恋姫奇譚 (乾燥海藻類)
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第一話 開幕

気がついたら森の中にいた。何を言っているのか分からねーと思うが、俺も何が何だか分からねー。

公園で昼飯食って、ちょっとぼーとしていたら、いきなり目の前が真っ暗になって、気がついたら森の中にいた。

 

記憶があやふやだな。つか頭が痛い。殴られた? 拉致か? いや、ごく普通のサラリーマンの俺を攫って何の得がある? それに拘束もされてないし、周りに人も見えない。

スマホは……あるな。ん? 圏外だと? マジか。どんな山奥だよ。とりあえず歩くか。

そして、少し歩いた辺りで妙な恰好をした三人組に出会った。

 

「おい、兄ちゃん。いいもん着てるじゃねえか。俺たちにくれよ!」

 

道を聞こうと思ったらいきなりカツアゲされた。いや、これカツアゲか? 金出せってのなら分かるけど、服くれと言われたのは初めてだぞ。

しかも、剣を抜いている。というか、あれ剣か。すごく安っぽく見えるけど。

映画の撮影とかじゃあ……なさそうだな。

 

「は、はい。すぐに脱ぎます!」

 

俺がそう言うと、三人組はニヤニヤと笑い始めた。分かりやすいチンピラだな。まあスーツの上からじゃあ、体格は分かりにくいから仕方ないとも言えるが。

ちなみに三人組は貧相な体付きだ。筋肉とかあんまりなさそうな感じ。

ベルトを外し、鞭のようにしならせる。バックルの部分がリーダーらしき男の右手に直撃した。

 

「痛ってぇ! なにしやが――ぶべらっ!?」

 

痛みで身を屈めたところに、膝蹴りをぶち込む。顔面を強打した男は、鼻血を吹き出しながら後方に吹き飛んだ。

男が落とした剣を拾い上げ、残りの二人に突きつける。

なるべくすご味を出しながら二人を睨みつけた。

 

「俺の質問に答えろ。嘘偽りなく答えれば、命は助けてやる」

「は、はい」

「ここはどこだ?」

「は? ああいえ、ここは幽州です」

 

ゆうしゅう? 優秀? いや違うか。もしかして、幽州? 中国? いや、だったらなんで俺たち日本語で会話してるんだよ。

……落ち着け。まだ慌てる時間じゃない。

 

「今年は何年だ?」

「え、えーっと、アニキ、今年って何年でしたっけ?」

「うぐっ、確か熹平の、あー、忘れちまった」

 

蹴り飛ばした男が鼻血を拭いながら答えた。熹平ってなんだよ、元号か? 心当たりがないな。いやまて、さっき幽州っつったよな。確か熹平って霊帝時代の元号だった気がする。

え? マジで? マジでか?

にわかには信じられんが、そういうことにして話を進めよう。じゃないとまとまるものもまとまらない。

 

「……あー、おまえら、なんでこんな馬鹿なことをする? 真面目に働こうとは思わんのか?」

「……お、俺たちだって、こんなことしたくねぇ! でも真面目に畑を耕したって、収穫物のほとんどは役人に持っていかれちまう!」

 

小柄で痩せぎすな男が涙を浮かべて訴えてくる。

なるほどな。こいつら、元農民か。この時代の農民は不遇だ。毎日朝から晩まで働き、しかし収穫物のほとんどはお上に持っていかれて手元には残らない。天災に苦しむこともあり、しかもお上はお構いなしに臨時税を取り立ててくる。

胡麻の油と百姓は絞れば絞るほど出るものなりってのは、誰の言葉だったか。

 

「ふむ。まあ、ここで会ったのも縁といえば縁か。よし、おまえら俺についてこい」

「……ど、どういうことだ?」

「少しはマシな暮らしをさせてやるって言ってるんだよ。こんなこと続けても、今みたいに返り討ちにあうか、そのうち役人に殺されるぞ」

「あ、あてはあるのかよ……あるんですか?」

「まあな」

 

正直あてといえるほどのものでもないが、とりあえずこの服一式を好事家にでも売り払えば、それなりの金になるだろう。量販店で買った安物のスーツだが、この時代じゃあ布としても上等の品だろうからな。

 

「……分かりました。よろしくお願いします」

「うむ」

 

ふっ、手下ゲットだ。マンパワーは基本だからな。人手はあって困るものじゃあない。

 

「それで、なんとお呼びすれば?」

「ああ、俺の名は――」

 

とりあえずこの時代に合わせた方がいいか。俺は逡巡の後、名前を答えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺は最初に出会った三人と共に、塩の密売を始めた。塩の採集は塩湖から行われることが多いが、そんな場所にはすでに先客がいる。

海は遠いし、監視の目が厳しい。なんせ塩は国の専売だからな。

だから俺は山から塩を採っている。そう、岩塩である。

岩塩の採れた場所なんて一生使うことのない無駄知識とばかり思ってきたが、こんなところで役に立つとは。

 

あと豪商から物資を頂くこともある。そこに罪悪感はない。この時代は、富める者はますます富み、貧しき者はますます貧しくなるというのが基本構造だからだ。

貧しき者の代表である農民は、常に搾取される存在である。収穫物のほとんどを奪われ、理不尽な税を支払う。支払えなければ借金をしてでも支払わなければならない。

 

そこで金を貸すのが商人だ。彼らは暴利で金を貸す。だが農民はそれを粛々と受け入れている。受け入れるしかないというのもあるが、そもそも農民たちは、読み書きもできなければ、計算もできない。

だから奪われる。搾取される。商人は常に奪う側なのだ。

ゆえに、俺が奪うのだ。農民が奪われたものを、さらに俺が奪い、還元する。その結果、この辺りの農村はすべて俺たちの味方になった。

 

ある日、近隣の村から報告があった。

役人に雇われた『黒髪の山賊狩り』が、俺たちの討伐にやってくるらしい。ちなみに、この時代の中華なんて九割九分が黒髪だと思うが、たまにありえないほどカラフルな髪の人間がいる。しかもそれを不思議に思う人間がいないのだ。単純なタイムスリップとは思っていなかったが、やはりこの世界はおかしい。

 

その『黒髪の山賊狩り』の名前は、関羽というらしい。

ゲェ! 関羽! しかも女! しかもしかも連れがいるとのことだ。連れの名前は張飛。

ゲェ! 張飛! どうなってるんだよ。なんか張飛も女みたいだし。袁紹や曹操が女らしいってのは、人づてで聞いていたが、まさか有名どころはみんな女なのか? やはりこの世界はおかしい。

 

つーか関羽も塩の密売やってたじゃん。まさか競合相手だから潰しにきたのか? でもなぁ、関羽って河東の人だから、経済圏は被らんと思うんだが。

うーん、とりあえず会ってみるか。

採掘場の前には普通の農村がある。隠れ蓑ってわけでもないが、畑を耕すことも必要なのだ。

まさかいきなり襲ってくることもなかろう。そうして関羽と張飛を待っていると、部下から報告が入った。

よし、行くか。

 

門前に行くと、二人の少女がいた。

一人は黒髪ロングの美少女。こちらが関羽だろう。もう一人はファッションピンクの髪色のロリッ()。こちらが張飛だろう。

いや、ファッションピンクて! なんて世界だ!

 

「どうもどうも、私が村長です」

「……随分と若いな。私は関雲長。この辺りに塩の密売組織があると聞いて調査にきたのだが」

「鈴々は張翼徳なのだ!」

 

やっぱり関張だった。鈴々というのは真名だろう。この世界の初見殺しシステムである。認めてない相手に真名を呼ばれることは最大の侮辱であり、殺されても文句は言えないらしい。

なんだろう、仮面の下の素顔を見た相手は殺すか愛すしかないという掟くらいの理不尽さを感じる。

だから戦場で相手を挑発する時も、決して真名を口にしたり汚したりすることはない。

つーか一人称で真名を使うのはやめてほしい。普通に釣られそうだ。

ハッ!? これが張飛の罠か。

 

「元気なお嬢さんですな。さて、塩の密売ですか。それは、果たして本当に悪いことですかな?」

「当たり前だ! 塩は国の専売だぞ! 商人が手を出す分野ではない!」

 

関羽は手に持っていた青龍偃月刀の石突でドンと地面を叩いた。

 

「ほーりつ違反なのだ! 悪いことなのだ!」

 

と、張飛も関羽の言葉に追随する。

正論なんだが、反応に困るな。挑発しているのか、至極真面目なのか。どっちだろう?

 

「人は正論だけでは生きていけませぬ。農民たちは収穫物の大部分を奪われ、役人が気まぐれに作った税を払い、わずかに残った銭で塩を買います。しかし国の売る塩は高い。だから密売されている塩を買う。法を守って死ぬよりも、法を破って生きる道を選択したのです。彼らは密売の安い塩がなければ死んでしまいます」

「……それは、確かに憂慮すべきことだが、役人に訴えればいいだろう」

 

話聞いてなかったのかよ。その役人が不当に税を徴収してるって言ったんだよ。

 

「訴え出た前の村長は、首だけになって帰って来ましたよ」

 

これは近隣の村であった本当の話だ。

俺の言葉を聞いて、関羽は唸るように沈黙した。

 

「愛紗、どうするのだ?」

「う、うむ……」

 

愛紗、おそらくは関羽の真名だろうが、関羽は悩んでいるようだ。問答無用でうるさい、死ね! と言わないあたり、根が真面目なだけの世間知らずなのかもしれない。

 

「そうですね。では、しばらくこの村に滞在してはいかがですか?」

「……どういうことだ?」

「そうすれば、我々の仕事、塩の密売が民百姓にとって必要なことだと理解できると思いますよ。それでもお二人が納得できなければ、斬り捨てるがよろしいかと」

「それほどまでの覚悟か。あい分かった。しばらく世話になろう。それでいいな、鈴々」

「わかったのだ! よろしくなのだ、おっちゃん!」

「ええ、歓迎しますよ」

 

こうして、一時的ではあるが関羽と張飛が仲間になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日課の鍛錬を始める。呼吸を整え、気を整える。この世界には気というシステムがある。俺もその中に組み込まれたらしい。

気というのは、まあ漫画やゲームでよくあるアレだ。

 

そもそもこの気というものを、普通の人間は理解できていない。気を習得している者でさえ、身体の内側から溢れてくる不思議パワーとしか思っていない。

間違ってはないんだが、肉体の鍛錬と気の鍛錬がごっちゃになっているのだ。

 

まあ偉そうなことを言ったところで、俺も正しい鍛錬法を知っているわけではない。だが気というものを大まかにとはいえイメージできているのは大きな利点だろう。

何より、気の鍛錬は楽しい。筋トレにハマった時も、増えていく筋肉が嬉しかったものだが、気はまた違った楽しさがある。

気は筋肉のように、目に見えて増えていくわけではないのだが、感覚的に分かるのだ。

体内に気を充溢させ、右手に集約させる。

 

「――ハッ!」

 

そしてそれを一気に放つ。手の平から放出された気功波はエネルギーの塊となって突き進み、しばらく進んだ辺りで消失した。

ふぅ、やはり気の放出は相性が悪いな。

中国拳法でいうところの百歩神拳という技だが、俺の場合は三十歩神拳といったところだ。

 

「見事なものですね」

 

と、物陰から現れた関羽が賞賛の言葉を口にした。

そうなのだ。どうもこの気の放出というのは高等技術らしい。いや、技術というよりは才能に左右されるようだ。一線級の武将はみんな、意識的、無意識的に限らず気を習得しているが、主に使っているのは肉体強化のみで、まず気を放出するという発想すらないらしい。

実際、この技を初めて見た時の関羽も驚いていた。それから色々と試してみたようだが、関羽も張飛も気を放出することはできなかった。

 

「仕事は終わったようだな。そろそろ答えは出たんじゃないのか?」

 

関羽には岩塩の採掘から塩の精製、そして販売にも護衛として同行させている。根が真面目なせいか仕事も忠実にこなし、部下たちからの評判もいい。まあ見目が麗しいってのもあると思うが。

 

「……確かに、塩を購入した者たちは、私たちに感謝していました。私たちがいるから生きていける、と」

「国の売る塩は高いからな」

 

うちが売る塩の値段は大体四分の一程度だ。塩は生きる上で不可欠なもので、ナトリウムなど小難しいことは知らずとも、経験として人はそれを知っている。

塩なくして人は生きられないのだ。

とそこで、副長が困惑した様子で俺のもとに近づいてきた。

 

「頭領、お客さんです」

「客? 対応はおまえに任せているはずだが、紹介状でも持ってきたのか?」

「いえ、なんでも水鏡女学院からやってきたそうです。首席と次席だとかで、どうしたものかと……」

 

ふむ。水鏡ってのはアレだ。司馬徽(しばき)のことね。

伏龍と鳳雛、どちらか一人でも得られれば天下を取れるなどと予言めいたことを言った隠者である。どちらも手に入れた劉備だが、アレは天下を取ったと言えるのだろうか。一応、一応だが皇帝にもなったし、天下を取ったと言えなくもない。

要するに、だ。「孔明と士元はワシが育てた」と言いたいだけのような気がする。

私塾を開いていたし、結構な教え子がいたはずだ。その中から一人でも出世すればいいのだから、割と成功率は高いような気がする。

 

この世界では女学院のようだが、理由はある。どうもこの世界は女性優位らしいのだ。基本的には男性の方が色々な部分で優れているのだが、いわゆる秀才、天才と呼ばれる者たちは女性の方が多く見られる。

だから司馬徽は大きく出世する可能性の高い女性のみに弟子を絞ったのだろう。

そこの首席と次席といえば、やっぱり孔明と士元かな? 別の奴だったら逆に面白いが、とりあえず会ってみよう。

 

「ふむ。では会ってみよう。着替えてくるからしばし待たせておけ。ああ、それと――」

 

どうせなら驚いてもらうか。俺は副長に応対の指示を出した。

 

「あの、私も同席させていただけますか?」

「うん? まあ、構わんか。では護衛として同席してくれ」

「ありがとうございます!」

 

と、関羽は喜色を浮かべて頭を下げた。こんな素直に頭下げられるんだな。まあ護衛としては優秀だ。孔明にいきなりビーム撃たれてもかなわんからな。

俺は水を浴びて汗を流し、身支度を整えてから応接室へと向かった。

そして中に入ると、金髪と銀髪のロリッ()がいた。

……もう驚かんぞ。

 

「……んぐっ、ぷはっ! お、お初にお目にかかります。水鏡女学院から参りました、諸葛孔明と申します!」

「お、同じく鳳士元と申しましゅ! あう、かんじゃった……」

 

二人が立ち上がり挨拶するが、孔明は茶菓子が喉につっかえたのか、胸を叩きならが無理矢理流し込み、士元は最後の最後で噛んだ。

うむ、ぐだぐだだな。つか若ぇな。絶対ローティーンだろ。

 

「ああ、そのままで。気にしなくていいよ。別に大層な役職があるわけでもないしね。畏まる必要はない」

「あ、ありがとうございます」

「お恥ずかしいところをお見せしました」

 

どうやら蜂蜜牛乳とカステラは気に入ってもらえたらしい。まあこの時代では甘味が強烈な魅力だからな。あの年頃ならなおさらだろう。

ウチでは色んなことをやっている。メインは塩の密売だが、耕作や畜産、製紙に養蜂、写本を売ったりもしている。

ただ牛乳や鶏卵なんかは地産地消だ。管理が難しいからな。知らんところで食中毒を起こされて、ウチのせいにされてはたまったものじゃない。

最初の頃は豪商を襲ったりもしていたが、今ではその必要もなくなった。

 

というか、やっぱり孔明と士元か。何の用できたんだろうか? まあ聞けば分かるか。

俺も名乗りを返して席につく。

俺に続いて関羽も名乗りを上げた。

おい、そんなに威圧するな。と言いたいが、張飛の例もあるからな。見た目弱そうだからといって油断はできない。いきなりビームを撃ってくる可能性もある。

 

「では、用件を聞きましょう」

 

俺が促すと、二人は視線を交わした。ずいっと前に出たのは孔明だ。

 

「今の世の中を、どうお思いでしょうか」

「随分と抽象的な質問だね。ふむ……」

 

今の世の中ときたか。

時はまさに世紀末、腐敗と自由と暴力が支配する世界が始まろうとしていた。そう、世にも有名な農民反乱、黄巾の乱の勃発である。

この中華では度々農民の反乱が起こっているが、最も有名といえる乱であろう。この反乱は後漢の衰退を招き、三国時代に移るひとつの契機となった。

 

すでにその兆しは世に現れており、黄色い布を巻いた荒くれ者どもが徒党をなして各地で暴れているらしい。

一〇〇人程度の集団もいれば、万を超す大集団もいる。ここらではまだ見かけないが、そのうちやってくる恐れもある。まあ対策はしているがな。

最終的には一〇〇万人くらいまで膨れ上がったはずだ。まあかなり盛っているだろうけど。さすがにその数が押し寄せてきたら勝てんな。

 

「世はまさに乱世。群雄割拠の時代。つまり、漢王朝は滅亡する!」

『な、なんでしゅってーー!!』

 

孔明と士元の言葉がハモッた。

 

「それはさすがに不敬ですよ。官軍が賊の集まり如きに後れを取るとは思えません」

「関羽、言いたいことは分かるが、事はそう簡単ではないのだ。これはただの権力欲しさの反乱ではない。農民の反乱なのだ。農民たちの鬱憤は、杯に注がれた水のように蓄積され、ついには溢れた。漢の政治腐敗による苛政が招いた必然なのだ。これは呼び水にすぎぬ。洛陽の者たちはたかが賊と楽観視しているようだが、その実態は深刻である。物事の表面だけを見てはいかん。一見すれば倒れそうにない立派な大樹も、根が腐っておれば、倒れる時は一瞬よ」

 

俺がそう言うと、場は水を打ったように静まり返った。

正確には黄巾の乱って国家転覆を狙った宗教反乱なのだが、この世界だとなんか違うっぽい。どうも張角主導というよりは、熱心な信奉者たちが暴走しているような感じがするのだ。

 

「……さすがですね。私たちも薄々は感じていましたが、断言できるほどではありませんでした」

「あわわっ、漢王朝は腐っても漢王朝です。倒れることはない……と思ってましゅた」

 

これは黄巾の乱で滅びることはないって意味だろうな。実際、滅びたのはもっと後の、群雄割拠の時代だし。

 

「国は興り、滅びるもの。森羅万象、諸行無常、全てに終わりがある」

「……ではこの乱世で、あなたはどう生きるのですか?」

 

孔明が真剣な眼差しで俺を見つめてくる。え? もしかして俺に期待してんの? 俺はただの村長で、密売組織の頭領で、商会の会頭だよ。たいしたモンじゃないのよ。

 

「私よりも、キミたちの先生を動かした方が良いのではないかね? 聞けば、誘いはいくつもあったのだろう?」

「……先生のお考えは、私如きの及ぶところではありませんので」

 

さすがは酔狂な水鏡先生だ。確か死ぬまで出仕しなかったはず。

 

「ふむ。だが私には護るべきものがある。それを失う危険を冒してまで出世しようとは思わぬよ」

「決起するおつもりはないと?」

「逆に聞くが、私が起てば、キミたちは私に力を貸してくれるのかね?」

 

俺がそう問うと、二人が小さく笑ったような気がした。

 

『それをお望みとあらば!』

 

孔明と士元の言葉がハモッた。

……マジでか。これって劉備どうなるんだ? 主要人物の四人がここにいるんだけど。一生むしろ売りで終わるのかもしれんな。大幅な歴史改変じゃねぇか。

とはいえ、あのキラキラした瞳は、たぶん俺に期待してここまでやってきたのだろう。

追い払うのは簡単だが、それもなぁ。なんか恨みを買いそうだし。迂闊なこと言っちゃったなぁ。これはもう、仕方ねぇか。

俺は小さくため息を落とした。

 

 

 




主人公に恋姫知識はありません。
ご都合主義多めです。ご了承ください。


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第二話 張角死す

「頭領、ただいま戻りました」

「うむ、よく戻った」

 

そう言って部下を労う。彼女は王忠といって、比較的古参の一人だ。元々はどこぞで亭長をしていたらしいが、色々あってここに流れてきた。

なかなか優秀なので、最近話題になっていた黄巾賊について探らせていた。孔明と士元が来る前から放っていたのだ。

姓が王だから、あの王允の身内かと思ったが全然関係ないらしい。まあ同姓なんて珍しくもないからな。張なんて山ほどいるし。

 

「では成果を聞こうか」

「はい。実は……」

 

そうして、王忠は手に入れた情報を語りだした。

最初は各地で散発している賊が黄巾をつけていることから始まった。うん、これは予想通り。なにせ全国規模だからね。この広い中華で全国規模って大概だよ。伝達手段なんて書簡か人づてしかないのに。

続けて本題、張三姉妹の話に移った。やはり女か。まあこれにはもう慣れた。しかしその後、聞き流すわけにはいかない単語が聞こえてきた。

 

「……旅芸人?」

「はい。数え役満☆姉妹(しすたぁず)です」

 

数え役満は分かるが、シスターズはどっからきた? 完全に横文字じゃねぇか! ってそこじゃない! アイドルが賊になるなんてことある……あったんだから仕方ないか。しゃーない、切り替えていこう。

 

「旅芸人がどういう心境の変化で反乱を企てるようになったんだ?」

「それがどうも……彼女たちが「大陸、獲るわよー!」と言ったことで、支持者たちが暴徒化していったようです。彼女たちは大陸中に自分たちの歌を広めたいという意味で言ったのだと思いますが、どうも曲解されたようで。純粋に彼女たちの歌が好きな者は端に追いやられ、革命のために戦う者の声が大きくなり、そして賊徒がそれに目をつけ、便乗したのだと思われます」

「なるほど、言葉とは恐ろしいものだな。ちなみに、彼女たちの性質はどうなのだ?」

「そうですね。悪意の人ではないかと。迂闊なところはありますが」

 

そう言って、王忠は三枚の紙を差し出した。そこには彼女たちの姿絵が描かれており、本人たちのサインまで入っている。

 

「おまえが描いたのか?」

「はい。自信作です。快く揮毫(きごう)を頂きました」

「ファンになったのか」

「ふぁん?」

「ああ、いや。彼女たちを気に入ったのか?」

「……そうかもしれません。彼女たちの歌は、いいものです」

 

ふぅむ。ちょっと興味出てきたな。娯楽の少ないこの世界じゃ、歌に魅せられる人々も多いだろう。娯楽に溢れた時代であっても、アイドルにハマるやつは大勢いたからな。

だが、黄巾は滅びる。官軍も本気になってきた。いや、マズいのは官軍よりも各地の群雄たちだが。

確か張角は病死したはずだが、この姿絵を見る限り、かなり若い。まあこの時代の病は侮れないが、それでも病死しそうには見えないな。

 

「会いに行ってみるか」

「ならばお供致します。彼女たちとは面識がありますので」

「うむ。頼む」

「……お聞きしてよろしいでしょうか?」

「なんだ?」

 

神妙な顔つきで、王忠は俺の瞳を覗き込んできた。

 

「彼女たちをお救いになっていただけるのでしょうか?」

「……状況次第としか言えんな。尤も、官軍の求める「張角の首」は、若い乙女ではなかろうよ」

 

俺の返答に、王忠は顔をほころばせた。こりゃそうとうヤラれてるな。

さて、戦いに行くわけでもないし、メンバーは厳選しよう。

そして、会議で話し合った結果、同行するのは関羽と士元になった。

武力の中心である関羽と張飛が二人とも抜けるのはマズいし、俺が抜けた穴を副長一人に任せるのも酷だ。ここは孔明の実務能力に期待するところであろう。

実際孔明って軍師より内政家の方が適性あるんだよね。

この二人に王忠を加えて、合計四人である。

では、いざ出発!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなわけで俺たちは張三姉妹のいる黄巾の本拠地にやってきたのだ。

いやぁ、結構かかったなぁ。王忠が予定表を貰ってきたからあっさり合流できるものと思っていたが、予定通りいかないのが予定というもの。

あっちに行ったり、こっちに行ったり、黄巾狩りが本格化してきたというのもあって、張三姉妹も焦りだしている。最近ではライブもあんまり開催していないみたいだし。

 

「ようやく着きましたね」

「うぅ、申し訳ありません頭領」

 

無意識に呟いた関羽の言葉が嫌味に聞こえたらしい。王忠は謝罪の言葉を口にした。

 

「いや、回り道したが、収穫はあった。予想以上に世は乱れているようだな。やはり政治の腐敗は、行きつくところまで行っているようだ」

 

賄賂を要求するのは個人の腐敗であるが、賄賂が公然と横行しているのが政治の腐敗だ。もはやこの後漢末期では、賄賂がなくては役人が動かないとまで言われている。その銭はどこから来ているのか。当然、民衆からである。

 

「過去、農民反乱は幾度となく行われた。にもかかわらず、為政者たちは学習しない。この黄巾の乱は、現王朝が滅びゆく兆しなのかもしれない」

「……はい。これより訪れるのは、血で血を洗う乱世なのかもしれましぇん」

 

士元が哀しそうにつぶやく。戦で一番被害を被るのは民なのだ。戦なんてない方がいい。いかん、気が滅入ってきたな。

 

「では参ろうか。王忠、先導を頼む」

「ハッ!」

 

王忠が門番に割符のようなものを見せる。それを確認した門番は、「おまえ箱推しかよぉ」と顔をほころばせた。

なんだろう、ファンの証みたいなものだろうか。まあ城内にはすんなり入ることができた。

中は黄巾をつけた者たちがごった返していた。

 

「……あまり堅固な城とは言い難いな」

「……はい。修繕もいまいちな感じがしましゅ」

 

関羽と士元が城についての意見を交わし合っている。ここはさすがに歴戦の将と言ったところだろう。そういえば、士元って実戦経験あるのか? うちに来てから大きな戦はないし、もしかしたら机上の戦場しかしらん可能性もあるぞ。うーむ、後で確認しておこう。

 

「王忠、しばらくはこの中に紛れて様子を見る」

「……え? すぐに会われないのですか?」

「ああ。別におまえは会っていいぞ。むしろ繋ぎをつけておいてくれ。俺は庶人、一兵士の目線で少し見ておきたい」

「なるほど、了解しました。では別行動の方がよろしいですね」

「ああ、頼む。士元は単独行動するなよ。必ず関羽か俺の傍にいろ。いいな」

「は、はい。分かりましゅた!」

 

こうして、王忠とは別行動することになった。

三日ほどかけて大雑把な軍容と城の構造を調べた。間者に間違われたくないので、王忠から三姉妹の情報を仕入れ、俺は天和推しということで同士たちから話を聞いている。

この砦にいるのは、純粋なファンと賊崩れが大体半々といったところか。もう少し調査を進めてから彼女たちと接触しようと思っていたのだが、事態は急変した。

官軍を中心とした各地の群雄たちが集結し始めたのだ。

 

「どう見る、士元?」

「……まだ情報が足りてませんので、断言はできませんが、勝つのは難しいと言わざるをえません」

 

兵たちは所詮寄せ集め。喧嘩もよく見かけたし、統率が取れているとは言い難い。兵数は、現段階ではこちらが勝っている。だが向こうがこれから増えないという保証はない。

何より、兵の数は多くとも将の数が不足している。そして食糧。話を聞くかぎりでは潤沢にあるらしいが、本当かどうかも分からん。

食糧が少ないと分かればパニックになるのは目に見えているからな。

 

「城を攻めるには三倍の兵が必要というが……」

「……援軍のない籠城に希望はありません」

 

援軍の有無は定かではないが、期待はできないだろう。来るかどうかも分からない援軍に期待して戦い続けるのは愚策だ。

 

「頭領、三姉妹の方たちがお会いになりたいそうです」

「分かった。行こう」

 

王忠には、逃げると判断した場合のみに会うと告げてある。つまり三姉妹は逃げることを選択した。まあ所詮は一般人の彼女たちだ。城を枕に討ち死にとはいかないだろうな。

幹部たちも三姉妹だけは逃がしたかったようだし。

 

部屋にいた三姉妹たちは怯えていた。瞳はどんよりと曇っている。張角だけは努めて明るく笑いかけてくれたが、少しぎこちない感じがした。

 

「あなたが私たちを逃がしてくれる人ですか?」

「将兵たちは戦うつもりでいる。なのにキミたちだけが逃げるのか?」

 

と、あえて厳しい言葉を投げてみる。

 

「だって仕方ないじゃない! 官軍に捕まったら殺されちゃうもの! ちーたちは悪くない!」

「そういう言い方は良くないわ、地和姉さん。私たちにも原因はある。大陸を獲れる、なんて言ったのは、失敗だった」

 

次女の張宝がヒステリックに叫び、それを末妹の張梁が諫める。

 

「波才さんも曼成さんも死んじゃった。私たちに戦う力はないの。でもあなたの言うことは分かります。だから、私は残ります。ちーちゃんとれんほーちゃんをお願いします」

 

そう言って、張角は深々と頭を下げた。

 

「ダ、ダメよ! 姉さん一人を犠牲になんてできっこない!」

「そうよ。天和姉さんを犠牲にしてまで生きたいなんて思わないわ! 死ぬ時は一緒よ!」

 

三人は抱き合ってわんわんと泣き始めた。

なんだこれ。

いい話だなー?

隣にいる王忠から刺すような視線を感じる。

 

「試すようなことを言って悪かった。キミたちの脱出は、将兵たちの望むところでもある。脱出を引き受けよう」

「ほ、ほんとう?」

 

潤んだ瞳で張角が見つめてくる。角度的に目のやり場に困るな。

 

「今夜脱出する。悪いが手荷物は認められん。その身一つにしてくれ。王忠、後は手筈通りに」

 

王忠はコクンと頷いた。

俺は部屋を出て、幹部たちの集う大部屋へと向かった。

中には十二人の男女がいた。黄巾党の武将たちだ。

 

「王忠から話は聞いている。あんたが天和ちゃんを逃がしてくれるそうだな」

 

リーダーらしきスカーフェイスの大女が訊いてくる。

 

「正確には、俺の部下が逃がす。明日は俺も「張角の一人」として出陣する。兵を貸してほしい」

「……いいのか? 死ぬぞ」

「それは分からんさ。誰がハズレくじを引くのかはな。全員が死ぬ必要はない。張角の首はひとつあればいい。脱出の機を逃すなよ」

「ふっ、悪いが、私は死ぬまで戦うよ。逃げるつもりはない」

「俺もそのつもりだ。あの歌に出会わなければ、俺は人生に絶望したまま朽ち果てていただろう。義理は果たす」

 

大女に続き、髭面(ひげづら)の大男が呵々と笑った。こいつが一番人相書きの張角に近いんだよな。

明日の一番人気になりそうだ。

 

「ふっ、まあ一杯やろうや。一言頼むぜ、大将」

 

隣の男が俺に酒の入った木杯を渡してきた。

 

「……滅びゆく者のために」

 

木杯のぶつかり合う音が、小さく響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜明けと共に軍は展開された。

三姉妹は昨夜のうちに脱出させた。関羽は残りたかったようだが、負け戦に付き合わせるわけにもいかんし、道中のことを考えると関羽は護衛として必要だろう。王忠もそれなりに戦えるが、やはり関羽に比べれば一段劣る。

 

さて、勢い勇んで出陣したものの、どうもハズレくじを引いたようだ。

目の前には「張」の旗と「呂」の旗。

張なんてよくある姓だから断定はできんが、呂は一人しか思い当たらん。この予想は外れて欲しいが、呂と張が並んでいるならば、その期待はできなさそうだ。まあ他にないわけじゃあないんだけどな、この組み合わせも。呂蒙と張昭とか。

 

「黄巾党の首魁、大賢良師張角とは俺のことよ! この首が欲しくばかかって参れ!」

 

名乗りを上げながら斬馬刀を構える。俺の本来の得物じゃあないが、張角を演じるためにこんな目立つ武器を選んだのだ。

 

「おまえが張角かい! 人相書きとはちょいと違うが、まああんなモン当てにならんしなぁ! ウチが相手したるで! 張文遠、その首もらい受ける!」

 

反応はすぐにあった。張来来! この関西弁のエロ衣装が泣く子も黙る張遼かよ!

 

「おらっしゃー!」

 

裂帛の気合で張遼が攻めかかってくる。張遼の青龍刀と、俺の斬馬刀が火花を散らした。

 

「やるやんけ! これを防ぐとはなぁ!」

「并州からわざわざご苦労なことだな」

「ウチらのこと知っとるみたいやな。ほなら――」

 

身体が泳ぐ。刀を引いたか。

 

「遠慮はせんで! もう一丁!」

「――チッ!」

 

二撃、三撃、張遼は巧みに馬を操りながら、連撃を繰り出す。馬の扱いは向こうが上か。ならば!

 

「――なっ!? 正気か!?」

 

馬を捨て、地を駆ける俺を、張遼は驚愕の表情を浮かべた。

 

「ここからが本番だ!」

 

小回り、瞬間加速、その他諸々を考えれば、地に足つけた方が戦いやすい。

 

「ちぃ! ウチの愛馬を殺らせるかいな!」

 

どうやら馬狙いはバレたようだ。張遼はギリギリで俺の攻撃を防ぎ、後退した。

 

「ふふっ、それほどの名馬、そうそう手に入るまい。さすがに惜しいとみえるな」

「くっ、調子に乗んなや! 馬なしでも――」

(しあ)、交代」

(れん)! あんたの出番は――」

「交代」

「……珍しくやる気やん。ほな、任せたで」

「ん」

 

深紅の髪を揺らしながら、スラリとした女性が歩いてくる。

一目見て分かった。こいつは、張遼よりも強い。

間違いなく、呂布奉先。言わずと知れた三国志において最強の男。いや、目の前にいるのは女だけど、それは些細なことだ。

知力一○○を許されたのが孔明ならば、武力一〇〇を許されたのが呂布なのだ。三国志演義でも劉備、関羽、張飛の三人を相手取って一歩も引かなかったと描写されたほどの武人。

……勝てるか? この俺が。

 

額に冷たい汗が流れる。いや、落ち着け。勝つ必要はないのだ。負けなければいい。まあそれも難題だが。

人には気孔(きこう)というものがある。読んで字のごとく、気の(あな)だ。汗腺のようなもので、この穴から気が溢れてくる。しかしほとんどの人間は、この気孔が眠っている。一生眠っているのが普通なのだ。

これを目覚めさせるには、気の一撃を喰らうのが手っ取り早い。つまり、気の使える武将に鍛えられた兵は、才能にも左右されるが、おのずと気に目覚めることになる。こういった兵は強い。

 

実はこれ意外と知られてないんだよな。気が使えるようなクラスが一兵士と手合わせなんてしないだろうし、戦場で気の使えない兵士が気の一撃を喰らうと大体死ぬし。

気というのは見えるものではないが、感じることはできる。呂布の気は、ほとんど揺らぎがない。波一つない湖面のように静かだ。逆にそれが不気味でもある。

その呂布が、動いた。

速――!

 

「ぐっ!」

 

辛うじて防御が間に合った。速い上に重い。負けじと反撃するが、その攻撃が肌を裂くことはなかった。

数合打ち合って分かったが、呂布は本能型の武将だ。理合ではなく、感覚で戦っている。つまりフェイントが意味をなさない。危険な一撃とそうでない一撃を、直感で見抜いているのだ。厄介な相手だよ。

 

関羽相手に優勢を取れたからといって、ちょっと調子に乗りすぎたか。本能型は相性が悪いんだ。関羽はああ見えて理合型だからな。

俺も一緒に逃げておけばよかった。って今さら言っても仕方ないよな。

 

「……死を恐れない奴は、怖くない」

「ぬ?」

「そういう奴は、大抵死ぬ。あるいは、虚勢」

 

なに言ってんだこいつ。

 

「……でも、おまえは違う。死ぬことも覚悟している。そういう奴は、手強い」

「それは当然の覚悟だと思うがな」

 

撃っていいのは撃たれる覚悟のあるやつだけだと、どこぞの皇子も言っていた。尤も、俺がその覚悟を持ったのはこっちに来てからだけど。

ごく普通のサラリーマンが、今じゃあ立派な大量殺人者だ。慣れたくはなかったが、慣れるしかなかった。

 

「……やっぱり、おまえは強い。だから、本気で行く」

「――ッ!?」

 

呂布の気が爆発的に膨れ上がった。周囲の温度が五度くらい上昇したような錯覚を覚える。

まさか、これまで本気ですらなかったとは。

攻撃に意識を割きすぎては一瞬で殺られる。防御に比重を置いて、なんとか凌ぎきるしかない……か。

 

気を落ち着ける。焦るな。気を乱せば、それこそ命取りだ。

一撃を狙うな。一瞬の隙を見逃してくれるほど相手は甘くない。

落ちたら終わりの綱渡りのような感覚。

これが呂布……呂布奉先か。

 

対峙の時間は、一瞬のようで永遠のようにも感じられた。

だが、終わりの時は突然訪れた。

 

――敵将張角! この夏侯元譲が討ち取った!

 

遠くから勝鬨と歓声が聞こえてきた。

張遼がギョっとしてそちらに視線を向ける。

 

「な、なんやて!? どーいうこっちゃねん! おまえが張角ちゃうんか!?」

「張角はどこにでもいるし、どこにだっている」

「そーいう問答はええねん! 影か? いや、こない腕の立つ奴を影にはせんやろ。つまりおまえがホンモンの張角や!」

「それはどうかな。腕が立つからこそ影を任される場合もある」

 

ま、実際のところ、この戦場にいる張角全員が影だけどな。

 

――敵将張角! この孫伯符が本物を討ち取ったわ!

 

「今度はこっちかい!」

 

またしても張遼がギョっとして歓声の上がった方向に視線を向ける。

そろそろ潮時かな。

 

「勝敗は決したようだな。俺は引かせてもらおう」

「アホ抜かすな! 逃がすわけないやろ!」

「これ以上「張角の首」が増えても、面倒事が増えるだけのような気もするがね。危険を冒してまで追う理由はなかろう」

「減らず口を……」

 

諸侯たちは武功を求めて集まっている。民のため、というお題目はあるが、結局のところは出世を求めているのだ。

何人の張角が討たれたかは分からないが、確認できただけでも二つ。これからどちらが本物かの議論が交わされるだろう。

そこに張遼が新たに首を持ってきて、これが本物だと言い張ったところで、諸侯たちの反感を買うだけだ。

 

「では、失礼させてもらおう」

 

手早く騎乗し、馬を走らせる。

 

「くっ、逃がすかいっ!」

 

むっ、丸め込めなかったか。ならば――

 

「こんなモン喰らうかい! ってなんやこれ!? ゲホッ! ゲホッ!」

 

俺の投げつけた玉から溢れ出た粉で張遼が咳き込む。と同時に、馬も暴れ出した。

 

「斬り捨てるより、払うべきだったな」

 

去り際に呂布へと視線を向ける。追ってくる気配はなさそうだ。しかし、アレが裏切りの将とは信じられんな。むしろ忠誠心は高そうに見えたが。

まあいいか。やれやれ、なんとか乗り切ったぜ。

 

 

 




天和の一人称って"おねえちゃん"だったと思うんですが、場合が場合なので私としています。


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閑話-二人の決断-

「せーの、はいっ!」

 

朱里と雛里は同時に手の平を見せ合った。そこに書かれていた文字は、ピタリと同じだ。

 

「意外……雛里ちゃんはそこを選ばないと思ってたのに」

「朱里ちゃんこそ。もっと堅実なところを選ぶと思ってたけど」

 

雛里は師から贈られた帽子のつばをギュッと握りしめた。二人は水鏡女学院に通う生徒であり、つい先日、師である水鏡から能力を認める証である帽子を贈られた。

それは世に出て実力を示しなさいという意味も含まれていた。

 

「やっぱり興味はあるよ。十年前までは名前も聞かなかった商会を、大家まで成長させた手腕は」

「……呂不韋、だね。朱里ちゃん」

「ふふっ、やっぱり雛里ちゃんも同じこと考えてたんだね」

 

奇貨居くべし、の言葉で有名な呂不韋は、優秀な商人であると同時に優秀な政治家でもあった。

位人臣を極め、相国まで登り詰めた才人。こうして権勢を極めた呂不韋であったが、後に始皇帝となる秦王との政争に敗れて追放された。

しかし呂不韋が傑物であったことに変わりはない。

二人はまだ見ぬ宝山商会の会頭に、その姿を重ねていた。

 

「上手く動かせることができれば、天下を差配する人になるかもしれない」

 

朱里は頂点に立つことに興味はない。自分の才は王者ではなく王佐であることを自覚していたからだ。

 

「でも、どんな人なんだろうね。会頭さん」

「それは……想像もつかないね」

 

宝山商会の会頭の情報は、世に溢れていた。情報を隠すのではなく、敢えてばら撒いているのだ。

若い男性、若い女性、老人、矮躯、巨漢。様々な情報が錯綜している。

 

「商会本部の場所は大体分かってる。ちょっと遠いけど」

 

商会本部、里と呼ばれることもあるその場所は、幽州の奥地にあった。商会は自前の兵も有しており、異民族と戦っていたり、あるいは交易をしているとの噂もあった。

漢帝国の北部には始皇帝が建設した大長城が広がっているが、現状の王朝では維持が難しく荒廃したままとなっており、ほとんど放棄されている状態だった。

 

一昔前までは里の存在は隠されていたが、商会が大きくなるにつれて防衛戦力も高まり、交流や更なるマンパワーの獲得のために、会頭は情報を広めていた。

そんな理由もあって、こうして二人の耳にも噂が届いたのだ。

 

「じゃあ行こうか、雛里ちゃん」

「うん、朱里ちゃん」

 

二人は意気揚々と、目的地に向けて歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

「…………」

 

二人は言葉を失っていた。

これは村でも里でもない。城塞都市と呼んでも差し支えないほどの大きさだった。

二人は水鏡女学院の首席と次席を名乗ったが、その実態は実績のない女学生である。無論、二人もそのことは理解していたが、金もコネもない二人にとって、利用できるものはこのくらいしかなかった。

 

師である司馬徽は人物鑑定家として世に知られており、水鏡の二つ名を持つ名士である。

師の名を利用しているようではあるが、商会の会頭と会うためには仕方のないことだった。

それが功を奏したのか、二人は会頭のいる館に招かれた。二人を迎え入れてくれたのは会頭の補佐を務める女性で、劉岱と名乗った。

ちなみに、兗州刺史と同姓同名であるが、別人である。

応接室に通された二人は、供された飲食物を興味深げに眺めていた。

 

「これは馬乳酒……かな? 朱里ちゃん」

「うーん、でも酒精の匂いはしないよ。むしろ甘い匂いがする」

 

獣の乳を飲むと獣になる、という迷信があるが、もちろん二人は信じていない。涼州の方では馬乳酒が飲まれていることも知っているが、知識として知っているだけで、実際には馬乳も馬乳酒も飲んだことはなかった。

しかし出されたものに手を付けないのは失礼にあたる。朱里は意を決して、白い液体を口に運んだ。

 

「――ッ!?」

「ど、どう? 朱里ちゃん」

「ふぁぁぁっ、あ、甘くておいしいよ。雛里ちゃん!」

「ほ、ほんとに? あわわっ、すごく甘いよ朱里ちゃん!」

 

二人の口の中に幸せの味が広がる。

 

(香りも味も鮮烈なのに、少しもきつくない。舌触りもまろやかで、この馬乳との相性も抜群です。このずっしりとした重みすら感じさせる甘みは、蜂蜜に違いありません!)

 

蜂蜜を得るには危険を冒す必要がある。尚且つ蜂の巣はそう簡単に見つかるものではない。そんな理由もあってか、蜂蜜は高価である。二人も口にしたことは数度しかない。

ちなみに、朱里は馬乳と勘違いしているが、その正体は牛乳である。

 

「こっちも食べてみよう。雛里ちゃん」

「う、うん」

 

餐叉(さんさ)(フォーク)でカステラを切り分けて、一欠片(ひとかけら)を口に運ぶ。

 

(このふわふわの食感は、お饅頭とは少し違いますね。甘くはありますが、あっさりとした甘みはくどくなく、飲み物との調和が考えられています)

 

「あわわっ、このお菓子もすごくおいしい」

 

夢中になって舌鼓を打つ二人は、扉がノックされる音にも気づかなかった。

 

「……んぐっ、ぷはっ! お、お初にお目にかかります。水鏡女学院から参りました、諸葛孔明と申します!」

「お、同じく鳳士元と申しましゅ! あう、かんじゃった……」

 

やってしまった、と朱里は心の中で反省した。

部屋に入ってきたのは一組の男女だった。

前の男性が会頭で、後ろの武器を持つ女性は護衛であろうと朱里はあたりをつけた。

 

(かなり若いですね。尤も、本物である保証はありませんが……)

 

朱里は会頭がかなりの高齢であると予想していた。だが、目の前の男性の見た目は三十代前後とかなり若い。

 

(とはいえ、見た目通りとも限りませんが。あの歩き方、体格、武人であることは間違いないでしょう。それくらいでないと、異民族の相手はできないのでしょうね)

 

朱里は武人ではないが、武人と文人の違いくらいは判別できる。

そして武の一辺倒ではなく、会話の中から感じられる知性や、その所作からも、この会頭が一廉の人物だということは理解できた。

そしてこの会頭は、恐るべきことを口にした。

 

――漢王朝は滅亡する!

 

朱里にもその予感はあった。しかし断言できるほどではなかったし、迂闊に口にすれば不敬罪で命を失うことになってもおかしくはないのだ。

 

(器が……計り知れない……)

 

朱里は心の震えを隠せなかった。頭の中をよぎったのは、論語の一説だ。

孔子の弟子である子貢は、師である孔子を以下のように賞賛した。

 

『屋敷の塀に例えるなら、私の家の塀の高さは肩の高さぐらいでしょう。ですから、屋敷の中の小奇麗な様子が窺えます。しかしながら、夫子の家の塀は高すぎて、ちゃんと門から見ないと中の素晴らしい建物や召使の様子は知ることはできないでしょう』

 

朱里は門の中に入りたいと思った。そのために言葉巧みに誘導する。当初の目的は、会頭の抱えている武力を用いて、群雄の一人として立つことだったが、まずは商会の中へ入ることへと修正した。

だが、その会話の最中でさえ、見透かされているのは自分ではないかという錯覚を覚えた。

とはいえ、目的は達せられた。

二人は商会に雇われることに成功したのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二人は商会の帳簿係に任命された。商売において資金管理は要の部分であり、地味ではあるが、重要な役割であった。

その部署で二人は、衝撃を受けた。

 

(これは、革命かもしれません)

 

複式簿記の最大の利点は試算表にあるとされている。借方と貸方は必ず一致する性質を持つことから、双方の合算結果を比較することで、自分の帳簿に間違いがあればすぐに把握することができる。とてもシンプルなことではあるが、単式簿記や他の方法では不可能なことだった。

 

朱里もいずれはどこかに仕官することを考えていたので、帳簿のつけ方には心得があった。しかし、ここではそれが何の役にも立たなかった。

まず、アラビア数字が出た時点で、ここは常識の通じない場所だと理解した。

 

なぜ天竺の数字を使うのか疑問に思って質問したが、そっちの方が分かりやすいから、という至極単純な回答だった。

確かに最初は戸惑ったが、慣れてくるとこちらの方が便利に感じた。

 

帳簿だけではない。この里には朱里の知らない知識が溢れていた。

触れるもの全てが新鮮で、水鏡女学院に通い始めた頃以上の刺激だった。

朱里の灰色の脳細胞が、ギュルンギュルンと音を立てて活性化していく。

 

そんな日々を過ごしていた朱里は、度々働きすぎを注意されることもあったが、おおむね満足する待遇で迎えられた。

しかし平穏な日々は、いつまでも続かなかった。

黄巾の乱が本格化してきたのだ。

 

最初こそ官軍の優勢であったが、黄巾をつけた賊は減るどころか増え続け、その総数は官軍すら把握できないほど膨れ上がった。

ついに訪れた群雄割拠の時代。立つべき時が来たと朱里は気炎を昇らせた。

しかし、朱里の思惑は大きく外れることとなった。

 

(ま、まさか黄巾党の首魁が旅芸人なんて……見抜けませんでした。この諸葛亮孔明の目をもってしても……)

 

と朱里はガクンと肩を落とした。とはいえそれも当然の話で、朱里は商会の帳簿係であり、自前の兵や諜報員を持っているわけではない。得られる情報にも限りがあり、上から降りてくる情報にも制限がある。

ある意味仕方のないことではあった。

 

何となく毒気を抜かれたような気分だった。

結局、会頭は黄巾討伐のために立つのではなく、内情を探るために旅立って行った。

朱里は会頭には同行せず、留守を任されることになる。

 

「孔明、あなたの仕事ぶりは頭領も高く評価しています。よって、もっと重要な仕事を任せようと思います」

「ありがとうございます。公山様」

 

朱里は恭しく頭を垂れた。朱里は完全に里に魅せられていた。

 

「これからは顔を合わせることも増えるでしょう。私のことは緑飛(リゥフェイ)と呼んでください」

「畏まりました。では私のことは朱里とお呼びください」

「ええ。それと、そんなに畏まった物言いでなくてもいいんですよ。我らが敬うのは一人だけですからね。それ以外の者は、あのお方に仕えるという意味では同格です。無論、序列はありますが、そこを疎かにするほど愚かではないでしょう」

 

朱里が里に来て驚いたことのひとつは、派閥がないことであった。権力のあるところに腐敗は生まれ、組織が大きくなれば派閥が生まれるのは世の常である。

最初は雑用を押し付けられ、功績を掠め取られるくらいのことは予想していたが、そんなことは全くなかった。

有能な者が正しく評価される。改めて、この里の在り方に感銘を受けた。

 

「わかりました。では緑飛殿と」

「……それも他人行儀ですね」

 

そう言われて、朱里はクスリと笑った。

 

「では緑飛さん」

「ええ、そのように。基本的にあのお方以外は敬称不要ですよ。長幼の序はわきまえるべきですが」

「はい。ところで、緑飛さんは、会頭の真名をご存知なのでしょうか?」

 

朱里の言葉に緑飛の柳眉がピクリと動いた。

 

「そんな質問をするということは、真名の交換を断られたんだね」

「……はい。まだ信頼が足りていなかったようです」

「信頼か。それが理由なら、私たちは誰ひとり信頼されていないことになるわね」

「誰ひとり……ですか?」

 

それはもう答えのようなものであった。

 

「愛紗……関羽も、あのお三方ですらも、あのお方の真名を知らないのだから」

「愛紗さんは分かるのですが、お三方というのは?」

「ああ、愛紗とはもう真名を交換していたのね。お三方というのは岩塩の採掘場の責任者の方々であり、頭領と共にこの里を作り上げた最古参の三人よ」

「採掘場の責任者……えっ、あのおじさんが!?」

 

採掘場の責任者と聞いて、朱里はハッとなって思い出した。実はその中の一人と仕事で会っていたのだ。

見た目は平凡な中年男性で、例えるなら能力値が全て平均値のような、印象の薄い男だった。

 

「まああの方たちは、現場を離れるとただのおじさんだからね。現場では経験豊富で頼れる方々だけれど」

「ひとつの分野を極めたということでしょうか」

「そういうことになるかな。あと思い当たるとすれば、呪術を警戒している可能性もあるわね」

「……なるほど。ないとは言い切れませんね」

 

真名というのはその人の魂を現し、それを知っていれば呪術にかけることも出来ると言われている。無論、眉唾のような話であるが、絶対にないとも言い切れなかった。

 

「あのお方の真名についてはもういいでしょう。そろそろ仕事にかかりましょう。ついてきなさい」

「は、はい」

 

朱里は慌てて緑飛のあとを追いかけていった。

 

 

 



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第三話 いざ洛陽

黄巾党の中には三種類の人間がいる。

 

三姉妹のファン。

賊崩れ。

食い詰めて合流した民。

 

上から順に戦意は高い。戦闘力でいうのなら、賊崩れが最も高い。官軍の弱兵相手なら普通に勝てるだろう。というか実際に勝ってきたらしい。

俺が望んだ兵は食い詰め者たちだ。

彼らは三姉妹に心酔しているわけではないし、戦闘力が高いわけでもない。幹部たちも扱いに困っていたが、まさか放り出すわけにもいかない。

そんな彼らを俺が引き受けた。

 

命を懸けて戦う必要はない。むしろ死なない事を第一に踏ん張れと命令した。

時期が来れば脱出する、と。彼らは生きるために戦った。さすがに全員が生き残れたわけではないが、追撃がなかったおかげで結構な数が残っていた。

 

誰だって、望んで流民になったわけじゃない。望んで賊になったわけじゃない。

やむにやまれぬ理由があったのだ。元々が農民だから、農作物を奪う時も、謝りながら奪っていく。

ごめんなさい、ごめんなさい、と。

 

誰もが強いわけではない。誰もが酔っているわけではない。いつかは役人に殺されるという恐怖に怯えながら、日々を生きている。

寒い時代だ。哀れな者たちだ。

俺は彼らを連れて里へと帰った。

 

「お帰りなさいませ、頭領」

 

迎えてくれたのは王忠だった。

 

「うむ。彼らの差配を頼む」

「了解しました」

 

肩をゴキゴキと鳴らしながら館へと足を向ける。その途中で、木材を運んでいる張飛に出会った。

 

「あっ! おっちゃん、帰ってたのか!」

「ああ、今帰った。ふむ、少し背が伸びたんじゃないか?」

「へへー、きっと牛乳を飲んでいるおかげなのだ!」

 

それだけではなく、毎日腹いっぱい食べていることも大きいだろう。張飛は大層な健啖家なのだが、うちに来るまでは腹いっぱい食べられることは稀だったらしい。

まあ食った分働くなら問題ない。実際、張飛は良く働いている。

 

兵としての仕事だけでなく、こうした雑用なども引き受けている。

将として兵の動かし方も学んでいるが、勉強は苦手のようだ。だが、張飛は感覚派らしく、図上演習ではボロボロだが、実戦ではハッとするような判断をすることが多い。

まあ、基礎の兵法くらいは学ぶ必要はあるがな。

 

「仕事がひと段落したら館に来るといい。一緒に菓子を食べよう」

「ホントなのだ!? 絶対行くのだ! そのために早く仕事を終わらせるのだ!」

 

張飛はふんすと鼻を鳴らして、木材の積まれたリアカーを引いて走り出した。

村人たちの穏やかな様子を眺めていると、帰ってきたのだという実感が湧いてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あれから数年が経った。里はいつも通りの平和である。張角たちには改名してもらうことになったが、反発はなかった。

むしろ今まで真名メインで旅をしてきたのだから、改名ではなく、名を捨て真名だけで生きると言ったのだ。

 

そうなると初対面の人からも真名で呼ばれることになるのだが、彼女たちは構わないらしい。

真名ってのはもっと神聖なものだと思っていたんだがな。まあ本人がいいならいいか。

張角として、笑って散って逝った者たちのためにも、あの三人は俺が護らねばならん。

 

あの三人にも責任を取らせるべきだという意見もあるだろう。だがあの三人がいなくとも、反乱は起こっていたと思う。それくらい農民たちは貧窮していたし、小さな切っ掛けのひとつにすぎない。

悪いのは国であり、為政者であり、役人なのだ。だから罪はない……とまでは言わないが、彼女たちに救われた者がいるのも事実だ。死ぬことはない、と俺は思う。

彼女たちの歌も、今では立派な里の娯楽のひとつとなっている。

 

こうして地味ながらも平和な時間が続いていた。てっきり関羽や張飛、孔明や士元は功を求めて出ていくと思っていたんだが、なんだかんだで里に住み着いている。

そういえば史実の孔明も隠棲時代が結構長かったような。

まあ、都や大陸各地では色々起こっているようだがな。うちに流れ着いて来る者も増えてきたし、大陸規模の平和はまだ先のようだ。

 

あと劉備が来た。うちの経営理念である「三方良し」に感銘を受けたらしい。塩の密売はともかく、表の商売は真っ当にやっているからな。

この時代の商人って基本的に悪徳なんだよねぇ。しかし劉備が商人とは。考えてみればむしろ売りも商売だし、向いているといえば向いているのか?

盧植の教えを受けただけあって、基本的な教養はあった。武力はいまいちのようだが、不思議な魅力があった。張角と似たようなタイプかもしれない。

 

正直、属尽はノーサンキューなんだが、変にプライドを拗らせているわけでもないし、仕事は真面目にやっている。

しばらく観察していたが、人間としては好ましいのだが、商売で成功するタイプではないな。小売店の主とか、看板娘としては上等なんだが。

 

ただ性善説というか、かなり偏った考え方をしている。そしてそれを、自分の中だけで抑えておけない。

天性の人たらし、インフルエンサーにしてインフルエンザのような人間。張三姉妹の例があるように、思想というのは伝播しやすい。まあ張三姉妹の場合は、大陸規模の下地があったという理由もあるのだが。

 

とにかくこの劉備、扱い方ひとつで毒にも薬にもなる。史実とは異なる意味で食わせ者かもしれない。

放り出しても別のところでなんかやらかしそうだし、とりあえず受け入れて様子を見ることにした。

 

そしてある年の、春風を感じるようになった頃から、董卓の悪政が流れてくるようになった。

まだ流言の段階だが、実態を確かめる必要があるな。だって張角がアイドルだったという前例があるのだから、董卓が本当に悪党である保証はない。

洛陽にはすでに伝手を作ってある。情報を手に入れるのは難しくない。

その結果、悪政など全くなかった。洛陽は多少の混乱はあったものの、民衆は平和に暮らしているようだ。

 

「となれば、董卓の悪評を広めている者がいるな」

 

確か宦官の誰かが袁紹と共謀していたような気がするんだよな。この世界ではどうか分からんし、名前も覚えてないけど。

董卓といえばヒゲモジャの大男というイメージだが、悪政を行っていないことから見ても、史実とはやはり違うのだろう。

案外、史実とは正反対の美少女かもしれない。張飛パターンみたいな。

とりあえず、洛陽の実態を掴んだ俺たちは、すぐに会議を行った。

 

「袁紹が動き出しました。涼州の田舎者が位人臣を極めたのがよほど気に入らないのでしょう」

 

と、王忠が告げる。

袁紹は、後漢時代に四代にわたって三公を輩出した名門、汝南袁氏の御曹司である。いや、この世界だとご令嬢か。

要するにエリート中のエリートだ。王忠の言ったことは的を得ているだろう。

ちらりと孔明に視線を向ける。彼女はコクリと頷いた。

 

「袁紹さんは、討伐軍を結成するために、大陸各地へ檄を飛ばしています。うちにも物資の援助をするように要請が来ました。そして兵も」

 

俺たちの社会的立場は、地方の豪商といったところだ。塩の密売は褒められたことではないが、俺たちだけがやっているわけではない。塩だけに絞れば、俺たちよりも大規模にやっている商会はいくつもある。

それに大陸が荒れ始めてから、塩の専売なんて形骸化してしまっている。

 

そもそも今では塩以外の商品の方が売れているしな。

そして、俺たちは武力を持つ武装商会だ。だからこそ攻められないし、警戒もされている。

それを踏まえて、さて、俺たちはどう生きるか。

 

「いま孔明が言ったように、静観は得策ではない。どちらが勝ったとしても、面倒なことになるだろう。どちらかに付く必要がある。皆の意見を聞かせてくれ」

 

俺の言葉を皮切りに、皆が意見を交わし始める。

こういった場では、孔明と士元は意見を口にしない。彼女たちの意見は影響力が大きすぎるため、最後に意見を言ってもらうことにしている。

二人とも比較的新参者であるが、その能力は皆が認めるところである。彼女たちは実力で今の地位を勝ち取ったのだ。

議論の時は続き、煮詰まった頃合いで孔明へと視線を向ける。孔明は士元と視線を交わすと、スッと立ち上がった。

場が静まる。

 

「どちらに付いても、利と害があります。そこに優劣はないと考えます。なのでここからの言葉は私見としてお聞きください。袁紹さんは権力に取り憑かれ、私欲によって戦を起こそうとしています。そこに義はありません。私は董卓さんを支持します」

 

こう見えて孔明は理想に酔っているところがある。単純に出世したいだけなら、俺のところになんて来ていないのだ。世直ししたいなら洛陽に行って官吏になればいいし、何なら袁家のような名門に行くのもいい。

まあこの時代は能力があるから出世できるという保証はないが。やっぱ政治の腐敗が原因なのかねぇ。

 

戦争はあくまで外交手段のひとつにすぎない。私欲で戦を起こすのは、伸るか反るかのギャンブルに国運をベットするに等しい。

おそらく孔明は袁紹に失望したのだろう。

士元へと視線を向ける。彼女も同じ意見なのか、小さく頷いた。

孔明が席に着いたのを見計らって、ぐるりと周囲を見渡す。

 

「皆も知っての通り、袁紹は大陸各地へ檄を飛ばしている。まず袁術がこれに応じ、各地の刺史や太守が打倒董卓の兵を挙げた」

 

袁紹と袁術には結構な確執があるのだが、それはこの際置いておこう。

 

「続々と袁紹の下に諸侯たちが(つど)っている。その中に我らが入ったとしても、袁紹は感謝するであろうか? 否、自らを高貴なる者だと思い込んでいる袁紹は、商人如きに感謝などせぬであろう。(てい)よく使い潰されるだけだ。翻って、董卓はどうだ。董卓の情報はひた隠しにされているが、その政治において不備は見られなかった。そして、()の陣営には戦力が足りていない。我らが助力すれば、下にも置かない対応をするだろう」

 

再度、周囲を見渡す。皆、静かに頷いていた。

 

「最終決定を伝える。我らは董卓陣営に味方する。連れていくのは《青龍隊》五〇〇。将として関羽、張飛。軍師として孔明、士元。留守は劉岱に任せる。異論はあるか?」

『ございませんっ!!』

 

全員が立ち上がり、揃って拱手する。

 

「では動け。三日後に出立する」

『応っ!!』

 

 

 




漢王朝は滅亡する! とか言っといて漢ルートです。
五〇〇とか少なすぎぃと思う方もいるかもしれませんが、選りすぐりの精兵なので大丈夫です。
張遼は七○○~八○○騎で一〇万に突っ込んでるし、誤差だよ誤差!


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第四話 洛陽にて

洛陽の門が見えてきた。先触れとして関羽と孔明を送っていたので、入門はスムーズに行われた。

最悪、外で待たされることも覚悟していたのだが、二人は上手くやってくれたようだ。

 

まずは湯浴みで旅の埃を落とし、正装に着替える。あとは……そうだ、飯も食っておくか。向こうで出されるとも限らないし、面会中に腹が鳴ってもカッコ悪い。せっかくだから洛陽の味を見ておこう。

そう思い、大通りの飯店に向かったのだが、見覚えのある紅い髪が見えた。

 

りょ、りょ、呂布だぁぁーー!?

 

と大げさに驚いてはみたものの呂布が洛陽にいるのは分かっていた。分かってはいたが、なぜ飯店の前で座り込んでいるのだろうか。

これが分からない。

あ、気づかれた。

 

呂布がスッと立ち上がり、こちらを向く。視線が絡み合う。一瞬の睨み合い。しかし敵意は感じない。

ふむ、改めて見ると本当に美しい身体だな。いや、別にいやらしい意味ではなく。

無駄なものが一切ないというか、機能美の究極というか。戦うために創られた芸術品のようにも見える。

 

「……張角……の、偽者?」

 

呂布がコテンと首を傾げる。その仕草には、何とも言えない愛嬌があった。戦場とはまるで別人だな。

とそこで何かに気づいたのか、呂布はポンと手を叩いた。

 

(ゆえ)の援軍?」

 

ゆえ、というのはおそらく董卓の真名だろう。たぶん、きっと。えらく可愛らしい真名だな、おい。董卓美少女説が現実味を帯びてきたぞ。

 

「ええ。これからお会いする予定です。その前の腹ごしらえですね。良ければご一緒にいかがですか?」

 

俺がそう言うと、呂布は少しだけ悲しそうな表情を浮かべた。

 

「お金……ない」

 

……マジでか。え、将軍なのに? 将軍って薄給なのか? んなアホな。

いや待て。お金がない? なければ作る? 董卓銭……うっ、頭が……。

 

「ならばご馳走しますよ」

「……ホント?」

「二言はありません」

「いっぱい食べる……よ?」

「店の料理を食べ尽くしても構いませんよ」

 

その言葉に、呂布は満面の笑みを浮かべた。

こうして、俺は呂布と食事をすることになった。

そして店内に入ると、ざわめきが生まれた。

え、ナニコレ?

 

「い、いらっしゃいませ。あの、失礼ですがお代はお持ちでしょうか?」

 

入店直後に金の確認をされたのは初めてだぞ。これが洛陽の流儀か。まあ最初に金を確認すれば食い逃げの心配もしなくていいし、理にかなっているのかもしれん。俺は懐の銭束を見せた。

 

「すぐにお持ちします!」

 

いや、まだ注文してないんだけど。呂布はすでに席についていた。自由だなぁ。

そして次々と料理が運ばれてくる。それを呂布はどんどんと平らげていった。

おお、張飛並みの健啖家だな。まあ呂布なんて一○○人分働くだろうし、一○○人分食っても文句は出ないだろう。

では俺もいただくとするか。

 

「ふむ。美味いな」

 

とは言ったものの、ウチの料理屋の方が美味いわ。でもさすがに店内でマズいなんて言えないしな。

いや、別にマズくはないのだ。ちょっと味が薄いかな、くらいで。続けて酒を飲む。酒も薄いな。コレ薄めてるんじゃないのか? なんか雑味もするし。都の人間とは舌が合わないかもな。

そう思っている間にも、呂布の箸は止まらない。

だが俺の視線を感じたのか、呂布の箸が止まった。

 

「……食べ過ぎた?」

「いえいえ、見ていて気持ち良いくらいの食べっぷりですよ。存分に食べてください」

「……言葉、普通でいい」

 

敬語じゃなくていいってことかな?

 

「将軍相手にそうもいきませんよ」

「……いい」

 

箸を止めたまま、呂布はじっと俺の目を見つめている。

 

「……ふむ。ではそうさせてもらおう」

「ん」

 

俺の言葉にコクンと頷き、呂布は食事を再開した。

結局、一○○人分には届かなかったな。精々三〇人分ってところか。金が足りてよかった。

呂布は満足した様子でお腹をポンポンと叩いていた。

 

「これから(ゆえ)に、会いに行く?」

「ああ。まあ正確に言えば、面会の約束をしているのは賈駆文和殿だけどな」

 

現在の賈駆の役職は三公の筆頭である太尉である。これは異例の出世だ。ちなみに董卓は相国という政治上の多く重要な事柄を治める官職に就いている。これは丞相よりも上位の特別な地位である。

史実では強引に就いたものだが、この世界では天子からの要請で就いたらしく、天子からの信任も厚いと聞いている。ますます董卓の為人(ひととなり)が分からなくなった。

 

「ん、じゃあ案内する」

 

そう言って、呂布はスタスタと歩き出した。宮中でもその歩みを止める者はなく、兵士たちからは尊敬の眼差しを向けられ、文官たちからは畏怖の感情が読み取れた。

アレは宦官かな? 宦官は歩き方で分かると聞いたことがあるが、確かに特徴がある気がする。とりあえず髭はなかった。

ちなみに、女の宦官もいるらしい。わけがわからないよ。

 

「詠、いる?」

「はっ、職務中であります」

「ん、入るよ」

 

部屋の前に立っていた兵士に断りをいれ、呂布は扉を開けた。

 

「詠、お客さん」

 

部屋の主は、眼鏡をかけた三つ編みの少女だった。うん、眼鏡あるんだよ、この世界には。

 

「恋? お客って……」

「お初にお目にかかります。太尉殿」

 

拱手して名を名乗る。

 

「援軍感謝するわ。座って頂戴。お茶の用意をさせるわ」

「では失礼して」

 

賈駆は表の兵士に命じたあと、俺の正面に座った。そして呂布は、何故か俺の隣に座った。

賈駆が複雑な表情を浮かべている。普通は賈駆の隣か、後ろに立つべきだよな。

……いや、この距離は、俺がおかしな動きをすれば、即座に首を取れる距離だ。頭を抑えられたか。

まあ敵意がないから、そんなこと考えてないんだろうけど。

 

「随分と(なつ)いたものね。まあいいわ。どうぞ」

 

従者が持ってきたお茶を啜る。ふむ。やはり宮中だけあって上等だな。

 

「早速だけど確認したいことがあるわ。兵は五万と聞いていたのだけれど、門番からは五○○と報告を受けているわ。順次やってくるのかしら?」

「齟齬があるようですな。先触れの関羽は五万相当の兵、と言ったはずですが?」

「えっと、詳しく頼むわ」

「では僭越ながら説明させていただきます。我が軍の兵は一人で一○○人相当の強者たちです。加えて私、並びに腹心の関羽と張飛は一騎当千の勇士。合わせて我が軍の兵力は五万と三千です」

「そんな屁理屈――」

 

と、賈駆は激昂しかけたが、すぐに冷静さを取り戻した。

 

「兵はともかく、関羽殿の強さは霞……張遼も認めていたわ。ねぇ恋、彼の強さはどのくらいなの?」

「霞と同じか、それ以上……かも?」

 

将としての勝負なら、たぶん負けるぞ。俺がやってきたのってほとんどが局地戦だし。

 

「そう。大口を叩くだけのことはありそうね。現状については理解してる?」

「おおよそのことは」

「なら大まかな作戦を伝えておくわ。ボクらは袁紹たちを汜水関で迎え撃つ。連合軍の予想兵数は約二〇万と膨大だけど、籠城に徹すれば勝てる……はずよ」

 

賈駆の表情には不安が見て取れた。確かに汜水関は堅牢な造りだが、自分でも防ぎきれるか自信がないのだろう。

 

「その策は、改めた方がよろしいですな」

「……なんですって?」

 

賈駆の額に青筋が浮かんだような気がした。

 

「太尉殿の思考は守ることに偏っているようですな。集まれば二〇万でも、集まる前ならば、精々一万~二万程度でしょう。野戦ならば、涼州騎兵の独壇場だ」

「――ッ!? そうか、各個撃破! なんてこと……こんなことに気づかないなんて……迂闊! 恋、すぐに霞と華雄を呼んできて!」

「わかった」

 

賈駆の指示を受けて、呂布が立ち上がる。その後、俺たちは策を詰め始めた。作戦が煮詰まった頃、呂布が二人の女性を伴って戻ってきた。

 

「あっ、おまえ! 張角やんか! なんでおまえがおんねん!」

「これは張将軍。お久しぶりですな」

 

俺が気さくに挨拶したことで、張遼は毒気を抜かれたようだ。

 

「あー、まあもう終わったことやし、蒸し返すようなことちゃうか。で、こいつナニモンなん?」

「張角? もしかして報告にあった偽者の一人……?」

 

張遼から質問された賈駆は、怪訝な表情を浮かべて俺を睨みつけた。だがそれはすぐに消えた。

賈駆は頭の中で、瞬時に算盤を弾いたのだろう。

 

「いえ、今はいいわ。彼はボクたちの協力者よ」

「ほ~ん、そうなんか。まあ、詠が認めたんならええわ。よろしゅうな」

 

そう言って、張遼は軽く手を振った。割り切りが早いな。

 

「ところで私たちだけか? 皇甫嵩と朱儁はどうした? それにねねもおらんな」

 

今度は空色の髪の女性が賈駆に問いかけた。消去法でいくと彼女が華雄だな。

 

「二人は洛陽に残ってもらうからいいのよ。ねねは、最近働かせすぎちゃってね。ちょっと休んでもらってるわ。まずは、謝らせて。ボクは月を護ろうと必死だった。だから思考が狭まっていたのよ」

「いや、それはウチらの総意やろ。そのために戦っとんのやし」

「そうだな。今さら謝られても困るぞ」

「……ん。詠は、がんばってる」

「ありがとう。でも守るだけじゃ勝てないのよ。勝つためには、攻めないとだめなの」

 

賈駆は決意を込めて言葉を発した。

 

「おお! ついにおまえもその気になったか! 私に任せておけ! 袁紹如き、私の斧の錆にしてくれるわ!」

「華雄、落ち着けや。で、具体的にはどう攻めるん?」

「それは、彼から説明してもらうわ」

 

全員の視線がこちらを向く。

 

「まずは皇帝陛下に袁紹を逆賊と認定してもらいます。都に兵を向けているのですから、当然ですよね」

「たぶんできると思うわ。天子様は月を信頼しているし、敵対行動を起こした袁紹を不快に思っているもの」

 

続けて俺は、連合軍が集まる前に叩くと宣言した。

 

「ほう、各個撃破か。ええやん、ウチ好みやで。で、誰が誰を討つんや?」

「まず呂布殿には、袁紹軍を狙ってもらいます。数は多いですが、兵の質は高くありません。一撃離脱を繰り返して、適当に数を減らしてください」

「わかった」

 

次に張遼へと視線を移す。

 

「張遼殿は幽州に向かってもらいます」

「公孫賛か。幽州騎兵が相手とは、腕が鳴るで!」

「意気込んでいるところに水を差すようですが、公孫賛殿にはこちらについてもらいます」

「ハァ!? どういうこっちゃ!?」

 

張遼は仰天して目を見開いた。

 

「商売の関係上、公孫賛殿とは懇意にしていましてね。袁紹が逆賊認定されることを条件に、こちらに付く手筈となっています。公孫賛殿と合流して冀州を制圧してください」

「そういうことか。徹底的に袁紹を叩くつもりやな。まあそれも面白(おもろ)いか。合点や!」

(おも)たる武将はいないでしょうが、さすがに留守のことを考えていないとは思えません。袁家は腐っても名門ですからね。気をつけてください」

「おお、任せといてや!」

 

張遼がガツンと拳を打ち鳴らす。

ここで公孫賛について説明しておこう。史実の公孫瓚は、異民族討伐のプロフェッショナルで、烏桓(うがん)や鮮卑といった異民族と長年にわたって仁義なき戦いを繰り広げている異民族絶対殺すマンである。

白馬義従と称される精鋭の騎馬軍団は、涼州騎兵と並んで大陸最強と呼び声高い。

 

ただこの世界の公孫賛は異民族に対して寛容というか、どちらかといえば融和派なのだ。

無論、攻め込まれれば追い払うのは当然だが、会談を設けたり、交易を行ったりと、無駄な戦を減らそうと努力している。

相変わらずよく分からん世界だ。でもそういう公孫賛、嫌いじゃあないぜ。

 

そして俺たちとも取引があった。ただあまり金は持ってないらしく、金を貸すこともあった。利子を取らない代わりに、色々と便宜を図ってもらっている。

また農政改革にも助言しており、幽州の収穫量は格段に上がった。

つまり俺たちとは良好な関係なのだ。

 

「最後に華雄殿ですが、涼州に行ってもらいたい」

「涼州……馬騰か。袁紹が逆賊認定されれば、あいつはこっちに付くんじゃないか?」

「いえ、確かに馬騰は漢王朝に忠誠は誓っているけれど、すでに『董卓討つべし』という勅命が出ている現状では、どう動くか分からないわ」

 

賈駆が困惑顔で呟いた。

無論、その勅命は宦官が出した偽勅だ。だがそれを馬騰は知らないし、諸侯たちも知らない。書式は本物と同じものだろうし、偽物と断定するのは難しい。

さらに言えば、袁紹を逆賊とする勅命も、董卓が負ければそれは偽勅として処理されるだろう。勝てば官軍負ければ賊軍だ。

 

「そういえば、十常侍のやつらはいつまで生かしておくのだ? あいつら絶対裏切るぞ。しかもここぞという時に」

 

と、華雄が警告を発する。その言葉に、賈駆は頭を抱えた。

 

「分かってるわよ。でもあいつらがいないと政務が回らないし……」

「ならば私の部下をお貸ししましょう。孔明と士元はうちでも重要な書類を決裁していましたし、兵たちも簡単な書類仕事ならできます」

「……ホントに? 一兵卒が書類仕事できるの?」

「うちでは必須科目なので。下級官吏程度の仕事なら問題なく」

 

読み書き計算は全員に覚えさせているからな。

 

「よし。あいつら殺そう。霞、頼むわ」

「おお、ようやく決心したか。任せとき! この会議が終わったらさっくり逝かせたるわ!」

 

一瞬の迷いもなかったな。よっぽど鬱憤が溜まっていたのだろう。

 

「ほんで、アンタはどないするんや。ここの防衛か?」

「いえ、私は揚州に行きます」

「袁術か。あそこも結構な大所帯やで。大丈夫かいな」

「ええ、袁術と、その客将である孫策には確執があります」

「……なるほど。孫策をこちらに引き込むつもりね。それでアンタは役職を欲しがったわけか」

 

賈駆はすぐに察したようだ。

 

「その方が説得しやすいのでね。孫策に揚州を与えるのは可能ですか?」

「いきなりは無理ね。まあ働き次第では可能よ」

「それで十分ですよ。さて、何か質問はありますか?」

 

話を締めようと三人に視線を配ると、張遼が手を挙げた。

 

「数が多いんを狙うんはええんやけど、曹操はええんか?」

「ええ、曹操には手を出しません。もし移動中に曹操軍と出くわしても逃げてください。決して戦ったりしないようにお願いします」

「もしかして曹操も抱き込むつもりか? あいつは無理やと思うで?」

 

張遼が懐疑的な意見を口にした。確かに曹操は面倒な相手だ。噂を聞いた限りじゃ、史実よりも面倒な気がする。

才気煥発、勇猛果敢、とりわけ有名なのが、女好きの同性愛者だ。

だが他人の性的嗜好に口を出すつもりはない。

尤も、曹操は同性愛者(レズビアン)ではなく、両性愛者(バイセクシュアル)らしいが、まあどっちでもいいよ。

 

「決戦となっても曹操軍だけは攻めない」

「……ああ、そういうこと。アンタもえげつないこと考えるわね」

 

賈駆は半眼で眉根を寄せていた。

 

「どういうことだ?」

「簡単に言えば不和を招こうって作戦よ」

 

華雄の疑問に賈駆が答える。今の曹操は名声だけが先行している感じがするんだよね。現状の兵力は諸侯の中でも低い方だ。個人の能力は高いのだろうが。

 

「……ああ。内通を疑わせるわけか」

「そういうこと。他に何かある? ……なければ」

「ああ、最後にええか? ウチら仲間になるんやし、そない畏まった喋り方でなくてもええで。信頼の証として真名を預けるわ。霞って呼んでーな」

「恋は……恋」

「気持ちだけいただきましょ……いただこう。俺には真名を交換する習慣がないものでね」

「習慣て……ああ、もしかして華雄と同郷か?」

 

張遼は苦笑しながら華雄を振り返った。

 

「いや、村にこんな男はいなかったぞ」

「ふむ。なぜ同郷だと?」

「こいつが生まれた村にはな、人生の伴侶にしか真名を教えたらあかんっちゅう掟があるらしいわ」

「なるほど。俺の場合はそこまで厳格ではないが、まあ似たようなもの……かな」

「ふーん、ほんならしゃあないな。無理強いするモンでもないし、でも呼ぶのはかまんのやろ。ウチは気にせんから真名で呼んでや」

「恋も……いい」

 

距離感近いなぁ。これが涼州人の感覚か。いや、二人は并州だったか。

とりあえず話はまとまり、三人は準備のために部屋を出ていった。

 

「ところで言い忘れたのだけど」

「ん?」

「曹操のところに、天の御遣いってヤツがいるらしいわ」

 

 

 




華雄の真名なんですが、公式サイトだと???なんですよね。なし、じゃないんですよ。もしかしたら新作でついに明かされるのかもしれませんね。
本作では真名はあるけど誰にも教えていないという設定にしています。
多くの方に感想をいただき、返信が難しくなってきましたが、すべて目を通しております。この場を借りてお礼申し上げます。


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閑話-洛陽居残り組-

オリキャラ回です。決戦は次回かな。



私は見聞を広めるために大陸を旅していた。

その旅程で、私は失望を禁じえなかった。

どこに行っても賊は存在しており、その討伐も追いついていない。というよりは、真面目に対処している役人が少ない。

これを正すには、やはり出世するしかない。故郷に戻って官吏になろう。せめて地元の人間には平和を享受してもらいたい。

 

そう思い始めた頃、奇妙な噂を耳にした。

幽州の奥地、深山幽谷に楽園あり、というものだ。

ただのおとぎ話、民衆の妄想、願望であろうと切って捨てるのは簡単である。しかし私は、妙に後ろ髪を引かれるものがあり、幽州へと向かった。

 

そして幽州に入ると、情報も増え始めた。

いや、情報が……多い!

なんだこれ!? 東だったり西だったり、山の方だったり海の方だったり、深山幽谷ってことは山じゃないの!?

 

むぅ……一度情報を整理しよう。情報には規則性があるはずだ。人を近づけたくない場合はどうする? こっちにはないよ、というはずだ。

つまり私は……試されている。

 

ふふっ、面白いじゃあないの。この習禎文祥(しゅうていぶんしょう)、一歩も引かん!

情報の真贋を見極めるのだ。その中心に楽園はある。

 

見えたっ! あの村だ! 周辺の村とは明らかに違う!

ていうかデカッ! 村に似つかわしくないごっつい門だな。いきなり射かけられたりしないよね。

とりあえず門番に話しかけてみよう。

 

「ど、どーもー」

「むっ、ついに辿り着いてしまったか」

「え?」

 

なんか知られてるっぽい?

 

「いや、あれだけ聞き込みをしていれば目立つぞ」

「あ、そうなんすね」

 

そうか。周辺の村とも繋がっていたか。領主みたいなことやってるのかな? この辺の領主ってあんまりいい評判聞かないし、村人たちもこっちに靡いているのかもしれない。

 

「で、ここに何の用だ?」

「えっと、楽園は本当にあるのか確かめたくて……」

「ああ、そっちか」

 

そっち?

 

「いや、確かにここは、楽園と言えなくもない。飢えることはないし、賊が来ても追い払えるだけの戦力も持っている」

「……なるほど」

 

このご時世に、それは確かに楽園かもしれない。今は大陸の治安も悪い。寒村の農民はいつだって税と賊に怯えている。

そういえば税はどうなってるんだろ? さすがに払ってる……よねぇ。

 

「それを踏まえた上で、おまえはどうするのだ?」

「え? どうする、とは?」

「物見遊山で来たというのなら、入れるわけにはいかない。楽園はあった。それでいいだろう。速やかに帰るがよい」

 

なぬっ!? まだ壁と門しか見てないのに、そんな殺生な!

 

「じゃ、じゃあ入るためにはどうすればよいのですか?」

「我らの仲間になってもらうしかないな」

 

仲間とな? う~ん、さすがに一所(ひとところ)に縛られるのは嫌だなぁ。

 

「ああ、一応言っておくと、ずっとここに居ろってわけじゃないぞ。しばらく暮らして、合わないと感じたら出ていってもらってもかまわない」

「あ、そうなんですか」

 

随分緩いなぁ。まあ賦役じゃあないんだから、それが普通だよね。

 

「じゃあしばらくご厄介になります」

「うむ。おまえ文字は書けるか?」

「はい。大丈夫です」

「なら、ここに名前と出身地を書いてくれ」

「はい」

 

習禎文祥、荊州襄陽群、と。

 

「ふむ。なかなか綺麗な字だ。計算もできるなら"館"でも働けるかもな」

「館……ですか?」

「ああ、それも今から説明する」

 

その後、場所を詰所に移し、簡単な説明を受けた。

まず農民。畑を耕すのが仕事だ。一番安全な仕事で、実入りは少ないが、飢えることは絶対にないらしい。

次は家畜の世話係。生き物相手ということでかなり気を遣う仕事らしいが、鶏卵とか牛乳が飲めるので意外と人気らしい。

いや、鶏卵はともかく牛の乳って美味しいのかな?

 

次に職人だけど、これは無理。不器用ってわけじゃないけど、経験ないし、職人になろうなんて思ったこともない。

次は兵士。訓練が厳しく、辞めて農民に戻る人も多いらしい。外敵と戦う危険な仕事であるが、危険手当や討伐報酬などもあり、畑を耕すよりも稼げるらしい。

最後に館に従事する仕事。いわゆる頭脳労働だ。

 

館の仕事がいまいち不明瞭だが、新参者にいきなり重要な仕事なんて任せないよなぁ。

ここまできて畑を耕したり家畜の世話をするのもなんだし、無難に兵士かな? 武はそれなりに自信あるし、そっちの方が早く出世できるかも?

いや、そもそもこの楽園の実態が分かってないのに出世も何もないだろうけどさ。

後から転職もできるみたいだし、とりあえず兵士かな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ちゃん、鏡花(きょうか)ちゃん! ぼーっとしていたら、また残業だよ!」

 

私は(ラン)ちゃんの言葉に思わずハッとなった。

 

「頭領について行けなかったのは残念だけどさ、こっちも頑張んないと。いやぁ、洛陽の書類ってホント面倒だよね。統一感がないっていうかさ」

 

狼ちゃんは辟易したように愚痴を零した。宦官一掃事件(ホントに一掃したわけじゃないけど)は宮中に大きな衝撃を与えた。

太尉の文和様は前々から宦官を忌々しく思っていたのだが、手が足りないという理由で渋々残しておいたらしい。

そんな時に、手がやってきたというわけだ。

 

狼ちゃんの言う通り、洛陽の書類は統一感がなくて不備が多い。ウチの里だったら拳骨落とされてるよ。せめて書式くらいは揃えて欲しいな。

洛陽の役人なんて憧れの存在だったけど、実態はこんなものか。やっぱり槍を振るってる方が良かったなぁ。連合軍ってのがどんなものかも見てみたかったし。

……はぁ。

 

「まぁたため息」

「うぅ、なんで私はあの時、石を出したのかな?」

「いや、そんなん言われても。鏡花ちゃんはホント石拳弱いね」

 

石拳とは頭領が考案した子どもの拳遊びだったのだが、いつの間にか大人の間にも広まり、何かあったら石拳で決めることが多くなった。まあ決着も早いからね。なぜか私は弱いけど。

 

呉竜府(ゴルフ)だったら負けないのになぁ」

「いやいや、洛陽で呉竜府は無理でしょ。道具も持って来てないし。まあ鏡花ちゃんの気持ちも分かるけどね。あたしもどっちかというと武人肌だし。あー、久しぶりに海でも見たいなぁ」

 

故郷を想うように、狼ちゃんは目を閉じて天井を見上げた。

里に来る前、狼ちゃんは青州で漁師をやっていたらしい。でも漁師だけじゃなくて、塩の密売もやってたみたい。

でも官吏の締め付け(要するに賄賂だ)に嫌気がさして飛び出したとか。里にやってきたのは、同業だから噂程度は知っていたとのこと。

まああの頃はもう隠れ里って感じじゃなかったし、商人同士の繋がりとかもあったんじゃないかな。

 

うん、私も里が塩の密売をやっていると知らされた時は吃驚したなぁ。いや、塩の密売は公然の秘密みたいなものだから、別に驚くようなことじゃない。驚いたのは、山で塩が採れるってこと。

塩なんて海か塩湖から採るものだと思ってたからさ。

 

頭領は、ここら辺は昔海だったから塩が採れる、なんて言ってたけど。

信じられないなぁ。昔だって山は山でしょ。

なんか騙されてる気がする。

 

「ねぇねぇ鏡花ちゃん。連合軍の大将って袁紹って人なんでしょ? 冀州の豪族だっけ?」

 

狼ちゃんが筆を動かしながら訊いてくる。

 

「そうだよ。三公を輩出したっていう名門。嫉妬ってのは怖いよねぇ」

 

家臣の人たちは誰も止めなかったのかな。

付き合わされる兵もかわいそうだよ。名門の兵から反逆者の兵だもの。洛陽に兵を向けてるんだから反逆者だよね。

勅も出てるみたいだし。つまり向こうが悪者で、私たちが正義ってわけ。

まあ頭領が言うには、世の中に正義と悪の戦いはなく、別々の正義が戦っているだけ、らしいけど。

あっ、ここ間違えてる。なんでこんな簡単な計算を間違うかなぁ。

 

「そんなに権力なんて欲しいかなぁ。文和様とか見てると偉くなるのも考え物だよね」

「まあ、偉くなるほど責任も増えるからねぇ。私も昔は官吏になって出世したかったけど、やっぱりほどほどが一番だよ」

 

党錮の禁なんて例もあるし、ホント洛陽は魔窟だよ。

結局里に落ち着いた私は、荊州から家族を呼び寄せた。頭領の言葉がなければ、そんなことしなかっただろうな。まさかここまで世が乱れるとはね。頭領の予言を信じて良かったよ。

時々わけわかんないこと言うけど。

 

「まあそうかもね。でもお給金が増えるのは――」

 

と、急に狼ちゃんが口をつぐんだ。突然訪れた静寂の中、扉の外から足音が響いてくる。この感じは……文和様だね。耳が良いというか、勘が良いというか。

 

「習禎、管承、進捗はどう?」

「はい。順調です。定刻には終わると思います」

「そっちが決済済みで、そっちが不備のあるやつです」

「ありがとう。やっぱりアンタたちって手際良いわよね。賄賂がないと動かない腐れ役人どもとは違うわ」

 

いや、それが普通では? むしろ里では年長者が下の者に奢ったりしてたけどなぁ。若いやつらって大体薄給だし。里で飢えることはないんだけど、やっぱりお酒とか甘味とか欲しいし。

そういえば洛陽のお酒っていまいちだよねぇ。甘味も少ないし、それほどいいところじゃないのかも、洛陽って。

 

「いえいえ、孔明ちゃんや士元ちゃんに比べたらまだまだですよ」

「……あの二人か。確かに別格よね。なんでまた商会の帳簿係なんてやってるのかしら……って、こんな言い方は失礼よね。謝罪するわ」

「いえ、お気になさらずに」

 

この方って太尉だったよね。雲の上の存在のはずなんだけど、そんな感じしないなぁ。最初に会った頃は目の下にすごい(くま)があった。たぶん眠れてないんだろうけど、この一点については愚かと言わざるを得ない。

確かに睡眠時間を削って仕事をすれば、仕事は減ったように見える。けど睡眠不足が続くと、心身に不調が現れ、病気にも罹りやすくなる。集中力も低下するので、結果的に効率が下がるのだ。

それに夜仕事をすると目も悪くなるし、どんなに忙しくても睡眠はしっかり取った方が良い。

全部頭領の受け売りだけどね。

 

まあ仕事を先送りにして眠れるほど図太い性格じゃあないんだろう。すごく精神的な重圧を感じてたんだと思う。

だって噂通りなら、地方の一官吏が、いきなり太尉になったんだもの。喜びより不安の方が大きいよね。

 

あと孔明ちゃんと士元ちゃんて、帳簿係だけじゃなくて、里の運営にも関わってる重役なんだよね。実際にどんな仕事してるかまでは知らないけど。

頭領はあの二人のことを、自分にとっての管仲と子房って言っちゃうくらい評価してるからなぁ。あの言葉で二人とも頭領に心酔しちゃったんだよね。

 

実際にすごくて、孫子を始めから終わりまで諳んじた時は鳥肌が立った。私も孫子は目を通したけど、完全に理解したとは思っていない。もちろん諳んじることなんてできない。

そのことを二人は誇るわけでもなく、時間をかければ誰でもできること、私たちは他の人より少しだけ記憶力が良いだけ、なんて言ってたけど。

私より後に来たはずなのに、完全に追い越されちゃったなぁ。まあ別にいいけどさ。

 

「商人たちも戻ってきたし、これで洛陽は甦るわ!」

「ようやく経済封鎖が解けたんすね」

 

袁紹の仕掛けた経済封鎖。要するに洛陽に物資が届かないようにして、孤立させようって策だ。

人は武器がなくても戦えるけど、食べる物がないと戦えないからね。

 

でも宝山商会(ウチ)には関係ない。どんどん洛陽に物資を運び込んだ。そして袁紹が逆賊認定され、冀州に兵が向けられたことで、他の商人も袁紹を見限り始めた。

これで袁紹はかなり苦しくなったはず。

 

「そういうこと。あ、そうそう。前線から文が届いてね。作戦は順調だそうよ。アンタたちの頭領も、予定より早く帰って来るかもね」

「それは良いご報告ですね」

「そっすね。あたしも書類仕事より槍振るう方が性に合ってるんで。早く里に帰りたいっすよ」

「あー、やっぱりアンタたち、帰っちゃうのよね」

 

文和様が悲しそうにつぶやく。感傷的になっているのではなく、政務が滞るという現実的な問題だろう。

 

「商会の人間が国を回しているというのは、色々とマズいですからね。マズいというか異常ですよ。今の状態は、あくまで緊急措置です。まあいきなりいなくなったりはしないですから。代わりが見つかるまでは協力しますよ」

「……代わり、見つかるかなぁ」

 

文和様は遠い目で外を眺めた。

とりあえず頭領、早く帰ってきて。

 

 

 



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第五話 決戦

天の御遣い。

この噂を流したのは管輅だと言われている。黄巾党が騒ぎ出す少し前から流行り出したものだから、てっきり張角のことだと思っていた。

黄巾党のスローガンは「蒼天(すで)に死す、黄天(まさ)に立つべし。歳は甲子に在り、天下大吉なり」というもの。

すごくざっくり言うと、私が天に立つ。我に続け。ってとこだろう。異論は認める。

 

そして黄巾の乱が治まった頃から、噂も下火になっていった。

占いを真面目に信じるやつもいるが、俺は全然信じていなかった。なにせこの時代の占いはマジで当てにならないからな。いや、占いが当てになった時代なんてないけども。

天子の徳が低いから天災が起こるとかいうレベルだからな。

 

この天の御遣いも、世に絶望した民衆の願いのようなものだと思っていた。人は不安になると神に祈ったり、占いや迷信に縋ったりするものだ。

あるいは張角が管輅に頼んで流させたか。いわゆる情報操作ってやつだな。でもあいつらアイドルだったからなぁ。それはないか。

 

天とは何を指す? 天が天子を指すのならば、天の御遣いとは勅使のことだが、そんな意味ではなかろう。

まあ、どの道曹操に手を出すつもりはない。それよりも、今はこっちに集中しないとな。

 

「ご主人様、孫策からの返答です」

「ご苦労」

 

愛紗から竹簡を受け取る。

あの二人から真名を受け取ったのを知ったのか、愛紗たちからも呼ぶように迫られてしまった。一応、真名を預かってはいたのだが、交換はしていないので機会を見て呼ぶとあやふやな返事をしていたのだ。

さすがにこれから仲良くやろうって時に水を差すようなマネはできないからな。

 

「ふむ。陽が落ちたら、孫策と会う」

「ハッ! お供致します」

「いや、一人で行く」

「それは!」

「無駄に警戒させることもあるまい。愛紗、部隊を頼む」

「くっ……承知しました」

 

愛紗は不承不承、了承した。

洛陽の文官不足は深刻で、朱里と雛里はもちろん《青龍隊》も二〇〇人ほどを置いてくることになった。

まあいざとなれば脱出するさ。俺だけならどうとでもなるしな。

約束の時間を待って、俺は指定の場所へと足を運んだ。

 

立場的にも年齢的にも俺の方が上のはずだが、言葉遣いに迷うな。やっぱり上下ははっきりしている方がいい。

まあ現段階では敵味方だから、そこまで考える必要もないのかもしれないが。

相手は三人……いや、四人だな。左後方に一人潜んでいる。

とりあえず名乗る。こちらが一人だとは思わなかったのか、孫策は一瞬目を(しばたた)かせた。

 

「ご紹介どーも。孫伯符よ。こっちが周公瑾で、こっちが張子布」

 

紹介された二人が軽く会釈する。あれ張昭かよ。随分若いな。やっぱ年代ごっちゃのパラレル三国志か。

史実だとこの時期はまだ孫堅が生きているはずだが、この世界では死んでいる。だからこそ、孫策と袁術の間には確執がある。

それに史実だと連合軍ってもっとばらけてたはずなんだよな。薄々気づいてはいたが、たぶんこの世界は正史と演義がごちゃ混ぜになった世界だ。

こりゃもう三国志っぽい別のナニカだと思うしかねぇな。

 

「ふむ。皆さまお若いですな」

「え?」

「ん?」

 

なんだろう、そんな反応するトコかな。ただの挨拶みたいなモンだけど、ちょっとあからさますぎたか?

 

「ちょっ! 二人ともその目はやめい! 雪蓮様、将軍様の前ですぞ」

「そうね。失礼したわ。さて、征南将軍様は我らに何をお望みでしょうか?」

「何も」

「何……も?」

 

孫策の目がギラリと光る。その瞳は獰猛な虎のようでもあった。やはり当たりだ。あれは飼い猫の目ではない。生きる意志に満ちた、獣の目だ。

 

「いま我らは各個撃破で連合軍の数を削っている。汜水関に集う頃には、おそらく一〇万を割っているだろう。その時、諸君らは連合軍の情報をこちらに流してくれるだけで良い」

「へぇ、やるじゃない。冥琳、あなたの予想、当たったみたいね」

「当たって欲しくはなかったがな」

 

さすがは名軍師と名高い周瑜、武廟六十四将に選ばれただけのことはある。各個撃破くらいは予想していたか。そりゃ出発地点と合流地点が分かってるんだから、進行ルートはほぼ限定できる。演義だと孔明のかませみたいな扱いだったが、やっぱ優秀だよなぁ、周瑜。

 

「約束は守ってもらえるのよね。破ったら、酷いわよ」

 

孫策が腰の剣を鳴らす。

 

「証として、これを預けておこう」

 

孫策に向けて、征南将軍の印綬を投げ渡す。

 

「ふぅん。ま、いいわ。交渉成立ね。明命」

「はいっ!」

 

孫策の右後方から小柄な少女が姿を現す。もう一人いたのか。全然気づかなかった。さすがに動けば気づいたと思うが、俺もまだまだだな。

 

「この子を使いとしてよこすわ。覚えておいて」

「心得た」

「周幼平です。よろしくお願いします」

 

黒髪の少女はペコリとお辞儀をした。

 

「うむ。よろしく頼む。明日、太陽が南天に昇った頃に袁術に攻めかかる。殺したくない者がいる場合は、先頭からは遠ざけておけ」

「りょーかい。じゃあ、これからよろしくね」

「ああ、次は汜水関で会おう」

 

こうして俺は孫策と別れた。

成果は上々だったが、隠形を見抜けなかったのは不覚だった。

孫策の存在が大きすぎたというのもあるが、単純にあの少女の隠形術が優れているというのもある。

まだまだ修行が足りんな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

曹操は防諜意識が高く、あまり部下を送りたくはなかった。だから孫策を頼った。連合の仲間なら、そこまで警戒はされないだろう。

それに、天の御遣いなんて嫌でも注目を集めるだろうからな。

 

名前は北郷一刀。

扱いは客将で警備責任者。微妙な立ち位置だな。将軍ではないが、ある程度の発言力は持っているようだ。

というかこの名前、日本人だよなぁ。やっぱ違和感すげぇな。

 

御遣いってところも絶妙だな。袁術のように皇帝を僭称したわけじゃない。それに元々の出どころが占いだから、自分で名乗ったわけでもない。

ギリギリセーフってところか? いやまあ、朝廷の匙加減ひとつでどうとでもなるだろうけど。

 

問題は三国志の知識をどれほど持っているかだな。黄巾の乱は、大筋では歴史通りに幕を閉じたと思う。

実はアイドルグループだと知っているのは、官軍が発布した人相書きからみてもごくわずかのはずだ。だが張角たちの活動地域が曹操の支配地域とかぶってた時期があるんだよな。

気づいていてもおかしくはない。

 

まあ主要たる武将のほとんどが女性ということで、パラレルワールド的な異世界だということは察しているだろう。

その上でどんな行動を取るか。確かに曹操は、最終的な勝ち馬の一人だ。だから曹操を選んだのは、間違いではない。

 

だがある程度歴史を知っているなら、董卓に味方するように進言すると思うんだがなぁ。曹操なら洛陽に伝手くらい持っているだろうし、悪政がデマだと知るのは難しくないはずだ。

……袁紹との戦力差が理由か?

 

それとも、もしかして董卓が長安に逃げたと解釈して、連合軍が勝ったと勘違いしているパターンか?

孫堅がいないことは気づきそうだがな。孫堅がいないから陽人の戦いは起きない。

孫策を抱き込んだから、彼女が孫堅の代わりになることもない。

ふむ。軽視はできんが、あまり深読みしすぎるのも問題か。

 

「さて、袁紹は引くに引けないといったところか」

 

大陸各地に檄を飛ばし、連合軍を結成した身としては、自領が危ないので帰ります、とは口が裂けても言えないだろう。

汜水関の城壁から連合軍を見渡す。孫策からの情報では、連合軍の総数は九万。かなり削れたが、こちらは四万なので、兵数では倍以上の差か。

 

「霞殿が来れなかったのは痛いですなぁー」

 

と零すのは、軍師見習いの陳宮だ。ちなみにロリッ娘である。軍師はロリが多いのか?

まあ霞が来れないのは想定の範囲内だ。二枚看板がいなくとも、袁家の家臣団は文武ともに優秀な者が揃っている。名門袁家は伊達じゃない。

 

「だが霞が冀州を攻め立てているおかげで、袁紹も気が気じゃないだろう。このまま守っているだけで連合軍は瓦解する。諸侯たちの思惑はちぐはぐだからな。時は俺たちの味方だ」

「なにぃ!? 攻めるのではないのか!?」

「いや、攻めるぞ」

「攻めるんだな!」

 

華雄は反応が面白いな。つーかなんで俺が指揮官みたいなことしてるんだろう? 一番位が高いのは恋で、二番目は華雄なのに。

まあやれと言われたからにはやるけどさ。

朱里と雛里から策は貰ってるし。ああ、あの二人は洛陽に残って賈駆のお手伝いだ。十常侍がいなくなっちゃったからね、仕方ないね。

 

「ああ、だけど挑発されて出ていくようなマネはやめてくれよ。攻める時はこちらが決める。それが守る側の利点だ」

「ならばいつ攻めるのだ?」

「夜だ。だから今は突撃隊を選出して眠っておいてくれ。恋はもう休んでいる」

「恋がいないのはそういう理由だったか! 分かった、寝る!」

 

そう言い残して、華雄は大股で階段を降りていった。

 

「相変わらず華雄殿は騒がしいですなぁ」

 

ムードメーカーとしては良い仕事してると思うけどね。

 

「あ~、あたしらはどうしたらいい?」

「夜襲の経験は?」

「もちろんあるぞ。あいつらは夜討ち朝駆けなんでもござれだからな」

 

馬騰の名代として参陣している馬超は力強く拳を握った。あいつら、というのは異民族のことだろう。

 

「では眠っておいてくれ。昼間は俺たちが担当するから」

「ん、了解だ。じゃあ失礼するよ」

「クハハッ、おまえはそのまま眠りこけていろ。夜襲は俺たちだけで十分だ!」

「な、なんだとぉ!!」

 

馬超に食ってかかったのは、閻行という大女だ。韓遂の名代としてここに来ている。韓遂に関しては良く知らないんだよなぁ。なんか反逆しないと死んでしまう生粋の反逆者(トリーズナー)って聞いたこともあるけど。あと馬騰と仲が悪いとか。

 

だがこの世界の馬騰と韓遂は、悪友であり喧嘩仲間であり、仲はそこまで険悪ではないらしい。

カートゥーンアニメのネコとネズミ……違うな。永遠のライバルと呼ばれた牝馬二頭的な? いや、知らんけど。

 

「とりあえず酒だ。飲んで寝るぞ!」

「あんまり飲み過ぎるなよ。あ、おまえ! 私を酔い潰すつもりだな! その手には乗らないぞ!」

「クハハッ、酒に飲まれるようでは、まだまだ小娘だな!」

 

馬超と閻行も、仲が悪いというわけではなさそうだ。

二人を見送り、視線を連合軍へと戻す。

さて、ここからは根競べだ、袁紹。

昼を過ぎた頃合いから、連合軍の攻勢は始まった。一番槍は王匡か。とりあえず指揮官の一人くらい討ち取っておくか。愛紗にも功を上げてもらいたいし。

 

……ふむ。そろそろ……行くか。いや、まだか。いや、今か。

 

「よし、今だ。門、開け! 関羽隊、出撃!」

「了解! 関羽隊、出撃()るぞ!」

 

というわけで愛紗に出撃を命じた。

彼女は見事期待に応え、敵将の一人を討ち取った。

連合軍の利は数の多さだが、連携が取り辛いのが欠点だ。どの諸侯も、自分の損害を抑えようと考えるからな。

 

陽が傾いてきた頃、王匡軍はそそくさと引き上げていった。

今度はこちらのターンだ。夜明け前、恋、華雄、馬超、閻行に作戦を確認する。

 

「一撃離脱を旨とし、長居は無用。糧食は警備も厳重だろうから、固執する必要はない。適当に暴れて帰ってきてくれ。くれぐれも長居はするなよ。取り残されても救出には行けんからな」

 

昼日中ならともかく、暗闇の中救出に向かうのは無理だ。

 

「あと同士討ちにも気をつけるように。まあこれは無用の心配だと思うが」

 

涼州騎兵の馬術は伊達じゃない。完璧な統率が取られており、その動きはまるで一匹の龍のようであった。

 

「もういいだろう。さっさと出ねば夜が明けてしまうぞ!」

 

休養をじっくりとったおかげか、華雄の気は充溢していた。

テーブルの上に連合軍の配置図を広げる。

 

「最終確認だ。恋は袁紹、華雄は鮑信、馬超殿は孔融、閻行殿は陶謙を頼む」

「ん」

「心得た!」

「了解だ」

「任せておけ!」

 

四人から気迫に満ちた返事が帰って来る。

 

「うむ。天と地のはざまには、やつらの哲学では思いもよらない事があることを思い出させてやれ。出撃!」

『応ッ!!』

 

夜の闇に血の帳が落ちる。

敵陣から怒号と混乱の声が聞こえてきた。

大体一時間くらいで四人は帰ってきた。

 

翌日も同じことを繰り返した。

尤も、攻める陣は変えていたが。だが袁紹軍はもう少し削っておく。

 

「昨日の夜襲で警戒度は上がっているだろう。一当てするだけでいい。それと恋、この竹簡を袁紹の陣に落としてきてくれ」

「……落とす?」

「そうだ。曹操に届けるはずだった竹簡を、うっかり袁紹の陣に落としてしまった、ということだな。いやぁ、うっかり、うっかり」

「また悪だくみか?」

 

華雄が呆れたように俺を半眼で睨んだ。

 

「袁紹が賢明な将なら、こんなつまらん策には引っ掛からないだろうがな」

 

この日の夜襲も、四人は大きな損害を出さずに無事帰還した。

夜襲はこれで終わりだ。さすがに三度も上手くいくとは思っていない。

 

翌日、明朝は静かだった。

おそらく軍議が紛糾しているのだろう。

昼を過ぎ、攻勢に出てきたのは曹操軍だった。

 

「予想通りか。(やじり)を外した矢を射かけろ。梯子を掛けてきたら、ぬるい油を浴びせてやれ」

「ハッ!」

 

隣にいた副官が笑いを堪えながら拱手する。

 

「さあ、喜劇を始めようか」

 

袁紹も曹操も、笑ってなどいられないだろうがな。

そして俺の予想通り、曹操軍は混乱状態に陥った。

混乱というよりは困惑というべきだろうか。

 

「ふふふっ、順調順調。そのまま適当に時間を潰してくれればいいのだがな」

 

だがそうもいかんだろうなぁ。曹操としては内通の疑惑を払拭したいだろうし、将軍の首ひとつくらいは欲しいところだ。

 

「おっちゃん、誰か出てきたのだ」

 

鈴々に言われて視線を門前に向ける。ふむ、武将らしきやつが出てきたな。

 

「おのれ呂布奉先! これでは飛将軍の名が泣くぞ! 陳留郡の太守、曹孟徳様の一の家臣、夏侯元譲を恐れぬならばかかってこい!」

 

よく通る声だな。あれが夏侯惇か。夏侯惇といえば隻眼の将軍というイメージが強いが、普通に両目だな。確か呂布を追撃していた時に矢で射られたんだったか。撃ったのは誰か忘れたけど。

 

「とか言ってるのだ」

「ふむ。では俺が行こう」

 

そう言うと、鈴々がジト目で俺を睨んできた。まあ誘いに乗るなと言ったくせに、と言いたいのだろう。

 

「この一騎打ちにも意味がある。おそらく曹操への疑惑は、かなり高まっている。今回の茶番が露見すれば、最後のひと押しになりかねん」

「……崖っぷちってことなのだ?」

 

鈴々が小さく小首をかしげる。首をやるわけにはいかんが、曹操の言い訳作りのためにも、激闘を演じたというところは見せた方がいいだろう。曹操が後ろから刺されでもしたら後々の計画に支障が出る。

 

まあ、どうあがいたところで、曹操が内通の疑惑を完全に払拭することは不可能だがな。いわゆる悪魔の証明。激闘を演じたところで、袁紹がただ一言「大した演技力ですね」とでも言えば、疑惑はさらに深まる。

尤も、袁紹はそこまで愚かではないだろうが。もし「今さら疑うものか! 私はおまえを信じる!!」とでも言えば別だが、集めた情報の限りでは、袁紹と曹操はそんな仲でもなさそうだ。

それに曹操なら、こちらの意図に気づいて乗ってくれる可能性もある。

 

「そんな感じだ。だからこの一騎打ちは、ちょっとした調整だ。あと鈴々。大縄を用意しておいてくれ」

「縄なのだ?」

「ああ。俺が合図したら、縄を降ろしてくれ」

 

鈴々に指示を出し、城壁から飛び降りる。右手と右足を壁に添えて落下速度を落とし、着地間際に気を放出して衝撃を殺す。

舞い上がる粉塵を、夏侯惇は大剣を振るって払いのけた。

 

「こんちはーーーっ!!」

「呂布ではないな! 誰だ貴様はっ!?」

「己の欲で真実を虚偽に塗り替える悪魔どもめ。貴様らに名乗る名前はない!」

「なんだとぉ!? わけのわからんことを言うな!」

 

いや、割とハッキリ言ったつもりだけど。ああ、認めるわけにはいかないのか。そりゃそうだ。董卓の悪政から帝と民を救うってのが、連合軍の大義名分だからな。

それにしても、真面目になんで曹操は袁紹に付いたのかな。曹操なら連合軍の脆さなんて気づきそうなモンだけど。

 

囚人のジレンマってやつだ。理論上は最善の策でも、お互いの疑心暗鬼が邪魔をする。みんな自分の利益を優先するから、作戦が上手くかみ合わない。

連合軍ってのは大体そのパターンだ。

 

例えば昔、趙・楚・韓・魏・燕の連合軍が大国秦を攻めたことがあったが、大した戦果もあげられずに終わっている。

連合軍をまともに指揮できたのって、たぶん楽毅くらいじゃないかな。

 

「まあこれから死ぬやつに名乗っても意味がないだろってことだ」

「貴様ぁ!!」

 

夏侯惇が大剣を大上段から振り下ろしてくる。俺はそれを横っ飛びで躱しながら、指弾を馬の尻にぶつけた。

 

「なっ!? おい! 暴れるな!」

 

馬が暴れ出した隙を突いて、俺は下方から抜刀する。

 

「ちぃ! なめるなぁ!」

 

夏侯惇は馬から飛び降りながら、俺の肩口を狙ってきた。判断が早いな。

 

「ふんっ、なかなかやるじゃないか。しかし変わった武器を使っているな」

 

俺の得物は日本刀……の出来損ないだ。中国では「刀」とは反りが大きく幅の広い、斬ることに特化した武器を指す。有名なのは、関羽や張遼が使った偃月刀だな。

この刀は、それらとは基本的な形状が異なる。大陸製の日本刀、言ってみれば倭刀ってとこだ。本来の倭刀とは製法が全く違うけど。

 

「だが貴様などの首は必要ない。呂布を出せ、呂布を! もしくは関羽だ!」

 

呂布は分かるが、なんで関羽? ああ、そういえば曹操って人材マニアだったか。

 

「呂布と戦いたいなら、まずは俺を倒すことだな」

「言ったな! ならば呂布の前に血祭りにあげてやる!」

 

夏侯惇が大剣を手に突進してくる。しなやかで俊敏な動きだ。大剣に振り回されている様子もない。

 

「ちぃ! ちょこまかと動きおって! 正々堂々と打ち合え!」

「これが俺の戦い方でね」

 

あんな重量級の武器と打ち合えば、こちらの方が先に壊れる。あんまり頑丈じゃあないんだ。

しかし相手もやるものだな。時折り飛ばしている指弾にもしっかり反応している。野生の獣のような勘の良さだ。

 

タイプとしては恋と似ているが、そこまで極まってはいない。恋の強さは天衣無縫。完全な我流なので、型も技もない。なら型や技を身につければもっと強くなるかというと、そうでもない。おそらくだが、型や技を身につければ、恋は弱くなる。型を覚えれば窮屈になり、技を覚えれば縛られる。そういう規格外の強さなのだ。

虎や狼は日々鍛錬などしない。

もうあいつ一人でいいんじゃないかな、とも思ったが、燃費が悪いんだよなぁ。継戦能力がやや低い。

 

対して夏侯惇は、型がないように見えて、剣術の基礎が出来ている。幼い頃から誰かに教わっていたのだろう。しかし型にはまらない破天荒さがある。

確かに夏侯惇は強い。だが大剣の使い方はあいつ(・・・)の方が(うま)かったし、あいつほどの圧も怖さも感じない。

 

「こんのぉ! 逃げてばかりで恥ずかしくないのか!」

「そんな大振りでは当たらんよ」

 

技量はたいしたものだが、精神面はまだまだ未熟のようだ。かなり焦れてきたな。もうひと押しか。

 

「なかなかの武威だな。曹孟徳の家臣など辞めて、こちらに来ないか? 良い待遇を保証するぞ」

「ふざけるな! 私が華琳様を裏切るなど、天地がひっくり返ってもありえん!」

「大した忠義だな。だが聞いた話では、曹孟徳はチビで生意気な醜女だそうだな。おまえほどの女が仕えるには不足だと思うが?」

「し、し、し、醜女だとぉぉぉっ!!」

 

ついに怒髪天を衝いた夏侯惇は、双眸に炎を宿して、鬼のような形相で俺を睨みつけた。

 

「もう許さん! 貴様だけは一〇〇回(ひゃく)殺す!」

 

夏侯惇の大剣が大上段から一気に振り下ろされる。その一撃に合わせて、俺も刀を振るった。二振りの剣がぶつかり合い、止まった。

 

「な、なにぃ!? 動か――」

 

重心を抑えたことで、一瞬の硬直が生まれた。その隙を突いて間合いを詰める。俺の右掌が、夏侯惇の腹部を捉えた。

 

「発勁ッ!!」

 

――ヌッ!?

手応えが軽い。インパクトの瞬間に身体をねじったか。本当に勘が良いな。だが衝撃を完全に殺し切ることはできなかったようで、夏侯惇は後方に大きく吹き飛んだ。

 

「姉者ッ!?」

 

蒼髪の女性が夏侯惇に駆け寄る。妹ということは、夏侯淵か。

 

「夏侯元譲、噂に(たが)わぬ見事な武であった。曹孟徳を侮辱したことは謝罪しよう」

「くっ、今さら何を! まだ勝負はついていない!」

「そうだそうだ! 春蘭さまは負けてない! 華琳さまの悪口を言うやつなんかに負けない! 謝ったって許さないぞ! おまえの方がブ男だ! 兄ちゃんの方がずっとカッコイイんだからな!」

 

なんだこのチビッコ!? まま、ええわ。所詮子供の戯言。俺の心には響かない。

 

「いや、終わりさ。鈴々!」

「なのだ!」

 

城壁から降りてきたロープを掴む。

 

「おまえの武威に敬意を表し、花を持たせよう。おまえの勝ちだ。上げろ!」

「うりゃりゃりゃりゃりゃーーっ!!」

 

凄まじい勢いでロープが引き上げられる。

 

「逃げるな卑怯者! 逃げるなーーーっ!!」

 

なかなか元気なチビッコだな……ん?

上昇中、一本の矢が俺の首筋に迫ってきた。いや違う!

一本目を掴み取り、二本目を裏拳で打ち落とす。全く同じ軌道の連射か。おそろしく正確な射撃。俺でなきゃ首を射抜かれてたね。

掴み取った矢を投げ捨てながら、射手を睨む。

そして相手も、蒼い髪を揺らしながら俺を睨んでいた。

 

しばらくして、衝車が現れた。あれで城門を破壊するつもりか。随分と本気じゃあないの。だがそうはさせん。タイミングを合わせて、城壁からの飛び降り発勁で破城槌を粉砕する。車輪が破壊された衝車は門前で横転した。

これで進入はされなくなったが、こちらからの出撃も出来なくなったな。

その後は膠着状態のまま時間が過ぎていき、薄暮となって曹操軍は撤退した。

そして数日後、ついに終わりの時が訪れた。

 

 

 




韓遂は恋姫でも名前だけちょろっと出てきたと思うんですけど、閻行はどうだったかな。
馬超をボッコボコのボコにした人なんですが、某ゲームだと馬超の方が武力値高いんですよね。


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閑話-覇王覚醒-

前回はちょっとネタ(名言)が多かったですかね。
全部分かった方はいるでしょうか。
今回はみんな大好き覇王さまの回です。



「凪、沙和、真桜は陣の構築。桂花はどこの諸侯が来ているのかを調べておいて。春蘭、秋蘭は私の供をなさい。麗羽のところへ行くわ」

 

連合軍の合流地点に到着した華琳はすぐにキビキビと指示を出した。

 

「それと一刀、あなたも一緒に来なさい」

「え、俺もか?」

「そんなっ!? こんな精液臭い男を連れて行くなど! あっ、不敬罪で斬らせるおつもりですね」

「連れていくだけで不敬罪ってどういうことだよ……」

 

桂花の憎まれ口にも慣れてきたものの、マゾヒストではない一刀には辛いものであった。

 

「他の将の顔も見ておくといいわ。何か得るものもあるでしょう」

「……了解」

 

華琳は一刀の三国志知識をあまり当てにはしていなかった。黄巾の乱は、おおよその部分では一刀の知識通りであったが、張三姉妹が旅芸人だということは大はずれだった。

董卓にしても、華琳の知る董卓と、一刀の知る董卓はかけ離れたものだった。

 

それ以降、華琳は一刀に自分の許可なく三国志の知識を口に出すことを禁じた。

それでも人物評に関しては合致する部分は少なくもなく、人材マニアである華琳は、そのことに関してだけは一刀の知識を参考にしようと思った。

 

「おーっほっほっほ! おーっほっほっほ!」

 

麗羽の待つ天幕に入ると、甲高い笑い声が聞こえてきた。だが付き合いの長い華琳は、すぐに違和感に気づいた。

 

(いつもほどのキレがないわね。何かあったのかしら。こういう時は……)

 

華琳は麗羽の側近へと目を向けた。

まずは筆頭軍師である田豊。彼女は軍師らしく、感情を乱さない。読み取るのは困難だろう。

次に筆頭武官である文醜。分かりやすい性格をしているが、それ故に、深く考えない。こちらも読み取るのは難しい。

最後に顔良。文武に優れ、舵取りや調整役を担っている。いつもは朗らかな笑顔を浮かべている彼女であるが、どうも疲れたような表情をしていることに華琳は気づいた。

 

(そういえば、派手好きの麗羽にしては、兵の数が少なかったわね。削られたか。桂花の予想が当たったようね)

 

騎兵というのは、防衛戦においては然程役に立たない。騎兵が活躍するのは野戦だ。華琳もここに来るまでの道中、襲撃に警戒していた。幸い、見逃されたようであるが。

 

(兵力が少ない、というのが幸いしたわね)

 

この間、約二秒の思考だった。

 

「華琳さん、よく来てくださいましたわ」

「……ええ」

「さて、これで主要な諸侯は揃ったようですわね。華琳さんがびりっけつですわよ。びりっけつ」

「……はいはい」

 

華琳は呆れたように返事を返した。

 

(警戒もせずに行軍するから、襲撃を受けるのよ)

 

そして、隣でオロオロしている一刀を見て気持ちを落ち着ける。

麗羽の仕切りで始まった最初の軍議は、まずは諸侯たちの自己紹介から始まった。最後に華琳の番となって、一刀は違和感を覚えた。

 

(劉備がいない? 黄巾の乱の時にもいなかったし、この場でもいないって、どういうことだ?)

 

それほど三国志に詳しいとは言えない一刀であっても、曹操、劉備、孫権くらいは知っている。

孫権もこの場にはいなかったが、孫策というのが孫権の姉であることは、以前華琳に聞いていた。

 

(あの劉表って人が、劉備の身内なのか? そういえば劉備は劉表を頼って荊州へ行ったって聞いたことあるような……気がする。でも華琳は、劉姓なんてごまんといるって言ってたしなぁ。まあ袁紹がアレで、袁術がアレだもんなぁ。やっぱ俺の知ってる三国志とは違うんだな)

 

なかば諦めたように、一刀は心の中でため息を落とした。

 

「……で、彼が北郷よ」

 

華琳の言葉にハッとなり、一刀は慌てて黙礼した。その瞬間、場がざわめく。

 

「あーら、その貧相なのが、天からの遣いとかいう輩ですの? どこの下男かと思いましたわ」

「て、天っ!? おい、華琳。あれは隠すって」

「ここが使い時だと思ってね。適当に噂を流しておいたのよ。天の御遣いが天子様をお救いする。民が好みそうな物語でしょう?」

「マジかよ……」

 

一刀は目をつぶって頭を抱えた。しかしざわめきは生まれたものの、一刀に詰め寄ってくる者はいなかった。

 

(ゆ、許された……?)

 

麗羽もすぐに興味を失ったようで、咳払いをひとつして自己紹介を始める。

 

「さて、それでは……最後はこのわたくし、袁本初ですわね」

「それは皆知っているから、いいのではなくて?」

 

と、華琳から鋭いツッコミが入る。

 

「くぅ、三日三晩考えた名乗りですのに……。まあ名家たる者の悲しい運命(さだめ)といったところですわね。では軍議を始めますわ。真直(まぁち)さん」

「はっ、まずは現状と目的の確認を行います」

 

麗羽に指名され、眼鏡をかけた女性が前に出る。

 

「都で横暴を働いている董卓を討伐し、天子様をお救いすること。それが我らの使命です。この通り、勅命も頂いております」

 

田豊は豪奢な箱の中から、勅命を取り出し、諸侯たちに見せつけた。

 

(よくも言えたものね)

 

それを華琳は冷めたような視線で睨みつけた。

洛陽に伝手を持つ者ならば、真相を突き止めるのはそれほど難しくはない。あれは間違いなく、宦官が用意した偽勅。しかし、それを袁紹に届けさせたのは、董卓の失策だった。

 

(所詮は田舎の官吏。洛陽の魑魅魍魎どもを相手取るには、力不足だったようね)

 

華琳は董卓に同情した。しかし、あの勅命が偽勅であるという確信がない以上、華琳は麗羽に従うしかなかった。現状の兵力で麗羽とぶつかれば、いかに華琳といえども必敗は目に見えていたからだ。

 

(この戦いで麗羽の戦力を削る。官軍は良い仕事をしてくれたわ)

 

華琳は心の中でほくそ笑んだ。

そのまま軍議は続き、汜水関での一番槍は王匡が務めることになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「王匡が敗走した? 官軍が打って出たというの?」

 

華琳は桂花の報告に目を見開いた。威勢よく一番槍を買って出た王匡は、大きな被害を出して撤退することとなった。

 

「はい。防衛に徹すると思っていたのですが……王匡も虚を突かれたようで、方悦という将軍が討たれたそうです」

「……そう。河内の名将、方悦がね。討ったのは、やはり呂布かしら?」

「いえ、それが、聞いたこともない名前で……関羽雲長と」

「関羽だってっ!?」

 

その名前にいち早く反応したのは一刀だった。

 

「ちょっと!? 精液を飛ばさないでちょうだい! 妊娠しちゃうじゃない!」

「それを言うなら唾だろ……ってそうじゃない! なんで関羽が董卓のところにいるんだ!?」

「何を興奮している。その関羽という女が董卓のところにいるのが、そんなにおかしいのか?」

 

春蘭が真っ当な疑問を口にする。

 

「一刀、あなたの知る関羽がどういった人物か、説明なさい」

「あ、ああ。関羽ってのは、抜群の武勇と将才を持つ武将で、軍神とまで呼ばれた凄い人だ。劉備の配下のはずなんだけど……」

「……へぇ、軍神、ね」

 

華琳の瞳が妖しく光る。

 

「……か、華琳さま。お戯れは……」

 

桂花がやんわりと諫めるが、華琳は止まらない。

 

「飛将軍だけではなく、軍神まで。……欲しいわ。春蘭」

「ハッ、呂布も関羽も、縛り上げて華琳さまの前に連れ出してみせます!」

「華琳様、今回ばかりはお控えください。呂布の強さは人知を超えております。黄巾の三万殺しは華琳様もご存知でしょう。その関羽とやらも、方悦は三合すら打ち合えなかったと聞いております。また関羽の率いる五〇騎も精鋭揃い。一騎の損害も出しておりません。城壁からの援護があったとはいえ、王匡軍は関羽とたった五〇騎に翻弄されたのです」

 

姉の命が懸かっているためか、秋蘭も必死で華琳を諫める。

 

「秋蘭! 私が信じられないのか!?」

「いや、姉者の強さは信じている。だが呂布の強さは本物だ。関羽とて得体が知れない。情報が少なすぎる」

「それでもっ!」

「二人とも黙りなさい。そうね、捕縛というのは、欲張りすぎたわ。春蘭、無理に捕らえなくてもいいわ。勝つことをまず考えなさい。いいわね」

「はい、華琳さま! 私は華琳さまの剣! 誰にも負けません!」

「そう、いい子ね」

「か、華琳さま~」

 

華琳にほほを撫でられ、春蘭は顔をほころばせた。

こうして、汜水関での初日は終わった。

だがそれは、終わりの始まりでしかなかった。

その日の夜、華琳は銅鑼の音で目を覚ました。

 

「夜襲です! 曹操様!」

「分かっている! 糧食を守れ! かがり火を絶やすな!」

 

華琳が次々と部下に指示を出していく。

 

(まさか初日に夜襲とは。籠城する気がないのか。飛将軍呂布、よほど攻撃的な性格のようね)

 

「華琳様!」

「秋蘭、状況は?」

「はい。攻められているのは我が陣ではないようですが、いつこちらに牙を剥くか分かりません」

「警戒を厳に。夜襲は一撃離脱が鉄則よ。糧食は死ぬ気で守りなさい」

「ハッ!」

 

秋蘭と入れ替わりに、季衣と流琉が華琳の護衛に駆けつけた。

 

(声は……麗羽の陣か。まあそこは狙うわよね。一か所じゃない……わね。かなり遠い……数を減らすのが目的か。下手に援軍を出しても、同士討ちが関の山ね。ここは守りを固める)

 

華琳の判断は間違いではなかった。しかしここで華琳が麗羽に援軍を出していたら、後の麗羽の印象も変わっていたかもしれないが、それは今の華琳には知る由もなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

汜水関の戦い三日目、朝の軍議にて、華琳は針の筵に座らされていた。

 

「麗羽、少し考えれば分かるでしょう。これは典型的な離間の計よ」

 

本来ならば、華琳は頃合いを見て、一昼夜攻め続けるという策を提示するつもりだった。しかし、相手はそれを読んでいた。初日、二日目の夜襲はその布石。攻めてくるかも、という不安。そして闇という恐怖。誰も夜の城攻めなどやりたがらないだろう。

 

(その布石すら、更なる策の布石だったとは……呂布の軍師、陳宮といったかしら。侮れないわね。本命は、私か!)

 

華琳は自分が狙い撃ちされたことに気づいた。もしかしたら予測はできたかもしれない。だが回避は不可能だった。自分と麗羽の間には、そこまでの信頼関係はない。

実際、華琳は麗羽に全幅の信頼を置いているわけではなかった。信用はしても信頼はしていないのだ。

 

「そうですわね。わたくしと華琳さんの仲を引き裂こうとしているのですわね。ほほほほっ」

 

(目が笑っていない。……これ以上は何を言っても無駄か。実績で黙らせるしかない)

 

道中の襲撃もなく、夜襲も華琳の軍は全く被害を受けていない。それが麗羽の疑心を強めていた。

 

「今日の城攻めは、私の軍が行うわ。それを証明としてみせましょう」

「ええ、期待しておりますわ。か・り・ん・さん」

 

麗羽は妖艶な笑みを浮かべて、華琳を送り出した。

華琳は汜水関を前に軍を展開する。

 

「万が一の襲撃を考えた場合、本陣の守備を手薄にはできません。前線指揮は春蘭、補佐として秋蘭と季衣を付けましょう」

 

桂花の進言を受け入れ、華琳はそのように陣を構築した。

そして、戦いが始まる。

しばらくして華琳の下に伝令が走ってきた。その内容を聞いて、華琳は眉を顰めた。

 

(鏃を外した矢だとっ!? この曹孟徳をどこまでコケにするつもりか! これではまるで本当に内通しているような……いや、まて。考えろ……戦いとは常に二手三手先を考えて行うものよ。官軍は私に、何をさせようとしている(・・・・・・・・・・・)?)

 

華琳が沈思黙考を始めた。思考の渦に沈んでいく様を隣で眺めていた一刀は、思考の邪魔をしないように、視線を前線に戻した。

そこではちょうど、春蘭の一騎打ちが始まったところだった。

 

(……すごいな。男でもあそこまで戦えるものなんだな)

 

一刀の口から感嘆のため息が漏れる。これまでにも、それなりに戦える男はいた。賊の(かしら)などは男が多かったし、春蘭と数合打ち合えるくらいの猛者もいた。

だがあそこまで春蘭と戦えた男はいなかった。

一刀は剣道の経験者だったが、所詮は学生剣道であり、実戦の機微には疎い。一刀の目には、春蘭が一方的に攻め立てて、相手は防戦一方に映っていた。

 

(何か言い合ってるみたいだけど、この距離だと聞き取れないな。えっ!? 春蘭がふっ飛ばされた!? "気"ってやつか? 凪みたいな……相手は退くみたいだな。春蘭が勝ったのか。あれ? 今、秋蘭が射かけた? 一騎打ちなのにいいのか? いや、終わった後だからいいのか? わ、わからん……)

 

戦場の作法など分からない一刀は首を傾げた。とその時、華琳の目がカッと見開かれた。

 

「見えた! 水のひとしずく!」

 

長年悩まされていた頭痛の種が割れ、頭の中がクリアになる。

思考の渦に沈んでいた華琳が、ようやく浮上してきた。

 

「そうか。そういう、ことか……。伝令! 春蘭に少し下がるように伝えなさい。そして真桜に衝車の準備を急ぐように伝えろ!」

「ハッ!」

 

華琳の指示を受けて、伝令が走り出す。

しばらくして衝車の準備が整い、華琳は突撃するように命じた。

その結果、衝車は門前で横転した。

 

(あわよくば、とも思ったが、これはこれで良い。今回は負けを認めてあげましょう。だがこの曹孟徳を利用した代償は高くつくわよ。董仲頴!)

 

華琳の瞳は、ギラついた光を放っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇ、冥琳」

「なんだ、雪蓮」

 

天幕の中、褐色の美女二人は杯を交わしていた。

 

「曹操って本当に内通していると思う?」

「さて、おまえの勘はなんと言っているのだ?」

「う~ん。ナシ、かな」

「だろうな。あからさますぎる。曹操自身も言っていたが、典型的な離間の計だ。田豊は半信半疑といったところか。張勲は気づいているようだったが、わざわざ首を突っ込むとも思えんな。曹操を助ける理由もないし、やつの立場なら袁紹の力が削がれるのは望むところだろう」

 

その言葉に、雪蓮はほほを膨らませた。

 

「私を試した?」

「ふっ、そうむくれるな。我らに損害はないのだ。いや、負傷兵たちに不満はあるようだが」

「うちのやつらって荒くれ者が多いからねぇ。怪我もしてないのに怪我人のふりして、一日中おとなしくしてるのは辛いわよね。私なら、んあ゛あ゛あ゛ーーってなっちゃう!」

 

そう言って、雪蓮は腕を振り回した。雪蓮の兵たちも、打ち合わせ通りに夜襲を受け、その際に負傷兵が出た、ということにしている。

曹操に疑惑の目が向けられているおかげで雪蓮たちは疑われていないが、一応の保険だった。

 

「で、あと何日くらい?」

「二〇日、といったところだな」

「……早すぎない? 汜水関が落ちるって意味じゃないんでしょ?」

「ああ、気づかないか? 汜水関には「張」の旗がない。そして、連合に公孫賛が参加していない。そこから導き出される結論は……」

「二人して冀州を攻めてる?」

「ふっ、その通りだ」

「なるほどねぇ。袁紹の余裕がないのは、それが理由か」

 

雪蓮は納得したように、杯の中身を飲み干した。

 

「冀州の状況次第だが……もって二〇日だ。食糧と袁紹の忍耐力を考えればな」

「う~ん。でもさぁ、冀州には韓馥がいるでしょ。州牧なんだから兵も多いはず。だから袁紹も守りに残したんじゃないの?」

「所詮は脅されて従っただけにすぎん。董卓側に勝ち目が出てきたのなら、あっさり裏切るかもしれんぞ。いや、董卓を裏切って袁紹に付いて、さらに裏切るのだから表に戻っただけか」

 

冥琳はシニカルな笑いを浮かべ、杯に口をつける。

 

「董卓が許すかしら。一度裏切ったのよ」

「韓馥の持つ兵は多い。だからこそ、董卓は韓馥を許すだろう。誰も彼もを敵にできるほどの余裕は、今の董卓にはない。敵は袁紹に絞るはずだ。そして、許されると分かれば、韓馥は州牧の地位を手放してでも命を取るだろう。袁紹に忠義を誓っているわけではないのだからな」

「……なるほど。でもさぁ、戻るんじゃなくて、進む可能性だってあるんじゃないの? 一気呵成に攻め立てるとか」

「田豊が止めるさ。多大な犠牲を払って汜水関を落として、洛陽まで兵を進めたとしても、帰る家がなくなっていれば意味はない」

「陛下の玉体を押さえればなんとでもなるんじゃない?」

「洛陽に陛下がいらっしゃればな」

 

雪蓮の片目がピクリと動いた。

 

「そんなことある?」

「むしろ逃げない方がどうかしている。田豊はそこまで考えているさ。洛陽に入ったものの、陛下を確保できなければ、詰みだ。だから田豊は顔良や文醜を使って、無理矢理にでも袁紹を冀州に連れ帰るだろう。本拠地を固めることができれば、再起は可能だ」

「なるほどねぇ」

 

空になった杯に酒を注ぎながら、雪蓮がつぶやく。

 

「そして袁紹が張遼と公孫賛に攻めかかったところで、後背から曹操が襲い掛かる。つまり、挟み撃ちの形になるな」

「……曹操が従うかしら? 今まで利用されていたのよ」

「そのための勅命だ。董卓の悪政がないことは分かっている。袁紹討伐の勅がすでに出されているのは知っているだろ。何かしらのエサも用意しているだろうな。その時、内通という嘘は(まこと)になる。曹操は漢帝国のために、埋伏の毒となったのだ。というのが筋書だろうな。曹操は優れた判断力を持っている。利のある方を選ぶさ。尤も、受けた屈辱は忘れないだろうが。まあ、私たちには関係のないことだ」

 

そう言って、冥琳は酒をチビリと嚥下した。

 

「呂布の軍師、陳宮か。あるいは洛陽の賈駆か。相当な策士だな。人間心理の裏を巧みに利用した策だ。この策の恐ろしいところは、気づいた時にはもう遅いということだな。実際、曹操には打つ手がなかった」

「ふふっ、袁紹と曹操が、私たちみたいなら良かったのにねぇ」

 

そう言って、雪蓮は冥琳と指を絡ませた。二人は金属を断つほどの、強く固い絆で結ばれていたのだ。

 

「でも、曹操もしてやられたわね。評判も当てにならないってことかしら」

「……いや、それは違うぞ雪蓮。曹操は傑物だ、間違いなくな。だがそう簡単ではないのだ。過去に英傑、名将と呼ばれた人物の戦記を読んでいても、なぜこんな稚拙な策に引っかかるのだ? と思ったことは多々ある。しかしそれは、私が結果を知っているからで、当事者でもなく、その時代を生きたわけでもないからだ。戦史に難癖をつけて、私ならもっと上手くやれるといきがっていた小娘だった」

「冥琳にもそんな時期があったのねぇ」

 

親友との出会いを思い出しながら、雪蓮はしみじみと頷いた。

 

「ふふっ、まあ夏侯惇と征南将軍の一騎打ちは見ものだったがな。しかし衝車は余計だった。あれで進入が難しくなってしまった」

「袁紹も苦い顔してたもんねぇ。でもあの口上はカッコ良くなかった? 「貴様らに名乗る名前はない!」ってやつ。みんな名乗りたがるのが普通なのに。自分の旗も立ててないし、恥ずかしがり屋なのかしら?」

「そんな問題でもないと思うが。というかよく聞き取れたな。まあマネはしないでくれよ。おまえは名前を売る必要があるのだからな」

「は~い」

 

雪蓮は手をぶらぶらと振りながら答えた。

 

「連合はもう、ダメだろう。衝車は結果としてはダメだったが、手としては悪くなかった。袁紹が曹操を(ねぎら)っていれば、また違ったのかもしれんが……あれで諸侯らの気持ちも離れた」

「それが袁紹の限界なんじゃない?」

「そうだな。もう少し袁術の兵を削って欲しかったが、これでは二〇日ももたないかもしれんな。終わりの時は近い」

 

冥琳は月を眺めながら、杯を傾けた。

 

「その終わりの時が、私たちの始まりの時なんだけどね。蓮華の方は大丈夫なの? 不安なんだけど、あの子。あなたが推挙したから受け入れたけど」

「能力はあるさ。うまく物資も仕入れられたとさ。馬と食糧、新型の弩も買えたらしいぞ」

「北方の豪商の、宝山商会だっけ? そこの会頭と懇意なんだっけ?」

「ああ、会頭の劉岱(・・・・・)殿は、かなりの才媛のようだ。(ぱお)も認めていた」

「天才が認める天才ってやつ? まあ、お手並み拝見と行きましょう。冥琳にも勝る逸材と豪語する天才ちゃんの、ね」

「ふっ、そうだな」

 

二人はカチンと杯を打ち鳴らし、中身をグイと飲み干した。

 

 

 



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閑話-賈駆の憂鬱-

ある日の朝、賈駆はひとつの書簡を眺めながらニヤついていた。

それは汜水関から送られてきた戦勝報告である。

最初は安堵の方が強かったが、日増しに実感が現れ、達成感のようなものがこみ上げてくるのだ。

再度、書簡に目を落とす。

 

――やったぜ狂い咲き! 武威やねん! 334

 

それは高度に暗号化された文であり、末尾の334という天竺数字は賈駆であっても意味が読み取れなかった。

結局、孔明に訊くこととなったが、この334という暗号は、圧倒的勝利を意味するらしかった。

 

(ボクの出身地にかけてくるなんて洒落てるじゃない)

 

賈駆は涼州武威郡の出身である。

書簡の意味を解読した賈駆は興奮冷めやらぬまま董卓に報告した。

長安に退くことも想定して準備を進めていたが、それも白紙に戻した。

いざという時は、皇帝旗の使用も請うつもりであった。

だがそれは、董卓の威信に傷をつける諸刃の剣でもあったのだ。

 

袁紹が逆賊であることは公布したが、袁紹はそれを偽勅であるとし、自身が逆賊であることを認めてはいなかった。

帝の玉体を確保さえできれば、何とでもなると思っていたのだろう。

だがそれも無駄な努力に終わった。袁紹は負けたのだ。

 

(ざまーみろだわ!)

 

賈駆は心の中で拳を握った。元々賈駆は名家名族というものを快く思っていなかった。というのも、この時代では能力のある者が出世できるわけではなく、主に金とコネによって出世するのが当たり前だったのだ。

 

賈駆が子供の頃から涼州と中央には大きな溝があり、大人たちはそれを仕方のないことだと、半ば諦めてもいた。

それでも漢帝国に対する忠誠心だけは失わず、異民族の脅威と戦い続けてきたのだ。

 

正直なところ、今回の連合軍も最初は軽く考えていた。袁紹の兵力は確かに厄介だが、鍛え抜かれた涼州兵とは兵の質が違う。

そして古来より、戦とは攻める側よりも守る側の方が有利と決まっている。

とはいえ兵数の差というのも侮れないもので、それは孫子も説いているところである。

予想兵力が二〇万とはじき出された時、賈駆の目の前は真っ暗になった。この時点で、賈駆の思考は狭まり、守ることに注力されるようになる。

 

しかし外部協力者の助言により、賈駆の考えは大きく修正された。しかも強敵と想定されていた公孫賛と孫策がこちらについたのは僥倖だった。

特に公孫賛は自分たちと同じく、異民族の脅威と戦い続けてきた剛の者だ。その兵は当然のように精強だろう。

 

こうして状況は好転した。しかも目障りだった十常侍の勢力も一掃でき、賈駆の中に光が溢れた。

彼らはこの洛陽という伏魔殿で、権謀術数をめぐらせて生き抜いてきた魑魅魍魎どもである。

しかしいつの世も小賢しい策は力によって潰されるもの。

 

(やっぱり最後にものをいうのは武力よね)

 

最強の武を誇る呂布、そして張遼や華雄といった歴戦の武将を前に、十常侍の持つ兵力など塵芥でしかなかった。

この大改革によって、董卓は洛陽に確固たる地盤を築いた。

 

また董卓は弱々しい見た目をしているが、血風舞い散る涼州で生き抜いてきた女である。馬上で弓を射ることも容易く行い、その見た目から狙われることも多く、無手での格闘術も心得ている。

実際、窮地に陥った十常侍が彼女を人質に取ろうとしたが、逆に関節を極められて制圧されている。

 

この事件で董卓を見下していた者たちの態度も一変した。

洛陽の澱みを取り除いた賈駆は、貸し出された青龍隊の兵たちに加えて、十常侍に嫌われて割を食っていた者や、追放されていた者たちを職場に戻した。

再び権力闘争が発生する危険はあったが、低下した政治力を回復させるためには仕方ないことだと割り切ることにした。

 

(でも力に頼りすぎるのは危険だわ)

 

この漢帝国では武官よりも文官が重用されてきた。確かに軍事も重要であるが、やはり国の根幹を成すのは行政なのだ。

そして力による支配は、いずれより大きな力によって潰されるということを賈駆も理解していた。

本当の戦いはこれからなのだ。

 

(それにしても……)

 

賈駆は黙々と仕事をこなす青龍隊の兵たちに疑問を持った。いや、疑問というよりは興味だった。

一兵卒が読み書きできるというだけで稀有なことだというのに、算術の心得まであり、書類仕事までできるのは異様というより異常だった。

その時間を訓練に当てた方が効率的だと思ったのだ。

そのことについて、賈駆は孔明や士元に訊ねてみた。

 

彼女たちが言うには、意識改革の一環なのだそうだ。

武に優れた者は文を軽んじ、また逆も然り。武と文は両輪であり、どちらが欠けても、人として欠けていることになる。

文武両道こそが烈士の証であると。

 

青龍隊の兵士たちは、厳密には一兵士ではない。里には本当の意味での兵卒がおり、青龍隊は上位の部隊だと言った。

 

(組織の在り方が洗練されているのよね)

 

例えば儒学。儒学と政治は切り離すという考えは、言わば儒学の思想に支配されている漢帝国にはできない考え方だった。

政教分離は国家の堕落の防止であり、例えば喪に服すことは孝と考えられているが、立場のある人間が仕事を放棄して長期間喪に服すことは非効率的であると教えている。

とはいえ、それが効率的であったとしても、儒学に染まった人間は反発する。なので喪に服すこと自体は否定的ではない。だが期間は短めで、立場にもよるが里では最長で一ヵ月と定められている。

また喪に服す期間が短くとも、非難されることはない。

 

(だからこそ危険でもある)

 

賈駆の頭に浮かんだのは韓信だった。文武に優れ、国士無双と呼ばれた英傑。漢帝国の祖、劉邦を支えた三英傑の一人であるが、晩年に反逆を企て、処刑された。

賈駆がそうイメージしたのは、彼から愛国心や忠義心が感じられなかったことにある。いつか裏切るのではないか、という不安だ。

 

出会って間もない間柄でありながら、裏切るもないと思うのだが、実際に彼は一度漢帝国に弓を引いている。

賈駆のもとに届けられた黄巾の乱終結の報告では、討ち取った張角が四人、捕縛した張角が五人というものだった。その後、捕縛した五人の全てが、髭の大男を張角と認めたため、その男の首が朝廷に届けられた。

 

無論、その時に上げた報告書には、張角が複数いたことは記されていない。

本物の張角(・・・・・)が討たれたためあやふやになっているが、なにがしかの思惑があったのは間違いないと賈駆は睨んでいた。

しかし賈駆は未だにその理由を聞けずにいた。

 

だがその時はすぐに訪れた。洛陽がひと段落した折、孔明と士元との三人で飲む機会があった。里から送られてきた酒は甘くて口当たりが良く、酒精も弱いため、賈駆の酒も進んだ。

そこでつい口が滑ってしまったのだ。

 

しまったと思った時には遅かった。いま里の勢力が全て離反したら、政務は大混乱になるだろう。連合軍は退いたとはいえ、まだ袁紹の勢力は残っている。彼が反旗を翻したら、状況は逆転する。

賈駆の額に冷たい汗が流れた。

しかし孔明と士元は気分を害した様子もなく、むしろ賈駆の慌てた姿が可笑しかったのか、二人して笑みを浮かべていた。

 

「反逆する理由がありません」

 

続けて、そもそもご主人様は権威を求めてはいません、と答えた。そろそろ付き合いも長くなる二人は、自分たちの主の権勢欲が極めて低いことに気づいていた。

里の主、言ってみれば小国の王のような立場でありながら、偉ぶった様子もなく、部下や民とも近い場所で接してくれる。

 

そして数々の裁量を部下に任せている。それがまた二人の不安でもあった。その振る舞いはまるで、自分がいなくなっても里の運営に支障が出ないようにするための配慮のように思えてしまうのだ。

さすがにこれは、賈駆に話すことはなかったが。

 

「もし、ご主人様が反逆するとしたら、理由はひとつしかありません」

「……理由、あるんだ」

「あなた方が社稷(しゃしょく)(国家)の臣であることを忘れた時です」

「……晏嬰(あんえい)か」

 

晏嬰とは春秋時代に、衰退しつつあった大国斉を再び興隆させた政治家である。

晏嬰は斉の宰相として管仲と並び称され、春秋時代を見渡しても一、二を争う名宰相とされている。

主君を諫め、国を想い、民を慈しみ、最期の瞬間まで社稷の臣であり続けた。

 

また晏嬰は、儒家の始祖である孔子を登用しようとした主君を諫めていたりもする。宗教家に国の政治を任せてはいけないということに気づいていたのだ。

孔明が政教分離を掲げる彼に心酔する理由のひとつであった。

 

「ですが、文和様のお気持ちも分かります。ご主人様は、皇帝陛下を恭敬してはおられますが、崇拝してはおりませんから」

「……詳しく聞かせてもらえる?」

「はい。ご主人様は、皇帝陛下は統治機構の一端でしかないとおっしゃいました」

 

その言葉に、賈駆は目を丸くした。酒の席でなければ、不敬罪で切り捨てられてもおかしくない発言である。いや、酒の席であっても、捨て置けるような言葉ではなかった。しかし、賈駆は信頼関係があってこその発言と受け取った。

つばを飲み込み、そのまま続きを促す。

 

「暗君が国を滅ぼした例はいくつもあります。代表的なのは紂王ですね」

 

紂王とは、酒池肉林の名で知られる放蕩や暴政が有名であり、暴君の代名詞ともなっている、殷の最後の王である。

 

「そしてご主人様は、血にも重きを置いておられません。高祖も元をたどれば、沛県の亭長でした。属尽の方々も皇族の血を引いておられるはずですが、彼らの厄介さは文和様もご承知でしょう。ご主人様は、王は王に相応しい者がなれば良いと考えられております」

「完全な皇族批判だけど、今は聞き流しておくわ。でもその理屈だと、自分が王になろうとするんじゃないの?」

「ふふっ、そう思われるのも仕方ありません。そう考えていた時期が私にもありました」

 

孔明は小さく笑って、視線を横に滑らせた。隣で飲んでいた士元は、酒が回ってきたのか、船を漕ぎ始めていた。

 

「わたしも同行したかったのに!」

 

いきなり叫び出した士元を孔明は優しく宥めた。肩を撫でながら、眠りへと(いざな)う。

士元の言うように、孔明もまた連合軍との決戦に臨むつもりであった。しかし――

 

――鶏を(さば)くのに牛刀を用いる必要もあるまい。洛陽を頼む。

 

と言われては、二人もおとなしく従うほかなかった。主に頼む、とまで言われたのだ。二人は洛陽の政治体制を正常化するために奔走した。

そもそも、その時点で大筋の戦略は決定していたし、あり得そうな展開は全て献策していたので、二人が汜水関に行ってもやることはあまりなかっただろう。

 

「ご主人様は、結構面倒くさがりなんですよ」

「め、面倒……」

 

皇帝の仕事を面倒の一言で片づけた孔明に、賈駆は軽くめまいを覚えた。

実際この時代の政治制度は儒教と深く絡み合っており、めちゃくちゃ面倒なのである。

礼だの仁だの孝だのと、時には占いで国家政策を決めたりする。儒教そのものを否定するつもりはないが、政教分離を掲げる彼にとっては、占いで政策を決めるなど狂気の沙汰であった。

 

里の運営システムを知っている孔明も、洛陽の政治制度がヤバいことに気づいていた。そして実際に体験したことで、想定していた以上にヤバいことに気づいた。

これを改革するには途方もない労苦と時間がかかることも容易に想像できた。しかし急激な改革は反発も大きい。始皇帝がそうであったように。

神様には近寄らず、遠くで崇めておくくらいがちょうどいい。そんな言葉を孔明は思い出していた。

 

「それでも、権威は権威よ。確かに漢帝国の力は弱体化したかもしれない。でも皇帝陛下の威光はまだ健在だわ」

「確かにそうでしょう。表立って陛下に剣を向ける愚か者はおりません。袁紹さんも、周囲に担ぎ上げられたか、あるいは事態を深刻に考えていなかっただけかもしれません」

 

袁紹の心中など孔明には与り知らぬところであるが。

だが賈駆の疑いも、あながち的外れというわけではなかった。

 

もし袁紹が自ら彼のもとに交渉に来たのならば、彼は袁紹に協力していたかもしれない。

もし袁術が自ら彼のもとに来て、力を貸してたもれー、と言ったのならば、あっさり(ほだ)されたのかもしれない。

尤も、名門である彼女たちが、商人如きに頭を下げるなどありえないことだが。

 

国は興り、滅びるものというのは彼自身の言葉だ。

漢帝国が滅びたならば、しゃーない、切り替えていこう、とでも言うのだろう。

孔明はそんな予想をしていた。

 

「生き物は頭を潰せば倒れます。ですが、そうならない場合もあります」

「そんな生き物はいないと思うけど……言いたいのはそういうことじゃないのよね。それは国家の話?」

「いえ、曹操さんと袁紹さんの話です」

「……なるほどね」

 

賈駆はしばし考え込み、孔明の真意に気づいた。

孔明が考える以上に、彼は曹操を警戒していた。だが曹操軍は、曹操が斃れれば瓦解する。すぐさまそうはならなくとも、確実に機能不全に陥る。

対して袁紹軍は、そうはならないだろう。袁家には有能な家臣団がおり、豪族の力も侮れない。何より、袁紹が斃れれば、彼らは袁術を主と仰ぎ、一大勢力として結束するだろう。

 

「だから孫策か」

「はい。袁紹さんと袁術さんを、同時に討つためです」

 

袁家を南北に分断して、各個撃破する。それが孔明の策だった。

 

「北に龍を、南に虎を、そして西に麒麟を置く。これをもって国家の安寧とします。天下三門の計とでも名付けましょうか」

 

孔明は小さく笑った。

この中華は古来より異民族という外敵に悩まされてきた。彼らと戦うにせよ、共存するにせよ、必要なのは圧倒的な武力だ。平和とは常に武力の上に成り立ってきた。武器を捨てれば相手も武器を捨ててくれるという考えは、夢想家の妄言でしかない。

 

「皇帝陛下は、幼い方です。ですが、人の上に立つお方ならば、それに相応しい能力が必要です。それは文和様のお仕事であり、董卓様のお仕事ですよ」

「……責任重大ね」

 

賈駆は小さくため息をこぼした。

それから話は政務へと移った。

 

「文和様は、文祥さんをご存知ですよね」

「ええ、習禎でしょ。優秀よね」

「はい。彼女は洒脱な方で、議論に巧みで、兵士よりも政治家の方が向いていると思うんです。まずは彼女を厚く遇してください」

「……隗より始めよならぬ、禎より始めよ、か」

「はい。商家の人間でも出世できると知れば、もっと優れた者が出世を求めて集まるでしょう。能力主義の公布にもなります」

 

孔明は能力本位の人材登用を行うべきだと告げた。

これまでにも登用試験自体はあったが、白紙で出しても受かるやつは受かるし、満点回答をしても付け届けを忘れると落ちるという、有って無いようなものだった。

 

また実力主義の昇進制度とすることを提案した。現状は金やコネで役職が決められている。その最たるものが売官制度である。金を作る能力、コネを作る能力を否定するつもりはないが、やはり売官制度は愚策であったと孔明は思っていた。

財政が窮乏した際の増収策の一環だと分かってはいたが、それが官吏の腐敗による末路だということも理解していたからだ。

 

「そして信賞必罰を徹底し、監察部も作るべきです」

「督郵みたいなものかしら?」

 

督郵とは郡守の命令で領内を回る監察官のことだ。史実では劉備にボコボコにされたことで有名だろう。この督郵という役職は、地方官である太守の配下で、下から数えた方が早い端役である。しかし重要な役割であり、仕事の量と重さに対して俸給が釣り合っていない。だからこそ汚職が生まれやすくもなっていた。

 

簡単に言うと、督郵とは大した地位でもないのに監察の権限で人の弱みを握ったり、でたらめを吹き込んだりして人を陥れる存在である。

と、多くの人が認識していたわけだ。

だからこそ劉備は、督郵如きに侮られたとキレてボコったのだ。

 

しかし真っ当な者を監察官にすれば、不正は減るだろう。

それからも話は続き、賈駆の不安を取り除いた孔明も酒で口が軽くなったのか、里のことについても語り始めた。

 

「先ほども言った通り、ご主人様に権勢欲はありません。田舎で静かに暮らしたいと思っているでしょう。しかし里の、塩のもたらす経済力は非常に大きいものです。今までは大陸が乱れていたためにあやふやにされていましたが、太平の世になれば、里に対しても何らかの処置が行われるでしょう」

「ボクたちにそんなつもりはないけど、先のことまでは分からないものね。じゃあ里の人間を官僚にすればいいんじゃないの?」

 

賈駆の指摘に、孔明はふるふると首を横に振った。

 

「官僚を里の人間で固めれば、それこそ国家の乗っ取りだと思われます。それよりも私は、漢帝国の外郭組織として、里は在るべきだと思っています。独立部隊ならではの機動力を活かして数々の有事に即応します。各州に対する独立捜査権を持ち、あらゆる事態に対応できる独立治安維持部隊。それが里の立ち位置として最適だと考えています」

「……要するに、大陸規模での警邏隊のようなもの?」

「そう考えていただいて構いません。国が主で、里が従です。国家に忠誠を誓うことで、里の立ち位置を明確にします」

 

塩というのは国家の重要な財源であり、春秋戦国時代にも秦と楚が塩をめぐって争った。

最後は秦の名将白起が楚の都、(えい)を陥落させて決着となったが、これは領土獲得戦争であると同時に、塩の採れる地をめぐる戦いでもあったのだ。

塩鉄論からも分かる通り、塩と鉄は国家の最重要物資である。塩で戦争は起きるのだ。

孔明はそれを危惧していた。

 

「その構想は彼も知っているの?」

「いえ、まだ草案の段階ですので。ですが、同じような構想は持っていると思います。以前におっしゃったのです。"鐘"が必要だ、と」

「警鐘を鳴らす役目か。確かに、らしいといえば、らしいわね。でもそういった組織は……」

「はい。特権意識は傲慢を生みます。指揮官の選出は念入りに行うべきでしょう。どんなに清廉潔白な人間でも、魔が差すということはあり得ます。人の心は、そこまで強くありません」

「そこまで分かっているのなら、言うことはないわ。とはいえ、いくらかの時間が必要でしょうけど」

 

賈駆はクスリと笑った。

さらに孔明は、主のことについても語り始める。

 

西方との交易に興味を持っていること。

芸人のために歌や踊りを考えていること。

医療発展のために五斗米道を取り入れたこと。

空飛ぶ船を開発していること。

 

賈駆は空飛ぶ船のくだりがツボに入ったのか、机を叩いて大笑いした。

 

 

 




某戦艦のコック長も塩の重要性を説いています。塩は健康状態に大きく関係するもので、戦場にも大きな影響を与えます。
中国では塩税が原因でクーデターも起きています。まあこれは塩に重税をかけた国が悪いんですけどね。


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閑話-虎と狸-

短めの閑話をあと二回ほど挟んで本編に戻ります。



「張勲様はあちらの天幕にいらっしゃいます」

「ええ、どーも」

 

孫策は袁術軍の兵士に軽く手を振って歩き出した。

 

(まったく、撤退準備で忙しいってのに、今さら何の用かしら)

 

辺りは夕闇が支配していた。汜水関を突破できなかった連合軍は、ついに撤退を決意した。今は各陣営とも撤退準備を始めている。

それは孫策も例外ではなかった。

 

揚州に残っている孫権が立ち、豪族たちを制圧する。そして、孫策と迂回した官軍で挟撃して袁術軍を叩くという手筈だった。

 

(まさか気づかれた? いえ、細心の注意を払っていたのよ。張勲に妙な動きもなかった……はず)

 

天幕の前で立ち止まり、周囲を見渡す。兵士は一人もいない。人払いがされているようだ。

 

「孫策よ。入っていいかしら?」

「どうぞ~」

 

中にいたのは張勲一人だった。

 

「あなた一人?」

「お嬢様はおやすみになられてますよ~」

 

気配は張勲のものしか感じなかった。伏兵はいない。

 

「用があるなら手短にね。お互いに忙しいでしょ」

「では手短にいきましょうか。孫策さん、あなた、董卓さんと繋がってますよね?」

「……なぜそう思うの?」

「あははっ、孫策さんは素直ですね~」

 

孫策は心中で舌打ちした。なぜバレたかは分からないが、張勲には確信があるのだ。即座に張勲を殺ることを考えたが、時期がマズい。まだ他の陣営も残っているし、今の戦力で袁術軍を相手にするのは分が悪い。

なにより、丸腰の張勲を斬り捨てたとあっては、自分の名が落ちる。孫策は一瞬でそこまで考えを巡らせた。

 

(私の武器を取り上げなかったのはそれが理由か!)

 

孫策は鋭い目つきで張勲を睨みつけた。しかし、張勲は涼しい顔のままだ。

 

「参考までにお教えすると、瞳の動きを見たり、呼吸の変化だったり、まあ色々です。まだ疑惑の段階だったんですけど、いま確信になりましたね」

「……それで、なんで今なの? 怪しいと思っていたなら、私たちを城攻めに使って損耗させるなり、やりようはあったでしょう」

「う~ん、もうそういう段階じゃなかったんですよ」

 

張勲はあっけらかんとそう答えた。

 

「どういうこと?」

「分かりませんか? 董卓さんが冀州を攻めた段階で、負けは決まっていたということですよ。私の読みでは、董卓さんは孤立無援、冀州に兵を出す余裕なんてない状態で、物資にも余裕がないはずでした。焦りは判断を誤らせます。勝てる戦だと思ったんですけどね」

「それってほぼ最初からじゃない」

「そうですよ? 戦いなんて事前準備の段階で大体勝敗は決まっているものです。実際に干戈を交えるのは仕上げにすぎません。それを覆すのが英傑と呼ばれる人たちなんですけど、うちにはいませんでしたね。麗羽様……いえ、田豊さんは下手を打ちましたね。田豊さんは政治家としては優秀なんですけど、軍師としてはちょーっと素直すぎるんですよね。あとは(おご)りもあったんでしょう。驕りって怖いですね~」

 

張勲は他人事のようにクスクスと笑った。

洛陽の経済封鎖には張勲も一枚噛んでいた。長期戦になればなるほどこちらが有利であり、また董卓は内部にも敵を抱えている。彼らは他人の足を引っ張るということにかけては一流だった。

ほどなくして内部分裂を起こし、それは崩壊の引き金となる。連合軍の脆さは張勲も気づいていたが、これは勝てる戦だと思っていたのだ。

 

「馬騰さんはもしかしたら、くらいには考えていたんですが、公孫賛さんは予想外でしたね。あの人はなんだかんだで麗羽様に付くと思ってたんですけど、かなり思い切った賭けに出ましたね~」

「そうね。黄巾の時に少し見かけたけど、あんまり覚えてないくらいには地味だったわね」

「そうなんですよ。してやられましたね~。開戦からこっち、洛陽の情報も入って来ませんし、これはもう完全にダメみたいですね」

 

張勲は平然と言ってのけた。

 

「随分と諦めがいいのね」

「まあ挽回する策もないわけではないんですけど、どうしても博打的要素が大きいんですよね。それに名士や豪族(あほども)の相手をするのもいい加減疲れましたし」

「……本音が漏れてるわよ」

「ありゃりゃ、これは失敬」

 

テヘッと舌を出して、張勲は自分の頭をポカリと叩いた。地元の有力者を優遇すると統治は安定しやすいが、君主の権力が相対的に弱くなり、指揮系統が一本化されていないために行動を起こしづらく、直轄軍が弱体化する。

今さらこの体制を見直そうとすれば、内部崩壊を起こして荒れに荒れるだろう。

張勲は袁術軍のNo.2であるが、出来ることには限りがあった。

 

「そろそろ本題に入ってくれない?」

「ああ、そうでしたね。お嬢様の助命嘆願ですよ。ついでに私の命も保障してください」

「……そういうことか。あなた、袁家にはなんの執着もなかったわね」

 

孫策は呆れたようにため息を落とした。張勲と名士豪族の間に信頼関係はなく、お互いに利用し合う関係でしかない。彼らは窮地となれば袁術の首を差し出して命乞いをするだろう。

だからこそ張勲は、わずかでも可能性の高い孫策を選んだ。

 

「どうせお嬢様も逆賊にされるでしょうから。こっちも必死ですよ」

「そこまで見えてるのね」

「やるなら徹底的にやるのは当然ですよ。董卓さん、いえ王朝にとっては袁家は目障りでしょうからね~」

「なんていうか、変な方向に思い切りがいいのね」

 

やっぱりこの女は苦手だ。孫策は内心で独りごちた。

 

「董卓さんがどこまで殺るかは、ちょっと読めないですけどね。もしかしたら、世はまさに大粛清時代! に突入するかもしれません。でもまぁ、二袁は確実に殺るでしょうね~」

「笑いながらよく言うわね。で、逆賊ともなれば首を要求されるのも分かってるでしょ。私に官軍を欺けと?」

「そこはどうとでもなりますよ。細かいところは周瑜さんと詰めますので、まずは孫策さんに私たちの命を保障してもらいたいんですよ。孫策さんも、子供の首を刎ねるのは気分が悪いでしょ?」

「……どうでしょうね」

 

孫策は苦虫を嚙み潰したような顔を見せた。孫策も袁家の事情は、少なからず理解している。袁術に同情する気持ちもある。色々と理不尽な思いもしてきたが、世話になったことも確かなのだ。

ここに周瑜がいれば、リスクが高すぎるとはねのけたのだろうが、張勲はそれを見越して孫策と一対一での話し合いに臨んだのだ。

意外に甘く、情に厚いのが孫策伯符という女だった。

 

「兵だって民ですから、働き手が減るのは統治に困りますよね。あなたたちにも利はあるはずですよ? 撤退中に襲われて、官軍まで加わったら勝ち目なんてないですからね~」

「……やっぱりあなた優秀だわ。で、行く当てはあるの? 袁紹がもうダメなのは分かってるんでしょ?」

「そうですね。当てというか、行くところはひとつしかないんですけど」

「そう。あるならいいのよ。ああ、言わなくてもいいわ。興味ないから」

「ありゃりゃ、まあその方がお互いのためかもしれませんね」

 

こうして、交渉は妥結された。

 

「じゃあ準備がひと段落したら周瑜さんをよこしてくださいな。あっ、こちらから出向きましょうか?」

「いいわよ別に。じゃあまた後でね」

 

そう言って、孫策は天幕を出ていった。

その背を見送りながら、張勲は吐息を漏らした。孫策は気づいていなかったが、張勲もギリギリの綱を渡っていたのだ。

 

「まずはひとつ、ですかね。さて、噂の及時雨(きゅうじう)さんはどんな人なんでしょうね~」

 

まだ見ぬ人物に思いをはせながら、張勲は北方に視線を向けた。

 

 

 




及時雨というのはめぐみの雨という意味で、水滸伝に登場する頭領、宋江のあだ名に使われています。
これは宋江が困っている人を助けずにはいられない、めぐみ深い人だったからです。
水滸伝は三国志よりも後の時代の話ですが、及時雨という言葉自体はあったんじゃないかなぁと。


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閑話-採掘場での一幕-

おっさんが一方的にしゃべるだけです。
第五話でちょっとだけ出たあいつ(・・・)の正体が判明します。
時系列は連合結成前です。



ああ、嬢ちゃんか。どうした、現場に来るなんて珍しいじゃないか。

うん? 大将のことを聞きたい? まあ、構わないぜ。

呼び方か? みんな好きに呼んでいるな。村長、里長(さとおさ)、会頭、頭領、お館様、師父なんて呼ぶやつもいる。

おっと、会頭はもう緑飛に譲ったんだったか。

俺たちは昔から"大将"さ。

 

さて、じゃあ詰所にでも行くか。

おまえら、俺は外すけど予定通りにやれよ!

安全第一、いのち大事に、忘れんじゃねぇぞ!

何かあったら呼びに来い!

んじゃ行こうか、嬢ちゃん。

 

さて、酒でも出してやりたいところだが、ここには水と塩飴しかねぇからな。

そういや緑飛から聞いたが、デカい取引が決まったんだろ。南の、天才ちゃんとこの。

「私は天才だぁ~」が口癖の天才ちゃん。まあその割には、武でも碁でも緑飛にやられたらしいが。まあ緑飛も大将に鍛えられてるからな。そこらの腕自慢には負けんよ。

 

でも大将は気に入ってるみたいなんだよな。蜂蜜とか馬とか農具とか、まとめて買ってくれるお得意さまだからかな。

徐州の豪族の娘だって話だから、金持ちなんだろうな。

 

おっと、大将のことだっけか。何が聞きたいんだ?

ふむ。大将がどこで学んだか……か。

仙人に教わったんじゃねぇかな。

ああ、別にはぐらかしてるわけじゃないぜ。ほら、張良だって黄石公って仙人から色々学んだっていうじゃねぇか。

 

ははっ、意外かい? 俺なんかが張良を知ってるのが。まあ具体的に何をしたかってのはよく知らねぇがよ。昔の偉い人だってことくらいは知ってるぜ。

まあ普通に都で学んだんじゃねぇかな。出会った時も良い身なりだったし。元貴族で、没落したか追放されたかってとこじゃねぇかな。ま、これは俺の予想だけどな。

 

うん? 大将の知識は既存のものとは隔絶している、か。水鏡って偉い人のとこで学んだ嬢ちゃんがそう思うのか。

ああ、なんて言ったかな。全ては思考の延長にある、だっけか。

わからないか? そうだな、水を温めればお湯になる。もっと温めれば沸騰して湯気が出るだろう? 湯気は空に昇っていく。なぜだと思う?

 

そういうものだから、か。まあ俺もそう思ったよ。そんなこと真面目に考えねぇよな。これは熱の力っていうらしい。水を温めれば空に昇る。空気も同じだ。温めれば空に昇る。その温めた空気を集めれば、人も空に昇ることができる。

 

まあそんな顔にもなるよな。俺たちも最初は同じ顔してたと思うよ。でもさ、大将はいつだって俺たちの理解できないものを作ってきた。

まあ、うんことにらめっこを始めた時は、気でも狂ったのかと思ったが。

 

いや、よく分からん。今でもよく分からん。一般人がしょうせきの作り方なんて知ってるわけねぇだろ! って叫んでそれきりだ。

しょうせきって何なんだろうな。

 

おっと話が逸れたな。

このくらいの、小さい模型だったな。ちゃんと飛んだんだよ。空に昇って行った。大将の言ったことは間違ってなかったんだ!

 

ああ、すまんな。ちょっと興奮しちまった。あれが空飛ぶ船の原型だったんだろうなぁ。

あっ、これ言っちゃだめなやつだったのかも。まあ嬢ちゃんならいいか。大将の張良だしな。

ははっ、そんな照れなくてもいいって。でも誰にも言わないでくれよ。まあ空飛ぶ船なんて誰も信じないだろうけどな。

 

大事なのは、そんなモンだで思考を止めないことらしいぞ。思考を……なんだっけな、思考を……そう、ふらっとさせるって言ってたな。

頭を柔らかくしろってことだと思うぜ。常識だとか、先入観とか固定観念とか、そういうのは思考を狭めるって。

まあ偉そうに言ったところで、全部大将の受け売りだけどな。

 

そういや、嬢ちゃんも大将から気を習ってるんだろ? 武人に向いてるとは思えねぇが、気の巡りは重要だぜ。俺には武才はなかったが、気を意識しだしてから、病気とか罹りにくくなったし。

大将は、嬢ちゃんたちなら気功波が撃てるって期待してるみたいだぜ。

 

ははっ、気功波が撃てるやつなんて、うちでも片手で足りるくらいだからな。できなくても気を落とすことなんてねぇって。

まあそいつらでも関羽の嬢ちゃんや張飛の嬢ちゃんに敵わねぇんだから、上には上がいるもんだな。

噂の飛将軍ってのは、一人で黄巾の三万をぶっ倒しちまったんだろ。想像もできねぇな。

 

大将とどっちが強えかな? 飛将軍も強いんだろうけど、大将が負けるところも想像できねぇな。

ん? ああ、大将は強いぜ。一番の激闘っつったら、羌渠(きょうきょ)との一騎打ちだな。羌渠ってのは匈奴の単于で、九尺(当時の一尺は約23cm)はあろうかっていう大女さ。

 

あいつらには色々と掟があってな。そのひとつに、年下から挑まれた場合、逃げてはいけないってのがあるんだよ。

戦いは一刻(二時間)は続いたかな。お互いボロボロになってさ、最後に大将の大技が決まったんだ。

あの巨体がものすげぇ高さまでふっ飛んでた。ああ、こりゃ死んだなって思ったもんだ。

 

これは後から知ったんだが、あの技は気の爆発以上に、生きようとする力を極限まで高めることが必要なんだと。まだ未熟だから窮地になるまで使えなかったって大将は言ってたな。

まあ未熟だろうと未完成だろうと、威力は凄まじいモンだったよ。

 

でもな、羌渠は耐えきったんだ。フラフラになりながらも立ち上がったんだ。

けど戦いが続けられる状態じゃなかった。そのまま(くび)を刎ねられて終わり。みんなそう思った。でも大将は違ったんだ。

 

――見事な武であった

 

そう言って、羌渠を抱きしめたんだ。

それからだな。匈奴との交易が本格的に始まったのは。今じゃあ二人は刎頚の友ってやつさ。

男女の仲だったのかは……と、嬢ちゃんにはちょっと早かったか。

 

まあ、これでめでたしめでたしとはならなかったんだがな。匈奴も一枚岩じゃない。羌渠が負けたって噂はすぐに広まって、結構大変だったらしい。

鮮卑や烏桓もいるしな。まあ烏桓は公孫賛様のおかげで、かなりおとなしくなったみたいだが。

 

おっと、呼ばれちまった。悪いな、嬢ちゃん。俺は仕事に戻るわ。空飛ぶ船のことは黙っといてくれよな。そんじゃ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(あわわっ、すごいこと聞いちゃった。誰にも言っちゃいけないって言われたけど、朱里ちゃんだけにならいいよね。もし本当に空飛ぶ船が完成したら、戦の常識がひっくり返っちゃう!)

 

 

 




さすがに硝石の作り方は知らなかったもよう。


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第六話 決着

夜が明けたら連合軍が消えていた。

夜陰に紛れて撤退したのだろう。まあ、孫策からの連絡で知ってはいたが。

いよいよ冀州が危なくなってきたからな。無念の撤退といったところだろう。

 

食糧の問題もあるだろう。適当に削った後は、兵を殺さないようにしていたからな。こういうのが地味に効いてくるんだ。

今のところ逆賊と公布しているのは袁紹のみ。他の諸侯は袁紹と距離を取りたがっているはずだ。

いやぁ、終わってみれば楽勝だったなガハハ。

 

「……おはよう」

「おはようですぞ!」

「おはよう、恋、音々音。ちゃんと朝飯は食ったか?」

「ん、お腹いっぱい」

「準備も万端整ってますぞ!」

 

恋はかわいらしい仕草でお腹をポンポンと叩き、音々音は元気一杯に両手を突き上げた。

 

「そうか。では手筈通りに」

「ん」

「お任せあれ、ですぞ!」

 

恋と音々音が追撃の準備に入る。

二人には袁術と、ついでに劉表を追撃してもらう。劉表は宗室の一人であるのだが、皇族の末裔でありながら反逆者の味方をしたのだ。討たれても仕方ないだろ。

だが最後にチャンスは与えるらしい。洛陽に来て頭を下げるなら、命だけは助けるのだとか。身内には甘いな。まあ皇帝もまだ子供だしな。

そういう甘さ、嫌いじゃあないぜ。俺は劉表に思うところなんてないし、別に嫌な思いもしてないからな。

 

このタイミングで孫策が袁術に対して反旗を翻し、揚州を平定する手筈となっている。

まだ公布はされていないが、袁術も逆賊として処分する手筈が整っている。当然この情報は孫策にも知らせてある。

 

「では華雄、後を頼む。期日までに何もなければ帰還してくれ。副官として愛紗と青龍隊の半分を置いていく。何かあれば相談してくれ」

「うむ。任せておけ。だが本当にいいのか? これ(・・)を貰っても」

「ああ、これからは精鋭部隊だけではなく、好きに使ってくれて構わない」

 

(あぶみ)は里でも秘中の秘だったが、北郷一刀という存在が現れたからには、これ以上隠しておく理由はない。

恋から孫策にも伝わるはずだから、少しは楽に戦えるだろう。

ほかの秘匿技術も売れるうちに売っておいた方がいいかもしれないな。

 

「では遠慮なく貰っておこう。しかしこうなると、袁術の兵に同情するよ。鐙を得た恋は、虎が翼を得たようなものだからな」

 

華雄は南方の空に向かって呟いた。

虎は孫策だろ。それに、虎に翼は悪い意味で使う言葉だから、そこは鬼に金棒とか獅子に(ひれ)とかの方がいいんじゃないかな。

 

さて、話に出てきた袁術は無類の蜂蜜好きだったため、かなり稼がせてもらった。当たり前の話だが、商品というのは中間業者を挟めば挟むほど最終価格が上がる。

希望小売価格とか独占禁止法なんてものはないが、他の商会から恨みを買うのは避けた方が良い。儲けは分け合うものだ。

 

最終的にどのくらいの値段で袁術が買ったのかは分からないが、買い付け業者は頻繁に来ていたので、莫大な利益を生んだ。

うちの蜂蜜は他商会の扱う蜂蜜とは品質がダンチだからな。一度うちの蜂蜜を味わえば、他の蜂蜜では満足できなくなるのだ。

ありがとう。まだ見ぬ袁術よ。キミのことは忘れるまで忘れない。安らかに眠ってくれ。

 

「では、先に戻らせてもらう」

 

汜水関を華雄に任せ、俺たちは涼州勢と共に洛陽へと向かった。

さて、今後の策としてはこうだ。

まず連合軍を討伐する一助となった孫策と曹操に褒賞を与える。

孫策には袁術討伐の恩賞も含めて荊州も与えるつもりだ。

 

いきなり揚州と荊州の運営は、さすがにパンクするかもしれんが、張昭とか周瑜がいるなら大丈夫だろ。魯粛もいるしな。なんで魯粛はあんなキャラになったんだろうな。まあ見てる分には面白いけど。

村長として(・・・・・)色々教えてやったから、農業についてはかなり詳しくなったんじゃないかな。

やっぱ生産力上げるのが一番なんだよ。

 

そして曹操だが、まずは適当な将軍職を与える。そして霞、公孫賛と合流して袁紹を叩いてもらう。

この汜水関の戦いで曹操軍はほとんど損害を受けていないから、糧食をこちらが用意してやれば、軍を動かすのは容易のはずだ。

必要なら兵を貸してもいいし。

 

そして袁紹討伐の恩賞として、九卿あたりの席を用意する。史実の曹操は最後まで皇帝にはならなかったから、漢帝国への忠誠心はある程度あったはずなんだ。

個人的には丞相にして縛り付ける方がいいと思っているが、さすがに実績が足りない。

 

……うん、いや感覚が麻痺してるな。ついこの間まで地方の一官吏だった董卓が相国で、賈駆が太尉で、官職でもなかった俺が征南将軍だもんな。

通常じゃあありえない人事だ。洛陽の混乱っぷりが如実に現れている。

 

一応言っておくと、皇帝に官職を与えられると、官人は断れない。皇帝様のお言葉はすべてに優先するのだ。これを辞退すれば、曹操も反逆の意志ありと判断される。

この策の要諦は最初から最後まで、曹操に「選択肢を与えない」ことだった。

 

曹操が連合に潰される可能性もあったが、曹操って地味に生存能力高いんだよな。代表的なのは赤壁と涼州討伐か。関羽と馬超に殺されかかっている。どちらも九死に一生レベルだったが、ちゃんと生き延びた。

まあ潰されたら潰されたで、次善策に切り替えるだけだが。

 

曹操の感情は複雑だろうが、部下は諸手を上げて歓迎するんじゃないかな。間違いなく大出世だし。

というかたぶん、曹操は気づいていたと思う。後半の攻め方がそんな感じだった。立ち合いは強く当たってあとは流れで……みたいな。特に夏侯惇は迫真の演技だった。恋との一騎打ちは、俺との一騎打ちが埋もれるくらいの名勝負だった。

恋もかなり頑張ったと思う。演技的な意味で。

 

洛陽に帰還した俺は、すぐに賈駆と打ち合わせを行った。

 

「あ、ごめん。のっくをするべきだったかしら?」

「いいさ。俺とキミの仲だ」

「もう。一体どんな仲よ」

 

賈駆は呆れたようにため息を零した。

 

「でもいいわね、これ。来訪の合図。習慣がないから、忘れることもあるけど」

 

近くの壁をコンコンと叩きながら、賈駆は小さく笑った。

 

「勅は用意してあるわ。あとは、誰が曹操のところに行くか、ね」

「やはり三将軍の皇甫嵩殿か朱儁殿だろうな。曹操も従いやすいはずだ」

 

噂通りなら曹操軍の幹部は女でまとめられているらしい。例外は北郷一刀だけだとか。これはこの世界だとそれほど珍しくもないのだが、曹操の場合はより顕著というか、特に軍師の荀彧の男嫌いは有名だ。

感情を見せないのが軍師の鉄則だろうに、男嫌いを公言しているらしい。問題なのは、それを曹操が矯正させてないってところだな。

 

将は女が多いが、兵士は大多数が男だ。荀彧は男を使い捨てるつもりだ、などの噂を流せば、相当マズいことになるんじゃないかな?

まあ今のところは曹操のカリスマでもっているみたいだが。

 

史実の荀彧は割と好きなキャラだったんだけどな。曹操の臣下でありながら、漢の忠臣でもあり、漢王朝を助けて国家を安定させることで、曹操は忠誠を誓うべきだと主張していた。最期の空箱のくだりとか、色々と考えさせられて、涙を流したのを覚えている。

ぶっちゃけた話、曹操は頭の回転が早すぎるためか、衝動的なやらかしを犯すことが多いイメージだ。呂伯奢の件とか、鶏肋の件とか。

……いかんな。史実に引っ張られすぎてはいけないと思いつつも、こうしたことを考えてしまう。

 

この世界の曹操がどうかは分からない。付き合ってみれば意外といいやつなのかもしれないし、荀彧も単なる風評被害なのかもしれない。

ふむ、機会があれば話してみてもいいかもしれんな。

 

袁紹と袁術を打倒すれば、おおよその問題は解決したと言える。内部の問題は多少残るが、宦官を一掃したことで風通しは良くなった。

もう宦官制度は廃止した方が良い。悪い文明だろアレ。そもそも女が皇帝になれるって時点でなぁ。いや、皇帝が女だから、周りに男がいると姦通の可能性が生まれるのか。

だから女の宦官がいたんだな。

うん? じゃあ男の宦官は何のためにいるんだ?

なんかこんがらがってきたぞ。

……もうこの話はやめよう。ハイ、やめやめ。

 

益州はしばらく様子見だな。

劉焉は張魯を利用して独立する野心を持っていたとされているが、張魯の提唱した五斗米道が気功医療だったからな。元々の五斗米道も病気治療を基本としているが、その時代らしく、祈祷がメインの治療だった。宇宙の神がどうたら的な。

 

医療とはいえ、気功が使える者を大勢抱えているってのは、確かに危険視されてもおかしくない。だがあいつら、なんというか変人の集まりなんだよなぁ。

里にも来たんだよ。そんでいきなり「あなたが神か!?」ときたもんだ。

 

なんか知らん間に及時雨とかいう噂が流れていたらしい。

……俺は宋江だった?

つーか神は張魯じゃねぇのかよ。教義はどうなってんだ、教義は!

 

そんな気功医療が得意なフレンズたちだが、あいつらは人を治療することに喜びを感じる良い変人だったので、反乱を起こすとも思えなかった。

劉焉も今のところ怪しげな動きはしていないし、あまり史実を当てにしすぎるのも良くないな。董卓がアレだったし。

 

涼州は問題ないだろう。そもそも涼州と中央の関係が微妙だったのは、物資の問題が大きい。要するに中抜きと賄賂だ。

これは董卓が相国になったことで解消された。

 

「そうね。いやまあ、実際よく勝てたものだと思うわ。アンタたちが来るまでは、月を逃がすことも視野に入れていたもの。かなり悲観的だったわね」

「ふっ、これが結束の力だ」

「……随分とクサいこと言うのね」

 

賈駆のまなじりが少しだけ下がった。だが連合軍に纏まりがなかったのは事実だ。袁紹は冀州が攻められてストレスが溜まっていただろうし、曹操は内通を疑われてストレスが溜まっていただろうし、他の諸侯は損害が増えるだけで事態が進展しないものだから、かなりストレスが溜まっていただろう。

 

というか、孫策からの情報では、かなりの緊張状態だったらしい。袁紹がおよび腰の諸侯の頸を刎ねる寸前までいったとか。

追い詰められた人間は何をするか分からんな。

 

そんなやつらがそんな状態で会議して、建設的な意見が生まれると思うか? 出たとしても疑心暗鬼で、誰も従おうとしないだろう。

つまり、みんな早く帰りたがってたんだ。

攻めの最中も、何が何でも落としてやろうという気概はなく、損害を抑えようとしている攻め方だった。

 

「……それと、アンタこのまま洛陽に残るつもりはない?」

「いや、それは最初に言った通りだ。この騒動が落ち着いたら、将軍職を返上して幽州に帰るさ」

 

ぶっちゃけ洛陽ってそんなに魅力的でもないんだよな。住めば都っていうけど、やっぱ実家が一番だよな。

 

「じゃ、じゃあさ。青龍隊だけでも置いていってくれない? 全員じゃなくていいから! 半分……四分の一でもいいから!」

「あれは一時的な処置だと言っただろう。代わりは見つからないのか?」

 

俺がそう言うと、賈駆はガクンと肩を落とした。

 

「ボクたちって結局涼州の田舎者だからさ。名家に伝手とかないし。それに宦官を一掃したのもね。あんまり評判良くないのよ。いえ、後悔はしてないわ。あいつらは本当に害悪だったし。でもさ、党錮の禁の再来とか、田舎者が本性を現したとか、色々言われてさ……ははっ、まあ田舎者なのは間違いないんだけどね」

 

ふむ。これは相当参ってるな。前は前で相当なストレスがあったと思うが、それが改善されて、今度はそれが失われるかもしれないという不安を抱えているのか。

朱里と雛里からは改善策が提示されているはずだし、二袁が倒れれば人も集まると思うのだが、先のことは誰にも分からんからな。

 

いっそのこと支店でも置くか? 前は腐敗が酷くて近寄る気にもならなかったが、今なら大丈夫だろうし。

……いや、やっぱダメだな。近すぎるのは、嫌な予感がする。人間ってのは、大体欲を出して失敗するのだ。"金"は必要だが、過ぎたる欲は破滅へと繋がる。

 

富は海水のようなものだ。飲めば飲むほど渇きを覚える。

至言である。幸せの青い鳥は実家にいるものだ。

そもそも洛陽に行きたがるやつ……いるか? 出張じゃなくて常駐だぞ。劉岱は絶対嫌がるだろうし、うちに染まってなくて、上昇志向のあるやつ。まあ探せばいるだろうけど。

 

霊帝が崩御したのは、タイミングとしては良かったと思う。濁った水の中に綺麗な水を入れても、濁りが薄くなるだけで綺麗な水になるわけじゃない。

一度濁った水を全て捨てる必要があるのだ。

漢王朝を延命させるつもりなら、大改革が必要だ。新帝はまだ幼いが、それ故にきちんと教育すれば、まともな王にはなるだろう。

 

それはキミらでやってくれ。俺は面倒だからクールに去るぜ。

自分で言うのもなんだが、有能な臣って割と敬遠されやすいんだよね。李牧は処刑されたし、楽毅も新王に謀反を疑われて亡命することになった。まあ敵の計略ではあったんだけどさ。やっぱ離間の計って怖いなー。

 

上手いこと立ち回ったのは……王翦とか? 俺に王翦と同じことができるとは思えんし、俺は独自の勢力を持っているからな。

面倒になるのは目に見えている。朝廷とは距離を取っておいた方がいい。

神様ってのは、お供え物して遠くで崇めておくくらいがちょうどいいのだ。

 

「なんだかんだ、武人気質のやつらが多いからな。ほら、霞も華雄も書類仕事はできるけど、そればっかりやらせてたら癇癪起こすだろ?」

「……まあ、そうね」

 

恋は全然書類仕事やってないんだよな。大体音々音が引き受けて、たまに高順や臧覇が手伝っている。

呂布って主簿(会計みたいな役職)やってたはずなんだけど、やっぱ史実に引っ張られすぎるのは良くないな。

ただ強さは史実の呂布以上な気がする。まあ史実の呂布なんて知らんし、気なんてものがある時点でお察しだけど。

 

「希望者がいれば残してもいい。それでも足りなければ、里から文官に向いているやつを回してもいい」

 

その言葉を聞いて、賈駆は花が咲いたような笑みを浮かべた。

 

「ホントね! 約束よ! 言質取ったからね!」

「お、おう」

 

必死すぎだろ。そんなに切羽詰まってたのか。

 

「ひとつ胸のつかえが取れたわ。この乱が終わったら、そうね。中庭に花を植えるわ。希望の花を」

「それもいいかもな」

「ふふっ、じゃあ曹操への使者を手配をしてくるわ。それじゃあね」

「ああ」

「あっ、それとさ」

 

何かを思い出したように、賈駆はこちらに振り返った。

 

「色々あったから、時期を外しちゃったけど、ボクのことは詠って呼んでいいから」

「そいつは光栄だな。だが前にも言ったと思うが、俺に真名を交換する習慣はない」

「うん。分かってる。呼んでくれるだけでいいから」

「そうか。ならそうしよう。詠」

「う、うん。じゃ、じゃあ後でね」

 

そう言って、詠は駆けて行った。

やれやれ、これでひと段落といったところか。さすがの曹操も勅命を無視してまで袁紹を助けようとはしないだろう。

 

ふと思い、空を見上げる。

抜けるような青空が広がっていた。この歪な世界でも、空の青さは変わらない。

そう、歪なのだ、この世界は。

 

三国志に似た世界。三国志を模して創られた世界。

作為的な世界。何者かの意思を感じる世界。

なぜ俺がこの世界に来たのかは分からない。だが、いきなり来た以上、いきなり戻る可能性も考えておくべきだ。

だから俺に依存したシステムはあるべきじゃない。

 

商会もほとんど俺の手を離れている。いま俺がやっていることといえば、新商品の開発くらいだ。里の運営も朱里たちがいれば大丈夫だろう。

……大仕事が片付いたせいか、妙なことを考えてしまうな。

腹が減ってきた。何か食べるか。

俺は食堂に向けて歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「チェック。いや、チェックメイトですね、これは」

 

道士服を着た青年が、眼鏡をクイと押し上げながら薄く笑った。

ゲームは終局へと向かいつつあった。外史、疑似世界ともいうべき世界で、于吉の用意した"駒"は、相手の"駒"をほぼ完封している状態である。

 

「く、くやしぃ~! でもまだよぉ~! ご主人様ならここからでも挽回してみせるわぁ~!」

「いや、無理でしょう。あの曹操が袁紹と組むとは思えませんし、勅命を無視するとも思えません。というか、曹操はすでに察していますよ。ここから北郷がどうあがこうと覆すことは不可能です。漢王朝は滅びず、天下は治まった。漢帝国の一部に組み込まれた曹操が、逆賊というリスクを背負ってまで天下を目指すとは思えません。三国は生まれず、曹操の天下もなくなりました」

 

于吉は盤上を見下ろしながら、傍にあったティーカップに手を伸ばした。

 

「先手を渡したのは失策でしたね。天の御遣いなどという怪しげな称号より、やはり時間の方が有意義でした」

「言葉もないわねぇん」

 

于吉の正面に座る漢女(おとめ)、貂蝉は胸筋をピクピクと震わせながら項垂れた。とはいえ、貂蝉にとって天の御遣いに相応しいのはただ一人であって、最初から譲る気はなかった。

 

「彼は面白い駒でしたよ。あなたも、北郷一刀にこだわらなければ、もっと良い勝負ができたかもしれませんね」

「ご主人様の侮辱は許さないわよ。私がご主人様以外を選ぶなんてぇ、それこそありえねぇんだよ! ぶるぁぁぁ!」

「……そうムキにならないでください。冗談ですよ」

 

于吉は呆れたように肩をすくめた。

増え続ける外史。無数の可能性の世界。それは正史と枝分かれしたパラレルワールド。

于吉と貂蝉は、両名とも外史の管理者であった。ゲームマスターともいえる存在だが、ゲームを支配できるわけではない。

管理者権限でできることといえば、能力を制限された上での介入と、ゲーム盤に"駒"を招き入れることくらいであった。

そして二人の関係は複雑である。同じ管理者で同族的な間柄ではあるが、仲間というわけではない。

 

「共闘ルートもあり得ましたが、まさか張角になるとは予想外でした。あそこで流れが変わりましたね。まあ、たまにはこんな遊戯も悪くありませんね。なかなか楽しめましたよ」

「この後、彼はどうするつもりなのぉん。ご主人様には及ばないまでも、彼もなかなかイ・イ・オ・ト・コだったわぁ。使い捨てるというのなら……」

 

貂蝉は眼光を鋭くして于吉を睨みつけた。

 

「そこまで不義理ではありません。帰るか残るかくらいは選ばせてあげますよ。尤も、彼はこの外史で(えにし)を作りすぎました。おそらくは、残るでしょうね」

「非情に見えても、優しさがにじみ出ているものねぇ。そこも彼のイ・イ・ト・コ・ロ」

 

貂蝉はその逞しい肉体をくねらせながら、三つ編みを揺らした。

 

「あなたこそ、北郷をどうするつもりです?」

「そうねぇん。なんだかんだ幸せそうだし。このまま見守り続けるわ。手出しはしないんでしょ?」

「ルールを破るつもりはありませんよ。この外史の北郷には、手は出しません。まあ、馴れ合いは今回限りです。他の外史では容赦しませんよ?」

「うふっ、望むところよん。どの外史であろうと、ご主人様は守り通してみせるわん」

 

その返答に、于吉は笑みをこぼして闇の中に消えていった。

 

 

 




于吉の口調をちょっと修正しました。
次が最終回です。


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第七話 閉幕

あの日からずっと、俺は嘘をついてきた。

嘘の名前、嘘の経歴。

毎日に退屈していながらも、異世界転生など望むほどガキではない。それでも――

 

「少しは面白かったでしょう?」

「苦労の方が多かったがな」

 

俺がそう答えると、道士服の青年はクスリと笑った。

里の出入りは厳重に監視されているはずだが、目の前の青年はいきなり俺の前に現れた。

あの少女、周幼平のように気配が薄いのではない。しないのだ、人間の気配が。

 

「もう察しているかもしれませんが、あなたをこの外史(せかい)に送ったのは僕です」

「……なぜ?」

「ヒマを持て余した神々の遊び……というやつですかね」

「神を気取るか」

 

青年が眼鏡をクイと押し上げる。その何気ない仕草に、背筋が冷たくなるのを感じた。

 

「比喩的表現ですよ。まあ気に入らないのは理解できます。日本人は食事の前に感謝の言葉(いただきます)を口にするみたいですが、本気で家畜を想っているわけではないでしょう? 僕とあなたの関係はそんなものですよ。謝罪をするつもりもありませんが、気のすむまで殴ってくれてかまいませんよ」

「そう言われると、殴る気も失せるな」

「意外と冷静ですね。もっとこう、詰め寄ってくると思いましたが」

「見境をなくすほど子供じゃない。俺の前に現れたってことは、何か用があるんだろう?」

「……理解がありすぎるというのも考えものですね」

 

青年がつまらなさそうに呟く。

 

「管理者としての責任を果たしに来ただけですよ。あなたが望むのならば、元の世界に戻してあげましょう」

「……あれからかなり経っているが、向こうの時間はどうなっているんだ?」

「ほとんど経っていませんよ。昼休みが終わっていないことは保証しましょう」

 

ああ、そういえば俺は、昼飯を食った後にこっちに来たんだった。それを知っているということは、本物か。

 

「……考える時間は貰えるのか?」

「二年くらいならかまいませんよ。それ以上経つと、あなたの魂が世界に定着してしまうのでね。戻るのが難しくなってしまいます」

 

思った以上に猶予があった。いきなり消える可能性はなくなったとはいえ、戻っていいよと言われると、決断できないものだな。

いや、悩むということは、そうなのだろう。向こうに家族でもいれば戻ったのかもしれんが、意外にも俺は、コンビニもないこの不便な世界を気に入っていた。

 

「わざわざ来てもらって悪いが、戻るつもりはない」

「そうですか。まあ想定の範囲内です。ならば、もう僕たちが会うことはないでしょう。最後ですし、質問があれば答えてあげますよ」

「では、北郷一刀も俺と同じなのか?」

「同じ年代から来た日本人という意味では同じですが、完全に同じというわけではありませんね。アレは特異点なので。僕は手を出せませんが、あなたが出す分には……いや、これも間接的な関与になるのか。面倒ですね」

 

青年がブツブツと呟きだす。北郷一刀と因縁でもあるのか? そう考えると、やはり詠に不問にしろと言ったのは正解だったかもな。

別に同郷だからという理由ではない。俺は別に誰が天を騙ろうがどうでもいいし。だが北郷一刀に手を出すと、今度は曹操が反逆しそうなんだよな。

それよりは恩を売っておいた方がいい。それに未来の知識を活用すれば、曹操も出世しやすいだろうし、辺境から治世の能臣の力を見せてもらうさ。

 

「さっき、俺がいた世界とこの世界は時間の流れが違うような発言をしたな。俺はこっちに転移してきたわけじゃないんだろ? あっちの世界が数分しか経過していないとしても、俺はこっちで数年分の年を取っている。そのまま戻れば、色々と不都合だ。ならこの体はなんだ? ここは夢の世界か?」

「ああ、あなたは本当に勘がいい。その体はこっちが用意したものですよ。じゃないと、気が使えるのはおかしいでしょう?」

「……どこにでも行ける(ドア)の思考実験を思い出したよ」

 

あれを初めて読んだ時は、背筋がゾワッとしたな。

 

「原子分解して再構築するアレですか。アレとはまた違うんですけどね。まあ、細かいことは気にしないのが長生きするコツですよ」

「じゃあこの世界は何なんだ?」

「哲学的な問いですね。正史と枝分かれした世界。人の想念が創り出した世界。三国志であって三国志じゃない世界。あなたも気づいていたんでしょう? いるはずの人間がいない。いないはずの人間がいる」

 

青年の言う通り、年齢が合わないのだ。史実の諸葛亮は、黄巾の乱の時点では三歳前後だった。表舞台に出てくるのはずっとあとのことだ。劉備とは親子ほど年が離れていたってのは有名な話だ。

 

「要するに物語の世界ですよ。漫画とかゲームの中、と言い換えてもいい」

「随分と俗っぽくなったな。じゃあなにか? この世界で生きる人間はAIだのNPCだのと言うつもりか?」

「……ここで心が揺らぎますか。やはりあなたは面白い。ゾンビ論法について語り合うのも一興ですが……」

 

一拍おいて、青年は続ける。

 

「まあ、人間ですよ。体もあれば心もある。斬れば血が流れるし、殺せば死ぬ。決して甦ることはない。この世界ではね」

「……この世界では?」

「今度は多元宇宙論ですか? まあやめておきましょう。すべてを説明するには一週間はかかるでしょうからね。五分前説は埒が明かないし、やはり哲学を語るのは面倒ですね。あなたがこの世界を異常と感じるのは、あなたがこの世界の人間ではないからですよ。あなたには異常に映っても、この世界に生きる人々にとっては正常なんです。だってこの世界は、そういう風に創られたから。けれど、あなたにとっては間違いなく現実ですよ、ここは」

 

未だに言語が日本語で、文字が中国語ってのは納得できないけどな。まあ言語が中国語なら、最初の時点で詰んでたけど。

そういう風に創られたから……か。納得するしかないようだな。話しているうちに、少しは落ち着けた。

 

「それに……この世界が精巧に創られた仮想現実(ヴァーチャルリアリティ)仮想空間(メタバース)で、その体がアバターだとしても、あなたに真贋を見極める(すべ)はありません。真理の扉を開き、世界の真実を()るには、管理者(カミサマ)になるしかない。あなたも来ますか? こちら側に(・・・・・)

 

感情の読めない冷たい声音。全身から体温が奪われていくような、ケツの穴にツララを突っ込まれた気分だ。

 

「……なんてね、冗談ですよ。まあ、あまり深く考えない方がいい。世界がどうであれ、あなたという存在だけは間違いなく本物です。あなたはここにいる。そして、ここにいることを選んだ」

「我思う、故に我在り……か。ならば、カミサマにとってこの世界はどういうものだ?」

「神社を焼かれて困るのは神官であって神じゃない。賽銭を貰って喜ぶのは神官であって神じゃない」

「つまり、どうでもいいってことか」

「そうなりますね」

「あとは……そうだな。注意事項というか、禁止事項みたいなものはあるのか?」

「ありませんよ。好きに生きればいい」

 

随分とあっさりしてるな。まあカミサマもいちいち人間に構っていられないということか。

 

「最後にひとつ、アドバイスしましょう。公平と平等は、愛ではあっても恋ではない。特別な誰かを作るということは、言ってしまえば差別ですからね。けれど、それが人間のすばらしさだと、僕は思います」

「どっかで聞いたような言葉だな」

「それはそうですよ。名言というのは心に残るものですから。あなたが真名という風習(システム)を良く思っていないのは知っています。真名は信頼の証として交換されることが多いですが、逆に言えば信頼していない相手とは交換しないってことです。庶人ならそれでいいかもしれませんが、立場があるとそうもいかない。でもねぇ、市長が市民全員の名前を知っているわけではないし、社長が社員全員の名前を知っているわけでもない。あなたは部下を差別しないために、一貫して真名を交換しないようにしていましたね。それが不信に繋がらなかったのは、あなたの威徳かもしれませんが……」

 

見てきたように言うものだな。まあ、見てきたのだろうが。

 

「あなたにとって真名は重要ではないのですから、いっそのことバラまいて利用すればよかったのでは?」

「好きじゃないんだよ、そういう……信頼を(もてあそ)ぶようなやり方は」

「ふふっ、やはりあなたは面白い。洛陽の一件で少しは妥協したみたいですね。良い傾向だと思いますよ。あなたを長年慕っていた劉岱や王忠などは、真名を呼ばれた時、感涙にむせいでいたでしょ? この世界に生きる人間にとって、真名はそれくらい神聖で重要だということですよ。おっと、これは余計なお世話でしたかね。まあ、これ以上はやめておきましょう」

 

ズレかけた眼鏡を押し上げながら、青年はレンズ越しに俺の目を見つめてくる。

 

「さて、そろそろさよならです。ラ・ヨダソウ・スティアーナ」

「……ああ。エル・プサイ・コングルゥ」

 

青年は消えた。煙のように、霧のように、あっさりと。

そして、静寂だけが残った。

しかしなんというか、カミサマという割には俗世にまみれたような印象だったな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

詠から書簡が届いた。

冀州の制圧には成功したが、袁紹は取り逃がしたらしい。

なんでも――

 

袁紹を追い詰めた曹操は雷に打たれて撤退。

袁紹を追い詰めた公孫賛は土砂崩れに巻き込まれて撤退。

袁紹を追い詰めた霞は竜巻に吹き飛ばされて撤退。

 

なんだこりゃ。袁紹は異能生存体か? それとも雷公鞭と土竜爪と打神鞭でも持ってるのか?

まあ本拠地は制圧できたし、野に下ったなら……いいのか? まあ賞金首にしたのかもしれんが、そこまでは書いてないな。

 

袁術の首は無事洛陽に届けられたらしい。いや、無事というには少し語弊があるな。

敗北を悟った袁術は、館に火を放って自害した。そんなわけで、首は見れたものじゃなかった。そんなものを皇帝に見せるわけにもいかず、詠は顔をしかめたのだとか。

だがまあ、袁術の死亡は確認できた。

孫策は続けて荊州を攻めるようだ。

 

とその時、執務室の扉がノックされた。

入室を許可すると、入ってきたのは緑飛だった。

 

「頭領にお会いしたいという方がお見えです」

「商会はもうおまえに任せたんだから、好きにすればいいぞ」

「いえ、会頭ではなく、頭領にお会いしたい、と」

 

ほう、珍しいな。名前は……聞き覚えがないな。

金髪の姉妹一行ねぇ。なんだろう、猛烈に嫌な予感がしてきたぞ。

 

「名前は変えておりますが、袁紹ですね」

「……なるほど」

 

袁紹!? なぜ袁紹がここに……逃げてきたのか? 自力で冀州から脱出を?

なかなかやるじゃない。でもなんでここにきたんだよ。とち狂ってお友達にでもなりにきたのか?

 

「ふん縛って洛陽に送るか?」

 

俺がそう言うと、緑飛はにこやかに笑った。

 

「普通の者ならばそうするでしょうね。しかし、頭領は違うのでしょう?」

 

なんだその意味深な笑顔は!? 俺が普通の者じゃないみたいじゃないか。窮鳥懐に入れば猟師も殺さずってか?

バレたら絶対面倒なことになるだろ。彼女は袁紹ではない、で通じると思ってるのか?

 

「……姉妹一行と言ったな」

「はい。妹の方は、袁術でしょうね。彼女はほとんど表に出ないため、確信はありませんが」

 

おいィ? 生きてるじゃねーか! 誰だよ「死亡確認!」とか言ったやつ。ダメじゃないか、死人はちゃんと死んでなきゃ。

いや、袁術は公的には死んでるから、別に受け入れるのは問題ない。張角と同じパターンだし。

問題は袁紹だよ。ああ、メンドくせぇ。まったくもうだよ、まったくもう。

 

つーかなんで会おうとするかね。普通に庶人として暮らせば良いのに。

……ああ、金か。人間ってのは因果なもので、一度上げた生活レベルはそう簡単には落とせないのだ。

 

「まあ、とりあえず、会ってみるか」

 

そこで暴言とか吐いてくれないかな。そうすりゃ理由ができる。まあ所詮は元名家。普通に見下してくるだろう。

ふふふっ、ならばウィットに富んだ会話でも楽しんでくるか。

俺は応接室に向かって歩き出した。

 

 

 




というわけで完結です。
評価・感想・誤字報告ありがとうございました。



以下どうでもいい裏話。

最初は本編だけパパパッとやって終わるつもりでしたが、ちょっと説明不足か? と思って書いたのが閑話でした。
といっても最初は朱里&雛里が主人公(商人)を選んだ理由と、華琳が主人公の思惑に気づいて、業腹ながらも合わせることにした心情の二編だけでした。
残りは、予想外に反響があったので、ノリと勢いで書いたものです。結果的にはちょっとくどかったかもしれませんね。

オチは最初から決まってました。プレイヤーを左慈じゃなくて于吉にしたのは、左慈は設定上の性格が冷酷非情なので、一刀くんを問答無用で殺しにかかりそうな上、こんなゲームには付き合わないと思ったからです。
袁紹と袁術も、最初は普通に逆賊として処分するつもりでしたが、恋姫ってそんなサツバツとした世界じゃなくね? と思い、救いのある終わり方にしました。

あと管理者の目的なんですが、ぶっちゃけ作者もよく分かってないです。
卑弥呼と貂蝉が外史の安定。
于吉と左慈が外史の破壊。(北郷一刀の抹殺を含む)
みたいに考えてます。
また外史は増え続けているみたいなので、彼らは終わりのない戦いを繰り広げている……はず?
なので趣を変えて、こんな遊戯を試してみたという感じです。

あと勝敗についてですが、今回の一刀くんは魏ルートなので、魏が建国しなければ于吉の勝ちになります。
ただ貂蝉は一刀くんが幸せならOKという感じなので、実質貂蝉の勝ちですね。

最終話の前半部分は、自分でもなに書いてるんだろうと思いながら書いてました。管理者って何なんでしょうね(哲学)
ではでは、最後までお付き合いいただきありがとうございました。


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後日談 金色の季節

応接室の扉を開けると、六人の女性が一糸乱れぬ統一スタイルで頭を下げていた。

初手、土下座である。なんだこれは。たまげたなぁ。

人間予想外の事態に直面すると言葉を失うというのは本当のようだ。

 

オイ、緑飛。これはどういう状況だ?

っておまえ、ニッコニコだな、おい!

まさかおまえの手引きか? いや、こいつはこういう茶番というか芝居みたいなのは好まない。素の反応を見たがるはずだ。

 

あの袁紹が自発的にやるとは思えないし、だとすれば軍師あたりの入れ知恵か。

袁紹の隣にいる眼鏡をかけた白練色の髪をした女性。眼鏡をかけているから軍師だろう、たぶん。

袁紹の軍師といえば、田豊・沮授・許攸あたりだろうか。他にもいたはずだが、パッとは出てこない。

あっ、郭図がいたな。出ると負け軍師という不名誉まで頂いた軍師だ。

 

「お初にお目にかかります。すべてをご承知とはございましょうが、恥を忍んでやってまいりました。差し出せるものはこの真名しかありませんが、是非とも保護をお願いいたします。わたくし、麗羽と申します」

 

お、おう。なんかキャラ間違ってない? 元とはいえ、名門袁家の姿か? これが……。

一度地獄をくぐり抜けて、何か思うところがあったのかもしれない。死線を乗り越えて価値観が変わるというのも、稀によくあることだ。

 

とある軍人さんが墜落事故を起こした時のことだ。大きな怪我は無かったものの、墜落の瞬間に神が見え「汝、迷える子羊よ。武器を捨てて、えびを獲れ」と告げられたそうだ。

その後、彼は退役して漁師になった。

彼女も神に出会い、謙虚に生きろとでも言われたのかもしれない。

 

続けて、順繰りに女性たちが名乗っていく。偽名じゃなくて本名だ。待っている間に思い直したのか、それとも緑飛が含みのある言い方でもしたのだろうか。

すべてまるっとお見通しだ、みたいな。いや、それだと全然含んでないな。まあ何かしら言ったのだろう。それであの反応に満足していたのか。

 

全員が名乗り終わって、改めて顔ぶれを確認する。

袁紹(麗羽)、田豊(真直)、文醜(猪々子)、顔良(斗詩)、張勲(七乃)、袁術(美羽)。まあ大体予想通りだな。

 

「うむ。あなた方の真名、しかと受け取った。私の真名は諸君らの働きを見せてもらってからにさせてもらう。お嬢ちゃん、よく頑張ったね。この蜂蜜飴をあげよう」

「はちみつあめとなっ!? ありがとうなのじゃ! むほーっ! 甘いのじゃー!」

「よかったですねー、お嬢様」

 

七乃が美羽の髪を優しく撫でる。それは母親のような慈愛を感じさせた。

 

「では、代表者同士でこれからのことを話し合おうか」

「はい。よろしくお願いいたしますわ」

 

麗羽と真直がアイコンタクトを交わしている。

あれが袁紹と田豊ならば、こちらもプランBでいく。緑飛に視線を送ると、俺の意図を察したのか、緑飛はコクンと頷いた。

 

麗羽に椅子を勧め、その正面に俺が座る。

当たり障りのない世間話から入ってみるが、打てば響くというか、意外とレスポンスが早い。教養もあるし、頭の回転も悪くない。聞けば洛陽の太学で主席を修めたとか。

次席は曹操だそうだ。意外と言えば意外だが、曹操は破格の人だからな。教師ウケは良くなかったのかもしれない。

 

会話の中で麗羽はコロコロと表情が変わり、仕草にも気品があった。愛されキャラっぽいな。平時なら良い君主になれたかもしれん。いかん、(ほだ)されてきたな。そろそろ本題に入るか。

冀州で起きたことを聞く。どうも部下の意思が統一できずにぐだついて、結果敗走することになったらしい。

 

こんな崖っぷちでも内輪もめなんかするのか? と普通の人なら思うだろう。だがこんな時にこそ内輪もめするのが人間なのである。

特に袁家ってメンドくさいのよ。陣営が大きいからこそ派閥がある。名士とか豪族とかね。だからまとまりがない。

 

今まで曲がりなりにもまとまりがあったのは、やはり麗羽の手腕であろう。実際に見てみると分かるが、妙な存在感がある。市井の中に紛れても目立つだろう。手配書が出回れば、逃げ切ることは不可能だ。だから里に来たのかもな。

 

「猪々子さんと斗詩さんの武勇は聞いております。彼女たちなら将として良い仕事をしてくれるでしょう」

「ええ、もちろんですわ」

「それと、真直さんでしたか。とても美しい方ですね」

「え? ええ、そうですわね。少々地味ですが、目鼻立ちは整っていると思いますわ」

 

こちらの意図を察することができず、麗羽は疑問符を浮かべた。だが、部下が褒められて悪い気はしないのだろう。表情はほころんでいた。

 

「どうでしょう? 私に譲っていただけませんか?」

「……今、なんと?」

「部下の方は三人いらっしゃるご様子。一人くらいいなくなっても問題はないでしょう。彼女を頂けるならば、里での生活に不自由は――」

 

その瞬間、乾いた音が室内に響いた。

意外! それはビンタッ!

 

「風評というのも当てにできないものですわね。彼女たちは、わたくしがすべてを失ってなお、共に在ることを選んでくれた、掛け替えのない仲間ですわ。仲間を売ってまで安住の地を得ようなどとは思いません! 失礼させてもらいますわ!」

「……それを聞きたかった」

「……え?」

「緑飛!」

 

俺の声に応えて、奥の扉が開く。

緑飛に続いて姿を現したのは、目に涙を浮かべた真直だった。

 

「麗羽さま……私、私は……」

「あらあら、真直さんったら、泣き虫さんですわね」

 

史実での袁紹と田豊の関係は複雑だ。経緯は省略するが、結果として袁紹は田豊を疎んで処刑した。これは派閥争いが激化したのも理由の一つだが、両者のすれ違いも原因だろう。

袁紹が田豊をもっと信任していれば、田豊がもう少し袁紹の意図を酌んでいれば。

 

「麗羽殿。失ったものを想って後悔するよりも、今あるものを大切になさい」

「ええ。はしたないところをお見せしましたわ。試されたのは、少々気分が悪いですが、特別に許して差し上げますわ」

 

さりげなく上から目線になったな。少しは「素」が出てきたか。

 

「では緑飛、後は任せる」

「はい。では皆さま、こちらへ」

 

緑飛に促されて、麗羽たちが退室していく。最後の真直が、ペコリとお辞儀をして出ていった。

あの茶番で、麗羽の為人(ひととなり)は多少だが理解できた。あれならまぁ、助けてもいいかもしれん。

麗羽を保護する手段は考えてある。

 

まずは俺が汜水関戦での褒賞を拒否したことから話そう。

その場で俺は、自分は護国のために立ち上がったのであって、褒賞を求めて来たのではないと言った。

そしたら――

 

「ダメだもん! 信賞必罰はちゃんとするもん! 欲しいものを言うもん! 朕があげるもん!」

 

と皇帝に言われた。でも欲しいものってないんだよなぁ。官位とか絶対いらないし。

塩の販売権は欲しいところだが、塩は国の専売という建前がある。例外を作ると後々面倒なことになるのだ。

それよりは一度国に納めて、その後低価格で民に売る方が統治的には美味しいし、官塩の値段が下がった方が民も嬉しい。

 

――主上よりのお言葉がなによりの褒美でございます

 

と言ったんだが、聞いてもらえなかった。要するに皇帝としてちゃんと仕事がしたいんだろう。それでまあ、困ったことがあったら助けてね(意訳)ということにして褒賞を一時棚上げすることにした。

その後に思い直されても面倒なので、俺は匈奴の脅威を理由にして一足早く里へと戻った。

 

そんなわけで俺は、皇帝に対する絶対命令権(おねだり券)を持っている。

これを麗羽の減刑に使う。ここは幽州のはずれにあるので、皇帝にとっては流刑地みたいなものだろう。そこで俺が監視するといえば通るはずだ。

嘆願書と一緒に特製の果実酒と蜂蜜酒を贈っておこう。あと特注の麻雀セットも贈っておくか。牌の四分の三がガラス製の麻雀牌だ。ガラスは高級品だし、単純にガラス牌は美しい。たぶん喜んでくれるだろう。

 

つーかなんで俺はあいつのことでこんなに骨を折っているのだろう。

やっぱり面倒なことになったじゃないか。

しかし受け入れたからには面倒を見ないわけにはいかない。

 

さて、何をやらせるか。

学校事業に関わらせるのもいいかもしれない。麗羽は教養に問題はないし、名家だから礼法も身につけているはずだ。真直と七乃も文官だったから、教師としては十分だろう。

 

猪々子と斗詩は将として採用してもいいが、麗羽とくっ付けておく方がいいか。学校では勉強だけを教えているわけではない。馬術や体術、武術といった基礎的な技術も教えている。

その教官ならば十分こなせるだろう。

美羽はまあ、普通に学生だな。蜂蜜が好きなようだし、放課後に養蜂のバイトでもさせてみるか。意外と良い養蜂家になるかもしれん。好きこそ物の上手なれ、と言うしな。

 

ふむ、案外すんなりと行きそうだな。

つかおかしいな。俺は田舎でのんびりするために色々やってきたのに、どんどん忙しくなってる気がするんだが。

怠惰を求めて勤勉に行きつくってやつか? 人生ままならんモンだな。

しばらく天井を見上げ、俺は日常の業務へと戻った。

 

 

 




ひと皮むけた麗羽様でした。


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後日談 蒼天を翔る

郭嘉、字を奉孝。早世の天才。曹操がその才を愛し、惜しんだ軍師として有名だ。赤壁の戦いに敗北した後、郭嘉がいればこんなことにはならなかったと曹操は零したという。

おまえそれ荀彧の前でも同じこと言えんの?

 

曹操からのお手紙を持ってきたらしい。その護衛として一緒に来たのが徐晃だ。汜水関にはいなかったよね? と訊いたら留守居を任されていたらしい。

徐晃を温存するとか舐めプかな? いや、あいつもあいつで敵が多いからな。間違った判断とも言い切れない。

とりあえず手紙を読もう。

 

……ふむ。なんかぁ、曹操が司空になったらしいっすよ。

ぶっちゃけ麗羽を取り逃がしたから昇進はなしになるかと思ったら、そんなことはなかった。

まあ曹操が取り逃がして、公孫賛が仕留めたというなら曹操の評価も下がるのだが、公孫賛も霞も取り逃がしているからそうはならなかった。

曹操を叩くと、公孫賛と霞も叩くことになるからだ。それよりは天変地異を自在に操った袁紹ヤベェってことになったらしい。

 

この時代は迷信や呪術・妖術が信じられてる時代だからね、仕方ないね。むしろ麗羽が、自分は天に愛されていると勘違いしなかったのが珍しいくらいだ。部下が諫めたのかもしれないが。猪々子はともかく、斗詩と真直は迷信とか信じない現実派みたいだったし。

 

話を戻そう。司空というのは三公の一席で、国家の土木工事や建築事業を担当する職だ。現代だと国土交通大臣みたいなものだな。

囚人の管理なども行うが、これは囚人を動員することが多いからだ。

 

わざわざ俺に報告する必要なんてないと思うが、どうやら俺が曹操を推挙したことになっているらしい。詠に曹操は自由にさせずに重職に縛り付けておけと言ったからかな。

あと、例の策の発案者だとも知ったようだ。なんか含みのある文面で礼が書かれていた。

まあ別に口止めはしてなかったから、誰かから聞いたんだろう。意外と朱里かもしれん。あいつはなにかと俺を持ち上げようとするからな。

 

手紙の最後には、麗羽をよろしくと書いてあった。

意外と気にしてるんだな。いや、絶対にそこから出すなよ、という意味だろうか。

よし、麗羽に曹操が気にかけていたと伝えて、手紙を書かせよう。

 

まあこれで曹操もおとなしくなるだろう。あいつは中途半端に権限を与えて、中途半端に自由にしておくから変なことを考えるのだ。重職に縛り付けて中央に置いておくのが一番いい。

読み終えた書簡を机に置く。そのタイミングを待っていたのか、郭嘉から質問が飛んできた。

 

「失礼ですが、閣下はどちらのご出身でしょうか?」

「大秦帝国(ローマ帝国)の(ほう)だな」

 

消防署の方から来ました的な詐術っぽいが、出処不明の不審人物よりはマシだろう。ローマなら確かめようがないしな。

閣下なんてがらじゃあないんだが、まあ堅物そうだし、わざわざ訂正するほどのことでもない。

 

「大秦……ですか。数々の発明品はその見識からでしょうか。相当の地位にあらせられたのでしょうね」

「知識は誰にも奪われることのない唯一の財産だからな」

 

下手に天の国から来たなんて言ったらヤバいことになるかもしれんしな。(うち)には妙に俺を神聖化しているやつが少なからずいる。黄巾の乱という信者が暴走した前例もある。ちょっとしたリスクマネジメントだ。

最初の頃は笑ってごまかしていたんだが、皇帝に質問されてはとぼけるわけにもいかない。この場で聞いてきたということは、郭嘉の耳までは届かなかったようだ。

 

「それが私を生かしてくれた。どれだけあっても邪魔になることはない。そう思うだろう? キミも」

「……ええ。そうですね」

 

郭嘉もまた知に生きる者だ。俺の言葉を聞いて、柔和な笑みを浮かべた。そして、核心に切り込んでくる。

 

「風の噂で聞いたのですが、空飛ぶ船を建造していると?」

「仮に空飛ぶ船があったとして、どうなると思う? 郭奉孝」

 

俺がそう問うと、郭嘉は顎に手をあてて考え始めた。

しっかし空飛ぶ船なんてどっから飛び出してきたんだろうな。あの三人に熱気球のミニチュア模型は見せてやったが、船なんて単語を口にした覚えはない。

みんなが想像しているのは、海に浮かぶ船がそのまま空を飛ぶ姿なのだろうが、さすがにそれは無理だ。

 

「そうですね。大きさや高度にもよりますが、戦の様相は大きく変化するでしょう。高所からの一方的な射撃。籠城兵に物資を届けるのも容易になります」

 

ここで交易とか開拓が出てこない辺り、軍師の発想っぽい。乱世とはここまで人の心を荒ませるのか。

暗い……あまりにも……。

 

つーか一刀くんは熱気球くらい作れないのかね。温めた空気を袋に集めるだけだし、構造自体は単純だ。ただ現代の熱気球と違って、火災の危険はある。高度には気をつける必要があるだろう。

そして、世に出すタイミングにも注意しなければならない。鐙と同じだ。構造自体が簡単だから、すぐにパクられる。

特許? 知らない子ですね。

 

そんなことを考えていると、徐晃がずいぃっと前に乗り出して来た。

その目はキラキラと輝き、まるでサンタクロースの実在を信じる子供のようであった。

眩しい……あまりにも……。

 

「空飛ぶ船は、ある?」

「そんなものはない」

 

と答えると、徐晃は目を丸くして、しょぼーんと項垂れた。

 

「だが、空を飛ぶための翼はある」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなわけで俺たちは山にやってきたのだ。

 

「今日は……風が騒がしいな」

「はい。それにこの風、少し泣いています」

 

ふむ。言われてみれば、確かに少し湿り気を感じる。雨が近いのかもしれん。しかし泣いているとは、風雅な言い方をするものだな。ならば合わせてやろう。

 

「それは悲しくて泣いているのではない。嬉しい時だって泣くだろう」

「えっ……」

「急ごう。風が止む前に……」

「……ハッ」

 

さすがに完全初心者の徐晃をいきなり飛ばせるのは危険なので、今回は二人乗り(タンデム)で飛ぶ。

おっさんとくっつくのは嫌かもしれないが、ここは我慢してもらうしかない。

徐晃と一緒に職人たちから注意事項を聞く。当然俺は知っているが、確認の意味もある。

 

さて、ここらでパラグライダーとハンググライダーの違いを説明しておこう。

パラグライダーはパラシュートを使って飛ぶのだが、飛ぶというよりはゆっくりと落ちるといった表現の方が近いかもしれない。

対してハンググライダーは、パラグライダーよりもスピード感があり、自由度も高い。まさしく飛んでいるという実感が得られる。ただし、操作がなかなかに難しく、習熟に時間がかかる。

 

白いタキシードを着た怪盗マジシャンは自由自在に操っていたが、あそこまでの域に達するには、かなりの修練が必要だ。

そもそもあのサイズのハンググライダーは現実的じゃないけど。

単純に空を飛ぶだけならパラグライダーの方が良い。準備も操作も楽だし。

だが移動として考えた場合、やはりハンググライダーの方が優れている。

 

「準備完了です。いつでもどうぞ!」

「よし、出るぞ!」

 

(パワー)を翼に! トゥ、トゥ、ヘァー!

タイミングを計って崖から飛び降りる。一瞬の浮遊感。ハンググライダーは上昇風を掴めるかどうかで滞空時間が大きく変化する。この日は崖に正面から風が当たって、上昇風が発生している。つまり崖沿いに飛べば無限に飛んでいける。

 

やはりこのスピード感は病みつきになりそうだ。だが器具がギシギシと鳴っているのが怖い。何度か飛んではいるが、やはり慣れない。

前の趣味が高じて構造は把握していたが、材質が違う。うちの職人たちが優秀とはいえ、空中分解する可能性は十分にある。

まあ落下しても気で身体を強化すれば死ぬことはあるまい。おっと、連れの様子はどうかな? いきなり気絶ということもあり得るが……。

 

「徐晃殿、平気かね!」

「飛んでる! 飛んでる!」

 

平気そうだった。むしろメッチャ興奮状態だった。

 

「あれ! 人! 馬! 小さい!」

 

なぜカタコトに? 興奮しているのは分かるが。

 

「徐晃殿、あまり暴れないように!」

「わかった!」

 

初っ端からわーわー言うとる徐晃には申し訳ないが、そろそろ折り返し地点です。手元のレバーを操作して旋回する。

 

「回った! 景色! 逆! 面白い! あははははっ!」

 

よく分からんが面白いらしい。つーかテンション高ぇな。

徐々に高度を落としていき、着地点である練兵場に着陸する。

その後、もう一回もう一回とせがまれた。

 

ビビッて気絶することはなさそうだな。これなら一人で飛ばせても大丈夫か。

徐晃はかなりハンググライダーを気に入った様子で、滞在中のほとんどを飛行訓練に費やしていた。何度か落下もしたようだが、さすがに猛将のようで大怪我はしなかった。

三日も経てばだいぶ慣れたようで、洛陽まで郭嘉とタンデムで飛んで帰ると言い出した。郭嘉が全力で首を横に振ったのでお流れとなったが。

さすがに洛陽まで飛んでいくのは無理だろ。いや実際にやりもしないで無理と言うのはよくないな。やってみたら意外といけるかもしれん。俺はやらないけど。

 

欲しい欲しいとごねるものだから、曹操に貸しを作る意味でも一機くれてやった。整備には気を配れと言ったが、真桜(まおう)なら大丈夫、と返事が返ってきた。

誰だよ、と思ったが、李典のことらしい。李典って功績の割に地味なイメージなんだよな。影の功労者というか縁の下の力持ち的な。

あと楽進と張遼と不仲だったってことか。でも技術者キャラのイメージはないな。まあこの世界ではちょっと違うんだろう。

そして、徐晃が毎日飽きずに空を飛んでいる間、俺は連日郭嘉に絡まれていた。

やめてよね。本気で論戦(けんか)したら、俺が郭嘉にかなうはずないだろ。あんまりしつこいと俺の怒りが有頂天だぞ。

 

「孔明殿も士元殿も、とても閣下を敬愛しているように見受けられました。知らないことはない。なんでもご存知だと」

「なんでもは知らないよ。知っていることだけだ」

 

朱里と雛里はまだ洛陽にいる。詠が手放してくれないようだ。脱出する機を逃したとも言える。さっさと曹操を生贄にして帰ってこい。間に合わなくなってもしらんぞ!

あいつの下には荀彧がいるし、たぶん程昱とかもいるだろ。郭嘉、おまえもさっさと帰って曹操の手伝いをしなさいよ。返事はもう書き終えて渡しただろ。

 

「里では武卒制を採用していると聞きました」

「そうだな」

 

武卒制とは天才軍事家呉起が魏の国で推し進めた士卒選抜の制度である。戦いは数だよ兄貴、という常識に真っ向から対立した少数精鋭主義で、当時においては斬新な発想だった。この制度をもって、魏軍は当時最強国だった秦を圧倒した。

別に狙ってやったわけじゃないけどな。個人的に徴兵が嫌だっただけだ。無理矢理兵士にしても士気は上がらないし、訓練にも身が入らないだろう。

だから里には志願兵しかいない。いわゆる兵農分離ってやつだな。

 

「優れた将は通常部隊だけを頼りにせず、精鋭部隊を使いこなすことで勝利を収めることができると孫子は説いています。閣下の十傑集も相当の猛者であると伺っております」

 

そういえば曹操も虎豹騎という精鋭部隊を持っていたな。だが十傑集とか俺が言い出したことじゃないぞ。いつの間にか出来てたんだ。誰だよそんなの作ったの。序列も知らんうちに決まってたし。

せっかくだから十傑集のイカしたメンバーを簡単に紹介しておくか。

 

序列十位、王忠

工作部隊隊長。というのは表の顔で、裏では情報探知統括の長でもある。主に諜報を担っているが、そんなたいしたことはやってない。里に攻めてくるやつなんて賊か役人か異民族くらいだからな。

 

序列九位、呼廚泉

羌渠(きょうきょ)の次女で、ここが気に入って住み着いている。匈奴のゴタゴタがある程度落ち着いてから移住してきたので、割と新参者である。武人としても一流だが、主に鍛冶師として働いている。

 

序列八位、鄧茂

元黄巾党の幹部で、張角を演じた一人でもある。あの戦いから上手く逃げのび、ここに辿り着いた。

なかなかの武才だったので徹底的に鍛え直してやった結果、十傑まで上り詰めた。ちなみに、推しは地和らしい。

 

序列七位、劉岱

金銭食糧担当で、今は宝山商会の会頭も務めている。文武不岐(ぶんぶふき)の才人であり、努力の人でもある。

王忠と一緒に里を訪れた古参メンバーのひとりだ。

 

序列六位、韓当

史実では孫堅に仕えた武将である。韓当って幽州出身なんだよね。意外にこれ知られてないんだけど。

ひとりで賊を討伐していたところを、行商していた劉岱がスカウトした。

 

序列五位、鳳統

戦略担当軍師。軍師とは鬼畜でなくては務まらない仕事である。常に大勢の人間を、いかに効率良く殺すかを考えている。使える手は何でも使う。誉は山に埋めました。

過去に何度か外道な戦略を挙げられたが、すべて却下している。まあ却下されることを期待して献策しているフシもあったが。とはいえ、やれといったらやるだろう。それくらいの覚悟は感じた。

 

序列四位、張飛

歩兵担当隊長。感情豊かな女の子。あのパワーの秘密はなんなのだろうか。感情が強さに直結するタイプなので、強さにムラがある。

良く言えば爆発力があり、悪く言えば安定しない。

 

序列三位、諸葛亮

最高執行責任者。里の統治の実質的な責任者である。仕事の鬼にしてワーカホリック。このままではいかんと思って仕事を分散させた。おかげで洛陽出張中でも里の運営は問題なく行われていた。それでも残されたやつらはヒーコラ言ってたらしいが。知力一〇〇は伊達じゃない。

 

序列二位、関羽

騎兵担当隊長。真面目な性格で規律を重んじる。用兵も巧みで隙が無い。まさしく軍神だ。

しかし欠点がないわけではない。一見冷静沈着に見えるが、感情が昂るとプッツンする癖がある。少々神経質なところも玉に(きず)だな。

 

そして()えある序列一位は……デケデケデケデケ、ドン!

私だ。

おまえだったのか。(セルフツッコミ)

以上、十傑メンバーでした。

 

個人的な考えだが、昔から副長として頑張ってくれている緑飛はもっと上でもいい気がする。とはいえ、俺が口を出すとこじれそうなので黙っているが。

まあ本人が納得しているならいいか。

 

「閣下のことを現代に蘇った呉起と評する者もいるようです」

「そうか」

 

いや、そんな評価の分かれる鬼才と一緒にされてもな。リアクションに困るよ。

確かに呉起は、軍事においては天才的だった。政治的な改革も行った。しかし権勢欲が強く、人間的には褒められたものではなかった。特に最期はアレだったし。

俺が表舞台に出たのなんて汜水関の一回きりなのに、もうそんな噂が広がっているのか。

 

「幽州の冬は厳しい。閣下は雪がなぜ白いのか、ご存知ですか?」

 

どうした急に。

様々な色の光がすべて同じように反射された時、ものは白く見える。雪の表面で起きる乱反射は、結果的に様々な色を同じように反射することになり、白く見えるのだ。

透明な粒の塩や砂糖が白く見えるのも、氷の粒でできた雲が白く見えるのも同様の理屈だ。

また、当たっている光に色がついていると、雪にも色がついて見える。だから夕焼けに照らされた雪山は赤く見える。

 

「郭嘉。私はなぜ雪が白いのかは知らない。だが、白い雪は綺麗だと思う。私は嫌いではない」

「……なるほど。詩才もおありのようですね。張角……いえ、天和殿たちの歌も、閣下が作成したのでしたね」

 

張角は関係ねぇだろ、張角は! 張角なんて洛陽のやつらはもう忘れてるよ。

俺は幽州(ゆき)が好きなんだ。ほかに行くつもりはない。ちゃんと伝わっただろうな。インテリは深読みするのが仕事なんだから、ちゃんと主に伝えてくれよ。

結局、徐晃と郭嘉は一週間ほど滞在して帰って行った。

 

 

 



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後日談 華琳様の生存戦略

洛陽に帰還した郭嘉――稟は、すぐさま主である曹操――華琳へと報告を行った。

 

「まさか大秦帝国とは……ね。そんな遠方からわざわざ漢帝国に来るなんて考えにくいわ」

「はい。しかし本人がそう言っているのでは、追及するわけにもいきません」

「ふむ。まあ身内でもない者に、天の国から来たなどとは言わないか」

 

華琳は軽くため息を零した。及時雨、北方の塩王、破格の大侠、様々な異名を持つ人物。

彼の者が創業した宝山商会の扱う商品は、いずれも画期的なものであった。そしてその一部の商品は、一刀の知る物だったのである。

この一点だけでも、彼が一刀と同郷である可能性は高い。

 

しかし、噂だけでいきなり一刀を接触させるのは危険だと華琳は判断したのだ。なにせこの時代は、同族であっても殺し合うのは珍しいことではない。

たかが同郷程度の理由では、相手を慮る理由としては弱い。

 

「……革命者ね」

 

思わず口角が上がった。彼の提唱した独立治安維持部隊。それは危険を秘めてはいるが、可能性を感じる政策だった。その構想を知った時、華琳の心は震えた。

彼は未来を見ている。自分とは違う視点で。

 

(それは天の国……未来の知識を持っているがゆえか……)

 

これまで正体があやふやだった人物は、先の汜水関でついに表舞台に姿を現した。護国のために立ち上がったのだ。

敗色濃厚だった董卓を助け、救国の英雄となった。そして国を救った後、彼は褒賞などは求めず、颯爽と帰って行った。

功を求めて戦った者にとっては迷惑でしかないが、そもそも董卓陣営は生きるか死ぬかの瀬戸際だったため、たいした問題にもならなかった。

 

(褒賞に金銭を要求して、部下に分け与えても良かったでしょうに。彼の部下は何も文句を言わなかったのかしら? すべてを私費で賄った? それとも、完全に心服している? だとすれば、恐るべきことね)

 

さらにこの話を美談にしたのが、袁紹の助命であった。怨敵であっても、助けを求めて来た者には手を差し伸べる。この断固たる決意が、絶大な求心力を生み出しているのだろうと華琳は推察した。

 

(及時雨……その異名に偽りなしか。まさか陛下までをも手玉に取るとは……ね)

 

理由はどうであれ、洛陽に兵を向けた袁紹の罪は重い。これは処刑どころか、族滅さえあり得る大罪である。助命など到底叶うものではない。普通ならば。

 

「もし陛下が麗羽の助命を断ったならば、どうなったかしら?」

「世は再び乱世となったでしょう」

 

稟は一瞬の迷いもなく、そう答えた。

 

(そう。陛下はその嘆願を却下できなかった。本当なら袁紹の首を持って参内せよと言いたかったのでしょうね。だけどあの男が従わないことは分かっていた。だから陛下は従わざるを得なかった。もしかしたら屈辱すら感じていたのかもしれないわね)

 

すでに手配書も準備され、似顔絵の作成には華琳も関わっていたのだ。

華琳は及時雨という異名の元となった、あの噂を思い出した。

 

――困っている人を見たら、助けずにはいられない

 

(あの男にとっては同じなのだ。陛下も、麗羽も……)

 

人として正しいことと、勝つために正しいことは別だ。そのふたつを高いレベルで実現していることは、華琳をもってしても舌を巻く以外になかった。

自分が策に利用されたというのに、腹が立つよりも感嘆してしまったのだ。それに、自分が高く評価されているというのは、まんざらでもなかった。

 

あの時点では、華琳の勢力はさして大きいものではなかった。反董卓連合として集った諸侯の中でも、下から数えた方が早いくらいの兵力でしかなかったのだ。にもかかわらず、彼は数ある諸侯の中から自分を選んだ。それは悪い気分ではない。

朱里も雛里も、華琳のことはそれほど警戒していなかった。才気は感じていたが、勢力として弱かったからだ。

 

(だからこそ、一刀は彼に会うべきではないのかもしれない)

 

強烈な光を目にした時、人は目蓋を閉じる。それは才に関しても同じことだと華琳は思っていた。かつて太学に通っていた頃、自分を才人だと思っていた者たちは、本物の光(華琳)に出会って委縮した。

華琳に喧嘩を売って返り討ちに遭った彼らは、逃げるように部屋の隅へ移り、太学を去る者さえいた。

 

一刀の性格上、いたずらに喧嘩をふっかけるようなマネはしないであろうが、強すぎる才を目の当たりにして潰れてしまう可能性もある。

華琳はそれを惜しんだ。彼女は才ある者も好きだが、努力する者もまた平等に愛したのだ。

 

「華琳様、こちらをご覧になっていただけますか?」

 

眉根を寄せ、考え(ふけ)る華琳の気を紛らわそうと、稟は一枚の紙を手渡した。

 

「これは?」

「里の中心部、その図面です」

 

そう返されて、華琳はハッとなった。

 

「あなた……そんな危険なことを?」

「申し訳ありません。好奇心を抑えきれず」

「そう。あまり危険なことはしないでちょうだい。里から敵視されてはひとたまりもないわ」

 

董卓と里は繋がっている。いま里が敵に回れば、華琳は内と外に敵を抱えることになってしまう。もはや状況は一変し、乱世は終わりつつある。

いたずらに世を乱すほど、華琳は覇を望んではいなかった。

小さく嘆息して、図面へと視線を落とす。特筆すべきは、奇妙な形の城壁。華琳はしばらく考え込んだ後、ひとつの答えを導き出した。

 

「そうか。死角を消すためか」

「はい。よく考えられています」

 

この場に一刀がいれば、こう叫んだだろう。五稜郭だ、と。

稜堡(りょうほ)式築城、星型要塞とも呼ばれる城塞で、全方位に死角を作ることなく攻撃できるように作られている。

防衛よりも攻撃に特化した城郭で、弩による十字砲火で敵を殲滅するのが基本戦術である。

 

本来ならば、こんなものは重要機密だ。華琳なら、これが第三者の手に渡った時点でその者の頸を刎ねている。

稟は里である程度の自由を与えられていたが、案内役という名目の見張りはいた。だからこそ稟は許された範囲で里を歩き回り、その全てを記憶し、里を出た後で図面に起こした。それには空から里を見た香風(しゃんふー)の意見も加えられている。

 

(それでも、全容を把握できたわけではない。立ち入りを禁じられた場所もあるし、彼の者ならば、この程度はお見通しのはず。ならばこれは見せ札と考えた方が良いでしょうね)

 

稟はあえて見逃されたと思っていた。

 

「これは処分しておくわ。私たちの頭の中にあれば十分でしょう。それと、空飛ぶ船はどうだったの?」

「船はありませんでしたが、翼はありました。現物も頂いたので、あとでご覧になってください」

「現物を? 気前が良いことね。ということは、一刀の言っていた熱気球でも飛行船でもなかったということかしら?」

「はい。飛べるのは一人か二人、無理をして三人というところでしょうか」

 

実は一刀も熱気球のアイディアは持っていた。しかし、熱気球は見た目ほど簡単なものではない。

火災、鳥衝突(バードストライク)、雨や風などの気象トラブル。浮かべるだけならまだしも、飛行となると様々な問題があった。

 

「戦術兵器ではなかったということか。でも使い道はありそうね」

「しかし飛び立つには高度が必要で、風も重要のようです。弓にも弱そうですね」

 

稟は軍師的な視点で意見を述べた。実際に飛んだわけではないが、香風から詳細を聞いていたのだ。

 

「あの男はどうだった? あなたの所見を聞きたいわ」

「権威を得た者はそれを誇示しようとするものですが、そういった感じではありませんでしたね。君臨と支配ではなく、調和と協調、そう感じました。彼は仁愛と信義をもって里を統治しております。匈奴の民も暮らしておりましたね」

「王道を往く者……いえ、違うわね。天道を往く者……か」

「老子、ですね」

 

天の行う道には依怙贔屓(えこひいき)がなく、常に善人に味方する、と老子は結んだ。

 

「『学校』なる教育施設、『病院』なる医療施設、『公園』なる憩いの場なども確認いたしました」

「天の国では当たり前にある施設のことね」

「はい。やはり彼は……」

「それはもういいわ。問い詰めても意味のないことよ」

 

今さら彼の出自など、余計な意味でしかないと華琳は思った。個人的な興味はあるが、本人が隠そうとしているのならば、わざわざ暴くつもりもない。

 

「それでも……そうね。天の御遣いとは、彼だったのかもしれないわね」

「一刀さんはまがいものだと?」

「そういうことではないのだけど。ふっ、私らしくもない。少し感傷的になっていたようね」

 

一刀もまた、彼に救われた者のひとりだった。去り際に残した彼の上奏がなければ、華琳は一刀を守り切れなかったかもしれない。

 

(その時、私はどうしただろうか。勅命に逆らってまで、一刀を守ったかしら……。自らの不明とはいえ、一刀には申し訳ないことをしたわね)

 

天の御遣いという噂を利用しようと考えたのは自分だ。あの時は、連合が負けるなどとは思ってもいなかった。それほど中央の政治腐敗は進んでおり、兵力差も圧倒的だった。

 

「彼は華琳様のことも気にかけておられましたよ」

「……私を?」

 

お互いに知ってはいるが、実際に会ったことはない。そこまで気にかけるものだろうかと、華琳は首を傾げた。

 

「人はその長ずる(ところ)に死せざるは(すくな)し」

「……墨子か。また渋いところを」

 

墨子とは墨翟(ぼくてき)の尊称であり、諸子百家の墨家の開祖である。平和主義・博愛主義を説いた。

ちなみに、彼はただ働きすぎには注意しろと言っただけで、墨子の教えなど口にしてはいない。稟の行き過ぎた解釈で墨子が飛び出してきただけだ。

 

(そういえば、文にも書かれていたわね。ご自愛ください……チッ、どこから漏れた?)

 

華琳は長年持病を患っていた。時折現れる原因不明の頭痛である。だがこれを知っているのは、身内や側近などの近しい者だけだった。

華琳は里の諜報能力の高さに臍を嚙んだが、ただの社交辞令(ビジネスメール)である。間者などいない。患者はいても間者はいない。

 

彼はリスクとリターンは釣り合うべきだと考えている。敵対するかどうかも分からない曹操陣営に間者など送り込んではいなかった。情報は商人のネットワークから得られるもので十分だと考えていたのだ。

 

「……たしか墨子の教えには"非攻"というものがあったわね」

「はい。墨子は戦争による社会の衰退や殺戮などの悲惨さを非難し、他国への侵攻を否定しております」

 

ただし防衛のための戦争は否定していない。要するに専守防衛の考えである。

 

「彼は墨子に薫陶を受けたから、乱世を望まなかった? ならば、官僚となって自分で世の中を変えたいとは思わなかったのかしら?」

「里を離れるつもりはなさそうでしたが」

「政争には関わらないつもりか」

「……中央の目が届かない地方で、力を蓄えるつもりかもしれませんよ?」

 

稟の指摘に、華琳は薄く笑った。

 

「心にもないことを言うのはやめなさい。成り上がるつもりならば、わざわざ劣勢だった董卓に助力したりはしないでしょう。でも、そう考える者がいるのも事実ね。中央は彼に首輪を付けることにしたそうよ。お目付け役も決まったみたいね」

「その者の気持ちも理解できます。彼は……戦いは嫌いだと言いながら、戦えば滅法強く、自衛のためと大兵を抱え、民に教育を(ほどこ)し、匈奴と結ぶ。彼は本当に善なる王であるのか、それとも善人の皮をかぶった虎狼であるのか。天下の簒奪を狙っているのではないのかと、疑う者もいるでしょう。しかし……彼は言っていました。私たちが国を愛したように、国も私たちを愛してほしい。望むのはそれだけだ、と」

「国にそれだけの度量があれば良いのだけれど。いえ、司空たる私が国を是正して、彼らを愛するべきなのでしょうね」

 

華琳はため息をひとつ落とし、天井を見上げた。

 

「……そういえば華琳様。たいしたことではないのかもしれませんが……」

「なにかしら?」

「学校では袁紹殿が教鞭を取っておられました。華琳様へと文も預かっております」

 

稟から文を受け取りながら、華琳は何とも言えない表情を浮かべた。

 

 

 





インテリは深読みするのが仕事です。(雑な伏線回収)
実際のところ、皇帝ちゃんは主人公に対して割と好意的です。
主人公は上辺(うわべ)を取り繕うのが上手いので、外からは超然とした感じに見えます。
内心はまあ、本編の通りです。


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後日談 強さと弱さ

ようやく朱里と雛里が帰ってきた。ひとまずは洛陽も落ち着いたということだろう。

空白になっていた冀州には劉虞が入ることになったようだ。空いた幽州牧には公孫賛が収まるらしい。

これは俺にとっても良い配置換えだ。

史実と違って劉虞は異民族排斥派だったからな。俺とは相性が悪いんだ。これからは今まで以上に公孫賛との関係を密にしておこう。

とりあえず、お祝いとして馬と食糧を贈っておくか。

まあそれはいい。問題は……というほどの問題でもないが、俺の新たな部下となった者の話だ。

 

「お初にお目にかかります、中郎将様。姓は張、名は奐、字を然明と申します」

 

洛陽に麗羽の助命の文を送った後、俺は使匈奴中郎将に任命された。あと里の統治が正式に認められた。うん、完全に頭から抜けてたわ。言われてみれば、俺のやってることって不法占拠だよな。朱里が上手くやってくれたようだ。

 

でも別に公孫賛の下に入っても良かったのよ? 劉虞とは音楽性の違いで相容れなかったけど、公孫賛とは異民族に対する考え方が似てるから、里の統治も上手くやってくれるだろう。そしたら俺も隠居できたかもしれないのに。まあ今さらか。

そして俺の属官としてやってきたのが張奐だった。

 

先触れから朱里がまとめた張奐の資料を受け取っていたが、主に若い時の経歴だった。朱里も配属が決まって慌てて調べてくれたのだろう。

つか生きとったんかワレェ!

みんなが汜水関でわちゃわちゃやってた時何してたのよ。皇帝が土下座してでも出陣を請うくらいの英傑だよ。

いや、たしか張奐って宦官を蛇蝎の如く嫌ってたはずだから、普通に出陣を固辞したのかもな。

で、宦官が誅滅されたから戻ってきたって感じか? 宦官は嫌ってたけど、忠義心はあったと思うし。

 

そんなことよりもだな、さっきから凄い殺気を感じるんだが。華麗に受け流してはいるが、正解かどうかは分からん。こっちも殺気を返した方がいいのか?

でもなぁ、こんなおばあちゃんにガチの殺気向けるのも気が引けるし、ただでさえ朱里と雛里が冷や汗流しながら、はわわあわわしてるのに、殺気のぶつかり合いの余波を喰らったら卒倒しかねんぞ。

 

「うむ。私は異民族融和を掲げている。お互いに理解し合い、良き交易相手となれるならば、漢帝国にとっても利のあることであろう。張奐殿、いや然明よ。これからよろしく頼む。私を支えてほしい」

 

そう言って頭を下げる。はわあわする声が聞こえてきたが、上の人間が頭を下げることに意味があるのだ。

お、殺気が消えたな。やったぜ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ご主人様、張奐様にはお気をつけください」

 

然明を雛里に任せて退出させた後、朱里がひどく真面目な顔で告げてきた。

 

「分かっているさ。中央の紐付きだと言いたいのだろう。推したのは誰かな?」

「王允様です」

 

王允!? また意外な名前が出てきたものだな。彼女は三公の一席である司徒を務めていた女性だ。責任感の強い婆さんで、陛下の宸襟(しんきん)をお騒がせしたとの理由で、司徒の印綬を返還した。

後は若い者に任せると言って隠居したと聞いていたんだがな。

首輪にお目付け役、ツーアウトってところか。まあ王允の差し金である然明はともかく、あの皇帝ちゃんの性格を考えれば、中郎将は単なる善意の可能性もあるが。

 

――やっぱりあの時は遠慮してただけだもん。官職につけてあげるもん。みんな欲しがるんだから、きっと喜ぶもん

 

うーん、これは……普通にありそう。王允に丸め込まれた可能性はかなり高いな。悪意からくるものならどうとでも対処できるんだが、善意からくるものはなぁ。あの皇帝ちゃんも難しいお年頃だし。

 

「王允様はご主人様を危険視しているようです。あの七星宝刀も、王允様から託されたものでしょう」

 

伝説の七星剣か。さすがに面会の時には佩いていなかったからな。後で見せてもらおう。

 

「気持ちは分からないでもない。彼女もまた、国家の安寧を願っているのだ。力を持ちすぎている俺を警戒するのは当然と言える」

「しかしご主人様は……」

「うむ。俺にそんなつもりはない。だからこそ中央と距離を取ったのだが、逆に警戒されてしまったのかもしれん。彼女にはありのままの俺を見て判断してもらうしかないな」

「はい。きっと伝わると思います!」

 

俺の答えに、朱里は満足したように笑顔を浮かべた。だがその一瞬後、少し表情を曇らせた。

 

「それとご主人様、例の構想ですが、もう少し時間がかかりそうです。申し訳ありません、私の力不足です」

 

例の構想ってなんぞ? こっちが何でも知っている(てい)で話を進めるのはやめてほしい。まあ里の利益になることには違いないから別にいいか。そのうち報告書で上がってくるだろう。

 

「焦る必要はない。じっくりとやれば良い」

 

そう言って朱里の髪を撫でる。とその時、外から歓声が聞こえてきた。

 

「なんでしょうか?」

「訓練場の方だな」

「張奐様のお弟子さんたちが腕試しをすると言ってましたが……」

 

朱里がコテンと首を傾げる。ふむ、然明の弟子か。ただ者じゃないんだろうな。

 

「行ってみよう」

「はい」

 

朱里を従えて訓練場へと向かう。俺の姿を確認した兵たちがザッと道を開ける。おぉう、まるでモーセの海割りみたいだ。

訓練場の中心では、然明と鈴々が木剣を構えて向かい合っていた。

むぅ、これは……。

 

「うりゃぁーー!」

 

鈴々が然明に向かって攻めかかる。高速の連続攻撃。だがその全てを然明は躱し、捌いていた。

 

「鈴々ちゃんの攻撃が全然当たらない……」

 

朱里が感嘆の吐息を漏らした。一寸の見切りと、絶妙のいなし。極限まで熟達した人間の(わざ)だな。

 

「うぬぬぬ、当たれば一発なのに!」

 

鈴々が悔しそうに臍を噛む。確かに鈴々の怪力ならば、当たればあの枯れ枝のような腕は一撃で骨折するだろう。しかし、当たらない。

熱くなった鈴々の攻撃は次第に雑になり、カウンターで勝負は決まった。然明の握る木剣の切先が、鈴々の首筋にピタリと当てられる。

 

「ま、まいったのだ」

 

強いというよりは、(うま)いな。鈴々が手も足も出ないほどか。

 

「お、おい」

「あの人、もしかしてここの頭領か?」

「思ってたより優男ね。あたしでも勝てそう」

 

こちらに気づいたのか、然明の弟子たちがざわつき始めた。優男とか久しぶりに言われたな。たしかにムキムキマッチョマンではないが。

前に出ようとした朱里と雛里の頭にポンと手を置く。

 

「見事な腕前だな」

「いえ、お見苦しいところをお見せしました」

 

然明が拱手して頭を下げる。

 

「あ、おっちゃん! 鈴々の仇を取って欲しいのだ!」

 

このおバカちゃん! 今そういう空気じゃないでしょ!

おまえはおとなしくして、なんで負けたか明日までに考えときなさい!

 

「お師様と里の頭領が戦うのか! どっちが勝つかな?」

「お師様が負けるはずないわ!」

「この馬鹿女郎ども! 頭領が負けるはずねぇだろ!」

 

ほらみろ。なんか戦う空気になったじゃないか。然明は黙ってこっちを見ている。適当にごまかして場を治めることもできるが、勝負から逃げたと噂されると恥ずかしいし……仕方ない。

その変化を感じ取ったのか、先に口を開いたのは然明だった。

 

「では一手、ご指南頂きたく」

「……うむ」

 

これで然明の申し出を俺が受けたという形になった。細かいところだが、結構重要だったりする。

鈴々から木剣を受け取り、中央へと歩みを進める。お互いに脱力の構えで向かい合った。そのまま、しばらくの時間が流れる。

 

「なるほど。そう来ましたか」

 

鈴々との戦いを見て、ある程度手の内は分かった。然明の戦法は、いわゆる後の先を取るカウンタースタイルだ。攻めっ気の強い鈴々には相性の悪い相手だろう。ならば、こちらから攻めなければいい。という安直な手だが――

 

「ではこちらから攻めましょうかね」

 

まあそうなるわな。カウンター使いが攻められないわけではない。然明がスタスタと無造作に歩いて来る。隙だらけのようにも見えるし、全く隙が無いようにも見える。

こちらから攻めたくなるような絶妙な空気だ。

間合いの一歩外で一呼吸おいて、然明が動いた。

 

――速い!

 

ギリギリで攻撃を回避する。速度自体はそれほどでもないが、予備動作が全くないのだ。だから軌道が読み難い。

 

「無拍子か」

「……恐ろしいですな。我が極意を一瞬で見破られましたか」

 

無拍子とは、一言で言うと筋力ではなく、自重を使って加速することだ。身体を崩した時に発生する位置エネルギーと自身の加速を合わせることで、脱力状態からの素早い動きを可能にする。

動きが読み切れない。アニメで1コマ飛ばされた時の感覚と言えば分かるだろうか。

しかも、一撃が重い。攻撃する一瞬だけに気を込めているのか。これなら体力の消耗も抑えられる。衰えた身体でどう戦うかを研究しつくしている。

 

「我が"絶界"、どこまで持ちますかな」

 

攻撃の瞬間以外は気を抑えているため、気の流れがほとんど感じられない。今は反射神経と直感だけで凌いでいるが、このままではいずれ(つか)まる。

恋を"動"の極致だとすれば、然明は"静"の極致だな。木剣だから多少の被弾覚悟で攻め込めないこともないのだが、真剣だったら……と言われても(しゃく)だ。

 

「おいおい、そちらの頭領さん防戦一方じゃないか!」

「勝負はこれからなんだよ! 黙って見てろってんだ!」

 

おーおー好き勝手言いなさる。

予測の難しい攻撃を、紙一重ではなく大げさに躱す。そうすることで相手の油断を誘う。今は我慢の時間だ。反撃の機を見極めろ。

要はタイミングだ。相手の動きに合わせて……よし、このタイミんにゃぴ!?

 

()ぃったい目がぁぁっ!!

くっ、こいつ! 察知できないほど極小の気弾をぶつけてきやがった!

だがまだだ! たかがメインカメラをひとつやられただけだ!

視覚だけに頼るな。全神経で捉えろ。

あの動きを捉えるには、こちらも最小限の動きに抑えるしかない。

最速で最短で、真っ直ぐに一直線に!

 

――落ちろよぉぉーー!!

 

然明の攻撃に合わせて、瞬撃特化の一撃を繰り出す。しかし水月を突くはずだった高速の突きはジャンプでかわされ、俺が突き出した木剣の上に然明がふわりと飛び乗った。

これマンガでよく見るやつだ!

 

俺が木剣を払うより先に、然明の前蹴りが放たれる。その一撃をのけ反りながら回避しつつ、軽く跳躍しながら回し蹴りを放つ。脚は俺の方が長い。ギリギリ届くはずだ。

足の甲は然明の大腿部を捉えた。しかし、手応えがない。

 

正確には足応えだが、然明の身体は俺の足を支点にしてくるりと舞っていた。凄まじい技量だな。あの体勢からでもいなせるのか。

間合いが離れる。距離を取って俺たちは対峙した。

そこで、静寂から一転、歓声が上がった。

 

「す、すげぇー!」

「全然見えなかった!」

「さすがお師様!」

「演武みたい!」

「最後の動き、なんだあれ!?」

 

防御型同士が戦うとこういうことになる。ここらが潮時かな。

 

「このままでは千日手になるな。お互いの力量も分かったことだし、終わりにしようか」

「……そうですな。先に体力が尽きるのは、私でしょうな」

 

やっぱり気づいてたか。俺が捉まるのが先か、然明の体力が尽きるのが先か。予測の難しいところではあるが、おそらくは勝てる……と思う。花を持たせたつもりだったんだが、余計なお世話だったか。

やれやれ。視力も戻ってきたな。一時的なものでよかった。危うく独眼竜になるところだったぜ。まあ失明するほどの攻撃的な気だったら、さすがに察知できただろうが。

 

「中郎将様。強さとは……なんでしょうか」

 

知らんがな。そんなことを俺みたいな若造に聞くんじゃないよ。

ここで言う強さとは、単純な比武ではなかろう。インテリは考えすぎるんだよ。哲学なんて究極的に言えばアホらしいの一言で片付くんだぞ。頭からっぽの方が夢詰め込めるだろうが。

もっと肩の力抜いて生きようぜ。

 

「宦官に失望して、国に絶望して、それでも忠義心だけは捨てられず、隠居して弟子を育てて、未来に繋げようとして、旧友の頼みを断り切れず、最後の奉公と思って幽州くんだりまでやってきて、まだ迷っているのか?」

 

一息に告げると、然明は絶句したように沈黙した。弟子たちも言葉を失っている。

 

「私はもう……老い()れました」

 

あれだけ動けて老い耄れたもないだろ。それにあんた、いざという時は俺を抑えるつもりだったんだろうが。

 

「だから労わってほしいのか? だから慰めてほしいのか? 先人たちに申し訳ないと思わないのか? 弟子たちに恥ずかしいと思わないのか?」

「貴様ッ!! 黙って聞いていれば――」

 

激昂した弟子の一人が叫びをあげたが、然明がそれを手で制した。

 

「あなたは、私にどうしろと?」

「私はあなたに何も()いるつもりはない。答えは自分で見つけるものだ。為すべきだと思ったことを為せばいい」

「……厳しいですな」

「かつて天下を震わせた白起も、晩年は愚痴をこぼすばかりで王の不興を買った。愚痴なら墓場で言えばいい。今から数十年前、異民族の脅威から国を救ったあなたなら、その魂をまだどこかに残しているはずだ」

 

そこで俺は言葉を切った。

それで納得したのかは分からないが、然明は押し黙った。

 

「……強い、ですね。中郎将様は」

「強くなどないよ。自分は強いと、特別だと、勘違いすればいずれそれは傲慢に変わる。そうなれば人心は離れていく。私は弱者だ。みんなに(たす)けられてこの場に立っている。そして然明、あなたも弱者だ。強者なんていない。人類すべてが弱者なんだ。そう思えば、見えてくるものもある。強者を騙る者が自らの論理を振りかざし、過激な方針転換や改革を行ってしまえば、そこで生まれた歪みや痛みを弱者が(こうむ)る。始皇帝が行ったような急激な改革がそれだ」

 

周囲から息を呑む音が聞こえる。

まあ始皇帝は世間の評判ほど独善的ではなかったそうだが。度量衡を統一したのは良いと思うが、焚書坑儒はやりすぎだろう。正確に言うならあれは李斯の献策なのだが、承認したのは始皇帝だしな。

細かいことを言えば、度量衡の基礎を作ったのも始皇帝ではなく商鞅だ。

 

「人間はどう足搔いたって神様にはなれないんだよ。機能しない名ばかりの英雄よりも、夢を語り続ける凡人の方が、意外と人はついて来るものさ。今度聞かせてくれ。あなたのやりたいこと。あなたの夢を」

 

そう締めると、ようやく然明の表情がほころんだ。

なんだよ、笑うと結構かわいいじゃねぇか。

然明が拱手して膝をつく。弟子たちもそれに(なら)った。

 

 

 




史実の張奐は黄巾の乱の時点で故人だったので、三国志には登場しないんですよね。
まあ恋姫時空ということで。


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後日談 南からの使者

張昭、字を子布。史実では孫策、孫権と二代に渡って仕えた政治家である。そう、意外と思うかもしれないが、孫堅には仕えていないのだ。

だがこの世界では、孫堅、孫策の二代に仕えているようだ。

 

さて、そろそろ聞いておこう。

YOUは何しにこの里へ?

いや、先触れから聞いてはいるが、確認のためにね。

 

「はい。中郎将様にご報告に参りました。まずは中郎将就任、祝着至極に存じます」

「うむ。ありがとう」

 

別にめでたくはないけども。裏を知らなきゃ出世だよなぁ。しかし耳が早いな。まあここに来る前に洛陽に寄ったのだろう。報告というのはあれだ、荊州の平定が終わったことだ。

一応、俺が下ごしらえをしたようなモンだからな。義理を果たすといった意味もあるのだろう。

 

「長旅は疲れただろう」

「いえ、最新の馬車は快適でしたので、何ほどのこともありませぬ」

 

この時代の馬車ってメッチャ揺れるからな。車軸を改良したり、クッションを作ったりと色々イジッてみたんだ。

その技術を魯粛にも売っただけである。

 

張昭から書簡を受け取る。

うん。まあ普通。普通に荊州を平定しましたよと、それだけである。末尾には孫策の名が記されていた。

荊州の州牧であった劉表は洛陽に赴き、皇帝に頭を下げて許しを請うた。その結果、州牧の地位は失ったが、命は助かり、益州にて隠棲することになった。

次の荊州牧は周瑜が就くようだ。

孫権じゃないんだな。まあ一族で二州を治めるとなると、騒ぐやつらがいるのかもしれない。

 

「見事な手並みだな」

「ハッ、ありがとうございます。我が主もお喜びになるでしょう」

 

うん。いや、そこまでへりくだる必要もないと思うけどね。

 

「うむ。まあとんぼ返りする必要もあるまい。しばらくはゆるりと過ごされよ。まずは風呂にでも入って疲れを癒すといい」

「ハッ、ご配慮くださりありがとうございます」

 

こうして張昭はしばらくの間、里に滞在することになった。

南と北では気候が随分と違うが、体調を崩すようなこともなく、張昭は活発に動いていた。里の技術や(まつりごと)にも興味を持ったようで、よく朱里と語り合っているらしい。

孔明と張昭の議論か。胸が熱くなるな。

 

特に張昭が興味を持ったのが、船であった。里にも運搬用の船がいくつかあるが、張昭はその船に目を引かれた。普通なら造船技術は南の方が優れているのだが、里の船は通常の船とは構造が異なる。

この時代の船は、木箱をそのまま浮かべたような簡単なもので、バランスがメチャクチャ悪いのである。河で運用するにはまだ良いが、海だとまず間違いなく転覆するだろう。

 

この構造は和船と呼ばれるもので、船自体が大型化しても変わりはない。例えば楼船と呼ばれる大型船も同じである。楼船は二つの船を繋げて、櫓などを立てている指揮官クラスの人間が乗る船で、兵士も百人ほどが乗船できる。

二つの船を繋げているため、それなりに安定性はあるが、やはり大波には弱いだろう、たぶん。

 

つまり、洋船と違って竜骨がないのだ。

だが和船に利点がないわけではない。底が平らなので陸に引き上げることができるし、製造費も安価なため、数を揃えるなら和船の方が良い。また沿岸輸送などを目的とするのならば、和船で十分なのだ。

 

この技術を公開しても良いか、朱里に相談された。

別にいいんじゃないの? 秘匿技術ってわけでもないし。隠していたわけでもない。それに張昭くらいになれば、外から見ただけでもある程度は気づくだろう。

それよりも恩を売っておく方が得策な気がする。

 

「こいつを見てくれ。どう思う?」

「……これは、船の設計図ですな。やはり、既存の船とはまるで違いますな」

 

張昭は唸りながら設計図を見つめた。そして、チラリとこちらに視線を向ける。

 

「しかし……よろしいのですか?」

「うむ。他ならぬ張昭殿だからな。特別だ」

 

人間は限定とか特別とかいう言葉に弱いのだ。

 

「そ、それはどうも……」

 

張昭はほほを赤らめるが、別にそういう意味じゃないからな。張昭といえば謹厳実直で老獪な……そういやこいつ何歳だっけ?

考えてみれば真直もかなり若かったからな。くっ、史実に引っ張られてはいかんとあれほど……。

 

「ただの興味ではあるまい。そういった船を欲しがるということは、海賊かな?」

「はい。やつらは狡猾で、手を焼いております」

 

船の条件は同じのはずだが、練度の違いや、天候や波風の読みといった地の利はあちらにある。南海には多数の小島があり、色々と面倒なのだ。

と、揚州出身の移住者が言っていた。

それに、陸と比べればどうしても海は後回しになりやすい。だが民からの苦情も上がってくるだろうから、無視するわけにもいかない。

 

「中郎将様。この帆の位置は、どういった意図があるのでしょうか」

「それはな、すべての帆で風を受けるためだ」

「……申し訳ありませぬ。おっしゃる意味が……」

 

ふむ。張昭でも一発で看破はできんか。まあこの時代、真後ろから風を受けることが、最も効率が良いとされているからな。

俺は簡単にベルヌーイの定理を説明した。つーか簡単にしか説明できん。俺だって完璧に覚えているわけじゃないんだし。

 

「こうすることで、条件が揃えば船は風よりも速く進む」

「か、風よりも速く……ですか?」

 

張昭は半信半疑という表情を浮かべた。まあ気持ちは分かる。風を受けて進むのが帆船なのに、風よりも速く進むというのは理屈に合わない。

要するに、風の運動エネルギーではなく、揚力で進むのだ。風を受け止めるのではなく、帆の周囲に風の通り道を作る。

 

「風よりも速く……? 風上に向って進む……?」

 

張昭が宇宙猫状態になって唸り始めた。そういえば船大工も半信半疑だったというか、頭のおかしいやつを見る目で俺を見ていた気がする。船に詳しいやつほど信じられないのだろう。

落ち着くまで待ってやるか。

 

「……しかし、本当によろしいのですか?」

 

お茶を啜っていると、張昭が伏せ目がちに訊いてくる。

大事なことだから二回訊いたのか? まあインテリは深読みするのが仕事だからな。ただより高いものはない、ということを知っている。

 

「うむ。我々が望むのは天下の静謐。天下が泰平となれば、商人の往来も活発になる。これは未来への投資だよ。まあ、まずは民を富ませるべきだがな」

 

たしか管仲の言葉だったかな。衣食足りて礼節を知るってやつだ。それでも楽してズルして儲けようと考える者はいるわけで、賊がまったくいなくなるということはないのだろうが。

さぁ、この設計図。いるのかい? いらないのかい? どっちなんだい?

 

「……ハッ、我らが望むのも天下の静謐に他なりませぬ。この設計図、ありがたく頂戴いたします」

 

張昭が恭しく頭を下げる。そして少し間を置いて、口を開いた。

 

「ところで中郎将様。ひとつお訊きしたいことがあるのですが」

「なにかな?」

 

船については細かいことを訊かれても困るぞ。あれは職人の領域だからな。船大工に訊いた方が早い。

 

「人間は生まれながらにして、善か悪か」

「……ふむ」

 

随分と話が飛んだな。インテリは自分の頭の中だけで話を進めるから困る。対応する凡人の身にもなってほしい。

ちなみに、性善説を説いたのが孟子で、性悪説を説いたのが荀子である。また告子は、性は中性的であり、善悪はどちらも後天的なものであると説いた。

要するに、この問いには答えがないのだ。

 

つまり答えは沈黙、といいたいところだが、それだと話が進まないな。

まあ現代人がこの問いを投げかけられたら、たぶん答えは一致するだろう。

遺伝子である。遺伝子が絶対的なものではないが、ある程度の傾向は遺伝子で決まる。ただしあくまで傾向であって絶対ではない。遺伝子を絶対視するとディストピアが生まれる可能性がある。

犯罪遺伝子をでっち上げた完全管理社会だったり、遺伝子調整で優秀な人類を生み出したら旧人類と対立してヒャッハーフリーダムな世界になったり。

やっぱ人類が踏み込んじゃいけない領域ってあるんだな。

 

しかしこの遺伝子論にも例外が存在する。精神病質者(サイコパス)だ。サイコパスは遺伝的要因や脳の構造に起因することが多いと言われているが、決定的な原因はまだ解明されていなかったはずだ。

以上のことを踏まえて、導き出される結論はひとつ。知らねーよバーカ、である。

 

「善と悪で二極化するのはどうかと思うがな。比率が違うだけだ。善を多く持って生まれる者もいれば、悪を多く持って生まれる者もいる。しかしそれは絶対的なものではなく、成長する環境によって変化すると私は考えている」

「……なるほど」

 

納得したか? 納得したならこの話はもう終わりだ。これ以上引き出しはないぞ。

 

「里の律令はそのお考えから生まれたものでしょうか? 惨刑が皆無のようですが」

 

まだ続けるのぉ? 惨刑とか見せしめ以外の意味ないじゃん。項羽じゃねーんだから、熱湯風呂見て喜ぶ趣味なんて俺にはないのよ。それなら労役刑の方がよほど社会の役に立つよ。

 

「刑罰は必要だが、惨刑は必要ない。張昭殿なら分かるだろう?」

 

分かるよな? 分かれ。

 

「…………そうかもしれませぬな」

 

よし、この話はもう終わりだ。話題を変えよう。

 

「そういえば、孫策殿は息災かな?」

「ハッ、(しぇ)……伯符様は……はい。荊州平定後は揚州に戻り、政務に鋭意取り組んでおります」

 

少し言いよどんだな。見た感じやんちゃそうだったから、平定してからは暴れたりないのかもしれん。そもそも劉表があっさり退いたから、戦闘らしい戦闘はほとんどなかったんじゃないかな。

 

「ふむ。荊州の平定も終わったとなれば、豪族たちとの政争が始まるだろうな。彼女には退屈だろう」

 

豪族やら名家やらってのは、明確な敵が存在する時はそれなりに纏まりを見せるが、いざ平時となれば利権を求めてあーだこーだ言い始める。

俺はそういうことには関わりがなかったが、聞いたところによるとクッソメンドイらしい。やっぱ指揮系統は一本化して、完全な上意下達の方が色々と捗るんだよな。

 

「……お見通しのようですな。我が主の才は乱世の時こそ最も輝きますが、泰平の世となればいささか……。憂さ晴らしとばかりに、海賊征伐へと乗り出していますがなかなか、手強い連中です」

 

ああ、それで船を欲しがったのか。孫策は治世の能臣にはなれなかったか。海賊を平定したらしたで、また退屈しそうだな。

 

「いっそのこと蓬莱(ほうらい)でも目指してみるとか……」

「蓬莱……でございますか? 徐福は大鮫に阻まれて辿り着けないと報告したとされていますが、あれは始皇帝に無理難題を押し付けられた徐福の言い逃れでしょう? あるいは詐術を(もっ)て始皇帝から大金をだまし取ったとも言われておりますが、ともかく実際には蓬莱など……」

 

ありゃ。つい考えが漏れてしまったか。仕方ない、続けるか。

 

「揚州の南端から東に行った場所にある島だ。仙人もいないし、不老不死の霊薬などもない。ただの島だな」

 

俺がそう言うと、張昭はポカンと口を開けたまま止まった。蓬莱、まあ台湾のことだ。たしか天気の良い日でも、大陸からは目視できないと聞いたことがある。

信じられないのも無理はないだろう。

 

「ほ、本当にあるのですか? それも南海? 渤海や黄海ではなく? いえ、疑っているわけではありませんが……」

 

いや、明確に疑ってるじゃん。まあ、もしかしたらこの世界にはない、という可能性も微粒子レベルで存在する……のかもしれんが。

 

「断言はできんがね。それこそ、あなたたちが第一発見者となるが良いさ。間違いなく、歴史に名が残る偉業だ」

 

ゴクリと唾を呑み込む音が聞こえた。そりゃあね、歴史に名が残るって、これ以上ないくらいの名誉だからね。

現地民はいると思うが、今の台湾ってどうなってんのかな。さすがに台湾の歴史まではさっぱりだ。

 

そういえば孫策の風貌は海賊帽子とか似合いそうだったな。ひとつ贈ってやるか。いや、麦わら帽子でもいいかもな。南は日差しもきついだろうし、民衆に広めてもいいかもしれない。

いや、この程度のことは南の商家がやってるのかもな。

 

窓を見た。また厳しい季節が来る。

ここは居心地の良い場所だが、冬の寒さだけが難点だな。

 

 

 





項羽は熱湯風呂大好きマンだったようです。(自分が入るとは言ってない)
原作に麦わら帽子って出てきましたかね?
ベレー帽やとんがり帽子があるんだから、麦わら帽子があってもおかしくはないんですが、まあ細かいことは気にしない方向でお願いします。


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後日談 虎の考察

「雪蓮様! 張子布、ただいま戻りましたぞ!」

 

張昭は天に向かって叫んだ。正確には樹上に向かって、だが。その声に反応して、葉がガサゴソと音を立て、緑の中から褐色の肌が現れた。

 

「あら雷火。随分と早かったのね」

 

張昭の真名を呼びながら、雪蓮は笑みを浮かべながら枝から飛び降りた。

 

「賊も減ってきましたからな。道中は穏やかなものでしたぞ」

「そういう意味じゃなくて、もっとあっちでゆっくりしてきても良かったのよ?」

「わしがおらぬと怠ける者がおりますからな」

「ああ、あはははっ……」

 

雷火は目つきを鋭くして目の前の人物を睨みつけた。それに対して、雪蓮は目を逸らしながら愛想笑いを返す。

 

「でもさあ、別にあなたが行かなくても良かったんじゃない? 書簡のひとつも送れば十分でしょ?」

「それは出立する時にも申したでしょう。義理を欠いては孫家が蛮人の集まりだと思われますぞ。仁は人の心なり、義は人の路なりといいましょう」

「え? ああ、うん。そうね。孫子ね、孫子」

「孟子でございます。なんでも孫子というのはやめなされ! もうあなた様は州牧なのですぞ。無頼のままでは困りますな!」

「もー、分かってるわよ。で、将軍様の様子はどうだったの?」

 

雪蓮はうんざりしたように顔をしかめた後、露骨に話題を逸らした。

 

「将軍職は返上しておりますよ。今は中郎将様です」

「あー、そうなんだ。そういえば将軍って臨時職だもんね。いよいよ乱世も終わりって感じねぇ」

 

雪蓮はしみじみと嘆息した。一言で将軍と言っても将軍にはランクがあり、その号数は一二五にも及ぶ。最上位は大将軍であり、その下に三将軍(驍騎将軍・車騎将軍・衛将軍)がある。彼の就いていた征南将軍というのは、実はそれほど高位の将軍職ではない。

 

「なにやら残念そうですな」

「そんなことはないけど、やっぱりね。私ってほら、今さら言わなくても分かるでしょ?」

 

にんまりと笑みを浮かべ雷火を見つめる。雷火は呆れたようにため息を漏らした。

 

「ところで気になってたけど、あなたが剣を佩くのは珍しいわね。不敬だなんて言うつもりはないけど、それに持っているのは……帽子?」

「どちらも中郎将様からの贈り物でございますよ。まずはこちらを」

 

雷火は麦わら帽子を手渡した。雪蓮は物珍しそうに眺めた後、それを頭にかぶった。

 

「……ふーん、なかなか涼しいじゃない。中が蒸さないように風通しが良くなっているのね」

「はい。しからば、その帽子にどのような意味が込められているか分かりますか?」

「え? 帽子の意味なんて日除け以外ないでしょ」

「分かりませぬか。中郎将様は、頭を冷やせとおっしゃりたいのですよ。雪蓮様の突撃癖、見抜かれておりますぞ」

 

そう言われて、どうも釈然とはしないものの、図星であるために反論の言葉が出てこない。仕方なく雪蓮は次の話題に移った。

 

「で、そっちの剣は?」

「どうぞ」

 

恭しく両手で差し出された剣を受け取ると、雪蓮はスッと剣を抜いた。

 

「これは……」

 

その美しさに、雪蓮は息を呑んだ。なにしろ剣を通して雷火の顔が見えたからだ。こんな剣を見たのは初めてだった。

 

硝子(ガラス)? 硝子の剣?」

「はい。武器というよりは美術品に近いですな」

「……違うわ。これは武器よ」

 

雪蓮はすぐにその剣の本質を悟った。この剣は、ひどく見えにくいのだ。打ち合うのではなく、奇襲用の剣と言えるだろう。

雪蓮は雷火にそう説明した。

 

「なるほど。戦闘に関しては鋭いですな。ならば中郎将様の伝えたいことは、奇襲に気をつけろということですかな? それとも、その剣を使いこなせるように修練しろということでしょうか?」

「どっちにしたって愉快な話じゃないわね。というか、帽子のことといい深読みしすぎなんじゃないの? ただの贈り物でしょ?」

 

と雪蓮は言ったが、雷火はふるふると首を横に振った。

 

「雪蓮様、貴族の方々は直截な物言いはせぬものです」

「……あの人、貴族だったの?」

「大秦帝国の貴族との噂ですぞ」

「噂ってことは本人に訊いたわけじゃないんでしょ。てか秦ってあの秦?」

「あの秦がどの秦かは、まあ予想はつきますが、違いますな。遥か西方の国です」

「ふーん」

 

硝子の剣を振りながら、雪蓮はそっけない返事を返す。彼女の知る西方とは涼州のことで、それより西についての知識はほとんどなかった。

 

「うーん、そんな感じはしなかったけどなぁ。いやまぁ、私も大秦帝国の人間を知ってるわけじゃないけどさ」

「なんぞ事情があるのでしょう。人には触れてはならない痛みがあるのです。軽々しく踏み込むべきではありませぬ。しかしあの教養の高さからして、上流階級のお人であることは間違いないでしょうな」

「なるほどねぇ」

 

ひとしきり剣の感触を確かめた後、彼女は横薙ぎに剣を振るった。風切り音が雷火の耳朶を打つ。

 

「これ、ただの硝子じゃないわね。それなりの強度はありそうだわ」

「そうなのですか?」

「ええ、さすがに鋼と比べるわけにはいかないけれど」

 

人差し指で刀身を弾いて、雪蓮はゆっくりと鞘に納めた。

 

「さて、早速だけど(のん)を手伝ってあげてくれない? 最近また海賊が騒がしくってね。陳情が多いのよ」

「ほぅ、穏が忙しく働いているというのに、雪蓮様は樹上で隠れるように昼寝をしておったと?」

 

しまったという風に、雪蓮は顔をしかめた。

 

「いや、ほら。私は部隊を率いて出撃しなきゃならないじゃない? その時のために身体を休めてたのよ。戦場で不覚を取らないためにも、休むのも仕事なのよ」

「咄嗟の言い訳にしてはたいしたものですな。まあいいでしょう。雪蓮様、新型船を造ろうと思います。後ほど計画書と予算案をお持ちしますので、決裁をお願いします」

「新型船? うん、それはまあいいけどさ。それも彼の里で学んできたの?」

「はい。それ以外にも、得るものはありましたぞ。治水や開墾、農業や産業、税収や統治法、わしの想像以上でした」

「へぇー」

 

気の抜けた返事を返し、雪蓮は樹上に目を向けた。緑の中に紅が見える。南にもようやく秋が訪れようとしていた。

 

「へぇー、ではありません! 州牧としてもっと治世のことを……」

「ねぇ、雷火。彼はどうだった?」

「真面目に……え? なんですか?」

「彼よ。中郎将様。二回目でしょ、会うの。なにか感じた?」

「なにか……と言われましても」

 

一度目は汜水関に向かう途中、闇夜に紛れての密会だった。必要なことだけを話した。緊張していたというのもあったし、まじまじと眺めるのも失礼だとも思った。

 

「彼はね、たぶん……普通の人よ」

「普通……普通ですとっ!? 武は白起、智は管仲に並ぶと言われているお人ですぞ!? 他にも衛青や霍去病(かくきょへい)范蠡(はんれい)や呉起など、盗跖と揶揄する者もおりましたが……」

「どこの誰から聞いたのよ。英傑の名を並べればいいってものじゃないでしょうに。それに范蠡は絶対違うと思うわよ?」

 

呆れたように雪蓮はため息を落とした。范蠡は越の国に仕えた鬼才で、呉との戦いで囚人部隊を突撃させ、敵の目の前で自刎させたことで有名である。

現代人にとっては何が何だか分からない作戦であろうが、当時の人間にとっても何が何だか分からない作戦だった。だがそれこそが范蠡の狙いであり、この囚人集団自殺によって敵軍に虚を作ったのである。

 

「まぁ、なんとなく、だけどね」

 

雪蓮はひと目見て直感した。あの優しい目は将として大きな欠陥を抱えている。

彼は兵の死を前提とした策は取れないだろう。しかし、だからこそ約定を違えないと雪蓮は思ったのだ。

たしかに雪蓮の見抜いた通り、彼の性格は策の幅を狭めるだろう。だが兵を使い捨てないということは、兵との間に信頼関係が生まれる。そういった兵は、多少劣勢であっても逃げ出したりはしないものだ。

一概に欠点と切り捨てられるものでもなかった。

 

「……はぁ。さすがは雪蓮様ですな。あのような才人を凡人と断ずるとは」

「別に凡人とは言ってないじゃない」

「同じような意味でしょうが。そんな戯言を言っている暇があれば、仕事をして下され。さあ行きますぞ!」

 

雪蓮の腕を取り、雷火は歩き出す。

 

「怒った? ねぇ怒ってるの?」

「怒っておりません! 呆れているのです!」

「怒ってるじゃないのよぉー! あ、それよりお酒は? 噂の火が付くほど酒精の強いやつ! ちゃんと買ってきてくれた?」

 

雪蓮を引きずりながら、相変わらずの呑兵衛ぶりに雷火は小さく嘆息した。

 

「はいはい、買ってきておりますよ。仕事の後で存分にお飲みくだされ」

「今すぐ飲みたい! のーみーたーいーっ!!」

「だまらっしゃい! まずは仕事でございます!」

「いいやぁぁーーっ!!」

 

雪蓮の叫びも虚しく、彼女は執務室へと連れ戻された。

 

 

 





もしかしたら雪蓮とは意外と相性は良いのかもしれない。


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後日談 善意で舗装された道

亜夜(あや)、調子はどうだ?」

「ああ、親父殿か。丁度新しい自転車が出来あがったところだ」

 

亜夜とは呼廚泉の真名である。俺のことを親父殿と呼んでいるが、別に父子(おやこ)というわけではない。俺と夜行(やこう)(羌渠)がそういう関係であることを知ってからそう呼ぶようになった。

そうなったのは成り行きだったんだが、仕方なかったんだよ。これから仲良くやりましょうって時に、誘いを断るのは色々とマズかったのだ。

 

話を戻そう。

自転車は近代の乗り物というイメージがあるが、構造自体は割と単純だ。起源とか発明者とかは知らん。猫車(一輪車)が孔明の発明だとは聞いたことあるけど。

 

だがゴムがないから乗り心地はあまり良くない。南蛮にあるんだっけか、ゴムの木。南蛮って確か孟獲がいるんだよな。孔明が七回捕らえて心を折ったってのは、演義の方だったかな。

ゴムがあれば色々と(はかど)るのだが、さすがに南蛮はなぁ。バトルなしで乗り切れる保証もないし、そもそもゴムの木があるという確証もない。

俺もうろ覚えの知識だからな。もしかしたら南米だったかもしれない。

そんなことを考えていると、亜夜が工房の奥から一台の自転車を転がしてきた。

 

自転車は移動に便利なんだ。走るより速く(一部の武将を除く)、馬より維持費がかからない。でも道が整備されてないとなかなか厳しい。

里の中で使うくらいだな。里も広くなってきたし、作ってみようと思ったのだ。

 

「ふむ。いい出来だな」

「ありがとよ。しかし、この頃は武具以外のものばかり作ってる気がするな。最近作ったのは元戎(げんじゅう)くらいか」

 

元戎とは最新の弩のことだ。孔明が開発者だと言われているが、どのような武器であったかはほとんど伝わっていない。分かっているのは短い矢を十本発射できたということくらいだ。要するにマシンガン的な武器だったわけだな。

 

ただ連射にリソースを割いたせいか、射程が犠牲になってしまった。鎧に弾かれてしまうので重装兵や重装騎兵には意味がない。鎧を着ていない賊徒か、馬甲(ばこう)を着けていない馬くらいにしか威力を発揮できない。

まあそれでも使い道はあるから、全くの無駄というわけではなかったが、ちょっと期待しすぎたというのはあったな。

やっぱ連射よりも射程だ。アウトレンジからの一方的な攻撃が一番強い。強弩こそ最強だな。

 

弩の歴史は意外と古く、春秋時代にはもう使われていた。

英雄を必要としない無慈悲な武器。弓ほどの練度を必要としないため、新兵でもすぐに扱うことができる。

強弩となれば貫徹力にも優れており、比喩ではなくどてっぱらに穴が開く。かつては秦の天下取りのためにも大いに活躍した武器である。

 

「暖房器具も順次用意していかねぇと。ああいうのはいくらあっても足りないからな」

「落ち着いてきたとはいえ、住民は増え続けているからな」

 

里の気候では暖房器具は欠かせない。火鉢や囲炉裏、暖炉といった暖房器具が大量に必要になる。暖房器具がない家では凍死する可能性がグッとアップするのだ。

熱効率って知ってるか?

まあ読んで字のごとくなんだが、この時代の暖房器具は熱効率がほとんど考慮されていないからな。そういうのを説明して、職人たちと一緒に改良を続けている。

 

ただ史実よりはだいぶマシだと思う。史実での三国時代は寒冷期まっただ中で、黄河が凍ったとも言われている。

今のところそんな話は聞こえてこないので、やっぱりここは異世界なんだなぁとつくづく思う。

 

「ああ、そうだ。母から使いが来てな。親父殿に話があるようで、近々里に来るらしい」

「ほう。それは楽しみだな」

 

あいつも忙しく動き回ってるからな。あいつが異民族を抑えてくれるおかげで、里も助かっている。上等の酒と料理でもてなしてやろう。

ふと、壁にかかっていた日程表(カレンダー)が目に入った。

 

今日はたしか……愛紗の日だな。自分で蒔いた種とはいえ、ここまで増えるとどうしても多少は義務感を覚えてしまう。本人たちの前では死んでも言えんが。

今思えば、真名の交換が大きな転換点だった。あれで女性たちのタガが外れてしまったような気がする。

 

やはり真名は悪い文明……いや、勢いと雰囲気に流された俺の自業自得と言われたら返す言葉もないのだが。

だがこれだけは言わせてほしい。必要だから愛したのではない。愛しているから受け入れたのだ。

うむ。我ながら名言っぽいことを言った気がする。しかしまぁ、一夫一妻制にはちゃんと意味があったのだということを、俺は改めて実感した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それからしばらくして、夜行がやってきた。

 

「元気そうだな」

「ああ、まだまだ若いモンには負けんよ」

 

そう言って、夜行はニカッと笑った。正確な年齢は知らんが、たぶん四十代くらいのはずだ。しかし容姿は二十代後半くらいに若々しく見える。

 

「とりあえず一献」

「いただこう」

 

夜行の杯に酒を注ぐ。近況報告や世間話をしながら、酒と料理を平らげていく。夜行は体格にふさわしい大食漢で、どんどん皿は空になっていった。

そして、ほどよく酔いが回った頃合いに、夜行は真面目な顔で俺に向き直った。

 

「例の件だがな、ようやくまとまったよ」

「ふむ」

 

例の件ってなんぞ? なんかこいつに頼んでたかな。全く覚えがないのだが。

 

「各部族の代表者が集い、一対一で戦い、最後まで勝ち上がった者が王となり、あたしたちをまとめるのさ」

「ようやく国となるのか」

 

一応、匈奴は冒頓単于の時代に国家の(てい)は成していた。しかし冒頓単于の没後、前漢との戦争で匈奴は衰退し、分裂した。

だがそれまで部族単位での略奪と牧畜が産業だった遊牧民に、国家という概念と帝国型の社会システムを根付かせた功績は大きい。

 

「あんたのおかげで、あたしらにも余裕ができたからね。そのやり方をそのまま教えてやったら、まあ上手くいったよ」

「あのくらいで戦が抑えられるなら安いものさ」

 

井戸の発掘やら、農業のやり方やらを教えただけだ。カブとかソバなどの救荒作物も与えた。ジャガイモもあればよかったんだが、やっぱ南蛮にあるのかな? あれも南米だったような気もするんだよなぁ。

 

「あんたが勝ち上がって王となれば、あいつらも従うとよ」

「……へむ?」

 

今なんつった? 俺も参加するのか? ふざけんな! 勝手に戦え!

なんで俺が異民族最強トーナメントにダイナミックエントリーしなきゃならねぇんだ!

 

「心配はしていないさ。なんたってあんたは、漢人最強の男だからね」

 

いや、俺は日本人だから。身体はカミサマが造ったらしいから、漢人仕様なのかもしれんが。そういえばこいつは、俺がローマ出身という設定も知らないんだったな。

それで言うと広義の意味では、俺も異民族扱いされてもおかしくないんだよな。よく皇帝ちゃんにツッコまれなかったモンだ。あの時は冴えたアイディアだと思っていたが、ところどころでやらかしてんな、俺。

 

まあ、たしかに俺が漢人最強の『男』ってのはそうかもしれないけど、俺の三倍くらい強い漢人最強の『女』がいましてね。

む、そうだ。あいつを呼んでくればいいじゃないか。北方平定のためと言えば派遣してくれるだろう。おお、我ながらナイスアイディア。この戦い、我々の勝利だ。

 

「もう一人、参加させたいやつがいるんだが、いいかな?」

「いや、代表は各部族一人だけだ。例外を作るわけにはいかない」

 

なら俺の代わりに恋が出ればいいんじゃないかな。

と思ったが、それを口にすれば、俺の信頼は地に落ちる。彼女たちは弱いやつよりも、臆病なやつを蔑むのだ。

ああ、なんか一気に酔いが醒めたな。

 

「なら仕方ないな。で、いつやるんだ?」

「明日、あたしと一緒に村へ行こう。順次集まってくる予定だ」

 

はえーよ、はえーんだよ!

こっちにも予定ってものがあってだな。

もうそろそろ冬が来るんだから、来年の春でもいいだろうに。いや、だからこそ早く終わらせたいのか。

 

「うちからは真夜(まや)が出る。あんたをぶちのめすんだって張り切ってるよ」

 

真夜とは於夫羅(おふら)の真名である。夜行の娘であり、亜夜の姉だ。

そして、どうも俺は彼女に嫌われているみたいなんだよな。

母を取られたと思っているらしい。

 

「ああ、今日の酒は格別に美味いね。今から楽しみだよ。あんたが王になる姿が」

 

なるほど完璧な計画っスねー、本人に了解を取っていないという点に目をつぶればよぉー。

クソッ! なぜこんなことになってしまったんだ。まともなのは俺だけかっ!

いや、もはや何も言うまい。

 

「あたしばっかり喋ってるね。あんたも何かないのかい?」

「ん……ああ、そうだな。月が、綺麗ですね」

「ああ、もうそんな時分か。夕月ってやつかね。確かに綺麗だ。あたしが穏やかに月を愛でる日がくるとはね。人生分からないモンだ」

 

窓から見える夕月は少し悲しそうに見えた。

おや、あれは彗星かな? いや、違うな。彗星はもっとこう、バァーって動くもんな。

 

「もう一度乾杯しようか」

「ああ」

「あたしたちの未来に」

「ああ」

「乾杯」

 

掲げたふたつの杯がぶつかり、乾いた音を奏でた。

 

 

 





というわけで完結です。(三ヵ月ぶり二回目)
評価・感想・誤字報告ありがとうございました。


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