白銀御行は夢見たい (salierii)
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少年と宇宙(そら)

 生徒会室。

 その玉座ともいうべき会長執務机に独り腰を据えた白銀御行は、一枚のちっぽけな、しかし彼の人生にとって重大な意味を持つ書類を手に、感慨にふけっていた。

 スタンフォード大学合格通知!

 ネットですでに結果は伝えられていたが、こうして正式な書面を受け取ると、世界でも10本の指に入る超名門大学への門戸が開けたという実感と喜びが、ひしひしと胸に迫ってくる。

 “アメリカ留学かぁ。我ながら、とんでもないチャンスをモノにしてしまったな。”

 留学生活への不安は、さほどない。スタンフォードは非常に手厚い奨学金制度で著名な大学であり、授業料の免除のみならず滞在費や生活費を含めた学費を全額負担してくれて、しかもその奨学金はよくある貸付ではなく全額返済不要である。経済面での心配はまずない。

 加えて、白銀は英語力には相応の自信があった。フランス語などの第二外国語の素養はないのでフランス校との交流会ではだいぶ冷や汗をかいた彼だが、大学受験に必須の英語だけは読解・作文・会話のすべてを高いレベルでモノにしている。

 “俺は、スタンフォードに行っても、十分にやれる。やってやる。つい数年前までは夢見ることさえしなかった、輝かしい将来が目の前に広がってるんだ。”

 スタンフォード大では100を越す専攻分野を選択できる体制が整っている。白銀には「好きな天文学がやれたらなぁ」というぼんやりとした希望はあるものの、将来のビジョンはまだふわふわとしたものに過ぎない。いくら「天才」とはいえ、なにせまだ17歳なのだ。

 しかし、このチャンスを足掛かりに、世界に羽ばたく最高峰の人材のひとりになれるのではないかという漠然とした夢と希望で胸がいっぱいになるのは当然の流れであった。

 “仮に天文学を学ぶとして、だ。せっかくアメリカに行くのだから、卒業後はやっぱあそこで働きたいよな。”

 宇宙に憧れを持つ者が、ぼんやりと夢見る就職先とは…

 そう、NASAである!

 NASAの職員と一概に言っても、具体的な業種は様々である。たとえば、白銀が今のところふわふわっと希望している天文学の研究職ならば、やはり天文観測台の観測員が花形であろう。

 2020年現在、最先端の観測施設として注目されているのはLIGO(レーザー干渉重力波観測所)だろうか。もし、天文マニアである白銀に「LIGOって何ですか?」と尋ねたが最後、「重力波とはアインシュタインが一般相対性理論で予言していた時空の波動でな、2016年にこの重力波を世界で初めて実際に観測したのがLIGOなんだ。重力波観測のすごいところは、従来の光学・電波式宇宙望遠鏡では観測しえなかったダークマターやビッグバンなどを含む様々な現象を…。」と、小一時間は講釈を早口で垂れるに違いない。

 だが。今の白銀には、そんな具体的で実際的な将来の目標を見定める緻密さはこれっぽっちもなかった!

 “NASAっていやぁ、やっぱ宇宙飛行士になるっきゃないだろ!?”

 身の程知らずなドリーム!

 白銀の運動センスのなさと不器用さを幾度となく身をもって痛感させられてきた藤原がもし耳にしたならば、反射的にハリセンでめった打ちにしかねない身の程知らずさである!

 父や妹、教師たち、そしてかぐやの前では、

 「運よく合格できたものの、喜びうかれる心境になんてとてもなれないよ。日本の大学とは違って、入学してから本当の試練が始まるんだ。」

…などと、極めて厳粛な面持ちを装っていた白銀だが、こうして独りで合格通知書を見つめていると、奇声を発しながら半狂乱でシャドウボクシングをしたくなるほどに浮かれまくっていた!

 その結果が、宇宙飛行士という大それた夢想である。

 「Hey,ミユキ! ヒューストンからお前さん宛に通信だ。」

 いきなり謎のアメリカ人が登場して困惑している読者のために解説しておくと、彼は白銀がただ今夢想中の初宇宙飛行ミッションでスペースシャトルに同乗している「ロバート・F・ルイス船長」である。

 「俺個人宛? なにかのジョークか、ボブ? あんたにそんなユーモアのセンスがあるとは驚きだ。」

 「ジョークならもっとリアリティのあるヤツにするさ。そっちに繋ぐ。」

 「…あの、会長?」

 「四宮!? なぜお前が…。」

 「どうしても会長の声が聞きたくて、無理を押し通してしまいました。」

 「ふふふ、まいったな。困ったやつめ。」

 「ごめんなさい。やっぱりお仕事の邪魔ですか?」

 「いいや。ちょうど手が空いていたところでな、船窓から地球を眺めていたんだ。」

 「それは…きっと素晴らしい眺めでしょうね。」

 「ああ。俺はずっとこの光景を夢見ていた。そして、想像していたよりもはるかに美しい。」

 「ん…なんだか妬けてしまいます。会長を宇宙に取られたみたいで。」

 「馬鹿だな。それは根本的に間違っているぞ、四宮。」

 「えっ?」

 「地球がこんなにも美しく見えるのは、お前がいる星だからだ。」

 「!?」

 「俺はたった今、一般相対性理論よりも偉大な真理を悟ったよ。この無限に広がる大宇宙で、最も尊く美しい奇跡とは…他でもないお前が待ってくれている俺の故郷だってことを。」

 「ああああッ、イイ!」

 自分の妄想に、白銀が両手を口元に当ててうっすらと涙ぐんでいた。

 「なにこれ、感動! 映画化、決定!? 全米大ヒットNo.1!?」

 白銀は、ハリウッド映画界をだいぶナメている。

 「…なにが映画化するんです?」

 「おわっ、石上!?」

 いつのまにか生徒会室に入ってきていた後輩の姿に、白銀が盛大にテンパりながら目元の涙を拭った。

 「いや、なに…『今日は甘口で』がハリウッドリメイクされたらと想像したら、それだけでちょっと泣けてきてな。」

 「ハァ? どう考えても地雷でしょ、そんなの? あっ、それ合格通知ですか、スタンフォード大の?」

 「お、おう。」

 「へぇ、すごいな、ホンモノだ。見てもイイっすか?」

 「ああ、構わんぞ。ほら。」

 すっと差し出された通知書を、石上は少し怖々とした手つきで受け取った。

 「うわ、なんか手が震えちゃいますよ、マジで。すげぇ。」

 「よせって。ただの紙切れだ。正直俺も、まだ現実感がなくてな。あと10か月かそこらで海外生活が始まるなんて、自分でもピンと来ないよ。だいいち、俺はひとり暮らしだって初めてで…。」

 「ホントに行っちゃうんですね、アメリカ。」

 手元の通知書に目を落としたまま、ぼそっと呟かれた石上のひとことに、白銀の繊細で柔らかな心の一部が、ぎゅっと鷲掴みにされた。

 「……。」

 「あー、いや、ははは、なに言ってんだろ僕。サイコーにめでたいってのに。先輩がそんなにフツーでいるせいですよ、もっと大喜びしてもバチは当たらないのに。」

 「お、おう。すまん。」

 「ホントわかってますか、会長? 僕だって別に詳しくないけど、スタンフォードっていやあ超一流でしょ? しかもメッチャ国際的なカンジで。夢が広がリングじゃないっすか!」

 「ま、まあな。改めてそう言われると、俺も少しだけ気が大きくなってしまうな。ひょっとすると将来、宇宙飛行士に選ばれたりしてな!」

 石上が口にした「夢」という単語に刺激されて、ついぽろっと本心を漏らしてしまう白銀。しかし、日ごろから気心が通じ合ってる男友達同士。「あー、イイっすね。かっけー。」と素直に共感してもらえるんじゃないかという期待が、白銀の胸に淡く灯っていた。

 だが──

 「へぇー。」

 冷淡! 石上の反応は、きわめてそっけなかった!!

 「あ、あれ? それだけ? もっと、こうさ、なんかあるだろ!? 宇宙飛行士だぞ!? 浪漫とか憧れとか!!」

 「あー…僕的にはナシっすね。全然ナシです。」

 「えぇ…。」

 「いや、僕だってなれりゃ大したモンだとは思いますよ、そりゃ。でも、宇宙なんかに行くことが人生の目標って、なんだか虚しくないでしょうか?」

 「……。」

 自分にとって最高の浪漫を無下にそういい捨てられて、白銀が微かに拗ねた顔になる。その表情の変化にまったく気づかないまま、石上が言葉を続けた。

 「僕が宇宙とかにまったく興味がないからだけじゃないんです。宇宙飛行士になるような…そういう頂点目指してるタイプって、どうも好きになれないんですよ。上ばっか見てて、周囲の人たちを平気で置き去りにするカンジがして。どうせ、デカくてキラキラした自分の目標しか見えてなくて、身近にある大切なモノを全部ないがしろにしてしまうんです。いくら優秀で頭が良くったって、突き詰めてみればバカなんですよ。あと…冷たいです。置き去りにされる方の身にもなれってんですよ。」

 滔々とまくしたてる石上の言葉を、白銀は神妙な面持ちで聞いていた。いつものネガティブ・エンジンの暴走だと苦笑するには、石上の声に切なげな寂しさが籠りすぎていた。

 “身近にある大切なモノ…か。”

 神妙に考え込みながら自分を見つめている白銀の視線にやっと気づいて、石上がはっと我に返った。

 「あっ、またやっちゃいましたね、僕。すぐ水を差すようなコトばっか言いまくって…なんなんすかね、この性格。これだから陰キャのままなんすよね。そりゃ、人から嫌われるわ。」

 石上本人は、自身のこのネガティブ発言の根底に、白銀との別離への物悲しさがあると自覚していない。石上は自分に厳しすぎた。そういうナイーブな感情を抱くことを己に許し、相手にも理解を求めようとする素直な「甘え」を見せられるようならば、彼はもっと楽な人生を歩んでいただろう。

 恥ずかし気もなく自分の感情に拠ってのびのびと生きている藤原に対して、やたらと当たりが強いのも、ここらへんに原因があるのかもしれない。

 だが───

 今の白銀には、目の前にいる後輩の複雑な内面など、これっぽっちも意識が向いていなかった!

 “俺にとって大切なモノとは、四宮だだひとり!!”

 恋は盲目。

 なにせ、紆余曲折を経てようやくかぐやと恋人になれた直後なのである。平常ならば過剰なほど周囲の人間の気持ちを汲んで気づかってしまう白銀であったが、現状はとにかくかぐやのことで頭がいっぱいすぎて、石上の内面などを気にかける余裕は一片たりともなかったのだ。

 “そうだ。俺は道を見誤るところだった。ならば、俺の将来のシナリオはこうだ!!”

 「…会長。また夜空を眺めてるんですね。」

 「ああ、四宮。いくつになっても、星空だけは見飽きないよ。」

 ちなみに、この妄想の白銀たちは、30代前半という設定である。

 「ふふふ、おかしいです。じきに、実際に宇宙へ旅立たれるという人が、今更そんな少年みたいな遠い目で空を見上げる必要は、ないんじゃないですか?」

 「それなんだがな、四宮。俺は、宇宙には行かないよ。」

 「どうして!? 貴方の念願の夢だったのに!? いいえ、貴方個人の問題じゃありません! NASAの皆さん全員が、会長こそライトスタッフ(最高の人材)だと期待しているんですよ!? いま貴方を失うことは、今回のミッションにとって…否! 宇宙探査に長年情熱と夢を注いできた全人類にとっての多大な損失です!!」

 ここらへんの形容過多ぐあいが、白銀のモンスター自意識っぷりをよく表している。

 「そんなささいなことは、もう俺の知ったことじゃない。」

 「ささい?」

 「ああ。宇宙よりも、ずっと大切なモノが俺にはあると、ようやく悟ったんだ。それはな、家族だ。つまり、圭と…お前だ。」

 「そっ、それって…。」

 「俺は間違っているのかもしれない。身勝手なのかもしれない。それでも、お前と一緒にこれから歩んでいく人生こそが、俺にとっての最後のフロンティアなんだ。その無限の可能性に比べたら、あれほど憧れていた宇宙がちっぽけな存在に思えてくる。死んだ親父だって、きっと俺の決断をほめてくれるはずだ。」

 白銀たちが30代前半なのだから、白銀父もまだピンピンしている年齢のはずであるが、生きていられるとやっかいな雑音になる気がして、さっさと急逝させてしまう白銀であった。

 「だから、ずっと言えなかった言葉を、ようやく言うよ。四宮…かぐやさん。」

 満天の星空の下で、恭しく片膝をつく白銀。

 「俺と、結婚してくれませんか?」

 「っ!?」

 差し出された片手を前に、たじろぎ息をのむかぐや。

 しかし一瞬後には、どんな一等星すらも霞むような眩しい笑顔が輝いていた。

 「…はい。よろこんで。」

 “ああああッ! イイーッ!! なにこれ、メッチャ泣けるやん! 邦画化、決定! キネマ旬報が選ぶ名作映画ランキング、殿堂入り!?”

 白銀は、邦画のこともかなりナメていた。

 「あのー、会長? さっきからなに黙ってるんです? やっぱり怒ってます?」

 石上がおずおずとそう尋ねた。怒ってなどいないどころか、本心では都合の良いロマンティク妄想でニヤケがノンストップな白銀であるが、生徒会に入ってからこのかた鍛えに鍛えぬいてきた鉄面皮が、彼の威圧感満点の目つきに慣れっこな石上すらも不安にさせてしまったようだ。

 「いやいや! お前は良いこと言ってくれたよ、石上。俺はやはり地球に残る。」

 「ハァ? 念のために聞いておきますけど、アメリカって地球ですよね?」

 「男の人同士で、なにやら楽しそうですね。」

 「あ、四宮先輩。こんちわっす。」

 「!!」

 すっと音もなく入室してきたかぐやの顔を見た途端、白銀のニヤケが瞬時に吹き飛んでいた。



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ブラックホール

 「また、漫画のお話でもしてたんですか? くだらない。」

 部屋に入るなり、かぐやがさっそく人様の趣味にケチをつけた。自分だって『今日甘』を読まされたときには、易々と胸キュン恋愛脳になってしまってたというのに、ずいぶんな物言いである。

 「違いますよ。将来の目標っていうか、夢みたいなのをちょっと語ってたんです。」

 石上がそう説明すると、かぐやの顔がわずかにほころんだ。

 「あら。それは感心。」

 「でしょ? それで、会長の夢ってのが、う…。」

 「おう、四宮! 今日はいつもより早いな!? 部活の方はいいのか!?」

 白銀が腹から声を出して、石上の言葉を遮る。

 「? …はい、本日は早めに切り上げました。」

 かぐやが、かすかに眉をひそめている。敏感な聴覚へ不意の大声を浴びせられて癇に障ったのもあるが、なにより女の勘が白銀から不審の臭いをかぎ取っていた。

 “会長が私に隠し事? なぜ?”

 かぐやが白銀をじぃっと凝視する。こういうときのかぐやの黒い瞳は、底なしの井戸のように深い。だが、白銀も伊達に彼女と恋愛頭脳戦を繰り広げてきたわけではない。隙のない完璧な鉄面皮で、正面から相手を見返した。

 “くそ、マズいぞ。宇宙飛行士なんて浮かれまくった夢を見てたことが、四宮にバレてみろ。大変だ!”

 「俺と一緒にアメリカに来い。」

 文化祭の夜、白銀はかぐやにそう求めた。

 「はいっ、わかりました。私もスタンフォード行きます。」

 かぐやは、その求めに応じた。

 あっけないほどあっさりとした承諾に見えた。だが、ごく平凡な家庭育ちの白銀にも、かぐやの決断がきわめて重大なものであることは理解していた。四宮かぐやはただの娘ではない。その彼女が「実家を捨てるようなつもりで」と言ったのだ。

 四宮家を捨てる。

 その発言の重大さは、「国家を裏切る」という叛逆者のそれに匹敵する!

 “怖っ!!!”

 無事に告白を成就させて冷静になった今、よく考えれば考えるほど白銀が不安に押しつぶされそうになるのも無理はなかった。そして、四宮家の恐ろしさを薄ぼんやりとしか認知できない部外者の白銀でさえこうなのだから、生まれてからずっとその渦中で生きてきたかぐや本人が固めている覚悟は、並大抵のものであるはずがない。

 まさに万難辛苦に立ち向かわんとする覚悟! 以後の人生の難易度に「very hard」を選択するがごとき勇気!!

 であるのに、だ。他でもないパートナーである白銀が「しのみやー! おれ、おとなになったら、うちゅうひこーしになりたいんだー、あはー♪」などと口にしたが最後…。

 「私が貴方のせいでどんな覚悟を強いられているのかも知らずに、会長はそんな埒もない夢を見てらっしゃったんですね。なんとまあ…お気楽なこと。」

 “あかん! それは『おかわいいこと』の何倍もあかんて! マジでシャレになってない!!”

 現実の重圧(リアル・プレッシャー)!

 仮に相手がごく平凡な女の子であったとしても「いままで立ててた人生プランをぜーんぶ捨てて、あなたについていきます♡」などと言われた日には、かーなーりヘビィな責任をしょいこんだと言わざるを得ない。その明白な数式に「四宮家の令嬢」という定数を代入すれば、解として導かれる重力の大きさは天文学的数値となるのである! 

 まさに、その存在はブラックホール!

 愛しい恋人の可憐な顔を見た途端に、白銀のニヤつきが跡形もなく蒸発したのには、以上のような背景があったのだ。

 “くそっ、なにを今さらビビッてるんだ、俺!? こうなることは、四宮に恋したあの日から、わかりきっていたはずだろうが!? ああそうとも、逃げるなんて決して許されるものか。俺は、四宮にふさわしい俺になるんだッ!!”

 眠れぬ夜に、天井を見つめながら何度も何度も白銀はそう己に言い聞かせてきた。かぐやと同じ覚悟を…それが叶わないにしても、せめて十分の一ほどの勇気を、そのナイーブな心に抱こうと必死にもがいていた。

 白銀御行は今まさに、子供の殻を脱ぎ捨ててひとりの大人に羽化せんとする途上にいるのだ!

 その一方───

 “うああああん、やっぱリアル怖い! ちょー重い! やだやだ、逃げたい! ずっと子供のままでいたい!!”

 本音である!!

 つい忘れがちになるが、白銀とて若干17歳の高校生に過ぎないのだ。せめて、日本を旅立つまでのひとときくらい、ふわっふわとした無責任な夢想にうつつを抜かしたとして、誰が彼を非難できようか!?

 「会長、どうされました? 今日は一段と顔色が悪いような。」

 かぐやの心配そうな声に、白銀が長い苦悩からはっと目覚めた。

 執務机の上に身を乗り出して、ぐっと自分に寄せられたかぐやの顔に気づいた瞬間、白銀が椅子ごと後ろに飛びのいた。

 「むっ! なんで逃げるんです!?」

 「だって、そんなに接近されると事象の地平線を越えてしまうだろ!?」

 「は?」

 「いやいやいや! なんでもない! 大丈夫だ!!」

 「とても大丈夫だとは思えませんけど…。」

 気づかわし気に小首をかしげているかぐやを見て、白銀が内心舌を巻いていた。

 “四宮め。まるで何事もなかったかのように、けろっとした涼しい顔をしよって。しかも、俺の心配まで…。まったく、すごいヤツだよ、お前は。”

 「んー、そうっすかね? 会長が死人みたいな顔色してんのは、いつものことじゃないっすか。むしろ今日はマシな方ですよ。もっとヤバいときありますもん。ノーメイクでゾンビ映画出れるくらい、あははは。」

 “お前はもちっと心配しろよ、石上ィ!?”とイラッと来た白銀だったが、同時に彼の冷徹な頭脳は、ここに好機を見出していた。

 “四宮の注意が、俺の将来の夢から体調に逸れたのは僥倖! 『ところで石上くん、さきほどのお話の続きですけれど』などと四宮が言い出さないうちに、会話の流れを俺が望む方向へ転じねば!!”

 刹那の思考。わずかゼロコンマ数秒のめまぐるしい計算の末に、白銀がふっと視線を向けたのは、かぐやではなく石上であった。

 「ああ、将来の夢っていやあ、石上? お前は将来の希望進路、なんだったっけ? 以前にちらっと聞いたような気もするんだが、よく覚えてなくてな。」

 嘘である。

 物覚えが良いこの男が、あまり多くもない友人による印象的な発言を忘れるわけがない。

 そして。石上がかつて口にした将来の希望とは、ずばり「ニート」であった!

 何事につけ計画的で覇気に富むかぐやが、日ごろから目にかけて可愛がっている大切な後輩の口から「ニートになりたい」などとふざけた言葉を聞かされようものなら、いきり立って懇々と説教を始めるに違いない。そうすれば、矛先が白銀に向く危険性はまずなくなる。そのうえ、石上の人生設計のあまりの酷さに瞠目した後でなら、宇宙飛行士という白銀のふわっふわとした夢が万一明らかになったとしても、比較的マシに聞こえるはずなのである。

 “ククク、せいぜい聞いて呆れるがいい、四宮! 下には下がいることを思い知れ!!”

 姑息、という他ない。

 「あー、そういえば会長には話したことありましたね。やだなぁ、忘れちゃったんですか? ニートですよ、ニート。」

 “よし、きた!”

 白銀、胸の内でガッツポーズ。

 「ちょっと待って、石上くん? それって要するに、無職ということよね?」

 静かに問い正すかぐやの声色に、たしかな緊張を感じ取った白銀。再度、会心のガッツポーズ。

 “いいぞ、ビンビン引いてる!! がっつり食らいついてるぞ、これ!!”

 カジキマグロの一本釣りのごとき興奮。

 「はい、まあ、ぶっちゃけ無職です。働かずに遊んで暮らすなんて、サイコーじゃないっすか?」

 白銀にルアー扱いされてるとも知らず、石上が悪びれもせずヘラヘラと笑っていた。かぐやを横目で盗み見ている白銀には、彼女の美しい両眉とたおやかな両肩に「ピッ」と怒気がこもったのが明らかだったが、当人はまるで警戒していない。かぐやのことをやたらと恐れているクセに、肝心なときに警戒心が働かないのが、石上優という男の抜けてる点であった。

 だが、その致命的な無警戒が、良い方向へ作用する局面も存在する。

 「…って、ついこの間までは思ってたんですけどね。」

 “ん!?”

 石上の予想外の言葉に、ほくそ笑みながらかぐやにばかり注意を向けていた白銀が、はっと後輩の顔を見やった。

 人生をナメ切ったヘラヘラ笑いはいつの間にか消え失せていて、代わりにシリアスに熟慮している真摯な顔がそこにはあった。

 「最近、ちょっと考え直すっていうか、いろいろ思うトコが僕にもあって…。いや、大きな仕事して認められたいとか、出世したいとか、そんな欲は全然わかないんですよ。でも、なんていうか、自分の人生の幸せはやっぱ自分の力で掴みたいかなって。」

 「石上くんの掴みたい幸せって、どんなもの?」

 かぐやが、そっと尋ねた。彼女にしては珍しく、心からのやさしさが露になっている声色だった。

 「いやぁ、そんなのわかんないっすよ、僕なんかには。ただ…家庭とかイイなぁってちょっと思ってるんです。結婚して子供がいて、その家族と一緒に平穏でつつましい暮らしを送れたら、それで満足な気がして。そのささやかな生活を支えるためなら、働くのもめっちゃアリだなって。」

 “わっ、わかるぅ! 同感しかないわー!!”

 かぐやが、心中でそう叫んでいた。あたたかく平凡な家庭に限りない憧れを抱いている彼女にとって、石上が口にした朴訥な将来のビジョンは好感度が爆上がりする代物であった。

 「あっ…と、すんません。なんか、柄にもなく語っちゃって。キモかったですよね?」

 ふと我に返ってはにかむ石上の手を、かぐやがぐっと掴んだ。

 「いいえ! それはそれで、とても素敵な考え方だわ。会長もそう思いますよね?」

 「う、うん…。お、俺も安心したよ。石上は意外とオトナだったんだナー。」

 “子供っぽいのは俺だけでした! ナメててマジすみませんでした、石上さん!”

 完敗の思いで罪悪感に苛まれている白銀を、かぐやと石上が不思議そうに見つめる。

 「顔色はともかく、ホント今日はテンション変ですよ、会長?」

 「なにか悩みがあるのなら、遠慮なく相談してみてください。」

 「そうっすよ。水臭いじゃないですか。」

 「待て、待て、ふたりとも! 別に心配されるようなことはないんだって。」

 詰め寄ってきたふたりを、白銀が慌てて遠ざけた。

 「自分の分の仕事がちょっと溜まっててな。ひとりで集中して片づけたいから、今日は先に帰ってくれるとありがたいんだが…。」

 「えっ、そんな。僕たち、来たばっかなのに。」

 「まあまあ、石上くん。会長がそうおっしゃるのなら、お邪魔にならないようにお暇しましょう?」

 「あ……はい。じゃ、お先っす。」

 「失礼します。」

 まだ心残りそうな石上を促して、かぐやが丁寧に一礼して退室していった。

 「……なにやってんだか、俺は。」

 ひとりきりの生徒会室で、白銀が盛大にため息をついた。



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奇跡の人

 白銀が雑務をすっかり終えて校舎を出たとき、日はとっぷりと暮れていた。

 「実際、はかどったな、仕事。」

 満天の星々がきらめく晴れた夜空を見上げながら、皮肉な口調でひとりごちる。

 かぐやたちに言った言葉とは裏腹に、大して仕事は溜めていなかった。多くもない未決済書類をさっさと片づけた後は、キャビネットの整理やら生徒会室の掃除までこまごまとやってしまった。

 ただ、かぐやとの将来を思い悩みたくない一心で、雑務に逃げていたのだ。

 「今からでもバイト、入れられないかな。」

 また独り言をつぶやきながら、スマホでバイト先のシフト表を確認する白銀だったが、あいにく今夜はどこも手が足りていた。つまり、このまま帰るしかなかった。その事実に、白銀は嘆息した。家に戻れば、逃避していた重たい現実の不安にきっと捕らわれてしまうからだ。

 「まあ、眠くなるまで勉強でもすりゃいいさ。」

 自転車を押しながら自分を励ますようにそう言ったが、間近なテストもないこの時期に勉強に打ち込める自信は本人にもなかった。

 「相談…か。」

 かぐやに言われた言葉をふと思い出して、白銀が遠い目をした。

 「誰に相談できるっていうんだよ、こんなこと。」

 いちおうは父親の顔を思い浮かべてみて心底げんなりし、次に藤原を検討してしまった自分に愕然とした。“溺れる者は藤原をも掴む”というしょーもない冗談が浮かんできたが、全然笑えなかった。

 “そうだ! 四条はどうだろうか!?”

 その思いつきを、白銀は我ながら妙案だと思った。四条家の令嬢である眞妃ならば、彼の苦境を理解してくれるはずである。

 だが───

 「かぐやおばさまのために、将来四宮家を敵に回して生きるですって!? 無理よ、そんなの! 御行なんか、プチッと捻り潰されちゃうわよ!?」

と、率直なご意見を言われてしまったらと想像すると、いっそ何も聞かないほうが身のためのような気がする。

 “そもそも、四条が親身になって相談に乗ってくれるだろうか?”

 白銀とて親友である眞妃の人間性は微塵も疑っていないが、こと恋愛に限ってはとことんポンコツでネガティブなのもまた事実。白銀の必死の相談もただの惚気の一種と受け取られて、

 「そんなの、本人と話し合って勝手にふたりで幸せになりなさいよ、バーカ!!」

と、キレられる可能性がどうしても否定できない。

 「本人…四宮と相談、なぁ。」

 結局はそれしか道はないのだろうが、それができないから困っているのである。

 「やっぱり、私に相談ごとがあるんですね?」

 「ああ、うん…って、四宮!? なんでここにいるんだ!?」

 まるで白銀の脳内からそのまま抜け出してきたかのように、かぐやが目の前に立っていた。

 「先に帰ったんじゃないのか!?」

 「はい。会長を待っていたんです。」

 「えっ、うそ、3時間近くも!? なんで!?」

 「なんでって、それは…かっ、会長とあのまま別れるのが心残りだったからに決まってるじゃないですか!」

 「なにそれ、かわいい!!」

 つい口に出てしまった白銀の素直すぎる感想に、かぐやがさらに顔を赤らめた。

 まだ恋愛頭脳戦を繰り広げていた頃ならば、なんやかんやと理由をつけて偶然を装っていたであろうが、晴れて白銀と恋人同士になったかぐやには、彼をただ待っていたと正直に明かす自由があるのだ。

 “そうよ、今更これくらいのことで照れる必要なんかないわ!”

と、己を鼓舞しながらお得意のルーティンをかましたかぐやが、白銀の目をじっと見つめてこう問いかける。

 「それで、会長? 何をそんなに悩んでいるんです?」

 「……。」

 白銀が沈黙して、目を逸らした。繰り返しになるが、かぐやに言えないから困っているのである。

 「だんまり、ですか。3時間近くも待たせておいて。」

 「すっ、すまん。だが…!」

 「いいですよ、謝らなくても。会長がどうしても言えないというのなら、これ以上はあえて聞きません。」

 「すまん。」

 「謝らないでくださいってば。でしたら、一緒に帰りませんか? 校門の前までですけど。」

 「お、おう。」

 すたすたと歩き始めたかぐやを、白銀が自転車を押して追いかける。

 「…ところで、会長?」

 横に並んだ白銀の気配を感じながら、かぐやが星空を見上げながらぽつりと話しかけた。

 「うん?」

 「話は変わりますけれど、会長の将来の夢って宇宙飛行士だったんですね。」

 「話、変わってねーよ!!」

 「えっ?」

 「あっ、いやっ、その…つーか、なんでお前が知ってんの、それ!?」

 「生徒会室のドアの前で、石上くんに話しているのを聞いてました。いえ、立ち聞きとかじゃないですよ!? 会長の声はよく通るので、すっと耳に入ってきてしまっただけですから!? で、石上くんと楽しそうだったので、つい割って入るタイミングを逸しただけですからね!?」

 もちろん、がっつり盗み聞きしていたワケだが、このくらいのたわいもないウソはかぐやにとって息を吸って吐く程度の芸当である。

 だから、その直後に白銀が見せた反応は、完全に予想外であった。

 「……。」

 白銀が、また押し黙っている。

 全身をこわばらせて、足を止めて、口元を固く引き結んでいる。

 彼のただならぬ態度に、かぐやも息をのんで立ちすくむ。

 「そっ、そんなに、怒らなくても…。」

 こわごわとそう語りかけたかぐやに対し、白銀が低い声で言い返す。

 「怒っているのは、お前の方だろ。」

 「ええっ!? どうして私が…。」

 「じゃあ、怒る気も起きないほどに、あきれ果てているのか? ガキ臭い夢にうつつを抜かして、現実と向き合えてない俺に。」

 「現実…?」

 唇を噛みしめて、ひたすら恥じ入ったように俯いている白銀の沈痛な表情を見つめながら、かぐやはただただ困惑していた。白銀の心中がまったく理解できないことに焦り、そして怯え始めていた。

 他者を思いやる「やさしさ」が自分には欠けているのだという自己嫌悪と、そんな自分は人を傷つけることしかできないのだという怖れ。

 だから、かぐやはずっと他人を遠ざけてきたのだ。

 だが、今のかぐやは、昔の彼女とはもう違う。

 「私は、会長の夢が現実味のない子供っぽいものだとは思いません。」

 きっぱりとした口調だった。

 「気を遣ってフォローしてくれるつもりなら、やめてくれ。宇宙飛行士だぞ? 俺自身も、口走っちまったのがスゲー恥ずかしくなってきてるんだ。いつもの黒歴史って奴さ。」

 卑屈に苦笑する白銀に対して、かぐやの表情はあくまで真剣なままだった。

 「いいえ。他の誰かが口にすれば大それた無謀な夢物語にしか聞こえませんが、ほかでもない会長が語るのであれば、実現可能な目標のひとつに過ぎません。」

 「そんなふうに評価してくれるのは嬉しいが、さすがに買いかぶりすぎだろう?」

 「なぜです? 会長がたぐいまれな知性と不屈の克己心を併せ持っているのは、まぎれもない事実しょう? この私に、学力テストで勝ち続けたほどですもの。」

 「ま、まあ、その点だけは自分でも凄いと思ってる。」

 「身体面でも、スポーツ万能ですし?」

 「あー…うん。」

 額にどっと冷や汗が噴き出す白銀だったが、とりあえず今この瞬間は「沈黙は金」で行くことにした。

 「さらに、会長はもっと大事な美点を持ってます。どんな逆境にも雄々しく立ち向かう勇気ですよ。」

 「俺がか? それはどうかな。藤原にはよくビビりでヘタレだって笑われてるんだぞ? ボロ出さないようにいつも虚勢はってるだけで…。ずっと、そんな自分をお前の前では必死に隠してた。」

 「ふふふ、とうに知ってます、それくらい。だからこそ、貴方の強さは本物だってわかったんです。いくら怖くても不安でもけっして逃げようとせず、たとえ無様な姿を晒したって最後まで頑張りぬこうとする。…会長がどうしてそんなふうにケロっと平気で生きてられるのか、私には未だにぜんぜん理解できません。」

 「誉めてんのか、それ?」

 「べた褒めですってば、もう! 臆病な自分がときどき嫌になるくらい、眩しく見えてるんですからね!?」

 「そっ…か。そういうモンか。」

 「はい。宇宙飛行士という夢も、本当に会長らしいなって思います。大胆で、ロマンティックで…やっぱり、私にはちっとも理解できないわ。」

 「えっ、四宮まで!? 石上にもナシって言われたんだよなぁ。なんでだよ? 普通に行ってみたいだろ、宇宙!?」

 「たとえ脅迫されても絶対に行きませんね、宇宙になんか。だって、大気も水分もなければ、重力すらなくて、代わりに放射線だけはたっぷりなんですもの。行きたがる人の気が知れません。」

 「ははは、たしかに危険極まりないよな。それでもさ、どうしても惹かれてしまうんだ。こうやって夜空を見上げるたびに、心が痛いくらい憧れが強まってしまう。」

 星々を夢見る瞳で見つめる白銀の横顔を目にして、かぐやが複雑な表情になってため息をついた。

 「困りますよ、会長。」

 「ん?」

 「そんな綺麗な横顔を見せられたら、私…なんだか妬けてしまいます。宇宙に会長を取られるみたいで。」

 かぐやのその言葉に、白銀がはっとした。

 埒もない身勝手な自分の妄想と、彼女が同じセリフを言ったからだ。

 「いや、すまない、四宮。俺は、性懲りもなくまたやってしまったようだ。今は、お前とのこれからを真面目に案ずるべきときなのに、宇宙のことなんか…。とことんガキのままなんだな、俺ってやつは。」

 「私とのこれからを、案ずる…?」

 ここに来てようやく、かぐやにも白銀の不安の正体が見え始めた。

 「もしかして、会長? 私の実家とのことを、そんなに心配されているんですか?」

 「当然だろう!? ただの小市民である俺だって、四宮家に意向に反してお前をスタンフォードに連れていくことの重大さくらい、想像がつく。それこそ、不安で押しつぶされそうなくらいにな。」

 「ああ…。」

 愛しい人が抱いている苦悩の重さに触れた途端、かぐやは悲しげにうめいていた。

 「私のせい、だったんですね。ご自分の素敵な夢を隠そうとしてたのも、ご自分をそんなに恥じているのも、全部私のせい。」

 「よすんだ、四宮。お前は何ひとつ悪くない。お前を好きになった日から、すべてわかりきっていたことなんだよ。動かしようのないその現実を目の当たりにして、いまさらうろたえてる俺にこそ、問題がある。お前に蔑まれても、文句は言えん。」

 「蔑むなんて、とんでもない!!」

 かぐやにそう強く否定されても、白銀の表情はやわらがなかった。

 「……。」

 自身ではまり込んだ自責の念によって、再び顔を伏せて口を固く閉ざしてしまっている。

 「……。」

 かぐやも、とっさにかける言葉が見つからずに、白銀に倣った。

 両者との間に、沈黙が折り重なっていく。

 その沈黙が1秒続くたびに、ふたりの間に壁ができ、厚さを増してゆく。

 こんなとき、かぐやはいつも相手の前から身を引くのが常だった。そうやっていつも、みずから孤独の頂きに身を置いてきた。無理に他者の心の中に踏み込まないことが、彼女の処世術だった。

 かぐやの臆病な賢さは、人と距離を置くのが最良だと彼女に言い続けてきたのだ。相手を傷つけたり、自分が傷ついたりしないための、正しい選択だ、と。

 しかし。

 最愛にしてただ一人の恋人が相手であれば、話はまるっきり違ってくる。

 四宮かぐやはたしかに臆病だが、それがわからないほど愚かでもないのだ。

 「…ね、会長? 私、これからとても思い切ったことを言いますから、心して聞いてください。」

 そんな改まった前置きを急にされて、白銀が伏せていた顔を恐る恐る上げた。

 かぐやの真剣な面持ちが、すぐ近くにあった。

 彼女は、踏み込んだのだ。精神的にだけでなく物理的にも、グッと白銀の方へ。

 「わかった、聞こう。」

 かぐやの気持ちを受け止めるように、白銀も表情を引き締めた。

 「では、言います…。何とかなりますよ、きっと。大丈夫。」

 「はあ!?」

 なにか重大な決断を聞かされると覚悟していた白銀が、拍子抜けして叫んだ。

 「それだけ!?」

 「はい。臆病な私にしては、随分と大胆な発言でしょう? 具体的な根拠もなしに、大丈夫だなんて言うなんて。」

 「う、うん。意外すぎてびっくりした。」

 「自分でも驚いています。でも、これが素直な気持ちなんです。あなたとなら、きっと大丈夫。」

 「なんでそう言えるんだ? 四宮家に比べたら、俺個人の力なんてほんとうにちっぽけで…。」

 「ええ、私の口から言うのも妙ですが、我が家が途方もない権力を有しているのは事実です。くわえて、父と兄たちは揃いも揃ってとんでもない人間ばかり。念のために言い添えておきますが、完全に悪い意味でね? 私も、生まれてこのかた、反抗するなんて考えたこともありませんでした。」

 かぐやの淡々とした言い方に、白銀が思わず唾を飲み込んだ。

 「でも、ずっと反抗してこなかったのは、父や兄たちを恐れていたからじゃないんです。私に、反抗してまで欲しいものがなかったからなんですよ。要するに、戦う理由がなかったんです。だけど、今はあります。」

 白銀を見つめるかぐやの眼差しに、一層の熱がこもった。

 「もちろん私は齢17歳の小娘にすぎませんが、それでも四宮家の人間です。たとえ父や兄たちが相手だろうと、私に戦う意思さえあるのなら、やりようはいくらでもあるんですよ?」

 「すっ、すごい自信だな。」

 「それほどでも。まあ、負けない程度ですね。本当は、こてんぱんに打ちのめしてやりたいところなんですけど?」

 そう言い放って、何がおかしいのかクスクスと笑うかぐやを目の当たりにして、白銀がますます青ざめていた。

 「はぁぁぁ。結局俺は、お前に頼り切るしかないんだな。格の違いってヤツか。」

 情けなさを顔中ににじませて、白銀が自分の髪をかきむしった。

 「あら、会長。ちゃんと私の話、聞いてました? 私ひとりでは無理ですよ。会長がいてくれないと。」

 「だから、俺なんかに何ができるっていうんだよ?」

 「また、そんなにご自分を卑下して。あなたは現に、私に花火を見せてくれたじゃないですか?」

 「あっ、あんなの!…調子に乗ってヤラかした、ちょっとした悪戯みたいなモンだろ!? そんな黒歴史、のんきに持ち出してる場合か!? コッチがハズくなるわ!!」

 つい声を荒げた白銀に対して、かぐやがさらに大声で食って掛かった。

 「ああ、もう! とことん物分かりの悪い人ですね、会長ってば!! あの夜が私にとって、どれほど重大事だったのか知りもしないで、ちょっとした悪戯なんて言い草は許さないから!!」

 かぐやの両手が、激情にまかせて白銀の胸元を掴んでいた。

 握りしめられたその両拳の力強さに、白銀もまざまざと認識を改めた。

 「意味は、あったんだな。あのときの俺のがんばりは、ただの空回りじゃなかった。」

 「おおありよ、わからずや! だって私、絶対に無理だと最初からあきらめてたんだから! ひとりで絶望して泣いて、神様なんていもしない存在にまで縋ったのよ!? それこそ黒歴史だわ!!」

 怒声に涙声をにじませながら、かぐやが力任せに白銀を揺さぶった。

 その長身をガクガクと揺らされながらも、白銀がしっかりとかぐやの手を握った。

 その温かさせを感じた途端、それまで何とか持ちこたえていたかぐやの涙腺が崩壊した。

 「バカバカバカ! こんなタイミングでやさしく触ってくるなんて、どこまでかたくなな私の心を解きほぐせば気が済むのよ、んもおおお! 会長には、冷たく固まっていた私の人生をみるみる変えていっている自覚がないわ! そうやってあなたが無自覚にやることなすこと、ぜーんぶッ! 私にしたら奇跡みたいなものなんだからッ!!!」

 ブチ切れつつも、やたらと雄弁に感謝を述べて来るかぐやの言葉に、白銀は照れるのも忘れて苦笑してしまっていた。

 「おいおい、わかった、わかったって、四宮。そこまで言ってくれて、俺は本当に嬉しい。自信…っていうか、生きてて良かったと実感するよ。だから、そろそろ落ち着こうな? お前にあんまりにも素直にされると、嬉しいのを通り越してちょっとコワい。」

 「はっ!?」

 そう宥められてささやかな冷静さを取り戻した瞬間、かぐやが恐ろしい力で白銀を突き飛ばして、くるりと背を向けていた。

 「くっ…! この私としたことが、少々しゃべりすぎたようね。」

 切り札のルーティンで冷淡な声色を装う、かぐや。

 「なんだ、そのセリフ? 悪役かよ。」

 胸に一撃食らった激痛にビクビクと痙攣しつつも、白銀が思わずツッコんでいた。

 「誰が悪役ですって!? …いえ、もう止めましょう。会長と語るべきことは十二分に語り尽くしましたから、今日は帰ります。」

 一方的にそう言い捨てて、さっさと歩きだすかぐや。

 「いや、あのさ、四宮? この先、実際にどうするかとか、具体的なことはまだ何ひとつ相談できてないんだが?」

 「今は、考えたくありません!!」

 「ちょっ、そんな…ノープランはマズいだろ、さすがに?」

 「あれこれ心配したって、いずれアメリカに旅立つ日は来るんです。」

 困り切った顔で後をついてくる白銀に背を向けたまま、かぐやが毅然と言い返す。

 「この学校で大切な人たちと過ごせるのも、あと10ヶ月ちょっと。」

 かぐやの声色が、しんみりとした深みを帯びていた。彼女が指摘した事実を耳にして、白銀の胸中をずっと塞いでいた重たい不安が、すっと溶けるように消え失せた。

 代わりに白銀の心にあふれ出したのは、去らねばならない現在の日常に対する、切ない愛惜の念だった。

 「そうだな、四宮。先のことで悶々と思い悩む暇があったら、秀知院での限られた時間をせいいっぱい大切に過ごしたほうがいいよな。」

 「はい。ひとつも思い残しがないように日本を後にするためには、私と会長とでやるべきことは山積みです。たとえば、石上くんのこととか。」

 その名を持ち出された刹那、白銀の心の柔らかな部分が、ぎゅっと痛んだ。

 「ホントに行っちゃうんですね、アメリカ。」

 そう呟いたときの彼の寂しげな顔を、白銀はまざまざと思い返していた。

 「会長、ご存じですか? あの子、実は恋をしているみたいなんです。」

 「ああ、俺もなんとなく察してはいる。想いを寄せてる相手は、応援団で一緒だった3年生の先輩の…。」

 「子安つばめ。裏表のない気さくな性格と洗練された容姿で、性別を問わずに慕われる人気者です。いわゆる高嶺の花のひとりですね。」

 「自分のことを陰キャだとか決めつけて愚痴ってばかりの石上が好きになるには、いろんな意味で良い相手かもしれんな。あっ、そういえば、あいつ。ほんのこの間まで将来はニート志望だと平気で抜かしてたくせに、今日は急になんか真面目に人生設計みたいなの語ってただろ? やっぱ、あれも子安先輩とのことを意識してるせいかね?」

 「はい、おそらくは。恋は、人を変えるんですね。石上くんは頑張り屋さんの良い子ですから、きっと良い方に変わってくれるでしょう。…ちょうど、私みたいに。」

 「ちょうど、俺みたいに。」

 ふたりが、自然と微笑み合っていた。

 なもかもが狙いどうりに行かず、歯がゆいことがやたらと多かった。プライドが邪魔して全然素直になれず、すれ違いばかりで物悲しさに沈む夜が幾度となくあった。終わりが見えない恋愛頭脳戦の連鎖に、内心では苛立ち、疲れ、投げ出したくなる時すらもあった。

 しかし、平凡なカップルのようにすんなりとに恋仲となれなかったからこそ、白銀とかぐやは互いに大きく成長できたのかもしれない。頭脳とプライドを懸けたひどく遠回りな恋の軌跡が、ふたりの恋を実り多きものにしてくれたのかもしれない。

 “この人を好きになって、本当に良かった。”

 お互いがお互いのことを、心の底からそう思えている。これこそ、恋愛頭脳戦でふたりが共にに勝ち取った、最高の戦果なのだろう。

 「ならば、俺たちが当面やることは、決まったな。」

 「はい、会長。石上くんを応援してあげましょう。」

 「うん。あいつの背中を押してやることくらいは、できると思う。ただし、うまくいくかどうかは子安先輩の気持ち次第だぞ? ぶっちゃけ、俺は女心ってのは完全に専門外だし。」

 「あらぁ? 以前に田宮くんを相手に、俺は恋愛マスターだ!なんて大口を叩いてたのに?」

 ちょっと意地の悪い笑みを浮かべて、かぐやが白銀をからかった。

 「あんときもお前、立ち聞きしてたよな? 俺、ちゃんと気づいてたんだぞ?」

 「おやおや、何をおっしゃっているのかわかりかねますね。ただの偶然ですよ。言いがかりは止してください。」

 「はいはい、そうかよ。ま、偶然でもなんでもイイ。そうやって石上のことを見守ってくれるってんなら、俺も手段にイチイチ文句つけるつもりはない。」

 「お任せください。石上くん本人にその気概があるのなら、高嶺の花に挑むに相応しい誇り高い男へと、鍛え上げて見せます。」

 「意外と、面倒見が良いんだな?」

 「石上くんにだけです。私にとっても、かけがえのない後輩ですもの。なので、これは私のおせっかいで、わがまま。万が一、彼の恋が──」

 ほんの少しのためらいを見せた後、かぐやが言葉を継いだ。

 「はかなく破れてしまう結末を迎えても…あの子には後悔や敗北感を抱いてほしくないから。」

 「ああ、そうだな。外野の俺たちができるのは、それくらいだよな。」

 「ええ。」

 想いをひとつにした白銀とかぐやの足が、自然と校門までへの歩みを再開する。

 たかだか数分の道行きの間、ふたりともただ黙って歩を進めた。しかし、今度の沈黙はふたりの間に壁を作るものではなかった。今日の時点で、語り合うべきことは語り尽くしていた。

 言葉を交わさぬとも、肩を並べているだけで、彼と彼女の心は暖かい結びつきで満たされていた。

 「じゃあ、四宮。俺はここで。」

 自転車にまたがりながら、白銀が短く別れの言葉を口にした。

 「また明日な。」

 「はい。また明日。」

 丁寧な一礼ではなく、親し気に手を振ってそう答えたかぐやを校門に残して走り去った時。

 白銀をあれほど苦しめていた未来への怖れは、穏やかな希望に代わっていた。



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宣戦布告

 “今日は、会長を待っていて本当に良かったわ。”

 自分も帰路につくべく迎えの車へ歩み寄りながら、かぐやはしみじみとした満足感を噛みしめていた。

 “恋人同士って、こんなにも多くのことを語り合えるのね。”

 実時間にしたら、ほんの15分たらずの語らいだった。たったそれだけの立ち話の間に、怒ったり、泣いたり、微笑み合ったりしてしまった。3時間の待ちぼうけをなんの苦とも思えない、濃厚で報われたひと時だった。

 これもまた、白銀と一緒にいることでかぐやに与えられた、ちいさな奇跡のひとつなのだろう。

 「やっと、ご帰宅ですか。待たせすぎですよ、もう。いい加減、先に帰っちゃおうかと思ってたところ。」

 運転手ではない声にそう話しかけられて、かぐやが驚きで目を見開いた。

 「早坂!?…じゃなかった、愛さん!! なぜここにいるんです!?」

 早坂愛は、もうかぐやの侍従ではない。主人でもない相手の帰りを遅くまで待っている義務はないはずだ。

 「そりゃあ…かぐやのことがちょっと心配だったからに決まってんじゃん。友だちとして、ね。」

 早坂が当たり前のことのように口にした答えに、かぐやは瑞々しい感動を覚えていた。契約関係や損得と関わりのない、まっさらな親切を人から受けるというごく普通の経験が、かぐやにはまだ乏しいのだ。

 「ふふふ、愛さんったら。侍従じゃなくなっても、私にはとことん甘いのね。」

 「そこは、素直にありがとうって言うトコっしょ?」

 「はいはい。ありがとうございます。」

 「よろしい。で、会長くんとちゃんと話はできたの? なんか揉めてるみたいだったケド?」

 「それはもう、実に有意義だったわよ。知ってる、愛さん? 会長、将来は宇宙飛行士になるのが夢なんですって! とっても素敵じゃない!?」

 「えぇー…。高校生にもなって、それはどーかなぁ? 昭和の小学生みたい。」

 早坂が、げんなり顔で辛辣な感想を述べた。彼女は生粋のリアリストなのだ。長年、自力で稼いでため込んだ貯蓄の額が4000万円を超えているのは、伊達ではない。

 「はぁー。お金にしか幸せを見出せない仕事人間だった人は、これだから困るわ。おかわいそうに。」

 「誰のせいですか、誰のッ!? いつかひっぱたきますよ、マジで!?」

 さすがにブチ切れそうになる早坂だったが、かぐや相手ではまともに話は通じないという厳然たる事実を思い出して、すぐに矛先をひっこめた。

 「まー、かぐやがステキだって思ってんなら、別にそれでイイけどさ…そんなにフワフワ浮かれてて大丈夫? それこそ、宇宙に行くのと同じくらい大変になるかもしれないんだよ、かぐやのスタンフォード行き。わかってる?」

 「もちろん。会長にも、随分と心配させてしまってたみたい。だから、よーく話し合っていたのよ。」

 「それで?」

 白銀との語らいの内容を、かぐやが手短にまとめて語り聞かせた。

 聞かされた早坂の顔が、みるみる険しくなっていく。

 「いやいや、ダメじゃん、結局はノープランとか! 会長くんの言ったとおりっしょ!? マジでありえないから!!」

 強い怖れを含んだ必死の表情を浮かべて、早坂がかぐやを真っ向から非難する。

 「前からアホだアホだって思ってたけどさ!? やっていいアホと、悪いアホがあるって!! かぐやがそんなんじゃ、わたし安心して普通の女の子できないじゃない!? もう少ししっかりしてくださいよ、このアホ!!!」

 「ちょっと、愛さん!? いくらお友だちだからって、そんなにポンポンとアホアホ言わないでちょうだい!?」

 「わたしが言ってやらずに、誰が言ってくれるってゆーんですか!? かぐや様のことを誰よりも理解している者として、わたしには責任が…!」

 「まあ、早坂。ずっと、そんなふうに想ってくれてたのね?」

 「うっ、いや…ま、それなりには。」

 「じゃあ、なんで今はわからないのかしら? なんだかんだと口では言っていても、この私が完全に無策のままでいられるわけはないって。」

 「あー……。すでに陰謀は始まってるんですね? ド汚いのが。」

 「人聞きの悪い言い方しないで。具体的な手はまだなにも打ってないのは本当よ。ただ、いろいろと考えを巡らせてはいるわ。私の…習性みたいなものね。」

 「それを聞いて、ちょっとだけ安心しました。やっぱり、かぐや様はかぐや様ですね。」

 「そう言われても、素直に喜べないのはどうしてかしら? …ともかく。」

 思慮深く、そして決意に満ちたかぐやの視線が、星々が散る美しい夜空を傲然と見上げた。

 「会長の夢も、私のささやかな幸せも、四宮の家なんかに邪魔はさせないわ。会長は、会長らしいやり方で私に奇跡を示してくれたんですもの。私も、私なりのやり方で応えてみせたいの。」

 「はあ…。そこまで真剣に考えてるんなら、わたしがこれ以上口をはさむコトはないなー。ま、がんばって?」

 「なにを他人事みたいに言ってるの、愛さん? あなたにも当然、協力してもらいますから。」

 「は? なんで?」

 「友だちでしょ?」

 「とんでもない厄介ごとに平気で巻き込もうとするのが、友だち?」

 「いいじゃない。あなたには当分遊んで暮らせるお金があるんだから、ちょっと手伝うくらいの余裕があるはずよ。」

 「四宮家の資産に比べたら、はした金もいいトコなんだケド…。うーん…。ま、知恵くらいは貸してあげてもいっかな。」

 「そう言ってくれると信じてました。では、あなたも車に乗って。さっそく相談に乗ってもらいたいから。会長にはとてもお話しできない、いろーんなコトをね?」

 「うわっ、暗黒ガールズトークってカンジ? マジ、ウケるー。」

 その言葉とは裏腹に、全然目が笑ってない早坂を後部座席に押し込むと、かぐやも颯爽と後に続いて乗り込んだ。

 延々と待機をさせられていた運転手が、内心の不満をおくびにも出さない無表情で、送迎車を静かにスタートさせた。

 

*******************************************************************

 

“…そうよ。私だって、戦って見せる。”

 車窓を流れていく夜の街並みの灯りを眺めながら、かぐやは密かに悲痛な覚悟を固めていた。

 “たとえ、どんなに怖くて不安でも。たとえ、行く手を阻む障害が、とても私の手に負えないものであっても。”

 そう。

 実のところ、父や兄たちを相手になんらかの勝機をつかむ算段など、かぐやにありはしなかった。元来の臆病さや、これまでの人生で染みついた無力感のせいではない。奮い起こした決意を杖にして、しごく冷静で客観的な目で改めて現実をしっかり見据えてみても、やはり四宮家は途方もない魔窟であり、末娘たるかぐや個人が歯向かってどうこうできる代物でない事実は、微塵も変わらなかった。

 つまり、かぐやが白銀と早坂に対して見せていた傲慢なほどの自信と不敵さは、すべて虚勢だったのである。

 “きっと、私は何度も打ち負かされるでしょうね。”

 自分でも驚くほどに淡々と、かぐやはそう認めていた。この先、幾度も苦汁を飲まされ、望まない妥協や回り道を強要され、白銀との仲を一時的に引き裂かれることだってあるかもしれない。

 だか。しかし。それでも。

 “私は、いつまでも戦うわ。なにがあっても、けっして諦めずに、戦い抜いてやるから。”

 かぐやに断言できるのは、それだけだった。

 それだけが、彼女にとっての生きる目的だった。

 「…かぐやも、そんな顔をするようになったんだね。」

 かぐやにぴったりとに身を寄せて、彼女の顔を覗き込みながら、早坂が感心したように呟いた。

 「えっ? どんな顔してました?」

 「なんていうか…すごく大人びた顔。そんなかぐや、わたしも初めて見た。」

 「なによ、それ。じゃあ、愛さんの目には私が今まで子供に見えてたの?」

 「ええ、そりゃもう。わがままで、甘えん坊で、かわいそうな迷子でしたよ、あなたは。」

 「ふうん。」

 否定も肯定もせず、かぐやはまったりと気だるげな笑みを浮かべた。

 「あれ? 怒らないんですね?」

 「愛さんにいまさら怒ったって、しかたがないもの。その代わり、あなたには見届けてもらうわ。」

 「なにをです?」

 早坂の問いかけに、かぐやが万感の想いを胸にこう答えた。

 「やっと居場所を見つけた迷子が、自分の運命とどう戦って行くのかをよ。」

 

 それは、静かな宣戦布告であった。

 四宮かぐやの果てしない戦争が、これから始まるのだ。



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