8年ぶりに合った彼女が病んでいた件について (赤い靴)
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1話 8年間の損失

()()()!!パス!!」

「よし来た!!!」

 

 まだ10才にも満たない…小学校3年生の頃。僕らはよく、学校のグラウンド、その隅に置かれたバスケットゴールにて2対2に別れ遊んでいた。

 相手は少年バスケ部に入っている『きょうちゃん』こと<恭介(きょうすけ)>と、上級生にも負けを取らないほど大きな身体付きの『りゅうくん』こと<琉生(りゅうき)>だ。

 

 一方コチラの味方は男勝りの女の子で、僕の事を『ふみぃ』と呼んでいた。<志紀(しのき) 章文(あきふみ)>。僕の「文」をもじったあだ名だ。

 ……。いや、今思えば僕は…彼女が好きだったのかもしれない。

 こう表現すれば気色の悪い言い回しになるが、父子家庭かつ一人っ子の僕は、彼女に母性を感じていたのかもしれない。

 だが遂に僕は、彼女<長瀬 結衣(ゆい)>に告白できずにこの街を去った。父の転勤によるものだった。

 

 最後の別れの日。冬休みの前の事を今でも覚えている。彼ら3人が僕の家を訪ね、贈り物をくれたのだ。4人の名前、ローマ字に変換し文字を起こしたネックレスだ。

 それは今でも、僕の宝物だ。後に知ったのだが、そのお代は彼らの親が用意してくれたらしい。感謝してもしきれない。

 

 そして8年後。紆余曲折あり僕は、高校2年の初夏、再度この街の住人となった。

 父の再婚で妹が増えたりしたが……そんな事はどうでもいい。

 

 高校に転校し、クラスメイトにお決まりの挨拶を済まし気づいた。

 窓際の後ろの席。そこに彼女が座っていた事に。

 だが一目見て理解した。かつての天真爛漫な少女は消え、まるで氷の様に冷たく暗い少女になっていたのだ──

 

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 

「お兄ちゃん起きて!!7時だよ!!朝だよ!!転校初日から遅刻は勇者だよ!?」

「にいにー、おきてー!あさー。あさーだよー!」

 

 前半の声は耳に入らなかったが、後半の天使のような声が僕を起こす。あぁ、なんていい朝なんだろうか…。でも、僕の腹の上で尻もちをつくのは辞めてくれないか???

 

 腹部で今なお騒ぐ<朱音(あかね)>の脇に手を差し込み持ち上げる。6歳ともあって軽い。我が家の天使だ。

 そのままベットから下ろし僕は立ち上がる。窓から差し込む光は温かく、空は雲一つない青空だった。

 

「やっと起きた…。今日から行く学校は少し遠いから、早く起きないとダメなんだよ?」

「あー確かに…。いままでは30分まで寝れたんだけどな……。つら…」

「早く顔洗って支度しなよ!朝ごはん出来てるから」

「お米ですか…?」

「パン」

「…まじか……」

 

 一通り会話が終わると僕の1つ歳が下の妹、<千蒼(ちひろ)>が朱音を連れて下に行ってしまった。

 洗面台で顔を洗い、新たな高校の制服に袖を通し、宝物を首に掛け、一階のリビングに向かった。

 

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 

 少し茶髪のミディアムの髪。青み掛かったクルリとした眼。薄いピンク色の唇。健康的にやけた肌。あんまり大きくない胸……

 

「どこ見てんのよ!お兄ちゃん!!」

「天保山*1を眺めていた。その標高ながらも、いい眺めだな、と」

「なにその山?私、富士山しか知らない」

「日本で2番目に()()()だよ」

「本当?…これで地理のテストで1点稼げたわ!!」

「おーう。がんばれー」

 

 お互い道に不慣れと言うことも有り、妹と一緒に登校している。

 8年も経てば街は変わる。そのギャップで今も酔いながら高校に向かっている。

 

 父の再婚相手である義母にセットで付いてきた。千蒼は陸上、とくに長距離が得意で何度も県大会に出場している。その反面勉強は点でダメで、テスト期間中は僕と一緒に勉強をしている。

 転校する『私立能生高校』は進学校であり、勉強がまぁまぁ得意な僕は普通に入れた。しかし勉強が出来ない千蒼にとっては難易度が高かったらしいが、最近この高校では部活動にも力を入れており、その関係で首の皮一枚繋がったのである。

 まぁつまりは、ただ運が良い妹。それに尽きる。

 

 大通りに出た。ここで同じ制服を着る学生が一気に増えた。ブラウンのブレザーに赤と青が交差するネクタイ。

 ここまでくれば迷うはずも無い。後は彼らをついて行けば自然と学校に到着するはずである。ここで一つ深いため息を吐いた。もう朝から疲れているのだ。

 

「あ!ため息!!幸せが逃げちゃうよ!!」

「そんなわけないだろう…。ただ深い呼吸をしただけだ」

「緊張?」

「……。そうかも知れない」

「ふーん。お友達、出来ればいいね。お兄ちゃん、中学3年間と高校1年間。ずっと一人だったから…」

「おいおい…。まるで僕に友達が()()()()()()と言いたげだな?…違うぞ、僕はただな…()()()()()()()()()んだ。それには天と地の差があるぞ?」

「?…同じじゃないの?」

「全く違うね」

 

 そう啖呵を切った。

 だってそうだろう?それじゃあまるで、僕が友達を作れなかった悲しい奴になるでは無いか。

 別に友達が居なくとも寂しくなかったし、疎外感を感じたが…あれは僕の気のせいだろうし、つるむ人間が居なかった()()()勉強が得意になった。

 なにも悪い点は無いでは無いか。将来に投資しただけだ。社会人になれば皆一人だ。その予行演習が出来たと思えば御の字ではないか。ボッチこそ至高である。

 

「まぁ…お兄ちゃんはイケメンだから…悪い女には注意してよ?パパみたいに詐欺に会うかもよ?」

「あれは親父が悪いのであって、僕には関係ないね。つうか親父と比べるなよ。アレは生粋の女好きだ」

「でもお兄ちゃんのベットの下。女の子が沢山載った雑誌まみれだけど?引っ越して数日なのに…」

「なんか欲しいモノ有るか?買ってやるぞ?」

「え!?やったー!!じゃ、じゃあ…今、気になってるメーカーのランニングシューズがあってさ!!!この厚底のヤツなんだけど…………」

 

 今日家に帰ったら掃除しよう。そうしよう。

 

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 

 千蒼との初めての登校を終え、僕は教室で戦慄した。

 僕の初恋の人。結衣を見つけてしまった。

 顔の左側を隠すような長い髪。調子の悪そうな顔色で僕を見ていた。

 

「じゃあ志紀くんは席に…」

 

 男の先生は、僕にアナウンスする。

 その時、一人の男が手を挙げた。

 

「センセー。俺、志紀に学校案内しますよー。1時間目、センセーの授業でしょ?」

「うんん?…まぁ、荒井は()()成績が良い方だからな…分かった。行って来い」

「よっしゃあ!!…てか、『まだ』ってなんすか。一生懸命やってるんすよ~」

 

 そう喜ぶ髪を金髪に染めた青年は言った。その男に野次を飛ばす様に、クラスメイトは笑った。

 

「いいなー」「サボりたいだけだろう、この野郎???」「この爽やか顔が!!」など彼に冗談混ざりの罵詈雑言が浴びさせる。

 

「あ、ワリぃワリぃ。成績良くて、カッコよくて…ゴメンな?」

 

 荒井は火に油を注いだ。

 この手の人間は僕は知っている。真の陽キャだ。きっとサッカー部の部長かなんかだろう。

 

「じゃ、行こうぜ?()()()

「……。はぁ?」

 

 何故そのあだ名を知っている?

 

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 

 この爽やか野郎はかつての友達、荒井 恭介であった。あのバスケ少年の……

 驚きを隠せない。どうやったら『そう』なるのか……。ご教授貰おうか?

 

「何飲む?」

 

 自動販売機の前で恭介はそう言った。ここまで何も教えて貰えず、この場所まで一直線を向かった事を加味すると…本当に授業をサボりたかったらしい。

 

「…コーヒー。あったかいヤツ…」

「加糖?」

「ブラックで…」

「ヒュー。大人ぁ~」

 

 ガガコン、と音を鳴らし某ボスのコーヒーが落ちてきた。それを手渡して貰いお礼を言った。

 その後「オレも~」とボタンを押し、恭介は缶を拾い上げた。

 

「じゃあお代として、チョットだけオレに付き合って貰うわ~。付いてきて」

「あぁ…」

 

 僕は彼の背中を追う。この間にも聞きたいことが溢れる。

 じれったさを感じ、僕は恭介に口を開いた。

 

「なぁ…後ろの席の子……アレ、結衣だよな…」

「あぁそうだ。間違いない。小学生の頃、一緒に遊んでいた結衣だ」

 

 薄暗く湿っぽい廊下を行く。人の気配は感じない。

 

「どうして…ああなったんだ?」

「いじめ。結衣は可愛くて、リーダーシップがあって人気だったらしい。それで、ああなった…とさ」

「『らしい』?…聞いたのか?」

「相変わらずの洞察力…痺れるね~。……ふざけるのも辞めにしよう……。あぁそうだ。結衣と同じ中学のヤツから聞いた。オレと結衣は別々の中学に行ったから。なんでもその時にいじめにあった、とよ」

 

 階段を上る。2階、3階に登り、ついに屋上に出た。

 5月らしい気持ちのいい風が吹く。僕らは壁に寄りかかり、コーヒーを開け口にした。

 

「理科の実験中だとよ。薬品を使っていないのが唯一の幸いだが……熱湯を左顔に掛けられた」

「そういう事か…だから髪を…」

「そういうこと」

 

 再度飲む。しばらくの沈黙。それを打ち破ったのは恭介だった。

 

「結衣は変わっちまった。でも、あの頃の結衣が戻るのを信じている。何度も話しかけたりしたが……オレじゃあダメだった。そんな中、ふみぃが現れた。本当に……神様は存在するんだって思ったよ」

「そんな大げさな。結衣と眼が合ったが…辛そうだったぞ」

「何言ってるんだ?ふみぃが自己紹介していた時の結衣の顔。いままで見たことない程!嬉しそうだったぞ!?」

「マジか…あれで……」

「そうだ。アレが、彼女が今出来る最高の表情なんだ。……つうか、結衣はふみぃの事が好きだぞ?」

「…………。……は?……オマエは何を言ってるんだ?」

「いやいやホントだぜ!?小学生の頃。別れるときにさ、一番泣いてたのは結衣だぞ?」

「それは小学校の頃の話だろうが…。今の彼女じゃないだろう…」

「そう言っちまえば、そうなんだけどよ…」

 

 その後、一通り恭介から結衣の事を聞いた。

 トラウマが残るのか高校でも実験室には入りたがらない事。いつも一人でいる事。体調が悪く保健室をよく利用している事。

 もっと聞きたい事があったが、時間は許さなかった。授業が終わる鐘が鳴った。

 

「チッ…クソ。もう時間か…。ふみぃ、また後で話そう。…教室に戻ろうぜ」

 

 恭介は僕に手を出した。その手を借りて立ち上がり、再度彼の背中を追って教室に戻った。

 教室の窓、そこから入る光に照らされた結衣は、とても美しく見えた。

 どうやら僕は…未だ彼女の事が好きだったらしい。

 

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 

 怒涛の一日が終わった。

 といっても授業だだが……。これから放課後が訪れる。この教室からでも運動部の声が聞こえてくる。はやくね???

 

「ふみぃ。疲れている所悪いが付き合ってくれ」

「あぁ。僕も話したいことがある」

 

 そう言って立ち上がると、クラスから黄色の悲鳴が上がる。

 

「え?え?え?どういう事?どういう事?ソッチ側ってこと!?」「ちょっと辞めなよ!?折角の目の保養が無くなっちゃうじゃない!!」「え!?恭介くんを狙ってたのに…あの男に…あ、でも…いいかも…」

 

 聞かなかった事にしよう。

 廊下を進み、階段を上がり、ドアを開く。少し暗い空。その屋上に見慣れない人影があった。

 

「紹介する…っても、()()()()()だがな」

 

 恭介が指し示したのは大柄で筋肉隆々の男だった。

 

「は!?あの…りゅうくん?」

「そうだ。あのりゅうくんだ。ハッ!!」

 

 白い歯を見せ、太い腕を見せてきた。すげぇ…まるで大根みてぇな太い腕だ。

 

「ラグビー部?」

「柔道だ。去年、全国大会でベスト16だ!!」

「すげぇ…!!」

 

 思わず声が出た。この進学校、レベル高いぞ!?

 

「オレはバスケ部の副部長をやってる。県大会で準優勝させて貰っている」

「お前もか!?きょうちゃん…!」

 

 驚きすぎて昔のあだ名が出てしまった。恥ずかしい……。

 

「実は俺たちな…部活の推薦で高校に入ったんだ。本当に、タイミングが良かった…」

「マジで!?僕の妹もそうなんだよ…」

「「妹??」」

 

 恭介と琉生の声が被った。ヤバい、つい口が滑った。

 

「…はぁあ、そうせイマジナリーな存在だろ?冗談はさておき、本題だ」

 

 恭介が路線を変えた。嬉しいが、断じてイマジナリーの存在などではない。

 

「ふみぃ、オマエさ…結衣に告れ」

 

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 

 僕は校門前でターゲットを待つ。

 その後方、木陰では恭介と琉生がこっそり監視している。

 転校初日に告白なんざ聞いたこと無いが……彼女、結衣を救える可能性があるのならば賭けてみる価値はある。

 もしそれで、クラスメイトから白い眼で見られても結構だ。一人で居るのには慣れている。

 

 結衣は授業が終わると数時間図書館で本を読んでから帰るらしい。

 その時間を逆算しココに居る。

 

「アッ!!お兄ぃちゃーん!!」

 

 最悪のタイミングで妹とエンカウントしてしまった。どうすんだよ?もう終わりじゃんか。

 

「ど、ど、ど、ど、どうした?我が妹よ?」

「……なんかヘン。…頭の中、故障したの?」

「いたって正常だ。僕の脳内CPU…そのIQは53万だ」

「呪術〇戦?」

「そうそう、それそれ…。つうかドラゴン〇ール…」

「やっぱりヘンだよ!!お兄ちゃん!!気を確かに…!!」

 

 千蒼は僕の襟を掴み、勢いよく前後にゆすった。首がガクガク動く。

 脳が死ぬ。まじめに脳が死ぬ。ただでさえ精一杯なのに…辞めてくれ……

 

「そこのお嬢さん。少しいいかな?」

 

 千蒼(ちひろ)に声が掛かった。恭介(きょうすけ)琉生(りゅうき)である。助けにきてくれたのか…!?

 

「キミ、見ない顔だね?転校生でしょ?部活どか決めてるの?あっ…オレはバスケ部の…」

「興味ないんで結構です」

「……(泣)」

 

 この役立たずが!!何しに来たんだ!!アホ!!バカ!!使えねぇ爽やかイケメン野郎が!!顔だけか!?この野郎!!

 

 そんな僕らに琉生は、焦った様子で言った。

 

「おい!ふみぃ!!結衣が来たぞ!!!」

「ふみぃ?お兄ちゃんの事?…てか、ユイって誰よ」

 

 お前はもう、黙っててくれ頼む!!今わの際なんだ。クソ…こうなったら、僕自ら前に出るしかねぇ!

 

 妹の腕を払い、僕は靴を履き終えた結衣の下に駆けた。

 いつもとは違う音に気付いたのだろう。彼女は僕の方に顔を上げた。

 

「ふみぃ…くん……?」

 

 その声はあの天真爛漫だった彼女と思えない程、か細いものだった。

 こうなればヤケクソである。台本の内容は遠い宇宙の彼方に置いてきた。思うがまま話す。それしかない。

 

「結衣…久しぶり…覚えてる?僕の事」

「覚えてるよ…忘れたことは…一度も無いよ。今日の…転校生の紹介の時は…思わず神様を信じちゃった……。ありがとうって」

「はははは……。恭介も…同じことを言ってた」

 

 ギャラリーが増えてきた。しかし…構うものか。

 僕は結衣の冷たい手を取った。そして続ける。

 

「あの時…小学生の頃からキミが好きだった…!!…別れるとき、結衣に言えなくて今まで悔やんでいた。だが…もう優柔不断な僕は捨てた…!!だからもう一度…チャンスを僕にくれないか…?」

「……うん」

 

 大粒の涙を流す結衣は、小さく、だが確かに頷いた。

 そして僕は結衣に行った。王道でありきたりの言葉を。

 

「ずっと前から好きでした…付き合ってください…!!」

「うん……よろしくね……ふみぃ」

 

 首に掛けたネックレスが夕日によってきらめいた。

 

 On Your Mark(位置について)──

 

 8年越に僕ら4人は、再度足並みを揃う事が出来た。

 この言葉を選んだヤツはセンスがあると、しみじみ思った。

 そうさ……僕らはまた、此処から歩き出すんだ。たとえ歩みがゆっくりでも、確実に前へ。

 

 

 

*1
日本で2番目に低い山。




ちひろ  「え!?お兄ちゃん…告白したんですけど!!!」
きょうすけ「上手くいった様だな…」
りゅうき 「あぁ…俺の筋肉も泣いている…!!」
ちひろ  「てか!アンタら誰!?」
きょうすけ「章文の小学生時代からの親友だ」
りゅうき 「あぁ!あぁ!!」
ちひろ  「お兄ちゃんの友達って存在していたんだ…。ずっと嘘かと…」
きょうすけ「酷い言い方だな…。つうかお嬢さんはふみぃの何?」
ちひろ  「妹です!!」
きょうすけ「妹!?…あのセリフ…本当だったのか…。てっきりイマジナリーかと…」
ちひろ  「誰がイマジナリーですか!!殴りますね?」
きょうすけ「ヤメロ!!上級生を敬え!!」



◇◇


人物紹介

・志紀 章文。17歳。私立能生高校、2年生。
・身長170程度。男にしては長い黒髪。やや癖毛。妹曰く「イケメン」。

・産後まもなく母と死別。その後、父により育てられるが、小学3年の頃に引っ越しする。
・引っ越し後、隣の部屋に住む女性にお世話になる。千蒼との交流はここから始まる。その後、父が再婚し現在の義母、妹となる。11歳の頃、父と義母との間に朱音が誕生。

・中学校では友達が出来なかった。しかし裏ではファンクラブが結成される。
・中学2年、妹が中学に上がる。千蒼、ファンクラブの存在を知る。妹の地位を乱用し、ファンクラブを乗っ取る。章文、友達がより出来なくなる環境が知らぬ間に出来上がる。
・中学3年。父が女性絡みの詐欺に会う。全裸での謝罪により、離婚の危機を脱す。
・章文、高校1年生。中学の風習が足を引っ張り、友達作りに失敗。グレる。
・高校1年の冬。父の転勤が決まる。
・高校2年、5月。私立能生高校に転校。「転校初日で告白を成功させる」という前代未聞の偉業を成し遂げ、高校の武勇伝の一つとなる。




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2話 世界一長い一日

 自室──

 

 カーテンの向こうから淡い光が差し込んだ。スズメの鳴き声。アスファルトを駆ける足音。

 結局僕は、あの日から一睡もできず翌日を迎えてしまった。興奮していたからでは無い。全くもってその逆である。

 僕の彼女となった長瀬 結衣(ゆい)の救済の方法を模索していたのだ。机の上にばら撒かれた本、本、本。

 これは中学時代、友達がおらず暇を持て余した僕が書店にて買った、心理学の本だったり、人類史その生い立ちと成り行きを考察した本であったり、歴史の到底教科書では扱わない人物の解説書などだ。

 

 その頃は、この本たちが僕の理解者であり、友人であり、先生でもあった。だが今回の場合、結衣を救う手立ては見られなかった。

 勿論、ネットでの情報収集もした。それらもまた抽象的な内容で、最終的には「お困りの際は、お近くの病院へ」とアナウンスされていた。なめんな

 

「もう6時か…コーヒーでも貰いに行こう……」

 

 レバーハンドルに手を掛けドアを開く。そのまま階段を降り、洗面台で顔を洗う。登校時間まで時間は沢山あるので、パジャマのままリビングに入った。

 キッチンでは義母が音楽を聴きながら料理をしていて、親父はテーブルに座りコーヒーを片手に新聞を見ていた。そしてただ流れるテレビ。誰も見てねぇのなら消すぞ…

 

「あら、あーくん早いのね。彼女が出来て眠れなかったりして~」

「ははは、そんな感じです…。おい親父、コーヒー作るけど要るか?」

「おぉサンキュー。…ちょっとまて。今、飲み干すから」

 

 グイとマグカップをあおり僕に差し出した。その後新しいカップを取り出し、インスタントコーヒーの瓶を傾け、茶色の粒状がカップの底を埋め尽くす。

 僕は記載させている通りの量。親父はその2倍の量。この手のコーヒーは自分の好きな味を調整できるので気に入っている。まぁ、喫茶店などの本格マシンとは見劣りするが……

 親父にカップを差し出し、その対面の席に座る。ゴールデンウイーク明け。その経済状況について詳しく語るテレビを見ながら一口、飲んだ。

 

「あーそういや章文。お前、結衣ちゃんと付き合う事になったんだってな?千蒼(ひちろ)から聞いたぞ。…しかしまぁ、あの太陽みたいだった結衣ちゃんが、そうなるとは…思いもしなかった」

「そうだね…。僕も驚いたよ」

「お前の性格は、俺が良く知ってる。その様子じゃあ、あまりいい成果は無かったらしいな?」

「……ご明察。流石はあの『人間の闇を巧みに表現したミステリ作家』だこと。いや、今は『美少女の皮を被った人気V(バーチャル)配信者』だっけ?」

「辞めろ辞めろ辞めろ……。息子からの指摘が一番精神にくる」

「全部公表すれば良いのに……。読者のファンも配信に行くと思うんだが」

「いやダメだな。アナリティクス、アンケートから双方が真逆の存在と解釈出来た。やるだけ損失だ。読者、視聴者には楽しんで貰いたいからな」

「そうか~」

 

 僕はリモコンを手に取り、チャンネルを変える。どの番組でも先週の大型連休について語っていた。親父曰く、その連日は「大いに稼げたぜ」と言っていた。しかし、編集者からは「まだ書きあがりませんか?」と地獄の電話が鳴りやまなかったらしい。

 その所為もあって、親父の目の下には隈がべったりと付いていた。もう時期死ぬんじゃねぇの?この親父。

 

「脱線したな。話を戻すぞ…」

 

 親父はドロドロのコーヒーを飲み、話した。それは何度も、耳が痛くなるほど聞いた話だ。

 

「俺はな、唯一の親友を交通事故で失い、お前を産んだ美由紀を癌で失った」

「よく再婚相手の眼前で、前の女の話が出来るよな?」

「ソレはソレ、コレはコレ。まぁ聞いておけよ若造」

 

 キッチンでジュワァと音がした。卵焼きでも作っているのだろうか?

 

「新卒で入った同僚が自殺し、俺を可愛がっていた上司は山から転げ落ちて死んだ。……4度だ。4度も俺に近い人間が亡くなった。そこから学んだ事は『案外人間はすぐ死ぬ事』と『ある日唐突に人間は死ぬ』こと」

 

 新聞を畳み親父は腕を組んだ。

 

「俺はな…別に親友を殺した居眠り運転手も、同僚を殺した会社も、上司を殺した雄大な自然も、美由紀を殺した病気も、別に…怨んじゃいのさ。短い期間、長い期間でもお互い、全力で生きたからな…。後悔は無いんだ。でも…寂しさには時々襲われる」

「……」

 

 初耳だった。ここまで踏み込んで語った事は今が初めてだ。

 

「まぁ、お前が『結衣ちゃんを救いたい』っう気持ちはある程度分かる。そんなお前に言葉を授けよう~」

 

 手を開き、指を細かく動かす。演出の一環なのだろうけど…古すぎる……

 

「明日死んでも良い様に生きるんだ。……といっても、俺自身それを意識して過ごせて無いんだけどな。時々思い出して、自分を奮い立てている。そうすると、誰かが背中を押してくれる気がするんだ。そうやって俺は生きてきた」

「はっ…くだらねぇ…」

 

 本当にくだらないと思った。この親父の言葉で、僕の心の重荷が少し緩んだ気がしたからだ。

 

「それを取り入れる入れないは、お前の自由だ。人生の主役はいつだって自分自身だし、最強のカードは己自身だからよ」

「カッコ付けすぎだろ?…流石は映画化させた本を出す人間の言葉だな」

「いつだって厨二心を忘れない。それが俺の生き方だ。文句あるか?」

「全く浮かばねぇや」

 

 7時になった。番組が変わり元気な挨拶が聞こえた。その後も流れる様にテレビを見る。どうやら今日も快晴らしい。

 

「そうだ。少し待て」

 

 親父はリビングを後にした。その後、ドタドタと音をたて戻って来た。手には包装された小さい四角の箱らしき物があった。

 

「これやるよ」

 

 そう言って僕に手渡した。何が入っているのだろうか?

 包装紙を解き、箱のパッケージを確認した。

 

『日本産の0.01ミリ!!薄さを越えろ!!3枚入り』

 

 新品だった。これでどうしろと????最早、特級呪物だろコレ。

 

「…………」

「いやー。朱音(あかね)がな「私にも下の子が欲しい!!」っうもんだからさ!いやー参った参った!!朱音で最後にしよう、と相談したんだがな!ね!母さん!!」

「そうね~。朱音ちゃんが泣いて言うんだもの。私だってまだまだ現役だわ~♡ あーくん、ちゃんと彼女さんを()()にしなきゃダメよ?」

「……部屋に戻ります」

 

 今日は土曜日。

 進学校である僕らの高校は、土曜日には週間テストがある。しかし僕らは「引っ越したばかり」とあり、特別に免除されている。まぁ僕は行くが…

 その為、妹である千蒼は起きてこない。アイツは大の睡眠好きだから。タイミングが本当に良かった…

 

 階段を上がり、自室に戻った。部屋に隠すとしても妹の存在が気になる。だが……

 

「……。ちょっと1枚だけ開けてみるか……」

 

 男子たるもの、この魅力には逆らえなかった。ただ鑑賞。へー、こうなっているんだ…初めて触れた……。

 

「じゃねぇわ!!支度しないと…!!」

 

 僕は観察した1つを丁重に紙に包み捨てた。そしてこの呪物を学校用のカバンに入れ、制服に着替えた。週間テストは午前中に終わる。その帰りでも行きでもいいから、コンビニで捨てるのが吉と考えた。それと、結衣の顔を見たいから……

 支度を終え再度リビングに戻る。

 

「ん?千蒼は「休みだぁ!」って昨日言っていたが…?」

「今の僕の学力を計りたい。それと結衣の件もある」

「クソ真面目だな…」

 

 親父と簡単に会話を済まし、3人で朝食を食べる。我が家の天使、朱音はまだ寝ているらしい。出る前に寝顔を見ようか?

 

「あなた…今日は執筆?」

「そう。何とか今週末までに3万文字…。アイディアが浮かばない」

「もう今週末じゃねぇか…」

「そうなんだよ。助けてくれよ」

「ん~。毒殺どかはどう?あなた?」

「それはもうやり尽くしたんだ…。もう少し捻って下さいって言われていてな…」

「もう無理だろ親父。あのとき見たいに全裸で謝ってこいよ?」

「もう使ったからダメだ。2度目は無い」

「詰んでんじゃねーか……」

 

 とほほ、と泣く親父に冷たい目線を送り、僕は食事を進めた。

 その時、僕に天啓が舞い降りた。なぜ結衣では無くクソ親父なんかに、と思ったが僕は口にした。

 

「配信でさ…視聴者に募ればいい。思考実験だのなんだの偽って、ネタを仕入れれば良い」

「お前頭良いな…。確かに…使えるネタを拾い上げて…しかし、それを使うと後々パクリだなんだで五月蠅いから…。あぁ、面白くないネタで配信を進行しつつ、使えるネタを集めればいいのか!!!!」

「最低だな…これを知れば視聴者は泣くぞ?」

「大丈夫だ。俺の作品は映画化されてる。俺のIQは53万だ。ドジは踏まん」

「あっそ」

 

 食事が終わり、食器を洗い場に置き、スポンジと洗剤を取る。

 いつも食器洗いは義母に任せてしまっている。今日は自分でやろう。

 

「えーゴホンゴホン…。このテンション…このテンション…。章文、このテンションでの導入はどうだ?聞いてくれ…」

「えっ…イヤなんだけど……」

「『きゃるる~ん!!迷える子羊の皆ァ~!!おはよォ~!!みぃたんダヨ~!!今日も元気に配信するヨォ~!!』」

「ぎゃははははは!!ww!!可笑しい!あぁ可笑しい!!いい年したオッサンがww!!」

 

 僕には毒だが、義母には良薬の様だ。どうしてそんなに笑えるんだ?何が面白いんだろう???

 

「ボイスチェンジャーを使うから…もうちょいテンション上げた方がいいか……?」

「僕はもう学校に行く。じゃあな」

 

 歯を磨き、洗面台で髪を少し整え、カバンを持つ。玄関で靴を履き替えドアを開けた。

 あの朝の親父は何処に行ってしまったんだ……

 

「……。明日死んでも良い様に生きる…か。…そうだな…そうかもな…。うん…そうしよう」

 

 通学路を進む。

 土曜日ともあって、小学生や中学生などはおらず、僕と同じ高校の制服ばかり目立った。

 大通りに出る。少し遠くでバスが止まると、その学生が降りてきた。高校前でもバス停は有るが、ここで降りる生徒は健康志向だったり、部活動の生徒が主だろう。でなければ、こんなメンドクサイ事はしない。

 

「あっ!!ふみぃ!!おーい!!」

 

 そのバス停から、爽やかなイケメンが手を振りコチラに走って来た。恭介(きょうすけ)である。

 

「おはよう、()()()()()()

「あぁオハヨ!ふみぃ!昨日のアレには痺れたぜ!一躍、有名人だな!」

「ははは…。ホントは余り目立ちたく無かったんだけど…。しょうがないよな…」

「はははは!まぁ元気だせって!!…お前に良いモン見せてやるぜ」

 

 そう言って恭介はスマホをスクロールし、僕に画面を見せつけた。

 

「今、配信中なんだけど…この『みぃたん』っつう配信者!!男心を分かってるっつうか、なんつうか…!!一度見てみろよ!人気配信者だぜ!?」

 

 それ親父なんですが。と、言いたかったが恭介の夢の為、僕は歯を食いしばった。

「男心がわかる」?…そりゃあ当たり前だ。その配信者、男だもん。

 

「しかもよ!あのミステリ作家の『南原(なんばら) 草秋郎(そうあきろう)』が好きなんだとよ!!イケてんだろ!?」

 

 その草秋郎は、僕の親父のペンネームだ。なんだアイツ…ファン同士が喧嘩するって言ってなかったっけ?僕の空耳か?

 

「なんでも今よ、TRPG作りをしてるんだよ。それがまた…面白くて!!」

 

 ほぉー。小説のネタ収集にTRPGで偽装しているとは……小賢しいな。ミステリ小説家の本領発揮だな。そこまで切羽詰まってんだな、あの親父は…

 

「いまどんな感じなんだ?」

「えっとな…人狼みたいな感じで犯人をさがすストーリーでよ。初めに金持ちの男が殺されて、そこに…………」

 

 恭介の解説はテストが始まる前まで続いた。

 スポーツマンと思っていた恭介だが、案外そういうものが好きという一面が知れた。

 でもその所為で、結衣と会話が出来なかった。恨むぞ親父。

 

 あ、呪物を捨てるの忘れた。まぁ、帰りの時に捨てよう。

 

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 

 週間テストの出来は胸を張って上出来と言えよう。

 しかし流石は進学校。解けない問題が3問あった。

 教科書の互換性による減点だろうか。こうなると分かっているならば、事前に貰った教科書を見ておけば良かった、と少し後悔した。

 けどまぁ…いいや。今日学校に来たのは結衣が目的だ。テストの点数など最早どうでもいい。

 

 12時30分。放課後を知らせる鐘がなる。今日はこれで学校は終わりだ。

 結衣と会話をしたい。しかし、昨日の事もあり教室はやけに静かだった。目線が気になる。……。このヘタレ!!動け僕の足!!いつまで固まっているんだよ!?!?

 

 そんな四苦八苦する僕に声が掛かった。

 

「ね、ねぇ…ふみぃ。いっ…一緒に……か、帰らない……?」

 

 結衣であった。

 クラスが少しざわついた。それは無理も無い。恭介から話は聞いていたが、結衣は今まで自ら率先して、話し掛けた事が無い。

 その行動は異常であった。故にざわめいたのである。

 

「あっ、結衣。うん、いいよ。でもチョット待ってね。支度するから」

 

 と、平然を装って結衣に返したがその実、僕の足は震えていた。

 僕の足の状況を見た恭介は、一人声を殺して爆笑していた。あとで殺す。

 ワザと教科書を選定したり、筆箱の中身を何度も確認したりして時間を稼いだ。そのお陰で、足の震えも止まり僕は立ち上がった。

 

「よし行こう結衣。テストはどうだった?」

「だめかも…。でも…ふみぃと帰れるからいいの」

 

「こらこら…。勉強を疎かにしちゃあダメだぞ?」と結衣の頭に手をやりたいが、そこまでやれる度胸は無かった。無理だろう!?どうやるんだよ!?そんなマンガみたいな事をさ!!

 でも、僕と帰れる事を嬉しがる結衣は現実だ。かわいい(IQ3億)

 

 そうして僕らは教室を後にした。

 勿論、僕のバックに入っている呪物こと、ドムコンの存在は忘れていない。

 

「ねぇ…ふみぃ…?顔色、悪いよ…だ、ダイジョブ?」

 

 クラスメイトが居なくなったのか、先程より饒舌になった。あらかわいいこと。

 片目を隠している為、彼女の右側の目が僕を覗く。身長差もあり、小動物のような可愛さがこみ上がる。

 

「……少し寒いな……。な、なんでだろうな…」

「じゃあ…コレはどう?……あったかい?」

 

 僕の左手を取り、結衣はその小さい両手で包んでくれた。

 

「温かいよ…ありあがとう」

「うん!キミが喜んでくれて嬉しい」

「そうか。僕も嬉しいよ」

 

 なーんか闇を感じる。気のせいか?まあいい。問題は山積みだからな。

 一番の山は、このバックに入るドムコンを何処で捨てるか問題だ。家には妹が居る。だから無理。やはり帰りの道中で捨てるしか無い。

 

 いつの間にか昇降口まで来ていた様だ。

 靴を履き替え、僕らは帰路に着く。

 結衣の家は今でも覚えている。それを加味すると……公園前のコンビニが安全だ。そこで捨てよう。

 校門を過ぎ大通りに出た。

 

「ねぇふみぃ?…れ、連絡先をさ…交換…し、しない…?テストの勉強をさ…教わりたい…から」

「え…いいんすか。勿論!!ちょっと待ってて、スマホ取り出すわ……あ”」

 

 カバンの中にスマホがあることを思い出す。

 いつもならポケットに入れているが、今日はテストの関係上カバンに仕舞わざる負えなかった。

 許さんぞ私立能生高校。一生恨むことにする。

 

「えっ…もしかして、学校に置き忘れたの?」

 

 スマホを取り出している結衣がそういった。一瞬、QR画面が見えた。失望させる訳には行かない──

 

「カバンの中にあることを思い出した~。…しばし待て」

「うん…!」

 

 カバンのチャックを少し解き、そこに手を入れる。

 スマホの大きさはこの身を以て熟知している。なんせ毎晩、暗い部屋の中お世話になっているからな。

 あぁそうそう。この大きさ、この手にフィトするサイズ。間違いない、100%僕のスマホである。

 

「よし!じゃあ交換しよう。僕が読み取れば良いんだな?」

 

 それを抜き取り結衣に見せた。

 

「え!?あっ……ん…!?…えぇっと…たぶん、違うと思う、な…ソレ」

 

 結衣は赤面し細くそう言った。

 多分、恐らく、確実に、やらかしてしまったらしい。恐る恐る顔を下げる。

 

『日本産の0.01ミリ!!薄さを越えろ!!3枚入り』

 

 眩暈がした。一瞬振らついた。その動きに合わせ、中身が地面に落ちた。

 あぁこの状況こそ、泣きっ面に蜂なのだろう、と思った。1つ欠けたソレが、結衣の足元に落ちたのだ。それを結衣が拾い上げ、箱の中に黙って戻した。

 

「え…ちょっと待って……()()()()()()()

 

 今や赤面した結衣は居らず、壁に追い込まれ、彼女は僕のネクタイを握っていた。

 

「いえ違います、結衣さん?冷静になってください、誤解です。キミは何か重大な勘違いをしているようだ」

「なにがなの?今すぐ教えて欲しいな?」

「ええっと……。まず……」

「早くして?」

「1つ欠けているからと言って、それが使用目的に使われたとは言えない。現に僕は童貞だ」

「言葉だけじゃ証明にならないよ」

「それは昨日買ったんだ。恥ずかしさのあまりレシートは捨てた。その1個は練習の為に着けたんだ。童貞が使い慣れないモノを本番で使おうとしても失敗するだけだ。僕は予行演習を欠かさずやるタイプだ。結衣、見てくれこの隈を。一晩中、興奮して眠れなかった証だ」

 

 脳をフル回転させた100点満点の答えだ。濃い隈を指差して僕は言い切った。

 想いが届いたのか結衣は、僕のネクタイを放し、それにより出来上がった皺を伸ばした。その後、ゆっくりとブレザーの中に仕舞った。

 

「ごめんね…少し試す様な事を言っちゃって……キミがそんな事を絶対やらないって……分かっていたのに……」

「いやトンデモ無い。そんな疑惑を生んだのは僕の責任だ。本当にすまない」

 

 僕は結衣に深々と頭を下げた。

 そんな僕に対し結衣は、許すように抱きしめた。まるで聖母の様に。神々しさすら感じた。

 僕の頭に柔らかい胸が当たる。この感触を僕は、永遠に忘れないだろう。

 

「ふみぃが一晩中、私を想っててくれて嬉しいよ…。でも、しっかり寝なきゃダメだよ……」

「大丈夫さ。今回のテストはほぼ満点だから……あっ…」

 

 テストで思い出した。

 以前、恭介が言っていた。結衣はトラウマがあり実験室には入った事が無いと。

 この状況、上手く使えるのではないか?

 

 僕は結衣の腕を優しく解き、手を握った。

 

「なぁ結衣、もし可能ならなんだけど…月曜日、1次限目に科学の授業で実験室を使うらしいんだ」

「……うん」

「僕と一緒に出ないか?僕は結衣と一緒が良い」

「うっ…う、ん……。私も…ふみぃと一緒なら……頑張れる…気が、する……」

「そうか!ありがとう。じゃあ一緒に授業に参加しような」

「うん。…そうしよう」

 

 明日死んでも良い様に生きる。それはとても大変な心掛けだと思った。

 だが僕らには明日は沢山ある。少しずつ、出来る範囲で進めばいい。そう僕は感じた。

 

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 

 結衣と別れ、僕は家に到着した。

 僕にはやらねば為らない事がある。

 

 玄関の扉を開けリビングで義母に僕の帰還を知らせ、すかさずに自室に戻った。

 パソコンを起動し、大手動画配信サイトを立ち上げる。

 

「親父ぃ…まだ配信しているのか……」

 

『みぃたん』のライブに参加する。恐ろしい事に3万人も人を集めていた。

 僕はキーボードを打ち込み、コメントを流す。

 

『4ね4ね4ね4ね4ね4ね4ね……』

 

 その僕のコメントを見えたのか親父は言った。

 

『皆ぁ~!私のコメント欄を荒らすヒトがいるよぉ~。こわぁ~い!!一緒に成敗しよォ~!!』

 

 その後、僕のアカウント名を名指しして「雑魚乙」だの「可愛い」だの「キミはみぃたんの素晴らしさを知らない」だの「新手の信者だろwwww」などのコメントが流れる。

 

「はぁ!?調子乗ってんじゃねぇよクソ親父が!!!!粘着してやる!!!てか早く原稿書けや!!!おい編集者!!仕事しろや!!!電話掛けろや!!!優雅に配信してんぞコイツ!!!」

 

 僕の思いは虚しく、3分後にアカウントの一時凍結が運営より下された。

 椅子にもたれ掛かり、深い深いため息を漏らした。

 

「もう寝よう。そういえば僕…眠かったんだ……」

 

 制服を脱ぎ部屋着に着替えベットに横たわる。

 結衣とは連絡先を交換できた。もう…万々歳だろう。

 睡魔が一気に押し寄せる。……明日は書店で…参考書でも買いに行こう……もう今日は疲れた……

 

 そうして僕の、世界一長い一日が幕を閉じた。

 損と恥しか晒していない…最悪な一日だった……

 

 

 






午後11時48分――
『章文に届いたメッセージ』

ゆい 『ねぇ…起きてるかな?』
ゆい 『おーい!』
ゆい 『お風呂?』
ゆい 『10分後にまた連絡するね』

 ◇ ◇ 

ゆい 『居ますか?』
ゆい 『起きてますか?』
ゆい 『連絡できますか?』
ゆい 『生きてますか?』
ゆい 『ふみーーー!!!』
ゆい 『寝てるんだね…。明日連絡下さい。待ってます』



◇◇



人物紹介

・長瀬 結衣。17歳。私立能生高校、2年生。
・身長157。中学時代のイジメにより左顔に火傷跡が残った。そのため髪で隠している。
・現在、母と住んでいる、父とは幼少期に離婚した。
・病んでいる為、少し痩せている。
・章文曰く、胸が大きい。
・軽度の妄想症。イジメが原因。軽度の依存癖。イジメが原因。
・甘いモノが好き。カフェラテなどミルク系が好み。
・成績は中の下。理科が特に低い(実験室にトラウマがあり、授業に出れていない為。1年の頃は追試を沢山受けた)




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3話 書店、18禁コナー、委員長。何も起きないハズもなく

「お兄ちゃーん。朝だよー。昨日からずっと寝てるねー。起きなー。一緒にランニングに行こうよー」

 

 千蒼(ちひろ)は義理の兄である、章文(あきふみ)の部屋に入った。

 気持ちのいい気温の日曜日。連日快晴の、胸がすくような天気。ランニングをするには完璧な天候だった。

 

 本来であれば日曜日の学業は休みが多いが、志紀(しのき)兄妹が入学した高校は『自習学習』と題し出席を取らない日として開かれている。これも進学校の所以である。

 

 しかし、勉強など自身で解決できる章文と、そこまでして勉強したくない千蒼は、日曜日ぐらい家で過ごす事を決めていた。

 家族とのスキンシップを大切にする想いがある為であった。で、あるからして、千蒼は章文の部屋に侵入しているのだ。

 

「くぅー……、ぐぅぅぅ──…」

「お兄ちゃーん……朝ですよー……ランニングに……。熟睡中だ…」

 

 千蒼は辺りを見渡す。

 脱ぎ捨てられた制服とワイシャツと乱雑に置かれたカバン。

 机の上には難しそうな本が積まれており、パソコン前のキーボードはひっくり返っていた。マウスは床に落ちている。

 

「昨日帰ってから急いで部屋に行ったきり……。何かあったのかな?」

 

 千蒼は知っている。こう熟睡している兄はそう簡単に起きない事を。彼が中学生の頃から今に至るまで、千蒼による『いたずら』はバレていない。それが千蒼に拍車をかけた。

 まず最初にランニングウェアを脱ぎ、昨日章文が脱いだであろうワイシャツを着る。兄の自室に入り、ソコまでにかかった時間は1分未満である。恐ろしく手馴れていた。

 その後、ワイシャツに染みた匂いに包まれながら、カバンのファスナーを音が鳴らないよう、ゆっくりと開けた。兄の荷物をチェックする為だ。そして愕然した。その赤い箱を手に取り、穴が開く程見つめる。

 

『日本産の0.01ミリ!!薄さを越えろ!!3枚入り』

 

 封は切れていた。中身を慎重に取り出す。これは夢だ、何かの悪い冗談だ、と思いながら。

 

「1つ無い……!!まさか…結衣さんと…もう…!?」

 

 千蒼の行動は早かった。

 熟睡する兄の上に馬乗りをし、上半身の重さをゆっくり兄へと移す。

 

「ぅぅうぅ……これがぁ…アフリカゾウのぉ…重さぁぁかぁぁ……」

「誰がアフリカゾウよ…」

 

 寝言を言う章文に、千蒼は小さな声で突っ込んだ。勿論、それはただ一方的なモノで、その返しは来なかった。

 そして千蒼は彼の首元に口を付け、キスマークを付けた。1度ならず2度、3度と繰り返す。

 10分後。気が済んだのか千蒼はゆっくり立ち上がり戻ると、ランニングウェアを拾い上げた。

 

「絶対に…振り向かせてみせるから…!!」

 

 そう言って部屋を出、洗濯機にワイシャツ、タオルや衣服と共に洗剤を入れ回した。

 40分後には終了するだろう。千蒼はデジタル時計にアラームをセットし、外に出た。

 今日は本当に運動日和の天気であった。

 

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 

 僕が目を覚ましたのが10時手前。熟睡していた。その所為もあってか…謎に身体が重く軋む。

 まぁ、風呂も入らず寝てしまったのが原因だろうな。階段を降り、脱衣所で服を脱ぎ洗濯機に入れ、簡単にシャワーを浴びる。

「ぐぅ~」とあり得ない程にお腹が鳴っていた。髪を乾かし、少し遅い朝食を食べにリビングに行く。

 

「あ…お、お兄ちゃん、オハヨー」

「おはよう…お前は早いな……。ホント、昨日と逆じゃなくて良かった…」

「ん?どういうこと?」

「なんも無い」

 

 千蒼からは石鹸の香りが漂っていた。きっと、朝早くからランニングでもしたのだろう。天気いいし。僕も一緒に行けば良かった…気持ちいいだろうな…

 

「お兄ちゃん、さっきさ…シャワー浴びてたけど…何か異変どかあった…?」

「異変?…シャンプーは変わらないし…洗顔も終わってなかったし……。ワカラン」

「あっ、そうなんだ。私もランニング後にシャワー浴びてさ、温度を上げたんだよね」

「1℃、2℃の変化じゃあ、僕は気づけない。つうか、そこまで気にして生活してねぇわ」

「そう?なら良かった。あははは」

 

 僕は戸棚から、マイマグカップを取り出しコーヒーを作る。そして、その辺にあるパンを切り分けテーブルに置き、椅子に座る。

 テレビは妹が占拠している。その為、撮り溜めしたドラマを片耳に食事を進めた。

 

「なぁ千蒼。これから僕さ、書店に行こうと思うんだけど…一緒に行くか?」

「ううん、私はコレ見てるからいいや~。本はあんまり好きじゃないから~」

「おいおい…。その言葉、親父が聞いたら泣くぞ?……アレ?親父は?義母さんと買い物か?」

「ママは朱音と買い物。あっ…そうそう。朝早くにね、パパの編集者さんが来てパパを拉致したの~。最長で3日間、監禁するって」

「へっ、ざまぁねぇな」

 

 昨日を思い出す。あぁ、いい気味だ。僕は嬉しい。

 

 食事を終え、食器の片づけを済まし、僕は自室に向かい着替えた。

 財布には数枚の諭吉。所詮、本だけだし十分だろう。それと充電されっぱなしのスマホを手に取る。

 

「?」

 

 いままで触れていなかったので、通知が溜まっていた。

『99+』。初めて見るソレに若干興奮しながら、その送り主を確認して血の気が引いた。

 結衣であった──

 

 簡潔にまとめると『生きているか?』『連絡先は有っているか?』『テストの件で、勉強を教えて欲しい』『日曜日は用事があるから、また月曜日』の4つだ。

 僕はそれぞれの回答をするため、スマホの画面を操作する。

 

「これで良し。んー、テスト勉強か…。結衣用の参考書も買っておこう。うん、そうしよう」

 

 そうして僕は玄関を出た。

 街の地形はまだ頭には入っていないので、地図アプリを駆使し、品ぞろえが多い店を調べ上げ、自転車を漕ぎ始めた。

 

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 

 結衣への参考書はすぐに決まった。僕の独断と偏見によるものだが『面白さ』を重視した。

 勉強に対し「面白い」か「面白くない」の2つのパターンがある。「興味が無い」は「面白くない」に分類しよう。

 僕の経験上やはり「面白い」と感じる人の方が良く伸びたり、テストの点数が良かったりする。

 しかし中には「面白くない」に属しながら、満点をとる変態が居るが…そいつは真の天才なので無視する。

 

 まぁつまりは、結衣と僕の参考書も決まったので、少し店内を見て回ろうと考えついた。

 日曜日だからか売り場関係なく、人は点々と居りその皆が学生のようだった。

 

「おいおい……まじかよ…!」

 

 進学校から近くは無いが、アクセスし易いにも関わらず、なんと盛大に、18禁コーナーがあるでは無いか!!!

 暖簾の隙間から見えるは紙媒体の本や、レンタルビデオであった。

 ここの店長とは話が合いそうだ。語り明かそう、明かし語ろう。紙媒体の叡智なる書物について!!!!

 

「あっ。じゃあ…いってきまーす」

「何処によ?」

 

 暖簾に手を付けた瞬間、僕の背後から声が掛かった。

 重たい鉄の様な女性の声。まさか…高校の教師か!?

 

 振り返るとそこには、僕と同じ年頃の女の子がいた。

 すっきりとした藍色のショートボブ。今日の自主学習に参加したらしく制服姿で、ややタレ目。そこから放たれる微笑は仏のような包容力を感じた。

 だが僕の状況はヤバい事には変わらないので、白を切る為に嘘を吐いた。

 

「ごめんなさい。多分人違いだと思いますよ?こう見えて僕は20歳ですし、会社員です」

「そう?その籠に入った参考書はどうなの?」

「妹のですよ…。今年で高校2年。今からでも大学受験の勉強は早くないハズですよ」

「ん~。頭が回るヒトは厄介だな~」

「ハハハ、頭が回るも何も、真実を語っただけですから。では、失礼」

 

 再度僕は、その煌びやかな暖簾に右手を伸ばした。その時であった。彼女が僕の左手を取り、進行を妨げたのである。

 

「いや…なんですか?」

「なんですか、じゃなくてさ……。私、貴方と同じクラスメイトなの。だから、貴方の名前も知ってるわ」

「えっ…!?」

「やっとコッチを見てくれた。じゃあ自己紹介しようよ」

 

 その少女は半歩下がり、軽く頭を下げて行った。

 

「<榎本(えもと) 綾香(あやか)>です。貴方のクラスの委員長をしてます。よろしくね?志紀(しのき) 章文くん」

「えっと…。……。僕の名前を言ってしまっては…自己紹介の意味が無いじゃんか……」

「あ、そういえばそうね。ごめんね、聞かなかった事にして。お願い」

 

 両手合わせ、綾香は僕に謝った。腕を出したことにより、彼女の大きな胸が目立つ。まるで「スイカだ…」と、呟いてしまった。声に出てしまった。

 

「…ん?何がスイカなの?まだ季節じゃないと思うけど…」

「あぁイヤごめん!……鮎!!鮎みたいに綺麗だなって!…ほら良く言うだろう?鮎はスイカの香りがするって…」

「え…まって……意図が良く分からない……」

「鮎は『清流の女王』って言うだろう?それだけ僕にとってキミは、綺麗に映ったんだよ」

「え、あ、んん?あ、ありがとうございます?」

 

 綾香は戸惑いながらお礼を言った。実際、その容姿は美しかった。だが結衣の方が可愛いけどな。

 

「じゃあ委員長。また月曜日に教室で会おう。またね」

「あ…そ、そうね。月曜日に…」

 

 それを聞き、僕は(きびす)を返す。今度こそ、18禁エリアの暖簾に手を掛けた。

 

「いやいやいや…だからね。さっきから何も解決してないのよ」

「いいじゃんか、この先に入ったってさ。本一冊買えば、この店の利益になるんだぜ?」

「でも章文くん、17歳だよね?その先は18歳以上じゃなきゃだめだよ?」

「そんな事いってしまえば、この世の10割の少年が飢え死にする。たまには毒も啜らないとイけないんだ」

「そんなに男の子って大変なの!?」

「あぁそうだ。気を許せば、人格が乗っ取られるからな。と、言う事で…じゃあまた明日」

「じゃなくてさ…!」

 

 グイ、と服を引っ張る。その所為で首あたりが露出する。空調をきかせているからと言っても5月だ。すこし冷たい…

 

「……。あの~委員長さん…。そろそろ放してくれてもいいのでは???寒いっす。服が伸びちゃいます…」

「ねぇ章文くん…。ソレってなに?」

「ソレと言われても……。てか、なんでそんなに恥ずかしそうに言うんだ?女児向けの絆創膏でも貼ってあったか?だとしたら末っ子の悪戯だ」

「ち、違うの…絆創膏じゃなくて……」

 

 しばらく口ごもり、委員長は言った。

 

「キス…マーク…。キスマークがあるのよ…。もう、結衣さんと…そこまでいったのね……」

「は??? 言っている意味が分かりませんが…?」

 

 キスマーク?なんだそれは?身に覚えが無い。…そもそも、キスマークが出来る程、濃厚に接した人間は居ねぇよ。

 そんな中、委員長はスマホを取り出し、パシャリと数枚写真を撮った。その後、ソレを僕に見せた。

 確かにキスマークであった。赤く、少し黒く、内出血を起こしている。それも1つでは無い。合計で8か所もあった。

 

「よし委員長。僕の話を聞いてくれ」

「何の話よ…。自慢話?」

「違うって…。現に僕は、そういう行為はした事無いし…本当に身に覚えが無いんだ…」

「えっ…でもソレは…。…苦しい言い逃れね」

「本当に違うんだ。…あっ。今、思い出したんだけど朝、目覚めた時に身体に違和感があって…」

「違和感?どんな感じなの?」

「身体が重いと言うか…胴体あたりがペチャンコになっている感じと言うか……なんだが身体が軋むような感じで…」

 

 僕が言い終わると、委員長は唇に指をやり考え出した。そして、考えが固まるなり「えっと」と何度も繰り返した。

 

「なんなんだよ委員長…。言いたいことがあるなら、言ってくれ」

「章文くん。もしかして、かも知れないけど」

 

 数秒の沈黙の先、彼女は口を開いた。

 

「病気なのかもしれないわ」

 

 その一言を聞いて僕は青ざめた。

 結衣との学校生活は始まったばかり。しかもまだ、彼女を送り出せる程に救済できていない。

 色んな考えがよぎり、一つの結果に辿り着いた。

 

「ここ書店だろ…。医学の本もあるはずだ……。一応大丈夫だと思うが……調べてみようぜ…」

「いい案ね、そうしましょう…」

 

 そうして僕らは医学、特に内出血に関しての本を漁った。

 その誰もが『基本的には問題ない』とは書かれているが、中には『白血病のリスク有り』とも書いてあった。

 血の気が引いた。立ち眩みがする。

 

「って章文くん!…大丈夫?」

 

 よろめく僕の背中に手を回す委員長はそういった。そして僕は、淡々と過去を語った。

 

「僕の母親……癌で亡くなったんだよね……。癌のリスクは遺伝する、と聞いた事がある……。もしや……」

「待って…一回さ、診察して貰おう?…きっと大丈夫だよ?元気出して?」

 

 そして僕らは、厳選した参考書を置き店を後にし、バスに乗り込むなり、近くの皮膚科のクリニックに進んだ。

 なにも無い事を…僕はただ祈っていた。

 

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 

「うん、キスマークだね。うんうん。キミたち若いのに元気だね~。あ、勿論キミたちのプライバシーは守るよ。安心して励むとヨイ!!」

 

 終わった。

 何もかもが終わった。

 

 この古びれたクリニック。その担当医のおじさんは、ニヤニヤしながら僕と、委員長にそう言った。

 恥ずかしすぎて死にたい。きっと、委員長も同じ気分だろう。今や顔を合わせられない。

 

 受付で会計を済まし外にでる。運よく止まったバスに乗り込んだ。一番後ろの席。一席空けて僕と委員長は座った。

 

「……。……」

「…。…………」

 

 この空気がキツイ。今すぐに逃げ出したい。明日から、どんな顔して合えばいいのだろうか。

 このまま黙っていても平行線だ。勇気を出して、僕は委員長に語り掛けた。

 

「「あの…」」

 

 このタイミングで言葉が被るとか有り得ねぇ。話す機会を失った。

 

「お先、いいよ」

「……。あ、うん。じゃあ話すな…」

 

 キッカケを与えて貰い、今回の事について謝罪をした。

 要らぬ心配を掛けさせた事。恥ずかしい思いをさせてしまった事。18禁コーナーに入ろうとした事。

 

「いや、最後のは要らないんじゃないかな…?…そもそも入っちゃダメな訳だし…」

「じゃあ委員長の前では辞めるよ」

「懲りないねキミは…」

 

 バスが揺れる。目的地まで3分程度だろう。

 

「次は私。…私もキミに謝るよ。ごめんなさい。冷静さが足りなかったよ」

「いやいいんだ。この事は悪い夢だった事にしよう…。忘れるのが手っ取り早い…」

「でも私は…覚えておきたいな。キミと初めて話した日だし、ここまで仲良くなった日でもあるから」

「そうか、僕は忘れる。また月曜日、僕に記憶が残っていたら友達でいて欲しい」

「そうだね…。あぁ、そうそう。思い出した…」

 

 委員長は僕の方に向き、指先を回し始めた。

 

「6月の末にね、この高校では文化祭があるの」

「文化祭…?進学校だろココは…」

「部活動に力を入れ始めた近年から、文化祭にも力を出し始めたの」

「はー、これまた大変ですね…」

「ねぇ章文くん。私と一緒にクラスの副委員長をやらない?文化祭の出しものを決めないといけないんだけど」

「僕が副?…悪い冗談だろ?…転校したての人間がそんな大層な事、出来るわけがない。それと、僕は結衣に集中したい。初日にかましたんだ。委員長も分かるだろう?」

「まぁキミの言い分も分かるけど……。結衣さんを書記をして、私、キミ、結衣さんの3人でやろうかなぁ、って考えていたのよ」

「結衣も?」

 

 それは以外な案であった。

 もし…もしだけど、結衣にやる気があって、少しでもクラスをまとめて自信が付く様に為れば、僕としては万々歳である。

 しかし当たり前だが、僕は結衣ではない。その為、彼女が今「どうしたいか」なんて分からない。

 無理やり手を引っ張るような事はしたく無い。

 

「もし、僕が引き受けるとしても…結衣と一緒じゃなきゃ嫌だ。意味が無い」

「あははは。どうしてそんな、カッコイイ台詞をさっきから言えるのかな?」

「結衣だから…だな。それが大きいのかもしれない」

「キミは結衣さんの事が、本当に好きなんだね?」

「当り前さ。小学校の頃の話だけど、僕は結衣の明るさに憧れていたんだから」

 

 目的地に着いたバスは、書店の近くで僕らを降ろし行ってしまった。

 参考書や絵本を買い、委員長と別れの挨拶をし、自転車に跨った。

 念の為と、連絡先を交換した。きっと、僕らを引き寄せる気が満々なのだろう。

 

 家に着くと、我が家の天使の朱音が迎い入れてくれた。

 僕の腕を取り、そこに吸血するかの如くキスをされた。あぁ、そういう事か。

 この跡は朱音によるものなんだと理解した。そうなれば、身体の違和感も納得できる。僕の身体の上に乗って吸っていた、と想像できる。

 

「にぃに、おかえり!!」

「ただいま、朱音。あ、絵本を買って来たぞ!!」

「え!?うれしい!!ありがと!!」

 

 わーい、と声を上げ絵本を持ちリビングに行ってしまった。

 なんだかんだあったが……朱音を見て落ち着いた。

 

 月曜日は色々やるとこがある。

 それに向けて今からしっかり休んでおこう。

 

 この3日間は最悪な日だったが、色々と進展があった。

 そのお陰で、色々と見えてきたと思う。

 自室に戻り、散らかる部屋の片づけに入る。

 

「あれ……僕のワイシャツって…洗濯に出したっけ?」

 

 こんな下らない疑問が浮かぶほど、気が楽になった。

 それはそうと親父はこの日は帰ってこなかった。ざまぁ見ろ。

 

 

 

 




午後15時11分――

『綾香とのメッセージ』

あやか  『いま暇してる?』
あきふみ 「丁度ひま。今さっき、テストの採点が終わった所」
あやか  『ふーん。で、どうだったの?』
あきふみ 「5問、間違えていた。委員長は?」
あやか  『へー。私は1問だけ』
あきふみ 「うわ、オシイな。どこを間違えていたんだ?」
あやか  『地理ね。海流と、そこで採れる魚の種類を間違えていたわ』
あきふみ 「イギリスか?」
あやか  『そうね』
あきふみ 「タラだな?」
あやか  『もう分かっているから言わないでちょうだい』
おきふみ 「で、なんて書いたんだ?気になるな…」
あやか  『に、ニシンって書いたわ』
おきふみ 「www」
あやか  『しょうがないじゃない!事前に映画を見ちゃって…』
あやか  『ニシンのパイが離れなかったのよ…』
あきふみ 「あたし、このパイ嫌いなのよね……」
あやか  『月曜日、覚えておきなさい』
あきふみ 「はて、なんのことやら」



◇◇



人物紹介


・志紀 千蒼 (旧姓:黒井)。15歳。私立能生高校、1年生。
・身長160。薄い少し茶髪、ミディアムの髪。薄いピンク色の唇。健康的にやけた肌。
・兄曰く「胸は無い」

・小学2年生の時、となりの部屋に引っ越ししてきた章文と仲良くなる。
・章文の父は、まだ会社員だった為帰りが遅く、章文は黒井家にお世話になっていた。
・章文により2度、命を救われている。1度目は信号無視の乗用車。2度目は悪質な変質者。章文本人は、もう覚えていない。
・中学一年。兄のファンクラブを乗っ取る。
・お肉と甘いモノが好き。兄とお茶をする際は、カフェモカかホットミルクを飲んでいる。お茶単体は、あまり好きではない。




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4話 はじまりの月曜日

※タグ変更のお知らせ。
『やや曇らせ』から『曇らせ要素あり』に変更しました。
これからの展開が「やや」では無いと思ったからです。
これからも読んで頂ければ嬉しいです!!!!





 月曜日──

 

 朝、自身が昨日かけたアラームにより、何とか自分の力で布団から起き上がった。

 携帯を確認する。

 

『昨日から少し忙しくて、一緒に登校したいけど…。学校で会おうね』

 

 結衣(ゆい)からのメッセージだ。なんでも日曜日は用事があり、そのせいで連絡は今の今まで無かった。

 これも10分前に送られたようで、同じような時間に結衣と起床出来たと思うと、心が躍った。

 いつもの調子で顔を洗い、着替え、リビングで食事を摂る。その時、ドタドタドタと大きな音を立て、千蒼(ちひろ)がリビングの戸を勢いよく開けた。

 

「寝過ごした!!」

 

 少し乱れた制服姿の妹がそういった。まだ登校時間には余裕があるのだが…

 

「ご飯、出来ているわよ~?」

「食べるー!」

 

 そう言って洗面台に向かってしまった。ドライヤーの稼働する音が聞こえる。

 相変わらず、忙しい奴だ。

 

「あ、義母さん。親父はもう帰って来たの?」

「ん~、それがね~、編集者さんと議論している内に、面白い物語を思いついちゃって…それに夢中で帰って来てないわ~」

「マジかよ…。あ、じゃあ僕が夕ご飯の用意を…」

「いいのいいの。私を侮っちゃいけないわよ?元学校調理師の腕、魅せちゃうわ~」

「あぁ…すみま

「家族なんだから、そんな事言わないでよ~。もっといっぱい、パパとママを頼ってちょうだい。いい?」

「あり…いや、分かった…。…夕ご飯、楽しみに待ってます」

「ふふふ。腕が鳴るわ」

 

 そこに、五月蠅い妹も食事に加わった。

 僕ら兄妹にとって今日から、正式な登校となる。校内案内も無く、オリエンテーションも無く、各先生からの配慮も無い。

 

「よし…じゃあ行くか」

「お兄ちゃん、ネクタイ曲がってるよ…。……よし」

 

 玄関せ身だしなみを整える僕らに、義母と朱音が送り出す。

 ドアを開け見上げた空は今日も快晴で、清々しい気分にさせた。

 

 今日は色々とやる事が多い。だとしても、やることは変わらない。1つ1つ漏れなく、及第点を叩き上げればいい。

 出来うることなら満点が良いが……相手は心を持つ人間である。ゆっくりいこう。

 

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 

 教室に着いた。

 金曜日の事があったから、教室のドアを開ける手が重いどか、急に心臓が痛くなったなどの症状は無く、2年3組のドアの前でストレッチをする僕は委員長に促され、教室に入った。

「もう帰りたい」などの気持ちが無い訳でも無かったが、まぁ、委員長がそう言ったからには、従わないといけない。なんせ相手は委員長だからな、怖いし。

 自分の席を目指し、周りの視線など気にせずに一直線に向かった。

 

「ねぇ、アキフミくん」

 

 差前列から3列目。結衣からある程度距離がある僕の席に座り、カバンを整理していた所に声が掛かった。

 

「私と席を交換しましょ?」

「えっと…」

「あ、私は結衣さんの隣の席なんだけど…最近、目が悪くなっちゃって。交換しない?」

 

 黒淵の眼鏡をかける女子は、クイと眼鏡の位置を治し僕にいった。

 今日このごろ、眼鏡を新調したのだろうか。その動作は少しぎこちなかった。

 

「交換って…いいのか?そんな事を勝手にして…。普通1学期の終わりだとか、そういう節目に行うだろう?」

「あぁ、ウチの学校は違うんだよ。生徒が勝手に決めて良いの。学校としての方針は『成績が良ければ生徒に放任』だってさ」

 

 そう言い、足元に置かれるパンパンのバックに視線を移した。分厚い教科書や筆記道具などの一式が入っているのだろうか。

 

「そうか、分かった。ありがとう。えぇっと…名前は……」

「いいのいいの!私、キミのファンだから」

「???」

 

 僕らの席替えはものの数分で終わり僕はその席に座った。最後尾、窓から2列目。

 机と机との距離は人一人分空いている。だが、左隣が結衣だと思うととても近く感じた。

 

「キミ、どう?落ち着いた?」

 

 再度声が掛かり振り返った。…委員長であった。

 

「どういう意味で?」

「なに、教室の前でストレッチしていたじゃない?緊張は解けた?、って意味」

「緊張も何も…ただ脹脛(ふくらはぎ)をな…

「あーいいのいいの。みなまで言わなくても。私はただ、もう一度キミに確認をね」

「……。昨日のヤツだろう?6月末の

「昨日?…ふみぃは昨日、榎本(えもと)さんと…会ったの?」

「「!?」」

 

 僕と委員長は、鳩が豆鉄砲を食ったようで、その声の主に顔を向けた。結衣であった…

 顔を左に傾け笑った。髪がそれに沿って流れる。

 

「あ、あぁ結衣!おはよう!!」

「うん、おはよう。で、なにしていたの?」

「あー…な、何から言えば…」

 

 僕が困惑する中、委員長は結衣の前に出て言った。

 

「6月の末に文化祭が有ることは知っているよね?…私一人じゃあ色々大変だから、章文くんと結衣さんを誘おうかな、って。昨日、本屋さんで章文くんと会って、その話をしていたの。どう?やってみない?」

「え、えっと……」

 

 間髪入れた委員長の言葉により、結衣は数歩下がった。きっと僕でも数歩だけ引く。…圧が凄い。

 

「ふ…ふみぃ、は……どうする、の?」

 

 少し涙を浮かべ、結衣は僕に聞いた。

 おい泣いてんじゃないか、謝れよ委員長。…いや、前言撤回。これはこれで良いな…

 

「上手くできるか分からないけど、やってみたい気持ちは有るんだ。結衣はどう?僕と一緒に頑張らないか?」

「……うん、そうする、よ。…少し、頑張ってみる」

「だとよ、委員長」

「ありがとう、結衣さん。また放課後に詳しい話をするわね」

 

 一礼し、委員長は自分の席に向かった。もうホームルームが始まる時間だ。

 1つ、問題が無くなった。良かった。

 予鈴が鳴る。それと共に担当が教室に入る。その数秒後、慌ててドアを開く恭介の姿が。ギリギリセーフ、だが寝ぐせがスゲェ…

 

 先生の軽い叱責を受け流し、クラスじゅうに笑いが起こる。到底僕には出来ない芸当だ。

 まぁなんであれ、1時限目は科学で『実験室』に移動する。ふと結衣の方をみる。髪に隠れて表情はハッキリと見えないが、口元が緩んでいるように見えた。

 

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 

 実験室は別棟の1階にあり、結衣に案内させて入った。

 ここでの席も自由であり、僕、結衣、恭介、委員長の4人で後ろ端の机についた。

 

 何の実験が原因なのかは分からないが、丸い、フラスコの底のような凸凹が数個あった。いかにも、と言う感じでテンションが少し上がった。前の学校でもそうだったが、実験室の椅子は背もたれが無い丸椅子であった。きっと水道も、勢いが強いのだろう…

 科学の担当の先生が、教科書の内容を面白く板書する。「この実験をやって、一度大火事になりかけた」などの体験談を交えて。きっとこの先生は、ユーモアに溢れ生徒に人気なんだろうな、と思った。

 

 そして、今現在の結衣は──

 

「大丈夫か…?具合悪いなら保健室に行こうか…?」

「うぅん…大丈夫……ふみぃが居るから……大丈夫……」

 

 僕の左腕を掴み、僕の方へ体重を預ける結衣は、小さく小さくそういった。顔色が良くない。

 

「ふみぃごめんね……重くない…?…書きにくくない…?」

「まるで羽のようだ。…別に僕は大丈夫さ。よく片手で勉強していたからね」

「か、片手…って……」

「小学校高学年の頃に、左腕を骨折してたんだよね。それが今、役に立って嬉しいよ」

「……。そうなんだ……私たちが別れた後に……ふみぃが骨折……」

 

 腕を掴む力がちょっとだけ強くなった。いや最早、掴むでは無く、抱いているという表現が正しいのかも知れない。

 お胸が当たっております。あの、ご勘弁してください。

 

「ちょっと恭介くん、そこ違うわよ。なんでそうなんのよ?」

「ひぃぃぃぃぃ」

 

 そんな僕の目の前に座る恭介と委員長は、僕らを案じて同じ席に座ったのだが……恭介の解答に委員長が口を出す始末。お前らは何をしに来たんだ?

 小鳥の様な、ネズミのような…ボールを取り上げられた子犬の様に鳴く恭介に構いなく、委員長はシャーペンの先を間違えている箇所にトントンと当てる。

 苦しそうだな恭介?…ん?僕の方に上目遣いしても答えは降ってこないぞ?悪いが僕は、君を助けない。

 

 時計を見る。そんなこんなで、授業は残り10分だ。先生も授業内容のまとめに入っている。

 

「結衣、もう時期授業がおわるぞ。よく頑張ったな」

「うん…。でも…ノートが……」

「僕のを見ればいいさ。あ、そうそう。昨日さ面白そうな参考書を見つけたんだ。僕と一緒に読もうぜ?」

「ありがとう、ふみぃ」

「ああ」

 

 10分なんてもの、直ぐに経ちチャイムが鳴る。生徒がまばらに立ち上がり、教室に戻っていく。

 その中、科学の先生は僕たちの机に向かって歩いてきた。

 

「うんうん、キミが転校生の…志紀(しのき)クンだね。キミの話は聞いているよ~、危険物の資格をもっているんだって~?いいねぇ、是非とも科学部に入らない~」

 

 若く、陽気な雰囲気を纏った先生がそう言った。

 

「僕はクラスの委員会に入ろうと思ってまして…なのでお断りさせて貰います。資格は、ガソリンスタンドのバイトで興味を持ちまして…受けただけです」

「へぇアルバイト?ウチの学校は禁止させているからな~。乙4取った?監視どかした?」

「取りましたけど…学生なのでそこまではやらせない、って感じで…」

「はぁー、科学部に関しては残念だが、またこうして話が出来れば嬉しいな。それと…」

 

 よいしょ、と白衣を揺らし横に移動して、結衣に視線を合わせた。

 

「今日はよく頑張ったね結衣クン。志紀クンの陰で隠れていたけど、先生は見ていたぞぉ。また、出来る範囲で来てくれたら先生は嬉しいな」

「あっ……はい…。つぎも、頑張り…ます」

 

 そのか細い返事を聞き、上機嫌で準備室に向かってしまった。結衣の反応から見て、あの先生とは少し話し慣れている感じがした。

 高校1年の時にでもお世話になったのだろうか?出席日数、その確保の為の補習どか?

 

「ほら、いつまでイチャイチャしてるのよ?教室に戻るわよ?」

「ッ!?」

 

 委員長に言われて気が付いた。僕の腕は未だに結衣によって奪われていることに。

 あの先生も僕の状況を知りながらスルーしていたのかよ……。恥ずかしい思いをしたじゃないか……

 

「べ、べ、べつに…!イチャイチャなんて…なぁ、そうだよな結衣!?」

「そ…そうだね…!もう戻らないと…!」

 

 そう言って放たれた腕は、未だ彼女の温もり残っていた。

 急いで教科書やノートを片付ける。隣でガチャア、と音を立てて文房具をぶちまけた可愛い娘は「あわわわ」と声を漏らした。下を向いていて表情こそ見えないが、耳が赤くなっている。委員長の一言が効いたのだろう。

 僕を含め3人は手早く手伝い、早々に実験室から抜け出した。教室に着き席に座った瞬間、チャイムが鳴った。ホントに危なかった……

 

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 

 昼休み。それは友達同士、他愛も無い話題でお弁当をつつき合うという、僕には縁の無いものだった。

 色々忙しかった金曜日。テストの為、半日だった土曜日を過ぎた麗しき月曜日。僕は遂に、ボッチ飯を卒業した。

 

 机を並べ、結衣とお弁当を食べているのだ。なのだけど……

 

「結衣の母さんってさ、まだお弁当屋さんにいるの?」

「ぁあ…うん、そうだよ」

「そうかー、今度買ってみよー」

 

 と菓子パンを食らう恭介に、僕に文化祭の出し物をまとめた紙を見つめ、箸を動かしている。

 

「聞いてるの?章文くん」

「き、聞いてますが……」

 

 本当は結衣だけと食べたかったんだけどな。こればっかりは、しょうがないのか…

 

「委員ち…いや……。なぁ、僕はいままで肩書を言っていたんだけど……名前の方が良いか?」

「なによ気持ち悪い。別になんだっていいでしょ?分かれば」

「委員長だと味気ないだろ?綾k──

 

 不意に冷たく思い重圧に襲われた。虫の知らせ、とでも言い換えようか。

 そんな正体不明なプレッシャーに覆われ僕は、再度口を開けた。

 

「……榎本(えもと)で良いか?そっちの方が色々と…苗字被りは無いから…良さそうだ…」

「そう?私は私で章文って言わせてもらうけど」

「あぁ…よろしく……」

 

 僕はお茶のペットボトル。その封を切った。パキパキと鳴り、キャップがあく。

 この3人と居ると色んな意味で喉が渇く。緊張は無いが、常に口を開けている気がする。ずっと喋ってばっかりだ。

 僕と結衣は自分の机と椅子を使用しているが、恭介と榎本は違う。その辺の、近場の椅子を借りているのだ。すげぇな、どうやって許可とるんだよソレ。

 

 あの筋肉お化け。柔道部の琉生(りゅうき)は5組だ。流石にコチラのクラスには入れまい。

 3人を捌くのにも必死なのに、生が加わればキャパオーバーだ。そこに妹なんて混入すれば最早、地獄と称しても過言でない。

 

 お茶を一口飲み、キャップをしめる。コーヒー好きの僕でも、お米にコーヒーは飲まない。ジュースは余り得意では無い。お茶。お茶が一番似合う。

 3人を軽く見渡す。結衣は持参の魔法瓶に温かいお茶を入れている。榎本は購買で買ったパックの紅茶。恭介はパンに合うイチゴミルクだ。……恭介よ、お前は乙女だな。

 

 あらかた食事も終わり、僕らは文化祭での出し物について意見を交わした。

 

「なぁ榎本。クラスの出し物については、ある程度の金は出るんだよな?」

「金って…。予算って言ってよ」

「はいはいはいはい!俺、バスケのアレ……。よくゲーセンに置いてあるやつ…!!」

「うーん?……。聞かなかった事にするわね」

「なんでさぁ!!」

「お二人はどう?何かないかしら?」

「お化け屋敷で良いんじゃない?前の高校でやったし。現に楽だったし。立っていれば良かったからな」

「ん???う、うん、そうね…。違う意味で…聞かなかった事にするわ」

「なにがさぁ!!」

 

 僕は少し前の事を思い出した。暗い教室。その端で立っていれば良い役だった。

 クラスメイトの一人は、僕がその役が適任だって言っていた。その後の打ち上げ会も、僕の連絡先を知らなかったから忘れられただけだ。

 

「じゃあ、結衣さんはどうかな?何かある?」

「あ…えっと……喫茶店どか…どうかな……。ふみぃのお父さんは、コーヒーに詳しかったから……」

「あー確かに。親父は昔、豆を挽いていた、って言ってたな。よく覚えているよな結衣は」

「優しかったから覚えてるよ」

 

 その喫茶店の案。榎本の手を動かせた。メモ用紙に『喫茶店?』と書かせたのだ。

 

「本格喫茶店…だとしても予算が足りないわね…。コーヒー豆だっていい値段するし、機械も用意しなきゃいかないわね…」

「なら、本格を辞めて一つ捻るのはどうだ?提供する食品に、ホイップクリームを死ぬほど盛るとか?」

「死者を出さないでちょうだい。だいたい章文くんが言う『捻り』ってコスプレどかでしょう?」

「ハッ!?おい榎本、お前ってコスプレに興味があるの…っッグハァ!!」

 

 僕の横腹に結衣の細い指がめり込んだ。痛みのあまり声を上げ、机に突っ伏した。内臓を触れられた感覚だ。

 その指は上に上がり、肋骨をなぞった。突っ伏したまま、僕は結衣に視線を移す。目が合うなりニッコリ笑った。

 

「章文くん、どうしたの?」

「ふみぃ、腹でも壊したか?」

「イヤ……なんでもないんだ…」

 

 双方から声がかかる。どうやら結衣の一刺しは、彼女達には見えなかったらしい。

 

「議論を進めよう……。コスプレ案は…一旦保留にして、もっと出すか」

 

 上体を起こしつつ僕は言う。次なる一撃を恐れ、言葉を選びながら話し始める。

 

「なぜよ?」

「質より量。アイディアは多ければ良い。選択肢が多ければ比較できるからな」

「なんかマトモな提案ね?社会人みたい」

「そういう言い方は辞めてくれ……。苦しくなる…」

 

 キーンコーンカーンコーン──。予鈴が鳴った。

 

 机を戻し、軽い会話を済まし各々が席に戻った。午後の授業が始まった。

 

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 

 今日何度目のチャイムだろうか?

 窓から傾いた太陽の光が差し込み、教室と廊下が忙しく生徒が行き交う。部活であったり、勉強会であったり……そう言った話が耳に届く。

 

「ふみぃ、これから…どうするの…?」

「あー」

 

 さっきから委員長の姿が見えない。「ちょっと待ってて」と言い、僕はスマホを取り出して榎本にメッセージを送る。

 返答は早く『今日は担任の先生との用事があるから帰って貰っても構わない』と。それを確認し、僕は結衣に伝えた。

 

「榎本は用事が有るから、もう帰っていいってさ。帰る?」

「えっ…じゃあうん、帰る」

「そうか。じゃあ、帰るか」

 

 恭介は部活の為、教室から出て行ってしまった。委員長、榎本も居ない。

 予想外の事で多少驚きつつ、結衣と共に昇降口に向かった。靴を変え、校門を出、大通りに出る。

 

「……そういえば、ふみぃってさ……バイトしてたんだよね…。どうしてなの?」

「暇だったから。それと…妹に靴を買ってやりたくてさ。アイツ、勉強はまぁまぁだけど、走るのには才能があるからな。僕としては、頑張ってほしくてね…」

「優しいね、ふみぃは」

「いや…。ただ、親父から距離を置きたかっただけかもしれない。バイトしたての頃は仲が悪かったから…」

「え?どうしてなの?」

「いやぁ…なんと言えばいいのか……。ただの…そう、ただの遅い反抗期だったんだ。今はすこぶる仲が良いぜ。妹が引くくらいだ」

「あははは。ふみぃも、そのお父さんも…お互いの事をリスペクトしているんだね」

「多分、そうだと思うな」

 

 結衣はどうなんだ?と喉まで込み上がったが、辞めた。何となく…言わない方が良いと思った。

 そこから僕らに会話は無く、ただ道を共にした。

 学校に居た時は、アレほど喉が渇く程に喋ったというのに、今や逆である。言葉が浮かばない。

 

 公園の傍の十字路。ここで結衣とはお別れだ。

 

「あ、じゃあまた明日」

「うん……。今日はありがとう。沢山、()()()()()()よ」

「そうか?まぁ、結衣が喜んでくれるのなら、僕は嬉しい」

「……。ねぇふみぃ。もし……もしさ……」

「?」

 

 僕を見て、彼女は言葉を飲み込んだ。数度首を振り「いいの。忘れて」と言った。

 

「そんな勿体ぶらなくてもいいんだぞ?なんか、不安な事があったら──

「ホントに大丈夫。安心して…大丈夫だから……」

 

 なんども『大丈夫』と言う彼女は僕ではなく、自分自身に言い聞かす様に繰り返した。

 

「おい結衣…!もし、なにか辛いことが有ったら、僕に……!!」

「ゴメン、これから用事があるんだ……。もう帰るね……バイバイふみぃ」

 

 そう言って結衣は、帰路に着いた。その後ろ姿を僕は、見えなくなる最後まで追う事が出来なかった。

 

 

 







この日は誰からもメッセージが届かなかった。
もう寝よう。



◇◇



人物紹介



・榎本 綾香。現在16歳。私立能生高校、2年生。委員長。
・身長162。すっきりとした藍色のショートボブ。家ではメガネをしている。
・章文曰く「胸がでかい」

・成績は常にトップクラス。その為、先生たちの評価が高い。
・クラス替えにより、結衣の存在を知る。担当の先生から「どうにか立ち上がれるようにしたい」と言われ奮闘中。
・ジ〇リが大好きで良く見ている。一番は「ハ〇ルの動く城」。
・すっきりした甘いモノが好み。飴を常にポケットに入れている。




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5話 算数と理科

 考えすぎなのかも知れない。

 過剰に妄想しすぎなのかも知れない。

 中学校のイジメにより「現在こうなってしまった」ではなく、「現在進行形で何か彼女を苦しめている要因がある」と……何度も頭をよぎった。

 

 浅い睡眠と1時間毎の覚醒を繰り返し、朝を迎えた。

 またかよ…と思ったが、ある程度寝れたため頭の中は随分マシになっていた。

 

 ベットから起き上がり、ポキポキと背伸びにより骨が鳴る。窓を見る。スマホに内蔵された天気予報では今日1日は曇りだそうだ。

 ……。ひとまず、学校に行こう。

 

 午前6時58分

 

 7時のアラームを取り消し僕は、朝食を摂りにリビングに向かった。

 

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 

 まぁなんというか。大きく空回ったと言うべきか。

 

 僕の恋人の長瀬 結衣は今日も普通に登校してきた。いや、『してきた』では無く『登校した』が正しい。

 朝食の際に『朝、一緒に登校しよう?』と結衣からの連絡もあり、昨日の静けさは何だったのか、と思わず驚愕した。

 流石に「昨日のアレは…」などど掘り返す訳にもいかず、結衣と他愛も無い話をした。途中、妹も合流し急遽開かれた『僕の中二病暴露会』により、5月の中旬というのに汗を垂らした。まーじで心臓に悪い。

 

 学校に到着し、ホームルームを終え、授業時間も特に問題は無かった。

 昼休みに入りお弁当を4人で食べ、午後の授業も過ごし、火曜日の学業が終わった。

 本当にも無かった。

 たしかに何も無いのが一番いいのだけど…

 

 厚い雲に覆われ、窓の外は薄暗かった。

 結衣の方に視線を向けた。あまり調子の良くない顔だったが、その原因を僕は知っている。

 先に行われた週間テストの結果が良くなかった。特に実験室で授業が行われる『化学基礎』の項目が一番ダメだったらしい。

 

 そして僕に抱き着き「このままじゃ先輩に殺される」と泣いている恭介もまた、理科が苦手らしく点数が悪かったらしい。

 なんでも、週間テストでの赤点の科目が一定以上あると部活動の制限が掛かる、という。バスケ部の副キャプテンがこのザマとは…

 

「じゃあ、勉強会をしましょうよ。自習室は沢山空いているから」

 

 そんな僕らに提案したのは委員長である榎本だった。

「丁度、章文くんとも文化祭の出し物について話したかったし」と、彼女は続けて言った。

 そうして僕らは誰もいない自習室を借り、鍵を開けて入室した。

 

 スマホで琉生にも連絡を取ったが「俺は問題ない。筋肉が俺を待っているからな!!」と拒否された。

 後日知ったのだが琉生は、現代文の科目はトップ5に入る程で、しかもかなりの読書家だった。

 僕と同じ文芸作家が好きなようで、1日中語り尽くしたのは後の話であった。

 

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 

「やべぇ、元素が1周回って分からなくなってきたぞ…」

「嘘でも冗談は辞めてくれ」

 

 化学の問題用紙に対し手が止まる恭介は、震えながら僕に言った。

 この学校は進学校を売りにしているのか、謎に自習室が多い。成績トップの榎本が先生に頼めば自習室の鍵など簡単に手に入る。

 人気があまりない別棟(べつむね)。そこで静かに勉強するハズだったのだが……ついに恭介が狂いだした。

 

「だってふみぃさぁ!元素、原子、電子、陽子?中性子?、イオンってさ!無理だろ!?マイナスイオンを浴びれば元気になる…でいいじゃんか!!」

「そもそも恭介が言う『マイナスイオン』なるものは存在しない…。僕は余り詳しくは無いが『マイナスイオン』の元ネタは『大気イオン』らしい。マイナスの電荷を持つ『負イオン』を悪意を持って解釈した似非(えせ)科学だ。…そんなことよりも、僕らがやるべき事は化学の『陰イオン』だ」

「ハッ…!!陰イオンを浴びれば元気になる…!?」

「どうしよう委員長。僕、コイツに殺意が湧いてきた」

「抑えなさい…。千里の道も一歩から…よ」

「千里って…日本横断できんじゃんか…。無理ゲーだろ」

 

 はぁ、とため息を漏らし参考書を手にする。そして眺めるようにペラペラとページを捲った。

 別にモル濃度や気体定数など、少し複雑な計算は無いハズなんだけどな…。まずは、興味を持たせることが重要だよな……

 親父がやっていたように、TRPGで少しだけ遊ぶか…?

 

「化学を応用したシミュレーションで遊ぶか?よくあるテンプレの…異世界もので」

「じゃあ聖剣貰って魔王を倒すわ」

「展開が早いな…。つうか化学すら出る幕無いじゃん…!?」

「じゃあ、ふみぃはどうなのさ?異世界に転生して、何か持っていけるとしたらよ?」

「今現在までのあらゆる法則を脳にインプットして貰う。そして数学と科学で無双する」

「クソつまんな」

「いやいやいや恭介、よく考えてみろよ?異世界に行っても即座に頼れる人なんていないんだぜ?身分も無いから、街には簡単に入れないだろう?そこで数学と科学が役に立つんだよ。文明の発達は、数学と科学の両立によって成り立つんだ。城壁や城の石レンガの積み方は建築物理学だし、医療品なんて科学の集大成だ。必ず知識を欲しがる者が出るハズだ。…聖剣を入手して魔王を討伐した後はどうするんだ?なにも無いだろう?だが、数学と科学の知識は今後の文明の発展に必ず必要になるんだ。沢山ちやほやされたかったり、ハーレムを形成したかったら、数学と科学は最重要だ」

「そう言われれば、そうなんだけどさ……」

 

 恭介は問題用紙にシャーペンで、グルグルと円を書きながら言った。

 

「大変そうじゃん。俺はスグに効果が出るモノが欲しいんだよな~」

 

 ……。確かにそうである。僕自身、恭介の言葉に賛同してしまった。

 例えば『コレを飲めば女の子から好かれるよ』というドリンクが有れば、僕は手を伸ばすだろう。『過程が面倒で無く簡単で、結果が良好なもの』なんて誰もが欲するだろう。

 ネットの広告でアピールされる商品などは正にそうであり、嫌悪感は感じるがそれと同時に、その効能を欲する人が居ると思うと切なくなる。

 だがここは学校である以上、学生たちはテストの点数という怪物に、立ち向かわなければいけない。

 だからこそ僕は、恭介に言った。

 

「恭介ってバスケ上手いよな」

「?そりゃそうだ。バスケの推薦で高校に受かったモンだしな」

「でも僕の記憶が正しければ、小学生の頃の恭介は……言葉は悪いがそこまで強い印象は無かったぞ」

「いうねぇ。まぁ事実だからしょうがねぇな。…小学校の時に、バスケのクラブに入っていたのは知っているよな?」

「あぁ」

 

 と、応えた。

 たしか月、水、金曜日。その日は「クラブがあるから」と言って恭介は居なかった。

 

「そのクラブの先輩にな、ドヤされたんだ。『ヘタクソは帰れ』ってな。小4の頃だ。そこからはその先輩を見返す為に努力した。そんで中学の時、その先輩の席を奪ってやったんだ」

「へぇー、奇遇だな。僕と同じだ」

「ほぉ?何がダメだったんだ?」

「勉強」

「「「えっ!?」」」

 

 うぉお…びっくりした。横で静かに復習をしている榎本と結衣まで反応しやがった。

 よく勉強しながら話を聞けるな。マルチタスクですか?羨ましい。

 

「はぁ!?オマエ、転校早々に受けた週間テスト、5位だったじゃんか!?」

「それでいて、よく人の間違いにマウント取れるわね?章文くん???」

「え…ふみぃって、小学校の時、頭良かったじゃん…!!」

 

 おうおうおう……。一人だけ別角度で僕を殴ってきたが…なんとか致命傷ですんだ。

 恭介の為もある。ここは少しだけ、昔話を話そうか。

 僕は、骨折していた左腕を摩りながら言った。

 

「小3の冬に転校して……新しい学校に登校するようになった。最初は緊張と期待で胸を膨らませていたが……実際はそうじゃ無かった。僕のクラスの担任の先生。ソイツが──」

 

 ゴミだった──。そう断言した。

 

「算数の時間、指名され黒板で問題を解いたよ。だがアイツは『詳しい途中式が無い』と罵倒し、国語の時間では『漢字のバランスが歪。やり直し』と言われ、満点のテスト用紙も『名前が書いてないから0点』と、僕の名前を消した痕跡が残る用紙を…返された」

「最低ね」

「だろ?委員長。しかもな、アイツは成績が良い奴しか狙わなかったんだ。コンプレックスを拗らせたのか知らないけど。…他の人には、めっぽう優しかった…。成績が良い奴なんてクラスに僕を含め2人しかいなかった。たった2人、小学生だった僕らは、成すすべは無かった。それで僕は…勉強が嫌いになった」

「…おいふみぃ。その『もう一人』はどうなったんだ?」

 

 恭介の問いかけに応える為、僕は息を吐き語った。

 

「僕は小5の夏から学校に行かなくなったし、中学校はアイツが居なかったから登校出来たが……もう一人は、最後まで登校しなかった。高校は別々だ。だから、わからないんだ」

「そうか…」

「僕も恭介と同じで、見返したくて勉強を頑張った。でも、ある時を境に勉強する事自体、面白さを感じたんだ」

「あ、ソレ。分かるかも知れない。だって俺、今はさぁ、あの先輩の事なんて忘れてるもん」

 

 うんうん、と僕は頷いた。

 見返すという復讐が、いつの間にか自分のアイデンティティになっている。

 多分きっと、僕の親父もこのように変化していって、ミステリ小説家になったんだろう。なお配信稼業はマジで意味不明。

 

「まぁ強引に話を戻すけどさ、誰だって最初は上手くいかないよ。運動系なら実感してるんじゃ無い?気が延びる程の練習の果てに掴み取ったコツ…どか」

「そうだなー。俺が尊敬するマイケル・ジョーダンも『目標を達成するには、全力で取り組む以外に方法はない。そこに近道はない』って言ってたしなー」

「そうそう、勉強もそうだ。一気に飲みこもうとするから嫌になる。コツコツと、一歩ずつ理解していこうぜ」

「そうだなふみぃ。目が覚めたぜ。さぁ、化学の勉強だ!!」

「よし!!まずは化学の基本!元素からだ!!!」

「うおおおお!!!!」

 

 僕は恭介とともに参考書と教科書を開き、進めていった。

 そんな中、週間テスト1位の榎本から声が掛かった。

 

「ところで…ホントにやる気がある中、申し訳ないんだけど…今週の理科のテスト……『生物基礎』よ?」

 

 は???

 

「ふ…ふみぃは転校したばっかで分からないと思うんだけど…理科のテスト内容は、1週間ごとに変わるの…。化学→生物→化学→生物…って…」

 

 ほぉ???

 

「え、え、え…じゃあさ……僕が今、恭介に教えても……」

 

 僕は恭介の方に振り返った。

 

「1週間も空けば、忘れるかも知れん☆」

 

 僕は荷物を纏まとめて自習室を後にした。

 後ろから結衣の「まってよー」と声が響いたが、僕は止まる事は無かった。

 恥ずかしすぎる。なんだったんだよ、この2時間は。

 帰って寝る。もう寝る。眠い。寝て忘れたい。何もかもすべて!!

 

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 

 今日一日を振り返ると、この出会いは運命すら感じた。

 シンクロニシティ、虫の知らせ、第6感などのある種、哲学的で科学的に説明できないそれらは、僕にとって余り好きな言葉ではない。

 星座占い、干支占い、おみくじに至るまで『所詮はただの気休め』と考えている僕には、この出来事には多大なるショックを食らった。

 

 だって……そうだろう…。こんなの…あまりにも出来過ぎている。

 

「ふみぃ…!!はぁ…はぁ……。一緒に帰ろう…よぉ…!」

 

 僕の背後で結衣が息を荒げていた。僕を追い、自習室から走って来たのだろう。

 とても嬉しい。とても嬉しい……だが、今はそんな事が出来る状況ではない。

 校門の手前。学校の敷地の外で、笑顔で僕に手を振る青年が居た──

 

「おーい!アキフミ!忘れちまったのかー?オレだよオレー!」

 

 曇天の下。その雲と同じような灰色の髪を揺らしている。

 

「ふみぃのお友達?…いいなぁ、髪染めてる……」

「そう、僕の…ずっと昔の…友達。自習室で話をしていた『もう一人』だよ…」

「え……この人が…?」

 

 僕は彼の元に歩んだ。

 間違いない。その顔の傷……右目の下の切り傷は彼しか居ない。

 

「久しぶり…。どうしたんだ一体……」

「観光さ。それと、お前を一目見たくてな。…この街はいいなぁ、アイツの影は何処にもなくてさ」

 

 と、彼は言った。<岸波(きしなみ) 和平(かずひら)>は僕に応えた。

 小学3年の冬。僕と共に『担任を打ち負かす同盟』を組み、見事大敗を喫した友達であり、親友であり、戦友の彼は、ニッコリ笑って続けた。

 

「それはそれとして、美味しいラーメン屋。知ってる?」

 

 その呆気ない問いに困惑したが、僕は岸波に答えた。

 

「悪いが…僕は引っ越してばっかりで……チェーン店しか分からない」

「マジかよ、()()()()()。そうか、じゃあファミレスで……そこの彼女さん。えぇっと…ユイさんか。ご飯はどう?もう6時半も過ぎたし、奢るよ」

 

『ありえねぇ』。それは彼の口癖だ。

 本当に岸波なんだな、と再度思い僕は、スマホをいじる彼に言った。

 

「僕は構わないが…。結衣はどうする?用事が有れば断ってもいいぞ?」

「出来れば戦友の。いやアキフミの昔話でも、し合いたいと思うんだが…。どうかね?」

「行きます!…でも、ママに連絡しなきゃだから」

「ああゴメン!そうだよな!アキフミも家に連絡を入れた方が」

「そうするよ。ちょっと待っててな」

 

 校門を出、大通りを3人で行く。

 結衣と僕は家に電話をし『今晩は友達と食事をする』と伝えた。

 このまま道なりに行くとファミレスがある、と結衣に道案内されながら進んだ。その間、岸波は、鼻歌を歌っていた。少し古い洋楽だ。

 僕は彼の姿が随分と、もの寂しい様に見えた。

 

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 

 ファミレスでの食事は……いや、訂正しよう。

 僕には当時の記憶が無いが、その時に恰好つけていた台詞や、好きだった物などの情報の交換会が始まっていた。

 

「おい岸波。いい加減に食えよ。冷めるぞ…」

「いやいや無理だ!!アキフミ、お前ってよ…!!小1からその性格だったんだな…!!」

 

 爆笑を堪えながら岸波は言った。

 余りにも結衣からの情報が面白かったのか、岸波の顔は赤くなっていて少し涙が出ていた。

 

「そうなの。ふみぃはね自分で『図書館は僕の庭』って言ってたの」

「図書館は…!!僕の…!!庭ぁあ……!?ぎゃははは!!」

 

 そんな事言いましたかね僕は。確かに図書委員会に所属していた記憶は有るが…

 つうかさぁ……

 

「僕も笑える会話にしない?」

「ん?なんだ?ネタを提供してくれるのか?」

 

 横腹を押さえる岸波は、震える声でそう言った。

 なんだよネタって。一つも無いわ。……。あ、そういえば気になっていた事がある…

 

「なぁ岸波。オマエはどうして結衣の名前を知ってるんだ?」

「あー、なに。オレ、今ここで暴露していい感じ?」

「と、いいますと?」

「だってアキフミさぁ、オレの学校に移ってからも『ユイちゃんに告白すれば良かった』って五月蠅かったからな」

「ふみぃが…!?」

 

 だあぁああぁあああ!!!!

 思い出した。岸波の一声によって思い出した。言ってたわ僕。確実に言ってた!!

 

「ち、違うだろ岸波。僕はな『告白』じゃなくて『プレゼントのお返し』って言ったんだ」

「おいおい戦友。嘘つくの辞めようぜぇ~。オレの記憶力は完璧だから、ありえねぇよ」

「またその口癖ぇ…。結衣もコイツになんとか言ってくれないか……あ」

 

 僕は横に座る結衣に視線を動かした。

 その彼女は顔を赤く染め、両手を扇子のように動かし風を顔に送っていた。

 

「あっ…!!ふみ…!!ちょっと化粧を見て来る…!!」

 

 と、嵐の如く早々に去っていった。化粧…?どういうこと?

 

「可愛らしい彼女さんだな」

「そうだろう。自慢の彼女だからな」

「…だからアキフミ。そういうクサい言葉はなぁ、一般人はそうそう言わないんだよ。自ら地雷を作ってるぞ」

「地雷なら飛び越えればいいさ」

「そういう問題じゃなーい」

 

 カランとグラスの中の氷が音を立てた。

 ジュースを飲もうとしたが、もう空のようだ。つぎは何を飲もうか。無難にコーラーだな。

 

「そういえばアキフミ。オレたちさ、意味わからない問題で喧嘩してたな」

「ん?…あー、そうだな。『理科』と『算数』だったね。僕が算数で、岸波が理科。…今思えば、可愛い論争だった」

「あぁ、特に『お化け論争』は傑作だった。オレは『科学的に考えて、お化けを構成する物質など存在しない。だから居ない』と言ったな」

「それに対し僕は…『背中を押された、場が冷たいなどの証言がある。押された、冷たいの原因は数字で表せるハズだ。だから完全な否定はありえない』。今思えば、無茶苦茶だ」

「お互い、図書館の本。それもうんと難しい本を読み漁り、間違った知識で言い争っていた。オレにとっても、中々な黒歴史だ」

「まぁ、その頃の探求心もあって今は、何かといい成績を保っているよ」

「そうか。そりゃあ良い事だ」

 

 そう言って岸波は、半分ほど残った味の薄いメロンソーダーを飲み干した。

「とりに行こうぜ?」とグラスを持ったまま立ち上がり、僕もまた、コーラーを注ぎに彼の後ろに着いた。

 ドリンクサーバーの前には誰も居らず、目的のジュースの項目を押すなり、悠々自適に炭酸の弾ける音を堪能した。コロンと鳴る四角の氷。

 グラスの表面に水滴が出来初め、机に置いた際に雫となって流れ落ちた。

 

「ところでさ」

 

 岸波が話始めた。

 

「あの、結衣ちゃん。やけど跡を髪と化粧で隠してるね。コンプレックスなんだろうね。その原因はきかないけど」

「助かるよ」

 

 チューと彼は、ジンジャーエールをストローで飲み始めた。どうやら岸波には、結衣の状態は筒抜けらしい。

 中学時代では、岸波は登校していなかったのでテストの順位は僕が総なめしていた。だが、彼がもし居れば結果は変わっていたのかも知れない。勉強以前に普通にコイツは、頭のキレが異常なのだ。

 きっと委員長…榎本とも話は合うハズである。そういう風景が、僕には浮かぶのだ。

 

「?…オレの顔に何かついてるのか?戦友」

「いや。冷めてるのに美味しそうに食べるな、と」

「お前と食べてるから美味しんだよ」

「嬉しい事を言ってくれるじゃないの」

 

 数度小さな笑いが浮かぶ。その数十秒後に結衣が合流した。

 耳の赤みはもう、落ち着いたようだ。

 

「もう時間だし、キミたちは学生だし…お開きにしようか」

「ごちそうさま。美味しかった、ありがとな岸波」

「ふみぃの事、いっぱい聞けて楽しかった…!!ごちそうになりました。ありがとう」

 

 あの氷を思わせるような結衣も、岸波の前では普通の女子高生だった。

 これも彼の聞き上手の一面のお陰なのかもしれない。どうであれ、結衣に笑顔が浮かべば僕は嬉しい。

 それも含めて僕は、今回のご飯代を奢ってくれた岸波にお礼を言った。

 

「いいんだ。オレこそ、突然押しかけて悪かったな。…じゃあ次、飯食う時はアキフミの奢りな!!」

「なんでだよ!?」

 

 そうして僕らの夜は終わっていった。

 美味しいご飯に、苦い思い出。懐かしい話に心を躍らせながら。

 

 

 そしてその翌日。

 僕は7時のアラームによって起こされ、支度を済まし、リビングに向かった。今日はパンであった。ならばコーヒーだ。

 新聞紙を読む親父に声を掛け、いつもの要領で2つ、濃度の違うコーヒーを作った。

 

「ほら」

「……」

 

 今日は珍しく何も親父は言わなかった。そんなにも新聞に面白い記事でも書いてあったのだろうか。

 そんなこんなで、僕は椅子に腰かけテーブルにマグカップを置いた。近くのリモコンでテレビのチャンネルを変える。

 天気予報が終わり、いつものニュースコーナーに移った。

 

「は!?」

 

 声が出た。そして、戦慄した。

 忘れるわけが無い。その名前は僕のトラウマと共に刻み込まれてるから。

 あぁ、今も鮮明に覚えている。小太りで白髪交じりの短髪。野太い声に、歪な手の形。

 

 そう。僕が勉強を嫌いになった元凶。<酒井 (あらた)>が遺体で見つかった──

 後頭部に硬いモノで殴られたのが死因だと言っている。2日前に亡くなり、未だ犯人は不明だと──

 

「酒井が死んだ……。誰かに殺された……」

 

 思い当たる節は一つだけあった。

 岸波 和平の存在である。

 

 まさか。そんな。脳内に否定の言葉が渦巻いた。

 そして──

 

「ありえねぇ……」

 

 僕は無意識に、岸波の口癖を言っていた。

 

 

 





メッセージなど確認できない程、僕は困惑していた――




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6話 数学と科学

 古くから人間には『自由意志』があると哲学者たちは己の人生を掛けて模索していた。

『意志』とは何か?『人間性』とは何か?

 

 その『自由意志』の歴史は、事象が全て決まっているか否か、という「決定論」と「非決定論」の対立であるし、また、人が感じる「自由」と「決定論」の2つが共存できるかどうかの対立も『自由意志』への解明の一歩でもあった。しかし未然として『自由意志』とは謎の存在であった。

 だが科学技術が発展した人類は、「物理学」「生物学」「脳科学」によって『自由意志』の解明が飛躍した。

 と、いっても、飛躍したからといって、その全容が、隅々まで明らかになったわけではない。

 

 だからと言って何も得られていない訳でも無く、僕が愛読する本にはこう書かれていた。

 自由意志とは『親から引き継いだ遺伝子』と『自身の過去・経験』の2つが密接に関係している──と。

 その2つの、言わゆる、()()()()()()()()()()()()は脳に刻まれ、その脳は、()()()()()()()()()のアルゴリズムを導き出す。

 そのアルゴリズムこそが『自由意志』の正体だと唱えた。

 

 では、話を戻そう。

 

 この僕、志紀(しのき) 章文(あきふみ)は今朝のニュース。

 憎き存在である酒井 新(さかい あらた)が何者かに殺された事を知り、真っ先に小学校の頃の友達であり、親友であり、戦友の岸波 和平(きしなみ かずひら)を真っ先に疑った。

 僕のこの『戦友を疑う』という意志とは、僕の『親から引き継いだ遺伝子』と『自身の過去・経験』による脳のアルゴリズムが導き出した、一つの解答だ。この場合『遺伝子による判断』よりも後者の『自身の過去・経験』が最重要だろうと思われる。それ故に『自身の過去・経験』について注目しよう。

 

 小5の夏。学校を休み始め、酒井と岸波に合わぬまま中学時代を過ごし、高校2年の5月、僕は私立能生高校の生徒となった。つまり小5から数えて凡そ6年ぶりに再会した事と、酒井の死によって、状況は一変した。

 

 昨日僕は岸波と出会い、結衣とともに食事をした。彼は『アキフミを一目見たかった』と言っていたが…違う。ヤツはそんな単純な男ではない。

 僕より知的で、僕より賢い岸波は『警察に捕まる前に話をしたかった』などと言う男ではない。

 

 僕は…()()()()()()()()ような気がしてならない。いや…僕は今、彼に試されているんだ。そう断言しよう。

 きっと、このような思考に至ることを、岸波は──知っているハズだ。なんせ僕の戦友だから。

 

 僕らは理数が好きで仲良くなった仲だ。特に僕が算数で、岸波が理科が大の好物であった。よくそれらを用いて持論を主張しあった。

 だから、今回の問い掛けを質問者自身──岸波風にアレンジしよう。数学的に…科学的に……

 あるいは、僕の親父が書くミステリ小説の様に表すとこうなる。

 

 

【問題】

 何故僕は岸波を真っ先に疑い、また彼は、リスクがあるにも掛からわず、僕に顔を合わせたのか、を証明せよ。

 なお、解答に至るまで神学的概念を一切含まれないものとする。

 

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 

「オハヨーお兄ちゃんー。ん?どうしたの…?」

 

 長い長いヘアセットを終わらせた妹の千蒼(ちひろ)は、ふわりと髪をなびかせながら椅子に座った。

 そして──

 

「あっ!!このヒト!!お兄ちゃんが小学生だった頃の担任だよね!?ざまぁ見ろ!インガオーホーね!」

 

 とテレビを指して言った。

 正直、千蒼の一言によって救われた。

 酒井の訃報は余りにも突発的で、妥当と感じた。脳内では岸波の姿が充満していたが、妹の五月蠅い声により掻き消された。ところで……

 

 死人にそう言うのは…少なからず失礼だと思うが、僕自身、酒井が亡くなって少し心が軽くなったのは事実だ。

 別に酒井を殺した犯人に対し、手を上げ盛大に喝采を送るだとか、ネットで『良くやった』などの書き込みをしたい、だなんて思っていない。

 ただ──因果応報。千蒼が吐いたその言葉は、僕も共感した。

 

 中学生の頃。確かに僕は友達が居なかったが、他の人の話は耳に自然と入るため、酒井の動向は粗方知っていた。

 なんでも、新たに持ったクラスで一人、亡くなってしまった子が居たそうだ。自殺ではなくて『事故』。下校中、用水路に誤って転落し亡くなった。

 その子が死んだ原因は酒井であると、僕は微かに思ったが……結局うやむやになり時が流れて行った。…その子は僕と岸波と同じく()()()()だと後に知った。

 僕は警察でも無いし、探偵でも無いので、その件についてはこれ以上の情報は知らないし、僕の行き過ぎた思い込みの可能性もある。

 

 それらも加味して僕は、千蒼の兄として言った。

 

「千蒼……現に酒井は亡くなっているんだ。だから…それが本心でも、あまり口にしない方が良いかも知れない」

「でもお兄ちゃん。コイツが、お兄ちゃんを苦しめた…小学校の青春を…潰したんだよ?」

 

 青春って言葉は特に、青年時代を差す言葉らしいが……『小学校の青春』?コイツにとって小学生は、少年少女じゃ無いのか?

 

「だが現にアイツは、先生としての評判は良かった。つまり僕は、少年のときから社会負適合者だったんだろう?」

「もう…!そうやって、いつもいつも自分の責任にして……!!パパはどう思ってるのよ!」

「ブッ…!?え”……俺!?」

 

 親父は千蒼からの予想外のパスにより、口に含んだコーヒーを盛大に吹いた。

 深く腰掛け、机の縁に新聞を器用に立て掛けていた為、吹き出されたコーヒーは新聞紙を薄黒く染め上げた。

 ゴホゴホと咳を数回し、濡れたそれを畳み親父はティッシュで口元を拭い言った。

 

「別に……特に……何も……。章文が健康でいれば十分だろ?…確かに小学校のPTAでは…さんざん親御さん達から不登校について言われたが……章文が中学に上がって対場が逆転したからな。中3の頃なんて、

 どの先生も章文を褒めていたし……。テスト結果はほぼ満点、生徒会長まで完璧にやり遂げたってな」

「おいおい親父ぃ~。僕を褒めたってなにも出ねぇぜ?」

「美味しいコーヒーは出る。と、いうことで宜しく」

 

 そういって親父は、僕に空のマグカップを差し出した。「しょうがねぇなぁ」と椅子から立ち上がり僕は、台所に向かった。

 

「なんでこんなに仲がいいの……!?ちょっと引く…」

「「まぁ親子だしな」」

 

 あら、親父と台詞が被ってしまった。

 千蒼はドン引きの眼差しを僕らに向け、僕の横のシンクで洗い物をする義母は、静かに笑っていた。

 このなんとも言えない空気を破り捨てたのは、末っ子であり、我が家の天使でもある朱音だった。

 

「あかねもパパと仲良くするー!」

「んん?そうかそうか、朱音も仲良くしようなー。よーし、今日はパパと保育園に行こうか?」

「ママがいいー」

「……」

「うふふふ。ママは嬉しいわ~」

 

 魂が抜けた親父の方に、熱々のコーヒーを置き「残念だな」と僕は言った。

 その後、慎重にゆっくりと啜り、液体の(かさ)が減った事を確認し、マグカップを持って立ち上がった。執筆活動にでも移行するのだろうか。

 

「ママ~。今日の夜にお客さんが来るらしいから…。また朱音の送迎が終わったら話すね~」

「そうなの?編集者さん?」

「ん~。俺の…腐れ縁の親友だな。まぁ、また後で」

 

 そう言って親父は、リビングを後に1階の自室に向かってしまった。誰だろう?お客さんって。

 その時であった。『ピコン』と僕のスマホに連絡が届いた。結衣かな~、とやや気分が上がった。だが違った。

 

 親父であった。

 メッセージはとても簡単で『自室へ。そのあと返信して頂戴』と書かれてあった。

 何か、今日くるお客と関係が有るのだろうか?それとも亡くなった酒井の関係なのだろうか?

 

 食事を手短に済まし、妹に怪しまれないように、いつものペースを守って自分の部屋に向かった。

 階段を上がり、2番目のドアを開ける。そして──

 

 僕は親父に返答した。

 

 

 ◇◇

 

 

「部屋に着いたぞ。てか、どうしてそんなに回りくどい事をするんだ」

 

 僕のメッセージは直ぐに既読が着き、30秒もしない間に親父から文が送られた。

 

『俺の腐れ縁の親友から連絡が届いた。今夜、この家を訪ねるそうだ』

「いや、誰だよ」

『前に話した事があるだろう?()()の<五十鈴(いすず) 宗一(そういち)>と言う男だ。時折僕と釣りに行く、あの男』

 

 思い出した。そして肝が冷えた。

 刑事がこのタイミングで会いに来る、と言う事はつまり…酒井を殺した犯人の目星が凡そ分かっている。そう思った。

 

「いやそもそも、警察が訪ねるのに、こうして言いふらして良いの?五十鈴さんって、天然?」

 

 と、僕は至って冷静に、親父に送った。

 

『まぁ五十鈴だしなぁ…。アイツは頭のネジが一本、飛んでるんだよ。昔から』

『どうであれ、いずれにしろ』

 

 数十秒後、新しいメッセージが送られてきた。

 

『俺はお前に確かに伝えた。この後、どうするかはお前次第だ。お前の人生だからな。悔いが無い様にしろ』

 

 まるで僕の心の底を──解っている様な文面だった。僕の心を抉るような文面だった。

 朝、新聞を見て黙っていたのは、僕よりも先に酒井の訃報を知ったからであろう。

 昨日僕は『友達とご飯に行くから』と連絡はしているものの、かつての同級生の岸波の名前は出していないはずだ。

 

 ではどうして?親父はこのような内容を送ってこられる?

 僕が知らずの内に、岸波の名前を出していたのか?それとも……

 いや。ここで考えていても意味が無い。僕にはやるべき事がある。『岸波からの問題を解き、伝える事』。

 刑事がこの街まで迫ってきている。その為、僕に残された時間は少ないと考えた方が良いだろう。もって…あと数日。

 

「なんか良く分からないけど、ありがとう。その刑事さんは何時頃、家にくるの?今、クラスの委員長と放課後に、文化祭の出し物を決めているんだ」

『文化祭?いいな。俺は来れる?』

「一般公開は2日目だそうだ。そこのところは千蒼が詳しいんじゃないか?でさ、何時頃?」

『すまん。五十鈴は18時頃に来るそうだ』

「あーそう?了解」

 

 そう答え、僕は適当にスタンプを一つ親父に送った。

 

 

 ◇◇

 

 

 親父も僕同様にスタンプで締めくくった。

 

 いすず……五十鈴…。あぁそうだ──爽快な性格で、偶に親父を誘拐し、夕方に魚と共に親父を解放する調子の良い男。

 少し痩せ型の高身長で、親父と同じ様な目の下の隈が特徴だ。そして──人形の様な…不気味な美しさを覚えている。

 僕が幼い頃、その五十鈴という刑事に『刑事コロンボ』のモノマネを披露された記憶がある。彼の影響もあり、一時それにドはまりした。

 

 まぁそれはさて置き。登校の時間がやって来た。

 正直学校を休んで、岸波の問いについて考えていたい所だが、そうはいかない。

 今休んでしまえば悪目立ちする。妹にも、親父にも、結衣にも、刑事の五十鈴に対しても──

 

 だから僕は、制服に着替え階段を下りた。妹は既に靴を履き替え、僕を待っていた。

 その最中、親父が顔を出した。見送りに来たのだろうが……先程のやり取りもあり、心臓が跳ね上がった。

 そして親父は──

 

「いってらっしゃい」

 

 手を軽く振り、笑顔を浮かべて言った。

 僕らの日常では、当たり前の出来事なのだが、今日は、その行為が異質に感じた。

 だけど……

 

「いってきます」

 

 違和感はあるが、そう返すのが常だろう。間違ってはいない。

 ごくごく当たり前の返しを、僕と千蒼は親父に返し、ドアを開けた。

 今日の空は、昨日と同じ曇り模様だった。

 

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 

「でもさ章文くん。そもそもの話だよ。()()()()()()()()()()()()()じゃん」

 

 僕のクラスの委員長。榎本(えもと) 綾香(あやか)は、僕と彼女しかいない自習室でそう言った。

 放課後──。室内の蛍光灯が、放課後の自習室を照らした。今現在も天気は悪く、外は薄ら暗かった。

 

「……。だが…昨日アイツは──僕に合いに来た。それには意味があるはずだ。岸波は…そんな男だ」

「…そうね」

 

 榎本は椅子から立ち上がり、時計を見た。16時12分。

 今日は水曜日ともあって、授業のコマは少なかった。その為、いつも以上に放課後が長い。

 そして本日も榎本は、先生から鍵を借り『クラスの出し物を決める』という名目の下、この自習室を使っている。

 昨日僕らが使用した部屋と同じ。つまりは、人気が無い別棟(べつむね)と言うアドバンテージを利用し榎本と、岸波が示した問題について話し合っている。

 

 こうなったにも理由がある。

 全ての始まりは僕の妹、千蒼が原因だ。登校時、途中で結衣と合流した僕らは適当に話ながら歩いていた。

 だが、頭のネジが少し足りない妹は、結衣に朝の事件……酒井の訃報と僕の過去を話した。

 じっくりではない。とてもあっさりと。しかしクリティカルに。

 

『お兄ちゃんが小学生だった頃の担任の先生がさぁ、亡くなったんだってさー』

 

 たったこの一言。

 だが、結衣が僕が置かれた状況を理解するのには時間は掛からなかった。余りにも彼女の手元には、綺麗に当て()まるピースが揃っていたからだ。

 それからは早かった。

 

 結衣は、自身では解決できない問題だと判断し、この学年の成績トップの榎本に助けを求めた。だからこの自習室には結衣が居ない。

 それは──彼女なりの僕への配慮なのだろう。それとも、昨日会った『気の合う相手』が殺人の容疑が掛かっている事に恐怖し、立ち去ったのか。

 だがまぁ……結衣の性格を見れば前者であろう。

 

 そして僕と榎本は此処に居る。

 

「じゃあ」

 

 榎本は口を開けた。

 

「章文くんは、岸波くんが犯人だと…本気で思っているんだね」

「にわかに信じ難いが…確信しているんだ」

「でもそれってさ──」

 

 榎本は言った。

 矛盾している、と。

 

「章文くんは、その矛盾した状態で今日一日、岸波くんについて考えていた。それじゃあ、問題は解けないよ」

「確かにそうだな……。僕は未だ…岸波が殺人を起こした事について受け入れられていないんだろう」

「そうね。じゃあ、岸波くんが出題した問題の様に、数学的に考えましょう」

 

 榎本はチョークを取り、慣れた手つきで黒板に文字を書いて行った。

 右端に『よって岸波くんは、犯人である』と書き、左側に『小3の冬。章文くんと岸波くんは出会った』と書いた。

 あぁ…このやり方ならば、おそよ間違えが出ない安定したやり方だろう。

 

「岸波が犯人として、の前提──演繹法(えんえきほう)とは…流石は委員長だな……」

「これが一番手っ取り早いでしょ?これに矛盾があれば、岸波くんは酒井さんを殺していない証明になるんだから」

 

 じゃあ──。榎本は言った。

 転校した小3の冬から、不登校になった小5の夏までの事を──

 

「私に話して」

 

 そして僕は話始めた。

 今まで深く暗い、心の底に置いていた思い出を。

 

 僕が心から敬愛する、アリストテレスの三段論法を活用しよう。

 その場合は、以下の様になる。

 

 大前提:酒井の手によって人生を狂わされた()()()()()『自身の過去・経験』を『岸波』は持っている。

 小前提:『犯人』には()()()()()『自身の過去・経験』を持っている。

 結論 :故に『犯人』は『岸波』である。

 

 この結論が、音を立てて崩れる事を僕は、切に願っている。

 

 

 



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7話 骨折、切創。過去

 

 じゃあ私に話して──

 

 榎本(えもと)が言うように僕は、岸波(きしなみ)との過去を語った。

 転校し、担任の先生に違和感を持ち、岸波と『担任を打ち負かす同盟』を組み、僕と岸波の怪我が起因して学校を休み始めた事。

 その全てを……

 

「ふぅん……。じゃあ章文くんは当初、担任の酒井(さかい)さんの事を恨んでいたんじゃなかったんだね」

「あぁそうだ。他の子には優しい先生だったし、最初はエスカレートしていなかったからな。黒板に解答を書き行った時も『あぁ、この先生はテストの内容を僕にだけ教えてくれているのかな』と勘違いしていたよ。なんせそういう嫌がらせは、勉強の時にしか起きなかったからな」

「んー。あえて授業に関わる事だけに集中させて、他の生徒さんからの目を欺いていたのかもね。だって授業中なら、先生の教える事と指導する事は『絶対』でしょ?」

「……」

 

 榎本が言う『絶対』と言う単語。僕はそれに激しく同意した。

 特に小学生のぼくにとって先生とは、『正義』そのものだった。

「給食は残してはいけません。食べられないと思ったら量を減らしましょう」「時間はしっかり守りましょう」「チャイムが鳴る前に席に着きましょう」「掃除はしっかり丁寧にやりましょう」などなど…

 それらは正しく正論だ。少なくとも僕は、小学1年生から先生の言いつけを絶対視していた。

 

 高校生の今だからこそ思うが所詮、先生は僕と同じ人間なのだ。だからこそ、案外フラットな関係を築く事が出来ている。

 脱線してしまうのだが、中学時代は正にそうであり、僕は同じ学年の生徒よりも先生たちの方が仲良かった。僕の趣味が古臭かった事が原因なのだろうけど……

 現に中学から「アリストテレスが好き」と言う人物は聞いたことが無い。たまたま中2の頃、「アレキサンダー大王が好き」と言う歴史の教員が始まりで、そこからは横繋がりで、色んな先生の色んな趣味を昼休みの空いた時間に教わった。挙句の果てに、車好きな先生から「馬力」から始まり「エンジンの仕組み」まで教わったが、遂に完全に理解する事は無く、僕に涙を流しながら異動していった。悔しかったんだろうな…

 

「つまり章文くんは、小学校の低学年の頃は担任の先生の事を神聖視していた──。けれどもそれは、章文くんが転校し、その思想は徐々に曇っていった。そして小学校の高学年、小5の夏に完全に挫かれた」

 

 榎本は僕の語った事を箇条書きにされている黒板に向かい、『小5の夏休み明け。章文くんが骨折。岸波くんが切創(せっそう)』をチョークでぐるりと一周させた。

 その左側。つまり、その後の事に『小5の夏。章文くんが学校に行かなくなる』と書いてある。

 榎本は分かっていながらも、僕を案じてオブラートに今まで進めてきたのだろう。だがそれは、今この瞬間に破られた。

 

「ここが──章文くんと岸波くんを隔てた分岐点(ターニングポイント)なのよ。岸波くんはきっと、この頃にはもう『この怪我の元凶は酒井にある』と理解したはず。でも章文くんは……」

「高校生になった今ですら……()()()()()()()()()()()()()()()()()()…」

「そう。きっと彼が示した問題、その解答には、この証明が必要だと思うの。だから、その事について詳しく教えて」

「……。分かった」

 

 そこからは一方的だった。

 榎本は何も話さず、僕が言い終わるまで口を紡いだ。

 

 そう、そうれは──小5の夏休みが明けた、ある放課後の話であった。

 

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 

 僕と岸波はよく、誰も来ない階段を独占して、酒井にやられた行為に愚痴を言っていた。

 校門とは真逆に位置し、教職員の駐車場と、それを囲むように木々が窓から見える。窓と言っても、階段の踊り場、その2メートル上にある一般的な採光窓で、当然だが身長が足りない僕らは、窓からの景色はある程度上がらないと見えなかった。

 この日は風がよくふく日だった。台風により昨日、臨時休校となった次の日の事だ。

 そんな採光窓からの、どんよりとした光に照らされた階段で、僕らは、いつもの様に愚痴が終わると遊びに移行した。

 

「アキフミ!進法って知ってるか!?」

「なにそれ?」

「オレ達が扱う数字どか、時計どか、距離どか、重さどか!」

「???」

 

 当時の僕には当たり前だが、進法と言う概念が無かった。

 だってほら、数字は0から始まって9。それに1を足して10に繰り上がる。時間だって、59分に1分足して60分。つまり1時間になる。

 僕にとってソレらは普通の事で、特に疑問にすら浮かばなかった。そんな所に、岸波はメスを入れたのだ。

 

「階段を使ってオレが教えてやんよ!アキフミ!降りて降りて!!」

 

 そういって彼は、2段、3段飛ばしで階段を下って行った。そういう僕も、算数が好きと言う事と、新しい事を教えてくれる岸波に胸を躍らせ同様に階段を下った。

 一階。つまり階段の段数で言えば『0段』となる所で、岸波は進法について語った。

 

「1時間を60等分したのが1分だろ。1キログラムを1000等分にしたのが1グラム。ここまでオッケー?」

「全然オッケー」

「よし。じゃあ、オレたちが使っている数字。『0』から『9』までの10個の数字だろ?で、『9』に『1』を加えると『10』になる。十の位の数字が出て来るよな?」

「あ…あぁ。あ、当たり前だよな…」

「そう!オレ達が何気なく使っているのは『10進法』と言うやつらしい。時計は60分で1時間になる『60進法』らしい」

「進法…」

「そうそう!オレがアキフミに一番簡単な5進法を階段を使って教えてやる!!」

 

 そう意気込んで彼は「0」と言った。

 階段を使って教える。つまり今いる階段で言うところ0段目が『0』なのだろう、と僕は思った。

 そして──

 

「1」

 

 と言って岸波は、階段を一段上がった。

 そしてその後も、「2」「3」「4」と4段目までカウントしながら登った。

 

「アキフミ~。次は何だと思う?」

「ん~。5?」

「いや~、5進法では違うんだな~。次はな──」

 

 ジャンプをして次に駆け上がった岸波は、僕の方に振り返り満面の笑みを浮かべて口を開けた。

 

「10」

 

 階段の5段目を彼は、10と言った。そしてその解説が始まった。

 

「オレ達が使っている10進法の一の位は…『0』『1』『2』『3』『4』『5』『6』『7』『8』『9』の()()()()あるんだ。それで一の位の()()()()()()に1を足すと、十の位が出来るんだ。…つまりは9の次は10になるんだ。5進法もそれと同じで、5進法の一の位は『0』『1』『2』『3』『4』の()()()。一の位で()()()()()()が『4』だから、そこに1を足すと十の位に移るんだ。だから5進法では、4の次は10になる」

「ほぉー」

「アキフミもここまで登ってさ!一緒に5進法で数えようぜ!!」

「いいね」

 

 そう返して僕は、岸波が居る5段目──5進法では『10』の位置に着いた。

「いくぞ~」と彼は言い、一段ずつ数字をお互いで確かめ合う。

 6段目は『11』、7段目は『12』、8段目は『13』、9段目は『14』。そして鬼門の10段目が現れた。

 岸波は数秒黙り込み、僕に視線を移した。「もう答えは出たか?」と言う眼差しだ。「あぁ勿論だとも」と答えるかのように僕は俯いた。

 そして──

 

「せーの!!」

 

 岸波の合図と共に10段目にジャンプして飛び上がり僕らは口をそろえて言った。

 

「「20!!」」

 

 その解は正解であった。

 お互いの答えが一致し僕らは、ガッツポーズをとった。それだけ嬉しかったことを僕は、今でも覚えている。

 

「次!進もう!」

「おう!」

 

 この学校の階段は折り返し階段というよく見るもので、踊り場を中間に設置し180°の方向転換がある。段数は全て統一されていて、12段の後に踊り場があり、最後に12段ある。

 つまり、この計である24段を5進法で進み、遂に僕らは間違える事無く2階に上がった。

 24段目を5進法で「44」と答えるや否や階段を降り始めた。また新しい進法で階段を上がる為だ。

 

「岸波ぃー、僕さ、今、思ったんだけど。11進法のときの『9』の次の数字ってさ……『10』じゃダメだよな…」

「んん?どうしてさ?」

「だって…、10って十の位の数字だろう?11進法のとき、9の次は『一の位』じゃなきゃダメじゃないのかな…?」

「たしかに…!!」

 

 階段を下がり切った僕らは、11進法。その9の次なる数字について語った。語ると言っても、この話し合いは簡単に済んだ。

 11進法。その9の次なるモノは『A』で良くないか、と。それならば例え14進法でも、9の次は『A(10)』『B(11)』『C(12)』『D(13)』で表せられる。

 

 ふと僕は時計を見た。昼休みが終わるまで15分ほどの時間がある。「まだ岸波と遊べる」と思い、ほっとした。

 そして岸波は「2進法で階段を上がろうぜ!!」と言った。簡単じゃないか、と思った僕は二つ返事で岸波に返し、先程の5進法とよろしく、再度「0!」と声を出した。

 

 だが2進法は僕にとって、かなりの関門であった。0と1の2種類しか数字が無い為、ケタの繰り上がりが多い。最初の数段は簡単だった。しかし、7段目を過ぎてからと云うものの、脳内の変換が困難になってきた。

 8段目……2進法では『1000』となる。今までの学校での算数、そのケタ数は精々3ケタだ。その為僕は、岸波に追い付けるよう脳内の回転を最高にして臨んだ。

 9段目を「1001」と言い、10段目を「1010」。11段目を「1011」。12段目、踊り場に上がった僕らは「1100」と答えた。

 

 本当に不思議な感覚だった。10段目を「1002」、12段目を「1111」と言い間違えそうになった。本当に危なかった…

 踊り場で少しの休憩をはさんだ。さっきまで元気だった岸波は笑顔を失くし、残りの2階までの階段──12段をただ見つめていた。

 僕はそんな岸波に声を掛けようとしたが、先に彼が口を開け提案した。

 

「なあアキフミ。こっから先は各々で行って…授業5分前のチャイムに合わせて答え合わせしようぜ!!」

「いいけど…。……」

「どうしたんだよアキフミ。負けるのが怖いのか?」

「ちゃうわい!…いいぜ、やってやるよ。一応言っとくけど、僕の算数のテストの点数は僕方が高いから、岸波なんかに負ける気はさらさら無いぜ」

 

 そういって僕たちは、踊り場から2階までの階段を何度も往復して、24を2進法に直した数字を求め始めた。

 一段ずつ登るにつれ、ケタ数がとんでもない事になっていった。紙もペンも無い。頼れるのは自分の脳内に書いた『12段目は1100』というセーブポイントだ。

 何度も狂い踊り場からやり直した。岸波もまた、僕同様に「あぁ…」と感嘆の声を漏らし階段を下りていく。それを数回繰り返し遂に、予鈴が鳴った。答え合わせの時間である。

 そして僕らは──

 

「「110000!!」」

 

 お互い同じ数字を口にした。それは大変喜ばしい事であった。

 僕らはお互いに助けを求めずに、自身の力でここまで到達出来た事に。

 高校生の今だからこそ思う。進法の計算など簡単に出来るが、それを力技で突破した当時は、本当に嬉しかったのだ。

 

「アキフミ!!授業に行く前にさ!一段ずつ確信しようぜ!!」

「オッケー!」

 

 そうして2人は、13段目から「1101」と言いながら登って行った。

 ……。……。

 ……。

 

 確か…18~20段目の事だったと記憶している。

 突如として、後方の窓ガラスが割れた。野球ボールが窓を割り、校内に入って来たのだ。

 その大きなガラスが割れる音に驚き僕は、バランスを崩して転げ落ちた。その際、左腕を骨折した。

 岸波は僕を助けようとして腕を伸ばしたが、ダメだった。しかも、その行動が原因で岸波は右目の下あたりを、降りかかったガラス片によって大きく切った。

 

 階段から転げ落ち、キラキラと降りかかるガラス片から顔を守る為、腕で覆い隠した。パラパラと降る音が止む。

 腕の痛みが、現実だと告げる。心臓が痛い程跳ね上がり、現実だと突きつけた。顔を上げ、岸波を見た僕は…血の気が引いた。彼は、頬あたりから血を流し手で押さえていたから。

 

 岸波の肩を支え階段を降り、先生を呼ぼうと辺りを見回すと…そこに奴は居た。

 

 僕らにとって憎き担当。憎き存在。酒井 新が顔を青白くさせて立っていた。

 次の授業に使用する教科書を床に落とし「大丈夫かッ!?」と声を荒げて駆け寄って来た。

 

 その後、僕たちは保健室で応急処置をしてもらい救急車で運ばれた。

 

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 

「病院で治療をして貰って、登校できたのが2日後だった。色んな先生から怒られたよ。『学校内で()()()()()はダメ』と。僕らは何度も言った。『ボール遊びはしていない。数字で遊んでいただけだ』と」

 

 僕の方に向いて座る榎本は、ただ「うん…うん」と小さく首を縦に動かしていた。

 それから僕は、濁りに濁った濁流のような勢いで、その後の話をした。

 

「勿論、僕らは言ってやったさ。『階段で進法について学んでいた』って。だけど先生にしてみれば相手は小5の子供(ガキ)だし、割れたガラスと共に野球ボールが転がっていた事は…紛れも無い事実で……!!……

「岸波には弟が居るんだが…そいつは野球クラブに入っていて、それつながりで岸波への疑惑はより深くなった。岸波の疑惑を深めたのは、酒井の一言だった。酒井は野球クラブのコーチでもあったんだ。ヤツは言ったよ。『和平(かずひら)。お前は弟の真似をした結果、窓ガラスを割ったんだ』とね

「酒井の評判は他の先生にも知れ渡っていて、僕らの声は……誰の元にも届かなかったんだ。完全に詰んでいた。僕らは、自らの潔白が出来なかった。だから僕は……」

 

 正義の象徴と言う存在に裏切られた気分だったし…それと同じぐらい勉強も嫌いになった──

 

「そうね…」と榎本は立ち上がり、黒板に書かれた文字を消していった。

 その全てが消し終わるとチョークを手に取った。そして水平、直角、四角、放物線を書き始め、カクカクと2つの階段状の線を付け足した。

 榎本が書いた図は、僕が中学生の頃に何度も書いたことがあった図であった。あの時に起きた事故、その現場を再現した側面図である。

 

「よし…じゃあ、章文くん」

 

 榎本はクルリと身を返し、僕に目を合わせた。

 

「ここからは()()()()()()()()()()

 

 まるで彼のように……僕に算数と理科を教える岸波のように、榎本は言ったのだ。

 

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 

「へー。階段の1段の高さは15センチ以下。天井までの高さは3メートル以上…って決まっているんだね」

 

 と、榎本はスマホをスクロールしながら言った。

 黒板に描いた側面図。それをより具体的にするため、事細かく数字を書き上げて行った。

 僕は椅子に座りながら眺めているのだが、その様子は圧巻で、まるで建物の設計図の出来方を見ている感覚に襲われた。きっと、本物の図面はもっと美しいのだろうな。

 

 あらかた書き終わったのだろう。榎本は時計を見た。17時04分。家から高校まで20分なので、こうやって話し合えるのは、残り35分程度だ。

 その事を理解している榎本だったが、「質問いい?」と僕に言った。どうやら、この問題が解けるまで僕を返す気が無いらしい。

 だから僕は「なんでもいいよ」と、榎本に返した。そして委員長との問答が始まった。

 

「章文くんは…前日の放課後に言っていたよね。『見返す為に勉強を頑張った』って。つまりは…章文くんも()()()()()当時の事を証明しようとしたんじゃないの?」

「……。あぁそうだ。でも…酒井が原因だという結論は出来ていないんだ」

「それは何故?」

「酒井が幾ら少年野球のコーチだとしても、2階の窓…しかも風が吹くなか『1球』で的中できるわけが無い。後にも先にも、僕たちは1球しか野球ボールを見ていない。もし、酒井が誤って壁にボールが当たったのなら、僕たちは音で気づいている」

「へー。じゃあ、この案はどう?」

 

 榎本は学校の教職員の駐車場、そこに一つの長方形を書き文字を付け足した。ピッチングマシーンと。

 その後、ピッチングマシンから放たれるボールの放物線。ガラスに当たった時の数値をスラスラと黒板に足していく。

 

「当時のやつでも、車の中に仕舞えるほどの小さいマシーンもあるし、速度も結構出るやつも有るらしいわね。なんなら野球クラブの酒井さんは、マシーンを持ち歩いていても怪しまれないよね?夏休み中…野球クラブだって、他校と練習試合をしたり、運動公園で練習どかするものね」

「だとしても…どうやって一発で……」

「マシーンの角度も、一度調整が済んでしまえば簡単だと思うの。で、その調整は夏休み…野球クラブの練習中にでも行えるでしょう?酒井さんはその学校の先生でもあるから、その調整の痕跡は綺麗に消せるでしょうし」

「風はどうなんだ」

「章文くんは最初に言ったよね?『教師の駐車場は木で囲まれている』って。それはある種、防風林の機能を果たしたんでしょうね。でも、実際に小学校に行かないと、どのぐらい風を防げるかは……わからないけどね」

「酒井が顔ざめた理由は?意図的にやるならば、もう少し下手な演技をしていても良かったはずだ。だがアイツの行動には演技の欠片も無かった」

「それはね。()()()()()()()()()()()()だよ」

 

 優等生──。僕は小さく呟いた。

 

「小学生のキミは少なからず、先生を神聖視していた。だけどその日は、いつもとは違う行動を起こしたの。それが酒井さんの計画を狂わせた」

 

 もう黒板への記入が必要なくなった、と判断した榎本は僕の前の席に座った。

 

「キミは優等生だったから、授業の予鈴が鳴る前に着席していた。だけど、その日は違かった。章文くんと岸波くんは、2進法に熱中するがあまり、予鈴が鳴ってもあの階段に居た。それは酒井さんにとって、思わぬ誤算だった」

「……」

「酒井さんは()()()()()、章文くんと岸波くんに対し、嫌がらせ行為をしたかった。2人が居ない…2人がよく使う階段の窓ガラスを割ることで、キミ達が困る様子を見て悦に浸りたかった」

「……」

「だけど現実は違った。予想を裏切った。その2人は、その階段で予鈴が鳴ったにも関わらず遊んで居た。結果、章文くんは骨折を、岸波くんは切創(せっそう)を負った」

「……」

「ねぇ章文くん、キミは最初から…この回答までの途中式が出来上がっていたんじゃないの?キミは言ったよね?『酒井が原因だという結論は出来ていない』と」

「……」

「キミは、その途中式が出来上がっているのに、結論を出さなかった。いや…出せなかった。先生という正義の存在に、心の底から絶望したくなたっかたら」

「……。そうだよ、僕は……」

 

 榎本が言う様に、先生と言う存在に絶望したくなかったから…その結論を忘却したんだ──

 

 僕は、その後の中学時代や高校の生活に対し、希望を持つために過去の出来事を捨てた。

 これも愛読する本に書かれている、()()()()()()()()()()アルゴリズムが導き出した結論なのだろうか…

 

「だが岸波は……僕と違って忘却はしなかった。だから先生と言う存在に絶望し、中学授業に最後まで参加しなかった……」

「そうかも知れないわね……。その出来事を『忘れた章文くん』と『受け入れた岸波くん』。これが…2人の袂を分かつ分岐点(ターニングポイント)なのね……」

 

 はぁ、と榎本はため息を吐いた。

 彼女にとって僕の過去は、そうとう重く後味の悪いモノだったのだろう。

 

 17時29分──

 

 もう時間だ。帰る支度と…心を立て直さなければ……

 

「ありがとう委員長。岸波が…僕に顔を見せた理由が分かった様な気がするよ。アイツは、酒井から逃亡した僕が…憎かったんだろう。現実から逃亡した僕を…とてもとても…」

「あぁ…、……どうだろうね…」

 

 榎本の返しを耳に入れつつ、僕はカバンを背負った。18時から刑事の五十鈴(いすず)との話し合いがある。

 親父も五十鈴に合うのだろうか?確か古い友達と言っていた。

 あの朝の親父からのメール。きっと前日の夜に五十鈴は、親父に連絡を取ったのだろうな。……

 

「ん?」

「…? どうしたの?章文くん…」

「いや……朝の…親父の行動が…妙に気になって……」

「章文くんのお父さんの事だよね?…どうして?」

 

 榎本は、黒板消しに付着したチョークの粉を吸引機にかけはじめた。ウイィィィインと自習室に音が響いた。

 18時に我が家に刑事が来る事を知っている榎本は、僕の代わりに自習室の掃除を進めた。

 

「朝、親父から『18時に刑事が来る』と連絡が来たんだ。つまりは…親父は僕がニュースを見て岸波に疑問を持つ以前から…刑事からの情報で、()()()()()()()()()()()()()()()()

「ん~……そうよね。その刑事さんと章文くんのお父さんは、昔から仲が良かったんだもんね」

「そうなんだよ。それでも五十鈴は刑事だ。いくら親友でも親父は一般人。容疑者の候補を言うワケが無い」

「えっ…んん?…それはつまり…?」

 

 困惑する榎本に、スマホを取り出して朝のメッセージを見せた。

「……。うわー、なんか…意味深……」と、ゆっくりスクロールして言った。まるで警察…いや、ミステリー小説を見ているみたい、と付け足して。

 

「え、なんで章文くんは目を反らすのよ?」

「……。その親父…小説書いてお金を貰っているんだ…」

「へぇ~。まさかあの『南原(なんばら) 草秋郎(そうあきろう)』じゃないよね?ほら…去年の冬に映画化されたあの…!」

「違いますよ。……。ホラー小説を書いているんだ」

「何、その間は?」

「なんなんでしょうね…」

 

 ここまで来たら、違和感と言う違和感は全て潰しておきたい。勿論それが身内の……親父への疑問でも同様に。

 ならば、この違和感は何だろうか?朝僕は、親父にコーヒーを差し出して……否。それよりも前か…?だとしたら…今日の新聞…???

 

「なあ榎本。本当に付き合ってくれて嬉しいんだけど……」

「なにその言い方。場合によっては結衣さんに殺されるわよ?」

「茶化さないでくれ…今は大マジな話なんだ」

「あぁそう?ごめん」

「でさ、話は戻すけど……今日の新聞って、この学校に置いてるか?図書館どか…」

「???置いてますけど…。…案内しようか?」

「頼む。大至急で」

 

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 

 進学校の図書館はとても広く、何台も並べられた大きな机には、チラホラと勉強をする生徒が目立った。

 僕と榎本は、図書委員が在中するカウンターに行き「今日の新聞はありませんか」と聞いた。その解答は図書委員が指し示した棚にあり、複数の新聞が置いてあった。

 

「えっと…僕の家は…コレだ」

 

 その中の1つを手に取り、近くの台の上で広げた。

 親父が見ていた(ページ)は……

 

「お悔やみ欄?どうしてこのページなの?」

「分からない。親父の思考回路は……滅茶苦茶なんだよ…」

 

 本当に分からない。なぜ親父は…お悔やみ欄を眺めていたんだ…??だが──

 

「もう時間だ…。委員長、僕はもう帰るよ…。今日は本当に…ありがとう。僕の過去を暴いてくれて…。そのお陰で僕は、その過去を直視出来るようになった。もう逃げない。岸波は犯人だと…今はっきりと分かった…」

「…そうね。…ねぇ、一緒に帰らない?まだ…もう少し考えたいの」

「分かった」

 

 その後、委員長は自習室の鍵を先生に渡し、僕と榎本は並んで帰路に着く。

 結衣にも連絡をとったが、もう家に帰っているらしく『今日は化学の時間。一人で頑張ったんだよ!凄いでしょう!?』と心安らぐメッセージが届き、たくさん結衣を褒めてやった。なお今現在、委員長と帰っている事は伝えていない。……あれ?化学の時間、同じ机に恭介が居たはずだが……無視されてるんかアイツ…

 

 この大通りは塾が多い。その為、窓から差し照らす灯り、道行く車、街灯のお陰で足元がハッキリと分かる。

 その先の…十字路が委員長との別れ道だ。ここまでで目立った話はしていない。

 

「委員長。もう時期、お別れだ。本当に今日は…ありがとう」

「いえ……。貴方のお父さんは……()()()()()()()()()()

「は???」

 

 意味が分からない。

 あの親父が……今回の酒井殺人事件の全貌を解明したとでもいうのか?

 

「ねぇ章文くん。明日、学校をさぼらない?」

 

 榎本の提案に僕は…逆らうことなく了承した。

 まだ岸波には、僕に隠している過去があるのか──

 

 

 







18時からは刑事の五十鈴との話し合いだ。気を引き締めて挑もう。



人物紹介



・岸波 和平。現在17歳。
・身長172。灰色に髪を染めている。細身。右目の下、頬あたりに傷跡がある。
・章文曰く「天才」

・小3の頃、章文が転校し岸波と仲良くなった。
・担任の教師、酒井の嫌がらせが徐々にエスカレートし、章文と共に同盟を組む。この頃からお互いを『戦友』と呼ぶことに。
・馴れ合いが嫌い。章文を真の友達と思っている。
・弟が居る。弟は野球クラブに属していた。家庭環境が起因し親が離婚。今や別々に暮らしている。




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8話 100点満点の解答用紙

 18時手前──

 

 我が家に着いた。

 刑事の五十鈴(いすず)と言う名の男の姿はそこになく、僕は、委員長である榎本(えもと)の説を確かめるべく、玄関のドアを開けリビングに直行した。

 

「義母さん…親父は…!?」

 

 ガラッと戸を開け、夕食を作る義母に親父の所在を聞く。胃袋を刺激する油の香り……。今日はコロッケだろうか?

 そんな中、我が家の天使。保育園の制服を着替えた朱音(あかね)が僕の方に寄り、「あのね、あのね」と続けた。

 

「パパはね、また編集者(へんしゅーしゃ)さんとお仕事だよー!お泊り会だってさー!!」

「マジかよ……あの野郎……肝心な時に限って……」

 

 僕は朱音に聞き取れない様に、小さく呟き、彼女の目線に合わせる為に屈んだ。

 

「そうかー。パパは居ないんだね。ありがとう、朱音」

「うん!!あと今日ねー、ママから聞いたんだけど、これから五十鈴(いしゅじゅ)さんが来るってー。お魚さんをいっぱいくれるひとー」

「あぁ…五十鈴さんね……」

「朱音、お魚、すきー!」

 

 と、言うだけ言って妹の千蒼(ちひろ)の元に行ってしまった。

 どうやら先ほどまで、僕が買って来た絵本の読み聞かせをしていたらしい。ソファーに数冊の朱音の絵本を積み上げ、その内の一つを千蒼が持っていた。

 そんな中、千蒼から「おぉ、お兄ちゃん!お帰りー!」と元気な声が掛かる。僕は足をブラブラと動かす陽気な妹の方に歩み、返した。

 

「部活は?…陸上部からオファーが来ているだろうに」

「ん?えっとね…。私ってさ、足が速いじゃん?」

「おう」

「でさ。短距離と中距離は私の得意分野だから、皆を追い越したんだけどさ…」

「皆って…相変わらずスゲェなお前は…。で、なんだ?どうせ勉強の分野だろう?」

「うえ!?なんで分かるの!?…お兄ちゃんエスパー???」

「千蒼に似たような人間が近くに居るんだよ…。恭介って言うんだが……」

 

 僕は自習室で(おこな)った勉強会の事を思い出した。きっと千蒼も、陸上の先輩に言われたのだろうか?

 一定以上、赤点を取ると部活動の参加に制限がかかる事について…

 

 そう、耽っている時だった。「ピンポーン」と家の呼び鈴が鳴る──

 この時間……18時少し過ぎ……。ドアホンの映像など確認しようが、この来客の存在は理解している。

 僕は義母に目線を向ける。日中、親父が来客が誰なのかを教えていたのだろう。油を扱いながら僕に軽く手を振っていた。「落ち着いて行ってきなさい」と言わんばかりの優しい笑みを浮かべて。ならば僕も、その想いに応えるよう。

 

「いってきます」

 

 本日2度目の言葉を僕は言った。

 

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 

「じゅあ依莉菜(いりな)ちゃん。ボクが聴取してるから、適当に車を動かしておいてよ」

「はぁ…。ですから五十鈴(いすず)さん。その『ちゃん』付けですが、今やセクハラですからね?その事をお分かりで???」

「ふえん(泣)」

 

 黒塗りの乗用車、その運転席に座る女性はシフトレバーをDに持って行き、少し覚束ない操作で車を走り出した。

 その後部座席に座るは、僕と親父の古い友人の五十鈴と言う男だ。親父と同じ年齢と言われても疑う程に若々しく、白い肌、真っ黒な少し長い髪。痩せ気味で頬は軽く窪み、眼は漆黒に近い黒──

 だが性格は温厚で、部下らしき女性の一声にて心が折れたのか、シートと扉に深く寄りかかり「セクハラ…か」と呟いた。

 

「あ…あの…」僕は、そんな五十鈴に声を掛けた。「お…お久しぶりです…。五十鈴さん」

 

 それを聞いた五十鈴は、コロリと表情を変えた。

 

「本当になぁ、あの野郎ここ最近は釣りに誘っても、乗っかってくれねぇの。しかも今日は『編集者に拉致られて無理』って。だからこうして会いに来たのさ」

「会いに来たって…僕が小学校の頃の担当の……酒井について、ですか…?」

「あぁそうだよ。話が早くてボクは助かる」

 

 赤色の信号機によって止まった車内では、エンジンと空調、チャカチャカと方向指示器の音が響いた。

 その重々しい空気を破る様に五十鈴は「では本題」と先程と打って変わって、声色を低くして言う。

 

「酒井の後頭部…まぁ連日のニュース通り打撲によるものなのだが…鑑定の結果、野球に使われるバットだろうと。ヤツは教師という肩書と共に、少年野球のコーチも務めていた。怪しい人間は複数居るが……まずは聴き取りと言う事で…。この聴取は君の無実を晴らす為のものでもあるから、出来るだけ、覚えている限りを話して欲しい」

「……」

 

 僕の無実を晴らす為──。まだ容疑者の候補は固まっていないのだろうか……

 

「では──

 

 それから凡そ30分間、刑事の五十鈴による質問とその返答を繰り返した。

 結局僕は、酒井が亡くなった日の付近は引っ越しの関係で、容疑の線は完全に色を失った。事実五十鈴は親父と腐れ縁との事で、引っ越しの事などは重々承知していたが、彼の上司にあたる班長の命令には逆らえ無いと嘆いていた。

 

「いやはや、本当にすまないね。これで君はもう疑われる事はないだろう。依莉菜ちゃん、宜しく」

「…はいはい」

 

 彼女にそう伝え、車は帰路に着く。

 五十鈴は手のひらサイズのノートと、内ポケットに忍ばせていたボイスレコーダーをオフにして僕に見えるように取り出した。

 

「この車内にも録音機はあるが…2重ということで。基本的にボイスレコーダー(コッチ)を使用するから。ここからは昔のように雑談でもしようか。…章文くん、将来なりたいモノってある?」

「な、なりたいもの…ですか?」

「そうそう。ボク個人的な意見だけど、君は刑事が似合うぜ?ボクにも部下と言うか、バディというか…ほら」

 

 と、五十鈴は顎を使い運転者をさした。それに応えるように彼女は口を開けた。

 

「いやいやいや五十鈴さん、先の事件。私の研ぎ澄まされた推理で解決したじゃないですか!?」

「ちゃうわ。あれは結局、ボクが解き明かしただろうに。君はただ、無茶な推理を披露するために窓ガラスを割っただけだ。その修理費は誰の財布で解決した?このお転婆小娘が」

「しゅいましぇん。……。あ、五十鈴さん!コンビニ有りますよ!コーヒー休憩しましょう!!」

「いや、だからだね…。まぁいいや、章文くんは大丈夫かな?時間もアレだし」

「あぁいえ、大丈夫です。僕、ホットコーヒーでお願いします」

「……。だそうだ依莉菜ちゃん。お使い、頼むよ」

 

 車を駐車場に止めた彼女は「了解しました!」と元気に返事をしてコンビニに入店していった。

「まぁ」と五十鈴は話を戻し続けた。「刑事に向ているとおもうぜ」

 

「それは何故ですか?」

「うーん。君さ──あの30分間、問答を逆手に事件の情報を──このボクから聞き出そうとしていたよね?」

「えっ…!?」

 

 一切そんな事はしていないつもりだった。だが「無意識に出ちゃっていたよ」と五十鈴が杭を刺した。

 

「まぁ別に人間なんだからさ。君にとってホットな情報を入手したい、という心理は分かるけど…なんというかな…。気のせいかも知れないが、違和感を感じたんだ。まるで君も、酒井を殺した犯人を追っている、ような…。いや、もう君は分かっているんじゃないか?、とボクは思うんだが……どうかな」

「まさか……。僕は学生ですよ…?」

「思索に年齢は関係ない。情報と、それを整理できる脳があれば誰でもできる」

「そう…ですか」

「まぁ深くは聞かないよ。今のボクの仕事は『志紀 章文の聴取』だ。それはもう達成された。達成された以上、ボクたちは帰らないといけない。下手に動けば班長に怒られるからね」

「怒られたく無くて聞かないんですか?」

「まぁ別にどっちでもいいが…。……。ここで少し脱線して君のお父さんの話を」

「親父の…?」

 

「あぁ」と五十鈴は言った。実際僕も、親父について気になっている事がある。放課後、あの委員長は、親父について疑問を持った。

 きっと、親父のその思考回路。それが今回の岸波への解答に必要だと、僕は思っている。

 

「まぁよく、ボクと君のお父さん…正章(まさあき)と釣りにいくのだけれど…そこでな、ボクが担当する、或いは解決済みの事件を嘘で希釈して話の肴にしているんだ。()()にとっては、小説のネタ探し。ボクにとっては、事件解決への新しい眼を補おうと…ね」

 

 五十鈴は親父…志紀 正章のことを『まさ』と言った。親父と五十鈴は昔からの仲とよく耳にする。きっと僕にもあるように、親父のあだ名なのだろう。

 それと彼が言った『眼』。それは現在僕が探している『ものの見え方』、つまり親父の思考回路なのだろう。従来の視線では解けない。だが、視点を移せば見え方は変化する。

 

「ボクとまさは、ギブアンドテイクの存在なのさ。今ボクがこうやって良い地位にいるのも、まさから着想を経た眼によるものだ。まぁつまりは…ボクにとって君の父親は……そうだな、釣り。ボクが釣り人で、餌がまさ。魚が追い求める答え、だな」

 

 親父が餌とは。だが不思議と、五十鈴の言う事に通ずるナニかが、僕の中にもあると思った。

 

「だが中には、餌が適当でも自前のテクニックだけで魚を釣る人間もいるけれど、ボクはそうじゃない。そこの線引きは理解しているつもりだ」

「線引き…」

 

 あぁきっと、委員長。榎本のような人間を沢山、この五十鈴は見てきたのだろうな。

 

「長々話したが簡単にまとめると正章は、いい情報を与えれば大きな魚を釣り上げる餌となる。章文くん、君はお父さんと同じ匂いがする。だからこそボクは…君に我々の情報をあげよう」

 

 以前、親父がやっていたように、両手をヒラヒラと古臭いモーションをした。ホントに仲が良いんだな、このヒトたちは…

 その数秒後、ゴホンと咳を一つ。再度、刑事の顔を化した。そして口を開ける。

 

「今、ボクたちで酒井殺害の蓋然性が高いと見ているのは、小倉 浩二(おぐら こうじ)と言う男、会社員だ。ソイツの娘、小倉 美咲(みさき)は小学生の頃に事故で亡くなっている。その時の担当が酒井だ」

 

 小倉 美咲──。名前こそ聞いた事は無いが、僕が卒業後。新たなクラスを受け持った酒井の学年で。死者が出た事は知っている。それが…彼女なのか…

 だとすれば、犯人はその父親の浩二という名の男?では、岸波の行動の意味はどうなんだ?…より内容が複雑に絡み合い、真相から離れる感覚に陥った。

 

「証拠はまだ無い。まだ候補に挙がっているだけだ。…あぁそうそう、章文くんにこれを……。一応、ボクのバディの葉月(はづき)の連絡先も書いておこうか」

 

 そう言って五十鈴は名刺を取り出し、その空いたスペースに自身の電話番号を書き始めた。その後、彼女の番号を書き足した一枚の名刺を僕に手渡した。

 

「章文くんの意見も、実に聞きたい所だが…逃がすとしよう。だが君は、必ずボクに真相を連絡するだろう。たとえそれが君にとって、()()()()()()()()()

「……!五十鈴さん……あなたは何処まで…

「コーヒー買ってきましたー!!熱々ですよ?全部ブラックです!!…?何か話していましたか?」

 

 葉月は車のドアを勢いよく開け、片手でバランスよく持つ厚紙のホルダーを差し出してきた。

「いや、昔の話さ。ボク、このコーヒー好きなんだよ。ありがとう」と五十鈴はカップを受け取り、飲み口を開けで口にした。

 僕の言葉は遮られてしまったが、今、冷静に考えればその行為は悪手であったと悟った。先ほどの返しを霧散させる為、僕も五十鈴同様に笑顔で受け取った。

 

 その後、志紀家に着くまで五十鈴と葉月が体験したハチャメチャな事件を語ってくれた。

 だが僕の脳には、何一つとして刻まれる事は無かった。きっとそれを、刑事であり、親父の古い仲である五十鈴は知っているのだろう。

 

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 

 木曜日──

 自分でも不思議に思うくらい寝れた。熟睡できた。だがこの位、脳内がクリアでなければ今日の行動は。水泡に帰す。

 榎本と共に学校をサボる。そして親父に抱いた違和感と、榎本が掴んだ違和感。その解明のために。

 

 結衣には多くは語れないが、出来るだけ簡潔に、丁寧に伝えた。今日、学校をサボる事と、榎本と岸波について調べる事。

 その返答は5分も掛からず「怪我をしないようにね」などと書かれてあった。本当に愛おしい存在だ。

 

 さて、学校をサボるにあたり、僕には中々困難な壁がある。それは、妹と義母、天使の朱音の存在だ。

 また昔の様に、不登校になった、と思われるのも嫌なのだが…これまでの経緯を説明し仮病を使うと言うのも、気が引ける。

 だからこそ僕は、いつも通りリビングに向かい、親父の居ないテーブルにすわり、朝食を食べ、言った。

 

「今日…学校をサボります」

「あ、やっぱり~。ほらママ、お弁当、作り損じゃん」

「ホントね~、どうしようかしら」

 

 ……。どうやら双方には要らぬ心配だった。ならば話は早い。

 

「お弁当は頂きます。夕方には帰ります」

「あらそう?よかったわ」

「あ、じゃあお兄ちゃん!土曜日のテスト範囲さ!帰ったら勉強教えてよ!!」

「……。分かった分かった」

 

 きっと、僕を案じての言葉だろう。……温かい。

 

「ごちそうさまでした。…じゃあ僕は支度が終えたら行きます」

「あらそう?…どこまで行くのか聞いていいかしら?」

 

 この間、妹は何も喋らなかった。千蒼は確かに勉強がダメな奴だが、決して馬鹿な奴では無い。現に陸上競技ではとてつもない才が有る。しかしその才は、努力合ってのモノだと、僕は幼少期から見てきた。

 陸上競技はただ走れば良い、というものでは無い。自身の体力、スピードを加味しつつ、追い越し、追い越される際のメンタル維持、それと博打。ただ走っている様に見えて、その裏では、とても高度な戦略に満ちた競技なのだ。

 だから、こうやって千蒼が今もなお沈黙を通している理由は僕は知っている。そしてその意味は、僕だけが知っていればいい。だからこそ、そんな千蒼に僕は言った。

 

「僕が帰ったら勉強会だぞ。猫の様に駄々をこねてもダメだからな」

「まかせとけー!!」

 

 何を持って『任せる』のかは意味不明だが、そのピースサインを僕に向ける千蒼の笑顔に心を洗われた。

 あぁ、もう行かなくては。榎本と約束した時間が迫りつつある。寝起きの顔をさする我が家の天使の頬を軽く突き、自室へと向かった。

 

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 

 3時間後。僕と榎本は新幹線から降り、これから来るバスを待つ為に駅内の喫茶店にて休憩をしている。

 

「へー。この街が章文くんが住んでいた街なのね。駅があるから栄えているのかなって思っていたけど…うん、羽を伸ばせそうね」

「案外田舎って言いたいんだろう???…観光をしたいなら僕に言ってくれ。つい1か月前まで居たからな」

 

 そう。僕達は今、僕が新たに引っ越しする前の県。小学3年から高校2年のゴールデンウイーク前まで住んでいた街に居る。

 つまりは、酒井が殺された地域であり、岸波が住所を置く故郷でもある。

 

「ん。章文くん、もう時間みたい。行きましょう?」

「ああそうだな」

 

 ゴミ箱に紙コップを捨て、僕らは階段を下りた。一階、その出口から少し離れた所にバス乗り場がある。

 時間通りにバスが来た。それに乗り込み一番後ろの席に座る。目的地までは少し時間が掛かる。今のうちに親父の違和感と、昨日の刑事五十鈴との情報を榎本に伝えよう。

 

 目的地についた僕たちはバスから降り、僕たちは図書館に入った。

 親父の見ていたお悔やみ欄が目当てだ。だが、どの日付、どの会社の新聞など不明点が多い為、地元のローカル新聞も置いてあるであろう図書館にやって来たのだ。

 早速、受付のお姉さまに新聞の置いてある場所を聞く。ここ最近のモノでは無く、数年前のモノ……その保管場所を──

 

「ん?学生さんね~。新聞?…地域の歴史?……課題研究なのかしら?」

 

 課題研究。僕には聞きなれない単語だ。きっとこの付近の高校では、卒業前にそういう授業があるのだろうか。

 受付の…名札から洗井という名前が伺えた。その洗井に返す様に榎本は口を開ける。

 

「はい。そんな感じです」

「おー、いいわねぇ。脳みそが若いうちに沢山勉強しておくんだよ?おばさん、もうダメみたいなの~」

 

 洗井は笑いながら、手でジェスチャーをしながら言った。そして「あ、そうそう」と付け足す。

 

「昨日ね。同じように『新聞の保管場所を知りたい』って男の人が来てね~。……あ!そこのお兄さんに似ているわ!!お父様なのかしらね?」

「……」「……」

「あ、なに?二人とも黙り込んじゃって…?私なにかいけない事を言っちゃった?」

 

 洗井は僕たちの顔を交互に見る。

「いえ、大丈夫です」と榎本はすかさずにフォローを入れた。そして、保管室の鍵を貸して貰った。そこは2階にあるようで一歩一歩、重い足取りで上がっていく。

 まさか親父が…昨日の段階でここまで来ていたとは……

 

「ねぇ章文くん。…貴方のお父さんは、何者なの?お父さんの友人は、刑事の五十鈴さんって聞いているけどさ」

「……。悪い榎本。僕は昨日、嘘をついた」

「嘘?」

「あぁ、そうなんだ」

 

 ガチャリ──。鍵を開け、埃の匂いがする保管室に入る。室内には書類を入れるであろう棚が並び、その上に年、月、販売会社が書いてあった。

 ここ数年、誰も入らず、掃除も細かくさせていないのだろう。そのお陰で、昨日ここに来た人物の足取りが目に見えて分かった。()()()()()()()()()()()()()()を引き、数部、歪に仕舞われたローカル新聞を取り出した。そして、それらを開く。

 その中の一つ。酒井が新しく受け持ったクラス。小倉 美咲(みさき)が亡くなった現場の危険性を示す内容と、クラスメイトからの言葉…美咲に対する追悼の記事が一面に載ってあった。それを僕は、委員長に見せる。

 

「……」

 

 バスの移動中に僕から聞いていたとはいえ、女児である彼女の痛々しい記事には、委員長も声を出さなかった。『みさきちゃんは、とても明るい子だった』『とても頭がよくて将来の夢は、お医者さんと言っていた』『もう会えないと思うと悲しい』『また沢山、一緒に遊ぼうね』などの友人らのコメントが榎本の心を大きく削った。

 そんな消沈する榎本に話を続けた。

 

「僕の親父は…南原 草秋郎なんだよ。昨日の榎本の予想が正しかった。…嘘を吐いてごめん、ただ僕は…親父の後光に照らされたく無かっただけなんだ」

 

 榎本はその記事を指で追いつつ頷いた。

 

「僕の親父はそんなだから…悪い癖があるんだ…。小説のネタ探しどか」

 

 僕は昨晩、五十鈴からの言葉を思い出す。正章は、いい情報を与えれば大きな魚を釣り上げる餌となる──

 

「恐らく親父は、五十鈴からの連絡で僕より早い段階で酒井殺害を知り、帰りが遅い僕に対し想像を膨らまさせ、早朝、新聞のお悔やみの欄にて『酒井殺害までの一つのストーリーを組み立てた』ハズだ」

 

 それに対し僕は、親父には嫌悪感は抱かない。きっと職人病…無意識による思索だろう。

 僕は更に新聞を探す。陰になっている棚段。そこに──意図的に、中途半端に仕舞われた引き出し、その取手を引く。まるで親父に導かれている様な気分だった。ずらりと月日順に並ぶ新聞紙、その一部だけ、端が大きく折られているモノがあった。まるで『これを見ろ』と言わんばかりに。

 その新聞を拾い上げ、今度はお悔やみ欄の(ページ)を開く。……。あぁそうだ、そうだよな…

 

「榎本、コレも見てくれ…」

「今度こそ…お悔やみ欄なのね…。……。()()()()()()()()…」

 

 ローカル新聞と、訃報を知らせる新聞が並ぶ。それらの新聞は数年の乖離があった。その新聞に載る人物に榎本は指先を当て静かに言った。

 

「でも…だからと言って…章文くん。もう一度言うけれど、岸波くんが犯人という証拠ではないでしょう…?」

「いや、酒井を殺したのは岸波だ。…ようやく僕も、親父と同じストーリーを組み立てられた…。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。…聞いてくれるか?榎本…」

「……。分かったわ、ここまで来たのだもの。聞かせて──」

 

 その言葉を聞き僕は、親父……いや、南原 草秋郎のように物語った。

 

 

「まず岸波 和平は……」

 

 

 それを聞き終わった委員長は、下を向き何度も顔を振った。

 そして「全く面白くない」と悲しそうに呟いた……

 

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 

 夕日が差し込む車内。

 新幹線でとんぼ返りし、僕は刑事の五十鈴に電話を掛けた。その理由は単純明快だ。酒井を殺した犯人が分かった。ただそれだけ。

 そして今、委員長と共に五十鈴の部下である葉月が運転する車、その後部座席にいる。

 

「どうだい章文くん?旧友とは連絡がとれた?」

「ええ、お陰様で…。場所も指定できましたので、その付近に向かってください……」

 

 午後4時37分──

 

 雲が散らばっている空模様で、傾いた太陽が時々、暖かい日差しを現す。

 運転する葉月と言う若手刑事に場所とを言うと、委員長がそこに至るまでの細かい道のりを説明した。

 

「いいのかい章文くん?この行為は、君の旧友にとって…裏切り行為じゃないのかね?」

「いえ、違います。僕らの仲は、そんな程度の関係では有りません。…すべて思い出しました。何故僕の前に岸波は現れたか、その理由も…その全てを」

「そうか。ならばボクからは何も言うまい」

 

 そうして五十鈴は深く深く背もたれに沈んだ。

 目的地は河川敷、その高架下。名の知れた橋の下。岸波の交通手段は五十鈴によるとバイクだと聞いた。ならば迷うことなく来てくれるだろう。

 

「じゃあ章文くん、ボク等とは一旦ここで。そして君に取り付けたマイクも…よし、見えないな」

 

 車を止め、五十鈴は僕に指差し確認をする。これから先の音は全て五十鈴の耳に届く。

 

「じゃあボク達は、ここに居るよ。岸波くんが自白したら向かう。会話の末、雲行きが怪しくなっても行く。その辺は分かってくれ。君が怪我を負ったら、アイツは釣りに乗らないだろうからな」

「いえ…僕こそ我が儘を言ってすみません」

「いいのさ。まぁ、悔いの無いように、気張ってこい」

 

 刑事、五十鈴の許しを経て僕は、岸波と約束した場所に歩く。

 指定した時間は午後17時00分。まだ10分以上もある。…だが別にいいだろう。早く行っても待てば良いだけなのだから。

 

 小高い堤防の道を歩き、高架下を見据えた。

 その場所にはバイクと男が一人。僕の到着を待っていたのだろう。彼の視界に僕が映るなり大きな声を出し手を大きく振っていた。それに応えるよう、僕も手を振った。

 

 河川敷に降りる為の階段を下がり、頭上で車が行き交う音を耳にしながら僕は、岸波に相対した。

 

「1日ぶりか?どうしたんだアキフミ。随分と疲れた顔をしているな」

「そりゃあ当たり前だ。この数日、お前から提示された難題を解いていたんだからな」

「はぁ~、そりゃあ良い。じゃあ早速、答え合わせと行こうじゃないか」

 

 落書きされ尽くしたコンクリートの壁から離れ、岸波は僕の方に近寄った。

 あぁそうとも。問題を出されたのならば、答え合わせをしなければいけない。そんな事は小学生でも理解できる。

 だが僕は、こわばった。息が詰まった。あんなに…五十鈴に対しても啖呵を切っていたというのに──!!

 

「どうした戦友…?解答は沈黙か?」

 

 深く長い息を吐き僕は「問題文はこうだ」と言う。

 

 何故僕は岸波を真っ先に疑い、また岸波は、リスクがあるにも掛からわず、僕に顔を合わせたのか、を証明せよ。

 なお、解答に至るまで神学的概念を一切含まれないものとする。

 

「神学的概念とはまた…難しい事を…。……。…そういうことか。まぁ期待して聞くよ」

 

 そして僕は語り始めた。榎本に語った事、それを大きく修正し岸波に届く様に──

 

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 

「まず岸波 和平は天才だと僕は思っている。だがお前は、人間である以上、神には成れない。この意味は後々分かるから、今は適当に、頭の片隅に置いておいてくれ。

「では次。僕と岸波が小学校を不登校になった昔話だ。岸波、お前は、あの窓ガラスを割った原因であり元凶は酒井だと見抜いていたんだな。僕は恥ずかしい事に、今の今まで忘却していたよ。これからの学業生活に希望を見出す為に。それとは裏腹にお前は、学校と言うシステムに絶望した。だからお前は、中学時代、1日たりとも登校はしなかった。というか、岸波ほどの頭脳が有れば先生など要らなかったんだそうな。本当に羨ましいよ、戦友。

「僕が最初、酒井の殺害を知った時、いち早くお前を疑ったのは、これが理由だった。あの窓ガラスの件、その想いが憎しみに代わり殺害を実行した──。だが、現実は違う。違かったんだよ岸波。僕はまんまと、自分の目線に従った結果、墓穴を掘ってしまったんだよ。つまり、僕視点ではお前の問題を解くことは出来ない仕様になっていたんだ。

「では、どの視線ならば問題を解けるのか…と。この一連の出来事を次は、第三者目線で考えてみた。結論を言うとこの思索には失敗した。どうしても矛盾点が出てきてしまうからだ。あの天才である岸波は、そんなヘマはしない、と。何度もそう思った。だが、先に結論を出した様に第三者目線も第一者目線の見方も間違っていたんだよ。

「そう、この問題は第二者目線を交えなければ解けなかったんだ。こう言えば簡単なのだろうけれど、ここまで来るのに苦労をした。なぜならば、お前は天才だったからだ。

「何故僕はここにきて『天才』『天才』と繰り返す意味が分かるか岸波?……。その表情を見ればもう、お前も理解しているようだな。だが言わせてもらうぞ。お前は天才であっても人間だ。人間である以上、神には成れない。神に成れない以上、全ての事情を把握する事はできない。つまりお前は、『()()()()()()()』でしか物事を判断できない。天才だと思っていたお前も所詮は、その枠からは逃れられなかったんだ。神では無く、正真正銘一人の人間なんだからな。

「ここで話は折り返しに来た。もう少しだ、辛抱してくれ……

「今回の事件、それにかかわる人物。当たり前だが、その全てがその『枠』に当てはまる。この事件の被害者である酒井、僕の戦友の岸波。そして僕らの後輩で亡くなった小倉 美咲(みさき)。そして、お前の弟──。これが今回の事件を解き明かす為の材料だ。

「まず、小倉 美咲だが、その子は酒井の嫌がらせで自殺した。だが…自殺というにはやや語弊があるが、自殺に至るまでメンタルを粉々に破壊したのは酒井によるものと断言できる。だが彼女を直接、自殺に導いたのは岸波、お前の弟だ。お前の弟、岸波 義和(よしかず)は知らなかったんだよ。彼女が酒井の嫌がらせを受けている事について

「現に僕達は、酒井による嫌がらせや、窓ガラスを割った件を誰かに相談し、その弁明ですら、酒井が築き上げた『表の顔』によって失敗に終わった。彼女…小倉もそうだったんだよ。誰かに酒井の嫌がらせについて相談しようとしたけれど、誰一人として信用する者は居なかった。少女…小倉の相談を受けた弟──義和は言ったんだろうな。『あの優しい酒井先生は、そんな事はしない。きっと気のせいだよ』とな。少年野球に所属していた甲斐もあり、義和にとって酒井と言う存在は『尊敬する人物像』に成って居たに違いない。だから、義和が言い放ったその言葉には、罪は無いんだよ

「だが、そんな一言によって絶望した小倉は、遂に自殺した。小学4年の夏の日にだ。美咲の親は全力で、原因解明に走ったのだろうな。だが、事あるごとに酒井が撒いた種が、それを阻んだ。そして、美咲の死は事故として幕を閉じた。

「そしてコレ。この画像は今年の春のもの、新聞のお悔やみ欄に記載されているものだ

三条(さんじょう) 義和(よしかず)。4月20日。13歳──

「これは、苗字こそ違うがお前の弟で間違いない。年齢も有っているし、義和なんて名前は、田舎であるあの街では、そうそう被らないからな。詳細は分からないが岸波家は、確実に分断した。恐らくお前は父親に、弟の義和は母親の方に引き取られたのだろう。それで弟は、岸波と言う苗字から、三条と言う苗字に変わった。そして、三条 義和が亡くなった原因も…

「酒井にあったんだ──

「これもまた、先程の小倉 美咲の死因と瓜二つの状況を作り上げた。否、それとは全く逆のパターンに成り変わった。酒井の裏の顔を『知らない』岸波 義和→『知っている』小倉 美咲(故)から、酒井の裏の顔を『知っている』岸波 和平→『知らない』三条 義和(故)に逆転した。つまり、僕は何が言いたいかと言うと──

「戦友、お前は…弟への無知により、何気ない一言が三条 義和を殺した。自殺に追いやったんだ

「その一言は容易に想像できる。久しぶりに会った兄に弟は『まだ学校に行かないのか?行けなくなった原因は何なんだ?』と言ったのだろうな。それに対してお前は、正直に答えたんだ。いい加減に時間が経っている今、弟の恩師を裏切る言葉を言って良いと判断した。そして『小学校の担任。酒井による嫌がらせが原因』と──。それを聞き、義和は一本筋が通ってしまったのだろう。かつてのクラスメイト、小倉 美咲が何故死んでしまったのかを。その後の4月20日以前に、自殺を図った。自身の軽率な発言で小倉を殺し、なお自分は悠々に生きている事が許せなかったんだろう

「そしてお前は……岸波 和平は、弟の自死によって、僕と同じように一つのストーリーが浮かんだ。……お前は天才だから、1日も要らなかったんだろうな

「何度でも言う。天才のお前ですら『()()()()()()()』でしか物事を判断できない。つまり…当たり前だが…知っている事しか、お前は知らないんだ。他人の心の…奥底までは分からないんだよ…

「これが、お前が酒井を殺すまでに至った物語だ。……。殺害に使用したのは金属バット。恐らく、弟の遺品だろう…

「これにて……僕が言う事は、全て終わった

「採点を頼むよ戦友。……僕は…未だこの回答に……

「0点が付く事を祈っている……

 

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 

「100点満点だ戦友。オレからはもう、何も言う事は無い」

 

 ここまでに心を揺さぶる満点は存在するのだろうか。ここまで嬉しくない満点は存在していいのだろうか。こんなにも悲しい満点を貰っていいのだろうか。

 僕は長い長い息を吐き、目頭を押さえ空に顔を上げた。

 

「本当に……本当に残念だ岸波…。こんな……こんな別れ方をしなくてはいけないなんて…」

 

 有り得ない。僕は小さく小さく呟いた。

 そんな僕に岸波は口を開け言った。

 

「『自身の過去・経験』による判断……ね。ならばアキフミ、お前に言わなければならないな。到底暴かれる事の無い、オレの本当の動機を……」

 

 バイクに背を掛け、瞼を閉じ岸波は続ける。

 

「弟を喪ったから酒井を殺したわけじゃ無いんだ。本当に、それでも兄か?と言われそうだが、それは本当だ。オレが酒井を殺す一番の動機は、小倉 美咲…。その夫妻が関係している。……アキフミが言ったようにオレは、一連の自殺の裏には酒井の影が有る事を理解したんだ。それでオレは、弟の葬式が終わって、ひと段落着いたところで小倉家に尋ねた。……そこに何があったと思う?」

「……」

「そうだよな。『知っている事しか分らない』んだよな。…当たり前だ。この質問はアキフミには答えられない。何故ならば、その情報を一切知らないからだ」

 

 言い返してやったぜ、と言わんばかりに戦友は歪な笑顔を作った。

 

「その答えはな…手紙だった。小倉家には毎年、酒井からの手紙が送られてきていたんだ。『娘さんは○○ちゃんと良く遊んで居て…』『娘さんは、○○の教科がよく秀でていて……』などなど。……吐き気がした。酒井に虐げられたオレは見抜いた。その手紙、その全てが偽りの出来事だって事に──!!その手紙の内容が偽物だと知らずに夫妻は、大事そうに大事そうに抱きかかえていた。『これが娘が生きた証』だって…!!笑えるだろう!?そこまでして醜く生きる酒井に初めて殺意が湧いた!!アイツは、夫妻の一人娘を死に追いやっただけではなく!!その夫妻が持つ美しい感情でさえも、己の酒の肴とした!!!それが赦す事が出来なかった!!!」

 

 正義に燃える…岸波 和平らしい言葉だった。その吐かれた言葉からは彼の魂が垣間見えた。

 高架下だと言うのに、僕の頬が濡れた。……。……雨漏りでもしているのだろうか…

 

「オレの主張は以上だ。…だが、アキフミお前はまだ……解いていない問題があるぜ。何故オレが、お前に会いに行ったのか──だ」

「そんなつまらない事……簡単な話だ。岸波は僕に…否定して欲しかったんだよ。小学校の頃を覚えているか…?お前はよく『馴れ合いはヒトをダメにする』と訳わからん事を言ってた。だから僕たちは、お互いの仲を信じて、下らぬ議論に花を咲かせた。そうじゃなきゃ、今もこうして戦友なんて言ってないさ」

「覚えていてくれたか戦友。そうとも…そうだとも。相手を思うがあまり自分の主張を丸めるなんざ、ただの馴れ合いだ。馴れ合いからは、何も生まれない。素晴らしい技術、素早しい思考、素晴らしい思い出は、切磋琢磨した果てに訪れる。それがオレにとって最高の友達…親友……戦友になるんだ」

 

 そして数秒の沈黙の果てに岸波は──オレを否定してくれてありがとう、と言った。

 

「もういいだろう!?オレを嗅ぎまわっている刑事の方々よ!!オレは逃げも隠れもしない!!オレは酒井を殺した人間だ!!」

「岸波……」

「凶器の金属バットは、河川敷に埋めた!綺麗に包装して埋めた!!アイツの血とオレの指紋…痕跡が残っているハズだ!!」

「岸波!!」

「小倉 美咲の父、小倉 浩二(おぐら こうじ)にも捜査の目が行っているだろうが…その原因はオレだ!!酒井を殺す前日、彼にオレの知る限りを明かした!!あの人はただ……オレを庇っているだけだ!!!」

「岸波 和平!!!」

 

 僕がそう言った刹那、背中をトンと優しく叩かれた。……もう時間だ。

 

「やぁ岸波 和平くん。ボクは刑事の五十鈴(いすず) 宗一(そういち)。冒頭から今まで、話は来ていたよ」

「お前か?アキフミに盗聴器を仕組んだ刑事は」

「いやいや。彼が進んで付けてくれたんだ。実際問題、君には捜査の手は行っていなかったが、章文くんのお陰でね。ここまでありつけた訳さ」

「嘘つけ」

「ははは…。嘘は大人の十八番(オハコ)なのさ。では──17時26分。岸波 和平…お前の身柄を拘束させて貰う。殺人といえど未成年だからね、ボクとしても対応を変えさせて貰うよ」

 

 カチャリと金物の音が鳴る。その後五十鈴は部下の葉月を呼び、僕と榎本を家に帰す様に指示した。連行用の車を既に手配したとでも言うのか…

 五十鈴が岸波の背中に手をやり進む、進む、進む。もう彼には、小学校の頃の様に合えないと思うと、胸を締め付けられる感覚に陥った。そこに──

 

「アキフミ!!」

 

 僕は後ろを振り返った。彼も同様に、僕を見ていた。

 

「彼女さんを大事にしろよ!!」

 

 満面の笑みを浮かべ岸波は、項垂れる僕を祝福した。自分が置かれている状況を理解しても尚、アイツは他人の心配をする……そんな可笑しな男が居た。

 

「あぁ!!当たり前だ!!」

「彼女を泣かすなんざ、有り得ねぇからな!!」

 

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 

 岸波が居なくなった高架下。僕はただ、彼のバイクを指先で触れていた。

 古い傷がある。きっと中古品……それを買ったのだろう。

 

「章文くん。…もう帰りましょう……雨が降り始めたわ…」

 

 ビニール傘を持った榎本は言った。

 

「あぁそうだな……。葉月さんが……待ってるもんな」

「そうね…」

「だけど……」

 

 雨が地面を叩きつける。頭上では、水たまりを轢く音が何度も何度も高架下に響いた。梅雨の時期…その前触れなのだろうか。

 

「もう少し待っていてくれ……。もう少しだけ……直ぐに良くなるから……」

 

 

 

 ◇◇◇◇

 

 

 

 それから2日後の土曜日。

 週間テストを終えた僕の教室では、もう放課後と言うのにクラスの皆が席に座っていた。

 と、いってもただのクラス会なのだけど……。その内容は文化祭の出し物を決める会で、榎本が提示した複数の案を多数決で決めよう、となった。

 

「はい。じゃあ結衣さん、候補Cは28票ね」

「わかったー」

 

 コンコンコンと、チョークで票数を書いて行く。榎本が巧みに進行させ、それを結衣が板書する。……僕の仕事は???これでも副委員だぞ…

 教室の隅、窓側に持って来た椅子に座る僕は、テキパキと進める二人を眺めた。榎本はこういう立場に慣れているらしいが、問題は結衣だ。当初はどうなるかと心配していたが……大丈夫そうだ。

 

「はい、以上を持ちまして、私たちのクラス、その出し物が決定しました──」

 

 榎本は透き通る声で言った。

 あぁ……僕のふざけた案が通ってしまったよ……どうしようマジで……

 

「6月末の文化祭では、このクラスは男女逆転喫茶になりました。えぇっと……では、詳細は決まり次第伝えますので、今回のクラス会はこれで終わります。ご協力、ありがとうございました」

 

 榎本が頭を下げると、クラス中に声が満ちた。

 その実、男女逆転喫茶の票数はクラスの8割以上も入っており、候補を書き出した際に一番、皆のリアクションが高かったのだ。

 しかしまぁ…決まってしまったのならばしょうがない。全力で取り組むしかないだろう。

 

 クラス会も終わり、部活動に入っていない生徒は一人、また一人と教室を後にした。

 恭介はクラス会が終わると同時に光の速度で出て行ってしまった。なんでも大会のミーティングがあるとのことだ。忙しいなアイツは。

 

「結衣、手伝うよ」

「えっ。ありがとう、ふみぃ」

 

 僕は椅子から立ち上がり、結衣と共に黒板を綺麗に消していった。その間榎本は、議事録を書き込んでいた。

 それらは10分で終わり、僕たちは帰宅の支度を済まし帰路に着く。

 

「岸波くん。……やっぱ、ニュースになっていたわね…」

 

 そういう榎本に僕は返す。

 

「だがそれもあって、酒井の裏の顔がメディアに露呈(ろてい)しただろう?だがまぁ…その後は各番組の泥沼論争に陥ったけどな……」

 

 そう。その後、岸波はニュースに乗った。実名報道は無しだが、未成年の犯行ともあって、世論を騒がせた。しかし酒井の顔がバレその結果、岸波そっちのけで酒井の批判と教育委員会へのバッシングが始まった。

 そしてある番組が酒井にまつわる…ネットに転がる嘘の情報を大きく報じ、一時覇権を取った。が、嘘の情報とバレ、今や各番組が過去の汚職を取り扱う泥沼の論争と化した。本当に人間は愚かだな、と思ったのはこれが初めてだ。

 

「でも、ふみぃは……その岸波くんに思いを伝えられたんだもんね?」

「うん、全部伝えられた。だからもう、僕は大丈夫だ!」

 

 僕と結衣と榎本は、薄い雲に覆われた空の下、大通りを歩く。この後に妹の勉強を見てやらなくてはならない。だから今日は、寄り道もせず家に帰らなくてはならない。

 

「じゃあ私はココで。バイバイ結衣さん、月曜日にまた出し物についてはなしましょう」

「わかった、またね綾香ちゃん!」

 

 結衣は横断歩道を渡った榎本に手を振った。あの……僕に別れの挨拶はないんでしょうか?

 その後、いつも通り結衣と会話をしながら帰り、僕は自宅に到着した。いつも通り郵便物を確認して──って、あれ…?

 

 僕は送り主の不明の封筒を手に取った。だが、送り先はこの住所、そして志紀 章文となっている。

 不安に駆られ僕は、急いで家に入り、階段を駆け上がり、自室にて封筒を開けた。そして、その中に仕舞われた紙を開く。

 

「ははッ…!!」

 

 数字しか書かれていない。こんな気色の悪い事をするのは岸波しか思いつかない。

 僕は岸波との思いでをなぞる様に、この暗号をゆっくりと解いていった。そして得た答えはこうだった。

 

『100点満点の人生を』

 

 それを見て僕は、静かに笑った。

 

 

 



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