Fate/Meteor Un balance (暁刀魚)
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Prologue01

 男の人生は、果たして波乱に満ちたものであっただろうか。

 答えは否である。

 

 男の人生は、果たして平穏に彩られたものであっただろうか。

 これもまた、否である。

 

 そのどちらもが、生きた人間の魂を込めれば、素晴らしい物になることは間違いない。

 例えそうでなかったとしても、正面を向いて、それでも生ききれなかった者がいても、責めることはできないだろう。

 

 悔やむことは、できたとしても、だ。

 

 しからば、もしも、そうではなかったとしたら。

 ――男の人生は、如何にもつまらないものであっただろう。

 

 平穏は是である、波乱もまた是である。

 一代にして栄華を築いた傑物も。

 小さな商家の跡を継ぎ、次の代につないだだけの凡人も。

 どちらもまた是であろう。

 

 故に、そうではないとしたら。

 それはすなわち否である。

 

 男の人生は無関心によって彩られていた。

 単なる関心の無さで言えば、それは人間の性である、それもまた、是だ。

 

 しかし、それが極度の――狂人めいたものであればどうだろう。

 自身の願いのために、必死にあがき続ける少女を見ても、彼は何の関心も示さなかった。

 世界を破滅させようと、己の我を通す狂人を前にしても、彼は何の関心も示さなかった。

 

 ただ、それはそういうものなのだと、背を向けて。

 

 とはいえ、だからこそ、彼は貴重な狂人であった。

 たとえどんな相手にあっても中立に手を貸すのだ。

 親を亡くし、一人天涯孤独になった少女の後継をし、魔術を教えた。

 しかし、その少女の親が亡くなる原因を作った者の息子に対しても、彼は魔術を教えたのである。

 

 頼られれば、それに答えることを彼はしたし、頼らなければ、彼は一切の無関心を貫いた。

 ――それは、彼があくまで、そのことに何の興味も抱かなかったからだ。

 

 ――男の本質にあったものはなんであろう。

 それに触れるものはいなかった。

 その方が都合が良かったから、そして何より、あまりに狂った彼の本質に、踏み込むことをためらったから。

 

 それは、聖杯戦争の元を作り上げた正規の大魔術師であっても、

 聖杯戦争を引き起こした狂おしき魔術師であっても、同様だった。

 

 結論、男は狂人である。

 故に誰も彼の本心に触れることはなく、しかしそれでも彼は破綻しなかった。

 

 

 ――ある日、一人の少女が、彼の元を訪れるまでは。

 

 

 ♪

 

 

「――抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ!」

 

 

 男は、時計塔にて講師を努める魔術師である。

 さして名の知れた男ではないが、ほどほどの名門の後継者。

 未だ父が健在であり、その地位はさほど高いものではないが、実力は認められ、それなりの権威を誇っている。

 

 そんな彼は、ある地において開催された聖杯戦争に参加した。

 理由は単純、その手に令呪が浮かんだからだ。

 

 彼は、そして彼の周囲は、この幸運を多いに喜んだ。

 何せ聖杯戦争は魔術師の世界の注目の的だ。

 一年前、その元となった聖杯戦争には、外来の魔術師が踏み入ることは叶わなかった。

 一人、時計塔の魔術師に令呪が浮かんだそうだが、その魔術師は戦争中に死亡した上、周囲との繋がりも薄く、情報はほとんど存在しない。

 

 現在、世界中で聖杯戦争の模倣をする試みが成されている。

 それを妨害する層もいる上、聖杯戦争については、分かっていないことも多い。

 故にこれまで、聖杯戦争が“実際に”開催されることは無かったのだが、

 

 ついにこの度、本物に近いレベルの規模の聖杯戦争が、日本のある都市にて行われる事となったのだ。

 喜び勇んで令呪が浮かんだ魔術師は、それに参加することとした。

 

 触媒は日本の大英雄の物を使用することとした。

 これは男の一族が日本と多少つながりがあったこと、また、最大限の知名度補正を期待して、だ。

 

 

「――問おう、お前が僕のマスターか?」

 

 

 現れたのは、甲冑に身を包んだ一人の男。

 二十かそこらの美丈夫、鎧越しにも解る武の練度は何より、その容貌は、ある種の符号を共通していた。

 

 それは苟且、つまり儚さである。

 男の目、男の顔立ち、全てに憂いが感じられる。

 まるで世界全てをのろおうとして、しかしそれが叶わなかったかのような。

 

 そんな、筆舌しがたい徒爾の感覚。

 日本でそう――これはたしか、

 

(シミジミリィ……しみじみ、といったか。侘び寂び、でもあっていたかな)

 

 多少なりとも日本文化に詳しい男は、そのあまりに“日本人好み”な感情を、そう評する。

 

「あぁそうだ」

 

 それでも決して間断なく、男は答えた。

 サーヴァントは如何な過去を秘めていようが、それは男の知るところではない。

 当然だ、男は魔術師――サーヴァントはその使い魔である。

 

「こちらからも確認させて頂く。君のクラスはライダー、真名は――――で、あっているかな?」

 

「……如何にも、僕が都に巣食う盛者を滅ぼし、その最期を見届けた男だよ」

 

 魔術師が、身長かつ聡明であったのはせめてもの救いであろう。

 彼は理解していたのだ、目の前のサーヴァント――ライダーが、過去、日本において名を馳せた男であることを。

 

 そして、その人生に、それ相応の挟持を有していることを。

 

「召喚に応じ、大変喜ばしい、俺はこれより聖杯の入手を目指す、その目的は聖杯そのものであり、戦争への勝利だ。……君の願いは?」

 

「――回顧、と呼ぶべきかな。もしもあの時、僕が兄さんの逆鱗に触れていなければ――その“もしも”を知りたい。叶うことならば、過去へ直接探求に向かいたいが、それは少し我儘かもしれないな」

 

 ――ライダーは、実に謙虚に答えた。

 彼はあくまで、総大将である兄に従い、闘いぬき、しかしそれゆえに兄の嫉妬を買った。

 それが嫉妬出会ったかはともかく、兄に疎まれ、最期は彼にとっての恩人にも裏切られ――非業の最期を遂げた英霊。

 

 如何にも日本人好みな彼の有り様は、また彼も日本人らしい日本人、ということだろう。

 

「謙虚だな。……だが、それは美徳ではあるが、同時に君の本心を隠してしまう。敢えてこちらは不躾に申すが、できることなら君の願いは過去への回顧のみとしていただきたい。俺にも叶えたい願いがあり、それは相応に重いものだ」

 

 魔術師は、はたしてその逆を行く。

 あくまで自身の意思を全て晒した。

 それは果たして、美しくないといえるだろうか。

 否、実に否である。

 

 ライダーが謙虚を美徳とするのなら、マスターである男はそれに踏み込むことを是とする。

 どちらの言葉も、偽りでないことを証明するために。

 

 それは何とも、豪放といえるのではないか。

 言葉足らずは人と人の相違を招く、それではダメだ、全くダメだ。

 

「……言いたいことがあるならば、態度ではなく口にしたまえ。これは令呪を使用しない、あくまで依頼の類なのだが――隠し事は無しにしよう。互いの意思は明白に、それをここで確約してほしい」

 

 ――それは、ある種の布石である。

 男は知っている、ライダーが如何に型破りであるか。

 定石崩し、どころか、その時代においては禁忌であったことすら容易に踏み抜く彼は、実に優秀である。

 しかし、もしもそれが男のあずかり知らぬ所で行われれば、余計な恨みを買うことになりかねない。

 

 男に敵を作る意思はないのである。

 特に、この街のセカンドオーナーと直接ことを構え、敵対しあうつもりはない。

 サーヴァント同士の激突であるならともかく、魂食いなど持っての他だ。

 多少ならば見逃されるとはいえ、セカンドオーナーをそれは見過ごせない。

 あまりに不義理というものだ。

 

 ――そして、このライダーは、その不義理によって殺された英霊。

 

「……解った。確約しよう」

 

 ――絶対にこちらの意図をくみ取り、乗って来る。

 魔術師はそう確信していた。

 

 かくして、ライダー陣営は行動を開始する。

 

 魔術師は実に正統派な魔術師であり、またその才能も豊かである。

 ライダーの運用に困らないだけの魔力を有しており、更にはそのライダーも、日本を代表する格を持つ英霊である。

 

 実に正統派、実にスタンダードな組み合わせである。

 

 ――ただひとつ付け加えるとすれば、この魔術師、ある一つの願いを抱えている。

 それは決して、自身の一族を助けるものではない。

 

 彼が個人的に抱く、あくまで俗な願いであるのだ。

 

 

 ――彼がかつて愛した女性の、蘇生である。

 

 

 ♪

 

 

 一人、暗闇にて横たわる者がいる。

 その者は、影に生きる男であった。

 

 敢えて全てを語るとすれば、男はかつてある山の中で暮らす混血の一族の一人であった。

 何をと思うやも知れぬが、別に珍しいことではない。

 

 いわゆるオーソドックスな吸血種の一族であった男は、しかし現在山を降り、こうして街の影に身をひそめている。

 

 無理もない、男の一族は、数年前に彼を残して全滅したのだ。

 全滅、文字通り、彼以外の混血は、この世を去った。

 原因は一族内での内紛と、それにより引き起こされたある混血の暴走だ。

 

 “彼女”は男の妹であった。

 男と妹は、一族の中ではさほど力のある地位にはいなかった。

 いても何ともなりはしないが、いないと困る賑やかし。

 身も蓋もない言い方をしてしまえば、そうなるだろう。

 

 ただ、不幸であったのは、偶然少女が、兄妹の属する派閥のトップに目をつけられてしまったことだろう。

 目的は、単なる実験の類であった。

 ある外界の術法を、その派閥のトップは試そうとしたのだ。

 単なる手慰み程度の物だったのだろう。

 成功すれば、使い減りのする代わりに強力な戦力が手に入る、その程度のこと。

 ――故にか、それはあまりに適当が過ぎるものだった。

 

 失敗の原因はなんであろう。

 あまりに杜撰な術式か、はたまたそれを妨害しようとした横槍か。

 それとも、味見と称して行った想像も絶する事柄か。

 

 何にせよ彼女に対する術式は、失敗どころか暴走という結果となる。

 それは歴史だけはながく、井の中の蛙であった混血達を悠々となぎ払うには十分だった。

 数時間のうちに一族を壊滅させた男の妹は、最期に男の元へたどり着く。

 

 だが、彼女はその数時間の暴走による負荷が襲いかかっていた。

 また本人が世界に対して多大な絶望を抱いていたことから、彼女は男の元へたどり着くと同時、力尽きる。

 その最期は、男の記憶の中にあって今なおこびりつく、壮絶としか言いようもないものだった。

 

 やがて男は絶望に陥りながらも山を下り、現代にて生活を始める。

 幸運だったことは、どことも知れぬ男を拾い上げ、働かせてくれる主人の存在であったか。

 ――しかし、不幸であったのは、男が魔の側面へと“反転”してしまったことか。

 

 元より危うい均衡であった男は、何時魔へと転がり落ちてもおかしくはなかった。

 しかし、それが更に不幸を呼んだのは、反転したその日が、男がある地にて拾い上げられてちょうど一年だった、ということか。

 自身が“反転”してしまったことにも気が付かず、屋敷へとたどり着いた男を待ち受けていたのは――

 

 ――無数の退魔師による拘束であった。

 男を拾い上げたのは、男の一族を監視する退魔師の家系であった。

 目的は単純、監視である。

 一族が全滅し、唯一の生き残りであった男は、その存在を危ぶまれていたのだ。

 そしてその危険が現実のものとなった。

 

 反転が不幸であれば――同時に、一年の記念であったはずの宴が、反転した混血への対処に変わったこともまた、不幸であれば――

 

 ――真実、目を背けるべき不幸は、“男を監視していた退魔師達”が、真実男を気遣っていたことだ。

 

 悲劇により大切な人を喪った男。

 それに対する同情と、元来お人好しであった退魔師達。

 今にも泣き出しそうになりながら何とか術を行使しようとしていた当主である少女の顔は、男に自身の妹を被らせた。

 

 小我に呑まれ、力を振るい、男はその場を脱出。

 少女の手を血には染めさせまいと、彼は死に場所を求めた。

 

 そして辿り着いたのが、この場所だ。

 ――この街は、何やら騒がしい。

 何かが起こるようだが、その何かを男はしらない。

 ただ、その“何か”に押しつぶされようとしているだけだ。

 

 ――どうか頼む。

 俺を、殺してくれ。

 

 

「――――■■■■■」

 

 

 それに、答える声がひとつ。

 ――それは、正確には声でなかった。

 気がつけば、男の隣に、弱い十と少しかという少女がいたのだ。

 

 着物姿の少女である。

 ――想起するのは、かつて自身の目の前で力尽きた妹か。

 

 黒髪に、彼女は一本の角を有していた。

 ――鬼。

 それも男のような混ざりモノではなく、本物の――純血の鬼。

 

 その姿は、あまりに黒が映えていた。

 着物は、元は純白出会ったはずだろうに、赤黒い何かに染められ、今はほぼ黒に近いものとなっている。

 裾のまだら模様が、それを教えていた。

 

 そして何より黒髪だ。

 美しい髪を高級糸に例えることは常であるが、それはもはやその類を逸している。

 水、とでも評するべきか。

 それも汚物にまみれたものではなく、純粋に山から湧き出た、清涼かつ清潔な水である。

 

 理性を喪った男の感覚においても、それは“美”であることが知れた。

 死を求めているはずなのに、それに触れてみたい、それを手にしてみたいと、柄にもなく思ってしまったのである。

 

 とはいえ、男の小我はそこにはない。

 自制によってそれを治めると、男は少女へ向けて声をかける。

 

「――あんた、なにもんだ?」

 

 しかし、問いに答えることはない。

 ――少女は狂っていた。

 それは男のような単純なものではなく、文字通り、狂気に満ちていたのである。

 

 それも、狂うことを知っている男には、それが“二つ”あるように見えた。

 さながら左右の瞳がそれぞれ別の色を宿すかのように。

 全く別の狂気が、その“鬼”には宿っているのである。

 

「―――――――」

 

 また、少女は男に背を向けた。

 決して言葉を向けること無く。

 ――否、そも、存在すら彼女は認識せず、その場から掻き消えたのだ。

 

「……?」

 

 困惑のまま、その場に男は取り残される。

 どう反応すればよいものか、それすら解らずその場に佇んでいると――ふと、足元が水浸しになっていることに気がついた。

 

 先ほどまで、男はその場にうずくまっていた。

 最悪、服がそのまま使い物にならなくなっていた可能性もある。

 だが――そんなことは一切なく、男が座り込んでいた間、水など存在しなかったのである。

 

 ――水。

 男が血を引く混血の元となったのは、水神にして荒神。

 信州戸隠は、九頭竜の化身である。

 水を操ることは、男にとってさほど難しいことではなく――故にか。

 

 あの少女には、何か縁を感じてならない。

 ――恐らく、周囲を水浸しにしたのはあの少女の力によるものだ。

 

 何せ、彼女は鬼である。

 その程度のことは為せるだろう。

 マタ何より、彼の直感が告げていた。

 この水があの少女によるものである、と。

 

 

 ――かくして、男は意図せずサーヴァントの召喚に成功する。

 あの少女――二つの狂気を宿すは、“バーサーカー”である。

 

 水神九頭竜の化身にして、鬼であるバーサーカー。

 

 彼女が戦争にもたらすのは大いなる混沌であろう。

 また、死に場所を求める男も、自身がマスターであるという自覚を持つこと無く、戦争に参加することとなる。

 

 マスターとサーヴァント。

 その関係から逸脱した“イレギュラー”たる主従は、果たして戦争に、如何なる混迷をもたらすか――――




・ライダー、日本の非常にポピュラーな大英霊。
・バーサーカー、こちらも非常にポピュラーな日本の妖怪。

答え合わせは全プロローグが出揃った後で、まとめて行います。


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Prologue02

「――では、よい聖杯戦争を」

 

 深々とお辞儀をし、一人の魔術師が邸宅を去っていった。

 魔術師は外来からの魔術師、此度の聖杯戦争の参加者である。

 

「あぁ、健闘を祈っているよ」

 

 それを見送る、初老程度の男性が一人。

 彼もまた、魔術師である。

 この土地のセカンドオーナーを務め、彼もまた、聖杯戦争に関わる者の一人であった。

 恰幅のよく、身なりも整っていることから、それ相応の家柄を有することが解る。

 

 しかし、男はその醜悪な顔を歪め、如何にも侮蔑の混じった顔で毒づく。

 

「……まったく、才を鼻にかけた若造だ。所作の全てに無礼が染みている。それも全く意識すらしていないのだろうな」

 

 男は踵を返し、邸宅の中を歩きながら、先ほどの青年を想起する。

 

 魔術師の元を訪れた青年は若くして時計塔で名を馳せる秀才魔術師である。

 かの“魔法使い一歩手前”とされた魔術師には及ばずとも、現代においては名のある魔術師の一人である。

 

 ――男からしてみれば、それは面白く無い。

 実に面白く無いのだ、これが。

 

 とりわけ、男には魔術師としての才能がなかった。

 別に魔術刻印に限界が来ているわけでもない、ただ単純に、“たまたま”彼は才能を有さなかったのだ。

 一種の個人差である。

 

 とはいえ、本家長子ということもあってか、彼は家督を継ぎ、セカンドオーナーの地位に付いている。

 しかし、この地に大きな霊脈は無く、たまたまここ数年は魔力も潤沢であるが、それだけだ。

 日本の辺鄙な一都市のセカンドオーナーにしかなれなかった男は、自身以上の才を持つ者に非常に大きな劣等感を抱くのである。

 

「何が、魂食いは許せない、だ。そんなもの、放っておけばいい。最悪、問題に見た偽善者《バカ》が勝手に何とかするだろう。討伐の際には礼装でも渡せばいいのか? 勝手に持っていけ、それで恩が返せるならな」

 

 ――まったくもって恩着せがましい、と男は憤慨する。

 青年は魔術師として実にまっとうであった。

 また、実に謙虚であり、自分の立場を鼻にかけることもしない。

 それが、とにかく男の癪に障る。

 

「あのような男が、こちらに対して敵意がないといった所で信用できるものか。ふん、まぁ、今この場で切りかからなかったことくらいは褒めてやろう」

 

 男はセカンドオーナーである。

 少なくとも、霊脈の最も大きい場所を陣取っているのだ。

 これに踏み込もうという者はいないだろう。

 

 ――さて、と男は歩行の速度を上げた。

 目指す場所に迷いはない。

 この家の一室、使用人が暮らす離れに近い場所だ。

 とはいえ、その使用人達は聖杯戦争開始直前であるために、今は邸宅を離れているのだが。

 別に親切心ではない、誘拐され、この邸宅の情報を抜かれることを防ぐためだ。

 

 かくして、そこにたどり着く。

 そこは他の一室よりも、幾分装飾が豪奢であった。

 元々この邸宅は男の商才――男は魔術師としての才能が壊滅的である代わりに、類まれなる商才に恵まれた――による財故か、言ってしまえば成金趣味の調度品が多い。

 

 そこはその頂点と言ってよいほどの過多な華美が施されている。

 それもこれも、この場所は“商談”にも使われるためだ。

 

 男は何の了解も得ること無く、その場に立ち入る。

 中に人の気配があるが、それは男の既知たるところだ、気にすることはない。

 

 ――中では、一人の少女が待ち受けていた。

 とにかく派手な部屋の修飾の中でも、ひときわ豪華な天蓋付きのベッドに、まるで人形のように腰掛けている。

 

 年齢は十二かそこら。

 顔立ちは日本人のものだが、髪はシルバーブロンドである。

 異様なほど丁寧に手入れされたそれは、人を吸い寄せるかのように、妖しく光る。

 

 微動だにせず、中に入ってきた男を見とめると、

 

「――いかがいたしましたか」

 

 と、あまりに機械的で抑揚のない声で問いかける。

 ――その瞳に、光はなかった。

 

 男はわざとらしく、ふんと鼻を鳴らし侮蔑の視線を向ける。

 

「鼻につく娘だ。不快だな、今すぐ湯を浴びてこい」

 

「かしこまりました」

 

「くれぐれも本邸の風呂を使うな、離の使用人用の物を使うのだ。貴様のような娘の入った風呂など反吐が出る」

 

「かしこまりました」

 

 言われてすぐに、少女は立ち上がり、パタパタと出入口へ急ぐ。

 歩いてなどはいられない、どんな叱責が飛ぶかわかったものではないのだ。

 ――少なくとも、少女が唯一人間らしい所作をするとすれば、それだろう。

 

 それが表情ともなれば、もっとそれらしいタイミングがあるのだが。

 今は凍りついたような無表情である。

 下手な笑みで媚を売るよりも、その方が滑稽であると、男は考えている。

 

「失礼致します」

 

 そう告げると、少女はその場を退出した。

 

 周囲に気配はなく、静寂が部屋の内へ満ちる。

 

「……クク、クク」

 

 男は先程の少女の姿を思い出し、実に愉悦に満ちた笑みを浮かべる。

 

「あぁ、愉快、愉快極まりない。あの娘の表情、私の言葉に何一つの反抗もない。――あれは、実に“いい”」

 

 男の言葉は、下卑に満ちたものである。

 ――しかし同時に、それ以外の意味をも持つ。

 もはやそれは、男が女に向けるような、一種の劣情とも言え――――

 

 

「……“主人”、少しよろしいか」

 

 

 そこに、一人の女性が煙のない所から現れる。

 気配は感じられなかった。

 ――無理もない、男は気分を害されたとばかりに女性へ向けて視線を向ける。

 

「――何用だ、“アサシン”」

 

 女性――彼女はアサシンである。

 簡素ではあるが、しっかりとした生地のドレス。

 恐らくは、西欧の出であろうサーヴァント。

 無論、男はその真名を把握しているが、ともかく。

 

「何用、などと、とぼけたことを言いなさる」

 

 芝居がかった、独特な口調でアサシンは言う。

 ――実に癪に障る。

 聞き用によっては、それは聞くものを惹きつける話術の撓ものであることが知れるだろう。

 しかし、男からしてみれば、そのような理知的な言論は、実に妬ましいものである。

 男もまた、天才的な商才を有する身である。

 とはいえ、それは例えば機運の見極めだとか、駆け引きの巧みさによるものだ。

 

 彼に、アサシンのような人を惹きつけるカリスマに近い話術は存在しない。

 

「“マスター”に対する外道――それすら劣る畜生の如き所業。見逃すにはあまりに下劣が過ぎる」

 

「ふん、アレは私のモノだ。どうした所で貴様の関与するところではあるまい」

 

 ――アサシンが活躍した時代、愛人や娼婦といった類は、今以上に当然の存在であったはずだ。

 それ自体は、別にアサシンも否定はしない。

 

「あぁそうだろうとも。“主人”は豪商の類だ、女を囲うのもさしておかしな話ではないだろう。使用人に手を出した程度ならば、私も知る所ではない、だがな――“マスター”は」

 

 ――アサシンは、あの少女を“マスター”と呼ぶ。

 対して、男へは“主人”という呼称を使う。

 

 従者アサシンの契約上の主人はあの少女なのだ。

 ――“主人”という男への呼び方は、言ってしまえば契約者の上司であるから、そういった呼び方をしているのである。

 

 アサシンは続ける。

 男はそれを、実に楽しそうに聞いていた。

 

 

「――マスターは、貴方の“娘”なのだぞ」

 

 

 男、実に外道である。

 それは彼の感性にも言えるが、何よりもそれが決定的かつ邪悪であるのは、この点だ。

 

 男には娘がいる。

 正式な娘ではない、海外のある女性を“乱暴”した際に、偶然生まれたというだけだ。

 それを男は引取――魔術師としての才能をこの少女に見出した。

 

 その胸中は非常に複雑である。

 少女は、男が“飼う”ために連れてきたのだ。

 ついでに魔術刻印を引き継がせ、更に次の代につなげる、そのための道具という認識であった。

 

 しかし、少女は実に優秀であったのだ。

 魔力回路の本数は実に数百に及び、その質もトップクラスである。

 これを愉快に思えるほど、男は悪党ではなかった。

 男は少女を“人形”に変えることにした。

 

 そしてその“味”は、実に極上であった。

 自身の手の中で賞味されるそれは、男に至福の快楽を与えた。

 

「あぁ、まったくもって怖気が走るな。これが単なる童女趣味であれば救われただろうよ、貴様は単なる気狂いで済んだだろうよ」

 

「……」

 

 男は何もこたえなかった。

 それをアサシンがさせなかったのだ。

 

「しかし、貴方はそれを逸脱している。自分の血が流れている娘を、単なる道具として手篭めにするなど、それはもはや畜生、人ですらないな」

 

「貴様……」

 

 男の感情が、実に解りやすいど怒りにぶれる。

 もはや男には正気と呼べる理性すらあるまい。

 ――それを征するように、アサシンは続ける。

 

「おっと、良いのか? 確かにマスターは主人の命令ならば聞くだろう。マスターに命令し私に自害しろと、そう命令することも可能だろう」

 

 ――だが、それよりも早く、アサシンが男の首を刈り取ることも、また可能なのだ。

 

「――――ッッッッッ1」

 

 男の顔が、解りやすいほど憤怒にまみれた。

 

 それをしないのは、マスターである少女が、男を拠り所としてしまっているからだろう。

 最悪なことに、少女はこの男がいなければ精神が崩壊してしまうよう、“調整”されている。

 この男の実に不出来な点は、それを魔術に頼ってしまう点だろう。

 自分自身の手で精神を破壊することができなかったのだ。

 

「……先ほどの魔術師、あれに襲撃をかけろ」

 

 男は、アサシンに向けて、そう命じる。

 アサシンの顔を一秒でも見ているのが我慢ならない。

 加えて、コレ事態は別に何ら問題はない。

 

「情報を集める程度でよい、いいな?」

 

「否はない。それが私の運用法だからな」

 

 アサシンもその命令に応じた。

 ここで拒否しても、その後本来のマスターである少女から、改めて命令がくだされるだけ。

 つまり、そんな面倒なこと、アサシンもゴメンだ。

 加えて言えば、この選択、アサシンとしても間違いではない、という判断だ。

 

「――それで、“どちら”だ?」

 

「“槍”だ。態々本来の得物を晒す意図は薄い、精々勘違いさせてやれ」

 

「承知した」

 

 部屋の外へ歩き出し、同時。

 ――瞬間、アサシンは驚くべきことをする。

 

 彼女――アサシンは女性である。

 ――はずだ。

 しかし、

 

 

 ――そこにいたのは、まさしく槍を手に持つ男性であった。

 

 

 男装などでは断じて無い。

 完全に、“男性となっていた”のである。

 

 そしてその数瞬後、アサシン――改、“ランサー”はその場を飛び出した。

 狙うは先ほど互いに情報が出揃うまでの“停戦”を誓い合った魔術師である。

 

 ――アサシン。

 その者は無性である。

 

 それを操るは人形の少女と、その父たる外道の男。

 この街を管理する、セカンドオーナーの陣営である。

 

 

 ♪

 

 

『――だから、どうかあの人を救って下さい。これは私の個人的な我儘です。それでも、どうか』

 

 ――手紙には、そう結ばれていた。

 男――赤紫羅弓弦は嘆息する。

 手紙は長野のある退魔師一族の当主から送られてきたものだ。

 この一族とは、瀬場がきちんとセカンドオーナーを担っていた頃からの付き合いだ。

 正確には朝海へ向けて送られてきたものだが、そのまま弓弦に流されてきた。

 

「余計なもの……とは言わないが、随分なものを背負わせてきたな、朝海嬢」

 

 無責任なことに、魔力不足を補うための礼装が同封されていた。

 後は全部任せた、という朝海の言外の言葉が、それには込められているような気がしてならない。

 

 手紙にはこう書かれている。

 二年ほど前から保護していた混血の男性が反転してしまい、そのまま逃亡してしまった。

 その後は周囲の人間に敵対的な種族を遅いながら、現在は今回の聖杯戦争開催地に潜伏しているらしい。

 

「ほぼ間違いなく、この聖杯戦争には参加してンだろォな。……察するに、信州戸隠の九頭竜が原型か。ってーと――キャスターとして召喚されるならともかく、バーサーカーとなるとなぁ」

 

 思いを馳せるのは、この聖杯戦争を騒がすことになるであろう、鬼の存在。

 ――コレを何とかするのも、弓弦の仕事となりそうだ。

 

 

「――何を悩んでいるのだ、マ……赤紫羅弓弦」

 

 

 その横から、中性的な声音が飛び込んでくる。

 ――アーチャー、真名をヘズ、正確にはそれと同一視される神代の英霊ホテルスである。

 

 一瞬マスター、と呼びかけたものの、本人としては非常に複雑な心境なのだろう。

 即座に本名へと呼び変えた。

 

 アーチャーに、前回の聖杯戦争の記憶はない。

 しかし、記録はある。

 記録の中において、アーチャーが最も複雑な感情を覚えた相手。

 客観的な視点においても、かなり微妙な感情を覚えるようだ。

 

「この聖杯戦争のことについてだよ。情報を集める限り、この戦争も大概濃いからな」

 

「……ふむ、今のところ出揃っているのは、我らを含めて三騎、か?」

 

「ほぼ四騎さね。バーサーカー、だろうなぁ。キャスターなんて生温いことにはならんか」

 

 そう言って、やれやれと肩をすくめる。

 ――そんな弓弦の手にあった手紙を、アーチャーが覗きこんでくる。

 

「あ、おい」

 

「なんだこれは、……手紙か?」

 

「朝海――キャスターのマスターが寄越したもんだ」

 

 キャスター――一年前の聖杯戦争のキャスターだ。

 そのマスターの物とみて、アーチャーは中身を検分する。

 弓弦はそれを止めようとするが、むしろ見せたほうがいいかと、すぐにやめた。

 

 言っても聞くようなタイプではない。

 目の見えず、こういった物を読み取ることができないアーチャーに、軽く弓弦は語って聞かせる。

 

「今から数日前のこと、この街に“反転した混血”……まぁ、要するにやばいバケモノみたいなもんがやってきて、潜伏しているそうだ。それを捕獲、もしくは排除しろ――と」

 

 言いながら、アーチャーの様子を伺う。

 とはいえ、特に反応は見られない。

 どうやら情報を処理しかねているらしい。

 無理もない、混血なんてものをアーチャーはよく知らないのだし、バケモノ、とはいっても、そのバケモノに対し、義憤を燃やすべきかはまだわからない、というのが実際だ。

 

 ――他人ごとと聞いてはいないだろう。

 なんだかんだ言って、アーチャーはお人好しだ。

 他者が被害を被るなら、それを止めようと思うのが彼/彼女である。

 

「ただ、少し面倒なのが、これがある退魔師一族の依頼だってことだな」

 

「退魔師……」

 

「魔術師とはまた違う――それほど違うものでもないが――術法を操る一族だな。で、これが厄介な所で――その混血、最後に確認された時、手に令呪が浮かんでいたそうだ」

 

「……聖杯戦争の参加者となるのか」

 

 ――つまり、斃すべき敵。

 それがハッキリした時点で、アーチャーの意識は、一度固まった。

 

「――ただし」

 

 けれども、それに水を指すような弓弦。

 実に抑揚の在る、引きつけられるテンポであった。

 自分の言葉が、相手に与える影響を彼は非常によく理解しているのだ。

 

「その混血には家族がない、同類すらも全て絶えた。この世でただ一人となってしまった生き残りなんだ」

 

「…………」

 

「不幸に自分以外の全てを呑まれた。そしてそこを退魔師一族に拾われたのだ。別に魔を滅するだけが仕事ではないし、当主が文字通り“若かった”からな」

 

「……そうか」

 

 アーチャーは、それだけで大凡の想像がついたのだろう。

 そしてそれは間違いなく真実だ。

 ひとりきりになってしまったひとでなし。

 

 それに対し、当主である少女――瀬場朝海と同年齢だ、そして、朝海のように、頑固なまでの意思を確立することは、その少女には難しい。

 経験不足、というのが大きいだろう。

 

「せめてもの救いは、あの退魔師一族が、心の底から善良であること。――当主の個人的な願いを、敢えて見逃す程度には、な」

 

「……マスターというのも、いろいろあるのだな」

 

「まぁ、そォだな」

 

 同意はする。

 アーチャーには馴染みが無いだろう。

 前回の聖杯戦争、背景はどうあれ、参加者は全員、魔術師であった。

 参加者というくくりだけで見れば驚くほど全うな聖杯戦争である。

 それが普通なのだろうが――七人ものマスターを無作為に選ぶ時、魔術師だけが選ばれないこともある。

 

 魔力を持った一般人、そういう人間も、候補には選ばれる。

 そういうことだって無いことは無いのだから。

 

「他のマスターも、きな臭いといえばきな臭い。この街のセカンドオーナーはその典型だし、あのライダーのマスターも異様なほど経歴が“魔術師然”としすぎている。もう少し個性というものはないのか、個性というものは」

 

「いや、後者はどうだろうな。……そういうものか?」

 

「個人的な考えだが、こういう奴はいろいろ腹に抱え込んでるもンだ。ま、それに踏み込むのは俺の仕事じゃネーがな」

 

 ――それに、と。

 

「この街にはあの人もいる……か」

 

「――あの人?」

 

「そのうち会うことも在るだろうさ。今は気にしなくてもいい」

 

 言って、弓弦は思索にふけり始める。

 ――何となく、これ以上の会話は期待できない気がした。

 

 アーチャーが霊体化し、その場から消え去ると。

 

 そこには、静寂のみが残っていた。




・無性とかいうわかりやすすぎるヒントの西欧アサシン。
・既に名前出てるアーチャー。

アサシンのマスターの親父(対外的なアサシンのマスター)の畜生っぷりは個人的に気に入ってます。
もし本編があればどんな悲惨な目に合わせてやろうか。


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Prologue03

 聖杯戦争が引き起こされる騒乱の街。

 しかし、それ以上の騒乱が、数年前に起きた。

 今から五年ほど前のこと。

 この街を襲った未曾有の災害。

 

 それは、ある日突然、街の頭上に現れた。

 

 隕石――空からの来訪者である。

 

 一度この街は、隕石によって破壊しつくされたのだ。

 街一つを飲み込むほどの衝撃は、多くの死者を生み出した。

 対応の遅れ、避難する側の認識の欠如、多くの理由はあれども、災害は、人を害する痛みとなった。

 

 しかし、それで人々は死に絶えるほどやわではなく。

 また、悲嘆に暮れ続けるほど後ろ向きではない。

 災害から五年。

 

 ――街の景色は、大凡かつてのものを取り戻していた。

 

 活気こそ遠く及ばないものの、それでも、人がそこにいるのは確かである。

 ゆえにこそ、今もまた、昔の活気を取り戻そうと、懸命な努力が成されているのだ。

 そしてだからこそ、聖杯戦争にとって、活気を喪ったこの街は、恰好の舞台であったことも事実である。

 

 かつて困難の中に身をおいたこの街は、

 ――今、この時、再び渦中の中へと放り込まれることになる。

 

 

 ♪

 

 

 ――少女は、その出自も、その在り方も、どこにでもある普通の少女であった。

 ただ、人一倍お人好しで、人一倍おせっかいな、陽気で前向きな少女だったのだ。

 

 故にか、彼女は自然と人にすかれもするし、また鬱陶しがられもした。

 鬱陶しく思われても、それでも人を助けようとするのだから、やがて彼女に人はほだされて、またその容姿も、人柄も、どうしようもなく周囲を惹き寄せるのであった。

 

 言うなればそれは隣人の味方。

 決して彼女に正義などという意思はなく。

 ――ただ、困っている誰かが放っては置けなかったから。

 

 そしてそれが、彼女なりの、人との関わりかただったから。

 

 そんな、どこにでもいて、しかし“どこにでもいるからこそ特別な”、少女。

 

 ――その日は、五年前の災害を追悼する碑を訪れた帰りのこと。

 彼女には親友がいた。

 五年前の災害で命を落とした親友だ。

 

 その墓参り、というわけではないのだけれども、慰霊碑を訪れた少女は夜の帳を押しのけていた。

 暗がりに身を置いて、自宅へと向かう。

 何のことはなく、帰りが遅くなってしまっただけだ。

 

 頼まれごとをされたら断れない正確のためか、この日は慰霊碑を訪れる用事があったというのに、その頼まれごとを長引かせてしまった。

 気がつけば時刻は既に夜と言っても良い時間。

 今日、行かなければならない用事であったから、帰るわけにも行かず、仕方なく夜を急いでいるのだった。

 

 ――今日は災害からちょうど五年。

 何か催しがあるわけではないのだけれども、昼ごろから夕方にかけて、人は集まっていたはずだ。

 少女が訪れた頃には、周囲に人影など無かったのだけれど。

 

 とまれ、少女は一人であった。

 今が夜である以上、それを“しょうがなかった”と言うほかはない。

 そう、それは偶発的なものだった。

 

 誰かに原因があるではなく。

 ――そこには必然と呼ぶべきかどうかも解らない、“運命”だけが待ち受けていた。

 

 なんということのない街の一角だった。

 そこはそれなりに人通りの多い道で、今の時間は人が行き来していてもおかしくはない。

 さほど都会ではないこの街ならば、車の往来は必ず数分に一度はあるはずなのだ。

 

 だのに、その時ばかりは誰一人としてそこに気配は存在していなかった。

 偶然。

 

 ――否、違う。

 そこに人の気配など生まれ用がない。

 

 たとえば、そう。

 

 

 ――行き交う人が全て殺されてしまっては、人が通ることなど不可能にきまっている。

 

 

 地獄が、あった。

 

 周囲にはひしゃげた車が散らばっている。

 数十分、数時間前までは何の気負いもなく道を走っていただろう乗用車。

 中身をばらまいたトラックも見受けられる。

 

 本来であれば時間通りに到着するはずだったそれは、永遠に目的地にたどり着くこともなく。

 

 そこにあるのは、血の痕だけだ。

 機械的に、蛍光灯が――その赤を伝えていた。

 

「――何、これ」

 

 “困惑した様子で”少女は周囲を見渡す。

 思わず、息を呑む。

 

 なんだ、これは。

 ――何故、人がこんなにも死んでいる?

 

 そう、思う。

 

 ――そう思うだけだ。

 

 少女はあくまで、困惑と共に、歩を前に進めている。

 

 自覚が追いつかないだけ、ではある。

 現実が追いつかないだけ、ではある。

 

 だがそれ以上に、

 

 ――それ、“以前”に。

 

 

 ――――――――少女は地獄を、知っていた。

 

 

「……こんなの」

 

 ――続ける。

 確かめるように、噛みしめるように。

 

 自分の知る地獄を、

 

「――五年前、みたい」

 

 口にする。

 

 五年前に起きた大災害。

 人が死に絶えた、地獄。

 

 

「――■■■■」

 

 

 声が、した。

 少女が記憶に地獄を再現したその時だった。

 それをかき消すように、割って入るように、声がする。

 

「……誰か、いるの?」

 

 気がつくべきだったのだ。

 その声は、声ではあった。

 人が発声したものだ。

 

 ――しかし、人の出すべき理性が伴ってはいなかった。

 

「■■■■――」

 

 この場所に、

 

 この街に、

 

 それを絞り出す存在は、一人しかいない。

 

 

 ――バーサーカーが、夜闇に赤黒い着物を晒して立っていた。

 

 

 獲物だ。

 

 獲物だ――獲物だ――獲物だ――!

 

 獲物が目の前に現れた!

 

 バーサーカーは咆哮する。

 

「■■■■■■■――――――――ッ!」

 

 あぁ、また“人が喰える”ぞ。

 

 ――人を、襲えるぞ。

 

 それが――意思なき絶唱からすら、理解できた。

 

「……あ、え?」

 

 もはやそこまでいって、少女はそれを自覚せざるを得なくなる。

 目の前にいる少女は誰だ?

 彼女は一体何をしている?

 

 ――何故、彼女の口元は赤く濡れている?

 

 疑問は、思考があるからこそ生まれるものだ。

 だとすれば、少女がそんな疑問、覚えられるはずもない。

 

 ふと、足元が濡れている。

 そんなことに意識がいった。

 ――それは水だ、だが、同時に朱も混じっている。

 

 水と、血と、破壊しつくされた幾つもの車両。

 

 この場所には、それしかない。

 

 生物はバーサーカーと少女の二人だけ。

 それ以外は何の痕跡もなく、そしてバーサーカーは、少女へと足を向ける。

 

 ゆっくりとしたものだった。

 獲物を逃さないための警戒か。

 獲物を嬲るための愉悦か。

 

 何にせよ、バーサーカーは決して、一息で少女を殺すことをしなかった。

 

 

 ――失敗は、そこにあったのだろう。

 

 

「――いや」

 

 少女は、それを口にする余裕が生まれた。

 死という概念に慣れていたこと。

 地獄という概念を知っていたこと。

 

 ――恐怖という概念を、“理解”していたこと。

 

 それが少女に、最後の一言を許した。

 

 それが――少女を救うことになる。

 

「いや! ――死にたく、ないッッ!」

 

 

 途端、光が、少女の足元からはじけ飛ぶ。

 

 

 風とともに、バーサーカーが一歩引いた。

 何かが、そこに現れる。

 この世に“ありえなかった”存在が、“ありえること”を許可されるように。

 

 ――少女の目の前に、一人の騎士が、現れる。

 

 

「――やれやれ、眠っている人間を起こすには随分失礼な言葉だな」

 

 

 シルバーブロンドの長髪。

 演劇の舞台から飛び出たような服装は、しかし彼女が、それを着こなしていたことを示す気品に満ちていた。

 彼女――少女は女性である。

 引き締まって入るが、丸みを帯びた体型、けれども服装は男装のそれである。

 男である、と言い張られれば、追求が許されないような、そんな風であった。

 

「そもそも、なぜこの僕がこんな小娘に呼ばれ無くてはならないんだ? ――女は嫌いなんだ。呼ばれてはみたものの、何ともまぁ……不本意な」

 

 嘆息と共に、チラリと彼女は視線を向けた。

 理知とした瞳――口は悪いが、だからといって敵意はない。

 

「……問おう、君が僕のマスターか? ――叶うならば、いいえと答えてくれればいいのだが」

 

 有無を言わせぬ声で、問いかける。

 時間が惜しいのだろう急かしているようだった。

 

 少女は困惑の極みに至る。

 理解は、もはや追い付くことを放棄した。

 ここは既に、夢の中ではないのだろうか。

 

 だからだろうか、幻想と今を認識した状態だからか、――少女の口は、

 

「……その通り、だよ」

 

 承諾の言葉を述べだ。

 

「――ふん、夢見がちなのか、はたまた傑物なのか。ここでそれを口に出来たことを褒美とし、その契約、僕が許そう」

 

 受けた側の少女は、不服そうにそう漏らして、視線を外す。

 その後に、もう一度嘆息が聞こえた。

 

 ――それでも、次に紡がれた言葉は、

 

 

「……これにより契約は成立した。サーヴァント、“セイバー”! これより君を守る剣となろう――!」

 

 

 そういった彼女の手には、細剣――西洋の決闘でよういられるような針のような剣が、握られていた。

 

 

 ♪

 

 

 ――運命の一夜を終え、シルバーブロンドの少女、セイバーとそのマスターは、あの地獄を切り抜けた。

 別に難しいことは何一つ無く、軽く剣と拳を交えた後、無理を悟ったセイバーが撤退しただけなのだが。

 

「――つまり、今この街で聖杯戦争が行われている、と。そしてあの女の子はその参加者――サーヴァントである、と」

 

 現在、少女は昨日と変わらない日常を送っていた。

 無理もない、非日常にいきなり放り込まれて、だからといって世界のすべてが変わるわけではない。

 特に少女はその非日常を無事に切り抜けたのだから。

 

 ――現在、少女は学校への登校途中である。

 ルーチンなのだから、いきなりそれをやめるわけにもいくまい。

 

 これはきっと、非日常を切り抜けた報酬でもあるのだろう。

 だから、サボる、という選択肢は少女にはなかった。

 

「ふむ……筋がいいな。褒めるわけでは決して無いが、悪くない」

 

「えっと……ありがとうございます?」

 

「褒めてないと行っているだろう。まったく、これだから女というのは……」

 

 ぶつぶつと――“見えない”少女の声が響く。

 セイバーは――霊体化というらしい透明になる方法を使って、少女のそばにいる。

 

 少女自身、それは至極打倒なことだろうと思う。

 何せ自分は聖杯戦争――セイバー曰く殺し合いの戦争に巻き込まれているのだ。

 昨日の戦闘から、それは否応なく理解せざるを得ず、現状少女が考えるのは、つまるところ今後の方針だ。

 

「えっとじゃあ……説明を聞いた上でこちらから質問させてもらいたいのだけれど……」

 

「構わないぞ。君はマスターだからな」

 

 希望は聞こう、セイバーはそういった。

 律儀というか、真面目な性分なのだろう。

 一日にも満たない付き合いだが、それは解った。

 

 ――真面目というより、偏屈に近いのかもしれないが。

 根暗、ではないと思う。

 彼女はズバズバと物事をはっきり言うタイプだ。

 

「――貴方の願いと、これからの方針。特に後者は、全部任せたいと思うのだけど、どうかな」

 

「……単刀直入に、それか? 不躾だとは思わないのか? ――まぁいい」

 

 ふん、と鼻を鳴らしてセイバーは――見えないながらも、こちらを向いたのがわかった。

 

「全部僕に任せるのは、いい判断だ。僕は自慢ではないが戦争の天才でな――というよりも、あらゆることの才能を持った天才が、戦争にもその才を発揮したというか……ともかく、全て僕にまかせてもらって構わない、それでこの戦争は――君の勝利だ」

 

 ――セイバースキル“賢王特権:A”。

 なんでも、軍略スキルと専科百般スキルをBランク相当で保有するスキルだそうだ。

 

「えっと……とりあえず、積極的に戦争に参加していくってこと?」

 

「……いや、可能な限り我々は戦争には参加しない。――いくつかの例外はあるが、な」

 

 かなりアレな発言ではあるが、セイバーは戦争という行為に乗り気なようであった。

 過去の偉人というからには、戦争がどうこうと少女が言うこともないだろう。

 価値観が違うのだから。

 

 ――ともかく、少女として考えるべきことは二つ。

 

 早期に戦争へ介入し、できるだけ被害を出さないよう活動するか。

 身を潜め、自身の生存を優先しつつ、優勝を目指すか。

 

「――後者にすべきだな」

 

 セイバーは、冷徹な声でそう答えた。

 

「僕のステータスは君が不甲斐ないのも合ってご覧の有様だ。戦闘ではきっとマスターにすら勝てない場面もあるだろうな、このままでは」

 

 『筋:E 耐:E 敏:E 魔:E 運:EX 宝:A』

 

 以上がセイバーのステータスである。

 見て分かる通り、運と宝具以外のステータスはサーヴァントとしては最低限でしかないほどに低い。

 これ以下となると、もはやそれはサーヴァントではないもっと特殊な何かという他にないだろう。

 

「しかし、僕にはこれを補う宝具がある。長い時間を賭ければ、僕は幸運を惹き寄せるだろう。あの絶望的な戦争を、勝利という奇跡で終えたように」

 

 そして、

 

「――そのためには、何としてでもこの戦争を生き残る必要がある。死に物狂いで、耐える必要がある」

 

 そう、セイバーは締めた。

 かつてを回想するように。

 

「……じゃあ、例外、っていうのは?」

 

 少女はすぐに疑問を向けた。

 ――セイバーは持久戦を選ぶ、狙いは優勝だ。

 だが、それには例外があると、セイバーは言った。

 

「昨日のアレだよ。魂喰いというが、アレは行けないな。人が死ぬのは、ダメだ。戦争は兵と兵のぶつかり合い。無辜の民を傷つけるためのものではない」

 

「……うん、それは私も全面的に同意する。なんでもさ、――人が死ぬのは行けないよ、それは行けない」

 

 人が死ぬということを、少女はよく理解していた。

 そこから来るのが、彼女の方針というモノだ。

 つまり、早期の解決を目指し、多少の被害に目を瞑るか。

 優勝を目指し、被害を全て願いでかき消すか。

 

 ――それはあまりに業が深い願いだろう。

 一人の人間がするべき判断では決して無い。

 もしもこの世に、人を守護する何かがあるのなら、その何かが決めるべきことだ。

 

 それでも、セイバー達はそれを躊躇わず選ぶ。

 

「――それにしても、君はほとほと現実主義だな? 理性主義というか、とにかく理詰めに見える」

 

「そういうわけじゃないよ? 一応、人一倍お人好しなのです」

 

 それはわかるが、とセイバーは苦笑する。

 何の関係もないこの街の住人を再優先に考える、思いの外それは、度が過ぎている。

 

「ただ、人って“できることしかできない”から。……私は、そうしているだけ」

 

「できることしかできない……ね、ふん」

 

「何か……言いたげ?」

 

「言いたいことはあるが、これは君が気が付かなくては意味が無い、――もしも君が才気あふれる器なら、いつか対面する時がくるさ」

 

 不可思議な事を言って、セイバーは少女に背を向ける。

 ――気がする。

 

 セイバーの一挙手一投足は読み取れないながらも、彼女が決して不機嫌でないのは解った。

 彼女は随分と偏屈な人種のようだ、召喚されてからこれまで、あまり起源が良さそうではなかったが、それが少し変化を見せた。

 

「……正直な所、女のマスターに召喚されるなど思ってもみなかった。それも縁召喚でだ」

 

「縁召喚……? いえ、名前で言っていることはわかるけど」

 

「――僕と君は似たもの同士、ということさ。……何故だ何故だと思っていたが、それがわかったよ」

 

 セイバーは極端な女性嫌いなようだ。

 そんなセイバーと、少女を結ぶ縁。

 

「僕の姉に、君は似ているのだな」

 

 へぇ、と思う。

 セイバーの姉、どんな人物だろうか。

 似たもの同士の自分と似ているというのなら、セイバーのような……

 

「――そうではない。彼女は理知的な女性で、とにかく聞き上手だった。自慢の姉だ」

 

「そのお姉さんのことが、好きだったんだね?」

 

「まぁ、僕が気兼ねなく話せる女性は家族だけだったからな」

 

 ――妻とすら、ろくな会話をしなかったぞ。

 とは、女性であるはずのセイバーの談。

 姿から察するに、史実の彼女は男性だったのだろう。

 

(……ヨーロッパの王様で、賢王と呼ばれて、芸術家気質。戦争にも関わりがあって、奥さんともろくに会話しないほど女性嫌いの偏屈な人、かぁ。史実の人だよね……?)

 

 加えて、その戦争は、恐ろしいほどの絶望的な状況をひっくり返したらしい。

 ――一人くらい、該当する英霊が、少女の脳裏をかすめた気がした。

 

「そういえば、セイバーの願いって、何?」

 

 ――少女の願い、方針ははっきりとした。

 ならばセイバーは?

 

 少しばかり言いにくそうに、言いよどんでいるのが気配で解った。

 

「……僕の、人生唯一の失点だ。僕の愚行のせいで……彼は僕を許してくれたが、それでももう一度――今度は、王として生きた僕の生涯を見せることで、その償いをしたい」

 

 ――それと、と付け加える。

 

「僕は少しばかり欲張りなのでね。もう一つ、――今の世は僕の知らないものに溢れかえっている。僕が生きた頃から数百程度だというのに、時代は変わるものだ。――その時代を、自分の足で見て回りたい、というのもあるね」

 

 つまり、受肉だ。

 無論、少女はまだその辺りを詳しくしらないので、そんなものか、と頷く程度。

 

「……それじゃあえっと、これから、長い戦いになると思う。いろいろあると思うけど、よろしくね?」

 

「――そうだな。正直、女性のマスターなどまっぴらゴメンだったのだが、君は悪い人ではないようだ。……聖杯戦争の間、君を守ることをちかおう。よろしく頼む」

 

 かつて災害見舞われたこの地にて、開催されるは聖杯戦争。

 

 ソレに挑む主従が一組。

 迷い込んだ表の者と、それを支える賢人なる王。

 

 二人の少女の戦いの行方は――?




セイバー:割りと自分で作って自分で昇華するのでなければあまり許されざる系サーヴァント、意味のないTSも添えて。
     ヒントはライダーと同じくらいですが、知名度はほどほどなので、難易度は少し高め?


本当は一緒にキャスター組も入るはずでしたが、尺が足りませんでした。
キャスターとセイバー、それから主人公鯖であるランサーは私としては特に好きな英雄です。


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Prologue04

「――――問おう、お前が儂のマスターか?」

 

 そこに、“人”の姿はなかった。

 夜更けというのもある。

 ここ数日は災害のような殺人事件が多発しており、人の姿はほとんどと言っていいほど見られない。

 

「はい! その通りです! あたしが貴方のマスターです!」

 

 結果、ここ――数年前の災害の慰霊碑には、召喚されたばかりの英霊――サーヴァントと、そして。

 

「……まて、お前――――」

 

 無数の“影”――霊魂を引き連れた。

 

 

「――――人間ではないな?」

 

 

 幽霊が、そこにあるのみ。

 

 それは幽霊の集合体であった。

 つまるところ、かつて死亡した者達の精神が“融合”した姿。

 言ってしまえば一つの土地に万という霊が縛られたのだ。

 

 とはいえ、そこにいるのは一人の少女。

 

 十かそこらの少女であった。

 おとなしいブラウスとワンピースの出で立ち。

 ストレートの長髪は、理髪そうな面持ちを更に強調している。

 

 幼いながら、大和撫子と呼ぶにはふさわしい少女であった。

 

 ――その顔に、満面の笑みを浮かべていなければ。

 

「はい! あたしは幽霊さんです! あ、あたし以外にも一杯いますよ、でも、こうして誰かとコンタクトを取れるのがあたしだけっていうか……」

 

 呼ばれた男――四十代の陰気な男だ。

 禿げ上がった頭も、陰険そうな顔立ちも、実に男の性格をよく表している。

 不快そうにまゆをしかめながら、頭を抱え、男は少女を制する。

 

「えぇいまて。そうキンキンと高い声で喚くんじゃない。――解った、お前が面倒な存在だということは解った。ならば即座に推奨する――その手にある“令呪”というのがわかるか?」

 

「……? はい! えっと、神父さまに、使い方を教えていただきましたです!」

 

 ――神父さま?

 監督役であろうか、男は聖杯から与えられた知識を元に、そう思考を巡らせる。

 

 

「――それを使い、儂を今すぐ自害させろ」

 

 

「……え? 自害?」

 

「俺が自殺するように命じろ、ということだ」

 

 わけがわからない、という顔をしながらも、少女は必死に考えを巡らせ――やがて答えに行き着いたようだ。

 悲しそうな顔をして、男にすがりつき、見上げる。

 

「……なんでです?」

 

「――俺は子どものお守りなぞゴメンだ。そんなことをするくらいなら聖杯を諦めることを選ぶ。別に生涯に悔いがあるわけではないからな。叶うなら受肉でもなんでもして、この世界の医療というものを確かめてみたかったが――」

 

「――ダメです! 絶対絶対、そんなのダメです!」

 

 少女は、男の語りを遮り、その身体をひたすらに揺さぶる。

 涙ぐんで見上げてくるさまは実に不愉快、偏屈な顔を更に苦々しく歪めて、男は少女を睨みつけた。

 

「あたしは叶えたい願いが在るです! ここにいるみんなそうです! だからだから、聖杯さんにそれをお願いしたいです! …………ダメ、ですか?」

 

 ――男は子供が嫌いだ。

 うるさい、いうことを聞かない、苦い薬にはすぐぶうたれる。

 そして何より――――本当に簡単に、死んでしまう。

 

 既にこの娘は死んでいる。

 ただ、後方にある無数の気配は、彼女と同じ気配がする。

 簡単にいえば、“同じ理由”で死んでいるのだ。

 

 中世ならばともかく、現代でそのような大量の死が集まる場所は、戦争か、災害かのどちらかだ。

 別にどちらでも構わないが、ともかく、病気で死んでいない、ということだけは確かだ。

 

 それを踏まえて、男は思案する。

 ――男は子供が嫌いだ。

 あまりにか弱く、そして故に――――

 

「……クソ、これも天命か! 貴様が俺を選んだのではないということだ! であれば仕方がない、頼まれたのならば救うのも俺の仕事だ」

 

 掃き捨てて、宣言する。

 ――途端に子供の顔が大きくほころんだ。

 救われたような、顔をした。

 

 よく知っている、男はとにかく医学に全てを賭した人間だ。

 ――故に、こうして誰かが救われた瞬間を、よく知っている。

 

「行くぞ小娘。オマエは他のマスターにはない特大のアドバンテージがある。それを活かさなければこの戦い、勝ちのこれるものではないぞ」

 

 ――――男はキャスターだ。

 魔術師であるとされることは実に不愉快。

 後世において残された自身の名が、必ず“医者”という肩書よりも先に“錬金術士”として現れることもまた、不愉快。

 

 ともすれば、別の世界の自分であれば、魔術に生きる己もいるのかもしれないが。

 栓のないことだ。

 

 今はこの戦争を生き残ることを考えるべき――

 後ろをとことことひよこか何かのようについてくる少女を眺めて、嘆息とともにキャスターは思考を巡らせるのであった。

 

 

 ◆

 

 

「――そもそも、魔術というものは決して万能というわけではない」

 

 サーヴァントに幽霊、どちらもその本質は霊体だ。

 故に、彼らは自身の拠点を選り好みする必要がない。

 キャスター自身、生前から多くの場所を旅して周り、野宿であったとしても文句は無い。

 

「お前の身体と同様、普通の人間として有利な点もあれば不利な点もある。そこは経験上、理解しやすいだろう?」

 

「はい。ご飯とか食べられないですし、ゲームも一人じゃできないですし、不便です、この身体」

 

「……恐ろしいほど俗だな、お前」

 

 ――キャスターが何をしているかといえば、簡単な陣地作りだ。

 コレ自体はさして時間はかからない。

 キャスターには拠点を持つ、という経験が殆ど無く、陣地作成のスキルはDランク。

 変わりに、野営のための設備を作ることには、我流なれども一家言がある。

 

 今回はそれをフル活用しているというわけだ。

 コンセプトは「他者に察知されず、けれども侵入者は逃さない」である。

 逃さないというのは、察知という点においてだ。

 別に、罠を張り巡らせるわけではない。

 

 ともあれ、その間キャスターも、少女もどちらも暇なのだ。

 ついでとばかりに、雑談に興じているというわけだ。

 

 ――少女の知識は偏っている。

 本質は一般人なのだろう、魔術を知らない世界で育ってきたのだ。

 その後幽霊となり、世界の裏側を知ったものの、その程度。

 

 魔術についての知識は最低限、――故に、魔術師としての定石も彼女は知らないようだ。

 

 それを教授しているのが現在、というところ。

 

「しかし、本当に構わんのか? お前の魔力は“お前たちの魂”から直接補っている。使えば、お前は消滅に近づくぞ」

 

 ――幽霊である少女に魔力はない。

 魔力を生成する器官もない。

 故に使用できる方法は言ってしまえば“セルフ魂喰い”とも呼ぶべきものだ。

 幽霊である彼女には、万に及ぶ霊が融合している。

 その魂を魔力に変えて運用する。

 

 ――利点は単純、あまりにも膨大な魂故に、キャスターの魔力は非常に潤沢だ。

 しかし、その魂を利用するということは、少女の中の魂を滅ぼすことに繋がる。

 

「構いませんよ、あたしの中の魂さん達は、全員成仏を願っているんです。魂喰いなんて、実におあつらえ向きじゃないですか、喜んで力を貸してくれますよ」

 

「……納得だ。つまりお前は、燃料をぶちまける機会が欲しかったわけだ」

 

 この聖杯戦争に、幽霊なんていう劇物が参加した理由がしれた。

 既に死んでいる存在が、“まだ死ねない”と嘆くのだ。

 随分と、滑稽といえば滑稽か――否、少しまてよ、と男は首をひねる。

 

「そういえばお前は、聖杯に願いがあると言ったな。……お前だけは違う願いを持っているわけだ」

 

 ――考える。

 彼は医者であり、同時に学者だ。

 その思考力は、常人の比ではないことは当然と言える。

 

「……なるほどわかったぞ、貴様“だけ”は別の願いを持っている。それも消滅ではない――おそらくは、“蘇生”か」

 

「別に蘇生にこだわらなくてもいいのですけど、そうです。私はこうして意識があります。だから“もっと生きたい”そう思えるです」

 

 ――彼女は、幽霊としては特別なのだ。

 意思がある、それもはっきりと。

 故に曰く、彼女は自身とともに死んだ霊達にこう頼んだらしい。

 

 “死に場所を与える、かわりに力を貸して欲しい”と。

 

「……………そうか」

 

 キャスターは、そう頷いて、それから黙った。

 作業が大詰めということもある。

 けれどもそれ以上に――こうも思うのだ。

 

 この少女は、死んでもなお“生きたい”と願った。

 それは誰もが当たり前に持つ感情だ。

 

 かつて男はこう言われた。

 

 “お前ならば、俺を不老不死にできるのではないか”?

 

 ――不可能だ、決まっている。

 けれどもどうしてかキャスターはそう“信じられていた”のだ。

 錬金術士などという、けったいすぎる称号を得てしまったために。

 

 ――――キャスターの人生は、栄光と挫折に満ちたものである。

 けれども、そこに彼の望んだものがあるかといえば、何一つ無かった。

 

 彼を偉大なる賢者だと褒め称えるものもいた。

 彼の不遜な物言いを怒り、彼を憎むものもいた。

 

 だが、そこにキャスターの求めるものはない。

 やがて全てを失った男は放浪の旅にでる。

 そして各地でキャスターがしたことといえば、金にもならない救済だ。

 見返りを求めず人を救う。

 ――その事実をしったかつての知己は皆一様に驚いていた。

 

 お前のような偏屈が……と。

 

 違うのだ、キャスターはそんな救済に満足していた。

 人を救うことを喜びと感じていた。

 それが欲しかったのだ。

 ――ちっぽけな自己満足、目の前の誰かを救えたというその程度の喜びが、キャスターの全てだったのだ。

 

 故に、キャスターは魔術師であることよりも、錬金術士であることよりも、単なる一人の、医者であることを望んだのだ。

 

 キャスターは知っている。

 もっと生きたいと願った者達を知っている。

 

 それは二つの例に分けられる。

 金だけは持っている面の皮の厚い豚か、明日食うにすら困る骨のような貧者か。

 

 ――少女は、後者なのだと男は思った。

 彼女は純粋に、明日を夢見ていたはずなのに。

 それを奪われた、だから生きたいと願う。

 

(…………であるならば)

 

 キャスターは、一人決意する。

 

 

(――――戦う理由が、できたというわけだ)

 

 

 この少女に、勝利を。

 そして、新たなる光に満ちた祝福を。

 

 ――与えなくてはならない、と。

 

 そうして、キャスターはおおよその準備を終える。

 次は――守りのための準備ではない。

 攻めのための、一手を打たなくては。

 

「……魔力をもらうぞ」

 

「――構いません、どうかご自由に、と」

 

 キャスターはゆっくりと準備を始める。

 

「魔術師に必要なのは何だ。解るか?」

 

 ぽつりと、キャスターはそんなことを問う。

 なんだかんだ言って、無駄話の類は好きだ――一人でいることが多かったからかもしれない。

 

「……こう、どばーっとやってぐちゃーってする魔術、じゃないですか?」

 

「強力無比な魔術か、唯一無二の礼装か――どちらも否だ。正解は――」

 

 明らかに抽象的すぎる言葉を、キャスターは単語に置き換え、しかし否定する。

 むぅ、と膨れる少女を無視して、男は続ける。

 

 

「――俺よりも強力な魔術の担い手、だよ」

 

 

 つまり、と少女は首を傾げる。

 キャスターのそれはある種の冗句なのだが、どうやら通じなかったようだ。

 

「使い魔だよ。俺が大したことのない魔術師なら、大した使い魔を使役してしまえばいい。幸い俺はキャスターのクラスで呼ばれる程度の魔術師だ。より大した使い魔を用意することができるだろう」

 

「――つまり、最強が更に最強になって超無敵、ってことですね」

 

「そういうことだ」

 

 ――そういうこと、ではないだろう。

 とはいえ、ツッコミ不在のキャスター主従は、更に話を進める。

 

 それもこれも、キャスターが魔術を御座なりに考えていることに原因があるわけだが、ともかく。

 

「俺が呼び出す使い魔は四つ。どれもそれぞれ特色ある連中だ。特に火竜もどきは、俺たち魔術師が、他の陣営に対向する手段になりうる」

 

「ほうほう」

 

「コレが俺の宝具らしい宝具と言えるだろうな。わざわざこんなもの宝具にせんでもいいだろうに――が、まぁそれはこいつやアレに比べりゃまだマシな方か」

 

 ――ちらりと、腰に帯刀した、“戦闘には用いれると思えない剣”に目を落とし、それからもう一つの“アレ”についても思考する。

 すぐに、そんなどうでもいいことを、とキャスターは意識を切り替える。

 

「ともかく、魔術師は腰を据えて、じっくりと戦っていくのが定石だ」

 

 故に――

 

 

「――――さぁ、これからゆっくりと、聖杯を獲りに行くぞ」

 

 

「合点、です!」

 

 ――魔術師と幽霊、おかしなコンビの聖杯戦争が、幕を開ける。




 お久しぶりです? 半年ぶり、なぜだか色々触発されまして。
 というわけでキャスター回。
 重要度で言えば実はセイバーよりも上という。

 ところでこのキャスター、色々正体はアレなんですが、サーヴァントとして作ってから気がついたので許してください何でもはしません。


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