目を逸らさずに、トンネルの向こうへ (帰ってきた偽鬼太郎)
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目を逸らさずに、トンネルの向こうへ

 若い頃はあれだけ運行していた夜行列車も、今や幾つかを残して姿を消した。

 まるで妖怪のようだと、テーブルを拭きながら水木は静かに笑った。

 

 水木は店じまいをしながら霧がかった思い出に浸っていた。 はっきりとは思い出せない、あの村での出来事。

 

「……さて、急がないと。予約していた新幹線に間に合わない」

 

 ふと外を見れば、窓の向こうは濃い霧に包まれていた。

 昼間だと言うのに、一寸先すら見えない。 これじゃ駅に行くのすら一苦労だな、と思わずため息をついてしまう。 最近は足元すら覚束無くなった。

 

「さて、村があった場所まで無事に行けるかね。 今度はタクシーで行くわけにもいかんだろうし……はぁ…」

 

 扉のプレートをひっくり返そう。 そう思った矢先、ドアベルが店内に鳴り響いた。

 

「悪いね。 今日は私用で店じま───」

 

 断りを入れようと、来店した客に顔を向けて、水木は思わず息を飲んだ。

 

「こんにちは。 鼻緒が切れてしまって……少し、休憩させてもよろしいでしょうか」

 

 大きなリボンを付けて、精一杯のおめかしした古風な少女は照れくさそうにそう言った。

 

「……いや、大丈夫だよ。 飲み物を持ってくるから、そこで座って待ってて」

 

 水木は、決して少女から目を逸らさないようにそう答えて、クリームソーダを作るために、厨房へと向かった。

 

 

「これがクリームソーダ…美味しそうですわ…!」

 

 どこか古めかしい少女は、やはりどこか古めかしい口調で、目を輝かせながら喜んだ。 水木はそれを懐かしむような眼差しで見つめる。

 

「うちの人気メニューさ。 パンケーキの次に、ね」

 

「……パンケーキ?」

 

「ああ、ホットケーキみたいなお菓子のことだよ。 食べるかい?」

 

 水木が立ち上がろうとすると、少女は慌ててそれを制止した。

 

「い、いえ! 今日はよろしいのです! このクリームソーダで充分!」

 

「そう?」

 

「はい!!」

 

 そう、力強く頷く彼女の前に置かれているクリームソーダは、全く量が減っていなかった。

 水木は、それを少し寂しく思いながら、すぐに少女の方に笑顔を向けた。

 

「今日は、霧が濃いねぇ。 女の子一人じゃ心細いだろう」

 

「……はい」

 

 少女も少し、寂しそうに笑った。

 

「でも平気です。 もうすぐ、従弟を迎えに行くんですから」

 

「……そうかい」

 

 カコン、とクリームソーダの氷が溶ける音がした。

 

「東京は、どうだった?」

 

「えっ?」

 

「なにか、良いものは見つかったかい?」

 

 前置きなしに、水木がそう聞いた。 少女はしばし黙り込んだ後、困ったように笑った。

 

「そうですね。 よく、わかりませんでした。 今の私には、どこであろうと変わりませんから」

 

「……そうかい」

 

 水木は目を細めながら、少女を見つめた。 また、少女は困ったように笑った。

 

「そう言うそちらはどうなんですか? ここで、なにか大切なものは見つかりましたか?」

 

「……そうだねぇ。 大切なもの、か。

うん、見つかったし、思い出せたよ。 まぁ、恐ろしい思いも沢山したんだがね」

 

「それはよか……恐ろしい思い? それはどう言う…」

 

 少女は少し切なそうな表情をしたあとに、どこか好奇心旺盛な子供っぽい顔に変わった。 水木は少女の反応に少し得意げになりながら、語りはじめた。

 

「そう、例えば昔、水神さまに襲われたことがあってね…」

 

 

 それからの時間は、ひどく楽しいひと時であった。

 水木が大袈裟に思い出を披露し、少女がやはり大袈裟にそれらひとつひとつに反応した。

 まるで、本来得るはずだった時をひとつひとつ拾いとるかのように、二人は談笑に耽った。 互いに、互いから、目を決して離さないように。

 

「ああ、そういえば」

 

 話題がフランスからやってきた吸血鬼の話に移ったとき、水木が何かを思い出したかのような声をあげた。

 

「鼻緒が切れてるんだったね。 せっかくだ。 私がここで直そう」

 

「えっ?」

 

 虚をつかれたような顔で、少女は固まった。 水木は構わず、ポケットからハンカチを取り出し、鼻緒を直すためにビリビリと破りはじめた。

 

「すっかり草履なんて見掛けなくなったから、昔に比べて下手くそになってるかもしれないけど、物は試しさ。 存外、身体が覚えているかもしれない」

 

「あ、あの。 そんなお気を遣わなくても…」

 

「まぁまぁ。 ジジイのお節介は素直に受け入れとくもんさ。 さ、ここに足を乗っけて」

 

 水木はしゃがんで、左脚の膝を叩いた。 あの時と比べて、脆くなってしまった自分の脚が耐えられるか少々不安だが、この際、気にしてられない。

 

「えっと、その……失礼致します……」

 

 少女は顔を赤らめながら、少し躊躇った後、水木の膝に足を置いた。

 

「やっぱり、昔に比べて下手くそになってるねぇ」

 

 水木は苦笑いしながら、自分のおぼつかない手元を見つめる。

 

「……そんなこと、ありません。 それに、あまり手際が良くても、淋しいですから」

 

 少女は、顔を赤らめながら、老人に身を預ける。

 

「そうかい? まったく、歳をとると何をするにもゆっくりになっちゃって、困るよ」

 

「ふふっ。 どれだけゆっくりになろうと、私は構いませんとも」

 

 沈黙が流れる。

 だが、気まずいわけではない。どこか神秘めいたものすら含んだ、心地の良い沈黙だった。

 

 どれくらいの時間が経っただろうか。

 ようやく、あと少しで鼻緒が直るという寸前に至って、少女が口を開いた。

 

「────ねぇ、水木様」

 

「────なんだい、沙代さん」

 

 さっきまで年相応に重苦しかった身体が、その瞬間だけ若返ったように軽くなった錯覚に、水木は陥った。

 

「私は、たくさんの人を殺しました。憎悪のままに、惨たらしいやり方で。

こんな私が、時ちゃんを迎えに行って、本当にいいのかしら? 」

 

 それは、悔恨や、罪悪感。 自己嫌悪。 そして、不安に満ちた言葉だった。

 

「挙句の果てに、こんな自分を助けようとしてくれたひとすら手に掛けようとすらしてしまった。 こんな私が、本当に…」

 

「あの時、俺は君から目を逸らしてしまった。 それは今でも後悔しているよ」

 

 少女の不安定な言葉を、水木は淀みのない声で遮ると共に、顔を上げ、少女の不安定に揺れ動く瞳を、己の双眸でしっかりと捉えた。

 

「あの時、どうしていれば正解だったなんて、無駄に歳を重ねた今でもわからない。 でも、あの時、君から目を逸らしてしまったことだけは、間違いだったって確信してるんだ」

 

「水木様…」

 

「あの時、あの場で君を見てあげられるのは俺しかいなかったのに。 本当に、すまなかった」

 

「そんなこと…!」

 

「だから、君も時ちゃんに会いに行くべきだ。 それを出来るのは、やるべきなのは、君しかいない」

 

「………っ」

 

 怖がるような、泣きそうな表情を浮かべる少女の目を、水木は真っ直ぐ見つめた。

 

「沙代さん。 時ちゃんに、手を差し伸べてあげてくれ。 今度こそトンネルの向こうに、一緒に行くんだ」

 

「水木様…私は…」

 

「────さて、鼻緒が直ったよ。ご覧、霧も晴れた」

 

 水木が言う通り、外は眩しいほどに晴れ渡っていた。それはまるで、あの日、初めて会った時のようで──

 

「今度は、パンケーキを食べよう。 時ちゃんも一緒にね」

 

「はい……その時が、楽しみです……」

 

「俺も……いや、私もその日を楽しみに待っているよ。

───さぁ、行っておいで」

 

───はい、いってきます

 

 

 そんな声が鳴り響いて、まるで先程までの時間が夢幻だったかのように、店は静寂に包まれた。

 一人になった水木は、しばらく呆然と立ち尽くしたあと、よたよたとクリームも氷も、溶けきったクリームソーダが置いてある席に腰を下ろした。

 

「久しぶりに相棒と息子に会えると思ったんだが、まぁ、こういうこともあるか」

 

 とっくに時間が過ぎてしまった新幹線のチケットを取り出し、眺めて、楽しそうに笑った。

 

 次にあの()()に会った時、何を話そうか。

 話題は沢山ある。 最近は世間で野球がとても盛り上がっている。メジャーで活躍している選手のことを話せばきっと、あの子は喜ぶだろう。息子と仲良くなった猫のような女の子の話は、きっとあの()好みの話だろう。

 

 きっといつか来るであろう日の光景を、水木は楽しそうに夢想した。

 



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