魔』!」

 

 

花の『悪魔』に大鎚(スレッジハンマー)を振りかぶり──

 

 

「ぇぶっ!?」

 

 

横から、ヘドロのような体液をぶつけられた。

身体に張り付いたそれは粘性が強い液体だった。

 

だが、この花の『悪魔』の能力じゃない。

視線を向けた先には──

 

 

「……どいつもこいつも、見た目がグロすぎなんですけど……」

 

 

人の臓物……腸をぶら下げたような見た目をした、クラゲ型の悪魔がいた。

笠に当たる部分は、赤黒い、人の体をひっくり返したかのような姿。

 

そこには大量の穴があり、薄暗い煙を常に吐き出している。

そして、その煙は……上へ上へと登っている。

 

……空に見える気持ちの悪い雲と同じ性質みたいだ。

 

なら、コイツが──

 

 

……太陽光を遮る煙を噴き出す『悪魔』だ。

 

二対一、だけど、どちらも戦闘は不向き、みたい。

少なくとも……幻覚能力を持つ花の『悪魔』は──

 

 

「……痛、っ?」

 

 

ぐちゅ、ぐちゅと音が鳴っている。

……身体に張り付いた黒いヘドロが蠢いている。

私の皮膚を食おうとしている……のか。

 

神聖力(エーテル)の防御を突き抜けようと、私の身体を削ろうとしている。

……鬱陶しいけど、剥がしている余裕がない。

 

 

「…………」

 

 

それなら、使うか。

私の持つ、本来の『奇跡(サイン)』を。

 

寿命を消費すれば、こんな『悪魔』なんて──

 

 

「ごめん、エルシー!遅れた!」

 

 

直後、ユーリが私の側に着地した。

少し息を切らしているけど、傷はなさそうだ。

 

 

「……ユーリ」

 

「大丈夫、衛兵さん達は気絶させてきたから」

 

 

私は大鎚(スレッジハンマー)を強く握る。

……これなら『奇跡(サイン)』を使わなくても、勝てる……かも、しれない。

 

けど……私の脳裏に浮かんだのは港町ウェラポリでの出来事。

私を庇って血塗れになってしまった、ユーリの姿だ。

 

……私はもう一度、大鎚(スレッジハンマー)を強く握った。

 

 

「ユーリ、私の切り札を使うから」

 

 

二体の『悪魔』から距離をとりつつ、口にする。

隙を見せないように、視線は『悪魔』に向けたままだ。

 

 

「……それって、エルシーの『奇跡(サイン)』?」

 

 

……ユーリはやはり、気付いていたようだ。

私が『奇跡(サイン)』をその身に宿した『聖人』だという事を。

 

なら、都合がいい。

説明する手間が省ける。

 

 

「そう、このまま使って『悪魔』を──

 

「ダメだよ」

 

 

しかし、ユーリが口にしたのは否定の言葉だった。

想定外の言葉に驚きつつ……私に向けて飛ばしてきた黒いヘドロを避ける。

 

ユーリも花の『悪魔』の触手を避けていた。

 

 

「っ、何で!?変な事を言わないで!」

 

「エルシーが普段使ってないって事は……!使わない理由があるって事、なんだよね……!?」

 

 

目の前には二体の『悪魔』。

言い争っている場合じゃないのに。

 

 

「なっ……違っ、私が『聖人』だって教会にバレない為だから!」

 

「エルシーはそんな人じゃないって、僕は分かってる!」

 

「こ、のっ、分からず屋!バカ!」

 

 

大鎚(スレッジハンマー)でクラゲの『悪魔』の攻撃をいなして、再び距離を取る。

 

 

「良いから私の言う事をっ──

 

「僕を信じてくれ!エルシー!」

 

 

大剣(クレイモア)が触手を切り裂いた。

人間の臓物を模した触手が地面を跳ねている。

 

 

「僕達なら勝てる!『奇跡(サイン)』に頼らなくても、だから──

 

 

そのまま、大剣(クレイモア)を横に一閃。

こちらに迫っていた花の『悪魔』を吹き飛ばした。

 

 

「僕を信じて欲しい!」

 

 

……私は、その光景に驚いていた。

もっと、ユーリは弱いと思っていた。

だけど、度重なる『悪魔』との戦いで、彼は成長(レベルアップ)していたのだ。

 

いつの間にか、これ程までに。

 

……そうだ、ユーリは私の相棒(バディ)だ。

守るべき相手ではなく、一緒に戦う相棒(バディ)なんだ。

 

だから、それなら……。

 

 

「……分かった。でも、私を後悔させたら絶対に許さないから!」

 

 

私は大鎚(スレッジハンマー)を『悪魔』に向けて構えた。

ユーリも私の横で大剣(クレイモア)を構えた。

 

 

「ありがとう、エルシー……!」

 

 

礼を言いたいのは、こっちなのに。

 

目前には二体の『悪魔』がいる。

絶望的な状況な筈なのに。

 

それでも……今は。

 

私の心に、ほんの少しの恐怖も無かった。

 



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#10 今までと、これから

大鎚(スレッジハンマー)を地面に落とせば、甲高い金属音が響いた。

 

暗がり、路地裏の先……四方に分かれた広間。

そこに居る二体の『悪魔』を見る。

 

一体目。

幻覚作用の霧を放つ、花型の『悪魔』。

基本的な戦闘能力はトゲのついた蔓の鞭。

先端の速度は凄まじいが、攻撃の予備動作から見切るのは容易い。

しかし、問題があるのは花のような頭部から噴射してくる、薄紅色の霧。

街に生えている花擬きの霧とは濃度が違う。

接近すれば常に霧を浄化しながら戦わなければならないだろう。

 

対して、二体目。

太陽光を吸収する黒い煙を吐く、クラゲ型の『悪魔』。

こちらも武器は人間の腸のような触手。

しかし、花型の『悪魔』よりは速度も力も低い。

代わりに、頭部の煙を吐いている部位から黒いヘドロを吐き出せる。

このヘドロも『悪魔』の一部のようで、付着すれば身体を削り取るように攻撃してくる。

 

どちらも、単純な戦闘能力だけならウェラポリで戦ったマンタ型の『悪魔』より低い。

しかし、コイツらには搦手がある。

 

『悪魔』は言葉を喋らない。

しかし、だからといって知能が低い訳じゃない。

人を害する為なら、悪知恵だって働く。

不意打ちもするし、さっきみたいに人間を操って攻撃もしてくる。

 

それが『悪魔』。

人間の負の感情から生まれたバケモノだ。

 

故に……まだ私達に見せていない『とっておき』がある可能性もある。

花の方は原作知識によってある程度知っているつもりだが、クラゲの方は全くの初見だ。

ヘドロ、煙、触手以外に何かあるかも知れない。

 

 

「…………はぁ……っ」

 

 

息を深く吐いて、私は大鎚(スレッジハンマー)の先端を蹴り上げる。

そして、その勢いのまま肩に載せる。

 

細かい判断を疎かにすれば、足を掬われる。

でも、それでも……今は、目の前に集中するしかない。

 

私は地面を蹴り──

 

 

「ユーリ、左!」

 

 

短く、言葉を口にした。

 

 

「分かった!」

 

 

それでも、相棒(バディ)であるユーリは理解してくれたようだ。

 

私は右側にいる『悪魔』……花型の『悪魔』に向かって走り出した。

対してユーリは左側に居る臓物のような触手をもつ『悪魔』、クラゲ型の『悪魔』に向かって剣を構えた。

 

先程の言葉の意味は『左側、任せた』の意味だ。

求めているのは足止め。

私がこの花型の『悪魔』を倒すまでの時間稼ぎだ。

 

 

「直接、私が叩き潰してあげる!」

 

 

私が花型の『悪魔』を選んだ理由。

 

それは、理屈として……『悪魔』の放つ幻覚作用のある霧に対して、ユーリでは浄化が間に合わない危険性があると考えたからだ。

ユーリを侮っている訳ではないが、それでも私の方が神聖力(エーテル)のコントロールが得意だ。

私の自浄でギリギリなのだから、ユーリの浄化が間に合う保証はない。

更にユーリの主な攻撃手段は聖銀器の大剣(クレイモア)……つまり接近戦のみ。

相性は悪いだろう。

 

もう一つ、感情として……単純に、この花の『悪魔』がムカつくからだ。

私の『大切』な人を模した幻覚を見せたのは、許せない。

これは大きな理由にはならないが。

 

大鎚(スレッジハンマー)を高速で回転させながら、花型の『悪魔』へ接近する。

 

間合いに足を踏み入れた瞬間──

 

頭部から私の進行方向に向けて、幻覚の霧を噴出してきた。

 

 

「何度も引っかかるワケ、ないんですけど!」

 

 

急停止しつつ、大鎚(スレッジハンマー)で地面を抉るように振り上げた。

石畳が砕けて、散弾のように射出された。

 

石の破片は確かな殺傷力を持つが、『悪魔』相手には致命傷になり得ないだろう。

実際、砕けた石片は花の『悪魔』の表皮に傷を付けたが、表皮までだ。

体内へは無傷……しかも、表皮すら即座に再生を始めていた。

 

しかし、目的は攻撃ではない。

弾けた石片には私の神聖力(エーテル)が付与されている。

 

 

「『主よ──

 

指を立てて、意識を集中する。

 

 

「『根源なる大地の──

 

 

瞬間、『悪魔』の放った薔薇の鞭を避けた。

 

 

「『剣を執り──

 

 

直線的な攻撃は避けられると悟ったのか、鞭が横に薙ぎ払われた。

 

しかし、想定内。

私は地を蹴り、宙へ飛んだ。

 

そして、私は──

 

 

「『悪しき者を貫きたまえ』!」

 

 

回避行動を取りながら、詠唱を完成させた。

神聖力(エーテル)が私の身体から放出されて、擬似的な光を生み出す。

 

『奇跡』の模倣が、現実を捻じ曲げる。

 

そうはさせまいと、花の『悪魔』が触手を私へ伸ばしてくるが──

 

 

「『聖なる断崖(ホーリークリフ)』!」

 

 

刹那、『悪魔』は四方八方から串刺しとなった。

砕けた石片が岩の刃となり、『悪魔』に殺到したのだ。

 

私が『上位』の祓魔師(エクソシスト)でいられる理由。

それは101の『奇跡』を模倣できるから──

 

 

「追唱!『解放(リリース)』!」

 

 

ではない。

 

 

『悪魔』に突き刺さっていた岩の刃が光り出す。

それは岩に込められていた神聖力(エーテル)の光だ。

そして、光は限界を突破し……爆ぜた。

 

 

そう。

私は101の『奇跡』を使い『熟せる』。

 

詠唱するだけならば、教本を読みながら唱えればいい。

模倣するだけならば、儀式用の道具を準備すればいい。

神聖力(エーテル)が足りなければ、聖水で補強すればいい。

 

事実、私以外にも『奇跡』を101つ模倣できる祓魔師(エクソシスト)は何人か存在する。

 

だが、戦闘中。

一瞬の判断で『奇跡』を選び、詠唱し、模倣する事は困難だ。

101の引き出しから、現状で最も有効な引き出しを開けること。

それは使えるだけの祓魔師(エクソシスト)と大きな違いがある。

 

この技術が、私の祓魔師(エクソシスト)としての強さを支えてくれる。

 

 

ギギ、ギギギギ──

 

 

体内に直接的なダメージを与えられた『悪魔』は、軋む音を響かせ、身を捩りながら私から距離を取る。

 

 

「しぶと過ぎ、なんですけど……!」

 

 

僅かな焦りを感じて……その焦りを飲み込んだ。

ユーリも一人で『上位』の『悪魔』と戦っている。

早く倒して助けに行かなくては……と、一瞬思った。

 

それでも、焦りを飲み込んだ。

ユーリは『できない』と言わなかった。

ならば、信じなければならない。

 

彼は私の相棒(バディ)なのだから。

他の誰もが信用しなかったとしても、私だけは信じなければならない。

二つの命を二人で分かち合う……それが相棒(バディ)という関係性だ。

 

 

だから──

 

 

今はこの、花の『悪魔』を倒す事に、集中する!

 

 

プシュッ──

 

 

「っ……!?」

 

 

『悪魔』が千切れた身体から、薄紅色の霧を噴出させた。

それこそ、本体から切り離された部位からも、だ。

 

この『悪魔』は街中に自身の子、幻覚発生用の端末を展開していた。

アレは本体と繋がっていない、身体の一部だった。

 

つまり、この『悪魔』は……切り離されたとしても、その部位をコントロールできる能力があるという事だ。

この足元の茎も、街中の花と変わりはしない。

 

 

だが──

 

 

その薄紅色の霧を突き抜けて、私は『悪魔』に接近した。

直線的に来るとは思っていなかったのか、『悪魔』の動きが一瞬遅れた。

 

幻覚作用のある霧が私を囲う。

だが、それでも……今は、幻覚など効きはしない。

 

身体の表面に、神聖力(エーテル)が膜を作っていた。

『奇跡』にも変換せず、ただ神聖力(エーテル)を纏っていた。

 

それを……一気に放出する。

そうすれば私を囲っていた霧が霧散した。

 

咄嗟には使えないが、こうして『悪魔』の行動が読めていれば出来る。

 

 

一歩、踏み込む。

 

 

神聖力(エーテル)で強化した肉体が、石畳を踏み砕いた。

聖銀で出来た大鎚(スレッジハンマー)が、振りかぶられる。

 

目の前の『悪魔』は、棘に生えた蔓で私の攻撃を防ごうとしている。

 

だが、その程度で止められる訳がない。

 

 

「はぁっ!」

 

 

大鎚(スレッジハンマー)が、『悪魔』の頭部に直撃した。

神聖力(エーテル)を込めた全力の一撃は、防御の上から『悪魔』の身体を削り取った。

 

 

頭部を破壊した──

 

 

瞬間、『悪魔』が急激に肥大化した。

 

 

「はぁ!?何っ、が──

 

 

赤い花弁を飲み込み、種子は巨大な果実に変わった。

血管のような筋が浮いた、グロテスクな果実だ。

 

しかし、『悪魔』は既に虫の息……いや、消滅寸前だ。

葉先も蔦は灰のように崩れつつある。

 

倒した筈だ。

しかし、その果実は肥大化し続けて──

 

 

背筋に冷たさ。

 

経験から弾き出された危機感。

 

そして、直感。

 

 

「まずっ──

 

 

その瞬間、私は見た。

『上位』の『悪魔』が後を考えず放つ行動を。

 

身体の中にある力を全て一点に集中させて、破裂させる。

 

それだけだ。

それだけだが、最も有効な攻撃となる。

 

勿論、『悪魔』自身も身体を維持できなくなるだろう。

 

だが──

 

 

 

果実が、爆ぜた。

 

 

 

超高密度の体液が、全方位に放出される。

避けられる場所はない。

至近距離に居る私を吹き飛ばすまで……残り、一瞬。

 

その一瞬、私の思考は加速していた。

 

どうする?

私の元来の『奇跡(サイン)』を使うか?

ダメだ。

ユーリには使わないと約束した。

 

どうする?

防御用の『奇跡』を使うか?

ダメだ。

詠唱は間に合わない。

 

 

ならば──

 

 

瞬間、私の前面に複数の光の菱形が生まれた。

 

神聖力(エーテル)を防御に回す、『奇跡』の模倣『聖なる骸衣(ホーリースロード)』。

それは邪を跳ね除ける聖なる布を作る『奇跡』。

 

しかし、私は詠唱をしていない。

詠唱破棄……それはイメージと無言の所により詠唱を代用して『奇跡』を模倣できる技術。

 

勿論、精度も性能も落ちる。

略式詠唱の半分以下の性能だ。

本来の詠唱から言えば五分の一程度。

まともな防御は期待できない。

 

だが、やらないよりはマシだ。

やらなくて後悔するぐらいなら、ダメでも良いから私は──

 

 

「ぐぅっ!?」

 

 

『悪魔』の体液。

その衝撃は詠唱破棄で作った聖なる布を貫通する。

 

確かに勢いは失っている。

『悪魔』の体液に含まれる有害な物質も浄化された。

 

しかし、それでも質量が残っている。

暴力的な程の勢いで、私に叩きつけられた質量が。

 

 

足が、浮いて──

 

 

「ぐっ……!?」

 

 

壁にぶつかった。

ミシリと音がしたのは私の方か、壁の方か。

 

目の前が明滅する……それでも、私は意識を失っていなかった。

咄嗟の判断、防御の『奇跡』が間に合わなければ、潰れたトマトのように、なっていた……に、違い、ない。

 

 

「か、はっ……はぁっ……」

 

 

朦朧とする意識。

視界が明滅する。

 

しかし、生きている。

呼吸が乱れて、動くことすら辛かったとしても……生きていた。

 

私は自身に『治癒』の『奇跡』をかけつつ、花の『悪魔』が居た場所を見た。

……果実の後、残っていた植物が枯れるように、灰色になっていた。

 

……最後に道連れにしようとしてくるなんて。

 

呼吸を整えて……私は上半身を立たせた。

膝を立てる。

 

肋に、痛み。

折れている、か。

 

……聖水を口に含み、神聖力(エーテル)を補充する。

そして、再び『治癒』の奇跡を使って……立ち上がる。

痛みはまだ、ある。

きっとまだ骨にヒビが入っている。

 

だが、まだだ。

 

ユーリを、助け、なければ──

 

 

 

ドン、と大きな音がした。

そして何かが、私の前を転がった。

 

 

「……え?」

 

 

それは、赤黒い血をまとった臓物。

どろりと粘性のある血を纏った、灰色の……身体の中にある筈の……紐。

 

 

「あ……」

 

 

悪寒。

 

最悪の事態を想定して、身体が一気に冷えていく。

心臓が弾けてしまうかと思うほど鳴り響き──

 

 

「はぁっ!」

 

 

ユーリの声が聞こえた。

 

地面に転がっていたのは、クラゲ型『悪魔』の触手だ。

ユーリが大剣(クレイモア)で切り飛ばしたのだ。

 

安堵と共に視線を向けると、クラゲ型『悪魔』の頭に大剣(クレイモア)を突き刺していた。

 

瞬間、頭部から黒い煙が吹き出すが──

 

 

「『主よ』!『悪しき物を燃やし清めたまえ』!」

 

 

ユーリの口から詠唱が聞こえた。

 

 

「『聖なる炎(ホーリーフレイム)』!」

 

 

聖銀器である大剣(クレイモア)から、煌めく炎が噴出した。

黒いガスは瞬時に虹色の粒子になり、霧散する。

神聖力(エーテル)による浄化作用だ。

 

そして、そのまま……クラゲの『悪魔』に燃え移った。

 

私はそれを、呆然と見ていた。

 

 

「……え?あれ?」

 

 

クラゲ型の『悪魔』は炎に呑まれて……灰色に変色し、砕けた。

偽装した訳ではない、本当の終わり。

 

目で見て分かる。

クラゲ型の『悪魔』は、討伐されたのだ。

 

ユーリ、ただ一人の手によって。

 

 

「……はぁ、はぁ」

 

 

息を切らして汗を流し、額からは血が流れていた。

それでも……五体満足で立っていた。

 

一人で、『上位』の『悪魔』を倒したのか。

確かに、クラゲ型の『悪魔』はまだ『中位』から上がりたて……ぐらいで戦闘に向いていなさそうな『悪魔』だったが。

 

それでも……普通の『中位』の祓魔師(エクソシスト)なら、確実に負けてしまう程度には強い『悪魔』だった。

 

筈なのに。

 

私が侮っていたのか……いや、ユーリはきっと、私が考えている以上に強くなっていたのだろう。

 

努力と経験を積み重ねて。

 

 

「……ユーリ」

 

 

息を切らしているユーリに、私は近付く。

声を掛ければ、彼は汗と血を拭って、私へ視線を向けた。

 

 

「あ、エルシー……って、大丈夫!?」

 

「私は大丈夫……ですけど。治療もしたし……ユーリは?」

 

「……僕もボロボロだけど、無事だよ」

 

 

額が切れていて、血と汗と泥が混ざっている。

切り傷や、腫れている部分もある。

それでも、『悪魔』と戦ったにしては軽傷だった。

 

私は自身の身体の調子を確認して、自身の治療の優先を下げた。

まだ痛みはあるが、耐えられない程じゃない。

 

 

「強がってるつもりでも、結構、傷ってのは分かっちゃうんですけど?」

 

 

私はユーリの二の腕に触れた。

熱があるかのように熱く、怪我まみれだ。

 

そんな場所に触れた所為で、ユーリは頬を不器用に動かした。

 

 

「う、う、うん。まぁ、い、痛いかな」

 

「……なら、そう言えばいいのに。ちゃんと治療してあげるから」

 

「……ごめん。でも、エルシー自身が優先で良いよ」

 

 

申し訳なさそうに頭を下げたユーリに、私は目を瞬く。

 

 

「『ありがとう』は?」

 

「え?あ、ありがとう?」

 

「そう。謝んなくても、感謝だけで良いんですけど」

 

「う、うん。ごめ……じゃなくて、ありがとう。凄く、助かるよ」

 

「……ま、いいけど」

 

 

私はユーリの着ている修道服を捲った。

……ユーリの素肌、腹が見える。

私も鍛えてるつもりだけど……やっぱり、男と女では筋肉の付き方が違うのだろうか?

 

腹筋に直接触れて、『聖なる治癒(ホーリーヒール)』を使用する。

 

治癒系統の『奇跡』は、攻撃系統の『奇跡』よりも神聖力(エーテル)の変換効率が悪い。

何かを壊すのは簡単だが、壊れた物を直すのは難しい……という事だ。

 

……腹に痣。

横っ腹に切り傷。

服の下に隠れていたけれど、傷はそこそこある。

 

 

「……まったく」

 

 

これで大丈夫だなんて、よく言えたものだ。

傷口を撫でるように触れて、『奇跡』を行使していく。

そうすれば、全治……とはいかないが、傷口が塞がる。

 

 

「っ……」

 

 

傷口を触られて痛むのか、痒みを感じているのかユーリが声を漏らした。

反応するのも可哀想だと、そのまま傷口を塞ぐ。

 

 

「……これで終わり。どう?他に傷は?」

 

「大丈夫だよ。ありがとう、エル、シー……」

 

 

ユーリの声が上擦った。

 

身長差から彼の頭は私より上にある。

視線を上げれば……ユーリは顔を赤らめて視線を逸らした。

 

……何なんだろう、その反応は?

訝しむ。

 

 

「……どうかした?挙動不審なんですけど」

 

「あ、いや……これ、僕の血が付いてるけど。良かったら、その……」

 

 

ユーリから修道服の上着を渡された。

 

 

「は?」

 

 

困惑しつつ受け取る。

 

何が言いたいのか?

これを着て欲しいのか?

何でだろうか。

 

私は更に視線を落とし、自分の格好を見る。

 

ズタズタに引き裂かれた修道服の下から、素肌が見えていた。

……理由がようやく分かった。

 

 

「……ユーリのスケベ」

 

「ち、ちが……誤解、誤解だよ……!」

 

 

慌てるユーリを見て、少し笑う。

でもこれ以上、揶揄うのは……やめておこう。

さっきまでの姿、ユーリに刺激が強かったかのは事実だし。

それに、服を貸すのは私に対する善意の行動だ。

 

 

「……でもまぁ……うん、ありがと。ユーリ」

 

 

少し頬を緩めて、血の付着したユーリの修道服を羽織る。

人の優しさを無碍にするのは、私も心が痛む。

 

……しかし、ユーリは私を見て少し呆けた顔をしていた。

 

 

「……何?ユーリ、どうかした?」

 

「あ、いや……ううん、何でもないよ」

 

 

ユーリは頬を赤くさせていた。

……きっと、先程の戦いで身体が火照っていたからだろう。

 

彼に対する治療も終われば、私の中の神聖力(エーテル)は空になっていた。

聖水も使ったし……ユーリの方も使っていたらしい。

本当に空っぽだ。

 

だから、身体は痛むけれど……後回しだ。

我慢できない程じゃないから。

 

そう、思って……後始末をしようと、していたのだけれど。

 

 

「……エルシー、少し良いかな」

 

「何?ユーリ」

 

「……その、もしかしてだけど。身体が、その、痛かったりする?」

 

「……はぁ」

 

 

ユーリの目は誤魔化せなかったらしい。

そんなに身体を庇うような歩き方をしていただろうか。

 

そう思いながら、小さく頷けば……ユーリは凄く心配そうな顔をした。

 

ほら、こんな顔されたくないから隠していたのに。

 

 

「……エルシー、良かったらだけど僕の背中に乗る?」

 

「……別に。それほど痛い訳じゃないから」

 

「そっか……ごめん」

 

 

断るとまた、申し訳なさそうな顔をして。

 

……はぁ。

ため息を吐けば、肋が痛む。

 

強がっても良い事はないかも知れない。

私は前髪をかき上げた。

 

 

「背負いたいなら、背負えば?」

 

 

そして口にした言葉は、上から目線で偉そうな言葉だ。

こんな事しか言えない自分を恥じる。

 

でも、ユーリは私の言葉に腹を立てず、笑顔になっていた。

 

 

「うん、ありがとう。じゃあ少し、失礼するね」

 

 

何の『ありがとう』だろうか。

迷惑をかけているのは私なのに。

 

私がユーリの背後に回って、手を首に回す。

背中から密着する形にして、ユーリは私の太ももに手を回した。

 

……ユーリって、こんなに大きかったっけ?

 

硬い背中に身体を密着させれば、普段よりも大きく感じた。

その事に少し驚きつつも、私は……嬉しく感じていた。

 

きっと、原作の主人公であるユーリが、ちゃんと……きっと、私が居なくなったとしても、戦えるぐらいに成長していると実感できたからだ。

 

落ちないように、手を回す力も少し強くなる。

破れた修道服の上から、彼の体温を感じ取った。

 

ユーリは私を背負っても、へっちゃらのようで……そのまま、『悪魔』達の居た路地裏の更に奥へ向かおうとする。

他に何もないか、生存者が居ないか……それを探るためだ。

 

静かな中、私はユーリに密着した状態で……揺られる。

 

 

「……エルシー」

 

「……何?」

 

 

また、名前を呼ばれる。

 

 

「その……また、僕と相棒(バディ)に戻って欲しいんだ。これから……その、頑張るから」

 

 

私は目を瞬いた。

もう、とっくに相棒(バディ)に戻ってるつもりだったから。

 

でもユーリからすれば、私が明確に話していないのだから不安にもなるだろう。

 

 

「……まぁ──

 

 

私は彼に好かれたくなかった。

私が死んだ時に泣いて欲しくなかった。

 

だけど……もう、きっと、私の願いは叶わない。

私が死ねば、ユーリはきっと泣くだろう。

きっと重く受け止めるだろう。

 

……三日ぐらいは、食事に手も付かなくなるんじゃないか。

なんて、思えてしまう。

 

私が死ねば。

 

私が死んでも……誰にも不幸になって欲しくなかった。

シェリが死んだ時、私が感じた感情を誰にも感じて欲しくなかった。

 

だって私は……自分自身の『奇跡(サイン)』の所為で長生きできない。

きっと私は……彼等よりも早く死んでしまう。

だから私は……。

 

私は……。

 

だけど私は……。

 

 

「…………」

 

 

沈黙。

ユーリは何も話さない。

私の返答を待っているからだ。

 

何を答えるかは決まっている。

だけど、どう答えるかは迷っていた。

 

私は悪辣に、そう、ユーリが不快に感じるように答えようかと。

 

そう、思って……だけど、もう、そんな事に意味がない事も分かっている。

 

だから、悩んで、悩んで。

 

私は口を開いた。

 

 

「……今の私にとって、ユーリだけが私の相棒(バディ)だから──

 

 

思っていたことを、そのまま伝える。

 

 

「もう相棒(バディ)を解散するなんて言わない」

 

 

どうしてだろうか。

ユーリに対しては……取り繕わず、本音で話してしまうのは。

 

 

「ごめんね、ユーリ」

 

 

だけど心の中にある靄が晴れるように、口にしてみれば清々しい気持ちだった。

 

 

「それと、ありがと」

 

 

私のような人間に対して、優しくしてくれる彼への感謝だ。

きっと、今までだったら天と地がひっくり返っても言わなかっただろう。

 

それでも……どうしても、言いたくなってしまった。

きっと身体も心も弱っているからだ。

そうに違いない。

 

私の言葉に、ユーリがどんな表情をしているかは分からない。

私から見えるのは、ユーリの後頭部だけだ。

 

そして──

 

 

「……ありがとう、エルシー」

 

 

ユーリは短く、感謝の言葉を吐いた。

私はそれを受け取った。

 

今はただ、それが心地よかった。

互いに互いを尊重できていることが……そんな当たり前の事が凄く、心地よかったから。

 

揺られて、また路地裏の奥へと向かう。

 

 

「……エルシー、その言いたくなかったら言わなくても良いんだけど」

 

「……うん」

 

 

少し遠回りな、質問の前置きに私は頷く。

まぁ、ユーリからは見えないだろうけど。

 

 

「エルシーの持ってる『奇跡(サイン)』について、なんだけど」

 

 

少し身を強張らせた。

それでもユーリは、言葉を続けた。

 

 

「アレって、その……どんな効果なの?えっと、どんな代償が……あるの?」

 

「……それは──

 

 

口籠る。

しかし、きっともう……黙ってやり過ごす事は出来ない。

 

ユーリは良い人で。

彼にとって私は大切な人で。

私にとっても彼は大切な人だ。

 

 

「……色々出来るの。力を強くしたり、神聖力(エーテル)を生み出したり」

 

「そうなんだ……凄いや」

 

 

きっとユーリが知りたいのは、『奇跡(サイン)』の良い面ではなくて……きっと、悪い面だ。

私が『奇跡(サイン)』を使いたがらない、その代償が知りたいのだろう。

 

 

「それで、私が……その『奇跡(サイン)』を使うと──

 

 

ユーリには笑っていて欲しいから。

 

幸せになって欲しいから。

 

 

 

だから、私は──

 

 

 

 

 

「ほんの少しだけ、体調が悪くなるから」

 

 

 

 

嘘を、吐いた。

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

空の黒い雲は消えて、本当の日光が照らしている。

原因の『悪魔』が消滅して、効能が切れたのだろう。

 

路地裏の奥も明るく照らしている。

 

だからこそ、私達はその景色を直視するはめになった。

 

 

「……こ、れは……」

 

 

ユーリが呼吸を荒くする。

だけど、仕方のない事だろう。

 

こんな、景色を見れば。

 

 

壁には穴が幾つか開いていた。

直径から、花形の『悪魔』の触手だったのだろう。

 

消滅した今、そこに刺さっていた物はない。

だから……その消滅した『触手』に支えられていた物が地面に転がっていた。

 

人だ。

 

目と鼻と口……穴という穴から、血と体液が混ざった物を溢している人だ。

それが、何人も。

 

 

「……ユーリ、私、降りるから」

 

「う、うん」

 

 

ユーリの背から降りて、倒れている人の首に触れる。

……生きている。

 

けど、生きているだけだろう。

呼吸は小さく、息も……かろうじて、か。

 

 

「……何で、こんな……酷すぎるよ」

 

「早贄よ、きっと」

 

 

地面に転がっている少女……まだ、成人していない彼女に触れた感触。

痩せていて、そして……脳が、心が壊れているのが分かる。

 

壁に空いた無数の穴と、転がっている人の数が合わないのも……きっと、それが理由だ。

 

 

世の中には、自身が捉えた獲物を木に刺して保存する鳥が存在する。

早贄という行為だ。

 

……それを人間相手にやっていたのだろう。

花形の『悪魔』の霧で脳に負荷を掛けて破壊し、ただ生きるだけの保存食にしていた。

 

それが実態だろう。

 

私は地面に寝転がる少女から手を離した。

 

 

「……これはきっと、『治癒』の『奇跡』では治せない」

 

 

私は自分の腕へ目を落とした。

ユーリを庇って『悪魔』に噛み砕かれた腕……それですら、傷跡が残っている。

 

そして、脳はかなり繊細だ。

形だけ取り繕った所で……きっと、もう、社会に復帰する事は出来ない。

 

 

「……でも、僕は……連れて帰るよ。聖地レイラインにいる『聖人』の『奇跡(サイン)』なら、少しは良くなる……かも知れないし」

 

「……そう。私も手伝うから」

 

 

倒れている人達の状態を確認していく。

反応を確認しつつも、それでも症状は重い。

 

嫌になる作業だ。

人を助けるために来たのに、助けられない事を突き付けられる感触は。

 

……私はまだ、大丈夫だけど。

ユーリは目に涙を浮かべていた。

 

そうして、介抱しつつ状態を確認していれば……目に、修道服が見えた。

うつ伏せに倒れている二人の祓魔師(エクソシスト)だ。

 

 

「……私達より先に派遣された祓魔師(エクソシスト)か」

 

 

二人、揃っていた。

相棒(バディ)で来たのだろう。

 

私はその一人を仰向けにして──

 

 

「あ……」

 

 

知っている顔だった。

 

それは……私が港町ウェラポリへ出る前に、口論した相手だった。

 

連節棍(フレイル)祓魔師(エクソシスト) ミア』と、『曲剣(ショーテル)祓魔師(エクソシスト) リリ』。

ウェラポリでの任務を受けようとしていた……二人の、『中位』の祓魔師(エクソシスト)

 

……原作通りなら、ウェラポリでの任務で片方が死んでしまうからと……私が、任務を奪った相手だ。

 

そんな彼女達は今、目の前で──

 

 

「……私の、所為?」

 

 

口の中が乾く。

暑くもないのに汗が流れる。

 

私が任務を奪った所為で、この任務を代わりに受けたのか?

その結果が……これか?

私がウェラポリでの任務に手こずった所為で、大切な時に聖地レイラインに居なかった所為で、彼女達は代わりに……?

 

呼吸を、しないと。

息が、息が荒れる。

 

 

「……あ、ぁ……私が……」

 

 

彼女達を助けたつもりでいた。

だけどそれは偽りだった。

 

私の所為だ。

 

 

「私の、所為だ……」

 

 

私の所為だ。

彼女達がこんな姿になってしまったのは、私の所為だ。

 

私の所為だ。

私が選択を間違えたから。

知っていたのに、知っていたつもりになっていたのに。

 

それが原因で……私の──

 

 

「エルシー」

 

 

背中から声をかけられた。

 

呼吸が戻る。

汗が地面にポタリと落ちた。

 

早鐘のようになる心臓を抑えて、私はユーリへ目を向けた。

 

 

「っ、何?」

 

「えっと、あっちの人達は取り敢えず、楽な格好にさせたけど……その、どうかしたの?」

 

 

私の溢した言葉はユーリに聞こえていなかったようだ。

安堵の息を漏らして、冷静さを取り繕い、首を横に振った。

 

 

「別に?何でもないんですけど?」

 

「……それなら、いいけど。何か辛い事があったら、教えて欲しい」

 

「……別に?ちょっと過干渉じゃない?」

 

「……そ、そうかなぁ?」

 

 

釈然としないユーリを誤魔化しつつ、地面に転がる二人の祓魔師(エクソシスト)を見た。

 

ごめんなさい、と内心で呟いて視線を逸らした。

 

忘れた訳ではない。

この世界は残酷だ。

 

悪趣味で悪辣な鬱ゲーの世界だ。

だから……私は……。

 

この世界の不幸を……なくしたい。

鬱ゲーを壊したい。

壊さなきゃならない。

 

服の胸元を掴む。

ユーリから借りている修道服の上から、自分の心臓の音を感じた。

 

跳ねる心臓が、私がまだ生きているのだと。

やるべき事がある筈だと教えてくれていた。

 




まだまだ続きます


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#11 割れた杯、注がれた命

商業都市ジュネスでの騒動は、収束の兆しを見せていた。

収束した……とは言えない。

 

原因の『悪魔』の討伐に成功したが、住民達が洗脳されていた所為で現在も混乱している。

死者の数すら正確に把握できていない程だ。

 

それに『悪魔』の早贄となっていた祓魔師(エクソシスト)含む、住民達は回復の目処が立っていない。

現在は聖地レイラインにて療養中だが……聖人による『奇跡(サイン)』の治癒を行なっても、意識は朦朧としたままだ。

……言葉も話せず、呆けた状態が続いている。

 

恐らく、脳にダメージを負ったのだろう。

これから治るのかは分からない……痛ましい話だ。

 

 

そして、私達について。

 

 

ユーリも『治癒』の『奇跡(サイン)』を持つ聖人によって治療された。

私が応急処置を施したのもあるが、傷がそもそも浅かったのもあり当日、病床から返された。

 

対して、私は──

 

 

「…………」

 

 

ベッドの上に転がっていた。

 

花型の『悪魔』、その自爆を直撃した結果、私は全身を損傷していた。

『治癒』の『奇跡』を模倣した事によって、ある程度治していたが……逆にそれが悪かったようで。

骨が歪に治っていた為、全身が軋むように痛むようになってしまい……聖人によって正しい治療を施された。

 

一度、骨の形状を変形させて正常な形に戻す……などという、現代医療もビックリの『奇跡(サイン)』治療によって私の骨は正常な形状に戻った。

 

のだが……骨にまだヒビが入っている状態に戻っており、身体に馴染むのを待っている状態だ。

 

全治三日。

骨を複雑骨折したにしては短いが、この世界の『奇跡』を考えると長めの入院となる。

 

治癒系統の『奇跡(サイン)』を持つ聖人に「安静に」と念押しされてしまった事を思い出す。

私は無意味に自分の体を痛めつけたい訳じゃない。

専門家の指示には従うつもりだ。

 

 

そして、療養所に入所させられた翌日──

 

 

「……何で来てんの?」

 

「見舞いだが」

 

「……呼んだ覚えはないんですけど」

 

 

私の師匠にして保護者代わり、フロイラが来ていた。

正直、病床で安静にしているだけだと心細かったから……いや、別に嬉しくないけど。

 

 

「まぁ、そう言うな。見舞いの品もある」

 

「……なに?」

 

 

そう言いつつ、よく分からない花を花瓶に入れた。

……療養所の飯は不味いし、どうせなら果物とかを持って来て欲しかったが。

まぁ、ありがたく受け取っておこう。

 

 

「それで、エルシー。ユーリとは仲直り出来たのか?」

 

「はぁ?仲直りぃ……?」

 

 

私は目を瞬く。

……そうか、商業都市ジュネスまでユーリが追いかけて来たが、フロイラの助言でもあったのか。

 

目を細めて、視線を逸らす。

 

 

「何で私に訊くの?ユーリに訊けば良いと思うんですけど」

 

「ユーリからは聞いている」

 

「は〜?じゃあ、ユーリの言ってる通りって事で。答えるのも、だるいんですけど」

 

 

不可解だと眉を顰めると、フロイラは怯まずに微笑んだ。

 

 

「私は、お前自身から聞きたくてな」

 

 

何とも面倒だと思いながら、フロイラらしいなとも思う。

10歳程度しか変わらないのに、母親のような態度を取る彼女を……鬱陶しい、なんて思えなくて。

ほんの少しだけ、嬉しい。

口が裂けても言わないが。

 

私は眉間を揉んだ。

 

 

「……元々、ユーリとは喧嘩してないし。ちょっと間違っただけだから」

 

「ふむ、そうか」

 

 

何か納得したように笑うフロイラに首を振る。

 

 

「……そもそも、私がどうだろうと他人のアンタには関係ないんですけど」

 

 

なんて、拒絶の言葉を吐けば……ちょっとだけ、ズキリと痛んだ。

体だけじゃなく、心も。

 

ユーリと同じで、フロイラには何をしても嫌われる事が出来ないかもしれない。

だから、こうして拒絶するような態度を取る意味は……正直、無いのかも知れない。

 

だからと言って、急に態度を変えるのも……「何故、今まで態度は悪かったのか?」と疑われてしまうだろう。

そうなれば……聡いフロイラの事だ、私の『奇跡(サイン)』について辿り着いてもおかしくはない。

ユーリと違って誤魔化されなさそうだし。

 

だから、現状維持。

つまり、決断から逃げたのだ。

 

そんな臆病者の私へ、フロイラが視線を向けた。

 

 

「それで、エルシー。ユーリとはどうなんだ?」

 

「……さっきから何が言いたいか、よく分かんないですけど?どうって、何?」

 

 

片眉を上げて、首を傾げる。

 

 

「進展はあったのか?」

 

「進展?」

 

「そう、進展だ」

 

 

本当に何が言いたいのか分からない。

ぐるぐると頭の中で情報を回して……思い当たる節が一つだけあった。

 

 

「ま、『中位』の『悪魔』相手なら余裕なぐらい強くなった。今回、戦闘に不向きと言っても『上位』に勝ってるし……そこそこって感じ?」

 

 

フロイラは私の師匠でもあるが、ユーリに色々と教えていた。

だから、今回の任務でのユーリの話が聞きたかったのだろう。

 

と、フロイラに視線を戻すと──

 

 

「……はぁ、そういう話ではなくてな」

 

 

大きなため息を吐かれた。

どうやら不正解だったらしい。

 

 

「は?じゃあ、どういう話?」

 

 

私が訊くと、フロイラが椅子に深く腰掛けた。

長話するつもりなのだろう。

 

……まぁ、ベッドに寝ているだけでは暇だし、こうして話し相手になってくれるのは嬉しいけど。

 

 

「エルシー。世の中の相棒(バディ)の三割程が、男と女の別性別なのは知っているか?」

 

「……は?あー、まぁ、そうなの?」

 

 

意図の読めない発言に、私はまた首を傾げた。

 

 

「そして異性間の相棒(バディ)の大半が、恋仲になっている」

 

「……まぁ、一緒に任務を熟して、寝食共にしてれば……そういう人達もいると思うけど」

 

 

確かに。

私の知っている異性間の相棒(バディ)の殆どがカップルか、夫婦だ。

苦難を共にしていれば、そういった感情が芽生える事もある……もしくは、相手が嫌になって相棒(バディ)を解散するか。

 

だがまぁ、そもそも男女の相棒(バディ)自体が少ないけど。

 

私は麻の枕を膝の上に置いて、肘をつく。

 

 

「で?結局、何が言いたい訳?」

 

「それはだな──

 

 

フロイラが強面な顔で笑みを浮かべ、指を立てた。

 

 

「ユーリとの間に、そういう関係は──

 

「ある訳ないんですけど?バカバカしい」

 

 

私は、ため息を吐いた。

 

ユーリが私に惚れる事なんてない。

私の服の下は傷痕まみれだし、同年代に比べて身長も低いし。

性格も悪いし。

誰がこんな面倒な女に惚れるというのか。

 

そもそも、私には成人男性一人分の記憶がある。

お陰様で性自認も中途半端で、美男を見ても少しも恋心を抱かない。

 

 

試しに少し、無理やり想像してみる。

 

ユーリと恋仲になって、結婚して、子供を……。

私の名前を呼んで、抱きっ……。

いや……うん。

 

……ないな。

 

 

「……………」

 

 

いや、そもそも私は生い先短い。

恋仲になったとしても相手が辛いだけだ。

出来るだけ、私の事を大切に思うような人を減らそうと思っているのに、恋人なんて作る訳がない。

だって私は──

 

 

「エルシー?」

 

「……は?え、何?」

 

「いや……すまないな、不躾な質問だった」

 

「……まぁ、それはいつもの事なんですけど。不躾じゃない時ある?」

 

 

私の言葉にフロイラは苦笑して、首の裏を掻いた。

なんなんだ、いったい。

 

 

「しかしまぁ……ユーリは結構、優良物件だと思うが」

 

「は?どこが?」

 

「努力家で性格も悪くない。実力も付けてきた。顔も悪くない」

 

「……まぁ、顔以外はそうかも」

 

 

確かにユーリの顔は、まぁ、前世基準で考えれば凄く整っているが。

幼さが残っているというか、可愛い系だが。

 

この世界はゲームの世界だからか、美男美女が多い。

ユーリがこの世界基準でイケメンかどうかなんて、正直分からない。

 

しかしまぁ……フロイラは何故、こうも彼を薦めるのか。

私は目を細めて、口を開いた。

 

 

「げっ。アンタ、もしかしてユーリの事を──

 

「いや、違う……流石に、な?10も歳が離れているんだぞ?」

 

 

慌てて彼女が首を振った。

私は更に目を細める。

 

 

「なーんか、怪しいと思ってたけど」

 

「いやいや、だから違うと言っているだろう。あと10年早く……せめて、5年早く生まれていれば、考えたかも知れないが」

 

 

取り繕っている様子に嘘はなさそうだ。

 

しかし……『斧槍(ハルバード)祓魔師(エクソシスト) フロイラ』、彼女は原作の登場人物であり……ヒロインの一人だ。

どれだけ『違う』と否定しても、原作で10歳歳下の男に手を出したという情報が頭にチラつく。

分岐によっては、だが……この世界で彼女とユーリの関係がどうなるか、その保証はない。

 

だがまぁ、今の状況ではユーリとフロイラが恋仲になる事はなさそうだ。

 

私は安堵し──

 

 

「…………」

 

「私は、そこまで節操がないように見えるか?」

 

 

何で、安堵したのだろう。

……あ、いや、そうか。

 

恋にうつつを抜かされたら、祓魔師(エクソシスト)としての仕事が疎かになる可能性があるからか。

迷惑をかけられるのは相棒(バディ)である私だから、うん。

 

 

「ま、そんなのどうでもいいけど。別に、ユーリの事を男だと思った事ないし」

 

「……む?なら、何だと思っているんだ?」

 

「奴隷?」

 

「…………」

 

「もしくは……子犬とか?」

 

 

私がそんな事を言う度に、フロイラの顔が顰められる。

結局の所、私とフロイラの会話はギスギスとしたものだ。

 

正確には私の態度が悪いだけかも知れないが。

側から見れば喧嘩しているようにしか見えないだろう。

 

まぁ、でも──

 

 

「…………ふん」

 

 

私は、彼女と会話するのは好きだが。

決して、その事を口にはしないけれど。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

太陽が傾き、空は茜色に染まっている。

病室の外の景色から視線を逸らし、私は手元の本を読む。

 

大衆向けの娯楽小説だ。

ここの病室に積んであった本で、暇潰しにと読んでいる。

 

……まぁ、所謂、恋愛小説だが。

 

 

「……はぁ」

 

 

本を閉じる。

面白いか、面白くないかは分からないが……私には向いていないようだ。

 

男女の機敏とか全然、分からないし。

元は男で、今は女だけれど……どっちも、よく分からない。

 

私は中途半端な人間だから。

 

少し硬めの毛布を膝までかけて、腰を落とす。

 

……眠気はない。

暇すぎて昼間に沢山寝てしまったから。

 

 

なんて……思ってると──

 

 

病室がノックされた。

 

 

「……ぅん?」

 

 

病室にいる私の見舞いに来るような人間?

……ユーリか。

 

今日は彼も用事があるし、来ないと思っていたが。

 

 

「……鍵は開いてるし、好きに入れば?」

 

 

なんて言葉を口にする。

本当に暇だったから、思わず嬉しくなってしまった。

 

寝てばかりだったから、少し跳ねてしまった桃色の髪を手で直しつつ、ドアが開くのを待ち──

 

 

「失礼します、エルシーさん」

 

 

入って来たのはユーリではなく、女だった。

しかも、見覚えのある女だ。

 

私が勝手に苦手意識を持っている。

そんな、女……。

 

 

「げっ……」

 

 

そこには小豆色をした修道服を着た祓魔師(エクソシスト)が立っていた。

……私の修道服と同じ小豆色、つまり『上位』の祓魔師(エクソシスト)だ。

 

濃い緑色の髪をした、長髪の女性……私の元相棒(バディ)であるシェリの師匠。

 

薙刀(グレイブ)祓魔師(エクソシスト) ミレイユ』から、私は視線を逸らした。

 

 

「お身体に大事はありませんか?」

 

「……見ての通り、重傷、なんですけど」

 

 

嫌味を言うにも、少し躊躇う。

 

私は彼女に負い目がある。

弟子であるシェリを死なせてしまった負い目が。

 

だが、そんな私の感情も気にせず、ミレイユは私に変わらず優しく接してくれている。

だから、苦手(すき)だ。

 

 

「幾つか果物を買って来ました。よろしければ、今食べますか?」

 

「果物……た、食べる、けど」

 

 

しかし、食欲には勝てない。

フロイラは食えない花を持って来ていたが、やっぱり私は食える果物の方が嬉しい。

 

彼女は手元のカゴから林檎を出して、小さなナイフで剥き始めた。

棚から皿も取り出して。

 

その様子を、私は期待していないフリをして視界の片隅に残しておく。

 

すると──

 

 

「エルシー、少し話したい事があるのですが」

 

「……でしょうね。じゃないと、ここに来ないと思うし」

 

「それは……すみません」

 

 

私が嫌味を言うと、目に見える形で眉を下げた。

慌てて、私は取り繕う。

 

 

「べ、別に?気にしてないし」

 

 

やっぱり苦手だ。

彼女を傷付けると、フロイラと違って本気で受け止めてしまうから。

 

時間が進む。

 

 

静かな夕焼けに照らされる中、更に林檎が盛られた。

 

 

「はい、エルシー」

 

「……ありがと」

 

 

皿を受け取って、私は銀のフォークで林檎を口に含む。

甘すぎず、程よい酸味が疲れた身体に沁みるようだ。

 

ほんの少し、元気を貰っていると……私はミレイユの視線に気付いた。

 

 

「で?何?」

 

「それは、えっと……そうですね。単刀直入に訊きたいのですが──

 

 

そこには躊躇いの感情が透けて見える。

 

 

「貴女は『聖人』なのですか?エルシー」

 

 

思わず、食器を落としそうになった。

それ程までに驚いてしまったからだ。

 

 

「は?何の話〜?何を根拠に、言ってんの?意味分かんないですけど?」

 

 

認める訳にはいかない。

聖葬教会は、『奇跡(サイン)』を持つ祓魔師(エクソシスト)を前線に送り出す事はない。

『聖人』として、死ぬまで飼われるだけだ。

 

それは聖葬教の信仰上の都合であり、悪意などはなく、善意による保護だ。

 

それでも、私は……祓魔師(エクソシスト)として『悪魔』と戦いたい。

いや、戦わなければならない。

 

だから、自身が『聖人』である事を認める訳にはいかない。

 

 

「根拠ですか……」

 

「そ、根拠もないのにそんな──

 

「私も同じだからですよ」

 

「……は?」

 

 

何が同じだと言うのか。

私が目を瞬くと──

 

 

「私も『奇跡(サイン)』持ちの……教会未報告の『聖人』なんですよ」

 

「はぁ……!?」

 

 

思わず前のめりになって……骨が軋んで、悶えた。

だけど、だって、仕方ないだろう。

 

ミレイユが『聖人』だなんて設定は、ゲームでは公開されてない情報だ。

いや、だから、まさか──

 

 

「鎌をかけようったって──

 

「嘘ではありません」

 

 

ミレイユが私に視線を向ける。

その目は……虹色に輝いていた。

 

詠唱破棄した『奇跡』……ではない。

この『奇跡』は101の模倣可能な『奇跡』に含まれていない。

 

 

「っ、分かったから……それ、やめてよ」

 

「……はい。ですが、知っているのですね」

 

「……当然。私、自慢じゃないけど……『奇跡』には詳しいから」

 

 

聖女レイラインが残さなかった『27の知られざる奇跡』の1つ。

『上位』の祓魔師(エクソシスト)しか拝見できない、機密書類上にのみ記載されている『奇跡(サイン)』。

 

 

「私の持つ『奇跡(サイン)』は『視力を代償に、何もかもを見る事ができる』です」

 

「……そんな今、適当に使って良かったの?」

 

「はい。使い過ぎれば目が見えなくなるでしょうが、この程度であれば問題ありませんから」

 

 

私が安堵のため息を吐くと、ミレイユが少し頬を緩めた。

 

 

「やはり、その優しさはシェリの相棒(バディ)だった頃から……変わってませんね」

 

「……チッ」

 

 

目に見えるように舌を打つ。

そして、腕を組んでベッドにもたれ掛かった。

 

 

「で?それで私が『奇跡(サイン)』持ちだって分かったの?」

 

「いえ、少し違います。私の『奇跡(サイン)』は何でも見れますが……自分自身についてと、『奇跡(サイン)』については何故か見えないんですよ」

 

「……へぇ、そうなの」

 

 

全ての『奇跡(サイン)』は元々、聖女レイラインの物だった。

自分自身が見えない……のならば、元々、源流を同じとする『奇跡(サイン)』について見えないのも分からなくない。

 

しかし、何故、それなら──

 

 

「失礼ですが……私はエルシーに対して、何度かこの『奇跡(サイン)』で盗み見してるんですよ」

 

「……それで?『奇跡(サイン)』については見えないのに、何で私が『聖人』だって分かったの?」

 

 

私は最早、否定しない。

彼女相手に嘘や誤魔化しは無意味だと悟ったからだ。

 

 

「……貴女の、身体の奥にある光です」

 

「急に抽象的すぎなんですけど」

 

 

私が疑惑の視線を向けるも、ミレイユは少しも表情を変えなかった。

悲しそうな目で私を見ていた。

 

 

「その光は誰にでもあります。そして、子供であれば大きく……老いれば、小さく」

 

「……それで?」

 

「時には若く小さい人もいますが……そういう人は身体が悪いか、これから悪くなるか……そう、見えるんですよ」

 

「…………」

 

 

私はようやく、彼女の見えている『光』の正体を理解した。

 

 

「『光』とは、身体に残っている生命力、つまり『寿命』です」

 

「……あっそ」

 

 

私が『奇跡(サイン)』の代償に支払っている物……それが『光』の正体だった。

そして、ミレイユにはそれが見えているという事は──

 

 

「初めて会った時から……そして、今。貴女は他人の減り方とは比べ物にならない速度で……その『光』を消耗しています」

 

「…………」

 

「貴女は……何らかの、寿命を代償にする『奇跡(サイン)』を持っている。違いませんか?」

 

 

毛布を、握りしめた。

息を深く吐いて、静かに黙り込む。

 

真っ赤な夕焼けが私を照らしている。

酷く静かで……自分の心臓の音だけが、聞こえてくる気がした。

 

また、息を吸って……深く息を吐いて。

視線をミレイユへと戻した。

 

 

「……それ、他の人に言った?」

 

「いいえ、まだ」

 

「…………」

 

 

まだ、という事は場合によっては言うつもりなのだろう。

先程の沈黙を、肯定として受け取ったミレイユは目を細めた。

 

 

「エルシー、貴女は──

 

「教会には言わないで……お願いだから」

 

 

私に残されたのは行動は、懇願だけだった。

どうか、見逃して欲しいという命乞いだ。

 

しかし、ミレイユは首を横に振った。

 

 

「ダメです」

 

「……何で?」

 

「これ以上使えば、貴女は死んでしまいます。それは見過ごせませんから」

 

「……っ、教会に言うなら、アンタも『奇跡(サイン)』持ちだって教会に──

 

「構いませんよ」

 

「は……?」

 

 

ミレイユの目には、確かに覚悟があった。

この女は、やると言ったらやるのだと。

そう思えるほどに。

 

……頑固だ。

弟子のシェリも、そうだった。

 

 

「私も教会に飼い殺しにされたくはないですが……それでも、貴女の方が優先です」

 

「……面倒くさ」

 

 

私が眉を顰めて睨んでも、彼女は少しも気にしなかった。

 

時計の針が進む。

夕暮れはもう少しすれば、暗闇へと変わってしまう。

 

だから──

 

 

「ミレイユ、私は……」

 

 

だから、言いたくはなかった話を……彼女にしようと、口を開いた。

 

気恥ずかしさと共に、強烈な喪失感を思い出す。

幸せな夢だけど、もう二度と見る事ができない夢を。

 

 

「……シェリを、見捨ててしまった」

 

 

口にした。

ミレイユは黙ったまま、私の言葉を聞いている。

 

 

「自分の奇跡(サイン)を使う事を躊躇って……死なせてしまった。そんな私を、ミレイユが心配する価値はない」

 

 

普段の口調すら形を潜めてしまう。

それ程までに真剣な言葉は……それでも、ミレイユには響いていないようだ。

 

 

「貴女の価値を決めるのは、貴女自身だけではありません」

 

「だから、私は──

 

「それでも、ですよ。エルシー、貴女は好かれています。沢山の人から」

 

 

私は口を閉じた。

ユーリ、フロイラ……そしてこの、ミレイユも。

どうして私の事を嫌ってくれないのか。

どうして私の事を『どうでもいい』と思ってくれないのか。

 

あぁ、本当に……本当に本当に本当に、嫌だ。

 

 

「貴女の光を見れば分かる話です。貴女は見捨てた、なんて言っていましたが……人を助けるために、寿命を捨てて『奇跡(サイン)』を使っているのでしょう?」

 

「…………」

 

「自らの命を削ってまで、誰かを助けようとしてしまう貴女を貶める事は出来ません」

 

 

本当に面倒だ。

……この、女は……正しいから。

納得はしたくないけれど、私が同じ立場なら……きっと、そうするから。

 

 

「……教会には療養所から出た後に連絡を──

 

 

ミレイユが立ち上がった瞬間──

 

 

「私の相棒(バディ)は……ユーリは、どうなるの?」

 

 

溢れた言葉は純粋な疑問。

何の意図もない、私の心にある心配。

 

それを聞いたミレイユは、私に視線を戻した。

 

 

「……新しい相棒(バディ)を組む事になるでしょうね。貴女は『聖人』として、聖地に留まる必要がありますから」

 

「……そう」

 

 

立ち上がる事も出来ない。

毛布を握りしめたまま、私は……考える。

 

ここで私はリタイア、か。

死ぬより先に引退となってしまっただけだ。

いずれ、祓魔師(エクソシスト)の職務の中で死ぬものだと思っていたけれど……。

 

私は誰かを助けたくて、祓魔師(エクソシスト)をしていた。

だけど、結果は全て良かったとは言い難い。

 

助けようとしても間に合わなかったり、助けた人が別の『悪魔』に殺されてしまったり……商業都市ジュネスに派遣された祓魔師(エクソシスト)達のように。

 

だから、私が祓魔師(エクソシスト)としての職務が果たせなくなっても……きっと大きな影響はない。

 

 

「…………」

 

 

ユーリだって、もう大丈夫だ。

充分に強くなった。

私なんか、居なくても。

きっと……祓魔師(エクソシスト)としてやっていける。

私よりも多くの人を助けられるだろう。

 

 

だから──

 

 

だけど──

 

 

それでも──

 

 

「……嫌だ」

 

「…………エルシー?」

 

 

何が正しいか。

どうすればいいか。

 

それだけで考えてきた。

だけど、私だって人間だ。

我儘な一人の人間だから。

 

 

「私は……祓魔師(エクソシスト)を辞めたく、ない」

 

「……そうかも、しれませんが──

 

「これから先、自分の寿命が減っていったとしても……長く生きられないとしても──

 

 

軋む身体を堪えて、ミレイユに身体ごと視線を向ける。

 

 

「穏やかに生きたい訳じゃない。短くても、危険でも……後悔しない生き方をしたい」

 

「…………」

 

「ミレイユだって、そう思ってるでしょ?だから、その『奇跡(サイン)』について黙っている」

 

 

私の言葉に、ミレイユは視線を逸らした。

そんな彼女に私は言葉を重ねる。

 

 

「私は……私の前で死んでしまった人達に誇れる生き方をしたい。最後まで……私は、私の望むように生きたい」

 

「ですが──

 

「それを死んでしまった人達が望んでいないとしても。私も死ぬ瞬間に、後悔だけはしたくない」

 

 

ミレイユが少し苦しそうな顔をした。

それは意見が押し負けたから、ではない。

きっと、この言葉がただの我儘だと理解しているに違いない。

 

それでも、彼女は共感してしまっているのだ。

何故なら、彼女も『奇跡(サイン)』の存在を隠してまで、祓魔師(エクソシスト)として人助けに命をかけている我儘な一人だからだ。

 

 

「ミレイユ……分かるでしょ?」

 

「……えぇ、分かります。分かりますが……」

 

 

彼女は悩んでいる。

あと何か、一押しあれば黙ってしまいそうな程に。

 

だから──

 

 

「私の『奇跡(サイン)』、もう使う気はないから」

 

「……え?」

 

相棒(バディ)のユーリは、代償の詳細すら知らず……使わずにいられるようにって、頑張るって……言ってくれたから──

 

 

私は手に込めていた力を緩めた。

毛布は膝の上に落ちる。

 

 

「もう使わない。約束を守りたいから。だから、ミレイユ……」

 

 

私の言葉は全部、全部が全部、正しくはない。

理屈もない、正当性もない。

ただ感情に訴えかけるだけの懇願だ。

 

だけど、ミレイユには──

 

 

「……っ、分かりました。いいでしょう……教会には、言わないでおきます」

 

 

響いたみたいだ。

 

彼女は手で己の額に触れて、ため息を吐いた。

様々な感情が入り乱れているのだろう。

 

 

「……ごめんなさい、ミレイユ」

 

「……いえ、私の方こそ。要らないお節介だったようですね」

 

 

ミレイユは疲れたような顔で、椅子に腰掛けた。

『上位』の祓魔師(エクソシスト)である彼女が、こんな短時間立っているだけで疲れる訳がない。

 

だから、ただ……精神的に疲れただけだろう。

それだけ、私に対して真剣に考えてくれた証だ。

 

少し後悔をしてそうな表情に、それでも……私は口を開いた。

 

 

「それで?……どうして今更、こんな話をしに来たの?」

 

 

そう、ミレイユと出会ったのは何も最近ではない。

恐らく、きっと、私の事情についてとっくに気付いていたに違いない。

なのに、何故、今更、こんな時に?

 

 

「先日、貴女が怪我をしたと……聖地レイラインに運ばれて来た時、私は驚いたんですよ」

 

「…………」

 

「この目で見て、ハッキリと分かるほどに『光』は小さくなっていました」

 

 

ミレイユは手を、膝の上で組んだ。

 

 

「ごめんなさい、エルシー。私は私の事情で、貴女の『奇跡(サイン)』について話せずにいたんです。貴女は、シェリを見殺しにしたと言いましたが……それならば、私も同罪です」

 

 

その考えは分かる。

彼女が私に『奇跡(サイン)』について話すという事はつまり、自身も『聖人』である事を自白するような物だからだ。

 

……その事情を鑑みても、私を止めたくなった。

その理由が、今の私を見て……出来たという事は、つまり。

 

 

「ミレイユ……私は、あと……どれぐらい、生きられるの?」

 

 

残りの『光』が、見過ごせない程に小さくなっているという事だ。

だから、彼女は私に声をかけた。

 

……なんて、最悪の想定は──

 

 

「…………」

 

 

正しかったようで、ミレイユは沈痛な面持ちをしていた。

どう話すべきか、と悩んでいるようにも見える。

 

 

「……ミレイユ、私は覚悟はしてるつもり、だから」

 

 

いつ死ぬか、なんて分からないまま代償を払い続けてきた。

いつ死んでも、良いように。

 

後悔だけはしたくなくて、身を削って祓魔師(エクソシスト)として戦い続けてきた。

だから、今も後悔はない。

 

少しは怖いけれど……それでも、後悔はしない。

あと、何年、何ヶ月、何日……何時間の命だったとしても。

 

 

「……エルシー、貴方は……もう……後は──

 

 

 

ミレイユは泣きそうな顔を浮かべながら、私に視線を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「6年、しか生きられません」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「は?あと6年も?」

 

 

私は、ずる、と毛布を落とした。

緊張していた体は弛緩して、ベッドに体重を預けた。

 

なんだ、あと6年もあるのか。

アレだけ重い空気だったのに、拍子抜け──

 

 

「っ、あと、6年だけしかないんですよ……!?」

 

 

しかし、ミレイユは表情を険しくさせた。

普段の穏やかな表情からは想像できないほどに、彼女は怒っていた。

逆に私は少し驚いて、身体をのけぞった。

 

 

「ま、まぁ落ち着きなさいよ……?」

 

「そんなのだから……!自分のことをもっと、大切に……し、ないと……」

 

 

しかし、少しずつ勢いは弱まって、また悲しそうな表情に戻った。

……こんな気持ちにさせたかった訳ではなかった。

私の寿命について、訊かなければ良かったと思った。

 

 

「……ま、まぁ、分かったから。これからは、なるべく『奇跡(サイン)』を使わないようにするし」

 

「なるべくって……!」

 

「し、仕方ないでしょ?目の前で誰かが死にそうになったら、きっと使うし……!」

 

「それはっ……!そうかも、知れませんが……」

 

 

また、言葉尻が小さくなった。

 

きっと、私とミレイユは似た物同士だ。

だから、私の考えを否定したくても否定できない。

 

 

「もういいです……ですが、本当に『奇跡(サイン)』は使わないで下さいね」

 

「まぁ、努力はするわ。無駄に死にたい訳じゃないし」

 

「…………次、使ったら本気で叱りますからね」

 

 

なんて、物騒な言葉を吐いて、ミレイユは椅子から立ち上がった。

そのまま、病室に入ってきた時よりも力なく、ドアを開いた。

……そんな後ろ姿に、私は口を開く。

 

 

「ミレイユ、ありがとう……それと、ごめんなさい」

 

 

ピクリ、とドアノブを握る手が動いた。

そして、ミレイユは振り返りもせず──

 

 

「……礼は言わないで下さい。私は結局、何も出来ませんでしたから」

 

 

ドアを開けて、出て行った。

私はその後ろ姿に、もう声は掛けられなかった。

 



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#12 彗星の尻尾

ミレイユが帰って数時間後。

もう夕方じゃなくて夜になろうかって時に……また、来客が来た。

 

ユーリだ。

 

 

「……こんな遅くにお見舞いなんて、常識ないんじゃない?」

 

「う、ごめん……遅くなっちゃって」

 

 

申し訳なさそうにしているユーリを見て、ほんの少し私は頬を緩めた。

 

 

「ま、いいけど。で、何?」

 

「え?何って……?」

 

「何か用事でもあったんじゃないの?」

 

 

なんて問いかけるも、ユーリは視線を泳がせた。

私は眉を顰める。

 

 

「は?もしかして、特に用事もないのに……こんな時間にお見舞い来たの?」

 

「あ、いやぁ……その、見舞いって用事がなければしちゃダメ、かな?」

 

 

頭を掻いて、視線を逸らすユーリに……顔を逸らす。

視線の外で機嫌を損ねてしまったかと慌てているユーリの声が聞こえる。

 

そんな様子に、私は少しだけ頬を緩めた。

何だか、「らしい」と思えたからだ。

ユーリらしい、と。

 

たっぷりと焦らしてから、視線を戻す。

 

 

「別に良いけど?」

 

 

ホッとユーリが胸を撫で下ろした。

今日は色々あったけれど……今だけは穏やかな気持ちになれた。

 

 

「あ、そうだ。用事、って訳じゃないけど……エルシー、僕……『中位』の祓魔師(エクソシスト)になれたよ」

 

「……あ、そう。良かったわね」

 

 

今日、ユーリは『中位』の昇格試験を受けていた。

先日の『上位』の『悪魔』を単独撃破した功績から、『下位』の祓魔師(エクソシスト)に教会も置いておけなくなったのだ。

 

教会から強制的に試験を受けさせられた……つまり、出来レースみたいなものだ。

受かって当然なのだ。

 

 

「修道服も明日には更新されるし、今からちょっと楽しみなんだよね」

 

「……そう」

 

 

だから、こうして嬉しそうに話すユーリを見ると微妙な気持ちになる。

祓魔師(エクソシスト)しての階級が上がる事は……良い事ばかりではない。

より強い『悪魔』と戦わざるを得ない。

 

私が『上位』である以上、一緒に居る内は関係ないかも知れないが、私が居なくなった時……ユーリは、一人で強大な『悪魔』と戦わなければならない。

 

 

「エルシー?」

 

「……何?」

 

「えっと……何だか、嫌そうな顔してるから……」

 

 

私はため息を吐きながら、嘘を吐く。

 

 

「……ユーリは私の相棒(バディ)でしょ?」

 

「うん」

 

「なら、『中位』ぐらい当然なんですけど。喜んでバカじゃないの?」

 

「え、えぇ……?」

 

 

ショックを受けるユーリから視線を逸らして、枕元の果実が入ったカゴを手に取る。

 

 

「ユーリ、これ切って」

 

「え?うん、良いよ」

 

 

おぼつかない手付きで梨の皮を剥くユーリに、視線を向ける。

……本当に、先日のあの少し頼れるぐらい強くなったユーリと同一人物なのだろうか。

 

極限状態の中、私が勘違いしてしまったのだろうか。

 

切られた梨を口に頬張りながら、そう思った。

……そして、フォークで不恰好に切られた梨を刺して、ユーリに向ける。

 

 

「ユーリも食べる?」

 

「……いいよ、それはエルシーが貰った物だし」

 

「じゃあ、私がどう扱おうと勝手でしょ。目の前でそうやって物欲しそうにされてると、私も食べづらいんですけど」

 

「も、物欲しそうになんかしてな、むぐっ」

 

 

なんて抵抗するユーリの口に梨を押し込む。

観念したように咀嚼するユーリをよそに、私は別の梨にフォークを刺して口に運んだ。

 

そしてユーリに視線を戻せば……少し、顔を赤らめていた。

照れている、ように見えた。

 

 

「何でそんなキモい顔してんの?」

 

「う、ううん、何でもないよ……うん」

 

 

梨を咀嚼するユーリから視線を逸らして、私は手元の梨を口にした。

甘くて瑞々しい。

 

 

「まぁまぁね」

 

「……その、エルシー」

 

 

そうして味わっていると、ユーリが口を開いた。

 

 

「何?」

 

「ええと、良かったら……なんだけど──

 

「……前置きは要らないから、さっさと言えば?」

 

 

なんて急かすと、ユーリは少し視線を泳がせた。

 

 

「あ、明日さ。彗星祭があるよね?」

 

「……あぁ、そう言えば」

 

 

私は唇にフォークを当てる。

 

彗星祭……文字通り、彗星が来るからと開かれた祭りだ。

この世界は『奇跡』のお陰か天文学が発展しており、数年に一度やってくる彗星なんかの情報も分かっていたりする。

 

明日は、そうか。

7年に一度やってくる、彗星が見える日だ。

 

 

「よければ、一緒に祭りに──

 

「私、全治三日なんですけど」

 

「あ」

 

 

ユーリが撃沈した。

忘れていたのか、知らなかったのか。

どちらにせよ、無神経すぎる発言になってしまったのは間違いない。

 

 

「なんで、私を誘おうと思ったの?」

 

「……だって、約束したから」

 

「約束?した覚えないけど」

 

 

私は記憶を遡る。

……うん、やっぱり彗星祭に行く約束なんてしていない。

 

私が訝しむ目を向けると、ユーリは下手くそな笑みを浮かべた。

 

 

「ほら、エルシーが人生を楽しめるように頑張るって……えーっと、言ったから……言ったよね?」

 

 

目を、瞬く。

……あぁ、そう言うことか。

 

 

「……ユーリって、やっぱりバカ?」

 

「うぇっ……?そ、そこまで言わなくて良くない?僕だって必死に考えて──

 

「必死に考えた結果が、私をデートに誘う事なの?」

 

「で、デート……!?って、そういうつもりじゃなくてっ」

 

 

わたわたと、両手を動かし釈明しようとするユーリを見ていると、何だかおかしくて──

 

 

「ぷっ、く、くく……ふふふ」

 

 

思わず笑ってしまった。

バカにする為ではなく、ただただ……そう、嬉しくて。

笑い過ぎて涙が出てくる程に。

 

 

「な、何も笑わなくたって……」

 

「ぷ、良いでしょ……?私が楽しめるように頑張るって……今の所、成功してるって事で、ふふ」

 

「……そうだけど、さぁ……」

 

 

不服そうなユーリの前で、私は涙を拭った。

 

 

「で?彗星祭だっけ?」

 

「あ、うん……ごめん。そんな、明日も入院してるなんて思ってなくて──

 

 

申し訳なさそうに頭を下げたユーリ。

その額に、私は指を近づけて……弾く。

 

 

「いたっ!?」

 

 

ぺちん、といい音がした。

神聖力(エーテル)で強化してない生身の力だったけど、結構な勢いがあったみたいだ。

 

 

「な、なにして……」

 

「すぐ謝る癖、直した方がいいと思わない?」

 

「……そ、そんな癖ないと思うけど?」

 

 

ちょっと図星だったみたいで、ユーリの言葉に勢いはない。

……やっぱり、少し頼りない。

弱々しいし、優柔不断だし。

 

……もう少し、まだ少し、私も一緒にいないとダメだ。

相棒(バディ)として、支えないと。

うん、だからこれは私の我儘じゃない。

 

 

「彗星祭、別に街を回るだけが祭りの本懐じゃないでしょ?」

 

「……うん、そうだけど」

 

「彗星を見るのが一番の理由。違う?」

 

「……そうだね」

 

 

ユーリは額を手でさすっている。

……そんなに痛かったのだろうか?

 

まぁ、謝るつもりはないけど。

 

 

「だったら、何処で見ても良いでしょ?」

 

「……あ」

 

 

やっと気付いたみたいで、ユーリは姿勢を正した。

 

 

「あ、明日っ、病室に来ても良いかな?それで、一緒に彗星を見れたら──

 

「は?嫌だけど」

 

「えっ!?」

 

 

ユーリがまたショックを受けたような表情を浮かべる。

……ホントに、揶揄いがいがある。

 

 

「ま、冗談だけど。来たければ、来れば?」

 

 

そろそろ程々にしておかないと。

……というか、ユーリに嫌われるのはもう諦めているのだから……こういう態度を取る必要はない筈なのだけど。

どうしてか、私は素直になれずにいる。

 

 

「ひ、酷いよ、エルシー……」

 

 

ユーリは私の否定が冗談だった事に安堵して、息を深く吐いていた。

彼は感情が顔に出やすい。

それはきっと短所ではなく長所だ。

 

だって、こうして……一緒に話しているだけで、私は楽しいから。

 

 

「でも、ユーリ。食べ物ぐらいは買って来てね?」

 

「それは勿論……ちょっと下街まで行って、屋台で買ってくるよ」

 

 

なんて約束をした。

 

その日はもう遅かったから、もう少しだけ雑談して帰ってもらった。

だけど……うん。

 

暇になる筈だった明日に、急に予定が入って来て……少しだけ、明日が楽しみになった。

 

そういう意味なら、ユーリの言っていた「人生を楽しめるように努力する」というのは……うん、ちゃんと成功している。

ユーリ自体はあまり実感していなさそうだけど。

 

……私は、そう。

ユーリと一緒に明日を迎えられる事を、楽しいと思えていたのだから。

 

それだけで彼の目的としては、充分なのだろう。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

そうして、翌日の夕方。

今日は彗星が近付く日だ。

 

病室の窓から見える外も、昨日より騒がしい。

彗星が見えるのはもう少し後、夜中だって言うのに、それでも騒いでいた。

 

……彼らはこれから楽しい事があるのだと、そう確信しているのだ。

少しも疑っていない。

 

そうではない人が、この世界にはいるのに。

それを鬱陶しく感じる……なんて、事はない。

 

これこそが平和だからだ。

幸せな未来を疑わず、安らかに、隣人と幸せを分かち合える。

 

……この景色を守りたくて、私は祓魔師(エクソシスト)をしている。

この聖地レイライン以外でも、この景色を守れるように……私は自身が『聖人』であるという事を教会に報告していないのだから。

 

楽しそうに走り回る子供が、この診療所の前を通り過ぎるのを目で追う。

……本当に元気な子供だ。

 

 

そんな子供が──

 

 

誰かとぶつかった。

 

 

……両手にそれぞれ持っていた荷物のうち、片方が地面に転がった。

ぶつかってしまった子供は顔を真っ青にして、その誰かに謝っている。

 

そして、その誰かは……見覚えのある人だった。

 

 

「……何してんのよ、アイツ」

 

 

思わず、ぼそりと呟いてしまった。

 

ぶつかられたのは……ユーリだったからだ。

両手に持っていたのは屋台で買って来た食べ物、飲み物だったのだろう。

 

下ろしたての『中位』用の修道服に汚れが付いていた。

片方の手荷物が身体にぶつかったからだ。

 

子供がまた頭を下げようとして……ユーリに止められた。

そして、頭を撫でている。

 

……ここから、声は聞こえないけど。

きっと優しい言葉をかけているのだろう。

 

 

「ほんっと、お人好しなんだから」

 

 

私は窓から視線を外して、ベッドに持たれかかる。

そして、毛布を抱きしめた。

 

これ以上、覗き見するのはユーリに悪いと思ったからだ。

 

 

……少しして、病室にノックの音が響いた。

 

 

「……どーぞ」

 

 

ユーリじゃない可能性を考慮して、無難な返事をした。

だが結局、病室に入ってきたのはユーリだった。

 

 

「ごめん、ちょっと遅くなったよ……」

 

 

修道服を汚したまま、やって来た。

気持ち、ほんの少しだけ水洗いした痕跡があるけど。

 

私は苦笑する。

こんな状況で、訊かない方がおかしいだろう。

 

 

「それ、なんで汚れてんの?」

 

「あ、これ?これは……そのぉ──

 

 

ユーリは後頭部をかきながら、ぎこちない笑みを浮かべた。

 

 

「ちょっと、転けちゃって。荷物を二つ持ってたから、受け身も取れなくて……」

 

 

そして、嘘を吐かれた。

子供とぶつかった、と言わなかったのは彼の優しさか。

それにしても、生き辛い生き方をしている。

 

ここに居ない誰かの所為にすれば、叱られずに済むだろうに。

 

……まったく、本当に不器用でお人好しだ。

 

 

「……あっそ。どんくさ」

 

 

だから、少しぐらい、私も手加減してあげよう。

 

 

「は、ははは………」

 

 

苦笑するユーリは椅子に座ろうとして──

 

 

「その修道服、脱げば?汚れてるし」

 

「あ、そうだね」

 

 

そのまま修道服の上を脱いで、ハンガーにかけた。

……ちゃんと下に、黒色のシャツを着ていたようだが。

 

その薄い生地の上から、彼の顔からは考えられない筋肉質な体が見え隠れして……少し、ドキリとした。

 

多分、羨ましいからだ。

女の身である都合上、筋肉が付きにくいから。

 

 

「よいしょ、っと」

 

 

そして、ユーリはベッドの横に紙袋を一つ、置いた。

……もう一つは子供にぶつかった時、地面にぶちまけていたから……ダメになってしまったんだろう。

 

だから一つだ。

ユーリはその紙袋から、薄い竹の容器に入った弁当を取り出した。

 

 

「はい、エルシー」

 

 

ちら、とユーリに視線を戻す。

 

 

「……ユーリのは?」

 

「僕のは……ええと、転けた拍子に地面に落としちゃって……」

 

 

視線が泳ぐユーリにため息を吐く。

買って来た物を落としたのは真実だが、その過程は嘘だ。

そして、ユーリは嘘を吐くのが下手だ。

下手過ぎる。

 

察せられてしまうような嘘は、吐かない方がマシだ。

私を見習って欲しい。

 

そして、ユーリの前で弁当を開ける。

 

 

「これ、ユーリが買って来たのに。自分は食べないの?」

 

「……そうだけど、僕が悪いから」

 

「……はぁ、もう。そんなのいいから、ほら」

 

 

そして、竹串を取り出して肉団子を突き刺し……ユーリの口元に運ぶ。

 

 

「え、わっ……むぐっ」

 

 

昨日と同じ光景だ。

気分は小鳥に餌付けしているような……。

本当に世話が焼ける相棒(バディ)だ。

 

 

「どう?美味しい?」

 

「ん、うん、美味しいよ……」

 

「毒味係、ご苦労様」

 

「え?ど、毒味……?」

 

 

こうして少し、嫌味を言わないと釣り合いが取れない。

なんとも面倒くさい女になってしまったと、自己評価しつつ肉団子を口身含んだ。

……刻んだ野菜と、控えめな塩味。

 

まぁ、悪くはない味だ。

冷めても美味しいように工夫されている。

 

ユーリが買って来た物、一人前を二人で分けて……そうして時間が過ぎていく。

 

 

 

空は暗く、夜へと。

 

 

 

面会時間は、職員に私が無理言って延長してもらった。

祭りだからと言えば、明日の朝まで泊まりでいいと言われた。

……それと、激しい運動はしたらダメだと。

 

病室で激しい運動?

こんな狭い場所で何ができると言うのだろうか?

よく分からないが。

 

 

まぁ、許可は貰ったのだから。

空が暗くなっていくのを、私とユーリは見ていた。

 

 

「そろそろかなぁ……?」

 

「さぁ?私は知らないけど」

 

 

なんて言っていれば──

 

 

「……アレじゃないかな?」

 

「どれ?」

 

「ほら、アレだって……」

 

 

ユーリが指差す先には……確かに、弱々しいけど輝く一つの星があった。

その星には尾のように、光がかかっている。

 

 

「……なんか、ちょっと拍子抜けなんですけど」

 

「そ、そんな事……いや、ほら、凄くない?」

 

 

目を細める。

まぁ、確かに……さっきより、ちょっとだけ光が強くなってるけど。

 

勢いもそんなに無いし、他の星と大差ないし。

 

でも、まぁ……。

 

 

「凄くはないけど……まぁ、綺麗なんじゃない?」

 

「だ、だよね?」

 

「……なんでユーリが彗星の肩を持ってんの?」

 

「だって、僕が誘ったのにそんなガッカリ……みたいだったら、何だか悪いし……」

 

 

そんなユーリの情けない発言に、私は頬を緩めた。

 

 

「別に。この彗星がどうだろうと、買って来た物を半分ダメにしたとしても……楽しくない、なんて私は言わないから」

 

「……そっか」

 

 

何だか、らしくない事を言ってしまった。

それにユーリも少し驚いて、だけど嬉しそうに納得しただけだった。

 

……少し気まずい。

だけど、この気まずさが心地良かった。

互いに互いを尊重しようとした結果の、気まずさなのだから。

 

彗星の輝きがまた、小さくなっていく。

……さっきまでのが、一番近付いていた時だったのか。

 

やっぱり、ちょっと拍子抜けだ。

 

 

「……はぁ、今ので終わり?」

 

「……そう、みたいだね」

 

「今年のはハズレだったって事?これじゃあ例年盛り上がってないでしょ」

 

 

だけどまぁ、悪くはなかった。

7年前、このイベントの事も知らなくて、きっと私は寝ていたのだろうけど。

こうして、誘ってもらって、一緒に見られて……良かったと、心からそう思った。

 

たとえ、感動するほど綺麗じゃなくても。

誰かと見た事に意味があるのだろう。

 

なんて、感傷に浸っていると、ユーリが口を開いた。

 

 

「それならさ……また、見ようよ。エルシー」

 

「……また?」

 

「そう、7年後も」

 

「…………」

 

 

私は口を閉じた。

そうか、7年後か。

 

……ミレイユに宣告された寿命は、あと6年なのに。

7年、か。

 

 

「……エルシー?」

 

 

私は最初、残り6年『も』生きられると思っていた。

だけど、6年というのは……思ったより、短いらしい。

だから、ミレイユは6年『しか』と言ったのだろう。

 

それをようやく理解した。

 

 

「……別に?正直、7年後どうなってるかなんて分からないから……返事、出来ないだけだし」

 

「……そっか」

 

 

ユーリは少し悲しげな目をした。

夜、月明かりが照らす中……その表情を見て、私は息が詰まるようだった。

 

……手を、伸ばして。

宙を彷徨って。

迷って。

戻して。

 

……また、伸ばして。

 

ユーリの着ている服の、裾を掴んだ。

 

 

「……エルシー?」

 

「別に、一緒に見たくないって訳じゃないから……見れたら、一緒に、見てもいいけど」

 

 

それは私が口に出来た、最大限の強がりだ。

決して叶う願いではない。

 

だけど、それでも口にした。

約束すれば、叶うような気がして。

 

……決して、叶う願いではないとしても。

それでも、今、この瞬間……彼が悲しまない為に。

 

 

「……うん、見れたら良いね」

 

 

私がどんな感情で言葉を口にしたか、ユーリには分かっているのだろうか。

いや、きっと私の事情を全て知っている訳ではないのだから……分かってはいない筈だ。

分からないで居て欲しい。

 

私は同情されたい訳ではないから。

ただ、私の大切な人達に笑っていて欲しいだけだから。

 

だから……。

 

ユーリにも、笑って欲しいだけだ。

 

 

空に淡く輝いていた彗星は見えなくなって、喧騒も離れていく。

 

少しずつ静かに。

安らかな夜へと、姿を変えていく。

 

 

「……今日はありがと、ユーリ」

 

 

らしくない言葉を口にした。

きっと、体が弱っているから心も弱っているから。

 

笑われたり訝しまれないかと心配になったけれど、ユーリはそんな様子を見せず……ただ、ほんの少しだけ嬉しそうに笑った。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

「ん、んん〜っと」

 

 

日光の下、私は背伸びをした。

三日経って、ようやく療養所から出て来れたのだ。

 

寝っぱなしだったから全身の関節が、こう、硬い。

ぱきぱきと軽い音を鳴らしながら、少し柔軟運動をして……息を深く吸って、吐いた。

 

そして、小豆色の修道服を揺らしながら、療養所を後にした。

 

 

「さて……と」

 

 

取り敢えず、ユーリの所に行こう。

日中、任務のない日の彼の居場所はよく知っている。

 

特別な予定がなければ──

 

 

ほら、修練場で修行をしている。

聖銀器である大剣(クレイモア)を素振りしている。

 

休みの日ぐらい、ちゃんと休めば良いのに。

 

 

「……ふふ」

 

 

まぁ、そんな愚直な所も美徳なのだけれど。

 

弾む気持ちのまま、私はユーリに近付いて──

 

 

「ユーリ」

 

 

声を掛けながら──

 

 

「え?エル──

 

 

小石を投げた。

 

瞬間、ユーリは大剣(クレイモア)で小石を受けて……そのまま衝撃を吸収して、地面に転がした。

 

 

「き、急に変な事しないでよ……」

 

「『悪魔』は声を掛けてから不意打ちしないんだから、優しいほうだと思うんですけど?」

 

「そうだけどさぁ……」

 

 

ユーリはため息を吐いた。

……しかし、まぁ、随分と聖銀器の扱いが上手くなったようだ。

フロイラのお陰だろうか?

 

感謝しておこう。

本人には絶対言わないけど。

 

ユーリが私の顔を見て、目を瞬いた。

 

 

「あっ……そういえば、退院おめでとう」

 

「どーも。でも、ユーリは私の奴隷なんだから、療養所まで迎えに来ないとダメだと思わない?」

 

「え?あ……ご、ごめん?」

 

「冗談。本気にしなくて良いんですけど」

 

 

そのまま、私は周りを見渡す。

……やっぱり、居ないみたいだ。

 

 

「……エルシー?誰か探してるの?」

 

「フロイラは?今日は居ないの?」

 

「あー……えっと、特に何も言われてないから、後で来ると思うけど」

 

 

私は目を瞬いて、時計に視線を移した。

……もう昼は過ぎている。

 

 

「……なんでそんな時間に?ユーリは昼前から来てるんでしょ?」

 

「そうだけどね……ほら、あのフロイラさんって、朝に弱いから」

 

 

そして、察した。

私は顔を顰める。

 

 

「もう朝って時間じゃないけど。ダメな大人の典型なんですけど?」

 

「は、ははは……」

 

 

ユーリは否定せず視線を逸らした。

……つまり、ユーリに否定されないぐらいにはダメな生活リズムになっているのだ。

 

 

「まったく、いい歳をした大人が何を──

 

「悪かったな」

 

 

どすん、と頭に拳が乗せられた。

誰が乗せたかは声で分かる。

 

 

「……フロイラ」

 

 

私が名前を呼ぶと、険しい表情を緩めた。

 

 

「元気そうで何よりだ、エルシー」

 

「……どーも」

 

 

素直に受け取ると、私が嫌味を言うと思っていたのかフロイラは少し驚いたような顔をしていた。

 

 

「それで?何か私に用か?」

 

「別に。アンタに用がある訳じゃないけど……鈍ってた身体を取り戻そうと思って、ここに来ただけだし」

 

「殊勝な心掛けだな」

 

 

私はロザリオを聖銀器である大鎚(スレッジハンマー)に変化させて、頭を地面に置いた。

すると、フロイラが獣のような笑みを浮かべた。

 

 

「あぁ、そうだな……私が久しぶりに鍛えてやる」

 

「は?だから、別にアンタに用事はな──

 

 

瞬間、私に聖銀器が……斧槍(ハルバード)が迫っていた。

咄嗟に大鎚(スレッジハンマー)の頭を蹴り上げて、ぶつけて防御する。

 

勢いのまま後ろに飛び退けば、フロイラの手元には斧槍(ハルバード)が握られていた。

 

 

「ちょっと!いきなり、危ないんですけど!シャレになんないし!」

 

「『悪魔』は声を掛けてから不意打ちしない。そう教えた筈だが?」

 

 

その言葉を聞いて、ユーリが変な顔をしている。

私がキッと睨むと、慌てて視線を逸らした。

 

 

「……っ、上等!病み上がりにボコボコにされて、プライドがズタズタになっても知らないから!」

 

「ふふふ、よく吠える。そうこなくてはな」

 

 

私は大鎚(スレッジハンマー)の柄を短く握り、地面に突き立てた。

そのまま、前に飛び込み……身体を軸に回転させる。

 

 

「はぁっ!」

 

 

怒声と共に、大鎚(スレッジハンマー)をぶつけ──

 

 

「見え見えだな」

 

 

フロイラは斧槍(ハルバード)の柄で受けて、受け流し……更に、私の足を踏んだ。

 

 

「っ……鬱陶しいなぁ、もう!」

 

 

足払いを読まれたのだ。

神聖力(エーテル)で防御していたから、少し痛い程度で済んだが……動かす事は出来ない。

 

密着状態。

 

大鎚(スレッジハンマー)斧槍(ハルバード)も長物だ。

この距離では振り回す事は出来ない……有効ではない射程。

相手も一手、引かなければならない筈──

 

 

刹那、斧槍(ハルバード)の先端、槍が私に向けて飛びだした。

 

 

「ちょっ──

 

 

柄を短く握り、体の捻りだけで繰り出した突きだ。

こんな技、あるなんて聞いてない!

 

私は……大鎚(スレッジハンマー)を手放した。

そして、右腕に全力で神聖力(エーテル)を流し込み……腕で逸らした。

 

 

「ぐっ」

 

「ほう、やるな」

 

 

余裕のない私に対して、余裕綽々といった態度のフロイラ。

実力の差は歴然だ。

 

 

「や、病み上がり相手に大人げないんですけど!」

 

「お前が言っていたのだろう、碌な大人ではないと」

 

「っ、そこまで言ってないし!」

 

 

私だって分かっている。

これは病み上がりだから……といった程度の差ではない事に。

 

正直に言おう。

聖銀器を使った近接戦闘について、私は『上位』の祓魔師(エクソシスト)の中でも下の方だ。

『奇跡』の模倣技術を活かした対応能力や、こっそり使っている『奇跡(サイン)』で得た実績を含めて、私は『上位』として認定されているのだから。

 

比べて、フロイラは逆だ。

彼女は『奇跡』の模倣が得意ではない。

彼女はその身に『奇跡(サイン)』を宿さない。

 

にも関わらず、『上位』の祓魔師(エクソシスト)として認定されている。

 

つまり──

 

 

「ついでに……ユーリ!」

 

「は、はい!?」

 

「お前も一緒に掛かって来い!まとめて相手してやる!」

 

「えっ、ふ、二人がかりで!?」

 

 

ユーリが挙動不審になりながら私の横についた。

そして、ちら、と視線を向けてきた。

言いたい事は分かる。

分かるが……。

 

 

「ユーリ、心配するだけ無駄。二人がかりでようやく……ってぐらいだから」

 

「え……?」

 

 

そう。

フロイラは……祓魔師(エクソシスト)の上澄みである『上位』の中でも、更に最上位の近接戦闘力を誇る。

 

聖銀器の扱いには横に並ぶ者がいないと言われる程の……原作的に言うなら、物理アタッカーの脳筋祓魔師(エクソシスト)

攻略Wikiに初心者向け!とか書かれてるタイプのゴリラ。

 

それが『斧槍(ハルバード)祓魔師(エクソシスト) フロイラ』だ。

 

 

「ほら、攻めて来い。二人とも──

 

「言われなくても!行くわよ、ユーリ!」

 

「う、うん!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結局、二人でフロイラを相手をして……それでも、一撃も入れる事すら出来なかった。

絶対おかしい。

 

私とユーリは汗だくで修練場の地面に転がってるのに、フロイラは軽くジョギングした程度の雰囲気で汗を拭いてるし。

 

メチャクチャだ。

原作で近接ショタコンメスゴリラと呼ばれていた異名は伊達ではない、ということか。

 

ボヤける視界で天井を眺めながら、私はそう思った。

 




『奇跡(サイン)』込みだと、エルシーの方が強いです。


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#13 凍える夜に

夕焼け。

白銀の雪に、茜色の光が反射している。

生物が生きるには向かない、極寒の中。

 

ざくざく、と。

 

雪原を駆ける音が響いた。

 

 

「はぁっ!」

 

 

私は大鎚(スレッジハンマー)を振りかぶる。

そこに居る『悪魔』に向けて、だ。

 

その『悪魔』は大きな人型だが、毛むくじゃらで腕が三本生えている。

左に一本、右に二本。

 

なんとも、生物らしからぬ不均等な姿だ。

そんな『悪魔』が腕を振り回した。

 

全長は私の2倍ほどある。

そんな巨体で振り回す腕がぶつかれば、神聖力(エーテル)で防御しようと無傷では済むまい。

 

攻撃を中断し、勢いのまま雪の上を滑る。

 

腕は大きく空振り、明確な隙が見える。

だが、私は雪原を転がっており手を出す事もできない。

 

そう、私には──

 

 

「ここは僕が!」

 

 

ユーリが大剣(クレイモア)を下から、振り上げた。

『悪魔』の腹部に大きな傷を付けたが、まだ致命傷ではない。

 

反撃の拳が、ユーリの頭上へと──

 

 

「縛れ!『拘束(バインド)』!」

 

 

瞬間、神聖力(エーテル)で出来た光の鎖が『悪魔』の腕に巻き付いた。

 

だが、略式詠唱では本来の効力を発揮できない。

『悪魔』の動きを止める事は出来ないだろう。

だが、それでも動きは鈍くなった。

 

その一瞬の隙に滑り込むように、ユーリは『悪魔』の脇下をくぐり、足首を切った。

完全に切断とはいかなかったようだが、それでもダメージは入ったようで『悪魔』が崩れ落ち──

 

 

「エルシー!」

 

「分かってる、って!」

 

 

ユーリに言われるより先に、私は地を蹴り宙へ飛んでいた。

そして、そのまま大鎚(スレッジハンマー)を振り上げる。

 

瞬間、私に行動に気付き『悪魔』は腕を上げて防御体勢をとるが──

 

 

「甘いんですけど!」

 

 

腕の上から、そのまま大鎚(スレッジハンマー)を叩き付けた。

神聖力(エーテル)が爆ぜる。

 

毛むくじゃらの腕が弾き飛ぶ。

だが、それでも大鎚(スレッジハンマー)の勢いは落ちない。

 

そして、悪魔の頭部に直撃した。

 

 

「っ──

 

 

聖銀に込めた神聖力(エーテル)と『悪魔』が反発して、私は弾き飛ばされた。

雪原を滑りながらも、『悪魔』に視線を向ける。

 

浄化され、煙のようなものが立ち上っている。

 

効いている。

確実に。

 

 

「ユーリ!追撃!」

 

 

瞬間、ユーリが駆け出した。

 

『悪魔』の頭部は半壊している。

視覚もない状況、身を守ろうと無闇矢鱈に腕を振り回すが……ユーリは紙一重のところで避けている。

 

 

「はぁっ!」

 

 

大剣(クレイモア)が『悪魔』の腹部を切り裂いた。

その瞬間、『悪魔』が傷の感触から察知したのか、ユーリに向けて腕を振るう。

 

しかし、もう、そこにユーリは居ない。

視覚を奪った敵に対する有効な立ち回り、それは……足を止めない事だ。

 

錯乱する『悪魔』の背に、ユーリが再び大剣(クレイモア)で切りつけた。

 

『悪魔』が腕を背後に──

 

ユーリが大剣(クレイモア)で、腕を切り飛ばした。

 

 

────ッ!

 

 

『悪魔』の周囲、空間が震える。

 

声ではない。

だが、それでも怒っている事だけは分かった。

 

私は雪原を走り出し……大鎚(スレッジハンマー)を構える。

 

 

「ユーリ!ここで仕留めるから!」

 

「分かった!」

 

 

大鎚(スレッジハンマー)で『悪魔』の頭を殴った。

ユーリが大剣(クレイモア)で『悪魔』の足を斬った。

 

大鎚(スレッジハンマー)で背中を殴り、転ばせる。

大剣(クレイモア)が『悪魔』の胸部を切り裂いた。

 

反撃を許さない、連携攻撃。

癪だけど、フロイラ相手の二対一訓練の成果が出ている。

 

 

そのまま──

 

 

ユーリが大剣(クレイモア)を『悪魔』の胸に突き立てた。

それに対する方向から、私は大鎚(スレッジハンマー)で殴り──

 

 

大剣(クレイモア)が『悪魔』の胸を貫いた。

 

 

空気が震える。

黒い粒子が撒き散らされて……『悪魔』が霧散した。

 

私は殴った反動のまま、再び地面に転がった。

雪が顔に触れて、ひどく冷たかった。

 

 

「……終わった?」

 

 

身を捩り、座り直す。

ユーリはまだ、大剣(クレイモア)を抱えたまま周りを警戒していた。

 

 

「……そうみたいだね」

 

 

だが……どうやら、これで終わったようだと息を吐いた。

そして、大剣(クレイモア)の聖銀器をロザリオの形へと戻した。

 

それに倣って、私も大鎚(スレッジハンマー)をロザリオに変える。

 

 

「ふん……なんだか、拍子抜けだったんですけど」

 

 

『悪魔』は消滅した。

残ったのは、『悪魔』が倒れたときにできた痕跡だけだ。

 

 

「はは……まぁ、うん。最近は『上位』の『悪魔』ばかりと戦ってたから。それに比べたら、ね」

 

「……そんな気軽に『上位』と出会ってる方がおかしいんですけど?」

 

「それはそうかもね……」

 

 

先程倒した『悪魔』は『中位』相当だ。

危なげなく、倒す事が出来た。

勿論、私の『奇跡(サイン)』も使わずに済んだ。

 

これぐらい、楽な戦いばかりだと良いんだけど。

私は白い吐息を吐きつつ、今回の任務について思い返す。

 

 

 

第一発見者は山の麓の村……そこに住む、少年だ。

彼は雪山に父と狩りに出掛けて……そして、この『悪魔』と出会った。

 

父親は少年を逃すために『悪魔』と戦ったが……狩人では『悪魔』に対して有効な攻撃はない。

そのまま帰らぬ人となってしまった。

 

……悲劇だ。

だが、よくある話だ。

この世界では。

 

そうして、教会へ通報が入り、私達が来たのだ。

 

 

『悪魔』が徘徊しているのは雪山。

私達は雪山を登る事にした。

それは祓魔師(エクソシスト)と言えども、素人ならば苦労する。

 

幸い、『悪魔』が発見されてから天候が荒れる事もなかったので、身体を神聖力(エーテル)で強化しつつ無理矢理に登った。

 

そして、今日、接敵した……という訳だ。

 

 

 

「エルシー……さっきの『悪魔』、特殊な能力を持ってなかったね」

 

「……まぁ、大した奴じゃなかったんでしょ?」

 

 

ユーリの言葉に、私は視線を戻した。

強い『悪魔』は特殊な能力を持っている場合がある。

『上位』ならば確実に。

『中位』ならば稀に。

 

今回のは原作に居たかも覚えてない『悪魔』。

つまり、特殊な能力を持つ程の『悪魔』ではなかったと──

 

 

「……あれ?」

 

 

ユーリが素っ頓狂な声を上げた。

何事かと私は声を──

 

 

刺すような、冷たさ。

 

 

「ひゃっ……!?」

 

 

思わず声が出た。

急激に、気温が下がっていくのを感じた。

 

だが、私達の着ている修道服には特殊な素材が使われている。

破れにくい、斬りにくいのは勿論のこと……暑くとも寒くとも一定の温度を保ってくれる。

 

なのに、冷たい感触があった。

つまり、防寒具を貫通するほどの冷気が通ったという事だ。

 

 

「……え、エルシー?」

 

「ちょっ、な……何よ?」

 

 

変な声をあげてしまったのを恥ずかしく感じて──

 

ユーリが真剣な顔で、私の背後を指差していたのを見て……慌てて振り返った。

 

 

「は?」

 

 

果てしなく続いていた夕焼けの雪原が……急に夜へと変わりつつあった。

暗雲が急速に、こちらへ向かっているのが見えた。

 

雪が舞い上がり、強烈な風となってこちらへ向かっている。

ブリザードだ。

 

『悪魔』の仕業か?

いや、違う。

確実に滅した筈だ。

 

だから、これは──

 

 

「……あんの、クソ『悪魔』っ!」

 

 

今までの穏やかな天候が『悪魔』の仕業という事だ。

『悪魔』が消滅した事で、本来の……激しい天候へと戻り始めたのだ。

 

再び、私達の間を冷たい……冷たすぎる風が通り抜けた。

 

拙い。

防寒具が、防寒具として機能していない。

 

雪が顔を叩いた。

 

 

「っ、くぅ……ユーリ!」

 

「う、っうん!」

 

「撤退!山小屋まで戻る!」

 

「っ、分かった!」

 

 

私はユーリを連れて、昨日拠点にしていた山小屋まで戻る事にした。

本格的に吹雪に飲み込まれる前に、戻らなければ……死ぬ。

 

自然を舐めていた訳ではない。

だが、足りなかったのだ。

警戒と、準備が。

 

 

 

 

 

私達は雪と冷気を存分に浴びて……山小屋へと、戻ってきた。

第一発見者の父親が使用していた狩猟小屋だ。

 

 

「く、っう、うっ……」

 

 

身体中が軋む。

冷たい、じゃない。

最早、痛い。

 

どうにか……私は震える唇で、詠唱を始める。

 

 

「し、『主よ』、ずっ……『凍える私に、地母神に温もりを』っ……『聖なる抱擁(ホーリー・ウォーム)』!」

 

 

酷い詠唱だったが、『奇跡』の模倣には成功した。

身体の奥底から熱が生まれて、暖かくなっていく。

 

 

「……っ、ふぅ……これで、なんとか……」

 

 

これは神聖力(エーテル)を消費し続けるが、体を保温する『奇跡』だ。

この消費量なら翌朝までは持つだろう。

吹雪が通り過ぎるまで待機して、下山するには余裕がある。

 

だが、問題がある。

それは──

 

 

「っ……う、ぅ……」

 

 

自身の身体を抱きしめるようにして座っている、ユーリだ。

私の使った『奇跡』は、他人を対象にできない自己強化の『奇跡』だ。

ユーリにかけてやる事もできない。

 

私は修道服の上着を脱いで、ユーリに投げ付けた。

 

 

「それ、使えば?」

 

 

……『奇跡』を使っていても、上着が無ければ寒い。

でも、我慢できない程ではない。

 

 

「ご、ごめん……エルシー……」

 

 

力なく、震える声でさらに羽織るが……顔色は変わらない。

焼け石に水か。

 

……どうすればいい。

『悪魔』を倒したっていうのに、天候の変化で死んでしまうのか?

そんな馬鹿な話があっていいのか?

 

『聖なる抱擁(ホーリー・ウォーム)』は自分自身にしか使用できない。

神聖力(エーテル)に残量が少ないユーリに、今から教えた所で維持出来ないだろう。

そもそも、こんな状態で使った事のない『奇跡』を成功させるのは困難だ。

 

だから……私の持っている熱を、ユーリと共有する事が出来れば──

 

 

「……ユーリ」

 

「う、うん……な、なに、かな?」

 

 

震える声で、気丈に返事するユーリの肩に触れる。

 

 

「……暖め合おっか」

 

「ふ、え?」

 

 

困惑するユーリの股を開き──

 

 

 

 

 

私は足の間に座った。

そして、ユーリの胸板を背もたれにした。

 

 

「……寒いから、前を閉めてくれない?」

 

「え、あ、うん」

 

 

私を中心に、ユーリ、そして私の上着。

といったように私はユーリを羽織るように座っていた。

ユーリがぎこちない様子で、私を足の間に挟んで……どうすべきかと、手を彷徨わせた。

 

私はその手を取って、私の前面へと持っていく。

 

 

「……もっと、ちゃんとして」

 

「で、でも……」

 

「死にたいの?」

 

「そ、そうじゃないけど……うぅ、ごめん」

 

 

ユーリが私を両腕で、背後から抱きしめた。

私の背に冷たい感触があった。

 

彼の体温が私より低い所為で冷たく感じているのだ。

つまり、その逆であるユーリからすれば……暖かいに違いない。

 

 

「……どう?」

 

「えっ、あ……暖かい、よ?」

 

 

ちらと視線を向ければ、ユーリは顔を赤くしていた。

それだけ暖かくなっているのだろう。

 

 

「……もっと、密着して」

 

「……ご、ごめん」

 

 

ぎゅう、と抱きしめられる。

筋肉質な腕の感触に少し心臓が跳ねた。

だが、今はそんな事を考えている場合じゃない。

ユーリもそんな事、気にしていないだろう。

 

 

「…………」

 

 

吐息が耳を通り過ぎた。

ユーリの呼吸するリズムが、背中を通じて感じられる。

 

外側へ露出している、ユーリの手の甲を外から触れる。

 

びくり、と跳ねたが……寒さには抗えないようで、無理に動かさなかった。

さするように撫でれば──

 

 

「こ、こそばゆいよ……」

 

 

なんて言うものだから、私は手を引っ込めた。

 

ごうごうと音が鳴る。

硝子をはめ込んだ木組みの窓枠が、ガタガタと揺れる。

 

吐息の音。

心臓の音。

 

呼吸、熱。

 

この静かな山小屋の中。

まるで狭い世界の中に、二人しかいないような感覚。

 

……寒過ぎて頭が回ってないのかも。

ため息を吐く。

 

 

「……ユーリ。神聖力(エーテル)の残量的に、吹雪だろうと明日の朝には下りるから」

 

「うん……」

 

「とにかく今は、回復に専念して」

 

「分かったよ……」

 

 

言いたい事を言えば、また静かになる。

 

ガタガタと窓枠が揺れる。

この山小屋は『悪魔』に殺されてしまった狩人が管理していた小屋だ。

この中継地点がなければ、私達は今頃……どうなっていたかなんて考えたくもない。

 

ユーリの震えも収まっていく──

 

体温が幾分がマシになったのだろうか。

私は安堵を……いや、待て。

 

 

「……ユーリ?」

 

「…………」

 

 

返事は返ってこない。

……私は、ユーリの手の甲を抓った。

 

 

「あ痛っ!?」

 

「何で寝てんの……!?」

 

「あ、えぁ……え?寝……?あ……ご、ごめん!」

 

 

慌てて謝る声が背後から聞こえる。

……まずい。

 

体温が冷え過ぎて、脳の機能が低下している。

このまま寝れば……更に機能が低下して、永遠に目覚める事もなく──

 

 

「もう……」

 

 

私は背後に向き直る。

ユーリの顔が至近距離に──

 

 

「ちょっ、エルシー……!?」

 

「いいから……!」

 

 

真正面から、抱きしめる。

背後から抱きしめられるよりも密着できているだろう。

 

向き合って、耳にユーリの頬がぶつかる。

酷く冷たかった。

 

 

「……あ、わわ……」

 

 

ユーリが少し情けない声を出した。

触れている感触から、彼の体温が少し上がったのを感じた。

やっぱり、これが正解らしい。

 

 

「ユーリ、そっちも手を回して」

 

「う、うん」

 

 

恐る恐る、抱き締め返される。

 

 

「……だ、大丈夫かな?これで……」

 

 

緩やかに、だけど少し力強く……壊れ物を扱うように、抱き締められた。

 

 

「ユーリ、寝たら死ぬかも……だし……寝るのは禁止」

 

「……う、うん。分かったよ、ごめん」

 

 

真正面から抱き締めている都合上、表情を伺う事はできない。

ただただ、今は……それで良かった。

こんな顔、ユーリには見せられないから。

 

 

「こんな寒さ程度で死んだら……絶対、許さないから」

 

 

ユーリを死なせたくないという想いがあった。

そんな想いから、無意識のうちに抱きしめる力も強くなる。

 

 

「……それは……うん、分かったよ……死なないようにするよ」

 

「そうして」

 

 

私の鼓動と、ユーリの鼓動。

密着した場所から、二つの鼓動を感じる。

 

また、静かになる。

ごうごうと雪が降る音だけ聞こえる。

 

 

「……ユーリ?」

 

「……うん?」

 

「起きてるなら、良いけど」

 

 

時々、偶に名前を呼ぶ。

そうしてユーリが返事をする事に安堵する。

 

その繰り返しだ。

眠らないように、と。

 

一つ、名案が浮かんだ。

彼を眠らさない方法。

 

 

「……ユーリ。暇だから、何か面白い話して」

 

「え?僕が……?面白い話なんてないよ……」

 

 

ユーリに何か話させたら良いのだと。

眠気対策と、彼が起きている事の報告も兼ねている。

 

 

「いいから、何か話して」

 

「何かって……う、うーん」

 

 

ユーリは返答に詰まっているようだ。

それなら──

 

 

「じゃあ、好きな食べ物は?」

 

「え?」

 

「ほら、ちゃんと考えて返事して」

 

「あ、あぁ……それなら、えーっと……任務中によく食べてる、即席の野菜スープとか……好きかな」

 

「……は?あんなのが好きなの?」

 

 

目を瞬く。

 

任務で遠出して野宿などをする場合に作る料理だ。

干した野菜や、塩漬けの肉を水で煮込んで……適当に香辛料を突っ込んだだけの物だ。

 

他の祓魔師(エクソシスト)は豆粉を固めた物とかを食べてるが……余裕があるなら温かい物を食べたいという私の我儘でやっている。

 

干し野菜も、塩漬けの肉も最悪そのまま食べられる。

金属製の水筒に、『奇跡』で火をかけるだけで、荷物を圧迫しないから私のお気に入りだ。

 

しかし、外で食べる物にしては上等だが、街中での外食に比べれば天と地の差がある。

 

 

「……好きだよ、僕は」

 

「物好きなの?」

 

「……かもね。でも、外で食べるあのスープは本当に美味しいから」

 

「……別に。変わらないと思うんですけど?どこで食べようと、美味しさなんて」

 

「ううん。何処で食べるか、いつ食べるか……誰と食べるか、で……きっと、凄く変わると思うよ」

 

 

ユーリの言葉に、少し納得した。

亡くなった相棒のシェリと一緒に行ったパンケーキ屋に、再び行った時……前よりも、美味しいとは感じられなかったから。

 

 

「……ふーん、まぁいいけど」

 

「逆に……エルシーは?好きな食べ物ってある?」

 

「は?私ぃ……?」

 

 

私は少し、脳裏に記憶を浮かべる。

好きな、食べ物……か。

 

 

「特にないかも」

 

「え?」

 

「強いて言うなら『美味しいもの』が好きだけど」

 

「……それを言ったら、僕も『美味しいもの』が好きだよ」

 

 

私の言葉にユーリは不服そうな声色になった。

言葉では理解できたとしても、納得はしたくなかったのだろう。

 

 

「……僕も、さ。その、エルシーについて知りたい事が沢山あるんだよ」

 

「……沢山?」

 

「うん、だってエルシー……自分のこと、話したがらないから」

 

「そんなこと──

 

 

ない。

とは、言えない。

 

……だって──

 

 

「話したくないし」

 

「……そっ、か」

 

 

ユーリはただ、少し悲しげな声を出した。

しかし、それだけだ。

追及する事はなかった。

 

それに安堵するべきなのだろうが、それでも少し胸の内が渦巻く。

まるで、どうでもいいかのように聞こえたからだ。

 

 

「食い下がったりしないの?」

 

 

まるで面倒臭い女のような発言に、ユーリは苦笑した。

 

 

「……言いたくない事は、訊かないよ。エルシーの迷惑にはなりたくないからね」

 

「……ふーん」

 

 

弱気な発言に、彼らしいと思うと同時に、少し落胆した。

 

彼の言動は私の事を想って、無理に踏み込まないようにしてくれている。

だけど、それが何故か……少しだけ、意味も分からないけど、虚しかった。

 

 

「……じゃあ、次。最近、頑張ってること」

 

「『奇跡』の習得を頑張ってるよ……僕、筆記とか苦手で……」

 

「……ふーん」

 

 

相談してくれれば教えてあげても良いのに。

なんて、私からは絶対に口にしないけれど。

 

 

「エルシーは?」

 

「私は……特に何も?頑張るような事って、ないし」

 

「……そうやって誤魔化して、狡いよ」

 

「は?誤魔化してないし?努力が必要ないぐらい、頭の出来が良いってコトなんですけど?」

 

 

ユーリのため息が耳に聞こえた。

なんとも失礼な奴だ。

 

 

「じゃあ、次は──

 

 

ごうごうと、吹雪が唸る。

窓を叩く音が静寂を打ち消す。

 

それでも、外の世界はどこか遠くに感じている。

私の身体の熱。

ユーリの触れる感触。

 

硬い……鍛錬によって付いた筋肉は彼の直向きな努力を感じさせる。

 

こうして、質問を交えて。

互いの話をして。

 

……中々にない機会だった。

私と彼は相棒(バディ)だが、それでも……こうして長い夜を語り合う日は初めてかも知れない。

 

知っているつもりだった事も、知らなかった事も……少しずつ、新しく埋めていく。

 

この世界は陰鬱で、残酷なゲームの世界だ。

それでも……今、触れている感触は現実だから。

 

知ったつもりでいたとしても、本当は違うのかも知れない。

 

 

……そうして、幾つかの質問を重ねて。

私は一つ、どうしても訊きたい事が出来た。

 

 

「ユーリはさ……」

 

 

この世界について、これからについて……どうしても、訊きたい事。

 

 

「……うん?」

 

「好きな人とか、いるの?」

 

 

この世界、『純血の祓魔師(エクソシスト)』はマルチエンディングのアドベンチャーゲーム。

その分岐は……誰と親交を深めるか、で分かれる。

それこそ恋愛ゲームと同じで、どのヒロインを選ぶかで変わる。

 

だから、今……ユーリがどのヒロインの元に進んでいるのかを知りたかった。

 

 

「……好きな人?」

 

「そう……好きな、人」

 

 

と言っても、彼と本格的に交流があるのはフロイラぐらいか?

それとも、私の知らない場所で別のヒロインと交流を深めて──

 

 

「僕は……ええと……」

 

 

だけど、どうしてだろうか。

こうして不安になってしまうのは。

 

……きっと私が育てた、と言ってもいいユーリを誰かに取られるのが嫌だからだ。

彼に対して私は、独占欲を持っているのだろう。

相棒(バディ)として。

 

 

「僕は……エルシーが、好きだよ」

 

 

心臓が跳ねた。

想定外の返答に、思わず……ユーリを突き飛ばしそうになった。

 

震える唇を、開く。

 

 

「……フロイラは?」

 

「え?も、勿論……フロイラさんも好きだけど」

 

 

その返答で、動悸が静かになっていく。

彼に聞こえるようにため息を吐いた。

 

 

「……そういう意味じゃなくて、好きな異性は居ないの?って意味」

 

「……え?あ、いや、それは……」

 

 

やっぱり気付いていなかったみたいだ。

私は安堵した。

それと共に、少しだけ『がっかり』した。

 

……何で、落胆したのだろう。

いや、きっと気の所為だ。

これは何かの間違いだ。

 

ユーリがまた、口を開いた。

 

 

「じゃあ、逆に、エルシーはどうなの?……す、好きな男の人とか、いるの?」

 

「……いる訳ないでしょ」

 

 

私は否定しながら、少し視線を逸らした。

 

残り6年しか生きられないのに、これからの人生を誓おうなんて……無責任だろう。

それに私は……前世で異性で、身体も傷まみれで、性格も……。

 

だから、きっと……私の事を好きになってくれる人なんて、居ない。

 

 

「……私を、好きになる人なんて」

 

 

ぼそりと、小さく漏らしてしまった言葉。

『エルシー』らしくない弱気な言葉だ。

明らかな失態だとしても、一度口にした言葉は戻りはしない。

 

 

「…………」

 

 

だけど、ユーリはただ黙っていた。

聞こえなかった、のだろうか。

 

だとしたら良かった。

誤魔化さずに済むのだから。

 

……ああ、全く。

夜も更けて……眠くて、寒いから。

きっと頭が回っていないのだろう。

 

こうして変な事ばかり考えて。

こうして変なミスをして。

こうして……。

 

 

風が雪を巻き上げる。

暗闇の中で、白い雪が……ただ、流れるように雪原を撫でていた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

……エルシーが、僕に密着している。

柔らかくて、小さくて、暖かい。

それに少し、良い匂いがする。

 

彼女は凄く強い祓魔師(エクソシスト)で、頼りになって、憧れもするのに……それでも、僕と同い年の女の子なんだって、気付かされる。

知っていたし分かっていたけれど、知らないし分からないフリをしていたけど。

 

好きな人、と訊かれて咄嗟に彼女の名前を出してしまったのは……僕にもよく分からなかった。

だけど、多分……きっと、アレが本心で。

 

僕は自信がなくて、彼女の言葉に便乗して誤魔化してしまったけれど。

 

……それでも、きっと。

 

 

「…………」

 

 

僕はエルシーの事が、好きなんだと思う。

ハッキリと断定はできないけれど。

 

彼女を抱きしめた時に、守りたいと思ってしまうぐらいには……絆されている。

僕より彼女の方が強いけれど、それでも守りたいと想ってしまった。

 

……先程の、エルシーの言葉を反芻する。

 

 

『いる訳ないでしょ……私を、好きになる人なんて……』

 

 

そんな事はない。

少なくとも僕は……君の、事を。

 

だけど、僕は弱くて、彼女の迷惑にしかならなくて……好意を言葉にする事も出来ない。

きっとエルシーは、僕が好意を抱いている事なんて知らない。

知ったって迷惑にしかならないだろう。

 

だから、言えない。

勝手に逃げ道を作って言い訳して……本当に情けない話だ。

 

 

それでも、いつかは……彼女の横に立てるようになりたいと。

そんな淡い自惚れを抱いて……僕も、いつかは。

 

鍛錬をして、勉強をして、経験を積んで。

少しずつだけど、僕も強くなっていっている。

 

だから、そう……いつか。

 

エルシーの隣に立っても、恥ずかしくないような人になれたら……その時は──

 

 

「…………」

 

 

窓の外、降り積もる雪は地面を隠していた。

ただ真っ白に塗りつぶされた景色だけが、僕の目には映っている。

 

降り積もる雪が、枯れた木に積もり……大きな音を立てて、崩れ落ちた。

 

ごうごうと、吹雪く音だけが僕の耳に響いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから、数時間経って……太陽は昇り、吹雪も止んだ。

 

エルシーが小屋の戸を開けて、外に出た。

まだ硬くなっていない雪を踏み締めたら、軋むような音が鳴った。

 

見上げれば雲一つなく、太陽光が降り注いでいる。

白銀の雪原が雪を反射して、眩しいぐらいだ。

 

こうして一睡もせず過ごした後の目には毒だ。

目を擦って──

 

 

「……ユーリ?大丈夫?」

 

 

心配するような表情を浮かべるエルシーに、視線を戻した。

雪に反射した光が彼女の肌を照らしている。

 

だからか、いつもより綺麗に見えた。

それとも、昨晩の所為なのか。

 

僕は気を紛らわせるように、首を小さく横に振った。

 

 

「大丈夫だよ、エルシー」

 

「……眠気がある状態での下山は危ないから、本当に限界だったら言って。私が背負って下りるから」

 

「……うん、本当に限界が来たら言うよ」

 

 

嘘だ。

そんな恥ずかしい真似はしたくないから……多分、言えない。

 

僕は無理矢理、元気を出して背伸びをした。

 

そして……エルシーが何かに気を取られているのを見た。

僕も視線を、彼女の見ている先に向けて……あぁ、なるほど。

 

遥か先の方から、太陽が昇っているのが見える。

そして、遠くになれば遠くになるほど青白く変わっていく景色も。

葉のない木々に霜が降りて、まるでガラスの花のように見える。

 

それをただ、エルシーは少し呆けたような顔で見ていた。

……僕は、口を開く。

 

 

「……良い景色だね、エルシー」

 

 

そう言えば、エルシーは少し嬉しそうな顔をして頬を緩めた。

 

 

「まぁまぁね、大した事ないけど……」

 

 

口ではそう言いながらも、彼女の表情は穏やかだった。

だからきっと、これは彼女なりの強がりだ。

 

僕は、雪に反射された光を浴びる彼女の姿に見惚れながら……そう、思った。

 



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#14 小さな幸せ

聖地レイライン。

祓魔師(エクソシスト)達に『奇跡』を遺した聖女レイラインの生まれの地。

そこは聖葬教会における聖地であり、祓魔師(エクソシスト)達の本拠地でもある。

 

そんな聖地は今、にわかに騒がしい。

聖地の中央にある大聖堂も、祓魔師(エクソシスト)達が集う教会も、その外にある一般人の居住区も……どこも落ち着きを失っている。

 

しかし、悪い意味ではない。

 

 

「……今年も、そんな季節かぁ」

 

 

窓の外を見て、そう独りごちた。

つい最近に彗星祭があったというのに、次のイベントがやってくる。

この世界が物語(フィクション)だからイベントが多めに設定されている……と考えるのは斜に構え過ぎているか。

 

現実として、娯楽の少ない世界だから小さな行事でも祭りとして楽しんでいるのだろう。

収穫祭だったり、謝肉祭だったり、宗教的なイベントだったりもする。

 

それらが、この残酷な世界で生きている人々の生きる糧となるのだろう。

 

 

「…………」

 

 

私は窓に指を滑らせて、離れた。

 

今日はまだ祭りの日ではない。

まだ、三日前だ。

 

だから、騒がしいのは祭りの準備をしているに過ぎない。

しかして、7年に一度の『彗星祭』よりも盛り上がっているのは確かだ。

 

理由は単純で、この祭りの方が重大な催事だからだ。

 

それは、『聖誕祭』。

この聖地レイラインに、聖女レイラインが生まれた日だ。

つまり、宗教上、最も位の高い人間の誕生日ということ。

この聖地レイラインにおいて、それは如何なる事よりも優先されるというだけの話だ。

 

私は自室で、水を顔に浴びてタオルで拭いた。

この時代観にそぐわない自動水汲み機も、繊維の細かいタオルも……聖女レイラインが発案した発明らしい。

 

聖女レイラインは宗教上だけではなく、祓魔師(エクソシスト)としても優れ、学者としても、発明家としても、統治者としても優れていた。

……というか、アレもコレも現代的過ぎる発想をしていた。

 

ゲームでそんな設定があった覚えはないけれど、彼女も……私と同じ、前世の記憶を持つ人間だったのではないか?なんて考えてしまう。

 

しかし、そんな事を考えても意味はない。

百年以上前の人間だ。

もうこの世にはいないし、確かめる方法はない。

それに、知ったところで何も得る物はないのだから。

 

 

祓魔師(エクソシスト)の制服である修道服に身を包み、自室を出る。

ただただ広く、長い廊下が続く。

 

ここは聖地レイラインに存在する祓魔師(エクソシスト)用の家屋……現代風に言うなら社宅だ。

祓魔師(エクソシスト)ならば家賃は無料で、特別な理由がない限り殆どの祓魔師(エクソシスト)はここに暮らす。

 

そして、自室の内装や広さは等級によって決まる。

私は『上位』だから、一人で暮らすには少し広過ぎる部屋だが……『下位』の祓魔師(エクソシスト)は必要最低限のスペースしかない。

 

まぁ、そもそも、『下位』の祓魔師(エクソシスト)は入れ替わりが多い。

それほど場所を大きく作って荷物を置かれても困るのだろう。

 

……そう、『中位』へ昇格して引っ越すか、それとも殉職するか。

兎に角、人の入れ替わりが激しい。

 

可哀想だが、仕方のない話だ。

 

 

「それにしても、浮かれ過ぎ……」

 

 

過度に飾り付けられた掲示板を流し見て、そのまま歩く。

 

 

朝……と言うには少し遅めだが、それでも任務を前に若手の祓魔師(エクソシスト)達が群がっていた。

 

彼等は基本的な給金では、娯楽に費やすような金もないのだろう。

お洒落な衣服、美味しいご飯、教養のための書籍……それらの為に『任意依頼』を受けようとしているのだ。

 

原作にあるような『悪魔』の等級査定ミスなど、不備のありそうな『任意依頼』はない。

そこまで急いでいない私は、『任意依頼』の紙を片手に会話する相棒(バディ)達を眺めていた。

随分と仲が良さそうだな、なんて。

 

小さくため息を吐いて、大理石の柱を背もたれにする。

 

そうして、少しだけ待てば──

 

 

「あっ、エルシー」

 

 

片眉を上げて、私は声がした方へ目を向けた。

そこには『中位』の修道服を着た、私の相棒(バディ)であるユーリが立っていた。

 

私は胸元の懐中時計を開く。

集合予定の時刻、その10分前だ。

 

しかし──

 

 

「遅いんですけど〜?」

 

「う、ごめんよ……」

 

 

悪態を吐いた私に、ユーリが平謝りした。

まだ集合時間でもないのに、早めに着いたユーリ……よりも早めに来ている私が馬鹿みたいだから、誤魔化すために悪態を吐いたのだ。

 

私は鼻を鳴らして、そのまま任務の貼られた掲示板の前に立つ。

 

 

「じゃ、ユーリはそっちの方から見て」

 

「う、うん」

 

 

時間が経ち、ピークが過ぎて掲示板の前にいた人集りも減っている。

ユーリと並んで、掲示板に貼られた『任意依頼』の紙を眺める。

 

 

「エルシー、これは?」

 

「それは『下位』でも対処できるでしょ。緊急じゃないし、他の祓魔師(エクソシスト)に任せとけば良いの」

 

「そ、そっか」

 

 

ユーリがしょげた顔で依頼の紙を掲示板に貼り直した。

私も『任意依頼』を物色しているが、どれもこれも私達向けではない低等級向けの依頼ばかりだ。

私の原作知識にも引っかからない、緊急性の低いものばかり……少し退屈に、それでも安堵していると──

 

 

「……それにしてもさ、エルシー」

 

「なに?」

 

「……その、どうして依頼の目利きを、僕に練習させてるの?」

 

 

今まで私は、ユーリに相談せず好き勝手に『任意依頼』を取っていた。

緊急性の高い任務だったり、原作に存在する危険な任務だったり……それらを優先的に選ぶためだ。

 

だが、これから。

6年後、私が居なくなった後は──

 

 

「そんなの、私が朝から依頼を取りに行かなくても済むようにですけど?」

 

「うっ、ごめん。今まで一人で行って貰って……」

 

「ふん。別に、分かればいいのよ。分かれば」

 

 

ユーリが自分一人で選べるように……ならないと。

 

私の残りの寿命、これからユーリと一緒にいられる期間……そして、私が死んだ後の彼の人生。

それを考えると、今のうちに急いで一人前にしなければ……と私は思ったのだ。

 

私が居なくなっても、一人で……いや、新しい相棒(バディ)と生きていけるように──

 

 

「エルシー?」

 

 

声を掛けられて、現実に引き戻された。

 

 

「……何?」

 

「い、いや?別に……ちょっと、落ち込んでるように見えたから」

 

「……ジロジロ見ないでくれる?ちゃんと依頼の方を見て欲しいんですけど」

 

「それは……そうだね、ごめん」

 

 

そうしてまた、依頼を漁る。

だけど、丁度いい依頼は見つからなかった。

 

私は一つ、ため息を吐いた。

 

 

「ま、特に目ぼしい奴はなかったわね」

 

「確かに……やっぱり、そういうのは早朝に来てた人達が持って行ったのかな?簡単な奴はいっぱい残ってるけど」

 

 

ユーリが小さくため息を吐いた。

簡単な依頼は『下位』の祓魔師(エクソシスト)が金銭を稼ぐ為にも、経験を積む為にも必要だ。

 

私のような『上位』の祓魔師(エクソシスト)が受けると、不都合が生じる。

 

 

結局、受けられる依頼もなく、私とユーリは掲示板から離れた。

 

 

「まったく、働き者ばかりなんですけど。『聖誕祭』も近いっていうのに」

 

「あっ……そういえば、明後日に『聖誕祭』だったね。忘れてたよ」

 

「……まぁ、去年は普通に『指名依頼』で遠出してたし。私も今朝まで忘れてたけど」

 

 

ポツリ、ポツリと会話を重ねつつ、特に目的も予定も無くなった私達は椅子に座った。

人通りの多い場所から少し離れた、休憩用の椅子だ。

 

 

「じゃあ、エルシー。今年は『聖誕祭』にさ、一緒に何かしない?よかったら、だけど」

 

「……彗星祭の時といい、何で催し事へのモチベーションが高いの?」

 

「そ、それは……うん、僕は祭りが大好きだからね」

 

「それ、初耳なんだけど」

 

「え?そうかな?」

 

「絶対、嘘でしょ。ユーリはインドア派でしょ?」

 

「そ、そんな事は……あるけど」

 

 

目線が泳ぐ。

 

 

「で?本心は?」

 

 

そのまま訝しんでいると、観念したような表情に変わった。

 

 

「えーっと……ほ、本当は……その、エルシーと一緒に出かける口実が欲しくて」

 

 

なんて、気恥ずかしい言葉を口にした。

 

 

「……言ってて恥ずかしくないの?」

 

「う、いや……そりゃあ、恥ずかしいけど、さぁ……」

 

 

しどろもどろ、言い訳もしないユーリを見ていると、私も何だか恥ずかしくなってくる。

私はその羞恥を誤魔化す為に、ユーリから視線を逸らした。

 

 

「別に……誘いたければ、いつでも誘えば?祭りとか関係なく」

 

「……いいの?」

 

「……いいけど?」

 

 

そこまで言って、私は少し口を窄めた。

自分が恥ずかしい事を言っていると自覚したからだ。

これじゃあ誘って欲しいようにしか見えない。

 

気まずい空気を振り払うように、私は口を開く。

 

 

「っ、でも!誘っていいけど、行くかどうかは別だから……!そこの所はちゃんと行きたくなるように誘って欲しいんですけど……?」

 

「う、うん……努力するよ」

 

 

悪態を吐いた私を、やっぱり誘わない、なんてユーリが言う訳もなく。

落ち着かなくて、私は自分の後ろ髪を触った。

 

 

「……で?結局、聖誕祭に何かするの?」

 

「うん、エルシーが良ければ。一緒に出かけられたらいいなぁって」

 

 

それは魅力的な提案だったけれど。

 

これからの事を考えれば。

私が、これから辿る終わりを考えれば──

 

 

「…………」

 

「……エルシー?」

 

 

余命も見えている私が、ユーリと親しくなるのは……良い事ではない。

やがて来る彼との別れが、ただただ悲しくなるだけだから。

 

私にとっても、ユーリにとっても。

 

だから、これ以上、深入りするのはやめた方が良い。

 

分かっている。

分かってはいる。

 

だけど──

 

 

「……分かった。行く」

 

 

なのに、どうしてこうも。

彼の誘いに乗ってしまうのは、私が身勝手な人間だからか、か。

 

 

「よかった……それじゃあ、当日、教会の外にある商店街の方に行ってみようよ」

 

 

嬉しそうに頬を緩めるユーリから、私は顔を逸らした。

 

 

「もっとマシなプラン立てらんないの?」

 

 

自己嫌悪か、気恥ずかしさか。

今はどんな表情を浮かべているか、鏡もないこの場所じゃ分からない。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

そうして数日が経って、聖誕祭当日。

私はユーリと街を歩いていた。

 

聖地レイラインの中央にある大聖堂から離れても、宗教感の強い街並みが広がっている。

聖女レイラインを敬う文言が刻まれた装飾や、宗教画が目に入る。

 

それだけ、聖女レイラインを信仰している、という事だろう。

聖地に住むような人達なのだから、当然か。

 

しかし──

 

 

「……随分とカップルが多いんですけど〜」

 

「そ、そうだね」

 

 

街中、手を繋いだり寄り添っている恋人同士の多い。

聖女の誕生日だというのに、ロマンチストが多いようだ。

 

確かに聖誕祭は、聖女レイラインの生誕を感謝する……事に紐付き、大切な人に感謝する日、という概念もある。

 

まぁ、つまり、なんだ?

恋人や好意を抱いている異性に、プレゼントを贈る……といった、イベントになっていた。

 

物語上でもそうだったから、記憶として覚えている。

最も好感度の高いヒロインからアイテムや装備を貰える日だと。

 

……しかし、ユーリにはそんなヒロインがいない。

私が彼の側を独占しており、恋人作りなんて出来ない程に『悪魔』狩りをさせているからだ。

 

……少し、可哀想な事をしているかも。

代わりに私が、何かプレゼントでも用意してあげようかな?

 

なんて、思いつつユーリに視線を戻すと、行商の方へと目を向けていた。

地べたに絨毯なんか敷いて商品を並べてる、少し年老いた女だった。

 

 

「……見に行きたいの?」

 

「え?……えっと、ちょっとだけ」

 

「じゃあ、見に行けば?」

 

「う、うん」

 

 

ユーリがその行商へと向かっている間、街の景色へ目を向ける。

平和に彩られた、穏やかな景色。

 

手を繋ぐ若い男女……私は目を逸らした。

何故か、胸の奥が痛くなった。

絞られるような感触。

焦燥感に似た、堪え難い衝動。

 

多分、これは嫉妬だ。

 

だけど──

 

 

「……気のせいかな」

 

 

何に嫉妬したのだろうか。

何を羨望するのだろうか。

何が欲しいのだろうか。

 

私には自覚できない。

だから、これは気のせいだ。

 

息を深く吐いて、ユーリのいる行商の元へ向かった。

行商は装飾品を売っているようで、銀の細工を売っている。

 

……銀には邪悪を討ち払う力がある、という。

聖地で売るなら、これほど向いている物もないだろう。

まぁ、実際に『悪魔』を討ち払う『聖銀器』と違って、ただの銀だけど。

 

そんな行商とユーリは何やら会話して……胸元に何かをしまった。

 

思わず片眉を上げて、ユーリの方へ駆け寄った。

 

 

「ユーリ、何か買ったの?」

 

「え?あ、いや……まぁ、ね」

 

 

誤魔化すような素振りに、また目を瞬く。

ユーリはファッションに無頓着だから、自分用の装飾品ではないだろう。

だから、きっと……他の誰かへの贈り物か。

 

ユーリが行商から離れて……ついでに私から逃げようとする。

私はユーリを早足で追いかけて──

 

 

「……ちょっとこっち来て」

 

「え、わっ──

 

 

そのままユーリの手を引っ張って、人目のつかない路地裏へ連れ込んだ。

 

 

「え、エルシー……?」

 

「さっき買ったの、見せて」

 

「あ、いや……その、ええっと……」

 

 

誤魔化すような素振りに、少し苛立つ。

この時期に買うのだから、聖誕祭で贈る為の物だろう。

 

原作でも、聖誕祭で親しい人にプレゼントを渡せる。

すると、好感度が上がって……という仕様がある。

 

……フィクションの世界と、私が今ここにいる世界が全くの同一であるとは思えないが、それでもユーリが何か贈り物をするのであれば。

 

何を渡すのか。

誰に渡すのか。

 

知りたいと思ってしまう。

知ってどうするかなんて、何も考えていないのに。

 

 

「……なに?私には見せられないって訳?」

 

「い、いやっ、そうじゃなくて、今は──

 

「今は?」

 

 

ユーリは『今は?』と言った。

つまり、時が満ちれば見せてくれるという事だ。

 

 

「あ、いや、その、違……えっと──

 

 

つまり……どういう事だ?

 

 

「その……うぅ……分かったよ……」

 

 

不審がっている私の顔を見て、ユーリは何か勘違いしたようで観念したような表情を浮かべた。

 

そして、胸元から幾何学的な形をした銀細工を取り出した。

 

 

「……何これ?」

 

「これ、エルシーに……後で渡そうと思ってたけど」

 

 

購入してすぐの銀細工を、ユーリから手渡される。

軽く……少し、冷たい。

 

丸と四角、乱雑に見えて、整理されて一定の理屈で配置された模様。

 

可愛い……という訳ではない。

女の子に贈るアクセサリーらしくない。

それでも、何だか好きなデザインだった。

 

手に乗せている銀細工から視線を上げて、ユーリの顔を見た。

 

 

「何で私に?」

 

「それは……っ、その、いつも世話になってるから……だけど……」

 

 

弁明するような言葉に、私は脳裏に言葉を反芻する。

 

聖誕祭では恋人や好きな異性にプレゼントを贈る……いや、正確には違う。

 

親しい相手に日頃の感謝を込めて贈り物をする。

両親だったり、兄弟や姉妹だって、学友か、教師でもいい。

 

だから……大丈夫、勘違いはしていない。

平常心だ。

 

 

「そ、そう……ふぅん……?そっ、か」

 

 

全然、平常心だ。

息を深く吸って、深く吐く。

 

そんな私の仕草に、苛立っていると勘違いしたのかユーリが心配そうな顔を浮かべていた。

 

 

「……その、エルシー。貰ってくれるかな?……要らないなら、部屋の引き出しとかに入れておいてくれても構わないから……」

 

 

そんな様子に、私はため息を吐きながら頷いた。

 

 

「ちゃんと貰ってあげるけど──

 

 

そう口にしつつ、手に持っていた装飾品を首元へと持っていく。

革で出来た紐を、自分の首に掛けた。

 

 

「……どう?これでいい?」

 

 

……首元にかかっている薄紅色の髪が邪魔になるかと退ける。

別に今日、洒落た服を着ている訳じゃない。

そもそも持っていないけれど、今日はただの修道服だ。

 

そんな可愛げのない服装、その胸元で聖銀器(ロザリオ)と銀細工が並んだ。

 

ユーリへと視線を戻すと……彼は少し顔を呆けた顔をしていた。

そして──

 

 

「うん、凄く……可愛いと思う」

 

「……ふーん、あっそ」

 

 

私は手で口元を隠した。

普段から浮かべている笑みが崩れそうになったからだ。

 

私は薄紅色の髪を指先で弄り……止めていた足を動かし、ユーリの横を通り過ぎた。

そうして、呆けたまま足を止めているユーリへと振り返った。

 

 

「……何?まだ祭りを様子を見るんでしょ?」

 

「……あ、ごめん。すぐに行くよ」

 

 

小さく鼻を鳴らして、ユーリの前を歩いた。

聖誕祭によって屋台を出している店の冷やかしをしつつ、雰囲気を楽しむ。

 

偶に、店頭で売っている食べ物を買いながら──

 

 

「……エルシー、それ美味しい?」

 

 

手に持っているのは串だ。

四角形に切られた小さめのスポンジケーキに生クリームがかかっている。

そんなお菓子だ。

 

 

「そこそこ」

 

「……そこそこなんだ」

 

 

すごく甘い。

甘さ以外の感想が出ないほどに甘かった。

見た目からは想像できないほどに、下品な甘さだ。

……ユーリの少し困惑したような顔を見て、ため息を吐く。

 

 

「……気になるなら食べる?」

 

「え?いいよ、悪いし……それに、その……」

 

 

ユーリの視線が私が持つスポンジケーキと、顔……いや、口元を往復した。

少し訝しんでユーリと視線を合わせると、恥ずかしそうに逸らした。

……なんとなく、理由がわかった気がする。

 

 

「食べかけだからって気にしてるの?」

 

「……だ、だってさぁ」

 

 

……ヘタレだ。

女性慣れしていないにも程がある。

まぁ、そんな所も……別に、嫌いじゃないけど。

 

そうやって顔を赤くしているユーリを見ると、揶揄いたくなる。

 

 

「……接吻(キス)ぐらい、した事ある癖に」

 

「うぇっ……!?そ、そんな事してないよ……?」

 

 

戸惑いながら否定するユーリの言葉を聞き、思わず眉間に皺を寄せた。

 

 

「……は?ウェラポリでしたでしょ?」

 

「え?あれ?そうだったっけ……って、うぐっ──

 

 

脇腹に肘を入れた。

 

 

「本当に覚えてないの?」

 

「……あ。で、でも、アレってさ、人命救助の一環だし……」

 

「……もういいから」

 

 

何だか苛立ってくる。

何故、どうしてこうも苛立つのかは分からないけれど。

 

私の初めてだったのに、こうして気にしていないような素振りが無性に腹が立つ。

 

 

「ご、ごめん、エルシー」

 

「は?別に。気にしてないんですけど」

 

 

眉尻を下げて申し訳なさそうにしてるユーリを見て、私は首を横に振る。

 

……別に。

揶揄いたいだけだったし。

こんな顔をさせたい訳じゃなかったのに。

 

……少し熱くなってた部分が急激に冷めて、私は手に持っていたスポンジケーキの串を──

 

 

「むぐっ」

 

 

ユーリの口に押し付けた。

 

 

「……どう?」

 

「ん……っと、うわ、これすっごく甘いね……」

 

「でしょ?後は全部、ちゃんと処理してね。それで許してあげる」

 

「う、うん」

 

 

メチャクチャな理屈だし、我儘な態度だ。

しかし、そんな私に文句も言わずユーリは肯定してくれた。

 

……いつか、悪い女に騙されるんじゃないかと少し心配になる。

押しが強い女にあーだこーだと言われたら全部頷いてしまうんじゃないか?

 

なんて、考えながらユーリの前を歩く。

そうすれば、ユーリは少し早歩きになって私の横に並んだ。

 

私より少し身長の高いユーリの顔を見上げると、こちらを見てだらしない苦笑を浮かべた。

覇気のない、情けない笑み。

だけど、どこか優しくて、穏やかな笑みだった。

 

……思わず、私も作り笑いではなく、自然に頬を緩めてしまった。

ほんの少し、何故か胸が動悸した。

そう、ほんの少しだけ。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

横に並ぶ、エルシーの顔を見た。

僕より少し身長が低い彼女の目線があって、思わず不恰好な笑みを浮かべてしまった。

 

照れ臭くて、恥ずかしくて。

 

そんな僕の表情が面白かったのか、エルシーも少し笑った。

いつもの、誰かを嘲笑するような笑みではなく、ただ自然な……年齢相応の、女の子らしい笑みを。

 

その表情を見て、僕の心臓は早鐘のように鳴り響いた。

体温が少し上がった気がした。

 

だって、凄く……可愛かったから。

 

自分自身を誤魔化すように、口を開く。

 

 

「……え、エルシーはさ。他に行きたい所、ある?」

 

 

なんて聞けば、エルシーは目線を僕からズラした。

 

 

「……あそこ、寄っていい?」

 

 

その視線の先にあったのは……何を売っているかも分からない雑貨店だ。

 

 

「勿論、いいよ」

 

 

僕が肯定して、二人で雑貨店に入った。

……何だろう、本当に色々な物が売ってる。

 

鍋敷きから、アクセサリー……マグカップも売っている。

店内に所狭しと置かれた雑貨を見ていると……エルシーが何かを手に取った。

 

そしてそのまま、棚へ戻さず会計場所へ足を向けた。

思わず、声を掛ける。

 

 

「……エルシー、それ何を買うの?」

 

お守り(タリスマン)ですけど?」

 

 

エルシーが僕へと手に持つ物を見せてくれた。

小さな懐中時計のような見た目をしているけれど……針は動いてないし、文字盤の代わりに小さな宝石が埋められている。

 

 

「……へー、綺麗だね」

 

 

正直、僕が彼女に渡した銀細工より豪華だと思った。

いや、でも、あの銀細工はエルシーらしいと思って……その、衝動買いしちゃったけど。

簡素で飾り気はないけど、よく見ると複雑な見た目をしていたから。

 

だけど、エルシーの好みは……こういう、派手めなデザインだったのか。

失態を悟りつつ、それでも──

 

 

「綺麗なだけじゃない。ちゃんとした効能もあるから」

 

「……え?」

 

 

思わず目を瞬く。

彼女って思ったより信心深いんだ、と。

 

僕はあんまり、そういうのを信じてないけど……でも、エルシーの否定はしないようにしないと……って。

 

 

「何か変な事考えてない?」

 

「そ、そんな事ないよ?」

 

 

エルシーは僕の内心を読めるのか?

それとも、僕の感情は表情に出やすいのか?

きっと、後者だろう。

 

 

「これ、ちゃんとした使い捨てのアイテムだから」

 

「アイ……アイテム?使い捨てって?」

 

 

聞き慣れない言葉に、エルシーは何か複雑そうな表情を浮かべた。

 

 

「……忘れて」

 

「う、うん?」

 

 

エルシーは時々、僕の知らない言葉を使う。

しかも、そういう時は僕に説明もせずに切り上げてしまう。

 

彼女は聖葬教に対する理解が僕より深い。

だから、何かしらの宗教用語なのかも知れないけど。

 

首を傾げる僕を無視して、エルシーは会計を済ませていた。

……値段は、どうやら僕が買った銀細工の三倍ぐらいしてたけど。

 

思わず、目を逸らした。

何だか少し、情けなく思って。

 

 

「ほら、ユーリ。会計終わったし、出るけど」

 

「あ……うん」

 

 

そのまま、エルシーはお守り(タリスマン)を手に持ったまま、雑貨店を出た。

ほんの少しの気まずさを感じる。

 

僕が渡したプレゼントよりも、幾分も価値のあるアクセサリーを購入したからだ。

 

そうして、そのままエルシーが歩き出し……僕も釣られて歩き出した。

そうして、僕に視線も向けず──

 

 

「……ユーリ、これ」

 

 

僕へお守り(タリスマン)を押し付けてきた。

 

 

「え?」

 

 

思わず受け取ると、エルシーは鼻を鳴らした。

視線も合わせず、少し早歩きのエルシーの後ろを僕は追いかける。

 

 

「エルシー、これ……って?」

 

「察しが悪過ぎるんですけど。私が何か一方的に貰って気に済むような奴だと思ってるの?」

 

「い、いや……確かにそうだけど」

 

 

僕は足を止めて、手元のお守り(タリスマン)に視線を落とす。

そうすればエルシーも足を止めて、僕へ振り返った。

 

その顔は……何だろうか。

いつも通りの笑みなのに、何か……堪えてるようにも見えた。

 

 

「これはユーリへの、お返しだから」

 

「でも、こんな良い物なんて──

 

 

受け取れないと、口に仕掛けて……閉じる。

確かに、僕が渡したプレゼントより価値のあるものだけど。

それでもエルシーは僕のために選んでくれた。

 

だから、エルシーはきっとプレゼントの価値の差なんて気にしていない。

ここで否定するのは……ただ、僕の見栄っ張りな部分が原因だ。

 

……否定しようとした言葉を飲み込んで、頷く。

 

 

「……ありがとう、エルシー。大事にするよ」

 

「別に。大した物じゃないんですけど?」

 

「ううん、エルシーから貰った物だから」

 

「……そ、好きにすれば?」

 

 

エルシーが少し歪な笑みを浮かべて、僕から視線を逸らした。

薄紅色の髪が跳ねて、揺れた。

 

そんな彼女の後ろを追いかけて、僕は横に並んだ。

 

 

「エルシー、よかったら晩御飯、一緒に食べない?」

 

「……いいけど」

 

「この辺に美味しいご飯屋があるの知ってるんだ、だから」

 

「……ふーん、あっそ」

 

 

口数が少なくなったエルシーを横目に、僕は頬を緩めた。

彼女の一挙一動、全てに胸が高鳴って……少し、照れ臭くなるけど。

 

 

「エルシーと来れて良かったよ、聖誕祭」

 

 

この時間が堪らなく愛おしくて。

こんな幸せがずっと続けば良いな、なんて……僕は思った。

 

 

「……まぁ、及第点かな」

 

 

なんて言葉を口にする彼女を見て、僕は改めてそう思った。




空色の|お守り(タリスマン)。
レア度:★★☆☆☆
HPが0になるような攻撃を受けた時、低確率で1残る。
発動後、このアイテムは破壊される。


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#15 君と私と

私の寿命がどうであれ、ユーリとの関係性がどうであれ、私達の日常に変わりはない。

いたって普通。

 

そう、祓魔師(エクソシスト)としての『普通』だ。

 

 

「あぁ、もう!ほんっとに、鬱陶しい!」

 

 

もうすぐ朝日が昇ろうかという時間。

私とユーリは『悪魔』と対峙していた。

 

場所は聖地レイラインから南西。

汽車で一日、そこから歩いて更に半日程の僻地。

 

ここは聖地レイラインに比べて熱気と湿気が強い場所で、柔らかい土の上に木々が浮かんでいる。

その柔らかい土も、場所によっては更に水気が増し、最早、泥のようになっている。

 

海に近い、川。

海水と淡水が混ざり合う水辺に、艶やかな木が生えている。

 

そんな場所へ今、私とユーリは『悪魔』退治に来ているのだが──

 

 

「エルシー!後ろ!」

 

「分かってる!」

 

 

私は足先まで不快な泥に突っ込んでおり、動きを阻害されている。

そんな中、泥の中を滑るように高速で移動する蛇のような影……つまり、『悪魔』へ視線を向ける。

 

体長が私達の二倍ほどある、巨大な蛇。

それが『悪魔』の姿だ。

 

そんな『悪魔』が、泥から顔を上げて口を開いた。

そして、口の中から泥を射出した。

しかし──

 

 

「っ、ユーリ!」

 

 

私ではなく、ユーリに向かって、だ。

 

 

「え!?わっ、ぅぶっ!?」

 

 

顔面に拳程の泥をくらい、よろけた。

そこへ『悪魔』が身体をくねらせて接近する。

 

泥を食って、それを弾丸のように吐き出す……それがこの『悪魔』の能力だ。

だが、その力は『中位』程度であり、肝心の泥吐きはユーリの神聖力(エーテル)による防御を貫通出来ていない。

 

しかし、直接的な噛みつき攻撃ならば……怪我では済まない可能性だってある。

 

 

「こ、んのっ!」

 

 

私は大鎚(スレッジハンマー)を振りかぶり、『悪魔』へと振り下ろした。

瞬間、『悪魔』は泥の中へ潜り込み、そのまま離脱した。

 

 

そう、先程からずっと『こう』なのだ。

この『悪魔』は危機管理能力が高いらしく、私やユーリに害されそうになった場合、泥に潜り姿を消す。

そうして逃げ続けて、日中になれば姿を消す。

 

私達はかれこれ、二日間もこの『悪魔』と戦っている。

 

 

「今回もそうやって、逃げられると思わないで欲しいんですけど!」

 

 

私は用意していた小さな銀の杭を泥に突き刺した。

そしてそのまま、大鎚(スレッジハンマー)を水平に構え、神聖力(エーテル)を込める。

 

 

「『主よ』!『貴方に仇為す悪しき者の不義を照らしたまえ』!」

 

 

詠唱……つまり、奇跡の模倣だ。

 

 

「『聖なる境界(ホーリーアレイ)』!」

 

 

銀の杭から杭へ、神聖力(エーテル)が繋がって結界が発動する。

予め用意しておいた、木々に括り付けていた杭にまで結界が繋がる。

 

半径数百メートルに神聖力(エーテル)が満ちる。

そうすれば……泥に隠れていようが、大体の位置は分かる。

私が起こした『奇跡』の模倣、その正体を『悪魔』は理解していないようだ。

だが、それでも警戒しているようで、更に距離を取ろうとしている。

 

だが、そうはさせない。

 

 

「『凍てつけ』!『凍結(フリーズ)』!」

 

 

精度も効力も落ちるが、予備動作の少ない略式詠唱。

結界内、『悪魔』が逃げようとする先が凍る。

 

そう、泥には多く水が含まれている。

乾いた地面とは異なり、泥は一瞬で凍結する。

 

泥が砕ける音が響いた。

『悪魔』が凍らせた地中にぶつかった音だ。

私は更に、その周囲へ凍結範囲を拡大する。

 

このままでは逃げられないと、『悪魔』が泥から這い出た……その、瞬間──

 

 

「……ユーリ!」

 

 

よろけていたユーリは既に体勢を立て直していた。

膝を泥へ立てて、大剣(クレイモア)を持つ右手を引いて……左手は『悪魔』の居る方へ突き出していた。

 

ユーリが深く、呼吸をひとつして──

 

 

「っ、はぁっ!」

 

 

大剣(クレイモア)を投擲した。

 

ユーリが投擲した大剣(クレイモア)が空を裂き、『悪魔』へと迫る。

 

『悪魔』は空気の爆ぜる音に気付いて、大剣(クレイモア)へと顔を向けた。

それが『悪魔』が最後に見た景色となった。

反応は出来ても、対応は間に合わなかったのだ。

 

『悪魔』の顔面に大剣(クレイモア)が突き刺さった。

顔面が縦に裂け、大蛇のような『悪魔』は身を捻る。

 

しかし、大剣(クレイモア)の勢いは止まらず……そのまま貫通した。

顔面の粉砕された『悪魔』が力なく、倒れ込んだ。

 

 

「……ふぅ」

 

 

私も尻餅を付いて、ため息を吐いた。

 

『悪魔』は灰色に変色し、砕けた。

完全に倒し切れただろうが……本当に鬱陶しい『悪魔』だった。

 

夜間探索中の私達を奇襲する癖に、不利になるとすぐに逃走する。

そしてまた、油断したタイミングで奇襲してくる。

そんな狡猾な『悪魔』だった。

 

ふと、背後で泥を踏み締める音が聞こえた。

 

 

「……エルシー」

 

 

ユーリが私を情けない声で呼んでいた。

ちら、と彼を見れば納得した。

 

泥に浸かっていない上半身すら泥まみれ。

特に顔面が泥まみれだ。

……『悪魔』の泥吐き攻撃の所為だ。

 

まぁ、それに関しては私もそうだけど。

顔面には当たっていないが、腹や肩は泥まみれだ。

互いの惨状に私は苦笑した。

 

 

「ふっ……取り敢えず一旦、キャンプ地まで戻る?」

 

「う、うん……そうしたいかな……うぅ」

 

 

ユーリは袖で顔を拭って……泥を引き伸ばした。

 

 

「うっ……」

 

 

しかも、袖にも泥が付いて居たからか拭う前より酷くなっていた。

想定外だったようで渋い顔をしているユーリを見て──

 

 

「ぷっ」

 

 

思わず笑ってしまった。

 

 

「……な、何も笑わなくても……」

 

 

少し口を尖らせて抗議するユーリを見て、私は頬を緩めた。

こんなどうでもいい事に何故か、私は……何か、暖かな気持ちになっていた。

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

『悪魔』と戦っていた湿地帯から少し離れて、私が『奇跡』の模倣で作った簡易結界。

その中が現在のキャンプ地だった。

泥まみれの私とユーリは、向かい合って倒木に腰掛けた。

 

 

「ここから、村まで半日かかるし……このままじゃ帰れないんですけど」

 

「そうだね……泥が重いし」

 

 

私は泥の着いた修道服の袖を、顔の近くまで持ってきた。

 

 

「服の下に入って、気持ち悪いし」

 

 

襟から胸元を除くと……素肌に泥が張り付いていた。

 

 

「……そ、そうだね」

 

 

ユーリの目が泳ぐ。

 

 

「何?」

 

「な、何でもないよ?」

 

 

泥の中に転がった所為で、修道服の下まで泥がへばり付いている。

直接肌に張り付いて、服と密着して気持ち悪い……。

 

 

「……変なの」

 

 

それとは別に、泥が付着した所為で修道服が、元々の重さの何倍にもなっている。

 

我慢出来なくはないが……出来る事なら何とかしたい。

だが、 着替えなんて用意して居ない今、私が出来ることは──

 

 

「ユーリ……『奇跡』の模倣を使って、ここで服を洗うから」

 

「うん……え?」

 

 

私の提案にユーリが頷き……かけて、私の顔を見た。

ユーリが目を瞬いた。

 

 

「あの、エルシー?服を洗う時とか、乾かしている間に何を着るの?」

 

「そんなの、服が無いんだから……ちょっと考えたら分かると思うんですけど」

 

「……え、え?で、でもっ──

 

 

少し慌てた様子のユーリに、私はため息を吐いた。

思春期の子供じゃあるまいし……いや、ユーリはそういう年頃なのか?

私は前世の年齢まで合わせると……とっくに成人済みだけど。

 

 

「は?何?そんなに見られるのが恥ずかしいって訳?」

 

「そうじゃないけど……」

 

 

互いに視線を向けなければいい話だし。

そもそも私の身体を見た所で……ユーリがどうこうする訳ないだろう。

 

 

「じゃあ、何がそんなに気になるの?」

 

「えっと、僕じゃなくて……ぅ、エルシーは!?その、いいの?」

 

「別に。今更なんですけど?」

 

 

そう、今更だ。

色々な場所で寝食共にしているのだから。

まぁ確かに互いに裸になるような事は初めてだが……。

 

もし見られても、減るものじゃないし。

別にユーリになら……見られても、別に不快じゃないと思う。

多分。

 

私の視線から、ユーリが目を逸らした。

 

 

「……エルシーがいいなら……いいけど……でも、うん……分かったよ。なるべく見ないようにするから……」

 

 

嫌そうな顔で、ユーリが頷いた。

納得はして居ないけれど、私と言い争いをしたくなかったのだろう。

 

私はため息を吐いて、泥が付着した修道服を脱ぎ始めた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

外から持ち込んだ乾燥させた木々に、『奇跡』で火を付けて……その側で修道服を干していた。

修道服はエルシーが流水を生み出す『奇跡』に潜らせて、洗ってくれた。

僕のも、含めて。

 

そうして、泥まみれの修道服は洗い終わったけれど……『奇跡』を使っても、乾くまで1時間ほどかかりそうだ。

 

そう、それまでは──

 

 

「…………」

 

 

僕はパンツだけ履いて、焚き火の前に座っていた。

エルシーが下着だけ優先的に洗って、干してくれたお陰で……まぁ、まだ少し湿気ている気がするけど、全裸は免れた。

 

それはエルシーもそうだ。

 

 

「…………」

 

 

目線を向けないようにしているけれど、すぐ側で……下着姿のエルシーが座っている。

絶対に見たらダメだけど。

 

顔が熱い。

それはきっと、焚き火にあたっているから……ではないと思う。

 

 

「ユーリ、服が乾いたら村に戻って……そのまま、聖地レイラインに帰還するから」

 

「う、うん、分かったよ……」

 

 

声が上擦る。

僕は今、すごく緊張していて……だけど、エルシーはそんな様子もなく気軽に話しかけてくる。

 

 

「村の人にお礼がどうとか言われても、ついていっちゃダメだからね?」

 

「わ、分かってるよ」

 

 

きっと、意識しているのは僕だけだ。

情けないけれど……それでも、好きな女の子が隣で、そんな格好をしていると思ったら……仕方ないじゃないか。

 

 

「それと──

 

 

……両膝を抱えて、顔を隠したくなる。

こんな顔、恥ずかしくてエルシーに見せたくない。

 

そんな事に意識を乱されて──

 

 

「……ちょっと、ユーリ聞いてる?」

 

 

エルシーの言葉を聞いていなかった。

 

 

「え?あ……ご、ごめん、何か言ってた?」

 

「…………はぁ」

 

 

慌てて、それでも誤魔化さずに謝れば、エルシーがため息を吐いた。

今、その表情は見れないけれど、呆れられたのは分かる。

 

あぁ、もう、本当に……早く、服が乾いて欲しい。

焦りを抑えたくて下唇を噛んでしまいそうだ。

 

そう、思っていると──

 

 

「ユーリ」

 

 

名前を呼ばれた。

 

 

「な、何?」

 

 

戸惑い、問いかけると……何か踏むような音が近付いた。

何の音かと思いつつも、それでも万が一にでもエルシーを見てはいけないと堪えて──

 

 

「こっちを見て」

 

「え?」

 

 

すぐ後ろから声が聞こえた。

……後ろに、半裸のエルシーが居る。

 

なのに、『こっちを見て』?

 

 

「え、エルシー?でも──

 

「大丈夫だから」

 

 

何が大丈夫なのだろうか。

分からないけど……もしかして、もう服が乾いたのだろうか?

いや、そんな事はない筈だけど。

 

それでも、言われたからには無視できないと思って……僕は振り返った。

振り返ってしまった。

 

 

「えっ」

 

 

そこには、やっぱり。

案の定と言うべきか。

 

下着姿のエルシーが立っていて。

 

 

「ちょっ、と、エルシー……!?何して──

 

 

僕は慌てて、顔を逸らそうとした。

だけど、エルシーに頬を掴まれて……逸らす事も出来ない。

 

僕の目に彼女の身体が映る。

 

白く、滑らかで、張りのある肌。

男である僕とは全然違う、身体の肉付きが。

 

そして──

 

 

「ほら。こんなの見ても、しようがないでしょ?」

 

 

傷だらけの、身体が。

 

僕を庇った所為で出来た、ヒビのような傷痕が残った腕。

臍から鼠蹊部に向かって伸びる大きな切り傷。

脇の下にあった火傷のような傷痕。

 

それは、『奇跡』では完全に消す事が出来なかった傷の痕だ。

痛々しさを滲ませている。

 

 

「だから、そこまで気にしなくても──

 

「き、気にするよ!僕は……!」

 

 

それでも、痛々しさだけじゃない。

僕は彼女の素肌を見て、様々な感情を刺激されていた。

 

僕は彼女の手を振り解いて、目線を逸らした。

 

 

「……ユーリ?」

 

「だ、だって……そんなの、僕だって、男なんだから!」

 

 

動悸がする。

よくない事だけど、今はそんな状況じゃないと分かってるけど、僕はその……少し、興奮、してるみたいで。

 

 

「でも、こんな──

 

 

だから、エルシーがどうしてこうも自分の身体に価値を感じていないのか分からなくて。

僕は……だって、僕は──

 

 

「そんな事ないよ……!綺麗だよ……すごく」

 

 

綺麗だと、思ったから。

その傷は、祓魔師(エクソシスト)として彼女が戦ってきた傷痕だ。

誰かを助けるために彼女が頑張ってきた傷痕だから。

 

僕を助けるために負ってしまった傷痕だってある。

 

だから、その傷痕を見ても……僕は嫌悪感なんて感じなかった。

彼女が気にしていようとも、僕は。

 

 

「……そ、そう?」

 

「うん……って、今僕、凄く気持ち悪い事言わなかった?」

 

「…………」

 

「あ、ええと、違うんだ。そうじゃなくて……いや、そうなんだけど──

 

 

しどろ、もどろ。

正直に言うならば、見たいかと聞かれれば見たいと思う。

好きな女性の身体を見たいと思うのは、きっと男の性だから。

だけど、そういうのは恋人同士でやるべきで。

 

だから、前提として恋人じゃない僕が見るべきではないけど。

 

なんて、僕の考えを全部言葉にしたら、エルシーに気持ち悪がられてしまいそうで。

どうしようかと慌てる僕を、エルシーが──

 

 

「わ、分かったから……ごめん、ユーリ」

 

 

ごそごそと、その場から離れていくのを感じた。

 

 

「あ」

 

 

終わった。

先程の、自身の言動を反芻する。

 

エルシーの半裸姿を見て「綺麗だよ」なんて言っていた。

どこの変態だろうか、いや僕か。

 

間違いなく、僕に対して嫌悪感を抱いただろう。

 

最悪だ。

先程の発言を撤回したい。

恥ずかしい。

情けない。

 

地面に座り込む。

自己嫌悪から、膝の間に顔を挟んだ。

 

穴があったら、入りたい。

 

 

「……………」

 

「……………」

 

 

二人、一言も喋らず。

気まずい空気の中に、焦げるような臭いが漂う。

 

パチパチと、木材が焼ける音だけが耳に聞こえていた。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

すぐ側にはユーリがいる。

木材の焼ける臭いがする。

 

私は膝を抱える。

顔を隠したくて。

 

半裸なのに、身体は熱い。

特に、顔が。

 

先程の行動を思い返す。

 

 

ユーリに、私が女性として価値がない事を示そうとした。

余命の短い私を攻略対象から外してしまおうと……そう思った。

だから、行動した。

 

……それが、間違いだった。

冷静に考えてみればわかる話だ。

これじゃあ、痴女じゃないか。

 

 

恥ずかしくて、情けなくて、顔を埋める。

だけど、心臓が爆発するんじゃないかと思えるほど、大きく鼓動している。

 

 

「…………」

 

 

自分の肢体へ視線を落とす。

沢山、傷がある。

 

生き急いで、『悪魔』と戦ってきた。

誰かを守るために、悲しむ人を減らしたくて。

自分の弱さを補うために、己の身を軽視して。

 

その結果の傷痕だ。

 

後悔はしていない。

だけど、毎日、鏡で見る度に……どこか、諦めのような感情を抱いていた。

 

まるで年頃の少女のように。

本来の年齢も、性別も、何もかもがズレているのに。

 

それでも、人並みの幸せなんて考えて。

そして、すぐに諦めていた。

 

 

「…………」

 

 

分かってる。

こんな感情は、勘違いだ。

私が持つべきではない。

 

この感情に名前を付けてはならない。

気付いてはならない。

 

この感情を誰かに知られても、私が自覚しても……誰も幸せになれはしない。

だから、知らない方がいいのに。

 

己の身体を抱きしめるように、膝を抱える。

 

 

「…………」

 

 

ユーリは良い人だ。

優しくて、努力家で、誰かのために行動できる。

 

だから、幸せになって欲しい。

原作が、物語が、なんて関係ない。

 

私は『主人公』としてではなく、『ユーリ』に幸せになって欲しい。

笑っていて欲しい。

泣いて欲しくない。

 

だから……この感情に名前は付けない。

この感情の正体を探らない。

この感情から目を逸らす。

 

彼のために、私のために。

 

 

私は深く、深く……息を吐き出した。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

村を救った英雄だ、なんて宴を開かれそうになったけれど、それを無視して私は村を後にした。

あまり面倒ごとに絡まれたくなかったからだ。

 

空が茜色に染まる頃、私とユーリは汽車に乗っていた。

 

普段よく使っている向かい合わせに座れる席が空いていなかったから、並んだ大きめの席に二人で座っていた。

肩が触れ合う距離で、私とユーリは座っている。

 

汽車が揺れる。

夕焼け色に染まった景色が、窓の外を流れる。

 

この汽車の到着時刻は翌朝……つまり、夜間を走る特別な汽車だ。

だからこそ、休みやすい箱型の個室が取りたかったのだけれど……。

 

すぐ側にいるユーリは……気まずそうに、景色に目を映していた。

先程の出来事がまだ、尾を引いているのだろう。

 

こんな傷だらけの身体を見て──

 

 

『綺麗だよ』

 

 

顔が熱くなる。

動悸する。

 

これではユーリの事をバカに出来ない。

身体の年齢に精神が引っ張られているのだろうか。

 

 

ただ、とにかく気まずい。

外の景色なんて何も面白くないのに、ユーリは外を見ているし。

 

静寂の中、汽車の僅かな振動を感じる。

もういっそ、寝てしまおうかと思っても……心臓の音がうるさくて眠る事も出来ない。

 

こつん、と指が何かに触れた。

 

それはユーリの手で、ユーリがこちらに顔を向けた。

目線が、合った。

 

 

「あ、エルシー……ご、ごめん」

 

「別に……き、気にしてないんですけど」

 

 

そうして、またユーリが目線を泳がせた。

 

 

「…………」

 

「…………」

 

 

そうして、また静寂が満ちる。

何か話そうとしても、喉の奥で言葉が引っかかって出てこない。

 

少し苛立つ。

何で私がユーリ相手に、こんな緊張をしなければならないのか。

どうしてユーリは私を避けようとしているのか。

誰が悪い訳じゃないのは分かっている。

それでも、少し苛立つ。

 

よし、怒ろう。

多少理不尽でも叱ろう。

何か言ってやろう。

言おう。

 

 

「っ……ユ、ユーリ」

 

 

……ふにゃふにゃした声が出た。

 

 

「……エルシー?どうかした?」

 

 

逆に、なんでユーリは少し落ち着いているんだ?

言葉に詰まって、ユーリの目線を合わせれば──

 

 

「エルシー……?その、何で睨んでるの?僕何かした?」

 

 

なんて事を言われてしまった。

 

 

「な、ん、に、も、無いんですけど?」

 

「え?うん、そ、そうだよね?僕何もしてないよね?」

 

 

困惑するユーリの言葉を耳に、私は顔を逸らして……丁度、汽車内の車内販売員が来ていた。

 

 

「……ユーリ、夕食食べる?」

 

「あ、うん……?うん、お腹空いてるし、食べようかな」

 

 

私とユーリは車内販売員から車内食を買って、椅子前の机に置いた。

茶色く煮込まれた具のないビーフシチューの缶詰めと、固めのライ麦パンが二つ。

ビーフシチューにパンを浸して、口へ運ぶ。

 

 

「……まぁまぁね。ちょっと濃いけど」

 

「冷めてもいいように、味を少し濃くしてるのかな」

 

 

本当に味が濃い。

……少し、喉が渇く程に。

 

竹……正確には竹のような材質で出来た水筒から、水を飲む。

こくこくと、喉を鳴らしていると……ユーリの視線に気付いた。

 

 

「何?水、飲みたいの?」

 

「あ、いや……そういう訳じゃないよ。僕も水筒持ってるし……」

 

 

やっぱり、さっきの……まだ気にしているのだろう。

それは私もだが……いい加減、鬱陶しくなってきた。

 

というか、ユーリと自然に話せないのが、こんなにストレスに感じるとは思わなかった。

だから──

 

 

「……さっきの事は忘れなさい」

 

「……さっきの?」

 

「さっきのはさっきに決まってるでしょ」

 

「う、そうだよね……忘れるよ」

 

 

なんて言いながらも、意識しているようで笑い方が硬い。

……私、なんで、こんなのに……あんな感情を……?

って、違う。

そうじゃない。

 

特に理由なく、ユーリの脇腹を突いた。

 

 

「あ痛っ、え?エルシー?」

 

「……ふん」

 

 

鼻を鳴らして、目を逸らす。

足を組んで、身体をユーリが居ない方へ向ける。

 

……自分のことを客観視する。

これじゃあ暴力系ヒロインじゃないか?

 

いや、私はヒロインではないが。

断じて違うが……。

 

じゃあ、パワハラ上司か。

そう、それだ。

 

頭の中でぐるぐると、ぐるぐると情報が回る。

混乱してくる。

顔が熱いし。

 

まったく、何だか頭が回らなくなって──

 

 

「エルシー、顔赤いけど……大丈夫?」

 

「は?私を、心配するなんて10年早いんですけど!?」

 

 

目がぐるぐる回ってくる。

なんだか、頭もぼーっとしてくる。

 

 

「……エルシー?ちょっと、失礼するね」

 

 

私が返事を返さぬ間に、ユーリが私の額に手を当てた。

急に何をしているのか、驚いて、恥ずかしくて、顔が真っ赤になる。

 

 

「……やっぱり」

 

 

やっぱりって、何が?

もしかして、私が何を考えているか分かって──

 

 

「すごく熱が出てるよ、エルシー」

 

「熱?」

 

 

私も自分の首元に手を当てる。

……熱い。

 

……じゃあ、何?

私がユーリの事を考えて熱くなったり、赤くなったり、ぼーっとしてたのは……別に、そういう訳じゃなくて病気だったってこと?

 

 

「……はぁ、そっか」

 

「そっか、じゃないよ。熱があるし……濡れたまま裸で外にいたからかな……」

 

 

心配するようなユーリの言葉を聞き流しつつ、椅子に深く座り込んで安堵のため息を吐いた。

 

そう、安堵だ。

自分の感情に整理が付いたからだ。

あれは……そう、ユーリに特別な感情を抱いていた訳ではなく、ただの熱からくるせん妄だったのだと。

そう納得できた。

 

だから、安堵だ。

手に入らない未来を夢見る事は辛いから。

自分はそうではないのだと、そんな事は望んでいないのだと……そう、納得できたから。

 

あぁ、良かったと。

安堵した。

 

自覚すれば……倦怠感と共に、眠気がくる。

 

 

「……ユーリ、ちょっと寝るから。聖地に着いたら教えて」

 

「う、うん。分かったよ……でも、帰ったら診療所に行こうよ。僕がおぶってもいいから」

 

「……好きにすれば」

 

 

私は目を閉じた。

昨日から『悪魔』と戦う為に徹夜していたし、あっさりと眠る事が出来る。

 

僅かに揺れる汽車の中。

まるで、ゆりかごのように……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

早朝。

私はユーリの肩に頭を乗せていた事に気づいた。

眠そうな顔をしているユーリから慌てて離れれば……毛布までかかっている事に気付いた。

 

わざわざ、乗務員から借りたのだろう。

気が利く。

 

そんなユーリが私の顔を見て……穏やかに笑った。

 

 

「……おはよう、エルシー」

 

 

やっぱり、私は風邪を引いているみたいだ。

だってまだ、熱があるのだから。



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#16 きっとまだ失っていない恋

更新遅くなってごめん


目の前には竹に巻いた藁が立っている。

そして、地面は土が剥き出しになっていた。

 

周りには石積みの壁があって……僕の後ろには、腕を組んだフロイラさんが立っている。

 

ここは聖地レイラインの大聖堂から少し離れた、修練場だ。

 

 

凛、と小さな鈴の音が鳴った。

 

 

瞬間、僕は胸元のロザリオに指で触れて──

 

ロザリオを大剣(クレイモア)へと変換させて──

 

柄を握り締めて──

 

 

「ふっ」

 

 

振るった。

 

その間、指を三つ折る程の時間すら使っていない。

それでも、巻藁は確実に切断されていた。

 

掠れた吐息と共に、汗がポタリと地面に染みた。

それと同時に、背後で土を踏む音が響いた。

 

 

「及第点だな」

 

 

気怠けなフロイラさんの言葉に、僕は振り返った。

僕は今、フロイラさんに稽古を付けて貰っていた。

 

先程の一連の行動。

聖銀器をロザリオから武具に変える。

剣を構えて、振るう。

 

これらを素早く、正確に繰り出すこと。

それは即ち、反射行動の最適化だ。

 

僕達、祓魔師(エクソシスト)の攻撃は『悪魔』に対して有効打となる。

聖銀器があるからだ。

 

その逆、『悪魔』の攻撃を防御もできず、直撃すればどうなるか。

良くて重傷、悪くて即死だ。

 

それは『下位』の祓魔師(エクソシスト)だろうと、『上位』の祓魔師(エクソシスト)だろうと変わらない。

神聖力(エーテル)による身体強化、防御は無意味ではない。

防御は高所からの落下や、壁への衝突なんかは防げるだろう。

だが、『悪魔』が強大だった場合、その一撃を完全に防ぎ切れるとは保証できない。

 

だからこそ、咄嗟の行動が重要になる。

強襲してくる『悪魔』を認識した瞬間に、聖銀器を武器に変えて迎え撃つ。

 

その一瞬。

僅かな一瞬。

 

それが生死を分ける。

だからこそ、フロイラさんは反射行動を重要視している。

 

 

「……及第点、ですか?」

 

 

息を切らす。

汗が滝のように流れている。

 

フロイラさん曰く、『本調子でいる時の反射など、何の意味もない』らしい。

疲弊して、息を切らして、集中力が乱れている……そんな状況で、訓練通りに動けること。

そうでなければ意味がない、と。

 

だから、僕は三時間程の素振りを行った。

その後、聖銀器の早抜きをした……故に、腕は重く、足は棒のようになっている。

呼吸も乱れている。

 

 

「完璧には程遠い。十全ではないが、十分ではある。だから、及第点だ」

 

 

フロイラさんが自身のロザリオに触れた瞬間──

 

 

どさり、と地面へ縦に真っ二つに裂けた巻藁が落ちた。

フロイラさんの手には斧槍(ハルバード)が握られていた。

 

いつの間に変化させたのか見えなかった。

いつの間に武器を振るったのかも見えなかった。

 

しかし──

 

 

「……む、少し鈍ったか?」

 

 

なんて口にするものだから、思わず口を窄めた。

 

僕は定期的に、フロイラさんから鍛錬をつけて貰っている。

だが、彼女の『普通』という基準はおかしい。

エルシー曰く『上位』の祓魔師(エクソシスト)の中でも、更にトップレベルの武器捌き……そんな人が自分を基準に話すものだから、僕にとっては厳しいものになる。

 

でも、それでいい。

僕は強くなりたいのだから。

負けないように、守れるように……僕は強くなりたい。

だから、それでいい。

 

フロイラさんが斧槍(ハルバード)をロザリオに戻して、僕へ視線を向けた。

 

 

「まぁ、それでも……少しはマシになったな。ユーリ」

 

「あ、ありがとうございます……」

 

「少し休憩しよう。昼食も取ろうか」

 

 

その言葉に、僕は腹を撫でた。

酷使された身体は、内臓の不調を訴えている。

極度の疲弊で吐き気すらある。

 

 

「……う、あの、今ちょっと、食べられな──

 

「こうして疲弊した状態で補給できるのも、祓魔師(エクソシスト)には必要な技能だ」

 

「う……」

 

 

……そう言われると、僕は頷くしかなかった。

フロイラさんに引っ張られて、修練場を後にした。

そして、そのまま隣室へと投げ込まれた。

 

殺風景な休憩室の机に、弁当箱らしきものが二つ置かれた。

フロイラさんが用意したのだろうが、でもフロイラさんは料理出来ない筈だし……教会の食堂で用意して貰ったものだろうか。

 

だが、それにしても、その──

 

 

「……何だか、箱……大きくないですか?」

 

「運動直後に食事をすると身体が大きくなる。その為には、それなりに食べないとな」

 

「……あ、はい」

 

 

蓋を開けると……。

 

焼けたコーン、ペーストされた豆、真っ白な鶏肉が詰まっていた。

みちみちと、大きな弁当箱に。

 

僕は頬をひくつかせながらも、焼けたコーンを口に含む。

 

……特別な味付けもない、塩だけの素朴な味だ。

だけど、ないよりはマシだ。

 

そんな僕の様子を見て、フロイラさんが口を開いた。

 

 

「どうだ、中々いけるだろう?」

 

「……まぁ、そうですね」

 

「配給食で今後選べるようになるらしい。これはその試験品だな」

 

「試験品、ですか?」

 

「食堂の担当が昔馴染みでな。まぁ……鍛錬直後に食べやすい物を用意できれば、他の奴らも喜ぶだろうと考案した」

 

「他の……」

 

 

僕は手を顎に当てた。

僕以外に、こんな疲弊した状態で昼食を食わされる人はいるのだろうか。

……フロイラさんの弟子ぐらいだと思うけど。

 

 

「……フロイラさんって、僕以外に面倒を見てる人いるんですか?」

 

「いいや?何人か弟子を取ったが……お前とエルシー以外は、すぐに辞めた。根性がない奴らだ」

 

「……そ、そうですね」

 

 

脳裏に、フロイラさんとの鍛錬を思い浮かべる。

 

木の棒に綿を巻いた物でボコボコにされた事を。

聖地レイラインの外壁前を何周もさせられた事を。

膝まで水が浸かるような場所で何往復も走らされた事を。

疲れて倒れている所に、水をかけられた事を。

受け身の訓練と称して、100回ほど連続で投げられた事を。

 

苦笑する。

 

 

「なんだ?文句でもあるのか?」

 

「……いえ、その……僕は、フロイラさんに感謝してますよ?」

 

 

味のしないペーストされた豆を口に含む。

不味くはないが……いや、ちょっと不味いな。

微妙に色味が白いのはチーズでも入っているのだろうか……なんて、現実逃避した。

 

そんな僕を他所に、フロイラさんが眉尻を揉んだ。

 

 

「まぁ、いい。鍛錬が少し苛烈なのは自覚しているからな」

 

 

なんだ、自覚は……え?

……少し、だって?

全然、少しじゃないと思うけど。

 

豆のペーストを食べ終えて、真っ白な鶏肉を口に含む。

仄かに塩味がする。

 

 

「それで、ユーリ。話は変わるが……訊きたい事があるんだが」

 

「……訊きたい事、ですか?」

 

「あぁ。エルシーと何かあったか?」

 

「……何かって、何がですか?」

 

 

僕は首を傾げる。

特に何もない筈だ……強いて言うなら、三日前の任務の後、彼女が熱を出していた事ぐらいだ。

濡れた身体をそのままにしていたから、体調を崩したらしいけど……翌日には熱も引いていた。

 

 

「ふむ……そうだな。昨日、偶然、エルシーと教会の外で会った……というか、見たんだが──

 

 

フロイラさんが腕を組んで、目を瞑った。

何かを思い出すような素振りをしている。

 

 

「エルシーが下着を買っていてな」

 

「ぇ、ごほっ!?」

 

 

鶏肉が気管に入って咽せた。

 

 

「どうした」

 

「ど、どうしたも、こうしたも……し、下着、ぐらい普通に買うんじゃないですか……?」

 

 

脳裏に思い出されるのは……先日、見てしまった下着姿のエルシーだ。

思わず頭を振って、気を紛らわせる。

 

 

「まぁ、待て。最後まで聞け。普段、アイツの下着は普段、地味なんだが……」

 

 

しかし、またフロイラさんの発言で脳裏に先日の光景が思い出される。

白い、無地の布……を思い出して、内心、エルシーに謝罪する。

僕は罪悪感を感じながら、フロイラさんに視線を向ける。

 

 

「そ、それがどうしたんですか?僕に関係なくないですか?」

 

「関係ある」

 

「え、えぇ……?」

 

 

フロイラさんの言葉に、僕は困惑する。

そんな僕を無視して、彼女は無理矢理会話を進めた。

 

 

「昨日、エルシーは普段買わない、派手な下着を買っていた」

 

「は、派手?」

 

 

また脳裏に光景が過ぎる。

派手な、下着を着たエルシー。

派手な下着って?

いや、派手って言うからには──

 

 

「気になるか?」

 

「い、いえ──

 

「黒色のレース生地だったぞ」

 

 

黒い、レース生地の下着を着た、エルシーを──

 

 

ごんっ。

 

 

僕は頭を机にぶつけた。

 

 

「どうした」

 

「……いえ、自分を戒めてました」

 

 

首を傾げるフロイラさんに内心、悪態を吐く。

まったく、この人は……デリカシーがないというか、何というか……愉快犯的な思考があるに違いない。

 

気まずさを紛らわせる為に、僕は口を開いた。

 

 

「それで……エルシーが、その、派手な……のを買ったとして、僕に何の関係があるんですか?」

 

 

僕の問いに、フロイラさんが指を立てた。

 

 

「下着なんて拘っても、人に見せる事なんて殆どない。自身の調子を高めるために、拘る女もいるが……エルシーはそういった奴ではないだろう?」

 

「……ま、まぁ、そうです……かね?」

 

 

エルシーはお洒落にあまり興味がない。

服は性能重視で、いつも教会支給の修道服を着てるし。

私服姿なんて、中々見ない。

 

 

「そうだろう。もう何年も地味な下着を着ていた訳だからな」

 

「はぁ……?」

 

 

そんな情報を与えられても、どんな顔をすれば良いのか分からない。

 

 

「だとしたら、何故、急にそんな趣向の下着を買ったと思う?」

 

「そんなの、僕が……知る訳ないじゃないですか」

 

 

あまりにも下世話過ぎる話題に、顔を顰める。

エルシーがどんな、し、下着を買おうとも?

僕には関係ないし?

 

そもそも!

変な勘繰りはエルシーに失礼だ!

 

僕の顰めっ面を無視して、フロイラさんは口を開いた。

 

 

「ずばり、誰かに見せる為だ。勝負下着という奴だな」

 

「……え?」

 

 

無視しようと思っていたのに、思わず上擦った声を出してしまった。

 

誰かに見せる、ため?

つまり、エルシーには下着を見せるような仲の人がいる、ということになる。

そして、下着を見せるような相手とはつまり……恋人?

エルシーに、僕の知らない彼氏が──

 

 

「もしくは、見られた時の保険、かもしれん」

 

「……さっきと何の違いがあるんですか?」

 

「『見せる』と『見られた』は全然違うだろう」

 

 

僕は首を傾げる。

……後者の場合、エルシーの想定外で見られた時、という事だろうか?

 

 

「で、それと僕に何の関係が──

 

「どちらにせよ、異性を意識し始めている……という事だ」

 

「エルシーが……?」

 

 

エルシーに好きな異性がいる、という事か。

恋人じゃなかったとしても、万が一、下着を見られた際のために……新調したのか?

いや、そもそも恋人がいるかも……しれないし。

だってエルシーって、可愛いし。

祓魔師(エクソシスト)としても凄いし。

優しいし。

 

恋人がいたっておかしくない。

 

だけど──

 

あぁ、全く……自分が嫌になる。

フロイラさんの事を悪く言えない。

僕も気になって仕方ないのだから。

 

 

「……どうした?何を落ち込んでいる?」

 

「……いえ、何も」

 

 

自己嫌悪が胸を占める。

何だか、凄く……息苦しい感じだ。

 

 

「まぁ……兎も角、そういう話だからこそ、お前とアイツの間に何かあったか聞いているんだ」

 

「……そこで何で、僕とエルシーの間になるんですか?」

 

 

そう訊くと、フロイラさんが目を瞬いた。

呆れたような驚いた顔。

先程までの愉快そうな表情ではなかった。

 

 

「……察しろとは言わんが、鈍感過ぎるな。経験が少な過ぎるのか?」

 

 

そうして彼女は目を細めて、ボソボソと独り言を口にした。

 

僕は腕を組んで、首を傾げる。

先程の情報をまとめて……フロイラさんが何を言いたかったか。

……ようやく、理解した。

 

 

「もしかして、エルシーが僕を意識してる……って言いたいんですか?」

 

「そうだが?」

 

「……はぁ、そんな訳ないじゃないですか」

 

 

フロイラさんは頼れる先輩祓魔師(エクソシスト)だ。

だけど、こういう悪癖がある。

所謂、恋愛脳って奴で……こういう変な勘違いを、自信満々に話してくるのだ。

 

 

「いや、間違いない……私には分かる。最近のエルシーの素振りを見ていると分かるんだ」

 

「……いや、そんな事は──

 

「どうして否定する。嬉しくないのか?」

 

「それは……本当にエルシーに好かれてるなら、僕だって嬉しいですけど。でも、エルシーはきっと僕のことを男だと思ってませんよ」

 

 

腕を組んで、僕は情けない言葉と共にため息を吐く。

この間も、僕に平気な顔で下着を見せて来たし……全く、僕のことを意識していない証拠だと思う。

 

 

「しかし、エルシーからお前に対する態度は他と違うだろう」

 

「……それは相棒(バディ)だからですよ」

 

「ふむ……そうか?」

 

 

僕の言葉にフロイラさんが腕を組んで目を瞑った。

一旦は納得してくれたのだろうか?

 

しかし、僕の内心は虚しい。

 

 

「……あの……言ってて辛くなって来たんで……この話、やめませんか……?」

 

「……まぁ、お前がそう思うなら、それでもいいが」

 

「何でそんな含みを持たせるんですか……まったく」

 

 

僕は誤魔化すように、味気のない食事を口にかき込む。

そんな僕の様子を見て、フロイラさんは何か考えるような仕草をしていた。

 

きっと碌な事ではないだろうけど。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

その後、3時間ほど鍛錬して解散した。

フロイラさんが任務で外出しなければならないからだ。

 

フロイラさんは現在、相棒(バディ)と組んでおらず、一人で祓魔師(エクソシスト)としての仕事をしている。

個人で任務を受けている訳ではなく、『下位』や『中位』の祓魔師(エクソシスト)が救援要請を発した際の、救援なんてしているらしい。

 

まぁ、そんな訳で救援要請が協会に届いたので、夜までに現場へ向かわなくてはならなくなったのだ。

今日だけが特別……という訳ではなく、フロイラさんは結構な頻度で救援要請を受けている。

 

……なんでも、任務で死んでしまう祓魔師(エクソシスト)を少しでも減らしたいから、だとか。

 

そんな忙しい合間に、僕の鍛錬に付き合ってくれているのだから……彼女には頭が上がらない。

 

あまり鍛錬し過ぎても身体を痛めるからと、訓練を切り上げた僕は修練場の側にある水浴び場で水を浴びた。

井戸から引いている水ではなく、教会内にいる『聖人』が毎日、水の出る『奇跡(サイン)』を使って貯めている水だ。

 

『聖人』の扱う『奇跡(サイン)』は僕たちの使う紛い物の『奇跡』と違って、神聖力(エーテル)を消費しない。

沢山使えば精神的に疲れるらしいけど、基本的には無尽蔵に扱える。

 

だからこうして、毎日、大量の水を生み出しているそうだ。

 

 

「…………」

 

 

水を浴びて、汗を流しながら……僕は思案する。

エルシーの事だ。

 

 

エルシーも『奇跡(サイン)』をその身に宿している『聖人』だ。

しかし、この『水を生み出す奇跡』とは違って、代償を伴う『奇跡(サイン)』。

以前話してくれた時は『身体が痛む代わりに、凄い力を得られる奇跡』と言っていた。

 

しかし、それは嘘だと確信している。

 

そんな軽い代償なら、エルシーは無際限に『奇跡(サイン)』を使っている筈だから。

彼女はそういう人間だ。

優しくて、自己を犠牲にする事に躊躇いがない。

 

だから、もっと違う……『何か』。

祓魔師(エクソシスト)で居られなくなる『何か』……命に関わる『何か』。

 

 

彼女が気軽に扱えない程の『重い代償』があると考えていい。

 

 

だから、彼女に『奇跡(サイン)』を使わせてはならない。

『悪魔』には危なげなく勝たなければならないし、深傷を負ってはいけない。

もし、そうなってしまったら、彼女は躊躇いなく『奇跡(サイン)』を使ってしまうだろう。

 

 

「……もっと、強くならないと」

 

 

……だから、僕は僕自身も守れるようにならなければならない。

傷付いても守る……とか、捨て身になれば勝てる……なんて、そんなんじゃ足りないんだ。

僕が傷付けば、エルシーは何か『重い代償』を払ってしまうからだ。

 

 

「……はぁ」

 

 

水滴が落ちた。

 

僕は頭を振って、吸水性のいい布で頭を拭いた。

『聖人』の人が幾らでも水を出せるとは言え、無駄遣いはできない。

 

身体を拭いて、鍛錬前とは違う替えの修道服に着替えた。

鍛錬で火照っていた体も水で冷えて、落ち着きを取り戻している。

 

このまま何をしようか……書庫から本でも借りて、勉強をしようかな。

なんて考えながら、教会内を歩いていると……。

 

 

「……あれ?」

 

 

見覚えのある人影が廊下で、腕を組んで壁にもたれかかっていた。

そして、僕を見つけて眉尻を上げた。

 

 

「遅いんですけど」

 

「……エルシー?どうしてここに?」

 

 

それは、先程まで考えていた相手だった。

 

 

「は?アンタが呼び出したんでしょ?」

 

「え?そんな、呼び出した覚えはないけど……」

 

「はぁ?」

 

 

エルシーの眉間に皺が寄り、僕は視線を逸らす。

いや、だって身に覚えはないし。

本当に、覚えは……まさか。

 

 

「……もしかして、フロイラさんから?」

 

「そうですけど?書庫で本を漁ってたら、ユーリが呼んでるから、ここに行けって……」

 

 

点と点が繋がる。

それはエルシーも同時だった。

 

 

「「……まさか」」

 

 

つまり、要らぬお節介だ。

内心でフロイラさんに悪態を吐く。

口には出さないけれど……内心でなら許されるだろう。

 

 

「……ったく。あの色ボケバカったら……」

 

 

エルシーは口に出したみたいだけど。

……フロイラさんがエルシーの下着の話をしていた件については、言わないでおこう。

更に怒りそうだ。

 

 

「ごめんね、エルシー」

 

「……なんでアンタが謝んのよ、もう」

 

 

僕の謝罪にエルシーは腕を組んで、首を振って口を開いた。

 

 

「で?」

 

「で、って?」

 

 

僕が聞き返すと、エルシーがまた表情を険しくさせた。

 

 

「ここで私を待たせてた癖に、その場で何もなしで解散させるつもり……?」

 

「あっ、そうだよね……?どうしよう?」

 

「どうすんの?」

 

 

僕は手を首の裏に当てて、悩む。

多分エルシーとしては、フロイラさんのお節介に乗るのは癪だけど……それでも、僕を待ったのに何の対価もなしってのはもっと嫌だったのだろう。

 

僕は少し悩んで、口を開いた。

 

 

「じゃあ……晩御飯、どこかに食べに行く?」

 

 

窓の外は茜色だ。

今から教会の外、街に行けば丁度、夕飯時だろう。

 

ほんの少し、エルシーの表情が柔らかくなった。

 

 

「……まぁ、いいけど──

 

「僕の奢りで良いからさ」

 

 

ダメ押しに僕がそう言うと……あれ?

エルシーの表情がまた、険しくなった。

 

 

「は?なんでユーリが奢るワケ?意味分かんないんですけど?」

 

「え、だって……待たせちゃったし──

 

 

なんて口にした瞬間、エルシーが僕の頬に手を伸ばした。

そして、両頬を摘んで引っ張った。

 

 

「ひゃ?ふぁ、えぅひー?」

 

 

痛くはないけど、喋りづらい。

 

 

「罪悪感が理由で、私を食事に誘おうとしてんの?」

 

 

そう言われて、僕は首を横に振った。

確かに、さっきの言葉だと……お詫びをしたいから食事に誘ってるように聞こえるだろう。

 

エルシーの手を掴んで、頬から離させる。

 

 

「ち、違うよ。ただ、一緒に食事をしたいから誘ってるだけだよ」

 

 

そう口にしながら、エルシーに視線を戻した。

……エルシーは何故か、顔を赤くして目を逸らしていた。

 

 

「…………」

 

「……え、エルシー?」

 

「手……」

 

「手?」

 

 

エルシーは僕の顔と……僕が握ってる彼女の手を交互に見た。

 

 

「……いつまで握ってるつもり?」

 

「あ、ごっ、ごめん……!」

 

 

慌てて僕は手を離す。

すると、エルシーが数歩後退して僕を睨んだ。

物理的に距離が開いたけど、それと同時に心の距離も開いた気がした。

 

女性の手を無理矢理握るなんて……。

心の内に後悔と反省が渦巻く。

 

そんな中、エルシーが鼻を鳴らす。

 

 

「……まぁ、分かれば良いんですけど」

 

 

そして視線を逸らされた。

 

 

「……ごめん、エルシー」

 

「別に?謝って欲しい訳じゃないし」

 

 

まだ、視線は合わせてくれない。

怒っているのか、心なしか顔も赤かった。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

結局、その後。

何とかエルシーを宥めて、教会の外へ出た。

予定は未定だけど、取り敢えず……という訳だ。

 

そうして外の空気を吸えば、少しは機嫌も良くなったようだ。

 

しかし、周りの人は少し僕達を避けている。

僕もエルシーも教会支給の祓魔師(エクソシスト)用の修道服を着ているからだ。

 

でも、怖がってるってよりは、邪魔をしないように……って感じだ。

ここは聖地レイライン、その教会を囲うように出来た街。

聖葬教の信者の割合が多い。

 

信者からすれば、祓魔師(エクソシスト)は尊敬の対象……何だとか。

僕にはあんまり、よくわからない気持ちだけど。

 

 

「ユーリ、鍛錬はいつからしてたの?」

 

「え?あ、えーと、朝の9時からだよ」

 

 

急に話しかけられて、慌てて返答する。

すると、エルシーは少し表情を険しくした。

 

 

「今日、休日って言ったのに。そんなに鍛錬が好きなの?」

 

「好き……ってよりは、うーん?どうだろう……こう、動いてないと不安になる感じというか」

 

「……あっそ。休みの日にちゃんと休めるよう、趣味ぐらい持った方がいいと思うけど」

 

 

エルシーが僕の顔を見て、少し呆れたような顔をした。

しかし、僕はその表情に少し反感を持った。

 

 

「エルシーこそ、今日は何してた?」

 

「……朝は依頼の確認。昼前は書庫で読書してたけど」

 

 

今日はエルシーが僕に「休日」と言ったのに。

なのに、エルシーは任務の張り出し確認をしていたらしい。

 

それに読書だって──

 

 

「書庫では、何を読んでたの?」

 

「……別に何だって良いでしょ」

 

 

ほら、僕に言えないような書物だ。

きっと休みの日に読むような本じゃない、小難しい本だ。

……エルシーだって、僕のこと言えないじゃないか。

 

 

「……何?文句でもあるの?」

 

 

内心を見透かすように、エルシーが片眉を上げた。

 

 

「な、なにも?」

 

「……ふん」

 

 

肝を冷やして、胸を撫で下ろした。

 

……昔はもっと、一挙一動、気を使っていたけれど。

こうして気安く話せるようになったのは、僕達の信頼関係が深まったからだと思いたい。

 

彼女も、さっきより気分が良さそうだし。

 

 

「……あ」

 

 

ふと、視線にガラス張りの店が映った。

そこは……下着屋だ。

女性向けの下着が、ガラスの向こうに飾られている。

 

黒い、レースの──

 

 

「……ユーリ?」

 

「え?あ、何かな?」

 

 

慌てて視線をエルシーに戻す。

不審がられないように。

 

しかし、少し遅かったようで……エルシーは先ほどまで僕が視線を向けていた店に、視線を移した。

 

 

「……ユーリ、ああいう下着が好きなの?」

 

「えっ!?」

 

 

僕は心臓が飛び出そうになった。

エルシーが買ったという、黒いレースの下着……それが好きか、どうかなんて──

 

 

「ぷっ、冗談なんですけど。流石に女性用の下着は付けないでしょ」

 

「そ、そうだよ。もう、酷いなぁ……あはは」

 

 

心臓が止まるかと思った。

そういう意味の『好き』ね。

 

しかして……。

 

 

「はは……」

 

 

目の前で愉快そうに笑うエルシーを見る。

ああいう、黒いレースの下着を買ったって……なんて、あぁ、まったく、僕は何を考えてるんだ?

 

自身の手の甲を抓った。

痛かった。

 

 

エルシーの横を歩く。

……しかし、昼間、フロイラさんが言っていた事を思い出す。

 

エルシーに気になる異性が……なんて、話を。

また心がモヤモヤする。

 

エルシーが誰かの事を好きになったって、僕に不利益はない。

寧ろ、喜ぶべきなんだ。

自分の価値を軽んじている彼女が、誰かを好きになって……幸せになれるのなら。

 

……それは良いことなんだ。

なのに、どうしてこうも……喜べないのだろう。

 

僕は──

 

 

「……ユーリ?」

 

 

声を掛けられて、現実に意識を戻した。

 

 

「……ごめん、少し考え事してたんだ」

 

「……私の前で考え事?随分と偉くなったんですけど」

 

「……う、ごめんよ」

 

 

僕が後頭部を掻いて誤魔化すと、エルシーは少し真剣な表情を浮かべた。

 

 

「悩みでもあるの?」

 

「え?あー……どうかな?」

 

 

これを悩みと言っていいのか、そもそもエルシーに悟られていいのか。

分からない。

 

だから誤魔化した。

 

 

「何かあったら言いなさいよ」

 

 

しかし、エルシーはそう言いきった。

至極、真面目な表情で、僕を心配してくれた。

 

……それが嬉しくて、少し恥ずかしくて、

そして、こんな事で悩んでる自分がバカらしくて。

 

少し躊躇いながら、僕は口を開いた。

 

 

「……エルシーはさ。その……好きな人って、いる?」

 

 

口出した瞬間、後悔した。

どうして言ってしまったのかと……心臓が早鐘のように鳴った。

 

 

「はぁ?」

 

「あ、えっと、ちょっとした恋愛相談って言うか、その……」

 

 

威圧的な彼女の声に、僕は視線を泳がせた。

う、うう、言わなきゃ良かった。

 

エルシーが呆れたように苦笑する。

 

 

「何でユーリにそんな事を言わなきゃなんないの?」

 

「……ごめん」

 

 

不機嫌そうなエルシーに頭を下げる。

すると彼女はため息を吐いた。

頭を下げている僕にも聞こえるように、大きなため息を。

 

 

「……で?ユーリにはいるの?」

 

「え?」

 

「さっき恋愛相談って言ったでしょ?好きな人、いるの?」

 

 

いらない事を喋ってしまったようだ。

 

 

「……え、えっと」

 

「どうなの?」

 

 

問い詰めるような仕草に、僕は一歩引く。

普段のような揶揄うような表情ではなく、真剣な表情だった。

 

誤魔化しても意味がないような気がして、白状する。

 

 

「い、いるよ……」

 

「……あっそ」

 

 

重石のように躊躇いながら口にした言葉に、エルシーは……あれ?どんな表情だ、これ?

 

嬉しそうな、嫌そうな、なんだか、よく分からない表情。

思わず、目を瞬く。

 

 

「その、エルシー?」

 

「……好きな人が出来たって?良かったわ」

 

 

そう、揶揄う訳でもなく、エルシーはそう言った。

僕は思わず何かが喉に詰まったような気がした。

 

彼女に想いが気付かれなかった嬉しさよりも、彼女がそんな表情を浮かべた理由が気になった。

 

 

「……で?誰なの?私が知ってるヤツ?フロイラとか?」

 

 

そう口にする彼女には先程までの切迫した空気はなかった。

どこか弛緩した、諦めたような……そんな、感情。

 

僕は、誤魔化そうと──

 

違う。

そうじゃない。

今は、きっと……心の底から、ちゃんと答えるべきだ。

 

 

「僕が好きなのは──

 

「好きなのは?」

 

 

迷う。

この先の言葉を口にする事によって、今の関係が破綻するかも知れない恐怖。

臆病な僕の心に渦巻く、好意と不安の狭間。

 

だから──

 

 

「え、エルシー……だったり、とか?」

 

 

こうして、情けない予防線を張った解答をしてしまった。

本当に、情けない。

 

僕の言葉にエルシーは……眉を、顰めた。

そして、笑った。

 

 

「ふふ、釣り合う訳ないんですけど。ユーリなんかと私が」

 

 

笑われてしまった。

僕は内心がめちゃくちゃに傷付いて、もう泣きそうだったけど……何とか、堪えて、口を開く。

 

 

「じょ、冗談だよ……はは、そうだよね」

 

 

己の傷を隠すように、そう口にした。

あぁ、本当に、全く……今すぐ、この場から逃げ出したいぐらいだ。

 

そんな僕へエルシーは顔を逸らして、ため息を吐いた。

 

 

「ま、今のは聞かなかった事にしてあげる」

 

「……そうしてくれると、助かるよ」

 

 

僕は何とか言葉を振り絞る。

すると彼女は視線を僕へ戻した。

 

 

「……私とユーリじゃ釣り合わないから、他に誰か、好きな人をちゃんと作りなさいよ」

 

「……え?」

 

 

僕がエルシーの言葉を疑問に抱いた時には、もう既に彼女は僕の前を歩いていた。

その表情を伺う事は出来なかった。



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