艦これのレ(仮題) (針山)
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静寂艦雅(せいじゃくかんが)

 

 彼女は孤独だった。

「右舷! 敵艦発見!」

 空は遠く青く、

 空は高く白く、

 波は穏やかに、

        世界が上下に揺れる。

 

「射界良し! 撃ちます! Fireー!」

 

 静かな場所だ。静かな場所だった。

 ここはとても静かで落ち着いていられて、そして誰にも邪魔されない場所だった。

 海鳥の鳴き声も届かないほど遠く、人が造る豊かな光で変色しない青空。

 澄んだ空気が世界を広く感じさせる高い頭上に、ゆったり静かに馴染む白い雲。

 きらめきかがやく、海の色。

 そんな静かな場所で、世界に轟く爆音が響く。

 黒煙、爆炎、一直線。

 早く、速く――疾風。

 風を切り裂き、世界を分割する破壊音が、彼女の左右に数メートルの水柱を生んだ。

 巨大な豪華客船だろうと、軍が所有する軍艦だろうとも揺れ動く衝撃に、彼女は見上げていた空から視線を外し、水柱の原因の彼方へ目を向けるだけだった。

 そこにいたのは、異質。

 世界が歪む非常識が、騒いでいた。

 

「Shit! 狙いが甘かったネ! やっぱり天龍のエクスカリバーみたいな武器、ワタシも欲しい霧島ー」

「拳法家の拳は武器です、金剛姉さま。とりあえず様子見で殴ってみてはどうでしょう?」

「あの、金剛お姉様に霧島? 駆逐艦の子が真似するので主砲を使ってくださいね?」

「オゥ、榛名は砲塔でパンチング? 大丈夫デスカ?」

「金剛姉さま、榛名なら大丈夫ですわ」

「ああああああもうっ! 榛名は大丈夫じゃありませんっ!?」

 

 妙な服を纏う少女達が見える。下地は巫女服に近い。肩が出ており下も短いので巫女服と言い切るには語弊があるが。

 黒の髪の長い少女が金髪とメガネをやたら弄るショートヘアの少女に向かって、頭を抱え叫んでいた。よくよく見れば半泣きの黒髪少女は、近接格闘戦に邪魔だからと砲塔を投げ捨てようとする二人を必死で止めている。

 そんな少女らを見て、そうだあれは、そう、知っている。彼女は知っていた。

 あれは……ミニスカートだ。随分と短く、穿く意味があるのだろうかと彼女は思った。しかしどんなに動こうと絶対に見えない領域を考えると、意味はあるのだろう。

 喧しく姦しい巫女服少女の横では、これまた弓道着に近い服装の弓を構えた三人の少女が見えた。一人だけ弓道着ではなくミニスカートを穿いていた。

 

「先輩! 被弾してるんだから、下がっててくださいよ!」

「鎧袖一触よ。心配いらないわ。五航戦が下がってなさい」

「加賀さん加賀さん、魚がいます。今日の夕飯は何でしょうか? そうだ瑞鶴、貴女のツインテールで魚を釣るのはどうでしょう? きっと大量ですよ」

「お菓子あげるんで赤城さんは黙っててください!」

「五航戦、私の分は取っておきなさい」

「あっ、第一次攻撃隊、発艦してください」

 

 赤が目立つ一人が弓を引き解き放つ。

 心地の良い風切り音が滑らかに風を纏い、次の瞬間弾けるように光を放ち、いくつもの艦載機と化し編隊を作り向かってくる。

 誰もが余裕を持ちつつ油断はしていなかった。

 バカ話をしながらも、彼女の動きにいつでも対応できるように気を配っていた。

 さながら、よく訓練された軍人のように。

 誰もが余裕を持って緊張などしていなかった。

 彼女は一人、一人だったのだから。

 その海で、彼女は独りだったのだから――

 

 海は穏やかだった。

 海は静かだった。

 海は孤独だった。

 海には誰もいなかった。

 少女達が来るまで、この海には何もなかった。

 

 ――― だから ―――

 

「……アハ」

 

 彼女は嗤う。

 嬉しくて嬉しくて、悲しくて悲しくてたまらない。

 あまりにも嬉しすぎて破顔して、あまりにも悲しすぎて破顔する。

 彼女は考えない。考えないで考える。考える前に動いて、動く前にも考えた。

 静かな海を取り戻すため、騒がしい海を迎えるため。

 彼女は嬉しく悲しい笑顔で殲滅する。

「アハハハハハハハハハハッ!!」

 

 その日、とある基地の艦隊が完全なる敗北で帰投する。

 それまでは一隻二隻、多くても三隻程度が大破する、戦闘不能状態にされることはあったが、この時、その艦隊は六隻全てが戦闘不能の状態に追い込まれていた。負傷の度合いも下手をすれば轟沈、海の底に沈み二度と帰ってくることができないかもしれない状態に近く、無事、いや不幸中の幸いにも全員が揃って帰投できたのは奇跡に等しかった。

 巨大な大砲を備え軍艦の中でも最強の火力と装甲を持つ戦艦が三隻。

 飛行甲板を持ち時代を変えた航空戦を主力とする航空母艦、通称空母が三隻。

 その力と記憶を持つ、『艦娘』と呼ばれる少女達。

 少女達は妖精さんと言われる、人間ではなく、しかし生物とも言い難い存在が造った兵器を使用し海上で戦闘を行う。海から来る侵略者、深海棲艦と呼ばれる存在と対抗するためである。

 不思議なことに、何故か普通の人間は妖精さんが作った装備を使用することは出来ず、艦娘という存在だけが使用することができる。

 当初、敵の存在を確認した時は通常の艦で応戦したのだが、相手が人間サイズであるため砲撃は当たりづらく、また機動性に関して天と地の差があったため、人類の通常兵器では苦戦を強いられていた。

 そこで登場したのが、艦娘である。

 だが、深海棲艦もそうだが、艦娘に妖精さんがいったいどこから来たのか、そしてどういう存在なのかは明確に解っていない。第二次世界大戦頃の軍艦の名前を持ち、そして記憶も持っているのは解っているのだが、そこまでだった。

 軍上層部は何らかの情報を持っている、というのが前線の指揮を執る提督達の噂だったが、その真相は闇のままである。

 とにかく、十分な練度と装備を持ち、数多くの敵艦を屠ってきた少女達は、話を聞けばたった一人の、一隻の戦艦に敗北したと言う。

 正直、あり得ない話だった。如何に敵が戦艦であろうとも、こちらも同じ戦艦でありさらには空母いる状況で、たった一隻が壊滅的な被害を出すなど不可能だ。

 現実的ではなく、もしそんなモノがいるとすれば、子供が思い描く『ぼくのかんがえたさいきょうのふね』みたいなものだ。誰もが一度は思い描き、そして現実に敗北する。

 そんなモノが作れれば苦労はしないと、挫折する。

 だからこそ、戦艦と空母が唯一手出しできない潜水艦が潜んでいた可能性など、伏兵の存在がいたのだろうと考えられた。少女達が気づかないところで被弾したのではないかと疑われた。

 誰も信じない。

 誰も疑わない。

 たった一隻で数を覆すなど。

 たった一隻で何か出来るなど。

 信じて疑わない。

 だが、次第にその噂は現実味を帯びて来る。

 提督と呼ばれる者達が、次第に戦闘の範囲を広げて、多くの者が伝聞し始める。

 

 孤高の存在を、知り始める。

 

 あまりの被害に、人類は此度の深海棲艦に、正式名として『戦艦レ級』と名付けた。

 いろは歌の十七番目の文字であり、十七とは素数の最初の二、三、五、七を足した数だ。

 つまり、もっともゼロに近い、無に近い四つの数字を足した文字。

 四の、死の数字の集合体。

 いろはに置いて最も死を内包し、ゼロに近しい集合体。

 『戦艦 レ級』

 残念ながら、その名が使用されることは少なかった。作戦会議などでは提督が口にするが、相対し戦闘する艦娘は違う名称で呼んでいた。

 あまりにそれらしく、あまりにそうとしか思えない。

 だからこそ、下手な意味を付けるより、単純にそのモノを表現するのに明解な呼び名を。

 みな一様に、艦娘は震える唇で一言だけ紡ぐ。

 

 ――― 『 化 け 物 』 ―――     と……。

 

 



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静寂艦雅(せいじゃくかんが)1-2

      Φ     φ     

 

 蒼き光が海に浮かぶ。

 空を映す海面。

 暗く深く、静けさが染みる水上。

 音は消え、天上の銀河が地上と融和する。

 壮大で雄大な水面の果て。

 陽が昇る昼間ならば、視界に広がるコバルトブルーの海を一望でき、また少し進めば小さな島々が密集しているのがわかる。

 遠き空にヤシの木。

 宝石色の砂浜に絶景のイルカの群れ。

 そこは世界でも目を奪われる自然を秘めた、英国の女王が統治する世界。

 ただし、今は人ならざるモノがその場所にいた。

「………アア」

 真っ黒のレインコートを纏い、胸元をはだけリュックサックらしき物を背負う人影。水面に波紋を作りながら立っている。一瞬、人かと思うが水面に立てる人などおらず、またそれだけでなく腰の後ろには太い尻尾のようなものが生えていた。尻尾の先端には深海棲艦と呼ばれる謎の存在、その一種である駆逐艦を思わせる機械獣の頭部に似たモノがついている。衣服は少々汚れており、海上ではあるが陸地で転んだ子供のようにも見えた。

 幼さが残り、そして切なさが滲んでいる。

 一見したところ怪我らしい怪我は見当たらない。よく見れば破れているというより焦げている部分が多く、まるで火事か、もしくは火薬などによって焦げたようにも見えた。

 それだけでも異様さを、異質さを醸し出して、存在感のある不気味さが消えることはなく。そこにいるのは、深海棲艦であり、戦艦と呼ばれる艦種、戦艦レ級だった。

「………アア」

 まだ幼き少女の面影を残すレ級は、満天に輝く星空を見上げ、無表情に声を漏らす。

 吐息のように、溜息のように。

 感慨を込めたのか、感嘆を込めたのか。

 何も語らぬ表情の代わりに、レ級は声を漏らした。

「……ツマンナイ」

 目を細め、幾万もの星々をややふて腐れた様子で見るレ級。光り輝く美しき光景に吐息に溜息を吐き、感慨深く感嘆を漏らしたのかと思えば、違ったようだった。

 レ級はただ、飽きていた。

 レ級はただ、呆れていた。

 こんなつまらぬ戦争を、いつまでも続ける深海棲艦と艦娘達に。

 一番効率の良い編成の人数が六隻ということで、深海棲艦も艦娘もお互い六人でチームを組む。それは過去、七人以上で戦をした経験から導き出した答えらしいのだが、レ級にとって、先人達の努力の結晶は欠伸が出るほど興味がないモノだった。

 不思議でならない、何故、六人に縛られるのか。

 向こうもこちらも、わざわざ世界が決めたルールに従うように、お決まりの数で艦隊を組むのか。

 まったく解らなかった。まったく理解できない。

 どうして六人も必要なのか、レ級は共感できなかった。

 一人で十分なのだ。

 空母、軽空母など必要ない、レ級は航空戦が出来るのだから。

 戦艦、重巡など必要ない、レ級は砲撃戦が出来るのだから。

 軽巡、駆逐艦など必要ない、レ級は雷撃戦が出来るのだから。

 レ級一人いれば、すべてが出来る。

 だからこそ、弱い奴らが集まって戦う意味が解らなかった。

 闇が視界を覆い、星々が世界を神秘に包む海。

 物思いにふけながら、口を半開きにぼぉっとした様子で夜空を見上げる。愛くるしい姿に見えなくもないが、だが、レ級が立つ海上の周囲には、惨憺たる光景が無残にも広がっていた。

 艦娘の主砲や艦載機、その他の電探といった装備。浮かぶそれらはどれも正しい形を成しておらず、欠けて砕け朽ちて消えていた。いくつかの装備は、所有者の血痕だろうか、赤黒い染みが張り付いている。それを見てレ級は、艦娘というのは人と同じ血液が流れているのか、と思った。過去の軍艦、第二次世界大戦に存在した軍艦の力を、それ以上の力を持つと言われる彼女らに、人と同じモノが流れているとは考えもしなかった。興味と言うほどではなかったが、試しに本当に血かどうか確認するため、レ級は舐めてみたのだが、兵装についた鉄の味がするばかりで、本当の血かどうか判断が出来なかった。そもそも、レ級は人の血など口にしたことがないので確認も判断も出来なかったのだが。

 破壊された兵装が辺りに不法投棄されている中、艦娘の死体……でいいのか解らないが、存在はない。彼女らはレ級に敗北しながらも、誰一人欠けることなく撤退していった。後を追うことはしない。レ級にとって、やってきた招かれざる客を追い返しただけで、彼女らに何の感情も持っていない。ただ、戦闘に関しては少しだけ、楽しいと感じてはいたが。

 艦娘の存在はないが、海に散らばるのはそれだけではない。レ級の足元には同じ深海棲艦の亡骸も多く浮かび沈み始めていた。駆逐イ級、それもflagshipと呼ばれる通常よりも性能が向上した存在。レ級がいる海域には、深海棲艦の中でもとりわけ優秀、とは違うが性能が良い深海棲艦が存在している。同じく通常よりも強い重巡リ級eliteなどもこの場にいたが、艦娘との戦闘が終わると、彼女たちもまた、何処かへ逃げ帰ってしまった。彼女、であっているのかは解らない。もしかしたら彼らかもしれないが、レ級は性別を知らなかった。他の深海棲艦がここに来るのは、敵の艦娘達がやってきた時だけ。それ以外はレ級一人で、この静かな海にいるのだ。

 だからレ級は同じ深海棲艦の性別も知らない。ずっと一人。だから、実のところ、レ級にとって深海棲艦も艦娘もほとんど変わらない存在だった。一緒に戦うか、一緒に戦わないか、それだけの違い。だから、リ級達が無言で破壊されつくした駆逐イ級を見ていた時、何故いつものようにさっさと立ち去らないのだろうか、としか思わなかった。実のところ、戦闘をしているが敵も味方も沈むことはあまりない。向こうは知らないが、こちらは例え撃沈されたとしても、死ぬわけじゃない。元々深海から生まれたモノなのだ、深海に帰るだけであり、修復に時間はかかるがまた戦場に戻ることは可能だ。ただ、今レ級の足元でゆっくりと沈み始めた駆逐イ級のように、完全に破壊されてしまってはそれも叶わない。

 それが死であることを、レ級は知らない。

 死に瀕する存在など、まだ出会ったことがない。

 

 



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静寂艦雅(せいじゃくかんが)1‐3

 

 

『お前は強いのか?』

 不意に、声がした。

 誰もいない、何もない世界で、誰かの声が響く。

「……?」

 レ級が辺りを見回すも、暗い海には輝く星の絨毯があるだけ。他には何の気配もせず、空と海の狭間の闇夜のみ。思わず警戒してしまう、何かがいると思わせる空間に空気があった。

 あったの、だが。恐怖を知ってはいてもそれが自分であり自身のことであるレ級にとって、恐怖の感情は警戒するものではなかった。酸素と同じく、あるのが当たり前。常に自身が撒き散らす、人の二酸化炭素。故に、不意に聞こえた声も、レ級にとって警戒や恐怖を感じるモノではなく、些細な疑問が生まれる程度の出来事だった。

 こんな場所に、自分以外の存在がいるのかと、そんな素朴かつ不気味で重大な疑問に、レ級は首を傾げるだけ。

 注意深く用心深くもなく視線を向け、空に、視線をずらし、海に、視線を流すも、狭間に、声の主と思われる存在は見当たらない。どんな闇夜でも見通すことが出来る、畏怖の象徴でもある青白い炎を瞳に宿すレ級。深海棲艦に多く見られる仄かな青い炎。

 遠くを見て、先を見て、今を見て。

 人外なる瞳には、しかし、何も映らない。

 映らない、のに。

『お前は強いのか?』

 また、声がする。少し野太く、威厳や威圧を含む声色。深さや重さを持つ声は、人で言うなら年齢を感じさせる渋みがあった。けれど、相変わらず姿は見当たらない。周囲に浮かぶのは残骸と化した装備の成れの果てと深海棲艦の死骸が一匹。まさか水面に反射する星々が語り掛けているなんてロマンチックな台詞をレ級が考えるはずもない。

 声があるなら何かが居る、レ級は純粋に、現実的に結論を付けた。付けて、行動に移した。迅速に、速やかに――蹴り上げた。

 艦載機を使うでもなく、魚雷を使用するでもなく、砲弾が火を吹くでもなく、レ級はただ蹴り上げた。片足を何もない空間に、海面に触れながら、蹴り飛ばす。

 ばしゃりといった、水に足を付けてかき混ぜる時に出る音が、水を裂く音が聞こえた。

 落雷のような轟音を、伴いながら。

 水柱というより、軽く海が割れた。もちろん、旧約聖書に出て来るモーゼが起こした奇跡には遠く及ばないにしても、それを思い起こさせる、あり得ない現実を現実に起こした現象は驚嘆に値する。割れたと言っても衝撃派に近い、蹴り上げた風圧と衝撃で水を裂いただけだが、それでも、だ。

 それでも、そんな常人離れの、化け物の所業はレ級にしか出来ない。

 辺りにあったモノが吹き飛ぶ。兵器の残骸に深海棲艦の死骸。木端微塵となり、その姿は消し飛ぶ。粉々に、粉々に。

 距離にして五メートルほど。文字にすれば大したことはないが、目の当りにすれば脅威を実感する。綺麗になった海を見て、声のしなくなった海を見て、レ級は無表情ながらもやや満足そうに、つまらなさそうに頷くと、踵を返し帰途へ。

『お前は弱い』

 振り向いた身体が、上げた脚が、動かない表情が、止まる。

 確かに誰もいなかった。

 確かに何もいなかった。

 はず、なのに。

 確かに声が、そこにある。

 だから、レ級は静かに振り返る。

 声がした、背後に。

 確実にない姿の確実にある声に対して、ただ一つの確実な感情を持ちながら。

 レ級が向ければ絶望の意味と成る、殺意を持って振り返る。

『なんだ、帰らないのか』

 と、振り返った先には、何もない。海面にも空間にもない。

 けれど、声はあった。そして、姿もあった。

 レ級にしては珍しく、瞳を大きくさせ、驚いた表情を浮かべる。

 混乱に近い感情に、そんな感情その物に困惑しながらも、困惑を理解せずまた知らないレ級は、ただ固まることしかできなかった。

 固まることしかできから、考えることも出来ない。思考に空白が生まれ、思考は真っ白になる。だからこそ、レ級は単純な質問を口にしていた。

 素朴にして重大な、些細なことであり重要な、自身の事について。

「……オマエ、ダレダ?」

『見て解るだろう』

 呆れたのか笑ったのか、呆れて笑ったのか、ソレはレ級の問いに対して、当たり前のように答える。

『お前の尻尾だ』

 駆逐艦の頭部を持つレ級の尻尾は、鼻で笑いながらそう言った。

 

 



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異体同身(いたいどうしん)

      Φ     φ     

 

 本日、快晴ナリ。

『暇だな』

 見渡す限り青が埋め尽くし、空も海も、視界を遮るものが一切ない。空には雲さえなく、燦々と陽射しが海上を照り付けていた。陽光を反射し煌めくさざ波が静かに動き、レ級の心を落ち着かせる。

 この空間が、この世界が何よりも好きだった。

 つい、昨日までは。

『しりとりでもするか?』

 背後から声が聞こえる。レ級以外存在しないはずの場所で、確かに声がする。

 見渡してもレ級一人、見振り返ってもレ級一人。

 正しい認識。正しい確認。

 レ級は一人だったが、独りではなかった。

『知っているか、しりとり』

「……ウルサイ」

 自身の尾、深海棲艦の駆逐艦を思わせる【顔】を貼り付けた自身の尾が、喧しく話し掛けてきた。

「ダマレ、チギルゾ」

『存外怖いことを言うな』

「ナラ、シャベルナ」

 煩わしく喧しい。

 レ級は一人でいたかった。孤独でありたかった。だからこそ、この海域から出ることはなく、大人しく空を見上げ、海を見つめている。ただただ、それだけで良かった。

 青や白、灰色や茜色、藍色に黒色へと変化する空は美しく、陽が昇る空は輝かんばかりに眩しい。ぽかぽかと暖かな陽気に身を任せることもあれば、激しい雷雨に身体が撃ち抜かれるのも楽しかった。雨粒が身体に当たり跳ねる度、海面に叩きつけられ雨音を出す度に、レ級の為だけに作られた音楽のように思えた。レ級自身、音楽という感覚、知識は持ち合わせていなかったが、音色を嗜む程度には、心があった。

 また海も、空に合わせて景色を変えるのが面白かった。

 今のように穏やかな波もあれば、灰色の空と合わさり激しく高い波を作り出すこともある。緩急をつけ、揺れ動く自身が楽しく、公園で遊ぶ子供のような気持ちだった。

 レ級にとって、何もなく寂しささえ感じるこの海原の景色は、一枚の絵画に匹敵する、それ以上の代物なのだ。

 美術館で巡り歩くように、静かに楽しみ嗜む空間。

 そこに、突然招かれざる客が現れたのだ。

 昨日の段、話し掛けてきた尾を見て呆気にとられはしたレ級だったが、次なる行動は素早かった。次に続く、次への選択は最速だった。

 上半身を捻り、思いっきり拳を振りかぶり、放つ。

 空気を裂く音が、空間を叩き捻じ曲げる甲高い音が響くほどの威力。

 人の生身であれば木端微塵になるのではないかと想像してしまうほど、それは速さと強さを兼ね備えた一撃。

 しかし、相手は少しばかり、大分のかなり事情が違った。

 尾なのだ、自分の。お尻辺りから生える尾。

 腰の付け根とも言える場所に繋がっている尾は、レ級が振り向き振り被り振り抜くのと連動し、連鎖し、レ級の拳の先から姿を消した。

「!?」

『バカたれ、俺はお前だ』

 またもや背後から、尾から声がする。けれど、レ級の動作は止まらない。

 戦闘に関して、レ級は純粋に強い。相手が誰であろうと関係なく、天賦の才と言っていいセンスを持ち合わせていた。だがまぁ、この時に関しては、レ級の行動を表現するのにその言い方は不適切だろう。強いてあげるなら、次への判断力と行動力、躊躇ないのなさが関係しているかもしれない。

 レ級が次に取った行動は、例え戦闘のセンスや才能がなくとも、誰でも思いつくモノだった。

 つまりは、相手を掴む、単純な選択。

 例えレ級の動きと連動して相手も動くのならば、まったく同じ体ではなく、尾という特異部分にいるのだから、拘束してしまえばいいだけの話だ。

 自らの尾、付け根を捕え、そのままスルスルと駆逐艦の顔まで辿り掴み、捕獲した。

 標的を、排除すべき対象を見定めた。

『おいちょっと待っ』

 発言の途中、レ級は意に介さずぶち込む。

 

 ――― 海が割れ、

         空気を裂く、

              レ級の一撃を ――― 

 

 狙い通り、渾身の左ストレートが駆逐艦の顔面……でいいのか解らないが、正面を捉え抜いた。打ち抜いた。

『ごっ!?』

 並の深海棲艦だったら貫くような一撃を喰らい、声を漏らす尾。

 と、同時に、

「―――――ッッッ!?!?」

 レ級にも、今まで感じたことがない痛みが全身を貫いた。

 当然だ、当たり前だ。自分自身を殴ったのだから、因果など関係ない事象の節理だ。

『バ、ガッ――バガだれがっ!!』

 刹那、尾が怒声と共に頭突きをする。くわんくわん、と頭の中で鐘が鳴り響く二匹。痛い、どちらも痛い。

『己に牙を向ける奴がいるかっ! 少しは考えて動け!』

「……オ、マエモ、ヤッタ」

 両手でおでこをさすりながら、レ級は恨みがましい目つきで非難の言葉をあげる。

 青白い肌、と言っていいのか、果たして人で言う肌で合っているのか解らないが、不健康にも見えるその色彩に、おでこに、若干の赤みが広がる。

 赤が、赤色が、広がった。

 そんなひと悶着があり、その後も幾度か懲りずに攻撃を繰り出し痛みに悶え、一夜明けてレ級は考えた。

 ムシ、シヨウ――と。

 その結果が、現状だった。

『何を見ている? 楽しいか? つまらないだろう』

「ウルサイ、タノシイ」

『いい加減なことを言うな。何もないところを見て、何が楽しい?』

「イロンナ、モノ」

 レ級はここで生まれた。

 この海域で、この場所で、気が付けば目を覚ませばここにいた。

 生まれた瞬間理解していた。自身の存在やら、目的やら、敵やら味方やら……なんてことではなく。

 この場所から離れても、海も空も変わらないのだと。

 どこまでも、どこにでも、この空と海は続いているのだと。

 だから、レ級はこの場から離れない。この場に居続ける。どこに行っても変わらないなら、ここで静かに世界を眺めている方がいいと、そう思ったのだ。

 ずっとずっと、生まれてから半年以上、たった一人でいたのだが、最近になって艦娘と呼ばれる存在がちらほらと姿を現してきた。

 その存在を知っていて、知っているというより思い出し、同時に自分が何者なのか把握していった。

 同時に、今まで見てきた色鮮やかな世界が、少しずつ変わる。

 青い空に白い雲。

 反射し光る海に途方もない地平線。

 何も変わらないはずの世界が、今までよりもっと、色濃く、艶やかに、鮮やかに、軽やかに、変化する……感じが、した。

『長閑な風景ではあるが、』

 尾がレ級と同じように世界を見る、見つめる。

 レ級と同じ視点で、同じ世界を。

『ここから見る世界の先に行けば、もっと面白い世界を見れるかもしれん』

 ちらりと、視線だけを尾に向ける。顔は相変わらず空を見上げたまま。レ級の隣では、訳知り顔で偉そうなことを言う尻尾がいた。それは彼女に繋がっており、けれども思考も感情も、一切繋がりがない存在。

 今まで一人で空を見上げ、独りで地平線を眺めるのも悪くなかったが、思ったよりも。思う、よりも。

「オマエノ、マケ」

 その言葉に、尾はキョトンと、レ級と同じく表情は変わらないが驚いた空気を発する。そして、一連の会話を思い出し、レ級が何を言っているかを理解して、ニヤリと、嬉しそうに笑った。笑った、空気が流れた。

『なんだ、知っているじゃないか、しりとり』

 海は今日も穏やかで、空は今日も静か。

 二人で見る世界も、悪くはないな――と。

 



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常在選場(じょうざいせんじょう)

      Φ     φ     

 

 波は揺れ、天を映す海面。まばゆい宝石の如く輝き、海原の色彩と潮風が心地良い。

 空は晴れ雲が薄く伸び、海は穏やかに静かな佇まいを見せていた。

 レ級はいつもと同じように空を見上げ、少し最近のいつもとなった、尻尾との会話しりとりをしている何でもない日常。

 長閑とも平和とも言える風景の中で、それまで淡々と、それでいてノリノリでしりとりをしていたレ級が突然に沈黙する。

 海を見て、世界を見て。

 空を見て、風景を見て。

 尾は最初、台詞を考えているのだろうと思ったが、しばらく経っても無言のレ級に疑問符を浮かべる。

 明確なルールを設けていないしりとりだ、適当な言葉を口にするだけでも構わないので、いつもなら黙ると言っても一、二分程度。しかし、今は五分以上、口を閉ざしている。

 会話するようになってここ数日、一人が好きと言いながらも話し掛ければ返事をするレ級を見ている尾からすると、この長い沈黙は不可解極まりなかった。

『どうした?』

「キタ」

 ただ一言、事実を告げるレ級。

 両手を力なくぶらぶらと揺らし、波に身を任せ身体を左右に振る。自然体のようで、それはレ級の戦闘態勢とも言えた。傲岸不遜の力量を持つレ級は、身構えることなどしない。

 脱力し、括目する。

 何が起きるか、何が起こるかを、見てから行動する。

 だからこそ、体勢を整える必要がなく自然体こそが数多の状況に対応する一番の構えだった。

 尾が何がと問う前に、レ級がちらりと足元へ視線を向けた。釣られる形で尾も視線を向けると、何か、いる。

『……ああ、そうか』

 この段になり、尾も理解した。

 同時に、海中から盛大な水飛沫を撒き散らし、それも一つ二つではなく四つほどの柱を建てて何かが浮上してきた。言わずとも解る、このご時世、何もない海原に突然水柱を立ち上らせて登場する存在などそうそういない。当然と言えば当然の、深海棲艦達だった。

 軽母ヌ級flagshipが二体、軽巡ヘ級flagshipと駆逐イ級flagshipが一体ずつ等間隔で浮上してきたのだ。いずれの姿もレ級のように人型ではなく、異形の姿をしている。

 怪談に出てきそうな恐怖を掻き立てる様相。

 普段はレ級に寄り付かないのだが、ある時を除いて集まって来る。

 個から深海棲艦が集団になる瞬間、それは……

 

 ――――― 影が        ―――――

          空を

 ―――――       駆ける ―――――

 

 空気を叩きつける音が轟く。

 跳ねる回転数。

 掘削機の如く空を裂き、その存在を知らしめる。

 濃い緑の機体に真紅の円。

 現実には間に合わなかった零式艦上戦闘機の後継機、烈風が優雅にその身を躍らせていた。 

 編隊を作り真っ直ぐこちらに、レ級たち深海棲艦の艦隊へと向かってくる。

『ふむ、艦娘のお出ましか』

 尾が呟くが、レ級の耳にはもう届かない。何もない世界は終わった。何もいない景色は消え去った。そこには互いの生存地域を拡大させるべく、弱肉強食の真理のみが跋扈する正真正銘の無法地帯。

 潮風は硝煙に。

 波風は高波に。

 自身の力で、世界を創り出す世界。

 レ級は静かに瞼を閉じ、空を見上げる。息を吸い、戦の匂いを感じ取る。

 世界は優しい。

 生きようと思う者に好機を与える。

 世界は厳しい。

 生きたいと願う者に窮地をもたらす。

 これが生きるということ。

 生きるためにするべき、意思というもの。

「……アハ」

 口角を曲げ、瞼を開ける。

 可愛い服に身を包み、可愛らしさと相反する威風堂々とした主砲などの換装を装着した艦娘達が見える。

 彼女らが何のためにレ級の元に来るかは解らない。知らなくてもいい。理由や理屈など、レ級には関係ない。

 そこにいて、ここに来て、あそこにいる。

 理由などそれで十分で、理屈などそれで十二分。

「アハハハハハハハハハハッ!!」

 飛び出す。

 向こうから来るなら、こちらも向かう。

 戦術など関係ない。

 戦略など必要ない。

 戦闘があれば、それでいい。

「ヒヒッ!」

 満面の笑みで突進するレ級に追従するように、深海棲艦たちも慌てて動き出す。

 まずは敵の艦載機、烈風を迎撃しようと軽母ヌ級も艦載機を発艦させる。空中戦が始まり互いの制空権を取り合い、自軍の優位性を高めようと場を整えるのだ。

 だが、そんなことレ級には関係ない。

 レ級も艦載機、深海棲艦の間では飛び魚艦爆と呼ばれる艦載機を所持しているが、ヌ級が発艦させたのを見たからか出すことはせず速力を落とさぬまま突撃する。

 艦娘達の顔が見える距離まですでに詰めているのだ、わざわざ制空権を取らずとも、肉薄してしまえばいい。

「っ!? 本当にこの化け物は、色々お構いなしネー!」

 茶髪に巫女服を纏った艦娘、戦艦金剛が引き攣った笑みを浮かべ毒づきながら主砲を旋回させ、レ級に狙いを定める。その挙動を見て、両脇にいた二人の艦娘も頷き動く。

「ふむ、その心意気や良し。だが、浅はかと言わざる得ないな」

「変に関心してないで行くわよ、日向!」

「ああ、行くぞ伊勢!」

「二人とも、油断は禁物デース!」

 中央に金剛、左右に伊勢型一番艦、二番艦の伊勢と日向がレ級に標準を定めた。

 強大な主砲を持ち、絶大な火力を誇る戦艦三隻による集中砲火。

 制空権の確保も途中の状態であり、艦載機に邪魔されることなく狙い撃つことができる絶好の場面。

 本来であれば砲撃の邪魔をされぬため、また狙いを定める時間を稼ぐ目的で制空権の確保を優先してから戦闘が行われるのだが、現在レ級は単身で敵の目前におり、他の深海棲艦も追い付いていない状況。

 レ級はこの時、ただの的だった。

 射的ゲームの景品。

 狙いを定めて撃つだけの、簡単なシステム。

 レ級も主砲を旋回させ、砲撃の準備をし、さらに艦載機、飛び魚艦爆の発艦準備に魚雷の発射準備さえ同時に行う同時攻撃などという驚愕の挙動を取るが、今更遅い。遅いというより、無駄。間に合う間に合わないの問題ではなく、走行している中で砲撃を行い当てるなど、曲芸もいいところ。映画でガンマンが銃を横に構えながら撃つのと同じ道理。

 現実にやっても、当たるわけがない。

 戦場では致命的と言えるこの最中、声がした。

『……それでも笑うか、お前は』

 尾が呆れながらも余裕のある声で、呟いた。

 爆炎が上がる。

 轟音が鳴る。

 砲弾が世界を貫き、

 摩擦が世界を焼き切る―――

              ―――時にはすでに、レ級は金剛の目の前にいた。

「――え?」

 驚愕に見開かれる金剛。あり得ない光景を見て、現実に起こりえるはずがない現象を目の当たりにして、思考が真っ白になる。

 金剛、伊勢、日向はレ級の速度に合わせて砲撃した。それもただ狙い撃っただけではなく、互いに声をかけることなく示し合せ着弾地点を少しずらしもしたのだ。速度が上がった場合を考えて、舵を切った時のことを想定して、どこに逃げようと必ず当たる、必中の地点へそれぞれ放った。

 舵を切ってもダメ、多少速力が増しても無駄。

 これは演習、他の艦隊と互いの技術、経験向上のために行われる鎮守府同士での演習で編み出した、必殺と言える陣形攻撃。

 確実に敵へ被害を与える手法。

 それは素晴らしき戦術であり、戦略である。

 ただ、レ級には関係ないのだ。どれほど戦術を立て戦略を練ろうとも、見てから戦闘を行えるレ級には、見てから戦闘させるタイムラグが存在してしまう限り、意味はない。

 レ級が取った行動は大したことじゃない。金剛たちと同じく、放ったのだ。

 全攻撃を――――後方へ。

 想定外の加速。

 もちろん、いくら全主砲とは言え発射時の反動でそこまでの加速を得ることなど不可能だ。物理的に、そもそも絶対的な威力が足りない。多少なりとも反動で加速はできるが、それもせいぜい一、二歩運分。その程度の加速で逃げ切れるほど、金剛たちの陣形攻撃は甘くはない。その程度の攻略法、艦娘達が見逃すはずがない。現に、演習でも何度かその手を使われたことがある。だが、それでも避けきるのが不可能だからこそ、金剛たちはこの攻撃に信頼を置いていた。

 では何故、ここまでの推力を得られたのか。

 飛び魚だ。飛び魚艦爆。そして魚雷である。

 レ級は飛び魚艦爆を先に後方へと発艦させ、魚雷を落とし、撃ち抜いた。撃墜させた。

 燃料が満タンの、弾薬に火薬が満載の艦載機を撃ち抜き、その爆発によって魚雷を誘爆させ前進したのだ。

 レ級だからこそ出来る芸当。

 空母が扱う艦載機を持ち、戦艦が持つ強力な主砲を持ち、駆逐艦が持つ魚雷を持つ、全ての攻撃手段を一人で行えるレ級だからこそ、為し得た偉業。

「ヒトリメー」

 気の抜ける言葉とは裏腹に、深刻な一撃が金剛に叩き込まれる。

「ぐぎっ――――!?」

 海に空に世界を裂く、レ級の拳が金剛の胸を捉えた。

 飛び石のように跳ねる金剛。

 回転し、回転し、また回転。

 勢いは収まることなく金剛を海面に叩きつけ浮かし弾き飛ばす。

「金剛!?」

「ダメ! 日向!?」

 弾け飛ぶ仲間に目を奪われた日向の耳に、自身を呼ぶ悲痛な声が入る。

 気が付けば、舵を取っていた。動いていた。

 判断する前に、気が付く前に全速力でその場を離脱する……が。

 爆風と爆炎が日向の左舷から起きた。

「ちっ!」

 咄嗟に面舵、右舷に回避行動を取ったのだが、左腕に損傷、左側の砲身が曲がり使い物にならなくなっていた。

「化け物め……っ!」

 舌打ちし、距離を取った日向が苦虫を噛み潰した表情で言う。

 そこには、両腕をだらんと垂れ下げ、首を傾け顔だけ日向に向けるレ級が立っていた。

「オシイ」

 悔しそうな顔をする、ことなどなく。

 レ級は破顔した表情で言った。

 日向が金剛に気を取られていながらも、レ級の攻撃を避けられたのは幸運だっただろう。本来ならば着弾し中破ないし大破以上の損傷を受けてもおかしくはなかった。

 ではなぜ、避けられたのか。

 問題は、レ級の方にあった。

『お前……少しは戦い方を考えてくれないか……』

 尾が文句を言う。それもそのはず、レ級の背中は焼けていた。傷を負っていたのだ。

 いくらレ級が凄かろうと、金剛たちの攻撃も引けを取らず最上の手段だった。それを避けるために行った手段は、レ級と言えど無傷で切る抜けるのは難しかったのだ。

 艦載機に魚雷の爆発。

 しかもレ級が持つ強力な兵器。

 その威力は一瞬でレ級を金剛の目前に持ってこれるほどある。

 いくら避けるためとは言え、自らの攻撃で傷を負っては意味がないようにも見える。

 だが、攻撃を受けるという結果が同じなら、より損傷の少ない方を選択する。

 結果が同じならば、レ級はより敵を殲滅できる方を選択するだけだった。

 攻撃を受けず損傷せずに切る抜けようとなど迷いもせず、レ級はいくらかの損傷を覚悟で実行したのだ。

 これが、レ級が化け物と言われる由縁。

 例え正しいと解っていても、普通ならば躊躇してしまうことを、平然と成し遂げる。

 戦術など関係ない。

 戦略など必要ない。

 戦闘があれば、それだけでいい。

 それだけで、レ級は勝利を刻むことができるのだから。

 機動力が落ち味方の深海棲艦はまだ遠くにいる。レ級は敵地のど真ん中にいるのと同じで、状況だけ見れば人数の差など窮地には変わらないのだが、それだけだ。

 それだけで、それだけだ。

 このような時でも、レ級に退却の二文字はない。

「マダ」

 腕を上げ、手を額に当てる。

 遠くを見る時に行う格好にも見えるが、一応軍に所属している艦娘的には、その姿はむしろ敬礼に見えた。

 不遜で、挑発を孕んだモノに。

「マダ、オワラナイヨ」

 戦争は、始まったばかりだった。

 

 



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常在選場(じょうざいせんじょう) 1-2

       Φ     φ     

 

『避けられたじゃないか』

「カスッテルシ」

『潮時だな、一度下がれ。後ろと合流した方がいい』

「イヤダ」

『駄々っ子め』

 レ級と尾が相変わらずの言い合いをしている。戦場では余裕より愚かと言えるその言動を、日向は隙と見ずに用心深く窺っていた。いつもの日向なら、とりあえず殴りかかれば解るだろうと行動を優先させるのだが、相手がレ級となるとそうもいかないようだ。

 金剛が吹っ飛ばされ、日向も中破している。主力となる戦艦二隻が早々に戦線離脱に近い状況を見るに、艦隊の損傷は大きいと言えるだろう。

 レ級と相対する日向を心配そうに見つめる伊勢。本当なら今頃撤退している予定だったのだが、結果的に戦闘が始まってしまったのだ。今回の任務は海域の拡大ではなく、どちらかと言えば現状確認の視察だった。基地に新しい提督が着任するということで、しばらく提督が不在だったラバウルでは他の鎮守府よりも出撃が少なく、周辺の海域が維持できているのか確認の為に出てきた。もちろん深海棲艦の進行を防ぐために出撃はしてきたが、新たな海域確保の出撃はほぼなく、積極的に出撃をしていないので海の変化が解りづらい。何もない海だが、毎日見ていると微細な変化も感じ取れるが、たまに見る程度では細かな変化は気づきにくいのだ。その結果、敗北する可能性が高くなる。できれば定期的に出撃はしたかったのだが、提督不在では作戦の立案も艦娘が行うしかなく、迂闊に新海域へ出撃するのを躊躇われた。

 伊勢はやや離れた位置にいる空母の翔鶴を見やる。援護をしたいのだろうが、レ級以外の敵艦隊、四隻ほどが伊勢達残りの艦、航空巡洋艦の鈴谷と熊野が戦闘を行っているので難しいようだ。翔鶴が抜ければ四対二、駆逐艦二隻と言えど、相手には空母ヌ級がいる。片手間に戦える相手ではない。さらに間の悪い事に、元々偵察程度の目的で進軍していた。装備に関して万全のモノではなく、唯一翔鶴が烈風など上位互換の艦載機を積んではいるが、他のメンバーはそこまで強力な装備を搭載していない。

 旗艦である金剛がいない今、指示を出せるとしたら唯一無傷の伊勢なのだが、対処を決めあぐねていた。

《引くか、戦うか……》

 レ級の強さは噂以上だった。金剛が過去に一度、姉妹艦の榛名と霧島、空母の赤城、加賀、瑞鶴の艦隊で挑み敗北したと聞いていたが、予想よりも、想像よりもその強さは化け物じみている。伊勢だって艦娘であり戦艦だ。通常よりも強い深海棲艦と戦った経験はある。六隻という定石から外れ、大規模艦隊の決戦も一度経験していた。経験値で言うなら他に引けを取らない古株とも言える立場であり、戦歴で言うならいずれも轟沈することなく生き延びてきた古強者である。

 だが、それら経験を嘲笑うかのように、凡人の行き止まりを痛感させられるかのように、レ級は強さは規格外だった。

 航空戦で制空権を取ることなく突撃し、砲撃ではなく肉弾戦で突破してきた。

《普通だったら撤退するんだけど……》

 金剛の安否も気になり、日向が中破、装備も不十分というこの状態では戦闘を継続するより一度撤退し、編成と装備を整えてから再出撃するべきだ。相手がいつも通りの深海棲艦ならばそうした。迷うことなく退路を確保し、翔鶴に援護を頼み鈴谷と熊野が魚雷で攪乱、その隙に金剛と日向を回収し砲撃しながらの撤退戦を行うのだが。

《こいつ相手だと、そんな定石が無意味にしか思えないのよね……》

 どんな行動をするか解らない、トリッキーなレ級相手では作戦の組みようがない。こういう時に提督がいれば、指示を任せ戦闘に集中できるのだが、今は無い物ねだりだ。

 追って来られない程度に損傷を与えるか、それとも撤退行動を優先するか、伊勢が思案していると、日向が。

「伊勢、やるぞ」

「日向?」

 後退しつつ伊勢に近づいた日向が、小さな声で言う。

「さっきの見たろ、下手に撤退戦すると危険だ。こいつは何をするか解らない。沈んではないと思うが、金剛も心配だ。こいつを叩けば楽に撤退できる」

「そりゃ、そうだけど……」

 そのレ級を叩くのが難しい。ようはレ級を撃破し、残りの深海棲艦は無視して撤退しようということなのだが、それが出来れば苦労はしない。

「何か考えがあるの?」

「ない」

 きっぱりはっきり言い切る日向。

 あまりの潔さにぽかんと口を開けることしかできない伊勢。

 無為無策、よりはマシのとりあえず戦ってみようという、日向らしい考えだった。考えと呼べないものだが。

 互いの距離は数歩分しかなく、砲撃では動作が鈍く当たらないと踏んでの肉弾戦となってしまう。先ほどレ級の腕力を見てその決断をするのは、無謀に等しい。

 だが、それでも―――。

「なに、あいつも損傷している。二人掛かりで畳みかければ何となる」

「……出来なかったら?」

「その時はその時だ、あの世とやらを見てみよう」

 ニヒルに笑う日向に、伊勢は苦笑を返した。

「ま、全員生きて帰るには、結局あいつをどうにかしなきゃだしね」

「ああ、ここで仕留めておくか」

「そうね」

 そして二人は、覚悟を決める。

 

 額に汗、    喉に生唾、    掴む右手に抜刀。

    呼気を整え、   心を震わし、      視線の先。

 

 この時、レ級は初めて自然の景色以外に、心を奪われた。

 腰に差していた、飾りに見えた細長い棒を抜き放つ二人の航空戦艦。

 それは民族の名が与えられた一振りの刃。

 簡単に刃こぼれし脂巻きする軍刀ではなく。

 

 斧より薄く、槍より短く、剣より細い、

 

 波紋は芸術品とも言える、世界最強の鉄の棒。

 弾丸すら二つに分かつ日本刀を、向け構える。

「伊勢型二番艦航空戦艦、日向」

「伊勢型一番艦航空戦艦、伊勢」

 

「「 ―― 参る ―― 」」

 

 初速は鈍足、加速は不足――――気迫は十二分。

 陽を跳ね返す、水面の輝きとは別の、冷たさと鋭さを感じさせる輝きがレ級を襲う。

 ゆらりと舞う眼光に、

 くらりと霞む閃光と。

 生まれて初めて、レ級は背筋を凍らせた。

 敵意ではなく、悪意でもなく、純粋に純朴に研ぎ澄まされた殺意。

 あの光に触れるのは危険だと、本能が告げさせられている。二人に、無理矢理に。

 本当はそんなことがないとしても、日向に伊勢、二人の気迫が信じさせる。

 

 ――― そぅら、受けてみろ ―――

 

 どちらが言ったのか、気が付けばレ級の目前に躍り出ている影。

 左から伊勢、右から日向。

 残光の尾を引き、斬りかかる!

「ッ!?」

 咄嗟に後方へ跳ぶレ級。いくら気圧されていても、気負い負けしていたとしても、それでやられるほど簡単な存在ではない。

 後方に跳ねると同時、置き土産として魚雷を空中に放つ。着水した同時に爆発し、損傷を与えるだけでなく怯ませ、その隙に砲撃を叩き込む算段を本能で行動しようとした矢先。

 切先。

 先ほどまでレ級がいた空間を鈍く鋭く走る刃の軌跡が、バツ印に魚雷ごと通り抜ける。

「!?」

『ほぅ、やるな』

 尾が感心した言葉を漏らすが、レ級にそんな余裕はなかった。一呼吸の間も開けずに、日向に伊勢は立ち止まることなく、刃を握り直し、垂れる眼光を背後に流し、追撃してくる。

 そし 繰  す 右の斬

   て り返 左   撃

 決して変わることのない、同じ軌道からの刃先。

 右から日向の小手と面が来れば、

 左から伊勢の胴と足払いが来る。

 来る場所が解っているのに、それでも尚、執拗に同じ側から斬りかかる。

 取舵伊勢に面舵日向。

 かつてレイテ沖で艦載機の爆撃から生き延びた、二隻の戦法。

 貫き変わらぬ軌道は、だからこそ読みづらい。

 日向が右から振りぬけば被せるように伊勢が左の下段から逆袈裟斬りで退路を封じ、返す刀で斬りかかって来ると思えば、日向は独楽の如く回転しまた右から袈裟斬りする。

 右から右から右から、

 左から左から左から、

 左右から、上下から、止まることなく斬り続ける。

 あのレ級をも下がらせる、猛撃――に見えた。

 それは遠くから様子を見る翔鶴が、二人の剣術に見惚れてたと言ってもいい。このまま押し切れると蚊帳の外の第三者はそう思える光景だった。

 だが、当の本人たちは気づいている。大事なことに、気が付いていた。

 斬り続ける。

 斬り続けている。

 つまり、幾度も数度も何度も振り下ろし振り上げる切先は、一度もレ級を捉えられていないということに。

 しかし、それはお互い様でもあった。レ級が反撃にと魚雷を発射するも、避けながらのせいか一つはレ級の後方へ、もう一つは右斜め側、日向の方向に手裏剣のように回転しながら落ちていく。まともに狙いなどつけられていないし、まともに発射すら出来ていない。だが、これはレ級がまだ攻撃する暇がある事実でもある。完全に、追い詰めきれていない。

「ちっ!」

 日向が舌打ちし居合いの構えを取る。伊勢がレ級を押さえるために前に出て一瞬の間を作り出す。変わらぬ攻防に痺れを切らした日向が、勝負に出たのだ。

『……ああ、そうか』

 尾が他人事のように呟く。伊勢が左に回り進行方向を妨害し、日向がレ級を待ち構える。多少の被害を受けてでも決する覚悟で、二人が敷いた必殺の一撃。それを見抜いたからこそ、尾は呟いた。

『これは、避けられんな』

 レ級が砲撃しようと尾の砲塔を動かすが、間に合わない。さらに伊勢が突きでレ級の後方を封じ、日向の右側へと押し出す。尾の動きも封じられたレ級は伊勢に打撃を、伊勢の伸びきった腕、右肘に裏拳を叩き込み骨が折れる音が聞こえるが、それでも伊勢は突進してきた。

 下手をすれば伊勢もまとめて斬ってしまう可能性がありながらも、日向は細く息を吸い、レ級を眼球に捉え、怯まない。

 渾身の一撃。

 必殺の間合い。

 いくらレ級と言えど、これを避けるのは不可能。

 尾の言う通り、避けきれないわけがなかった。

《――え》

 伊勢が気づく。突きの体勢でレ級の後方を封じた結果、レ級の背後に視界が広がった。

 また、もし尾の呟きを聞いていた者がいたならば、納得しただろう。避けきれないと言った本当の意味を。

 青き海に境界線を。

 後方から、真っ直ぐとレ級へ向かう一筋の白線。

《あれは――っ!?》

 魚雷だ。先ほどレ級が放った魚雷が、手裏剣のように回転し飛び出し海中に落ちた魚雷が、戻ってきた。

 偶然か、必然か。

 偶然にしては出来過ぎで、必然にしては異常過ぎる。狙ってやったのなら、本当に化け物だ。連撃の最中、しかも二人掛かりで斬り込んでいる最中に、そのような曲芸染みた真似をするなんて。

 けれど、魚雷が来たからといって日向の一撃は止められない。魚雷の位置も遠く、例え自爆覚悟の攻撃だとしても、日向の刃が先に世界を分断する。魚雷だからなんだと言うのだなどと、楽観的な思考を、伊勢はできなかった。

 知っているから。伊勢は、レ級が魚雷は艦載機をどのように使うのかを、知っている。

 魚雷を敵にぶつけて爆発させるなどといった本来の使い方を、しないということを。

 だから、気付いた時には遅かった。

 だけど、気づけた時には遅かった。

 日向の居合いが放たれる――それより、数瞬前に。

 レ級が海中へ砲撃する。伊勢の突きにより中途半端に動いて、海中へと砲身が向いた砲撃が。

 真っ直ぐ向かってきた、魚雷を撃ち抜くように。

「なっ――」

 水飛沫を上げ爆風と共に浮き上がるレ級。

 それほど近場で爆発が起きたわけではない。しかし、波を起こし風を引き起こすには十分の威力。

 ほんの少し、レ級の身体が浮いた。

 ほんの少し、日向の身体が動いた。

 爆風で、

 波風で、

 二人の位置が、ほんのわずかに、ずれた。

 空を斬る日向の居合い。

 踏み込んだ日向の目の前に現れるレ級。

 攻撃を試みるも肘を壊された伊勢。

 全てが詰んでいた。

 避けられない。

 尾が言ったのは、この事だった。

 両腕両足に尻尾を広げ、木の字で浮かぶレ級。

 日向と伊勢の瞳が驚きで見開かれる……が。

「……うな」

 日向の眉間が、皺がよる。

 浮かぶレ級に向け、震える声で、我慢ならないと言った具合に。

 怒気を孕んだ、悲痛な絶叫を重ねて。

「笑うなああああああああああああ!!」

 破顔し開眼しワラウ。

 伊勢からは見えない、日向の眼前に浮かぶその笑顔が、世界を嘲笑う。

 何者も叶わず届かない、全て一人で出来るレ級は、だからこそ嗤う。

 目じりを下げ、口角を上げ、歯をむき出しに、嘲笑に微笑に哄笑に失笑を含んだ、満面の笑みを向ける。

 広がる四肢の一つ、右腕に、拳を握り。

 無防備となった、憐れな犠牲者へ向けて。

 レ級が現実を突き付ける。

「フタリ――」

「バァァァァァアニングゥゥゥゥゥゥ!!!!」

 レ級の視界が消える。

 星が輝く夜空の如く暗く、しかし星々の煌めきが見えぬ暗闇の世界。

「ラァァァァァァァァァァブッッッ!!!!」

「ギュッ!?」

 衝撃。

 弾け飛ぶ。

 錐もみ回転しながら、レ級は吹き飛ばされた。

 明滅する視界、顔面には不可思議な感覚が残り、天と地が幾度も移り変わりながら、レ級は海面へ叩きつけられ、跳ね、落ちる。

 盛大な噴水を巻き起こし、レ級はうつ伏せに倒れ伏す、が。

「ギ……ガ……」

 すぐさま震える腕で身体を起こし、立ち上がろうとする。何が起きたのか、確かめるために。

「ハァッ、ハァッ……」

 レ級の視界の先、吹き飛ばされた発射地点では、一人の艦娘が仰向けに倒れ荒い息をしていた。その体勢には理由があり、それがレ級を吹っ飛ばした理由であった。

 レ級の顔面には、二つの足跡が付いている。

 金剛がレ級の顔面目がけて放った、ドロップキックの足跡が。

「オ……マエ……」

「てめーの……相手は、私ネ」

 戦艦、金剛が人を小バカにする笑みを浮かべていた。

 金剛の後ろ、そこには爆炎が上がっていた。よく見れば金剛の装備もいくつか消えている。そこから導き出されるのは、つまり。

 金剛はレ級と同じように、自身の装備を誘爆させ加速したのだ。

 まるで、レ級の攻撃を真似るように。

「いつまで調子に乗ってるフロッグヤロー」

「ゴ、ノッ……!」

 金剛が中指を立て、レ級を睨み、笑う。

 不遜で、挑発を孕みながら。

「まだ、終わってないネ」

 戦争は、まだ終わらない。

 

 

 




こちらは後で少し加筆修正すると思います。
ただ言葉を増やしたり表現を変えたりするだけなので、基本は同じままです。


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【番外編】 とあるイベントのレ級の日常


 こちらは本編とあまり関係なく、けれども一切も触れてないと言えば嘘になる、そんなお話です。
 レ級の口調が違いますが、これは番外編だからとご理解頂ければ幸いです。(ちょっとばかり口調が変わるのは理由があるのですが、そちらは本編で段々と明かしていきたいと思います)

 また、メタ発言が多くあるお遊びのお話でもあるので、そちらもご理解下さい。
 またイベントの【ネタバレ】も多少含んでいるので、まだ知りたくないという方はお気を付け下さい。




 

 ――― 獣は争いを終わらせ、

              人は戦争を終わらせない ―――

 

 トラック島とは小さな島である。

 大戦後期まで連合艦隊泊地が置かれた地であり、昭和十九年二月十七日、米第58機動部隊の攻撃により壊滅的な打撃を受けた。このトラック大空襲の際に沈没した艦船は、現在では沈船ダイバーたちのメッカとなっている。

 日米の艦だけでなく、戦闘機や戦車も多数沈んでいる。

 過去の名もなき英雄の墓。

 過去の大罪人達の墓標。

 どちらの意味を取るか、それは個々の好き好きだろう。

 海底に沈む、サンゴに彩られた旧戦車。役目を終え口を閉ざした砲塔。

 緑と藍色が混ざる海で、彼らは静かに、長らく続く平和に瞼を閉じている。

 薄い青空に指でなぞった白き雲。

 その地に、今。

 

「ニドトフジョウデキナイ……シンカイヘ……シズメッ!」

 

「阿賀野の本領、発揮するからね!」

 

「ヒノ……カタマリトナッテ……シズンデシマエ……!」

 

「やってやります! てーっ!」

「さあ、華麗に踊りましょう!」

 

「ヤクニタタヌ……イマイマシイ……ガラクタドモメッ!!」

 

「わたし、戦いは……ぅ、今は、やるしかないか!」

「遠洋航海艦隊旗艦香取、抜錨します。皆さん、ついてきて?」

「那珂ちゃんセンター、一番の見せ場です!」

 

 新たな戦争が、始まる。

 

 と、晴れやかな舞台と言っていいのか悪いのか、言葉を選ばなくては問題が起きそうなそんな場所から少しばかり離れた地。いや、海。

 いつもより静かでいつもより穏やかでいつもより寂しい、レ級の住処では。

『おい、拗ねるなよ』

「拗ねてなイ……」

 レ級が体育座りで、お尻の近くの水面を手でかき混ぜていた。海を裂く一撃を持つ指は、けれどもこうして見ると幼さの残る細く小さな五指。入浴中と思わせる水の跳ねる音をさせ、音に釣られた魚が右往左往している中、レ級はつまらなさそうな表情で頬を膨らませていた。

「別に、ボク嫌われてるからいいシ。Wikiの掲示板とかで、そろそろイベントとか出てもいいっかなって書くとほっぽちゃんがカエレって言うシ」

『あれはネタだろう? ほっぽも本気で言ってるわけじゃない』

「いいもん、ほっぽ嫌いだシ。この前のイベントだってボクのとこ来て『レ級ネーチャン、オシゴトシナイノ?』って言ってきたんだヨ? 出れるならボクだってやるサッ!」

『まぁ、その……なんだ。ほっぽも悪気があって言っているわけじゃない』

「当たり前だヨ! あれで悪気があったらボク本当に泣くからネ!?」

『もう泣いているじゃないか』

 レ級が膝に顔を埋め、「泣いてないし水飛沫だし」と尻の水をさらにバチャバチャと跳ねさせる。魚が逃げていく。

 戦艦レ級が艦隊これくしょんに登場したのは、【Extra Operation】 サーモン海域北方

、通称5-5と呼ばれるおまけのステージだ。2014年3月14日に実装され、もうすぐ一年が経とうとしている。このアップデートでドイツ艦の『戦艦ビスマルク』『Z1』『Z3』も同時に実装され、提督諸君の間では歌姫の登場にドイツ艦と悲喜交々の出会いで大いに盛り上がるはずだった……のだが。目玉の彼女らを差し置いて、話題をほぼ独占したのは他でもないレ級だった。

 その圧倒的すぎる今までにない強さに、先を行く提督達は悲鳴を上げ、新たに着任した提督達は彼らの情報を聞いて絶望に落ちていく。

 その頃はまだ弾着観測の手法がなく、対抗手段が厳しくもあったのだ。それからしばらくして弾着観測が実装、手法を確立させたが、それでも恐怖は変わらない。何より恐れたのが、すぐ間近に迫っていた春イベントだ。もしこのイベントにレ級が現れたら……当時の提督達はみな白目を剥いてコワクナイ、ゼッタイ、ダイジョウブダヨと言いあった。ついに開催された春イベントで、レ級は登場せずに、その不在に多くの提督が安堵したものだ。

 しかし、恐怖はいつまでも渦巻いている。

 いつ、あいつがあそこから出て来るのか……と。

 けれど、その恐怖は未だ未知の恐怖のままだった。

 というより、最近その恐怖が多少薄れてきている。

 レ級が登場してから十一か月、未だレ級は出て来ない。

 もはや出させる気がないのではないかと、提督達の間ではもっぱらの噂だった。

「ハァ……」

 溜息が漏れる。珍しく意気消沈する姿を見て、尾はあえて突っ込まず、レ級とは反対の海を眺めていた。

 静かで、穏やかで、誰もいない海を。

 イベントが始まると、まず誰もレ級の海域には来ない。時たま強者提督かイベントを諦めた提督が遊びに来ることもあるが、普通の日々と比べて格段にその頻度は落ちる。理由は明白だ。この海域に来る資源とバケツ(高速修復剤)が勿体ない。艦娘の疲労も溜まる。何より、久々のお客さんだと張り切るレ級が大破艦を続出させてしまう時期なので、多くの提督は「一生ここから出て来るんじゃねーぞ!」と捨て台詞と共に去って行く。

 まるで、レ級がイベントに出て来ないのを確認するかのように。

「……なんでだろう」

『何がだ?』

「なんでボク、イベントに出られないんだろう」

 恋に悩む乙女の如くか細い声で、瞳に滴を浮かべながら、レ級はぽつりと呟いた。

 それはずっとレ級の悩みだった。

 レ級が登場してもう一年が経とうしている。

 出番が遅れているだけならばともかく、新しい深海棲艦が次々とイベントにボスとして登場し、それだけでなくほっぽのような新ボスが通常海域にまで登場する優遇ぶりだ。

 レ級は通常海域でこつこつと実績を積み重ねていたというのに、ちょっとロリっぽい外見で幼き少女を全力で愛でる提督達に気に入られたほっぽは、出世街道に行ってしまったほっぽに対しては、ライバル心以上の対抗心とは違う、劣等感に似た何かを感じていた。

「ボク、結構ボス前とかボスの随伴艦としていい配置だと思うんだけどナ……」

『いや、ボス前に来られたら面倒だと思うぞお前。制空権も取るし、潜水艦も攻撃できるからな。ルート固定の条件も厳しくなるだろう』

「でもサ! ノーマルなら大丈夫じゃなイ? ノーマルなら意外と行けるって最近の古参っぽい提督は言ってるヨ!」

『それは逆に新人や中間層からしたら厳しいという話じゃないのか?』

「わかっタ! 開幕雷撃ちょっと外すようにすル!」

『お前は何を言っているんだ?』

「だっテェー!」

 ついにレ級は寝転ぶと、四肢を振り回しだだをこね始めた。盛大に水が跳ねる。

 うがーと叫ぶレ級を見て、気持ちは解らないでもないと尾は思っていた。毎回毎回お留守番だ。仲間はずれにも似た心境の中で、唯一存在が許されるのは攻略する必要のない趣味の海域。割と詰んでいる。出会いを求める男だらけの職場のOLの心境だ。

 何より今回、レ級が一番不満を漏らしているのは、ある深海棲艦のせいだった。

「そもそも! なんで戦艦棲姫がまた出てるんだヨ!」

『それは……まぁ』

「おかしいでショ! 何回出るつもりなのダイソン!? バカじゃないノ!? だからダイソンなんて呼ばれるんだよあのオバサン!」

 戦艦棲姫、通称ダイソン。

 イベントのボスと共に登場し、旗艦を庇いボスを倒させない、ボスへの艦娘の攻撃を何故か一身に受けたがる姿は、某掃除機と同じく変わらない吸引力で集める様から付けられたあだ名だった。

 初登場は2013年の秋イベント。そこから2014年の春夏秋と、そして今回の2015年冬イベントにも登場する引っ張りだこの深海棲艦だった。出過ぎである。

「去年ずっと出て今年もずっと出るつもりなのアイツ!?」

『まぁ、そこそこ強くてボスを狙わせないとなると、使いやすいからな』

「どこが!? 今回甲だと四百も体力があるんだよ! だったらボクでいいじゃン!? ダブルダイソンするくらいならボク入れればいいじゃン!?」

『お前がいると色々制空権とか面倒に……』

「面倒って何なのサ! それに今回から難易度を選べるようになったんだヨ? 丙乙甲っテ! だったら丙は普通の戦艦、乙にダイソン、甲にボクって並び出来るじゃン! ジャン!」

 レ級が尾の両頬を掴み左右に振る。

 濡れた犬のように身体を震わせレ級の拘束から抜け出た尾は、宥めるように言う。

『今回は、中規模だったしな……』

「どこが中規模!? 全然中規模じゃなかったじゃン!? ダブルだヨ! ダブルダイソンだったヨ!」

『一先ずダイソンは置いておけ』

「あーあ、ボク、本当に一度もイベントに出れないのかナァ……ずっと一人で、ここだけの深海棲艦として生きていかなきゃならないのかナァ……」

『おい泣くな』

「泣いてなイ。鼻水だシ」

『おい拭け』

「ウン……」

 袖で拭こうとするレ級を尾が止め、海水で顔を洗うように促す。両手を広げてばちゃりばちゃりと顔を洗う様子は、ほっぽに近いあどけなさが窺えた。

 レ級は唯一、深海棲艦の中で表情があると言えるだろう。

 もちろん、他の深海棲艦で憎しみに囚われた顔を持つモノはいるが、レ級ほど感情を持っていると思わせる表情をする深海棲艦は存在しない。

 無邪気であり、天真爛漫であり――――残酷でもあるのだ。

 それは艦娘や人類に対して、だけではなく。

 レ級自身にとっても、残酷な事実である。

 そのことを自覚するのは、恐らく大分先だろう。

 今のレ級より、もっともっと、もっと強くなった時に、理解する。

 最強が故の孤独、

 無垢さ故の孤立、

        なんてどうでもいい事ではなく。

                      知能が故の、

                      知識が故の、

                           絶望を。

 それを、尾は感じ取っていた。

 こうしてイベントに出れず、嘆く間は幸せだと。

 どちらにとっても、幸せだと。

 よくも悪くも、もし、レ級がイベントに出てしまえば、きっと……。

『貪欲が人類に憎悪をもたらし悲劇と流血をもたらした。思想だけがあって感情がなければ人間性は失われてしまう』

「? なにそレ?」

『とある喜劇王の言葉さ』

 尾はレ級の頭に顎を乗せ、レ級はやや不満そうに、けれども嫌ではなさそうに、尾の頬をぺちぺちと叩く。

『お前は今、貪欲であればいい。お前は憎悪を振りまく存在であればいい。そうあり続けることで、お前はお前で居られるだろう。だが』

 尾がゆっくりと、レ級に言葉を飲み込ませるように、口を開く。

『覚悟しておけ。思想があり、感情がなければ人でないならば』

「ならバ?」

 レ級が視線を上に向ける。

 フードのせいで尾が見えず、視界に入るのは澄み切った青空だった。

『感情があり思想がなくなれば、お前は人を知ってしまう、という事だ』

 レ級は尾が何を伝えたいのか、真意を理解できていない顔で眉を潜めた。

「人間ってアレでしょ、海の上を歩けなイ。それくらい知ってるけド」

『そうだな……それが、人間だ』

「? 変なノー」

 ぺちり、ぺちりと。

 レ級が尾の頬を叩く音が沈んでいく。

 静かに静かに、さざ波だけが空気を食し、波間だけが時を重ねるように。

 これは未来の話、遠くて近い、目の前の話。

 それがいつの日になるのか、誰も知らない話…………

 

 




 ちなみに筆者は2/11に何とか全て甲でクリアすることが出来ました。
 レ級は出てきませんでした・・・ッ!!(震え声


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常在選場(じょうざいせんじょう) 1-3

       Φ     φ     

 

 金剛型巡洋戦艦とは、日本初の超弩級巡洋戦艦だ。また、戦艦金剛は日本が英国で建造した最後の日本戦艦である。

 日露戦争後の日本海軍は英国頼みの建造方針から、自国の力でのみ強力な戦艦、軍艦……すなわち主力艦を建造する計画を立てていた。しかし、時を同じくして一九〇六年、イギリス軍が画期的かつ従来の戦艦群を圧倒的に上回る戦艦ドレットノートを生み出した。これを見て後の類似艦は頭文字をもじり、ド級艦の名を冠することになる。それから数年後、イギリスはさらに大型となる超ド級艦生み出した。諸説は様々だが、世界各国の大建艦競争時代をもたらし、ワシントン海軍軍縮条約から始まる海軍休日時代の遠因とも言われる戦艦でもあったのだ。

 閑話休題。

 話を戻すが、日本海軍では金剛以降の艦がド級艦に該当する。金剛型四隻のうち金剛のみが英国で建造されたのは、そういった技術の差があったからだ。当時のイギリス、アメリカ、ドイツの技術力は世界トップクラスであり、日本の技術力はまだ追い付いてさえいなかった。足元さえ、辿り着けていなかった。

 日本のみの技術力では超弩級の建造競争に勝てない。歴然たる事実。

 だがそれでも残りの同型艦、二番艦比叡、三番艦榛名、四番艦霧島は、初の民間による主力艦建造となったのだ。金剛の建造を同盟国に任せ、技術を学び、純国産の主力艦を建造しようとした。

 その結果、イギリス海軍のド級艦後の艦とはいえ、第一次世界大戦当時、金剛型四隻からなる第三戦隊は世界最強であると言われる程となった。ドイツに手を焼いていたイギリス軍から一時的ではあるが貸与の申し入れが在るほどだった。

 日本の軍艦、戦艦の歴史の中で、重要な転換期であり起因となった艦。

 現役戦艦として最も古く、そして最も活躍した艦。

 巡洋戦艦金剛には、意地がある。

 それも三つ、大事で大切な意地がある。

「ヘイ、フロッグ(カエル野郎)に一つ大事なことを教えてあげるマース」

 一つは、戦艦の時代を終わらせ新たな時代の幕開けを築いたイギリス魂の意地。

「どんな時でも」

 一つは、小さな島国ながらも列強諸国に一歩も引かなかった大和魂の意地。

「どんな相手でもサー」

 一つは、一時でも世界最強の名を胸に、もっとも多くの世界大戦の戦地を駆け抜けた、戦艦の意地。

 建造イギリス、国籍日本。

 二つの祖国を持つ金剛には、意地がある。

「舐めてると、痛い目みるわよ」

 日向の肩を借りて立ち上がる金剛。その顔に剣呑な光を内包し、伊勢や日向も同様の気迫のこもった眼差しを浮かべていた。

 レ級にとって、艦娘など、深海棲艦など、何も出来ない存在だった。それぞれ特有のことしか出来ず、手数は少なく手札は一つか二つ。

 やることなど単調で単純。

 出来ることなど単純明快。

 オールマイティのレ級にとって、スペシャリストなどそれしか出来ない言い訳としか認識していなかった。

 なるほど。確かに強固な装甲と強力な火力を持つ戦艦は、この三人は、厄介だった。

 肘を壊したとは言え他の装備は無傷の伊勢。半身に被害を受けている日向。そしてほぼ大破に近い状態の金剛。それでも、小破、中破、大破になっていると言えども、このまま戦って勝てるかと言われれば、素直に頷くことができない、下手をしたら返り討ちに合う気迫を感じさせる。

 確かに、強い。

『まぁ、いい勉強になったんじゃないか』

 尾が気軽な調子で言う。あまり戦闘のことに関して口を出さない、文句は言うが、尾にしては珍しい行動だった。してやられた感がある金剛の一撃に、レ級は未だ膝をついたまま立ち上がらないのを見て、慰めるというのも変な話だが声をかけてやろうと思ったのだ。

『お前も完璧じゃない。お前は強い、けれど、お前が強いから相手が弱いというわけじゃない。それが学べただけでも、良い教訓だろう』

「……ウン」

『一先ず退却しろ。幸いこちらの戦力もまだ残っている。艦娘の空母と重巡が健在だが、戦艦の状態からして深追いはしてこんだろう。迂回しつつ合流して、離脱だ』

「……ウン」

『……落ち込む必要はない。俺も最初に落とした奴が戻って来るとは思わなかった。あれは確か、戦艦金剛か? 艦娘の中でも多くの戦場を駆けた、多くの戦を経験した古強者だ』

「……ウン」

『……お前よりも胸部装甲は大きいな』

「……ウン」

『お前、俺の話を聞いていないだろ』

 尾に言葉を返すレ級だが、生返事のうわの空だった。

 強かった。特に伊勢と日向の近接コンビは見惚れるほどの脅威を感じた。

 あの禍々しくも美しい刃。

 間断なく攻め続ける動作。

 同方向からの変化無自在の攻撃なのに、来る方向が解っているのにも関わらず隙間を縫って拳をぶち込むことが出来なかった。魚雷による爆発なんて虚を突いた選択で何とか対処できただけだ。

 そう、尾が何かを言っているが、金剛なんて最初にぶっ飛ばして離脱した癖に、美味しいとこだけかっさらいに来た卑怯者ことなど、レ級はまったく何も思っていない。あんな攻撃、レ級の真似とも言える攻撃なんて、痛くもかゆくもない。

「ウン……ダイジョウブ……」

『嘘つけ、鼻血出てるぞ。さっきのドロップキック、意外とダメージを喰らったのかもしれんな』

「ウウン、ダイジョウブ」

『大丈夫なわけあるか、最初の挟撃も無理をして避け、次の連撃も同じように避けてダメージはあるんだぞ。特に最後、金剛の一撃は顔面をモロに喰らったからな』

「ダイジョウブ、イタクナ」

『嘘つけ、鼻血出てるぞ』

 尾の指摘に、レ級は袖で拭きとる。

 赤い血を。

「アレ、アイツ」

『ん? 金剛か?』

「ウン。アイツハヨワイ。ダイジョウブ、シズメル」

『待て、何を言っている。顔面を蹴られたから頭に血が上ってるのか? 見誤るなよ、最新鋭の戦艦じゃないとはいえ、その分あいつは経験を持っている』

「ソレデモ、ボクハアイツヨリツヨイ」

『それはそうだが、そういう話じゃない。万全でない現状は下がれと言っているんだ』

「イヤダ」

『我儘が許される場面じゃ』

「イヤダ。アイツ、アイツハ――」

 意固地に、頑固に。

 今までの我儘とは違う、気色の違う意地に、尾は何かを感じとった。

 子供の我儘のようで、それとは違う。

 いつも通りの分からず屋の言い分とは、少し違う。

 レ級の言葉には、想いが込められていた。

 熱く、熱い。

 触れれば火傷では済まない、その程度では済ませる気など端から無い。

 覚悟を持って手を伸ばせ。

 その身を焦がす熱量は、どの感情よりも荒々しい。

 吹き出す業火の如く、深き海の底にも似た。

 静謐で静寂でありながら、激情の爆発を有する。

 

「アイツハ――金剛ハ、ボクガ倒ス」

 

 レ級の瞳が、怪しく光る。

 

 




今回は時間がなく文章量が少ないので、なるべく近日中(再来週くらいに)にまた更新できればと思っています。思っていたいです。

 3/24 少し修正。
 
 また遅まきながら評価して下さった方、ありがとうございます。
 気づくの遅すぎ!ですみません・・・。
 でも、めっちゃ嬉しいです!
 なるべく早めに次回更新、この展開の続きなので早めにアップしたいと思っております。


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常在選場(じょうざいせんじょう) 1-4

 

 レ級の瞳が、怪しく光る。

 

 空気が変わった。

 空は黒煙をあげる深海棲艦の艦載機が飛び交い、艦娘側も同様に傷を負っている。艦娘達は損傷こそ負っているものの、未だ全艦健在だ。反対に深海棲艦側は駆逐イ級flagshipが撃沈され、軽巡ヘ級flagshipも大破。軽空母ヌ級は一隻は無傷だが、もう一隻は中破状態。さらにレ級は深海棲艦の艦隊と一人、一隻離れ孤立している。

 劣勢、不利な状況の中、しかし艦娘達も楽観視はできない。

 戦艦達は全員負傷、それも日向と金剛に至っては戦闘続行が難しい。レ級と相対して、大破一隻は大健闘と言ってもいいかもしれないが、一人に対し三人が付くこと自体が問題だった。また翔鶴は無傷であるが重巡の鈴谷と熊野は小破している。鈴谷に至っては敵機艦載機を撃ち落としながら駆逐艦イ級を撃沈する戦果をあげるも、その代償は大きかった。小破とは言え、ほぼ中破に近い損傷を受けている。

 空気が変わった。

 日向は確かに、感じていた。

 金剛がレ級に一矢報い、翔鶴達も敵の艦隊に多大な損害を与えている。

 こちらの被害も大きいが、あちらの被害も大きい。

 痛み分けにはちょうどいい、引くならば絶好の機会。深海棲艦側もそれを解っているのか、軽巡ヘ級はすでに撤退の体勢。軽空母ヌ級も艦載機を後退させながら退路を確保している。驚くべきことに、深海棲艦も分が悪くなると撤退するのだ。意思のない、意志のない生物かどうかも解らない存在であるが、ある程度、実力のある深海棲艦が撤退することはすでに多くの鎮守府、基地などから報告が上がっている。なまじ実力の低い深海棲艦は知能も低いのか、損傷した身体で特攻をしかけてくるが、flagshipやelite級の深海棲艦は『戦略』らしき知能があるのではないかと推察されている。

 だからこそ、ここはもう引くべき場面だった。

 日向達も十分な装備ではなく、また状態じゃない。

 深海棲艦側も戦艦であるレ級が単身で突っ込み、残ったのは軽巡、駆逐艦、軽空母で翔鶴達と戦うとなれば、部が悪いのは理解しているのだろう。いくら性能が良いとはいえ、重巡二隻に空母一隻が相手となると厳しいのは変わらない。

 ヌ級達が戦線を後退させるのを見て、翔鶴も微速で慎重に、日向達の元へ向かい始めている。

 空気が変わった。

 確かに、この場の、場面の、場所の、舞台の、局面の、空気は変わった。

 終わったと、言っても良かった。

 ただ、一つ。

「ちっ……あの化け物、まだやる気満々だな」

 舌打ちする日向の視線の先、笑みの消えたレ級だけは、何も変わっていなかった。

 戦闘だ、戦争だ。

 終わるのなら、その身を海に散らしていけ。

 無言で眼光鋭く睨むレ級は、言外に語っている。

 それまで不遜で不気味な空気を発していたレ級は、いつの間にか、金剛に挑発されてから、明らかに変わらず変わっていた。

 空気を、雰囲気を。

 笑みを浮かべふざけた化け物から、殺気に敵意を撒き散らす地獄へ。

 煮えたぎる蟲毒渦巻く眼球は、抑えきれない感情が漏れ出ている。

 爛々と光る、煌々とギラギラと。

 飛び出さんばかりの瞳が、真っ直ぐ一戦、こちらを貫く。

「日向」

 伊勢が小声で呼ぶ。

「あたしが砲撃して気を逸らすから、その間に金剛を連れて撤退して」

 唯一無傷の、とは言っても装備だけだが、伊勢が撤退戦のしんがりを務めると言い出した。

 あの化け物を、地獄を前に。

 自分が一人で食い止めると。

 しかし、日向は即座に否定する。

「バカなことを言うな。お前を残して行けるわけないだろう」

「いいから、あたしなら大丈夫だから」

「他の深海棲艦相手ならその言葉、信じよう。だが、あいつだけはダメだ」

「じゃあどうするの? このまま三人で固まっているわけにはいかないでしょ」

「それは……そうだが……」

 苦い顔になる日向。

 伊勢の提案は正しい。向こうが引かないのなら、撤退戦をしつつ退却するしかない。その場合、損傷が激しい日向や金剛より、比較的軽微な伊勢が受け持つのは至極当然だ。

 翔鶴達はこのまま遠回りの離脱してもらい、下手に合流すると一網打尽になりかねないので、伊勢の提案が最善と言えるだろう。

 だがそれは、最善と言っても、最悪の中の最善でしかないのだが。

 金剛、伊勢、日向が三人がかりでやっとあの様にできたのだ。それを伊勢一人が抑え込むなど不可能でしかない。

 それが解っているからこそ、しかしそれしかないからこそ、日向は苦い顔をする。

 苦しい、辛い表情を浮かべる。

「ヘーイ、ヘーイ」

 と、そんな折、日向の肩を借りていた金剛が、ふざけた調子で口を挟んできた。

「そんなムズかしい話じゃないネー」

「金剛? おい、一人で立てるのか?」

 大丈夫大丈夫、問題ないネーと日向にひらひらと手を振りながら、けれど視線は一瞬も、片時も離さずに、ソレから離さずに、金剛は言った。

「アイツの狙は私デース。ちゃちゃっと片付け時ますから、二人はとっとと帰投してくだサーイ」

「おい伊勢、腹と頭どちらを殴って気絶させればいい?」

「頭かしら……」

 真面目にさてどうやって黙らせようと考える二人に対し、金剛は相変わらず気軽に言う。

「だいじょーぶデース。ちょっと軽く沈めるだけなんで、気にせずゴーホームしてください」

「いや、大丈夫じゃないぞお前。前から酷かったが大分頭をやられているようだ。伊勢、とりあえず砲撃してけん制しつつ、全速力で離脱するぞ」

「わかっ」

「シャラップ」

 金剛に手を伸ばす、支えようとした日向の腕が、止まる。

 この時になって、やっと気づいた。

 レ級の変容、変質が異様過ぎてそちらばかりに目が行っていたが、違ったのだ。

 よくよく見れば、よくよく見ずとも、レ級はこちらを見ている……だけじゃない。

 こちらを、ある艦娘を見ていた。

 そして、その艦娘は自分が見られていることに最初から気づいていた。

 自分だけを、まるでそれ以外、目に入っていないように突き刺す眼光。

 刃の如き質量を伴う貫く視線。

 それを向けられる、前にした伊勢は背筋に冷たい汗を流し、日向は不安を覚え苦虫を噛み潰した表情を浮かべるのに対し――違い――、その艦娘は、まったく別の感情を抱いていた。

 

 ―――― ああ

          やっと

               見た ――――

 

 認識した、認知した、認証した。

 あのレ級が、あの化け物が。

 理不尽の塊で不合理の集合体のようなレ級が、認めた。

 相手の存在を認めたのだ。

 感情をぶつける、感情を溢れさせる、感情を爆発させる―――相手を。

「喧しいんで黙って。あいつは、あの化け物が。ワタシの可愛いシスターを、シスターに、何をしたのか知らないわけじゃないでしょ?」

 化け物め、化け物め、化け物め。

 もしかしたらその強さのせいで、不遇の時を過ごしたのかもしれない。

 もしかしたらその強さのせいで、孤独の時を過ごしたのかもしれない。

 強すぎるから化け物と呼ばれ、化けた物と呼ばれ、傷ついたのかもしれない。

 金剛には解らない。

 レ級の気持ちも、レ級がどんな仕打ちを受けているのか。

 だが、金剛は、

「そんなこと、関係あるか……っ!」

 吐き出す。

 憎悪を持って、吐息を持って。

 それこそ、レ級に文句も言えないくらい、あまりな理不尽さを持って。

「うちの妹に手を出したバカがどんな目に合うか、教えてやる――っ!!」

 金剛の異変に、行動に、レ級も気づく。無論、最初からレ級が金剛を見ていたように、金剛がレ級をずっと見ていたのをレ級も知っていた。

 互いに知っている、禍根。

 先の戦で、レ級に轟沈寸前まで痛めつけられた金剛。

 今の戦で、金剛にプライドを踏みにじられたレ級。

 どちらも相手が思っているほど、自分がやった行為に考えがあるわけじゃない。

 ないからと言って、看過できることなど、あり得ないが。

「ヘイ、化け物」

 よろりと、ふらつきながらも前に、前に進む金剛。危なく倒れそうになり膝に手を付き、付き。

「今からぶっ飛ばしてやりますから――」

 

 それでも前に、顔を向ける。

 

 その、そこには――

 

 金剛は――

 

「いつもみたいにヘラヘラスマイリーで、スタンバイしててくだサーイ!」

 

 金剛は――…壮絶……に裂けた唇…――…全て虚空……に堕つ…眼球…――笑う。

 

 だから――

 

「…………アハ」

 

 レ級が、一瞬茫然と、呆気にとられた顔を浮かべたかと思えば――

 

「アハハハハハハハハハハハハハハッッ!!」

 

 哄笑、爆笑。

 額に手を当て、身体を震わせ嗤う。

 可笑しそうに、オカシソウに。

 今まで以上の、異常の、笑みを貼り付け。

「アハハハハハ……………………」

 だらりと、ガクン。

 両手を垂らし、揺れる。

 首が俯き、フードが揺れる。

 そして、

「………………――――」

 レ級の尾が、口角を開放する。

 その瞬間――怖気のする、寒気のする、気持ち悪い、気色悪い羽音が響き渡る。

 尾の赤黒い虚空から、飛び魚艦爆と呼ばれるレ級の艦載機が、一斉に飛び立った。

 空が、覆われる。

 とめどなく、終わりなく吐き出される敵機を見て、同じく艦載機を使用する空母の翔鶴は息を飲む。

 その数に、その総数に。

 それだけの艦載機を使役し使用できることに、恐怖を覚える。

 負傷し損傷し消耗しているとはいえ、その数、優に百機近い。

 その数を見て、同じく深海棲艦である軽空母ヌ級も身震いしていた。

 仲間であるはずなのに、同じ深海棲艦なのに。

 ここまで違うのか、と。

 恐怖を、畏怖を。

 撒き散らす。

 これだ、これが本来の姿。

 これこそが、この現象こそがその名の由来。

 ただそこにいるだけで、ただ視界に入るだけで。

 ただ見るだけで、ただ存在を知るだけで。

 全てのその他に、恐怖を与える。

 知ら締める。示し知らせる。

 最強にして最恐。

 最凶にして最狂。

 これこそが、レ級。

 戦艦、レ級。

 圧倒的戦力を持って、たった一人にも関わらず、圧倒的な火力を以て。

 レ級は顔をあげた。

 そこには、いつも通りの……

 

「―――――――沈メ」

  

 頬が引き攣る笑顔を浮かべた、死があった。

 

 




またこちらも表現などを後日修正すると思います。
もっと色々な言葉で表現したいのですが、今は時間がなく、申し訳ありません。
来月か再来月になれば仕事も落ち着くと思うのですが、その時にまた、改めて全体的に修正をしたいと思います。


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【番外編】 とあるイベントのレ級の日常2【2015春】

 

 

 新生活からほんの一か月、まだ――と、もう――の狭間の時間。

 空から注ぐ陽射しが強くなり、それでもまだ世界を駆け巡る風は冷たさを備えた季節。

 五月の初旬。

 世の中はゴールデンウィーク。

 長ければ一週間、短ければ三日ほど……もしくは休日など無関係な者もいるだろう。

 仕事の合間の休息であり、学業に勤しむ学生への休暇。

 クリスマス休暇や夏季に至ってもリフレッシュ休暇が存在しない日本にて唯一、誰にもはばかることなく、休みを存分に堪能できる期間だ。

 家族と過ごし、友と過ごし、恋人と過ごす。

 一年の中で最大、最多の休日を誇る五月。

 

 なれば、こそ。

 

 多くの者が休み、多くの者が暇になる時期に、普段できないことを行おうと考えるのは自明の理だ。小売店ないし、飲食店。テーマパークに各種関係各所。

 普段から人が来る場所も、普段から人が来ない場所も、揃って客寄せの企画を立案する。

 お得、ではなく。

 今だから、の方。

 この時にしか出会えない、持ち得ない、手に入れられ感じられない「思い出」をプライスレスに、長期休暇の期間、多くの人々が毎年来る大切な思い出を手に、毎年過そうと願う思い出を片手に、過していた。

 そんな、中。

「ボク……いらない子なのかナ……」

 体育座りで海上に寂しげな声を溶け込ませる、一人の深海棲艦の姿があった。

 黒のレインコートを羽織り、背中にはリュックサックらしきものを担いでいる。人とは思えない青白い肌は海と調和が取れた色彩であり、青空に浮かぶ白い雲の如く妙に馴染んでいた。まるで海こそが我、とでも言っているような、そんな調和と色彩。

 しかしながら当の本人は情緒不安定なのか、瞳が揺れ、海中に向けて注がれる視線には湿り気が帯びていた。囁く小さな声にも、塩辛い香りが漂っている。

 快晴の空にレインコート、人とは思えない青白い肌。これらを考えなければ、そこに佇むのは幼き少女に見えた。あどけなさが残る面影はまだまだ手を繋ぐことに恥じらいを覚えず、無邪気笑顔を浮かべるそんな想像を思い起こさせられる。短めの髪がレインコートのフードから飛び出しており、両腕に包まれる脚の膝、そこに顎を乗せていた。

『またか、お前は』

 少女とは似ても似つかぬ老獪な声。重く深い、腹に響く声が呆れ混じりに呟く。

 体育座りで佇む彼の者の姿以外、海面にはおらず。なれど、また別の声が響く。

『大体予想はしていただろう。今回はアニメ記念イベントになるだろうと』

「難易度選択ってなニ……? 何で難しいマップで出してくれないノ?」

『それは……』

 答えに窮する威圧と威厳を備えた声。まるで、孫娘に泣かれた祖父のような光景。

 しかし、海上には少女一人の姿しか見えず、海中にもその身はない。

 だが、少女の背中、腰よりやや下の部分から伸びた尾、その先に付いている深海棲艦の駆逐艦の顔をした尾が、あった。

 その姿見だけで、誰も人と見間違うなどとはありえない。

 その姿見だけで、親しみも信愛も持つなどはありえない。

 少女の名は戦艦レ級。

 たった一隻で艦隊と呼ばれる孤高の存在。

 最悪にして最恐の深海棲艦。

 そして――

      運営からイベント出禁を言い渡された、悲しき存在だった……。

 

 2015年の春、ゴールデンウィークとほぼ同時に始まった艦これイベント。

 休日が重なり多くのユーザーが参加できることとなったが、掲示板などを覗いてみると案外、思っていたよりもソウではなかった。 

『ゴールデンウィークと言えど、実際は働いている者の方が多い。社会人にとって休めるとは言え、実質三日も休めればいい方だろうな』

「ボク……いつまでお休みなのかナ……」

『……とは言え、本来なら休まなければならん。日本はそういったところが諸外国から遅れている。休む時は休まなければ、いざという時に動けん』

「ボク……最後に働いたのいつかナ……」

『………』

 思わず黙する尾。本来ならしつこいだのいつまでうじうじしているだの叱責を浴びせてもいいのだが、レ級の様子がいつもより、いつも以上に落胆しているため強く言えないでいた。

 なんだかガチで泣きそうだった。

 普段強気な子が思わず見せる弱いところ……といった具合に、これが恋愛小説だったら王道でお決まりのキュンキュンする心情でも書き連ねるのだが、尾はどちらかといえば遊びに来た孫を叱って恐がられ翌年から近づいてくれなくなった祖父の気分だった。

 前回の時はまだやけくそ気味の空元気があったが、今回は相当にショックだったのかぽろぽろと涙を零しながらぶつぶつと返事をしてくる。

『……ふん、やはりお前は何も解ってないな』

 そんなレ級へ尾が傍らに、海上だが、寄り添う形で腰を、尾なのだが、腰を下ろす。

 諭すより悟らせる、宥めるよりも慰める。

 そんな尾の、いつもの言葉が出る前に、レ級の口が開いた。

「ボクが強すぎるとかそんな話なら違うよネ……だって、今回E-6ボス前の空母棲姫も面倒だし、ボスマスの最終形態でも随伴艦として採用されたよネ。でもさ……連合艦隊なら命中率は下がるんだから、空母棲姫よりも体力と装甲が低いボクでいいじゃン……つかまたダイソンってどういうことなの誘爆しろダイソン」

『………』

 お前は強い、だからこそ出られないし切り札でもある的なことを言おうとした尾だったが、レ級の正論に何も言えなかった。あと正確にはダイソンではないが、似たモノなので黙っておくことにした。

『とは言っても、お前は開幕魚雷に制空権、さらには砲撃戦が出来てしまうからな、運営としては手数があり過ぎるとユーザーから不評を買ってしまうから、今回はアニメ視聴者新規勢がいるだろうと考え、見送ったのだろう。いきなり厳しいイベントをするわけにはいかないからな、うん』

「だから連合艦隊ならどれも効果薄まるじゃン……空母二隻連れて烈風キャリアーにするか爆戦積んで調節すれば制空権いけるでショ……なんで向こうは十二隻、こっちは六隻で戦ってるのに制空権がどうとか文句言うノ……」

『それにしても空母は可哀想だな。烈風を運ぶだけの仕事になってしまっている』

「仕事があるだけマシじゃン」

 何を言っても響かない、何を言っても傷つける、少女らしい外見の癖に凶悪な印象を多くの提督が持つレ級にしては、珍しく女の子らしいところを見せていた。面倒で面倒くさい、女の子特有の厄介な部分なのだが。

 下手なことを言っても憂鬱な言葉を返されるだけと理解した尾は、黙って隣にいることにした。いらぬ言葉をかけて、余計なことを考えさせるより、今はただ近くにいるだけの方が慰めになるかもしれないと思ったのだ。

 尾の視線が上に行き、前に行く。

 毎日のように眺めている景色は、変わり映えはしないが飽きることもなかった。

 以前、レ級が言っていたように見渡す限り同じ素材が続きながらも、これはまさしく一つの絵画であった。

 昨日でありながらも今日と明日の風景であり、同様の形でありながらも、同質の姿ではない、幾日もの時間を瞬間に凝縮した風景の美術品。

 昨日の風景と一緒で、

 明日の風景と一緒の、

 今日の風景と一緒。

 今日見た景色が、昨日を思い出させ、また明日を思わせる。

『海は変わらんな』

「……」

『いつ見ても同じものだ。しかし、だからこそ安心する』

「……」

『別にいいだろう、イベントくらい。出る必要などない。イベントに出ない深海棲艦というのも、なかなか良いとおも』

「そうカ……眼鏡をかければいいんダ……」

 何か言い出した、尾は頭が重くなる気分になっていた。

『……何を言っている?』

「そうだヨ、最近のボスってなんか色々でかいしインパクトがあるから、見慣れたボクじゃ使いにくかったんだヨ」

『何を言っている』 

「ボス専用のボクの衣装を作ればいいんダ。まずは眼鏡だネ。だって深海棲艦の中で眼鏡をかけてるキャラいないでショ?」

『いないがお前は何を言っているんだ』

 どう? どう? と、両手で丸の字を作り眼に当てるレ級。その瞳は真剣そのものだった。

「そうダ、レインコートも脱いじゃおウ」

 閃いた、みたいな顔で手を叩くレ級。さっそくフードを外すしコートを脱ごうとするが、尾が邪魔をして上手く脱げない。上は着けているが下は着けていないのを知っているからだ。

『脱ぐな、やめろ』

「ボスって裸っぽい格好の人が多いよネ、ビキニだとインパクト薄いかラ……紐ビキニ……いヤ、ここはちょっと前に話題だった紐を使ウ……!」

『タ級みたいに痴女呼ばわりされるぞ』

 それは嫌だナァ……と脱衣を一旦停止する。タ級は最近スパッツで行こうか悩んでいると風の噂で、こういう時の出所は大体駆逐イ級達なのだが、聞いている。ヲ級が止めているらしいが、イベントに出るには性能だけじゃなく話題となる見栄えも大事なようで、深海棲艦の間でもなるべく艦娘に似た者から出番が回って来る。もしくは見栄え的に今までなかったものだったり、面白いものが選ばれやすい。

 例えば今回の春イベント、港湾水鬼がそうだ。港湾棲姫に外見が非常に似ており、随伴艦として配置することも考えられるのだが、毎回季節ごとに北方棲姫ことほっぽに色々なモノを送っているのだが、毎度艦娘達が奪うと話を聞いて今回あのような顔で出場となった。

 こういった色物……珍しい点でレ級は負けてはいないのだが、笑顔に敬礼という悪役ピエロ的な立ち位置は他にいないのだが、出現直後ならともかく、一年以上も時間が経過している現在、見慣れてしまった感があるのだ。

 そこで考えた案が、外見へのテコ入れである。

 眼鏡をかけた深海棲艦がいない現状、悪くはない案だった。

「ちょっと眼鏡貰ってくるネ」

『誰から貰うつもりだお前は』

「金剛型か大和型の艦娘」

『誰から貰うつもりだお前は』

 だってお金ないしぃーなどと女子高生みたいなことを言いだす。

 溜息を吐く尾。

 レ級は口を尖らせ、選択を迫る。

「じゃあ選んでヨ。脱ぐか眼鏡か」

『その二択しかないのか』

「なイ」

『ぬぅ……』

 真剣に悩み始める尾の背中を撫でながら、レ級はどうしようかと考える。

 運営はレ級のことを忘れているのかもしれない。もしくはもはや出す気などなく、新しい深海棲艦を描いた方が話題にも上るし良いと考えている可能性もある。

 

 誰からも必要とされなくなった存在。

 

 誰からも忘却にされてしまった存在。

 

 哀しみはある。

 悲しさはある。

 辛さはあるし、痛みもある。

 けれど、それ以上に――――

「アア……本当ニ、人ッテ忘レルンダネ」

 

 ―― 悲劇という名の、過去の厄災を ――

 

 嗤う。

 ワラウ。

 笑顔で呟く。

 数多の戦が起き、幾多の争いがあった。

 多くの死傷者が出た大戦を、時が癒して忘れさせる。

 忘却が人に与えられた特権なのならば、それは同時に、欠点でもある。

 繰り返し繰り返す、無益の再現。

 忘れたのならば思い出させてやろう。

 あの最悪を、あの惨状を。

 資源が消し飛び高速修復剤が掻き消えたあの時を。

 大事に育てた艦娘が大破し心砕かれる様を。

 思い出させよう、あの戦場を。

 思い起こさせよ、あの海戦を。

 どんなに装備やステータスを修正され、姫や鬼と呼ばれる深海棲艦が現れようと、何度もイベントに参加し幾度も提督達に疎まれようとも、決して冠することのない称号。

 最恐にして最悪。

 最凶にして災厄。

 性能で呼ばれるのではなく、戦果で呼ばれるのではなく、存在でこそ呼ばれるのだと。

 そいつがそいつであるだけで、呼ばれる呼び名を。

 

 《最強》という名を。

 《化け物》という名を。

 

 ―――― 《戦艦レ級》 という名に ――――

 

「……すぐだネ」

『やはり眼鏡か……ん? どうした?』

 パレオ風味な水着ならば脱いでもいいかいやしかしと悩む尾の頭を撫で、戦艦レ級は笑みを浮かべた。

「スグニ、夏ダヨ」

 古参の提督は春はヌルイと言った。

 新参の提督も甲でクリアできたと言った。

 素晴らしいイベントだった。

 一日かからずにクリアし、十六時間程度でクリアした提督も現れた。

 イベントとは、クリアが前提のモノなのだ。

 

 だがそれは、戦艦という前提を壊したレ級には関係ない。

 

「……アハッ」

 空へ、太陽へ手を伸ばすレ級。

 早く会いたい。

 見知らぬ提督達と。

 早く戦いたい。

 見知らぬ艦娘達と。

「アァ、早ク……」

 一人を望んだソレは、二人になった。

 二人になったソレは、皆を求め始めた。

 少しずつ、知っていく。

 伸ばした手のひらを、太陽へ伸ばされた手を――潰す。

 太陽を、潰す。

「待ツノハ飽キタヨ」

 笑みは深まる。

 嗤いに深まる。 

 

 ―― 来ないのならば ――

 

 ―― 迎えに行こう ――

 

 ―― 遠い海を越えて ――

 

 ―― 皆のところに ――

 

 出番を待つ必要などない。

 忘却の存在でも構わない。

 出す気がないなら出ればいい。

 忘却したのならば彷彿させればいい。

 笑顔で嗤ってにこやかに、諸手を挙げて歩めばいい。

 

 ヤァ、コンニチハ――――シネ

 

 不可能を可能にする。

 

 それが……《最強》というモノなのだ。

 



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第二部  一天私海(いってんしかい)

 

 時間は遡り、巻戻り。

 金剛達との戦闘が終了し、勝利とも敗北とも言えない戦いの後の話。

 

 地平線が見えぬ、空と雲、水と波しか視界に入らない場所。

 海の上で、海上で、何かが漂っていた。

 あちこち擦り切れ破れ千切れ、ボロ雑巾の佇まいの物体が、波の揺れに身を任せたまま漂っていた。

 一見すれば海で不幸を迎えた、哀れな命なき死体。波の流れに乗って、海流に運ばれて、このまま何処かへ消え去る存在。

 衣服はどうやら真っ黒のレインコート。肩には何かを背負っていたのか、リュックサックらしき紐が千切れていた。

 もし近くを通りかかった船が見つければ、眉を潜め悲しみを胸に、供養をしてやろうと思う――――ことはない。

 海に出る者ならば誰もが知っている。

 悪魔とも死神とも呼ばれるソレを。

 深海棲艦という名の、異形の名前を。

 近づこうなどとしてはいけないし、近づこうなどとは思わない。

 それは正しい判断だ。

 深海棲艦の亡骸だと憎しみを持って、追い打ちをかけるような真似をもしもしていたならば、その船は非業の最期を迎えていただろう。

 何故なら、死体と見紛うボロ雑巾に成り果てたソレは、まだ生きているのだから。

「………」

 瞼を閉じることはせず、真っ直ぐに青空を見つめる。その顔には疲労の色が見えていた。さすがのレ級と言えど、満身創痍の状態。金剛達と戦い、暴走し自滅し味方に殺されかけたのだ。

 人類に恐れられる化け物だとしても、限界があった。

「………」

 四肢は力なく、顔と上半身が浮かんでいる。身動き一つ取れないのか、取らないのか、レ級は立ち上がることも起き上がることもせず、揺れる身体は抵抗しないまま、瞳だけは見開いて空を見ていた。

 その、頭上。

 横倒しの、頭の上。

『まだ、痛むか』

 レ級の尾が、呟いた。

 よくよく見れば、よく見れば。

 レ級は波に流されているだけではなく、尾がレ級の頭を背中に乗せ、今いる海域から出過ぎないように調整していた。

 ばしゃばしゃと泳ぎはしないが、それでも波に呑まれることなく、漂っている。

「………」

 尾の問い掛けにも返事はせず、レ級は何を考えているのか、想っているのか、疲弊した顔を隠さぬまま見据えている。

 その様子に、尾は悩んでいた。

 レ級は間違いなく天才の部類に入る。戦闘に関して、直観的な反応といい判断といい、反射的な動きさえも常人には不可能なレベルの偉業を成し遂げる。

 たった一人の艦隊と呼ばれるだけはある。

 だが、だからこそ、レ級はここまでかもしれないと、尾は考えていた。

 自分よりも遥かに弱い存在、艦娘達にここまでしてやられたのだ。さらには戦闘の邪魔だからと除け者にしていた味方の深海棲艦にもいいように利用され、一歩間違えれば撃沈していたかもしれない状態まで追い込まれた。

 初めての経験だった。

 初めての体験だった。

 レ級にとって、世界とは、戦闘とは……勝つためだけのモノだったのだ。

 それが、裏切られた。世界に、裏切られた。

 そしてそれだけではなく、レ級は世界に裏切られただけでなく、仲間にも裏切られたのだ。

 一度で二度、裏切られた。

 負けるだけならば、まだ良かったかもしれない。それだけならば、尾は負けぬお前が強かっただけで、強くない者は何度も負けるなどと、一般常識を言えただろう。諭せただろう。悟ることは出来なくとも、解らせることは出来ただろう。

 けれど、レ級は仲間にも裏切られたのだ。共に戦う、背中を預けるはずの仲間にも。

 

 レ級は本当に、孤独になってしまった。

 世界でたった独りに、なってしまった。

 

 何も言わぬのは嗚咽を漏らさぬため。

 瞼を見開くのは泣き顔を作らぬため。

 だから尾は、迂闊なことが言えないでいた。懸命に耐えるレ級の意を組んで、慰めることも、労うことも出来ずにいた。

 代わりに、尾は悩む。

 このままもう、レ級は表舞台から消えるべきではないのかと。

 ここまで折れてしまったレ級に、これ以上の戦いは無駄に傷を増やすだけではないかと。

 何も尾が過保護なわけではない。傷つかぬまま生きることが最良ではないことくらい、尾だって理解している。成長するには傷つくことを恐れてはいけないのだ。

 傷つきたいくないから、失敗したくないから、挑戦しない。

 そんな心根では、いつまで立っても成長はしない。

 だが、そんなことが解らぬ尾ではないのだが、それでも。

 これ以上、レ級の心を傷つけてまで、戦わせる必要性が見つからなかった。

 いくら戦っても、レ級は独り。

 誰からも求められず、誰からも望まれない。

 このままどこか、遠い場所に行ってしまった方がいいかもしれない、そんなことを考えていた。

 それこそ、流れに身を任せたまま、波に身体を委ねたまま、何処かへ。

「……イタイ」

『ん?』

 レ級が、先ほどの尾の問い掛けに答えた。随分と時間をかけ、間を空けた返事。

 何のことか一瞬わからなかった尾だが、自分の問い掛けに答えたのだと解り、素直に弱音を吐いたことを知り、目を細める。

 最強が朽ちていく様を、今まさに、目にしているのだと理解して。

『そうか……痛いか……』

「ウン」

『どうする? 海底に――深海に還るか?』

 このまま永久に、誰にも傷つけられぬ場所に行くかと、問う。

 レ級は視線を変えぬまま、変わらぬ空を、流れる雲を見ながら答えた。

「空ヲ、見タイ」

『……空?』

「ウン」

 空を見ていたい――と。

 レ級は言った。

 変わらぬ空を、変わらぬままの空を。

 深海よりも、海上にいたいと。

 レ級は深海棲艦だ。例え深海に潜っても死ぬことはない。だから尾が深海に還ると言ったのは、それまで尾が考えていた、誰にも傷つけられない場所に行くかという意味だった。

 しかし、レ級は拒む。

 海の底の故郷とも言うべき景色よりも、レ級は今まで飽きるほど見た、空を見たいと言った。

『……そうか、この海域をお前は気に入っていたからな。なに、艦娘が出れば隠れればいいだけの話だ。お前が望むなら、俺はそうしよう』

 優しい声色で、尾が言う。

 レ級が求めるならば、もうこれ以上の苦しみを負うことはないと。必要はないと、尾は言外に込めて、慈しむようにレ級を運ぶ。

「――タイ」

『ん、痛むのか? 自然治癒するとはいえ、すぐにはいかん。もう少しだけ我慢だ』

 こんなにも弱音を吐くレ級は初めてで、尾もいつも通り接するわけにはいかず、普段の会話からは想像もつかないくらい優しい言葉をかけていた。

 だが、そんな尾の心配を余所に、レ級は今度こそはっきりと、言った。

「出タイ」

『……ん?』

「ココカラ、出タイ」

 この海域から――と。

 あの艦娘達がまた来るかもしれない、この海域から。

 それもそうだ。ここまでの状態に追い込まれたのは、ここにいたから。ならば、ここにいたくない、離れたいと思うのは当然の心理であり、摂理だ。軽いトラウマになっていたとしても不思議ではない。

 思慮が足りなかったかと反省する尾。今日はとことん優しかった。

『そうか、そうだな。じゃあ、誰も来ない、どこか遠くへ行こう』

 そこで、共に朽ちようと、口にはせず、言葉にせず、心中に隠す尾。

 ずっと一緒に居てやると、一人の二人は、二人の一人は思った。

「ウウン」

 けれど、半身であっても意識の共有はなく、半身であっても意志の共有がない尾は、少しだけ思い違いをしていた。

「モット、見タイ」

 続けた言葉は、決して後退ではない。

「モット世界ヲ、見テミタイ」

 このどこまでも続く、変わらぬ風景の先を――と。

 レ級は負けた、レ級は敗れた。

 尾は当然、レ級は今回の戦いの尾を引いているだろうと考えた。尾だけに、というわけではなく、誰でも、誰もがそうであるように、考えたのだ。

 ただこの時、レ級は少しだけ違った。

 先の戦闘を忘れるなんて真似はなく、けれどもそれだけというわけではなく。

 知ったのだ、風景の先の風景を。

 知ったのだ、景色の先の景色を。

 初めて頭に血が昇るなんて経験をして、初めて満身創痍の状況も体験した。

 こうやって尾の背に乗って漂っているのは、無気力からではなく、動けるほど回復が済んでいないからだ。

 それに、新しい発見はまだまだある。

 伊勢と日向のコンビネーションは驚愕だった。あんな攻撃を今まで見たことはなく、砲撃ではなく斬りつけてくるなど新鮮で斬新だった。

 金剛のドロップキックは一瞬放心してしまった。今の今まで生身で挑んで来るバカなどいなかった。

 レ級は知った、海の先に何があるのか。

 レ級は知った、海の向こうに何がいるのか。

 だからこそ、レ級は初めて、生まれて初めて自分から会いにいきたいと思った。

 もう一度、会いたいと思った。

 誰かに会いたいと、一人の独りが思った。

 ここに居ては会えぬ、ここ以外で会える新しい景色と風景。

 それらに会いたいと、思ったのだ。

『世界を……違う海に、行きたい、ということか?』

「ウン。ナンカネ、ドキドキスル」

『どきどき?』

「ウン。ナンデダロウ? ワカンナイ」

 でも、このドキドキは嫌いじゃないと言った。

 だから、それを聞いた尾は、だから。

『くっ……くははははっ!』

「アレ? クスグッタイ?」

 尾の背に頭を乗せるレ級が、そんなことを言う。

 とぼけたように、とぼけたことを。

『いいだろう、連れてってやる。俺がお前に世界を――世界に見せてやろう』

 レ級という存在を、見せつけてやろう。

 先ほどとは打って変わった、嬉しくて堪らなさそうな尾の声を聞きながら、レ級はまだ見ぬ世界へ想いを馳せる。

「ネェネェ、世界ッテ広インデショ?」

『ああ、広いぞ。それに海だけではなく陸もある。果たしてお前が陸に上がれるか解らんが、海の方が広いから安心しろ』

「陸? 陸ッテナニ?」

『人間が住む、土の塊みたいなものだ』

「ダッタラ、陸モ海ニスレバ行ケルネ」

『ん? 海に?』

「沈メチャエバ、行ケルヨ」

『くくくっ、はーっはっはっはっ! そうだな、それがいい、それでこそお前だ。陸に行くためにどうするかじゃなく、陸そのものをどうにかするのがお前だな!』

「ナンカ、テンション高クナイ?」

『うるさい、今、最高に気分がいいんだ』

 こうして、レ級はしばし姿を消す。

 あの海域から、この海域から。

 けれどもそれは、良かったことなのだろうか。

 ――なんて、問う必要などない。愚問だ、それは。

 大海原に浮かぶちっぽけな一人の一匹。

 辺り一面が海で覆われたそこで、戦艦レ級はついに――動き出す。

 小さな箱庭から、大きな箱庭へ。

 箱から箱の、外側へ。

 恐らく、この時。

 ことの重大さに気づいているのは尾ただ一人。

 レ級が世界に興味を持ったという、決して見逃してはならない事実。

 それを知るのは、尾のみ。

 尾以外が知るのは、しばし先。

 では語ろう。戦艦レ級の一人旅を。

 箱入り娘の如く世界を知らなかったレ級が、世の中を知っていく様を。

 果たしてそれは成長か、はたまたただの道楽か。

 最強と化け物と呼ばれる唯一の深海棲艦……戦艦レ級の、旅行記を――。

 

 戦場と血煙と哄笑の、舞台に演出と音色を合わせて。

 

 ―― ヤァ コンニチハ 世界 ――

 





 こちら、第二部では全七話程度の構成を予定しています。
 ただ前編後編などで少し増減するかもしれます。
 
 また、第二部ではレ級がほぼ8、9割を占める予定です。
 しばしかの最強の深海棲艦の長旅に、お付き合い頂けると幸いです。


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第二部 閑話 危言奇行(きげんきこう)

 

 巨大な絶壁があった。岩肌が鋭さと頑なさを持ち、わずかな明かりが陰影を作る。長い年月をかけて削り作られたであろうその表面は、歴史を感じるには人が届かない、寂しい場所で眠っていた。むしろ眠りを妨げられるのを嫌がるように、寂しい場に身を置き、その身を尖らせているとでも言いたいのかもしれない。

 多くのモノを拒み、多くのモノに畏怖を思わせる、荘厳な佇まい。

 圧巻の光景に等しく、見上げれば光の筋が照らす――――ことはなく。

 暗き闇が、その世界を覆っていた。

 ごぽり、と気泡が浮く。

 地上ではありえない、その単語。

 そこは深海、海の底。

 陽の光さえ届かぬ、人類未踏の地。

 深き森よりもなお深い、濃い単色に埋まるはずの海底は……現在、様々な色彩が浮かんでいた。浮かぶと言うより、揺れていた。人の眼では人魂程度にしか見えない炎の如き彩色は、それでもよくよく見てみれば、そこに何がいるのか理解できる。燃えているのではなく、揺らめいていると解る。

 青き炎を揺らめかせ、無言の圧を周囲にばら撒き深海魚さえ近づけさせない視線。数個、で数え方が正しいのか解らないが、その青は円状に絶壁を囲むように、俯瞰する位置で見つめていた。亡者の整列と言われれば納得してしまいそうな空気を、深海だからそんなものはないのだが、温度とは違う寒気を発しながら、囲んでいた。ソレら、を。

 輪の、中心。

 そこには、暗き闇、不気味な青とは違う、鮮やかな色が、存在していた。

 紅に――

     黄に――

         蒼に――

             緑に――

 周囲の暗さに埋もれる青とは違う、それら一つだけで否応なしに存在感を持たされる。深海に似つかわしくないように見えて、場違いとも言える色彩だからこそ、強烈な印象を与える炎。

 それらが、それらの色が――それぞれ複数体ずつ鎮座していた。

 ごぽり、と時折気泡が上がる。

 底から上へ、昇っていく。

 音のない、痛みさえ感じてしまう静けさの中、世界を終わらせることのできる、色とりどりのソレらが集まっていた。

 己らの光で照らされる絶壁を前に、姿を隠す気など毛頭ない、存在を表すからこそ己だと言うかの如く、威風さえ感じる姿。

 そこにいたのは、大半の人類が信じておらず、わずかな人類が奮闘する人類の新たなる対戦相手――深海棲艦という、未知なる存在達だった。

 ごぽりごぽり、と気泡が昇る。

 いずれも人間の性別で言えば女性の容姿に酷似しており、その姿見も人に近しいモノが多い。異形と呼ぶべき姿形を携えているのが大半だが、それでも現代ならば、場所によっては派手な格好の若者だなと勘違いする人間もいるかもしれない。いわゆるコスプレと呼ばれる、現実ではまずありえない格好を好む者だと。

 だが、ここ居る、気圧に酸素のない深海に居るそのモノたちは、決して人間ではなかった。当然だ、根性のあるコスプレイヤーとかそういう問題ではない、人間の性能的に不可能なのだ。だからこそ、不可解。ならば、ここにいるモノ達は、いったい何者なのか。

 ごぽっ、と気泡が出る。

 その不気味ささえ感じさせる容姿と、今まで人類にしてきた所業を知らぬ者が見たならば、まるで猫の集会を思わせる無言の会合は、先ほどから気泡が昇るばかりで変化はないように見えた。

 と、その時。

 一人――一体――一隻。

 輪の中心にいた、より深く、艶やかな蒼き炎が一方向へ顔を向ける。その瞳は変わらず鋭く、もし人と同じ感情があるならば、恐らく……敵意、と名付けられる視線を込めて。

 一つの動きが、全体に広がる。

 紅に、黄に、緑に、周囲の闇に。

 その場にいる全てが、同じ方角を向いた。向けた。

 同じく、最初のモノと同じ感情らしきものを付随させて。

 ごぽん、とひときわ大きい気泡が生まれる。

 その気泡が合図のように、ゆっくりと、静寂は動き出す。

 海流に変化はなく、ただ静かに、世界が変わる。

 沈み、薄れ、埋れ、消え、溶け――還る。

 闇の中に、深海へと散っていく。

 後には、真っ暗な深海らしい単色の闇に埋もれる絶壁のみ。

 まるで何もなかったかのように、海は今日も静かに存在していた。

 深海棲艦の群れが向けた視線の先。

 そこには、とある人類の基地が存在していた。

 今もなお、多くの兵器が沈む歴史の墓場の一つ、ラバウル基地。

 深海棲艦と戦う艦娘が守る最前線の基地へ、視線が向けられていた。

 

 ――のでは、なく。

 

 その、もっと手前。より近場。

 周囲は海に囲まれ、地上も島も見当たらない、白き雲と爽やかな海上のきらめきが世界を牛耳る海域。

 とある『化け物』が、居座る海。

 威圧と威風と圧力を伴う極彩色の深海棲艦たちが、同一の感情を抱くただ一つの孤高。

 深海棲艦と名付けられ、それぞれ名称も与えられていながらも、敵も味方も、味方かどうかさえ解らない深海棲艦たちも、同じ言葉を彷彿させる存在。

 『化け物』と、呼ばれるソレ。

 海は動き出した。

 暴風の如く、荒波の様に。

 静けさを持ちながら、蠢く。

 本来なら同じ深海棲艦に向けることのない感情を、向けた先に。

 まるで向けた敵意の先をどうするか、先にいる存在をどうするかと、話し合っていたかのように。

『それで、お前はまず、どこに行きたい?』

「陸! 上ガッテミタイ!」

 戦艦レ級は、何も知らない。



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捲弩重来(けんどちょうらい)【前編】

 

 日本海軍のお家芸と言えば、夜戦である。賛否両論はあるが、他国と比べ夜戦の訓練に力を入れていたのは事実だ。とは言え、夜戦での戦果が多いと言うだけで、実際の艦隊行動に関しては敵味方入り乱れることが多く、個々の艦での戦闘になっていたとも言われている。

 第二次大戦中、初めて夜戦での敗北と言えば「サボ島沖夜戦」だ。十月十一日の夜、米艦隊の待ち伏せに遭遇してしまった日本。最初、日本側は味方だと誤認し、旗艦だった重巡青葉が、「我レアオバ」と発信を続けるも敵のレーダー射撃によって大破する。この夜戦での敗北の要因として、青葉の敵味方誤認が原因という見方が強い。残念なことに、青葉は砲撃を受けても同士討ちだと信じており、幾度も「我レアオバ」と発信を続けていた。

 余談であるが、「我レアオバ」を最後まで送り続けた第六戦隊司令官、五藤存知少将はこの翌早朝、退却途上で出血多量により戦死。最後まで同士討ちを受けたと信じていたらしい。これは信じているよりも信じられないよりも、信じたくないと言った方が正しいかもしれない。米海軍が大敗した夜戦にて、日本海軍に挑むはずがないと、五藤少将は言ったという。慢心とも油断とも言える、驕りとも言える日本の敗北だった。

 これ以降アメリカ側は以前ほど夜戦を恐れず、またレーダーに対しても効果があると考える切っ掛けともなったのだ……と、そんな話を尾がレ級にしていた。

 場所は図らずも第一次、三次ソロモン海戦が行われた場所。陸地を目指し、島ではない陸地を見たいとレ級が言うので、オーストラリアか中国大陸にでも行こうと進んだ結果だった。中国大陸に向かうならば北太平洋から行った方が島々に進路を邪魔されず進めるのだが、レ級が「島モ、沈メタ方ガ、海広ガルヨ?」と言ったのでソロモン海へ向かって突き進んでいた。沈める為ではない。沈められない事を教える為に、である。

『あれらが島だ』

「アレモ?」

『あれは岩礁だ』

「ガン、ショウ」

 レ級は物珍しげに、興味津々な様子で周囲に見える海以外の存在を指さす。島の先端にそびえ立つ灯台を見て何かと問い、尾が答えればすぐさま次の何かへ興味を移す。

 まさに観光気分で海を渡るレ級と尾。ガイドの説明を聞きながら、レ級はソロモン諸島とジェラスール島の間を通り抜ける。このままニュージョージア島を脇目にニュージョージア海峡を抜け真っ直ぐ進めば、艦娘達が基地を置くブインが見えるだろう。進路によっては艦娘と海戦の可能性もあるが、この時、レ級はそんな心配を一切していなかった。むしろ戦えるなら戦いたい、そのために海を出た……などと言えれば格好がつくのだが、実際はブインに艦娘がいるどころかブインがあること自体を知らないのだ。

 レ級は何も知らない。だから、尾が説明する。

 現状、周辺の島々に興味を持つレ級はまずそれがどんなモノなのか、何のためにあるモノなのかを聞いていた。

 灯台など、船などに近づき触り確かめる。それはレ級にとって初めての体験で、経験だった。だからこそ楽しい。楽しかった。尾が語る話に感嘆の声を上げ、笑顔を浮かべ楽しんでいた。

 ささやかな日常と言える、微笑ましい光景だった。

 さて、和やかとも言える光景だが、実は一つばかり問題がある。レ級は深海棲艦だ。そして深海棲艦とは、人類の敵である。そんな存在が、灯台の近くまで行き、船といったモノを触れるほどまで近づいている時点で、人類側にとっては緊急事態だった。あってはならない事態だった。

 敵艦を目前まで近づける、ましてや上陸可能な距離まで詰められるなど、戦争であったらならばかなり終わりの場面と言えよう。それも敗戦である。自分らの土地まで敵の手が及んでしまうのは、もはやこれ以上ない詰みの状態だ。

 幸いと言っていいのか、レ級はソロモン諸島を抜けるまで見つからなかった。本当に見つからなかったのか、泳がされたのかは解らないが、人類側からのアクションはなかった。尾もレ級の為とは言え、無策で人間の陣地に入ったわけではない。この観光も夜間に行っており、辺りは暗闇に包まれている。島に近づくとどうしても明かりが多いところはあり、そういったところはレ級に海中から近づくように言い、見る場合は頭だけ海上に出して見るようにと言い含んである。不満を言うかと思ったが、レ級は新しい未知の世界を知る方に感情の振れ幅がいっているのか、文句ひとつ言わず従っていた。

 無事、とはレ級か人類かどちらの事なのか解らないが、無事にソロモン諸島を抜け、ニュージョージア海峡に差し掛かった時。

 

 ―― 魔の灯が 見えた ――

 

 臆する事もなく、隠れる事もなく、その篝火は漆黒の海上の中、『我ココニアリ』と意思表示するように健在している。

『……来たか』

「何ガ?」

 尾が身構え、レ級が新たな未知に出会ったのかとワクワクする。

 

 その――――刹那。

 

 レ級の真横、わずか数メートル先に、巨大な水柱が生まれた。

 

「ワー」

 空気が振動し、重低音の残響がこだまする中、レ級は水浴びを楽しむように両腕を広げる。飛沫となって襲い掛かる海水に、レ級は今、如何な事態に見舞われているのか理解していないようだった。そんなレ級を愛おしく思う心と、叱咤するべきだなと親のような気持ちになる尾。

『おい、いつまで遊んでいる。お客さんだぞ』

「?」

 レ級の地点から遠い位置、畏怖と恐怖を覚えさせる黄の色彩を放つソレラ。

 昼間ならば見えただろう、硝煙を上げる砲塔をこちらに向け、今しがたの水柱を作りだした張本人の姿を。

「外したカ」

 腕を組み仁王立ち。海面に立つ異形の存在、深海棲艦の一人が呟く。

「アラ、それなら当たるまで撃ち続けるだけでしょウ?」

 今しがた砲撃した隣に立つもう一人が、あっけらかんと口にする。

 悪びれる様子もなく、どうせ最終的に結果は同じなのだからと、砲撃を喰らわせる結末は変わらないのだからといった具合に肩を竦める。

「油断するナ。相手はアノ化け物ダ」

「フフ、人間の言葉に”噂の一人歩き”というのがあるそうヨ? 強い強いなんて呼ばれてるけど、艦娘との戦闘でボロボロのノーマル如きにやられる理由はないワ」

「人の言葉でそれは”慢心”と言うそうダ」

「アラアラ、人間なんかの尺度で測らないでほしいわネ」

 厳しい顔つきと微笑みを絶やさぬ二人。

 もし、そこに人がいれば死を覚悟するだろう。

 もし、そこに艦娘がいればやはり死が過るだろう。

 キャリアで言えばレ級よりもはるかに長く、また多くの提督が苦虫を噛み潰す思いをさせられた二人。深海棲艦の中でも最初に確認された《あまりに人に近しい深海棲艦》。

 白きマントを羽織り、鋭い眼光を携えた――戦艦タ級flagship。

 両腕に三門の砲を構え、不適に威風堂々微笑む――戦艦ル級flagship。

 深海棲艦の前線部隊とも言える戦闘のエキスパート二人が、闇に染まる海に顕現する。

 禍々しい佇まいのル級に比べ、タ級の出で立ちは簡素だった。実は基本性能もル級の方がわずかであるが上回っており、同じ戦艦のflagshipでも全てのステータスがタ級を超えている。しかし、戦闘とは数字だけでなく、また火力や装甲といった値だけではない。ル級の兵装は主砲三門ずつといった砲撃戦の火力に長けている反面、タ級は全体的にバランスに秀でた換装となっている。

 一撃必殺の戦艦ル級。

 必中必殺の戦艦タ級。

 深海棲艦の生存領域に入り込む南方海域など、人類の生存権付近から離れた場所に鎮座する彼女らは、一時期”最高難易度の敵艦”と認識されていた。

 何故、一時期だったのか。

 その理由は簡単だ。その理由は今、二人の視線の先で無邪気に笑っているのだから。

「フフ、じゃあさっそくだけど終わらせましょウ。タ級が出る幕なんてないワ。ワタシの超攻撃的砲戦で、避ける暇もなく終わらせル」

 巨大な鉄門を開いた、地響きを奏でながら動き出す駆動音が響いた。ル級が持つ戦艦の主砲全門が、レ級へと向けられる。

 その砲門はもし直撃命中してしまえば、かつて大日本帝国が誇り人類史上最大であり最強を謳うかの大和型戦艦でさえも、一撃で大破状態に撃滅できる破壊力。

 ル級に慢心などない。これまでの艦娘との戦闘、経験を以てして絶対なる信頼の確勝があるからだ。

 艦載機の邪魔もなく、狙い撃てる状態かつ損傷状態のノーマル深海棲艦など、呼吸をするよりも簡単だと。

「サァ、喰らいなさイ」

 轟音、無音。

 震える海。

 巨大な黒煙がル級の周囲を包み込み、海面が凹んだのを感じ取る。もし頭上から観察することが出来れば、ル級を中心に巨大な円状に凹んだ海が見えただろう。砲撃により生まれた衝撃波、爆圧が世界を震わせたのだ。

 

 一方、その頃。

 当事者の一人であるレ級はというと、未だ現状を把握していなかった。

「ン? タ級ト、ル級? 何シニ?」

『バカたれ! 今撃たれただろ! 早く迎撃態勢を……あ』

 轟く砲弾が、目前に見えた。

 

「…………弾着」

 目を細めたタ級が小さく言う。

 その瞬間、先ほどとは比べ物にならないほどの極大な水柱が空を貫く。

「アラ、やり過ぎたかしラ?」

 頬に手を当て首を傾げるル級が、ふざけたように言う。そんなル級を無視し、タ級は水柱に目を向け何かを探すように視線をさ迷わせ、見つける。ル級の砲弾が直撃し、衝撃波で海水と一緒に空へ打ち上げられたレ級の姿を。

 本来ならこの後、残骸を確認する作業があるのだが、それは相手が艦娘の場合であり、レ級が空中へ舞ったここまでの流れは、全て計算通りの行動だった。

 深海棲艦は死なない。撃沈されても、深海へ還るだけ。

 しかし、過剰な死は艦娘と同じ死ともなる。

 それにもう一つ、これは艦娘も人類も知らぬ事だが、もう一つだけ、深海棲艦を確実に殺せる方法があった。

 撃沈も轟沈も海へ還る。ならば、海に還れぬ場所にて粉微塵にしてしまえば、還る道筋がない場所で撃滅してしまえば、例え深海棲艦と言えども命は尽きるのだ。

 海なき場での死。

 それが、深海棲艦を確実に葬る方法だった。

「終わりだル級。死なない化け物を殺してやレ」

 タ級が言い、ル級は左手を上げ、狙いを定める。

 宙を舞うレ級に砲門を合わせ、ル級は砲撃の瞬間、誰にも聞こえない小声で呟いた。

 

 そして――

 

「……さよなら、化け物。退治されるのは、化け物の宿命なのヨ」

 

      ――砲撃。

 

 初速790m/sを超える必殺の一撃。

 かの長門型戦艦に積まれた主砲と同等の初速を持った弾丸が、レ級に届き受け流された。

 直撃コースの命中弾は、レ級に触れたことは触れたが、そのまますり抜けるように夜空に向かって突き進み、さらに遠くの夜の海に巨大な水柱を生む。それで、終わり。

「……は?」

 ル級の口が半開きとなり、黄の灯を漂わせる瞳を大きく見開く。

 何が起きたか理解できない、口には出さずそんな表情と態度でタ級に顔を向ける。

「ネ、ネェ……今、当たったわよ、ネ……?」

 ル級の疑問に、タ級が舌打ちとしかめ面で答えた。

「チッ……あいつ、本当に化け物じゃないカッ! 砲弾を受け流しやがったゾ!」

 合気道、を言葉だけでも知っている人は多いだろう。

 柔道や空手とは違い、相手の攻撃を受け止める事は少ない。相手の力に逆らわず動きを利用する術理が合気の由来とも言われるモノである。

 多少誤解や違いはあるが、大まかにそういったモノだと考えて貰えればいい。攻撃を受け流す戦闘技法。今の場合、合気道がどういったモノか、が問題ではなく、レ級が合気道に近い動作を取った、事が問題なのだから。

 戦術も戦略もない戦闘の天才が、技を使ったのだ。

 それも放たれた砲弾に手を添えて、当たらぬように身体を回転させて、弾き飛ばした。

 見える見えないの話じゃない。

 出来る出来ないの話じゃない。

 あり得ないという話なのだ。

 そんな異形の偉業を為したレ級は――見惚れていた。

 空に輝く星々。

 海に光る星々。

 夜の海と夜の空の境界線はさらに薄まりなくなり、海面に反射する星々はまるで宇宙空間にいると錯覚させるほどの圧巻の光景。

 百万ドルの夜景など足元にも及ばない、心を奪われる絶景が空を舞うレ級の前に広がっていた。

「ワァ……」

『まったく、お前は』

 尾の呆れた声など聞こえていない。

 レ級は今、世界を美しいと感じていた。

 言葉にすれば綺麗、凄い程度しか感想の語彙しかないレ級が、感嘆の息を飲んでいる。

 世界は美しいと、レ級は改めて知った。

 だからこそ、もっと知りたいと考えた。

 そう、この感激を味わう為にも、ちょっとばかり邪魔をされたくない。

 同じ深海棲艦のタ級とル級には、退いてもらおう。

 今は遊んでる暇はないのだと、帰ってもらおうと。

「マダ来ルカナ?」

『お前が見逃すことはあっても、あっちが見逃す気はないだろうな』

「ソッカ、ジャア」

 レ級が一点に視線を向ける。

 二人の深海棲艦がいる、その場所に。

 ふと、タ級と目が合った気がした。

 だから、レ級はレ級なりの気持ちを込めて――笑った。

 満面の笑みを、この世界に生まれた喜びを、噛み締めるかのように。

「サッサト終ワラソウ!」

 この絶景に心を奪われる為に。

 レ級とタ級にル級。

 人類が手出し出来ぬ激闘の、開戦だった。

 

 




こちら、前編・後編に分かれる予定です。
中編を入れる長さにはならないと思います。


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捲弩重来(けんどちょうらい)【後編】

 

「……交戦開始」

 双眼鏡を覗く男が、静かに現状を報告する。

 場所は司令所であり、双眼鏡の男の他に各機器を操作する数名の者、そして艦長らしき男が椅子に腰かけ、そのすぐ横では副館長らしき人物が後ろに手を組み立っていた。

 位置は艦橋ではなく艦内に当たるそこは、対艦ミサイルの発達により現代では昔のように艦橋ではなく、艦内に設置されるようになっていた。頂のように高い艦橋には現在、各種レーダーが配置されており、重要区画には違いないが指示を出す者はいないのだ。

「まったく、夜襲かと思えば仲間割れとはな」

 腕を組んだ艦長らしき人物が大仰に溜息を吐く。

 レ級の接近は人類側にきちんと感知されていた。

 レーダーの発達により、昔とは比べ物にならないほど索敵能力が上がっているお蔭で……とは言えない。いくらレーダーが発達したとは言え、人間サイズである深海棲艦が相手で対処は難しい。例えばステルス戦闘機がレーダーを掻い潜るのに、熱や音、振動など自らの電子機器が持つ特徴的な信号を最小限にしているのは、自身に当たった各波のようは周波をキャッチさせずらくしているためである。

 さすがに人間サイズの相手となると、海上を探知するためのレーダーでは捉えきれない。赤外線や光学センサーなどで確認すればまた別だが、通常の兵器を相手にしたレーダーでは、人間程度はノイズとして処理される。

 しかし、深海棲艦の出現によりそれでは話にならないことが解っている。

 ならばどうするか。

 現在の技術で難しいのならば、過去の技術で補うしかない。

 結果、近隣海域の巡回に人間の目を使って監視するという、やや時代錯誤な探知方法が行われていた。

 椅子に項垂れる艦長がもう一度溜息を吐き、傍らに立つ副館長に愚痴を零し始めた。

「明日は結婚記念日なんだ。もう五回もすっぽかしてる。家に帰る度、カミさんが見知らぬ男とよろしくやってないか不安になる」

「最近じゃ巡視船は独身部隊と呼ばれているそうです」

「上の奥様方はお見合い紹介に嵌っているそうだぞ」

「先日、私も紹介されました」

「それは何よりだ。良い相手は見つかったかね?」

「我々の職業を知った上で来られる方は、大抵別に本命がいますね」

 艦内に笑いが起きた。

 ある種の戦時中と言っていい状況の中、司令室ではそれほど切迫した空気はない。

 敵が同士討ちをしているのもあるが、一番の理由は戦闘を行うのは別の部隊だからだ。

 深海棲艦と戦うのは、基本艦娘である。

 通常の艦が戦闘をすることは、よほどの事がない限りない。

「日本の駐屯地への報告は済んでいるな?」

「はい、戦艦二隻、重巡二隻、軽巡二隻が向かっているそうです」

「そうか。では、我々は射程圏外からの監視を維持しつつ待機だ」

 億劫そうに告げる艦長に、傍らに立つ副館長が進言する。

「今なら魚雷もミサイルも当たると思いますが」

「対岸の火事に近づく理由はないだろう。出来ればこのまま、我が国の海域から出て貰えると助かる」

「今のは聞かなかったことにします」

 肩を竦める副館長の横で、艦長は肘をつきながら口を開く。

「明日は結婚記念日なんだ」

 

『よし、このまま砲撃を避けつつ突撃しろ』

 観客席の人類を知らぬ深海棲艦達は、戦場の真っ只中にいるレ級と尾は、作戦と呼ぶには自殺行為の案を採用しようとしていた。

「……? ドウヤッテ?」

『空気抵抗と砲撃の推進力で方向を操作する。お前はさっきやったように砲撃を受け流せ』

「ダカラ、ドウヤッテ?」

『いいからさっきと同じようにやれ! ほら、来たぞ!』

 尾が叫ぶと同時、ル級の砲弾が飛んでくる。尾についている砲塔を使い軌道修正を行いつつ、レ級は先刻と同じく合気道の要領で砲弾を受け流す予定だったのだが。

 爆発、黒煙。

 ほぼ直撃と言って差し支えない攻撃を受けた。

『ゲホッ、おい! 受け流せと言っただろう!』

「痛イ! 受ケ流スッテ何!?」

『だからさっきやったように』

「サッキッテ解ンナイ!」

『なっ……!?』

 レ級の叫びに、尾が絶句する。言葉の意味を、理解して。

 尾だけではない。ル級もタ級も、レ級が砲撃を受け流したと思っていた。

 だが、違うのだ。

 あれはたまたま、空中に打ち上げられ振り回した手が当たっただけだった。無邪気にアトラクションを楽しむ子供のように、はしゃいだ結果の奇跡だった。

 いくらレ級と言えど、砲弾を受け流すなど出来やしない。

 そんな事が出来るのなら、艦娘との戦闘で行っている。

 尾としては先日の艦娘との敗北から、何かを学び活かしたのかと勘違いしていただけだった。

『お前……バカかっ!?』

「ナンデ! ボク、悪クナイヨ!」

『ぐっ、ぬぅ……!』

 レ級の言う通り、レ級は悪くない。

 強いて言えば、状況が悪かった。

 レ級の訴えに反論するわけにもいかず、勘違いしたのは尾なのだから責めるわけにもいかず、けれどもやり場のない憤りがつい語調を荒げてしまう。

『ええい! なら撤退だ! 逃げるぞ!』

「ナンデ? 戦ワナイノ?」

『この状況でどうやって戦うつもりだ!? 勝てるもんなら勝ってみろ!』

 と、尾が半ばやけくそ気味に叫ぶ。

 

 するとレ級は、

 

       「ワカッタ」

 

              と頷いた。

 

 気軽にいつもの調子で言うレ級に、尾は本当に解っているのかと訝しむ。尾がどうするのかと問い掛けようとした時、先ほどよりも連射の間隔が短い副砲での間断射撃が襲ってきた。

 尾がした打ちし届かぬがこちらも撃ち返すべきかと思案する隙間に、レ級は反撃も防御もすることなく、落ちる準備をする。

 頭を下に、海面に。

 身体を真っ直ぐ、棒のように。

 限りなく空気抵抗を減らし、かつ重力に逆らわず身に纏うように、落下する。

 気が付けば、あっという間に世界は水に埋まっていた。

 

「なんダ? 今度は受け流さないのカ?」

 タ級が眉を眉間に寄せ、様子を窺うように指示を飛ばす。

「ワタシの副砲で動きを止める。逃げたところを主砲で撃ち落とセ」

「………」

 ル級はタ級の指示通り、主砲での対艦攻撃を中止し、タ級が副砲での弾幕掃射に切り替えるのを見ている。

 タ級もル級も、主砲を受け流されたところを見た時は、あまりの事に言葉を失ったが、その後は一度も成功せずむしろ命中弾が何発か当たったのを見て、まだ完璧に弾を受け流すことは出来ないのだろうと結論付けていた。

 だからこそ遠距離での艦砲射撃で仕留めようとしていた。だが、レ級が次に取った行動は弾幕の嵐を突き抜ける方法だった。

 弾丸が当たるのも構わず、一直線真っ逆さまに落っこちる。

「おい! 落下地点に主砲を叩き込メ!」

 焦るタ級の横で、ル級は静かに狙いを定める――が。

 途中、後方にたなびくレ級の尾が火を吹き、砲撃を行い、わずかに加速した。ほんの些細なズレだったが、そのせいでタイミングが外れてしまった。水飛沫を上げ海中に突っ込むレ級をル級は見過ごす。辺りは一先ず、火薬の匂いと砲撃の熱気が立ち込める。

「クソッ! 逃げられタ!」

「…………」

「ル級! なぜ撃たなかっタ! タイミングがずれたとは言え、あそこで撃てば海中でもダメージは与えられただロ!」

 無言のル級の胸倉を掴むタ級。並の深海棲艦なら漏らしてしまいそうな激昂の迫力に、ル級は無言で為すがままにされていた。

 落ち度であった。ル級の落ち度は、誰が見ても明らかだ。

 反省しているのか、一切反論しない黙するル級に業を煮やし、タ級は次の行動に移ろうとする。中々に様になっている指揮官姿だった。部下や仲間を叱責し責任を押し付けるといったモノではなく、早い切り替えは相手を追い詰めるのに必要なものだ。

 これでダメなら次を、次がダメでもその次を。

 手数は尽きず、手段はある。

「チッ……もういい、癪だがカ級に連絡を取るゾ」

 海のスナイパー、潜水艦。

 静かに標的に近づき、気付かぬうちに放たれた魚雷が、その身を粉微塵にする。

 真っ向勝負好きのタ級としては、カ級のような潜水艦の戦闘方法はあまり好ましくなかった。

 相手に姿さえ見せず、殺すのは。

 だからレ級相手と言えど、自身の姿を堂々と曝け出し正面から戦いを挑んだ。

「行くゾ、あれだけ派手に暴れれバ艦娘が来るかもしれン。レ級がいない以上、ここに留まる理由はなイ」

 言い放つタ級がル級を見ると、震えていた。

 泣いているのか、悔しがっているのか。

 これ以上、責める言葉は意味がないと理解したタ級は、有能な指揮官らしく、慰めることはせずとも奮起させる言葉をかける。

「……失態は取り返せばいイ。次は仕留めル。カ級共に獲物を盗られる前ニ、我々が仕留めればいイ」

「……ウン」

「行くゾ、まずは電探で」

「アア……もウ、最ッッッッ高ゥじゃなイ!」

 自らの身体を抱きしめ、恍惚とした表情を浮かべ叫ぶル級。

 その様子は人間だったら遠巻きにお巡りさんを呼びたくなる姿だった。

「ル、ル級?」

「アンタ凄いじゃなイ、レ級って本当に化け物じゃなイ! 何アレ凄イ! 噂に尾ひれがついただけだと思ってたケド、本当の本当にマジじゃなイ!」

 身悶えるル級。

 引くタ級。

「ネェ見てたでしょネェ!? タ級も凄いと思わなイ!?」

「あ、ああ……確かに砲弾を受け流された時は驚いたガ……」

「バカじゃないノ! そんなことはどうでもいいデショ!」

「は?」

 砲弾を避けることが、どうでもいい。

 それは誰が聞いても、意味が解らない判断だった。

 タ級の困惑を余所に、ル級は一人興奮する。

「アイツ、アイツとなら”戦える”! アイツとなら”戦争”がデキル!」

 ル級の瞳は、まるで恋する乙女のようだった。

「砲弾の嵐を潜り抜けるんじゃなくテ、突き抜けるようなアイツとなら”戦える”!!」

 ル級の声は、愛しい人に紡ぐ愛の言葉のようだった。

「逃げないワ! 逃げるわけないジャナイ! アイツが! たった一人で戦争を起こせるアイツが、アタシから逃げるなんてあり得ないワ!」

 そのセリフと、ほぼ同時。

 タ級とル級の、目前。正面。

 水の柱が、顕現する。

 

 満面の笑みを携え――

 

  愉快に陽気な空気を醸し出し――

 

   ソイツは二人の真っ正面に現れた――

 

 

「ヤァ、コンニチハ」

 

 

 レ級は言う、嬉しそうに楽しそうに。

 

 

「エェ、イラッシャイ」

 

 

 ル級は答える、愛しそうに堪らなさそうに。

 

 そして二人は、共に告げる。

 

 

――― 「 「 サァ、戦オウ 」 」 ―――

 

 

 たった二人の大戦が、始まる。

 

 





 以下次回の盛大なネタバレ。
 嫌な人はここで戻るを。




























 レ級とル級の戦闘、カット。


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一錨息災(いちびょうそくさい) 【前編】

 なんとかイベントE-7終わりました。
 瑞穂と海風には出会えませんでした(白目


 ソロモン諸島から南西におよそ1755キロ。

 小さな島々を抜けた先に、世界第六位の総面積を誇る国、オーストラリアが存在する。

 先進国であり裕福な国でもあるかの地は、意外にも日本と密接した関係だった。

 日豪関係は比較的良好であり、軍事面を見ても共同演習など幾度か経験している。経済に関しては互いに重要な取引相手でありながらも、近年のオーストラリアとしては第二次世界大戦の記憶が残る者が多く、脅威的な存在であると認識する人々が多かった。ただし、日本のバブル崩壊後は躍進することなく低迷を続ける日本国の惨状により脅威の認識は薄れていった。

 大多数は、の話だ。

 これらは、それらは、大多数の意見であり、また、裏を返せば反日国の側面も見せる。

 太平洋戦争において委任統治領やダーウィンなどで日本軍の空爆や艦砲射撃を受けたことを忘れず、今もなおわだかまりとして胸に秘めている者もいる。

 友好国でありながらも、反日国としての顔を見せる国。

 一時は観光スポットとしてブームが起こったが、今や一過性の波は過ぎ去り年々観光客の減少が続く国。

 それでもなお、そこで暮らす人々は穏やかに豊かに過していた。

 世界は平和であり、平和だからこそ世界であるとでも言うようなそこで――――

「少シ、疲レター」

 肩を落としながらも表情は変えず、黒きレインコートから下たる海水を撒き散らし上陸する、人類の敵と称される一匹の深海棲艦。

『激戦後の観光からの深海戦の末に二日間の海上横断航行、いくらお前でも疲れるだろう』

 艦種なるは戦艦、戦艦にして枠組みという概念を破壊する存在――レ級が降り立った。

 平和とは真逆の象徴。

 破滅の権現とも言える、脅威なる災厄。

 その究極なる極地に位置するレ級が、人の集う大地へと、歩を進めた。

 海上ではないから、地上だから。

 そんなことは関係ない。

 ソレがソコにイル、それがすでに、悪夢に等しい出来事なのだ……が。

 人が想像する恐怖よりも、実際の物事は得てしてあっけない事が多い。もし仮に、レ級を目撃した者がいた場合、その人物が深海棲艦の存在を知っていた場合、大騒ぎになっただろう。

 だが、深海棲艦という存在が一般人には秘匿気味の世界情勢の中では、騒ぎになるだろうか。さらには、恐怖そのものが恐怖を撒き散らす行動を取らぬ、一見すればどこにでもいる女の子の振る舞いをしてしまえば、そこは最早、日常風景とさして変わらなくなってしまう。

「ウー」

『どうした?』

「疲レター」

 表情にこそ出さないが、レ級の瞼は今にも閉じられそうだ。無表情に見えたのも、実は疲れ過ぎて表情筋を動かすのが億劫なのかもしれない。笑顔を作ることはできるので表情筋はあると思われるが、人体と同じ理屈かはさておき、疲労に関しては嘘偽りなく感じているようだった。

『少し休め。あの傷ならル級共は追ってこれんだろうが、艦娘はまだ索敵を行っている可能性がある』

「ウーアーグー」

『喧しい、座れ』

「砂ッテヤツガー、チクチクスルゥー」

 砂浜に尻をつけ、普段の海上とは違い異物を感じながらも新しい感触に対し嬉しそうにしながら、レ級は腰を下ろした。寝転んだ。

 さて、レ級が上陸したオーストラリア、その細かな位置は第二次世界大戦時に連合国の戦略拠点として、珊瑚海海戦の出撃拠点の一つとなった、空軍基地や飛行艇の基地が設けられた場所。今では観光地と変わった、1984年に空港が出来てからはオーストラリアの玄関口にもなった地、ケアンズ――ではなく。

 そこからやや北の位置になる、距離的にはさほど離れてはいない電車で数駅分の距離になるマッカンズビーチ。

 海沿いの道は車道と歩道に分けられており、また一直線に続く信号もほとんどない道路はバイクで走れば気持ちよく、また歩道側も幅が広く作られているためランニングをする地元住民も多く居た。もちろん、観光客もだ。

 ケアンズでは道すがらホテルが立ち並んでいたが、マッカンズビーチでは民家が並んでいる。民家というより日本で言うなら別荘かもしれない。海を横手に通る道、オシェイ・エスプラネードの端、バー川で地域が両断されつつも砂浜で繋がるそこに、レ級は流れ着いていた。家はすぐ近くであり、ほんの五十から百メートルほどしか離れていない。

 レインコートのお蔭か、一見すると雨も降っていないのにレインコートを羽織っている変な奴、程度の認識だ。尾は上手いこと砂の中に身を潜らせたので、立ち上がらなければそうそうばれないだろう。

 さらに言えば、マッカンズビーチでは別荘家が中心であり、ケアンズでは観光客が多く砂浜やテトラポットに身を乗り出すが、こちらではまばらな人しかいない。

 レ級は寝ころんだまま陽の光を反射する海を眺める。何もないただ海水が広がる景色は、しかし右手に少し視線をずらせば遠くに霞んで見える山々が見え、もう少し右に顔を傾ければ家屋が見える。左手は同じような砂浜が広がっているが、同じくもう少し左に顔を傾ければ家屋が見える。

 それだけで、レ級はなんだか楽しかった。

 少しだけ、嬉しかった。

 そんな感情をおくびにも出さずに、レ級は深い溜息と共に言葉を吐き出す。

「アー疲レター」

『ル級があそこまでやるとは、俺も思わなかった。正直、あの程度の手持ちでどう太刀打ちするのかと思えば、まさか突撃してくるとはな』

「スゴカッタネー、タ級ハチョット、困ッテタケド」

『残念なことに、あそこでは正常なモノが異常として認知されてしまう場だったからな……タ級はタ級で、悪くはなかったが』

「横カラ、ゴチャゴチャ、ウルサカッタケドネー」

『それが指揮というものだ。あの艦娘達が使う、戦略というやつだよ』

「戦略……」

 レ級が呟いた、その時。

「お嬢ちゃん、ここは今一般人立ち入り禁止だよ」

 背後から、声をかけられた。

 性別は男。年齢は四、五十を過ぎた辺りだろう。どこかゆったりとした独特な喋り方だ。

 尾は息を潜め、さてどうするかと考える。

 殺すか、殺さぬか。

 無理に殺す必要はないし、何よりレ級に人の血の味を覚えさせる必要はない。

 純真に戦いたいと想うのと、純粋に殺したいと思うのでは、世界が違う。

 戦う為に戦うのか、殺す為に戦うのか、その違いは、何より大きい。

 出来れば、我儘ではあるのだが、尾としてはレ級に人を殺させたくなかった。

 ただもっと単純に、戦わせてやりたい。

 殺すとか殺さないとか、そんなことは関係なく。

 もっと簡単に、戦いを教えたかった。

 だから、尾はタイミングを見計らう。

 レ級はとぼけた顔で、緊張も警戒もなく振り返る。振り返るというより、寝転んだまま顔を向ける。これは予測済みだ。顔を見せればマズイなどとは考えない、純心無垢だからこそ、レ級なのだ。

 だから、尾はタイミングを見極める。

 このまま男が気づかず去るなら良し。正体がばれたり少し面倒になりそうならば……。

「ンー? 疲レテルー」

「海にでも入ったのかい? まだ寒いだろうに若いってのは羨ましいねぇ。うちのカミさんなんかも……ん?」

 怪訝な声を、尾は拾う。

 それはまさしく、疑いの声。

 何かを決する、言葉。

「……お嬢ちゃん、まさかとは思うけど、名前を聞かせてもらえないかね」

 問われて素直に答えるのはバカか自信家か。

 尾はどちらだろうと考え、バカというには純真すぎるなと思った。

 問われれば応える。

 知っていた。

「特ニナイー。人間ハ、ナントカッテ呼ブ。ナンダッケ?」

 最後の方は砂に潜った尾に向かい聞いたもので、隠れた意味がないと頭を抱える尾だった。

「戦艦レ級」

 そんな、尾とレ級に。男は答える。

 一般人が知らぬ、恐怖の名を。

「深海棲艦の化け物、戦艦レ級だろう、お嬢ちゃん」

「ンー、確カ、ソウ」

 今更ながら、レインコートの下にはビキニという煽情的な格好のレ級だが、そんな無垢なる色気に惑わされることなく、男は苦笑しながら一歩下がった。

 慎重に、確かめるように。

 決して奢らずに、見定めるように。

「そうか、二日前はお疲れさんだったねぇ」

「?」

「ああ、いや、気にしないでくれ」

 巡視船でありながら”艦長”と呼ばれた古き軍人。

 ル級とレ級の対決を、遠方から覗いていたオーストラリア海軍所属の男は、頬をかきにながら言った。

「ドーナッツでも、食べるかい?」

 

 

【後編へ続く】




 また前後に分かれてしまいすみません。
 ここでは戦闘シーンはなく、ちょっと休憩。
 次の話からまた戦闘があるかもです。ちょっと展開をどうするか修正中。
 後編は今月中出す予定です。


 ※ちょっと見直しをあまりせず投稿してしまったので、今度の機会に今回のお話を多少直すかもです。大筋は変えず、言い回しや表現などを変えようかなと考え中です。


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一錨息災(いちびょうそくさい) 【後編】

 

 

 風が生暖かい。波の音も沖と比べると静かで、目を閉じれば、規則的で不規則な音色のさざ波が聞こえる。周囲を囲むように彩る葉達が、揺さぶる風の声に身を任せ、細かな砂は踏みしめられる音を上げながら、ゆったりとした時間が流れていた。それら自然に混じった、陽が伸ばす影の手は、借りられた猫のような風景。二つの影が、長く遠く、隔てていた。

「ところで、傷はもう大丈夫なのかね?」

 レ級から一歩二歩、数歩離れた位置の艦長が尋ねると、ドーナッツを不思議そうに眺めながら弄ぶレ級は、寝転がったまま答える。ドーナッツは汚いが砂浜に置いて渡した。犬猫にあげるようだったが、艦長としてはそれ以上近づけなかったし、レ級も怒ってはいないので良しとした。

「痛イ。休ンデル」

 そう返事をするレ級だが、パッと見た限り目立った外傷はない。レインコートの下がどうなっているかまでは解らないが、確かめようとするならば確実に変態のレッテルを貼られてしまうが、それでも見える肌の部分には、傷などは見当たらなかった。

 綺麗なもので、死人のように青白い。

「深海棲艦とは、みんなそうなのかね」

「?」

 艦長は深く息を吸い、飲み込んで、尋ねた。

「あれだけの激戦をやっても、数日すればそこまで回復できるのかい?」

 瞼を閉じれば思い出す。

 恐怖さえ覚えた、人外という言葉が当てはまるべき戦争と呼ぶべき戦争を――

 

 水柱をあげ、ル級の前に飛び出したレ級は、腕を引き――引き絞る。

 弓兵の如き格好は、しかし、錯覚には大筒の方が正しかった。

 弓矢のように、ではなく。

 大砲のように、感じる。

 相対する二人は、二匹は、間を待つこともなく、出会った瞬間から行動に移す。移すからこそ、これまで生きてこられたのだから。

 レ級が放つ、まるで神話に登場する矢の如く、風を裂く音を引きずりながら放った一撃。

 極限まで引き絞り、極地まで握り込まれた必殺。

 挨拶代わりと言わんばかりに、隙だらけの全力全開の攻撃。

 だから、だからル級は迎え撃とうとしたのだろう。艦長が見た限りでは、直前まで満面の笑みを携えて、前のめりに頭突きでも喰らわそうとしている体勢だった。

 激しくぶつかり、激しく弾け飛び、激しく水飛沫をあげる。

 そんな未来を、ル級だけでなく、艦長以下乗組員たちも感じていた。見ていたものたちは。

 だが――――直前。

 レ級の一撃が、絞られた弓から放たれる刹那の瞬間。

 時は止まることなく緩慢に、怠惰に流れを緩まして、ル級に事実を教え込む。

 その威力を。

 その結果を。

 根拠はなく、また証拠もない。

 けれど、ル級は浮かべていた笑みを消し、瞼を見開く。

 ほんの一瞬の出来事。艦長以外に見た者はおらず、また気が付いた者もいなかった。

 

 ル級が感じた――――死の瞬間を。

 

 迎え撃つ動作は回避に、両手に備えた砲台は盾へと変わる。

 強引に身体を倒して、不様に転んだ姿を晒す。

 だが、それだけやってギリギリ間に合わなかった。

 防御無視の一撃。隙だらけの体勢に、時間のかかった攻撃は、準備の段階で阻止しなければならない。何も考えていないようで、天才とも言える戦闘技術を持つレ級を相手に、それはあまりに無防備だった。防備など意味がないほどの、無防備だった。

 レ級の拳が、ル級を抜ける。

 

 音が 消え た。

 

 海 が割 れた 。

 

 それだけだ。

 大袈裟でも言葉足らずでもなく、その言葉で足りる一撃。

 あまりの威力に、火力に。

 世界は音を殺された。

 慌てて集まる常識がル級の元に届いた時、全ては終わっている。

 なにかもが一拍遅れて気が付く世界の中、当事者であり避けたル級もまた、視線は放たれた背後に釘づけだった。結果を理解するのに、必死だった。

 レ級の右拳から放たれた一撃を避けるため、ル級は左側に避けた。結果、右の盾砲台は粉砕され、右腕を肩から壊された。

 衝撃により腕は曲がり、威力により腕は折れた。そのまま引っ張られるようにル級は体勢を崩し、後方へと半回転しながら吹っ飛ばされる。

 そして、見た。

 レ級が為した、天変地異に等しき惨状を。

 海を割るなど、それも生身一つで起こすなど、あり得ない現実を。

 目を見開き、身体は硬直、理解できない脳は停止し、けれども未来は待ってくれやしない。

 放たれた威力が凄ければ、放った者も相応の衝撃を受ける。

 だからレ級は衝撃に逆らわず、その場で側転するように回転し、次の行動へと移っていた。

 相も変わらず、戦に関して、個々の戦闘に関して天才的な働きを見せる。

 流れに逆らわず、運命を受け入れるように放たれたレ級のかかと落とし。

 呆けたル級の頭上へ振り下ろされた、死の一撃。

 砕かれた頭蓋骨が周囲の海を赤黒く汚し、見る耐えないグロテスクな光景を生み出すはずだった、一撃を。

 

 タ級の砲撃が、打ち砕く。

 

 誰もがレ級の結果に唖然とする中、唯一タ級だけが、レ級の次の行動を見定めていた。

 タ級は知っていた、レ級の戦闘方法を。

 タ級は聞いていた、艦娘との戦闘状況を。

 だから、タ級は考えていた。

 一撃必殺を放った程度で、レ級は止まらない。

 穿つ一撃は全てが必殺。

 そんなレ級の一番の強味は、その威力でも数多の武装でもなく。

 一発でも当てれば大破の可能性がある攻撃を、休む間もなく繰り出す連続性だ。

 レ級の脚に直撃した砲弾が爆発し、遅れてル級も事態に気づいた。慌てて右腕を庇いながら距離を取る。

 このまま追撃しようとタ級が動いた時、ル級が叫んだ。

 迂闊に一歩、踏み込めば。

 その先に待つ、死が迎える。

 タ級の砲撃を喰らったと同時に、すでにレ級は動いている。解っていたはずのタ級も、理解しきれていないのだ。連続性と言いながら、休む間もなくと言いながら、それはレ級敵対する者だけではなく、レ級自身にも当てはまる連続性だということを。

 レ級の放った魚雷が、日本の忍者が使うクナイのように、真っ直ぐ一線、放たれていた。

 撃ち落とし回避するも避けきれず、そこから始まる乱戦。

 淡くも強く光る眼光が、遠く双眼鏡から監視する人類の背を、密かに濡らしていた。

 

 遠くで鳥の声が聞こえた。砂浜にいる艦長は、ここで深く溜息を吐く。思い出せるのはそこまでだ。そこから先は、見ていたが何をどうしたのか解らない。人間の知識では、知覚では限界だった。

 とてもじゃないが深海棲艦相手に肉弾戦、それも先の戦闘を起こしたレ級を相手に戦えるなど思うわけがない。

 知らなかったとはいえ、迂闊に近づいたことを悔やむ艦長だったが、同時に興味がなかったわけでもない。

 あれほどの身体能力を持つ生物とは、一体なんなのだろうか、と。

 人に近く、人ではない。

 けれど、火薬を扱い、武器を持ち、団体で行動し、戦争を起こす。

 現在まで確認されている、命を持った生物の中で、人間だけが起こす動作を、深海棲艦は行っていた。

 日本政府は、突如現れた海のモンスターと言っている。

 しかし本当にそうなのか。エイリアンよろしく、そんなお伽噺みたいなことがあるのだろうか。疑ってみても、答えは出ない。

 緩やかながらも時間はしっかり流れていく中、艦長はただ、黙って見ていることしか出来なかった。

 映画のように、ドラマのように、もっと気の利いたことを言えたら良かった。ドーナッツなんかあげてる場合ではなかった。

 何を聞けばいいのか解らなかったし、敵の勢力や目的など沢山あったが、恐怖を押し殺したまま接することなんてできなかった。

 怖い、その一点である。

 今日ぐらいはカミさんに花束でも買ってってやろうかと思い始めた艦長だったが、それも生きて帰れればである。このままでは、下手をしたら自分が花を贈られるはめになるかもしれない。

 いつまで経ってっもドーナッツを食べないレ級に、毒でも疑われているのかと冷や汗を流していると、突然。

「ン、バイバイ」

 と立ち上がり、砂浜から巨大な尾が出現した。

「っ!?」

 腰に手をやり銃を握る。

 瞳孔は開いて呼吸を止める。

 心臓は縮み上がり、体温は感じない。

 無意識に、反射的に。

 艦長は恐怖に飲まれ、動いたまま動けなくなっていた。

 警戒して素早く動ける体勢に移ったまではいいが、その後はどうすべきなのか解らない。

 砲弾が飛び交う戦場で笑って歩むレ級に対し、果たして銃など脅しになるのだろうか。

 そもそも先日の戦いを見たあとでは、艦長が動こうと思った瞬間、こちらが死んでいる可能性の方が高い。

 動きたくても動けない艦長が固唾を呑んで見守る中、レ級は貰ったドーナッツを服の、レインコートのポケットにしまった。

「ワカラナイケド、モラッテオク」

 それだけ言い、レ級はぐっと伸びをして、首をこきりこきりと回す。

 海に還る、そんな言葉が、頭を過る。

 このまま見送って、頭の上がらないカミさんが待つ家に逃げ帰り、いつもありがとうと抱き締めて一日を終わらせればいい。あとはいつも通り、夕飯は美味いのに朝食は不味いカミさんの料理を食べて、出勤して、変わらぬ海を監視して一日一日が過ぎればいい。

 そうして、時たま現れる深海棲艦は日本の艦娘に任して、平和な世界で生きていれば。

 けれど、目の前のレ級は……深海棲艦の、戦艦レ級は。

 あまりに無邪気に、あまりに幼く、あまりに無知で、あまりに素直で――――あまりにも、人間らしかった。

「ま……待て。待て、待て……」

 震える唇で、身体で。

 艦長は心を落ち着かせながら、無理矢理抑え込みながら、聞いた。

「お前たちは、なぜ、人を襲うんだ」

 その問いに、質問に。

 レ級は眉を潜め、首を傾げて。

「ドコカデ、戦ッタ?」

 と、言う。

 襲うでもなく、殺すでもなく、戦うと。

 戦う、と。

 その意味を、真意を、どう解釈すべきか。

 まだ解らない。これだけの情報じゃ、まだ解らない。

「そう、か……ありがとう」

「アリガトー?」

「え?」

「ナニソレ?」

 不思議なことを言う。

 しかし、レ級にとって、一人きりの時間が大半だった今までを考えたのならば、仕方ないことなのかもしれない。

 お礼を言う相手がいなければ、使う必要のない言葉なのだから。

「ありがとう、かい?」

「ウン」

「えっと、お礼だ。お礼は解るかい? その、助けてもらったり、嬉しかった、り? なんだ、難しいな。その、相手に感謝というか、嬉しい気持ちを伝えるのに、言う言葉だ」

「ホー」

 ウンウンと頷くレ級。

 まるで近所の子供のような素直な反応だった。

 

 それが、いけなかった。

 

 思わず気を許してしまいそうになる動作。

 意外と話せることを知ってしまった事実。

 それらが、艦長を動かす理由になってしまった。

 つい、今まで喋らなかった隣人が、話せる奴だと知ってしまった感情に似ている。

 嬉しかった、のかもしれない。話せて。

「あと」

「ン?」

「ドーナッツは、食べるもの、だ……」

「食ベル?」

「ああ、こう」

 艦長が袋の中からドーナッツを取り出し、齧ってみせた。

 それを見て、真似しようと思ったのかポケットからドーナッツを出そうとするレ級だが、どっちのポケットに入れたのか忘れたようでポンポンと叩いている。艦長はそっと、新しいドーナッツを取り出し、レ級に差し出した。

 最初とは違い、手渡しで。

 近づくレ級に恐怖を覚えながらも、艦長は耐えた。耐えてしまった。

 レ級は艦長の手を握り、ドーナッツを受け取り、齧る。

 モグリ、モグリと。

 砂糖をまぶした、甘いドーナッツを。

「オオ」

 美味かったのか、レ級は繰り返しオオと言いながらガツガツ齧る。

 そして、海に向かって一歩二歩。

 機嫌良さそうに、スキップするように歩き去る。

 去りながら、食べかすを頬につけながら。

 振り返り、振り返った。

「アリガトー」

「……………」

 手を振り、海上に立ち、けれど止まらず歩き去る。

 一度キリの、ご挨拶。

 その後はもう振り向くことなく、夕日の落ちた地平線へと消えていく。

 真っ黒のレインコートを保護色に。

 砂浜に佇むのは、艦長ただ一人。

「………」

 調子に乗って手渡したドーナッツ。

 妙に湿った手のひらは、けれど思ったより冷たくはなかった。

 無邪気にもらったお礼の言葉は、隣に住む女の子と何も変わらなかった。

「ああ、くそ……だから嫌なんだ、戦争は」 

 まるで人間のような深海棲艦を……彼女を見送った艦長は、一人苦虫を噛み潰した表情で吐き捨てる。

「それでも俺は、おまいさんを殺さなきゃなんねぇ……」

 くしゃりと紙袋を潰し、拗ねた子供のように歩き去る。

 残ったのは、尾が隠れたせいで出来た巨大な穴と、レ級が寝転んで出来た砂浜の凹み。

 それもいずれ、消えていく。

 時間が次第に、消していく。

 

 




後編を先月中に出すと言ったが書くとは言ってなすみません。

みなさん艦これVita、予約できましたか?
私は今日仕事から帰ってから考えようと思ったらもう売り切れとか(震え声


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疫者三友(えきしゃさんゆう)

 

 

 ル級との戦闘から数か月、レ級はその後の追撃を受けることなく、また艦娘や人間に襲撃されることなく、世界旅行を楽しんでいた。

 オーストラリアから離れ古巣に戻るかと考えていたレ級を追う者たちは、一向に捕まらないレ級の姿にやきもきしながらも、その間にあった様々なイベントもとい大規模な戦闘により、次第に忘れていく。

 目前の日常に、過去は次第に薄れていく。

 あの戦闘狂が艦娘、深海棲艦とも戦わず、また古巣にも姿を見せないことに対し、撃沈されたのではと少々甘い考えを唱える者もいたが、確かに以前のレ級を思えば致し方ない結論だが、そうではなかった。

 彼らないし彼女らがレ級の捜索として広げた範囲は、それまでと同様の海域であり、まさかレ級が、深海棲艦が世界旅行などと優雅な休暇を楽しむなど、考えにも及んでいなかった。

 オーストラリアを後にしたレ級はそのまま太平洋に行くのではなく、パプアニューギニアへ進路を取り、南太平洋最後の楽園と呼ばれる島々を見て回る。オーストラリアと比べると発展に関しては劣っているが、その分、多くの自然が残された美しい国だ。

「海ノ色ガ違ウ」

『コバルトブルー、というやつだ』

 自然と人間が創り出した共存を見た後、インドネシアにインドと回る。インドからは南アフリカへ象を見に行くも、沿岸付近ではキリンしかおらず、しかし異様に長いキリンに興奮していた。

「ペッペッ、コノ川、メッチャ汚イ」

『飲むなよ? ここいらは人間の排泄物も含まれている。お前が病にかかるとは思えんが、衛生上良くないのは確かだ』

「デモ、川デ洗ッテルヨ?」

『家でまた洗う』

「オオ、知ッテル。二度洗イ。良イ機能」

『……少し違う』

 続いてブラジルへ行き、尾が言うにはサッカーが盛んな国だと話していたが、現在は地元の子供たちも外へ出るよりテレビゲームなど他の娯楽をする者が多く、サッカーの風景を見ることは叶わずレ級は頬を膨らませていた。

 そこからプエルトリコを通り過ぎアメリカ合衆国へ。北大西洋では深海棲艦の勢力はそれほど浸透してはおらず、日本近海よりも警戒は幾分か緩い。緩いとは言っても未だ世界トップを誇る軍事力を有する国だ。油断は禁物だ。

「コノ国ハ知ッテル。イ級ガ言ッテタ。夢ガ叶ウ国ダッテ」

『そのイ級は何を夢見てるんだ……』

 そこから進路を北に、イギリス、ノルウェーを回り氷が阻む世界へ。

 巨大な国ロシア。その北側をぐるりと一周する。

「寒イ……」

『そうだな。思ったよりも水が冷たい』

「眠イ……」

『寝るな』

「ウン……チョットダケ……グゥ」

『寝るな』

 尾にたたき起こされながら、閉じる眼をこじ開けベーリング海を抜け戻ってきた。

 ロシアと北海道に位置するオホーツク海。

 日本近海へと、戻ってきた。

 どれほどの月日が経ったのか、カレンダーの感覚がないレ級には解らない。郷愁なんて想いも、初めて体験した。ぐるりと地球を一周。満遍なく回ったわけではなく、 要所要所を見ただけでほとんどが航行だったが、それでも世界の人々の営みを見た。

 たくさんの人間が、色んな日常を過していた。

 争わず、憎しみ合わず、楽しそうに過していた。

 生活の違いなんて比べるものではないけれど、それでもレ級は考える。自分と、見て回った世界の人々の、日常の違いを。

 いつでも一人でいたレ級にとって、多くの者と一緒にいる彼らは不思議の対象でしかなかった。ちょっと前までの、レ級にとっては。

 今は、少し背後を見やれば。

『どうした?』

「ウウン。何デモナイ」

 不思議そうに首を傾げる尾を見て、思わずクスリと笑うレ級。

 こうして声がある。

 自分以外の声が。

 今までレ級は自分以外は不要だった。必要性を感じていなかった。だが、あっても構わないと思うようになっていた。

 仲間がいて弱くなることはないと、考えるようになったのだ。

 一人で戦った日々も楽しかったが、二人で戦う日々も楽しかった。

 だからいいやと、レ級は考えた。

 艦娘も弱い集団だけれど、以前の伊勢と日向の連撃のように、仲間がいて強くなることもあるのだと、思うようになった。

 深海棲艦もそうなのだろうと、なら今度戦う時は、どちらとは解らないが、他に仲間がいてもいいかなと、鼻歌交じりに思う。

 そんな、旅行から帰り家に近づき、気が緩んだその時、レ級は出会う。

 小さな島々が点在する、千鳥列島と北方領土の間。

 オホーツク海から太平洋へと抜ける為に、通過しようと思った場所。海上。

 直径四、五キロほどしかない小さな小さな島の目前で、レ級は出会う。

「オ前、噂ハ聞イテルゾ」

 岩礁の影から、島の影から突如、声が聞こえ姿を現す。

 不意打ちにしては絶妙で、奇襲にしては奇妙だ。

 声をかける前に砲撃を与えればいいのに、そいつは会話を求めてきた。

「死ンダト聞イテタガ……カハハッ、ソウダヨナ、ソウ簡単ニ死ヌ訳ガナイ」

 初めて見ると言えば初めて見るし、よく知っていると言えばよく知っている人物。

 そいつの出現に、尾は黙り込み。

 そいつの出現に、レ級は驚愕を覚える。

「待ッテイタゾ」

 特徴的なのは恰好だ。

 真っ黒のレインコートに背中には白いリュックサック。

 チャックを腹部まで開けたレインコートの下には黒のビキニという妖艶な服装。

 そして腰よりやや下から、長く太い大きな尻尾が、伸びていた。尾の先には、深海棲艦の艦種、駆逐艦の頭部が付随している。

「ヨク来タ、ワタシ」

 そいつは――ニタリと――いやに怖気が混ざった笑み貼り付け。

 右手を背後の島へと差しながら、言った。

「ココガ、ワタシ達ノ居場所ダ」

 

 戦艦レ級は、戦艦レ級を迎える。

 

 



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巣輪一枝(そうりんいっし) 【前編】

前後編です。


 

 

 

 別段、レ級が世界を見て回ったからと言って何かが変わったわけではない。

 そもそも旅と言えばいいのか旅行と言うべきか、判断に迷う経過の中でレ級が正しく学んだことは少なかった。長い旅路のわりに、だ。

 それはレ級が何も考えてないという訳ではなく、そういう側面もあるにはあるのだが、知能指数で表すよりも、感情的な――感覚的な部分の問題が大きかった。

 どんなに打ち解けても、どんなに言語を使えても、どれほど心があろうとも。

 彼女は……レ級は深海棲艦。人ではなく人を模したモノであり、人類の知識では生物のカテゴリに入れるにも議論が必要な存在だ。

 だから、そんな深海棲艦のレ級が人の営みを見たところで、傍から外から生活を眺めたところで、大きな心の変化があるとは考えにくい。

 新たな発見、既知の確認はできたとしても、果たして共感を得ることがあるのか。

 動物園や水族館を見て、何を覚えるのか。

 感動はしても、感動こそすれ、それを自身に置き換えることはあるのか。

 尾はその部分を理解していなかった。

 思考能力が高く、そこらの深海棲艦よりも人類側に近い感情を持っている尾は、やはりレ級のことをちゃんと理解しきれていなかった。

「カハハッ、サァ、チャッチャト歩ケ」

 戦艦レ級が、ここは世界を回ったレ級との区別をするためあえて戦艦と表現しよう、ニタニタと笑みを貼り付けながらぶっきらぼうに案内する。

 そこは洞窟だった。

 鍾乳洞に近く、進めば進むほど入り組み、左右に大小様々な穴が顔を出している。その穴を何度か進むうちに、潜るうちに、今までとは異なる空洞に出た。

 明るい。

 陽射しも届かない洞窟の中だというのに、そこは明るかった。

 来る道中も真っ暗な闇を歩んだ、泳いだ身としては、まさか辿り着いた先に明かりがあるとは想像していなかった。深海棲艦は夜目が効く。だから暗い海の底でも問題はなく、尾も前を歩む戦艦レ級が洞窟の奥に身を潜めることに疑問を抱かなかった。

『ほぅ、これはなかなか……』

「ドウシタノ?」

『いや、存外圧巻だと思っただけだ』

 尾が言うのも無理はない。

 明かりがある、と言ってもそれは照明器具が配置されているわけじゃない。ましてや岩に囲まれた鍾乳洞の中、陽の光が届いているわけでもない。

 星空に似た世界。

 ル級にタ級と戦闘した時と同様に、空中に弾き飛ばされた時に見た夜空の光景を思い出す空間。

 鍾乳洞には星空が存在する。

 一般的にオーストラリア東海岸、ニュージーランドに生息する土ボタルが壁面、上下左右に点在し、まるで夜空に浮かぶ星の如く神秘を映し出す景色……ではなく。

 そんなものでは、決してなく。

 星空に似た世界と称したが、土ボタルのように神秘的な風景を創り出しているのではな、なく。

 もっとおぞましい、もっと嫌らしい、もっと忌まわしい。

 凄まじい視界。

『さすがにこれ程となると、寒気を覚えると思っただけだ』

 青白い光が、埋め尽くす。

 天井を、海面を、壁面を、空間を。

 人類が忌避し慄く、深海棲艦の青白い灯りが。

 無数の戦艦レ級の瞳が放つ、蒼き炎が、世界を照らしていた。

「新入リカ?」       「獲物ジャネエ」

      「ツマンナイ」          「艦娘ハドウシタ」

 「間抜ケ面ダ」        「キヒヒ」       「イ級飽キタ」

 

 戦艦レ級の言葉は正しかった。

 出会い頭に告げた、《ワタシ達ノ居場所》。

 人類や艦娘だけでなく、同類の深海棲艦にさえ忌み嫌われる戦艦レ級。

 どこにも居場所はなく、どこにも行く場所のない存在。

 レ級が連れてこられたその場所は、深海棲艦の《居場所》ではない。

 そこは、世界から爪弾きにされる、戦艦レ級の巣だった。

「カハハッ、遠慮スル必要ハナイゾ。ワタシハオ前デ、オ前ハワタシダカラナ」

 どこか誇らしげに、ここまで案内してきた戦艦レ級は言う。

 立ち止まり、辺りを見回すレ級に尾が話し掛ける。怯えたわけではないが、初めて見る同類、自分と瓜二つの存在が大勢いる状況に、どう行動したらいいのか解らないようだった。

『深海棲艦も艦娘も同じ容姿をした奴はいるが、ここまでの数を一度に見るとなると、やはり圧巻の一言だな』

「タクサンイル。ソックリ?」

『お前とか? そうだな、似ている』

「フーン」

 相変わらず何を考えているか解らないレ級。

 そんなレ級と比べると、この洞窟にいる戦艦レ級達は、いくらか感情があるように見えた。

 遠慮なく向けられる視線には、侮蔑、好奇心、嘲笑といった色が見られる。

 歓迎はされているだろうが、諸手を挙げて、というわけではなさそうだった。

 動かないレ級を見て、怖気づいたとでも考えた戦艦レ級の一人が、ニタニタと底意地の悪そうな表情を貼り付け近づいてきた。

 敵意はないが、悪意はある。

 そんな不快さを滲ませながら、そいつはレ級の前まで来ると、覗き込むように首を傾げ、両手を後ろに聞いてくる。

「ナァナァ、オ前、イ級喰ッタ事アル?」

「イ級?」

 質問の意味が解らず、レ級が首を傾げると、途端に周囲から笑いの渦が起こる。

 明らかにバカにしている様子に、尾はやや不機嫌になる。

『下らん冗談だな。流せ』

「冗談ナノ?」

 レ級が尾にそう聞き返すと、目前の戦艦レ級がニタリと、さらに悪意を秘めた笑みを濃くし、後ろに回していた両手を前へと持ってくる。

「冗談ジャネーヨ? 喰ッテミルカ?」

 前へ出した戦艦レ級の手には、はらわたを抉られたイ級の残骸。

 肉が弾け中身が垂れる、吐き気を催す無残な姿。

 突然、戦艦レ級はイ級の腹部に顔面を突っ込むと、そのまま不愉快な咀嚼音を立て、水っぽい粘着質な音を立て、顔をあげる。

「美味クハナイガ、不味クモナイゼ?」

 イ級の身体に流れるはずの液体で口元を濡らしながら、戦艦レ級は笑っていた。

 

 



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巣輪一枝(そうりんいっし) 【後編】

 

 

 クチャクチャ グチュクチャ

 

 不快な咀嚼音が洞窟内に響く中、尾が感情を隠さずに悪態を吐いた。

『前言撤回だ。お前と奴らは似ていない。こんな悪趣味な奴らと似てたまるか』

「ハハッ、ビビッタ? ビビッタノ?」

 戦艦レ級が頬を歪ませ、歪な笑みをぶつけてくる。

 愉快に奇怪。周囲の戦艦レ級たちが、一斉に嘲笑を木霊させる。

 残響する笑い声、

         反響する咀嚼音、

                 響動する混濁音。

 空間全体が震え、――恐怖に――、どんな種族も禁忌と考える行為に、――狂気に――、世界が身を縮こまる。

 

 これが最悪だ。

 

        と、その深海棲艦は語るように。

 

 これが最狂だ。

   

        と、誰からも忌避される理由のように。

 

 世界が否定し拒否する。

 どんな大規模な戦争が起ころうとも、どれほど総戦力を賭けた戦争になろうとも、決して仲間に呼ばれず戦地に訪れない、この世で最も戦から遠く、この世で最も戦に適した存在。

 戦艦レ級。

 代名詞とも言える最悪なる狂気の行動に、普通の、他の生物なら怖気を感じる。

 例えそれが同じ深海棲艦だろうとも、その行為に好意を持つことなどない。

 確実に不快を覚え、不愉快な感情を持つ。

 だが、同一の存在であるレ級だけは違った。

 違ったのだ。

「ナンダヨ、今度ノ奴ハ、ビビリダナァ」

 レ級の目の前でイ級の咀嚼を止めない戦艦レ級は、ニマニマと優位性を感じつつ上下関係を教えていた。例え同じ存在だろうと、新参のお前はこの中じゃ下っ端だと。どんなグループでもチームでも、組織でも見る光景。

 まずは立場を解らせて、役割を教え込む。どんなアホウでも理解させられる、陳腐で歪んだ関係性。友情の中にでさえ存在する、落胆させられる感情。言葉を変えればイジメとも似ている儀式を見せつける。

 だが、時たま空気の読めない奴はいる。

 そういった者はグループに入れず仲間外れにされ、蚊帳の外で孤独を感じさせられるのだ。

 だが、空気の読めない奴は強い。

 我を通す術を教わるのではなく無意識に行う。

 だからこそ孤立してしまうのだが、それはまさに戦艦レ級に相応しい単語だろう。

 深海棲艦の中でも嫌われる、世界の嫌われ者。

 だからこそ、レ級はここにいる。

「コッチモ美味シイヨ」

 食事と嘲笑を止めない戦艦レ級に、レ級は臆することなく、空気を読まずにそんなことを言った。空気が読めないというより、空気が何か解っていないのかもしれない。

 レ級がおもむろにポケットから取り出したのは、いつか誰かから貰ったドーナッツ。

 半分齧ってあり、半分欠けた月のよう。

 それをレ級はさらに半分に割って、目前の、イ級を食する戦艦レ級に差しだした。

「ナンダソレ?」

「人間ノゴ飯」

「ハァ? 人間ノ飯ナンカ食エルカヨ」

「デモ美味シイヨ?」

「美味イ訳ナ美味イ!」

 レ級から受け取ったドーナッツを、戦艦レ級が訝しみながら口に含んだ瞬間叫んだ。

 目を見開き驚愕している。

「美味イゾコレ!」

「ネ、美味シイデショ」

「ナンダコレ! 美味イ!」

「イ級ヨリ美味シイ?」

「イ級ナンカヨリ全然美味イ!」

 もぐもぐと口を動かしながら頷く戦艦レ級。頬に手を当てその場で飛び跳ねていた。

 その様子を、ここまで案内してきた戦艦レ級は気に入らない様子で眺めていた。

 案内した戦艦レ級は気に食わない。彼女らは迫害され除け者にされた集まり。どんな奴が来ようとも、最初は大抵どいつも似た反応でパターンだったのだ。

 世界から外された自分達に仲間が出来ることを喜ぶ者。

 誰も仲間はいないと敵対心を隠さず喚く者。

 深海棲艦からも隠れ、艦娘からも逃げる生活に疲れ安堵する者。

 そんな孤立した集まりの安住の地が、ここなのだ。

 だから案内した戦艦レ級は、毎回同じことをする。

 この中で生きるには何をしなくてはならないのか、この中に入るにはどういう態度を取ればいいのか。

 空気で解らせ、最後には武力で持って理解させる。

 戦艦レ級の巣が敵になるという、最大災厄の不幸を持って、解らせる。

 イ級を食するのを拒んだ者など大半だ。中には平然と食べた者もいるが、大体は顔を歪ませる。

 だが最後には同じ存在だと納得させる。

 ここにいる戦艦レ級全員で襲い掛かり、半殺しにして解らせる。

 だから、こんな風に空気を読まず、さりとて他者から避けられずに中心に立ちそうなレ級が現れるのに、戦艦レ級は望んでいなかった。

 もう嫌だった。もうたくさんだ。

 

 嫌われるのは、独りきりになるのは、もうこりごりだった。

 

 だから〈ここ〉を作った。

 怯えず隠れず安心できる〈居場所〉を。

 誰からも石を投げられず、誰からも拒否されない〈ここ〉を。

 ここは世界の奥地、ある種の神聖な土地。

 神々が人に関わりながらも姿を現さぬように、戦艦レ級たちも生きるために、生き残る為になくてはならない場所。

 このまま和やかに穏やかに、レ級が迎え入れられるのは、案内した戦艦レ級にとって、望まぬことだった。

「オイ」

 案内した戦艦レ級、ここを創った戦艦レ級なので主とでも呼ぼうか、主は不機嫌さを隠さない。その声色を聞いて、周囲にいる戦艦レ級たちはゾクリと背筋を凍らせた。同じ存在だとしても、彼女らの中で主は少しだけ特殊だった。ここを創った、安らかに暮らせる居場所を創ってくれた、いわば中心的立ち位置に等しい存在であり、来訪者を袋叩きにする凶悪なボスなのだ。

 主が睨みつけながら、レ級に告げる。

「オイ……オ前、喰エヨ」

「? 何ヲ?」

「ソレダヨ」

 主が指した先、そこには喰いかけのイ級の死体。

 仲間になりたければ同じことをしろ、と言外に語っている。

 だが、そんな単純なことを、レ級が理解できるわけもない。

 言葉の外にある意味を理解する頭があれば、レ級はここにはいなかった。

「ワタシ達ハ、コレヲ喰ッテルンダ。人間ナンカノ飯ヲ、喰ッテルワケジャナイ。ワタシ達ヲ弾キ出シタ奴等ヲ喰ッテ、生キテルンダ」

 それは憎しみに似ていながらも、どこか泣いているようにも見えた。

 同じ深海棲艦でありながら、裏切られたことに対する絶望にも見えた。

 同族を食べることによって、吐き出す感情。

 行き場のない怒りを、ぶつける先のように。

「コレカラ〈ココ〉デ生キルナラ、ソレヲ喰エ」

「ンー」

 主の言葉に、レ級は首を傾げ唸った後、頷いた。

「ワカッタ」

「ヨシ、ソレデイ」

「出テク」

「……ハ?」

「ズットココニ居ルノハ嫌ナノ。イ級ヨリコッチノ方ガ、美味シイシ」

「ナ、何ヲ言ッテル? ワタシ達ニ居場所ナンカナイ! 〈ココ〉以外ニ、安全ニ暮ラセル場所ナンテナインダゾ!」

 絶叫する主。

 中心になりそうなレ級が去るのは、本来であれば主にとって悪くはない話だった。

 だが、去る理由が問題だった。

 追い出した結果、去るなら問題ない。

 仲間になる素質がないと判断した結果、いなくなるなら問題はない。

 だが、美味い美味くない程度で、食することを拒否をするのは、少し違った。

 同族を食べる否定の感情からではなく、単純に別にここでなくても平気という感想は、受け入れられない。

 受け入れては、いけない。

 それは、〈ここ〉の崩壊に繋がる言葉なのだ。

 それでは外への希望に繋がってしまう。

 絶望しかない外への、見切りをつけて見限ったはずの外へと。

 自分が行けなかった場所へと、行けてしまう――希望に――絶望に――。

 淡い夢を、裏切る夢を、魅せられてしまう。

「……フン、ビビッテルンダロウ」

 主は腕を組み、戦艦レ級の巣の中でも異質さを感じさせるレ級に対し、貼り付ける。

 ビビってる、同じ戦艦レ級でありながらも、下位の立場であると周囲に植え付けるように。

「オ前ナンカ戦艦レ級ジャナイ。オ前ミタイナ弱イ奴ハ、〈ココ〉ニハイラナイ」

「ウン、ワカッタ。出テク」

「ダガ」

 主の尾が咆哮をあげた。

 空気を叩きつける迫力と圧力が、辺りを震撼させる。

 戦艦レ級の尾の眼光が、灯る。

 赤く、紅く。

 圧縮された恐怖が、冷気となった洞窟内を満たしていく。

「オ前ミタイナ弱イ奴ガ、艦娘ヤ他ノ深海棲艦ニヤラレルノハ困ル。戦艦レ級ガ弱イナンテ思ワレルノハ困ル。〈ココ〉ノ場所ヲ喋ラレタラ困ル」

「言ワナイヨ」

「信ジラレルカ。信用デキルカ。オ前ミタイナハグレ者、誰ガ信頼スルカ。ダカラ――」

 点在し存在する周囲の戦艦レ級達も、主が何をするつもりなのか察した。

 恐怖による、死に寄る威圧。

 一人でノコノコと〈ここ〉へ来た、愚か者に対する制裁。

 レ級も彼女らと何ら変わらない、一人では生きていくのが困難なのだと、仲間が必要なのだと理解させる儀式。

 強がりも大概に、空気が読めないのもいい加減に、協力して生き延びることを解れと、主は操る。操ろうとする。

 ここにいる、他の戦艦レ級達のように。

 それが事実でもあるのだから、従う戦艦レ級達のように。

 解っているからこそ、理解しているからこそ、彼女らはここに居た。ここに居て、何をすべきなのか、悪質な幻想を破壊すべきなのか、知っていた。

 現実を叩きつけてやれ――戦艦レ級達は、主が発する空気を読む。

 誰でも解る敵意を、どんなアホウでも勘づく気配を。

 世界に満たし、知らしめる。

 ただ、一人を除いて。

「オ前ハココデ殺ス。殺シテ喰ッテヤル」

「ワカッタ」

「命乞イヲスルナラ今ダ……エ?」

「初メテ。ドキドキスル」

 レ級は、ただ一人除かれたレ級は、笑顔でそう言った。

 何を言っているのか理解できない主は、ぽかんと、茫然とレ級を見る。周囲で殺気を放つ戦艦レ級達も同様に、何が起こっているのか、何が起こっていないのか、思考が追い付いていなかった。

 圧倒的兵力差。

 それも格下の相手ではなく、同等の戦力を一人一人が持ち、どう考えても勝ち目のない状況で、レ級は承諾したのだ。

 戦うことを、戦争を。

 たった一人で戦争を巻き起こすことが出来る、深海棲艦。

 砲撃戦ができ、雷撃戦ができ、航空戦ができる、一人でありながら艦隊である存在。

 戦争だけではない、路地裏の喧嘩でさえ、どんなに力のある者でも一対多では不利でしかない。どれほど腕に覚えがある者でも、武芸を嗜むからこそ理解している数の暴力。

 それを、そんな状況を。

 レ級はドキドキと、楽しみだと言うように、嗤っていた。

「ウン、シヨウ。戦争ヲシヨウ。ボク等ダケガデキル、コンナ戦争、滅多ニデキナイヨ」

「オ、オ前……」

「ドキドキスル。エ、ワクワクッテ言ウノ? ジャア、ワクワクスル。楽シミ、愉シミダナァ。ボクハマダ、戦争ガデキルンダ」

「オ前ハ! 何ナンダ!」

 主の問いに、叫びに。

 レ級は応える。

「ボクハ君ラト一緒デ違ウッテ尾ガ言ッテル。デモボクニハ解ラナイカラ、ダカラ――戦争シテミヨ?」

 同じかどうか、確かめる為に。

 そう、言い切った。

 狂っている。

 どう考えても、誰が考えても狂っている。

 頭がおかしい、もはや生物として末期の状態だ。末期症状の、自殺志願者でしかない。

 生き物は意味もなく戦わない。縄張りや、生きる為に戦うのが生き物なのだ。

 深海棲艦と言えども、そこは変わらない。戦うのが好きだとしても、目的の為の手段として、彼女らは戦うのだ。

 唯一、生物の中で人間だけが、快楽の為に戦うと言われている。だから人間同士の争いはなくならいと。

 ならば、レ級はどうなんだろうか。

 深海棲艦でありながら、人間のように戦うことだけを愉しむことができる、レ級は。

 もはや同じ戦艦レ級に見えず、それこそ艦娘が言うように、畏怖するように、名付けた名が、主の脳裏に浮かび上がっていた。

 同じ名を冠した、同じ姿形の、同じ存在に対して。

「意味解ラナイ事ヲ言ウナ! ココニハオ前一人ダ! 尾ガ言ッテルトカ、変ナ事ヲ言ウナ!」

「? ナンカ怒ッテル? エ? 挑発ナンカシテナイヨ? エ? 今ノガ挑発ナノ?」

 レ級が何も言わぬ尾に向かい相槌を打つ。

 その様子を、そんな様子を見て。

 主の我慢は、限界を迎えた。

 いや、我慢というよりも、それは――。

「変ナ奴! 変ナ奴! 変ナ奴! 止メロッ! ソンナ一人芝居ハ止メロ!」

「? 尾ガイルヨ? 一人ダケド独リジャナイヨ?」

「ヤメロヤメロヤメロッ! 喋ルナ喋ルナ喋ルナッ!」

 頭を掻きむしり、主が怒鳴る。

 身体を震わし、心を乱し、悲鳴を上げ。

 瞳を浮き出し、歯を食いしばり、全身をもって。

 主は――戦艦レ級は、絶叫した。

「ソイツヲ! ソノ〈化け物〉ヲ殺セェッッ!!」

 

 ――それは、恐怖の限界、だったのかもしれない。

 

 



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【最終話】 深海生艦(しんかいせいかん)

 

 

 人は一人じゃ生きていけない、人は弱いから助け合わないといけない。

 大人から聞かされる、子供への言葉。

 そんなの嘘である。

 誰もが一人で生きている。

 これは厳然たる事実だ。

 共に肩を並べ、歩む道が同じだろうと、いつかは分かつ時が必ず来る。

 同じ方角へ進んでいたとしても、道が変わる瞬間がある。

 一人で生きている。一人になっている。一人で出来ている。

 生きるということは、一人であるということなのだ。

 それを受け入れられず、代わりの物で埋めようと悪戦苦闘して失敗する者は多い。

 一人で生きるということを、孤独と捉えてしまう者がいてしまうように。

 独りぼっちと、考えてしまう者がいる。

「アッ――アアアアッッ――――アアアアアアアアアアアアッッッ!!」

 風に切り裂かれ、ほとばしる絶叫をあげ突進してくる人外なる孤独者。

 一時は住まう地にて主と呼ばれた一匹の深海棲艦が、今はたった独りで戦っていた。

 孤軍奮闘していた。

「死ィッネェェェェ!!」

 片目は潰れ、頬は赤く膨れ、鼻から血を垂らし。

 左腕はだらんと動かず、呼気の荒い肩が上下し、膝が盛大に笑っている。

 それでもなお、主と呼ばれた深海棲艦、戦艦レ級はたった独りで戦っていた。

 化け物を前に、恐怖を前にして。

「ハ――ハハッ! 痛イッ!」

 勇者の前に現れる魔王が如く、哄笑する化け物。

 笑っている。レ級は笑っていた。

 レ級も満身創痍だ。頭から血を流し、腹は抉れ足は折れ換装はほとんど使い物にならない。捨て身の突撃をする戦艦レ級に対し、主砲を撃とうにも砲身が動かず肉薄される。二、三本の魚雷を掴む戦艦レ級がソレを叩きつけようと振り上げた瞬間、レ級が回転した。

 くるりと、独楽のように。

 ぐるんと、バットのように。

 レ級の回転に合わせて動いた砲身が、戦艦レ級の顔面を叩き吹き飛ばす。

「イッッッッッギッッッ!?」

 白く塗りつぶされる意識の中、戦艦レ級は眠りに入った意識を頬の肉を噛み千切ることで掴み取り、真横へと凄まじい速度で吹っ飛ばされながらも持っていた魚雷を投げつける。

 それを、

「アハッ!」

 レ級はまだ回転しながら一周、戦艦レ級の顔面を叩いた位置にて戻すと、換装を捨てた。

 起こる爆発。

 弾ける魚雷に砲身。

 岩石が砕ける轟音が響く。

「ガハッ……! グソッ!」

 壁面に叩きつけられた戦艦レ級が悪態を吐く。

 すでに洞窟内はボロボロだった。いつ崩れてもおかしくはなく、戦闘の激しさを物語っている。神秘さえ感じた空間は見る影もなく、爆心地と言われれば納得してしまいそうだ。壊れた換装が投げ捨てられ、不発の魚雷が転がっており、砲弾の痕が縦横無尽に広がっている。

燃料についた火が辺りを照らす中、二匹が睨み合う。

 怪我の度合いで言えば同程度。戦艦レ級とレ級は同じくらいの損傷を負っている。つまりどちらも瀕死の状態。鬼気迫る状況というわけだ。

 

 それがおかしい。

 

 なぜ同じなんだ化け物め。

 

 逆流する。

「ゴポプッ!?」

 吐血、なんて生易しいものじゃない。蛇口のように捻り出て来る血液が疎ましい。

 呼吸の妨げになり、体温の調節が効かない。深海棲艦に体温があるかどうかなど解らないが、それでも生命を支える機能を動かしているのは事実だろう。

 さて、終わりだ。

 先ほど同じ状態と言ったが、そもそもその前提がおかしいのは誰だって理解できるだろう。

 相対する者同士の実力が拮抗し、なんて結果ではなく。

 目の前のレ級は、たった一匹で六隻の艦隊と対等に戦える実力をもつ無数の戦艦レ級と戦っておきながら、そのほとんどを制圧し、それでもなお主である戦艦レ級を敗北へと追い込んでいる。

 とは言え、主以外の戦艦レ級が早い段階で逃げたのも原因の一つだった。

 予想を超える強さに、いや、予測どころか世界の認識さえ凌駕する狂気に、恐れをなして逃げ出した。恐怖の象徴であるはずの戦艦レ級達は、レ級に対し恐怖した。

 正しいようで間違っていて、間違っているようで正しい。

 レ級が主と戦う時には、多少の損耗を与えたとは言え、未だ健全な状態だったのだ。

 それも、ここまで。

「化ケ……モノメッ!」

 苦痛に顔を歪め、逃げていく酸素を必死に集める戦艦レ級に対し、レ級は、ずたぼろのヒドイ有様でありながらも、笑みを絶やさない。

 笑みが絶えない、素晴らしい戦争だった。

「スゴ……イ。コンナニ頑張ッタノ、久シブリダヨ」

「サィ……」

「クラクラスルゥ。ウン、ソウダネ。尾ノ言ウトオ」

「ウルサイッッ!!」

 レ級の声を掻き消す。周囲では不発弾に火が辿り着き爆発までしている中、そんなものよりレ級の言葉の方が、どうしようもなく耳障りだった。

 まただ。

 また独り言を呟いている。

 尾が喋るなどと、頭のおかしいことをのたまいながら、いくら深海棲艦の駆逐艦の顔を模した尾があるとは言え、ただの換装が喋るわけないだろう!

 なのに、ただの武器が言葉や意思を持つはずがないのに、レ級はさも当然のように振る舞う。

 ちらりと自分の尾を見やれば、主の尾はだらりと舌を出し息絶えていた。

 まるで生物が、息絶えているように。

「ナンデダ……」

 点滅し明滅する世界を見ながら、主は、戦艦レ級は呟く。

 流れ出る血液のように、ぽつぽつと、だらだらと。

「ナンデナンダ! ドウシテ! ミンナワタシラノ邪魔ヲスル!」

 生まれた時から邪魔者扱いだった。

 意思がある時から孤独だった。

 同じ深海棲艦でありながら、仲間と呼べる存在はいなかった。

 仲睦まじく、なんて艦娘みたいな真似はしなくとも、協力くらいは深海棲艦だってするものだ。それが利害や損得で占められたモノであっても、少なくとも同じ目的を持った仲間意識を作ってはくれる。

 けれど、駆逐艦イ級が歩兵のような役割であるように、戦艦レ級は厄介者の扱いだった。

「艦娘モ! 深海共モ! 何ガ楽シクテ殺シテクルンダ! 嫌ダ……チガウ、ワタシラハ、ワタシハ!!」

 姿を見せれば殺し合い。

 姿を隠せば探して殺し合い。

 敵味方関係なく、立場なんて存在せず、戦艦レ級という存在はそれだけで死を押し付けられる。

 敵の死も、自分の死も。

 象徴なんて言葉で、代弁しやがる。

 空が綺麗と散歩をしていれば、海域の境目で深海棲艦が目を光らしている。

 星を眺めて漂っていれば、艦娘共が躍起になって襲ってくる。

 どちらも退け、退散すれば、奴らは勝手に語るのだ。

 死と出会った、死がいたと。

 戦艦レ級は、まさに死その物だと。

「ドイツモコイツモ! 勝手ニ殺シ合ッテロヨ! ワタシガ何ヲシタ!? タダ生キル事ガ罪ナノカ? タダ居ル事ガ罪ナノカ? ドウシテ、ドウシテオ前ラハッ! 追ッテクルンダ!

 迫害され忌避され邪険にされ、辿り着いた地で今度は同じ存在に殺される。

 にこやかにニコヤカニ、笑って戦う化け物に。

 本当の本当に、死を内包したレ級というモノに。

 悲痛の叫びを訴え、それを受け取った、同じ気持ちを知るはずのレ級はそれを聞いて、聞いた上で、聞き返した。

「ジャア止メル?」

「…………ハ?」

「ダッテ、ヤル気ガナイト、ツマラナイ」

 そんな風に、構えを解いて。いや、構えなんて最初からない、武闘家じゃないんだから。

 しかし――空気が、緊張が、張り詰めた殺し合いの場が、霧散していく。

 故に、理解した。

 これはそんな、戦艦レ級の悲劇を舞台にした物語ではないことを。

 戦艦レ級の哀れな一生を、相手に投げつけ、ぶつけて誰かに知ってもらうための物語ではないということを。

 レ級には関係ないのだ。

 孤独とか、疎まれるとか。

 戦いたくないのに戦わなきゃいけないとか、生きたいのに殺されるとか。

 そんなもの、戦争の前には些末なことでしかないと。

 レ級の戦争にとって、そんなもの味付けにさえならないことを。

「ハ……はは……」

 壁に背を預け、ずるずると座り込む。

 ただぼぅっと、レ級を見つめる。

 勝負は決した。敗北という、これ以上ない終わりで。

「化け物め……」

「同ジデショ?」

「はっ……、ふざ、けるなよ……お前とワタシは、チガウ……」

「デモ、同ジレ級ダヨ?」

 レ級の言葉に、主は言う。

「お前は戦艦レ級だ。正真正銘、死と破滅をもたらす……死神だよ。誰にも負けない、同じ戦艦レ級のはずのワタシタチなんかと違う、本当の、本当に深海棲艦の戦艦レ級なんだ」

 だから、どこにでも行けと言った。

 誰にも憚らず、誰にも気を使わず、誰にも縛られずに。

 自由に海を歩いて、生きていけと。

「…………」

 戦艦レ級の言葉を聞いて、次の言葉がないのを確認して、レ級は踵を返す。

 これで本当に、レ級はもう戦艦レ級に興味がないのかフラフラと足取り不確かに歩きながら出口へと向かう。岩石が頭上から落ちてくる中、崩壊を始めた洞窟内で、脅威はなにもないとでも言うかのように歩き出す。

 と、振り返った。

 トドメを刺すために、なんてことはなく。

「マタヤロウネ」

 そんなことを最後に、レ級は去って行く。

 冗談じゃないと口にすることも出来ず、戦艦レ級は重くなった瞼を閉じながら最後の息を吐いた。

 

 快晴、快晴、ヨーソーロー。

 外に出れば明るい陽射しが世界を照らし、爽やかな海風が全身を撫でて来る。

 どれほど時間が経過したのか解らないが、世界は朝を迎え、眩しい陽の光が照らしていた。

『……疲れたか?』

「ウン……」

『慣れないことをするからだな』

「イツモヤッテルヨ?」

『……そうだな』

「デモ、疲レタネ」

 すがすがしい、とは言えない。

 レ級は一つの居場所を奪ったのだ。

 同じ存在に見えた同種の拠り所を壊滅した。

 住んでいた者は逃げ去り、固執していた者を撃破した。

 去来する感情は何だろうか。後悔か、悔しさか、はたまた恍惚か。

 戦いたくないと言っていた戦艦レ級。戦うために、戦争を巻き起こすために存在する同種が、それでも生きるために戦うのではなく、戦いたくないから戦っていた。

 戦うのが好きなレ級には、わからない感情だった。

 満身創痍、脱力感に虚脱感、力が入らない身体に四肢を携えながら、今日はどこに行こうかと考える。

 また世界を廻るのもいいかと思った。尾と一緒に、ふらりぶらりと世界を当てもなく、目的なくさ迷うのも面白いと思った。そうして出会った相手と戦って、また旅をする。

 それも悪くない、そう思っていた。

 ただ、もう一度だけ、あの場所に還るのもいいかと考える。

 生まれた時からずっといた、レ級が独りで毎日眺めていた空と海が見えるあの場所に。

『これからどうする?』

 尾の問い掛けに、レ級は応えない。

 なんとなく、解ってくれていると思ったからだ。

 最後に戦った戦艦レ級は尾が喋るわけないと言っていたが、こうして現に喋っている。だから、だから?

 尾を見やれば、なんだとでも言いたそうな表情をレ級に向けている。

 それだけのやり取りが楽しくて、戦い以上に嬉しくて、レ級はボロボロの身体で器用にスキップしながら、帰投する。

 出来なかった。

 戦いの地は北海道沖。

 小さな島々が点在する、千鳥列島と北方領土の間。

 オホーツク海から太平洋へと抜ける為に、通過しようと思った場所。海上。

 戦艦レ級の巣を壊滅させたその場所で、レ級はまた出会った。

 時は2016年冬。

 艦娘達と深海棲艦が十三回目となる大規模戦争の真っ最中。

 深海側が仕掛ける最後の作戦、北海道北東沖。

 そこで、十二隻からなる連合艦隊の艦娘達と、邂逅した。

『ちっ、間が悪い』

 尾が舌打ちするのを、レ級は聞いて考えた。

 間が悪い?

 ちょっとだけ可笑しくて、笑ってしまった。

『どうした?』

「ウウン。ソウダネ、イツダッテ、間ガ悪イ」

 レ級が艦娘達に気づくのと同じ頃、艦娘達もレ級に気づいていた。

 しばらく艦娘と戦っていなかったレ級に取って、彼女らが取り出した兵装は見たことがないものが多い。新しい戦術も多くありそうだ。

 駆逐艦に軽巡、軽空母が混ざっている中で、戦艦が五隻もいる。

 こんなところでレ級に出会うなんて思っていなかった艦娘達ではあったが、すぐに臨戦態勢に入る。練度は高そうだ。

『とりあえず逃げるぞ。まともな兵装は俺の砲塔しかない。それも弾薬が尽きかけている』

「ナンデ?」

『なんだと?』

「ダッテ、ボクハ、戦艦レ級ダヨ?」

 両手を広げ、迎え撃つ。

 にこやかに、笑顔を浮かべて。

「ジャナイト、アイツガ許サナイ」

 自由に生きろと言った、ボクが許さないと。

『お前……』

「……アハ」

 彼女は嗤う。

 嬉しくて嬉しくて、楽しくて楽しくてたまらない。

 あまりにも嬉しすぎて破顔して、あまりにも楽しくて破顔する。

 彼女は考える。考えて考えて考える。考える前に動いておきながら、動く前にも考えた。

 静かな海を取り戻すため、騒がしい海を迎えるため。

 

 そして――

 

       ――誰かのために。

 

 彼女は嬉しく楽しく、一人で殲滅する。

 

 一人でありながら、独りではなく。

 

「アハハハハハハハハハハッ!!」

 

 突撃するレ級を見て、万全の迎撃態勢を整えた艦娘達は、連合艦隊という普段よりも倍も戦力がある状況でありながら、視認できる状態ではレ級は破損に負傷で大破の有様でありながらも、艦娘達は呟く。

あまりにそれらしく、あまりにそうとしか思えない。

 だからこそ、下手な意味を付けるより、単純にそのモノを表現するのに明解な呼び名を。

 みな一様に、艦娘は一言だけ紡ぐ。

 

 ――― 『 化 け 物 』 ―――     と……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 【戦闘詳報】

 2016年2月27日。ヒトマルマルマル。

 最終海域・北海道北東沖進撃中、深海棲艦・艦種「戦艦」・いろは級「レ級」と会敵。

 本作戦の障害と確認し、該当する深海棲艦・戦艦レ級と戦闘を開始。

 自軍:損害・戦艦「小破2」、駆逐艦「小破1」。

 敵軍:深海棲艦戦艦レ級「撃滅」。

 脅威の排除を完了す。

 尚、損害は微少であるが一時撤退を意見具申。許可のちに撤退を開始。

 同日、ヒトマルサンマルにて、帰投を完了。

 

 以上。

 





 4月中に投稿できました。良かった(良くない)。
 ここまで読んで下さった方、本当にありがとうございます。
 もうすぐ新たなイベントがありますが、運営さんも難しいと言っているので私的には「とうとうレ級、出るな」と一人にやついております。

 皆さまもGWを楽しみつつ、イベントも楽しめるよう祈っております。

 それでは誠に長い時間、物理的に長い時間、皆さまの時間をお借りし読んで頂けたこと、心から感謝します。

 ちょっと蛇足を一話だけ投稿させていただくかもしれませんが、一先ずこれにて戦艦レ級の物語は終了です。

 ありがとうございました。

 またいつか、皆さまとお会いできることを祈りながら、失礼します。


 針山


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我蛇辿足(がだてんそく)

 

 オーストラリアの気候は日本と真逆と考えていい。

 一番気温が低いのが七月であり、一番気温が高いのが一月辺りだ。とは言え、六月から八月まで続く冬でも、半袖で過ごすことはできる。熱帯の気候に属するケアンズは、乾季と雨季の二つの季節がある。そこからやや北の位置になる、距離的にはさほど離れてはいない電車で数駅分の距離になるマッカンズビーチも同様の気候と考えていいだろう。

 季節は六月、深海棲艦と人類側の何度目かの大規模戦争が終了し、また夏に起こるであろう、日本時間での話だが、戦に向けてお互い備蓄や訓練、英気を養う期間。

 見える景色はなだらかな真っ白い砂浜、木陰を作る垂れたヤシの木。

 ホロウェイズビーチとマッカンズビーチの間に流れるバー川の自然。

 岩の塊がゴロゴロと腰辺りまで積み上げられ、また柵でもって区切られた小さな砂浜。観光客は圧巻の光景を求めて綺麗なビーチまで足を運ぶので来ず、地元の人間も人のいない場所に来る理由もなく、寂れたとは似合わないながらも、人の気配が薄れた砂浜。

 

 そこに、彼――艦長はいた。

 

 一週間に一度、何の用もないけれど数時間、こうして人のいないビーチから海を眺めるのが日課になっていた。彼の奥さんは定年後の過し方にしてはつまらないと悪態を吐くが、そんなものじゃないと反論しても無駄だと解っているから何も言わない。

 そんなものじゃないのだ、これは。

 彼は人として、軍人として、間違ったことをした。

 どれくらい前になるか、敵対勢力であるモノを、ここで発見、邂逅した。軍人ならば拘束するなり殺害するなり、何らかのアクションを起こさなければいけなかったのだが、しなかった。しなかったと言うより、出来なかった。出来るはずもなかった。

 相手は人類共通の敵、深海棲艦。しかも当時日本が定めた敵対信号の表別にて、唯一にして最大、いろは級の『レ級』だったのだ。今でこそ普通の艦種ではなく、姫級や鬼級といった通常の艦からでは逸脱した存在も確認されているが、それにしてもレ級という存在は際立っていた。人類だけでなく、人類以上に前線で戦う艦娘達から、目を付けられていた。

 一人にして最大、艦隊なる一人。

 限られた攻撃手段を確立し究め極めるスペシャリスト達の中で、艦娘と深海棲艦の中で、ただ一人、ただの一人、全ての攻撃を搭載したオールマイティ。

 スペシャリストが秀才の行き着く先ならば、

 オールマイティは天才の過ぎ去る先だろう。

 もし二年程前にレ級が多数存在し、人類を攻め込んで来ていたのなら、この戦争はこんなにも長く続いてはいない。あっさりと、すんなりと、人類は敗北していただろう。どんなに奮戦奮闘しても、兵力の差ではなく、兵器の差でもなく、兵の差で負けていた。

 だが、それも今は昔の話だ。

 新たな戦闘手法が次々と発見、というより古来のやり方を習得していく艦娘。

人類も艦娘を用いらずとも効果のある深海棲艦を撃滅できる航空艦隊の発足。

 新たな兵器に、強大な兵器。

 それらによって、過去の亡霊は消し去られた。

 あっさりと、すんなりと。

 ガサリと持っていた袋に手を突っ込み、ドーナッツを取り出す艦長。一口齧る。

 何を考えているのか、何か感慨を持っているのか。

 その表情は、長年連れ添った奥方にもわからないだろう。

 天才が秀才に敗れた。

 その報を聞いた時、彼の部下達はガッツポーズを決め、また今大規模作戦でも航空隊が目を見張る戦果を挙げていた報告を聞き、歓喜していた。

 もはや深海棲艦など怖くはなく、地球という星でまた、人類が頂点に立つ時が戻ったのだと。

 人類に天才はいないのかもしれない。

 だが、秀才が負けるのは決まったことではない。

 努力し尽力し労力を惜しみなく注ぎ込めば、結果は必ず生まれるのだと。

 深海棲艦も新たな艦種、姫や鬼を誕生させ攻めてきているが、それでも対抗できる。

 その証明が、つい先日のレ級撃滅の報告である。

 過去の敵は過去となった。

 脅威は過ぎ去り、新たな敵とのイタチごっこが始まる。

 また一つ、ドーナッツを取り出し食べる。

 人類が歩みを止めることはない。

 個々の人間が止めたとしても、種族として止まるというのは在り得ない。

 だから人は未だに戦い続け、勝利に喜ぶ。

 ドーナッツを袋から取り出した。

 生態系の頂点に立つ人類。

 個の力が及ばずとも、人は集団となって力を得る。

 一人一人が弱くても関係ないのだ。

 関係ない。

 無関係。

 

 そう――

 

     関係なかったのだ――

 

 彼女には、生態系に組する者たちの論理など、関係なかったのだ。

 

 何もない、太陽を跳ね返す海が、一角、艦長の正面だけせり上がる。

 水柱と言うほど盛大ではなく、さりとて水が跳ねたと言うほど小さくはない。

 確かに確実に、海には人影が生まれていた。

 真っ黒のレインコートを纏い、胸元をはだけリュックサックらしき物を背負う人影。海水で全身をずぶ濡れにしているが、気にかけている様子はない。むしろ、水浴びを楽しむ子供のような空気さえ感じる。だが子供が遊んでいると微笑むには、少々、いやだいぶ問題となる点があった。その人影の腰の後ろには、太い尻尾のようなものが生えていた。尻尾の先端には深海棲艦と呼ばれる謎の存在、その一種である駆逐艦を思わせる機械獣の頭部に似たモノがついている。衣服は汚れて煤けており、見える肌には痛々しい傷跡が見えた。同時に、その傷跡らしきモノが見え、回復していることも窺える。

 そいつの名前を知っている。

 そいつの存在を知っている。

 艦長は、そいつが何だか知っていた。

 そして同時に、そいつがここに居てはいけないことも知っていて、そして同時に、そいつがここに来るだろうことも知っていた。

 以前来た時は、疲れたと言っていた。

 だからもし、もしもの話だ。

 もし疲れたらここに来るのなら、秀才が天才を倒しきれていなかったのなら。

 ここに来るのは、彼女らしいと思ったのだ。

 だから恐れられたのだ。

 だから拒まれたのだ。

 死んでも死なない、殺しても殺せない、戦においてこの世の何よりも秀でた才を持つ、スペシャリストではないオールマイティのエキスパート。

「お嬢ちゃん、ここは一般人立ち入り禁止だよ」

 そう言って、艦長は持っていたドーナッツを放る。人影は軽くジャンプして、口でキャッチした。犬か、と小声で突っ込む艦長。

 ガツガツとではなく、もぐもぐと味わって食べる人影。

 その人影を見て、見ながら、艦長は思う。決して微笑まず、愛しくも思わないように心を固めながら。

 生態系において、人類は頂点に立てる力を持っている。だからこそ深海棲艦相手でも対等に戦ってきた。

 深海棲艦が持つ淡き炎、青や黄、赤といった区分で強さが違うらしいが、それらの炎を纏う、色を持つモノとも戦えてきた。

 結局は生態系である。同じステージでの椅子の取り合いだ。

 戦いとはそうやって始まり、そうやって起こる。

 

 だから――――だから。

 

 青でも赤でも黄でもない、深海棲艦ならば瞳などに纏うはずの炎をまったく発せず、まるで人間のような空気を纏いながらも、決して人ではない容姿と存在感を併せ持つ人影とは、どうすればいいのだろう。

 生態系に合わない、生態系に存在するはずのない異端相手に、戦いとは成立するのだろうか。

 そんなことを考えながら、恐怖と本当に僅かな、ほんの少しの安堵を交えて、艦長は声をかける。

 果たして、彼の思惑が正しいのか正しくないのか、知っている彼女なのか知らない彼女なのか。

 確かめる為に、確かめるように。

 それはまた、人類の新しい戦のように。

「……お嬢ちゃん、名前を聞かせてもらえないかね」

「忘れちゃったノ?」

 そんな、既知の発言。

 そして、以前よりも流暢な声。

 明らかに感情が生きている、人のような声色で。

 

「私は戦艦レ級、負けちゃって疲れてるノー。ちょっと一休みしてもっかい行くヨー」

 

 屈託のない笑顔で、そう言った。

 

 

 

 

 戦争は終わらない。

 

 

 

 ~終~



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