女神を腕に抱く魔王 (春秋)
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序章


16/10/27
新しい書き方で加筆修正してみました。


 

 

 

――我が求むるはゴルゴネイオン。古の《蛇》よ、願わくばこの手に彼の叡智を授け給え。

 

 夜の帳に声が響く。

 朗々と語るそれは鈴の音が如き調べ。美しい声音の主は、やはり美しい乙女であった。

 

「ふむ、この国にも《蛇》はない。極東の国とは、少し遠くに来すぎたか?」

 

 耳が痛くなるほど静かな広場に少女が一人。

 月を溶かしたかのような銀の髪に、夜の闇がそのまま宿ったような黒曜の瞳。白い布を合わせただけの簡素な民族衣装が、少女の美しさを際立たせていた。

 

――ザッ。

 

 足音に反応して闇色の瞳が振り向く。

 吸い込まれそうなほどに深く、美しい色をしている。……美しい。それ以外に形容のしようがない。

 無音の聖域に足を踏み入れた少年は、その瞳に釘付けとなった。

 

「人の子よ、(わらわ)の姿を眼に写すか」

 

 少女は語る。幼くとも――否。幼いが故に、人間離れした美しさは妖艶さを醸し出す。人並み外れ、人間を離れ、そして神々しい空気を纏う少女。

 天より舞い降りたと言われても少年は信じただろう。それほどまでに少女は美しかった。

 

「ヘルメスの弟子の様には見えぬ、只人か。しかし、或いは神官の才でもあるのやもしれぬな」

 

 ただ容貌が整っているだけではない。その美貌に釣り合う知性と、底知れぬ何かを秘めているのが感じ取れた。

 優美で、麗しく、鮮烈で、清らかな。人の言葉で形容することが烏滸(おこ)がましいとすら思える。

 

「妾の神気に当てられながらも自我を損なわぬとは、中々に筋がいい」

 

 なぜならば少女は『まつろわぬ神』と呼ばれる者。

 世に散らばる神話伝承より抜け出した、正真正銘の生ける神性である。天使のようだと感じた少年の感性は捨てたものではなかったらしい。

 

「妾はアテナ、夜と闇を統べる女王である。縁があれば何処かで相見(あいまみ)えようぞ」

 

 その日、草薙護堂は――ひとりの女神に恋をした。

 

 

 

 『アテナ』――アテーナー、アテーネー、アタナ、様々な地域で様々な呼び方をされるギリシア神話の女神であり、オリュンポス十二神に数えられる神のひと柱。知恵、芸術、工芸、戦略を司る女神であり、同じギリシア神話のアルテミスと並んで有名な処女神である。

 元々は城塞の守護女神として一部地域で信仰されていた神だったが、やがて古代ギリシア人の征服と共に神話へ組み込まれていく。

 神話においての彼女は主神ゼウスの娘として位置づけられる。

 天空神ゼウスは妻メティスに子を授かるが、祖父母たるウラノスとガイアより予言を受けた。かつてゼウスの父が、そしてゼウス自身がそうだったように、己の子によって王権が簒奪されるであろうと。それを恐れたゼウスは、妊娠した妻を頭から飲み込んだ。

 しかし母ごと飲み込まれた胎児はゼウスの体内で成長し、激しい頭痛に苛まれたゼウスは斧で頭部を割らせる。

 そこから生まれたのがアテナである。

 

「権力に固執して妻を子供ごと殺すなんて、神様ってのも人でなしだなぁ」

 

 いや、人じゃなくて神なんだけど。そう呟く護堂は、図書館の隅でで一人頭を抱える。

 何を隠そうこの少年、夜の公園でアテナと名乗る少女に一目惚れして、アテナ神の事を調べている最中であった。わざわざギリシアの地に足を踏み入れてまで探すその行動力は若き日の祖父を彷彿とさせると、彼の妹は咎めるような眼付きで語った。

 

「馬鹿みたいって、自分でも思う。けどやっぱり、何だか人間とは思えないんだよな」

 

 銀色の髪に黒い瞳の少女。

 思えば、身にまとっていた着衣もギリシア神話の絵に描かれた神々の衣装、ヒマティオンというそれに良く似ている。

 

「アテナ、か……」

 

――――――――――…………

 

 つい少女の名を零し(かぶり)を振るが、続いて感じた違和感にハッとする。

 どう表現すれば良いか分からないが、強いて言うならそう――まるで世界がひっくり返ったような。

 

「小僧、今アテナと申したか?」

 

 野太く、地を這うような、それでいてどこか気高い意思を感じる声。

 少年が生涯で二度目に聞いた、神の言葉であった。

 

「あ、貴方は……」

 

 気付くと目の前には男性が立っていた。

 アテナと同じ文化を感じさせる衣装、そして跪きたくなる重苦しい空気。瞬時に悟る、それが神なのだと。

 

(しか)と記憶することだ人間よ、我が名はゼウス。天を支配せし神々の王、ゼウスであるッ!」

 

 ――ゼウスッ!

 先ほど調べた資料にも度々記されていた天空神。恋焦がれるアテナの父であり、そして同時に母の仇でもある男。

 

「俺、いや、私は草薙護堂と言います。どのようなご用が合って此処に参られたのでしょうか?」

 

 敬語やら何やら支離滅裂であるものの、なんとか伝えたいことは伝わったらしく。

 

「覚えのある力の残滓に誘われて現世に舞い降りたら、その娘の名を申す人間がいた。よって問うた、それだけだ。して小僧、アテナの所在を知るか?」

「い、いえ。日本、祖国でアテナ神に出会って、名前を教えられただけですから」

「ふむ、罰を与える雷が反応せんのを見るに偽りではないか。なれば致し方ない、あやつを征服するのは後にするか」

 

 征服する、その言葉に含まれる意味に心が騒めく。

 先ほどの資料にもあった事だ。ゼウス神は征服者の信仰する神。彼は土地を侵略し民を征服し、新たな文明を己に取り込んだ大いなる神。まつろわす神でもあった。

 その結果が望まぬ婚姻を結ぶこととなったメティスであり、そして彼の身勝手で生まれてきたアテナだ。つまり眼前の(かみ)が行おうとしている事とは……。

 

「……失礼ながら神よ、征服とはどのような意味で?」

「ん? 決まっておろう。アテナは三位一体の女神であるぞ」

 

 少女、母、老婆の要素が合わさって形成された神格こそアテナという女神の本質。

 少女がアテナ、母がメティスにそれぞれ相当するのだという。

 

「まつろわぬ身となった今、メティスと一体であるアテナを征服するのが我が勤め。後はまぁ、男なら自ずと分かるであろう?」

 

 その信託(ことば)を聞き、理解した時――草薙護堂は理性をかなぐり捨てた。

 そうしてこれより数時間が経過した頃、世界に七人目の王が誕生した。

 

 

 

 

 これはギリシャのとある都市を未曾有の大嵐と落雷が襲ってから一週間後のこと。

 日本の東京、とある家庭での一幕。

 

「紹介するよ静花、爺ちゃん。俺の嫁さんのアテナだ、よろしく頼む」

「ご紹介に預かりました、パラス・アテナです。先日、護堂さんに(めと)って頂きました」

 

 可愛らしい彼の妹――草薙静花の絶叫と共に物語は一先ずの終幕を迎える。

 次に事態が大きく動き出すのは、更に一ヶ月後のことである。

 

 

 

 

 



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第一章 まつろわぬ神々


 

 

 

 

――草薙護堂は、カンピオーネである。

 

 

 

――カンピオーネとは、神殺しに成功した者に与えられる称号。

 

 

 

――王の中の王。

 

 

 

――何人からも支配されない、魔王である。

 

 

 

――この物語はカンピオーネとなった少年と、彼が恋したとある女神の物語である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神は言った。

 

「起きないとキスしちゃうぞ」

 

と。

 

何かの冗談のようだが、本当に言ったのだ。

具体的には草薙家の一室。朝のベッドの上で、起床直後の呆けた長男に跨って。

 

「それは何の冗談だ」

「ん? どうした護堂よ。この国では夫を起こす時の決まり文句だと聞いたが」

「一部の界隈では間違っていないが、偏り過ぎだ!」

 

それが正しくある場所は次元が一つ違う。

主に日本の誇るべき恥の文化(サブカルチャー)におけるお約束である。

 

それをまかり間違って実行に移した神は、銀色の髪を持つ少女の姿をしていた。

名をアテナ。ギリシア神話にその名を刻む女神である。

 

恐れ多くもその女神を腹の上に乗せている少年は草薙護堂。

人類最強の愚か者、神にも逆らい神をも殺した魔王である。

 

本来ならば敵対し、憎悪し、存在を否定し合う関係にある両者は、何を思ったのか同居し寝食を共にしている。

 

いや、何を思ったのかと言えば簡単だ。単純に恋慕し愛を抱いた。

おそらく人類史上初であろう、神を娶った魔王の誕生である。

 

余談だが、処女神が嫁入りというのはどうなのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アテナさん、おかわり要りますか?」

「いえ、もう満腹です」

 

草薙家では魔王の妹、草薙静花が一家の食事事情を担っている。

現在中学生である彼女が義理の姉(暫定ではあるが)に対して敬語を使うのは何ら不思議ではない。

しかし、その対象が小学生と言われても納得するような背格好をしている場合、酷く滑稽に思えてしまう。

 

それがここ最近の草薙家に見られる日常風景だった。

 

「ねぇお兄ちゃん、アテナさん何時も少食だけど、こんな量でホントに大丈夫なの?」

「ああ、構わないぞ。アテナにはそれでも十分だからな」

「はい、お構いなく。私はこれで満足です」

 

アテナは人間ではなくまつろわぬ神という存在ゆえ、元々人間の食事は摂らなくても問題はない。

体の構造は人間と同じなので食べられない訳ではないが、力に満ち溢れている神は空腹というものを感じない。

何らかの事情で弱りでもしない限り睡眠すら必要のないような存在なので、人目を気にして一応摂取しているという状態なのだ。

 

しかし、味覚はしっかりと働いている訳で。

 

「静花さんのご飯は美味しいので、それだけでお腹いっぱいになってしまうのです」

「アテナさんにそこまで言われると、なんだか恐れ多い気がするなぁ」

 

事実、恐れ多い。

しかし、恐れ知らずな兄に負けず劣らずな妹なので。

 

「今度はアテナさんが舌づつみを打ってたくさん食べて下さる料理を作りますからね!」

「はい、それは楽しみです」

 

神に喧嘩を売る(挑戦する)という行為をやってのける。

もちろん彼女はアテナの正体を知らないのだから、これは仕方のない事かも知れないが。

しかしそれでも、この少女なら知って尚やるかもしれないという疑惑がアテナの頭にチラつく。

流石は伴侶と認めた男の血を分けた妹、加護を与えたくなる程の可能性を感じさせる。

 

それは祖父も然り。孫たちとは方向性こそ違えど、あれはあれで稀代の傑物としての器を持つ。

アテナがこの家で暮らし始めてからもう半月は経過するが、自分を飽きさせない良い場所だとご満悦の女神であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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「不躾で大変申し訳ないのですが……静花さん、最近変わったことはありませんでしたか?」

 

自覚なき魔王の妹、草薙静花は困惑していた。

 

家族と共に朝食を終えて登校し、授業を受けて帰宅する。

そんな毎日の光景に変化があったからだ。というのも、目の前の彼女――万里谷裕理に話しかけられた事に端を発する。

 

万里谷裕理。

 

茶道部所属の高等部一年であり、静花の先輩にして護堂の同期。

その朗らかな人柄と整った容姿から男女共に受けが良く、神社の巫女であり古い家柄のお嬢様として認識されている少女。

 

同じ茶道部に通う者同士それなりの付き合いはあったが、放課後に呼び止められるなど初めての経験である。

状況を理解できない静花だが、その困惑に気付かず裕理は質問を続ける。

 

「例えば身近な方が不思議な体験をされたりとか、雰囲気が急に変わられたとか――“会ったこともない方を連れて来られたり”とか」

 

静花はその言葉に思わず目を見開く。

何のことはない、その全てに心当たりがあったからだ。

 

先日は兄が女神に出会ったとか訳の分からない事を漏らしていたし、ギリシャ旅行から帰って来たら貫禄がついて存在感が増したように感じる。

そして何より、不思議な空気を纏った銀髪の美少女を連れて来た。

 

しかもお嫁さんとして。

 

裕理にはお世話になった事もあるため、これくらいならいいかと所々をぼかしながら概要だけ伝える。

すると今度は、裕理の方が目を見開く。それどころか、顔色も少し悪くなってきた様に思う。

 

「万里谷先輩、大丈夫ですか? なんだか顔色が悪いですよ」

「え、ええ。すみません静花さん、少々用事が出来ましたので失礼いたします」

「あ、はい。お大事に」

 

 

慌ててその場を離れる裕理を心配そうに見届けながら、今の問答にどんな意味があったのかと首を傾げる静花だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一方の裕理は、貧弱な体を引きずって家路を急いでいた。

さっきの問答に何の意味があったのか。それは、彼女が今朝の学校で護堂とすれ違った事に起因する。

 

もう少し正確に言うのなら、“彼を目視して降りてきた霊視”にである。

裕理は日本の呪術社会において、媛巫女と呼ばれる霊能力者だ。

 

霊視とは彼女の持つ才能であり、時間軸を超越して情報を読み取る能力。

宇宙開闢からの全ての記録が存在するという、生と不死の境界に接続する神職の御技である。

その霊視が草薙護堂に発動し、そして見たのだ。

 

 

 

――気象を支配する大いなる空。

 

 

 

――天空の怒りを象徴する雷。

 

 

 

――そして、大空に包まれた蛇。

 

 

 

天空神を弑逆した魔王と、それに庇護される蛇の神格。

即ち草薙護堂と、彼に連れ立つ少女である。

 

その事情を静花からの話で確信した裕理は、自他共に認める弱体に鞭打っていた。

一刻も早く、その未曾有の大事件を伝えるために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その頃の当事者二名はと言うと。

 

「ふむ、嵐の予感だな」

「嵐? 俺は何も感じないぞ?」

 

リビングのソファーで帰宅直後の護堂と(くつろ)ぎながら、唐突に言葉を発するアテナ。

懐疑の念を顔に出しながら問い返す護堂に間違いを指摘する。

 

「いや、これは事象としての嵐ではなく比喩表現だ」

「比喩? 騒動が起きるってことか?」

「妾は都市の守護神としての性格も持つ女神ゆえな、そういう兆候を感じ取ることもある」

 

我が家に迫る騒ぎには敏感でもおかしくなかろう。

そう独りごちる守護女神様に、我らが魔王陛下は笑みを浮かべる。

 

「へぇ、ここを我が家って呼んでくれるのか」

「無論だぞ護堂。妾は貴方の妻なのだ、そう呼び習わすのが自然であろうに」

「……やっぱちょっと恥ずかしいな」

「私もですよ、旦那様っ」

 

ニコッ、という音が聞こえて来そうな満面の笑み。

 

不意打ちに赤面し顔を伏せる護堂。

不敗の魔王は今まさに、惚れた方が負けだという事を実感している所だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






ここまでが短編で掲載していた分です。


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ここからが新しい話になります。
しかし、あまりイチャイチャが書けなかった。



 

 

 

 

 

 

東京都にあるとある建物の一室、ひと組の男女が険しい顔で話し合っていた。

一人はスーツを着た苦労性な雰囲気のある男性、甘粕冬馬。

一人は机上で手を組む男装した端麗な少女、沙耶宮馨。

 

「それで甘粕さん、裕理からの報告はそれだけなんだね?」

「はい。しかし、その一つが驚異の難題ですがね」

「この国に魔王が誕生し、しかもまつろわぬ神を妻として扱っている、か」

「何とも萌える(燃える)シチュエーションではありますが、些か事態は緊迫していますねぇ」

 

神殺しの魔王、カンピオーネ。

世界に伝わる神話より抜け出したまつろわぬ神を殺し、その権能を簒奪した超越者。

 

人類が決して敵わないとされる神と魔王が手を組んだ。

それは日本呪術界のみならず世界中の裏社会に大きな衝撃を与える爆弾となるだろう。

 

これが他六名のカンピオーネに伝われば、顕現している神を殺そうと日本に来襲という可能性も否定できない。

人類を超越し、人類を歯牙にもかけず、人類を支配する、人類最強の傍迷惑な愚か者。

それがカンピオーネと呼ばれる連中であるからして。

 

「万里谷さんの霊視によれば、かの君が殺められたのは天空神であるとか」

「天空神と言えば、ギリシアで顕現したゼウスだろうね。大嵐を起こして人知れず消えたという話だったし」

「加えて言えば雷のイメージも視たそうですから、もうこれは間違いないでしょう」

 

天空神ゼウスの持つ雷霆ケラウノスは、オリュンポス最強と名高い有名な代物だ。

神の怒りとして恐れられた落雷は、天空神には付き物と言える。

 

「半年も顔を合わせながらあの裕理が今の今まで気付かなかった、というのは少々驚きではあるけれど」

「その辺は権能で隠されていたと見るべきでしょう、匿われている女神は蛇の神格らしいですし」

 

蛇の神格はまつろわされた地母神の象徴ともされ、命を育む大いなる母は生と死を司り、その多くは死や闇に関する記述が残っている。

そのため、霊視を曇らせる闇で隠蔽されていたと見るのは妥当な所だろう。

 

「問題は、これをどう処理するかですねぇ」

「裕理の霊視という点から見てまず間違いないだろうけど、確かめない訳にはいかない」

「さりとて、確証を得るために動けば感付かれる可能性が高い」

「でも僕らとしては、動く必要がある」

「……堂々巡りですねぇ」

「……夫婦(神魔)仲良く暮らしてるんだからそっとして置きたいんだけどねぇ」

 

触らぬ魔王(かみ)に祟りなし。

そうと分かっていても関わらない訳にはいかない、重いため息を吐いていそいそと働く二人であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

所変わって草薙家、現在は夕食の時間。

家族四人(人間でない者と人間でなくなった者が混じっているが)の団欒で、静花がこんな話を切り出した。

 

「そう言えば今日、万里谷先輩に話しかけられたんだよねー」

「万里谷? 誰だそれ?」

「お兄ちゃん知らないの? 高等部一年の万里谷裕理先輩。クラスは、確か6組だったかな」

 

そこから数分に渡り万里谷裕理に関しての薀蓄を述べていく静花。

護堂はそれに少々辟易しながらも、重要な部分は聞き逃さず整理していく。

 

「その万里谷がどうしたって?」

「なんか、最近変わったことがなかったかって聞かれたの。あと、雰囲気変わった人がいないか、とかって」

「……ふーん」

 

静花から聞いた万里谷という少女の情報と合わせると大体の事情は見えてくる。

古い豪族の家系というなら呪術に関わりがあってもおかしくないし、神社の巫女とくれば霊視されたのだと想像はつく。

 

近々向こうから接触があると見るべきか、護堂はそう判断する。

 

横目でアテナを見ると、目があった。同じような結論に達したのだろう。

何にせよ、明日から少し気を引き締めなければならないかもしれないと思い直す。

 

アテナから与えられた知識を思い起こせば、事が大きくなると他のカンピオーネを呼び寄せかねない。

護堂とアテナだけならともかく、祖父の一郎と妹の静花を始め、他の家族親戚をも巻き込む恐れがある。

それは避けねばならない、この日常が崩れる事は許容できないと、護堂は決意を固める。

 

しかし、その決意が揺らぎ無に帰すのは間も無くの事だった。

騒動に好まれ無自覚に騒動を巻き起こすのが、カンピオーネの宿命なのだから。

 

「嵐、ですね」

「ああ、嵐だな」

「ん? 台風でも来るの?」

「何でもないよ、なぁアテナ」

「はい、何でもありません」

「なんか二人だけで通じ合ってるし……」

 

少し面白くない草薙静花だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

某日某時、地中海のとある孤島にて。

 

「軍神め、よくも儂の眠りを妨げおったな。その驕りを叩き潰してくれるわ!」

 

嵐が来ようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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字数を稼ごうとして間に変なのブチ込みましたw



 

 

 

 

 

 

時は沙耶宮馨とその配下が情報を集め始めた翌日。

場所は草薙家から適度に離れた自然公園。

 

そこで草薙護堂とパラス・アテナの魔神夫婦は、人目も(はばか)らずクレープの食べさせ合いをしていた。

 

草薙護堂は神殺しである。

何度もしつこいようだが、これは歴とした事実だ。

 

「護堂、あーんです」

「あー、っん」

 

神殺しの魔王たる彼は、宿敵たるまつろわぬ神とイチャついていた。

毎度しつこいが、これも変わりようのない事実である。

 

「アテナ、お返しだぞ」

「あむっ……この甘味、故郷では終ぞ感じたことのない味わい。美味です」

 

しかし、彼の性格からして人目を気にしないというのは不自然ではないか?

 

無論、考えるまでもなく不自然である。

故にこの行為には理由があった。

 

カンピオーネ特有の直感で監視の視線に気付き、神の御技にて所在を把握。

事情を知ったが疑っていると判断したアテナは、護堂との関係をいっそ大々的に宣伝するべきだと判断した。

 

ので、こうして公にイチャついているのである。

そこに草薙静花と共に見たテレビドラマで食べさせ合いをするカップルを羨み、この状況に乗っかる形で理屈を述べて実行に移したとか、そんな思惑などアテナには一切ない。

 

女神(アテナ)様がみてるからって、静花がお姉さまとか言い出す事もない。

……面倒見が良く大人びている彼女の方が、そう呼ばれる可能性は否定出来ないが。

 

 

 

 

 

「こちら高崎(男)、もげろ」

「こちら川内(男)、爆発しろ」

「こちら斎藤(女)、モテない男の僻みは鬱陶しいですよ」

「こちら渡辺(男)、そういうお前も妬ましそうにするな。視線に怨念こもってんだよ斎藤」

「こちら斎藤、だって私先週彼氏に振られたばっかりなんですよ? それなのにあんな子供が彼氏持ちっていうか旦那持ちなのはおかしいと思います!」

「こちら高崎、子供ってか神だけどな、女神さまだけどな」

「こちら川内、その相手も魔王様らしいですけどね、あな恐ろしや」

「こちら渡辺、今一瞬だけど女神様と目があったぞ? 気付かれてるんじゃないか?」

「こちら川内、絶対に斎藤先輩のせいですって、嫉妬ビームのせいですって」

   ・

 

   ・

 

   ・

 

   ・

 

   ・

「こちら渡辺、俺もう家帰って嫁さんとイチャついて来るわ」

「こちら高崎、ええ、俺もデート行ってきます。川内、報告よろしく」

「こちら川内、了解でっす」

「こちら斎藤、パルパルパルパル」

 

以上、監視者たちの愚痴であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

所変わって正史編纂委員会の東京分室。

 

「参ったねー」

「参りましたねー」

 

投げやりな態度で会話する上司と部下。

原因は言うまでもない。

 

「監視を付けた途端にああも大胆になるとは」

「明らかに見せつけて来てますね。現場の者たちも居づらくなったようなので、報告をもらって送り返しました」

「恐怖じゃなくてっていうのは何とも言い難い話だけどね」

「いやぁ、私も拝見しましたが中々にお熱いご様子でしたよ」

 

サブカルチャーに造詣が深い甘粕冬馬は、二人の大恋愛に興味深々であった。

 

それもそうだろう。

何せ魔王と女神という宿敵同士であり、方や見た目は平均的な日本人、方や銀髪の幼子というゲームの題材にでもなりそうな組み合わせである。敵対関係の立場といえばロミオとジュリエットにも通ずるそれは、背後関係がなくとも想像を掻き立てる。

 

「まぁそれは一旦横に置いておくとして、新たな問題が顕れた」

「顕れたというと、まさか……」

「まさかの神だよ。もっとも、欧州の方だから関わり合いになることはないだろうけどね。僕らが今抱えてる難題もその関係だから、甘粕さんには伝えておいた方がいいと思ったんだ」

「それはそれは、お気遣い感謝します。――また規定外業務ですか(ボソッ)」

「何か言ったかい?」

「いえいえ、何でもありませんよ」

 

正史編纂委員会がブラックな職場なのか、馨の人使いが荒いだけなのか。

真実は神も知らない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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「護堂、イタリア旅行に興味はないかな?」

 

監視の目に見せつける様にデートを実行した日から数日、護堂は祖父の一郎からこんな一言を投げかけられた。

 

「イタリアって、いきなりどうしたんだよ祖父ちゃん?」

 

唐突な話題に疑念を持った護堂は祖父に問い質す。

詳しい事情は省くが、事の顛末はこういう事らしい。

 

一郎と昔交流のあった女性がイタリアに住んでいて、四十年ほど前に留学生として日本に来ていたらしい。

その彼女が当時日本に置いていった品が自分の所に巡って来たから返しに行こうと思ったが、アテナが神話や歴史に詳しくオカルトに興味を持っている事に思い至り、魔女などと呼ばれ伝説を学んでいたその女性を紹介しようではないかと考えたのだとか。

 

そして護堂が見せてもらった品だが、見た目は古い石版だった。

 

しかしそれだけではない。

理屈じゃなく理解できる。これは力を持つ、そういう類のモノだと。

 

更に話を掘り進めてみれば、その女性は当時話題となっていた祟りをこの石版を奉納して鎮めたというではないか。

護堂は確信した、その女性は本当に魔女だったのだと。

祟りを起こしていたのは、地上に顕現したまつろわぬ神だったのだと。

 

その晩アテナに話をすると、その女性に会ってみたいと言い出した。

護堂が見せられた石版は神の力が宿った神具であり、神の権能を掠め取る偸盗(ちゅうとう)の魔導書なのだと。

 

「こんな石版なのに魔導書なのか」

「紙のない古の時代の産物故な。それを使用し曲がりなりにも神を鎮めたというなら相当の術者だ」

 

魔王と神というありえない組み合わせの自分たちだ。

有事に備えて国外にも繋がりを持っていて損はないだろうと諭され、護堂も納得することにした。

 

「それに知識を蓄えた魔女であるなら、妾の求めし蛇の在り処について助けとなるやも知れぬ」

 

蛇。

 

彼女の言うそれは、ゴルゴネイオンと呼ばれる。

アテナという神格を構成する要素の一つであり、かつてはそれを求めて世界を回っていた。

 

その旅路の途中で護堂と出会い、そうして此処にいるのだ。

今も彼女は己の神性を確固たる物とすべく、ゴルゴネイオンを探している。

 

取り戻さずとも暮らしていける。

取り戻しても何かをする事はない。

しかし、それでも取り戻さない訳にはいかない。

 

どれだけの時を費やしても、どれだけの回り道をしても、いつか必ず手中に納める。

不完全な女神としてそうしたいし、まつろわぬ身としてそうせずにいられない。

アテナの決意は未だに健在だった。

 

「っていうか、在り処を聞くのが一番の目的なんじゃないか?」

「何を言うか。そのような事、聞かずとも悟っておろう?」

「やっぱりそうなのかよ」

「こうして寄り道をするのに否やはないが、見つけるのが早いに越したことはない」

 

どこまでも不遜な言い回しに、護堂は苦笑するしかない。

やはりまつろわぬ神とはこういう存在なのだ。

 

怪物を倒す英雄も、人を守る守護神も、神話にまつろわぬのではただの脅威に成り下がる。

宿敵を打倒する為なら如何なる犠牲も(かえり)みず、己が矜持を果たす為なら人の営みなど(かんが)みない。

 

厚顔不遜にして唯我独尊、しかしそれ故に人らしい。

欲望に忠実でどこまでも己を貫くその在り方は、いっそ畏敬の念すら覚えてしまう。

 

護堂は思う。

もしも神話に沿った真なる女神アテナなら、自分がここまで惚れ込む事はなかったのかも知れない。

 

人間臭く、幼稚で無垢なこのアテナだからこそ、自分は心奪われたのだと。

隣に置きたいと、隣に立ちたいと願ったのだと。

 

「アテナ、愛している……」

「ふふ、急にどうしたのだ?」

「何て言うか、お前に会えて良かったなって、そう思っただけだよ」

「そういう事なら妾とて、貴方との出会いに感謝しているぞ。それこそ神に祈るのも(やぶさ)かではない」

「神様が神様に祈るのか?」

「ああ、父ゼウスに感涙の祈りを捧げようとも」

「皮肉が効き過ぎだろ」

 

しかしまぁ、間違ってはいないのかもしれない。

彼がいなければアテナはなく、今の護堂も存在しなかった。

その点に関しては感謝していると、次に会ったら問答無用で抹殺を決心している護堂は、ゼウスの顔を頭に描いて思った。

 

精神性において神も魔王も究極的には同じなのだと、護堂は欠片も理解していない。

見敵必殺の精神は、己の魂に深く染み付いているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「さぁ古の王よ、我に敗北を味あわせるがいい!」

「吐かせ軍神、貴様の不敬を罰してくれるわ!」

 

それは、遠く離れた異国の地においても変わらず。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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諸事情で放ったらかしにしてました。
だいたい何なんだよ動脈瘤って、くも膜下出血って!
うちの親の事ですけど、ホント何があるか分かりませんねぇ……

以上、言い訳終了。



 

 

 

 

 

 

一郎の発案でイタリア旅行にやって来た護堂とアテナ。

こうしてイタリアまでやって来るためには、大きな試練が待ち構えていた。

 

簡単に言うと、パスポート問題である。

 

アテナに戸籍なんてないので、パスポートが発行できない。

つまり飛行機に乗れないので、自力で海を渡るしかない。

いくら神とて日本からイタリアまで飛行機と同じ速度で移動するというのは、移動に便利な権能でもない限り難しい。

 

そこでアテナはフクロウに化身してペット枠で飛行機に乗り込んだのだが。

 

「うおっ、何で隣に座ってるんだ!」

「無聊だ、あのような狭隘(きょうあい)には耐えられぬ」

 

狭隘――窮屈で狭苦しいさま。

そんな窮屈な真似を許容出来るはずもなく、普通に抜け出して気がつけば護堂の膝に座っているなんて事態に。

 

周辺の席ではちょっとした騒ぎに発展しかけて余計な苦労を背負う羽目になった。

 

「今の人の世というのは、便利であるが窮屈よな」

「悪かったよこんな真似させて」

 

おかげでアテナも拗ねてしまっている。

ギリシアで再会した時にも思ったが、蛇に纏わるだけあって執念深い性格をしている彼女だ、そう安安と許してはくれまい。

街道を歩きながらどうやってご機嫌をとろうか悩む護堂だったが、そこに更なる問題がやって来る。

 

「Tu sei li !」

 

声に反応して振り返る。

そこにいたのは、美しい金髪を靡かせる少女だった。

ナイフを突き付けて険のある顔を向けているが、二人に焦燥はない。

 

「Passami subito quida diabolica!」

 

独特の抑揚と現在の土地からして、少女が話しているのは恐らくイタリア語。

護堂にはまだ(・・)理解できない言語だった。

 

「なあ、あの娘は一体何て言ってるんだ?」

「まだ言語の習得をしていなかったのか?」

「そりゃ聴いてるだけでも理解は進むけど、話したりしないとそこまで早くは習得出来ないんだ」

 

千の言語。

知らない言語を短期間で習得してしまう秘術、呼んで文字通りの内容だ。

カンピオーネとなった者には自動でこの恩恵が与えられるため、護堂は学んでもいないギリシア語を完璧にマスターしている。

とは言えギリシアの言葉に関しては、アテナの故国なので元々勉強していたのだが。

 

それはさて置くとして本人の申告に曰く、イタリア語を話せるようになるのはまだ先のことらしい。

アテナは少々面倒に感じながらも少女の言葉を意訳する。

 

「要するに、あなたの持つ魔導書を強請(ねだ)っているのだよ、この娘は」

「つまり恐喝、強盗か?」

「そんな野蛮な言い草は聞き捨てならないわね」

 

ナイフを向けられながらも危機感なく会話を続ける二人に苛立ったのか、今度は日本語で語りかけて来る。

 

「私は《赤銅黒十字》の大騎士よ、そのリュックの中身は高位の魔導書ね。我が結社の団員によると、この島には神が顕現しているそうよ。あなたたちとの関係を教えて頂けるかしら?」

 

神。

ああ、この島に足を下ろしたその時から感じ取ってはいた。

少し乗り物酔いしていたはずなのだが、気付けば体調が万全だ。

ピリピリした空気が遠くに、されど離れ過ぎていない程度の距離にある。

 

新たなまつろわぬ神が地上に顕現している。

護堂が倒したゼウスの顕現からまだひと月が過ぎたばかりの頃、神というのはこうも頻繁に現れるものなのだろうか。

アテナに惹かれてとか本人は宣っていたが、それにしては――

 

思考の海に沈みかけたその時、強大な神力が周囲に吹き荒れた。

 

「GUOOOOOOOOOOOAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA―――――――――――――――!!」

 

怒れる獣、吠え散らす巨体。猪の神獣が顕現したのだ。

 

「そんな、あれが――まつろわぬ神っ!」

 

恐れ(おのの)く少女だが、無理もない。

強大な神気に晒されて、人が正常な行動を取れるハズがない。

かつての護堂とて、アテナやゼウスの前では身が竦んでいたのだから。

 

しかし、今の護堂は違う。

神の本体ならばまだしも、力の一部に過ぎない神獣では大した脅威に感じない。

 

「アテナ、頼めるか?」

「あの程度の獣であれ、旅路には邪魔ゆえな。」

 

本来なら手を下すのも煩わしいが、とアテナは猪に向けて右手を(かざ)す。

手のひらから染み渡るように闇が広がり、数え切れないほどの梟が我先にと飛び出していく。

 

巨体に群がる梟たちを煩わしく感じたのか、首を振り身を震わせながら吠える猪。

しかし、それら全てを振り払うには至らない。

 

女神を象徴する猛禽たちが猪を駆逐するのに、そう時間は掛からなかった。

神獣は型を崩し呪力へ還っていく。

 

「まぁこんな処か」

「ご苦労さん」

「うむ、良く労え」

「はいはい」

 

胸を張るアテナに苦笑を零しつつ、護堂は透き通るような銀髪の頭頂に手を置く。

夫のご褒美ナデナデに頬を緩める女神様は超可愛かった。

 

スキンシップに一段落つき、忘却していた金髪の少女に視線を戻す。

不敵な態度は何処へやら、少女は膝を付き(こうべ)を垂れていた。

 

「えーっと……」

「魔王陛下に女神アテナ様。度重なる不敬、平にお許し下さいませ。その怒りを鎮められるには不足と存じますが、何卒このエリカ・ブランデッリの首で事をお納め下さい」

「…………あー」

 

護堂は高度な教育を受けた真っ当な魔術師に初めて出会い、魔王が如何に恐れられているのかをようやく実感し始めた。

 

「護堂、手を止めるでない」

「ああ、ごめん」

 

呆けて固まった手の動きを催促するアテナ。

人気がなくなった往来で顔を伏せるエリカという少女。

護堂は混乱の極みにあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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7

年内に投稿しようと思ってたのに忘れてました。
間に合って良かった。



時は夕暮れ、黄昏の逢魔が時。

 

イタリアはサルデーニャ島、周りに山々が聳える場所に屋敷が立っている。

護堂一行は、その屋内で目的を果たそうとしていた。

 

「一郎もアレで大した男だったが、孫の方は神殺しを成したばかりか女神まで誑し込むとは、あの一族は恐ろしいな」

「俺はアテナ一筋ですから、祖父ちゃんとは違いますって」

「いやいや、もしもまつろわぬ神などという強烈な相手がいなければ、少年もまた一郎に負けず劣らずな活躍をしていただろう」

 

この場合の活躍とは、もちろん女性関係における不名誉な行動を指す。

草薙一族では有名なアレだ。

 

草薙護堂という少年は、遊び人としてその名を馳せていた祖父・一郎をも超える資質を秘めていると。

 

護堂をカンピオーネと理解しながらこうも大胆不敵な発言をする剛毅な女性は、名をルクレチア・ゾラという。

言うまでもなく、護堂がイタリアくんだりまでやって来た目的の人物である。

 

エリカという金髪の少女に頭を下げられてから数時間後、彼女の案内とお付のメイドが運転する車のお陰もあって、無事たどり着くことが出来た。

 

当初は横暴な少女という印象だったのだが、魔王の異名というのはそこまで恐ろしいのかと、仰々しい態度をとり出したエリカを見て思った。

道中で少し話を聞いてみたが、欧州ヨーロッパで育った魔術師は特に魔王を恐れているらしい。

 

その原因となったのがバルカン半島に居を構える魔王、サーシャ・デヤンスタール・ヴォバンの影響なのだとか。

絵に書いたような暴君で魔王というイメージにピッタリな人物らしく、3世紀の時を生きる彼はまさに恐怖の象徴であり代名詞。

エリカの生まれ育ったイタリアに君臨する魔王は剣の王などと呼ばれる若い男で、これも陽気な人格と裏腹の戦闘狂だと言う。

 

「私も初めてサルバトーレ卿とお会いした時には、ただの能天気な優男としか思えなかったけれど、その師にあたる聖ラファエロとの戦いでは狂気にもにた何かを感じ取ったわ」

「創作ではよくある設定だけど、戦闘狂ってホントにいるんだな」

「あら、カンピオーネの皆様方に互を罵る資格があるのかしら」

「俺をそいつらと同列に扱わないでくれよ」

「そんなの、今更取り繕っても同じことよ」

 

流石にああまで(へりくだ)った態度で接されると、護堂も肩身が狭くて落ち着かない。

真っ先にエリカの態度を矯正してからはこの有様だ、随分と肝が据わっている。

その豪胆さに呆れすら覚えながらも、説明の続きを催促する。

 

曰く、羅濠教主。

中国大陸に君臨する魔王は武術で以て神をも制す稀代の武術家でありながら、権能だけでなく方術まで極めた完璧超人。ただしそれは戦闘力に関してだけであり、人格面では顔を見た者の目を抉るなど常人には理解できない精神性をしている。

 

曰く、アレクサンドル・ガスコイン。

黒王子(ブラックプリンス)と称されるイギリスの魔王は、カンピオーネにしては会話ができる珍しい人物。しかしそれは話が通じる事を意味せず、神との争い以外で大きな破壊活動はしていないが、しばしば魔導具を無許可で拝借していく困った御仁。

 

他にも合わせて都合六名、それぞれが話題に事欠かない破天荒な人物ばかり。

そんな輩の仲間入りを果たした事を知り、気が重くなる護堂であった。

 

亀の甲より年の功、というと女性には失礼かも知れないが、ルクレチアは其の辺の機微に聡かった。

護堂の暗雲とした心境を読み取り、返って勝手気ままに振舞う事で見事それを取り除いて見せたのだ。

 

もっとも、彼女の気質からして素の行動を取っただけとも言えるのだが。

 

「それでルクレチアさん、これが祖父ちゃんから預かって来た物です。アテナが言うには偸盗の魔導書らしいですけど」

「『プロメテウス秘笈』か、懐かしいな」

「これを使って日本の祟り神を鎮めたと聞きましたけど、どうやって使うんですか?」

「ああ、要は盗みを働く魔導書だからな、長く接し話し込んだ神の力を奪い取るんだ」

「つまり、今いる神には効かないのか」

「それこそ戦いが始まる前に交友を深めたりしていたら別だろうがね」

 

プロメテウス秘笈、そう聞くと扱いづらい代物だ。

かつてこれを使って神を鎮めたというのも、彼女ほどの人物だからこその偉業だったのだろう。

 

「それで少年、君は神に向かう気かね?」

「そのつもりです。サルバトーレって奴を呼んでも、到着に時間がかかるとエリカに聞きましたし」

「ならば、私の持つ情報を伝えて置こう」

 

神の戦いに巻き込まれたらしいルクレチアから、霊視を含めて知り得た内容を聞いた。

 

今この島に顕現している神は、一柱ではなく二柱。

片方は神王メルカルト、元はバアルという悪魔としても知られる天空神。

もう片方はいくつもの化身に別れた、黄金の剣を持つ神。名までは分かっていないらしい。

 

道中で出現した猪の神獣は、黄金の剣の神が砕けた一部だったと言うことだ。

そして休養するメルカルト同様、砕けた欠片も本体に集っているという。

 

「シニョーラ、対談の途中で失礼ながら、ご質問させて頂いても構わないでしょうか」

「そう畏まらなくていいよエリカ卿、王が敬称を辞しているのに私が必要以上に敬われる訳にはいかない」

「ではルクレチア、私の事もエリカで構わないわ。それで、剣の軍神の欠片はあとどれだけいるの?」

「そうさな、私の見た光景と持ち寄った情報を合わせて考えるなら……多くてあと片手分と言った所だろうさ」

「あと五体……」

「そう、あと五体以下で軍神は復活する。もしかしたらより少なくてもおかしくないだろう。まぁそちらの女神様が一体倒してしまわれたらしいので、完全にとは行くまい」

 

相変わらずの態度で接するルクレチアに対し、アテナの方は特に気にした様子もなく相槌を打つ。

 

「然り。彼の軍神めは十ある化身の一つを失ったのだ、文字通り十全とは行かぬだろうよ」

「ほう、これは驚いた。その口振りからして、神の正体にたどり着いたと見て宜しいので?」

「妾は知恵の神でもある、仔細が出揃えば見当くらいは付こうと言うもの」

「これは御見逸れした。して、その神の名は?」

「ペルシャの太陽神ミスラの懐刀、軍神ウルスラグナ」

 

ウルスラグナ。

勝利を意味する名を持つその神は、契約を意味する太陽神ミスラに仕える武神。

十種の姿に化身して主を導く彼は、最後に黄金の剣を持つ戦士として現れるという。

 

その名を聞いて記憶を掘り起こしたのか、エリカも納得の顔で大きく頷いた。

 

「軍神ウルスラグナ――司法神である主に付き従い外敵をまつろわすその姿は、まさに《鋼》の英雄神ね」

 

神王メルカルト。

軍神ウルスラグナ。

 

どちらも日本ではあまり聞かない名前だが、地域によっては凄まじい人気と知名度を誇る。

カンピオーネとなって以来の大敵に、無自覚ながら護堂は胸が高鳴っていた。

 

「ところで護堂、そろそろ指摘してもいいかしら?」

「何だエリカ?」

「……どうしてアテナ様を膝に乗せているの?」

「「普段通りだ」」

 

夫婦揃って平然と返す。

ルクレチアは堪えきれないとばかりに笑い声を上げ、エリカは顔を引きつらせながら頭を抱えた。

 

妻は夫の膝に腰掛け胸に持たれかかり、夫は妻の腰に手を回す。

草薙家のソファーではよく見られる光景だった。

 

「それでルクレチアさん、物は相談なんですが……」

 

一頻(ひとしき)り歓談したあと、エリカとメイドのアリアンナは与えられた部屋へ移動。

 

体を預けたままのアテナを抱きしめ、護堂はルクレチアに相談を持ちかける。

彼女は話を聞いて、理解し、イタズラっ子のような笑みを浮かべた。

 

「仰せのままに、魔王陛下」

 

護堂とルクレチアは神攻略に向けて準備を始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




書いてる途中で某『座』談会を思い出してネタを突っ込みました。
苦情があれば書き直します。


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閑話 草薙家の一幕・大晦日

明けましておめでとうございます。
いつも以上に短いですが、せっかくの新年なのでやってみました。
それでは、おやすみなさい……zzz



 

 

 

 

(アイ・)ヴァシリス。

バシレイオス、ヴァシリオス、ヴァーシリー、聖大ワシリイ、聖バジリオ、様々な地で様々な呼び名を持つキリスト教の聖人。

アテナイにて哲学を学んだ彼は、ギリシャ正教において毎年の一月一日に祝われている。

 

現代ギリシャでは、新年にやって来るサンタクロースに近い存在なのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで態々(わざわざ)プレゼントなんて用意してたのか」

 

大晦日の夜。

そろそろ新年が来ようかという頃にアテナがリビングから抜け出していたのは、これを部屋に取りに行っていたのだと納得する。

 

年越し蕎麦を食べ終わって食器を片付けた後の食卓に、綺麗に包装された三つの品物が並んでいる。

包装紙の色はそれぞれ赤、青、緑。

 

大きめの赤が静花、手のひらサイズの青が護堂、細長い緑が一郎の分である。

 

「わぁ、開けていいですか?」

「はい、どうぞ」

 

まずは静花が先陣を切った。

リボンを解くと、中から現れたのは白のマフラーだ。

中央に走る黒の毛糸がアクセントになっている。

 

「あったかそう!」

「静花が風邪をひかないように守ってくれます」

「ありがとうアテナさん」

 

布地を胸に抱いて満面の笑みを振りまく静花に、兄ながら可愛い奴だと頬を緩める。

 

ふと思いついて、少々無粋だが魔術的に見てみる事にする。

マフラーに編みこまれた黒の毛糸が、こちらに牙を剥く姿を幻視した。

 

直感の通り、あの毛糸はアテナの蛇が取り憑いている。

あれでは恐らく、病魔どころか並み居る妖魔でさえも静花に手出し出来ないだろう。

 

後日アテナより、白い毛糸にもアテナの毛髪を織り込んでいるらしい事を聞く。

髪の数本とは言え神の一部を宿すとは、何とも贅沢な代物である。

もはや御神体と呼んでも差し支えないかもしれない。

 

「どれ、じゃあ僕も見てみようかな」

 

続いて一郎が開封する。

入っていたのは紺色のネクタイであった。

 

「ルクレチアとの合作です、遠出の際には是非に」

「これはこれは、とても光栄だね」

 

もうこれは言われなくても解かる。

その名前だけで魔術的な品以外に思えない。

 

案の定、裏地に守護を与えるための刺繍(ししゅう)(こしら)えてあったらしい。

後日、祖父の代わりにお礼の電話を入れた際に教えてもらった。

 

さて、いよいよ最後のひと品だ。

トリは勿論、草薙護堂その人である。

 

「さて、俺だな」

「開けてみて下さい」

「何が出てくるのか……」

 

先の二つがアレなのだ、包が小さいのが返って気になる。鬼が出るか蛇が出るか。

蛇が出るのはもう確定的に明らかなため、少々以上に不安を覚えながらも封を解く。

 

注目の中で出てきたのは、縦に長い五角形の底辺が鎖に繋がれ、頂点が下を向いた金属製のペンダントだった。

鉄製の五角形の表面には女性の横顔が掘られている。

 

見る者が見ればこう言うだろう。

そして護堂もそう思った、これはアイギスだと。

 

「お前、これは……」

 

アイギスの楯。

女神アテナが父ゼウスより授かり、怪物殺しの英雄ペルセウスに託し、蛇の魔物ゴルゴン(メドゥーサ)の首を供えた楯だ。

 

「ペルセウスは英雄にしては珍しく、無残な死を迎える事なく生涯を終えた者です。そして(アテナ)によって天に昇った」

 

ゴルゴン(わらわ)を降して乙女(わたし)を手に入れた貴方には、相応しい品であろう?

音なき声によって伝えられた言葉に、護堂は苦笑いを浮かべる。

 

「例え戦場(どこか)へ行っても、最後には私の(ところ)へ帰って来るように、おまじないです」

 

微笑みながら言葉を紡ぐ妻を、護堂はじっと見つめる。

ところで、お(まじな)いとはこういう字を書くのだが、ご存知だろうか。

 

いや、特に何か意味がある訳ではないが。

 

「ありがとう、大事に飾っておくよ。外に持ち出して傷が付いたりしないようにな」

「そうですか、残念です」

 

護堂が部屋に置いておくのを決めたのは、ただなんとなくなのだ。

特に意味があるという訳では、決してないのである。

 

ちなみに、アテナの起源は地母神。死と闇を司る冥府の女王である。

この説明にも、意味はない。

 

そうただなんとなく(・・・・・・・)なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゴーン――

 

 

ゴーン―――

 

 

ゴーン――――

 

 

「「「「明けましておめでとうございます」」」」

 

除夜の鐘が打たれ年が明けた。

 

「今年もお兄ちゃんをよろしくね、アテナさん」

「はい、言われるまでもなく」

 

「良い年になるといいね」

「はい、私もそう思います」

 

「今年も改めてよろしく、アテナ」

「はい、旦那様」

 

我が家の女神様は、今年も愛らしく美しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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戦闘描写難しい。
臨場感が出てる気しない。



 

 

 

護堂とルクレチアの邂逅から数日。

太陽神の眷属である神と、嵐の支配者たる神。

二つの巨大な神力がぶつかり合い、雲の切れ間から曙光が挿す。

 

「傷はまだ癒えきっておらぬようじゃのう、メルカルト王よ!」

『おぬしこそ化身の一つを滅ぼされたようではないか!』

「覗き見ておられたか、卑しい真似をなさることよ」

『ふん、儂を叩き起した不埒者を見張るのは当然であろう』

 

立ちはだかるのは野性味溢れる大男と、象牙色の肌をした黒髪の少年。

フェニキアの天空神メルカルト、ペルシャの英雄神ウルスラグナ。

二柱の神が立ち会い、決戦の時が近付いていた。

 

「さて、良い時ごろじゃ! 雌雄を決しようぞ!」

『応とも! 此度でカタをつけてくれる!』

 

戦意の高まりに準じて、互の神力がうねりを上げていく。

恐ろしいまでの神威が場を満たし、食い合っている。

 

風が雄叫びを上げ、雷鳴が轟く。

いざ激突!

 

と、思われたとき――両者の間に稲妻が降り注いだ。

 

「その勝負!」

「暫し待て!」

 

雷光と共に大地から現れたのは二匹の蛇。

背を向け合って威嚇(いかく)する双頭の上に、少年少女が佇んでいる。

 

「カンピオーネ、草薙護堂だ」

「まつろわぬ女王、アテナである」

「この勝負、俺たちが預かった」

「文句があるならば申すがよい」

 

神々の戦場に、とある夫婦が降り立った。

 

「カンピオーネ、我ら神に歯向かう愚か者か!」

『アテナとは西欧の女神のはず、何故(なにゆえ)神殺しと意を共にしておる!』

「アテナは俺の嫁だっ、文句あるか!」

「草薙護堂は我が伴侶である、然と心得よ」

 

乱入者を問い質す闘神組に、戦場で大いに惚気る夫婦たち。

普段なら絶対に人前では言わないような事を叫ぶ護堂、やはり神々を前に昂っているからだろうか。

 

「ふははははっ、これは面白い! 良き(かな)、良き哉。おぬしらもまた良き戦士、強者を求めし我には好都合よ!」

『戦場に女を連れ立つとは、腑抜けと言いたいが戦女神とあらば話は別よ! 全員纏めて葬り去ってくれようぞ!』

 

横槍を入れられて憤るどころか哄笑を上げる神々。

元は守護神として祀られる二柱だが、まつろわぬ身では人的被害など気にしないだろう。

 

エリカとルクレチアの口添えで、事情を知った魔術師たちが島民たちを避難させている。

護堂とアテナの役割は、出来るだけ速やかに神々を討伐すること。

 

その為にまず、護堂が動いた。

 

「王の威光たる稲妻よ! 我に牙を剥く愚かなる者に、天の怒りを知らしめよ!」

 

毅然とした口調で唱えるは聖句、神々より簒奪した権能を行使するための宣言にして誓言。

天空神ゼウスより簒奪した権能で、雷霆ケラウノスを行使する。

 

それによって落雷が二柱に降り注ぐが、それぞれが雷を操る者たち。

頭上より襲い来る雷撃を、大した苦もなく制御し叩き返す。

 

「天を支え、大地を広げる者よ。勝利を与える我に、正しき路と光明を示し給え!」

 

ウルスラグナは山羊の化身にて護堂諸共メルカルトに放電して焼き尽くさんとする。

 

『嵐よ、雲に乗る者の召し出しに応じ、疾く来たれ!』

 

メルカルトは雷雲を呼びそれを吸収させ、同じく護堂とウルスラグナに向けて解き放つ。

 

「ぐぉおおおおおおおおおおおおおお――!」

 

護堂はそれを気合で受け止め、制御を奪い返して支配し、自らの内に招き入れる。

 

「大いなる雷霆は、大いなる神の威光と成らん!」

 

ゼウスの権能の応用。

雷を操るだけでなく、体に呑み込み帯電して神速となる。

 

ただし護堂は未熟ゆえ、落雷に撃たれなければ神速の領域には入れない。

 

この場合は雷神の類が相手だったのがいい方向に働いた。

とは言え――

 

「三者共に雷の申し子とは、興味はそそられるが不毛じゃな」

「そんなこと分かってるよ!」

 

だからこそ、アテナと共にやって来たのだ。

 

「死を(うた)え。死を誘え。死を踊れ。――アテナの下僕(しもべ)は、即ち冥府より来たりし死の御使いなれば!」

 

女王の禍歌(まがうた)が響き渡り、数多の蛇と梟が戦場を埋め尽くして行く。

軍神も神王も、黒く遮られる視界に戦況の動きを感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「我は最強なり! 我は最強にして、あらゆる障碍を打ち砕く者なり!」

 

勝利の聖句によって強風が巻き起こり、闇に染まった視界が晴れ渡って行く。

ウルスラグナが視力を取り戻したとき、目の前にいたのはアテナただひとりだった。

 

「メルカルト王も神殺しの小僧もおらぬ、引き離されたということじゃな」

「然り、あなたを相手取るに妾では不足か?」

「ははっ! 無論、不足である! 我を負かすならば、後の二人も連れて来るのじゃな!」

「減らず口を申すな、妾の相手はあなたには荷が勝ち過ぎている」

「それでは役不足となるか我の力が及ばぬか、試してみるのも悪くない!」

 

折れた木々の散乱する荒地で、静かだが荒々しい戦争が始まった。

 

「木々よ女神を貫くがいい」

「我が翼たち、軍神が尖兵へ向けて矢と翔けよ」

 

まず現れるのは少年の化身。ウルスラグナの言霊に呼応して、倒木が浮き上がりアテナへ殺到する。

アテナもそれに応じ闇を広げ、飛び出た梟がそれを迎撃に向かう。

 

衝突し、木々は砕け猛禽は闇へ還る。

砕け散った木片が更なる猛威となって襲いかかるが、アテナの背で羽ばたいた翼が風を巻き上げ、無数のそれらに宿った神力を祓う。

 

次はアテナが仕掛ける番だ。

 

「我が下僕よ、地より這い出て牙を突き立てよ」

「木々の枝葉よ、空を舞踊り切り刻め」

 

ウルスラグナの足元の地面が蛇に変生して噛み付きに行く。

そうはさせるかと、散らばった葉が回転して大蛇を解体してしまう。

 

周囲の自然を兵隊として扱う天然の戦争という趣向。

そこに愉しみを見出した二名だが、やはり千日手になってしまう。

 

「となれば、いつもの手で行くべきか」

「来るか、あなたを象徴する化身が」

「我は勝利を齎らすもの。これらの呪言は雄弁にして強力なり。我が敵を斬り裂く知恵の剣なり!」

 

ウルスラグナ第十の化身。

黄金の剣を持つ人間の戦士。

神格を斬り裂きまつろわす言霊の剣。

 

最強の武器を持つ勝利の軍神が降り立った。

 

 

 

 

 

 

 

 

分断されたもうひと組の方といえば。

 

『儂とおぬしの一騎打ちとは、舐めてかかったツケを払わせてやろう!』

「そうは行くかよ!」

 

護堂は帯電による神速状態で果敢に飛びかかっていく。

 

同じ雷の神速ではあるが、アレクサンドル・ガスコインの権能と護堂のそれとでは差異がある。

彼の電光石火(ブラック・ライトニング)が肉体を雷そのものに化身するのに比べ、護堂は帯電するだけで肉体の質量自体は変化しない。だからこそ神速で肉弾戦をして打撃を与えることができる。

 

とは言えど。

 

『貴様如きの拳打など、飛礫(つぶて)と何ら変わらぬわ!』

「くっ」

 

そう。いくら神速の拳と言えど、素人の護堂では大したダメージになり得ない。

神速とは高速で動く加速ではなく、時間を引き伸ばす停滞こそが本質である。

神速のスピードが乗っていれば話が違ったのかも知れないが、それは土台無理な話なのだ。

 

既に幾十と拳を叩きつけたが、メルカルトはビクともしない。

号砲が如き殴打を躱しつつ尚も抗う護堂に痺れを切らしたのか、一気に決着を付けようと奮起する。

 

『早々に幕引きとしよう。ヤグルシよ、アイムールよ、バアルたる我が汝らを求めるぞ!』

 

メルカルトの求めに応えて一対の棍棒が飛来する。

護堂は雷光の如き速さで回避するが、稲妻を纏った棍棒もまた神速となって追い縋る。

 

『ふはは! どうした神殺し、逃げ回っていてもどうにもならんぞ!』

「どうにかなるんだなこれが!」

 

護堂の向かった先では、ウルスラグナが黄金の剣を振りかぶっていた。

 

 

 

 

 




神速(アイン・ファウスト)とは高速で動く加速(オーベルテューレ)ではなく、時間を引き伸ばす停滞(フィナーレ)こそが本質である。
ってルビ入れたかった。
それもこれも三つ巴ルート見たさに買ったAmantes amentesのせいだ。
まだシュピーネさんの死亡までしかやれてないけど。


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とある神座の永劫破壊(エイヴィヒカイト) とか
副葬処女(ベリアルドール)は傷つかない とか、書けないというのに余計なネタばかり浮かんでくる。誰か代わりに書いてくれたりしないかなぁ|ω・`)チラ

そして眠いのに寝れない゚(゚´Д`゚)゚

15/1/8
「副葬処女は傷つかない」という作品が、このハーメルンにて投稿されている事が判明しました。作者様と読者の方々に謝罪申し上げます。


 

 

つい先刻まで周囲に散らばっていた瓦礫や倒木はもはや欠片も見当たらない。

アテナとウルスラグナの激突により、一帯は更地となってしまっている。

 

「流石は音に聞こえた軍神よ、完全ならざるこのアテナでは敵わぬか」

 

既に息も絶え絶えのアテナ。

いつもなら神聖さを際立てる純白の衣も、粉煙に塗れてその輝きを失ってしまった。

決定的な事にはなっていないが、敗北必至の状況といっていいだろう。

 

「アテナよ、メティスよ、メドゥーサよ、我と我が名を恐れるがいい! ウルスラグナを恐れよ、闇の女王アテナ!」

 

言霊によって攻撃のことごとくを打ち砕かれ、防御すらまともに出来ないアテナ。

せめてゴルゴネイオンを手にした後であったなら、アテナ=メティスとメドゥーサとの相違点から神格を分ける事も出来たかもしれないが、今となってはもう叶わぬ事でしかない。

 

息を吐いて呼吸を整え、仕方がないとばかりに脱力する。

 

「くくっ、諦めたかアテナ?」

「ああ、今の妾ではあなたを打倒せしめる事は出来まいよ」

 

アテナを屠るための黄金の剣を掲げるウルスラグナ。

しかし、絶体絶命なアテナの顔に浮かぶは笑み。

 

「そう、妾ではな……」

 

瞬間、直感に従い剣をアテナのそれより切り替えたウルスラグナは、己に向かう飛来物を切り伏せる。

ウルスラグナを襲ったもの、それは雷を纏った棍棒であった。

 

「これは、メルカルト王の――」

 

ヤグルシにアイムール、工芸神コシャル・ハシスの生み出した武器。

古代都市ウガリットに保存されていた神話において、バアル=メルカルトが所有していた物だ。

 

「選手交代だぜ、ウルスラグナ!」

 

再び振り返れば拳を振りかぶる宿敵、神殺しの姿。

認識と同時に剣で払うが、通常速度のそれでは神速の域にある雷を捉えるには足りなかった。

 

護堂は剣が届く範囲の外まで距離を置いて構える。

 

黄金の切っ先を向けながら周囲を見渡すが、既にアテナは力の届く位置にはいない。

ウルスラグナは護堂に任せ戦線を離脱、自分は代わりにメルカルトの元へ向かったからだ。

 

当滅の寸前で逃げ(おお)せられた状況だが、ウルスラグナに憤りはない。

強者との生死をかけた戦い、その先にあるかもしれない敗北こそが彼の求めるものなのだから。

 

「良かろう、次の相手はおぬしか!」

 

軍神は再びその戦意を高めていく。

黄金の剣は、その容貌を変えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『小僧の次はおぬしが向かってくるか、アテナ!』

「うむ、妾の神威を示す礎としてくれる」

 

再び向かい合う古き女王と古の神王。

互がかつては王として君臨した者同士、尊厳な弁舌は衰えを知らない。

だがその口調と裏腹に、アテナは眼前の敵に勝算を見い出せないでいた。

 

英雄神ウルスラグナは強敵だった。

敗北寸前まで追い込まれた直接の要因たる黄金の剣にしてもそうだが、それ以外の部分でも彼の軍神は厄介の一言に尽きる。

 

強風、雄牛、白馬、駱駝、猪、少年、鳳、雄羊、山羊、戦士。

十種類の化身を持つという権能の多様性には、まさに開いた口が塞がらないほど。頭が下がる思いとはこのことだ。

いくら猪の化身を倒し力を欠いているとは言え、《鋼》の英雄神は蛇の属性を持つアテナの天敵として君臨している。

 

その彼と凌ぎを削っていたのだから、それなりに消耗もしている。

 

そして、目の前に堂々と佇むメルカルトもまた、ウルスラグナに劣らぬ強さを誇る。

こちらはこちらで、アテナにとって不都合が多い。

 

メルカルトは嵐と雷を象徴する天空神であり、同じく天空神たるゼウスにまつろわされたアテナでは分が悪い。

いかに神話にまつろわぬ身とは言え、その縛りは深く根付いている。

 

更にメルカルトは先ほど自分で言っていたように、バアルという呼び名も持つ神だ。

近年ではグリモワールに記された悪魔としての知名度が高くなっているが、元はカナン人に信仰されていた高位の神。

 

そのバアルだが、神話においてアナトという勝利の女神を妹、あるいは妻に持つ伝承がある。

アナトは戦場において多くの血を浴びた好戦的な戦女神だったが、一方でバアルへの従順さと熱愛でも知られる二面性を持つ。処女性の信仰も得ている彼女のその情愛は、死したバアルの肉を喰らい血を飲み込む程に苛烈で深いものだ。

 

そんな凄惨な印象を受ける彼女だが、処女性を持つ戦女神という共通点からだろうか、名前の響きも近いアテナと同一視される事がある。

天空神の妻という服従の意味を持つその地位からしても、アテナとメルカルトの相性はやはり良くないものだと言っていい。

 

『どうした、向かっては来んのか女神よ』

 

メルカルトもアテナの不利を理解しているのだろう。

焦燥を煽るように問いかけてくる。

 

「無粋な事を申すな、あなたが攻撃を仕掛けるのを待っているのだ」

 

しかしアテナも然る者。

メルカルトの言い草に薄ら笑いすら浮かべて挑発を返す。

 

()かしおるわ、やはり戦女神だけあって気丈である』

 

その安い挑発に乗ってやると言わんばかりに、メルカルトは攻勢に出る。

再び黒雲を呼び集め、アテナを焼き潰さんと稲妻を襲いかからせた。

 

守勢に回るしかないアテナは、しかし簡単に倒れるほどに柔な乙女ではない。

即座に呪力を掻き集め、自らに許された権能を行使する。

 

「父たる神の威光を此処に! アイギスの楯よ、妾を守護せよ!」

 

召喚したのは青銅の楯、主神ゼウスが鍛冶神たるヘパイストスに作らせた防具である。

天空を司り雷を操るゼウスの性質から、空を揺蕩(たゆた)う雲を象徴する代物だ。

 

そして天の怒りたる稲妻は、澱んだ黒雲より落とされる。

その性質を帯びた嵐の楯に、雷が防げない訳が無い。

襲い来る雷撃を受け止め、流し、徐々にメルカルトへと迫っていく。

 

「冥府の刃よ!」

 

もう数歩で手が届くという位置まで距離を詰め、アテナは楯の姿を変える。

形を成したのは長柄の白刃、蛇の口から刃が伸びる大鎌(デスサイズ)だった。

 

鎌は農業において稲を刈る道具。

つまり、生命を刈り取るためのもの。

そこから魂の管理者たる死神の印象が濃い。

 

生命の巡りを司る地母神であるアテナのそれは、(まさ)しく死神の鎌そのものだ。

 

死の空気を纏った刃を、上段に大きく振りかぶる。

そのまま刹那の間も置かずに一閃。躱され、もうひと振り。

 

今度はいつの間にか手の中に戻っていた棍棒で防がれる。

振るい、振るわれ。躱し、躱され。防ぎ、防がれ。

戦女神であるアテナと英雄神であるメルカルト、両者共に戦いの伝承を持つ神ゆえに、その剣戟――交わすのは鎌と棍棒だが――は鮮烈で過激なものとなる。

 

「しぶとい奴め」

『ぬぅ、粘りおる』

 

そんな攻防を続け、乱れてきた呼吸を整えるべく距離を取る。

 

互いの挙動を監視しつつも体を休め、再び切り結ぶべく集中を高めていく。

そうして睨み合いにも限界が訪れようとした時、戦況が一気に傾く。

 

「護堂――!」

 

ただし、もうひと組の方がであるが。

呪力(神気)霧散(昂ぶり)に気が逸れたのはアテナだけでなく、メルカルトの方も興味深げに様子を伺っている。

 

言葉もなく休戦の意思を共有し、戦闘の行方へ意識を向ける。

女神の闇を秘めた瞳には、数多の黄金が(まばゆ)く映る。

 

そして、決着の時が来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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10

作中の神話に冠するあれこれはWikiを見ながら自己解釈し簡潔に纏めたものです。違和感や相違点など思い当たる方もいらっしゃるでしょうが、素人の浅知恵ですので厳しい指摘はご容赦願います。

にしても、戦闘分のストックが終わってしまった。
これで再び間が空く事でしょう、お許しを。



 

 

 

 

 

黄金の剣に写し出された模様、文字に見えないでもないそれは姿を変える。

アテナ用に研いでいた剣を、今度は護堂に使うため造り変えているのだ。

 

「おぬしの当滅した神の名はゼウス、先の女神アテナの父にあたる神じゃ!」

 

ウルスラグナの周囲に現れたのは光球。

黄金に輝くそれは、軍神の持つ刃と同じものだ。

 

「オリュンポスに在る十二の神の頂点に立つその神は、天空を司る第三世代の神。じゃがゼウスは一神話体系の主神としてはあまりに多情で奔放に過ぎる。それはギリシア神話の成立過程に、複雑な遍歴があったからじゃ」

 

述べるのは護堂が唯一保有する権能の源、天空神ゼウスの事だった。

ウルスラグナ第十の化身、黄金の剣を持つ戦士の有する能力は言霊の剣。

 

対象となる神の歴史を明らかにする事で神格を斬り裂き貶める知恵の剣は、権能を一つしか持たない護堂とって敗北を決定づける必殺となる。

 

「神話が編纂され始めた古代ギリシアの時代、統一国家などはなく小規模な都市国家が乱立跋扈しておった。丁度おぬしの故国たる日ノ本が戦乱の世であった頃のようにな」

 

ウルスラグナが言霊を紡いでいくのを阻止しようと掴みかかるが、戦いの神には軽くあしらわれてしまう。

時間がかかるほど剣は切れ味を増し、護堂が不利になって行くのは分かっているのだがどうにも出来ない。

 

「そんな世で生まれた神話じゃ、当然勝者の崇める神が祭り上げられ敗者は貶められる。城塞都市の守護女神であったアテナが女王から王の娘となり、メティスが辱められたようにの! 古代ギリシア人がまつろわせた民の信仰する女神、それが主神の妻であり娘! 数々の神を貶めた末に生まれた天空神、それがまつろわす神ゼウスである!」

 

周囲を覆う黄金がより一層の輝きを放つ。

光球はいつの間にか千に及ぶ数となっていた。

 

「さぁ神殺しよ、草薙護堂よ! 雌雄を決しようぞ!」

 

ウルスラグナの宣言と同時、言霊の剣軍が一斉掃射された。

直感で当たれば権能が使えなくなるのを悟った護堂も、負けじと雷霆を撒き散らし回避に専念する。

 

しかしゼウスの神格を斬り裂く剣故に、ケラウノスの雷を物ともせず突破してくる。

どうしても避けきれない物は刃のない腹や柄を殴って払い落とすが、それでも全てに対処するのは不可能だ。

 

アテナの戦況を気にする余裕もない護堂は賭けに出た。

一か八かと引き付けるだけ引き付け、剣軍の隙間を縫って本体たる軍神に特攻を仕掛ける。

 

「クハハハハ! 逃げ切れぬと悟り向かってくるか! その意気や良し!」

「あぁああああああああああ――!」

「来るがいい! この一刀のもと切り伏せてくれる!」

 

ウルスラグナの方もそれに応えるべく、護堂に向かって突き進む。

 

「ウルスラグナあああああああああああああああ――――!」

「草薙護堂おおおおおおおおおおおおおおお――――!」

 

両雄激突。

 

 

 

 

 

__________________

 

 

 

___________

 

 

 

____

 

 

 

 

 

 

「我の勝利じゃな」

 

護堂の頭を胸に受け止め、ウルスラグナが宣言した。

 

「嗚呼、生まれたてにしては中々に手こずったぞ」

 

空振りした護堂の右拳に目を向け、剣を彼の腹に突き立てたウルスラグナが宣言した。

 

「じゃが、我に敗北を与える事は――」

 

ウルスラグナが宣言し――ようとして違和感に気付く。

 

貫いた剣が抜けない。振り解こうとするが、しかし動かない。

疑念を抱いた彼は、その正体を突き止めようとした。

 

凝視し、そして驚愕する。

左手で剣身を握り押さえ込まれている。

 

「なっ、おぬし!」

「この時を、待って……いたぞ」

 

空振りしたはずの右拳を開く。

握り締めていたのは、呪力渦巻くガラス玉。

 

罅入り、砕け、溢れ出す。

 

代わって現れたのは石版。名を、プロメテウス秘笈という。

護堂がイタリアに来る原因となった神具。

 

かつて人々に火を齎した賢者の名を冠する、神の権能を盗む偸盗の魔導書。

 

長く接した相手にしか使えないというそれを、ウルスラグナに使うのか?

 

否。

 

それにはもう、神力が込められている。

それにはもう、権能が宿っている。

 

アテナの邪視の権能が。

 

そう。長く接した神にしか使えないというのなら、常日頃から共にいる神にはすぐにでも使えるという事。

アテナの権能を封じ込め、ルクレチアの魔術によってガラス玉の中に収納してあったのだ。

 

取り出すには収納に使用した魔術を解除すればいいだけというそれを、カンピオーネの体質で以て無理矢理に握り潰したのである。

 

「大地を言祝(ことほ)ぐ女神よ、我が怨敵に冷たき恩恵を与え給え!」

 

石版より青白い光が放たれた。

女神の威光を体現するそれは、軍神の体を凝固させ砕いて行く。

 

ゴルゴンの(まなこ)

数多の民衆を決して動かぬ彫像へと変えた、怪物メドゥーサの代名詞と言える権能だ。

 

「アンタはアテナ用の剣をゼウスの物に造り変えた。今のこの黄金に、メドゥーサ(アテナ)の権能は斬り裂けない」

「はは、くははは、あっはははははははは!! 良き哉良き哉! そうか、我の負けか!」

 

驚愕と瞠目から我に帰った彼は、あろう事か喜色をあらわにする。

己の肉が石となり砕け散っているというのに、気にした様子もなく大笑に尽くす。

 

「神殺し草薙護堂よ、よくぞ我に敗北を与えてくれたのう」

「負けたのにバカ笑いしやがって。悔しくないのかよ」

「何を言う、悔しいに決まっておろう。しかしな、それこそが我の求めしもの、我の恋焦がれたものなのじゃ」

 

勝利の神。

勝利を司り体現する最強の軍神。

故に敗北の味が知りたかったという、何とも言い難い行動理由を知って言葉を失う。

 

この理解不能な純真さこそがまつろわぬ神という存在なのだ。

 

「良いか草薙護堂よ、おぬしは勝利の神を倒したのじゃ。つまり今この時を以て、最強の称号はおぬしのものという事になる」

 

下半身は既に失く、左肩が石塊となっても変わらず神々しい。

 

「次に我が顕現するまで預けておくゆえな、その時まで何人にも負けるでないぞ」

 

黄金の剣を持つ少年神は、そう言い残して消えていった。

 

護堂は肩に荷物を背負ったような重圧を覚え、それは空想のように消失した。

腹を突き破っていた黄金は、いつの間にか無くなっている。

 

少し呆けたように立ち尽くし、何となしに口ずさんでみた。

 

「我は最強にして、全ての障碍を打ち砕くものなり」

 

手には、燦然と輝く黄金があった。

 

 

 

 

 

 

 




展開を捻ろうとか考えていたのに、自分の頭じゃこの程度が限界でした(´;ω;`)


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11


「勘違いするな。貴様など、庭で放し飼いにしている犬に過ぎん」
「わんっ」
「……」

ドラマCDでベアトリスがワンコというのは解ってましたが、これは酷い。

「こちら、あなたの後輩(あいけん)です。ワンとか言いましょうか?」

自分で言いやがったよコイツ。
イケメンの彼氏より先輩を優先、もうすっかり調教済みとか自覚してんのかよこの天然。

以上、どこかでぶちまけておきたくなった戯れ言です。
それでは嫁アテナを、どうぞっ。



 

 

 

黄金は光と散り、その剣は新たな宿主へと授けられた。

目視できぬ距離でそれを感じ取った二柱は、どちらからともなく矛を収める。

 

周囲は落雷によって焼け焦げ荒れ果て、冥府の瘴気に溢れかえっている。

控えめに言って散々たる有り様、そのままを言うなら不毛の廃墟である。

 

彼奴(きゃつ)は敗れたか。儂を起こしておきながら一人眠りに着こうとは、どこまでも厚顔な男よ』

 

先に口を開いたのはメルカルト。

口調と巨体の割に何処と無く寂しげな空気が漂っている。

正面に佇む大男から覇気が弱まったのを見て取ったアテナは、戦装束から静花に見繕ってもらった白いワンピースに衣替えする。

 

それもこれも、これから護堂を迎えに行くためだ。

 

「貴方はこれからどうする? 休息を挟みもう一戦交えるというなら、再び我らが相手取る事となろうが」

『あの身勝手な不敬者が消えたなら、現世にさしたる用もない。アストラル界で床に着こう』

 

言って、メルカルトは肉体の質量を(ほど)き始めた。

 

『あの小僧に伝えるがいい、いずれ軍神めの意趣返しに向かうとな――』

 

戦意を失ったはずの神王は、襲撃宣言までして彼方へ飛び去る。

アテナも麦わら帽子を押さえながらそれを見届け、自らは護堂の元へ向かう。

 

神魔入り乱れた今回の戦い、唯一の勝者へ賛辞と苦言を送るべく。

 

そして彼女が最強を勝ち取った勝者の元に着いたとき、件の彼は剣を見ていた。

腹に剣が貫通した身で弱りながらも大地を踏みしめ、手の中にある黄金の剣を。

 

「感傷――憤りか、哀れみか」

「どっちでもないよ。ただ、変な奴だったなぁって」

 

勝利を神格化した神ゆえに、まつろわぬ身で敗北を求めた。

理屈というより屁理屈で、道理が通っているような通っていないような。

 

何を求めていたのかは最期に知ったが、何を考えていたのかはさっぱり分からない。

 

アテナ。

ゼウス。

ウルスラグナ。

メルカルト。

 

まつろわぬ神という存在は、知れば知るほど解らなくなる矛盾の存在。

しかし、分からないままの方がいいのだと、護堂の何処かが告げている。

 

ああ、満身創痍ゆえか思考が纏まらない。

 

「悪いアテナ」

「眠るが良い、勝利の褒美だ」

 

言うが早いか、女神は唇を近づける。

 

――触れた。

その感触を味わう時間もなく、護堂の意識は闇に落ちる。

 

手から離れた黄金は、朝の光に溶けて消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同日の夕刻、草薙護堂はルクレチア邸で目を覚ました。

半日近く熟睡していた彼は、エリカ付きのメイド、アリアンナによる一足早い夕食を振舞われている。

 

彼女のフルネームはアリアンナ・ハヤマ・アリアルディ。

剣と魔術の才能に恵まれなかったため、エリカの身の回りの世話をしている直属の部下。

有能な女性であるのは疑いないが、ルクレチア邸への道中で車の運転に関しては物申したい。

 

……その内容については、余りにアレ(・・)なので割愛するが。

 

「すいません、エリカのメイドさんなのに世話してもらって」

「いえいえ、私も下っ端の末席の落ちこぼれとはいえ《赤銅黒十字》の所属ですから」

 

早い話が、魔術結社に在籍している以上、魔王に世話を焼くのは義務に近い行為だから無問題という事らしい。

その言い分は少し心苦しくもあったが、ここはありがたく受け取っておくべきだと感謝を伝える。

 

まさかこのイタリアの地でここまで見事な味付けの和食、それも家庭料理の類を食べられるとは思ってもみなかった。

出されたのは白米に吸い物、青身の焼き魚と玉子焼きである。

 

ご飯についてはほのかに感じる鉄の風味から、釜か鍋で炊いたと思われる。

吸い物は魚介類の風味に塩の味付け、味噌がないので味噌汁は出来なかったと謝られたがとんでもない。

魚はアジで塩焼きにしている、ハーブやオイルが香らない純粋な魚の匂いがする。

そして定番の玉子焼き、和風出汁が取れなかったらしくだし巻きではなかった。

 

まだまだ至らない腕だと畏まられたが、こんなに素晴らしい料理を愚弄しようものなら全力で殴り飛ばす所存だ。

ああ、醤油がなかったのが残念でならない。

 

「それにしても日本食が上手ですね、ひょっとして日系の親戚でも?」

「はい、祖父が日本人でして」

 

黒髪黒目という色彩の特徴、そして白人というより黄色人種に近い肌から半ば確信に近い問いかけだったが、やはり予想は当たっていたようだ。

 

「今も長崎に住んでいまして、そこで祖母と知り合って父が生まれた訳です」

「なるほど、通りで」

 

今度の返答は自動翻訳されるイタリア語ではなく、耳に慣れた日本語で。

出島で有名な長崎ならば、当時でも国際結婚は有り得たのだろう。

 

「婿入りした父の意向で日本らしさも取り入れたいと、こういう名前になったらしいですね」

 

アリアンナ・ハヤマ・アリアルディ。

日本風に解釈するなら、葉山安奈(はやまあんな)あたりになるだろうか。

違っているかもしれないが、そう遠くはないと思う。

 

そしてアリアンナという名はイタリア語、それはミノタウロスの迷宮で知られるアリアドネと同義である。

アリアドネは潔く(きよ)き娘という意味を持ち、古くは女神だったとされる娘だ。

護堂はここまでの知識を持たないが、そこは特有の直感で意味を感じ取る。

 

「いい名前ですね」

「ありがとうございますっ、えへへ」

 

感謝の言葉を返す彼女は、先程までとはまた違った可愛らしい笑顔を見せた。

 

そうこう話している内に、なんだかんだで完食。

両手を合わせて頭を下げる。

 

「ご馳走様でした」

「はい、お粗末様です」

 

定番のやり取りに顔を見合わせ、不思議と笑みがこぼれてしまう。

異国の地で家庭的な風景を再現していた事が、可笑しくも嬉しく感じてしまったのだ。

 

アリアンナも口元を手で隠し、上品ながらも気安さを感じさせる笑い声を漏らす。

護堂は嵐が過ぎ去った平穏を味わっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

と、ここで終わればほのぼのだったが、生憎と彼は神殺し。

波乱万丈を体現するカンピオーネなれば、シリアスの次はラブコメと相場が決まっている。

 

つまり。

 

「護堂、この娘が随分と気に入ったらしいな」

 

冷たい空気を纏った女神が降臨なされた(ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ)。

修羅場である。

 

「ア、アテナ?」

 

戸惑いの声を上げる護堂を無視し、椅子に座る彼の膝に腰掛ける。

 

心なしかふくれっ面をしているようにも見えるそのご尊顔は余りに愛らしく頬擦りしたい衝動に駆られるが、顔を覗き込もうとすればそっぽを向かれてしまう。その仕草もまた護堂の心をくすぐってならないのだが、女神様は解ってやっていらっしゃるのか否か。

 

「どうしたんだよ?」

「……貴方がウルスラグナを降したあと、眠りに落ちた肢体をこの屋敷まで運んで来たのが誰か、言わずとも理解しているな」

 

…………要するに。

アテナは妬いているのだ。

護堂が目覚めてから初めて礼を言った相手がアリアンナだから。

 

それは自分が受けるべきなのだと言い拗ねて、もっと言えば甘えている。

そう考えたら膝に乗る重みが余計に愛おしく感じ、護堂は力一杯抱きしめる事に決めた。

 

そんな行動に気を良くしたのか、アテナも背に体重を預ける。

まるで猫が目を細めて喉を鳴らし、飼い主に顔を擦り付けている様でした、とは某日本人クォーターメイドの証言。

 

気遣い上手な彼女は、ピンク色な空気を読んで早々に退場。

音もなく食器を下げ、洗い物に勤しんでいた。出来る従者である。

 

アリアンナの配慮に感謝しつつ、護堂とアテナは互いの温もりを感じ合っていた。

 

先の発言を訂正しよう。

波乱万丈のカンピオーネにはほのぼのよりラブコメかも知れないが、こと草薙護堂にはラブコメよりロマンスになってしまうらしい。

それもこれも、女神様の可愛さが招いた悲劇――ならぬ喜劇――である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




女神を頬擦りのあたりで少し水銀成分混ざったかも(笑)

しかしアリアンナさん、どうしてそんなに出張って来たの?
エリカあたりの描写とかするつもりだったのに、不思議なものです。


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12 赤銅騎士の独白

バレンタイン? 何それ?
そんなの俺には関係ないよ。

って事で普通に投稿です。うん、そんな日はなかった。



 

 

ルクレチア・ゾラが住む屋敷にて。

草薙護堂というカンピオーネとの出会いを、エリカ・ブランデッリは反芻(はんすう)していた。

 

敬愛する我が叔父、《赤銅黒十字》総帥パオロ・ブランデッリ。

彼に反発して神殺しという偉業を果たすべく意気込んでいたが、今となっては何と愚かだったのかを痛感する。

このサルデーニャの地で実際に神が降臨している事を知り、自尊心と責任感から神に挑む事を決意した。

 

しかしそれは、あまりに不用意で危機感の欠ける行いだったのだ。

 

生まれて初めて対面した神――正確にはその一部でしかない神獣、化身の一つ――に、心底から身が震えた。

絶対的な存在感。神威とでも形容すべきそれを受けて、足が竦んで体が硬直してしまった。

 

こういう表現は少しばかり傲慢かもしれないが、神との戦いに臨む身として私は、優秀であり過ぎてしまったのだ。

 

下手に有能だったから、勝てないと分かってしまった。

人より秀でていたから、逆らってはいけないと思ってしまった。

誰より優等だからこそ、私はそれで終わってしまうと、私が私で認めてしまった。

 

しかし、それで良かったのかもしれない。

そう思えたのは、草薙護堂に出会ったからだ。

 

神殺しの魔王、カンピオーネ。

そう呼ばれる存在が、普通の少年だったから。

 

私がとった仰々しい態度に窮屈さを覚え、甘えるアテナ様に頬を赤らめ、ルクレチアのイタズラに困惑する。

刃物を前にすれば緊張を覚え、人の涙を見れば義憤に駆られ、自分に非があれば謝罪する。

ともすれば神々をも打倒しうる神殺しは、そういった普通の感性を持つ少年だった。

 

それは神々の戦場に於いても変わらず、常に己を見失わない自然体。

 

ああ、王とはこのような存在なのだ。

私はそう納得した。

 

ヴォバン侯爵であれば絶対君主として自然と頭を垂れ、サルバトーレ卿なら放し飼いの獣のように関わらないように動く。

草薙護堂は二人のように力尽くで他者に己を主張するのではなく、自然と溶け込んで周囲を味方に付ける、そんな人だ。

意図してではなく、ただ己を確固たるものとして行動した結果、人が彼らを中心に据えて行動するようになる。

 

それこそが魔王という者の在り方なのではないだろうか。

 

そう、例えばあのように。

 

「え? ムール貝を生で?」

「ああ、少年は日本人だから馴染みが薄いか? レモンをかけて食すと中々の美味だぞ」

「ここサルデーニャ島は体に良くて美味しいものが多いですからね、護堂様も是非お召し上り下さい」

 

アテナ様を膝に乗せたまま、ルクレチアと歓談する護堂。

それに片付けを終えたアリアンナも加わっていた。

 

ルクレチアは生来の性分もあるのだろうが、顔を合わせた時から護堂にストレスを与えない接し方を貫いている。

きちんと分別を弁えているアリアンナも、自ずから護堂の疲労を和らげようと世話を焼いている。

アテナ様も場の空気を読まれたのか、護堂の膝に収まりながらも大人しくなされている。

 

人をからかうのが好きで気が合うルクレチアが、護堂を振り回す傍らで気にかけている。

あれでなかなかガードの固いアリアンナが、気を緩めて笑顔を見せている。

まつろわぬ神という言うに及ばずなアテナ様が、行動の主体を護堂に委ねている。

 

あれが魔王。

あれが神殺し。

あれが草薙護堂。

 

敗北した、完敗だ。

あれでは如何なる人間も彼を害す事は出来ない。

混ざり、溶け込み、取り込まれる。

 

そうなってしまっては、いずれ魔王を倒そうという気概を持つ者すらいなくなるのではないか。

そんな考えさえ浮かんでくる始末。

 

そして、そんな女殺しの人誑しに感化された女が、ここにもひとり。

 

「あら護堂、随分とアリアンナを誑し込んだようね」

「エリカ!? いや、別に誑し込んだ覚えはないぞ!」

 

振り向いた顔は少し赤みが刺し、口元は僅かに震えている。

誑し込む、という言葉に羞恥を覚えているのだろう。初心(うぶ)で可愛らしい反応だ。

 

それを見た茶目っ気たっぷりの我が従者と屋敷の主は、共に面白い物を見つけたという風な笑みを浮かべている。

きっと私も、鏡を見れば同じような表情をしているのだろう。つくづく気の合う人物たちだ。

 

「申し訳ございませんエリカお嬢様。私はもう、護堂様に逆らえないのです」

「アリアンナさんっ!?」

 

嘘は言っていない。

たかだか一魔術師、それも見習い風情が魔王陛下の命令を拒否することなど不可能だ。

床に崩れ落ち瞳から水滴を落とす従事服姿の少女を見て、どういう想像をするかは個人の自由なのだし。

 

なお、瞳からこぼれ落ちる水滴に塩分は含まれていない。

 

「可哀想にアリアンナ、王の権威で体を……」

「ちょっとエリカ!?」

 

体を動かす事になるなんて。

思わず目尻にキラリと光る水滴を浮かべてしまうわ。

護堂がこの時間に目覚めなければもう少し(くつろ)いでいられたでしょうに。

 

もちろん、目尻の水滴に塩分は含まれていない。

 

「すまないエリカ嬢、私の体は――」

「ルクレチアさんも乗らないで下さいよ!」

 

これくらいが潮時かしら。

色々と堪能できて有意義な時間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日の晩、食事を終えた私は屋敷を抜け出して夜風に当たっていた。

 

なんだかんだで私も緊張していたのだろう。

意識していないところで気が緩むのを感じた。

 

「麗らかな月夜だ」

「――っ!」

 

瞬間、背後から声がかかる。

その場を飛び退きつつも振り返ると、目に入ったのは女神の尊顔。

 

優しい月の光に当てられた頭髪は、それ自体が光り輝いているかのように錯覚する。

物憂げに空を眺めるのは黒く、深い瞳だ。それが、私の方に向けられる。

 

よく表現される己が暴かれる、というような感覚ではない。

ただ、気が付いたら飲み込まれそうな深い瞳。

 

漆黒――艶やかで吸い込まれそうな、漆のような黒だと護堂は思った事がある。

それと同じような感想を、エリカもまた抱いた。

 

「これは醜態をお見せしました」

「そう卑下する事もない。其方(そなた)は美しき乙女、勇ましい騎士だ。忠誠を誓うというのであれば、我が下僕に取り立てても良い程に」

「身に余る光栄ですわ、ええ本当に。しかし私のような者では、貴女方には追い縋れませぬ」

 

ああ、この女神がわざわざ口に出したのだ、本当にそう思っているのだろう。

だがしかし、本当に身に余るのだ。私のようなただ優秀なだけの人間には。

 

辞退の返答は予想していたのか、それともどうでもいい事に過ぎないのか、彼女はあっさりと引き下がる。

 

「誓わぬというならそれも良かろう。して、これからどう行動する腹積もりだ?」

「どう、と言われますと?」

「惚けるでない娘。妾と護堂の実情を知って、この国の神殺しの子飼いであるお前はどうするのかと問うている」

 

闇の如き両眼は氷の印象を抱くほど冷たく輝いている。

死の温度、なのだろうか。

 

草薙護堂(カンピオーネ)アテナ(まつろわぬ神)が共に生きているという事実を、他の神殺しに伝えるのかどうか。

それは彼女らにとって文字通りの死活問題。故に、被害を(こうむ)る前に私を始末する。

それも取りうる選択肢の一つだと、言外に彼女はそう言っているのだ。

 

それに対する、私の返答は――

 

「私は、貴女様に仕える気はありません。しかし彼、草薙護堂にならそれもいい――かもしれないと考えています」

「…………続けよ」

「私は彼に出会い、王という者の真理の一端を垣間見た気がしております。それを感じさせてくれた彼になら、私の剣を預けるに不足はないでしょう。しかし、彼以上がいないとは限らない」

 

沈黙を守る女神。

それを傾聴の意と捉え、更なる思いを吐露していく。

 

「このエリカ・ブランデッリ、一度顔を合わせた位で人生を委ねるほど、安い女ではありません。故に彼を、私の主候補(・・)として見極めさせて頂きたいのです」

「人の子が我が伴侶を試すと?」

「恐れながら、そう申し上げております」

 

冷眼から目を逸らさず、逸らせず、静かな夜が続いている。

やがて私は、冷や汗が流れ始めた。

 

いつまでこうしていればいいのだろう。

夜の外気と女神の圧力、死の恐怖で体が震え始めた。

 

そこで、女神は瞳を閉じた。

 

「仕える主となるやもしれぬ相手に、要らぬ騒動は持ち込まぬな?」

「無論でございます」

「……許す、下がるがいい」

「ありがたく」

 

周囲に満ち満ちていた圧力が消えている。

無音の夜に、風の声と生命の音が戻ってきていた。

 

(ゆめ)忘れるなよ娘、妾が夜の使者であることを」

 

心得ていますアテナ様。

この闇は貴女の眼となり耳となる。

害成すと判断されれば葬られるのでしょう。

 

しかし、貴女もお忘れ無きよう。

貴女の夫は草薙護堂、神殺しの勝利者なのだということを。

 

護堂が私の生を望むなら、貴女の謀略を破壊する事でしょう。

そして私は、彼の庇護下に居続ける自信がある。

 

さぁ護堂、覚悟しなさい。

私を誑かした罪は重いわよ。

いつか必ず、力を付けて日本に追いかけて行くんだから。

 

 

 

 

 



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第二章 魔王激突


まつろわぬ神、軍神ウルスラグナを討滅してから早三日。

草薙護堂はイタリアの地より離れ、既に日常生活に戻っていた。

 

男子高校生の送る日常生活。

神も魔王も魔女も魔術もない一般的な生活に。

と言いたいが、そうは問屋が卸さない。そも、本人が魔王なのにどうしろというのか。

 

常なら隣に侍る女神も、学校までは付いて来ない。

互いに平日の日中はそれぞれの時間を過ごしており、護堂は高校に通学しているという訳だ。

 

「うわぁ、まだ腹に違和感が残ってる気がする……」

 

教室で自分の席に座りながらも腹を摩る護堂。

ほんの数日前には剣が突き刺さって背中まで貫通していたのだから、その違和感も仕方がないだろう。

 

と言いつつも、傷自体は翌日に全快しているというデタラメ具合なのだが。

 

「どうしたんだよ護堂、変なもんでも食ったのか?」

「ああ、いや……」

 

背後の席から話しかけて来たのは高木、護堂とクラスメート(同じ年)にして身長は185cmに近い大柄だ。

 

「三日前にちょっと怪我してさ、もう治ったけどまだ少しな」

「気を付けろよ。大したことないと思っても実は重症だった、なんてよくある話だからな」

「ああ、分かってるよ」

 

剣道部に所属する高木は、怪我に対する意識が敏感なのだろう。

折角の忠告なのでありがたく受け取っておくが、残念ながら護堂には少し縁遠いと言える。

 

かつて護堂は下半身が雷に撃たれて焼け落ち、腹から下が原型を留めていなかった事があった。

人生初の対神戦、まつろわぬゼウスとの戦いである。

 

かつて護堂はゴルゴンの眼により両腕の細胞が石化し、粉々に砕け散った事があった。

人生で二度目の対神戦、まつろわぬアテナとの戦いである。

 

そして今回、まつろわぬウルスラグナとの戦いにより、幅数十センチに渡る剣を腹に突き刺された。

アテナによる後押しがあったとは言え、それが一眠りで快復してしまうような生命力の持ち主だ。

そんな怪物は心配するだけ損、とすら言えるだろう。

 

さてそんなこんなで最強の称号を継いだ護堂だが、勝てないものはそう少なくない。

内の一つはこれ、学業である。

 

とは言え、基本的に勤勉なタイプの護堂が勉強不足という事ではない。

単にサルデーニャでの騒ぎにより、授業を受けていない分が遅れているのだ。

魔王などという大仰な肩書きを持つ彼も、学生という身分には逆らえないという事らしい。

 

今も隣近所の席に座る友人に教えを請いつつ、何とか遅れを取り戻そうとしている。

結局この日は大した騒動もなく、平和で恙無(つつがな)い学校生活を満喫することになった。

 

と、思っているのは本人ばかり。

その裏では様々な思惑が入り交じり、面白い装用を見せていた。

 

 

 

 

 

 

 

例えばこの少女、万里谷裕理。

先日に護堂を霊視した媛巫女であり、同じ学校に通う同級生。

通常の霊視で有効なものは一割程度らしいが、彼女の的中率は優に六割を超えるという。

 

そんな卓越した霊視能力を有する彼女は、帰国した護堂の変化をいち早く感じ取っていた。

 

顔を合わせたのは昨日の昼休みだったが、廊下の反対側にいた護堂の顔を見て霊視が降りたのだ。

概要も詳細も分からなかったが、ただその印象だけは読み取れた。

 

黄金。

以前の彼にはなかった神気(呪力)のうねりを、その内に見た。

 

それは即ち、休学していた数日の間にまつろわぬ神を弑逆(しいぎゃく)し、新たな権能を得たということだろう。

 

それに対して感じたのは戦慄と、微かな安堵。

神殺しの羅刹王として更なる暴威を獲得したのは驚異という他ないが、それでも、人類の守護者としてその本分を全うしているのだという事実は、

 

多少なりとも裕理の心労を癒す材料になったのだった。

 

裕理はこうも思う。

その行動を観察していた結論として、草薙護堂はヴォバン侯爵のような暴君ではないと。

 

年頃の男子生徒としてはむしろ素行のいい、その辺にいる普通の男の子。

 

「ごめん、昨日の数学のノート見せてくれないか?」

「しゃーない、今度なにか奢れよ」

「悪い、助かるよ」

 

窓越しに彼と級友との掛け合いを見ていると、本当にそう思えてくる。

 

しかし、彼女に根付いた幼少期の体験(トラウマ)がそれは楽観だと訴えかける。

 

人は誰しも善悪の二面性を持つ。日常生活では善性に見えても、魔王としては悪性かもしれない。

いやそもそも、学校で見せている顔は偽りの仮面で、本性は只人(ただびと)を見下す悪鬼の類かもしれない。

そう、疑心と拒絶に駆られた裕理の臆病な心の闇(あくせい)は訴えかける。

 

結果、彼女は今も護堂と接触できずに手を(こまね)いているのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

例えばこの男、甘粕冬馬。

正史編纂委員会に所属する忍びの者。

 

裕理の霊視を元に調査を進め、草薙護堂が真にカンピオーネであるという確証を得る。

しかし、それからが冬馬の苦難の始まりだった。

 

何せ日本における観測史上初の魔王の誕生。

それも地上に顕現したまつろわぬ神を伴侶として侍らせ、共に日本の地で生活しているという異常事態。

 

これの何が厄介かというと、デマの類ではなくすべて真実であるという事だ。

神と魔王が同時に存在しているというのは、いつ反発し対立して破壊が巻き起こるか分からない。

 

それに加え、顕現している神を殺すべく六人の神殺したちが来襲する恐れもある。

更に言うなら女神の神気に惹かれ、新たなる神が降臨するという危険性も考慮しておかなければいけない。

 

これだけの災禍を生む可能性を孕んだ、飛びっきりの災厄の種。

 

日本の住人にして仮にも守護者の一翼を担う者、放置する事はできない。

しかし下手に手を出して反感を買い、日本列島が海の藻屑と消える、なんて結果になるのは笑えない。

 

そんな災厄級の厄介事を任されたのは、冬馬の有能さが招いた自業自得だ。

 

「いやぁ、甘粕さんのように優秀な部下を持てて僕は幸せだよ。二階級特進の申請はいつでも出来るから、安心して任務に当たってね」

 

いやぁ、馨さんのように人使いが荒い上司を持って私は不幸ですねぇ。

あと、委員会に役職はあっても階級はありませんし、二階級特進は安心できる要素になりません。

とは言えず、苦笑いを浮かべて部屋を出た。

 

向かう先は、草薙宅から約1kmの位置にある監視用の仮住居。

今も女神アテナの動向を伺っている同僚と、その交代に向かうのだ。

 

「あぁ、また積みゲーが増えていく……」

 

危険極まりない任務ゆえに、手当は相当額受け取っている。

普段は趣味に費やしているのだが、最近はそれに割くような時間がない。

 

バカップルの青春を遠くから眺めて悶々とする日々は、いつになったら終わるのか。

口から出た溜め息は重く、足取りと身のこなしは軽やかに。

 

甘粕冬馬は、今日も職務を全うしている。

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに同時刻の草薙家にて、アテナ様はテレビを視聴しておられた。

番組名は「X計画」という、主に職人や技術者を取り上げる公共放送局の番組だ。

 

ソファーで膝を抱えてポテトチップスを咀嚼しながら、真剣な表情で見続けている。

 

今回取り上げられたのは現代に残る数少ない刀工の一人。

その熟練の技によって生み出される鋭さは、料理包丁といえど光沢が違う。

 

基となる金属を炉に()べ、鎚で叩き伸ばし、冷却して再び炉へ。

工程を繰り返し引き伸ばされた物を折り重ね、同じ工程をひたすらに繰り返す。

 

単純だが単調にはならぬ連綿とした技術の一端を垣間見、アテナはその光景を深く刻みつけたのだった。

 

アテナ は かたなかじ の ぎほう を まなんだ。

アテナ は 「くろのつるぎのレシピ(1)」 を てにいれた!

 

 

 



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章管理、というのをやってみました。



 

 

学校の屋上。

その場所は、様々な用途に用いられる。

 

お日様の下での食事、読書、睡眠。

或いは青春と言えば、余人に触れられたくない秘密の会話。

 

甘酸っぱいそれなど、当事者でなくとも心震わせることだろう。

 

だがしかし、今回の場合はそうではない。

余人に聞かれたくないというのは同じだが、この場合は重苦しい類の話になるのだろう。

 

この一言でその雰囲気は吹き飛んでしまうが。

 

「さーしゃでやんすたーるぼばん?」

 

摩訶不思議な呪文を唱える我らが護堂。

しかしそれは呪文に非ず、正確には人の名前である。

 

「ヨーロッパに(ましま)す王で御座います、その活動はお聞きになられている物と愚考しておりますが」

 

護堂にひれ伏した亜麻色の髪をした少女が言う。

 

サーシャ・デヤンスタール・ヴォバン。

ヨーロッパの南東部、俗にバルカン半島と呼ばれる地域を拠点に活動する老魔王。

血と戦を求める狂王にして、魔王という言葉をそのまま形にしたかのような暴君。

 

「ああ、侯爵を名乗ってる爺さんだっけ。そいつがどうかしたのか?」

「彼の王がこの国に向かっておられるという情報を耳にし、何としても日の本に降り立たれる前にお伝えすべく、恐れ多くも拝顔の栄誉を(たまわ)った次第に御座います」

 

少女は護堂が通う私立城楠学院の女子制服を身に纏い、なおも目を合わせようとしない。

それは言葉のように恐れ多いと感じているのか、視線を交わす恐怖から逃れようとしているのか。

 

その身の微かな震えを見るに、後者の線が濃厚に思える。

 

「その言い方からして――」

「妾の事は既に把握しているようだな。察するに、この国の結社の末端か?」

 

護堂の発言を継いで続けるのは、物陰から姿を現した銀髪の幼子(おさなご)

その容貌に反して言葉遣いは年代を感じさせ、(くら)い瞳は見る者に重圧を与える。

 

もはや語るまでもなく、我らが女神である。

 

「はい、私めも正史編纂委員会に名を連ねる巫女の一人でありますれば、貴女様が現世にご降臨なされた事実は僭越ながら聞き及んでおります。その御名を口にする無礼をお許し下さいませ、アテナ様」

「良い、許す。しかし、そこまでの礼は些か過分だ。護堂は本質こそ獣や王であれど、その心持ちは育ちによって民のそれで固められている。敬われる立場という物に慣れておらぬでな」

 

アテナまで現れたこの屋上は、一気に重苦しい空気が充満してしまった。

それを思ってか、少女の怯えも先ほどまでとは比べ物にならないほど膨れ上がったらしい。

 

言葉遣いはより一層――いっそバカ丁寧とすら言えるほどに――(へりくだ)っている。

 

「確と、確と聞きうけました。私のような端女(はしため)へのご配慮、心より痛み入ります」

 

少女は、万里谷裕理はそう述べて、再び頭を垂れるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このような展開を迎えたのは、朝のホームルームが始まる前のこと。

万里谷裕理が草薙護堂を教室まで訪ねてきたことが切っ掛けである。

 

「失礼致します。1年6組の万里谷裕理と申しますが、草薙護堂さんは登校されていますか?」

 

学校特有のガラガラという音を抑えるよう、静かに開けられた引き戸から放たれた第一声。

この発言を受け、学生たちの元気に溢れた会話の音が静まり返る。

 

6組の万里谷裕理。

大和撫子の代名詞と称しても違和感がない彼女は、その家柄と血統もあってそこそこの有名人だ。

その彼女が、あろう事か一人の男子生徒を訪ねてくる。

 

男子としても女子としても、学生にとっては一大事だろう。

思春期真っ只中なこの年頃ならば、尚の事。

 

裕理の事をよく知らない生徒とて、クラスメートの男子を美少女が訪ねてきたとあっては反応に困るのも当然。

誰も彼もが視線を漂わせ、件の草薙護堂へと向けられる。

 

対する護堂は、遂に来たかという面持ちで言葉を投げかける。

 

「……ああ、初めまして万里谷。話があるなら、昼休みにでもしようか」

「……畏まりました、詳しいお話はその際に」

「それじゃ、また後で」

「お騒がせ致しました」

 

手短に互いの意思だけ伝え、裕理はそそくさと――それでもどこか気品を持って――教室を後にする。

後に残されたのは草薙護堂と、好奇心に目を光らせる野獣たち。

 

「ねぇ草薙くん――」

「おい草薙――」

「なぁ護堂――」

 

次から次に護堂の名を呼び、座席の周囲を取り囲むように歩み寄ってくる級友たち。

 

「ちょっと聞きたい事があるんだけど?」

 

包囲網を敷いた彼らは、同音の言葉を一斉に言い放つ。

その様は、ゾンビ映画やホラー映画を彷彿とさせたという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そういう経緯があって、現在は昼休み。

即ち冒頭の場面に戻るのである。

 

「で、結局そのヴォバン侯爵はどうしてわざわざ日本まで?」

「それは……」

 

言葉に詰まる裕理。

さっきまでの態度からして、隠そうとしている訳ではないだろう。

 

ただ、彼女の口からは言いにくいような事なのか。

暫し視線を彷徨わせて、踏ん切りを付けるように固く目蓋を閉じる。

 

目を見開いた彼女は、まっすぐ護堂を見つめてきた。

 

「侯爵は、アテナ様を目的としておいでのご様子です」

「で、あろうな。この時期にこの国へとなれば、それが最も得心のいく理由だ」

 

アテナの言は尤もな言い分だ。

しかし、問題は何処でそれを知ったのか。

行く先々で口止めはしているはずだが、どこから漏れたのかが気にかかる。

 

「万里谷の所属するっていうその……正史、編纂? 委員会から漏れた訳じゃないんだな?」

「誓って、そのような事は御座いません! 私たちはこの国の守護を担う者、災禍を呼び招くような行動は致しませぬ!」

 

打って変わって声を張り上げ、潔白を訴えかける裕理。

その様子と今までの言動から、その線は薄そうだと見る護堂。

ならば一体どうやって情報を得たのか、その疑問にはアテナが推論を述べる。

 

「彼の者は3世紀に渡って神々と争い続けていると聞く。ならば、それなりの数の権能は得ていよう」

 

300年の内に得た権能の中に、情報の取得に使える物があったのだろうと、推理も何もない論を振りかざす。

 

「お前、それは考えを放り投げただけじゃないか?」

「何を言うか、カンピオーネに理論理屈など求める方が間違いなのだから、これが正しい推理のやり方だ」

「いやまぁ、そう言われると強くは言い返せないけど……」

 

チャンピオン(カンピオーネ)などと呼ばれる人種が如何にバカバカしい存在であるかなど、今更説明するまでもない。

自分の体のデタラメさ加減もあって、護堂はおとなしく口を閉じる事にした。

 

「目的がアテナとなると、やっぱり力ずくで追い返すしかないよな」

 

一応述べておくと、草薙護堂は平和主義者である。

一般人でも魔術師でも、人間を相手に無闇に力を振るう事はまずない。

 

だが同時に、草薙護堂は神殺しである。

地上を荒らすまつろわぬ神や、同胞たる神殺しの魔王に対しては容赦が要らない。

否、容赦してはいけないのだと、下手に情を挟めばズルズルと引きずる性分なのだと自覚している。

 

ゆえに自分の生活。

祖父や妹を筆頭とする家族、クラスメートなどの友人、アテナという伴侶。

それらを取り巻く日常を害する要因は、出来るだけ速やかに退場願う。

 

なぜならば、護堂はアテナを妻とした。

夫婦なら、家族なら、その命と行動に責任を負わなくてはならない。

 

あの日、ギリシャの地で誓ったのだ。

アテナを誰からも護り抜くと。あらゆる障害から、あらゆる難敵から。

 

あの日、ギリシャの地で誓ったのだ。

アテナから誰をも護り抜くと。彼女に人を殺させないと、彼女に破壊をさせないと。

 

それが、まつろわぬ神(アテナ)を滅ぼさなかったカンピオーネ(草薙護堂)の責任なのだから。

 

護堂の声明を聞いて、秘めたる決意の一端を感じ取って。

万里谷裕理は静かに、しかし確実にその心を溶かしていくのだった。

 

 

 



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ヴォバン侯爵の撃退を決意した護堂だが、予想される到着日時は本日の夕刻。

現時刻は13時過ぎ、到着にはどれだけ早くても約5時間程度の猶予があると考えられる。

 

その猶予期間は有効に使うべきだ。

 

「万里谷、今すぐその委員会に連絡を取って、ヴォバン侯爵についての情報を教えてもらってくれ」

「か、畏まりました!」

 

現代日本の高校生にしては珍しく、裕理は携帯電話を所持していない。

故に今すぐ自宅に帰って連絡を取ろうと、一礼してその場を去ろうとした。

 

だが。

 

「それには及びませんよ、裕理さん」

 

音もなく現れた眼鏡の男性に呼び止められる。

 

「あ、甘粕さん!」

 

地味な印象を受けるスーツ姿のその男は、甘粕冬馬であった。

 

「お初にお目にかかります、王よ。正史編纂委員会東京分室、甘粕冬馬と申します」

「その気配の残り香、覚えがあるぞ密偵」

「失礼ながら、あなた方の警護を仰せつかっておりました」

「監視、の間違いであろう?」

「いやはや、お恥ずかしい限りです」

 

アテナの言及にも飄々とした態度を崩さないその姿は、護堂にも一流の気風を感じさせる。

口調こそ陽気に思えるが、カンピオーネの知覚から逃れていたというのは驚異の隱行術だ。

 

「一応名乗っておくと、俺は草薙護堂、こっちはアテナ。知ってるんですよね?」

「僭越ながら」

 

正体も、事情も、理解していると。

わざわざ見せつけた事さえあるのだから当然だろう。

 

「私が姿を見せたのは、王の要望にお答えするためです」

「侯爵についての情報を、教えてくれるんですね?」

「はい、お望みの通りに」

 

そして、冬馬は語った。

己が知りうるサーシャ・デヤンスタール・ヴォバンの情報を。

 

虎の瞳と称されるエメラルド色の瞳を持っていること。

外見は学者然とした知的な老人であること。

 

「まぁ、中身の方は肉食獣も斯くやといった感じらしいですが」

 

出身はハンガリーの辺りで、御年300歳にもなる老体だということ。

元は孤児であり、侯爵の地位は昔の貴族から奪い取ったものであること。

ヴォバンという名も、その貴族の飼い犬に由来するということ。

 

「飼い犬の名を自ら名乗るとは、その神殺しは犬に思い入れでもあるのか?」

「あるんでしょうねぇ。彼の君が持つ権能は、狼に関する物が有名ですし」

 

これが最も重要と言える情報、保持する権能についてだ。

長き戦歴から考えて十を超える数を持つのではないかと言われているが、その中で判明しているのは5つ。

 

件の狼に関する権能は“貪る群狼”、“リージョン(Legion)オブ(of)ハングリーウルヴズ(Hungry-wolves)”と呼ばれる。

鼠色の体毛を持つ巨大な狼を無数に召喚する、軍勢型の権能である。

狼というと有名どころは北欧神話のフェンリルなので、元はその辺の神だろうと推測されている。

 

次に凶悪と忌み嫌われる“死せる従僕の檻(Death Ring)”という権能。

殺した人間の魂を縛り従属させ、死人を操る醜悪極まりない効果を持つ。

従僕となった者は自己判断能力に欠けるが、その能力自体は生前と変わらず発揮可能。

 

「なるほど、そいつがアテナの情報を得たのは、この権能で部下に霊視でもさせたって事か」

「ええ、我々もその線が濃いと睨んでいます」

 

先ほども話に出た虎の瞳を齎らす権能、ソドムの瞳(Curse of Sodom)

ケルト神話の魔神バロールから簒奪したとされる権能で、その能力は生命の塩化。

視界にいる生物を塩の柱に変えてしまうという、これまた凶悪な邪眼である。

 

有名どころは以上の三つ。

他にも嵐を操る権能と炎を操る権能も所持しているようだが、詳細は不明との事らしい。

 

「物知りなんですね、甘粕さんって」

「いえいえ、この程度の知識なら簡単に手に入りますよ」

 

謙遜と言うよりは過小評価させるためのブラフ、なのだろうか。

有能だが油断ならない人種に思える。

 

「さて、私が知る侯爵の情報はこれくらいですかね。彼の来歴や行動は、触りだけ知っていれば十分でしょうし」

 

つまり、似たような事ばかり起こしてる迷惑爺さんな訳だ。

呆れた面持ちで侯爵の評価を再認識する護堂。

 

彼が次に行うのは、権能を使う準備だ。

 

「一応候補としては、フェンリルとバロール。死せる従僕の対策に、冥神の類もある程度網羅しておくべきか」

「あとは直接対峙してから、という事で良いな?」

「ああ、じゃあ頼む」

「うむ、任すが良い」

 

ツーカーの仲、と言って分かる者がどれくらいいるのかが疑問だ。

阿吽の呼吸、以心伝心、と言った方が分かりやすいか。

互いに相手の意図を汲み、澱みなく予定を組み上げる。

 

困惑と疑念を浮かべる裕理と冬馬を背景に(おとし)め、主人公とヒロインは互いに向き合う。

 

アテナの幼気(いたいけ)な美貌を、護堂はしっかりと目に焼き付ける。

漫画の様に潤んだという表現は似合わない、芯のある堂々とした瞳と視線を合わす。

 

ゆったりとした動きで腰に手を回すと、アテナもそれに合わせて頬に手を添えてくる。

細く柔らかな体躯だが、見た目に反して力強い生命力を感じさせる。

 

この至近距離まで近づいて、黒曜の瞳に熱が宿っているのを見て取る。

 

「必勝祈願の(まじな)い、そして凱旋の前祝いだ」

「前祝いか、勝った後にもしてくれよ」

「それは貴方の健闘具合による」

「よし、やる気出てきた」

 

軽い口調と裏腹に、両者の情念は勢いを増していく。

そして同時に、距離を縮める。

 

柔らかい感触と共に伝わって来るのは、感情の熱と知識の奔流。

 

教授の術。アテナが護堂に仕掛けた呪い、これがその正体だ。

あらゆる魔術を弾くカンピオーネの特異体質をダシにして、戦闘準備という名目を掲げ愛を育む。

 

「さぁ護堂、我が夫よ。余す事なく受け取るがいい」

 

送られるのは神々の来歴。

まずは明確に名前の出てきた二つの神格。

次は冥界、冥府に関する神々を。送り込み、流し込む。

 

北欧神話、神殺しの魔狼。地を揺らすものという名を持つ巨大な怪物、ロキの長子にしてオーディンを呑み込む。ケルト神話、邪視の巨人。太陽神ルーの祖父にあたる魔神、暗黒龍クロウ・クルワッハを呼び出した者。ギリシア神話、冥神ハデス。主神ゼウスの兄にして、冥府を取り仕切る死者の国の王。北欧神話、女神ヘル。死者の国ヘルヘイムの女王、地獄(Hell)と語源を同じくする。エジプト神話、アヌビス。犬、ジャッカルの姿を持ち、オシリス以前の冥界アアルを支配していたミイラを作る神。

 

他にもアテナが知る限りの情報を、護堂の脳裏に焼き付けていく。

だが護堂は流れ来る情報の奔流を意識の外に追いやり、ただひたすら唇の感触に集中する。

 

「んっ、ふぅ――」

 

嗚呼、この甘美を味わうこと以外に気を取られてはいけない。

護堂の頭は既に、アテナを貪る事しか考えていなかった。

 

「っぁ……んぅっ、ふぁ――」

 

吸い付き、(ついば)み、熱を感じ、送り受け取る。

いつまでそうしていたのか、息も絶え絶えになりようやく隙間が生まれる。

 

「んむ、ぷぁっ」

「はっ、ふぅ、ありがとうアテナ。これで大丈夫そうだ」

 

護堂の脳裏には神々の来歴が刻みつけられている。

それに伴い、護堂の中で黄金が眩く輝いていた。

 

黄金。黄金の剣。

ウルスラグナ第十の化身、黄金の剣を持つ戦士。

 

護堂が数日前その身に収めた、新たなる権能。

 

それがカンピオーネの権能にも効くというのは、自分自身の体で以て知っている。

ウルスラグナの剣に貫かれて、ゼウスの権能は2日間使用不可能となっていた。

黄金の剣で権能を切り裂けば、数日は神格を貶める効果が続くだろう。

 

どの権能に使用するか、この知識で権能を切り裂けるかは、戦闘中に見極めるしかない。

ゼウスの方は相手も嵐を操るらしいから、ぶつかり合ってからでも神速になれるだろう。

 

相手は歴戦の神殺しなのだ。

下手にアテナを前に出せば《鋼》の権能で大打撃を喰らう、なんてことになりかねない。

自分が戦うしかないが、この二つの権能でどこまで渡り合えるか……その辺りはなるようになる。

 

「俺たちが出来る事はやりました。何処か人のいない場所――最悪の場合、周囲数キロが吹き飛んでも人的被害が出ないような場所を用意して下さい」

「……承りました。用意が出来次第、再び参上致しますので、これにて失礼」

 

頭を下げ、甘粕冬馬は退散する。

それを見た裕理も、真っ赤にした顔を伏せて今度こそこの場を後にする。

 

物騒な会話が飛び交っていたが、ここは学校の屋上で、今は昼休みなのだ。

授業時間を知らせるチャイムが鳴り響き、護堂も慌てて教室に戻るのであった。

 

 

 

 

 

無聊(ぶりょう)だ……」

 

一人残された女神さまは、ポツリと呟いて風と共に消え去った。

 

 

 





キスの描写って、どうしていいかわかんねぇ……


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逢魔が時、というには少し日が暮れすぎた頃。

人の見当たらない陸の孤島にて、魔王同士が邂逅した。

 

山奥の、という程に時代は感じさせず、電線などは通っているその地域。

避難勧告を済ませ、住人には退去してもらった。

 

そんな自然が残る場所に、沈みゆく夕焼けに照らされた人影が二つ。

 

一方は黒の外套を身にまとった老人。

知的だが傲慢な印象を受けるその容貌は、王侯貴族のそれと言っていいかもしれない。

 

もう一方は学生服を着こなす少年。

理性的な横顔と裏腹に、その気迫は肉食獣のそれに思える。

 

「小僧、貴様一人か。アテナはどうした?」

「アテナなら此処にはいない」

「ほう……」

 

老人は、ヴォバン侯爵と呼ばれる男は翠玉に輝く瞳を細める。

虎の瞳と称されるそれから、肉眼では見えない塩化の呪詛が放たれる。

 

しかし少年、草薙護堂はカンピオーネだ。

人間には致死の権能だが、護堂には大した効果を及ぼしはしない。

体内に渦巻く呪力の流れが、ヴォバンの干渉を容易く弾いた。

 

「……なるほど、貴様七人目かっ」

「最新の神殺し、草薙護堂だ――お前をアテナに会わせはしない」

 

多用する権能の一つである邪眼を弾かれてなお、闇の中でより一層に輝きを増すソドムの瞳。

口元に浮かぶ感情は、喜悦。

 

「クククッ、クッハハハハハハハハ――――ッ!」

 

狂ったように哄笑を上げる老魔王。

その昂ぶりに呼応するかの如く、頭上で雷鳴がゴロゴロと呻きを上げる。

 

ヴォバン侯爵が持つ嵐を呼ぶ権能、それは意思の昂ぶりに比例して雷雲を集める。

 

「サルバトーレ・ドニの小僧から4年、新たな王が誕生していたか!」

「まだ数ヶ月の新人だよ。後輩への餞別って事で、今回は見逃してくれないか?」

「バカを言うな、新人と言うならば尚の事、私が教育してくれよう――」

 

吹き荒れる風はもはや暴風と呼べる域まで達している。

しかし、未だその猛威を振るう事はない。

 

主たるヴォバンの命令を求め、今か今かと待ち受けているのだ。

 

「なに、私も鬼ではない。王と生ってまだ百度程度しか月日が巡っていないような輩に、力で以て私を討ち倒してみせよ、などという無茶は言わんよ。だが貴様も王の端くれだと言うのなら、それなりの(もの)を見せてもらわねば示しがつかんだろう」

「鬼ではないって、魔王だろうが……」

「貴様とてそうだろう、些細な事だ。そうだな――」

 

言葉を一端そこで止め、懐から取り出したのは年期が入った時計。

現在時刻を確認し、再び宣言を紡ぎ出す。

 

「今から約半日後――日の出までに生きていられたならば、後輩の顔を立てて身を引いてやろう。だが、それまでに息絶えたならば……」

 

次はアテナを標的にする。

ああ、言わなくたって分かってるよ。

 

これは俺が逃げ奴が追う鬼ごっこじゃない。

奴が追い俺が楽しませる座興でしかないんだ。

俺は逃げつつ、適度に立ち向かって退屈させない道化師。

 

俺が逃げに徹したら、躊躇いなく俺ごとこの国を沈める気だろう。

そしてアテナを燻り出す。

 

奴の言動はどこまでも暴君そのものだ。

 

「じゃあ勝利条件(ルール)の確認だ。俺は日の出まで生き延びること、お前は俺を殺してアテナを探すこと」

「ただし権能で太陽を作る、などという行為は認めん。確かに半日生き延びよ」

 

それは思いつかなかった。

俺がそういった権能を持っていないからなのか、奴が博識だからなのか。

 

とりあえず、見かけや言動からは意外なことに、ルールとかには拘わる人物だというのは分かった。

 

「では、始めるとしよう。精々楽しませてくれよ小僧ォオオオオオオオ――――!」

 

轟く大声量は、獣の咆哮。

野犬の遠吠えを思わせるそれは、イメージ通りの狼を呼び出した。

 

貪る群狼(Legion of Hungry-wolves)”――その言葉にぴったりな猛獣たちだ。

昼間に冬馬から聞いたそれは、フェンリルの権能だと言われているそうだが。

 

……違う、アレはフェンリルじゃない!

アテナから教わった知識で、対フェンリル用の剣は直ぐにでも()げる。

だがしかし、その剣ではあの狼を斬れない。カンピオーネ特有の直感とウルスラグナの権能が訴えかけてくる。

 

フェンリルは目や鼻から炎を吹き出し、天にも届く巨大な口を持つ狼。

しかしその怪物も、初めは普通の狼と変わらなかった。

 

予言を受け、成長する事でオーディンをも呑み込む怪物となったのだ。

フェンリルから得た権能ならば、ここまで常識離れした狼は生まれないだろう。

 

そしてフェンリルは、古くは天空神だったテュールの右腕を食い千切り、最高神オーディンを丸呑みした喰らう者。

自分が化身するならばともかく、眷属を生み出すような性質は持たない。

 

アレは別の神、命を生む性質か命を奪う性質を持つ神から得た権能だ。

ただ暴れ、喰らう、フェンリルの権能などではない。

 

「さぁ我が猟犬どもよ、あの小僧の血肉を喰らえ!」

 

マズイ、早くも切り札が切れなくなった。

ゼウスの雷だけで何とかしなければいけない。

 

早くも数十と生み出された軍勢が、我先にと牙を突き立てにやって来た。

 

「王の威光たる稲妻よ! 天へ牙を剥く獣に神罰を下せ!」

 

ヴォバン侯爵の集めた雷雲を支配し、向かい来る狼を一気呵成に焼き払う。

意図して集めたからじゃない所為か、思いの外あっさりと乗っ取ることができた。

 

雷雲を利用したためなのだろう、威力は常のそれとは比べ物にならない。

皮と肉は焼け付き、焦げ付いて炭化しているようだ。

それだけでなく、雷が落ちた地点を中心に地面がひび割れている。

 

仮にとは言え神殺し二人分の権能だ、全力ではなかったのに凄まじい破壊力を発揮した。

 

「雷……貴様が殺めたのは天空神の類か。私の力を利用するとは、小癪な真似を」

「これ見よがしに嵐なんて呼んでくれるから、都合が良かったよ」

 

アテナに習い、不敵な笑みを浮かべる護堂。

女神が護堂に毒されているように、彼もまた彼女の影響を受けているらしい。

 

「なるほど。若いが、貴様も王の一人に違いないらしい。ならば、次はこれだっ」

 

カンピオーネの体質が、暗闇でも見通してくれる。

地面から、手、手、手、手、手、手手手手手手手手手手手手手――――

 

数人、数十人の人間の手が生えてくる。

よく目を凝らすと、正確には地面ではなく地面に広がる影、闇から這い出ているらしい。

 

階段を這い上がる様に出てくる者もいれば、舞台の様に競り上がってくる者もいる。

 

「我が従僕どもには、騎士も魔術師も多い。さぁ、先ほどの様には行かんぞ?」

 

ニタリと嗤う魔王の姿に、もうひとりの魔王は辟易する。

 

今度は上空の支配にも力を入れているらしく、簡単に制御を奪えそうにない。

頼みの綱である黄金の剣も、対象の神が明らかでないため使用は不可能。

 

常ならば隣に侍り、己を支え叱咤し、助けてくれる女神はいない。

これは、彼女を守る戦いだからだ。

 

常ならば――自分で考え、思わず苦笑を浮かべてしまう護堂。

 

自分と彼女が出会い、共に過ごしたのは僅か一ヶ月と少し。

それがもはや日常と化してしまっている。

 

彼女に、アテナに頼るのが当たり前になってしまっている。

人は一人では生きていけない、誰かを頼るのは決して悪いことじゃない。

 

でも、ダメだ。

 

自分は、草薙護堂はカンピオーネなのだ。

こんな体たらくでは、神殺しなんてやっていられない。

 

(気を引き締めろ草薙護堂、お前は戦場にいるんだぞ!)

 

自分で自分に激を飛ばし、変わらず笑っている敵を睨みつける。

護堂の視線を悠々と受け流す、受け止めるデヤンスタール・ヴォバンは、加えて再び狼を召喚する。

 

草薙護堂は戦場にひとり、大群に向かい劣勢に立たされた。

 

 

 

 

 





昨日と今日は頑張った、今日は連投しちゃったし。
明日もこの調子で書けるといいな。


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二巻の巻頭カラーに出てくる魔女っ子の死せる従僕ちゃんが可愛くて辛い。


 

 

 

エメラルドの瞳が見開かれ、影の大群が動き始めた。

 

数十の死霊、数十の餓狼、合わせて百を超える魔王の軍勢が襲い来る。

雷雲の支配権を奪うのは難しいと判断した護堂は、次に己の肉体から放電を始めた。

 

(いなずま)よ。電よ。王の威光たる稲妻よ来たれ!」

 

両腕を中心に放たれる超高圧の電流に、狼たちは成す術なく感電し消えていく。

それでもなお前へと突き進むが、それは無意味な行為ではない。

 

狼がその巨体で雷を受け止めている事により、背後に追い縋る死せる従僕は傷ついていない。

 

右に左にと電流を撒き散らす護堂も、策に嵌まり追い詰められている事は理解している。

だがそれでも、持てる手札からすれば最良の手に違いないのだ。

故に待つ。敗北の瞬間を引き伸ばして、機を伺う。

 

「どれ、次は従僕共も向かわせるぞ」

「っくそぉ……!」

 

夜を駆け回る獣の群れは、回避も逃亡も許してくれない。

迎撃するしか、手がないのだ。

 

地を蹴って右から飛びかかる狼を、右手の雷霆で焼き払う。

そこに出来た意識の隙間を突くように、反対側からも襲い来る。

見えずとも音で感知し、勘を頼りにタイミングを合わせて、後ろ回し蹴りの要領で左足を振り回す。

 

――顔面直撃(ヒット)

 

一瞥すらしていないにも関わらず、大口を開けた横っ面を吹き飛ばしたらしい。

カンピオーネの生態は魔獣に近いと聞くが、野生の勘はバカに出来ない物だ。

 

そう達成感にも似た感慨を味わう暇もなく、宣言通りに甲冑を着た騎士が斬りかかる。

 

刃物で斬りかかられる経験などアテナの大鎌以来だが、なんとなく(・・・・・)どう避ければいいのか分かる。

咄嗟の判断ではあるが、どう動くのが正しいのか体が判別してくれているようだ。

 

右上段から振り下ろす気だ、右足を引いて半身になれ。

次は下から突き上げる気だ、しゃがんで足払いをかけろ。

 

(ホントにデタラメな体だ、この騎士は本当に強い。それが解る(・・)。なのに素人の俺が躱せるなんて、有り得ないだろっ)

「大騎士の剣閃を苦もなく見切っているか、やはりそうでなくてはな」

 

虎の瞳は俺を常に捕捉して逃がさない。

更なる追撃を仕掛けるべく、指揮者のように右手を掲げる。

 

「大騎士よ下がれ、聖騎士たちにて仕掛けろ。魔女共はその援護だ!」

 

狼の軍勢は向かってくるのを辞め、散り散りになって行く。

しかし、消えた訳ではないらしい。付かず離れずの距離を取って、俺を逃がさないための防波堤を築いているのだ。

 

代わりに来たのは上等な戦装束を纏った剣士たち。

さっきまでの騎士とは違い、全身を鎧で覆っている者はいない。

 

恐らくエリカのように、鎧が枷でしかないような連中なのだろう。

つまり、さっきより強い。

 

その証拠に――

 

「っづぁ、この――っ!」

 

奴らの剣が掠り始めた。

集団で襲い来る騎士たちを雷撃で吹き飛ばそうとするのだが、背後に控える十数人の魔女によって妨害されているらしい。

集中して聖句を唱えれば人間の魔術による妨害など撥ね退けるだろうが、絶えず凶刃に晒され続けているこの状況では、そんな暇は望むべくもない。

 

眼前の騎士が横払いで剣を薙ぎ、背後に回った騎士が同じく横薙ぎに斬り付けてくる。

組体操で良くあるブリッジ、或いは某映画風に言うマトリックスの要領で躱し、そのままの勢いで腕力を使って背後の騎士を飛び越える。

 

背中に回ったついでに足払いをかけ転ばせるが、正面にいた騎士が転んだ騎士を隠れ蓑に剣を突いてきた。

慌てて回避行動を取るが、避けきれず左頬に裂傷を負ってしまう。

 

右の二の腕、左手首、右脇腹。

他にもかすり傷はあちこちに作られ、ヒリヒリとした痛みが夜の外気に慰められる。

 

「どうした小僧、それで終わりか? まだ日付が変わってすらいないぞ?」

「……じゃあ、そろそろ次の芸でも見せてやるよ」

 

ヴォバン侯爵の煽りに応え、護堂は権能の次なる使い方を披露する。

ジリジリとにじり寄る騎士たちを尻目に、脱力して深呼吸。

 

続き、三度目になる聖句を唱える。

 

「大いなる天の咆哮は、大いなる神の威光を示さん」

 

全てでなくていい。

ほんのひと握りだけ、雷雲の制御をかすめ取る。

自らの頭上の一角だけを、侯爵の乱雲からゼウスの雷霆に変換するのだ。

 

そして支配権を得たそれを、余さず己に振り下ろす。

そうして得た電力は、護堂の中に眠る神速のモーターを動かすエネルギーになる。

 

雷の速さを得た護堂は、騎士の後ろに(たむろ)する魔女たちを排除にかかる。

それが終われば騎士たちだ。

 

心眼の法。

そう呼ばれる技法で以て神速に反応する猛者もいるにはいたが、感電して筋肉が萎縮した所を叩きのめした。

生前と変わらない能力を持つというその利点が、この場合は欠点として作用した事になる。

 

「……それが、貴様の権能の使い道か」

「ああ、割と役立ってるよ」

「雷の神速とは、どこかで聞いた事のある力だな」

「噂の王子様とは別物なんだけどな」

 

黒王子(ブラックプリンス)のそれがどうかは知らないが、護堂の神速はゼウスの逸話から来ている。

ゼウスは白鳥になって王女の腕に飛び込んだり、牡牛になって姫を連れ去ったり、果ては雨になって部屋に忍び込んだりと、様々な変身の逸話を持つ神だ。

 

その伝承から来る神速故に、雷に化身して質量を失う事はない。

根底にあるのは、あくまで変身能力に過ぎないからだ。

 

「さぁ、第二幕と行こうぜじいさん」

「クククッ、次はどんな芸を披露してくれるのだ若造?」

「そんなの……自分で考えろよ!」

 

神速と化した護堂は、道を遮る狼たちを排除しにかかる。

だが全ての狼を倒す前に、その行動は中断を余儀なくされた。

 

――オオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォンンンンッッッ!!

 

それは、巨大な狼だった。

今まで見てきた狼も通常では考えられない程に巨大だったが、これはもはや目を疑うしかない光景。

 

その狼は、目測で30メートル前後。

眷属たちとは違う銀の体毛が、雷光を受けて妖しく煌めいている。

 

――ォオオオオオオオオオオオオオォォォォォォンンン!

 

『ああ、第二幕と行こうではないか小僧! 小賢しい神速が相手ならば、私自身が出るしかあるまい! 精々足掻けよ!』

 

怪物は、ヴォバンだった。

獣の咆哮と侯爵の声が同時に重なって聞こえる不思議。

 

なるほど、確かに。

この銀狼の姿を見ればフェンリルと誤認しても仕方がないかもしれない。

 

強靭で凶暴な怪獣、神話に描かれるフェンリルそのものではないか。

神話の怪物と被るその人格はどうかと思うが。

 

しかし、また一気に情勢が傾いてしまった。

ゼウスの権能では、あの姿に太刀打ち出来ない。

 

闇に浮かぶ銀灰色の剛毛は、並みの雷撃は寄せ付けまい。

 

決死の覚悟で逃げに徹するしかないか。

護堂が逃亡を検討し始めたその時。

 

 

 

「僕は、僕に斬れぬ物の存在を許さない――」

 

 

 

闇の中から、声が響いた。

 

 

 

「この剣は地上の全てを切り裂く刃――」

 

 

 

朗々と謳う、男の声が。

 

 

 

「すなわち無敵の剣――!」

 

 

 

魔王の戦場に割り込むのは常人には不可能な所業。

で、あるならば。その乱入者もまた、常人ならざる者に違いない。

 

――グォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォンンンンッッッ!!

 

『っおのれぇえええええ、貴様ぁぁぁあああああああ! よくもおめおめと私の前に顔を出せたなぁあああああああああああああ――っ!』

 

怒り狂う侯爵を見て、護堂は確信する。

この金髪の外国人が、何者であるのか。

 

「――アンタ、誰だ?」

 

問いかけ、確信は事実となった。

 

「サルバトーレ・ドニ――」

 

老魔王と新魔王の戦場に、剣の王が降り立った。

 

 

 

 

 

 

 

 



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丁度に書き上がった!



 

 

 

 

 

剣の王、サルバトーレ・ドニ。

四年前に誕生したイタリアのカンピオーネで、エリカ曰く能天気な剣バカの戦闘狂。

 

彼が表舞台に登場し、一躍有名になった事件がある。

それこそがこの、ヴォバン侯爵が怒り狂っている原因となる一件。

 

四年前、侯爵はまつろわぬ神を自ら招来するという暴挙を行った。

人類の守護者たるカンピオーネが脅威たる神を呼び込むなど、許しがたい愚行と言っていい。

だがしかし、それが許されてしまうのだ。カンピオーネという愚者の王には。

 

神殺しの魔王に課せられた使命はただ一つ。

地上に顕現したまつろわぬ神を弑逆すること、唯一それのみ。

その使命を果たす為なら、自己中心的で本末転倒な行動も黙認される。

 

否、黙認しか出来ない。

 

 

   その者は『覇者』である。

   天上の神々を殺戮し、神を神たらしめる至高の力を奪い取るが故に――

 

 

   その者は『王者』である。

   神より簒奪した剣を振りかざし、地上の何人からも支配されえないが故に――

 

 

   その者は『魔王』である。

   地上に生きる全ての人類が、彼に抗うほどの力を所持できないが故に――

 

 

アルベルト・リガロという魔術師の記した、『魔王』という著書の一節だ。

カンピオーネという存在を端的に現したこの文面は、世界的に有名なものとされている。

 

このように、カンピオーネが魔王と称されるのは人類が逆らえないゆえなのである。

 

侯爵はこの暴挙により、叙事詩の主人公をまつろわぬ神として顕現させた。

『ニーベルンゲンの歌』で有名な竜殺しの英雄、ジークフリートを。

 

しかしこのジークフリートが、ヴォバン侯爵と戦う事はなかった。

何故ならば、間に乱入して先に倒してしまった男がいたからだ。

 

その男こそが目の前の男、サルバトーレ・ドニ。

当時まだほとんど知られていなかった、六人目の神殺しである。

 

待ちに待った獲物を横取りされ、下準備を台無しにされた侯爵は当然激怒した。

そこで行われた壮絶な戦いにより、サルバトーレ・ドニは世界に名を馳せたのだ。

 

この話には、一つ余談がある。

侯爵はまつろわぬジークフリートの招来に、数多の生贄を利用したのだ

世界各地から無理やり集めた、巫女や魔女の素質を持つ幼い子供たちを。

 

その中には護堂も知る少女、万里谷裕理もいたのだと、道中に甘粕冬馬から聞きかじった。

 

非道極まりないヴォバン侯爵もそうだが、少女たちが生贄にされるのを指をくわえて見ていたコイツも気に入らない。

今回も突如として乱入してきたドニから距離を取り、半眼で睨みつける護堂。

 

「やぁ、初めまして。あのじいさまと()り合ってる所を見るに、君は七人目なんだね! さっきも言ったけど、僕はサルバトーレ・ドニ。君の一つ先輩だよ」

「ああ、初めまして先輩。俺は最新の七人目、草薙護堂だよ。それで、アンタ一体なにしに来たんだ?」

「いやさ、旅行中に神様が現れたってんで急いでヨーロッパに帰ったら、なんと同士討ちで両方いなくなってガッカリしてたんだ。こりゃ傷心旅行に行くしかないって気になって、なんとなく(・・・・・)この国に来てみたんだよ」

(なんとなく、ねぇ。俺もどう言えばいいか分からない感覚に従う事があるけど、コイツのそれも同じなのか?)

 

護堂が疑問に思った通り、この類稀なる直感力こそがカンピオーネの特徴のひとつ。

感覚で自身にとって良好な未来を手繰り寄せる、獣の本能と言ってもいい。

 

「それで行くあてもなくブラブラしてたら道に迷ってさ、こっちに来たらいい事あるかなって歩いてたら、君たちを見つけたんだ!」

 

まるで運命の赤い糸で結ばれた相手を見つけた、と言わんばかりの喜色が溢れている。

しかしここは魔王の戦場、そしてその手には鈍色の鉄塊。

 

身に着けている衣服が青い布地のアロハシャツというのもあって、非現実的(シュール)と言うしかない絵面だ。

全身から雷光を発している高校生や、二足歩行する巨大な狼がそれを際立てる。

 

「まぁこんな所でせっかく会ったんだ、今度は彼も加えて前の続きでもするかい、じいさま?」

 

ドニは皮肉げな口調で、しかし不釣合いなほど爽やかな笑みを浮かべて言う。

 

――グゥウウウウウウウウウウ

 

『サルバトーレェ、また私の戦に水を差すか……』

 

表面上は静かに、しかしどこか荒々しさを秘めて睨み合う両者。

このままぶつかり合ってくれるのなら、どちらも厄介でしかない護堂としては御の字だが。

 

神殺しの王たる護堂に、そんな漁夫の利が許される筈もなく……

 

「じゃあいっそのこと、このまま乱戦と行こうじゃないか!」

 

サルバトーレは右手で遊ばせていた鉄塊――彼の身の丈の倍以上はある大剣を上段に掲げ、爽やかな笑みに凄みを載せて一息で振り下ろす。

 

轟!

 

と、切っ先と地面の接触に際し、凄まじい地響きと衝撃が巻き起こった。

その爆発は地面を叩き割り、周囲に忍び寄っていた狼を吹き飛ばした。

 

「こんっの、誰彼構わずかよ!」

「言っただろう、乱戦だよ!」

 

雷速で回避した護堂に追い縋り、土煙の中から斬りかかるサルバトーレ。

 

中華大陸の武侠曰く、心眼之法訣(しんがんのほうけつ)

護堂が先ほど戦った聖騎士も会得していたそれは、神速を見切りそれに対処する達人の眼力。

 

人類最高峰と称される剣士たるサルバトーレもまた、当然のようにその技法を修めていた。

右薙ぎ、剣道で言う胴の切り口で振るわれる剣を、護堂は背後に跳躍して回避する。

しかし尚も剣閃は衰えを見せず、間を置かずに右下から斬り上げてみせる。

 

その斬り返しの速度に瞠目し、護堂もこれは斬られると腹を括った。

 

――オオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォンンンッ!

 

『私を怒らせおって! 諸共に潰れろ! 小僧どもぉおおおおおおおっ!』

 

しかし、それは第三の――或いははじめの――魔王により阻止される。

こちらもいつの間にか距離を詰めていたヴォバンの巨大な右腕が、その体躯に見合った剛力で以て振り下ろされた。

 

即座にその場を飛び退いたと思いきや、サルバトーレは毛皮に包まれた右腕を足場に蹴り上がり、狼そのものとなっているヴォバンの首を刎ね飛ばすべく剣を振るう。

護堂もまた上空に飛び上がり、意図せず息が合ったタイミングで獣となった後頭部を蹴り落とす。

 

しかし侯爵も然る者。

獣の本性を剥き出しにして、剣の王が薙ぎ払った刃を己の牙で以て白羽取る。

 

そのまま顎の力だけで噛み砕こうと目論むが、肩に降り立った護堂が接触状態から放電。

ヴォバンとサルバトーレを纏めて葬りに掛かる。

 

――グォオオアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!

 

『グォオオアアアアアアアアアア――ッ!!』

「あははははははははっ――!!」

 

脳天から雷が落ちたヴォバン侯爵は、咆哮と人語が同じ叫びを上げるという状態に陥る。

しかし彼の牙と自身の剣を通じて電流を浴びたはずのサルバトーレは、笑い声を上げる程の余裕を残している。

 

護堂はその事に疑念と不快感を抱くが、彼の権能を思い出して解消される。

 

『鋼の加護』――マン・オブ・スチール(Man of Steel)と名付けられたそれ。

眼前の魔王二人の因縁となった件の事件で、サルバトーレがジークフリートから簒奪した権能。

 

その能力は戦場の不死。

肉体の硬度を鋼に、鋼のそれよりも頑丈にして身を守るジークフリートの再現。

よく見ると胴回りにアルファベットか象形文字にも見えるもの――護堂は後にルーン文字と教わる――が浮かび上がっている。

 

権能同士のぶつかり合いで威力が殺されたのか、全身が金属となって電気が影響を及ぼさなかったのか、どちらにしてもサルバトーレ・ドニに雷撃は効果が薄いと悟る護堂。

 

早くも痺れから立ち直ったヴォバンを含め、再び睨み合いに移行した魔王三者。

仕掛ける隙を伺っていたその場に、更なる乱入者が現れる。

 

「闇夜はいい、妾の存在が清められるのを感じるぞ――」

 

体に起こった変化を感じ、神殺したちは一斉に天を仰ぐ。

 

嵐による黒雲は既になく、星々の輝く澄み渡った夜空が広がっていた。

魔性の月を背後に隠した美女が、銀色の髪を棚引かせている。

 

「欧州に住まう新旧の神殺し達よ、この国での狼藉はこれまでにしてもらうぞ」

 

闇の女神。

月夜の女王。

 

「お前……その姿は――っ」

 

(くら)き黒曜の瞳に悪戯な色を浮かべ、美しき女神が微笑んでいた――

 

 

 



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7 女神の経緯

このペースがいつまで続くかなぁ……



 

護堂と侯爵の戦いが次の段階に移行し、そこにサルバトーレが乱入してきた頃。

アテナは裕理や冬馬と共に、裕理が巫女を務める七雄神社で待機していた。

 

(ふすま)と障子に囲まれた室内で、行儀よく正座などしているアテナ。

日本生まれの日本育ちな人間二人ならまだしも、女神が正座しているという光景に強烈な違和感を抱いて然るべきだ。

 

しかし件の両者は、それを当たり前のように受け止めている。

裕理はしっかり者に見えて何処か抜けている天然少女であるし、常日頃から女神と魔王のイチャつきを見飽きている冬馬は言わずもがなである。つい先日など、白雪のような肌をした女神の太ももに護堂が頭を乗せていた光景を目撃しているので、尚更なのだろう。

 

「あの、アテナ様。不躾ながらお伺い致しますが、草薙さんはいま……?」

 

ただ座して待つしかない裕理は、その場にいながら戦場を把握しているであろう女神に情勢を問い掛けた。

 

「護堂か――ふむ、この様子は苦戦しているようだな」

「そんなっ、やはり侯爵程のお方が相手では……」

 

しかし返ってきたのは、護堂の苦戦という悪い知らせ。

思わず悲鳴にも似た声を上げてしまうが、アテナは見向きもせず平然としている。

 

「巫女の娘よ、お前は護堂を――神殺しを知らぬ。アレに劣勢など関係がないのだよ」

 

戦女神は悠然と、裕理の無知(・・)を指摘する。

 

「アレに理屈など意味を成さない。アレに戦歴など意味を持たない。アレに安寧など、求めるだけ無駄な事だ」

 

神殺しの王などと呼ばれているが、彼の者らは所詮獣に過ぎない。

条理や理屈など踏み躙り、不利不況など鑑みない。

 

「護堂の身を案じるならば、その力になる事を考え行動するがいい」

 

暖かく抱き留めるでもなく、冷たく突き放すでもなく、ただ平坦な口調で述べるアテナ。

女神は戸惑いを浮かべる裕理を、無表情ながらも横目に見守る。

 

(お前もまた、護堂に取り込まれた者なれば、自ずと動くようになるだろう。アレはそういう手合い故な)

 

サルデーニャでエリカが思ったのと似通った事を、彼女より以前に取り込まれた女神は思う。

それに続いて感じ取った魔術の予兆に、苦笑にも思える笑みを唇に浮かべた。

 

発動の基点は、障子の外に広がる神社の境内(けいだい)

 

「っこれは!」

「裕理さん、下がってください!」

 

同じく魔術の発動を感知した裕理は身を竦ませ、冬馬は目付きを険しくして前に出る。

しかし、のんびりと茶を啜るアテナは見向きもしない。

 

彼女には分かっているからだ。

それが誰によるものなのかを。

どのような意図によるものなのかを。

 

「随分と早く顔を合わせる事になったな、娘よ」

 

背を向けながらも見えているかのように声をかける。

いや、見えているのだろう。たとえそうでなかったとしても、この態度は変わらなかったに違いない。

 

正座する女神の背に向かい、声を上げるは西洋の乙女。

 

「早々の再会、心より喜ばしく思います。アテナ様――」

 

金糸の如き頭髪を振りまき、『紅き悪魔(ディアヴォロ・ロッソ)』エリカ・ブランデッリが膝を着いた。

それに未だ背を向けたまま、半身だけ振り返り問い質すアテナ。

 

「して、此度の来訪は如何なる故あっての事か?」

実家(・・)の不祥事を晒すようで後ろめたくはありますが、《赤銅黒十字》は我が祖国に君臨せし王、サルバトーレ卿の所在を見失いました」

 

身内の(・・・)ではなく実家の(・・・)(のたま)ったその意味、もはや確認するまでもない。

いざとなれば護堂に着く、そういうエリカなりの意思表示なのだろう。

 

だがアテナとしてはエリカの身の振り方よりも、もうひとつの情報にこそ興味を示した。

 

「イタリアの神殺しが、消えた?」

「はい。彼の君は同胞たる王か怨敵たる神々にしか興味を示されぬお方。この情勢で行方を晦ましたとあれば、向かう先はこの国しかないと推察し、参上した次第であります」

 

暫しの沈黙。

だが女神の小さな体から静かに、ユラユラと立ち昇る神の呪力が言葉よりも行動を物語っている。

 

恐らく、戦場に向けているその知覚をより鋭敏にしているのだろう。

鮮明に、明確に、詳細に現状を把握するべく。

 

数秒後、こくりと一つ頷いた。

 

「ああ、今まさに護堂と剣を交えているらしい。神殺しが三者も同時に(あい)対するとは、稀有なことよ」

「三者? もう一人いらっしゃるのですか?」

「うむ、デヤンスタール・ヴォバンとやらが、妾を目指してこの国へな」

「……なんというか、流石ですわね」

 

険しい表情をするより先に呆れを顔に出すエリカ。

それは敵手と戦場を嗅ぎ付けるサルバトーレの嗅覚にか、それとも厄介事と騒動を呼び込む護堂のトラブル体質にか。

 

しかし、そんな未曾有の事態をも好都合と、自らの考えに利用する紅き悪魔(エリカ)

 

「そういう事でしたら、わざわざ出張ってきた甲斐がありました」

 

イタリアの騎士は不敵な笑みを浮かべ、眼前に(ましま)す神へ秘蔵の品を奉納する。

厳重に封じられていたそれを解除すると、アテナは(たちま)ちエリカの方へ振り返る。

 

「娘っ、その神具は――!」

「重鎮の方々に誠心誠意お願い(・・・)して、着の身着のままこれだけお借り(・・・)して参りました」

 

察するに、サルバトーレ居ぬ間に別の護堂(まおう)の威光を笠に着て、スピード勝負で強請(ゆす)り取って来たのだろう。

そして子飼いの術者に己を転送させて、遠く日本まで逃げ(おお)せたと。

 

そうまでして手に入れた宝物、丁重に美装された木箱の蓋を開ける。

中から現れたのは、古い金属製のメダリオン。

 

その神具の名は――ゴルゴネイオン。

 

響きからも読み取れるように、ゴルゴン。

蛇の女怪メドゥーサの尊顔が描かれている。

 

アテナの探し求めていた、彼女の神格を構成する大きな要素。

それが、イタリアの結社よりエリカの持ち出した品の正体であった。

 

「ふふっ。その賢しさ、(わずら)う事無く褒めてつかわす。よくぞ我がもとに蛇を持参した!」

 

もはや隠しきれない喜びを表情に出し、女神は騎士のそばに寄る。

エリカの掲げた両手にあるそれを、懐古の微笑みで手に取るアテナ。

 

遂に、遂に!

ゴルゴネイオン(へび)パラス・アテナ(めがみ)が交わりあった。

 

「我が名はアテナ、かつては命育む地の太母なり。闇を束ねし冥府の主なり。天の叡智を知る女王なり。ここに誓うっ! アテナは再び古きアテナとならん!」

 

吹き(すさ)ぶ風は、死に満ちた冥界の息吹。

放たれる輝きは、ともすれば生命を凍てつかせる大地の邪光。

 

本来の神威を顕せば周囲を死の国に変えるそれを、女神は意思だけで御してみせる。

結果、神の力はこの場の三人に影響を及ぼさなかった。

 

収まり、立っていたのは銀白の美女。

髪は伸び背丈が成長し、可憐な少女から端麗な乙女へと変貌していた。

 

「改めて、名を聞いておこう」

「《赤銅黒十字》が大騎士、エリカ・ブランデッリで御座います」

「ではエリカよ、この者らと此処で待つがいい。思惑通り、護堂の救援へ向かってやろう」

「思惑などと、とんでもない。私はただ、アテナ様の手助けをしに参っただけですので」

 

にやっ、そう擬音が付きそうな笑みを浮かべ、顔を見合わせるアテナとエリカ。

 

女神でも騎士でも、女は怖い。

影に徹しながらも遠い目でそう悟る男がいた。

 

それからアテナは冬馬と裕理を一瞥し、体調を確かめてから天へ飛び立つ。

向かう先は確かめるまでもなく、草薙護堂がいる戦場へ。

 

 

 

 



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よっしゃ、今日も書けたぞ。



 

 

四肢の末端に至るまで力が行き届き、体のコンディションが万全に近付く。

まつろわぬ神と対峙した時の感覚を感じ取り、三人のカンピオーネは空を見上げた。

 

頭頂に青い花冠を乗せ、純白の絹を合わせた衣装を纏っている。

各所に散りばめられた黄金の飾りも、彼女の美しさを際立たせる脇役でしかない。

 

そこにいたのは銀髪を風に揺らす美女、闇を司る知恵の戦女神アテナであった。

 

「妾はアテナ、まつろわぬ女王である。神殺しよ、()く我が視界より去れ」

 

清涼な夜風に揺られながら、女神は高みより一言する。

 

――グルゥウウウウウウウウウウウウウ

 

『アテナだと? 今更出てきていったい何のつもりだ?』

「へぇ! じいさまに護堂、次はアテナか! この国は面白いねぇ……」

 

言葉を投げられた二人は疑いと感嘆を表すが、それよりも大きな反応を示したのは護堂である。

両者から神速で距離をとり、上空から俯瞰するアテナに声を上げる。

 

「なんで出てきた、待ってるように言っただろう! っていうかその姿はなんだ!?」

「護堂、あまり声を荒げるな。この姿は貴方の騎士が《蛇》を進呈してきたお陰だ。此処へ来たのは、その褒美として願いを叶えてやるために他ならぬ」

 

アテナの言う《蛇》、つまりゴルゴネイオンを渡して来たという者。

その行為にも疑問が沸くが、それよりも先に。

 

「俺の、騎士――?」

 

いったい誰の事を言っているのか分からず、眉を寄せ首を傾げる護堂。

その脳裏に、とある少女の顔がふと過ぎった。

 

   『私は《赤銅黒十字》の大騎士よ』

 

大騎士と、そう名乗った彼女。

あの少女は、確か別れ際にこんな事を言っていなかっただろうか。

 

   『また会いましょう護堂。その時は、私たちがもっと近しい関係になっている事を祈るわ。魔王陛下♪』

 

……思い出して頬が引きつっていくのを感じる。

護堂はもはや確信に近いものを感じつつ、控えめに妻へ問い掛ける。

 

「あー……その騎士って、この間の、アイツ?」

 

一応すぐそばに彼女が所属するイタリアのカンピオーネがいるので、変に疑われても(まず)かろうと抽象的な表現になってしまったが、アテナはしっかりと何が言いたいのかを汲み取ってくれたらしい。

 

「うむ、初対面で刃を突き付けてきたアレだ」

「そんな事もあったなぁ……何してんのアイツ!?」

 

人間の魔術師が、それもイタリア在住でカンピオーネの配下でもあるはずの彼女が、よりにもよってまつろわぬ神の手助けをするというとんでもない事態に、護堂は人目も(はばか)らず実際に頭を抱える。

アテナがいるので不意打たれる事はないという、無意識の信頼もあっての行動だろう。

 

「もしも実家に戻れなくなったら、貴方の庇護下に入れてやるが良い。大きな働きをしてくれたのでな」

(おーい、何考えてるんだエリカの奴……)

 

護堂はそのまま熟考しそうになったが、除け者になっていた二人の挙動を察知して視線を向ける。

既に思考は、戦闘態勢に入っていた。

 

「あっちの二人も待ち侘びてるようだし、先にケリをつけるか……」

「うむ、妾も存分に力を振るいたいところだ」

 

ゆるりと降下し、護堂の隣に降り立つアテナ。

親しげに会話し並び立つ神と魔王に、もう二人の神殺しが胡乱な目を向ける。

 

――オオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォンンンンッッッ!!

 

『小僧貴様、やはりアテナと通じていたか! 王ともあろう者が篭絡されるとは情けない、アテナ諸共この場で引導を渡してくれよう!』

「短慮な事だな神殺し、彼我(ひが)の戦力差さえ読み取れぬとは」

 

女神は端正な美顔に嘲笑すら浮かべ、宿敵たる神殺しを誹る。

それに、と続け。

 

「篭絡されたのが、彼の側とは限るまい?」

 

するりと伸ばした手を隣にいる護堂の首に絡め、そのままの流れで口付ける。

それは、昼間の再現。即ち――

 

ケルト神話の神王ヌアダ、幸運をもたらす者を意味するダーナ神族の王。サルバトーレ・ドニに『斬り裂く銀の腕』『シルバーアーム・ザ・リッパー(Silver-arm the Ripper)』の権能を齎した神。北欧神話の英雄ジークフリート。不死身の権能『鋼の加護(Man of Steel)』は、彼が悪竜ファフニールの血を浴びた肉体の再現。

 

神々の来歴を齎らす情報伝達。

『教授』や『啓示』と呼ばれるその術で、黄金の剣を研ぎ澄ましていく。

 

サルバトーレ・ドニへ対抗するために。

 

そして――

 

「これが、あの巫女が齎した彼奴(あやつ)の権能の源だ」

 

道中に送られてきた思念の内容、ヴォバン侯爵を象徴する二つの権能に関する神の来歴を、女神の知識が及ぶ範囲で吹き込む。

 

エリカの行動に触発されて、霊視を授かれるように祈ったのだろう。

万里谷裕理は世界屈指の霊視能力者、その行動はこうして実を結んだ。

 

四柱の神を刻み込んだ護堂は、アテナの肩を持ち優しく引き離す。

今は戦時、そして人前。草薙護堂の性格からして、甘い情事に耽るには状況が悪かったようだ。

 

口元を引き結んだ護堂は、二人の敵を見据え宣う。

 

「さぁ、そろそろお引取り願うぜ。そんでもって、暫くこの国には近寄るな」

「連れない事を言わないでよ。もっともっと楽しもうじゃないか、僕は君が気に入ってきた所なんだ」

「俺はアンタが嫌いだよ、サルバトーレ・ドニ」

 

残念だけどフラれちゃったと、少しも残念そうに見えない笑顔で首を竦める。

カチンと来る態度だが、まずはあの無敵の鎧を剥がさないとどうしようもない。

 

そう判断した護堂は、最初の標的をサルバトーレに、彼の鋼の権能に定める。

狙いを付けられた事を悟った本人も、それを望むかのように笑みを深くする。

 

「我は言霊の技を以て、世に義を顕す。これらの呪言は強力にして雄弁なり。勝利を呼ぶ智慧の剣なり」

 

そして此処に護堂がウルスラグナより簒奪した黄金の剣が、後に『黄金の眩き軍神(Shining Warlord)』と名付けられる神殺しの剣が抜き放たれた。

 

――オオオオオオオオオオオオオオォォォォォンンンッ!

 

『新たなる権能、神格を貶める言霊の剣か! 小癪な物を隠し持ちおって!』

「わぉ、君も剣を使うんだね! じゃあ僕も気合を入れようかな!」

 

手を抜かれていたと感じたのだろうか、文字通り大声で吠えるヴォバン。

それと裏腹に笑顔を子供のように無邪気な物へ変え、剣を持つ右手をダラリと下げる。

 

ただ立っているだけのその姿を見て、護堂の背筋に怖気(おぞけ)が走った――

 

「ここに誓おう。僕は、僕に斬れぬ物の存在を許さない!」

 

それは、この戦場で二度目の聖句。

剣の王もまた、その魔剣を新生しようとしているのだ。

黄金の剣を抜いた護堂に、剣士として対峙しようとしているのだ。

 

「この剣は地上の全てを斬り裂き、断ち切る無敵の刃だと!」

 

右腕から溢れ流動する銀色が、侯爵の牙によって刃こぼれしていた剣を修復していく、

いや、それどころか更に剣身の全体を覆い、より威圧感を感じさせる巨体へと変えていく。

 

全てを断ち切る魔剣の権能は、剣そのものを強化する事も出来るのだ。

 

その光景を目にしても、護堂は斬る対象であるジークフリートの事しか考えていなかった。

何故なら彼は知っている、信じているのだ。

 

ウルスラグナより受け継いだこの黄金は、出来合いの魔剣などには負けないと。

 

「では、妾も露払いに勤しむとしよう。来るがいい獣の神殺しよ、元々の狙いは妾だったのであろう?」

 

主役はあくまで護堂であり、己は脇役に過ぎぬと断じる。

主人公の敵手という主役の座を、サルバトーレに奪われた侯爵もそれに乗る。

 

――オオオオオオオオオオオオオオォォォォォンンンッ!

 

『良かろう! 貴様を我が手に掛け、その権能であの小僧を葬ってくれる!』

「それでこそ神殺し、諸人に魔王などと唱われる逆縁の徒なり!」

 

アテナが召喚した大蛇と狼の巨体で取っ組み合うヴォバンを尻目に、剣を下げた二人の魔王は互いに向き合う。

 

共に右手には権能の刃。

方や無敵の魔剣、方や神殺しの聖剣。

 

燻し銀と黄金が、剣の王とまつろわぬ王が、西洋と東洋の魔王が激突した――

 

 

 



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独自解釈が多いです、ご容赦下さい。
というか、書いてる途中で寝てしまったので、最初書きたかった事が分からなくなってしまいました。



 

 

 

ガキンッ!

 

魔王の刃はぶつかり合い、共に傷付くことなく鍔迫り合う。

サルバトーレの魔剣を受けても、護堂の握り締める黄金の剣は壊れない。

 

互いに互いを押し返して距離をとり、一足飛びに再び激突。

同じ対処をして弾き合うが、今度はそのままの距離で切り結ぶ。

 

左横薙ぎには切っ先を地面へ向け縦にして受け、弾くと刃を返して上段から斬り下ろす。

 

「へぇ、そっか――護堂、君は僕の剣を受けられるんだね! 僕の思いを受け止めてくれるんだねっ!」

 

殆ど片手で刃渡り3メートルはありそうな大剣を振り回すサルバトーレ。

必死に受けては暇を見つけ斬りかかり、何とか主導権を渡さないように立ち回る護堂。

 

しかし、不思議に思わないだろうか。

 

草薙護堂という少年は、カンピオーネとなってまだ相当に日が浅い。

それ以前は一般家庭の生まれであるため、武術・武道の経験などない。

 

だというのに――

 

「あはははははははは! 愉しいねぇ護堂! そうだもっと、もっとこの熱い夜を過ごそうじゃないか!」

「気色の悪いこと言ってんじゃねぇ!」

 

こうして護堂は、剣の王などと呼ばれる世界最高峰の剣士と切り結べている(・・・・・・・)

 

その理由はカンピオーネが持つ特有の超直感。

そして、今も彼が振るっている黄金の剣に由来する。

 

極々当然の、至極あたりまえの事を言うが、剣は斬るための道具だ。

かつてのウルスラグナのように飛び道具としての使い道もあるが、その本質は神格を斬り裂く(・・・・)ための物である事は、もはや説明するまでもないだろう。

 

剣は斬るもの。言霊の剣とて、それは変わらない。

 

故に黄金の剣は護堂に与えるのだ。

数多の神々を敗北せしめた、まつろわす軍神の経験を。

 

これを本人は、直感が冴え渡っているからだと考えているが、それは間違いである。

 

見れば、護堂の動きは素人丸出しだ。

しかし、その随所に達人ならではの理屈が垣間見える。

 

自分がどう動けばいいかは分からない。

しかし、相手がどう動いて来るかは予測が出来る。

ならば、そこから自分の理想の動きを導き出せばいいのだ。

 

そうすれば結果として、玄人にしか分からない技巧の冴えが生まれるのだ。

ひと太刀浴びれば絶命必至という極限の緊張感の中で、だからこそカンピオーネにはそれが出来る。

 

「ハハッ、実はカンピオーネになってから、まともに剣を交える機会って少ないんだよ。ほら、神様って権能を使って悪さをするだろ? 剣で戦ってくる《鋼》には、中々出会えなくてさぁ」

 

太陽神なら灼熱を、冥府神なら死の風を、神の権能というのは往々にして大規模破壊にこそ向いている。

 

カンピオーネが簒奪した権能ならば個人戦に向くものもあるだろうが、それでも剣士というのはいなかった。

自身の持つ魔剣の権能もあって、剣での斬り合いという行為に飢えていたのだ。

 

「でも、まだ(・・)だ。ついついはしゃいでしまったけど、まだ足りない。君はまだ、僕を傷つけられていない」

 

そう。

サルバトーレが護堂の剣を防いでいたのは、剣士の斬り合いという行為に(ふけ)っていたから。

本来ならば、肌に触れても肉を斬り裂くことはできなかったのだ。

 

「次だ。今度は本当に、斬って斬って斬り殺し合おう」

 

そして、彼はその制約を捨て去った。

ここから先は、剣士ではなく魔王の立ち会い。

 

サルバトーレ・ドニはルーンを浮かべ、無敵の鎧を展開した。

 

「さぁ、護堂。君に僕が斬れる(・・・)かい?」

 

日頃から浮かべる柔らかな微笑み。

それはこの場において、どのような物より異常だった。

 

常在戦場の心得。

よく言うそれだが、サルバトーレ・ドニは常軌を逸している。

 

彼にとって戦闘は、会話や食事と変わらない。

彼にとって戦場は、自宅のリビングと変わらない。

 

彼にとっての日常は、神々との舞闘と同じ意味を持つものなのだ。

 

その微笑み、その姿。

思わず背筋に怖気が走るが、どこに行けばいいのか分かっていない迷子の様にも思える護堂。

 

勝ちたい、と思った。

負けさせたい、とも思った。

 

護堂は目を閉じ、瞼の裏に映る神の姿に思いを馳せた。

 

「アンタのその無敵の鎧、『鋼の加護(Man of Steel)』はジークフリートから奪った権能だ」

 

そして語る。

 

「竜殺しの英雄として有名なジークフリートだが、その叙事詩に近似した物語が北欧神話にも残っている」

 

そして暴く。

 

「『古エッダ』や『ヴォルスング・サガ』にも記述がある、シグルズという英雄だ」

 

そして明らかにする。

 

「シグルズ、或いはシグルド。彼はジークフリートと同じように竜を殺し、その血の恩恵を受けた男だが、辿った道筋は少し違う」

 

神の来歴を、その神話(ものがたり)(つまび)らかにする事で、神格を既知のモノとして貶める知恵の剣。

軍神ウルスラグナの真骨頂とも言える権能である。

 

「『ニーベルンゲンの歌』と『北欧神話』。悪竜ファフニールと竜の小人ファーヴニル。王のグンターとグンナル。女王ブリュンヒルトとワルキューレのブリュンヒルド。そしてジークフリートの妻、王妹クリームヒルトと、シグルズを貶めた王妃グリームヒルド。類似点の多い登場人物達の中で、二人の女性たちの立ち位置だけが大きく変化している」

「さっきじいさまが言ってたね、言霊の剣って。知識と言葉で剣を研ぐ、。それがその剣の本領って訳だ……」

 

護堂の行動を他人事のように眺めながらも、決して隙を見せようとしない。

その勝利へかける執念とも言える言動もまた、カンピオーネの特徴だ。

 

「ジークフリートはクリームヒルトと結ばれる為にブリュンヒルトを罠に掛け結婚させるが、なんとシグルズの方はブリュンヒルドと恋に落ちている。その恋路を阻む王妃の名こそがグリームヒルド、そして奸計に嵌ったシグルズはグズルーンという王女と結婚してしまう。夫を殺されてからの復讐対象とその動機に差異はあれど、クリームヒルトとグズルーンはとても似通った女性として描かれている」

 

神の来歴を述べる護堂だが、実はその内容に大きな意味はない。

知恵の剣が言霊によって力を発揮するのは、言葉にすることそれ自体が意味を持つからだ。

 

「これは『ニーベルンゲンの歌』に登場するクリームヒルトがグズルーンをモデルに形作られたから。そしてグズルーンという姫はクリームヒルトという役柄に取って変わられ、グリームヒルドは主人公を害する悪役から物語のヒロインに成り代わった。これはアテナがゼウスの娘とされたように、物語が塗り替えられたからだ!」

 

呪文、詠唱、聖句。

魔術や権能を使う際に唱えるそれと同じように、言葉に込められた意思こそが重要なのである。

 

「ジークフリートは竜の血を浴びる事で鋼の肉体を手に入れる。刀剣の鍛錬において炉で赤熱化した金属を鎚で整え、水をかけて冷やし強固にするように、これは剣の製法を暗示する逸話だ。それからのジークフリートは王グンターの願いにより行動する。まるで、剣が使い手に振るわれるように」

 

己が持つ知識を口にする事で意識を統一し、剣が必殺であると思い込む(・・・・)こと。

相手の意識に働きかけ剣が有効であると意識させること、頭の片隅にでも認識させる鍵とすることが、黄金の剣を研ぐ言霊の真意。

 

「しかしこの暗喩は、シグルズの方には見られない。彼が竜の血から手に入れたのは、鳥と会話する能力。同一の起源を持つ英雄でありながらこの差異が出来たのは、『ニーベルンゲンの歌』が叙事詩だから。ジークフリートが持つ不死身の身体は、後世の作家が付け加えた要素に過ぎない。ジークフリートは既存の英雄譚に要素を加え、物語性を色濃くした複合英雄なんだ!」

 

己の存在定義を確固たる物とする事が、神や魔王の強さの秘訣。

それに僅かでも揺らぎを与えることこそ、言霊の剣たる所以なのである。

 

 

 

 



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10

よし、寝るとしよう。


 

 

知識を纏め言霊を述べ、真に完成したウルスラグナの権能。

闇夜に映える金色の聖剣は、至近で見れば太陽とすら思える程の輝きを放つようになる。

 

「待たせたなサルバトーレ・ドニ、これが俺の剣だ――」

「ああ、解かるよ護堂。僕の奥で熱が疼いている、全身がピリピリと訴えてくる。それは僕を貫ける物だと!」

 

護堂は厳かに、誇るように黄金の剣を掲げる。

そんな護堂に向かって、恋人の抱擁(ほうよう)を待ち受けるように両腕を広げるサルバトーレ。

 

その仕草と発言に対し、護堂は渋い顔をする。

 

(いちいち言い方が紛らわしいんだよお前っ!)

「ははっ、そんな顔をしないでくれよ。本当に君は連れないなぁ。でも――」

 

サルバトーレは再び両腕をダラリと下げ、自然体で構える。

 

「だからこそ、燃えてきた。君を振り向かせてみせるよ、護堂!」

 

燃えてきた、という言葉の通り。

彼の闘気に誘発された魔王の呪力が、ユラユラと炎のように立ち昇る。

 

日本のとある剣術流派で言う無行の位、構えない構えであるそれから唐突に剣を振るう。

その場を一歩も動いていないというのに、切っ先は護堂の胸元を掠めた。

 

咄嗟に下がっていなかったら、サルバトーレに両断されていただろう。

 

「わぉ、不意打ったのに良く躱したね!」

 

理由は、サルバトーレの握る魔剣。

それがいつの間にか刃渡り八メートル程に成長している。

 

先ほど修復・強化した時と同じように、斬撃の瞬間に一気に巨大化させたのだ。

 

「反則だろそれっ! なんでそんな鉄の塊を振り回せるんだ!?」

「この剣は僕の右腕と同じ物、つまりこの剣は僕の身体と同じなのさ。自分の身体を自由に動かせるのは当然だろう?」

 

納得できるとは言い難いが、分からないとも断言できない理屈。

 

サルバトーレ・ドニは厄介なバカである。

そう認識を改めた護堂は、剣を握り締め気合を入れ直した。

 

剣を両手で握り締め斬りかかる。

黄金の剣は再び魔剣に受け止められるが、以前とはその意味が違う。

 

前回は剣士としての立ち会いという、ある種の戯れによるものだった。

しかし今回は、護堂の攻撃を脅威と認識しているがゆえ。

 

さっきの言葉通り、己の守りを貫けると直感しているから。

 

斬り付け、受け流し。斬り返し、受け止め。

やはり仮にも最高峰の剣士、護堂の動きも殆ど読まれてしまっている。

 

護堂自身の素人然とした動きと、ウルスラグナの権能による玄人地味た動き。

それらが混じり合い、剣を学ぶ者は逆にやりにくいと感じるだろうそれ。

しかしサルバトーレには、そんな常識など通用しないのだ。

 

斬りかかって駄目ならウルスラグナがやっていたように光球を飛ばせばいい。

護堂とてそう考えなかった訳ではないが、この相手にそれは悪手だ。

 

下手に飛び道具に頼ったりすると、主導権を握られ一気にバッサリとやられかねない。

ならば手札を晒すような真似は避け、このままの戦いを続けるべきだと判断する。

 

そして遂に。

 

何合、何十合と、斬り合った末、黄金はようやくサルバトーレの肌に触れた。

鎧を抜け、肌に触れて、肉を裂き、血を流させた。

 

「……あはっ」

 

ゾクリ――肌が(あわ)立つ。

 

護堂は隠していた手札を切り、聖剣を光球として分散。

それを直剣として並べ立て、即席の防壁とする。

 

「僕の剣は、地上に遍く全てを断ち切る」

 

しかし、対峙するのは剣の王。

その聖句の通り、十数の剣による盾は両断される。

 

それぞれが相当な神力の塊だというのに、その凶刃は当然のように護堂まで届いた。

 

左肩から右脇腹にかけて、致命傷には遠いものの決して浅くない傷を負う護堂。

しかし、額に脂汗を浮かべながらも、口元には笑みがある。

 

(アテナの時と言い、ウルスラグナの時と言い……)

 

それは自嘲の笑みであり――

 

「まったく、俺ってこんなのばっかりだよな……」

 

勝利を確信した笑みだった。

 

「我は最強にして、全ての敵と敵意を挫く者なり!」

 

サルバトーレに叩き切られた剣軍が、光球に戻り再び形を成す。

至近距離に十重二十重(とえはたえ)と展開されたそれら全てに対処するのは、如何な剣の王とて至難であったらしい。

 

直撃までの刹那の間に半数近くを斬り伏せた事は驚嘆に値するが、さりとて半数以上が串刺しになった事実に変わりはない。

 

ジークフリートの不死身の権能は封じられ、胴体に無数の裂傷が出来たサルバトーレ。

その顔に浮かぶのは、常と変わらない能天気な笑みであった。

 

「あぁ、護堂。成り立てだっていうのにまだこんな奥の手を残していたのか。君は本当に、面白いねぇ――」

 

彼はそう言い残し、仰向けに横たわる。

 

どうやら気絶したようだ。

見るからに重傷だが、カンピオーネならそう簡単には死ぬまい。

 

護堂の方も魔王とは言え人を殺す気にはならないし、そのまま放置することにした。

 

一息ついた護堂は満天の星空を仰ぐ。

都心の近くでは人工の光で見え辛いが、人里離れたこの場所ではよく見える。

 

空を近くに感じるここでは、天の星を掴めそうな錯覚に陥ってしまいそうだ。

 

しかしそんな絶景は、二つの影に遮られる。

そこにはあまりにファンタジーな、銀狼と大蛇の喰らい合いという光景があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「我が牙達よ、忌まわしき野獣を締め上げろ」

 

メドゥーサの神格を確固たるものとし、乙女へと成長したアテナが命ずる。

対するデヤンスタール・ヴォバンは先と変わらぬ、フェンリルを思わせる狼の顕身のままだ。

 

他に使える権能がない訳ではない。

しかしこれでいいと、侯爵は理解しているのだ。

 

この権能がアテナには有効だということを。

 

――グォオオオオオオオオオオオオンンンッ!

 

『諦めろアテナ! 我が爪と牙に貴様の蛇が敵うものか!』

 

地面から巨大な蛇――むしろ東洋の龍と言う方がしっくりくる――の頭が無数に伸びて、狼姿のヴォバン侯爵に殺到する。

それはギリシア神話に記される多頭竜(ヒュドラ)、日本風に言えば八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を思わせる。

 

その神話の怪物に似通った蛇も、ヴォバンの爪に裂かれ容易く倒れていった。

 

狼と蛇。

確かに四足で爪を持つ狼の方が、自然界では有利と言えるだろう。

だが、神話や伝承において両者は夜と死に関連する者同士であり、ここまで一方的な優位性を持ちはしない。

 

故に、そこにはカラクリがある。

 

「アンタがアテナの蛇を圧倒できるのは、その狼の元となった神が蛇を殺した伝承を持つからだ」

 

その点を突くのが、知恵の剣たるウルスラグナの権能。

 

ヴォバンの獣頭が頭上を振り向く。

天から夜空のそれと並ぶ流星が、言霊により生まれた光球が降り注いだ。

 

――オオオオオオオオオオオオォンンンッ!

 

『おのれ小僧! 我が権能の正体を暴くかっ!?』

 

その光球がどのような効果を持つか見抜いたヴォバン侯爵。

地を蹴って飛び退こうとするが、足に絡みついた蛇がそれを邪魔する。

 

息の合ったコンビネーションにより生まれた一瞬の遅れだが、そのひと時が致命的な隙となった。

 

「その神の名はアポロン。ギリシア神話に登場する太陽神だが、彼は闇に蠢く鼠(スミンテウス)地を駆ける狼(リュカイオス)という呼び名も持つ。鼠であり狼、光でありながら夜の属性を持つ神、闇に閉ざされた地下で生まれた太陽神! このアポロンこそ、アンタが最初に殺した神の名だ!」

 

――グォアアアアアアアアアアアアアアアアンンンッッッ!!

 

降り注ぐ光の流星は黄金の剣となり、30メートルを超すその巨体を滅多刺しにする。

たまらず絶叫するヴォバンは尚も諦めず、四肢に絡む蛇を振りほどいて逃走した。

 

そしてそれを追って、黄金の光球も尾を引いて地上を滑空していく。

 

「鼠と狼は闇と大地の獣。それらを象徴とするアポロンは、元々は大地に属する神だった。しかし生と死の連環を表す蛇、アテナをはじめとする多くの地母神も掲げるそれが、アポロンには肉親の類ではなく敵として登場する。アポロンが信託の聖地デルポイを神々より奪った時、番人の役割を果たしていた大蛇ピュトンがそれだ! 彼は同胞たる大地の神霊――闇を示す蛇を殺める事で闇を祓う光、太陽を属性として得た神なんだ!」

 

地を撒き散らしながらも右に左に跳躍し、後を追う黄金の剣から逃れようとする銀狼。

しかし背後ばかり気にしているから、側面から襲い来る猛威に気づけない。

 

否、気づいていても対処出来ない。

 

「妾は大地を言祝ぐ女神なり。我が化身メドゥーサよ、怨敵の足を戒めよ!」

 

ヴォバンの神速ならざる俊足では、石化を齎らす光速の呪詛は躱せない。

両腕(まえあし)石塊(いしくれ)となって体勢を崩した侯爵は、後方より迫る剣軍を余す所なく受け止める。

 

権能を封じられ人型に戻ったヴォバンは、ゴルゴンの(まなこ)と更なる剣撃により砂塵と化した。

 

近寄って顔を合わせた護堂とアテナを、遂に昇った朝日が照らす。

魔王三人の激突による、長い夜が終わりを告げた。

 

 

 





思ったより長くなりましたが、二巻相当の戦闘はこれで終了です。
日常回としてひとつふたつ挟んでから、「はじまりの物語」へ移行したいと思います。


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11

賢人議会の調査報告書、こんな感じでいいんですかね?




 

 

最古参の魔王、サーシャ・デヤンスタール・ヴォバン。

人類最高峰の剣の王、サルバトーレ・ドニ。

そして今回の件で世界中に勇名を轟かせた最新の魔王、草薙護堂。

 

極東の島国で新旧合わせて三者のカンピオーネが激突した大事件。

サルバトーレの転生から四年しか経過していないにも関わらず、新たな魔王が地上に誕生していた。どころか、その最新の魔王はヴォバン侯爵とサルバトーレ卿を退けたという快挙。

 

だけに留まらず、前代未聞にして空前絶後であろう災禍の発覚。

 

(いわ)く、草薙護堂は女神を調伏している。

曰く、草薙護堂は女神に篭絡されている。

曰く、草薙護堂は女神を手篭めにしている。

曰く、曰く――

 

この珍事に対して、世界中は恐慌状態に陥った。

以下の文章が、世界の魔術師たちの反応の一例である。

 

 

 

 

 

 

【グリニッジの賢人議会により作成された、草薙護堂についての調査書より抜粋】

 

前述の通り草薙護堂がまつろわぬ神として顕現したゼウスを殺め、『天空神の威光(Lightning of Zeus)』の権能を簒奪したのはギリシャの地である。

彼がカンピオーネとなった翌日、ゼウスの顕現により招来された嵐が過ぎ去った後にも関わらず、何度か自然のものではない落雷が確認されている。恐らくこれこそが、まつろわぬアテナの襲来を意味するのではないだろうか。

つまり彼はゼウスにアテナという著名極まる神々と、連日連戦したという事に他ならない。これは恐るべき戦歴である。

それからどのような経緯があったのかは未だ不明だが、結果として現在、草薙護堂とアテナは共に生活している。

 

今一度繰り返させていただく。

草薙護堂は間違いなくカンピオーネである。

か弱き人の子に過ぎない我ら魔術師を凌駕する魔王のひとりなのだ。

今回の魔王三者とまつろわぬ神ひと柱による大戦――以降、暫定的にクサナギ大戦と呼ぶ――で解かるように、彼の力は既に他のカンピオーネにも通用する事が証明された。

 

彼がイタリアにてウルスラグナより簒奪した『黄金の眩き軍神(Shining Warlord)』の権能は、同胞の魔王や宿敵たる神々に対して非常に効果的な物であると推測される。

それに加えサルバトーレ卿の証言によれば、驚くべき事に卿と剣を交わし友好を深めたという。剣の王に追従できる程の武芸をも修める草薙王は、まだ王となってから二ヶ月と経っていないのだ。

まだ年若い彼は、これからも神々を弑逆し力を増していく事だろう。

 

そんな彼が侍らせているのが、アテナという大御所の女神なのだ。

クサナギ大戦の発端となったのは、ヴォバン侯爵がアテナの殺害を目的に来日したからだという。

彼と、そして彼女の仲睦まじい様子は、日本の魔術結社にも幾度となく確認されている。

 

これを読む諸君に、そして恐れ多くも我らが王たる方々にも、改めて述べさせていただく。

地上に顕現しているまつろわぬ神であるからとアテナに、日本に不用意に近付くべきではない。

下手に手を出せば、必ず草薙護堂が報復に出るだろう。そして恐らく逆もまた然り。草薙護堂に害を及ぼすならば、まつろわぬアテナが報復に来るだろう。

彼ら彼女らに手を出すべからず。近付くべからず。

神と魔王が同時に存在しているというこの異常を、無闇に突くべきではない。

今の日本は、途方もない地獄と隣り合わせなのであるからして。

 

 

 

_________________________________

 

 

 

 

 

「以上が、貴方に関して怒涛の勢いで流布された情報の全てよ。お気に召したかしら、護堂?」

「お気に召すわけないだろう! ああ、俺は平穏に過ごしたいだけなのに、なんでこんな世界を滅ぼす大魔王みたいな書かれ方をされなきゃいけないんだよ……」

 

夜が明けてから裕理に冬馬、そしてエリカの待つ七雄神社に帰還した護堂。

アテナの術で快復の眠りに沈んで正午過ぎに起床した彼は、目覚めるのを待っていたエリカから今回の件で広まった情報について尋ねた。その結果がこれだ。

 

項垂れる護堂の様子を見て、エリカが呆れた顔をする。

 

「貴方ねぇ、あんな事をしておいて今更何を言っているのよ。自分が何をしたか理解していないの?」

「何をって、アテナにちょっかいかけようとしてきた老いぼれと、横から乱入してきたバカをぶっ飛ばしただけだろ?」

 

これである。

三百年に渡って恐れられていた魔王を撃退し、神も魔王も斬り捨てて来た剣の王を倒したのだ。

その戦績は歴代のカンピオーネを見ても、凄まじい速度と戦果に違いない。

 

昨晩の彼が成した偉業、覇業に、エリカをして興奮と畏敬で身が震えたというのに。

 

(まったくこの方は……まぁ、だからこそ魅力的なのでしょうけれど)

 

苦笑の中にもどこか微笑ましさと親しみを含むエリカを見て、裕理は目を丸くしている。

それは神殺しの君たる草薙護堂に対し、気安い態度を取っている事への驚愕か。

 

それとも――

 

(草薙さんと、彼女は……彼女も、草薙さんを……)

 

それとも、自分以外に彼に親しみを持つ人間がいる事への驚愕か。

 

神々を弑する人を外れた羅刹の王。

やがては日本の頂点に立つであろうその人を相手に、自分が親近感地味た感情を持っているという事を、エリカと護堂のやり取りを見て自覚した裕理。

 

彼女は四年前、霊能力者を排出する一族の付き合いとして、オーストリアに渡っていた。

その時だ、丁度ヴォバン侯爵がジークフリートを招来しようとしていたのは。

 

万里谷裕理はそこで拐われ、見事に贄の一人としてまつろわぬ神を招来せしめた。

彼女が今も日常生活を送れているのは、その才覚が尋常ならざる物だからに過ぎない。

他の巫女や魔女の卵たちは、その多くが心神喪失状態に陥ってしまっているのだ。

 

その経験によりカンピオーネという人種に強烈なトラウマを抱えていた裕理。

それが護堂に対しては、心に築いていた防壁が崩れかけている。

 

「ご自愛下さいませ。貴方が胸から出血されている様を見たときは、ブランデッリさんも大層ご心配なさっておられましたよ?」

 

この少女もまた、過去を乗り越え成長しようとしているのだ。

 

「あら、同じ方を王と仰ぐ者同士なのでしょう? そう他人行儀ではなく、エリカと親しげにしてもらって構わないのよ?」

「それでは私も裕理とお呼び下さい、エリカさん」

「ええ、仲良くしましょう裕理。色々(・・)と、共感できそうな所もありそうな事だしね」

「共感、ですか……?」

 

目を細め、胸の内を見透かすように裕理を見つめる。

エリカもまた、少女の心に自分と似たような思いが芽生え始めている事を見抜いていた。

 

如何にも大和撫子といった風情の少女は、あまり視線の意味を理解していないようだったが。

 

(とは言え、わたしもこれが恋か忠か(どっちに)転ぶか、まだハッキリ解っている訳ではないのだけれど……)

 

薄く笑うエリカと首を傾げる裕理。

その少女らを見つめ、自らもまた笑みを浮かべる銀色の乙女。

 

(善きかな。妾はかつての神威を取り戻し、護堂は新たな人望を得ようとしている。此度(こたび)の一件にて世情は煩くなろうが、此方(こちら)も人の子の結社と縁が出来た。この分ならば、近いうちに磐石な布陣が出来よう)

 

彼女は自分と護堂の生活環境を守る事に思考を割いている。

それは何も、おかしなことではない。

 

アテナは都市の守護神としての性格を持つ神。

日常生活の保護という感性は、そのあたりから来ているのだろう。

 

知恵の神としてのアテナは、これを戦の前準備として肯定している。

どのように屈強な戦士も、戦場に立ち続ける事は不可能。

戦の合間には家庭へ帰り、心身を癒す事こそ常勝の秘訣と心得ているのだ。

 

そして戦女神としてのアテナは、平穏を過ごす事に何ら疑問を持っていない。

これは戦を遠ざける事を良しとしているのでは非ず。

 

ただ、言われるまでもなく悟っているだけだ。

草薙護堂あるところに騒乱あり。

 

力を振るうべき戦場(いくさば)は、向こうから自ずとやって来る。

 

故に今は、護堂の力となる少女らを篭絡すること。

この束の間の平穏で、護堂の心労を癒すことを至上とするのだ。

 

 

 

 




少女ら(アテナ含む)の心の変遷。
うまく伝わってくれるといいなぁ。


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第三章 馴れ初めの物語


過去編はさらっと流すつもりなので、まずは日常回です。



 

 

 

グリニッジの賢人議会によって『クサナギ大戦』と名付けられた一幕。

 

その激動の日から一週間が経とうという頃。

エリカ・ブランデッリは草薙家のリビングで、早朝から優雅に紅茶を嗜んでいた。

 

この光景だけ見れば貴族の子女の見本とも言えるそれ。

しかし数分前の寝起きの悪さを目撃している者は、変わり身の速さに呆れを超え感心を抱く事だろう。

 

「そういえば、お前はいつまで日本にいるんだ?」

 

そんなエリカに声をかけるのは、魔王陛下草薙護堂。

彼は今まさに、彼女の変身具合に感心していた所だ。

 

この一週間、単身で来日したエリカは護堂宅に身を寄せていた。

対外的にはアテナの知り合いの少女、という説明で。

 

もしも護堂の知り合いなどと説明しよう物なら、一郎と護堂の交友関係にうるさい静花に、いった何を言われるか分かった物ではない。

 

「夏休みになったら帰るわ、感謝するわよ護堂。貴方の名前が世界中に轟いたお陰で、再びミラノの土を踏む事を許されたのだから」

「……それを言わないでくれよ」

 

自分のデタラメさは自覚しているというのに、相変わらず体面に拘わる男である。

意気消沈する姿を微笑ましく眺めるエリカ。

 

「ふふっ。《赤銅黒十字》からの迎えは、今日、明日くらいに着くでしょう」

「迎えって?」

「わたしは一人でこの国へ来たから、身の回りの世話をするのにアリアンナを呼んであるわ」

(アリアンナさん、こんな我が儘にまで付き合わされるのか……)

 

かつてサルデーニャで世話になったクォーターの少女を思い出し、少しばかり哀感を覚える護堂。

 

しかしそのメイド姿を頭に浮かべ、思い直した。

彼女ならば喜んで飛んできそうな予感がしたからだ。

エリカとは親友のような関係に見えたし、一人で故郷を飛び出して遠く日本までやって来たものだから、それだけ心配しているのだろうと考える。

 

(キャー! エリカ様ったらあんな行動に出るなんてぇ、だ・い・た・ん♪ やっぱり護堂様にメロメロなんですねぇ、にゅふふ……)

 

頭を過ぎったニヤケ顔はただの気の迷いだと(かぶり)を振る。

同時刻、未だイタリアの地で出国準備をしている黒髪の少女がニヤリと笑った。のかどうかは、諸君らの想像にお任せしておこう。

 

「エリカさん、アテナさん、朝ごはんですよ~!」

「今日も悪いわね、静花さん。身の回りのお世話をしてもらって」

「いえいえ、エリカさんはお客様なんですから。ごゆっくりしていて下さい」

 

義姉たるアテナの友人ということで、静花の方も気を使っている事は否めない。

しかし生来のお嬢様であるエリカの気質と、人を引っ張る質だが年上や目上はしっかりと立てる静花の気質、両者の相性がそう悪くないということも言えるだろう。

 

出会い方が違っていたり、この関係が長期化したりすればまた分からないが。

 

何せ二人共が上に立つ者の器を持つ女王様体質である。

悪戯好きなエリカの性格も考えると、対立し反発していてもおかしくない。

それがこうして微笑み合っているのだから、この出会いは善い物だったのだろう。

 

そうこうしている内に、静花の声を聞きつけてアテナが入室してきた。

 

「おはようございます、静花さん。今日も美味しそうないい匂いがしますね」

「アテナさん、おはようございます。今日も美味しいって言わせてみせますよ」

 

示し合わせたかのように笑い合う二人。

いつか言っていた挑戦について、今でも張り合っているらしい。

 

この居候と長男夫婦、そして長女と祖父で囲む五人の食卓が、今の草薙家における食事風景である。

 

 

 

 

 

 

 

 

平日の学校、昼休みの屋上。

護堂はもはや定位置と言っていい場所に腰掛けフェンスに背を預ける。

 

その日は裕理と昼食を共にする約束をしていた。

護堂と身近な立場にあり最近面識も持った裕理は、その縁もあって正史編纂委員会と護堂とのパイプ役に近い働きを期待されているのだ。

 

媛と呼ばれる巫女としての能力と古くから続く血統もあり、万が一にでも王の落胤(らくいん)を授けられるならば行幸、という思惑も上層部にはないと言い切れない。

本人も護堂をそう悪く思っていないという事実も、それを助長していると言えるだろう。

 

そんな背景を持つ裕理だが、護堂は彼女との付き合いに不満はない。

 

万里谷裕理という少女は良い子である。

大和撫子という言葉がそのまま当てはまるようなお淑やかさと、その芯に自分の行動原理を持ち自律している稀有な少女だ。

 

ただ護堂に対して腰が低い――というのは少し違うが、立場を考えてか態度が丁寧に過ぎる部分があるのが玉に(きず)なのだが。

 

「お待たせ致しました、草薙さん。クラスの方々にお話をしておりまして」

 

もう少し打ち解けてくれないかと悩んでいた所に、件の少女がやって来た。

屋上の扉を静かに閉め、小走り気味に近づいて来る。

 

「ああ万里谷、そんなに急がなくても良かったのに」

「いえ、そういう訳には行きません。草薙さんからお誘い頂いたのですから」

 

大方、誰と一緒に弁当を食べるのか、なんて質問にあっていたのだろう。

人気者というか有名人は大変なのだと、自分は棚上げして他人事のように考える護堂。

 

学校の有名人と世界的な有名人、比べるべくもないであろうに。

 

裕理は持参したブルーシートを敷いて向かいに座る。

体勢は自然体のまま、正座である。

 

「悪いな、なんか考えなしだったみたいで。万里谷がいるんだから、敷物くらい用意しておくべきだったよ」

「いえ、とんでもありません。この程度の事、私如きには恐れ多い気遣いで御座います」

「……そっか、ならいいや」

 

いっそ卑屈とも言えるその態度を何とかしてほしいと思うのだが、下手に指摘してはまた畏まってしまうだろうと話題を流す護堂。

 

それからは何とか裕理の態度を緩和しようと齷齪(あくせく)する護堂。

その行動が空回りしたことは、語らずとも解かる事だろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日の放課後。

帰宅途中の護堂は、通学路を外れ人気の少ない方に歩いていく。

 

大通りを外れ裏路地を抜け、周りに人が見当たらない公園のベンチに腰を落ち着ける。

 

すると一分も経たずして、隣にスーツを着た男が座る。

何を隠そう、甘粕冬馬である。

 

「どうも草薙さん、わざわざ御足労願って申し訳ない」

「いえ、元々無理を言ってたのは俺の方ですから」

 

互いに軽く頭を下げながら、会話を始める両者。

続いて冬馬は、懐から茶封筒を取り出した。

 

「こちらがお求めの物です、お確かめ下さい」

「はい、それじゃ……」

 

護堂は中身を取り出し、その書類を広げる。

 

右上には全部事項証明という文字。

枠線に囲まれた分類事項には、上から本籍、氏名、戸籍事項と項目が続く。

 

要するに、戸籍謄本(とうほん)である。

氏名の欄には、ギリシャ語でアテナの文字が記されている。

 

更なる中身を取り出すと、入っていたのはパスポート。

 

年齢は護堂と同じ16歳となっている。

流石に実年齢は正確に分からないし、分かっても明記出来ないので妥当だろう。

 

そう、護堂は正史編纂委員会の影響力を頼り、お願いという名の命令でアテナの戸籍を作らせたのだ。

 

「仕事が早いですね、パスポートまで用意してもらって」

「何せ戸籍を作ってしまうと不法入国になってしまいますからね、どうせならと作って貰いました」

 

神に不法入国も人権もないと思うが、それはもう本人の考えようだろう。

 

「ですが、残念ですねぇ。草薙さんが18歳なら、そのまま婚姻届も受理出来たんですが」

「それはほら、二年後自分たちで出しに行きますよ。その方が楽しみだ」

「なるほど、ではこれで良かったかもしれませんね」

 

言いながら少し思考が逸れる護堂。

18歳なら未成年扱いだから保護者の同意が必要になる。

 

自分は家族が健在だから、両親か祖父を捕まえて書いて貰えばいい。

しかし、アテナに現世を生きる親族――神族はいない。

 

父親(ゼウス)的な意味で自分が書いてもいいのだろうか。

バカバカしいことだが、真剣に思い悩む護堂であった。

 

 

 



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アテナのパスポートを受け取った次の日、休日の昼間。

ピンポーンという呼び鈴を受け、長男の護堂は玄関に向かう。

 

「お久しぶりです、護堂様!」

 

扉を開いての第一声を聞いて、思わず破顔してしまう。

 

「お久しぶりです、アリアンナさん」

 

遠路はるばるイタリアからやって来た、メイドの少女が大荷物を抱えていた。

 

護堂はアリアンナを中へ招き入れ、向かいのソファーに座らせる。

男の矜持として荷物を持とうとしたが、従者ですからと断られてしまった。

 

男の矜持と従者の誇り、勝利したのは後者である。

 

「わざわざご苦労様です、エリカが色々とやらかしたそうで面目ない」

 

共に腰を落ち着けて、まず護堂は謝罪した。

 

エリカが勝手に行動した事とはいえ、彼女のお陰で助かった部分は否定できない。

あのままの三つ巴では、有効打に欠けた不利は否めなかった。

 

であるなら、自分のために動いてくれたエリカの責任は自分が負うべきだ。

筋を通すのは男の務めと頭を下げる護堂。

 

「いえいえ、そちらこそ大変だったでしょう。エリカ様、朝に弱いですから」

「ええ、まぁ。今朝も中々起きなくて、揺さぶったら絞め殺されかけました……」

 

それを物ともせず笑顔で受け止め、エリカをダシに会話を流すアリアンナ。

主人を引き合いに出すその豪胆さ、まさにエリカ・ブランデッリの従者にして親友である。

 

その後、静花とも意気投合し共に台所に立つ姿は、まるで姉妹の様に思える護堂であった。

 

 

 

 

 

昼食後はエリカの世話をアリアンナに任せ、友人とのショッピングに出掛ける静花。

その様子を見て影響を受けたのか、アテナが急に出掛けたいと言い出した。

 

こうしてデートの誘いを受けることなど珍しいので、一も二もなく賛同する護堂。

イタリアの主従を自宅に残し、二人仲良く家を離れる事にする。

 

家の護りは、エリカがいるので心配はいらないだろう。

 

「いってらっしゃいませ、護堂様」

「たまにはアテナ様を(いた)わって差し上げるのよ、護堂」

 

丁寧に頭を下げるメイド姿は、見慣れてなお込み上げる熱を感じる。

 

護堂とて年頃の男である。

浮気をするつもりは毛頭ないが、メイドさんに憧れる部分は致し方ないだろう。

 

トレードマークとすら言える赤い服で手を振るエリカも、流石の優雅さを醸し出している。

 

悪戯好きな彼女も本来は貴族の令嬢である。

だからこそあの性格に育ったとも言えるが、そのニヤケ顔は止めて貰いたい。

 

「行って来ます。夜には帰るんで、晩飯も食べますから」

「うむ、夕餉(ゆうげ)の用意は任す。思えばそなたの日本料理を食したのは護堂ひとり故な、妾も楽しみにしているのだ」

 

静花より本日の台所を任されたアリアンナに向け、蟲惑的に微笑むアテナ。

こういう笑みを見ると、堕落の悪魔と象徴される蛇を感じさせる。

 

「承りました。まだまだ手慰み程度の腕前でございますが、腕を振るわせて頂きます」

 

しっかりと返答し再び頭を下げる従者を見て、女神は満足気に頷いた。

 

「では、往くぞ護堂。妾がエスコートしてくれる」

「そうかよ。なら、案内してもらおうか」

 

胸を張るアテナに鷹揚に頷く。

女神が後ろ手に髪を梳くと、それに沿うように銀髪が伸びる。

 

軽く首を左右に髪を振り乱すと、白いワンピースに包まれた肢体が女性的な丸みを増した。

 

「二度目の逢引き(デート)だ、此方の姿で回ってみたい」

「――仰せのままに、俺の女神様」

 

苦笑と共に白い手を取る。

暑い夏の日差しの中、左手にひやりとした冷たさを感じる護堂。

 

闇の冷気を宿すそれに、いつか熱情を灯してみたい。

護堂は人知れず野望を抱いたのだった。

 

(ふふふ……()い男だ)

 

人にはバレなくても、女神にはバレているかもしれないが。

繋いだ右手に力を込め、ひっそりと口元を釣り上げるアテナだった。

 

 

 

 

 

 

電車で近場の町まで繰り出した二人は、今や腕を組んで歩いている。

アテナが常の姿なら歩幅の違いから護堂も歩きにくかったに違いないが、ゴルゴネイオンによって真に女王の位を取り戻した乙女の姿なら、互いを思いやって進む余裕さえ生まれている。

 

アテナの容姿なら普通は目立つだろうが、そこは神の特権。

彼女の神力と特性を以て、集まるはずの人目を散らしていた。

 

「汽車の類は以前に乗ったが、あの電車というのはいけ好かぬ」

 

眉をひそめる彼女はやはり闇の女神。

大量の電力を消費して動く乗り物は、感性にそぐわないらしい。

 

(これでもライトとか車とかには慣れてくれたから、まだありがたい方か……)

 

都市機能を停止させる暴挙に出ないだけマシだろう。

 

「それで、まずは何処に行くんだ。俺をエスコートしてくれるんだろ?」

「静花と共に予定を組んだのだ、心配は要らぬ。向かうは水族館だ」

 

どうやらまともにデートプランまで組んでいたらしい。

アリアンナの到着と共に静花が出掛けたのは、どうやら予定調和だったようだ。

 

あの分では、エリカにも予め伝わっていたのだろう。

出立時のニヤケ顔はそういう事かと、妙な敗北感を覚える護堂。

 

そんな内心の移ろいを感じたのか、腕に絡みつく女神から呪力が刺さる。

 

「あなたの心中は妾で満たされていれば良いのだ」

 

どうやらエリカを思い出した事に妬いているらしい。

半目で睨む女神は微笑ましいが、護堂としては身体が戦闘的な意味で昂ぶるので止めて貰いたい。

 

「ごめん、気を付けるから」

「……心掛けよ」

 

プイッ。

澄まし顔で視線を前に戻すアテナ。

流石はメドゥーサとして美を讃えられた女神、仕草がいちいち愛らしい。

 

「ごめん」

「んっ」

 

護堂がもう一度謝罪を口にすると、鼻を鳴らして頭を差し出して来る。

右手を伸ばして頭を撫でると、くすぐったそうに声を上げた。

 

目的地の水族館は、もうすぐそこだ。

 

 

 

 

 

 

 

「へぇ、いい感じだな」

 

入館してみた所、思ったより内部は暗めだった。

通路に明かりは薄く、水槽の中から漏れ出る光の方が強いくらいだ。

 

だが、その照明の使い方がいいのだろう。

魚が水を優雅に泳ぐ様は、本当に綺麗だと思える。

 

「上手い物だ、見せ方に工夫を凝らしているのが解かる。海の子等は美しいな」

(お前の方が美しい、なんて今更だな)

 

薄く笑うアテナの横顔を上から眺め、口に出すまでもない事を思う。

代わりに言葉にするのは、頭の隅に浮かんだ疑問。

 

「そういえば、海とか魚は嫌いじゃないんだな」

 

機会がなかったので問わなかったが、前にも思った事はあったのだ。

彼女はアテナでありメドゥーサ、であるならば――

 

「察するに、あなたが引っかかっているのはポセイドンの事か? あれは確かに海を司る男だが、それとこれとは話が別、という奴だ。海は生命の大母、妾とて心惹かれる事もある。それに、今となっては別段気に留める事もないのでな」

 

ポセイドン――ギリシア神話において海と地震を司る神。

海のゼウス(ゼウス・エナリオス)などと呼ばれる程に高い地位を誇り、海洋の全てを支配するその力は最高神ゼウスに次ぐという。

 

この神はメドゥーサと愛人関係にあり、メドゥーサから生まれた天馬ペガサスやクリュサオルは彼の子とされる。

コリントスで大地の女神として信仰されていた頃のメドゥーサとは夫婦の関係であり、古代ギリシア人に征服される事で神話が書き換えられたようだ。

 

そしてアテナとはアテナイの地の支配権を巡り争ったとされる。

彼女の根幹はメドゥーサではなくアテナなので男女関係は横に置いておくが、争ったことの遺恨があるのではないかと護堂は勘ぐっていた。

 

が、杞憂に終わったらしい。

否定する彼女に恨み辛みは見られなかった。

 

「そっか、ならいいや。折角来たんだから楽しませてもらうよ」

「無論だ。妾がいながら、興が乗らんとは言わせぬ」

 

得意気な顔で腕を引くアテナに、護堂は大人しくエスコートされるのだった。

 

 

 





次で過去編の回想を始める予定。


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アテナに連れられて水族館に来た護堂。

腕を引かれて中を進んで行くと、大型の水槽が見えてくる。

 

通路を抜けると一気に視界が開き、巨大水槽に囲まれたフロアに出た。

 

「おお~。小さい魚でも、これだけ大量だと圧巻だな……」

 

精々が体長五十センチといった魚だが、それらが列を成し軍団で動くとひとつの巨大な生物のように思える。

 

向かって右に進んでいたかと思えば、急に左を向いて泳ぎだす。

先頭と後尾が入れ替わる様は、龍の(ウロコ)が反転したようにすら見えた。

 

「ん、こちらに向かってくるアレはジンベイザメという奴ではないか?」

 

アテナが指差した先には、確かに巨大な魚影が近付く姿があった。

 

ジンベ()ザメ、或いはジンベ()ザメ。

灰色の巨体に腹部は白の割合が強く、胴部にはチェス盤にも似た斑点と格子状の模様を持つ。

頭部は平たく、大きな口の両端に目があるその巨体は、現生最大の魚としても有名だ。

 

海洋生物の知識に明るくない護堂も、有名なその存在は記憶していた。

 

「アレがジンベイザメか……そういえば水族館でサメって、他の魚を食ったりしないのか」

 

目を丸くして水槽を眺めていた護堂は、ふと思い浮かんだ疑問をそのまま口にする。

その答えは、隣の女神から返ってきた。

 

「元来(サメ)というのは、人の子が思うほど凶暴ではないのだ。狩りはするが虐殺はせぬ」

 

そう、今でこそサメには恐ろしいイメージが付き纏うが、実態は言うほどではない。

もちろんいざとなれば餌を求めて獰猛に海を往くが、満腹の状態で(いたず)らに命を奪うような真似はしない。

 

人を標的として襲い喰らうのは、サメの中でも五百分の三十(30/500)程度と少数だ。

 

「此処のサメ達は飼育されている。腹を満たす餌が勝手に用意されるのだ、わざわざ狩りをする必要もないのであろうよ」

 

某人食いザメ映画で登場するホオジロザメのイメージが先行した結果だろう。

百獣の王と称されるライオンが草食獣に負ける事も珍しくないように、イメージや認識というのは恐ろしいものだ。

 

これは、神にも通ずる道理である。

 

『神』とは、超自然の現象を古代の人々が型に嵌めたもの。

型に嵌め性質を既知とする事で、災厄をやり過ごし繁栄を呼び込むための知恵。

 

『まつろわぬ神』とは、そうして形作られた神話より抜け出た存在。

故に、神話にまつろわぬ神と呼ばれるのだ。

 

地上に顕現したまつろわぬ神は、降臨時の神話伝承を元に肉付けされる。

 

例えばそう、先日護堂がジークフリートとシグルズの関係を紐解いた。

彼らは同じ起源を持ち同じ流れを汲む英雄だ。

つまり、異なる神格だが元となる神性は同じ。

 

サルバトーレがジークフリートより鋼の権能を簒奪したが、もし招来されたのがシグルズでも同じ権能を得られたか。

 

得られなかったであろう。

シグルズに《鋼》としての相は乏しい。

元となった伝承が、人々の認識が枝分かれした別物となっているからだ。

 

神は人を歯牙にも掛けない、掛ける価値もない羽虫のような認識しかない。

まるで象と蟻だ。そこにいるのは解っているが、踏まないようにするのは難しい。

 

しかしその実、どちらが蟻でどちらが象か。

人々の暮らしに、神は必要ない。

神が在るには、人が不可欠。

 

所詮は神など、人々の認識に左右される程度の不確かでか弱い存在でしかないとも言えるのかも知れない……

 

 

 

 

 

 

 

 

ジンベイザメの巨体を仰ぎ見て、水族館を堪能した護堂とアテナ。

一通り館内を見て回った二人は、一度休もうと休憩スペースに足を運ぶ。

 

護堂は紙パック飲料の自動販売機で牛乳といちごオレを買い、ベンチで足をブラブラと遊ばせるアテナの隣に腰掛けた。

 

「アテナはいちごオレ(これ)で良かったか?」

「流石は我が夫、妾の好物を良く熟知している」

 

顔を綻ばせたアテナはピンクのパッケージをしたそれを受け取る。

 

紙パックの裏側を向けるとストローの頭に爪を立て、尖った先端をビニールの袋から押し出す。

白いそれから透明の先端を抜き出すと、頭頂部の刺し口に突き刺し銀色の膜を破る。

 

ストロー上部の波打った部分を引き伸ばして折り曲げ、遂に(くわ)えて中身を飲み始めた。

 

「ちゅー」

 

一連の動作が堂に入り過ぎている。

女神はしっかりと現代文明に馴染んでいた。

 

隣の護堂も同じ動作で飲み始める。

共に一息ついて、再び会話に入った。

 

「水族館なんて初めてだけど、意外に楽しめるものなんだな」

「妾が隣で案内してやったのだ、当然であろう」

 

既視感の沸くやり取りに、顔を見合わせ声を上げて笑う。

間に流れる和やかな空気は、まさにカップルのデートそのものと言えた。

 

「そういえば温帯・熱帯海域に生息する海月(クラゲ)の中に、成体から退行する不死のクラゲ見つかったって言ってたな」

「ふむ、それはまた異様な。蛇は脱皮によって生まれなおす様から不死の象徴となった。ならば不死そのものを体現するクラゲが神性を得れば、いったいどのような神が生まれるのであろうな」

「見てみたい気もするけど、実際に顕れるのは遠慮してほしいかな……」

 

言いながら苦笑を零す護堂。

もっともこのように、会話の内容は些か場にそぐわないものであるようだが。

 

そんな調子で会話を続けていた二人だが、次の発言を聞いて護堂は少し居た堪れない気持ちになった。

 

「サメって思った以上に大きかったなぁ」

「あの種類がそうなのであろう。前にテレビで見たのは、あれより余程小さな体長をしていた」

 

出会った頃はあれほど現代文明を毛嫌いしていた彼女。

こうして共に暮らせている事は喜ばしいが、俗世に染まりすぎてしまったのではないかと。

 

先日も静花と共にテレビドラマをじっと観賞している姿を目撃した護堂は、かつての威厳溢れる女王を堕落させてしまった事に自室で頭を抱えた事実がある。

 

それほど情けない顔をしていたのだろうか。

隣に座るアテナが振り向き、斜め下から護堂の顔色を伺う。

 

「ん、どうした護堂?」

「……いや、何でもないよ」

 

紙パックのいちごオレをストローでちゅーちゅーと吸っているアテナを見て、護堂はその葛藤をスッパリと切り捨てた。

 

(うん、もういいや。だって可愛いし)

 

諦めた、もしくは開き直ったとも言える。

それを指摘する者がいなかったのは、幸運だったのかどうか。

 

瑞々しい唇に折れ曲がったストローの先を咥えて右側に小首を傾げる淡い水玉のワンピースを纏った大人アテナは殺人的に可愛いのでなにも問題ない。

 

(あの時から考えれば、冗談みたいな状況だよな……)

 

自動販売機で買ったジュースを美味しそうに飲み干すアテナを見て思う。

市販の飲料を初めて飲んだ時、甘味料が濃すぎると渋い顔をした彼女。

 

ギリシャの地で再会したのは、護堂が神殺しとなった翌日の事だった。

 

 

 

 

 

 

それは、草薙護堂が神殺しの王となった後。

 

「ママだよ~!」

 

果てまでの全てが灰色で、空も大地も同色のため地平線が見えない世界。

そんな空間に浮かぶ、二つの特異点。

 

内の一つは、草薙護堂。

身に付けた衣服はズタズタに裂かれ、ところどころが焼け焦げている。

しかし不思議な事に、その下にある身体には傷一つとして付いていない。

 

もう片方は今しがた声を発した女性。

髪色はストロベリーブロンド、というのに近いだろうか。

自然では有り得ない濃度のピンク色をしたその頭髪を左右で括り、薄く微笑みを浮かべる幼い――幼く見える神秘的な女性。

 

神秘的にして蟲惑的。

白い薄布のドレスがその色香を際立たせる。

 

『女』――

 

幼く可愛らしい容貌で、纏う空気は軽い物だ。

しかし、その幼さに反して――否。

 

幼さが色気を際立たせた、美の女神と称するに相応しい少女であり女性。

護堂に笑いかけてくるのは、そんな女の化身であった。

 

「……はい?」

 

護堂は混乱した。

 

 

 



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4 過去編

15/5/12
神殺しを終えた護堂が、食べ物をがっつく描写を追加しました。



 

「ここは『生と不死の境界』って言ってね、平たく言うと『あの世の一歩手前』。()の世と此の世。現世と冥府。物質世界と精神世界。そんな世界間の狭間にある中間の空間なの」

 

どうでもいい事だが、(かん)って言い過ぎじゃないか。

と、そんな所に目を付ける護堂は現実逃避に入りかけている。

 

無理もあるまい。

彼の主観では数秒前まで、ギリシア神話の主神と(おぼ)しき男と殺し合いを演じていたのだ。

 

いきなり訳の分からない場所で初めて会う女が一人で語り出せば、それは混乱に陥るのも致し方ない事と言える。

 

「あたしはパンドラ、『まつろわぬ神』じゃない、本物の女神様よ。可愛い息子の誕生だから、『不死の領域』から頑張って出張してきたってわけ」

「まつろわぬ、神? 不死の領域って……いやその前に、ママとか息子っていったい?」

 

体を起こしてパンドラと名乗った女に向き合う護堂。

矢継ぎ早に質問を返すが、女神は取り合おうとしない。

 

どころか、逆に黙っているように促す。

 

「あたしは正真正銘の神だから、あまり地上やそれに近いこの領域に長居は出来ないの。あなたは知識が不足しているから、前にサーシャにやったようにまずはそれを叩き込むわ」

 

サーシャ、というのは人の名前だろうか。

日本人である護堂には、その名だけで人種や性別を判断できない。

 

後にそれがサーシャ・デヤンスタール・ヴォバンという男の名だと知るが、彼女にそう呼ばれている事はこの領域にいる時しか思い出せないので、それも良いか悪いか。

 

「とりあえず目が覚めたら、すぐにその場を離れること。魔術師が集まってきて変に騒ぎ立てられると、あなたの目的からは遠ざかってしまうもの」

「俺の目的って……」

「アテナさまよ。あの方と関係を築きたいのなら、他の邪魔や横槍が入らないように接触すべきなの」

 

右手の人差し指を護堂の鼻先に突き付けるパンドラ。

もう片方の手を腰に当てるその様は、態とらしいながらも媚びる意図は感じられない。

 

その眼光が鋭い事もあって、護堂も大人しく忠告を受ける事にした。

そうした方がいいと、自分のどこかが訴えてくるのだ。

 

「それから、次はあなた自身についてね」

 

フッと微笑を浮かべ、彼女は目尻を緩めた。

 

「まさに天の采配、と言えばいいのかしら。全ての条件が揃った事で、あなたは新生することになったの」

「しん、せい……?」

 

続ける女性、女神パンドラの言葉を護堂は理解できない。

理解するための下地が、彼には欠けているからだ。

 

「エピメテウスとあたしが遺した呪法。愚者と魔女の落し子を生む、暗黒の生誕祭。神を贄として初めて成功する、簒奪の秘儀――」

 

しかしそれを知りながら、なおもパンドラは言葉を紡ぐ。

理解できなくても、記憶に残らなくても、その知識は魂に刻まれるから。

 

「ゼウスさまと相打ちになった事で神殺しを成し遂げたあなたは、カンピオーネになるの。神殺し、王の中の王。カンピオーネに――」

「カンピオーネ……」

 

何を言っているのか護堂は欠片も理解が及ばなかった。

しかし、なぜかその単語だけが妙に頭に残る。

 

パンドラの声を子守唄に、護堂の意識は闇に落ちた。

 

「今度会った時はママって呼んでね~」

 

その一声を最後に、護堂は『生と不死の領域』から姿を消した。

残った女神は、灰色の空間で独りごちる。

 

「あたしは神々の創りし最初の女、忌まわしき箱を持つ災厄の魔女。アフロディーテさまから異性を誘惑する魅了の力を、ヘルメスさまから狡猾な知恵を、そして――アテナ様から女性としての器量を与えられた、ヘパイストスさまの落し子」

 

語る女神も、徐々にその身を薄れさせていく。

 

先に述べたように、彼女はまつろわぬ神に非ず。

神話にまつろう存在が、地上やそれに準ずる場所に長居は許されない。

 

「あたしは元々ゼウスさまの意向により、あらゆるものを与えられて生まれたんだもの。『すべてを与える女』であるあたしは、ゴドーにもすべてを与えてあげる。力を、地位を、名声を。そして――」

 

既に全身が透過し、世界の色が侵食するその身で。

驚喜にも、歓喜にも、悲嘆にも、慟哭にも思える声音で。

 

「――出会い(きぼう)別れ(ぜつぼう)の可能性を平等に」

 

神殺しの最大の支援者とも称される女神は、慈愛の笑みで謳ったのであった。

 

 

 

 

 

「あれ、なんか変な娘に変な話をされて変な呼び方を強要されたような……?」

 

地上で目を覚ました護堂は、まずその場を離れた。

脳裏で何かが囁いた気がしたので、それに従ったのである。

 

自分で自分の言葉に首を傾げる彼に、そのやり取りの記憶はない。

地上と『生と不死の境界』を行き来する時に、その出来事が削ぎ落とされてしまうからだ。

 

あの領域での記憶を保つには、悟りを開き世界を超えるしかない。

そしてそんな精神を持てるような人間は、神殺しになったりしないのだ。

 

前日から泊まっていた小さな地元ホテルに帰り、豪勢に過ぎる夜食を摂る。

帰路の途中で気付いたのだが、異常なまでに腹が減っていたのだ。

 

夜中に大仕事を与えて申し訳ないと思う暇もなく、次々に注文しては食べ尽くす。

 

普段の二倍三倍は軽く超えるであろうそれが、見る見る内に口へ消えていく。

手持ちの半分以上を注ぎ込んだ食事は、一心不乱に食べ続けて数十分は長引いたのだった。

 

湧き上がる食欲がようやく満たされた護堂は再び寝入る。

目覚めたのは翌朝、現地時間で午前五時を回った頃だった。

 

起床した直後は呆けたように天井を見つめ、目を(しばた)かせた。

ベッドに横たわったまま、妙に耳にこびり付く単語を口にする。

 

「カンピオーネ……」

 

どこで聞いたか分からない。

しかし、どことなく馴染むような気がする単語。

 

朝食の時間が来るまで何をするでもなくダラダラと過ごした護堂。

彼が違和感を覚えたのは、ホテルの食堂で料理を注文した時の事だ。

 

ウェイトレスの女性が話しかけてくる。

 

「朝食にコーヒーはお付けしますか?」

「お願いします」

「別料金で一ユーロ掛かりますが、構いませんか?」

「ええ、大丈夫です」

 

なんてことない日常会話。

女性が過ぎ去った後、護堂は猛烈な違和感に襲われた。

 

(あれ? 俺いま、日本語で話してた? いや、違う。今のは日本語じゃなかった。じゃあ、何で……)

 

女性が話していたのは現地のギリシャ語。

護堂が話していたのも、何故かギリシャ語。

 

何かがおかしい。

 

草薙護堂は生粋の日本人だ。

話せる言語は母国語のみ、流暢に話せるのは日本語に限る。

読み書きなら英語とギリシャ語も少しはできるが、それも付け焼刃で心(もと)ない。

 

なのに、今の会話だ。

護堂は女性に釣られるようにギリシャ語を話した。

 

この変化の原因は、どう考えても昨夜の出来事だろう。

 

(ゼウス……最後の方は何がどうなったか覚えてないけど、確か相打ちになったって言ってた(・・・・)よな?)

 

そう考える彼は、自分の思考に違和感を持たない。

これも『生と不死の境界』が齎らす作用なのだろう。

 

詳しい事情こそ知らぬものの、己に起きた変化がゼウスの死を引き金にしている事は把握した護堂は、その変化がどういうものなのかを確かめるべく行動を始める。

 

朝食を掻き込んだあと、多くの人と話そうと宿を出る。

それから暫く街を歩き回ってみた彼は、ふとある事に気付いた。

 

「言葉は解かるのに、文字は解からないんだな……」

 

そうなのだ。

行き交う人々の会話は、耳に入ると自然と理解できる。

だが店先の看板などを見ても、意味は解からない。

 

持ち歩いていた単語帳を開き、文字を見比べ、読み解く。

そうしなければ何が書いてあるか理解できなかったのである。

 

これは一つ収穫だ。

言葉の翻訳と文字の翻訳はまた別物らしい。

 

……分かったからどうなるという事でもないが。

 

そうやって近くの広場で、力が強くなったりしていないか。

またはボールを投げたりして、視力が上がっていないか。

 

そんな身体の変化を確かめていた護堂が、不意に背後を振り返る。

 

(なんだ、急に体が熱くなって――)

 

振り返った先に、いた。

白い布衣装を身に纏い、銀幕のような頭髪の間から黒曜の如き瞳を向けている。

 

「あなたからはゼウスの気配を色濃く感じる……この都に顕現した奴を殺したのはお前か神殺し――」

 

アテナと名乗ったあの少女が、女神の神威を振りまき佇んでいた。

 

 



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アテナ――

草薙護堂がギリシャまで足を運んだ理由。

 

少女を(かたど)るその神格が、護堂の前に現れ問い質してくる。

 

「問答に応えよ神殺し。この都市に残留する神力からして、ゼウスが顕現していたことは明白だ。あなたがあの男を殺したのかと問うている」

 

再び同じ事を語るアテナに、護堂も硬直から立ち直る。

 

「――たぶん、そうだ。昨日の夕方にゼウスが現れて、そのまま戦って相打ちになった」

 

己が知る範囲で問いに答える護堂。

それを聞いて、アテナはひとつ頷いた。

 

「なるほど、それで権能を簒奪したために、奴の力があなたに宿っている訳だな」

「権能? を、さんだつ?」

 

権能とは物事を成すための権限や資質を表す言葉。

それくらいは辞書で引けば分かるが、この文脈からして違う意味だろう。

 

訳知り顔で話を進めるアテナだが、護堂はついて行けない。

その様子を見てとった彼女は、不審に思ったか再度問いかけて来た。

 

「あなたは、成り立てか?」

「成り立て、って?」

 

共に疑念を浮かべて言葉を躱す両者。

アテナが確信を得るべく続きを述べ、護堂はその一節に反応を示す。

 

「愚者と魔女の落し子。神殺しの魔王――」

「――カンピオーネ」

 

口を突いて出た言葉に護堂は驚愕する。

どこかで引っかかっていたこの単語、その意味がとんでもないモノだった事に。

 

ではなく、その事実をあっさりと受け止め納得した自分に。

本人も知らぬ心の奥底では、それを認識していたという事だ。

 

護堂の様子から戸惑いを読み取ったアテナは、それで得心がいったようだ。

 

「……やはり、この地で神殺しとして転生したらしい。しかし見るに、あなたはこの国の者ではないようだ。何故この地へ出向いた?」

「それは……」

 

言えというのか?

一目惚れした相手を探しに来たと?

目の前にいる張本人に向かって?

 

出来るはずがない。

なんだその唐突な告白はっ!

 

護堂は目に見えて狼狽(うろた)えだす。

 

が、彼の体は意思に反して行動する。

そうした方がいいという直感(ほんのう)にこそ従い、言葉を紡ごうとする。

 

「あっ――」

 

既に草薙護堂は人に非ず、カンピオーネという魔獣である。

獣が羞恥や倫理など鑑みる筈もなく、彼もただ本能に従うのみ。

 

言葉に詰まりながらも、彼は言った。

 

「あなたのような女神に、そばにいて欲しくて」

 

告白どころか、プロポーズ地味たその言葉。

どこかで読むか聞くかしたうろ覚えなフレーズを、護堂はアテナに言い放った。

 

「うん……んぅ?」

 

言葉を聞いて、意味を読み解き、小首を傾げるアテナ。

世界が凍った――護堂はそう感じたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これは何だ、草薙護堂?」

「何って、パスタ……」

 

数十分後。

なぜか二人は、近場のレストランで食事を前にしていた。

 

胡乱な目つきで魚貝のパスタを睨むアテナ。

状況を理解できずに混乱している護堂。

 

しかし、混乱しているのは護堂だけではなかった。

 

(……不可解だ)

 

見た目は幼いアテナとて、神々の叡智を持つ女神だ。

大抵の知識は抑えているし、護堂の発言の意味は曲解なく理解している。

 

しかし、だからこそ混乱が巻き起こる。

 

神殺しが女神たる自分に求婚してきたのだ。

その前後の様子を見るに、他意はなさそうに思える。

彼は純粋に、このアテナに想いを向けてきたと。

 

パラス・アテナは処女神である。

同起源の女神たるメティスとしても、夫ゼウスとは元々望まぬ婚姻を結んだ身だ。

 

三相一体の身であるメドゥーサはポセイドンと関係を持つが、その叡智の源たる《(ゴルゴネイオン)》は探している途中なので頼れない。

 

(むぅ……この男、旅路の途中で見かけた顔だが……)

 

護堂の顔を見つめ、考え込む女神。

 

つまるところ、アテナに恋愛経験などない。

どう判断すればいいのか、どういった対応をすればいいのか解からない。

 

なので、知恵の女神らしく先人の知恵を借りたのだ。

そういう事でギリシア神話の女神たちに習い、男性たる護堂を振り回しているというのが現状である。

 

「この食器の用途を妾に教授せよ」

「フォークとスプーンはこうやって――」

 

護堂としても、この状況を楽しみ始めているので問題ない。

仮にも愛しの女神と食事を共にしているのだから当然だが、護堂自身も脈絡のないこの展開を面白いとも感じ始めている。

 

名は何という? では草薙護堂、昼餉に向かうぞ。案内せよ。

このやり取りで素直に従う彼も、色々と不可思議な感性をしている。

 

フォークをクルクルと回してパスタを絡める姿が可愛らしい、というのは護堂以外にも共感できそうではあるが。

 

「どうした、草薙護堂」

「いや、何でも……」

 

とは言え、彼もソワソワと落ち着きがない。

それを見とがめたアテナが半目を向けるが、護堂は控えめに誤魔化す。

 

当然だ。

盛大な告白をあっさり流されてそのまま食事。

いったい彼女の中でどうなったのか気が気でないのだろう。

 

結局、食事はそんな解説ばかりで終わってしまう。

 

それからも色々と街を回った。

観光名所を見物したり所々で軽食を摘んだりと、両者の間に流れる微妙な空気と沈黙を除けば、デートと呼んで差し支えなかったであろうそれ。

 

市販のジュースを飲ませれば、不自然な甘さだと突き返され。

街の大通りを歩くと、自動車の排気ガスが自然を穢すと顔を歪める。

 

アテナには不愉快極まりなかろうそれも、護堂にとっては楽しいひと時だった。

しかし日が暮れてきた頃から、沈黙が顕著になって行く。

 

「…………なぁ」

「……何だ」

 

護堂がアテナに呼びかけたのは、人気のない町外れの空き地。

どちらからともなく、そんな場所に足を進めていた。

 

「このまま俺と来て大人しくしている、ってのはダメなのか?」

 

共に理解しているのだろう。

これからここで、何が起こるのかを。

 

故に護堂の表情は暗く、アテナの顔も無情なそれだ。

 

「妾の求めしはゴルゴネイオン。古の《蛇》を手中に納めるその時まで、この流浪の旅をやめる訳にはいかぬ」

 

共に向かい合い互いの姿を写しながらも、アテナの瞳は遠くを見据えている。

 

護堂に彼女の言葉の意味は解からない。

だが、それでも理解できることはある。

 

アテナは街にいる間、ずっと煩わしそうにしていた。

 

それは人混みへの物ではなく、むしろ人々の出す生活音。

電子音に類するそれへと、彼女の意識は向いていた。

 

「やはり妾に、今の人の世は明る過ぎる」

 

アテナは地母神、死と再生の象徴から転じて闇を司る女神。

故に現代文明の要とも言える電子機器を嫌悪するのだろうと、彼女について調べた護堂は推察する。

 

「なればこそ、妾は一刻も早く《蛇》を取り戻し、過分な光は奪わねばならぬ」

「そんなことをすれば、現代文明は立ちいかなくなる。多数の人間が飢餓に陥るぞ」

 

夜は闇に閉ざされるもの。

それこそが本来あるべき姿と、そう主張して(はばか)らないアテナ。

 

対する護堂はそれに異を唱える。

積み上げてきた人の営みを無闇に否定するなと。

人々を安易に苦しめるような暴挙に出るべきではないと。

 

それにアテナはこう返す。

 

「妾は神の本分に従うまで。人もその本分に習い、神の意向に従うべきであろう」

 

どこまで行っても平行線。

彼女は神だ、人の言葉には従わない。

言うことを聞かせたいのなら、彼女をその座から引きずり下ろすしかない。

 

草薙護堂は、カンピオーネの本能はそう判断した。

無理矢理にでも言うことを聞かせないと、どこかで都市機能が麻痺し国が滅ぶ。

 

そしてアテナもまた――

 

「この歩みを止めようとするならば、それに値する力を示せ。魔王の忌名を持つ者よ」

 

闇色の瞳が妖しげな光を帯びる。

草薙護堂は魔王歴一日目にして、広く信仰される大いなる女神と対決する事になったのだった。

 

 

 





もう少し観光描写を細かくしたかったのですが、筆が進まず断念。
戦闘はあっさり始まってあっさり終わります。


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過去編完!
っていうか、これ以上続けられなかったです……




 

妖し気な眼光を向けるアテナを前に、護堂は考えるより早く距離を取る。

自分で自分の機敏さに驚く暇もなく、無言でアテナを見据え腰を落とす。

 

彼はカンピオーネ――矮小な人の身で神殺しを成した生来の戦士なのだ。

 

如何なる状況にあっても、如何なる情勢にあっても、戦士の勘と獣の本能が教えてくれる。

敵がいる、こちらを攻撃しようとしている。

 

立ち向かうか、機を見て逃亡するか、どちらにせよ隙を伺えと。

 

「やはり新米ながらも神殺し、戦となれば腑抜けた顔も引き締まるか」

「そんなに気が抜けてたか?」

「いや、身構えてこそいなかったが気を張っていたのは判っているとも。ただ、時折こちらを盗み見ているのが煩わしかっただけだ」

「……そりゃ悪かったよ」

 

気付かれていたのか、恥ずかしい。

普段なら頭を抱えて声を上げている場面だが、意識したわけでもなく苦笑に留まる。

 

重心をズラさないように気を配りながら、ジリジリと距離を空けようと足掻く。

 

思考が澄み渡り、身体が昂ぶっている。

これもカンピオーネとしての恩恵なのだと、護堂は理解した。

 

(神殺しの戦士って、こういうことなんだな)

 

同じく、今の今まで解らなかったそれ。

権能――という物についても、理屈なく唐突に思い知る。

 

心の中で、電流が奔った。

 

「ゼウスの神力が高まっているのを感じるぞ。いざ戦いとなり、その本分を悟ったか」

(……ゼウス。あの神の力が、俺の中で渦巻いている)

 

しかしその実態を掴むより先に、相手の方が攻勢に出た。

アテナが右手を前に突き出すと、周囲の大地――剥き出しの地面やコンクリートの道路――が隆起し巨大な蛇を形取る。

 

蛇はその生態から生と死の輪転、そのサイクルから多くの地母神が象徴とする生き物。

古くは大地母神として君臨していたアテナも、冥府の女王として使役するのだ。

 

「大地の子よ征け!」

「勘弁してくれっ!」

 

鎌首をもたげる石塊(いしくれ)の大蛇が、護堂に向かって大口を広げた。

食い千切り呑み潰そうと向かい来る巨体に、背を向けて逃走を開始する。

 

護堂は声を上げながら、しかしどこか余裕を持って回避する。

 

時に横っ飛び、時に低頭、チラチラと振り返りながら駆ける護堂。

そうやって逃げ回る彼は、蛇とアテナを観察している。

 

そして、確信を得た。勝目はある。

 

(そうだ、この蛇は俺の敵じゃない。敵にはなり得ない。蛇とは、アテナとは――)

 

――このゼウス(いかずち)の前に平伏する者なのだ!

 

立ち止まり、アテナと大蛇に向き直る。

アテナの蛇が好機と見て襲いかかるが、護堂はそれを脅威とは思わなかった。

 

「我は光輝を纏う王。我が威光よ、天より来たれ」

 

口を動かしているのは護堂の意思だ。

しかし、発する言葉は意思に関わらず勝手に紡がれる。

 

聖句と、そう呼ばれる呪文詠唱。

 

それは(まじな)いの文句ではなく、聖らなる麗句。

神々の紡ぐ、至高の力の象徴である。

 

護堂が紡ぐのはゼウスの聖句。

神殺しの王たるカンピオーネが、神より簒奪した権能を使う為の宣誓だ。

 

「王の威光たる稲妻よ降れ!」

 

その言葉通り、雲のない黄昏の晴天より雷が落ちた。

落雷としては小規模なそれも、この状況では申し分ない威力を発揮する。

 

女神によって命を得た石塊の大蛇は、断末魔を上げる事もなく崩れ落ちた。

 

「やはり腐ってもゼウスの雷、アテナの神格(わらわ)には手強いか……」

 

女神アテナは、そして起源を同じくするその母たるメティスは、天空神ゼウスによって地位を奪われた敗者たる神。

勝者としてギリシア神話のオリュンポス最強に君臨するゼウスには、その神威を大きく削がれてしまう。

 

だが、それでも戦女神は勝利を求める。

 

「当たっても死なないだろうし、ちょっとくらい我慢してくれよ」

「同じ言葉をあなたに返そう。神々の宿敵たる神殺しだ、恨み辛みはないが、妾の道を阻むならば相応の傷は覚悟せよ」

 

相手が絶賛片想い中という事もあって気が引ける護堂だが、下手に手心を加えては負けることを理解している。

アテナを信じて全力で打倒を目論む彼に、女神もまた応えてみせる。

 

続いて鳴る落雷の轟音。

自らに向けて天降る神威を、彼女も全力で受け止める。

 

「アイギスの盾よ来たれ! その神威を以て妾を守護し給え!」

 

滲み出る闇より顕れるはアイギス。

アテナが父ゼウスより貸し与えられた防具である。

 

そう。

神話においてアイギスが有名になったのは、彼女から更に貸し与えられたペルセウスがメドゥーサを討った事に起因するだろうが、元々はアテナではなくゼウスの肩当てだったのだ。

 

だからこそ、そのギリシア神話最高の防御はケラウノスの一撃を受け止める事ができる。

同じ神性を帯びているが故に。

 

これがゼウスそのものならば結果は違っただろう。

アテナからアイギスを構成する権能を奪い取り、雷は女神を穿ったに違いない。

 

だがカンピオーネに与えられる権能は専用に調整(デチューン)された物だ。

 

より強靭に生まれ変わったとは言え所詮は人間。

神の権能をそのまま受け入れるだけの容量はないのだから、仕方のないことだ。

 

結果として、護堂の放った雷撃はアテナの防御を貫けなかった。

 

「ゼウスの雷、凌いだぞ!」

 

アテナは顕現したアイギスを闇に解き、蛇頭の大鎌へと顕身させる。

冥府神としての神力が宿ったそれを、両手で掲げた。

 

しかしそれで斬りかかる事はせず、その場で地面に振り下ろした。

 

接地点から力が広がり、再び姿をみせる大地の蛇。

今回はそれだけでなく(フクロウ)も召喚されている。

 

アテナの異名であるグラウコーピス。

これは『輝く瞳、青い瞳を持つ者』から転じて、『梟の顔貌(かおかたち)を持つ者』の意がある。

 

夜目が利く夜行性のフクロウは夜を羽ばたく鳥として、冥界を行き来するとされていた。

アテナは地母神としての性格から、聖なる鳥としてフクロウを持っているのだ。

 

「我が子らよ、彼の者を葬り去れ!」

「物騒だな、殺す気はないんじゃなかったのかよ!」

 

現れた大群を見て顔を引きつらせる護堂に、女神は冷たく言い放つ。

 

「これで命を落とすのならば、それまでだったというだけの話だ」

 

聞いて、護堂にも火が付いた。

目に物を見せてやると言わんばかりに、全身から闘気を(みなぎ)らせる。

 

その意思と意地は、権能を新たな段階に至らせた。

 

「稲妻よ来たれ! 大いなる神の威光と成れ!」

 

咄嗟に発した聖句に反応し、護堂の立ち位置に落雷が降る。

襲いかかっていたフクロウたちも巻き込まれて消し飛んだ。

 

しかし直撃を受けた護堂は、両足でしっかりと立っていた。

若干ながら髪を逆立て、内に渦巻く膨大な電流を抑え込みながら。

 

「むっ……雷の神威を呑んだか?」

 

初の実戦で初の使用、バチバチと漏電しているのを見ると御し切れていない。

少量ずつ大地に逃がしてしまっているのは、まだまだ権能を掌握できていないからだ。

 

その様は逆に、戦意の現れとすら思える。

神殺しは女神を睥睨し、女神は逆に微笑を浮かべた。

 

「少しは驚いて欲しいんだけどな……」

「驚嘆しているとも。さぁ、次は何を見せてくれる?」

 

今の姿に似つかわしい、童女の如き笑みを向ける女神。

その幼い美貌を見つめ、護堂は今一度己の心を確かめる。

 

(やっぱり、この女神(おんな)は一筋縄じゃいかないな)

 

自分でも驚く程自然に笑えた。

草薙護堂は大馬鹿者だ。

 

この状況が、少し(たの)しい。

 

互いにぶつかるこの状況が、自分をぶつけられるこの相手が愛おしい。

文明人たる者が浮かべるものではない類の笑みだと、護堂は自覚し自嘲した。

 

殺したいほど愛してる――

 

どこかの何かで読んだフレーズ。

それが何故だか、心に浮かんだ。

 

そのまま護堂は、雷になって向かって行った。

アテナに向けて、落ちて(・・・)行った。

 

ここから先の記憶は曖昧で、護堂は詳しく覚えていない。

起きてから勿体無いと思わないでもなかったが、思い出はこれから作ればいいと考え直した。

 

でも、こんなセリフは覚えている。

誰が言ったのか覚えていないが、誰が言ったのか嫌でも解かる馬鹿なセリフ。

 

「殺されたって愛してる。冥府の女王(あなた)(もと)で、ずっとそばで――」

 

女神は笑い、護堂は赤面した。

 

 

 




最後の一文は「走れ」の人を意識しました。
他にも某殺し愛夫婦とか思いつきで混ぜちゃいましたねw
って言ってわかるのかな?


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――時は戻り現在。

 

あの後に、少し海を越えてイタリアの方まで観光(・・)してから日本に帰った両名。

帰国に至る空白の一週間にあった出来事は次の機会に置いておこう。

 

護堂は記憶の旅から帰還し、女神の横顔から目を離した。

 

一度振り向いて首を傾げたアテナは、まぁいいかと立ち上がる。

そのまま自動販売機の横手に設置してあるゴミ箱に、空になった紙パックを捨てにいった。

 

護堂も手に残るそれを一気に飲み干し、アテナの後に続く。

女神様主導、水族館デートの再開だ。

 

「では護堂よ、続きと行くか」

「そうだな、目玉のジンベエザメも見たし、軽く流して次に行こうか」

「フッ、それは早計というものだぞ」

 

挑戦的な笑みを浮かべ、館内のパンフレットを広げるアテナ。

突き出された面を見てみると、空を飛び跳ねるイルカの写真とその説明が載っていた。

 

イルカたちの躍動感に溢れ、跳ねた水飛沫が涼しげな印象を抱かせるそれ。

 

「イルカショー……そろそろ午後の部が始まる時間だな。周りきる前に少し休憩しようって言い出したのは、このためだったのか」

「ああ、今から向かうなら良い頃合であろう?」

 

感心する護堂を見て、得意げな顔で胸を張るアテナ。

予定を立てて来たと言うだけあって、しっかり時間割を把握しているようだ。

 

流石は知恵の女神、優れた頭脳を持っている。

 

(それを俺とのデートに活用してるっていうのは、喜んでいいのかな……)

 

アテナは俺の嫁。

そう声高々に叫んだ事もある護堂だが、やはり女神の庶民化という事態には得も言われぬ心象を覚えずにはいられない。

 

開き直るに直れないこの微妙な葛藤こそ、彼が草薙護堂たる所以なのかもしれない。

 

「さぁ、遅れるな。劇が始まってしまうぞ!」

 

自然に手を取って歩き出すアテナに、敵わないなと追従する護堂だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「うわぁああああああああああ!!」

 

――ザバァアアアンッ!

 

「きゃぁああああああああ!!」

 

――ザッブゥウウウンッ!!

 

水飛沫が飛ぶ毎に、黄色い悲鳴が交差する。

発生源は巨大な水槽と、それを遊泳するイルカたちだ。

 

時に飛び跳ね空を切る、愛らしくも美しい勇姿。

 

彼らは列を成し、陣形を組んで芸を魅せる。

上空に吊るされた玉を、水中から飛び上がりタッチ。

 

あの体躯で凄まじいジャンプ力を誇っている。

 

次は水面の端から端まで飛び上がっては水に潜り、繰り返し繰り返し水を跳ね上げる。

飛び散る水滴が観客にまで降りかかるが、それもまた場を盛り上げる要素となるのだ。

 

飛沫は護堂たちが座る席にも飛んできた。

彼は咄嗟の動体視力でその軌道を見極め、目元口元に来る分を払い除ける。

 

「きゃっ」

 

払い除けたそれは、左手にいたアテナの胸元に。

 

耳に届いた可愛らしい悲鳴。

その出処は――わざわざ考えるまでもない。

 

女神は不覚とばかりに口元を押さえ、もう片方の手で濡れた部分を隠す。

どこか悔しげに寄せられた眉根と、頬を染める桃色が愛らしい。

 

「冷たかったろ、大丈夫か?」

「この程度のこと、何の問題もありはしないっ」

 

吐き捨てる、というのに近い語調で無事を告げるアテナ。

護堂の前で醜態を――むしろ可愛らしいと表現すべきだが――晒した事が余程に屈辱だったと見える。

 

瞬間的に放出した極微量の呪力が、人知れず水気を弾き飛ばす。

水玉柄の白いワンピースは、元の乾きを取り戻した。

 

「護堂、次の芸が始まるぞ」

 

澄まし顔で水槽(プール)へ視線を向けるその姿は、今の一幕をなかったことにしようという意図が透けて見える。

 

それに苦笑するでもなく、素っ気ない態度で同じ方を向く護堂。

こういう時は素直に従うが吉と知っているのだ。

 

見るとアテナの言うとおり、イルカたちも次なる見せ場に入っている。

 

飼育員がフラフープを投げ水面に浮かべると、真下からイルカが出てくる。

なんとそのまま、鼻先で回し始めたではないか。

 

「おお! あれは凄い!」

 

それからもイルカ(かれら)は観客を魅了してくれた。

 

水中からジャンプしての宙返り。

上半身を水面から出してぐるぐると回転。

どれも優雅に力強く、子供達にも大人気であった。

 

「また来てもいいかもな」

「うむ、なかなかに楽しめた」

 

暑い日差しに当てられて、夫婦仲も更に暖まったようである。

 

 

 

 

 

――夕暮れの頃。

 

「ただいま~」

「只今」

 

水族館デートから帰宅し、玄関を開ける。

わざわざ出迎えに来たのは、予想通りのアリアンナであった。

 

「お帰りなさいませ、旦那様、奥様」

 

行きと同じく綺麗な礼を見舞ってくれた出来るメイド。

だがしかし、その発言には少々引っかかる。

 

「えっと、アリアンナさん?」

「どうなさいました、旦那様?」

「どうしたって、その……」

 

あなたがどうしたんですか?

そう口走りそうになった護堂だが、ぐっと堪える。

 

「昼間は呼び方が違いましたよね?」

「そのことでしたら、エリカ様と取り決めまして」

 

曰く、「ねぇアリアンナ。ここは護堂の家、彼のお祖父様が家長と言うべき場所でしょう? なら、わたしの従者として彼らをこそ敬うべきではないかしら」とのことらしい。

 

護堂は思った。

どうせその後に「だって、その方が面白そうじゃない」、とか言っていたんだろうと。

 

その旨をアリアンナに問うと。

 

「流石は旦那様、良く理解されていらっしゃいます♪」

 

との回答が返って来た。

より正確に言うと「だって、その方が護堂の反応が面白くなりそうじゃない」だった事は、話せば悪乗りしたことが悟られてしまうので語らずにいたのだった。

 

本当にイイ性格の主従である。

 

「静花さんも帰宅されていますので、着替えて来られては?」

 

有能なメイドの言うことなので、大人しく従う事にする。

 

護堂とアテナが部屋着に着替えてからリビングに行くと、静花もソファーで(くつろ)いでいた。

デートの件を黙っていた事もあり護堂は恨めしそうな視線を送るが、妹は目もくれずにアテナへと声をかける。

 

「お帰りなさいアテナさん。今日の経過はどうでした?」

「順調に行きました。静花さんのお陰ですね、ありがとうございました」

「いえいえ、こんな事で良かったらいつでも協力しますから!」

 

共に笑い合う義理の姉妹。

ニヤニヤと笑う主従と合わせて、黒一点で疎外感を感じる護堂。

 

ひとり寂しく黄昏ていた彼の元に、救世主がやって来た。

 

「おや、随分と賑やかだね」

 

何を隠そう、草薙一郎である。

 

「護堂、こちらの可愛いお嬢さんを紹介してくれるかな」

「じいちゃん、こちらアリアンナさん。エリカの専属メイドさん、でいいのかな? こっちは分かる通り、俺と静花の祖父です」

 

護堂が両者に軽い説明をすると、アリアンナが前に出て頭を下げる。

 

「お初にお目にかかります、大旦那様。エリカ・ブランデッリお嬢様の付き人を務めさせて頂いております、アリアンナ・ハヤマ・アリアルディと申します。護堂様のご好意によりこの家に置いて頂くことになりましたので、主人共々もう暫くお世話になります」

 

神も魔王もない貴族の従者として、真摯に挨拶をと努めるアリアンナ。

彼女の畏まった様子を見て、一郎は朗らかにそれを諌める。

 

「君のような娘に頭を下げられるほど、僕は偉い人間じゃないよ。非があると思うなら、笑っていてくれればいいさ。君の笑顔が、僕に元気を分けてくれるからね」

 

軽くウインク。

少しキザな言い回しだが、それを嫌味に感じさせない貫禄。

 

アリアンナはルクレチア・ゾラの言葉を思い起こす。

確かにこの男性は、傑物の器を持っているのだと。

 

ついでに、やはり草薙護堂の祖父なのだと再確認もした。

 

素直な従者はニコリと笑い、夕食の準備を始める。

その日の食卓は、アリアンナの独壇場だった。

 

静花のそれとは違う味わいに、アテナも舌鼓(したつづみ)を打ったのであった。

 

 

 

 

 



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護堂とアテナのデートから数日が過ぎた頃。

城楠学院の終業式が終わり、夏休みが始まろうとしていた。

 

燦々と輝く太陽に照らされる炎天下。

式を終えて帰宅した護堂は、同居状態にある金髪の令嬢から声をかけられた。

 

「ねぇ護堂、お願いがあるのだけれど」

「……またロクでもない事じゃないだろうな?」

 

甘えるような声音で、しかし嫌な媚び方ではない。

護堂が嫌悪を抱かない絶妙なさじ加減のそれは、まさにエリカの才能の現れだろう。

 

だがこちらとしては警戒せざるを得ない。

ここ何日かの生活で、彼女の態度の意味は学んだ。

 

誘惑するように甘い響きで、猫なで声というほどに(くど)くはないそれ。

今から口に出すのは厄介事に違いない。

 

護堂は密かに確信を持った。

 

「そんなに警戒しないで、簡単な事よ。わたしと一緒にイタリアへ来て欲しいの」

「え? 俺たちも行くのか? っていうか行ってもいいのか?」

 

ポカン、と音が鳴りそうな顔で呆ける護堂。

 

ここで自然にアテナも含めている所は、もう彼らの間で当たり前の事だ。

エリカとて当然の如く受け止めている。

 

対する護堂は未だに固まったまま。

エリカと共にイタリアへ、それはあまりに衝撃だったのだ。

 

そこに畳み掛けるように、エリカは更なる言葉を放つ。

 

「わたしと繋がりがあることを明白にして貰いたいのよ。一人で帰ったら家出娘が帰るために、ありもしない事実を吹聴していると難癖付けられてしまうもの」

 

そうまで言われてしまっては、護堂としても頷かざるを得ない。

 

言っている事は分かるし、先日もアリアンナに責任は取ると頭を下げたばかり。

事情が事情なので、ここはアテナにも存在を明らかにしてもらおう。

 

「分かった、アテナにも話しておくよ。じいちゃんと静花には、お前から説明しておいてくれよ」

「ええ、勿論よ。感謝するわ護堂」

 

現地にはサルバトーレもいるので証言してくれるだろうと、護堂は戦闘狂(もんだい)を棚上げして了承する。

仮にも剣士として渡り合った仲なので、勝者にあたる自分に今回は一歩譲ってくるだろうと、能天気な顔を思い出して妙に納得したのだ。

 

流石に剣の王のアホさ加減。

曰く「それとこれとは話が別さ」という言い分までは、護堂も読めなかった。

 

この中途半端なサルバトーレへの理解が、イタリアの地で待ち受けている災難と遭遇する要因になることを、彼はまだ知らない。

 

 

 

 

 

 

 

その数時間後、護堂はアテナを引き連れて買い物に出ていた。

イタリア行きの準備を整えるためだ。

 

「大体の物はこの前イタリアに行った時のを使うからいいとして、向こうで着る夏服を買わないとな」

 

前回に用意していった服は、ウルスラグナによって使い物にならなくなった。

なので、今回は一応の予備として多めに買っていく事にした。

 

「あなたは動乱を呼び、その中に飛び込んで行く男だものな。用意をしておくに損はなかろう」

「いや、トラブル体質な所は否定できないけど、飛び込むっていうのは止めて欲しい……」

 

騒動に飛び込んでるんじゃなくて、知らない間に巻き込まれてるんだ。

そう主張して頷いてくれるのは、一部の出来事に関してだけだろう。

 

ウルスラグナやメルカルトの件にしても、大局的に見れば飛び込んだと言う他ない。

アテナは進んで追いかけたし、ゼウスもその流れで戦っている。

護堂だけが悪いのではないが、責任の一端は握っているはずだ。

 

唯一ヴォバン侯爵に関しては向こうから攻めてきたので、後のサルバトーレと合わせて飛び込んだ訳ではないと言える。

 

「アテナは、今回も俺が戦う事になると思うのか?」

「さてな。妾は予言や託宣の神ではない、先を見通す事は出来んよ」

 

言って笑うが、何かを含んだような笑みだ。

しかし、と女神は続ける。

 

「草薙護堂の旅路が無事に終わる訳が無い。そう思わせる何かが、あなたにはあるのだ」

「……お前がそこまで言うなら、気を付けておくよ」

 

気にかけたからといって、その行為が実を結ぶとは限らない。

 

或いは、全能神(ゼウス)に叡智を齎した知恵の神(メティス)としての見識なのだろうか。

十中八九は何か騒動が起きるだろうと、確信に近い物を感じているアテナだった。

 

「あっ、これなんかいいんじゃないか?」

 

会話の合間に護堂が手に取ったのは、一見すると青いスカートに見えるそれ。

中身はハーフパンツと同じ構造をしていて、キュロットスカートと呼ばれる。

 

なお、護堂はこの名称を知らない。

 

「着てる服はいつもスカートとかドレスばっかりだけど、これなら履いてもいいんじゃないか?」

「ふむ……」

 

護堂から受け取ったアテナは手の中のそれをじっと見つめる。

裏返したり広げたりと観察し、そのままフィッティングルーム――俗に試着室と呼ばれる場所に持って行く。

 

途中で白いフリル付きのシャツを手にした所を見ると、どうやら試しに着てくれるようだ。

 

(なんか、少し緊張してきた……)

 

自分が選んだ服を恋人が着る、というのは初めての経験だ。

しかもそれが女神(アテナ)とあれば、なんだかむず痒い気持ちになる。

 

衣擦れの音を聞きながら、カーテンの前でソワソワと待つ。

 

「では、開けるぞ護堂」

「お、おう」

 

中から響く声に、思わず跳び上がりそうになる。

 

ひとつ深呼吸をはさみ、心の準備を整えた。

咳払いをして、カーテンを開ける。

 

そこには――女神が立っていた。

 

「どうだ?」

 

彼女は元々女神なのだが、これはもう美の女神と呼ぶべきだろう。

後ろ手を組み下から見上げてくるアテナに、護堂は感嘆の声を上げる。

 

「――似合ってるよ、凄く」

「ん、そうか」

 

言葉少なに返事をするアテナも、僅かながら照れが見える。

護堂が熱心に見つめてくるものだから、羞恥心が刺激されたのだろう。

 

アテナは商品を着たままレジに行き、護堂がそのまま買い取った。

新しい服を着て歩く女神は、心なしかご機嫌なようだ。

耳をすませば、鼻歌すら聞こえて来そうである。

 

それから暫く。

夫婦仲良く旅行の準備と題しショッピングを楽しんでいると、背後から女の声が掛かった。

 

「仲いいわね、二人共……」

 

まだ年若い、可愛らしい少女の声だ。

護堂が振り向くと、まず目に入ったのは黒のツインテール。

 

常は強気な性格が現れたつり目だが、今は困ったように目尻が下がっている。

護堂と静花の昔からの知り合い、幼馴染の徳永明日香だった。

 

「明日香、こんな所で奇遇だな」

「お久しぶりです、明日香さん」

 

右手を上げて挨拶する護堂と、ペコリと頭を下げるアテナ。

日本人として正しいのがギリシアの神とは、世も末である。

 

「久しぶり、護堂にアテナさん。二人はお買い物?」

「ああ、ちょっと頼まれてイタリアに行くんだよ。今日はその準備なんだ」

「の割には、普通にショッピングしているようにしか見えないんだけど?」

 

呆れたと言わんばかりの表情で首を竦める明日香。

思うところがあった護堂は、カラ笑いを浮かべて目を逸らす。

 

準備を名目にデートしている事は自覚していたらしい。

 

「はい、スカートも護堂さんが選んで下さいました」

「へぇ。アンタ、なかなかセンスいいじゃない」

 

明日香は感心した、この男にそんな甲斐性があったのかと。

感心し、そして観念した。

 

(やっぱりお似合いなんだなぁ、この二人……)

 

――心の何処かで(くすぶ)っていた火種が、その勢いを弱めていく。

 

「まぁそういう事なら、わたしはさっさと退散するわ」

「そっか。近いうちにまた食いに行くから、その時はよろしく」

 

明日香の実家は寿司屋を営んでいる。

護堂はアテナの紹介にと、店へ訪れたことがあったのだ。

 

その時に散々見せられたイチャラブっぷりを思い返し、彼女は辟易しながら二人から離れる。

 

「はいはい、お幸せにね~」

 

――命脈尽きようとしている火種から、熱がなくなる。

 

女神の登場によって、遅ればせながらも自覚した心。

今頃遅いと分かっていても、今日まで引きずっていたそれ。

 

(まぁアテナさんなら、いいのかな……)

 

背後に手を振り歩き去る明日香は、物憂げな笑みを浮かべ足を進める。

暑い日差しに目を瞑った、刹那――

 

「お前に護堂の手綱は握れんよ、娘」

「っ――!」

 

耳元で囁かれた声に振り返る。

視界の端で、女神がたおやかに微笑んだ。

 

そのまま護堂に腕を絡め、連れ行く。

 

「ああ、そう。そう来る……」

 

――光の消えた火種が、送り込まれた空気に蘇る。

 

「なんのつもりで煽ったのか知らないけど、後悔しないでよね。アテナさん(・・)――っ!!」

 

徳永明日香。

彼女は一度も、アテナを下に見たことはなかった。

初めから一貫して「アテナさん」と、そう呼んでいる。

 

女神本来の笑みを見て対抗心を燃やせる彼女は、一般人ながらも普通ではない。

やはり草薙護堂の幼馴染と、そう言うべきなのだろう。

 

――心の灯火は、今や煌々と燃え盛っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なぁ、明日香に何かしたのか?」

「さて、な」

 

腕を取られた護堂は、アテナの笑みからエリカのそれに似た意図を感じ取る。

 

新しいおもちゃを見つけたような、小悪魔的な笑み。

知らぬが仏と、それ以上は聞かない事にした。

 

 

 




明日香を焚きつけたのは、作者の意思ではありません。
アテナ様が勝手になさったことなのです。

途中から手が勝手にキーボードを叩き出し、気が付いたら明日香がアテナに対抗心を燃やしていました。どうしてこうなった。

明日香も出さなきゃなー、くらいにしか考えていなかったので、この展開に意味がある訳ではありません。なので注意、明日香は一般人です。変な設定はありませんので悪しからず。



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マルペンサ国際空港。

ミラノにあるイタリア屈指の大空港であり、日本からの直行便も通っている。

 

ミラノと言えば、エリカが所属する《赤銅黒十字》の本部がある都市。

エリカとアリアンナを含めた護堂一行は、再びイタリアに足を踏み入れたのだった。

 

正面玄関の付近まで来ると、外に待つ壮年の男性が目に入った。

 

端正な顔立ちに軽く肩にかかる程度の金髪。

薄手のTシャツを身に纏った肉体は、服の上からでも分かるほど鍛え抜かれている。

 

護堂が思わず立ち竦んでいると、澄んだ青い瞳と目が合った。

 

無精ひげに覆われた口元が、朗らかな笑みに変わる。

ラフながら気品溢れる出で立ちで、その男性は軽く頭を下げる。

 

釣られて護堂もお辞儀をすると、背後から少女の声が上がる。

 

「お久しぶりです叔父様!」

 

美しく通りのいいその声は、エリカ・ブランデッリのものだ。

 

それを聞き、護堂も男性の正体を悟る。

パオロ・ブランデッリ――魔術結社《赤銅(しゃくどう)黒十字》の総帥を務める、イタリア最高の騎士。

先代の『紅き悪魔(ディアヴォロ・ロッソ)』であり、当代エリカ・ブランデッリの叔父にあたる人物。

 

エリカが尊敬を露にするその人格は、まさに騎士の鑑と呼ぶべき紳士。

神獣を相手取るその実力は、イタリア国内だけに留まらない名声を集めている。

 

「お迎えに上がりました、草薙護堂様、並びにパラス・アテナ様。両陛下との謁見、誠に喜ばしく思います」

 

騎士然とした堂々たる姿勢で、世界屈指の聖騎士は一礼する。

続いてお転婆な姪に向き直り、静かに微笑みかけた。

 

「そしてエリカ、よく帰って来たな。こうしてお前が戻ってきた事が嬉しいよ」

「ご心配をお掛けしました。恐れ多くも『紅き悪魔(ディアヴォロ・ロッソ)』を名乗り続ける事までお許し頂き、感涙に耐えませんわ」

 

私人ではなく騎士としてのエリカ。

その毅然とした態度と口調にも、親類ならではの親しみが表れている。

 

パオロも優しげに目を細め、その姿を目に収める。

姪と僅かながらも笑顔を交わし合い、彼は本来の役目に戻る。

 

「では、参りましょうか。窮屈で申し訳ございませんが、此方に車を用意してありますので」

 

案内された車両は、黒いリムジン。

先を譲られたので、護堂は恐縮しながら中に乗り込む。

 

次に乗り込んできたのはアテナだ。

 

「お手を拝借致します」

 

女神たる子女に無作法があってはならないと、パオロは手を取り礼を尽くす。

腕を傷めないようにしながら姿勢を先導する巧さは、護堂には求めるべくもない代物だ。

 

「アテナ様、貴婦人をこのような場所に閉じ込めてしまう事をお許し下さい」

 

その言い回しも、如何にもエリカの叔父らしいと言える。

奥から護堂、アテナ、エリカ、パオロと並び、車は走り出した。

 

向かうは《赤銅黒十字》の本部、十五階建てのビルディングである。

 

 

 

 

 

 

 

 

「当代七人目のカンピオーネ、日本の草薙護堂です」

「名乗るまでも無かろうが、まつろわぬ女王アテナである」

 

夫婦が名乗りを挙げたのは、《赤銅黒十字》の本部ビル内部。

普段から幹部たちが使用している会議室だ。

 

広い室内に年代性別様々な者たち、スーツ姿ながら《赤銅黒十字》の幹部を務める騎士や魔術師が集まっていた。

 

「……折角の会議室ですから、席に座って頂いて構いませんよ?」

 

床に膝を付き頭を垂れる一同に、かつてのエリカを思い出したので態度を改めさせた。

 

護堂の指示で席に着いたものの、誰もが体を固くして姿勢を正している。

アレでは辛いだろうと思わないでもないが、エリカとの出会いを思い起こすと仕方がないと思い直す。

 

あの美しき才媛でさえ頭を垂れ命を差し出すほどだ。

ヴォバン侯爵やサルバトーレの気性を思えば、こうなるのも納得である。

 

草薙護堂は彼らと同じ神殺しの魔王。

それも隣にまつろわぬ神を侍らせているのだ。

いつ何が起きるのか気が気でないのだろう。

 

「先の一件では、よくぞ妾に貢献した。褒めて遣わすぞ、ヘルメスの弟子たちよ」

 

アルカイックスマイル――

 

常のそれとは違う、女神の女神としての笑み。

美しく、艶やかで、作り物めいた神の微笑。

 

護堂は、アテナがこの笑みを浮かべる事を嫌う。

しかし、この場では何より有効な代物だった。

 

女神の神威を感じ取った結社の者は、エリカへの敵愾心を尽く折られた。

 

この場の者たちは所詮人の子。

神の意向には決して逆らえない。

隣では魔王の睨みも効いているので尚更だ。

 

「エリカには我が夫の騎士として存分に働いてもらった故な、善きに計らってやるがいい」

 

これだけで、草薙夫婦の渡欧は目的を果たした。

げに恐ろしきはこの二人の仲の良さである。

 

本当に、神と魔王のカップルは反則の一言だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、《赤銅黒十字》の本部ビルを後にした二人は、アリアンナに案内された別荘までやって来た。

 

都市部から少し離れた、自然に満ちたコテージ。

この場を選んだのはアテナに配慮しての事だろう。

 

今でこそ車も電車も飛行機も乗るが、彼女は基本的に文明の利器を嫌う。

……最近は思い出したように出てくる後付けの設定、というような扱いだが。

 

運転を終えたアリアンナが、鍵を取り出して玄関を開ける。

 

中には自然味溢れる木製の家具が配置されている。

見ただけで清掃が行き届いているのが分かるので、事前に準備していたのだろう。

 

「ようこそお越し下さいました。どうぞお寛ぎ下さい旦那様、奥様」

「うむ、ご苦労であった。お前も暫し休息を取るが良い」

 

日本からずっと付き添っていた従者を労わるアテナ。

アリアンナがそれを受け目線で確認を取って来るので、護堂は躊躇なく頷いた。

 

「アンナさんも疲れてるでしょうから、休んで下さい」

「では、お言葉に甘えさせて貰いますね、護堂さん」

 

気の抜けたような笑みを浮かべ、椅子に腰掛けるアリアンナ。

アテナが向かいに座っているというのに、テーブルに突っ伏す始末。

 

従者にあるまじき態度だが、この程度の信頼は築いている。

 

先程も護堂と視線でやり取りしていたように、草薙家の面々とは良好な関係だ。

アテナが入口で気遣ったのがいい例だろう。

 

その中でも、護堂とアリアンナの二人はえらく親密になっているのだ。

……頭の片隅程度とは言え、エリカに危機感を抱かせる程である。

 

「はい、アンナさん」

「あ、すみません。ありがたく頂きます」

 

持参した水筒から冷えた麦茶を差し出す護堂。

わざわざキッチンからグラスを持ってきて注いでいる。

 

一人だけ正常な人間で疲れが溜まっていたのだろうと。

突っ伏した彼女を見て悟り、護堂もアテナに習って気遣う事にしたのだ。

 

今のところアリアンナにのみ発揮されるこのマメさを見て、静花は「まさかお兄ちゃん、遂に覚醒したのっ!?」と戦慄したとかしてないとか。

 

「護堂――」

「浮気はしないしする時は言うよ」

「ならば良い」

 

アテナは度々こんな事を言うようになってきた。

始まりがいつだったかは記憶にないが、極々最近だったと思う。

 

先日に「愛人というのを作るのならば、事前に申し出よ」と言われた護堂。

するわけがないと言い返せば更に念を押されたので、言われる前にこう返答するのが恒例となりつつある。

 

護堂はどうしてこんな事を言い出したのか、訳が解からないという考え。

知らぬは本人ばかり也、とはまさにこのことである。

 

現状、アテナが脳裏に思い浮かべているのは三名。

つり目ツインテールと金髪令嬢騎士とクォーターメイドである。

そのうちに亜麻髪の霊視巫女あたりも参戦しそうだとも考えているが、その辺は女神の関与するところではない。

 

彼女本人の心と行動の問題である。

 

 





次回からは第四章、例のキザ男の登場です。
さて、プレシビート広場の解体作業が始まるな。


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第四章 太陽と魔王


 

 

 

イタリアで過ごす夏休み。

《赤銅黒十字》の用意したコテージに宿泊する護堂一行。

 

世話役として同居するアリアンナの用意した食事を堪能したあと。

暫く放心していたアテナが、ポツリと呟いた。

 

「やはり間違いない、女神の神気が昂ぶっている……」

「ん? 俺は何も感じないぞ?」

「まつろわぬ神にはまだ遠い故な、あなたには解からぬだろうよ」

 

アテナ曰く、何らかの神具が大地の精気を蓄えているらしい。

大地から力を得るという事は、地母神に関連する物なのだろう。

 

現にアテナも――

 

「何やら、ざわめきを感じるのだ……」

 

そう漏らしている。

アテナとてかつては神々の女王、偉大なる大地母神だった。

神話上、無関係ではない神の遺物なのではないか、というのが彼女の見立てだ。

 

「護堂、放っておくのか?」

「ああ。ここはサルバトーレ・ドニの領土なんだろ? 俺たちの方に何もなければ、あいつに任せるべきだ。何かあったら、自分で突っ込んでくれるだろうしな」

 

剣の王が秘めた闘争の飢えを思い、そう結論付けた。

アテナも神が顕現するまでは細事に過ぎないと、夫の判断に習う。

 

数日後、護堂はこの判断を後悔することになる。

サルバトーレ・ドニのバカさ加減を見(くび)っていたと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それは、アリアンナが二人の夕食を拵えている頃。

 

ソファーに腰掛け女神を抱き止め、いつもの体勢で寛いでいた時だった。

身体が余分な熱を排出しコンディションを整え始める。

カンピオーネとして戦闘態勢に入ったのだ。

 

護堂の腕から抜け出し立ち上がったアテナは、既に戦装束へと変わっていた。

 

「まつろわぬ神が現れたな、例の地母神の神具が発動したのか?」

「いや、これは……」

 

女神は視線を数瞬迷わせ、次に鋭さを宿す。

 

「違う。神具が溜め込んでいた呪力を暴走させ、地脈から神獣が生まれたのだ」

「それから?」

 

現れたのが神獣だけなら、カンピオーネが反応する訳が無い。

神殺しの宿敵足り得るのは、まつろわぬ神だけなのだから。

 

「神獣は地母神の性質から竜として顕現した。竜とは即ち翼を持つ蛇、蛇は女神の写し身だ」

 

雲のない満天の星空から、不意に落雷が降る。

草薙護堂の権能、『天空神の威光(Lightning of Zeus)』の発動だ。

 

雷に撃たれ神速に入った護堂は、アテナを抱き上げて現場へと疾走した。

 

「そして蛇を討ち倒すのは英雄――恐らく《鋼》の類が顕現したな」

「《鋼》というと、軍神とか闘神とかそのあたりか……」

 

《鋼》――存在そのものが剣の暗喩であり、外敵をまつろわす生ける剣神。

 

石、鉱石より生まれ。

火、鉄を溶かす高熱に晒され。

風、火を煽る風を受け。

水、冷やし固める水を浴びる。

 

これらの属性と共生関係にあるのが鋼の英雄。

龍蛇を滅ぼし、その不死性を取り込む戦神(いくさがみ)たちなのだ。

 

状況を把握したところで騒動の現場が見えた。

 

「――アレかっ!」

「急げ護堂、あの竜を殺させてはならぬ」

 

四肢と翼を持つ西洋風の竜と、それに斬りかかっている金髪の男。

その出で立ちは現代の物ではない。

 

間違いなくあれこそが、新たに顕現した鋼のまつろわぬ神なのだろう。

であるなら、男の好きにさせてはいけない。

 

あの竜は大地の化身。

それを滅ぼしてしまえば、この周囲一帯が不毛の大地に成りかねない。

 

「荒っぽく行くぞ、気を付けろよ!」

「望むところだ!」

 

言葉通り、護堂の取った行動は荒々しいモノだった。

 

雷光を先行させて男の動きを妨害する。

動きが止まった隙を縫い、落雷として竜と男の間に落ちたのだ。

 

これには流石に、男も意表を突かれたらしい。

手傷を負うようなヘマこそしなかったものの、着地の衝撃に吹き飛ばされた。

 

……近くにいた銀髪の少女も同じく。

 

「一般人じゃないと思うけど、人間の女の子まで吹き飛ばしてしまった……」

「年若いが、魔女だな。死んではいないようだ」

 

アテナの補足に安堵の息をつく。

戦闘の仲裁に来て過失致死など笑えない。

 

気を取り直して、護堂は土煙の向こうにいる英雄神を睨む。

共に来たアテナは背後に庇う神獣に向き直り、その身を(いたわ)っているらしい。

 

「暫し眠れ、我が眷属たる大地の子よ。妾の胸にて身を休めるがいい」

 

竜の体躯が呪力に解け、女神の内に溶けていく。

これでアテナ本人がどうにかならない限り、この土地は安泰だ。

 

あの英雄は、草薙護堂が倒せばいい。

そこまで考えて、ふと思い出したことがある。

 

「こんなイタリアのど真ん中で神が現れたのに、サルバトーレ・ドニはまだ来ないのか?」

 

あの男の戦場を嗅ぎ分ける嗅覚には戦慄させられた。

そんな戦闘狂が、この場に居合わせていない事が不思議でならない。

 

護堂の疑問に答えたのは、神と共に吹き飛んだ銀髪の少女だった。

 

長い銀髪を一括りにした、利発的な佇まいの少女。

アテナを前にしてこのような表現をするのは憚られるが、まるで月明かりに照らされた妖精のようだ。

 

銀糸の髪を尾のように揺らし、少女は騎士のように膝を付いた。

 

「恐れながら、御身を日本のカンピオーネ――草薙護堂様とお見受け致します」

「ああ、そうだ。キミは?」

「申し遅れました。このナポリにおける魔術結社、《青銅黒十字》にて大騎士の位を授かりました、リリアナ・クラニチャールであります」

 

銀髪の少女――リリアナ・クラニチャールは名を告げる。

彼女の名乗りにそこはかとなく既視感を感じた護堂だが、今は先に聞くことがある。

 

このタイミングで話しかけて来たのだから、教えてくれるのだろう。

あのはた迷惑な男、サルバトーレ・ドニについて。

 

「サルバトーレ卿の行方に関してですが、先程までこの場にいらっしゃいました」

「ここにいた? 念願の神様を前にして、どっかに行ったっていうのか?」

「いえ……」

 

疑いの眼差しを向ける護堂に、リリアナは苦虫を噛み潰したような顔を向ける。

 

「卿は我ら《青銅黒十字》が守護していた神具――ヘライオンという石柱を切り裂かれたのです」

 

その「また面倒を起こしやがってあのバカは!」と意訳できそうな顔を見て、護堂も納得した。

 

件のヘライオンというのが、数日前からアテナの感じていた神気の原因。

魔剣の権能で斬られた事により蓄えていた大地の精気が溢れ出し、さっきの竜が生まれたのだ。

 

「それから意気揚々と竜に挑まれたのですが、剣を手放しておいでだったため攻撃手段がなく、神獣が起こした波に攫われて……」

「どこかに流されて行方不明って事か……あのバカめ」

 

事情を聞き、遂に呆れが溢れ出してしまった。

奴が余計な事をしなければ、こんな事にはならなかったかもしれないのに。

 

いや、それはそれで違う神が現れていたかもしれないのだが。

 

護堂は頭痛が襲ってきたように感じた。

サルバトーレ・ドニは計り知れないバカなのだ。

 

自分の見識だけで判断するべきではなかったと、魔王の滅茶苦茶さを痛感した。

本人も割と似たようなイメージを持たれていたりするが、そこは割愛する。

 

今は目先の問題を片付けるべきだろう。

 

「分かった。サルバトーレ・ドニが使い物にならないみたいだから、今回は俺が出張る。って事だ、相手は俺がするぜ」

 

最後の一言は、リリアナの更に後方へ。

投げかけた声に、いつの間にか佇んでいた英雄神は朗々と応える。

 

「君は当代の神殺しのようだな少年。そこな女神と現れた事にも興味が尽きない、是非名を聞かせて貰いたいな」

「草薙護堂だ――アンタは?」

 

護堂の言葉に、愉快とばかりに笑みを浮かべた。

鋼の英雄は歌うように、歌劇の一幕が如き名乗りを挙げる。

 

「フッ……良くぞ聞いた、若き神殺しよ! 我が名はペルセウス! 神々に歯向かう大妖・カンピオーネよ、我が名の下にひれ伏すがいい!!」

 

英雄神ペルセウス推参。

草薙護堂のイタリア旅行は、女神の予言通り波乱の展開を迎えたのだった。

 

 



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ペルセウス――英語でパーシアスとも呼ばれる男。

 

ギリシア神話に登場する半神の英雄の一人。

アルゴス王の娘、ダナエーがゼウスとの間に儲けた子。

 

彼は神々の助力を受けて蛇の魔物ゴルゴンを討ち果たし、その首で以て海の怪獣を退けて後の妻アンドロメダを救った。

つまり、アテナとは仮といえど姉弟の関係であり、蛇妖メドゥーサとして仇にも当たる相手。

 

今宵イタリアはナポリの街に顕現したのは、そうした経緯を持つ神なのだ。

 

「我が名はペルセウス! 神々に歯向かう大妖・カンピオーネよ、我が名の下にひれ伏すがいい!!」

 

なのだが……

眼前で得意げに己の名を告げる男を見ると、とても偉大な英雄とは思えない。

現代人の護堂から見ると、自分の言動に酔って役者になったナルシストが精々だ。

 

これは神話にまつろわぬ神ゆえの弊害だろうか。

それとも、当時の英雄観はこんなキザったい男なのだろうか。

 

全能神であり神話の主神でもあるゼウスを思えば、後者に軍配が上がるかもしれない。

今の価値観からするとあまりゾッとしない話である。

 

しかし地上に降臨した神としては間違っていない。

まつろわぬ神とはそういうものだ。今の発言も、人心を支配する言霊なのだから。

 

「生憎と、俺は極東の国の生まれなんだ。アンタの名前なんて俺には何の意味も持たないよ」

 

只人ならばそれだけで恐慌に陥るであろう神の言霊。

現に大騎士の位を持つリリアナですら、身を固くして動けないでいる。

 

しかし、人成らざる魔獣の王者は違う。

形なき拘束など物ともせず、怯えるリリアナを気遣う余裕すらある。

 

「気を強く持て、呑まれるな。あんなのに恐れ(おのの)くことはない」

 

神話にまつろわぬ神など、畏れ敬うに値しない。

民を蔑ろにする英雄は、決して英雄足りえない。

 

青と黒のケープに包まれた両肩を掴み、言霊を言い聞かせる。

 

英雄の支配力に膝を付いていた肉体が、その自由を取り戻す。

宝石のような青い瞳に意思の光が宿ったのを見て、護堂は敵に向き直った。

 

神話に語られる英雄だけあって、少女を気にかける事に不満はないらしい。

むしろ予想してすらいたのだろう、涼しい顔をしている。

 

「やはり神殺し、この程度は児戯にすらならんか。しかし解せんな……」

「彼女の支配を解いた事か?」

「いや、神殺しともなればその程度はやってのけて当然だろう。私が気に掛かるのは――女神よ、あなただ!」

 

ペルセウスはその眼光を護堂より逸らす。

視線が向かう先は、竜を保護したアテナの尊顔。

 

「あなたは私も存じているお方のはず。極東の生まれの、それも神殺しのそばに立っているのはどういう事情ですかな?」

 

護堂の後ろに立つアテナに訊くが、女神は痛烈な批判を返す。

 

「――妾を前にして、わざわざその名を持ち出そうとは……派手好きを責めはせぬが、少しばかり身を(わきま)えてはどうだ」

「……これは失敬。されど仮にも我が名の一つ、舞台に相応しい名を披露するのも、英雄の性ゆえお許し願いたい」

 

不遜なまでに言葉を投げ付けるアテナに、ペルセウスは苦笑を露にした。

 

この男がそんな表情をするのかと感心すら覚える護堂。

今の会話にも引っかかる所はあるが、アテナの会話を邪魔できず黙っている。

 

「まぁ良い。この者は我が伴侶ぞ、あなたの悪ふざけも夫が誅してくれるであろう」

「ほう! これはまた異な事を仰る。神殺しを伴侶とは、女神アテナもまつろわぬ身で耄碌(もうろく)されましたかな?」

「吐かせ若造。そのよく回る口も早々に飽きた、疾く我が視界より消え失せよ――」

 

女神は眷属たる蛇を呼び起こす。

 

海底の土砂がうねりを上げ、海水を押しのけてのし上がって来た。

最近は見る機会の多い大地の蛇。

 

海面の隆起は一つに終わらず、計八つの蛇頭が鎌首をもたげる。

 

護堂が記憶を探っても、今までに無いほど手が早い。

それほどペルセウスが気に食わないらしい。

 

神話の関係性を思い起こせば当然かもしれないが、彼女はそんなに短慮だっただろうか?

 

何か彼女たちにしか解からない事情があるようだ。

護堂は内心で首を傾げながらも、戦況の移り変わりに注視する。

 

「闇と大地の蛇、あなたの象徴とも言える眷属ですな。これは少々厄介だ」

「……口ばかり達者な男よ、それが厄介という顔か」

 

アテナの苦言もよくわかる。

 

言っているのは口だけだ。言葉に反して、顔は涼しげな笑顔一色。

あからさまに余裕の表情と言っていい。

 

それを裏付けるかのように、ペルセウスは揚々と語りだす。

 

「しかし私とて仮にも英雄、その手の物には慣れております……いにしえの武勲、我が刈り取りしゴルゴンの首にかけて申しましょう。あらゆる蛇は、私の前では無力になると」

 

英雄の宣誓により、全ての蛇は砂塵へ還った。

ペルセウスの放った言霊が、アテナの神力を祓ったのだ。

 

「蛇殺しの言霊――妾と血を等しくするメドゥーサを打ち倒した功績により得た力か。ペルセウスを名乗るからには、やはり持っていたな」

「女人を相手に卑劣な真似をするなど英雄の名折れ。このペルセウス、お望みとあればこの戦には使わぬと誓いを立てましょう。いかがですかな?」

 

舞台に立つ主役のような身振りで問い掛けるペルセウス。

まるで優位を見せつけるかのようだ。

 

「不要だ。何より、あなたの相手は妾にあらず。その余裕も続かぬだろうよ」

 

これに対して女神は素っ気なく返し、代わりの相手を差し出す。

言うまでもなく草薙護堂だ。

 

本人も当然の如く前に出て、女神を待機させる。

 

「アテナは神獣を匿ってるんだ、矢面(やおもて)に立たせる訳にはいかないしな。それに言っただろう、相手は俺だって!」

 

大地を踏み締め、呪力を昂ぶらせる護堂。

戦いに奮い立つ魔王を前に、鋼の英雄もまた笑みを濃くする。

 

《鋼》は外敵をまつろわせる戦いの神。

蛇退治の伝承を持つ彼もまた、剣を振るう事に悦楽を覚える性なのだ。

 

今よりまつろわぬ神とカンピオーネの戦いが始まろうとしている。

 

その兆候を感じ取ったリリアナは身を竦めてしまう。

無関係な人間が傷付くのを護堂は嫌う、それを知っているアテナはリリアナの保護に動いた。

 

「娘よ、我ら蛇の系譜に連なる魔女の子よ。これより先は神話の戦い、疾く去る方が身の為だぞ」

「しかしアテナ様、わたしは仮にもこの街の守護を担う者。神々や王たる方に丸投げなど出来ません! わたしもここで見届けます!」

「そうか、ならば妾から離れるでないぞ」

 

リリアナの睨むような懇願に、アテナはごくあっさりと折れた。

己の力に絶対の自負を持つ彼女は、人間の一人や二人くらい守るのは容易いと自認しているのだ。

 

去ろうが残ろうがどちらも同じ。

まつろわぬ神の例に漏れず、懐に入った相手以外は基本的に無関心なのがアテナである。

 

女性陣の推移を尻目に、男性陣は火花を散らせていた。

 

「此処では些か観客が少ない。英雄はその活躍を民に知らしめ、武勲を語り継がせる責務があるというのに……」

 

嘆くように(かぶり)を振るペルセウスに、護堂は遂に呆れを表す。

 

「トコトンまで派手好きだなアンタ……でも俺はこっちの方が気兼ねなくやれるんだ、付き合ってもらうぜ」

「――ふむ、まぁ良かろう。美しき乙女と因縁の女神の御前だ、大衆に晒さぬ秘めた決闘というのも、それはそれで(おもむ)きがある!」

 

言ってペルセウスは、腰に携えた白刃を再び晒す。

英雄の象徴たる鋼を抜き放つと同時に、宿敵たる神殺しの王に向かい斬りかかった。

 

 



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刀を抜いたペルセウスは、白い装束を棚引かせて地を蹴った。

襲いかかって来る鋼の刃を、護堂は飛び退いて避け――られない事を悟った。

 

(速すぎるっ!?)

 

咄嗟の判断で黄金の剣を召喚。

ペルセウスに関して詳しい知識がないため、神秘も神威も宿っていないただの剣だ。

 

だが仮にも神の権能、《鋼》の武具として正しく働いてくれた。

鈍色と金色がせめぎ合う。

 

「ぐっ、ぅううう――」

「君も剣を抜いたか。それも黄金の剣とはまた、これも因果かな……」

 

鍔迫り合いになったペルセウスが何事か呟くが、護堂にそれを聞く余裕はない。

 

今の速さは神速のそれだった。

サルバトーレのように心眼を会得していない護堂が対抗するには、同じく神速の領域に入るしかない。

 

今まで護堂は落雷に撃たれる事で神速になっていた。

しかし、この状況でそんな隙は見せられない。

 

(だったら、このままの状態で神速になるしかないっ――!)

 

本当に出来るのか?

 

出来ないとは思わない、ならば出来ない事はない。

やるしかないなら、やるだけだ!

 

「ケラウノスの雷よ、我に閃電の疾さを与え給え!」

 

護堂は全身から電流を撒き散らし、ペルセウスの刀を弾いた。

目論見は見事成功したのだ。

 

「おおっ! その雷はゼウス神より簒奪したものだったか! 君もそれで神速閃電の領域に入った訳だな、面白い!」

 

鋼の英雄も敵の成長に喜び、更に戦意を昂ぶらせる。

 

白い流星となったペルセウス。

動く雷霆となった護堂。

 

常人の目には捉えきれない超高速の斬り合いが始まった。

 

二つの軌跡が夜景に踊る。

ぶつかり、交差し、並び、離れ。

 

「これが神速の領域、神と王の戦い――」

 

傍観するリリアナには何が何だか解からない。

魔女たる彼女の目にさえ、彼らの挙動は見えないのだ。

 

しかし隣のアテナは、目に見えずとも状況を把握しているらしい。

 

「これは護堂が劣勢、というべきか……」

 

女神の言葉通り、神殺しの王は窮地にあった。

英雄神と神速で切り結ぶ様は互角に思えるが、その実、危ない均衡の上に成り立っているのだ。

 

草薙護堂はカンピオーネとなってまだ三ヶ月といった所。

サルバトーレやヴォバン侯爵と違い、複数の権能を同時に使えるほどに成熟していない。

まして同時使用は初めての試み、慣れない事をして負担が蓄積している。

 

この舞闘も長くは持たない。

護堂本人も、このままではジリ貧だと自覚していた。

 

(とは言え、神速の斬撃に対抗するにはこれしか――)

「そろそろ次の手を打とうか、神殺し!」

 

自分の有利を読み取ったペルセウス。

手詰まりに陥った護堂に対し、更なる追撃を仕掛けて来た。

 

「打ち合って確信した、君の剣は勝利の軍神ウルスラグナのものだな!」

「なっ――!」

「運が悪かった、という他ないな」

 

見事に言い当てられ、護堂は驚愕を露にする。

だが、運が悪かったというのは一体……?

 

その疑問は、悪い形で理解させられる。

 

再び剣を合わせたペルセウスの背後より、突如として眩い後光が差す。

手の中にある黄金の剣が、ほんの僅かだが揺らいだ気がした。

 

「我が父祖たる東方の輝きを以て、御身の名の下に奇跡を成さん! 東方より来たりし者、我が遠き同胞よ――この光を受け鎮まり給え!」

 

英雄の言霊。

支配を強いるそれや、蛇殺しの力を宿したものとは違う。

背後に輝く暖かな光に起因する言霊が、護堂へ変調を齎らす。

 

勝利を司る知恵の剣が、黄金の光へ溶けていく。

それは即ち、ペルセウスの剣を受け止めていた守りがなくなるということ。

 

ジリジリと距離を詰める白刃に、護堂は危機感を募らせていく。

 

「なんだ、ウルスラグナの神力が封じられた――!?」

「さぁ神殺しよ、決着の時が来たぞ!」

 

理屈を考えている余裕はない。

護堂はここに来て、新たな試みを実行する事にした。

 

権能の同時行使ではなく、権能の融合。

 

(前にウルスラグナは雷を操っていた。なら、相性は悪くないはずだ!)

 

古代ペルシアにおいて、雷神インドラは悪魔として信仰されていた。

いにしえの軍神ウルスラグナは、そのインドラより雷神の神性を継承しているのだ。

 

雷と言えば、ウルスラグナ第九の化身『山羊』。

角を持つ山羊は、古来力の象徴として崇められた獣。

そしてヨーロッパの騎馬民族たちが生み出した天空神ゼウスもまた、稲妻を象徴とする山羊と縁深い神だ。

 

その共通項があればこそ、護堂の理想は形になった。

 

「雷の神威を以て、我に正しき光明を示し給えぇえええええええ――――っ!!」

「ぬぅ、小癪なぁ――っ!!」

 

消えかかっていた黄金にゼウスの神力を注ぎ込み、不安定ながらも雷霆の剣として構築する。

 

実体がなくなった雷剣を素通りし、ペルセウスの刃は護堂の肉を抉る。

しかし護堂の方も、腹を裂かれたくらいでは死なないとペルセウスを焼き焦がしにかかった。

 

胴体を電線で溶断しようとしたが、一歩叶わず。

互いに一撃を与えた所で呪力の制御が乱れ、急造の剣は弾け飛んだ。

 

神速の領域でぶつかり合っていた両者も、同じく反発して地面に打ち付けられた。

 

「ぐぁっ!」

 

右脇腹を()かれたペルセウスは、倒れた衝撃に呻きを上げる。

 

「護堂――」

「っ……悪いアテナ」

 

対する護堂は、リーチを伸ばすべく成長した女神の胸に受け止められた。

愚か者め、と言いたげな眼光に反して、受け止めた手つきが慈しみに満ちている。

 

「まったく、あの程度の輩に遅れを取るなど……」

「神様ってのは、基本的に厄介な相手だからな。それにアイツ、ウルスラグナの権能を封じてきたんだ」

「その件については――」

 

そこで、アテナが言葉を切った。

護堂も顔を上げると、白い翼が目に飛び込んでくる。

 

白い翼、白い四肢、白い体躯。

翼を持つ白い駿馬(しゅんめ)が、背に英雄を乗せ悠然と佇んでいた。

 

天馬(ペガサス)……」

 

そうだ、ペルセウスはメドゥーサを退治したあと、その血から生まれたペガサスを従え国に帰ったのだった。

 

あの白馬は、ペルセウスの神獣として召喚されたのか。

地に立つ今も美しいが、空を飛ぶ姿は殊更(ことさら)目を奪われるだろう。

 

背に跨がる英雄が手傷を負っても、その勇姿に曇りはない。

 

「神殺し、草薙護堂よ。その名、(しか)と覚えたぞ! 女神アテナよ、彼はあなたの眼に適うだけの素晴らしい戦士だった」

 

鋼をも溶かす高熱によって負った傷口を押さえ、尚も英雄神は演説を続ける。

彼の演出精神はもはや尊敬に値する域かも知れない。

 

護堂と、そしてアテナを見定め、宣誓を新たにする。

 

「願わくば、この傷が癒えた後に再び剣を交えたいモノだ。今宵は出直すとしよう! だが、その首は私がもらう! 再戦の時を楽しみにしているが

 

いい!」

 

片手ながら(くつわ)から伸びた手綱を引き、流星の速さで飛び立つ。

夜空に消える天馬の勇姿は、やはり見惚れる程に綺麗なものだった。

 

「く、草薙護堂! アテナ様! ご無事ですか!」

 

飛翔術によって近付いてきたリリアナに、アテナは檄を飛ばす。

 

「娘よ、付近で休める場所に案内せよ。護堂を休ませたい」

「はい、近くに《青銅黒十字》の支部があります。大きいとは言えませんが、存分にお使い下さい」

「無理言ってごめんリリアナさん、後は君とアテナに任せるよ」

 

頭を下げるリリアナに、護堂も礼を言って体を休める事にした。

 

「では、行くぞ」

「はい! アルテミスの翼よ、夜を護り、天の道を往く飛翔の特権を我に授け給え!」

 

眠りについた護堂を抱え直し、アテナは空に上がる。

リリアナは再度飛翔術を使い、女神を先導した。

 

夏休みのペルセウス戦。

第一幕は、痛み分けの結果に終わったのだった。

 

 



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ナポリの街にペルセウスが顕現し、アテナが神獣を取り込んだ日の翌朝。

鋼の英雄と神速の熱戦を繰り広げた件の魔王は、リリアナに招待された《青銅黒十字》の支部で眼を覚ました。

 

神殺しの戦士が初めにしたのは、何よりもまず戦力の確認。

 

再び視界を閉ざして集中すると、権能の神力が認識出来る。

雷鳴轟くケラウノスは勿論の事、淡く発光する黄金の剣も問題なく。

 

どうやらペルセウスの権能封じは、一晩眠ると回復する程度の効力しかなかったらしい。

それにしても戦闘中は使えないという事なので脅威には変わりないのだが。

 

「権能は戻った、傷も塞がった。とりあえずは元通りか……」

 

相変わらずデタラメな回復速度だと嘆息する護堂。

しかし本人も分かっていた。

 

スペック自体は元通りだが、どうにも気が乗らない。

神との戦いに対するモチベーションが上がらないのだ。

 

戦闘になれば身体だけでなく精神状態も整えられるのは承知の上だが、だからといって今の状態で戦うのは避けた方がいいだろう。

ベッドの上で気落ちしていた所に、単調なノックが鳴り響く。

 

「失礼します」

「はい、どうぞ」

 

扉から顔を覗かせたのは、昨夜知り合ったリリアナだった。

 

「――! 起きていらっしゃったのですね」

「お陰さまで傷も塞がった、ありがとうリリアナさん」

「いえ、当然の事をしたまでですっ!」

 

頭を下げて恐縮するリリアナの姿に既視感を覚えた。

昨晩の名乗りといい、益々どこかの金髪を彷彿とさせる。

 

今でこそ本性を現してかなり好き勝手に振舞っているが、最初は仰々しくて戸惑ったものだ。

どこか見当外れな感慨を抱きながら、護堂はその旨を訊き出してみる。

 

「質問なんだけど、《青銅黒十字》って《赤銅黒十字》の仲間とかなのか?」

「ど、どうしてそうお思いに?」

「いや、語感とか良く似てるし、同じイタリアの近くだから無関係じゃないだろうなと……」

 

言いながら声が(しぼ)んで行く。

リリアナの表情が困惑の色を帯びていくので、間違っていたのだろうかと不安になったのだ。

 

対するリリアナも護堂の戸惑いに気付き、補足を始める。

 

「古来より両結社は互いに競い合って来た間柄なのです。例えばわたしも、あなたが良く知るエリカ・ブランデッリとは幼少時から何かとぶつかり合って来ましたから」

 

紅き悪魔の集い、《赤銅(しゃくどう)黒十字》。

青き狂戦士の集い、《青銅(せいどう)黒十字》。

 

共に黒十字を名乗るからには前身たる組織が同じだったのかもしれないが、今となってはいいライバルと言ったところだろう。

エリカとリリアナも両組織を代表する次期後継者候補の筆頭であり、ライバル関係として研鑽を積んできたのだとか。

 

話を聞いて護堂も納得する。

それは仲間かと聞かれれば微妙な顔をするだろう。

 

無知ですまないと謝ると、謝罪されるような事ではないと返された。

 

それを取っ掛りに話を進めていくと、次なる疑問が浮かんでくる。

思い出したという方が正しいのだが、事のついでだとリリアナに問うてみる。

 

「そう言えばエリカがリリィって呼んでた子がいたけど、それって……?」

「……はい。大変遺憾な呼び名ではありますが、恐らくわたしの事だと思われます。時に草薙護堂、あの女狐はわたしを何と?」

「女狐って……」

 

その言い草に苦笑しながらも、どこか納得を覚える護堂。

あの手腕と口の上手さを考えると、似合わないとは言えない。

 

彼女が言っていたのも、そういう話題の中でだった。

 

「エリカが少し前に、アテナを見てると懐かしいって言ってたのが、そのリリィって子――つまりリリアナさんだったんだよ」

「アテナ様を、エリカが……」

 

からかい上手で口が達者だとエリカにボヤいた時、彼女が言ったのだ。

 

『そんなリリィみたいな事を言って、釣れないわねぇ』

『初めて聞く名前だな、どんな子だ?』

『そうねえ……真面目で融通が効かなくて、でもそこが可愛い昔馴染みよ。アテナ様を見ていると、何だか昔のあの娘を見ているようで懐かしく思えてくるわ』

 

確か、そんな会話をしたはずだ。

 

いま思うに、名前をもじったあだ名だったのだろう。

誰が言い出したかは知らないが――恐らくエリカなのだろうが――的を射ていると言っていい。

 

「恐縮です。ええ、本当に――」

「いやでも、言われれば確かに似てますよ。リリアナさんとアテナって」

 

あのエリカが百合(リリィ)なんて言うからどんな美少女だと思ったことはあったが、確かに白百合の妖精と称されてもおかしく無い美貌を持っている。

 

それに、エリカの言にも納得がいった。

透き通るような銀髪はアテナのそれと被るし、端正な顔立ちをしている両者だ。

幼い頃の彼女が真面目な顔をしている様は、アテナの風貌から容易に連想出来た。

 

聞けば、エリカと出会った当初は髪を括っていなかったのだとか。

本来の姿を晒したアテナと並んだら、姉妹に見えるのではないか?

 

「そ、そのような恐れ多い事を――」

「そうかなぁ、結構お似合いだと思うんだけど……」

 

それから暫く談笑を続け、仲を深める二人なのだった。

 

 

 

 

 

「目覚めたか、護堂」

 

あれから護堂は食堂に来ていた。

リリアナは元々、食事をどうするべきかと部屋を訪ねて来たらしい。

 

彼女が会話の途中で本来の目的を思い出したので、案内してもらったのだ。

 

しかしこれは予想外。

アテナと食堂で鉢合わせるというのもそうだが、彼女が朝食を摂っているのが。

その美貌は衰えを知らないが、誰も今の彼女を見て神への畏敬は感じるまい。

 

人間の生活習慣が完全に根付いてしまっている。

護堂は喜ばしい事だと割り切って、アテナに話しかけた。

 

「おはようアテナ、昨日は面倒をかけたな。それに、奴を倒し切れなかった」

「気にするな。元来、神々と神殺しは共に不死に近い存在ゆえな。決着が付かないことなど良くある話だ」

 

謝罪を述べる夫を擁護し、マグカップのコーヒーを飲み干す女神。

 

なお、中身はミルクと1:1の割合である。

身体が幼い彼女に挽きたては苦味が濃いのだ。

 

好物がいちごオレである時点で、味覚の程は察して欲しい。

 

「草薙護堂。食事をお持ちしますが、何か要望はありますか? 可能な限り用意させますが」

「アテナと同じ物でいいですよ。ただ、量は多めにお願いします」

「では、そのように伝えて来ます」

 

アテナの隣に座り朝食を注文する護堂。

リリアナが手配してくれた配膳を待つ間に、昨夜の気がかりを解消しておく。

 

「聞いておきたいんだけど、アイツがウルスラグナの権能を封じてきた理由って、分かってるんだよな?」

 

ペルセウスと共に弾け飛んだあと、アテナは何かを言いかけていた。

ペガサスの登場で遮られたが、彼女の言わんとする事に見当はついている。

 

「ああ、知っている。仔細は省くが、要は彼奴(あやつ)の出自に彼の軍神と関わりがあるのだ」

 

故に封じられたのはウルスラグナのみ。

ゼウスの雷には何の効果も成さないとアテナは断言する。

 

それを聞いて、ひとまずは安心した。

もしアレが黄金の剣と同じように対象の選別が出来ていたなら、厄介にも程があっただろうから。

 

その厄介極まりない力を自分が振るっている事を棚に上げ、鬱陶しい事をしやがってと内心で愚痴る魔王なのであった。

 

「でも、ペルセウスとウルスラグナの関係? そりゃウルスラグナはオリエントに流れてヘラクレスと習合するけど、同じギリシア神話でもそれだけの関係だろう?」

「いえ、そうとも限りませんよ」

 

護堂の上げた疑問の声に、リリアナが口を挟む。

 

「英雄ペルセウスが妻アンドロメダとの間に授かった子供、アンピトリュオンはヘラクレスの義理の父となります。そして大英雄ヘラクレスを産み落としたアルクメネ、彼女はペルセウスの孫にあたる女性なのです」

 

思わぬ関係性が露になった。

 

ペルセウスから見て息子と孫が夫婦になるというのは、神話だから良くある話だ。

しかし、それが意味する所は――

 

「つまりギリシア有数の大英雄ヘラクレスは、ペルセウスの血を継ぐ系譜なのですが……」

 

そこで言葉を濁した。

 

「それだけでは、ウルスラグナ神そのものとの関わりが薄いので何とも……」

 

リリアナは横目で女神の顔を伺うが、彼女は素知らぬ顔で新たなコーヒーを注文していた。

 

これ以上はお預けという事らしい。

詳しく教えるのはペルセウスとぶつかる時、そういう事なのだろう。

 

魔女と魔王は顔を見合わせ、互いの困った表情を眼に写したのだった。

 



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フラウィウス円形闘技場――通称、コロッセオ。

イタリアのローマを代表する観光地の一つとして有名なそこに、いくつかの人影がある。

 

男が一人に女が三人。

どれも成人すらしていないような少年少女だが、個々が所有する力は人間一人の規格を優に超えている。

 

その場で最も幼い格好をしている少女だけが、傍観者とばかりに観客席で腰を落ち着けていた。

 

これより、嵐が巻き起こる。

傍観する少女を除き、三人の少年少女は緊張感を募らせていく。

 

少年は静かに頭上を指差し、天高くに意識を向ける。

その意識の空白を突き、二人の少女が疾走した。

 

金と銀の長髪を風に揺らし、それぞれ虚空より取り出した己が愛剣を手に突き進む。

金の少女は紅と黒の、銀の少女は青と黒の衣装を踊らせる。

 

少年はそれに目もくれず、さりとて警戒を解く事もせずに力を放つ。

 

「王の威光たる稲妻よ、天より来たり我を助けよ」

 

澄み渡った晴れ空に、鋭い雷鳴が響き渡る。

少年の意思によって招来された雷光が、吶喊(とっかん)してくる少女らに向かった。

 

しかし、彼女らとて只人成らざる剛の者。

電流が襲い来るより先に、それぞれの秘法たる言霊を唱えていた。

 

紅と黒(ロッソネロ)』を掲げる金の少女が詠う。

 

「エニ、エニ、レマ・サバクタニ! 主よ、何故(なにゆえ)我を見捨て(たも)う!」

 

青と黒(アズーロネロ)』を掲げる銀の少女が謳う。

 

「ダヴィデの哀悼(あいとう)を聞け、民よ! ああ勇士らは倒れたる(かな)、戦いの器は砕けたる哉!」

 

憎悪と絶望の言霊を呼び出す『主よ、何故我を見捨て給う(エニ、エニ、レマ・サバクタニ)』。

古き英霊の死を悼む『弓の歌』。

 

それらは聖絶の言霊――或いは『聖なる殲滅の特権』と呼ばれ、無力な人間が神々への反逆に研ぐ牙となる。

 

この場合はその呪言により極限まで呪力を高め、魔王の権能への対抗策として使用している。

凄絶なる呪詛の言霊を秘めた刃は、強力無比な天空神の稲妻を斬り捌いた。

 

目標への道を切り開いた両者は、憎き少年に一撃を入れるべく更なる術を発動する。

 

「我は主の御名を告げ、世界の中心にて御身を讃え、帰依し奉る!」

 

紅き悪魔(ディアヴォロ・ロッソ)』が使う魔術は、錬鉄術・変形。

鉄を鍛え形を整えるそれを己の得物に、魔剣クオレ・ディ・レオーネにかける。

 

『不滅』の属性を秘めたこの魔剣は、如何なる姿になれどその強靭さを失わない。

細く、長い、投擲用の長槍。それが獅子の魔剣の今の姿だった。

 

「ヨナタンの弓よ、鷲よりも速く獅子よりも強き勇士の器よ。今こそ我が手に来たれ!」

 

対する剣の妖精は、(つい)たる魔剣イル・マエストロを鞘に納める。

 

それは戦意の喪失に非ず。

彼女が望む武具を扱うに、手が塞がっていてはいけない為だ。

 

代わりに握るのは青き光の弓矢。

古き英霊へ捧ぐ哀悼が形となった、ヨナタンの弓である。

 

金と銀の少女が放つ、『ゴルゴダの言霊』と『ダヴィデの言霊』。

 

標的たる魔王は、その威圧に脅威を覚える。

両脇から迫る少女らが己を殺傷しうると実感し、彼は瞬時に意識を改めた。

 

アレは敵なのだと。

自分を滅ぼしうるものが牙を剥いていると。

 

思い、悟り――爆発した。

 

「我は人と悪魔を挫く者! 王の威光たる稲妻よ、我に正しき道と光明を示し給え!」

 

それは古代ペルシャにおいて荒ぶる神々を降した勝利の軍神を司る言霊。

それは一つの神話において頂点に君臨した天空神を司る言霊。

 

両者の神威を束ね、纏め上げる覇者の聖句。

神という神を灼き貫く神殺しの聖句だった。

 

二人の少女は魔女として、魔術師として戦慄する。

 

この男のデタラメさと来たら――

自分たちが人間に過ぎない事を忘れているのではないか。

殺しに行かなければこの戦いの意味がないのは確かだが、早まった事をしたと後悔の念が浮かぶ。

 

才媛たちは瞬時に後の展開を思い描き、両者揃って攻撃を放った。

それと同時に各々の魔術で場外まで飛び退き、できる限りの防護術を行使。

 

来たる衝撃に身を伏せて備えた。

 

「うぉおおおおおおおおああああああああああああっ――!!」

 

神殺しの王はそんな少女らに目もくれず、手の内にある力を押さえつける。

王が掲げるのは神々の持つ神性を貫き、灼き滅ぼす灼熱の雷剣。

 

溢れる力を制御しきれず、支配の呪力を手放してしまう。

止めど無く膨れ上がる雷光が、晴れ渡る炎天を翔け上った。

 

その直後、ローマの街を局所的なゲリラ豪雨が襲ったという。

 

 

 

 

 

「すみませんでした、思ったより大事になってしまって……」

 

護堂が《赤銅黒十字》に用意されたイタリアの仮住まいにて。

 

コロッセオで大規模な放電をした神殺しの魔王は、背筋を伸ばし頭を下げた。

相手は《赤銅黒十字》のトップに立つ紳士、パオロ・ブランデッリだ。

 

「いやなに、そう気にする事はない。まつろわぬペルセウスの襲撃に備えての特訓となれば、この地を守護する魔術師のひとりとして嫌とは言えないからね」

 

姪が権能の前に晒されたというのに、嫌な顔ひとつ見せず謝意を受け取るパオロ。

いくら謝っても足りないがこれ以上は余計だと知り、護堂はもう一度頭を下げて背後に向き直る。

 

不機嫌そうなエリカ・ブランデッリが、アリアンナに髪の手入れをさせていた。

 

「まったく護堂ったら、このエリカ・ブランデッリの美しい頭髪をこうも傷付けるなんて。あなたがカンピオーネでなかったらクオレ・ディ・レオーネの錆にしている所だわ!」

 

あれだけ大規模な電流を、空にとは言え撃ち放ったのだ。

その際に発生した電磁波によって、周囲の者たちが影響を受けるのも当然のこと。

 

具体的には、髪の毛が爆発した。

 

ときに女の命とも称される髪。

まして貴族の令嬢たるエリカやリリアナにとっては、死活問題とすら言えるだろう。

 

しばらく彼女には頭が上がりそうにない。

 

再度頭を下げ、今度はリリアナの方を向く。

彼女の場合はさして怒っている風ではない。

 

自宅から召喚した魔女の霊薬によって、髪のケアは終えているからだ。

それを見てエリカが恨めしそうな顔をしていたが、逆にリリアナの方はライバルの悔しがる顔を見てむしろご機嫌である。

 

「こらエリカ、そう彼を責めるな。草薙護堂は王としての責務を果たすべく、我らに援助を申し出られたのだ。それを承諾したのは私たち、あまり騒ぎ立てるのは見苦しいぞ」

 

得意げな口調と表情が、エリカに対して優位に立てて喜んでいる事を示している。

髪を手で弄り回しているのも、ある種の自慢なのだろう。

 

「リリィに諫められるなんて、屈辱だわ。そもそもあなた、どうして髪を整える霊薬なんて作っているのよ……」

「つい先日、余った材料で作り置きをしておいたのだ。こうも早く出番が来るのは予想外だったが、これも日頃の行いだろう。あなたのような女狐には分からない話かも知れないがな」

 

ふふん、と。

ドヤ顔で威張るリリアナだが、エリカに口で歯向かうとは愚かな。

 

エリカが生真面目と言っていたが、そんな彼女は過去から学ばないのだろうか。

護堂は展開が読めて眼を覆った。

 

「あら、それは心外ね。わたしほど品行方正な淑女はそういないわよ」

「バカを言うなエリカ・ブランデッリ。わたしはあなたほど策謀を張り巡らせる女を他に知らない」

「こうなればいいと思って行動すると、周りが親切にも助けてくれるだけよ。これもわたしの人徳なのではないかしら?」

 

柔和な笑みを浮かべ(うそぶ)く女狐。

徐々に発展していく金銀の不毛な問答を尻目に、護堂は思考を巡らせる。

 

(エリカもリリアナさんも無事だったし、コロッセオも壊してない。やり過ぎたのは仕方ない(・・・・)として、問題は権能の合成についてだな……)

 

明らかに仕方ないで片付けていい事ではないが、そこを突かれないと気づけないのが草薙護堂だ。

 

彼の思考は(もっぱ)ら戦闘で得た成果について専念している。

後に控えるペルセウスの事を思えば、それこそ仕方ない事だろう。

 

(『剣』に雷を混ぜること自体は成功してる。でも、制御が難しい。もしまた権能を封じられたら、同じように暴発しかねない)

 

昨晩のペルセウス戦。

日中のエリカ、リリアナ戦。

 

二度試みて二度失敗した。

融合状態で振り回すのも、それらを考えると難しいだろう。

 

で、あるならば――

 

(手に持って戦うのは諦めて、奴と距離を取ったまま遠距離で封殺する!)

 

これが、護堂の出した結論。

上手く行くかは、近いうちに答えが出るだろう。

 

護堂は無意識に拳を握っている。

ペルセウスへの戦意が、知らぬ間に満ち溢れているようだ。

 

 



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『久方ぶりだな草薙護堂よ! 傷は癒えているようで何より、双方ともに戦の準備は出来ているようだな!』

 

こんな声が聞こえてきたのは、早朝の空が白んで来た頃のこと。

えも知れぬ高揚感に突き動かされ、護堂は唐突に眼を覚ました。

 

導かれるように外へ出ると、冷えた外気に身震いしそうになる。

が、不思議と態度には現れない。

 

ただ遠方を眺めていると、その方向からキラリと光る何かが近付いてきた。

 

――直撃はしない。

そう直感した護堂はそのまま立ち尽くす。

 

眉間から十数cm程度離れた位置、木製の外壁に鉄製の(やじり)が突き刺さる。

 

矢はたちまち光となり、見覚えのないメダルに変貌する。

白いそれには翼を広げた鳥の意匠が彫り込まれている。

 

石製と思しきメダルは護堂の眼前に浮遊し、先の声を発し始めたのだ。

 

「久しぶりだなペルセウス。その言い分だと、アンタもあれから傷は治ったらしいな」

『流石はウルスラグナの剣とゼウスの雷霆だ。ひと太刀浴びただけだというに、快復にはこれほどの時が必要になったぞ』

 

恨み言を言いながらも快笑するペルセウス。

 

いや、彼にとって、戦こそを本懐とする鋼の英雄にとってこれは賛辞なのだろう。

その口調に暗い感情は感じられない。

 

『あれから更に時を重ねた、互いに不完全燃焼といった所だろう。そろそろ雌雄を決しようではないか!』

「こんなに朝早くからご苦労な事だな……」

『ははっ、私はこの時こそが勝負を決めるに相応しいと思うのだがな』

 

言葉を交わしながら、護堂は静かに勝算を見積もる。

 

権能は両方とも万全――とは言い難い。

単純に『剣』とも呼ばれる『黄金の眩き軍神(Shining Warlord)』の権能は、神性を明らかにする為の知識がなければその真価を発揮出来ない。

 

しかし彼女の事だ、この状況を察して今にでも――

 

「夜明けを待ちわびたという風だな、悪戯者め」

 

背後の影から姿を現した。

女神は常の通りの幼子のままで、眼光を鋭く白いメダルに睨みを効かせる。

 

そしてすべてを悟ったかのような口調で語った。

 

「やはりかつてのウルスラグナと同じく、この日の出に合わせ現れたな」

 

サルデーニャ島での一件。

ウルスラグナとメルカルトは、朝日が昇る暁の時間帯に決戦を始めた。

 

太陽の使者であるウルスラグナは、その時こそが最も力を発揮できるからだ。

そして、あのペルセウスも同じ特性を持っているらしい。

 

ウルスラグナの権能を封じた時の光、あれはやはり太陽の輝きだったのだ。

 

『これは女神よ、ご機嫌麗しく。少しばかりあなたの夫をお借りしたいのですが、よもや文句は仰るまい?』

 

護堂を対戦相手に推したのはアテナなのだから。

言外に語りかける英雄神に、蛇の女神もまた頷く。

 

「無論だ。これより我らも支度を整えよう」

(よろ)しい! では私はこの場で待つ事にする。我が宿敵、神殺しの逆賊、草薙護堂! 戦支度が整ったならば駆けつけよ、あまり遅いようなら迎えに行くかもしれんがな!』

 

それだけ言って、メダルは力を失い地に落ちる。

もはやそれからは何の神性も感じられない。

 

拾って観察してみるが、歴史的価値ならともかく魔術的価値はなさそうだ。

問題もなさそうなので懐に仕舞い、妻たる女神に向き直る。

 

こうなったからにはすることはひとつ。

奥手で天邪鬼な気質がある護堂が、心の奥底では密かに望む情事である。

 

「アテナ、今なら教えてくれるよな?」

「うむ、こと此処に至っては躊躇うこともなかろう」

 

歩み寄る女神の腰を抱く。

流れるように抱き寄せて、どちらからともなく眼を閉じて、感覚だけで唇を合わせる。

 

二人は予定調和のように接触し、護堂にも柔らかい感触が伝わってくる。

 

上唇と下唇を軽く(ついば)み、小さな蕾を愛でるように味わう。

幼さゆえに柔く、女ゆえに甘く、か細い腰を更に抱き締める。

 

「んっ」

 

軽く力を入れるだけで折れてしまいそうな体躯。

しかし実際に手を回すと、その肌の下には生命力に満ち溢れている。

勢い余って臀部(でんぶ)にまで手を這わせたところ、普段の態度からは想像も付かないほど甘く、糸のように繊細な声を上げた。

 

「かわいい……」

「慮外者め、表だと弁えよ……」

 

拗ねたような声音で、しかし切なそうに眉根を寄せている。

 

護堂は都合の悪いことは言わせないとばかりに強引に口付ける。

アテナは一瞬驚いたように眼を見開くが、仕方のない奴だとばかりに瞼を閉じた。

 

力強く吸い付いては、惜しむように手放す。

互いに啄むようなキスは終わりを告げる。

 

次のステップ。

送り込んだ舌を唇に這わせ、裏側に潜り込ませる。

 

「んふっ」

 

くすぐったそうに身を(よじ)らせる女神に構わず、更に責め立て歯の奥に()じ込む。

 

舌先で器用に粘膜を摩ると、相手も小さなそれを絡めて来た。

口の中を蹂躙する護堂を追って、アテナも蛇のように舌を畝ねらせる。

 

いつの間にか開けていた目と目が交わる。

女神は頬が上気しているという事もなく、しかしそれ故に情欲を誘う。

 

この幼く冷淡な美貌をこそ、神聖さから掛け離れた熱情で染め上げたい。

己こそが熱に魘された頭で、魔王たる輩は淡く夢見る。

 

その心根を見通す慧眼を女神たる彼女は持ち合わせている。

 

「うふふっ」

 

息継ぎの間にペロリと唇をひと舐めし、挑発するように薄く笑うアテナ。

護堂は腰に回していた右腕を頭に移し、押さえつけるように強引なキスをする。

 

そこまでしてようやく、彼らは情報の共有を始めた。

 

――かの英雄は、東より来たる太陽の化身。

――蛇を殺す鋼の剣神にして、無敵の皇帝として君臨する光の王。

 

それは、これより刃を交わす英雄の歴史。

 

――ウルスラグナはゾロアスター教で守護者(ヤザタ)となる以前、古代ペルシアにて崇められた軍神だった頃のこと。

――彼はその地において光明と契約を司る神、ミスラに従属する神だった。

 

アテナが語った、ウルスラグナとかの英雄神との出自の関係。

その詳細が護堂にも理解できてくる。

 

その知識を馴染ませるように、自分たちの唾液を絡ませる。

送り込んだ液体を混ぜ合わせたアテナは、もう一度自分の元に送り返してくる。

 

ねっとりとした感触のそれを舐め回し、再び絡めながらももう一度流し込む。

アテナは這い回る舌から再度受け取ったそれを、味わいながらゆっくりと、見せ付けるように大仰な動作で、わざと聞かせるように大きな音を立てて嚥下(えんげ)する。

 

「んっ……ん」

 

ゴクッ、ゴクリ。

 

(――凄くエロい)

 

情緒も何もなく、ただ率直に感想を思う護堂。

アテナの煽るような所作に感化され、身体を駆け巡る熱に支配された護堂の頭は、何故このままベッドに行けないのかと悔やみに悔やむ。

 

普段の思考からは考えられず、この思考になる状況では戦いが待っている。

ままならないジレンマに、自分の事ながら憤りすら覚える始末。

 

ここまで来るといっそ哀れとすら思えてくる。

 

()い子、愛い子……」

 

心情を察した女神は、背に回した手をポンポンと叩く。

子をあやすようなその仕草には、童女姿ながら母性すら感じさせる。

 

貪るような情熱的な接吻は終わり、はじめのように啄むキスへと変わる。

主導権の取り合いは、アテナの勝利に終わったのであった。

 

(惚れた方が負けだよな、ホント……)

 

妙な敗北感とともに心地よさも感じつつ、神殺しは戦闘準備を続けて行く。

 

 




キスシーン頑張りました。
これくらいが私の限界なんですが、いかがでしょうか。


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神話解体難しい。
原作丸写しは芸がないので、自分で調べて付け足したりするんですが、うまく編纂して文章に纏め上げるのがイマイチ……



 

サンタ・ルチア地区にある有名な観光名所。

その見晴らしのいい半円形の場所の名は、プレシビート広場。

 

周囲にはサン・フランチェスコ・ディ・パオラ聖堂、ナポリ王宮たるパラッツォ・レアーレ・ディ・ナポリという歴史的建造物を始め、イタリア三大歌劇場のひとつであるサン・カルロ劇場、中世の王城カステル・ヌォヴォなど、そうそうたる建築物が軒並み揃っている。

 

アテナより神の来歴を教授された護堂は、彼女に案内されてまつろわぬペルセウス――少なくとも自己申告に曰く――の待つその場所に向かった。

文字通りに雷霆の如き速さで、いつかと同じくアテナを抱えて。

 

先ほどの名残(なごり)か、移動の途中で胸元に指を這わせたりしてきたので少しばかり困惑したが、何とかペルセウスと顔を付き合わせる頃には意識を戦闘用にシフト出来た。

 

神速で駆け付けた護堂は、広場の中央に佇むペルセウスの前に降り立つ。

アテナを下ろして周りを見渡し、不思議に思った。

 

(こんな早朝だっていうのに、えらく人気(ひとけ)が多いな……)

 

今は夏真っ盛りであり、昼の時間が長い時期だ。

当然のように日の出は早く、日の入りは遅い。

 

だというのに、周りには人が溢れかえっている。

これは……

 

「この派手好きめ、よくもここまで集めたものだ……それほど人目が恋しいならば、石像にして衆目に晒してくれようか」

 

呆れたようにため息を吐く女神。

要するに、リリアナにやったように英雄の支配力で観客を集めたということか。

 

英雄の活躍は大衆に知らしめなければ、などと(のたま)っていたがそこまでとは。

 

「おっと、あなたに言われては冗談で済みませんな。私も御身の箴言(しんげん)を受け止め、弁えると致しましょう」

 

胸に手を当て一礼、作法に(のっと)った優雅な礼だった。

流石は玉座に着いただけあって、所作は心得ているらしい。

 

しかし、彼の言葉はそこで終わらなかった。

 

「ですが、今回ばかりはお許し願いたい。あなたと彼を前にして観客の一人もいないようでは、私も英雄として奮い立たぬというものです」

 

護堂は辟易を通り越してむしろ感心すら覚えた。

これほど拘わるのだから相当なのだろう。

 

それとも、彼の隠すもうひとつの名前に付随する性質(・・・・・・・・・・・・・・・)なのかも知れない。

女神から受け取った叡智を思い起こした。

 

戦いの算段を立てていく護堂を横目に写し、アテナは潔く身を引いた。

 

「では、これより先はあなたに任せる。見事あの慮外者を討ち取ってみせよ」

「ああ、もちろんだ!」

 

力強く頷いた護堂に笑みを送り、女神はその姿を隠す。

 

感覚では周囲にいることこそ分かるが、位置まではもう掴めない。

闇に属する彼女だからこその所業だ。

 

護堂としては、自分の戦いを見ているという事実さえ分かればそれでいい。

それだけで彼はこれ以上ない程に奮い立つ。

 

「ほう、いい気迫を感じるぞ。決戦のとき来たれりだ!」

 

喜色の笑みを浮かべた英雄神は、腰の剣を抜き天に掲げた。

同じく護堂も知らずして好戦的な笑みを浮かべ、敵へ向け高らかに宣言する。

 

「それじゃあ始めようかペルセウス――いや、ミトラス!」

 

神殺しの呪力が急速に高まり、手に黄金の光が現れた。

それが何の権能であるかを瞬時に悟り、ミトラスと呼ばれた神は微笑する。

 

「なるほど、封じられる前に我が神格を斬り裂くつもりだな――!」

 

以前の戦いがよほど堪えたらしい、と。

秘めたる名を暴かれた英雄は、やられる前にやれと言わんばかりに突っ込んで行く。

 

東から来た男(ペルセウス)を筆頭として不敗の太陽(ソル・インヴィクトス)、ヘリオガバルスと、多くの称号を持つアンタが隠していた名はミトラス! 冬至の日に生まれる太陽神、光の英雄ミトラスだ!」

「我が出自を暴き立てる言霊、敵に回すと厄介極まりないものだな!」

 

いつかの護堂と同じような感想を述べるペルセウス=ミトラス。

やはり考えることは同じかと、護堂はどこか共感染みたものを感じた。

 

そうしている間にも光は手の内だけに収まらず、護堂の周囲にも現れ始める。

黄金に輝く光球は、言霊に合わせて数と輝きを増していく。

 

「ミトラス――古くはミスラという名で崇められた太陽神、古代ペルシアにおいてウルスラグナの主とされた契約の神だ。アンタがウルスラグナの権能を封じられる理由は、太陽神ミスラとしての神性を持っているからだ!」

 

契約の神ゆえに第三者を招き衆目に晒そうとする。

太陽の神ゆえに威光で照らすべき民を集めたがる。

 

それが彼の演出過多に繋がるのではないかと、護堂は推理していた。

 

「アンタの原型となったペルセウスはシンプルな英雄だったはずだ。大蛇から王女アンドロメダを救う異邦人、蛇殺しの屈強な剣士だった。そして蛇や竜はかつて支配者だった大地母神の落魄した姿。それを討つ新時代の開拓者こそが、ペルセウスとしてのアンタが負った役割だ!」

 

この典型的な英雄譚は、ユング心理学においても母の支配を抜け出して妻を娶るという暗喩の物語であるとされ、つまり神話の竜とは母親の影と解釈される。

 

地母神こそを最高神と崇めていた原初の時代、女性を頂点とした権力社会を破壊し、鋼鉄の武具による戦士たちの世界を創造することこそが、《鋼》の英雄が背負う定めなのだ。

 

「だが、ミトラスとしてのあなたは違う。彼は契約を意味する司法神であり、正義を成す太陽神だった。この神が栄えていたのは古代ローマ帝国。ローマの東に位置するペルシアから流れてきたミトラスと、東に宮殿を持つギリシアの太陽神ヘリオス、そして東方より来たりし英雄ペルセウス。当時のローマ人たちはその神々をひとつの神として纏め上げた!」

 

数十、数百と数を増やした光球は、剣となりペルセウス=ミトラス=ヘリオスへ殺到する。

黄金の剣で斬りかかって来るものだと思っていた彼は、自身を取り囲む刃の檻に度肝を抜かれた。

 

咄嗟に太陽の神性を発揮し、黄金の剣の神力を振り払う。

 

「日輪の加護よ! この一矢に宿りて、盟友の荒ぶる御霊を鎮め給え!」

「太陽は東から昇るもの、故にその名は東から来た男(ペルセウス)――あなたは蛇殺し(ギリシア)の英雄じゃない! ローマ帝国で崇められた新興の英雄神、東より昇る太陽(ペルセウス)だ!」

 

剣群を振り払うのが最後の足掻きになった。

太陽の光と黄金の輝きは拮抗し、相打ちに終わったのだ。

 

およそ半数もの『剣』を持って行かれたが、これで太陽の神性は斬り裂いた。

あとに残る彼は、ただのペルセウスという英雄だ。

 

「光はより強き光の前にかき消されるのが世の(ことわり)。ウルスラグナの輝きが、太陽王に(まさ)ったか……何とも味な真似をするものだ」

 

清々しくあるが、苦笑とも取れる笑みを浮かべたペルセウス。

今までを思うと意外だが、これこそが余計に付随する要素を削ぎ落とした彼の素顔なのではないかと。

 

自己顕示欲や名誉欲を満たしたがるが、同時にそれらを煩わしくも思う無法者。

それこそが根底にあるこの英雄の真実なのではないかと、護堂はなんとなくそう思った。

 

(まぁ、どっちにしてもめんどくさい奴だ)

 

だが、思ったより嫌いじゃないかも知れない。

第一印象を覆し、護堂もまたニヤリと笑った。

 

「さぁ、まだウルスラグナの剣は終わってないぜ?」

「フフッ、愉しませてくれるっ!」

 

広場を踊る黄金の光は、まだ半数が健在のままだ。

対するペルセウスも、まだその肉体には傷一つ負っていない。

 

これからが本命の戦いだ。

 

 





みんなペルセウスの事をDQNと呼ぶので少し救済措置というか、彼もウルスラグナのように性格が変わってるんだよと補足的なものを入れてみました。
まぁそれでもスミス的な要素が抜けただけで、ドニ的な要素は残ってるんですが……


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太陽神としての神性を削ぎ落とした今の彼は、純粋に鋼の英雄として性能が特化しているはずだ。

メドゥーサの暗殺という功績だけでなく、武勇で以て大蛇を倒した剣豪へと、ペルセウスの神格が収束されている。

 

今まで以上に気を引き締め、遊泳する『剣』の手綱をしっかり握る。

不規則な規則性を持たせて、包囲網に大きな穴を開けないように。

 

「周囲の黄金は私を斬り裂く矛となり、君を守る盾となる。本当に厄介な権能と言う他ないな!」

「元々はミスラが従えていた軍神なんだ、自業自得だろうよ」

 

言葉を交わしながら睨み合いを続ける。

ペルセウスは神速の権能を持っているからだ。

 

あれはギリシア神話に記された伝承から来る能力のはずなので、今の彼も問題なく使えるだろう。

 

神速の発動タイミングを見逃せば、いくら防御を固めていても危ない。

そして恐らく、相手も似たような事を考えているはずだ。

 

だからこそ、こうして睨み合いが続いているのだから。

 

「それよりアンタ、もう変な神格を隠してないだろうな。ローマ人の大らかな宗教観が生み出した新興神だ、まだ何か隠し持ってても驚かないぜ」

「いやいや、生憎ともう品切れだ。ミトラスだけならばまだしも、ヘリオスまで斬り裂かれたのだからな。ここにいる私はどこまでもペルセウスだよ」

 

変に気取る事もない率直な口調。

やはり戦こそを本懐とする《鋼》の相を色濃くしているようだ。

 

着飾る事もない英雄神との我慢比べで、先に痺れを切らしたのは護堂の方だった。

 

「我が意に従え、障害を打ち砕く者よ!」

 

滞空する『剣』が黄金の輝きをもって飛翔する

尾を引くその姿は流星の如く。

 

「遥かなる高みを往く天馬よ、誇り高き勇姿にて我を誘え!」

 

差し向けた剣がペルセウスに殺到するが、彼は天高く跳躍する。

日輪を背にした英雄を、白い翼が拾い上げた。

 

召喚されたペガサスは、更に高く、更に上へ。

更に太陽に近付いて行く。

 

「――っマズイ!」

 

護堂は失策を悟る。

 

今の彼は確かにペルセウスの神格しか持たないが、ペルセウスの名はそれ自体が太陽の暗喩だ。

太陽は夜に沈んでまた昇る、蛇と並ぶ不死の象徴でもある。

 

そしてペルセウスが《鋼》の英雄であるように、ミトラスもまたその相を持つ。

 

ウルスラグナは太陽神ミスラから切り離された、いわば軍神としての彼の化身なのだ。

岩から生まれたという伝承と、生まれながらに片手に松明を掲げていたという伝承。

契約に背いた者へ罰を与える司法神は、つまり神々をまつろわす鋼の軍神の一面を持つのだ。

 

今は太陽が昇った直後、太陽神の力が増す時間帯である。

ペルセウスは天に近付く事で、失った力を取り戻そうとしているのだ。

 

ウルスラグナの権能を再び封じる為に。

 

(《鋼》のくせに知恵が回るなぁっ!)

 

上昇を妨げるべく更なる高みから天雷を下す。

こちらはオリュンポス最強と名高きゼウスの雷だ、ギリシア神話に属するあの天馬も一撃で蹴散らせるという確信がある。

 

「稲妻よ降れ! 王たる者の威光を示せ!」

 

しかしそれは、当たればの話である。

 

流石は神話に語られる幻獣。

優雅にステップを踏み、落雷を物ともしない。

 

次々と襲い来る雷撃を回避し、遂には高々度までたどり着いた。

英雄は金髪を煌めかせ、両手を太陽に掲げる。

 

「勝利を掲げし不死なる太陽よ! 再びその神威を宿し、此処に蘇り給え!」

 

陽光を身体中に受け、神力を高めるペルセウス。

雷霆を操る呪力が勿体無いと、『剣』の操作に専念する。

 

太陽の力を遮り貫く為に、護堂は神殺しの言霊を口に出す。

 

東から来た男(ペルセウス)はその名の通り、東方より昇る太陽の化身だ。一時期に新たな宗教の主神として担ぎ上げられた英雄、太陽神たるミトラスがペルセウスに与えた影響は大きかった。アンタが今も駆っているペガサスもそのなごりの一つだ! 馬は古来より太陽神と密接な関係にある。馬車に乗り東から西へ移動する太陽神という構図は、洋の東西に関わらず普遍的に存在している。これはギリシアの太陽神たるアポロンも持つ伝承であり、彼はヘリオスやミスラとも習合している神だ。天を駆ける雄馬は当然のように、翼を持つ天馬としてペルセウスの伝説にも組み込まれたんだ!」

 

言霊を帯びた黄金の剣が狙うのは、ペルセウス本人ではなくそれを乗せるペガサス。

 

彼が太陽に近付くには天を往くペガサスが必要不可欠。

この選択は当然のものだった。

 

ペルセウスを斬り裂く言霊は更に続く。

続けなければ、大空を自由に駆けるペガサスには迫れない。

 

「その天馬ペガサスには同時に生まれた双子の兄弟がいた。彼の名は黄金の剣を持てる者(クリュサオル)――黄金に輝く剣を生まれ持ったとされる者だ。そしてこのクリュサオルはときに、翼を持つ(イノシシ)として描かれる事があるという。太陽を運ぶ『馬』に気性の荒い『猪』、そして『黄金の剣を持つ戦士』――これらは全て、ウルスラグナも化身する姿だ! そしてオリエントに流れたウルスラグナは、ペルセウスの系譜にあたるヘラクレスとも習合している。俺の倒したウルスラグナは、契約の神ミスラに仕えた軍神だ。太陽神ミスラとペルセウスという英雄は、もはや切っても切り離せないような深い関係にある神なんだ!」

 

対ペルセウス=ミトラスとして真に完成した神殺しの聖剣。

黄金の流星と化しているそれらは、ペルセウスとペガサスに追い縋る。

 

が、明らかに速度が劣っている。

ペガサスはいつの間にか、神速の領域に入っているようだ。

 

あの天馬が単体で神速になれるのか。

ペルセウスが単身だけでなく騎乗状態でも神速になれるのか。

 

恐らくは後者だと睨むが、この場合はどちらも同じだ。

 

人馬一体で逃げ回っている以上、やることは変わらない。

以前のように権能を混ぜ合わせ、飛翔する剣群を神速の領域に押し上げる。

 

「王の威光よ天より来たれ! 義なる我に、正しき路と光明を示し給え!」

 

張りぼての剣に溶かした鉄を流し込むイメージ。

ウルスラグナの神力で出来た黄金の剣の型に、ゼウスの神力により雷霆を流し固める。

 

雷霆の剣は呪力を爆発させながら神速に入った。

身を削って速度を上げているのだ、それ自体が燃料としてロケットのように。

 

「ぬおっ、こんな芸当も可能だったか!」

 

ペガサスと並走する黄金の剣に、ペルセウスは目を見開く。

そうして言霊の刃は、彼らを掠め始めた。

 

ここから先は再び根比べ。

 

どちらが先に根を上げるかの勝負だ。

が、またしても不利なのは護堂の方である。

 

本来ならありえない強化をしているのだ。

当然ながら、その消耗は激増する。

 

黄金に輝く雷霆の剣は、既に三割程度しか残っていない。

この消耗速度ならば近い内に二割を切るだろうが……

 

一切の躊躇もなく護堂は決断する。

 

「――稲妻よ」

 

その消費速度を、更に加速させる。

一気に攻めて『剣』を使い切るという博打を、当然のようにやってのけた。 

 

「稲妻よ、稲妻よ! 我は百の打撃を以て千を、千の打撃を以って万を、万の打撃を以て幾万を討つ者なり。義によりて立つ我のために、今こそ光り輝き、助力せよ!」

 

元より神とは、神殺しの魔王より上位に位置する存在なのだ。

それを相手にしているのだから、博打を仕掛けて勝利を勝ち取るのが賢いやり方に決まっている!

 

そう心の底から信じ実現してしまうのが、カンピオーネという埒外の怪物である。

 

「ぬっ……ぐぉおおおおおおおおお――っ!!」

「いっ――――っけぇえええええええええ――っ!!」

 

同じ神速の領域にありながら更なる速度を得た黄金の剣。

もはや眼に見えぬ流星たちは天馬を追い抜き、その体躯を前から後ろから刺し貫いた!

 

が、ペルセウスはまだ健在だった。

足場のない空中に放り出されながらも地上の護堂を見据え、限界に近い体に鞭打って弓を引き絞った。

 

「不屈の太陽よ! この一矢に我が命運を託す、射貫けぇ――い!!」

 

僅かに取り戻していた太陽の神力を、そして己を構成する力を限界まで注ぎ込み、最後の一撃を放つ。

 

放つと同時に、敗北した。

神速で飛び上がった護堂に、最後の『剣』で矢と諸共に斬り裂かれて。

 

「フッ、此度の戦は実に見事だったが、次に会った時は覚悟しておけ――」

「もう二度と会いたくないな……」

 

一瞬の交差に言葉を交わした。

それを最後に、英雄神ペルセウスは太陽の光に溶けていった。

 

肩に重さを感じる間もなく、重力によって落下し始める。

空気抵抗を受けて回転すると、眩しい陽光が目に入った。

 

太陽は青空を照らし、どこまでも輝いている――

 

 





これにてペルセウス戦は終了。
最後が分かりにくかったかも知れませんが、権能は獲得しました。


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初めて傷らしい傷を負わずに勝利を収めた護堂は、アテナに抱きとめられた。

 

「ご苦労であったな、護堂」

「ああ、今回は大怪我もなく終わったな……」

 

護堂はいま、背よりフクロウの翼を生やす彼女に抱えられている。

ペルセウスを打ち倒して安心したのだろう、四肢を投げ出して成すがままだ。

 

しかしそのまま気絶するほどに疲れている訳でもなく、気だるい疲労感に身を任せている。

 

「あー、この態勢も疲れるなぁ……」

 

両脇を羽交い締めにされている状態なので、仕方がない。

そんな護堂の愚痴にアテナが噛み付く。

 

「文句を言うならば自分で何とかしてみせよ」

「そんなこと言ったって――」

 

軽口を叩いていると、不思議な全能感がこみ上げてくる。

その程度のこと、自分に出来ないはずがないと。

 

(え? こんなあっさり、っていうか単純な……)

 

困惑に首を傾げながらも、残る呪力を練り上げる。

浮かび上がるイメージは、純白の翼――

 

「白き翼よ、我が元に――」

 

現れたるは天馬ペガサス。

ついさっきまで敵方にいた、誉れ高き優馬である。

 

この天馬こそ、たった今ペルセウスより簒奪した権能なのだった。

 

「えっと、さっきはゴメン……」

 

『剣』で滅多刺しにした直後だったので、思わず謝罪が口を突く。

それに対して、天馬は気にしていないとばかりに頭を擦りつけてくる。

 

ペルセウスに呼び出された時の記憶もあるのかと、自分で謝っておきながら驚く護堂。

 

「そうか、お前もこちらに来たのだな」

 

護堂の後ろに座るアテナは、白馬の背を慈しむように撫でる。

 

アテナ――メドゥーサはペガサスの母なのだ。

それを知っているのだろう、(いなな)きを上げて女神に応えた。

 

「善き哉。こやつの足と翼は役に立つ、あの悪戯者は良いモノを残して逝った」

 

女神はいつになく上機嫌のようだ。

 

思えば、彼女がペルセウスに好意的な発言をしたのはこれが初めて。

複数の名を持ちミトラスとしての神格が大きな割合を占めていた彼が、わざわざその中からペルセウスを選び名乗った事が気に食わなかったのだろう。

 

女王の叡智を分け与えられた今なら、そう理解できる。

 

「これで俺の権能は三つ目、図らずしも新しい権能が増えたか……」

 

自分から奪いに行くほどに欲しくもないが、あって困る物でもないと割り切る護堂。

その意味では、このイタリア旅行も得はあったのだろう。

 

その為に一度腹を捌かれているので、差し引きゼロだとも考えているが。

 

「うむ、その調子で力を付けよ。そして妾を守るが良いぞ、妾がそなたの背を守るようにな」

 

女神は笑みを零しながら背に抱きつく。

そのまま腹に手を回して、二人乗りの気分で告げた。

 

「以後もよしなに頼むぞ、我が夫、草薙護堂よ」

 

ペガサスに乗っての帰路というのが楽しいのだろう。

童女姿で笑顔の女神は、鼻歌すら歌って夫にしがみついていた。

 

……なお、その曲はテレビCMで流れるJポップだったそうな。

 

 

 

 

 

 

「やぁ護堂! ここ何日かは大変だったみたいだねぇ。でも羨ましいよ、英雄と一騎打ちなんてさ!」

「……(やかま)しい馬鹿ドニ」

 

今回の騒動は全部が全部お前が発端だろこの大馬鹿能天気野郎!

と言いたかった所を、今後の事を考えて最小に留めた。

 

此処は懐かしのサルデーニャ島。

神獣の竜が起こした大波に拐われたサルバトーレは、流れに流されてこの島にまで流されてきたらしい。

 

しかし伝手もなく魔術の心得もない彼は本土に渡れず、今の今まで待ちぼうけを食らっていたのだとか。

 

「鋼の体で海底を歩いて行ったり出来ない訳でもなかったんだけど、なんか今から行ってももう遅いような気がしたんだ」

 

恐らく、その頃には護堂を宿敵と定めた後だったのだろう。

本当に変な嗅覚が鋭い輩である。

 

「それならそれで仕方ないかなって、ここでバカンスしてたって訳さっ」

「そのバカンスが終わるのが惜しかったからって、連れ戻そうとする人たちを返り討ちにしてたって訳かよ……」

 

護堂がわざわざこの男を迎えに来たのは、その為でもあるのだ。

帰宅した彼はアテナの話を聞いて、そこに舞い込んできたエリカとリリアナの報告を渡りに船とばかりに利用した。

 

そうしてひとりでこの島に来たのは、サルバトーレ・ドニに直談判するためでもあった。

 

「おいサルバトーレ・ドニ」

「つれないなぁ護堂は。トトって呼んでくれていいんだよ、僕たちは刃を交わした強敵(とも)なんだから!」

「……いま強敵と書いて友と読まなかったか?」

「流石は日本人だ、分かってくれるんだね! 本当に君たちは素晴らしいよ、強敵と書いて友! なんて良い響きなんだ!」

 

イタリア人は情熱的だというが、コイツのはなんか違う。

 

頭痛が痛いとはこのことか。

話が通じないこの男を説得なんて不可能じゃなかろうか。

 

早々に諦めたくなった護堂だが、ここでやめる訳にはいかない。

話の継続という苦渋の決断を下す。

 

「とにかく! ……ひと月くらい、アテナはこの国に滞在する。俺は日本に帰るけど、その間にアテナを襲ったりするんじゃないぞ」

「へぇ! 彼女を置いて帰るのかい?」

「詳しい事は教えないけど、その必要があるんだよ」

 

理由はアテナが保護した神獣だ。

彼女はこの土地の精気から生まれたあの竜を、時間をかけて癒し大地に還そうとしている。

 

ペルセウスに傷つけられているので、そのままと言う訳にはいかないらしい。

 

それには一ヶ月ほどあれば十分とのことだが、護堂は学校もあるので帰国しなければならない。

必然的に、アテナとは別行動をとらざるを得ない。

 

だがそれは、この狂える剣鬼に餌を与えるようなものだ。

 

「ひとつ、本当に忠告だぞサルバトーレ・ドニ。アテナを傷付ければ、俺はお前を絶対に許さない――」

 

神殺しの呪力が、怒気に呼応して(ほとばし)る。

それを正面から受けるもうひとりの魔王も、涼しい顔で剣気を発する。

 

この脅しが逆効果だというのは護堂とて分かっている。

 

しかし、放っておいたら必ずこの男はやらかす。

今回の一件で、その方向に関する信頼は天元突破した。

 

だからこそ、あえてその戦闘欲を刺激する。

 

ここでもう一度ぶつかってもいい。

それこそ一ヶ月は身動き出来ないような重症を負わせるまでだ。

 

ともすれば、最初から相討ち覚悟の決死行。

草薙護堂の覚悟を前に、剣の王は矛を納めた。

 

「分かった、いいよ。僕はアテナに手を出さない」

 

再会からずっと変わらない笑みのまま、サルバトーレは剣の柄から手を離す。

 

いつ握っていたのか解らなかった。

護堂は冷や汗を流し、目の前の男の規格外さを再認識した。

 

「ずいぶんあっさりと決めたな。言っておくが、もしも後から叛意にすれば――」

「大丈夫だよ」

 

涼やかな微笑を悪戯な笑みに変え、剣の王は(うそぶ)いた。

 

「君はまだまだ強くなる。神殺しから三ヶ月でこれなんだ、もっと待ったらもっと熟れるだろう……」

 

まるでいたずら小僧のような笑みだが、そこには不思議な凄みがある。

暗く、重く、およそこの男には似つかわしいと思えない、ドロドロとした情念。

 

「――今はまだ、摘み取るには早いよ」

 

剣と戦に狂う魔王の凄みが。

 

 



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10 Part1――

 

自然溢れる立地ゆえに、鳥たちの鳴き声が響き渡る。

まるで幾種もの鳥類が輪唱しているかのようだ。

 

カーテンのない窓から朝の木漏れ日が差す。

 

サルバトーレ・ドニを説得――と言っていいのか(はなは)だ疑問ではあるものの――した翌朝。

揺すり起こされた草薙護堂は、目の前の光景に己の正気を疑った。

 

「おはようございます、御主人様」

 

アリアンナが着ているのと同じ種類の、というより彼女のメイド服を着ている少女。

 

護堂より頭一つ二つ分は小さい、小柄な身長。

随所を見るに、急遽(きゅうきょ)仕立て直した跡が伺える。

 

指通りのいいサラサラの髪。

その感触を知る銀髪から、黒曜の瞳が覗いている。

 

「食事の用意が整いましたので、ご起床下さい」

 

鈴の音色を思わせる可愛らしい声が眠気を払う。

寝癖のついた髪を整えようと、額に触れる肌は柔らかい。

 

まだ夢の中かと不思議に思って声をかけた。

 

「………………アテナ……?」

「はい。あなたのアテナですよ、御主人様」

 

何をおかしな事を、とでも言いたげに首を傾げる彼女。

困ったように携えられた微笑が、夢見心地を吹き飛ばした。

 

「……稲妻よ降れ」

 

バチィッ!

 

「ぐぉっ――ぁ!」

 

脳天から電流が突き抜け身が竦むが、眼は覚めない。

つまり、この光景は夢ではない。

 

(――アテナがメイドになっている!!)

 

草薙護堂は、再度己の正気を疑った。

 

 

 

 

 

 

まったく事情を理解できず、ただ呆然としてアテナの後について食卓に着いた護堂。

 

そんな彼に語りかけてきたのが、世話役として共に暮らしているアリアンナだった。

彼女は得意げな表情でこう語る。

 

「エリカ様とわたしで考えたんですよ。護堂さんとアテナ様は離れ離れになってしまう訳ですから、その前に何か思い出を作っておいたらいいんじゃないかなって!」

 

それでエリカとアリアンナの悪乗りが始まり、アテナがメイドさんになっていたと。

経緯を聞いて頭を抱える。

 

(だよなぁ……アテナに対してこんな事を考えた挙句、面白がって実行に移させるのはアイツしかいないよなぁ!!)

 

どう反応していいか分からず横目でアテナの様子を伺う。

視線に気づいた彼女は、裾を持ち上げてその場でクルリとひと回転。

 

「この服はアリアンナが一晩でやってくれました」

(アンナさんマジGJ(グッジョブ)!)

 

音なき声で出来る従者を褒め称える護堂。

所詮は男子高校生、陥落(かんらく)させるのはチョロいものである。

 

「そういう訳ですので、護堂さん」

「本日は私がお世話をさせて頂きます」

 

二人並んでペコリとお辞儀。

その作法を完璧にこなしているアテナは、女王として良いのだろうか。

 

 

 

 

 

 

Part2――

 

アリアンナ作の朝食を終えて、自室に戻った護堂。

当然のように着いて来たアテナが、一日メイドとして言葉を発した。

 

「昨日の事で色々とお疲れでしょう。横になって下さい、マッサージをします」

 

ニッコリと微笑む彼女だが、マッサージはメイドの仕事なのか?

護堂は疑問に感じつつも、素直に従いベッドに横たわる。

 

うつ伏せになって目を閉じると、腰の上に重さを感じた。

 

「それでは、始めますね」

 

白い指が肩に添えられ、徐々に圧迫されていく。

幼子のそれである小さな手が、成長途中の護堂には思ったよりフィットして気持ちがいい。

 

肩甲骨の内側を親指がなぞって行く。

 

「んっしょ、んっ……しょ」

 

筋を揉みほぐしながら下降していくと、指は腰に到達する。

体重を乗せて手のひらの付け根で押されると、大した重さもないアテナのそれが丁度いい力加減を生んでいる。

 

「う……おぉぉ」

 

痛みと快感が入り混じり、くすぐったいような感覚に声が出てしまう。

腰を揉みほぐしたらまた肩へ上がって行き、それを幾度か繰り返す。

 

次は肩から肘、肘から手首にかけて。

同じように筋を指先で探り当てながら、あまり力を入れすぎず揉み込んでいく。

 

手のひらにたどり着いたら、骨の合間の筋を指圧する。

また同じように肩に戻るとまた下降し、今度は腰を通り過ぎる。

 

以外に凝ることがある臀部――尻の筋肉をほぐし、腕と同じようにして股下から足首まで下がっていく。

この辺で変に羞恥心が掻き立てられたが、護堂の年齢やアテナとの関係を考えると致し方ない事と言える。

 

膝の近くまで行くとひどく(くすぐ)ったくて、脹脛(ふくらはぎ)は地獄の苦しみだった事は忘れられない。

……大人しくしていて下さいと、召喚された蛇に拘束された事も忘れはしないだろう。

 

足の裏の痛みも合わせて、女神によるマッサージを堪能したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

Part3――

 

ノズルから出た細かな流水がタイルを打ち付ける。

立ち上る湯気が室温を上昇させている。

 

アテナとのやり取りで逆に疲れた体を、風呂に入って癒そうとしているのだ。

 

しかし、所定の場所に石鹸がなかった。

無くなるほど使った記憶はないが、置いていないのだから取ってくるしかない。

 

やれやれとため息を吐いたとき、後ろから手が伸びてきた。

 

「こちらをお使い下さい」

 

小さな手のひらにはお馴染みの石鹸が載せてある。

 

これはありがたいと受け取る護堂。

そこで、猛烈な違和感に気づく。

 

振り向くと、そこにはスクール水着を身に纏ったアテナが――!

 

「――うぉわぁっ!!」

 

状況が状況のため、即座に背を向ける護堂。

混乱しながらも首だけ振り返り、紺色の衣装を着けた女神に問い質す。

 

「なんでここに!!」

「お背中を流しに参りました」

 

当然のように笑いかけてくるアテナを一喝する。

 

「来なくていい!! っていうかその水着はっ!?」

「エリカが送って来ました。なんでもリリアナのメイドが用意したものらしく、少し大きいですが」

 

手足の付け根を見ると、確かに隙間が空いている印象を受ける。

胸のゼッケンに書かれた「あてな」の文字が、誰かの悪戯心を匂わせてもいる。

 

頭に付けたままのヘッドドレスが、妙な一体感を生み出し背徳的だ。

 

気付けば護堂は、普段は見えない位置の肌を視界に焼き付けていた。

数秒後には我に返りアテナを追い出したが、鮮明に思い出して離れない光景に苦労したのだった。

 

 

 

 

 

 

Part4――

 

風呂からあがり、湯冷めしないようにと早めに床に着いた護堂。

 

しかし、カンピオーネに風邪の心配がいるのだろうか。

日本には「馬鹿は風邪を引かない」という言い伝えがあるし、それでなくとも彼らの肉体がその程度のウイルスに侵されるのか、(はなは)だ疑問である。

 

そういった余人の考えを撥ね退け、布団を被る。

ひと息ついたところで、先に潜り込んでいたアテナが声をかけた。

 

「もう眠るのですか?」

「ああ、明日は早いしな」

 

この程度の事は、別段驚くに値しない。

闇に潜む女神の気配など感じ取れはしないが、彼女が忍んでいたところで自分に不都合はないのだから。

 

幸いにして、彼女は水色のパジャマに着替えている。

奇抜な格好をしていないのなら、追い出すような理由もない。

 

「一ヶ月、会えないんだなぁ……」

「ですね……」

 

この二人が行動を共にするようになってから三ヶ月。

これほど長期間も顔を合わせないような時期はなかった。

 

明日からは離れ離れだと思うと、不思議な感覚になる護堂。

 

辛いのは辛い。

寂しいのは寂しい。

しかし、悲しいのとは何か違う。

 

心に穴が開く、という感覚でもない。

自分たちは繋がっている。

 

そういう信頼が、確かにあるのだ。

 

「今日はこのまま、一緒に寝ようか」

「ええ、そうしましょう」

 

どちらからともなく見つめ合う。

そのまま顔を近づけ、触れるような淡い口付けを。

 

互いに相手の身を寄せ、言葉なく静かに眠りに着いた。

女神の麗らかな髪が、窓から差す月明かりに輝いていた。

 

 



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第五章 《鋼》の巫女


恵那の登場という事で、張り切った感は否めない。



 

アテナをイタリアの地に残し、護堂が帰国したのは夏休みの半ばを過ぎた頃だった。

 

「……流石に暑いなぁ」

 

階段を登る足は止めず、手の甲で額の汗を拭った。

彼がこうしているのは、自宅に万里谷裕理から電話が入ったためだ。

 

立場を弁えて弱腰な彼女からの呼び出しに、不穏ながらも重要な何かを感じ取って家を出た。

彼女の待つ七雄神社へ向かうべく、護堂はこうして足を動かしているのだ。

 

しかし今は真夏、八月の下旬に差し掛かろうとしている。

昨今は年々猛暑が厳しくなっているこの時節に、都内随一と(まこと)しやかに語られる七雄神社の石段を登りきるというのは、諸事情で体力

 

に人一倍自信がある護堂にも少しばかり苦行であった。

 

薄手のジーンズにシャツ一枚という相当ラフな格好だが、それでも体温の上昇と発汗は抑えきれない。

 

境内(けいだい)に着いたら、万里谷にでも冷やしてもらおうかな……)

 

アテナがいれば冷やしてもらうし、エリカや裕理などがいてもそれは同じ。

しかし、自らの権能でどうこうしようとは思わない。

 

彼が応用できる権能やその技術を持っていないというのもあるが、日常生活に権能などという物騒なものを馴染ませたくなかったのだ。

 

或いは、使い慣れてヴォバン侯爵のようになる事を嫌ったのか。

もしくは恐れた、と言い換えてもいいだろう。

 

草薙護堂の価値観からして、権能というのはあまり認めたくない代物だ。

 

魔術師が魔術を使うのも、呪術者が呪術を使うのもいい。

それは彼らが研鑽を積み、己の時間を費やして築き上げた技術だ。

 

神が己の権能を振るうのも、実害さえ伴わなければ文句を言う筋合いはない。

それは彼らの生まれ持った能力であり、欠かせないアイデンティティーだ。

 

しかし、カンピオーネは違う。

 

魔王の権能は、ただ戦って勝ち取っただけ(・・)の能力に過ぎない。

技術の研鑽も、時間の浪費も、理屈も理論もなく、義母によって与えられた異能。

 

そんなものに頼っていては、堕落して人間性が疎かになるだけだ。

権能を使うのは人間大の能力で成せない何かがあった時だけ、彼はそう己を戒めている。

 

だから護堂は、人に頼る事を躊躇わない。

 

己は所詮、ちっぽけな人間のひとり。

この権能(ちから)は神々や神殺しにこそ向けるものであり、自分しか対抗出来ないから使うのだ。

 

その矜持こそが護堂を神殺しの使命にまつろわぬ、異端の魔王とした理由の一端なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

長い石段を登りきり、朱色の鳥居を(くぐ)った護堂。

その姿を見た関係者たちは、丁寧に一礼してそそくさと奥に引っ込んでいった。

 

まだ数度しか訪れた事のない場所だが、この反応も慣れっこである。

つい先日にもイタリアで、この手の反応を受けてきた所なのだから。

 

だから、この胸の言い難い虚しさは勘違いだ。

自分で自分に言い聞かせる護堂なのであった。

 

そんな何処となく落ち込んだ風な護堂に、明るい声をかける人物がいた。

 

「元気ないね王様、何かあったの?」

 

黒く艶やかな、烏の濡れ羽色という表現がピッタリと合致する長髪。

裕理とはまた違う、純正の大和撫子の気品漂う顔立ちの少女。

 

この場所と王様という発言から、関係者だという事に察しは着いた。

 

「ああ、いや、なんでもない。えっと、君は?」

「あっと、ごめんなさい。清秋院恵那っていうの。裕理がお仕えしてる、草薙さんでいいんだよね?」

「仕えてるかはともかく、俺の名前は草薙護堂だよ」

 

こんな美少女だというのに、異性の垣根を越えた気安さを纏っている。

ただの友人だったとしてもふとした拍子に恋に落ちてしまいそうな、そんな予感を感じさせる不思議な距離感。

 

初めて合うタイプの女性だが、良い関係が築けそうだと直感した。

そんな彼女は、名前を聞いてピンと張り詰めた空気を発する。

 

「じゃあ改めまして――媛巫女筆頭、清秋院恵那と申します。縁あって拝顔の栄誉を賜りました端女(はしため)にございますれば、この身を如何様(いかよう)にもお使い下さって構いません。わたくしも清秋院の家も、叶うならばあなたさまのご寵愛を末永く賜り、共に覇道と王道を歩ませて頂きたく願っております。御身の傍に(ましま)す女神たるお方にも、斯様(かよう)にお伝え下さいませ」

 

媛巫女たる名乗りと宣誓。

話の内容よりも先に、彼女の変わりようにこそ気が惹かれた。

 

良家の子女というのは察しがついていたが、これほどまでに美しい所作は初めてだ。

西洋と東洋の区別がなければ、エリカにも匹敵――或いは凌駕するかもしれない気品。

 

柄にもなく少し見惚れて、ようやく言葉の中身に思考が追いつく。

 

(えっと、要するに俺に従うから実家に便宜をはかってくれってことか?)

 

それをアテナに伝えてくれと。

要約するとそういう意味合いでほぼ間違いはない。

 

しかし護堂には、ひとつだけ懸念があった。

 

「今のって、もしかして自分を愛人にしろって言ってる?」

「御身がそれを望まれるのであれば、わたくしには望外の(よろこ)びでございます」

 

やっぱりそういう意味か。

頭を下げる恵那に、護堂は呆れと困惑の視線を向ける。

 

その視線を感じ取ったのだろう。

恵那は頭をあげてペロリと舌を見せた。

 

「なーんて、草薙さんは嫌いみたいだね」

「王様扱いなんて慣れないからな」

「あはは、まぁそうだよね。恵那だって今みたいなの窮屈で苦手だし」

 

先ほどの清廉とした面影は既になく、元の爛漫な少女に戻っていた。

それを見て、やはり護堂は何とも言えない感慨を抱く。

 

時代錯誤にそんなことをさせる家も家だが、本人に不本意という感情が見られない。

開けっぴろげに見えたこの少女、実は隠すだけの物を持っていないだけなのではなかろうか。

 

羨望はある、しかし嫉妬はない。

悔恨はある、しかし怨嗟はない。

暗い感情を覚えるだけの物を持っていないから、隠し立てする事を知らず。

感情が育ちきっていないのではないかと、実情はともかくそう感じた。

 

 

 

 

 

 

「裕理、入るよ~」

 

恵那に先導されて屋内へ入ると、案内された部屋には裕理が待っていた。

護堂の姿を認めると、彼女は真っ先に頭を下げる。

 

相変わらず堅いなと辟易しながらも、護堂は腰を下ろした。

恵那もまた、丁度三角形の頂点となる位置で正座する。

 

「申し訳ありません、草薙さん。わざわざ出向いて頂くなんて……」

「いいよ、どうせやることもなかったんだから」

「それでも――」

 

ここでいつものように押し合い問答が始まるかと身構えた護堂だが、すぐに拍子抜けしてしまう。

 

「まぁまぁ裕理、今日は裕理じゃなくて恵那のせいなんだからさ」

 

幼い頃からの友人をたしなめた恵那は、向き直って護堂に頭を下げた。

 

「草薙さんを呼び出したのは、実は恵那の方なの。裕理にはその仲介を頼んだだけだから」

「ああ、謝るとかそんなのはいい。お前だって分かってるだろう?」

 

お前と、ある種ぞんざいな呼び方をする護堂。

この部屋に来るまでの間に、彼の中でも恵那との距離は決まったらしい。

 

変に気を使う必要はなく、使われる事もない気楽な関係。

初めて会うタイプの魔術関係者である恵那、護堂が彼女に望むのはそれだ。

 

それを読み取ったからこそ、彼女もこうして砕けた口調を通しているのだから。

 

「そうだね。じゃあ、早速本題に入ろうか」

 

恵那は正座で背筋を正すと、まっすぐに見つめてこう言った。

 

「草薙さんにはね、幽世(かくりよ)でおじいちゃまに会ってほしいの」

「おじいちゃま?」

「うん。そこに住んでる、恵那の後見人なんだけどね」

 

幽世――『生と不死の境界』に住まう者。

護堂にもその正体の見当はつく。

 

自然と目付きが鋭くなった護堂に、裕理が補足説明をする。

 

「彼の御老公は、正史編纂委員会に強い影響力を持つ後見。古老とも呼ばれるお方なのです」

「委員会の? そんなことあり得るのか?」

 

彼の者らが人間組織を監督している。

そんな突拍子もない発言に、流石の護堂も動揺した。

 

それから少し、恵那と裕理に話を聞いて護堂は決断する。

 

 





初っ端から奴と対面とか、我ながら思い切ったことしたなぁ。


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「うん、そう。承諾してもらえたよ、おじいちゃま。うん――それじゃ、よろしくね」

 

話を受けて幽世へ赴く事にした護堂。

快い返答をもらって喜んだ恵那は、裕理も伴って再び外に出た。

 

件の彼女は細長い紫染めの布袋――恐らく竹刀袋の類であり、彼女が媛巫女ということを考えると中身も想像がつく――を左手に下げ、もう片方の手で携帯電話を耳に当てている。

話し相手は、例の『おじいちゃま』らしい。

 

携帯なんて使えるのか?

 

疑問に思って裕理に聞くと、あれは念話の媒介として使っているだけらしい。

ようするに、イメージを固める為の小道具なのだとか。

 

通話を終えた恵那が、携帯をしまって振り向く。

 

「それじゃ、王様。今から向こうへ送るけど、動いたり暴れたりしないでね」

「俺が動いたり暴れたりするような方法なのか!?」

 

戦慄を露にする護堂に、黒の大和撫子は軽快な笑いを返す。

 

「ちょっと底なし沼に飲み込まれるだけだから、安心していいよ」

「……安心して、いいのかそれは?」

 

慰めのつもりなのだろうが、苦笑いしか返せなかった。

いや、ひょっとしたら頬が引きつっていただけで、苦笑いすら出来ていなかったかもしれない。

 

そんな護堂の内心を知ってか知らずか、彼女は袋の口を開ける。

現れたのは、予想通りな刀の柄。

 

布袋ごしに鞘を握りつつ、ゆっくりと柄を引き抜き始める。

 

――ドクンッ。

心臓が大きく脈を打った。

それほどまでに――神殺しの肉体が反応するほどに、その刀身は神々しかった。

 

「王様は一般の出だから知らないかな。それとも、結構有名だから知ってるかな?」

 

白銀の刃が日の目を浴び、鋼の美しさを魅せつける。

 

一般的に時代劇などで見られる剃りのある刀ではない。

もっと古い時代に作られた、倭国の直刀。

 

神々の時代に生まれ落ちた、蛇の御霊を宿すその《鋼》の名は――

 

天叢雲劍(あまのむらくものつるぎ)――読みはべつに『あま』でも『あめ』でもいいけど、知ってるかな?」

「ああ、日本人としてそれくらいはな……」

 

速須佐之男命(はやすさのおのみこと)が八岐大蛇を退治したとき、その怪物の尾から見つけ出した神刀。

 

火のついた草むらをひと振りで薙いだとの伝承から、草薙の剣とも呼ばれるそれ。

後に『三種の神器』のひとつとして人間界に持ち込まれたかの剣が、こうして目の前にあるとは。

 

己の名との奇妙な縁もあり、必要以上にジロジロと観察してしまう。

 

「えへへ、恵那のことじゃないのに、なんか照れるね……」

「うっ、すまん」

「ううん、いいよべつに」

 

抜き身の刀を持ったまま身を縮める恵那。

若干の気恥ずかしさと申し訳なさから謝ると、彼女は笑って許してくれた。

 

しかし、こうも思う。

この年頃の女の子が男から不躾な視線を向けられて、嫌悪や羞恥を覚えるのではなく照れるだけとは……

 

やはり情緒が育ちきっていない印象を受ける。

 

彼女が生まれ持ったものなのか、育った環境が特殊だったからなのか。

前者の要素を後者の要因が後押ししている、と護堂は推測する。

 

そんな慣れない――言ってしまえばエリカなどがするであろう――思考に意識を傾けている間に、恵那の方は一通りの準備を終えたらしい。

 

「こっちの用意は出来たよ。王様はもう行ける?」

「ああ、覚悟は出来てるっ」

 

先ほどのやり取りから若干悲壮な決意を固めた護堂。

底なし沼に飲まれろなどと言われたのだから、本人は溜まったものではないだろう。

 

裕理はその反応を見て、僅かに呆れの感情を声に乗せる。

 

「……草薙さん、そんなに身構えなくてもよろしいのではないですか?」

「いや、でもさ、だって……底なし沼だぞ?」

 

普段は必要以上に敬われている裕理に(たしな)められ、護堂もしどろもどろだ。

しかし当の裕理にしてみれば、一体何を言っているのだという顔である。

 

「草薙さん。あなたは神々でさえも(しい)された羅刹の王なのですよ? 今更底なし沼など……」

「いやいやいや、神様とかカンピオーネなら戦って勝つけど、沼は倒せないだろっ」

「…………そういう問題なのでしょうか」

 

やっぱりこの人は何かがおかしい、と。

そう嘆息する裕理の顔に影は見られない。

 

態度を改める機会に恵まれていないだけで、彼女もかなり護堂に傾倒しているようだ。

 

二人の取り留めない会話に、恵那は少なからず驚かされた。

あの(・・)裕理が男の人と、カンピオーネと仲良く会話を楽しんでいる。

 

女神をも誑し込んだ手腕は伊達ではないのだと、感心を超えて戦慄に近いものすら覚えた。

 

しかし、そんな硬直も束の間。

恵那は長年の付き合いから、『おじいちゃま』が焦れている頃だろうと勘付いた。

 

「王様王様、そろそろ本当に始めるからね」

「じゃあ頼むよ清秋院」

「うん、それじゃ!」

 

恵那が手に持つ神刀へ意識を集中すると、待ちわびていたかのように神気が降ってくる。

護堂が咄嗟に上を向くと、そこには信じられない光景があった。

 

(これは――皆既日食だって!?)

 

照り付けるような太陽は姿を隠し、炎天が闇に沈む。

吹き付けるような暴風が、護堂に向けて冷気を運んでくる。

 

神刀の巫女が(うた)を紡いだ。

 

「ちはやぶる宇治の(わたり)(さお)取りに――けむ人し我がもこに来む。我が祀る神には非ず! ますらをに憑くきたる神ぞ、よく祀るべし!」

 

彼女が謳う言霊は闇に響き、世界の垣根を斬り裂いた。

凛とした姿に見入っている内に、足元が冷たい感触に包まれる。

 

「――っ!」

 

影よりも濃く、底知れぬ深さを印象付ける闇。

底なし沼と称されたのも、これは納得するしかない。

 

護堂が決して豊富とは言えない神話の知識で以て、皆既日食という現象を天叢雲劍と結びつけている内に、意識までも闇に飲まれてしまった。

 

 

 

 

 

気付くと、草薙護堂は山にいた。

 

青々しい草木が生い茂る山林の奥。

ただでさえ傾斜の厳しい山道だというのに、雨風がそれに拍車を掛けている。

 

それでも護堂は、前を向きながら思考を再開させる。

 

(清秋院の持っていた天叢雲に、この嵐――皆既日食は天照大御神(あまてらすおおみのかみ)の岩戸隠れか……)

 

恵那が言っていたように、本来の護堂は一般人だった。

魔術の世界に古くから関わっている者からすれば、鼻で笑われる程度の知識しか持たない。

 

それでも、アテナのことがあってから多少は学ぶ姿勢を見せ始めた。

 

日本人として最低でも、有名どころの概要くらいは抑えている。

それでなくとも大御所の神は、昔から創作にも流用されやすいものだ。

 

学ぶつもりがなくたって、彼もその知識は頭にあった。

故に、彼女の『おじいちゃま』が誰なのか見当はついている。

 

その推測の真偽も、いま明らかになろうとしている。

 

歩き続けた先に、小さな山小屋を見つけたのだ。

時代劇にでも出てきそうな、木で作られた簡素な掘っ立て小屋。

 

戸の前に立って軽くノックしてみると、中から返答があった。

 

「入りな、草薙護堂。待ってたぜ」

 

警戒を怠る事なく引き戸を開け、素早く中を覗く。

 

そこに居座っていたのは、大柄な体躯の老人。

いかにも偏屈ジジイといった風貌の男が、囲炉裏の前で胡座(あぐら)をかいている。

 

「わざわざ呼び立てて悪かったな。狭いが、まぁ座れや」

「ああ、そうさせてもらう」

 

靴を脱ぐ様式ではない様子なので、土足で踏み込み対面に座す。

囲炉裏を挟んで向き合い、互いに相手から眼を逸らさない。

 

「そう警戒すんなよ。オレが誰でどんな立場なのか、お前さんだって分かってんだろ? そんな顔をしてやがるぜ」

「ダメだな。それは気を許す理由にはならないし、アンタという神の性格を思えば警戒しておく方が無難だろう」

 

眼光に宿る敵愾心と警戒心を隠さず、神殺しの王はその名を告げる。

 

「アンタは鋼の闘神にして、知恵で以て他者を欺くトリックスターだからな――須佐之男命(すさのおのみこと)

 

日本神話に語られる英雄神は、如何にもな曲者(くせもの)顔をニタリと歪ませた。

 

 



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主だった日本神話と言えば、『古事記』や『日本書記』が有名だろう。

 

古事記に登場する神話の世界は、初代天皇より以前の時代。

高天原(たかまがはら)という地にて、神々が踊り語らう様が書かれている。

 

その中で特に有名な神が幾柱か。

国産みと神産み、原初の父神と母神である伊奘諾尊(イザナギ)伊弉冉尊(イザナミ)

 

そしてイザナギから最後に生まれた三柱の神々。

主に三貴子(さんきし)、或いは三貴神(さんきしん)と呼ばれる者たちだ。

 

天照大御神(アマテラスおおみのかみ)月読命(ツクヨミのみこと)、そして健速須佐之男命(たけはやスサノオのみこと)

彼ら彼女らはイザナギ自身が、自らの生んだ神の中で最も(とうと)いとしたことからそう呼ばれる。

 

その中でもスサノオは、一風変わった性質を持つ。

 

太陽を神格化したアマテラスや月を神格化したツクヨミらと違い、彼は明確な役割を与えられていない神だ。

その性格も、往々にして様々。

 

母の国へ行きたいと駄々を捏ねたかと思えば、怪物を退治して民を平定し。

粗暴な態度をとって神々の怒りを買ったかと思えば、日本初の和歌を読むという文化的な姿も見せる。

 

その性格の多面性は、ゼウスの奔放さやウルスラグナの職掌の広さに通じるものがある。

 

つまりスサノオとは、数多の神々と習合して神話を得た神。

神々をまつろわせ、神格と権能を取り込んでいく鋼の英雄神なのだ。

 

「う――っあぁぁ!?」

 

スサノオの名を口に出し、その知識を思い起こした護堂。

意識してやったのはそれだけの事なのに、酷く頭痛がする。

 

それに、さっきまで知らなかったはずの事柄もあったような……?

 

次に右手に違和感、変な感触がある事に気づく。

苦しみを押さえつけて眼を開けると、右手に黄金の剣が輝いていた。

 

(俺は権能を使っちゃいない! 使おうとしたつもりはないのに、なんで!?)

 

苦痛に歪む顔と驚愕した反応から、スサノオは大体の事情を察したらしい。

目の前で神殺しの聖剣を眺めながら、慌てることなく語りかけてくる。

 

「流石は知恵の剣か。オレを前にして昂った呪力が、お前さんの言葉を呼び水に武器を用意したんだよ。流石は神殺し、神と対峙したら戦わずにはいられないってか?」

「でも、今までこんなことっ」

 

軽薄で豪快な笑い声を上げるスサノオ。

護堂が頭痛に耐えながら反論すると、新たな事実を突きつけられる。

 

「この幽世には、宇宙開闢から起こった全ての出来事、これから起こりうる全ての可能性なんぞが書き記されてるって話だ。然るべき力を持つ者は、そいつをどっかから取って来れるのさ」

 

霊視能力者が受ける啓示とは、そういう理屈で成り立っているという。

それなら確かに、本人も知らないはずの情報を読み取れる事に説明がつく。

 

自分の場合は、この『黄金の眩き軍神(Shining Warlord)』の権能がそれにあたるのだろう。

理解と納得が生まれるが、頭痛は更に威力を増してくる。

 

「オレの事は好きに呼んでいいぜ。ただし、おじいちゃまってのは無しだ。そんな阿呆な呼び方をするのは、恵那のクソガキだけで十分だからな」

「じゃあスサノオ、清秋院はアンタにとって何なんだ。自分の剣まで渡してただろう?」

「奴はオレの巫女だ。あのガキが持つ『神懸かり』の力は、限定的に神の力を体に呼び込んで操るもんだ。そんでもって、オレがあいつに力を貸してやる代わりに、あいつはオレと現世とのやり取りを仲介する。ま、巫女っつってもそんなところか」

 

つまり彼女が帯刀する天叢雲劍は、スサノオの力を受け取るための受信機に近い役割を持っている訳だ。

 

言われた言葉を何とか噛み砕くが、頭痛に侵され喋ることすら辛くなってきた。

それを見とがめたスサノオが、ニヤケ笑いをやめて真面目な顔をした。

 

「真っ当な方法で連れて来なかったから、ちと負担がデカイらしいな。早めに本題に入るとするか」

 

真剣な表情をすると神らしい威厳も出てくる。

そう感心した護堂は、次の言葉に頭痛すら忘れて警戒心を取り戻す。

 

「お前が侍らせてる(おんな)の事だ」

 

スサノオの神格を斬る為の剣を強く握った。

無駄に散らしている力を統率し、押し固めて循環させる。

 

「アテナが、どうした」

「そう熱くなるな、別にどうこうしようって言うんじゃねぇよ。ただ、蛇の女神ってのはこの国には鬼門でな……」

 

そうして話しだしたのは、とある神のことだった。

 

曰く、世界の最後に現れる王。

曰く、魔王殲滅の使命を負った最強の《鋼》。

曰く、幾度も世の神殺したちを全滅させた、救世の大英雄。

 

抽象的な説明ばかりだったが、その物騒さの一端くらいは伝わってくる。

 

「かれこれ千年ほど前の事だ。オレたちは、あの小僧をこの国に封印した」

「……はぁっ!?」

 

いきなりの大暴露にまた頭痛が消し飛んだ。

囲炉裏の淵に手をかけて、対面のスサノオに身を乗り出す。

 

「誰にもどうにも出来ない最強の《鋼》だっていま散々に説明してただろ!? なんでそうなる!!」

「まあ休眠状態の奴を見つけて、他から隠しただけだ。それからずっと眠りっぱなしだが、もう千年が経つ。目覚めても不思議じゃねぇだろう?」

 

最後の王。

魔王殲滅の《鋼》。

そんな者が自国に眠っていると聞いて、流石の護堂も気が気ではない。

 

それも覚醒するかもしれない、などと言われては尚の事。

 

「蛇の女神は地母神で、大地から力を吸い上げるあの小僧にとって地母神は餌だ。どちらが望む望まないに関わらず、(いや)が応にもそうなっちまう」

 

アテナはまさにそれ。

蛇の性質を持つ古の大地母神。

 

《鋼》を奮い立たせる、蛇の怪物にして美の女神。

 

「それにこの国には、小僧を刺激しないための仕掛けが施してあってな」

「仕掛け?」

「ああ、龍蛇避けの仕掛けだ。蛇の類が神として降臨したとき、小僧とは別口に封印した《鋼》を目覚めさせ、それを退治させるっつうな」

「また《鋼》を封印してんのかよ……」

 

ここまでの話を聞いて、護堂はスサノオを信用してみる事にした。

 

色々と企んでいる曲者だが、この件に関しては真面目らしい。

真剣味とか誠意とかはまったく感じないが、とりあえず話の中身、それ自体は鵜呑みにする事にした。

 

「感謝しろよ、あの女に龍蛇避けが行かねぇようにしてやってるんだから」

「ああ、そこに関して素直に礼を言うよ」

「ま、普段は蛇の性を隠してるやがるから、どっちにしてもぶつかる事はなかったろうがな」

「やっぱり前言を撤回する」

 

せっかく人が信用してやったのに、つまらない嘘を吐く男だ。

護堂のスサノオに対する好感度が再び下がった。

 

そんな事はお構いなしに、スサノオはこう締めくくった。

 

「ま、オレはまつろわぬ神を卒業した隠居だ。現世がどうなろうが基本的には知ったこっちゃねぇ。お前さんが向こうをどうしようがオレには関係ねぇから、口を出す気はねぇよ。気楽にやんな」

 

ただの偏屈ジジイとなったスサノオは、もう護堂を見ていない。

用は済んだのだと判断し、この小屋を出る事にした。

 

「また現世への穴を開けてやるから飛び込め。向こうじゃ、恵那のクソガキが待ってるだろうからな」

 

返事もせず、振り返る事もなく、護堂は小屋から出て行った。

 

話しもするし、乞われれば力を貸すこともあるかもしれない。

しかし、気遣いや馴れ合いは不要。

必要以上の接触はいらない。

 

これが自分たちの、神と草薙護堂(まおう)の丁度いい距離感だろう。

再び闇に包まれて、神殺しは現世に帰還するのだった。

 

 





以上、護堂への説明回でした。
媛や坊主については、次かその次の章で。


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夏バテだろうか、手がキーボードの上を動かない……
いや、アテナ様が出ないからというのもあるのか?



 

草薙護堂が幽世にてスサノオと邂逅してから数日。

高校生の夏休みらしい、概ね平和な毎日を送っていた。

 

と、本人は思っている。

 

七雄神社での出会いから、ちょくちょく顔を見せに現れる恵那。

先日は宿題も終えてアテナもおらず、どうせやることもないからと彼女に連れられて、神懸かりに必要な山奥での修行に付き合わされたりもした。

 

本人も口で言うほど嫌がっている訳ではないので、恵那も遠慮なく引っ張っていく。

護堂は一泊二日の小旅行のつもりだが、彼女の方は男女間の交遊を深める思惑があった。

 

それで導き出された答えが一緒に修行だというのだから、可愛らしいものだ。

彼女にそれを命じた者には不本意かもしれないが、護堂としては中々出来ない体験をさせてもらったと喜んでいたりする。

 

山菜を摘んで文字通り御菜(おかず)の一助にしたり、(すずり)で墨を擦って経文を書き写したり。

 

時には当然ながら整備などされていない、自然の脅威がそのまま残っている山中を走り抜けたりと。

半分は山で育ったと言っていい恵那や、魔獣と称される肉体を持つ護堂だからこその無茶だ。

 

滝行で濡れて肌が透けた恵那とちょっとしたハプニングがあったりもしたが、今は割愛しておこう。

 

他には関係改善の兆しを見せ始めた裕理と距離を縮めようと、七雄神社に足繁(あししげ)く通ったりもしていた。

鳥居を潜ると毎度の如く人波が引いていくのも、既に慣れっこになった。

少し待つと、裕理が迎えに出てきてくれるというのもある。

 

最近では彼女も打ち解け始め、態度が柔らかくなってきたようだ。

会話の最中に笑みをこぼす機会が増えてきたのが、何よりの証拠だろう。

 

小学生の妹がいるという話を本人から聞き出せたのは、殊更(ことさら)に大きな戦果と言える。

魔王の暴挙に怯えていた彼女が、自分から家族の話題を持ち出したのだ。

 

それくらいの信用は勝ち取ったのだと、護堂はご満悦である。

これらの青春を以て、平和な高校生活を送っていると判断した。

 

しかし考えてみて欲しい。

世の高校生は基本的に山に行って修行もしないし、巫女さん目当てに神社へ通ったりもしない。

 

彼の普通が特殊すぎるだけのことである。

 

そんな生活を送りつつ夏休みを満喫する護堂だが、今日は恵那から連絡があった。

普段から携帯電話を使わないせいで、充電すらろくにしていない彼女からの電話だ。

 

何か厄介事ではなかろうか。

暫し瞠目してから、通話ボタンを押した。

 

耳に当て話しかけると、撫子の気品ある声が紡がれる。

 

「もしもし、清秋院か?」

『ご無沙汰しております、此度は(わたくし)の――』

 

この様な前口上を述べたのは相手が王という意識ゆえだろう。

無意識に出た言葉を切り、いかにも上流階級といった言葉使いを常のそれに正す。

 

続けられたのはサバサバした野生児の挨拶だ。

 

『っと――ゴメンゴメン、いつもの癖が出ちゃったよ。王様はいま大丈夫?』

「大丈夫だよ。お前は元気にしてたか?」

『うん、恵那は概ね問題ないよ。でも、少し気になることがあってね……』

「気になること、っていうと神様(あっち)関連か?」

 

半ば確信を持ちながら問うと、予想を外れて困惑した声が返ってくる。

 

『それが、ちょっとよく分からなくてさ……』

 

話を聞くに、天叢雲劍の調子がおかしいらしい。

おかしいと言っても悪い方ではなく、むしろ良い方に変調を来たしているのだとか。

 

下手に神がかりをすると意識を乗っ取られかける事もあるらしく、流石の恵那も困り果てて同僚に相談へ行ったらしい。

そこで同じ媛巫女にして上司にあたる沙耶宮(さのみや)(かおる)という人物から、護堂にも連絡を入れておくようにと指示があったのだという。

 

沙耶宮馨――正史編纂委員の東京分室を纏め上げる若き室長。

日本呪術界において四家と呼ばれる家系のひとつ、沙耶宮家のご令嬢らしい。

 

沙耶宮の一族は知恵者として名を馳せており、十八歳になる件の彼女も若年ながらキレ者として有名なのだとか。

 

そんな人物からの指示だ。

モノが神刀(もの)だけに、事情は知らせておくべきという判断なのだろう。

 

「分かった。また何かあったら、その時は俺にも教えてくれ」

『うん、もちろんだよ』

 

恵那も頷きを返し、当然のことだと心に刻む。

電話の向こうにいる者こそが、己が本来従うべき王君なのであるからして。

 

その護堂は更に、念を押してもしも(・・・)の場合を言い含める。

 

「――神格化(こと)が起こったら、すぐに連絡をくれ。文字通りに飛んで行くから」

『仰せの通りに致します、我らが御主君』

「おいおい」

『えへへ』

 

いざとなれば迷わず。

恵那は言われなくともそうするだろうが、言われたからには絶対だ。

 

冗談めかしたやり取りだが、両者の声には本音の色が垣間見える。

 

いくら冗談めいていようが、恵那とて仮にも神と相対した事のある者。

どれだけ楽観したところで脅威は脅威だと理解している。

 

そんな神の偉大さを感じたことがあるからこそ、カンピオーネの異質さが眼に付くのだが。

 

『ま、草薙さんは王様だから仕方ないよね』

「なんでもかんでもそれで片付けるなよ。普通はもっとさ、他にもあるだろ?」

『これが恵那たちには普通なんだけどなぁ』

 

恵那を始めとするひと握りの人間たちの、偽らざる感想である。

 

主にヨーロッパに住まう魔術関係者とか。

はたまた中華大陸の有名な武侠たちとか。

 

『まぁ、そういうことだから。近いうちにまた会いに行くかもだけど、その時はよろしくね』

「次に会うときは荒事に関係ないといいけどな」

『あははっ! そこは王様だからね、どっちに転ぶかわかんないよ?』

「お前だって結構なトラブルメーカーだと思うけどなぁ」

 

互いに言うだけ言って通話を終える。

携帯の画面を見つめて一息つくと、部屋の静寂が嫌に気になった。

 

短時間とは言え、耳元で恵那のハツラツとした声を聞いていたせいだろう。

アテナの不在というのも相まって、若干の孤独感を感じてしまう。

 

護堂は手に持った携帯を枕元に置き、布団の上からベッドに倒れ込んだ。

 

――ミーンミンミンミンミンンンンンッ

 

眼を閉じると、遠くでセミの鳴き声が聞こえる。

 

煩わしく感じて布団に(くる)まると、孤独感も少し和らいだ。

心なしかアテナの匂いを感じられた気がして、安心感すら覚える。

 

遠く海の向こうに想いを馳せながら、護堂は暫し眠りに着いた。

 

 

 

 

 

 

_______

 

__________

 

_____________

 

 

 

 

 

 

海の向こう。

未だ若き神殺しの少年が思い描いた場所より、遥かに近いその場所にて。

 

西洋人形の如き少女が、黄金色の巻き毛に木漏れ日を受けながら呟く。

 

「アーシェラが日本に渡る前に、ひとつ試しておきましょう」

 

年の頃は十代の前半、精巧な作りをしたアンティークドールのような容姿。

 

「彼の地に封じられし《鋼》を起こすため、その仕掛けを見極めねばなりません」

 

その双眸には、サファイアを思わせる青い瞳が輝いている。

 

「龍蛇が現れればそれだけで封印が解けるのか。いずれ分かることだとしても、この目で確かめておくべきだと思うのです。ご助力くださいな小父様」

 

白き女神が、淡い笑みを零した。

 



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5 女神は遠き彼方にて

長らくお待たせしました、五章五話の投稿です。

実は昨日「そろそろ投稿しなきゃなー」とキーボードを叩いていたのですが、描きあがったのは何故か護堂とアテナの初夜でした。はい、R18の。

……なして?

というわけで、そのシーンを投稿するまでは頑張って続けたいと思います。
リアルで不慮の事故とかにでも遭わない限り、どんなに間が空いてもエタったりはしませんので!

それでは本編、どうぞ。




 

 

ふっんふっふふ~ん――

 

ミラノ近郊に建つコテージに、クッキーの焼ける(かぐわ)しい香りが広がる。

少女の声音でリズムを奏でる鼻歌が何とも微笑ましい。

 

音の主はキッチンで朝食の用意をしているメイドだ。

今にも踊りだしそうな機嫌の良さで、手際よく作業を進めていく。

 

オーブンの時間を確かめたら、冷やしておいたジャムを取り出しトレイの上へ。

次に三対のコーヒーカップと受け皿(ソーサー)を取り出し、家庭用のエスプレッソマシンで中身を注いでいく。

 

入れ終わったらシュガーと共に食卓へ運び、主人たる少女と客人たる少女、そして自分の席に並べてから再びキッチンへ。

 

戻った所でタイミング良くオーブンのタイマーが鳴った。

作り主の優秀さと経験の豊富さが見て取れる。

 

冷ましながら皿に盛って、食卓へと舞い戻る。

 

主人は長い金髪を優雅にかき上げ、エスプレッソを口に含んでいる。

客人は幼い容貌の通り、幾度も匙を動かし砂糖を混ぜ込んでいる所だった。

 

「お待たせしました。焼きたてのクッキーですから、火傷には気をつけて下さいね」

 

それぞれの分を配り終え、黒髪のメイドも席に着いた。

 

「それでは、お召し上がり下さい」

 

アリアンナ・アリアルディに朝食を振舞われ、アテナの一日が始まった。

 

 

 

 

「日本食もいいけれど、やっぱりわたしはコチラの方が馴染み深いわ」

 

エスプレッソが誇る素の苦味を楽しみ、クッキーの甘さに舌鼓を打つ。

エリカの所作はその出自の通り、貴族の令嬢そのものである。

 

対するアテナはこれでもかという程に砂糖を混ぜ、コクコクと喉を通し始める。

 

「っん――いくら甘味で誤魔化そうと、奥に隠れた苦味は取り払えぬか……」

 

女神の味覚は子供も子供。

苦さも辛さも受け付けない訳ではないが、甘さを何より好む舌の幼さ。

 

見たままと言われればそれまでだが、神が持つある種の不変性を利用して節操なく糖分を取り込むのは如何なものだろう。

 

際限なく甘味を摂取する姿に初めは恨めしく思ったが、エリカもアンナも最早羨むことはない。

目の前であれだけの砂糖を使われると、それだけで胸焼けを起こしてしまう。

 

しかしそれも、今となっては女神の微笑ましさを増長する要素の一つに過ぎない。

 

この家で共に暮らし始めてから、もう半月程が経過している。

それ以前に草薙家で寝食を共にしていた頃を合わせると、なんだかんだで一月以上の付き合いになるだろうか。

 

とうの昔に情は移り、家族と呼んで差し支えない様相を成している。

 

これを短いと取るか長いと取るか。

エリカとアリアンナの二人は長かったと取り、アテナは短かったと取った。

 

人間の二人にとってみれば、相手は神話に語られる戦女神。

恐れ多くて、とても親密な関係など築けない――という思いは、出会って数日で消し飛んだ。

 

考えても見てほしい。

 

ルクレチア・ゾラの屋敷でひとつ屋根の下に寝泊りをした日。

彼女らには護堂の膝に抱えられるアテナの姿が印象深く残っている。

 

それからウルスラグナ、メルカルト両名との戦闘に至るまでの数日間。

隙を見ればイチャイチャイチャイチャ、寝ても覚めてもくっついている彼らと共にいたのだ。

 

……年頃の乙女として、それは親近感も湧こうというものである。

 

対するアテナは自分たちの行動に無頓着だ。

故に彼女らの心境の変化には疎くならざるを得ず、こうも早く心を許されたのが意外でならない。

 

護堂との関係ゆえに警戒心があったアテナが心を開く事を、逆に少女らの方が待っていたという威厳も何もない経緯があったりもする。

 

そうこうしている内に変則的な友誼とも呼べるものを結んだ彼女ら。

申し訳なさそうに切り出したのは、カップの中身を飲み干したエリカだ。

 

「所でアテナ様、わたしたちの予定なのですけれど――」

 

曰く、翌日の所要を済ませるために、今晩は実家に戻らなければならないらしい。

エリカの侍女としてアリアンナも同行する事になるので、アテナをひとり残すのに心苦しく思っているようだ。

 

「護堂も日本に帰っているので、誰か側仕えを置いておくべきかとも思ったのですが……」

「不要だ。と、言わずとも理解していたようだな」

「ええ、下手な者では(いと)わしく思われるだろうと」

 

知恵の女神と魔女の才媛。

皆まで言わずも通じ合えるのは、親しい仲なのも影響しているだろう。

 

「良い。元より今宵は、ひとりの方が都合がいいのだ」

 

胸に手を当てるその姿を見て事情を悟るエリカ。

 

今日は満月の日。

魔性の象徴たる月が、最もその影響を濃くする日なのだ。

 

 

 

 

――(とき)は深夜、最も天高くに月が昇る時間帯。

 

怪しげな妖光を放つ満月に、乙女の銀髪が美しく映える。

闇に浮かび上がるその姿は、月下を舞い踊る夜の女王。

 

「月と大地の子よ、この精気を吸い傷を癒すがいい……」

 

女神より燐光が溢れ出で、淡く竜頭を形取る。

 

透き通る様な、ではなく。

実際に透き通った存在の薄い西洋竜。

 

ペルセウスによって傷ついた大地の精が、仮の宿であった女神の(からだ)より抜け出たのだ。

 

「窮屈だったであろう、暫し羽を伸ばすが良い」

 

アテナに応え、竜は深みのある声音で息を吐く。

 

この月光浴が少しでも回復の助けになればいいと。

彼女は静かに、荘厳なる巨躯へ寄り添っていた。

 

 

 

 

月が頂点を過ぎて暫く経ち、乙女は少女へ変わり帰路に着いた。

もはや慣れ親しんだ自室に向かい、その寝台に体を預ける。

 

大地の精は再び内へと潜り、眠りに着いている。

女神もまた己の象徴たる夜に身を委ね、暗闇に独りまぶたを閉じる。

 

エリカもアリアンナも既に帰宅し、屋内にはもう自分しかいない。

それを感じ取っているがゆえ、余計に孤独を実感する事になった。

 

孤独……

 

夜の女王。

闇の女神。

そうであり、そうで在った自分。

 

胸を()ぎる漠然とした胸騒ぎが、ここに来て妙に煩わしい。

 

不安、と。

人がそう呼ぶ感情であると自覚するには至らない。

 

隣にいるのが常となった彼の不在に対する喪失感。

それを自覚し認めるには、彼女はまだ神で在り過ぎた。

 

そんな感情(モノ)、人の子が抱えるモノであって(じぶん)には関係がないのだと。

 

しかし、それでも。

そんな状態でもなお彼を求めるのは、愛という概念の成せる技だろうか。

 

「護堂……」

 

微睡(まどろ)みのなかで漏れた呼び声は、届かずとも伝わると信じて。

それは奇しくも、海の彼方で彼が彼女を想ったのと同じ時の事であった。

 

 

 

 



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「――太・極――」

という事で、神咒神威神楽・神世創生篇読了。
そこで終わりかよ! ってことは後の三つをやってから、ようやく波旬戦に到達できるってことなのか……



 

 

 

恵那から天叢雲劍に関する連絡を受けて、一週間あまりが過ぎた。

九月に入り夏休みも終わりを迎え、護堂も学生にとって忌まわしき始業式に出席する。

 

教員たちによる毎度毎度の長話。

聞き流す者もいれば、なんだかんだと言いつつ話を耳に入れている者。

護堂はと言えば、面倒だとは感じつつも聞いておいた方がいいだろうと、姿勢を正すエセ優等生っぷりを発揮していた。

 

彼も中学時代は野球に精を出す優良生徒だったのだが、高校入学から私生活の変貌により授業態度に粗が出始めていた。

 

休み明けの度に体育系の授業を見学する不自然さ。

無論、土手っ腹に穴が空いたりした影響である。

 

時折気が付けば姿が見えなくなり、そのまま授業を欠席する事もしばしば。

無論、呪術関係のあれこれである。

 

ここに万里谷裕理という少女との噂が加われば、教員の間で要注意という意識が共有されるのも仕方ない事だろう。

 

今も気配に敏感な護堂が視線を察知し、肩身が狭い思いをしている。

その視線が今後、妻と名乗る少女の転入によって更なる鋭さを増すことを、彼はまだ知らなかった。

 

 

 

 

 

その帰り道の事である。

友人連中に別れを告げ、護堂はひとり学校を後にする。

 

校門を抜け帰路を歩んでいると、道半ばで覚えのある顔を見かける。

向こうもコチラに気付いたようで、まだあどけなさが残る美貌がほころんだ。

 

心なしか目を輝かせつつ、小走りで駆け寄って来る。

 

「やっほー王様」

 

そんな気の抜けた呼び声が、しかし美しい声音でもって発せられた。

 

白い肌に対照的な黒の艶髪が映える乙女。

肩に下げる布袋の中身が物騒を通り越して災害そのものに成り得る事を、護堂は良く知っている。

 

声の主は誰あろう、制服姿の清秋院恵那である。

 

「――どっちだ?」

 

対する護堂はただ一言。

可憐な笑みを浮かべる撫子に、彼は粗雑とも言える対応をした。

 

件の乙女はそれを気にせず、朗らかに返す。

 

「今のところはまだ、どっちに転ぶか分かんないかな」

 

聡明な彼女は、護堂の言いたい事を理解しているのだ。

即ち、事態が良いか悪いかどちらに転んだのか。

 

その問いかけに対する答えは、不明。

それをこれから明らかにするため、護堂の元へ来たのだろう。

 

「天叢雲はこの通り、今はおとなしくしてるんだ。だから一度会いに行ってきなさいって」

「まあ確かに、変な気配はないみたいだな」

 

チラリと、肩に下がる袋に視線を寄越す。

 

護堂の眼からしても、今は眠っているようにおとなしい。

いや、恵那の話からして人格――仮にも神の一部にその表現が正しいかは不明だが――らしき物は存在しているらしいので、実際に休眠状態にあるのだろう。

 

先日までは危険だったらしいが、その兆候は見られない。

これは事態が終息に向かっているのか、それとも……

 

「嵐の前触れか……だね」

「……だよな」

「恵那としては圧倒的に後者だと思うな」

 

俺も思う。

――とは言わない。

口に出してしまえば、すぐさま実現しそうで怖いのだ。

 

その地道な努力も、そう間も無く水泡と帰すのだが……

 

神刀を持った恵那を連れて帰宅する訳にもいかず、お馴染みとなった七雄神社へ向かう二人。

目的地が同じ場所であるため当然と言えるが、道中で裕理に出くわした。

 

「おーい裕理ぃ――っ!」

 

制服のまま歩く後ろ姿を見つけた恵那は、大手を振って声をかける。

 

振り返り声の主を見つけた彼女は、立ち止まってお辞儀をひとつ。

小走りで近付いてきたので、恵那と共に護堂も歩み寄った。

 

「恵那さんに草薙さん、ご一緒だったのですね」

「久しぶり裕理、今から神社に行こうとしてたんだ」

天叢雲劍(こいつ)の件で清秋院と顔を合わせたんでな、万里谷に会って相談もしておきたかったし」

 

仲のいい友人同士そのものの様子で神社に向かう三人。

関係者からいつもどおりの避難(かんげい)を受けて、すっかり慣れ親しんだ和室に足を踏み入れる。

 

恵那と二人で腰を落ち着け荷物を脇に置くと、裕理が遅れて麦茶を持ってきた。

 

「お待たせ致しました。二人共、どうぞ召し上がって下さい」

 

木製のお盆にグラスが三つ。

結露の具合からして、よく冷えているのが見て取れる。

気を利かせて冷たい飲み物を用意してくれたらしい。

 

「ありがとう万里谷、助かるよ」

「もらうね裕理」

 

受け取った麦茶は容器越しにも冷気を伝えてくる。

飲む前に首筋に当てたりしたくなったが、オヤジくさい気がするので自重する。

 

口に持ってきたそれを、一気に流し込んだ。

 

「~~~ぷはぁっ」

 

思わず声が漏れ出てしまうほど美味い。

冷えた液体が体の中を通っているのがよく分かる。

 

この清涼感がたまらない。

飲み物を喉に通しただけで体温が一気に下がった気さえしてくる。

 

裕理の気遣いは喉だけでなく心まで潤してくれた。

 

「美味い。本当にありがとう万里谷、生き返った気分だ」

「ふふっ、大袈裟ですよ」

「そんなことないって。王様の言う通り、まるで生き返ったよ」

 

隣の恵那も賛同している。

発言こそ自分と似たようなものだが、その動作は何とも言えない品がある。

 

和室だからか、それがよく分かる。

裕理にしてもそう、こういった細かい所に育ちの良さが現れている。

 

そんな中でひとり庶民の出である護堂は、関心しながら話を切り出した。

 

「それで万里谷、今日ここに来たのはさ――」

 

恵那の補足も入りつつの説明に、裕理も相槌を打ちつつ事情を把握していく。

 

「……で、これが問題の天叢雲なんだけどね」

 

そう言って取り出された天叢雲劍を直に見たとき。

まさに天啓、裕理に霊視が下りてきたのだ。

 

媛巫女や魔女たちの霊視。

啓示とも呼ばれるそれは、生と不死の境界に揺蕩う知識を呼び込む技能。

彼の領域には宇宙の開闢以来あらゆる記録が存在するとされるが、その神々の叡智を授かれる者は僅かばかり。

 

たとえその才に恵まれたところで、効果的な知識を呼び込む確率は精々が1割前後。

そもそもがアテにできるような代物ではないというのに、万里谷裕理のそれは異端とすら言える。

 

何よりも――このタイミングで霊視を授かるその豪運こそが侮れない。

 

思えば、幼くして魔王デヤンスタール・ヴォバンに眼を付けられることに始まり。

直後にあったまつろわぬ神招来の秘儀から生還し、ヴォバン侯爵の来訪は新たな魔王との縁により庇護を受けと、常人ならば二度三度は命を落としていても不思議はない。

 

しかし彼女は生き延びた。

その豪運、その悪運。草薙護堂と良縁を築きつつある今の立場からしても、万里谷裕理の天運は類稀(たぐいまれ)だ。

 

そして天に愛された淑やかなる才媛は、貴き魔王へ助言を呈す。

 

「――《鋼》の神刀を猛らせるは、古き偉大なる女神の落し子……未だ微睡み、母を求めし大いなる命……」

 

刹那だけ瞬く玻璃の瞳は、しかしそこまでしか看破できず。

神々の領域より賜った叡智の光は、謎かけを残し淡く消え去る。

 

「……ここまでしか分かりませんでした」

「いや、十分だよ。少なくとも(なにがし)かに影響を受けているっていうのは分かったんだから」

「女神の子供って事は、やっぱり英雄か竜の類なのかな……」

「天叢雲劍って言えば八岐大蛇だし、そっちなんじゃないか?」

「未熟で申し訳ありません……」

 

その後、修行が足りませんと落ち込む裕理を二人がかりで励ましたのだった。

 

 

 

 

 

天上に燃える太陽を避け、少女は木々の枝葉に身を潜める。

木漏れ日に照らされた口元は、穏やかな弧を描いていた。

 

「暴風の猛き《鋼》の神刀とは、お(あつら)え向きの役者がいるではありませんか」

 

鈴の音色を思わせる声。

サファイアの瞳が妖しげに揺れる。

 

「あの剣があれば、貴方もきっと神に上がれる(・・・・・・)。私が手を差し伸べましょう……」

 

幼き魔女王が、神々の踊る舞台を作り上げようとしていた。

 

「願わくばそれが、我が君の降臨の一助とならんことを――」

 

 

 

 

 





さて、続いて殺し愛夫婦の軌跡を覗いてきますか。
個人的にkkkで四番目に好きな宗次郎の活躍を見に行きましょう。

kkk好感度
一位は夜刀様。異論はないだろうしあっても認めない。
二位はエレ姐さんもとい龍明の姉御。修羅の矜持、痺れます。
三位は司狼。人間賛歌、あの名場面では背筋が正されます。
四位は刑士郎。兄様かっけー! さらばベイ。

あれ、剣鬼くん五位だったw
ということで、またしばらく間が空くと思いますm(-_-)m スマヌ


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五巻がどこにも見つからない……
叢雲の描写が分からないけど、まぁすぐに退場するから適当でいいよね!




 

 

東京の一角にある住宅街の中。

一見すると何の変哲もない、二階付きの一戸建て。

 

そこに伏見(ふしみ)まどかという少女がいた。

少女はただの少女であり、他の何者でもない。

 

裏の顔も真の姿も何もない、今まさに登校しようとするただの学生。

 

「行って来まーっす!」

 

彼女は何も知らない。

 

父親が海外より持ち帰った壺が、それ(・・)を封じたものだという事を。

その壺がそもそも中華大陸の武侠に指示されて流れ着いたという事を。

 

武の至高に位置する女帝が、魔女の要請によって手に入れたのだという事を。

 

そうして知らず知らずに持ち込まれたそれ(・・)は、目覚めの時を待っていた。

微睡みの中で、揺ら揺らと揺り篭に包まれるような夢見心地で。

 

そして、遂に眠りを覚ます者が現れる。

 

「ご機嫌よう」

 

伏見まどかは、声を掛けられた事にまず驚いた。

家の玄関先(こんなところ)で「ご機嫌よう」などと話しかけてくる相手が居ることに。

 

故に振り返り、その姿を収めて更に眼を見開いた。

 

瞳に映ったのは、アンティークドールの様なその美貌。

幼き容貌でありながら女人の知性を匂わせる天性の麗質。

透き通るような金髪が風に流れる様は、天使か女神を思わせる。

 

端的に言って、人間とは思えない程の美少女だった。

 

「なるほど、本当にただの一般人に渡したと聞いた時は戸惑いましたが、この霊地を見れば良い判断だったと言うべきでしょう」

 

何を言っているのか分からない。

二次元の(そういう)知識に引っかかるような言葉が聞こえた気もしたが、それに意識を向ける事が出来ない。

 

この精巧な人形の如き少女に魅入られている。

 

「さぁ、仮初の母よ。貴女の血を壺へ垂らすのです。そうすれば、あの子も眼を開けることでしょう」

 

サファイアの様に綺麗な瞳。

氷の様に冷たい眼光に見つめられ、逆らう事など思い付きすらしなかった。

 

 

 

 

 

 

それが(とどろ)いたのは、二時限目の授業が始まろうという頃。

 

GYUOOOOOOOOOOOOOOOOO(世界の果てまで響き渡ろうかという轟音)――――!

 

大多数の人間が盛大な爆発音と認識したそれを、一部の者たちは戦慄で以て否定する。

呪力を伴ったそれは自然界に在りえぬ存在、神かそれに準ずる者の咆哮であると。

 

その爆音ならざる喚声を聞いた人物――草薙護堂は混乱に乗じて教室を飛び出す。

 

廊下には誰もおらず、室内では男女問わずに悲鳴が溢れていた。

爆発事故か、果ては空襲爆撃でも起きたのかと、生徒らよりも年老いた教師の方が恐々としている。

 

これが想像通りの事態であるならどうせ授業どころの騒ぎではないと、脇目も振らず廊下を走る。

隣のクラスを通り過ぎる際に裕理の存在が過ぎったが、彼女の体力では着いてこれないだろうとそのまま階段を駆け下りた。

 

――――これは敵だ!

 

四肢を巡る力の流れからまつろわぬ神ではなく神獣だろうと推測するが、それでも都会で暴れられると大惨事である。

人目につかない校舎裏まで疾走した護堂は、その勢いを殺すことなく神速に入った。

 

先のペルセウス戦で権能の掌握が進み、神速化の工程がスムーズになっている恩恵か。

聖句のひとつも唱えず一足飛びに校外へ飛び出す。

 

未だに続く大音響の発信源へ、雷鳴の速さで駆け抜ける。

民家の屋根を蹴り、ビルの壁を蹴り、電線電柱を避けながら、それでも迅速に現場へ向かう。

 

護堂がとある建物の屋根に降り立った時、それ(・・)は首を伸ばし咆哮していた。

 

否、咆哮に非ず。

言うなれば――赤子の産声(うぶごえ)

 

上空で身を揺らしながら絶叫し、長々しい龍尾を薙いでいた。

 

そう、それ(・・)は竜だった。

 

それも、イタリアで見た個体とは比較にならない。

体躯の縮尺にも言えることだが、何よりも存在感が桁違いだ。

 

己の誕生を告げる生命の叫び。

この竜は今まさに生まれようとしている。

神獣の枠組みを超越した、まつろわぬ神へ至ろうとしているのだ。

 

『GYUOOOOOOOOOOOOOOOOO――!!』

 

再び響く轟音に耳を塞ぎたくなるが、これも一種の呪的な衝撃波に分類される。

あくまで声という分類なのでノーガードだったが、呪力を高めれば芯まで届きはしない。

 

護堂は足を踏ん張り、重心と体の軸を整える。

 

「子供を傷つけるみたいで気は進まないんだけどな。流石にこんな住宅街のど真ん中じゃ、放置する訳にはいかないんだ」

 

青天の霹靂(へきれき)

彼はその言葉通りの現象を起こそうと――

 

 

   あら、随分とせっかちですのね。

 

 

したところで寒気を感じ、瓦を蹴飛ばして飛び退(すさ)る。

 

「――っなんだ今の?」

 

結果として何も起きなかった。

だが護堂は、確かに何者かの害意を感じた。

 

気のせいだと胸を撫で下ろす気楽さも、勘違いだったと安堵する余裕もない。

 

 

   出張るつもりはなかったのですけれど、草薙さまの果断さに耐えかねてしまいました。ですが、どうやらそれも無駄ではなかった様子ですわ。

 

 

周囲への警戒を強めていた護堂は、強烈な呪力の波を感知した。

 

凄まじい速度で近付いて来るそれもまた、人ではない超越種。

眼前の竜と同じように、神に属する存在なのだと理解する。

 

『雄々おおおおおおおおおおおおオオオオォッ!!』

 

斯くして、魔女王の用意した役者は揃う。

 

『古き蛇の落し子よ……我が神威の礎と散るがいい!!』

 

飛び込んで来たのは黒の怪物。

人型に似た格好で自立しているが、端々に刀剣としての本性がにじみ出ている。

 

暴風の如く荒れ狂う気性が、主幹にある神格を暗に指し示している。

 

(あまの)……叢雲(むらくも)……?」

 

無意識に口を吐いた名前に、護堂は自分で言っておきながら初めて納得した。

 

そうだ、この力の波動には覚えがある。

主柱たる神にも先日、相対したばかりなのだ。

 

ここで悟る。

草薙護堂はあくまで乱入者、主役となるのはこの二体なのだと。

 

竜――翼持つ蛇と《鋼》の武具。

この対決こそが、本来期待された(・・・・・)組み合わせなのだという事を。

 

知らず、遥か遠方を剣呑に睨む。

僅かだが、溜飲が下がった気がした。

 

 

 

 

 

護堂が睨んだ遠方。

その間、おおよそ数キロメートルは先でのことだろうか。

 

謀略を駆使し竜と《鋼》を対峙させた金髪の少女は、己の体を抱きしめて震えていた。

 

「恐ろしい恐ろしい……」

 

カタカタと歯を鳴らしながら、顔色も青ざめて見える。

 

原因は一つ。

草薙護堂に睨まれた事だ。

 

「生誕より間もないと侮っておりました……神殺しの君、我が主の仇敵、斯様(かよう)に獣が如き御方とは……」

 

その眼光はまさしく野獣。

本人は意識していなかったのかも知れないが、あのとき牙を剥いて嗤っていた。

 

よくも俺を傍役なんかにしてくれたな。

この落とし前は絶対につけさせてもらうから、忘れるなよ。

 

そんな意思が伝わって来るようだった。

 

己が意に従わぬならば滅びよとのたまう暴虐の魔王。

故に怯えずにはいられない。

 

「ああ、あぁ――」

「そう怯えるでない、愛し子よ。そのために余がいるのだろう」

 

恐慌に陥る魔女王に、美丈夫の声が掛けられる。

 

「叔父様……」

「我が愛し子よ、余はそなたを守護する騎士である。いざとなればあの魔王のそっ首、余が撥ねて見せようではないか」

 

それは鋼の武具を身に纏った、白い騎士の神。

魔女王の戒めにより戦神(いくさがみ)としての性を抑えられた、彼女の護衛たるまつろわぬ神。

 

白き《鋼》の騎士により、少女の震えはようやく止まったのだった。

 

その様子を見て、守護を担う白騎士は一息吐いた。

騎士としての役目に区切りを付けた彼は、次に戦士としての顔を見せる。

 

「……しかし、あの小僧は変り種よな。魔王の性を自覚しながらも背く姿は、今の余に通ずる物がある」

 

ならばもしかすると、彼こそが自分の好敵手に相応しいのかもしれない。

直に(まみ)える日が待ち遠しくなって来たと、甲冑に隠れた素顔が笑みを描いた。

 

 

 





※護堂の「にらみつける」に本当にそんな意図があったかは分かりません。彼女の印象による物なので、真偽は不明です。

それはそうと、kkkやってたらむしろDiesがやりたくなって威烈繚乱篇が進まない……なので更新です。



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5,6巻どころか原作がほとんど見つからない(泣)
10と18巻しか見当たらないとか、どういうことなの……

と、それはさて置き怪獣たちを一掃しましょう。
所詮は神獣なので、山もなく一網打尽です。



 

 

 

舞台へと上がった黒き剣の怪物は、天を泳ぐ竜蛇に剣先(みぎうで)を向ける。

対する幼き水の精もまた、自らを脅かす戦の化身に牙を剥く。

 

二体の神獣は根幹からして敵対関係であり、それゆえに互いを高め合っていた。

 

護堂は(あずか)り知らぬ事であるが、此処に顕現している竜はティアマトの眷属だ。

 

ティアマトは最も古き神話に描かれる原初の女神。

その遺体は二つに分かたれそれぞれが天と地を成したとされる、豊穣と滅亡を内包した偉大なる大地母神。

 

彼の女神は複数の角と尾を持っていたとされ、そこから連座式に蛇や龍と見られる。

そして生死の連環、不死と再生の象徴たる蛇とくれば、導き出されるのは普遍的な英雄譚。

 

即ち、邪悪なる龍として英雄に討たれる物語だ。

 

龍退治を成した英雄の名はマルドゥーク。

アマルトゥと呼ばれ「太陽の牛」を冠した、古代バビロニアの最高神。

 

そう、地母神ティアマトを討ち果たした神は、牛の属性を持つ神なのだ。

そして天叢雲劍の主柱たるスサノオは、同じく牛の神格と習合している。

 

帝釈天(インドラ)の化身のひとつともされる牛頭天王(ごずてんのう)――牛の頭を持つ祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の守護神である。

 

素戔嗚尊(スサノオのみこと)の本地、本性ともされる牛頭の神。

牛の神に討たれたティアマトの系譜には天敵そのものと言っていい。

 

更に言うなら、ティアマトが生命の母として産み落とした中にはムシュマッヘという毒龍がいる。

その毒龍は七頭の大蛇――七つの首を持つ蛇の怪物なのだ。

 

天叢雲劍は八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治した象徴たる剣。

故に神刀は己の存在意義を示すべく昂ぶり、二重の天敵を前にした竜もより強く刺激を受けている。

 

証拠として天叢雲は巨大化して自立行動を取り始め、竜も七対十四の瞳に変貌してしまった。

共に独立した神格へと……まつろわぬ神へとその位階を上げようとしているのだろう。

 

その様子を少し離れて見上げる護堂は、盛大に舌打ちをしたい気分だった。

 

(これは不味い、睨み合いに入った……下手に横から手を出せば激昂して収拾がつかなくなる……)

 

彼らが対峙するのは民家が建つ街の只中。

その巨体が身動ぎするだけで被害が出るのは想像に難くないというにも関わらず、本格的に暴れ出せば下に住まう市民たちがどうなるか考えたくもない。

 

だが、護堂が何もしなければ遠からず爆発する事だろう。

 

手詰まりだ。

やるしかないのにやってはいけない。

他に手がないからと、実行するのも許容出来ない。

 

それは草薙護堂の王道ではない。

 

民を蔑ろに己の利だけを選び取る。

それは欧州の老魔王に代表される、まさに暴君の振る舞いではないか。

 

しかし……

 

(どうする、どうすれば全部が上手くいく……?)

 

強欲に貪欲に。

無謀に愚かしく。

それでもなお、すべてをすくい上げる妙手を探し求める。

 

だからこそ。

そんな彼だからこそ、必然(きせき)は悠然と舞い降りる。

 

第一の選択(ようすみ)第二の選択(せんめつ)も放棄した魔王の元に、第三の選択肢が現れた。

 

それを告げたのは携帯電話のバイブレーション。

マナーモードにしていたそれに応答すると、軽快な美声が頼もしい響きを運んで来た。

 

『そっちは無事? 裕理が連絡をくれたよ、王様が困ってるみたいだから助けてあげてって!』

「……そうか、万里谷が」

 

呪術で現状を見たのか、はたまたお得意の霊視でもしたのか。

どちらにせよ、この救援が状況を一変させるだろう事は分かった。

 

『天叢雲もそっちだよね、どうなってる?』

「俺は何ともない。けどアレと竜が睨み合ってる、住宅街の真ん中で……だ」

『うわっ、修羅場……』

「だから、助けてくれ(・・・・・)清秋院。何とかしたい」

 

正直に心境を吐露したら、恵那は黙り込んでしまった。

そこから一泊おいて、聞こえてきたのは豪快な笑声。

 

『ぷっ……あっはははは、くふふふふふふふっ――!!』

「っ何がおかしいんだよ!」

『ごっ、ごめんなさい、急に笑えてきて……くくくっ』

 

思わずしかめっ面になるが、電話越しにそれが伝わるはずもなく。

今もこの場に向けて急行しているはずの彼女は、一頻(しき)り笑い終えてから言葉を紡ぐ。

 

続く声音は、思いのほか真摯なものだった。

 

『――承りました我が君。御身の臣たる清秋院が助力致します。私は貴方様に仕える身でありますれば、どうか……この恵那にお命じ下さいませ。一言、我が望みを叶えよ……と』

 

その訴えはどこか鬼気迫るものがあって。

普段なら普通に話せと訂正を求めるところだが、そんな茶々を入れる気は起きなかった。

 

だから、俺は――

 

「断る。おまえは俺の部下じゃないし、俺はお前の主になった覚えはない」

 

返す一刀で切り捨てた。

言葉に詰まった彼女に、続けてその真意を伝える。

 

「会って間もないお前に、命を預けられるなんて迷惑だ。俺の背中にはアイツ(・・・)への責任が乗っかってる。今の俺に、他の誰かを背負う余裕はない。それに――」

 

そう、何よりもまず。

 

「今のお前は、俺の知ってる清秋院らしくない。清秋院(・・・)恵那としては真っ当な判断なのかも知れないけど、そんな信頼関係は望んじゃいない。そりゃいずれはそういう関係を築く事もあるんだろうが、俺とお前の関係は王と民だけど――同い年の友達だろう」

 

剣士として、巫女として。そしてこれからは戦友として。

段階を踏まなければ、信頼関係として成り立たない。それでは一方通行の自己満足で終わってしまう。

 

「だから、俺はお前を助けるし、俺もお前に助けてほしい」

『…………参ったなぁ。参ったよ。うん、そうだね、ごめんなさい草薙さん』

 

意気は消沈したが、それは戦意の喪失にあらず。

鎮まり、落ち着き、真芯の通った少女の声で耳を打つ。

 

『恵那もね、一緒に山篭りとか、修行とか。そんなのした事なかったから、二人で同じ事をして楽しかった。だから、恵那も助けたい……許してくれるかな?』

「ああ、よろしく頼むよ」

『うん。任せといてよ、えへへっ』

 

清々しさを覚える照れ笑いは、目蓋の裏に笑顔が咲くのを想起した。

 

 

 

 

 

現場に到着した恵那がやった事はひとつ。

怪物化した天叢雲劍を、宙に浮かせる事だけ。

 

人間である恵那がそれを成し得たのは、当代で彼女のみが持つ異能によるもの。

 

『神懸かり』――神の力を身体に呼び込み行使するという、巫女という存在が象徴する絶技。

スサノオの巫女たる彼女は、彼の神が持つ暴風の神威で以て叩き上げたのだ。

 

スサノオ本体から送られた力の波動に、未だ神の遣い程度でしかない神刀が抗えるはずもなく。

浮かび上がった巨体を、召喚したペガサスの突進で突き飛ばしたのだ。

 

縮尺が違い過ぎるものの、天馬は力の源泉たる護堂と共に在る。

神に対しては力不足であるが、それ未満が相手なら実現可能な域だった。

 

吹き飛んだ黒の怪物は都市部を飛び越えて山岳部に着地する。

 

巻き添えを食らって胴を掠めた竜が、護堂と叢雲を追って飛来する。

体勢を立て直した神刀もまた、ペガサスに騎乗した護堂を敵と定めた。

 

これからどうするか、二対一の状況に汗が伝う。

 

未だまつろわぬ神に昇華していないとは言え、神獣の枠を超えつつある竜と神刀。

それらを一挙に葬り去るだけの圧倒的な火力(ちから)が、今の護堂には不足している。

 

『GYUUUォオオオオオオオオオオオオオオオ――!!』

『おのれ……我らの死闘を邪魔だてするか、神殺し!!』

 

竜頭に並ぶ七対の眼が白馬を睨み、《鋼》の怪物は左の刃を向けてきた。

 

二体の呪力が敵意を乗せて護堂に向けられたとき。

自分の下で疾駆する白馬が、ドクンと脈打った気がした。

 

   ()は、主を背に乗せ運ぶ者――

 

脳裏に閃光が走った。

頭に流れるイメージは、イタリアで戦った太陽の英雄(ペルセウス)の姿。

 

「っ、そうか!」

 

後は任せろと言わんばかりに、背を振り返り(いなな)きを上げる天馬。

その真価を知った草薙護堂は、大地に向かって飛び降りた。

 

主を降ろしたペガサスもまた、黄金の光に溶け消える。

 

この行動は逃亡にあらず。

早急に勝利を迎えるための、不可欠な前準備に他ならない。

 

機動力を失くした護堂に、神の化身が襲いかかる。

だが、本人は眼も呉れずに脳裏の情報を力に変える。

 

   其はミスラ(あるじ)たるペルセウス(たいよう)を運ぶ、天駆ける白馬。

 

「我が元に来たれ、勝利のために――」

 

天を覆う曇り空が、曙光(しょこう)の輝きに照らされる。

 

 





王道とか曙光とか、あからさまにkkkの影響受けてるな……

そして護堂よ、だが断るとかそんな展開をするつもりはなかったというのに。
あそこはね、普通に命令して部下にするつもりだったんです。でも護堂くんが勝手に拒否しちゃってこんな感じに。

またキャラが勝手に動きやがった……
明日香のときのアテナ様といい、なんだかなぁ。



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「我が元に来たれ、勝利のために。不死の太陽よ、我がために輝ける駿馬を遣わし給え」

 

護堂がイタリアで紐解いたように、ペルセウスは太陽神としての性格を持つ。

彼はギリシア神話からローマ神話に流れた半神の英雄であり、源流のひとつは軍神ウルスラグナの主たる契約の神ミスラ。

 

ミスラ自身もミトラ、ミフルなどと呼ばれ太陽や光明という神性を得ていった神。

とある説ではその宗教の最高神と同位を得ることや、一神教の神として成立させようという動きすらあった古く偉大な司法神だ。

 

太陽の復活を祝う冬至の祭りは降誕祭(クリスマス)へと影響を及ぼしたであろうことからも、その信仰、崇拝は飛び抜けていると言っていい。

 

そして天空を駆ける馬が運ぶのは、その主たる太陽そのもの。

軍神にして勝利の神たるウルスラグナとて、主ミスラを運ぶ役割を持っていた。

 

彼の英雄より簒奪したペガサスは本来、そういう構図を表していたのだ。

 

主を運ぶという性質から神獣として召喚されたが、それだけでは魔王の権能としてあまりに非力。

その本質というべきは、司法神(たいよう)による裁きの焔をもたらすこと。

 

生命を司る太陽の神威が、この戦場を終わらせる。

 

「俊足にして霊妙なる馬よ、汝の主たる光輪を疾く運べ――!」

 

恒星が通過した後の東の空に、第二の太陽が出現した。

 

その熱量はおよそ地上で発生し得る限度を優に超える。

正真正銘、太陽の化身なのだから当然だ。

 

その超火力そのものもさる事ながら、この場合は相性もいい。

 

いま顕現している竜は地母神の眷属であり、死と闇に属する神獣。

(あまね)く地上を照らす(あけぼの)の光は、闇を祓う大いなる力となる。

 

もう一方の天叢雲劍は《鋼》の神刀。

鉄工に際して鉱物を融かす火の属性は、武具たる《鋼》には致命的だ。

 

そして何より、神域に至らぬ眷属如きに、魔王の権能による必滅の焔は防げない。

 

民衆を苦しめた咎を罰するべく、裁きの太陽が二体の怪物を目掛けて飛来する。

白馬が運ぶ熱閃によって、まさに一撃で焼滅した。

 

 

 

 

 

 

 

これはその後日譚。

太陽のフレアによって山ひとつが焼失した一件を正史編纂委員会が隠蔽し、原因は隕石の落下であると一般に報道されてからのこと。

 

都心で放つような暴挙には出ていない訳だし、隕石の落下というのも(あなが)ち嘘とも言い切れないから大丈夫だと、恵那や裕理から慰められた翌日の話。

 

山の事後処理やら近隣住民への対処やら報告書の作成やら奔走した甘粕冬馬が、護堂に連絡を取ってきたのだ。

なんでも「申し訳ないですが、気掛かりな人物が一人いるので話を聞いておいて貰いたいのですよ」ということらしいので、裕理を伴ってその人物の家まで案内された。

 

車の中で耳に入れた所によると、例の竜が顕現したお宅の娘さんだとか。

裕理のクラスメートという話なので、彼女も些かそわそわと落ち着かない様子だ。

 

着いたのは竜が飛翔していた付近の一戸建て。

インターホンを鳴らすと、年頃の少女がドアを開けた

 

「はい、どちら様ですか?」

「伏見まどかさんですね? 先ほどお電話した正史編纂委員会の甘粕ですが、お話をお聞かせ願いたく……」

「あ、はい。えと、どうぞ」

「失礼します」

 

お二人もどうぞと手を差し伸べる冬馬に、護堂と裕理もおずおずと玄関を上がる。

見慣れぬ同級生と見知ったクラスメートを前に、まどかも困惑気味だ。

 

広間に通された三人は、並んで下座に着席した。

 

「それで伏見さん、例の話をお聞かせ願いたいのですが」

「それは構いません、けど……その二人は?」

 

横目で疑念の視線を送るまどかに、護堂は慌てて問いかける。

 

「ちょっ、甘粕さん! 俺たちのこと伝えてなかったんですかっ?」

「いえいえお伝えしましたよ、一緒に話を聞かせて貰いたい方が二人いると」

「確かに言われましたけど……」

 

確かに、怪しげな組織の怪しげな人が連れてきたのが、同じ学校に通う同級生となれば怪しむのは当然の反応だろう。

 

「お二人はこの道のスペシャリストでして、是非とも聞いて頂きたいのですよ」

「……はぁ、そうですか」

 

そう頷きを返すまどか。

黙っていても仕方ないと開き直ったのか、戸惑いながらも話し出した。

 

そうして護堂は、この騒動の首謀者に行き着く。

 

青き宝石の瞳と淡い黄金の髪を持つ少女。

人でもなければ神でもない存在を、護堂は識ることとなった。

 

神祖。

神に祖を持つ女、大地母神の成れの果て。

かつて女神として顕現したが、神格を失い世を流離う人ならざる者。

 

おそらくその類だろうという説明を受けて、かつてのスサノオとの会談を思い出す。

 

  「蛇の女神は地母神で、大地から力を吸い上げるあの小僧にとって地母神は餌だ」

 

あの生臭坊主の風体をした神は、確かにそう言っていた。

 

地母神から力を奪う『最後の王』。

神格を失った神未満の乙女。

 

此処で繋がるのかと嘆息する。

要するに神祖とは、『最後の王』に仕える眷属にあたるのだろう。

 

まつろわされた女神が、美しき乙女として英雄に(めと)られるのはよく聞く伝説(はなし)だ。

竜に雷撃を放とうとして感じた悪寒は、その少女の型をした神祖が絡んでいるのだろう。

 

――しかし、その魔王殺しの《鋼》が眠っているこの国で、眷属たる神祖が糧となる竜を顕現させた。

 

起こった事実と半ば確信している憶測を併せ、眉根を寄せる羽目になる。

新たな、そして巨大な騒動を予感した護堂は、毎度の事ながら辟易したのだった。

 

話を聞き終えた三人はまどかに礼を述べ退席する。

後から正史編纂委員会の人員が派遣され、彼女の記憶も修正を受けるのだろう。

 

顔を見知ったばかりと言えど同級生の頭に細工するというのは気が進まないが、本人にはそのほうがいいだろうと自分を説得する。

こんな物騒な世界は知らない方が身の為だと。

 

そうして護堂は車で送られながら、再び思考の海に沈んでいる。

 

昨日の一件で、考えなければいけないことは多い。

 

神獣の顕現による被害然り、件の神祖の目的然り。

加えて言うなら、推察した最強の《鋼》と神祖の関係についても。

 

(いや、何より優先すべきはこの右腕のことか……)

 

自然と目線を右の掌に落とす。

 

掌握した白馬の権能で焼き滅ぼした怪物二体。

竜の方は呪力に還ったが、問題は天叢雲劍のことである。

 

あの《鋼》の神刀は巫女たる恵那の元へも主たるスサノオの元へも帰らず、護堂の内に収まった。

太陽の着弾による怪物の焼滅後、高熱と共に右腕に宿ったのだ。

 

使者の域を超え神に上がりかけていた天叢雲は、それを倒した草薙護堂を主と定め、権能に準ずる形で力を託したと。

それが恵那とスサノオ、そして裕理による見解だ。

 

今は力を使い果たして眠っているだけで、戦いになれば目を覚ますだろうとのこと。

 

我が家に厄介事が増えてしまった事を憂う護堂。

しかしその事態を真に憂慮し嘆いているのは、日本呪術界の術者たちの方であった。

 

 

 

 

 

それから更に日を跨ぎ、遂に女神が帰還する日がやって来た。

護堂の性格上、私用で学業を疎かにするのは(はばか)られ、登校後もどこか(せわ)しなく落ち着かない。

 

出会った頃の彼女が見れば無様と切って捨てるだろうその痴態は、間もなく周囲にこそ伝播する羽目になる。

彼のクラスに急遽として転入生がやって来たからだ。

 

担任教師に連れ立ってきたのは、銀月の髪を揺らす幼げな少女。

童女の面影が色濃い透明感のある美姫だった。

 

艶やかな髪を踊らせ、少女は浅く一礼する。

 

「パラス・アテナと言います、どうぞよろしく」

 

その姿を視界に納めてから微動だにしなかった護堂は、耳に涼しい聴き慣れた声に大口を開ける。

ただでさえ驚天動地と呆気に取られる魔王を尻目に、本来は仇敵たる女神は更なる追撃を。

 

「――それから、草薙護堂の妻としてご挨拶を。夫は未熟ですが愚直ですので、以後もよしなにお願いします」

 

アニメやドラマで有りがちな怒号の唱和が響くのも、無理なからぬ事であろう。

 

こうして護堂の学校生活に波乱が訪れた訳だが……

彼の胸中は不思議と、その日々に心踊っていたのだった。

 

 

 

 





これにて五章終幕。
さて、これから6巻を探す作業が始まる……



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10 剣巫女の心


五章終幕と言ったな、あれは嘘だ。
いやね、探せど探せど6巻が見当たらず、7,8,11巻とかそんなのが出て来るんです泣きたい。

気が滅入ったので気分転換にと恵那視点書いたら、止まらなくなってこの時間。
明日仕事だっていうのは分かってるのに……

それはさておき、本当の五章最終話投稿です。



 

 

清秋院恵那。

四家と呼ばれる日本呪術会が誇る名門、清秋院家の末裔。

武力と政治を司る清秋院を始め九法塚・連城・沙耶宮と、それぞれの分野で以て帝へ仕えてきた護国の家系。

 

そのご令嬢ともなれば礼儀作法から呪術の技まで、幼少よりの厳しい教育を受けて育ってきた事に疑いはない。

 

だがここで、彼女の生まれ持った特別な才が影響する。

曰く、口寄せ。曰く、降臨術。曰く、神降ろし。

 

神に仕えその声を聞く神職、巫女の極地。

呪力を鎮め色を無に近づける事で到れる境地にて、己の肉体を器に神の力を宿す天鱗の絶技。

 

この資質は全世界で見ても非常に稀有な才能であり、欧州の方でもこの300年は確認されていない。

記録が正確に残っている時代に限ってのことゆえに、遡れば更に以前から途絶えていることさえ有り得るだろう。

 

その有り余る希少さ故に近年まで情報が秘匿されており、国外には存在すら漏れていなかったのだが、つい数ヶ月前に状況が変貌する。

 

言うまでもなく、その原因はひとりの少年。

草薙護堂がカンピオーネとなった事に起因する。

 

元がまったくの一般人であり誰も事情を把握していなかったために、関係者の誰も彼もが情報収集に奔走した。

 

古くは帝に仕えた政権側の呪術者である『官』と、在野の術者たちを指す『民』。

普段は折り合いが悪い両陣営だったが、この時ばかりは立場を捨てて手を取り合った。

 

神を庇護する魔王という乗っけからの大災害に、そんな事へ構う余裕がなくなったというのが実情であろう。

そうして集められた情報は、以下の通り。

 

神殺しを成した王の名が草薙護堂であるということ。

彼が(しい)したのはゼウス神であり、事はギリシアで起こったということ。

彼がアテナ神と友誼を結び――どころか、妻と称して共に日本列島へ帰国したということ。

 

これらが事実であるという裏付けも取れて、上から下まで恐慌状態に陥った。

そうして手を拱いていたら、続いて出奔したイタリアにて新たな神ウルスラグナの打倒。

 

力を付けて帰国した王に戦々恐々としていた彼らは、新たに飛び込んできた凶報に卒倒する。

 

老魔王サーシャ・デヤンスタール・ヴォバン来日。

実際にその知らせを届けた者は直後に意識を飛ばしてしまった。

 

聞くだけならば笑い話だが、渦中の者たちにとっては決して笑えたものではない。

 

あまりの凶事に見舞われて、遂に権力者たちも腹を括った。

ヴォバン侯爵の来訪を伝え、草薙護堂に命運を託すと決めたのだ。

 

その結果は全世界に知れ渡った通り。

これは単純に首都壊滅の憂き目を免れただけにあらず。

 

日本呪術会を制す正史編纂委員会の構成員、甘粕冬馬が件の羅刹王に接触したこと。

東京分室室長・沙耶宮馨の信を得る彼が、媛巫女・万里谷裕理と良好な関係を築きつつあると判断した事実。

 

上記の実績を以て、清秋院家は草薙王に取り入る事を決定した。

 

現当主たる初老の女傑はまず、子飼いの術者を使って機を伺う。

草薙護堂という神輿を利益となるように担ぐならば、常に傍らで侍る女神の眼光を逃れるしかないと理解していたためだ。

 

そうして待つこと一月余り、遂に機会が巡ってきた。

夏休みを利用してイタリアへ出国していた護堂が、女神を置いて帰国した。

 

知らせを受けた清秋院は即座に恵那を山篭りから呼び戻し、事情を伝え魔王の元に送り出したのだった。

古き老翁の手のひらの上だということを承知の上で。

 

 

 

 

清秋院恵那は異端児だ。

 

彼女に『喜』『怒』はなく『哀』もない。

ただ『楽』と共に揺れ動く波があるのみだ。

 

喜ばしい事があれば飛沫も上げよう、怒るべき場面なら勢いも増そう。

哀しければ(さざなみ)も立つだろう。

 

だが、大波が押し寄せもしなければ濁流が起きもしないのだ。

 

氾濫(はんらん)なくただ流れる水流。

涼やかに、透き通ったまま流れるのみ。

 

――()に出会うまでは。

 

恵那が草薙護堂に初めて会ったのは、七雄神社の境内(けいだい)でのこと。

顔は写真でもって知っていたが、それが無くともひと目で悟っただろう。

 

(間違いない、この人だ)

 

暑い暑いと呟きながら、周囲に避けられている事に落胆する少年。

外面だけを見ればどこにでもいそうな高校生だが、身の内に渦巻く混沌とした呪力が予断を許さない。

 

友人の裕理と違い霊視の才には恵まれなかった彼女だが、神たるスサノオと通じているからだろうか、どこか常人とズレた本質とでも言うべきものを感じ取った。

 

いや、そんな理屈も後から付いてきた余剰に過ぎない。

ただ咄嗟に思ったのだ。

 

――見つけた、と。

 

そのとき彼女の胸に生まれ落ちた感情を、何と呼ぶのだろうか。

例え他者が何を言おうとも、それは清秋院恵那という少女が決める事だ。

 

余処(よそ)から身勝手に決めるなど無粋極まりない。

 

だからこそ、少女は秘して語らない。

語らず(かんが)みず、悟らない。

 

ただ彼女は麗らかに、その一歩を踏み出した。

 

「元気ないね王様、何かあったの?」

 

それは彼女にとって、輝かしき始まりの物語だった。

 

 

 

 

護堂と顔繋ぎを済ませて幾日、霊山に彼を招いた恵那。

共に(みそぎ)を行い俗世の(けが)れを(はら)うべく滝に打たれている。

 

「祓いたまえ清めたまえ――」

 

揃いの白衣(びゃくえ)に身を包み、合わせて祝詞(のりと)を唱和する。

 

それを繰り返すこと三度。

初心者の護堂はここまでとして、恵那の方は馴染みの天津祝詞へと移る。

 

高天原爾神留坐須(たかあまのはらにかむづまります)

 神漏岐神漏美乃命以知氐(かむろぎかむろみのみこともちて)

 皇親神伊邪那岐乃命(すめみおやかむいざなぎのみこと)

 筑紫乃日向乃橘乃(つくしのひむかのたちばなの)小門乃阿波岐原爾(をどのあはぎはらに)

 禊祓比給布時爾(みそぎはらひたまふときに)生坐世留祓戸乃大神等(あれませるはらへどのおおかみたち)

 

それはイザナギが黄泉の国より帰る際の禊ぎに由来する。

西洋で言う冥界で染み付いた死の気配を落とすための言霊である。

 

そこから転じ、心身の穢れを祓う事を神に願う祝詞として伝えられている。

 

恵那が巫女として祀る素戔嗚尊もまた、その時に生まれた神のひと柱。

彼女が神に捧ぐ(ことば)としてこの上なく相応しいだろう。

 

諸々禍事罪穢乎(もろもろまがごとつみけがれを)

 祓閉給比清米給布登(はらへたまひきよめたまへと)申須事乃由乎(まをすことのよしを)

 天津神地津神(あまつかみくにつかみ)八百万神等共爾(やほよろづのかみたちともに)

 天乃斑駒乃耳振立氐(あめのふちこまのみみふりたてて)聞食世登畏美畏美母白須(きこしめせとかしこみかしこみもまをす)

 

滝の流れ打つ音を背景に、声は朗々と響き渡る。

 

荘厳にして美麗なる――などという形容を付けたくなるようなその声。

常は可愛らしいと思える声音だが、凛とした響きを宿せばここまで美しくなるのかと。

 

そう聞き惚れ見蕩れていた護堂の視線を受け、恵那は隠すように身を抱く。

 

「あの、王様? いま濡れてるから、その、あんまり見ないで……」

 

恥ずかしい、と。

本当に声に出せていたのか、本人はまったく自信がなかった。

 

冷え切ったはずの体がどこか熱を持っている気がする。

 

いつもは一人きりだから気に留めていなかった。

迂闊にも白装束の下には何も付けていない。

 

生地が張り付いて浮かび上がる肌色が、今は無性に気に掛かる。

 

「あ――わ、悪いっ!」

「着替えるから、恵那のほう見ないでね……」

「分かった、分かってる!」

 

バシャバシャと勢い良く反転する護堂を見届け、恵那は素早く水から上がった。

 

そのまま装束を脱ぎ捨てて、ほとりに用意していた服に着替える。

護堂の視線を確認するような余裕もなければ、そもそもそのような事を思い付きもしない。

 

水の滴る毛先を垂らし、少女は隠すように胸の前で手を組んだ。

この鼓動が静まるようにと祈りながら。

 

 

 

 

これもまた、彼女が記憶する大切な思い出のひとつ。

 

その時の鼓動を思い起こしながら、その胸の熱を推し量る。

今のこれと比べてどちらが激しい? どちらが熱い?

 

――そんなの、決まってる!

 

「恵那もね、一緒に山篭りとか、修行とか。そんなのした事なかったから、二人で同じ事をして楽しかった」

 

滝に打たれた後も山を走って、森を駆け抜けて。

楽しかった。本当に楽しくて――嬉しかったんだ。

 

だから……

 

「だから、恵那も助けたい……許してくれるかな?」

『ああ、よろしく頼むよ』

 

返って来たのは肯定の言葉。

彼が任せるって、そう言ってくれたから。

 

「うん。任せといてよ、えへへっ」

 

何故だか、心が溢れて来る。

 

「私は、恵那は――」

 

そうして少女は、その胸の感情(ねつ)に名前を付けた。

 

 

 





どうでしょう、恵那が乙女になってますかね?
書いてたら恵那ちゃんがとっても可愛い女の子に成長しちゃいました


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第六章 神前神楽


 

時は九月の半ば、十四歳の少年が中国より入国した。

 

適度に伸ばしているが整えられた黒髪。

生来は色白なのだろうか、日焼けした肌からは判別し辛い。

 

しかし見る者が見ずとも分かる事はある。

一見して特徴的なのは手だろう。

 

広く分厚い掌底(しょうてい)と、年齢に釣り合わない皮膚の硬度。

幾度となくマメが潰れた跡などからして、明白な来歴がひとつある。

 

彼は武術家だ、それも幼い頃から鍛えられている。

人波を物ともせずに通り抜ける身のこなしからしても、その実力の高さは垣間見えるだろう。

 

少年が成田空港発の巡回バスに乗って程なく、その隣にいつしか亜麻色の髪の少女が座っていた。

 

それは天使にも似た美貌の白人。

しかしその容姿の無垢な印象は、殺意と邪念に満ちた凶相に打ち消されている。

 

それは報復であり征服の意思。

天使では決してありえぬ、憎悪に濡れた女の妄念だった。

 

「おいおい(ねえ)さん、こんなにすぐ出てくるなよ」

「つまらん。なぜ妾がこんな窮屈な思いをしなければならんのだ、さっさと飛んで行けばよいではないか」

 

得体の知れない少女に臆すこともなく、少年はふてぶてしい笑みを浮かべる。

どこか小馬鹿にしたような、可愛げのないヒネクレた笑い方だ。

 

「馬鹿言わないでくれ。下手打って早々に見つかったら、師父の折檻が酷くなるだろ?」

「ふんっ、軟弱な小僧め」

 

言って、少女は再び姿を消した。

チラリとその後を認めてから、彼はひとつため息を吐いた。

 

「僕はあんたの手下じゃないんだってぇの。やれやれ、乗っけから面倒になりそうだ……」

 

とは言え、文字通り神より怖い師からの命令には逆らえない。

香港出身の武侠、陸鷹化(りくようか)は嘆息するのだった。

 

 

 

 

 

同じ頃、草薙護堂の学校生活は元の落ち着きを取り戻していた……とも言い難い。

 

この数日、彼の周囲は騒動続きで騒がしい。

原因はもはや言うに及ばぬ転校生、護堂の妻と名乗りを上げた女神様である。

 

自然と教室中から質問攻めに遇い、昼休みと放課後には生徒指導室で事情聴取という不名誉な事態と相成った。

 

教師陣にも生徒たちにも「入籍前なので正確には婚約者」という事情を説明し理解しては貰えたのだが、それとこれとは話が別とばかりに嫉妬やら羨望やらで針のむしろ状態。

 

周囲の攻撃ならぬ口撃や激励などを躱しつつ、素知らぬ顔で(うそぶ)いて煽るアテナとの仲を周知させた護堂。

それも今日あたりでようやく収集がついてきたといった所だ。

 

好奇心旺盛で、やや世間知らずな所がある箱入り娘。

同級生たちのアテナの総評はこんなところだろう。

 

女神も斯やという――実際に女神だと知る者は校内に数人しかいないが――容姿も相まってファンクラブが設立されたとの話も耳にしたが、まあ実害がなければ何も言うつもりはない。

 

常連となった屋上の定位置に腰を落ち着け、ようやく一息ついた。

共に連れ立ってきたアテナも、それに倣い隣に座る。

 

それぞれ片手に弁当を下げており、ここで昼食を摂るつもりだった。

 

「疲れたか、護堂」

「当然だ。ああ何度も来られると、流石に辟易もするさ」

 

敢えて所々で煽っていた事に文句は言わない。

素直に聞き入れる性格もしていないし、あれはあれで共同作業染みて楽しかった部分もある。

 

それにしてもと、護堂は隣に眼を向ける。

 

透き通るような銀髪の上に猫耳を思わせる特徴的な青い帽子。

まだ残暑が厳しい季節のため、半袖で薄手な制服を身に付けている。

 

恋人と揃いの制服を着ているというのは、中々に心を揺さぶられる物がある。

 

幼い頃から友人は何かと多かったものの、恋人や彼女という者には(とん)と縁がなかった中学時分。

野球を止めて高校に入ってからこんな状態になるとは、夢にも思っていなかった。

 

しかし恋人と同級生というシチュエーションに加え、絶世の美貌を持つ少女が相手と来ている。

ふとした拍子に思わず顔がニヤけそうになるのも無理はないだろう。

 

……などと頬を緩める護堂だが、女性に縁がなかったなどと思っているのが本人だけという実情は、それこそ周知の事実である。

 

その辺は少年少女と交流を持ち始めたアテナも知ること。

しかし彼女は、それもまた可愛い所などと惚気けていたりする。

 

明日香などはそれこそ何時か刺されてもおかしくないと危惧していたりもするのだが、この男が刺された程度で死ぬはずもないので大丈夫だろう。

 

「それでアテナ、学校生活はどんな感じだ? 楽しんでるか?」

「ああ、中々に新鮮な体験だ。だがひとつ思うのは、やはり現代は文明が進み過ぎているという事か」

 

女神アテナの出自たるギリシア神話が栄えたのは紀元前の時代だ。

 

例えば数学の授業で習うような計算術は当時、そもそも計算法どころかその用途が存在し得ない。

複雑怪奇な式を使う必要もなく、ゆえに編み出される事などなかった。

 

現代社会は余計なもので溢れているというのは、誰も否定することが出来ないだろう。

 

――人類は蒸気機関の発明から堕落した。

カンピオーネの中にはそのような持論を持つ者がいるが、当時から時代の流れを俯瞰し続ける程に長寿ならばそう思うのも致し方のない事である。

 

極論を言えば、文明とは即ち余録だ。

人類の持つ知性とは本能の妨げであり、生きる上では余分となる事もある。

 

誇りや矜持に命を賭ける者がいる。

それらを虚飾や欺瞞と忌避する者がいる。

 

主義主張がすれ違い、闘争に発展する事もある。

 

「でも、だからこそ通じ合うものがある。それが人類の『今』だというなら、それを悲嘆する事はないさ。過去は変えられないし、現在(いま)は否定できない。だからこそ、誰もがより良い未来を思い描いて進んでいくんだ」

「……かつてはお前ともそうであった妾には、確かに否定できまいよ。ならばこの身の滅ぶまで、その行く末と共に在ろう」

 

古き守護神の神格として、それも間違いではないのだろうから。

それは神話にまつろう道か、或いはそれからも外れる道か……

 

 

 

 

意図せずしんみりとした会話に区切りを付け、両者は弁当を広げていた。

 

包みを下敷きにして蓋を開け、二段重ねになった容器を分ける。

箸入れから中身を取り出し、親指の付け根に挟んだまま両手を合わせた。

 

「いただきます」

「いただきます」

 

余談だが、アテナはこの動作が痛く気に入っている。

 

己の血肉となる食材に感謝を捧げ祈るという行為。

恵みを(もたら)された神に感謝するというのは聞く話だが、食べ物に感謝するという習慣にはまた違った(おもむき)がある。

 

日本人は良い事を考えるものだと、当初は感心すらしていた。

 

こうして食材たちと作り手たる静花に感謝を捧げ、二人共に同じ内容のおかずに箸を付ける。

 

まずは程よい焼き色の玉子焼き。

弁当のおかず用に小さく作られたそれから。

 

片側を摘むとそのまま持ち上がった。

どうやら食べやすいようにと、半分に切っていたらしい。

 

この気遣いが静花の魅力だ。

 

口に運びもぐもぐと咀嚼(そしゃく)する。

瑞々しさと風味からして、どうやら和風ダシが混ぜられていたらしい。

 

ご飯を一口食べて舌を整える。

 

続いてはおかずの大部分を占める焼き鮭。

薄めの切り身を焼いたあと、詰めやすいように三等分されている。

 

これも塩加減が丁度良く、ご飯を口にしてコクコクと頷く。

 

そうそう、これが美味しいんだよ。

とでも聞こえて来そうな動きだった。

 

次に味わうのはほうれん草のお浸し。

他に飛び散らないように、擦りゴマを使っているのが嬉しい。

 

口に入れた瞬間に広がる微かなゴマ油の香り。

これも出汁が染みていてご飯が進む。

 

……ちなみに、ここまでまったく同じ動作である。

 

この後も同じタイミングで食べ終わり、同じタイミングで手を合わせ。

仲がいいどころか以心伝心とさえ言える光景が広がっていたのだった。

 

 

 

 





後半にイチャイチャ描写入れようとしたら、何故か弁当の描写に……
この時間だから飯テロにはならないよね?


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スランプと新しいバイトの影響も重なり、作品から遠ざかっている今日この頃。試験的に書き方を変えてみたので、それに関する感想も頂けると嬉しいです。



 

 

 イギリスに居を構える魔術結社、グリニッジ賢人議会の元議長にして現特別顧問。ゴドディン公爵家令嬢、アリス・ルイーズ・オブ・ナヴァールは、その報せを受けて目を見開いた。

 

「グィネヴィアが日本で竜を顕現させた?」

 

 どこか夢見心地のような声を上げて驚くプラチナブロンドの麗人。高貴な生まれ育ちだけあってその動作さえ可憐に思えるが、対する黒髪と白皙の肌を持つ貴公子は胡乱げな目を向ける。

 

「貴様、普段の自分の言動を思い返してみたらどうだ。俺に紳士がどうのと説くのならば、まずはその呆けた(つら)をなんとかしろ」

 

 齢二十四にしては可愛らしさが目立つものの、アリスは正真正銘の公爵家令嬢(プリンセス)。彼女に対してこのように粗暴な態度を取れる事からも、彼がやんごとない身分である事は明白だ。正体を聞けばそれも無理なからぬことだろう、何せこの男は――

 

「ええ、分かっていますよアレクサンドル。ですがあなたのようなひねくれ者に言われるのは心外です」

 

 ――この方はアレクサンドル・ガスコイン。

 

 『黒王子(ブラック・プリンス)』と名高い魔術師の王、イギリスに居を構える神殺しの王(カンピオーネ)である。その行動は直接的な破壊行動としては現れず、盗難盗掘が主な所業だ。珍しい魔道具があったなら、無断借用して返さないという困った御仁が彼だ。

 

「しかし日本、ですか……今や世界中の注目の的となっているあの国で、今度は何を仕出かす気でしょうか」

 

 正史編纂委員会にて確認された幼い金髪の神祖。彼女の名はグィネヴィア――アーサー王伝説に登場する騎士王の妻だ。本名か本人かは調べるのも無駄であり無理なので捨て置くとして、そう名乗る少女は『最後の王』に仕える神祖であり彼の復活を誰よりも切望している、という事だけは間違いない事実。

 

 そして過去、彼女が有する聖杯を巡ってアレクサンドルとプリンセス・アリスは幾度となく顔を合わせてきた。故にある程度見知ったその性格から、魔境と化している日本に自ら乗り込むとは考え辛いのだが……

 

「逆に言えば、慎重で臆病なあの神祖がわざわざ飛び込んで行ったのだ、奴にとってそれほど重要な何かがあるという事だろう」

「例えば『最後の王』に関する手掛かりなど、ですね」

 

 言って、プリンセスは顔を険しくした。グリニッジ賢人議会の特別顧問として政敵であるアレクサンドルとこうして語らっているのは、つまりそれだけ重大な問題であるということ。まぁ、個人的に嫌いあっている訳ではないので、プライベートではままある光景なのだが。

 

「しかも竜の顕現とくれば、その意図は《鋼》を刺激する事に違いなかろう」

「……あの国に『王』が眠っていると?」

「知らん」

 

 自然と沈痛な面持ちになるアリスの言に、黒の貴公子は呆気からんとして返す。あまりにあまりな返答に頬を引き吊らせる彼女だが、文句を言う前に畳み掛けられて口を(つぐ)んだ。

 

「だがあの神祖が実際に事を起こしたからには、《鋼》の属性を持つ神が日本にいる事は間違いないだろうな。それが奴の求める『最後の王』かどうかまでは判断がつかんが」

「……アレクサンドル、言葉でも力でもあなたを止められないというのは分かっているので、日本に行くななどとは言いません。ですけど、くれぐれも草薙護堂様やアテナ様と対立しないで下さいね」

 

 アリスは恐る恐るといった風にせめてもの願いを告げる。彼はかつて、アメリカのジョン・プルートー・スミスと相討ち寸前の殺し合いにまで発展した過去を持つ。言っても無駄だと理解してはいても、口を挟まずにはいられない姫君であった。

 

「確約は出来ん。何せ俺以外のカンピオーネの連中ときたら、本能のままに生きる闘争主義者たちばかりだ。かつてのようにいつの間にか殺し合っていたとて、何ら不思議はないのだからな」

「……わたしが心配しているのは、アテナ様の不興を買って草薙様がお怒りにならないかということなのだけれど」

 

 アレクサンドル・ガスコインは、女心が分からない。

 

 彼の人となりを知る者の間では有名な話だ。女性へのデリカシーが著しく欠けていて、それが原因でトラブルになった事態は数え知れない。それとこれとは規模がまるで違うが、奥さんを怒らせて旦那が怒り狂えば修羅場は免れないのだ。彼らの怒りを買えば、魔王二人と女神ひと柱で日本は地獄だ。

 

 ……それでも、例の草薙大戦より少人数だというのだから笑いしか出てこない。十分に起こり得る未来予想図を思い遠い目になった白き巫女姫。それを尻目に、『黒王子(ブラック・プリンス)』は火花を散らして退席したのだった。

 

 

 

 

 

 同時刻。約九時間の時差を跨ぎ、日本・東京の草薙家。

 

 噂の的となっている護堂とアテナは、いま彼の自室で向かい合っている。護堂はベッドに腰掛けながら、女神の両手が右腕を包むのを感じていた。そこに宿るのは武神の宝剣にして蛇の神剣。幽世のスサノオより清秋院恵那へ授けられた《鋼》は、彼女の手を離れ今や護堂の内で眠っているのだ。

 

 カンピオーネたる護堂が常より呪力を垂れ流し、その波動を受け続けている彼の自室はもはや異界だ。その内部だからこそ、女神も己を解放できる――解放しても外へ影響が及びにくい下地が出来上がっている。

 

「我が名、パラス・アテナの響きを聞け。我は死の女王、叡智の女神にして蛇の乙女なり」

 

 護堂も芯の部分で、まつろわぬアテナの神気が高まっているのを感じる。これはつまり、蛇の神力を宛てがって天叢雲劍を目覚めさせようとしているのだ。

 

「女神アテナの名に、応えよ《鋼》――ッ!」

 

 ――トクン。

 

 ほんの一瞬、火種が灯ったように感じたがしかし、それ以上の変化は見られなかった。

 

「失敗……みたいだな?」

 

 右手をプラプラと遊ばせながら呟く。実際に戦う気はないのだから、戦闘狂の気質がある《鋼》も気乗りしないのかもしれない。そう考えた護堂は、今すぐにどうこうしなくてもいいかと先送りを決めた。

 

「まあ、寝ておきたいなら寝かしておけばいいさ。どうせ、必要になったら勝手に出てくるだろうしな」

 

 先日、垣間見た気性を思い返せばありありと想像がつく。何やら物憂げな表情をしていた女神も、それならそれでいいと護堂の膝に座り直した。

 

「アテナ、どうかしたか?」

 

 いかにも普段通りの行動なのだが、そこに何か違う意味があったような気がして。護堂はつい腕の中の女神に尋ねた。

 

「ん……なんでもない」

 

 やはり、何か意味があったらしい。歯切れの悪い誤魔化しの言葉にそう確信を持った。だが、それ以上追求しようとはしなかった。

 

「そっか……なら、いいけど」

 

 これは信頼の証か、それとも盲信の類なのか。小さなすれ違いを生みながら夜は更けていく。

 

 

 

 



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閑話 アテナさまがんばる


今朝バレンタインというイベントを思い出し、バイトから帰って急いでキーボードを叩いて現在。
結果、ただのチョコレート教室になってしまった件について……



 

 

「バレンタインデー?」

 

クッションを胸に抱き首を傾げる銀髪の童女。

我らが女神は愛らしい瞳をパチパチと瞬かせ、義妹(予定)より告げられた言葉を(かんが)みる。

 

「二月十四日はバレンタインデーって言って、好きな男の子にチョコレートをプレゼントする習慣があるんです」

 

ソファーに腰を落として思考に意識を割いてみると、女神の叡智がローマ帝国において神話に描かれるユノ、ギリシア神話におけるヘラの祝日がその日付であった事実を呼び起こす。

 

ユノは結婚、出産を司る女性の守護神であり、主神ユピテルの姉にして妻たる最高位の女神。

このあたりの属性はギリシア神話を取り込んだ事による成立過程から、ゼウスの妻である女神ヘラと起源を同じくする。

 

そうした関係性もあって祝日などという細々とした神話の記述を知っていたのだが、静花が言うにはそれも件のイベント成立に関係しているのだとか。

 

「ローマ帝国では兵士の結婚を禁止していた時期があって、その中でとあるキリスト教の司祭さんが隠れて結婚させてあげたらしいんですよ。その人も結局は捕まっちゃって処刑されちゃうんですけど……」

 

その処刑執行日に選ばれたのが二月十四日。

翌十五日には豊穣祈願のルペルカリア祭が控えており、その祭事に捧げる贄として前日の十四日に絞首刑が執行されたそうな。

 

後にキリスト教がルペルカリア祭を取り入れる際に彼の司祭、聖ウァレンティヌスの逸話に助けを請うたのだろうと。

 

「こうしてヴァレンタインさんの名前は、今もバレンタインデーとして語り継がれているのでした。っと」

 

諸説や解釈の違いはあれど、大まかな流れはこんなところだろう。

愚兄の愛くるしい恋人に説明を終えた静花は、最後に口元を隠してこう呟いた。

 

「チョコ云々は製菓会社の暗躍が発端だっていうのも有名だけど、イベント自体は美味しいしまぁいいよね」

 

見えないように毒を吐いてから、自覚なき魔王の妹は天使の笑みを浮かべた。

そして見る者が見れば小悪魔、或いは悪戯好きな女王様と称すかもしれない微笑のまま、少しばかり(・・・・・)畏敬の念すら抱いている小さな義姉(予定)へ助言する。

 

「アテナさん、チョコレート作ってみませんか?」

 

こうして、女神の小さく大切な戦いが幕を開けた。

 

 

 

 

 

「半額になっているものより、3割引の方がカカオの配合量が多い」

 

特価販売していた板チョコ。

 

「40gで240円か、それとも100gで450円か……」

 

余裕をもって少し容量の大きい品を選んだココアパウダー。

 

「これは少量で構わんだろう」

 

静花から予備に買ってくるように頼まれた粉砂糖。

 

「あまり大きいと護堂が飽きるか?」

 

バレンタイン間近という事もあって設けられていた特設コーナーから、小ぶりのラッピングセットを探し当てる。

一点一点を用途要望と照らし合わせて再確認し、頷いてからレジに持って行く。

 

  ――1407円になりまぁす。

 

最寄りのスーパーでお買い物という女神の後に括弧付きで笑の字が当てはまりそうな用事を済ませ、アテナは帰路に着きキッチンに立つ。

 

「さあアテナさん、準備はいいですね?」

「はい、ご教授願います静花」

 

白地のエプロンに三角巾という格好のアテナ。

着衣だけ見れば小学生児童を思わせるそれも、女神が身に着けているだけで至上の衣と化す。

隣には袖を捲くった静花の姿も、普段から台所に立っているだけあってそれだけで様になっている。

 

教師役たる少女がまず取り出したるはアテナが購入してきた板チョコ数枚。

びりびりと包装を剥がしてまな板に並べ、包丁片手にただ一言。

 

「細かく切ります」

「はい」

 

左手は包丁の背に添えて右手を無駄なく動かす。

まな板の下には濡れ布巾を敷いて安定させ、包丁は刃が通りやすいように温めているという徹底ぶり。

 

伊達に草薙家の台所を預かっている訳ではない技が見える。

生徒役のアテナもそれに倣って両手を動かす。

 

彼女とてパンドラに女のすべき仕事の能力を与えた者であり、ローマ神話で工芸や芸術を司るミネルヴァに相当する女神。

 

決して料理下手という訳ではないどころか、その職掌には料理に通ずる物がある多芸な神格だ。

彼女自身の人格に料理経験がなくとも素養は十分に兼ね備えている。

 

手元が多少は覚束(おぼつか)ないながらも、見て教えられた通りに作業を進めていく。

 

「じゃあ次、湯煎で溶かして行きましょうか」

「はい」

 

チョコレートを刻む前にあらかじめ火にかけておいた鍋へ温度計を差し、50℃程度に調整してから過熱を止める。

金属製のボウルにチョコを移し、湯が入らないように気を付けて鍋へ浸ける。

 

泡立てたりしないように気を使いつつ、溶け始めた部分からゴムベラでゆっくりとかき混ぜていく。

 

完全に溶けたらチョコレートの温度を計ってみる。

40℃台前半になっていることを確認し、湯煎用の鍋から外す。

 

「これで最後、チョコを型に流して固めましょうか」

「はい」

 

別のボウルに水を用意し、そちらにチョコを溶かしたボウルを浸けて混ぜながら冷やしていく。

 

チョコレートが20℃台後半になったら再び湯につけ30℃に戻す。

この温度調整作業をテンパリングと呼び、成功すればあとは型に流し込むだけ。

 

前日から静花が準備しておいたハートの型を使う。

 

「後は冷やすだけです」

「はい……静花?」

 

あたかも顔色を窺うような態度で見上げてくるアテナ。

いつ見ても目を奪われる幼い美貌を前に、しかしまったく狼狽えず呼びかけに応えてみせる。

 

「どうしました?」

「これだけ、ですか?」

「これだけです」

 

もっと難しいやり方もあるにはあるが、初めてなので基本的なものに留めたというのが静花の思惑。

今回の手際からしてもう少し工夫を凝らして良かったかもしれないが、翌年のことも考えれば徐々に手間暇かけてグレードアップしていく方がいいだろうと納得する。

 

女王様な妹の策により午前中から奔走していた護堂が、帰宅後に妹の思いやりに感謝したのは言うまでもない。

女神と魔王がより一層濃密な甘々ムードを展開したことも、翌日に妹から色々と要求されて更なる奔走を約束させられたことも、やはり言うまでもない事だった。

 

 

 





いつものように思ってるけど、なんか書きたかったのと違う……
そして護堂君が出なかったゴメンよ。



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はい本編に戻りまーす。



 

 

 

護堂が一報を受けたのはその日の晩。

アテナの神刀に対する試みが失敗に終わり、互いに就寝のため一人になった後の事。

 

携帯電話が受信した報せの内容に、思わず呆けた声を漏らしてしまう。

 

  送信者、万里谷裕理。

  件名、明日のご予定は空いていますか?

 

幾度か目を瞬かせたのち、メールを開いて内容を確認する。

 

要するに、件名にある通り外で会いたいとのことらしい。

なんでも直に会って話したいことがあるのだとか。

 

丁寧な文面からも、僅かながら祐理らしさというのが読み取れる。

 

あの万里谷裕理から来たまさかの誘いに驚きを隠せない。

護堂とて彼女が機械の類を不得手としているのは重々承知していたのだが、そんな事実を忘却してしまうくらいには衝撃だった。

 

そうして翌日の昼前。

まんまと騙された護堂が待ち合わせの場所に向かうと、待ち受けていたのは一人の幼い少女であった。

 

「はじめましてお兄さま。ずっとお会いしたいと思ってました、今日はお目にかかれて光栄です」

 

年の頃は二桁になって少しといった所だろう、利発的に頭を下げる茶髪の少女。

 

なんだか近頃はこんな挨拶を受ける機会が多いなと、騎士二人と巫女二人の顔を思い出す。

すると巫女の片割れ――亜麻色の髪の乙女と眼前の童女がダブって見えた。

 

同じ髪色に特殊な育ちを窺わせる挨拶、それらを鑑みて連座式に思い出す。

 

時期は夏休みの半ばを過ぎた頃。

七雄神社で件の巫女から、小学生の妹がいるという話を聞いた事を。

 

「えっと、君は万里谷の、妹さん……?」

 

半ば確信を持って問いかける。

 

なるほど、実の妹ならば姉を装う事が出来て不思議はない。

それもメールという媒介を通してであれば、その程度の偽装は朝飯前であっただろう。

 

「はい、万里谷ひかりと言います。どうか私をお兄さまの妹にしてください!」

 

少女は、万里谷ひかりはその名の通り、輝くような明るい笑顔でそう告げた。

 

 

 

 

 

「草薙さん、本当に失礼いたしました。妹が勝手な真似をしてしまい、何とお詫び申し上げればよいのか」

 

直後に妹を追ってきた裕理と合流し、三人で近くの喫茶店へと場を移した一行。

飲み物を注文して腰を落ち着けたのち、初めに口を開いたのはほかならぬ彼女であった。

 

「もういいよ万里谷。ひかりだって理由があってこんなことをしたんだろうし、この程度で腹を立てるほど器が小さいつもりはないよ」

「……そう言っていただければ幸いですが――ひかり、あなたも謝りなさいっ」

「ごめんなさいお兄さま。でも、ただのイタズラじゃないんですよ。お姉ちゃんやお兄さまを騙したのは悪いことでしたけど、どうしてもお願いしたい事があったんです」

 

ペコリと頭を下げて謝意を示しつつも己の意図はしっかりと伝える。

そこにいやらしさが感じられないのは、ある種の人徳というものだろうか。

 

その姿勢には幼いながらも確かな意思が見て取れる。

 

「ッ、ひかり! まさか草薙さんにあのことを相談するつもりだったの!?」

 

それを聞いた祐理は飛び上がらんばかりに驚愕する。

妹の仕出かそうとしていたまさかの暴挙に冷や汗の流れる感覚すら覚えた。

 

相談の内容になまじ見当がつくだけに、事の次第によっては一大事に発展する危険を秘めていると認識する。

 

「うん。お姉ちゃんや恵那姉さまから聞いて、お兄さまなら大丈夫だって思ったから」

「それは……確かに、草薙さんは助けて下さるかもしれないけれど……」

 

しかし同時に、事態を大事にしてしまう展開に繋がりかねない。

それは延いては日本呪術会に更なる騒乱を――争乱を呼ぶ事にも。

 

「そういう諸々も含めて、相談してみようって思ったの。恵那姉さまも、草薙さんなら大丈夫だよ絶対! って言ってらしたから」

「……恵那さん、また無責任な」

 

昔馴染みの奔放な発言に頭を抱える祐理。

姉妹の仲睦まじい、深刻だがどこかコント染みたやり取りを見ていた護堂は、後ろ手に頭を掻きながら事の進行に乗り出すことにした。

 

「二人とも、ここまで来たんだから話を聞かせてもらえないか。今更引き下がるのも後を引くし、出来ないことなら断るからさ。万里谷もそれじゃだめか?」

 

仮にも王と仰ぐ同級生の言葉に、祐理は項垂れながらも肯定を返す。

そうしてひかりの相談を、端々に姉の解説を交えながら聞いていくのであった。

 

 

 

 

 

巫女姉妹から話を聞くこと十分近く。

注文していたアイスコーヒーを(すす)り、護堂は簡潔に内容を纏めた。

 

「つまり、俺にひかりの後見人になってもらいたいってことか?」

「一言に纏めてしまうと、そういうことになるでしょうか」

 

二人とも同じようにオレンジジュースのストローに口を付けながら、姉妹は説明を締めくくった。

 

万里谷ひかりという少女は見習いの媛巫女である。

まだ見習いとは言え「媛」の称号をもつ高位の巫女、その末席に名を連ねる希少な霊能力者。

 

彼女が有する力は曰く、禍祓い。

 

読んで字のごとく(わざわい)を祓う清めの術だが、この霊力を持つ術者は希少な存在だ。

もともとそういう能力者を保護し、血統を護り続けて来たのが媛巫女の由来なればこそ、生まれ持ったその才能は周囲から愛されてきた。

 

「恵那姉さまの神がかり程じゃないですけど、媛巫女でもトップクラスの珍しさだそうですよ」

 

というのが本人の談。

姉も世界に誇る霊視能力者だが、妹は妹で凄まじい原石のようだった。

 

一世紀ぶりに現れた禍祓いの巫女、その才能はだからこそ引手数多。

 

中でも一層に大きな声を上げたのが四家の一角である九法塚。

日光東照宮の西天宮(さいてんぐう)を守護するその家から、是非ともひかりを媛巫女として招きたいと持ち掛けられているのだとか。

 

話を聞くに、本人も将来の進路というか就職先として悪くないとは考えているようだが、いかんせんその管轄は日光の守護という点から栃木県。

媛巫女として任命されれば修行のため現地で生活することになるが、まだ小学生の幼い女の子が親元を離れて暮らすというのは酷なことだろう。

 

しかし相手は九法塚家。

日本呪術会で古くから帝に仕えてきた権威と威光を前に、いくら媛巫女とていつまでも断り続けるというのは不可能に近い。

 

そうした事情から出たのが、草薙護堂の妹に発言。

要はもう何年か経って幼さが抜けるまでの時間を稼ぐべく、魔王に家族や保護者の扱いを要請していたのだろうと納得する。

 

なお、その裏にひっそりと込められていた「お姉ちゃんをお嫁さんにいかがですか」という意図を汲めるほど、草薙護堂という男は人間として成熟していない。

 

姉である祐理も今時珍しいほど純な少女なので、裏を読み取ることが出来ていなかった。

それは果たして幸か不幸か、この場で最も耳年増な少女にも流石に分からない。

 

「それで、お兄さま……話を受けていただけますか?」

 

少女の最後の嘆願を受け、護堂は静かに目を閉じる。

巡らせる思考はカンピオーネの介入という事態が引き起こす副作用(リスク)成果(リターン)

 

甘粕冬馬との接触による、沙耶宮との接点。

清秋院恵那との邂逅による、清秋院との繋がり。

 

今まで与えてきた利点に対し、今回九法塚に与える不利益。

四家の力関係を崩すことによる混乱という危険性を祐理から説かれたが、やはり草薙護堂という少年(・・・・・・・・・)はひかりの願いを斬り捨てられない。

 

いくら神殺しの王、人類の代表者などと謳われたところで、根本がまだ思春期の子供である事実は変えられないのだと、若きカンピオーネは自嘲する。

 

紆余曲折あれど、護堂はひかりの望みを叶えることにした。

護堂に危険性を進言した祐理であるが、それでも彼女とて妹を深く愛している。

 

最後には、どうか妹をお願いしますと頭を下げるに至ったのである。

 

 



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断頭颶風に続き久々の更新。
間が空きすぎてみんなに忘れられていないだろうか……不安を覚えながらも投稿する次第です。



 

「私は日光西天宮(さいてんぐう)にて神君を御守り申し上げる九法塚の総領、幹彦にございます。草薙護堂の尊顔を拝謁賜り、光栄の極み」

 

護堂に対して土下座の形で口上を述べたのは、本人も言った通りに九法塚幹彦。

ひかりの霊能力を求めてしつこい勧誘を続けていた四家の跡取りその人だ。

 

巫女姉妹の相談から一時間程度のち、場所を定例と化している七雄神社へ移してからのこと。

 

あの後ひかりに連絡があったのだ。

今から会いたい、そちらに向かっているから場を設けて欲しいと。

 

電話をしながらアイコンタクトで護堂と祐理に確認を取ったあたりは、小学生ながら機転が利いて彼女の聡明さがよく分かる。

 

「初めまして九法塚さん。ご存知の通り、俺が草薙護堂です。今日はひかりの進路について話をしたくて同席させてもらってます」

 

普段なら別に畏まらなくてもいいですよ、とでも言うのが護堂の常だろうが、今回は敢えて控える。

仮にもお願いをする側として最低限の礼は尽くすが、同時に魔王の権威を振りかざすことも事実として弁えている故に。

 

「単刀直入に言って、俺はひかりに普通の学生生活を送ってほしいんです。いくら早熟が常の呪術世界とは言え、現代人の少女に小学生で将来を決めろというのは、ちょっとあんまりじゃないですか?」

「それは……」

 

ひかりに対する頑なな態度と裏腹に、中々の好青年らしい幹彦。

一般社会に照らし合わせた常識を持ち合わせている彼は、他者からの指摘に躊躇いを覚える程度の良識の持ち主でもあった。

 

相手が草薙護堂という事もあってその指摘は痛かったらしい。

 

「もちろん、俺はコイツの人生に責任を持ってやることは出来ないので、あくまで猶予が貰いたいだけなんですよ。ひかり自身も、日光に勤めること自体は否定してませんし」

 

なあ、と脇に控える少女に振ると頷きと共に同意を示す。

ひとつ頭を下げてから口を開いた。

 

「今回の申し出それ自体は嬉しく思っております。何卒(なにとぞ)、寛大なご処置をお願い申し上げます」

「……との事ですし、我が儘は承知の上で改めてお願いします。ひかりに時間をください」

 

正座のまま頭を下げる護堂。

その姿勢は即ち土下座にあたる。

 

流石に止めようとした祐理が動くより先に、幹彦もまた深々と頭を下げる。

 

「御身のおっしゃることは至極もっともでございます。幼き巫女をも慮る慈悲深き御心、私も感服致しました」

 

護堂に頭をお上げ下さいと述べ、しかしなおも諦めが付かないのかこうも続けた。

 

「ではいずれ道を選ぶために、一度西天宮にお招きしましょう。王とて彼女の住まうかもしれない場所の内情を視察されたいことでしょうし」

 

ここで「しかし」「ですが」と逆接から入らなかったのは評価すべき点だろう。

政治に纏わる教育を受けて来た名家の跡取り、一般家庭で育った護堂よりも交渉は一枚上手だった。

 

誘導とも言えないようなそれに釣られたのか、それくらいならと護堂はその気になってしまった。

隣に座っていたひかりや、そのまた隣に同席していた祐理もまた同じく。

 

「……ひかりはどうしたい?」

「お兄さまが一緒なら行ってみたいです!」

「……万里谷?」

「当人がその気なら、わたしに異論はありません。重ね重ねご迷惑をお掛けしますが、よろしくお願いいたします」

 

そういうことになった。

 

 

 

 

 

 

「アテナ、今度の休みに日光に行くんだけど――」

「旅支度は出来ている。お前が巫女の娘らと語らっていた事の次第も、既に承知の上だぞ」

 

――お前はどうする?

 

と問いかけるより先に返答があった。

帰宅してからの第一声だったのだが、どうやら影ながら護堂の行動を追っていたらしい。

普段から共にいるアテナが相手となれば、害意もなく潜まれるとカンピオーネの直感をもってしても気付くのは難しい。

 

思い返せば確かに不自然な言動をしていたかもしれないと、今朝の自身を鑑みて苦笑をこぼす。

疑念を抱いたアテナが、文字通り影に潜んでいたとしても仕方がないと頷いた。

 

普段は思いのほか自由行動が多かったりする両者だが、アテナは時に了解を得ず護堂に侍る時があるのだ。

護堂からしてもそんな彼女を愛らしく思っているし、知られてマズい行動をしているつもりもないので責める気は毛頭ない。

 

しかし、今回の話には懸念事項がひとつある。

 

「……前に言ったスサノオの話に出てきた龍蛇避けの《鋼》、それが日光に封印されているらしいぞ?」

 

幾度となく繰り返しているように、龍退治の逸話を持つ《鋼》の闘神は歴史の開拓者である。

そして龍蛇とは母の影であり、地母神とは古き旧時代の支配者として淘汰されてきた。

 

「それも構わぬ。《鋼》の英雄神とは反りが合わぬのが常であるが、しかし妾とて策がある。いたずらに刺激するような真似はせんよ」

「まあお前が言うなら信じるけど、本当に封印破ったりして来ないか?」

「ああ、妾が原因でそうはならぬという自信(・・・・・・・・・・・・・・・・)がある」

 

《鋼》の英雄神と蛇の女神。

両者の関係性は共に天敵同士でありながら、同時に共生関係とも言えるのだ。

 

スサノオが手に入れた天叢雲然り。

ペルセウスの手に入れたゴルゴンの首然り。

英雄が掲げし《鋼》の武具とは、即ち蛇と乙女から授けられた代物でもある故に。

 

アテナの言い分には納得するが、彼女の言った「自信」――という言葉にどこか陰りが見えた。

 

前日の天叢雲(あまのむらくも)についてもそうだったが、何やら最近の彼女は少しばかり怪しいように見える。

自分たちは互いに、全部が全部を曝け出している訳ではないため今更のことだが、要するに隠し事があるようなのだ。

 

いや、もしかすると彼女自身も確信があるものでは無いのかもしれない。

 

「――アテナ」

「どうした護堂?」

 

言葉を詰まらせながら、それでも口を動かす。

 

相手に全てを委ねるだけならば、それはもはや目が見えていないだけの愚者でしかない。

そんな愚か者に成り下がる気がないならば、聞くべきことは聞かなければ。

 

決意を固め、護堂は問う。

 

「お前、何か隠してるか?」

 

硬い声音を感じ取ったのか、立ち上がり目の前にやって来る。

ベッドに腰掛ける護堂は自然と見上げる形になり、女神の眼光に体を強張らせてしまう。

 

護堂を見下す瞳の深黒は、感情が読み取れないからこそ怜悧に輝いている。

 

美人が怒ると怖いとはよく聞く話だが、この場合は何と言い表すべきだろう。

まるでゴルゴンに見つめられているようだ――とでも喩えてみるか。

 

喩えるも何もただの事実だが。

 

「隠し事か、無論ある。そも人は己のすべてを語る事など出来ぬし、人以外とてその真理に違いはない。神とはともすれば人より人らしい。そう称したのは他ならぬお前だったと記憶しているが……。そういう問答をしたい訳ではなさそうだな」

 

自分で言い訳染みていると感じたのだろうか。

溜息を洩らしたのちに会話を紡ぐ。

 

「……妾は、お前に隠している事がある。何かと寛容な態度に甘えが出ていたのだろう。早くに伝えておくべきだったのやもしれぬが……生憎、今を以って決心がつかぬ。情けないと笑ってくれるなよ、妾とて好きにこうなった訳ではない。――お前がそうしたのだぞ、護堂」

 

言葉尻だけを捕らえると色気が漂ってくるが、実情はまったく別物だ。

 

彼女の言葉は物悲しく響き、しかしそれを(いつく)しんでもいるような。

見上げる瞳は揺れて、何処となく哀愁が潜んでいるように見える。

 

「此度の旅行より帰れば、自ずと答えは出るであろう。子細は帰路にて話すとしよう」

 

答えが出るような出来事が起こると、アテナは静かに予言した。

 

 

 

 



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十月に入ってすぐの連休の初日。

 

九法塚から寄せられた日光へ向かう送迎車の車中。

左側後部座席でむすっとした顔の女神が呟く。

 

「護堂、狭いぞ」

 

中央に座る護堂に押されて窮屈そうなアテナだが、それには当然理由があった。

護堂を挟んで反対側に座るひかりがにじり寄って来ているためだ。

 

助手席に座る裕理がそれを見とがめ声を上げる。

 

「す、すみませんアテナ様。ひかり! あまり草薙さんの方に押しかけないの!」

「良いって万里谷。ひかりも、縮こまらなくて全然いいんだからな。アテナは我慢してくれよ。一緒に行くって言ったのはお前なんだから、万里谷に気を遣わせるなよな」

 

最愛の妻と小学生の少女。

傍目には同じ年頃の両者だが、中身はまるで違うし護堂との続柄も同じく。

 

アテナの同行が事後承諾だったこともあり、優先すべきは幼い少女の方だと判断した。

 

「…………むぅ」

 

そんな心境を読み取ったのだろうか。

アテナは文句こそ言わないが膨れっ面が悪化している。

 

その様もまた可愛く思えて、ついつい指で頬を突いてしまう。

 

「むっ……はむっ」

「うぉっ」

 

――指を噛まれた。甘噛みだ。

 

そのままじっとりとした眼付きで見上げられ、護堂は言い知れぬ危機感に突き動かされて指を引き抜く。

 

(危なかった。何がどうとは言わないが、あのままじゃなんだか危なかった)

 

好きな娘を苛める背徳と、好きな娘に蔑まれる愉悦。

妙な道に足を踏み入れる前に引き返せたのは良かったのか悪かったのか。

 

ひとつ言えることは、彼がこれから先もこの選択を突きつけられるだろうという事だ。

 

護堂がハンカチを取り出して手を拭いていると、反対側から視線を感じた。

振り向くとひかりがキラキラとした眼差しを向けている。

 

「お兄さまとお姉さまは本当に仲がよろしいんですね!」

 

……どうやら一連のやり取りで興味を引いてしまったらしい。

 

「お二人はどこで知り合われたのですか?」

「護堂と初めに顔を合わせたのは家の近くだったな。最も、知り合ったと言えるのは妾の生国、ギリシアの地であったが」

「どういった経緯でお付き合いされたのでしょうっ?」

「妾に一目惚れした護堂が追いかけて来たのだ。初めは戸惑ったが、今はこの関係を気に入っている」

「じゃあじゃあ、どんな告白だったのですかっ!?」

「中々に情熱的であったぞ。たしか――」

 

護堂は思う。

仲良くなるのはいいが、自分を間に挟んで恥ずかしい話をしないでもらいたい。

 

いや、それよりもだ。

 

「流石にそれは勘弁してくれよっ!」

 

過去の言動を思い返して羞恥に手で顔を覆う始末。

それを見て溜飲は下がったのか、アテナなりの仕返しはお仕舞いとなった。

 

「そこは勘弁しておいてやろう。せっかく護堂に贈られた言の葉だ、妾の胸に仕舞っておくべきだろうからな」

「ふわあぁ……大人ですぅ」

 

耳年増なひかりは尊敬の眼差しを向けているようだ。

羞恥に悶えていた護堂だが、ドヤ顔のアテナが可愛かったのは覚えている。

 

もはや末期である。

 

 

 

 

 

到着後もひかりは護堂にくっついて回っている。

右にひかり、左にアテナの構図が、後ろを歩く裕理の目に慣れて来ていた。

 

「お兄さまお兄さま! 見てください、お猿さんですよ! ちゃんと見猿聞か猿言わ猿(みざるきかざるいわざる)が並んでます!」

「あれ? 見ざる言わざる聞かざるじゃなかったのか……」

 

幼いとはいえ本職の巫女の言であるため、覚え違いだったかと恥じ入る護堂。

それに横合いから祐理がフォローを入れる。

 

「確かに三猿の元となったのは不見・不聞・不言(みざるきかざるいわざる)の順とされていますが、一般的に順番はあまり気にしなくてもいいのですよ。現にこの三猿も、見ざる、言わざる、聞かざるの順に並んでいますから」

 

非礼勿視、非礼勿聴、非礼勿言、非礼勿動。

孔子の論語にある一節だ。

 

――礼にあらざれば視るなかれ、礼にあらざれば聴くなかれ、礼にあらざれば言うなかれ、礼にあらざればおこなうなかれ。

 

こうした教えが天台宗の僧侶により日本に運ばれたと言われる。

そして三猿の構図もまた、古代エジプト周辺に見られる事からシルクロードを伝って中国に、当時の中国から日本に伝わったという。

 

有名な神厩舎(しんきゅうしゃ)を前にはしゃぐ妹と、三猿を右から順に指差し解説する姉。

話していて興が乗って来たのか、祐理の勢いは止まらない。

 

「この三猿は本来、神厩に描かれた物語の一部なんですよ。三匹の猿は物語の二番目ですね。子供は悪いことを見たり聞いたり話したりしないで、素直な心で成長しなさい、という教えが描かれているそうです」

 

ひかりも見習いなさいと言い聞かせる祐理だが、肝心のひかりはそっぽを向いた。

 

「お姉ちゃんの言う事なんて聞かざるですぅ~」

「っもう!」

 

妹のお転婆な様子に癇癪を起こしながらも話を本筋に戻す。

 

「まず子の将来を案ずる母、次に今言った三猿、一人立ちしようとする子、立身出世を夢見る『青雲の志』の図、挫折しながらも友に励まされる図、思慕の情に惚ける図、想い伝わり伴侶を得て、子宝に恵まれ最初に戻る。そういう人生の手本を現しているとされているのです」

 

一息に口を動かして説明する裕理。

心なしか得意げな顔をしているように見える。

 

そんな姉に近寄り、背伸びして耳元に顔を近付ける少女がひとり。

 

「……お姉ちゃんも見習ってお嫁さんにしてもらおうね」

「……な、何を言うのひかりっ!」

 

チラリと護堂の顔を窺いながら耳打ちされた言葉に顔を真っ赤にして慌てた。

そんな祐理の反応を面白がっているひかりは、まさに小悪魔という言葉がよく似合うだろう。

 

小声でじゃれ合う仲睦まじい姉妹に触発されたのか、アテナが左腕に抱きついて話に加わって来る。

 

「猿の厩神(うまやがみ)といえば、こんな話を知っているか護堂? 大陸のとある英雄神は厩番としての位を授けられ、後に龍より変じた馬を供に旅したという」

「大陸って中国か? 英雄で龍を降すっていうからには《鋼》なんだよな、でも流石に中国の神様は分からないぞ」

「……いえ、お待ち下さい草薙さん。彼の神が活躍する唐代伝奇は、日本においても相当な知名度を誇る大英雄です。恐らく名前くらいはご存知かと」

 

道中で護堂より伝え聞いた《鋼》の封印という事柄を思い返し、祐理は戦慄と共に立ち竦む。

 

魔除けの龍殺し、猿の闘神、不死身を持つ厩番の英雄。

龍馬と共に旅した中華の大英雄とくれば、真っ先に浮かんでくるのは天にも斉しき(・・・・・・)偉大なる御名。

 

姉が言い淀んだその神のあまりに有名な称号を、ひかりはそっと護堂の手を取り言い放つ。

 

「天界より厩番たる弼馬温(ひつばおん)の位を与えられた猿の神。猿猴(えんこう)神君――即ち斉天大聖さまのことです」

 

斉天大聖・孫悟空。

西遊記にその名を刻む中華大陸の大英雄である。

 

「――孫悟空ッ!? それが封印されてる神様の名前なのか?」

「うむ、沙耶宮とやらに伝え聞いたそれが正しいとするならばな」

「って沙耶宮? なんか聞いた覚えがあったような……」

「沙耶宮家は九法塚家や清秋院家と同じ四家の一角ですから、恵那さんあたりから聞いたのではないでしょうか?」

「……ああっ! そうだ、前回の件で清秋院と話してた時に聞いた気がする。たしか、沙耶宮――馨さん、だったっけ?」

「確かそのような名であったと記憶している」

 

いつか清秋院恵那から聞いた名前に驚く護堂。

出てきた名前にというより、アテナの口から出てきたという事が何よりの驚きだ。

 

「お前その人に会ってたのか?」

「これまで幾度か顔は合わせているぞ。イタリアからの帰国後、妾を学校へ編入させた時に挨拶に来たゆえな」

 

いずれはお前にも面通しをしたいとも言っていた、との言伝をアテナより受け、護堂もまた件の女性を頭の一角に留めおいた。

 

とまあそれはさておき、今はまず目の前の事である。

孫悟空が蛇退治の守護者として封印されているという厄介事だ。

 

護堂の勝手なイメージとして、悟空といえば悪戯者という印象が強い。

本当にひかりを預けて大丈夫なのかと不安に苛まれる魔王であった。

 

 

 





アテナ様のはむはむを描いている時ですが、自分で想像してゾクゾクしてしまいました。

その時の私は客観視するまでもなく変な人だったと思います。
パソコンに向かってニヤニヤしていたかと思いきやブルブルと震えだすんですもの。


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草薙護堂は神殺しである。

世界に七人しか存在しない覇者にして、神々より簒奪せし権能を操る絶対の魔王。

そして、世界に七人しかいないという事は、自分以外に六人も存在するという事でもある(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)。自他ともに認める最強のトラブルメーカーたるカンピオーネは、だからこそ他のカンピオーネとの遭遇率も高い。

欧州で最も悪名高き魔王、サーシャ・デヤンスタール・ヴォバン。欧州最強の剣士、サルバトーレ・ドニ。草薙護堂は彼ら二人に引き続き、三人目の同胞と合い見えようとしていた。

 

 

 

 日光は東照大顕現を祀る神宮と別に、境内で最も高位に坐する神域。神厩舎の奥地に広がる林を抜けた場所に、長い歴史を感じさせる神社が佇んでいた。

 九法塚の次期党首たる幹彦は、本来なら秘するべきその場に一組の男女を連れ込んでいる。

 一人は中華大陸の魔王、羅濠教主の弟子である少年、陸鷹化。一人はロサンゼルスにて敗退した神祖、名をアーシェラ。

 幹彦がいくら人格者であり、四家の跡取りという有能な人物であるとはいえ、神殺しの直弟子と神祖を相手に何か出来るほどの逸脱者ではない。いまや彼は、神祖アーシェラの傀儡でしかなかった。

 自我なき人形を尻目に、鷹化は膝を着き礼を尽くす。頭を下げ、崇め奉る。そうまでする相手は神かと言えば、それは違う。

 西天宮(さいてんぐう)と号されるその(やしろ)に、しかし神はいなかった。

 大陸より参じた神殺しが直弟子と、西天宮の守護を担いながら操り人形にされた男。彼を操る人ならざる蛇の女に、今や一柱などとは呼べぬ零落した猿猴が一匹。そして、その猿を上回る王が一人、この聖域に足を踏み入れる。

 

鷹児(ようじ)ッ! このわたくしが命じた任を放棄し、挙句助けを請うとは何事ですか。惰弱なッ!」

 

 最強にして最凶。武の至尊にして武の至極。武芸を極め、方術を極め、不敗にして求敗の境地に至った天稟(てんりん)の女傑。神山に住まいし天女が此処に。満天下に誇る美貌を携え、覇者の気概で舞い降りた。

 轟――ッ! 鷹化は一喝されると共に衝撃を受けて後ろに吹き飛ぶ。

 中華大陸の神殺し、羅濠教主の発声はただそれだけで圧を齎す。いくら魔王の力による風圧とはいえ、まさか師の前でそのまま地を転がる無様を晒せるはずもなく、持ち前の身軽さを生かした体捌きを駆使してふわりと緩やかに着地した。

 柳眉を逆立てる師の怒気に怯みながらも、鷹化はトラウマと恐怖から来る手足の震えを押して、命が惜しいからこそ声を張る。

 

「師父のご尊顔を曇らせる失態に弟子陸鷹化、心底より恥じ入るばかりにございます。しかし何卒、この不肖の弟子の進言に耳を傾けては下さりませんか」

「ほう、この羅濠に意見を申すと?」

 

 ギロリッ――視線が射貫く。怨敵を睨むような、という訳ではない。鬼のような視線に含まれるのは、己が弟子へ向けた叱咤激励の意。ただし、頭に彼女なりの(・・・・・)という形容が付くかたちではあるが。

 その鬼神も斯くやという眼力(がんりき)を総身に受け、身が竦む思いで姿勢を維持する。臆して退けば胴が弾け飛ぶ。さりとて、奮起し過ぎて顔をあげても首を落とされる。

 あまりに苛烈な師弟の対面であるが、陸鷹化にとってこれは日常だ。齢十四にして、内の十年を共に過ごした羅濠の直弟子。彼にとって師は己を育てた母であり、頭の上がらぬ横暴な姉であり、迷いなく膝を折るべき主人であり、天に仰ぎ見るべき太陽であり――最も身近な死の具現でもある。

 故にこの程度は最早慣れたものである。と、自分を騙し誤魔化して、恐怖のあまり逃げ出しそうになる体を押さえつける。

 弟子の様子をじっと見定めていた羅濠は、一頻(ひとしき)り目を凝らすと圧を散らした。

 

「よいでしょう。見るに、我が下を離れてから格段の成長は見込めませんが、鍛錬は怠っていないようです。そのおまえがわたくしに助勢を請うたという事は即ち、己が身に余る事態を悟ったのであると確信しました。――王が出陣しましたか」

「仰せの通りに御座います。流石は師父、その天眼は雲を見て風を知るが如く、地の果てまでも(まなこ)に納めておられるのですね」

「無論です。しかし鷹児、たとえこの国の王が参ったと言えど、彼我の格の差は明白なこと。果たしてわたくしが遅参していたところで、いくらの誤算があったことやら。傍に侍る蛇とて、さして障害にはならぬでしょう。その点に関しては何と申し開きをするつもりですか?」

「畏れながら、師父――」

 

 変わらず(こうべ)を垂れたまま、少年は師へと具申する。

 

「彼の王は女神を侍らせる奇矯なお方。神殺し二者を退け、女神を傍に置く。そんな細事はどうでも良いのです(・・・・・・・・・・・・・・・)。彼の君は神を(しい)した者、玉座へ上った神殺しの一人。ただその事実だけで、他の一切を台無しにしてしまう」

 

 神祖が描き、神を贄として、神殺しが加わった(はかりごと)。ああ凄い、前代未聞だ、大惨事が確定している。

 だから何だ……?

 そこに飛び込むのもまた神殺しなれば、そのすべては藻屑と消える。そこに理由も理屈も必要ないし存在しない。何故ならば、それがカンピオーネなのだから。その一言ですべてが完結している。

 彼が短い半生を通して実感と共に学んだ結論を、過剰にならない程度に飾り付けて口に出す。結局、彼の言が頑固な教主を説得するまでに、もう二度の衝撃波(せっかん)を受けたのであった。

 この事態を見越してその場を離れていたアーシェラが鷹化から恨みを買い、顔を合わせた途端に悪態を吐かれたのは仕方のないことだったろう。

 

 

 

 甘粕冬馬の案内によって西天宮に辿り着いた護堂一行は、九法塚幹彦と合流して神君に会いに行こうとしていた。中に入るのはこの一件の主役であるひかりと、保護者代わりとして祐理。そして、少女の後援者という立場の護堂を含めた三名。

 あくまで案内役でしかない冬馬や幹彦。護堂に着いて押しかけて来たかたちのアテナも、その存在ゆえの不安要素から外で待つ事となった。

 流石の女神も《鋼》の英雄神と顔を合わせるのは不味いと理解していたのだろう。道中の社内で見られたような不満は漏らさず、淡々と頷いて了承していた。

 ただし、無表情なまま護堂に抱きついた状態で、ではあったが。

 

「アテナ、そろそろ行ってくるよ」

「ん、もう少し」

「そろそろひかりの準備も終わるぞ?」

「まだ終わっていない」

 

 あと五分、とでも言いたげな口調に苦笑い。封じられているとはいえ神に会おうという状況で、離れ離れになるのが嫌なのだろう。つい先月に、神獣とはいえ一人で戦ったことに思う物があるようだ。或いは親離れを寂しく思う母親の心境に似ていたりするのだろうか。護堂は益体(やくたい)もない事を考えつつも頭を撫でた。

 さりげなく引き剝がそうともしたのだが、抵抗されて思うようにいかない。身長差から背ではなく腰に回された腕はまあいいとして、胸元に感じる吐息には些か照れるのだ。二人きりならばともかく、冬馬と幹彦の目がある場所で開き直れるほど、彼はまだ年を食っていない。

 

「相変わらずお熱いことで。いやぁ、独り身の私には堪えますなあ」

「仲睦まじいご様子で、私としても喜ばしい限りです」

 

 煽る冬馬と、それに追従する幹彦。後者は純粋に良好な夫婦仲を――夫婦喧嘩による神魔大戦が起こらないようなので――喜んでいるようだが、前者は明らかに面白がっている。

 それなりに付き合いが長くなりつつあるとはいえ、この夫婦にちょっかいをかけるその勇気には脱帽ものである。

 惚れた弱みか強く拒絶することもできず、傍からからかってくる男の口を閉じることもできず、そんな護堂に救いの声がかかった。

 

「お待たせしました、お兄さまっ!」

「おかえり。よく似合ってるよひかり」

「ありがとうございます!」

 

 (ふすま)を開けて元気よく駆け寄って来たひかりの声だ。

 巫女装束に着替えたひかりは、やはりというか良く似合っていた。流石は裕理の妹というべきだろうか、幼いながらも将来の美貌を匂わせる顔立ちに、彼女の持つ爛漫な空気が合わさってとても微笑ましい。

 手には白木で(こしら)えられた小太刀が一振り。曰く斬竜刀というらしいそれは、西天宮に伝わる宝刀なのだとか。

 流石に目の前に出て来られては、もう時間の引き延ばしようがない。アテナは名残惜し気に頭を擦り付けて腕を下ろす。甘えるような空気はすぐに霧散し、次にはいつも通りの女神があった。

 

「じゃあ、行こうか」

 

 異なる世に隠された西天宮の奥の間。神ならぬ神、猿猴神君の坐する神域。草薙護堂はいよいよそこに踏み込もうとしていた。

 思惑が進み口元を吊り上げるビスクドールの少女と、彼女を守護する騎士甲冑がそれを見守る。

 

「では参りましょうかおじ様」

「うむ。心躍るぞ、愛し児よ」

 

 魔女王グィネヴィア、守護騎士ランスロット・デュ・ラック。

 神魔入り乱れる壮絶な舞台の幕が上がる。

 

 日本の神殺し、草薙護堂。彼の妻、女神アテナ。その同伴者たる万里谷祐理とひかりの姉妹。運転手を務めた甘粕冬馬。

 中国の神殺し、羅翠蓮。彼女の直弟子、陸鷹化。その同伴者たる神祖、アーシェラ。

 加えて全ての絵図を描いた張本人、神祖グィネヴィア。彼女の守護を担う神格、ランスロット・デュ・ラック。

 これだけの偉人賢人超人魔神が集まりながら、役者は未だに揃っていない。

 

「…………ふんっ」

 

 東照宮から数キロメートルは離れた山の木の上で。

 スーツを着こなす黒の貴公子が、紫電を奔らせその場を後にした。

 

 




原作見つけて読み返してみたら、祐理って封印されてるのが悟空だと知ってたんですね。今更書き直すのも大変なので、このまま行かせてもらいます。平にご容赦を。
そして鷹化の教主に対するおべっかが難しいの何のって。途中でめんどくさくなって省略しましたが、これ以上書ける気がしません(´;ω;`)

16/8/13
ひかりの着替え後の描写を加筆しました。


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 護堂はひかりと裕理に連れ添って、不可思議な空間を彷徨っていた。

 古びた祠と桃木を起点とした封印。注連縄(しめなわ)で囲まれたそこでひかりの力を振るい、祠を通った暗闇の中。どこへ続くとも知れぬ、何も見えぬ道をどれほど歩いたことだろう。(はぐ)れぬようにと繋いだ両手が、既に相当の熱を持っている。

 同級生の少女と手を繋ぐ照れから来る体温の向上もあるのだろうが、前の見えぬ不安による緊張から来る疲労もあった。

 時間の感覚が薄れた中で、右手を握る裕理が言葉をこぼした。

 

「草薙さん。お気づきですか、私たちはいま幽世を歩いているようです」

「幽世? っていうと例の、生と不死の境界とか言うアレか?」

「はい、黄泉平坂(よもつひらさか)とも呼ばれる狭間の世界。恐らくいま進んでいるこの道は、現世と幽世を繋ぐ回廊なのでしょう」

 

 幽世、生と不死の境界とは、人界と神界の間に横たわる世界。以前スサノオと顔を合わせたのもまた、この幽世と呼ばれる場所だった。

 

「黄泉平坂とか言われると思い出すのは、見るなのタブーって奴だよな。互いの顔も見えないのって、そういう意味があったりするのか?」

 

 半ば独り言に近いそれだったが、反応したひかりが左手を引く。

 

「イザナギがイザナミを追って黄泉の国へ行った時のお話しですね。イザナミの制止を無視して醜く腐った顔を見てしまったために、イザナギは独り黄泉路を逃げ帰る事になってしまった」

「そう、それのこと」

「どうでしょうか。この回廊は神君、斉天大聖さまの元へ赴くためのものですからね。西遊記にそのようなお話はなかったはずですけど……」

 

 むむむ、と考え込んでしまったひかりに代わり、今度は祐理が話しかけて来る。

 

「見るなのタブーと言われるのは、ギリシア神話のオルフェウスなどにも見られる禁室型神話ですね。他には旧約聖書の塩の柱に、蛇の女メリュジーヌ、草薙さんにも縁深い女神パンドラと災厄の箱のエピソードも、この一種だと考えられています」

「そういえば、パンドラは神殺しの支援者なんだっけか。転生の時に会ったきりだから、あんまり覚えてないんだけど……」

 

 うっすらと記憶に残っているのは自然界ではありえない色彩の髪に、妙な呼び方を強要された気がするという困惑くらい。他にもなにか重大な事を吹き込まれたような感覚もあるが、今の護堂が思い出せるのはその程度のものだ。

 そうして頭を悩ませていると、いつの間にか暗闇は終わりを告げた。光の漏れる四角い出口を抜けると、そこは粗末な小屋の中だった。

 

「……馬小屋?」

 

 そう、そこは木造の馬小屋だった。厩舎、と言った方が威厳があるだろうか。

 孫悟空は天界から厩番たる弼馬温の位を授けられた英雄神。彼を封じる呪法の名にも冠されるそれは、ある種彼の代名詞と言ってもいい。本人はそれを嫌って返上しているが故の名だろうから、これは皮肉とも取れる。

 外を見てみると、青空の下に中華式の宮殿がそびえ立っていた。宮殿の敷地内にある厩舎がここのようだ。紫禁城も斯くやという威風に呆然と立ち尽くしていた護堂だが、ひかりの上げた声が彼の意識を引き戻す。

 

「お兄さま! 干し草の上にお猿さんがいます!」

 

 声に釣られて視線を向けると、一匹の猿が寝転がっていた。

 

「――――ッ」

 

 金毛の猿。猿猴。間違いない、コイツはまつろわぬ神だ。

 

「あんたが猿猴神君か?」

「応ともさ! 我が宮殿へようこそ。何分久方ぶりの客人なのでな、神殺しとて大歓迎だ」

 

 飛び起きた猿は身の丈80センチ程度。猿としては一般的な大きさだが、軽快な仕草と明るい声から人間の子供にすら思える。

 

「と言っても、我にはもっといかした本名があるんだがなぁ。その呼び名も仰々しくて嫌いではないのだが、やはり己の名は特別じゃて」

 

 斉天大聖・孫悟空。

 天にも斉しく、空を悟る。なるほど、言うだけあって大それた名前だ。見栄っ張りな神様としてはそちらの方がいいのだろうが、封じられた本名を軽々しく呼んでは支障をきたす。と、道中に祐理から忠告されたからには飲み込んでおこう。

 事は早々に済ませるべしと、この場にやってきた本題を持ち出す。

 

「今日ここに来たのは下見でさ、この女の子があんたの巫女をやるか悩んでるんだ。すぐに役目に就くって訳じゃないんだけど、先に内容は知っておいた方がいいだろうからさ」

「おお、そういえばこのところ、巫女さんが遊びに来んと思っとったんじゃ」

 

 まあかれこれ百年は空席だったらしい役職であるからして。

 と、それよりも遊びに、だと? 疑問に思った護堂はすぐさま聞き返す。

 

「遊びって?」

「なんじゃ、知らんのか? 我の巫女は遊び相手を務めるのが習わしでな。談笑やら双六やら鬼事やら……おおっ! 一度腕っぷしの強い巫女さんとチャンバラをした事もあったか。とは言え我も《鋼》の端くれ、封じられておるとて人間の小娘には負けなんだがな!」

「巫女の仕事って遊び相手なのかよ。なんか拍子抜けっていうか、名ばかりっていうか……」

 

 干し草の上でふんぞり返る子ザルに神の威厳など欠片もない。西天宮の媛巫女というのは、斉天大聖を猿回しの猿扱いするのが仕事らしい。

 

「ふんっ。この孫様を良いように扱き使っておきながら、その程度の賦役(ふえき)で勘弁してやってるんじゃ。むしろありがたく思わんかい」

「扱き使って?」

「昔取った杵柄で我にあの蛇を追い払えやら、あの竜を退治しろやら泣きついて来るではないか」

 

 この言葉を聞いて、事の全貌が護堂にも見えて来た。

 スサノオの入れ知恵で封印された英雄神、孫悟空。その捕らえた《鋼》の神を竜蛇避けとして配置することで、この国のどこかに眠る最後の王を起こさないように護っているという話。そこに九法塚家と西天宮の媛巫女を組み込めば、仕組みはおぼろげながら理解できる。即ち、禍祓いの力によって封印を弱め、猿猴神君を斉天大聖に戻して竜を倒させるという手法が。

 すべての肝は禍祓いの巫女にある。

 神の助力により成った封印を、人間の巫女程度が打ち破れるはずはない。しかしそれでいいのだ。封印を破る必要などない、ただ少し手綱(たづな)を緩めるだけでいい。時が経てば巫女の呪力は薄れ、自然と封印による枷が掛かるようになっている。

 嫌に巧妙な手口だ。護堂は仕掛けた者の悪戯心のようなものを感じ取り、若干の辟易を覚えた。

 

「これまでに三度ほど外に出て暴れたんじゃったかな。最後にやったのは確か、あんたと揉めたときだったかね?」

 

 え? 覚えのない護堂は困惑するが、背後から聞こえて来た声には驚愕した。

 

「ええ、あれはわたくしたちの暦で百年近く前の事です。東京(とうけい)にて狼藉(ろうぜき)を尽くした竜神に振るった技の冴え、この眼に焼き付いております」

 

 どこからか響く女人の声、音楽的な美しさを宿す涼やかな美声だ。

 人影は見えない。しかし、確かに何か(・・)がそこにいる。

 神君の視線を辿ったがそこには誰も――否。人影はなかったが、確かに生命の輝きがあった。

 蜥蜴(トカゲ)だ。一匹の蜥蜴が悠然とこちらを見下ろしている(・・・・・・・)。実に堂々たる姿をしたそれは、小さな爬虫類の枠に納まるような存在ではなかった。

 護堂の身が震える。猿猴神君を前に感じた昂ぶりを超える、恐怖と高揚。武者震いだ。身の内に眠る翼持つ白馬が、高位に坐する王者への恐怖を訴える。身の内に宿す黄金の剣が、尋常ならざる敵手と見えた高揚に奮える。

 そして、震えていたのは護堂だけではない。彼以上の恐慌に震えていた裕理が、蒼白な顔色のままで口を動かす。

 

「あ、あなたはまさか――!! そんな、どうしてこのような場所に――ッ!?」

 

 カタカタと歯を鳴らす彼女に、普段の上品な所作は見る影もない。かつて彼女がこのような反応を示した例を、護堂はひとつだけ知っている。苦渋の思いと共に記憶を掘り起こした護堂は、そっと裕理の肩を抱き寄せる。

 彼女は盛大に身を震わせたあと、それが護堂だと知って呼吸を落ち着けた。

 そう、万里谷裕理がこうまで怯えた相手は彼の知る限りにおいてただ一人、神殺しの魔王、草薙護堂その人である。ならば、この蜥蜴の正体も(おの)ずと知れる。

 

「ほう、この国の媛巫女とやらですか。流石は神祖の末裔(すえ)の娘、よい()を持っているようですね」

 

 音を紡ぐと同時、蜥蜴はその姿を一変していた。漢服を身に纏う女人。絶世の佳人と呼ぶに足る、黒髪の乙女である。

 美しい。護堂は思わず目を奪われた。

 その衝撃はアテナに見惚れたあの瞬間以来だろう。女神と並べて見劣りしない天与の美貌。羽織り状の上衣も合わせて、まさに天女と呼ぶに相応しい彼女こそは――。

 

「おぬし、名を何と言ったかね? 同郷の神殺しよ」

「あなたの記憶に我が名を刻み込めなかったかつての未熟さ、まことに口惜しく思います。ならば此度こそこの名を刻み、そして死と共に忘却させてあげましょう」

 

 猿猴神君を正面から見据え、美麗な唇が冷たく宣う。

 

「我が性は羅、名は翠蓮、字は濠。五嶽聖教の教主にして、武の頂点に君臨する者です」

 

 恐るべし魔教教主、羅翠蓮。

 草薙護堂が新たに出会ったカンピオーネは、苛烈にして壮絶なる乙女であった。

 

 

 





16/8/18
教主の名前についてですが、結局「羅―翠蓮―濠」にしました。
お騒がせして申し訳ありません。


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前話のあとがきにも書きましたが、教主の名前は結局「羅―翠蓮―濠」になりました。
お騒がせ致しましたが、これからもよろしくお願いします。



 

 中華大陸は廬山の庵に居を構える神殺し。

 羅濠、或いは羅翠蓮。武術と方術、双方の奥義を極めた恐るべき女傑。

 その姿を見た者の目を潰し、その声を聴いた者の耳を削ぐという逸話を持つ、強く気高く恐ろしき『魔教教主(クンフー・カルトマスター)

 あまりの苛烈さから名前以外の情報が何一つとして外に漏れず、長らく性別や出自すら不明とされていた謎の王だったが、護堂は彼女(・・)が恐ろしいほどに美しい乙女であると知った。

 

「それにしても嘆かわしい。音に聞こえし英雄神が、今や畜生同然の姿になり果てるとは……矮小卑賎(わいしょうひせん)です、恥を知りなさい」

「いやさ、畜生同然と言われてものう。見ての通り、畜生じゃし」

 

 どこからどう見ても猿である。

 そも伝承からして元は妖力を得た猿であるし、この姿も本性を的確に表している。

 そんな事を考えながら事の推移を見守っていた護堂だが、羅濠の眼力は彼の思考を暴き出した。

 

「……倭国の王よ、いまよからぬことを考えましたね?」

 

 鋭い眼光に射貫かれた護堂はビクッと身を竦ませる。

 

「この羅濠は武功を極め、武林の至尊と呼ばれる者。あなたの顔を見れば不遜な考えなど察しはつきます」

 

 まさか、些細な表情の変化だけで心境を読み取ったというのだろうか。

 そんな馬鹿なと一笑に()すには、彼女の言が自信に満ち溢れ過ぎていた。

 

「同格の『王』でなければ不敬と断じ報いを与えているところですが、しかし。同じく覇道を歩む先達として寛大さを示しましょう。存分に感謝することです」

「……それは、まことにありがたく」

 

 無難な返答に留めた護堂だが、内心はコイツは何を言っているんだという困惑と、やはりカンピオーネだけあって変人奇人だったかという諦念に塗れている。

 

「そこな巫女たちも、わたくしの姿を直に見た咎で罰しなければなりませんが……」

「――待った」

 

 しかし、その雑念は教主の言葉で掻き消える。

 この女性は本気で言っている。一切の容赦なく、至極当然の道理として裕理とひかりを処断しようとしている。それはダメだ。許せない。

 

「羅濠教主、待ってくれ。彼女たちは俺が身柄を預かっているんだ。手を出すのは見過ごせない」

 

 それも姿を見たから、などという理由でだ。

 故に、羅濠の傲慢を護堂は糾弾する。

 

「そもそも、どうして姿を見て声を聞いたくらいでそこまで神経質になるんだ。女性に言う事じゃないけど、アンタは別に不細工って訳でもないだろ」

 

 自分で口に出して置きながら嫌悪を拭いきれない発言だが、それでも不思議でならなかった。

 女神にも比肩する天女の如き容貌を持つこの乙女が、どうして人の視線を執拗に気にするのか。

 答えは、あまりに想像を絶する世迷言(せんげん)だった。

 

「わたくしのような身分の者が民と直接交わるなど、あってはならない事なのです。我が身を直視した者は己の両目を抉り、我が声を耳にした者は己の耳を削ぎ、償いとせねばなりません」

「いつの時代の皇帝だよ、暴君にも程がある。そんなに下界が嫌なら山奥に引っ込んでいればいいだろうにッ」

 

 意図せず荒立った語調で吐き捨てる。

 自分を神様と勘違いしているんじゃないか、という暴論も暴論。しかし彼女は、神をも降す乙女は、更に斜め上を行く言葉を宣った。

 

「倭国の羅刹王よ、その申しようは誤りです。わたくしは古今東西の覇者、皇帝、将帥を凌ぐ武の頂点。ゆえに、あらゆる支配者も及ばぬ崇敬を捧げられねばなりません。それが序列というものです」

 

 まるで地球には重力が存在すると言うような自然な口調。

 彼女はそれを当然の物と信じ、そして体現している。

 

「巫女らに関しては非常時ということもあり、此度は同格の『王』たるあなたの顔を立てましょう。我が恩情へ感涙し、下がりなさい。わたくしは大義を成さねばなりません」

「大義? 猿猴神君と戦うことがか?」

「論ずるまでもなく。我が生国に勇名高き稀代の英雄が、倭人に飼われて遊び暮らすなど。――まこと、度し難い。看過できぬ罪と言えましょう。このような輩の存在を知りながら放置したとあっては羅濠の名折れ、かねてより断罪の時を待ちわびておりました」

 

 その準備が整ったのが今であると。宣う羅濠に迷いはない。

 過去に付けられなかった決着を付けるため、敵地に乗り込み宣戦布告。それだけならば聞こえもいいが、その実とんだ横暴だ。

 九法塚幹彦を操り、ひかりの力で封印を破り、果ては現世にて雌雄を決すると?

 馬鹿な。神と神殺しの戦いは都市破壊規模の災害だ。この日光は山中とはいえ、それを越えた先には人の生活圏が広がっている。彼らへの被害に考えが及ばないのか?

 護堂は確信していた。この女性は、考えが及びつつも取るに足らないと捨て去っている。

 

 己が至高。我こそ至上。故に人民よ、我が意に従え。我が武勲の礎となるなら本望であると確信せよ。そんな思惑が透けて見える。

 度し難い。本当に度し難い暴君だ。だが、どうしたことか、護堂は彼女を憎めないでいた。

 その理論構造には嫌悪を覚えるが、彼女の誇る唯我独尊には、何やら敬意すら湧いてくる。何故そうなのかと思考を進め、ふと思った。

 

「……ああ、そうか」

 

 護堂は哂った。自分も他人をとやかく言えないのだと。

 そうとも、草薙護堂は神殺しである。人類を統べる魔王である。だからこそ、アテナ(かみ)を生かして傍に置くという暴挙を誰もが認めている。認めざるを得ないと放置している。自分のエゴを他者に押し付け、大多数の不満を圧殺している。

 それはまさしく覇者の気概だ。王者の理屈だ。魔王の暴威だ。そこに彼我の差は何もない。

 故に、草薙護堂と羅翠蓮は同じ暴君(モノ)である。憎むなどと片腹痛い。覇者と覇者がぶつかるのは必定。そこに怨恨も憎悪も要らぬ、ただ覇道のみがある。

 この絶世の美貌を誇る暴君を前に、護堂は己の(たもと)に潜む王者の傲慢を自覚した。

 思えば、彼女は護堂の出会った初めての魔王(・・)だったのかもしれない。

 ヴォバン侯爵はただ、アテナを狙う外敵でしかなかった。サルバトーレはただ、戦いに割り込んだ第三者でしかなかった。そこにあるのはただ強大な力を持った敵であり、それ以上の意味は持っていなかったのだ。

 それに比べ、羅濠教主はどうだろう。

 彼女は己の王道を説いた。自分はこういう者だからこうするので、だから他者もこうあるべきだと、王としての理屈を謳ったのだ。それは護堂には初めての経験で。それがあったから彼もまた、自身が暴君の端くれなのだと思い至った。

 他人のふり見て我がふり直せとはこの事かと、改めるつもりのない魔王は獰猛に笑う。ああ確かに、カンピオーネは頑固者だ。

 

「アンタの言い分は納得できなくもないけど、その行動は許せない。止めてみせる。俺は日本の神殺し。最新の魔王(・・)――草薙護堂だッ!」

 

 宣誓は新たな意味を含んで。

 人民を守護する神殺しというだけでなく、人類を踏み付ける魔王としての意思表明。

 ここに今こそ、七人目の魔王が君臨する。

 

「ふふ、戦の前の名乗り上げとは、作法を弁えているようですね。後進が礼を尽くしたならば、先達たるわたくしが礼を失する訳にはいきません。我が名は羅翠蓮、字は濠。草薙王(くさなぎのおう)よ、来ませいッ!!」

 

 教主の一声に呼応するように、護堂の胸が強く高鳴った。

 それに、さっきから右腕が熱い。ドクンドクンと脈打っている。

 ああ、分かるぞ。お前は戦いの象徴だからな、昂ってるんだろ……。

 

 このかつてない強敵に。

――――然り、敵に不足なし。

 

 地上最強の武芸者に、神にすら及ぶ武林の至尊に。

――――笑止、神を騙るなど不届き者め。

 

 さあ出番がやって来たぞ、俺が主だというなら呼びかけに応えろ。

――――承知、(オレ)を振るえ神殺しの王よ!

 

「起きろ天叢雲(あまのむらくも)、強敵だぞ――ッ」

 

 右腕が脈動し熱を放つ。その熱を押し出すように手を(かざ)せば、音もなく手中に柄が収まった。

 

「ほう、神刀の類ですね。感じる気風から察するに、源流に近い《鋼》の鉄剣……」

 

 流石の慧眼か、教主は苦もなく出自を察する。

 

「ここじゃ巻き込む、どこかに離れよう」

「よいでしょう。わたくしとて、畜生に堕ちた彼の英雄を巻き添えとするは本意でありません」

 

 武術を齧った事もない割に、やけに堂に入った構えを取る護堂。対する女傑は手を開いたまま緩やかに、構えとも呼べぬ様子で両手を広げた。

 神を前にした魔王の死合い。剣と拳の交じり合う、血濡れに濡れた神楽舞。

 己が王道に捧げる神殺しの舞闘が、いま此処に幕を開けた。

 




なんだろう、覇者とか覇道とか書いてたら断頭颶風的なkkk要素が混じってしまった。



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 護堂は己の佩刀(はいとう)に眼を向ける。

 以前は緩やかながらも薙いでいた刀身が、今では完全に反りを無くしている。より簡素で華もなく、《鋼》の(さが)を色濃くしていた。

 天叢雲(あまのむらくも)はスサノオの従属神の枠を超え、まつろわぬ神の権能に近しいかたちで護堂に宿った。この変貌もまた、権能の調整に則した適応なのだろう。

 手の中の感触を確かめつつ、まず先手を繰り出したのは護堂の側。

 実力の程は比べるべくもない程に離れているのだから、手を(こまね)いていては仕方がないと、せめて主導権だけでも握るべく上段に構えて斬りかかった。

 

「うおおおおおおおおおお――ッ!」

 

 抱き止めようとしている様にも見える格好で佇む羅濠は、しかしそのまま斬らせてはくれない。

 ゆったりとした動作でありながら、無駄なく的確に精密に、護堂の腕を取ってあっさりと投げ飛ばした。

 女の細腕で成したとは思えない勢いで、回転すらしながら地面に叩きつけられる護堂。

 だが彼とて()る者。空中で体を捻って軌道を乱し、地面を蹴って逆に飛び上がる。距離を取って着地したところで、教主はまたしても両手を広げて待ち受ける。

 

「くっ……はぁああああああああああ――ッ!!」

 

 侮られていると反骨心が湧き上がり、再び神刀を振りかざす。

 今回は逆袈裟、教主の左脇腹から右肩に掛けて斬り上げるべく向かっていく。だがそれも敢え無く失敗。刀身が着物へ接触するより先に、左手で剣の腹を跳ね上げられてしまう。

 ならばとその勢いで体ごと右に回転し、反対方向から胴を回し斬る。が、次は微動だにせず右手の二指で白羽取られる始末。

 どこか微笑ましいものを眺めるような視線に諫められ、思わず身を引くと呆気なく右手から剣を解放した。

 羅濠から視線を外さずに後ろへ下がって距離を取った護堂は、変わらぬ姿勢で立ち続ける彼女を観察する。

 

(そうか……一見無防備なようでいて、あの体勢もある種の構えなんだ。サルバトーレが剣を下げて遊ばせているように見えるのと同じ。羅濠教主はあの状態でも隙がない)

 

 あれもまた剣の王と同じ無行の位。しかしながら、彼女のそれは彼の魔王よりもタチが悪い。

 サルバトーレと違って彼女は無手、天下無双の拳法家だ。それもあの男を赤子扱いするほどまでに、武芸を極め極めた武林の頂点。彼女にとってはあの格好ですら隙を見せているのだろう。本領を発揮したならば、自然に歩きながらでも敵を圧倒できるに違いない。

 しかし、手を抜かれているからと安心できる要素は何もない。

 完全に制御され静まり返った呪力を視るに、権能どころか呪術・魔術さえも使っていない。

 武芸百般を修めた武闘家にして、高度な方術をも使いこなす卓越した術師。それこそが羅翠蓮という神殺しの謳い文句だというのに、いまは等身大の人間としての身体能力しか使っていないのだ。

 それでこの様。素のままで動体視力も反応速度も飛び抜けている。

 いや、それ自体は自分も同等の物を持っているのかも知れないが、それを駆使する技術と経験の差が圧倒的だ。二百年の長きに渡り練武し続けた彼女の技巧は、その一端でさえ他を圧する。

 だが、それでも――

 

「負けてなるものか、と。克己心と反骨心を高めている様子。良い気迫です草薙王、武技は拙いとて貴方もまた神殺しの(ともがら)なれば……」

 

 正しく『暴れる子供を見守っていた』彼女の笑みに、初めて怖気が混じった。

 それに気圧されてなるものかと、ひたすら前に出て斬りかかる。

 

「だァアアアアアアアアアッ――!!」

 

 唐竹、袈裟斬り、胴薙ぎ、斬り上げ。

 正道に則った握りと型で斬りつけることもあれば、ときに持ち替えときに振り回しと、下手に武道武術を知らないからこその自由さで挑み掛かる。

 されど、それでも、武林の至尊と謳われる頂点には届かない。

 如何に達人と名高き武芸者であれ一刀に伏すであろう剣閃は、未熟なりと言わんばかりに避けられる。

 相応の速さで振るわれる剣風でさえも、彼女の肌を撫で付ける事すら遠く及ばず。

 我が肌に触れる機会は我が許したその時のみと、時折、天叢雲劍の軌道を変える程度に留まる。

 護堂が右手の神刀を頭上から斬り下ろそうと振りかぶり、思いついた様に指を滑らせ逆手に握り直す。そのまま肩を潰す意図で叩きつけるが、そうは問屋が卸さない。

 武を極めたなどと思えぬ程に細く滑らかなその指は、しかし決して(たお)やかではない力強さで空を走る。指の一本で斬閃を逸らされ、切っ先は地面を抉るに収まった。

 地面に突き立つ鉄剣を固定した護堂は、それを軸として蹴りを放つ。それもまた、羅濠は予定調和の如くひらりと躱す。

 幾度そんなやり取りが続いただろう。

 未だ攻防の体すら成していない不本意な殺陣(たて)は、しかし意外にも羅濠の関心を引いていた。

 

 

 

(……また定石を外れた、かと思えば理に適った剣も振るう。不可思議な挙動をするものです)

 

 武の至尊とまで呼ばれる実力は伊達ではない。

 羅翠蓮は護堂の動作を観察し、根底にある芯を暴き立てようとしている。とは言え、既に条理の一端は見えていた。

 この者は野生である。

 獣の駆動と本能を以って戦場を駆ける獰猛な魔獣。であるのに、戦士としての武功が垣間見える胡乱な男。

 獣の性と戦士の武、両者はまったく噛み合っていない。噛み合っていないのに、どちらをおろそかにすることもなく目一杯駆使して、羅濠に立ち向かう羅刹の王。

 そうとも、彼女は草薙護堂を多少なりとも認めている。剣を振るう彼との立ち合いに付き合っているのもいい証拠。常の教主ならば己の決定に異を唱える相手など、抵抗をすら許さず誅罰を下していて当然。

 それが護堂に合わせて舞い、剣閃に手を出している(・・・・・・・)。おかしな話だろう。彼女の武威をもってすれば、そもそも避ける必要も捌く必要もない。わざわざそれをしているのは、護堂を導くために他ならない。

 

 羅翠蓮は微笑した。

 嗚呼、この者は勇者である。勇猛果敢な愚者である。それに何より、我が背に追い縋る王者である。

 英吉利国(えげれすこく)のひねくれ者に、南蛮のサルバトーレ何某(なにがし)。今世紀は見所のある若者が多く台頭していると、彼女は本当に喜んでいた。

 何故ならば羅濠は武林の頂点。天に立つ者であると自負する故に、後進をより高みへ導くことに憂いはない。むしろ責務であるとすら考える。

 ただし、彼女の眼鏡に適う逸材は中々見いだせず、もし見つけたとしてもあまりの苛烈さから煙たがられる。そして、羅濠の天意を拒む不敬は処断するべし。なるほど人間社会から逸脱している。だからこその魔王であると、そう言えるのかもしれないが。

 

「来ますか、草薙王――」

 

 瞳に宿った必殺の意思を汲み、羅濠は更に笑みを深めた。

 

 

 

 動かぬ戦況に焦れた護堂が、羅濠教主に突きを放った。

 今まで彼は、斬りかかることも叩きつけることもあったが、教主本人に切っ先を突いたことはなかった。勿論回避や防御がされやすいという欠点もそうだが、それをしたが最後、相手も決着を付けに来ると悟っていたから。

 そして、現実はその通りになった。

 剣道家が見れば理想形とも言える見事な突きだったが、それ故に彼女は容易く狙いを見定める。

 当たれば僥倖と中心線を狙ったそれは、いとも容易く軸をずらされ刀身を脇に抱え込まれた。左手で鍔元を握られたことで、護堂も次の狙いを看破する。

 

(――このまま折る気だ!)

 

 その予想を裏付けるように、羅濠は右手に拳を握る。至高の武闘家を自認する彼女が初めて拳を構えたのだ。

 彼女は本当に折ってみせるだろう。本当に折られてしまうだろう。だが、草薙護堂はこの瞬間を待っていた。初めて攻勢に出るその一瞬。この刹那にこそ勝機を見出した。

 柄から放して自由になった左手に、再び新たな柄を握る。

 ペルセウスの時と同じように、ただ《鋼》の武具としてだけ顕れた黄金の剣。天叢雲を囮として、最低限の動きで腹に突き立てるべく突き穿つ。

 神殺しの宿らぬ黄金だが、その本質を脅威に感じたのだろうか。教主は神刀を解放し、そのまま背後に飛び退る。

 

――その背後を、神速の護堂が忍び寄る。

 

 声は上げない。呼吸もしない。そんな迂闊な真似など、この絶世の武人を前には命取りだ。

 音を立てず、口を閉じ、息を殺して忍び往く。いくら心眼とて、この至近距離の神速移動には対応できまい。

 両手に携えた黄金で護堂は再び突きを放つ。

 神殺しの向かい合ったこの戦場にて、遂に初の流血が飛び散った。

 

 





教主の本気は飛鳳十二神掌、つまり掌打による拳法。
ただ手を広げただけの第一形態、拳を握った第二形態。次に待つのは掌と権能を使う第三形態に、邪道を駆使する第四形態。まだ二回の変身を残している教主の本気に、護堂は耐えられるのか!? ←負ける前提。



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10

 

 ポタポタと滴り落ちる鮮血が、足元を赤く染めていく。

 至高の武技を誇る絶世の佳人を前にして、護堂は呆然と立ち尽くしていた。

 

(どうして……)

 

 完全に不意を打ったはずだった。息を潜め、策を弄し、神速で裏をかき不意を突いたはずだったのだ。

 だが羅翠蓮は、その顔に喜色を浮かべている。護堂の胸を裂いた手刀から血を滴らせて。

 

「――素晴らしい」

 

 だから、その一言が理解できない。不意打ちに対処され、浅くとも胸に手刀を喰らった。今の攻防に敗北したのは護堂の方だ。

 だというのに、彼女の口から称賛された理由が分からない。そう呆ける護堂を尻目に、魔教教主は言葉を尽くして褒めちぎる。

 

「本当に素晴らしい一戦でした草薙王(くさなぎのおう)! 剣を執ったあなたに武の先達として指導すべきと舞っていましたが、よもやこの羅濠に血を流させるなど! 昨今を思い返してみてもこの十年は記憶にない偉業です!!」

 

 その言葉に血濡れの右腕をよく観察すると、微かに一筋。白い肌に薄い切り傷が走っていた。傷を撫でながら可愛らしい顔を綻ばせる彼女と裏腹に、護堂の顔は引き攣るばかり。

 そんな様を微笑ましそうに見守りながらも、教主は朗々と語っていく。

 

「あなたは元来、武の道を知らぬ者である様子。というのにわたくしの制動を見抜く眼力こそ、あなたが簒奪せし神の権能に由来しているのでしょう。それが如何なる神かまでは見通すこと叶いませんが、武と戦に精通する軍神の類であったのは明白。それに刹那の間とは言えわたくしの背後を取って見せた神速閃電の速さにも驚嘆しました。己が身を変生する類のそれは扱いが難しいと聞きますが、中々に使い慣れている様子。あなたの戦歴は未だ十に満たない程度と推察しますが、端々に工夫が見られます」

 

 あのやり取りだけで権能の一端は確実に見抜かれてしまっているらしい。

 そこまで卓越した洞察力には恐怖すら覚える。

 同時に護堂は悟った――彼女は毒の艷花だ。武を尊ぶゆえに力を信奉し、敵手がそれを持つ事を大いに喜ぶ。それはいずれ、己が糧とするために。

 華麗にして美麗なる佳人は、故にこそ笑顔をもって後進を称える。

 

「拙い武技を猛る闘争心と冷徹な戦略で以て駆使し、この羅濠に手傷を負わせたその武勲。まさに感嘆の極みと言えましょう。故にこそ――」

 

 教主の笑みが更に深まった。

 肌が粟立つ。血流が加速する。心臓の鼓動が早鐘を打つ。

 来るぞ来るぞ来るぞ来るぞ来るぞ来るぞ来るぞ来るぞ来るぞ、羅翠蓮の本気が来るぞ――ッ!!

 

「先駆者の重みというものを示してやりましょう。誇りに思いなさい、草薙王よ」

 

 ゆらゆらと炎のように立ち上る呪力が、やがて形を成し質量を宿す。

 それは厚みを増し、影を生み、遂には地を踏みしめた。

 

「羅濠の武威をその身に刻む事を許します!」

 

 羅翠蓮の権能、黄金に輝く武神の暴威が現れる。

 それは巨大な仁王像。剛力無双を誇る金剛力士であった。

 開いた口が塞がらない護堂に容赦なく、巨人は頭上から拳を振り下ろした。

 我に返った若き魔王はゼウスの雷を活性化させ、神速の速さでその場を飛び退く。が、相手は地上最強の武を誇る王である。その顕身たる仁王像もまた彼女自身と繋がっており、神速の護堂をはっきりと捉えている。

 

「さあ如何しますか倭国の王よ。羅濠に傷を付けた勇士を前にして、侮るなどという愚行は致しません。あなたがこの程度の苦難を跳ね除けるであろうと確信しています」

「ありがたくて涙が出るよッ」

 

 反復横飛びの要領で右に左にと攪乱するが、物ともしない心眼でもって叩き潰そうと連打してくる。

 避け続けるだけでは埒が明かない。もとより相手は自分など及びもつかない達人なれば、なにか反撃の手段はないものかと頭を回す。

 草薙護堂が所有している権能は今や三つ。

 一つは護堂がカンピオーネとなった象徴でもある雷霆の権能。現在進行形で使用している神速もこの権能による化身であるため、攻撃に回すとなれば神速に容量(リソース)が割かれている分だけ火力低下が否めない。

 二つ目は護堂にとっても印象強い黄金の剣。神格を切り裂き貶める知恵の剣は、カンピオーネの権能に対しても有効であるとサルバトーレやヴォバン侯爵によって証明されている。が、それも前提として対象となる神格について深い知識が要求されるため、真価を発揮するには至らない。

 三つ目はアテナとも縁深き白翼の天馬。神獣召喚はこの状況では逃走の隙も見いだせず、かと言って太陽召喚は日に一度の制限を持つ。まだ手札が残っているであろう教主に対し、そう易々と使っていいものかと迷いどころだ。

 と、ここまで考えた時に右腕が熱を持った。

 

(――王よッ!)

 

 護堂の脳裏に電流が奔る。そうだ、コイツがいた!

 己の権能――という訳では正確にはないが、それに準ずる鋼の神刀。銘を天叢雲劍(あまのむらくものつるぎ)。護堂を主と定めたスサノオの宝剣が、実体を解き帰還したのである。

 魔王の権能に準じている今の性質から、護堂は叢雲の持つ能力を把握している。通常の権能が段階的に掌握が進むように完全ではないのかもしれないが、その一端は確かに。

 須佐之男命(スサノオのみこと)――彼のまつろわす神としての性質の根幹を成す蛇殺しの鉄剣。敵を討ち、神性を降し、遂には己へ取り込む《鋼》の武神にして文化英雄(トリックスター)。故にその愛刀たる剣が有する異能こそ。

 

「でやあああああああああァッ!」

 

 覚悟を決めて羅濠教主本人に突っ込んでいく。

 ただでさえ逃げ惑う護堂を追い詰めていた仁王像である。それが自分から近づいてくるとなれば、迎撃するはむしろ容易い。だが、護堂としては願ったり叶ったりである。

 何故ならば、最初からこの展開に勝機を見出していたのだから。

 正面から落ちてくる(・・・・・・・・・)正拳を見据え、敢えてケラウノスの恩恵を途切れさせる。神速に回していた呪力を抑え、全て全てを右腕に。利き腕に宿る神刀へと注ぐ。

 

「グッ、おおおおオオオオオオオオオォォ――ッ!」

 

 衝突する巨人(こぶし)小人(こぶし)。圧倒的な、絶対的な質量差の前に挽き潰されるはずの少年は。しかし何たる事だろう、矮小なその身で仁王像の金剛力と張り合っていた。

 その絡繰りは右腕に宿る天叢雲の献身だ。

 彼の神刀が有する異能こそ、《鋼》の武神にして文化英雄(トリックスター)たる須佐之男命の本質。外敵をまつろわし、その神格を取り込む軍神の存在証明。即ち、敵の権能を盗み取るという偸盗(ちゅうとう)の魔力である。

 この性質はスサノオと同じく文化英雄として著名なギリシア神話の神を由来とした例の石板、護堂の渡欧に一役買ったプロメテウス秘笈(ひきゅう)も有していた属性だ。

 あの魔導書と同じく、この神刀もまた偸盗の力を持っているのである。

 天叢雲が持つ力はプロメテウス秘笈と比べ、即応性の代わりに奪取力が犠牲になっている。敵と相対すればすぐにでも発動できるという点では戦闘向きだが、こちらはあくまで権能のコピー。奪い取るのではなく真似るのであり、相手は問題なく権能を使える上に自分が使えるのは劣化コピーの域を出ないという、些か決定打に欠ける仕様だ。

 しかし、それでも利便性と応用力は計り知れない恩恵を齎す。

 劣勢ながらもギリギリで押し留まっているという状態ながら、それでも何とか持ち堪えられているのもまた事実。膂力(ちから)が足りないというのなら、更なる火力(ちから)を加えてやれば打ち勝てるという事だ。

 

「王の威光たる稲妻よ! この身に降りて、覇を示せッ!」

 

 護堂の右腕が熱を帯びる。身の内にて奮える《鋼》ではなく、身の内にて猛る嵐の暴威が放つ熱。呪力が熱となり嵐となり、そして雷となり顕れる。

 

「いっけぇえええええええええッ!!」

 

 ゼウスの雷光は肌を通して仁王像へと伝わっていく。表層を走る激しい熱が巨体を焼き、内側まで侵し焦がしていく。

 それは仁王の化身に同調している羅濠教主にも傷を与え、魔王の呪力が芯の近くまで影響を及ぼす。瑞々しい唇から血を零す教主の様子を見た護堂は己の勝利を信じ――

 

「成程、あなたが化身した神速閃電の権能は、何処(いずこ)かの天空神より簒奪した雷轟電撃の威光より生じたものでありましたか」

 

 自分を覆う影に頭上を見上げる。そこには確かに傷を負ってはいるが、まだ健常な五体を有する仁王像の巨体があった。

 何故だ。ゼウスの雷は仁王の臓腑を焼き打ったはずだ。

 目を見開く護堂の驚愕に答えを与えたのは、他ならぬ羅翠蓮その人である。

 

「しかし、不運であったと言わざるを得ません。如何に天災地変の象徴たる天の怒号とて、同属たる神を相手にはその威光が霞むのも道理というものです」

 

 そして彼女は語った。

 仁王像として型を成した権能の正体は、金剛仁王像。日本でも仁王様と呼び親しまれているその神格は、金剛力士という仏教の守護神。人並外れた剛力のことを金剛力と呼ぶこともあるように、筋骨隆々なその姿は力強い憤怒の化身として描かれる。

 そして金剛力士という名の由来は、金剛杵を持つ者。金剛杵(ヴァジュラ)を持って悪竜ヴリトラを討った雷霆神、帝釈天(インドら)の宝具で仏敵を粉砕する役割を持っているのだ。

 つまり、その神格は根柢の部分で雷神としての性質を有している。護堂の権能、ゼウスの雷霆を浴びて傷が浅かったのは、そういう理由があったからなのだと。

 露呈した相性の悪さに歯噛みしながら羅濠を睨んでいたその時。

 護堂の視界に、血相を変えた祐理の姿が飛び込んで来たのであった。

 

 

 







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11 媛巫女の逃亡

 

 

 眼光を鋭くした護堂が羅濠教主を連れ立って馬小屋を離れて暫し。猿猴神君と共に取り残された巫女の姉妹は、何をする事もできずに硬直していた。

 大陸の神殺し、羅翠蓮の無遠慮な圧力に対する形で放たれた、草薙護堂の濃密な覇気。大魔術師の数十から数百倍にも昇る甚大な呪力に由来するそれは、本人が意識せずとも感情の動きだけで万人をひれ伏させる王者のカリスマ。

 戦闘直前の緊迫状態で昂っていた彼の威圧にこそ、少女らは身を竦ませていたのである。

 

「――っ、神君様、御身を前にご無礼を致しました」

 

 発生源が離れて行ったのち、まず我に返ったのは姉の裕理。周囲を見渡し地べたに座り込んでいる小猿を見つけた彼女は、名を奪われているとは言え神の前で呆然としていた非礼を詫びる。

 姉の声を耳にして意識を取り戻したひかりも遅れて頭を下げた。

 

「よいよい。あんな物騒な輩がバチバチ火花散らしておったら、そりゃおぬしら人間は気が気でないじゃろ。斯く言う我とて、空気に当てられて腕を振るいたいと疼く反面、ああも凄まれるとおっかなくって敵わんわい」

 

 などと嘯きながらも、神君はニタニタとした笑みを崩さない。猿の顔ながらはっきりと分かる厭らしい笑みは、護堂が見たらこう評するだろう。まるで悪戯を仕掛けた悪ガキのようだと。

 猿猴神君は理解しているのだ。草薙護堂が姉妹のもとを離れたこの瞬間こそ、巫女が格好の餌食となる狙い目であると。

 そして成程、百戦錬磨の英雄神たる猿の推察は的を射ていた。

 

「ひかり、どうしたの?」

 

 西天宮の媛巫女たるひかりの異変に気付いたのは、やはりというか隣に立っていた姉の祐理。突如として白木拵えの小太刀を抜き放った妹の暴挙に、神君への不敬と叱咤する彼女だが。

 

「あなた、――ッ!」

 

 虚ろな表情で小太刀を手にする妹に自意識が宿っていない事を悟る。この幼き巫女の体を動かしているのは、少女自身の意思ではなく小太刀――斬竜刀に刻まれた、得体の知れない呪法であった。

 

「ほのぼのと明石が浦の朝霧に、嶋がくれ行く舟をしぞ思ふ」

 

 東の方位を斬り、南の方位を斬り、西の方位を斬り、北の方位を斬る。

 くるりと一回転したそれは、優雅な仕草でありながら不気味なまでに滑らかな動き。少女自身の意思では、そして体を突き動かす斬竜刀の呪法だけでこうはいくまい。

 祐理はその様を、まるで操り人形(マリオネット)のようだと思った。内側からの働きかけによるものではない。外側から肉体の動きを把握し、それこそ上から吊るされた糸で操っているかのような、美しすぎる(・・・・・)歌劇のような立ち回りだった。

 それは繰り手の趣味(・・)が多分に現れており、華麗だからこそ苛立たしかった。この少女を、延いては人類を完全に下に見ている。人を出来の悪い人形のようだと俯瞰しており、故に出来のいい人形にしてやっているという、幼稚で傲慢な全能感が垣間見えた。

 

「男の一陽の女の一陰に合して懐妊す。其の最初をひとまるという。十月(とつき)に満して人体となる。所詮我が身をはなれぬ人丸と知るべし」

 

 少女が謳うは斬竜の祝詞。

 世界最高と称して不都合無き卓越した眼力が真相を、その奥に潜む深層を見抜く。そして、蒼玉の瞳と目が合った(・・・・・・・・・・)

 お前が深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているのだ。

 

『あらあら、よもやこの娘からわたくしに辿り着くとは。その霊視眼は侮っていましたね』

「きゃッ――!」

 

 冷え切った蒼玉(サファイア)の瞳に見つめ返され、祐理は心臓を握られたような錯覚に陥った。

 アレは人ではない。人を見下す温度のない眼光は神の如く、しかし神に似つかわしくない深い情念と執着を感じた。そう、ならばあれこそ先月に竜を顕現させたという、神ならざる神に連なる女――神祖と呼ばれる存在。

 身を震わせる祐理は次の瞬間、更なる異変を視界に捉えた。

 今しがた自分たちが通ってきた四角い穴。人が背をかがめて通れる程度だった現世との回廊が、いまや厩の壁一面にまで広がったのだ。そこから見えるのは先の見えぬ暗闇ではない。朱色の光が眩しい夕焼け空。現世の景色だった。

 しかも、上空に巨体が浮かんでいる。とぐろを巻いた蛇――龍蛇の神がその神威を振りまいている。

 

「呵々ッ! アレも羅刹女(らせつめ)の仕込みかのォ、我を昂らせる蛇神の息吹よッ!」

 

 振り返ると、神君の体が灰色の石となっていた。

 彼の神は岩から生まれた岩猿として語られている神格である。この石が卵の殻のように割れるとき、猿猴神君は『まつろわぬ神』へと新生する! 霊視の導きで確信した祐理は、だからこそ決断の時が迫っているのを理解した。

 神祖が背後にいる以上、祐理にひかりは止められない。ならば、見捨てて逃げて、護堂に救援を求めるしかない。しかし、妹を見捨てるなど――ッ!

 肉親の情に苛まれる媛巫女だったが、逡巡(しゅんじゅん)している暇がない事もまた悟った。

 

「おお、そうであったそうであった! 我は鋼の郎党、竜蛇を征する星のもとに生まれし神! 今にして思えば、ただの猿として怠惰に遊び暮らす日々も悪くはなかったがのう。じゃが、それも既にして過去のことよ!」

 

 開いた瞳は――火眼金睛。

 猛火を思わせる眼球と、中心に浮かぶ黄金の瞳。火刑として炉に入れられた証たる、斉天大聖の特徴のひとつである。

 それほどに神としての力を取り戻しつつあるならば、もはや迷っている時間はない。護堂のもとに参じる決意を固めた祐理は素早かった。幽世に揺蕩う『虚空(アカシャ)の記憶』に意識を繋ぎ、護堂の居場所を霊視する。

 一瞬だけ最愛の妹を目に焼き付け、魔王の傍へと転移を成功させるのだった。

 

 

 

 この場を逃げ出した巫女の後ろ姿を眺めて神君は――猿猴神君という殻を打ち破ろうとしている神は、もうひとりの巫女へ声を掛けた。

 いや、正確にはその深層に潜む乙女の意思に対して。

 

「あの娘っ子は逃げおったが、良いのかのう。神殺しの若造へ助けを求める気じゃぞ。それとも、おぬし(・・・)の思惑の内かね?」

『かも知れませんわね。ですが、貴方には関係のない事でありましょう。何故ならばその身は猛き武の神。ただ外敵を葬る剣なのですから』

 

 姿なき声は、祐理に暗躍を暴かれた神祖の少女。

 神君に対する忌憚なき言葉はともすれば「闘うだけの能無し」という罵倒にすら聞こえそうだが、張本人がその裏の意まで含めて肯定してしまう。

 

「で、あるな。じゃが神祖とか言ったかな、蛇に連なる金毛の女よ。おぬしもまた我の退治すべき獲物であるぞ?」

 

 武神でありながら仙人の端くれとして術にも長けた神君の霊眼は、幽世という場所の影響もあってかその正体を看破してみせる。

 わたあめのようにきめ細やかな黄金の髪と、両の瞳に宝玉の蒼を宿す人形の如き乙女。

 

『承知しておりますとも。ですから、こちらは矮小なる身を更に縮こませる他にございません』

「抜かしおってからに性悪め。(しか)らば固唾を飲んで待ち侘びるがよい。この猿猴神君……(いや)さ」

 

 笑うような声で嘯く神祖に悪態を吐く神君。

 その(たもと)から神力が湧き上がる。

 ひかりの持つ禍祓いの呪力が体内を駆け巡り、神の権能には劣る術のみを。猿猴神君に掛けられた封印の楔を緩めていく。

 

「血の道は父と母との血の道よ、血のみち留めよ、命も止まる血のみちの神──」

「……大聖様の復活をなッ!」

 

 ピシッ。

 石像の天頂に亀裂が生じた。

 卵の殻が割れようとしている。

 封じられた神格を取り戻し、まつろわぬ神が降臨しようとしていた。

 

 





なんだろう、グィネヴィアの声がCV種田で再生される。
具体的にはきよひーのイメージで脳内再生されてしまう。
でも地母神=ヤンデレという個人的解釈と時代錯誤なロリという共通点から、納得できなくもないような……皆さんはどう思います?


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12

 転移して来た祐理の姿に、護堂は何より羅濠教主へ警戒心のすべてを集中させた。

 先ほどあの女傑は、天女の如き相貌で処断すべしと告げたのだ。前回は彼女なりの理屈に則って有耶無耶にできたようだが、まさか戦闘の最中に割って入った少女を相手に、情状酌量の余地など考えはしないだろう。

 

「魔王と魔王が(しのぎ)を削る戦場に紛れ込むとは、恐れを知らぬ巫女ですね。か弱き少女の身で我らの決闘に割って入ったのです、主に殉死する覚悟は既に抱いているのでしょうね」

 

 この通り、放っておけばまず間違いなく殺されてしまう。

 すぐに対応できるよう敢えて自分から駆け寄ったりはせず、少女の方から傍に寄ってくるのを待ち構えた。思えばこの判断も、ウルスラグナの権能から齎された恩恵に基づくものかもしれない。

 自分に力を与えているのはゼウスの雷だが、その力に強さを裏付けてくれているのは黄金の剣だ。その黄金の光が進むべき道筋を照らしている。即ち、早々に撤退すべしと。

 

「――はっ、ぁ、草薙さんッ!」

「万里谷、そのままこっちへ!」

 

 逃げるが勝ちという言葉もあるのだ、生きていれば負けじゃない。

 幸いにして、逃走の段取りは整った。たった今、祐理が証明してくれたのだ。大掛かりな術などなくとも、幽世では容易く転移ができる。幽世であるが隔離されたこの空間。猿猴神君の封印の間を抜け出す出口は、この天叢雲――破魔の宝剣が作ってくれる。

 あとは、この絶世の武侠から逃げ(おお)せる隙を見つけるだけだが……。

 

(それが一番の難題だよなあ……)

 

 祐理がこの場に現れてから一瞬だって視線は逸らしていない。

 だが、それが余計に危機感を煽る。何故なら羅濠は、その瞬間からずっと、呪力を練り上げ続けているのだ。

 いつ爆発するとも知れぬ、指向性の核爆弾のようなものだ。ここまで祐理を殺す挙動を見せないのは、恐らく纏めて吹き飛ばすつもりなのだろう。護堂自身が持つ太陽の一撃を考えれば、果たして五体満足どころか骨も残るか疑問である。

 願わくば教主の繰り出す一撃が、そういう類の技でない事を信じるほかない。

 この一撃で敵を降すために。この一撃を何としても凌ぐために。互いに力を高め合い、ついにその時が訪れた。

 祐理が手の届く範囲にたどり着いた瞬間、不発弾が着火する。

 

「去年は戦う柔乾(そうけん)の源に。今年は戦う葱河(そうか)の道に。兵を洗う篠支(じょうし)海上の波。馬を放つ天山中の草。万里(ひさ)しく征戦し、三軍(ことごと)衰老(すいろう)す」

 

 それは美しい謡声(うたごえ)だった。

 しかしその透き通るような音韻が、周囲の全てを無情に荒らす。

 嵐のような、と形容するのは不適切だろう。彼女を中心に暴風が渦巻いているのではない。彼女を中心として、彼女から暴風が発生している。

 魔獣の咆哮より(たち)の悪い歌姫の美声。魔王の喉で奏でられる凛とした(うた)は、まるで遍く命を取るに足らないと吹き飛ばす魔風であった。

 咄嗟に祐理を抱き止めて庇ったが、それは失策であった。教主に向けた背が幾重もの衝撃波によって強打されていく。神殺しの骨格は鋼を上回る強度であるが、外郭が無事でも内部までは守りきれない。

 臓腑を傷つけられ、肺から空気を押し出される。満足に呼吸すらさせてもらえない暴力的な死の魔風に晒されて、それでも護堂は諦めてなどいない。彼なら言うだろう。半身が消し飛んだ程度で諦められるならば、そもそも神殺しなどしていないと。

 

「八雲立つ、出雲八重垣、妻籠(つまごみ)みに――八重垣作る、その八重垣をッ」

 

 ろくに息を吸うことも出来ない護堂が残り少ない空気を使って吐き出したのは、やはりというか力の篭った(まじな)いの(うた)

 古事記に記された須佐之男命の作品である。

 月頭に学校の図書室でパラパラと流し読みしたそれが自然と出てきたのは、後押しを受けていたからだろう。身の内に眠る神刀の支援を。

 

(ここ)に須佐之男命、国を取らんとて軍を起こし、小蝿(さばえ)なす一千の悪神を率す』

 

 護堂の口ずさんだ祝詞、主の紡いだ聖句に応え、神刀が破魔の権能を解き放つ。

 神君を封じるための箱庭を切り裂き、脱出するために温存しておいた力だったのだが、出し惜しんでは死ぬと確信した。ゆえに護堂は、教主の魔風諸共にこの空間を斬り裂くのだと決めたのである。

 しかし、そこに陥落があった。

 

「一千の剣を掘り立て、城郭として――ッ、うっ……」

「草薙さんッ!」

『王よッ!』

 

 溜め込んだ呪力を破魔の力として吐き出した事により、衝撃波の打撃は止んだものの体を支える体力が尽きかけていたのだ。

 よろめいた体を腕の中の祐理が抱きとめる。

 足枷になって庇われてしまったと自分を責める少女を、しかし彼女以外に責め立てる者はいない。少なくとも護堂は祐理に対して思うところはなかった。だが、少女は元来内罰的な性格をしている。

 自分のせいだと落ち込み、そんな暇はないと己を律して、そして思い起こすのだ。

 

 学校の廊下ですれ違い、突如として降りてきた霊視に肝を冷やした春先のこと。草薙護堂という人物を初めて見据えたのがあの時であった。放課後に彼の妹から話を聞いて気が動転し、慣れない全力疾走で筋肉痛に陥ったのも今となっては笑い事だろう。

 それから少し経って、イタリアでウルスラグナを討ち果たした護堂。新たな権能を手にし力を増した彼に怯え、しかし変わらぬ日常の姿に戸惑いを覚えていた時期。そんな時に伝わったヴォバン侯爵来日の報せは、祐理だけでなく日本呪術界全てを震撼させた。

 魔王来襲という急報に意を決して護堂へ接触した彼女は、そこで一人の少女と出会う。エリカ・ブランデッリ。イタリア魔術界では有名な騎士であり、そして草薙護堂に忠誠を捧げた者。人の身でありながら魔王と軽口を叩き合い、女神に張り合おうとすらしている少女を見て、言い知れぬざわめきを覚えた事実。

 再び渡欧してまたもや神殺しを成した護堂が、伴侶たる女神をイタリアに残して帰国した際には、昔馴染みの清秋院恵那が顔を出して来た。彼女は護堂とすぐさま意気投合し、それを遠巻きに見ているしかなかった悔恨。この時分には既に、護堂に対する(わだかま)りは解消されていた。

 思い出す。思い出す。思い起こして、憶いを起こす。思い返して、想いを返す。

 迷惑を掛けた。嫌な思いをさせた。お世話になった。仲良くなりたい。罪には罰を、(あやま)ちには謝罪を。情けには感謝を、恩には報いを。だが、対価は等価でなくてはならない。よしんば等価でなかったとしても、価値で劣るものなど失礼だろう。いや、だが待て。そもそも彼に報いるに値するものなど、自分は持ち合わせていただろうか?

 

「――――……そう、でしたね」

 

――ああ、思えばなんて馬鹿な事を考えていたのだろう。命を救われ窮地を助けられた。今だって身を呈して庇われ、足でまといとなっている。その上でまだ、妹の救助を嘆願しようとしているというのに、その代償に差し出せる物を、私は何も持っていない。私はただの人間で、アテナ様のように彼の隣に立てる訳じゃなく、エリカさんのように彼へ献上するものも無く、恵那さんのように気兼ねしない関係も築けず。だったらもう、この私を捧げるしかないではないか(・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 そうして少女は、自分に差し出せるものなど自分以外に持っていないのだと悟った(・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 しかし、なんだろう。

 この魔王(しょうねん)に我が身を差し出すというのは、考えてみると存外悪いことではない気がして。

 ならば他に選択肢はない。いや、あっても選ばないだろう。より良い選択肢など、他に存在している訳が無いのだ!

 

「草薙さん――護堂さん。受け取って下さらなくても構いません。万里谷祐理(わたし)をあなたに、差し上げます」

 

 そっと目を閉じ、静かに彼へ口付ける。

 彼の驚愕が唇を通して伝わったが、それも少女には微笑ましかった。どうやら自分は熱に浮かされているらしい。普段なら恥ずかしくって、布団を被って耳を塞ぎたいくらいだが、不思議と今はそうでもない。

 僅かながら感じる鉄の味は、もしかしたら彼の血の味だろうか。そう考えるとなんだかたまらなくなって、思わず舌で舐めとってしまう。すくい取ったそれをゴクンと取り込むと、体の内が彼で満たされるような錯覚を起こして。

 甘美な悦に入る少女は、自身の瞳が玻璃色に変化している事を知らない。

 

「護堂さん、治癒の術を吹き込みます。天叢雲の制御に集中してください」

「あっ、ああ……」

 

 目を瞬かせる護堂の表情が何とも初々しく、妻帯者でしょうにと心中で愛で(せめ)る。

 もう一度唇を合わせると、今度は彼も吸い付いて来た。それが嬉しくてこちらも返したくなったが、状況が状況なために断念。当初の予定通り治癒の術を体内に吹き込む。

 

「ありがとう、祐理」

「あ――いえ、こちらこそっ」

 

 名前で呼んで貰えた。

 それだけの事が飛び上がりたいほどに胸を満たす。

 

「行くぞ天叢雲。一千の剣を掘り立て、城郭として楯籠り給ふ」

『応! 是所謂、天叢雲剣なりッ!』

 

 支援を受けた神刀が輝き、軍神の威を宿す《鋼》の鉄剣が魔王の風を、封印の間を切り拓く。

 こうして若き魔王とその巫女は、羅濠教主の暴威から離脱したのだった。

 

 





万里谷さんが覚醒しました。
そろそろ祐理に「護堂さん」って呼ばせようか。くらいにしか思ってませんでしたが、なんか原作エリカ的な「愛人の貫禄」を身に付けたような(汗)

祐理が小悪魔になってしまったΣ(゚д゚lll)
でも妹が原作からして結構な小悪魔っぷりだし、素質はあるかもだよね(言い訳)
それもこれもきよひーが可愛すぎるせいなんだ!!



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13

 

(わぁあああああああああああああああ――――ッッ!!)

 

 心中で大絶叫しているのは、何を隠そう万里谷祐理その人である。

 彼女の脳内はいま数十分前の己を思い返し、恥知らずな過去の自分を盛大に責め立てている最中であった。

 

(馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿……私のっ、ばかぁ――ッ!)

 

 傍から見るまでもなく頬を真っ赤に染め上げ、合わせる顔もないとばかりに顔を手で覆い隠している。

 そんな彼女の様子を盗み見て、チラリと見えるりんごの様な色をしたうなじが色っぽい、などと考えている男が居ることを彼女は知らない。否、知ったとて知らずとて、祐理が羞恥で身悶えている事に変わりはないだろう。

 万里谷祐理は現在、恥ずかしすぎて死ぬかもしれないとまで考えていた。

 

(……いえ、むしろこのまま死んでしまいたいっ!)

 

 大胆で艶やかだった先ほどの祐理はもういない。妖しい色香を纏った姿は何処へやら。ここにいるのは普段と変わらぬ、純朴で臆病なただの少女であった。

 とは言えそれこそが少女の本来の姿なのであるが、あの時の彼女は熱に浮かされていた。

 ひかりを通した神祖との接触により、己の内に眠る血の因果が活性化していたというのも、その理由の一端であるのだろうが、少女はそれを知るよしもない。

 乱心中の媛巫女を一時的にであれ救う存在が、背後より声を投げかける。

 

「――そろそろオレの話を始めさせろや、ガキ共ォ」

 

 ヤクザ者を思わせる厳つい声音と、それに恥じない貫禄の男。それは以前、清秋院恵那の執り成しによって知己を得たスサノオ神に違いなかった。

 後ろから掛けられた声に祐理が振り向くと同時、スサノオから放たれた力によって少女はその姿を失う。

 代わりに床を転がったのは、なんの変哲もない竹の櫛ひとつであった。

 

「――祐理ッ」

「慌てんな坊主。この場を離れりゃ何事もなく元に戻るさ」

「なんのつもりでこんなッ!」

「神の御前って奴よ。神殺しであるお前さんならともかく、一介の巫女風情の前にそう安安と出られるほど、(オレ)の顔は安くねェのよ」

 

 睨み合う神と神殺し。尋常ならざるその場を納めたのもまた、人ならざる貴婦人であった。

 

「御老公、遊興に過ぎます!」

 

 声を張り上げたのは妙齢の女性。

 いつの間にそこにいたのだろうか。それは十二単を着込んだ目を張る様な美女であり、あまりに整いすぎた美貌がその正体を示唆している。女神の如き――神の美貌だ。

 

「どうか怒りをお鎮め下さい、羅刹の君よ。御身に仕える巫女への対応も、不躾ではありますが故あっての事なのです。わたくしの如き女の頭でありますが、これで平にご容赦下さいませ」

 

 玻璃の瞳を伏せて土下座の格好になる女性。

 流石にそこまでさせておいてまだ怒りに身を任せるほど恥知らずではない。護堂は渋々の事ではあったが、彼女を(おもんぱか)って腰を落ち着けた。

 

「改めてご挨拶申し上げます。わたくしは玻璃の媛と呼ばれている者。御身が既にお気づきでしょう通り、かつて女神として降臨した成れの果て、神祖と呼ばれる者でもあります」

 

――神祖ッ!

 護堂は、どこか納得と共に目を細めた。

 女神としての相を持ち、しかしまつろわぬ神には届かぬ、玉座を追われた姫君。神と相対した時の高揚感がないからもしかしたらと思ったが、この女性がそうなのか。

 しかし何だろう。亜麻色の髪に玻璃の瞳。きめ細かい象牙色の肌と彫りの深い可憐な美貌は日本人離れしているが、なにか言い知れぬ親近感のようなものも沸き上がってくる。

 その正体にたどり着く前に、姫君は次なる同僚を指した。

 

「こちらが御坊、御老公や同じくわたくしと志を同じくする方でもあります」

「我ら一同、御身と言葉を交わす日を心待ちにしておりました。以前老公に呼び出された時には、そんな暇もありませんでしたからな」

 

 言外に待ちぼうけを食らったのだと皮肉をこぼすのは黒衣の僧侶。

 神と神祖に並ぶだけあって、この僧とて只者ではない。端的に言って、木乃伊(ミイラ)である。僧侶であるから即身仏の類なのだろうか。乾ききった肌に削げ落ちた肉。生きているとはとても言えない有様だ。

 

「アンタたちは、何なんだ……?」

 

 志を同じく、我ら一同。

 この三者が何らかの目的を持って行動しているのは明白だろう。そしてそれは、順当に考えるなら前回にスサノオが話していた例の神。

 

「『最後の王』って奴に関係してるのか?」

「……そうさ、オレたちはあの小僧を起こさねぇように見張ってる老いぼれ集団よ」

「今は時として現世とも関わりを持ち、委員会の後見役などしている古狸ですな」

 

 そういえば祐理が言っていたなと思い出す。

 正史編纂委員会を監督する後見人、通称・古老。その正体が目の前の三人。まつろわぬ神を引退した老英雄神スサノオ、黒衣を纏った即身成仏、そして玻璃の瞳を持つ十二単の神祖なのだ。

 

「今回はなんで俺を呼んだんだよ」

「違う違う、お前さんが勝手にオレの前に現れただけだ。オレはなんもしてねぇよ。お前が咄嗟に思い浮かべたのがここだったのか、もしかしたらオレの剣が連れて来たのかもな」

「そうか、コイツがいたんだったな」

 

 護堂は右腕に目を落とす。

 英雄神スサノオに征服者としての属性を与える《鋼》の剣、天叢雲はスサノオの愛刀だったのだ。

 そも移動の際に要となったのが天叢雲であり、以前も幽世に訪れたのはこの場所だった。ならばこの神の前に現れたのは当然の結果だと言えよう。

 

「ったく、神殺しと来たら油断も隙もねェわな。ちゃっかりオレの(モン)を持って行きやがって」

「コイツが俺の所に来たのは俺のせいじゃないって。返して欲しいなら持って行けよ」

「いらねえ。つーより、ソイツはそんなことを望んじゃいねぇよ。天叢雲は古い《鋼》だからな、隠居したオレの所よりそっちの方が性にあってんだろう」

「……そういうもんなのか」

 

 サルバトーレやヴォバン侯爵のような戦闘狂という奴を、護堂はまるで理解できない。右腕に宿る神剣も似たようなものだと言われれば、なるほどそういう物なのかと納得するしかないのだ。

 

「まあ長い付き合いだった相棒だ、役に立つのは保証してやる。大事にしてやってくれや」

「さっきも助けられたばかりだからな。よろしくやっていくよ」

 

 一瞬だけ走った鼓動が、まるで新たな主へ返答しているかのようだった。

 

「申し訳ございませんが、羅刹の君よ。些か事態は切迫している様子ゆえ、談笑はここまでとして頂きたく存じます。どうぞご覧なさいませ」

 

 そう言って姫君が差し出したのは、中身がなみなみと溢れそうな水盆。

 なんの変哲もない水ではないか。と、疑念を抱いたのは一瞬。まばたきの後には、そこに映像が映し出されていた。要は術を用いた映写機とスクリーンなのだろうと理解し、故に映った光景に焦りを覚えた。

 

「あの猿っ、復活しようとしてるのか!?」

 

 猿猴神君が石になり、その天頂がひび割れている。

 祐理の逃走から不味い事態になっている事は察していたが、まさかまつろわぬ神に立ち戻ろうとしていたとは。それに、傍にいるひかりの様子もおかしいのが気掛かりだ。

 

「彼の猿王を封じる術が解かれようとしているのです。禍祓いの巫女を傀儡として枷を緩め、神格を取り戻したのちに『弼馬温(ひつばおん)』の術式を破壊する心算なのでしょう」

「傀儡……って、ひかりは操られてるんですか!?」

「はい。あなたさまとも縁が繋がった太子さまの臣、グィネヴィアと呼ばれる神祖によって」

 

 グィネヴィア、それが件の神祖の呼び名。

 縁が繋がったというのは言い得て妙だ。天叢雲を通じて縁が通じ、ひかりを操る事で因縁となった。そして次に映された光景をもって正確に、草薙護堂は神祖グィネヴィアを敵視した。

 

「アテナ――ッ!?」

 

 水盆の中では驚くことに、彼の妻たる女神がこの一件の元凶とも言える少女に向かい合っていたのだ。

 

 



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14 乙女の叫び

お久しぶりです。
なんだかんだでまたひと月も空いてしまいましたが、まだ生きてます。
今回はアテナ様の飯テロ(甘味テロ?)から始まり、途中でコロッとシリアスモードに切り替わる忙しい展開となっておりますが、ご容赦のほどを。

あと、感想を頂けたら嬉しいです。



 

 

 護堂一行が猿猴神君にお目通りすべく幽世へ旅立った後のこと。

 それを見送った彼の伴侶アテナは、甘粕冬馬や九法塚幹彦と共に西天宮で茶を啜っていた。

 離れにて座敷に正座するその姿は、ともすればただの行儀のいい旅行者風情にしか見えない。それほどまでに馴染んでいた。

 

「ずずっ……んくっ……ふわぁ」

 

 右掌で胴を包み左手を底に添える。口元に近付けた湯呑を傾け、啜り、味わい、飲み込み、一息つく。

 彼女が日本の文化を知ったのは護堂と来日してから、つまりまだ半年は過ぎていないはずなのだが、昔から続けていたかのような貫禄さえ醸し出しているではないか。

 秋も近付き肌寒くなってきた時分である。温かい煎茶を飲んでほっこりする女神がいてもおかしくないだろう。ないに違いない。隣に座る冬馬は微笑ましく思った。

 二人並んで茶を楽しんでいると、何やら気を利かせたのか、幹彦が茶菓子を持ち出してきたではないか。

 旧家の御曹司が女神に捧げる献上品である、その品質は語るまでもない。アテナは思わずにやけそうな頬を押しとどめ、素知らぬ顔で皿を受け取った。

 乗っていたのは栗羊羹(ようかん)。目を輝かせたアテナは素早く切り分け、内の一切れを口に運ぶ。

 最初に感じたのは、あまり甘くないな、という思いだった。

 高級菓子というからには大層な甘味を想像していたアテナだが、現実は少しばかり違っていた。甘いには甘いが、これならばカップケーキか何かの方がまだ甘い。だが、それで期待外れと断じるのは早かった。

 二度三度と咀嚼していくと、栗の旨味と餡の甘味が混じり合い、奥深い味わいに変わって行ったのだ。茶で口を整えつつ更に一切れ頬張ると、味の変遷に意識を傾けた。

 この味わいはやたらめったら甘いだけの砂糖菓子では出せないものだ。

 アテナはすっかり和菓子の虜になってしまった。

 あっという間に平らげてしまい、追加でやってきた分まで食べつくすと、ようやく落ち着いた様子で茶を飲み干した。

 

「――ご馳走様でした」

「お気に召されましたら、何よりで御座います」

「美味であった。非常に、美味であった」

 

 大事なことなので二度繰り返したようだ。

 その隣で慎ましく茶を啜り、女神に自分の菓子を献上した冬馬が立ち上がる。

 

「私までご伴侶に預かりまして、ありがとうございました。そろそろ皆さんの宿泊所を下見に行って来ますので、先に失礼させて頂きます」

「うむ、良しなに頼むぞ」

「仰せ付かりました」

 

 席を立った冬馬(シノビ)を見送り、新たに淹れた茶をふーふーと冷ますアテナ。

 それが底をついた頃に、ポツリと呟く。

 

「して、いつまでこうしているつもりだ――神祖(おんな)

 

 シンと静まり返った室内で、いるのはアテナと幹彦のみ。

 だが、この部屋にいるのは女性が二人だけだった。そう、つまりは。

 

「あら、いつから気付いていらっしゃったのかしら?」

 

 女神に向かい合うのは同じ年ごろに見える金毛の童女であった。

 齢と位を奪われた姿のアテナより、更に一つか二つは幼くも思える蒼眼の乙女。それは神の位階に留まるアテナより、もう一つ下の段階であることを示唆している。

 即ち、女王の位だけでなく神の位をも退いた者。

 グィネヴィアと名乗る神祖が彼女だ。

 

「抜かせ、隠し通すつもりもなかったであろうに。たとえ人の子は感付けずとも、妾を相手に幻惑の術程度では欺けぬ」

「でありましょうとも。お初にお目に掛かりますわ、アテナ様。このグィネヴィア、謹んでご挨拶申し上げます」

「あなたが先日、大地の子を呼び覚ましたという神祖めか」

「ええ。ですがあの子も、草薙さまの前に儚く散ってしまいました」

 

 悲しげに目を伏せる神祖。だがその仕草はどこか芝居めいており、アテナを前にしても余裕が伺える。

 

「ふん。あの男の端女(はしため)が妾に何用か……とは言え、話を聞いた時から薄々と悟ってはいたのだが」

 

 忌々し気に目を細める乙女は、目の前の童女への警戒を強めていた。

 その身から漏れ出る数多の神力と、それに宿る女神の怨嗟を認めたゆえに。

 

「竜蛇殺しの王者、忌々しき仇敵が鋼を研いでいるのか」

「当然ですわ。それこそが、あの方に仕える者の務めですもの」

 

 竜蛇殺しにして魔王殺しの鋼を。

 地母神たちが命を吸われた後に仕える、最強最大の王を復活させようとしている。

 太古より神祖たちが、魔女王が望んできた悲願。それを成就させるには、地母神たる女神たちを贄に捧げる必要があるのだ。そのために自分に近付いてきたのだろうと、目的の一つを看破したアテナは力を解放した。

 

「妾は冬を抱き、死を振りまく者なり! 刈り取り、奪い去る略奪の女王なり!」

 

 死の風が吹き荒れる。

 手にするは光を呑む死神の刃。吐き出すは冥府の神が吐息。精強なる戦乙女の降臨を、しかしグィネヴィアは笑みを浮かべて見届けた。

 

「さすがは名高きアテナ様。その闇に晒されては、グィネヴィアはひとたまりもありません。ただし――あなたが本領を発揮できるのであれば、の話ですけれど」

「…………なに?」

 

 眼光を鋭くするアテナを前に、神祖は笑う。

 幼い姿の、齢と位を剥奪された少女の女神を、グィネヴィアは嗤った。

 

「ねぇアテナ様。あなたが最後に戦ったのは、一体いつの事でしょうね?」

 

 鋭く冷たいサファイアの瞳がアテナを貫く。

 その視線を受けるアテナは無言のままで。しかしそれは、この場合では肯定の意味に捉えられ……事実、アテナは肯定していた。グィネヴィアに指摘された言外の真実を。

 それに気付いたのはいつ頃だったろうか。朧げながら把握して以来、護堂に悟られまいとひた隠しにしてきた秘密。

 

「『まつろわぬ神』の力は自我の強さと比例するもの。神の性を突き詰め、その属性を色濃くする事で存在を強固にする。で、あるならば……」

 

――男を寄せ付けぬ処女神にして闘争を誉れとする戦乙女。そういった性質を持つ女神アテナは、今の生活で神として強固だと言えるのか。

 

 グィネヴィアが言っているのはそういうこと。

 人に混ざり、人に溶け込み、そして人に馴染んでいた。アテナはそうして過ごしていた。女神たる彼女が(・・・・・・・)人界に馴染むことが出来ていた(・・・・・・・・・・・・・・)。それは、明らかな異常ではないだろうか。

 太陽の神が到来すれば、そこは灼熱の世界と化す。

 海の神が到来すれば、そこは津波に呑み込まれて海底に沈む。

 冥府の神が到来すれば、疫病の蔓延(まんえん)する死の(ちまた)になる。

 裁きの神が到来すれば、そこに住まう人々は大小さまざまな罪の報いを受ける。

 ただ通り過ぎるだけで、存在するだけで世界に影響を及ぼし、己が好む姿に造りかえてしまう(まが)つ神――それが『まつろわぬ神』なのだ。

 

――すなわち、今のアテナは『まつろわぬ神』の定義から逸脱しつつある。

 

 それを図星として肯定したアテナは、詰まるところその通り。今の彼女は、もはや神として脆弱な部類に成り下がっている。

 護堂の右腕に宿る天叢雲劍が、アテナの神気で目覚めなかったのもそのため。いくら戦闘行為に移る気がなかったといえど、地母神を前にして神刀が昂らなかったのは、彼女を敵と見做せなかった(・・・・・・・・・・・・)から。

 そもそも彼女が真にまつろわぬアテナとしての本領を発揮できるのなら、護堂と顔を合わせた瞬間に顕現していてもおかしくなかったのだから。

 

「今のあなたなら、このグィネヴィアでもそう不足はないでしょう」

 

 神の座を追われた神祖(おんな)は、未だ神の座にしがみつく女神(おんな)に笑みを零した。

 

「思い上がるな、とは言わぬよ。確かに、今の妾には『まつろわぬ神』たる資格がないのやも知れぬ。だが、貴様程度の端女に侮られて、奮起せぬほどに悟ってもいないのだ」

 

 それほど弱っていようと、神祖如きには負けないという自負と自信がある。

 確かに、この少女には得体の知れない余裕が見える。何らかの奥の手を隠し持っているのは明々白々。

 しかしアテナは蛇の本性を顕す気はない。

 グィネヴィアやアーシェラをはじめとする神祖たちが、時として地母神に立ち返り『まつろわぬ神』として降臨するように、彼女もまた童女の殻を脱ぎ捨てる事で同様の強化は可能なのだ。現世の穢れを落とし、か弱き乙女の殻を脱ぎ捨て、人格などという不純物を削ぎ落せば。

 しかしそれでも、だからこそ。アテナは暴虐な蛇の本性を顕さない。

 例えそれで負けたとて、闘争の末に死したとて、真に『まつろわぬ神』として返り咲く事は望まない。

 

――そんな事をしてしまえば、護堂との思い出が水泡に帰す。

 

(そのような無体、認められぬよ。この感情(おもい)は妾のもの。女神アテナの神格ではなく、今ここに在る妾だけのもの(・・・・・・・・・・・・)。命押しさにそれを捨て去るなど、もはや出来よう筈もない)

 

 などと、そんな事を思っている時点で神とは言えないのかも知れないが。

 それを後悔などしていないし、むしろ誇りとさえ思っているのだ。

 

――あの未熟で甘い神殺しに、最初に篭絡された女として。

 

 笑みを浮かべる。

 苛烈で鮮烈で強烈な、咲き誇るような笑みを浮かべる。

 草薙護堂の妻として、彼の隣に立つ者として誇るように。

 

「来い小娘、女神の威光を知らしめようぞ!」

 

 お馴染みとなった冥神の大鎌を手に、銀月の乙女が愛に吼えた。

 

 

 





うーん、シリアスへの動きが雑だったかなぁ。

めだか「貴様は誰だ」
安心院「あれ? なんでばれたん?」

みたいなアレを表現したかったのだが、ぐぬぬ。
あと、一昨日ノーパソ買い換えました。画面が綺麗すぎて感動。


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15 乙女の語らい

六巻が長引く長引く。まだ日光編の前編だというのに……
初めから読み返してみたら気になる点が多かったので、近いうちに修正に走るかもしれません。



 

 

 威勢のいい啖呵を切ったアテナは、西天宮の社を遥か下に置き去り上昇する。背には身の丈を優に超える両翼、猛禽のそれを背負っている。女神アテナはフクロウを象徴としている神ゆえ、フクロウの翼なのだろう。

 それを追うようにグィネヴィアもまた飛翔術を行使し、天へ舞い上がる。

 ただし彼女に追いすがろうという意思は薄く、あくまで緩やかな高度の上昇に留まっている。

 それもそのはず。いくらアテナの神威が衰えようと、神は神。地母神としての神格を失っている《神祖》とは、まるで違う格の差というものが存在している。

 故にグィネヴィアは戦神の相を持つアテナを相手に距離を詰める愚を犯さず、己の得手とする魔術戦の射程を保持しつづけているのだ。

 

「ふん、生意気な口を叩いて置きながら、戦場(いくさば)から一歩退いて俯瞰するか。その小賢しさはなるほど、今まで隠れ潜んでいただけのことはある」

「お許しくださいませ。グィネヴィアは我が主に仕える正統なる《神祖》、危険な真似をして命を失えば、転生には数世紀を要します。それだけ主の復活が遠のいて仕舞いかねないのですから、凶刃にわが身を差し出すような愚は控えさせて頂きます」

 

 薄く微笑むビスクドールの如き少女はその丁寧な口調と裏腹に、次々と魔術を組み上げていく。

 人間の魔術師ならば、数千人に一人の天才がその生涯を費やせば或いは届き得るかもしれない。そんな超常の領域にある術を、まるで片手間とでも表現すべき気安さで撃ち込むではないか。

 何故ならば、《神祖》とは名のとおり神を祖とする者。

 古の時代で神々の女王であった地母神らが零落し、神格を失った末に転生した姿を指す言葉。もはや神でないとはいえ、悠久の時を生きる彼女らは人類の遥か高みに座する存在なのだ。

 しかしその来歴故に、アテナはこの少女を強く敵視する。

 

「恥を知れ、かつての同胞よ! 我ら太母の(すえ)と、彼の竜蛇殺しの鋼は、神代の昔より不倶戴天の仇敵同士であるぞ。だというのにあの男の復活に我らの霊魂を捧ごうなど、よくもそこまで身を堕としたものよな!」

「畏れながら申し上げます。女神アテナよ、御身の仰せには誤りが御座います。神代の昔より、我ら大地の娘は《鋼》の英雄方に仕えるが運命(さだめ)。竜蛇となり、あの方々に牙を向けたこともありましょう。しかし、それもほんのひと時の夢に過ぎません」

 

 《神祖》は語る。

 女神と比べれば明らかに格の落ちる彼女だが、しかしグィネヴィアは胸を張り、毅然とアテナに物申した。

 

「我らは勇士に仕える『英雄の介添人(かいぞえにん)』なのです。御身にしてみても、オリュンポスの大神ゼウスに仕えた神話がございましょう。それに何より、今やその身は英雄(カンピオーネ)に降され、かの御仁に仕える乙女ではありませんか。御身のおっしゃりようには誤りがあると、どうぞお認めあそばしませ」

 

 可憐に微笑む少女の言葉に、しかし応えずアテナは迫る。

 襲い来る魔術を鎌で切り伏せ、刈り落とし。闇で呑み喰らい、邪視にて葬る。だが、一向に距離が縮まらない。何故か――。

 

「お優しいことですわね。草薙さまの帰り道を護っていらっしゃるのかしら」

 

 そう、アテナが手加減しているからだ。

 上空に飛び上がったのもそのため。西天宮には猿猴神君の御座す間との通路、その出入口が設置されていた。破壊されたところで中に影響などないかもしれないが、やはり懸念は捨てきれない。

 自分が上に行くことで、グィネヴィアの攻撃をすべて上空に向けさせることが狙いだった。

 無論、自分を放置してそちらに何かするという可能性も考え、意識を配ってもいた。だからこその接戦。

 

「好きに申すが良い。妾は妾の成すべき事がある、それだけのことだ」

 

 護堂に留守を任された。

 言ってしまえばそれだけのことだが、これは彼女のプライドの問題である。

 彼の留守中に祠が壊される。あるいは、アテナ自身が傷を負う。それがアテナにとっての敗北条件だ。彼女が勝手に決めただけだが、反故にするなど許せない。これは意地だ。

 しかし、だからと言ってこの硬直状態が悪いかと言われればそうでもない。時間を稼げば最終兵器(ごどう)が帰還してくるという大きな勝算があるし、何よりグィネヴィアの余裕綽々(しゃくしゃく)な態度が怪しくて仕方ない。

 下手に打って出るよりは隙を伺いつつ時間稼ぎし、倒せるようなら即座に動くべきだという方針。戦いの女神でもあっただけに、その辺の機微は的確だ。意固地になって勝負を捨てるような真似は決してしない。

 その辺りを察しているからこそ、グィネヴィアも余裕な態度を崩さないのかもしれないが。

 そして転機が訪れる。

 

「――っ! あらあら、よもやこの娘からわたくしに辿り着くとは。その霊視眼は侮っていましたね」

 

 《神祖》の意識が西天宮の祠に、その奥へ広がる封印の間に向けられた僅かな時間。

 その空隙を女神は見逃さなかった。

 

「冥神の与える死よ、我が刃に満ちよッ!」

 

 振り返ったグィネヴィアは死神の刃が己に迫り来るのを認め恐怖し――それが、騎士を呼び覚ました。

 

――キィィィィンッ!

 

 甲高い金属の衝突音が響く。

 降り降ろされた大鎌の凶刃は、横合いから差し込まれた槍によって払われていた。

 成し遂げたのは白き甲冑を身に纏った騎士。白馬に跨った清廉な姿と発せられる精強な気風からして、由緒ある《鋼》の軍神であることは明白だ。

 

「すまぬ、蛇の女神よ。その娘は余の愛し子である、刈り取らせる訳にはいかぬのだ」

 

 甲冑を通して聞こえた謝罪は、兜を取らずとも婦女子を魅了する偉丈夫の美声。

 素顔こそ見えぬまでも、絶世の美男子であることは想像に難くない。

 

「あなたは……」

「智慧の女神たる御身のことだ。その聖なる眼は余の名をも見通すやも知れぬが、礼儀として名乗ろう。余の名はランスロット・デュ・ラック。湖の騎士と人は言う」

 

 再び距離を取ったアテナを尻目に、グィネヴィアは弾む声で礼を述べた。

 

「小父様! グィネヴィアは小父様を信じておりました!」

「うむ、しかしこの難敵を相手によくぞ奮闘したものよ。いかな余とて、アテナを相手取って無事とはいかぬだろうに」

(たわ)けたことを。無事とは往くまいが敗北することはありえん、そのような口ぶりだぞ」

「戦場にて己が勝利を疑う戦士はおりますまい。貴女は強敵である、故に余も軍神の端くれとして高ぶるというものだ」

 

 白騎士の全身から発せられるのは微弱な火花。

 それは徐々に勢いを増していき、電流から雷鳴へと切り替わっていく。

 

「稲妻に騎馬とは、どちらも古くから剣と戦士を象徴する特徴よな。霧と雷鳴を呼ぶ最源流の《鋼》、あの男の家臣になったと風の噂に聞いていたが、あなたのことであったか!」

 

 文字通り横槍を入れられた形になるアテナだが、思わぬ強敵の登場に喜色の笑みを浮かべた。

 それを戦女神の度し難い(さが)と責められる者などどこにもいまい。彼女がアテナ神であるからには、欠かしてはならない要素の一つであるのだから。

 

「しかし軍神よ、あなたは些か安定に欠けるようだな。妾とはまた違う形であるが、同様に神として歪んでいる」

 

 それを証拠に、彼の騎士は《神祖》を護るようにして現れた。

 『まつろわぬ神』たる存在が郎党を組むというのがまずあり得ない。

 どこまでも奔放で何よりも自由でなければ、『まつろわぬ神』とは呼べない。だからこそアテナが変質している事をグィネヴィアも確信できたのであるし、同じくしてアテナもランスロットの異質さを悟った。

 

「流石に聡明であるな。いかにも、余は愛し子の剣として守護者の誓いを立てたのだ。ゆえに純正の神とは言えず、真なる意味でまつろっている訳ではない」

「あなた程の勇士が、そうまでして何故(なにゆえ)その娘御を庇い立てるか」

「さてな。余が守護者の呪法を受けて遥かな月日が流れた。もはや始まりが何であったのかはおぼろげだ」

 

――しかし、それでもこの身は未だ曇りなき《鋼》なれば。

 

「余もまた一振りの《鋼》として、今は貴女と鎬を削ることに没頭するのみ――ッ」

 

 騎士の形をした軍神は、槍を携えて悠然と構える。

 呼び名に相応しき湖のような静けさで、呼び名に反する厳かな雷鳴を響かせて。

 

 

 



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16 乙女の戦い

お久しぶりです|д゚)チラッ
あけましておめでとうございます(震え)



 戦いの火蓋を切ったのは白馬の騎士、ランスロットであった。

 何せ彼には時間がない。守護者の呪法を受けて変質している故に、その行動に大きな制限が掛かっているのだ。彼が何故グィネヴィアが危機に陥ってから現れたのか、その時にしか顕現できないからだ。

 そして現世に留まり力を振るえる時間も、決して長い時とは言えないもの。

 ならばこの戦を目一杯味わうべく、守護を誓った少女の事は頭の隅に追いやった。

 

「愛し子よ、そなたは己が成すべきことを成せ。余もまた同じく、己に任された役目をこなそう」

 

 それだけ言い捨てて、後は稲妻と共に騎馬を駆る。

 神の一部として在る白き駿馬は、質量を持った稲妻としてアテナに迫っていく。驚異の健脚を発揮しながらも機敏な立ち回りを失わない。けん制に放った猛禽たちをひらりひらりと優雅に、さりとて力強い体捌きで搔い潜っていく。

 背に馬上槍を携えた騎士、それも全身を覆う鎧付きという高重量を乗せているというのに、この騎士にしてこの馬ありと称するに躊躇いない素晴らしい龍馬だと言えるだろう。

 一直線に突き出したランスに自身の鎌を合わせ、払いのけるのが手一杯。返す刀と斬り返すも、獲物はするりと逃げ遂せてしまう。

 戦女神たるアテナをしてそうなのだ。凡百の英雄神格では太刀打ちできまい。その勇姿、その武勲。益々もって度し難い。なにゆえこれ程の英傑があの程度の娘に手を貸しているのだろうか。

 それも噂に聞く《鋼》への忠義だというなら、天晴れと讃えるべきか愚かしいと嘆くべきか。どちらであれ、目前の敵が強さに変わりはない。

 

「《鋼》に稲妻、戦場を駆ける闘神でありながら、数多の配下を従える覇者の軍神。なるほど相性が良いとは言えぬ。が、あなたのような英雄をこそ従えるのが、戦女神の権威というもの」

 

 闘神の性をあらわにしている守護者を見送り地上に舞い降りる《神祖》の少女。

 彼女を背景に落とし込み、二柱の戦神による武闘が始まる。

 

「――オオッ」

 

 騎士を乗せて白馬は駆ける。一息、二息、時を経て緩やかに、それでいて急激な加速を遂げていく。その速さにアテナの猛禽たちは引き離され、遂には追いつけないほどの速度になった。

 人の目にはもはや映るまい。神速の領域には至らぬものの、やはり騎馬という特徴ゆえだろうか、神の視点からしても容易には捉えられぬ俊敏さである。

 その速さでもって仕掛けられる白兵戦は、騎士の優位を見事に確立している。

 白馬を従えるランスロット自身も巧みな槍捌きを見せつけ、女神へ攻撃の手を緩めない。

 

「――フッ」

 

 対するアテナとてやられっぱなしという訳では決してない。

 童女の背丈で、長柄の突きという単調さ。鎌という武器の特異さも合わせ、アテナはランスロットの猛攻を尽く躱し続けている。右へ左へ細かく動き、隙を見ては刃を振るっているのだ。

 しかし、その反撃も芳しくない。

 なにせランスロットは全身を覆う鎧を身に着けている。《鋼》の闘神が白き鎧にくもりはなく。どこに打ち込んでも小手先の一手ではかすり傷しか付けられないのだ。鎧を通すならば葬るための一撃でなくば、大した傷にはならないだろう。

 

「硬い鎧よな。《鋼》の属性、戦場の不死の一端か。忌々しい兜を断ち割り、その顔を拝んでやりたいところなのだが」

「おお、血気盛んよな。余も本来であれば鎧を脱ぎ去りたい所存であるが、しかしそれは出来ぬ話なのだ。代わりと言っては不足かもしれぬが、我が雷を御覧に入れよう!」

 

――イィーッヒヒヒーン!!

 白馬が上げた盛大な(いなな)きと共に天が鳴く。

 バチバチと弾ける稲妻は誰あろう、騎士と騎馬から発せられた。

 天を覆う雲が次第に暗く、黒く変色し、やがては轟々と唸り出すのだ。

 

「余は稲妻とともにある《鋼》の刃! 天の叫びを聞くがいい、それを女神への手向けとしよう!」

「いや、埒が明かぬと大技に頼ったのは失策であったな騎士よ。あなたは空の飛び方がなっておらぬぞ。なにせ稲妻とは、天より吠えて地へ堕ちるもの。その本分は大地を駆け抜けることであろうからな」

 

 故に、空という領域においては夜を羽ばたくアテナの方が一枚上手だ。

 大粒の雨の如く降る落雷に打たれながら、一直線に向かってきたランスロット。雷の雨を掻い潜り、女神が位置取ったのは騎士の下。突撃を宙返りのようにするりと躱したアテナは、刃を手放し弓を取る。

 番えるはフクロウの矢羽、黒曜石の鏃。アテナを象徴したかのような拵えの矢だ。

 

「剣は効かぬ、槍は通さぬ、矢は届かぬ。戦場の不死たる《鋼》の鎧、なるほど堅牢。なるほど厄介。しかし鎧の守護はあくまで戦の傷を防ぐにすぎぬ。いかな英雄とて病に倒れ、寿命が尽きるは必定なり!」

 

 突撃を避けたことで頭上を素通りした騎士は、当然のように背後を取られた。

 騎馬の早駆けゆえに緩急自在とはいかず、方向転換も大きな軌道とならざるを得ない。無理に進路を変えた所で、それは隙を晒すのと同義である。

 なればこそアテナが飛び方がなっていないと言うのも道理であり、その一撃が的を射抜くのもまた道理。

 

「この一矢は矢にあって矢に非ず。これすなわち、冥界の女王が放つ死への誘い、死の具現である!」

 

 アテナが矢羽から指を離すと、黒曜石の鏃が甲冑の背を目掛けて飛翔する。

 鏃は死そのものであり、冥界の女王に従う忠実なる下僕。主の意向に従い、白き英雄を冥府へ誘わんとした。

 

「ぬっ! 流石は夜の女神。冥府の神力を受ければ、余もただでは済むまいな――であれば!」

 

 ランスロットの力が拡散していく。

 薄く、広く、その身体を霧へと変貌されていくではないか。死の鏃は確かに獲物に命中した。しかし、矢は霧に化身したランスロットを透過して地上に落下してしまった。

 

「そうか湖の騎士ッ、あなたは水の属性を持っているのだったな。それに由来する不死性という訳か」

「然り、余は霧に紛れる不死の加護を授かっているのだ。いやさ、こうまで追い詰められたのはどれほどぶりであろうか。女神アテナ、流石の武勇でいらっしゃる」

 

 ランスロット・デュ・ラック。

 そもそもこの呼び名こそが湖の騎士という意味を持つ名であり、アーサー王伝説に登場する息子の名、ガラハッドこそが彼の本名だったという説も存在している。

 彼がこう呼ばれたのは幼いころ湖の乙女に育てられたことに由来し、この乙女はダーム・デュ・ラック、湖の貴婦人という名でも呼ばれる。

 生母から引き離された赤子が水に関連する乙女に育てられるという逸話は、熱した鉄に水を掛ける様から分かるように、《鋼》の英雄としては珍しくない来歴だ。

 たとえばギリシア神話のアイネイアスなどは、同じように妖精ニンフに育てられている。

 霧に変じて攻撃を無効化する権能は、この出自に起因しているのだろう。

 しかし、権能で直撃を回避したということは、本人も言っていたように追い詰められた証。黒曜石の鏃は間違いなくランスロットにとって危険であったし、《鋼》の英雄たるからには逆に、アテナにとっても天敵であることは間違いない。

 互いに相手を打倒し得る攻撃を持っていることを再確認した両者は、更なる闘争の深みに埋没していく。

 場が更なる混沌に包まれるその瞬間まで。

 

 時は、少しばかり遡る。

 地上に降りたグィネヴィアはアテナから姿を隠し、ひとりの少女と合流していた。

 それは彼女がかつて力を分け与え、瀕死の状態から延命を施した竜蛇の乙女。ロサンゼルスに居を構える神殺しと戦った、アーシェラという名の《神祖》であった。

 

 「さあアーシェラ、あなたの出番がやって参りましたよ。その役目を果たして御覧なさい」

 「言いなりというのは気に食わんが、同胞の(よしみ)だ。力を分け与えられた借りは返すさ」

 

 天使の美貌で憎悪の面持ちを浮かべる少女、アーシェラ。

 ロサンゼルスにて竜蛇の封印を破ったことで神気を発する彼女は、内に蓄えた力を高め解放する。人の皮を捨て本性を顕し、登り竜の如き様相で天へと舞った。

 合わせてグィネヴィアもまた、力を行使する。

 西天宮の封印、神君の間へと繋がる通路に干渉していく。

 

『さあ馬小屋の番にも飽きたろう。猿よ、本能を思い出せ。妾はここにいるぞ。お前の敵手がここにいるぞ!』

 

 白銀の鱗を持つ長大な蛇の神性に惹かれ、祠の向こうで一柱の神が復活しようとしていた。

 

 




え、時系列がズレてる?
細かいことはいいんだよ(震え)

それはさて置き、書いてるときにFGOの六章を思い出してました。
ランスロットの戦いを頭の中で思い描くとき、参考にしたのはランサーアルトリアです。六章やっててカンピオーネ知ってれば、誰だって獅子王がランスロットにしか見えないはず。はずだよね? 宝具がランスロットの一気駆けに見えたの俺だけじゃないよね?


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ルートB
ルートB


初投稿ですよろしくおねがいします()


 

 

 それは或る夜のことだった。

 

 体調を崩して登校して来なかった級友の家に見舞いがてら授業内容のまとめを受け渡し、話し込んで帰りが遅くなってしまった帰路の最中。どうも家に急ぐ気にはなれず、夜空を漫然と見上げながら足を動かしていた。

 夜空と言っても満天の星空には程遠い。街灯、照明、文明の光によって星々の輝きはかき消され、闇夜というには薄ぼんやりと照らされて安っぽく感じる。現代人として生まれたからには電気のないひと昔前の生活に順応するのは厳しいと自覚するが、夜道を一人でいる事も手伝ってか感傷を覚えずにいられない。

 太古の人類は夜の闇を死の具現と謳ったが、文明の光によって闇を祓った人類は死を克服出来ていない。死の国は足元に眠っていないし、日蝕はただの影だし、この世に神などいなかった。

 などと、馬鹿げたことを考えているなと嘆息し、ふと立ち止まって視線を横に向ける。意味があった訳ではない。ほんの足休め程度の理由を止まった後で頭に過ぎる以上の何かがあった訳ではなかった。しかし、それが彼の運命を変えたのだ。

 運命という織物を(いた)め、破き、解いてしまう出会い。彼に苦難と災禍の道行を決定付けた邂逅。後に本人はこう語る。これを運命だと言うのなら、破綻するのは当然だったと。

 

「我が求むるはゴルゴネイオン――古の《蛇》よ、願わくばまつろわぬ女王の旅路を導き給え」

 

 闇というには些か明るすぎる夜の帳に誰とも知れぬ声が響いた。朗々と語るそれは鈴の音が如く美しい調べ。不思議と周囲に人影はなく、しかし確かにそれを聞いた。

 自動車の走行音も、民家の空調音も、木々のざわめきも、何も聞こえなくなっていた。耳が痛くなるほどに静かだった。

 

 草薙護堂は呆然と立ち尽くす。

 彼は、自分が立っていることさえも忘れそうになっていた。

 なぜならば、いたのだ。意識の隙間に入り込むように、いつの間にか。唐突に現れたようにも、最初からそこにいたようにも思える。少女が。

 

 それは月の光を溶かしたかのように透き通った銀糸の頭髪。夜の背景に浮かび上がる様は、それ自体が光を発しているような印象さえ受ける。風に煽られてその間から見え隠れする瞳は、宵の空をそのまま宿したかのような黒色で、されど見るものを引き付ける妖しい輝きがあった。

 白い薄衣を合わせたような民族衣装から伸びる手足のまた白いこと。純白の衣よりさらに白いような錯覚を受ける素肌は、触れれば壊れてしまいそうな儚さと、近付いても届かないような神聖さを両立していた。

 

 女神だ……。護堂はただそれだけを胸に思った。それほどまでに少女は美しく、そして美しかった。頭頂から四肢の先まで白銀色の御姿は、夜の闇をただその美貌を際立たせるためだけに存在させているかのようだった。

 闇に踊り、夜を統べる者。世界の創造主こそ少女であり、天上より降臨した女神であると説明されたなら、無条件にそれを信じたことだろう。

 

 そんな少女は護堂の存在に気付いていないかのように遠くを見つめている。事実として気付いていないと誰に言われるでもなく理解する。端的に言って住む世界が違い過ぎるのだ。雲の上から見下ろすような存在にしてみれば、地上を闊歩する人類など、顕微鏡で見る細菌程度の価値もあるまい。視線の先には何があるのだろう。少年にはまるで見当も付かず、そもそもそんな事を考える余地もなかった。ほんの一瞬の出来事だった。

 

 終ぞ少女は護堂に一瞥をくれる事さえなく、その神々しき存在を闇に溶け込ませていた。いつの間にか無音の聖域は崩れ、再びそこはただの夜道に戻っていた。夢でも見ていたのか、幻に過ぎなかったのか。地面にへたり込むことも出来ず、少年はただただ立ち尽くしていた。

 意識のないまま帰宅し、糸の切れた人形のように寝台に崩れ落ち、朝日に晒されてもなお、彼はその夜が忘れられなかった。

 それは畏敬を超え、崇拝を超え、信仰を超え――初恋と、そう呼ぶのだろう。

 

 

 

* * *

 

 

 

 フラウィウス円形闘技場。フラウィウス朝の皇帝が建設者であることからその名を冠する巨大建造物、イタリアの首都ローマを代表する観光地コロッセオの正式名称を知る者は多いと言えない。収容可能人数約五万人、現代で言えば日本の国立競技場の容量にも伍するという、時代を鑑みると呆れるやら感心するやらのトンデモ建築である。

 そんなコロッセオ内部。かつて数多の猛獣が、剣闘士たちが血と汗と涙を流したのだろう舞台。今は夕暮れに染まるそこに、夜の使者たる少女の姿はあった。

 

「我が求むるはゴルゴネイオン。古の《蛇》よ、願わくば闇と大地と天上の叡智を、再び我に授け給え」

 

 聖句に反応しメダルが震えだす。死の気配を漂わせたそれを、不作法に左手の五指が掴み取る。そのまま力づくで共鳴を抑え込み、懐にしまった男は軽快な笑みを浮かべていた。

 社交性に溢れているようにも能天気なだけにも見える金髪の好青年だ。

 ただしそれも、手に凶刃が光っていなければの話である。鈍い金属光沢を放つ両刃の西洋剣。刃渡りは八十センチほど、素人目にそれと分かるような装飾はなく、しかし妖しげな魅力を感じさせる。

 表情も出で立ちも、纏う空気でさえ朗らかなそれだというのに、右手だけがやけに物騒な男は笑顔のまま少女と向かい合っている。

 

「やっぱりコレを狙って来た神様なんだ。ってことは、名前はアンドレアの言ってたアテナでいいのかい?」

「然り。我が名はアテナ、古き女王である。妾もまた名を尋ねよう、この地を統べる神殺しよ」

「僕はサルバトーレ・ドニ。いやあ、こういう自己紹介って騎士の決闘みたいで盛り上がるよね!」

 

 言って、サルバトーレは剣を振り上げる――事はない。いや、実際には振り上げる動作があったのかもしれない。ただそれが、人間の認知できる領域から逸脱していたというだけで。

 速度が並外れていた、かもしれない。

 剣技が桁外れだった、そうかもしれない。

 物理法則が捻じ曲げられた、という事もあるかもしれない。

 ただ、そんな理屈など微塵も関係がなく、そういう物なのだ。と納得しておくしかない。

 事実としてあるのは、まったく動いていないように見えるサルバトーレの姿。そして自身の身の丈を超えるほど巨大な大鎌を手に、何かを振り払ったような体勢に変わっていた少女の姿だった。

 

「決闘の名乗りから間を置かずの牽制か。能天気な顔をしておきながら小賢しい男よ」

「僕らは神殺しって言っても人間だしね、そういう小技を忘れちゃいけないと思うんだ。それに、お互い様って奴でしょ?」

 

 軽口を黙殺し、少女の形をした女神は武器を構え直す。

 言われずとも理解していた。なにせ、足元から忍びよって諸共に裂かれた蛇は彼女の眷属なのだから。

 

「我が求むるはゴルゴネイオン。恐ろしき剣士、そして愚かしき神殺しよ。その忌まわしき(かいな)より女王の叡智を取り戻さん」

 

 アテナの名を冠す戦乙女は地を蹴った。

 武器たる大鎌はその刃を曇らせることなく闇に染めている。迎え撃つは神殺しの刃。見れば剣を握っていた右手が銀の輝きを纏い変色していた。女神はその慧眼で以て即座に看破する。神殺しが簒奪せし権能の痕跡、切断のみを追求した軍神の魔剣であると。

 翻ってアテナの刃もまた神の権能、闇と冥府の魔力を帯びたそれである。どちらも触れれば絶命、その程度は大前提。その前提を覆し得る物もまた、この領域に在るからには持っているのが大前提。

 故に究極、神と神殺しの闘争において勝敗を決定付けるのは意志力の強さ。

 自我の強い方、主張の強い方、執着の強い方が勝つという身も蓋もない結論が残る。

 ――そして此処に、度を越した自我の強さを持つ者がもう一柱(ひとり)

 

「我はあらゆる障碍を打ち破る者なれば――我に敗北を与えよ。我に大敵を与えよ。我に真の闘争を与えよ!」

 

 サルバトーレは気温の上昇に気付く。アテナは死の息吹が祓われている事に目を細める。

 天を見上げれば西に沈み行くそれとは真逆、東の空に第二の太陽が燦然と輝いている。いつしか夕焼け空は白く染まっていた。

 日輪を背に闘技場を見下ろすのはエキゾチックな少年だった。線の細い顔つきに漆黒の髪が揺れ、象牙色の肌は健康的な印象でありながら彫刻のような造形美を感じさせる。

 

 ――少年神は笑った。

 

 その日のローマは夜から明け方にかけて、突発的な強風と異常気象により建造物の倒壊や火災などが相次ぎ、観光地として有名なコロッセオは一部損壊のニュースが駆け巡った。

 草薙護堂が祖父の知人を訪ねてイタリアに入国する、数日前の出来事である。

 

 

 

 






お久しぶりです。
長らく読み専(で通じるのかな?)を続けておりましたが、この度また投稿させて頂きました。相変わらずの駄文のうえ、お恥ずかしながらストックも全くない冒頭部分だけという体たらくです。
もしも続きを楽しみにしていらっしゃる方などおりましたら、続きは三か月後とかです(震え)
それでも時々思い出してページを開き、感想など頂けたならばこれに勝る喜びは御座いません。いつまた途絶えるか分からないどころか、いつまた再開するかも分からない拙作ですが、皆様の心を潤す一助となれれば幸いです。



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B2

また長らく間が空きました。
細々とでも続けていきたいと思います。



 

 ――草薙護堂は、未だ神殺しにあらず。

 

 イタリアの南端、地中海に浮かぶリゾート島。それがサルデーニャ島である。島の面積は日本の四国と同程度だが、人口は三百万を超える四国と比べ僅か十五万前後で、その大半が最大都市のカリアリに集中しているという。そのため周辺の海や島の自然はほとんど手付かずで、リゾート地として大人気、という訳だ。

 これは全くの余談になるが、サルデーニャ島で使われている言語は公用語こそイタリア語だが、なんとサルデーニャ語という独自の言語が存在しているらしい。同じラテン語を起源とするものの決してイタリア語の方言・変種という訳ではなく、スペイン語やフェニキア語からの影響を受けた言語であるそうな。

 という枝葉の話はさておき、そんなサルデーニャの地に護堂は足を踏み入れていた。

 

 きっかけは祖父の元にとある品が届いたこと。

 概要としては、長方形の古びた石板である。両手足を鎖で縛られた人間。羽を広げた鳥。太陽。星。酷く稚拙な絵で、テレビで見る古代壁画を切り取ったらこんな感じだろうか、と思うような代物だ。全体的に摩耗し、所々に焦げ跡のような染みも見て取れる。

 一言で言い表すのならボロボロの骨董品。なのだが、この有り様でも不思議と頑丈らしかった。

 そんな石板は過去、二十名もの人命が失われた怪死事件のおり、祟りと恐れられたそれを鎮めたなどという曰く付きの代物らしく、元の持ち主に届けたいが郵便などで送る訳にもいかない。さりとて護堂の祖父本人が届けようにも、凡そ外に漏らす訳にもいかないやんごとなき事情のため叶わず。そうして孫の護堂にお鉢が回って来たので、中学の卒業式を終えてからの春休みを利用し、こうしてイタリアくんだりまでやって来たという事と次第。

 

 いま護堂が歩いているのは先の都市カリアリ。島の南に位置する港街で、紀元前八世紀頃のフェニキア人が街を築いたとされるほどに由緒ある古都だ。そんなところだから路地裏のカフェ(イタリアではパールというらしい)で食事を摂ったあと、地図を片手に街中を観光しているのである。そして。

 

 護堂がその少年と出会ったのは、海辺を歩いていた時だった。

 

「××××、××、××××××……××××××」

 

 聞きなれない言葉が耳をくすぐった。

 イタリア語でもなければサルデーニャ語でもない。護堂自身はそれらの言語を習得していないが、喋っている言語が同一か否かはイントネーションで判別できる。だからと言って英語でも中国語でもなく、もちろん日本語でもなかった。

 疑念を覚えつつも振り返れば、立っていたのは少年だった。

 否、立っていたのは()()()であった。薄汚れ、擦り切れ、生地の白さが分からなくなるほどの布切れを外套に、自然体で立っている少年。象牙色の肌も相まって砂漠の旅人を思わせる風貌だが、サラサラと風に揺れる黒髪は(つや)やかで、そして何よりも彼の顔立ちは美しかった。中世的な面持ちは線細くきめ(こま)やかで、世の彫刻家は彼の姿を後世に残すように励むべきだろうと。それほどまでの感動を覚えるほどだった。

 

「×××、××××××?」

 

 次いでかけられた声に、護堂はハッと我に返る。

 そうだ、話しかけられていたのだった。何をやっているのだと内心で(かぶり)を振って受け答えに意識を戻す。

 

「悪いな。あんたの言葉だけど、俺には全然わかんないや」

 

 相手の言語は分からないのでは仕方がないので日本語で言って、大げさに肩をすくめてみせる。

 たとえ言葉が通じなくても身振り手振りのボディランゲージで意思の疎通はできるものだと、護堂は幼少の頃からの海外旅行で知っていた。だから驚いたのは、この後。

 

「おお、そうか。すまぬことをした。ではおぬしの流儀に合わせるとしよう、これで通じるであろう?」

 

 思いっきり流暢な日本語だった。

 これには護堂も絶句する他にない。流石に予想もしていなかったし、出来たとしても驚いただろう。まさかこの風体(ふうてい)からこんな流暢な日本語が飛び出してくるなど。……少々時代がかってもいるようだが。

 ともあれ、少年は護堂の驚愕など気にも留めず、朗々と己の要件を口にする。

 

「なに、たいした用があったわけではないのじゃがな、おぬしの身体にまとわりつく妙な匂い――いや、妙な気配と言うべきかの。それがどうも気になっての、ひとつ声をかけてみたという訳なのじゃ」

「匂い、気配って言われてもな……もしかして幽霊とかそういう話か?」

「幽霊、死者の念か。うむ、そのような気もするし、些か見当違いのようにも思える。まあ思い当たる節がないというのであればよい。出会い頭に妙なことを訊いてしまったのう」

 

 全身で困惑を表現する護堂に対し、少年は朗らかな態度を崩さない。

 

「許せよ少年。悪気はなかったのじゃ」

「全然謝ってるように聞こえないぞ。おまけに少年って、見たところ似たような年だろうにさ」

 

 日本人は童顔に見られがちとは言え、少年のほうもそう変わらないように見える。

 護堂は人種の違いを鑑みて、むしろ自分の方が年上の可能性さえあるのではないかと疑っていた。そんな護堂に対し、少年はあっけからんと宣ってみせる。

 

「はて、我は何処(いずこ)にて生まれ幾年を経たものであったか、我自身にもとんと検討がつかぬな」

「え? じゃあ名前は? まさかそれさえ覚えていないっていうんじゃないよな?」

「うむ。それも覚えておらぬ。我が名、我が生地(せいち)、頭から等しく抜け落ちておる。なかなかに由々しき事態よな、困ったことじゃ」

 

 いくつかの質問の後、彼は自身の記憶喪失を白状した。それはもうあっさりと、あっけなく。口で言っておきながら困っているようには全然見えないが、相当な大事だろうと護堂は助力を申し出た。記憶を取り戻すまでは叶わなくとも、医療施設や公的機関まで案内し付きそうことは出来るからと。

 しかし少年は微笑のままで手を振り払う。心配は要らない。何故ならば、自分について最も重要な事を知っているからと。

 

「うむ、我は勝者じゃ。勝利こそ常に我が手中にあり、我を我たらしめる本質。あらゆる闘争、いかなる敵と対したとしても、我が勝利は変わらぬ。揺るがぬ」

 

 唇を僅かにほころばせた微笑のまま、少年はそんな言葉を口にした。

 あまりに当然の如く口走るので、護堂は素直に納得してしまいそうな自分がいる事を自覚する。

 

「ふふっ、(うたぐ)るようならばおぬし、少し遊んで行く気はあるか? 我とひと勝負してみようではないか」

 

 煽るでも試すでもなく、勝負と言う割に本当に遊びに誘うかのように軽やかな口調だった。

 何気なく発しただろうこの一言が、彼らの運命を決定的に歪めてしまう事になるとは、天の果てで興味深そうにこれを観察する女でも予想出来なかっただろう。

 それから彼らは多くを語り合った。

 

「傷を嘆くのはかまわぬが、恥じてはならぬぞ。戦士たる者が傷つくのは、世の道理じゃ。戦わぬものは傷つかぬ。それはおぬしの戦いの証でもあるのだ」

「ふふっ、そう不思議がるな。我は闘争と勝利の具現たる者。おぬしが戦いの果てに得た成果であれば、良きものも悪しきものもわかる。少年よ、傷つき、疲れた体でなお戦う者を戦士という。かつての武具を捨てるのは決断というものじゃが、そやつから逃げてはならぬぞ。それは戦士の行いにあらず」

 

 共に過ごした時間は短く、言葉にしてもすべてを尽くしたとはとても言い難い。

 それでも少年らは多くを語り、多くを感じ、多くを学んだ。短くはあるが、大きな時間だった。かけがえのない、大いなる意味を持つ時間だった。

 しかし悲しきかな、彼らの友誼は長く続かなかった。どれほど尊い出会いであろうと、だからこそ別れは無情にやってくる。人々はそれを乗り越えて生きていく。世界はそうして廻ってゆくのだ。

 

 

 

 

 



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