心が織りなす仮面の軌跡(閃の軌跡×ペルソナ) (十束)
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序章 -始まりの1日- 
プロローグ「前日」


 ――七耀暦120■年、■■上空7000m。

 

 1人の青年が広大な空を舞っていた。

 青年の上空には星の1欠片も見えない真っ暗な空、遥か彼方まで見える水平線からは半分の太陽が覗いている。逆に下方には延々と雲海が広がり、宙を舞う青年の視界から地表を覆い隠していた。

 

 そんな中、学生服を纏う青年は銃と剣をその手に携え、広々とした大気の中を猛烈な勢いで落下を始める。

 

 救命具などは身につけておらず、まるでビルからその身1つで落ちたかの様な出で立ちの青年。だが、彼の表情からは落下の恐怖など微塵も感じられない。

 

 眼前に広がるのは夕日に照らされた街。落下に伴う暴風を身に纏いながら、青年は街の中心へと一直線に落ち続ける。視線の先には巨大な黒い影が1つ、それは青年が倒すべき”敵”であった。

 青年は剣の柄を強く握りしめ、敵をその眼光で殺さんと言わんばかりに睨みつける。

 

 上空300m。地上が目前に迫った青年は剣を構え、銀色の銃を自身の頭に添えた。地面に叩き付けられる想像などする必要はない。ただあの"敵”を倒す、それだけが青年の使命だ。

 

「……ペルソナッ!!!!」

 

 パァンと言う乾いた銃声音が青年の頭を貫く。

 青年を中心に吹き荒れる爆発的な光の奔流。落下する彼の背後に巨大な人影が現れ、そして――…………。

 

 

 ……――――……――…………

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ゼムリア大陸の西部に広がる大国、エレボニア帝国。

 

 そこは貴族体制が今もなお残り、貴族と平民という身分が国民を二分していた。

 貴族には貴族の暮らしが、平民には平民の暮らしが約束された帝国。

 しかしある時期、その状況に変化が起こる。即ち近代化を唄う平民出身の革新派の登場だ。

 

 強固に近代化を推し進めようとする革新派と、伝統を守らんとする貴族派。

 2つの勢力が水面下でぶつかり合い、帝国に住む人々の暮らしに歪みを生んでいく。

 

 そして、帝国内に設立されたトールズ士官学院もまた、その歪みを受けた場所の1つであった。

 白い制服を着た貴族と、緑の制服を着た平民。二手に分かれた生徒はそれぞれのクラスに別れ、互いに水面下で火花を散らしていた。

 

 ――だがしかし、何事にも例外はある。

 

 例えばそう、協力せざるを得ない状況ならばどうだろうか。対立していては失敗してしまう状況であれば、あるいは二者が共に働く事もあるのではないだろうか。

 現に今、普段は別れている筈の緑や白の制服を着た生徒たちが、共に歴史ある学院の講堂を飾り付けていた。今この場においては対立している暇などありはしない。……そう、今日は白いライノの花が咲き乱れる七耀暦1204年の3月30日、士官学院の入学式の前夜である。

 

「トワ会長、暗幕の取り付け終わりました!」

「うん、じゃあ資料の用意の人手が足りないみたいだから、手伝いに行ってもらえるかな?」

「はい!」

 

 講堂の中心に立っている小柄な少女、トワ・ハーシェルの指示を受け男子生徒が講堂の入り口で作業している生徒たちのもとへと駆け出して行った。

 トワはこの学院の生徒会長だ。彼女はその小柄な容姿とは裏腹に全体の進行状況を正確に把握し、てきぱきと生徒たちに指示を出していく。

 生徒たちもそんなトワの期待に応えるべく、一生懸命作業を続けていた。

 

 講堂の飾り付けが中盤にさしかかった頃、トワの後ろから何段にも重ねられた椅子を手にした青年が近づいてくる。

 

「よっこらせっと。おーい、トワ。椅子は後幾つ必要だ?」

「ひぃ、ふぅ、みぃ……後12かなぁ」

「はぁ、今日は宿でチビ達とプレートで遊ぶ約束してるんだけど帰っていいか?」

「この手伝いはクロウ君の単位の補填も兼ねてるんだから、頑張らなきゃだめだよ」

 

 あぁ分かってる、と軽く返事をしながら椅子を運んでいるクロウ・アームブラストは生徒会ではないが、単位の不足から準備の参加を強制されていた。着々と椅子を並べていく彼の表情はどこか複雑そうだ。

 だが、もし強制されなかったとしても、彼は手伝いを投げ出しはしないだろう。銀髪を雄々しくバンダナでかき上げたクロウと小柄なトワ、これに後男女2人が加わった4人組の光景はトールズ士官学院でよく見るものだ。要するに彼らは1年来の友人なのである。

 

「合計で100人か。今年は数が多いな」

「うん、貴族クラスが36人で、庶民クラスが54人。そして――」

 

「例のクラスが……10人、か」

 

 その言葉で思い出したかの様にクロウは周りを見渡し、近くに人がいない事を確認すると懐から紙束を取り出した。

 そこには今年設立されたクラスに配属予定の10名のプロフィールが書かれていた。

 

「……四大名門の御曹司ユーシス・アルバレアに革新派の息子マキアス・レーグニッツ。他にも大企業の御令嬢や軍曹の息子などなど、まさにエレボニア帝国の縮図ってとこかな」

「だからこそ、彼らには今のエレボニア帝国を変える可能性がある。そうだよね?」

「確かに、……ん、こいつは?」

 

 内容を流し読みしていたクロウの手がピタリと止まる。

 彼が釘付けになっている先には一人の青年の写真が貼り付けられていた。鋼のような鋭い眼光をした灰髪の青年、これだけならまだいい。問題なのは経歴が揉み消されたかのようにほぼ空欄である点だった。

 クロウはなぜこんな人物が士官学院に入学できるのかと考えを巡らせていると、トワが後ろから資料を覗き込んできた。

 

「……ライ・アスガード君、だよね。わたしも気になって調べてみたんだけど、上の人からの強い推薦で入学することになったみたい」

「入学動機も性格に関する情報も不明っと。しょっぱなから問題発生かよ。……他に何か分かったか?」

「ううん、何も分からなかった。だから明日話して見ようと思ってるんだ。確かに色々と怪しいところもあるけど、もしかしたら訳ありってだけでいい子かもしれないし。会ってみないと分からない事も多いしね。……間違ってるかな?」

「いや、トワはそれでいいと思うぜ」

 

 多くの貴族の子息たちを抱えるこの学院において、この考えはやや危機感のかけるものかもしれない。ましてや今年設立されるクラスには重要な役割がある。

 しかし、クロウはトワの考えには賛成だった。参謀のような役割は生徒会長よりもっと上の教官たちが考えればいい事だ。それに優しい性格のトワにはむしろこういった事の方が向いているだろう。トワがこんなお人好しだからこそ、この学院の多くの生徒は彼女を慕っているのだ。

 

 最後にその写真を、感情の抜け落ちたような青年の顔を目に焼き付けると、クロウとトワはそれぞれ作業に戻った。

 明日の新入生たちに対する期待と、言いようのない不安をその身に宿しながら……。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ――今日は歴史あるトールズ士官学院の入学前夜。入学を前にした少年少女は期待や不安、様々な想いを胸に今を過ごす。

 

 ある1人の青年は自らの道を見つけるという可能性を夢見て。

 ある1人の少女は親からの開放を胸に秘めて。

 ある1人の少年は望まぬ道への不安を抱いて。

 ある1人の少女はただ自らの向上を目指して。

 ある1人の少女はとある1つの目的を見通して。

 

 ある青年は故郷の家族を、またある少女は離ればなれとなった仲間たちを想う。

 貴族としての志を持つ青年もいる。貴族に対する嫌悪感を抱く青年もいる。

 

 ……そして、今トリスタの駅に足を踏み入れた灰髪の青年もまた、そんな少年少女の1人であった。

 赤色の学生服を身に纏った彼はゆっくりと列車から身を乗り出す。しかしその足取りはひどく不確かであり、まるで大けがを負った負傷兵か、はたまた重病を負った病人の様にふらついていた。

 怪我等は見当たらないものの、意識は朦朧とし、蒼色の瞳も焦点が定まっていない。その両腕はだらりと垂れ下がっており、その手に持っている荷物も今にも手から滑り落ちそうだ。

 

「……っ、…………」

 

 それでも彼は何かに駆り立てられる様に一歩、また一歩と足を踏み出し前へ進んでいた。

 一歩、バランスを崩しかけるも何とか踏みとどまる。

 一歩、意識が飛びかける。

 一歩、一歩、前へと歩を進める。

 

「……俺、は……まだ……」

 

 ……だがそれも直に限界が訪れた。

 彼は足を踏み外し、駅の半ばで前に崩れ落ちる。

 

「……や……る、べき…………」

 

 流石に異変に気がついたのか、駅員が慌てた様子で青年のもとへと駆け寄ってきた。

 彼は最早指一本すら動かせていない。朧げなその瞳に近づいてくる駅員の影が映り込み、そして、安心した様にゆっくりと目を閉じた……。

 

「………………」

 

 

 この日は入学前夜、少年少女の物語は明日始まりを告げるだろう。

 しかし、エレボニア帝国を動かす巨大なうねりは既に始まっていたのだ。

 

 革新派でも貴族派でもない。帝国を飲み込まんとする第3のうねりが。

 

 そのことを彼らは、いやこの世界に住む多くの人々は知る由もなかった……。

 

 



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1話「記憶喪失の青年」

 ━━ピアノの音が聞こえる。

 

 ……気がつけば、青年は青い空間に座っていた。

 細長い部屋の中、中央のテーブルを挟んで大小2つの椅子が並べられている。

 小さな椅子には青年が、そしてもう片方には奇妙な老人が座っていた。

 

「これはこれは、また数奇な運命をお持ちの方がいらしたようだ……。ようこそベルベットルームへ。お初にお目にかかります。私の名はイゴール、この部屋の主をしている者でございます……」

 

 老人、イゴールが口を動かすこと無くそう言った。奇妙な場所だと青年は感じた。不可思議な部屋に不気味な老人、このような場所は青年は知らない……。いや、知ってる? 

 青年の頭に痛みが走る。まるで霧がかかったかの様に記憶が思い出せない。

 

「おや、お客人。どうやら記憶が不確かになってしまわれているご様子。……どれ、名前は覚えてございますかな?」

 

 名前、それを口にしようとすると再び青年は頭痛に襲われた。名前が思い出せない。いや何も思い出せない。

 

「左様でございますか。……どれ、ここは1つ。自らを取り戻すお手伝いをさせて頂くと致しましょう……」

 

 イゴールの前に光で描かれた文字が浮かび上がる。ライ、そこにはそう書かれていた。

 

「ここは夢と現実、精神と物質の狭間にある場所……。ここは、何かの形で契約が果たされた方のみが訪れる部屋……。あなた様も契約を交わし、この部屋へと誘われたのです……」

 

 その言葉から察するに、ライとは自分の名なのだろうと青年は理解した。

 

「ライ……」

 

 妙に馴染みやすい響きだった。名前、自分が自分であるという証。青年、いやライはその名を繰り返し口にし、その実感を得る。しかし、依然として記憶は霧に包まれたままであった。

 ライは顔を上げ再び老人に向き直る。自身の記憶のこと、契約とやらの意味、聞きたい事は山の様にある。——しかし、口に出した声は突然部屋が歪みだしたことによりかき消された。

 

「——!?」

「フフ、お目覚めの時間でございます……。ご心配召されるな、あなた様は既に契約をなされたお方だ。またいずれまたお会いすることになりましょう。ではその時まで、ごきげんよう……」

 

 イゴールの言葉を皮切りに視界がグルグルと混ざり合い、黒く塗りつぶされていく。

 ライは霞んでいく意識の中、依然として鳴り響くピアノの曲を聞いた。

 その曲の向こうから微かにカタンコトンという規則的な音が聞こえてくる。

 

(ああ、そうか。もしかしてここは————)

 

 ——暗転。

 

 

◆◆◆

 

 

 茜色の光が顔に差し込む。眠りから目を覚ましたライは、その光に思わず目を細めた。

 数瞬たって、明るさに目が慣れてきたライは白いベットに寝かされている事に気がつく。身を起こして周囲を見渡すと、そこは石煉瓦で出来た医務室であった。窓の外には夕日に照らされた大きな正門が見える。どこかの学校なのだろうか。

 

「……ここ、は」

「あら、目を覚ましましたね」

 

 ライは声の方へと顔を向けると、そこには白衣を羽織った妙齢の女性が居た。女性はライの困惑する視線を察し、話を続ける。

 

「私はベアトリクス、ここトールズ士官学院の保険医をしています。あなたは昨日の夜に駅で倒れたそうですね。緊急の知らせを聞いて私も驚きましたよ」

「トールズ士官学院、……駅で、倒れた……?」

「……目覚めたばかりで混乱しているのでしょう。ハーブティーでも入れますか」

 

 そう言ってベアトリクスは室内に取り付けられた簡素な台所へと向かい、お湯を沸かし始めた。ライはその様子をしばらく見ていたが、変化のない光景に何気なく視線をそらす。その先には荷物が並べられていた。

 やや大きめの旅行用の鞄に布に包まれた剣、そして銀色の拳銃だ。他にも鞄の中身であろう封筒や球等が置かれている。

 ライはその中から拳銃を手に取った。銃身は金属で出来ており、グリップには青い結晶が埋め込まれている。ただ銃弾を入れる機構が見当たらない。

 

「それは儀礼用の拳銃のようですね。導力銃でもありませんから弾が出る事はないでしょう」

 

 拳銃に気を取られていたのだろう。気がつくと2人分のハーブティーを入れたベアトリクスが戻ってきていた。湯気の立ち上るカップをコトリと置いた。

 

「それらの荷物はあなたの側に落ちていたものです。ご存知ありませんか」

「いえ……何も」

 

 ふむ、と荷物についてベアトリクスが考え込んだ事で、ライはベアトリクスにある問題をまだ伝えていない事に気がついた。——そう、記憶が無くなっているという重大な問題を。

 

「……その荷物が自分のものか分かりません。何1つ思い出せないんです」

「それは……記憶喪失、ということでしょうか」

 

 ライは目をそらす事なく確かに頷く。その姿勢から冗談ではないことを読み取ったベアトリクスは、優しげな表情を専門家らしい真剣なものへと変え、ライに幾つかの質問をした。

 ベアトリクスはその情報を纏めると、夕方を指し示す時計を見て席を立った。時間が惜しい、ベアトリクスの顔にはそう書かれていた。

 

「どうやら過去の出来事に関する記憶が思い出せなくなってしまっている様ですね。詳しくはまだ分かりませんが、記憶についての専門家に心当たりがあります。相談してみますのでここでお待ちいただけますか?」

「ええ」

 

 ライの返事を聞いたベアトリクスは一礼し、医務室の入り口へと歩く。そしてドアに手をかけ少し開けたそのとき、思い出したかの様にライへと顔を向けた。

 

「伝え忘れていましたが、少なくとも鞄はあなたのものですよ。中に入っていた入学案内、印刷された写真は間違いなくあなたの顔でした。入学おめでとうございます。ライ・アスガード君」

 

 そう言ってベアトリクスは部屋を出て行く。ライはただ一人夕焼けに染まる医務室に残された。

 

「……とりあえず荷物の確認でもするか」

 

 ライは鞄を開け、中身を広げていった。

 

 

◇◇◇

 

 

 結果から言うと、ベアトリクスの言う通り入学書類が入っていた。

 他に情報はないかと書類をめくっていると、突然バタンと扉が開かれる。そこに居たのは栗色の髪を青いリボンで纏めた小柄な少女。彼女は室内をキョロキョロと見渡し、部屋の隅に座るライを見つけるとかけ寄ってきた。

 

「あ、いたいたー! ライ・アスガード君、だよね。丸1日寝てたけど体は大丈夫かな?」

「ああ、君は?」

「わたしはトワ・ハーシェル。ここの生徒会長だよ」

 

 生徒会長? 外見からは想像出来ないが年上なのだろうか、と見た目とのギャップでライは内心困惑する。少なくとも先輩であることは間違いないだろう。だとしたら先ほどの対応は間違ったかもしれない。

 

「……えと、失礼しました」

「あはは、そんなにかしこまらないで。こっちも慣れてるから」

 

 トワは気にしていないと言わんばかりに笑顔を浮かべる。よく言われるのだろう、彼女の顔はそう言っていた。

 

「それで、生徒会長が俺に何の用事で?」

「それは……あ」

 

 トワの言葉はライの手元を見て止まる。大量に広げられた書類の数々、どうみても取り込み中だ。

 

「えーと、ごめんね。忙しかったかな」

「いえ、少し自分探しをしていただけですから」

「……自分探し?」

(……しまった)

 

 ライは何気なく言ってから後悔する。この少女にいらぬ心配はかけたくない。だが妙な言い回しをしてしまった以上うやむやにも出来ないだろう。少し悩んだ結果、ライは言葉を選びつつ答える事にした。

 

「ええっ!? 思い出せないって、それって記憶喪失だよね。 ……落ち着いているみたいだけど大丈夫?」

「あまり現実感がないだけですよ」

 

 実際、ライには現実感が湧かなかった。青い部屋の夢から覚めたら医務室のベットの上、記憶喪失、そして突然の入学告知。まるでまだ夢の中に居るような出来事だ。

 

 とりあえずライは書類を纏め、机の隅に置く。書類を読む事などいつでも出来るのだ。今はこの小さな生徒会長との会話に集中する事にした。

 トワは記憶喪失の子に言ってもいいのかなぁ、としばらく悩んだ末、コホンと小さく咳払いをして場の雰囲気を改めた。そして——

 

「ライ君、入学おめでとーございます!」

 

 盛大に祝われた。思わずライの瞳が見開く。先ほどベアトリクスにも言われた祝いの言葉。入学への苦労も夢も覚えがないライにとって感慨など湧かない。だが、心の奥で何かが動かされた様に感じた。

 

「ええ、『ありがとーございます』」

「えっと、もしかして今のってわたしのマネ?」

「似てました?」

「う〜ん、まぁまぁ、かなぁ?」

 

 あはは、と苦笑いが混じった顔でトワは笑っている。ライの一見無表情な顔立ちで、かつ落ち着いた口調で言われては、とてもじゃないが似ているとは言えないだろう。でもトワの笑顔もより柔らかいものになっていた。過程は違えどライの言葉にも動かす力はあったのかも知れない。

 

「……うん、思ってたより優しそうな人で安心した、かな」

 

 安堵から出たトワの独り言。それはライの耳に入る前に空気に溶けて消えていった。

 一方ライはベアトリクスが戻るまでの方針を決めようと視線を動かし、先ほどベアトリクスが入れたハーブティーに目が止まった。一口も飲まれる事なく飲み手の居なくなったハーブティー。冷める前に飲んだ方がいいだろう。

 

「ハーシェル先輩、ハーブティーでもどうですか」

 

 その言葉を皮切りに小さなお茶会が始まった。

 

 

◇◇◇

 

 

「お、いたいた」

 

 お茶会が始まって数十分が経過した頃、医務室の扉から銀髪の優男が顔を覗かせた。青年のその言葉に医務室の2人はそろって入り口の方へと顔を向ける。

 

「あ、クロウ君。そっちはもう終わったの?」

「ああ、VII組はそこのそいつを除いて全員参加する事になったぜ。後はジョルジュとゼリカに任せてる」

 

 トワと話し合っている青年はクロウと言うらしい。何やらライにとって意味深なワードが含まれていたが、割り込めるような雰囲気ではなかった。そうこうしている内に2人の情報交換は終わり、クロウがライのもとへと近づいてきた。

 

「お前がライか。俺はクロウ・アームブラストだ。よろしくな」

「よろしく。ライ・アスガード……と言います」

「……ああ、記憶喪失なんだってな。さっきベアトリクス先生に話を聞いたぜ。んでついでに伝言を頼まれたって訳だ」

 

 クロウはおどけた口調でそう言った。事前に情報を知っているのはライにとってありがたい事だ。これなら話は早いし、下手に隠す必要もない。

 

「ふむ、思ってたよりは落ち着いてんのな、お前。いや思ってた通りか?」

「よく言われます」

 

 と言っても2人目だが。記憶喪失であることを知っているクロウも突っ込みを入れたそうな顔をしている。とりあえずライのキャラを何となく把握したクロウは早速本題へと話題を移した。

 

「まあ気になってんだろうからさっさと伝えるとすっかね。『相談が長引きそうですので、今晩は寮にお泊まりになって下さい』、以上!」

「……声マネ、似てますね」

「だろ? 寮までは俺とトワが案内するぜ。他の新入生もそろそろ寮に着く頃だし、ちょうどいいだろ」

 

 声マネ気にしていたんだね、とトワが小さく呟く。そしてトワは何か出来ないかと周りを見渡し、ライの荷物で視線が止まる。

 

「ライ君の荷物ってあそこのだよね。病み上がりだし、わたしが持っていくよ」

「いえ、お構いなく」

 

 そっけなく返すライ。心配して食い下がるトワと問答をしながら広げたものを荷物に詰めていった。

 

 

◇◇◇

 

 

 そろそろいくぜ、というクロウの声を号令にカップの片付けなどの身支度をすませ、校舎を後にした。

 荷物に関してはトワの主張にライが折れ、妥協案として鞄をトワが、剣と銃をライが持つ事となった。鞄をやや重そうに持ち上げるトワを見たときに、ライは逆じゃないかと思ったのは余談である。

 現在は正門前、ライ、トワ、クロウの3人は会話をしながら駅の横にあるという寮へと向かっていた。

 

「ハーシェル先輩たちの寮は俺とは別なんですね」

「うん、正確にはライ君をふくめた10人が特別な寮にすむことになってるんだよ」

「それがVII組、ですか……」

「あちゃ〜、やっぱ聞いてたか。まあ後で詳しく聞く事になると思うぜ」

「ああ、それで寮に——」

 

 会話の途中でライは足を止めた。

 目の前には駅へと続く石畳のメインストリート。夕日とライノの白い花吹雪に彩られた町並みは、ある種幻想的な光景を生み出していた。

 

「な、なかなかいい光景だろ。これから2年間、ここで過ごしていくんだぜ」

「…………」

 

 言葉が出なかったのは単純に美しかったからなのか、はたまた記憶のどこかにこのような光景があったからなのかは定かではない。だが、ライはこの光景を忘れないだろう。

 太陽がゆっくり沈み町を染め上げる。

 そして太陽が地平線と重なった、そのとき————

 

「——ッッ!!!!」

 

 頭に、咆哮のようなおぞましい音が鳴り響いた。その凄まじい音に思わず耳を塞ぐ。隣を見ればトワとクロウも同じく耳を塞いでいる。ライだけが聞こえた幻聴という訳ではないようだ。

 

「……うぅ……」

「……今の音は、旧校舎の方からか!?」

 

 少しして、音は止んだ。3人はそれを確認すると、それぞれ顔を合わせる。今の音はただ事ではない。何らかの事故や事件が起こっていてもおかしくない状況である。

 

「トワそれにライ、俺は様子を見てくるから先に寮に行っててくれ!」

「クロウ君?」

 

 そう言ってクロウは返事も聞かず校舎の反対側へと駆け出していった。

 ライは迷いもなく一直線に走り出すクロウに違和感を覚えた。まるで何かの心当たりがあるかの様な行動だ。ライは先ほどクロウが言っていた旧校舎という言葉を思い出す。

 

「旧校舎、そこに何かあるんですか?」

「隠す必要もない、よね。この学院の旧校舎にはたびたび不思議なことが起こるんだ。もしかしたら今回も……」

 

 不思議な出来事、話によると旧校舎は時々内部構造が変わり、どこからともなく魔獣という人に危害を加える存在が現れるらしく、未だ謎な部分も多いとの事だ。

 何故そのようなものが学院にあるのか疑問は絶えないが、これでクロウが旧校舎に向かった理由は分かった。だが謎が多く危険も伴うのならば、何故クロウは単独行動に走ったのか。

 

「クロウ君はああ見えて強いから大丈夫だよ。ね、先行って待ってよ?」

 

 いや、実際のところライには単独行動の理由が分かっていた。ライが、記憶喪失の無力な青年がここに居るからだ。今ライを1人にする訳にはいかないからこそ、クロウはトワを置いて旧校舎へと向かった。

 

「……ライ、君?」

 

 なら、今ライがするべき行動は決まっている。不安要素を取り除けばいいのである。身の毛もよだつような怪奇音。これは単なる異変じゃないと、根拠のない確信がライの中にはあった。

 

「ハーシェル先輩、俺は医務室に戻りますから、先輩は旧校舎に向かってください」

「えっ、でも……」

「嫌な予感がします。俺は大丈夫ですから」

「……うん、分かった。ライ君も絶対に部屋から出ないでね! 絶対だよ!!」

 

 言い終えるとトワは懐から一本の銃を取り出し、クロウと同じ様に校舎裏に駆け出していった。小柄なトワであっても士官学院の生徒なのだ。1年間の経験の差がある事はライにも直に分かった。

 やがてトワの姿が校舎裏に隠れると、ライも体を反転させ、医務室の方へと戻っていく。トワの駆けていったその先に、後ろ髪を引かれるような感覚を覚えながら……。

 

 

◇◇◇

 

 

 ——ほんの数分前に出たばかりの医務室に再び戻る事になるとは、数分前のライは考えもしなかっただろう。医務室の明かりは消されたままであり、夕日の明かりさえもほとんど無くなった空間は先ほどまでとは別の部屋の様に感じる。

 とりあえずライは荷物を置き、眠っていたベットに腰をかける。思えば起きてから、いや記憶を失ってからまだ数時間とたっていないのだ。簡素な洗い場に目をやると、そこには洗われた2つのカップが置かれている。思い出すは小さなお茶会。彼女らは今無事なのだろうか。ライにはそれが気がかりだった。

 

(そういえば荷物、預けたままだ)

 

 ふと思い立ったかの様にライは剣と拳銃を取り出す。荷物が手元にない以上、過去に繋がる手がかりはこの剣と儀礼用の拳銃か。

 試しに空に向けてトリガーを引いてみたものの、空砲が鳴るだけで何も変化は起こらない。

 ライは何故このようなアンティークを持っていたのだろうかと考えにふける。魔除けか、趣味か、もしかしたら思い出の品だったのかもしれない。

 ふと、ライの頭に痛みが走った。同時にある光景が頭に浮かぶ。

 それはトワとクロウが何者かに襲われている光景だった。不安を煽るそのビジョンに思わず立ち上がる。

 

 ”……我、……は汝……”

(なんだ、この声は)

 

 幻聴、先ほどの異音に似てはいるが、今度は自身の心の中から直接鳴り響いている様に聞こえる。同時に頭痛も激しくなってきた。

 

 “我は汝、汝は我、扉を守護するものよ"

 

 あまりの痛みに自分が何をしているのかも分からない。前も見えず、傾く体を支えるために足が一歩一歩前に出される。壁や扉にぶつかるが、体は何かに導かれる様に動いていく。

 

 “時は訪れた。今こそ道を開き、その手で、再びつかみ取れ”

 

 急に痛みが嘘の様に無くなった。

 ライはそのことに違和感を覚えながらも、瞳を開け、辺りを見渡した。涼しげな風が頬をなでる。いつの間にか外に出ていたようだ。周囲は高い木々に囲まれ、辺り一面薄暗くなっている。そして目の前には灰色の大きな建物。見た目からして士官学院の校舎よりも古いものだ。もしかしてこれが旧校舎なのだろうか。

 

 ライは旧校舎へと近づいていった。その入り口が異様な輝きを放っていたからだ。旧校舎の入り口には建物に似つかわしくない豪華な扉があり、その隙間から霧のような光が漏れだしている。

 近くにクロウとトワの姿は見えない。まだ中にいるのか、もしくは入れ違いか。ライの直感は中へ入るべきだと告げていた。

 ライの両手には剣と拳銃が握られたままだ。弾の出ない拳銃はともかく、剣さえあれば身を守る事くらいなら出来るだろう。

 

(その手で、つかみ取れ、……か)

 

 先ほどの幻聴が頭に浮かぶ。あれは何かの暗示なのだろうか。

 ライは制服の懐に拳銃を入れ、剣を片手に空いた手で扉の取っ手を掴む。そして意を決し、扉を開け光の中へと飛び込んだ。

 

 

 ……非日常が、始まる。

 

 



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2話「異界、旧校舎」

 光のベールの向こう側、旧校舎の内部は外見からは想像出来ないような広い空間だった。内部は天井の見えないほどに広いホールのような作りになっており、所々にきらびやかな黄金の装飾が施されている。

 明らかに外見よりも大きな空間にライは困惑した。これの何処が旧校舎なのだろうか。ぬめりとした異様な空気がライを包み込む。

 

 トワから魔獣という存在を聞いている。ライは剣を構え、周囲に気を配りながら先に進む事にした。

 物音1つ聞こえず、ライの靴が冷たい床を叩く音だけが反響している。何の気配も感じられない。魔獣の気配も、人の気配もだ。ライは緊張の糸を少し緩め、ホールの奥に見える通路へと向かう。

 

 通路の入り口、アーティスティックな柱に彩られたアーチまで来たライは物影に見覚えのある鞄が置かれている事に気がつく。おそらくトワが置いたものだろう。まだここにあるということは、トワは先に進んだまま戻っていない事になる。

 

(行くしかない、か)

 

 ライは改めて通路を覗いた。奥は暗くなっていて見通しが悪い。だが、相当な広さがありそうだ。ライは鞄を肩にかけ、物影に気を配りながら奥へと走り出した。

 

 …………

 

 ……何分くらい走っただろうか。

 幸い道は一本道であるものの、代わり映えのしない通路が原因で同じところを走っているのではないかという錯覚に陥ってしまいそうになる。

 未だ人影どころか魔獣とやらも見えない。また、どう考えても旧校舎どころか町を横断しかねないほどの距離を移動している。これ以上闇雲に走るのはまずいかもしれないとライは感じ始めていた。

 

 と、そのとき。遠くで微かに銃の発砲音が聞こえる。

 止めかけていた足をもう一度走らせ、ライは通路の奥へと駆け出した。

 

 

◇◇◇

 

 

 突然通路を抜け、広い空間へと躍り出る。

 そこには背中合わせに立つトワとクロウの姿、そして周囲には数十もの仮面を付けた黒い影が蠢いていた。

 

「トワ! アーツの発動はまだかっ!?」

「もう少し!」

 

 クロウはその言葉を聞くと、白と黒の2丁拳銃を構え、影に向かって豪快に掃射する。

 

「こいつでどうだっ!!」

 

 ——クイックバレット。2つの銃口から放たれた無数の銃弾が雨となって影の集団に襲いかかった。

 

「……ちっ、やっぱ効かねぇか」

 

 しかし、影は何事もなかったかの様に起き上がる。その姿に傷1つ見当たらなかった。

 それを確認したクロウはもう見飽きたと言わんばかりに銃を持ち上げた。と、同時にトワの周りに渦巻いていたエネルギーが勢い良く収束する。

 

「行けるよ!!」

 

 そのかけ声と共に、トワは手元の機械を前へ突き出した。

 ——クリスタルフラッド、機械から放たれた膨大な冷気が地を駆け抜け、一瞬で氷河の世界へと変貌させる。その上にいた影もまた凍てつく氷の中へ閉じ込められた。

だがそれも一瞬の事、すぐに内側から氷を割り影が這い出してくる。

 

「これもダメ、なの……」

「くそっ、どうすりゃいいんだよ!」

 

 飛びかかる様に迫り来る影にクロウは銃床で殴り飛ばす。だが依然としてダメージは与えられず、無数の影による包囲網もだんだんと狭まってきた。2人の顔には疲労の色も見えている。このままじゃ2人は奴らの餌食となってしまうだろう。

 そう感じ取ったライは駆け出していた。その手には鞄に入っていた1つの球体。無意識に取り出したそれを迷う事なく戦いの中心へと投げつける。

 瞬間、大量の煙が視界を覆う。

 その中をライは記憶を頼りに全速力で走り抜け、2人の腕をつかみ取る。

 

「なっ!?」

「ライ君っ!?」

「時間がない、話は後で!」

 

 そのままの勢いで急いで引き返し、煙が晴れる前になんとか元の通路へと駆け込んだ。

 

 

◇◇◇

 

 

「……まあ、とりあえず助かったぜ。ありがとよ」

 

 通路の中、シンプルな道の曲がり角に身を隠す様に3人は座っていた。今は2人の体力が戻るまで移動する事は出来ない。通路の影から部屋を伺いつつ、2人に休憩するよう促した。

 

「……やっぱり来ちゃったんだね」

「ええ、嫌な予感がしたので」

「うん、そんな気はしてた。でも約束を破っちゃダメなんだよ!」

「すみません」

「その辺にしておこうぜ。こいつが来て助かったのも事実だしさ」

 

 クロウは得物の銃に損傷がないか調べながらもライに助け舟を出す。トワはまだなにか言いたげだったが無理矢理納得して口を閉じた。それを見てライは部屋の監視に戻ることにした。未だに部屋内を多くの影が蠢いている。

 

「そういやさっきの煙は何だ?」

「恐らく煙玉です。鞄の中に入っていました」

 

 説明するためにライは鞄を持ち上げる。クロウはそれをじっと見つめてきたが、直に視線を銃へと戻した。今度は反対にライが口を開く。

 

「あの黒い影はいったい」

「そりゃこっちが知りたいぜ。当たりはするが、まるでダメージが通らない。アーツに関しても効かないときた」

 

 2人は思い出しながら苦い顔をしていた。どんな攻撃をしようとも、何事も無かったかのように迫り来る敵。影単体がそれほど強くなかったのが幸いだった。そうでなければ既に2人はここにいないだろう。

 しかし、今の会話でライにとって分からない単語が出てきた。

 

「……アーツとは?」

「あ、ごめん。記憶喪失だったもんね。……えーと、アーツっていうのは導力オーブメントを使って発動する魔法のようなものだよ。火水風土の下位4属性と幻空時の上位3属性、合わせて7属性の魔法が使えるの」

 

 そう言ってトワは自身の戦術オーブメントと呼ばれる機械を取り出し、カバーを開ける。その中には大きな宝石と小さな結晶が6つはめ込まれていた。

 

「これが戦術オーブメント。たしかライ君の鞄の中にも入っていたはずだよ」

 

 ライは鞄の中を漁る。するとすぐに同じ機械が見つかった。違うところがあるとすれば、中に宝石も結晶も入っていないというくらいか。

 

「中の結晶はクォーツって言って、オーブメントの中にある七耀石(セプチウム)から取り出した導力ってエネルギーを使って、アーツを使用したり身体能力を高める事ができるんだ」

「……俺が予備を持ってるから入れてみな。アーツは通じなかったが、身体能力の強化は必要になるはずだ」

 

 クロウから大小2種類のクォーツを受け取る。角度を変え眺めてみるが、別に特別な構造は見当たらない。しかし、それらをオーブメントの穴に入れると体の芯が熱くなるのを感じた。心なしか体が軽い。

 ライが体の変化を確かめていると、クロウが思い詰めた顔をして質問してきた。

 

「ライ、ここに来るまでに奴らにあったか?」

「いえ何にも。……ここは引きますか?」

「そうしたいのは山々だが、もう少し奴らを探りてぇな」

 

 クロウはそう言って部屋の方向を睨みつける。正体不明、対処法不明の魔物が学院のすぐ近くに蠢いている事が無視出来ないのだろう。危機的な状況を脱した今、彼の意識は黒い魔物の謎に向けられていた。

 だがその言葉にトワが反対の姿勢をとった。

 

「ううん、ここは戻ろう? 今のわたしたちじゃ何もできないかもしれないし、先生達を呼んで体制を整えた方がいいんじゃないかな。……それに——」

 

 トワの大きな瞳はライへと向けられていた。その顔には心配そうな表情が浮かべられている。それを見たクロウは思わず反論の口を閉じてしまうのだった。

 

「……そうだな、ここは戻るとすっか。ライもそれでいいな?」

 

 ライも頷き肯定の意を示す。ライとしても丸一日寝ていたために本調子ではないのは分かっていた。

 うしっ、というクロウのかけ声を皮切りに3人は立ち上がる。まだ先輩2人の体は重そうだが、動ける程度には回復したようだ。3人それぞれが互いの状況を確認し合うと元来た道へと走り出した。

 

 

◇◇◇

 

 

 3人は装飾の施された通路を駆け抜ける。左右に入り組んだ異様な通路。突然の事態に備えクロウを先頭に、全体の援護の可能なトワを後方、そしてライを中央に置いた陣形である。今のところ順調、だがライの中に違和感が生まれる。

 

「……おかしい。確か道は直線だったはず」

「ん? どうしたライ」

 

 ライの独り言を聞いたクロウは前方に意識を向けたまま聞き返す。トワも気になったのかライの顔へと視線を向けた。

 

「行きは直線でした。だけど今は入り組んでいる」

「もしかして道を間違えちゃったの?」

「いや、分かれ道はなかったはずだぜ。それに確かに俺たちのときとも道が違う。もしかしたら道が変化しているのかも知れないな」

 

 このまま進んでも入り口に戻れないかもしれない。そんな不安が3人の心に芽生える。だが他に道がない以上、このまま進むしかないのだ。不安に駆り立てられる様に3人の足も自然と速くなっていく。

 

 そして突然、開けた空間へと躍り出た。入り口のホール。否、先ほどと似た部屋だ。反対側に道が続いている。そして案の定、壁から黒い影が這いずりだしてくる。

 周囲が黒く染まっていく中を全力で駆け抜ける。だが間に合わない。

 

「またかよ! ライ、煙玉はまだあるか!?」

「残り2つ!」

 

 再度視界が煙で覆われる。その中を突っ切り、なんとか反対の通路へとたどり着く。回復したばかりの体には相当こたえたのか2人は壁に手をつき、息を整えていた。

 

「はあ、はあ、……こりゃトワの言う事聞いて正解だったな。一分一秒ここにいたくねぇ」

「そう……だね……」

 

 残された煙玉は後1つ。これ以上影に遭遇しない事を願うばかりだった。

 

 

◇◇◇

 

 

 ——数分後、再び開けた空間へと出た。広いホールのような空間。間違いない、今度こそ入り口だ。

 

「ははは、ようやくたどり着いた。……はぁ、早くここから出ようぜ」

 

 クロウはそう言うとふらふらと入り口のドアへと歩き出す。残されたライとトワも続いて歩き出した。

 だが中程まで来たところで、ライは頭に微かな痛みを感じた。思わず歩を止めたライに気づき、少し前を歩いていたトワが心配そうに振り返る。

 

「ライ君、大丈夫?」

 

 ただの頭痛か。いや、違う。何か危険が迫っている。ライにはそう感じた。

 左右を見回すが変化はない。ならば、上か!

 ホールの天井を見上げたライの目に映り込んできたのは這い出してくる巨大な影。当然他の2人は気づいていない。ライは思わず敬語も忘れ、大声で叫んだ!

 

「上だ、避けろ!」

「え? ……っ!!」

 

 一瞬天井を見上げる2人。落ちてくるその存在に気づくと反射的に飛び引いた。少し遅れて巨大な質量が轟音と共に着地する。

 そこに居たのは全長4メートルを超えるような巨大な人型の魔物。非生物的な長い4本の腕を携え、顔のあるところには黒い影と同じような仮面が付いている。これも、奴らと同じ正体不明の魔物なのか。

 

「くそっ! ここまで来て大物かよ!?」

 

 2丁拳銃を構えるクロウ。同時にライへとアイコンタクトを図る。そう、目的はここからの脱出。別に戦う必要はないのだ。

 それを読み取ったライは即座に煙玉を取り出し、クロウの牽制と同時に魔物に叩き付けた。だがここは広すぎるため、すぐにこの煙も四散するだろう。3人は急いで入り口へと駆け出す。だが——

 

(こっちを見ている?)

 

 ライは濃い煙の向こうから強烈な殺気を感じた。危ない、そう直感で感じたライは近くを走るトワを抱え込みながら跳び、地面に転がる。

 その瞬間、2人の頭上を巨大な腕が通り過ぎる。風圧でかき消される煙、当たればひとたまりもない。

 

「大丈夫ですか、ハーシェル先輩」

「……うん、ありがと」

 

 トワに目立った怪我のないことに安堵するライ。だが息をつく暇はない。ここは魔物の目と鼻の先なのだ。倒れて動けないライ達を潰そうと魔物はその両椀を天高く振り上げる。

 

「そうはさせるかよ!」

 

 振り下ろす寸前、クロウが放った2つの銃弾が正確に影の足の関節へと命中する。急所を突かれたことによって大きくバランスを崩し、腕はあらぬ方向へと振り下ろされた。粉々に砕かれる石の地面。その威力にライは思わず冷や汗をかいた。

 だが驚いてばかりはいられない。せっかく生まれたこの隙を生かさなくてはいけない。ライは急いで立ち上がろうとし、同時にエネルギーが近場に集まっている事に気づく。

 何事かと視線を下ろすライ。そこには倒れた姿勢のまま導力オーブメントを構えたトワがいた。彼女は既に行動していた。ここから脱出するための次なる一手を。

 

 アーツ発動。放たれた緑の奔流は魔物ではなく2人を包み込む。

 

「これは……」

「風属性のアーツ、シルフィード。一時的に脚力を強化するアーツだよ。足を止めないとアーツを使えないからこんなタイミングになっちゃったけど、これならあの魔物からも逃げられるはず……。さ、行こう! ライ君!!」

 

 2人は弾かれる様に立ち上がり、入り口へと疾走する。体が軽い。一瞬で魔物の攻撃範囲から抜け出した。

 

「こっちだ!」

 

 入り口で銃を構えながら叫ぶクロウ。そこまで後30m、20m、10m……!

 

 と、そのときライの視界が暗くなる。

 反射的に携えていた剣を両手で盾にする。瞬間、剣はへし折れ、ライの体が紙切れのように吹き飛んだ。

 あの巨体だから足は遅いものだと勘違いしていた。魔物は強化した脚力をあざ笑うかの様に追いつき、横殴りにライを吹き飛ばしたのだ。

 

 壁に叩き付けられるライ。

 肺の中の空気が吐き出され、一瞬意識が飛ぶ。

 そのまま地面に崩れ落ちたライは、震える手、痛む体を酷使してゆっくりと上半身を起こす。

 

 ……そこには予想外の光景が広がっていた。

 入り口の前にいたクロウも、ライの前を走っていたトワも、2人は問題なく安全圏まで行けたはずだ。

 だが、今2人は魔物の前に立っている。そう、ライをかばう様に背を向けて、逃げる事を止めた様に堂々と。

 

「ライ君、大丈夫!? 動けるなら今のうちに逃げて!」

「ここは俺たちで食い止める。なぁに、俺たちは上級生なんだ。こんくらい朝飯前だ!」

 

 ライに逃げるよう促す2人。だが、微かに見える2人の顔には悲痛な覚悟が浮かべられていた。負けるわけにはいかない。だが勝てる方法が分からない、そんな覚悟が。

 

(俺はここで逃げるべきなのか? あの2人を見捨てて?)

 

 ライは困惑していた。自身すら忘れた自分を、知り合ったばかりの自分を助けようとする2人の行動に。

 同時に悔しかった。2人の助けになろうと追いかけたにも関わらず、結局は死地へと誘う原因となっている事に。

 

 気がつけばライは立ち上がっていた。だが足は動かない。頭では逃げたほうがいいと分かっている。しかし、逃げたくない、逃げるべきではないとライの心は叫ぶ。いったいどうすればいい……。

 

 

 ————ドクンッ。

 

 突然体が跳ね上がる。無意識に懐に入れていた銀の拳銃をその手に握りしめていた。まるでそれが自然であるかのように。

 

 ————ドクンッ。

 

 体が熱い。銃を持つ腕が自然と持ち上がる。だが、この銃ではあの魔物に傷をつける事は出来ないはずだ。

 

 ————ドクンッ!

 

 いや、違う。この銃は相手を傷つけるものじゃない。これは、自身の覚悟を示すものだ。

 

 ————ドクンッ!!

 

 銃を自殺の様に自身のこめかみに当てる。

 その手は微かに震えている。だが、その顔は覚悟を決めた漢のものであった。

 爆発するような熱が体中を駆け巡る。頭に浮かぶは4文字の言霊。その全てを解き放つために全力で引き金を引いた。

 

「——ペルソナッ!!!!」

 

 パァンと、乾いた音が鳴り響く。

 ライの頭から吹き出したのは青く輝く結晶。大小様々な光が暴風を巻き起こしながら巻き上がる。

 そして形作られるは異形の人形。

 光り輝く強大な存在がライの上空に悠然とたたずんでいた。

 

 ライは頭の中で歯車のかみ合ったように感じた。今までが嘘の様に意識がはっきりする。もう現実感がなく無力であったライは何処にも居ない。ここにいるのは1人の戦士だ。

 

 

 ——さあ、ここから反撃が始まる。

 

 



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3話「ペルソナ」

 時間が少しさかのぼりライが魔物の巨椀によって吹き飛ばされた頃、壁に叩き付けられた音を聞いたトワは反射的に振り返り、助けようと足を出す。それをクロウは止めた。

 

「クロウ君! あのままじゃライ君が!!」

「だけど俺らが行ったところでどうするんだ! 待ってろ、今奴を引きつける!」

 

 再度クロウは魔物の急所めがけて銃弾を発射する。しかし、魔物は4本腕のうちの2本を使い器用にその攻撃を防いだ。魔物の関心は依然としてライに向いている。注意を引く事すら出来ない。

 

「くそっ! 学習してやがる」

 

 クロウは限られた時間で他の手段を考える。銃撃、アーツ、だがどれも間に合わない。終いにはライを見捨てるという手段まで考えたところで思考を停止させた。

 

「こうなりゃヤケだ。あいつがいなきゃここまで来れなかったんだ。見捨てる訳にはいかねぇだろ!」

 

 そう自分に言い聞かせクロウは走り出す。結局はトワと同じ方法に行き着いてしまった。トワもそれに続いて走り出す。

 たどり着いた場所は魔物とライの間。何とかして時間を稼ぐ。それが2人の出した結論だった。

 

 何とか起き上がろうとするライに逃げるよう伝え、自分たちは魔物に対峙する。

 はっきり言って手段などない。急所を隠された以上、あの巨体をのけぞらせるほどの攻撃は出来ない。アーツに関しても強大なものほど長時間の駆動時間が必要になる。

 2人には目の前に映る建物ほどの巨大な魔物が絶対の壁の様に思えた。

 

 一歩一歩迫り来る魔物。一歩も引く事のできないトワとクロウ。

 

 だが、緊張の高まる中、唐突に魔物の足が止まった。

 それにトワは疑問を感じる。

 まるで自分たちの向こうに何かを見たかのような行動。そう考えついたトワは注意を前に残しつつも視線を後ろに向ける。そこにあったものは自らのこめかみに銃を押し付けるライの姿だった。

 自殺を思わせるその行動にトワは思わず声をあげる。

 

「ライ君、何を——っ!!」

 

 だが言葉は途中で途切れた。ライが銃の引き金を引いたとき、突如として彼を中心に光の突風が巻き起こったからだ。

 光と風に一瞬目をつむるトワ。次の瞬間彼女が目にしたものは、彼の頭上に出現した光の巨人だった。

 

「何だよ……これ……」

 

 遅れてライを見たクロウが戦いも忘れ呆然と呟く。

 魔物と同じくらいの身長、しかし魔物とは反対に真っ白な光で構成されている。黄金のマントを羽織り、その顔には金属製の仮面が、その手には角笛を思わせるような巨大な鎚が握られていた。

 

「……魔物を、召還した……?」

 

 完全に理解の範疇を超えた状況。トワとクロウの2人はただ呆然と立ちすくむ。2人にはまるで時が止まったかの様に感じられた。

 それを壊したのは対峙していた魔物だった。突如怯えた様にライへと走り出す魔物。意識が逸れていた2人は反射的にそれを避けてしまう。

 

「っ! 避けて!」

 

 既に遅いと分かっていながらもトワは叫ぶ。だがライは動かない。髪に目が隠れ、ただその場に立ち続ける。

 迫り来る脅威、目前と迫った魔物に対しライはその口元を歪めた。

 

「……え?」

 

 トワにはそれが、笑ったように見えた。

 

 

◆◆◆

 

 

 体が熱い。ペルソナと言う巨人を召還したライは自らを開放したかのような強烈な感覚に襲われていた。絶え間ない力の奔流、高騰する意識。

 ライは無意識に理解した。このペルソナはもう1人の自分であるということを。そしてこれは自らの牙である事を。

 

 “我は汝、汝は我。我が名はヘイムダル。神々の国を守りし番人なり”

 

 ヘイムダル、それがこのペルソナの名。

 

 その声に耳を傾けていると、迫り来る魔物がその椀を突き出してきた。

 先ほどまでは圧倒的な脅威であった攻撃を前に、ライはただ無造作に片手を前へと掲げる。これは合図だ。頭上の巨人、ペルソナがその手の鎚を振り下ろす。

 

 轟音、ライを襲うはずだった腕が肩からちぎれ飛ぶ。初めて与えた明確なダメージ。魔物は思わず後方へと飛び跳ね大きく距離をとった。

 

「効いたってのか、あの魔物に……」

 

 今までどんな攻撃を加えても効かなかった正体不明の魔物に対して、1撃で大きなダメージを与えた事にクロウは動揺を隠せなかった。威力が高かったなどの単純な理論ではない。もっと異質な何かであるとクロウの直感は叫んでいた。

 

「やれ、ヘイムダル」

 

 ライはペルソナの名を呟く。その言葉に応じ、ヘイムダルが魔物へと飛び立つ。空を駆けるヘイムダルは鎚を大きく振りかぶり、風を裂きながら勢いを乗せた一撃を放った。

 鎚が魔物に激突する寸前、魔物は残りの3本の腕をクロスさせ防御の態勢をとる。だがヘイムダルは強引に押し込み、その巨体を壁へと弾き飛ばした。

 先ほどとは真逆の光景。瓦礫の山に埋もれた魔物は特徴的な腕で勢いを殺したものの、大部分が潰れ、液体のように溶けて消えていた。

 

 魔物はピクリとも動かず、辺りに静寂が生まれる。誰もがこれで終わったのかという錯覚に捕われた。だがそれも直に壊されることとなる。

 突如仮面の顔を上げる魔物。腕を失った肩から湧き水の如く黒い影が吹き出す。何かを仕掛けてくると感じ取ったライはトドメを刺そうとするが、もう遅い。

 吹き出した影が無数の線となり空間に散らばる。1つ1つが細く鋭い腕だ。それが10、100と猛烈に数を増やしながら、無差別に辺りに突き刺さっていく。

 

「おいおい、見境なしかよ!」

 

 腕の豪雨を至近距離で受けてしまったヘイムダルは体中が串刺しにされ、ガラスの様に砕け散る。

 唯一の対抗手段が破れた事に一瞬思考が停止するクロウ。だが離れるほどに黒い腕の密度が下がっていくことに気づいたクロウはトワをかばいつつ急ぎ後方に距離をとった。

 だが、放たれた黒い線は彼らの横を、頭上を、足下を、容赦なくえぐり取っていく。避けきれない。2人の心に最悪の光景が浮かぶ。

 

「大丈夫」

 

 そんな彼らの心を察してかライは静かに声をかけた。黒い腕の雨の中、ゆっくりと2人の間を通り抜け、魔物のもとへと近づく。鋭い腕が体を掠め、いくつもの赤い線が刻まれるが、ライの心は落ち着いていた。そう、ライにとってこれは対処可能な攻撃にすぎないのだ。

 

「"俺たち"は、まだ敗れた訳じゃない」

 

 ライは再度銃をこめかみに押し当てる。そして、再度——

 

「ペルソナ!」

 

 青い光を携えヘイムダルを召還する。その姿に先ほど受けた傷跡は見当たらない。一度くらい砕けたところでペルソナに大した影響はないのだ。

 

 もはや魔物が見えないほどに増殖している腕を前に、ヘイムダルはその腕を構える。

 あの中に飛び込めば先の二の前だ。ならば、近づかなければいい。

 

 心の中から浮かんでくる2文字の言霊。

 それが何をもたらすのかをライは無意識で理解する。

 

 ——アギ。

 

 ライは頭の中で呪文を唱えた。

 突然、何もない空間に爆炎が発生し、その衝撃で黒い檻の一部が砕かれる。

 吹き付ける熱風を浴びながらライの瞳は尚も増殖を続ける腕を見据えた。

 こちら側に飛んでくる腕を砕きつつ、本体を焼き尽くす。

 ライが選んだのは至極単純、力をより強大な暴力で蹂躙する方法だった。

 

 迫り来る腕を炎で吹き飛ばし、次なる炎で増殖の起点である肩を焼き尽くす。

 尚も吹き出す腕に対し、ライも更なる炎で応戦し続けた。

 

 5回、6回と炎を浴びせたところで、ようやく腕の再生は止まる。

 周囲の地面が余波で燃え上がる中、ヘイムダルが腕のない上半身のみとなった魔物の頭を掴み上げる。

 

「今度こそ、トドメだ」

 

 ヘイムダルの手に力が込められ、その頭を握り潰した。すると黒い魔物は水の様に溶けて消えていった。これで脅威は去ったのだ。ライはヘイムダルを戻し、ホッと息をつく。

 

「ライ君!」

 

 その声に振り返れば、トワ達がこちらに駆け寄ってくるのが見えた。

 ライはその光景に顔を僅かに緩めると、全身から力が抜けるのを感じた。

 極度の緊張が解かれたからか、壁に打ち付けられたダメージか、はたまた慣れない状況で何度も力を使ったからか。理由はいくらでも考えられる。

 

 ライはそのまま地面に崩れ落ち、深いまどろみの中に落ちていった。

 

 

◇◇◇

 

 

 気がついたら、知らない天井だった。

 と言ってもライの知っている天井など医務室くらいしか無いのだが。

 医務室のものとは違う柄の入ったシーツを押しのけ、ベットから身を起こす。

 

「……ッ!」

 

 体に鋭い痛みが走る。よく見ると体には包帯が巻かれていた。

 その傷で気絶する前の戦いを思い出し、助かった事に安堵する。

 

 それにしてもここはどこなのだろうか。

 ちょうどいい大きさの個室。窓の外には学院の入り口で見たライノの木が見えることから、トールズ士官学院のある町の中なのだろうと想像する。

 

 より詳しく見ようと立ち上がろうとする。だが窓の反対側にある入り口の方から発せられた声にライは停止した。

 

「あ〜起きちゃダメよ。軽症とはいえ短期間で2回も倒れたんだから」

 

 入り口の方をみるとそこには赤い髪をした妙齢の女性が立っていた。いったい誰なのかという疑問がライの頭に浮かぶ。

 

「ん? あーそっかそっか、まずは自己紹介よね。私はサラ・バレスタイン、あなたの担任よ」

 

 担任、クラスを纏め上げる教師を指す言葉だったはずだ。だとすればこの人がライの所属するクラス、VII組とやらの教師なのだろう。

 

「ごめんなさいね。本当はもっと早くに顔を見せる予定だったんだけど、色々とあって遅れちゃったわ」

 

 その色々の中にはあの正体不明の魔物なども含まれているのだろうか。どちらにせよ記憶喪失で目覚めてからあまり間を置かずに旧校舎に入ったため、責める気などみじんも起きなかった。それよりも気になる事が別にある。

 

「それで、あなたは何があったかご存知ですか。あの2人は……」

「お、いきなり確信を聞くわねぇ〜。まず始めに言っておくわ。旧校舎に入ったトワとクロウは無事、両方とも疲れが残ってるけど擦り傷を負ったくらいの軽症よ」

 

 その言葉を聞いてライは安心した。ペルソナを召還して魔物を倒した事は決してライの夢や妄想ではなかったのだ。

 その様子をサラは興味深そうに観察する。

 

「なるほどなるほど。彼女が言っていた事もどうやら正しかったみたいね」

「……どうかしましたか?」

「いえ、こっちの話よ。それじゃ話を続けるわね。あなたが気絶した後、脱出した2人が私たち教員に連絡を入れたのよ。それで私と医師のベアトリクス先生が急遽駆けつけて治療して運んだって訳。ちなみにここはその寮よ。ここなら色々と都合がいいから」

 

 本来ならば先輩2人とともに訪れていたはずの学生寮。奇しくもライはここにたどり着いていたようだ。

 だが医療機器が揃っている医務室よりも遠い寮に運んだ理由、都合がいいという発言から察するにそれは学院では話せない事だろう。ならそれはきっと——

 

「あの旧校舎の出来事について事情を聞きたいといったところですか」

「察しがいい子は嫌いじゃないわ♡ ……そうね、トワとクロウが見たって言う光の巨人について教えてもらえないかしら」

 

 光の巨人。ペルソナについてライ自身知っている事は少ない。だが召還したときに感じたものが何かのヒントになるかもしれないと考えたライは、ありのままに伝える事にした。

 

「あの巨人はペルソナと言います。詳しくは俺も分かりませんが、召還時、もう1人の自分であるように感じました」

「…………」

 

 ライからさらに情報が得られないかとじっと見つめてくるサラ。だがこれ以上何も出てこないと悟ると、別のアプローチで問いかける事にしたようだ。

 

「それじゃあ、あの銃について知っている事は無いかしら」

 

 そういってサラは机の上に置かれた銀色の銃を指差す。ライはあれで自身の頭を打ち抜く事でペルソナを召還した。だがあれは無意識の行動であり、なぜかと問われてもライには何も答えられなかった。

 

「いえ、何も思い出せません」

「……そう。ならあの銃を調べさせてもらえないかしら?」

「それは……」

 

 個人的に渡したくなかった。ライにとってあれは数少ない過去の手がかりだ。だが銃の謎を調べれば何か分かるかもしれない。ライの中で思考が揺れ動く。

 それに気づいたサラはおどけた口調で訂正した。

 

「大丈夫よ♪ 別に取り上げて調べる訳じゃないわ。一緒に銃の調査に協力してほしいのよ」

「それなら喜んで」

 

 不安が取り除かれたのならば答えは肯定しか無い。信用するかという問題もあったが、ライはこの人が信用に値する人であると言う直感を信じる事にした。

 

「はいはい、それじゃあこの話はいったん終わり。次の話に移るわね」

「まだ何か?」

「今までのは教官としての私の話。これからは担任としての私の話よ」

 

 そう言ってサラは言葉を止める。何処から話したものかと頭を悩ましているようだ。

 

「えーと、君はトワやクロウからクラスについてどこまで聞いているかしら」

「VII組という特別なクラスに俺を含めて10人いる、というくらいは」

「そう、ならまずはどう特別なのかについて説明するわね。本来このトールズ士官学院は貴族と平民それぞれ違うクラスに分けられていたわ。だけど今年から試験的に身分に囚われないクラスが発足したの。それがVII組」

 

「貴族……平民……」

「記憶喪失なら実感が湧かないのもムリはないわね。けどここエレボニア帝国では身分制度は根強く残ってるのよ」

 

 だからこそのVII組の発足。身分に囚われない環境に生徒を置く事によって未来に新たな風を起こそうとしているのだろう。ライには実感は伴わないものの、その意義は十分に伝わった。

 

「あなたはそのVII組の一員、になる予定ね。だけどあなたには3つの道があるわ」

「3つ?」

「1つ目はVII組の一員となる道。2つ目はVII組を離れ庶民のクラスで勉強をしていく道。そして3つ目は病院に入院して記憶喪失を治す道よ」

 

 突然提示された3つの道。特に2番目の選択肢についてライは考えもしなかった。詳しく内容を聞かなければ判断出来ないと思い、続きを促す。

 

「どれがいいか私には決められないの。今はまだ詳しく言えないけどVII組には特別なカリキュラムがあってあなたの記憶を戻す助けになるかもしれないわ。だけどそれは相応の危険も伴うのよ。もし安全に暮らしたいなら他のクラスに行く事をお勧めするわ」

 

 庶民クラスにも席は用意しているとサラは付け加えた。学院側としては不安定な記憶喪失になったばかりの生徒を危険な環境に置きたくない事はその顔から伝わってくる。だがサラはその選択をライ自身にゆだねる事にしていた。

 

「そして分かっていると思うけど、病院に行く道が一番堅実よ。ベアトリクス先生のつてもあるから病院の心配はいらないわ」

 

 当然、最も安全かつ堅実なのは病院だろう。だがそれはこの学院を離れ、入院生活を送る事を意味している。

 何を選んでも何かを得、何かを失う。ならばライの選ぶ選択肢は——

 

「VII組に参加します」

 

 VII組の一員となる道である。危険などすでに経験している。それに旧校舎の謎を残したまま離れる気はライにはなかった。

 例え危険であろうとも可能性は掴みにいく、それがライの出した決断だった。

 

「君ならそう言うと思ってたわ」

 

 そういっていい顔をするサラ。何となく予測をしていたらしい。そもそも危険を恐れるならばライは旧校舎に自ら入ってなどいなかったのだから。

 

「ようこそ特化クラスVII組へ。歓迎するわ、ライ君」

「今後ともよろしくお願いします、バレスタイン教官」

 

 担任なんだからサラ教官でいいわよ、と言いながら手を差し出すサラ。

 ライはそれに応じ固く握手をする。

 

 この瞬間、ライの特化クラスVII組への参加が決まったのだった。

 

 

 

 ……後から思えば、これが初めの分岐点だったのだろう。

 ライがVII組に参加する事こそが、良くも悪くもライ自身に、そしていずれこの世界に大きな影響を与えていく事になるのである。

 

 




愚者:ヘイムダル
耐性:火炎耐性、電撃弱点、祝福無効
スキル:突撃、アギ
 北欧神話における光の神。神々の住まうアースガルズの見張り番を務め、その目は160キロ先を見通し、その耳は草の伸びる音すら聞き取ると言われている。ヘイムダルが角笛ギャラルホルンを鳴らす時、終末の戦争ラグナロクが始まりを告げる。
————

 これにて序章部分は終了です。
 初ペルソナ召還時は無双がお約束。だけど早く軌跡のキャラも輝かせたいものです。
 ……キャラの書き分けって難しい。生徒だけで10人っておまっ。原作ライターの方々や他の作者を尊敬します。


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1章 -燃え盛る懐疑心- 
4話「戦いのあと」


「それで、旧校舎の中で何があったのか教えてくれないかしら」

 

 クロウが気絶したライを寮のベットに寝かせた時、頃合いを見計らってサラが2人に聞いた。

 トワは話してもいいのか一瞬迷うが、順を追って話す事にした。突拍子もない出来事だったが、サラならば無下にはしないだろうという判断からだ。

 

「えぇと、まず旧校舎に入った理由ですけど、あたしとクロウ君がライ君を案内しているときに咆哮のような音を聞いたんです。それが旧校舎の方角だったので——」

「異音についてはこちらでも確認しているわ。というよりそれで一騒動あったのよね。あなたたちは気づかなかったかもしれないけど、あの異音が鳴り響いてからしばらくの間、近場の導力器が使えなくなったのよ。それでこっちはリベール事変の再来だーとかでてんてこ舞いだったわけ」

「あれ、ちょっと待てよ。俺たちは旧校舎の中で普通にアーツを使えたぞ?」

「そりゃ直った後だったからでしょうね。……もしくは旧校舎の中が特別だったか。続けてくれるかしら」

 

 異変が思ったよりも深刻であったことに驚きを隠せない2人。だがトワは内心納得した面もあった。クロウを追って旧校舎に入る寸前、トワは通信で増援を呼ぼうとしていたのだ。しかし反応は帰ってこない。そのときトワは通信に不具合が生じたと思ったのだが、真相は予想外なものであった。

 

 その後トワは旧校舎内のことを事細かに説明していった。変化した扉の向こうに広がっていた旧校舎内部とは似ても似つかない空間。ダメージの通らない正体不明の魔物。常に変化する道。そして、ライの召還した光の巨人。それを時々クロウの見聞を交えながら説明していく。

 

「あ〜、これはまた大変なことになったわね。おかしな空間についても聞きたいけど、早急の問題は正体不明の魔物かしら。クロウ君、あなたから見た意見を教えてちょうだい」

「強さについては最後に出た大物以外は普通の魔物と大差なかったぜ。だけど厄介なのはこちらの攻撃が一切通らないってことだな。銃での攻撃に打撃、予備で持ってたナイフ、アーツも色々と試したが全部ダメだった」

「うん、バトルスコープも使ったんですけど結果は同じでした」

 

 バトルスコープとは、敵を解析する幻属性のアーツであるアナライズの効果を組み込んだ道具である。

 普通の魔物の中にも実体がなく物理攻撃が極端に効きにくいものなどがおり、その弱点などを調べるために重宝されている。だが、あの黒い影に使ってもエラーを返すばかりで何の情報も得られなかった。

 

「……今日のオリエンテーリングで出なくて助かったわね。入学したての生徒に対処できる魔物じゃないわ」

 

 不幸中の幸いだったとサラは胸を撫で下ろす。

 実は今日の昼間、例の旧校舎でVII組の入学生を相手にオリエンテーリングを行っていたのだ。内容は魔物の蔓延る旧校舎の地下から脱出するというもの。それは生徒達の顔合わせや実力の把握を兼ねたものだったが、そこに黒い影が出現していたらタダでは済まなかったかもしれない。

 

「それで、その魔物に対応出来たのがそこで眠っているライ君だった訳ね」

 

 サラはベットの上で規則正しく息をするライを見た。経歴不明の10人目の新入生。上の判断で渋々入れることになったのだが、サラの元にもほとんど情報はなかった。だからこそ入学前日に駅で倒れているのが発見されたという知らせを聞いたときは驚いたものだった。

 そして夕方にベアトリクスから記憶喪失の話を聞き、さらには旧校舎の異変である。

 一体何回驚かさせるつもりかとサラは苦笑いした。

 

「ライが使っていた煙玉は一瞬で広範囲に広がるものだった。それにあの光の巨人。もしかしたらライはあの魔物と何か関わりがあったのかもしれねぇな」

 

 クロウが旧校舎の中で感じた推論を口にする。1つならば偶然かもしれないが、2つも重なれば関わりがあると考えるのは当然だ。

 そしてライが上層部からの推薦で来た事を踏まえると、軍とも何かの関わりがあるんじゃないかという推測が立つ。クロウは何やらきな臭い雰囲気を感じていた。

 

「そうそう聞きたいのはその巨人よ。あなたたちが遭遇した魔物に唯一ダメージが与えられたそうじゃない。それについて何か気づいた事はないかしら」

 

 その言葉に2人は考え込む。思い当たる特徴は幾つかあった。と、ここでトワは見せていないものがあることに気づく。

 

「……ライ君はこの銃で自分の頭を打ち抜いて光の巨人を召還していました」

 

 トワは持ってきたライの鞄の中から一丁の銃を取り出した。倒れたライをクロウが担ぐ際、地面に落ちていた銃を鞄に入れて持ってきていたのだ。

 サラはトワからその銃を受け取り、興味深く観察した。

 

「弾を入れる機構もなければ導力銃でもない、か。特徴があるとすればこの柄の青い結晶ね。……ねぇトワ。この銃、弾は出るのかしら」

「ベアトリクス先生の話では弾は出なかったみたいですよ」

「そう」

 

 それを聞くとサラは遠慮する事なくそれを自身の頭に押し当てた。そしてトワが止める間もなく引き金を引く。だが——

 

「……何も起こらないわね。だとすればライ君自身に何かあるということかしら」

「もし何かが起きたらどうするつもりだったんですか!?」

「そのときはそのときよ。それよりクロウ君? さっきから考え込んでいるみたいだけど、何か気になる事でもあるのかしら」

 

 女性2人の顔がクロウに向く。クロウはまだ考えが纏まっていないのか視線を右往左往させたものの、観念してありのままを話す事にした。

 

「いや、ライがあの巨人を使役するときに2つの固有名詞を言っていた筈なんだ。何だっけな……」

 

 別にクロウまで記憶を失った訳ではない。疲労が溜まり思考が正常に働いていないのだ。理由は分からないが、クロウはまるで数日間ずっと戦っていたかのような疲労感に襲われていた。トワも表に出さない様に頑張っているが、同様に疲れが見て取れる。

 

「……たしかペルソナ、とヘイムダル、じゃなかったかなぁ」

 

 トワが曖昧ながらも思い出し、口にする。

 

「おお! そうだそうだ、確かにそう言ってた!」

「ちょっと待ちなさい! 何でそこで帝都の名前が出てくるのよ!?」

「いや俺に聞かれても分かんねぇよ。でも確かに言ってたんだ。あの口ぶりから察するにあの光の巨人の名前みたいだったぜ」

 

 帝都ヘイムダル、それがこのエレボニア帝国の首都の名だ。その名を冠する巨人を使役するライという青年は一体何者なのか。依然として静かに眠るライにサラは疑惑の目を向けた。

 だがそんなサラの姿勢にトワが待ったをかける。

 

「サラ教官、ライ君はなにかを企んでいるとか、多分そういう人じゃないと思います」

「…………」

 

 サラは言葉が出せなかった。何せサラは実際に起きているライと接した事がない。経歴不明で上層部と関わりがあり謎の力を持っているという情報だけがサラの知る全てなのだ。仕方が無いとはいえ、そこから無意識に人物像を作り上げていることに気づかされた。

 

(VII組の発足で余裕が無くなっていたようね)

 

「トワ、あなたの言いたいことはよ〜く分かったわ。でも聞かせてちょうだい、何でそう思ったのか。私は彼についてなんにも知らないもの」

「……クロウ君、ライ君が2回目の召還をしたとき、あたし達より前に歩いていったよね。それって何故だと思う?」

「ああ、あんときか。……んと、あのアーツみたいな炎攻撃に射程距離があった、とかじゃないのか?」

「……そうかも知れないけど、彼はあたし達を攻撃に巻き込まないために前に出たんじゃないかって、そう思うの」

 

 トワは思い出す。あの時前に出る事は危険以外の何ものでも無かったし、事実ライはそれでいくつもの切り傷を負っている。それに、あの炎は魔物を倒すだけでなく、トワ達に迫りそうなものを優先して爆破していた。

 

「だから、ライ君は何かをするために旧校舎に入ったんじゃなくて、あたし達を助けたいから追ってきたんだって、そう思うし信じたいんだ」

 

 トワ自身もそれが楽観的な推測にすぎない事はよく分かっていた。だが、医務室で会ってから旧校舎で気絶するまでの短い間に感じ取ったものをトワは否定したくなかった。

 

「なるほどねぇ〜。あなたがそこまで言うなら私も信じてみる事にするわ。……それに私も何だかこの子に興味が出てきたしね♡」

 

 そうしてもう一度ライの寝顔を見るサラ。その顔は新しい玩具を見たかの様に明るいものだった。

 

 ……これから一晩明けた次の日の朝、ライが目を覚ます事となる。

 

 

◆◆◆

 

 

 今日は4月1日。どうやら入学式の翌日らしい。

 サラとの握手の後、寮での謹慎を命じられたライはただ一人、だれもいない寮のロビーで座っていた。

 

「……暇だ」

 

 昨日の密度に比べたら、何と時間の有り余ることか。

 記憶を失う前の自分なら何をしていたのかと、ライは霧に隠れた過去へと思いにふける。

 

(荷物を漁れば何か分かるかもしれないな)

 

 ライは何気なしに鞄の中身をソファーの前の机へと広げる。

 

「…………」

 

 出てきたのはバッチにお守り、かざぐるま、古ぼけた人形、勾玉、袋に入った氷、その他もろもろ。

 訳が分からない。倒れる前の自分は祭りにでも行ってたのかとライは頭を抱える。

 考えるほどに頭がこんがらがるので、ライはそれらをそっと鞄に戻すのだった。

 

(……考え方を変えよう。今の俺で出来る事、やるべき事を探すんだ)

 

 ライは先ほどVII組の一員になると宣言したばかりだ。ならこれからはトールズ士官学院の生徒として勉学に励む事になるのだろう。と、ここでライの頭に1つ疑問が生まれた。はたして勉学についていけるのだろうか、という最もな疑問である。

 普通の勉学についても不確かなのに、よりによってここは士官する人間を育て上げる機関なのだ。恐らく相応の専門知識も求められるだろう。

 

 ライはソファーの隣に置かれた本棚に注目した。そこには大判の本がいくつも横に並べられている。小説もあれば、専門的なものが書かれていそうな本もある様だ。ライは迷わず専門的な本を手に取った。

 

(文字は読める。……だけど何を言ってるかさっぱりだ)

 

 文字に関しては吉報だったが、知識が足りていない事が判明する。もしこれが入学の水準ならば間違いなく落第生の印を押される事だろう。

 それでもライは飛ばし飛ばしに分かる部分を見つけては内容を読み解いていく。

 ……何だか知識が上がった気がした。

 

 そうしてついに最後までページを捲ってしまったライは、次の本を手に取る。今度は地図と思わしきものだ。自身の記憶に繋がる地名などを見つけられないかと言う発想のもと、《ゼムリア大陸西部》と銘打たれた地図を確認する。

 

(……西のエレボニア帝国、その帝都近郊の町トリスタに今居るのか)

 

 赤い丸が書き込まれていた為、現在位置はすぐ分かった。しかし、その周辺、次に帝国全土へと範囲を広げてみても、記憶に繋がりそうな地名を見つける事は出来ない。

 

 ならばと更に範囲を広げ、国外へと視線を移す。

 帝国よりも東に位置する大国《カルバード共和国》、帝国と共和国の間に挟まれる形の《クロスベル自治州》、果ては北の《レミフェリア公国》に南西の《リベール王国》まで地名を調べるが何一つ手がかりは見つからなかった。

 

(地名からは思い出せそうにない)

 

 仕方ないと、そう結論づけたライは地図を畳み別の本へと手を伸ばす。

 それも終わればまた次の本を、終われば次へ、次へ、それを繰り返して時間は過ぎていった。

 

 

◇◇◇

 

 

「ただいまぁ、って何事!?」

 

 気がつけば日も傾き、昨日の医務室を思い出させるような茜色に染まっていた。

 どうやら本を読む事に集中してしまったらしい。机の上には読み終わった本が山積みになっている。

 

 ライは本から目を離し、声のした寮の入り口に向いた。

 そこには4人の男子生徒が立っていた。ライの着ていたものと同じ赤い制服を身に纏っている。どうやら彼らがライのクラスメイトのようだ。

 

 山積みの本に驚いている小柄な少年を尻目に、他の3人からやや離れた位置にいた金髪の青年が近寄ってきた。自信の溢れるその顔つき、噂に聞く貴族なのだろうと当たりをつける。

 

「貴様が噂の10人目か。入学早々2日も休むとは大層なご身分だな」

「ああ、悪い。迷惑をかけたな」

「ふん、自覚しているならそれでいい。……ユーシス・アルバレアだ。これから2年間顔を合わせる事になる、覚えておけ」

「ライ・アスガード。今後ともよろしく」

 

 ライの名を聞くと、ユーシスは興味を無くした様に個室のある2階へと上がっていった。次いでライに近づいてきたのは入り口にいた残りの3人だった。

 

「ははは、多分あいつも悪気があるわけじゃないんだ」

「分かってる。それより君達は?」

「リィン・シュバルツァーだ。よろしく」

「僕はエリオット・クレイグだよ。よろしくね」

「ガイウス・ウォーゼルだ。宜しくしてくれると助かる」

 

 話しかけてきた黒髪の青年がリィン、先ほど驚いてた橙色の髪をした少年がエリオット、そして褐色で長身の青年がガイウスと言うらしい。

 先にユーシスとの自己紹介を聞いているだろうから名前は知っていると思うが、ここは礼儀としてライも自己紹介をする。

 

「俺の名はライ・アスガード。2年間よろしく」

 

 ライは挨拶をしながら3人の様子を観察する。ガイウスは穏やかで、かつ大人びた性格のようだ。恐らく成人した大人と言われても違和感は無いだろう。

 対照的に子供っぽさの残るエリオットは、ライの無表情に若干の苦手意識を覚えているように見える。

 そして、しっかり者に見えるリィンは心配そうにライの体を見ていた。……心配そうに?

 

「どうかしたのか」

「いや、傷の方は大丈夫なのかと思って。サラ教官の話しだとオリエンテーリング中に事故で怪我したみたいじゃないか」

「オリエンテーリング?」

 

 ライの怪我は例の魔物に負わされたものである。どうやら認識にズレがあるようだ。オリエンテーリングとは何かを聞こうとライは口を開く。だが——

 

「あ〜っとごめんごめん! ちょっっと彼を借りてくわ!」

 

 いきなり現れたサラに攫われてしまった。

 

「……それじゃあ、また後で」

 

 サラに引っ張られたままの体勢で3人に手を振るライ。

 それを3人は嵐が過ぎたかのように見ているしか無かった。

 

 

◇◇◇

 

 

 3人から離れて寮の食堂の奥で対峙するライとサラ。

 突然サラは両手を前に合わせ、謝りのポーズをとってきた。

 

「ごめんなさいね。1つ伝え忘れてたことがあったのよ」

「伝え忘れ、ですか」

 

 十中八九オリエンテーリングについてである。

 

「あなたが負った傷、表向きは休んだ生徒のために行ったオリエンテーリング中に不慮の事故が発生したってことになってるわ」

「不慮の事故……不味くないですか、それ」

 

 主に体面的な意味で。入学初日に事故とか責任問題になるんじゃないかとライは疑問を覚える。記憶喪失であろうと、ある程度の常識観は備わっているのである。

 

「あら心配してくれるの? 確かに責任は問われるでしょうね。でも本当の事を伝えることと比べると安いものなのよ」

 

 ライはサラから詳しい話を聞く事にした。それによると、魔物の出現位置とこの学院の性質が関係しているとの事だった。

 現在トールズ士官学院は軍事学校の側面だけでなく、貴族や秀才の集う名門校としての面が強くなってきているらしい。その中で攻撃の効かない未知の魔物が現れたとなれば、学内だけでなく国内各所で混乱が起きるかも知れないとの事だ。

 

「つまり旧校舎であった出来事は秘匿するということですか」

「ええ、少なくとも正体不明の魔物について何か分かるまでは混乱を避けるために話すのは禁止よ。もちろんペルソナについてもね」

 

 いきなり公表するよりも、対処法を見つけてから公にした方が遥かに混乱は少ない。どうやら上の方で色々と争論があったようだ。若干疲れぎみに愚痴を零すサラを見てライは大人の世界を見た気がした。

 

「まぁともかく、今は教官たちが交代で旧校舎を見張っている状況よ。近い内にあなたにも協力してもらう事になるから心得ておきなさい」

「分かりました」

 

 ライの返事を聞いたサラは、堅苦しい話はこれでおしまいと言わんばかりに表情を和らげる。

 

「それじゃ〜華々しい新入生のために、お姉さんが腕によりをかけてご馳走でもふるまおうかしらぁ」

「料理、出来るんですか」

 

 ライの表情は変わらないが、その目は意外だと言っていた。その事にサラは若干不機嫌になる。

 

「失礼ねぇ〜。私だっておつまみくらい作れるわよ」

「自分のためですよね、それ」

 

 今度料理出来るかも試そうと、ライは心の中に誓うのだった……。

 

 




事後処理という名の説明回。
本格的にVII組と絡むのは次話以降になりそうです。

思いを恥ずかしげもなく口にするのが軌跡ワールド!!(私見)
主人公が口数少なめなキャラなので、今回はトワちゃんにお願いしました。


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5話「VII組」

 サラとの問答を終えロビーに戻ると、リィン、エリオット、ガイウスの3人がソファーで談笑していた。

 声を掛けようと近づくライ。そこで物影にもう1人生徒が座っている事に気づく。深緑のツンツンとした髪型の青年だ。

 

(……1人増えてる)

「あ、戻ってきたみたいだ」

 

 リィンが気配に気づき、会話を止めてライの方へと顔を向ける。ライはそれに手のひらを上げて答えると、ソファーの空いているところに座った。

 

「本を片付けてくれたのか。助かる」

「ああ、流石に邪魔だったからな。それでサラ教官とは何を話していたんだ?」

「怪我に対する責任について色々と」

「……ふむ、教官職というのも大変なのだな」

 

 ライとリィンの会話を聞いていたガイウスが納得した様に頷く。

 嘘は言っていない。色々との部分が本題だっただけだとライは自分に言い聞かせた。

 ライはバツが悪そうに視線をガイウス逸らすと、緑髪の青年と目が合った。

 それを見たエリオットが小声で青年に話しかける。

 

「マキアス、彼が例の10人目のライ・アスガード君だよ」

「そうか。……僕はマキアス・レーグニッツだ。よろしく頼むよ」

「ああ、よろしく」

 

 テーブル越しに握手を交わす2人。だが離した後もマキアスはじっとこちらを見つめてくる。

 

「…………」

「何か言いたい事でもあるのか?」

「……1つ聞きたいのだが、君は貴族なのか、それとも僕と同じ庶民なのか?」

「それは……」

「あ、いや、気分を害したなら謝るよ。君の身分が何であっても僕は何も言うつもりは無い。僕の気持ちの問題なんだ」

「気にするな。……ただその問いには答えることが出来ない」

 

 それはどういう意味なのかとマキアスの瞳は聞いてくる。ライは他の者の見渡すが、皆一様に?マークを浮かべていた。どうやら記憶については知らされていないらしい。

 昨日のトワのときもそうだったが、うまい言い回しが見つからない。変に気を使われたくないのだが、さてどう伝えたものか。ライは自身の伝達力のなさを嘆く。

 

「昨日より前のことを思い出せないんだ」

「記憶障害、と言う事か。なるほど、だから君は昨日欠席していたのだな」

 

 そっけなく伝えてみたが、案の定、場の空気が重くなる。思考を巡らせているマキウス、何を言ったらいいのか分からなそうなエリオット、残りの2人も静かに目を瞑っている。

 今後から出来るだけ話題に出さない様に気をつけようとライは誓うのだった。

 

「……記憶が無いって不安だよな」

「リィン?」

「あぁ、実は俺も小さい頃の記憶が無いんだ。幼い頃にユミルの雪山で拾われて、その前のことは名前しか覚えていない」

 

 身近にいた同輩に今度はライが驚く。ライの場合は名前すら覚えていなかったが、些細な違いである。未だ分からない事だらけなライにとって、先人がいたことはある意味、光明のように思えた。

 

「リィンは記憶喪失の先輩ってことか」

「嫌な上下関係だね……」

 

 今まで黙っていたエリオットが苦笑いする。ようやく場の空気が持ち直してきた。

 と、会話が一旦止まったタイミングでマキアスが問いかけてきた。

 

「ライ、君の親族や出身について何か分からないのか? 学院は? 入学のために個人情報を書かされているはずだろう?」

「ああ、入学書類ならここにある」

 

 そう言ってライは鞄から入学書類を取り出す。そしてその中から1枚、個人情報が記された紙をテーブルの上に置く。

 

「——これは、……」

「これは書きかけの書類じゃないのか?」

「うわぁ、見事に真っ白だねぇ」

「…………」

 

 間違いなく提出された書類である。それを伝えるとマキアスのライを見る目がどこか探るものへと変わった。

 仕方ない。ライ自身この書類を見たときは己の過去を疑ったのだから。一体どんな後ろめたい事があれば、こんな空白だらけの書類になるのだろうか。

 ——ライのそんな様子に気づいたのか、ガイウスが話しかけてきた。

 

「ライ。例え過去が何あろうと、今のお前に変わりはない。違うか?」

「ガイウス……」

 

 その言葉に勇気づけられる。

 過去に何があろうと今のライは変わらない。なら臆せず出来る事は何でもやろう、ライはそう思えた。

 目を閉じ、意識を入れ替えること数秒。瞳を開けたライは皆に問いかける。

 

「そうだな。……皆聞いてくれ、ここに倒れたときに側で見つかった鞄がある。俺の記憶探し、力を貸してくれないか」

「「もちろん(ああ)」」

 

 1人では挫折したこの荷物探索も、彼らとならば探っていける。彼らとならば見つけ出せるとライは希望を見いだした。

 

 記憶探しの第2ラウンドが今、始まる。

 

 …………

 

 

◇◇◇

 

 

「……全滅だ」

 

 荷物を1つ1つ調べ上げて1刻ほどたった頃、そこには項垂れたVII組男子の面々がいた。

 始めのうちは良かった。かざぐるまやお守り、それにライという名前の語感からカルバード共和国に見られる東方の出身でないかという話まで発展した。

 だがライが東方の特徴である黒髪黒目でないことや、他の地域で見られる物品に近いものが見つかったことから形勢は逆転する。

 行商人の息子、珍しいもの好きな貴族、秘境の住民、はては怪盗Bまで迷走したところで話し合いは打ち切られた。

 もはや彼らには途中に出た候補について話し合う余裕すら残されていなかった。

 

「俺はいったい何者なんだ……」

 

 それほどまでに鞄の中の物品は多種多様であったのだ。どこで集め、どうして持ち歩いていたのか。ライは過去の自分に問いかけるが、当然返事など帰ってこない。

 ここにいる彼らは皆、ガイウスすらも言い知れぬ徒労感に苛まれていた。

 

「……何やってるの、あなた達」

 

 ライは疲れた顔を持ち上げ、声のした方向に向く。そこには先と似たような光景が、今度は女子生徒4人が入り口に立ち並んでいた。

 その手には買い物袋がぶら下がっており、どうやら買い物帰りのようだ。

 

 声の主は先頭の金髪の少女だろうか。髪の一部を両サイドで束ね、少女らしさとお嬢様の様な気品を併せ持った容姿である。

 とりあえず彼女らに挨拶でもしておこうと文字通り重い腰を上げるライ。

 だが先頭の彼女はこちらを、正確にはライの近くに座っていたリィンを見ると、そそくさと上の階に上がってしまった。

 

(……何だ?)

 

 思わず周囲を見渡すライ。リィンは深くため息を零し、他の皆は呆れた様に苦笑いしていた。どうやらライのいない所でリィンと金髪の少女との間に何かあったらしい。

 

「エリオット、ちょっといいか?」

「うわぁ! ラ、ライ君、どうかしたの?」

 

 先の話し合いで打ち解けたかと思っていたが、どうやらまだ苦手意識は残っているようだ。そんなに怖いかと窓ガラスに映った顔を見るライ。……今度笑顔の練習をしておこう。

 

「驚かせて済まない。……リィンとさっきの女の子の間に何かあったのか?」

「あ、うん。さっきの女の子、アリサって言うんだけど、昨日のオリエンテーションのときに落ちるところをリィンが庇ったんだ。そしたら偶然アリサの胸に顔を埋める形になっちゃって……」

「険悪状態、という訳か」

 

 恋愛小説の1シーンかとライは心の中でつっこむが、現実問題やっかいな状況である。下手をすれば長い間いがみ合う事になりかねないし、寮内の人間関係に亀裂を生みかねない。

 だが外野がどうこう言っても改善は難しそうなので、とりあえずライは落ち込むリィンの肩に手を置き、無言で慰めるのだった。

 

「あはは……、大変な事になっちゃいましたね」

 

 そうしていると、眼鏡をかけた三つ編みの少女が話しかけてきた。

 赤紫に近い色合いの長い髪、青いその瞳は苦笑いしながらもどこか心配そうである。

 

「私はエマ・ミルスティンといいます。あなたは?」

「ライ・アスガードだ。そこの2人は?」

「……フィー・クラウゼル」

「ラウラ・S・アルゼイドだ。よろしく頼むぞ、ライ」

「ああ、今後ともよろしく」

 

 子猫を思わせる銀髪の少女がフィー、藍色の髪を後ろで束ねた騎士道精神を感じさせる少女がラウラと言うらしい。

 これでさっきのアリサという少女も合わせれば生徒10名、1名挨拶は出来ていないものの、無事に全員と顔合わせを済ませた事にライは気づく。

 1日遅れの顔合わせが終わり、ようやく名実共にVII組の一員になれたという実感が湧く。

 

「ところでライさん。渡したいものがあるのですがいいですか?」

「別に構わないが、何だ?」

 

 エマから袋の1つを渡されるライ。中を覗くと筆記用具とノートが何冊か入っていた。

 

「授業の道具か。わざわざ済まない」

「いえいえ。それほど重くありませんし、サラ教官に頼まれましたから」

「は? 教官に?」

 

 思わず食堂の方を向く。そこからは微かに調理の音が聞こえてきていた。

 人に届け物を頼んでおいて先に帰るとはどういうことなのか、ライは後で問いつめようと決める。こうしてライのスケジュールはどんどん埋まっていくのだった。

 

「えと、そっちは確か食堂ですよね? 何かあるのですか?」

「いや、気にしないでくれ」

「?」

 

 とりあえずこの事実はライの心の中に留めることにした。だが、意外な所からその情報は漏れだす。

 

「ふむ、食堂の中に人の気配がするな……これは、サラ教官か」

「気配で個人が分かるのか?」

「大まかにだがな。武術を嗜めばそなたも出来る様になる。……しかし、これはどういう事だ?」

「用事が思いのほか早く終わったという事でしょうか」

 

 ラウラの能力に驚くライ。ライも何となく人がいるかどうかくらいは感じられるが、流石に的確な場所を、さらには特定するまで感じ取ることは出来ないのだ。

 それはそうと2人もライと同じ疑問に行き着いてしまった。いっそのこと一緒に突撃して問いつめようかと考え始める。

 だがその前にサラが何をしているかくらいは伝えておいた方がいいだろう。

 

「……とりあえず教官は今、歓迎の料理を作っているらしい」

「へぇ、そうだったんですか。何を作っているのか楽しみですね」

「おつまみ、かな」

「……はい?」

 

 思わず聞き返すエマ。その疑問はもっともだが、事実なのだから仕方ない。あの問答がサラのジョークである事を願うばかりである。とりあえずありのままを伝えよう。

 

「おつまみが作れるらしい」

「——私、ちょっと手伝ってきますね」

「私も行こう」

「……味見役ならまかせて」

 

 食堂の方へと歩いていくエマと、それに続くラウラとフィー。

 何とかまともな歓迎会になりそうだとライは安堵する。

 そしてその光景を見ていたのか、ガイウスが後ろから近づいてきた。

 

「では俺も手伝うとしよう。食器の用意に飾り付けなど手伝える事はあるだろうからな」

「それもそうだな」

 

 アリサへの対応に頭を悩ませるリィンに励ますエリオット、依然としてダウンしているマキアスはそっとしておいた方がいいだろう。

 ライとガイウスはその3人に一言断りを入れると、食堂の方へと歩いていくのだった。

 

 

◇◇◇

 

 

 時間は過ぎて、夕食時。

 室内灯が灯る中、寮内にいる生徒は皆食堂に集められていた。

 目の前には庶民感覚では豪勢といっても過言ではない食事が並べられていた。

 テーブルの上にはクロスが敷かれ、中央に置かれたろうそくの火が特別観を演出している。さらに周囲の窓や壁にもさりげなく装飾が施されていた。

 サラはちょっとした歓迎になればと思っていたのだが、気がつけば本格的な歓迎会へと変貌していたのだった。

 

「うわぁ、けっこう本格的だねぇ」

 

 それを見たエリオットが感嘆の声を上げる。それほどまでに食堂の雰囲気は見違えていたのだ。リィンとマキアス、それに後から入ってきたアリサも周囲を見渡している。

 

「ああ、ライが頑張って飾り付けをしてくれたからな」

「やるからには全力だ」

 

 それに答えたのは装飾を行ったガイウスとライである。

 特にライはどことなく満足げな表情をしていた。一仕事終えた匠の表情である。

 

「フン、よく見る光景だな」

「ハッ、貴族様にはさぞ見飽きた光景だろうな!」

 

 ユーシスにマキアスが噛み付いている。先の問答からも感じていたが、マキアスは貴族に対して何かしらの確執を抱えているらしい。マキアスの攻撃的な言葉をユーシスが貴族らしくいなす状況が続いていた。

 ——尚、ユーシスの感想は貴族の食事に近いという彼なりの褒め言葉であったりする。もちろんここにいる誰にも伝わらなかったが……。

 

 まだまだ口喧嘩が続きそうだったので、ライは彼らから視線を外す。

 次に目にしたのはリィンとアリサの2人組だった。

 謝り和解しようと近づくリィンに、近づいた分だけ離れるアリサ。

 だがアリサの顔を見ると別に嫌っているという訳ではないのだろう。エリオットの話によると助けるための不可抗力だった様だから、彼女もそれが分かっているのかも知れない。頭で分かっていながらも心の折り合いがついていないのだろうと、ライは結論づけた。

 

(話題の絶えないクラスだな……)

 

 ライの視線が遠かったのは言うまでもない。

 

「……そろそろ食べ始めた方が良いのではないか?」

「ああ。……バレス、いやサラ教官。そろそろ——」

「なぁに〜」

 

 1人で既に酔っていた。

 周囲には特製のおつまみが完備されている事からも酒に対する本気具合が見て取れる。

 少し忠告でもしようかとも思ったが、酔わなきゃやってられないというサラの顔を見ると何とも言えなくなるライだった。ペルソナに旧校舎の魔物。VII組の発足も合わせて色々と苦労している様である。

 

「あ〜、皆揃ったわねぇ。それじゃ始めるとしましょ〜か。……え〜、コホン。VII組が出来てからまだまだ2日目。あなたたちの中でも消化しきれていないと思うけど、今はただここにいる仲間達と親睦を深めなさい。以上、乾杯!」

「「乾杯!」」

 

 そうして歓迎会が始まるのだった。

 

 

◇◇◇

 

 

「ライ〜、私のプレゼントは受け取ってくれたかしらぁ〜?」

 

 ライが料理を皿に盛りつけていると、酔っぱらいが近寄ってきた。

 

「何の事ですか?」

「いやねぇ〜。ちゃんと届け物を頼んで会話の機会を作ってあげたじゃない」

「……そういう意図だったんですか」

 

 開始早々2日間休んだ生徒へのプレゼント。はっきり言って余計なお世話である。

 

「ま、仲良くなれたならそれに越した事は無いわ。これ以上私に心労を増やさないでちょうだい」

「心中お察しします」

「……1番の悩みの種はあなたなのだけど」

「さて、何の事やら」

 

 目をそらすライ。心当たりが多すぎる。サラはそれをジト目で見てきたが、少しして飽きたのか席を立った。

 

「それじゃ私はリィンをからかってくるから、あなたもちゃんと親睦を深めなさいよ〜」

 

 そう言ってアリサとの和解に失敗したリィンの元に向かうサラ。彼女なりに生徒を想っての行動なのか、ライには判断がつかなかった。

 

 歓迎会は続く……。

 

 

◇◇◇

 

 

 その後ライもリィン達と合流してしばらく話をしていたが、皿の食事が無くなったためライは一旦集団から離れる。その時を見計らってか金髪の少女、アリサが声をかけてきた。

 

「あなたが10人目のライ・アスガードでいいのよね?」

「ああ、君はアリサ、だったか」

「ええ、アリサ・Rよ」

 

 R、ラウラの様にミドルネームか。いや位置からしてラストネームだろう。明かしたくない理由があるのかもしれないと考えたライは、あえて話題を振らなかった。

 

「どうやら怪我は大丈夫そうね」

「心配してくれたのか?」

「……私たちは9人だったけど、あなたは1人じゃない。そりゃ心配もするわよ」

 

 ライの瞳が若干見開く。アリサはライの思っていた以上に面倒見の良い人物であるようだ。

 なら、いらぬ心配はかけさせまい。詳しく話さなければ大丈夫だとライは判断し、誤解を少しだけ解く事にした。

 

「いや、先輩2人がいたから大丈夫だった」

「あら、そうなの」

「それよりリィンとは和解しないのか?」

「——っっ!!!!」

 

 アリサの顔が一気に赤くなる。例の事故のことでも思い出したのだろうか。顔を見せまいとうつむくアリサ。そのまま小さく震える声で喋りだした。

 

「ごめん、今はその話しないで」

「悪い」

 

 リィンが少女に与えたダメージは思いのほか大きかった様だ。これはしばらく続きそうだと、記憶のないライでも察する。

 とりあえずライはその場をそっと離れる事にした。恐らくそれが、今の彼女への1番の優しさなのだから。

 

 今や歓迎会は中盤に差し掛かっていた……。

 

 

◇◇◇

 

 

 盛りつけを終えて戻る最中、料理を前にしてぼーっとしているフィーを見つけた。

 何をしているのか疑問に感じたライは、話しかけてみる事にした。

 

「料理を選んでいるのか?」

「……味見したから、だいたい食べた」

「そうか」

「そう」

 

 2人の間に静寂が生まれる。

 てっきり料理を選んでいるのかと思ったが、どうやら違ったらしい。ライはフィーに習い、ぼーっと料理を眺めてみる。

 VII組の女性陣が作った料理はどれもおいしそうだ。サンドイッチにオムレツ、チキンとどれも輝いて見える。

 だが、人数に対して若干数が少なかったのか空いている皿が多かった。皆まだ余力がありそうだし、もう一品くらい必要かとライの頭に浮かぶ。思い出すのは、サラがおつまみを作れると言ったときの誓いである。

 

「追加で何か作るか」

「……記憶ないのに料理するの、危ないと思うよ」

「知ってるのか?」

「聞いたからね……」

 

 目線で指し示すフィー。その先にいたのはまだまだ酒を飲んでいるサラの姿だった。なるほどなとライは納得した。他のVII組が知らなかったから意外だったが、知らされた者がいても別におかしくはない。

 

「単純なものなら何とか」

「そ、ならファイト」

 

 ライは厨房へ向かう。挑戦するのは単純な素材で作れるお手軽オムレツだ。台所の上にとれたて卵と粗挽き岩塩を置く。フィーはそれをじっと見つめていた。

 

「ライ、料理をするのか?」

 

 と、そこにリィン達が集まってきた。何時まで立っても戻らなかったからだろう。見通しの良い食堂だから、どこにいるかは直に分かる。

 

「ねぇ、大丈夫なの?」

「危なそうなら止めてくれ」

 

 不安げなエリオットの言葉にライはそう答える。なら始めからやるなという話だが、荷物探しのときにガイウスからもらった活力がライの中にまだ残っていた。

 失敗を恐れて足踏みする訳にはいかない。無表情のライの瞳の中には炎が燃えていた。

 食材を無駄にしないようにな、というガイウスの言葉を耳にしながら、ライは静かに目を閉じる。

 

 瞬間、食材の声が聞こえた気がした。カッ、と目を見開くライ。目にも留まらぬスピードで豪快に、かつ繊細に調理していく。

 燃え上がる炎、フライパンの焼ける音、手が勝手に動きだす。

 そしてついに皿の上に料理が盛りつけられた。出来映えは——

 

「……何だこれは」

 

 作った当人であるはずのライから疑問の言葉が漏れる。皿の上のオムレツは見事なまでに真っ白だった。普通のオムレツを作ったつもりのライはその結果に思考が止まる。

 台所の上に目を戻すと、いつの間にやら食材が倍以上に増えていた。

 一緒に見ていた仲間達に視線を向けるが、誰もが困惑している。

 

 と、フィーが一歩前に出た。スプーンでオムレツを掬い、その小さな口元に運ぶ。

 皆の緊張が高まる中、オムレツを食べるフィーの音だけが聞こえる。いつの間にか他の面々も台所に集まっていた。

 

「……割と、いける」

 

 その言葉に内心安堵するライ。集まっていた他の生徒達やサラもそれならと食べ始める。真っ白なオムレツの評判は皆、独特だが悪くない味というものだった。

 皆が食べている様子を遠目で観察するライの元にフィーが近寄ってくる。

 

「料理はレシピを見る様にね」

「……ああ」

 

 ライはそれ以外何も言えなかった。

 

 こうして歓迎会は静かに終わりを告げた……。

 

 




最後はネタに走ってしまったが後悔はしていない。
日常パートは基本的にこういったノリになるかもしれません。

尚、ライが作る料理はほとんどが独自料理になります。
零・碧の軌跡なら高確立で予想外の料理ですね。


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6話「学院の対応」

ついに明日が発売日! 楽しみですが自分の元へ来るのはもう少し先になりそうです。
おのれAmazon……。


 いささか変な終わり方をした歓迎会から1週間後の4月8日、ライは学院の椅子に座っていた。目の前には教官が黒板に文字を書いており、周りの生徒達も必死にそれをノートに写している。

 そう、今は授業の真っ最中だ。

 

「──皆さんもご存知かと思いますが、約1200年前に起こった大崩壊によって古代の文明は消失し……」

(大崩壊、……これだな)

 

 皆まだ慣れていないのか四苦八苦しながら授業に望んでいるが、ライはその中でも一際忙しく手を動かしていた。

 一般の生徒なら既に当たり前になっている事もライには知らない。そんな事が幾つもあったため、ライの机の上には常に辞書や専門書が置かれていた。正直、資料を調べる速度が異様に早くなったと思う。

 

「──さてこの後訪れた時代について……、ライ君、分かりますか?」

「暗黒時代、約500年続いた秩序なき時代……ですか」

「ふーむ、なるほど。勉学についていけるだけの知識はあるようですね〜。そう、戦乱が相次いだ暗黒時代。それを終わらせたのが空の女神エイドスを奉じる七耀教会と言う訳です。七耀教会は今や大陸全土で信仰され──」

 

 ライは調べた内容を思い出しながら答える。……正解らしい。どうやら知識も上がっているようだ。

 今までの授業でも何度かこういう問いかけがあった。教官それぞれが、彼らの分野において記憶喪失のライが勉学についていけるかを確認しているらしい。そのため比較的難易度の低い問題を出されているのが幸いというべきだろうか。

 

 そうして今日も終業の鐘が鳴る。

 広げていた教材を片付けるライの元に帝国史を教えていた教官、トマス・ライサンダーが近寄ってきた。

 

「ライ君、今日の放課後は校長室に来てくれますか〜」

「分かりました」

「それじゃ待ってますよぉ〜」

 

 トマスは教官とは思えない軽さで手を振りながら教室を出て行く。

 ……間違いなく旧校舎の件についてだろう。どうやら進展があったようだ。

 ライは荷物を素早く纏めると、やり取りを見ていたリィンに伝言を頼む事にした。

 

「呼び出しみたいだ。今日は遅れる」

「ああ、皆にも伝えておくよ。ライも大変そうだな」

「まあな」

 

 あまり遅れる訳にはいかない。ライはリィンと分かれ、早速1階の校長室へと向かうのだった。

 

 

◇◇◇

 

 

 校長室の中に入ると、そこには学院長のヴァンダイクを始め、教頭のハインリッヒ、実技のサラ、軍事学のナイトハルト、帝国史のトマス、導力技術のマカロフ、音楽芸術のメアリー、保険医のベアトリクスとトールズ士官学院の教官が皆集められていた。他にも関係者だからかトワとクロウもその中に混じっており、ライに気づいたクロウが空気を読まずに手を振ってきた。

 ライはそれに軽く返して空いている所に立つと、ヴァンダイクが静かに口を開く。

 

「ふむ、これで全員揃った様じゃな。皆も分かっておると思うが、今回の招集は件の異変に関する現状報告と方針を決めることが目的じゃ。まずはナインハルト教官、報告を頼む」

 

 ヴァンダイクの言葉に頷いたナイトハルトは集まった教官たちの方を向く。これは学院長への報告というよりは、ここにいる全員への伝達を目的としているようだ。

 

「まずは異変以降、我々教官が監視した結果について報告するとしよう。導力器の停止は初日以降確認されていないが、旧校舎入り口の変化は1週間の期間で7回、日没から約1時間確認されている。立ち会った教官の話によれば、音も無く突然扉が変わり、また音も無く戻ったらしい。……今までも旧校舎では構造の変化が確認されているが、このような短いサイクルでの変化は初めてだ」

 

 それを聞いた教官達の顔には疲れが見えた。通常の業務に加えての旧校舎の監視は相当彼らの負担となっているようだ。

 

「次に変化した旧校舎にのみ出現する未知の魔物についてだが、今のところ扉から出てくる様子は無い。だが依然として正体不明の状態だ。万全の準備を整えて何度か挑んだが、進展は見られなかった」

 

 その報告を最後にナイトハルトは皆から視線を外す。結局のところ、魔物については何も分かっていなかった。

 

「……報告は以上です」

「ふむ、扉の変化する時間が分かり、魔物が出てくる様子も無いのなら監視体勢を緩めてもいいじゃろうな。皆ご苦労じゃった」

 

 その言葉に教官達の緊張がほぐれる。特に体力のなさそうなメアリーは顕著だった。貴族の淑女を思わせる華奢な体を持つメアリーにとっては、監視のストレスは大きかったのだろう。

 

「それで今後の方針じゃが、まずはライ君。君の持つペルソナという力をワシらに見せて貰えないじゃろうか」

 

 室内にいた皆の視線が一斉にライの元へと集まった。

 この提案は再びあの旧校舎へと行く事を意味しているのはライにも分かっている。

 ライは集まる視線の中、静かに力強く頷いた。

 

 

◇◇◇

 

 

 ──旧校舎前。

 生徒達に悟られない様に移動したライ達は、建物の前で時間が来るのを待っていた。

 戦える者は皆それぞれ武器を持ち、無言の緊張感が漂っている。

 その中でライの元に近寄ってくる者達がいた。トワとクロウの2人だ。

 

「ライ君。本当に大丈夫なの?」

 

 トワの頭には魔物を倒して気絶したあのときの光景が蘇っていた。

 また倒れるんじゃないかと心配するトワに、ライは大丈夫と一言返す。

 

「ちょっと心配し過ぎじゃねーかトワ。気ぃ遣われ過ぎんのも男にとっちゃ〜辛いもんだぜ。それに今回は教官達もいるし大丈夫っしょ」

「そう、かなぁ」

「そーいうもんだって。……お、そろそろ時間みたいだぜ」

 

 会話は止まり、3人の視線は旧校舎の入り口に向いた。

 まだ旧校舎の扉は木製のままだ。だれかのゴクリという唾を飲む音が聞こえてくる。

 ……すると、突然扉が一瞬の内に光り輝く扉へと切り替わった。まばたきの瞬間と言ってもいいほどの一瞬の変化。だれもが変化する過程を確認する事が出来なかった。

 

 この現実離れした現象に、初めて見た者たちは息を飲む。

 

「……さて、入るとするかのう」

 

 先陣を切ったのは学院長であるヴァンダイクだった。高齢であるにもかかわらず2mを超えるその逞しい体が光の中へと消えていく。

 それに他の教官も続き、ライ達3人も再びあの空間へと足を進めるのだった。

 

 

◇◇◇

 

 

「ここがトワ達の言っていた空間か〜。正直あまり長居したくないわね」

 

 初めて入るこの空間に、サラは嫌な空気を感じていた。

 まるで1呼吸するたびに口から体力が抜け出しているみたいだ。

 ぬめりとした異様な空気に思わず身震いする。

 

 他の教官も周囲を見渡しながら異様な空気に戸惑っていた。

 

「ふむ、奇怪な気配が蠢いておるわい。居場所は……向こうの方かのぅ」

 

 ヴァンダイクがホールの奥にある通路を睨みつけた。前にライ達が入っていった通路である。その通路について事前に調査していたナイトハルトが口を開く。

 

「あの先は常に変化し続ける空間だ。気をつけた方がいいだろう」

「あら、そうなのかしら、ナイトハルト教官?」

「アームブラスト達も確認している。……だが、あの空間は人の死角でのみ変化する事が分かっている。誰かが常に見ていれば問題なかろう」

 

 何度かこの空間に足を運んでいるナイトハルトは変化の法則を見つけ出していた。

 誰かの視界に入っているうちは変化しない。それさえ分かれば対処のしようはある。

 

「それじゃあ私がずっと見ていますね。戦えない私じゃお力になれませんし」

「メアリー教官、なら、俺が護衛になりますよ」

「い、いえ、別にいいんですよマカロフ教官!」

 

 空間を維持する役目を担おうとするメアリーに対し、気だるそうに護衛を申し出るマカロフ。態度から察するにマカロフの狙いはここに残る事だろう。だが護衛がいた方がいいのは確かなので、最終的には2人をホールに残して先に進む事になった。

 

 

 ……そして歩く事数分、ライ達は見覚えのある開けた部屋を見つけた。

 この部屋に入れば、またあの黒い影が出てくるだろう。クロウやトワの武器を持つ手が汗で濡れる。

 

 だがあのときとは違うのだ。皆覚悟を決めて中に入る。そして案の定、黒い影が壁や地面から這い出してきた。

 始めに動いたのはヴァンダイクだ。長い柄の大剣を振りかぶり、その強靭な肉体をもって強烈な一撃を叩き込む。大気すらも引き裂く斬撃、その威力は装甲すらも容易に両断する。

 その攻撃を食らった影は目にも留まらぬスピードで吹き飛び、そのまま壁に叩き付けられた。だれもが倒したと思った。

 

「む、面妖な……」

 

 だが攻撃した本人は苦い顔をする。切り裂いた手応えがまるで無いのだ。

 その声に答える様に吹き飛ばされた影が起き上がる。

 

「なるほど、確かにこれはやっかいですねぇ」

 

 魔導杖を稼働させ高威力のアーツを放つトマスもまた、効果の見られない相手に対して珍しく微妙な顔をしていた。

 

「なるほどねぇ、これが未知の魔物って訳か。ライ、お願いしてもいいかしら」

「了解です」

 

 サラに呼ばれたライはまたしても皆の視線を集める中一歩前へ進み、そして銃をこめかみに押し当てた。あのときの様な高揚感は感じない。だが召還出来る確信がライにはあった。

 

「ペルソナ!」

 

 頭を打ち抜く乾いた音。吹き出した青い結晶が渦巻き、巨大な人を形作る。光が収まった時、そこには威圧感を放つ光の巨人が佇んでいた。

 ライはペルソナ『ヘイムダル』を飛ばし、何体もの影を纏めて薙ぎ払う。

 その重厚な鎚に触れた影は跡形もなく消えていった。

 あの時の大型が例外だったのだ。今ここにいる影などヘイムダルの敵ではない。ヘイムダルは足掻く影をその足で踏みつぶした。

 

「あれが、ペルソナ……。 あの影に攻撃が通用したのは確かに気がかりだ。だが、あの巨体、あの威力が戦闘に転用されたとしたら……」

「ナイトハルト教官、今は影への有効手段であることに注目すべきなんじゃないかしら」

 

 軍人であるナイトハルトの思考に対し、冷たい視線を送るサラ。だが別にナイトハルトの考えが間違っている訳ではない。本質的にこの2人はそりが合わないのだろう。

 サラはライへと視線を戻すと、ライの様子を観察することにした——。

 

 ……一方ライは物足りなさを感じていた。別に敵が弱いのが不満である訳じゃない。淡々と影を葬るヘイムダルを見ても何か問題があるとは思えない。ライはただその感覚に疑問を覚えていた。

 

「ライ、もういいわ。そろそろ切り上げてちょうだい」

 

 サラの声を聞いたライは疑問を覚えつつもヘイムダルを戻す。

 

「……ん?」

「どーかしたか、ライ?」

「いや、確かに戻した筈……」

 

 ライの様子にクロウが気づく。ライはじっと自身の手を見つめていた。ヘイムダルは確かに戻した。だが、ライはまだヘイムダルを心のどこかで感じていた。もしかしたら──

 

「ハーシェル先輩、その銃貸してもらえますか」

「え、いいけど、何に使うのライ君?」

「すぐに分かります」

 

 トワから導力銃を受け取ったライは、今度はサラの方を向く。

 

「サラ教官。一度の独断専行、許可を頂けますか」

「……何か掴んだようね。いいわ、思う様にやりなさい」

 

 サラの許可を貰ったライは残った影へと向き直る。

 呼吸を1度整えると、ライは2体の影の元へと駆け出した。

 

「おい待て!」

 

 ナイトハルトの静止も聞かず、黒い影に接近する。そして勢いに乗せて1体の影へと銃口を向け、導力銃のトリガーを引いた。跳ね上がる銃口、影の仮面が弾け飛ぶ。

 

「……攻撃が効いただと!?」

 

 迫り来るもう一体の影。ライはすぐさま体をねじるとその影を蹴り上げた。

 浮き上がる黒い影、蹴りの体勢で追撃出来ないライは自身の頭に銀の拳銃を押し当てる。

 

「ペルソナ!」

 

 再び召還されたヘイムダルが影を地面に叩き落とした。

 思ったとおりだ。ペルソナは召還せずともライと共にいる。召還せずとも影に攻撃を与えられ、さらにはペルソナの力がライ自身の身体能力を強化しているのだ。

 

 これが物足りなかった理由。これが本来の戦い方。

 ようやく1つ『何か』を取り戻したライは、心の中では意気揚々としながら教官達の元へと帰っていった……。

 

 

◇◇◇

 

 

「それで、あれはなんだったか教えてちょうだい」

「もう! あんな無茶したらダメなんだよ!」

 

 皆の元に戻ったライは2人の女性に詰め寄られていた。言うまでもない、サラとトワである。

 サラは先ほどのライの行動の意図を探るべく、トワは導力銃を貸したにも関わらず危険な近接戦闘を行ったライに対して憤りを感じていた。

 

 その声を間近で聞いているライは2人から目を離し、クロウの方を向く。

 その顔は依然として冷静そのものだったが、単に表情に出ていないだけだと気づいているクロウには、それが救援を求めての行動であることが分かった。

 だが助ける気などクロウには無い。

 

「2人の美人に言いよられるなんざ、羨ましいかぎりじゃねーか。なぁなぁ、どんな気分だ」

「変わりますか」

「……いやパスで」

 

 ますますヒートアップする2人。それを制止したのは他でもない、学院長のヴァンダイクだった。

 

「うぉっほん。……それで、何が起きたのか説明してくれないじゃろうか」

「ええ」

 

 ライは先ほど確かめた事を説明した。召還しなくともペルソナをその身に宿すことが出来る事、そしてペルソナがライ自身の身体能力を高めている事を一通り伝えていく。

 その話を聞いたナイトハルトは納得した様に頷いた。

 

「ふむ、ペルソナが内にいるためにアスガードの攻撃が通用したという事か。やはりそのペルソナについて、より詳しく調べていく必要がありそうだな」

「長い話は後にして、まずはここから出るとしましょうか〜。僕も何だか疲れてきちゃいましたし」

 

 長くなりそうな話をトマスが打ち切り、入り口のホールへと歩いていく。

 この空間は中にいる人の体力を奪っている様だ。トマスの提案に反対する者は誰一人いなかった。

 

 ……そして話し合いの場所は校長室の隣、会議室へと移った。向き合う様に並べられた机と椅子、奥にはホワイトボードが設置されており、話し合いには打ってつけの場所だ。

 

「こんな場所があったのか」

「ああ、今の時間なら生徒に見られる心配もないから堂々と会議が出来る」

 

 普段は施錠されている会議室。ライの独り言に後から入ってきたナイトハルトが答えた。

 室内に入った教官達が椅子に座っていく。その中に混じるトワも生徒会で使っているためか慣れた様子だ。

 

「俺はあんま好きじゃねーんだよなぁここ。居眠りもしづれぇし」

「…………」

 

 クロウの堂々とした居眠り宣言を聞かなかった事にして、ライも椅子に座る。

 こうして、ライ達3人を交えた教官達は監視体勢やペルソナの調査に対する会議を始めるのだった。

 

 

◇◇◇

 

 

 それから1時間後、会議は『未知の魔物に攻撃を通す方法を解明する』という目標を掲げ、解散となった。

 会議を終えたライは他の教官を飲み会に誘うトマスを横目に荷物を纏める。そこに近づいてくる大きな人影、ヴァンダイク学院長だ。

 

「何か?」

「いやなに。そういえばライ君は入学式に欠席していたと思ってのう。……どうじゃ、これから入学式の補習でもせんか?」

「……今からですか?」

 

 窓の外を見るライ。月は既に高く登っており、街灯が学内を照らしている。明らかに生徒に補習を行う時間ではなかった。

 

「何、手短かに済ませるから心配ないわい。帝国中興の祖であり、この学院を創設した人物でもあるドライケルス大帝の言葉を胸に刻んで欲しいのじゃ」

「なら、お願いします」

 

 こうしてライとヴァンダイクは明かりの灯った会議室に残り、9日遅れの入学式を執り行うのだった。

 

 …………

 

 深夜の寮、ロビーで読書をしていたエマが、帰宅したライに気づく。

 

「あ、ライ君おかえりなさい。……どうかしたのですか?」

 

 いつもより感情の抜け落ちた表情、体を左右に揺らしながら前に歩いている。

 そのままライは一言も発する事無く上の階に上がっていった。

 

(世の礎たれ、世の……)

 

 ヴァンダイクの集中講義。手短に済ませただけあって10分程で終わったのだが、その濃度は凄まじいものだった。恐らくあの学院長は体育会系である。

 ライは朦朧とする意識を何とか保ち,個室のベットに倒れ込む。

 そしてそのまま深い眠りにつくのだった……。

 

 

 余談だが、1対1のために実際の入学式よりも内容が濃かった事をライが知るのは、この数日後の事であった。

 

 




という訳で未知の魔物に対する調査の初期報告でした。
閃の軌跡の二次だというのにVII組の出番がほぼ無いとはこれ如何に。
今のところペルソナ関係の話に入れられないんですよね。早く彼らも関わらせなければ。

旧校舎内の法則に関しては、ペルソナのランダムダンジョンに対する解釈となっております。
ナビがいない現状、探索はあまり現実的ではありません。

……とりあえず、次から1章に入ります。



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7話「信頼」

 今日は4月17日、教官達と話し合いをした日から9日が経過した。あれから3日に1回のペースで旧校舎に入っているが、未だに魔物やペルソナについてはほとんどが謎のままだった。

 特に構造の変化する空間がネックだ。誰かが見ればいいと言うことは簡単だが、長時間変わらない道を見続けるのは難しい上に、見れる範囲にも限りがある。そのためあまり奥には行けず、短期間で戻らなければならなかった。

 行く回数を増やそうにも、あの空間は中にいるだけで疲れが溜まっていく。正に八方ふさがりな状況となっていた。

 

 旧校舎から戻ってきたライは今、自室で休憩していた。勉学に励む気力などあまり残されていなかったが、ある程度はやっておかないと授業に支障をきたしてしまう。ライは限りある余暇を休憩に当てていた。

 そう言う訳で椅子の上で休憩していると、個室のドアからノックの音が聞こえてくる。どうやら誰かが来たようだ。

 

「ライ、渡したい物があるんだけど、今大丈夫か?」

「リィンか、丁度休憩に入ったとこだ」

 

 鍵は元々掛けていないため、そのままリィンに入ってもらう事にした。

 遠慮なく中に入ってくるリィン。その手には一冊の手帳が握られていた。

 

「それは……」

「VII組の生徒手帳。トワ会長から皆に渡すよう頼まれたんだ」

「ハーシェル先輩に?」

 

 手帳をリィンから受け取り、中を確認する。1ページ目にはライの顔写真や心得が、その後には規則や校舎案内、長めのメモ欄に、VII組の戦術オーブメント《ARCUS》についての説明も書かれていた。

 

(ARCUSには通信機能もあったのか。後で詳しく確認しよう)

 

「それにしても、……部屋に物が無いんだな」

「……ん? ああ、買い物をする暇も無かったからな」

 

 リィンはライの部屋を見渡している。部屋に置かれているのは机とベット、クローゼットのみだった。全て元々あった備品である。今のライの私物は鞄などを除けば制服と、この町で購入した私服数着のみであった。

 

「買う暇もないって、そんなに忙しいのか? 最近妙に人付き合いが悪いというか……」

「悪い、今は言えない」

「……事情があるんだな。それなら今は聞かない。——でも、何時かは俺たちに教えて欲しい。俺たちはVII組の仲間なんだから」

「ああ、必ず」

 

 リィンの顔がトワと重なる。つまりは彼もライを心配していると言う事だろうか。

 そのことにライは申し訳なく思うが、今の状況を変える気はない。教官達も解明に向けて努力をしているのだ。ライだけが休むつもりは毛頭なかった。

 リィンもライの言葉からその意志を感じ取ったのか、別の提案を持ちかけてくる。

 

「それで、明日買い出しに行かないか。もちろんライの予定が空いてたらだけど」

「予定は無いが、リィンは大丈夫なのか?」

 

 明日は初めての自由行動日、いわば休日だ。多くの生徒はその機会に部活動を決め、2年間の青春の場を見つけるらしい。

 だが、ライは半ば部活動への参加を諦めていた。理由は言わずもがな、旧校舎の調査である。せめてもう1人ペルソナを使える者がいればライの負担は減るのだが……。

 けれどもリィンは別にライの様な面倒ごとを抱えている訳ではないはずだ。ならば部活動を探さなくてもいいのか、ライの目はそう言っていた。

 

「……俺も明日は大丈夫、だな」

「そちらも事情あり、か」

 

 部活動にあえて触れないリィンの言動に、先ほどと真逆の状況だと思ったライは僅かに微笑む。

 ライの場合はその先は言わなかったが、リィンにはライの瞳が『それなら今は聞かない、だが何時かは教えてくれ』と言っている気がした。それにリィンはライと手の甲をぶつけ合う事で答える。『必ず』……ライにも確かに伝わった。

 

 

◇◇◇

 

 

 そして明くる日の4月18日。

 ライとリィンの2人はトリスタで雑貨の売られているブランドン商店の元に訪れていた。

 

「日用雑貨に食料品、アクセサリーもあるのか」

「本当は家具とかも見たかったんだけど、そういうのは帝都まで行かないとないからな」

「いや、これだけあれば十分だ」

 

 とりあえずライは部屋に飾る小物類を探し始める。

 リィンと相談しながら1つ1つ買い物かごの中に入れていく。

 

「なんや? あんたら、部活動見に行かへんでええんか?」

 

 そうしていると、背後から甲高い声が聞こえてきた。

 振り返ると1人の女子生徒が立っていた。緑の制服、平民クラスの生徒だろうか。

 

「そう言う君こそ」

「ウチの夢は商売人やさかい。一銭の儲けもない部活動なんか興味あらへん! ……ハッ、もしやあんたも商売人志望なんか!?」

 

 何だかよく分からない勘違いをされてしまった。

 こちらに敵対心をむき出しにしてくる金髪の少女。その背後からもう1人、緑の制服を着た男子生徒が近寄ってきた。茶髪を左右に分けたその姿、この少女よりは話が通じそうだ。

 

「なあベッキー。普通商店に来るとしたら買い物だろ?」

「甘いで、ヒューゴ。こういった所から商売敵は生まれてくるんや!」

「……いや、普通に買い物なんだが」

 

 彼女の誤解を解くためにリィンも巻き込んで3人掛かりで説得する事になった。

 でも、もしや、と中々納得しない彼女に根気よく伝えていく。そしてようやく納得してもらえたときには半刻が経過していた。

 ……これでだいぶ根気が身に付いたのではないだろうか。

 

「すまんなー、疑ってしまって。ウチはV組のベッキーや。よろしゅうなー」

「俺はヒューゴ、III組だ。すまない、こいつが色々と迷惑を」

「ハハハ、それだけ本気だって事なんだろうな。俺はリィン、VII組で学ばせてもらっている」

「同じくVII組のライだ。よろしく」

 

 ここで会ったのも何かの縁。そう言う訳で4人で買い物をすることになった。

 

「ふぅん、部屋に飾るもん探してるんか。ならここはウチに任せときー! めっさええもん見つけたる!」

「ああ、商売人志望の実力、見せて貰おうか」

「望むところや!」

 

 店の奥へと乗り込むライとベッキー。それをリィンとヒューゴ、それに会話が気になった店主のブランドンが見守っていた。

 

「本日のおすすめはコレや! クライスト商会の新商品、今ならお手頃価格やで!」

「ふむ、少々高いな」

「ムッ、なら1割引きでどうや!」

「もう一声」

「ムムム、ならさらに、これもオマケして据え置き価格で販売したる!」

「お買い得な……!!」

 

「……あいつら、俺の店の商品で何やってんだ?」

「ははは……」

 

 ブランドンの言葉にリィンは乾いた笑いしか出なかった。

 それからも変わらずベッキーの声が店内に響きながら、ゆっくりと時間は過ぎて行った。

 

 …………

 

「それにしても、結構買ったんだな」

 

 買い物の帰り道、夕日を浴びながらリィンが話しかけてくる。その視線はライの持つ袋に向いていた。

 

「ああ、なかなかの駆け引きだった」

 

 彼女の言葉に乗せられない様に必要なものを選んでいくのは一種の戦いだった。

 相手の真意や価値観を読みあう壮絶な駆け引き、ライの手にあるのはその成果だと言えよう。

 ……ちなみに全て標準価格での購入である。

 

「……いい気分転換になったみたいだな。最近のライは疲れている様子だったから」

「分かるのか?」

「仲間だからな。まだ2週間くらいしか経ってないけど、信頼する仲間のことなら何となく分かるさ」

 

 演劇のような台詞を何でもないように言うリィン。

 

「……言ってて恥ずかしくないのか?」

「何が?」

「いや、何でもない」

 

 どうやら真性らしい。悪い事でもないので指摘する必要も無いだろう。……それに言うべき言葉は別にある。

 

「今日は助かった。ありがとう」

 

 リィンに向かって笑いかける。するとリィンは目を丸くして驚いた。

 

「……どうした?」

「いや、ライが笑ったところは初めて見たからな」

「そうか? ……いや、そうか、練習の成果だな」

「……何をしてたんだ」

 

 エリオットに驚かれてから密かに練習していたライ。ようやくその努力が実ったようだ。

 小さくガッツポーズをしているライを見てリィンは、実はしょうもない事で苦労しているんじゃないかと思い始めていた。

 

「……そうだ。リィンに渡したいものがある」

 

 ライは思い出したかのように袋から1つの包みを出すと、それをリィンに渡した。

 

「これは?」

「それを使ってアリサと和解しておけ」

「アリサに? ……でも結局はまた逃げられるんじゃ」

「何、向こうもきっかけが掴めていないだけだ」

 

 初日から続いているリィンとアリサの不仲。2週間も続いた現在、アリサの方も仲直りしたいと考えている様だった。なのに未だに不仲なのは、一重にきっかけを掴めていないからだ。

 だからライは包みを渡した。仲直りのプレゼントではなく、きっかけをつくる道具として。

 

「そうか、助かるよ」

「お互い様だ」

 

 2人の影は夕焼けの中に消えて行った……。

 

 

◇◇◇

 

 

 ——4月21日。

 

 ライ達VII組のメンバーは士官学院のグラウンドに集められていた。

 皆の手にはそれぞれの得物が、ライの手には真新しい長剣が握られている。

 実技テスト、それが集められている理由だった。

 

「それじゃ予告通り実技テストを始めるとしましょう」

 

 目の前にいるサラはVII組の面々を確認すると、話を切り出した。

 

「前もって言っておくけど、これは単純に戦闘力を計るテストじゃないわ。戦闘で適切な行動が出来るかを確認するものよ。だから身体能力を上げてごり押しする、とかの方法で勝ったとしても評価は辛くなるから気をつけなさい」

 

 皆に実技テストの目的を説明するサラ。だがその内容には1名に対しての明らかな忠告が含まれていた。ライに対するサラの目も『分かってるわね?』と念押ししている。

 ライは頷くと、ヘイムダルを心の奥へと沈めた。これでヘイムダルのブーストもなくなる。

 

「皆分かったみたいね。まずは……、リィン、エリオット、ガイウス、ライ。前に出なさい!」

 

 サラに名前を挙げられた4人が武器を手に前に並ぶ。

 ARCUSにもクォーツはセットされている。実技の準備は万全だ。

 

「準備はいいみたいね。それじゃ相手を呼びましょうか」

 

 パチン、とサラは手を鳴らす。誰を呼ぶのかという生徒達の疑問はすぐに驚愕へと変わった。

 突如目の前の虚空から出現する金属質の生命体。ライの身長くらいあるその姿に、思わずライは剣を構える。

 

(例の魔物か? ……いや、違うな)

「フフッ、そんなに身構えないでも大丈夫よ。これは大きな動くかかし、とでも思ってちょうだい。……まあ、ちょっと強く設定してるけど、ARCUSの戦術リンクを使えば問題なく倒せる筈よ」

 

 戦術リンク。生徒手帳にあった説明書によれば、ARCUSの持ち主同士を繋ぎ、より高度な連携を可能とする機能だった筈だ。

 未だに他のVII組と戦いを共にした事のないライにとって、それがどういう感覚なのかが今一掴めなかった。ヘイムダルとの感覚に似た様なものなのだろうか……。

 

「適切な行動に戦術リンク。なるほど、それが狙いですか。……ライ、行けるか?」

「ああ」

 

 リィンと一度顔を見合わせ、ARCUSの戦術リンクを起動させる。共鳴するARCUS、確かにリィンと繋がった。だが——

 

「………………」

「……どうした、リィン」

 

 戦術リンクをした途端、リィンが動かなくなる。これにはライだけでなく、共に前に出たエリオットとガイウスも心配そうな顔をする。

 

「何があ「違うっ!!!!」……何?」

 

 突然、叫び声を上げるリィン。同時にリンクがパリンと音を立てて途切れた。

 一体何があったのか。ライは心配になってリィンに近づくが、リィンはライから距離をとってしまう。そのことにアリサとリィンのやり取りを思い出したライは、思わず足を止めてしまった。

 

「——これはどういう事なの。……ライ、試しにエリオットとリンクしてみてくれないかしら」

「分かりました。……大丈夫か、エリオット」

「うん、やってみよう」

 

 今度はエリオットとリンクする。だがまたしても、

 

「……うわぁっ!!!!」

 

 ——リンクが途切れた。サラと顔を見合わせるライ。サラは頭痛でもあるかのように頭を抱えていた。また1つサラの心配事が増えた瞬間である。

 その後、他のVII組とも試したが、全員同じ様な形でリンクが途切れてしまうのだった。

 

 …………

 

「ねぇライ〜。もしかしてワザとやってるんじゃないでしょうね……」

「そんな訳ないでしょう」

 

 仕方なしに実技テストを辞退し、元の位置に戻るライ。

 だがライの周囲には誰もいない。皆ライの元から離れ、ぽっかりと穴の空いた様な状態になっていた。

 

「ガイウス、何が起こったか分かるか?」

「……すまない。今は心の整理をさせてくれぬか」

 

 ガイウスでダメなら、他の人に聞いても答えは返ってこないだろう。だが全員が同じ反応をした以上、十中八九ライ自身に問題があるはずだ。ライは唯一まともに話ができるサラに質問した。

 

「……サラ教官。戦術リンクには途切れる事が?」

「参考になるか分からないけど、本人達の人間関係によって途切れる事が確認されているわ」

「……そうですか」

 

 ライは自身の心に問いかける。もしかして自分は心のどこかで彼らを拒否しているのではないかと。その問いに答えが出せぬまま、実技テストは終わりを告げるのだった……。

 

 

◇◇◇

 

 

 4月24日の早朝、ライは机の上で悩んでいた。

 目の前には一枚の書類、そこにはこう書かれている。

 

【4月特別実習】

 A班リィン、アリサ、ラウラ、エリオット、ライ(実習地:交易地ケルディック)

 B班エマ、マキアス、ユーシス、ガイウス、フィー(実習地:紡績町パルム)

 

 そう、VII組に入る際にサラが言っていた特別なカリキュラム。それがこの特別実習だったのだ。

 士官学院を離れ別の地に実習に行くのならば、確かに記憶を取り戻す手がかりを得られるかも知れない。

 だが今のライにとっての最大の悩みは人間関係である。

 あれから3日、顔を合わせると気分が悪そうに走り去ってしまうので、ライは可能な限りVII組と会わない様にしていた。

 だがこの特別実習では嫌でも2日間共に過ごす事になる。

 

(早く原因を見つけないとな……)

 

 ライは決意を新たに固め、寮の個室を後にする。

 今は集合時間の1時間前、ライは一足先に駅へと向かった。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 ライ達の住んでいる第3学生寮は駅のすぐ横に位置している。そのためライが駅に着くまでほとんど時間はかからなかった。

 駅の中にはほとんど人気は無く、閑散としていた。まあ今は午前の6時だ。まだ多くの人は眠りについている事だろう。とりあえず駅内の休憩スペースに足を運ぶライ。そこに見知った顔があることに気づく。

 

「サラ教官? 何故ここに」

「あら、早いわねぇ〜。理由なんて決まってるじゃない。愛する生徒達を見送るためよ♡」

 

 サラは休憩スペースの椅子から勢いよく立ち上がる。

 何とも胡散臭い。ライの瞳が疑わしい者を見る目に変わる。

 

「それで、人間関係の方は進展があったかしら」

「3日前から変わらず」

「あら残念ね〜。でもこの2日間で何とか仲良くなるのよ♡」

 

 軽い口調でライに近づくサラ。

 そのままライの肩に手を置き慰めのポーズをとる。さらにもう片手をライの頭に、必然的にサラの顔がライに近づいた。

 サラはそれを利用し、ライの耳元で伝言を伝える。

 

「少々厄介なことになったわ。もしもの時は仲間の前でも構わずペルソナを使いなさい。……それと、あなたの持つペルソナは強力な力よ。この実習でその意味をしっかり考えること。分かったわね?」

 

 その内容にライが小さく頷くと、サラは何も無かったかの様にライから離れた。

 

「それじゃあ私は帰るわね〜。他の皆にもよろしく言っておいてちょうだい」

 

 ライは手を振りながら駅を出るサラを静かに見送る。

 その心の内では、この実習で何かが起こりそうな、そんな嫌な予感を感じていた。

 

 ……そして1時間後、時間通りにきたVII組のメンバーと気まずくなりながらも合流し、交易地ケルディックに向けた列車に乗り込むのだった。

 

 

 ◆◆◆

 

 

 ケルディックへ向かう列車の中、リィン、アリサ、ラウラ、エリオットの4人はライについて話し合っていた。

 ライは今リィン達とは通路の反対側に座り、疲れのせいかぐっすりと眠っていた。A班の中に漂っていたどうしようもない気まずさを察したライは、わざと反対側に座ったのである。

 

「……そなたら、ライについてどう思う?」

「どうって、別に悪い人じゃないと思うわ。ただ……」

「あの時のリンク、だよね。正直今でも思い出したくないよ……」

 

 エリオットはリンクのときに感じたことを思い出す。悪魔に出会ったかの様なおぞましい感覚。もしかしたらあれこそがライの本性なのかも知れないと、ラウラ達は心のどこかで思ってしまっていた。

 

「そもそも、私たちって彼について何にも知らないのよね」

「なんだか最近、夜遅くに帰ってくることが多くなってきたよね」

「ふむ、それについて前にサラ教官に確認してみたのだが、曖昧な返事しか返って来なかった。彼は一体何を……」

 

 ライに関する情報を出し合う3人。3人の情報を持ち寄ってもライのことはほとんど何も分からない。正に謎のクラスメイトだった。

 

「……リィン? 何か気になる事でもあるのかしら」

 

 一言も喋っていないリィンにアリサが問いかける。彼らの間にあった問題は18日に無事解消していた。

 

「いや、今まで話していたライと、ARCUSを通して感じたライ。どちらが本物なのかと思ったんだ」

 

 リィンの頭に残るのは買い物帰りに見た静かな笑顔。リィンとしてはあの時のライが偽物だとは思いたくなかった。だが、戦術リンクをしたときに感じた凶悪な気配。あれを思い出すたびに手が震えてしまう。その強烈な記憶が、リィンの判断を迷わせていた。

 

「ライ、お前は一体……」

 

 何者なんだ。という言葉が口から出るのをリィンはぐっと堪えた。それを言ってしまったら、リィンの中の疑惑の念が抑えられなくなるような気がしたから。

 肥大する疑惑と混乱が、ライの知らないところで着実に彼らを蝕んでいた……。

 

 




1番台詞回しに困るのが主人公という罠。
だれだ口数少ないとか設定した奴。……自分でした。

リアルが立て込んでいるので次話は少々遅れるかも知れませんが、気長にお待ちいただければ幸いです。


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8話「交易地ケルディック」

 ――ピアノの音が聞こえる。

 

 ……気がつけば、ライは青い空間に座っていた。

 細長い部屋、中央のテーブル。確かここはベルベットルームと言ったか。約3週間ぶりに訪れたこの場所は、まるで時間が止まっているかの様に以前のままの姿だった。変わらないと言えば目の前にいるイゴールも同様である。以前と同じ位置に座り、以前と同じ姿で、以前と同じく口も動かさずに話しかけてくる。

 

 

「再びお目にかかりましたな。……どうやら無事にお力に目覚めたご様子。それでこそ我がベルベットルームのお客人だ」

 

 ペルソナについて知っているのか、とライはイゴールに向かって問いかける。

 

「貴方が手になされたペルソナ能力とは心を制する力。外側の物事と向き合った際に現れるもう1つの人格でございます。……ですが、貴方が手にした力は"ワイルド”。これは他者とは異なる特別なものだ」

 

 イゴールはテーブルの上に1枚のタロットカードを浮かべた。描かれているのは愚者の絵柄。だがイゴールがその上に手をかざすと、絵柄がヘイムダルへと変わった。そう、タロットカードの0に位置する愚者こそがライの持つ力を表しているのである。

 

「ワイルドとは数字の0の様なものだ。そのままではからっぽに過ぎないが無限の可能性も宿る。……道を開きたくば絆を育むのです。心とは絆によって満ちるもの。絆が貴方を無限の可能性へと導く道筋となりましょう」

 

 絆、それを聞いたライの頭にはVII組の面々の顔が浮かぶ。彼らとの絆は今、崩れかけようとしていた。

 

「ご心配召されるな。絆とは時に儚く、時に強く結びつくもの。より固く結び直すことも出来ましょう。……選択を誤らぬ事だ。さすれば望む未来へと運んでくれるやも知れません」

 

 ライはイゴールの言葉を胸に刻む。彼らとの絆のため、悔いの無い選択を。その様子を見ていたイゴールはライのもとへと光を飛ばす。それはライの手元で鍵に変わった。

 

「それはこの部屋へと繋ぐ鍵、契約の証でございます」

「契約?」

「なに、契約とは自身の選択に責任を持つこと、ただそれだけでございます。……そろそろお目覚めの時間の様だ。それではまた、ごきげんよう……」

 

 突然部屋が歪みだし、黒く塗りつぶされていく。イゴールの言う通り目覚めの時間なのだろう。2回目にして既にライはこの感覚に慣れてきていた。

 

(そういえば、前はここで音を聞いていたな)

 

 前回の様にライは耳を澄ませる。

 歪む景色の向こうから微かに聞こえてくるカタンコトンという音、ライはそれをここに来る前も聞いていた。それに細長い部屋の形も合わせて考えると1つの解にたどり着く。そう、このベルベットルームは列車の中だったのだ。

 

(まあ、だからどうしたと言う話だが……)

 

 次に来たときにでもイゴールに聞いてみるかと考える。一体それが何を意味しているのか今のライには分からなかったが、この部屋はライを乗せてどこかへ進んでいる様な、そんな気がした。

 

 

 ――暗転。

 

 

◆◆◆

 

 

『本日はクロスベル方面行き大陸横断鉄道をご利用いただき、ありがとうございます。次はケルディック、ケルディックーー』

 

 列車のアナウンスを耳にしながら、ライはゆっくりと目を覚ました。そろそろ目的地であるケルディックに到着するみたいだ。窓から差し込む晴天の光にライは思わず目を細める。だが徐々に目が慣れてきたのか、外の光景が目に入ってきた。窓の外には黄金の麦畑が遥か遠くまで広がっており、点々と佇む風車の回転が自然を感じさせる。……ここがケルディック、まるで絵に描いた様な光景だ。

 

「……お、起きたんだな。そろそろケルディックに着くけど大丈夫か?」

 

 通路越しに話しかけてくるリィン、その内容とは裏腹に言葉や態度はギクシャクとしていた。相当無理している様である。当然ではあるが、いつの間にか解決していた……なんて事は無かったようだ。ライは内心ため息をつく。

 

「ああ、大丈夫だ」

 

 しかし、表面上は何も無かったかの様に接した方がいいだろう。これ以上空気を悪化させたら、かろうじて保てている関係すらも崩壊しかねない。そうなれば今度こそ修復は難しくなってしまう。リィンが話しかけてきたのも、それを危惧しての事だと容易に想像出来た。

 ライは他の3人にも目を向けた。視線をそらすエリオット、気まずそうな顔をしているアリサ、そしてこちらを睨みつけてくるラウラ。三者三様であるが、等しくライに好印象を持っていない事だけは共通していた。

 

(……どうしたものかな)

 

 原因は間違いなくあの時の戦術リンクだ。だがライは何故悪印象を持たれているのか、その理由がまるで分からなかった。理由が分からなければ改善のしようもない。故に今の課題は、彼らからその情報をうまく聞き出す事だろう。表面上の会話すら危うい現状を思い出し、ライは憂鬱な気分になった。

 

 結局、何の改善も見られないまま列車はケルディックに到着する。ライ達の特別実習は始まる前から前途多難な状況になってしまっていた……。

 

 

◇◇◇

 

 

 交易地ケルディック、駅を出たライ達を待っていたのは、ゆったりとした木製の家が建ち並び、それでいて人々の賑わう町だった。広場を挟んで反対側には軽快な弦楽器の音が鳴り響く市場が広がっている。あれが交易地という名の由来だろう。様々な服装の観光客や商人たちが行き交っている。

 

「…………」

「…………」

 

 ……本来ならばここで感慨にでも浸るのだろうが、今のライ達は一言も発さない。4人と1人、2つに分かれたA班はお互いに注意を向けており、初めて訪れた町を楽しむ余裕が無いのだ。場に似つかわしくない雰囲気に他の観光客も疑問を持ったのか、こちらをちらちらと見てくる。

 

(明らかに悪化している。……まずは会話が出来るまで持ち直さなければ)

 

「……確か、サラ教官の話だと風見亭に行くんだったな」

 

 場の空気に悩んでいるのはライだけではない。リィンが重い口を開いて話題を切り出した。それに続いてラウラも口を開く。

 

「フム、まずは場所を探さなくてはな」

「いや、地図なら用意している。……風見亭は北東のあの建物か」

「じゅ、準備がいいのね……」

 

 ギクシャクしながらも何とか会話が成立するライ達。ライは地図を見ながら横目で4人の様子を確認する。彼らから感じるのは懐疑心や苦手意識などがごちゃごちゃに混ざった感情だ。そして、どうやら彼ら自身もその感情を持て余している様だった。

 

(今、彼らといるのは逆効果かも知れないな)

 

 未だに知らされていない特別実習の内容によっては難しいかも知れないが、出来る限り離れて行動しよう。そうライは心に決めて、右前方に見える2階建ての宿屋、風見亭へと足を運ぶのだった。

 

 

◇◇◇

 

 

「ええっ!? 男子と女子が一緒って、どういうことですか!?」

 

 風見亭の2階、宿泊する部屋へと案内されたライ達はその光景に固まってしまっていた。広めの部屋に置かれた5つのベット、女将であるマゴットに抗議するアリサの言葉が全てを物語っていた。普通は男女別の部屋を取るものではないのか。ライの頭に親指を立てるサラの姿が浮かぶ。……彼女ならやりかねない。

 

「うーん、私もどうかと思ったんだけど、サラちゃんが構わないって強く言ってきてねぇ」

「……ええっと、今からでも分ける事ってできないんですか?」

「あいにく部屋はもう埋まっちゃってるわ。ごめんなさいね」

 

 エリオットの提案もあえなく却下される。ここに5人そろって宿泊する事はもう決定らしい。ライ達の間に先ほどとは違う微妙な空気が流れる。幸い男女のベットは離されているため、女性2人が納得すればどうにかなるだろう。――だとすれば残る問題は、ライ自身か。

 

「俺はソファで寝る。間に空いたベットを挟めばアリサやラウラも安心だろう」

「ラ、ライ。あなたはそれでいいの?」

「無理はするな。1泊くらい問題ない」

 

 むしろ今の状況で近くに寝た方が問題だ。そう判断したライは、アリサの言葉を押しのけソファの上に荷物を降ろす。今日はここで寝る事にしよう。

 

「あら、ちょっと複雑な関係なのかしら」

「……そんなところですね」

 

 心配そうな女将マゴットに何とか一言返すリィン。その2人のやり取りから目を離したライは、ソファ近くの窓から外を眺める。そこからは駅で見かけた大市が俯瞰出来た。草原の上に色とりどりの露店が並び、観光客や住民がゆったりと見て回っている。

 

(……ん?)

 

 と、大市の入り口辺りに人だかりが出来ている事に気づく。どうやら2人の男性が言い争いをしている様だ。男性達の声は聞こえないが、2人の態度は時間が経つにつれ悪化して行っている。そして人だかりは野次馬か、集団心理でも働いているのか誰も止めようとしていない。あれは不味いかも知れない。そう感じたライは急ぎ大市へと向かう事にした。

 

「……何処に行く気だ?」

「大市で何かあったらしい。直に戻る」

 

 ライはラウラの返事も聞かずに1人で宿を出る。……この行動は、リィン達から離れるためなのかも知れない。だが、時間が惜しいのもまた事実だ。あの様子ではそろそろ殴り合いまで発展してもおかしくない。ライは複雑な心境のまま隣の大市へと走って行った。

 

 …………

 

「――ここは俺の場所だ! さっさといなくなれよおっさん!」

「私はここの許可証を持っている! 消え去るのはお前の方であろう!」

「許可証なら俺だって持ってる! どうせおっさんのは偽もんなんだろ!」

「お前の許可証こそが偽物じゃないのかね? 騙されたとも知らずに粋がりおって」

「何ぃ!?」

「ふんっ!」

 

 茶髪の青年と身なりのいい男性が延々といがみ合っている。2人の奥には使われていない露店の設備、どうやら露店のスペースを巡っての争いなのだろう。だが、空いているスペースなら他にもある。彼らを止めるにはもう少し正確な情報が必要だ。ライは近くにいた住民と思われる主婦に話しかける。

 

「……何があったんですか?」

「あら、あなた学生さん? 珍しいわね。……見ての通りよ。2人の商人が店の場所を巡ってトラブルを起こしてるの。どうやら両方ともあの場所の許可書を持っている見たいでね。若い方は時々見かけるけど、もう片方は……帝都の商人かしら?」

 

 ヒートアップしていく2人の商人。最早その言葉は理性的なものでは無くなっており、何時爆発してもおかしくない状況だった。2枚の許可証に1つの場所、自分が本物だから相手のは偽物だ、と言うのが2人の主張だった。

 

「本来なら兵士さん達が止めに来て下さるのだけど、やっぱりこの前の陳情が……」

「その話は後で。この大市の管理者はご存知で?」

「え、ええ。オットーさんなら……」

「ではその人への連絡をお願いします」

「いいけど、あなたは?」

 

 一歩前に歩き出すライに主婦が尋ねる。なに、やることは決まっている。彼らを仲裁出来るのは公平な立場で、かつそれなりの力を持つ人物だ。まだその条件に当てはまる人がいない以上、ライの出来る事は1つしか無い。

 

「とりあえず、時間を稼ぎます」

 

 ライは野次馬の間を通り抜け、今にも殴り合いそうな2人のもとへと歩いて行った。この程度のいざこざも収められないならば、リィン達との関係修復は難しいだろうという思いを胸に抱いて。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 いがみ合う2人、地元の商人である青年マルコと帝都から来た男性ハインツの怒りは頂点に達しようとしていた。そもそも2人が手に入れた筈の場所は大市の入り口正面。要するに最も倍率の高い出店場所なのである。2人は内容は違えどその場所を獲得するために多くの苦労を掛けて来た。そうしてやっと手に入れた許可証。

 だが、いざ商売を始めようと大市に赴くと何故か同じ許可証を持った商人がもう1人。これまでの苦労を考えると後に引けなくなった2人は、次第に過激な口論へと発展してしまったのだ。そしてついに実力行使に出ようとハインツに近づくマルコ。しかし――

 

「そこまで」

 

 2人の間に手が差し込まれ、マルコの動きが止まる。そして2人の視線は止めた1人の青年へと向けられる。そこにいたのは1人の男子生徒だった。赤い制服を身に纏い、熱のこもらない青い瞳がマルコを見つめている。その顔はよく言えば端正、悪く言えば人形の様な無表情だ。

 そんな第三者の登場にマルコは一瞬戸惑うが、すぐに怒りの熱を取り戻し、邪魔をした学生に食って掛かる。

 

「おい、そこの小僧! 大人の話に水を差すんじゃねぇ!」

「そうだ、これは私たちの問題だ! 君は下がっていたまえ!」

 

 怒濤の勢いで捲し立てる2人に対し学生は、実は相性がいいんじゃないか、という2人にとって不愉快極まりない独り言を呟くと、意識を切り替えた様に冷静に2人の顔を見渡した。

 

「どうしたんですか」

「どうしたもこうしたもねぇよ! このおっさんが俺の場所を奪おうとしてんだ!」

「何を言っている! 盗人はお前の方ではないか!」

 

 再び言い争いを2人。だが学生はマイペースに考えるポーズをとった後、何かを思いついたかの様なゼスチャーをして2人の喧噪を止めた。

 

「なるほど。──なら、第三者に判断してもらっては?」

「……それはつまり、小僧が決めるってことか?」

「ふざけるな! こんな大事な事を赤の他人に決められてたまるか!」

 

 2人の怒りの矛先は学生に向く。だが、今にも胸倉を掴まれそうな学生は、まるで他人事のように平然としながら話を続ける。

 

「なら、ここの管理者に決めてもらいましょう」

「は? ……も、元締めに? どうしてそうなんだよ。元締めに迷惑をかける訳には……」

「既に迷惑はかけてます。それに、許可証の真偽で争っている以上、これ以上の適任はいないかと」

 

 大市の管理者ならば、許可証の偽造を見分ける事は出来るだろう。そうでなければ大市の元締めは勤まらない。それが分かっている2人も思わず口を閉じてしまう。

 学生はそこで一旦話を区切った。そして、学生は2人の中央を、正確に言えば2人にとって自分に向いていると思わせる絶妙な角度を向いて、励ます様な口調でゆっくりと語りかける。

 

「大丈夫です。あなたの許可証は本物ですから」

 

 この言葉は一見彼らを勇気づけるもの。だがもし反論をしてしまったら、それは自身の許可証に自信が持てないという事になってしまう。そうなれば圧倒的に不利な立場になってしまうだろう。

 2人は元締めであるオットーが到着するまで、ただ静かに待つしか道は残されていなかった。

 

 

◆◆◆

 

 

(──何とかなったか)

 

 怒りを内に収めた2人を見て、ライは内心安堵した。2人の意識をこちらに向けさせて争いを止めるという作戦は成功したらしい。ライがこの考えに至ったのは、普段いがみ合うマキアスとユーシスがライを前にするといがみ合いを止めた事を思い出したからだ。要するにより強い関心を持たせれば時間を稼げると考えたのである。

 

(それにしても何だったんだ? まるで湧き出る様に言葉が浮かんだ)

 

 まるで場慣れしているかの様に言葉が出て来た事に1番驚いたのは他でもないライ自身だった。相手のペースを崩すための言い回し、相手の心理を誘導するための言動、どれも今のライには持ち得ないものだ。……もしこれが記憶の無くす前のライなのだとすると、一体どんな生活をしていたのか。

 

(……まあいい、これなら原因を探れるかも知れない)

 

 もちろんリィン達に今のようなやり方をする気はないが、不仲の原因を探る必要がある以上何らかの役に立つかも知れない。ライはそう楽観的に捉える事にした。……そう考えないとやってられない程に、ライ自身の謎が多すぎるのだ。複雑な顔をするライのもとにポニーテールの少女が近づく。

 

「……どうやら、終わったようだな」

「ラウラ? ……それにリィンか」

 

 ライはそこで初めてリィンとラウラが待機していた事に気がついた。どうやらもみ合いになった時の事も考えて控えていてくれたらしい。未だに余所余所しいが、リィンとラウラもこの争いを止めようと動いていたのだ。そのことにライの心が少し軽くなる。

 

「いや、私達だけではない」

 

 そう言って大市の入り口の方向を向くラウラ。そこには1人の老人を挟んでこちらに向かってくる2人の学生、アリサとエリオットの姿があった。

 

「ここの元締めが家にいなかった様なのでな。2人に探してもらったのだ」

「そうか……」

 

 だとすれば、あの老人が管理者のオットーなのだろう。奇しくも成立した仲間との行動に、ライはどこか懐かしさを感じた。

 

 

◇◇◇

 

 

 ――その後、既にアリサとエリオットから事情を聞いていた元締めのオットーはライ達に一言礼を言うと、マルコとハインツの2人を連れて彼の家の方へと向かっていった。それを見届けたライ達は、本来の目的である特別実習に戻る事にした。実習の内容はライが出て行った後に女将のマゴットから貰ったらしく、とりあえずライ達は町を西に抜け、西ケルディック街道へと向かう事にした。

 町を離れ、のどかな道を歩くA班一行。ライはその後方で実習の依頼が書かれた紙を読んでいた。

 

「壊れた街道灯の修理に魔獣の討伐か。軍事訓練というより便利屋に近い内容だが……」

「……どうやら、サラ教官は俺たちにその土地についての知見を深めて欲しいみたいだな」

「そう言う事か」

 

 リィン達との関係は未だ平行線。リィンとは話が成立するもののどこか壁を感じ、アリサとエリオットは距離感が掴めないのか前を歩き、ラウラはこちらを探るように見て……いや、先ほどまでとは雰囲気が違う。より緊迫した様な、そんなピリピリした雰囲気がラウラの周りに漂っていた。

 

「ラウラ、どうかしたのか?」

「……いや、何でもない。そろそろ問題の街道灯だ。急ぐとしよう」

 

 ライから目を離し、明かりのついていない街道灯へと向かうラウラ。あの様子では心の内を話してはくれないだろう。何か知らないかとリィンへと顔を向けるが、どうやら彼も心当たりが無いらしい。ライはひとまず究明を諦めると、リィンとともに壊れた街道灯へと向かうのだった。

 

 …………

 

 西ケルディック街道の端に設置された1つの街道灯のもとにライ達は集まった。街道灯はドラム缶の様な重厚な形をしており、ライの視線の辺りに明かりが灯るであろうガラスがはめ込まれていた。一体何処が壊れているのかと、ライは点々としている他の街道灯と見比べる。違いは直に分かった。他の街道灯には明かりがついていたのである。

 

「街道灯は昼間でも明かりをつけているのか」

「え、えと、確か魔獣除けの効果もあるんだっけ……」

「なるほど。よく知ってるな」

「あ、あはは……。交換の導力灯を貰ったときに教えてもらったんだ」

 

 エリオットはそう言いながら懐から1つの導力灯を取り出す。この部品を街道灯の整備パネルのものと交換すれば修理完了という訳だ。

 

「修理なら私に任せて。ある程度の知識はあるから」

「そうなの? ならアリサにお願いしようかな」

 

 エリオットから交換の部品を受け取ったアリサは整備パネルに近づく。そして慣れた手つきでパネルを操作し始めた。

 

「では私達はアリサの護衛をするとしよう。魔獣除けの明かりが消えているという事は、魔獣の危険性があると言う事でもあるからな」

「ああ、そうだな」

 

 ラウラとリィンが武器を構え周囲を警戒し始める。ライとエリオットもそれに習い、武器を持ち周囲に意識を研ぎすませた。しばらくの静寂、草を撫でる風の音と、アリサの作業音だけが聞こえてくる。と、そのとき――

 

「――フム、やはり魔獣が集まって来たか」

 

 魔獣の気配を察知したラウラとリィンがある方向に武器を向けた。その剣先には腰くらいの大きさの狸を連想させる魔獣が群れをなして迫って来ていた。やや可愛らしい風貌だがその足には鋭い爪が伸びており、危険な存在であることを主張している。

 

「行くぞ、リィン!」

「ああ!」

 

 先手を切ったのは武術を嗜むラウラとリィンだ。ラウラはその身長程もある巨大な剣を豪快に薙ぎ払い魔獣を切り伏せる。そしてラウラの側を走り抜けたリィンの手に持つのは一本の太刀。一閃、細く長い刃の生み出した鋭い斬撃が魔獣を切り裂いた。

 

「……あの2人がいたら大丈夫そうだね」

 

 気の抜けた様に導力杖を降ろすエリオット。全く持って同意だが、やれる事はあると考えたライは2人からやや離れた魔獣を対処する事にした。エリオットはその導力杖で遠距離攻撃を行い3人をサポートする。リィンとラウラ、ライ、エリオットと3手に分かれた戦況、問題なく殲滅出来るかと思われた。だが――

 

「――! エリオット、後ろだ!」

「……え?」

 

 突如、エリオットの背後に躍り出る1匹の魔獣、草木に紛れていたのだ。気配に気づいたリィンが叫ぶ。

 対応が遅れたエリオットの体に魔獣の鋭い爪が迫っていた。しかし前衛にいた3人ではエリオットを助けるには遠すぎた。すぐ側まで迫った魔獣の爪に思わず目を瞑るエリオット。

 

 ……だが、その攻撃はエリオットのもとには届かなかった。

 

「え,剣……?」

 

 魔獣の頭に生えた長剣にエリオットは素っ頓狂な声を上げた。遅れて魔獣へと駆け出す影、ライだ。

 ライは魔獣へと投げた長剣を再び掴むと、そのまま切り払い魔獣を両断した。

 

「大丈夫か」

「あ。う、うん。……ありがとう」

 

 その言葉を聞いたライは何事も無かったかの様に前線に戻る。そうして無事に魔獣は殲滅させるのだった。

 

 …………

 

「――街道灯の修理、終わったわよ」

「ああ、ありがとう。アリサ」

「これくらいどうって事はないわ」

 

 明かりのつく街道灯、もうここは安全だろう。ライはアリサとリィンの話を耳にしながら武器を収める。ライ自身があそこに言っても気まずくなるだけだろう。あえて離れたところに立つライのもとに、真剣な顔をしたラウラが近寄って来た。

 

「どうかしたのか」

 

 先ほどとほぼ同じ台詞をラウラに投げかける。だがラウラは先ほどとは異なり、真剣な目つきでライを見続けていた。

 

「……そなたに1つ尋ねたい」

 

 この雰囲気に気がついたのか他の3人も集まってくる。ラウラは覚悟を決めたのだろう。ならばライも覚悟を決めなくてはなるまい。ここが正念場なのだと。

 ライが聞く体勢をとった事を確認したラウラは、ポツリポツリと話し始めた。

 

「――初めの内は、そなたは無口だが年相応の無邪気さを持った青年だと思っていた」

 

 ラウラの頭に浮かんだのは突発的な歓迎会の記憶。無表情ながらも全力で飾り付けをし、よく分からない料理を作った事はラウラもよく覚えていた。

 

「だが、先の戦術リンクで私はそなたが分からなくなった。リンク時に感じた邪道の気配、よく覚えてはいないがその感覚だけは残っている」

 

 ラウラの手が震える程に握りしめられていた。リンク時の感覚を思い出し、まるで許せない怨敵を見たかの様な気迫を放つ。

 

「それからだ。私がそなたに疑問を抱いたのは。……白紙の過去、誰も知らない行動、リンク時に感じた邪気。さらには先の喧噪を収めた言動にその戦闘能力。……どれも初めに抱いた人物像からはかけ離れていた」

 

 ラウラも分からなくなっていたのだ。知れば知る程ちぐはぐなライという存在に。ラウラはそれを信頼する事は出来なかった、許容する事が出来なかったのだ。

 

「――だから問いたい。そなたは、一体何者なのだ?」

 

 そのまっすぐな言葉にライの目は見開いた。

 

 そうか、そういう事だったのか。ライは胸にストンと落ちる様な感覚を抱いた。

 なんて事は無い。問題は戦術リンクだけでは無かったのである。

 ラウラは今、ライに何者かと問いかけている。これは出来ればライを信じたいという事だ。

 その事にライは嬉しく感じた。真剣に答えたいとも思った。だが――

 

「俺はライ・アスガードだ。それ以上は何も言えない」

 

 ライにはその問いに対する答えは持っていない。何者かはライ自身にも分からない。

 

「…………もうよい」

 

 ラウラは軽蔑したように話を切り上げ、町の方に歩き出してしまった。

 街道灯のもとに残された4人。ライは混乱している3人にラウラを追う様に促すと、1人その場に残った。

 

 …………

 

 ……ライはただ1人、晴れ渡った空を見上げる。

 耳に届くのは先と変わらない風の声。しかし、今のライにはどこか寂しさを感じる音だった。

 

「何者か、か。……そんなの、俺が聞きたいくらいだ……」

 

 小さく呟いた言葉は青い空に溶けて消えていく。

 目覚めてすぐに手に入れたペルソナ。ライ自身ですら信用出来ない過去。考えれば考える程、それらはライを蝕んでいく。

 

 1人で呟いたその言葉は、初めて口にしたライの弱音だったのかもしれない……。

 

 




問題、未だ継続中。


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9話「広がる繋がり」

 ライとラウラの決裂から少しばかり時が過ぎ、リィン達は遅れて合流したライとともに依頼された魔獣を倒すため東ケルディック街道を歩いていた。

 先ほどまでの関係が温かったと言える程にギクシャクとしたA班。ラウラが最前列を歩き、逆にライは最後列を歩いている。2人の現状を如実に表していると言えるだろう。

 

「ねぇリィン。どうしたらいいかな」

「どうって言っても……」

 

 間に挟まれたリィン達3人はどうすればいいか決めかねていた。本来ならば2人の仲を取り持つべきなのだろうが、リィン達もライへの懐疑心が拭えない現状では難しかった。

 それでもこのままとはいかない訳で……。リィン達は困った顔でラウラとライの顔を見比べる。

 

「…………」

「…………」

 

 どちらも完全なる無言。違うところがあるとすれば、後ろから見えるラウラの横顔は苛立って見えるのに対し、ライはいつも通りの無表情であることか。

 

「あんな事があったのに平気そうだね」

「……いや平然を装っているけど、表情に陰りがあるように見えないか?」

「分かるの?」

「僅かに、だけど」

 

 再びライの顔を覗くエリオットとアリサの2人。言われてみれば何となく表情が曇っている様な、そうでない様な……。うんうんと唸る2人の奇行にライは一瞬目を向けてくるが、直に興味をなくしたのか元に戻した。

 改善されない関係。結局手配された魔獣を倒してもこの状況は変わらなかった。

 

 

◆◆◆

 

 

 茜色に染まる空。魔獣討伐の報告を終えた一同がケルディックに戻った頃には既に夕方になっていた。

 

(ここは相変わらず賑わっているな……)

 

 そして今、ライはリィン達から離れ1人で大市を見て回っていた。目的などは無い。先ほどまで関係の悪化を防ぐために平然を装っていたが、ついに限界が訪れてしまったという訳である。

 今のライには賑わう大市もどこか他人事のように思え、新鮮な果実も味気ないものに見える。その様な心境のライは場に似つかわしくない表情のまま露店を渡り歩いていた。

 

「あっ、そこの小僧! お前のせいでこんな場所で商いをやるはめになったじゃねぇか!」

 

 そんなライに突然、罵声が投げかけられた。その声のもとへと顔を向けると、そこには昼間に言い争いをしていた商人の片割れである若い青年がいた。

 ここは大市の奥の方だ。彼らが争っていたのは入り口のスペース、だとすれば青年は負けたのだろうか。

 

「……ご愁傷様?」

「おいおい何だよ、その言い草は。まるで俺が負けたみてぇじゃないか」

「負けてないんですか」

「引き分けだよ!」

 

 とりあえずライは気分転換もかねて事情を聞く事にした。話によると争っていた2人の許可証は両方とも本物であり、週によって場所を交換する事に落ち着いたらしい。故に今週は彼が奥の場所となり、もう1人の商人が正面の場所を使う事になったとの事だ。

 

「にしてもお前、あんだけ関わっていたのに何にも知らないんだな」

「あれから直に町を出たので」

「な〜る。学生さんはお忙しい事で」

「あなた程ではないのでは」

「うぐっ、やっぱり言うなお前。まぁいっか、俺はマルコ。これも何かの縁だ、商品でも見てってくれよ。……あ〜後、敬語もやめてくれ。あんな大立ち回りの後に敬語で話されても嫌みにしか聞こえねぇからよ。……チクショウ」

 

 昼間の事を思い出したのか項垂れるマルコ。昼間の剣幕が嘘の様にしょぼくれた姿だった。

 

「俺はライ。……そうだな、ではこのミニトマトの苗を1つ」

「へへっ、まいどあり! ……俺が言うのもなんだが、何でそれ選んだんだよ。学生ならもっと、こう、華やかなのがいいんじゃないのか? 加工食品とかがメインだけど、お手製のアクセサリーなんかも売ってるぜ?」

「いや、これでいい」

 

 元気な苗だと真剣に観察するライを見て毒気を抜かれるマルコ。昼間は人形みたいだと感じたが、意外と人間らしいんじゃないかと思い始めていた。

 

「そういや、昼間は確かお友達が一緒だったよな? どうして1人で歩いてたんだ?」

「…………」

 

 何気無しに聞いたマルコの質問にライは思わず目を伏せる。その目に憂いを宿すライを見て、マルコは地雷を踏んでしまった事に気づいた。

 

「……あー、ま、そんな時もあるさ。そんな時は酒でも飲んで、ってお前は飲めないか」

 

 2人の間に気まずい空気が流れる。その場から動かないライに無い頭を悩ませるマルコ。と、少し経ってマルコが何かに閃いたのか顔を上げた。

 

「なぁライ。ちょっと商いやらねぇか? 気分転換した方がいいだろうし、それにお前は顔が整ってるからいい客寄せにもなるしな」

「……後半が本音だろ」

「あー、バレたか。昨日から売上税が上がってこっちもギリギリなんだよ。チクショウ……。だからあの場所で一発当てようかと思ったのに……」

 

 その後、しばらくマルコの愚痴が続いた。領主であるアルバレア公爵家が先日いきなり売上税を大幅に引き上げた事、そのせいでどこの商人も商売上がったりな状況になっている事、他にも商人仲間とのいざこざ等々。ライはマルコの隣に立ちながら延々と聞き続けた。項垂れるマルコには悪いが、案外こう言った話も良い気晴らしになる。

 

「——ああもう、やってられるかっ! こうなりゃやけ酒だ!」

「飲むなら奥でやってくれ。売り上げに響く」

「……お前、案外乗り気なのな」

「やるからには全力だ」

 

 この前のベッキーとのやり取りを思い出しながら商売を始めるライ。その顔に浮かべるのはうっすらとした微笑み、ライにとって最大の営業スマイルである。

 それでも効果があったのか、逆にそれが良かったのかは定かではないが、ベッキーとの駆け引きを生かした事もあって少しずつ売り上げを伸ばしていた。マルコにとってその事実は喜ばしいことではあったが、商売人としてのプライドが傷つけられたらしく終止微妙な顔でライのサポートを続けている。

 その状態が数時間ほど続いて日が暮れた頃、2人の商売は予定よりも多くの在庫を売り払い幕を閉じるのだった。

 

 …………

 

「いやぁ好調好調。やっぱ世の中顔ってことかな」

「やり方と態度の問題だ」

「……俺は何時だって真面目だぜ?」

「鏡はどこかな」

 

 いつの間にかライとマルコは軽口を叩ける関係になっていた。久々の談笑。前にこうしたのはリィンと買い物をした時だったか。まだ1週間経っていないのにずいぶんと昔に感じる。

 ライはそれを懐かしく感じながら商品の片付けを手伝う。ライの手元にあるのは山積みの商品。これを一生懸命売ってきたのかと思うと、何だか親近感が湧いてくる。

 

「そう言えば、この店の商品は地域の特産品が多いんだな」

「ああ、それは実家の近くで取れるものなんだ。小さい頃から慣れ親しんだ分、その良さもよく分かってるからよ」

 

 マルコはそれから商品1つ1つについて説明していった。子供の頃に盗み食いして怒られたナッツ、何日も手伝ってようやく完成した特製のチーズ。どれもライは持っていない輝かしい過去の思い出だった。ライにはそれが羨ましくもあり、同時に尊いものに思えた。

 

「ずいぶんと熱心な事で」

「ははっ。まぁこいつらでビックになるのが俺の夢だからな」

 

 そして、全てを語り終えたマルコはどこか晴れ晴れした表情でライに向き直る。

 

「……なぁライ。俺も商売仲間としょっちゅう喧嘩するんだけどよ。原因は些細な行き違いだったりするんだ。もしかしたらお前も、何かを伝え忘れているんじゃないか?」

「…………」

「……どうした?」

「いや、大人らしい言葉は似合わないなと」

「どーせ、ガキっぽいよ俺は!」

 

 マルコはライの言葉が冗談であると分かっているので、文句を言いながらも笑っている。

 ——しかし些細な行き違い、伝え忘れている事か。あの問答にそんなものがあったのだろうかとライは考え込む。そもそも何の手がかりもない現状では伝えられる事など無い筈だ。何せ過去も分からなければ人柄すら霧に隠れているのだから。要するにライはラウラの知りたい情報を何一つ持っていないということになる。

 

(……いや、待て)

 

 何かに引っかかったライはラウラの言っていた言葉を思い出す。ラウラが疑念を持ち始めた理由は確か、戦術リンク、白紙の過去、誰も知らない行動、仲裁時の言動それに戦闘能力。その中からライ自身も知り得ないものを除外すると……

 

(……あった。2つ、いや正確には1つの事柄が)

 

「おい、何かつかめたのか?」

「ああ、参考になった」

 

 ライはマルコに一言礼を言うと、リィン達のいる風見亭に向けて走り出した。

 見つけ出したのは1つの認識のズレ。ラウラが尋ねた《何者か》とライ自身が悩んでいた《何者か》は決して同じではなかったのだ。その誤解を解いたところで現状が良くなるかは分からない。だが、やってみる価値はある。ライはそう感じていた。

 

 …………

 

 ——目指すは風見亭の2階、ライ達の泊まる部屋だ。ライは暗い空気の漂う部屋の扉を開け放ち、堂々とリィン達のもとに近寄る。リィン、アリサ、エリオットの3人はライの纏う空気が変わった事に驚いているが、ラウラは変わらず失望の眼差しを向けてきた。

 

「……どうした。何も言う事はないのでは無かったのか?」

「"言う事はない”、じゃなく"言えない”だ。……やはり誤解があったか」

 

 何を言っているのか分からないといった表情のラウラ。リィン達も疑問符を浮かべている。まあ無理も無い、これから言う事は本来なら口にしてはいけない事柄だ。後で間違いなく教官達に文句を言われる事だろう。

 だが今のライには関係ない。これが悔いの無い選択だとライは確信していた。

 

「ラウラ、それにリィン達も聞いてほしい。俺自身が唯一知っている秘密、"ペルソナ"について」

 

 ——今度こそ、正念場だ。

 

 

◇◇◇

 

 

 リィン達は部屋に備え付けられたソファの上に座り、皆ライの顔に視線を向けていた。

 

「えっとペルソナ、だっけ。聞いた事ない言葉だけど……」

「魔物を召還する能力とでも思ってくれ」

 

 エリオットの問いにライは率直に答える。そう答えるのが最も分かりやすいだろう。確かクロウもペルソナをそう例えていた筈だ。

 ……だが分かりやすいのも考えものである。よく見ると物騒な例えが怖くなったのか、エリオットの体が若干ライから遠のいていた。心配せずともここでペルソナを召還するつもりは無いのだが。

 

「それで、そのペルソナがライの今までにどう関わっていたのかしら」

「ああ、話は入学初日、表向きは特別オリエンテーリングにされている事件からだ。あの日俺は——……」

 

 ——それからライは旧校舎での異変について話した。その中にいた黒い魔物、覚醒したペルソナ。それが終わると今度は教官達と行っているシャドウ調査についてだ。今のところ生徒に悟られない様に秘匿されていると念を押して説明して行く。

 そしてそれら全てを話し終えたとき、重い表情で聞いていたラウラが静かに口を開いた。

 

「……それが、そなたの秘密か」

「納得して貰わなくとも構わない。俺自身、分からない事だらけだ」

 

 まだ飲み込めていないのか皆静かに考え込んでいる。だが、確実に空気が変わっていた。もしかしたらライ自身が身の内を語る事が解決のためのキーだったのかも知れない。リィン達の思い描いていた謎のクラスメイトという印象は、今ここで確実に薄れて来ていた。

 

(——けど、まだ関係修復まではいかない、か)

 

 ラウラの表情は複雑なものとなっていた。恐らくは戦術リンクで感じた邪道の気配とやらが足かせになっているのだろう。

 戦術リンクから感じたものはライの本性なのか、はたまたペルソナとやらが原因なのか。ラウラはライの本質について判断出来ずにいた。そう簡単に割り切れないほどに戦術リンクの影響は大きかったのである。

 

「俺は下の食堂にいるから、ゆっくりと考えてくれ」

 

 今の彼らには時間が必要だと考えたライは1人で部屋を出て、風見亭の1階にある食堂へと向かうのだった。

 

 

◇◇◇

 

 

 食堂の椅子に座ってから1刻が過ぎた頃、ライは食用のテーブルの上で今日の特別実習のレポートを書いていた。

 始めはマルコの手伝いをしていたために遅れた夕食をとっていた。だが食べ終わった後もまだ整理が出来ていない雰囲気であったため、ライはこうして着々とノルマをこなしているのだった。静まり返った食堂はもう薄暗く、窓の外から淡い月光が入っている。静かに活動するには絶好の環境であると言えよう。

 そんなライのもとに1人の人影が近寄ってくる。今の彼らの中で能動的にライへと近寄る者は1人しかいない。ライには顔を見ずともそれがリィンであると分かった。

 

「隣、いいか?」

「ああ」

 

 ライの隣へと座るリィン。だがうまく話を切り出せないのか無言の時間が過ぎて行く。ただ紙にペンを走らせる音だけが響く薄暗い食堂で、リィンは重い口を開いた。

 

「以前ライが言えなかった事って、ペルソナの事だったんだな」

「ん? ……ああ17日のことか」

 

 自由行動日の前日の事。あの時はこんな状況になるとは思いもしなかった。懐かしい時間を思い出したライは思わずペンを止める。

 

「……俺たちに話して良かったのか? 秘匿されているって話だったが」

「緊急の際に使う許可を貰ってる。サラ教官も伝わるリスクを覚悟している筈だ」

 

 それでも文句は言われるだろうが。特に何らかの理由を用意しておかなければ、許可を出したサラ教官にまで非難の対象になってしまうかも知れない。ライはどう言い訳をするべきかと悩み始めた。

 ……しかし、この場で悩んでいるのは何もライだけではない。

 

「——俺だけ話さない訳にもいかないよな」

「どうした、リィン」

「いや何でも無い。……それよりライ。ペルソナを持ってて怖いと感じた事はないのか?」

「怖い?」

「ペルソナという力も良く分かっていないんだろう? もしかしたらその力が大事な人を傷つけるかも知れない。ライはそれが怖くないのかと、そう思ったんだ」

 

 ペルソナという力が大事な人を傷つける? ライは今まで考えた事の無かった可能性にハンマーで殴られた様な衝撃を受けた。

 そうだ。もし仮にペルソナの力が人に振るわれたのなら、普通の人はなす術もなく致命傷を負ってしまうだろう。個人が持つにはあまりに強力すぎる謎の力。駅でサラが言っていた力の意味とはこの事を言っていたのだろうか。ライは最悪の光景を想像し、思わずその表情が暗くなる。

 

 ……だが、何故かライにはペルソナが怖いものだとは思えなかった。確かに未だ謎の多いペルソナは何らかの原因で暴走するかも知れない。それで仲間を傷つけるかも知れない。それでも——

 

「俺にとってこの力は恐れるものではなく、むしろ受け入れるものだ」

 

 ライは握りしめる自身の手を見つめながら、感じたがままの答えを言葉にした。

 ペルソナは自分自身であると何よりライが理解している。我は汝、汝は我。その言葉の通りにヘイムダルはライ自身でもあるのだ。その力を怖がる事はすなわち自らを恐れる事に他ならない。ライは自身の過去を信用していないが、今ここにいるライと言う存在を否定する気はなかった。

 

「……受け入れるもの、か」

「参考になったか?」

「……正直、まだ分からない。でも手がかりにはなったと思う」

「なら良かった」

 

 リィンの様子から察するに、今の問答は恐らく彼自身の問題に関わっているのだろう。その意味は今のライには分からない。だがいずれ答えを知る機会があるだろうと考え、深くは踏み入らない事にした。17日の約束はまだ続いている。

 

「そう言えば、ラウラ達の様子はどうだ?」

「まだ折り合いが付けられないって感じだったかな。多分まだリンクの感覚を引きずっているんだと思う」

「問答の前の状況に戻った、という訳か」

「俺達からしてみればペルソナについて知った分、前進しているんだけどな」

「……知る前の俺はどう思われてたんだ」

「正体不明、神出鬼没の幽霊みたいなクラスメイト、って感じだったと思う」

 

 確かにそれは信頼する以前の問題な気がしてきた。何故そのことに思い至らなかったのかと悩みたくもなるが、もし分かったとしても今回のような状況にならなければペルソナについて話さなかっただろうとライは思い直す。全ては過ぎた事なのだ。

 ——と、気づくともう夜も遅くなっていた。このままリィンと話している訳にもいかないだろう。レポートの分量から考えて、リィンのレポートはまだ終わっていない筈だ。

 

「俺は皆が寝た頃に戻るから、リィンは先に戻ってくれ」

「ああ、悪いな」

 

 ライは階段を上がって部屋に戻るリィンを見送った。そして静まり返る深夜の食堂。もうレポートも書き終えたライは静かに窓の外を見上げる。夜空に浮かぶ丸い月に、輝く数多の星々。今のライにはそれが素直に美しいものだと思えた。

 

(マルコには後で礼を言わないとな)

 

 マルコの事だから、礼を言うなら商品を買ってくれと言ってくるだろう。ライにはその光景がありありと目に浮かんだ。

 

 

 ……それが叶わぬものとなるとも知らずに。

 

 




商人マルコにオリジナル入ってます。特に性格なんかこんなんだったっけと言うものに……。


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10話「動き出す影」

本日、少々物足りなかったプロローグに1場面を追加しました。なお、本編の流れに一切影響はないのでご安心を。


 明くる日の4月25日、宿屋の部屋にあるソファに眠っていたライはリィン達より早くに目を覚まし、早々に身支度を済ませると静かに部屋の外へと歩き出した。出来る限り顔を合わせないための行動にも段々と慣れて来た事にライは少し苦笑いする。

 

「どこに行くつもりだ」

 

 背後から聞こえてきた声にライは足を止めた。凛とした女性の声、間違いなくラウラだろう。どうやら目覚めていたらしい。ライはベットの上で上半身を起こしているラウラに向き直った。

 

「起きてたのか。……まあいいか、先に食堂へ行くだけだ」

「私達を考えての行動には感謝する。だが、もうその気遣いは無用だ」

「……もういいのか?」

「正直のところ、まだ大丈夫とは言いがたい。だが、そなたは教官の命に背いてまで歩み寄ろうとしてくれた。その思いを無下にしたとなれば私は私自身を許せなくなる」

 

 ラウラは目を伏せたままシーツを強く握りしめる。ライに対する拭えない懐疑心とラウラの信念がせめぎ合い、彼女自身を追いつめているようだ。重苦しい空気がラウラの周囲に漂っている。

 

「気にするな。全ては戦術リンク、要するに俺が招いた問題だ」

「いや、そう言ってもらう資格などない。どのような事情であれ、此度の事態を招いたのは私の未熟さが原因だ」

「だから気負う必要は……」

「だがそれではっ!」

 

 2人の間で責任の奪い合いが続く。根本的な原因は自分であると主張するライに、己の未熟さを悔いているラウラ。まさに話は平行線だった。

 しかしこのままでは眠っているリィン達も起こしかねないので、ライは仕方なしに妥協案を提示する。

 

「とりあえずこの話は引き分けと言う事にしよう。後は俺がラウラの信頼にたる人物だと示せばいいだけだ。……違うか?」

「……迷惑をかける」

 

 珍しくしおらしい表情をしているラウラから目を離すのも口惜しいが、ライはラウラの負担を減らすために一旦離れる事にした。

 ラウラの様子から察するに、嫌悪感は呪いの様にラウラの心に根付いているようだ。いくら頭で納得させたところで心に歪みがある以上、早急な解決は不可能だろう。ここは機を見るべきだとライは判断した。

 

「……そなたは、それでいいのか?」

 

 引き分けと言いながらも負担を一身に背負うライの背中に向けて、ラウラは心配混じりの感情を投げ掛ける。確かに現状は辛い状況だ。だがライには今の一言で救われた気がした。

 

「その一言だけで十分だ」

 

 ライはラウラに背を向けたまま、再び歩き出す。当初の予定であった食堂の一階ではなく、一晩眠っていたソファを目指して。

 一度壊れかけた関係は少しずつ元の形に戻りつつあった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 ──それから数時間後、一階の食堂で朝食を済ませたライ達一行は女将のマゴットから今日の課題を受け取り、揃って風見亭を後にした。特別実習は今日の夕方で終わるため、もうこの宿屋を利用する事もないだろう。たった一晩の記憶ではあるが、月夜の光景は今でも鮮明に覚えていた。

 

「それでリィン、今日の課題は何なのだ?」

「ええと、財布の落とし物に魔獣の討伐……。どちらも任意で、やらなくてもいいみたいだな」

「ええっ!? それって実習としてどうなのかな?」

「……自分たちで考えろって事じゃないかしら」

 

 士官学院にあるまじき緩さを前に面を食らうリィン達。意図のまるで掴めない実習内容についてあれやこれやと意見を出し合うが、結論が出ないまま時間だけが過ぎて行く。

 しかしこのまま無為に時間を過ごす訳にもいかないので、とりあえずライ達は落とし物の話を聞くために大市へと向かう事にした。

 

 …………

 

「──てめぇコラァ! 俺の屋台になんて事しやがった!」

「はっ、田舎者らしい幼稚な演技は止めたまえ! どうせお前なのだろう? 私の屋台を壊して得するものなどお前以外に考えられないからなっ!」

 

 激しくデジャヴを感じる怒鳴り声が大市から聞こえてくる。間違いない、昨日の2人が懲りずにまた言い争いをしているのだろう。その事にリィン達はやや呆れた顔を浮かべ、ライも片手で頭を抑え呆れ返った。

 

(……昨日の今日で何やってるんだマルコ)

 

「おや、君たちは昨日の──」

「あ、オットーさん」

 

 そんなライ達の背後から声を掛けてくる初老の男性。穏やかなその声はエリオットの反応からも分かる様に、元締めのオットーのものであった。ライ達は深い紺色の帽子を被ったオットーに向き直り、おのおの頭を下げ挨拶をする。オットーもそれに答えると、老人らしい柔らかな笑顔で語りかけて来た。

 

「先日は君たちにずいぶんと助けられたな。本来ならお礼にお茶でも振る舞いたいのじゃが、……生憎、今立て込んでおるので、またの機会にさせてくれないじゃろうか」

「ええ、オットーさんの事情は重々承知しています」

 

 リィンは大市の方角に目を向けながらそう答える。大市からは変わらず2人の大声が晴天に混じり響き渡っていた。

 しかし、今回は何が原因で言い争いをしているのだろうか。元締めなら知っているだろうと推測したライはオットーに尋ねた。

 

「……それは実際に見た方が早いじゃろう。なんなら一緒に来るかね、士官学院の諸君?」

 

 特に反対する理由はない。ライ達はそれに肯定で答えると、オットーと共に大市へと足を運ぶのだった。

 

 

◇◇◇

 

 

「……これは」

 

 大市の入り口に到着したライ達が目にしたのは木の残骸、台風にあったかの様にぐちゃぐちゃになった屋台だった。確かあの場所はマルコともう1人の商人が求め争っていたところだった筈だ。

 ……いや、そこだけじゃない。ライとマルコが商売をした屋台もまた、完膚なきまでに壊されている事が遠目からでも確認出来た。

 

「……まずは2人を収めるとするかのう」

「手伝います」

 

 ライ達はいがみ合う2人を引きはがし、落ち着かせるためにそれぞれの意見を聞く事にした。

 だが昨日の様に2人の怒りを抑える事が出来なかった。なんせ今回は前回と異なり答えを出す手段が見当たらないからだ。

 2人の意見は昨日と同じく相手が悪者であるというもの。この主張は2カ所同時に壊されている事から可能性は薄いのだが、それを伝えたところで頭に血が上っている2人には通じない。2人を納得させるにはより強固な主張、それこそ犯人は誰なのかを説明する必要があるだろう。しかし、今のライ達には犯人を特定する情報も時間もありはしなかった。

 どうにかして彼らの怒りを抑えようと四苦八苦するオットーとA班。膠着するこの状況を壊したのは意外な声だった。

 

「──そこまでだ!」

 

 大市の入り口から轟く偉そうな声。その声にライ達やオットー、それに商人の2人は揃って入り口の方へと向いた。そこにいたのは青色の軍服を身に纏った兵士達。この地を治める貴族直轄の私兵、領邦軍であった。

 背筋を伸ばした兵士達の先頭には、豪華な帽子を被った男性が偉そうに立っていた。恐らく彼がこの兵士達の上官なのだろう。不遜な態度で兵士達を従え、元締めのもとへと歩み寄って来る。

 

「これはなんの騒ぎだね?」

「う、うむ。実は──」

 

 オットーは突然の来訪者に戸惑いながらも領邦軍隊長に1つ1つ説明して行く。

 

「ほう、昨夜に何者かが屋台を襲い商品を奪ったと。ならば話は簡単だ。この2人を捕えよ!」

「なっ! なんでそうなるんスか!?」

「そんな! 捜査もせずに何故……!」

 

 マルコ達は近寄る兵士から逃げ腰になりつつも反論の言葉を発する。

 

「フン、領邦軍にはこの様な小事に手間をかける余裕はないのでな。それに2カ所の被害に2人の加害者。同時にお互いの屋台を壊したのであれば説明もつくだろう。──さて、どうするかね? このまま騒ぎを起こすのならば、宣言通りに捕えなければならぬのだが」

「……くっ……」

「……そん、な……」

 

 隊長は2人が黙ったのを確認すると、満足そうに兵士を引き連れ入り口へと引き返して行く。

 あまりの強硬手段に辺りが騒然とする中、ライはその背中に向けて疑問に感じた事を尋ねた。

 

「何故、昨日は大市の仲裁に来なかったんですか」

「少年よ、口を慎みたまえ。……言った筈だ。この様な小事に手間をかける余裕など我々にはないのだよ」

 

 隊長はそう呟くと、これ以上何も答えんと言わんばかりに堂々と大市を後にした。

 残されたライ達、いやここにいる全ての人々は領邦軍の強引な仲裁に思わず言葉を失う。しばしの静寂。それを打ち破ったのは帽子を深めに被ったオットーだった。

 

「……皆の衆、開店のためには壊れた屋台を片付けなければならん。すまぬが手分けして事に当たってくれぬか」

 

 その一言を合図に集まっていた商人達が歩き出す。壊れた木材を協力して市場の奥へと運び、とりあえず商売が出来る状態へと戻し始めた。

 リィン達も片付けを手伝い始める中、ライの視線は1方向に固定されていた。その先には頼りない足取りで片付けをするマルコの姿。ライには彼の背中が小さく見えた。

 

「……すまない。少し単独行動をさせてくれないか」

「もしかして、あの若い商人と顔見知りなのか?」

「ああ。片付けが終わったら彼から話を聞いてくる。リィン達は──」

「もう1人の商人から、だな。……分かった、そっちは任せる」

「任せてくれ」

 

 ライは正面の片付けを手伝うリィン達から離れ、マルコの使っていた屋台の片付けに混ざる。

 昨日、数時間だがライもこの屋台で商売を行っていた。そう思うと、手にした木片が何故か重く感じた……。

 

 

◇◇◇

 

 

 騒動のせいで遅れてしまった大市も、商人達やライ達が総出で片付けをする事で無事に開かれる事となった。

 壊された木材が取り除かれたがらんとした屋台。商人達が持ち場に戻った現在、ここに残っているのはライとマルコ、その2人だけだった。かろうじて残った木箱に腰掛けて項垂れるマルコに、ライは静かに話しかける。

 

「昨日の夜、あの後何があったか教えてくれないか」

「……あのおっさんがやったに決まってる」

「それを決めるのはまだ早い。それに俺は仮にも士官学院の生徒だ。こう言った事は見過ごせない」

「それ、どちらかと言うと遊撃士の言葉だぞ」

「……そうなのか?」

「ハハッ、変わらないなお前は」

 

 マルコはやつれた笑いを浮かべた。ライにとっては遊撃士という存在そのものが分からないのだが、今この場で聞くべき事は別にある。今ならまともに話を聞けると判断したライは、今回の事件について詳しく聞く事にした。

 

「……俺も良くは知らねぇよ。昨日はライがいなくなった後、商売仲間ん家に転がり込んで朝まで酒飲んでたんだ」

「容易に想像がつく」

「うっせぇ黙って聞いてろ。そんで朝になって二日酔いになりながら屋台に来たらこの有様、って訳さ。そっからはお前も見た通りだ」

「つまり、マルコには証人がいるという訳か」

「疑ってたのか? ……まぁいいか。どうせハインツっておっさんも領邦軍も俺を犯人扱いだからな。……チクショウ」

「自暴自棄になるな、両方ともデタラメだ」

 

 ライはマルコを励ます。事実としてマルコと同じく我を忘れていたハインツという商人も、調査すら行っていない領邦軍の推測もデタラメである事は間違いない。

 ライがアリバイを確認したのも、客観的な判断の材料にするためである。

 

「それで犯人の心当たりは?」

「だからおっさんに決まってんだろ! 俺の商売を潰して完全にあの場所を独り占めする気だったんだ!」

「だが、彼の屋台も潰されている」

「どうせ自作自演だよ。疑いの目を向けられないためにわざと自分の屋台も壊したんだ。奪われた商品もどっかに隠してんだろ?」

「いや、可能性は低いな」

「……何だよ、文句あるなら言ってみろよ」

 

 ライはその理由について1つ1つ説明していった。

 まずはあまりに非効率であるという事。疑いの目を向けられないためならば幾つかの屋台を壊せば済む話だ。自らの商品まで隠してしまったら商売自体が出来なくなり本末転倒である。現にハインツという商人も今日商売をすることが出来ないらしい。

 次に奪われた商品があまりに多いという事だ。マルコとハインツ、どちらか片方ならばなんとかなるかも知れないが、両方ともなれば相応の時間と人手が必要になる。この大市に隠したのならば話は別だが、それなら片付けの最中に見つかる筈だ。場所取りの問題が発生したのは昨日、ならば帝都から来たハインツに人手を集める時間はない。

 

 これらを説明し終わったとき、マルコは苦虫を噛んだ様な顔をしていた。もうハインツを疑えない、マルコの顔にはそう書かれていた。

 

「……ならだれ…………だよ」

「どうした?」

「俺の商品を奪ったのはだれだって聞いてんだよ! そこまで言うからには分かってるんだろうなぁ!?」

 

 マルコがライの胸ぐらを掴み上げる。

 怒りに我を忘れているマルコ。だがライは冷静にマルコの腕に手を軽く乗せると、そのまま自身の推測を順に語り始めた。

 

「単なる物取りならここが狙われたのは不自然だ。なら壊す事自体が目的だろう」

「だから得をするのはおっさんだけだって言ってるだろ!」

「何も直接的な利益だけじゃない。壊す事で生まれた、例えば混乱を起こしたい者がいるとしたら──」

「────っ!!」

 

 ライの推測を聞いたマルコが突然固まった。何かに気がついた、そんな反応だ。

 

「心当たりがあるのか?」

「…………ねぇよ。もう、どっかに行ってくれよ」

「……分かった。後は俺たちに任せてくれ」

 

 掴んだ手を離し、後ろを向いて座り込むマルコ。もうこれ以上問いかけるのは難しいだろう。そう感じたライはこの場を後にする。

 今のライに出来るのは奪われた商品を見つけ出す。ただそれだけだった。

 

 

◆◆◆

 

 

 …………

 

 

「分かってるよ。騒ぎを起こしたい奴、この大市の陳情を取り下げたい連中、そんなの領邦軍しかいないだろ。……でもどうすりゃいいんだよ。たかが田舎の商人が文句言ったところで捕まるだけだ。泣き寝入りしかねぇのかよ。チクショウ……」

 

 マルコは気づいてしまった真実を前にしてひたすらに落ち込んでいた。相手は権力者である以上、1人の商人でしかないマルコではどう足掻いたところで商品を取り戻す事など出来ないだろう。1人の学生でしかないライも同様である。マルコはもう完全に諦めていた。

 

「──フム、落ち込んでいる様だな。絶大な壁を前にして振るう牙を折られたと見える」

 

 そんなマルコに1人の男性が声をかけてきた。億劫ながらも重い腰をあげ男に向き直るマルコ。

 

「……だれだよ、あんた」

 

 だが話しかけてきた男は全く見覚えのない風貌だった。ライと同じ暗い灰色の髪は耳元で跳ね上がっており、眼鏡の奥の瞳には知的ながらも燃える様な熱意が込められていた。学者にしては荒々しい、無法者にしては知的すぎる。そんな相反する印象を持つ男に、マルコは混乱した。

 

「名乗る程の者ではない。だが私も同じだ。牙を向ける相手は違えど、強大な敵に抑えきれぬ憤りを感じている──」

 

 男はまるでマルコの心を見透かしたかの様に語りかけてくる。男もマルコと同じだと。強大な権力を前にして怒りを感じている同志であると。

 

「どうだ。牙が欲しくはないか? その身の憤りを開放するための力が欲しくはないか?」

「俺は……」

「たしかに今のお前は無力だ。しかしお前の中には力が、不条理を覆す可能性が秘められている」

 

 

 その言葉は今のマルコにとっては麻薬だった。どうしようもなかった現実を変えられる、ただ1つの希望────。

 男はマルコに向けて手を差し出す。その手を取るか否か。マルコは一握りの希望にすがる様に手を伸ばした。

 

 

「さあ、その身に宿る願いを託そうではないか。……大いなる存在、”シャドウ様”に」

 

 

 

 




別に部屋の4隅で4人が肩を叩き合ったり、自分の電話番号に電話をかけたりとかはしません。


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11話「急変する事態」

 マルコのもとを離れたライは、駅の前にある広場でリィン達と合流した。最早気まずくなっている余裕もない。早速ライ達は情報の交換を始めた。

 もう1人の商人ハインツ。彼は主にブランドもののアクセサリーを売っていたらしく、マルコと同じ様に夜のアリバイもあったとの事だ。これで商人の私念という線はほぼ無くなったと見ていいだろう。後は誰が犯人なのか……だが、これについてもリィン達の方で進展があったようだ。

 

「……なるほど、領邦軍か」

「うん。何故か彼らは盗まれたものについて詳しく知ってたんだ。調査もしてないはずなのにね」

 

 ライは朝の騒動を収めた領邦軍を思い返す。先日も合わせて不自然な行動、強引な進め方、どれも仕組んだ側であるならば納得がいく。リィン達の話では、増税に反対して大市から陳情が出されており、それを取り下げさせるために仕組んだのではないかとの事だった。

 ……そう言えば、先日のいざこざを収める直前に陳情という言葉を聞いた覚えがある。あの時はマルコ達の言い争いを止めるために話を切り上げたが、もう少し聞いておくべきだったとライは後悔した。そうすればライ自身も領邦軍まで辿り着き、マルコとの話し合いの結果も変わっていたかも知れないのだから。

 

「だが、恐らく彼らは直接手を下してはいないだろう。盗賊か、猟兵か、何にせよ自らの失態に繋がる証拠は残していまい」

「……なら、領邦軍を問いつめたところで時間の無駄でしょうね」

 

「俺たちに出来る事といったら、盗まれた商品を探す事くらいか」

 

 リィンが今後の方針を纏める。問題はその盗品がどこに隠されているかだ。山の様な商品を隠すためには相応の空間が必要になる。さらには人に見つからない場所となると、この小さなケルディックの町には存在しない。ならば町外になるのだが、生憎町の外には背の低いライ麦畑が広がっており、安全に隠せそうな場所は少なかった。

 ライ達はどこかに盲点がないかと考え込む。すると、

 

 ──突如、大市の方向から爆発の様な轟音が鳴り響いた。

 

「「なっ!?」」

 

 ライ達は反射的に相談を止め、大市へと視線を向ける。大市の上空に立ち上る黒い煙、あの位置は……マルコのいた場所か! 疑い様のない緊急事態にライ達は急ぎ大市へ、煙の出元へと走り出した。

 

 …………

 

 大市の奥、数分前にマルコと話していた屋台へと戻ってきた。

 そこにはぐったりと横たわるマルコと異変に駆けつけた商人達。ライは商人達をかき分け前へ出ると、慎重にマルコの上体を起こし呼吸を確認する。……大丈夫だ、呼吸はある。それに見たところ怪我も見当たらない事から、どうやら気を失っただけの様だ。

 ライはマルコから視線を離し周囲の商人に状況を聞く。どよめく商人達。その中に1人怯えた顔の男性がいた。彼は事件の瞬間を目撃したのだろうか。

 

「何があったんですか?」

「魔獣が、いきなり魔獣が現れたんだ……」

「魔獣?」

「あ、あれじゃないかしら?」

 

 アリサが何かを見つけた様に指差す。なぎ倒された木々の向こう、その先には西へと走り去る狼のような姿が微かに見えた。

 その瞬間、ライは危険な存在を目にしたかの様な感覚に襲われた。あの魔獣に見覚えはないが、この感覚には覚えがある。そう、確か旧校舎で大型の魔物に襲われた時も同じ危機感を感じた筈だ。ならあれは──

 

(何故こんなところに未知の魔物が!?)

 

「……あっちは確かルナリア自然公園だったかな。もしかしたら森から来た魔獣だったのかもなぁ」

 

 最早見えなくなった魔獣の方角を見て固まるライに対し、商人の1人が推測を口にした。

 ルナリア自然公園の森、誰にも見つからない場所、ライの頭の中でカチリとピースがはまる。

 

「そう言う事か。……済みませんがマルコをお願い出来ますか」

「ああ、俺はこいつの飲み仲間だからな。言われずとも運んでやるさ」

「お願いします」

 

 ライは商人の男性にマルコを託し、人ごみの中を抜ける。そしてそのまま現場に背を向けて大市の入り口へと歩き出した。リィン達もライの行動に気づき後を追う。

 

「どうしたのだ、ライ」

「ルナリア自然公園へ向かおう。時間が惜しい、詳しくは移動中に話す」

「ああ、分かった」

 

 ルナリア自然公園へと走り出したライにリィン達も続く。時間がない、ライの顔にはそう書かれていた。

 

 

◇◇◇

 

 

「……これは」

 

 西ケルディック街道の奥地、ルナリア自然公園の入り口にたどり着いた一同はその異変に言葉を失った。

 本来ルナリア自然公園は自然遺産を守るために高い壁と鉄格子の扉によって囲われている。だが今はその一部が開かれていた。ひしゃげた鉄格子の扉、最早使い物にならなくなった鉄の塊が崩れた壁と共に入り口の隅に転がっていた。まるで戦車でも通ったかの様な惨状である。

 

「あの魔獣がやったのかな」

「……先を急ぐぞ」

 

 ライの予想が正しければここで足を止める訳にはいかない。ライ達はうっそうと生い茂る森の中へと足を踏み入れた。

 

 …………

 

 高い木々の隙間から木漏れ日が漏れる道をライ達は走り抜ける。目印は地面に残った大型の獣の足跡、先ほど見かけた魔獣のものであろう。本来ならばゆっくりと森林浴をしたくなる風景だが、今はそうも言ってられない。

 

「──それでライよ、これはどういう事なのだ」

「……ここが俺達の探していた場所だと言う事は分かってるな?」

「ええ、ケルディックの近くにあって人も来ないところ、ここなら安全に隠せるでしょうね。ご丁寧に柵まであったし」

 

 ルナリア自然公園へと向かうと聞いた段階で、リィン達も盗品の隠し場所に気がついていた。

 故にラウラが聞いたのは別の疑問、何故急ぐのかという問いであった。確かに時間が経てば別の場所に移されるかも知れないが、何もここまで急ぐ必要はない。障害物の多いこの森の中では、見逃しを無くすために慎重に行動した方が安全かつ確実なのだから。

 

「問題は盗みを働いた人間だ。当然だがケルディックにはいなかった」

「となると、今もこの森の中にいると言う事になるな。今盗品が見つかる訳にはいかないから護衛も兼ねてといったところか」

「そしてもう一体、先の魔獣もここに入った筈だ」

 

 森の内側にひしゃげた扉がそれを物語っている。壊れた断面はまだ新しかったので、恐らくはライ達が到着する少し前に破られたのだろう。

 

「だが、盗賊や猟兵ならば武装をしているのではないか?」

「昨日話した未知の魔物と同じ気配がした。もし俺の感覚が正しかったなら……」

「なるほど。攻撃が効かないならいくら猟兵でも分が悪いかも知れないか。そして、もし逃げられたとしたら盗品の保証も出来ない。……確かにゆっくりはしていられないな」

「うん、そうだね!」

 

 人命と盗品、その双方に危険が迫っている事を把握したリィン達はペースを上げた。後方に過ぎ去って行く景色の中、これが杞憂ならいいと誰もが考える。だが──

 

『……グア〝ァァ……ァァ……!!!! ……』

 

 静まり返っていた森の中で突如、男性の声が木霊した。悲痛な叫び声にエリオットとアリサの足が止まり、次いで他の面々も歩みを止める。

 

「い、今のは、悲鳴?」

「……遅かったか」

 

 恐れていた事態が現実のものとなったらしい。

 さらに運が悪い事に、ライ達の前方には森に棲息する魔獣の群れが道を塞いでいた。

 声に驚いて飛び出してきたのだろうか。昆虫や獣を模した大小様々な魔獣が行く手を阻んでいる。迂回する時間もない以上、このまま突破するしか道は残されていない。

 

「くっ、この様な時に。ここは私が……!」

「いや時間が惜しい、俺が蹴散らす」

 

 魔獣を殲滅しようとするラウラを遮ってライが前に出る。1体1体相手にするのは時間の無駄だ。それにここは森の中、周囲の視線を気にする必要もない。ライは懐から銀色の拳銃を取り出し、自身の頭に銃口を向けた。

 

「ペルソナ!」

 

 パァンという銃声音とともに青い旋風が巻き起こり、ライの上空に黄金のマントを羽織った純白の巨人が出現した。その巨人、ヘイムダルは片手を魔獣の群れへとかざし、照準を定める。

 

 ──マハラギ。

 

 突如虚空に現れた爆炎が魔獣の群れを蹂躙する。

 元々ここに生息する魔獣は火に弱かったのだろう。全体火炎魔法(マハラギ)に飲まれた魔獣は無情にも力尽きていく。……いや、大型の魔獣はかろうじて耐えたか。

 炎の中に立つ魔獣を確認したライはヘイムダルに指示を出す。炎を吹き飛ばしながら魔獣へと急接近するヘイムダル。その手の鎚を振るい、容赦なく生き残った魔獣を薙ぎ払った。

 

 僅か数瞬の戦闘、魔獣の全滅を確認したライはヘイムダルを戻し先へと走り始めた。

 だが、リィン達3人はその場を動けず呆然としていた。いきなり現れた身長の倍以上ある巨人、その力と迫力は話で聞いていた以上のものだった。

 

「──これが、ペルソナ」

 

 自らの武の常識からかけ離れた力にラウラは思わずそう呟く。リィン、アリサ、エリオットも驚く過程は違えど同じ心境であった。……だが、今は驚いている場合ではない。リィン達の様子に気がついたライは足を止め振り返った。

 

「悲鳴は近かった筈だ。先を急ごう」

「……ああ!」

 

 ようやく時間が動き始めたリィン達とともにライは森の奥深くへと突き進む。目的の場所まで後もう少しだった。

 

 

◇◇◇

 

 

 幾重にも折り重なる木々の向こうに開けた広場が広がっていた。

 森のど真ん中にぽっかりと空いた空間、ここならば盗品を隠すのにうってつけだろう。案の定、盗品の入った木箱が目に入る。木箱の数は4つ、内1つは破壊され、マルコの商品が辺りに散らばっていた。

 木箱の側にはマルコを襲った魔獣。……そして、折り重なる盗賊達の死体もそこにあった。

 

「……うっ」

 

 辺りに充満する血の臭いにエリオットが思わず鼻と口を塞ぐ。無理もない。盗賊は無惨にも腸を引きちぎられ、木箱を赤く染め上げていたのだから。そこには見るに耐えない惨劇が広がっていた。

 

「いや、まだ2人生きている!」

 

 生者の気配に気がついたリィンが叫ぶ。よく見ると死体の下敷きになっている盗賊が苦しそうにもがいていた。傷を負っている様だがまだ助けられる。そのためには木箱の近くにいる巨大な魔獣を引き離さなければ。

 

「俺が魔獣を引きつける。リィン達はあの2人を頼む」

「……ああ、分かった」

 

 盗賊の救助をリィン達にまかせ、ライは1人、盗賊の死体を嬲る魔獣へと狙いを定めた。

 その3m近い姿は狼の様だが、手足はどちらかと言うと2本足の霊長類に近い。いざとなれば立ち上がる事も可能だろう。そうなればその身長はゆうに5mを超えるだろうが、それでも今のライならば引き剥がせない体格ではない。

 

「吹き飛ばせ、ヘイムダル」

 

 ライの頭上に召還されたヘイムダルが魔獣へと飛び立ち、その鎚を豪快に殴りつける。だが──

 

(避けられた!?)

 

 鎚が魔獣に当たる瞬間、その強靭な2脚で魔獣が後方に飛び跳ねた。

 あの巨体で何たる瞬発力か。魔獣は一瞬姿がぶれる程の速度でヘイムダルから距離をとる。

 

 最初の奇襲は失敗した。今、魔獣の意識は完全にヘイムダルの方へと向いているため、魔獣への攻撃は容易ではないだろう。……だが、これで当初の目的は成功した。ライは救助に向かうリィン達を悟られない様に少しずつ位置を変えていく。

 

 気づかれない様にさりげなく。

 

 神経を研ぎすませて慎重に。

 

 五感を総動員させるライの耳元に、導力機構が組み込まれた魔導杖で治療を行うエリオットと盗賊のやりとりが微かに届く。

 

「──あの、大丈夫ですか?」

「……き、気をつけろ。……あいつには、こ、攻撃が──……」

「っ! やっぱり攻撃が通じないんですね」

 

 やはり、あれは旧校舎にいた未知の魔獣と同質のものか。入学初日以来となる大型の敵を前にして、ライは無意識に武器を強く握りしめた。

 にらみ合う魔獣とヘイムダル。両者はゆっくりと円を描くように移動しながらタイミングを探り合う。

 

 ──と、そのとき、魔獣の像がぶれた。

 

「────ッッ!」

 

 一瞬の内にヘイムダルへ急接近する魔獣。その手の鋭い爪がヘイムダルへと迫り来る。

 

 ──だが、これもライの想定の内だ。

 爪が当たる寸前、ライはギリギリのタイミングでヘイムダルを戻すことに成功する。

 光となり消え去るヘイムダル。対象を失った魔獣の爪がむなしく空を切り、致命的な隙が生まれた。

 

「ペルソナッ!」

 

 再び召還されたヘイムダルが横殴りに鎚を叩き付ける。

 

 弾き飛ばされる魔獣の体、このチャンスを逃さないためにライ自身が追撃に向かう。

 ペルソナの身体強化をフルに使い地を駆け、吹き飛ぶ魔獣に追いつき片手の長剣を振りかぶった。──その瞬間、ライは魔獣と目が合う。

 

『お前は……ライ、か?』

「────ッ!?」

 

 魔獣から発せられた言葉に思わず体の動きが止まる。結果、長剣の追撃は空振り、魔獣はそのまま地面に叩き付けられた。

 遅れて着地するライ。目の前の魔獣は体勢を立て直そうとしている。だが今のライは動揺のあまり剣を構える事さえ出来なかった。見開かれた瞳孔、動揺が隠せないライは魔獣へと問いかける。

 

「マルコ、なのか?」

 

 今の口調、声は紛れもなくマルコのものだった。何故、マルコは大市で倒れていた筈だ。ライの思考が混乱する。

 起き上がった魔獣はその問いに満足そうに笑う。その顔もどこかマルコに似ていた。

 

『我は影、真なる我……。確かに俺はマルコだ。昨日の商いだってしっかり覚えてるぜ。──だが、もうそんなみみっちい存在じゃねぇ! 俺は、俺だッ!』

 

(マルコ、じゃない? いや、確かにマルコだ。だが……)

 

 不思議な感覚だ。マルコでありながらもどこか違和感を感じる発言。言うなれば"もう1人のマルコ”、魔獣の言葉を借りるなら”マルコの影"とでも言うべきか。そんな曖昧な存在が魔獣の意識として目の前にいた。

 

『ライ、お前もそっち側だったんだな』

「……何のことだ」

『とぼけんなよ! 俺を吹き飛ばしたその力! お前も強者だったって事じゃねぇか!』

 

 まるで強者は全て敵だと言わんばかりにマルコの影が睨みつけてくる。その瞳には抑えきれない程の怒りの感情が込められていた。

 そして影は近くに落ちていたマルコの商品を踏みつぶす。何度も、何度も、執拗に潰し続ける。

 

『そうだ力だ。いくら夢を語ったとしても本当の力の前では意味がないじゃないか! 結局世の中は力が全てなんだ。才能、金、権力、力のある奴が幅を利かし弱者が割りを食う、それが真実だ!』

「……それでも、超えてはならない一線はある」

 

 今も鼻につく血と脂肪が混ざりあった不愉快な臭い。そう、この影は既に4人の盗賊の内2人を殺害しているのだ。

 目の前の敵がたたの魔獣であったなら運が悪かったで話はつくだろう。だが相手が意思を持つ存在なら、それもマルコの意思であるならば話は別だ。私怨による殺害。ライの頭の中ではその予測が半ば確信に変わりつつあった。

 

『ライ、お前にだけは否定させてたまるか! 正義だの悪だの言ったところで、実際は力で己が意思を通しているだけだ。お前だってペルソナとやらで俺の意思を、行動をねじ曲げようとしている。お前の勝手な倫理観を押し付ける形でなぁ! お前と俺、所詮やっていることは同じなんだよ!』

 

 盗賊を殺そうとしている影と、守ろうとしているライ。

 正反対な行動をしている2人が同じ……? 

 

 意識の隙を突かれたライは思わず固まってしまう。ライはこの行動を正しいと思い戦ってきた。人命を助け、そしてマルコの商品を、願いを取り戻すためにここまで来たのだ。

 だが、助ける行為は殺す行為と根本が同じだと論され、さらには取り戻そうとした夢や熱意ですら本人に否定された。ライは足下が崩される様な錯覚を感じた。

 

『ライ、これがマルコの本心だ。俺は心の底に眠っていた影そのもの。いくら目を逸らしたところで逃れる事など出来ない。……夢など所詮は戯れ言。全ては力を持つ者、強者が唄う絵空事に過ぎないのさ!』

 

 そもそも力とは何なのか。サラは実習直前に力の意味を考える様に言った。リィンは力が怖くはないのかと尋ねた。そしてマルコの影は意思を無理矢理押し通すための武器だと叫ぶ。

 

 ……ならライにとっての力は? 昨日は受け入れるものと答えた。だがこれは力に対する心構えであり、力の意味に対する解ではない。ならば力の意味とは何か。未知の魔物に対する唯一の対抗手段か、マルコの影の様に相手の意思をねじ曲げる凶器なのか。……いや、どれも違うとライは感じた。

 

 ライは1つの光景を思い出す。入学初日、ペルソナを手に入れる直前に見たクロウとトワの背中。あのときライは感じていた筈だ。守られる弱者の葛藤を、あの2人の決意を、そして彼らを見捨てたくないというライ自身の心を。

 

 ──それが、答えだった。

 

 …………

 

「……確かに、相手の意思や行動をねじ曲げる、それが力の本質かも知れない」

 

 口を閉ざしていたライが静かに言葉を発する。

 影の主張を肯定する内容にマルコの影は満足そうな笑みを浮かべる。だが、ライの話はここで終わりじゃない。むしろここからが本番だ。

 

「だが、俺はお前みたいに力が全てだと自己完結する気はない」

『……何だと?』

「俺には成し遂げたい目的がある。故に俺の力はただの手段に過ぎない」

『目的だぁ? 身勝手な正義とやらが理由じゃねぇのかよ』

 

 似ているようで、違う。

 ライには人並みの正義感も倫理観もある。しかし、今ここでマルコの影に対峙している目的は個人的なもの、ライ自身の想いが根底にあった。

 

「確かお前はマルコの本心だったか。……けれど、昨日聞いた夢や思い出も間違いなく本物だった筈だ」

 

 思い浮かべるは昨晩のマルコとの商い。短い間だったが、商品について語っていたマルコの顔は輝いていた。あれは嘘や虚構なんかで出せるものではない。マルコの願いや意志は確かに本物だったのだ。

 

「その願いをこんな形で終わらせはしない。いや、終わらせてたまるか」

 

 旧校舎で見たクロウとトワも、そしてマルコの語った夢や思い出も、空っぽのライにとっては尊いものだった。短いライの記憶の中でも守りたいと、そう思えた。だから──

 

「マルコの願いを守るために……お前は、俺が止める」

 

 守りきろう、その全てを。そのための力はここにある。

 ライは力強く長剣を影に向けた。切っ先がその意志に応じるかの様に眩く光る。

 

 影を睨むライの瞳には、迷いなど欠片も残されてはいなかった。

 

 

◇◇◇

 

 

 ライは剣先を影に向けたまま、反対の手で拳銃を構える。

 ペルソナを召還する体勢、だがそれを許す影ではない。

 

『ハッ、止められるもんなら、止めてみやがれェ!!』

 

 影はライがペルソナを召還するよりも早くにトドメを刺そうと飛んでくる。

 先の再召還で召還にタイムラグがあることを知ったマルコの影は、その一瞬の隙を狙ったのである。だが──

 

『──召還しない、だと!?』

「言った筈だ。力は手段だと」

 

 召還の体勢をとったのはブラフだ。

 ライは迫り来る巨大な爪を、片足を軸に体をねじる事で躱す。

 薄皮一枚の回避劇。その回転の力を利用して影の懐に長剣を突き刺した。

 

『ガアァァァァ!!』

「この距離なら外さない」

 

 長剣を杭にして影に張り付いたライは、その体勢のままヘイムダルを召還する。

 ここまで接敵すれば躱す術などありはしない。ヘイムダルはマルコの影に渾身の一撃を叩き込んだ。

 木の葉の様に吹き飛ぶ魔獣。凄まじい勢いで空を滑る影の体は、何本もの木をなぎ倒してようやく止まる。

 

 ──アギ。

 

 影が起き上がる前の追撃と言わんばかりに火炎魔法(アギ)を放つ。

 1発、2発、3発と連発で炎を叩き込み、影は燃え盛る炎の海へと沈んでいった。

 ライは姿の見えなくなった影に向けて剣を構え直した。まだ倒したという確証がない以上、油断出来ないからだ。影の瞬発力にも対応出来る距離を保ちつつ意識を集中させる。

 

 ──突然、炎の中から巨大な火炎が弾となって飛び出してきた。方向は……リィン達のいる木箱だ! ライは反射的に射線上へ飛び出し、剣を盾にして炎の弾を受け止める。

 

「────ッッ!!」

『ぬるい、ぬるすぎるぞ! この程度の炎で俺の怒りを止められるものかァ!』

 

 炎の中から現れた影には火炎魔法(アギ)のダメージが見当たらない。まるで始めから炎など存在していないかの如く、炎の海を突き抜けリィン達の方へと突進してきた。ライはとっさにヘイムダルを壁にしてそれを防ぐ。

 砕け散るヘイムダル。その青い光の中でライはマルコの影と対峙する。

 

『やはりあれも守る対象か。守るだの止めるだの叫ぶ奴はいつもそれが弱みになる。それでもお前は貫くってのか?』

「当然だ」

 

 この距離でペルソナを召還する暇はない。だがライの戦意は衰えてはいなかった。ペルソナが使えないのなら、この身で戦えばいいだけの事だ。

 

 ライは剣を横に構え、影の懐に飛び込んだ。

 対する影は鋭い爪を持つ腕を側面から薙ぎ払い、空気を切り裂きながらライへと迫る。

 その攻撃をまともに食らえば生身のライはひとたまりもないだろう。だがライは股の下をスライディングで抜けて必殺の一撃を躱し、さらには反転してその背中を切り裂いた。

 

『チィ!』

 

 影は反射的に振り返りながら後方を薙ぎ払うが、ライはその攻撃も後ろに跳ぶ事で躱す。

 ──だが影はさらにライへと飛びかかり、空中にいるライを掴み上げた。

 そのままライの体を握り潰そうとするマルコの影。しかしその状況でもペルソナを召還しようとするライに気づき、急ぎ投手の様に振りかぶってライを放り投げる。

 

『おら、さっきのお返しだ!』

 

 きりもみ回転しながら吹き飛ぶライの体。

 何とか地面に剣を突き立てる事でその勢いを殺す。

 

「──くっ、ハァ……」

 

 ライは地面に突き刺さる剣を杖に息を吐き出した。

 ここまでの強行軍に幾多のペルソナ召還、そして今の戦闘でライの体力や気力は尽きかけていたのだ。僅かな間だが締め付けられた痛みもあり、ライの全身が悲鳴を上げている。

 

 だが敵は待ってはくれない。影の口が赤く発光し、ライに向けて炎の弾を放つ。

 迫り来る灼熱の光。剣を持ち上げる余裕すらないライはダメージを覚悟し、その両手で防御の体勢をとった。

 

 

 

「──そなたの正道、しかと見せて貰ったぞ!!」

 

 突如現れた何者かがライと影の間に立ち、炎の弾を防ぎきる。

 ライはその事に気づき全身を守っていた両腕を下ろす。前にいるのは大剣を構え髪を1つ結びにした女性。それは紛れもなく──

 

「……ラウラ?」

 

 呆然と呟くライの言葉に、ラウラは微笑みで返す。

 ──さらにライの隣で太刀を構える金属音が鳴り響いた。

 

「ライ、俺たちも加勢する!」

「リィン……」

 

 そしてライの後ろから、もう2人の足音が近づいてくる。

 

「もう、見てられないわね」

「待ってて、今回復するから」

「アリサ、それにエリオットも……」

 

 エリオットの魔導杖が淡い光を放ちライの傷を癒していく。さらにアリサも導力弓が生み出した光の矢を天に放ち、輝く雨を降らした。──セントアライブ、周囲の傷と活力を癒す戦技(クラフト)である。

 

「私はようやくそなたを心から理解した。もう二度とあの感覚に惑わされなどしない。──例えこの剣が通らずとも、我らはそなたと共に戦おう!」

「遅くなったがもう大丈夫だ。俺たちはライを信じる。だからここからは一緒に戦わせてくれ」

 

 ライはリィン、ラウラ、アリサ、エリオットの顔を見回す。微笑みながら頷く彼らの表情に、怯えや懐疑心など一片も残ってはいなかった。ライのマルコを止めようとする意志が、在り方が、彼らの心を動かしたのである。

 ライの心に活力が戻る。もう1人で戦う必要はない、ここからはA班としての戦いだ。

 

「……ああ、俺たちで止めるぞ!」

 

「「「「応っ!!」」」」

 

 ライ達は武器を手に影に相対する。仲間と共にマルコの影を止めるために……!! 

 

 

 




剛毅:マルコの影
耐性:火炎無効、???
スキル:アギラオ、???

 現実の不条理や自身の無力さから芽生えた、力が全てだという感情が暴走した姿。
 帝都から来たハインツという商人は、マルコにとってその心を意識させてしまう写し鏡だったのかも知れない。



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12話「我は汝、汝は我」

「俺とラウラが動きを止める。ライはそこで傷の治療と援護を頼む!」

「分かった。……無茶はするな」

「フッ、そなたにだけは言われたくないな!」

 

 リィンとラウラがマルコの影に向かって駆け出す。目指すは影の両側面。武術を嗜む2人は対人戦に慣れているが故に、左右への機動力に欠けるという事実に気がついていた。

 二手に分かれたリィン達に影は一瞬戸惑うが、自身に攻撃が通じない事に気がつくと無視してライに狙いを定める。

 

「させるか!」

 

 ──八葉一刀流《紅葉切り》。リィンの放った鋭い円の斬撃が足の間接を正確に打ち抜く。刃は通らないものの、その衝撃が影のバランスを崩し僅かだが遅延が生まれる。

 

「今だ、ラウラ!」

「ああ! 地裂斬ッ!」

 

 戦術リンクによってタイミングを掴んでいたラウラが巨大な大剣を振り下ろし、足下の地面を叩き割った。──地裂斬、本来ならば地面を砕くと共に衝撃でダメージを与える戦技(クラフト)だが、今は足下を崩すことが狙いだ。

 突如足場が不安定になった影は立つ事が出来ずに倒れこむ。自慢のその脚力も、粉々に砕かれた地面の上では十全に発揮出来ない。

 

 今がチャンスだ。ライは地に膝をつけたまま銃で頭を打ち抜く。

 現れたヘイムダルが影の上空に飛び上がり、勢いを乗せて角笛の鎚を振り下ろした! 

 

 巨大な鎚に押しつぶされる影。粉々の地面がクッションになって幾分か威力が散ったが、それでもかなりの衝撃が影の体を駆け巡る。

 

『……グ、……ガアァ!!』

 

 影は無理矢理ヘイムダルを押しのけると、ライやエリオット、アリサのいる位置へ炎を放とうとする。ライが動けない以上、ヘイムダルを盾に回すと考えたのだろう。だが──

 

「させない!」

 

 アリサが導力エネルギーを圧縮させた矢、フランベルジュを影よりも先に放つ。

 影が灼熱の炎を放つ寸前、アリサの矢が影の顔面に当たり僅かだがのけぞった。そのせいで狙いが狂った影の炎弾は、ライ達の横を通り過ぎ彼方へと飛んでいく。

 

 ──数瞬遅れて、爆発。

 後方の木が跡形もなく吹き飛んだ。

 

 ……その光景を見たアリサやエリオットの顔に冷や汗が浮かぶ。

 あの炎は影の怒りによって威力が変わる様だ。このままでは前線のリィン達が危ない。そう判断したライは、痛む体を無理矢理起こし立ち上がった。

 

「……エリオット、俺よりもリィン達の援護を」

「え、でも。…………うん、分かったよ。でも無茶はしないでね」

「善処する」

「あはは、善処する気ないよね。──アーツ駆動!」

 

 エリオットの周囲に集まる光の色は茶、地属性の障壁を展開し守備を固めるアーツ《ラ・クレスト》である。エリオットはそれを前線のリィン達に向けて展開した。影の攻撃にどれほどの効果があるかは分からないが、これで幾分かは勢いを削ぐ事が出来る筈だ。

 

 前線ではリィンとラウラ、それにヘイムダルが常に影の側面や背後をとる形で戦っている。

 影にとってはダメージを与えられるヘイムダルが最優先。だが、攻撃を加えようとする度にリィンやラウラの斬撃が行く手を阻み、思う様に戦えずにいた。

 

『クソッ、弱いくせに目障りなんだよ!』

 

 再び影の口が赤く発光する。

 火炎攻撃の予兆。その先にいるのは、ラウラか! 

 

「避けろ、ラウラ!」

「問題ない、ここは攻める!」

 

 影の正面、今にも炎が襲いかかってくる状況でラウラは逆に影へと接近する。

 そして、その大剣を影の口へと勢い良く突き刺した。

 

『グッ!?』

 

 通らない刃。だが、蓋をされ行き場を失った炎のエネルギーが影の体内で暴れ狂う。

 ラウラは僅かに漏れる熱気をラ・クレストの障壁で防ぎながら、後方のライに向けて声を上げた。

 

「これで活路は開いたぞ!」

「ああ、後は任せろ」

 

 大槌を構えるヘイムダルに合わせ、ライ自身も剣を構えて走り出す。

 草混じりの土を蹴り飛ばし、もがき苦しむ影へと急接近するライ。

 ラウラが寸前で飛び引いたのを確認すると、ヘイムダルと共に渾身の一撃を叩き込む。

 

 斬撃と打撃、大気を揺るがす十字の衝撃が影の体を貫いた。

 

 

◇◇◇

 

 

「……やったのか?」

「いや、まだだ」

 

 動きを止めた影を前にしてリィンは懐疑的な推論を呟く。切り裂かれ大穴の空いた姿を見れば普通の生命ならば生きてはいないだろう。だが、水の様に溶けて消えるという最後を知っているライには、まだ息がある事が容易に分かった。

 

『…………こんな、ことが……』

「まだやるのか」

『──……当たり前だ。……俺の怒りは、まだ、こんなものじゃない。……力が全て、だ……──俺は、強者なんだァァアァァァアア!!!!』

 

 マルコの影が言葉にならない叫び声をあげると、突如その周囲に何体もの人影が噴き出す。鎖が付いた首輪に繋がれた哀れな人影。これは虐げられた弱者の象徴であろうか。

 戦闘力のなさそうな増援ではあるが、旧校舎での一件を思い出したライは追撃を止め急ぎ距離をとる。リィン達も武器を構え直し、ゆらゆらと佇む人影に対峙した。

 

 得体の知れない増援に息をのむリィン達。

 だが、人影は鎖に繋がれたまま襲いかかる気配も感じられない。

 攻めるべきか様子を見るべきか、前線のリィンとラウラは葛藤を抱えながら徐々に距離を詰めていく。

 

 ──と、そのとき、いきなり人影が頭を抱え苦しみ始めた。

 意味不明かつ奇怪な行動。しかし、その体に赤い光が見えたライは寸前でその意味を察する。

 

「不味い! ──ヘイムダル!」

 

 ライはとっさにヘイムダルをリィンとラウラの前に移し、自身は後方に飛びながら両手で顔を塞ぐ。

 一歩遅れ、辺り一帯が灼熱の光に包まれた。──そう、あの人影達は自爆したのだ。

 

 全身が熱風に蹂躙され、熱さ以外の何も感じない。

 今目や口を開けたら、瞬時に粘膜が乾燥してしまうだろう。

 一瞬、だが数時間にも感じられる中、ライはひたすら炎に耐え続ける。

 

 …………

 

 ……やがて熱風が通り過ぎ、瞳を開けたライは信じられない光景を目にした。

 

「森が、燃えている……?」

 

 ルナリア自然公園は灼熱の地獄へと変貌していた。

 広場の周囲の木々は燃え上がり、今現在も少しずつ広がり続けている。

 森林火災。最悪の事態に陥りつつあった。

 

 だが、焦る訳にはいかない。──まずは仲間の無事を確かめなければ。

 

「アリサ、エリオット。無事か?」

「……ええ、何とかね」

「僕も、無事……ごほごほっ!!」

「煙を吸うな。木の近くから離れろ!」

 

 姿勢を低くして移動を開始するアリサとエリオット。

 だがこれも一時しのぎに過ぎない。火から逃れてもいずれは酸素が尽きてしまうだろう。

 対策はないのかと思考を巡らせるライの耳に、更なる悪い情報が飛び込んでくる。

 

「──ラウラ、大丈夫か!?」

「……不甲斐ない、足をやられた」

 

 リィン達の方へ視線を向けると、そこには足に火傷を負ったラウラが倒れていた。

 とっさに用意したヘイムダルの盾だったが、2人を完全に守りきる事は出来なかったのだ。

 ライはラウラのもとに駆け寄り、リィンと2人がかりでエリオット達のいる場所へと運んだ。

 

「ラウラの怪我は?」

「幸い軽い火傷ね。冷却スプレーを使えば歩けるくらいには治ると思うわ。でも……」

「今すぐは戦えない、か」

 

 ラウラの無事を確認したライは立ち上がり、マルコの影がいる筈の炎の海に足を向ける。

 もう時間がない、今ここで決断しなくては。

 

「……リィン達はここからの脱出を。俺は奴にトドメを刺す」

「ライ、お前は!!」

 

 自身を顧みないライの提案にリィンが怒る。

 仲間として心から思ってくれているのだろう。ライはその事に場違いながらも嬉しく感じた。

 ──だが、何もライは自己犠牲のためにこの提案をした訳ではない。

 

「俺1人ならヘイムダルで逃げられる。それにこれ以上奴を野放しには出来ない。違うか?」

 

 これが最も危険の少ない作戦だった。

 ラウラという戦力も欠けた今、影を倒した後に逃げるという考えは現実的ではない。その事を理解したリィンは苦虫を噛みつぶした様な表情になる。──しばしの無言。リィンの出した結論は、ライの予想とは外れていた。

 

「なら俺も戦う。ライのペルソナなら2人くらい運べる筈だ」

「リィン? …………分かった。協力してくれ」

 

 2人は手を取り合い、マルコの影に向き直る。

 今ここに方針は定まった。アリサとエリオットに怪我をしたラウラや治療した盗賊達を頼み、ただ2人灼熱の森に残るのだった。

 

 

◇◇◇

 

 

 …………火の手のあがる地面、次々と燃え盛る木々に囲まれた広場の中心でライとリィンの2人が佇む。

 

 視線の先には炎の海にうっすらと見えるマルコの影。向こうも傷を癒していたのかゆっくりと動き始めていた。それを瞳に映したリィンが不意に、1つの提案をライに持ちかける。

 

「……なあ、もう一度戦術リンクを試してみないか」

「確かに連携が出来れば戦いやすい。だが、大丈夫なのか?」

 

 ライとの戦術リンクは例外なく相手の心に悪影響を与えていた。

 もしこの場で失敗したら、リィンはまともに戦えなくなるだろう。

 リィンもその事を理解しているために無責任に答えられず、俯いて歯を噛み締めた。

 

「……1つ、聞いていいか?」

「ああ」

 

 突然の話題転換にライは若干驚く。

 だが、リィンの事だ。これも何らかの意味があるのだろう。

 

「もし俺が力に飲まれたら、ライはどうする?」

「止める。あの影に言った様に」

 

 当然だ。ライにとってリィン達もまた尊い仲間、数少ない絆なのだから。

 

「なら、もしライが力に飲まれたら?」

 

 ここでライは昨日の晩の続きなのだと気づく。

 先日は想像に留まったその可能性。だが今のライには1つの答えが胸にあった。

 

「……リィンが、仲間が俺を止めてくれる筈だ。今ならそう思える」

「—―! ああ、そうだな」

 

 リィンの顔が決心したものへと変わった。

 今なら大丈夫だと、そう書かれているリィンの表情を信じて、ライもARCUSを取り出す。

 共鳴する2つのARCUS。4日の時を隔て、2人の感覚が再び繋がった。

 

 ──リンク──

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

 …………

 

 気がつくとリィンは真っ白な世界に佇んでいた。

 見知らぬ空間。いや、実技テストの日にもここに来ていたと、リィンはうっすらと思い出す。

 目の前には巨大な扉が、まるで世界を隔てているかの様な重々しい青い扉がそこにあった。

 

 リィンが一歩前に出ると、扉が音を立てて開く。

 全開になる巨大な門、……その先にいたのは”もう1人のリィン”だった。

 

『4日ぶりだなぁ。また"違う"と否定しに来たのか?』

 

 リィンと同じ容姿。だがもう1人のリィンは真っ白い髪であり、その目は不気味に黄色く輝いている。彼の手には血に濡れた鉈が握られ、その服にもべったりと返り血が、……それは、リィンにとってトラウマともいえる格好であった。

 

『だが何度でも言おう。俺はお前だ。獣のように荒々しい力。鬼の様な感情もお前自身だ!』

 

 もう1人のリィンが両手を持ち上げ高らかに叫ぶ。片手には血まみれの鉈が、反対の手には長い髪の生首が握られていた。──血まみれになったリィンの妹の頭がそこにあった。

 

「────ッッ!!!!」

 

 思わず叫び声をあげてしまいそうになるリィンを見て、もう1人のリィンが楽しそうに口を歪める。凶悪に歪まれたその表情、それを見たリィンはここ数日ライに感じていた嫌悪感と同質のものを感じた。そう、嫌悪感の正体とは即ち、もう1人のリィンそのものであったのだ。

 

『否定したいか? なかった事にしたいか? だが目を逸らすなよ。これはお前自身が考えていた事なんだからな!』

 

 リィンの義理の妹、エリゼ。

 かつて子供だったリィンは彼女を魔獣から守ろうとし、内に眠る"力"が暴走した。真っ赤に染まる視界、気がつけば血の海に佇んでいたリィンは己の力に恐怖を覚えたのだ。それ以来、もし自分がエリゼを、大切なものを傷つけてしまうのではないかと、そういう想像がリィンの頭から消えなくなってしまっていた。

 

 ──だが、もう1人のリィンはそのトラウマをえぐる様にエリゼを地面に叩き付けた。

 

『お前は1人で空回りする哀れな道化に過ぎない。養子として親に迷惑はかけまいと、家族を傷つけたくないと、独りよがりな感情でひたすら俺を否定し続ける。起きてもいない妄想に翻弄されている』

 

 その言葉が指し示す通り、エリゼだったものが幻想であるかの様に揺れて消えていく。

 

『本当は分かっているよな? 家族の心も、本来進むべき道も。それから目を背けたいから家族から距離を置き、士官学院に入った』

 

「俺は、ただ……」

 

『俺には全て分かってるさ、何せ俺はお前自身なのだから。凶暴な心、獣のような欲望、無理に切り離すからこそ歪みが生じる。……大切な人を傷つけたくない? 笑わせるな、お前はただ目を逸らしたいだけじゃないか!』

 

 もう1人のリィンの言葉が刃物となってリィンの胸に突き刺さる。

 リィンが長年抱えていた葛藤や悩みが意味のない弱さでしかないと、リィンと同じ姿、同じ声で容赦なく語りかけてきたのだから。──それが本当に無意味であるかなど今は関係ない。ただ、そう感じてしまった事こそが今ここにおける真実なのだ。

 

 リンク時の決心を嘲笑うかの様なもう1人のリィンを前にして、思わず目を瞑ってしまう。このまま閉じたままでいればどれだけ楽だろうか。リィンの中でそんな誘惑が膨れ上がる。

 

(ッ! ──そうじゃない!)

 

 リィンは歯を噛み締め、己の欲望を打ち払った。

 ここに来たのは決して目を逸らすためなんかじゃない。

 今度こそ、今度こそ立ち向かうためにここに来た筈なのだから。

 

 リィンは瞳を開け、もう1人のリィンをはっきりと見据えた。

 

「……なぁ、ライはどうして前を向いていると思う?」

 

『…………』

 

「あいつは、俺に似ている。記憶をなくし正体不明の力をその身に宿している。だけど、ライはそれに正面から向き合っていた」

 

『……ライがお前とは根本から違うだけだ』

 

「ああ、俺もそう思ったし、今もどこかでそう感じている。だけど多分、俺とライはそこまで違う訳じゃない。本当に違うのは、自分自身を信じている事なんじゃないか?」

 

 リィンは昨日の月夜を思い出す。あの時、ライは当たり前の様に受け入れるものと答えていた。そう彼は彼自身という存在を心から許容していたのだ。ライの言葉を聞いていたリィンは、その在り方が2人を隔てる最大の壁の様に感じていた。

 

「ライは自身の力を受け入れていた。だからこそ、目を逸らす事なく現実と向き合えているんだと思う。……そして、もし本当に違うのがその一点だとしたら、俺にだって出来る筈なんだ。自分を受け入れて、前に進む事が」

 

 リィンがその決意を示すためにその手を握り締めた。似ているけど違う存在。ライの在り方はリィンにとって1つの可能性を示していたのだ。

 

「正直今でもお前は怖い。だけど仲間が俺を止めてくれるなら、支えてくれるなら、受け入れる事くらいなら出来ると思う。……今なら言える。お前は、俺だ」

 

 リィンは扉の向こうにいるもう1人の自分に向けて手を伸ばす。

 もう1人のリィンを受け入れるために。

 

『……ああ、今は、それでいい』

 

 もう1人のリィンは静かに頷くとリィンの手を握る。

 するともう1人のリィンが光となり、リィンの中に流れ込んで来た。

 体の中に感じるもう1人の自分にリィンは微笑みかける。その顔はどこか晴れ晴れとしていた……。

 

 

 ──自分自身と向き合える強い心が、”力"へと変わる…………。

 

 

◆◆◆

 

 

 依然として燃え盛る灼熱の海の中、ライは前回と同じく固まってしまったリィンを守りつつ、マルコの影に対峙していた。やはり駄目かと諦めかけるライだったが、何時までたってもリンクが切れない事に気づく。

 

『──仲間を庇いながら倒せる程、俺は甘くねぇぞ、ライ!』

「言ってろ。……ペルソナ!」

 

 火の粉を吹き飛ばしながら突撃してくる影を、ヘイムダルが持つ角笛の鎚で弾き返した。

 すぐにライは追撃を仕掛けるが、影が炎の向こうへと跳んだため姿を見失ってしまう。

 

 先ほどから影はヒット&アウェイの戦法をとっていた。

 時間はかかるが確実な戦法だ。限られた時間で移動も出来ないライ達に対し、影は火の中を自由に移動でき時間の制限もない。

 

 ライは炎の海に全神経を研ぎすませる。──瞬間、左方の火が不自然に揺れた事に気づき、反射的に剣を左に振り抜いた。

 痺れる様な衝撃が手に伝わる。影の不意打ちを防いだライはそのままヘイムダルで殴り飛ばす。

 

『チッ、相変わらず勘が鋭いな』

 

 マルコの影がヘイムダルからやや離れた地点に着地する。

 直撃ならず。大分速度が落ちているとはいえ、威力重視のヘイムダルでは分が悪いのだろう。この状況を打破するためにはライ自身が捨て身で戦うかリィンの援護が必要だった。

 この場所を動けない以上、今はリィンを信じるしかない。そう考えていたライの感覚に突如変化が起こる。リンクを通した共感覚、どうやらリィンの意識が戻った様だ。

 

「リィン、気がついた、か……?」

 

 視線を後方に向けたライは、その光景に言葉が途切れる。

 リィンの周囲に吹き荒れる青い炎。間違いない、ペルソナ召還時に現れる力の奔流だ。

 

「我は汝、汝は我……。ライが言っていたのはそう言う事だったんだな」

 

 リィンはどこか納得した様に笑った。彼も理解したのだ、新たに宿った力の正体を──。

 その力を解き放つためにリィンは片手を持ち上げると、その手で虚空を握り潰した! 

 

「──現れろ、シグルズ!」

 

 周囲の光が爆発的な旋風を巻き起こし、1体の巨大な騎士を形作る。

 炎を映しだす灰色の鎧、鋭い兜から覗く純白の髪。その手に持つ片刃の剣は、リィンが持つ太刀に似た曲線を描いていた。シグルズ、それがリィンのペルソナだ。

 

 ──そう、今ここに2人目のペルソナ使いが誕生したのだ。

 

『……もう1体のペルソナ、だと?』

 

 シグルズを見た影の直感が、奴は危険だと叫んでいる。影はその感覚に従い、シグルズへ向けて灼熱の炎を放った。──迫り来る紅蓮の火球、シグルズは剣を腰に構え居合いの姿勢をとる。

 

 瞬間、幾多の斬撃が火球を切り刻む。細切れになった火球は火の粉となり散っていった。

 

「いけ、シグルズ!」

 

 接敵する鎧と狼、シグルズが鋭い一撃を放つが、影の跳躍力を前に難なく躱される。──だが、シグルズは剣を返し、跳び上がる影に向けて追撃の一閃を繰り出した。

 足を斬り刻まれたマルコの影は、受け身が取れず炎の海へと墜落する。

 

『グッ……クソッ、これ以上舐められてたまるかァァ!』

 

 影の叫び声に応じ、またもや鎖に繋がれた何体もの人影が出現した。

 苦しみの叫びを上げる人影。その体から赤い光が溢れ出る。

 

「また自爆を!? ──くっ、シグルズ!」

「いや、リィンは影に集中しろ。奴らは俺が止める」

 

 影への相性はリィンのシグルズの方がいい。ならば人影達はライが叩くのが道理だ。

 あの発光は自爆の予兆。既に1体ずつ相手をする余裕はないが、道を切り開くカードはライの手にあった。今ならリィンとの強い絆を感じる。それが空っぽだったライの心に無限の可能性を与えていく。

 

 “我は汝、汝は我……。汝、新たなる絆を見出したり。汝が心に芽生えしは魔術師のアルカナ。名は──”

 

「──ジャックフロスト!」

 

 ライは銃で頭を撃ち抜きペルソナを召還する。現れたのは青い帽子を被った雪だるまの妖精。

 それは数字の0《ワイルド》が持つ可能性の一片、リィンとの絆が生み出したライの新たなる力だ。

 

『違うペルソナを!? だが、そんな小さなペルソナで何が出来るんだよ!』

 

 いや出来る、この状況を覆す事が。

 可愛らしい姿のジャックフロストがその手を天に掲げた。

 

 ──マハブフ。

 

 その手から冷たい光が放たれると、前触れもなく人影達の体が凍り始める。──全体氷結魔法(マハブフ)を食らった人影は、全身が氷像となり無惨にも砕け散った。

 だが、ライの目的はこれだけじゃない。ライはさらに全体氷結魔法(マハブフ)を連続で放ち、周囲の地面や木々を凍らせていく。灼熱から氷河へ、残り少ない精神力を振り絞って全ての炎を氷の中に閉じ込めた。

 

「ハァ、ハァ……」

「大丈夫か?」

「問題、ない」

 

 朦朧とする意識を無理矢理留め、ライは立ち上がる。もうペルソナを召還する力もほとんど残っていないが、影が身を隠す炎のベールは全てかき消した。炭木と氷の山となった今、マルコの影の居場所がはっきりと分かる。

 

「後は俺に任せろ! シグルズ!!」

 

 剣を構えたシグルズは、全身が一本の線に見えるほどの速さで接近し、影の両腕を切断する。

 吹き飛ぶ巨大な腕。それは3度バウンドし、黒い液体になって四散した。

 

「まだだ! 炎よ我が剣に集え──」

 

 さらに隙を与えまいとリィン自身が影へと斬り掛かる。──八葉一刀流、焰の太刀。その剣に炎を纏わせ、幾度もの刀刃で影を切り裂く。

 体中を切り刻まれたマルコの影は、傷口から黒い霧を噴き出しながら絶叫を上げた。

 

『ガァァァァ!! …………クソッ、俺は、負けられないんだ……! 弱者になってたまるかァァアア!!!!』

 

 影が激情の逝くままにその口に炎を圧縮した。怒りも最大に高まり、影の口元がマグマの様に異常な灼熱に包まれる。影はそれを自身に傷つけた怨敵、即ちリィンへと向けた。だが──

 

「──何処を見ている」

 

 自身の周囲が暗くなった事に気がついたマルコの影は、声の方角へと顔を向けた。

 その先にいたのは鎚を振りかぶるヘイムダルの姿が。影はとっさに蓄えた業火をヘイムダルへとぶつける。

 

 空間を振るわせる爆風。広場全体を吹き飛ばしかねない爆炎がヘイムダルを襲った。

 光と帰るヘイムダルを見てマルコの影は思わず嘲笑う。──と、その瞬間、灼熱の炎の中から1人の青年が飛び出した。影の目前まで接近する存在、ライが滑空しながら剣を構える。

 

『──なっ! まさかペルソナを盾に!? 馬鹿な、一歩間違えれば死ぬかも知れないのに何故……!!』

 

 影は理解出来なかった。ペルソナを盾にしたとはいえ、生身で炎に飛び込むその精神が。

 

「驚くな。単にお前と同じだっただけだ」

 

 マルコの影に炎は効かなかった。

 だがヘイムダルにも軽減する程度の火炎耐性があることをライは心で理解していた。今までヘイムダルが食らった攻撃のほとんどは物理的な攻撃であり、自爆の炎からもリィン達を最後まで守っている。だからこそライはヘイムダルの可能性に全てを賭けたのだ。

 

 ライは勢いに乗せて影の額から顎へと貫く。これで影の口、最後の攻撃手段は封じた。

 後はこの影に最後の一撃を加えるだけだ。だが、もうライにはペルソナを召還する余力はない。ならば後は任せよう、ライが信じる仲間を。

 

「今だリィン、トドメを!」

「ああ、ペルソナァ!」

 

 リィンの頭上に召還された灰色の騎士、シグルズが風を切り裂きながら影へと到達し、その剣で影の体を真っ二つに両断した。

 

 マルコの影が崩れ落ちるのと同時に停止するシグルズ。

 

 払った剣を静かに腰へと収め、戦いの終わりを告げるのだった…………。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 ライの剣がカランと音を立てて地面に落ちる。

 黒い霧となって消えていくマルコの影に、ライはゆっくりと近づいていった。もう体の大半が霧に帰っているため、影に戦う力は残されてはいないだろう。

 

 ライは今、マルコの友人としてここに立っていた。

 

『……最後に1つ聞かせてくれ』

 

 最後まで強者に対する恨み言を言うと思っていたライは面を食らう。

 マルコの影は、先までの激情が嘘の様に落ち着いた表情で問いかけて来た。

 

『お前には恐れとか迷いはないのかよ? 目前に迫る痛みを前にして、何故躊躇しない』

「……昨日言った筈だ。やるからには全力だと」

 

 ライにだって恐れはある。迷いもある。だがそれで足を止める訳にはいかない。

 選択したのならば最後までやり通す。それが、選択した者の責任だとライは感じていた。

 

「お前を止めるために全力で挑んだ。ただそれだけだ」

 

 ライの答えを聞いた影はその目を閉じる。そして納得した様に静かに口を開いた。

 

『…………やっぱ強者だよ、お前……』

 

 そうして、マルコの影は音もなく虚空へと消えていった……。

 

 

 

 

 

 




魔術師:シグルズ
耐性:物理耐性、氷結弱点、闇無効
スキル:ツインスラッシュ、利剣乱舞、アドバイス
 北欧神話に登場する竜殺しの英雄。伝説の物語(ヴォルスンガ・サガ)において父から受け継いだ名剣グラムを振るい、邪竜ファフニールを討伐した。ドイツの英雄叙事詩《ニーベルンゲンの歌》に登場するジークフリードとその根源を同じくする。

魔術師:ジャックフロスト
耐性:火炎弱点、氷結耐性
スキル:マハブフ、氷結ブースタ、メパトラ
 アイルランドの民族伝承に登場する霜の妖精、……なのだが今ではアトラスの顔的マスコットキャラクターとなっている。今の姿で登場し始めたのは新・女神転生Iからであり、それ以降は様々な所で見る事が出来る人気キャラ(私見)である。

魔術師(リィン)
 魔術師のアルカナが示すのは意志。正位置ならば可能性を示すが、逆位置では混迷を意味する。その手に持つ杖は先天的に得た"力"を暗示する象徴であり、リィンに宿る力の在り方にも通ずるものがあると言えるだろう。


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13話「旅の終わりと1つの始まり」

前話、もう1人のリィンの場面を加筆修正致しました。
なお、話の流れに変更はないので、必ずしも閲覧する必要はありません。


 真っ黒に燃え尽きた木々が折り重なる広場。焼け跡と氷が入り交じる戦闘の傷跡が残る中、ライはじっと何もない空間、先ほどまでマルコの影が横たわっていた場所を見つめていた。

 

 ライは静かに考える、今まで戦って来た未知の魔物とは一体なんだったのかと。

 旧校舎に現れた黒い影とも言える半液体の魔物に、一度だけ遭遇した4本腕の魔物。それらには明確な意志など感じられず、ただ厄介な性質の魔獣に近い存在だと思っていた。

 だが、今回の相手には明確な意思があった。それもマルコという人の意識が。

 ライはマルコの影が言っていた言葉の中にヒントがなかったか思い出そうとする。けれども意識が纏まらない。何故だろうか、なんだか足場まで揺れている様な──。

 

 ……気づけばライは空を仰いでいた。

 いつの間にか地面に倒れてしまったらしい。ライの異変に気がついたリィンが急いで駆け寄ってくるのが視界の端に映る。

 

「大丈夫か!?」

「……少し、ペルソナを使いすぎたか」

 

 ペルソナの使う魔法には精神力が必要だ。森の消火をするほどの大規模の魔法の行使はライに大きな負担を与えていた。リィンの手を借りてなんとか起き上がるライ。ふらつく体をかろうじて制御し直立した状態を維持する。

 

「──それにしても勝てたんだな、俺たち」

 

 リィンが周囲を見渡しながら感慨混じりの言葉を発する。今は灰となった木々が残るばかりだが、炎に包まれた中での戦いは、まさに生死を賭けた一戦だったと言えるだろう。

 

「ああ、俺たちの、いやA班全体の勝利だ」

 

 ライとリィンは今ここにいないアリサ達3人の事を思い浮かべる。彼らの力がなければマルコの影を追いつめる事すら出来なかっただろう。そう言う意味でこれはA班の勝利であると言えた。

 今回の騒動で犠牲となった2人の名も知らぬ盗賊達。彼らには申し訳ないが、少しばかりは勝利の余韻に浸ってもいいだろう。ライとリィンはお互いの顔を見合わせ、そして──

 

 パンッ、と手のひらを叩き合った。

 

 

◇◇◇

 

 

「……──そこの御二方、ご無事ですかっ!?」

 

 その後、盗品の損害を確かめていたライ達の耳に女性の声が届いた。

 同時に聞こえてくる規則正しい多数の足音。恐らくは軍が到着したのだろうと思い、ライ達は入り口の方角へと顔を向ける。遠くから近づいてくる兵士達。が、すぐにその違和感に気づく。

 

「あの制服、領邦軍じゃないのか」

「……あれは、確か鉄道憲兵隊のものじゃないか?」

「鉄道憲兵隊?」

「鉄道網を使って各地の治安維持に努めている帝国の正規軍のことさ。貴族の私兵である領邦軍とは正反対の立場といっていいかも知れないな」

 

 よく見ると鉄道憲兵隊の後ろにアリサ達の姿が見える。どうやらアリサ達が鉄道憲兵隊を誘導してきてくれたらしい。領邦軍より信頼出来るであろう部隊の到着に、ライ達はホッと胸を撫で下ろす。

 

 広場に辿り着く鉄道憲兵隊の兵士達。その中から青い髪の清楚可憐な女性将校が前に出て来た。

 

「あなた方がライ・アスガードとリィン・シュバルツァーで間違いありませんね?」

「ええ、貴女は?」

「申し遅れました。私は帝国軍・鉄道憲兵隊所属のクレア・リーヴェルト大尉です」

 

 目の前の女性将校、クレアは軍人らしい固さの中にも可憐さを感じさせる声でライ達に接する。学生服を身に纏うライ達にも礼儀を欠かさぬその姿勢に、彼女の生真面目さが感じられた。

 

「後の処理は我々鉄道憲兵隊にお任せを。──衛生兵も待機させていますので、ライさんとリィンさんは治療を受けて下さい」

「それではお世話になります。……ライ、動けるか?」

「ああ、歩けるくらいには回復した」

 

 ライ達はクレアに一礼し、憲兵隊の後方で待っていたアリサ達のもとへと歩き出した。向こうもクレアとの話が終わった事に気づいたのか、こちらに駆け寄ってくる。

 

「リィン、ライ! 大丈夫だった!?」

「ああ、俺もライも無事だ」

 

 心配するエリオットの問いにリィンが答える。

 ライはその後ろでふらついていた。……正直、あまり無事には見えないだろう。

 

「ねぇ、なんでライは全身すすけているの?」

「爆炎の中に、飛び込んだ」

「……そなたは何をやっているのだ」

 

 ここにいるライ以外の全員が呆れ返る。彼らはこの短い間でライの性格を嫌という程に理解していた。平気で無茶をする姿勢を何とか正さないとな、と考えていたリィンはふと、ある事に気づく。

 

「なぁアリサ、助けた盗賊達はどうなったんだ?」

「彼らなら鉄道憲兵隊に引き渡したわ。ちゃんとした治療も受けたから今頃憲兵隊に、……ってそうだった、2人とも早く治療を受けなさい! ライは言うまでもないけど、リィンだって至る所に火傷があるじゃない!」

 

 ライ達は引きずられる形で、揃って鉄道憲兵隊救護班の診察を受けた。

 炎の中に残ったために体中に軽い火傷を負っており、煙も吸っていたのか気管にもダメージがあるらしい。特にライは大けがに至っていないのが不思議なくらいに全身ボロボロであった。

 

 とりあえず応急処置を受けて体が楽になったライ達。地面に腰を下ろして休憩していた2人のもとに、現場調査を終わらせたクレアが近寄って来る。──どうやら調書を作るためにライ達の話を聞きたいらしい。ライとリィンの2人はどこまで話したものかと顔を見合わせる。何せペルソナや未知の魔物については秘匿されているからだ。

 だが、クレアはそんな2人の様子から理由を察したのか、笑顔を浮かべて補足した。

 

「あ、未知の魔物については話して下さって構いませんよ。出現したとの報告も既に受けていますから」

「ご存知でしたか」

「私達は直轄の正規軍ですからね。内密ではありますが、士官学院から報告を受けています」

 

 なら話は簡単だ。

 ライ達はありのままに起こった出来事を話す。

 下手にこちらで考えるよりも、軍人であるクレア達に任せた方が確実だろう。

 

 こうして時間は過ぎて行き、ケルディックに戻る頃には夕方に差し掛かっていた……。

 

 

 …………

 

 

「──そこの生徒をこちらに引き渡してくれないかね。彼らにはルナリア自然公園半焼の容疑がかけられているのだよ」

 

 ライ麦畑の街道を通り抜け、無事ケルディックに戻って来たライ達を待っていたのは銃を構えた領邦軍の一団だった。確かに自然公園の火災は大事ではあるのだが、今回の事件の裏に感づいているライ達にしてみれば、胡散臭い事この上ない。間違いなく真の目的は自然公園で見た事の口封じであろう。

 

 ライ達A班に銃を向けながら近づいてくる領邦軍の兵士達。それを止めたのは鉄道憲兵隊の面々であった。

 

「お言葉ですが、彼らが火災の犯人である可能性は万が一にもありません。現場の調査を行った者としてここに断言します」

 

 鉄道憲兵隊の先頭にいるクレアが領邦軍隊長に対峙する。

 

「お主は鉄血宰相の子飼いである《鉄血の子供達(アイアンブリード)》が1人、”氷の乙女(アイスメイデン)"だったか。……だが、ここは四大貴族のアルバレア公爵家が統治するクロイツェン州の土地であり、我ら領邦軍の管轄だ。ケルディックは鉄道網の中継地点でもあるが故にお主らの捜査を許したが、逮捕権にまで干渉される謂れはないぞ」

 

 領邦軍隊長はクレアの言葉に応える事無く、ただ権利を主張する。

 だが、領邦軍の言っている事も間違いではない。領邦軍が鉄道憲兵隊の捜査を許した事と同じ様に、鉄道憲兵隊もまた領邦軍の逮捕権を否定する事は出来ないのだから。

 

「……火災の原因となったのは大市に現れた魔獣でしょう。魔獣が炎を吐いたという証言を大市の商人から得ています」

「だが、その魔獣がルナリア自然公園に入ったとは限らないのではないかね」

「魔獣が壊したと思われる門や、森の奥へと続く足跡も確認しています。魔獣の痕跡は大市から続いていましたので、まず間違いありませんね。……ああ、伝え忘れていましたが、森で発見された炎の痕跡が、大市のものと一致したとの報告もあります」

 

 魔獣の炎であると証明され領邦軍隊長の言葉が詰まる。クレアは伝え忘れと言っていたが、わざと情報を隠していたのは想像に難くない。彼女はその外見や声色に似合わず相当頭の切れる人物らしい。

 

「現場では火災を消火するためだと思われる氷も見つかっています。現場に残っていたのは彼らだけ、恐らくは水属性のアーツで消火したのでしょう。報奨を与える事はあっても、拘束するのは不当ではないですか?」

「だ、だが……!」

 

 領邦軍隊長は衝動的に否定の言葉をあげるが、反論の内容が思い浮かばない。それを見抜いたクレアはこれで終わりと言わんばかりに話を続ける。

 

「話によると、大市を魔獣に襲撃されたという不手際が発生してしまったそうですね。これ以上落ち度を増やすのは、あなた方にとってもよろしくない行為なのではありませんか?」

 

 領邦軍の本来の仕事は治安を維持する事。その最たるものである魔獣からの被害を防げなかったとあっては、職務怠慢と言われても仕方の無い状況であった。どこから来たのかも分からない魔獣の襲撃のせいで、領邦軍の立場は苦しいものとなっていたのだ。

 陳情を降ろさせるどころか、下手をすればアルバレア公爵家の顔に泥を塗ってしまうと考え、領邦軍隊長は不服ながらも決断を下す。

 

「くっ、…………分かった。総員、撤収せよ!」

「「はっ!!」」

 

 列をなして領邦軍の詰所へと帰っていく兵士達。それを見送ったライ達は、助けてくれたクレアのもとへと集まる。

 

「クレア大尉、助かりました」

「いえ、私は私の役目を果たしただけです」

 

 クレアは落ち着いた笑顔を浮かべ、ライ達のお礼を受け取る。

 ──と、クレアは何かを思い出したかの様にライに視線を向けた。

 

「……そう言えばライさんにも1つ伝え忘れがありました。ライさんはたしか被害者のマルコさんとお知り合いでしたよね」

「そうですが、何か?」

「マルコさんのお見舞いに行きたくはありませんか?」

 

 ライはマルコが何処に運ばれたかを知らないため、この提案は渡りに船であった。

 取り返した盗品の事に伝える機会のなかったお礼など、トリスタへと帰る前に話した方がいい事は山ほどある。故にライはクレアの気遣いをありがたく受け取る事にした。

 

「是非とも」

「ふふ、分かりました。では場所ですが──……」

 

 

◇◇◇

 

 

 ケルディックのとある一部屋。マルコが普段寝泊まりしている場所を知らされたライは、リィン達と別れ1人で部屋の前に訪れていた。

 別れる際にリィン達からお見舞いの品を押し付けられたライ。そこまでするなら一緒に来ればいいとも思うが、どうやら気を使われたらしい。今までのお詫びだと言って去っていくリィン達の姿がはっきりと思い出せた。

 

「マルコ、入るぞ」

 

 ライは扉を数回叩いて中に入る。

 酒瓶が至る所に転がる小さな部屋、ライは温かな明かりが灯る木製の一室を見回し、ベットの上にいるマルコを見つける。上半身を起こし、シーツの上に座っているマルコ。ノックしても返事は無かったが、どうやら眠ってはいなかったらしい。

 

「起きてたのか」

「…………」

 

 お見舞いの品をテーブルに置いて、ライはマルコに近づく。

 ……だが、マルコは一切反応しない。

 

「商品は取り返した。幾つか駄目になったが、明日にも戻ってくるだろう」

「…………」

 

 今回の事件の結果を伝えるものの、マルコは微動だにしない。

 どうも様子が変だ。まるで心が根こそぎ奪われたかの様に、焦点の合わない顔でずっと座っている。

 

「……言い忘れてたな。お前のおかげで仲間との仲を繋ぎ止めることが出来た」

「…………」

 

 反応はないが、この際独り言でもいいから話を続けよう。

 ライはクレアから受け取ったマルコの商品、麦の苗を取り出しマルコに見せた。

 

「お礼の代わりに、この麦の苗を買っていく。これでチャラと言う事にしてくれ」

「…………」

 

 もし普段のマルコなら"また苗かよ"と突っ込みでも入れて来たのだろうか。

 ライはマルコの枕元に苗の料金をそっと置いて、ベットから静かに離れた。

 

「俺はトリスタに戻る。元気でな」

「…………」

 

 ライはゆっくりと入り口へと歩き出した。

 今のライには原因も対処法も分からない以上、何も出来る事はないからである。

 複雑な感情のまま、ライは入り口の取っ手に手をかけた。と、その時──

 

「…………ありが、とう……」

 

 唐突に背後から聞こえる一言。その声にライは口元を緩めると、

 

「……ああ」

 

 と一言返し、マルコの部屋を後にする。

 その手にあるのは一本の苗。それは変わらず元気な苗だった。

 

 

◇◇◇

 

 

 ……ケルディックの駅で待っている筈のリィン達に合流するため歩いていたライは、駅前の広場に出たタイミングでリィン達を見つける。が、どうも面々が変わっているらしい。

 

「クレア大尉はどこへ?」

「もう別の場所にいったよ。何でも遠くで緊急の事件があったみたい」

「鉄道憲兵隊も楽じゃないか。それで、逆に現れたのが……」

 

 ライは視線を横にずらす。そこにいたのは赤い髪を後ろで纏め上げた女性。即ち──

 

「あなたの愛しのサラよ〜♡。ライ、元気にしてたかしら〜」

「……それで、サラ教官が何故ここに?」

「むぅ、つれないわねぇ……。これでも私はあなたの教官なのよ。生徒が大変な目に遭ってるとなれば駆けつけるわ。これが最初の特別実習でもあるしね」

 

 サラが自信満々に答える。とりあえず彼女がここに来た理由は分かった。

 だが、問題が発生したのは今日の朝早く。夕暮れに染まる空を見ながらライはサラに問いかけた。

 

「遅すぎるのでは?」

「……しょうがないじゃない。B班ではマキアスとユーシスがいがみ合ってまともな実習になってなかったんだもの」

 

 ああ、とライは納得する。最後に駅で会ったときはライに意識が集中していたから問題を起こしていなかったが、本来マキアスとユーシスは出会う度にいがみ合いを起こしていたのだ。……まあ、ほとんどはマキアスが一方的に突っかかり、ユーシスがそれを傲慢にも見える態度で突っぱねているのだが。

 ライがいなくなったB班で問題が起きるのは当然の流れだったのかも知れない。そして、B班の紡績町パルムはここから大分離れている。恐らくサラはこちらの事件を耳にして急いでこちらに向かったのだろう。

 

 一通りの疑問を解消したライは、A班の輪へと戻っていく。それを目にしたサラは目を丸くして驚いた。

 

「あら、皆と仲良くなったみたいね」

「ええ、心配をかけました」

 

 ライが近寄っても懐疑心や嫌悪感が生まれないリィン達を見て、サラはうんうんと頷いた。

 B班と比較しているのかは定かではないが、色々と苦心させてしまったのは確かだ。

 ライは心の中でサラに感謝するのだった。

 

 …………

 

 そろそろ、トールズ士官学院のあるトリスタへ行く列車が到着する時間だ。

 ライ達は交易地ケルディックの南、駅の方へと歩き始める。

 

 一歩一歩上っていく階段。ライは駅に入る直前、振り返ってケルディックの町並みを目に収めた。

 茜色の夕日に染まるのどかな町並み、心地よい風を受けた風車がゆっくりと回り、広場の奥では変わらず大市の賑わいを見せている。

 ここに来たときは景色を味わう余裕など無かったが、今のライにはそれが美しい光景に思えた。

 

 リィン達の呼び声が聞こえる。ライはそっと目を緩め、静かに駅の中へと消えていく。

 こうして初めての特別実習は終わりを告げたのだ。

 

 ──幾多の思い出を列車に乗せて。

 

 

◆◆◆

 

 

 太陽も地に沈んだ深夜、ケルディックのある丘の上に1人の男が立っていた。

 灰色の髪をした眼鏡の男性。今日の朝、マルコと秘密の会合を果たした男である。

 男はルナリア自然公園を、正確には未知の魔物が起こした惨状を静かに眺め続けていた。

 

「……シャドウ、抑圧された心が具現化した存在。まさか植え付けられた願いと心が一致する事でこれほどの力を発揮するとは……。今後の段取りに修正を入れる必要があるか」

 

 男は森で行われた戦闘の結果を分析する。そこには事件によって生まれた悲劇に対する感情など欠片もありはしなかった。ただ男は今回の騒動を単なる事象と捉え、分析を進めていく。

 ──すると、男の懐の機械から振動が発生した。男は機械を取り出すと耳に当て、誰かと通信を始める。

 

「同志《C》か。……ふむ、分かった。すぐに向かおう」

 

 通信を終えた男は機械を再び懐にしまい込む。そして最後に森を一瞥すると、背を向けて歩き出した。男の脳裏に浮かんでいるのは未知の魔物と戦ったもう1つの存在。火炎の中で戦いを繰り広げたその力もまた、男にとって分析する必要のある事象であった。

 

「……ペルソナ、か。その力が我らの手助けとなるか、それとも障害となるか。──確かめる必要がありそうだ」

 

 そうして、男は不穏な暗闇へと消えていった……。

 

 

◆◆◆

 

 

 …………

 

 

 ……………………

 

 

 特別実習から3日経った4月の28日。

 ライ達は特別実習の疲れや痛みが残る中、普段通り教室の椅子の上に座っていた。

 例えどんな特別なカリキュラムがあるとはいえ、ここは士官学院。休みなど簡単には与えられないのだ。だが──

 

「……サラ教官遅いですね」

 

 委員長のエマが、皆の心の声を代弁する。

 そう、何故かいつまで経ってもサラ教官が教室にこないのである。

 あの教官はいったい何をやっているのだろうか。3日前のケルディックで、内心感謝していたライの身にもなって欲しいものである。

 とりあえず、自習でもするかと本を開くライ。と、その時、教室の扉がガラリと開いた。

 

「皆静かに待っててくれたかしら? 遅れてごめんなさいね〜♪」

 

 やけに軽いノリで入ってくるサラ。遅刻の罪悪感を感じているかどうかはまるで分からない。

 当然の事ながら、生真面目なマキアスがサラに向かって意見を言い放った。

 

「サラ教官! 教師が連絡も無しに遅刻とは何事ですか!」

「フン、いちいち話の腰を折るな」

「……何か文句でもあるのかね」

「あるに決まっているだろう」

 

 いつの間にかサラをそっちのけでいい争いを始めるマキアスとユーシス。

 サラは面倒そうにライへと視線を向けた。

 

「え〜と、ライ?」

「……ストップだ、2人とも」

「──っ!」

「……ちっ」

 

 実のところ、まだB班の面々と完全に仲直りが出来た訳ではないのだ。

 

 A班の面々に話したという事もあって、B班のメンバーであるエマ、ガイウス、フィー、マキアス、ユーシスにもペルソナについて説明した。その結果については言うまでもないだろう。A班と同じく頭で納得する段階までは行ったのだが、やはり心の折り合いをつけるとなると難易度が高いらしい。

 この問題に対し、近々サラ教官が何らかのアクションを起こすそうだが、最近マキアスとユーシスを止めるための手段として使われ始めているので、本当かどうかは怪しいものである。

 

 ──とまあ、この様にライが依然としてリンク関係で悩んでいると、サラが景気よく本題に入り始めた。

 

「それじゃ、落ち着いたところで今日遅れた理由について話すわね。……なんと! 今日は君たちに新しい仲間が出来ます!」

 

「……仲間?」

「それって編入生ってことですか? こんな時期に?」

「ええそうよ。面倒だから詳しい事情は本人にでも聞きなさい」

 

 4月の終わりに編入生? 何らかの事情で入学が遅れたのだろうか。

 混乱しているライ達を眺めていたサラは、両手を叩いてライ達の意識を前に戻した。

 

「でもまぁ待たせるのも何だし、早速入って来てもらうとしましょうか。──もう入っていいわよ〜」

 

 教室の入り口目掛けて大声をだすサラ。それに反応した様に入り口から人影が入ってくる。

 

「え?」

「……なに?」

 

 教壇の横に立つ編入生を見て、生徒達の中から驚きの声が出てくる。……まぁムリもないだろう。水色のクリクリした髪の毛、丸くて大きな瞳、VII組で1番小さいフィーよりも、さらに小柄なその姿。

 

 

「ボクはミリアム・オライオン。皆、よろしくねー!!」

 

 

 ──要するに編入生は13歳くらいの少女だったのである。

 

 

 

 

 

 




これにて1章終了です。
次回から2章に突入致しますが、構成に少々手間取っているのでしばしお待ちを。

……シャドウの扱いが難しすぎて笑えてきます。


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2章 -白亜に潜む黒い影- 
14話「新たな仲間」


忙しい時期になって来ましたので、今後は基本的に週1のペースで行かせて頂きます。


「……未知の魔物に襲撃された7件のうち、4件が撃退に成功、か。これを多いと見るか少ないと見るか、ちょっと判断に困るわねぇ」

 

 慌ただしく人が動きまわる職員室の中、机に広げられた報告書と睨めっこしながらサラがぼやく。

 ライ達が特別実習に行く直前の早朝、突然届けられた未知の魔物出現の知らせによって、トールズ士官学院の教官達はてんやわんやな状況に陥っていた。

 帝国各地で急激に発見件数が増えた未知の魔物。話によるとライ達A班もそれに遭遇し、討伐に成功したらしい。念のためペルソナの使用許可を出したことは正解だったとサラは安堵した。

 

 一枚一枚事件の詳細を確認するサラのもとに、金髪碧眼の男が悠然と歩み寄ってくる。

 

「魔物の特性を顧みればこの結果は上々と言えるだろう。攻撃無効化のメカニズムは依然として不明だが、他の性質について軍に逐一報告していた事が功を成したとも言えるのではないか?」

「あら、ナイトハルト教官。お早い帰還ですこと」

 

 サラは書類を置いてナイトハルトに視線を向ける。

 ナイトハルトは帝国正規軍・第四機甲師団から出向して来ているため、トールズ士官学院にいない事も多い。最も最近は未知の魔物に関して士官学院と帝国軍を繋ぐパイプラインを担ってもらっているのだが。たしか先日も、軍の協議に参加するためにトリスタを発った筈だ。

 

「……確かに、戦車の大火力で吹き飛ばしたり、強固な部屋におびき寄せて隔離したり、報告書を見る限り私達の報告が生かされていた事は読み取れますね。ですが、残りの3件での被害は甚大、そう喜んでもいられないのでは?」

 

 魔物の性質。つまりはダメージは通らずとも攻撃が当たりはすると言う特性を事前に知っていたからこそ4件の対応が的確に出来たと言えるだろう。だが、ほぼ同数の失敗が起こったのもまた事実である。

 

「そう悲観する必要は無い。今回の件でようやく軍の上層部も事の重大性に気づいた様だ。今後は正規軍が中心となって魔物の調査を行うこととなった」

「それ、私達はお払い箱ってこと?」

「バレスタイン教官にとっては喜ばしい事だと思うが」

「……まあ、間違ってはいませんね。頭を使ってばかりの職務なんて私の柄じゃないですし」

 

 サラはう〜んと背伸びをする。ここ1ヶ月休む暇がほとんど無かったのだ。発足したばかりのVII組の処理に加えて調査結果の詳細な報告などなど。……結構な割合を生徒会長のトワに頼ってしまったが、それでもサラにとってオーバーワークであった事に変わりはない。

 

「──それと情報の公布の件だが、未知の魔物については特性をぼかしつつ広める事が許可された。だが、ペルソナに関しては引き続き秘匿し、周辺の軍関係者にすら伝達を禁ずるという指令だ」

「それは、どういう事ですか? 彼の事を考えるならその方がありがたいですけど……」

「詳しくは俺にも分からん。だが、恐らくはテロの対策であろう」

 

 ナイトハルトがペルソナを一度見たときから考えていた懸念。

 小さな拳銃1つで戦術クラスの戦力を何時何処でも呼び出す事ができるという奇襲性。そして精神力が尽きるまで何度でも再召喚が可能という耐久性。もしこの力がテロリストに渡った場合、帝国のほぼ全域がテロの危険に晒されることとなる。

 恐らくは帝国軍上層部もそれを危惧しているのだろうとナインハルトは個人的に推測していた。

 

「後、軍から言伝と情報を1つずつ預かっているのだが、どちらから聞きたい」

「軍の言伝は固っ苦しいですし、まずは情報からお願いましょうか」

「分かった。これは帝国軍情報局からの情報なのだが、帝国の市民の間で密かに”シャドウ様”と言う噂が広まっているらしい」

「シャドウ様? シャドウ、……影、…………まさか!?」

「ああ、噂の内容は願いを叶えるという在り来たりなものだが、情報局は各地に現れた未知の魔物と関連があると睨んでいる。噂の発生時期と魔物の出現時期が重なるからな。──そのため今後は未知の魔物を《シャドウ》と呼称し、情報局は噂の発生源を中心に捜査を進めていくとの事だ」

 

 帝国軍情報局、帝国の宰相ギリアス・オズボーンの肝いりで設立された諜報機関である。近年の様々な問題に裏から介入し、ほぼ全てを宰相にとって都合の良い形で終わらせて来たらしい。

 詳しい実態はサラもナイトハルトも知りえない謎の機関であるが、相変わらずの有能っぷりには呆れ返ってしまう。もうどこまで情報を掴んでいるのか、サラにもまるで予測がつかなかった。

 

「──もう1つの言伝も情報局絡みだ。このシャドウ事件に関し情報局は、トールズ士官学院に1人増援を送ると申し出て来た。……これが、その書類だ」

 

 サラはナイトハルトから一枚の書類を受け取る。そして一通り読んだサラは静かにナイトハルトを睨みつけた。

 

「……これ、受け入れるつもり?」

「受け入れるしか無かろう。帝国政府からは多大な出資を受けているが故に、士官学院側として拒否出来まい」

 

 ナイトハルトの言葉を聞いたサラは苦い顔をして書類を見直す。

 それは入学書類だった。水色の髪を短く切った少女の顔写真、氏名の欄には拙い字でミリアム・オライオンと書かれている。

 

 サラは今後を憂い、軽くため息をついた。

 本音を言えば入れたくはないし、とある理由でオズボーンを嫌っているサラとしては、肝いりの情報局ともあまり関わりたくはない。

 だが、受け入れるしかないのだろう。ここ1ヶ月でサラは面倒事が連続で降りかかる状況に慣れつつあった。

 

 ……これはミリアムが入学する前日、4月27日の話である。

 

 

◆◆◆

 

 

 時は進んでミリアムが編入してきた28日の夕方、授業が終わったライ達は寮の食堂に集まり、長いテーブルを囲う様に座っていた。

 VII組の全員が集まれる場所はここか士官学院の教室くらいしかない。今回は偶然にも皆予定がなかったので、サンドイッチなどの軽食を買いこんでテーブルに広げ、ささやかな歓迎会も兼ねてミリアムの事情を聞く事となったのだ。

 

「ええっ! ミリアムって情報局から来たのっ!?」

「もぐ、むぐ。……うん、そうだよ! ボクはオジサンの下で働いてるんだ〜」

「……たしか帝国軍情報局のまとめ役はあのオズボーン宰相だった筈なのだが、それをオジサンとは」

 

 ……なったのだが、サンドイッチを口にしながら話すミリアムの大胆発言にVII組の面々が騒然となった。

 VII組11名のうち、半数以上が驚きの表情となっており、普段あまり動じないユーシスやフィーに関しても、どこか落ち着きが無くなっている。

 今ここで完全に動じていないのは、発言者のミリアムを除くと、留学生故に諜報機関の噂を知らないガイウスと、そもそも記憶のないライの2人だけであった。

 

「ふむ、ミリアムよ。済まないが帝国軍情報局について教えてもらえないだろうか」

「……後、オズボーン宰相の説明も頼む」

 

 他の面々が一様に動揺しているという事は相当のビックネームなのだろうか。

 疑問に思ったガイウスとライは発言者であるミリアムに尋ねる。

 

「え〜っと、帝国軍情報局っていうのは色々なところで情報を集めたり、裏工作をしたりするところだね。ボクはだいたい帝国内の重要拠点とか侵入してるんだー。……あ〜、あと、オジサンはオジサンだよ。でっかくて、ふてぶてしくって、いっつも何か企んでるの」

「……補足するが、オズボーン宰相はエレボニア帝国の宰相にして国家代表だ。帝国の近代化を進める革新派のトップでもあり民衆の信頼も厚い。僕たちが乗った鉄道網も彼の功績と言えるだろうな」

「まあその分、歴史を重んじる貴族派との確執も生んでいるがな」

 

 平民の立場であるマキアスや四大名門の息子であるユーシスは、ライの顔から意図的に目を逸らしつつも、各々の立場からミリアムの話に補足する。

 

 帝国の宰相、ケルディックで対峙した領邦軍隊長が言っていた《鉄血宰相》もオズボーン宰相の事を指していたのだろうか。鉄血とは兵器と人血を指す言葉だった筈だ。マキアスやユーシスの言葉も統合すれば、軍事的にも強行的な姿勢をとる人物であると容易に想像出来る。

 ……もしかしたらケルディックの一件の原因となった増税も、ユーシスの父アルバレア公爵がオズボーンに対抗するために行った施策だったのかも知れない。だとすれば革新派と貴族派、2者の対立は相当なレベルに達していると見て間違いはないだろう。

 

 ──だが、それよりもミリアムの発言は大丈夫なのだろうか。普通、諜報機関なら守秘義務があってしかるべきである。

 

「フン、そもコイツは本当に情報局の人間なのか? こんな子供に諜報活動が出来るとは思えんのだが」

 

 ユーシスが皆の心を代弁する。

 確かに子供の戯れ言と捉えるのが無難であるし筋も通るだろう。

 しかしミリアムはその言葉が不服らしく、頬を膨らませて抗議のポーズをとった。

 

「ム〜、ボクが小さいからって甘く見ないでよね! 戦う力だってほら……ガーちゃん!」

 

 疑惑の視線の中、いきなり席から立ち上がり片手を上げるミリアム。それと同時にミリアムの背後の空間に、前触れもなく銀色の傀儡が現れた。

 2m近くある鉄とも陶器とも言える妙な物体の出現に、近くに座っていたマキアスやアリサが思わず席を立ち上がってしまう。

 

「はぁっ!?」

「え、何これ!?」

 

 ミリアムはそんな彼らの様子に満足げな様子である。

 銀のからくりを従える少女。確かに認めざるを得ないだろう、少なくとも単なる妄想少女ではないことは間違いない。

 

「これはガーちゃん、通称アガートラムだよ」

「──Ж・Wпзгκ」

 

 ミリアムの紹介に合わせ、アガートラムが腰と思わしき場所に両椀を当てた。人間に例えるならエッヘンのポーズである。表情どころか顔もないアガートラムだが、どこか自慢げに見えた。

 ……と、VII組の面々がアガートラムに視線が集まる中、エリオットがこそこそとライに近寄って来た。

 

「ねぇライ。あれってもしかしてペルソナなのかな? ……って、ライ?」

「確かめてくる」

 

 ライはエリオットの質問を聞き終わる前に席を立ち、アガートラムに近づいてまじまじと観察し始める。長い2本の腕と1本の胴で構成されたシンプルな姿。金属の様な質感であるにも関わらず、途中が曲がりくねる事でポーズをとっている。

 アガートラムの表面をそっと触るライ。これがペルソナであるならば、もう1人のミリアムと言う事になる。だが、ペルソナと長く接して来たライの直感は、ミリアムとは別の何かであると告げていた。

 

 ……とりあえず、今のところ分かるのはこれくらいか。それよりもミリアムと別の存在であるならば、やらなければならない事が1つある。ライはアガートラムから一歩離れ、そして──

 

「よろしく、ガーちゃん」

「────」

 

 仲間?となるであろうアガートラムと堅く握手をした。……と言っても指のないアガートラムの腕先を掴んでいるだけなのだが。

 謎の傀儡の出現に緊張が高まっていた場の空気が一瞬にして崩壊する。

 

「あー! まだボクと握手してないのに!」

 

 場の空気を乱す存在がここにもいた。ライはアガートラムから手を離し、小さなミリアムに向けて同じ様に手を伸ばした。

 

「済まない。──今後ともよろしく、ミリアム」

「うん、よろしくねー、ライ!」

 

 ひとまず、これでミリアムやアガートラムとの挨拶は終わった。後は他のVII組との挨拶だなと振り返ったライは、その時初めて何とも言えない視線が向けられている事に気がつく。

 

「……どうした?」

「どうしたもこうしたもないでしょ! 何でよく分からない存在と普通に握手してるのよ!」

「変な状況には慣れてるからな」

 

 主に未知の魔物やペルソナ関連で。今のライを驚かせたかったら、この傀儡にマルコの意思でも宿してみろと言う話である。

 アリサの文句にもあっけからんとしているライに、エリオットが再度同じ質問をする。

 

「それで、そのアガートラムはペルソナじゃないの?」

「いや、似ているけど多分違う」

 

 ライは先ほど感じた違和感から達した結論を口にした。ミリアムに近いものの別の存在。もう1人の自分であるペルソナとは少々異なる在り方と言えるだろう。……どちらかと言うと、サラが実技テストで使っていた"かかし"に近いかも知れない。

 

 第一人者のライが言うならと引き下がるエリオット。その顔が微妙なのは結局正体が不明だからだろうか。謎な存在が身近になりつつあるライにとっては懐かしい感覚である。

 ……感慨に耽っているライに変わり、今度はリィンがミリアムに近づいた。

 

「それよりミリアム、何故情報局からVII組に編入する事になったんだ?」

「えっと、君はリィンだったね。……ってあれ、サラから聞いてないの?」

「サラ教官から?」

 

 リィンだけでなく他の面々も疑問符を浮かべた。言うまでもなくサラから何も聞いていないのだから。沈黙が流れる夕暮れの食堂、ライは入学翌日の事を思い出す。たしかあの時は表向きの事情を伝え忘れていたんだったか。

 とりあえずサラに連絡を取ってみようかという流れになり始めたその時、いきなり食堂の扉が開かれた。──噂をすれば影、要するにサラである。

 

「あらミリアムの歓迎かしら〜? 仲良くやってる様で結構結構!」

「……あの、やけに元気ですね、サラ教官」

「そりゃね〜、重圧から開放されたら喜びたくもなるわよ」

 

 重圧からの開放? 何があったのか知らされていないライ達は返事に困る。

 

「あ〜そっか。そう言えば伝えていなかったわね。ミリアムの入学処理で忙しかったからすっかり忘れてたわ。えっとライ、ちょっとこっちに……ってもう皆知ってるんだっけ」

 

 ここにいるVII組の内、A班は実際にペルソナや未知の魔物に対峙し、B班も言葉のみだが聞かされている。ミリアムについては先の言葉を顧みるに深く知っていると見て間違いないだろう。

 そう、もうこの中で隠す必要など何処にもないのである。

 

「それじゃあここで話すわね。未知の魔物、《シャドウ》についての報告よ。心して聞きなさい」

 

 

◇◇◇

 

 

 ……それから、ライ達は未知の魔物、いやシャドウについての現状の説明を受けた。即ちケルディックだけでなく、帝国の各地で魔獣が出現し始めているという報告である。

 

「そんな、その様な状況なら噂にならない筈が……!?」

「既になってるわよ。ほら、これを見なさい」

 

 狼狽えるマキアスの言葉に対し、サラは食堂の机の上に2日前の新聞を置く。その新聞は帝都ヘイムダルの帝国時報社が発行している《帝国時報》であった。

 閉じられた新聞の一面には『相次ぐ魔獣の襲撃事件。魔獣の生態に変化が!?』という見出しが大きく印刷されており、ライ達にはその魔獣がシャドウを意味していると容易に想像出来た。

 

「肝心なところは伏せられているから、まだ大きな騒動には至っていないみたいね」

「まだ、ってそんな他人事な……」

 

 マキアスのぼやきに対し、他人事ねぇ、とサラが腕を組みながら小さく呟く。

 しばらく視線が遠くなっていたサラだったが、意識を入れ替えたのかライに視線を合わせ話を続けた。

 

「この件でようやく帝国正規軍が動き始めたわ。だから、今後の私達は協力者という立場になると考えておきなさい。……そのための増員も派遣されてきたしね」

 

 そう言ってサラはミリアムに目を動かす。視線を貰ったミリアムはニシシと笑っていた。

 要するに今後は帝国軍とミリアムが調査の中心となると言う事なのだろう。

 

「何だか浮かない顔ね。これでようやく普通の生活が出来るんだから喜ぶ場面じゃない?」

「教官こそ、笑顔が少々ぎこちないですよ」

「……そりゃまあ、何も解決していないのに蚊帳の外って言われて、簡単に納得出来る訳ないわよねぇ」

 

 食堂内にいる中で、ライとサラだけが共感出来る戸惑いであった。

 僅か1ヶ月という期間ではあったが、それでも簡単に手を離せる程生温い相手じゃない事だけは痛い程理解している。たしかに普通の生活が送れる事はありがたいが、素直に喜べるものではない。

 

「サラ教官、こちらで調査を続ける事は出来ませんか」

「個人的にそうしたいのは山々だけど、協力以上の事は許可は出来ないわ。如何にシャドウが危険だからといっても、いえ危険だからこそ、正当な理由がない限り教官として認められないのよ。せっかく正規軍の庇護を受けられるのだから、調査はその中だけに留めておきなさい」

 

 VII組の面々が成り行きを見守る中、ライは真剣な顔で考え込む。

 軍の協力ともなれば、より充実した環境で安全に調査が出来るだろう。そうすればシャドウの対処法について進展があるかも知れない。だが、シャドウの問題は果たしてそれだけだっただろうか。ライの思考に1つの光景が浮かぶ。

 

「シャドウは攻撃が効かないだけの魔物じゃない、と言ったら正当な理由になりますか」

「……続けてちょうだい」

「ケルディックで出会ったシャドウは人の人格を有していました。逆に、その人格の持ち主は魂を抜かれた様な状況になっていた」

 

 ライの脳裏に浮かんだのは無気力なマルコの姿だった。

 もしあれがシャドウによるものならば、シャドウという存在を放っては置けない。シャドウの謎は解き明かさなければならないのだ。

 

「シャドウを倒すだけでは解決にならない。その先にある答えを知る必要があります」

「なら、その答えを見つける方法に心当たりでもあるのかしら?」

 

 はっきり言ってしまえば、ない。

 だが、答えに繋がるかもしれない事象なら心当たりがある。

 そうシャドウが何故か出現するあそこなら。

 

「可能性ならば1つだけ、ここトリスタに」

「──旧校舎の異変ね。……正規軍の調査はあくまでシャドウに対処するためのもの。なら旧校舎の調査と言う形なら私達も関与出来るかも知れない、か」

 

 サラは口元に手をあて、ライの提案の是非について思考を巡らせる。

 シャドウの危険性と生徒の安全性を天秤にかけ、そしてサラ自身が納得できる結論を今ここで定める。

 

「分かったわ。私から上に掛け合ってみましょう。恐らくミリアムが同伴するならば許可は貰える筈よ。……ミリアム、あなたはどうかしら?」

「うんうん、旧校舎ってのも気になってたし、ボクも一緒に行くよ!」

 

 ぴょんぴょんと飛び跳ねるミリアムを見て、サラは表情を緩める。

 これなら案外すんなりと行きそうだとその顔に書かれていた。

 

「なら決まりね。だけど、少なくとも今週一杯は諦めなさい。許可にも時間がかかるし。…………何よりライ、あなたまだケルディックの怪我が治ってないでしょ!」

 

 話が一段落したためか何時もの雰囲気に戻ったサラは、怒り声と同時にライの胴体に手を押しつける。体の内に響き渡る鈍痛、そこはマルコの影に締め付けられた部位であった。

 

「──ッ!!」

 

 体中を駆け巡る痛みに思わず一歩下がるライ。表情からは分かり難いが、その体は僅かに痙攣していた。それを見たサラは深いため息をついてリィンに頼み事をする。

 

「はぁ、……リィン、ライが無茶をしない様に見張っていてくれるかしら」

「……分かりました」

 

 実感を伴った返事をするリィン。

 その心に宿るのは友人を諌めんとする責任感か、はたまた友人の危うさを憂う感情か。

 

 しかし、そんなリィンの内心を知らないライは、2人の視線を背に浴びながらもミリアムの歓迎会へと戻って行く。

 

 まるで傷など始めからなかったかの様に平然とした表情で。

 

 

 

 

 



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15話「部活体験(前編)」

 あれから数日、情報局から来たミリアムはすっかり学院生活に馴染んでいた。

 例えばマカロフが行う導力学の授業。11の机が3列に並ぶ教室の中で、マカロフの気怠そうな声が響き渡る。

 

「……あー、約50年前の導力革命以降、消費しても時間とともに充填されていく導力は瞬く間に普及して行った。照明や暖房と言った生活のインフラを始めとして、通信、飛行船、乗用車など、最近の技術革新の根底と言っても過言じゃない程にな。――今日はその中でも導力銃を中心に話を進めて行こうと思う。んじゃ、まずは導力銃と旧式の銃の違いについて、誰か答えられる奴はいないか?」

 

 マカロフが生徒達に問いかけるが、今のライに答える暇はない。

 導力革命などと言った用語を調べるため、残像が見える程の速度で資料を捲っているからだ。

 

 本来ならば、こう言った技術関連の話題にはアリサが精通している。この日もマカロフの質問に対しアリサが手を上げようとしたのだが、寸前にミリアムが勢いよく立ち上がり、背伸びししながら片手を伸ばした。

 

「はいはーい! 銃弾を飛ばしているのが火薬か導力か、だよね!」

 

 若々しい回答を貰ったマカロフは、その活力にややげんなりしながらも説明に戻る。

 

「元気がいいねぇ、まったく。……まぁ単純だが正解だ。これは他の武器にも言える事だが、七耀石(セプチウム)から取り出した導力を用いる事で様々な特性を銃弾に乗せる事が出来る。炎を纏ったり、傷を癒したりな。昔の火薬だった時代には考えられない事だが、今じゃ逆に当たり前になってきてると言っていいだろう。……故にお前達は基礎に立ち直る必要がある。まずは導力を生成し供給する導力ユニットについてだが――」

 

 正解したミリアムが楽しそうな笑顔で席に座った。

 今のミリアムを見て情報局の人間だと思う者はいないだろう。

 現にこのVII組だって、性分故に疑り深いユーシスを除いてミリアムへの懐疑心を感じている者はいない。

 

 学院生活に憧れていたのかは定かではないが、ミリアムは全身全霊をもって学院生活を満喫していた。

 

 

◇◇◇

 

 

 ――そして、5月2日の朝。

 

 頬に当たる柔らかな日光を受けて、ライは朧げに目覚めた。

 窓の外から聞こえてくる小鳥のさえずる声。どうやら今日は快晴の様だ。

 

 ライは温かなベットから身を起こし、半分眠っている意識を覚ましつつクローゼットに向かう。

 取り出すのはYシャツと深紅の制服だ。もうすっかり慣れた手つきで袖に腕を通し、何時もの服装に着替えて行く。

 

 そして身支度を終えたライは窓を開け、新鮮な空気を部屋に取り込む。

 今日は急ぐ必要もない。なぜなら今日は自由行動日、要するに休日なのだから。

 

 涼しい風を顔に浴びたライは、机に置かれた1冊の本を持って1階のロビーへと降りて行った。

 

 …………

 

「朝から飲む酒は格別ね〜!」

 

 格式ある煉瓦造りのロビーに辿り着いたライが目にしたのは、ソファの上で朝から麦酒を飲んでいるサラであった。

 生徒のいる寮での朝酒はどうかと思うが、実に1ヶ月ぶりの本格的な休日なのだろう。そっとしておこうとサラから目を離す。

 

 すると、丁度寮の入り口から入ってきたエリオットと目が合った。

 

「あ、おはよう。今日はゆっくりなんだね」

「おはよう、エリオット。もう早く起きる必要もないからな」

 

 旧校舎に行くという習慣が無くなっただけでライの時間に大分余裕が生まれていた。それほどまでに旧校舎の疲労に伴う時間の消費は大きかったのである。

 今後も旧校舎に行く予定ではあるが、必須でもなくなったため負担のないペースにする事も可能だろう。ライの生活環境は確実に改善されていた。

 

 エリオットもその事を察したのか視線をサラの方へと移した。あの光景もまた、余裕が生み出した産物である。

 

「あはは……。サラ教官、本当に嬉しそうに飲んでるよね。この前はちょっと笑顔もぎこちなかったのに」

「その原因も何とかなりそうだからな」

 

 心に引っかかっていた不満もなくなったのだから、後は時間が出来たという事実が残るだけだ。

 エリオットもそれは分かっているのだが、あまりの羽目の外しっぷりに少々苦笑いしていた。

 

「……ってあれ? ライ、その本は?」

「ああこれか」

 

 ライは部屋から持って来た本を何気なくエリオットに差し出す。

 思わず本を受け取るエリオット。……その表紙にはポップな文字で『楽しい余暇の過ごし方』と書かれていた。予想外の題名にエリオットはライの顔を2度見する。

 

 要するに、表情や態度からはよく分からないが、ライも浮かれている人物の1人なのであった。

 

 思わぬ事実に硬直するエリオット。ライはそんなエリオットに対し、平然と1つの疑問を投げかける。

 

「ところで取りに行かなくていいのか? 帰って来たと言う事は、忘れ物でもしたんだろう?」

「え? ……あ、ああ! うん、ちょっと吹奏楽部の楽譜を忘れちゃって」

 

 本来の目的を思い出したエリオットが急いで階段を上って行く。

 ――と、すれ違う様にして小さな影が階段を駆け下りてきた。

 ライの手前で急停止する少女、それは最近の話題の人であるミリアムだった。

 

「ねーライ! これからブカツってのを見に行くんだけど、一緒に行かない?」

 

 どうやらミリアムは学院生活の華である部活を体験したいらしい。

 返事を待っている時間も惜しいのか、ミリアムは颯爽と入り口へと駆け出す。

 

 ライは静かにミリアムを視線で追っていると、楽譜の束を持ったエリオットが階段から降りてきた。

 

「あはは、ミリアムって完全に学生生活を楽しんでるよねぇ」

 

 ミリアムの声は2階まで届いたのだろう。エリオットはVII組の総意とも言える感想を述べる。

 ……だが、ライはまるで聞こえていないかの様に微動だにしなかった。

 

「えと……ライ?」

 

 ライの頭の中で部活という2文字が駆け巡る。

 思えばライは一度部活を諦めていた。

 だが、今は違う。部活に参加する時間は十分にあるのだ。

 

「部活見学、何て優美な響きだ……」

 

 そう、今ならばまだ見ぬ学院生活を謳歌する事だって出来るのである。

 その事に気づいたライは堂々とした足取りでミリアムの隣へと歩きだす。

 

「全力で行くぞ、ミリアム!」

「あいあいさー!」

 

 2人は並んで光溢れる寮の外へと歩を進める。

 目指すはトールズ士官学院、そこで待っている数々の部活だ。

 

 ……寮の中には、理解が追いつかないエリオットと酔っぱらったサラの2人だけが残されていた。

 

 

◇◇◇

 

 

「――で、ここに来たという訳ね」

「部活の王道と言えばグラウンドだからな」

 

 ライ達が始めに訪れたのは、学院の横に併設された大きなグラウンドである。

 茶色よりも白に近い土の感触。校舎の横に広がるこのグラウンドでは、ラクロス部と馬術部が場所を分け合って使っていた。

 

 まず訪ねたのはラクロス部の方だ。

 

 目の前にいるのは藍色のユニフォームを着たアリサ。

 その手にはラクロスで使用する網の付いた棒を持っていた。その網にボールを入れて運び、ゴールを狙うのがラクロスと言う競技である。

 

「でも残念だけど、ラクロスって競技は男女で分かれてて、ここのラクロス部は女子しかいないのよ。ライの参加は難しそうね」

 

 アリサの話によると、ラクロスは男女で人数だけでなくルールまで異なっているらしい。

 今この場にいるのは先輩らしい女子生徒2人と、紫髪の貴族と思わしき少女が1人。どう考えてもこの空間にライの居場所はなかった。

 

「アリサさん! 何さぼっていますの!? 早く勝負しますわよ!」

 

 ライ達3人が話し合っていると、カールした紫色の長髪と大きなリボンが特徴的な少女がアリサに向けて声を張り上げて来た。

 

「彼女は?」

「フェリスよ。この前勝負を挑まれたんだけど、返り討ちにしたら目の敵にされちゃって」

「おお! これは噂に聞くライバル関係だね!」

「……楽しそうねミリアム。本当にそんな青春っぽい関係だったらどんなに良かったか」

 

 フェリスとの関係を思い出したのか肩を落とすアリサ。

 どうやら目の敵にされた理由はライバル精神なんて高貴なものではなく、貴族の自負を砕かれた屈辱であるらしい。アリサ自身もどう解消したものかと悩んでいる様だ。

 

「アリサさん、聞いていますのー?」

「ええ、聞いてるわよ! 今戻るからちょっと待ってて!」

 

 急かされたアリサは、急いでライ達との会話を畳みにかかる。

 

「悪いわね。そういう訳だから、ラクロス部の見学は諦めてちょうだい」

「気にするな、こちらにも女性はいる。……ミリアム、後は任せた」

「任されたー!」

「……ミリアムの身長に合ったスティックはあったかしら」

 

 こうしてミリアムのラクロス部体験が決定した。

 

 …………

 

 ラクロス部の3人との挨拶を済ませ、ゴールに対面するミリアム。

 これからちょっとしたゲーム形式での体験をする事になったのである。

 

「ミリアム、いい長さのスティックが見つからなかったから、私のスティックを使って」

「ううん、そんなのいらないよ〜。何だってボクには特別製があるからね。……行くよー、ガーちゃん!」

 

 突然ミリアムがグラウンドのど真ん中でアガートラムを呼び出した。

 

「えぇっ!? 何なんですのこれはっ!?」

「ガーちゃん、変形〜!」

 

 ミリアムはアガートラムを巨大なラクロスの棒に変形させ、豪快に振り回す。

 あれだとボールどころかゴールすら吹き飛ぶだろう。

 その様子を呆然と見ていたアリサは、ふと我に返ると慌ててミリアムに叱りつける。

 

「こ、こんな場所でそれを呼んじゃ駄目でしょ!? って言うか今すぐ止まって、それ危ないからっ!!」

 

 そんなアリサの切実な叫びを最後にして、ライ達の最初の部活見学は唐突に終わりを告げた。

 

 

◇◇◇

 

 

 次はグラウンドの反対側を使っている馬術部である。

 

 グラウンドの奥に建てられた馬小屋から、雄々しいたてがみを生やした3頭の馬が手綱で引かれて出て来ていた。

 その中の一頭の側に見知った金髪の青年、ユーシスを見かける。

 

「精が出るな」

「……貴様、何故ここに来た」

「部活見学だ。ユーシスは馬術部だったのか」

「まあ、見ての通りだ。別にお前に話す必要もないからな」

「それもそうだ」

 

 先ほどとは打って変わって、どこか壁のある会話をするユーシスとライ。

 ある意味普通に会話が成立しているのが奇跡とも言える温度であると言えるだろう。

 

 と、そんな2人が気になったのか、1人の男子生徒が馬を引き連れてやって来た。貴族を示す白い制服だが、赤茶色の髪をかきあげた青年は人当たりの良さそうな笑顔を浮かべている。

 

「おや、見ない顔がいるな。君はユーシスの同級生かい?」

「ええ、VII組のライです。貴方は?」

「私は馬術部部長のランベルトだ。よろしく頼むぞ!」

 

 ランベルトは自己紹介の後に豪快な笑い声をあげる。

 社交的なその態度。貴族にも色々といるらしい。

 

「ほう、推測するに馬術に興味があると見える。良かったら少し馬に乗ってみては如何かな?」

「! 是非とも」

 

 何を隠そうライは部活を体験するためにここに来たのだ。

 今度こそ部活に参加出来るとライはアルベルトの提案に飛びつく。

 ――だが、そんなライの勇み足をユーシスが押しとどめた。

 

「止めておけ、治りかけとはいえ乗馬は怪我に響く」

「ふむ、そうなのか? なら乗馬は見送るべきであるな」

 

 ユーシスの提言を受けてアルベルトも自身の言葉を撤回する。

 結果として空振りとなってしまうライ。短い夢であった。

 

「…………仕方ない。それよりユーシス、心配してくれたのか?」

「勘違いするな。一般論を言ったまでだ」

 

 ユーシスは素なのか照れ隠しなのか判断に困る一言を残して、馬に跨がり去って行く。

 

 だが、その背後にはこそこそと近づく水色の影が……。

 今まで会話に加われなかったミリアムが、ここぞとばかりにアクションを起こしたのだ。

 

「――なら代わりにボクが体験するよ!」

「おい、何故俺の後ろに乗る。待て、勝手に手綱を引くな!」

 

 身長のため1人乗りは難しいと判断したのだろう。ミリアムはユーシスが跨がっている馬によじ登る。ユーシスは迷惑そうな表情をしているが、子供相手に強硬手段に出られないのか、為すがままにされていた。

 

 無理矢理に馬を走らせようとミリアムが強引に手綱を引く。

 このままじゃ馬が暴走してしまい、落馬の危険性もあるだろう。ライは忠告をする事にした。

 

「ミリアム」

「ん、なーに?」

「馬は機械じゃない。馬の気持ちを考えて手綱を引くんだ」

「オッケー、分かったよ!」

「ああ、幸運を祈る」

 

 これで役目は果たせたと満足げなライに向けて、ユーシスが怒鳴り声をあげてくる。

 

「馬鹿か貴様は! この状況で煽ってどうする!」

「幸運を祈る」

「祈る暇があったらこいつを……くっ!? 止めろミリアム!」

 

 ミリアムの手綱さばきによって走り出す馬。

 ユーシスは手綱の支配権を取り戻し、何とか馬の走りを制御しようとしていた。

 

「ハッハッハ、中々元気のいいお嬢さんではないか!」

 

 ライとアルベルトの2人は走り回るユーシスの馬を見守る。

 数分後、そこには馬の制御で疲れ果てたユーシスと、満面の笑みを浮かべたミリアムがいた。

 

 

◇◇◇

 

 

 続いて今度は校舎の裏手、ギムナジウムと呼ばれる施設に訪れていた。

 

 小さな校舎と言った面持ちのギムナジウムは、1階や2階の大部分が屋内プールのために使われており、1階には修練場や射撃訓練場、2階には各運動部の部室も用意されている。

 ……たしか、ここでは水泳部とフェンシング部が活動を行っていた筈だ。ライ達は、まず始めにラウラが所属しているという水泳部に顔を出す事にした。

 

「わぁ、おっきいプールだね!」

 

 屋内プールへの扉を開けたライ達を待っていたのは、全長50mくらいもある巨大なプールだった。

 水色のプールには塩素の香りがする冷水がなみなみと満たされている。2階まで吹き抜けとなっている天井も半分がガラス張りとなっており、清々しい開放的な空間を演出していた。

 

 そんな環境の中、1人の水泳部員が水を掻き分け50mを泳ぎきり、水流を纏いながらプールを上がってくる。水滴を弾く肌、体を引き締める競泳用の水着を身につけた彼女は、ライ達の良く知るラウラであった。

 ラウラは髪をなびかせて余分な水を落としながら、ライ達のいるプールの入り口へと歩み寄ってくる。

 

「ライとミリアムよ、そなたらは水泳部の見学に来たのか?」

「そんなところだ」

「ふむ、夏以外は部員専用なのだが……まぁ見学と言う立場なら何とかなるだろう。だが、水着がないと泳ぐ事は出来ないぞ?」

 

 予備の水着でもないのかと聞いてみたが、そんな物はないらしい。

 なら見るだけにするかと思うライだったが、ミリアムが何かに気がついたかの様に更衣室の方へと向かって行く。

 

 数分後、戻って来たミリアムは深紅の学生服では無く、見慣れない変なスーツを着ていた。

 幼いボディラインが分かる程のぴっちりとしたボディスーツ。

 手首や足首にユニットがついている事から、何らかの特別な用途のものである事は分かる。

 だが、太ももが露出している事も合わせて、やや際どい格好になってしまっている事にミリアムは気づいているのだろうか。

 

「これはボクの特務スーツだよ。耐火・耐水・速乾の万能なスーツだから、これなら泳げるよね!」

「……それで普段任務をこなしているのか?」

「そーだけど? ……え〜、何処見てるのさ〜。やらしーなー」

「年齢を考えろ」

 

 くねくねとした変なポーズをとるミリアムを、ライは平然と切り捨てる。

 と言うより、その格好の問題点が分かっているなら直そうとは思わないのか。

 ライはそう指摘したくなるが、これ以上言ったところで薮蛇になるため、ぐっと堪えた。

 

「む〜、ライも子供扱いする〜」

「もしかして年上なのか?」

「いや違うけどさー。……ま〜いっか。それじゃ早速、行ってみよー!」

 

「ま、待て! まだいいと言った訳では――」

 

 ミリアムはラウラの静止の声を振り切って、水が揺れるプールに頭からダイブする。

 プールのど真ん中にのぼる水柱、一際大きな水音が辺りに響いた。

 

「あはは〜、冷た〜い!」

 

 水しぶきを上げながら水面から顔を出すミリアム。

 身長的に足は着かないだろうが、問題なく泳いでいた。

 

 そのままバシャバシャとプールを縦横無尽に泳ぐミリアムを見て、ライは入り口へと踵を返す。

 

「俺も水着を買って来て――」

「言っておくが、水着があったとしても止めさせてもらうぞ。怪我人を泳がせる程、私も酔狂ではない」

「……そうか」

 

 足を止め、楽しそうに泳ぎ回るミリアムを眺めるライ。

 ラウラは何だかライの背中が小さく見えた気がした。

 

 ……やがて、気分を入れ替えたライは休憩中のラウラの隣に座り、プール全体をぼんやりと俯瞰し始めた。

 

 ギムナジウムの半分を占めるプール。ここに訪れたときも思ったが、このプールは相当広い。

 水泳部員に混じって泳いでいるミリアムもずいぶんと小さく見える程だ。

 ライの虫食いの知識が正しいのならば、プールの基本的な規格は25mか50m。遠目に見える50アージュと書かれた文字から分かる様に、このプールは50……

 

「50……アージュ?」

 

 ライの思考が停止する。ライの知識との明確なズレがそこにあった。

 

「ライ、何かあったのか?」

「……アージュについて教えてくれないか」

 

 ラウラはライの質問を聞いてキョトンとした。何を当たり前の事を聞いているのか、と言った様な顔である。だが、直にライが記憶喪失である事を思い出したのか、納得した表情へと変わった。

 

「ふむ、そう言えば記憶喪失だったな。そなたが余りに平然と過ごしているのでつい忘れてしまう。――アージュとは長さの単位だ。1アージュは大体……このくらいだな」

 

 両手を広げて1アージュの長さを説明するラウラ。

 それはライの知識では1メートルの長さとほぼ同じものだった。

 

「ラウラ、メートルという単位に聞き覚えはないか」

「めーとる? ……いや、聞き覚えはないぞ」

「そうか。なら俺の知識は――」

「……アージュは、そのめーとるとやらに何か関係でもあるのか?」

 

 ライは自身の知識として有していたメートルについて説明した。

 アージュと似た尺度を持つメートルという単位を聞いて、ラウラは腕を組み真剣に考え始める。

 

「――ならば、めーとるとはそなたの故郷で使われていたものかも知れないな。……分かった、私の方でも色々と当たって見よう」

「恩に着る」

 

 手伝いを申し出るラウラに対して素直に礼を述べる。

 だが、ラウラの反応はどうも芳しいとは言えなかった。

 

「謝辞は言なくともよい。そなたにしてしまった非礼と比べたら些細な罪滅ぼしだ」

「……まだ気にしていたのか。その原因は戦術リンクだ、ラウラじゃない」

「だが、それでは私の気が済まない」

「だから――」

 

 ヒートアップしかけるが、ここで両者はケルディックの焼き回しになっている事に気づく。

 思わず言葉が途切れる2人。

 そして、相変わらずあの日から進歩していない事に対し、ライとラウラは静かに笑いあった。

 

 ……1つだけ、この笑顔はたしかな進歩であると言えるだろう。

 

 

◇◇◇

 

 

「あ〜楽しかった! ……ってライ、どうかしたの?」

「いや、何でも無い。今は部活見学を続けよう。――次はフェンシング部だったか」

「うん! 場所はたしか修練場だったよね」

 

 とりあえず今は、メートルとアージュを思考の隅に置いて部活見学に集中しよう。

 全力でやると決めた以上、余計な悩みなど足を鈍らせるだけなのだから。

 

 ライとミリアムの2人はギムナジウムの入り口近くに設置された修練場へと足を運ぶ。

 ――とその時、唐突にライのARCUSの着信音が鳴った。ライはARCUSをポケットから取り出し着信番号を確認する。……どうやらリィンからの通信の様だ。

 

「リィンか。どうした?」

『どうしたじゃないだろ。エリオットから聞いたが、まだ治りきっていないのに部活見学をしているんだって?』

「ああ、今のところ全部止められてる」

『まぁ当然だな。怪我が悪化したらどうするんだ』

「大丈夫だ、限界は弁えている」

『……因にその限界は?』

「意識が無くなったら限界だな」

『それは、限界じゃなくてデッドラインだ』

 

 ARCUSの向こうからため息が聞こえてくる。何か間違ったのだろうか。

 

『……今サラ教官と話しているんだが、そろそろ旧校舎に行けるかもしれないって言ってるぞ』

「なら戦闘に耐えられるだけの体力も必要か。……分かった、運動部系は止めておく」

『もうそれでいいか。くれぐれも無茶はするなよ』

「了解した」

 

 ライはリィンとの会話が一段落したところでARCUSの通話ボタンを切る。

 そして、修練場の扉に手をかけたままずっと待っていたミリアムに向き直った。

 

「あ、終わった? えと、リィンはなんて言ってたの?」

「旧校舎調査の目処が立ったらしい」

「え、本当っ?」

「本当だ。だから今後の作戦は"体力を最優先に"で行きたいんだが、それで構わないか?」

「いいよっ! じゃ、次は文化部だね!」

「ああ、後半戦の始まりだ」

 

 怪我の恐れのあるフェンシング部の見学を止めて、文科系の見学へと移行する2人。

 今の彼らに部活見学を止めるという発想はなく、ただ未来に広がる数々の部活に期待を募らせるばかりであった。

 

 

 2人の部活見学は、まだまだ続く――。

 

 

 

 

 



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16話「部活体験(後編)」

色々と詰め込みすぎたせいで、2話分近い文字数に。
そのため次話の執筆が遅れていますので、申し訳ありませんが次話投稿は少々遅れます。



 ギムナジウム横の小さな野原に並べられた幾つもの花壇。

 白やピンク、黄、赤といった色鮮やかな花々が咲き乱れる中、小柄なフィーがしゃがみ込んで黙々と花壇に種を植えていた。──何を隠そうフィーは園芸部の一員なのである。

 

「フィーちゃん。種は植えられましたか?」

「ん、ちゃんと埋める深さも測った」

 

 フィーに優しく問いかけて来た女性は園芸部部長のエーデルだ。

 大きな麦わら帽子を被り、のほほんとした雰囲気を醸し出す彼女は、奇麗にならされたフィーの花壇を覗き込んでひまわりの様な微笑みを浮かべる。

 

「その調子です。後はしっかりと愛情を込めれば、すくすくと育ちますよ」

「愛情を込める……よく分かんない」

「うふふ、まずは優しく水をあげましょうね」

 

 エーデルは花壇の隅に置いてあったじょうろを持ち上げ、見本としてフィーの花壇に水をかける。

 耕された土に優しく降り掛かるじょうろのシャワー。ゆったりとした時間こそが、この園芸部の日常であると言えるだろう。

 

 しかし、今日はそんな日常に2人、来訪者が訪れた。

 

「わぁ、花がいっぱい咲いてるね〜」

「こんな場所があったのか」

 

 小柄な少女と無表情な青年の2人組、要するにミリアムとライであった。

 

「ミリアム、……あとライも。珍しいね」

「ああ、今は部活巡りの最中だ」

「……部活、巡り?」

 

 聞き慣れない単語にフィーは聞き返す。

 この学院はどちらかと言うとある程度やりたい事が決まっている学生が多い上に、それほど自由な時間も多くない。そのため、ライ達の様にとりあえず部活を巡ってみようとする学生は少ないのである。

 

 そんな珍しい来客に、エーデルがのんびりとした笑顔で話しかけに行く。

 

「よく分かります。この学院は素晴らしい部活がいっぱいありますものね」

「ええ、目指せコンプリートです。……フェンシング部を除いて」

「あら、フェンシングはお嫌いなのかしら」

 

 フィーは、ライとエーデルが名前を交わしている様子を横目で見ながら、一緒に園芸部に来たミリアムに1つの違和感を投げかけた。

 

「……ねぇミリアム。今日のライ、ちょっと変」

「そうかなぁ、いつも通りじゃない?」

「よく分かんないけど、いつもより雰囲気が緩いと思う。なんだか今日のサラみたい」

「う〜ん、言われてみれば、確かにそんな気も……」

 

 今度はミリアムと2人でライとエーデルを眺める。

 無表情と太陽の微笑みと言う対照的な光景だが、どうやら話は弾んでいる様だった。

 

「──それで、この園芸部では何を?」

「そうですねぇ、基本的にみんな自由に育てていますから。ハーブとかコスモスとか、他にも野菜を育てている人もいますよ」

「野菜を? ……それは俺でも大丈夫ですか」

「ええ、もちろんです」

 

 エーデルの返事を聞いたライは1回頷き、 同行者であるミリアムへと会話を繋ぐ。

 

「ミリアム、一度寮に戻りたいんだが構わないか?」

「う〜ん、ならボクは技術棟って場所に行ってるよ。前に覗いたとき色々な機械があって面白そうだったし」

「分かった。後で迎えに行く」

 

 その一言を最後に、ライは寮へと駆け出して行った。

 不思議そうに背中を見つめるフィーとミリアムをその場に残して……。

 

 

◆◆◆

 

 

 寮から2つの荷物を持ってとんぼ返りをするライ。

 

 その手に持っていたのはケルディックで購入したミニトマトと麦の苗だった。

 今までは個室の日当りの良い場所で育てていたのだが、やはり室内では限界がある。

 ライにとって園芸部の存在は渡りに船だったのだ。

 

 そう言う訳で、あっという間に園芸部に辿り着いたライは早速エーデルに2つの苗を見せる。

 

「あら、元気なミニトマトと麦の苗ですねぇ。隅に大きめの鉢がありますから、広い場所に植え替えてあげたらどうですか?」

「助かります」

 

 エーデルに一言礼を言ったライはミニトマトと麦に適した鉢を探す。

 この苗はケルディックの思い出、マルコとの繋がりの象徴とも言えるものだ。

 だからこそライは細心の注意を払って丁寧に植え替えを進めて行った。

 

 そんなライの様子が少々気になったのか、フィーがゆっくりと近寄ってくる。

 

「それは?」

「前の特別実習で買った苗だ。向こうで知り合った友人との思い出と言ったところか」

「……そうなんだ」

 

 苗の意味を聞かされたフィーは小さくそう呟くと、そそくさと彼女の花壇へと帰って行く。

 ……何か不味い事でも言ったのだろうか。ライは唐突に雰囲気が変わったフィーの様子が気になり、そして原因になったと思われる自身の言葉を振り返った。

 

 だが、今ひとつ原因を把握しきれない。そもそもライはフィーの事をほとんど何も知らないのだから。──そうして真剣に悩み続けるライに、エーデルがゆったりと近寄って来た。

 

「気にしなくてもいいですよ。多分フィーちゃんは自分と似たような理由だった事に戸惑っただけだと思いますから」

「似たような理由?」

「ええ、何でもフィーちゃんの植えた花の種は家族から貰ったものだとか。ライ君の話を聞いて思い出しちゃったのかもしれませんね」

「家族、ですか」

 

 家族。それは今のライにとって馴染みのない言葉であった。

 血の繋がったもの、いや、そうでなくても心の通じ合った集団を家族と言う場合もあった筈だ。

 その家族はフィーにとって大切な存在なのだろうとライは察した。

 

 ……考えてみれば、フィーは何故このトールズ士官学院に通っているのだろうか。

 ミリアムよりも年上とはいえ、フィーも入学するにはやや若すぎる年齢である。それなのに、どうしてフィーは寮で生活しているのか。花を送った家族は? 考えれば考える程、フィーの身の上が心配になってくる。

 

 だが、今のライはそれを聞ける様な間柄ではない。

 とりあえずは遠くから見守るのが限界だろうと、ライは現状をもとに結論づけた。

 

 ──と、そんなライの様子を観察する女性が1人。エーデルである。

 

「ふふ、ちょっと安心しました」

「……何ですか、突然」

「いえ、何だかフィーちゃんは貴方に苦手意識というか、それに近い感情を抱いているみたいだったので少し心配だったんです。だけど、こんなにフィーちゃんの事を思ってくれているなら大丈夫そうですね」

 

 朗らかな笑顔で胸を撫で下ろすエーデル。どうやら、この短い時間でライとフィーの間に流れる微妙な壁を感じ取っていた様だ。

 

「ええ、いずれこの関係も改善してみせます」

「期待していますよ」

 

 ライがエーデルに誓った事で、この話は終わりを告げた。

 戦術リンクが生んだ歪みを正さんとする意思を、改めて心の底に刻み込んで。

 

 

「──ところで、鉢に植えたという事は俺も園芸部という事に?」

「いえ、無理に入らなくてもいいんですよ? 植物を愛でる事に部活は関係ありませんから」

「……そうですか」

 

「やっぱり、なんか変」

 

 密かに2人の会話を聞いていたフィーが、何故か残念そうにしているライの態度に小さくぼやいた。

 

 

◇◇◇

 

 

 その後、技術棟でバイクと思わしき機械で遊んでいたミリアムと合流し、ライ達は士官学院の学生会館へと訪れていた。

 

 玄関の内側、学生会館1階のスペースには丸いテーブルが並べられ、食堂と購買のスペースに使われている。

 授業日の昼食時には学生で賑わう食堂だが、自由行動日の午後となると、何人かの生徒が疎らに座って談笑しているだけであった。

 

「えっと、たしか文科系の部活はここの2階と校舎だっけ?」

「文芸部、チェス部、釣皇倶楽部、写真部、オカルト研究会、他にも生徒会の部屋があるらしい。校舎の方は美術部、調理部、吹奏楽部の3種だな」

「うわぁ、いっぱいだね〜。これじゃ全部は回れそうにないかなぁ」

「いや、全力で挑めば間に合う筈だ。……ついて来れるか?」

「むっ、誰に言ってるのさ〜! これくらいボクにとっては朝飯前だよ!」

「その意気だ」

 

 意気込みを確認し合ったライとミリアムは、時間が惜しいと言わんばかりに2階への階段を駆け上がる。2人の暴走は着実に加速していた……。

 

 

◇◇◇

 

 

 ──文芸部。

 

 たくさんの本、執筆用のインクとペンが乱雑に置かれた部室内で1人の女子生徒が本を読んでいた。黒い髪、大縁の眼鏡をかけた彼女はライ達に気づくと、隈の入ったその瞳を興味深そうに向けて来る。

 

「あの、あなた方はもしかしてライさんにミリアムさんですか?」

「そうですが、何故俺たちを?」

「VII組のエマさんがここの部員なんです。ついさっき用事があるとかで出て行ってしまいましたが」

「なるほど」

 

 事前に話を聞いていれば低年齢のミリアムは直に分かるし、ライも赤い制服と表情を合わせれば特定出来るだろう。ライは心底納得した。

 

「ふ〜ん、でもタイミングが悪いね〜。せっかくなら委員長にも会いたかったんだけど」

「エマには例の件で避けられているから、故意かも知れないな」

「へぇ〜そうなんだ。ライも大変だね」

「……向こうもな」

 

 若干しんみりとした空気がライ達を包む。……だが、それも長くは続かなかった。

 

「──あのところで、ライさんは同級生のリィンって人と最近仲がいいって本当ですか!?」

「それが何か? 確かに彼は友人ですが」

「ではその馴れ初めは!?」

「馴れ初め? ……リンク、ですかね」

 

 突然豹変した文芸部部長に戸惑いながらも何とか答える。

 初めから仲は悪くなかったが、強いてあげるとすればケルディックでの戦術リンクだろうか。

 

「それってつまり繋がったって事ですかっ!? 攻めは? 受けはどっちなんです!?」

「────!?!?」

 

 攻め? 受け? 文芸部部長が鼻血を垂れ流して詰め寄ってくる。

 本格的におかしい。BとLの2文字が浮かぶ彼女の両目にライは恐怖を覚えた。

 

「今後の執筆のためにも、そのときの事について説明をお願いします! 細部に至るまで正確に! さぁ早くっ!」

「──ッ! 撤退だ、ミリアム!」

「りょ、りょーかい!」

「って、ああっ! 逃げないで下さいっ!」

 

 とっさの判断でライ達は部室を脱出し、外から扉を押さえつける。

 内側からドンドンと叩き付けられる物音。一体どこのホラーなのだろうか。あれだけ元気だったミリアムすらも顔を青ざめ、一言も言葉を発していない。

 

 ……今回の教訓は1つ、文芸部には魔物が住んでいる。

 

 

 

 ──チェス部。

 

 何とか諦めてくれたので、ライとミリアムは気を取り直して次の部活を訪れていた。

 

「……君か。何故ここに来たんだ?」

「部活の見学だ」

「そうか。しかし、悪いが僕は、例え見学であろうとも君の参加に賛成する事は出来ない」

「分かった。ならミリアム、後は──」

「そちらも止めて貰おう! チェスの駒を壊されたら堪ったものじゃない!」

「……え〜、さすがのボクでも何でも壊す訳じゃないよ〜」

 

 チェスボードが置かれた2つのテーブルの内、右側に座っていたマキアスが険しい顔でこちらを睨みつけてくる。このままじゃチェス部も見学は無理だろうと2人は諦めかけていると、明るい水色の髪を短く切った男子生徒が問いかけて来た。

 

「ねぇ、君ってもしかして貴族なのかい? マキアス君から相当嫌われているみたいだけど」

「多分違います。貴方はチェス部の部長ですか」

「まあ、そうとも言えるかな。正確には第2チェス部の部長なんだけどね」

「……第2?」

 

 第2チェス部部長であるステファンの話によると、ここのチェス部は貴族と平民で部活自体が分裂してしまっているらしい。

 貴族が参加する第1チェス部と、平民が参加する第2チェス部。同じ部室を共有する2者は常にいがみ合っており、特に第1チェス部は第2チェス部を廃部させようとまでしているとの事だった。

 

「でも、そんな事はさせない! 腕は残念ながらマキアス君よりも弱いけど、それでも僕はチェスが大好きだからね!」

「へぇ〜、まさに青春ってかんじだね!」

 

 ステファンのチェスに賭ける情熱は痛い程伝わってくる。

 そして、それほどの情熱を向けられるチェスにライも興味を抱いた。しかし──

 

「部活が分裂しているなら、身分不明の俺はどうすれば……」

「いっその事、第3のチェス部を作ればいいんじゃない? その方がボクたちVII組っぽいし!」

「それだ!」

 

「"それだ"じゃない! これ以上チェス部の関係を複雑にしないでくれ!」

 

 マキアスの悲痛な叫びが飛んで来た。

 

 

 

 ──釣皇倶楽部。

 

 ステファンの元で軽くチェスを体験したライ達は、続いて釣皇倶楽部の部室前に訪れていた。

 

「ってあれ? 鍵かかってるよ?」

「釣りに行っているのか。……どうする?」

「どうせなら鍵をこじ開けて中に入ろうよ!」

「いや、アガートラムで壊すのは不味い」

「大丈夫! ちょっと苦手だけどピッキングで何とかなる筈だよ!」

「さすが情報局」

 

「止めたまえ、君たち!」

 

 様子を見ていたマキアスに止められてしまった。

 まあ、実行に移すつもりもなかったので、次へ移る事にする。

 

 

 

 ──写真部。

 

 部室に一歩踏み入れると、そこには美しい士官学院の写真が壁一面に張られていた。

 それ以外にも現像用の暗室に薬品と、専門的な備品が所狭しと並べられており、素人目でもその力の入れようが手に取るように分かる。

 

「これは、凄いな」

「本格的だろう? この写真部では主に風景の写真を撮影しているんだ」

 

 ライに話しかけてきたのは写真部部長のフィデリオと言うらしい。

 彼は写真部に強い思い入れがあるのか、ライに向けて色々と語り始めた。

 

「──それで、今年はレックスという生徒が入ったんだ。まだまだ腕は悪くてピンボケしているが、写真に対する熱意は十分あるな」

 

 そう言ってフィデリオは期待の新人であるレックスに手を向け紹介する。

 ……しかし、紹介されたレックスという少年はライ達には目もくれず、じっとミリアムの全身を観察していた。

 

「う~ん、今後に期待かな。いや、逆にこれも一部の層に需要があるか?」

「……本格的なのか?」

 

 多分撮影に必要な事なのだろう。ライはそう自分に言い聞かせた。

 

 

 

 ──オカルト研究会

 

「あら、遂に来たのね"愚者"の青年」

 

 黒カーテンに覆われた部室に入って早々、とんでもない爆弾発言が飛び込んで来た。

 

「……何故、俺が愚者だと?」

「そーだよ! 別にライは愚かって程じゃないと思うよ?」

 

 ミリアムは何か見当違いな受け取り方をしているが、問題は別にある。

 ライが持つヘイムダルの示すアルカナは愚者、それを目の前にいる黒い長髪の女性は言い当てたのだ。まだサラにも話していない情報を何故知っているのかとライは驚愕した。

 

「フフ、愚かだって言った訳じゃないわ。タロットにおける愚者とは型にはまらない始まりの存在の事。タロットの1から21、即ち魔術師、女教皇、女帝、皇帝、法王、恋人、戦車、剛毅、隠者、運命、正義、刑死者、死神、節制、悪魔、塔、星、月、太陽、審判、そして世界。これらのカードを巡る旅人でもあるの。……さて、あなたはどこまで行けるのかしら」

 

 この女性は何者なのか。

 まるでライ自身を見透かしているかの様な言動に戦慄を覚える。

 

「私はベリル。”魔術師”のお友達にもよろしくね」

 

 魔術師はリィンのアルカナだ。

 見抜かれているのはライだけじゃない。ベリルは一体何処まで知っているのだろうか。

 ライはベリルにそう問いかけるが、返事は返って来ない。

 

「ウフフフフフ…………」

 

 水晶玉に手をかざしてベリルが怪しく微笑み続ける。

 こうして、何一つ分からないまま、オカルト研究会の見学は終わりを告げた。

 

 

◇◇◇

 

 

 …………

 

 学生会館の見学が全て終わって、ライ達はいつも勉強している校舎へと向かっていた。

 

「それにしても、すごいところだったね〜」

「何なんだ、ここの文化部は」

 

 まさか下手な体育会系よりも気力を消費するとは思わなかったと、ライは見通しの甘さを悔いる。

 それほどまでに文化部の面々、特に文芸部とオカルト研究会の衝撃は強かったのである。

 

「あ、そういえばさ〜、オカルト部を出たときに生徒会長に捕まってたみたいだけど、いったい何話してたの?」

「それについては後で話す。今は校舎の文化部に集中するべきだ。……一片の油断も出来ないからな」

「──うん、そうだね!」

 

 その話は部活見学が終わったときにでも話す機会はあるだろう。

 少しの油断が命取りとなると学んだ以上、半端な気持ちで見学する訳にはいかない。

 

 文化部の見学としては何かズレている気もする覚悟を胸に刻み、ライ達は校舎の中へと入って行った。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 ──美術部。

 

 本校舎2階、油絵の具の香りが漂う美術室にライとミリアムは辿り着く。

 授業でも使われることもあってか割と広い部屋の中で、3人の生徒が制作活動を行っていた。

 彫刻で雄々しい馬を彫る事に没頭している上級生に、絵画を描いているピンク色の髪の女子生徒。そして、同じく絵画を描いている褐色長身のガイウスの3人である。

 

「あ、ガイウスだ〜!」

「──ライとミリアムか。どうやら無事に見学をしているようだな。風と女神の導きに感謝を」

「誰かから話を聞いていたのか?」

「ああ、リィンから連絡があった。紙と絵筆を用意しているから、2人ともこちらに来るといい」

 

 どうやらガイウスは事前に準備をしてくれていたらしい。ライ達は紙と筆、絵の具が並べられた机に座る。

 

「それで好きなものでも描いてみると良いだろう」

「助かる」

 

 ライとガイウスはいつも通りの態度で会話をする。

 しかし、良く考えればそれは変であることにライは気づいた。

 

「……ガイウスは大丈夫なのか?」

「すまない、折り合いを付けるまで随分と時間をかけてしまった。例えどの様な感覚であろうとも、ライがライであることに変わらないのだがな」

「いや、それだけで十分だ」

 

 ガイウスはリンクで生じた感覚をライと切り離したという事なのだろう。

 思えば、ガイウスは始めから白紙の過去を持つライを、単なる個人として見てくれていた。

 ライは温和な心を持つガイウスに、改めて心から感謝するのだった。

 

 …………

 

 さて、心配事が1つ減ったところで何を描こうか。

 ライは白紙の紙を静かに眺める。……前にも似たような状況があった筈だ。

 そう、あれはたしか歓迎会の日、厨房での寸劇。

 

 あの時の感覚を思い出し、ライはゆっくりと目を閉じた。──刹那、1つのイメージが脳裏に浮かぶ。

 

 カッ、と目を見開き残像が見える速度で1枚の絵を描くライ。

 数分後、そこには幾何学と曲線が絶妙なバランスで入り混じった絵が完成していた。

 

「それは何だ? 風景画でも抽象画でもないようだが」

「……現代アートだ」

「ふむ、導力革命で新しきを良しとする現代故のアートという事か。奥が深い」

 

 言葉の意味を解釈し、深く納得するガイウス。

 ライは無意識のうちに浮かんだ言葉を発しただけなので、その解釈が合っているかを答える事が出来なかった。……と、言うより何だろうこの絵は。

 

「ねぇ見て! ボクも作ったよ!」

 

 ライとガイウスはミリアムの声を聞いて、入口近くの開けた場所へと視線を向ける。

 いつの間にか絵を描くのを止め、余りの石材を使って奇妙なオブジェを制作していたらしい。

 アガートラムで殴って作り上げたのか、銀色の傀儡がミリアムの隣で自慢げなポーズをとっていた。

 

「現代アートか」

「……定義が分からなくなったぞ。現代アートとは一体…………」

 

 ライにも良く分からない。

 

 

 

 ──調理部。

 

 調理室に訪れたライ達は、部長の許可を得て料理していた。

 今回はしっかり作ろうとレシピを見て調理に取りかかるライ。

 

 しかし10分後、ライは台所の前で自分のした行為に戦慄を覚えていた。

 

「料理は錬金術、……そう言う事か」

 

 たしかクッキーを作る予定だったのだが、ライが作り上げたのはUマテリアルと呼ばれる結晶体だった。これは武器を強化する素材であって、断じて食べ物ではない。

 どういう過程を経たら食材から結晶体が生み出されるのだろうか。ライは自分で作ったにも関わらず、その原因を全く把握出来ていなかった。

 

「ああ、これは失敗だね」

「失敗するとマテリアルが?」

「……? 何か変なところでもあったかい?」

 

 しかし、調理部の部長はUマテリアルを見ても驚く様子はない。

 もしかしたら大気中の導力か何かが混じったのかも知れないと、ライは深く考えない様にした。

 

「え~、どうせなら甘いものをつくってよ~」

「まな板のミンチよりはマシだ」

 

 それはそうと、不満を漏らすミリアムにライが反論する。

 彼女もアガートラムでまな板を粉砕するというミスを犯していたのだ。甘いどころの話ではない。

 

 ……結局のところ、予定通りの料理は1つも完成しなかった。

 

 

 

 ──吹奏楽部。

 

 最後の部活を見学するために音楽室に着たライ達2人。

 確かここにはエリオットが所属していたはずだ。

 

「あ、2人とも! 他の人に迷惑かけたりしなかった?」

「被害は少なかった筈だ」

「……そう言っている時点で間違ってるよね」

 

 大丈夫、物的被害は調理部以外は出していない。

 

「それで、見学することは出来るか?」

「う~ん……。簡単な楽器で演奏するくらいはできるかなぁ」

「ならそれで頼む」

 

 初めから本格的な楽器に触ることなど出来ないだろう。

 その事はライもよく分かっていたので、エリオットの提案をありがたく受け取った。

 

「いいけど、……でも、音楽をやるなら中途半端は許さないよ?」

 

 ……待て、何かがおかしい。

 

 唐突に変わったエリオットの雰囲気に、隣にいたミリアムが冷や汗をかく。

 何でエリオットの後ろに鬼が見えるのだろうか。

 

「じゃ、早速はじめようか。今日はまだ時間あるし、心逝くまで音楽を楽しんで行ってよ」

 

 笑顔なのに笑っていないエリオットに押される形で、残りの時間を全て演奏練習に費やす事となった。

 

 

◇◇◇

 

 

 …………

 

 

 ──そうして時刻は夜。無事に演奏練習を終えたライとミリアムは、屋上のベンチにぐったりと座っていた。頭上には宝石をばら蒔いたかの様な満天の星空が輝いているが、今のライ達は下を向いて項垂れている。

 

「……エリオット、……すごかったね…………」

「ああ、それだけ本気だったと言う事だな……」

 

 一片の妥協も許さないエリオットのスパルタ練習を受けて、彼の持つ音楽への情熱は痛いほど解った。正直、何故士官学園に通っているのか疑問に感じるほどの真剣さだ。2人はエリオットとの練習を思いだし、深いため息をついた。

 

 ……それから、しばしの静寂が流れる。

 

 吹奏楽部の疲れも取れてきたライは、ふと同行者の纏う雰囲気が変わっていることに気づく。

 

「…………」

「どうした、ミリアム」

 

 ミリアムも疲れが取れたのか顔を上げていたのだが、普段の元気さも鳴りを潜め、ただぼんやりと星空を瞳に映していた。

 

「……今日の部活見学、すっごく楽しかったよね」

「ああ、確かに」

 

 ライもミリアムに習って夜空を見上げる。

 煌めく星々を見て思い出すのは、今日訪れた合計10の部活。そのどれもが今まで経験した事のない体験であった。

 今まで知らなかった人々と出会い、VII組の仲間達の新たな一面を見る事も出来た。入学してからの間で1番楽しめたんじゃないかと、ライは確信を持って言えるだろう。

 

「ボク、日曜学校に通ってなかったから、こうした学院生活っていうのは初めてなんだ」

「奇遇だな。俺もそんな記憶はない」

「そう言えばそうだっけ。……だったらライも分かるよね? ボクがとってもワクワクしていて、ついつい任務も忘れちゃいそうになる気持ちも」

 

 ライはミリアムの問いに静かに頷く。

 記憶を失ってからはや1ヶ月。シャドウやペルソナ、記憶喪失といった問題に追われ続けていたライにとって、学院生活や青春といったものがとても輝いて見えた。そう、部活見学と聞いて、思わず浮かれてしまうくらいには。

 

「……そう言えばミリアム。入りたい部活は決まったか?」

「う〜ん、強いていうなら調理部かな〜。美味しいお菓子を食べられるかも知れないし」

「あえて被害を出したところに行くのか」

 

 今後も被害を被るであろう調理部に心の中で合掌しておく。

 

「そーいうライはどうなのさ?」

「俺はこれに参加する事になりそうだ」

 

 そう言ってライは懐から赤い腕章を取り出す。

 そこにはトールズ士官学院生徒会という文字が縫い付けられていた。

 

「……生徒会?」

「オカルト研究会から出た時、ハーシェル先輩に無理矢理渡されたんだ。どうやら俺が危なっかしくて見ていられないらしい」

「えと、ライって実はやんちゃだったりする?」

「……出来る事をやってるだけなんだがな」

 

 ライはこの腕章を渡されたときの、若干涙目になったトワの表情を思い出す。

 

 そこまで心配される様なことをしただろうか。

 ライは深く考え込むが、その答えは一向に出て来ないので思考の隅に追いやった。この場合、本人に直接聞いた方が早いだろう。

 

「──さて、そろそろ門限だ。寮に戻るぞミリアム」

「えぇ〜、もっと星を見てようよ! ほら、これも何だか青春っぽいし!」

「またここに来ればいい」

「むむむ、……しょーがないなぁ」

 

 ミリアムは天体観測を諦めて、アガートラムで屋上から地上まで降りて行く。

 そのせいで逆にライが取り残された形になってしまった。

 

「ライー、早く戻るよー!」

「待ってろ」

 

 軽くため息をついたライは、地上への階段を降りる前に事にした。

 

 だが、最後に輝く星空を目に焼き付けてもバチは当たらないだろう。

 ライはそう思い、空を見上げる。

 

 ──あの美しい星々が士官学院での日々だとしたら、見通しの悪い暗闇はシャドウや記憶喪失なのだろうか。光と闇、その2極こそが今のライにとっての人生そのものと言えた。

 

(……何からも目を逸らしはしない。星も暗闇も、全部纏めて挑み続ける。それが俺の道だ)

 

 ライは決意を新たにし、ミリアムの待つ士官学院の入り口へと急いで降りて行った。

 この部活見学で感じた大切な繋がりを、その心に感じながら……。

 

 

 

 

 

 “我は汝、汝は我……。汝、新たなる絆を見出したり。汝が心に芽生えしは星のアルカナ。その絆が汝の希望とならんことを……”

 

 

 

 

 




星(トールズ士官学院)
 星のアルカナが示すのは希望や明るい展望。士官学院で目覚め、士官学院で過ごすライにとって、そこでの繋がりは大切な光であると言えるだろう。その光が導く先はどこなのか……。今は誰もそれを知る術はない。



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17話「旧校舎調査」

遅れを取り戻そうとしたら逆にやや早く完成した件について。これが人間の可能性か……。


 ミリアムとの部活見学から1週間後である5月9日の夕方。

 サラに呼び出されるという形で、VII組のメンバーは全員旧校舎前に集められていた。

 

「どうしたんでしょうか。いきなり武器を持って旧校舎前に来てくれだなんて……」

「大方、旧校舎調査とやらに付き合わされるのだろう」

「でも、今は日没にはまだ早いわよね?」

「その疑問は当人に聞けばいい。……おい貴様、説明して貰おうか」

 

 ユーシスがライに説明を求めて来た。

 しかし、ライ自身もサラからあまり詳しく話を聞いていない。旧校舎調査をすることだって今日聞かされたくらいだ。

 

「俺も聞かされていない。リィンは何か知らないか」

「実は……いや、サラ教官が来たら話す」

「そうか」

 

 どうやらリィンは何か知っているらしい。

 そう言えば最近リィンはよくサラと相談していた。思えば旧校舎調査の目処が立ったと言う情報も、リィン越しに聞かされたものである。恐らく今回のリィンは呼び出された側ではなく、サラと同じ呼び出した側なのだろう。

 

 結局、ライ達はサラが来るまで、森に囲まれた旧校舎前で待つ事となった。

 

 …………

 

「お、全員集まっているわね〜。感心感心」

「サラ教官、また遅刻ですか」

「そう言わないでよ。今日は調査の1回目、軍との共同になったせいで色々と手続きが面倒なんだから」

 

 サラが肩を手で叩きながら苦言をはね除ける。

 軍が関わって来た事が単純に良い事だけとは限らない。今までと比べてフットワークが重くなってしまったと言うのも問題の1つと言えるだろう。

 

「フン、そんな事はどうでもいい。何故俺たちまで集めたのか教えて貰おうか」

「集めた理由? そりゃまぁ、あなた達も関係しているからね」

「えっ、ライや情報局のミリアムだけじゃなくて私達もですか?」

「その通りよ。それを説明するためにもまずは、……リィンから、あなた達に話したい事があるそうよ」

 

 いったいどういう事かと、皆の視線がリィンに集まる。

 対するリィンは覚悟を決めた表情で、皆の疑問に答えるべく口を開いた。

 

「この場を借りて話したい事が幾つかあるんだ。皆、聞いてくれるか?」

「何よ改まって。それくらい当然じゃない」

「ありがとう、アリサ。……これから話すのは俺の秘密についてだ」

 

 ――それから、リィンは幼少期に自覚したという力について説明し始めた。

 

 一度発動すると強大な身体能力を得るものの、理性で行動を制御出来なくなってしまうと言う危険な力の事を。幼いとき、凶暴な力に飲み込まれ激情の逝くままに魔獣を滅多刺しにしたと話すリィンの手は震えていた。それは彼にとってトラウマとも言える出来事だったのだろう。

 それでもリィンは最後まで話すのを止めなかった。打ち明ける事で、彼自身も己を改めて受け入れようとしていたのだ。それが、特別実習を乗り越えたリィンが決めた覚悟だった。

 

「……これが俺の秘密だ。今でも制御は出来ていない。だから、もし俺が暴走したら――」

「俺たちが止める。そうだったな?」

「ああ、皆にも頼みたい。そんな状況になったら俺を止めてくれ」

「うむ。我が剣に誓って止めてみせよう」

 

 ラウラがVII組の総意とも言える誓いを口にする。

 程度の差はあれ、だれもがラウラの誓いに賛同していた。そのくらいの負担なら背負ってやると、彼らの目は言っていた。

 

「しかし、ライやミリアムに加えてリィンまで正体不明の力を有していたとは。……他にもいるんじゃないだろうな?」

 

 ユーシスがこの話は終わりだと言わんばかりにぼやく。

 ペルソナにアガートラム、そして凶暴な力。総員11名のクラスにこれだけの力が集まっていたら、誰でも勘ぐりたくなるだろう。……エマが若干挙動不審になったのは見なかった事にしておく。

 

「それにしても、ケルディックでの質問の意図はそれだったのか」

「ようやく約束を果たせたな」

「ああ。士官学院に来たのもそれが理由なのか?」

「……いや、それは別件で、俺の実家の事情が理由なんだ」

「実家?」

 

 リィンは話したものかと悩んでいたが、意を決したのか顔を上げた。

 

「俺の実家はユミルを治めるシュバルツァー男爵家なんだ。養子の俺が家を継いでいいのかと、別の道はないのかと迷ったのがここに来た理由だな」

「なるほど」

「――待て。リィン、君は貴族だったのか?」

 

 納得したライを横目に、マキアスがリィンに向けて疑問をぶつけた。

 そうだ。マキアスが敵視しているのは貴族、男爵家の息子であるならばリィンもその対象という事になる。

 

「……ああ、その通りだ」

「つまり君は入学したあの日、僕に嘘をついていたと言う事なんだな」

 

 ……いや、どうやらマキアスが怒っているのは貴族だった事ではない様だ。

 入学初日、ライは参加しなかった特別オリエンテーリングで何かあったらしい。マキアスの手は静かな怒りで震えていた。

 

 リィンはマキアスの言葉に申し訳なさそうな顔をするが、それでも声色を変えずに話を続ける。

 

「……マキアス。悪いけど今はその怒りを収めて欲しい。ここからが本題なんだ」

「本題? これ以上に語るべき事など……! …………いや、もしかして、それが僕たちにも関係している事なのか?」

「ああ、実は俺の持っている力はそれだけじゃないんだ。この前の特別実習で、俺はライと同じペルソナの力も手に入れた」

 

 VII組の面々、特にペルソナを直接見たA班の間に衝撃が走る。

 

「馬鹿な、リィンもあの力を持っていると言うのか……!?」

「ラウラ、今まで隠していて済まなかった」

 

 ライもまた、今まで話していなかったという事実に衝撃が走ったのだが、まぁそれはどうでもいい。リィンは驚くラウラ達に顔を向けて話を続けた。

 

「俺はあの時、ライと戦術リンクをして成功させた。……問題はここからだ。皆はあの時感じた感覚を覚えているか?」

「うむ、忘れる訳なかろう。あの邪道の気配には随分と振り回されてしまったからな」

「……邪道か。俺にはむしろ忌々しい程軟弱に感じたがな」

「えっ? 僕には悪魔の様に感じたけど?」

 

 1ヶ月経ってある程度話せるくらいの余裕が出て来たのか、皆は自身が感じたものを言葉に変換して、ぽつりぽつりと口にして行く。

 だが、その内容は皆似ているようでバラバラだった。

 そのズレに異常性を感じたアリサが、驚いた顔でリィンを見る。

 

「リィン、これって……」

「ああ、俺たちはあの感覚の原因をてっきりライだと勘違いしていた。だけど、俺が再度リンクしたときに対峙したのはライじゃなかったんだ」

「それじゃあ、何だったの? そこまではっきり言えるのなら、リィンは覚えているのよね?」

 

 全員の視線がリィンに集まる。

 息を飲むだれかの音。リィンは改めて覚悟を決め、そして――

 

「――俺自身だ」

 

 一言、そう言い切った。

 

「……どういう事、それ」

「その言葉の通りだ。――俺はあの時、もう1人の自分に出会った。見たくもなかった凶暴な力を、思いを押し付けてくる自分自身。それが、俺がライに感じていた感覚の正体だったんだ」

 

 辺りに困惑が広まる。

 いったい何を言っているのか理解が追いついていないのだろう。

 リィンの言葉を噛み砕き、組み替え、何とか理解しようとしている。

 

 数分の静寂の後、ようやくその意味を飲み込めたマキウスがリィンに一歩近づいた。

 

「……つまり君は、あの嫌悪感の相手が僕自身だと、そうだと言うのか?」

「ああ、それで間違いない」

「そんな馬鹿な事があるかっ! あれが、あんなものが僕自身である訳がないだろうっ!?」

 

 マキウスの悲痛な叫びに呼応するかの様に、困惑が周囲のクラスメイトに伝染して行く。

 今この場で完全な冷静さを保っているのは、リィンとライ、サラ、そしてリンク経験の無いミリアムだけであった。

 

「……やっぱり、こうなったわね」

「サラ教官、これは一体」

「今まであなたを嫌っていた感情が自分へのものだったって言われたのよ。嫌悪を抱く程の相手が自分自身だなんて、そりゃまぁ、簡単に受け入れられる訳ないでしょうね」

 

 ……これが、リィンとサラが今まで話さなかった理由なのだろうか。

 

 混乱が起こると分かっていたからこそ今まで事実を伝えなかった。

 だが、裏を返せば今話したという事は……?

 

「はいはい、暗い気分になるのもそこまでっ! 早速旧校舎の調査を始めるわよ。総員、武器を持ちなさい!」

「……こんな状況で調査を?」

「こんな状況だからよ。このままじゃまた先月の実技テストのときに逆戻りだわ。だから見せつけるの、皆が関わっている先にある異常を。――この事実が霞んでしまうくらいの、とびっきりの問題をね♪」

 

 ライに向けて片目でウィンクするサラ。その背後で太陽が地平線と重なった。

 

 

◇◇◇

 

 

 シャドウの闊歩する異界に突入したVII組一同。

 今だに混乱自体は残っていたが、その影響は限りなく薄くなっていた。

 

 理由は言うまでもないだろう。この空間は空気から構造に至るまで、何もかも異質なのだから。

 

「何なのここ? 立っているだけなのに妙に疲れるし、……それにこのホール、どう考えても旧校舎より大きいじゃない!?」

「それだけではないぞ、アリサ。あの通路の奥から無数の気配を感じる」

「ああ、まるで海を泳いでいるかの様に縦横無尽に動き回っているな。――あれは、シャドウか?」

「ラウラとリィンが言うなら間違いなさそうね。……うぅ、あの奥に行くのかしら」

 

 サラの思った通りの展開になっていた。

 現実離れした空間を目の当たりにして、彼らは暗い事実から意識を逸らされていたのだ。

 

「それじゃ早速、奥に進むわよ〜。本来なら誰かが見張っていないと地形が変わっちゃうんだけど、ペルソナ使いが2人もいるんだし、このまま行っても大丈夫でしょう」

「ち、地形が変わるってどういう事ですかっ、サラ教官!?」

「さぁ、進んだ進んだ。時間は待ってくれないわよ〜」

 

 サラが狼狽えるマキアスを押して先に進む。

 他の面々も覚悟を決めたのか、武器を構え直してそれについて行った。

 

 ライもそれに習おうとしたが、1人ホールに残っている事に気づき足を止める。

 

「……上位属性の力が働いている? いや、それとはまた別の何かが――」

「エマ、行くぞ」

「あ、はい! 今行きます!」

 

 エマが向かって来たことを確認し、ライも通路の奥へと歩いて行った。

 

 

◇◇◇

 

 

「あはは〜、ほんとだー! 攻撃が効かな〜い!」

 

 通路を抜けて広い空間へと辿り着いたライ達は、現れたシャドウをアガートラムで跳ね飛ばしながら笑っているミリアムをただ眺めていた。ここで現れるシャドウは相当弱いとはいえ、緊張感をあまりに欠いた行動に思わず冷や汗が垂れる。

 

「えと、あのままでいいのかな?」

「いい訳ないでしょう。――ミリアムっ! そろそろ話を進めるから戻って来なさい!」

「……はぁ〜い」

 

 不満げながらもシャドウのドッチボールを止めて戻ってくるミリアム。

 サラはそれを確認すると、気を取り直して本来の段取りに舵を戻した。

 

「さてと。ライとリィン、あなた達の出番よ!」

 

 この指示の目的はVII組への提示だろう。

 最大の異常を今ここで示してみせろと言っているのである。

 

「分かりました。……行くぞリィン」

「ああ!」

 

 ――"リンク"

 

 ARCUSが共鳴する光。

 それと同時に、リィンの周囲に眩い焰の旋風が巻き起こる。

 ペルソナ召喚時に現れる蒼い光、A班には見覚えのある光景であった。

 

「――むっ、これは!」

「本当にリィンも!?」

 

 渦巻く光はリィンの頭上で1体の像を形づくる。

 現れたのは長身の剣を携えた灰色の騎士、シグルズが今ここに召喚された。

 

「次は俺の番か」

 

 ライが銃で自身の頭を打ち抜く。

 赤い制服を巻き上げる青い結晶の嵐、それが黄金のマントを纏う白き光の巨人ヘイムダルと姿を変える。

 

 ――こうして、人間の倍以上の大きさを持つ金色の巨人と銀の騎士が、圧倒する威圧感を伴ってライ達の背後に立ち並ぶのであった。

 

「これが、ペルソナ……!?」

「こんなものが、戦術リンクの先にあるというのか!?」

 

 召喚された2体のペルソナにVII組、特に一度もペルソナを見ていないB班の面々は声をあげて驚く。生身の人間が生み出すには過ぎたる力、そう思わせる程の迫力をペルソナは放っていた。

 

 ……だが、召喚しただけではペルソナの特性を伝えきれたとは言えない。

 その戦いも見せなければ、サラの求めるとびっきりの異常には至らないだろう。

 

「リィン、一気に決めるぞ」

「ああ、分かった!」

 

 目の前には、壁や地面から沸き出す幾多の半液体状のシャドウ。

 ミリアムの騒動のせいで部屋の半分を埋める程のシャドウが出て来てしまったが、危機感など微塵も感じない。むしろここのシャドウはそれほど強くないため、デモンストレーションに丁度いいくらいだ。

 ライとリィンの2人は己のペルソナに命じ、シャドウとの戦闘を開始した。

 

「斬り刻め!」

 

 先陣を切ったのは、剣を構えながら疾走するシグルズだ。

 

 一閃、2体のシャドウの体に一本の線が走る。一拍遅れ、線を刻まれたシャドウは真っ二つになり消え去った。

 

 次いでシグルズは幾多の斬撃を繰り出し、周囲のシャドウを空間ごと粉微塵にする。

 それによって生まれた空白の安全地帯。

 リィンはその空間を駆け抜け、残ったシャドウを鋭い太刀筋で両断した。

 

「叩き潰せ、ヘイムダル」

 

 しかし、ライも負けていない。

 ヘイムダルの大槌を豪快に振り下ろし、地面ごと多数のシャドウを粉砕する。そして――

 

(――マハラギ!)

 

 突如前方で巻き起こる爆炎が多数のシャドウを飲み込み、灰に帰す。

 と、同時にライは炎の向こう側へと跳び、空中でヘイムダルを再召喚した。

 

 ヘイムダルの弱点である機動性をライ自身の移動で埋めるという連携攻撃。それによって、流れる様に次々とシャドウを撃破して行く。

 

 こうして、僅か1分で広場内に蔓延っていたシャドウは駆逐された。

 

 …………

 

「これがペルソナの戦いか。正に一騎当千だな」

「うむ。ケルディックでも感じたが、人とペルソナが連携する事で単純な力以上の戦闘力を生み出していると見える」

「中々に厄介……」

 

 どうやら、今の戦いでペルソナの性質は十分に伝わったらしい。

 とりあえずノルマは達成したと一息ついていると、ミリアムがひょこひょこと近づいて来た。

 

「ねぇねぇ、そのペルソナってボクでも使えるの?」

「どうだかな。リィンが特別という可能性もある。……試してみるか?」

「うん!」

 

 ライとミリアムはARCUSを取り出し、戦術リンクを行おうとする。

 

「ってちょっと待ちなさい! ミリアムとリンクしたらリィンとの繋がりが切れてーー」

「ご心配なく。リィンとのリンクは銃と似た役割の様ですから」

「……要するに、一度召喚さえすれば何時切れてもいい訳ね。あ〜、分かったわ。もう好きにしてちょうだい」

 

 サラが投げやりに責任を放棄した。

 まあ、許可は貰えたので遠慮なく試してみる事にしよう。

 

「それじゃ〜お言葉に甘えて!」

「ああ、――”リンク”」

 

 リィンとの戦術リンクを切り離し、代わりにミリアムのARCUSと共鳴する。

 そして、繋がった感覚と共にミリアムの動きが止まった。

 ぼんやりとしたまま動かないミリアムの表情。先ほど聞いた話が確かなら、今彼女はもう1人の自分と対峙しているのだろう。

 

 ……そうして、しばし無言の時間が続く。

 

 未だ戦術リンクは途切れていない。

 これはもしかして成功なのか? と、ライ達の間に期待が募る。

 

「…………う〜ん、ふぁ〜。……あっライ、おはよ〜」

「おはよう」

 

 まるでいつも通りの朝の挨拶。そこに嫌悪感など微塵も感じられない。

 まさか本当に1発で?

 ミリアムも自身の状況が掴めたのか、途端に元気を取り戻した。

 

「あはっ! リンク成功だねっ!」

「受け入れられたのか?」

「そうそう! 何だかよく分かんないこと言ってたから、無理矢理引っ張って来ちゃった!」

 

 いや、それは受け入れたとは言わないんじゃないだろうか。

 もしかして受け入れる必要は無いのだろうか? 実例が少なすぎてライは判断に困る。

 

「う〜ん。でも、ペルソナ出ないね〜」

「これは失敗か……?」

 

 リンクを成功させたにも関わらず、ペルソナが現れる気配もない。

 はやり、プロセスを間違ったが故に力の取得には至らなかったのだろうか。

 ライとミリアムの2人は、各々この原因について考え込んだ。

 

「……あ、もしかして! 来て、ガーちゃんっ!」

 

 ミリアムが何かを思いついたかの様にアガートラムを呼び出し、そして細々と沸き出していたシャドウに殴り掛かる。

 黒い影に振り下ろされる傀儡の巨椀。シャドウは呆気なく潰れ、水となって消えて行く。

 

「やっぱし! ボクとガーちゃんは繋がっているから、ガーちゃんが代わりになったんだよ!」

 

 ミリアムはそれで納得したのか、再びアガートラムでシャドウのドッチボールを始めて、次々と粉砕して行った。

 

 ――だが、どうにも腑に落ちない。

 ライはその違和感を確かめるため、もう1人のペルソナ使いであるリィンに話しかける。

 

「……どう思う?」

「そうだな、少し違う気がする。なんだかアガートラムで無理矢理に力を引き出している様な……」

「リィンもか」

 

 ペルソナを心で理解しているからこそ感じる明確な違和感。

 この疑問に対して、最後まで2人は答えを導くことが出来なかった。

 

 

◇◇◇

 

 

「それじゃあ、当初の目的も終えた事だし、これで終わりにするわよ!」

「もう終わらせるんですか」

「今回は人数が多すぎるのよ。それにここは毎日来れるから、負担さえ少なければ直にまた調査できるわ。……まあ、手続きが面倒だけど」

 

 確かに非戦闘員が大半を占める現状、深い調査は圧倒的に非効率である。

 それならばさっさと切り上げて、次回に体力を回そうと言うのがサラの考えだった。

 

 サラは異論が無いのを確認すると、VII組を纏めあげて引き返そうとする。

 

「って、あら? ミリアムは?」

「……あの、ミリアムが楽しそうにシャドウを倒しながら先に行っちゃったんですけど」

「何ですって!?」

 

 ミリアムの行き先を知るエリオットが指を差したのは、奥へと続く曲がりくねった通路。

 

 彼女は仮にも情報局の一員のため、単独での行動は得意な部類だろう。

 だが、如何にシャドウに対抗出来るとはいえ、この異常な空間での突撃は無謀という他ない。

 

 いきなり発覚した危機的状況に、教官であるサラは思考のスイッチを切り替え、高速で状況の判断を始める。

 

「先に進むなら数人の戦闘員が欲しい。けど、入り口に戻るにも護衛は必要ね。……しょうがない、総員、シャドウに警戒しながら先に進むわよ!」

「「了解!」」

 

 こうして、シャドウ調査はいきなりの本格的調査へと変わってしまった。

 

 

◇◇◇

 

 

 ミリアムを追って進撃を開始したライ達は、迫り来るシャドウ達を蹴散らしながらも先に進む。

 

 ペルソナを扱うライとリィンを中心にし、サラもシャドウを弾き飛ばす形で戦闘に加わっていた。他のVII組は武術に長ける者で守りを固め、慎重かつ迅速に異界を攻略して行く。

 

 そして、入学初日にトワとクロウがいた地点よりもさらに奥に辿り着いたところで、VII組の面々とサラは唐突に足を止めた。

 

「……これは」

 

 旧校舎の終着点。そこには変化した旧校舎入り口とよく似た扉が設置されていた。

 

 両開きの戸は限界まで開かれており、真っ白な光のベールが扉の向こうを覆い隠している。向こう側から流れてくるのは冷気だろうか。まるで海風を感じさせる風が扉から流れ出していた。

 

『――あっ、みんな〜! そっちにいるの?』

「扉の向こうにいるのね? ――って、それよりもミリアム。何でひとりで先に行ったのよ! 心配したでしょ!?」

『えへへ、少し張り切りすぎたかも。でもね、おかげですごい場所を見つけちゃった!』

 

 心配して諌めようとするアリサをミリアムが話半分に聞き流していた。

 その態度に皆が呆れ返るが、それよりもミリアムの言葉に意識が向く。

 

「……凄い場所?」

『そうだよ! 早く皆もこっちに来て!』

 

 ライ達はお互いの顔を見合わせ、そして、1人1人ベールの向こう側へと入って行った。

 

 

◇◇◇

 

 

 ――――

 

「――――――――は?」

 

 その言葉を口にしたのは誰だっただろうか。

 扉の向こう側に訪れたライ達は、その光景に思考を停止させてしまう。

 

「ねっ? すごいでしょ?」

 

 すごいなんてものじゃない。そこには信じられない光景が広がっていた。

 

 ライ達が立っているのはコンクリートで舗装された4車線の道路。

 その左右には背の高いビルや商店が所狭しと建ち並び、ライ達を圧倒している。

 周囲の高層建築のせいで小さく見える空は透き通った青。歩道に植えられた樹木の緑も合わせて、灰色の町並みに彩りを与えていた。

 

 しかしながら、そんな日常的な町並みとは真逆に人が誰もいない。

 車が一台も走らない道路も同様だ。

 町並みがあまりにも日常を演出しているが故に、その異常が一際異彩を放っていた。

 

 ――纏めよう。要するに旧校舎の中、扉の向こう側には無人の大都市が存在していたのである。

 

「な……な、なな、何で旧校舎の中に街が広がっている!? 僕たちは夢でも見ているのか!?」

「それに旧校舎に入ったのは日没だった筈だ。この青空はどう考えても可笑しい」

「何で店はあるのに誰もいないのさ! まるでゴーストタウンだよ!」

 

 異常に異常が重なったこの状況。

 いかにVII組の面々と言えども、この異常事態に冷静な思考を維持出来る者などいなかった。

 異常に慣れたと思っていたライですら、この異常に動揺を隠せず瞳孔が開いている。

 

「落ち着きなさいっ! ここはシャドウが闊歩する空間、何が起こっても不思議じゃないわ!」

「そ、そうですね。皆さん、冷静に――!」

 

 サラの言葉で我を取り戻し、混乱する思考を落ち着かせる。

 冷静に、そう冷静に。

 

 そうして少しばかりの時が過ぎ、何とか皆、冷静さを取り戻した。

 

 …………

 

「……それにしても、ここは一体何処なのかしら」

「確かに、俺も見た事のない町並みだ。建物がこんなに密集しているなんて」

 

 普段の思考を取り戻したアリサとリィンが話し合う中、ライは無人の店に何かヒントがないか物色していた。手に取るのは丁寧に折り畳まれた紙の束。これはもしかして――

 

「……ん? ライ、何かあったのか?」

「小冊子を見つけた。どうやらここのパンフレットの様だな」

 

「でかしたわ、ライ! 早くそれを見せてちょうだい!」

 

 ライは小冊子をそのままサラへと渡す。

 受け取ったサラは勢いよくページを開き、その内容を確認し始めた。

 

「……読めないわね。東方系の言葉みたいだけど、見た事のない文字も多いわ」

「あ、でも俺たちも読める言語も記載されてますよ」

「あら本当ね。えっとなになに……?」

 

 多言語で書かれた紹介文を読み進めるサラ。

 そして、ようやくこの場所に関する記述を見つけ、その文をライ達に伝わる様に朗読した。

 

 

「巌戸台港区、……辰巳ポートアイランド?」

 

 

 それが、この都市の名前だった。

 

 

 

 

 

 

 

 




戦車:アガートラム?
耐性:-
スキル:-


——————————
謎解きパート、始まります。


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18話「異聞録、謎の3人組」

 人の気配のない街中、ライ達は何一つ変化のない写真の様な空間を一歩一歩進んでいた。

 

 サラ含めて12人の探索隊は、白線が引かれた広い車道の真ん中を歩く。

 車が一台も走っていない以上、ここが最も周囲の警戒をしやすいからだ。

 アスファルトの道の両側には太陽を反射する窓ガラスにコンクリート製の巨大な壁々。このビルに囲まれた空間にシャドウが隠れられる場所は山ほどある。

 

 そんな環境下でサラは、周囲に気を配りながらも小冊子の内容を読み解いていた。

 両脇には不遜な態度を維持しているユーシスと委員長のエマが歩いており、サラの調査に参加していた。

 

「──巌戸台港区。パンフレットによると、日本という国にある都市、巌戸台の沿岸区画みたいね。その海上に桐条グループっていう企業が作った人工の島、それが私達のいる辰巳ポートアイランドだと書かれているわ」

「日本だと? 東方の国の様だが、聞き覚えが無いな」

「でも相当な規模の国よ。印刷された巌戸台全体の地図を見る限り、帝都ヘイムダルと同等以上の大きさじゃないかしら。……しかも、そんな大きさなのに首都ではなく一都市。まったく、どれくらいの国なのか想像もつかないわ」

「でも、帝都は大陸でも最大級の都市ですよね。そんな国家があるのなら噂になってるんじゃないですか?」

「少なくとも、私達の住むゼムリア大陸の近くには無いでしょうね。そもそも実在するかどうかも怪しいものよ。人工の島に大量の高層建築を建てるなんて、まるで近未来の世界だわ。……いや、もしくは大崩壊前、高度な技術を持ってたとされる古代文明の可能性も──」

 

 サラ達はこの日本という国に対して様々な推測を打ち立てる。

 しかし、現状では判断材料がパンフレットしか無いため、考察が推測の域を出る事は無さそうだった。

 

 ──そんな彼らを後ろから眺めながら、ライは集団の後方をぼんやりと歩く。

 本来ならライも彼らの推理に参加していたのだが、今のライにそんな余裕はなかった。

 

 心が妙にざわつく。

 

 そんな不思議な感覚に襲われていたのだ。

 

 まるで何か重大な事を忘れているかの様な不安を煽る感覚。

 それはしだいに頭痛へと変わっていく。

 入学初日、医務室でライを襲った頭痛と似た様な痛みだ。

 何かに呼応するかの如く、少しずつ体が痛覚に侵されていた。

 

(何だ、この痛みは……)

 

「……ねぇ、辛そうだけ……丈夫…………?」

 

 エリオットが心配そうに声をかけてくる。だが、その声も何故か遠くに聞こえる。

 そして次第に視界もぼやけていき、ついに意識が暗転した。

 

 ……

 

 …………

 

 意識が朦朧とする。夢でも見ているかの様な感覚だ。

 光に満ちた何も無い真っ白な空間。

 その中で、聞き覚えのない、けれども懐かしさを感じる声が聞こえて来た。

 

『うっす”頼城”、昨日ぶり!』

『”友原"か。今日も元気そうだな』

 

 挨拶を交わしている2人の声、どうやら両方とも男性の様だ。

 

『そう言うお前はいっつもその顔だな。せっかく名高い月光館学園に入学出来たんだから、もっと楽しそうにしようぜ?』

『周りを見ろ。お前が浮かれているだけだ』

『……あー、オレはオレの道を行ってるのさ』

 

 “友原"と呼ばれたお調子者の青年に対し、"頼城"と言う名の青年が冷静に切り捨てた。

 友原は恰好つけているが、やせ我慢なのは明白である。

 

『それで、今回は何をする気だ?』

『はっはー、よくぞ聞いてくれました! 今回は”葵"って子を誘おうと思ってるんだ。明るくって結構可愛いんだけど、何故か孤立しちゃってるみたいでさー。オレ達で何とか出来ねぇかなって思った訳。──んで、もしかするとオレが白馬の王子様になって』

『そしていつも通り撃沈する、と』

『うっせぇバカ! 泣きたくなるじゃねぇか!』

 

 明るい声色で気楽に話し合う頼城と友原。

 友原は口では泣きたいと言っているが、その声はとても楽しげなものだ。

 それだけでも、2人が仲の良い友人である事が容易に想像出来る。

 

 ライはそんな彼らの話の続きが気になったが、その声もまた、段々と遠くなって白い光の海へと消えていく。

 

 そして、ライの意識は真っ白な世界に落ちて行った。

 

 …………

 

 ……

 

「……──ねぇ、──ライ、聞こえてる!?」

 

 気がつけば、元の市街地に戻っていた。

 足から伝わる固いアスファルトの感覚。頭痛も奇麗さっぱり無くなっており、いつも通りの体調である。

 

「聞こえている。心配をかけたな、エリオット」

「あ、うん。……でもどうしたのさ。ふらふらしたかと思ったら、急に上の空になっちゃって」

「少し頭痛、いや目眩がしただけだ」

「……体調には気をつけてね。ここじゃライ達3人だけが頼りなんだから」

 

 分かってる。とライは一言答え、エリオットと2人で前方の集団を追いかけた。

 

 先の声は一体なんだったのだろうか。

 幻想か、はたまた消え失せた過去の記憶か。

 

 どちらにせよ、この街に何か関係があるかも知れないなとライは感じていた。

 

 

◇◇◇

 

 

 その後も無人の都会を歩いていたライ達は、いつの間にかビル群を抜け、無人の商店街に辿り着いていた。

 

 ブティックや化粧品、電化製品、医薬品など、多種多様な大型店が所狭しと並んでいる。

 VI組の皆はその多すぎる商品に目を奪われながらも、この空間の謎に繋がるヒントは無いかと探し歩いていた。

 

「ここで売られている機械、エレボニア帝国のものより何世代も先に行ってるわね」

「ふむ、そうなのか? アリサ」

「ええ、相当高いレベルの効率化、小型化が施されているわ。……でも、何で電気なんて非効率なエネルギーを使っているのかしら」

 

 電化製品のコーナーにおいて、デジタルカメラを持ったアリサがラウラに向けて説明している様に、細かな情報は集まってくる。

 だが、より根本的な問題であるこの空間については、何一つ情報を得る事は出来なかった。

 

 ライ自身も携帯ラジオなどの機械を手に取るが、動かしてもノイズが出るだけで何一つ情報は得られない。せいぜい桐条グループ製の機械であると分かる程度である。

 

 

 ──と、そんな中、アガートラムに乗っかって上空から探索していたミリアムが手がかりを発見した。

 

「あっ、人影だ! お〜い、みんな〜! あっちに誰かいるよ〜!」

 

 その声を聞いて、やや散らばっていたライ達がミリアムのもとに集まる。

 

 ミリアムが見つけたのは遠くに見える噴水の広場だった。

 ここからではよく見えないが、確かにたくさんの人影が広場を歩いている。

 

「本当ね。ここの街に住んでいる住人かしら」

「ならこの空間について話を聞けるかも知れないですね。サラ教官、行ってみますか?」

「他に有益な情報もなさそうだし、当たってみましょう」

 

 サラの判断のもと、ライ達は広場に向けて歩き出す。

 

 段々と近づいてくる噴水の広場。

 大体半ばまで近づいたところで、ライ達は1つの異変に気がついた。

 

 

 遠目で見た何十人もの人影。それがいくら近づいても"人影"のままだったのである。

 

 

「…………ぇ……」

 

 

 半透明の黒いもやが人の形になっていた。顔も服装も分からない真っ黒な影。

 そんな実体のない何かがベンチに座って談笑し、広場を歩き周り、音楽を聴き、購入した食べ物を食べ、ショッピングを楽しんでいたのだ。

 

 声などは聞こえない。しかし、いやだからこそ、この空間は異常だった。

 

「何なのよ、これ……」

「幽霊……なのか?」

「……いや、これもシャドウなのかも知れないぞ」

 

 人影は目の前にいるライ達には目もくれず日常生活を続けている。

 いや、実際に見えていないのだろう。まるでサイレント映画でも見ているかの様に予定調和な動きであった。

 

 幽霊か、シャドウか。

 どちらにせよ、敵意の感じない現状では警戒するくらいで大丈夫だろう。

 

 ……だが、ライの後ろにいる人物はそうも言ってられない様だ。

 ライは頭だけ後ろに向け、震える少女に問いかける。

 

「どうした、ミリアム」

「だってユ、ユーレイが目の前に……!!!!」

 

 ライの服の裾をつかみ、背中に隠れるミリアム。

 彼女の手はがくがくと震えており、人影を視界に収めると顔をライの背中にくっつけた。

 

「幽霊が苦手なのか?」

「しょーがないじゃん! 怖いものは怖いのっ!!」

「なら俺の近くにいろ。何かあったら俺が対処する」

「言われなくても、これ以上離れないからね!」

 

 いや、流石に歩き難いので、もう少し離れて欲しいのだが……。

 

 ライがミリアムをどう説得したものかと悩んでいると、少し離れた場所からリィンに呼ばれた。

 他の面々もリィンの近くに集まっている。どうやら、何かを見つけたらしい。

 

「……皆。あれをどう思う?」

 

 リィンが気づいたのは、商店街から出て行く人影だった。

 その人影は広場から離れるごとに段々と薄くなって行き、そして遂に──

 

「──消えた?」

「逆に商店街に入ってくる人影もあの辺りから出現しているんだ。どうやらこの広場にだけ人影がいたと言うよりは、この付近だけ実体化していたと見た方が正しいみたいだな」

 

 しかし、いったいそれが何を意味しているのか。

 発見したリィンですらもよく分からない法則に皆、頭を悩ませる。

 常識で判断出来る場所ではないため、自身の知識や感覚で判断して良いのかという迷いが彼らの思考を鈍らせていた。

 

 と、そんな中、眼鏡の奥に表情を隠したエマがぽつりと1つの可能性を口にする。

 

「……この周囲にだけ変化があるという事は、近くに基点となる何かがあるんだと思います。なのでその原因を見つければ、この現象の真相にも近づけるかも」

 

 まるで異常な状況に慣れ親しんでいるかの様なエマの論調に、サラは面を食らう。

 

 しかし、異常の中心に原因があると言う意見は、"普通"に考えて至極当然だと言えるだろう。サラは"異常"な状態に思考を毒されていたと反省した。異常な状況だからこそ普通の判断が難しくなると言う事なのだろうか。

 

「なるほど、委員長の言うことも一理あるわね。……よし、VII組総員! これより周辺の探索を開始するわ。ただしライ・リィン・ミリアム・それと私が即座に対応出来る範囲から出ない様に注意しなさい。後、何か見つけても不用意に近づかず、冷静に仲間を呼ぶ事! ──何か質問はあるかしら」

 

 サラが最終確認と言わんばかりにライ達の顔を一瞥する。

 

「……無いみたいね。それじゃ、作戦開始!」

 

 こうして、広場の調査が始まった。

 

 

◇◇◇

 

 

 噴水を中心にした円形の広場。

 その周囲は2段の構造になっており、多種多様な店が壁から顔を出している。

 その1つ1つがある程度の広さを持った店舗であるため、1つの広場と言えど探索には時間がかかりそうであった。

 

「……この広場はポロニアンモールと言うのか」

「ちょっと店が密集しすぎじゃないかしら。2階にある店なんて何やってるかも分からないし。……って言うかライ、ここの文字が読めるの?」

「なんとなく。2階にある店はカラオケって書かれてるな」

 

「うぅ〜、カラオケでもカラアゲでも良いから、早くここから離れようよぉ〜」

 

 早くこの場を立ち去りたいミリアムを余所に、ライとアリサの2人は階段上の《カラオケ マンドラゴラ》と書かれた看板を眺めていた。

 

 ライとミリアムの近くで探索しているのは彼女の他に、エリオット、ガイウス、マキアスである。この面々はマキアスを除いてライへの嫌悪感を振り切った仲間達だ。リィンから嫌悪感の原因を語られても、そう簡単に人間関係は修復されない。そのため人数を合わせるため自然とこの様な形になってしまうのである。

 

「マキアスは向こうに行かなくて良かったのか?」

「まだ僕は、あれが自分自身だと信じてはいない。……だが、今は君よりもリィンと顔を合わせたくないんだ」

「入学初日にリィンがついた嘘と言う話か」

「君にも貴族かどうか尋ねただろう? それと同じ問いにリィンは嘘をついていた。それもワザと誤解を招く様な言い方をしてだ。──そんな人間を信用する訳にはいかない」

 

 固い口調で乱暴に言い放つマキアス。

 その表情には裏切られたという感情がありありと浮かんでいた。

 だがしかし、リィンが詐欺師の様な人物でない事はライ達がよく分かっている。そのため、一緒にいたエリオットがマキアスに一言物申した。

 

「でも、リィンは養子なんだよね。"高貴な血は流れていない"って言ってたのも、道に迷ってたからじゃないのかな?」

「そんな事は分かっている! だが、それとこれとは話が別なんだ。僕は、平気で人を騙すような人間と馴れ合うつもりは無い。…………頼む、もうこの話は終わりにしてくれ」

「……ええ、分かったわ」

 

 これ以上深入りしてもマキアスを傷つけるだけだろう。

 暗い顔をしたマキアスを見てそれを理解したライ達は、追求するのを止めて捜索に戻るのだった。

 

 …………

 

 そうしてライ達は、ゲームセンター、CDショップ、アクセサリーと広場を取り囲む店をしらみつぶしに探索して行った。

 途中、エリオットがCDに興味を示したり、アリサがアクセサリーに目移りしたりしていたが、それも些細なものである。

 

 問題は依然としてライにくっついているミリアムと言えるだろう。

 ライはミリアムを怖がらせない様に人影を避けながら行動していたため、半ばアリサ達に探索を任せる形で行動する事を余儀なくされていた。

 

 仕方ない。そう思ったライは、わざと人影に近づき手を伸ばす。

 そのまま影を貫通する右手。目を閉じていたら重なっている事にすら気づかない程、何も感じない。

 

「ほらミリアム、この人影は触れる事すら出来ないから大丈夫だ」

「すり抜けるから駄目なんだって! ガーちゃんでも倒せないじゃん!」

 

 どうやら余計悪化しているらしい。

 

「そろそろ「ライ、少しいいか」……ガイウスか、どうした?」

 

 ライの言葉に被さる形でガイウスが話して来た。

 普段は空気を読むガイウスとしては珍しい行動だ。何か見つけたのだろうか。

 

「あの3人組の影が他とはやや異なる風貌なのだが、何か感じないかと思ってな」

「3人組?」

 

 ガイウスが指し示したのは、店から出て来たところと思われる3人の人影であった。

 噴水前のベンチに向かって歩いている影達は、他の影とは異なり姿がはっきりと見える。16歳くらいの少年が2名に、髪の長い少女が1人。それぞれ両手に段ボール箱を抱えていた。

 

 ライ達が見守る中、影達は何やら会話を始める。

 

『──ありがとね! 今日は荷物を持ってもらっちゃって』

『いえいえ! これくらいお安い御用って奴ですよ! なぁ頼城?』

『そう言うなら半分持ってくれ』

 

 その3人組の声がノイズ混じりで聞こえた事からライは確信した。

 あれこそが、ライ達の探し求める何かであろう。向こうもポロニアンモール内を移動していたため、今まで見つからなかったのだと。

 

 早速ライ達は皆を呼び集め、3人組の後を追う事にした。

 

 噴水のベンチに辿り着いた影達は、荷物を脇に置いてパタンと座る。

 荷物が相当重たかったのだろう。彼らはぐったりとベンチに寄りかかっていた。

 

「あれがガイウスの見つけた3人組?」

「ああ、どうやら荷物を運んでたらしいな」

「……えらく普通の光景ね。まぁいいわ。ちょっと様子を見ましょう」

 

 ライ達は少し離れたところから3人を観察し始める事にした。

 

 

◆◆◆

 

 

『あ〜疲れた〜!』

『友原はほとんど持ってないだろ』

『あははっ、お疲れさま!』

 

 ベンチに座った3人は缶ジュースを片手にお互いの苦労を労る。

 喉を潤す炭酸の刺激が、彼らの疲れを癒していた。

 

『ぷはぁ〜生き返る〜。──それにしても、この辺りも大分活気が戻って来たよなぁ』

『無気力症だっけ? 3年前に流行った病』

『そうそう。結局、原因不明のままいつの間にか無くなったんだよな』

 

 友原と呼ばれた茶髪の少年が少女と話す。

 これは地元トークと言う奴だろう。かやの外だったもう1人の少年が疑問を投げかける。

 

『……無気力症?』

『あ〜、頼城は別の地域から来たんだっけか。いやぁ3〜4年前に港区を騒がした病でさ〜。突然魂が抜けたみたいに無気力になるって病があったんだよ。だから無気力症。──ま、それだけじゃ命に別状はないんだけど、自殺する人が現れたりして番組とかでも大騒ぎだったって訳』

『3年前か。俺の地域では何も無かったな』

『お前は八十稲葉市出身だっけ?』

『ああ、ここと比べたら十分に田舎だ』

 

 頼城と言う名の黒髪の少年が、出身地である八十稲葉市について軽く説明した。

 田んぼの見える田舎町。都会っ子である残りの2人にとってはその話がとても新鮮に映る。

 

『へぇ〜、ら、らい『頼城だ』……そうそう頼城くんは、ってあれ?』

『どうした?』

 

 話の途中でいきなり考え込んだ少女に向けて、頼城が問いかける。

 もう1人の友原も不思議そうに彼女を見ているが、当の本人はうんうんと唸るばかりであった。

 そして、

 

『…………そういえば、私たち自己紹介したっけ?』

 

 ようやく出た言葉がこれである。あまりの意外さに2人は思わず固まってしまった。

 

『はぁ〜、なんだそんな事かよ。そんなの当然……ってあれ、どっちだっけ頼城?』

『した覚えは無いな』

 

 3人の間に微妙な空気が流れる。

 どうやら今までなぁなぁで手伝って、雑談していたらしい。

 

『え、えと、それじゃ、まずは私から! 私は莉子、葵 莉子。きみたちは?』

『オレは友原 翔。……んで、こっちの表情筋死んでるのが頼城 葛葉』

『今後ともよろしく』

『友原くんに頼城くんだね。よし、覚えたよ!』

 

 葵は自身の長い灰髪を揺らしながら、2人の名前を手のひらに書いて反芻する。

 元気で一生懸命な小動物を思わせる行動。長髪に隠れた大きな青い瞳は手のひらを真剣に見つめていた。

 

『そういや、葵さん? 何でこんな大量の荷物を持ってたんだよ』

『あー、うん。実は月光館学園の生徒会で頼まれちゃって。……そう、私こう見えて力持ちだから!』

『……そう言えば、1年で生徒会に入った人がいるとか噂になってたな』

『それ私っ! 何だか運が良くって誘われたんだよね!』

 

 突然のカミングアウトをした上に元気に飛び跳ねる葵。何かを隠しているのがバレバレだ。

 しかし、ぐったりとした友原が空気も読まずに葵に問いかけた。

 

『でもさぁ〜。こんな大荷物を1人で任された訳? どー考えても無理じゃん』

『だからそれは私が、……ってごまかせないよね。本当は一緒に運んでくれる子がいたんだけど、急に来れなくなっちゃったんだ』

『あ、もしかしてそれって孤立してるってやつ?』

『えっ!? それも噂になってたんだ。…………そーだよ、私はある程度仲良くなると、脈絡も無く嫌われちゃうんだよ。今日もいきなり”あなたの顔を見ると嫌な事を思い出すのよ"って言ってどこかに行っちゃうし。……私、何かしたかなぁ〜』

 

 葵が手のひらに"の”の字を書いていじけ始めた。

 しまったという顔をする友原に向けて、頼城が呆れた様に呟く。

 

『友原、また地雷を踏んだか』

『またって何だよ! 月光館学園に入ってからまだ4回しか踏んでないっつーの!』

『入学してからまだ1ヶ月しか経ってないぞ』

 

 1ヶ月で4回、だいたい週に1回のペースである。

 とんでもない事実に気づいた友原が、この世の終わりとも言える表情になった。

 

『…………ふふっ、あはははは!』

 

 そんな2人の漫才を聞いて、いじけていた葵が笑い出した。

 もう、その顔に暗さなど残ってはいない。

 その事を確認した頼城と友原は、お互いの顔を見合わせて1つの方針を確認しあう。

 

『……そんじゃ、この荷物を月光館学園まで運びますか』

『了解だ』

 

『ってええっ!? そんな長い距離は頼めないって!』

 

『もとより1人じゃ運べないだろ? 俺たち2人に任せとけって』

『ああ、これくらい朝飯前だ』

『えっマジ? なら頼城これ運んでくれね?』

『……夕食前だ』

 

 そうして3人は荷物を持ち上げ、談笑しながらポロニアンモールを去って行った。

 

 

◆◆◆

 

 

 ──3人組が移動した事で、周囲にいた影達も消えた。

 これで原因はあれだったのが確定したのだが、ライ達の緊迫感までも同時に消えてしまっていたため誰も突っ込まない。

 

「……えと、なんだか楽しそうだったね」

「ああ、毒気が抜かれたという気分だ。話す内容も我らとそう変わりなかったしな」

「なんか普通……」

「ボクも、あの影なら怖くないよ」

 

 散々な言われようである。

 だがまあ、彼らの会話でリィン達の緊張がほぐれたのなら、それはそれで良いだろう。

 今の皆なら、どんな異常が襲いかかって来ても冷静に状況を判断出来そうだ。

 

「それにしても、あれは何だったのかしら」

「影の世界の住人って言うより、過去の映像を見ているみたいでしたね」

「俺達はあれを一方的に見る事が出来るものの、実際に干渉する事は不可能。なれば、その線が濃厚だろうな」

「う〜ん、でもまだ確証は掴めないわねぇ。ひとまず、話に出てた"月光館学園”って場所に行ってみましょうか」

 

 サラがパンフレットの地図を片手にVII組を誘導する。

 旧校舎内の街で出会った謎の3人組。彼らがここの、ひいてはシャドウに関わってくる可能性は高いだろう。

 

 ライ達はポロニアンモールを離れ、3人組の目的地である月光館学園に向かっていった。

 

 

 

 

 

 ……その中で1人、エリオットが歩きながら悩み込む。

 

「う〜ん、彼らの中の1人。あの声近くで聞いたことがあるような……」

 

 頭に引っかかる何かがあるものの、声のノイズが酷かったため、エリオットはなかなか結びつけることが出来ない。

 

「……ま、今はいっか」

 

 結局、彼は答えを出すことを諦めたのだった。

 

 

 

 

 




頼城 葛葉(らいじょう くずは)
 黒髪で無表情の少年。日本の田舎町である八十稲葉市出身で、月光館学園高等部の1年の様だ。

友原 翔(ともはら しょう)
 茶髪のお調子者な少年、頼城と同級生で地雷踏み記録を尚も更新中。

葵 莉子(あおい りこ)
 長い灰髪と青眼が特徴的な少女。1年で生徒会に所属しており、何故か友人に嫌われるらしい。

――――――――――――

これは今に繋がる物語、その序章。





本作のオリキャラは上記の3人でほぼ終わりです。
正確には後1人登場しますが、いたずらに登場人物を増やす事はしないのでご安心を。

後、本来は次話を含めて1話にする予定だったので、次回を少しだけ早めに更新しようと考えております。



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19話「異聞録、月光館学園」

 商店街を抜けたライ達は、いつの間にか大きな白い校舎の前に立っていた。

 広々とした校門と校舎を繋ぐ一本道。その両脇には青々とした木や芝生が植えられており、都会とはまた違った雰囲気を醸し出している。

 

 そして、校門には《私立月光館学園 高等部》という文字が彫られている事から、ここは間違いなくライ達の目指していた月光館学園という場所だと言う事が分かった。

 

「……あれ、パンフレットの写真じゃもっと遠かった筈なんだけど」

「サラ教官、ちゃんと確認したんですか?」

「流石に数十セルジュもありそうな距離を間違えたりしないわよ。……やっぱりここも旧校舎と同じって事なのかしら」

 

 今までは代わり映えのしない都会だから気づかなかっただけで、この空間も物理的法則から外れた場所なのだろうか。だとすれば、ここもやはり旧校舎の中という事になる。

 

 ――因みにセルジュとは長さの単位だ。

 ライが部活見学の後に調べた情報によれば1セルジュは100アージュ。故に数十セルジュとは、ライの知るメートルに換算すれば数キロメートルと言う事になる。

 そんな長距離であるならば、サラが誤認する可能性は限りなく0に近いだろう。

 

「それにしても、真っ白で奇麗な校舎ですね」

「うむ、前に書物で見た白亜の旧都を思わせる様な美しさだな」

 

 女性陣が校舎の美しさに感嘆の声をあげている。

 新品の様な白い校舎と青い空、そして黄緑色の草木。まるで絵画の様に美しい光景なのだから、そう思うのも当然だろう。

 

「それにここ相当広いわね。視界いっぱい全部敷地なんじゃないかしら」

「アリサ、私達の見ている校舎はほんの一部見たいよ。これもパンフ情報なんだけど、この校舎は高等部のもの。他にも中等部と初等部の校舎があるらしいわ。そもそも私達のいる辰巳ポートアイランドだってこの学園のために作られたものなんですって」

「って、学園のために島を建設したんですか!? ……たしか、桐条グループでしたっけ。いったい何を"やらかしたら"こんな事が出来るのやら」

 

(……ん?)

 

 若干、アリサの言葉が刺々しいものに変わった。

 企業に対して何らかの苦い思い出でもあるのかとライは気になったが、それをアリサに尋ねるよりも先に、リィンが小声で話しかけて来る。

 

「俺たちの目的はあの3人組だったよな。そろそろ中に入った方がいいんじゃないか?」

「……そうだな」

 

 最もな意見だと思ったライは、ひとまず今の疑問を思考の隅に置いた。

 今の第一目的はこの空間の謎を追う事だ。今のアリサの件、それに先ほどのマキアスの件だって気がかりだが、目移りしていては何一つ解決しないだろう。

 

 二兎追うものは一兎も得ず。

 そのことわざを噛み締めてライは一歩を踏み出す。

 

 目指すはあの3人組がいるであろう校舎の中だ。

 ライは、いやライ達は気持ちを入れ替え月光館学園の奥へと入って行った。

 

 

◇◇◇

 

 

「ってあれ? 夕方になっちゃった」

「急な変化ね。……近くに彼らがいるのかしら」

 

 ライ達が校舎に入ったとたん、周囲の景色が茜色に切り替わった。

 まるで最初から夕方だったかの様に、窓の外には赤い夕日が顔を覗かせている。

 

 現実ではありえない光景。しかし、既にライ達はこの様な状況に慣れてきていた。

 何が起きても可笑しくない空間なのだから、時間が切り替わったところで不思議な事ではない。という嫌な慣れである。

 

 それ故に誰もこの異常を気にする事無く、ただ校舎内を見回して例の3人組を捜していた。そして、

 

「……案外近くにいたね」

 

 少し奥に踏み込んだフィーが彼らを見つけた。

 場所は入り口から死角になっている物影、少し見る場所を変えれば簡単に見つかる場所である。どうやら彼らはポロニアンモールから運んで来た段ボール箱を、目立たないその場所に置いていたらしい。

 

『――んで、本当に荷物はここでいいの?』

『うん! 後は明日、皆で2階の生徒会室に運ぶ予定だから、これでOK!』

『なら任務完了か』

 

 一仕事終えた3人はうんと背伸びをしている。

 異常の原因を探っているライ達にとっては、もどかしく感じる程に日常的な風景だ

 

「フン、こんな普通の光景を見たところで何か分かるとも思えんが」

「でも他に手がかりが無いのよねぇ。……ってちょっと待って、誰か来たわ」

 

 学園の通路から現れた新たな登場人物。

 中年の男性だろうか。

 ライ達が静かに見守る中、3人組もその男性に気づいて会話を止める。

 

『おっ、警備員のおじさん発見! ――ちょっとごめんね。この荷物について伝えておかなくちゃ』

 

 生徒会の役員だという葵が、頼城と友原に断りを入れて男性のもとへ駆け足で向かう。

 一晩置くことを伝えて、警備の邪魔にならない様にするのだとライは理解した。

 そんなライも生徒会の新入りである。

 

『あのー。生徒会の荷物なんですが』

 

 制服を着た男性の前に立ち、可愛らしい声で話しかける葵。

 

 ……しかし、男性は彼女の声にピクリとも反応せず、虚ろな目でぶつぶつと何かを呟いていた。

 

『……――…………――――……』

『えと、警備員さん? 何を言ってるのか聞こえないですよ?』

 

 不思議に思った葵が、警備員の男性に耳を近づける。

 体調が悪いのなら保健室に運ばなければ、とでも考えていたのだろう。

 

 

 だが、聞こえて来た言葉は、そんな思いとはかけ離れたものだった。

 

 

『……そうだ、この世界は間違ってた。こ、こここの世界は間違ってたんだ、間違ってた、間違ってた、間違ってた、違った、違った、違った違った違った違った違った違った違った違った、ち、違ったんだ、この世界は違っ――――』

 

 

『…………え?』

 

 

 葵が思わず一歩下がる。

 

 ひたすらに繰り返される異常者の言葉。

 男性は頭を掻きむしり、酷く怯えた表情で狂気を乱暴に吐き出し続ける。

 

『この世界は間違ってた。に、偽の神によって創られたが故にこの世界は不完全で、だから間違ってた、ま、まま、間違ってたんだ、まちが、マチ、間違ッテ、ま、まま、まちままママチガガがガガがががガガ——――』

 

 原因不明の強迫観念に襲われている男性は、壊れたコピー機の様に言葉すら紡げなくなった。

 

 狂っている。

 誰もがそれを直感で理解した。

 

『葵、そいつから離れろ!』

 

 頼城の叫びを聞いた葵は我を取り戻し、頼城達のもとへと逃げる。

 同時に、男性の頭から"黒い水"が噴き出した。

 

『――ガガガチちガがあアァアア!!!!!!!!』

 

 男性の頭頂部から、目の隙間から、耳から、顔の至る所か黒い液体状の何かが溢れ出し、男性を飲み込んでいく。その姿はまさしく――

 

「シャドウ!?」

 

 突然現れた敵の出現にライ達は身構える。

 

「くっ! ヘイムダル!」

 

 ライは反射的にヘイムダルを召喚し、その大槌をシャドウへと振り下ろす。

 だが、その攻撃はシャドウをすり抜け、地面を粉々に砕いた。

 

「当たらない!? あれも彼らと同じ様な存在だというの!?」

 

 よく見ればシャドウも影達と同じく半透明だ。

 過去の映像の様な存在。観客であるライ達に干渉する術など無い。

 

 ……故に、シャドウを目前にした3人組を助ける術もまた、存在しないのである。

 

『な、なな、なんだよ、コレぇ!?』

『逃げるぞ。――葵も早く!』

『う、うん!』

 

 学園の入り口への道をシャドウに塞がれた3人組は、慌てて階段を上って奥へと逃げていく。

 その背中をシャドウが階段を這いずりながら追いかけていった。

 

「っ、いけない! 私達も追うわよ!」

「「りょ、了解!」」

 

 サラの声に我を取り戻したライ達は3人組を追って走る。

 

 例え彼らを救えずとも、その行く末を見守る為に。

 

 

◆◆◆

 

 

 頼城達3人は茜色に染まった廊下を駆け抜ける。

 

 ペース配分を考えもせず、いや考える暇がないのだ。

 背後からは黒い液体が這い寄ってくる不愉快な音が聞こえていた。

 

『いったい何なんだよ、あのバケモノぉ!』

『私達を追って来てるよ!?』

 

 半ばパニック状態になっている友原と葵。

 あの音も段々と近づいてくる。

 このままでは3人とも警備員から噴き出した影に追いつかれてしまうだろう。

 

『……仕方ない』

 

 覚悟を決めた頼城が、足を止め体を反転する。

 

『おい頼城! ここで止まったら……!』

『奴は俺が食い止める』

 

 頼城は廊下の側にあった掃除用具入れから1本のモップを取り出し、両手で構えた。

 ここは俺に任せろと、後ろの2人に示す為に。

 

『はぁっ!? 何言ってんだ! そんな事出来る訳――』

『友原は葵を頼む』

『〜〜ッ!! くそっ! 絶対生き残れよな!』

『死ぬ気はないさ』

 

 友原が葵を引き連れて逃げていくのを確認した頼城は、改めて前方に意識を集中させる。

 

 段々と大きくなってくる黒い影。

 

 それと接敵するまで後30m、20m、10m……!

 

 と、その瞬間、影は加速し頼城に飛びかかった。

 攻撃はもう間に合わない。

 そう判断した頼城はモップを横に構え、影の突進を受け止める。

 だが、盾にしたモップの柄がメキメキと音をたて真っ二つに割れてしまった。

 

 勢いを殺すには細すぎたのだ。体勢を崩された頼城に影が迫りくる。

 

 頼城はとっさに宙に浮く2本のモップの残骸を掴み直し、即席の二刀流で影の重圧を受ける。そして体を横に逸らす事により辛うじて受け流す事に成功した。

 一旦頼城と影の距離が離れる。だが、この隙も直に消えてしまうだろう。

 

 短くなったモップで何処まで対応出来るかと緊張を高めていると、後方から2人の足音が聞こえてくる。間違いない、逃げていった筈の友原と葵だ。

 

『友原!? 何故戻って……』

 

 危険を承知で振り向いた頼城は、友原と葵の後ろから"もう一体の影"が迫り来るのを確認した。

 

 影はこの1体だけじゃなかったのだ。2体の影に挟まれる形となってしまった以上、頼城達の逃げ場はもう1カ所しか残されていない。

 

『――ッ! 教室へ逃げ込め!』

 

 とっさに3人は引き戸の教室へと駆け込んでいった。

 

 …………

 

 教室に入った3人は急いで机をつっかえにして戸を塞ぐ。

 

 ガタンと言う扉を叩く音。大きく振動するものの、作りのしっかりした扉が破られる気配はない。これなら、しばらくは持ちこたえそうだ。

 

『はぁ、はぁ、……オレは、夢でも見ているのか?』

『…………どうしよう、追いつめられちゃった』

 

 息を整える友原と葵の表情は暗かった。

 つい先ほどまで日常の延長線上だったのに、いきなり訳の分からない危機に襲われているのだ。夢であったらどんなに良かった事か。

 

 ……だが、まだ諦めるには早い。

 入り口が駄目なら別の脱出経路を使えばいい、と考えた頼城は廊下の反対側にある窓へと向かう。

 

『何とかして窓から脱出を、――――!?』

 

 だが、頼城の足は止まった。

 

 紅く染まった窓から覗く1本の黒い腕。

 それは2本、3本と数を増やしていき、終いには窓全体が黒い影と仮面に覆われてしまった。

 

『嘘、だろ? もう、どうしようもないのかよ……』

 

 窓一面を這い回る数多の影に押され、窓ガラスに亀裂が入っていく。

 ぴしり、またぴしりと亀裂が広がっていく様は、正に死へのカウントダウンであった。

 

『……まだだ、諦めるにはまだ早い』

『まだってお前……。なら、どうすりゃいいんだよ! もう、逃げ場なんて、どこにもないじゃねぇか!?』

 

 壁を背にし、限界まで窓から離れた3人。

 もう何処にも逃げ場など無く、身を隠せる場所も存在しない。

 

 頼城の頬に汗が滴る。彼自身もこの窮地を脱する術を知らないのだ。だが――

 

『それでも、俺達はまだ抗える』

 

 頼城は折れた木の柄を片手で持ち2人の正面に立つ。

 たった1人でも戦い続けると、彼の背中は言っていた。

 

『……うん、そうだね! 私もまだ、まだ、諦めたくないっ!』

 

 葵も椅子を両手で持ち、頼城の隣に並ぶ。

 その手は死の恐怖でガチガチに固まっている。

 だが、それでも彼女の大きな青い瞳は真っ直ぐ前を向いていた。

 

『…………ちくしょう! お前だけに格好つけさせるかよ!』

 

 そんな2人に勇気づけられた友原もまた、椅子を持って前に出た。

 震える足を大声で無理やり動かし、迫り来るであろう脅威に対峙する。

 

 彼らは決めたのだ。

 圧倒的な死を前にして、それでも抗う道を。

 

 それと同時に、限界に達した窓ガラスが粉々に砕け散る。

 教室内に雪崩れ込む影を前にして、頼城達は武器をきつく握り締める。

 と、その刹那、

 

 

 ――――ドクンッ。

 

『えっ?』

 

 葵の声が漏れた。

 彼女の心臓、体の底から灼熱の様な熱い何かが溢れて来たからだ。

 そして他の2人、頼城と友原にも同様の異変が起こる。

 

 ――――ドクンッ。

 

『おい、今度は何なんだぁっ?』

 

 3人の周囲に青い光が迸る。

 内に芽生えた熱の奔流が体を抜け出し、頼城達の頭上へと集まっていく。

 

 ――――ドクンッ!

 

『……ペル、ソナ?』

 

 知らないのに知っている単語、ペルソナ。

 それを唱えた刹那、青い光が暴風となり周囲の影を吹き飛ばした。

 

 だが、それは副産物だ。

 

 周囲の机や椅子を吹き飛ばす3本の激流が、頼城、友原、葵の上空に集う。

 現れたるは3体の巨大な人形。それは彼らの意志を象徴するかの様に、堂々とした風貌で佇んでいた。

 

『な、なんだよこれは! ……なんでオレ、こいつの名前が分かるんだよ!?』

 

 友原が言っている様に、頼城達はこの存在について何も知らない。

 けれど、分かっていた。

 その存在の名前を、その存在が持つ力を。――今はそれだけで十分だった。

 

『やるしか無い。行くぞリーグ!』

 

 頼城が己の召喚したペルソナ、リーグに命じ影に立ち向かう。

 その両手を影の津波へと向けて、力を放つ為の言霊を紡ぐ。

 

 ――アギ。

 

 突然の爆炎が教室の中心で暴れ狂う。

 その炎は勢いづいた影を吹き飛ばし、たった一撃で影の進行を食い止めた。

 

『す、すげぇ。……ならオレだって、バルドル!』

 

 友原は、頼城に負けじと己がペルソナを動かす。

 神々しい雰囲気を纏ったバルドルがかざしたのは敵ではなく上空、その両手に鋭い稲妻が迸る。

 

 ――ジオ。天より落ちる雷撃が次々と影を貫いていった。

 

 だが、その攻撃を逃れた影が、反撃とばかりに友原に襲いかかる。

 

『危ないっ! ナール!』

 

 それを葵の召喚したペルソナ、線の細い女性の姿をしたナールが緑の疾風によって吹き飛ばし、壁に叩きつけた。

 

 ――ガル。それが彼女が唱えた呪文である。

 

『このまま畳むぞ!』

 

 頼城のかけ声を合図に、3体のペルソナが同時に魔法を放つ。

 火炎、電撃、疾風の3色の衝撃が教室内を蹂躙し、視界を埋め尽くしていった。

 

 …………

 

『……はぁ、何とかなったか』

 

 3人の周囲には吹き飛ばされた机と焦げ跡の数々。

 風の入り込んでくる教室に、死を運ぶ影はもう1体も残されていなかった。

 

 頼城達の表情に安堵が浮かぶ。

 

『……オレ達、助かったのか?』

『たぶん、そう……みた…………い』

 

 言葉の途中で葵が倒れる。

 そして、後を追う様にして友原と頼城も崩れ落ちた。

 

『あれ……なに、これ…………』

『やべぇ……指一本……動かせねぇ…………』

『…………くっ……』

 

 極度の衰弱に襲われる3人。

 だが、まだここで気を失う訳にはいかない。

 何故なら、押さえつけた戸の向こうにはまだ2体の影がいるのだから。

 

 頼城達は何とか体を動かそうとするが、疲労と朦朧とする意識のせいで体が言う事を聞かない。

 そうしていると、引き戸が無理やり破られ、警備員から現れた影が教室内に入って来る。

 

 万事休す。

 3人がそう感じたその時――

 

『――アルテミシア!』

 

 凛とした女性の声が学園内に木霊した。

 同時に影が巨大な氷柱に飲み込まれ砕け散る。

 

 何が起こったのかと3人が混乱する中、1人の女性が扉から中に駆け込んで来た。

 

『間に合ったかっ!?』

 

 教室に入って来たのはファーのついた白いコートを羽織り、黒いスーツを身に纏った赤髪の女性。”銀色の拳銃”とレイピアを両手に携え、頼城達のもとへと駆け寄ってくる。

 

 そして、3人の意識がある事を確認して、赤い長髪の女性は小さな笑みを浮かべた。

 

『――はぁ、無事な様で何よりだ。どうやら、君たちはペルソナを使ったみたいだな』

 

 教室の状態を確認して女性はそう判断した。

 

 爆撃でもあったかの様な惨劇を前にしても当然の様に受け止めており、さらには巨大な氷柱で彼らを助けたことから察するに、彼女は知っているのだろうか。頼城達が得たペルソナという力について、今ここにいる誰よりも詳しく。

 

『ペルソナ……いったい、あれは……。……それに、貴女は…………?』

 

 頼城は頭に浮かんだ疑問を途切れ途切れに呟く。

 

 もう3人は意識を保つのも精一杯の状況だった。

 それを察した赤髪の女性は、端的に必要な状況を説明する。

 

『私は"桐条 美鶴"、君たちと同じペルソナ使いだ。これより君たちは我々《シャドウ事案特別制圧部隊"シャドウワーカー"》が保護する。……安心して欲しい。君たちの安全は私が保証しよう』

 

 桐条 美鶴が所属する、シャドウワーカーという部隊。

 

 それがどういった組織なのかは分からないが、少なくとも死の危険が去った事だけは確かだ。

 故に何とか意識を繋ぎ止めていた緊張の糸が切れ、3人の意識がまどろみの中へと落ちていく。

 

『…………3種類の同時攻撃の跡、……一度に3人が覚醒したとでも言うのか? そんな事が――……』

 

 頼城達は、桐条美鶴のそんな独り言を耳にしながら、音も無く意識を失った。

 

 …………

 

 

◆◆◆

 

 

 …………

 

「……消えたわね」

 

 教室の中で一部始終を見ていたサラが呟く。

 

 3人組の意識が途切れたと同時に、全ての登場人物が霞に溶けて消えていったのだ。

 今の教室には戦闘の跡など無く、整然と並べられた白い机が晴天の光を反射している。清々しい日光が差し込む空間を見ていると、先ほどまでの光景が嘘だと思った方が自然かも知れない。

 

 だが一切干渉をすることが出来ず、全てを見ている事しか出来なかったVII組の間には、重苦しい空気が流れていた。何とか彼らがペルソナに覚醒したから良かったものの、もし、あのまま殺されていたら目覚めが悪かった事だろう。

 

「……あれ、これは?」

 

 視線を下に向けたアリサが1冊の本を見つける。

 3人組がいたであろう場所に落ちていた青い光を発する小さな本。見るからに怪しい物体だったが、ライは臆する事無くその本を拾い上げた。

 

「"Riko’s Diary”……莉子の日記か」

 

 表紙を確認したライはパラパラと内容を確認する。

 ややくたびれた紙に書かれた内容は、月光館学園に入ったばかりの新入生の日常だ。

 しかし、あるページを見たライの手が唐突に止まった。

 

「……『5月9日。今日はファンタジーな体験をしてしまいました。頼城くんと友原くんに荷物運びを手伝って貰ったんだけど、夕方の月光館学園でいきなり黒いバケモノに襲われたんです。そうしたら突然、ペルソナって不思議な力が――』」

「それ、今見た光景じゃない」

「……日記はこの日で終わっています」

 

 もしかしたら、この日記が先の光景を作り出していたのかも知れない。

 日記の内容と落ちていた位置からライはそう推理したが、今は推測の域を出ないだろう。

 

 とりあえず確認を終えたライは日記をサラに渡す。

 サラも同じ様に日記を確認し、そしてライに1つ問いかけた。

 

「ライ、確かにそう書かれていたのよね」

「間違いありません」

「そう。……まあいいわ。そろそろ帰りま――」

 

 サラの言葉が途切れる。

 彼女の視線の先、教室の隅に灰色の装置が顔を覗かせていたからだ。

 まるで無理やり持って来たかの様な場違いな機械。小さな柱状の装置を中心にして地面に描かれた魔法陣もまた、装置の一部である様に見える。

 

「……こんなのあったかしら」

「また構造が変わったのか?」

 

 皆の視線が日記に集まったのが原因だろうか。相変わらずデタラメな空間だとライはぼやく。

 

「でも、何なんだろうね、これ」

「ちょっと待ちなさい! 不用意に触れたら!」

 

 近づくミリアムにサラが警報を鳴らすが一足遅く、ミリアムの手が灰色の装置に触れる。

 すると突然、柱状の装置から光が溢れだし、ライ達を飲み込んだ。

 

 視界が真っ白に包まれる。

 

 …………

 

 

◇◇◇

 

 

 ……視界が戻ると、ライ達は灰色の建物の中にいた。

 冷たい石で出来た迷宮の様な地下空間。点々と灯された古めかしい導力灯が辺りを照らし、水路が縦横無尽に張り巡らされている。

 

「ここは……?」

「旧校舎の中よ。表のね」

 

 サラはそう断言した。

 思えばこの壁や床に使われている灰色の石材は旧校舎に使われていたものと酷似している。ライ自身は通常の旧校舎に入った事はないが、ここは通常の旧校舎の中だと想像できた。

 

「でもサラ教官、特別オリエンテーリングのときはこんな場所は」

「忘れたかしら? この旧校舎はあの空間程じゃないけど元々構造を変える場所なのよ。この場所は私も知らないけど、私たち教官が異界に集中したここ1ヶ月の間に変わっていたんでしょうね」

 

 VII組の皆にそう説明しながらサラは柱状の装置に手を伸ばす。

 どうやらこれは転送装置の類いらしい。月光館学園に似つかわしくない外見から考えると、元々は旧校舎の中にあったものだろうか。

 

「まあ、帰りの労力が省けたという事で今は納得しておきましょう。……それじゃ、入り口に戻るとしましょうか。私は学院長への報告があるけど、皆はこのまま寮に帰りなさい。初めての異界なのだから疲れも相当溜まっている筈だし」

「……たしかに、妙に体が重いです」

 

 想定よりも長時間の調査となってしまった為、皆の顔に隠せない疲労が見えていた。

 今までは目の前の異常に気を取られていたから気づかなかったのだろう。

 自身の疲れを自覚したVII組の面々はサラの提案に反対する筈も無く、旧校舎の入り口に続くと思わしき扉に向かっていった。

 

 と、そんな中、

 

「…………第二拘束、解除……?」

 

 ライの隣を歩いていたリィンが唐突に何かを呟いた。

 本人も無意識に言葉を発したのか、不思議そうな表情をしている。

 

「どうしたリィン」

「俺自身、良く分からないんだけど、……今誰か話してたか?」

「いや誰も」

 

 疲れのせいか、ライとリィン以外には誰も話をしていない。

 しかし、リィンは誰かの声を聞いたのだと言う。

 

 ……あの空間から出たにも拘らず、まだ何か起きているのだろうか。

 リィンもそれに疑問を感じていたが、その後は何も聞こえなかった様なので、気を取り直して寮に向けて歩き出す。

 

 

 ――こうして、多くの謎に直面した1回目の旧校舎調査は幕を閉じた。

 

 

 

 

 




愚者:リーグ
耐性:???
スキル:アギ、???
 頼城 葛葉が覚醒したペルソナ。北欧神話に登場する人間の始祖であり、人々に助言を与える事で3つの階級を作り上げた。ヘイムダルの別名でもある。

魔術師:バルドル
耐性:???
スキル:ジオ、???
 友原 翔が覚醒したペルソナ。北欧神話の神々の中で最も美しく万人に愛されていたが、ロキの奸計によって殺害される。その事が後に起こるラグナロクの遠因となった。

女教皇:ナール
耐性:???
スキル:ガル、???
 葵 莉子が覚醒したペルソナ。北欧神話におけるトリックスター、ロキの母親だとしか語られていない謎の存在。女神だとする説もあるが、その真偽は不明である。

GET:莉子の日記1

――――――――――――

どうやら”向こう"でも何かが起こった様子。

一応、P3、P4、P4Uなどをやってない人でも理解出来る様に描写をしていく予定です。
と、言うよりこの様な形になったのも、本筋だけでは書けないペルソナ側の情報を話に盛り込んでいく為で(以下略
……ともかく、これでようやく本来の流れに戻ります。




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20話「4人の先輩」

約半月ぶりですね。最近は忙しいのでペースが遅めになっております。
1週間以上の遅れが発生する場合は活動報告に乗せていきますので、気になる方はご確認下さい。


「――ふぅむ、日本という国か。残念ながら聞いた事がないのぉ」

「学院長にも心当たりはありませんか」

 

 ライ達を先に帰らせたサラは、学院長のもとに訪れて調査の報告をしていた。

 格式ある導力灯に照らされた校長室。予定よりも調査が長引いてしまったので、ひとまず学院長であるヴァンダイクに報告する形になったのである。

 

「それで、サラ教官。その日本が旧校舎の中にあったと言うのは間違いないのじゃろうな」

「正確に言えば日本の辰巳ポートアイランドと言う場所ですね。私も夢だと思いたいくらいですけど、証拠もあるんで疑い様がないかと」

 

 サラは懐にしまっていたパンフレットをヴァンダイクに渡した。

 神妙な面持ちで紙をめくるヴァンダイク。空想の産物と考えるにはあまりにも現実味を帯びた内容であったため、彼も辰巳ポートアイランドという場所の存在を許容する他なかった。

 

「……にわかに信じがたい話じゃが、ここに書かれた空間は確かに存在する様じゃのう。しかし、サラ教官が訪れたのは本物の辰巳ポートアイランドじゃったのか?」

「恐らく旧校舎にあったのはポートアイランドを再現したものだと思います。あの空間で見つけた3人組も過去の光景を再現した様な感じでしたし、空間的に曖昧な場所だったので」

「うむ、そう考えるのが妥当じゃろうな。他に気づいた点はないか?」

「そうですね。……しいて挙げるなら2つ、でしょうか」

 

 サラが辰巳ポートアイランドに訪れて感じた2つの事柄。それを頭の中で反芻し、推測という形にまで昇華する。

 

「まず1つ目。日本は昔からシャドウに関わっていたと思われます」

「ふむ、旧校舎内に再現されていた事からも2者に関係があるのじゃろうが、断言する理由を教えて貰えんか?」

「3人組が消える寸前に現れた”桐条美鶴”というペルソナ使いが、自らをシャドウ事案特別制圧部隊の一員と言っていました。つまり――」

「専門部隊が設立される程度には認知されている、という訳じゃな」

 

 その根拠は街道灯と同じ原理である。

 このゼムリア大陸において魔獣が広く現れるからこそ、対策として街道灯が開発された。同様にシャドウが現れているからこそ、対シャドウの専門部隊が存在しているのである。

 

 であるならば、今回の異変に日本が関わっている可能性は十分に考えられる。

 

「そして2つ目もこの事に関わってきます。それは――……」

 

 続けて2つ目の話題、ライが日記を読んだときに判明した問題へと話を移そうとしたサラが、唐突に言葉を止めた。

 

 その理由は1つの迷い。

 今から報告しようとする内容は自身の教え子に関するものだ。本当にサラが感じた懸念をそのまま伝えても良いのかという懸念が、彼女の口を閉ざす。

 

「サラ教官?」

 

 だが、黙秘したところで状況が変わる訳でもない。サラは一旦瞳を閉じ、意識を入れ替えてからゆっくりと言葉を紡ぎ始める。

 

「それは、ライ自身も、日本に関わりがあるだろうと言う事です」

「……ほう」

 

 ヴァンダイクの目つきが変わった。

 この1ヶ月、何の進展もなかったライの素性に関する話題なのだから無理もない。

 そう判断したサラは日記を取り出して、やや早口に説明を始めた。

 

「この日記に書かれた日本の言語、それをライは当たり前の様に読み解いていました。本人に自覚はない様ですが、「ちょっとよいかな?」……なんですか、学院長」

 

 しかし、ヴァンダイクはサラの話を唐突に止める。

 

 間違いなくライの素性に興味がある様子だったのに何故止めるのか。

 ヴァンダイクの突然な態度の変化に、サラは疑問を感じた。

 

「サラ教官。お主はライ・アスガードの事をどう考えておる」

「どうって……」

「言葉通りの意味じゃ。今の話を聞く限り、彼が今回の事件に深く関わってるのは間違いないじゃろうな。……それを踏まえた上で問いたい。お主にとってあの青年は、黒か?」

 

 黒、つまりはライに対して疑惑を抱いているのかとヴァンダイクは聞いて来たのだ。

 

 その問いに対して素直に答えようとするサラ。

 だがしかし、その答えを口にする事ができない。いや、正確に言えば自分がライを疑っているのかを、サラ自身が判断出来なかったのである。

 

 始めの頃は確かに疑っていた。

 トワの話を聞くまで、サラは白紙の経歴を持つライを疑惑の目で見ていたのは今でも覚えている。

 

 しかしその後、彼と話し合う中で、サラはライを信頼しようと思った。表情には現れ難いが、彼は心優しい信頼に足る人物なのだと。

 

 でも実際のところ、サラはライを完全に信頼してはいなかったのではないか。

 ライから渡された日記に書かれた日本の言語を見たときに感じた懐疑心。思えば、ヴァンダイクに説明しようとしたときに躊躇したのも、サラ自身の中に未だ疑惑の念が残っていたからなのかも知れない。

 

 ライは黒か、それとも白か。

 

 シャドウという未知の問題を抱える身として、情報をもとに客観的な立場で疑う事は間違っていない。だが、それで良いのだろうか。あの記憶喪失の青年が事件の元凶だと決めつけて良いのかと、サラは深く悩みこむ。

 

 ――そして苦渋の末、答えを決めた。

 

「……冗談っ。関わりがあるからと言って彼が元凶だとは限りません」

「ふむ、その根拠は?」

「無論、1ヶ月教官として接した私の勘です」

 

 未だに疑わしい立場にいる青年。

 彼を疑う事はいくらでも出来るだろう。しかし、逆に彼を信じる事が出来る存在は誰か。そんなもの、担当教官である自分を置いて他にいないとサラは感じたのである。

 

 そんなサラの表情を見つめるヴァンダイク。

 月夜の校長室の中に緊張が流れる。

 

 そして数瞬の時が経ったとき、彼は硬い表情を崩してサラに笑いかけた。

 

「それで良い! サラ教官も教官職が板について来た様じゃのう」

「あー学院長、試しましたね?」

「いや何。VII組には多様な生徒が集う都合上、他のクラスよりも軋みが生じやすい環境になっておる。ならばこそ、少しでもサラ教官の助けになれればと思ったのじゃよ。……まあ、試す形になってしまったがのう」

 

 サラの緊張が解かれ、どっと疲れが押し寄せて来た。

 学院長であるヴァンダイクは、教官とシャドウ調査で板挟みになっていたサラの心を見通し、その捻れを解こうとしていたのである。

 もう少し穏便に解いてくれないものかと、サラは小さくため息をついた。

 

「……それにしても、クラスの軋みねぇ」

「む? 何か問題でもあったのか?」

 

 あった。そう、あったのだ。

 今日の夕方、新たな軋みが生まれようとしていたのをサラは確認していたのである。

 

「ええ、実は――」

 

 どうせならこの問題についても相談しようと、サラは学院長に今日の出来事を伝え始めた。

 

 

◆◆◆

 

 

 ――それから10日後、5月19日の放課後。

 

 日常の生活へと戻ったライは今、学生会館1階の食堂にある席に座っていた。

 丸テーブルの上に並べられているのは細かい文字が書かれた紙。その内容を確認して整理し、必要な部分にペンを走らせる。

 そう、これは生徒会の仕事だ。まだまだ新入りのため重要な書類ではないが、それでも学院を運営する為のものである為、素早くかつ丁寧に書き進めていく。

 

 しかしながら、そんなライの思考は作業とは全く別の事を考えていた。

 

(リィンとマキアスの仲は未だ険悪、か。……どうしたものか)

 

 旧校舎調査の日から続く2人の関係にライは頭を悩ませていたのである。

 ただでさえ戦術リンクやユーシスとの問題があるのに、加えてリィンとの確執も発生してしまったのだ。ライはひとまず自身の境遇を放り投げて、マキアスの問題をどうにか出来ないものかと考えを巡らせていたのだった。

 

 しかし、そう簡単に解決案は出ない訳で。

 

 そうこうしている内に、テーブルの隅に置かれたラジオから音声が流れて来た。

 ここトリスタに居を構える放送局、トリスタ放送のニュース報道である。

 

『……――ザザ――3日前に起こったルーレ市の襲撃事件に続き、今度はクロスベル自治州との境界線にあるガレリア要塞でも魔獣の襲撃が発生しました。しかしながら、周辺を守る第4機甲師団によって早急な対処がとられ――』

 

(魔獣の襲撃事件。これも、シャドウだろうな)

 

 ライは常にこの時間に放送されるニュース番組を聞いていた。

 帝国全土で発生している魔獣の襲撃事件。頻度はまちまちだが、今も変わらず事件は発生している。場所も毎回ばらばらであり、例えライが直接討伐に行けたとしても対応しきれる範囲ではなかった。

 

『無事、撃退に成功したとの事です。最近相次ぐ魔獣の襲撃に対し専門家は――……、七耀脈の……――ザザ、――ザァ――――……』

 

 と、ライが現状を歯がゆく感じていると、ラジオの声が聞こえなくなった。

 ラジオから聞こえてくるのは酷い砂嵐の音。前々からノイズが酷かったがついに壊れてしまったらしい。ライはペンを置き、騒音を鳴らすラジオをいじり始めた。

 

 そんな中、長身の男性がライに近寄ってくる。

 

「おっ、ライじゃねえか。何してんだ?」

 

 その声にライは視線をラジオから外した。

 声の主は銀髪をバンダナで持ち上げた緑服の青年、要するにクロウである。

 

「生徒会の書類を纏めていました」

「……これ全部か?」

 

 クロウはテーブルの上に重ねられた書類を眺める。

 そしてライの顔を二度見。何度確認されたってライが纏めたものだから頷く他ない。

 

「はは、は。トワが生徒会に入れたって聞いた時はどうなるかと思ったが、こりゃ適任かも知れねぇな。……トワの想定以上に」

 

 感心と呆れが混ざりあった様な顔をするクロウ。

 何か問題でもあっただろうか。

 

「ま、いっか。それよりお前が持ってる機械は何なんだ?」

「ラジオです。今は調子が悪いですが」

「へぇ、それがラジオねぇ」

 

 ライは修理のヒントが得られないかとクロウにラジオを渡し、書類纏めの作業に戻る。ペンの走る音と、ボタンをぽちぽちと押す音。2つの小さなリズムが食堂の雑踏に紛れて消えていく。

 

 そして、数分後。

 いきなりライの隣から大音量の砂嵐の音が襲いかかった。

 鼓膜を叩く騒音に、食堂内の全員が驚いた顔でクロウへと顔を向けている。そんな注目の的であるクロウは、あわてて音量(ー)のボタンを連打していた。

 

「〜〜うっせぇ! …………っと、あ〜、よーやく収まったか。こりゃジョルジュに渡した方が早いな。ライ、機械に詳しい奴がいるんだが紹介するか?」

 

 どうやらクロウに直せる伝手があるらしい。

 渡りに船な提案であるので、ライも特に考え込む事なく返事する。

 

「なら、お言葉に甘えて」

「おーけー。んじゃ、早速行くとしようぜ」

 

 話によるとその人物は技術棟にいるらしい。

 ライは学生会館の出入り口へと向かうクロウに追いつく為、最後の書類をサッと書き上げて席を立った。

 

 

◇◇◇

 

 

 ――技術棟。

 

 導力器を調整する機械が並べられた技術棟に訪れたライとクロウは、机を挟んで談笑する2人を発見した。1人は技術に精通していると思われる大らかな体系の男子生徒。黄色いツナギを着て作業用のゴーグルを頭にかけた彼は、穏やかな雰囲気で導力器を調整している。

 そして、もう1人はライも知っている小柄な茶髪の少女だ。我らがトールズ士官学院の生徒会長、トワ・ハーシェルである。

 

「あれ、ライ君? どうしてここに?」

「そう言うハーシェル先輩こそ」

「あ、うん。生徒会の仕事も一段落したから、ここでちょっと休憩してるの。ライ君は?」

「俺はラジオの修理に」

 

 懐からラジオを取り出す。それは依然としてノイズを周囲にばらまいていた。

 

「そー言う訳だ。ジョルジュ、こいつの修理頼めねぇか」

「いいけど、それ珍しい形だね」

「あっ、それ俺も気になってたんだ。どこで手に入れたんだ、ライ?」

 

 ライのラジオを興味深そうに眺めるジョルジュとクロウ。

 それ程までに、この携帯型のラジオが気になるのだろうか。

 

 しかし購入経路と聞かれても、この携帯ラジオは少々特殊な場所で手に入れたものだったりする。ライは裏面に書かれた”桐条グループ”の刻印を眺めながら、言っても良いのか少し悩み込んだ。……まあ、ここには関係者がほとんどなので話しても構わないだろう。

 

「旧校舎の中で入手しました」

「ははぁ、なるほど旧校舎の中で……って、はあっ!?」

 

 何故かクロウが驚いている。

 

「心配せずとも料金は置きましたが」

「いや、そう言う意味じゃないっての! 何で旧校舎の中にラジオがあるんだよ。どう考えてもおかしいだろ!?」

 

 そう言えば、旧校舎内にあった都市について先輩たちに話していなかったとライは思い出した。

 まあ、ちょうど良い機会なので、あの日の出来事について事細かに説明するとしよう。

 

 …………

 

「……マジか。あの奥にそんな場所があったとはなぁ」

「う〜ん、やっぱり不思議な場所だねぇ」

 

 1番初めにあの旧校舎に突入した2人にとっては、この事象に色々と思うところがあるらしい。

 ライはそんな彼らの様子を眺めていると、ジョルジュがゆっくりと近づいて来た。

 

「でもそう言う事なら、壊れた場所を探すより構造そのものを調べた方が良さそうだね。ちょっと時間かかるけど構わないかい?」

「ええ、お願いします」

 

 手に持ったラジオをジョルジュに預け、作業場へと向かう彼の広い背中を見送った。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 ……そうして、唐突に出来た空白の時間。

 

 ライはとりあえず技術棟のテーブルに座ると、反対側に座るトワに呼ばれた。

 どうやら生徒会の仕事で伝え忘れていた事があったらしい。

 

「ねぇライ君。この前渡した書類なんだけど、5日後までにお願いできるかな?」

 

 なんと、ここに来る前に書類の期日は5日後だった様だ。

 しかしまあ、実質もう期日の心配をする必要はないだろう。なぜなら――

 

「いえ、先ほど終わりました」

 

 もう、とっくに終わっているからだ。

 だてに授業を聞きながら辞書を高速で捲り続けてはいない。少々勝手は違うが、この程度の作業なら朝飯前である。

 

「えぇっ!? もう終わっちゃったの!?」

「やるからには全力です」

 

 最近、決め台詞になりつつある言葉を口にしながら書類を取り出した。

 

「ちょ、ちょっと見せてっ!」

 

 と、トワが慌てた態度で書類をひったくる。

 

 何だかトワらしくない行動だ。

 どうしてこうも焦っているのか、早く終えた事に何か問題でもあるのか、とライは不思議に思っていると、隣に座るクロウが茶化した様に答えをバラした。

 

「はは、無難な仕事で時間を使わせようって作戦、失敗しちまったなぁトワ?」

 

 どうやらトワの計画では、書類に時間を割かせてライの行動を抑制しようとしていたらしい。しかし、想定以上にライが早く仕上げてしまったため、淡くも作戦は崩れ去ってしまったと言う訳である。

 そして、もしライの効率に合わせて仕事を増やした場合、無茶をさせない為に無茶な量の仕事を与えるという矛盾が発生してしまう。トワにとって、まさに八方塞がりな状況になってしまっていた。

 

「ううぅ、書類に間違いもないし何も言えないよぉ……」

 

 黄色い瞳の目尻に涙がにじんでいるトワ。

 真面目に仕事をこなした筈なのに、何故か気まずいライであった。

 

 …………

 

「はぁ、どーしたらライ君の無茶を止めさせられるのかなぁ」

「……なあ今更だが、それトワが言えた台詞じゃないんじゃないか?」

 

 クロウが鋭くトワに突っ込む。

 ライは直接見た事ないが、トワも生徒会長の仕事を相当一生懸命に頑張っているらしい。話によると教官の仕事も手伝っているらしく、彼女の苦労を減らす事が生徒会の総意になっているレベルである。

 

「それでも、ライ君の無茶は度が過ぎてると思うの。なんだかライ君自身とは別の限界があるみたいで、いっつも平然と無茶してるんだから」

 

 しかし、彼女の中では譲れないラインがあった。

 その境界を理解していないライにとっては、その事に反論など出来る筈がない。

 

「善処します」

「ライ君は信じてるけど、その言葉はぜんぜん信じられないよ!」

「……済みません」

 

 堂々巡りのやり取りを続けるライとトワ。

 言葉ではトワが優勢だったが、端から見たら、涙目のトワをライが無表情でいなしている様にしか見えないだろう。

 

 

 ――そんな何とも言えない技術棟の空気を変えたのは、唐突に外から入って来たライダースーツ姿の女子生徒であった。バイクを携え、ゆっくりと建物の中に入ってくる。

 

「おや、君は噂の1年生かい? 私のトワを泣かせるとは良い度胸だね」

「ア、アンちゃん」

「うっす、ゼリカ。今日も女の子を口説いていたのか?」

「いや、今日口説いたのはこの子(導力バイク)の方さ。――ジョルジュ、この子の調整をお願いしたいのだが頼めるかな?」

「構わないよ。けど今は彼の機械を調べている最中だから、何時もの場所に置いてくれるかな」

 

 飄々とした雰囲気を纏う短髪の彼女は、バイクを両手で牽引して技術棟の隅に止めた。

 

 どうやら先ほどまでバイクを乗り回していたらしい。

 女性にしては凛々しい素顔に笑みを浮かべ、ふぅ、と一息ついている。

 

「アン・ゼリカ……?」

「ふふ、"アンゼリカ"で1つの名前だよ。2年I組のアンゼリカ・ログナーだ。よろしく頼むよ、後・輩・君?」

「ライ・アスガードです。今後ともよろしく」

 

 アンゼリカと軽く握手を交わした。

 1年上の先輩アンゼリカ・ログナー。確か四大名門の1人もそんな家名であったと記憶している。だとすれば彼女もユーシスと同じ大貴族の子なのだろうか。

 

 まあそれは良いとして、今の自己紹介で気になった事がもう1つ――

 

「I組、……貴族クラス? 確かハーシェル先輩やアームブラスト先輩は平民クラスですよね」

「ついでにジョルジュもな。――っま、確かに部活以外で平民クラスと貴族クラスの生徒が仲良くしているのは珍しいわな」

 

 このトールズ士官学院では部活動やVII組などの例外を除き、基本的に貴族クラスと平民クラスの間に友好はないと言っていい。だからこそライは気になったのだ。何故ここにいる4人はこんなにも親しげなのかと。

 

 その答えは対面にちょこんと座るトワが話してくれた。

 

「えっとね、わたし達が仲良くなったのはARCUSの試験導入がきっかけなんだ」

「試験導入……VII組設立のためですか」

「そうだよ。だからわたし達も去年、特別実習で色々な場所にいってるの」

 

 話している最中に懐かしくなったのか、トワは瞳を閉じてじーんとしている。

 1年間仲間として過ごして来た絆が、彼らを身分の垣根を越えて結びつけているのだろうか。

 

「懐かしい話だね。1年前のクロウはあんなにも虚ろな奴だったのに、今じゃこんなにも感情を出す奴になって――」

「おいゼリカ、なに人聞きの悪い事言ってんだよ。俺は昔から変わらねぇっつーの」

「まぁまぁ、2人とも」

 

 親しげにいがみ合うアンゼリカとクロウを諌めるトワ。

 遠くで作業しているジョルジュも、手を動かしながら優しげに3人を見守っている。

 

 ……いつか、VII組もこんな関係になる事が出来るのだろうかと、ライは複雑な心境で彼らを眺めていた。

 

 

◇◇◇

 

 

「結論から言うと、このラジオのノイズを消す事は難しいね」

 

 ラジオの調査を終えたジョルジュから帰って来た言葉は、ライにとって望ましくない結論であった。

 

「理由をお聞かせ願えますか」

「そもそもこのラジオは導力波を受け取る仕組みになっていないんだ。多分導力とは別の波を受け取っている見たいでね。今まで放送が聞けていたのも偶然波の性質が似ていたからだと思う。……だから、もしこのラジオを直そうとするなら、中身を全部取り替える必要があるだろうね」

 

 中身を全部替えるなら、始めから別の導力ラジオを買った方が早いし安上がりだ。

 これはもう納得せざるを得ないだろう、ライの手に入れたラジオは使い物にならないのだと。いや、そもそもあの世界の物を使おうとした事自体が間違っていたのかも知れない。

 

「そこで提案なんだけど、技術棟にある中古のラジオとこのラジオを交換してくれないかい?」

「? 良いですが、そちらに何のメリットが?」

「いやぁ、実はこのラジオに使われている技術の中に興味深い物があってね。技術畑の人間としてもう少し調べてみたいんだ」

 

 そう言えば、ラジオを手に取った電化製品の店でアリサも似た様な事を言っていた。

 ライにとっては使い難い道具も、彼にとっては宝箱の様なものなのだろう。

 

「なら、他の機械も持ってきますか? また旧校舎に行く機会もあるでしょうし」

「本当かい! なら、今度はもっと複雑な機能のものを頼むよ」

「任せて下さい」

 

 こうして、ライはジョルジュの依頼(クエスト)とともに、導力ラジオを手に入れるのだった。

 

 

◇◇◇

 

 

 ――そして、技術棟からの帰り道。

 

 ライは譲り受けた中古の導力ラジオを両手に抱え、クロウと共に帰路についていた。

 彼と2人で帰っている理由は単純明快、技術棟から出る際に一緒に帰らないかと誘われたからである。何でも1つ話があるそうだ。

 

「どうしたんですか突然」

「……いや、取り越し苦労なら良いんだけどよ。お前なんか悩みでもあるんじゃねえか?」

 

 衝撃が走った。

 まさか普段おちゃらけて見えるクロウに見破られるとは。

 

「おい、今なんか失礼な事を考えなかったか?」

「いえ何も」

「……ま、いっか。とりあえず食堂と技術棟で2回ほど黄昏れていたからな。旧校舎で助けられた借りもあるし、何とかしてやろうかと思った訳さ」

「表情に出てましたか」

「相手の機敏を察するのはギャンブルの鉄則だからな。まぁ、めちゃくちゃ分かり難いけど、多分トワ辺りも察してたと思うぜ」

 

 どうやら予想以上に広範囲にバレていたらしい。

 もう覚悟を決めるしかないだろう。ライは腹を括って今VII組で起こっている問題を話し始める。

 

 …………

 

「へぇ、あのリィンがマキアスとの間に不和とはねぇ」

「正確にはマキアスが一方的に嫌っている状況ですが。――後、リィンとも知り合いだったんですか」

「まぁな、この前ちょっとギャンブルを、……ってもう第2学生寮前か」

 

 気づいたらもう平民クラスの寮である第2学生寮の前に着いていた。

 丁度、部活生の帰宅時間とも重なっているので、ここで長々と相談する訳にもいかないだろう。

 

「んじゃ、こっちでも作戦練ってみるから、今度の自由行動日にリィンも加えて駅前に集合な」

「了解です」

 

 その一言を聞いたクロウは、手をふらふらと振りながら寮の中へと入っていく。

 

 さて、この行動が吉と出るか凶と出るか、それとも徒労で終わるのか。

 

 ライは先行きが見えない次の自由行動日、5月23日を思いながら、夕焼けに染まる街路へと消えていった。

 

 

 

 

 




早く特別実習に行きたいところですが、ペルソナは人間関係も重要な鍵となっているのでこの様な形に。少々ネタバレですが、後2話を挟んで実習に行く予定となっております。


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21話「マキアスの謎を追え」

「ライから頼れる先輩だと聞いていたけど、まさかクロウ先輩だとは……」

「おいそこ、微妙な顔すんなって」

 

 5月23日、自由行動日に駅前の広場でリィンとクロウを会わせた反応が以上である。

 クロウは一体リィンに何をしでかしたのだろうか。

 

「はぁ……もうギャンブルには付き合いませんよ」

「ハハッ、別に50ミラを取るつもりじゃなかったんだがな。そういやあの時のコイントス、どういうトリックか分かったか?」

「そうですね、……両手で取らずに地面の袋に落とした、で合ってますか?」

「うお、普通にばれてら」

 

 リィンとクロウの話から察するにコイントスに関するギャンブルをしたらしいが、どうにも過程が分からないので2人に聞いてみる事にした。

 

 ……

 …………話を纏めよう。

 

 時期は4月17日、リィンから学生手帳を渡された日の放課後に起こったらしい。学生会館前で偶然リィンと会ったクロウは、リィンから50ミラコインを借りて手品を行った。その内容は親指で弾いたコインがどちらの手に握られているかという単純なものだが、手品と言う言葉通り、クロウの両手にコインはなかったらしい。そして、結局クロウは種を明かさずそのまま帰っていったと言うのが一連の流れである。

 

 ──まあ、要するにクロウはリィンから50ミラコインを借りパクしたのだ。

 

「小さ」

「おいおい、小さい言うなよ。何なら今ここで、……って今10ミラしか持ってなかったわ。悪ぃ」

 

 本格的に大丈夫だろうか。と言うより10ミラでは駄菓子程度しか買えないのではないだろうか。

 色々な意味で心配になるライとリィンであった。

 

「ちょっと待て。何だよその残念そうなものを見る目は」

「鏡でも持ってきますか、50ミラ先輩」

「うっせ、何時か20万ミラくらいにはなってやるっつーの! ──って言うか話ズレてねぇか!? 確か俺達が集まったのはマキアスの問題をどうにかする為だったよな?」

 

 と、そうだった。

 今回集まったのはクロウの言った通り、マキアス関連の問題を解決する為だ。

 

「それで何か策でも?」

「まぁ一応な。つっても奇抜な策とかじゃないから、気楽に聞いてくれや」

 

 クロウはそう前置きし、自身もベンチへと腰を下ろしながら本題へと移る。

 

「まず始めに言っておくが、マキアスの嫌い方はどうも普通の貴族嫌いとは違うな」

「……普通?」

「あぁライは知らないかもしれねぇが、一般的な貴族嫌いの原因は貴族に対する不満とかから来てんだ。……けど、話を聞く限りマキアスの場合は同じ様でどうも毛色が違う。もっと深刻な理由、それこそ貴族に手酷く裏切られた様な経験があってもおかしくないって訳さ」

 

 肘をつき手を組みながら説明するクロウ。

 話を元に構築した推論だが、割と的を射たものかも知れないとライは感じた。

 

「でも、そうだとしたら、直に問題を解決するのは無理があるんじゃないですか?」

 

 クロウの考察を受けてリィンが質問する。トラウマ等はそう簡単に克服出来るものではないと、何よりリィン自身が理解しているからだ。

 しかし、それでもクロウは何時もの態度を保ち続けていた。

 

「ちっちっち、目的を間違えるなよリィン。俺達の目的はあくまで人間関係の修復であって、過去のトラウマを癒す事じゃねぇんだ。……ま、トラウマを癒せりゃ言う事ないんだが、今回は着実に行くとしようぜ」

 

 おちゃらけた態度で発せられたヒントを聞き、リィンもクロウの言わんとする意図を知る。

 トラウマの克服と人間関係の修復、この2つの差はライ達にとってはある意味身近なものであったからだ。……戦術リンクとそれに伴う嫌悪感が、まさにこの件にも当てはまっていた。

 

「要するに、原因となった貴族とは違うと、マキアスに納得させればいい訳ですね」

「まあ、有り体に言えばそうなるな」

 

 ライが初めてリィン達に会ったあの日、マキアスも一緒にリィンが養子である事を聞いていた。そしてマキアスは直情的ではあるものの、リィンの事情を考慮出来ない程の考えなしという訳でもない。ならば、納得させる事さえ出来れば関係修復も不可能じゃない筈だ。

 

「なら次は、本題の《どうマキアスを納得させるか》ですか」

「──うぐっ」

 

 うぐっ? 何やら景気の悪い声がクロウの口から漏れた。

 2人の後輩の視線が集まる中、クロウは頭をぽりぽりと書いている。これはもしや──

 

「もしかしてクロウ先輩、これから先何も考えていないんじゃ……」

「は、ははは。……これでも4日間考えたんだけどよ。悪ぃが何も思い浮かばなかったわ。そもそも俺はマキアスとあんま面識がねぇから、マキアスの嫌っている貴族像ってのも良く分かんねぇし」

 

 あれだけ推論を並べていた結果がコレである。

 ……しかしまぁ、思い浮かばないのはライ達も同じなので何も言うまい。

 それよりも、今考えるべきなのはリィンも言っていた《どうマキアスを納得させるか》だ。頭で納得させただけでは意味がない。どうにかして心から納得させる必要があるのだが──。

 

「……納得する様子が想像出来ない」

「話をしようにも、取り合ってくれるかすら分からないからな。マキアスの貴族像とは違うとアピールをするにしても、俺達は一体どうしたらいいんだろう」

 

 何らかの行動を起こす必要があるのは確かだが、マキアスが嫌っている人物像が分からない限り、明確な行動の方針も打ち立てられない。ならば──

 

「直接聞き出すしかないか」

 

 ただ、行動あるのみだ。

 

「いやライ? それって下手すればもっと状況が拗れるんじゃ……」

「だが、今ここで悩んだところで前進しないだろ?」

 

 ライはリィンの苦言をはね除けた。

 この場合、どちらが正しいと言う事はない。ただライの性格上、問題解決に繋がりそうな可能性を前に歩みを緩める訳がなかった。

 

「──良く言った! んじゃ早速行動に移すとしようぜ! ライ、マキアスの場所は知ってるか?」

「恐らくチェス部かと」

 

 軽快な足取りでトールズ士官学院に向かうライとクロウ。リィンは今も尚変わらないライの表情と行動とのギャップに呆れながら、ある1つの事実に気づく。

 

「……もしかしてこの中でストッパー役、俺しかいないんじゃないか?」

 

 リィンは頭を押さえ、深くため息をつくのだった。

 

 

◇◇◇

 

 

 ──学生会館、2階。

 

 ライ達は今、3人揃ってチェス部に通じる扉の前に立っていた。

 

「さて、ここまで来たはいいが、誰が聞き出す?」

「誰って、俺は今回の問題の当事者ですよ」

「同じく戦術リンクで」

 

 リィンとライが即答する。

 

「おい、ちょっと待て。もしかして俺しか適任がいねぇのか? 俺は極論で言っちまえば赤の他人だぞ!? 何なら他のVII組の生徒も呼んで──」

「他の面々は部活中です」

「……しくった。こんな事なら別の日にしとくんだった」

 

 クロウが片手で頭を抱えている。

 流石のクロウも見知らぬ他人から情報を聞き出すのはハードルが高いらしい。

 

 まぁ確かに、赤の他人と言っていいクロウに身の内を語るかと言われれば微妙な訳で。

 そういう事情も加味すれば、戦術リンクと言う特殊な状況下にいるライと似た様な難易度なのかも知れない。

 

「ならここは俺が行きます」

「おお、助かるぜ」

 

 クロウの返事を耳にしながら、ライはチェス部の扉に手をかける。

 そして躊躇なく扉を開け放った。

 

 ……部室内を確認する。

 入り口の向こう、部室の中には青髪の青年が1人でチェスの駒を弄っていた。

 

「あれ、どうしたんだい? 突然」

「ステファン部長、マキアスはどこへ?」

「ああなるほど、マキアス君を探しているのか。けど、残念ながら今日はまだ見ていないよ」

 

 どうやらマキアスはいないらしい。

 

「はは、とんだ取り越し苦労だなぁオイ。……いや待てよ。なぁ、ここは1つ作戦変更して周囲の人間から探ってみないか?」

「まあ、それも1つの手ですか」

 

 本人の預かり知らぬところで聞き込みをする事に若干の後ろめたさを感じるが、もう四の五の言っている場合ではない。故にライ達はここでプランBへと移行する事にした。

 

 ……と言う訳で、まずは第2チェス部部長のステファンに聞いてみたのだが、「貴族らしい傲慢さとかを嫌っているみたいだけど、それ以上は分からないかな」と言う返事しか得られなかった。

 

 この作戦もどうやら一筋縄ではいかないかも知れない。

 とりあえず、ライ達は一旦部室を出て作戦会議を始める。

 

「う〜む、出来ればもうちょい手がかりが欲しいとこなんだが。こうなりゃ近場の部室も当たってみっか」

「近くと言えば、……釣皇倶楽部や写真部、後は《文芸部》とかですね」

 

 リィンが文芸部と言うワードを口にした途端、ライの体が一瞬固まる。

 そして、急に方向を転換すると1階への階段へと急ぎ足で歩き始めた。

 

「なら俺は外を回ってきます」

「お、おう。確かに手分けして聞いた方が良いかもな。それじゃライは学院の外、リィンは本校舎の中、俺はココと図書館で聞き込みとすっか。んでもって1時間後に校門前集合って事で」

 

 ライの素早い行動に物怖じしながらも、新たな作戦を組み立てるクロウ。

 その話を最後まで聞いたライは一言「了解です」と返事し、急ぎ学生会館を後にした。

 

 ──重ねて言おう、文芸部には魔物が住んでいる。

 

 

◇◇◇

 

 

 そうして、ライはトールズ士官学院の外周で聞き込みを開始した。

 部活巡りをした時とは反対に渡り歩き、園芸部、ギムナジウムにあるフェンシング部や水泳部、馬術部、ラクロス部と順々に話を聞いていく。

 途中、ベンチで眠るフィーを発見してそのまま苗の水やりをする事になったり、フェンシング部で傲慢そうな貴族生徒に遭遇すると言った出来事があったものの、肝心のマキアスに対する情報はあまり得られなかった。一応貴族であるラウラやユーシスの話も聞いたのだが、新たな見解と言えるものは見つからない。

 

 ──そして今、ライはグラウンドでの聞き込みを終えて校舎に戻る坂道を歩いていた。

 

 石畳の階段を上り、校舎の正面玄関へと続く道を目指そうとするライ。そのとき、階段近くの木陰に置かれたベンチの上で、見慣れた金髪の少女が雑誌を読んでいる光景を目にする。

 

「ここにいたのか、アリサ」

「……あら、ライじゃない。どうしたの……ってその様子、何か私に用事でもあるのかしら?」

「マキアスに関して聞き込みをしてる」

「なるほどね。そう言う事なら喜んで協力するわよ。私もどうにかしたいって思ってたし」

 

 アリサは手に持っている雑誌をぱたんと閉じてベンチに置き、姿勢を整えて話を聞く為の雰囲気を作り出す。まるで貴族の子女の様に自然で上品な身のこなしだ。ライはその事が少々引っかかったものの、気を取り直して「マキアスが嫌う貴族像の特徴に心当たりはないか」と率直に投げかけた。

 

「……う〜ん、マキアスの嫌う貴族像ねぇ。ごめんなさい、私も貴族らしい貴族を嫌う事しか分からないわ」

「そうか」

 

 実に恐ろしきはマキアスの難攻不落さか。

 ここまで聞き込みをしても成果を得られないとなると、この方法は間違っているのかも知れない。傲慢で在り来たりな貴族像、もう少し詳細な手がかりが欲しいところなのだが……。

 

「ところで、今日は部活に出なくていいのか? 先の聞き込みでラクロス部の同級生も心配していたぞ」

「フェリスが? ……どうせ『伯爵家の私と違って、アリサさんはラクロス部としての意識が欠けていますわね』とか言ってたんでしょ」

「一字一句正解だ」

「はぁ、そんな事だと思ったわ」

 

 アリサは小さく肩を落とす。ライは遠回しな気遣いと受け取ったのだが、どうやら単純に言葉通りの意味だったらしい。人間関係とは奥が深いものである。

 

「それで、アリサは何故ここに?」

「……えっ? あ、うん。ちょっと用事があって。──っで、でもそろそろ部活に行く時間だから、この話はまた今度にしましょう!」

 

 彼女はそう早口に捲し立てると、ベンチから立ち上がって、そそくさとグラウンドに走っていった。

 

 ……結果として、ベンチの側に残される形となったライ。

 表情はいつものままだが、実際のところ呆然としているだけだったりする。

 

「今のは、はぐらかそうとした、のか?」

 

 疑問系の語尾だが、ほぼ間違いなく正解と言っていいだろう。何らかしらの知られたくない事情に踏み込んでしまったのかも知れない。

 そう考えたライはグラウンドから視線を外す。すると、今度はベンチの上に置かれた1冊の雑誌が目に入った。

 

(これはアリサの読んでいた雑誌か)

 

 思い返せば、アリサはこれを読むときに複雑な表情をしていた。もしかしたらこの雑誌の中に、先のアリサの行動へと繋がる情報が隠されているのだろうか。

 故にライは何気なく雑誌を拾い上げ、パラパラと捲り始めた。そして、折り目のついたページ、つまりはアリサが読んでいたであろう箇所を見つけると表題を確認する。

 

(ルーレ市に拠点を置く帝国随一の大企業、ラインフォルト社代表イリーナ・ラインフォルトへのインタビュー記事、か)

 

 ルーレ、その都市の名には聞き覚えがある。

 そう、それは確かラジオの向こう側から、シャドウ襲撃の被害が出た場所の1つとして。

 

 何か嫌な予感を感じたライは急ぎインタビュー記事を流し読みする。文面によるとこのインタビューが行われたのは4日前、ライが先輩達と会った日だ。ルーレ市が襲われたのはさらにその3日前なのだから、恐らくはこの中に……

 

(……見つけた)

 

 インタビューの中で、魔獣の襲撃に関する話題が出ていた箇所を発見する。

 それほど長くはない文章だが、ライは注意深く確認する。

 

 

 "そう言えば、最近貴社の本社ビルが魔獣の襲撃にあった様ですね。何でもビルの一角が崩壊したとか"

 "ええ、幸い我が社に腕利きの人物がいたので大事には至りませんでしたが、一歩間違えれば人的被害にも繋がったでしょうね"

 "ラインフォルト社の兵器に対する信用が揺らいでいるとの意見が出ていますが? "

 "ご心配なく。現在、帝国軍と提携して調査・開発を進めております。ここ一ヶ月の間に出没している魔獣は、従来のものと異なる性質を持っているとの報告も得ていますので、我が社としては──"

 

 

 その後はラインフォルト社の開発する兵器の話や、エレボニア帝国における配備状況などに話題が移っていった。

 

 ……どうやら人的被害は軽微、嫌な予感は杞憂に終わったらしい。だとすればアリサは何故この記事を読んで難しい顔をしていたのだろうか。今度はその疑問を抱えながら記事を読み進めていく。そして記事の終わり、イリーナ・ラインフォルトの写真を見つけたライは微かな引っかかりを感じた。

 

 眼鏡をかけた金髪の女性。

 彼女に見覚えはないし、ラインフォルトと言う姓に聞き覚えもない。

 けれどもその顔にはどこか面影があったのだ。先ほどまで話していた少女、アリサに。

 

(これは──)

 

 ライがその事に気づいた瞬間、自身のARCUSが着信の音を鳴らし始める。……そうだ、今はアリサの謎ではなくマキアスの問題を探し求めていた筈だ。この雑誌については後で考えた方がいいと判断し、ライはARCUSを耳に当てる。

 

「リィンか、どうした」

『"どうした"じゃないだろ。もう約束の1時間は過ぎているぞ』

「……あ」

 

 時計を確認すると、既に時計の短針が一周してしまっていた。立夏の風がライの冷や汗を撫でる。

 

『……もしかして、忘れてたのか?』

「悪い30秒で向かう」

『いや、そこまで急がなくていいから』

「分かった、20秒待っててくれ」

 

 全く分かっていないライは通信ボタンを切って雑誌をもとの位置に戻し、即座に反転して校門前へと駆け出していった。

 

 

◇◇◇

 

 

 トールズ士官学院の校門前に辿り着いたライは、黒髪と銀髪の2人組、つまりはリィンとクロウのもとへと駆け寄る。

 

「遅くなった」

「ははっ、中々の重役出勤っぷりじゃねぇか」

「……本当に20秒だったな」

 

 ライのいた場所は校舎横にあるグラウンド入り口。案外この場所に近かったので、雑誌を置く動作を挟んでも間に合ったのだ。それを説明するとリィンもしぶしぶ納得する。

 

「んじゃ、早速情報交換と行きますかね。ライ、何か手がかりはあったか?」

「いえ、貴族らしい貴族と言う話以外は何も」

「……そっちもか。俺達んとこも似た様な感じだ。こりゃテンプレ的な貴族像が正解ってことなのか?」

 

 実際のところ、正解かどうかは微妙な状況となってしまっている。

 他に手がかりが得られない以上その可能性は高いのだが、あまりにも普遍的な貴族像である事が逆におかしい。マキアスが深いところを隠していると捉えた方が筋が通るくらいである。

 

「これはもう本人を捜して──」

 

 当初の予定に戻そうと提案するライ。しかしそのとき、

 

 

「いや、その必要はない」

 

 

 4人目の声がライの言葉を遮った。

 

 ライ達は揃って視線を4人目へと向ける。そこにいたのは緑髪の生真面目そうな青年、マキアスであった。彼は不審な目つきでライ達を睨んでいる。

 

「マキアス……」

「こそこそと僕の事を嗅ぎ回っていたようだな。そこまでして僕の弱みを掴みたいのか」

 

 ライ達が手がかりを探しまわっているという情報を耳にしたのだろう。しかし、彼はライ達の行動を別の意味で捉えてしまっていた。リィンはその事を訂正しようと口を開くが、ライが静かに片手で遮る。

 

「──ライ?」

「今回の提案をしたのは俺だ。俺が何とかする」

 

 ライは1歩前に出てマキアスと向き合う。

 始めから本人に聞く予定だったのだ。ならばこの状況、最大限活用させてもらおう。

 

「悪かった。理由は何であれ探ったのに変わりはないからな」

「どうせ君も俺を責める為に聞き回っていたのだろう? あのリンク時の様にな」

 

 マキアスがライを睨みつける。……今のはマキアスの体験したリンク時の内容か? いや、余計な事は考えるな。今はマキアスの問題に意識を研ぎすませろ。

 

「俺の事はどうでもいい。それより何故貴族を嫌う」

「何を聞くかと思えばそんな事か。貴族と言う存在は平気で他者を傷つけ追いつめる。貴族や体制そのものが僕にとっての敵なんだ」

 

 落ち着いた口調、だがその裏には抑えきれない激情が垣間見える。貴族とその体制に対する怒りこそがマキアスの嫌悪感の根源だとライは直感で納得させられた。

 

 しかし、それでもライは問いたかった。貴族を嫌ったままで構わない。その激情を隠す必要もない。けど1つだけ、どうしても確認しておきたい事があったのだ。

 

「本当にそう思ってるのか?」

「……何!?」

 

 ライはその微動だにしない青い瞳をマキアスへと向けた。

 その揺るぎない視線に、眼鏡の奥に見えるマキアスの瞳が狼狽える。

 

「本当にリィンがそんな人物だと思っているのか、そう聞いているんだ」

「……ふん、当然だろう。貴族は自分のためなら、何だって──」

「聞きたいのは"貴族"の話じゃない。"リィン"の話だ」

 

「…………っ……!」

 

 マキアスがリィンと言う個人を見た上で嫌うならライは何も言えない。しかし、今のマキアスは貴族と言うだけでリィンにレッテルを貼ってしまっている様に見えた。だからこそライは問う、リィンをどう思っているのかと。

 旧校舎の中でマキアスは辛そうに話を切り上げていた。本当はマキアスも気づいているのではないか? 貴族と言うレッテルで区別出来る程、リィンは、それにユーシスも単純ではないのだと。

 

 ──しかし、それでもまだマキアスの意見は変わらない。

 

「…………そ、そう思うに決まっている! 大体僕たちはまだ1ヶ月しか接していないんだぞ! 彼は違うなどと断言出来るものかっ!」

 

 まるで自分に言い聞かせているかの様に叫んだマキアスは、校舎の奥へと急ぎ足で消えていった。その光景をリィンとともに見送る。

 

「行ってしまったな」

「……済まない」

 

 重苦しい静寂が辺りを包む。マキアスの本音と思わしき言葉を聞けたのは収穫と言えるかも知れないが、この状況は喜べるものではないだろう。言外に落ち込む2人。……しかし、ただ1人クロウだけは別の捉え方をしていた。

 

「いや、これは案外ファインプレーかも知れねぇぞ」

「え?」

 

 リィンが疑問混じりの声を上げた。

 ライもリィンと同様の意見であるため、クロウに向けて「どういう意味なのか」と視線で訴えかける。

 

 それを受け取ったクロウは一旦肩をすくめ、まるでギャンブルで勝機を見つけたかの様な不敵な表情で語り始めた。

 

「そう気構えるなよ。この状況は危険でもあるが、同時にチャンスでもあるって話さ」

「チャンス……?」

「ああ、今までのマキアスは悪い意味で安定していたんだろうな。だが、さっきのライとのやり取りでそこに一石が投じられた。今のマキアスに対してなら、貴族としてでなくリィン自身を意識させる事も不可能じゃない筈だぜ」

 

 クロウが言うには、先ほどのマキアスは口では否定しながらも、どこか迷いを抱えている様子であったらしい。表面化した迷いや葛藤は成長へのきっかけでもある。故にうまく接する事が出来れば、マキアスの視野を広げる事にも繋がるだろうとの事だった。

 

「まあ、時には迷う事も大切だってこった。どこかの誰かさんみたいに迷いを排する奴を説得するのは骨が折れるしな」

「……ああ、確かに」

 

 リィンが心から納得した様な顔をする。

 どこかの誰かさん、それは一体何者なのだろうか。

 

「……やっぱ自覚ねぇんだな。まあいい、そんじゃ俺達も行くとすっかね」

「行くって、どこにですか?」

「決まってんだろ。マキアスを変える絶好の場を整えにだよ」

 

 そう言ってクロウは校舎に入る正面玄関へと歩き出す。そして、数歩進んだとこで反転しライ達に向き直った。

 

「要するに今のマキアスとリィンとが無理やりにでも関わり合える場があればいいんだろ? ──なら、うってつけの奴があるじゃねぇか。お前らVII組を大いに成長させうる1大イベント、来週の《特別実習》がな」

 

 ライとリィンに向けてしたり顔で宣言するクロウ。

 その赤い瞳には、成功を確信する猛々しい光が灯されていた。

 

 

 

 

 




結論は似てても過程が違う、そんなお話でした。

年内最後の投稿になります。
ここ最近の文字数は毎回8000字越え。一週間投稿を維持するのは難しいかもしれません。しかし、それでも投稿は続けていきますので、来年もどうかよろしくお願い致します。

それでは皆さん良いお年を……。


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22話「無茶の原因」

(1/18)後半のくどい文章を若干整理。まだまだくどいですけど。


 あの後士官学院の職員室へと向かったライ達は、丁度職員室に来ていたサラを捕まえる事に成功し、早速先ほどまでの内容を説明した。

 

「──なるほど。マキアスとの不仲を解決する糸口を見つけたって訳ね」

「ま、特別実習で話し合った後の状況は未知数だがな。少なくとも今よりは断然可能性がある筈だぜ」

「その為にはリィンがマキアスと一緒の班になる必要があるって事か。……りょーかい、私の方でも考えてみるわ」

 

 考えるとは言ったものの断言を避ける教官。態度から察するに決める気すらない様である。

 

「まだ決められないのですか?」

「教官の立場として吟味する必要があるもの。それに生徒の言葉で簡単に決めちゃったらハインリッヒ教頭に何てどやされる事か……。察してちょうだい」

「そうですか。なら後は任せます」

「ええ、任されたわ〜」

 

 片手をふらふらと振って木製の扉から外に出ていくサラ。恐らく職員室での用事は既に終わっていたのだろう。

 

「なぁ、これで良かったのか?」

「今はサラ教官を信じよう」

 

 とりあえず今日出来る事は終わったとライ達は気を抜いた。

 後は特別実習でどういうアクションをするかだが、これは別に今決める必要はない。

 

「……っと、悪ぃ。用事思い出しちまった。俺は先に帰るわ」

 

 すると、突然クロウが慌ただしく話を切り出す。

 

「分かりました」

「んじゃ、終わったら報告頼む。俺も事の結末が気になるしな」

 

 そう言ってクロウは緑の制服を翻し、急いで職員室から飛び出した。

 何をそこまで急ぐのかと疑問に思うライとリィン。しかしここでは何人かの教官が今も仕事をしているため、ライ達も静かに職員室を後にする。

 

 こうして、5月23日の作戦は音もなく幕を下ろすのだった。

 

 

 …………

 

 

 トリスタにある石畳の街道の上、士官学院から寮へと帰る道の途中でクロウとサラが向き合っていた。

 

「……それでクロウ。まだ何かあるのかしら?」

「もう1つしなきゃならない話を思い出したんでね。──ライの無茶に関して、トワの話ん中に気になるものがあったんだ。ちょっくら聞いてくれねぇか」

 

 裏で話し合われた内容を、ライ達は知る由もなかった。

 

 

◆◆◆

 

 

 日付けは変わって5月26日、この日は実技テストである。

 

 前回の実技テストでは嫌悪感の始まりと言う苦い思い出があるのだが、それでも実技テストは一月ごとに訪れる。ライは複雑な心境を抱えたまま、この時間を迎えようとしていた。

 

 ……しかし、そんな心境を置いておいても言いたい事が1つある。なぜ今回の実技テストの集合場所が、木々の生い茂る旧校舎前なのだろうか。

 

「これは、デジャブか?」

「疑問を挟む余地もなく、旧校舎調査と同じ状況だろ」

 

 デジャブを感じたのは間違いではなかったらしい。

 確か前回の実技テストでは普通にグラウンドに集合であったため、VII組の面々もやや不思議そうな顔をしていた。シャドウ関連とも考えたが、今の時刻は午前のため関係性は薄いだろう。この様な状況を打破できるのはただ1人、ここに集合させたサラを置いて他にいない。

 

「はいはい、皆ちゅうもーく! これから2回目の実技テストを始めるわよー」

 

 相変わらずのマイペースな態度で学院方面から歩いてくるサラ。

 

「サラ教官、何でまたここに集まったんですか?」

「焦らない焦らない。あなた達はまだまだ若いんだし、もっと余裕を持ちなさい♪」

 

 エマの問いを片手でいなしながら旧校舎入り口の前に移動する。11人の生徒の視線もつられて入り口へ、腕を組んで立つサラのもとへと集まった。

 

「さて、これから実技テストを始めるんだけど、……今回はその前に特別実習の資料を渡しておくわね」

 

 サラはその手に持っていた11枚の白い封筒をVII組の皆に配る。その中に入っているのは5月の特別実習における班分けの情報。ライ達は早速封を破り中身を確認する。

 

 

 ────────────

【5月特別実習】

 A班リィン、エマ、マキアス、ユーシス、フィー(実習地:公都バリアハート)

 B班ライ、アリサ、ラウラ、エリオット、ガイウス、ミリアム(実習地:旧都セントアーク)

 ────────────

 

 

 今回のライはB班の様だ。行き先は《旧都セントアーク》、詳細についてこの後調べておく必要があるだろう。そして何よりマキアスの問題に関する件だが──

 

「……俺とリィン達は別か」

 

 サラに進呈した関係上ライもリィン達と同じ班になると考えていたが、現実はその反対だった。これではマキアスの問題に最後まで関わるのは難しいだろう。何故ならクロウの建てた作戦では特別実習と言う舞台こそが肝なのだから。

 

「さて、この班分けに関して何か質問でもあるかしら?」

 

 あるかないかで言えば、勿論ある。

 しかしサラは「考えてみるわ」と言っただけで、リィンやマキアスと同じ班にすると断言した訳でもないし、和解のメンバーであるリィン・マキアス・ユーシスの3人は問題なく同じ班に入れられている。ならばせめて、この班分けの意図を聞こうとライは口を開くが、その寸前に──

 

「──何の冗談ですかこれはっ!?」

「前回に続き2度もこいつと同伴とはな。教官はよほど冗談が好きと見える」

 

 当の本人であるマキアスとユーシスから、苛ついた口調で反論が飛び出した。

 

「あら、そんなにこの班分けが不満かしら」

「ええその通りです。こんな傲慢な奴と一緒に特別実習など出来る訳がない!」

「……この男と同じ意見をすると言うのは遺憾だが、この状況でまともな実習になるとは到底思えん。教官、実習の再検討を願おうか」

「まいったわねぇ。まさかここまで反対するとは……」

 

 サラは頭をかいて、困った様なポーズを示す。……が、それは一瞬の内に消え去った。どうやらそれ程困っていないらしい。

 

「まぁ冗談なんだけど。あなた達がそう言うのは想像してたわ」

「だったら何故っ!?」

「その方がベストな結果になるって考えたからよ」

 

 そう言ってサラは、ライとリィンに向けて片目でウィンクした。

「あなた達の願いは叶えたわよ」と言う自信満々かつお茶目な表情である。

 

「しかしバリアハートと言えば、アルバレア公爵を始めとして傲慢な貴族が多いそうじゃないですか! これなら穏健派と噂のハイアームズ侯爵が治めるセントアークの方がまだマシだ!」

 

 教官であるサラが断言したにも関わらず、マキアスは食い下がる。

 

「そこまで言うなら、私と勝負してみる?」

「……何?」

「私は軍事畑の人間じゃないから、本気で意見を通したいなら力ずくってのも構わないわよ」

 

 サラの提案を受けて、マキアスとユーシスはお互いの顔を見合わせる。マキアスがユーシスを嫌っている事は言うまでもないが、ユーシスにとってもマキアスは気に喰わない相手だった。

 しかし、今この場に置いて2人の目的は同じである。故にマキアスとユーシスは武器を抜きサラに向き直った。

 

「──フッ、面白い」

「では遠慮なく行かせて貰います」

 

 その返事にサラは妖しく微笑む。両手に握られているのは紅色の導力銃と片手剣、遠近どちらにも対応したサラの戦闘スタイルである。対するマキアスとユーシスは中距離のショットガンと宮廷剣術の長剣だ。武器のレンジに関しては両陣営ほぼイコールであり、人数としてはマキアス側が優勢。しかし、サラの実力が未知数である以上油断は出来ないだろう。

 

 9名の生徒が見守る中、マキアス達とサラの戦いの幕が切って落とされた。

 

 

 ……と、ここまでは良かったのだが、

 

「あれ? 何だか2人の動きがバラバラだね」

「うむ。2人の戦い方が致命的なまでにかみ合っていないな。これでは──」

「勝てるものも勝てない……」

 

 エリオット達が話している通り、ユーシス達の戦いは数の利を全く生かせていなかったのだ。

 

 通常、戦闘に置ける人数差の利点は選択肢の広さにある。お互いの死角や隙のカバー、波状攻撃、多方向からの同時攻撃、そして狙いを分散させる事による誘導等々、単独では行えない多数の戦略を織り込む事が可能だ。

 

 しかしながら、今のマキアスとユーシスの行動はその利点を限りなく殺してしまっていた。ユーシスはマキアスの射線を塞ぎ、マキアスも近接戦闘のユーシスをフォローしようともしていない。まるで1対1対1で戦っているかの様な状況だ。

 

「はぁ、あなた達の実力はこの程度なの? あんまりがっかりさせないでくれるかしら」

 

「くっ……!!」

「…………」

 

 ユーシスとマキアスの表情に焦りが見える。

 最早サラはまともに戦ってすらいなかった。ユーシスの突きを剣で軽くいなし、同時に導力銃でマキアスのショットガンを弾き飛ばす。

 たったこれだけで、呆気なく戦局がサラへと傾いた。

 

 …………

 

「これは想像以上に悪い結果ね。あなた達、本当にこのままでいいと思ってるの?」

 

 模擬戦後、真剣なサラの問いに2名は目を伏せ一言も答えない。

 その状態のまましばらく鉛の様な重苦しい空気に包まれる。結局、折れたのはサラの方だった。

 

「……はぁ、何も言わないって事は問題自体の認識はあるって事よね。もういいわ、後はあなた達で考えなさい」

 

 ユーシスとマキアスは重い足取りでライ達のもとに戻って来た。

 ユーシスは比較的いつも通りの態度だが、どこか刺々しい雰囲気が見え隠れしている。

 逆にマキアスは酷く落ち込んでいた。普段の威圧的な態度もなりを潜め、ただぶつぶつと自問している。

 

「僕は、いったいどうすれば……」

 

 ライはそんなマキアスに対し、何か出来ないかと思い言葉を投げかけようとする。

 しかし、それは叶わなかった。

 

「そんじゃー次はライ! あなたも出て来なさい!」

「……?」

 

 そう、サラからの突然の指名が入ったのだ。

 

「なぜ呼ばれたか不思議そうね。あなたの問題を確かめるため、と言ったら分かるかしら」

「戦術リンク、ですか?」

「……まぁそれも問題だけど今回は別件よ。リィンやトワも気にしている異常な限界、その原因を見極めさせてもらうわ」

 

 異常な限界。ライ自身は実感が湧かないものではあるが、リィンやトワに心配されていると言う事実だけははっきりしている。その問題の解明に繋がるのならと、ライは剣を片手にサラの前に出た。

 

「見極めるとは、どう言った形で?」

「今回あなたには私と1対1で戦ってもらうわ」

 

 ライとサラの真剣勝負。先の2人との戦いぶりを考えてライに万が一の勝ち目も無いだろう。それで一体何が分かるのかとライが疑問に感じていると、サラはさらにもう一言付け足した。

 

「──ただし、ペルソナを使ってね」

 

 ライの瞳孔が見開く。

 ペルソナを使った2対1の模擬戦、それがサラの出した提案だったのだ。

 

 

◇◇◇

 

 

 これからの戦いでは何が起こるか分からない為、リィン達には後方へと下がってもらった。

 

 今のライの左手には銀色の拳銃が握られている。

 けど、本当に良いのだろうか。ペルソナは戦術レベルの戦闘力を有しているのだ。本来模擬戦に使っていい代物ではない。

 

「……大丈夫ですか」

「あら心配してくれるの? ありがとう、とだけ言っておくわ」

 

 けれども、サラの表情に不安や淀みは一切見受けられなかった。そこにあるのは自身の力量に対する絶対の自信のみ。彼女はペルソナにも対処出来ると確信しているのだろうか。──なら、ライは自分を信じるサラを信じるまでの事だ。

 

 武器を手に相対する両者。

 ライは己のこめかみに銃口を押し当て、ヘイムダルを召喚する。

 

 これで2対1、サラの提示した模擬戦の条件は満たした事になる。

 それを確認したサラは武器を交差させ、フッと体重を落として片足に体重を乗せた。その刹那──

 

(消え──!?)

 

 突然見えなくなったサラに対し、反射的にライは左側へと剣を構える。

 ライは剣を右手で持っている。正面から攻めてこないとなると狙いは後方、もしくは左側の可能性が高い。

 

 その推測は当たっていた。

 剣越しに感じる痺れる様な衝撃。導力による紫電を纏った片手剣による鋭い一撃を受け、ライは剣もろとも反対側に吹き飛ばされる。

 

(不味い、体勢が……!!)

 

 辛うじて両足で勢いを殺したものの、体中を駆け巡る電撃の痺れによって、致命的なまでの隙を晒してしまう。

 その隙を見逃す程サラも甘くない。紅色の銃口をライに向け、今まさに紫電の銃弾を放とうとしていた。

 

(──マハラギ!!)

 

 ライはヘイムダルに命じ、サラの周辺に火炎をばらまく。

 目的は射線を塞ぎ、あわよくば反撃の糸口とする事。──しかし、サラは予見していたかの様に攻撃を中断し、空中へと跳んで爆炎の海を回避した。

 

 このままヘイムダルで追撃をするか? いや、今のヘイムダルではサラの速度に追いつけない。ならばここは──

 

「チェンジ、《ネコショウグン》!!」

 

 速度に優れたペルソナに変えるべきだ。

 ライはそう考え、再び拳銃で頭を打ち抜く。しかしその瞬間、空中にいたサラが身を翻しライに向けて導力銃を構えた。

 

「召喚が隙になる。それぐらい分かっているわよねっ!」

 

 導力により紫電を帯びた銃弾がライへと迫る。

 避けようとするも、先の痺れが残っており体が思う様に動かない。

 

 故にとっさに剣を横に構え、両手で電撃を受け止めた。

 バチバチと弾ける紫電を纏った銃弾。その電撃が金属製の刃を伝い、ライの両手に突き刺さる。

 

「──ッ!」

 

 だが、サラの攻撃はまだ終わりじゃない。

 横に構えたライの剣に向けて、着地とともに片手剣を容赦なく振り下ろした。

 

 金属同士が擦れ合い、火花を散らす。

 両手と片手、本来ならライに分のある条件だが、電撃で手の感覚を失ったライにとっては重圧に対抗するだけで精一杯だった。

 

 そんな状況下で、剣越しに顔を近づけたサラが話し始める。

 

「ライ、あなた部活見学の日に"気を失ったら限界だ"と言ったそうじゃない」

「それ、が、何か……?」

 

 返事をするだけの余裕があるのが奇跡と言っていいだろう。

 両手の指に限界まで意識を集中し、辛うじて盾となった剣を繋ぎ止める。

 

「なら、今ここで確認するわ」

 

 だが、それも呆気なく終わりを告げた。

 切り払われるサラの片手剣、くるくると飛んでいくライの武器。がら空きとなったライの胴体にサラが剣の腹を叩き込む。痺れでまともに体が動かないライは思わず膝をついた。

 

「──ッ!!」

「武器を失くし、膝をついたこの状況。……これは、"限界"じゃないのかしら?」

 

 片足をついたライに向けてサラは剣先を向ける。

 

 ……確かに、本来ならどうしようもない状況、即ち限界なのだろう。

 戦う為の武器を失くし、痺れも相まって体が満足に動かない。

 

 だが、ライにとってこの程度の逆境はなんて事はなかった。

 まだ限界にはほど遠い。何故ならライの意識はまだ失っていないのだから。

 ──それと既に策も講じている。

 

「無論、違います」

 

 サラの背中から甲冑を着た黒い猫が飛び出す。

 ネコショウグン。電撃を食らう寸前に召喚したこのペルソナを密かにサラの後ろへと回り込ませていたのだ。サラは巨大なペルソナを見慣れている為、逆に小さなペルソナによる潜伏が心理的な盲点となったのである。

 

「──小型のペルソナっ!?」

 

 サラへと飛びかかったネコショウグンが、その小さな手に持った軍配を突き出す。

 見た目はか弱いが、これでもれっきとしたペルソナだ。重々しい音とともに、防御したサラを遠くまで弾き飛ばした。

 

 うまく衝撃を逃がしたのかサラは全くダメージを負っていなかったが、これでようやく戦局が好転した。

 ライはペルソナの身体強化を利用し、無理やり鉛の様な体を起こす。ここからが反撃だ。そう考えていたライだったが、サラが意味深な態度に変わった事に気づいて動きを止めた。

 

「…………クロウからトワの話を聞いてまさかとは思ったけど、やっぱりそう言う事だったのね」

「何か分かりましたか」

 

 一瞬忘れかけていたが、この模擬戦の本来の目的は心配される原因の究明にある。

 故に原因さえ薄明の元に晒すことが出来れば模擬戦をする必要すらない。……中途半端だが模擬戦はこれで終わりだろう。ライは剣を収めて静かにサラの話を聞く。

 

「始めはあなたの全力思考が無茶の原因だと思ってたわ。けど、あなたの問題はそう単純なものじゃないみたい」

 

 ライ自身実感が湧かないので問題と言われても納得がいかない。

 なので、話を折る形となるが1つ質問をさせて貰うとしよう。

 

「全力でやる事に何の問題が?」

「……せっかくだからここで明言しておくけど、あなたが心配される理由は2つ。1つは肉体的限界を考慮しない行動をしてしまう事。そしてもう1つは無茶に対する自覚が全くない事よ。今みたいにね」

 

 間接的に問題があると言われてしまった。

 いや、正確には全力で行動する際の基準と心構えに問題があると言う事か。

 どちらにせよ、サラが見つけたと言う内容に答えが隠されている筈だ。

 

「その原因も今の模擬戦で確信が持てたわ。──ライ、あなたの常識がペルソナによって歪められているのよ」

 

 サラの口から語られた答え。

 それはライの有するペルソナに関わるものだった。

 

 

◇◇◇

 

 

 ……ライの思考が停止する。

 未だ謎に包まれたペルソナにそんなデメリットがあったのかと。

 

「ペルソナにそんなリスクが?」

「いいえ。別にペルソナに限った話ではないわ。この話は"力"全般に言える事」

 

 だが、サラの言いたい事はそう言う話ではなかった様だ。

 認識を歪めるのはペルソナのデメリットと言う訳ではなく、”力”が持つ特性とも言えるものらしい。

 

「本来、私達の限界は能力によって変化するわ。当然の事だけど、私とあなた達とじゃ出来る限界が異なっている。これは経験や実力といった"力”が限界を押し上げていると捉える事も可能なの」

 

 例えば先ほどのマキアス達との模擬戦。

 相手がサラだったからイーブンな状況だったが、もし仮にエリオットがマキアス達の相手だったら”無茶”と言う他ないだろう。その様に限界とは、人によって変化するものだとサラは語った。

 

「だから、普通ならこの現象は何の問題にもならないわ。──けど、ペルソナの場合は話が別。確かにペルソナは強大な力を有しているけれども、あなた自身は生身の人間のままなのよ。故にペルソナの能力を基準に限界を押し上げてしまうと、取り残される形となった肉体の方に無理が出てくる」

 

 精神力を消費して召喚するペルソナは、肉体的な限界には囚われない。

 故にライは、自身の体を無視した無茶を平然としてしまっているのだと言う。

 

「直接の原因は恐らく《記憶喪失》でしょうね。あなたは過去の経験の大部分を失った状態でペルソナと言う強大な"力"を手に入れた。だからこそ基準がずれちゃったのよ。普通の人間が成長とともに経験し、親や師から教わるはずの限界からね」

 

 ライはようやく理解した。なぜトワやリィンがライの行動に対して無茶と表現したのかを。

 記憶喪失でペルソナに目覚めたと言う状況こそが、ライの常識を塗り替えてしまったと言う事実を。

 

(理屈は分かった。だが、どうすればいい?)

 

 貴族に対するマキアスの対応が全てを物語っているが、常識とは厄介な存在だ。頭で知ったところで「はいそうですか」と常識を改める事など出来ない。ほぼ必ずと言って良い程に自身の常識がそれを阻害する。

 ライに関してもそれは同様だった。いくら頭で無難な限界を理解しようとも、ライの常識はそれを"単なる手抜き"と認識する。

 

(ペルソナは俺自身だ、それは間違いない。だが──)

 

 それで思考を止めても良いのか? 

 

 この世は良い面だけでは語れない。コインの表裏の様に、何事にも相反する影が存在する。だとすれば、この問題はペルソナと言う力がもたらした1つの影と捉える事が出来るのではないだろうか。

 

(なら俺に出来る道はただ1つ。ただ受け入れて、前へ進むだけだ)

 

 その為には問題の解決策を見つけ出す必要がある。

 結局はそこに話が戻る。どうすればいい?  ──要するに、ライの思考は空回りしていたのであった。

 

「……ところで、さっきからあなたの動きがぎこちないわよね。もしかして最初の剣の痺れがまだ残っているのかしら?」

 

 そんなライの思考を読み取ったのか、サラが空気の読めない、いや空気を読まない質問を発した。

 

「? 確かに、中々の電撃でしたが」

「……おかしいわね。流石に剣越しの電撃がここまで後を引くのは初めて見るわ」

 

 未だに残る1発目で受けた紫電の痺れを確認して、サラは不思議そうに考え込む。

 どうやら、攻撃したサラの想定以上にライへのダメージが大きかったらしい。

 ライ自身もその原因について考え、そして1つの可能性に思い至った。

 

「もしかすると弱点か」

「……弱点?」

「感覚で得た情報ですが、ペルソナには弱点や耐性・無効と言った特性がある様です。……確認だがリィンも同じか?」

 

 ライは後方のリィンに話題を振る。この内容がペルソナ全般に当てはまるのかを照明する為にはこうするのが早いからだ。

 

「ああ、俺のシグルズは物理耐性、氷結弱点、闇無効と言う特性を持ってるみたいだな」

 

 その返事を聞いてライは1度頷く。

 

「ヘイムダルの場合は火炎耐性と光無効、そして《電撃弱点》」

「ペルソナの特性が体にも表れたと言うの? ……もしそうなら、闇雲にペルソナを召喚するのも不味いかも知れないわね」

 

 今まではペルソナを召喚するリスクは消費する精神力だけだった。しかし、本来人間には存在しない弱点が生み出されるのだとするならば、より慎重にペルソナを扱う必要が出てくるだろう。……その為にも、本来の限界と言うものを正確に把握する必要があった。

 

「とにかくライは人間関係とかの問題をひとまず置いて、今は限界の認識について自問するべきよ。でなければ、これからのシャドウ調査も危なっかしくて任せられないわ」

「分かりました」

 

 ライに課せられた1つの課題。それを胸に刻んでゆっくりとサラの元を離れていった。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 ──今は、残りの面々の実技テストを行っている。

 相手はサラではなく例の傀儡。これが本来の実技テストなのだろう。

 

 ライは少し離れた場所から眺めながら、頭では別の事を考えていた。

 

(原因は記憶喪失とペルソナ。……ここでも”記憶喪失”が出てくるのか)

 

 こう言う出来事がある度にライは再認識させられる。自身は空っぽな記憶喪失であるのだと。

 まるで根無し草の様な曖昧な存在。自分は初めから幻の様な存在で、本来この世界にはいなかったのではないかと感じてしまう事すらある。

 

 ──そしてもう1つ、サラが説明するときに使っていたフレーズが、どうにも頭から離れなかった。

 

(親や師から教わる筈の限界、か。……俺にもいたんだろうか。そんな存在が)

 

 親や師と言うものをライは知らない。

 知識として認識してはいるものの、ライには両親も、家族も、友人も、居場所すら忘れてしまったのだから。

 

 空白の自分。まさしく数字の0の様な存在である事をライは憂う。

 人はこれを"寂しさ”や"虚しさ”、とでも形容するのだろうか。

 

 何気なく空を見上げる。

 

 ぼんやりと見つめる大空は、ライの瞳と同じくどこまでも空っぽな青色であった。

 

 

 

 

 




星:ネコショウグン
耐性:物理耐性、疾風弱点、光・闇無効
スキル:マハジオ、電撃ブースタ、黒点撃
 中国圏の鎧を身に纏った黒猫のペルソナ。道教における予言と海運の神とされる。元々は毛尚書と言う武将だったのだが、中国語において毛がマオ(猫)とも読めるため、何時しか猫の将軍として神格化された。

――――――――――――
本日の流れ
「サラの攻撃(剣)《WEAK》1more」
「サラの攻「ヘイムダルのマハラギ miss」」
「ペルソナチェンジ、ネコショウグン」
「サラの攻撃(銃)《CRITICAL》1more」
「サラの攻撃(剣)」
「ネコショウグンの黒点撃(ガード)」
弱点もあって勝負になってねぇ……。


明けましておめでとうございます。

よくよく黄昏れる主人公ですね。
ライの無茶に対する自覚のなさの原因は、強大な力をいきなり手に入れたが故の歪み。力を恐れて全力が出せなかったリィンとは真逆の状態と言えるかもしれません。受け入れすぎたが故の弊害と捉える事も出来ます。……てか、主人公がこんなんでいいのだろうか。


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23話「いざ旧都セントアークへ」

※注意:今回の特別実習は現時点(閃の軌跡2発売時)の情報を元にしています。故に実習地における地形および人物像がほぼオリジナルで構成されていますのでご注意下さい。


 実技テストを終えた日の晩。

 生徒会での仕事を終えたライは日の沈みかけた街道を歩いていた。この時間帯になると既に夕食時のためか人影は少なく、靴が石畳の街道を叩く音だけが静かに響く。

 

 そして寮の手前にあるトリスタ駅に差し掛かった時、スーツ姿の1人の成人男性を見かけた。くたびれたその表情、恐らくは仕事帰りなのだろう。彼は気の抜けた雰囲気でライと同じ道を歩き始めた。夜空に染まりかけた薄暗い道を歩く2つの足音。……しかし、そんな状況も1つの出来事で一変する。遠くから駆け寄ってくる小さな子供。その光景を目にした途端、男性の瞳に生気が戻ったのだ。疲れていた筈の表情に笑顔を浮かべ、駆け寄ってくる息子とやや遠くにいる妻へと小走りで向かっていく。

 

 仲睦まじい家族の光景。息子の急かし方から察するにこれから夕食なのだろう、とライは思いながら彼らを見送った。彼らはそんなライには気づく事無く楽しげに彼らの自宅へと帰っていく。それはまるで別世界の光景を見せられた様で、ライは彼らとの間に明確な壁を感じていた。

 

(……気にしても仕方ないか)

 

 再びライはただ1人、ぽつんと残されたかの様な静寂に包まれる。5月終わりには珍しく涼しげな夜風が吹きすさぶ中、ゆっくりと寮へと帰っていった。

 

 

 …………

 

 

「あら、お帰り」

 

 そんなライを出迎えたのは寮の1階で話し合う4人のクラスメイトであった。入り口が開く音に気づいたアリサがライへと帰宅の挨拶を告げる。

 

「ただいま」

「ふむ、ようやく帰ってきたか。待っていたぞ」

 

 ソファーに座っているのはアリサとラウラ、エリオットとガイウスの4人だ。普段の日常でもあり得ないメンバーと言う訳ではないが、ラウラの「待っていたぞ」から察するに特別実習のB班に関する話をしていたのだろうか。

 しかし、だとするなら1人足りないことにライは気づいた。予想が正しければアリサとラウラが座るソファーにもう1人、水色の髪をした少女がいる筈である。

 

「……ミリアムはいないのか?」

「さっき帰る途中で雑貨屋に入っていくのを見たわ。多分何か物色でもしてるんじゃない?」

「そうか」

 

 それなら心配する必要もないか。

 ライが言えた義理ではないのだが、ミリアムもなんだかんだで危なっかしいところがある。

 しかし雑貨屋ともなれば被害は商品くらいで済む事だろう。とりあえず一安心。

 

 その様なズレた安心感を胸に、ライは空いているガイウスの隣のスペースに座る。

 何気ない行動。だが、その微妙な違いにガイウスが目ざとく気づいた。

 

「ライよ、どこか体調でも悪いのか?」

「ただの疲れだ」

 

 ガイウスの顔を見る事無くライは呟く。事実、これは気疲れだ。

 

「それより、この状況の説明を頼む」

「うん、僕たちの実習先の旧都セントアークについて話し合ってたんだ」

 

 エリオットが「ほらっ」とテーブルに開かれた本を指差す。

 その指の先には1枚の写真が印刷されていた。青空のもと真っ白に染められた建物の写真。煉瓦作りの地面との対比もまた美しく、見ているだけで清々しい気分にさせられる。

 

「純白の建物か」

「帝国南部サザーラント州の州都であるセントアークは別名《白亜の旧都》と呼ばれている。白亜、つまりは石灰岩の事だな。セントアーク周辺の土地には石灰岩が多分に含まれる為、この様な町並みがつくられているのだそうだ」

 

 本の所有者らしいラウラが文面をそのまま自慢げに語っている。

 そう言えば月光館学園の正門前で書物がどうとか言っていた気がするが、記憶違いでは無かったらしい。

 

「中々いい場所だろう? 次は旧都の部分に関する説明だが」

「その話は長くなるから今度にしましょう。ライも疲れているみたいだし」

「俺は大丈「サラ教官に言われたでしょ」……仕方ない」

 

 不本意ながらもセントアークの情報交換が終わり、ライ含め5人は解散する事となった。

 

 ――だがその寸前、ラウラから1つの質問が舞い込んでくる。

 

「しかし、見たところ単純な肉体疲労ではないようだが、何か悩み事でもあるのか?」

「……根拠は?」

「質問に質問で返すでない。……まぁ、体の揺れ等である程度は察する事ができる」

 

 気配の件といい、ラウラには別の意味で隠し事が出来そうにないかも知れない。限定的ではあるが、武術万能説を提唱してもいい程の察知能力である。

 

「私には、言えぬ事なのか?」

 

 ――しかし、こう聞かれては隠す訳にもいかない。それに、どうせならこの機会に聞いてみるのもいいだろう。

 

「なら、ラウラの親や師はどう言った人物なのか教えて欲しい」

「親や師か。ふむ、たしかサラ教官の言葉の中にあったな」

 

 ライの抱える悩みについて納得した後、今度はラウラが両手を組んでう〜んと悩み始めた。

 年相応の少女らしい困った顔。別に話したくないと言う訳ではなく、話してもいいものかと言う意味で悩んでいる様である。

 

「……私の例はいささか普遍性に欠けるぞ?」

「構わない」

「うむ、そなたらしい明快な答えだ。――なら初めに言っておくが、私は父子家庭の娘だ。母上は私が幼い頃に亡くなっている」

 

 要するに母親については何も答えられない、と暗に言っているのだろう。

 しかし親に対する質問、これは相手の内側に踏み込む関係上、想像以上に危険なものなのかも知れない。そんなライの危機感を察してか、ラウラが1つ言葉を加える。

 

「私が答えると決めたのだから、そなたが気負う必要はない。――これはそなたの言葉だぞ」

「……ああ、そうだな」

「それに普遍性に欠けるのは何も父子家庭だからと言う訳でもない。父上はヴィクター・S・アルゼイドと言って、湖畔の町レグラムの領主とともにアルゼイド流の師範をしているのだ」

「親でありながら師でもある、と言う事か」

 

 確かにラウラの言う様に一般的な親子関係とは言えないかも知れない。領主、つまりは貴族でありながら武術の師範でもある時点で特殊な例であると言えるだろう。

 

「その通りだ。我が父上は帝国の武の双璧とも言われるアルゼイド流の筆頭伝道者であり、私など手も足も出ない程に人間離れした強さを秘めている。ここに来る前の稽古の時だって私が両手で振るう大剣を片手で易々といなして…………あっ、だ、だが実力だけでなく精神も素晴らしいのだぞ! 子爵の身でありながら志はむしろ武人のそれであって、レグラムの皆にも尊敬されていて――」

 

 泉から溢れる様に次々と飛び出す父親のエピソード。

 父を語るラウラの瞳はまるで子供の様に輝きを放ち、その頬は興奮のためか艶やかに赤く染まっている。ラウラにとって父親は優しい父であると同時に憧れの対象なのだろう。普段の武人らしい言動も、もしかしたらその武人と称されるヴィクターの真似なのかも知れない。

 

「ははは、ラウラって父親とすっごく仲が良いみたいだね」

「――む? そう言うエリオットは違うのか?」

「あ、いや、うん。仲は悪くないんだけど、……ちょっと事情があって今は父さんと連絡を取ってないんだ」

 

 あはは、とエリオットは頬を掻きながら目を逸らす。

 どうやら彼は家族に関する何らかの事情を抱えているらしい。高揚していたラウラも口を閉ざし、どう返したものかと攻めあぐねている。――ここは無理に踏み込まず、話題を変えた方が良いだろう。そう考えライは動こうとするが、別の場所からガタッと言う席を立つ音が聞こえたため中断を余儀なくされた。

 

「アリサ?」

 

 髪に隠れ、表情が読み取れない。

 

「……ごめんなさい。私も今日は疲れたから少し休むわ」

 

 ライと同じ様な言葉を残して3階の自室へと戻っていくアリサ。

 残されたライ達4人は呆然と彼女を見送るしかなかった。

 

「地雷を踏んだ、みたいだな……」

 

 どうやら最悪の手を引いてしまった様だ。親もしくは家族の話題、これからはさらに慎重に扱う必要があるだろう。それよりも問題はアリサだ。もう見通しの立たない記憶喪失について悩んでいる場合ではない。今すぐにでも解決の為の行動へと移した方がいいかも知れない。しかしそれはガイウスによって止められる。

 

「今謝りに向かえば余計混乱させてしまうだろう。ここは様子を見た方が良いのではないか?」

「……ああ」

 

 アリサの抱える事情に起因するかと思われるこの事態。

 今現在不安定な状況である事から、マキアスの様に直接ぶつかる事は逆効果になりかねない。彼女の悩みを聞き出すにしても、今は時間が必要だった。

 

 …………

 

 そう言う理由から、出来る事が無い4人は暗い雰囲気に包まれて解散となるかと思われた。

 だがそのとき、――突如外部からの飛来者が現れる。

 

「ねぇねぇ! 特別実習に持っていきたいんだけど、バナナはおやつに入るのかなっ?」

 

 そう突然、扉を開け放ったミリアムが空気を完全にぶち壊したのだ。

 その手に握られているのは一房80ミラの新鮮バナナ。雑貨屋に行っていたのはバナナを買うためだったらしい。ライはそんなミリアムの破天荒ぶりに感謝しながら意識を切り替えた。古来から続くバナナとおやつの問題、その解を示すために。

 

「おやつとは間食として食べる軽食の事だ」

「――って事は、ごはんと一緒に食べるならおやつに入らないんだね!」

「逆に言えば、間食なら例えパンでもおやつになる」

「ほへー」

 

 ミリアムの質問に真剣に答えたライ。伝達力が上がった気がする。

 

 そんなライの後ろでエリオットが「そもそも特別実習におやつの制限無いから」と突っ込みを入れていたが、生憎2人は全く気づいていなかった。

 

「って言うかさ。ライ達は何の話をしてたの?」

「親や師について話を聞いていた」

「親かぁ〜。ボクにはそんなのいないし、よく分かんないや」

「…………」

 

 意外な事にミリアムの話が1番重かった。

 重ねて胸に刻む、家族の話は慎重に扱わねばならないと。

 

 

◇◇◇

 

 

 5月29日の早朝、VII組の面々は人も疎らなトリスタの駅内に集まっていた。

 各自武器等の装備を携帯し、程度の差はあれ緊張感が顔に表れている。そう、今日から2回目の特別実習が始まるのだ。

 

 しかし――

 

「…………」

「…………」

 

 小鳥の鳴く清々しい朝だと言うのに、マキアスとユーシスが重苦しい空気を発し続けていた。今までの不和に加え、実技テストでのサラの言葉が尾を引いているのだろう。他のA班の面々も2人から視線を逸らしている。

 

「リィン、後は任せた」

「あ、ああ。何とかやってみるさ……。…………」

 

 その状況の解決が一手に引き受けられているともなればリィンの負担も相当だろう。しかしライにはもうどうする事も出来ないので、リィンに向けて後を託す他なかった。

 

 前回のライ程ではないが相当酷いA班の状況。

 リィンは一度頭を抑えてため息をつくが、気を取り直してライに視線を戻す。

 

「けど、そう言うライも早く解決策を見つける様にな。恐らくライのB班入りもその為だろうから」

「……ああ、分かってる」

 

 実技テストから早3日、ライ自身もサラがB班に入れた理由を理解していた。

 B班の面々はライに対する懐疑心を克服したメンバーで構成されている。つまり、サラの言っていた「人間関係とかの問題をひとまず置いて、今は限界の認識について自問するべき」を実践しやすい環境に整えてくれたと言う事なのだろう。

 

「――あっ、もうそろそろ帝都行きの列車が着くんじゃないか?」

「そうだな。……リィン、健闘を祈る」

「ああ、そっちも」

 

 ライはリィンに別れを告げB班へと戻った。

 B班の向かうセントアークはA班とは違い帝都ヘイムダルを経由する必要があるため、リィン達よりも早くに発つ必要があるからだ。

 そして、合流した際にアリサの様子を横目で確認する。髪を軽くなびかせていA班を心配しているアリサ。いつも通りの光景であり、あの日の面影はどこにも見られない。しかし、それでも少しばかり注意を払う必要があるだろうとライは心に誓った。

 

 ――と、そこで何故か教官のナイトハルトがエリオットに近づく光景を目にする。非常に珍しい光景だ。そも担任でもないナイトハルトが何故早朝の駅にいるのだろうか。ライの意識はそんな2人へとシフトした。

 

「エリオット」

「あ、はい。何ですか? ナイトハルト教官」

「済まなかった。本来なら俺が赴く筈だったのだが、特別実習の話を口にしてしまったが故に厄介な事となってしまった……」

「え? いや何の話ですか?」

「悪いが詳細を話している時間がない。……宜しく伝えておいてくれ」

 

 言いたい事だけを言って、ナイトハルトが士官学院へと帰っていく。

 訳が分からない状況に置かれたエリオットに対し、とりあえずライは一言質問する事にする。

 

「何だったんだ」

「さぁ、僕にも分からないよ」

 

 2人の頭でいくら考えたところで答えは出ない。

 また裏で何か変な事になっているのではないかと、ライとエリオットは得体の知れない不安を感じるのであった。

 

 ――そうしている内にトリスタ駅に帝都行きの列車が到着する。

 

 

◇◇◇

 

 

 …………

 

 帝都からセントアーク行きの列車に乗り換えてから1時間と少し経過した頃。ライ達を乗せた列車は、薄暗いトンネルの中をカタンコトンと落ち着いた音を立てて走っていた。

 

「う〜、何も見えないよ〜……」

 

 列車の窓に張り付くミリアムが悲しげな声を漏らす。

 今まで列車に乗った事がないらしく盛大にはしゃいでいたのだが、長いトンネルに入ってしまいご機嫌斜めであった。

 

「それで、旧都の意味について教えてくれないか」

「うむ。旧都セントアークはその名の通り、七耀歴371年から約100年間仮の首都として構えられた南部の州都だ。その名残として今でもそう呼ばれている」

「今が七耀歴1204年だから、約830年前の出来事だね」

 

 仮の首都、穏やかじゃない響きだ。首都とはその時代の為政者によって変わる事もあるのだが、仮と付けられているならば本来の首都に何らかの問題が発生したという事になる。……クーデターでも発生したのだろうか。

 

「その頃の話は今でも伝説として語り継がれているわ。何でも帝都ヘイムダルに暗黒竜が現れて、帝都を死の瘴気で覆ったとか」

「……暗黒竜?」

 

 しかし、事実は想定以上に突飛なものであった。

 ドロドロした政治からいきなりファンタジーと言う急展開に、ライの思考が混乱する。

 

「それが本当かどうかは分からないけどね。伝説じゃあ瘴気で死者を操って、生者をどんどん襲わせて眷属を増やしていったらしわ」

 

 要するに、830年前の帝都ではゾンビの支配する廃都だったらしい。

 確かにそれなら仮の都を構えるのも分かるのだが、よくもまぁ100年で取り戻せたものだ。……もしくは、謎の奇病がその様な伝説と形を変えたのだろうか。ライは後者の可能性が高いと分析したが、ラウラがばっさりとそれを否定する。

 

「全て真実ではないにしろ、大部分は真実だと思うぞ。その証拠に当時の名残が今も旧都に残って――、っと、そろそろトンネルを抜けるみたいだな」

 

 ラウラが唐突に話を区切った。

 列車の前方から光が見える。後数秒でトンネルを抜ける様だ。ラウラが話を止めたと言う事は、何かが見えるのだろうか。既に実技テストの晩に話を聞いていたであろうアリサ、エリオット、ガイウスの3人も窓に意識を集中している。……そして、ミリアムは初めから窓の外にしか興味が無い。

 

 ならばライも外を見るべきか。

 

 そう考えた瞬間、トンネルを抜け明るい光がライ達を照らす。

 刹那、外の光景が車内へと雪崩れ込んできた。

 

「うわぁ〜、おっきな谷だね〜!!」

 

 ――まるで地面が真っ二つに裂かれたの様な光景。

 

 トンネルの先は、広大な純白の峡谷であった。

 白い崖が面合わせになったかの様な深く急な谷が、遥か遠く視界の先まで続いている。

 列車はその谷を跨ぐ様につくられた巨大な橋を渡っており、下方を見ると小さな川、いや小さく見える程深い場所を流れている川が確認できる。そして川の周囲には幾つもの洞窟が。あれは、鍾乳洞か?

 

「石灰岩の土地、か」

「前に書物で見たが素晴らしい光景だな。前にも言ったがこの辺りには石灰が多分に含まれている。故に水によって大地が溶かされ、この様な深い谷がつくられたのだと書物にも書かれていたぞ」

 

 石灰で出来た土地。要するにカルスト地形と呼ばれる光景が眼前に広がっていた。

 白い崖、鍾乳洞、どちらも水に溶けやすいカルスト地形だからこそ見られる光景である。

 

「この地形もセントアークに首都を移した理由らしいわ。何せこれは天然の大きな堀、暗黒竜の操る死人じゃ130アージュもある峡谷を超えられないから」

「ほう、この壮大な土地にもその様な歴史を有しているのだな」

 

 ガイウスがそう締めくくる。

 ラウラが言っていた旧都に残る過去の名残、その一端を目撃した様な気がした。

 

 

◇◇◇

 

 

 崖を渡りきった後、すぐにセントアークの駅に到着した。

 と、言うより崖の反対側が既にセントアークの市内であったのだ。もしライ達が列車の反対側に座っていたら町並みが見えていた事だろう。

 

 駅を出たライ達を出迎えたのは写真で見た純白の町並み。

 緋色の煉瓦で舗装された道とのメリハリも素晴らしく、観光地としても栄えているだろう事が容易に想像出来る程だ。

 

「どこも漆喰が使われているのか」

「うむ、黒い瘴気から身を守る為のまじないとして根付いたものらしいからな。今でも伝統としてほぼ全ての建物に漆喰が塗られている」

 

 さっきの崖と同様に、書物で見たと言うラウラが説明してくれる。

 アリサの話した伝説が真だとすると、黒い瘴気から少しでも逃れる為に、白く汚れの無い漆喰で家を覆ったのだろう。確かに暗黒竜の名残はこの地の至る所で見られるものであった。

 

「ねーねー。何時までここにいるつもりー?」

「そ、そうね。まずは宿泊先に行って課題を受け取りましょう」

 

 ある意味特別実習を誰よりも楽しみにしていたミリアムの言葉でアリサがわたわたと動き出す。そして行き先が書かれた書類を引っ張りだすと、ライ達を引き連れて歩き出した。

 

「場所は、セントアークの中心区みたいね。詳しい場所は――」

「大丈夫だ。地図を用意している」

 

 当然の様に地図を開くライを見て、アリサはケルディックを思い出した。

 

 

 …………

 

 

「……えっと、地図によるとここで合ってるのよね?」

「間違いない」

 

 巨大な白い豪邸を前にしてライ達は呆然とする。表札に書かれた名は《ハイアームズ侯爵家》、言うまでもなくこの州を治める四大名門の一角であった。

 

「ね、ねぇ。本当にここに入るの? 何だか凄く入りづらいんだけど……」

「仕方あるまい。実習をここで止める訳にもいかぬだろう」

 

 さりげなく格式高い彫刻が施された門からやや離れ、B班は密やかに相談する。

 エリオットの話からも分かる様に、四大名門の豪邸はただの学生が入るには敷居が高すぎる場所なのだ。しかしラウラの言葉通り、このまま引き下がれないのもまた事実。B班の意見は真っ2つに割れ、遂にはミリアムが侵入しようと言う第3の意見を提示し、話し合いは混沌へと突入していった。

 

 そんな様子を観察していたライは「仕方ない」と呟き、率先して正門前へと歩き出す。指示された場所はここで間違いないのだから、結局は入る事になるのだろうという判断からだ。しかし――

 

「む、待てライよ。どうやら客人の様だ」

 

 ガイウスが寸前で待ったをかけた。

 ライが振り返ると1台の導力車が豪邸の正門に近づいてくる。こちらにはハイアームズ侯爵家の豪邸しかないため、ガイウスの言う通り客人なのだろう。ならば学生であるライ達よりも優先順位は高いと考え、とりあえずB班の面々は道を開けた。

 

 目の前を通り過ぎる黒い導力車。

 乗用車にしては無骨で強固なその作りにライは疑問を感じる。

 あれはどう考えても貴族の乗る車ではない。その疑問に答えるかの様にエリオットが小さく呟いた。

 

「あれ? あの導力車ってもしかして軍のものじゃ……」

「領邦軍のものか」

「……ううん、多分正規軍のものだと思う」

 

 正規軍? 領邦軍のトップであり革新派と対立する四大名門に何故正規軍が?

 反射的にライ達の視線が黒い導力車に集まる。

 そのとき動力車の方ではドアが開き、中から茜色の髪をした体格の良い男性がゆっくりと顔を出していた。

 

 間違いなく地位の高い威厳のある雰囲気、屈強な肉体、間違いなく軍人であろうとライ達は考える。しかし、ただ1人エリオットだけが天地がひっくり返る様なレベルで驚いていた。

 

「もしかしなくても"父さん"っ!?」

「――って、ええっ!? あれエリオットの父親なの!?」

 

 細身のエリオットとのギャップに驚きの声をあげるアリサ。

 そう、あの勇ましい男性は何を隠そうエリオットの父親だったのである。

 

 

 ……2回目の特別実習は、始まる前から想定外の方向へと進み始めていた。

 

 

 

 

 

 

 




ミリアムマジムードメーカー

セントアークに関する話題は《暗黒竜》《白亜の旧都と言う名前》以外はオリジナルです。白亜→石灰岩→カルスト地形という連想から構築したものであり、最もらしい理由をつけてますが原作とは異なりますのでご注意下さい。


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24話「エリオット・クレイグの憂鬱」

「え? なんで? どうして父さんがっ!?」

「落ち着け」

 

 ハイアームズ邸へと続く道のど真ん中、ライが慌てふためくエリオットを一喝した。

 身内と思わぬ再会をして混乱するのも分かるが、今は落ち着いて状況を見極めるべきだと判断したからだ。その考えはガイウスも同じだったらしく、落ち着いた言葉遣いでエリオットに質問する。

 

「エリオットの父親はサザーランド州の軍人であったのか?」

「南のサザーランド州じゃなくて東のクロイツェン州だよ! ここからすっごく離れてるのに、何で父さんがセントアークに居るのさっ!? 訳が分からないよ!」

「だから落ち着け」

「……う、うん」

 

 何とかいつもの調子を取り戻しつつあるエリオット。

 数回深呼吸をして、ゆっくりとハイアームズ邸前にいる自身の父親について説明し始める。

 

「僕の父さんは帝国東端を守る第4機甲師団で中将を努めているんだ。師団の司令っていう重要な立場なのに、何で持ち場を離れてセントアークに……」

「中将かあ。エリオットのお父さんって凄いんだね〜」

「……第4機甲師団?」

 

 ミリアムがのんきに感想を述べている隣でライが考えにふける。

 第4機甲師団、最近その言葉をどこか別の場所で聞いた覚えがあったからだ。……しかし大分前だったのか、中々その記憶を思い出せない。最近は色々と抱える問題が多い事も原因か。

 

(――仕方ない、後で考えるか)

 

 今の最優先はエリオットの父親の謎だ。中将、つまりは師団トップクラスの人物が師団を離れセントアークの、それも四大名門のハイアームズ家を訪れるのは異常としか言えないだろう。

 

「ふむ、これ以上の情報を得るには当人に尋ねる他なかろう」

 

 息子であるエリオットが知らない以上、ラウラの言葉以外の手だてはないに等しい。

 だが1つ、実技テストの晩にエリオットが言っていた《家庭の事情》がライにとって気がかりであった。

 

「エリオット、大丈夫か?」

「……正直、父さんとはもう少し時間をおいてから会いたかったよ。でも、この状況で会わなかったら後で気になるだけだし……、……うん、だったら直接会って聞いてみた方がいいよね」

「…………」

「なら決まりだ」

 

 あえて時間を外し出会わない様にすると言う選択肢があったにも関わらず、エリオットは最近連絡を取っていない言う親に会う決心をした。ならば、その意思を最大限尊重するのが仲間と言うものだろう。ライ達の方針は今この場で定まった。

 

 その方針を元に、B班は揃ってエリオットの父《オーラフ・クレイグ》の元へと歩いていく。

 不安と決心がせめぎあうエリオットの表情。

 ライはそれを見守りながら、エリオットと親の関係がこのまま改善されるのではないかと言う淡い期待を抱いていた。

 

 

 ……期待はしょせん儚い絵空事でしかないと、少し後に思い知らされる事になるとも知らずに。

 

 

◇◇◇

 

 

 黒い導力車のたもとへと辿り着いたライ達B班。

 その中からエリオットが一歩前に出て、自らの父親へと話しかける。

 

「と、父さん」

「――むっ? その声は……」

 

 息子の声にオーラフが振り返った。

 その厳つい瞳には歴戦の気迫が宿っており、厳格な帝国軍人らしい鋭い雰囲気が辺りを支配する。彼の側にある無骨な軍事車両と比べても、まるで謙遜のない屈強な漢がそこにいた。

 

 それに対峙するは、幼い少年と間違われかねない華奢なエリオット。

 

 最近連絡が取れていなかったと言う父と息子。

 その会合がどのようなものとなるか、B班の面々は固唾を飲んで見守っ――

 

「久しぶりだなぁぁぁ!! エェリオッットォォォォォ!!!!」

 

 

 ……は?

 

 

「ナイトハルトから実習地がここになると聞いて飛んできたのだ! すれ違いで会えなかったらと心配しておったぞぉ!」

「と、父さん! クラスメイトの前で抱きしめないでよっ! って言うかナイトハルト教官の謝罪ってそう言う意味だったんだね!?」

 

 厳つさに似合わない笑顔でエリオットを抱きしめるオーラフ中将。

 

 これは酷い。

 先ほどまでの威厳は何処行った。

 

 後ろにいたB班の面々も数テンポ遅れて状況を把握。先ほどまでの緊張感はどこへやら、今度は生暖かい視線をクレイグ親子へと注ぎ始めた。

 

「……ふむ、そう言えばナイトハルト教官って第4機甲師団の所属だったな」

「息子と会えると聞いて無理やり役目を変わったのだろう」

「…………」

 

 納得顔のラウラと温かな表情のガイウスがこの状況について話し合っている。

 どうしてハイアームズ侯爵に会いにきたかは依然として不明だが、何故第4機甲師団の司令が直接来たのかは言うまでもない。歴然として明らかな光景(親バカ)が目の前に広がっていた。

 

 

 ……そろそろ話を進めようか。

 

「それで、何故中将はセントアークに?」

「ってそうだった。父さん、何でセントアークにいるのさ!? ガレリア要塞からここまで相当遠いよね!?」

「おお、そうだな! その話について今からハイアームズ侯爵に説明する予定なのだ。何なら一緒に行くか? エリオットとそのご友人よ」

「う、うん。僕たちも侯爵様に用事があったし、……どうかな、皆?」

「うむ、私達も年長者がいれば心強い」

 

 四大名門の豪邸に入る事に躊躇していた身として、オーラフの提案は正しく渡りに船であった。これで気兼ねなく特別実習に入る事が出来ると、B班の皆は安堵した表情でオーラフに続く。

 

 ただ1人、ライを除いて。

 

「ねぇライ、もう皆行っちゃうよ?」

「……ん? ああ、今行く」

 

 ミリアムの言葉で我を取り戻したライは、やや駆け足で皆を追いかける。

 考え事をしていた理由は他でもない、《第4機甲師団》と言う言葉を聞いた場所を思い出したからだ。そのきっかけとなったのは”ガレリア要塞”と言うキーワード。確かにライは聞いていた。10日前、クロウに話しかけられる前に聞いていたラジオの中でその言葉を。

 

(……そうだ。第4機甲師団は10日前、シャドウを撃退したと言う師団の名)

 

 自身とも関係のある奇妙な符号。

 VII組とともにハイアームズ邸に入っていくライは、これから起こるであろう暗い予感を感じていた。

 

 

◇◇◇

 

 

 使用人に案内され、応接間へと進むライ達一行。

 白を基調にした歴史ある内装に目移りしながらも、天窓からさす日光の中を歩いていた。

 

 そうして訪れた応接間の扉。使用人がこちらに深く一礼し、静かに戸を開ける。

 

「待っていたよ。オーラフ中将、それにVII組の諸君」

 

 その奥には1人の男性が座っていた。

 金色の髪を横に流し、後ろ髪が肩に若干かかっている。

 服はシンプルな貴族服だが、その要所要所には高貴な装飾が施されており、胸には1対の獅子が描かれた赤い紋章が一際目につく。

 

 四大名門が一角ハイアームズ侯爵家の紋章。

 間違いない、彼こそが当主《ハイアームズ侯爵》だ。

 

 そう判断するライ達を尻目に、オーラフが1歩前に出て深く礼をする。

 

「お待たせしました。私はオーラフ・クレイグ、帝国正規軍第4機甲師団の司令を努めております」

 

 ハイアームズ侯爵が既にオーラフを知っているのは先の言葉の通りだが、礼儀としてオーラフは自らの身分も含め深々と挨拶をする。貴族制度が根深く残っている帝国において、四大名門への不礼は余計な軋みを生むだけだ。オーラフは今、帝国正規軍の代表として先程より一際礼儀正しく振る舞っていた。

 

「ああ、貴公の猛将ぶりは予々耳に入っているよ。何でも帝国東部で”赤毛のクレイグ”と言う名を轟かせているとか」

「こちらこそ。四大名門一の穏健派と名高いハイアームズ侯爵にお会い出来て光栄です」

 

 この場にいる成人男性2人はお互いをたたえ合い、そして、静かに握手を交わした。

 大人の挨拶を固唾を飲んで見守るB班。それを片目で確認したハイアームズ侯爵は、笑みを浮かべオーラフにある提案をする事にした。

 

「さて、大人の堅苦しい挨拶はこれくらいにするとしよう。何せ今日は、せっかく有角の若獅子達が訪れているのだから」

「……ふむ、そうですな」

 

 オーラフの態度が若干崩れる。

 もう無駄な礼儀は必要ないと、暗に言われたからだ。

 

 そうして2人の男性は挨拶を止め、今度は学生6人へと向きなおった。

 

「VII組の諸君、ようこそセントアークへ。この地を治める身として君たちを歓迎するよ」

「お招き頂き感謝します」

 

 VII組B班の代表として、貴族の応対の経験もあるラウラが礼をする。

 それに続いて他の面々も続く。……ミリアムもライに頭を押さえつけられる形で礼をした。

 

「ふむ、中々出来た生徒達だな。私の不肖の息子にも見習わせたいものだ」

 

 人当たりの良い笑みを浮かべ、しみじみと語るハイアームズ侯爵。

 ライはその言葉の意味が少々気になった。

 

「息子?」

「私の3男坊であるパドリックの事だ。君たちと同じく今年からトールズ士官学院に入学しているのだが、まぁ知らないのも無理はない」

「同級生でしたか」

 

 今回、特別実習に協力してくれた理由が分かった気がする。

 息子を預けた誼みと言う事なのだろう。……だが、そうなると知らないと言うのは少々気まずい。

 

「何かヒントでもありますか?」

「ヒント、か。確か執事であるセレスタンの話ではフェンシング部に在籍していると言っていたな」

 

 フェンシング部で、ハイアームズ侯爵の息子。つまりは貴族。

 ……そう言えば、マキアスの謎について聞き込みをしている最中に、フェンシング部で傲慢な貴族に絡まれた記憶がある。あれがパドリックなのだろうか。しかし、そうだとすると人格者の父とはえらいギャップだ。

 

 そして、どうやらエリオットとガイウスの2人も噂のパドリックを知っていたらしい。話によるとパドリックがリィンを自らの派閥に入れようと取り巻きとともに接触していたらしく、ユーシスに言い負かされていた様であった。……ますます侯爵とのギャップが激しい。

 

「はっはっは! やはり息子は変わらないか! いや申し訳ない、貴族として人々の模範となれと常々言っているのだが、どこで学んだのか旧態依然とした性格に成長してしまったのだよ。いやはや、子育てとは難しいものだ」

 

 やれやれとハイアームズ侯爵が頭を振る。

 

「ご心配なさるな、侯爵よ。士官学院の環境がご子息を立派な人物に成長させてくれる事でしょう。現に我が息子も、少し見ないうちに一回り、いや二回りも大きくなって――!!」

「父さん、まだ入学して2ヶ月しか経ってないよ……」

 

 子煩悩な父親の話に突っ込みをいれるエリオット。

 初め緊張感が張りつめていた応接間は、いつの間にか緩い歓談の場へと移り変わっていた。

 

 

 ……だからだろうか。

 オーラフの口が軽くなり、いらぬ事まで話し始めてしまったのは。

 

 

「たかが2ヶ月、されど2ヶ月だぞエリオットよ! 我が家宝とも言えるお前を士官学院に入れて早2ヶ月。肉体はまだまだ細いが、"帝国男児"らしい強い精神が芽生えつつある」

 

 エリオットの指がぴくりと動く。

 

「あのまま音楽院に通わせていたら身に付かなかったであろう成長だ。涙を呑んで下した父さんの決断も正しかったと言う事であろう」

 

 エリオットの手が僅かに震えた。

 オーラフは気づいていないが、もしかしてこの話題はエリオットの……!

 

「しかし、エリオットよ。辛いかも知れぬが私は――」

「中将、その話は「いいよ、ライ」……エリオット?」

 

 止めようとしたライをさらにエリオットが止める。

 そして、それ以上何も話す事なく一歩一歩応接間の入り口へと歩き始めた。

 

 誰の目から見ても何かあったと分かるエリオットの行動に、応接間が静まり返る。

 原因とも言えるオーラフも顔をしかめ、何やら深く考え込んでいる様子だ。

 しかし時間は待ってくれない。エリオットは着実に外へと進んで行く。

 

「待て、エリオット!」

 

 応接間の扉に手をかける光景を見て、思わずオーラフがエリオットを止める。

 

「……何、父さん」

「うむむ……」

 

 しかし、とっさに出た言葉であったため後に続かない。

 言葉を探すオーラフ。そうして飛び出した一言は、

 

「――帝国男児たるもの、自らの弱きを受け入れ、強く在れ!」

 

 格言の様な何かだった。

 それはオーラフが常々エリオットに語ろうとしていた言葉なのか、はたまた焦りが生んだ世迷い言なのか。どちらにせよ、彼の言葉はエリオットに届かない。

 

「…………自分の弱さなんて、誰よりも僕が分かってるよ」

 

 そんな自虐的な言葉を残し、エリオットは応接間を去って行った。

 

 

 

 ……残された生徒5名と成人男性2名。

 時間が止まった様な感覚に囚われるが、今は呆然としている場合ではない。

 

「――ハイアームズ侯爵、クレイグ中将、勝手ですが退席させて頂きます」

「友を追うか。ならば急いで行くといい」

 

 まずは侯爵の許可を得た。

 これで遠慮なくエリオットを探しに行ける。

 

「ライ、エリオットを探すのなら俺も共に行こう」

「分かった。ガイウスも一緒に来てくれ」

 

 次に捜索メンバーを決める。

 何処に行ったのか分からない以上、今は人手が必要だ。

 

「探しに行くと言うなら私も同行しよう」

「ああ、ラウラの気配察知があれ……ば、……!?」

 

 ライの言葉が唐突に止まる。

 その瞳には口を閉ざすアリサの姿が映し出されていた。オーラフに会うと決めた頃からだろうか、アリサの声を一回も聞いていない。これは彼女の性格を考えれば間違いなく"異常"だ。

 

「――ラウラ、それとミリアム。少しいいか」

 

 故にライは前言を撤回した。

 目の前にある異常もまた、無視出来ない問題であるのだから。

 

「さっきからアリサの様子がおかしい。2人はアリサの方を頼む」

 

 1人で抱え込んでいるアリサの悩み、それを聞き出すならばライよりも同性である彼女らの方が適切だろう。それに、ラウラの気配察知がなくても使用人の多いここなら目撃情報に事欠かない。

 

 だからこそ、ライは2人にアリサを任せる事にした。

 ライとガイウスがエリオットの、ラウラとミリアムがアリサの問題に当たる。それこそが今この場で取れる最善の動きだとライは判断したのだ。

 

「ふむ、ならば任された」

「まっかせてー」

 

 その意図を理解した2人はライとガイウスのもとを離れ、アリサを連れ応接間を後にした。

 ひとまずアリサはあの2人に任せよう。

 

「ガイウス、エリオットは何処に居ると思う?」

「詳しくは分からぬが、土地勘が無い以上そう遠くへは行ってないのではないか」

「そうか。なら急ごう」

 

 時間をかければかける程、エリオットは遠くへ行ってしまうかも知れない。

 故にライとガイウスの2人も急ぎ応接間から駆け出して行った。

 

 

◆◆◆

 

 

 …………

 

 嵐の後の様な様相を示す室内。

 B班が皆外へ出て行ってしまったため、応接間にはハイアームズ侯爵とオーラフの2人が残される形となっていた。

 

「……お恥ずかしいところを見せてしまいましたな。息子の事となるとつい感情的になってしまう」

「いや、私も1人の親としてその気持ちは痛い程理解しているよ」

 

 オーラフは自身の失態を反省し、1度深いため息を零す。

 親子関係と言うものは、いくら歴戦の猛将と言えども手こずってしまうものらしい。

 双方、自身の息子を想い憂いにふける。

 

 ――だが、その暗い雰囲気も唐突に終わりを告げた。

 

 オーラフの纏う雰囲気が変わったからだ。

 ハイアームズ侯爵に向き直るオーラフの厳つい瞳に、父親としての憂いは1欠片も残されていない。ここにいる男は既に猛将と唄われる"紅毛のクレイグ"へと変貌していた。

 

「……彼らは退席してしまったが、本題に移っても宜しいですかな」

 

 軍人としての気迫がハイアームズ侯爵を貫く。

 

 並の人間なら気圧されてしまうであろう研ぎすまされた眼光。

 しかし、対する侯爵もそれを日常の様に受け止め、自然な態度で本題へと話を移した。

 

「ああ、是非とも貴公の口から聞かせて貰いたい。正直なところ、事前に受け取った文の内容も不明な部分が多いからね」

 

 ここからは少々長くなると踏んだのだろう。ハイアームズ侯爵は装飾の施されたソファーに座り直しながら、封筒に入った1枚の文を広げる。

 

「まず初めに、……10日前、ガレリア要塞での魔獣襲撃の背後にいたと言う数名の武装集団。それが我がセントアークに潜伏していると言うのは真かな?」

 

 ソファー前のテーブルを挟んで対峙する両者。

 四大名門の一角をなすハイアームズ侯爵、その物事の裏側すらも見通さんとする両眼を前にして、オーラフは静かに首を"縦"に振った。

 

 公にされていないシャドウ事件の背後にあった人為的な痕跡。その手がかりについて接敵した第4機甲師団自らが提供し、協力を求める事こそが今回のオーラフの目的であった。

 

 しかし、話はそう簡単ではない。

 

 自らの領内に潜む危険因子に関する情報を得、正規軍より一歩先に進もうとする侯爵側。

 武装集団の背後にハイアームズ侯爵が関わっているのではないかと懸念を抱く正規軍側。

 

 幾つもの思惑が絡む中、侯爵と中将の会談は続く……。

 

 

◆◆◆

 

 

 一方その頃、ライとガイウスはエリオットを探して邸内へ、そして市内へと続く道を走っていた。使用人から聞いたエリオットの目撃情報から逆算すれば、そろそろエリオットの姿を見つけられる筈なのだが――

 

「いたぞ、ライ」

「ああ」

 

 曲がり角に差し掛かったところでエリオットの後ろ姿を見つけた。

 とぼとぼと歩く茜色の髪をした細身の少年。ライとガイウスは急いでエリオットのもとへと辿り着く。

 

「……あれ? どうしたの、2人とも」

「”どうしたの”ではない。心配したぞエリオットよ」

「あはは、……そうだよね。あんな出て行き方をしたら心配しちゃうか」

 

 エリオットが自虐的な暗い笑みを浮かべた。

 その中性的な表情に映るのは少々の安堵、そして悲しみ。

 何故その様な顔をしているのか、ライはその理由が気になった。

 

「中将と何があった?」

「……そんな大事(おおごと)な話じゃないよ。どこにでもある家庭の話だから」

 

 また家族の話。

 その話題に踏み込むリスクは既に何度も経験している。

 エリオットをさらに傷つけてしまうかもしれないと言う事は重々承知している。

 

 ――だが、ここで進まなくて何が仲間か。

 

大事(おおごと)でなくてもいい。理由を聞かせてくれ」

「…………」

 

 真っ直ぐエリオットと視線を合わせ、ライは静かに問う。

 揺れる翠色の瞳から察するにもう少しで話してくれるかも知れない。

 

 後1歩。ならば別の形で問いかけ、心にかかった錠をこじ開けろ。

 

「帝国男児、音楽院、――それが理由か?」

 

 先のオーラフの言葉から原因となるであろうワードを挙げていく。

 これで駄目なら別の手を。問題が表面化した以上、最後まで諦めるつもりなど1欠片もありはしない。

 

「……はは、もし僕がライみたいに最後まで突き通す性格だったら、こんな事にはならなかったかもね」

 

 そんな考えを読み取ったのか、観念した様にエリオットが口を開いた。

 ライの隣で状況を見守っていたガイウスがその態度の変化を目ざとく読み取る。

 

「話してくれるか、エリオット」

「うん、ちょっと長くなるけど聞いてくれるかな」

 

 そう言って、エリオットは青い空を見上げた。

 

 

◇◇◇

 

 

「僕はね、本当は音楽院に通うつもりだったんだ」

 

 純白に染まった町並みの中、道端に置かれた緋色のベンチに座ってエリオットがゆっくりと語り始めた。

 

「僕はピアニストだった母さんの奏でる音色が好きだった。そして、自分も母さんみたいに音楽の道に進みたいって思ってた。姉さんと一緒に色々な楽器や気に入った音楽の楽譜とかを買い集めて、毎日姉弟2人で練習してさ。音楽好きな友達もできて、一緒に音楽院に行こうって約束もしてた」

 

 ただ夢を目指していた、楽しかった思い出。

 エリオットの秘める音楽に対する夢や情熱が、その言葉の節々に溶け込んでいる様にライは感じた。

 

「けど、そううまくは行かなかったんだ」

「……父親に止められたのだな」

 

 先のやりとりを思い返したガイウスがエリオットに先んじて答えた。

 エリオットにとって口にし難い事柄であろうと、心中を察したが故の行為だ。

 

「うん。僕の父さんは度が過ぎるくらいに親馬鹿なんだけど、"帝国男児はこうあるべきだ!"って考えも強くてね。僕が音楽院に行きたいって言っても許してくれなかった」

 

 両手を固く握り締め、エリオットは1つ1つゆっくりと言葉を吐き出す。

 

「僕だって何度も”音楽院に行きたい”って言ったさ。けど、父さんは”帝国男児が音楽で生計を立てるなど認められん"って取り合ってくれなかった。だから結局、僕は士官学院でありながら吹奏楽部のあるトールズ士官学院に通う事にしたって訳。……まっ、僕の悩みはこんなところかな」

 

 何でもない事の様に締めくくるエリオット。

 けれども彼の顔はそう言っていなかった。

 

 "何でもない悩み"として片付けてはいけない事くらい、ライにも十分に理解出来る。

 

「中将が嫌いなのか?」

「分からない、かな。……たしかに初めの頃は確かに父さんを恨んでたよ。でも」

 

 一旦エリオットが言葉を止める。

 

 言っていい内容なのか迷っているのだろう。

 ちらりとライとガイウスの表情を見て、その真っ直ぐで真剣な様子に諦めたのか話を再開した。

 

「でも、最近は違う風に感じるんだ。僕の音楽に対する情熱が足りなかったんじゃないかって。最後まで諦めずに自分の意志を貫き通したら、音楽院に通う道も切り開けたんじゃないかってね」

 

 何だか最近そう思うんだ、とエリオットは儚げに笑った。

 今のエリオットの中にあるのは父親への不満ではない。ただ、あの時なぜ全力で行動出来なかったのかと言う後悔の念が彼を蝕んでいたのだ。

 

 そして、その後悔は次第に自虐の念へと根を広げていく。

 

「ほんと、少し自分が嫌になるよ。僕には最後まで自分を貫き通す強さもなければ、さっぱり音楽を諦める覚悟もない。リィンやラウラみたいに腕っぷしも強くないし、ライみたいに特別な力も持ってない。マキアスや委員長みたいに特筆した頭の良さもぜんぜん。……本当に普通で、無力だよね」

 

 自分の夢にすら真っ直ぐに進めなかった、進む強さを持てなかった。

 それに比べ、VII組に所属する皆はなんて強いのだろうか。

 特別な資質に溢れた人材が集まるVII組は、エリオットにとって眩しすぎる場所であった。

 

 そんなエリオットの悩みを受け、2人は静まり返る。

 泥沼の様な悩みを抱えるエリオットに何を言えばいいのか。

 その答えを見つけたのはガイウスだった。

 

「エリオットよ、それは違うのではないか?」

「――えっ」

「我らVII組はエリオットが音楽に打ち込む姿を毎日の様に見ている。だからこそ断言できるぞ。エリオットの音楽に対する情熱は決して中途半端なものではないと」

「……そう、なのかな」

 

 自信なさげに自問するエリオット。

 それなら、とライも助け舟を出す事にする。

 

「あのミリアムすら根を上げたんだ。ガイウスの話は間違ってない」

 

 夜空を見上げたあの日。顔を上げるのも億劫になる程の疲れの原因は、他ならぬエリオットのスパルタ部活見学であった。その事を実感を交えて説明する事で、ようやくエリオットも「そっか」と納得してくれた。

 

「――それじゃあ、そろそろ戻ろっか」

「もういいのか?」

「うん。話せて大分楽になったし、それに特別実習も進めなきゃいけないでしょ?」

 

 さっきよりも表情が明るくなったエリオットがハイアームズ邸へと帰って行った。

 

 どうやら、何とか彼の助けとなれたらしい。

 ライとガイウスは軽く頷き合い、エリオットに続いて緋色の街道を歩いて行く。

 

(後はアリサか。向こうもうまく行ってるといいが……)

 

 ……小さな不安をその身に宿したまま。

 

 

 

 

 

 




最近、とあるゲームをやって真の仲間とは何なのかについて自問する機会がありました。
絆がペルソナのテーマの1つである以上、いい反面教師になったと思います。


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25話「アリサの望む道」

長らくお待たせしました、2ヶ月ぶりの投稿です。
バタバタと忙しなく変化する季節、進まない筆、決算前の怒涛のゲームラッシュ。全てが噛み合ってここまで遅れたと言う……。こんなクロスを書いているので分かるかもしれませんが、基本ゲーマーなので時間の分配が難しいですorz


 旧都セントアークの一角でエリオットの事情を聞いたライとガイウス。その後、ハイアームズ邸に戻った3人は休憩室で休んでいたアリサ達と合流して再び応接間に向かっていた。

 

 明るい日差しの中、再び開かれる応接間の扉。そこにいたのは真剣な目で書類を読み、忙しなく領邦軍と話し合うハイアームズ侯爵の姿であった。

 どうやら既にオーラフとの対談を終えていたらしく、応接間にオーラフの筋骨隆々とした姿は見えない。……いや、むしろその方が良かったのだろうか。元気を取り戻したとはいえ、今の状況でエリオットと会わせるのは酷だろうから。

 

 そんな訳で、ライ達はハイアームズ侯爵から依頼の書かれた封筒を受け取り豪邸を後にした。

 オーラフとの会談の内容も気にはなったが、今のハイアームズ侯爵に聞くのも忍びない。だから話は日を改めて聞く事にしよう、と皆で話し合った上での判断であった。

 

 

 ……この時、無理やりにでも聞いておくべきだったと気づくのは、もう少し先の話である。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「――何度見てもおおきな崖だよね〜!」

「ああ、確か130アージュだったか」

 

 特別実習を開始したB班は今、列車でも見た雄大な峡谷の前に来ていた。

 大河のごとく遠方まで続く白い谷。1つの観光名所となっているらしく、両脇には鉄製のしっかりした柵が施され、1本の巨大な吊り橋が崖を渡している。ライは谷間を流れる涼しげな風を身に受けつつ、柵から身を乗り出そうとするミリアムをひっぺがした。

 

「観光はそれくらいにしておこう。我らの目的は別にあるのだからな」

「えっと、たしか依頼じゃここでロケットを失くしたのよね」

「はは、崖に落ちてないといいけど……」

 

 そう、ハイアームズ侯爵に渡された封筒の中に書かれていたのは《落し物の捜索》と《魔獣討伐》の2つの依頼。今回ライ達はその1つである落し物の捜索をするためにここまで足を運んだのであった。

 

 ライは依頼文に同封されていたロケットの絵を見直す。

 デフォルメされた女神の絵、恐らくはゼムリア大陸全土で信仰されている七耀教会の女神エイドスだろう。その美しくも可愛らしい女神が刻まれたロケットの絵が、色鉛筆で乱雑に描かれている。

 ……情報はこれだけだ。依頼人はセントアークに住む普通の住人なのだそうだが、一体どんな経緯でこの依頼が実習になったのだろう。

 

「過程は考えていても仕方あるまい。今はアリサの様にペンダントを探そうではないか」

「まあ、確かに」

 

 ラウラの提案に従ってライも付近の捜索に入る。

 柵の近く、見晴らしのいい広場、そして道を挟んで反対の建物。ライは注意深く隅々まで探しながら、同時にアリサの様子を密かに観察した。生真面目にロケットを探し求める彼女の姿、金色の長髪を靡かせるその光景に、先の憂いの様子は一切見受けられない。

 

「……ラウラもうまく行ったみたいだな」

「いや、先の私達はただアリサと雑談していただけだ。気分は晴れた様だが何も聞けていない」

「そうか」

 

 ただ、そう都合良くはいかなかった様だ。

 結局アリサの悩みは分からずじまいか、とライは心の中でため息をつく。

 

「しかし、アリサも聡明であるが故、我らの意図も既に察しがついているのだろう。その証拠に……、……あっ」

 

 と、会話の途中でラウラが間の抜けた声を発した。

 思わずライは思考を止め、目を丸くしたラウラの顔に視線を移す。

 

「ラウラ?」

「今夜8時、中央区にあった噴水広場に来てくれないか?」

 

 すると、ラウラから唐突な誘いが舞い込んできた。

 流石のライもその意図が分からず、ラウラの真っ直ぐな瞳をジッと見つめ返す。

 

「どうした、突然」

「アリサに関する事だ。遅れぬ様に頼むぞ」

「あ、ああ」

 

 今一状況が掴めないまま出した生返事。それを単純な肯定と捉えたラウラは納得した様に「うむ」と頷いてロケット探しに戻って行った。

 

 ……アリサに関する相談でもしたいのだろうか?

 煉瓦の街道に取り残されたライは、しばらく今の約束の意図について考え込むのだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 特別実習を始めて1時間後。

 観光客の目撃証言から無事にロケットを発見したライ達は、セントアークの住居区に住む依頼人のもとに訪れていた。真っ白な漆喰に覆われた一軒家、色とりどりの花が窓先に飾られている。そんな小洒落た家の扉を軽く叩くと、中から「は〜い」と言う女性の声が聞こえてきた。

 

「あら、あなた達は?」

 

 扉から出てきたのは若い主婦であった。午後の軽食でもしていたのか、室内からは美味しそうなアップルパイの香りが漂ってくる。

 そして、女性の背中には小さな男の子が隠れる様にくっついており、頭だけ出して恐る恐るライ達を見つめていた。……あのロケットの絵から考えて、ロケットの持ち主はあの男の子なのだろう。

 

 とりあえず、ライ達を代表して先頭のアリサが依頼の話を主婦に説明する。

 

「あぁ、失くしたロケットをあなた達がっ!? あ、ありがとうございます! 領邦軍に頼んではいたのですが、正直もう戻って来ないものと思ってて。……ほら、一緒にお礼をいいましょう」

「ありがとなー! おねーちゃんたち!」

「ふふっ、もう失くしちゃ駄目よ」

 

 しゃがみこんで男の子にロケットを渡すアリサ。

 それはまるで弟をあやす姉の様な光景で、目線の高さを合わせたアリサの瞳は柔らかに微笑んでいた。アリサの面倒見の良さがよく分かる光景だ。静かにその笑顔を記憶に刻む。

 

「……なに?」

「いや、何でも」

 

 視線を感づかれたライはアリサからそっと目をそらした。

 

 アリサの顔を眺めてたと言ったらどんな反応をするだろうか。……間違いなく大げさな反応をするので、心の中だけに留めておくとしよう。

 

「ところで御夫人よ。1つ質問なのだが、この依頼を領邦軍に出したと言う話は真か?」

 

 そんな2人を余所に、ラウラが主婦に依頼に関する質問をする。

 

「ええ、2年前にいなくなってしまった遊撃士協会(ブレイザー・ギルド)の方々に変わって依頼を受けて下さってるんですよ。まぁ、警備の片手間なので対応は遅いんですけどね」

遊撃士協会(ブレイザー・ギルド)かぁ。2年前の支部襲撃事件以来、帝国じゃ見なくなったよねぇ〜」

 

 ラウラと主婦、そしてエリオットの3人が民間支援団体《遊撃士協会》について世間話を始めた。遊撃手がいなくなって不便になっただとか、レグラムにはまだ残ってるだとか、長年の生活に根ざした話題に花を咲かしている。

 

「へぇ〜、おねーちゃんたち”しかんがくいん”ってとこでべんきょうしてるんだー」

「へっへーん。こう見えてもボク達は強いんだよ!」

「おれとあんまり変わらないのにすごいんだな!」

「――う゛っ」

 

 一方反対側では、小さな男の子を前にしたミリアムが盛大に自爆していた。

 そこに部活見学の出来事を思い出したアリサが忠告のために関わっていく。

 

「ミリアム、ここでガーちゃんを呼ばない様にね」

「わかってるよ〜。子供相手にそんな大人げない事する訳ないじゃん」

「……大人?」

 

 それほど身長の変わらないミリアムと男の子を見比べて、アリサが不思議そうに頭を傾けた。

 

「……今、ボクの背を見たでしょ」

「ご、ごめん。冗談だから拗ねないで」

 

 アリサがそっぽ向いたミリアムに対し必死に弁明を始めた。

 しかしミリアムが拗ねていない事は、緩んでいる口元を見れば明らかであろう。

 その事実を知っているのは反対側にいるライとガイウスだけであった。

 

 ――少し前のギクシャクした空気がまるで嘘の様に和気あいあいとした2つのグループ。

 そんな彼らの様子を見て、ガイウスがぽつりと呟く。

 

「この様な風がいつまでも続くと良いのだがな」

 

 主婦や男の子を交えて楽しそうに会話するエリオットとアリサ。

 こんな光景が続けばいいと思いながら、ライとガイウスの2人は静かに見守った。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ――5月29日、午後7時半頃。

 

 主婦達と別れた後、裏路地に潜む魔獣を無難に討伐したライ達はハイアームズ侯爵が手配した宿に到着していた。本来ならここでレポートを書いてゆっくりと旅の疲れを癒す予定なのだが、ラウラから頼まれた用事があるため、相部屋のエリオットとガイウスに一言断りを入れて外に出た。

 目指す先は約束の噴水広場だ。ライは昼間の道順を思い返しながら夜のセントアークを進んでいく。辺りは昼間と打って変わって導力灯の暖色系の光が辺りを照らし、白い壁も赤みがかった黄色に染まっている。そのため一度通った道もまるで別世界の様な光景であった。

 

 そうして数十分後。いくつかの角を曲がり何人かの警備の領邦軍とすれ違ったライは、地下水を汲み上げた噴水の音が聞こえる程に広場に近いた。そしてラウラは来ているだろうか、と考え辺りを見回す。

 ……しかしながら、そこに藍色の髪の少女の姿はなく、代わりに居たのは1人の少女であった。見慣れた金髪ツーサイドアップの少女。それは即ち――

 

(アリサ?)

 

 物陰にいるライはアリサの様子を伺った。

 彼女は辺りをきょろきょろと見渡して、誰かを待っている様子だ。

 一体誰と待ち合わせをしているのか。疑問を覚えたライは一歩前に踏み出すが、アリサに近づく第3者の足音を聞いて歩みを止める。

 

「――うむ、待たせたな」

 

 その第3者とは即ちラウラであった。

 ……少し考えれば分かる事だ。ライにこの場所に来る様伝えたのは他ならぬラウラなのだから。

 

 ラウラとアリサ、2人の少女が面対する光景をライは広場の隅から静かに見つめる。

 

「来てくれたんだ。……って、私が言うのも何だけど、これって女性同士の挨拶としてどうなのかしら」

「む、何かおかしかったか?」

 

 きょとんとするラウラは、今の会話がデートの待ち合わせに近かった事に気づいていない様だ。アリサはジト目で不思議そうなラウラを睨みつける。

 

「はぁ……。こんな調子じゃ、地元で”お姉様”とか言われてたんじゃないかしら」

「ほう、良く分かったなアリサ」

「……ほんとに呼ばれてた」

 

 冗談で言ったつもりの推測が当たっていたと言う事実を前にして、アリサは頭に手を当てて項垂れた。その心に映るのは諦めか何かか。遠くから眺めるライにはその真意は分からない。

 

「あぁ〜、うん。この話は置いておきましょう。せっかく夜遅くに来てもらったんだし」

「うぅむ。少々腑に落ちないが、確かにアリサの言う通りだな。……ふむ」

「? どうしたの、ラウラ」

「いや、条件がそろったと思ってな」

「条件?」

 

 頭に?マークを浮かべるアリサに対し、ラウラは何故か満足げに腕を組んだ。

 噴水の青白い導力灯に照らされる藍色のポニーテールもどこか自信に満ちあふれている。

 

「ああ、壁を乗り越える為のだ。――それでまず始めに問いたいのだが、此度の招待はそなたの内を話してくれる、と言う事で間違いはないか?」

「……ス、ストレートに聞くのね」

「うむ、私は弁が立つ性分ではないのでな。それにアリサの事情を聞こうとしているのだ。なれば私も心からぶつかる他あるまい!」

 

 淀みなく言い切るラウラ。そんな凛とした風貌にアリサも「ラウラらしい」と微かに微笑み、金髪を翻して歩き始めた。

 

 向かう先は青い導力灯が埋め込まれた噴水の縁石。

 アリサは自身の短いスカートを整え、静かにその縁石の上に座る。

 

「そうね。せっかく来てもらったんだし、私の昔話に付き合ってくれるかしら」

 

 心配されていると言う事実に気づいていたアリサは自ら行動を起こそうと決めたのだろうか。

 月明かりに照らされた彼女の姿は、とても絵になる光景であった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 アリサに習い、ラウラも噴水の縁石に座る。

 それを確認したアリサは小さく深呼吸して改めてラウラの顔を見た。

 

「――始めに少し聞きたいんだけど、ラウラは今から話そうと思ってる事が何だか分かる?」

「ふむ、そうだな。アリサの様子がおかしかったのはセントアークに関して話し合った日からだったか。ならば、家族、や親、……が関わっているのではないか?」

「正解。さすがに分かっちゃうか」

 

 諦めた様な表情でアリサが呟く。

 彼女の性格を鑑みるに、彼女自身も薄々バレる行動であったと自省していたのかも知れない。

 

「私の今の状況を端的に、……ほんとに短く言っちゃうと家出ってことになるのかしらね」

「家出?」

「そう家出」

 

 ラウラはうぅ、と言葉に詰まった。

 思えばラウラはあの日、親との仲の良さに関して自慢げに話してしまっていた。それが引き金になってしまったのではないかと考え、ラウラの表情がしだいに暗くなっていく。そんな様子に気づいたアリサは慌ててフォローの言葉を口にした。

 

「べ、別にラウラの話が原因って訳じゃないからね! ずっと前から抱えてる問題だから! それに何もずっと仲が悪かった訳じゃないの。父がいた頃は普通に仲の良い家族だったし」

「……いた頃は?」

「あっ」

 

 フォローするつもりが墓穴を掘ってしまったと言う事実を前に、アリサの表情が固まってしまった。

 こんな時なんて言葉を発せばいいのだろうか、とアリサは紡ぐべき言葉を探す。相手を思いやる言葉か、はたまた場を取り繋ぐ為の言い訳か。――いや、そんな事を言う為にラウラを呼んだんじゃない、とアリサは心に決めた。

 

「……そうね。この際だからはっきり言っちゃうけど、私の家庭はラウラと似たようで正反対の状況なのよ。小さいころ、私が9歳のときに技師だった父が、その、亡くなってしまったの」

「亡くなった、か」

 

 幼い頃に母を亡くしたラウラもその辛さはよく理解していた。

 それを言葉にする辛さも同様に。けれど、今はその事に触れる場面ではない。そう、話の本題はここから先なのだから。

 

「似たようで正反対、と言う事は――」

「ラウラの想像通り、ここからが家出の原因。父を亡くした母はまるで別人になったみたいに仕事一筋の人間に変わってしまったわ。ほんと、仕事の鬼としか言えないくらいに。それで5年前、遂に実の祖父まで陥れてしまった。……仲の良かった家族が、だんだんと壊れてしまったのよ」

 

 何故母が変わってしまったのか、それはアリサには分からない。

 悲しみから逃れるためだとか想像はできるけれども、仕事を優先して実の肉親まで追いやろうとする母をアリサは理解できなかった。どうしても理解したくなかったのだ。

 

「だから、私はそんな母から自立するために仕官学院に行くって決めたのよ。トールズ仕官学院は全寮制だし、1人でも何とかなるくらいに奨学制度も充実してるからね」

「確かに、そういった面から言っても仕官学院は適当な場所であろう」

 

 これがアリサが仕官学院に入学した理由であった。9歳の頃、つまりは8年前から続く母親との不和こそがアリサの抱える悩みだったのだろう。そして、最近のアリサの葛藤も同じく不和が……いや、"違う"?

 話を聞いて納得した様子のラウラとは真逆に、ライは微かな違和感を感じていた。最近のアリサが見せる表情と今の話の内容とを繋ぐには、まだ何かピースが欠けている様な……? そんな曖昧な疑問が付きまとって離れない。けれど、アリサが再び口を開く様子を見たライは無理やり意識を前に戻した。

 

「だからもう心配しないでいいのよ。エリオットの親子関係を見て悩んだりもしたけど、私は私でやってけるんだから!」

 

 金髪をかき上げてアリサはわざとらしい笑みを浮かべ、そう断言した。

 先ほどまで長々と話していたが、恐らくはその一言を言う為にラウラをここに呼んだのだろう。自分の事は心配いらないと伝えるために。

 

「ふむ、余計な気遣いであったか。確かにマキアスの件などで我々も周囲の状況に過敏になっていた事は否定できぬ」

「余計って訳じゃないけどね。心配してくれた事には感謝してるし。……けど、今の私は母から自立するって目標を掲げてるわけだから、心配されてもどうしようもないんじゃないかって思ったのよ」

「ああ。そなたの意志、しかと受け取った」

 

 噴水から立ち上がったラウラは己のこぶしを胸に当てそう誓った。

 日中のエリオットの独自に似た流れを感じ、ライは「出る幕もなかったな」と心の中で呟く。

 このままでも大丈夫であるのなら、わざわざ出て行く必要もないだろう。やや気がかりな点はあるものの、些細な疑問だと自らに言い聞かせ、ライは静かに去ろうとした。

 

 しかし――

 

「――そう言う訳だ。わざわざ来て貰ったのは何だが、ここはアリサに任せるとしようではないか」

「えっ? ラウラ、だれに向かって言ってるの?」

 

 観客のままで終わる、と言うことはどうやら出来ないらしい。

 

 暗がりに立つライに向けて相談するラウラ。

 気配を読むというスキルを持たないアリサはその行動にただただ困惑する。

 突然観客から役者に立たされたライは、そんな2人の様子を見ながら静かに口を開いた。

 

「気づいてたのか」

「何を言う。気配を隠そうともしていないのに、私が気づかぬ筈があるまい」

 

 どうやらラウラは最初からライがいる事前提で話をしていたらしい。……そういえば、条件がどうとか言ってたか。

 

 しかし、それは気配を探れるラウラだからこそ出来る芸当だ。そのためライの存在を知らなかったアリサは、話を聞かれたと言う事実に思わず目を丸くしてしまう。

 

「ってライ!? 聞いてたのっ!? ど、どこからっ!?」

「”待たせたな”から」

「それって最初じゃない!」

「確かに」

「”確かに"、じゃないわよっ!!」

 

 話を聞かれた気恥ずかしさからか顔を真っ赤に染めるアリサ。

 だがライは「聞かれて不味い話だったか?」と首をかしげるばかりであった。リィンを始めとしてエリオットなど、恥ずかしげもなく自身を語る人物に慣れたせいで感覚が少々ずれ始めているらしい。

 

「うぅ……、そもそも何でライがここに?」

「それは私が呼んだからだな。ライは今までもVII組の問題解決に関わっていたが故、機敏に疎い私よりも役に立つだろうと思ったのだ」

「……ああ、うん、そっか。ラウラらしいわね。……あはは」

 

 ラウラの親切心がこの状況を招いたと理解したアリサは乾いた笑いを漏らす。

 考え込むライと、自信たっぷりのラウラ。天然2人を前にしたアリサは己の感情をどうする事も出来ず、とりあえず項垂れた。

 

「む? どうかしたのか?」

「聞かないで。このやるせない気持ちはたぶん私にしか分からない」

 

 そんなアリサの様子にラウラも?マークを浮かべた。……が、特に問題も無さそうなので話を進めることにしたらしい。

 

「ではそろそろ宿に戻るとしよう。――ライは何か言いたいことはあるか?」

「言いたい事、か」

 

 最終確認として聞かれたラウラの提案を受け、ライは改めて自問する。

 ……どうせなら、先の疑問について聞いてみるのもいいだろう。

 

「1つ、アリサに聞きたいことがある」

「そうか、ではこの機会にゆっくりと聞いておくといい。私は先に戻ってミリアム達に説明しておく」

「ああ、頼む」

 

 そう言って、ラウラは先に宿へと戻っていく。

 

 こうして、シンと静まり返る噴水広場の中に残されたライとアリサ。妙に痛々しい空気が流れる中、目を合わせてくれない時間が続く。

 

 この時間がいつまで続くのか、それを天高く上る三日月だけが知っていた。

 

 

 

 

 




1話が15000字近くまで伸びてしまったので無理やり分割。
次話は本日午後7時に投稿予定です。

……過程も大事だとはいえ、ペルソナどこ行ったし(´・ω・`)


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26話「夜の捜索依頼」

本日午後5時に25話を投稿してますので、未読の方は、まずそちらを御覧ください。


「――で、聞きたいことって何なの?」

 

 月夜のセントアーク、青白く照らされた広場の中でアリサの不満げな声が投げかけられる。急かす様な態度にジトっとした赤い瞳。その様子は疑いようもなく――

 

「怒ってるのか?」

「怒ってないわよ!」

 

 即答された。

 

「質問はラウラに話した内容についてだ」

「ああ、なるほど。密かに覗き見してたアスガードさんには、どうやら不満でもおありのようで」

 

 やはり刺々しい。これは早く聞いたほうがいいかも知れない。

 そう思ったライは、先の話で感じた違和感について問いかける事にした。

 

「いや、別に不満はない。ただ――」

「あっ! もしかして昼間の学生さんっ!?」

 

 だがしかし、その言葉は寸前で第3者の言葉に覆い隠されてしまう。

 

 話を中断されたライとアリサは、そろって声の主へと視線を移す。

 そこにいたのは昼間ロケットを届けた主婦であった。ここまで走ってきたらしく、肩で息をして、その表情には焦りの色が濃く浮かんでいる。

 

「あ、あのっ! 息子を見ませんでしたか!?」

「えっ、息子さんですか? 私は見ていませんが……ライはどう?」

 

 ライも首を横に振って「見てない」と答えた。

 主婦は2人の返事を聞いてさらにオロオロと焦りだす。ライ達に事情を伝える余裕すらない緊迫した様子に、2人も昼間の男の子に関する異変を察した。

 

「迷子ですか?」

「え、ええ。夕方遊びに行ったっきり帰ってこないんです。なんだか皆さんの話を聞いてジッとしてられなかったみたいで……。普段から言いつけているので、あんまり遠くへは行ってないと思うんですけど……‼︎」

 

 主婦の話を聞いたライはARCUSを取り出し時間を確認した。現在時刻は午後8時半を回っており、日暮れから大分時間が過ぎている。……確かにこれは子供が1人で出歩くには遅い時間だ。ライは思考を即座に緊急事態のものへと切り替える。

 

「アリサ、悪いが話は後だ」

 

 制服の内ポケットにしまった地図を取り出す。このセントアークは広大だ。地図上で当たりをつけなければ捜索すらままならない。

 

「……あの子を探しに行くのね」

「当然だ」

 

 地図から目を離さないままアリサの問いに答える。

 ……そんな真剣な様子を見たアリサは少し考え込むと、先ほどまでの自身の憤りを内に鎮め、地図を持つライの腕に手のひらを乗っけた。突然の感触にライの視線がアリサへと向く。

 

「なら、私も手伝わせてちょうだい」

「いいのか?」

「それこそ当然よ。私がそんな薄情な人間に見えるかしら?」

 

 ライはじっとアリサの表情を伺った。

 淀みのない瞳、不適に微笑む可愛らしい顔に先の感情は見られない。今はあの子を探す事を優先しましょう、と言うアリサの回答を十分に感じ取ったライは、軽く頷く事でアリサに同意した。

 

「い、いいんですかっ!?」

「ええ、あの子には昼間お世話になりましたし、やっぱり心配ですから」

 

 両手を組んで勇む主婦に、アリサは優しくそう答える。

 ありがとうございます、ありがとうございます! と何度も頭を下げる主婦。捜索をするためにもまずは彼女を落ち着かせる事が先決であった。

 

 

 …………

 

 

 ひとまず主婦を落ち着かせ、簡単な情報交換を済ませた後、再びこの広場で会う約束を交わして主婦は走っていく。それを見送った2人は広場の真ん中で向き直った。

 

「……さて。彼女は警備の領邦軍に聞いて回るみたいだけど、私たちはどう探したものかしら」

「取りあえず応援を呼ぼう」

 

 宿にいる筈の仲間を呼ぶためにARCUSに番号を打ち込む。しかし――

 

「繋がる訳ないでしょ。ARCUSの試験導入をしてるトリスタと違ってセントアークには導力波の中継設備がないんだから、今はARCUS同士の直接通信しかできないわ」

「……市内なのに、中継設備がない?」

「えっ、別に市内とか関係ないでしょ? 導力波の実用化だってまだまだ実験段階なんだから」

「そうか? ……いや、そうだったな」

 

 仕官学院での授業を思い出してライは1人納得する。どういう訳か、平常時の市内なら通話が通じて当然と言った感覚がライの中にあったのだ。そのため通話が出来ないという現状に、どうしても違和感を感じてしまう。

 

(いや、今は違和感など関係ない)

 

 そう、今は捜索に意識を集中するべきだ。

 

 まずは応援の是非について考えてみよう。人探しをするならば人数が多いに越したことはないし、ラウラの気配察知はこういった捜索には打ってつけだ。しかし遠距離の通話が出来ない以上、1つ問題が発生してしまう。即ち宿への往復による大きな時間のロスだ。夜間の危険性を考えれば、出来る限り捜索に時間を割きたいところ。

 

 かくなる上は――

 

「アリサ、ラウラ達を呼びに宿へ行ってくれないか」

「別にいいけど。……その前に1つ確認。ライはその間どこを探すつもり?」

「俺達は彼女のサポートに回るべきだ。なら警備の目の届かない裏の通りから当たった方がいい」

「なるほどね。……けど、だったら別行動は止めましょう。夜の裏道に1人で行くなんて、いくらライでも危険だし」

「いや――」

 

 1人でも大丈夫だ、と続けようとしたライは口を閉じた。裏路地の危険地帯くらいは乗り越えられると言う感覚、それこそサラの言っていた限界のズレであるのではと思考を掠めたからだ。

 ライは思うように動けない現状に歯がゆく感じながらも、急ぎ代替案を考える。

 

「仕方ない。通話が出来る距離まで移動し、そのまま捜索に移ろう」

「確かに合流を待ってる時間も惜しいわね。うん、それで行きましょう」

 

 方針が固まった事を確認しあったライとアリサは揃って宿へと向けて走り出す。

 時間が時間なのだ。のんびりと観光気分で歩く訳にはいかない。2人は流れる薄暗い景色の中を駆け抜けていった。

 

 

 ……けれど、急いては事を仕損じると言う諺が指すように、強行軍は思わぬアクシデントを生むものである。

 

 それは宿へと続く曲がり角、アリサがそこを差し掛かった時に起きてしまった。どんっ、という衝突音。死角にいた"誰か"と音を立ててぶつかってしまったのである。

 

「きゃっ」

 

 アリサが微かな悲鳴をあげて一歩後ずさる。

 どうやら小さな人物とぶつかったらしく、彼女に大した衝撃は見られない。逆に言えば、運悪くアリサに当たってしまった人物の方がダメージが大きいと言う事でもあった。数瞬遅れ、ライも建物の角を曲がる。

 

「あっ、ごめんなさい! ちょっと急いでて……」

 

 慌てて地面に倒れこんだ相手に近寄って謝るアリサ。

 幸いな事に相手も怪我と言う怪我はないらしく、無理なくすっと立ち上がり、ライ達へと顔を向けた。

 

 ――それは不思議な雰囲気を纏う幼い少女であった。

 兎の様な三角の耳がついたフードをかぶり、左右の前髪を丸い髪飾りで束ねた銀髪の少女。へそなど所々半透明で水着の様なボディスーツを身に纏い、背後には尻尾のようなコードがふらふらと漂っている。……どう考えても一般人では無かった。

 

「えと……」

 

 アリサが困惑の声を漏らす。無理もない。ただでさえ住民とは考え難い服装をしている上に、彼女の態度も妙だったのだから。

 そう、不思議な少女はぶつかってしまったアリサを非難するでもなく、謝った事に対し答えるでもなく、ただひたすら第三者である筈のライをじーっと見つめ続けていたのだ。

 

「俺に何か?」

「…………」

 

 疑問に感じたライの問いにも答えない。ただ静かに、機械的にライの顔を見つめている。

 対するライも感情が表に出ない無表情なので、端から見たら異様な光景に映る事だろう。

 

「……南方200アージュ」

 

 そんな中、少女がふいに短い単語を口にした。

 透き通った幼い声が夜の静寂に木霊する。

 

「南方200アージュの路地裏に目標がいます」

 

 目標? 何故この少女はライ達の事情を知っている?

 

 ……しかし、少女はそんなライの疑問に答えるつもりは毛頭無いらしく、話し終えたと同時に歩き出し、すれ違いざまに「では」と一言残して曲がり角へと消えていった。

 

 当然ライはすぐに彼女の後を追う。だがしかし、そこには既に少女の姿はなく、幻の様に静かな道が続くばかりであった。

 

「消え、た?」

 

 無人の道から少女の影を探しつつ、ライは小さく呟く。

 まるで夢でも見ていた様な状況だ。後ろで戸惑うアリサがいなければ、そう思っていたかもしれない。

 

「どうするの? ライ」

「……とりあえず向かってみるか」

 

 地図を片手にライは答える。

 目標、要するに迷子の男の子が南方200メートルの裏路地にいると少女は言っていたのだ。どこから見ても怪しいが、行って見る価値はあるだろうと、ライは漠然と考えていた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ――旧都セントアーク、中央区と住居区の境にある裏路地。

 少女が言っていた情報を頼りに、ライとアリサの2人は高い建物に囲まれたこの場所へと訪れた。

 

「本当にこんなところにあの子がいるのかしら」

「いなかったなら改めて宿へ向えばいい」

「そうね。今はこの辺りを探して、――って、あっ」

 

 周囲をきょろきょろと見渡していたアリサが急に言葉を止める。

 裏路地の奥、木箱が多く積み重ねられ、曲がりくねった道の丁字路の奥にある袋小路に、ぴょこんと飛び出す小さな頭を見つけたからだ。

 

「ほんとにいた……」

 

 例の少女の言葉に懐疑的だったアリサは思わずそう漏らす。

 夜間のこんな場所に幼い少年がいるなど、あまり信じていなかったからだ。しかし、現実として男の子は今そこに隠れている。

 

「……ま、まぁ。何だか腑に落ちないけどこれで一件落着ね。早くあの子を母親に――」

 

 とりあえず母の元へ連れて行こうとするアリサ。

 しかし、その行為は"ライの片手に止められた"。

 

「えっ、何なの?」

「様子がおかしい」

 

 ライの端的な言葉を聞いて、アリサは改めて男の子の様子を確認する。

 十字路の奥にある木箱の裏に隠れ、ビクビクと丁字路の左方を見る少年。ここからでは分かり辛いが、何かに怯えている様子であった。

 

 それを理解したライとアリサは口を閉じ、忍び足で十字路へ、左に何があるかを確かめる為に慎重に進む。

 

「――ったく! あの野郎、何処に行きやがったんだ!」

 

 そこには、4人の屈強でガラの悪い男達が木箱を囲って座っていた。

 木箱の上に置かれた地図にペンで何かを書きつつ、一人が不満を爆発させている様子だ。ここらのゴロツキか? とも思ったが、どうにも様子がおかしい。何故なら彼らの脇には、長い銃身のライフルが立て掛けられていたからだ。

 

「導力ライフル、……領邦軍か?」

「いえ、ここの領邦軍に配備されているものとは別型よ。それに服装も違う」

 

 夜の路地裏に屯する正体不明の兵士。

 ライとアリサはその正体を見極めるために男達の会話へと耳を傾ける。

 

 どうやら不満げな男の愚痴を、別のリーダー格の男がイラつきながらも聞いている様だ。

 

「くそっ! 何で俺達がこんな事を!」

「叫ぶな、煩い」

「これを叫ばずにいられるか! せっかく俺達の夢が叶うってのに、あの野郎がミスしやがったせいで、もう4日も捜索だぜ?」

「これも雇い主に言われた仕事だ。文句言わず働け」

「へぃへぃ、分かりましたよ。……ったく、普段は無口で影が薄かったてのに、文字通り"影"になった途端べらべらとしゃべる様になるなんてよぉ。おかげで秘密が漏れるかもしれねぇ状況になっちまいやがった」

 

 捜索、雇い主、……秘密? 何やらきな臭いワードが次々と飛び出す。

 

「だから黙れ。この契約は隠密行動なんだ。誰かに見つかったらどうする」

「へっ! 見られりゃ殺っちまえばいいんだよ。なんせ俺たちゃ未来の猟兵団"バグベアー"なんだ。女子供1人見逃したりはしねぇさ」

 

 導力ライフルをへらへらと笑いながら持ち上げる男性。目撃者を発見次第撃ち殺すと言う意思の表れだろうか。

 

 ーーしかし、あの男のお陰で何者なのか十分に知ることが出来た。

 

 猟兵団、いや未来の猟兵団バグベアー。

 ここで何をしているのかは定かではないが、目撃者を抹殺すると断言している以上、まともな相手じゃない事は確かだ。

 

 そして、何故今回の迷子が発生したのかも判明した。

 

「なるほど。あのいかにも怪しい集団のせいで帰るに帰れなかったのね」

 

 恐らくあの少年はここらで遊んでいたものの、気づけば唯一の道である丁字路をあの男達に塞がれてしまったのだろう。あんな物騒な言葉を言っていたのでは、とてもじゃないが表に出れまい。

 

「……でも、どうしよう。あの子を連れて行くにはあの丁字路を通らなきゃいけないし」

「何とかして男達を引き離す必要があるな」

 

 丁字路の物陰でライ達は作戦を練ろうと小声で会話を始める。

 

 ……しかし、その場所が1つの不運を運んでしまった。

 丁字路の反対側にいる少年が、ライ達に気づいたのだ。ほっとした笑顔を浮かべ、木箱の影から外に出る。その時、ガラッと言う"大きな物音"を立ててしまう事にも気づかずに。

 

「――ん? 今物音がしなかったか?」

 

 物音に気づいたバグベアーの1人が導力ライフルを片手に男の子のいる袋小路を見る。

 

 不味い。

 

 そう感じたライは反射的に銃をホルスターから抜き出した。

 

「ヘイムダル!」

 

 巻き起こる蒼き光。ライはバグベアーの周囲上空に照準を合わせる。

 

 ミリアムが入学した頃、ナイトハルトが言っていた。ペルソナを秘匿するのは悪用を防ぐ為なのだと。ならば、あの様な不審な男達にペルソナを見せる訳にはいかない。それはライも重々把握している。

 

 ――それなら、あの男達に直接見せずにペルソナを使えばいい!

 

「アリサ! 彼の救助を!」

「えっ? ……ええ! 任せて‼︎」

 

 ライの行動を察したアリサが少年に向け駆け出す。同時にライはバグベアーの周囲上空に全体火炎魔法(マハラギ)をばら撒いた。これは陽動だ。死なない程度の手加減が難しい上に、まだ彼らが犯罪的行動に出た訳で無い以上、直接危害を加える訳にもいかない。

 

「なっ、何だ! こりゃあ!!」

 

 突然の爆炎に慌てふためく男達。

 その隙にアリサは少年を抱え、急いでUターンしてライの元へと戻ってくる。

 

「早く逃げましょ!」

「ああ。……じっとしてくれるか?」

「う〜ん。わかった!」

 

 アリサから男の子を預かり、急ぎこの場を離れる。

 こうして、ライとアリサ、そして男の子3人の逃走劇が幕を開けるのだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 後を追うバグベアーの団員を背に、ライ達は元来た道を駆け抜ける。

 走る。領邦軍のいる表通りを目指して、ただひたすら走る。だが――

 

「いたぞ! こっちだ!」

 

 行く手を遮る導力ライフルを持つ団員によって、進路の変更を余儀なくされていた。

 放たれる銃弾。男の子という守るべき対象がいるライ達は道端の木箱を盾にして逃げ続ける。

 

「ね、ねぇ! 何だか数が増えてない!?」

「不味いな……」

 

 既に進路の変更は4度目。

 明らかにあの場にいた男達よりも倍近く人数が増えていた。……どうやら、あの場にいた男達はバグベアーの一角に過ぎなかったらしい。

 

「次はどっち!?」

「右だ」

 

 袋小路に向わぬよう、脳内で地図を思い出しながら道を選ぶ。

 分かれ道を駆け足で右へ。流れる風景の中、ライ達は深夜のセントアークを駆け抜けていく。

 

 ……

 

 …………

 

「……これ、もしかして誘導されているんじゃない?」

「ああ、間違いない」

 

 どんどんセントアーク中央から離れていっている事に、ライ達は気付いていた。

 表へ出ようとする度に男達に道を塞がれているのだ。恐らくは頭の切れる司令官がいるのだろう。確実にライ達を追い詰めるように効率よく団員を動かしていなければ、この様な状況にはなり得ない。

 

「この先って確かあの峡谷よね!?」

「そこで追い詰めるつもりだ」

「だったら今のうちに何とかしないと!」

 

 だが、どうする?

 

 男達を切り抜けようにも、こちらには男の子がいる上に相手の人数も把握できない。それに足を止めたらそれこそ挟み撃ちにされてしまうだろう。……ペルソナを使うか? いや、全員を捕まえる事が出来ないのならば、迂闊にその手段は使えない。

 

 答えが出ない。その状況のまま、ついには前方に峡谷の鉄柵による行き止まりが見えてきた。

 

「っ! もうここまで来てたなんて」

「仕方ない。……アリサ! この子を頼む」

 

 抱える子供をアリサに渡しながらライが叫ぶ。鉄柵はもう目前に迫っている。

 

「う、うん! でもどうするの!?」

「ジッとしてろ」

「え? 一体何を……って、ひゃあ!」

 

 柵の寸前で男の子を抱えたアリサの腰を、更にライが片手で抱えこんだ。

 同時に力が込められるライの両足。アリサはここになってようやくライの意図を悟る。

 

「へっ? もしかして、このまま崖を……!!」

「しゃべるな。舌を噛む」

「待って! まだ心の準備が!!」

 

 顔を青くするアリサを無視し、ライは崖に向け全力で跳んだ。

 

 体が浮く感覚、一瞬で開かれる視界。

 ペルソナの身体強化を利用した全身全霊のジャンプによって、鉄柵を超え真っ暗な谷の上へと躍り出る。

 

 ……だが、向こう岸へと辿り着くには飛距離が足りない。

 ライ達は重力に従って、何一つ明かりの無い谷底へと真っ逆さまに落下していく。

 

「きゃあああぁぁあああああ!!!!」

 

 暴風を切り裂きながら落下速度が上がり続ける。しかし――

 

「――ペル、ソナ!」

 

 それこそがライの目的だった。

 

 後方から追ってくる追っ手からは、落下するライ達を視認する事は出来ない。即ち130メートルの谷底に落下するまでの約5.3秒間は、ペルソナの使用が可能となる!

 

 峡谷に木霊する発砲音。

 青い結晶、光の巨人がライ達を包み込み、漆黒の暗闇へと消えていった……。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 …………

 

「……目撃者3名、自暴自棄になって崖から飛び降りた模様」

 

 後方から追っていたバグベアーのリーダーは、導力無線機を通してそう報告した。

 すると、彼の耳元から1人の男性のノイズ混じりの声が聞こえてくる。

 

『――ふむ、思わぬ結末だ。行動のパターンから考察するに、最後の最後まで諦めない気質の人物だと考えていたのだが』

「雇い主、それだけあんたの指揮が旨かったと言う事だ。無論、俺達の行動も。……ククッ」

 

 自分たちに追い詰められたが故の凶行だろうと、リーダー格の男は真っ暗な谷底を眺めながら口を歪める。会話を聞かれたのは失敗だったが、領邦軍に見つかる事なく任務を遂行し、見事目撃者を排除できたのだ。猟兵団として名を馳せる日も近いと、男は高騰する気分を抑えるので必死だった。

 

『今はそう言う事にしておこう。念の為、此度の過程や目撃者の容姿について報告してもらおうか』

「了解。……ま、無駄だと思うが」

 

 気分の良い男は導力ライフルを肩に担ぎ、数人の団員を引き連れ引き返していく。そして、彼らはセントアークの闇の中へと姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……

 

 …………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……やはり。あなたは躊躇なく、その行動を実行するのですか」

 

 峡谷近くの建物の上、一連の流れを俯瞰出来る場所に例の少女が立っていた。傍らには黒い傀儡が佇み、揃ってライ達の落ちた谷底を静かに眺め続ける。

 

「変化のない事に喜ぶべきか、成長のない事に落胆するべきか、……判断に苦しみます」

 

 先の逃走劇を思い返しながら、機械的に、無感情に少女は呟く。

 ――しかし、その瞳には僅かな感情が灯されていた。

 

 それが果たしてどちらなのか、それを確かめる者は誰もいない。

 

 

 

 

 

 




バグベアー(閃の軌跡3章より)
 とある人物によって雇われた傭兵集団。何やら"猟兵団"と言うワードに並々ならぬ執念を抱いている様であり、態度の悪い人物が目立つ。


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27話「悩める少女」

 ぴちょんと、水滴が頬に落ちる。

 

 ゆらゆらと揺れる篝火の明かりに照らされて、ライとアリサ、そして元迷子の男の子の3人はマーブル模様の洞窟内に隠れていた。そう、この場所は峡谷に出来た鍾乳洞の中。ここなら崖の上から見つかることはないだろうと考えが故の行動である。……であるのだが、

 

「ぺるそなぁー!!」

 

 ぺるそなぁー、そなぁー……、と男の子の声が鍾乳洞内に反響する。

 先ほどの逃走劇も彼にとっては一種のアトラクションに過ぎなかったのだろう。特に落下時のペルソナ召喚がお気に召したのか、さっきから指で拳銃をつくってライの真似をしていた。

 

「楽しそうね。あの子」

 

 篝火のそばに座るアリサが、はしゃぐ男の子の様子をぼんやりと眺めていた。

 まだ地上には戻れない。唯一の手段であるペルソナは青い光を伴うため、夜間では非常に目立つからだ。崖近くにいる追手が確実に離れるであろうタイミングを見計らう必要が有るため、アリサはただ無邪気に振る舞う男の子の行動を複雑な心境で見守っていた。

 

 そして、複雑な心境にしてくれる原因が隣にもう一人。

 

「アリサ?」

「何でも……。……全く、何でリィンが心配する理由が分かった気がするわ」

 

 アリサは不貞腐れながら苦言を漏らす。

 

 行動に迷いがなさすぎるのだ。即断即決、行動力がある事は悪い事じゃないが、度が過ぎれば危うい橋を渡る事になりかねない。まるでブレーキの壊れた列車の様だと、ライを見るアリサの目にはそう映っていた。いや、きっとリィンの目にも。

 

「だが、あの時は他に方法が……」

「それは分かってるし感謝もしてる。でも、常人ならあってしかるべき躊躇がないってのはちょっと怖いのよ。ほら、よく言うでしょ? 戦場で生き残るのは──」

「臆病者、だったか」

 

 緊急時に現れる躊躇とは即ち防衛本能の現れだ。それを排するライの行動は、彼に対する印象が好意的であればある程危うい蛮勇と受け取られるのは致し方ない流れであると言える。

 

「そういう事。だから、サラきょ──っくしゅん!」

 

 話がくしゃみで唐突に止まってしまった。

 

「…………」

「……何か言いなさいよ」

 

 アリサが頬を赤くし目を逸らしている。どうやら折角の話を自ら止めてしまったことが恥ずかしいらしい。

 

 けど、アリサがくしゃみをしたのも無理はない。何故なら鍾乳洞の中は夏場であろうと相当冷えるのだ。5月終わりの鍾乳洞なら言わずもがな。ライ達の周囲は冬に近い凍える風が流れていた。……あの男の子はあまり寒くないようだが。

 

 僅かに震えるアリサの肩を見て、ライはおもむろに立ち上がる。

 そして自身の上着、そこそこの耐寒を持つ赤い制服を脱いでアリサの肩にパサリと羽織らせた。

 

「へ?」

「少しは暖かくなったか?」

「あ、ありがとう……」

 

 俯いて礼を言うアリサ。顔は見えないが、これで寒さの心配はいらないだろう。後はあの男の子の体調に気を配るべきかと考え、ライは視線を前に戻す。その一切の淀みを持たないライの行動を見て、アリサはため息を零した。

 

「……リィンとは別のベクトルで危険よね。ライって」

「危険?」

「う、ううん! 何でもないっ!」

 

 あわあわと慌てるアリサの様子に、ライは首を傾げる。

 

「それより、ライこそ大丈夫なの?」

「ん?」

「いえ、だって。今のあなたワイシャツ1枚じゃない。見てる方も寒いわよ、それ」

「ああ、その事か」

 

 ようやく自身の姿に気付いたか様に呑気な反応を示すライ。寒くないのかと訝しむアリサの視線を一身に受けながら、ライは銀の拳銃を抜き、己の側頭部に押し当てた。

 

「──チェンジ、ジャックフロスト」

 

 ライの頭上に可愛らしい雪だるまのペルソナが浮かび上がり、そして消える。

 特に技を使うでもなく召喚したこの行動に、アリサは「えっ?」と困惑の言葉を漏らした。

 

「これで今の俺は氷結耐性だ。寒くはないさ」

 

 そう、これはサラとの実技テストで判明した耐性の応用だ。ジャックフロストには氷結耐性を有しているため、今のライの体は凍りついたとしても大したダメージにならない。だから寒さも大丈夫の筈、……と言う論法である。

 

「……ほんとに?」

「想像に任せる」

 

 けど、それが本当かどうかはアリサには分からない。と、言うかライ自身よく分からなかった。

 確かに寒さは薄れた気がするが、これが氷結耐性の効果なのか、それとも単なる思い込みなのか判断が出来なかったのだ。これが氷結無効なら一目瞭然なのだがとライは悩み、そして夏場の暑さのためにも検証しておこう、と言う先延ばにする結論で落ち着いた。夏場の火炎耐性が実証されれば、さぞスクールライフも快適になる事だろう。

 

 そんな微妙な事に真剣に悩むライの様子を見て、アリサは思わずくすくすと笑う。

 

 そして、真っ暗な鍾乳洞の天井を仰ぎ見て、ゆっくりと呼吸を整えると──

 

「──ねぇ、広場での話の続きをしてくれないかしら」

 

 ライにそう提案した。

 

 今度はライがアリサの顔を見る。

 ……確かに今は質問をする絶好の機会だ。ライはアリサの提案に乗る事にした。

 

「違和感があった」

「違和感? ……でも私が言ったことは全て本当だし、ラウラも違和感なんて感じてない見たいだったわよ。もう少し具体的なヒントとかないの?」

 

 逆にアリサに問い返され、ライは自身の違和感の原因について思考する。

 確かにあの時ライは違和感を感じ、ラウラは違和感を感じなかった。つまり、ラウラは知らず、ライのみが知ったアリサの情報の中に違和感の原因があると考えるが妥当だろう。その情報とは何か……。考察を進めたライに1つの思い出が蘇った。

 

 ──そう。マキアスの情報を求めて見つけた、雑誌を見つめ複雑そうな表情を浮かべるアリサの姿を。

 

「……"イリーナ・ラインフォルト"」

 

 ピクリと、アリサの肩が跳ね上がる。

 

「アリサの母親じゃないのか?」

「な、なんでそう思うの? 確かに私のラストネームはRだけど、別にラインフォルトって決まった訳じゃ──」

 

 焦って早口になる事こそが何よりの証拠なのだが。とりあえずライは淡々と話を続ける。

 

「前に雑誌を読んでただろ?」

「……あ、あの時の」

 

 マキアスについて相談した5月23日の出来事を思い出したアリサ。雑誌を置き忘れると言う単純なミスから秘密がバレると思わなかったのか、俯いて綺麗な金髪がだらりと垂れている。が、不意にアリサが顔を上げた。

 

「ええそうよ! 私の名はアリサ・ラインフォルト。帝国切っての大企業"ラインフォルト社"の娘で、広場で話した母って言うのは社長であるイリーナ・ラインフォルトの事っ! こ、これで良いかしら?」

 

 やけくそ気味に暴露するアリサの大声が鍾乳洞に響き渡る。

 ……まぁ、これでアリサの見ていた雑誌の記事が家族のものだと確定したわけだ。話を進めよう。

 

「違和感の原因は雑誌を読んでいた時のアリサの表情だ」

 

 ライは、あの時見たアリサの複雑な表情を回想する。ただ憎むでもなく、ただ無事を安堵するでもなく、様々な感情がごちゃ混ぜになったかの様な表情。とてもじゃないが、自らの道を進んでいる少女の顔には思えなかった。……複雑にする程の何かがあると考えれば、筋が通る。

 

「もしかして、家族について別の悩みもあるんじゃないか」

「……えっ?」

 

 虚を突かれた反応をするアリサ。

 もう少しだ。もう少しで彼女の心に掛けられた錠を開けられる。

 

 それに、ライの手にはまだカードが残っている。

 アリサの様子がおかしかったもう1つのタイミング。即ち、旧校舎調査での出来事が。

 

 入学から自らの素性を隠し通してきたアリサが、あのタイミングで初めて母に関する感情を表にした。ならば、その前に母に関する感情を揺さぶる出来事があった可能性が高い。そう、ライの持つもう1つのカードとは、リィンが言っていた"もう1人の自分"と言う情報だ! 

 

「そして、それはリンク時の感覚に関係がある。違うか?」

「……っ!!」

 

 アリサの顔が驚愕に染まる。

 

 ──心に通じる扉の錠が、粉々に砕け散る音が聞こえた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「……もし、もしもよ。自分が、自分自身の決めた道を否定していたら、ライならどうする?」

 

 あれから数分後。目を細めたアリサがか細い声でそう聞いた。言葉は白い息となり、鍾乳洞の中に消えていく。

 

「それがアリサの悩みか」

「そう。私も詳しくは覚えていないけど、リィンの言うとおりあの感覚が"もう1人の私"であるのなら、そう言う事になるわ」

 

 アリサはあの時のリィンの言葉を半信半疑ながらも信じていた。それはリィンへの信頼と言う前提がマキアスと違ったからかも知れない。しかし、その信頼が逆にアリサに迷いを植え付け、情緒の揺れにも繋がったのならば、何という皮肉だろうか。

 ライはそんな現実の不条理を感じながら、アリサの質問に対する答えを探した。

 

「それも、また自分自身だと思う」

「……簡単に言うのね。やっぱり、ライには関係のないことだから?」

「無関係、と言う程じゃない。現に俺も矛盾の壁に当たってる」

 

 どういう意味? と訝しむアリサを横目に話を続ける。

 自身の状況が彼女のものと同じという保証はないが、それでも何らかのヒントに繋がる可能性があるなら十分だ。

 

「俺は前に進みたい。目的があるなら全力で挑むべきだと俺は思っている」

 

 自身のスタンスを確かめる様に、ライは拳を固める。

 

「けど、サラ教官の言葉の意味も理解しているつもりだ」

 

 今度は拳を緩めた。常識、限界に対する感覚のズレが及ぼす問題もライは把握している。しかしズレを直した場合、全力で進もうとするライの意志を否定する事に繋がってしまうのだ。事実、迷子を探す際にライは一度自身の行動を抑制してしまっている。

 

「全力で進みたい心と、手を緩めなきゃいけない現実との矛盾ってわけね」

 

 ライの現状を知ったアリサはしみじみとそう答えた。

 心を優先するか、現実を優先するか。今のライ達に答えを定めるすべはない。──だからこそ、ライは断言できる。

 

「そのどちらも俺だ。矛盾してたとしても、正解や間違い等あるはずがない」

 

 ならば、受け入れるしか無いだろう? とライの瞳は不敵に笑った。

 

 その自信たっぷりな視線を貰ったアリサは少し面を食らう。

 ……けれど、そんな態度も次第に薄れ、今度は納得した様に頷いた。

 

「なんとなく分かったかも。リィンがライを信頼してる理由が」

 

 そう締めくくったアリサは立ち上がり、うんと背伸びして長話の疲れを振り払う。まるで朝日を浴びているかの様な清々しい行動に、ライは問題解決の兆しを感じていると、アリサがくるりとターンし、姿勢を正してライに頼み込んできた。

 

「ねぇ、1つお願いがあるんだけど。……私とリンク、してくれないかしら。もう一度私自身と向き合うために」

 

 覚悟を決めた少女の顔。けれど、その赤い瞳は拭いきれない不安によって僅かに滲み、呼吸も僅かに震えている。ライはそんなアリサの頼みを受け入れる他なかった。断るべきでないと、ライの心が強く訴えていた。

 

 ──リンク──

 

 ライとアリサはARCSUを通じ、"繋がった"。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 …………

 

 気が付くと、アリサは真っ白な空間に1人立っていた。

 地と空の境界線すら分からない中、ぽつんと佇む巨大な扉。暑くもなく寒くもない現実味のない空間で、アリサは扉を仰ぎ見ながら独り言を呟く。

 

「……そう言えば、4月の時もここに来たんだったわね」

 

 そう、アリサは微かに思い出していた。かつてここに来た時の出来事を。

 あの時は確か、突然の出来事に混乱していて、何故か独りでに扉が開いて、それで──

 

『ああ、また来たの……』

 

 アリサの記憶を再現するかのごとく音を立て開かれる扉。その向こう側からアリサと瓜二つの顔をした少女が顔を出す。

 その『もう1人のアリサ』とも言うべき人物は、まるで鏡の様にアリサに似ていた。違うところと言えば、怪しく輝く金色の瞳と、醜く歪んだ表情。そして、幼い頃の衣服を着ている事だ。アリサは特に最後の"衣服"を見た時、自身の内側が妙にうずくのを感じた。

 

「あなたがもう1人の私ね。なら後は、あなたを受け入れればいい訳か」

 

 アリサは注意深くもう1人の自分に近寄っていく。

 曖昧にしか思い出せない事が逆に恐ろしかったからだ。一歩一歩近づくたび、アリサの鼓動が早くなる。

 

 ……そして、それが限界に達しようとした時、

 

『え、本当にィ? ラウラにあんな事言っておいて、ほんとに理解できるのかしら?』

 

 もう1人のアリサが突然動き出し、目を見開いてそう聞いてきた。

 息がかかるほど近寄ったその醜悪な表情に、思わずアリサの息が止まる。

 

「あ、んな、こと……?」

 

『だってそうでしょ? あなたは自立なんか望んでないのに「私は私でやってけるんだから!」とか言っちゃうなんて、……滑稽で滑稽で、ああ、吐き気がしそう』

 

 これだ。この身の毛がよだつ様な悪意。これこそが現実世界でアリサが感じていた嫌悪感の正体。

 受け入れよう。受け入れないと。アリサはそう自身に言い聞かせるが、どうしてもアリサの顔と声で口にした"あの言葉"だけは訂正したいと言う思いに駆られてしまう。

 

「私は、私は自分の意志で自立の道を選んだのよ。お母様に自立した私を見せて、見返してやるためにね!」

 

 この一線だけは譲れない。

 この意志こそが、今のアリサを形作る根幹なのだから。しかし──

 

『ふふ、ふふふふふふふ……。自立? 自分の道を進む? 何言ってるの? あなた(わたし)はただ、お母様に振り向いて欲しいだけ。薄っぺらいプライドなんか捨てた方が楽じゃない?』

 

 もう1人のアリサは、たやすくその根幹を崩しにかかる。

 

 戸惑うアリサを他所に、醜く微笑んだアリサは数歩離れ、両手を見せつける様に振り上げた。同時に薄い舞台セットが起き上がり、もう1人のアリサにスポットライトが当たる。──そう、これは劇場だ。アリサの人生を表すたった1人の演劇が、今ここで始まろうとしていた。

 

 

 

『ああ、可哀想な私! 家庭が壊れ、だぁれも私を本当の意味で見てくれない。使用人のシャロンだって、お母様の事を優先する』

 

 これが過去。父は天に帰り、母はこちらを見ることなく、使用人のシャロンもアリサではなく母の側にいる。大企業のご令嬢と言う肩書きのせいで貴族からも平民からも疎まれやすく、友達と言える人も少ない。頼りになる祖父もいなくなった。……アリサは、ただ一人孤独に劇場を回り続ける彼女の姿を見て、胸がぐっと痛くなる。

 

 

 

『だから、私は飛び出た! 冷えきった家族という檻を抜けだしたの! それしか道がなかったから』

 

 これが現在。状況を変えるため、アリサは飛び出した。目指す先はトールズ士官学院。踊り狂うもう一人のアリサの周囲に、白いライノの花が舞いあがる。

 

 

 

『でも、お母様が来てくれたわ! スケジュールびっしりの仕事を全て捨てて、探しに来てくれた! そう、私の大切さにようやく気づいたのよ!』

 

 これが、未来? ……違う、アリサの描いた未来は母を見返す未来であって、こんな形は思っていない。こんな自分勝手で子供っぽい未来なんか考えてはいない。

 

 

 

『そしてあの幸せな家庭が戻ってくる! 私を見てくれるお母様が戻ってくる! ……そんな、ハッピーエンドを夢見てる』

 

 違う。ただ、祖父を捨てた母が信用できなくて。決して、子供の様に母に甘えたいからじゃなくて。

 アリサの思考が、だんだんと黒に塗りつぶされていく。受け入れようとした想いすら容易く、黒に、黒に。

 

『自立したなんて嘘。自分の道を進んでいるのも嘘。あなたは子供のころからなんにも成長していない』

 

 家出をしようと決めた決意が、誓いが単なる建前に過ぎないなど、アリサは聞きたくなかった。自分の顔で言って欲しくなかった。故にアリサは両手で耳を塞ぐ。

 

『耳を塞ぎたいわよね。でもダメ。いくら言葉で飾っても、貴女の心はそんな立派なものじゃない。……お母様に見て欲しいの。母の気を引こうとしてる子供のわがままに過ぎないの』

 

 もう1人のアリサは、耳を塞いで俯くアリサに近づいて、ゆっくりと語りかける。

 

『よぉ~く分かるわ。なんせあなたは私だもの。あなたの心は私の心。あなたの本音は私の本音なんだから』

 

「違う」

 

 こんなものは本音じゃない。

 

『……ああやっぱり、そうやってまた私を無視するのね。結局はお母様と同じ、親子の血は争えないって事か』

 

 それも違う。私は冷徹なお母様と同じじゃない。私はそうは思わない。だから、あんな事を言う彼女なんか、私じゃ……、…………いや、……違う! 

 

(────ッ!!!!)

 

 とっさにアリサは利き手で強く、自身の頬を引っ叩いた。

 

『え?』

 

「〜〜〜〜っ!」

 

 その痛みがアリサの意識を現実へと引き戻す。真っ黒だった意識が、急速に色を取り戻すのをアリサは感じた。

 

「そう、そうよね。何でまた否定しようとしてるのよ。私は……!」

 

 ライの前であれだけ大見得を切っていて、これじゃ格好が付かないとアリサは自嘲する。

 そう、今するべきは彼女を、彼女の心を受け入れることであって、否定することじゃないのだから。

 

「確かに、私はあの頃に戻りたかった。お母様に振り向いて欲しかった。……私を見て欲しかった」

 

 エリオットとオーラフの親子を見て思わず下を向いてしまったのがその証拠だ。

 羨ましかった。問題を抱えていても、ちゃんと向き合う2人の姿が。

 

「だって仕方ないじゃない。私とお母様は家族なんだから」

 

 母と父と祖父と、アリサ。4人が一緒に旅行して、目に焼きつくくらい綺麗で広大な自然を見たり、温泉郷に行ったり。大切な思い出は今もアリサの心の中に残っている。

 

「昔の家族に戻りたくて、でもお祖父様を陥れたお母様を信用することも出来なくて、何も言わないシャロンに頼ることも出来なくて。結局、私は家を飛び出すって道を選んで、それが正しいって正当化してた。……あなたって存在を心の底に抑えこんでた」

 

 アリサは、もう1人のアリサの手を両手で握った。もう1人のアリサは何も言わない。ただ目を見開いて固まっている。

 

「ほんとは最初から知ってたの。あなたが私の中にいるって事くらい」

 

 でも、見えないふりをしていた。それも、もうおしまい。

 

「ごめんね。貴女を見てあげられなくて。これからはちゃんと、貴女を見て前に進んでいくから。……だから、これからは私の中で見守っていて」

 

 アリサは彼女を抱きしめる。今度こそ目を背けないと言う決心を胸に秘めて。

 

『……ええ』

 

 すると、もう1人のアリサは光となり、アリサの中へと消えていった。

 体の内側に感じる暖かな何かを感じ、アリサは静かに瞳を閉じていく。

 

 

 

 ──自分自身と向き合える強い心が、”力"へと変わる…………。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 焚き火が照らす鍾乳洞の中、アリサはゆっくりと瞳を開けた。

 あの真っ白い空間とは打って変わって肌寒い鍾乳洞に、アリサは思わず身震いする。

 

「受け入れられた、みたいだな」

「ええ、お陰様で……」

 

 何時もながらの冷静な無表情で出迎えるライ。けれど今のアリサには、その顔が安堵している様に見えた。──なら、ここは確たる証拠でも見せようか、とアリサは髪をなびかせて片手を真っ直ぐ伸ばした。

 

「我は汝、汝は我……。来て、"ソール"」

 

 アリサはその手の平を固く握りしめる。同時にアリサを中心とした青き炎の渦が巻き起こり、鍾乳洞を青く照らす。

 

 "私は太陽の馭者ソール……。今ここに、汝が道を照らす標を示しましょうぞ"

 

 あの白い空間で受け入れた心が、アリサの後方で像を結ぶ。現れたのはドレスを纏う女性だった。重力に逆らう黄金の髪が、まるで太陽の様な輝きと共に揺らめき、その両足には馬車の車輪が括り付けられている。

 

 恋愛《ソール》。それが、アリサの得た可能性だった。

 

 繊細で、女性らしい強さを身に纏ったアリサらしいペルソナ。それにいち早く反応したのは、ライでもアリサでもなく、鍾乳洞の壁に絵を描いていた男の子であった。

 

「えっ!? おねーちゃんもぺるそな使えたの!?」

「ふふっ、ついさっき使えるようになったの。──どう? 私のペルソナは」

「すっごくカッコいい!」

「あはは、……そこは綺麗って言って欲しかったけど、まぁいっか」

 

 ソールにペタペタと触る男の子から目を離したアリサは、スッキリした笑顔でライに対面する。

 

「それよりライ。そろそろ頃合いじゃないかしら」

「ああ、地上に戻ろう」

 

 もう既に地上の武力集団も峡谷から離れている頃合いだろう。なら、手足が段々と冷えていくこの場に留まる理由はない。後はペルソナで慎重に崖を登ろうと、ライはアリサの後方にある鍾乳洞の入口へと視線を移し、

 

 ──ピシリ。

 

 アリサのすぐ後ろの天井に亀裂が入る光景を見た。

 

「──ッ! そこから離れろ!」

「えっ!?」

 

 ライの言葉で異常に気付いたアリサはソールに男の子を抱えさせ、全力でライの方へと跳んだ。

 

 一泊も置かずに崩落する天井。石灰混じりの砂煙があたりを包む。

 

「な、なんなの……!?」

 

 うつ伏せになったアリサが、痛む身体を押して叫んだ。

 

 自然現象か? いや、そうじゃない。

 出口を覆う瓦礫の中から、グルグルと蠢く影が姿を現す。

 

 

『……ァァ、駄目だ。お前たちは駄目だ』

 

 

 それは、"大きな口を開けた"、球体のシャドウであった。

 

 

 

 




恋愛:ソール
耐性:火炎耐性、氷結弱点
スキル:アサルトショット、ディア、クロズディ、トラエスト
 北欧神話に登場する太陽の女神。元は非常に美しい巨人族の娘だったが、その名が原因で神々の怒りを買い、太陽を牽く馬の馭者となって太陽の運行を司る役目を負わされた。常に狼スコルに追われており、その1噛みが日食の原因だとされている。

恋愛(アリサ)
 愛や絆、調和を示すアルカナ。逆位置では空回りや無視などの意味を持つ。またマルセイユ版のタロットでは理性(意識)と本能(無意識)の2人の女性に囲まれる男性の絵となっており、選択や価値観の確立と言う意味も有している。アリサのアルカナとしては、この要素が強く現れていると言えるだろう。


――――――――


ライ < 見える。アリサのサイコロ錠が!

……お目汚しを。もうすぐセントアークの前半戦(1日目)終了です。
後、シャドウの描写に関しては現在も模索中です。なので、ご意見などがございましたら、どうかお願い致します。


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28話「正体不明の影」

またもや2話同日投稿です。


「何なのよ! 突然っ!」

「分からない、だが──」

 

 崩落した鍾乳洞の瓦礫から現れたシャドウ。そのマーブル模様の球体が勢い良くライへと飛翔する。ライはそれを横に跳ねて躱し、着地と同時に自身の頭を撃ち抜いた。

 

「──ジャックフロスト!」

『ハハハ……! それで俺の口を封じたつもりかァ!』

 

 壁で跳ね返るシャドウ。ジャックフロストが生み出す氷柱が寸前で躱された。

 

「シャドウは倒す」

「……ええ、今はあの子もいるんだし、それしかないわね」

 

 アリサは横目でソールに抱かれた男の子を確認する。

 大丈夫、今はじっとしてくれている。アリサは男の子をソールに任せ、導力弓をその手に構えた。

 

『ァァ、もう黙ってるなんてウンザリだ……! 言いたい事も言えない世の中など真っ平御免だッ!』

 

 球体のシャドウが、まるでしがらみから解き放たれたいと言わんばかりにもがき苦しむ。

 何だか分からないけどチャンス。そう思ったアリサがシャドウに向け弓を引き、灼熱の矢を解き放った。

 

 ──しかし、その矢がシャドウに当たる寸前、シャドウがビリアードの玉の様に弾けて動き出す。

 

「嘘、なにこの動きっ!?」

 

 シャドウが壁や天井を跳ね、縦横無尽に鍾乳洞内を跳ね回る。

 狙いを定められない。凸凹した鍾乳洞の形のせいで、移動に法則も何もあったものじゃないからだ。

 

 ならば、範囲攻撃ならどうだ? 

 シャドウの突撃をバックステップで避けたライは、ジャックフロストに命じ、シャドウがいる辺りにマハブフを解き放つ。森林を氷河に変えたあの魔法が、鍾乳洞の地面一帯を氷の剣山へと変貌させる。

 

 けれど、シャドウの描く軌跡が唐突に曲がり、魔法の範囲から脱した。

 

『ハハハハハ! そんな見え見えの罠に引っかかるか馬鹿野郎ッ! 経験の浅い青二才がァ!』

 

 まるで空中でドリフトでも決めている様な滅茶苦茶な軌道だ。

 ライを罵る声が四方八方から聞こえてくる。

 

「空中で軌道を変えられるのか」

「不味いわよ、ライ。このままじゃ鍾乳洞が……!」

 

 天井から降ってくる小石が肩に当たり、ライは冷や汗を感じた。

 シャドウが壁に当たる度、鍾乳洞全体が揺れていのだ。このままでは生き埋めになるのも時間の問題だろう。既に通れなくなった出口を見てライは静かに歯を噛み締める。

 

「って危ない!」

 

 ソールに向かうシャドウを目視したアリサが叫ぶ。

 今。男の子を抱えているソールは反撃することが出来ない。故にアリサはとっさにソールを反転させ、背中でシャドウの突撃を受け止めた。

 

 光となり消滅するソール、男の子はシャドウの眼前に投げ出される。

 

 怯えてその場から動けない少年。

 しかし、シャドウは近場の男の子には目もくれず、ライ達へとカーブを描きながら突撃して来た。

 

(──今のは?)

 

「ライ、もう1回リンクよ!」

「あ、ああ」

 

 シャドウの攻撃を横に転がって躱しながら、アリサは再びソールを召喚し、男の子へと向わせる。

 

 ……だが、何だ? さっきのシャドウの行動は。

 近場に男の子がいたと言うのに、まるで目に入っていない様に行動した。考えられる可能性があるとすれば、それはあの子がシャドウの標的ではない、と言う事か。

 

 なら、直接聞いてみるか。幸いあのシャドウはお喋りだ。答える可能性は十分ある。

 

「……何故、俺たちを襲う?」

『俺の直感が言ってるんだよ! お前たち2人を倒さなきゃ、この俺が殺られるってなァ!』

 

 2人、確かにあのシャドウはそう言った。

 ライの口角が微かに上がる。

 

「アリサ、彼を離してソールをこちらに」

「何言ってるのよ! そうしたらあの子が!」

 

 上下左右と視線を動かしながらアリサが叫んだ。

 当然だ。男の子に戦う力も守る力もない以上、1人で放置させることは見捨てる事と同義だからだ。

 

 ただ、ある条件が変わればその危険性は逆転する。

 

「シャドウの狙いは俺達とペルソナだ」

 

 あのシャドウの攻撃対象はライとアリサの2人だけ。恐らくはペルソナの力を本能で察したのだろう。突然アリサの上から落ちて来たのも、アリサの召喚したソールに反応したのだとすれば説明がつく。

 

「それ、ホントなんでしょうね?」

「俺を信じろ」

 

 ライとアリサ、2人の視線が交わる。

 シャドウが壁や天井を叩く音もどこか遠くに聞こえ、1秒がまるで何十秒にも感じられる。

 

 そんな中、ライの青い瞳とアリサの赤い瞳が交差して、その心が繋がった。

 

「うん、信じるわ。──戻って、ソール!」

 

 男の子を鍾乳洞の凹みに隠れさせ、ソールをアリサの元へ戻す。

 それと同時にライとアリサは鍾乳洞の入口へ、崩れた石灰岩の壁へと走りだした。

 

『ハハ、逃げようってか!?』

 

 天井、壁、地面を縦横無尽に飛び回りながらライ達を追いかけるシャドウ。

 その速度は跳ねる度に増し、崩れた壁際へと追い詰められた2人へと迫る。だが──

 

「逆だ」

 

 行き止まりで反転したライの瞳に写されていたのは、恐怖ではなく勝利の確信だった。

 

 ペルソナを戻したのはシャドウの狙いを一点に集中させるため。

 崩れた入り口へと向かったのはシャドウが迫り来る方向を限定するため。

 

 そう、いくらシャドウの行動が読めずとも、攻撃する場を限定させてしまえば予測することは容易い。

 ライは自身のこめかみに銃口を押し当てる。

 

 “我は汝、汝は我……。汝、新たなる絆を見出したり。汝が心に芽生えしは恋愛のアルカナ。名は──”

 

「──ティターニア!」

 

 アリサとの絆が生み出した新たなペルソナ、妖精の女王ティターニアを召喚した。

 新緑のドレスを纏った妖精がその手を掲げ、周囲に竜巻の様な攻撃的な暴風が吹き荒れる。

 

 全体疾風魔法(マハガル)。小さき女王が生み出した疾風の刃が渦を描き、シャドウに殺到する。

 

『無駄無駄無駄ァ──!』

 

 しかし、シャドウは渦の中心、台風の目の様になっている空間を駆け抜けライ達へと迫り来る。

 避けるスペースがない以上、この攻撃が通ればライ達に躱す術はないだろう。……無論、"通れば"だが。

 

「これで、逃げ場はないわよね」

 

 渦の先、シャドウと言う弾丸が向かう先にアリサは立っていた。

 アリサは指揮官のごとく手を伸ばす。同時に背後のソールもシャドウに向け片手を伸ばし、その手に灯る太陽光の線が1本の弓を形作った。

 

 ソールはその弓を引き、シャドウに向け一線の矢を解き放つ。

 

 渦の中心を疾走する矢がマハガルの風を吹き飛ばしながらシャドウに接近する。

 しかし、シャドウはマハガルの風のせいで避ける事が出来ない。そう、真に追い詰められたのはシャドウの方だ。

 

 シャドウがそれに気付いたのは何もかも終わる寸前だった。ソールの放ったアサルトショット()はシャドウの口を貫通し、大穴を開けて鍾乳洞の天井に突き刺さる。この一撃を持って、突然の戦闘は終幕となるのだった。

 

 

 …………

 

 

 アリサの攻撃によってシャドウは力を失い、雑巾のごとく地面に落ちる。

 それでもシャドウは喋っていた。消え去る最後まで口を閉じない。……喋る事、失言こそがこのシャドウの意義そのものなのだから。

 

『ハハッ、これから俺達はでっけぇ事をやるんだ。この帝国、いや全世界の常識を塗り替える程のビックな計画をよォ!』

 

 最後の力を振り絞って、シャドウは失言を口にする。

 その物騒とも受け取れる内容に、ライは思わず武器を下ろして近づく。

 

「何を言ってる?」

『ククッ、今までのどんな猟兵団すら成し得なかった奇跡だ。俺達は歴史に名を残す猟兵団となる』

 

 けれど、シャドウはライの言葉に耳を貸すことはなかった。ただ、自身の存在が意味する通りに、自分勝手に言葉を振りまき続ける。穴の空いた口を目一杯開き、鍾乳洞に反響するほどの大声をあげる。

 

『言ってやる、俺は言ってやるぞ! その計画とは即ち、シャ──……』

 

 遂に力尽きたのか、シャドウは黒い水となって消えていった。

 

 世界を塗り替える程の計画。

 ライ達は、何か途方も無い動きが起こっているのではないかと言う不安を、最後まで拭い去る事が出来なかった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「……しかし、どうしたものか」

 

 戦闘を終えたライは、崩れた入り口を見てため息を零した。

 鍾乳洞はまだ奥に続いているが、地上に繋がると言う確証はない。しかし、だからといって崩れた入り口をペルソナで吹き飛ばせば、今度こそ鍾乳洞が崩れてしまいかねない。どちらの手段も"かも知れない"と言う曖昧なものであったが、どちらも可能性がある事が逆にライを悩ませていた。

 

 安全に地上を目指すか、確実に外に出られる手段を取るか。ライは鍾乳洞の寒さも忘れる程に真剣に考えていると、何か言いたげなアリサが手を後ろに組んで近寄ってきた。

 

「ねぇ。私に1つ、確実で安全な考えがあるんだけど」

「……そんな方法が?」

「なに、信じられないの?」

 

 先の焼き増しの様な問い。

 わざとらしいアリサのジト目を前にして、ライは思わず微かな苦笑いを浮かべた。

 

「言うまでもないだろ」

「ま、そうね。──それじゃ、2人共私の近くに集まって」

 

 アリサの言葉に従い、ライと男の子の2人はアリサの近くへと歩み寄る。

 

「準備はいいわね? ……ソール!」

 

 それを確認したアリサは再びライと戦術リンクを結び、太陽のようなソールを召喚する。

 両手を合わせ、天へと掲げるソール。そして、

 

「──トラエスト」

 

 アリサはある魔法を唱えた。

 同時にソールの両手から溢れんばかりの白光が放たれ、ライ達を飲み込んでいく。

 

 光が視界の全てを覆い隠したその時、ライ達の体の感覚は消失した。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 光が収まった時、3人の視界に飛び込んできたのは天高く登る月だった。

 そう、ここは鍾乳洞の外。ライ達が峡谷に飛び込んだ崖際の柵の手前だ。谷間を通り抜ける風が3人を撫でるが、鍾乳洞の寒さを体感した今となっては生ぬるい。

 

「ペルソナは戦うだけの力じゃない、と言う事か」

 

 アリサの唱えた魔法、トラエストは脱出をする魔法だったのだろう。

 今まで火炎(アギ)系列や氷結(ブフ)系列と言った攻撃系の技しか使ってこなかったライにとっては、このペルソナの使い方は非常に新鮮であった。

 

「そういう事。どうやらソールって補助系の技も多く持ってるみたいだから、もしもの時は頼りにしてくれていいわよ」

 

 最も、1人で多くのペルソナを使えるライなら必要ないかもだけど、とアリサは笑う。

 確かに多種多様なペルソナの中にはそう言ったペルソナも存在するだろう。けれど、それを扱うライは1人の人間である以上、対応には限界がある。だからこそ、ライはありがたくアリサの提案を受け取った。

 

「ふふっ。それじゃあ、そろそろ戻りましょう。この子を奥さんに届けなきゃいけないし、ラウラ達も心配しているだろうし」

「ああ」

 

 ライは再び男の子を抱え、アリサと共に表通りへ、あの母のいる場所へと走り始める。

 今はもうライ達を追う武将集団はどこにもいない。自らのペースで走れる事がどんなに気楽な事か、ライとアリサは心底見に染みながらあの裏路地を抜けていった。

 

 そうして表通りに、導力灯が道を明るく照らす場所まで辿り着いた時、アリサが何かを思い出したかの様に口を開く。

 

「あっ、1つ言い忘れていたわ」

 

 どうした? と疑問に感じながら並走するライの隣で、アリサは一旦静かになった。

 

 そして、

 

「ライ、今日はありがとね」

 

 そう早口で礼を言った。けれど、ライが反応するよりも早くアリサは前を向いて何時もの調子に戻り、ライに背を向けてペースを上げる。

 

「──さて、早くこの子を奥さんの元に連れて行くわよ」

 

 先行するアリサを、ライは内心戸惑いながらも追いかける。

 

 そう。短い瞬間だったが確かにライは見たのだ。

 噴水広場にいた時のアリサなら絶対に見せなかったであろう淀みのない笑顔を。

 紆余曲折はあったが、ようやく彼女の問題を1つ解けたのだとライは実感し、その口元に笑みが溢れる。

 

 ──こうして、非常に長く感じたセントアーク特別実習の1日目は、2人の駆け足とともに幕を閉じるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 …………

 

 旧都セントアーク市内にある、とある人気のない建物の一室。

 

 そこに、ライ達を追っていたバグベアーのリーダーと、依頼主と思われる眼鏡の男性が対峙していた。

 

「何っ!? 奴らがまだ生きてる!?」

「ああ。赤い制服に灰髪の男、その報告に間違いがなければ十中八九生き残っているだろう」

 

 眼鏡の男は、1ヶ月前にケルティックで見た光景を思い返しながら、そう答える。

 あのペルソナと言う力さえあれば、むしろ死んでいる方が不思議なくらいだと、男は冷静に分析をしていた。

 

「馬鹿、な」

 

 けれど、ペルソナを知らないリーダー格の男にとっては、その事実の荒唐無稽っぷりに戦慄が隠せなかった。どうやって助かった? 方法はない筈だ、と思考に否定と疑問の言葉が並ぶ。何より、あの時の優越感が意味のないものであったと、リーダーは認めたくなかった。

 

「そこで、君達に1つ追加の依頼をしたい」

「……ああ、分かってる。奴らを見つけ出して殺ればいいんだろ?」

 

 リーダー格の男は、苛立ちを隠そうともしない口調でそう答えた。

 絶対殺す。構え直した導力ライフルが彼の心情を如実に表しているのを眼鏡の男は見逃さない。

 

「いや、そうではない。彼の持つ力に関する調査が依頼の内容だ」

「調査?」

「力試し、と言い換えてもいいだろう。君には"アレ"を使用して貰う」

 

 アレ。そのワードを聞いたリーダー格の男が反射的に顔を歪めた。

 

「──ッ! 待て、そもそもこんな状況に陥ったのだって、元を正せばアレが……!!」

「無論、リスクは承知済みだ。故に今回の依頼には相応の報酬を支払おう」

 

 眼鏡の男は焦る彼の眼前に1枚の紙を差し出した。

 乱暴に引ったくるリーダー。その手の紙に書かれた報酬を見て、思わずその目を丸くする。

 

「なっ、嘘だろ? 調査1つにこの報酬……!?」

 

 紙に書かれていたのは大量の0が書かれた報酬であった。

 男の手が震える。これだけあれば、最新の兵器がいくつも買えるからだ。

 

「これで夢の実現にも近付く筈だ。どうする?」

「……ハッ、いいだろう。元より猟兵団ってのは金さえ貰えれば何だってやる存在だ。その依頼、引き受けた」

 

 無論、彼も1つの団のリーダーを務める男だ。大量の報酬を支払うこの依頼のきな臭さは十分に理解していた。それでも、やってやる、俺達ならやれる、と男は自らを奮い立たせる。全ては彼ら望む"猟兵団"と言う夢を掴むために。

 

「交渉成立だ。君達には今まで通り追って詳細の連絡をしよう」

「……勘違いするな。お前の意図が何だか知らないが、俺達の目的のために精々利用させて貰うだけだ」

「ああ、それで構わない」

 

 リーダー格の男は、眼鏡の男の冷静さにチッと舌を打って部屋を出て行った。

 

 ……ガタンと強い音を立てて閉じられる扉。1人になった眼鏡の男はそれを気にする事もなく、古びた椅子に座り、机に広げられた資料の1枚を手に取る。

 それは、ある経路から入手していたトールズ士官学院の生徒情報であった。

 

 そこに書かれているのは灰髪の青年の情報。ほぼ白紙のそれを見て、男は興味深そうに考察を始める。

 

「さて、しかと見極めさせて貰うぞ。ライ・アスガード」

 

 眼鏡に隠れる男の鋭い目が、不気味な輝きを発した。

 

 

 

 

 




恋愛:ティターニア
耐性:氷結・疾風耐性、電撃弱点
スキル:マハガル、ジオ、小気功
 シェイクスピアの戯曲《夏の夜の夢》に登場する妖精の女王。妖精の王であるオベロンの妻であり、同等の力を持つとされている。また、その語源はローマ神話における女神ダイアナ(ディアナ)であり、それまで無名であった妖精の女王の名として、後世で認知される様になった。


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29話「現状分析」

 ――ピアノの音が聞こえる。

 

 ……瞳を開けると、ライはベルベットルームに座っていた。

 

 青い天井に、青い壁に、青い床。約1ヶ月ぶりに訪れた不思議な空間をライは見渡す。

 確か昨夜は宿に帰ってラウラ達に簡単な説明をした後、すぐに眠ったはずだ。だとすれば、これはまた睡眠中に呼び出されたと言う事なのだろうか。

 

「おやおや、お久しぶりで御座いますな」

 

 そう考えていると、対面するイゴールが話しかけて来た。

 そのギョロリとした瞳はまばたきする事はなく、その体に関しても全く動く気配がない。相変わらず人間味のないご老人だとライは思う。

 

「昨晩、貴方は無事新たなる絆を育まれたご様子。……いやはや、素晴らしい。流石は無限の可能性を持つお方だ」

 

 イゴールは感慨深そうに、けれど全く感慨を感じさせぬ動きで空中をなぞった。

 すると中に3枚のタロットカードが浮かぶ。魔術師、星、恋愛の3枚のアルカナ。ライが築いたコミュニティの象徴であった。

 

「しかし、この度の試練はまだ終わってはおりませぬ。いや、むしろこれからが本番だと捉える事も出来ましょう……」

 

 イゴールの言葉を示すかの様に、新たな4枚目のカードが浮かび上がる。

 

「心しておく事だ。貴方はその試練で自身の矛盾と、友に対する信頼を問われる事になる」

 

 自身の矛盾と、……友に対する信頼?

 

 ライはその質問をしようとするが、言葉にはならなかった。

 何故ならイゴールの立場を思い出したからだ。あくまでイゴールの役目は手助けをする事であって、直接ライの道を定める事はない。選択し、責任を負うのはあくまでライ自身。そう言う契約なのだから。

 

 そう結論付けたと同時に、ライの視界がガクンと揺れる。

 

「おや、お目覚めの時間でございますかな」

 

 ぐにゃぐにゃと滲む視界。

 もう3度目だ、驚く事もない。

 

 けれど、先の質問とは別に、ライには聞くべき事があった。……このベルベットルームは何故列車の車内なのか、それを質問しようと考えていた筈だ。

 

 崩れゆく青い景色の中、ライはベルベットルームについてイゴールに問う。すると、

 

「ベルベットルームは、お客人の運命と不可分の部屋。この部屋で無意味な事など起こりますまい。……この部屋が列車の中であるのも、お客人の運命の象徴であると考えるのが自然でしょう」

 

 そんな答えが返ってきた。

 列車が運命の象徴? ……自身の意志に関係なく運命は進んでいく、と言うことなのだろうか。

 

「ふふふ、そう悲観なされるな。確かに一度乗ってしまえば、列車は線路と言う運命に沿って進んでしまう。されど、どの列車に乗り、何処で降りるのかはお客人の選択次第なのです。……それをゆめゆめお忘れ無き様、お気を付け下さい」

 

 運命、選択。

 目覚めへと移りゆくライの思考に、取り留めもない言葉が刻まれていく。

 

「どうやらこの場に留まるのも限界の様ですな。それではまた、ごきげんよう……」

 

 イゴールの言葉を最後に、ライの意識はベルベットルームを後にした。視界が白に包まれる――。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「――ねぇ〜、起きてよ〜〜!」

 

 ライの目覚めは、そんな可愛らしい声と共にあった。

 

 腰の辺りに感じる柔らかくて暖かな重み、ゆさゆさと揺らされる身体。例え寝起きの朧げな意識であっても、この状況が誰かに起されていると言う事実は考えるまでもなく分かる。

 

 半覚醒状態にあったライは、取り敢えずおもむろに上半身を起こした。

 

「あはっ! やっと起きてくれた!」

「……ミリアムか」

 

 ライの腰の上で馬乗りになり、ライの胸板に両手を乗っけて体重を掛けるミリアムの満天の笑顔が、視界一杯に飛び込んできた。

 

 ――と、言うか近い。吐息が顔にかかるくらいにミリアムとの距離が近い。後、ミリアムが座っている場所も限りなくアウトに近い。まるでライの体に寄りかかっている様な体勢のミリアムを見て、ライは微かな頭痛に駆られた。

 

「とりあえず、早く降りろ」

「へ、なんで?」

「何でもだ」

 

 ミリアムの両腋を持ち上げて、ベットから立ち上がる。

 

 全く、何で誰も苦言を言わなかったのか。

 ……いや、そもそも今回の部屋は男女で別だった筈だ。何故ミリアムがここにいるのかと言う疑問を覚えたライは周囲を見渡し、そしてエリオットとガイウスの2人が既にいない事に気がついた。

 

「これは……」

 

 もしや寝坊か? いや、ARCUSで時間を確認しても出発の時間より早い。窓から差し込む太陽もまだ明け方だと指し示している。ライは何かあったのかと言う視線をミリアムに向けた。

 

「えっとね。時間的にはまだまだダイジョーブなんだけど、今ボクたちに客が来てて、皆そっちに行ってるんだ」

「客?」

 

 特別実習中のB班に客人とは珍しい、とライは寝起きの頭で考えながら、ベッド脇に折り畳まれた制服を広げる。だが――

 

「そ、ハイアームズ侯爵だよ!」

 

 ミリアムの一言で、ライの眠気が一気に吹き飛んだ。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 宿の一階、内部に設けられた食堂にミリアムと並んで訪れたライは、貸し切りのテーブルで優雅に朝食を取るハイアームズ侯爵を目撃した。

 向こうもライとミリアムに気がついたのか、ナイフとフォークを行儀良く置いてライへと視線を向けて来る。

 

「おはよう、昨夜はよく眠れたかい?」

「お陰様で」

 

 宿の手配をしてくれた手前、ライは軽く礼をする。

 けれど別にこれはお世辞ではない。流石は四大名門が手配した宿と言うだけあって、部屋の広さからベットの柔らかさに至るまで、何もかも一流の設備であったのだ。昨日の騒動のせいでほとんど利用出来なかったのが悔やまれる。

 

 ハイアームズ侯爵との会釈を終えたライとミリアムは、ひとまず同じテーブルに座るアリサ達の近くに腰を下ろした。

 

「おはよう、ライ」

「おはよう。……眠そうだな」

「そりゃ、昨日はあんだけ走り回ったんだから当然でしょ」

「確かに」

 

 アリサも表面上では平気な顔を装っていたが、その目がうとうととしていた。それほどまでにセントアークを走り回ってシャドウとも戦った疲れは、2人の体に深く溜め込まれていたのである。

 

「――さて」

 

 ハイアームズ侯爵が全員揃ったB班を一望して話を切り出す。

 

「今日私が訪れたのは他でもない。昨日、君達が会ったと言う武装集団について、情報を聞かせて貰おうと思ったからだ」

「えと、武装集団? ……いや僕達も大変な事だって思いますけど、何で公爵様が直々に?」

 

 ハイアームズ侯爵の話に戸惑うエリオット。

 確かにそうだ。領主として不安要素を取り除きたい気持ちは分かるが、それは領邦軍を寄越せば良いだけの話。忙しい侯爵がわざわざ宿を訪れる理由にはならないだろう。

 

 そんなライ達の疑念の篭った視線を浴びるハイアームズ侯爵は、やれやれと肩をすくめた。

 

「……そう言えば、まだ君達に話していなかったね。まずはクレイグ中将から貰った武装集団の情報について伝えねばならない様だ」

 

 オーラフがセントアークに訪れた理由、それを聞けば納得するだろうとハイアームズは言う。故にライ達は、侯爵からその情報について話を伺うのだった。

 

 …………

 

「……シャドウの裏に武装集団? 今まで聞いた事もないぞ」

「けどラウラ。"シャドウ様"って噂が流れている以上、それを流した人間がいる筈よ。あのバグベアーが関わっていたとしても、別におかしくはないんじゃない?」

「ふむ、確かにアリサの言う通りだ。しかし――」

 

 "何故、正規軍は我々にも黙っていた?"

 

 ラウラが抱いたその疑問は、決して解ける事なく彼女の心に刺を残す。

 シャドウ調査の協力者である正規軍は、果たして本当に味方なのか。その答えを持つものは誰一人いなかった。

 

 それに疑問は何も正規軍に対するものだけではない。領邦軍に関する疑問を感じたガイウスがハイアームズ侯爵に問いかける。

 

「――侯爵、何故正規軍と共同で捜索を行わないのですか」

「その答えは単純だよ、ヴォーゼル君。ここセントアークは私が治めるサザーランド州の中心だからだ。例え緊急事態であろうとも、対立する正規軍の戦力を安易に呼び込む訳にはいかない」

 

 紅茶を飲みながら、そう説明をするハイアームズ侯爵。尤もな理由だ。しかし、侯爵の人当たりの良い笑顔を見ていると、何やら裏がある様に思えてならない。

 

「それだけの理由で?」

「……ほう、君は中々鋭いね。アスガード君の言う通り、私達には正規軍に動かれる訳にはいかない"事情"がある。だから、クレイグ中将と協力関係を結んだ今であっても、正規軍にはお引き取り願っているよ」

 

 ハイアームズ侯爵は臆する事なくそう断言した。ライ達を通じて正規軍に伝わるとは考えていないのだろうか。いや、あえて話して正規軍に対する牽制を狙っているのか。ライ達にその意図を察する事は出来ない。

 

「まぁ、件の武力集団もそれを理解しているからこそ、このセントアークに身を隠したのだろうがね」

「……話は分かりました。"領邦軍"であの集団を捕らえる為の手がかりが欲しいという事ですか」

「話が早くて助かるよ。では早速、君達が昨日目撃した出来事について教えて貰えるかな」

 

 ハイアームズ侯爵は優しく、けれど拒否を許さない凄味を携えてライとアリサに頼み込む。

 当然ライ達に拒否権はないのだ。ライとアリサは一度お互いに顔を見合わせ、ペルソナの事をぼかしつつ昨日の出来事について話し始めた。

 

 …………

 

「……なるほど。では、迷子を探した先でそのバグベアーと名乗る猟兵と出会い、目撃者である君達を消そうと追跡してきた、と」

「ええ、そんな流れかと」

 

 テーブルの上に広げられた旧都の地図と鍾乳洞の分布図に指を差しながら、アリサは一連の報告を終える。すると、ハイアームズ侯爵は興味深く感じたのか、「ふむ……」と神妙な表情で何やら考え事を始めた。

 

「う~ん。でも、バグベアーって名前、情報局でも聞いたことがないなぁ……」

「多分、猟兵団(イェーガー)を目指す傭兵集団なんだと思うわ。だって枕詞に"未来の"とか付いてたし」

「あ~なるほど。よーするに"落ちこぼれ"って事かぁ」

「ミ、ミリアム……」

 

 ミリアムの歯に衣着せぬ言い方にアリサは苦言を漏らすが、否定はしない。

 いったい猟兵と傭兵に何の違いがあるのかと、ライは小声でエリオットに問いかけた。

 

「……猟兵団は傭兵集団とは別物なのか?」

「ああ、そっか。ライは知らなくても無理はないよね。――猟兵団ってのは一言で言ってプロの傭兵集団の事だよ。特に優秀な傭兵を指す称号みたいなもので、ミラ()さえ払えばどんな仕事だってする人達なんだ」

「称号、か」

「だから、猟兵団を名乗るには相応の戦果や知名度が必要みたいだね。……えと、帝国じゃ《赤い星座》や《西風の旅団》とかが有名かな」

 

 相応の戦果や知名度、と言う事はあのバグベアーは戦闘の場を欲しているのだろう。……なら、最近のシャドウ事件に関係していても、何らおかしな話ではない。

 

「しかし、参ったね。手先である兵士はともかく、指揮は相当優秀みたいだ。――これはもうセントアークにはいないかもしれない」

「へっ、どうしてですか?」

「潜伏先としてこの場所は都合が悪くなってしまったと言う事さ。例え目撃者は排除したと思っていたとしても、見つかった事には変わりない。優秀な指揮官であるなら既に次の潜伏先を想定している頃だろう。……まぁ、何か別の目的があるなら話は別だがね」

 

 今のところそう言った情報は入っていないと、ハイアームズ侯爵は締め括った。

 

(――別の目的?)

 

 ライは今の言葉に引っかかりを感じた。

 けれど、侯爵は既に物陰に待機させていた領邦軍を呼び出して話し合いを始めていおり、問いかける機会を逃してしまう。

 

「ひとまず、街から出るルートに検問を張るとしよう。捕縛は不可能でも行動を大いに制限できる。同時に幾つか罠を張って――……」

 

 傍目を憚らず、いや、侯爵の事だから対策はしているのだろう。

 ……ともかく、そんな真面目なやり取りをしているハイアームズ侯爵に向かって、1つ影が近づいていった。

 

「ハイアームズ侯爵、その捜索に我々も加わられては貰えないだろうか」

 

 それは姿勢を正すラウラであった。

 

「どうした、突然」

 

 ラウラの唐突な行動にライが疑問を呈した。

 するとラウラはポニーテールが舞う速さで振り返り、捲し立てる様にライに向けて言葉を並べ立てる。

 

「どうした、だと? ――当然の事だろう! 猟兵とはミラさえ得られるならば、無害な住民を虐殺する事すら喜んでやる者達なのだぞ! その様な外道が街に潜んでいるとなっては、無視など出来よう筈がないっ!」

 

 むしろ参加しない方がおかしいと言いたげな剣幕だった。……まぁラウラは自身の武に正道を見出している。恐らくミラの為に殺しを請け負う猟兵を、ラウラは心の底から許せないのだろう。無論、その猟兵を目標として振る舞う存在も。

 

 だが、ラウラが如何に正道を貫こうとしても、侯爵の意思はまた別である。

 

「残念ながら答えは"否"だよ。これは私達の問題だからね」

「ですが!」

「それに君達はあくまで勉強中の学生だ。義を為すのは卒業してからでも遅くはないんじゃないかい?」

「…………承知しました」

 

 ラウラは渋々と言った様子で引き下がる。

 それを見たハイアームズ侯爵はうんうんと頷くと、懐から人数分の封筒を取り出した。昨日も見た、特別実習の内容が書かれた資料であろう。

 

 ライ達は大人しく封筒を受け取る。するとハイアームズ侯爵は席を立ち、領邦軍を引き連れて宿の出口へと向かい始めた。

 

 そしてドアに手を掛けたその時、ハイアームズ侯爵はふいに足を止める。

 

「――ああ、そうだ。また機会があったらバグベアーから逃げ延びたその手段、是非とも聞かせて貰いたいね」

 

 宿の空気が一瞬で固まる。

 そんな中、当の本人は言いたい事を言い終えると、揚々とした態度で宿を後にした。

 

 

 ……本当に、底の見えない人物であった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 5月30日、セントアーク市内。

 

 封筒に書かれた今日の依頼を読みながら、ライ達は赤煉瓦の市道を歩いていた。天気は今日も良好で、空の青と建物の白の対比が際立っている。けれど、皆のテンションはそんな景色とは裏腹に暗いものであった。

 

「……僕達、このままでいいのかな?」

 

 とぼとぼと歩くエリオットが小さい声で呟く。

 ラウラ程ではないが、領邦軍に事件を任せたまま関係ない依頼をこなして行くのは気分の良いものではない。バグベアーがシャドウに関わっていると言うのなら尚更だ。

 

「ライよ。今からでも私達で協力出来ないだろうか」

「断られるのが関の山だ」

 

 あの様子を見るに許可を貰うのは不可能に近いと、ラウラの提案を一蹴する。すると今度はミリアムがぴょんと近づいて来た。

 

「ねぇねぇ、だったらボク達だけで探そうよ! それだったら止められる事はないよね!」

「いや、ハイアームズ侯爵の言葉を聞く限り、それも難しそうだ」

「罠を仕掛けると言う話だな。同じ目標を追う場合、我々が引っかかってしまう可能性もあると言う事か」

 

 ライの返答を継いだガイウスがそう締めくくる。

 

 そう、今の状況だと下手な行動は領邦軍の足を引っ張る可能性が高い。だからこそ、バグベアー捜索を行うには領邦軍との協力が必要なのだ。そしてその合否はラウラへの返答で既に出ている。

 

 ……もしかしてハイアームズ侯爵はこの為に、わざとライ達の前で領邦軍と話し合いをしたのだろうか。

 

 しかし、だからと言って諦めきれる訳ではない。ライ達は天高く昇る太陽の下、方法はないものかと歩きながら考え続ける。そして、例の噴水広場に差し掛かったとき、アリサがおもむろに口を開けた。

 

「……直接じゃなかったら、私達も協力出来るんじゃないかしら。例えばバグベアーの居場所を報告する、とか」

「え、もしかしてアリサは手がかりを掴んでるの?」

 

 エリオットの尤もな問いに対し、自信がないのか視線を右往左往するアリサ。だが、覚悟を決めたのか、ゆっくりと思った事を口にし始めた。

 

「いえ、手がかりって程じゃないんだけど、さっきの侯爵の話の中で気になる言葉があったのよ。ほら、"別の目的"ってやつ。あれがどうにも気になって……」

「アリサもか」

「――って事はライも? なら、私の勘違いって線はなさそうね」

 

 アリサはホッと胸を撫で下ろすのを他所に、ライ達はこの状況に可能性を見出していた。

 

 直接バグベアーに遭遇した2人が、同じ言葉に引っかかりを感じたのだ。……これは、間違いなく何かある。

 

「ならば、2人が見たバグベアーの様子の中に答えがあるのではないか?」

「え〜と、ごめんなさい。その後にあった出来事が強烈すぎて詳しい内容とか覚えてないのよ」

「昨日はあの子の救出、と言う目的もあったからな」

 

 いくら思い出そうとしても、雇用主、秘密と言った幾つかのワードしか頭に浮かんでこない。

 

 するとその時、ミリアムが勢い良く手を振り上げた。

 

「それじゃあさー、今回の流れを振り返ってみるってのはどうかな? その最中に何か気づくかもしれないし!」

 

 ライ達はミリアムの提案を聞いて足を止める。

 

 顔を見合わせる6人。

 そして結局、その提案がB班の方針となった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ライ達は今、近くにあった例の噴水広場に集まっていた。アリサとミリアム、ラウラの女性3人が噴水の縁石に座り、ライ達男性3人がそれに対面している。

 

 そんな中、話し合いの場が出来上がった事を確認し、ライは生徒手帳の自由記述欄を開いた。

 

「――まずは今月の19日、シャドウが帝国東端のガレリア要塞を襲った事が始まりだ」

「うわぁ〜。何だか探偵っぽいね!」

 

 そこ、いきなり話の腰を折らない。

 

「あはは。……えと、そこで背後にいたバグベアーは父さん、第4機甲師団に見つかって交戦したんだよね」

「結果はシャドウの撃退、つまりはバグベアーの敗走で終わったのだったな」

 

 エリオットとラウラの言葉通りに手帳に記入していく。ここまでは事実と見て間違いはないだろう。

 

「そして、バグベアーはここセントアークまで逃げて来た、と」

「……む、少々不自然ではないか? 何故彼らは東端のガレリア要塞から東の州都バリアハートではなく、態々南西部にあるセントアークに?」

「あぁ、なるほど。ガイウスの疑問も尤もよね。バリアハートのアルバレア公爵ならそもそも正規軍との協力が成り立たないでしょうし、バリアハートの方が潜伏しやすいと思うわ」

 

 なら、何故バグベアーは遠くのセントアークまで来たのだろうか。

 

「考えられるとすれば、正規軍に追われバリアハートを通り過ぎてしまったか、もしくは――」

「"別の目的"があったか、だよね」

 

 広場が静まり返る。

 キーワードがいきなり話題に出たからだ。

 

 セントアークに彼らが来る事になった原因、それを考えたアリサの脳裏に昨日の会話が蘇った。

 

「……思い出した。あの子を見つけた時、バグベアーは何かを探しているみたいだったわ」

「何かを?」

「それはちょっと分からないわね。彼らも直接は言ってなかったから」

 

「なら、次はその"何か"についてか」

 

 今の流れを手帳に書き込みながら、ライは呟いた。同時に思考の中でバグベアーの話が鮮明に蘇える。

 

『へぃへぃ、分かりましたよ。……ったく、普段は無口で影が薄かったてのに、文字通り"影"になった途端べらべらとしゃべる様になるなんてよぉ。おかげで秘密が漏れるかもしれねぇ状況になっちまいやがった』

 

「確か、秘密を漏れるのを危惧している様子だった」

「それじゃあ、裏切り者でも出たのかな?」

 

 裏切り者。そうだ、バグベアーは確かにそう言っていた。文字通り影になった途端喋る様になったと。

 

 文字通り、影?

 

「……アリサ。昨日出会ったシャドウ、妙に口が軽かったな」

「え、ええ。そうだったわね。――って、まさか!?」

「そのまさかだ」

 

 昨日起こった出来事が1本の線に繋がった。

 

 バグベアーはあのお喋りのシャドウを追っていたのだ。シャドウを通して秘密が漏れるのを防ぐ為に。

 

「で、でも、それなら尚更もうセントアークにいないんじゃない? シャドウは私達が倒しちゃったんだし」

「いや、逆だ。倒されたシャドウは形跡を残さず消滅する。彼らにそれを知る術はない、と思う」

「だったら、彼らは今も探しているって事? シャドウが既にいない事も気づかずに……?」

 

 ――その可能性が高い。

 

 そして、この事はハイアームズ侯爵の予測とは異なっていた。領邦軍は逃走経路を封じるのではなく、市内の要所を監視するべきだったのだ。そう、シャドウが出現した鍾乳洞の中などを徹底的に。

 

「わぁ、ホントに分かっちゃった……」

 

 目を丸くしてミリアムが驚く。

 自ら提案しておいて信じてなかったのだろうか。

 

 ともかく、これで1つの謎が分かった訳だ。

 それを確かめた時、エリオットがライに近づいてきた。

 

「後は領邦軍に報告しに行くんだよね? だったら、報告は僕に任せて貰えないかな」

「別に構わないが、どうした」

「この件には父さんも関わってるんだ。だから、出来る事なら僕が伝えに行きたい」

 

 ライはエリオットの目を見る。

 単純に父を手助けしたいのか、それとも別の思惑があるのかは分からない。けれど、真剣に伝言役を申し出た事だけは間違いなかった。

 

「後は任せた」

「うん! ライ達は先に依頼をこなしていてね!」

「ああ」

 

 大きく手を振りながら、エリオットは元来た道を駆けて戻っていく。ライ達はそれを静かに見送り、依頼に向けて歩き出した。

 

 

 ……バグベアーのもう一つの目的に、気づく事もなく。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「はぁ、はぁ……。もう少しで領邦軍宿舎かな」

 

 エリオットは領邦軍やオーラフがいるであろう宿舎に向けて走っていた。早くライ達が導いた情報を伝えると言う役目を果そうと、エリオットの頭はそれで一杯だった。

 

 ……だからだろうか、不自然なまでに人気がない事に気づかなかったのは。

 

 エリオットの行く手に、2人の男が立ち塞がる。

 

「あ、済みません。僕はそこを通りたくて――」

 

 その道を進む為に、男達に話しかけるエリオット。だが、男の返答は言葉ではなく、鋼の銃口だった。

 

「えっ……」

「赤い制服の生徒1名を発見した。次の作戦を教えてくれ」

 

 耳に付いた無線に向けて不穏な言葉を話す男。エリオットはようやく男達が何者であるか気がつく。

 

(もしかして、彼らは――‼︎)

 

 刹那、背後からの衝撃がエリオットを襲う。

 相手を気絶させる効果を持つ導力魔法《ソウルブラー》だ。いつの間にか背後にいた3人目を辛うじて目にし、エリオットは地面に倒れ込む。

 

 頬に当たる冷たい赤煉瓦の感触。

 何とか動こうとするエリオットの努力も虚しく、意識は深い闇へと落ちていった……。

 

 

 ――暗転。

 

 

 

 

 



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30話「誘拐」

「……ねぇ、エリオット遅くないかしら」

「ああ、そろそろ追いついても良い頃合いだが」

 

 セントアーク東区にある2階建ての雑貨店で依頼を受けたライ達は、鈴付きのドアから外に出ながら未だ戻らぬエリオットについて話していた。

 

 そして、そのまま人工的に作られた水路沿いの道を歩き、噴水広場へと向かっていく。要するに、相談して依頼をこなしながらもエリオットを探そう、と言う流れに落ち着いたのである。

 

「全く、昨日に引き続き迷子が多いわねセントアークは」

「幸い今回はARCUSがある。導力波の範囲に入れば――」

 

 何気なく水路を見たライは、反対側を歩く人影を見て思わず言葉を止めた。不思議な黒い服を着た銀髪の少女。間違いない、昨日情報をくれて消えた少女だ。

 

「……悪い、先に行っててくれ」

「え、ライ?」

 

 また消えてしまうかも知れない。そう思ったライは水路の手すりに足を掛け、水路を一息に飛び越えて曲がり角に消えた少女の後を追った。

 

 まるで昨日の様な状況。けれど、今回は曲がり角の向こうに、しっかりとその小さな背中があった。

 

「今度はいたか」

 

 ライの言葉に少女は気づき、前髪を揺らしながら振り返る。

 

「……私に何の御用でしょうか」

「何、昨日の礼を言いに来ただけだ」

「礼?」

 

 少女は疑問を感じた様に顔を傾け、そして、ようやく話の意味を理解したのかライの瞳をジッと見つめて来た。

 

「礼の必要はないと判断します。あくまで私は目標の位置を伝えただけですので」

「いや、その情報がなければあの子を見つける事は出来なかった。礼を言うには十分な理由だ」

 

 ライは少女に一歩近づく。

 

「昨日はありがとう」

「…………」

 

 感謝の言葉を無言で受け取る少女。

 だが暫くの間を置いて、

 

「……受け取っておきます」

 

 僅かに視線を逸らしながら、少女はそう呟いた。そして数秒後、何やら少し考え込んで、再びライに向き直る。

 

「もう1つ、あなたに伝える事があります。――先刻、あなたと同じ制服を着た少年が武装した集団に捕まり、旧都東端に連れて行かれました」

「連れて行かれた? ……それは、もしかして」

 

 エリオットの事か?

 

 だとすれは、エリオットは道に迷ったのではなく、武装集団、恐らくバグベアーに誘拐された事になる。唐突に聞かされた緊急事態に、ライの思考が急速に回転を始める。

 

「では」

 

 伝える事を終えた少女が前日の様にライから離れていく。

 以降も前日と同じなら、視界から消えた途端に影も形も残さず消えてしまうだろう。故にライは反射的に「待て」と少女を呼び止めた。

 

「……まだ何か?」

 

 数歩離れた場所で少女は静止する。

 

 ――何を聞こうか。何故それ程の情報を知っているのか等、聞きたい事は山ほどある。しかし、幾つも質問に答えてくれる程、彼女はのんびりしてはいないだろう。

 

 ならば、今ここで聞くべき内容は1つに絞るべきだ。

 だからこそライは聞いた。

 

「君の名前は?」

 

 間接的にも助けてくれた少女の名前を。

 

 ライのそんな問いに、僅かに目を見開く少女。

 そして、少女は一瞬悲しそうな表情となり、やがて普段の平坦な口調で名前を呟く。

 

「アルティナ。……アルティナ・オライオン」

 

 オライオン? ライはそのオライオンと言う苗字に注意を引かれた。ミリアムと同じ苗字。偶然か、それとも何か関係があるのかと、ライは深く考え込む。

 すると、唐突に後方から「あ、いたいたー!」と言う聞き慣れた声が飛んできた。ライは思考を中断し、後ろを向く。――そこには、先程別れたB班の面々がいた。

 

「何故ここに?」

「何故って、ライまでいなくなったら余計大変じゃないの。ただでさえエリオットがいないのに」

「ああ、悪い」

 

 急ぎで頭が回らなかったとライは反省する。

 それにラウラは頷いて、1つライに質問をした。

 

「分かれば良い。……それで、そなたは何故ここに来たのだ?」

「ああそれは、ここに――」

 

 ライは説明する為に視線を前に戻す。

 

 だが、既にそこにアルティナの姿はない。不思議そうな顔をするB班の視線を背中に浴びながら、ライは銀髪の少女を思い呆然とするのであった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ――我に帰ったライは、皆を連れ急ぎ元のルートへと戻り始めた。

 同時に、アルティナが言っていたエリオットに関する情報を皆に説明する。

 

「それは真かっ!? エリオットが攫われたなどと!」

「ああ、俺は信じる」

 

 今のところ、アルティナの言葉が真実であると言う証拠はない。

 だが、ライはそれが嘘であると思えなかった。

 

「その少女の言葉は信用に足るものか?」

「昨日の迷子も彼女の情報で分かったのよ。本当の可能性は十分にあるんじゃないかしら」

 

 同じく昨日の出来事を経験したアリサもライの援護射撃をする。しかし、状況証拠だけのこの状況で、無闇に全てを信じるのも下策だ。緊急時であればある程、あらゆる可能性を考慮した上で判断しなければならない。

 

「なら、ここは別れるべきか」

「だったらライとガイウスは先に行ってて! 私達は一度、領邦軍宿舎までのルートを洗い出すから!」

 

 遂にライ達は元のルートに、旧都東端と宿舎に通じる分かれ道へと到達する。

 そこで今話した通り5人は2つの方向へ、背中合わせになる形で2手に別れた。

 

「向こうは任せた」

 

「ええ、任せてちょうだい」

「途中にいたらアガートラムで引っ張ってきてみせるよ!」

「うむ、多少外れた場所にいようとも気配で察してみせよう」

 

 アリサ達はそう言って、宿舎へと走っていく。これで、ここから宿舎近辺までの道は捜索出来るだろう。例え捕まっていたとしても、運搬中なら見つける事が可能な筈だ。

 

 後は――

 

「ライ、我々も向かうぞ」

「ああ。……旧都東端と言う事は、あの峡谷がある方面か」

 

 本当に、峡谷とは何かと縁があると思いながら、ライはガイウスと共に駆け出していった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ――セントアーク東端、峡谷前。

 

 ライとガイウスは今、旧都に面する峡谷の外れにある場所に来ていた。

 また見慣れた場所だ。昨夜はここから飛び降りたのだと思い返しながら、ライは柵の近くへと移動する。

 

「アルティナの言ってた場所はここか」

 

 ライは手がかりはないかと周囲を見回した。

 綺麗に清掃された漆喰の建物と赤煉瓦の道。外れとはいえここは観光場所の1つだ。夜間ならまだしも今はちらほらと観光客が見える。……こんな場所に誘拐した人物を連れて来る等、にわかに信じがたい状況だと言えるだろう。

 

「ふむ。何にせよ、まずはARCUSで連絡を取ってみるとしよう」

「……そうだな」

 

 2人は自身のARCUSにエリオットの番号を打ち込み、周辺を歩き始めた。

 波の性質を持つ導力波は周囲の環境によって伝達距離が変わる。だからこそ、ライ達は辺りの細道や建物の裏と言った様に、近辺をくまなく探しまわった。

 

 そして、ライが純白の崖に接近したその時、唐突にARCUSから音が鳴り響く。

 

『……――も……し、……もし…し、――……聞、こえる……?』

「エリオットか⁉︎」

『そ…声は、ライ……だね。――……うん、僕……リオットだよ……』

 

 ノイズが激しいが、確かにエリオットの声だった。ライはARCUSを強く耳に押し当てながら、手振りでガイウスを呼ぶ。

 

「大丈夫か?」

『うん……。気絶させ……た時に導力魔法を食らっちゃ……――……けど、……他に怪我はな……そう……――』

 

 聞き取りにくいが、導力魔法のダメージ以外に怪我はない様だ。ライは心が安堵するのを感じた。

 

「そうか、なら状況を教えてくれ。お前を攫った奴らは近くにいるのか?」

『ううん……、今は僕1…人か……。両手両足を縛ら…てるから、見張りはいな……み…い……。AR……Sも隅に落ち…て、着信音で見つけ…んだ――……』

「今はエリオット1人で、両手両足を縛られている、と言う状況か」

 

 横にいるガイウスに伝わる様に復唱する。

 

「ライ、場所に関する情報は聞けないか?」

「ああ。――エリオット、今どこにいる?」

『暗い……洞窟、かな。ごつごつし…石が落ち…る。――あ、それと……、壁に絵…描かれて……――』

「絵?」

『―ん……。たぶ…子……が……たもの……―…………』

 

 そこでブツリと通話が途切れた。

 ライは既に音がしなくなったARCUSを耳から離し、側にいるガイウスに視線を向ける。

 

「む、どうした」

「通話が途切れた。導力波が不安定だったからな」

「……そうか。では、エリオットは寸前に何を言っていた?」

「石の転がる暗い洞窟、それと壁に描かれた絵、の2点だ」

 

 ライから2つのワードを聞いたガイウスが「ふむ」とその意味を吟味する。

 

「この辺りの洞窟と言えば、鍾乳洞と見て間違いないだろう。だが――」

 

 ガイウスは峡谷を覗く。そこには目に見えるだけで十数の入り口が顔を出していた。――そう、鍾乳洞だと分かっていても、余りにも数が多く内部も入り組んでいるのだ。

 だから、今のライ達にその中から正解を見つける方法など、……いや、本当にないのか?

 

 ライは改めてエリオットの話を振り返る。

 ごつごつした石が転がる洞窟。そもそも鍾乳洞は水によって石灰石が溶かされる事で形成される洞窟だ。なら、石など転がっている訳がなく、あったとしても角は溶かされ丸みを帯びている。つまりは最近、鍾乳洞に落盤が発生した場所という事だ。

 

 そして、壁に描かれた絵。ライはそれに心当たりがあった。アリサと話していた間、確か男の子は壁に絵を描いていた。

 

 ――この2点から導かれる答えは1つ。

 

 ライは反対側の崖の下方、崩れて入り口が塞がれた、昨日ライ達が身を潜めた鍾乳洞を見つめる。

 

 そこが、エリオットがいる場所であった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「場所は分かった。後は助けに行く方法だが……」

 

 ライは周囲を見渡す。依然として人目の多いこの状況でペルソナを召喚する訳にはいかない。

 

「ライよ。エリオットはバグベアーにあの場所まで運ばれたのだろう。ならば、地上に通じる出入り口があるのではないか?」

「……確かに」

 

 いや、むしろその可能性を始めに考える方が自然だ。こんなところにも常識のずれによる副作用が表れるかと苦々しく感じながらも、ライの思考は常に先を考える。

 

(崖を挟んだ鍾乳洞。なら、当然入り口は反対側にある筈だ)

 

 ライは地図を取り出し、反対側にあるであろう鍾乳洞の入り口を探す。

 

 そして、見つけた。

 鍾乳洞の入り口、そしてそこに通じる吊り橋を。1日目にロケットを探したあの場所こそが、鍾乳洞に通じる吊り橋であった事を。

 

 ライとガイウスはそれを確認し、吊り橋を目指して動き出した。

 

 

 …………

 

 

 幾つかの通りを曲がって数分、ライ達の前方にしっかりした1本の吊り橋が姿を見せる。

 

 もう少しだ。あの先に鍾乳洞への入り口がある筈だと、2人は勢いを落す事なく吊り橋へと向かう。

 しかし、鉄製の吊り橋が目前に迫った時、ガイウスは何か異変を感じた。

 

「む、この不穏な風は……?」

 

 風を通じ、鼻に触れるこの異臭。これは、……火薬!?

 

「ライ、吊り橋に乗るな!」

「――ッ!?」

 

 通常ではあり得ないガイウスの叫びを聞いたライは、とっさに後方へ跳ぶ。その瞬間、吊り橋の下方から炎と煙が炸裂し、全てを吹き飛ばした。

 

 身体中にぶつかる爆風の衝撃。

 空中で吹き飛ばされたライは、辛うじて空中で体勢を立て直して、地面を削りながら着地する。

 

「……爆発!?」

 

 メキメキと音を立てて、ゆっくり崩れていく吊り橋。ライは驚きの声を上げた。

 

「どうしても我らを進ませないつもりか」

 

 ライ達の行く手を遮る爆発。

 だとすれば、既に相手はライ達の行動に気がついているのだろう。

 

 ――それだけで、ライの取る手段は決まった。

 

「ガイウスは、アリサ達にこの事を伝えてくれ」

「……では、ライは何をする?」

 

 訝し目なガイウスの瞳。

 恐らく勘付いているのだろうが、もう遅い。

 

「当然、進むに決まってる」

 

 ガイウスが制止する間もなく、ライは崩れゆく吊り橋へと駆け出した。

 

 もう、吊り橋に足場となるだけの強度は残されていない。だからこそライは、千切れかかったロープを寸前で掴み、ターザンの様に反対側の崖目掛けて滑空した。

 

 ふわりと体が浮く感覚。下方に落ちる重力は崖の反対側に固定されたロープに引っ張られ、次第に前方への速度に変わっていく。

 迫り来る白く広大な岩壁、速さを緩める要素など何もない。このままでは峡谷の壁に激突する事は誰の目にも明らかだ。

 

 故にライは滑空しながらもARCUSを取り出し、内部のクォーツに導力を供給して導力魔法の発動を試みた。

 

「ARCUS、駆動……!」

 

 発動するは火属性の下位導力魔法《ファイアボルト》。威力は低いものの、その分、短い遅延(ディレイ)で発動する事が可能だ!

 

 ライの周囲に一瞬で赤の導力が集まる。そして、衝突する寸前に導力は炎の弾となって、目前の崖へと解き放たれた。

 

 吹き飛ぶ白い欠片。その衝撃でライの勢いが相殺され、崖への着地に成功する。

 

「……何とかなったか」

 

 地上100mほどの崖面。ギシギシと音を立てるロープに掴まりながら、ライはそう呟いた。

 後はこのロープを登って向こう岸に辿り着けばいいだけだ。そう判断したライはより高いロープに手を伸ばし、

 

 

 吊り橋の根本が崩れ去ろうとしている光景を目にした。

 

 

「しまっ――」

 

 だが、崩落は待ってくれない。

 ライの言葉が言い終わるよりも先に、鉄製の吊り橋は岩盤ごと崖下に落ちていった……。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 薄暗く、肌寒い空気が流れる鍾乳洞の中。

 両手両足を縛られたエリオットは、2度目になる大きな揺れに不安を隠せないでいた。

 

「なんだろう。また、大きな音がした」

 

 1度目の爆発の様な音に、2度目の大きな何かが落下した様な音。乱雑に置かれた小さな導力灯の明かりだけが唯一の安息である今のエリオットにとって、その異変は恐怖以外の何物でもなかったのだ。

 

 せめて、もう一度通信が出来ればと、近くに引きずり寄せたARCUSを眺めるが、うんともすんとも言わない。そもそも、鍾乳洞の中から導力波が通じた事自体が奇跡なのだ。崩落した入り口の隙間から導力波が伝わっていたと言う事実を知らないエリオットにとっては、2度目の奇跡など期待できる筈もなかった。

 

「はぁ、どうしてこんな目に……」

 

 明日も知れぬ身に、思わずエリオットは上を向いて泣き言を零す。

 

 エリオットの頭には今、トールズ士官学院に通い始めてから経験した物事が、まるで走馬灯の様に浮かんできていた。生まれて初めて戦闘を経験して、今まで無関係だった武器等の知識を学んで、シャドウなんて訳の分からない化け物と戦って。士官学院で勉強するなんて間違ってると思った事は、一度や二度じゃない。

 

 でも、VII組や吹奏楽部の皆と出会えた事は悪くなかったとエリオットは思っていた。それだけはトールズ士官学院に入って良かったと、最近のエリオットは思い始めていた。

 

 ……思い始めていたけど、もしこれで人生が終わってしまうなら、やっぱり音楽院に通っていた方が良かったなぁと、エリオットはぼんやりと考えていく。

 

「――って、何やってるんだ僕は!」

 

 終わりなんて縁起でもない。

 エリオットは頭を振って邪念を振り払う。

 

 そして、何か出来ることはないかと考えて、……結局何も出来ないと言う結論に終結した。

 

 さっきからこんな思考のループがエリオットの内で展開され続けていたのだ。しかし――

 

「確かに、諦めるには早いな」

「うわっ!?」

 

 今回は違った。

 

 鍾乳洞の奥、誰もいないと思っていた場所から聞こえてきた声に驚いて、エリオットは思わず大声を上げてしまう。……だが、それがよく知る人物だと知ると、途端に恐怖は安堵へと変わる。

 

「ラ、ライ……。来てくれたんだ」

「ああ、待たせた」

 

 ライはエリオットの手足を結ぶ縄を切断しながらそう答える。その一言が、今のエリオットにとって、何より嬉しい言葉であった。

 

 また、それにより少し心に余裕が出来たのか、エリオットはライの姿の異変にも気がつく。

 

「でも、どうしたの? やけにボロボロだけど」

「爆発に巻き込まれたり、危うく崖下に落ちかけた」

 

 下方に鍾乳洞の入り口がなかったら危なかったと、ライはしみじみと呟いた。先程の2つの異様な揺れを思い出し、エリオットは愕然とする。もはや乾いた笑いすら出てこない。

 

「これで良し」

 

 そんなエリオットを他所に、ライは全ての縄を切断した。パサリと縄が地面に落ち、手足が自由になるエリオット。

 

「ふぅ、手足が動くって幸せな事だったんだね……」

 

 エリオットが感慨深そうに赤くなった手首や足首を揺らす。しかし、側にいる筈のライから返事がない事に気づき、エリオットは不思議そうに振り向く。

 

 ――隣にいたライは、腰の剣に手を掛けて周囲に神経を尖らせていた。

 

「って、今度はどうしたの?」

「……いや、順調過ぎる」

「えっ?」

 

 人を1人誘拐したのにも関わらず、余りにも適当なエリオットの状況にライは疑問を感じていたのだ。まるで、エリオット本人は助かっても助からなくても構わないと言いたげな……。

 

 そうライが考えた瞬間、ふいに男の声が聞こえてきた。

 

「――全く、察しがいいのも考えものだ」

 

 重い足音が鍾乳洞に響き渡る。段々と近づいてくる"それ"を目にしたライは、ようやく今回の誘拐の意味に気がついた。

 

「……エリオットは餌だったわけか」

 

 それは昨日、ライ達を追っていた兵士の中の1人だった。正面に立つ傭兵、バグベアーのリーダーがライに銃口を向ける。

 

「そう言う事だ。俺達の目標の為に――殺させて貰うぞ、ペルソナ使い!」

 

 後は引き金を引くだけで導力銃の銃弾がライに殺到するこの状況。導力灯の光が揺れる鍾乳洞の中で、今戦いが始まろうとしていた。

 

 

 

 

 



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31話「とある少年の決意」

「全く、貴様の行動にはつくづく予定を狂わされる」

 

 セントアーク外れの鍾乳洞内、バグベアーのリーダーがライ達に導力ライフルを向けながら、忌々しく吐き捨てた。

 

「俺達が伝える前に場所を突き詰める。唯一の道を塞げばペルソナを使える者だけが追ってくるだろうとの依頼主の作戦だってのに、ペルソナも使わずに乗り込んでくる。……まぁ、結果として同じだったのだから良しとして置くか」

 

 言葉と共に、男は懐に手を入れて何やらボタンらしきものを押す。

 すると、鍾乳洞全体が揺れた。

 

 ……何だ今の行動は。

 ライはそれを問うものの、男は自身の話で頭が一杯なのか聞こうともしない。

 

「だが、貴様の持つペルソナ能力とやらが、どうしても気に食わない。単なる学生の分際で常識外れの力を持つなど、断じて認められるものかッ!」

 

 銃口をライの頭部へと突き付け、理不尽に対する怒りを吐き出した。

 

 ライは何時でも対処出来る様に、引き金にかけられた指に神経を集中する。だが、そんなライの緊張感を読み取ったのか、男は気分を良くして導力銃を下ろした。

 

「……フッ、撃つと思ったか? 案じるな、撃ちはしない。依頼主は"アレ"での戦闘をお望みだからな。俺達は戦場の死神"猟兵団"だ。報酬さえ支払えばどんな依頼だってこなして見せる。──例えそれがどんな犠牲を生もうとも」

 

 自己に対する絶対的な自信を示すバグベアーの男。

 

 同時にポケットから、勢い良く何か小さいものを取り出す。

 導力灯に照らされる結晶状の物体。それは──

 

「──青い、石?」

「さぁ、おいで下さい"シャドウ様"。猟兵団として名を馳せる為、依頼を成功させる事こそ我が願い。今こそ、聞き届けたまえ!」

 

 男はそう高々に宣言しながら、青い輝きを放つ石を飲み込んだ。

 刹那、男を中心に青白い風が巻き起こる。

 

 男の体から止めどなく溢れ出る力の奔流に、男は痛快な笑みを浮かべた。

 

「クッ、ハハッ! これだ、これでいい! 俺はやれる。失敗した奴とは違う。リーダーである俺なら……、オ……レ…………ガ、……グ、ア〝ァァアアアアアアアアアッ!!」

 

 だが、その様子は唐突に変化した。男は両手で頭を抱え、もがき苦しむ様に大声で叫ぶ。

 

「違う! 俺、は……、そんなんじゃない! 貴様なんか、俺じゃないッ!!」

 

 いったい何が起こっているのかは分からない。しかし、男だけが見える何かを男自身が否定した時、周囲に吹き荒れる光が赤く変化して爆発的に膨れ上がった。鍾乳洞を覆い尽くす赤い光、それと同時に男の頭から黒い水が止めどなく溢れ出す。

 

 やがて、漆黒の水は倒れて動かなくなる男とは反対に集まりだし、1つの像を形成していく。

 

『我は影、真なる我……』

 

 それは巨大な(ハエ)と人とが融合した歪な存在だった。

 腐りかけのものに集る矮小な蝿、男が目を逸らし、心の奥底に抑え込んだ存在がそこにいた。

 

『全く滑稽だなァ、俺は。猟兵団という栄誉に酔って、自分の身の程を弁えないとは』

 

 蝿は男の声で、男の口調で醜い言葉を公然と発する。ライはこの状況に覚えがあった。かつてケルディックで遭遇したマルコの影、それと重なる光景に、今の男の行動が何であったのかを理解する。

 

「これが、噂の"シャドウ様"?」

「──っ! ライ、来るよ!」

 

 巨大な蝿の姿をした影、バグベアーの影とも言うべき存在は、その4枚の羽根を羽ばたかせ、ライに一息で接近してきた。

 ライは反射的に剣を抜き、高速で羽ばたく羽根と火花を散らす。

 見た目より遥かに強靭だ。

 ガリガリと音を立てる刀身を見て、ライは斜めに力を逸らし、辛うじて弾き飛ばした。

 

 しかし、上方にズレたバグベアーの影は、上空をUターンして口元から緑色のガスを吐き出す。恐ろしい速度で鍾乳洞内に充実する禍々しいガス。ライとエリオットは即座に自身の口を腕で覆う。

 

「──これは毒、か?」

「ううん、違うみたい。けど、……ごほ……何なの、この"淀んだ空気"は……」

 

 まるで吸っているだけで病気になりそうな空気に、ライは吐き気を催す。この行為が何の意味を持つのか分からないが、悪影響を及ぼす事だけは確かだ。

 

 ならば今は、疾風魔法(ガル)で全てを吹き飛ばす! 

 

「チェン『その力が気に入らない!』──ッ!?」

 

 召喚の直前、バグベアーの影から紫の光球が放たれる。円を描くようにして迫り来る幾多の光球。ライはとっさに空中に跳ぶが、光はライを追尾してその身体に纏わりついた。

 

 紫光に包まれるライ。

 だが、まるでダメージはない。不気味な感覚だけを残し、光は音もなく消えてしまった。……一体、何をされた? 

 

 ライは空中で体勢を立て直し、エリオットの近くに着地する。

 

「大丈夫っ!?」

「ああ、怪我はない。──チェンジ、ティターニア!」

 

 再度、淀んだ空気をガルで吹き飛ばそうと拳銃の引き金を引く。だが、

 

 

 カチッ、と虚しい音だけが鳴り響いた。

 

 

「……召喚が、出来ない!?」

 

 ライはその事実に動揺が隠せず、致命的な隙を晒してしまう。

 その刹那、バグベアーの影が低空を滑空して胸部に突撃した。

 メキメキと肋骨が悲鳴をあげ、ライの身体は鍾乳洞の天井に叩きつけられる。

 

「──ッ、カハッ……!!」

 

 衝撃で肺の空気が全て吐き出される。

 だが、影は今もなお突撃を続け、ライの体を潰そうとしていた。

 

 歯を食いしばるライ。剣を握る手に力を込め直し、影目掛けて全力で剣を叩きつけた。

 狙いが逸れていく影に弾き出されたライの身体が、重力に引かれ地面に落下していく。眼前に迫る岩肌の地面、ライは痛む身体を押して片手を伸ばし、辛うじて受け身を取ることに成功する。

 

 そして、そのまま体を転がし、反転して剣を構えた。

 飛来する影、重い衝撃が両手に伝わる。

 

「──ッ!!」

 

 だがライは、先の痛みが原因で力を一瞬緩めてしまった。片手剣が弧を描き飛んでいく。

 そして次の瞬間、影が放つ刃がごとき羽根の追撃を、ライは反射的に左腕を犠牲にして受け止めた。飛び散る血潮、鋭い痛みがライの脳髄を駆け抜ける。

 

『なぁ、落ちこぼれに、それも卑怯なやり方で殺られる気持ちはどうだ?』

「……何故、俺、を狙う」

『ああそれか。悪いがそれは本体が唱えた願いだ。忌々しいが、あの薬のせいで従わざるを得ないんだよ。……糞ッ、ああそうだ! そうだよな? 所詮俺は猟兵に見限られた存在だ! 落ちこぼれが力に逆らう事など始めから不可能だろ!?』

 

 突如言葉を荒げ、落ち着きのない様子となったバグベアーの影が、鬱憤を放つ様に暴風を生み出した。全体疾風魔法(マハガル)、ライは無理やり左腕に刺さった羽根を引き抜こうとするが、既に遅い。バグベアーの周囲に渦巻く嵐がライに殺到する。

 

 だが、直撃するその寸前、

 

「──眠って!」

 

 青い水球がバグベアーの影に側面からぶち当たり、弾けた。

 

『なん、だ……と……?』

 

 急速に動きが鈍るバグベアーの影。疾風は統制を失い四散した。

 ライは急ぎ羽根を引き抜いて、水球が飛んできた方向、導力杖を持つエリオットがいる場所へと走る。

 

「はぁ、はぁ、……何とか、間に合ったぁ」

 

 エリオットは誘拐の際に奪われた導力杖を探し求めて走り回ったのだろう。肩で息をして、疲れた顔をしていた。

 

「エリオット、今のは?」

「ブルーララバイ、敵の精神に干渉して強制的に眠らせる戦技(クラフト)だよ。この導力杖の機能で使える様になったんだけど……」

「いや、そうじゃなく──」

 

 ライは、動きが極度に遅くなったバグベアーの影へと視線を移す。この不可解な状況はいったい……。

 

「それよりもライ! 今のうちに早く逃げよう!」

「あ、ああ」

 

 エリオットの言葉に動かされる形でライは剣を回収し、動かない影を置いて鍾乳洞の細道へと走って行った。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ──数分後。

 

「……ここも、道が塞がってるね」

「先に押されたボタンは、どうやら退路を塞ぐ爆弾の起爆装置だった様だな」

 

 何度目かの崩れた道を確認したライ達は、その物影に隠れて休憩していた。ライはシャツの一部を切り裂き、ばっくりと割れた左腕の止血を行う。

 

「今、治療を行うよ」

「ああ、助かる」

 

 そして、即席の包帯の上から導力杖で治療を行うエリオット。

 暫くの間、導力杖から漏れる淡い光がライを照らし、痛みが段々と和らいでいく。

 

 これで、外傷の応急措置はある程度出来ただろう。そう、あくまで外傷は。

 

「……まだ、ペルソナ使えないの?」

「ああ、まだ呪縛が解ける様子はない」

 

 ライは自身の内に感覚を研ぎ澄ませた。バグベアーの影が放った紫光の魔法《マカジャマ》。その力によって、ライの心が鎖の様なものでがんじ絡めに縛り付けられていた。

 これは、"魔封"と呼ばれる状態異常だ。心の力を封じ、ペルソナの召喚と使役を封じる魔法。それが原因で、今のライはペルソナと言う超常的能力を一切使う事が出来なかった。

 

 ならば、魔封が解けるまで逃げ続ければいいのだが、そうも行かない理由が1つある。

 

「恐らく、この空気の中での回復は難しいな」

 

 落ち着ける時間を得て漸く分かったが、どうやらバグベアーの影が広めたこの《淀んだ空気》は、中にいる者の抵抗力を著しく下げる効果があるらしい。だからこそ、魔封などの身体の異常を引き起こす魔法を受け易くなり、同時に治りも遅くなる。

 

「で、でも、ここが鍾乳洞のせいで全然換気されないじゃないかっ! このままじゃ!」

「ああ、ペルソナが使えない戦いになる」

 

 ライは剣の柄を固く握りしめた。

 旧校舎でも、ケルディックでもライの決定的戦力となっていたペルソナが使えない。それはライがやや身体能力の高い一般人程度の力しか発揮出来ない事を意味していた。

 

 ──けれど、それで臆する訳にはいかない。

 

 暗がりから外を探るライを見て、エリオットはライの意図を察する。

 

「……ライは、それでも戦うつもりなんだね」

「当然だ」

 

 ライは応急措置をされた左腕を見つめながらそう答えた。はっきり言って、怪我を負った現状での勝率はほとんどない。それでも、逃げるつもりは全くなかった。

 

「…………」

 

 しかし、その返答を聞いたエリオットは口を閉じ、静かにライに背を向けてしまう。

 何かを我慢するかの様にきつく握られている拳。ライに見えるのはそう言った断片的な情報だけだったが、エリオットが今の話に賛同していない事だけは容易に理解出来た。

 

「……本当に、分かってないよ」

 

 エリオットの震えた声が漏れる。

 その声に込められた不満や怒りが、音となってライの鼓膜を震わす。

 

 そして、ついに──

 

「ライは何で皆に心配されてるのか、全然分かってない!」

 

 エリオットの感情が爆発した。

 鍾乳洞に響き渡る声と共に振り返り、ライの肩を全力で握りしめる。

 

 だが、ライはそんなエリオットの剣幕に対し、問題があるだろうか、と一瞬考えてしまった。そして、疑問に感じてしまう自分に気づき、この問題の根深さを改めて思い知らされてしまった。

 自身の問題を感じ、思わず視線を落とすライ。けれど、何時までも黙っている訳にもいかない。

 

「……原因は理解してる。俺の普通が普通じゃない事くらい」

「だったら、行動で示さなきゃ駄目じゃないか! ケルディックの時だって1人でシャドウと戦うし。……そりゃ、あのときは僕達もライを信じてなかったけど、だからって無謀な戦いをしていい訳じゃない。そんな生き方じゃ、何時死んでもおかしくないよ!」

 

 ライの身を気遣っているからこそ、今エリオットは怒っているのだろう。その事をライも理解している。だからこの叫びが最もな内容だと思うし、申し訳なくも感じる。しかし──

 

「それでも、俺は全力で前へと進む道を選びたい。前に進まなけらば、何も得られない」

「……ライ、それ、もしかして記憶喪失、だから?」

「さあ、な」

 

 今となっては何故そう考えるようになったか分からない。だが、この考えは常にライの根底にあった。サラの言う無茶を"生む"原因が常識のズレにあるのなら、理解しても無茶を"止められない"原因はこのスタンスにあると言えるだろう。

 

 何度考えてもこの立場だけは変えられないのだ。

 道理じゃない、心の底で"誰か"が叫んでいる。進まねばならないと。これこそがライの道なのだと。

 

 これが我儘だとライ自身も分かっている。だからこそライは探さねばならない。夢の中でイゴールが言っていた様に、これらの矛盾を解く納得のいく回答を。

 

(何時死んでもおかしくない、か)

 

 ライは先のエリオットの言葉を思い出す。

 

 そもそも、何故ライは今まで生き延びてきた? 

 

 ……明確だ。ペルソナがあったからだろう。この矛盾を生んだ原因でもあるが、ペルソナを使えたが故に、武術の心得を持たないライでもシャドウと互角に渡り合えていた。

 

(──ん? いや待て)

 

 本当に、渡り合えたのはペルソナがあったからか? 

 

 引っかかりを覚えたライは、再び深く考える。

 1つ目の試練、旧校舎では確かにペルソナが逆転のきっかけとなった。自身を助けようとした先輩達を守るため、銃の引き金を引いた記憶は今も鮮明に思い出せる。

 

 では、2つ目のケルティックは? そこまで思考を進めた時、遂にライは1つの答えへと辿り着いた。

 

「……そうか」

「ライ?」

 

 不思議そうなエリオットを他所に、ライはおもむろに立ち上がる。

 

「サラ教官の出した課題の答え、ようやく分かった」

 

 思い返すはマルコの影と戦っていた時の記憶。

 あの時、ライはペルソナを使っていたが、それでも負ける寸前まで追い詰められていた。──限界だった。それでも、ライはマルコの影相手に勝利を掴んでいた。

 

「思えば簡単な事だ。俺の限界が認識よりも低く、結果として無茶に繋がるからと言って、諦めるだけが答えじゃない。──限界(レベル)が低いなら、今の限界を越えればいいだけだ」

「……ぼ、暴論だよ。人がそう簡単に強くなれる訳がない」

「確かに、1人ならな」

 

 戸惑うエリオットにライはそう笑いかける。

 

 "何故、マルコの影に勝てたのか"、そこにヒントがあった。

 

 最初、ラウラが炎を防いでくれた。

 エリオットが治療をしてくれた。

 アリサが矢で炎を逸らしてくれた。

 最後はリィンと共に戦った。

 

 ──それが、ライの限界を超えて勝利へと結びつけた。1人での限界も、仲間がいれば限界じゃなくなる。そんな在り来りで子供っぽい考えが、ライの答えだ。

 

「力を貸してくれ、エリオット。その力の分だけ、俺は限界を越えられる」

 

 そう力強く語りかける。

 エリオットに向け差し出される右手。エリオットを見るライの瞳は、どこまでも淀みのない青色であった。

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 程よい広さの鍾乳洞に、ライとエリオットの2人が静かに立っていた。

 

 その手にはそれぞれ武器を持っており、その意識を鍾乳洞の奥へと集中させている。

 肌を撫でる冷気、お互いの呼吸音と水滴の音だけが聞こえる静寂の中、例の影が飛んで来る瞬間を待ち続ける。

 

 と、その時、

 

『──そこにいたか!』

 

 奥の曲がり角から、淀んだ風を携えて巨大な蝿が飛んできた。

 

「……き、来た。大丈夫なの!? 僕はリィンみたいに前線で戦ったりは出来ないのに!」

「リィン達の代わりはしなくていい。エリオットはエリオットのやれる事をやってくれ」

 

 そう一言残し、ライは前に駆け出す。

 防戦一方を回避するためには、ライ自身が積極的に攻める姿勢が効果的だからだ。

 

 蝿の硬質な体とライの剣が衝突し、金属の摩擦が引き起こす火花が鍾乳洞を照らす。

 反動で引き離される両者。先に動いたのは空中で動くバグベアーの影であった。……が、

 

「──ゴルドスフィア!」

 

 エリオットが空属性の導力魔法《ゴルドスフィア》を発動させた。

 エリオットの正面に浮かぶ金色の光球(スフィア)。それは影の顔面へと炸裂し、影の視界が眩い光に包まれる。

 

 やがて、影の視界が元に戻った時には、既にライの姿はどこにも存在しなかった。

 

『なっ、奴はどこへいった!?』

 

 バグベアーの影は慌てて左右、後方と周囲を見渡す。

 だがその瞬間、頭上の天井を蹴る音を影は聞いた。

 

 そう、ライは壁を駆け上がっていたのだ。

 天井を蹴り飛ばした反動を利用し、落下の勢いとともに剣で叩き落とした。その衝撃で辺りの水滴が飛び散る。

 

「やった!?」

「いや、刃が通らない」

 

 影の外殻で止まっている剣の刃を見て、ライは苦々しくそう言った。

 何て防御だ。いや、もしかすると耐性か? どちらにせよ、剣が効かないのでは倒し様がない。

 

 とその時、地面と剣でサンドイッチにされた影が動き出した。

 

『俺1人に2人がかりとは、貴様らも中々に卑怯だ。……OK、だったら見せてやる。真の落ちこぼれの戦い方って奴をなァ!』

 

 地面に押しつぶされたシャドウが叫ぶ。

 それを聞いたライは反射的に距離をとった。マルコの影の反撃を経験したが故の行動、しかし今回それは悪手となる。

 

 バグベアーの影が全体疾風魔法(マハガル)を解き放つ。

 その狙いは防御するライやエリオットではなく、その後方にあった幾つもの導力灯だった。

 

(まさか光源を!?)

 

 光を全て絶たれたライ達の視界が真っ黒に染まる。

 バグベアーの影が全く見えない。手元さえ見えない完全な闇。いったい何処から攻めてくる? 

 

 そんな闇雲に防御を固めるライを嘲笑うかのように、バグベアーの影が大きく宙を迂回しながら突撃してきた。だが──

 

「──ライ! 右側だよ!」

 

 エリオットの叫びを聞いたライは寸前でそれを剣で受け流し、さらに上半身を逸らして羽根の刃を寸前で躱す。

 頬に刻まれる赤い鮮血の切り傷。その勢いのままエリオットの声がした方向に跳び下がり、今の言葉の意味を聞いた。

 

「見えるのか!?」

「ううん、何となく音が聞こえたんだ」

「……音?」

 

 耳を澄ますが、ライには全く聞こえない。

 もしや吹奏楽部であるエリオットにしか聞こえない僅かな音を、影は発しているのだろうか。

 

 ……どうでもいい。一寸先も見えないこの状況下では、エリオットの聴覚に頼るしかないのだから。ライは頬の傷を手の甲で拭い呼吸を整える。

 

「エリオット、来る方向を教えてくれ」

「う、うん!」

 

 目の前の物すら見えない暗闇の中で、ライとエリオットは武器を握りしめた。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 エリオットの手は緊張の汗でベトベトだった。

 ライを執拗に攻撃するバグベアーの影から守るには、その僅かな音を位置も含めて聞き取らなければならない。もし失敗したらライが死んでしまうかも知れない。そんな極度の緊張がエリオットの心拍数を高めていた。

 

 そして、今の作戦にはもう1つ問題があったのだ。

 

「左の足元!」

「──ッ!」

 

 剣を地面に突き刺した音、そして寸前で影の攻撃を防御した剣の擦れる音が聞こえてくる。……そう、聞いたとしても、伝えるために叫ばなければならないのだ。これでは何時か間に合わなくなってしまう。そんな不吉な予測を回避するため、エリオットは必死で考える。

 

 どうにかして、ライにこの音を伝える方法はないか。

 そんな都合のいいものがある筈ないと諦めかける自分を押して、全力で考え続ける。そして──

 

 1つだけあった。

 

 一瞬のタイムロスもなくライに音の位置を伝える方法が。

 戦術リンクという、互いの感覚を共有するARCUSの機能が! 

 

 それに気付いたエリオットの手が震えた。確かに戦術リンクを使えば感覚の共有によってライに音を直接伝えられる。例えリンクが切れても再び繋ぎ直せばいい。……けれど、本当に自分に出来るのか? とエリオットの思考がぐちゃぐちゃになる。

 

「どうした、エリオット!」

 

 そんなエリオットを心配するライの声を聞いて、エリオットは手を痛いほど握りしめた。

 もう、考えてる時間はない。──進むしか、道はない! 

 

「ライ、戦術リンクだ!」

「戦術リンク?」

「いいから早くっ!」

「あ、ああ!」

 

 ──リンク──

 

 真っ暗闇な鍾乳洞の中、灯る2つの光。

 今ここにライとエリオットはARCUSを通して、"繋がった"。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 ……気が付くと、エリオットは白い空間に立っていた。

 

 先の戦いが嘘のような静寂に包まれた空間。

 我を取り戻したエリオットは、急ぎ大きな扉へと駆け寄って、何度も両手で強く叩いた。

 

「ねぇ、早く戻してよ! 早くしないと、ライが……!」

 

 エリオットの心に焦りだけが募っていく。

 すると、その感情に呼応する様に扉がゆっくりと開き、その中からエリオットと瓜二つの少年が姿を現した。

 

『何だよ。そんなに熱くなっちゃってさ……』

 

 もう1人のエリオットと言える少年は、地面にだらんと手足を投げ出してエリオットを見つめていた。まるで覇気が感じられない。諦めや怠惰を体全体で表現してるかの様に無気力なもう1人のエリオット。そのあまりにも冷静な表情にエリオットは思わず言葉を荒らげる。

 

「焦りもするよ! 今現実じゃ友達が死んじゃうかも知れなのに! なんで君は──」

『何でそんなに冷たいのか、だよね。よーく分かるよ。だって僕は君なんだから』

「だったら!」

 

 この焦りも分かる筈だろ、と言うエリオットの剣幕も何処吹く風。

 逆にもう1人のエリオットは半開きの瞳をエリオットに向け、単調な声で問いかけた。

 

『むしろ、なんで頑張ろうとしてるの? 頑張ったところで欲しい結果は手に入らないのに』

「……え?」

 

 言葉に詰まるエリオット。この少年は何を言っているのか、とエリオットの思考が追いつかなかったからだ。

 

『ホントに出来るとでも思ってるの? 小さい頃からの夢すら突き通せない軟弱な僕が? あはは、面白いや』

 

 もう1人のエリオットは単調に笑うふりをした。

 焦るエリオットの感情は全て徒労であると言いたげに。

 

『だからさ、諦めちゃおうよ。出来もしない事で苦労するくらいならその方が楽じゃない? 戦ってるライも、音楽の夢も、みーんな諦めちゃえば苦しむ必要もないんだよ?』

「い、嫌だ。例え出来なくても、僕はまだ全てを諦めたくない!」

 

 悪魔のような誘惑をするもう1人のエリオット。

 夢も希望も諦めて、ただ楽に流される生活をしようと説く彼の言葉は、エリオットにとって受け入れがたい提案であった。

 

 だが、否定するエリオットの足元が、不意にずぶりと沈み始める。

 

「な、なんだよこれ……」

 

 段々地面に飲み込まれていく。

 抗えば抗うほど底なしの沼に嵌っていく状況に、エリオットは本能的な恐怖を感じた。

 

『いくら頑張ったところで深みにハマるだけなんだ。上手くいく事なんて何もない』

「みんなも頑張ってるのに、僕だけ諦めるなんて出来ないよ!」

『音楽の道を目指しても、力を身に付けようとしても、友を守ろうとしても、全部無駄さ。どうせ失敗するに決まってる』

「違う! 僕にだって出来ることは──」

 

 いくら無力感を感じていても、全てを諦める事だけはしたくないとエリオットは叫ぶ。

 

 しかし──

 

『何もないよ』

「…………っ!!!!」

 

 目の前の少年は、そんなエリオットの希望を切り捨てた。

 

 硬直するエリオット。そのまま胸近くまで沈んしまう。

 だが、そんなエリオットの思考は、もう1人の自分に対する否定の言葉で埋め尽くされていた。

 

(僕はあんなんじゃない。僕はまだ諦めたくない。僕はまだ──)

 

 夢に希望を抱いている程に、抜け出せない行き詰まりへと沈んでいく。遂に全身沈みかけたエリオットの脳裏に、過去の思い出が走馬灯のように蘇った。

 

 "音楽って楽しい?"

 "うん!"

 

 母と過ごした音楽の時間。

 これを捨てたいと思う自分なんてあり得ない。『でも、結局は父さんに否定された』

 

 "士官学院に行っても音楽頑張れよな!"

 "……そのつもりだよ"

 

 共に音楽院に行く約束をしていた友人達。

 音楽院には行けなかったけど、音楽は諦められなかった。『遊びの音楽に何の価値があるの?』

 

 "俺はリィン。よろしくなエリオット"

 "うん、よろしくねリィン"

 

 入学式の日、新しく出来た友達。

 ここでもやっていけるんじゃないかって、そう思った。『軟弱な僕に出来ることなど何もない』

 

 "力を貸してくれ、エリオット。その力の分だけ、俺は限界を超えられる"

 

 そう言ってくれたライ。

 自分を信頼してくれる存在を、見捨てたくはない。『助けることなんて出来やしない』

 

 ぐるぐると思い出すエリオット。

 そして最後に──

 

 "──帝国男児たるもの、自らの弱きを受け入れ、強く在れ!"

 

 父の言葉を思い出した。

 

 それが直前の走馬灯、ライの言葉と結びついた時、エリオットの中で何かが噛み合う音がした。

 

 

 …………

 

 

「……そう言う、事だったんだね」

 

 体の沈下が止まったエリオットが小さくそう呟く。

 それを不審そうに見るもう1人のエリオットに向けて、一歩前に踏み出した。

 

「僕はもう、自分の弱さを分かっているつもりだった。無力感なんて痛いほど感じているから」

『そうだよ。だから諦めようよ。だって凄く痛いんだから』

 

 沈んだエリオットの体が、踏み出す度に段々と浮き上がる。

 

「でも、そうじゃなかったんだ。父さんが言いたかった事は、無力な自分を悲しんで心の奥に封じ込めることじゃない。自分の中に無力な部分があっても良いんだと、僕自身が認めて受け入れることだったんだ」

 

 父の言葉を思い出し、自らの踏み出す道を見出したエリオット。

 その一歩一歩は力強く、そして確かなものだ。

 

「そうすれば僕は弱さを、限界を補って強くなれる。ライが言ってたように仲間と欠けた部分を補い合ったりして」

 

 人は1人で完全にはなり得ない。自身の弱点をいくら悲観し、消し去ろうとしても決して無くなる事はない。しかし、他者と欠けた部分を補い合う事は出来る。前に進むことは出来る。自身の弱さを受け入れる事は、エリオットにとってその第一歩なのだ。

 

「僕が今することは諦めることでも、まして君を否定することでもない。──今僕がすべきことは、君を受け入れること。諦めたいと思う弱さ()がいても良いのだと、認めることなんだ」

 

 認めよう。全てを投げ捨てたいと思う弱い自分が内にいる事を。

 

 そして──

 

「一緒にいこう」

 

 弱さを身に宿したまま、前に進んでいこう。

 父があの時言った強さとは、多分そう言う事なのだから。

 

 エリオットは矛盾を抱えたまま生きていく事を宣言し、もう1人のエリオットの手を両手で掴んだ。地面にだらりと倒れたもう1人のエリオットは、握られたその手をじっと見る。

 

『……それが(ぼく)の選択か』

 

 すると彼は淡い光となって、エリオットの中に消えていく。

 

 

 

 ──自分自身と向き合える強い心が、"力"へと変わる…………。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 一方その頃、鍾乳洞にいたライは意識を失ったエリオットの感覚を頼りにバグベアーの影と戦っていた。

 

「ARCUS駆動……。ファイアボルト!」

 

 導力魔法を発動し、音の方向へと火炎の弾を放った。

 一切の光が存在しない鍾乳洞を奔る一線の赤光。それが空中にいる影に衝突し、一際大きな爆発へと変わる。

 

 次はどこから来る? 右か、左か、それとも上か。

 ライはARCUSから伝わってくる僅かな感覚へと意識を集中させる。

 

 と、その時、

 

《2時の方角から、3秒後に来るよ!》

 

 先を思い出されるエリオットの声が、直接ライの脳内に響き渡った。

 

「──ッ、了解!」

 

 ライはその言葉を一瞬も疑うことなく、ピンポイントで剣を振り抜いた。

 剣を通して伝わる痺れる様な衝撃。全体重を掛けた渾身の一撃は、一瞬の均衡の後、バグベアーの影を周囲の空気もろとも弾き飛ばす。

 

「助かった、エリオット」

 

 その反動で数m後ずさりをしたライは、剣を構え直して視線をエリオットへと向ける。

 

 ──そこには、青く輝く焔を携えたエリオットが立っていた。

 エリオットの頭上には彼のペルソナが佇んでいる。吟遊詩人の格好をしたマント姿の男、その両手にはバイオリンを持ち、体のないマントの中にエリオットがすっぽりと入っている。

 

 どうやらエリオットもペルソナ使いになった様だと、ライは僅かに微笑んだ。

 封魔でペルソナを召喚出来ない現状、あのペルソナが唯一の突破口であるからだ。

 

「決め手を任せられるか?」

「ううん、それは無理そう。僕の"ブラギ"は戦闘向けじゃないみたいだから」

 

 だが、その考えは早急であった。

 戦闘向けじゃないペルソナ。アリサの事例を思い出したライはエリオットも補助系なのかと考える。

 

 ……けど、エリオットの話には続きがあった。

 

「でも大丈夫だよ。今の僕には全てが聞こえる。──あの影の場所も、この鍾乳洞の形も、その先の何もかも」

 

 エリオットは己のペルソナ、ブラギを通して周囲のあらゆる事象を感知していた。

 そう、これは戦闘特化でも、まして補助系のペルソナでもない。……これは、周囲の状況を探知し分析する、感知能力(アナライズ)の力を持ったペルソナ! 

 

「行くよ、ライ! 僕達でこの戦いを突破するんだ!」

「ああ、元からそのつもりだ」

 

 最早、この暗闇はライ達の障害になり得ない。

 

 それぞれの問いに答えを見出した2人の反撃は、今この瞬間から始まるのだった。

 

 

 

 

 




隠者:バグベアーの影
耐性:斬撃耐性、???
スキル:淀んだ空気、マカジャマ、パワースラッシュ、マハガル、バステ成功率UP、???
 男はかつて夢見た猟兵団になれなかった。その身を蝕む劣等感、突き付けられた"落ちこぼれ"と言うレッテル。しかし、男は諦めなかった。猟兵団くずれの男達を集め、バグベアーと言う傭兵集団を結成した。だからこそ心の底に封じてしまったのだろう。自分が落ちこぼれだと言う自虐的な感情を……。


法王:ブラギ
耐性:―
スキル:ハイアナライズ
 北欧神話における詩と音楽の神。オーディンの息子で、英雄の武勲を歌う役目を担っていた。彼の歌は花を咲かせ木の芽を芽吹かせる力があり、春を到来させる豊穣的性質を持つとされる。


法王(エリオット)
 信頼や社会性、優しさを示すアルカナ。逆位置では怠惰や逃避を表している。慈悲の象徴である教皇と双子の聖職者がモチーフにされており、この構図は悪魔のタロットと対になっている。エリオットがもう1人の自分の誘惑を"悪魔"と称したのも、この様な関係性が関わっているのかも知れない。


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32話「鍾乳洞内の決戦」改定版

(5/5)後半ほぼ全て改定しました
(7/1)これでようやく納得いく流れに


 解析(アナライズ)の力に目覚めたエリオットは、周囲の全てが手に取る様に分かっていた。

 ブラギの奏でる特殊な音がソナーとなって、エリオットに大量の情報を送ってくる。暗闇で目が見えずとも、周囲の地形が手に取るように分かる。体調などの目に見えない情報であろうと、知ろうと思えばいくらでも解析が可能だ。

 

 現に今、蝿の形をした影の羽根部分にエネルギーが収束しているのを、ブラギの力が正確にキャッチしていた。

 

《正面から羽根での斬撃(パワースラッシュ)が来るよ! 気をつけて!》

 

 けれど、ライはそうではない。

 頭に響くエリオットの声だけを頼りに、ライは羽根を躱しやすい地面すれすれに身を伏せる。

 

 音も匂いも感じない静かな一瞬。突如、空気を裂きながら頭上を駆ける。それを肌で感じたライは急ぎ両手で地面を叩き、反動で体勢を立て直した。

 

《次は右!》

 

 そして、すかさず右に剣を構える。

 砲弾を受けたような衝撃。ライは思いっきり振り上げ、刃の先の存在を弾き飛ばす。

 

《上から降下して来るよ!》

 

 すかさず上半身を横に逸らす。

 頬に刻まれる縦の血線。ライの瞳に動揺は見られない。

 

《足元!》

 

 ライは両足に力を込め、回転しながら空中へ。

 足元を過ぎる鋭い風切り音。

 

《そのまま上に!》

 

 回転ゴマの如く真下を斬り裂き相殺。

 

《正面!》

 

 着地と同時に、正面の暗闇へと横蹴りを叩きつけた。

 足に響く重い感触と何かが壁にぶつかる異音。ライは確かな手応えを感じる。

 

『クッ、さっきから奴の動きが正確過ぎる。……あの上半身だけの吟遊詩人が原因か!?』

 

 体勢を立て直し暗闇の中を旋回するバグベアーの影は、エリオットの上空に浮くブラギを睨みつけた。

 ペルソナ使いが依頼の対象である以上、今まではライだけが攻撃の対象だった。けれど、あの吟遊詩人もペルソナであるならば、エリオットもまた攻撃の対象となるだろう。

 それに気づいたバグベアーの影はニヤリと笑い、消音器(サイレンサー)を通し放たれた弾丸の如く、音もなくエリオットに突撃する。

 

 しかしその刹那、

 

「ライ、僕を攻撃して!」

『──なッ!?』

 

 エリオットが全力で叫んだ。

 その余りにも自暴自棄な内容に、バグベアーの影は一瞬躊躇する。だが──

 

「了解だ」

 

 ライは一切躊躇しなかった。

 叫びを聞いた瞬間反転し、全力で剣を声の発生源、即ちエリオットへと叩き込む。しかし白刃がエリオットの体を切り裂く寸前、突撃するバグベアーと衝突し相殺された。

 

 跳ね返る剣とともに、あらぬ方向へと突撃してしまうバグベアーの影。岩の破片が舞い散る。

 影は瓦礫の山から即座に抜け出しつつも先の2人の行動を思い返すが、何度考えても影には今の行動が理解出来なかった。

 

『な、何なんだコイツら。仲間の命が惜しくないのか……!?』

 

 いや、そうではない。

 

 むしろ今のやり取りは、お互いの性格を理解していたからこそ成立するものだ。エリオットがライの性格を熟知し、ライもまたエリオットに全面の信頼を置いていたが故の戦い方。そこに自暴自棄な思考など一片も挟まれない。

 

「ライなら躊躇しないって思ってたよ」

「当然だろ」

 

 そんな軽口を叩き合いながら、ライは闇の中再び剣を握り締める。

 

 ……一見優勢に見えるこの状況。しかし、実際のところ不利なのはライ達の方だ。

 

 原因は決定力の不足にある。ライ達の攻撃手段はほとんど効果のない剣一本のみ。

 対してバグベアーの影はその体を使った突撃に羽を使った斬撃、それと"魔"の才能がないのか使用頻度が低いもののマハガルを使ってくる。

 要するに長期戦になればなる程、決定力不足のライ達が不利になってしまうのだ。

 

 何か方法はないかと、暗闇に注意を払いながらも考えるライ。

 その時、脳内にエリオットの声が流れ込んできた。

 

《ねぇ、僕にひとつ作戦があるんだけど……》

「作戦?」

 

 ライは静かにその声に耳を傾ける。

 そして、エリオットの言う作戦の全貌を聞き、頷きながら剣を構え直した。

 

「……分かった。それで行こう」

『おい、何1人でごちゃごちゃ喋ってる!』

「何、"俺達"でお前を倒す算段をつけていただけだ」

 

 ライは臆することなくバグベアーの影を挑発する。

 

『ハッ、俺を倒すだ? 群れて戦うことしか能のない貴様らに何が出来る』

 

 その挑発に、バグベアーの影も挑発で返してきた。

 視界が一切見えない空間で、2人のやりとりが続く。

 

「群れて何が悪い」

『弱い奴ほどよく群れる。現に俺の本体もバグベアーと言う集団を創ってお山の大将気取りだ。落ちこぼれ同士が傷を舐め合い、己の弱さから目を逸らす。……何とも愚かで無意味な行為だと思わないか?』

 

 2つの声の発生源がゆっくりと漆黒の鍾乳洞の中を移動する。

 ライは自身の聴覚と足の感触に意識を集中させつつ、影との対話を続けた。

 

「確かにそれは絆の一側面かも知れない。だが、それだけじゃない筈だ」

『ククッ、仲間に夢を見過ぎだ青年! 所詮仲間など足の引っ張り合い、独り立ち出来ない俺達弱者の妄言に過ぎない。貴様らの絆とやらも、自らの弱さを誤魔化しているだけの行為なのだと早く気づくべきだ』

 

 バグベアーの影は2人で戦うライ達を嘲笑い、そう断じた。

 

 だが、そうじゃない筈だ。仲間とは何も傷を舐め合うだけの存在じゃない。ライとエリオットが出した答えの様に、お互い協力し合って高みを目指す事もれっきとした仲間。そこに弱者や強者など、そんな定義はある筈がない! 

 

 その時、エリオットが鍾乳洞に木霊する程の大声をあげた。

 

「そこまで言うなら見せてあげるよ。その群れの可能性って奴を! ──ライ!」

「ああ!」

 

 エリオットの言葉を合図に、ライはバグベアーの影へと駆け出す。

 

 地面も壁も見えない中、全能力を振り絞った渾身の突き。

 左足、右腕の筋肉をバネにして、一切のブレのない豪速の刃が闇を引き裂く。

 

 ──だが、漆黒の空間では目で影を捉える事が出来ない。影は遊びのように宙返りし、一点突破の力が込められた剣はその奥の壁へと突き刺さった。

 

『何が可能性だ。ただ壁に剣が突き刺さっただけじゃないか!』

 

 根本まで深々と突き刺さった剣を見て、バグベアーの影は嘲笑う。

 そして唯一の武器を失ったライ目掛けて、影は己の鋭い羽根を音もなく繰り出した。

 

 けれど、そんな危機的状況にあってもライは全く恐れていない。

 作戦の成功を確信する笑みを浮かべ、ただ落ち着いた声で、

 

「──ミリアム、剣先は見えたか?」

 

 と、壁に向けて問いかける。

 

 

《ばっちしだよ! そこを壊せばいいんだね!》

 

 

 突如、周囲の壁が爆風とともに吹き飛んだ。

 飛び散る岩の中から覗き込む銀色の腕、拳を突き出した空色の髪の少女が、崩れた壁の向こう側から顔を出す。

 

 ──そう、壁に突き刺したライの剣は、壁の向こう側にいたミリアムへの目印だったのだ。

 

 エリオットの感知能力は壁の向こう側まで及んでいた。だからこそ、B班の仲間がライ達を探して鍾乳洞に突入していた事を、エリオットはブラギを通して知ることが出来た。そしてブラギの通信能力によってミリアム達に話しかけ、直接近くまで誘導していたのだ。

 後は壁の薄い場所をライに教え、作戦を実行に移すのみ。事前にライが行った影との会話はその為の時間稼ぎであった。

 

「射抜いて、ソール!」

 

 崩れた壁の向こうから一閃の矢が疾走する。

 そう、アリサのペルソナであるソールが放ったアサルトショットだ。ライを攻撃しようとしていたバグベアーの影の眼前数cmを通り過ぎ、影は思わず動きを止めてしまう。

 

『増援だと!? ──糞ッ! こいつは洒落にならない……!!』

 

 突如差し込む光、その奥にいる面々を見たバグベアーの影は暗闇の中へと飛んでいく。落ちこぼれを自称するバグベアーの影にとって、突然の増援とダメージは"恐怖"そのものであったからだ。

 崩れ落ちた壁の向こう側から差し込む導力灯の光、それを見たライはひとまず肩の力を抜くのだった……。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 影の撤退を確認したライとエリオットは、増援に来てくれたB班に今の状況を説明した。

 淀んだ空気が穴から漏れだし薄まっていく状況下、アリサはライの怪我の具合を確認する。

 

「うわっ、また手ひどくやられたわね」

「ケルディックよりはマシだ」

「130アージュ上空の崩れ落ちる吊り橋に掴まったんでしょ? ぶっちゃけ五十歩百歩よ」

 

 返す言葉もないので、ライは目を逸らした。

 

「それよりアリサ。俺の封魔を解くことは出来るか?」

「封魔? ……ああ、そのライを取り囲む封印みたいなものね」

 

 どうやらアリサには感覚で薄っすらと分かるらしい。

 ライの体をまじまじと見たアリサは少し考え、自身のペルソナが持つスキルと照らし合わせる。

 

「うん、これなら大丈夫そう。──ソール!」

 

 アリサの呼び声に応じ、太陽のドレスを纏ったソールの細い両手に光が灯る。

 クロズディ。縛りを解く魔法が、ライに掛けられた呪縛を一瞬で消し去った。

 

 心が束縛される感覚がなくなったライは、片手を握り、自身の状況を確かめる。

 

「よし」

「それで、これからどうする?」

 

 タイミングを見計らったガイウスが、ライにそう質問した。

 既にエリオットは救助済みだ。このまま鍾乳洞を去ると言う選択肢もある。

 

 だが、ライの選択はその反対であった。

 

「奴を追おう。シャドウを放っては置けないし、帝国のシャドウ襲撃事件に関して、何か情報が得られるかも知れない」

「ええ、それはいいんだけど……」

 

 歯切れの悪いアリサ。そのルビーの様な赤い瞳は、おろおろと揺れながらもライの左腕を見つめていた。

 何かあるのか? とライは左腕を上げる。そこには赤い血で染まったシャツの包帯が、……そう言えば、エリオットの治癒の前に止血をしていたのだったか。

 

「ライ自身は、このまま戦闘を継続して大丈夫なの?」

 

 つまりは左腕を満足に使えない状況でまた無茶をしないかと思ったのだろう。その事を知ったライは自身の行動に対する信用のなさを改めて感じ、そして、

 

「大丈夫、今は1人で戦ったりはしない」

 

 と僅かに笑って答えた。

 

 えっ? と目を丸くするアリサにライは「詳しくは後で話す」と語りかけ、バグベアーの影が逃げていった鍾乳洞の奥へと歩を向ける。

 

 この先はバグベアー自ら逃げ場を封じた行き止まり。

 言うなれば今のライ達は、ボス部屋を前にした冒険家と言ったところか。

 

「行くぞ」

 

 その一言を合図に、ライ達6人は闇深き横穴へと駆け出した。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 一方その頃、バグベアーの影は曲がりくねった鍾乳洞をドリフトする車の如く疾走していた。

 影の思考は恐怖一色。彼の根底にあるのは本体が押さえ込んでいた落ちこぼれと言う名の劣等感であるが故、影は逃げる事に一切の戸惑いを挟まない。

 

『ああそうだ。落ちこぼれは所詮、落ちこぼれ。どんなに喚こうと蝿の様な矮小な存在に過ぎない。……逃げよう。逃げる以外に道はない』

 

 逃げる事に全力なバグベアーの影。

 しかし、その行為は志半ばで潰える事になる。

 

 ──依頼をこなせ。ペルソナ使いと戦え! ──

 

『──グッ、オォォオ!』

 

 突如、空中で止まった影は、言葉に縛られ悲鳴を上げた。そう、"シャドウ様"とは自らの影に願いを託し、影が代わりに願いを叶えると言う"噂"なのだ。その噂に寸分違わず、バグベアーの影は託された願いに行動を縛られていた。

 

『糞ッ、自らの()を縛っておいて何が願いだ! あの忌々しい薬め!』

 

 その噂の仕組みを知る影は、心底怨みを込めて叫ぶ。これでもう逃げられない。劣等感そのもので構成された影である以上、力に逆らう事など出来やしない。影の意思と反する命令が、影の行動を無理やり決定させたのだった。

 

 ……と、その時、背後から幾つかの足音が迫ってきた。

 

 振り返るバグベアーの影。彼の弱者故の鋭い感覚は、正確に6名の姿を捉える。当然、その中心にいるあの灰髪の学生も。

 

『ペルソナ使い。アレを倒さなければ、殺さなければ……!』

 

 願いに縛られた哀れな影は、禍々しい激情を心に宿す。すると、影の内に突如変化が起こった。驚くバグベアーの影。途方もなき叡智の力がバグベアーの影に流れ込んでくる。

 

『これは、まさかあの薬の力か……!?』

 

 心の底に感じる新たなスキル。そこに可能性を見出したバグベアーの影は、今一度ライ達に牙を剥いた。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

《来るよ。皆、準備はいい?》

 

 ライ達の頭にエリオットの声が響き、B班は皆足を止めた。

 前方に広がるのは全てを呑み込むかの如き闇。ライ達には影の動く音も気配も感じないが、エリオットの言葉を信じ、各々の武器を構える。

 

 1秒が何倍にも感じられる間、そのとき暗闇から漆黒の影が襲いかかって来た。

 

「へぇ、正面から来るとか、案外いい覚悟じゃん。──行くよ、ガーちゃん!」

 

 それにいち早く反応したのはミリアムだ。

 情報局の経験故か、突然の接敵に怯むことなくアガートラムの拳を繰り出す。

 

 だが、バグベアーの影はその拳を受ける寸前、その口元をニヤリと歪ませ、急停止して淀んだ空気を周囲に放った。

 

「──ッ!? 待てミリアム!」

『もう遅い。貴様らは、全員まとめて葬り去る!』

 

 ポイズンミスト。影の口元から吐出された猛毒の霧が接敵したミリアムを、そして後方のライ達までをも呑み込む。淀んだ鍾乳洞の空間は、突如として紫の煙に覆われてしまった。

 

 そう、これは増援に対峙する為にバグベアーの影へと与えられた1つの力。例えどれだけ人数がいようとも大打撃を与え、密閉空間における回避方法など無いに等しい最悪の搦め手! 

 

「──ヘイムダル!」

 

 ライは急ぎペルソナを召喚し、前線へと飛ばす。

 バグベアーの影に振り下ろされる大槌。

 影がそれを回避した隙を狙い、ヘイムダルはミリアムを回収、そのままライの手元に帰還する。

 

「大丈夫か、ミリアム」

「う、うぅ……。だい、じょーぶ……」

《皆このガスを吸っちゃ駄目だ! 早く口元を》

 

 エリオットの通信の通りライ達は口を塞ぎ、毒ガスを極力吸わない様に呼吸を浅くする。そして、清潔な空気を懸命に探すが、近場はどこもかしくも猛毒の煙が浸透していた。

 この場所は不味い! ライ達は急いで危険地帯からの脱出を試みる。だが──

 

『逃げられるものか! 言った筈だぞ、もう遅いとなァ!』

 

 その僅かな呼吸から口に入った毒素が、肺に向かい、血液へと、恐ろしい速度で溶け込んでいく。全身が痛み、痺れるような感覚にライは自身が"猛毒"の状態異常に陥っている事を理解した。

 

 淀んだ空気。抵抗力を弱めるフィールドが再びライ達に牙を向いたのだ。

 

「──ッ!? 体が……!」

『動かないか? クク、当然だ。俺達シャドウは心の存在。この毒も同じく人々が思い描く"猛毒"に対するイメージの具現化だ。貴様らの体をじわじわと、そして確実に蝕んでいく』

 

(具現、化……?)

 

 これは単純な毒ではないのか? 

 なら、毒を抜く方法はもしかして……。

 

 ライは痙攣する体を必死に制し、懐にあった対魔獣用の薬を口に含む。

 一瞬の治癒。しかし、すぐさま大気中の猛毒が再びライを蝕んだ。

 その様に無駄な足掻きを続けるライを見て、バグベアーの影が凶悪な顔を浮かべる。

 

 最早今のライ達はまな板の上の鯉。どう調理するのも影の自由なのだ。バグベアーの影は意気揚々と羽根を羽ばたかせ、ライ達の首をかっ切ろうと天井すれすれの空中を飛んでいた。

 

 剣を杖代わりに体を支えるライは、一歩一歩迫り来るカウントダウンを見て歯を食いしばる。

 

 そして、ライの思考には次々と後悔の念が浮かんでいた。考慮が足りなかった。影を追うと言う選択が間違っていた。それが仲間を危険に晒してしまった。つい数分前の選択がどこか遠いものに感じる。

 

 ──けれど、それでもライの意志は変わらない。

 やるべき事は後悔ではない。ただ、全力でこの状況を打破する事だ! 

 

『チッ、自ら倒れて避けたか』

 

 空を切るバグベアーの影の刃。

 わざと地面に倒れ伏して影の攻撃を躱したライは、両手両足に力を込め、今も尚、足掻き続けていた。

 

「……まだ、諦めるには、早い」

 

 先の影の言葉から、既に毒を抜く手段は検討が付いている。

 

 だが、それだけではこの状況を抜け出せない。

 重くなる瞼を必死に持ち上げ、ライは周囲を懸命に探る。

 

《……──イ、ライ……!?》

「……エリオット、か?」

 

 心に直接エリオットの声が聞こえてきた。

 どうやら他の皆も、地面に倒れる中意識を保っているらしい。

 

「安全、な場所、は……?」

《今、分析してるんだけど、毒ガスは上空の方が薄くなっているみたい。だから起き上がったら少しは楽になるかも。……あぁ、でも駄目だ》

「……駄目?」

《あの影が上空を旋回してるんだ。多分、あいつも毒ガスの中に入ってこれないからだと思う。さっき淀んだ空気を吹いた時、あの影の抵抗力も一緒に下がってるのが聞こえたから》

 

 聴覚を通じて行われていたエリオットの分析。それが正しければ淀んだ空気は無差別に影響するらしい。だからこそ今、ライへの追撃がこないと言う事なのか。……しかし、それは同時に、上空の空気を求めて立ったら最後、影が襲いかかってくる事も意味している。

 

 他に手立てはないか。冷たい地面に倒れ伏したライは、紫のガスに染まった視界を動かし続ける。だが、比重の重いガスが原因で、段々と視界も悪くなっていった。もう視覚は頼りにならない。残されたのは全身を蝕む痛覚、冷たい岩の匂い、そして、地面に押し当てられた耳から聞こえる微かな空洞音だけ。

 

 ……いや、空洞音? 

 

 そこにヒントを見出したライは、先ほどのエリオットの作戦を思い出し、1つの打開策に至った。

 

「エリオット、俺の言葉を、皆に……」

《う、うん》

 

 ブラギの力によって、か細い声でも仲間に言葉を伝えられる。ライはそれに感謝しながらも、脳内で言葉を紡いだ。

 

《皆、聞こえるか》

《その声はライ? もしかして、この状況を打破する策でも見つけたの?》

《ああ、魔獣の毒を癒す解毒薬を使う。……効果は証明済みだ。恐らく猛毒のイメージから生み出されたこの毒は、同じく解毒のイメージを持つもので相殺出来るらしい》

《なるほど、イメージさえあれば最悪飲料水でも良いと言う事か。……しかし、この毒霧の中では、治療したところで意味がないぞ》

 

 そう、だからこそ打開策が必要なのだ。

 この作戦には協力が必要不可欠。故にライは手短に打開策の全容を伝えた。あの影に悟られない様に、慎重に、かつ素早く。

 

《……出来そうか、2人とも?》

《うむ。体の痺れが酷いが、どうにかして見せよう》

《ガーちゃんの方はだいじよーぶだよ。毒とか効かないもん》

《今、奴は油断してる。仕掛けるなら今だ》

 

 その一言を合図に、ライ達は全力で動き出す。だが、その意思とは裏腹に、毒のせいで思うように力を込められず、立ち上がる姿勢すらひどく弱々しいものだった。

 

『ハハッ、何だその姿は! まるで生まれたての牡鹿と雌鹿だ!』

 

 勝利を確信するバグベアーの影はその姿を見て嘲笑う。そして、自身を縛る願いから解き放たれる為、ペルソナ使いのライへと一直線に飛翔してきた。

 

「やらせない! ──ソール!」

 

 それを防ごうと、アリサの召喚したソールがバグベアーの影目掛けて矢を放つ。

 

 急接近する黒き蝿と光の矢。

 しかし、毒による力の半減によって矢の威力が減衰し、バグベアーの影が振るう羽根の斬撃によって無残にも四散されてしまった。

 

 いや、これでいい。

 アリサの狙い通りライへの突撃は止められた。一旦静止するバグベアーの影に向かい、今度は2つの人影が飛びかかる。

 

「ミリアム、私に合わせろ!」

「おっけーラウラ!」

 

 身の丈ほどの大きさを誇る大剣を振り上げるラウラと、壁を殴り壊すアガートラムの腕。その火力を前面に押し出した2人の挟撃が、上方から影へと振り下ろされる。

 

 だが──

 

『──力が込められないなら数で、か? 考えが浅すぎるぞ!』

 

 バグベアーの影は余裕で後方に退避し、無常にも2人の攻撃は空ぶった。

 

 何もない地面へと落ちていくラウラとミリアムの武器。通常なら攻撃を止め反撃に備えるのが上策だろう。しかし、2人は地面に近づいた瞬間、逆に力を振り絞った。

 ──地裂斬。ケルディックでも使われた地を砕くアルゼイド流の秘技。それが壁をも砕くミリアムの攻撃と合わさった時どうなるか。

 

 その答えは1つ。

 

 2つの力が重なり合い、蜘蛛の巣状に衝撃が地を駆け巡る。

 そして轟音とともに地面は崩れ落ち、大穴が空いた。

 

『な、何だとっ!?』

「やはりそなたは二流だな。同じ手に2度も遅れを取るとは……!」

 

 穴の下に広がるは別の鍾乳洞。そう、先日お喋りなシャドウが天井から現れた様に、この鍾乳洞は上下複雑に入り組んでいるのだ。当然この場所の下にも別の鍾乳洞と交差する地点が存在する。なら、そこを全力で叩けば大穴が空くも道理。

 

 そして、この大穴はライ達の窮地を救う。

 地面の方がガスが濃いと言う事は、即ち空気よりも比重が重い事を意味する。その状況で穴を空けたなら、毒ガスは自然と下の鍾乳洞へと吸い込まれていく。

 

「……ふぅ、これで毒ガスも薄れたね」

「ああ、風が変わったな」

 

 解毒薬を飲み、体を蝕む毒を消し去りながらエリオットとガイウスが呟いた。これで全快。毒が蝕んだ体の負担は残るものの、今のライ達を妨げるものは何もない。

 

 なら、後は──

 

「──チェンジ、ネコショウグン!」

 

 全力で、ただ攻めるのみ! 

 

 同じく解毒薬で猛毒を治療したライが、惚けているバグベアーの影に向けて高速のペルソナを解き放った。

 軍配を手にした鎧姿の猫が弾丸の如く飛び出し、十数mの距離を一息で詰める。バグベアーの影も寸前で気づき、回避行動を取るがもう遅い。ネコショウグンの軍配が影の土手っ腹に突き刺さり、そのまま弾き飛ばした。

 ジャイロの如く回転しながら吹き飛ぶバグベアーの影。一片も速度を緩めることなく壁に激突し、石灰岩の壁を粉砕して何とか静止した。だが、その隙を見逃すほどライも甘くない。

 

(──マハジオッ!!)

 

 追撃の為に唱えられる言霊、ネコショウグンの軍配の先から電撃が迸り、弾けた。

 鍾乳洞を鋭く照らす幾多の電撃が地を駆け、宙を飛び、バグベアーの影周辺へと突き刺さる。

 

 爆発的に岩壁を蹂躙する全体電撃魔法(マハジオ)。その中心に埋まるバグベアーの影は、全身を駆け巡る電撃に思わず悲鳴を上げた。

 

『グ、アアァァァアアアアア──‼︎ ……糞ォ! そっちがその気なら!』

 

 その複眼が怪しく光り、突如、周囲に緑の強風が巻き起こる。

 全体疾風魔法(マハガル)、影が生み出す暴風が殺到するはこの状況に追い込んだ原因、即ちライ周辺だ。しかし──

 

《疾風属性の魔法が来るよ!》

 

 その反撃はエリオットに分析されていた。

 

「──チェンジ、ティターニア!」

 

 暴風の壁が直撃するその寸前、ライは心の座に置くペルソナを変更する。

 そう、疾風に耐性を持つペルソナ"ティターニア"。このペルソナの力により、今のライは風の影響を全て半減させる状態となったのだ。

 体を吹き飛ばさんとする竜巻が如き強風も、疾風耐性の前ではそよ風に過ぎない。ペルソナの力の前に現実の法則など関係ない。ライは荒れ狂う風の中を疾走し、壁を抜け出した影に片手剣を振り下ろす。

 

 甲高い音が響き、弾ける火花。

 ガチガチと音を立てる鍔迫り合いの中、ライと影の顔が接近し、予告なしの剣舞が始まった。

 

 急旋回する影の斬撃を斬り上げて弾き、

 その隙を突いて横に一閃。

 

 だが、やはり斬撃は通らない。

 影はライの攻撃を物ともせず抉るように突撃してくる。

 金属音。剣の刃が少し欠けたが、寸前で防御に成功する。

 

 ──マハガル! 

 

 今度はライが召喚したティターニアの疾風魔法が吹き荒れる。

 その暴風に押され一旦距離を取るバグベアーの影。しかし、向こうも風を操るだけあって、疾風に対しても耐性を持つようだ。荒れ狂う風の中、影はすぐさま距離を詰めてくる。

 

 そうして天地が回る暴風の中心で繰り広げられる幾重の斬撃。その一進一退の攻防は、再び鍔迫り合いに移行する事で終わりを告げた。

 

『──やはり、その力が気に入らないッ!』

「だったら、もう一度封じるか?」

『ああ、言われずともな!』

 

 突如、押し合いを止め、勢い良く上空へと飛び上がるバグベアーの影。

 そのまま天井すれすれを旋回し、安全圏からマカジャマを解き放とうとする。

 

(またアリサに回復を……)

 

 一端攻勢を止め距離を取るか、否か。

 ライに迫られた刹那の二択。アリサの回復を得るならそれしか道はない。だが! 

 

(……いや、距離は離さない!)

 

 直前で淀んだ空気の特性を思い出したライは、反対の答えを選んだ。

 右手の剣を地面に落とし、急ぎ銃を頭に押し当てる。

 

 “我は汝、汝は我……。汝、新たなる絆を見出したり。汝が心に芽生えしは法王のアルカナ。名は──”

 

「──シーサー!」

 

 ライを中心に吹き荒れる青き結晶の嵐。そして、召喚された黄色い狛犬、シーサーの大きな口からマカジャマと似た赤き光が放たれた。

 

 行動は影が先。だが、逃げた分だけ影の魔法は寸分遅い。

 マカジャマを発動する寸前、影はシーサーの赤光を浴びる。すると、唐突に動きを止め、その様子に変化が表れた。

 

『グッ、オオオォォォォオオオオ!!!! 巫山戯るな、貴様を殺させろォ!!』

 

 猛烈に怒り狂った影がスキルの発動も中断し、がむしゃらにライへと突撃する。

 ──激昂。シーサーが放った赤き魔法《バルザック》によって、バグベアーの影は我を忘れるほどの怒りに囚われたのだ。

 

 本来、状態異常を誘発する魔法はバグベアーの影の様な敵には効果が薄い。しかし、この淀んだ空気の中ではその限りではなかった。先ほどエリオットが分析したように、淀んだ空気は無差別に抵抗力を下げる。故にバグベアーの影もまた、状態異常に弱い状況となっていたのだ。

 

 最早、自分が何をしているかも分からないであろう影の突進を前にするライ。怒りの分、影の攻撃は強く荒々しいものだ。シーサーで受け止めるか? ……いや。

 

「ライ! 射線をあけて!」

 

 アリサの叫びを聞いた瞬間、ライは地を蹴り横へ跳んだ。

 刹那、光の矢が後方からバグベアーの影に突き刺さる。アサルトショット、今度こそ確実に命中した。

 

『アア、ァァァアア──!』

 

 無我夢中で暴れるバグベアーの影。

 そろそろバルザックの効果も消えるだろう。

 

 けれど、その一瞬前。

 

「隙は与えん!」

 

 ソールの矢に追従する形でガイウスが疾走し、その手の十字槍を持って影に突撃した。

 そのまま壁に衝突し、バグベアーの影は槍との板挟みに追い込まれる。しかし、ペルソナを持たないガイウスの攻撃では1ミリもその身を穿つ事は叶わない。

 

『ざ、残念だったな。褐色の男。貴様の攻撃は俺には効か──』

「いや、それはどうかな」

 

 嘲笑うバグベアーの影に対し、ガイウスは冷静に答えた。何を、と戸惑う影も、直ぐにその理由を知る事となる。

 

《今だよ、ミリアム!》

「まっかせてー!」

 

 ガイウスの後方からミリアムが、地面や壁を殴り砕いたアガートラムを伴い迫って来ていたからだ。

 グーで握るミリアムと連動し、その巨腕を振り被るアガートラム。そしてガイウスの直前で軸足に力を込め、十字槍の柄を目掛け、豪快に巨腕を叩きつけた。

 

 鍾乳洞を震わす轟音。

 刹那、ガイウスの槍はミリアムの攻撃となり、シャドウに対して有効な一撃となる。

 

『────ッッ、ァァアア!!!!』

 

 その壁をも砕く槍のパイルバンカーは、安々とバグベアーの影を貫き、鍾乳洞の壁に深々と根元まで突き刺さった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

『……アァ? 止めは刺さねェのか?』

「お前には聞きたい事がある」

 

 影の周囲に5人が武器を構えた状況で、剣を拾い直したライが問いかける。

 聞くべきはシャドウ様の真実、そしてバグベアーの目的。本体の男が倒れてしまった為、この影に聞く他手段はないからだ。

 

『シャドウ様、か。……改造した"グノーシス"の噂も、順調に広まってるみたいだな』

 

 グノーシス? 聞き慣れない単語にライは聞き直した。だが、磔にされたバグベアーの影はただただ愉快に嘲笑うのみ。

 

『クク、答える訳ないだろ。我は影、真なる我……。既にあの男とは別の存在になったが、俺もバグベアーのリーダーである事に変わりはない』

「拒否権があるとでも?」

 

 剣を突きつけ、冷酷にそう言い放つ。

 証言か、死か。この影にこの2択が通用するか定かではないが、少しでも情報が欲しいライ達にとっては、こうする他方法がない。

 

 それでもバグベアーの影は笑っていた。絶体絶命の局面においても、ただ醜く、皮肉に満ちた笑いを延々と続けている。

 

『ククッ、クククク……。何なら教えてやるよ。俺が依頼された内容とはペルソナ使いの力を確かめる事。この意味が分かるか?』

「──ッ!? まさか」

『ああそうだ! 力を確かめるには依頼人本人がこの場にいなければならない! つまり、俺にもいるんだよ! 貴様らと同じく援軍がなァ!!』

 

 バグベアーの影が叫ぶと同時に、磔にする槍へと強い疾風が襲いかかった。この槍を折らんとする魔法はこの影の攻撃ではない。間違いなくこれは、影に味方する第3者の援護射撃! 

 

 粉々に砕ける槍、自由となったバグベアーの影。

 突然の行動に身動きが取れないライの首目掛け、羽根の刃を光らせる。

 

『油断したな! これで、終わ──』

 

 しかし、影は不自然なほどに冷静なライを視認して、思わず言葉を止めてしまった。

 

「旧校舎とケルディック、それと今回……」

『──何?』

 

 ライの脳裏に浮かぶのは過去2度の戦い。

 4本腕のシャドウとマルコの影、そのどちらも勝利を目前にして反撃を許した。その苦い経験は、強くライの記憶に彫り込まれている。

 

「──3度目があると思うな」

 

 ライの鋭い瞳がバグベアーの影を貫いた。

 

 その瞬間、バグベアーの影の側面から特大の衝撃が襲い掛かる。ライを攻撃しようとしていた影は、哀れにも地面へと突撃してしまった。

 

『さ、更なる増援だと!?』

 

 バグベアーの影は地面から顔を上げ、そして気づく。先ほど戦ったいた相手の内1人、ポニーテールの少女の姿がいつの間にかなくなっていた事実に。そう、反撃を目論んだ影の行動は、既に読まれていたのだ。

 

「油断したのはそなたの方であったな」

 

 バグベアーの影を叩き落とした張本人、ラウラが大剣を振るいながら微笑む。ラウラが離脱したタイミングは即ち嵐の中の剣舞だ。あのインファイトには、影の視界を奪う目的も有していたのである。

 

 かくして影の反撃は失敗した。

 拘束を脱した以上、このシャドウを野放しにする理由は何もない。

 

《体勢を崩した。今だよ皆っ!》

 

「ああ、行くぞアリサ、ミリアム!」

「ええ!」

「りょーかい!」

 

 エリオットの合図のもと、バグベアーの影に攻撃を与えられる3者が止めの準備に入る。

 2人は己のペルソナを召喚し、ミリアムはアガートラムを巨大なハンマーに変形させ、そして、3方向から同時に総攻撃を叩き込む。

 

 大気を揺るがす大鎚の一撃。

 淀んだ空気を切り裂く白光の矢。

 ジェット噴射を伴い地表を砕く白銀のハンマー。

 

 3方から放たれた攻撃が一点に収束したその時、巨大な土煙と共に、周辺の全てを吹き飛ばす程の衝撃波が吹き荒れた。──3者の力が合わさり、何倍もの火力となったのだ。当然、中心にいたバグベアーの影は跡形もなく消滅する。

 

「……これが、群れの可能性だ」

 

 1人より2人、2人より3人、仲間が力を合わせれば可能性が広がる。絆が限界を超える力となる。であるならば、1人で無茶をする道理は何処にもない。これが、1人の青年が描き出した回答であった。

 

 静けさが戻る鍾乳洞の中。

 ライ達の戦いは、ひとまずの終わりを告げた。

 

 

 

 

 




シーサー:法王
耐性:電撃無効、火炎・光弱点
スキル:マハジオ、バルザック、マカジャマ
 沖縄県に伝わる伝説の獣。悪霊を追い払う魔除けの力を持ち、建物の門や屋根、集落の高台で人々を守っている。なお、口が開いているシーサーが雄で、口が閉じているシーサーが雌である。

――――――――
搦め手の描写は難しいですね。


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33話「帝国に潜む黒い影」

前32話は改訂版です。後半部分が終わり方含めほとんど変わっていますので、まずはそちらをお読み下さい。


「ラウラ、ナイスタイミング!」

「うむ、これで漸くケルディックでの雪辱を果たせたと言うものだ」

 

 バグベアーの影との戦いが終わった後、ミリアムがラウラに向かってハイタッチしていた。鍾乳洞に木霊するタッチ音、対するラウラもどこか満足気だ。恐らくケルティックで不意を突かれ、火傷を負った事が悔恨となっていたのだろう。

 

 ライはそんな2人をチラリと眺め、直ぐに視線をエリオットへと戻す。青い光を伴って、ブラギにすっぽり収まるエリオット。彼は今、じっと両目を閉じて周囲の気配を探っていた。

 

「エリオット、シャドウを援護した第3者の手がかりは?」

「……ううん。何処にも反応がない」

 

 目を開けたエリオットがブラギを戻し、ため息を溢す。

 

 あの時、バグベアーの影を助ける為に疾風魔法(ガルーラ)を唱えた存在。柄を正確に狙ったと言う事は、間違いなくあの時近くに第3者、影曰く"依頼人"がいた筈なのだ。しかし、エリオットがいくら分析しても周囲に生命体の反応はない。一体どういう事なのかと、ライとエリオットはあり得ない矛盾に頭を悩ませていた。

 

 そんな2人に、アリサとガイウスが近づいてくる。

 

「ねぇライ。周辺を探してみたけどそれらしい痕跡はなかったわ」

「そうか」

「ふむ。どうしても見つからぬ様なら、別の手がかりを探した方が懸命かも知れないな」

 

 別の手がかり、か。

 思い当たるとするならば、バグベアーの影を生み出し、地面に倒れて動かなくなった男くらいだ。既に他のバグベアーに回収されているとばかり思っていたが、もしかしたら今もあの場所で倒れている可能性が考えられる。

 

「なら、エリオットが捕まっていた場所に行ってみるか」

「そうだね。けど、その前に僕が確認を――」

 

 もう一度ブラギを召喚しようとARCUSを取り出すエリオット。しかし、

 

「――いや、それには及ばないよ」

 

 そんな貫禄ある男性の声が聞こえ、エリオットはその動きを中断せざるを得なくなった。

 

 鍾乳洞の入口方面へと向けたライ達は4人の成人男性を視界に収める。悠々と歩くハイアームズ侯爵に、追従する2人の領邦軍。そして、一際目立つ屈強なオーラフの計4名だ。

 

 4人の先頭に立つハイアームズ侯爵が、代表してライ達に話しかけてくる。

 途中からしか聞いていない筈だが、彼にはそれが何を意味するのか既に把握している様子だ。

 

「鍾乳洞内に倒れていたバグベアーの団員と思しき男は、私達が既に回収しているからね」

 

 要するにそう言う事だった。ライ達がバグベアーの影と交戦している最中、ハイアームズ侯爵が率いる領邦軍がバグベアーの男を確保していたらしい。その証拠に、領邦軍の1人の背中には気絶した鎧姿の男がいた。

 

「侯爵が何故ここに?」

 

 それを確認したライは、ハイアームズ侯爵に視線を戻し問いかける。

 けれど、その答えを知る人物がライのすぐ横にいた。

 

「あー、それは私達が伝えたからよ」

「……そう言えば、アリサ達は宿舎に向かったんだったな」

「そうそう。ライが ひ と り で突っ走ってた間、私達が何もやらなかったとでも思ってる訳?」

「ア、アリサ?」

 

 妙な気迫を放つアリサを前に、ライの言葉が一瞬固まる。

 どうやら崩れる吊り橋に飛び移ったのがまだ不満のようだ。いや、むしろバグベアーの影と言う脅威が失くなった為、抑えていた感情が噴出したのかも知れない。その可愛らしい顔には大きく"不機嫌です"と書かれていた。

 

「自覚してるんだったらリィンへの言い訳でも考えておきなさい。2日連続の峡谷落下とか、間違いなく帝国史上ライが初めてよ」

「……ああ、そうする」

 

 本当に分かってるんでしょうね? とアリサが疑り深く顔を近づけてきた。

 もちろん、理由は重々承知している。――そう、普通1回落ちたら死ぬ。もし生き残ったとしても2日連続で体験する者はまずいないだろう。今ここにいる1人を除いて。ライはトリスタ帰還後の報告を考え、頭が痛くなった。

 

 ……と、そんな2人の様子を見たハイアームズ侯爵は、何とも微笑ましそうに笑っていた。それに気づいたアリサの顔が途端に真っ赤に染まる。

 

「いやぁ、若いと言うのは素晴らしいね」

「あの! べ、別に仲が良いって程じゃ!」

「はっはっは! 否定する事はないだろう。良き友人は学院生活における最高のスパイスなのだから」

 

 弁明するアリサの言葉もどこ吹く風。ハイアームズ侯爵はペースを欠片も崩すことなく両手をパンと1回鳴らせ、逆に皆のペースを自身へと引き寄せた。

 

「君達には感謝しているよ。教えて貰った情報のお陰で捜索網が改善され、既に数名の検挙に成功している。……まぁ、彼らは既に依頼人から見放されていたようだったが」

 

 優秀な指揮を失ったバグベアーは、最早ただの烏合の衆に過ぎない。全員捕まるのも時間の問題だとハイアームズ侯爵は締めくくる。つまり、セントアークに潜む武装集団の事件は、旧都をあまり騒がせる事なく無事に収束したのだ。

 

「これで晴れて協力関係は満了した訳だ。オーラフ中将、早速――」

 

 故に後は正規軍と今後の話し合いをするだけ。そう考えたハイアームズ侯爵は振り返り、そこにオーラフがいない光景を目にする。

 

「……おや?」

「侯爵、オーラフ中将なら向こうです」

 

 首を傾げるハイアームズ侯爵に、ラウラが言い辛そうにしながらも指を差す。そこにあったのは、愛息子を抱きしめる親馬鹿の姿だった。

 

「心配したぞぉぉ! エェリオットォォォォオオ!!!!」

「と、父さん! 痛い、痛いってば!」

「お前が誘拐されたと彼女らから聞いた時、一体どれほど身が裂ける思いだったか! もう少しこのままいさせてくれぇい!!」

「いや、だって侯爵様も見てるから! 早く離れてよ! 父さぁぁぁぁぁん――!!!!」

 

 エリオットの叫びが鍾乳洞内に木霊する。

 

 そんな平和な光景を見て、ライはようやく戦いの終わりを実感するのだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「……いやぁ、お見苦しいところをお見せしましたな」

 

 全くである。

 

「ふふ。名高い猛将であれ、子の前ではただの親だと改めて証明された訳だ。まぁそれについて私が言う事は何もない。話さなければならない事は別にあるのでね」

「ふむ、そうですな」

 

 各々の立場から向かい合う2人の男性。

 先ほどまでの温い空気は何処へやら、彼らが発する刺々しいオーラが辺りを包んでいく。

 

「さて、まずは正規軍の言い分を聞かせて貰おうか」

「我らの要求は唯1つ。――情報の見返りとして、武装集団バグベアーの引き渡しに応じて頂きたい」

 

 侯爵を前にして、臆する事なくそう断言するオーラフ。

 ハイアームズ侯爵はその要求に眉をひそめ、冷静に口を開いた。

 

「悪いけどそれは出来ない相談かな。彼らを捕まえたのは我々領邦軍。情報提供をしてくれた恩義はあるけれど、その報酬が彼らの身柄とあっては釣り合いが取れない」

「はたしてそうでしょうかな。此度の相手は吊り橋や鍾乳洞を爆破するほどの危険分子。我々の情報がなければ旧都に甚大な被害が出た可能性も低くない。ならば、我らの情報には相応の価値があったと思われますが……」

 

 双方一歩も引かないやりとりが続く。

 完全に部外者となってしまったライ達B班には一片も入り込む隙はなかった。

 

 実際の気温以上に冷え込む中、忍び足でエリオットが近寄ってくる。

 

「……ねぇ、僕達どうしたら」

「今は流れを見守ろう」

 

 それぞれ思惑がある以上、下手に介入しては余計状況をややこしくするだけで、喜ぶ者は誰も居ないだろう。確たる主張と立場を持たないライ達は、ただ悪い方向に進まない様に祈るだけであった。

 

「――しかし、私達にとって彼らは重要なカードだからね。そう簡単に手放すわけにはいかないのだよ」

「ですが、彼らは近頃帝国を騒がす事件に繋がる貴重な手がかりでもあります。事が帝国全土に関わってくる以上、みすみす手がかりを見逃すとあっては我々正規軍も黙ってはいられない」

「はぁ、そこを突かれると痛いね。私も正規軍と事を構えるのは可能な限り避けたいところだ。…………なら、こうしよう。我々サザーランド州領邦軍も全面的に未知の魔獣襲撃事件に協力すると言うのは如何かな。これなら貴殿らに手がかりの提供も出来、同時にエレボニア帝国サザーランド州の調査進展にも繋がる。悪くない提案だと思うが」

 

 結局は自身の場にバグベアーを置く形となる提案をハイアームズ侯爵は唱えた。侯爵が譲歩したのは全面的な協力と言う口約束のみ。旗から見てこの提案はまだ不公平なものの様に見える。

 

 しかし――

 

「……ふむ、確かに悪くない」

 

 オーラフはそれで納得した。

 予想外の展開に、息子のエリオットが思わずオーラフに質問する。

 

「えっ、父さんそれでいいの!?」

「良いのだエリオットよ。当初の目的は十分に果たせた。どうやらハイアームズ侯爵家"は"今回の件に直接関わっていないらしい」

 

 含みを持ったオーラフの言葉。顔は質問したエリオットを向いていたが、その厳つい視線は今もなおハイアームズ侯爵に注がれている。

 

「……なるほど、それが貴殿の目的だったか」

「しかし、私はあくまで1部隊の司令。上の判断はこれからである事をご理解頂きたい」

「ああ、もちろんだとも」

 

 両者近づき合い、軽く握手をして合意とする。

 こうして、各々の意図が交差する大人達の話し合いは円満に幕を下ろすのだった。

 

「――と、言うわけだ。VII組諸君、後は我々領邦軍が対応しよう」

 

 ならば次はライ達B班に関する話だ。

 大人のやっかいな話は終わったと笑みを浮かべながら、ハイアームズ侯爵はライ達に面対した。その背後には地上へ運ばれていくバグベアーの男が。それを侯爵は横目で確認し、続きを口にする。

 

「それと君達には細やかながら謝礼をさせて貰いたい」

「いえ、我らは友を助ける為に動いただけですので……」

「成果に対する正当な報酬だよアルゼイド君。依頼の報告がてら渡せるよう手配しておくから、士官学院に帰る前に受け取ってくれたまえ」

 

 どうやら今回の事件の報酬として物か何かを貰えるらしい。別にセントアークの為だと思って行動した訳ではないので複雑な気分だが、依頼で貰える報酬と同じと考えれば妥当なところか。……ん、依頼?

 

「そういえば、まだ依頼が」

「ああっ、そーだよ! エリオットが誘拐されちゃったせいでまだ終わってないじゃん!」

「ええっ!? 僕のせい!?」

 

 特別実習に最も積極的だったミリアムが騒ぎ出す。そう、途中でエリオットの誘拐が発覚したせいで、雑貨店で受けた依頼がまだ手もつけてない状況なのである。あれからどれ程の時間が立ったのだろうか。ライ達は急ぎ鍾乳洞の入口へと走りだす。

 

 けれどその最後尾、エリオットがオーラフとすれ違うときに一旦足を止めた。

 

「あっ、父さん。1つ言い忘れてた」

「む? 何だエリオットよ。……ああ、そう言えば、私も先日の件で謝らねばと――」

「あはは、それはもういいんだ」

 

 何でもないように笑うエリオットを見て、オーラフが面を食らう。

 そんなレアな父親の顔を見たエリオットは微笑み、改めて言葉を紡いだ。

 

「昨日の言葉のお陰で、1つ壁を乗り越えることが出来たんだ。……助かったよ、父さん」

 

 言いたいことを言い終わったエリオットは「それじゃ」と言い残して先行したライ達を追う。

 

 残された大人2名。

 暫くしてエリオットの言葉の意味を理解したオーラフは、染み染みとした声で侯爵に語りかける。

 

「……ハイアームズ侯爵殿」

「何かな、オーラフ中将」

「子の成長というのは、我々の予想を遥かに超えているかも知れません」

 

 心底驚いたように語るオーラフ。

 それを聞いたハイアームズ侯爵もまた地上へ向かう6人の背中を見て、

 

「ああ、どうやらその様だね」

 

 と納得したように呟いた。

 

 このセントアークに来た頃と比べ彼らが、特にアリサとエリオットの2人の雰囲気が変化しているのを、ハイアームズ侯爵は機敏に感じていた。"3日見なければ"とよく言うが、たった1日でここまで変わる事が出来るものなのか。これなら本当に帝国を変えうる逸材が生まれるかも知れないと、VII組の設立理由を思いながらもハイアームズ侯爵は1人熟考する。

 

 

 

 こうして、ライ達6人が経験した激動の特別実習は2つの成長とともに終了し、無事トールズ士官学院へと帰る事となるのであった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 …………

 

 

 ……密度の高い2日間を終えたB班は3日目の朝、朱色の列車に乗ってトリスタへの帰路についていた。

 

 ライは疲れた体を長椅子に預け、ふと窓際を見る。

 そこには行きと同じように雄大な白い峡谷が広がっていた。見ているだけで落ちていきそうな深い峡谷。けれど、実際に落下を経験したライにとってそれは、昨日とは違い全く感動できるものではない。むしろ親近感すら湧いてしまう心境の変化に、ライは僅かに苦笑いを浮かべる。

 

「先の依頼、想定より軽く終わったな」

「流石にシャドウと比べちゃ、気も抜けるわよね」

「でも、僕にとってはむしろ平和を実感できる時間だったよ」

 

 そして、峡谷を跨ぐ橋を抜けトンネルに入った為、ミリアム達は外を見るのを止め雑談を始めていた。依頼は特に大きなエピソードもなかったので割合する。

 

「それよりさー。ハイアームズ邸で貰ったこれ何なんだろ?」

 

 事件の報酬として貰った絹巾着の中身を取り出し、ミリアムが不思議そうな顔をする。

 青色の綺麗な石。一見宝石の様にも見えるが、ライとエリオットの2人にはそれが何なのか検討がついていた。

 

「それは、多分シャドウ様に使われる薬じゃないかな」

「へっ、これが? それじゃー、この綺麗なのが"グノーシス"って奴なんだね」

 

 ふーん、とミリアムがグノーシスを親指と人差指で挟んで、興味深そうにくるくると回した。車両に取り付けられた導力灯の明かりが反射してキラキラと輝いて見える。本当に宝石の様な透き通った明るい青色だ。

 

「あれ、でもこれ……」

 

 と、その時。注意深く眺めていたミリアムが何かを呟いた。

 それに気付いたラウラの視線がグノーシスからミリアムに移る。

 

「む、何か分かったのか? ミリアム」

「えっ、あ、別に大発見って程じゃないんだけどさ」

 

 ミリアムは小石サイズのグノーシスを両手で握り、片目で中を覗き込む。そして「ああ、やっぱり」と呟くと、その手のグノーシスをライ達に突き出した。

 

「これ、もしかして光ってない?」

 

 キョトンとするライ達B班。

 

 けれど、その意味を理解した途端ミリアムからそれを受け取り、各々ミリアムの様に手で覆い隠してその様子を確認し始めた。

 

「本当ね。まるで、月の光みたい」

 

 その内の1人、アリサが思わず感嘆の声を漏らす。

 暗い中に置かれたその石は、月のように淡い光を放っていたからだ。

 そんな幻想的な光景に、アリサは暫くグノーシスを眺め続ける。

 

 ……本人達にとっては小さな発見にしか見えないだろう。

 けれど、それがある重要な意味を持つと知るのは、まだ先の話であった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ――旧都セントアーク、晴天が広がる峡谷近くの白い岩場。

 

 人気のない場所に突如、波紋が浮かび上がる。

 まるで空中に水があるかのような不可思議な波紋。その中心から眼鏡の男性がゆっくりと姿を現した。

 

「ふむ、中々に有意義な実験だった」

 

 その手で小さな宝石を転がしながら灰髪の男は呟く。《ガルーラジェム》それは疾風魔法が込められた特殊な宝石であった。既に力を失った宝石を、男は崖下へと放り投げる。

 

「シャドウと同じ魔法を扱うペルソナと呼ばれる力。それを自在に扱う士官学院の学生達。……そして、その力を発現させる存在」

 

 先のシャドウとの攻防を1つ1つ思い返し、眼鏡の男はその意味について考察を進めていく。

 

 1点目、2点目はペルソナの本質に繋がる重要なファクターだ。同じ魔法を使うと言う事はペルソナがシャドウと同質の存在である事を示し、2点目は逆に両者の違いを指し示している。だが、男が興味を持ったのは他でもない最後の"力を発現させる存在"であった。

 

 ケルティックでは黒髪の青年がペルソナに覚醒し、今回も紅毛の少年がペルソナに覚醒した。これらに共通する出来事は、彼らが戦術オーブメントを用い"1人の人物"と接続した事にある。個人に莫大な力を与えるその方法に、眼鏡の男は注目せざるを得なかった。

 

「間違いなく鍵はあのライと呼ばれる青年だ。さて、一体どう言う仕組みなのか。……フフ、久々に学者としての血が騒ぐ」

 

 男は内から沸き上がる笑みを必死で堪える。

 

 ……けれど、そんな楽しげな時間はそう続かない。

 眼鏡の男の背後に突如、黒い傀儡が現れ、その傀儡の手に抱かれていた少女が近寄ってきたからだ。

 

「ここにいましたか」

 

 黒いボディスーツを身に纏った無表情の少女が呟く。

 

 興が削がれた眼鏡の男はその言葉を聞いて不機嫌そうに振り返り、その少女の存在を、そしてここ2日間で感じていた違和感の正体を瞬時に察した。

 

「ああ貴様か。――なるほど。今回彼らの行動が妙だとは感じていたが、貴様が裏で手を回していたと言う訳か」

 

 察したからこそ男の目は更に鋭くなり、計画を阻害された不満を眼力に変えて少女にぶつける。

 

「どういうつもりだ。アルティナ・オライオン」

「答える義務はありません。あくまで貴方と私は"陣営"が同じと言うだけの間柄。詮索は無意味と判断します」

 

 どうやら、アルティナは何も答える気はない様だ。眼鏡の男はその真意を探ろうと睨むが、自身が逆の立場でも同じ事を言うだろうと思い直し「異論はない」と追求を止めた。

 

「それで、今回はどういった要件だ?」

「貴方には招集が掛けられています。現在貴方が行っている計画について報告するようにと」

「なんだ、そんな事か」

 

 男はつまらなそうに眼鏡を上げ、アルティナに背を向ける。

 

「上には2ヶ月後、帝都で事を起こすと伝えておけ。我らがリーダーである同士《C》も、そこで表舞台に立つそうだ」

「その間、貴方は何を?」

「もう少し、調べなければならない事柄が出来た。――全ては"あの男"に無慈悲なる鉄槌を下す為。そう言えば上も納得するだろう」

「了解しました。それと――」

 

 けれど、まだアルティナの話は終わっていなかった。些細ながらも予想外の展開に男の視線が後ろを向く。

 

「まだ何か言いたい事が?」

「サザーランド領邦軍に拘束された彼らはどうするつもりですか。万が一今情報が漏れた場合、計画に支障が生じる可能性が考えられます」

「ふむ、その事か。……心配は無用だ。例えいかなる尋問を受けようと、彼らは暫く一言も発する事が出来ない」

「――? それは一体」

「対策は既に講じている、とだけ理解しておけば良い」

「……了解しました」

 

 追求しても無駄だと判断したアルティナは、男の元を離れ、黒い傀儡と共に虚空へと消えた。

 

 ……再び1人になった眼鏡の男。

 先ほど言った言葉を思い出し、その手を爪が食い込むほどきつく握りしめる。

 

「無慈悲なる鉄槌を下す、か。……あの男を守る城は難攻不落。だが、今の私にはシャドウが、超常なる力が手の内にある。必ずやあの強固なる壁を崩し、奴の野望を完膚なきまでに打ち砕く!」

 

 その目に映るのは底なき憎悪と怒り。その帝国全土を飲み込まんとする"激情"が男の原動力となり、男は深き帝国の闇へと消えていった。

 

 

 

 ――そう。

 

 エレボニア帝国を崩さんとする黒い影は、決して日に当たる事はなく、しかし、着実に世界を蝕み始めていたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 




これにて2章 -白亜に潜む黒い影- は終幕です。

まずは、改めて32話の改定の件を謝罪させて頂きます。
一度投稿して一晩明けた後、敵の小物化が許容範囲を超えてるのでは? と感じて急遽改定を決めた次第でございます。いやはや小説って難しい……。

それにしても、34話使ったにも関わらず今のところ物語は序章。流石はストーリー重視の原作だけあってボリュームたっぷりですね。愛家のスペシャル牛丼が如く底が見えません。
次章の投稿はプロットの整理等があり若干遅れるかも知れませんが、コンゴトモヨロシクお願い致します。


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3章 -空回る島-
34話「マキアスの顛末」


 ぷしゅーと音を立てて列車がトリスタ駅のホームに停車する。

 そのドアから出てきたのは疲れ果てたB班一同。2回目の特別実習が終わり、いよいよホームタウンのトリスタに戻ると言う頃合いになって、シャドウとの戦闘や旧都内を走り回った疲れが段々と蘇ってきたのである。

 

「ねぇ、みんなどうしたの?」

 

 例外は不思議そうな顔をするミリアムのみ。その小さな体にどれ程の元気を有しているのか、見ているこっちが不思議になる。

 

「あ~もう、今日はゆっくりと休みたいわ」

「そうだねぇ。あ、でも僕は久々に楽器を触りたいかも」

「うむ、2人は特に難儀であったからな。帰ったら休息や趣味など時間を好きに使うといい。現に私も、帰宅後は剣の鍛錬に励むつもりだ」

 

 訂正、もう1人いた。やはり武術の心得がある人は違うらしい。アリサやエリオットと言った非武術家の面々は、ラウラとの地力の差を痛感していた。

 

 ――それにしても、

 

「趣味の時間か」

「む、ライは何をする予定だ?」

「趣味、余暇にする事……。……資料整理、だな」

「……いや、それは趣味ではないぞ」

「――!?」

 

 ガイウスのツッコミで衝撃の事実が発覚しつつも、ライ達は1人づつ切符を駅員に見せて改札を抜けて行く。駅の外は心地の良い晴天だ。普段よりも重く感じる手荷物を片手に、皆は2日ぶりのトリスタへと歩いて行った。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ――第三学生寮。

 

「たっだいまー!」

 

 正面玄関の扉を開け放ち、ミリアムが堂々と帰宅した。その後に続くライ、エリオット、ガイウス、アリサ、ラウラの5人。2日ぶりに吸う空気や見慣れた石煉瓦の内装が皆の疲れを癒してくれる。

 

 しんと静まり返った寮のロビー。とりあえず荷物を部屋に置いてこようかとライ達は話し合い、奥の階段へと歩き出す。

 だが丁度その時、横の食堂へ続く扉から、聞き慣れた2人の声が響いてきた。

 

「――何とか言ったらどうだ!」

「フン、何故そこまで拘るか理解出来んな」

 

 もう日常となりつつあるマキアスとユーシスの衝突だ。

 それを聞いたロビーの6人はお互いの顔を見合わせ、そっとため息をついた。

 

「……やっぱり、マキアスの壁を超えるのって難しいのかしら」

 

 皆の意見を代表してアリサがぼやく。あの怒号を聞くに、クロウの提案した仲直り作戦も失敗に終わったのだろう。ライは去る日の苦労を思い少々落胆し、そして早くも次の手について考え始めていた。

 

 と、そんな中、突然扉が開いて中から妙齢の女性が顔を出す。

 

「あら、あなた達も帰ってきたのね」

 

 どうやらあの2人だけでなく、サラも食堂にいたらしい。少し戸惑うB班に向けて、サラは笑顔で話を続ける。

 

「だったら早くこっちにいらっしゃいな。今から特別実習について報告して貰う予定なんだから」

「えっ、それはレポートじゃ駄目なんですか? 部屋に荷物を降ろしたいですし、ちょっと休憩してからでも……」

「そんなの後回し後回し。さ、荷物はそこのテーブルに置いてさっさと食堂に入ってちょうだい」

 

 サラは短く手招きをすると、そのまま扉の奥へと消えていく。その行動は正に傍若無人。だがライ達もそれに慣れつつある為、一度肩をすくめると、ロビーのテーブルに荷物を置いて食堂へと進んでいく。

 

 夢にまで見た癒しの時間は、どうやら儚くも消えてしまった様だ。

 

 …………

 

 寮一階の食堂に入ったライ達は、そこでA班5人がサラと共に座っている光景を目にした。

 外で聞こえた声に違わず、いがみ合いを続けるマキアスとユーシス。それを困った様子で見るリィンに、諌めようとする委員長のエマ。そして、全く興味なさげに眠るフィーの計5名。見事にVII組の縮図となっているA班の隣にライ達も座っていく。

 

「これで全員揃ったわね。それじゃ早速、特別実習に関する報告をして貰いましょうか」

 

 11名の生徒を前に話を切り出すサラ。いがみ合っていたマキアスとユーシスも、その言葉を前に一旦喧嘩を止めた。

 

「あの、一つ質問してもいいですか?」

「何かしら、エマ」

「帰還早々に皆を集めた理由って何でしょうか。皆さん疲れているみたいですし、報告はまた今度でも良いのでは?」

「まぁ、それもそうなんだけどね。でも、今回はA班B班ともにお互いに話しておかなきゃいけない事柄を抱えているみたいだから。折角だしこの場で情報共有をしておきたかったの」

 

 サラの回答を横で聞いたライは懐のグノーシスを取り出した。確かにシャドウ様に繋がる手がかりは、直ぐにでも全体で共有した方がいい事柄だろう。

 

「なら、まず俺が」

「あ、B班は後で。シャドウ関連は話がややこしくなりそうだから。……出来れば聞きたくないくらいに」

 

 それでいいのか教官職。

 ……まあ、確かにややこしい出来事であったのは間違いないので、ライも素直に引く。

 

「てな訳でまずはA班から。リィン、お願いね」

「分かりました」

 

 恐らく事前に察していたであろうリィンが、サラの一方的な押し付けにも戸惑う事なく話を切り出す。

 

「――俺達はユーシスの父親が治める州都、バリアハートで貴族派の問題に巻き込まれたんだ」

「貴族派の問題。……革新派との対立か」

「それについてはレポートに纏めておく。それよりもこの場で伝えておかなきゃいけないのは、むしろ俺達A班内で起こった出来事についてかな」

 

 リィンはそう前置きし、ライ達B班に向けてバリアハートで起きた出来事について話し始めた。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ――話は5月29日、ライとアリサが鍾乳洞に隠れていた日の夕方に遡る。

 

 リィン達はユーシスの兄、ルーファスから渡された手配魔獣の討伐依頼をこなし、バリアハート中央広場にあるホテルに帰ってきていた。

 最後に終わらせたのは甲殻類と爬虫類を混ぜたような大型魔獣を討伐する依頼。しかし、その結果はとてもじゃないが"無事に"と言う枕詞を付けられないものだった。実技テストの際にサラが指摘したように、ユーシスとマキアスの共闘はまたもや失敗。その2人を庇う形でリィンが肩に怪我を負ってしまったのである。

 

「痛ッ!」

「リィンさん、安静にしてて下さい。応急措置をしたとは言え、まだ傷口が閉じてないんですから」

「ああ。分かってるさ、委員長」

「今、改めて怪我の治療をしますから、じっとしてて下さいね」

 

 エマは今、上半身裸のリィンの包帯を解いていた。折角清潔なホテルに帰ってきたのだ。応急手当では不十分だった消毒や薬での治療を行うべきだと、先ほどエマがリィンに提案したのである。

 

 側に置かれているのは消毒用の薬と治癒促進の薬。フィーが何処かから調達したそれらの薬をエマは慎重に塗っていった。痺れるような痛みとひんやりする感触がリィンの体に染み込んでいく。テーブルに全身を預け眠っているフィーの吐息がよく聞こえる中、着々と士官学院仕込みの処置をこなしていった。

 

「……Lux solis medicuri eum(陽光よ 彼を癒せ)

 

 治療が終わりを迎えようとした時、不意にリィンの背後から不思議なワードが聞こえて来る。何の脈絡もないその言葉が気になったリィンは、顔だけを後ろに向かせた。

 

「委員長、今のは?」

「あ、済みません。ちょっと独り言していました。――はい、これで大丈夫です。無理をしなければ直ぐに治ると思いますよ」

 

 さも何もなかったかのように包帯を巻き終えるエマ。リィンはその様子が気がかりだったが、本人が隠しているなら無理には聞くまいと口を閉ざす。

 

 そんな微妙な空気になってしまった流れを変えたのは、ゆっくりと開けられた部屋の扉だった。その音にフィーが目を覚ます中、金髪の青年ユーシスが静かに入ってくる。その顔は暗く、リィンに怪我を負わせたことを悔いている様子だ。

 

「……傷は大丈夫か」

「ああ、今委員長が手当をしてくれたから、痛みも殆どなくなった」

 

 リィンは心配をかけないように明るく返答する。

 事実、肩の痛みは不思議と消えていた。まるで始めから傷を負っていないと勘違いしかねない程、綺麗さっぱりと。

 

 だが、それを知る由もないユーシスには、リィンの言葉が気配りから出た空元気にしか聞こえない。故にユーシスはリィンに「今晩はあまり動かすな」と伝え、近くの椅子に腰を下ろした。

 

「それにしても、お前も大概無茶をする男だな。他者の為に己の身を無意識に投げ捨てられるその性格。――これでは、あの全力男を馬鹿に出来ないんじゃないか?」

「……ああ、その事は俺も分かってる。以前、老師にも散々注意されたからな」

 

 リィンは己の師に"自分の身も省みないで何が人助けじゃ!"と叱られた過去をしみじみと思い出す。リィンが他者を庇うのは反射的なものなので今だ治ってはいないが、それでも自身の行いが傲慢なものであると言う自覚はあるのだ。

 ……もしかしたら、ライをこれ程までに気にかけるのは、自身も師のように伝えたかったからなのかも知れないと、リィンは心の片隅でそう思った。

 

「でも、私はリィンさんとライさんではちょっと毛色が違うと思いますよ。ライさんは何と言うか……どんな事にも全力を出しているから結果として無茶に繋がってるような、そんな気がします」

「暴走特急?」

「暴走って、フィー……。ああでも、確かにそんな感じかも知れない」

「ライさんって冷静な顔に似合わず、変に行動力がありますからね」

「ああ。あのライの事だから、今頃セントアークの崖から飛び降りてても不思議じゃない」

「――え? リ、リィンさん。流石にそれはないんじゃないですか? …………えと、ない、ですよね?」

 

 尋ねるエマが段々と自信をなくしていく。

 何か理由があれば130アージュもある崖に飛び込む姿が容易に想像出来るからだ。

 

 4人もいる広いホテルの一室が、途端に静寂に包まれる。

 

「え、えぇっと……。それじゃあ、そろそろ私達も自分の部屋に戻ります。このままじゃマキアスさんも部屋に戻ってきにくいでしょうし。――行きましょう、フィーちゃん」

「らじゃ」

 

「フン、どちらにせよあの男は夜まで戻ってこないと思うがな」

 

 自身もリィンに負い目を感じているからこそユーシスは断言した。

 すると、その何時もの険悪な関係とのギャップにエマは思わず笑いをこぼし、フィーを連れて自身の部屋へと戻っていく。

 

 紅い日も沈みかけた静かな夕方。

 こうして広く豪華なホテルの一室に、リィンとユーシスの2人が残される事となった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 3つのベットが置かれた大部屋に座る2人の青年。リィンはこれをチャンスだと思い、テーブル近くの椅子に座っていたユーシスに話しかける。

 

「――なぁ、ユーシス。1つ頼みたいことがあるんだ」

「お前が頼み事? ……大方、マキアスの態度をどうにかしたいと言ったところか」

「え? あ、ああ、正解だ」

「やはりな」

 

 ユーシスがハーブティーをすすりながらそう答える。

 クロウやライとマキアスについて調べて回ったあの日、ユーシスも心当たりがないか話を聞かれていた。そこから推理することはユーシスの頭脳を持ってすれば余裕な事だ。

 

「全てお見通しか。――だったら、下手な言い訳は意味がなさそうだな」

 

 覚悟を決めたリィンがユーシスに歩み寄る。

 そして、彼の正面に立ち、確たる声でこう言った。

 

「ユーシス。マキアスの問題を解決する為に俺に協力してほしい」

 

 眉をひそめ、リィンの揺るぎない瞳を見るユーシス。

 

「……異論はない。が、その前に1つ聞かせて貰おうか」

「えっと、俺に答えられることなら」

「フッ、ただ個人的に少し気になっただけだ。――リィン、お前は何故俺に協力を求める?」

「え、何故?」

 

 何故って、それはマキアスの問題を解決する為、それは今言った筈だ。

 他になんと答えればいいのかと悩むリィンに対し、ユーシスはカップを置いて続きを話し始めた。

 

「これは俺の見解だが、お前は率先して解決を目指すのではなく、どちらかと言うと周りの流れを見極めて仲を取り持つタイプだ。だが、決して自ら事を荒立てようとはしない筈のお前が今、率先して動こうとしている。それは何故だ?」

「……ああ、なるほどそういう事か」

 

 頼み事の理由ではなく、何故リィンが行動を起こそうとしているのか。ユーシスが聞きたかった事はつまりそういう事だった。……確かにユーシスの言う通りだ。何時ものリィンならこんな直接的なアプローチはせず、あくまで良き方向へと進むよう考える《重心》の役割を担う筈。

 

 その変化の原因、当然リィンには心当たりがあった。

 

「これは、俺1人の問題じゃないからな」

「……それは俺の事を言ってるのか?」

「それだけじゃないさ。ライとクロウ先輩、2人の意志も背負っている」

 

 リィンは胸の前で拳を握り、ここに誓う。

 

「この機会はライがつくり、クロウ先輩が繋いでくれた道なんだ。俺はそれを無駄にしたくない。――絶対に、成功させたいんだ」

 

 そう断言するリィンに迷いはない。

 

 ただマキアスの問題を憂いているだけじゃないのだ。今のリィンは2人の思いに背を押されているからこそ、この特別実習に賭けたいと言う熱意が心の底から沸き上がっていた。

 

「……あ、悪い。少し熱くなっちゃったかな」

「いや、お前の思いは十分に伝わった」

 

 ユーシスは納得したように、深々と椅子の背もたれに体を預ける。

 そしてしばし真剣な表情で何やら考えこみ、やがて方策を纏めたユーシスは、

 

「良いだろう。だが、奴には俺も言いたい事が溜まっている。悪いが勝手にやらせてもらうぞ」

 

 と、不敵に微笑んだ。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ――そして時は流れ、月も上り始めたバリアハートの夜。

 

 テーブルで夕食のスープをすする2人の元に3人目のルームメイトが入ってくる。覇気のない眼鏡の青年。やや下を向いたマキアスは、2人を避けるようにして自身のベットへと歩いて行く。

 

「帰ってきたか」

「……ああ、遅くなった」

 

 ユーシスに目を向けるマキアスの瞳は、何時もながらの敵対的なものだ。

 

 けれども、今のマキアスは隣に座るリィンの顔が見れなかった。

 

 以前ライに言われた"リィンをどう思っているのか"と言う疑問と、ユーシスとの不仲のせいで怪我を負わせてしまったと言う自責の念。その2つの思いが、貴族への敵対心に染まるマキアスの心をひどく揺れ動かしていたからだ。

 

 そんなマキアスの感情を、ユーシスは見逃さない。

 

「怖いのか?」

「――何?」

「己の憎む貴族像が壊されることが、それほどまでに怖いのかと聞いている」

 

 分かりやすい煽り文句。だが、同時に核心に迫る問いかけでもあった。

 それを聞いたマキアスの脳裏に一瞬、"戦術リンク時に感じた嫌悪感"がフラッシュバックする。故にマキアスの心がかき乱され、思わず声を荒らげてしまった。

 

「相変わらず上から物を言うのだな。貴族の御曹司様は!」

 

 敵意丸出しの言葉を浴びるユーシス。

 ここで冷静沈着に切り返した場合、いつも通りの喧騒に発展してしまうだろう。

 

 だが、今のユーシスの目的はリィンと同じマキアスの問題を取り除くこと。だからこそユーシスは一旦瞳を閉じ、

 

「――ああ、それが貴族だろう」

 

 あえて、敵役(かたきやく)を演じる道を選んだ。

 

 刹那、マキアスの思考にスイッチが入る。

 今まで内に貯めていた貴族に対する怒りや憤りが、まるでダムの決壊のように溢れだし、まるでコントロールが効かない。

 意識が真っ赤に染まる。思考がグチャグチャになる。その激昂する感情に突き動かされ、マキアスがユーシスの胸ぐらを唸るように掴みあげた。

 

「お前達貴族は何時もそうだ! 地位や名誉に固執する。それを守るためなら平然と庶民を追い詰める! どんな陰湿な手が使われたとしても、それが曲がり通ってしまう! ――だからこそ姉さんは、姉さんはッ……!!」

 

 ユーシスの制服を掴み上げる手が激しく震え、指先が真っ青になる程に固く握りしめられている。今のマキアスにはユーシスなど見えてはいない。ただ、目の前の"貴族"に対して怒りをぶつけていく。だが、

 

「……、…………ぁ……」

 

 マキアスはふと、我に返った。

 

 自身が抱えている憎悪を無関係の人間に直接ぶつけてしまった事に気付き、急いでユーシスの胸元から手を離す。そして、後悔による暗い顔で下を向き、腕をだらりとぶら下げて謝罪の言葉を口にした。

 

「……済まない」

「いや、今のは俺が故意に仕向けた事だ。それにお前の考える通り、多くの貴族が高貴なる者の責任(ノブレスオブリージュ)も忘れ、傲慢に不幸を撒いてしまっている事も紛れもない事実だろう」

 

 今のやり取りで、ユーシスはマキアスの確執を薄々察し始めていた。

 ユーシスの推測通りなら、マキアスが貴族そのものを毛嫌いするのも無理はない話だ。同情することも容易いだろう。……しかし、それで全てを水に流すわけにはいかない。

 

 今度はユーシスがマキアスに迫る。

 

「だが、これだけは言わせて貰うぞ」

 

 胸ぐらこそ掴まないが、その整った鋭い瞳がマキアスを睨みつける。

 そして、

 

「俺は、お前の簡易な尺で計れる程、単純な人生など送ってはいない!」

 

 確固たる声で言い放った。

 

「――――っ!?」

「……それだけだ」

 

 啖呵を切ったユーシスはマキアスから視線を外し、1人外へと向かう。

 これで自分の役割は全うしたとでも言いたげな規則正しい足取り。そのままリィンを横切ったその時、ユーシスは足も止めず小声でリィンに呟いた。

 

「リィン、後はお前の役目だ」

「……ああ」

 

 バタンと閉じる扉。

 

 静かになった夜の一室で、リィンはマキアスの背中をじっと見つめた。ユーシスの啖呵を浴びたマキアスはまるで金縛りにでもあったかの様に1リジュも動いていない。だからこそ、リィンは覚悟を決め、一歩前に踏み出す。

 

「マキアス、夕食は食べたか?」

「…………いや、これからだ」

 

 宙を見ながらも呟いたマキアスの返答を聞き、リィンは一旦テーブルへと足を運ぶ。そして、まだ手をつけていないスープとスプーンを手にとってマキアスへと差し出した。

 

「それは?」

「特製のチャウダーだ。宿の向かいにあるレストランで特別に作ってもらった」

 

 まだ僅かに湯気が立ち上る淡いクリーム色のスープ。

 散りばめられた緑の葉が美しい彩りを演出しており、その暖かな香りがマキアスの食欲を刺激してやまない。

 

「早くしないと冷めるぞ」

「あ、ああ、頂こう」

 

 リィンに促されるまま、マキアスはスプーンを手に取った。

 掬い上げた濃厚なスープが舌に乗る。クリームの味と共に感じる爽やかな風味、マキアスは体が暖かくなるその味に、このチャウダーが何であるか理解した。

 

「これはキュアハーブか?」

「ああ、よく分かったな」

「……確か、昼間レストランに訪れた時、この様なメニューなかった筈だが」

 

 何度もスプーンを口元に運びながら不思議に思うマキアス。

 リィンはそれを確認し、1つの真実を伝えることにした。

 

「それは、ユーシスの好物らしい」

 

 スプーンが止まる。

 

「ユーシスの?」

「あのレストランのオーナーがユーシスの叔父らしくて、色々と話を聞かせてもらった」

「そ、そうなのか」

 

 マキアスは少々戸惑いながらも納得する。だが、今の話には決定的な矛盾が存在していた。

 

「……ん? 待ってくれ、ユーシスの叔父だと? そんな馬鹿な。ユーシスと血縁関係なら」

「貴族じゃなきゃおかしい、だろ?」

「そ、そうだ」

「どうやら、ユーシスの母親は貴族じゃないらしい」

「――え?」

 

 ぽかんと口を開けるマキアスを前にして、リィンは話を続ける。

 

「ユーシスは確かに四大名門の子息だけど、同時に平民の子でもあったんだ」

 

 リィンがレストランのオーナーから聞いたユーシスの立場は相当危ういものだった。

 四大名門という貴族社会の帝国の中でも頂点に立つ貴族の息子。けれど、平民の娘が産んだ子であるが故に父には冷遇され、頼るべき母も8年前に亡くなっている。

 ユーシスの兄ルーファス・アルバレアとの関係は良好のようだが、それでもユーシスの生活は、心休まる場のない過酷なものであった。

 

「オーナーの話だと、そのチャウダーはユーシスの母親が風邪気味のユーシスを想って考案したものらしい。体に良いキュアハーブを食べてくれるよう、何度も試行錯誤を重ねて」

 

 マキアスはスープを覗きこむ。

 底が見えないクリームベースのハーブチェンダー。それを見ていると先ほどユーシスに言われた『単純な人生など送ってはいない』と言う言葉が浮かんできた。

 

 ……確かにその言葉通りだ。このスープはユーシスとその母親の思いが詰まった大切なもの。貴族と言う単語で括ってはいけないと、マキアスは心の底から感じていた。

 

 そして、次にマキアスは隣に立つリィンの顔へと視線を移す。

 彼もマキアスの知る貴族像とはかけ離れた真面目な人物だ。ライが言った"本当にリィンがそんな人物だと思っているのか"と言う問いにも、今なら"違う"と素直に答えられるだろう。

 

「……全く、完敗だよ」

 

 静かな室内に溶けていく小さな呟き。全く嬉しくもないのにも関わらず、何故かマキアスの頬は上がっていた。

 貴族はまだ憎い。だが、結局は人間の性格によるものなのだと感じ、どこか心が晴れ渡るような気分であったからだ。

 

 ならまずは、不可抗力で否定してしまった隣のリィンに謝ろうと、マキアスは口を開く。

 

 

 

 ……こうして、ライからクロウへ、そしてリィンやユーシスへと繋げられたこの作戦は、無事、マキアスの心を解かす事に成功したのだった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「待て」

「ん? どうしたんだ、ライ?」

 

 マキアスとの和解話をしていたリィンの言葉をライは遮る。

 

「マキアスの問題、解決したのか?」

「まあ、全てとは言えないけど。少なくとも、貴族だからと無条件に決めつけはしないと言ってくれたよ」

「いや、そうではなく……」

 

 ライはマキアスの方へと目を向ける。

 

「む? 勘違いしないよう言っておくが、僕はまだアレがもう1人の自分だと認めていないからな!」

「いや、そうでもなく」

 

 今、戦術リンクの話はどうでもいい。……いや、どうでもよくないが、ライが聞きたかったことは、先程まで2人が行っていた喧騒である。あれを聞いて問題が解決したと思う人間は1人もいないだろう。現にアリサもライに同意し、うんうんと頷いている。

 

「何だそんな事か。――実は君達を待っている最中、寮に備蓄されたコーヒーの豆が切らした事に気がついてね」

「……は? コーヒー?」

 

 予想外すぎる展開にライは思わず聞き返した。

 

「そこで直ぐにでも購入しようとしたのだが……」

「お前達B班を待っている状況だったからな。紅茶の備蓄がある以上、そこまで急ぐ必要はないと俺が止めた」

「コーヒーと紅茶とでは全くの別物じゃないか!」

 

 要はこんな単純な事で喧嘩していたらしい。

 最早、確執とは完全に無縁。マキアスとユーシスが犬猿の仲だと言う事実を、ここにいる皆が理解する。

 

「……はぁ、心配した私が馬鹿みたい」

 

 ため息を溢すアリサの言葉が、ライの心情を物語っていた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「それでは、次は我々の番だな」

 

 一旦区切りがついた食堂の報告会。

 リィンの話が終わったと判断したラウラが言葉を発する。

 

「いや、俺達が話すことはもう1つあるんだ」

「もう1つ?」

 

 ラウラは首を傾げる。

 特別実習が始まる際にあったA班の問題はマキアスの件のみ。他に何かあっただろうかと、B班の面々は不思議に思う。

 

「ああ、それは――」

「待ってリィン。ここからはわたしが言う」

 

 リィンの説明を遮ったのは、普段気だるそうにしているフィーだった。

 

「皆にはまだ、わたしが何なのか言ってなかったよね」

 

 フィーは普段の眠たげな黄色い目をぱっちりと開け、ショートカットの銀髪を揺らしながらB班の顔を確認する。

 そうだ。ライはまだフィーについて何も知らない。何故15歳くらいの若さで士官学院に通っているのか。入学の前は何をしていたのか。その答えが今、明かされようとしていた。

 

「わたしは元《西風の旅団》所属。要するに"猟兵"だよ」

 

 突如、バンと机が叩かれた。

 

 皆の視線が反射的に音の発生源であるラウラへと集中する。

 その瞳を驚愕に染まらせるラウラ。彼女は信じられないものでも見るような目で、ただフィーを見つめていた。

 

「…………馬鹿な、そなたが猟兵だと……!?」

 

 そう、今ここに新たな人間関係の軋みが生まれようとしていたのだ。

 

 一難去ってまた一難。

 良好なクラスを目指すライ達の苦労は、まだまだ続く……。

 

 

 

 

 




原作2章を改変して1話に圧縮圧縮ゥ!
リィン達の詳しい特別実習が気になった方は、PS3またはPSvitaで発売中の《閃の軌跡》を要チェック! です。(ダイレクトマーケティング)


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35話「試験、7日前」

まず初めに、投稿予約のミスをしてしまい、皆様にはご迷惑をおかけしました。書きかけの文章も多く、あれ? と思った方も多いでしょう。とりあえずあれから大分変わりましたので、改めてどうぞ。


 6月9日。草木も青々と生い茂り、太陽の暖かさも次第に増してきた初夏の午後。士官学院の教室でライは、窓から射す日の光を浴びながら物思いにふけっていた。

 

 内容は言うまでもなくラウラとフィーの件だ。特別実習から帰ってきた5月31日から早9日。ユーシスやマキアスの様な表面上の対立はないものの、あれからラウラとフィーの間にギクシャクとした空気が流れる様になってしまった。まるで距離感を掴めていない赤の他人みたいに一言も言葉を交わさず、視線すら合わせる事はない。それが最近の2人の日常だ。

 

「アスガード、何をぼさっとしている」

 

 その時、教卓に立つナイトハルトの声が飛んできた。ライは思考を止め、前に視線を戻す。

 

「この時期だと言うのに緊張感が足りない様だ。ならアスガード、この内容を答えてみろ」

 

 ナイトハルトに促されるがまま、ライは黒板に書かれた文章を読む。

 

 "長距離砲撃における基本的な弾頭について"

 

 その下が空白であることから、恐らく解説の部分をそのまま問題にしたのだろう。

 とりあえずライは教材の内容を思い出し、その答えを口にする。

 

「──榴弾かと」

「正解だ。これに免じて今の件は不問にするが、少なくともここ1週間は話を真面目に聞くように」

「分かりました」

「……授業に戻ろう。長距離の砲撃には基本的に火薬や鉄片を詰めた榴弾が用いられている。これは長距離の曲射でも殺傷力を維持し、同時に広範囲の歩兵や車両を攻撃するための物だ。帝国東部ガレリア要塞に設置された列車砲ほどの規模にもなると、爆発の威力は都市の一区画を粉砕するレベルに達し、──」

 

 どうやら正解だったらしい。

 ライは知識が上がった様な気がする。

 

 まぁそれはともかく、ナイトハルトは何時もに増してピリピリした空気の中、復習も織り交ぜた授業を続けていた。……それもその筈。今のライ達には、学生生活最大の試練が待ち受けているのだ。生徒を導く教師も一段と厳しく教鞭を振るっていた。

 

「──今日はこれで終わりだ。中間試験まで残り1週間、ゆめゆめ勉学を怠らぬよう気を引き締めろ」

 

 そう、今のライ達には巨大な壁、即ち夏の中間試験が目前に迫ってきていたのである。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ──放課後。

 

 ライは1人、士官学院南西にある2階建ての図書館に訪れていた。理由は言うまでもなく中間試験の勉強の為。知識の歯抜けが多いライにとって、そのハンデ分の学力上昇は必要不可欠なものであった。

 

「帝国史、帝国史は……」

 

 吹き抜けの2階、外周をぐるりと囲う渡り廊下に設置された本棚の1つ。歴史関係の本が置かれた場所を1つ1つ探していく。

 

 だが、中々目的の本が見つからなかった。ところどころに空きのある本棚。2年制の士官学院では参考資料の需要も高い為、既に全て借りられているのかも知れない。そう考えて本棚から視線を離したその時、前触れもなく背後から声が聞こえてくる。

 

「む? ライか、何を探している?」

 

 その声に振り返るライ。

 そこにいたのは数冊の本を抱え込むラウラであった。どうやら彼女も試験対策に来ていたらしい。

 

「帝国史の資料を」

「……ふむ、帝国史ならその棚にはないだろうな」

「そうなのか?」

「ああ、先ほど私が取ったこの本で最後の筈だ」

 

 ラウラが手に持っていた厚手の本に刻印された題名は『中世帝国史』。丁度今回の試験範囲に入る部分の参考資料だ。だとすれば、やはりもう残っていないのだろう。

 

「なら別の教科にするか。ありがとう」

「うむ」

 

 ライは別の苦手教科である導力学の参考資料を探そうと歩を進め、……止めた。

 もしかして、これはチャンスなのではないだろうか。ここ最近のラウラとフィーの確執。前回のマキアスの件と似ているのなら、ラウラと話し合う機会を逃す訳にはいかない。ライは歩みを止めた足を基軸に180度ターンし、ラウラに向き直った。

 

「む、まだ何かあるのか?」

「ラウラ、良ければその教科書で一緒に勉強しないか」

 

 その凛々しい顔に似合わずきょとんとするラウラ。

 やがてそれが帝国史の勉強の誘いであると理解し、僅かに口元を緩めて頷いてくれた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 カタカタと鉛筆の音が鳴り響き、夕日の明かりが差し込む静まり返った図書館内。ライとラウラの2人は1冊の本を共有して勉学に励んでいた。ゆったりとしていて、環境音も少なく、かつ引き締まった空気も感じる図書館の独特の雰囲気。正に勉強に打ってつけの空間だ。

 

 ……さて、いつ話を切り出すか。

 

 下手にフィーに関する話題を切り出せば、ラウラは何も答えることなく席を外しかねない。

 それをこの9日間で理解していたライは帝国史の年表を書き写す中、密かにタイミングを伺っていた。神経を尖らせれば尖らせるほど感じる図書館の静寂。少し離れた場所の男子生徒2人組の雑談もよく聞こえてくる。

 

「──あ~かったりぃよな。試験勉強ってさ」

「ははっ、同感だわ。俺は別に軍関係に入りたい訳じゃないし、この勉強に何の意味があるって話だよ」

「そうそう、俺たちゃ名門校の経歴が欲しいだけだっての」

 

 緑の制服を着た2人は鉛筆をテーブル上に投げ出して愚痴っていた。話を聞くに、軍事学を学んでも意味がないと言う徒労感が、2人のやる気を容赦なく削っていたのだろう。最早、鉛筆を走らせる行為すら億劫な様子であった。

 

「いっその事、誰かに代わってくんねぇかなぁ。ほら、最近噂になってる"シャドウ様"とかさ」

 

 だが、その話は途中から横道に逸れていく。

 

「シャドウ様? ああ、代わりに願いを叶えてくれるって奴ね」

「そうそうそれそれ! 正に今の俺たちにぴったりだろ? 実際に願いを叶えたって人もいるらしいし、俺達もたまには本気出して調べて見ねぇ?」

「う~ん、俺はパス。つうか、あれやったら気絶しちまうって話もあんだろ? やったらバレバレじゃねえの」

「あぁ〜、まぁ確かに。……だったら南部で噂になってる奴やって見ないか? 部屋の4隅に立って肩を叩き合うって奴。北部で噂になってる午前0時の水面に映る別世界とかもついでにさ!」

「……オカルト好きだよな、お前」

 

 オカルト話に付き合う男子生徒はうんざりした顔をしながら勉強道具を片付けていた。それはオカルト好きの相方も同様だ。どうやら2人はもう勉強を止めにするつもりらしい。

 

 図書館の入り口から外へ出て行く2人組。それを見送ったラウラはふと、おもむろに呟く。

 

「シャドウ様の噂。もうこの辺りでも聞くようになったな」

「確かに」

「幸い方法についてはまだ広まっていないが、もしあのグノーシスが広まったなら、そなたはどうなると思う?」

「使う者は現れる。確実に」

 

 もし、願いを叶える可能性を手にした時、それを使うか使わないか。例えリスクを承知の上でも、それを使う人物は確かにいるとライは思っていた。

 届かない夢を抱く者、リスクを軽く見る者。理由はそれぞれだが、手にした力を試す人間は必ず存在する。誰しも大なり小なり願いを叶えてくれる都合のいい存在を欲しているのだから。だからこそシャドウ襲撃の事件は止まらず、今も帝国のどこかで事件は起こっているのだ。

 

「全く、願いとは自ら努力して掴むべきだと言うのに……」

 

 ラウラは弱みに漬け込んで発生する事件のメカニズムを憂い、その整った眉を歪める。正道を行くラウラにとって、この噂はまさしく邪道の産物であった。

 

 ……再び静寂に戻る空間。先の流れを組むならば今がチャンスか。

 今度はライの話題だと言わんばかりに、ライは口を開く。

 

「なあ、ラウ「──ところで、例のグノーシスについてサラ教官から何か返事は?」……」

 

 しかし、それはラウラの次なる話題に覆い隠されてしまった。

 彼女の鋭い勘がライの話題を察して避けたのだろうか。何にせよ、まだチャンスはある筈だ。ライはとりあえず今の言葉に答える事にした。

 

「何も」

「……そうなのか。あの特別実習の報告の折、教官は独自の情報筋で調べてみると言っていたが」

「試験後まで返事はないんじゃないか」

 

 ライは鉛筆を素早く走らせながら数日前のサラの言葉を思い出す。

 

 確か、朝のホームルームでサラは『私の評価にも繋がるんだから、絶対に高点数取りなさいよ! 特にハインリッヒ教頭の愚痴を聞かない為にもI組には負けないように!』とぶっちゃけていた。

 

 そう、今のサラにとって火急の問題とはシャドウでもグノーシスでもなく中間試験なのである。多分VII組の誰よりもクラスの点数を気にしている事だろう。

 

「……納得した」

「まあ、サラ教官だから仕方ない」

 

 呆れた表情のラウラに対し、ライはそう締めくくった。最低限、やるべき事はやっているのだから何も文句は言うまい。

 

 ……そして、次なるチャンスが訪れた。

 

「ラウラ、フィーに関す「そう言えば最近、生徒会の方は」……」

 

 これではキリがない。

 仕方ないと言わんばかりに鉛筆を机に置き、ライは真っ直ぐラウラの顔を見た。

 

「──ラウラ」

「う、うむ。なんだ?」

「フィーについて話を聞かせてくれ」

 

 ライの提示した話題を聞いたラウラは、その撫でやかなポニーテールごと銅像の様に硬直する。その顔はひどく苦々しいものであり、同時にライならば聞くだろうと納得したようなものであった。

 

「全く、そなたは何時も真っ直ぐ聞くのだな」

「ラウラが話題を逸らすからだ」

「……確かに。我ながら情けない言動であったか」

 

 明後日の方向に視線を滑らせたラウラが自傷する。

 彼女もここ最近感情が荒れていると自覚しているのだろう。だがそれでも、彼女はライに話すつもりはないようだった。

 

「しかし、心配してくれるそなたには悪いが、今、私から言うことは何もない」

「なら逆に質問する。──ラウラはフィーをどう思ってる?」

 

 マキアスの抱えていた問題を思い返したライが、そう問いかける。

 ラウラがフィーを避け始めたのは猟兵だと言うフィーの話を聞いてからだ。それにセントアークで猟兵に対する感情を踏まえれば、マキアスと同じく猟兵として見てしまっているのではと言う推測が立つ。

 

 しかし、

 

「……その答えは至極単純であろう。フィーは時間も問わずによく眠り、日々花の世話をする、もの静かで猫の様にのんびりとした少女だ」

 

 ラウラの答えは推測とは真逆のものであった。

 マキアスの確執とは状況が異なるのだと、ライは今になって理解する。

 

 そして、答えを口にしたラウラは唐突に席を立った。

 その視線は図書館の入口の方角を向いている。何かあったのかと訝しむライに向け、ラウラは早口で言葉を投げかけた。

 

「済まぬ、用事ができた。話はまた今度にしても良いか」

「あ、ああ」

「かたじけない」

 

 軽く礼をしたラウラは素早く勉強道具を片付け始め、そのまま急いで図書館から出て行く。

 座ったままのライとすれ違うラウラ。そのとき、彼女は小さな声で呟いた。

 

「…………フィーがただの猟兵であったならば、これほど悩みはしなかったのだがな……」

 

 振り返るライを気にも止めず、ラウラは図書館を後にした。

 

 嵐が過ぎ去ったかの如く取り残されるライ。何があったのか状況が掴めないまま両開きの扉を眺めていると、今度は数人の女子生徒が入ってくる。短めのスカートに赤色の制服、間違いようもなくライのクラスメイトだ。

 

「あ、ライ! 何? 1人で勉強してるの?」

 

 その先頭、背の小さいミリアムがライに気づいて無邪気に駆け寄ってきた。

 ライはとりあえず意識を入れ替える。

 

「今は見ての通りだ。ミリアムは?」

「委員長に勉強を教えてもらうことになったんだ! ね、委員長?」

「え、ええ。お邪魔します」

 

 2番手のエマがよそよそしくお辞儀をした。ここは公共の空間なのだからその挨拶は微妙に違う気もするが、彼女は気づいていない。どうやら彼女はまだライとの距離感が掴めていない様子だ。

 

 そして、エマの背中にはもう1人、3人目のメンバーがいた。

 

「フィーもか」

「……ん。今日は政治経済の勉強」

 

 フィーはそう言って政治経済の教科書を胸元に掲げる。けれど、その幼さが残る顔は"嫌々来てます"と言いたげな暗いものだった。普段の授業やでも良く居眠りをしているくらいなのだから、あまり勉強が好きではないのだろう。中間試験すら楽しんでいるミリアムとは対照的なやる気のなさである。

 

 ……まあ、それはともかく、ラウラが突然いなくなった理由が判明した。

 気配で他者の存在を察するラウラの事だ。恐らくフィーの気配を感知し、出くわさない様に図書館を早めに出たのだろう。そこまでフィーに会いたくないのかと、ライは僅かに肩を落とす。

 

「ねぇ、ライも一緒に勉強しない?」

 

 と、その時、ミリアムがテーブルに乗り上げてそう提案してきた。

 

「俺は構わないが……」

 

 ライはミリアムから視線を外し、残りの2人へと青い瞳を向ける。先程のエマの態度からも分かるように、ライとの交流は2人の負担になってしまう事は確実。それでも大丈夫なのかとライは視線で尋ねる。

 

「えと」

「…………」

 

 返事に困るエマとフィー。そんな2人の様子を見たミリアムは、椅子に座るライを無理やり引っ張って2階へと上がっていった。

 

 エマとフィーから聞こえないであろう位置まで移動した2人。

 ライは足を止めたミリアムに対し端的に尋ねる。

 

「どうした?」

「むぅ~、どうしたじゃないよ! どうして2人は何時までもあんなに距離をとってるの!?」

 

 ミリアムは珍しく笑顔意外の表情を浮かべていた。

 頬を膨らませ、不満そうにライの顔をじぃっと覗きこんでいる。今の言葉から察するに、何時まで経っても縮まらないライとエマ・フィー間の距離が気になっていたのだろう。戦術リンクの嫌悪感を体験した事のないミリアムにとっては、ライが理不尽に嫌われている様にしか見えなかったのだ。

 

「原因は戦術リンクだ。彼女らに罪はない」

「え~、でももう2ヶ月も前の話だよね? ライも改善したいって思わないの?」

「当然だ。けど、今はラウラとフィーの問題が先だろ?」

「ボクにとってはどっちも変わらないよ! むしろ人数的にライの方がずっと大問題に感じるんだけど」

 

 ライに衝撃が走った。

 考えてみれば、先のラウラへの対応と、エマやフィーへの対応はまるで正反対であった。マキアスの時もそうだ。ライはいつの間にか優先順位をつけてしまっていた。クラスの問題解決に全力で挑むために、自身の問題を下に置いてしまっていたのだ。ライはその事実に否が応でも気付かされた。

 

「……分かった。何とかしてみせる」

「ホントっ!?」

「ああ、ホントだ」

 

 ならば、優先順位は取り払おう。

 ラウラとフィーの問題も、ライが抱える問題も等しく課題であることには変わりない。それなら、全部まとめて全力で挑む事こそライの信条だ。

 

 それに、幸い良いきっかけもある。

 ミリアムが提案した勉強会。上手く行けば2人との距離を縮める事も可能な筈だ。

 

 方針が定まったライとミリアムの2人は、揃って1階への階段を下っていった。

 

 …………

 

「あ、戻ってきた」

 

 図書館奥にある階段を見て、フィーが呟いた。

 既にエマと一緒にテーブルに座り、政治経済の教科書と参考書を開いている。

 

 まずはこの輪に入れなければ何も始まらない。

 ライは心の中で覚悟を決めた。

 

「──エマ、1つ頼みがある」

「え、えっと、何ですか? ライさん」

 

 戸惑いながらも返事をしてくれる礼儀正しいエマ。

 彼女は確か学年主席で入学した筈だ。なら、この頼みは何も不自然ではない。

 ライは淀みのない青い瞳で、眼鏡の奥にあるエマの瞳を見つめる。

 

「勉強を教えて欲しい」

「そ、そういえば記憶喪失なんでしたね。…………分かりました。ミリアムちゃんも一緒に勉強したいみたいですし、一緒に頑張りましょう」

 

 ぎこちない笑顔でエマはそう言ってくれた。

 あまり賛成でないフィーと満天の笑顔を浮かべるミリアム。

 そんな複雑な空気の流れる図書館の中、ライは1つ心の中で誓う。中間試験が始まるまでの1週間、全力で関係改善を図ると。

 

 ……こうして、ライ達の勉強会は始まった。

 

 

 

 

 




2話分割投稿です。


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36話「激闘の1週間」

 ――始まりの6月9日。

 

 先のフィーの話の通り、この日は政治経済について勉強を行った。

 図書館1階のテーブルを囲うライ達一同。エマやフィーとの距離は不自然なまでに空いている。そんな状況にミリアムはまたも頬を膨らませていた。

 

「むぅ~、こんなんじゃ勉強会にならないじゃん!」

 

 どうやら、ミリアムは勉強会を学生の青春イベントとして楽しみにしていたらしい。

 確かにこれでは2組が勉強している状況にしかなっていないだろう。

 

 それに仲を改善したいと考えているライにとっても、この物質的距離は大問題だった。

 

「…………」

「……済みません。何だか近づくと、あの感覚を思い出す気がして」

 

 申し訳なさげに距離を取る2人。これでは無理に近づくのは逆効果だ。

 ミリアムだけは2人に近づく事も可能だが、ミリアムはライを1人にする気はさらさらないらしい。深く考え込むミリアム。すると突然、ミリアムが頭に電球でも灯ったかのように顔を上げた。

 

「あっ、ボクにいい考えがあるよ!」

 

 彼女は自信たっぷりに席を立った。

 何だか嫌な予感しかしないライだったが、他に代案もないのでミリアムに任せることにする。了承を得て早速ARCUSで何やら通話を始めるミリアム。その答えは直ぐに分かった。

 

《――こんな事に僕のペルソナを使わなくっても……》

《だって、次の旧校舎探索まで使う予定ないんでしょ? せっかく手に入れたんだから活用しなきゃ!》

 

 そう、ブラギの通信能力を使っての試験勉強である。

 

《済まないエリオット。少しの間頼まれてくれるか?》

《あ、うん。前に助けてもらった恩もあるし、協力することは別にいいんだけど……》

 

 どうも歯切れの悪いエリオット。

 確かにこんな形で初めてA班の2人にブラギを見せるのは複雑な気分だろう。

 

《へぇ、話には聞いてたけど便利だね。導力器いらずで、傍受もされない通信なんて夢みたい》

 

 そんな夢のない感想を述べる猟兵フィーを他所に、ライ達は歴史書の教科書を開く。これで距離の課題はなくなった訳だ。ただ、1つ意外だったのは、緊急事態だったB班とは状況が違うのに、エマが当たり前の様にエリオットの通信を受け入れていた事だった。

 

《エマ、以前も似たような経験でもあったのか?》

《えっ? あ、そう、そうなんです。前に夢で似たような体験を、あははは……》

 

 何故かはぐらかすエマ。もしかして彼女は単なる委員長ではなく、フィーみたいに何か特別な経歴でもあるのだろうか。素早くペンを走らせながら、ライは1つエマを知った様に感じた。こうして、端から見て無言の4人組、実際はエリオットも含めた5人組は順調に復習を進めていく。

 

 知識が大幅に上がった気がした。

 

 

 

 

 

 ――継続の6月10日。

 

 この日は美術、その中の音楽分野に関する勉強を行う事になった。帝国で有名らしいオーケストラの楽譜が印刷されたページを開き、中間試験に出題されそうな部分の意味を解読していく。

 

《えと、僕は何時まで協力すればいいのかな?》

《もう少し頼む》

 

 前日に引き続きエリオットの協力を得て勉強をしていた。

 何時までも彼の協力を頼りにするのは忍びない。ライは頭で代案を考えつつも、手で音楽記号の意味を書き込んでいく。……横向きの括弧。確かこれはタイだったか。

 

《――って、ライ。そこの音楽記号の意味間違ってるよ》

《そうなのか?》

《うん。違う高さの括弧はタイじゃなくてスラー。音符を一纏めに聞こえるよう演奏してって意味だね》

 

 音楽に対して妥協はしないエリオットがライの間違いを正確に指摘した。

 流石は音楽院志望と言うだけあって、その指摘は教師顔負けだ。

 

《あっ、フィーも間違ってる。その縦の破線アルペジオは、和音をばらして一音一音発音させる演奏法の事だよ》

《ん、そう?》

 

 エリオットの指摘を受けたフィーが手元を書き直す。

 ……ここまでは良かったのだが。

 

《……ああ、あそこも。あっちも理解が足りてないよ》

《あの、エリオットさん?》

 

 段々とエリオットの様子がおかしくなってきた。

 戸惑うエマとフィー。以前このエリオットのレッスンを体験したライのミリアムの頬に冷や汗が滴り落ちる。

 

《こうなったら僕が徹底的に教えてあげるよ! まずは楽譜の正確な読み方から。楽譜の一番初めにある音部記号には高音部記号、中音部記号、低音部記号の3種類があって、それぞれ――》

 

 こうしてエリオットの音楽教育が始まった。

 頭に延々とお経のように響くエリオットの解説。その楽譜の基礎レベルの話から、どう考えても試験レベルを超えているような話まで、例え耳を塞いでも津波の如く雪崩れ込んで来る。

 

 防ぎようのない精神攻撃。

 ついには暗記を苦手とするフィーがバタンとテーブルの上に倒れ伏した。それでもエリオットのスパルタレッスンは終わることを知らない。結局、最後の最後までエリオットの音楽教育は続くのだった。

 

 ……知識が大幅に上がった気がした。

 

 

 

 

 

 ――覚悟の6月11日。

 

 薄暗い曇りの放課後。生徒会としての用事を終え、3日目となる図書館への向かう最中に、ライは本校舎から出てくるミリアムと出会った。

 しかし、どうも様子がおかしい。帽子から垂れている綿を揺らす上機嫌なミリアムを見て、ライは不思議そうに首を傾げた。

 

「何かあったのか?」

「ふっふーん。ま、今日の勉強会を楽しみにしててよ」

 

 どうやら何か企んでいるらしい。

 ライはその"にしし"と言う笑顔に、なぜだか嫌な予感がした。

 

 …………

 

 導力灯の灯る図書館。何時もより重苦しい音を奏でる扉を開く。

 今日は導力学の試験勉強をする予定だ。ただ、1つ何時もと違う事があった。ライはちらりと同じテーブルに座るエマとフィーの2人を見る。要するに2人の位置がやや近づいていたのだ。

 

「……近づいてもいいのか?」

 

「あの話を聞くよりずっとマシ」

「私達、覚悟を決めました」

 

 いや、そんな事で覚悟を決められても反応に困るのだが。

 気軽に声を交わせる距離。望んでいた光景のはずなのに、複雑な気分のライであった。

 

 ――そんなこんなで勉強を始めてから1時間。

 導力技術に対する知識の薄いライは、その不足を補うため全力で勉学に励んでいた。ところどころ解説をしてくれるエマの教え方もうまい。やはり遠距離の通信と対話とでは勝手が違った。

 

「――と言う訳で、七耀歴1150年、エプスタイン博士が大崩壊前の古代ゼムリア文明の技術を解析して、導力エネルギーの実用化に成功した訳です。ここまで分かりました?」

「はい、委員長!」

「何ですか? ミリアムちゃん」

「そろそろ息抜きしてもいいと思いますっ!」

「……ミリアム、グッジョブ」

 

 ミリアムに向け親指を立てるフィー。

 エマも苦笑いを浮かべるが、休憩も必要だと言う事で許可を出す。

 それを聞いたミリアムは跳ねるように席を立って、側に置かれた鞄の中をごそごそと探り始めた。ライは先のミリアムの言葉を思い出し、その意味を察する。

 

「もしかして、例のサプライズか?」

「そうだよ! ちょっとまってて」

 

 ミリアムが鞄の中から何かを探り当てた。

 出てきたのは可愛らしい紐のついた透明の袋。その中には何枚もの小さな茶色のお菓子が入れられていた。

 

「クッキー、か」

「うん。ボクがどの部活に所属してるか、ライなら知ってるでしょ?」

「……ああ、なるほど」

 

 調理部。つまりはそう言う事だった。

 

「これ、ミリアムちゃんがつくったんですか?」

「ううん。同じ部活のマルガリータって人のだよ。ボクは食べる専門だし」

「おい」

「にしし、だいじょーぶだいじょーぶ。いつもボクがつまみ食いをしてる分を食べないで持ってきただけだから! それに、いつもは中途半端で食べちゃってるけど、これは完成したものだからもっと美味しい筈だよ!」

 

 色々と突っ込みどころの多い内容だったが、今は何も言うまい。

 ライ、エマ、フィーの3人は透明な袋の中からそれぞれ1枚クッキーを取り出した。香ばしい焼き色のついた丸いクッキー。口に含んだらさぞ甘いバターの香りが広がる事だろう。

 

 しかし――

 

「待って」

「どうしたんですか? フィーちゃん」

「……これ、なにか入ってる」

 

 フィーの一言でその感想は逆転した。

 猟兵の彼女が危険信号を放つクッキー。途端にこの小さなお菓子が得体の知れない何なに見え始める。

 

 だが、ミリアムはそれを遠慮なく食べようとしていた。

 危ない。そう直感が叫んだライはミリアムの手からクッキーを取り上げる。

 

「あぁ~! ボクのクッキー!」

 

 クッキーを取り返そうとぴょんぴょんと跳ねるミリアム。

 駄目だ。フィーの提言やライの直感では彼女は止まらない。

 

 ……かくなる上は、安全・危険を問わずに実証するしかない。

 自身のクッキーを見つめたライは覚悟を決め、その茶色の物体を口に含んだ。

 

「――~~ッ!!」

 

 おぞましい味覚。あり得ない全身の痙攣。一体何を入れやがったマルガリータ。

 まるで呪殺の魔法でも喰らったかのような感覚に襲われる。抵抗するライの意思も虚しく、体は地面へと崩れ落ち、意識は暗闇へと落ちて行った。

 

 ……知識と勇気が上がった気がする。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ――ピアノの音が聞こえる。

 

 ……気がつけば、ライは青い空間に座っていた。

 妙に曖昧な体の感覚。気絶前の出来事を思いだしたライは確信する。

 そう、自分はもう既に死ん――

 

「いえ、お客人は気を失われたのでございます」

 

 そうなのか。なら早く戻るとしよう。

 今は中間試験も目前なのだから、1日だって無駄には出来ない。

 

 ライは、ベルベットルームを後にした。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 茜色の光が顔に差し込む。眠りから目を覚ましたライは、その光に思わず目を細めた。

 数瞬たって、明るさに目が慣れてきたライは白いベットに寝かされている事に気がつく。身を起こして周囲を見渡すと、そこは石煉瓦で出来た医務室であった。窓の外には夕日に照らされた大きな正門が見える。どこかの学校なのだろうか。

 

「……いや、ここはトールズ士官学院だ」

 

 記憶喪失から目覚めたときと同じ状況の為、思わず同じモノローグを入れてしまった。

 ライは白いスーツを押しのけ身を起こす。まるで以前の出来事を繰り返しているような状況。だが違う点は2つあった。1つは鞄以外の荷物が並べられていない点。そしてもう1つは医務室内にいる人物がベアトリクスではなく銀髪の少女であった点だ。

 

「おはよ」

「ああ、おはよう」

 

 隣のペットに座っていたフィーとそんな簡易な挨拶をした。

 だが時刻的にはもうすぐこんばんわになる頃合いだろう。そう思いながら窓の外を見たライは気づく。眩いくらいの夕日。確か、今日は曇りだったはずだが。

 

「……今日は何日だ?」

「6月12日」

 

 どうやらまる1日寝ていたらしい。

 ライはマルガリータ製のクッキーの威力に戦慄した。下手とかそんな次元じゃない。あれは明らかに変な薬でも入れていた感覚だった。

 

 と、クッキーへの感想はこれくらいにして、ライはフィーに向き直る。

 

「ところでフィーはどうしてここに?」

「ここ、私のホームポジション」

 

 フィーはそう言って下のベットを指差した。そう言えば放課後、たまにフィーが何処にもいない時があった。どうやらここのベットで寝ていたらしい。前にベンチで猫のように居眠りしているところも見かけた事もあり、本当によく眠る少女だとライは感じた。

 

「とりあえず、勉強に行くか」

「ん。水やりも忘れずに」

「……そう言えば1日経ってたんだったか」

 

 ケルティックで買った苗ももう大分育ってきていた。

 今までも合間合間にやっていた水やり。忘れてもあの部長がやってくれるだろうが、あの苗はライ自身の手で育てなければ意味がない。

 

 やらねばならない2つの用事を思いだしたライはベットから体をずらし、立ち上がる。両足に掛かる体重。その瞬間、全身に正体不明の痙攣が襲いかかった。また頭痛で旧校舎前に行くんじゃないかと思ったくらいだ。

 

「大丈夫?」

 

 もう1つのベットに座ったまま聞いてくるフィーに、ライは「ああ」と短く答える。

 まだ距離は遠いが、フィーとの距離が少し縮まった気がした。

 

 ……尚、今日の勉強会はエマに断られてしまった。1日は休養するようにとの事である。

 

 

 

 

 

 ――挑戦の6月13日。

 

 小鳥も鳴き始めた早朝。ライは寮の食堂にある厨房に立っていた。

 ミリアムの持ってきたクッキーは化学兵器であったが、その発想自体は悪くない。むしろ、軽食は仲を深めるにはもってこいのアイテムだ。

 

 ならば、唯一の課題は危険物を混入させないことである。その確実な方法は自身で作ることだと考えたライは、授業が始まる前の早朝に、軽食用のお菓子作りに挑戦していた。

 

「……あれ、もしかしてライさんですか?」

 

 そんな中、食堂の扉を開けて1人の少女が入ってきた。眼鏡をかけた三つ編みの少女。ここ最近勉強を教えて貰っているエマだ。

 

 厨房から漂う匂いが気になったエマは恐る恐るこちらに歩いてくる。

 そして、厨房の側に置かれた幾つもの料理を見て、感慨深そうに両手を合わせた。

 

「へぇ、美味しそうなケーキですね」

「ああ、クッキーを作ってたらこうなった」

「……え?」

 

 信じられないものを見るような目でライを見るエマ。多分、逆の立場でも同じ反応をするだろう。

 

「あの、失礼ですがレシピは見たんですか?」

「見た結果はあれだ」

 

 ライは厨房の奥へと指を差す。

 そこにあったのはボウル一杯に詰められたUマテリアルの数々。ここまで作ってようやく理解したが、どうやらライの腕には無意識に覚えている珍妙な料理法があるらしい。手が勝手に動くほど熟練したそれは、レシピを見ながらの調理法と見事なまでにバッティング。結果はこの散々な有様だった。

 

「一応確認しておきますけど、珍妙料理を作りたくなる"悪戯"ってクォーツがあるんですが、付けてませんよね?」

「付けてない」

「……仕方ありません。料理も私が教えます」

 

 これ以上食材を無駄にはさせまいとエマが厨房に乗り込んでくる。出来る限りライを見ないようにし、距離も人一倍空いてはいたが、それでもここの厨房は2人を入れられる程に広かった。今から作るのは再度クッキーだ。シンプルなプレーンの丸型クッキー。まずは段階を踏もうと言うエマからの提案である。

 

「どうせですから、この時間を使って時事問題でもしましょうか」

「ああ、頼む」

「そうですね。……それでは、最近帝都ヘイムダルにて施行された導力自動車に関する規定、帝国交通法の内容は?」

 

 帝国交通法? 時事問題だろうか。

 クッキーの生地を練りながらライは静かに考え込む。

 

「左側通行、速度を守る、信号機厳守、後は交差点手前5mまで駐停車禁止、とか?」

「えと、それどこの国の交通法でしょうか」

 

 信号機って? そもそもめーとるって? 次々と飛び出す疑問にエマは思わずライの顔を見てしまった。思わず反射的に視線を逸らすエマ。仕方ないとはいえ、そんな反応をされては気分のいいものではない。まだまだ壁は厚いのかとライは内心ため息をつきつつ、視線を下に戻す。

 

「――は?」

 

 すると、そこにはパウンドケーキの原型が作られていた。

 ご丁寧に型にまで入れられている。

 

 ……沈黙が流れる寮内の厨房。

 エマの諦めたような視線を浴びる中、ライはパウンドケーキに火を通すのだった。

 

 エマとの距離が少し縮まった気がした。

 

 

「ところで、危険物を入れないのでしたら、そもそも雑貨屋で買えばよかったのでは?」

「……あ」

 

 知識が上がった気がした。

 

 

 

 

 

 ――接近の6月14日。

 

 この日は図書館に向かう途中、偶然にもラウラと鉢合わせになった。

 その時ライだけならば問題なかったのだが、これまた偶然ミリアムも襲来。強引に誘われる形でラウラも勉強会に参加する事となってしまった。

 

 今日の復習は実践技術。本来フィーやラウラの得意分野であるのだが……。

 

「あの、近接戦における敵の無力化の話なんですが」

「ふむ。それなら頭部に衝撃を与えて、脳震盪を起こすのが確実だろうな。もしくは急所を狙い行動不能にさせるか」

「……反撃の可能性があるから、背後から一突きした方が安全」

 

 フィーの道徳よりも効率を優先する意見に、ラウラは思わず一瞬フィーを睨みつける。

 その僅かな視線にも目ざとく気づいたフィー。彼女はその黄色く大きな瞳を半目にし、ラウラを静かに睨み返した。

 

「なに?」

「……いや、何でもない」

「――…………」

「…………――……」

 

 こうして、真っ二つに割れたテーブル。予想通りの冷戦が始まってしまった。

 外野であるライ、エマ、ミリアムの3人は、まるで氷河のような寒気さを幻視する。一体誰がブフを唱えたのだろうか。

 

「え、えぇっと……」

「ライ~、どうにか出来ないの~?」

「やってみる」

 

 ライは1人、冷たき火花の飛び交う戦場へと足を踏み入れる。

 思いだせ。ケルティックで仲裁した時の事を。あの時のマルコとハインツも相当激昂していた。なら、この2人を止めることも出来る筈だ。そう鼓舞するライは一歩一歩2人の間に近づく。……そのせいだろうか。ライは何時もよりさらに一歩、フィーに近づいてしまった。

 

 ――刹那、フィーが椅子から跳んで宙に舞う。

 

 バク宙しながら少し離れた場所に着地するフィー。まるで敵の接近を許したかの様な機敏な動き。だが、フィーも無意識の行動だったのか、はっと我に帰って、気まずそうに目を逸らしていた。

 

「……ごめん」

 

 ここ6日間でやや距離が近づいたためか、フィーは申し訳無さそうにしており、その乱雑な銀髪もどこか覇気に欠けている。そして、そんなフィーを複雑そうに眺めるラウラ。先ほどよりも心なしか機嫌が悪くなっていた。

 

 どうやら、ライの行動は逆効果だったらしい。

 

 この日、ライは2つのどうしようもない現実を体験した。なあなあで仲良くなるだけでは決して改善できない強固な壁を。――だが、ライは諦めない。例え残り少ない試験期間が終わろうと、必ず乗り越えてみせると、ライは決意を新たにする。

 

 知識と勇気が大幅に上がった様な気がした。

 

 

 

 

 

 ――報告の6月15日、自由行動日。

 

 軽食を買うくらいなら、始めから学生会館1階の食堂スペースで勉強会をすれば良いのだと漸く気づいたライ達4人は、図書館を離れ学生会館の丸机へと場所を移していた。そこで会ったのは偶然訪れたリィン。ラウラみたいに問題になる関係でないため、リィンは自然と5人目のメンバーとなった。

 

「――と、言うわけだ」

「ははは……。色々と大変だったみたいだな」

 

 リィンは特に11日のクッキーの件を指して呆れていた。

 結果として寮に帰れず授業も丸一日休んでいたので、どうやらリィンも心配していたらしい。……その次の日に大量のパウンドケーキを作っている様子を見て驚いたらしいが。

 

「……ごめんね。ライ」

「気にするな。それより今日は帝国史だったな」

「ああ、そう言えば、ライさんの苦手教科でしたっけ」

「ん、この前、1192年にどこかの都ができたとか言ってたのは驚いた」

 

 それは確かケーキを作りまくった13日に行った帝国史学習での一件だったか。

 しかし、少なくともフィーにだけは言われたくなかった。暗記が苦手で日曜学校にも通っていなかったフィー。苦手科目はライと同じく帝国史である。

 

「あはは、なら軽く復習しましょうか。――それでは折角ですし、手始めにリィンさん、このトールズ士官学院を設立したエレボニア帝国中興の祖、《ドライケルス大帝》が即位したのは?」

「七耀暦952年だな。帝国全土を巻き込んだ内乱《獅子戦役》が終結した年だ」

「流石ですリィンさん。対策はばっちしのようですね。――ではフィーちゃん。そのドライケルス大帝がこの士官学院に残した言葉は何でしょうか?」

「えと……、世の、礎……?」

 

 悩みこむフィー。まあそれも当然だ。何故ならこの問いは教科書には書かれていないのだから。生徒手帳の最初のページに学院憲章として一部が乗っているが、それは言葉そのものではない。

 

 降参したフィーに代わり、ライはその答えを口にする。

 

「"若者よ、世の礎たれ"、だったか」

「正解です」

 

 どうやら正解だったらしい。

 しかし、何故かリィンが驚いた顔をしていた。

 

「どうした、リィン」

「……いや、それ入学式でしか聞いてなかったから、ライが知ってると思わなかったんだ」

「ああ、そうか。……大分前に学院長からさんざん聞かされたからな」

 

 あれは確か初めて教員と旧校舎の異界に行った晩の出来事だったか。

 あの日、ライを出迎えたエマも乾いた笑いを浮かべていた。

 

 知識が大幅に上がった様な気がした。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ――そして6月16日、中間試験当日。

 

 天気の良い朝、程よい暖かに包まれ目を覚ましたライは、手早く制服に着替えて質素な寮の一室を後にした。今日から4日間試験が続くのだ。妙な緊張感が寮に充満しているのを、ライは肌で感じていた。

 

「あら、ライじゃない」

 

 1階に降りるとサラがソファーに身を預け座っていた。彼女の前のテーブルには一升瓶が1つ。昨日が自由行動日である事を踏まえれば、一晩飲み明かしていた事は想像に難くない。ライは見なかった事にした。

 

「どうかしら。ここ1週間学年主席のエマに勉強を教えて貰ってたんでしょ?」

「ええ、料理の法則は何となく掴めました」

「……何の勉強してたのよ、あんた」

 

 とりあえず、レシピを見ない方が形になると言う事が分かっただけでも十分な収穫だったと言えるだろう。無表情の奥で自信満々なライを見て、サラはがっくりと肩を落とした。

 

 そうこうしている内に他の面々も、次々と1階に下りてくる。

 

 緊張が隠せないエリオット。ワクワクが隠せないミリアム。いつも通りのエマに、強く意気込んでいるマキアス。いつも通りと言えばガイウスも同様か。リィンやユーシスに関しては何処か緊張感を漂わせており、アリサもそわそわして落ち着きがない。……フィーとラウラに関しては、悪い意味でいつも通りの距離感であった。

 

 皆が揃ったタイミングで、サラは改めて生徒たちに話しかける。

 

「まぁライが天然なのは何時もの事として、みんな、4日間頑張って乗り越えなさいよ」

「フン、教官の評価にも繋がるからなのだろう?」

「あら失礼ねぇ。当然教え子が心配だからに決まってるじゃない。……まぁ、それも60%くらい含まれてるけど。何なら上位を取ったらお姉さんが頬にキスでもしてあげようかしら?」

「「遠慮します」」

 

 この一瞬、ライ達は団結した。サラは「なによぉ~」と不貞腐れているが、一々気にしてたらキリがない。それに、この言葉が彼女なりの気遣いである事くらい、2ヶ月を共にするライ達には伝わっていた。

 

「……いい表情になったわね。それじゃあここ2ヶ月の勉強の成果、十分に見せてやりなさい」

「りょーかい!」

「元よりそのつもりだ」

 

 サラの見送りを背に受けて、ライ達は玄関の外へ、トールズ士官学院へと向かう。

 

 その足取りに淀みはない。もう後戻りは出来ないのだ。

 ただ今までの勉学と自身の知識を信じ、ただ一度のチャンスへと立ち向かう。それがライ達の挑む中間試験である。

 

 ――士官学院に入学して初めての筆記試験が今、始まろうとしていた。

 

 

 

 

 




あ…ありのまま今起こった事を話すぜ!
改訂作業をしていたと思ったら、文字数が5000字近く増えていた。
な…何を言ってるのかわからねーと思うが(以下略

という訳で、文字数が増えすぎたので2話に分けました。
次回は中間試験、自分がこのクロスを思いついたきっかけでもあります。
……行くぞライ・アスガード。知識の貯蔵は十分か?


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37話「学生達の試練」

「は〜い、それでは今から帝国史の試験を始めますよ〜」

 

 トールズ士官学院2階の西部に位置するVII組教室。その石レンガ造りの部屋に並べられた机に座る11名の生徒たちは、静かに開始の合図を待っていた。

 目の前に置かれているのは裏返しの紙とペン。その中にこれからの戦いの全てがあると思うともどかしいが、フライングは厳禁だ。

 

 そんなライ達の気分を現すかの様に外の天気も段々と雨模様になっていく中、教卓に立つトマス教官がいつも調子でテストの説明をしていく。

 

「皆さんも当然ご存知かと思いますが、不正行為を働いた場合は即退場ですからねぇ~。相応の処罰の対象にもなりますから、絶対にズルはしないように」

 

 トマスの説明が終わり、ぽつぽつと雨音が地に落ちる音が聞こえてくる。

 開始の合図がなるまでのしばしの間。神経が段々と研ぎ澄まされていく。

 

 ――そして遂に、開始のベルが鳴った。

 

「では始めて下さい」

 

 一斉に紙が裏返された。

 所狭しと並べられた問題文。ライは今まで培った知識を総動員し、解答欄にペンを走らせ始める。

 

 

《問2:七耀教会が設立し暗黒時代を平定した年を選択せよ》

 

 >七耀暦0年

 >七耀暦1年

 >七耀暦300年頃

 >七耀暦500年頃

 

 4つの選択肢が問題文に書かれていた。

 

 

 さて、考えよう。

 

 この問題のポイントは七耀暦の制定されたタイミングだ。七耀協会が設立した年であるから1年かとも思うが、セントアークに行く途中で聞いた様に、今年は七耀暦1204年。そして4月の授業でトマスは大崩壊が約1200年前と言っていた。

 そう、七耀暦が制定されたのは暗黒時代の始まりの年なのだ。そして暗黒時代は約500年続いたらしい。故に答えは"七耀暦500年頃"!

 

 ライは答えを記入した。

 ……これは正解の予感がする。

 

 その後も集中的に対策したためか、比較的余裕のあるペースで解答欄に書き込んでいく。

 しかし、とある問題で一瞬手が止まった。

 

 

《問32:トールズ士官学院設立者が残した言葉について答えよ》

 

 >若者よ、大志を抱け

 >若者よ、世の礎たれ

 >国民よ、立ち上がれ

 >人々よ、己が道を示せ

 

 4つの選択肢が頭に浮かんだ。

 

 

 ……まあ、これは明らかだろう。

 この問題については考えるまでもない。フィーに代わり答えたように、"若者よ、世の礎たれ"が正解だ。素早くペンを走らせるライ。時間ギリギリではあったが確かな手応えを感じた。

 

 

 

 ――2教科目、美術。

 

 帝国史の試験が終わってから休憩を挟み、今度は教養科目である美術の試験である。このトールズ士官学院は貴族が通う名門校でもある為、士官学院としては異例な美術も正式な授業の一環として学んでいるのだ。

 美術の教師であるメアリーの監視の元、ライ達は再び白い紙をめくり上げた。

 

 静かな空間に幾つも走るペンの音。

 デッサン、絵画、そして音楽。ライも順調に答えを書き進めていく。

 

 

《問21:同じ高さの音符を一緒に演奏する記号の名を答えよ》

 

 >タイ

 >スラー

 >アルペジオ

 >高音部記号

 

 問題文の隣には横向きの括弧が描かれている。

 ライの脳裏に4つの選択肢が頭に浮かんだ。

 

 

 さて、少し考えよう。

 

 とは言っても、この問題は確か以前エリオットに指摘されたものだった。

 スラーは異なる高さの音符も纏めて一緒に演奏する意味の音楽記号であり、アルペジオは縦に並んだ和音をばらして奏でる演奏法。高音部記号は楽譜の始まりにある記号だ。ならば答えはライが間違って記入していた"タイ"こそが正しいものの筈。

 

 ……これは正解の予感がする。

 

 

 こうして比較的順調に解答欄を埋めたライは、確認作業をしている最中に試験の終わりを示す合図を聞いた。

 

「はい、終わりです。ペンを置いて下さいね」

 

 一枚一枚回収する教官のメアリー。

 無事1日目の試験を終えたライ達はほっと一息ついた。しかし、まだ3日間もあるのだ。気を抜く訳にはいかない。……だからフィー。幾ら帝国史が終わったからと言って、その全てをやり遂げたかの様に眠たげな表情はまだ早いのだ。明日以降が少し心配になるライであった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ――6月17日。

 

 小降りの雨がポツポツと石畳の道に落ちる早朝。ライは白のラインが入った黒色の傘をさしながら士官学院へと歩いていた。

 今日は丸一日軍事学の試験となる予定だ。ここが軍関係者を育てる士官学園であるから当然といえば当然なのだが、ライには何故だかそれが不思議な気分だった。もしかしたら記憶喪失前は別の学校に通っていたのかも知れない。

 

 そうして水溜りを超えて歩くこと数分。

 士官学院直前の十字路、貴族や平民クラスの為の寮に続く分岐点に到達した時、偶然にも平民クラスの男子生徒2人が近くを歩き始めた。……彼らの顔には見覚えがある。どうやら1週間前に図書館で見た噂好きの2人組の様だ。

 

「……今日は軍事学かぁ」

「ああ、遂にこの日が来ちまったよ」

「あれから何も復習できなかったもんな。どうしよ、これから」

「どうって、腹くくるしかねぇじゃん」

 

 深緑と黒の傘をさした2人組が揃ってため息をついた。薄暗い雲の下と言うシチュエーションも相まって、どんよりとした空気が2人を包み込んでいる。

 

「あ~止め止め! それよりもっと先の明るい話でもしねぇ?」

「明るい話? ああ、そういや試験の次の日は自由行動日だったっけ」

「そんだけじゃねぇよ! 試験自体は割りと早くに終わるんだ。それも合わせりゃ割と長い休暇だぜ? 折角だしパァっとやるってのはどうよ」

「おおっ! そりゃ確かに明るいな! ……うしっ、元気出てきた! 試験終わったら絶対噂を試すぞォォオオ!!」

「あっ、おいコラ走んなって! ――噂試しはやんないからなっ!?」

 

 跳ねる水しぶき。

 雨に濡れるのも気にせず走る2人を、ライは歩きながら見送った。

 

(……試験明け、か)

 

 再び小雨の音が良く聞こえる静寂に戻った中、ライは雨空を見上げぼんやりと思う。

 今まで試験期間ばかりに目が行っていた為、その先についてあまり考えていなかった。――もしかしたらこれはチャンスなのではないか? 例の2人の問題にライ自身の問題。それらを解決しないまでも、改善やきっかけにはなるかも知れないと、途端にライの思考が回転し始める。

 

「ライ、どうしたんだ?」

 

 と、背後から聞こえて来る声にライは振り返った。

 藍色の傘をさした黒髪の青年、リィンだ。

 

「リィン、試験後の予定ってあるか?」 

「試験後? ……いや、考えてもいなかったな。多分だけど、他のみんなも同じだと思う」

「そうか」

「でも本当にどうしたんだ? 急にそんなこと聞いて」

「ああ、実は――」

 

 ライとリィンの2人は揃って本校舎の中へと歩いて行った。

 

 

 …………

 

 

 ……昨日と同じく筆記試験が始まった。

 

 静まり返った教室内で11のペンが奏でるシンフォニー。

 軍事学の教官ナインハルトの鋭い目が睨む教室内で、ライ達は軍事学の長い問題文をひたすら解いていく。

 

 

《問26:大砲で遠距離の部隊を攻撃したい。この場合、最も適した弾頭はどれか》

 

 >徹甲弾

 >榴弾

 >散弾

 >焼夷弾

 

 4つの選択肢が頭に浮かんだ。

 

 

 さて、正解はどれだろうか。

 装甲を抜くのに適した徹甲弾。爆発する榴弾。小さな弾丸をばらまく散弾。そして爆弾の様に火をばらまく焼夷弾。問いの状況設定から考えて後者2つは不適だろう。残るは2択だが、遠距離の部隊となると直撃は難しい。ならば答えは、約1週間前に授業で答えたように、直撃させずとも威力を発揮し曲射も出来る"榴弾"だ。

 

 ……これは正解の予感がする。

 

 再びペースを取り戻したライは、遅れを取り戻さんと速度を上げる。しかし、それも一時のものであった。

 

 

《問51:帝国全土での活動を行っている部隊の正式名称を答えよ》

 

 >第1機甲師団

 >第4機甲師団

 >領邦軍

 >鉄道憲兵隊

 

 またもや手が止まり、4つの選択肢が脳裏によぎる。

 

 

 便利な思考だとライは内心感じながらも、答えを考え始めた。

 

 帝国全土を股にかける活動は、四大名門が東西南北を治めるエレボニア帝国において相当難しいものだ。それぞれの大貴族が各々私兵である領邦軍を有している。ならば例外的な権力を持つ勢力でなければならないだろう。そう、ライがケルティックで出会った、帝国全土に張り巡らされた鉄道を警備する"鉄道憲兵隊"こそがこの問題の回答だ。

 

 ……これは正解の予感がする。

 

 全ての問題に答えを書き込んだライは、一旦ペンを置いた。

 まだ間違いがあるかも知れない。時間は残り数分。ライは再び問題文の山へと戻っていった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ――18日。久々に晴れ渡り、地面の水もどんどん蒸発する清々しい1日。

 

 この日は導力学と政治経済の2本立てだ。

 特に後半の政治経済は、やけに厳しいと噂のハインリッヒ教頭の性格上、授業に出ていない時事問題も出るらしい。生徒会長のトワから聞いた情報故に間違いはないだろうと、ライは一層気を引き締めていた。

 

 

《問11:導力銃と火薬を用いた旧型の銃の違いについて、正しいものを選択せよ》

 

 >1、導力銃は、弾薬に込められた七耀石を爆発させ発射する

 >2、旧型と比べ、導力銃は様々な特性を弾丸に載せることが出来る

 >3、導力銃の弾丸は、導力によって生成される

 >4、旧型の銃は火薬の調整が出来る分、導力銃より小回りが利く

 

 これは別に脳裏に浮かんだ訳でなく、実際に書かれている問題文だ。

 

 

 ライはかつてのマカロフの授業を思い出す。確かミリアムが答えた後に2と同じ内容を説明していたはずだ。それに導力ユニットについても説明があったように、導力銃はユニットから供給される導力で実弾を発射する。ならば1と3は間違いであり、4に関してもユニットをいじれば容易に調整可能だろう。ライは解答欄に"2"と書き込んだ。

 

 ……これは正解の予感がする。

 

 

 そして次に政治経済の試験。

 トワの忠告通り、途中にさりげなく時事問題が混ざっていた。

 

 

《問33:昨年帝都ヘイムダルで先行的に施行された法律について答えよ》

 

 >金融取引法

 >特別課税法

 >帝国交通法

 >テロ対策特別措置法

 

 今までの日常で聞いたワードが頭に浮かぶ。

 

 

 これに関してはライの知識は浅い。

 だが、確か前にエマが帝国交通法を"最近帝都ヘイムダルにて施行された導力自動車に関する規定"と言ってはいなかっただろうか。それが先行的かどうかは分からないが、賭けてみる価値はあると、ライは"帝国交通法"を書き込んだ。

 

 ……これは正解の予感がする。

 

 

「――そこまで!」

 

 ベルの音とともに、ちょび髭丸メガネで教頭のハインリッヒが高らかと宣言した。

 そして不正はなかったか、時間通りに机にペンを置いたのかと細かくライ達の机を確認し、机に置かれた紙を素早く回収していく。

 

「ふぅむ。寄せ集めのクラスとは言え、不正をする輩はいなかったようだね。残り1日せいぜい精進するのだよ君達!」

 

 ハインリッヒはそう言い残して教室を去っていった。しかし、その嫌味っぽい言動とは裏腹に、彼はやたら規則正しく模範的な動きだ。

 

「――コォラそこの2人組! 廊下を走るんじゃないっ!」

「「す、済みません!」」

 

 廊下からハインリッヒの叫びと、ついでに例の男子生徒2名の声が聞こえて来る。

 ……これだからサラが試験についてあれほど念押しするのだ。嫌味っぽい性格も、几帳面過ぎる行動も、ハインリッヒは何もかもサラとは真逆。さぞ普段から嫌味が飛んできている事だろうと、ライはサラの境遇を思い憂う。

 

 ……サラについて1つ分かった気がした。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ――19日、最終日。

 

 前日に続き、今日も清々しいまでの雲1つない晴天。どうやら数日に渡る低気圧は過ぎ去ったらしい。幸先のいい状況だと、ライは片手で目元に影を作りながら真っ青な大空を仰ぎ見た。

 

「それじゃ~始めるわよ。みんな席につきなさい」

 

 と、そんな時、正面の教卓からサラの声が飛んできた。

 今日は最後の実践実技の試験だ。教官であるサラすらも中々に意気込んでいる。

 

「さぁて、泣いても笑っても今日が最終日。今日は1教科しかないんだし、みんなしっかりと頑張るのよ♡」

「やけに上機嫌ですね教官。もしや僕達の結果が――」

「あっ、細かい事はまだナイショよマキアス。気になるとは思うけど、来週水曜の結果発表まで待ってなさいな♪」

「……水曜日なんてこなくていいのに」

「はいはい、フィーもそんな弱気にならないの。案外いい結果が返ってくるかも知れないわよ?」

「ホント?」

「さてね〜。んじゃ、そろそろ開始の合図がなるから静かにしてなさい」

 

 妙に機嫌の良いサラだった。

 おそらくは裏でやっている採点の状況が良かったのだろう。裏返しの白紙を前にしても、ライは肩の荷が下りたように感じた。

 

「――それじゃ、始めっ!!」

 

 合図が鳴り、いざ、最終日の試験へ。

 ライは勢い良く裏返しの問題用紙をめくる。

 

(……!?)

 

 幾段にも並ぶ問題を見た瞬間、ライは戦慄した。

 

 答えが手に取るように分かるのだ!

 問題の文章を見た瞬間、今までライが培った知識が既に答えを導き出している。

 これらの問題が簡単過ぎる? いや、今まで以上に思考が研ぎ澄まされているからだ。

 

 止まらない。

 

 走りだしたペンは止まらない!

 

 荒ぶるペン先。最終日にして最高潮のコンディションとなったライは、教卓前のサラが若干引くほどの速度で解答欄を埋めていった。今まで上げた知識の集大成が、今、目の前に答えとして形を成したのだ。その勢いは留まることを知らない。

 

 こうして遂に最後の解答欄。

 それすらもペンを滑るように走らせ、容易に埋めたライは確信する。この試験こそ最高の出来栄えである事を。……試験終了まで後半分以上残っていた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「あ~、やっと終わったぁ!」

 

 最後の試験が終わった帰り道、晴天下の日の下でエリオットが大きく背伸びをした。長い間続いていた緊張から開放された清々しさ。普段毎日吸っているはずの空気ですら違う風に感じる。

 

「ふふっ、試験は大変だったけど、たしかにこう言う空気も悪くないわね」

 

 そんなエリオットにアリサも同意する。

 今この場には、お互い顔を合わせたくない例の2人以外全員揃っている。要するに、フィーやラウラ以外の男子6人女子3人合計9人の大所帯であった。

 

 試練を1つ乗り越えたと言う達成感を共有するライ達9名。暖かな太陽の光も祝福しているように感じる中、皆は揃って街道を歩く。

 

 そして、駅前の広場に着いたその時。

 

「――おっ、お前ら試験帰りか? VII組全員お揃いとは珍しいじゃねぇか」

 

 横道から突然クロウが顔を出した。

 片手をズボンのポケットに入れたまま自然体で近寄ってくる先輩に、初対面の面々は呆気に取られている。

 

「2人いませんよ、アームブラスト先輩」

「ひぃ、ふぅ、みぃ。……あぁ〜、どうやらそう見てぇだな。あいっ変わらず問題を抱えているようで」

 

 やれやれと銀髪を掻くクロウ。しかし、その手の影からチラリと細い目でマキアスの様子を伺った。

 

「……ただまぁ、そっちは上手くやれた見てぇだな。リィン」

「ああ、お陰さまで」

 

 以前のような刺々しさがなくなったマキアスを見て、リィンも同意する。かつての行動は確かに実を結んでいた。それを確かめ合う3人の元に、外野であったガイウスが静かに近寄る。

 

「リィンよ。済まないが、我らに紹介してはくれぬか」

「あ、ああ。彼はクロウ・アームブラスト。俺たちの1個上の先輩で、この前のマキアスの件の時に手助けして貰ったんだ」

「僕の? ……そう言えば、確かにもう1人いたような」

「なるほど、そいつが機会を繋いだと言うクロウ先輩とやらか」

 

 去りし日を思い出そうとするマキアスに、特別実習での会話を振り返って納得するユーシス。他の面々もそんな当事者2人の反応を見て、この軽そうな男性が信用に足る人物だと判断したようだ。

 

「つー訳で、俺がVII組の事件解決にも活躍したMVPのクロウだ。今後ともよろしく頼むぜ! 期待の後輩たち」

「は、はぁ……」

「MVPはリィンじゃないかしら」

 

 こうして戸惑いの声多めな中、クロウは勢いで自己紹介を乗り切った。

 

「ま、それは置いといて、お前らはこれからどうするんだ?」

「どうするって、これから何かありましたっけ?」

「いやいや、あるないの話じゃねぇって。せっかく早めに授業が終わったんだぜ? お前らは打ち上げとかやんないのかって話さ」

 

「打ち上げっ!?」

 

 その魅力的なワードを聞いた途端、ミリアムの顔がパァっと明るくなった。

 他の面々はそう言う考えもあったかと言う反応。リィンとライは以前話し合ったから知っていたものの、上下の関係が薄いVII組では、基本的にこのような情報に対し疎かったのである。

 

「ねぇ委員長! ボク達もやろうよ打ち上げ!」

「え、ええっと。打ち上げにふさわしい場所と言ったら駅前のキルシェでしょうか」

 

 ミリアムの勢いに押されつつも、エマは口元に指を当てて場所を熟考する。駅前に居を構える宿屋兼喫茶のキルシェ。この辺りで食事を取れる場所と言えば、学生会館を除けばそこしかない。

 

 けれど、そんなエマの考えにクロウが異を唱えた。

 

「いや、多分それは無理っぽいぜ。考えても見ろよ。俺たち2年生は既に5回目の筆記試験なんだ。キルシェはとっくの昔に予約済みだろうさ」

「……そうですか。なら以前のように寮の食堂を使うしかなさそうですね」

「う~ん。せっかく時間があるんだし、もっと他にいい場所ないのかなぁ? ねっ、ユーシス?」

「おい、何故俺に話を振った」

「だって四大名門の一角なんでしょ? こう、お金とか使ってパパッとさ!」

「そんな事に使えるか!」

 

 両手を頭の後ろで組むミリアムの気楽な提案に対し、ユーシスは片手で頭を抑えていた。

 まぁ、それはともかく、VII組やミリアムの歓迎会に使ったように、初動が遅れた以上自分達の寮くらいしか場所はないだろう。そう考えた皆は、早速食料などについて話し始める。

 

 ……これでいいのか?

 不意に、ライの思考にノイズが浮かぶ。

 

 数日前考えていたように、これは不仲の解決を願うライにとって明らかなチャンスだ。

 

 しかし、もし寮での食事会を行ったとして、フィーとラウラの2人は参加するだろうか? 

 ……否。十中八九参加はしないだろう。この試験終わりの帰り道ですら別れたのだ。そこそこの広さしかない寮の一室に、わざわざ2人が集う訳がない。

 

(なら、他に方法は?)

 

 相談するリィン達の声をバックにライは考える。

 2人はマキアスの時とは違い、近くにいると気まずくなっている様子だ。ならば、その気まずさが薄れるくらいの規模でなければ、最初の一歩ですら踏み出せない。

 

 必要なのは規模。

 ペンが止まらなかった程の知識を総動員させ、ライは条件に当てはまる場所を探る。そして、青空を見上げた時、ライは絶好の場所を思いついた。

 

「そうか」

「ん? ライ、もしかして何か見つけたのか?」

「ああ、場所がないなら作ればいい」

 

 先の話の通り、ここに食事を取れる環境はないだろう。

 だが広い空間ならある。この天気の良い状況が生み出す最高のシチュエーション。即ち、木に囲まれた広大な士官学院のグラウンドが!

 

「やるぞ、大規模バーベキュー」

 

 ライは無表情に小さく不敵な笑みを浮かべ、その拳を固めた。

 

 ――やるからには、全力だ!

 

 

 

 

 




ペルソナなら青春やらねば!


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38話「唐突な後夜祭」

切り所が微妙だったので、試験的に分割を行わず投稿しました。
長過ぎてスクロールだるいな〜と言う方は感想またはメッセージからご連絡お願いします。


「……バーベ、キュー?」

 

 平日真っ昼間のトリスタ駅前広場。

 ライ達を取り巻く空気は周囲の暖かでのんびりとした広場とは裏腹に、時が止まったかの様に凍りついていた。

 

 流石にいきなりバーベキューは突飛だっただろうか。そう下を向いて分析するライに、ようやく状況を飲み込めたクロウが問いかける。

 

「っんと、確かそれって屋外で肉とか焼く、どっかの国のパーティだったよな? いやいや待て、そもそもグラウンドって士官学院の所有地なんだぞ!? 生徒会の許可だって――」

「アームブラスト先輩。俺の所属は?」

「そりゃせいとか……ってああ、なるほどな」

 クロウが納得したように腰に手を当てうんうんと頷いていた。そして今度は顎に手を当てて考え始める。段々と上がっていく口角。何だか面白くなってきたと、クロウの笑顔にはそう書かれていた。

 

 うしっ、と広場のど真ん中で気合を入れる先輩。

 ライの提案に乗る気満々の様子だ。

 

「けど、今日やるってんなら時間はねぇぜ? その算段はついてるのかよ」

「グラウンドの許可については以前生徒会室で確認しました。導力コンロなら倉庫の点検時にあった筈」

「んじゃ、後は人出と食材ってとこか。……OK。その2つは俺に心当たりがある」

「任せます」

「うし、任された! それと、折角あのだだっ広いグラウンドを使うんだ。こっちも相応の量確保すっから、絶対に許可を勝ち取れよな!」

 

 そう言ってクロウはその身を翻し駆け出していった。

 その頼もしい背中を見送るライの後ろから、おもむろに半信半疑のリィンが近づいてくる。確かに端から見れば、浅慮で突発的な行動にしか見えないだろう。

 

「ライ、本当にやるのか」

「冗談だと思うか?」

「……ああもう、お前に限ってそれはないよな」

 

 無表情の奥に真剣さを秘めたライの目を見て、リィンは疲れたように肩を落とした。

 ――けれどそれも一瞬の事。落とした顔をすぐに上げて、その呆れ顔をライに見せつける。

 

「仕方ない、やるなら俺も協力するよ」

「助かる」

 

 それに同調するかの如く他の面々も名乗りを上げる。

 ただ1人ユーシスは消極的だったが、マキアスの煽り文句を受けてしぶしぶと参加する事となった。

 

 部活動での使用が終わる夜まで残り数時間。規模を考えれば1人ならまず不可能な限界ラインだ。けれど、今のライにはその限界ラインを越える術を持っている。この学院で築いた絆。通信機能を有するARCUSをその手に構え、ライは静かに覚悟を決めた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

『――あ、ライ君? どうしたの? 突然通信してきて』

「ハーシェル先輩。グラウンド使用許可の書類は用意出来ますか?」

『使用許可? えっと、それなら大丈夫だけど、何に使うの?』

 

 ほんの数分前に見た光景を逆走するライは今、ARCUSで生徒会長のトワに連絡を取っていた。

 士官学院へと向かう1歩1歩が成否を左右する。そんな緊張感を胸にライは通話先のトワに向け状況を説明していく。

 

『うん、だいたいは分かったよ。確かに導力コンロなら学院祭で使うものがあった筈だし、多分ジョルジュに頼めば使えるかも。あっでも、その前に教官の許可が必要だから、ライ君はまずそっちを探して! わたしはその間に書類をそろえておくから』

「頼みます」

『えへへ、頑張ってね』

 

 ぷつりと切れる通信。

 正門前に辿り着いたタイミングでライの足は止まった。

 

 ……こう言ったものに肯定的な教官なら1人知っている。右手に収まったARCUSに素早く番号を打ち込み、ライは早速次の相手へと通信を始めた。

 

『あら珍しいわね。グノーシスの件ならまだ情報待ちよ』

「別件です。実は――」

 

 ARCUSで通話するサラに向け、トワに伝えた内容と同じ話をする。

 

『ふ~ん、なるほどねぇ。確かにいい酒のつまみにもなりそうだし、私好みの提案だわ。……でも、残念ながら私の許可じゃ難しいんじゃないかしら』

「その理由は?」

『まず間違いなく100%ハインリッヒ教頭が反対するからよ。ただの教官である私が許可したところで、絶対に納得しないでしょうね。あなたは教頭がバーベキューに賛成する光景を想像できる?』

「無理ですね」

 

 ライは先日の顔を思い浮かべ即答した。

 廊下を走るだけでも大声で叱るハインリッヒ。士官学院の学業に直接関わりのないバーベキューに反対するのは目に見えている。つまりは現段階における明確な壁と言う訳だ。

 

 そして、これを打破する術はただ一つ。

 ライはサラの言わんとする内容を察した。

 

「分かりました。要は教頭が反対出来ない者の許可があればいい訳ですね」

『ふふっ、物分かりのいい生徒で助かるわ♪ 代わりと言っては何だけど、お金の心配はしないでいいわよ。ハイアームズ侯爵から例の件で報酬が支払われているから』

「――? 報酬はグノーシスでは?」

『あなた、相当侯爵に気に入られているみたいよ。だから先行投資ですって。……もしかして、ペルソナについてバレたんじゃないでしょうね?』

「まさか、……いや、可能性は」

 

 2日目の朝に言った侯爵の言葉に、タイミングよく現れた鍾乳洞での一幕。

 否定しきれない要素に気づいたライは思わず言葉を濁す。

 

『あ~、なるほど。穏健派とは言え四大名門の一角、さすがに一筋縄じゃ行かないみたいね。――って、今は推測を悠長にしてる場合でもないか。ともかく資金は十分にあるんだし、やれるだけやってみなさい。いつもあなたが言ってる"全力"とやらでね』

「元よりそのつもりです」

 

 通話が途切れたARCUSを懐に戻し、ライの視線は士官学院の正面玄関へと移された。

 目的地は生徒会室ではなく本校舎。教頭の反論を封じる事が出来る人物など、ただ1人しかいないだろう。最早ほとんど生徒がいない2階建ての本校舎の中へと、ライは赤い制服をなびかせ走り出した。

 

 …………

 

 ……本校舎1階東側、学院長室。

 シャドウ調査が正規軍中心となってからほとんど来なくなったこの部屋に、ライはノックを挟んで入室する。幾つものトロフィーが並び、複数人が入れるような開けた室内。奥にある机の上で書類を読んでいた、身長2m近い屈強なヴァンダイクが作業を止め、落ち着いた視線を向けてくる。

 

「ふむ、何かワシに話したいことがあるようじゃのう」

「学院長。1つ相談があります」

 

 ヴァンダイクから許可を得られるかどうか。

 ライは自身が持てる全ての伝達力を信じ、説得の為に口を開く。

 

 ……こうして、刻一刻と時間は過ぎていった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ――2時間後。

 

 太陽が段々と傾いてきた夕方、空の半分が茜色に染まる薄暗いトリスタの町中をライは走っていた。

 その手に握られているのはヴァンダイクの署名が書かれた1枚の紙。士官学院において学院祭以外に前例のない試みで説得に少々時間が掛かったものの、無事に学院最高責任者の許可を勝ち取ることが出来たと言う訳だ。

 

 今ライが向かっているのは今日何度も訪れたトリスタ駅方面。

 時間が惜しい為、煉瓦造りの町中を疾走しながらARCUSを耳に当てジョルジュに連絡を取る。

 

「ノーム先輩、導力コンロの方は大丈夫ですか」

『心配しなくても大丈夫だよ。導力の調子もいいし、VII組やクロウが寮で集めてくれた平民クラスのみんなも手伝ってくれてるから。――それより、何だか忙しそうだけど君は何処に向かってるんだい?』

「アームブラスト先輩の提案で、詰めの一手を仕込みに」

『……詰めの一手?』

 

 夕方の駅前に戻ってきたライは、ジョルジュに内容を説明しようとする。

 

「――あの、済みません」

 

 しかしその寸前、後方から落ち着いた女性の声が投げかけられ、中断を余儀なくされた。

 

 声を耳にしたライは足を止め、息を整えつつ振り返る。

 そこにいたのは優しげなメイド服の女性であった。少々癖のある薄紫の髪に、慈愛に満ちたエメラルドの瞳。両手を腰前に重ねたその姿勢は、模範的な侍女のそれだ。

 

 何処かの貴族のメイドだろうか。

 そう思いながらライは通話を一旦止め、先の質問に答える。

 

「俺に何か?」

「その赤い制服、VII組の方ですよね。少々お時間よろしいでしょうか」

「……少しなら」

「助かります。実は人を探しておりまして、金髪でアリサ・Rと名乗っていると思うのですが」

 

 アリサの縁者?

 

 "名乗っている"という言い方から、彼女が誰に仕えているか大体の予測が立つ。ただ、このまま無責任に仲介をする訳にもいかないだろう。ライは率直に問いかける事にした。

 

「もしかして、ラインフォルトの方ですか」

「……驚きました。アリサお嬢様、既にご自身の出自をお話になられていたのですね」

 

 口に手を当てて驚いた様子の女性。

 実際のところ、偶然が重なって知ることが出来ただけなのだが。……まあ。今は誤解を解くよりも話を戻すことを優先しよう。何せ太陽は段々と地平線に沈んでいるのだ。あまり時間的余裕はない。

 

「ならついて来ますか? 少し回り道ですが、確実に彼女に会えます」

「ええ、ご一緒させてもらいますわ」

 

 礼儀正しくスカートをつまみ、上品に礼をするメイドの女性。

 侍女と言うよりどこかの貴族のご令嬢と言ったレベルの完璧な動作だ。ライは以前アリサに感じた印象を思い出し、2人の関係を察してその身を翻した。

 

「――ところで何処に寄られるのですか?」

 

 移動を再開しようとしていたライは足を半歩下げて女性に向き直る。そう言えば、その事について説明してなかったか。

 

「トリスタの導力ラジオ放送局、トリスタ放送です」

 

 その先にあったのはTRISTA RADIO STATIONの看板。

 クロウから提案された詰めの一手とは即ち、ローカルラジオ放送の事だった。

 

 ――かくして、日は静かに暮れていく。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 夜空の月が薄っすらと照らす士官学院のグラウンド。

 普段なら誰も足を踏み入れる事のないひんやりとした土の上に、今日は何人もの生徒達が行き交っていた。顔の広いクロウが集めた寮の生徒達。彼らはまっさらな大地の上にバーベキューの準備を進めていく。

 そんな中、とある男子学生が持ち込んだ導力ラジオから、神秘的な女性パーソナリティの声が心地よい風に乗って辺りに広がっていた。

 

『リスナーの皆さんこんばんわ。帝都近郊トリスタ放送より夜6時をお知らせします。本来この時間はトリスタについてのあれやこれやを伝える時間なのですが、今回は特別に代役として私、ミスティが進行・パーソナリティをすることになりました。いつもは日曜日の夜9時から始まるトーク番組《アーベントタイム》を担当していますので、みなさんぜひ聞いてくださいね』

 

 ミスティ、近頃トリスタで密かな人気を得ているパーソナリティ。

 彼女の滑らかで流れるよな声が、彼らの耳に自然と入り込んでくる。

 

『っと、いけないいけない。ディレクターから注意されてしまいました。私の宣伝時間はここまでのようです。――では、番組に戻りまして、今日6月19日はトールズ士官学院の試験最終日でした。1年生のみなさんは初めての試験で相当緊張したんじゃないでしょうか。今日と明日は暖かい紅茶でも飲んで、うんと羽を伸ばしたいところですね。

 でも、とある学生さんはそんなことお構いなしで、なにやら面白いことを始めたそうですよ? ……知ってますか? バーベキュー。なんでも月夜の下でお肉やお野菜を焼いて食べるパーティなんだとか。ちょっとワイルドだけど、その分興味がそそられますね。しかも、食材をいっぱい用意できるみたいなんで、どなたでも参加可能とのこと。テスト疲れを癒している学生さん、それに夕食にお悩みの親御さんも、せっかくですし士官学院のグラウンドに行ってみるのもいいかも知れませんね』

 

 こうして、今まさに準備をしているパーティの存在が、トリスタ全域に広まっていくのであった。

 

 ――それから十数分が経って。ジョルジュの調整が終わった導力コンロを運んできたリィンは、グラウンドの光景を見て思わず足を止めた。

 

「……なんだ、これ」

 

 先に運ばれていた導力コンロから漏れる幾つもの赤い光。そして食材の乗った白い長テーブルの数々。周囲にはクロウが掻き集めた多くの緑服の生徒達が歩き回っている光景が見える。……いや、それだけじゃない。先のミスティのラジオ放送を聞いたのか、段々と学生や親子連れの人々がリィンの横を通り過ぎ、グラウンドの中の人口密度が着実に増していた。

 

 庶民的なバーベキューの性質上、貴族クラスの生徒は数えるほどしかいない。だが、それでも何十人の人々が談話する光景は、既に打ち上げと言うより小さな祭りと言った方が良い程の規模まで成長していた。

 

「まっ、俺達にかかればこんくらい楽勝って事さ」

 

 いつの間にか隣に来ていたクロウがリィンの肩に肘を置いて自慢する。

 だがそれも無理はない光景だ。数時間前に提案したものとは思えない程の規模。だが、リィンは現状を捉え直し、それも当然だと言う結論に至る。何故なら準備に関わる人間だけでも既にVII組の9人、クロウ、トワ、ジョルジュ、それにクロウが掻き集めた平民クラスの集団と、今や学院の約4分の1以上を巻き込む事態に発展してしまっていたのだから。

 

 そして、グラウンドを一望するリィン達の後ろから、今度は食材を抱えるVII組の皆が続々と追いついてきた。グラウンドの異変に目ざとく気づいたミリアム。一足先に駈け出して、グラウンドに続く階段の上からから全体を見渡す。

 

「うっわぁ~人がいっぱいだぁ!」

 

 次いで食材を持ったアリサ、ガイウスと、何時もの面々が階段上に集結する。

 アリサもリィンと同様、その光景に驚いて一瞬ぽかんとした表情となるが、手に抱えている食材を見て今度は困った表情へと移り変わった。

 

「え~っと、ちょっと想像以上に多すぎない? 用意した食材で足りるかしら」

「あ、それなら心配はいらねぇぜ」

 

 街路灯に照らされた士官学院の入り口へと目を滑らしたクロウが、自信満々に肘を曲げ、握り拳の親指で正門を指差す。

 

 釣られて入り口へと視線を移すリィン達VII組。

 明かりの奥は暗い街道が続いている。だが、その中に段々と迫る白く円形の光があった。

 

「――その通り。食材の心配いらないよ、子猫ちゃんたち」

 

 唸る導力エンジンの駆動音が校舎に響き、夜風を裂きながら迫る二輪の鉄塊。頑丈な外装に紫の塗装が施されたそれはリィン達の目前で急旋回し停車する。

 

「基本となる肉や魚から女性に嬉しいヘルシーな野菜まで、私がはるばる帝都から仕入れてきたのだからね」

 

 声の主は導力バイクに馬乗りになったライダースーツの女性。ボディラインがはっきりと見える大胆な出で立ちの彼女はアンゼリカ・ログナーだ。

 その激烈な登場にVII組のほとんどが面を食らう。それもその筈、彼女が乗ってきた導力バイクは、この帝国どころか大陸全土を探しても見られない珍しい導力乗用車であったのだから。

 

「……えっと、鉄の、馬?」

「ルーレの工科大学で試作されてた導力バイクね。たしか車体の傾きを利用して曲がる小型の自動車だった筈だけど、……あれ? でもこれって」

「これはジョルジュが改良したものさ。工科大学で試作されてた導力バイクとは馬力も乗り心地も違うよ」

「ああなるほど。だからここの構造が変わっているんですね」

 

 導力バイクを深々と眺めるアリサを見守りながら、アンゼリカは後部座席に固定していた食材の入った箱を降ろす。アリサの元いたラインフォルト社の所在地は北方の都市ルーレ。そこを治める四大名門のログナー侯爵家の長女であるアンゼリカはアリサと面識があったのだ。

 

 どさりと石畳の地面に降ろされる食材。

 そこに依頼した張本人であるクロウが近づく。

 

「待ってたぜ、ゼリカ」

「フフッ、丁度間に合ったようで安心したよ。これで心置きなく少女たちを誘えると言うものだ」

「うげ、また女の子を口説くのか。こりゃ今年の男子生徒達も浮かばれねぇなぁ……」

「可愛いものを愛でるのに性別など関係ないだろう?」

 

 妖艶で、かつ、並みの男以上に凛とした黒髪ショートカット。そんなアンゼリカの雰囲気から昨年の出来事でも思い出したのか、クロウはげんなりとした顔を晒していた。――そして、我に返ると即座に反転。VII組男性陣に歩み寄り、人差し指を上に向けて後輩達に忠告を放つ。

 

「つー訳でだ! お前らも気になってる子がいたら気ぃつけとけよ。もたもたしてっとあの女にみんな取られちまうからな!」

 

 その顔には緊迫と実感が込められていた。

 

 分かったか!? と言うクロウの気迫に押され、リィン達は戸惑いながらも頷く。言葉の重みから察するに、アンゼリカの行動によって泣きを見た男子生徒は2人や3人どころではないのだろう。数々の悲劇を目の当たりにした男の哀愁がそこにあった。

 

「あはは、なんだか濃い先輩たちだね」

「……ああ、全くだな」

 

 先輩達に聞こえない声で、エリオットとリィンが話し合う。

 一度会えば脳髄に叩き込まれるであろう先輩グループ。少々心配な点もあるが、愉快な人達であると言うのがVII組の総意だろう。

 

 と、話も一段落したところで、遂に最後の立役者が校舎内にたどり着く。

 

「――皆、勢揃いか」

 

 校門側から呟かれた感情があまり乗らない静かな声。

 この場にいる全員が知るその冷静な声色に、皆の会話は一斉にストップした。

 

「その声はライ? あなたも早く来なさいよ。グラウンドが大変なこ、と……に……?」

 

 グラウンドの光景を見せようと振り返ったアリサの顔が石像のように硬直する。

 

 数瞬の間。ようやくアリサの体は活動を再開するも、そのぱくぱくと動かした口から声が紡がれる事はない。トリスタ放送を後にし、寮への寄り道を経てたどり着いたばかりのライは、アリサの異変に鋭い瞳を丸くして疑問を覚えた。

 

「どうした?」

 

 尋ねてみるの反応はない。

 アリサはただライの方向を、いや、正確にはライの隣を見つめてひたすら驚くばかり。何かあるのかと視線を横に向けたライは思い出す。……そう、隣でにこにこと微笑むメイドの素性をだ。異変の理由を理解したライを他所に、アリサの震えた口は遂に言葉を捻り出した。

 

「あっ、う、嘘……シャ、シャロンっ!?」

「お久しぶりです。アリサお嬢様」

 

 ラインフォルト社に使えるメイドのシャロン・クルーガー。

 約2ヶ月ぶりとなる2人の再会は、夜間の校舎が生む不可思議な非日常感の中で果たされたのだった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 じゅぅと言う肉の焼ける音。

 多くの学生達やトリスタ在住の家族連れがわいわいと食事や雑談を楽しむ中、メイドのシャロンは率先して調理を行っていた。慣れた手つきで肉に味付けをし、焼く以外の副菜も整えて料理に彩りを加えていく。

 その隣にはもう一人、金髪を腰まで伸ばした少女の手伝いがいた。

 

「――此度はお嬢様も持て成される身。料理の手伝いなどせず、あちらでご友人と楽しまれてきては?」

「いいのよ。今はシャロンと話がしたかったから」

 

 口ではそう言うものの、アリサはシャロンの顔を見る事なく、淡々と手元を動かし続ける。

 既に一度己の影を受け入れたとは言え、家出同然に別れたシャロンとの再会。それはアリサにとって別の覚悟が必要なものであったからだ。

 

 どう話を切り出そうかと、アリサは手元から視線を外して周囲を伺う。

 吹奏楽部の仲間と語らうエリオット。近くの子供達に向け、肉や野菜が乗った皿をそっけなく渡すユーシス。ゆったりと回遊するリィン、ガイウス、マキアスの3人と言ったように、他のVII組の皆は各々この時間を楽しんでいるようだった。

 

 ただ、1人だけ例外が存在した。

 グラウンドの中をさりげなく、しかし忙しなく駆け回る灰髪の青年。人混みの中を器用にすり抜け、何事もないかのように自然と移動するライの無表情の内に、微かに依頼(クエスト)でもこなしているかの如き使命感が見て取れる。それを見たアリサは、ようやくライがこのバーベキューに求めていたものを理解した。

 

「……ほんと、何やってるんだか」

 

 そんな呟きとは裏腹にアリサの口は綻んでいた。

 誰もライに仲直りしたいなどと言っていない。けれど彼は、望む未来を目指し歩み続けている。それはひどく独善的で、何処までも前向きな在り方。ただひたすらに前を向き続ける彼の姿を見て、何故だかアリサは勇気をもらった気がした。

 

 一回深呼吸をし、隣に立つシャロンへと顔を向けるアリサ。

 そこには何年も見てきた姉のような微笑みが待っていた。

 

「……シャロン。あなたが来たって事は、お母様も当然私がここにいる事を知っているのよね」

「ええ、お嬢様の想像通りですわ」

「やっぱり」

 

 つまり、もう1人のアリサが言っていた夢物語は決して叶う事のない絵空事だったと言う事なのだろう。それを知ったアリサは上を向き、ぼんやりと星空を眺める。

 

 すると今度は、隣のシャロンが不思議そうに手を止めた。

 彼女にしてみれば、もう少し不満を表に出すと思っていたからだ。待ち望んでいた家族での食事を、仕事の為に直前でキャンセルされた時のアリサの顔。いくら歩み寄ろうとしても仕事の前に敗北してしまった少女の憤りを、シャロンはもう何年もそばで見てきたのだから。

 

「お嬢様、ご不満ではないのですか?」

「不満いっぱいに決まってるじゃない。ああもう、今すぐにでもお母様に文句を言いたい気分よ。……でも、同時に納得する自分もいるの。お母様なら知っててもおかしくないかもって。嫌な信頼よねこれ」

 

 そう言いながらアリサは微かな笑みを浮かべた。

 不満と信頼。相反する感情がごちゃ混ぜにアリサの心の中を渦巻いている。しかし、そのどちらも間違いなくアリサの心なのだ。ならば受け入れるしかないでしょ? とアリサは誰かの受け売りの言葉をシャロンに説明した。

 

 シャロンは目を閉じ、一言「そうですか」と呟く。

 隣にいる少女は既に2ヶ月前の少女ではないのだろう。ならばこの話は終わりだと、シャロンの笑顔はいじわるなものへと変わった。

 

「――ところで、お嬢様は意中の殿方など出来ましたか?」

 

 唐突な路線変更に固まるアリサ。

 

「……え? ええっ!?」

「初日に刺激的な出会いを果たしたリィン様でしょうか。それとも鍾乳洞で一時を共にされたと言うライ様ですか?」

「ちょっと、なんでもうその2人に絞られてる訳っ!? って言うか、なんでそこまで知ってるのよ!?」

「ええ、それはもう毎月……あ、いえ、これはまだ秘密でした」

「何よシャロン、気になるじゃない!!」

 

 ふふふとはぐらかすシャロンに、アリサが調理を手伝いつつも詰め寄る。

 

 人々が笑い合う夜のグラウンドの中心に並び立つ2人。それはまるで仲の良い姉妹のような微笑ましい光景であった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 一方その頃、ライは即席の導力灯と導力コンロが照らすグラウンドの中を駆け巡っていた。各テーブルに掛け合い作り出すは流動性。以前の直接的なアプローチが失敗したのなら搦め手で挑むまでの事だ。ケルディックやマキアスの時のように、解決の糸口を掴む為ならば躊躇などしない。

 

 ライが行っていた仕込みとは、このバーベキューでのラインナップに偏りを生む事だった。そうすればグラウンドの中を巡る人々の流れが生まれ、自然と機会も増えていく。後は、個別に呼んだ2人が出くわす様、調整を重ねていくだけだ。

 

「――やってやる」

 

 2人が接近したところで意味などないかも知れない。この行動では何も得られないかも知れない。

 だが、避けていると言う事はそこに何か理由がある筈なのだ。日常とは少々かけ離れたこの空間なら、普段見えない手がかりを得られる可能性は十分にある。ならば前に進めと、ライの中で誰かが叫んでいるように感じた。

 

 ライはそこそこの人混みの中、ラウラとフィー、2人の位置を目視で確認する。そして、己が鋭き瞳に決意を込め、楽しげなパーティの中へと消えていった。

 

 

 ――――

 

 

「む、そなたは……」

 

 バーベキューも中盤に差し掛かった頃、食事を取りにきたラウラは、銀髪の少女とばったり出くわした。こう人が混在している場所では、ラウラの気配察知もあやふやになってしまう様だ。

 

 そのまま過ぎ去ろうとするラウラ。だが、彼女の武術家としての直感が何か違和感を感じ、ふとその足を止めた。

 

「……なんでここに?」

 

 それはフィーも同じだった様だ。

 目を逸らしたまま聞いてくるフィーに対し、ラウラは数秒の間を置いて答える。

 

「……ライに誘われたのだ」

「奇遇、私も同じ」

 

 無言になる両者。痛ましい空気の中、2人の脳裏に共通した人物の顔が浮かんだ。偶然同じテーブルの料理を取ろうとした両者。だが、あの青年ならば、このシチュエーションを意図的に作りかねないと、妙な確信が2人にはあった。

 

 そして、同時にラウラは1週間前の出来事を思い出していた。

 自らが抱える悩みを解こうとする1人の青年。過去2回の特別実習において、対立、共闘、それら両方に組したラウラには、解決の為に奔走するライの考えが嫌でも理解出来てしまう。

 

 ――このままで良いのだろうか。

 

 そんな答えのない感情が、彼女の心の底で芽を出した。

 彼女が貫くは正道。しかし、この状態のままでいる事を良しとするのは、果たしてラウラが目指す正しき者の姿なのだろうか。少しずつ膨れ上がる迷いが、ラウラの口を意図せず動かした。彼女の覇気のない瞳が向くテーブルの上には魚のグリル。甘辛のタレが輝く白身魚の周囲には、色とりどりの野菜が散りばめられている。

 

「フィー、そなたはこのような料理が好みなのか?」

「……ん、個人的にもっと甘い方がいいけど、"レーション"と比べたらどれもおいしい」

 

 レーション、軍事作戦用の携帯食料。

 その単語を強調するフィーを前にして、テーブルの側に立つラウラはその眉をひそめる。彼女の顔から改善を望む活力が急速に消え去り、会話を続けようとした口も止まってしまう。そして一言、

 

「……そうか」

 

 と呟いて、ラウラは人混みの中へと消えていった。

 

 1人残されたフィー。ぽっかりと空けた空間に残された少女は、まるで今の冷戦がなかったかのように動きだし、その表情に乏しい顔で一瞬料理をちらりと見る。やや憂いを帯びた幼い瞳。結局フィーは料理を取る事なく、ラウラとは反対へと歩いていった。

 

 

 ――――

 

 

「今のは……」

 

 2人の対峙をさりげなく観察していたライは、事の顛末を見て1人疑問を感じていた。一瞬好転の兆しを見せていたラウラ。だが、それはフィーの一言によって霧散してしまった。あのフィーの態度が天然であるならまだいい。しかし、もし彼女の言動が意図的なものだとすれば――

 

「――あら、もしかしてライ君ですか?」

 

 思考を中断されたライは振り返る。そこにいたのは夜にも関わらず麦わら帽子をかぶった金髪の女性。太陽のようにのんびりとした雰囲気が包む彼女は園芸部部長のエーデルであった。

 

「こんばんは。バーベキューは楽しめてますか」

「えぇ、いっぱい堪能させてもらってます。今も菜園で野菜がとれたら、こうしてみるのも良いかもと思ってたところです」

 

 のほほんとした笑顔を浮かべるエーデル。その手の皿に小さく盛られたサラダを見るに、満喫しているのは間違いないだろう。

 

「ところで、このパーティを提案したのはあなたと聞きましたが」

「――? ええ」

「やっぱりそうでしたかぁ。だいぶ前の約束でしたけど、実践してくれているみたいですね」

 

 約束、フィーとの仲直りをしてみせると言う誓い。

 それを思い返したライは連鎖的に先の2人の対話を思い出してしまう。確かにミリアムの助言もあって、フィーとの距離は僅かだが近くなった。けれど、ラウラとの問題も加味すれば、決して喜べるものではない。ライの声色が少しばかり暗くなる。

 

「……ええ」

 

 ライの口から紡がれるは肯定の言葉。

 周囲の雑音にかき消されかねない呟きが空気を振るわせたその時、

 

「やっぱり」

 

 ここにいる2人とは別の、クールな少女の声が飛んできた。

 

 短い一言とともに、導力コンロの裏側から巧妙に隠れていた小柄な銀髪の少女、フィーが顔を出す。全く気配も感じないそよ風が如き隠密行動に、ライは嫌でも彼女の素性を意識せざるを得なかった。

 

 紛れもない本物の猟兵。

 密かに2人を観察していた筈のライは、いつの間にか逆に監視されていたと言う訳だ。

 

「あら、フィーちゃん? そんなところにいたんですね」

 

 まるで何にもなかったかのようにエーデルが大らかな対応をしている。

 これは部活仲間の慣れと言うより、単にエーデルの性格によるところが大きいのだろう。驚く表情を想像できないエーデルは、普段通りの雰囲気でフィーに近づく。――けれど、フィーの目的はどうやらライの様で、「ごめん」と一言呟いてエーデルの横を通り過ぎた。

 

 地上に火が灯る星空の下、ライとフィーの2人が向き合う。

 ここ一週間で見慣れたフィーの黄色い瞳は、表情に乏しくもどこか不満げだ。

 

「……よけいなお世話」

「俺の行動が、か?」

「ん、わたしは仲直りしたいなんて頼んでない。……あと、このままの方が多分、お互いのためだから」

 

 最後の呟きはか細く、曖昧なものだった。

 それを見たライの視線は鋭くなる。

 

「――確かに頼まれてないな」

「なら」

「けど、俺は諦めるつもりはない。……これが最善だとは思えない」

 

 今のフィーの態度を見て確信した。

 彼女の言葉に込められた想いとは即ち"諦め"。現状のままでいるのが最善だと言う妥協が、彼女の口や瞳から僅かに感じ取れた。

 

 ――なら、尚更ここで引き下がる訳にはいかない。

 

 フィーに仲直りを強制はしない。けれども、ライは最後まで最善を目指して走り続けると決めたのだ。それはフィーやラウラに頼まれたからではない。今の状況に妥協する意志などないのだと、ライの青き瞳は訴えていた。

 

 それを正面から見たフィーは対話を止め、静かに顔をそらす。

 

「……そっか。やっぱりライはあれと違うんだね」

 

 小さな口から漏れた彼女の本音。

 これが今日聞いたフィーの最後の言葉だった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「……少し、思い違いをしてたみたいだな」

 

 グラウンドの入り口にある階段に座り、遠目でバーベキューを眺めながらライは呟く。

 今までのラウラの様子から、てっきりこの問題の原因はラウラの内にあるものだと思っていた。けれど、現実ではフィーの方にも要因があったのだ。これではいくら機会を作ろうと、生半可なやり方では改善しないだろう。

 

 最近、どうも空回りしている気がしてならない。

 思うよう行かない現状を憂い、ライはぼんやりと夜空を見上げる。

 

「――主催がこんなところで何やってるんだか。せっかくの打ち上げだって言うのに、何も食べなくていいの?」

 

 すると、何時の間にかサラがビールを片手に、すぐ隣の階段に立っていた。フィーといいサラといい、気配を消して近寄らないで欲しい。

 

「十分食べました」

「……嘘ね。あなた表情じゃ分かりにくいんだから、悩みがあるならあるって言いなさいよ」

 

 一瞬でライの内を察したサラは途端に真剣な雰囲気を纏う。

 そして胸の下で手を組んで少しばかり考えると、手帳から1枚の紙を切り離してライに差し出した。

 

「でも、丁度良かったわ。――これ今さっき届いた情報よ。気分転換がてら読んでみなさいな」

 

 おもむろに紙を受け取るライ。その紙切れにはペンで走り書きされていた。恐らく情報とやらを聞きながら書き留めた内容なのだろう。サラが来たであろう背後の校舎側へと振り返ったライは、見慣れない白服を着た短髪の男性を見つけた。ライの視線に気がついた金髪長身の男はこちらを向き、人当たりの良い笑みを返してくる。

 

「彼が独自の情報筋ですか」

「ええ、彼の名はトヴァル。その正体は――今は秘密にしておくわね♡」

 

 サラはお茶目な態度で口元に指をあて、わざとらしくはぐらかしていた。

 ……そう言えば、サラの素性も今のところ不明だ。現在の手がかりとしては、軍事関係ではない事、相当な実力を有している事、後はややフィーとの距離が近い事くらいか。まあ、無理に聞く内容でもないだろうと、ライは手元の文章へと意識を向けた。

 

「グノーシス、……約1月前、クロスベル自治州で広まっていた違法薬物の可能性あり?」

「トヴァルの得た情報だとクロスベル自治州、――ええっと、帝国東端のカルバード共和国との間にある自治州で、1ヶ月くらい前にグノーシスって薬が広まったらしいの。それも、話によると青い結晶のようなもので、願いが叶うと言う触れ込みだったとか」

 

 青い結晶、そして願い。

 確かにライ達が手に入れたグノーシスと似た様な性質を持っている。……それに、確かセントアークで対峙したバグベアーの影はあの青い結晶を"薬"と言っていた筈だ。共通するいくつもの符合点。確定ではないが、ほぼ間違いなく関係あると見ていいだろう。

 

「広まっていた、とは」

「もう原因の組織は摘発されたって事よ。何でもクロスベル警察の1部署である《特務支援課》って人達が活躍したみたいで、クロスベル自治州で暗躍していた組織は壊滅。今は残された導力端末から組織に関する解析をしているそうよ」

 

 言葉の節々から戦いの痕跡が見て取れる。どうやら、遥か東の地でも劇的な物語があったようだ。

 ――クロスベル警察特務支援課。それが果たして味方なのか敵なのか今のライには知る由はない。しかし、同じグノーシスの謎を追う身であるのなら、ライ達の取るべき手段は1つしかないだろう。

 

「サラ教官」

「その特務支援課に協力を仰ぐ、でしょ?」

「ええ」

「そうしたいのは山々だけど、それを決めるのは私たちじゃないわ。今の決定権は帝国正規軍にあるから、まずはそっちに話を通さなくちゃいけないのよ。……ほんと、楽になったのは嬉しいけど、こう言うとき面倒よねぇ」

 

 まるで深海にいるかの様なフットワークの重さに、サラは深くため息をついた。最初の1ヶ月は狂うような忙しさだったが、その分フットワークは軽かった。しかし今は完全に真逆の状態。あの頃の激務が良かったとは言えないが、それでも複雑な気分になるのは否めない。

 

 けれど、サラは直に意識を入れ替えた。

 この転換の早さこそ、普段は飲んだくれの彼女が優秀である所以だろう。正規軍が返すであろう内容を予測し、サラは自分達が取るべき行動をつぶさに組み立てていく。

 

「……こりゃ、私たちも情報を集めておいた方が良いかしら」

 

 結論を導いたサラがそう言葉を漏らした。

 紅い髪に隠れたサラの瞳が、くるりとライの方へと向く。

 

「ライ。試験明けの自由行動日で悪いんだけど、明日また旧校舎に行くわ。他のペルソナ使いの皆にも伝えておきなさい」

 

 サラの声には、拒否は受け入れないと言う確たる意志が込められていた。

 

 試験故に中断を余儀なくされていた久方ぶりの旧校舎調査。

 今この瞬間、様々な問題を抱えたままのライ達は、再びあの異常なる空間へと足を踏み入れる事となったのである。

 

 

 

 

 

 



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39話「異聞録、桐条グループ本社」

全く本編と関係ないですけど、Let's Dance!! してますか?
ペルソナのBGMやっぱいいですねぇ


「射抜いて、ソール!」

 

 人気がない大都市の車道上。絵の具の様に真っ青な空の下で、ビル群の谷間を一筋の光の矢が駆け抜ける。

 

 その先にいたのは3体の人ならざる影。

 太った警官の姿をしたシャドウ達が銃を向けてくる中、ソールが放った矢が1体の眉間を吹き飛ばす。コンクリートビルを深々と穿つ光。アリサが金髪をなびかせ振り返った。

 

「今よ、リィン!」

「ああ! ──シグルズ!」

 

 リィンの足元、灰色の道を青き焰が照らす。

 現れたるは白銀の騎士。シャドウの銃弾を弾くその鎧は、道路上空を駆け抜け敵の目前で急停止。片刃の剣に手を掛ける。

 

 一閃。

 

 横に並ぶ2体のシャドウは真っ二つに分離した。

 黒い水に還るシャドウ達を確認し、リィンはシグルズを青い光へと戻す。

 

「いい感じだったわね」

「ああ、お疲れ」

 

 戦闘終了を分かち合うアリサとリィンの2人。

 そう、今ライ達は再び夕方の旧校舎内、辰巳ホートアイランドへと突入していたのだ。メンバーは今の2人の他に、ライ、ミリアム、エリオット、そして監督であるサラの計6名。つまりは対シャドウ戦に対応可能なメンバーによる調査であった。

 

「久々のペルソナ召還も問題ないみたいね。──それにしても、ここまでシャドウが出始めるなんて。エリオット、あのシャドウのアナライズ出来たかしら?」

「あ、はい! 今みんなに送ります!」

 

 今回の調査の中心はエリオットのアナライズだ。

 幻属性のアーツであるアナライズでは分析出来なかったシャドウも、ブラギのアナライズならば分析が可能。故にサラはシャドウの実態を探る為、片っ端からエリオットにアナライズを頼んでいたのであった。

 

 エリオットが常時展開していたブラギを通じてライ達に分析した情報を送る。

 脳内に直接情報が送り込まれたライ達は、まるで電子の画面でも見ているかの様に、今のシャドウに関する情報を見る事が出来た。

 

 ──────

 法王:収賄のファズ

 耐性:闇弱点

 スキル:シングルショット

 ──────

 

「収賄のファズ、最初の場所で出てきた半液体状のシャドウとは別物か」

「うん。《臆病のマーヤ》と比べると大分強いシャドウだね。異界の奥に来た分、力も大きくなってきたって事なのかな」

 

 有事の為に後方待機していたライは、隣に立つエリオットとシャドウについて考察を進める。ここに来て別種の、確たる形を持ったシャドウも出現し始めたのだ。これは帝国各地で出現するシャドウを除けば初めての事。もしや、この空間も段々と進化しているのではと、芳しくない推論が次々と立つ。

 

 と、そんな2人とは別に、ミリアムも何やら考え込んでいる様子だった。

 それに気づいたアリサが金髪をなびかせミリアムに近づく。

 

「どうしたの?」

「う〜ん、ちょっと気になる事があって……」

 

 耳当てのついた帽子を揺らしながら考え込むミリアム。

 やがてそれは形になったのか、彼女は顔を上げてライ達に向き直った。

 

「エリオットから送られてきたシャドウの情報なんだけどさー。これってペルソナと同じだよね? タロットカードと同じ区分がされてて、耐性もあって、スキルを持っててさ。──もしかして、ペルソナとシャドウ。この2つは同じ力なんじゃないかな」

 

 ミリアムが普段の幼さを潜め、帝国軍情報局の一員としての鋭さを発揮する。ペルソナとシャドウの共通性。普段ペルソナを使役し、シャドウと対立しているライ達にとって、まさに盲点と言える内容であった。

 

「まさかそんな……」

「いえ、その推論、あながち間違ってはいないかも知れないわ。だって、それならペルソナの攻撃が有効な理由になるもの」

 

 サラはミリアムの推論に賛成的だ。そしてもう1人、ライもその推論について肯定的に考えていた。理由は1つ、バグベアーと対峙した時に男が言っていた言葉を思い出したからだ。

 

「エリオット。セントアークでシャドウが召還された時、男が叫んだ言葉を覚えているか」

「えぇっと、……確か『俺はそんなんじゃない』だったかな」

「いや、もっと後だ」

「えっとそれなら、『貴様なんか、俺じゃない』……ってあれ? これって」

 

「わ、私たちがもう1人の自分と対峙したときに感じたものと同じ……」

 

 ライの言わんとする事に気づいたアリサが、思わず言葉を漏らす。

 

 そう、何者かに対する否定の言霊。

 この一言はバグベアー以外にも、ライ達に聞き覚えがあるワードであった。

 

 ペルソナとシャドウは同質の存在。リィン達が対峙したもう1人の自分とは、即ちリィン達のシャドウと言う事だったのだろう。

 まだ推測に過ぎないが、実際にもう1人の自分に対峙したリィン、アリサ、エリオットの3人はそれを事実だと認識していた。

 

「一応、一歩前進なのかしら。でも、ペルソナがシャドウに有効な理由が同一存在だって言うのなら、調べても何の解決にならないって事よね」

 

 サラは求めていない真実に深くため息をついた。

 帝国各地で出現するシャドウを退治するには、一部の人間にしか使えないペルソナは相性が悪すぎるのだ。欲しいのは万人が使える対処法。欲した情報がどんどん遠のいているようにサラは感じていた。

 

「そもそも、どーしてシャドウには普通の攻撃が通じないのかなぁ?」

「……そうね。考えれ見れば、私たちは知らない事だらけだわ。なんで心の力だと言うペルソナやシャドウが物理的な力を持っているのか。物理的法則が通用しない理由はなんなのか。なんで旧校舎にこんな訳の分からない空間が出来ているのか。

 ──だいたい、ライと戦術リンクしてペルソナを得るメカニズムだって不明のままじゃない」

「うわぁ……、謎が多すぎて頭痛がしてきそう」

 

 あまりの不明点の多さにエリオットが頭を抱える。

 実際のところ今のライ達は、謎の害敵に対して正体不明の力で対処しているに過ぎない。

 何故かシャドウに対抗できるペルソナの力を持っていたから戦った。何故かライとの戦術リンクでペルソナを覚醒出来たから戦力が増えた。

 ……こんな場当たり的な綱渡りではいつか痛い目に会ってもおかしくない。サラが躍起になって謎の解明に努めているのは、つまるところ危うい現状に対する不安が原因であった。

 

「ああもう仕方ないわ。今は出来る事からやっていかないと。──エリオット、次はこの空間について何か分析できないかしら」

「はい」

 

 目を閉じ、ブラギを通して周囲へと意識を向けるエリオット。

 人が観測していない死角のみ流動する現象を捉えられれば、何かつかめるかも知れないとサラは考えていた。

 

「……あれ」

「何か見つけたの?」

「いや、逆って言うか何て言うか。……何も変わらなくて」

 

 しかし、エリオットの探知した空間は少々違和感があるものの、物理法則に則った普通の街中だった。人っ子1人いない静かな辰巳ホートアイランド。ビルの1階から屋上まで調べたが特に異変はない。

 

「参ったわね。エリオットの分析も視覚と同じ扱いなら、変化する原因を調べようがないじゃない」

 

 作戦が空回りした状況に肩を落とすサラ。

 だが、リィンは逆に、この特徴が有する利点に気がついていた。

 

「サラ教官。もしエリオットが認知できる場所が変化しないなら、安全にこの異界を進められるんじゃないですか?」

「あっ、たしかに。私とした事がうっかりしてたわ」

 

 今までこの異界の攻略が難しかったのは、一重に変化による帰路の問題からだった。それはもう、人手が足りるなら伝言ゲームの如く人を配置していた程に。……けれど、エリオットが広範囲を探知出来るのならば、その問題は大幅に緩和される。サラは改めてエリオットのアナライズが旧校舎調査の鍵であると確信した。

 

「なら1つ確認しておきたいんだけど、アナライズでの地形分析はどこまで出来そう?」

「人やシャドウと違ってそれほど広くは難しいです。……でも、何か目印があれば、その周辺を調べられるかも」

「目印って?」

「人やシャドウ……後は歩いた道や入口とか、とにかくイメージしやすいものなら多分いけます」

「……イメージ、ねぇ」

 

 サラはエリオットの索敵条件を聞いて意味深げに呟いた。

 セントアークでも、シャドウの用いる毒が人々のイメージの具現化であると聞いている。

 

 イメージ、……心。

 

 普段こう言った調査では軽視されがちな要素が、とこ今回の事件に限っては重大なファクターではないかと、サラは密かに睨んでいた。

 

「なら試しに辰巳ポートアイランドの入口を分析してみてちょうだい」

「分かりました。…………って、あれ?」

「今度はどうしたの?」

「えと、入口の扉に似た反応が2つあって……」

 

 エリオットの紡いだ独り言を聞いたサラ、ライ、リィンの3人は弾かれるように反応する。2つの扉、1つは旧校舎に繋がる扉だとすると、もう一方は即ち──

 

「でかしたわ! 早速その場所へ行ってみましょう」

 

 この世界のさらなる奥地へと続く道を見つけたライ達は、エリオットのナビに従って明かりのない信号機の下を進み始める。

 

 ……ただ1人ミリアムを除いて。

 ミリアムは冷たいガラスの窓に手を当てて、感触を確かめつつ考え事をしていた。

 

「……ペルソナとシャドウが心の力。だったら、シャドウが出るこの空間もおんなじ可能性があるよね」

 

 それは仮説まで至らない小さな考え。

 

「行くぞミリアム」

「あ、うん! 今行くよ!」

 

 故にミリアムは胸の内に隠し、先行するライ達を追いかけていった。

 

 

 …………

 

 

 ──ポートアイランド駅。

 人工島である辰巳ポートアイランドと、大都市である巌戸台港区を結ぶモノレールの到着点。白い柱のモニュメントが並立し、花屋や映画館が立ち並ぶ拠点にライ達は辿り着いていた。

 

 普段は賑わいを出しているであろう空間も今やゴーストタウン。花屋のカウンターに置かれた花束が生活感を演出しており、逆に恐ろしい雰囲気を醸し出している。

 そしてもう1つ異変があった。駅に入る為の自動ドアから溢れ出す光のベール。周囲とは不釣り合いな程に神秘的なその状況は、異界に突入するときや辰巳ポートアイランドに入るときにくぐり抜ける扉と似たものだ。

 

「……今までと同じなら、あの扉の先には別世界が広がっているって事になるわよね」

「どうするの? ライ」

「行くに決まってる」

「うう、またユーレイが出るのかなぁ……」

 

 覚悟を固めたライ達は、硬い階段を踏みしめて一歩一歩駅へと近づく。

 目の前にある真っ白な光の入口。ライはその不可思議なベールの中へと手を差し込む。──大丈夫。他の場所と同じく、向こう側に空間が広がっているようだ。

 

 左右には武器を握りしめた仲間達が真剣な顔で待機している。

 ライはお互いに確認しあい、光の中へと足を踏み入れた。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ふと気がつくと、ライ達の体は揺れていた。

 カタンカタンと定期的に音を立てる地面。両面の大きな窓からは光が差し込み、天井に備え付けられた蛍光灯が細長い空間を余す事なく照らしている。左右に設置されたスチール製の長椅子の上には柔らかいクッションが敷かれ、座ったらとても心地良さそうだ。

 

「ここは、列車の中、かしら」

 

 天井近くから垂れた吊り革を見ながらサラは呟いた。

 窓の外には広々とした大海の景色が広がっている。駅の扉の先が移動中の列車だとは、つくづく常識の通用しない空間であることか。

 

 そして、列車の中にはまた、半透明の影達が日常的な生活を送っていた。椅子に座り本を読む男性、2人で座り何やら雑談している若い女性逹。音もなく繰り返される光景はまさに異様と形容すべきものだ。ライの背後に隠れるミリアムがその証明だと言えるだろう。

 

「やっぱりぃ〜……」

 

「とりあえず進まないか。ここに影がいるってことは、近くに例の3人組がいるかもしれない」

「ああ、そうだな」

 

 リィンとライの視線が注がれるは反対側の車両へと続く扉。後ろの扉は駅へと通じる光のベールである為、進む道はその1箇所しかない。ライ達は半透明の影達を横切って通路を慎重に歩いて行った。

 

 

 ────

 

 

 次の車両には、予想どおり例の3人組がいた。

 友原 翔、頼城 葛葉、葵 莉子の順に並んで座る3人の影。今この車両にいるのは3人を除けば反対に座る女性が1人だけであり、長い車両を4人で占領する豪勢な状況であった。

 

『はぁ〜、スゲェよなぁ。あの天下の桐条グループにお呼ばれするなんてよ〜』

『そうだよねぇ〜』

 

 未だに信じられない風に声を漏らす友原と葵の2人。

 妙な夢心地に包まれる彼らを、中央の頼城は不思議そうに観察している。

 

『そんなに凄い事か?』

『おまっ!? んなの当然に決まってんじゃん! 桐条グループつったら今や南条コンツェルンに並び、日本の100人に2人は就職してる大企業中の大企業! その実質トップである桐条美鶴さんに呼ばれるなんて、オレ逹ゃ政治界のお偉いさんや警視総監とかと同じって事なんだぞ! 例えるなら総理大臣、大統領、Jリーガー、それからそれから……』

『友原、それ有名な役職を適当に言ってるだけだろ』

 

 特にJリーガーは毛色が違うと頼城は突っ込む。

 鋭い正論に思わず黙る友原。そんな2人の光景を見て、葵はくすくすと笑っていた。

 

『でも月光館学園は桐条グループの出資で成り立ってるし、桐条さんは月光館学園の元生徒会長でもあるんだし、やっぱり雲の上の人って感じなのかなぁ』

 

 生徒会役員である葵は、どうやら頼城達とは別種の憧れを抱いているらしい。

 宙を眺めてぼんやりとする葵。しかし、何故か途端に顔を真っ青に染めて、ずーんと肩を落とす。

 

『……どうしよ。わたし、服装とか変じゃないかな? 寝癖とかないよね? うぅぅ、ちょっと不安になってきた』

『いやぁ、気にする事はねぇよ葵さん。こう言うときはレッツチャレンジ! 何かあっても、この頼城葛葉様がささっと解決してくれるからさ!』

『俺は青い狸じゃないんだがな』

 

 そう呟く頼城だったが、その黒眼は特に友原の言葉を否定してはいなかった。その無表情に秘めているのは絶対の自信……ではない。もしそうなったら最善を尽くすと言う意志こそが、彼が貫く態度の根拠だ。

 

 楽天的な程に前向きな友原と、それに釣り合う程の意志を示す頼城。

 葵はそんな2人をぼんやりと眺めていた。彼女の僅かな異変に気づいた頼城が、黒髪を揺らして葵の顔へと視線を向ける。

 

『葵?』

『……えっ? あ、えぇと、何かな?』

『いや、どこか様子が変だったから』

『ええっ!? あ、ううん! 別に何にもないよ? 別に羨ましいとか思ったりなんて……あ』

 

 自爆していく系少女、葵莉子。彼女は恥ずかしさで赤く染まる頬を灰色の長髪で隠し悶絶していた。そんな様子を頼城の体越しに見ていた友原が、容赦なく追撃に図る。

 

『なぁなぁ、羨ましいってどう言う事?』

『だから何でもないって! そ、それにほら、本社に着くまで静かにしようよ! 反対側の人にも迷惑だろうし!』

 

 その青い瞳に渦でも巻いているかの様な葵の慌てっぷり。今この場で最も大声を出しているのが葵で、反対に座る女性を巻き込んだのもまた葵だという事を、果たして彼女は自覚しているのだろうか。

 唐突に巻き込まれてしまった金髪の女性。17歳くらいの外見にも関わらず黒いスーツを着こなす彼女は、ロボットの様に静止していた青い瞳を動かし、騒がしい高校1年3人組へと向き直る。

 

『いえ、私は気にしていないであります』

 

 突然巻き込まれた形だったが、どうやら気分を害してはいなかったようだ。

 と言うより、平然としすぎている彼女を前に、逆に友原達が面を食らってしまう。『あ、えーと、なんか済みません』と小声で呟く友原。妙な気まずさが形成される中、列車のスピーカーから音声が流れてきた。

 

 "──まもなく、桐条グループ本社前、桐条グループ本社前。お降りの際は忘れ物等ございませんようお気をつけ下さい”

 

 窓の外には、世界有数の大企業に相応しい、異様に巨大な施設群が広がっていた。その中央にそびえ立つのは天にも昇る高層の本社ビル。機械的なヘットホンの様なものをつけた女性は、浮世めいた雰囲気を纏ったまま立ち上がり、列車の出入口へと足を進める。

 

 駅のホームに入りゆっくりと止まる列車。

 女性は流される慣性にもビクともせず、開かれる扉を前に振り返った。

 

『それでは、また後ほど』

 

 儚げに微笑んだ女性は、そう言葉を紡いで桐条グループの施設群へと歩いていく。

 

 取り残される形となった頼城達3人。

 彼らは遅れて手荷物を持ち、暖かな日差しが降り注ぐ駅のホームへと降り立った。

 

『何だったんだろ〜な。今の人』

『さあ』

『と、とりあえず私たちも早く降りよう? まずはえと、ええと、入り口の受付に行くんだったっけ!?』

『まずは落ち着け』

 

 頼城は落ちつきのない他の2人をなだめつつ、揃って本社へと進む。

 柔らかな雲が浮かぶ晴天の空。彼らが進む先には空を真っ二つに割く桐条グループ本社がそびえ立っていた。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 3人組の影が霞へと消えてから数瞬の後、ライ達6名が列車の自動ドアから顔を出した。時が止まったかの如く静まり返っている列車。試しに1車両戻ってみたら、そこは依然として駅へと続く、"走行中"の車両の中であった。

 

「はは、は。もう驚くのも馬鹿らしくなってきたな」

 

 扉を挟んで走行と停車が両立する摩訶不思議な光景を見てリィンが呟く。……ともかく、これで退路を確認できた訳だ。エリオットが観測し続ける限り戻ることも可能だろう。

 

「頼んだわよ、エリオット」

「任せてください」

「それじゃ早く後を追おうよ! そしてさっさと外に戻ろっ!」

 

 空元気が見え見えのミリアムに急かされ、ライ達も綺麗な駅のホームへと足を下ろした。その先に見えるのは厳重すぎる程のセキュリティ。しかし無人の今となっては無用の長物だ。ライ達はペルソナで管理室へと通じる防弾ガラスを粉砕し、管理室から駅を抜けることで、広大な本社前広場へと辿り着く。

 

 ギリシャ風の柱が立ち並ぶ広場。遠目に見える車道に横付けされた漆黒の車はリムジンだろうか。そして、何より目を引くのが正面に建つ神話の塔が如き巨大なビルであった。

 

「それにしても、嘘みたいに大きいビルねぇ。20、40、……60くらいあるんじゃないかしら」

「ああ、それに日本って国が近くにないことも確かみたいだ。クロスベル自治州で建設中の新市庁舎も確か40階建てって噂だったしな」

「えっと、オルキスタワーって名前だっけ。最新技術の粋を集めた大陸初の超高層ビルディングって触れ込みの。……こんな建物があったんじゃ名折れもいいとこよね」

 

 遥か前方に広がる光景を見て、考察をするアリサとリィンの2人。

 彼らが知る大陸事情との矛盾から考えれば当然の帰結だ。

 

「雑談はそれくらいにしておきましょう。ここは日本そのものじゃなくて再現空間みたいだし、何が起きてもおかしくないのよ」

「そうそう! だから早くあの3人を追いかけようって!」

 

 数歩前でミリアムが手を振っている。

 それを見たライは視線をエリオットに移す。頷く中性的で真剣なその表情、どうやら周囲にシャドウの反応はないようだ。しかし油断は出来ない。ライ達6人は武器を片手に、神経を尖らせつつ本社へと歩いて行った。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 透明な入り口に足を踏み入れたライ達。

 次の瞬間、周囲の光景が移り変わっていた。

 

 広い応接間。豪華なカーペットが敷かれ、壁の1面が全面ガラス張りになっている。そこから見える光景は小さく見える駅に真っ青な大海原。どうやらここはあの本社ビルの中のようだ。

 

『よく来てくれた』

 

 ソファに座る3人に対し、凛とした女性の声が投げかけられる。

 奥の扉から出てきた赤髪の女性は月光館学園でも見た桐条美鶴。そしてもう1人、白髪で真っ赤なベストを着た男性が、銀色のトランクケースを片手に応接間に入ってきた。

 

 そんな2人の姿を見て、友原がバネの様に立ち上がる。

 彼の顔は緊張一色。作りものと言っていいほどのカチコチぶりであった。

 

『き、きき、きょうはおまねきいただき、か、かんしゃのきわみ……』

『フッ、そう気構えるな。私も元は月光館学園の生徒であった身だ。先輩後輩の間柄で接してくれて構わないさ』

『え、えぇ〜、でも桐条さんは大企業のトップだし、……オレらの命の恩人だし』

 

 段々と声が小さくなる友原。

 そのままぽすんとソファに座る。

 

『気にする事はないって言ったの誰だっけ?』

『ちょっ!? 葵さん、それ言っちゃう!?』

『レッツチャレンジ、か』

『頼城まで蒸し返すなっての!』

 

 2人の猛攻を受けて友原がムキになって叫ぶ。

 友原と葵の顔に先ほどまでの緊張は見られない。それを確認した頼城は、2人から視線を外し、桐条達へと落ち着いた顔を向けた。

 

『俺逹を今日呼んだ理由は何ですか』

『おっ、お前は中々見所がありそうだな』

『話の腰を折るな明彦。……済まない、まずはその話をするべきだったな』

 

 瞳を閉じ、軽く詫びをする桐条。

 その姿に一切のおごりはなく、心から真摯に対応してくれているのだと頼城達は感じた。

 

『話と言うのは他でもない。以前君達が月光館学園で遭遇した怪物、シャドウに関するものだ』

『シャド、ウ……』

 

 以前の恐怖を思い出した葵が、無意識に両手で体を抱いて震えていた。

 ただの学生が経験するはずもない死の感覚。対する桐条もそれを見て、申し訳なさそうに瞳を細め口を閉ざす。

 

 代わりに話をしたのは隣に立つ男性だ。

 彼は一歩前に出て『真田明彦だ』と短く自己紹介をし、本題を続ける。

 

『実は少々面倒なことになっていてな。お前達がペルソナで撃退したあの日以降、巌戸台を中心に似た様な事件が多発している』

『へぇ〜あの事件が、ってえぇっ!? 多発ってマジっすか!?』

 

 そんな話聞いていないと言わんばかりに、友原が目の前のテーブルを叩きつけた。その目が向くのは事情を知るであろう桐条美鶴。彼としては冗談と言って欲しかっただろう。しかし──

 

『──残念だが本当の話だ』

『でもでも、対シャドウ特別部隊、えと、シャドウワーカーでしたっけ。桐条さん達がいるなら大丈夫なんすよねっ!?』

『安心してほしい……と、答えたいところなのだがな』

 

 どうも歯切りの悪い2人。

 友原は彼女らの様子を見て事情を察する。

 

『ま、まさか』

『想像の通りだ。俺たちシャドウワーカーのフットワークでは全部の事件に対応しきれていない。……全く情けない話だがな。人手不足が深刻な問題になっている』

『ひとで、ぶそく? そんなら警察とか、自衛隊とかと協力して……!』

『シャドウに通常の兵器は通用しない。戦えるのはペルソナ使いだけ、つまり俺たちだけなんだ』

『……嘘、だろ』

 

 あの生死の境を経験した事件が、まだ近場で多発している? 

 夢であって欲しいとすら思っていた友原は、思わずソファに座り込む。

 葵の顔も薄っすらと蒼白。しかし、頼城だけは変わらず無表情を貫いていた。真田は頼城を見て不敵な笑みを浮かべる。

 

『その表情、どうやら今回お前達を呼んだ理由が分かったみたいだな』

『ええ。人手不足にペルソナ使い、答えは1つしかない』

『ああその通りだ! つまり『待て明彦。そこからは私が言う』……そ、そうか』

 

 興が乗り始めていた真田の言葉が遮られた。

 ここからは自分が言わねば道理が立たないと、桐条の目はそう言っている。

 

『本来、君たちは巻き込まれた身だ。穏やかな日常を暮らすべきであることも、このような頼みをするべきでないことも重々承知している。──だが、無理を承知で頼みたい。君たちの持つペルソナの力で、私たちに協力して欲しい』

 

 真剣な桐条の瞳が3人に注がれ、同時に真田がトランクケースを開けた。

 

 中に入れられていたのは3丁の銀色の拳銃。

 彼らの生活を一変させるターニングポイントが今、目の前に提示されたのだった。

 

 

 

 

 

 



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40話「異聞録、シャドウワーカー」

 晴天の日差しが差し込む桐条グループ本社の応接間。

 地上が薄っすらと青みがかって見えるほどの高所の一室で、友原達は呆然としていた。

 

『協力してほしい、って……それってつまり、オレ逹もシャドウワーカーとして戦ってくれってことっすよね』

『でも私たちはまだ高校1年だし、そもそも戦った経験なんてほとんどないし』

 

 不安を感じるのも無理はない。一度死を覚悟した程の相手と戦えと言っているのだから、普通の学生だった彼らなら当然と言えるだろう。友原と葵の思考はぐちゃぐちゃになり、まともに物事の賛否すら考えられない状況に陥る。

 

 ……ただ、1人だけは違った。

 

『分かりました』

『って即答すんなよ頼城! お前はあれか! ノーと言えない日本人かっ!?』

『逆に聞くが、友原は身近な問題を前に無視するのか?』

 

 頼城に冷静な視線で返され、自身も冷静さを取り戻す友原。

 その思考で改めて桐条の頼みを思い返し、頼城の言わんとする事を理解する。

 

『……あー、そりゃ、無視する選択肢なんかないよなぁ』

『ええっ!? 友原くんも!?』

 

 驚く葵。しかし、2人にとってこの反応は当然であった。

 緊急時にはテンパってしまう友原だが、平常時の前向きさは頼城のそれより更に上を行く。──レッツチャレンジ。何事も可能性があるなら挑戦すると言うのが彼の信条だ。で、なければ、数多の地雷を踏み抜く事もなかっただろう。

 頼城もそんな友原の性格を知っていたからこそ今の問い掛けをしたのだ。平常時に行動的な友原と、諦めると言う事を知らない頼城。表面上は違えど良く似た2人を眺める葵は、列車の時と同じく羨ましそうにその青い瞳を揺らしていた。

 

『無論、無理にとは言わない。私たちに答えられる事なら何でも答えよう』

『そ、そうですか。ええっと、なら1つだけ。あのペルソナやシャドウって一体なんなんですか?』

『……確かに、それを知らずに戦うのはいささか危ういか』

 

 まるで自分たちがそうだったかの様に、実感の伴った呟きを漏らす桐条。

 質問をした葵はその理由が気になったが、無闇に掘り返すべきでないと、言葉をぐっと飲み込む。

 

『まず、君たちはペルソナやシャドウについてどれほど知っている?』

『え、えと……』

『知らないから聞いてるんですけど』

 

 戸惑う2人。だが、桐条が確認したかったのはそう言う話ではない。

 

『ペルソナ、シャドウ。……どちらも心理学者カール・グスタフ・ユングが提唱した概念ですね』

『ちょ、おまっ、物知り名人かよ!?』

『調べただけだ』

 

 と言うより物知り名人とは一体何者なのか。

 呆れる頼城を他所に、桐条は赤い長髪を揺らして頷いた。

 

『その通りだ。ペルソナとは元来古典劇における《仮面》を意味する言葉。私たちが周囲と接するときに被る別の自分、とでも言うべきか』

『……えと、それはつまり、私が頼城くんや友原くんと接するときは、本当の私とは違うってのと同じですか?』

『あれ、葵さんってキャラ作ってんの?』

『えっ? いやえっと、あの、友原くんは素のままなの?』

『んんん……、あー考えてみりゃ、意識はしてねぇけどオレも素とは言えないかもなぁ』

 

 人は他者と触れ合うとき、無意識の内に本来の自分とは別のキャラを形成する。それがペルソナ。外界と調和し、ときに対立する為に被る心の仮面と言う訳だ。

 

『次にシャドウについてだが、これはペルソナとは逆に当人が嫌い、内面の奥深くへと押し込んだ人格のことだ。誠実を目指す人は横暴な自分を封じ込め、論理的な人間は感情を優先する自分を抑え込む。表に出られない心、文字通り影と言う訳だな』

『あ、これは知ってる。だからもし他人の中に自分の嫌な部分を見ちゃうと、その相手を本能的に嫌ってしまうんだって』

『あ〜なるほどなるほど。って葵さんも知ってんの!? 知らないの俺だけ!?』

『あはは……はは、……うん! 何もしなくても嫌われる理由なら任せて!』

 

 見るからに空元気なガッツポーズを決める葵。自らトラウマを抉る彼女を痛ましく感じた頼城は、ジト目で友原を睨みつけた。

 

『また友原が地雷踏んだ』

『うっせぇ! オレだって気にしてんだからな!?』

 

 どうして友原はこうデリカシーと運がないのだろうか。

 どうして真面目な空気が続かないのだろうか。

 

 そんな下らない事で悩む頼城の隣で、友原が必死に今の話の整理を始めた。

 

『……んー、でもさぁ。そのペルソナやシャドウ、でしたっけ。心の1側面があんな力を持ってるなんて信じられないって言うか』

『君の疑問も最もだろう。私達の心には力がある、と言われても信じられる者はそう多くはいまい。──だが、確かに心は現実をも変える程の力を持っている。個々としては微量なものだがな』

 

 桐条の言葉のニュアンスから察するに、個人の現実に及ぼす影響はそれ程でもないらしい。それも当然だ。そうでなければ今頃世界は混沌としている。

 

『──集合的無意識、という概念がある』

『しゅうご、なんすかそれ』

『集合的無意識、もしくは普遍的無意識とも言われているか。私達が感じ取ることの出来ない無意識、そこに全ての生命の精神が繋がっている領域があると言う話だ。ペルソナやシャドウも元を辿れば、その集合的無意識にたどり着く』

『あ〜〜、え〜と、人類皆兄弟っ、的な?』

 

 いまいち概念が掴めていない友原が? マークを浮かべていた。 

 

『何億、何兆もの生命の精神がつくりだす海、もしくは宇宙と言えば想像もつくだろう』

『……とにかくデッカい事だけは分かりました』

『ああ、途方もなく広大な領域だ』

 

 ぐったりダウンしている友原を前にして、桐条は感心したように目を閉じて頷いていた。もしかして赤髪を伸ばし凜とした彼女は、友原が話についていけているとでも思っているのだろうか。だとすれば割と天然が入っているのかも知れないと頼城は思った。

 

『私達が使うペルソナはその最たる例だろう。集合的無意識には古今東西の人々が想像した様々なイメージが蓄積されている。神や悪魔、過去の偉人など、本当に多種多様なイメージがな。

 ──ペルソナが神話上の名を有しているのも、ペルソナとして召喚される自我がそう言ったイメージと結びついている為だ。現に桐条グループでは、ペルソナから神話的文脈を抽出し、武器に変換する技術も開発されている』

『ペルソナを武器に? うへぇ、さっすが大企業、恐るべし……』

『いや、褒められたものではない。……"桐条"が過去に犯した負の遺産だ』

 

 3人から目をそらす桐条の瞳には、大人っぽい落ち着きの中に憂いを秘めていた。彼女が言う桐条とは桐条グループの事を指すのだろうか。けれど、何故か桐条のたたずまいを見ていると下手に聞けない重さを感じてしまう。

 

『他に何か質問はあるか?』

『……んと、そう言われても思いつかないって言うか』

『私たちの心、無意識には元々力があって、それがペルソナやシャドウ、なんですよね。……え〜と、多分、大丈夫です』

 

 桐条はそんな友原と葵の返事に『そうか』と返し、何やら考え込んでいる最後の1人へと視線を向けた。

 

『頼城、君はどうだ?』

『……1つだけ。シャドウが以前からいるのであれば、なぜ今頃になって事件に?』

 

 頼城は今の説明を事件に結びつけた時、その疑問が気になっていた。

 シャドウが桐条の話通りに人の心に根ざすものなら、以前から事件になっていなければ矛盾が発生する。その理由は何か。

 

 彼の疑問に答えたのは銀色のトランクケースを持つ真田であった。

 

『…… つまり、それこそ今回の事件におけるイレギュラーって訳だ。本来奴らは現実空間に現れない。現実とは異なる時間、空間を形成してその中に住んでいる。現実世界でシャドウが暴れまわっているからには、そこに何らかの干渉があると見て間違いないだろうな。──どうだ? 気になるだろう?』

 

 身を乗り出して聞いてくる真田に、頼城は縦に頷いて答える。

 それに1つ納得もいった。真田の言葉が真実であれば、今回の件はまさに想定外の事態。その状況で対処していたのでは人手不足になるのも無理はない話だ。

 

 その後、一転して静まり返るシャドウワーカーの2人。話題の矛先が事件に向いた以上、この状況で話せる事がなくなったらしい。

 何故なら葵がまだ協力するかを決めてないからだ。もしこの場で話を進めた場合、本人の意思を無視して葵を事件に巻き込んでしまう。故に桐条は今までの流れを一旦区切り、凛々しい視線を葵へと向けた。

 

『どんな判断でも私は引き止めはしない。それに時間が欲しければそれも応じよう。──全ては君の判断だ、葵莉子』

 

 その言葉に打算はなかった。

 桐条は純粋に葵の体や心を案じ、否定、賛成、保留の3つの道を提示したのだ。

 

 選ぶのは誰でもない葵自身。頼城はそんな彼女に言葉を投げかける。

 

『葵、大丈夫か?』

『……ありがと。でも、私も決めたよ。私だって身近な危険を見て見ぬふりなんてしたくない。それに頼城くんが、2人がいれば多分なんとかなる。そう思うんです』

『そうか。君の勇気に敬意を示そう』

 

 両手を固く握っている葵の意志に、桐条はふっと力を抜いた笑みで答えた。

 

『ではこれより、3人は非公式ながらもシャドウワーカーの一員だ。よろしく頼むぞ、頼城、友原、葵』

 

 片手を3人に向け宣言する桐条。

 やや遠くで真田も腕を組んで頷いている。

 

 かくして、頼城達3名はシャドウワーカーとして活動する事となったのだ。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

『まずはこれを受け取ってくれ』

 

 実質先輩となった真田から、3人はそれぞれ紙束と銀色の拳銃を受け取った。

 

『これは?』

『事件に関する調査資料と、ペルソナを安定して召喚するための召喚器だ』

『召喚器? あーこれがオレ達の武器って訳っすね』

 

 拳銃をカッコ良く構えて揚々とする友原。

 そんな子どもっぽい行動をしている彼に真田が忠告する。

 

『ペルソナ使いなら言わずとも解ると思うが、それは敵に向ける道具じゃないからな』

『分かってますよ。これは相手じゃなくて自分の頭を……って何で分かるんだ? オレ』

『先も美鶴が言っていた集合的無意識のおかげだろう。俺たち個人が知らなくても、全ての生命に繋がる無意識は知っている。数年前も何度か見られた現象だ』

『あ〜、だからあの時もペルソナの事が分かったのかぁ』

 

 以前の疑問が解けて友原は笑顔を浮かべていた。

 しかし、対照的に葵の表情は暗い。どうやらその召喚法に対して拒否感を感じているようだ。

 

『でも、何で自身の頭を撃ち抜くなんて……』

『話によれば擬似的に自殺をして、強く自身の死を認識するためらしい。その方がペルソナの出力が高くなるからな』

『し、死で私たちのペルソナが……?』

『ああ。お前達もたしか、死が目前に迫った極限状態でペルソナに目覚めたと聞いているが』

『……そう、でしたね』

 

 普段の明るさがなりを潜め、ぼんやりと地面を眺める葵。ペルソナを覚醒したあの時を思い返しているのか、それとも別の理由か、それは本人以外分からない。だが、頼城はひとまず話題を変えた方がいいだろうと召喚器に視線を向けた。

 

『それより、グリップに埋め込まれたこの青い結晶は?』

『ああ、それは《黄昏の羽根》だ。物質でありながら心と同じ情報の性質を持つ結晶体。ペルソナ召喚時にその力をアンカーとして撃ち出す事で、自己を安定化させる事ができる』

 

 頼城は拳銃のグリップに埋め込まれた結晶を興味深く観察する。

 どこか"月の光”のような淡い輝きを放つ青く透明な結晶体。それはどうやら普通の物体ではない様だ。

 

『……そろそろ、事件に話を移しても良いだろうか』

 

 と、そんな中、側面のソファに座る桐条が口を開いた。

 唐突にも感じるが、今回の本題は召喚器ではなく事件。むしろ1段落するまで待ってくれていた事に感謝するべきだろう。頼城達3人は事件に関する資料へと意識を移す。

 

『現実空間におけるシャドウの被害報告。……調査人は、白鐘直斗?』

『白鐘直斗って、たしかあの探偵王子の? って2年前、実は探偵王女だと発覚したんだったっけ。──頼城は知ってるよな? 八十稲葉市の事件を追ってたって前にテレビで見たぜ?』

『ああ、時々ジュネスの屋上で見かけた』

 

 去年まで八十稲葉市にいた頼城は答える。

 八十稲葉市唯一の大型デパートであるジュネス。その屋上に探偵王子、アイドル、着ぐるみ、不良、やけに漢らしい青年などなど、非常にバラエティに富んだ面々が集まる光景は、近所のちょっとした噂になっていた。

 

『彼女には我々もよく世話になっている。今回もシャドウ調査と言う性質上、彼女の働きに頼っている面も大きいからな』

 

 そんな桐条の話を耳にしながら、頼城は資料に目を通す。

 

 1枚目は事件発生場所が記された地図と概要。巌戸台を中心に同心円状に分布している事が見て取れた。……最初の事件は5月9日の午前ポートアイランド内。頼城達が襲われた時に桐条が来てくれた理由は、恐らく別件で既に動き始めていたからなのだろう。

 2枚目からは更に詳細な資料だ。現れたシャドウの情報、発生した被害、周囲に対する警察の情報統制など、事細かな情報が記されている。調査資料を纏めた白鐘の考察では、シャドウの発見数に対して発生源と思われる人物が非常に多い事から、未だ未発見のシャドウが多数いるのではないかと書かれていた。

 

 ──そして最後から2枚目。事件の調査を通して得られた情報を元に、白銀直斗は1つの推測を書き連ねていた。

 

『……本事件は、シャドウの発生源と推測される人物から共通して”この世界は間違っている”、”偽の神が作り出した”と言う発言が見られる。これらの内容は3、4世紀に地中海周辺で広まった思想《グノーシス主義》との類似点が多く、今後の調査は──』

『グノーシス主義? なんだこれ』

『その内容に関しては別途資料を付けておいた。最後の資料を見てくれ』

『あ〜、なるほど。これなら俺でも分かるぜ。他の質問だってこれくらいあれば『無茶言うな』……ですよねぇ』

 

 友原と頼城はそんな軽口を叩きつつ、添付資料の"グノーシス主義について"と題された文を読み進めていく。

 

『正直、この思想が今回の事件に関係があるのかは分からない。だが現状、数少ない情報であると言うのも事実だ。一応この資料の内容も記憶に留めておいて欲しい』

『りょ、了解っす』

 

 桐条の指示に従い、友原が文面の山にかじり付く。

 彼なりに頑張ろうとしたのだろう。その茶色がかった瞳は必死に左右に動いていた。

 

 

 だが、その行為が完遂される事はなかった。

 

 

 ──突如、立っていられない程の地響きが頼城達を襲ったからだ。

 まるで地面が抜けたかのような異常な揺れ。それは一瞬で止まった。すぐに体勢を立て直した桐条は、素早く懐から通信端末を取り出し、地上の警備へと連絡を繋ぐ。

 

『何があった!?』

『”シャドウです! 大型のシャドウが突如本社内に出現し──ヴアァァァァアアアアア!!!! ……ァ、ァァ…………"』

 

 悲鳴を最後に途切れる通信。

 一体何が起こっている? それを理解するより前に、再度地響きが発生した。

 

 ズシン、ズシン、と定期的に揺れる応接間。

 これは地震か? ……いや違う。これは、巨大な何かがビルの壁面を登ってくる振動! 

 

 唐突に応接間が夜に変わった。

 いや、外から差し込むべき光が途切れたと言うべきか。

 

 何とか姿勢を保つ頼城達は、反射的に窓へと顔を向ける。

 

『へ、へへ……。それ、もう2度目だっての』

 

 そのあまりの光景に、思わず友原が皮肉を漏らした。

 

 壁一面のガラスにも入りきらない異形の仮面。

 太陽を背面に覗き込む影は、4本の非生物的な腕を持った、途方もなく巨大なシャドウであった。

 

 感情の読み取れないシャドウの仮面が不気味に動き、腕の1本が本社の側面から真っ青な上空へと離れる。まるで鞭を絞るようなその挙動。桐条はその動作から数秒先の惨劇を予測した。

 

『皆、伏せろ!』

 

 ──刹那、影の暴力的な一振りが、本社の壁に激突する。

 砕け散るガラス。頼城達の頭上、応接間の壁が容赦なく抉り取られる。

 

 瓦礫が山のように降り注ぐ中、ソファを即席の盾にし、皆は物陰からシャドウを見つめた。地面に黒い指を突き立て、壁を削りながら侵入してくる異形の化け物。その4本の腕はまるで2人の人間を無理やりくっつけた様に歪なものだ。

 

『狙いは、俺達か……?』

『分からん。だが、逃がしてくれる様子じゃなさそうだな』

『ああ、今はこのシャドウを討伐する。──総員、武器を構えろ!』

 

 地面に落ちていた観賞用のレイピアを拾い桐条が叫ぶ。

 包帯が巻かれた拳を固める真田。3人も召喚器を握りしめ大型のシャドウに相対す。

 

 そう、標高180mの寒風が吹きすさぶ応接間で今、ペルソナ使い達は1つの脅威と立ち向かう事となったのだ。

 

 

 

 

 



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41話「異聞録、彼らの戦い」

 壁の1面が吹き飛んでしまった天空の応接間。

 その4分の1程を埋め尽くす大型のシャドウは、2本の腕を壁に突き刺してその躰を固定し、もう2本の巨腕で頼城達を叩き潰そうと豪快に振り下ろした。

 

 身を隠していたソファは豆腐が如く真っ二つ。

 影に隠れていた3人は弾ける様に転がり、それを回避する。

 

『ちょ、これシャレになんねぇだろ!』

 

 尻餅をついた友原は、振りかかる床の破片を見て、思わず後ずさりする。

 

 だが、そんな友原とは対照的に、シャドウワーカーの行動は冷静であった。

 

 同時にサイドを迂回しながら接近する真田。

 彼も分厚い地面の基盤をも砕くその一撃を確認し、シャドウの攻撃範囲の一歩手前で停止する。

 

『その力は少々危険だな。──行くぞ、カエサル!』

 

 腰のホルスターから銀色の銃を取り出し、真田は自らの眉間を撃ち抜く。

 吹き荒れる青き結晶の煌めき。彼の背後に出現するは、小型の地球と鋼の剣を持った巨大な戦士だ。真田明彦のペルソナ、カエサルは地球を天に掲げ、赤い光を解き放つ。

 

 ──タルンダ。

 攻撃能力を低下させる魔法がシャドウの体に絡みつき、その厄介な力を封じ込めた。

 

『いいぞ、明彦! ──ならば私も、アルテミシア!』

 

 桐条の上空に現れたアルテミシアが宙に鞭を打つ。

 すると、突如としてシャドウの右半身が一瞬で莫大な氷山に飲み込まれた。

 空気中の水滴すら凍りつく絶対零度の氷結魔法(マハブフダイン)。体の大部分を覆われたシャドウは氷山を砕かんと動くが、タルンダによって力が下げられた今、それは叶わない。

 

 抑えられたか? 

 

 ……いや、突如として巻き起こった炎が、内側から氷山を粉々に打ち破る。

 自らの身をも灼熱で焦がしながら活動を再開する巨体、それは声にならない威圧を振りまき、空いた2本の腕を握りしめた。

 

 刹那、桐条の周辺に2つの光点が灯る。

 

 反射的に飛び下がる桐条。

 一瞬の後、同時に2撃の火炎魔法(アギラオ)が彼女の華奢な体を吹き飛ばした。荒く舞った赤髪を翻し、桐条は瞬時に状況を察する。

 

『──くっ! 火炎魔法、それも同時だと!?』

『下がれ美鶴!』

 

 真田が両手を構え前進しながら叫ぶ。氷結魔法を得意とするアルテミシアの弱点は火炎だ。故にあのシャドウの攻撃は桐条に大幅なダメージを与えてしまう。

 

 桐条は後ろへ飛び引いた。

 その前を遮るように現れる巨大な壁、頼城の召喚したリーグが射線を遮る。

 

『頼城?』

『俺のペルソナは火炎耐性です。リーグの後ろへ!』

『任せたぞ頼城! 攻めは俺が行くっ!!』

 

 守備を確認した真田がその拳をシャドウに叩き込む。

 

 弾ける衝撃。

 真田の放つ強打が巨体を弾き飛ばした。

 

 壁に突き刺していたシャドウの黒い腕(ストッパー)が宙に浮く。

 ……だが、役目を失った両腕の先から突如、眩い明かりが広がった。

 

 仰け反るシャドウを覆う虹色のベール。

 それは真田の放ったタルンダの力を打ち消し、浄化する。

 

弱体化解除魔法(デクンダ)だと!? しまった、奴の力がっ!』

 

 まるで本体とは別の意思でも持っているかの様な魔法の行使に、真田の反応が一瞬遅れる。その一瞬、力を取り戻したシャドウがその4本の腕を力強く床に叩きつけた。

 

 応接間の左右が割られ、シャドウの重みに耐えきれなくなった床が音を立ててガクンと傾く。

 斜面となった地表を滑る瓦礫。大小様々な破片は遥か下方にある地上へと落ちていった。

 それは頼城達の体も同様だ。足元が傾き宙に浮く両足、ビルの外へと倒れゆく体を反射的に支え、何とかその場に踏み留まる。

 

『──ひゃっ!』

『葵さん!?』

 

 だが、彼女はその刹那の対応ができる程、身体能力や経験を持っていなかった。

 

 足元を取られた葵はバランスを崩し、召喚器を落としてしまう。

 尻餅をついていた友原が急ぎ起き上がって手を伸ばすが、届かない。

 

 葵は坂を転がり落ち、地上へ落下する直前で何とか静止した。

 

『──ッ! 葵、その場を離れろ!』

 

 その光景を見た桐条が叫ぶ。

 葵はぐちゃぐちゃになった灰色の長髪を整える余裕もなく立ち上がろうとするが、もう既に時は遅かった。傾いた応接間の外側はシャドウのテリトリー。召喚器を持たない葵に、迫り来る巨椀を退ける術はない。

 

『──痛っ!!』

 

 部屋に収まりきらないシャドウが葵の体を鷲掴みした。

 まるで昆虫が如く乱暴に持ち上げられる葵。加減を知らないその締め上げに、幼さの残る葵の顔が苦悶に染まる。

 

『あ、あああええと、オ、オレのジオで……』

『落ち着け友原! 下手をすると葵に攻撃が当たるぞ!』

 

 慌てて召喚器を額に当てる友原を、桐条が片手で遮り止めた。

 今の葵は言わば人質。無策な突撃は盾にされるのがオチだろう。

 

 しかし、このままでは葵の身が危険だ。

『なら、どうすりゃいいんだよ!?』と混乱する友原の焦りを収めたのは、駆け寄ってきた頼城の冷静な言葉であった。

 

『友原、俺が奴の視界を塞ぐ。その内に背後に回って隙を突け』

 

 不意の一撃ならば葵を助けられるかも知れない。そう頼城に諭された友原は、震える手を僅かに落ち着かせ、再度召喚器を額に当てる。

 

『お、おう! ──バルドル!』

 

 青き結晶が友原の制服を揺らし、バルドルがシャドウに突撃する。

 当然シャドウの意識はバルドルへ。だが、そのまま迎撃させる訳にはいかない。

 

『燃やせ、リーグ!』

 

 頼城のペルソナが放ったアギがシャドウの目前で爆ぜた。

 

 火炎属性最弱の魔法アギ。

 桐条や真田の用いる最上級(ダイン)魔法には及ばないが、葵を避けなければならない今は逆に有用だ。

 

 視界を包む灼熱のベールがシャドウの視界を閉ざす。

 その一瞬の隙を突いて、バルドルは崩壊した窓の外、シャドウの後方へと回り込んだ。

 

 ──今がチャンス! 

 友原は急ぎ後方から葵を捕まえる腕へと狙いを定める。

 

 だが、バルドルの上方から突如、非生物的な腕が振り下ろされた。

 

『う、嘘だろ!? 後ろに目でもあるってのか!?』

 

 不意打ちは失敗に終わった。

 シャドウの腕を受け止めるバルドル。

 友原は作戦が失敗したショックで一瞬、次の一手が遅れる。

 

 その刹那が勝敗を分けた。

 

 静止するバルドルの周囲に灯る2つの光源。

 同時発動のアギラオが、バルドルの四肢を粉微塵に吹き飛ばした。

 爆炎の中央で青い光が宙に溶ける。

 

『まだだ、カエサル!』

『動きを止めろ、アルテミシア!』

 

 だが、このチャンスを逃すものか。

 バルドルへと意識が向いたシャドウへと、今度は真田と桐条のペルソナがバックアタックを仕掛ける。

 

 長きに渡りペルソナを使役する2人の練度はかなりのもの。

 しかし、それ故にシャドウの対応は素早かった。

 

『逃げただとっ!?』

 

 飛び引き、葵を握りしめたまま大空へと躍りでる大型シャドウ。

 分が悪いと感じたのだろう。応接間を滅茶苦茶に破壊したシャドウは、ビルの側面に腕を突き立て屋上の方へと消えていく。

 

 静まり返った応接間。

 だがそれは、安堵出来る状況では到底なかった。

 ……そう、葵の身の危険はまだ去っていないのだから。

 

 頼城はその拳を固く握り締め、上空を睨みつけた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 瓦礫だらけの地面が傾き、崩壊した応接間の一室に4人のペルソナ使いが向かい合う。時間がない。そんな緊張感が彼らの心を容赦なく削り取っていた。

 

『桐条さん、葵は』

『今はシャドウとともに屋上にいるようだ。私のアルテミシアは僅かだが周囲の反応を感知できるから、身の危険が迫れば瞬時に分かる。今は落ち着いてくれ』

『落ち着ける訳ないっすよ!』

『ああそうだ! 美鶴、俺たちも早く奴を追うぞ!』

『そうしたいのは山々なのだがな……』

 

 友原と真田に押され、桐条は応接間の入り口へと視線を移した。

 そこはもはや壁とは言えない瓦礫の山。廊下も完全に崩れ去っている為、エレベーターどころか非常階段にも辿り着くことは叶わない。

 

 まさに上空180mの孤島だ。追う事も脱出する事も出来ない空間に頼城達は取り残されていた。

 

『早急に対策をとる。皆は今のうちに準備を』

『……仕方ないか』

 

 通信機器を使い地上と連絡を取り始める桐条。

 真田も苦虫を噛み潰したような表情をしつつも、桐条を信じて待つ道を選んだ。

 

 ──こうして、4人はシャドウを目前に停滞を余儀なくされた。

 

 他の道はないかと破片だらけの壁を探る頼城は、ふと、歪んだフレームが散らばる窓際に佇でいた友原を見つけた。上空の強風が彼の制服を揺らしているが、友原はひたすら空を見て動こうとしない。

 頼城はそんな友人の姿を見て、放って置けなかった。

 

『友原?』

『……なあ、頼城。オレって肝心な時に限って、どうしてこうなんだろうな』

 

 友原は、ただ呆然と雄大な景色を眺めてそう呟いた。

 

 後ろにいる頼城には、友原がどんな表情でその言葉を紡いだか知る由はない。

 けれど、背中を見せる友原の手は痛い程に握り締められ、微かな声も震えていた。恐らくは命のやり取りに伴う極度のプレッシャーが彼の心や体を蝕んでいるのだろう。そう捉えた頼城は友原に手を伸ばす。

 

『俺達は学生なんだ。そうなっても不思議じゃ──』

『そうじゃねぇよ! オレには2度もチャンスがあったってのに、両方失敗しちまった……』

 

 ……いや、そうではなかった。

 頼城の手が止まる。

 

 友原は葵を助ける事が出来なかった事を悔いているのだ。

 端から見れば仕方のないことだろう。だが、彼にとってはそう思えなかった。

 

 シャドウに臆せず、もっと早く動けていたら葵の手を掴めたかも知れない。バルドルが腕を受け止めた時に追撃を放っていれば、葵を掴む腕をピンポイントで狙えたかも知れない。そんなもしもの可能性が友原の心臓に針を刺していく。

 

『手が震えんだよ。体が追いつかねぇんだよ。今だって葵さんを追う方法を見つけたってのに、足が竦んで動けねぇ……』

『方法?』

 

 頼城の問いに、友原は崩壊した窓の外を指差した。

 そう、シャドウと同じように、友原達もまたペルソナで飛んで屋上に向かう事。それが彼の思いついた唯一の手段だ。

 

 けれど、友原はそれを実行出来なかった。

 地上の建物群がミニチュアに見えるほどの高さに立つ友原と頼城。もし飛行中にペルソナが消えたら? もし空中で振り落とされて再召喚に失敗したら? それらの答えはたった一文字、墜落による《死》に集約される。

 

 その恐怖を振り払えない友原は、可能性を前に一歩を踏み出す事が出来なかった。葵の命が危機に瀕しているというのに動けない。その事実が、憤りが、彼の心を容赦なく押しつぶしていた。

 

 友原の悩みを察した頼城。

 どこまでも冷静な彼は静かに決心し、途中で止まっていた手で友原の肩を掴む。

 

『お前らしくもない。レッツチャレンジじゃなかったか?』

『でも、こんな状況じゃ何時もと違ぇ『同じだ』……なんだよそれ』

 

 友原は肩を引かれるがままに振り返った。

 覇気のないその表情を見て、頼城は淀みない言葉を続ける。

 

『例え戦場だろうが地獄だろうが、友原は友原だ』

 

 楽観的なほどに明るく前向きなのが友原翔の筈だ。

 頼城の漆黒の瞳は心の底からそう訴えていた。

 

 その迷いのない論調に、友原が硬直し目を丸くする。

 

 数秒の間。

 

『はは、はははは……。オレはオレ、か』

 

 小さく、噛みしめる様に友原は反芻する。

 そんな友人を横目に頼城は、寒風の入り込む断崖絶壁へと歩を進めた。

 

『お、おい』

『行くんだろ?』

『そりゃ、道はそこしかねぇけどさ! でも、もし失敗したらお前も!』

 

 友原の脳裏には地上へ落下する頼城の姿がありありと映し出されていた。しかし、当の本人は特に恐怖を感じる様子もなく、友原に向けてかすかな微笑みを浮かべる。

 

『何があっても、俺が解決してくれるんだろ?』

 

 それは列車の中で友原が口にした言葉。あの時は葵を勇気づける為に、半ば冗談として口にした友原だったが、太陽の差し込む頼城の顔を見ていると、まるで真実であるかの様に思えてならなかった。

 

 ……気づけば、友原の震えは止まっていた。

 

『行けるか?』

『──ああ、当然だろ!? 可能性があるなら何事もまずはチャレンジ! それがこのオレ、友原翔だからな!』

 

 友原は笑顔で、かつ大声で叫ぶ。

 自らの恐怖を打ち払うため、肺の中身を全力で吐き出す。

 

 そうして意識を入れ替えた友原は、いつも通り、楽観的な笑みを携えていた。

 

『うし! そんじゃ行くとしますか!』

『了解だ』

 

 窓の外に向けて突撃の体勢をとる2人。

 その異変に気付いた桐条が、通話を止めて鋭い目を向けてくる。

 

『待て、何をする気だ』

『すいません! オレ達は待ってるなんて性に合わないんで、先行ってます!』

 

 友原と頼城の2人は桐条の声を待つことなく、窓の外、大空へと飛び出した。

 

 全身を駆け巡る上空180mの暴風。

 もう後戻りは出来ない。2人は召喚器を己が頭に添え、──引き金を引いた。

 

『『ペルソナ!』』

 

 青き力の旋風が落下する彼らを包む。

 現れたるは心の仮面、覚悟を示すが如き勇猛たる巨大な人影。

 

 バルドルとリーグがそれぞれの体を掴み上げ、そのままガラスとコンクリートの壁を登っていく。その身にかかる強烈なG。2人は葵とシャドウが待つ屋上へと飛んで行った。

 

 

 …………

 

 

 月光館学園1年の2人を見送った桐条と真田の2名は、人口密度の下がった瓦礫の中で外を見つめていた。

 

『馬鹿者が。まだペルソナ召喚の経験も浅いと言うのに……』

 

 頭を片手でおさえ、静かにため息をつく桐条。

 赤い長髪がなびくその仕草は上品で様になっていたが、残念ながらそれを目に収める者はいない。

 

 そう、残されたもう1人の人物である真田明彦も、部屋の外を向いて準備運動を始めていたからだ。

 

『待て明彦、まさかお前も』

『漢を見せられて黙ってられるか! 俺も一足先に向かわせてもらうぞ!』

 

 後輩2人に感化され、上空へと飛び出す3人目の馬鹿野郎。

 真田も空中でカエサルを召喚し、屋上へと飛んでいく。

 

 ……どうやらこの場にいた男性陣は"辛抱"という単語とは無縁だったらしい。1人残された桐条は、深く肩を落として通信端末を取り出した。

 

『──ああ、私だ。早急にヘリと増幅器の用意を、……ん? アイギスか? …………そうか、なら頼む』

 

 ピッと通話を止めた桐条は、崩壊した窓へと静かに歩いていく。

 先行した無謀な3人の姿は既に見えない。だが、僅かにも分析(アナライズ)能力を持つ桐条には、彼らの状況が曖昧ながら分かっていた。

 

 屋上から感じられる1体と、4人の生命反応。

 戦いの舞台は今、桐条グループ本社の屋上へと移ろうとしていた。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「……行っちゃったわね」

「飛んでっちゃいましたね」

 

 事の顛末を静かに傍観していたサラ達は、桐条と呼ばれた人影が消えた事で呆然と口を開いた。崩壊した応接間も幻の様に元の格式高い部屋に戻り、窓の一箇所にまた光のベールが満ち溢れている。……要するに、あそこから先に進めと言われている訳だ。

 

「ペルソナやシャドウについて情報を纏めたいところだけど」

「まずは先に進んじゃいませんか? ……あのアオイって子がちょっと気になるし」

「まあ、そうね」

 

 アリサに促されるまま、サラは真剣に頷く。

 どうやらアリサはシャドウに捕まった葵の事が心配らしい。そわそわする心配性の少女を笑顔で眺めたサラは、次に無表情のライに視線を移した。

 

「ライもそれでいいかしら?」

「……ええ」

 

 ライは何故聞かれるのか不思議に思いながらも返事をする。

 やや探る様なサラの黄色い瞳。──もしや、ライが微かに感じた引っ掛かりを察しているのだろうか。

 

(あの4本腕のシャドウ、前に何処かで……)

 

 シャドウが現れて以降気になっていたのだが、像が安定していない為、後一歩と言う段階で思い出せない。

 しかし、アリサが言う様に熟考する状況でもないだろう。ライはまばたきとともに意識を入れ替え、光と風が漏れる窓へと歩き始めた。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ──桐条グループ本社、屋上。

 

 ヘリポートが鎮座する広々としたコンクリートの上に、大型のシャドウが威圧感を纏い佇んでいた。その手に握られた葵の顔に覇気はない。握りつぶされる事も、逆に緩む事もない停滞した状況。片手だけは自由だけれども、ひ弱な少女の力じゃどうあっても抜け出す事は出来なかった。

 

『どうしよ。……これって、ひょっとしなくても足手まといだよね』

 

 けれど、彼女の悩みはどちらかと言うと自身の危険ではない。

 

 ──こんな自分じゃ嫌われるんじゃないか。

 

 そんな場違いな、けれど彼女にとっては死活問題な悩みが何時までも渦巻いていた。葵は自身が何時死んでもおかしくない状況だと言う事もすっかり忘れ、ただ呆然とネガティブな自問自答が続く。

 

 しかし、状況は唐突に一変した。

 シャドウが登る際に押しつぶしたフェンスに降り立つ2対の足。友原と頼城が後を追って来たのだ。

 

『見ぃつけた! んと、葵さんはっ!?』

『無事、みたいだな』

 

 葵の無事な姿を見て安堵する2人。

 囚われの葵も同様にその顔を綻ばせる。

 ……けれど、それも一瞬の事。嫌われる事への恐怖がぶり返し、彼女の心を埋め尽くした。

 

 葵だって2人が簡単に人を嫌いはしない事くらい分かっている。

 しかし、彼女は心の底からそれを信じる事が出来ない。月光館学園の噂にもなっている葵の嫌われ方は、どこまでも脈絡のない唐突な物だ。

 ポロニアンモールへ買い出しに行ったあの日だって、生徒会の友達と並んで歩いて行っていた。なのに、いざ店に入ろうとした時、友達は害虫でも見た様な嫌悪感を露わにして帰ってしまったのだ。

 

 答えの見えない状況に翻弄される葵莉子。

 長髪に隠れた瞳に力はなく、その手は小刻みに震える。

 

 頼城と友原はその異変に気づく事はない。

 天高い頂上の救出劇は、1つの爆弾を抱えたまま進むのだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 物陰に隠れ、様子を伺いつつ話し会う2人。

 

『さてさて、どうやって葵さんを助けっか』

『……何も考えてなかったのか?』

 

 シャドウを前にしてノープランな友原を、頼城は冷たく見つめた。

 

『しゃーねぇじゃん! さっきまで一杯一杯だったんだから! ったく、そう言う頼城は何か策あんのかよ?』

 

 今度は友原が睨み返した。

 しかし頼城は当然と言った落ち着きを貫き、左手に持った物を見せつける。

 

 それは銀色の拳銃だ。

 友原は頼城の右手に握られたままの召喚器を確認し、それが頼城の物でないと把握する。

 

『それ、葵さんの召喚器か?』

『ああ』

 

 頼城は視線を友原から、葵とシャドウへと移した。背面であろうとダウンしようと関係なく対処してくるシャドウ。しかし、1つだけあのシャドウにも盲点がある。即ちそれは──

 

『──なるほど、外が駄目なら内側から突破する訳か』

『ほうほう、内側……って真田さん!?』

 

 カエサルに乗って飛んできた真田の声。

 友原は背後からの不意打ちに飛び跳ねた。

 

 けれど、真田は彼を気にする事なく頼城と話し始める。

 

『だが、問題はどうやって葵に召喚器を渡すかだ』

『ええ』

『奴の攻撃は腕ごとに独立していると見ていいだろう。葵を捕まえている腕を除いて3本。俺たちのペルソナを陽動に『ちょ、ちょっと待って下さい』……どうした友原?』

 

 作戦会議を始めた2人に友原が待ったをかける。

 

『内側って、葵さん……何ですよね?』

『ああ、葵がペルソナを召喚すれば脱出できる』

『シャドウの意識は外部に向いている。目立つ俺たちのペルソナを囮にすれば、人間1人くらい近づける筈だ』

 

 頼城と真田の説明を受けて友原も作戦を理解した。

 ……その危険性も。

 

『それ、近づく人間はめっちゃ危険なんじゃ……』

『当然そうだろうな。下手に近づけばあの腕でミンチは免れまい』

 

 床を粉々にしたシャドウの力を思い出し、友原の頬に冷や汗が滴る。

 真田は友原の緊張を察して静かに口を開いた。

 

『その役目は俺がやる。いざと言う時には再召喚したペルソナを盾にすれば良いからな』

 

 葵に召喚器を渡すには、反射的なペルソナ召喚の技術が問われる。それをこの3人の中で最も実行可能なのは他でもない真田だ。しかし、友原はどうにも割り切れない顔であった。

 

『友原、何か代案でもあるのか?』

『い、いや、そうじゃないっすけど。…………っ……』

 

 視線を右往左往させて落ち着きがない。

 言葉を口にしようとするが、声にならない。

 

 友原は1つ提案したい事柄があった。それをせき止めるのは彼自身を蝕む恐怖。彼は歯を食いしばり、己が心の弱さを打ち破る。

 

『……その役目、オレに任せてくれませんか』

 

 そんな友原の口から零れたのは、小さな声だった。

 

『オレ、2回も葵さんを助けられなくて、……ここで足を止めてたんじゃ、オレは今度こそオレを信じられなくなっちまう』

 

 拳を握りしめて言葉を絞りだす友原。

 真田は真剣な目つきでそれを見つめた。感情は十分に理解できるし、心情的にも同意したい内容だ。しかし、この提案はあまりに無謀。故に真田はあえて冷徹に切り返した。

 

『これは遊びじゃないんだ』

『分かってますよ! 何も、勝算もなく言った訳じゃない! ──オレのペルソナは、さっきあのシャドウの腕を受け止めた』

 

 友原の言葉は止まらない。

 もう、その瞳に迷いはない。

 

 友原の中に答えはあるのだから。

 

『オレのペルソナ、物理無効なんです』

 

 これが、シャドウの腕を突破する可能性であった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 物理無効、物理的衝撃を完全に封殺するペルソナの耐性。

 北欧神話において無敵の逸話を持つバルドルだからこそ得られた特殊な力を、友原は心の中で感じ取っていた。

 

 ──だが、本当に止められるのか? 

 

 突撃するのはペルソナでなく友原自身。

 耐性が完全に反映される保証はないのだ。

 

『行けるな?』

『……っ、はい!』

 

 しかし、もう迷う時間はない。

 友原は走る準備をしてはっきりと答える。

 

『シャドウは本能的にペルソナを敵対視する。俺たちのペルソナで奴の攻撃を引きつけるんだ!』

『ええ、リーグ!』

『バルドル!』

 

 大空の下で青き光が巻き起こり、3体のペルソナがシャドウの周囲に展開する。

 

 攻撃する必要はない。

 全力で撹乱に徹し、連続で爆発するアギラオを寸前で躱す。

 まさに戦場が如き火炎魔法の布陣だ。

 コンクリートを削り、鉄骨がねじ曲がる中、友原が足に力を込める。

 

『──っ、今だ!』

 

 葵を掴む手を除いた3本がペルソナに向いている事を確認し、一直線に走り出した。

 

 葵に辿り着くまで十数歩。

 短い筈の距離が、今では永遠の様に感じてしまう。

 

『怖くない怖くない怖くない怖くない……!』

 

 残り6歩。

 ここまで来れば魔法よりも腕での攻撃を優先する筈! 

 

 しかし、ここでシャドウは友原の存在に気づいた。

 

 その仮面を向けることなく降り下ろされる巨椀。

 城壁をも粉砕する一撃を前に、友原はその拳を全力でぶつける。

 

『ぜんっぜん怖くねぇぞバカヤロォォォォ!!!!』

 

 刹那、衝撃波が周囲に弾け飛ぶ。

 

 シャドウとの間に不可視の障壁が現れ、死神の腕はピタリと静止した。

 予想外の展開だった為か、シャドウに刹那の隙が生まれる。

 

 ──今度こそ生かしてみせる。

 友原は決心を固める。

 

『今だ、バルドル!』

 

 近距離で再召喚されたバルドルが葵へと飛ぶ。

 

 壁になるは漆黒の5本の指。

 接近させまいとシャドウがバルドルを掴み上げた。

 

 ……だが、届いた。

 

 バルドルの片手に持たせた葵の召喚器が、彼女の手の届く距離に辿り着いた。

 

『えっ?』

『葵さん! 早くその召喚器をッ!!』

 

 戸惑う葵に向け、友原が叫んだ。

 けれど、葵は混乱するばかりで、受け取ろうとしない。

 

 時間がない状況に焦りを感じた友原は、思わず声を荒げてしまう。

 

『どうしたんだよ! 葵さん!』

『……私は、私なんかじゃ…………』

 

 震える彼女の表情を間近で見て、友原は気づいた。

 何故なら彼女の顔は友原自身と同じだったから。最悪の未来を想像してしまい、恐怖でがんじがらめに縛られてしまっているのだと、理解出来てしまった。

 

『……そういう事かよ』

『っ! 友原くん!』

 

 友原の周囲に灯る幾つもの火種を見て、葵が思わず叫んだ。

 

 桐条の時と同じ光景。すぐに幾重もの火炎魔法が彼の体を焼く尽くすだろう。

 けれど、不思議な事に、友原は一片も恐怖を感じていなかった。

 何故そんな落ち着いているのかと驚く葵に向け、友原は余す限りの答えをぶつける。

 

『葵さん、前も言ったろ? オレ達は一歩を踏み出しゃいいんだ。だってさ』

 

 数瞬後に訪れるだろう灼熱の業火。

 それくらい、今の友原にはどうって事はない。

 

『──オレ達には、頼れる仲間(あいつ)がいるんだからな!』

 

 友原の不敵な笑みと同時に1つの影が降り立った。

 

 青い光を伴った頼城のペルソナ、リーグ。

 それは一瞬で姿を変え、小さなかぼちゃの怪物へと変貌する。

 

『チェンジ、ジャックランタン!』

 

 魔術師の帽子とフードを被った新たなるペルソナ。

 その手に持ったランタンが一際大きく輝き、友原を襲うはずだった爆炎を全て《吸収》する。

 

 ──火炎吸収。

 軽減するでも、無効にするでもなく、相手の炎を自らの糧にする力。

 

 頼城の放った一手は正しく、友原の危機をひっくり返した。

 

 

 

 

 




魔術師:ジャックランタン
耐性:火炎吸収、???
スキル:???
 別名ジャック・オー・ランタン。アイルランドやスコットランドに伝わる死者の霊であり、悪魔に貰ったランタンを片手に地上を彷徨うとされている。……また、アトラス作品においてはジャックフロストの相棒的な役割。ヒーホー。

皇帝:カエサル
耐性:???
スキル:タルンダ、???
 真田明彦の扱うペルソナ。紀元前ローマの実質的支配者であり、その称号《インペラルトル》は皇帝(エンペラー)の語源となった。死後は後継である初代皇帝アウグストゥスによって神格化され、神君カエサルとも呼ばれている。因みにシェイクスピアで有名な「ブルータス、お前もか」は彼の言葉。

女帝:アルテミシア
耐性;火炎弱点、???
スキル:ブフダイン、マハブフダイン、???
 桐条美鶴の扱うペルソナ。古代ギリシアの都市であるハリカルナッソスの女王であったが、同時に紀元前480年頃ギリシア戦争に参加し《戦場を駆ける女》と呼ばれた程の戦士でもあった。尚、マウソロス霊廟を建設したハリカルナッソスの女王アルテミシアとは別人。


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42話「異聞録、友」

『複数のペルソナを使役、……まさか頼城、お前もワイルドなのか?』

 

 桐条グループ本社の屋上に突如として現れた新たなるペルソナ。

 魔術師のアルカナであるジャックランタンを見た真田は、突風が吹き荒れる中、頼城の元へと歩き問いかけた。

 

『……ワイルド?』

『愚者、数字の0、ペルソナを切り替える事のできる特殊な素養の事だ。まさか、自覚なしに使ったのか?』

 

 頼城は静かに頷く。

 ワイルド。自然、いや切り札を意味するワイルドカードの略称か。どちらにせよ、今の頼城にはどうでもいい事だった。

 

 今やらねばならないのは、絆を信じられない少女に接する事だ。

 

 その瞳に映し出されるのはシャドウに捕まった葵莉子。

 目の前に差し出された召喚器を手に取ることが出来ない弱々しい少女を見定め、彼はゆっくりと語りかけた。

 

『葵』

 

 その真っ直ぐな黒い瞳に見つめられた葵は、思わず視線を逸らしてしまった。

 

 先ほどの友原の言葉を受けて、心が大きく揺れているのだろう。

 けれど、頼城はそれでも言葉を止めはしなかった。

 

『大丈夫だ。俺達はそう簡単に嫌いになんかならない』

『……その言葉、前にも聞いたよ』

 

 彼女の呟きは挫折に満ちていた。

 希望を抱いで裏切られたと言う悲痛な声。

 

 だが、頼城の言葉は揺らがない。

 

『信じられないならそれでいい。けれど、俺達はもう友達だ。勝手にでもそれを乗り越えてみせる。……だろ? 友原』

『当然だっての!』

 

 シャドウの巨椀を受け止めていた友原が更なる追撃をも受け止め、元気良く同意する。

 

 それは、本社に来る前も見た光景だ。

 羨ましい程に前を向く2人の姿。葵の心が荒波のように揺れ動く。

 

『もう一度、賭けてみないか?』

 

 葵の前に見えるのはバルドルが差し出す葵の召喚器。

 これを手にすれば、囚われの今から脱出できる。

 

 必要なのは一歩を踏み出す勇気。

 それは先の友原の姿を見て、彼女も痛いほど感じていた。

 

 葵は息を飲み込む。そして唯一自由な片手に力を込め、

 

『……うん!』

 

 召喚器を掴み取った。

 

『私も信じたい。だから答えて! ナール!!』

 

 己が頭を躊躇なく撃ち抜く。

 溢れ出す群青の欠片。それは瞬間的に集まり細い女性の姿へと定まる。

 

 刹那、彼女を中心に疾風の刃が舞い踊った。

 

 ──ガルーラ。

 ナールが解き放った上位の疾風魔法が、シャドウを内側から蹂躙する。

 狙いは一点、桐条が凍らせダメージを負わせた半身!

 

 シャドウの体が膨れ上がり、そして、盛大に炸裂した。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

『うっし、討伐完了っと!』

『あはは、……ごめんね? すぐに召喚器を取らなくて』

『それは言いっこなしだぜ葵さんよ。ちゃんと汚名爆散させたんだしさ!』

『爆散させてどうする』

 

 地面に倒れ動かなくなったシャドウの残骸を横目に、頼城達は無事を分かち合った。

 

 命の危機を脱し、笑顔で言葉を交わす。

 そんな中、唐突に4人目の声が響き渡った。

 

《──皆、無事か?》

『って、うぉあ!? 桐条さんの声が頭ん中に響いてくる!?』

《ああ済まない、驚かせてしまったか。……これは分析能力を持つペルソナの力だ。尤も、私のアルテミシアの力では機械に頼らねば扱えんがな》

 

 脳裏に響く桐条の説明とともにビルの外からプロペラの音が聞こえて来る。それはゆっくりと上昇する黒い軍用ヘリであった。

 

 片面のドアが開き、その中には通信機のような機械に手を置く桐条美鶴の姿。先の流れから察するに、地上から運ばれてきた機械によって、彼女はアナライズの力を増幅させているようだ。

 

『ああ〜、なるほど。でももう遅いっすよ? シャドウは倒しちゃったし』

 

 けれど、シャドウを倒した今となっては、その機械も宝の持ち腐れだろう。友原はピクリとも動かないシャドウの残骸を指差す。

 

《ああ、ここからでも確認した。確かにシャドウは…………》

 

 だが、唐突に桐条は言葉を止めた。

 

 ヘリから見える彼女の顔も真剣そのもの。注意深くシャドウだった残骸を分析し、そして、反射的に身を乗り出した。

 

《残骸から多数のシャドウ反応だと!? ──不味い、今すぐ離れろ!》

『へっ?』

 

 とっさに振り返る3人。

 しかし、全ては遅すぎた。

 

 残骸から弾けるように吹き出す何十、いや何百もの黒い腕。

 散弾が如く迫り来る黒き線が、彼らの体を切り刻む。

 

 ──その寸前、腕は全て地面に叩き落された。

 

『なっ、なんだぁ!?』

 

 上空から降り注ぐ大量の銃声音。

 それを耳にして、3人はようやく銃弾で撃ち落とされたのだと気づく。

 

 太陽の昇る空を仰ぎ見た頼城達は、大空を飛ぶ女性の人影を目撃した。

 恐らくはヘリから跳んだのだろう。だが、それだと優に数十mはジャンプした事になってしまう。

 

 まさに人知を超えた芸当。

 

 そんな感想を抱いた直後、人影は回転しながら屋上へと着地する。

 陥没するコンクリート。しかし、彼女は特にダメージを負った様子もなく立ち上がった。

 

『危機一髪、であります』

 

 それは列車で見た金髪の女性であった。

 相変わらず浮世めいた青い瞳で、微塵も目をそらす事なく片手を構える。

 

 しかし、裾の長い制服を着ていない彼女の姿はどこから見ても異常だ。関節は機械仕掛けの駆動音を発し、構えられた指の先は機銃。手首は巨大なマガジン。背中に取り付けられているのはバズーカ砲だろうか。全身兵器のその姿は、まさしく機械仕掛けの乙女と言えよう。

 

『な、なな、な……』

『対シャドウ特別制圧兵装、アイギスです。現時刻をもって戦線に参加します』

『あ、はいどうも、友原翔です。……って、どう考えてもおかしいっしょ!? アンドロイドって何世紀先のテクノロジーだよ!』

 

 友原の頭は度重なる異常でパンクしそうだった。いくら最先端を行く桐条グループとは言え、人造人間は完全にSFの世界の住人。身体は何とかなろうとも、精神を作るなど出来よう筈がない。

 

『いえ、私の心は機械ではなく──』

『アイギス、説明は後だ! 今はあのシャドウを片付ける!』

『……確かに、猶予はなさそうですね』

 

 真田に促され、アイギスと頼城達はシャドウへと向き直る。

 

 残骸から吹き出したシャドウの姿は、いつの間にかグロテスクに膨れ上がっていた。数多のシャドウを無理やり繋ぎ合わせたような歪な姿。その混沌とした姿を見ていると、思わず吐き気がしてくる程だ。

 

『シャドウのパッチワークと言ったところか。通りでいくつもの魔法を同時に使えた訳だ』

《だが、1つの意思で動いていた以上、どこかにコアとなるシャドウがいる筈だ。それを見つけ出し、殲滅しろ!》

『了解であります!』

 

 アイギスの瞳に搭載された照準器が歪なるシャドウを定め、全身の兵器を起動させる。

 

 セーフィティ解除。

 一斉射撃(バースト)開始。

 

 地面に降り注ぐ薬莢。嵐が如き銃弾がシャドウを穿つ。さらにバズーカ砲が火を吹き、歪な敵の身体を榴弾の爆風で散り散りに吹き飛ばした。

 

 だが、シャドウの膨張速度は鉛弾と爆薬の殲滅力を上回っていた。

 攻撃を逃れた隙間から数本の腕が伸び、アイギスへと殺到する。

 

『──! ペルソナ、レイズアップ!』

 

 アイギスを中心に旋風が巻き起こる。

 

 現れたるは槍と盾を持った機械仕掛けのペルソナ、アテナ。

 シャドウの放った腕はアテナの盾に衝突し、頼城達の周囲に弾け飛ぶ。

 

 歪なるシャドウの反撃は外れた。しかし、アイギスの猛攻が止んだ今、歪なシャドウの増殖と再生は、頼城達の周囲を埋め尽くす程に広がっていた。

 

『フッ、奴らも必死だな』

 

 前後左右、上方までもシャドウの腕が飛び交う中、真田はカエサルを呼び不敵に微笑む。

 ──刹那、膨大な雷撃が空を塗り替えた。カエサルの放ったマハジオダインが上空のシャドウを一掃したのだ。

 

『友原、葵、俺達も行くぞ』

『おーけー、こんくらいどうって事ねぇよ!』

『私だって!』

 

 左右後方から迫り来る攻撃は3人のペルソナが消し飛ばす。

 

 シャドウの腕が織りなす集中砲火を、ペルソナ使い達は背中合わせで凌ぎきっていた。お互いの死角を補い合い、火炎、疾風、電撃の嵐が迎撃する。

 そんな中、外部からアナライズしていた桐条が、増殖再生の中心を遂に捉えた。

 

《──見つけたぞ! 本体は2時の方角だ!》

 

 桐条から送られてくる情報を元にコアとなるシャドウを目視した。

 不完全に融合した仮面。あれが本体か!

 

『私が道を切り開きます。──アテナ!』

 

 機銃の残弾を全て掃射しながら叫ぶアイギス。

 防御を担っていたアテナが槍を構え、本体に向け突撃する。

 後方のバーニアは出力最大。無理やり本体への道を切り開く。

 

 僅かに出来た空白のトンネル。再生するシャドウに押しつぶしかけた道を、カエサルが押し広げた。

 バルドルと友原は頼城達に迫る脅威を止め、ナールの疾風魔法がそれを吹き飛ばしている。

 

 そう、全ての道は整ったのだ。

 

『トドメはくれてやる! やれ! 頼城ッ!!』

『任せたぜ、親友!』

『頼城くん!』

 

 頼城は片手を突き出し、全力でリーグを飛ばす。

 

 リーグは黒い腕の雪崩をかい潜り、本体である仮面を無理やり引きちぎった。

 

『──これで、終わりだ』

 

 リーグの手に力が込められ、歪な仮面を握りつぶす。

 すると、繋がれていたシャドウ達が黒い水へと帰り、周囲は赤くなりかけた夕方の空へと戻っていった。

 

 今度こそ、戦いは終わったのだ。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 平穏を取り戻した屋上に降り立つ桐条グループのヘリ。コンクリートの地面に足をつけた桐条美鶴は、再び通信機器を通じて何やら話を始めていた。

 段々と眉間を険しくする様子を察するに、芳しくない報告である事は間違いないだろう。

 

『……ああ、そうか、分かった。そちらは被害状況を纏めてくれ』

『桐条さん。何かあったんですか?』

 

 通話を終えたタイミングで、葵がおずおずと問いかける。

 

『我が社が保有する《黄昏の羽根》の大半が、何者かに強奪されたらしい』

『え?』

 

 葵の声が止まる。

 心と同じ特性を持つ結晶体、黄昏の羽根。その保管場所が今回の騒動の裏で襲われていたと言うのだ。

 

 そんな事件、今の今まで知る由もなかった。

 

『ちょ、ちょっと待ってくださいよ。だったらオレ達が倒したシャドウは……』

『私たちの目を欺くための陽動だったのだろう』

『……そんな、あんな強ぇのが単なる陽動? 嘘だろおい』

 

 驚きとともに緊張の糸が切れたのか、友原が呆然と地面にへたり込む。

 

『だが、これで1つだけはっきりした。今回の騒動は偶発的な現象などではなく、何者かが意図的に引き起こしている事件。……つまり、何らかの目的を持った黒幕が存在する、とな』

 

 それこそが、今回の騒動における唯一の成果であったと言えよう。

 桐条は一旦頼城達から視線を外し、今も尚、真っ青な大空を望む。

 

 この空の続く何処かに事件の犯人が潜んでいるのだろうか。それともシャドウが作り出す異界にでも潜んでいるのだろうか。未だ雲を掴むような状況だが、放置出来る状況でない事だけは間違いない。

 

 桐条は小さく吐息を漏らし、現状を正確に把握した。

 そして、また頼城達3人に向き直り、シャドウワーカーのトップとしての言葉を発する。

 

『今回犯人にしてやられてしまったが、シャドウの現れた際の状況を洗い直せば何か分かるかも知れない。しかし、その解析に時間がかかるのもまた事実だ。……今はゆっくりと休んでくれ』

 

 参加を表明してすぐの激戦だ。肉体面、精神面、双方に多大な負荷がかかっているのは想像に難くない。故に桐条は心からねぎらいの言葉を口にし、3人を地上へ向かう漆黒のヘリに案内した。

 

 回転するローターの下、頼城達がヘリに乗り込もうと足をかける。

 すると、アイギスと真田の2人が見送りにやってきた。

 

『今後は現実世界に現れたシャドウを掃討するため、共闘する機会も多いと思われます。ですから、コンゴトモヨロシク、です』

『ええ、今後ともよろしく』

『……頼城、流石に順応早すぎね?』

 

 未知のテクノロジーと平然と握手を交わす友人に友原がツッコミを入れた。

 ただ、友原も外野ではいられない。後方から真田に肩を掴まれ『うへっ?』と奇声をあげてしまう。

 

『始めは臆病な男かとも思っていたが、中々にガッツがあるじゃないか! ──そうだ、今度体を鍛えるために特製のプロテイン丼を振舞ってやろう。なんなら葵もどうだ?』

『プロテイン丼っ!? なんすかその混沌とした響きは!?』

『え、えと……』

 

『2人とも、拒否して構わないぞ』

 

 もう慣れっこなのか、桐条が困っている後輩に向けて助言をしていた。

 

 そして数分後、会話を済ませた頼城達がヘリに乗り込み、長椅子に座る。

 これで今日は帰れるのだ。最後に桐条が別れの言葉を口にする。

 

『……ともかく、今日は経験も浅いというのに良くやってくれた。ペルソナの使役は精神的な負担となる。体に問題がなくとも十分に休息を取るように』

『りょ、りょうかいです』

『学園の方には私から伝えておこう。…………そうだ』

 

 最後に桐条は思い出したように言葉を付け足す。

 

『良くぞ、生き残ってくれた』

 

 それは、今まで見た中で最も穏やかな微笑みであった。

 過去に誰か失う事でもあったのだろうか。それを聞くのは野暮だと言う事くらい、流石の友原も理解していた。

 

 だからこそ頼城達は三者三様の返事を口にし、ヘリの扉が音を立て閉まる。

 

 そして、ゆっくりと浮かび上がる3人を乗せたヘリコプター。

 彼らが経験した2度目の戦いは、かくして終わりを告げるのだった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ヘリが屋上から消えた後、全ての痕跡は幻のように消えていった。

 ライ達は周囲を調べたものの、先に通じる道はどこにも見当たらない。

 

 どうやら、今回はこれで終わりのようだ。

 

「……帰りながらでも、今回の情報を纏めましょうか」

 

 これ以上の探索は無意味だと判断したサラがその足を翻して戻り始めた。

 7組の面々もそれに続き、今回得られた情報について考え始める。

 

「まずはペルソナとシャドウについて、ですか」

「ええ、全生命体の精神が集まっていると言う集合的無意識。それが力の源だって話だったわね」

「心の底が繋がってるって、そんな事ほんとにあるのかしら」

 

 アリサが自らの内に問いかけるが、実感は欠片も沸かない。

 そもそも、無意識とは文字通り自覚する事の出来ない領域だ。こんな事をしても意味がないのはアリサも重々承知していたが、あるのかすら曖昧や存在と言うのは、もやもやとした気分にさせられる。

 

 ただ、集合的無意識の存在を証明する事は出来る。と、リィンが話題の舵をきった。

 

「あのトモハラって人も言ってたけど、俺たちがペルソナの名前や特性を知ったのは、誰かに教えてもらったからじゃない。いつの間にか、そう"無意識"の内に理解した感じだった」

 

 リィンの言葉を聞いてライも思い返す。

 無意識に理解していた召喚器の使い方、ペルソナと言う単語、耐性、スキルの意味、そしてペルソナチェンジ。どれも湧くように頭に浮かんだものばかりだ。

 

 それはペルソナに目覚めた他の皆も同様だろう。

 誰しもが納得した様子で、異論を挟む者はいない。

 

「集合的無意識の存在は事実と見て間違いなさそうね。──それより、今回もっと重大な事実が表に出てきたわ」

 

 サラが話題を移す。

 

「もっと重大って、なにかありましたっけ?」

 

 その言葉を不思議に思ったのか、エリオットが問いかけた。

 

「なにって、あの応接間に現れたシャドウの事よ。シャドウワーカーの話じゃ、シャドウは普段どっかに隠れてて現実世界には現れないそうじゃない」

 

 正確には異なる時空を形成する、だったか。

 だとすればこの旧校舎内の異界は、シャドウが現れる空間としてむしろ自然な場所なのかも知れない。と、ライは漠然と捉えていた。

 

「問題なのは、今現在エレボニア帝国を脅かしているのが、"現実世界に現れた"シャドウだって事。帝国に現れたシャドウと、日本に現れたシャドウ。この2つって偶然だと思う?」

 

「ん〜、普通に考えると、偶然って線はなさそうだよねぇ〜」

 

 ミリアムが頭の後ろで手を組んでお気楽に述べる。

 ……だが、それでもエリオットは何か引っかかる様子だ。

 

「でも、まるっきし同じ訳でもない、のかな」

「エリオット?」

「ライも思い出してみてよ。バグベアーがシャドウを呼び出した時って、別に"この世界は間違ってる!”とか、”偽の神が作り出した!"とか言ってなかったよね」

 

 ……確かにそうだ。横から覗き込んだ事件の概要とエレボニア帝国の件とでは、重ならない特徴も存在する。

 

「それに、向こうじゃ”シャドウ様”って噂も広まってないみたいだったし、そもそもバグベアーの影とかは喋ってたし、同じって考えるのも何だか違うような気がして」

 

 エリオットが感じていた違和感とはつまり、そう言う事だった。

 

「だとすれば、同一犯の犯行とは考えにくいわね。2つの事件はそれぞれ別の思惑で動いていて、手段の一部分だけがたまたま一致したって事? それとも何かによって差異が生まれてしまったか……」

 

 口元に指を当てて深く考え込むサラ。

 しかし、段々と行き詰ってきたのか、遂には爆発してしまった。

 

「……ああぁもう! 判断材料が足りなすぎて考えが纏まらないのよ!」

 

 場所は桐条グループ本社の入り口広場。

 彼女の叫びもその広々とした空間に溶けて消えていく。

 

 と、そんな彼女に反応する声が1つだけあった。

 

『すみませ〜ん! ここで降ろしてもらえませんか〜?』

『え、宜しいのですか?』

『はい』

『帰りはゆっくり列車で帰りますので、お願いします』

 

 広場のど真ん中に降り立つヘリ。

 その開かれた扉から降りてくるのは……

 

「あれって例の3人?」

 

 そう、物語はまだ終わってはいなかったのだ。

 半透明の3人組はヘリを後にし、夕日が沈む海辺へと駆け出していく。

 

『わぁ〜、ヘリの中からも見えてたけど、今日の夕日って綺麗だねっ!』

『やけに元気だな』

『しゃ〜ねぇって頼城さんよ。オレ達は死線をくぐり抜けてきたんだぜ? 周囲の何もかも綺麗に見えるってもんさ。──ぃやっほぉぅ! オレ生きてる!』

 

 一番元気なのは友原だった。

 

『あはは、でも本当に今日はありがと』

『へっ? 何だよ突然。シャドウから助けたのだって、当然の事をしたまでで』

『えとそれもあるけど、もう1つ、私を勇気づけてくれたこと。多分あのままじゃ私、生き残ったとしても2人を信じられなかったから』

 

 背中で手を組み、くるりと回る葵莉子。

 彼女の長い灰色の髪が夕日に当たり、きらきらと輝いて見える。

 

『それに嬉しかったんだ。本音で友達だって言ってくれて。……正直に言っちゃうと羨ましかった。頼城くんと友原くんって、前を向くのが友情の証みたいになってて、後向きな私は蚊帳の外なのかもって思ってたから』

 

 友情に飢えていた葵は、もはや性別とか関係なくその事ばかり気にしていた。

 

 けれど、今は蚊帳の外なんて思っていない。

 今の葵は前を向いて、自信を持って絆を信じていられる。故に彼女は聞こうとしていた。何年も前から密かに願っていたその夢を。

 

『だから、ね、その……名前で呼んでも、いいかな?』

 

 頬を赤く染めて問いかける葵。それは恥ずかしさからか。それとも夕日に照らされているからだろうか。

 どちらにせよ頼城達の答えは1つだった。視線を右往左往させる少女を待たせる訳にはいかない。

 

『むしろ、願ったりかなったりだっての! なぁ頼城?』

『ああ』

 

『そう!? だったら改めて、──よろしくね! 翔くん! くじゅ、は……』

 

 

 噛んだ。

 

 ここぞと言う時に噛んだ。

 

 

 頼城達の時が止まる。

 それはもう、端から見ているライ達も何故だか気まずい程に。

 

 太陽のような笑顔だった葵は途端に曇り空になり、ふらふらと海岸に歩いていく。そして砂浜にしゃがみ込み、明かりのない朧げな瞳で、ただひたすらに”の”の字を書き続けた。

 

『あは、あははは……、なんで私って、こう……』

 

 友原が地雷系男子だとすれば、彼女は自爆系女子と言うべきか。

 爆発物の多すぎる友人関係に頼城は悩んでいると、隣でツボに入ったらしい友原が笑い出した。

 

『くくく、いや気にする必要ないって! それにさ、くくっ、"くずは"って確かに言いにくいし! ……はははははは!』

『おい』

 

 人の名前になんたる感想か。

 頼城の鋭い視線によるチョップが炸裂する。

 

『悪りぃ悪りぃ。……けどさ、言いにくいならいっその事、あだ名にすりゃいいんじゃねぇ?』

『あだ名? えと、例えば?』

 

頼城葛葉(らいじょうくずは)だから、んんっと、……”クズ"!』

『却下』

『ひでっ!? 何が悪かったんだよ!』

『……翔くん、流石に(くず)はないんじゃないかな』

 

 2人の冷たい視線が突き刺さる。

 針のむしろとなった地雷系男子、友原翔は、必死に少ないボキャブラリーを探り始めた。

 

『ならクズっち? クズりん? クズクズ? ……クズ太郎?』

 

 頼城と葵が心配するくらいに迷走する友原。

 

 しかし、

 

『おおっ、そうだ!』

 

 彼は突然、閃いた!と言わんばかりに顔を上げた。

 夕日をバックにしたり顔で指差し、頼城と葵に向けて思いついたあだ名を宣言する。

 

 

 

『──《ライ》ってのはどうだ?』

 

 

 

 今度は、ライ達の時間が止まった。

 

 

『葛葉が駄目なら、頼城から取りゃいいって事さ! どうよ? オレの機転は!』

『らい、ライ、……うん! 頼城くんのイメージにもあってるかも!』

 

 

 彼らは未だに明るい会話を続けているが、対照的にライ達の纏う空気は冷え切っていた。サラ、リィン、アリサ、エリオット、ミリアム。全員の視線が呆然とするライへと向く。

 

 

「…………ラ、イ……?」

 

 

 今、何といった?

 

 いや、自身の口で答えたではないか。ライ、と。

 

 

 ライの思考が定まらない。

 

 

 目の前にいるのはライと呼ばれた青年、頼城葛葉。

 彼を含む3人はやがて1冊の日記となって消滅する。

 

 

 ……1つのピースが今、当てはまった気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 "…………第三拘束、解除"

 

 




戦車:アテナ
耐性:???
スキル:???
 アイギスが持つペルソナ。ギリシア神話における戦闘を司る女神。都市の城塞、守護神として崇められる存在であり、戦いにおける守りの象徴であった。アイギス(イージス)と呼ばれる盾を装備している。

GET:莉子の日記2


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43話「早朝」

 ……ライは、ただ一人、無人の都市を歩いていた。

 

 風の音すらしない完全なる静止した世界。明かりのない信号機。粉々に砕けた街中の時計。まるで旧校舎内の辰巳ポートアイランドのようだったが、空だけは漆黒に染まっていた。

 

 冷たいアスファルトを踏む音だけが鳴り響く。

 

 こつ、こつこつと、

 ただひたすらビルの谷間を歩き続ける。

 

 ここはいったい何処だろうか。ふとジャンクフード店の中を見てみるが、そこには食事の置かれたテーブルが並んでいるだけだった。人の気配など何処にもない。ライは窓ガラスから離れ、また無人の都市を歩き始める。

 

 空気すら停止したような息苦しい空間。

 

 どれくらい経っただろう。

 しばらく歩いていると、何処からともなく声が聞こえてきた。

 

『ねぇ』

 

 可愛らしく、そして悲しそうな少女の声。

 ライは思わず足を止めて周囲を見渡す。1ミリも揺れない街路樹の葉。ただひたすらに冷たいガラス。何処にも人の影などない。

 

『ねぇ、早く思い出して』

 

 何処からともなく聞こえてくる少女の声。そうだ、これは葵の声だった筈だ。ライは反射的に振り向くが、そこに葵の姿はなく、待ち構えていたのは”思い出せ!”と荒々しく塗られたビルの壁であった。

 

 ……何だこれは。

 

『何してんだよ、ライ。お前は仲間の人間関係とか気にしてる場合じゃねぇだろ?』

 

 今度は友原の厳しくも悲しそうな声。しかし彼の姿はなく、冷徹なビル街に現れたのは”思い出せ!”、”思い出せ!”と真紅の血文字。

 

 ……何を思い出せと言うのか。

 

『早く、早く思い出して。そうじゃなきゃ――』

 

 今度こそ、確実に声の居場所が分かった。

 彼女らは今、ライの背後にいる。

 

 ライは片足に力を込め、全力で振り返った。

 

 そこには、

 

『また、こうなっちゃうよ?』

 

 十字架に磔にされ、胸を槍で刺された葵と、

 胸に風穴を空け、深紅の血だまりに沈む友原の姿があった。

 

 一瞬、息が止まる。

 

 どう見ても重症な2人は、それでもライの顔を見つめていた。

 口から血を零し、虚ろな目でも、何かを訴えるように、何かを危惧しているように『思い出せ』『思い出して』と機械のように繰り返し呟いている。

 

 だから、何を思い出せと言っているのか。

 ライはそう叫びたかった。

 

 だが、叫んだところで意味などない。

 思い出せと言うのなら、その意図を確かめればいいだけの事ではないか。

 ライは混乱しかけた思考を無理やり正し、その足で一歩前に進み、

 

 ……足元にぐにっとした柔らかな、そして気味の悪い感触を感じた。

 

 

 静かに、視線を下に向ける。

 

 足元にあったのは地獄絵図、……幾千幾万もの人間の山であった。

 

 

 学生と思しき制服を来た人々も、アルバイトの女性も、生まれたばかりの赤子も、その親も、老人も、少年も、少女も、男性も、女性も、何もかもが等しく地に倒れ伏して動かない。

 

 気がつけば街並みはなくなっていた。海のように広大な地平線。それは全ておびただしい数の肉の塊だ。全世界の人間が"終わって”しまったが如き悪夢の光景を目の前にして、ライの意識が凍りつく。

 

 ……いや、この光景も至極当然のものだろう。

 失敗すればいずれこうなってしまう。

 

 思い出せ。

 

 全てが手遅れになる前に。

 

 そんな意味不明な思考を最後に、ライの意識は暗闇へと溶けていった。

 

 

 

 ――暗転。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 トリスタ第三学生寮、物の少ないシンプルなライの個室。

 

 まだ日も昇ったばかりの日差しの中、ライはベットから跳ねるように起き上がった。

 寝巻き代わりのTシャツはいつの間にか汗ばんでおり、心臓の鼓動も強く脈打っている。気持ち悪い。だが、この気色悪い感覚こそが、ここが現実である事を証明していた。

 

 そう、あれは夢だったのだ。

 あの2人が血を流し、山のような人間が倒れている光景など夢。

 

 ……本当に?

 

「俺は、何を忘れている……?」

 

 頭を片手で押さえ、答えの出ない言葉を漏らす。机に置かれた置き時計が示す時間は午前4時51分。まだまだ授業には早い時間だった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 赤い制服へと着替えたライは、まだ薄暗い階段を踏みしめ一階に向かっていた。まだVII組の皆も寝ている時間。毎日のように上り下りしている階段も、普段とは違う静けさに支配されている。

 

(夢の原因は間違いなく旧校舎の”あれ"だよな)

 

 ライの頭に浮かぶのは3日前の旧校舎内での出来事であった。ようやく見つけた過去の手がかり……だと思われる存在。頼城葛葉の存在はライの心に大きな波紋をもたらしていた。

 

 けれど、波紋によって記憶が蘇ると言う事もなく、依然として過去に関する記憶は空白のまま。その焦りが悪夢となって現れたのならば、あの2人が登場する悪夢にも説明が付けられるだろう。

 

 そう、あの悪夢は幻想なのだ。

 

 何故かそう結論づけたい衝動にかられるライは、ふと、いつの間にか階段を下りきっていた事に気がついた。今は導力灯の明かりも消える時間帯の為、普段見慣れたロビーも薄暗く、シーンと静まりかえっている。その静けさがまるで夢の中のようでどうも落ち着かない。

 

 けれど、そんな静寂も唐突に消え去った。

 ライがこれからどうしようかと考えている横で、食堂の入り口が唐突に開いたのだ。

 

「あら、今日はお早いのですね」

 

 中から現れたのはシャロン・クルーガー。

 彼女は例のバーベキューの後、そのままVII組の住まう第3学生寮の使用人兼管理人となっていたのだ。それを知った時のアリサの驚きようも凄かったが、何より凄いのは彼女の周到さ。どうやらテストが始まった頃には既にトールズ士官学院と契約を結んでいたらしい。

 

 寮内の食事事情も改善してくれたシャロンに向け、ライは率直に返答を口にする。

 

「早く目が覚めてしまって」

「そうですか。もしや、悪い夢でも見ましたか?」

 

 シャロンが冗談っぽく微笑んだ。

 確かに子供っぽい理由かも知れない。が、事実なのだから仕方ない。ライは肯定の言葉を口にし、

 

「ええ、そんな…………ッ……」

 

 刹那、ライの側頭部に前触れもなく鋭い痛みが走った。

 

 まるで粉々に砕けたピースを無理やり詰め込んだかのように、まるでガラスを脳内でかき混ぜているかのように、脳内を蹂躙する正体不明の激痛。足元がふらつき、視界もぼやける程の異変の中、またもや意味不明のノイズが脳裏をよぎる。

 

 "――思い出せ。この今は、決して長く続かない"

 

 それは夢の中で散々聞いた言葉と似ていた。

 

(……だから、一体何なんだ?)

 

 ただの夢、と言うのは訂正しよう。これはどう考えても異常だ。

 歯を食いしばり、体がふらつきながらも自問自答する中、シャロンの心配そうな声が耳に響く。

 

「体調が優れないようですが、お休みになられた方がよろしいのでは?」

 

 その言葉で意識が外に向いた途端、まるで何もなかったかのように痛みが引いた。それを認識したライは内心戸惑いながらも顔を上げる。……身体の何処にも異変はない。

 

「いえ、大丈夫です。お構いなく」

 

 取り敢えずシャロンに対して平然とした様子で答えた。確かに不安定な状態ではあるが、先ほど悪夢を見たベッドに戻るなど真っ平御免だ。

 

 それよりも、今は外の様子を確認したくて堪らなかった。

 先のノイズが悪い予言のように思えてならない。ライは心の奥を蝕む危機感を払拭するために正面玄関へと歩を進める。が、しかし――

 

「お待ち下さい。何処にお行きになられるのですか?」

 

 正面玄関の前にシャロンが立ち塞がった。

 

「クルーガーさん?」

「自室でお休みになられた方が宜しいかと。今は大丈夫そうですが、先程のライ様はさながら重病人のようでしたわ」

「重病人とは大袈裟な」

 

 ライは心底不思議そうに感想を呟く。

 シャロンの「それは冗談で言っているのですか?」と言う視線。しかし、ライが本心から口にしたのだと察すると、別の案を提示してきた。

 

「では、モーニングティーなどは如何でしょうか」

 

 変わらぬ細やかな笑顔で、しかし否定を許さない圧力を伴って紅茶を勧めてくるシャロンを前に、ライは内心違和感を感じた。

 

(アリサから何か言われたか?)

 

 アリサもリィンに似てお節介を焼きたがる人柄だ。

 もしやあのバーベキューの夜にライの話題が出たのだろうか。だとすればシャロンがアリサの願いを叶えようとするのは必然。ナイフを首に突きつけられたかのような威圧感から省みるに、強行突破などと言う手段は不可能に決まってる。

 

 悪い予感がすると言うのは理由にはならないだろう。必要なのは最もらしい口実。ライは寮内を探し、そして窓へと視線を向けた。

 

 そこには朝露が滴る青々とした植木が顔を覗かせていた。

 早朝であることや日陰と言うこともあり、やや力なくしなっている葉っぱ。それを見たライは士官学院で育てている苗の事を思い出す。外に出るには丁度良い口実だ。ライは早速シャロンへと振り返る。

 

「……済みません。苗の様子を見てくるので紅茶はその後で」

「苗、ですか」

 

 食堂の扉に手をかけていたシャロンはライの提案を聞いて動きを止める。

 そして翡翠色の瞳を閉じて考え込むこと数秒。しぶしぶ了承したという面持ちで、シャロンは気品高く頭を下げた。

 

「ではカップを温めてお待ちしておりますので、お気をつけて行ってらっしゃませ」

 

 つまりは早く帰ってこいと言う話だろう。

 ひとまず許可を貰ったライはシャロンに軽く礼をし、正面玄関から寮の外へと出て行った。

 

 今朝から妙に疼く謎の危機感も、流れ行く早朝の景色を俯瞰していると少しづつ和らいでくる。やはり外に出るのは間違ってなかったと歩きながら考えていると、ふとライはシャロンに関する違和感に気がついた。

 

(そう言えば、何故俺が降りてくる事に気づいた?)

 

 あの時は確か、誰も起こさないように静かに一階へと降りていた筈だ。なのにごく自然とライの来訪を察したとは、まさか彼女も気配を読めるのだろうか。

 

 誰もいない早朝の街道の上、第3学生寮へと振り返る。

 

 ラインフォルトの万能メイド。

 未だ謎の多い存在だった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ――トールズ士官学院校舎裏、菜園。

 

 溢れる緑や池に囲まれたこの場所は、早朝と言う事もあって普段と違う雰囲気を醸し出していた。涼しげで透き通った空気からは甘い花の香りが漂い、葉の上に滴る露は朝日を反射してダイヤモンドのように輝いている。

 

 ライはそんな新鮮な光景を内心味わいつつ、隅に置かれた鉢へと静かに歩いて行った。目の前には丁寧に並べられた2つの鉢植え。ライはおもむろにかがんで苗の様子を確認する。

 

「問題なし、か」

 

 手のひらの中にはやや赤くなりかけたミニトマトの実。病気なし、害虫なしと、正に順調な成長具合であると言えよう。隣の麦もすくすくと育っており、もうすぐ収穫の頃合いだと主張していた。

 この分だと、次の特別実習が終わった頃にでも収穫出来るだろうか。土の手入れや水やりを終えたライはそう結論づけ、今度は立ち上がって周囲を見渡す。

 

 それは日常の風景。それは緩やかに流れる時の恵み。ここにはあの悪夢の残照は欠片も存在しない。その事実は何故だかライの心に安寧をもたらした。そう、まだ大丈夫なのだと。

 

(……まだ?)

 

 自身の不可思議な思考にライは頭を捻る。しかし、いくら深く考えこんでもその理由は明らかにならない。悪い予感とは裏腹に外は日常そのものだった事もあり、まさに空回りし続ける愚者(ピエロ)のようだとライはため息をこぼした。

 

 仕方ない。そう自身を納得させたライは菜園を後にする。最後にチラリと見たのはフィーの花壇。菜園の中で唯一花を咲かせないハーブの芽は、まるで彼女の問題を表しているようだ。諦めによる停滞、以前のバーベキューで感じ取った課題を胸にライは歩く。

 

 ……果てして、停滞しているのはフィーか、それともライか。

 土から顔を出したハーブの芽は、何も語りはしなかった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ――寮への帰り道。

 教会の横を流れる川の上に差し掛かったライは、そこで見慣れた褐色肌の男、ガイウスとばったり出くわした。

 

「ふむ、このような時間に出くわすとは珍しいな」

 

 ガイウスは普段通りの落ち着いた空気を携えて感想を述べる。

 その言葉から察するに、普段から早朝に出歩いているのだろうか。クラスメイトのまだ見ぬ日常を肌で感じながら、ライは横を向いてガイウスの目的を考察した。

 

「教会か?」

「ああ、女神と風に祈りを捧げに行くところだ」

「……祈り、か」

 

 まあ教会を訪れる理由としてはポピュラーなものだろう。

 しかし、教会にあまり馴染みのないライにとって、祈りと言う行為がどのようなものか想像するのは難しかった。

 

 教会に視線を向けるライ。そんな灰髪の青年に対し、ガイウスがそっと問いかけてくる。

 

「もし教会が気になるのなら、ともに教会へと赴いてみないか?」

「俺も?」

 

 珍しい提案を受けたライの脳裏に天秤が浮かぶ。

 何せシャロンから早く戻るよう言われているのだ。もし遅れたらまたあの威圧を正面から食らう事だろう。……だが、ライにはそんな事関係なかった。

 

「ああ、頼む」

 

 前に進む事、それがライの歩む道なのだから。

 

 …………

 

 ――七耀教会。それは暗黒時代を平定したゼムリア大陸最大の宗教だ。大陸中央に位置するアルテリア法国に総本山を構え、空の女神エイドスを信仰の対象としている。と、士官学院の授業で教わった。

 その信仰の広さは相当であり、主な町ならば何処にでも教会が建てられているらしい。事実、ここトリスタだけでなく、ケルディックやセントアークにもそれらしい建築物があったので、その信仰は確かなものと見て間違いないだろう。

 

 教会に初めて足を踏み入れたライはそれを改めて実感した。

 正面の壁にはめ込まれた女神のステンドグラスからは幻想的な光が注ぎ込まれ、しっかりとした造りの長椅子が列をなしている。その丁寧な造りは信仰なくしてあり得ないものだ。

 

 奥へと歩きながら興味深そうに分析するライの様子を見て、隣のガイウスが率直な言葉を発する。

 

「もしや、七耀教会に来た事がないのか?」

「俺の記憶、いや感覚が正しいなら」

「そうか。…………」

 

 何やら考え込んでいるガイウス。

 だがそれを確かめる前にステンドグラスの近くまで来てしまった。

 

 ガイウスは慣れた様子で台座の前で片膝をつき、両手を握って静かに祈りを捧げる。

 

 恐らくこれが祈りなのだろう。

 ライもそれに習い祈りを捧げようとする、……が、その手は途中で止まってしまった。それに気づいたガイウスは、先ほど聞いた事を思い出したのか祈りを止め、ライに話しかけてきた。

 

「何か教えた方がよいだろうか」

「……そう、だな。女神と風に祈ればいいのか?」

「いや、本来は女神だけでいい。俺の故郷、広大なノルドの地では古来より野を駆ける風を信仰し、風の赴くままに暮らしていた。故に、俺の祈りは一般の教義とは外れているだろう」

 

 この状況では祈るどころではないだろう。

 2人は一旦立ち上がり、近くの長椅子へと移動した。

 

「そもそも、土着の信仰と七耀教会は両立出来るものなのか?」

「女神エイドスが寛容だ。土着の信仰も受け入れ、人々の平和と救いを説いている」

「だからここまで広まっている、と言う訳か」

 

 信心深いガイウスの話を聞いて、ライの知識がまた上がった気がした。

 何故、七耀教会が大陸全土で受け入れられているのか。それは他の信仰を淘汰した訳ではなく、むしろ併合していった結果なのだろう。

 

「今度は此方が質問しても良いだろうか」

「ああ、構わない」

 

 唐突な話題変更。いや、教会に誘った真の理由はこの質問をする為だったのかも知れない。ライは頷き、静かにガイウスの言葉を待つ。

 

「……ライジョウクズハについてだ」

 

 ガイウスの静寂な視線がライを貫いた。

 

 そう、ライと頼城葛葉の関係についてはVII組全員が知っている。

 それは旧校舎内での調査を終えたあの日、当然の流れでVII組の面々との情報共有が行われたからだ。食堂のスペースに集められたサラを含め12名。シャドウとペルソナの共通項、集合的無意識、現実世界に現れたシャドウの異常性。そして最後にライと呼ばれた頼城葛葉の存在が伝えられた。

 

 ただ、それが本当にライなのかどうか。

 それがどうにも定まらなかった。

 

 今思えばライと頼城葛葉の符合点は山のように存在する。しかし、頼城葛葉の容姿は半透明ながらも黒髪黒眼と判明しているのだ。それがどうすれば灰髪青眼になると言うのか。その矛盾が焦点となった。

 それに頼城のあだ名がライだからと言う理由も、確定材料としてはやや弱いのも事実だ。

 

 以上の2点から議論の結果は保留。

 今回ガイウスが誘ってきたのも、そんな現状を気にしての事なのだろう。

 

「ライはどう考えている?」

「……正直まだ分からない。けど、俺が日本の生まれであるなら、今まで疑問に感じていたものにも納得がいく」

 

 ライはそう言いながら懐の召喚器を取り出し、ステンドグラスに掲げた。

 色鮮やかな光を跳ね返す銀色の拳銃。出自不明であるこの召喚器も、シャドウワーカーの一員として貰ったものならば説明がつくだろう。

 

「……そうか」

 

 ガイウスはライの返答を聞いて、ゆっくりとステンドグラスを見上げた。

 

 しばしの沈黙。

 やがて、彼の口から無意識のうちに言葉が漏れる。

 

「ならば何故、今のお前は1人なのだろうな」

 

 刹那、ライの手から拳銃がこぼれ落ちた。

 一瞬遅れ落下する召喚器に気がついたライは、地面に落ちる寸前でそれをキャッチする。

 

「済まない。思慮に欠ける問いだった」

「いや、事実だ」

 

 召喚器を懐に戻しながらライは答える。

 それは無意識の内に考える事自体を避けていた疑問だった。頼城葛葉と言う青年は、2人の友人やシャドウワーカーの人々とともに日本で戦っていた筈。なのに何故、ライは今エレボニア帝国で1人なのか。

 

 今朝の悪夢を思い出す内容にライの心臓が凍りつく。

 だが、ライはその感情を無理やり奥に押し込め、長椅子から立ち上がった。

 

「……そろそろ時間切れだ」

「む、時間切れとは?」

「クルーガーさんを待たせてる」

 

 そう言ってライは教会の入り口へと歩いていく。

 早朝の教会内に響く一対の足音。ガイウスはクラスメイトの背中を見つめ、最後に聞きたかったもう1つの問いを投げかける。

 

「1つ聞かせてくれ。――この状況、ライは"重い”と感じた事はないか?」

 

 ライの足が止まる。

 人間関係の問題、帝国に暗躍するシャドウの問題、そしてライ自身の問題。それら全てが一身に降りかかっている現状の答えなど、ただ1つに決まっているだろう。

 

「……重いさ。けど重いだけだ」

 

 だから何も問題はない。

 ただ前に進むだけ。

 

 そんな決意を言葉に込め、ライは教会の外へと出て行った。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「――ガイウスには悪い事をしたな」

 

 太陽も少しばかり高く昇った寮への帰り道。少々強引に外に出てしまった事に対してライは僅かに肩を落としていた。

 

 時間切れだと言うのは事実だ。考えたくもない疑問が提示されたと言うのも理由の1つだろう。だが、あの時教会の外に出た理由はもう1つあった。

 

 そう、ガイウスに習い祈りを捧げようとして、途中で手を止めてしまった理由。

 あの時、ライは“神にだけは祈りたくない”……と感じてしまったのだ。

 

(俺は神にでも会ったのか? まさか)

 

 頭に浮かんだ突飛な予測を振り払い、ライは寮の中へ、食堂の扉の前へと辿り着く。この両開きの扉を開ければシャロンが待っている。さて、待っているのは慈悲深い微笑みか、それとも鋭い絶対零度の微笑みか。ライは覚悟を決め、その扉を開け放った。

 

 そこには、

 

「う〜す! 邪魔してるぜ」

 

 ……妙に軽い先輩の姿があった。

 

 砕けた緑の制服を身に纏うクロウ・アームブラスト。少々面を食らったものの、彼の姿が食堂にあるのは別段おかしな状況ではない。何故なら――

 

「今日も来てたんですか」

「ここの料理が異様に美味いのが悪ぃんだよ。さっすがラインフォルト社の使用人、あっちの寮で出される食事とはレベルが違ぇわ」

 

 と、言う訳である。

 

 以前のバーベキューでVII組全員と顔見知りになった影響もあってか、割と高頻度で朝食や夕食を食べるため第3学生寮に顔を出していた。最早クロウもVII組の一員のように感じてしまうのは、ライだけではなくVII組全員の総意だろう。

 

 ひとまずライは軽食を出されたクロウの対面に座った。

 

「おう、今日は試験結果発表&実技テストの日だってのに、問題抱えてるみてぇだな」

「……? 何故それを」

「そりゃもう、オレくらいの観察眼を持ってすれば「クルーガーさんに聞きましたか」……察しが良すぎて嫌味なレベルだな、おい」

 

 キッチンで無関心を貫くシャロンを見て答えを言い当てるライ。そんな後輩を前にして、クロウが力なくテーブルに崩れ落ちた。しかし、クロウはすぐに起き上がると、まるでなにもなかったかのように会話を再開する。

 

「ご察しの通りシャロンから今朝の異変を聞いた訳だ。……そこで、だ! オレが何か力になれねぇかなと思ってよ」

「先輩が?」

「そこ、真顔で聞き返すな!」

 

 ビシッとツッコミを入れるクロウ。

 

「ま、とりあえず適当に話してみろよ。話しても損になりゃしねぇだろ?」

 

 まるで1ヶ月前と同じ状況だ。今朝の異変に関してはどうしようもないが、別の悩みなら話してみても良いかも知れない。そう判断したライは、クロウに聞いてみる事にした。

 

 …………

 

「――なるほど、空回りしてる、ね」

 

 ふむふむとクロウは考え込む。

 しかし、その顔は答えに悩んでいると言うよりは、そう来たか、と言った不敵なものであった。

 

「その答えは簡単だ。ライ、お前は空回りなんかしてねぇよ。……行動ってのは良くも悪くも周囲に影響を与えるもんだ。だから一見進展してないように見えたって、実際には見えないところで変化が起きてる。この前のバーベキューだって、お前の知らないだけで色々と動いてるかも知れねぇぜ?」

 

 自信満々に語る銀髪バンダナの先輩。その話を聞いたライは先の出来事を思い出す。今朝の悪い予感は確かに徒労であっただろう。だがその結果、ガイウスに遭遇するという別の影響を生み出した。クロウが言いたいのはそう言うことなのだろうか。

 

「……そうだよな。見えなくても進んでる筈なんだ」

「アームブラスト先輩?」

「っと悪ぃ悪ぃ、話を戻すわ。――ここで1つ提案だ。なんなら賭けでもしねぇか?」

 

 慌てて誤魔化すクロウだったが、無理やり問い詰められる様子でもない。

 ライは仕方なく先輩の話に乗る事にした。

 

「賭け?」

「お前の行動が影響を与えてるって証明さ。具体的には……こいつを使うんだ」

 

 そう言ってクロウが取り出したのは戦術オーブメント、ARCUSだった。

 

 確かクロウは去年、ARCUSの試験導入の為にトワ達と特別実習をしていた筈だ。ならば彼がARCUSを持っているのも自然の摂理で、……クロウの言う賭けの意味も理解出来た。

 

「こいつでお前と戦術リンクをして、その結果を証明とする。どうだ? 良いスリル感だろ」

 

 戦術リンク、それに伴う問題は身に染みて理解している。

 反発か、ペルソナ覚醒か。どちらにせよ平穏無事には終われない賭けをしようとクロウは持ちかけて来たのだ。

 

「成功させる自信でも?」

「ははっ、んなもんねぇよ。リィン達の話を聞く限り十中八九失敗だろうな。……だが、それでお前に嫌悪感を抱くかどうかは別問題だ。4月にリィン達がリンクした時とは違って、オレは2ヶ月もお前の影響を受けてる。だから失敗してもお前と嫌悪感を同一視しなけりゃ、賭けは成功ってこった」

 

 つまりクロウは、今までのライの行動による影響を、自身の嫌悪感とライを分離して捉える事が出来るかによって証明しようと言うのだ。

 

 失敗すれば問題が1つ増え、成功しても得られるのは証明だけ。

 どう考えてもハイリスクローリターン賭けだが、得るものがない筈のクロウは何故か乗り気で、何より臆する道などライには存在しない。ライ自身も迷いなくクロウの意志に応じる。

 

「乗ります」

「OK、なら早速いくぜ!」

 

 ――リンク――

 

 共鳴する2つのARCUS。

 小さな機械を介して今、2人は”繋がった”。

 

 ……

 

 …………

 

 少しばかり静寂が続く。

 目の前にはリンクした時から固まるクロウの姿。

 

 もしや成功か? と、疑念を抱いた次の瞬間、パリンと音を立てて戦術リンクが崩壊した。

 

「――ッ! 話には聞いてたがキツイな」

 

 意識を取り戻したクロウが飛び跳ね、肩で息をしている。

 どうやら事前の宣言通りリンク自体は失敗に終わったらしい。

 

 だが、

 

「……でも、ははっ、どうだ賭けには勝ったぜ!」

 

 ライを見るクロウの瞳に嫌悪感など欠片もなかった。

 即ち彼の宣言通り、賭けには勝ったと言う事なのだろう。

 

「そのようで」

「なら、勝ったついでにその敬語も止めて貰うぜ。前から思ってたけどアームブラストって長いだろ? かれこれ2ヶ月、入学の時から関わってんだし、これを機にタメ口&名前呼びで行こうじゃねぇか」

 

 むしろこうなるのを待ってましたと言わんばかりに提案してくるクロウ。その言葉を受け取ったライは、ふとケルディックでの一幕を思い出した。1日限りだったマルコとの思い出。ライの口角が僅かに上がる。

 

「……どうした?」

「いや、何でもない。――よろしく、クロウ」

「おうとも!」

 

 テーブルを挟んで握手を交わす2人。

 

 その絆は単なる先輩後輩の関係ではない。

 確かな友人としての絆を、ライはその手を通じて感じるのだった。

 

 

 

 

 

 “我は汝、汝は我……。汝、新たなる絆を見出したり。汝が心に芽生えしは運命のアルカナ。その絆がもたらす運命とは、果たして如何なるものか……”

 

 

 

 

 




運命(クロウ)
 そのアルカナが示すは幸運や転機。正位置ではチャンスや変化を示し、逆位置では事態の悪化やすれ違いを意味する。その名の通り運命を表すアルカナであり、吉から凶へ、凶から吉へと循環する人生の流れを暗示している。その暗示が意図する先はライか、それともクロウか。答えを知るのもまた運命のみであろう。

――――――――――
溜め回。又の名を布石ばらまき回でした。


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44話「貴族クラスとの軋み」

長らくお待たせしました。


 ――6月23日、昼休み。

 

 早朝に紆余曲折があったライは今、VII組の面々とともにトールズ士官学院の廊下へと足を運んでいた。掲示板に貼られた大きな紙の前に群がる生徒達。そう、あの4日続いた中間試験の結果が公表されたのである。

 

 順位付きで書かれた合計点を見た生徒達の反応は様々だ。そこそこの点を取り安堵する女子生徒。底辺ギリギリの惨状を前にして落ち込む男子生徒2人組。これくらい当然だと腕を組む貴族クラスの生徒。

 

 そんな他クラスの生徒達が散っていったタイミングを見計らい、ライ達も掲示板へと近づく。

 

 まず初めに目に入るのは十中八九、成績上位者だろう。

 

 1位、エマ・ミスルティン、975点。

 1位、マキアス・レーグニッツ、975点。

 3位、ユーシス・アルバレア、952点。

 

 何故なら1000点満点中950点以上を獲得する猛者達がこのクラスに3人もいたのだ。しかも同点1位が2人と言う徹底振りに、皆の視線が釘付けとなる。

 

「きゅ、975点って……」

「あはは〜! やっぱり委員長って凄いね!」

 

 1週間の勉学をともにしたミリアムがくるりと回り、エマの前で片手を上げた。

 

「えっ、と?」

「ハイタッチだよハイタッチ! ほら早くっ!」

「あっ、はい。……こう、でしょうか?」

 

 おずおずと控えめに伸ばされたエマの手のひら。

 するとミリアムの手が勢い良く打つかり、パンッ、と軽快な音が鳴り響く。

 

 ハイタッチを終えたエマはメガネの奥の瞳をおもむろに下げ、自身の手をじっと眺めた。もしや今までこの様な経験をした事がなかったのだろうか。そんなエマにもう1人、音もなくフィーが近寄り片手を持ち上げた。

 

「……ん」

「もしかしてフィーちゃんもですか?」

 

 こくりと頷くフィーを前にエマは先と同じ行動を取る。

 静かなるハイタッチ、こうして勉強会の少女達はエマの成果を分かち合うのだった。

 

 さて、唯一の男子であったライはと言うと、彼女らの様子を横目で確認しつつも、もう1人の最優秀成績者へと歩いていた。前回成績2位を甘んじていたマキアス。彼の性格から察するに、1位を取るために相当の努力を積んだとみて間違いないだろう。

 

「流石だな、マキアス」

「ああ、ありが…………い、いいや! 君に褒められても嬉しくないぞ!」

 

 マキアスは跳ねるように顔を逸らしたが、彼の横顔からは喜びの色が隠せていない。……何故だろう。最近のマキアスが何処か残念な人に感じられてしまうのは。

 

 背後にいたユーシスもそれは同じだったのか、マキアスに呆れた様子で話しに加わってきた。

 

「全く、少しは態度を改めたらどうだ?」

「……その言葉そっくりそのまま返させて貰うぞ。傲岸不遜なその態度、まるで3位になって当然と言った様子じゃないか」

「別に一喜一憂する決まりなどないだろう。……まあ最も、学力向上という観点から見れば、マキアスの意見も的外れとは言えんかも知れないがな」

 

 ユーシスの矛先がライへと向く。

 

「――?」

「……まさかとは思うが、自分の順位すら確認してないのか?」

 

 ユーシスは腕を組んだまま、その視線で試験結果の方向を示した。

 

 4位、パドリック・ハイアームズ、941点。

 5位、ベリル、940点。

 5位、ライ・アスガード、940点。

 

 それは1週間前の状況では考えられない高順位であった。エマの勉強会の成果が発揮されたのか、エリオットの洗脳教室の賜物か、はたまた謎のクッキーの影響か。ともかくライの知識はトップ5に入る程に高まっていたらしい。

 

 周囲から向けられる尊敬の眼差し。

 これならクラスメイトとの進展にも効果がありそうだと感じていると、ふと僅かに真逆の視線が注がれている事に気がついた。

 

 その妙な視線を手掛かりにライの顔が横を向く。そこにいたのは横目でライを見つめる小柄なフィーの姿だった。

 いつもの無表情な幼顔。ライが言えた義理ではないが、その顔色から真意を読み取るのは困難を極めるものであろう。

 

「フィー?」

「……」

 

 フィーは何も答える事なくぷいっと視線を逸らす。

 良く良く見れば、その幼い横顔はむすっと不機嫌そうだ。2人はかつて帝国史で躓いた者同士。ライの下剋上に最も衝撃を受けたのは、もしかしたらフィーなのかも知れない。

 フィーの近くにいたエマもそれに気づいたのか、控えめな笑みを浮かべてフォローを始めた。

 

「あの、フィーちゃん? 基礎学習を学んでいない状況からの74位だって十分すごいと思いますよ?」

「条件ならライも同じ」

「……ライさんは色々と例外と言うか、あの学習効率は規格外って言うか………」

 

 残像が見えるほどの速読術を思い返したエマの頬に汗が滴る。

 あれを平均にしてしまったら大半の学生が落第点となってしまうだろう。しかし、それを上手く説明出来る自信がエマにはなかった。

 

(これも行動の影響なのか? クロウ)

 

 頑なに視線を逸らすフィーを見て、ライは今朝の友人を夢想する。勝手に難易度が上がっていく和解への道筋。現実はどこまでも不条理に満ちていた。

 

 

 ……

 

 …………

 

 

 ライ達が確認を終え教室へと戻っていった後、数人の生徒が再び試験結果の前へと歩み寄った。彼らが注視するは個別の成績ランキングではない。その横に貼られたクラス別の平均成績こそが、彼らが何度でも確認したい程の情報であった。

 

 1位、VII組、889点。

 2位、I組、843点。

 

 しかし、何度見ても結果は変わらない。首位はあのVII組であり、今ここにいる生徒達が所属する貴族クラスI組は2位へと失墜したのである。彼らの瞳に映るのは怒りや憤り。そう、先ほどライが感じた真逆の視線とは、正確にはフィーではなく彼らのものであったのだ。

 

「僕ら貴族の誇りを、あのような寄せ集めに穢されるとは……」

 

 白い制服を着た生徒達の中央に立つ金髪の青年、パトリック・ハイアームズが拳を固く握りしめる。その心に宿すは誇りか、それとも崩れかかったプライドか。そんな混沌とした彼らの感情は、既に決壊寸前なほどに膨れ上がっていた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ――校庭、実技テスト。

 

 遂に今月もこの時間が訪れた。士官学院横のグラウンドに向かうライ達11名を、雲1つない青空と上機嫌なサラが出迎える。試験最終日から続くサラの笑顔の理由も、試験結果を見た今となっては自明の理と言えるだろう。

 

「いやぁ〜、ほんっと良くやったわ! おかげでチョビ髭教頭の小うるさい声も最近は少ないし、遠慮なく仕事帰りにお酒を飲めるってもんよ♪」

 

 待ちに待った種明かしのように喋り立てるサラは、大人の笑顔の裏に子供っぽい無邪気さを浮かべていた。

 

「あの、教育の場でお酒の話題を口にするのはちょっと不味いんじゃ……」

「細かい事は気にしないの♪ さてさて早速、お待ちかねの実技テストに行っちゃいますか!」

 

 教頭に怒鳴られる原因の半分はサラにあるんじゃないか、と言う生徒達の視線もどこ吹く風。サラの指が軽快に鳴らされ、隣の虚空から銅褐色の傀儡が現れる。

 

「今回の実技テストは個人の技量を中心的に評価するわ。この傀儡の設定も対個人レベルに落としてるけど、それでも相当苦戦すると思うから、心して――」

 

 実技テストの概要を説明するサラ。

 しかし、

 

「お待ち下さい」

 

 それは第3者の言葉で遮られた。

 サラの実技テストを止めた突然の来訪者達3名は、白き制服を纏い悠々とした足並みでライ達の前に整列する。

 

「……あら? あなた達は確かI組の生徒よね。今はトマス教官の授業じゃなかったかしら?」

「今日の授業は自習です。故に今回はそこのVII組の為に1つ、貴族流の教鞭を振おうと思いましてね」

 

 I組の中心に立つパトリックが腰に下げた細剣を取り出し、それを縦に構えた。

 

「最近大いに活躍しているそうじゃないか。月一の特別カリキュラムに中間試験、それと学院初のゲリライベント、君らの動向は僕らの耳にも嫌な程届いているよ」

 

 パトリックの口から語られたのは賞賛の言葉。しかしその口調は怨敵に面対するが如く刺々しいものだ。それは周囲に取り巻く生徒達も細剣を抜き、縦に構えたことからも明らか。

 彼らは雑談しに来たのではなく、戦いに来たのだろう。

 

 数多の臨戦態勢を前にしたライは、動じる事なくただ一言質問で返す。

 

「それに何か問題が?」

「庶民の君には分からないか? ……いや、君には到底理解できないだろう。バーベキューなどと言うトールズ士官学院の伝統に泥を塗った君にはね」

 

 ライに向けられた敵意は特に露骨なものだった。パトリックだけでなくI組のほとんどの者が似たような視線を向けてくる。

 

 ……そう、これはドロドロとした悪意の念。

 確かにイベントを開催したライの行動は周囲に影響を与えていたのだ。以前から溜まっていた貴族生徒の不満に油を注ぐと言う、最悪の影響を。

 

「古来よりトールズ士官学院の頂点に立ち、その伝統と格式を守って来たのは僕たち貴族クラスだ。しかし、今の士官学院は伝統も知らぬ有象無象が我が物顔で闊歩している。……そう、君たちの事さ」

「そのつもりはない、と言っても無意味か」

「当然だとも。本来保たれていた均衡を君たちは崩した。本来あるべき礼儀を教えねば、貴族としての沽券に関わると言うものだろう」

 

 最もらしい理由を優雅に述べるパトリック。

 だが、それは一方的な論調だ。当然、貴族嫌いのマキアスが不満げに反論を返す。

 

「馬鹿馬鹿しい。庶民の僕やエマ君に負けたばかりか、この男とたった1点差だったのが悔しいのだと正直に言ったらどうだ?」

「……何?」

 

 カチンとパトリックの眉が歪む。

 けれど直ぐさま余裕の態度を取り戻し、さらさらの金髪をかきあげた。

 

「君は確かマキアス・レーグニッツだったかな。帝都一の成り上がり、レーグニッツ知事の一人息子。……なるほど、その身分を無視した立ち振舞いは一族変わらないみたいだ」

「そう言うパトリック・ハイアームズは随分と親を困らせているそうじゃないか。ハイアームズ侯爵が不貞の息子だと、セントアークに行ったB班が色々と聞かされたそうだぞ」

「――なっ? ま、まさか父上とお会いになられたのか!?」

 

 弾けるようにパトリックの驚愕した顔がライを向く。

 

 恐らくは彼のウィークポイントだったのだろう。パトリックはキョロキョロと周囲の取り巻きを見渡し、その不審げな表情をみて焦りを募らせていた。

 

 貴族は厳格な縦社会だ。

 四大名門の御子息としてI組の中心にいたパトリックにとって、侯爵である父からの評価は最大のスキャンダルと言っても過言ではない。

 

「こ、これ以上の問答は無用だ! さあ、早く武器を抜くといい。僕たちはそれを圧倒的な技量でねじ伏せて見せよう!」

「……同感だ。こっちも白黒はっきりつけたいと思っていたところでね」

 

 マキアスはあまりに横暴なパトリックの振る舞いに、静かな怒りを燃やしている様子。シワの寄った眉間でパトリックを睨みつけ、背中の導力ショットガンへと手を伸ばす。

 

 が、

 

「ちょ〜っと待った! あなた達、教官である私を除け者にしないでくれる?」

 

 そんな緊張状態をサラが中央に立って分断した。

 

「おや、教官。神聖な決闘に水を差すおつもりで?」

「そんな野暮な真似はしないわよ。――ただ、これは決闘じゃなく実技テスト。ルールはこっちで決めさせて貰うわ」

 

 剣と導力銃、サラの持つ2つの武器が両者を威圧する。バチバチと紫電を放つ凶器。それを突きつけられたマキアスとパトリックは、まるで口を縫い付けられたかのような錯覚を覚えた。

 

「……よろしい。じゃ、改めて実技テストのルールを説明するわ。

 今回の目的は3ヶ月近く経過した生徒個人の技量を確認する事。当然個人差があるのは百も承知だから、設定を弄れる傀儡が最適なのだけれど、今回は特別に3名だけ、それぞれI組と戦う事とします。――要するに、勝った人数の多いクラスが勝利って訳」

「ほ、ほう。単純明快でけ、結構じゃないか。3ー0と言う圧倒的な結果を前にすれば、分別のない寄せ集めでも納得せざるを、をを」

「あ〜はいはい、時間も押してるし、さっさと代表を決めてちょうだい」

 

 口が動きにくいにも関わらず、威圧的な演説を止めようとしないパトリックを遮り、サラは投げやりに首を振る。

 我が身を振り返ったパトリックは照れ隠しにコホンと咳をして、取り巻きの2人を連れて一歩前に出た。

 

「……僕たちはこの3名だ。さて、そちらの代表だが」

「当然、僕が行かせて貰おう」

 

 マキアスが自ら名乗り出る。

 先ほどまでの流れを考えれば、彼が立候補するのはごくごく自然の話だと言えよう。そして、それはライも同じこと。パトリックの自信満々の瞳がマキアスを離れ、近場に立つライへと向く。

 

「よかろう。では他の2人は……、ライ・アスガードとリィン・シュバルツァー、君たちをVII組の代表として指名しよう」

「ああ」

「って、俺も?」

 

 ライが頷く後ろで、リィンが素っ頓狂な声を上げる。

 

「ふっ、何か不服かな? VII組で強者に位置する者を倒さねば、言い逃れをされるかも知れないだろう?」

「待て、ならば私が適当ではないか?」

「ラウラ・S・アルゼイドか。確かに君はVII組の頂点に位置する技量を持っているのだろう。しかし、君は由緒正しい貴族の血を引いていて、同時に守るべき子女でもある。誇り高き貴族である僕が剣を向ける相手ではない、と言うことさ」

「……む」

 

 ふふんとパトリックは鼻を鳴らした。

 一応、最低限の紳士精神は持っているようだが、女性である前に1人の武人である事を望んでいるラウラにとって、この返答は侮辱以外の何者でない。だんだんと空気が悪くなっていく最中、リィンが仕方ないと言わんばかりにため息をついて意識を入れ替えた。

 

「分かった。だったら八葉が一刀の秘儀、とくと見せてやる」

「そう来なくては。ではI組最高の宮廷剣術の持ち主であるこの僕が見事、かの八葉一刀流を打ち破って見せよう」

 

 向き合う両クラスの武術家2人。ライとマキアスもそれぞれ白服の貴族生徒と立ち並び、晴天下のグラウンドに3つのラインが出来上がる。

 

「準備はいいみたいね。最後に確認しておくけど、ライとリィンは”あれ"を使っちゃダメだから」

「ええ」

「はい」

 

 対等な試合において、ペルソナの力は身体能力強化も含めて御法度であろう。

 その言葉をぼかした忠告にパトリックが何やら訝しんでいるが、それを聞いてくるような仲ではない。お互いの一挙一動に意識を張り巡らせる中、

 

「では、試合始めっ!」

 

 今、貴族生徒との模擬戦が始まった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 邪魔にならない様に後方に下がったVII組の非戦闘組。

 その中心で傍観するサラに向けて、アリサが金色の長髪を乱暴に揺らしながら詰め寄った。

 

「――サラ教官! なんで許可なんか!」

「まぁ落ち着きなさいよ。ギリギリになったら私が止めるし、多分VII組が負けるような展開にはならないから」

「何を根拠に、そんな」

「特別実習の経験はちゃんと身についてるってこと。まっ、見てなさい」

 

 納得はしていないが、しぶしぶと言った様子で試合へと向き直る。

 つんざく武器同士の激突音。戦いはまだ始まって間もなかった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 貴族生徒の男達は、幼い頃から教養として剣術を教わってきた。怪我こそなかったが、多くの時間を武術に費やしてきた。だからこそ、彼らには自らの技量に対する絶対の自信があったのだ。

 今回もそう。貴族としての英才教育を受けてきた自分達が負ける筈ない。年々鋭さを増すこの細剣が、容易くVII組の平民を地に叩き落すことだろう。

 

 ……I組の生徒たちは、そう思っていた。

 

「ば、馬鹿なっ!?」

 

 現実は無情にもその逆だった。

 相手を打ち伏せる筈だった細剣は誰一人として当たることなく、VII組による一方的な攻勢が彼らの肌を掠める。

 

 その中の1人、焦りに駆られた貴族生徒の細剣を、マキアスはショットガンの銃身でいなし受け流す。

 

「き、貴様! あえて剣の範囲内で戦うつもりかっ!?」

「一歩でも引いたら、君らの鼻は折れないと思ったのでね!」

 

 金属同士、火花を散らすショットガンの射線を無理やり通し、貴族の腹に向けて容赦なく引き金を引く。

 ――ブレイクショット。訓練用の銃弾が貴族生徒の土手っ腹に叩き込まれ、その重いボディブローが貴族生徒の身体を持ち上げる。

 

「これはオマケだ!」

 

 更に一発。

 

 両足に力を込められない貴族生徒は、嘘みたいに弧を描いて吹き飛ばされる。

 

 まさにマキアスの怒りを表したが如き猛攻。

 だが、その感情は彼の視野を狭めてしまっていた。貴族生徒が飛ばされた先、グラウンドの中央には別の相手と戦うライがいたのだ。

 

「しまった! ライ、避けたまえ!」

「――っ!?」

 

 マキアスの声をきっかけにして迫り来る生徒に気づくライ。反射的に横へと跳んでそれを避けたが、同時に戦っていた相手に隙を晒すこととなってしまう。

 

「そこだっ!」

 

 着地と同時に、ライの死角から放たれた渾身の突きが肩へと迫る。

 

 が、唐突に剣先は目標を失くす。

 

「…………え?」

「悪いが、視覚に頼らない戦いは経験済みだ」

 

 ライは振り返ることなく、音と感覚を頼りに紙一重で細剣を躱したのだ。そして、軸足に力を込め、呆然とする貴族生徒の武器を横殴りに蹴り飛ばした。

 

 

 ――――

 

 

「な、何なんだ、この状況は……」

 

 他の2組を横目で確認したパトリックが、信じられないものでも見たかのように声を震わせた。

 

 何故、ただの庶民があれ程までに戦闘慣れしているのか。あれではまるで死線を潜り抜けた戦士ではないか。

 

「よそ見していて大丈夫か?」

 

 そんなパトリックに向け、太刀を構えたリィンが駆ける。

 

 一閃。

 鋭いリィンの一太刀を、パトリックは辛うじて受け止めた。

 

「クッ!」

 

 だが、リィンの攻勢は止まらない。

 ペースが完全にリィンの方へと傾いているが故に、パトリックは幾重にも重なって見える程の太刀筋に防戦一方を強いられていた。

 

 一旦離れなければ。そう考えたパトリックは一瞬のフェイントを織り交ぜ、素早く距離を離す。

 

「八葉一刀……」

 

 けれど、リィンはパトリックを追いはしなかった。

 その場で太刀を腰に収め、静かに息を整える。

 

 刹那、

 

 豪速で抜かれた斬撃が宙を駆け、十数アージュも離れたパトリックに襲い掛かった。

 

「――ッ!!?」

 

 ――弧影斬。弧状の斬撃を飛ばす八葉一刀流の技が、虚を突かれたパトリックの体に激突する。声にならない悲鳴が漏れ、パトリックは力なく地面に膝まづいた。

 

「……終わったな」

 

 そう、膝をついた以上、この試合はリィンの勝利で終わりだ。

 リィンはゆっくりと太刀を下ろしてパトリックに歩み寄る。そして、下を向くパトリックの目前に手を差しのべた。

 

 しかし、この騒動はまだ終わっていなかった。

 

「何故、だ……!」

 

 大声とともにパトリックはリィンの手を払いのけ、側に落ちていた細剣を拾い、リィンに斬りかかる。

 

「何故だ何故だ何故だ何故だ! 何故、僕たちが寄せ集めなんかに押されなきゃならない!」

 

 彼は膨れ上がる感情に支配されていた。歯が軋むほどに噛み締め、無茶苦茶な剣筋でリィンに憤りをぶつけていく。

 これが他の貴族生徒ならばリィンもやすやすと対処出来ただろう。しかし、自信相応の実力を持っていたパトリックの剣撃は、感情に任せても尚失われない正確さを有していた。

 

「帝国を我が物顔で蹂躙する知事の息子に、ノルドの民とか言う国籍も持たぬ野蛮人! 果ては正体も知れぬ浮浪人までも! そんな輩が在籍するクラスが、誇りを蹂躙する者達が1番になっていい筈がない!!」

 

 パトリックは我を忘れ、日々溜まっていた不満を吐き出す。

 幾度となく鳴り響く剣同士の甲高い音とともに、一歩一歩前に進んでいく。

 

「リィン・シュバルツァー! 君も何処の誰かも知れぬ身の上でありながら、シュバルツァーの名を騙っている不届き者じゃないか!!」

「…………ッ……」

 

 一瞬、リィンの動きが止まった。

 

 苦々しいリィンの顔を見れば誰だって分かるだろう。それは言っては行けない内容だった。防御が遅れたリィンの額に、全力を込めたパトリックの細剣が迫る。

 

 一瞬先の未来には取り返しのつかない光景。

 

 だがその時、キィン、と音が鳴った。

 横から投げられた長剣がパトリックの細剣を弾いたのだ。

 

 緊張が高まっていたグラウンドの空気が固まる。攻撃の姿勢のまま静止するパトリックも、リィンの後方で武器を抜いていたサラやVII組の皆も、揃って長剣の持ち主であるライに顔を向けた。

 

「取り合えず、頭を冷やせ」

 

 全力投球の姿勢を取ったライは、いつも以上に冷酷な無表情を携え、そう一言忠告した。しかし、相当の恨みを買っているライの言葉はパトリックに届かない。眉間にしわを寄せて睨みつけるパトリックを確認し、ライの瞳は鋭さを増した。

 

「打ち上げの件なら幾らでも相手になる。けど、リィンの話は無関係の筈だ」

「関係ない? 彼はVII組の一員、それだけで理由は十分だ。……それでも不服だと言うのなら、宣言通り君が相手をするのかい?」

「上等だ」

 

 武器を投げたライは既に丸腰の状態。しかし、ライには一歩も引くつもりなどなかった。この緊迫した状況を招いた原因の一端は紛れもなくライ自身。あの伝統を無下にした行動さえなければ、パトリックも暴力に近い行動に出ることもなかっただろう。

 

 故にライは拳を握る。この状況の一端を担ってしまった責任を全うするために。今、強固な感情に突き動かされていた2者は無謀な戦いを始めようとしていた。

 

 ――その道を、一本の十字槍が遮るまでは。

 

「どう言うつもりかな。ノルドの野蛮人」

「暴力が振るわれるのを無視していては、女神と風に顔向け出来まい」

 

 十字槍を地面に刺したガイウスが、臆することなく武器を持つパトリックに相対したのだ。

 

「未開の蛮人が、神聖な決闘に口出しするなっ!」

「ああ、確かに俺はこの国からしたら異邦の民であり、伝統や身分など何も知らない。……しかし、だからこそ1つだけ質問させて欲しい」

 

 質問? と、パトリックの勢いが僅かながら削がれる。

 

「お前は何を背負って先の発言をした? ……先程の言葉のどこに、神聖な決闘に裏付けされた正当性があった?」

「正当性? そんなの決まっている。僕が貴族だからだ!」

「貴族だから、無関係な罵詈雑言も許されると?」

 

 一瞬、パトリックの息が止まった。

 現に貴族は横暴な振る舞いをしても許されることが多いが、だからと言って何をしても良いわけではない。貴族は高貴なる身として、相応の振る舞いをせねばならない。

 

 ――けれど、先のパトリックの言動はどうだ?

 

 僅かにパトリックの心の中に冷静な疑問が生じた。

 一度膝をついた状況下で格式を無視した感情的な行動。四大名門の子息として下劣な暴言の数々。彼の顔が即座に蒼白となり、怒りに冷水が注がれる。

 

 更に、冷静になった彼は先ほどのリィンの顔を思い出していた。苦々しい表情。もしかしなくとも、あれは不味かったのではないか。パトリックの良心が途端に主張を始める。

 

「……だ、だが!」

 

 だからこそパトリックは無意識に反論の言葉を吐き出した。

 そうでなければ、彼の中に渦巻く後悔の念が、彼自身を押しつぶしてしまいそうになったから。

 

 しかし、現実はもう反論出来るような状況ではなかった。

 

「パトリック・ハイアームズ、貴様の負けだ」

「ユ、ユーシス・アルバレア……?」

「周りの視線を見てみるがいい。これ以上失態を重ねるつもりか?」

 

 パトリックと同じ四大名門の子息であるユーシスが、視線でパトリックの周囲を指し示した。

 

 挙動不振な様子で左右後方を見渡すパトリック。そこには嘗てパトリックを慕っていた取り巻きの貴族生徒たちが、戸惑いの目でパトリックを見ていた。

 

「うっ」

 

 貴族生徒たちの立場からしても、パトリックの言動は"やり過ぎ"であったのだ。四面楚歌の眼差しを一身に浴び、パトリックは身動きがとれなくなる。

 

「……そろそろ限界かしら」

 

 そんな中、静かに見守っていたサラが動き出した。

 

「この勝負、3ー0でVII組の勝利、と言うことで良いのよね? パトリック」

「…………」

 

 パトリックは力なく、小さく顔を縦に揺らす。

 

「それじゃ、I組は早く教室に戻りなさい。本来、自習中でも教室を抜け出しちゃ駄目なんだから」

 

 許可した手前、今回だけは見逃してあげるとサラは言外に諭していた。

 しかし、それを聞いた貴族生徒たちは戸惑うばかり。失意の内にいるパトリックと違ってまだ納得していないのかも知れないが、生憎サラは時間をくれてやるつもりはない。

 

「命令されたら即座に動く!」

「は、はい!」

 

 I組の生徒たちはパトリックを引き連れ、校舎へと戻っていった。

 

 だだっ広いグラウンドを虚しい風が吹きすさぶ。

 結局のところ、貴族クラスとの衝突は、消化しきれない禍根を宿したまま幕を落としたのであった。

 

 

 …………

 

 

「――全く、ままならないものねぇ」

 

 I組がいなくなって心地良い静けさが戻った大空の下で、サラは感傷深くそう呟く。

 

「良かれと思った行動でも、決して良い結果に繋がる訳ではないって事かしら。……まぁ、今回は賛同した私も同罪だけど。いつか誰かの幸せを壊してしまうかも知れないわよ?」

 

 それはライの前進思考が抱えるリスクの1つだった。

 いずれ周囲を破滅に導くかも知れない危険性。行動を起こすという事は、即ち安定した現状を壊す事でもあるのだから。

 

「それでも、俺は前に進みます」

「……あなたらしい答えだことで」

 

 ライ更生のチャンスに失敗したサラは、気を取り直してVII組に向き直る。改めて空中に出現した銅褐色の傀儡。反射的に武器を構える生徒達を眺めて彼女は満足そうに微笑んだ。

 

「んじゃ、引き続き実技テストを続けるわ! その後はお待ちかねの特別実習の説明があるから、最後まで気を抜くんじゃないわよ!」

 

 こうして、23日の慌ただしい時間は進んでいった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ――6月26日。

 

 特別実習当日の早朝、まだ登ったばかりの日光が差し込む駅の中央で、ライは改めて特別実習の資料を確認していた。

 

【6月特別実習】

 A班リィン、アリサ、エマ、ユーシス、ガイウス、ミリアム(実習地:ノルド高原)

 B班ライ、マキアス、エリオット、ラウラ、フィー(実習地:ブリオニア島)

 

「ブリオニア島……」

「帝国西部”ラマール州”の外れにある遺跡で有名な島だよね」

「ん? ああ、エリオットか」

 

 後ろから覗き込んできたエリオットにライは向き合う。

 気づけばリィンとガイウスの2人も近くに来ていた。リィンもライと同様に資料を取り出す。

 

「しかし、今回はどんな意図でノルド高原とブリオニア島になったんだろうな」

「最初の特別実習は練習として、前回は両方とも四大名門の直轄地だったか」

「う〜ん、そうだねぇ……。ガイウス、分からない?」

「……ふむ」

 

 実習先のノルド高原に住んでいたガイウスが、悠然と考え込んで2つの共通項を探し始めた。

 

「ノルド高原にも、古代文明時代の遺跡が多数現存するが……」

「特別実習とは関係なさそうだよね」

「他に関係するとすれば、……場所くらいか?」

 

 リィンが1つ仮説を立てる。

 ブリオニア島はエリオットの入ったように帝国西端にある離れ島だ。対してノルド高原は帝国北東の国境先にある中立地帯。双方ともに帝国の国境間際にある場所である事が共通している。

 

「国境間際でしか見れない問題を体験させようって事か」

「こらそこ! 実習の裏側を探らないの!」

 

 答えに至ろうとしていたライ達の肩に連続してチョップが決まった。

 

「さ、サラ教官……」

「最初から裏が分かってたら実習の楽しさも減っちゃうでしょ? 全く、こんな心地いい朝日だってのに、湿気った話をしちゃって」

 

 裏を探る話し合いを諌める根拠として、サラは外から差し込む暖かな日差しを指差す。しかし何の喜劇が、サラが指した瞬間に日光は雲に隠れて消えてしまう。

 

「――あら?」

『今日の帝国は、西部から中央にかけて生憎の雨模様となるかも知れません』

「ありゃあ、そうなの。……って、ライ? 何よそれ」

 

 タイミングよく聞こてきた情報源にサラが首を傾げた。ライの手には音の出る小型の導力機械。その放送にはサラも聞き覚えがあったが、発生源である機械は彼女の知るそれよりも遥かに小型だった。

 

「何ってラジオですが」

「いえそうじゃなくて、……何処で手に入れたのよ、それ」

「ノーム先輩の新作です」

 

 以前提供した桐条グループ製の携帯ラジオを元にしたジョルジュ・ノームの最新作。それを試験的に受け取っていたライは、特別実習に役立てられるかも知れないと持参していた。

 

「へぇ、さっすがジョルジュ。専門家顔負けの技術力ね」

「それよりサラ教官、何か用事でもあったんですか?」

 

 前回このタイミングでナイトハルトが謝罪しに来たことを思い出したエリオットが、疑わしい者を見るかのような視線で問いかける。

 

「何よ〜、死地に向かう教え子を見送るのに理由が必要ぅ?」

「胡散臭っ」

「てか、死地って大袈裟な……」

 

 余りに演技臭いサラのポーズに、エリオットとリィンが苦言を呈した。

 

「あら、あながち間違ってないんじゃない? 今じゃ帝国の彼方此方で騒動の火種がくすぶってるんだし、大事件に巻き込まれるかも知れないわよ♡」

「縁起でもない」

「ま、冗談はこれくらいにして、今日はシャロンから預かり物を持ってきただけよ」

 

 サラは長椅子に置かれた2つのランチボックスを小突いた。そのどっしりとした威圧感から察するに、この中に各班全員の昼食が入っているのだろう。香ばしいパンの匂いが食欲を刺激する。

 

『――まもなく、帝都行きの列車が到着いたします』

 

「――っと、時間のようね。さ、早く持って行きなさい! 今回の実習地は遠いんだから、忘れると昼飯抜きになっちゃうわよ!」

「あっ、はい!」

 

 急かされる形で、エリオットとリィンがランチボックスを持ち上げる。

 今回は両班ともに帝都ヘイムダルでの乗り換えだ。VII組11名は揃って1つの列車に乗って旅立って行った。

 

 …………

 

 

「……今回も無事に済めばいいのだけど」

 

 列車がVII組を乗せて去った駅内は、サラの独り言が響くほどに静かだった。

 駅にいるのは帝都とは反対のケルディック方面に行く中年の男1人と、改札の従業員が1人だけ。しかし、そんな中に突如、メイド服の女性が足を踏み入れる。

 

「あら、行き違いになってしまいましたわ」

「……シャロン? どうしてあなたがここにいるの? 確かラインフォルト社に呼ばれて朝一番に出てたはずじゃ」

「実は、ルーレでちょっと怪しい情報を見つけまして」

「情報?」

 

 それは早々にルーレからUターンして来る程のものなのか。サラの磨き抜かれた直感が、危険信号を発し始める。

 

 張り詰めた緊張感の中、シャロンが取り出したのは一冊の新聞だった。

 

「帝国時報? そんなの毎日確認して――」

「そうなんですけど、不思議な事に、その中に見覚えのない記事があったんですよ」

 

 日付は4日前の6月22日。当時サラが読んだときは目ぼしい記事はなかった筈だ。しかし、シャロンに促されるままに読み進めたサラは、1つの記事で唐突に動きを止めた。

 

 ”ブリオニア島、連続失踪事件”

 

 "西海の孤島で6月の上旬から発生している謎の事件は、未だ解決の兆しを見せていない。6月21にまた新たな失踪事件が発生した。既に行方不明者は観光客含め28名にまで達しており、行方はおろか失踪の状況すら解明されていない状況だ。現在ラマール州領邦軍は、肥大する革新派の戦力に対抗するために奔走している為、未だ解決の目処は立っていない。島の住人の間ではオカルトめいた噂話が横行している事からも、住民の平穏が今も脅かされている事は確実であり――"

 

 連続失踪事件。あまりにも不吉な内容だ。

 ……いや、それだけじゃない。今回の特別実習も、当然士官学院で話し合った結果決まった場所だ。なのに何故、士官学院の誰もこの事件の事を知らなかったのか。まるで幻覚でも見せられているかのような"異常"に気づき、サラは嫌な眩暈に襲われる。

 

「……何よ、これ。洒落になってないじゃない」

 

 既にライ達を乗せた列車は遥か彼方の地平線。

 果たして無事に済むのだろうか。……いや、こう言う場合は往々にして嫌な予測が当たるものだと、サラの経験則は叫ぶ。

 

 先の冗談が現実になってしまいそうな状況に駆られ、彼女はぐしゃりと新聞紙を握りつぶした。

 

 

 

 

 




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45話「暗雲の孤島」

※注意:今回の特別実習は現時点(閃の軌跡2発売時)の情報を元にしています。故に実習地における地形および人物像がほぼオリジナルで構成されていますのでご注意下さい。


 ――帝都ヘイムダルの中央駅、数多くの路線が集合する巨大な駅のホームにVII組の面々は降り立った。遥か高くに渡された天井と、それを支える何十本もの柱。まるで競技場のような広大な空間には幾つもの路線が並列し、多くの人々が慌ただしく歩いている。

 

「っと、済みません!」

 

 すれ違う成人女性にぶつかったエマが身を翻し、反射的に謝った。

 早朝であるにも関わらず多くの人々が行き交うこの状況は、エレボニア帝国において帝都ヘイムダルしかないらしい。だからまぁ、慣れていないと言うのも無理ない話だろうと、元々帝都に住んでいたエリオットとマキアスは慣れた様子で話していた。

 しかし、何気なく進んでいたライは、他にもこの光景を気にしていない人物、フィーがいる事に気づく。

 

「ここに来た事が多いのか?」

「あんまり。ここはオズボーン宰相の監視がキツくて下手に動けないから」

 

 ……この話題は不味かった。

 猟兵を意識させる内容であった為か、後方のラウラから冷たい視線が突き刺さる。

 

 それに、よく見ればフィーの目線もちらりとラウラを見ていた。

 どうやらフィーが気にしていない様子だったのは、単にラウラへと意識を集中させていたからかも知れない。が、今は考察をするよりも先に、話題を変えねばならないだろう。

 

「実習先のブリオニア島だが」

「大丈夫。用意した火薬は湿気に強いから、海辺でも使えるよ」

 

 ……いや、そう言う話を聞きたかった訳ではないのだが。

 まぁ、気を取り直して、

 

「今日は天気が悪いな」

「気配が雨に隠れるから、隠密行動にはうってつけ」

「……話は変わるが、昼食はサンドイッチみたいだ」

「栄養バランスに特化した具材。まるでレーションみたい」

「……ご機嫌いかが?」

「微妙。でも戦闘には影響を与えないから心配しないで」

「…………」

 

 鉄壁だ。鉄壁過ぎる。

 これは故意にやっていると見てほぼ間違いない。ラウラへの挑発か、はたまた中間試験に対する不満か。どちらにせよ、流石は歴戦の猟兵だとライは内心戦慄する。が、「別に猟兵関係ない」とツッコミを入れる読心術の使い手は、生憎このVII組にはいなかった。

 

『――ラマール州都オルディス行きの列車が2番乗り場に到着しました。ご乗車の方はお急ぎ下さい』

 

 と、そんな敗北感の中、B班が乗る列車のアナウンスが鳴る。

 つまりは終了のゴングが鳴らされてしまったという訳だ。

 

「ま、まぁその、なんだ。……頑張れ」

「……ああ」

 

 リィンの歯切れの悪い声援を背中に受け、ライ達は2番ホームへ続く階段を降りて行った。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 豪雨に打たれながら西へ西へと走る列車の中では、外の天気に負けず劣らずの暗雲立ち込める空気が渦巻いていた。

 

「…………」

「…………」

 

 その原因は言わずもがな、重苦しい面持ちをしたラウラとフィーの2名である。

 

 先の連撃が影響したのか、木製の列車内はまさに氷点下。物理的な肌寒さすら感じ始めた現状を打開すべく、マキアスが唐突に声を張り上げた。

 

「そ、そういえば! この雨も明日には晴れるらしいぞ! ブリオニア島は透き通った海に遺跡で観光としても有名だから、何とも楽しみじゃないか! はははは!」

 

 何とかして場を盛り上げようと立ち上がったマキアスは、演技臭い高笑いを続けてエリオットとライの視線を釘付けにする。

 

 が、しかし、

 

「…………」

「…………」

 

 肝心の2人は一切の興味を示さなかった。

 

「はは、は、……はぁ…………」

「どんまい」

 

 力なく座り込むマキアスの肩にエリオットが手を置く。

 ライ自身も既に何度も敗退しているのだ。そう簡単に彼女らの冷戦が終わらない事くらい、誰の目からも明らかだった。

 

(さて、どうしたものか)

 

 ライはカタンコトンと揺れを感じる中、静かに窓の外を眺めて思考する。

 今にして思えば、正面からぶつかってくるマキアスの態度はまだ単純な方だったのかも知れない。直接対立せずに冷戦を続ける彼女らの関係は、まるで迷宮が如く複雑怪奇でややこしい。

 

 解決の糸口があるとするならば、打ち上げの時に自ら動こうとしたラウラの方だろうか。ライが見つめる列車の窓は、横殴りの雨と雷鳴のせいで一切の見通しが効かなかった。

 

 

 ……

 

 …………

 

 

 途中、もう一度乗り換えをしたライ達を出迎えたのは、灰色の海が延々と広がる薄暗い石造りの港だ。普段は美しい光景であろう導力灯の明かりも、雨に覆われた今となっては何処となくおどろおどろしい。傘をさしたB班は、ひとまずびしょ濡れの階段を下り、ブリオニア島へ行く筈の連絡船を目指す。

 

「ね、ねぇ、これ本当に連絡船出るのかなぁ?」

「見たところ波はそれ程高くないが……、そう言えば、確かアルゼイド家の治めるレグラムも水辺の町だった筈だが、船が出るか推測できるか?」

「……ボートでなければ問題あるまい」

「そ、そうか」

 

 雨が傘を打つ音が木霊する状況下、マキアス達は不安げにそんな話をしていた。

 

 ぴしゃり、ぴしゃりと、ライ達は港町を横断する。

 ……しかし、それにしても、

 

「なにかおかしい」

「フィーもそう思うか?」

「ん、人の気配が少なすぎる」

 

 フィーは私情を捨て、兵士としての表情を見せた。

 

 そう、雨である事を差し引いても人が少なすぎるのだ。マキアスの話によれば、曲がりなりにもブリオニア島は遺跡で有名な場所の筈。しかしながら、この港に点在する宿にはほとんど明かりが灯っていない。街路脇にある公園は綺麗に整えられている事から、別に寂れた港と言う訳ではない筈なのだが、逆にそのギャップが不気味な不自然さを醸し出していた。

 

「と、とにかく、早く連絡船の場所に行こうよ!」

「……そうだな」

 

 嫌な予感に恐怖するエリオットに押される形で、ライ達は雨の中、船着場へと歩いて行く。雨粒が路面を跳ねる音だけが、彼らを見送っていた。

 

 

 …………

 

 

 ――ブリオニア島へと続く連絡船。

 側面に見える大きな導力装置はスクリューの役割をしているのだろうか。そんな意味のない疑問を抱きながらも、ライは事前に渡されていたチケットを見せ、そこそこ大きな船内に足を踏み入れる。

 

 僅かに揺れる船特有の浮遊感。船内に入ったライ達を待っていたのは、小さいながらも上品な船の内装だった。幾つも設置された座り心地の良さそうな椅子に腰を下ろすB班一同。まだまだ席は空いていたが、何時まで経っても他に搭乗客はなく、遂にはライ達だけを載せてゆっくりと動き出す。

 

 何故、客がいないのか。

 雨のせいで客足が遠のいている可能性もあるだろう。しかし、操舵手の思い詰めた表情を見ていると、とてもそうは思えない。

 

 ライが操舵席近くの壁に腰掛けてそう分析していると、曇天を見る操舵手がふと話しかけてきた。

 

「お客さん、今日はどういった御用件で?」

 

 近場に他の人がいないが故に気が緩んだのだろうか。

 だが、これは好機だ。何故そんなに暗い表情をしているのか理由を聞けるかも知れない。一瞬で思考を纏めたライは素直に答える。

 

「学院の実習で」

「実習ねぇ。そりゃあ、難儀なこって」

「……難儀?」

 

 何とも不可思議な感想だ、とライは聞き返す。すると一層雨が強くなる中、操舵手が意外そうに声をあげた。

 

「なんだ、お前さん知らねぇで来たのか? 最近あの島じゃ失踪者が多発してんのよ。ったく、海が人を誘っちまうせいで、こちとら商売あがったりさ」

 

 海が人を誘う? 攫うではなく?

 

「妙な言い回しですね」

「まるで海が生きてるみたい、だろ? ――かかっ! 不思議に思うのも無理はねぇな。こちらも最初はふざけた与太話だと思ってたさ」

 

 思ってた、……過去形。

 ドロリとした何かが心に落ちる。

 

「……あんなもん見ちまったら、な」

「見たとは、何を?」

 

 操舵手の様子がおかしい。

 狂ったような空笑いを浮かべ、震える手を無理やり舵に押しつけ、そして、血走ったその目を見開いて、

 

「――血のように、真っ赤な海」

 

 独り、呟いた。

 

「あれは夢なんかじゃない。気づいたら緑色の空になっていて、恐ろしい咆哮が聴こえて、客が誘われたように歩いて行って、そして……」

「そして、何があったんですか?」

「何も出来なかった。そのせいで彼女は、あの、あの赤い海に……、……い、いや、違ぇ。そのおかげで、かか、彼女は救われたんだ。そう、救われたんだ! ははははは! 間違ったこの世界から! はは! はははははははは!!!!」

 

 最早、彼は正気とは言えなかった。

 故障した機械のように、何かが這い寄っているが如きおぞましい声で、意味もない叫びを繰り返している。

 

 ……しかし、

 

「おっと、もうすぐ到着するよ」

 

 薄っすらとブリオニア島が見え始めた途端、操舵手の様子が元に戻った。会話をする前の、いや、暗い表情すら消え去った彼の瞳は、硬直するライを不思議そうに見つめてくる。

 

「どうしたんだい? お客さん」

「……いえ」

 

 今のは幻だったのか?

 そう錯覚してしまいそうになるライは、先の記憶を思い返して事実であったと確かめる。

 

 段々と近づいてくる大きな島影に、集落と思しき明かりの数々。蠢くような正体不明の異常が、少しずつライ達に迫ろうとしていた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

「そんじゃ、お客さんも救われる事を祈っとくよ」

「それはどうも」

 

 ブリオニア島唯一の船橋に辿り着いたライ達は、不気味な程に陽気な操舵手と別れを告げた。雨が生み出す霞の向こうへと消えていく連絡船。その影がぼやけ始めた時、水色の傘を差したエリオットが不安げに近寄ってきた。

 

「ねぇ、さっき凄い声が聞こえたんだけど、何かあったの?」

 

 操舵手の声は後方にも届いていたらしい。

 やはり、あれは夢でも幻でもなかったのだ。

 

「ああ、実は――」

「待ちたまえ、それは時間が掛かりそうか?」

 

 ライの言葉をマキアスが遮った。彼が気にしているのは空から降り注ぐ大粒のシャワー。雨はどんどんその勢いを増している。気温も少しづつ下がっている事も考えれば、長々と話をしている場合ではないだろう。

 

「……そうだな。先ずは宿に行くか」

 

 家も疎ら、青々とした草が道端に生い茂っているこの島に、雨宿り出来る場所などありはしない。唯一の明かりは魔獣よけの導力灯。事前に渡された資料を頼りに、B班は土砂降りの田舎道を歩き始めた。

 

 

 …………

 

 

 真っ黒な雲の下、目的の場所に辿り着いたライ達を出迎えたのは、手入れの行き届いていない古びた宿であった。一階の窓から漏れる明かりはゆらゆらと不安定、背景に落ちる雷が、憎い演出をしてくれる。

 

「指定された宿って、ここで良いんだよね?」

「その筈だ」

 

 ミリアムがA班で良かったと思える程にホラーな光景だった。エリオットの背中に雨じゃない雫が滴るのを尻目に、マキアスがごくりと息を飲んで扉を叩く。

 

 ……やがて、古めかしい扉がギィッと動き出した。薄暗い向こうから顔を出したのは、2桁にもいかない小さな少女。それを見たB班の緊張の糸が一気に緩む。

 

「はは、脅かさないでくれ給え。――君はここの娘かな? 済まないが両親を呼んで欲しいのだが」

「……いないよ?」

「あぁ、今は留守なのか。では他に大人は?」

「…………」

 

 髪を短く切った少女は、半開き扉の向こうに身を隠してマキアスをちらちらと見ていた。明らかに警戒している様子だ。

 

「こわがってる」

「なっ!? 別に僕は何も!?」

「変わって、私がやってみる」

 

 マキアスを押しのけフィーが前に出る。セントアークでのアリサのようにしゃがみ込み、目線の高さを合わせるフィー。案外、彼女もお世話好きなのかと思ったが、

 

「…………」

「えっ、と?」

 

 別にそんな事はなかった。

 

 どう話したものかと無表情で考え込んでいる様子だ。少女が目の前で座ったフィーに戸惑う時間が数瞬。やがて、フィーは伝えるべき事を思いついたかのように、薄い唇が動き始めた。

 

「……私たち、お客」

「あっ! そうなんだ! 今、村長のおじさんを呼んでくるから待ってて!」

 

 その短い単語は的確に少女の警戒心を解きほぐす。雷雨の中訪れた者達であっても、素性不明と客とでは天と地の差があるだろう。ワンピースを着た少女は、戸を閉めるのも忘れて家内へ入っていった。

 

 残されたフィーはおもむろに立ち上がる。

 彼女はいつも通りの表情の乏しい面持ちだったが、どこか嬉しそうに見えた。

 

 ……複雑な感情が篭ったラウラの視線に気づく事もなく。

 

 

 …………

 

 

「ようこそ」

「うむ、お世話になる」

 

 宿に到着したライ達は、少女の先導でびしょ濡れの傘を傘立てに置き、小さな木製のラウンジに座るブリオニア島の村長に会った。疲れた表情をした年配の男性。その深い目皺からは、相当な苦労が滲み出ている。

 

「この大雨の中、良くいらっしゃいました。実習は明日からですので、今日はゆっくりと休むといい」

「ええ、それは有り難いのですが、村長が宿をしているのですか?」

「……いえ、私は代理です」

 

 マキアスの問いに、村長は暗い目つきで先ほどの少女へと視線を移す。

 彼女は暖かな紅茶を出そうとしているらしく、高い位置の茶葉を取ろうと背を伸ばしていた。

 

 そんな危なっかしい様子を見かねてか、手伝いに向かう割と長身のラウラ。あちらは彼女に任せよう。それよりも、村長には色々と聞きたい事がある。

 

「代理とは?」

「今、この宿を仕切っているのはあの子だけですから。数年前にご両親がお亡くなりになり、それ以降姉妹2人で切り盛りしておりました」

「……なら、さっきあの子が言ってた事は」

 

 両親はいない、それは言葉通りの意味だったのだ。無神経な事を言ってしまったとマキアスが自責の念に駆られる。

 

 だが、本題はその先だ。

 ライはマキアスには申し訳なく思いつつも、話題を進める事にした。

 

「彼女の姉は?」

「それは……」

 

 言葉に詰まる村長。十中八九、操舵手が言っていた内容と見て間違いない。ゆらゆらと不安定な光を放つ導力灯の下、ライは村長の代わりに答えを述べる。

 

「連続失踪事件、ですか」

「……えっ?」

「それが、先ほど伝えようとしていた内容か」

 

 紅茶をトレイに乗せて持ってきたラウラが真剣な声で呟いた。

 流石は武術家と言う事もあって、僅かな揺れもない運び方。しかし、誰もそれに気をかける余裕などない。――連続失踪事件。誰かがゴクリと息を飲む音は、強烈な雷の音にかき消された。

 

「ご存知でしたか。その通り、あの子の姉は失踪事件の最初の犠牲者です。本土からの帰路の最中に突然、連絡船ごと消息不明となりました」

「連絡船ごと?」

「ええ、連絡船が発見されたのはその2日後。操舵手含め、誰一人残ってはいませんでした。あの時は何らかの事故に巻き込まれたと考えていたのですが……」

 

 村長は遥々訪れた5人の少年少女達に深刻な話題を伝えねばならない事に、重苦しいため息を零す。そして、

 

「その時から島は狂い始めていったのです。赤く染まる海、島周辺にいる人間が何人も何人も消えていき、5日前にも1人、島の若い者が消息を絶ちました。……これで28人目。誰1人帰って来たものはおりません」

 

 その内容は彼の深皺に寸分違わず深刻なものであった。

 

 正体不明で薄気味悪い事件が、今もこの周辺で続いている。

 エリオットは薄暗いラウンジの死角にすら感じる恐怖を拭うため、身を乗り出して村長に問いかけた。

 

「な、何か思い当たることってありますか?」

「1つだけ心当たりが……っと、そうだ。伝え忘れた事がありました」

 

 と、突然村長は傍に置いてあった荷物を漁り始めた。

 やがて、ラウンジのテーブルに置かれたのは5つの導力仕掛けのランタン。わざわざ人数分用意して来たのだろうか。

 

「今回、特別実習を行うにあたって、1つだけ決まり事を定めさせて貰います」

 

 そう言いながら、村長は1個1個B班にの手元に配る。

 

「この島にいる間、常に導力灯の明かりを灯しておいてください」

「……先の事件と関係が?」

「ええ、明かりと言うより導力そのものですが。――もし、導力灯の明かりが一斉に消え、海が赤く染まったら特別実習は中止です。例え如何なる状況であろうとも即座にここの部屋に戻り、絶対に外には出ない事。これだけはお守りください」

 

 ……つまり、彼はこう言っているのだ。

 導力が消え、海が赤く染まった時、原因不明の失踪事件が発生する、と。

 

 それこそが彼の言う心当たりであり、このランタンは失踪事件に巻き込まれないための命綱。

 

 ライ達はお互いの顔を見合わせてそれを確認しあい、薄暗いラウンジの中心でランタンの明かりを付けた。が、

 

「……つかない」

「おや、1つ壊れてましたか」

 

 フィーのランタンだけ明かりのない真っ暗なガラスのまま。 これでは縁起が悪い、いや、実害すら出る可能性があるだろう。

 

「その導力灯、他のものでも代用できますか」

「え? ええ、導力の稼働を常時確認できるものでしたら」

 

 だったら丁度良いものがある。

 ライは自身のランタンをフィーに渡し、懐から今朝方使った導力ラジオを取り出して音を鳴らした。

 

「俺はこれを」

「携帯サイズの導力ラジオとは、また珍しい」

 

 村長はその見慣れない形に興味深げな声をあげていたが、気を取り直してライに許可を出す。そして、「今日はもう遅いから、明日詳細を伝えましょう」と、1人雨が降り注ぐ宿の外へと消えていった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 2階の客室に案内されたライ達は、それぞれ個室が割り当てられた。例の事件が原因で、他に利用客がいないと言うのが理由らしい。

 

『――……西部の明日は、雨も…がり雲1つない晴天が広……と思われ…す』

 

(導力の停止に赤い海、か)

 

 部屋に荷物を下ろしたライは、ベット脇の窓際に導力ラジオを置き、椅子に腰掛ける。

 

 気味が悪いオカルト話と言えばそれまでだ。

 しかし、どうにも内容が具体的である上に、操舵手の言葉とも合致する。それに、オカルト話に繋がってもおかしくない奴らの存在なら――

 

 と、そこまで思考を進めた時、唐突に扉からトントンと音が鳴り響いた。

 

「誰だ?」

「……済まない、少し良いだろうか」

 

 それは凛とした女性の声、ラウラのものだった。ライは短く「ああ」と答え、ラウラを室内に招く。

 

 力なく揺れる藍色のポニーテール。仮に第3者がいたとしたら、男性の部屋に女性が訪ねる状況に不審な目を向けることだろう。しかし、浮ついた様子の欠片もないラウラの瞳を見れば、恋愛とは縁遠い理由であることは言うまでもない。

 

「紅茶でも入れてくるか?」

「いや、その必要はない」

「そうか」

 

 ラウラはそれ以降無言となり、ライの対面に座った。

 

 彼女が何を目的にここへ来たのかは何となく推測できる。しかし、彼女の気質を考えれば、下手な手助けは逆効果にしかならないだろう。

 

 ライが静かにラウラの顔を見つめること数分。遂に彼女は決心を固め、その細い口元を開けた。

 

「そなたはハーメルの悲劇と言う言葉を知っているか?」

「いや、初耳だ」

「そうであったか。いや、そうだろうな」

 

 つくづくそなたが記憶喪失であると忘れてしまう、と、ラウラは懐かしげに微笑む。

 

 それは久方ぶりに見た光景。ライの鋭い瞳がやや丸くなるのを他所に、ラウラは説明を続けた。

 

「ハーメルの悲劇とは、今から12年ほど前に帝国南部の村ハーメルが一夜にして滅んだ事件の事だ。その原因は自然災害、と言う事に表向きはなっている」

 

 表向き、つまりは裏があると言う事。

 部屋内の空気がピンと張り詰めていくのをライは肌で感じた。

 

 事実、ラウラは話すべきか迷っている様子だ。

 それでも、ここで止める事など真っ直ぐな彼女はしないだろう。

 

「自然災害などとんでもない。ハーメルは人為的に壊滅させられたのだ。――女子供関係なく、猟兵の手によって虐殺された」

「……何故、ラウラがそれを?」

「我がアルゼイド流は帝国軍兵士の中でも主流な流派でな。私が小さい頃から多くの兵士と出会う機会があった。……その中に、ハーメルの惨状を直接見た者たちもいた」

 

 恐らくは酒にも酔っていて口を滑らせたのだろう。衝撃的な光景であればある程、閉ざされた場で話題に出たとしても何らおかしな話ではない。

 

「幼い私には、その意味が良く分かっていなかった。ただ1つ、猟兵は邪道の存在だと言う事だけは、心に強く焼きついていた」

「だからフィーを認められない、と?」

「全ては私の心の弱さが原因だ。どうしてもフィーを受け入れることができない。――だからこそ、私はここに来た」

 

 ラウラの期待する視線がライを貫く。

 わざわざライが1人になったタイミングで訪れた理由。今までの経験から考えれば答えは自ずと導き出せる。

 

「戦術リンク、だな」

「そうだ。セントアークの地ではアリサがそれで壁を乗り越えたと聞いている。私も自身の壁を越えられれば、前に進めるかも知れないのだ。だから頼む! 私と今一度、リンクして欲しい!」

 

 ラウラはラウラなりに前に進もうとしていた。ならば、ライに取れる道など1つしかない。

 

「協力は惜しまない」

「そ、そうか! では行くぞ!」

 

 雨夜の宿の一室で、今、2つのARCUSが光を発した。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ――気がつけば、ラウラは真っ白な空間に1人立っていた。

 

 目の前にはあまりにも巨大な格式ある青色の壁。ひとりでに開く両開きの扉を前にして、ラウラは心臓の鼓動が痛いほど高まっていくのを感じていた。

 

 ……記憶にはなくとも心が理解しているのだ。この扉の先にいる存在を。

 

『ようこそお越し下さいました』

 

 そこには美しいドレスを身に纏い、藍色の髪を艶やかにおろした、もう1人のラウラと呼べる存在が。彼女はスカートの裾を持ち上げ、ぺこりと礼をする。

 

 気品の良い姿ではあったものの、口角を異様なまでに持ち上げ、両目を不気味な程に歪めた表情は、生理的な嫌悪感を感じてもおかしくないレベルだ。……それに、

 

『何かおかしいですか? 私は貴族の子女、煌びやかな衣装に身を包んでも自然ではありませんか』

「いや、しかし、それではまるで」

『――まるで、騎士を諦めた姿、であろう?』

 

 口調が変わったもう1人のラウラ。

 あまりの落差に、ラウラの目が見開いた。

 

『……あら、口調が戻ってしまいました。やはり上っ面のキャラ作りではこの程度ですね』

「何が言いたい」

 

 先の言葉の真偽を問うため、ラウラは手を固く握り締めて問いかける。もう1人のラウラは待ってましたと言わんばかりに、皮肉めいた笑みを浮かべ、

 

『ふふ、くくく、自明の理であろう。そなたの主張する騎士道も、薄っぺらな欺瞞だと諭しているのだ』

 

 ラウラの顔と声で、ラウラ自身の主義を完膚なきまでに否定する一言を言い放った。

 

「欺瞞などではない! 私は私の信ずる道を進むために、再びこの場所に赴いた!」

『信ずる道を? それはどうでしょうか』

「何が、言いたい……!」

 

 もう1人のラウラはか弱く、曖昧な言い方で言葉を濁すばかり。段々とラウラの心から余裕が削ぎ落とされていく。

 

『ならはっきり申し上げましょう。そなたはただ、欺瞞を剥がされかねない矛盾から抜け出したいだけ。自身が正道でない事から目を逸らしたいが故に、藁でも掴む気持ちで戦術リンクにすがった。ねぇ、そうでしょう? そうだろう?』

 

 ゆらり、

 ゆらりともう1人のラウラが歩み寄る。

 

 その醜い声は潔い武人とは縁遠い、嘲笑う邪道の権化だ。

 

『そなたはフィーと仲直りする事なんて望んでいない。何故なら嫌っている今の状況こそが、そなたの望んでいる最善なのだから』

「馬鹿な。そんな訳なかろう!」

『"正道に準じる者ならば、猟兵である彼女を拒絶しなければおかしい"、でしょう? ハーメルの悲劇なんて単なる建前。そなたにとってフィーは、自分が正道をまっとうしていると言う陶酔に浸るための、ただの小道具に過ぎない』

「わ、私は……」

 

 怒涛のように責め立てる言葉の嵐に思考が追いつかない。

 否定の言葉が見つからない。

 

 だが違う。

 それじゃまるで、自身が目の前の存在と同じ、感情の赴くままに横暴を振りまく邪道そのものではないか。

 

『嗚呼、そなたはひどく醜い女だ。仲良くしていた少女を、ただ自分の主義主張を守るためだけに嫌悪するなどとは』

「違う! 私は決してそんな邪道では……!」

『えぇ分かります。そなたは仮初めの正道を守るために私を否定したい。否定したくて仕方ない。それがラウラ・S・アルゼイド』

「私の歩む道は決して仮初めなどではない!」

『――そうか? ならば、しかと見よ』

 

 いつの間にか背後に回っていたもう1人のラウラが、音もなくラウラの頭を鷲掴みにしていた。万力のような力で無理矢理に頭を動かされる。その先にあったのは凛と立つラウラの姿、……ラウラの形をした、薄っぺらい木のハリボテだった。

 

 ――パタン。

 ハリボテは所詮ハリボテ、風に煽られ崩れ落ちる。

 

 その木の板が仮初めと言うのなら、板の先にあるのは本物の答えであろう。……ヴィクター・S・アルゼイド。悠然たるラウラの父親こそが、ラウラの目指す道の正体だった。

 

『そなたは騎士道に準じているんじゃない。ただ、父上の背中にすがっているだけ。……そんなちっぽけな意志なのだから、自身の軸をぶらしかねないものを否定する。自身の理想に沿わないものは、どんな些細なものでも悪となる』

 

 段々と思考が曖昧になっていく。

 もう1人のラウラが囁く言葉が真実かどうかなど、既に無意味な思考だ。ここに来た意志も、信じてきた己の正道も、全て折られてしまったと感じている事こそが、この場における唯一の真実。

 

 残されたのはただ、……否定のみ。

 

『そなたの騎士道は上っ面、揺るぎない武の心など初めからないのです。自身が悪と断定したものを嫌って、自身も正道だと思い込んでいるだけ。優柔不断で横暴で傲慢な私こそが、そなたの本当の姿だ』

「ちが、う……」

『違わない。私はそなた、そなたは私。私はそなたの本当の在り方。ほら、認めなさい。さあ、認めろ。そなたは決して正道ではないのだと』

「――っ! 止めろっ! そなたなど……、そなたなど、私ではないっ!」

 

 ラウラは完全にもう1人の自分を否定した。

 ……してしまった。

 

 それを聞いたもう1人のラウラは、歪な笑みを浮かべ、周囲に不気味な風が舞い上がる。まるで、ラウラから解放されたかの如き、独りよがりな笑い声。

 

 だが、もう1人のラウラを取り巻く力が膨れ上がる"寸前"、パリンと、戦術リンクが砕ける音が鳴り響いた。

 強制的に暗くなる視界。ラウラはそれに抗う術もなく、強制的にもう1人のラウラと引き離される。

 

 

 

 ――暗転。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 微かな雨音が木霊するブリオニア島の一室。動きを止めたラウラを静かに見守るライだったが、戦術リンクが途切れた事に気づき顔をあげた。

 

 戦術リンクが割れたのならば、導き出せる結果は1つ。

 その解は肩で息をしながら項垂れるラウラの様子からも明らかだ。

 

 つまり、ラウラは戦術リンクに、もう1人の自分自身を受け入れる事に失敗してしまったのである。

 

「……すまない。少し、1人にさせて貰えぬか」

 

 儚げに立ち上がり、ふらふらと部屋の外へと足を向けた少女の背中は、何故だかとても小さく見えた。

 

 失敗した場合、戦術リンク中にあった出来事が記憶に残る事はなく、心に刻まれた傷が残るのみ。故にライはラウラの体験した出来事を知る方法など皆無なのだが、以前ラウラが言っていた”邪道”と言う単語から推測した一言で、消えそうな彼女を繋ぎとめようとする。

 

「ラウラ、人は誰しも正と負の感情を持っている。それで良いんじゃないか?」

「……そう断言できるのは、きっとそなたが強いからなのだろうな」

 

 私には真似できそうにはない、とラウラは自傷的な笑みを携え振り返った。彼女の言い分も最もだ。そう簡単に割り切れているのであれば、初めからこんな状況になってはいない。

 

「だったら、俺がフィーの本心を引き出す。ラウラが心から信じられるような正の面を。それで何とかならないか?」

「あ、ああ。……だが、何故そなたはそこまで」

「今の状況が最善だとは思えない。理由なんてそれで十分だ」

 

 迷いなくライは言い放つ。

 その言葉は以前フィーにも伝えたものだった。そこまで深い理由などない。目指すべき未来があるのならば、前に進み続ける事だけがライに唯一とれる手段なのだから。

 

 しかし、

 

「さい、ぜん……ではない?」

 

 ラウラにとって今の単語は別の意味を持っていた。記憶にない戦術リンク中にその言葉を聞いていたのか、明らかに動揺した様子で数歩下がり、部屋を飛び出す。

 

 

 反動でガチャンと閉まる古ぼけた宿の一室。

 

 人1人がいなくなった空間にいると、雨窓を叩く音や付けっ放しの導力ラジオの音声が心なしか大きく聞こえる。

 

(……またか)

 

 事今回の軋みに関しては、妙に運が悪いと言うか、巡りが悪いと言うか。もしや旧校舎で見た友原翔が乗り移っているのかと危惧する程の地雷踏みっぷりだった。

 

 ――しかしまぁ、何も悪い事ばかりではない。相手の心を揺さぶっているという事は、彼女らの本質に関係しているという事でもあるのだ。

 

 就寝用のTシャツに袖を通したライは、独得な柄のベットに腰を下ろし、手に入れた情報を取り纏める。

 

 前回のフィーと今の動揺したラウラ、その双方に共通した特徴は2つ。ライの言葉そのものに否定的な反応を示していた点と、己がシャドウに関わっているであろう雰囲気を漂わせていた点だ。

 

 旧校舎内で得た状況が正しければ、シャドウとは抑圧した己の心。即ち潜在的な悩みである可能性が高い。ならば、2人の悩みは"前進を望んでいない"と言う1点に限って相似しているのでは、とライは天井を仰ぎ見て思い至る。

 

(――だとしたら、今の硬直状態も、空回りしてしまう原因にも説明がつく)

 

 フィーとラウラは無意識の内に現状で良いと思っている。つまり、彼女らの思考は恐ろしい程に合致してしまっていたのだ。

 一度噛み合った歯車を外すのは容易ではない。ライが空回りするのも、まま当然の流れであった。

 

 ……ならば、その解決策は。

 ライが思考を一段階進めたその時、

 

『……――…ザザ、ザ――……』

 

 唐突なノイズ音がライの思考を遮った。

 

 気がつくと、ベット脇の導力ラジオから聞くに堪えない雑音が。そう言えば、さっきから音声の受信が悪かったと思い、ライは周波数の摘みをいじる。

 

『トリ…タでは、今日も……、……』

『……クロ…ベル放送が深夜0時を…………』

 

 しかし、どうにもチューニングが上手く行かなかった。幾つかのラジオ放送を拾ったものの、全てノイズ混じりの声が流れるばかり。

 

 しかし、辛うじて聞こえた深夜0時と言う放送が、ライの方針を決定づけた。

 

(……今日はもう休もう)

 

 特別実習は明日と明後日の2日間。フィーとラウラ、それに謎の失踪事件を相手取る可能性もある。今、最もすべき事は万全の状況で明日に望む事だ。

 

 柔らかな毛布に包まれ、ライの意識は深いまどろみへと沈んでいった。

 

 

 

 



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46話「赤い海」

 ――ピアノの音が聞こえる。

 

 ……いつの間にかライはまた、真っ青な列車の一室、ベルベットルームに訪れていた。現実のようでいて、同時に夢のような不可思議で青ずくめの空間。この日もまた、大きな鼻のイゴールが変わらず対面に座っていた。

 

「ようこそ、夢と現実の狭間ベルベットルームへ。此度もまた、試練の時がやって参りましたな」

 

 イゴールはふふっと、含み笑いを漏らしていた。まるで過去現在未来、その全てを見通しているかのように、底の見えない血走った瞳がライを映す。

 

「さて、あなた様はかの異空間で、過去の真実へと続く欠片を手に入れられたご様子。お気分は如何でございましょうか」

 

 それはもしや、旧校舎で判明したアレを言っているのだろうか。だとすれば答えは簡単だ。妙な胸騒ぎを感じる現状が最高などと、一体誰が言えようか。

 

「頼城葛葉。シャドウワーカーの一員となった彼は、正しくお客人を取り巻く運命の出発点でごさいます。

 例え記憶を失われようと、その因果の糸はあなた様の周囲を取り巻いていらっしゃる。それは果たして柔らかな絹の衣か、それとも獲物を狩らんとする蜘蛛の巣か。真相が分かるのも、もうすぐかも知れませぬな」

 

 彼は何を言わんとしているのだろう。

 

 疑問に感じているライの様子を見抜いたのか、イゴールは静かに片手を撫で上げた。

 

「……窓をご覧なさい」

 

 真っ青な窓のカーテンがひとりでに開く。そこから見える光景は、地面と空の境すら見えない程に真っ白で淡い光の海。しかし、列車の行く先だけは、這い寄るようなドス黒い暗闇に覆われていた。

 

「あなた様の行く末に待つは底なしの闇。線路が続いているかどうかも定かではございません」

 

 ベルベットルームを運ぶ線路とは、イゴールの言葉が真実ならライの運命そのもの。それが途絶えるとは即ち……ライ自身の終わり、《死》に他ならない。

 

「ご心配召されるな。運命とは時に流され、時に自らの手で掴み取るもの。歩みを止めなければいずれ光明も見えましょう……」

 

 ……光明?

 

「左様。ご自身の持ちうる全てを振るってこそ、あの暗闇を照らす道標となり得る。……今はただ、この言葉を心に留めておく事だ」

 

 伝えるべき言葉を終えたイゴールはその手を降ろし、カーテンが初めから閉じたままだったように元へと戻る。

 

 と、同時にベルベットルームの境界が曖昧となり、奇妙な浮遊感がライを襲った。

 

「それではまた、ごきげんよう……」

 

 現実のライが目覚めようとしているのだろう。それを察したライはゆっくりと瞳を閉じ、消失する感覚に身を任せた。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 目を覚ましたライは、ふと、カーテンの隙間から差し込む光に気づく。

 

 一晩明けて、雨雲が去ったのだろう。

 ライは音のなる床に両足を下ろし、動きの悪い窓を強引に開けて外を確認する。

 

 ……そこには、絶景が待っていた。

 

 エメラルド色の海、海面に突き出した古い遺跡の数々。まるで絵画のように幻想的な風景だ。――これがブリオニア島。ライはようやく遺跡が眠る西海の島に来たのだと実感する。

 

 確かに遺跡で有名となるのも頷けるだろう。……しかし、こんなに美しい島であったとしても、オドロオドロしい事件が隠れている事を忘れてはならない。

 

 ライは塩っぽい風を浴びながら気を引き締め、身支度へと歩き出した。

 

 

 …………

 

 

 古めかしい宿屋の1階。

 赤い制服を身に纏ったライは、ラウンジでせっせと朝食の準備をする例の少女に遭遇した。

 

「おはよう」

「あっ、え、えと……」

 

 髪を短く切った少女は驚いた顔で手を止める。

 

「お、おお、おはよ、ごさいます! きのうは、えと、……よく、寝れました?」

「ぐっすりと」

 

 恐らくは姉か両親の真似をしたのだろう。ライの返答を聞いた少女はパァッと顔を綻ばせ、見よう見まねにしか見えない作業へと戻っていく。……何処となく危なっかしい。

 

「手伝おうか?」

「う、ううん。おきゃく様に手伝わせちゃダメって、お姉……ちゃん、が…………」

 

 少女の幼い顔が次第に暗くなる。

 一生懸命に働いているのも、この様子では1人の寂しさを紛らわせる為なのだろう。ならば尚更引く訳にはいかないと、ライは少々強引に重ねられた皿を持ち上げる。

 

「だ、だから、手伝っちゃ「依頼(クエスト)」……えっ?」

「俺達は観光客じゃなく、実習で依頼をこなしに来た学生だ。だから、この依頼もこなさなきゃいけない」

 

 まごう事なき屁理屈だ。

 特別実習の依頼はまだ受け取っていないし、少女を手伝って欲しいなどと言う依頼が来る筈もない。しかし、確かめる術のない今だけは変わらぬ真実となり得る。

 

「こなさないと、おきゃく様も困るの?」

「困る」

「……それなら、しかたない、のかな」

 

 少女は悩みこんだ結果、ライの申し出を受ける事にしたらしい。キッチンの棚から可愛らしいエプロンを取り出し、はいっ、と差し出してきた。

 男性が着るには少々ピンク色が強すぎるものだったが、ライは特に気にすることもなくエプロンを身に付け、早速朝食の準備へと動き出す。

 

 カチャカチャと忙しなく音が鳴り響く年季の入った食堂。人数が増えたこの状況に、少女は何処となくルンルン気分だ。ライは鼻歌を歌いながらスープを煮込む少女を見て、(後で依頼を出す村長と口裏を合わせておこう)と、密かに考えながら皿を机に並べた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ――朝食時。

 1階に降りてきたB班の面々と少女、朝早くから宿に訪れた村長の計7名は、料理の並べられたテーブルの前で途方に暮れていた。

 

 今この場では、フィーとラウラが一同に会しているのだが、そんな事を気にしている場合ではない。皆が意識するはテーブルの上にある料理、正確に言えばその1つであった。

 

『――ァァ、……ア゛ァァ――……』

 

「……ねぇ、この料理、ライがつくったよね」

「よく分かったな」

「見れば分かるよっ! 何がどうなったら、パンから唸り声が聞こえてくるのさ!」

 

 スライムのように崩れた形のパンを指差してエリオットが叫ぶ。香ばしい朝食の中に鎮座する異物。それはスライムのように目と口があり、スライムのように唸り声をあげ、……ぶっちゃけ外道っぽいスライムだった。

 

「恐らく、ブリオニア島の郷土料理と悪魔合体して合体事故に」

「悪魔合体ってなに!? 合体事故ってなに!?」

 

 ライ自身も何言ってるのか分からない。

 

 しかし、今目の前で声を漏らしているゲテモノは、既にライのキャパシティを越えてしまっていた。生命もどきを作りあげてしまった自身の料理テクに戦慄すら覚える程に。

 

(やはり、郷土料理のレシピを見せて貰うんじゃなかったか)

 

 と、一般の常識とは真逆な反省をするライを他所に、初老の男性の手がスライムもどきに伸ばされる。

 

「村長さん!? 下手に手を出したら一体どうなるか分からないですよ!」

「いや、しかし、どんな構造で声が出ているのか……」

「確かに気になりますけど!」

「ともかく、この魔獣を殲滅せねばなるまい」

「ラウラも食卓で剣を抜かないで!」

 

 ツッコミを一手に引き受けるエリオットは誰が見ても大変そうだった。

 

 やや離れた位置でそれを傍観していたマキアスが、疲れたように眉間を抑える。

 

「全く、朝から騒がしい……」

「同感」

「……ふふっ」

 

 呆れるフィーに、心底楽しそうな少女。

 結局、この騒動は皆のお腹が空くまで続くのだった。

 

 

 ……

 

 …………

 

 

 カチャリとスプーンが置かれ、ブリオニア島で初めての朝食が終わる。

 

 あのスライムもどきはそのまま捨てる事すら危険だったので、最終的にオーブンで焼却処分する事になった。試しに、普通のパンならこんがり焦げ目のつく温度で焼いてみると、そこには真っ黒な灰の山が。どうやらスライムは火に弱かったらしい。

 

「ご迷惑をお掛けしました」

「本当だよ」

 

 エリオットの鋭い指摘が炸裂する。

 確かに一番迷惑をかけたのは彼かも知れないと、ライは再度頭を下げた。

 

 そんな学生達のやり取りを見て口元を緩める村長。

 

「いや、楽しい時間を過ごせました。本当に、久しぶりに」

 

 そんな彼の瞳に憂いが帯びる。

 お世辞でも何でもなく、久しく楽しい時間など過ごしていなかったかのように重い瞳だ。

 

「……話は変わりますが、彼女の手伝いをしてくれたそうですね」

「ええ」

「正直に言うと、とても助かりました。あの子は唯一の肉親を失ってから、あまり笑顔を見せなくなりましたから」

 

 声の届かないキッチンの向こうにいるであろう少女を目で追いながら、壮年の村長は語る。

 

 彼女が1人で宿にいるのも、何人の島民が説得してもこの宿を離れようとしなかったかららしい。恐らくは、姉が戻って来る事を信じているのだろうと、村長は推察していた。

 だからこそ、村長は頻繁に宿を訪れており、昨日ライ達に会えたのもその一環らしい。

 

「あなたの提案通り、依頼の中に加えておきましょう。……そして、達成したのなら報酬を渡さねばなりません」

「いえ、見返りを求めた訳では」

「これは楽しませてくれたお礼です。どうぞお納め下さい」

 

 断るに断れない雰囲気に持ち込まれてしまったまま、ライの手元に2つの黒い宝石のような物が乗せられる。

 

 見た所、戦術オーブメントに搭載するクォーツだろう。同じ構造をした2個のクォーツを持ち上げ、観察していると、横からラウラが答えを示してきた。

 

「――クロノバースト、だな」

 

 昨日の件もあってか余所余所しいが、話せるだけマシと見るべきか。ライは計算する思考を内に収め、ラウラにクォーツの解説を求めた。

 

「上位属性である時の導力を瞬間的に解放させ、限定空間の時間を引き伸ばす導力魔法(アーツ)だ。その強力な特性故に希少で、私も実物は初めて見る」

 

 時を引き伸ばすとは、何とも恐ろしい程に有用な導力魔法であろうか。

 そして、その希少性も含め、こんな簡単な依頼で出して良いモノではない事は明らかだ。

 

「何、気にする事はありません。これらのクォーツは元々、この宿の夫婦のものでしたから。相続のトラブルで私の元に流れ着いて来ましたが、こんな片田舎の男が持っていても宝の持ち腐れと言うものだ。あの子の為にも貰ってやって下さい」

「そうですか。……なら、ラウラ。1つは受け取ってくれ」

「む? 私が、か?」

「ああ、昨日彼女の手伝いをしただろ? 2つ持っていても意味がないし、多分、ラウラが持つべきだと思う」

「……そうか」

 

 ある意味、形見とも言えるクロノバーストのクォーツ。ラウラも恐る恐ると言った様子でそれを受け取る。

 

「では、改めて実習の依頼をお渡ししましょう。先日の件もどうか忘れずに、気を引き締めて事に当たって下さい」

 

 村長はライ達の懐にある明かりのついた導力灯と、音の鳴る導力ラジオを確認し、深く頷いて人数分の資料を手渡す。

 

 かくして、今回の特別実習が本格的に始まるのであった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 村長から封筒を受け取ったライ達は、晴天の下、潮風を浴びながら島の西岸を歩いていた。

 

 目的はこの先にある船着場。

 そこにある故障した漁船のパーツを届ける事と、周辺にいる大型の魔獣を数体討伐する事が今日のこなすべき依頼だ。

 

 波打ち際の岩場に点在する遺跡の柱を抜け、千年近く前に舗装されたであろう苔の生えた石材の沿岸を歩く事、十数分。

 

「む、あそこじゃないか?」

 

 先頭を歩いていたマキアスが、岩の合間にある小さな船着場を見つけた。

 

 幾つもの古びた漁船が止められている中、辛うじて稼働しているであろう船が1つ。その船の導力エンジンが収められているであろう部位から、白い袖をまくった男性が顔を出し、ライ達に向けて手を振ってくる。

 

 ……間違いない。

 交換用パーツの送り先は彼だろう。B班の面々はやや駆け足で歩み寄る。

 

「おっす! 待ってたぜ!」

「どうも、パーツの宅配です」

「ははっ、料金は村長につけといてくれや!」

 

 元気の良い男性の指示に従い、漁船のパーツを導力エンジンの近くに置いた。

 そして、パーツは直ぐに男性の手へ。導力エンジンに組み込まれ、しばらくすると、ドゥンと導力エンジンが動き始めた。

 

「……ふぅ、ありがとな。最近、働き手が消えたり島を去ったりで慢性的な人手不足なんだわ。慣れねぇ修理作業なんかやるもんじゃねぇなぁ」

 

 額の汗を腕で拭い、水筒の水を飲み始める日焼け肌の男性。

 

 "消えた"、そして"去った"と、彼は何気なく口にした。考えれば分かる事だ。未解決の事件が及ぼす影響は何も少女のような直接的な被害だけではない。事件を気味悪がった人が逃げて行った事によって、この島の生活そのものが毒のようにジワジワと蝕まれているのだ。

 

 だとすれば、この使われていない漁船の数々も人手不足が原因だろうか。ライは推測を元に古びた漁船を調べるが、

 

(……ん?)

 

 微かな違和感に気づいた。

 

「どうしたの? ライ」

「いや、錆が多すぎる」

 

 まるで、既に10年近く使われていない寂れ具合。失踪事件の時期と一致しない矛盾に悩んでいると、先の男性が慌てて真相を口にした。

 

「ああいや、それは人手不足とは関係ねぇよ。こいつらはもう8年も使ってねぇ漁船、過去の残りカスみてぇなもんだ」

 

 どうやら、原因が違ったようだ。

 紛らわしい事この上ない。

 

 だが、それはつまりブリオニア島の抱える問題が1つでない事を示している。男性は残っていた水を全て飲みきり、疲れた顔でライ達に話し始めた。

 

「全ては、オズボーンって野郎の強引な政策が原因さ」

「オズボーン宰相が? だが、彼の政策に漁業の縮小などなかった筈だが」

「おっ、あんたは革新派か? もしくは帝都の住人か? どっちにせよ、意味が分かんねぇって顔をしてるぜ」

 

 帝都に住んでいたマキアスは図星を突かれ、うっ、と言葉が詰まる。「やっぱりな」と一度笑う軽快な男性。

 

「あそこに住んでちゃ、オズボーンを正しいと感じても仕方ねぇさ。何せ文化水準は上がるわ貴族が顔をきかせねぇわで、万々歳! ってな」

 

 両手を上げた男性はおちゃらけた様子でマキアスを見る。

 何を言っているのか本気で分からないと言った様子。腕を下ろした男性は、深いため息をついて本題に入った。

 

「……ブリオニア島は遺跡で有名な島だ。けど、そんだけで食いつなげる程、観光が盛んって訳でもねぇ。海産物を取って輸出するのも大事な収入源だったのさ」

 

 海を見る男性の目はどこか懐かしげ。

 そんな彼の雰囲気に飲まれ、ライ達は静かに話を聞く。

 

「その最大取引先は、帝国北西部の沿岸に位置する《ジュライ市国》って国だ。今じゃ帝国の一部になってジュライ特区と呼ばれてる」

「ジュライ特区って、ギャンブルとかで有名なあのジュライ特区ですか?」

「ああ、オズボーンの政策で合併した弱小国の1つさ。つっても、資金難のところを突かれたみてぇで暴動とかはなかったんだけどな。せいぜい元市長が病死したくらいだったかね。

 ……まぁ、けど、そんな市国とやり取りしてたこちらは正直堪ったもんじゃなかった。帝国が求めたジュライ特区の姿は経済特区。ミラ稼ぎしか頭になくなったジュライの連中にとっちゃ、俺達ゃお払い箱だったのさ」

 

 これが自然に発展していった弊害ならば納得もしただろう。しかし、この併合の裏には酷い暗躍の影が見え隠れしていたと男性は言った。

 当然、ジュライ市国の人々も勘付いてはいた筈なのだが、自身の利益の為に見て見ぬ振りをしていたらしい。その利益を持たないブリオニア島の心境は言わずもがな。理不尽、不条理、オズボーンの信用など地に落ちていたのだ。

 

「ま、眼鏡のボウズも覚えときな。無理矢理な近代化ってのは何も良いことばかりじゃねぇ。向上した分の皺寄せをどっかの誰かが受けてんだ。あのオズボーンって野郎も、いつか刺されるかもしんねぇぜ?」

 

 そう言って、男性は漁船を動かし沖合いに出て行った。

 

 残されたライ達B班。

 マキアスは下を向いて何も話さない。

 

 実技テストでのパトリックの言葉が確かなら、マキアスの父は帝都の知事をしていた筈だ。当然、オズボーン宰相とも近しい地位におり、今の話は他人事ではなかったのだろう。

 

 ……だが、昨日と同じく、ライはマキアスに配慮している場合ではなかった。

 

「行ったな」

「そろそろ頃合いだね」

 

 周囲に人影がないのを確認し合うライとエリオットに気づき、マキアスは顔を上げる。

 

「待ちたまえ、君達は何を言っているんだ?」

 

 ライとエリオットは会話を止め、マキアスに、そして後方で疑問の視線を向けてくるラウラやフィーに向かい合った。

 

「マキアス、昨日の失踪事件を聞いてどう思った?」

「どうって、……不可思議なものとしか。幻覚の類でなければ、人間業じゃないとしか思えない程に突飛な話で」

「ああ、"人間業"じゃない」

 

 人間業、ではない。ライがそう断言した事で、マキアスも漸くある可能性に気づく。

 

「ま、まさか、君達は失踪事件の原因がシャドウとでも言うのかっ!?」

「僕も一晩かけて思い至ったんだけどね。旧校舎内の事や、各地で出現するシャドウを考えれば十分あり得るんじゃないかって。……それに、もし違ったとしても、僕なら何か手がかりを掴めるかもしれないし」

 

 エリオットは懐からARCUSを取り出した。

 そう、この状況下で最も有効な力とは、

 

「――ペルソナ!」

 

 ブラギ、即ちアナライズの能力である。

 

 蒼炎の光が渦を成す中心で、エリオットの頭上に出現した吟遊詩人がバイオリンを鳴らす。同時に、エリオットの感覚が聴覚を通して一瞬で広がった。

 

 その範囲はゆうに町一つ分。時間はかかるものの、この島の半分くらいは分析が可能だ。

 

「……どうだ?」

「う〜ん、少なくとも、島の中には何もいないね。後は海なんだけど、……ちょっと広すぎて、僕の力じゃ何も」

「そうか」

 

 この西岸では収穫なし。

 いや、シャドウと言う漠然としたイメージを手掛かりにしている以上、もっと情報を集めたら結果は変わるかも知れない。

 

「結果が出たなら、討伐に行く?」

「う、うん、そうだね」

 

 フィーに促されるまま、B班は移動を始める。別の場所でまたアナライズをすれば結果が変わる可能性もあるだろう。

 ライは依頼文を見つめて大型魔獣の位置を確認するのであった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ……結局のところ、残りの地点でアナライズをしてもシャドウを見つける事は出来なかった。

 

 現在は元来た道を戻り、先ほどの船着き場に辿り着いた所だ。周囲は上下左右余す事なく茜色の光。時は既に夕方になってしまっていた。

 

「収穫なし、だったね」

 

 なだらかな海に映し出された夕日を見ながらエリオットが肩を落とす。

 

 結局は徒労、空回り。

 隣に立つマキアスもどこか気疲れが溜まっていそうだ。

 

「……まさか、この夕日に染まった海が"赤い海"とでも言うんじゃないだろうな」

「流石にない、筈だ」

 

 観光客ならまだしも、この島に住む住人が勘違いするものなのだろうか。

 

 否定材料は幾らでも考えられるが、こうまで手掛かりが皆無だと、否定する言葉にも強さがなくなってしまう。

 

 心地よい波の音。

 皆、暫くそれを聞いていたが、ラウラがおもむろに立ち上がった事で均衡が崩れた。

 

「ふむ、この場にいても意味がなかろう」

「……そうだな」

 

 まだ明日もあるし、島民から失踪に関する情報を聞けばアナライズの精度も上がるだろう。ライもゆっくりと立ち上がる。が、周囲に1人いない事に気がついて左右を見渡した。

 

「フィーは?」

「えっと、……あっ、桟橋の先に」

 

 いつの間にかフィーが海の間際で体育座りをしていた。どうやら、逆光のせいで見難くなっていたらしい。

 フィーの大きな瞳はぼんやりと海を映し、その柔らかな銀髪が夕方を反射して美しく煌めく。まるで妖精が現れたかのように神秘的な光景。

 

 ……彼女は今、何を考えているのだろうか。

 

 ライには何一つ察する事など出来ない。何故ならライはフィーの事を何も知らないのだから。その小さな背中が背負っている過去が何なのかさえ、実のところ理解出来ているとは言い難い。

 

 そんな風にセンチメンタルな思考になってしまうのも、この幻想的な夕日の魔力なのだろうか。最後の見納めとして皆の視線が海面に向かう中、

 

 夕日が、水平線と重なった。

 

「――ッッ!!!?」

 

 刹那、身の毛もよだつような咆哮が島を覆い尽くす。

 

 思わず両耳を塞ぐライ達5名。

 だが、異変はこれだけじゃなかった。

 

「ライ! 前を見て! う、海が……!」

 

 慄くエリオットの声を聴き、ライは視線を海に戻す。

 

「赤い、海……!?」

 

 そこに美しい光景など一片も残されていなかった。

 

 血の如く真紅に染まった大海原。

 どす黒い緑に覆われた不気味な空。

 

 明らかな異常事態、それだけは確かな事実。

 

(――ッ! 導力ラジオは!?)

 

 急いで腰に付けられた導力ラジオを持ち上げる。――無音、ラジオからは何の音声も流れてこない。他の面々が持っていた導力灯も全て消えてしまっている。

 

 赤い海に、導力の喪失。

 

 ライは村長の言葉を思い出す。

 この状況に直面した場合、何をするべきか。

 

「宿に戻るぞ!」

「えっ!?」

「操舵手は"赤い海に誘われた"と言っていた。この海は……!」

 

 ――危険だ。

 

 ライ達は急ぎ宿へと走り出す。

 この血の海から一刻も早く離れるために。

 

 どこまで行っても景色は変わらなかった。水たまりですら血に染まり、緑の明かりが世界を包む。

 

 異常、逃げ場などありはしない。

 

 行きの半分ほどの時間で宿へと辿り着いたライ達B班。宿の入口には、険しい表情の村長が待っていた。

 

「早くっ! 早くこの中へ!!」

 

 勢いのままに宿に駆け込む。

 全員が入った瞬間、村長は全力で扉を閉めて鍵をかけた。

 

 長い距離を走り続けたライ達は肩で息をしている。宿の中も不気味な緑色、けれど、一応の安全をライ達は手に入れたのだ。

 

 

 …………

 

 

 宿のラウンジに、ライ達B班と村長、少女が集まっていた。恐ろしい程の無音、導力が消えたが故にロウソクの火が灯る中、重苦しい時間が続く。

 

「こ、この状況は何時まで続くんですか」

「……分かりません」

 

 まるで災害時の避難者だ。

 

 誰かの息遣いだけが耳に入り、ただ災厄が過ぎ去るのを待つのみ。少女もガタガタと震え、耳を塞いでいる。

 

 無音、無言、ありとあらゆる無が支配する緑色の部屋の中、思考を纏めたライが静かに口を開いた。

 

「……エリオット、もう一度アナライズだ」

「あ、う、うん。そうだね。この状況なら何か分かる、かも」

 

 この緊急時にペルソナの秘匿など気にしている場合ではない。顔色の悪いエリオットは覚悟を決めてARCUSを取り出し、ライとリンクする。

 

 吹き荒れる光の嵐、ロウソクの火が消えかける程の暴風の中心に、突如としてブラギが出現した。

 

「なっ、こ、これはっ!?」

「後で説明します。――エリオット、何か分かるか?」

「…………な、なに、これ。沢山のシャドウが蠢いてる? あの赤い海の先に……」

 

 やはり、シャドウか。

 ライの拳が無意識に固く握られる。シャドウが関わった事件であるのなら、自然に解決する事など全く持って期待出来ないからだ。

 

 だが、アナライズを続けるエリオットの様子が変わった事で状況は一変する。

 

「それに、……えっ? この反応は、フィー?」

 

 外部に意識をエリオットが次に捉えたのは、何故かフィーの反応。

 

 ライ達は跳ねるようにフィーがいるであろうスペースを目視する。

 

 ……そこは、もぬけの殻。

 全員の意識がブラギに集中した隙を突いて、フィーは音もなく消えてしまっていた。

 

「くっ!」

 

 その事実にいち早く動いたのはラウラだった。反射的に走り出し、いつの間に開いていた扉から外へと消えていく。

 

「待ちたまえ! ――クソッ、エリオット! フィー君の位置は分かるか!?」

「う、うん。それにラウラなら気配でフィーの位置が分かる筈、だよね」

 

 つまりは、ラウラの向かった先にフィーがいるという事だ。全てを理解したライもラウラを追うようにして外へと駆け出す。が、外へと続く道は村長の体によって遮られた。

 

「待ちなさい! 二次被害が出るかも知れない外に、あなた達を出す訳には行かない!」

「もう2人外に出ています。それにこの事件にはシャドウが関わっている。俺達なら対処も可能です」

「シャドウ? あなた達は一体何を……」

 

 もう説得する時間すら惜しい。

 ライは召喚器をこめかみに押し当てる。

 

「――ペルソナッ!」

 

 現れたるは巨大な光の巨人、ヘイムダル。

 その圧倒的な威圧感を前にして、村長は無意識に数歩下がってしまった。

 

「俺達は行きます。2人を見つけ、そしてこの事件を解決する」

「あ、あなた達は……?」

 

 村長の口はパクパクと言葉にならない声を出す。辛うじて出た疑問の言葉は、「何者か」「何を知っているのか」「何故解決しようとしているのか」それら全てを凝縮したもののようにライは感じた。

 

 けれど、説明する時間はない。

 故にただ一言、感謝と謝罪の意を込めて、

 

「済みません」

 

 と呟いて村長の横を過ぎ去る。

 

 残されるは村長と少女の2人。ライ達は再び、不気味な外の世界へと飛び出していった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 フィーはぼんやりと、赤い海を目指して歩いていた。朧げな黄色い瞳の縁には赤い光が灯り、不自然に脱力した足取りで歩を進める。

 

「……呼ん、でる」

 

 ぶつぶつと呟きながら、ふらふらと。

 

 まるで操り人形のように不安定な足取りで、一歩一歩、不気味な緑色の雲の下を進み続ける。もし仮に人が見ていたら、誰かに(いざな)われているようだと口を揃えて述べるだろう。それ程までに、フィーの動きは無感情で異様だった。

 

 宿から海までの直線距離はそれほどない。

 

 間も無くして、フィーの華奢な両足は鮮血の波が打ち付ける砂浜へと辿り着く。

 

 さざ波の音が定期的に木霊する静かな海岸線。足首まで血潮の海に浸かったフィーの瞳に、ふと、明かりが戻った。

 

「……あれ?」

 

 目的地に着いた為か、彼女は意識を取り戻したのだ。

 

 何故こんな場所にいるのだろうか。

 エリオットがブラギを召喚した辺りから記憶が曖昧なフィーは、不思議そうにキョロキョロと周囲を見渡す。

 

 と、その時、

 

「……ィー……、フィー……!!」

「ラウ、ラ?」

 

 陸地の奥から、聞きなれたクラスメイトの叫び声が耳に入った。振り返ると、そこには脇目も振らずに全力で駆け寄ってくるラウラの姿が。その鬼気迫った表情を見て、フィーはようやく悟った。

 

 自身が今、危機的な状況にいる事を。

 

 ……だが、全ては遅かった。

 

 突如、フィーの背後から天高く赤い水柱が立ち上る。血の海から噴き出したのは幾千もの黒い腕。それらは弧を描き、フィーの腕を、足を、頭を、ありとあらゆる部位を掴み上げ、無理やり海に引きずり込まんと動き始めた。

 

「待っていろ! 今、私がっ!!」

 

 唯一辛うじて外に出ていたフィーの片手を目掛け、ラウラが全身全霊を込めて手を伸ばす。

 

 指先が届くまで、あと僅か。

 ラウラにはその一瞬が永遠に感じられた事だろう。

 

 ……しかし、その先に求めていた感触は、最後まで得る事が出来なかった。

 

 一度(ひとたび)、大きく波打つ赤い海。

 手を伸ばした体勢のまま固まるラウラ。

 

 やり場のない虚しさだけが、この砂浜に残された。

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ラウラの後を追っていたライ達3人は、赤い砂浜に立ちすくむラウラの姿を視認した。

 

 フィーの姿は何処にもいない。

 最悪の仮定が頭によぎるが、生憎、推論を組み立てる時間などなかった。

 

 下を向いているラウラの奥、赤い海の中から漆黒の腕が姿を見せたからだ。

 

「あ、危ないっ!」

 

 エリオットの大声と同じタイミング、ライは心の内にいるペルソナを強く意識した。

 

 速度重視のペルソナにチェンジ。急加速したライの手はラウラの肩を掴み、即座にエリオット達のいる内陸へと放り投げる。

 

 代償として赤い海の間際に残される形となったライ。当然、黒い腕の群れが見逃す筈もなかった。

 

 迫り来る脅威を肌で感じたライは、砂浜に着地するより先に召喚器を抜くが、しかし、

 

「ヘイム……ッ!」

 

 召喚するよりも先に、利き腕を黒い手に掴まれてしまった。

 

 骨が悲鳴をあげる程の力によって零れ落ちる銀色の拳銃。その小さな物でさえ黒き腕は奪いに掛かる。

 

「……させるか!」

 

 ライは、全身を黒い腕に喰い付かれながらも、迷わず召喚器を蹴り飛ばした。

 ペルソナを呼べない以上、この多数の腕から逃れる術はない。……ならば、今は可能性を繋ぐのみ!

 

 ライが召喚器を飛ばした先には、もう1人のペルソナ使い、エリオットが立っている。戦闘能力がなくとも、彼さえ残っていれば……!

 

「エリオット! ブラギで俺た――……」

 

 声すらも覆い尽くす伸縮自在な腕の群れ。

 身動きすら取れなくなったライは、抵抗虚しく赤い海の底へと沈んでいく。

 

 塩辛い海の水、荒れ狂う潮の流れ。

 

 呼吸をする事も出来ず、どんどん遠ざかっていく水面が恐怖を煽る。が、ライは最後まで諦めるつもりなど毛頭ない。

 

(まだだ、まだ……)

 

 けれど、そんな意思とは正反対に、ごぽりと肺の中身が吐き出され、ライの意識が徐々に遠のく。

 

 水面へと伸ばされた己の手。

 それが、薄れゆく視界の中で最後に見た光景だった。

 

 

 

 

 

 ――暗転。

 

 

 

 

 




外道:スライム
耐性:火炎・光弱点
スキル:-
 半液体状のドロドロとした怪物。現在は非常にメジャーなモンスターだが、その歴史は浅く、クトゥルフ神話のショゴスが直接の起源だとされている。女神転生においては、不完全に召喚された悪魔が肉体を保てずなってしまうものであり、同時に合体事故でのハズレ枠でもある。


――――――――


/ ´Д`\ <ウォレ、特別出演……


/ ´Д`\ <…………


/ ´Д`\ <ヤッタ



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47話「6月28日」

 ──ザザァン、ザザァンと、柔らかな波の音が頬を撫でる。

 

 

 そんな心地の良い環境音を耳にしながら、ゆっくりとライの意識は覚醒した。

 

 体の前半分は砂のようなザラザラとした感触に覆われ、海水を含んだ制服が重く肌に張り付いている。……だが、呼吸は出来た。ならば今、この顔は地上にあるのだろうか。朧げなライの思考にそんな疑問が生まれ、鉛のように重たいまぶたを開ける。

 

 強烈な光に目を眩むライ。

 

 しばらくして色を取り戻した光景は、透き通った青い空と、パールのように輝く白い砂浜だった。

 

(浜に流れ着いた、のか?)

 

 半信半疑な仮説を立てて、ライは思うように動かない指先に力を込める。なだらかな砂に掘られた数本の溝。それは幻などではなく現実味のある感触だった。

 

 記憶が確かならば、ライはシャドウの腕に捕まり海の底へと沈んでいった筈だ。……筈なのに、何で今、平穏な浜辺に流れ着いているのだろうか。

 

 不自然とも言える状況に内心戸惑いつつも、ライは浅瀬を波立てて起き上がる。

 

 酸素不足によってぐらぐらと揺れる視界。けれど、周囲の状況を確かめるくらいならこれで十分だ。波のしぶきが足を濡らす中、ライの双眸が透き通った海を見定めた。

 

 シャドウの気配など微塵もない至って普通の海。エメラルド色の海底には色彩豊かなサンゴ礁が顔を覗かせ、死角など小魚が隠れられるくらいしかない。……ひとまず、今すぐ海底に引きずり込まれると言う事はなさそうだ。

 

(なら、次は……)

 

 今度は海に背を向け、陸地に生い茂る森林へと注意を移した。背の高い木々が密集する明らかに人跡未踏の密林。そこに向かったところで、待っているのは背の高い木ばかりであろう。

 

 今、ライがすべき事は現在位置の特定だ。

 ブリオニア島は近くにあるのか、そもそもここはエレボニア帝国なのか。誰か人を見つけられれば話は早いのだが、森の中で出会えるとも思えない。

 

「沿岸を進むべき、か……。……っ」

 

 依然として体はふらつき、脳も体調不良のシグナルを発し続けている。けれどライは歯を強く噛み締め、可能性を求めて沿岸を歩いて行った。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ──1時間ほど経過した朝の晴天下、沿岸を歩き続けていたライは、気がつくと記憶に新しい砂浜へと辿り着いてしまっていた。

 

 ぐるりと一周、360度。

 要するにここは、大海原のど真ん中に位置する孤島であったのだ。

 

 島の縁は砂浜と岩場で覆われ、内陸は小高い丘と豊富な森林。後は透き通った川を想像すれば、即ちこの島の全容だと言えるだろう。

 

 また、周囲の海岸線も確認してみたが、他の陸地など影1つとして見つけられず、穏やかな水平線が続くのみ。遺跡群がない事からブリオニア島付近でない事も確かであり、人の踏み入った形跡も見当たらなかった。

 

 つまり、現在位置は全くの不明。脱出の目処など万に一つもない状況なのである。

 

 一難去ってまた一難とはまさにこの事か。ライはこの状況でどう動くか考えるため、静かに砂浜へと腰を下ろす。

 

 ブリオニア島がゼムリア大陸の西海である事から、ひたすら東に向かえば大陸に着くかも知れない。だが、潮の流れが分からない上に、どれだけ流されたかも定かではないのだ。もし仮に数日流されていたならば、東に向かったとしても大陸に着く前に力尽きてしまう事だろう。

 

(せめて、今が何時なのか分かればな……)

 

 人工物のないこの島で、そんな都合の良い物などある訳がない。

 

 ……と、この時は思っていたのだが、案外その可能性はライ自身が外から持ち込んでいた。

 

『……ザ、──ザザ──……』

 

 砂浜に埋まりかけた直方体の機械。それは、本来腰に付けていた筈の携帯型導力ラジオだ。無人島に不釣り合いなノイズを耳にしたライは、砂の中から拾い上げ、導力波のつまみを回す。

 

『──おはようございます。トリスタ放送が6月28日、午前8時をお知らせします。本日は帝国全域に渡って晴れ渡り……』

 

 流石はジョルジュ作の導力機械と言うべきか。海水に揉まれながらも、導力ラジオは正常に作動していた。

 

 それと、今が6月28日、あの赤い海から1日しか経っていない事もライにとっては朗報だった。

 潮に流された時間は最大でも半日と少し。導力ラジオの埋まり具合から逆算すれば、時間は更に縮まる。これなら東に脱出したとしても、力尽きる前に辿りつけるかも知れない。

 

 ならば、当面の目的は脱出手段の確保と、……そして、フィーの捜索だ。

 

 半日の漂流であるのなら、同じ地点で海に呑まれたであろうフィーも、この島に流れ着いている可能性が僅かだがある。

 ラジオの情報から希望を見出したライは再び島を歩き出し、そして、ばたりと砂浜に倒れた。

 

(……ん?)

 

 頬に当たる白砂のクッション。

 あまりに自然な流れだったためか、ライ自身も倒れた事実に気づくまで数秒を要した。

 

 まだ漂流の後遺症が残っていたのかと、ライは漠然と考え起き上がらんとする。──だがその行為は、突如として周囲に吹き荒れた青い強烈な光によって中断させられた。

 

 群青の光とは即ちペルソナ召喚の前兆。

 

 召喚器もなく、まして召喚の意思すらない状況で現れるなど前代未聞だ。目を見開くライの前で光が像を結び、やがて白き巨人のペルソナへと変貌した。

 

「ヘイム、ダル……?」

 

 己がペルソナに問いかけるライ。

 

 だが、上空に佇むヘイムダルは欠片も言葉を発さず。その代わりと言わんばかりに黄金のマントを靡かせ、白い片腕をゆっくりと持ち上げて前方を指し示した。

 

 釣られて前を向き直ったライは、すぐ目の前の空間に光のベールが浮いている事に気づく。

 ダイアモンドダストのように神秘的な光を漏らす、摩訶不思議な光景。ライはこのベールに1つ見覚えがあった。

 

 そう、旧校舎の異界に入る時の、あの扉だ。

 

(進めと言うのか?)

 

 再度ヘイムダルの様子を伺うが、ライ自身のペルソナは何も反応を示さない。

 

 ……決めるのは自分自身と言う事か。

 ライの無意識はそう解釈した。

 

 ならば、答えは1つ。

 

 意を決して、ライは光のベールに向け足を踏み出す。

 

 虹のような輝きが視界を覆い、平衡感覚が一瞬途切れ。……そして、景色が戻った時、ライが目にしたのは、

 

「ライ?」

 

 砂浜で海水に濡れた、フィーの姿であった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「無事だったか」

「助けにきた、って感じでもないね」

「ああ、海に引きずり込まれた。……フィーも同じか?」

「ん」

 

 やはり、フィーも海に呑み込まれていたらしい。ライ自身は呆然とするラウラしか見ていなかったが、推測は間違っていなかった。

 と、同時に深い安堵に襲われる。彼女は確かにここにいて、息をしていたのだから。

 

「ところで今まで何をしてた?」

「それはこっちのセリフ。今までどこにいたの?」

「沿岸を一周していたが」

「……私も島の調査を終えて、さっき戻ってきたとこ」

 

 無言になる2人。どうにも話が噛み合わない。

 

「偶然、すれ違っていたのか……?」

「足跡も残さずに? ちょっと現実味に欠けると思うけど」

 

 疑惑の視線を向けてくるフィーだったが、ライも嘘をついている訳でないので、いつまでも議論は並行線だ。

 

 周囲の光景も今までと何一つ変わりない。岩の形まで瓜二つな島でもない限り、ベールを超えて別の島に辿りついたと言う線は薄いだろう。だとすれば、ライとフィーはずっと同じ島にいた訳で。奇妙な偶然に引っ掛かりを覚えずにはいられない。

 

「とりあえず、情報交換する?」

「……そうだな」

 

 最終的に結論は先延ばしとなり、2人は海岸の岩場に座ってお互いの情報を共有し始めた。

 

 

 …………

 

 

「今日は6月の28日……」

 

 導力ラジオの話を聞いたフィーが興味深そうに声を漏らす。普段は勉強が苦手な彼女も、こと今回に限ってはVII組随一の優等生であろう。猟兵で培った知識や経験は、このような緊急事態において何よりの判断基準となり得るからだ。

 

「けど、脱出はもう少し先の方がいいかも。私たちが流れ着いたんだから、多分、潮の流れはブリオニア島の方向と反対に向いてる」

「……逆走しようとしても、潮に流されてしまうか」

「ん、だから食料と水とか、他にもコンパスの代わりとか余分に用意しないと」

 

 幸いな事に、果実や淡水には困らないとフィーは断言した。彼女の話によると、この島に実っている果実に毒性のものは1つとしてなく、それを食らう動物や魔獣の姿も皆無らしい。更には川の水源も湧き水であり、ろ過された淡水も見つけたとなると、まず生活には困らないだろう。

 

「ちょっと拍子抜け」

 

 フィーは細い足をぶらぶらと揺らしてそう締めくくる。細部までお膳立てされたこの状況は、猟兵ある彼女にとっては正しくイージーモードであった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ──28日の昼過ぎ。

 

 ライとフィーの2人は草木を掻き分け、島の森林の中を進んでいた。目的地は淡水の湧き出す滝近くの河原。1日中晴天と予報された今日の間に活動拠点を築いておきたいと、フィーが提案したのだ。

 

 涼しくて心地の良い草木のせせらぎ。緑の中に映える数多くの木の実は、フィーの言う果実であろうか。

 

「熟れた木の実がそのままになってる。ここに木の実を食べる動物がいない証拠」

 

 先頭で道案内するフィーが解説を述べる。その説明が妙に堂に入っていた事から察するに、恐らく誰かの受け売りなのだろう。

 

(けど、何か変だ)

 

 美味しそうに熟した果実を見て、ライは違和感を感じた。こんなにも緑豊かだと言うのに、何故鳥の1羽も見かけないのだろうか。地上の天敵がいないこの環境なら、鳥にとって楽園とも言える環境の筈だ。

 

 ……しかし、結局は小動物1匹の痕跡も見つける事なく、目的地である滝つぼ近くの開けた場所に到着してしまった。

 

 気を取り直そう。

 今はこの緑生い茂る河原の上に、寝泊まり出来る環境を作らねばならないのだから。

 

 ライは意識を切り替えて気合を入れる。

 

 だが、肝心要のフィーはと言うと、

 

「…………」

 

 滝つぼと自身の制服を見比べ、少し困ったように眉を下げていた。ライの出鼻が挫かれる。

 

 ……まぁ、それも仕方ないだろう。と、ライは1人納得した。

 何故ならライ自身も同じ心境だからだ。海水が乾いてベトベトとなった全身の服。先程は探索を優先していたものの、正直洗い流したくて仕方がない。

 

「まずは、水浴びでもするか?」

「……いいの?」

「作業の遅れなら全力で取り戻せる」

「そう。ならお言葉に甘えて」

 

 表面上は冷静に、けれど内心は喜んだ様子でフィーは波の小さな滝つぼに向かう。……さて、30分くらい離れていれば大丈夫だろうか。ちゃぷちゃぷと冷ややかな水音を背に、ライは元来た道を戻ろうとする。が、

 

「待って」

 

 そんなライの気遣いはフィーによって止められた。反射的に振り返ると、そこには水辺から見つめてくる真剣な1対の黄色い瞳。

 

「今離れるのは危険」

 

 フィーの言葉には、有無を言わせぬ重みが込められていた。

 

「危険な動植物はいないんだろ?」

「1匹もいないのが問題。私たちがいないところで何か起こってるかもしれない」

 

 やはり、フィーも異変に気がついていたらしい。

 もし仮に動物がいない理由が未知の外敵によるものだとすると、今この場で別れるのは確かに悪手だ。サスペンス小説で「こんな所にいられるか!」と単独行動をするようなものだろう。

 

 だが、ライとしても反論はある。

 男女が同伴する水浴びに警戒感を持たないのだろうか。まさかフィーもミリアムのように貞操観念が薄いのかと視線を返す。

 

「服を着たまま洗うから、大丈夫」

 

 案外、簡単な妥協点が存在していた。

 

 

 …………

 

 

 制服どころか下着や靴にまで塩が染みこんでいる現状、服を着たまま淡水に浸かるフィーの行動は、倫理観抜きに考えても合理的である。

 

 気候も温暖であるため風邪の心配もなし。

 特に欠点も見当たらない。……とライも思ったのだが、

 

「……制服の下がワイシャツなのを忘れてた」

 

 防水性のある制服の中まで洗うには、最低でも前だけは開けなければならない。当然、濡れたワイシャツは肌に張りつき透けてしまう訳で。結局は、ライ自身が自主的に視線を逸らす羽目になったのである。

 

 こちらに非がないにも関わらず、何故だか気まずくなるライ。

 そして、この行動が更なる悲劇を生んだ。

 

「ライ、気をつけて」

「ん?」

 

 フィーに背を向けながら焚き火の準備をしていたライは、フィーが何をしているのか知る由もない。だからこそ、致命的なまでに反応が遅れてしまったのだ。

 

 不意に、後方からつん裂く炸裂音。

 

 事前の構えをしていなかったライは、爆発の音によって鼓膜にダメージを負ってしまう。

 

「……ッ、それは爆薬か?」

「ん、信管も無事みたい」

 

 フィーは水に半身浸かったまま、岩の上で粘土状の爆薬を小分けにしていた。

 それは俗にプラスチック爆弾と呼ばれるものだ。粘土状の爆薬であるが故に、威力や範囲の調整も可能な優れもの。どうやら今の爆発音は、その一部を千切って使えるか試していたらしい。

 

 次にフィーが岩の上に取り出したのはスタングレネードと思わしき缶状の物体。これは試す訳にもいかないので、フィーはピン周りの状態をチェックし始めた。

 

「流石に慣れてるな」

「猟兵のときに色々教わったから。さっきの爆薬だってゼノに──」

「ゼノ?」

 

 聞き慣れない人名だ。流れから察するに、フィーのいた猟兵団の仲間と言ったところか。けれど、フィーは何も話そうとはしなかった。気まずそうに視線をそらし、透き通った水に沈みこむ銀髪の少女。

 

 梃子でも動きそうにない光景を前にライは肩を落とす。あの調子じゃ、深く踏み込んだ質問をしても無言の返答を返されるだけだろう。

 

 つまりは、マキアスの時のような揺さぶりすら通用しない鉄壁の防壁だ。さてどうしたものかと頭を抱え、同時に焚き火の枝を組む作業に戻るライ。

 

 ……そんなクラスメイトの背中を、フィーは横目で見つめていた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ──6月28日、午後11時30分。

 

 導力ラジオから聞こえてくる唯一の情報を聞きながら、ライとフィーの2人は焚き火を囲い座っていた。

 

 日も沈んで早数時間。空には満天の星々がきらめき、焚き火の届かない森の奥は漆黒の闇に覆われている。こう暗くなってしまっては下手に動く事も危険を伴う。それは重々承知しているのだが……。

 

「……今から海岸に行けないか?」

「何度も言ってるけどダメ」

「けど、海の周囲に船が来ている可能性だって」

「ん、それは一理ある。でも、周囲の森にはトラップを仕掛けておいたから、明かりないと引っかかっちゃうかも」

 

 いつもの眠たげな態度は何処へやら。真剣な瞳で暗い森林を俯瞰するフィー。恐らくは未知の敵に対する防御策であろうが、いつの間に。いや、そんなことはどうでもいいか。

 

「念のため確認しておくが、導力灯はないんだよな」

「海に流されたみたい。今持ってるのは爆薬とかグレネードとか奥に仕舞ってたものだけ。……ライも同じ?」

「ああ、剣も流された」

 

 ライは己の腰につけたポーチを漁る。

 傷を癒すティアラの薬が幾つかと、火傷を治療する冷却スプレーが1つ。後はセントアークで活躍した解毒薬と所持品を確かめていき、最後に大物であるARCUSを取り出した。

 他に武器がない以上、ARCUSで発動可能な導力魔法(アーツ)が最後の砦となる。そう考えたライは何気なくカバーを開け、そして、些細な異変を見つけた。

 

(……1つ足りない?)

 

「どうかしたの?」

「クォーツも1つ流されたみたいだ」

 

 戦術オーブメントに空いた1つの空白。そこに嵌め込まれていたのは確かクロノバーストのクォーツだったか。形見同然のものをなくしてしまった事実にライの良心が痛む。村長にどう謝ろうかと考えた数瞬後、そもそもクォーツが消失した事自体が不自然な事にライは思い至った。

 

 カバーは、確かに閉まっていた筈なのだ。

 

 まただ。

 また違和感。

 

 この島に流れ着いてから何かがおかしい。出会う筈の2人が1時間も出会わず、いる筈の生物が1匹もおらず、なくならない筈のクォーツがなくなった。

 

(もしかして俺達は、何か重大な事を見逃している?)

 

 これらの点を結びつける異変とは一体何か。直感が発する警報音に突き動かされ、その原因を探し求めるライ。

 早く答えを見つけねば、今を正確に把握せねば、きっと取り返しのつかない事態になってしまう。そんな焦りに囚われていたライは、ふと、焚き火の向こうで心配そうな眼差しをするフィーに気づき顔を上げた。

 

「悪い、1人で考えてた」

「気にしないで。それより、考察なら複数人で考えたほうがいい」

 

 フィーが火に乾いた枝をくべながら断言する。

 反論はない。それこそライがセントアークで学んだ事なのだから。

 

「そうだな。まず、この事件を纏めよう」

「事件が起き始めたのは1ヶ月くらい前だっけ?」

「ああ、あの子の姉が最初の犠牲者らしい」

「それから失踪者が増えていって28人。ライが聞いた話じゃ無理やり攫われたんじゃなく、赤い海に誘われたって話だけど」

「その件なんだが、フィーは赤い海に着くまでの行動は覚えてるか?」

「……全然。何でB班の中から私が操られたのかもわからない」

 

 手がかりはなし、か。

 揺らめく炎を眺めながら可能性を精査していると、今度はフィーから疑問を提示してきた。

 

「28人の人たちって、今もシャドウに囚われたまま?」

 

 失踪者の所在、フィーの疑問も最もだろう。

 ライ達と同様にシャドウの腕に捕まって、赤い海に引きずり込まれたであろう犠牲者達。孤島に流れ着いたライとフィーとは違って、彼女らは今もシャドウに捕まったままなのか? 

 

「……いや、今の俺逹もブリオニア島から見れば"失踪"同然だ」

「生きてても戻れなきゃ、いないも同じって事?」

 

 ライは静かに頷いた。

 他から見れば、ライとフィーは29人目と30人目の失踪者だ。未だ失踪事件のレール上、欠片も筋書きから外れちゃいない。だとすると、"ライとフィーは運良くシャドウの手から逃れ、島に流れ着いた"と言う前提すら怪しく思えてくる。

 

「もし仮に、この状況自体が他の失踪者と同じだとしたら?」

「28人全員が漂流して戻ってこれなかった? ……ん、確かにそれなら失踪事件は成立する。けど」

 

 当然ブリオニア島の人々も海を徹底的に捜索した筈だ。

 28人もの人間が流された状況で、手がかり1つ見つけられないまま1ヶ月が経過するとなると、常識的に考えれば微妙な線だと言わざるを得ない。

 

「……常識で考えてるのがそもそもの間違いかも。赤い海もそうだけど、導力が一斉に使えなくなるなんて、古代遺物(アーティファクト)でも関わってないと考えられないし」

「アーティファクト?」

 

 初耳の固有名詞にライは問いかける。

 

「古代文明が残した超常現象を起こすアイテムって噂。有名なのは、空の女神エイドスが地上にもたらしたとされる七の至宝(セプト・テリオン)かな? 帝国より南のリベールって国じゃそれが原因で導力が止まったみたい。その話は前から聞いてたし、今回は2回目だったからあんまり驚かなかったけど」

「……2回目? その言い方だとリベールとは違いそうだが」

「あ、そっか。ライはあの時旧校舎に行ってたんだっけ」

 

 すっかり忘れてたと言わんばかりに半開きの瞳を丸くするフィー。そして紡がれる説明は、ライにとってほぼ初耳とも言える内容であった。

 

「前にトリスタで導力が使えなくなった時があって、たしか入学初日だったかな。サラ含めてみんな大慌てだった」

 

 入学初日、ライがトールズ士官学院で目覚めた日。そう言えば旧校舎調査の際にナイトハルトが"導力器の停止"と口にしていた事をライはおぼろげながら思い出す。

 

 ──入学初日? 

 

 その単語が頭によぎったライは、ハッと目を見開き立ち上がる。

 

「……何故、今まで気づかなかったんだ」

 

 もっと早くに気づくべきだった。

 

 夕日が地平線に重なったタイミング、身の毛もよだつ咆哮音、光のベール、そして、導力の停止。

 それら全てが入学式のあったあの日、旧校舎の異変初日に一致すると言う事実を! 

 

「フィー、もしかしたらこの島は──!」

 

『トリスタ放送が、午前0時をお知らせします』

 

 刹那、世界は揺れた。

 まるで歯車が空回りしたかのようにガクンと地面が下がり、視界が2重にぶれる。

 

 そして、コンマ1秒の猶予もなく、2人の意識はぷっつりと途絶えた。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 …………―……

 

 …………────……──…………──……

 

 

 ……ノイズだらけの夢を見る。

 

 

 夕日が地平線に沈んだ巌戸台。人気(ひとけ)のないレインボーブリッジの上で、鳥の大群のようなシャドウの群れと4人のペルソナ使いが対峙していた。頼城と葵が両端を走り、中央で銃のセーフティーを外すアイギス。

 

 その先頭、友原が槍を両手に駆け抜ける。

 

『一番槍は貰ったァ!』

 

 物理無効の障壁を盾に、文字通りシャドウの陣形を槍の突進で引き裂いた。

 そしてシャドウの中心で銃を額に当てバルドルを召喚。現れた鋼鉄のペルソナが、群れをなす影を四方八方に吹き飛ばす。

 

『雑魚の相手は引き受けたであります!』

 

 ばらばらになった鳥型のシャドウを、今度はアイギスが幾多の銃弾で貫いた。その後を追うはアイギスのペルソナ、アテネ。ロケットが如く爆進するアテネのバーニアに火が灯り、その熱波(ヒートヴェイブ)がレインボーブリッジ上空を蹂躙する。

 

 だが、アイギスが放った鉛と炎の猛攻は、全てのシャドウを殲滅するには至らなかった。

 

 幻影のように不規則に躱す1つの影。その姿にいち早く気づいた頼城は、引き金を引いて最適のペルソナを呼び出す。

 

『チェンジ、ジャックランタン!』

 

 青い結晶を纏って召喚されたのはマント姿のカボチャお化け。片手に持ったランタンから溢れ出す光は火炎魔法ではなく、緑の閃光を伴った束縛の呪文だ。

 

 ──スクンダ。

 速度を低下させる呪縛に囚われた影は、まるで水中にいるかの如く動きを鈍らせる。

 

『リコ、あれが本体だ』

『う、うん! ──ナールっ!!』

 

 葵は上空に佇んでいた己がペルソナに指示を出す。

 既に召喚されていたナールは、戦闘が始まってからずっと集中(コンセントレイト)を行っていた。故に細い両手に渦巻いた魔法の力は異様なくらい高まっており、葵の合図をきっかけに暴虐の風となってシャドウに放たれる。

 

 ──ガルーラ。普段の倍以上に膨れ上がった疾風魔法は、レインボーブリッジを大きく揺らしながら本体のシャドウを切り刻む。

 

 本体が消えた事で連鎖的に消滅するシャドウ達。

 

 目も塞ぎたくなる程の暴風が止んだ時、そこには夕日に染まった大きな橋と、発生源と思われる気絶した女性の姿が残されていた。

 

 

 …………

 

 

『本日はお疲れさまでした』

 

 場所は巌戸台駅前商店街、ワイルダック・バーガーの店内。シャドウを討伐した頼城達は、小さな打ち上げとして夕食に来ていた。角の4人用テーブルに座り、頼城達は戦いの疲れを癒す。

 

『あの倒れてた人も病院に運んだし、無事任務達成っと! いやぁ〜、オレ達もだいぶ慣れてきたって感じかなぁ』

『ふふっ、先陣お疲れさま』

『そういや今回ライってサポートに回ってたけど、本来もっと前に出た方がいいんじゃねぇ? ほら、炎とか氷とか何でも使えるし』

『補助系の魔法は重要だ』

『……そういうもんかねぇ』

 

 友原は先に頼んでおいたドリンクを飲みながらテーブルに身を委ねる。

 

『今回は私しか同行できませんでしたが、問題なさそうですね』

『ま、桐条さん達も忙しいのは分かってますし。……それより今回は桐条さんのおごりってマジっすか?』

『マジ、であります』

 

 アイギスの了承を得た友原は飛び起きて、うしっ、とガッツポーズをとった。

 普通に奢られる者の態度ではないその行為に、葵がびっくりしたように長い灰髪を翻す。

 

『えっ? ショウくん何頼んだの?』

『こんな機会でもなければ頼めないからな』

『ライくんもっ!?』

 

 おろおろと2人を見渡す葵を頼城は落ち着かせた。注文する際に話さなかったのは悪かったが、今回、友原と頼城が頼んだのは、"量がエグい"と噂の超ボリュームセット。とてもじゃないが女子にオススメできるものではなかったからだ。

 

『ふっふっふ、オレらが頼んだのは他でもない。ワイルダック・バーガーの裏メニュー、ペタワックセット! さあ、どこからでもかかって来い!!』

 

 さて、どんなセットが出てくるか。友原は小さな冒険心を隠す事もせず、店員が噂のペタワックを持ってくるのを待ち続ける。

 

 しかし数分後。

 

『……なんだよ、これ』

 

 友原の顔は真っ青に染まっていた。

 

 2人の眼前に置かれていたのは高層タワーが如く積み重なった異様な高さのハンバーガー。3段、4段、5段……数えるのも馬鹿馬鹿しい。天井にすら届きかねない超弩級のバーガーをどう食べろと言うのか。いや、そもそもどうやって運んできた店員。

 

『ペタ、つまりは1000兆倍と言う意味ですね』

『1000兆っ!? ……いやいや、だからってタワー積みにする必要ないっしょ!? メガワックだってハンバーク2段重ねとかだったじゃん!?』

 

 以前に見た事でもあるのかアイギスはどこか他人事。

 そんな彼女に必死で疑問を放つ友原を他所に、頼城はおぞましきバンバーガーに手を伸ばす。

 

『ライくん大丈夫っ!?』

『……屍は、拾ってくれ』

『う、うん、分かったよ。私、ライくんの覚悟を無駄にはしないから!』

 

『いやいやいやいや! そこの2人もなに悲劇の物語演じちゃってんの!? そんなシリアスな場面じゃないよね、これ!?』

『もしかしたら勇気が上がるかと』

『勇気って何だよ!』

 

 友原が頭を抱え、哲学じみた叫びを上げる。2本の巨塔がそびえ立つワイルダック・バーガーの店内は、場違いな程に混沌としていた。

 

 ……けれど、その場にいた全員が心から楽しんでいたのもまた、疑いようのない事実だろう。

 ペタワックを前に項垂れる友原も、諦めず食べ始めた頼城も、それを真剣に見つめる葵も、平然と眺めているアイギスも、口元に浮かべているのは明るく柔らかな笑み。

 

 そう、あの頃は満ち足りていた。

 何の疑問も抱かずに、ただ幸せな日々を過ごしていた。

 

 

 

 …………────……──…………──……

 

 

 …………―……

 

 

 

 

 

『このような日々が永遠に続けばいい。そうは思わないか?』

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ──ザザァン、ザザァンと、柔らかな波の音が頬を撫でる。

 

 

 そんな心地の良い環境音を耳にしながら、ゆっくりとライの意識は覚醒した。

 

 体の前半分は砂のようなザラザラとした感触に覆われ、海水を含んだ制服が重く肌に張り付いている。……だが、呼吸は出来た。ならば今、この顔は地上にあるのだろうか。朧げなライの思考にそんな疑問が生まれ、鉛のように重たいまぶたを開ける。

 

 強烈な光に目を眩むライ。

 

 しばらくして色を取り戻した光景は、透き通った青い空と、パールのように輝く白い砂浜だった。

 

(浜に流れ着いた、のか?)

 

 半信半疑にライは考える。

 最後の記憶はシャドウの腕に引かれ、赤い海に呑み込まれた筈だ。もしや偶然シャドウから逃れて──

 

「……いや、違う」

 

 何を考えている。昨日もここに流れ着いて、孤島を調べていたではないか。

 

 混乱する頭を抑えながら、ライはふらふらと立ち上がった。まるで昨日と同じように、酸素不足か視界がぐらつく。

 

(それより何で、俺は海岸にいるんだ?)

 

 確か昨晩は、森林の拠点で野営をしていた筈だ。焚き火の灯りを挟んでフィーと話し合ったライは、答えに辿り着いて……答え? 

 

 思い出せない。

 この体調不良が原因か、記憶が曖昧だ。

 

 それよりも、フィーは何処に行ったのだろうか。ライはゆっくりと周囲を見渡し、すぐ近くの砂浜に倒れているフィーの小さな背中を発見した。

 

 歩み寄り、そっと抱き起こして呼吸を確認する。すぅ、すぅ、と微かに聞こえる呼吸音。口元にかざした手から感じる定期的な風を確かめて、ライは安堵の息を漏らした。

 

 すると、ライの気配に気づいたのか、フィーがゆっくりと瞳を開ける。

 

「……おはよ」

「おはよう」

「あれ、ここは……? ……そっか、流れ着いたんだっけ」

 

 フィーもまた、意識が朦朧としている様子だった。眠たげに小さなあくびをして、ぼんやりとした足取りで身を起こす。

 

「私たち、なんで浜辺で寝てたんだろ」

「フィーも覚えてないか」

「その言い方からするとライも?」

 

 ライは静かに頷く。

 

 誰も昨夜の詳細を覚えていないと言う状況に、2人は薄気味悪い寒気を感じていた。何かが起こっている。だが、その何かが分からない。まるで背中に冷水が滴っているような、まるで深海に沈んでいるような得体の知れない息苦しさ。

 

「……気がかりだけど、まずは拠点に行く? いかだも作っておきたいし」

「ああ」

 

 フィーの提案を受けて内陸へと足を向けるライ。

 だが、その歩みは途中で中断させられる。

 

 その原因は1つ、『……ザ、──ザザ──……』と言うノイズ音が耳に入って来たからだ。ライはその音の発生源に視線を移すと、砂に半分埋まった導力ラジオを発見した。

 

 いつの間にか落としていたらしい。

 ライはその直方体の導力器を拾おうとし、その寸前で指を止めた。

 

 ──あまりにも昨日と同じだったからだ。

 

 昨日と同じ場所に埋まって、昨日と同じようなノイズを放ち、昨日と同じくらい砂に埋まっている。これは一体? 

 

「何かあった?」

「……いや、何でもない」

 

 森林で待っているフィーを追うため、ライは導力ラジオを拾って歩き出した。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「……なに、これ」

 

 拠点の滝壺に辿り着いたライ達を待っていたのは、ある種、異様な光景だった。

 

 別に何か化け物がいた訳でも、まして建物が出現した訳でもない。……至って自然の光景だ。ライ達が拠点をつくる"前の”、自然溢れる滝壺の河原が目の前に広がっていた。

 

「拠点は、ここであってるよな」

「滝はこの島で1つだけ。他にあるわけない」

 

 焚き火を作るために集めた枯れ枝も、動かした石も、寝床を作るために千切った木の葉も、全てが昨日の状態に戻っている。

 

 何もかも昨日のように。

 

 何もかも、"6月28日"の頃のように。

 

「……まさ、か」

「ライ?」

 

 フィーに推測を伝える暇もなく、ライは急いで導力ラジオのつまみを回した。

 これは外界と繋がる唯一の手がかり。普通ならこのスピーカーは新たな情報、6月29日のニュースを伝えてくる筈だ。

 

 しかし、

 

『──おはようございます。トリスタ放送が"6月28日"、午前8時をお知らせします。本日は帝国全域に渡って晴れ渡り……』

 

 流れてきたのは、一言一句、昨日聞いた内容であった。

 

 ライの意識が硬直する。

 それを横で聞いていたフィーですら全身を固まらせ、瞳を大きく見開いた。

 

 ”──何故、今まで気づかなかった。この島は3月31日の異変と同じだと言う事を”

 

 ライの意識にかかっていた霧がようやく晴れ、昨夜の後悔が鮮明に蘇る。……そう、ライとフィーは偶然シャドウから逃れた訳でも、運良く島に流れ着いた訳でもなかったのだ。

 

 2人がいるのは異常なる(ことわり)の中心地。

 普遍的に来る筈の"明日"ですら、ライ達に訪れはしない。

 

 

 

 島の時間が空回り、

 今日もまた、6月28日が始まる。

 

 

 

 

 



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48話「6がつ28にち」

「エリオット! 2人はまだ見つからないかっ!?」

 

 海洋に浮かぶ船の上、身を乗り出したラウラがエリオットに叫ぶ。

 

「う、ううん、まだ反応がない……」

 

 対するエリオットはブラギを携え、ただひたすらに周囲の海へと意識を向けていた。

 

 今日は6月28日、ライとフィーの2人が赤い海に飲み込まれた日から一夜明け、ラウラ達3人は村長の手助けで海洋に繰り出していたのだ。

 揺れる舟の中央に立つエリオットの片手には、銀色の召喚器。ライとの戦術リンクが使えない以上、残されたこれが唯一の召喚手段である。

 

「……それにしても、銃での召喚がこんな怖かったなんて」

 

 召喚器を握るエリオットの手は震えていた。召喚器の引き金を引くと言う事は即ち自殺の追体験。例え空砲だと分かっていても、エリオットは自身が氷になったような錯覚に囚われる。

 

 ペルソナの糧となる精神力が持つのも、後どれくらいなのだろうか。

 

 依然としてライとフィーの反応は見つからない。瞳を必死に閉じるエリオットが感じ取れるのは海洋の生物と延々と広がる海底だけ。彼の表情に少しずつ焦りと疲労が積み重なっていく。

 

 それを見たラウラは瞳を固く閉じ、意を決して舟から身を乗り出した。

 

「……もういい、後は私が探す」

「ま、待ちたまえ!」

 

 マキアスが海に飛び込もうとするラウラを慌てて止める。

 

「エリオットのペルソナならまだしも、君が探したところで見つかる訳ないじゃないか! この海がどれほどの広さだと思ってるんだ!」

「だが、ここでただ待ち続ける事など……!」

「君の気持ちも分かる! だが、まずは落ち着いて座りたまえ! 今の君は相当ひどい顔をしているぞ!」

 

 大きく揺れた導力舟。波の飛沫を頬に浴びたラウラは水面に顔を向けると、そこには普段の凛々しさも隠れた暗い少女の顔が映っていた。

 

(……なんて、顔だ)

 

 マキアスが止めるのも無理はない程に思い詰めた表情。ラウラは頭に冷水を浴びたように勢いが削がれ、すとん、と舟のへりに座り込んだ。

 

「全く、君らしくもない」

 

 しゅんとしたラウラの様子を見てマキアスは深く安堵した。それはエリオットも同様だ。僅かな笑みを浮かべてブラギに意識を集中する。

 

 ……けれど、実のところ、この中でラウラの悩みを完全に理解している者はいなかった。

 

 ラウラが悔いているのはフィーやライを助けられなかった事。それは間違いない。しかし、ラウラの脳裏に浮かぶのはそれより前、戦術リンクに失敗してしまった時の光景であったのだ。

 

(私が2日前、戦術リンクを成功さえしていれば……)

 

 ライがそうだったように、ラウラもペルソナの力さえ使えたならフィーの手を掴んでいた筈だ。あの時、ラウラとフィーの距離はほんの指先程度。何らかの要因さえあれば容易に届いていたのは言うまでもない。

 

(……いや、それは妄言か)

 

 虚ろなラウラが見つめたのは、手に握られたもう1つのクロノバースト。瞬間的に時を引き延ばすそれもまた、フィーに辿り着けていたであろう可能性の1つ。

 

 そう、助けられるチャンスは幾つもあったのだ。この事実が自責の念となって、ラウラの心に容赦なく突き刺さってゆく。

 

 ……だからこそ、ラウラは気づいていなかった。この場で最もフィーの安全を願っているのが、他でもないラウラ自身であると言う事を。

 

 自身の悩みに対する答えがそこにあるとも知らず、ただ真っ青な海の上で、時間だけが過ぎていった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 舞台は変わり、大海原にぽつんと浮かんだ孤島の中心地。ざわめく木々の下に立つライとフィーの2人もまた、銅像のように呆然と立ち竦んでいた。

 

 芯に響く滝の轟音も耳を素通りし、葉の隙間から差し込む朝日にすら反応を示さない。例え唐突に天地がひっくり返ったとしても驚きはしないだろう。……現に今、同等の異常事態に陥っているのだから。

 

 ついさっき、導力ラジオから聞こえてきたのは6月28日の時報。

 昨日は28日だった。今日もまた28日だ。ただの1度でも起こる筈のない矛盾を理解するために、2人は暫しの時間を要していた。

 

「……ライ、この導力ラジオって録音機能つき?」

「そんな機能はない筈だ」

 

 放送が間違えた? いや、スピーカーは今も昨日と同じ放送を流し続けている。

 

 導力波はラジオのものではなかった? いや、トリスタ放送と確かに言っていたではないか。

 

 ……本当は、もう答えには辿り着いていた。

 旧校舎の異変と同じ前兆。即ちシャドウと関わるであろうこの島では、最もシンプルで突飛な可能性が真相であると言う事を。

 

「──時間が、空回った?」

 

 まるで日時計の歯車が狂ったように、この島の日付そのものが巻き戻った。そう考えれば全てに説明がつく。そう考えなければ説明がつかない。

 

「そんなことって……。そんなの、時の至宝でもないと」

「いや、シャドウの可能性もある」

「……シャドウ? そんな力あったっけ」

「分からない。けど、関わっている事だけは確かなんだ」

 

 ライはフィーに先ほど思い出した全てを伝えた。旧校舎の異変と酷似した特徴に、エリオットが感知したシャドウの反応。これで無関係なら詐欺もいいところだ。

 

「もう一度、島を調べ直すぞ」

「その理由は……?」

「以前エマも言ってただろ? 異変には必ず原因がある。時の至宝だろうとシャドウだろうと、必ず痕跡がある筈だ」

 

 もしかしたら、また光のベールを見つけて脱出が出来るかも知れない。その可能性を聞いたフィーの瞳に希望が宿り、2人して自然溢れる滝壺を後にした。

 

 

 …………

 

 

 ……けれど、全ては無意味だった。

 2人でこの島をしらみ潰しに探しても出口らしき光のベールは見つからない。死角の地形が変化しているという事もなく、ただ不自然なほど静かな自然が続くだけだ。

 

 シャドウもいない。

 手がかりもない。

 一歩も前に進む事が出来ず、ただ時間を浪費するばかり。

 

 遂には日も傾き、フィーが作った松明を片手にひたすら島の中を歩き続ける。足取りは重く、満天の星空とは対照的に心はどんどん暗くなっていた。

 

「こんなとき、エリオットがいたら……」

「言うな。虚しくなる」

 

 脳裏に中性的な少年の顔が思い浮かぶ。エリオットの力があれば、一発で出口など見つけ出してくれる事だろう。けれど、救世主たり得る彼は今もブリオニア島におり、1日を巻き戻された今、ライ達を見つけ出せる可能性など0に等しい。

 

 外部からの助けは望めない。アナライズを行える特異なペルソナなど、いかにワイルド能力者と言えども持ち合わせていない。まさに万事休すと言った状況だが、ライ達は足を止めようとしなかった。

 

 砂浜を、草木の中を、岩の上を歩み続けた。

 

 

 ……けれど、タイムリミットの合図は無情にもやってくる。

 

『トリスタ放送が、午前0時をお知らせします』

 

 午前0時の放送とともに島がガクンと脈動し、またライ達の意識は闇へと沈んでいった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

『おはようございます。トリスタ放送が6月28日、午前8時をお知らせします』

 

 3回目の6月28日。これで2回目が偶然だったと言う可能性も消えてしまった事になる。穏やかに揺らめく波間を眺めながら、ライは深く肩を落とした。

 

「……落ち込んでいても始まらないか。フィー、記憶は思い出したか?」

「ん、まだぼんやりとしてるけど」

「十分だ」

 

 前回もそうだったが、時間が巻き戻った際は一時的にライ達の記憶も過去に戻る。所持品なども全て復活している事から、恐らく2人の意識だけが過去に戻されているのだろう。怪我をしてもなかった事になり、年老いる事もない。最悪死んだとしても無意味かも知れない。正に永遠の牢獄だ。

 

「……今日は海に出るべきかも」

 

 フィーが思い詰めた顔でそう呟く。

 

「まだ、この島が異空間と決まったわけじゃないし、島から離れれば巻き戻らないかもしれない。失敗すると何が起こるか分からないけど……、……どうする?」

「可能性があるなら進むべきだ」

「ん、分かってた」

 

 ライの返事を初めから予想していたフィーは、既に脱出の準備を始めていた。

 何せライ達には午前0時と言うタイムリミットが定められているのだ。海に出ると言うのなら時間を無駄にする猶予などない。

 

「ライは食料と飲料水を用意して」

「それだと、フィーがイカダを作る事にならないか?」

「大丈夫、爆薬を使うから」

 

 フィーは粘土状の爆薬を木の側面に貼り付け、信管を固定していた。

 ざらざらとした木面に巻きつく灰色の塊。根元と上部だけを吹き飛ばすよう調整された粘土を確認したフィーは信管の安全装置を外し、猫のように素早く木の根元から離れる。

 

 ──炸裂、強烈な閃光。

 

 爆風の衝撃波によって周囲の木々が揺れ地面の土がめくれ上がる。そして、大きく抉られた木はバランスを崩し、メキメキと音を立てて砂浜に倒れてきた。

 砂埃が舞う横倒れの樹木。フィーはポーチから予備のナイフを取り出して丸太へと形を整えていく。

 

(任せても問題なさそうだ)

 

 と、言うより彼女の動きがあまりに手慣れているが故に、ライに手伝える要素がほとんどなかった。刃物はフィーの持つ予備しかない事もある。今は大人しく食料と飲料水を集めて来た方が良いだろう。

 

 負けていられない。

 ライは両足に力を込め、森の中へと走って行った。

 

 

 …………

 

 

 ……数刻の時が流れた後。

 ライ達はフィーの作ったイカダに物資を括り付け、すぐさま大海原へと繰り出していた。

 

 陸地に辿り着けるかも分からない無謀な船出だが、2人にはそんな事を考えている余裕もない。28日が繰り返す前に島から脱出する。それが何よりの優先事項なのだから。

 

 即席のオールを漕いで沖へと向かい、海流に乗ると、島はすぐに遠ざかり小さくなってゆく。

 

 そうして、ただひたすらに東を目指す事、数時間。

 

 空も茜色に染まり、前後左右ぐるりと水平線が続く中、フィーはイカダの点検をするために下を向いていた。固定に使った蔓の強度を確かめながら、オールを漕ぐライに質問を投げかける。

 

「陸地は見つかった?」

「いや、何も」

 

 このやり取りも、既に幾度となく繰り返されていた。

 

 イカダの上の持久戦。

 食料は目減りし、体力は奪われ、向かう先は海流次第。

 

 精神も次第に追い詰められていくが、これも覚悟の上で2人は海へと飛び出したのだ。ライは気を引き締めてオールを海面に入れ、──その先が、ざくりと海底の砂に突き刺さった。

 

「は?」

 

 唐突な変化に下を向くライ。

 浅い場所に出たのか。いや、違う。陸地に着いたような異様な浅さだ。

 

「ライ、前を見て!」

 

 フィーの焦った声を合図に、ライは急いで前へと向き直る。広大な海のど真ん中で陸に乗り上げてしまったイカダ。そんな不自然かつ矛盾した事柄も、目の前に広がる光景を見れば納得せざるを得まい。

 

 純白で見慣れた海岸。

 焼け焦げた木々の切り株。

 

 ……ここまで言えば分かるだろう。

 位置や方向、あらゆる法則は捻じ曲げられ、ライ達は再び28日を繰り返す孤島へと戻されてしまったのだ。

 

「逃げる事も、出来ないのか」

「……そうみたい」

 

 まさしくここは空回る島。

 かくして失意に苛まれたまま、3度目の28日が終わりを告げた。

 

『トリスタ放送が、午前0時をお知らせします』

 

 

 

 ──暗転。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ………―……

 

 …………────…──…………──……

 

 

 

 ……28日と28日の合間、ライはツギハギだらけの夢を見る。

 

 辰巳ポートアイランドと巌戸台を結ぶモノレールの中、授業を終えて帰宅する頼城達の姿があった。窓の外は綺麗な夕日に染まった海がきらめき、その照り返しが映り込んだモノレールの天井に波の模様が揺らぐ。

 

『──ねぇ、アスガードって知ってる?』

 

 そんな光景を眺めていた葵は、横に座る頼城と友原に向けてそう呟いた。

 

『アスガード? なんだそれ』

『私たちの使うペルソナの出典元、北欧神話に出てくる神様が住んでる世界のこと』

『あ、あぁ〜、前にゲームで見たっけなぁ。たしか世界樹イグドラシルに支えられた世界の1つって……あれ? それアースガルズじゃなかったっけ?』

 

 記憶との齟齬に首を傾げる友原翔。些細な違いではあるものの彼にとっては相当に気がかりな矛盾であったらしい。うんうんと唸る友人のために、頼城は思いついた推測を述べる。

 

『単に読み方の違いじゃないか?』

『ん? んん? ま〜、たしかにアスとアース、ガードとガルズって似てるっちゃ似てるけど』

『今はそれで納得しておけ。それよりリコ、アスガードがどうかしたか?』

 

 頼城に本題を聞かれ、葵は嬉しいように話を続けた。

 

『うん。もしそんな世界があったなら、そこってどんな世界なのかな。ほら、ペルソナやシャドウって不思議な存在もいたわけだし、もしかしたら神様の世界も本当にあるかもしれないでしょ?』

『ま、まぁ、ありえなくはない、のか?』

 

 頭をひねる友原。少々突飛な理論展開だが、頭ごなしに否定することも出来ないと言った様子だ。日常と非日常、その狭間にいる3人の常識はやや移ろいつつあるのもまた事実。

 

 ……けれど、葵の話はそんなシリアスなものではなかった。

 

『どんな世界なんだろ。もしかしたら船とか飛んでるのかな? ペルソナを使わなくても魔法とか使える世界だったりして。そしてそして、人でも動物でもない生き物とかいたりして!』

『……リコ?』

『個人的には丸くてふわふわだったら良いかなぁ。あっ、でもでも──』

 

 怒涛の勢いで繰り出される葵の妄想空間(ファンタジックワールド)。幼さの残る瞳をキラキラと輝かせ、アクセル全開に語彙を並べ立てる彼女の姿はまさにギャップそのものだ。

 しかし、そんな彼女は心の底から楽しそうで、とてもじゃないが止めようとは思えなかった。……ただ1人、友原翔を除いては。

 

『リコって案外ファンタジー好きなのな』

『──えっ?』

 

 石のように硬直する葵莉子。ギギギと油の入っていない機械の如く横を向き、慌てた様子で弁明し始める。

 

『そ、そんなことないよっ!? ちゃんと現実的に考えられるし! ほら、魔法を動力源にした機械が作られていたりだとか、魔法で電球とか灯していたりだとか』

『……それ、電力を魔法に置き換えただけじゃね?』

 

 泥沼にはまっていた。

 まさに自爆系。見ているこっちが居たたまれなくなる。わたわたと言葉を並べ立てる彼女を救うために、頼城は話を纏める方向で口を開いた。

 

『現実的かはともかく、あったら面白そうだ』

 

 ファンタジックな異世界。確かにそんな場所があったとしたら行ってみるのも悪くない。そう葵に伝えると、恥ずかしさで高揚した頬に満天の笑みを重ね、何度も大きく頷いた。

 

『うん! だったらまずは、ライくんに行けるようお願いしきゃね』

『へ? 何でこいつなんだよ』

『知らない? ライくんのリーグは別名ヘイムダルって呼ばれてて、人の住む世界と神様の住む世界を隔てる門の番人なんだよ。だから、まずは門を通っていいように話をつけないと!』

 

 何処かから仕入れた情報を得意げに伝える灰髪の少女。その柔らかくも可愛らしい笑みに夕日が映り、まるで絵画のように完成された光景のように2人は感じた。

 

『なんちゃって』

 

 葵が小さく舌を出して空気を壊す。

 そして再度、波の光が映る天井をゆっくりと見上げて呟いた。

 

『……本当にあったらいいのになぁ。こんな世界とは違った、夢のような世界』

 

 意図せずに漏れた独り言。

 葵の真っ青な瞳は、どこか遠くを見つめていた。

 

 

 

 …………────…──…………──……

 

 ………―……

 

 

 

『時間とは残酷だ。個々の意思など関係なく万物は変化し、いずれは無へと帰す。……求めよ、時間からの解放を』

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「……また、彼らの夢か」

 

 砂浜に転がったライは、ぼんやりとした意識のままそう呟いた。これで3度目。28日と28日の合間に捻じ込まれてくる幻影は、ライの心を毒のように侵していた。

 

 夢の方向性も毎回同じだ。日常を絵に描いたかのように平和な時間がながれ、理由もなく懐かしさを感じてしまう。そんな夢。

 最後で聞こえてくる声は自分の声のようで、全くの別人のようで、人であるかすらも不確かで、ライは薄気味悪い何かを感じずにはいられなかった。

 

『──おはようございます。トリスタ放送が6月28に……』

 

 もう分かっている。

 疲れた指で、導力ラジオのスイッチを切った。

 

 

 

 ──6月28日。

 

 ライとフィーの2人は今、以前キャンプ地としていた河原の上で昼食を取っていた。整えた拠点はもうなくなってしまったけれど、ここには豊富な果実と湧き水がある。例え1日が繰り返されようと、ライ達の生活基盤は変わらない。

 

「今日は、どうする?」

「…………」

 

 フィーの返事はなく、ゆっくりと果実を頬張っていた。

 

 ライもやがて待つ事を止めて食事に戻る。

 甘い匂いが口内に広がるが、甘さは感じない。味を感じない。昨日、いや前回の食事よりも心なしか果肉が硬く感じた。

 

 まだ1週間分も過ごしてない。なのに、何でこんなにも衰弱しているのだろうか。体力ではなく精神が削られている。目の前で重々しく果実を食べるフィーも、まるで覇気が感じられなかった。

 

「……ライ」

 

 と、その時。

 唐突にフィーの声が聞こえてきた。

 

「ライって、家族のこと覚えてる?」

「何だ突然」

「いいから答えて」

 

 有無を言わせぬストレートな口調。

 どうやら、応じないと言う選択肢はないらしい。

 

「何も。率直に言うと、例の2人すらほとんど思い出せてない」

「そうなんだ……」

 

 ライの言葉を聞いたフィーは消化不良な様子で食事に戻る。だが、消化不良なのはむしろ質問された方だ。ライは頭を抱えたい衝動を内に抑え、目の前にちょこんと座る少女をじっと見つめた。

 

「何だったんだ? 今の問いは」

「なんとなく」

 

 いや、それはないと断言する。

 

 視線を逸らしたフィーの様子からしてバレバレだが、そもそも気力を奪われたこの状況で意味のない雑談が出来る筈もない。さて、何故フィーは家族の話題を口にしたのか。ライは食べかけの果実を岩に置いて思考の海へと沈んでいく。

 

「──夢、か?」

 

 ピクリとフィーの肩が跳ねた。

 

「もしかして、ライも見てるの?」

「俺の場合はあの2人だけどな」

「そうなんだ……」

 

 フィーは真っ赤な果実を両手で掴んでぼんやりと下を向く。その熱の篭らない顔の下で、色々と考えを巡らせているのは間違いない。その証拠に、フィーはライの顔を見て、下を向いて、と言った行動を何度か繰り返していた。

 

 迷い、悩み、諦めと期待のせめぎ合い。そんな感情が渦を巻いているのだろうか。まあ、フィーもライと同様に表情が乏しいため、過去の情報を元に考察するしかないのだが。

 

 ぼーっとした視線を動かす少女と、鋼のような瞳で見つめる青年。

 危機的な現状とは思えない程に静かな時間が流れる中、フィーが雰囲気を変えてライに向き直る。その小さな口が紡いだのは、

 

「……聞いてくれる?」

 

 たった一言のお願いだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 穏やかな森林のざわめく音。もう何回も聞き、そしてこれからも耳にするであろう響きを耳にしながら、フィーは夢の内容を呟き始める。

 

「私が見てるのは、ずっとずっと平穏な日常が続いてる夢。そして、最後には私みたいで、でも私じゃない声が聞こえてくる。……これって、ライも同じ?」

 

 ライは静かに頷いた。今の言葉を聞く限りでは、夢に出てくる登場人物以外はほぼ同じと考えて間違いないだろう。だがしかし、そう決めつけるのも早計だ。

 

「夢の内容はご両親との記憶か?」

「ううん、両親の事なんて覚えてないから。家族って言うのは別の意味」

「そう、なのか……」

 

 迂闊だった。家族の話題には慎重になれと、前回の実習であれほど考えたではないか。ライはバツの悪い気まずさに苛まれるが、ここまで来たのなら皿まで喰らえと意識を切り替える。

 

「それなら、その家族と言うのは」

「……ちょっと強引」

「っと、悪い」

「大丈夫、たぶんライなら言わなくても辿り着いちゃうと思うし」

 

 困ったように眉を下げるフィー。そこまで断言するのならヒントは出尽くしているのだろうか。過去に知ったフィーの情報を脳内で検索すると、1つのキーワードが浮かび上がってくる。

 

「もしかすると、フィーがいたと言う《西風の旅団》の事か?」

「ほら、やっぱり辿り着いちゃった」

「……やるからには全力だ」

 

 久々にこの台詞を使った気もするが、今はそんな事どうでもいい。

 

 今、ライのすべき行動とは即ちフィーの過去話を聞く事だ。それが不可思議な夢に対するヒントでもあり、何よりフィー自身の問題にも繋がっている筈なのだから。

 

 ライのそんな意志を感じ取ったフィーは青空を仰ぎ見て、自身の過去を綴り始めた。

 

 

 …………

 

 

「──私は、もともと紛争地帯の孤児だった」

 

 疲れた様子のまま、けれど、どこか懐かしげに語る小柄な少女。

 

 その話によれば、物心がついた時から銃声と爆発の音を耳にしていたらしい。当然の事ながら教育など学べる筈もなく、この無人島と同じように何処の国であるのかさえ分からない。ただ1つの寄る辺もなく、ただ戦火の中を彷徨い続ける日々。それがフィーの始まりだった。

 

「もちろん、普通の人なら近寄りたくもない環境だろうけど、逆に紛争と聞いて集まってくる人たちも大勢いた」

「それが猟兵か」

「ん、人間同士の戦いには兵士が必要不可欠。需要が山のようにあった事もあって、ミラを求めてやってきた猟兵団が毎日のように火花を散らしてた。……私を拾った西風の旅団もその1つ」

 

 フィーが西風の旅団に入る事となったのはささいな偶然であった。

 ボロボロの服を着た幼い少女がある日出会った男は、猟兵王と謳われた団長のルトガー・クラウゼル。彼は戦争孤児であったフィーを何を思ってか連れて帰り、西風の旅団の皆に紹介した。

 一度戦場に出れば死神と恐れられる者達も、ホームでは人当たりの良い何処にでもいる人間だ。幼く何の取り柄もないフィーであろうとすぐに受け入れられた。

 

「洗濯とかなんにも知らなかったけど、生まれて初めて楽しいって思えた。小さかった私にも分かるようにやり方を教えてくれたし、団長の目を盗んで戦いの技術も教えてもらってて。……例え人を殺す事もいとわない穢れた仕事だったとしても、私にとっては大切な家族」

 

 確かフィーに爆発物を教えたのはゼノと言ったか。旅団での生活をフィーの口元はかつてない程に緩んでいるように見える。家族と形容するのも自然に感じるくらいに柔らかく、そして暖かな雰囲気。

 

 ……けれど、当然の事ながら、過去話は"めでたしめでたし"では終われない。フィーの言葉が心なしか震えている事にライは気づいた。

 

「でも、1年前に団長が決闘で相打ちになった後、気づいたら他のみんなも私を置いていなくなってた」

「……その理由に心当たりは?」

「なにも。手がかりを残す失敗なんて、皆がする訳ないし」

 

 フィーは膝を抱えて淡々と話していたが、当時は相当に混乱した筈だ。一瞬で崩壊した家族と言うぬくもり。昨日まで普通に聞いていた筈の声が突然失われ、どこを探しても痕跡すら見つからない。それは戦争孤児だった頃よりも辛い状況だろう。

 

「そんな私を見つけたのがサラ。団長が亡くなった西風の旅団について調べてたみたい」

「だからトールズ士官学院に来た、と言う訳か」

 

 一通り話し終えたフィーはふぅと小さく力を抜いた。実際は今の話の何倍も波乱万丈な生活を行っていたのだろうが、今のフィーにはこれが限界らしい。

 

「やっぱり、VII組のみんなとは住んでる世界が違うのかな」

「俺にはそうは感じなかったが」

「それは偏った視点。どんなに言い繕っても、猟兵が金で人殺しもするってことは本当だから。……だから、団長も私が猟兵になるのを反対してたし」

 

 その言葉を聞いてライは、ハーメルであったと言う集落全員の皆殺しを思い出す。

 

「けど、ラウラにだって今の話をすれば」

「たぶん無理。ラウラってまっすぐだから」

 

 受け入れられない事を恐れているのか、フィーの身体は縮こまっていた。小さく、弱々しい少女の姿。何と声をかければ良いか悩む暇もなく、フィーは話を切り返してくる。

 

「それよりも、これで何かわかった?」

「……そうだな」

 

 そう、話の本題はむしろこちらだった。

 ライは再び果実をかじって、深々と思考の海に飛び込む。

 

 かつては苦楽を共にし、今はどこかに消えてしまったフィーの家族。そして、どこにいるのかも不明なライの過去に関わる2人組。これだけでは漠然としすぎて何も判断できない。

 

 なら、範囲を広げて考えてみてはどうか?

 失踪したのは宿屋の少女の姉、そして島の住民が何人も。彼女らもライ達と同じ状況だと仮定すれば何かが見えてこないだろうか。

 

 ライの脳裏にブリオニア島での記憶が蘇る。

 

 "──数年前にご両親がお亡くなりになり、それ以降姉妹2人で切り盛りしておりました"

 "──こいつらはもう8年も使ってねぇ漁船、過去の残りカスみてぇなもんだ”

 

「全員、何かを失っている……?」

 

 いや、待て。

 失ったものなど、誰が持っていたとしても不思議じゃない。普遍的な共通項を答えにするなど暴論にも程がある。それに、もし仮に条件がそうだとしても、何の解決にも繋がらないじゃないか。

 

 ライは混迷する思考を振り払い、ちょこんと座り込むフィーへと視線を戻した。

 

 小さく体育座りをして、身を縮こませている制服姿の少女。その乱雑な銀髪には生気もなく、百戦錬磨の猟兵だとは誰も思うまい。ここにいるのは、単なる15歳の女の子にしか見えなかった。

 

(この姿をラウラに見せれば一発で解決するだろうに)

 

「ん、なにか分かった?」

「ああいや、脱出に結びつくような事は何も」

「……そっか」

 

 下を向き、顔を暗くするフィー。

 手がかりが無為に終わった状況に疲弊していのだろうか。しかし、折角フィーが話してくれた内容が無駄などと、ライは決して思ってはいなかった。

 

「けど、これで1つだけは分かった」

「……何が?」

「フィーは家族にもう一度会うべきだ。こんな島に留まっていい筈がない」

 

 覚悟は決まった。

 離れ離れになったフィーの家族を会わせる為に、そして、ラウラの悩みを解く為にも脱出を諦める訳にはいかない。

 

 ライは立ち上がって最後の一口を食べきる。

 飲み込んだ果実からは、確かな味が伝わってきた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ──6月28日。

 

 今日もまた島の内部を探し続ける。

 諦めてなるものか。身軽なフィーは木の上を、ライは地表を調べ周り時間が過ぎていく。

 

 ……しかし結局は今回も、何の成果もなく午前0時に到達してしまった。

 

 

 

 ──6月28日。

 

 今日はフィーとVII組の事について話し合った。

 

 エマがタロットの占いをしていたと言う話。日曜になるとリィンの部屋からアーベントタイムのラジオ放送が聴こえてくると言う話。……もう遠い世界のようにすら感じてしまう士官学院の思い出を、2人は静かに語り合いながら海岸を歩く。

 

 単なる息抜きの意味合いもあったが、本当の目的は果てしなく平和で底がなく不気味な夢から意識をそらす事だ。

 ここのところ、気を抜くと夢の光景が脳裏にチラつくようになってきた。「精神攻撃でも受けているみたい」と言うのがフィーの談。ライも全くの同意見だ。

 

 心を侵食していく夢から逃れる為、ライとフィーは探索を続ける。

 

 

 

 ──6月28日。

 

 今日は例の2人組でなく、VII組の皆と暮らす第3学生寮の夢を見た。今までとは打って変わって鮮明な夢で、リィンやアリサ、ミリアムと言った面々が顔を覗かせる。

 

 前の話題で意識してしまったのが原因なのだろう。久しぶりの声を聞いて、心のどこかが欠けそうになる。これが単なる夢ならばどんなに良かった事か。どれほどに気楽だった事か。

 

 前に進む為に、ライはひたすら歩き続けた。

 脱出の手がかりは見つからない。

 

 

 

 ──6月28日。

 

『ライさん、勉強の最中ですよ?』

 

 海底を潜って探している最中に、ふと、エマの幻聴が聞こえてきた。

 

 ライはエメラルド色の水中を見渡すが、周囲は透き通った海水が広がるばかり……、いや、周囲には寮の食堂が広がっていた。

 

「……っ!?」

 

 肺から漏れた叫びは泡となり、水面へと上っていく。

 

 ライは今、上下左右を水に覆われている筈だ。ならば何故、この両眼は大きなテーブルと並べられた椅子を捉えてしまっているのだろうか。

 

 視界が2重に重なっている。

 ──幻覚か? だとすれば、この場所は不味すぎる。

 

 ライは反射的に海面へと浮上した。

 仰ぎ見る大空。肺に入り込む潮の香り。そのどれもがライに現実を示しているが、視界に重なる石作りの部屋が消える事はない。混乱する意識を無理やり制してフィーの待つ砂浜へと泳いでいく。

 

 そこではフィーもまた、頭を抑えてふらついていた。

 この異変はライだけに起こっているものではなかったのだ。やがて幻覚が収まった後も、2人の心に苦々しい焦燥感が残されていた。

 

 

『世界とは観測によって成り立っている。汝らが現実だと感じたものこそが即ち現実なのだ。抗う必要など何もない。その夢もまた、汝の住む世界に違いないのだから』

 

 

 

 ──6月28日。

 

 

 ──6月28日。

 

 

 ……6月28日。

 

 

 …………

 

 ……

 

 

 ──6月28日。

 

 今日は無人島に流れ着いた夢を見た。同じ日をずっと繰り返す不可思議な夢。

 目を覚ますと、ライは居心地の良い学生寮のロビーで座っていて──

 

「──ッ! ペル、ソナッッ!!!!」

 

 自らの異変に気づき、ライは全力で叫びを上げた。

 同時に手のひらに現れる魔術師のタロットカード。それを無意識に砕くと青白い光が巻き上がり、ジャックフロストの姿へと変貌する。

 

 砂浜に全く似つかわしくない雪だるまは白く短い手を振り上げる。すると虚空に巨大な氷塊が生まれ、ライの頭上に降り注いだ。

 

 舞い上がった砂埃に包まれる中、下敷きとなったライは氷を払い起き上がる。

 

「……召喚器なしに、ペルソナを呼び出したのか?」

 

 そんな事など出来ただろうか。度重なる異常事態に頭が痛くなるが、今はそんな事を考えている場合ではない。

 

 肝心なのは先ほどライが置かれていた状況だ。まるでこの島が夢で、夢が現実のように感じてしまっていた。

 

 やはり何かがおかしい。今こうしている間もどんどん現実味が失われていく。

 繰り返される非現実的な1日と、曖昧で安らかな夢。その境界線がだんだんと混ざり合い、溶けて、分からなくなってしまう。

 

 何だこれは。

 全身に嫌な汗が流れ出す。

 

 それよりもフィーはどうした? ライは片手で頭を抑えながら後ろを振り返ると、彼女は虚ろな瞳で空を見上げて何やら呟いていた。

 

「レオ? 今日は私の当番だっけ」

 

 フィーの顔は以前西風の旅団について話していた時と同じように、柔らかな雰囲気を醸し出しながら虚空と話を続けている。

 

 ──不味い。

 そう直感したライは急いでフィーに駆け寄り、その両肩を揺らして意識を覚醒させる。

 

「らい……?」

「フィー、大丈夫か?」

「……なん、とか」

 

 少し呂律が回っていないものの、フィーの瞳は確かにライを映していた。

 

 けれど安心など出来る状況などではない。また何時異変に襲われるかも分からないのだ。止めどなく溢れる焦燥感に駆られ、ライ達は限られた時間の中で言葉を交わす。

 

「さっきまで私、西風の旅団にいた……。目も耳も肌も匂いも全てあの時のままだった。まるで、あっちが現実みたいに……」

「どちらが現実なのか、か。そう聞くと胡蝶の夢みたいだ」

「胡蝶の夢?」

 

 透明な黄色い瞳が問いかけてくる。しかし、ライ自身も無意識で口にしていた為か、自身の知識に対して思考を巡らせる必要があった。……確か、以前誰かにその言葉を聞かされた、ような気がする。

 

「”その昔、夢の中で蝶になった”で始まる説話だった……筈だ。自分が蝶になった夢を見ていたのか、それとも蝶が自分になった夢を見ているのか。どちらが本当かは分からない、と言う話だったかな」

 

 本当はもっと先に説話の主が言いたい教訓があった筈なのだが、今のライには思い出せなかったし、思い出す必要もなかった。重要なのはそれよりも前、夢と現実の関係性に関してだ。

 

「それなら、私にとっての現実はどっち?」

「少なくとも俺にとっての現実はここだ。どんな辛い状況だろうと関係ない。──フィーはどう思う?」

「……わかんない」

 

 フィーは深く思い悩んでいる様子だった。

 無理もない。この疑問に本来答えなど存在しないのだ。決められるものがあるとするならば、それは自分自身の認識を置いて他にない。

 

 けれど、自身の認識でさえこの果てしなく停滞した孤島では不確かだ。どこからが夢でどこからが現実なのか。変化のない時間が流れるほどに脳が麻痺していくのをライは感じていた。

 

 

『辛き道が美徳だと誰が決めた? 悲しみのない世界こそが理想であろう。……受け入れよ。さすれば永遠の幸福が訪れん』

 

 

 ……耳障りな幻聴もまた、日に日に増していく。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「また、6月28日か」

 

 砂浜のベッドに寝っ転がったライは、ぼんやりと青い空を見上げていた。もう空に浮かぶ雲がどう変わっていくかも分かってしまう。葉のざわめきも波の音色も全てが不快に感じてしまうのも、もう無理はない話だ。

 

「……フィー?」

 

 気がつくとフィーの姿が消えていた。まだ意識もはっきりとしていない筈の時間にどこへ行ったのだろうか。ライは石像のような足に力を込めてゆっくりと歩き始めた。

 

 また島中を探すことになるかも知れないと考えていたライだったが、案外、フィーは割と近くに立っていた。ライに背を向けて佇む小柄な少女。だが、ライはそんな背中に声をかける事が躊躇われる。

 

(他の人影……?)

 

 そう、フィーの周りには様々な人の影が囲っていたからだ。

 人影のほとんどが成人の男性女性と言った風貌。他の失踪者かとも思ったが、それにしては物騒な武具を彼らは身にまとっていた。

 

 彼らは一体誰なのか。

 フィーに問いかけようとライは再び歩き始める。

 

 が、しかし、

 

「──やっとみつけたぞ」

 

 そんなライの背後から、落ち着いた青年の声が聞こえてきた。

 長らく聞く機会のなかった第3者が突如後方に現れたため、ライは反射的に片足を軸にして回転し、両拳を構えて声の主を探す。

 

 そこにいたのは9人の少年少女の姿だった。

 赤い制服を着込んだ懐かしくもある級友の面影。誰もがライの顔を見て笑顔を浮かべている。

 

 

 ……そう、夢で見ている姿と何も変わらない、リィン達VII組の姿がそこにあった。

 

 

 

 

 




閃の軌跡3発売決定っ!
まだ情報も何もないですが、どうなるのか今後の動向が楽しみです。


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49話「救済の囁き」改定版

 永遠と6月28日を繰り返ていた無人島に突如として現れた変化。

 2人しかいなかった筈の砂浜に立ち並ぶ大勢の人影を見て、ライは一瞬時間が止まってしまったかの様な錯覚を覚えた。

 

 リィン、アリサ、エリオット、ラウラ、ガイウス、マキアス、ユーシス、エマ、それとミリアム。服装から髪の長さに至るまでライの記憶に相違ない、まるで写真から切り取ったかのような光景だ。

 

「皆、どうしてここに……?」

「どうしてって、随分な言い草だな」

 

 青空の下に広がる砂浜のど真ん中、リィンが頭を掻きながら感想を漏らす。

 そう言うリィンこそ随分と呑気な仕草だ。ライが不審げな視線を向けると、その間を仲介するかのようにアリサが割り込んできた。

 

「あなた達がいつまで経っても戻ってこないから、探しに来たんじゃない」

「探しに? けど時間が……」

「島の外と中の時間が同じって、ライは実際に体験したわけ?」

 

 ああ、確かにその可能性もあった。

 

 ライが外部を知覚出来ているのは唯一”導力ラジオの放送”だけ。

 孤島に飛んできた導力波ごと時間が巻き戻っていたとするならば、外部と関係なく同じ放送が流れていたとしても不思議じゃない。

 

「それより、何でそれをアリサが──」

「どうでもいいじゃない。ほら、今は久方ぶりの再会を喜びましょう?」

「そーだよ! こんなキレイな海に来たんだから楽しまなきゃ!」

 

 戸惑うライを他所に、いつの間にか、素足になったミリアムが真っ白な砂浜ではしゃぎ回っていた。

 

 浅瀬の中でホップステップ。気分はまさに南国バカンスと言ったところ。冷たい塩水を心行くまで楽しんでいるミリアムを見ていると、疲れ切っていた精神がゆっくりと解きほぐされてしまう。……場違いな事この上ないが。

 

「あ〜あ、あんなに動き回ったらずぶ濡れじゃない」

 

 その証拠にアリサも呆れた様子で己の金髪を撫でている。けれど、今のライにとっては、アリサの態度ですら悠長なものに映ってしまう。

 

「どうしたの? やけに疲れているみたいだけど」

 

 と、そんな時、エリオットがライの肩に手を置いて顔を覗き込んできた。

 

「……そんなに疲れている様に見えるか?」

「見えるかって、そりゃもう死人みたいに酷い顔だよ?」

 

 普段、表情に乏しいと揶揄されるライがそこまで断言されたとなると、相当に酷い表情をしているのだろう。ライは己を顧みて、そっと意識を入れ替えた。

 

「いや、大丈夫だ。それよりエリオットに頼みたい事がある」

「……へっ? 頼みごと?」

「ああ、この周囲一帯のアナライズを頼む」

 

 エリオットのブラギさえいれば、この異常事態の根本を分析する事も可能な筈だ。空回りする島を攻略する道を見出したライ。

 

 ……しかし、エリオットの反応は予想外に冷淡なものであった。

 

「えぇっと、何で探らなきゃいけないの? 別にここってそんな悪い場所には見えないけど」

 

 う〜ん、と困惑した様子のエリオット。

 彼との温度差の原因は、実際に時間の空回りを体験していないからだろうか。ならば、まずはその説明からだ。

 

「この島には言葉通り明日がない。だから──」

「僕には別に、それが悪い事だとは思えないんだよねぇ」

「──? それはどう言う……」

 

 何かが噛み合っていない。ライはそう感じた。けれども、ライがエリオットの真意を確かめるよりも先に、エマの手が行く手を遮る。

 

「まぁまぁ、良いじゃないですか。せっかくこんなに綺麗な場所なんですし」

「それもそうね。ここでじっとしてるのも勿体ないし、私たちもミリアムに習うべきよ。──ほら、ラウラとそこの男子たちも一緒に行きましょ?」

「うむ、承知した」

 

 ラウラが返答を口にしながら海へと歩き出す。後方にいたガイウスやエリオット、マキアス、ユーシス、リィンもそれに続いていった。

 

 

 ……まるで日常の一部であるかの様に。

 それが、どうしようもなく不気味に感じた。

 

 

「ライ?」

「ライさん?」

「ライよ、どうかしたか?」

 

 何かが違う。まるで別世界に迷い込んだみたいだ。砂浜で遊んでいる面々はいつも通りの日常で、だからこそ不自然極まりない。

 

「……これも、夢なのか?」

 

 この繰り返される島の中で、視界が夢と重なる事は現にあった。しかし、彼等が立っているのは間違いなく島の上だ。

 

 視界が重なっているどころの話じゃない。

 夢と現実そのものが重なり合ったが如き異変。……そう、異変だ。今までと異なる異変が起きた。これはそう言う事なのだろう。

 

『──拒む必要などない。ここは汝が求めた現実であり、彼らは汝が望む世界の在り方だ』

 

 頭に鳴り響く、何かの声。

 

「……っ」

『悩む必要はない。思考する必要もない。──あるがままを受け入れよ。さすれば悲しみに満ちた世界から解放され、真の幸福なる世界へと併合される』

 

 それは勢いを増してライの意識を侵食する。

 拒もうをする意志すらも嘲笑い、"声"が心を埋め尽くしていく。

 

「ライ、どうしたの? 早くこっちに来なよー!」

 

 薄れゆく視界の中、ミリアムが大きく手を振っていた。

 

「……ほう、ただの塩混じりの湖と思っていたが、存外心地よいじゃないか」

 

 体の感覚が失われる中で見たユーシスも、どこか楽しげだ。

 

「ユーシス! そんな浅瀬で満足していないで、沖まで競争でもしようじゃはないか! 庶民として育った者の実力を見せてやる」

 

 そんなユーシスに理由もなく対抗意識を燃やすマキアス。

 

 ……いつも通りの、日常の光景が手の届く場所に広がっている。

 あの声の言葉が正しければ、この現状を受け入れさえすればライもあそこに行けるのだろうか。

 

「なぁライ」

 

 ほとんど見えなくなった視界の先に、ふとリィンの顔が映る。

 

「ここは本当に間違った場所なのか? 俺たちは学生だ。いつかは卒業することになるだろうし、みんなの立場を考えると一緒になるのも難しい。だったら、明日がこないここに留まるのが最善の道なんじゃないか?」

 

 確かにそうかも知れない。

 出会いがあれば別れも必然。その未来を覆したいのであれば、この島はひどく都合の良い場所に思えてくる。

 

(けど……、俺は…………)

 

 薄れゆく意識の中、ライは遠方に見えるフィーの方を見た。

 何人もの人物に囲まれながら、安らかな眠りについているフィー。

 彼女の寝顔は幸せそのものと言った感じだが、何故だかそれを見ていると、とてつもない危機感がライの心を駆け巡る。

 

『さあ、享受せよ。永遠の今が続く世界で、永遠の幸福を胸に秘めて、暖かな微睡(まどろみ)へと身を委ねるのだ……』

 

 視界が白に染まる。

 

 意識が混濁する。

 

 もう既に言葉すらも紡げない程に朦朧としたライは、声に導かれるがままに砂浜へと崩れ落ちた。

 

 

 …………

 ……………………

 

 

 ……ライは真っ白な光が満ち溢れる世界に浮かんでいた。

 

 全身に染み込むような暖かい幸福感。

 光のベールが幾重にも織りなす向こう側に見えるのは、安らかな笑みを浮かべた仲間の姿だった。

 

 誰1人として仲違いする事もなく、誰1人として己が影に悩まされる事もない。

 何1つの悲しみもない、……理想郷。

 

『喜べ、虚ろの世に囚われた人の子よ……。汝は今、不安に満ちた未来からも、後悔と喪失に満ちた過去からも解放される。汝が魂は永遠の命を得て、遂に救済されるのだ』

 

 このまま瞳を閉じれば、きっとそれは現実になるのだろう。

 

 しかし、

 

「……違う」

 

 ライは無意識にその言葉を否定していた。

 血がにじむ程に強く手を握りしめ、渾身の力を込めて両眼を開ける。

 

「未来にあるのは不安だけじゃない。俺の過去を、悲観的な言葉だけで片づけるな」

 

 確かにラウラとフィーに関しては失敗だらけで、不条理に嫌われる事もあった。

 けれど、それで歩んでいく事を諦めはしない。未来には可能性があり、過去には尊いと思えた記憶もある。その全てを否定してしまう選択など選べようものか。

 

「フィー……」

 

 ライは気がつくとARCUSをその手に握っていた。

 意識を失う寸前に見た彼女の状況から察するに、彼女もまたライと同じ状況に陥ってるのだろう。

 ならば、このまま眠っている訳にはいかない。ライはたゆたう光の中、ARCUSを前方に構える。

 

『──何故、我らの言葉を拒む。永遠への回帰にこそ救いがある。変化こそ苦痛、生きるなど辛いだけだ。時間とは即ち、虚ろなる神が作り出した悪しき虚構に過ぎない』

 

「けど、変化にだって価値はある筈だ」

 

『無知なる者よ。幸福を感じ、それを失いたくないと願う事は罪ではないのだ。人々に喪失を強いる"この世界"こそが悪なのだと、何故気づかない』

 

「幸福か決めるのは俺でも、ましてお前でもない。……決めるのはフィー自身だ」

 

 この世界で永遠に生きることが本当にフィーの救いと決まった訳ではない。

 だからこそライは、どこかから響いてくる言葉を切り捨て、その手に持ったAECUSを起動する。

 

 ──リンク──

 

 ライのARCUSが輝きを放ち、2人の心は再び"繋がった"。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 フィーは光に満ちた世界に浮かんでいた。

 

 安らかな温もりに包まれて、久方ぶりに感じる深い眠気に身をゆだねる。

 朧げな視線の先には懐かしの顔ぶれ。西風の旅団の皆がフィーを見守っていた。

 

「安心しぃや。ワイらはここにおる」

 

 ゼノが何時になく優しげな声でフィーに語り掛ける。

 その言葉にフィーは「……ん」と短く返すが、少しして、彼女はふと我に返った。

 

「わたし……は……」

 

 どうしてここにいるのだろう。

 

 繰り返す島で目覚めたときに他者の気配を感じて、ナイフを片手にその場所を偵察に行って、それで──

 

「考えなくていい。ただこの場所にいれば、誰もフィーを置いていかないのだからな」

「だれも……?」

「ああ、我ら西風の全員だ」

 

 体格の良いレオニダスの言葉を聞いて辺りを見渡すと、本当に誰1人として欠ける事なくその場に集まっていた。……その中には、死んだはずの団長の姿さえあった。

 

「ここにいれば、みぃんな一緒や。フィーを置いていく事なんてもうない。……フィーの幸せはここにある」

 

 言葉が麻薬のようにフィーの思考を飲み込んでいく。感じた疑問や思考すらも洗い流されて、再び深い微睡がフィーを襲う。彼らの言葉が真実のように感じられる。

 

 けれども、

 

 ”──決めるのはフィー自身だ”

 

 誰かの声を聴いて、朧げな少女の意識は僅かながら覚醒した。

 

「……今、のは」

「フィー! あの声に耳を傾けるな」

 

 突如としてレオニダスの声が荒立つ。

 

 まるで、悪魔の声だと糾弾するかの如く。

 だが、フィーは彼の態度を問いただす事は出来なかった。

 

 懐に入れたARCUSから光が漏れ、急速に光のベールが遠のく。懐かしい顔も一瞬で彼方へと消え失せて……。

 

 

 ――

 ――――

 

 

 ……気がつくと、フィーは真っ白な空間に1人佇んでいた。

 

 音も温度もない世界にただ1つ、巨大な青い扉が高々と座している。どう見ても人が通るには大きすぎる異様な扉。正体不明の建造物に手を当てたフィーは、ぼんやりと思考を巡らせてようやく状況を悟る。

 

「ここって……、もしかして例の?」

 

 世界を隔てているような扉の話は、ペルソナに覚醒した面々からフィーも聞いていた。ならば、ここはもう1人の自分と対面する空間であり、何時の間にかライと戦術リンクをしていたのだろう。

 

 懐のARCUSを取り出すフィー。

 手のひらに収まっている導力器からは淡い光が漏れている。

 

(なぜ?)

 

 普段、ライの方から勝手に戦術リンクを行う事はない。彼は直に体験した訳ではないけれども、戦術リンクに失敗した皆の姿を間近で見てきたのだから。”余程”の事がないと承諾なしにリンクを試みたりはしない、とフィーは思う。

 

 ……思い当たる節はただ1つ。さっきまでいた甘くて不気味な──

 

『意外、私がまた来るなんて』

 

 唐突に、いつの間にか開いていた扉の向こう側から声が聞こえてきた。

 フィーが顔を上げて見つけたのは乱雑な銀髪をした小柄な少女。それは鏡で見たフィー自身の姿と瓜二つなものであったが、彼女の表情は嫌気がさすくらいに根暗で歪で、ぎらぎらと輝く黄金の瞳はフィーの心を見透かしている様だ。

 

「……もしかして、もう1人の私?」

『分かってる事を聞かないで。私はフィー、フィーは私。そんなこと知ってたくせに』

 

 もう1人のフィーは詰まらない物でも見たみたいに真っ白な地面を蹴り上げる。

 耳障りな声。理由は分からないけれど、その言葉を聴いているだけで鳥肌が増すばかり。

 

 生理的な嫌悪感に襲われるフィーであったが、ふと、とある事実に気づく。

 

(今、受け入れなくたって……)

 

 そう、ライの意図があの奇妙な空間からフィーを脱出させる事であるのなら、もう既に目的は達成されている。無理に彼女を受け入れようとしなくとも何ら問題はなく、むしろ合理的とすら言えるだろう。

 

 けれども、そんな容易な道を選べるほど影は生易しくない。

 

『そうやって、また目を逸らすんだ』

 

 もう1人のフィーが目を見開いて、フィーを虫けらのようにあざけ笑う。

 無視すればいい。合理的に目的を果たすためなら個人の感情をも殺し、戦場の死神とすら謳われる者達こそが”猟兵”なのだから。

 

「……また?」

 

 しかし、フィーは問わざるを得なかった。

 心の奥がざわめく。この胸が締め付けられるような憤りを無視することなど、至難の技であった。

 

『怖いんでしょ? 私と面を向かって言葉を交わすのが』

「そんな訳ない。私がそんなことを思うなんて」

『それって猟兵だから? ……つまんない、また目を逸らしてる』

 

 一歩、一歩、音もなく近づいてくる。

 その全く隙のない足運びと、苦々しく睨み付けてくる敵意の塊を見たフィーは、反射的にナイフを取り出し素早く構えた。

 

「目を逸らしてなんかない。さっきから何を言ってるの?」

『……何って、どうしようもない現実のこと』

 

 それでも、もう1人のフィーは近づいてくる。

 まるでナイフなど目に入ってないように、フィーの戸惑う顔を見てその目を見開いて、……そのまま刃にずぶりと突き刺さった。

 

「……えっ?」

 

 もう1人のフィーの凶行を目の当たりにしたフィーは、思わずナイフを持つ手を引いてしまう。

 だが、そこには誰もいなかった。まるで、フィー自身が目を逸らしてしまったかの如く何もない。何も見えない。辺りは霧に包まれる。

 

『猟兵になって人一倍経験してるって思ってる? でも残念。フィーはただ目を逸らしていただけのちっぽけな人間。猟兵猟兵ってばかみたい』

 

 どこからともなく声が聞こえてきた。

 孤島で聞こえた声と違って、敵意に満ちた音が世界に響く。

 

「猟兵を、旅団のみんなを馬鹿にしないで」

 

 ナイフを固く握ったフィーが眉をしかめる。

 だが、その行為ももう1人のフィーはあざけ笑っていた。滑稽なものでも見ているように。

 

『だったら、何でラウラにあんなこと言ってるの? わざと物騒な言葉をいい続けるなんて』

「……それは、その方がお互いのため、だから」

 

 フィーは思わず言いよどんでしまった。

 心に感じた引っかかり。それを見逃す影ではなかった。

 

 ──刹那、霧が晴れ、もう1人のフィーの恐ろしげな瞳が視界全体を覆う。

 

『お互いのため? フィーのため、の間違いだね』

「…………」

『フィーにとってラウラは眩しかった。自分の正義に準じることができて、まっすぐで。こんな血と埃で汚れた私とは大違い。……だから、きっとラウラは受け入れられない。旅団のみんなに置いてかれて裏切られたみたいに、私自身が傷つくくらいなら、いっそのこと自分から傷つけて離れた方が気も楽。そうだよね?』

 

 目と鼻の先に立っているもう1人のフィーが糾弾した。

 ここ一か月続けていた行動は、その実自分自身が助かるためだけにしていた行為なのだと。それをお互いのためと言って目を逸らしていた事こそが、フィーの罪なのだと。

 

 けれど、そんなこと簡単に受け入れられる訳がない。

 

「そんなのデタラメ。そんな理由じゃないし、それに、みんなは私を裏切ってもない」

『大切な家族だと思ってたのは私だけだった。みんなは私を裏切った』

「そんなこと思ってない」

『私なんかが家族を持つなんて、初めから間違ってたんだ』

「……違う」

 

 ナイフを素早く引き裂いての威嚇。

 すると、もう1人のフィーはまた霧へと姿を変え、気がつくと青い扉の前にいて、煉瓦でできた縁石の上に座っていた。

 

『目を逸らしてばっかり。ホントは猟兵なんてどうでもいいくせに』

「違う。だって猟兵は……」

『家族の居場所、でしょ? たまたま西風の旅団が猟兵だったってだけ。その証拠だってある』

 

 もう1人のフィーは立ち上がって足元を見た。

 そこでようやくフィーは気づく。影が座っていた縁石は、フィーが花を育てていた花壇である事を。

 

『ホントは猟兵じゃない生活にも憧れてた。壊すんじゃなく、何かを育んでいく生活を。……だから園芸部に入った。ラウラが眩しくみえたのもそのせい』

 

 丁度、旅団にいたときに貰った花の種もあった。

 フィーにとってそれが目的だったはずだが、もう何が本心だか分からない。

 

 ……だが、もう1人のフィーの主張はそれで終わりじゃない。

 

『──でも、目を逸らしちゃだめ』

 

 その細い足を持ち上げ、ぐしゃりと、芽の出ていない花壇を踏みにじる。

 

『私にそんな生活できっこない。命を育むなんておこがましい。いつまでたっても芽を出さないのも当然』

「……それは」

『そんな手で、ホントに育てられるって思ってる?』

 

 指を差されたフィーはつられて、ナイフを持つ自身の手へと視線を移す。

 

(……ぁ)

 

 その両腕は血に濡れていて、砂漠のように乾燥していて、そして、ところどころに骨が見えてしまっていた。まるで死神のように禍々しく穢れきった指先だ。その手で植物に触ろうものなら、植物は腐り枯れ果ててしまうだろう。そう感じてしまう程に、この幻覚は強烈なものであった。

 

 思わずフィーはナイフと取りこぼす。

 カラリと真っ白な地面に落ちた音にも気づかず、後ろに一歩後ずさってしまう。

 

 もう何も分からない。

 自身の本心とは何なのか。何を思っていたのか。

 

 するとそんな時、一歩後ろの下がったフィーの背中に、なじみの声が投げかけられた。

 

「──そうや。分からんでええ。目を逸らしたままでええんや」

 

 フィーが振り向くと、真っ白な世界とは別に7色の光に満ちた世界が見えた。

 この世界に来る前にフィーがいた世界。そこにはゼノ、レオニダス、団長、懐かしの面々が笑顔で佇んでいる。

 

「辛いもんからは逃げたらええ。嫌な過去も、不安しかない未来もぜぇんぶ捨てたらええ。ここならそれができる。……さぁ、この手を取るんや」

 

 光の世界から手を指し伸ばすゼノ。

 この世界に入ってこれないのか、彼の指は世界の境界線で止まっていた。

 

(あの手をとれば、もう悩まなくていい?)

 

 それは何て素晴らしい事なのだろうか。もう、どうしようもない現実に悩まされることもない。見たいものを見て、見たくないものから目を逸らせる。フィーの小さな手は無意識にその手を取ろうと伸ばされていく。

 

 届くまで、後僅か。

 フィーもそれを望んでいる。

 

 

 ……だが、その手は寸前のところで止まっていた。

 

 

「むっ、どうしたんだ、フィー?」

 

 ゼノの隣にいたレオニダスが疑問の声を上げる。

 だが、戸惑っていたのはフィー自身も同じだった。

 

「……なんで?」

 

 その手を取れば、また旅団との生活に戻る事ができる。

 明日がこない世界の中ならば、離れ離れになることも2度とないだろう。

 

 しかし、フィーの白い指先が動くことはない。

 

 まるで、まだ何かやり残していることがあるみたいに。

 まだ未来に期待でもしているみたいに、フィーの無意識は受け入れる事を拒んでいる。

 

(期待……?)

 

 何に期待しているとでも言うのだろうか。

 ラウラとの改善など望めないし、団長が死んで、家族のみんながフィーを置いて消えてしまった事実も変わらない。

 

 けれど、フィーは気づいてしまった。相反する感情も確かにフィーの内に存在しているのだと。何とか受け入れようとしてくれたラウラの姿。どんな状況でも変わらず前を向いて全力を尽くそうとするライの姿。そんな儚い可能性に動かされた自分もまたフィー自身なのだと、フィーはようやく理解した。

 

 ……だから、もうその手を取ることは出来ない。

 

「ゼノ、1つだけ聞かせて」

「なんや突然」

「私を置いていった理由ってなに?」

「……そんなの、どーでもええやないか」

 

 違う。

 どうでもいいのではなく、知らないのだ。

 

 あのゼノは偽物だとフィーは直感で理解した。フィーが知る由もない事を聞いたって、答えなど返ってくる筈もない。目の前にいる面々はフィーの知る姿そのままであり、つまりはフィーの記憶が元になった虚像でしかないだから。

 

『その手、取らないんだ』

「ん、──私にはまだ、あっちの世界に未練があるみたい」

 

 背中から問いかけてくるもう1人の自分に向けて、フィーは振り返る事なく静かに答えた。

 伸ばしていた手をそっと下ろし、思い出すはライから聞いた”胡蝶の夢”の話。夢と現実のどちらが本当か分からないように、フィーの心にもまた、悲観的な感情と相反する心が眠っていた。

 

 それなら、と、フィーは静かに振り返る。

 悪意に満ちた瞳で睨んでくる少女。その視線を受けたフィーが感じたものは、言いようのない不快感と、……僅かばかりの納得であった。

 

(そっか)

 

 今まで対峙していたもう1人のフィーとは、言うなれば選択の過程で抑え込まれてしまった感情だ。団長の反対を押し切ってまで猟兵になって、そこで2つ名がつく程に活躍をしてたりもした。……けれど、みんなに置いて行かれ、最近ではラウラとの軋みもあって。

 それら多くの出来事の中で捨て去られたフィー自身の心。選ばれなかった想いがそこにいた。

 

「私は猟兵。だけど、それが私のすべてじゃない」

 

 フィーはまた手を伸ばす。

 

 今度はもう1人の自分に向けて。

 救いを求めるのではなく、共に歩んでいく為に。

 

「行こ? 今度はちゃんと、目を逸らさず頑張ってみる」

 

 すると、もう1人のフィーは瞳を閉じて淡く青い光となった。

 元いた場所へと還るように、フィーの手から心の奥へと溶けて消えていく。

 

 

 ──自分自身と向き合える強い心が、”力"へと変わる…………。

 

 

 体の芯が暖かい。

 

 自身に芽生えた新たな”力”を感じたフィーは、決意を込めた視線で西風の旅団であった偽物へと意識を移した。

 

『どうしたんや? フィー』

 

 もう、彼らはフィーの知る姿ではなかった。

 目も鼻も口もなく、黒いもやに覆われた人形が懐かしの声で語り掛けてくる。

 

 彼らには甘い夢を見せてくれた。けれど、それはもう終わりにしよう。覚悟を決めたフィーはその手を握りしめ、確たる声で宣言する。

 

「──ペルソナっ!」

 

 刹那、フィーの周囲に青い光が膨れ上がる。

 先程もう1人のフィーが変貌した淡い光が強烈な質量となって流動し、何もない空間に1つの像として収束する。

 

 現れたのは、黒きベールと迷彩服を身にまとった女性型のペルソナ、ディース。その両手に赤白い熱が宿り、ディースは両腕を左右に広げる。

 

 ──瞬間、腕は刹那の速さで熱風を伴い薙ぎ払われた。

 

 ヒートウェイブ。

 ディースの両手から放たれた熱風が影もろとも光の世界を蹂躙し、甘い虚構を粉々に叩き割る。

 

『……なぜ、だ』

「ごめん、私にはまだやりたい事が残ってるから」

 

 そう一言呟いて、フィーはゆっくりと瞳を閉じた。

 次瞳を開けた時にはもう、あの孤島に戻っている事だろう。その時にしっかりと見定める事が出来るように。深く、心に刻んで。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ──空回る孤島の砂浜。

 ライとフィーは孤島の砂浜に佇んでいた。

 

 何回も眺めた空の景色に、途方もなく聞いた海のせせらぎ。……そして、顔のない人影。

 

『──ライよ、具合でも悪いのか?』

『ガイウスの言う通りよ。その日陰で休んだ方が良いんじゃない?』

 

『なぁフィー考え直そうや。まだ間に合う。すっとここにいたらええ』

 

 真っ黒な影は聴きなれた声でライ達に接してくる。

 そう、この影こそライやフィーの前に現れた者たちの正体。恐らくはライ達の見た夢の光景から作り上げたのだろう。依然として仲間の声で話しかけてくる顔なしの人形を無視し、ライは隣に立つフィーへと視線を向ける。

 

 こくり、とフィーは頷く。

 それを確認したライは、手に舞い降りたカードをその手で握りつぶした。

 

「……すまない」

 

 ──轟音。

 

 ライの頭上に現れたヘイムダルが大槌で影を叩き潰し、砂浜に巨大なクレーターが形成される。

 残されたのはライとフィーの2人のみ。消えゆく影を見届けたフィーは、両手を後ろで組んでライの元へと近寄って来る。

 

「おはよ」

 

 ……ここ最近は毎朝聞いていた挨拶。

 そう言えば今日はまだ聞いていなかったなと思い出し、ライもまた「おはよう」と返す。

 

「大丈夫か?」

「問題ない。でも」

 

 でも? 

 

「……でも、了承なしにリンクするのはちょっと強引すぎ。心構えもできてなかったのに」

 

 フィーの視線がじとーっとした不満げなものへと移行する。

 ……確かに仕方ないとは言え、フィーに困難を強いたのはライ自身だ。ライはそっと頭を下げた。

 

「悪い」

「ん、許した」

 

 けれど、フィーは別に怒ってなかったようで。からかわれたと気づいた時にはもうフィーは背を向けて、一歩前に進んでいた。

 

「それじゃ、行こっか。この島を出てラウラと話し合わないとね」

 

 その一言でライは戦術リンクの向こう側で何が起きたのか悟った。

 強引な手段ではあったものの、フィーは1つ壁を超える事が出来たのだ。ライも「ああ」と力強く返事を返し、フィーの後に続く。

 

 2人が向かう先にいるのは、かろうじて消滅を免れた、かつてリィンであった黒い影だ。

 影は顔のない頭を揺らしてライ達2人に問いかけてくる。

 

『なぜ、自ら永遠の幸福を放棄する。元の世界は、何もかも失う宿命を背負っていると言うのに。汝らもそれを重々知っている筈だ』

 

 知っている。そう、経験している。

 フィーは手にした家族が皆いなくなり、ライに至っては記憶までも失っている。

 

 しかし、それでも──

 

「それでも俺は、いや、俺達は前に進む」

「ん、いくら時間を繰り返したって無駄だよ」

 

 2人の道はここに定まった。例え世界が何千何万と繰り返そうとも、意識がある限り考えを変えるつもりはない。心の救済を謳う"声"の目的は、このままでは達成不可能となった訳だ。

 

『……仕方あるまい。愚かなる者達よ。汝らが魂、我らが言霊を持って救済してみせよう』

 

 その言葉を最後に、影は空に溶けて消えていった。

 

 海のさざ波だけが聞こえる砂浜。

 フィーはナイフを構え、周囲を念入りに見渡す。

 

「逃げたの?」

「……いや、違う」

 

 この静寂とは裏腹に、ライの無意識は恐ろしい程の危険信号を放っていた。

 

 油断するな。

 奴らが現れる。

 

 正体不明の危機感が最高潮に高まったその時、

 

 

 ──世界が軋み、悲鳴を上げた。

 

 

「そ、空が……!」

 

 青い空に幾何学状の亀裂が走る。

 亀裂の奥からは眩い程の光が漏れ、遂には空が粉々に砕け散った。

 

 大空に出現した穴から降り注ぐ強烈な光。

 思わず手で影を作ったライとフィーは、光の中から降臨する何かを視界に捉える。

 

 10体の天使像。

 

 あれが敵か? 

 ……違う。その更に奥に、もっと強大な何かが! 

 

 

『──我らが、名を求めよ』

 

 

 最後に現れたのは、途方もなく巨大な顔。

 

 男性と女性が混じり合ったような形だったが、不思議と歪さは感じられない。……今までのシャドウとは違う。純白の仮面は無機質で、神々しく、完成された美しさを放っている。

 

『我らが、至高の光に満ちた、我らが名を求めよ』

 

 芯に響く声が世界を震わせる。

 

 ──同時に、巨大な顔から純白の雫がこぼれ落ち、それは巨大化して球体の体へと変化した。側面からは非生物的な腕が伸び、下半身にあたる部分は島と融合する。

 

 降臨したのは、島そのものと化した、陶器のように白く歪みなき神像であった。球体の上に浮かぶ男女の顔がライ達へと向き、純白の両腕が翼のように広けられる。

 

 その姿は影と呼ぶには余りに神々しく、強大で、言うなればそれは、

 

 

『──我らは神』

 

 

 そう、形容する他なかった。

 

 

『我らが”言葉"を持って、汝らに永遠の”生命"を与えん。……我らが名はロゴス=ゾーエー。この世の悲しみを否定し、幸福なる世界を求めし者達の”総意”なり!』

 

 

 神の言葉が世界に轟き、穢れなき光が世界を覆う。

 

 嘗てなく強大な敵との戦いが今、始まろうとしていた。

 

 

 

 

 




女帝:ディース
耐性:氷結弱点、疾風耐性
スキル:ヒートウェイブ、シールズボム、マハガル、スクカジャ
 北欧神話における農耕牧畜を守護する女神の総称。しかし、同時に戦いの運命を司る存在ともされ、ヴァルキューレと同一視される事もある。

女帝(フィー)
 実りや未知なるものを司るアルカナ。正位置では豊穣や家庭の形成を表すが、逆位置では挫折や嫉妬を示してしまう。マルセイユ版タロットに描かれた女性が抱える鷲や若草は”生命力”の暗示とされる事から、実りを司る大地母神の象徴としてみなされるカードでもある。今はまだ芽を出したばかりだが、フィーもいずれそのような女性になっていくのだろうか。


■■:ロゴス=ゾーエー
耐性:???
スキル:???
 その名が示すは言葉、そして生命。男女同体である事は即ち完全性の象徴である。3、4世紀の地中海周辺に広まった思想の中でその名を見る事が出来るが……?


――――――――――

今後のプロットと相談した結果、フィーのアルカナを女教皇から女帝に変更しております。
本小説投稿から長い間を空けての変更で誠に申し訳ありませんが、何卒ご理解のほど、よろしくお願いいたします。


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50話「我は神」

「──神?」

 

 島とスカートのように同化した巨大な存在。陶器のように無機質で、人知を超えた神々しい姿をしたロゴス=ゾーエーは自身を神と名乗った。真なる我でも、シャドウでもなく、……神と。

 

「ライ、今は考えてる場合じゃないよ」

「……分かってる」

 

 肌を引き裂く程の殺気が2人を貫いているのだ。

 10の女神像と神像。それら全てがライ達に狙いを定めた今、気を逸らす訳には──

 

 瞬間、女神像の両眼から光が放たれた。

 

「──っ! 散って!!」

 

 フィーの叫びを合図に2人は左右に跳んだ。

 一拍遅れ、巨大な氷山がいくつも乱立。辺りを極寒の地へと変貌させる。

 

氷結魔法(ブフ)? いや、あれは旧校舎内で見た上級氷結魔法(ブフダイン)か……!?)

 

 冗談じゃない。

 今のライ達がまともに食らえば、例え氷結耐性であったとしてもお陀仏だ。

 

 だが、10体もの女神像からは無情にも光が迸る。今度は位置をずらしての偏差攻撃。足を取られる砂の上では、躱す事など不可能に近い。──ならば! 

 

「ディース!」

「チェンジ、エンプーサ!!」

 

 2人は己のペルソナに捕まり、即座に砂浜を脱した。

 

 反対方向に避けたライ達を分断するように広がる極寒の氷山。フィーの無事を確認している時間はない。ライを乗せた人面4本足のペルソナ、エンプーサはすぐさま走り始める。

 

 言うなれば津波から逃げるパニック映画だろうか。幾重にも放たれる氷結魔法を背に、エンプーサは森の中へと全力疾走。

 後方から迫ってくる絶対零度の氷山、前方に現れる氷結の前兆。それら全ての攻撃を、木々の狭間を左右に掻い潜りながら辛うじて躱していく。

 

 しかし、遂には氷の壁に迂回路を塞がれ、周囲一帯の葉が真っ白に凍り始める。刹那の瞬間でさえ命取りとなる危機、ライは即座に天へと伸びる巨樹を見上げた。

 道はもうここしかない。躊躇なくエンプーサに命じ、木の側面を駆けあがる。

 

 樹木のてっぺんまで後、数秒。

 だが、逃げきれない……! 

 

 ライは自らのペルソナをカタパルトにして上空へと跳んだ。

 逃げ遅れたエンプーサが氷山に呑まれ粉々に砕け散る。青空に投げ出されたライ。目まぐるしく回転する視界の中、自らに向け魔法を放とうとする天使像を目視する。

 

「……ッ、ペルソナ!」

 

 咄嗟にライはペルソナを再召喚し、それを足場にして更に跳躍。

 空中で体を回転させながら辛うじて氷結魔法の範囲外に脱する。

 

 ──そして、これは同時にチャンスを生んだ。

 

 空中に生まれた氷に隠れ、一瞬だけ生じた安全空間。

 分厚い氷塊の反対側にいるであろう女神像に狙いを定め、ライは手元に現れたタロットカードを砕く。

 

 “我は汝、汝は我……。汝、新たなる絆を見出したり。汝が心に芽生えしは女帝のアルカナ。名は──”

 

「──ハリティー!」

 

 青く発光する渦の中心から現れたのは、紅色の布を身にまとった女神。ザクロの身を両手で抱いたペルソナは、その実を高らかにかかげ眼前に光の矢を生み出す。

 

 チャンスは一瞬だ。

 氷が自重で落下して女神像が顔を出し、氷結魔法を放ってくる前の僅かな隙を狙うしかない。

 

 コンマ数秒の時間が何秒にも引き延ばされる。

 跳んだ影響で上昇するライの体。反対に下降を始める巨大な氷塊。

 その奥から白き天使像の姿が顔を出したその瞬間、ライの瞳が鋭さを増した。

 

 ――放たれた閃光、エンジェルアロー。奇しくも天使の名を冠する光弾の一撃が、天使像の頭部を粉々に粉砕する。

 

 これでまずは1体、いや、まだ1体と言うべきか。

 残り9体の天使像の位置をつぶさに目視したライは、その全てがこちらを向いている事に気がついた。1体を倒した事によって分散していた注意がライに集中したのだ。

 

 9対の眼が光を放つ。

 ライの周囲、広範囲に展開される氷結魔法の前兆。

 逃げ場などない。ライは即座にペルソナをジャックフロストへと切り替え、無駄だと知りつつも守りの体勢に入った。

 

 大気が凍りつく。その寸前──

 

「ライっ!」

 

 フィーを連れたディースが地上近くから急上昇してきた。

 伸ばされたディースの手をとっさに掴むライ。そのまま上空へと飛び攻撃圏内から離脱した一瞬後、ライのいた空間は多数の氷結魔法によって巨大な氷塊と化した。

 

「大丈夫?」

「ああ、助かった」

 

 上空80m。ライは凍り付いた孤島の上空を滑空するディースに捕まりながら、心配そうなフィーに礼を言った。

 

 下方では山のように巨大な氷塊が落下し、地表を押しつぶして地響きとともに崩壊していく。地形が変貌してしまう程の攻撃。フィーの助けがなければ、今頃ライはあの残骸の一部となっていた事だろう。まさに危機一髪だ。

 

「……こんな時、猟兵ならどうする?」

「離脱一択、どう考えても勝てる相手じゃない。でも……」

 

 フィーは島の上空で周りを見渡した。

 360度海に囲まれた孤島に逃げ場などない。そんなの、初めから分かっていた事だ。

 

「逃げずに戦うなら長期戦は不利。さっきみたいな戦い方を何回もくりかえしてたら、私たちの方が先にスタミナ切れになる」

「だったら、狙うはあの本体か」

「ん。だから──、──っ!?」

 

 突如、ディースの周りに氷の粒が浮かぶ。

 それに誰よりも早く反応したフィーは、反射的にディースへと命じて地上へと急降下した。

 

 急速に近づいてくる氷結した地上。その最中、フィーは前を見据えたまま声を荒げる。

 

「だから、私が目を眩ませる。その隙にライは本体を!」

「ああ!」

 

 ライの返事を聞いたフィーは急に方向転換した。

 行く手を阻む氷を避けながら向かった先は、先程地上に落下した氷塊の残骸。

 その地に足をつけたフィーは即座に反転して、両手が空いたディースに命じる。

 

「吹き飛ばして」

 

 ディースの両手に生まれるは、広範囲を覆う疾風の魔法。

 

 その緑風の刃が向かうのは敵でなく、周囲の氷塊の残骸だ。粉々になった氷の破片が辺りを飛び回り、天使像からライ達の姿を隠す。

 

「これはおまけ……!」

 

 同時にフィーが取り出したのはスタングレネード。

 風に乗って上空へと飛んで行った缶状の物体は、空中で爆発して強烈な光を生む。

 

 氷と閃光。反射し拡散する2種の合わせ技によって、敵の視界は完全に封じた。

 

「今だよ、ライ!」

「ああ、──ヘイムダル!」

 

 その混乱に乗じてライは島の中心部、悠然と佇むロゴス=ゾーエーに中級火炎魔法(アギラオ)を解き放った。

 

 ……不自然なほどに静かだった、ロゴス=ゾーエーに向けて。

 

 

『──人々は願った。終わりへと向かう”時間”からの脱却を』

 

 

 突如として、神像は言霊を紡ぐ。

 

 すると、──世界が一瞬にして変貌した。

 

 ライ達の周囲を高速で舞っていた氷の破片が途端にスローペースになり、急速に広がるはずの爆炎も、火の粉が目視できるほどに遅くなる。ライ達自身の動きですら例外でなく、呼吸、心臓の音ですら半分の速度まで低下していた。

 

(時の流れが、遅く……!?)

 

 その2分の1の世界の中で変わらずに動けたものは3つ。

 内2つはライとフィーの意識だ。"時の停留"とでも呼べる異常事態を認識し、動かない体と混乱する思考を必死に纏める。

 ……不味い状況だ。何故ならば、前方に見えるロゴス=ゾーエーもまた、通常の速度で動いていたのだから。

 

『……哀れなものだ。人は本質的に時間に囚われたまま。自ら針を動かす事もできず、抗う事すら許されていない』

 

 ロゴス=ゾーエーはその非生物的な腕を振るい、低速化した火炎魔法を消し飛ばした。

 まるで無駄な足掻きと言わんばかりに。軽々しく、自然な動きで。

 

『なればこそ救済が必要なのだ。この悲しみに満ちた世の理から、人々の魂を解脱させる存在が』

「そ、れが……、お前であり、この島、……だと…………?」

 

 動きが緩速になった口を必死に動かし、何とか言葉を紡ぐライ。

 しかし、その内容はロゴス=ゾーエーの意に反したものであった様だ。

 

『否、世界を巻き戻したのは我らではない。時の流れに家族を奪われた悲しみ、日に日につのってゆく未来に対する不安。──かの島に住まう人々の、”明日を望まぬ”願いこそがこの島の本質だ。我らはその道筋を示したに過ぎない』

 

 人の願いが世界を巻き戻した、と言う事なのだろうか? 

 

『この世界が島を象っているのも、全ては彼らの願いに他ならない。悲しみを与える者も存在せず、変化する事もない。彼らの思い描いた理想こそがこの孤島を生み出した』

「それって、矛盾、してる…………。私、たちに、そんな力はない、って……、さっきも、言ってた、筈……」

 

 ゆっくりと体を動かしつつも問いかけるフィー。人の願いが時間をも巻き戻せるのならば、離別の悲しみなど初めから存在してはいないだろう。

 

 だが、ライはこの問答と同じ内容を前にも聞いていた。そう、旧校舎の中で。

 

「……集合的、無意識か…………」

『然り。この島は肉体に囚われる以前の、人間本来の魂が生まれし”心の海”に座する空間。……人々の想いが重なり合い、総意をなす世界だ』

 

 ロゴス=ゾーエーは、もう話は終わりだと言わんばかりに両手を広げた。

 その神々しい光景はまさしく翼を広げた天使が如し。時の流れをも操る威光を前に、世界がまた悲鳴をあげる。

 

『故に、知るがいい。人々の心が織りなす”総意”の前には、個人の意思など無意味だと言う事を……!』

 

 白き両腕が振るわれた。

 低速化した大気ごと、氷の欠片で構成された旋風を物ともせず、逃げる術を持たないライ達へと迫り来る。

 

 2人は前方にペルソナを再召喚し盾とするが、全ては無意味だった。

 ロゴス=ゾーエーの腕に触れたペルソナは瞬時に砕かれ、ライ達の体も余波で吹き飛ばされる。

 

 回転する身体。

 衝撃によってショートする意識。

 

 ライの体は後方の氷塊を砕いても尚止まらない。

 

 氷の地表を数回バウンドし、遂には沿岸の砂浜に半分埋まる形で何とか静止した。

 

「──ァ、……──か、はッ……!!」

 

 ライはしばらく呼吸が出来なかった。

 全身が痙攣している。視界が定まらない。

 時間の流れは元に戻っていたが、気を抜くと直ぐにでも気絶してしまいそうだ。

 

 だが、ここで気を失う訳にはいかない。

 まずはこの壊れた機械のような体を動かさなければ……! 

 

「ARCUS、駆動……!!」

 

 砂に埋もれたライの体を淡い光が包み込む。

 発動された光の正体はティアラ、体の傷を癒す導力魔法だ。

 

 導力魔法の源はARCUS内に蓄積された導力そのものであり、限られた精神力を攻撃や回避に回さなければならない局面においては、ペルソナよりも遥かに便利な力だと言える。

 

 ライは辛うじて動くようになった四肢を確認し、力を込めて砂の中から這い上がった。

 

「……ッ」

 

 全身を刺すような痛みに襲われるが、休んでいる暇はない。天使像はゆっくりと動いているものの、いつ襲ってくるか分からないからだ。

 ライは共に吹き飛ばされたフィーを探す。砂にまみれた髪を振り払いつつ周囲を見渡すと、沿岸の岩場に2m程のひび割れが広がっている事に気がついた。

 

 足を引きずりながらも、その場所に向かうライ。

 

 砕かれた岩の中央にはぐったりとしたフィーが倒れこんでいた。

 周囲を囲うひび割れは、人の倍ほどの物体が衝突したような形。恐らくはとっさにディースをクッションにして衝撃を緩和したのだろう。僅かに上下するフィーの胸元を見て、ライは彼女の無事を確認する。

 

「大丈夫か?」

「うっ、……ちょっと、ピンチ、かも」

 

 力なく項垂れるフィーは薄っすらと瞳を開け、自らの左足に手を当てた。

 すらりとした白い足は真っ赤に腫れあがり、人体構造的にあり得ない方向へと曲がっている。骨折した足の激痛は、フィーの額に浮かぶ汗を見るだけで伝わってくる程だ。

 

「待ってろ。今、手当を──!?」

 

 フィーに一歩近づいたライは急激な温度低下に気づく。

 辺りに漂う氷の粒、手当の時間ですら待ってくれないと言うのか。

 

「悪い、少し痛む!」

 

 ライは即座にカードを砕き、ヘイムダルによってフィーを投げ飛ばす。

 同時に自身も氷結魔法の範囲から逃れようと身をひるがえした。

 

 だが、悲鳴をあげる両足でそれは叶わぬ行動だった。

 

 バランスを崩す体。

 辛うじて体は逃れたものの、右腕が丸ごと氷柱に飲み込まれてしまう。

 

(──ッ、不味い!)

 

 右手の感覚は既になくなっていた。

 恐らくは血液の一滴すらも氷漬けにされたのだろう。

 

 しかし、問題はそこではない。

 氷柱に固定されたライは今、格好の的となってしまったのだ。

 ライは氷の壁に左手を押し当て引き抜こうとするが、肌と完全に癒着している氷を剥がす事は出来ない。

 

 

『痛みを負っても尚、未来を求め足掻き続けるか。……ああ、何とも身勝手な行為だ。その意志に感化されたが故に、必要のない苦痛を受けてしまうのだから』

 

 

 島の中央に座するロゴス=ゾーエーが両手を天にかざすと、何もない空中に突如、光で構成された巨大な拳が現れる。

 

 ゴッドハンド。それは明らかにライ達の耐えうる威力を超過していた。

 人間大の大きさを誇る拳の弾丸を前に、ライは覚悟を決めてヘイムダルに命じる。

 

 ──アギラオ。

 身を焦がすほどの灼熱の狙いはロゴス=ゾーエーではなく、ライを縛るこの氷柱だ。

 右腕の付け根が炎に焼き焦がされるが問題ない。今のライは火炎耐性を持っているのだから、最悪大やけどで済むだろう。

 

 だがしかし、それでもなお氷柱は健在だった。

 アギラオでは火力が足りないのだ。この楔を溶かすには少なくともあと数発のアギラオが必要であろう。そんな時間はない。別策を探し求めたライは……、そこで致命的な勘違いに気がつく。

 

(……いや、違う。”感化されたが故に”?)

 

 そう、ロゴス=ゾーエーが言葉にした対象はライではない。

 ライの行動に感化されたもの。それは即ち──

 

「フィー! 逃げろ!!」

 

 光の拳が向く先には、足を怪我したフィーの姿があった。

 けれど、その足で逃げることは叶わない。ペルソナの糧となる精神力も、ぐったりとしていて尽きかけているのだと気づいたライの目の前で。

 

 

 まさに神の鉄槌とも言える一撃が、フィーの身体を枯葉のように吹き飛ばした。

 

 

「──ッッ!! ヘイムダルッ!」

 

 意識をなくしたフィーをライのペルソナが受け止める。

 だが、誰がどう見ても重傷だった。ライは再びARCUSを起動して応急処置を試みる。

 島の中央では再び動き始めるロゴス=ゾーエー。動けないライでは、逃げる事もフィーを守る事も出来はしない。ライ自身も既に精神力を尽きかけているが、もう手段を選んではいられなかった。

 

 ライは歯を食いしばる。炎が駄目ならば、物理的にこの氷柱を叩き壊す! 

 ヘイムダルの大槌が振り上げられ、そして、──轟音。

 

 ライの右腕ごと氷柱を粉々に叩き割った。

 骨をすり鉢で砕いたような激痛が脳に突き刺さる。恐らくは、見るに堪えない程にグロテスクな状態になっている事だろう。

 

 ……だが、これで自由になった。

 ライは防御を捨て前方へと躍り出る。最早、敵の攻撃を避けられる程の体力も気力も残されていない。その中で取れる手段など限られているのだ。

 

 

『決死の特攻でもするつもりか。──良いだろう。その意志に準じてみせよ』

 

 

 ライの身体が2度、大きく揺れた。

 

 胸と肩が熱い。

 自身の身体を見るとそこには純白の腕が2本貫通していた。

 

 ロゴス=ゾーエーの腕に貫かれたのだと、ライはようやく思い至った。肺を貫かれたのか、口からは息の代わりに血が溢れ出す。急速に熱を失っていく体。それでもライは痛みすら感じなくなった四肢に力を込めて、ARCUSを懐から取り出した。

 

(……ARCUS、駆動)

 

 再び身体を覆うティアラの光。貫かれたままの傷口を癒し、血の流血を抑える。

 

『無駄だ。その程度の回復魔法は意味を成さない』

 

 分かっている。

 少しの時間さえ稼げればそれでいい。

 

『汝の意図は分かっている。動かぬ己が身を犠牲にして少女を救おうとするか』

 

 ……確かにフィーから注意を逸らす事も狙いの1つだ。

 

 だが、ロゴス=ゾーエーは1つだけ勘違いをしている。

 ライは決して自身の身を犠牲にした訳でない。ライはまだ、勝利を諦めた訳ではない。

 

(ペル、ソ、ナ……!)

 

 かつて旧校舎の中で真田明彦が言っていた。ペルソナは死を強く意識した際に出力を高めるのだと。──今、ライはどこまでも強く死を身近に感じている。

 

 ライは震える左手を握りしめ、ペルソナを呼び出した。

 

 普通に召喚しただけならば、周囲の天使像に迎撃されて終わりだろう。

 だが、今回ペルソナ召喚の光が現れたのはロゴス=ゾーエーの直近であった。

 

 以前、サラにも使った手だ。

 小型のペルソナを用いた奇襲作戦。神の目前でチェンジし現れたヘイムダルの一撃は、例え時間を遅くしようともロゴス=ゾーエーを打ち砕く……! 

 

 

『──そうか。汝はまだ、未来を諦めきれぬと言うのか』

 

 

 砕け散った青き結晶。

 ヘイムダルは無残にも打ち倒される。

 

 

 天使像は間に合わなかった。ロゴス=ゾーエーの両手もライを貫いたまま。……ヘイムダルを砕いたのは、ロゴス=ゾーエーの丸い胴体から現れた”もう2本の腕”だ。

 

『愚かなる者よ。未来を欲する者よ。……ならば、汝に与えよう。未来に待ち受ける絶対の運命、即ち”死”を……!』

 

 新たに出現したもう2本の腕がライの身体に狙いを定める。

 非生物的な2対の腕を携える光景は、正しく超越した存在だと言えるだろう。

 

 だが、ライはその姿に強烈な既視感を覚えていた。

 

(4本、腕……?)

 

 何処かで見たシルエット。

 

 そんな意識を最後に。

 ずぶりと、ライの心臓と頭部を貫いた。

 

 

 

 ──暗転。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「ん……」

 

 フィーは朧げに意識を取り戻す。

 焦点が定まらない中で見た光景は、大きなクレーターのある砂浜と美しい夜空。どうやら夜まで寝てしまっていたらしい。ぼんやりとした思考のフィーは何気なく立ち上がろうとする。

 

 しかし、フィーは再び地面に倒れ伏してしまった。折れ曲がった片足。あばら骨も何本も折れているのか、呼吸をするたびに痛みが走る。

 

「……ぅ、ぁ……」

 

 フィーは仰向けに寝っ転がった。

 全身の骨にひびが入ってるんじゃないかと疑うくらいに痛んでいたが、生きている。それだけは疑いようのない事実だ。

 

(そういえば、ライは……? それにあの神って存在も見当たらない)

 

 島と同化していたロゴス=ゾーエーはいつの間にか消えていた。残されているのは激しい戦闘の痕跡と、乱立する氷の残骸。後は赤黒い何かだろうか。……赤黒い何か? 

 

(あれって、──ライ!?)

 

 微かに灰色の髪を目にしたフィーは、痛みも忘れてライの元へと向かった。動かない足を引きずって、少しずつ、少しずつ。

 

 ……だが、姿が鮮明に見える程に近づいたフィーは気づいてしまった。

 地面に広がるおびただしい量の血の跡。肺と心臓、肩、頭部に空いた風穴。ぐちゃぐちゃに潰れた右腕。到底生きていられる筈のない状況である事に。

 

 それでもフィーは近づいた。固まりかけた血の池も気にせず、ライの左手首に指を当てる。

 

 最早、動脈を確かめるまでもなかった。

 ライの身体はもう既に、氷のように冷たくなっていたのだから。

 

 フィーの表情が暗くなる。血の池に沈んだライを見て思い出すのは、父のように慕っていたルトガー・クラウゼルの死であった。いくら死体に慣れていようとも、親しくなった者の死は心に深く突き刺さる。

 

 そのまま幾ばくかの時間が経過して、フィーはゆっくりと手を動かし始めた。

 時間が0時を回ればまた、全てがなかった事になるかも知れない。それでも、前を見据えたまま息絶えたライの瞳を閉じる事くらいはした方が良いだろう。そう考えたフィーはライの顔へと手の平を伸ばし、

 

 その途中で動きを止めた。

 

(……えっ?)

 

 胸に空いた穴の中からは、本来なら人にある筈のない物体が顔を覗かせていたのだ。

 月のような光を放つ”鍵”のような青い結晶体。そして、鍵に寄り添うようにとまっている”黄金の蝶”。人の体内にあっていい筈のない2つの異物を目撃したフィーは、思わず己が目を疑ってしまう。

 

 

 ──かくして、また、6月28日が終わりを告げた。

 

 

 




運命:エンプーサ
耐性:疾風・電撃耐性、火炎弱点
スキル:ローグロウ、ラクカジャ、マハガル
 雌カマキリの名を持つギリシア神話の怪物であり、魔女の女王ヘカーテの従者。ロバ、雄牛、犬、美女と様々なものに化ける能力を有しており、誘惑した男の血を啜ると言われている。罵詈雑言に弱い。

女帝:ハリティー
耐性:破魔耐性、疾風弱点
スキル:エンジェルアロー、エナジーシャワー、ジオンガ
 インド神話に登場する女神。神々に対立するヤクシニーの1人であり、日本においては鬼子母神として知られている。仏教に帰依してからは子育ての神として信仰されるようになった。


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51話「逆転の鍵」

 ――掠れ切った意識の中、ライはいつの間にか真っ暗な世界に浮かんでいた。

 

 まるで暗い深海に沈んでいる様に。

 体はピクリとも動かず、体の芯から凍りついたと錯覚する程に冷え切ってしまっている。

 

 ここはどこだ? と、ライは独り言を呟こうとした。

 けれども言葉は出てこない。声になる筈だった空気は、何度息を吸い込もうとも肺に溜まらず逃げていく。

 

 ……そう、ライの胸には大きな風穴が空いていたのだ。

 

 肺や心臓を貫通する大穴を見たライは、ああ、そう言えば、殺されてしまったのだったかと1人納得する。ならばここは死後の世界か? 心まで凍てつきそうな暗闇の中で、段々と意識も薄れていく。

 

 

『――瞳を開けたまえ』

 

 

 ふと、誰かの声が聞こえた気がした。

 

『君はこのまま夢の半ばで倒れてしまうのかね? さあ、瞳を開けたまえ』

 

 瞳を? ……もしかして、この暗闇は、単に目を閉じていただけなのだろうか。

 

 だとしたら答えは1つだけ。

 ライはグチャグチャに潰れてしまった脳を働かし、無理矢理に重いまぶたを開けた。

 

 霞んだ視界に光が入る。

 瞳を開けたライが目にしたのは、幾万幾億もの星々が輝く、広大な銀河であった。

 

 ライが浮かんでいたのは宇宙のど真ん中。その果てしなく壮大な光景に呑み込まれてしまいそうな錯覚に陥る。そんな中、ふと、ライの前を金色の蝶が横切った。

 

(黄金の、蝶……?)

 

 宇宙の中に蝶とは酷く場違いな光景だ。光り輝く鱗粉を振りまき飛び回る金色の蝶は、次第に光に包まれて人の形へと変貌する。

 

『ようこそ、意識と無意識の狭間へ……。私はフィレモン、お忘れかな?』

 

 それは白いスーツを着たフィレモンと名乗る男であった。

 ライに対し親しげに話しかけてくる様子から察するに、以前彼と会った事があるのだろうか。……思い出せない。鋭い痛みが頭を駆け巡る。

 

『戸惑うのも無理はない。君は全てを忘れ去ってしまった。その過去は君にとって並びなき宝玉に映る事だろう。……だが、今の君が真に欲するは果たして過去の出来事かな?』

 

 ――違う。

 

 ライのすべき事は全力で前に進む事。

 今欲するべきはロゴス=ゾーエー攻略の道筋。

 

 それだけだ。

 

『そう、欲求に惑わされず己が道を貫く意志もまた、人が持つ可能性の1つだ。――ならば私も君の意志に応じて、細やかながら手助けをするとしよう』

 

 そう言ってフィレモンは4本の鍵を取り出した。

 不可思議な光を放つそれらの中から1本を選び取り、無重力な宇宙に差し込むような動作をする。

 

 ーーガチャリ、と鍵を開ける音。

 

 すると、ライの眼前に世界を隔てるような12の扉が出現した。 ローマ数字でIからXIIまでの刻印がされた青い扉は、内5つが開いたままになっている。

 

 フィレモンはその開いた扉の1つを指差してライに高々と謳いあげた。

 

『さあ、しかと見たまえ。君に残された可能性の姿を……!』

 

 扉の先に見える光景は小さな船が浮かぶ大海原。

 ライの視界は既に霞んでいたが、船の上に浮かぶブラギの姿は見間違えようもない。

 

(……あれは、エリオット?)

 

 ライは残るの力を込めて扉の向こうへと焦点を合わせる。

 船の上に見える人影は全部で4人。その内船を動かしている村長を除けば、エリオット、ラウラ、マキアス。ライと共にいたB班の全員がそこにいた。

 

 ”――エリオット! 2人はまだ見つからないかっ!?”

 ”う、ううん、まだ反応がない……”

 

 エリオットは疲れた精神を押してまでアナライズに集中し、ラウラも重苦しい表情で海を見渡している。そんな2人を気に掛けているマキアスも似たような様子だ。……そう、ロゴス=ゾーエーの作り上げた虚構に抗おうとしていたのは、何もライとフィーだけではなかった。

 

 ”だが、ここでただ待ち続ける事など……!”

 ”君の気持ちも分かる! だが、まずは落ち着いて座りたまえ!”

 

『暗闇を照らすきっかけは確かに存在している。明日への光明は世界の外側に。……さて、君はどうするのかな?』

 

 それを見たライの手には、いつの間にか痛いほど力が込められていた。

 胸に風穴が空いていようと関係ない。頭が吹き飛ばされた程度で止まってたまるか。ライには求める未来があり、願いを共有する者達が待っている。答えなどそれだけで十分だ。

 

『それで良い……。幾たび失敗しようとも、過去を振り返り、未来を掴もうとするのが人の(さが)。諸君らの強き意思こそが、唯一夢を掴む可能性となる事だろう』

 

 フィレモンは、己が両足で立つライに向けて先程使用した”鍵”を差し出す。

 

『さあ、世界の扉を守りし者よ。門番たるペルソナを宿す者よ。この鍵を用いて道を開きたまえ』

 

 それは月のような青い輝きを放ち、結晶のように透き通っている。

 まるで”黄昏の羽根”のようだとライは感じた。

 

『臆する事はない。この鍵は元々君の”内側”にあったものだ。……これはかつて頼城葛葉が辿り着いた”命の答え”そのもの。世界の壁を乗り越え、意識と無意識の境界をも繋げる力。君ならば、この鍵の使い方も知っている筈だ』

 

 フィレモンから鍵を受け取ったライは、再度、手の内に握られた鍵を凝視した。

 

 ……ああ、確かに知っている。

 何故ならばライは、既にこの青色の鍵を何度も使っていたのだから。

 

 手に収められていたのはARCUS。そう、フィレモンの言う”鍵の使い方”とは即ち――

 

 ライは己の戦術オーブメントを構えて、世界を隔てるような青い扉に向き直る。

 一斉に開かれる残りの扉。その先に見える仲間たちに目がけてARCUSを起動させた。

 

 

 ――リンク――

 

 

 今ここに世界を越えて、 扉の先にあるエリオット達のARCUSと共鳴する。

 ARCUSから漏れ出した共鳴の光。それは際限なく増大し、ライの意識をも飲み込んでいく。

 

『……今の君ならば、ワイルドの持つ真の力にも辿り着ける事だろう。諸君らの心がもたらす未来を、私は内側から見守っているよ』

 

 光に包まれた世界の中で、木霊するフィレモンの言葉。

 ライはその意味を確かめる間もなく、光の中へと意識が溶けて消えていった。

 

 …………

 

 ……

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

《……―…》

《…………ーー……ー……》

 

 ――6月28日の朝。空回る島。

 

 目を覚ますと、ライは真っ白な砂浜の上に倒れていた。

 冷たい波が頬を撫で、暖かな日差しがライの背中に降り注ぐ。もう慣れた状況だ。おもむろに右手をついて立ち上がったライは、そこで右手の怪我がなくなっている事に気がついた。胸の風穴も綺麗さっぱり消え去っている。

 

(空回りの影響か)

 

 記憶以外の全てが巻き戻るこの空間では、死んだ事すらも帳消しになる。結果として異変に救われてしまった事実に、ライは喜んでいいのか複雑な気分になった。

 

 と、そんな時、後方から砂を踏む音が。

 

「――ライっ」

 

 振り返るとフィーが足を引きずりながらも駆け寄って来ていた。

 時間が巻き戻った直後は意識も曖昧で、それ故にフィーの身体も大きく揺れている。あと1歩、そこまで来た段階でフィーは足をもつらせ、ぱたんとライに倒れて来た。

 

「……大丈夫?」

「それはこっちの台詞だ」

 

 朧げに揺れる瞳のまま見上げてくるフィーを見て、ライは率直な感想を漏らした。

 傍から見れば、無理に動いたフィーの方が危うい様子だろう。けれども、そこまで心配してくれたと言うのもまた事実。ライは離れたフィーに向けて「ありがとう」と呟いた。

 

「本当に大丈夫? 体の中とかに違和感は?」

「……そこまで酷い状況だったか?」

 

 ん、とフィーは力強く頷いた。

 

 無言の圧力を受けて己の頭に手を当てるライ。頭を貫かれた痛みやドロリと垂れる脳髄の感覚は今も鮮明に思い返せるものの、今はもう何の違和感もない。ならば気にする必要もないだろうと視線をフィーに戻すと、黄色く大きな瞳がライをじぃーっと見つめていた。

 

「どうした?」

「……光ってる」

「ん? ああこれか」

 

 ライは懐からARCUSを取り出す。

 今もなお共鳴の光を放っている動力オーブメントは、フィレモンとの対話が夢でなかったと言う証拠だろう。しかし、一瞬宙を見たライは、強引に話を進めた。

 

「話は後だ。奴が現れる前に作戦会議をしよう」

 

 今この瞬間もロゴス=ゾーエーはライ達を観察しているのだ。戦意が尽きていないと判断されれば、また同じ結末を辿ってしまう事になる。

 

 その事を察したフィーも、真剣な表情になって頷いた。

 

「まず、シャドウの腕に捕まった俺達は異空間に存在する孤島に流れ着いた」

「……ライ、そこまで確認する必要あるの?」

「必要だ。――この孤島は0時を回ると日付が巻き戻ってしまう。原因は失踪者達の”明日を見たくない”と言う総意。けれども、そう仕向けたのは”神”を名乗るロゴス=ゾーエーと言う存在だ」

 

 それからライは、ロゴス=ゾーエーとの戦いを順を追って言葉に纏めた。

 

 氷山のように巨大な氷結魔法を放つ10体の天使像。時間の速度を半分ほどにまで遅くする力。そして、フィーの意識を刈り取った神の鉄槌(ゴッドハンド)

 口にすればする程、ライ達に勝機は薄いのだと理解させられる。

 

「転機になったのは、私たちが時間操作に捕まった時かな。それまでは何とか避けられてたけど、一度怪我を負ってからは避ける余裕もなくなってた」

「つまり、神と戦うには一撃も食らっちゃいけないのか……」

 

 ロゴス=ゾーエーにターンを、いや1呼吸(ブレス)ですら渡してはいけない。それがどんなに困難な条件であるか、最早言うまでもないだろう。

 

 だが、その攻略法を話し合おうとした瞬間、神々しい光が孤島を包み込んだ。

 

 ……どうやら時間切れらしい。

 青空を切り裂いて降臨するは全長数十mはありそうな純白の神像。

 大気が軋み、透き通った海がうねりを増す中、ライは静かに拳を握りしめる。

 

『――やはり、一度死んだ程度では諦めないか』

 

 ロゴス=ゾーエーの男女が混ざり合った様な声は無機質なものであったが、どこか落胆した雰囲気だ。

 

 言うなればそれは神の慈悲とでも言うのだろうか。あの神は今も尚、ライ達の魂を永遠の安息へと導こうとしていた。が、ライも素直に応じるつもりはない。

 

「当然だ」

『ああ、何と罪深き魂であろうか。1年の時を経ても尚、不確かな未来に希望を抱く……。肉体の牢に囚われたままの汝らに、死や別れを約束された人間には限界があると何故気づかない』

 

(……1年の時?)

 

 気がかりな単語が聞こえたが、今は聞き返す余裕もない。

 対策も出来ていない現状では一斉攻撃を食らったら終わりだ。今は会話を途切らせない様に、慎重に言葉を選ばなければ。

 

「確かに限界はある。けど、それを決めるのはお前じゃない」

『限界を決めるのは己自身だとでも言うのか? ……愚かな。その不完全な希望こそが人々を惑わせ、破滅の運命へと導いていく。無知なる者の希望など、危うき妄言に過ぎないと知れ』

 

 ロゴス=ゾーエーの2対の視線が、小柄なフィーへと向かう。

 

『フィー・クラウゼルよ。汝もまた別れや変化に恐怖を覚え、変わらぬ永遠を望んでいた筈だ。今、汝を突き動かしている衝動はライ・アスガードに惑わされた偽物に過ぎない。――思い返せ。汝が真に望んだ幸福が何であるのかを……!』

「ん、ライに惑わされたってのは間違いないかもね。……でも、私の幸せをかってに決めないで」

『悪に満ちたあの世界に戻って何になる。危うき希望も、猟兵と言う名の強迫観念も、汝の幸福を妨げているだけの足枷だ』

 

 神の言葉がフィーの心に突き刺さった。

 猟兵と言う名の仮面(ペルソナ)を被り、自身の心にすら目を逸らしてしまっていたフィー。信念も言い換えれば己の影を抑え込んでいただけだ、と言われているように感じた。

 

 フィーの心臓が痛い程に早打つ。

 まるで自分自身を責め立てるかのような圧迫感に襲われる。

 

 ……だが、フィーはもう目を逸らさないと決めたのだ。

 

 置き去られた悲しみからも。

 不安に駆られてしまうラウラとの関係からも。

 

 そして何より、自分自身の心からは絶対に……!

 

「猟兵なんて関係ない。私は何でもないフィー・クラウゼルとして島の外に出るつもり」

 

 フィーの勢いは止まらなかった。

 あの時、もう1人のフィーに言った様に。自分に言い聞かせる様に言葉を紡ぐ。

 

「家族のみんながいなくなったなら探せばいい。仲直りできないなんて決まった訳じゃない。――そんな未来に私も賭けたい」

 

 これこそが今のフィーが抱く願いだ。

 仮面を外した先に隠されていた、何でもない少女としての想い。

 例えそれが感化されたものだろうと関係ない。例え相手が神であろうとも否定はさせないと、フィーは強い瞳でロゴス=ゾーエーを睨み付ける。

 

『……良かろう。ならば、我らが全霊を持って汝らが意志を消し去り、充満たる永遠へと誘おうぞ』

 

 ライ達をそのまま救済する事は不可能。そう判断したロゴス=ゾーエーは、冷徹な言霊を響かせて、周囲の天使像へと命じる。

 

 ――同時に展開される10の氷結魔法。

 辺り一帯に氷の粒が生まれ、同時に海の水が凍り始める。

 

 肌に張り付く冷たさを感じたフィーは即座にディースを呼び出し、ライを連れて即座に攻撃圏を離脱。氷山に呑み込まれた海辺を後ろ目で見ながら、フィーは申し訳なさそうに眉を下げてライを見た。

 

「ごめん、話を途切らせちゃった」

「……いや、ファインプレーだ」

 

 しかし、フィーの様子とは正反対に、ライは不敵な微笑みを浮かべていた。

 

 戦局は前回の焼きまわしだ。

 無差別に放たれた氷の柱の数々を素早く旋回して躱すディース。フィーのスカート端が凍り付いてしまう程にすれすれを切り抜けている現状はそう長く続かないだろう。このままでは力尽き、また全身を貫かれてしまうかも知れない。

 

 だが、何も恐れる事はない。

 道を開く鍵は、今まさにフィーの言葉によって揃ったのだ。

 

 目まぐるしく天地が入れ替わる中、ライはARCUSを取り出して言葉を紡ぐ。

 

 

「聞いたかラウラ。約束は確かに守ったぞ」

 

《……ああ、しかと聞かせて貰った!》

 

 脳裏に響く凛とした声。

 え、と目を丸くするフィーの目の前で、ライのARCUSから放たれた光が幾重にも折り重なってベールを形成する。

 

 それは、ライがフィーに辿り着いた際にも見られた光景。

 別次元に並立していた孤島の壁を飛び越えて、出会う筈のない2人を結びつけた扉。

 

 そんな光のベールを超えて飛び出したのは、全長3mもの長さを誇る剣を携えた巨大な戦乙女だった。金属製のガントレットを鳴らして大剣を握りしめる。

 

 ――刹那、轟音。

 

 振るわれた一撃によって周囲に舞う氷塊が、更には天使像の半数までもが力任せに両断された。上下に2分され流動する大気。景色を一変させた戦乙女は、まるで騎士が如く大剣を地に突き刺す。

 

 その傍らには、纏めた藍色の髪を靡かせた少女が堂々と佇んでいた。

 もう懐かしくすら感じる背中。迷いを振り切ったかの様にまっすぐ前を向くラウラを見て、フィーは呆然と固まる。

 

「……ラ、ウラ?」

「待たせたな、フィー」

 

 ラウラの声からは、以前の様な冷たさは感じられない。

 ゆっくりと、そしてしっかりと言葉を噛みしめ、ラウラは己が大剣を持ち上げた。

 

「今度こそ手を取って見せる。この剣に誓って、絶対に……!!」

 

 これは、全ての元凶たるロゴス=ゾーエーに対する宣戦布告。

 空回りする孤島の盤上はひっくり返されたのだ。

 

 

 ――かくして、神との死闘は次なる局面へと向かおうとしていた。

 

 

 

 

 



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52話「変わりゆく明日を求めて」改定版

大変長らくお待たせしました。


 ーー真っ青な大海原にポツンと浮かぶ船上で、空回りし続けるエリオット達を変えたのは細やかな光であった。

 独りでに輝きを放ち始めたエリオット、ラウラ、マキアスのARCUS。無論、今この場にいる3人が使ったと言う事実はない。

 

「こ、これはっ!?」

「待って! 今調べてみるから!」

 

 狼狽えるマキアスに向けてエリオットが叫ぶ。突然の異変。何が起こっているのか分からないと言った不安と、何か変えられるかも知れないと言う期待感。心臓を鷲掴みにされたかの様な感覚に襲われながらも、エリオットはARCUSの繋がりを辿り、向こう側の光景へと意識を集中させた。

 

 ノイズの向こう、小さな孤島がぼんやりと聴こえてくる。そこは現実の様で夢の様で、別次元に存在していると言われても不思議じゃない程に曖昧だ。

 

 そして、エリオット達のARCUSに接触した"何か"は、そんな孤島の砂浜に倒れていた。

 

「……え、ライ?」

「何っ!?」

 

 ガタンと立ち上がるラウラ。

 対面のエリオットは驚き慌てて、通信能力をラウラやマキアスに繋ぐ。

 

《――無事か!? 今どこにいる? それに、フィーは……!?》

《ま、待ちたまえ! それでは向こうも困るじゃないか。まずは周囲の状況を、……っと、そもそも聞こえているのか?》

 

 マキアスは半信半疑と言った様子でエリオットの顔を見る。この時、ライは声が聞こえたのか丁度目を覚ましていた。それを唯一観測していたエリオットは「多分」とあいまいに頷く。

 

 ……しかし、ライの様子はどうも変だった。

 戸惑う様子もなく、慣れた態度で体の確認をしている。見たところ漂流して目を覚ました状況だと言うのに、だ。

 

 そして今度はフィーがライに駆け寄って来た時、エリオットの混乱は頂点に達した。

 

(え? 普通に接してる?)

 

 ライとフィーは確か、赤い海に飲み込まれる前には接触が困難な関係であった筈だ。なのに今は倒れ込んでいも気にせず親身に話している。――まるでそう、既に何日も生活を共にした様な近さだ。

 

 声だけを聞いていたマキアス達も疑問には思ったが、それでも今は聞いている場合じゃないと通信を続けた。

 

《聞こえているのなら返事をしたまえ! そこはいったい何処なんだ!?》

『話は後だ。奴が現れる前に作戦会議をしよう』

 

 ライの鋭い声がタイミング良く投げ返される。フィーとの会話に偽装しつつも、マキアスの声に答えたかの様な強い声色。……もしや、何者かに監視されているのか? その考えが過ぎったエリオット達は、静かに2人の作戦会議を耳にする。

 

 ――状況は、エリオット達の想像していたより何倍も逼迫していた。

 

 繰り返す1日。

 元凶たる神の存在。

 

 特にその状況に追いやってしまったラウラは固く拳を握りしめた。

 何故、あの時手を伸ばせなかったのかと。何故、ラウラ自身がその孤島にいないのかと。身を焦がす程の後悔と無力感がラウラを責め立てる。自身が立っているのか座っているのかすら分からない。

 

 何が騎士だ。何が正道だ。

 

 虚しさと自己嫌悪でメチャクチャになりそうだった。

 

 ……しかしそんな彼女の耳に、とある少女の声が届く。

 

『猟兵なんて関係ない。私は何でもないフィー・クラウゼルとして島の外に出るつもり』

 

 ”何でもないフィー・クラウゼル”

 その一言を聞いたラウラの瞳が、はっと見開かれる。

 

『家族のみんながいなくなったなら探せばいい。仲直りできないなんて決まった訳じゃない。――そんな未来に私も賭けたい』

 

 それは、少女としてのフィーの願いであった。

 戦場の死神とすら呼ばれる猟兵には似つかわしくない言葉。それはすぅっとラウラの内に染みわたり、ラウラの心を縛っていた何かを少しずつ溶かしていく。

 

 今、向こう側にいる少女はいったい何なのか。

 

(私は……、私は……――!!)

 

 ラウラはいつの間にかARCUSを握りしめていた。

 

 心の迷いが消えていく。

 猟兵と言う名の虚飾がなくなった今、答えだって見つけられそうだ。

 

「……全く、融通が利かないな。私は」

 

 軽く自嘲の言葉を漏らすラウラ。結局のところ、この様なきっかけがなければ折り合いをつける事すらままならない。思えばケルディックの時も似たような理由だったか。後悔の念はいくらしても足りない程だ。

 

 

 ――だが、これで覚悟は決まった。

 

 悩み続ける時間はもう終わり。

 ラウラはARCUSを構え、自らの心の内へと意識を向けた。

 

「ARCUSよ。繋がっていると言うのなら、……導いてくれ、あの島へ!!」

 

 

 広大な海がしだいに滲み、ラウラは真っ白な世界を幻視する。

 

 

 いや、最早それは幻視などではない。

 気がつけば周囲にエリオット達の姿は消え、眼前には世界を隔てるような青き扉と、きらびやかなドレスを纏ったもう1人のラウラの姿が現れていた。

 

「……久しいな」

『ふふふっ。性懲りもなくまた来るなんて、何とも滑稽でみっともない方なのでしょうか』

 

 ラウラの感情を逆なでする様に嘲笑うもう1人のラウラ。その上品な言葉は所詮ハリボテだ。すぐさま崩れ去り、醜悪な素顔をラウラに晒す。

 

『ーー嗚呼っ! 見れば見るほどうんざりする程に滑稽だな。そなたは』

「…………」

『薄氷のような主義を振りかざし、自らの心を律することすら出来ていない。”ラウラは正義を全うする騎士であり悪を許さない”、か? …… そんな体たらくで恥ずかしいとは思わないのか? ねぇ思いませんか、私?』

 

 思い出したように取り付くろう影を見れば嫌でも実感させられる。

 上辺だけの正義。独りよがりな在り方。……自らのアイデンティティすら崩しかねないシャドウを前にしながらも、ラウラは表情を崩しはしない。

 

「ああ、私は未熟だった。猟兵という飾り文句に目を奪われ、フィーから目を逸らし続けていた」

『”だった?” ふふ、ふふふふ。そなたは何も成長してないな。その気取った態度、その騎士と言う”仮面”を外す勇気すらない! 怖いんでしょう? せっかく築いた建前が壊れてしまうのが!』

「……かも、知れないな。だが、1つだけ気づけた事がある」

 

 ラウラはARCUSを握りしめた手を胸に当て、もう1人の自分に向き直る。

 

「私はとうの昔にフィーを認めていたのだ。1人の友人として接していたいと、そう願っていた」

『何を言うつもり? その為ならば、正道をも捨てると?』

 

 違う、とラウラは髪を左右に揺らす。

 

「私はフィーを助けたいと思った。歩み続ける友に答えたいと思った。――この思いは決して(シャドウ)にしてしまって良いものではない。友を救うための剣である事。それこそ偽りのない私の本心だ!」

 

 そう、正道である事を目的にしていた事が間違いであった。

 ラウラが被っていた騎士と言う名の仮面(ペルソナ)に固執する余り、自らの心にすら蓋をしてしまっていた。もう1人のラウラとは即ち、そんな自身への疑惑の念であったのだろう。

 

 ……ならば、もうこんな茶番はお終いだ。

 

「行くぞ、私よ! ――仮初の正道などではない、私だけの道を歩むために」

 

 ラウラは大剣を構え、もう1人のラウラに相対する。

 最早、彼女を拒絶する必要もない。己の影からも目を逸らさない覚悟を感じ取ったもう1人のラウラは、仮初の笑顔を消し去った。

 

『……ならば、見せてみよ』

 

 そう言ってもう1人のラウラは光へと還り、ラウラの胸の中へと溶けて消えていった。

 芯の底から湧き上がる力を肌で感じたラウラは大剣を握りしめた。

 

「ああ、己が意志に準じて見せよう」

 

 ラウラの両眼が見定めるは世界を隔てるような青き扉。己のシャドウが現れたその先には、青い鍵を手に掴んだ灰髪の青年が佇んでいた。

 

 和解を願い歩み続けていたクラスメイト。

 淀みなく立つライの背中は羨ましくもあり、同時に頼もしくも感じる。

 

《――聞いたかラウラ。約束は確かに守ったぞ》

 

「……ああ、しかと聞かせて貰った!」

 

 ラウラは駆けだした。

 世界を隔てる扉の”反対側”へ。

 

 光のベールへと飛び込んだラウラの周囲に群青の焔が溢れ出す。

 

「――ヴァルキュリア!」

 

 現れたるは光沢を放つ鎧姿の戦乙女。

 ラウラの意志を代弁するが如く出現したペルソナと共に、ラウラは空回る孤島へと降り立った。

 

 

◆◆◆

 

 

 

「ラウラ、なんでここに……?」

「そなたと同じだ。私は何でもない私として、そなたと共に在りたいと思った。理由などそれで十分だ」

「……ん、そうだね」

 

 フィーはまだ混乱しながらも、ラウラの隣に並び立つ。

 それとは逆に、ロゴス=ゾーエーは全てを理解したかの如くライを、正確にはライの持つARCUSの放つ”青い光”を見定めていた。

 

『異なる世界をも繋ぐ力。……汝、再び鍵の力を使ったのか』

 

 何故、この神がフィレモンに渡された鍵の存在を知っているかは関係ない。意識を逸らしていられる程、生温い相手ではない。

 

 ライは拳を強く握りしめ、鋭い瞳でロゴス=ゾーエーを射抜いた。

 

「これまで通りに行くと思うな」

『……思い上がりも甚だしい。例え天使像(デカス)の半数を屠ろうと、全人類の総意に個人の意志が届く筈もあるまい』

 

 遺憾だと、ロゴス=ゾーエーは無機質な声で呟いた。ただそれだけで空気が凍りつき、周囲の樹木が根こそぎ捻じ曲がる。

 

 常識外れな力。それを改めて肌で感じたライ達は急ぎ、全神経を一挙一動へと集中させた。

 どんな攻撃が来ても反応できる様に。1mmの変化すら見逃さない様に。……だが、神のスケールはライ達の想像を遥かに上回っていた。

 

『――人々は願った。天に瞬く星々、超常の神がもたらす救済を……!』

 

 突如、重い振動が地表を揺らす。

 地響きなどではなく、大気そのものが押し潰されたと錯覚してしまう程の悪寒。しかし、ロゴス=ゾーエーの周囲には何もない。頬に滴る冷や汗、強烈な危機感に苛まれる3人の意識にエリオットの叫びが木霊する。

 

《み、みんな! 空を、空を見てっ!!》

 

 焦るエリオットの声を聞いた3人は、反射的に上空を仰ぎ見る。

 

 そこには昼間にも関わらず何十もの星々が煌めいていた。段々と規模を増していく白い輝き。目を凝らしたライ達3人は、直ぐにそれが山の様に巨大な岩石である事に気がつく。

 

「い、隕石だと!?」

《馬鹿な! 滅茶苦茶にも程があるだろうっ!?》

 

 まるで終末の様な光景であった。ただの1つでさえ町を蹂躙しかねないメテオが何十も落ちてこようとしている。この孤島など、チリ1つ残れば幸運だと思える程だ。

 

『――アグネヤストラ。火神アグニの力を持って示されたと言う炎の矢だ。この試練、乗り越えられるものならば見せてみよ』

 

 圧倒的な光景を持って意志を挫くつもりなのか。全長数十mもの岩石が大気との摩擦熱で白熱し、チリチリと肌を焦がす熱量が危機感を煽る。

 

「エリオット、落下する時間は分かるか?」

《え、えと……、後90秒くらい、だと思う。ーーでもどうするのっ!? 逃げ場なんてどこにも!》

「落下前に本体を倒す」

 

 逃げる事も防ぐ事も出来ないのならば、それしか道はない。例え再び腕の攻撃圏内に入ってしまうとしても、臆する訳にはいかないのだ。

 

「待て!」

 

 だが、進もうとするライの背中を、ラウラの凛々しい声が呼び止めた。

 

 引き止めようとでも言うのか?

 疑惑の念を持って振り返ったライが目にしたのは2つのARCUSが奏でる詠唱の陣。ラウラとフィーが駆動させた導力魔法が3人を包み込み、身体の中へと染み込んでいく。

 

脚力強化(シルフィード)、それと速度強化《クロノドライブ》か……?)

 

 それら2種の魔法は共に行動面に影響を与える導力魔法だ。体が羽の様に軽い。手を握り開くと言った単純な動きですら変化を実感できる。

 何故?と困惑の視線を送るライ。そんな彼に向けてラウラは手を差し出した。

 

「そなた1人に危険を背負わせる訳なかろう。私はこの剣に、私自身の心に誓った。そなたの命だって必ずや護りきってみせる。……だから、共に行こう」

 

 その姿はかつてケルディックで見た背中と同じ、凛々しくも勇ましい騎士の佇まいであった。

 

 そしてもう1人。フィーも真剣な面持ちでラウラの手に自身の手を重ねる。

 

「私たちは一緒にこの世界を脱出する。そう決めた筈だよね」

 

 ライをじっと見つめてくる黄色の瞳。

 ……そうだ。何を恐れる必要がある。己の影を乗り越えた2人の少女。彼女らと一緒ならば、どんな壁だろうと不可能じゃない。

 

「ああ、行くぞ」

 

 ライも自身の手を2人の上に重ね、戦いの幕が切って落とされた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 地響きが如くうなる孤島の中、ライ達3人は森林を全速力で駆け抜ける。

 空からは燃え盛る巨大な岩石の球体、前方には無差別に広がる氷結魔法の前兆。

 3人はそれぞれ弾ける様に分散し、襲い掛かる氷刃を紙一重で回避する。

 

 神の座する島の中央まで、ギリギリだが辿り着ける。

 土を蹴り飛ばしながら3方から突撃するライ達。

 

 だが、その刹那、彼らの眼前に氷柱が降り注いだ。

 

「なっ! ブフダインで壁を!?」

 

 行く手を阻むように偏差的に展開された氷結魔法(ブフダイン)

 目の前に現れた絶対零度の塊を目にしたライ達は、即座に方向を反転し、可能な限り隕石から距離を取った。

 

 ――ほぼ同時に、1発目の隕石が着弾。

 衝撃波がライ達の体を吹き飛ばす。

 

「ぐっ」

「あぁっ!!」

 

 島が丸ごと爆ぜたかと錯覚するほどの衝撃がライ達を襲った。

 土煙が遥か上空まで立ち上り、青空を茶色に染め上げる。

 轟音が辺りに響き渡ること数秒。地面に積もった土山の中から、ゆっくりと3人の人間が上半身を起こす。

 

「大、丈夫か……?」

「……うん」

「かろうじて、だがな……」

 

 満身創痍で無事を確認し合うライ達。

 そんな彼らの耳に、エリオットの悲鳴に似た声が木霊する。

 

《みんな! もう次の隕石がっ!!》

 

 そう、既に次の隕石がだんだんと近づいていたのだ。

 

 この島に逃げ場などない。

 道は氷山で塞がれており、神を倒すには策も時間も足りていない。

 この絶体絶命の状況下で取り得る可能性を模索するライ。

 

 ……そんな彼の眼前に、ラウラの大剣が突き立てられた。

 

「ラウラ?」

「悪いが、ここから先は我らに任せて貰えないか」

 

 いつの間にか立ち上がっていたラウラが、フィーと視線を交しながらそう言った。

 フィーもまたライの横を通り過ぎ、迫りくる天災へと歩を進める。

 

「ライ。あの神に立ち向かうなら、ただ万全でいるだけじゃ足りない。……”万全を超えた状態”じゃないと立ち向かえない。だから――」

 

 2人は確信していた。

 このまま3人で戦っても辿り着くことさえ出来ない。だからこそ、

 

「その役目は任せたよ。この中で一番多くの手札を持ってるのはライ。私たちがその道をつくってみせる」

 

 ライに全てを賭けようと決めたのだ。

 その為の道を2人でつくるのだと。絶対にライを神の元へと送り届けると。

 

 フィー達の背中を見たライは、彼女らの覚悟を理解する。

 ならば、伝えるべき言葉はこれしかないだろう。

 

「頼む」

「ん、任された」

 

 フィーは僅かに口角を緩め、ラウラと共に天から落ちてくる数十mもの隕石に歩んでいく。

 ライはその背中を信じ、己に出来る準備へと意識を集中した。

 

「……ARCUS、駆動」

 

 必要なのは治療と強化。

 天から落ちてくる星々を目にしながら、ただひたすらに魔法を重ねていく。

 

 それだけがライに出来る全てであった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 地に落ちようとしている巨大な隕石の数々を前にして、ラウラとフィーは力強く地に足をつけて空を見上げていた。

 

 今まで一体誰が天災に正面から立ち向かおうと考えたのだろうか。周囲の葉や氷片が余波で吹き飛び、青かった空も熱波で赤く染まっている。全く正気の沙汰ではないと、不思議と笑いがこみ上げてくる程だ。

 

「……済まなかったな、フィー」

 

 そんな馬鹿げた状況だからか、ラウラの口から自然と言葉が漏れた。

 

「どうしたの? 突然」

「私はそなたを嫌うふりをしてしまっていた。騎士は猟兵の所業を許せないものだと、自身の在り方を肯定する為の道具にしてしまっていたのだ。本心ではそれが独善だと分かっていた筈なのにな」

 

 隕石が落下するまで後、数十秒。

 身体には先のダメージがまだ残っている。

 まさに危機的状況であるにも関わらず、ラウラの心は落ち着いていた。

 

 そして、隣に立つフィーも同じ様子だ。

 

「それは私もおんなじ。猟兵だからって心に蓋をして、初めから諦めてた」

 

 そう、2人の在り方は真逆でありながらも、その本質はとても似通っていた。

 騎士の仮面を被っていたラウラと猟兵の仮面を被っていたフィー。お互いがそれぞれの仮面に囚われて、今のままでいいのだと思い込んでいた。

 

「フッ、似たもの同士と言う訳か。――ならば話は簡単だ。まずは共に、あの飛来する巨岩を叩き割ろう!」

「ん。私たちならそれくらい訳ないね」

 

 大剣とナイフを構え、自らの心を奮い立たせる2人。

 

 ペルソナとは即ち精神の力。

 心の在り様が、その力にも影響を与えていく!

 

「「――ペルソナ!」」

 

 幾つかの隕石が地上に落下し爆風が孤島の森林を蹂躙する中、ラウラ達は正面から落ちてくる隕石に狙いを定める。

 

「フィー! 勢いを削いでくれ!!」

了解(ヤー)

 

 力を溜めるヴァルキュリアを背にディースが隕石へと疾走する。

 その両手に込められた熱波を振るい、放たれたヒートウェイブが隕石の表面に激突。

 

 ……だが、落下する質量が余りに大きすぎた。

 落下速度は変わらず、視界全体に隕石が迫ってくる。

 

「だったら!」

 

 フィーは粘土状の爆薬を全て取り出して放り投げる。

 同時にディースの巻き起こしたマハガルが爆薬を吹き飛ばし、隕石の表面へと容赦なく叩きつけた。爆薬を起爆させる条件は強い熱と衝撃だ。本来ならば雷管が担うべき役割を、フィーは無理矢理ここに再現した。

 

 オレンジ色の閃光。

 連鎖的な爆発が隕石の下方を覆いつくし、マハガルの暴風と合わせて僅かだが勢いを緩める。

 

「フィー、下がれ!」

 

 そして、フィーが生み出した僅かな時間によって漸くラウラの準備が完了した。

 ヴァルキュリアの構えた大剣に渦巻く溢れんばかりの奔流。その力を無意識に感じたラウラは、コンマ数秒で着弾する隕石をその双眸に捕らえる。

 

 ――刹那、つんざく様な衝撃が周囲に弾け飛んだ。

 

 チャージされ、倍以上の威力を発揮したヴァルキュリアの一撃と、巨大な隕石の質量とが拮抗する。岩肌に走る亀裂。ピシリ、またピシリと広がっていく一瞬が、やけに長く感じてしまう。

 

「これでも、まだ足りないのか……!?」

 

 刃の勢いが圧されていく。

 脳裏によぎる悪い予感。敗北の光景。

 心に芽生えた迷いが刃を曇らせ、隕石の熱波がラウラの身体を浮かす。

 

「――ラウラっ!」

 

 その背中をフィーが寸前のところで支えた。同時にディースが突撃し、ヴァルキュリアの援護をする。

 

「まだ何も終わってない。私たちは、まだ終われない」

「フィー。……ああ、そうだな」

 

 赤熱に染まった地獄絵図の中、2体のペルソナが神の矢に抗い続ける。

 こうなっては策など無用だ。意志と力の比べ合い。ならば、隕石なぞに負けてやる道理はない。

 

 フィーは諦めていた願いを求める為に。

 ラウラは果たせなかった意志を貫き通す為に。

 

 2人の信念を一点に、亀裂の入った中心へと叩き込む。それは一瞬だったか、それとも数秒だったかは分からない。ただ、拮抗する両者が対峙する中で、岩が崩壊する音をラウラ達は確かに聞いた。

 真っ二つに割れた十数mの破片が地表に突き刺さり、辺り一帯が砂煙に包まれる。その衝撃で吹き飛ばされたラウラとフィーは、上下左右も分からぬ中ロゴス=ゾーエーの言葉を耳にした。

 

『我らが裁きの1つを打ち破るとは……。だが、悲しきかな。汝らが力を合わせようと、その1つが汝らの限界である事に変わりない』

 

 天に浮かぶは何十もの隕石の大群。ラウラとフィーが打ち破った一撃は結局のところ、大海の中の一滴に過ぎない。

 

 けれども、2人の心は晴れやかだった。

 ラウラ達の目的は時間稼ぎと、神に続く最短経路を切り開く事。

 

 これで、ラウラ達の役目は達成したのだ。

 

「道は開いたぞ!」

「行って、ライっ!!」

 

 その瞬間、2人の間から弾丸の如き速度でライが飛び出した。

 幾重にも折り重なる魔法の光を身に纏い、宙に浮くラウラとフィーの武器を瞬きの合間に受け取って、両断された隕石の断面へと跳んでいく。

 

 残されたラウラとフィーの上空には、今まさに落下しようとしている多数の隕石群。

 かくして、少女達の意志は1人の背中にゆだねられた。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 全力を出し尽くして崩れ行くラウラとフィー。

 それでもライは決して振り返らず、彼女らが作り上げた隕石の坂を駆け上がる。

 

 これこそ彼女らが作り上げた突破口。

 この坂を使えば、氷山など簡単に跳び越えられる。

 

 ペルソナによる強化魔法と、ARCUSによる身体強化。

 2人の少女が稼いだ時間を用い、出来うる全てのドーピングをその身に叩き込んだライの身体能力は、既に常人の域を遥かに超えていた。

 

 勢いのまま十数m上空へと跳躍。

 遥か下方に乱立した氷山には目もくれず、上空に浮かぶ天使像へとラウラの大剣を突き立てた。その直後、周囲に浮遊する天使像が一斉にライを狙う。

 

 ”汝が心に芽生えしは剛毅のアルカナ。名は――”

 

「ラクシャーサ!」

 

 青空に走る3本の斬光。

 ライの背後の現れた赤色の幽鬼が2刀を振るい、目にも留まらぬ速度で天使像を両断した。

 

(全て倒す必要はない。道さえ開ければ――!)

 

 崩れ落ちる天使像を足場にして更に跳躍。

 遠方にいた像の眉間へとフィーのナイフを投擲し、バランスを崩した天使像の頭上に着地する。

 狙うはロゴス=ゾーエーただ1柱。その巨体へと跳び立とうとした瞬間、神の真っ白な瞳がライの姿を映しだした。

 

 ――奴の攻撃が来る。

 ライの直感がそう叫ぶ。

 

 何か方法はないのか?

 目視も困難な攻撃を躱す方法が!

 

 その時、ライの脳裏に隕石に立ち向かうラウラとフィーの姿が浮かび上がった。

 2つの力を重ね合わせ、壁を乗り越えた彼女らの雄姿。その在り方がライに可能性を与える。

 

(――力を、重ね合わせて……?)

 

 ドクン、と心臓が強く脈打った。

 

 スローに感じられる視界の中、無意識に応じるが如く唐突にベルベットルームを幻視する。

 幻の中で両手を広げ3枚のタロットカードを宙に浮かべているイゴール。その姿を模倣する様に、ライは即座に両手を左右へと広げた。

 

 ライの眼前に3枚のタロットカードが浮かび上がる。

 強烈な雷光、後方に八芒星の陣が生まれ、3枚のカードがトライアングルを描く。

 これこそ、フィレモンも言っていたワイルドの真の力。幾つものペルソナを重ね合わせ、新たなペルソナを作り出す。

 

 そう、真の力とは即ち――

 

「――合体!」

 

 恋愛、法王、魔術師。

 3枚のアルカナが1つに合わさったその瞬間、ライのいた空間は天使像ごと抉り取られた。

 現れたのは純白の槍。挙動すらも把握できない速度で、ロゴス=ゾーエーの腕が貫いたのだ。

 

《ライ! 大丈夫っ!?》

「……ああ」

 

 しかし、ライは寸前で躱していた。

 風圧で制服は破れ、肌はボロボロの血まみれになってしまっていたが、それでも五体満足だ。

 

 ライはロゴス=ゾーエーの腕を道にして、神の元へと駆けだす。

 

 追撃と言わんばかりに2本目の腕で突き穿つ神。

 しかし、その攻撃が放たれる”寸前”にライの体がヒトデの様な影に突き飛ばされ、結果としてロゴス=ゾーエーの攻撃はまた空振りとなった。

 

『……デカラビア。ソロモンの従える72柱の1つをその身に宿したか』

 

 青色の焔の中、高速で旋回しながら飛翔する1つ目の悪魔。

 3身合体により生まれたデカラビアの眼が、ロゴス=ゾーエーの物理的な攻撃を未来予知に等しい精度で見切ったのだ。

 

 ――真・物理見切り。

 そのスキルによって更なる攻撃を感知したライは即座に回転。

 危険範囲から脱した次の瞬間、2本の腕がライの左右を突き抜ける。

 

 ロゴス=ゾーエーまで後、数十m。

 神へと届く、その刹那。

 

『――人々は願った。終わりへと向かう”時間”からの脱却を』

 

 神の言霊が世界を従え、時計の針が再び歩を遅めた。

 

 空気や音、ロゴス=ゾーエーとライ達の意識を除く全ての動きがスローモーションの世界へと変貌する。神を両断せんと振り上げていた右手の大剣も同様に勢いを失う。

 

 まさにライ達の心を挫かんとするが如く、最後の最後でひっくり返される盤面。

 ……だが、しかし、

 

「ここ、で……、止めてく、ると、……思った」

 

 ライはこの行動を予測していた。

 ロゴス=ゾーエーの行動は決して慢心だけではない。ロゴス=ゾーエーは戦局を圧倒する筈の時間操作をあまり使おうとはしなかった。そして、以前ライ達を両腕で吹き飛ばした際、神の近くにいた天使像の動きは遅いままだったのだ。

 ――この2点から考えられる答えは1つ。神の時間操作には距離の限界と言う不完全さが隠されている。時間を巻き戻した存在を失踪者だと否定した事も、その証拠と言えるだろう。

 

 さらに言えば、果たしてこの神は気づいているのだろうか。

 何故、ここまでペルソナではなくライ自身が突撃してきたのか、その答えを――!

 

(――これが、最後の一手!)

 

 ライの左手に握られているARCUSから黒色の光が放たれる。

 直後、重なる様に時計の文様が浮かび上がり、体や大剣の動きが一瞬にして元の動きを始めた。

 

 神の力を打ち消した訳じゃない。

 導力魔法の力によって時間を瞬間的に引き延ばし、低下した時間を相殺したのだ。

 

 絆の力、ペルソナの力、……そして、ARCUSの力。

 これこそライの持ちうる全ての力。文字通りの全力を尽くしたからこそ遂に、全身全霊の刃が神へと届く!

 

 

 ――――轟音。

 

 ――勝敗を分かつ斬撃は一瞬だった。

 ロゴス=ゾーエーが対処するよりも一拍早く、強化した力を乗せて純白の体を縦に両断した。

 

 少しずつ崩れ落ち、光へと還っていく神像。

 大剣を振り下し地面に着地したライはふらりとバランスを崩した。失血に加え、強化魔法の効力が遂に尽きたのだろう。妙に重く感じてしまう体のまま振り返ったライは、そこで信じられない光景を目の当たりにする。

 

『時間を瞬間的に引き延ばし、我らが力を打ち消すか』

(――っ!?)

 

 崩れ去った筈の神はまだ生きていた。

 体躯の半分を失いつつも、平然とした様子でライに語り掛けてくる。

 

『その力、クロノバーストであろう。汝が手に戻っていようとは』

「……これは、ラウラの分だ」

 

 ライがこの孤島に流れ着いた際に失ったクォーツ。今、ライのARCUSに入れてあるものはラウラの持っていたクロノバーストである。恐らくはロゴス=ゾーエーが危険と判断して奪い取ったのだろう。だからこそ、この導力魔法が有効であると思い至り、突撃の際に受け取る事が出来た。

 

『人の身でありながら時の速度をも操る奇跡……。実に、”この世界”に流れる力は不可思議なものだ』

 

 神の言葉を聞きつつも、ライはその状況を見極める。

 男女の内、女性的な面だけが消えさった姿。4本腕の内2本が消えている光景を見れば、理由など明白だろう。

 

(……我”ら”、か)

 

 ロゴス=ゾーエー。ロゴスと、ゾーエー。始めからあの神は2柱が融合した存在だったのだ。半身を失った神は、消えゆく光を拾い上げライに見せつける。

 

『汝は永遠の生命(ゾーエー)を否定した。これにより、救われし者達は再び死へと足を踏み出さねばならなくなるだろう。……汝は彼らの幸福を破壊したのだ。これは万死に値する罪である』

 

 光の中には幸せそうな光景が広がっていた。

 ブリオニア島の宿屋に住んでいた少女と笑い合いながら料理を作る女性の姿。彼女はどこかで見たエプロンを着こなして、左右に立つ両親と一緒にただただ幸せそうにしていた。……そんな光景も、霞となって崩れ落ちる。

 

「罪なら背負ってやる。それでも、前に進むと決めたんだ」

『何故汝は未来に希望を抱く。未来が汝に何をもたらしたと言うのか』

 

 ゾーエーを失った半身であるロゴスは、ライの身体強化が切れていると知りつつも言葉を綴り続ける。……いや、知っているからこそ、か。ロゴスとは文字通り”言葉”を意味する名だ。伝え、説き、語る事こそがロゴスの存在理由なのだろう。

 

『汝が抱える悩みは全て、前に進もうとしたが故に生じたものだ。友も、故郷も、その記憶さえも! 明日さえ諦めれば手放さずに済んでいた。――考え直せ。未来とは決して汝の味方ではない』

 

 前に進むと言う事は終わりへと向かう事。家族を失ったフィーからも分かる様に、ロゴスの言葉は決して間違ってはいないのだろう。現に今、命すら失いかねない局面に立たされている。しかし、

 

「それでも……、前に進んだ事で手に入れたモノなら、ここにある」

 

 ライの意志は変わらない。

 

 対話が終わり、振り下されようとしたロゴスの両腕。

 だが、決してそれがライを貫くことはなかった。

 

「――ディース!」

「――ヴァルキュリア!」

 

 ライの左右に降り立った少女たちのペルソナが、ロゴスの体に1撃を食らわせたからだ。

 

 遠方にはクレーターの中、ボロボロの制服を身に纏って立ち上がるフィーとラウラの姿。共に佇むその光景こそが、ライの求めていた未来そのものであった。向き合いたくもない影と向き合って、これでいいと思っていた現状を壊して、彼女ら自身が変化を求めたからこそ辿り着けた光景。

 

 だからこそ、ここで終わらせる訳にはいかないのだ。

 

「「ライ!」」

 

「ああ! ――ヘイムダル!!」

 

 カードを砕き、ヘイムダルが青い焔を靡かせながらも飛翔する。

 ロゴスが腕を振るいディースとヴァルキュリアを粉砕する中、巨大な角笛を叩き込むヘイムダル。大槌は反響と共に弾け飛んだが、ヘイムダルは反射的に得物を手放し、僅かに出来た体の亀裂へと腕を潜り込ませた。

 

 ――アギラオ。

 ライの全精神力を用い、零距離火炎魔法をロゴスの内部へと放つ。もう一撃。さらに一撃。力を使い果たす勢いで放たれた炎が内部で暴れまわり、純白の体に幾つもの亀裂が走る。

 

 亀裂からは炎が溢れだし、内側から崩れ始めるロゴス。

 

 もう崩壊は全身まで広がっている。

 ……これで、勝敗は決した。

 

『やはり、不完全な依代(よりしろ)であるこの体では、救済の成就もままならない、か……』

 

 己が敗北を見つめたロゴスは、変わらぬ表情のまま静かに呟く。

 その心にあるのは諦めか。それとも別の何かか。

 

『だが、元来我らには生も死も存在しない。必ずや人々の魂を救済し、 肉体に囚われない充溢の世界(プレロマ)へと導こう……ぞ…………』

 

 最後まで言霊を呟き続けたロゴスは光へと還り、辺りは平和な静寂へと戻っていく。

 

 ゆったりとした雲の流れに、風に揺れる草木のざわめき。

 長い長い1日の終わりを感じ取ったライ達は、静かに肩の力を抜いて座り込むのであった。

 

 

 

 




剛毅:ヴァルキュリア
耐性:氷結耐性、疾風弱点
スキル:チャージ、剛殺斬、タルカジャ、カウンタ
 ヴァルキリー・ワルキューレとも呼ばれる戦場の勝敗や死を決める女性的な半神たちの総称。オーディンの命により、死者の中から勇敢な者を選び取り、天上のヴァルハラへと迎え入れる役割を担っている。

剛毅(ラウラ)
 そのアルカナが示すは力や勇気。正位置では強固な意志を示しているものの、逆位置になると優柔不断を意味してしまう。絵柄にはライオンの口を押さえる女性が描かれているが、ライオンの暗示とは即ち”本能”。無視できない程の存在となった無意識の暗示であり、それを押さえる女性も含め、ラウラの精神的な葛藤に通じるところがあるだろう。

剛毅:ラクシャーサ
耐性:物理耐性、氷結弱点
スキル:キルラッシュ、攻撃の心得、疾風斬
 インド神話の叙事詩「ラーマーヤナ」に登場する悪鬼の一族。以前は精霊として崇められていたが、人を惑わし血肉を食らう魔物として描かれる事が多い。仏教において破壊と滅亡を司る神である羅刹は、ラクシャーサが中国に渡った際につけられた訳語である。

愚者:デカラビア
耐性:電撃・光無効、疾風耐性、物理弱点
スキル:メギド、真・物理見切り、淀んだ空気、メパトラ、バルザック、小気功
 ソロモンが封じた72柱の序列69位。30の軍勢を統べる地獄の大侯爵とも、王にして伯爵とも言われている。召喚された際は五芒星の姿をしているが人の姿に変化する事も可能であり、薬草や鉱物の効能に精通している。

――――――――
カジャ積み込みは基本。これアトラスゲーの常識だから。
まぁ軌跡シリーズも割とそうなんですけどね。倍率ドンです。


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53話「永遠の終わり」

 涼やかな青海の孤島、戦いを終えたライは気力を使い果たして大地に背を預けた。

 

 周囲に広がる光景は焼け焦げたクレーター、岩石の破片、分厚い氷に飲み込まれた氷河期の森林。どこも見ても終末的な惨状であったが、穏やかな静寂がライを包み込み、永遠に繰り返す1日の終わりを告げてくれる。

 

 ――終わった。

 そう、終わったのだ

 

 しかし、それを実感しても尚、ライの心が晴れる事はなかった。元凶となる神はもういない。だが、この胸に引っかかる違和感は何なのだろうか。何かを見落としているような胸騒ぎが消えない。だからこそライは瞳を閉じて深く考えを巡らせていた。

 

「――生きてる?」

 

 しかし、そんなライの思考を物静かな少女の声が遮

 ゆっくりとまぶたを開けると、目の前にはすすけた銀色の髪と黄色い瞳。要するにフィーが真上からライの顔を覗き込んでいたのだ。

 

「死んでる様に見えるか?」

「ん」

 

 冗談混じりの返し言葉に全力で頷かれてしまった。

 そこまで大怪我だったか?とライは急ぎ起き上がって身体の怪我を見渡す。……確かにデカラビアの物理弱点の影響で傷だらけではあったが、死に繋がる程の出血量ではない。

 

「冗談だよ」

「……心臓に悪い」

「む、それはこっちのセリフ。前みたいに倒れてたら私だって心配する」

「前?」

 

 いったい何時の事だろうか?とライは鉄仮面のような表情の下で思い返すが、いくら考えても答えは出てこない。ライはその言葉の意味をフィーに問おうと口を開く。

 

 しかし、

 

「ーー本当に、よかった」

 

 柔らかに呟くフィーの声を聴いたライは、何もしゃべる事が出来なかった。

 ……何も聞かずとも分かってしまった。彼女が言わんとしているのがライの知らない死後の光景であった事を。家族の死をきっかけに多くを失った少女に、また影を落としてしまう状況であった事を。

 

 そうだ、何を悩む必要がある?

 こうして誰一人欠ける事なく乗り越えることが出来た。それで十分じゃないか。

 

 ライは落ち着いた心でゆっくりと空を見上げた。

 青い偽物の空は少しずつ剥がれ落ち、その奥からは現実世界と思しき光景が顔を覗かせている。もうじきライ達もこの世界を脱し、まだ見ぬ明日へと歩を進める事だろう。そして、ブリオニア島で出会った少女の姉も。他の失踪者たちもまた――

 

 ……――失踪者も?

 

(そう言う、事か……)

 

 幻想の孤島が消える寸前、ライは違和感の正体に気がついた。

 

 いや、なぜ今まで気づかなかったのか。

 ラウラ達の様子を見るに、ライとフィーは紛れもなく6月28日を繰り返し過ごしていた。ならば、ライ達よりも過去の時間軸で囚われた失踪者たちは、いったい何日の時間を過ごしていた? 取り込まれるまでの数日か、それとも永遠か。……どちらにせよ、断言できる事が1つだけあるだろう。

 

 ――そこまで辿り着いた次の瞬間、ライ達は遺跡の点在する砂浜に座り込んでいた。

 

 穏やかな海が打ち寄せる海岸線。特徴的な石の遺跡はブリオニア島で何度も見てきたものだ。そして、眼前にそびえ立つ50mもあるだろう人型の像も、あの空回る島には存在していない。

 

 ”現実の世界に戻ってきた”

 

 そう認識したライは即座に周囲を見渡す。

 周りにいるのはライ達3人を抜かせば28名の老若男女。一様に倒れている彼らは人数から見ても失踪者と見て間違いないだろう。ライは重い足に鞭打って立ち上がり、近場に倒れていた女性の首元に手を当てた。

 

(脈はある。ぼんやりとだが目も開いている。……けど)

 

 まるで影にでもなったように無気力で、反応を示さない……。

 

 ……そう、これが今回の結末だ。

 

 永遠の一日に飲み込まれた者達が無事な訳なかったのだ。

 

 そこに奇跡など起こる筈もなく。

 地に転がる失踪者たちは、誰一人として起き上がる事はなかった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 その後、見知らぬ遺跡にいたライ達3人はエリオットのペルソナによって位置を特定され、無事にブリオニア島の村へと戻ることが出来た。

 

 青々とした草木に囲まれた宿は懐かしくも感じたが、今日は6月28日。特別実習の最終日でもある。

 ライ達は感慨にふける暇もなく失踪者たちの事後処理で時間を使い果たし、気がつくと荷物を纏めて宿を出る時間となってしまった。

 

 今いるのは豪雨の中訪れた宿屋の入り口。

 昨日はあった筈の水たまりもすっかり蒸発している。そんな些細な変化でさえ目に止まってしまうライを他所に、村長が深々と頭を下げてきた。

 

「この度は大変助かりました。本当に、何とお礼を言ったら良いものか……」

 

 感慨深そうに、それでいて疲労に満ちた声色。……無理もない。ライとフィーが長い1日に挑み続けたように、彼もまた長い一ヶ月間をこの事件に費やして来たのだから。

 

「ん、その一言で十分。――だよね、ラウラ?」

「ああ。我らもまた、巻き込まれた当事者の1人に過ぎないからな」

 

 仲良さげに言葉を合わせるフィーとラウラだったが、村長は依然として「ですが」と頭を上げようとしない。流石に業を煮やしたのか、後方で眺めていたマキアスも口を挟んできた。

 

「お気持ちは察するが、そろそろ頭を上げてくれ給え。むしろ、僕らが船を出して頂いたお礼をするべきで――」

「――いえ、それでは私達の立つ瀬がない。せめてお礼の品だけでも……!」

「いやいや、僕らもそこまで大きな偉業をやった訳では」

「ん、確かにマキアスは何にもやってなかったね」

「フィー君っ!? 僕だって頑張ったんだぞ!? 暴走しがちなラウラ君を止めたり、それに――」

 

 マキアスが早口でぶつぶつ呟いていたが聞いている者はいなかった。

 彼はそんな星の下で生まれたのか定かではない。が、彼のそんな性分もまたある種のムードメーカーになり得るのだから、突っ込むのも野暮と言うものだ。いつの間にか頭を上げていた村長に向け、ラウラが姿勢正しく右手であるものを見せる。

 

「……何にせよ、マキアスの言葉も正しいだろう。礼を言うのは我らの方だ」

 

 それは黒く鈍い輝きを放つクロノバーストのクォーツだった。

 ライ達がロゴス=ゾーエーに立ち向かえた最後の一手。村長の好意で渡されていなければ勝てなかったと伝えると、ようやく彼も納得してくれたようだ。

 

「あの、1つ質問なんですけど、被害者の人たちってどうなるんですか?」

 

 と、そこで話の区切りを待っていたエリオットが、宿屋の奥を見ながら質問する。

 

 視線の先、宿屋のベットには失踪者だった何人かの観光客と、あの少女の姉が寝かされている。

 影のような廃人と化してしまった彼女らはどうなるのか。それを知らねば帰郷するライ達も締まりが悪いだろう。これも1つの礼だと、村長は重い口を開いた。

 

「資金のある者は医療の充実した海都オルディスに移されるでしょう。……しかし、この島で潤いのある者はそう多くない。多くはこの島で療養していく事になると思います」

「あっ」

 

 しまったとばかりにエリオットが口を塞ぐ。

 島の厳しい状況について聞いたのはつい昨日の事だ。怪事件が解決したとはいえ、状況は何1つとして変わってはいない。エレボニア帝国に渦巻く確執が消えることはないのだと、ライ達B班は嫌でも理解させられた。

 

「まあ心配する必要はございません。この辺境の地にも七曜教会はあります。教会に蓄えられた薬の知識や女神の加護があれば、いずれ意識も取り戻すことも不可能ではない筈だ」

 

 やや暗くなった空気を緩和するため、村長はくたびれた笑みを浮かべて会話を締めくくる。

 

「そろそろ、帰りの連絡船が出る時間です。次があれば是非、今度は観光地としてのブリオニア島を見せましょう」

「ええ、是非とも」

 

 ライは村長と短い握手を交わし、皆と共に船着き場へと足を向ける。

 

 短い筈が、異様に辛く長かった3日間。

 その記憶と傷跡を胸に帰ろうとしたその瞬間、宿の奥からどたばたと足音が聞こえてきた。

 

「あ、あのー!」

 

 振り返ると、宿の入り口に少女が立っていた。

 ライ達が訪れた嵐の晩のようにオロオロとした様子でライを見上げる少女。1つだけ違う点があるとするならば、少女は別に怯えている訳でもなく、両手を後ろ手に隠している事だろうか。

 

「えと、あの、……ありがとーございました!」

 

 目をつぶって差し出されたのは不格好なパンだった。

 2日目の朝に作ろうとしたものを、彼女なりの想いを込めて慌てて作ったのだろう。その手に取ったパンのぬくもりを感じ取り、ライは僅かだが笑みをこぼす。

 

(……俺よりも、数段上手いな)

 

 ありがとう、ライもそう返事を返して帰路へと歩いて行った。

 

 香ばしい麦の香りが口に広がる。

 いつの日か、あの少女がまたエプロンを身にまとい、姉と共に歩める時が来るのだろうか。知る由のない未来に思いをはせながら、ライ達はブリオニア島を後にした。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ――エレボニア帝国本土へと戻る連絡船。

 日の光が差し込む船内のある席の前に、B班は皆集合していた。

 

「……フィー、寝てるね」

 

 皆が眺める席には猫のように丸まって眠るフィーの姿。彼女は連絡船に乗って早々、一息ついた時には既に眠っていたのだ。

 

「全く、あんな事があったと言うのに何時も通りとはな」

「それも彼女の良い一面だろう。気にする事でもあるまい」

「……いや、それでも授業中に眠る事だけは止めて貰いたいのだが」

 

 普段のよく眠るフィーを知っているマキアス達は、やや呆れ混じりに会話を続けている。

 しかし、繰り返す時間を共にしていたライにとっては別の印象を受けていた。

 

「漸く安心できる状況になったんだ。寝かせてやってくれ」

 

 あの孤島で生活をする中で、フィーはあまり睡眠を取っていなかった。それ程までに繰り返す時間は大きな負担となっていたのだろう。……もしかすると、フィーがよく眠るのも戦場と言う緊張下で生活する知恵なのかも知れない。ライはそんな推測を頭に浮かべながらも、フィーの髪をゆっくりと撫でた。

 

 少女の小さな呼吸が響き、しばし、ゆっくりとした時間が流れる。

 

「――ライ、少し僕に時間をくれないか?」

 

 そんな中、マキアスがライ1人に聞こえるような音量で話しかけて来た。

 

「どうした?」

「…………」

 

 マキアスは何も答えず、船の外へと視線を動かす。

 外で話がしたい。その意図を察したライは静かに頷き、フィーを起こさぬように席を立った。

 

 ――真っ青な空と海が見える船外。

 遠目に大陸が見える船縁に手をついて、ライとマキアスは無言で景色を眺めていた。

 

「……君は、今回の事件をどう思う?」

「”どう”とは?」

「28名の失踪者は廃人になったままだ。ブリオニア島の置かれた状況も変わっていない。……結局、僕らは何も変える事が出来なかった。もっと僕に出来たことがあったんじゃないか?と思えてしまってね」

 

 ぼんやりと海を見てため息を漏らすマキアス。

 そうか、彼はそこまで気にしていたのか。

 

「気にするな。人には向き不向きがある」

「いや、別にフィー君の言葉を気にしてる訳じゃないからな! それとせめて否定してくれないかっ!!」

「悪い」

「謝らないでくれ! 全く君達は……、……それで、君はどう思ってるんだ?」

 

 真剣な目つきを向けてくるマキアス。

 どうやら、フィーの言葉を気にしている訳ではないらしい。

 

「正直、この道を選んだ俺も最善だったとは思えない」

 

 永遠の今を否定され、現実世界に引き戻された28名の失踪者達。自らの意志で外を目指したライ達とは異なり、彼らは最後まで意志に関係なく流されてしまっていた。その中には神の言葉通りに救われていた者もいた筈だ。二度と会えない家族と一緒に過ごし、不安を感じることもない理想郷。その幸せを引き裂き、辛い現実へと引き戻したのは間違いなくライ自身なのだ。その結果が廃人ともなれば、とてもじゃないが最善の選択をしたとは思えまい。

 

「けど、この結末を知ってても俺は同じ道を選んでいた。理想の結果が得られなかったとしても、背負っていくしかないさ」

「全力で、か? 本当に君はぶれないな」

 

 到底僕には真似できそうにない、とマキアスは空笑いを浮かべる。

 

「……正直に言うと、僕は一連の事件を、エレボニア帝国の現状を少し舐めていたみたいだ」

 

 1回目と2回目の実習をライとは別の班にいたマキアスにとって、シャドウとは単に攻撃の通用しない未知の魔物でしかなかった。そして、革新派と貴族派の対立もまた、マキアスにとっては身分による対立の延長線でしかなかった。

 

 ……だが、実際はどうだ?

 両者は共にこのエレボニア帝国に暗い影を落としてしまっている。単純な構造など何処にもなく、解決困難な糸が絡み合っているではないか。国内の対立が人々の生活や心を圧迫し、その影響がシャドウ事件や今回の失踪者に繋がってしまっている現状。それを知ったからこそ、マキアスはそのメガネの奥で答えのない悩みにうなされていた。

 

「……そろそろ、僕も逃げられないかも知れないな」

 

 彼の漏らした小声は波の音に消えていく。

 残されたのは静寂に戻った2人と海風。陸地もだんだんと近づて来ており、船旅の終わりを示していた。それを見たマキアスは、これで終わりと言わんばかりに身を翻す。

 

「さて、そろそろ戻ろうではないか。本土に着いたらすぐに列車へと行かねばならないしな」

「――いや、悪いが先に戻っててくれ」

 

 しかし、ライは彼に続かない。

 まだやり残している事があると言わんばかりに、その鋭い視線を操舵室へと注いでいた。

 

「む、何か用事でも?」

「1つ確認したい事がある」

「そうか。あまり遅くならいでくれよ」

「ああ」

 

 船内へと戻るマキアスを見送ったライは1人、船の操舵室へと向かう。

 2日前、ブリオニア島へと向かった時と同じように。

 

 残された謎を、確かめる為に。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「――2日前に連絡船を出したか、ですか?」

「ええ」

 

 操舵室へと辿り着いたライは舵を握る操舵手に向けそう質問した。

 操舵手は行きの時とは異なり、かなり年老いた男性だ。当然ながらライに面識はない。

 

 だが、ライはここの操舵手と面識がない事を既に知っていた。だからこそ、この場所に来たのだ。

 

「何ですか、いきなり」

「お答え出来ませんか?」

「いえ、そう言う訳ではありませんが……」

 

 顎に片手を当てた操舵手は一旦前を向く。

 海も穏やか。意識を逸らしても事故の危険はないだろうと判断したのか、操舵手の男はしぶしぶライの質問に答えた。

 

 

「2日前は1便も出しちゃいませんよ」

 

 

 その答えこそ、ライが確認したい内容であった。

 

「島があんな状況で雨も降ってたとあっちゃ、まともな乗客なんている筈ないですしねぇ。まっ、臨時休業って奴です」

「……そうでしたか」

 

 2日前。つまりはライ達がブリオニア島に訪れたあの日に、連絡船は一便も出ていない。

 そう、異変は島に訪れる前から始まっていたのだ。

 

 この事実にライが気づいたのは、失踪者達を村のベッドに運んでいた時の事だ。

 28名の失踪者の中にライはとある顔を見つけてしまった。くたびれた男性の姿、――即ち、行きの船で出会った筈の操舵手の姿を。

 

 村長の言葉が脳裏によぎる。

 確かあの時、宿屋の姉に関する話をしていた時、村長はこう言ってはいなかったか。

 

『本土からの帰路の最中に突然、連絡船ごと消息不明となりました』

『連絡船ごと?』

『ええ、連絡船が発見されたのはその2日後。"操舵手"含め、誰一人残ってはいませんでした。あの時は何らかの事故に巻き込まれたと考えていたのですが……』

 

 姉がロゴス=ゾーエーに取り込まれた発端の事件。その時、操舵手も一緒に呑み込まれていたのだ。そんな人物が連絡船を動かし、ライ達をブリオニア島へと運べる筈もない。……女性が呑み込まれる光景を悔いる操舵手など、存在している筈がないのだ。

 

 あの狂ったように笑う操舵手は一体誰だった?

 ドロリとした気味の悪さが、心にねっとりと絡みつく。

 

「そう言えば、お客様は何時からブリオニア島に?」

「…………2日前、別ルートで」

「んん? まぁ、そうですか」

 

 聞くべき事を終えたライは、1人B班のいる席へと戻っていく。

 

 思えば、この事件は何から何までおかしかった。

 事件が一ヶ月前から続いていたにも関わらずサラは何も知らない様子だったし、ライ達がブリオニア島に行ける筈もなかった。この真相を解く事は出来ないが、その意図を推測する事くらいは可能だろう。

 

(何者かが、俺達をブリオニア島へ誘った……?)

 

 サラが事前に知っていれば、実習地を変えた事は想像に難くない。

 つまり、何者かがライ達をブリオニア島に向かわせる為、わざと情報を隠していたのだと考える事が出来る。

 

 事件の裏に隠された陰謀論。

 その一端を確かめたライは拳を握りしめ、トリスタの寮へと帰っていくのであった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ……

 

 …………

 

 ……異変がなくなった深い海。薄暗い霧に包まれたその中に、突如として船影が浮かび上がる。

 

 見たところ普通の連絡船であったが、乗客は誰一人として乗ってはいない。無風であるにも関わらず、船の金具が耳障りな音を鳴らし、ゆらゆらと揺れながら目的もなく霧中を彷徨い続けていた。

 

 だが、幽霊船を思わせる船の中に一人だけ人影が存在していた。

 薄暗い操舵室で舵を握る男性の姿。彼はどこへと向かうでもなく、虚空の混沌を仰ぎ見ている。

 

「かくして、青年はまた1つ試練を乗り越えた、か。……クク」

 

 何かを思い浮かべた様子の男。

 その口角が突如、グニャリと上がる。

 

「……クハ、ハハハハッ、ハハハハハハハハハハハ!!」

 

 その笑いは、最早正気を保っているとは言えなかった。何かを嘲笑するように。どこまでも人間らしく、蔑んだ表情で。彼は壊れた様に笑い声を響かせ続けている。

 

 おどろおどろしい声が木霊する赤い海の中。

 這い寄るように不気味な連絡船は、深い霧の向こう側へと消えていった。

 

 

 

 

 




大変長らくお待たせいたしました。
かくして長く続いた3章も完結、でございます。

しかしながら、この3章で1年もかかってしまうとは夢にも思いませんでした。学生でなくなると本当に時間がなくなるのですね。とは言え、止める気は毛頭ないので、少しづつでもペースアップできたらなと考えております。

……それはそうと、ペルソナ5が楽しみでしょうがないです!
バイク型ペルソナ!? ネクロノミコンがUFOに!? 悪魔会話復活!? 早く9月になりませんかね! 後、閃の軌跡3の詳細はまだなのでしょうか!!


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4章 -帝都解放戦線-
54話「ウラ・ノルド(1)」


 3度目の特別実習を終え、トリスタの駅に足を踏み下ろしたライ達B班の面々は、旅の疲れを全身に感じながらも寮の前へと戻って来ていた。夕方に差し掛かった空の下、普通ならすぐに部屋に戻って休みたい状況だろう。

 

「なんだか、懐かしいね」

「……そうだな」

 

 しかしその中の2人、フィーとライは入り口に立ったままぼんやりと上を仰ぎ見ているばかりだ。現実世界ではたったの2泊3日しか経っていない。しかし、2人にとっては既に1ヶ月以上も経過した過去の様に思えてならなかった。

 

 格式のある煉瓦の壁も、毎日くぐっていた筈の両開きの扉も、清々しい空気ですら。何気ない全てが懐かしく感じてしまっている。他の3人も2人の境遇を知っている為か、何と言おうか迷っている様子だ。そんな空気をぶち壊してしまう存在は今この場に存在しない。

 

「な〜に入り口で惚けているのよ。さっさと中に入ってきなさいな」

 

 ただ1人、寮の中から顔を出したサラを除いては。

 

 その呑気な声を聞いたライとフィーは現実に引き戻され、そのままなし崩しに寮の中へと入っていった。

 

 

 ……

 

 …………

 

 

 久々に帰ってきた寮内。導力灯の明かりに照らされたロビーにA班の姿は見当たらなかった。どうやら今回はライ達の方が先に帰ってきたらしい。そう頭の片隅で考えながらライはロビーの壁を手でなぞる。……確かに、これは現実の寮内だ。決してロゴス=ゾーエーの生み出した幻影ではないだろう。食堂を確認し終えたフィーと顔を合わせ、2人はお互いに親指を立てた。

 

「ねぇ、エリオット。あの2人はホントに大丈夫なの? 妙に息合ってるし、なんだか変な行動してるんだけど」

「あははは……、大丈夫だと思いますよ。多分」

「多分って何よ。多分って」

 

 はぁ〜、とサラは頭を深く押さえ込んだ。彼女がライ達を送り出した後に感じた予感の通り、今回も何やら面倒な出来事に巻き込まれたのだろう。上への報告も含めて実に頭が痛くなる案件である。

 

「――だからって、話を聞かない訳にもいかないのよねぇ」

 

 教官の辛さを噛み締めたサラは、どうせ中心には彼がいたのだろうと当たりをつけて、ライの肩をポンと叩いた。

 

「サラ教官?」

「ちょっと、ライ。今度はどんな事件に巻き込まれたのよ? 早く私に教えなさいな」

「……その割には、余り聞きたそうには見えませんが」

「当然でしょう? あなたの事だからま〜た面倒な話になりそうだし。まあ今回は全身の切り傷くらいしか怪我してなさそうだから、ちょっとは安心できるけど――」

 

 と、話を続けようとしたサラをちょんちょんと小さな指が邪魔をする。

 

「――どうしたの? フィー」

「その認識は間違ってる」

 

 間違っている?とサラはフィーの意図が掴めず首をかしげた。彼女が確認した限りでは、ライの傷はケルディックの時の方が甚大。今回はそれほど深い傷を負った様には見えなかったからだ。

 

「もしかして服の奥に酷い怪我あるの? だったら念のためベアトリクス先生に「だって、ライは今回、腕がミンチになったり頭や心臓に風穴空いたりしてたから」……え?」

 

 しかし、答えは予想の斜め上を爆走していた。

 

「……フィー? 聞き間違いかしら。もう一回言ってちょうだい」

「腕がミンチになったり、頭や心臓に風穴が――」

「普通に即死よね!? 生きてちゃ不味い怪我よね!? ライ、あなたまさか幽霊なんじゃ」

「生身です。時間が巻き戻ったので」

「巻き戻った、って……。あああ、本格的に頭が痛くなってきたわ……」

 

 ふらふらとソファーに座り込み、やけ酒を呷り始めるサラ。

 これはもう報告をする様な状況でもないだろう。一先ず荷物でも置いてくるかと階段を登り始めるライであったが、

 

「ライはもう帰ってるっ!?」

 

 今度は入り口の方から甲高い怒鳴り声が飛んできた。

 

 一体なんなんだと皆の視線が一斉に入り口へと向く。そこにいたのは、駅から走って戻って来たと思しきA班6名の姿であった。

 

「どうしたアリサ。それにリィン達も」

「どうしたもこうしたもないでしょ!? あなた今度は一体何をしたのよ!?」

 

 今日はやけに問い詰められる日だ、とライは遠い目で詰め寄るアリサの顔を眺める。

 何をしたのか?と言われても、ライ自身アリサ達に何かした覚えはないのだから答えようがない。

 

「……アリサ、ライも何だか分かってないみたいだし、それくらいにした方がいいんじゃないか?」

 

 そんな悪循環を破ってくれたのは、数歩遅れてやってきたリィンであった。ボロボロの制服を見に纏って疲れているのか肩を落としている。他のA班も皆一様にして汚れた服装をしており、それだけ見てもA班に何かあった事は想像に固くないだろう。

 

「何があった?」

「えっと、念の為聞いておくけど、本当に心当たりはないのか? 今日の朝の事なんだけれど」

「今朝?」

 

 その時間帯はまだ空回る島にいた筈だ。思い当たる節のないライはリィンに説明を求める。

 

「仕方ないか。けど、少し長くなるぞ?」

「構わない」

「……分かったよ」

 

 リィンは疲れた様子で天井を仰ぎ見た。

 どこから話したものかと考えているのだろう。やがて考えを纏めたリィンはぽつりと声を紡ぎ出す。

 

「実は、な。俺たちは今回の実習で、シャドウ事件の首謀者に出会ったんだ」

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ――時は遡って2日前の6月26日。

 ライ達と別れたA班は列車に乗って、エレボニア帝国より北東に位置するノルド高原へと向かっていた。

 

 ノルド高原はその名の通り山の高所に広がる雄大な平原である。涼やかな風が色鮮やかな草花を揺らし、起伏の大きな斜面を何本もの滝が流れ落ちていく。そこの空気を吸うだけで心が洗われる様な美景が広がっているのだと、高原の遊牧民出身であるガイウスは語った。

 

 しかし、そんなノルド高原の抱える問題は美しい光景とは裏腹に暗いものであった。ノルド高原はエレボニア帝国の北東に位置するものの、帝国の領土ではない。……いや、正確に言えばどこの領土でもないのだ。ノルド高原の西にあるエレボニア帝国と東のカルバード共和国が共に主権を主張しており、高原は国際問題の中心地となってしまっている。リィン達が乗っているノルド高原行きの列車も、簡単に言ってしまえば前線への物資供給と、カルバード共和国への牽制が目的で引かれた線路であった。

 

「ほへぇ〜、むぐ……、何だかメンドウなことになってるんだねぇ〜。もぐむぐ」

「そう思うならサンドイッチを食べるのを止めろ。行儀が悪い」

「へ? だって湿気っちゃったら勿体ないでしょ? いらないならユーシスの分も貰うよ?」

「お、おい止めろ。誰もいらないとは言ってないだろうが!」

 

 列車の席に座っているユーシスは、迫り来るミリアムの魔の手からシャロンのサンドイッチを守り通していた。

 それを横で見ていたアリサとエマの2人は長く続きそうだと視線を外す。

 

「ほっんと、いつも通りよねぇ」

「まあそれもミリアムちゃんの持ち味ってことで。それよりガイウスさん、これから向かう先は帝国軍の砦なんですよね? 私たちが入っても大丈夫なんでしょうか?」

「心配しなくていい。帝国軍の将官とは以前からの顔なじみだからな。無論、今回の件もすでに文で伝えてある」

「へぇ帝国軍の将官と……って、もしかしてガイウスが士官学院に留学してきたのって」

「ああ、将官に勧められたからだ」

「それなら安心ですね」

 

 ひとまずの不安要素はなくなった為、エマはほっと肩の力を抜いた。

 窓の外には穏やかな自然の光景が流れ続けており、A班の面々は穏やかに昼食のサンドイッチを口に運んんでいる。それに、ノルド高原は別世界と感じるほどに雄大な光景だと聞く。まだ見ぬ秘境への期待感を胸に、A班の面々を乗せた列車がカタンコトンと進んで行くのであった。

 

 ……ただ、この時エマ達は知る由もなかった。

 果ての地であるノルド高原にすら黒い影が伸びていたと言う事実を。その一端を彼女らが知ったのは、列車が終着駅に到着した時であった。

 

◇◇◇

 

「厳戒態勢を急げ! 各員、装備の確認も怠るな!」

「――閣下、監視塔の増員、および各地点の配置を完了しました!」

「うむ、共和国軍に動きがあれば即時伝えよ!」

 

 帝国の北東端、ゼンダー門の内部は激しい男達の声と走り回る足音で溢れかえっていた。

 慌ただしく武器を持ちだす兵士達。情報も錯綜している様で中央と連絡を取ろうとしている姿も散見される。

 

 来たばかりのリィン達はその異様な空気に翻弄されるばかりだ。まるで戦時中が如きビリビリとした緊張感を肌で感じ、恐る恐る鋼鉄製の砦の中を進んでいく。

 

「これは……、演習って訳でもなさそうですよね」

「戦争でも始まったのかな?」

「ち、ちょっと、ミリアム。ここでそれは洒落にならないわよ」

「えへへ、ごめんごめん」

 

 テヘッと舌を出すミリアムは全く悪びれた様子もない。それもその筈、彼女にとってそれは冗談でもなかったからだ。

 

「でも何かあったのは間違いないよね? ここの正規軍が戦う相手って限られてると思うけど?」

「……その可能性が高いのは事実だろうな。ガイウス、誰か話を聞けそうな人はいないか?」

「ああ、少し待っていてくれ」

 

 A班の面々を背にガイウスは先へと歩いていった。向かう先は各兵士に指示を出していた将官と思しき眼帯をつけた屈強な男。丁度部下への指示を終えた彼はガイウスの気配を察したのか振り返り、隻眼の視線をわずかに細める。

 

「……おお、おぬしか」

「ご無沙汰しています。ゼクス中将」

「済まぬな。本来ならばVII組を出迎える手筈だったが、見ての通りそんな余裕もなくなってしまった」

「いえ。それよりも、共和国軍が動いたのですか?」

 

 この騒然とした光景を見る限り、何かあったのは間違いないだろう。だが――

 

「……そうであれば、まだ事態は単純であったのだがな」

 

 ゼクスの反応は予想外に歯切れの悪いものであった。

 

「では一体何が?」

「うむ。やや不可解な事だが、本日未明よりノルド高原に駐在していた共和国軍が一夜で姿を消したのだ」

 

 共和国軍もやってくれる、とゼクスは苦々しく呟いた。……共和国軍の消失。確かに敵対している帝国側として無視できないのは無理もない話だろう。しかし、ゼクスの声を聞いている限り、まるで一手先を行かれた者の様に感じられるのは何故だろうか。その疑問を抑えきれなくなったユーシスが、堂々とした足取りでガイウスの隣に並ぶ。

 

「どう言う事だ? 共和国軍が退いたのなら帝国にとって都合の良い事だろう?」

「む、おぬし達は彼の学友か?」

「ああ、俺の名はユーシス・アルバレアだ」

「アルバレア……、四大名門のご子息とはまた面白いの顔ぶれが揃っている様だな。――良いだろう。おぬし達の疑問も最もだ」

 

 そう言って、ゼクスは振り返り砦の外を一望する。

 緑一色の大地に揃いつつある鋼鉄の柩。その遥か遠方には共和国軍を見張る監視塔がそびえ立っていた。……そう、事の始まりは監視塔からの報告であった。

 

「始めに言っておくが共和国軍は撤退していない。文字通り姿を消したのだ」

「……つまり、導力戦車も飛行船も残したまま、人だけが忽然と消えたと言う事か」

「うむ、その通りだ。今は西ゼムリア大陸における通商会議が2ヶ月先に控えている。撤退の確認も取れていない以上、共和国軍が何やら画策していると見て間違いない」

 

 西ゼムリア通商会議。緩衝地帯かつ国際貿易の中心地であるクロスベル自治州で行われる予定の国際会議である。西ゼムリア大陸に存在する全ての国が一堂に会する大舞台。当然の事ながら、国際関係の問題が話題に上る事も避けられないだろう。……その駒を手に入れる為に一計を図っているのではないか。ゼクス中将が危惧しているストーリーとは端的に言えばそう言う事だ。

 

「では、帝国軍もノルドの地に展開されるのですか?」

「我らの監視が届かない場所に潜伏している可能性もある。リベールの時とは異なり我らに大義名分もない以上、後手に回る他ないのだ。……集落のラカン殿にも既に避難するよう伝えている。おぬし達も集落からあまり離れない様にな」

「待ってくれ。まだ聞きたい事が「畏まりました」……ガイウス?」

 

 まだ情報を得たかったユーシスを無理やり遮る形でガイウスが割り込み、そのまま話は終わってしまった。ゼクスと別れ、集落へと向かう為の馬を取りに歩く中、ユーシスが先頭を歩くガイウスに不満をぶつける。

 

「おい、何故勝手に話を打ち切った」

「……済まない。集落が移ったとなると、早く向かわねば夜になってしまうのでな」

「なら、あの話をこのままにしておくつもりか?」

 

 対立する2つの意見は双方正しいが故に終わりが見えなかった。

 故に第三者の視点だと思ったリィンが歩み寄り、ガイウスとユーシスの間を取り持つ。

 

「ユーシス、一先ず集落に向かわないか? ここはこの辺りに明かりはないだろうし、……そして何より、集落が心配だからな」

「……そう言う事か。ならば、仕方あるまい」

 

 存外、素直にユーシスは引いてくれた。普段は温和なガイウスがこうも頑なになる理由、故郷の危機に対する不安を理解できない程、ユーシスも冷血ではない。ようやく落ち着いてくれた事にホッと胸を撫で下ろすエマを最後に、A班はゼンダー門を後にした。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ゼクス中将が事前に用意してあった馬に跨ったA班6名は、ガイウスの故郷であるノルドの集落へと向かった。広大な平野に響き渡るトンビ。茜色に染まった広大な空や岩山。世の辛さもちっぽけに思えてしまう程に圧倒される光景であったが、いざ集落へと到着した際には嫌でも現実に引き戻されてしまう。

 無人の集落跡地。普段この時期はノルド高原南西部辺りに集落を置いているのだが、リィン達が到着した集落はほぼもぬけの殻と言っていい状況だったのだ。唯一残っていたガイウスの父、ラカンによると北にある湖の湖畔に集落を移したらしい。それを聞いたリィン達は疲れた体をおして、漸くガイウスの集落へと辿り着いた。

 

 ……そして夜。暖かな郷土料理を食べた後、遊牧民用の大きく丸いテントに案内されたリィン達はゆったりと疲れを癒していた。

 

「ね〜ね〜、しかんがくいんってどんな所〜?」

「え、えと……」

「おいリリ。お客さんも疲れてるんだから、そんな事言ったら迷惑だろ」

「ふふっ、トーマさんも話を聞きますか?」

「え、お、俺もですか?」

 

 今、テントの中にはリィン達の他にガイウスの兄弟達も訪れていた。まだ幼く陽気な次女のリリ、引っ込み思案な長女のシーダ、そしてガイウスに次いでしっかり者である次男のトーマである。彼らはガイウスが通っているトールズ士官学院の事が気になっているのか、エマの話を興味深そうに聞き入っていた。

 

 そんな微笑ましい光景を奥でぼんやりと眺めていたアリサの元に、リィンが水の入ったコップを持って歩いてくる。

 

「アリサ、水でも飲むか?」

 

 リィンから水を受け取ったアリサは一気に喉に流し込んだ。喉の奥につっかえていたモヤモヤを流し込む様にゴクゴクと。そして、飲み終えたアリサはやや晴れた顔つきで空になったコップをリィンに返す。

 

「ありがと」

「気にしてるのか? 母親と、それにお祖父さんの事」

 

 そう、実はB班と別れた後、A班はアリサの母親に遭遇していたのだ。

 そしてこの湖畔に来た際には会社を追い出された祖父とも再会。まさかノルド高原で暮らしていたとは露ほども思っていなかったアリサは、思わず取り乱してしまった。

 

「まぁ、気にならないと言ったら嘘になるけど。前にシャロンから聞いてて覚悟してたから、お母様に関しては思ってたほどダメージはないかしらね」

 

 けれど、今回の件においてアリサはそれほど思い悩んではいない。故にこの話は深めていく必要はなく、むしろアリサにとって話し合うべき事柄は他にあったのだ。

 

「それに、今は私の悩みなんて些細なものよ。 あんな光景を見てちゃね……」

「……そうだったな」

 

 リィンは苦虫を噛み潰した様な表情でテントの外を眺める。

 果てしなく広大な草原に煌めく満点の星々。それだけならば外に出て夜風を浴びたいものなのだが……、遠方に見える帝国軍の戦車を見てはその気も失せると言うものだろう。

 

 まるで芸術品にペンキを塗られた様な気分だ。

 ゴゴ、ゴゴゴゴとキャタピラが走る地響きを感じたアリサは深くため息をついた。

 

「はぁ、このまま一晩中哨戒するつもりなのかしら」

「仕方ないさ。何時どこに共和国軍が潜んでいるかも分からないんだからな」

「そりゃ分かってるんだけど……」

 

 こんな状況じゃ気も休まらない。

 今この場において、子供たちとミリアムを除いた全ての人の共通意識である。

 

「……ガイウス、あまり悩んでなきゃいいんだけど」

 

 アリサが思い浮かべるのはゼンダー門から少し様子がおかしかったガイウスの姿だ。

 今は父親と久しぶりに談笑している頃だろうか。この場にいないクラスメイトを憂い、アリサはぼんやりと天井の布を仰ぎ見た。

 

 

 ……

 

 …………

 

 

「父さん、ただいま戻りました」

「ああ、よく帰った」

 

 暖かな鍋を挟んで座り込むガイウスと父のラカン。久々の再会と言う事もあって、無理言って2人で話す時間を作って貰ったのだ。

 

「良い学友に恵まれた様だな」

「ええ、彼らは自慢の友人です」

「そうか。学友との時間は代え難いものだ。その絆、大切にすると良い」

 

 姿勢正しく座り込んでいたラカンが柔らかく微笑む。それはノルド高原では得られないものであり、ラカンがガイウスの留学に賛同した大きな理由でもあったからだ。……しかし、ガイウスの表情は対照的に暗く落ち込んだものであった。

 

「父さん、共和国軍の件ですが」

「……やはり、その話か」

 

 かちゃりと、ラカンは鍋のスプーンを皿に置く。

 わざわざトーマ達を遠のけた理由はそれしかないだろうと、彼も薄々察していたのだろう。

 

「思えば、お前が士官学院に行きたいと言ったのも、ノルド高原の現状を憂いていたからだったな」

「はい」

「お前は昔から責任感が強いところがある。長男であるとはいえ、ノルドの未来を一身に背負う必要などないのだぞ?」

「……これは、俺が決めた道ですから」

 

 静かに座るガイウスをじっと見定めたラカンは、やがて重い腰をあげた。

 小さいながらも親しみのある我が家。それを一望してようやく本題へと入る。

 

「昼に、共和国軍に近しい集落へと赴いてきた」

「――! 東の集落ですか?」

「ああ。しかし、誰も共和国軍の件について話を聞いてはいなかったようだ。私の勘だが、今回の件はゼクス殿の想定している様な状況ではない」

「けれど、共和国軍が隠していたと言う可能性も……」

「無論、否定はできないだろう。だが、私はもっと別の原因があると感じている。ノルド高原が戦火に巻き込まれる可能性も、お前が思っているほど高くはない筈だ」

 

 その言葉は真実か、それとも子の不安を和らげようとした親心か。

 息子であるガイウスにも本心を伺い知る術はない。だが――

 

「……1人で思い悩むな。この地を愛し、守っているのはお前だけではない。私も、イヴン長老も、他の皆も思いを抱いている筈だ」

 

 少なくとも後者は嘘でないと、ガイウスは感じた。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ――ノルド高原、湖畔。午前0時。

 

 夜も更け、誰もが寝静まった月夜の集落。

 水辺の虫が合唱を奏でている中、テントの布を抜け出す2人の小さな影があった。

 

「しょうがないなぁ。少し涼んだらすぐ戻るぞ」

「ん、ありがとねー」

 

 それはトーマとリリの2人だ。彼らは士官学院の話を聞いて中々寝付けなかったらしく、夜風に涼もうとテントを抜け出してきていた。幸いな事に明かりの火は夜も灯されており、月の光は野原を明るく照らしている。トーマもそれを確認したからこそ、リリの要求を飲んでこうして外に出てきたのであった。

 

「リリ、明るくても湖は危険なんだから余り近づくなよ」

「ねぇトーマのあんちゃん! これなんだろ!」

「っておい、言ってるそばから!」

 

 もし足を滑らせたら危険だ。湖畔で水面を覗き込んでいるリリを見たトーマは、焦って幼い妹の元へと駆け寄った。それ程までに夜の水面が危険な事くらいトーマの歳にもなれば理解出来る。だからこそがむしゃらに走っていたのだが……。

 

「……なんだこれ?」

 

 湖面に近づいたトーマは、その不安もすっかり失せてしまった。

 

 湖面を不思議がってじっと座るリリ。

 幼い妹が写り込む水面には、大きく手を振るもう1人のリリが写り込んでいた。

 

 なぜ?

 

 どうして水面に写り込んだリリが別の行動をしている?

 

 明らかに異常だと感じたトーマは、恐る恐る自分も水面へと顔を向けた。

 

「……ひっ」

 

 思わず、息が止まってしまった。

 

 無理もない。

 湖面に映るトーマもまた、不気味な笑顔で手招きをしていたのだから……。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ――6月27日。

 

 まだ日も昇って間もない早朝。まだ起きるには早い時間であるが故、リィン達5人はぐっすりと眠っていた。

 しかし、唐突にその入り口が捲られ、日の光を伴って怒号にも似た大声が響きわたる。

 

「皆! ここにトーマ達は来てないかっ!?」

 

 その切羽詰まった声は目覚ましよりも強く耳に反響する。故に、リィン達は朧げながらも次々とベットから上半身を起こした。

 

「ガイ、ウス……? 何かあったのか?」

「トーマとリリの姿がどこにも見えない。皆は何か心当たりはないか?」

「――何だって!?」

 

 一瞬にして覚醒するリィン。

 これが、ノルド高原で起きた騒動の始まりであった。

 

 

 

 

 




遅れている状況ではありますが、この話は今後に大きく関わってくる内容ですので投入。全3話の予定です。


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55話「ウラ・ノルド(2)」

「ガイウスさん! トーマさんとリリちゃんがいなくなったって本当ですか!?」

「ああ、朝になったらもぬけの殻だった」

「そんな……」

 

 静かに時の流れていた早朝のテント内は、ガイウスの来訪とともに一転騒然となっていた。

 昨夜エマ達と楽しく話していた子供達の失踪。広大なノルド高原に生まれた影が今、リィン達の心に焦りを生じさせていく。

 

「……不味いな。今のノルド高原には帝国軍が目を張り巡らせている。保護される可能性もあるが、夜通し索敵している兵士では区別がつくかどうか」

「ま、待ってください。まだ集落を出たって決まったわけじゃ」

 

 よりによって国家間の緊張が高まったこのタイミングで。憶測が憶測を呼び、最悪のイメージが脳裏に次々と浮かんでいく。様々なIFが焦りを高めていく。……だが、こうして話していても仕方ない。リィンは皆の会話を一旦区切らせた。

 

「これはもう特別実習をしている状況でもないよな。――これよりA班はトーマ、リリの両名を捜索する。みんな異論はないか?」

 

 リィンの視線がA班全員の顔を見渡す。アリサ、エマ、ミリアム、そしてユーシス。彼らの中で反対の反応を見せる者は1人としていなかった。それを見たガイウスは深く、深く頭をさげる。

 

「……助かる」

「礼など要らん。それよりも2人の行動範囲は推測できるのか?」

「リリはまだ幼いがトーマはしっかり者だ。集落の外に出るとは思えないが……」

 

 集落にいるのならそろそろ見つかっていてもおかしくないと、ガイウスは言い淀んだ。

 けれども集落の外は余りに広く、手がかりなしに探し回るのは無謀と言う他ない。

 

「なるほどねー。だったらボクがガーちゃんに乗って空から探してみるよ! みんなはそこで待ってて!」

「え、ちょ、ミリアム!? まだ話し合いは――」

 

 アリサの制止を聞く筈もなく、ミリアムはアガートラムを伴ってテントを飛び出していった。恐らくは今頃、ノルドの人々を驚かせながらも上空を旋回している頃だろう。A班の間に諦めにも似た空気が流れ始める。

 

「リィンさん。どうしましょうか?」

「……ミリアムは待っててと言ってたけど、正直今は時間が惜しいな。俺たちも地上で手がかりを探してみないか?」

 

 空中からは見落としてしまう痕跡があるかも知れないし、他の人に話を聞いて回るのも1つの手だろう。ならば散会して手がかりを探して回るのが得策だろうとA班は結論づけた。

 

「こんなときエリオットがいたら助かったのに……」

 

 エリオットのアナライズさえあれば、この広大なノルド高原であっても人探しは容易であっただろう。仕方のない話ではあるが、もしエリオットがA班だったらと言う邪念が生まれるのは無理もない話だ。

 ……実際のところ同じ日に、遥か東のブリオニア島にてシャドウを探し回るエリオット達がいたのだが。そんな事は知る由もないA班は、無い物ねだりの邪念を払って捜索を始めるのであった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ……10分、30分と時間ばかりが過ぎていく。

 

 集落の入り口、アリサの祖父がいる湖畔のロッジ、果ては湖を上空からくまなく探索してみたものの、リィン達は痕跡1つ見つける事は叶わなかった。不自然なほどに何も見つからないのだ。トーマが普段移動に使っている馬もそのままであったし、真新しい足跡なんてものも存在しない。まるで神隠しにあったかの様な失踪事件に対し、A班の捜索は暗礁に乗り上げてしまっていた。

 

「――何も見つからなかったか」

「父さん、帝国軍の方はどうでしたか?」

「昨日から何も変化はないそうだ。無論、子供を見かけたと言う報告もないらしい」

 

 ゼンダー門から帰ってきたラカンは、馬から降りる暇も惜しみガイウスと情報交換をしていた。

 今のところ判明している事実は”国家間の闘争に巻き込まれた訳でない”事と、”何処にも痕跡が残されていない”事の2点のみ。それを確認したラカンは一旦ガイウスから視線を外し、何やら小声で呟き始める。

 

「……深夜の失踪、共和国軍の消失。……――まさか」

 

 突如、ラカンがハッとした表情を浮かべた。

 そして即座に馬を翻し、ガイウスに言葉を告げる。

 

「ガイウス、お前達はこのまま東まで捜索を広げて欲しい」

「はい。――父さんはどこへ?」

「帝国軍に確認したい事が出来た。私は再度、南部のゼンダー門に向かう」

 

 その言葉を最後に、ラカンは馬に鞭打って広大な平原へと駆けていく。

 残されたのはラカンの意図を聞きそびれてしまった学生6名の姿であった。

 

 

 ……

 

 …………

 

 

 その後、リィン達はゼンダー門で借りた馬に跨り、ラカンの指示通りにノルド高原を東に向かった。

 そもそも集落地としていた湖畔周辺は起伏が大きく、湖の西と北に行くのは困難を極めるのだ。もし仮にトーマ達が偶然にも痕跡を残さずに集落を出たとするならば、東を探すと言うのも悪くない判断だろう。

 

 だが、今は気になる事は他にもあった。

 道案内も兼ねてリィン達6人の先頭を駆けるガイウス。彼の纏う空気が、誰の目から見ても明らかな程に張り詰めていたのである。

 

「…………」

「ガイウス、大丈夫なの?」

「……問題ない」

 

 現に心配するアリサの声にもどこ吹く風だ。何時もの温和なガイウスを知っているからこそ、今のガイウスは見ていられない。それはアリサも同じなのか馬の上でう〜んと唸っており、やがて話題を前向きに変える作戦に出た。

 

「ねぇガイウス。この先には何があるの?」

「この先にあるのは古代の人々が使っていた石切り場と、後は巨像くらいだ」

「――巨像?」

 

「ねぇ! それって、あれのことじゃないかな?」

 

 リィンの後ろに乗っていたミリアムが前方の斜面を指差す。

 少しずつ姿を表す山肌の遺跡。歴史を感じさせる古い石材の形を理解した時、皆は口を開き言葉を失ってしまう。

 

 ――まるで、山に半身が埋まった人の様な姿をした像。

 本当に生きていた様にすら感じられてしまう、余りにリアルな鎧の姿。

 

「……これは凄い、な」

「そう、ですね」

 

 その壮大さに視線が釘付けになってしまったリィン達は、思わず巨像の前で馬を止めてしまった。じっと見つめていると、巨像がその手足を振るい動き出すんじゃないかと言う錯覚に陥ってしまう。古代の文明は何を思ってこんなものを作ったのか。高原を吹きすさぶ風を一身に浴びながら、6人の少年少女は巨像の顔を仰ぎ見る。だが――

 

「おや、君達もこの巨像を見に来たのかな?」

 

 今この場には、7人目の人間が存在していた。

 

「あの、済みません。貴方は?」

「おっと、これは失礼。僕はノートン、帝国時報社に所属するカメラマンだよ」

 

 帝国時報社とは、帝都ヘイムダルに本社を置き新聞を作成・販売している会社である。ノートンと名乗る男性が両手で抱えている高そうな導力カメラを見れば、それが事実だと伺い知ることも出来よう。……しかし、戦車が闊歩するこの状況下で写真を撮影しに来るとは。中々に度胸のある人物である。彼のそばにある寝袋を見る限り、一晩中動かなかったからこそ無事だったのか。

 

 そこまでリィンが理解したその時、静かにエマが近づいてきた。

 

「……リィンさん。もしノートンさんが一晩中ここにいたんでしたら、何か知っているかも」

「――! ああ、そうだな」

 

 トーマとリリがいなくなったのは昨晩だ。話を聞いて見る価値はあるだろうと、馬から降りたリィンはノートンに話しかける。

 

「ノートンさん、一晩中ここで写真を撮ってたんですか?」

「ん? まぁ帝国軍の戦車が来てたから動くに動けなかったんだけど、……何かあったのかな?」

「はい、実は――」

 

 それからリィンは2人の子供がいなくなった事をノートンに告げた。ノルドの民族衣装を身にまとったトーマとリリ、2人の特徴も合わせて伝えたものの、ノートンの返答はNO。昨晩は魔獣や帝国軍を警戒して一睡も出来なかったそうだが、子供の姿は見ていないらしい。

 

 結局は収穫ゼロ。ある種予想通りの展開にリィン達は心の中で肩を落とす。が、

 

「ーーふむ。しかし、深夜にいなくなった、とはまた……」

 

 失踪の話を聞いたノートンは何やら唸っていた。

 

「何か心当たりがあるんですか?」

「ああいや、済まない。これは流石に今回の件とは無関係で――」

「今は少しでも手がかりが欲しい状況です。お聞かせ願えますか?」

 

 何せかれこれ数時間は何も得られなかったのだ。

 関係あるかないかなど選んでいる暇はない。そんな気迫を受け取ったノートンは「落胆するかも知れないけど」と前置きをして、その髭を蓄えた顔を縦に振った。

 

「僕が思い出したのは、後輩から聞いた噂話だよ」

「噂話?」

「この辺りで密かに広まってるものらしく、オカルト好きな人が知ってるくらいのマイナーなものらしいんだけどね。――午前0時の水面を見てると、そこには別世界が映るらしいんだ」

 

 確かにそれは、一見何の関係もない与太話に聞こえる。……だが、時間帯に別世界。それらのワードに何か引っかかりを感じたリィンは、時間がない事を理解しながらもノートンに続きを促した。

 

「そこにはもう1人の自分がいて、見た者を向こう側の世界に引きずり込んでしまうらしい。まぁ、後輩は夜の水辺に近づかせない様にする為の在り来たりな話だと言ってたけど」

「水辺、向こう側の世界……。他には?」

「う〜ん、確か続きがあった筈なんだけど、僕が覚えているのはここまでなんだ」

「……そうですか。ありがとうございます」

「力になれず申し訳ない。早く見つかる事を祈っているよ」

 

 少しバツが悪そうにノートンは一礼して、そのまま取材用の撮影に戻っていく。

 それを見送ったリィン達は、何か喉に突っかかる様な気分になりながらも捜索に戻るのであった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「水面に映る別世界……、やっぱり何か引っかかるんだよな」

 

 結局、石切り場まで行ったが何も見つけられなかったリィン達は回り回って集落の湖へと戻ってきていた。今は各自、それぞれ散開して見逃したものがないか探っている。しかし、リィンだけは水面を眺めたまま先の噂について考え込んでいた。

 

「おい、そこで何をしている」

「ん? ああ、ユーシスか」

「ユーシスか、じゃないだろう。こんな場所で燻っている場合かと言っている」

「まぁ確かにそうなんだけどな。……どうもさっきの噂話が気になるんだ」

「フン、大方”決まった日時”や”別世界”と言う特徴から旧校舎を思い浮かべたんだろう? 話自体はよくある噂話に過ぎん」

 

 ユーシスの言うとおりかも知れないと、リィンは息を吐いて考え直した。

 現に水面に映るリィンの顔は普段鏡で見ているままの黒髪だ。噂は所詮噂なのだと、リィンは何気なしに水面に映った自身の顔を触ろうとする。

 

 ……だが、

 

 

「――ッ!?」

 

 

 水面に指先を浸けたリィンは、途端に目を見開いた。

 

「む、どうした?」

「……感覚がないんだ。水に浸かった、感覚がない」

 

 確かに指は水面に入っているにも関わらず、リィンの指先は微塵も水に触れてはいなかった。……いや、それだけじゃない。水面に入れた際に発生している波紋も何故だか白く発光している。

 

 ――まるで何処か”別世界”に繋がっている様な異変。

 

 隣でその光景を目にしたユーシスも顔をしかめ、即座にリィンの触れている水面へと指を伸ばす。……不可思議な指の感触。それを確かめたユーシスは「皆を集めてくる」と言い残してこの場を後にした。

 午前0時の水面に映る別世界。今は晴天下の昼前ではあるものの、噂は決してお伽話ではなかったのだ。

 

 

 ――

 

 ――――

 

 

「……本当ね。指が全く濡れてない」

 

 水面からちゃぷんと指をぬいたアリサが不思議そうに呟いた。

 

 ユーシスの集合に応じて湖畔に集まったA班の残り4名も最初は懐疑的であったが、この光景を目にしては納得せざるを得ないだろう。彼らが見る湖の水面は普通のものの様で、けれども異質な何かを有している。まるで旧校舎の異変と同じ様な現象がここでも起こっているのだ。

 ……だが、この現象は誰もが起こせるものではなかった。A班の中で扉を開けたのはリィンとアリサの2人のみ。他の4人が試した際には普通に水中へと手が浸かっていた。

 

「リィンさんとアリサさんに共通している事といったら、……やっぱりペルソナ、なのでしょうか?」

「ああ、俺も委員長と同じ考えだ。今回の件もペルソナ、いやシャドウが関わっているなら色々な異変に説明もつく」

「……共和国軍の話ね。ホント、なんで今まで気づかなかったのかしら」

 

 帝国軍の話を聞いていたからか、すっかりその可能性が頭から抜け落ちてしまっていた。いや、そもそもこんな異変がそこらじゅうにあって良い訳ないのだから、簡単に思い浮かばなくても無理もない話ではある。

 

 まあ、そんな事はどうでもいい話だ。

 異変へと続く手がかりを見つけたリィン達にとって、悩ましい問題は別にあるのだから。

 

「それより、これからどうしますか? この先に行ったら戻ってこれる保証もありませんし、……それに、今はライさんもいませんし」

 

 そう、今この場にライがいない。これは、シャドウの影を見たリィン達にとって結構深刻な問題であった。そもそもリィンやアリサがペルソナを召喚するにはライとの戦術リンクが必要である。しかしながら、今ライは帝国を挟んで西のブリオニア島で特別実習をこなしている事だろう。到底ARCUSの導力波が届く距離ではない。

 

 先に進むべきか、準備をするべきか。

 ここは慎重に考えるべき状況だ。けれども、リィンの脳裏に一瞬、灰髪の青年が浮かんだ。

 

(ライだったら、間違いなく1人でも進むんだろうな)

 

 本当に考えているのか問いかけたくなるくらいに即断で。悩みなど捨てたと言わんばかりに直進で。本当に、周りの気苦労も考えない奴だと、リィンは僅かに苦笑いをこぼす。

 

 リィンが目を向けるのはガイウスの姿。

 暗い表情が見え隠れするクラスメイトを見たリィンの心に、確たる方針が生まれる。

 

「……いや、ここは進まないか?」

「リィン?」

「もう半日近く経っているんだ。もしトーマとリリがこの先にいるのなら、正直1分1秒を争う状況だと思う」

 

 リィンは周りに理解を促した。

 そう、これがリィンの在り方だ。ライの様に先頭から引っ張り上げるのではなく、集団の重心となって調和を図る。それも1つのリーダーとしての形だと言えるだろう。

 

「そーそー! 悩んでる暇があったら行動しなきゃ!」

 

 それに賛同するミリアムの声。

 こうして、A班の意識は1つへと纏まった。

 

「これより、A班は水面の向こうへと突入する。――行くぞ、皆!」

「「応!」」

 

 掛け声とともに、リィン達は湖面へと躍り出る。

 真っ白に輝く湖面。彼らはこうして異界へと突入した。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ――……――――

 

 湖に飛び込んだリィン達は、不可思議な空間を落ち続ける。

 白と黒の縞模様が猛烈な速度で後方へと過ぎ去り、どこまで落ちても底など見えない。

 

 だが、そんな異様な光景も唐突に終わりを告げた。唐突に水中へと投げ出されたA班。思いもよらぬ展開に思考が追いつかず、ゴボゴボと空気が肺から逃げていく。――ここは湖の中なのか? 漸く意識が追いついたリィン達はその事に気づき、急ぎ水面へと浮上した。

 

「ぷはっ!」

 

 水面から顔を出したリィン達を待っていたのは真っ白に曇った大空。顔に張り付いた水滴を振り払い、漸く周りの光景を視認する。

 

「ここって、さっきまでいた湖?」

「……似ているが、少し違うな」

 

 湖の形は先ほど飛び込んだものと同じであり、近くにはノルドの集落もある。

 だが、2人を探し回っていた筈のノルドの人々の姿はどこにもなく、晴れていた筈のそらも曇ってしまっていた。それに加え、このねっとりと重たい空気を吸い込めば、否が応でも旧校舎の異界を思い浮かべる事だろう。……そう、ここは正しく異界であったのだ。

 

 ひとまず、リィン達6名は集落のテントがある地上へと泳いていった。

 もしトーマとリリが同じルートでこの世界にやってきたのだとするならば、彼らは今もあのテントにいる可能性が高い。そう言うガイウスの言葉を頼りに、リィン達はノルドのテントへと足を運ぶ。

 

 だが、ここは既にシャドウのテリトリーでもある。

 テントの中から飛び出してくるのは2人か、それともシャドウか。リィンは太刀を握りしめ、ゆっくりと入口を開ける。

 

 

 だが、リィンを出迎えたのはそのどちらでもなかった。

 

「――貴様ら、何者だ!」

 

 リィンの額に、鈍い輝きを放つ導力ライフルの銃口か押し当てられる。テントの中にいたのは、アーマーを着込んだ軍人らしき男であった。

 

「武器を捨てろ。これは警告だ」

 

 軍人は余裕のない怒声がリィンを襲う。

 下手な行動を取れば射殺も厭わないと、そう言わんばかりの勢いだ。

 

(もしかして、共和国軍の兵士なのか!?)

 

 リィンの頬に冷や汗が滴る。

 銃口があまりに近すぎるため、指一本でも動かせば額に風穴が空く事だろう。あの様子を見るに交渉の余地などない。

 

(――それに)

 

 軍人は1人ではなかった。

 他のテントにも潜んでいたのか、今やリィン達をぐるりと囲む様に銃口がこちらを向いている。

 

 今は彼らの言う事を聞くしかないか。

 リィンがそう判断したその時、テントの奥から眼鏡をかけた男性が歩いてきた。

 

「待ってください。彼らもまた、この世界に飲み込まれた者でしょう。まずは話をするべきではないですか?」

「……了解した。許可する」

 

 男性の言葉を聞いた兵士は銃を下げ、他の兵士にも同様の指示を下す。

 

 まだ状況が飲み込めないが、どうやら危機は脱したらしい。

 リィン達に向けられていた銃口が全て下げられたのを確認した男性は、その灰色の髪を整えながらもリィンに話しかけてきた。

 

「申し訳ない。彼らもかれこれ2日間この世界に閉じ込められ、精神的に追い詰められてしまっている様だ」

 

 やはり、彼らは失踪した共和国軍らしい。

 彼らもまたトーマ達と同じく巻き込まれた側の人間であると察したリィンは、ほっと肩の力を抜いた。

 

「いえ、状況は飲み込めましたので。それよりも貴方は? 見たところ軍人ではないみたいですが……」

「私は学者をしている者だ。調査のためにノルドへと赴いたのだが、気づいたらここに来てしまっていた」

 

 どうやら、ここには異界に飲み込まれた人々が集まっているらしい。だとすればここにトーマ達がいる可能性は非常に高まった。心の中で安堵するリィンであったが、男性の話はまだ終わってはいなかった。

 

「見たところ君達は士官学院の生徒か。先ほどの立ち振る舞いを見るに相当の手練れと見える」

「いえ、俺はまだ修業中の身ですので」

「謙遜の必要はない。今はいくら戦力があっても足りないくらいだ。この世界から脱するために、是非ともその力を貸して欲しい」

 

 男性はそう言って手を差し出してきた。

 この手を取っても良いものか、リィンは後ろにいる仲間達へと視線を向ける。

 

「まー良いんじゃない? ボクたちも脱出方法を探さなきゃだし」

 

 楽観的に見えるミリアムの返答であったが、あながち的外れではないだろう。特に反対もないと確認したリィンは視線を戻し、男性の手を握り返す。

 

「分かりました。よろしくお願いします」

「ああ。……私の名はギデオン。よろしく頼むよ、士官学院の諸君」

 

 眼鏡の奥に不敵な笑みを浮かべ、灰髪の男性はそう名乗った。

 

 

 

 

 




噂好きの学生「午前0時の水面に映る別世界だって? そんなの常識さ!」
……1年前の布石をようやく回収出来ました。


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56話「ウラ・ノルド(3)」

(9/19 最後あたりを差し替えました)


 ノルド高原の異界にいた学者──ギデオンの提案により共和国軍に協力する事となったリィン達A班。彼らはその事を報告する為、ギデオンの先導で共和国軍司令官のいるテントに訪れていた。

 

「学生、それも帝国の士官学院に所属する者の協力か。本来ならば丁重に断っていたのだが……」

 

 司令官は憂いた瞳で周囲を見る。何人かの疲労しきった兵士が座り込み、中には怪我人と思しき男性が横に寝かされている。そう、今この状況は即ち、敵地の中で孤立無援と化した敗残兵と同じなのだ。手段を選んでいる場合ではないのだと、司令官も頭では理解していた。

 

「その提案、受け入れよう。──だが、我々は夕方頃、各方面へと偵察に向かった者達の報告を受ける手筈となっている。諸君らにはそれまで待機を命ずるが、異論はないか?」

「はい」

「そうか。ならば、一般人用に使っているテントに案内するとしよう」

 

 司令官が左手を上げると入り口で待機していた兵士がリィン達に歩み寄ってきた。彼がリィン達を一般人がいると言うテントに連れて行ってくれるのだろう。指示に従いテントの外、ぬめりとした空気の漂う湖畔へと出ていくリィン達。──しかし、”一般人用のテント”か。これは確認した方がいいかも知れないと、ガイウスは先導する兵士に近寄った。

 

「……何だ?」

「済まないが、1つお尋ねしたい」

「余り会話に付き合う余裕はないのだが、……まあ良いだろう。手短にな」

 

 ガイウスは失踪した2人の情報を兵士に伝えた。ふむ、と考え込む共和国軍の兵士に皆の意識が集中する。……ここで否定されれば可能性は潰える事だろう。文字通りこの異界は最後の望みなのだから。

 

「ノルドの子供、か。……確か、2名ほど保護したと言う話を耳にした様な」

「──! それは本当ですか」

 

 今度こそ、希望は繋がった。

 

 

 ──

 

 ────

 

 

「ガイウスあんちゃーん!!」

「ホントだ。ホントにあんちゃんだ」

 

「リリ、トーマ、よく……本当によく無事だった」

 

 一般人用のテントにいたリリやトーマと再会するガイウス。彼らはこの空間に半日いた為かやや疲れた様子であったが、怪我らしい怪我は見当たらない。再会を分かち合う家族を遠目で見たリィン達はほっと肩の荷を下ろした。

 

「──それにしても、共和国軍側に助けられていたなんてな」

 

 直前まで国家間の緊張状態を目にしていたが故に、リィンは心なしかモヤモヤとした違和感を感じていた。味方だった筈の帝国軍が脅威となり、敵対していた筈の共和国軍が結果としてリリ達を保護していたのだ。どっちが正しいのか分かったものではない。

 

「フン、考えるだけで無駄な話だ。立場や状況が変われば敵味方など容易に逆転する。善悪二元論で済む話じゃない事くらい、貴族であるお前も知ってるんじゃないか?」

「……悪いなユーシス。社交パーティーには出てないんだ」

「そうか」

 

 思いつめた様にうつむくリィンを見たユーシスは視線を外した。

 彼は彼なりに思うことがあるのだろう。青色の細い目を揺らすユーシスであったが、ふと、彼の視界に先導していた兵士が映る。

 

「……だが、油断ならないのは確かだろうな」

 

 リィン達をテントまで案内した共和国軍の兵士。

 彼は木の根元に座り込み、ただ無気力に項垂れていた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「──ではこれより、第8回臨時報告会議を始める」

 

 夕方。時計ではその時間帯になった頃、ノルド高原各地に散会していた共和国軍が続々と湖畔に集まってきていた。その中には疲れ切った様子の者もいたが、関係ないと言わんばかりに集合するのは流石と言わざるを得まい。

 

「あの、私たちも参加して良かったんでしょうか?」

「多分良いんじゃない? ほら、あのギデオンって人もいるし」

 

 ちらりと水辺近くを見ると、そこには学者であると言うギデオンの姿。部外者である筈の彼がここにいるのだから、機密保持が必要な会議ではないのだろう。そう勝手に納得するエマ達を短く見た共和国軍の司令は、真剣な表情で口を開けた。

 

「まずは脱出経路の調査を行った各部隊、報告を行い給え」

「ハッ、ノルド高原南部のゼンダー門、及び監視塔を目指しましたが発見できず。視界の悪化により帝国方面への脱出は困難と思われます」

「第二部隊より報告。ノルド高原を北上しましたが北端にて視界が悪化。ノルド高原の外部への脱出は失敗に終わりました」

 

 だが、彼らの報告はどれも芳しくないものばかり。

 分かった事と言えば、この世界にエレボニア帝国関連の施設がない事と、ノルド高原から外に出る事が出来ないと言う事実だけだ。──そして、悪い報告はこれに留まらない。

 

「共和国軍本部より報告があります」

 

 彼らの話によるとこの世界にも共和国軍基地はあり、本隊は今も基地周辺を調査しているらしい。……だが、問題はここからだ。

 

「補給物資を輸送中に戦車型の魔物と接敵。こちらも導力戦車を用い応戦しましたが、無限に現れる魔物に襲われ2名が意識不明、導力戦車も1輌を喪失したとの事です」

 

 魔物──恐らくはシャドウの事だろう。共和国軍の戦力は奴らを退けられる程に強力ではあるものの、補給もままならない現状では目減りしていく一方となってしまっている。共和国軍に広がる焦燥感は、ここにいるリィン達ですら共感できる程に深刻なものであった。

 

「如何致しましょうか。我らがこの異空間に閉じ込められて早2日、帝国軍も既にノルド高原の大部分を支配しているものと思われます」

「分かっている。早急にこの空間を脱し、帝国軍の侵略を阻止せねば」

 

 ……しかし、ここでリィン達は致命的な認識のズレがある事に気づく。

 

 帝国軍がノルド高原を侵略している?

 むしろ逆だ。帝国軍もまた共和国軍の強襲を警戒して偵察に徹している筈。

 

 この誤解は解かねばならないだろう。そう感じたリィンは訂正しようとする。

 

 しかし、

 

「いや、それは──「全く、帝国軍もふざけた真似を! 我らカルバード共和国を憚かる為にアーティファクトまでも持ち出すとは!」──え?」

 

 誰かの怒号が木霊してリィンの声を掻き消してしまった。

 

 アーティファクト──古代文明の人々が残した超常現象を発生させる遺物なら、もしかしたらこの現象をつくる事も可能だろう。

 ……だが、違うのだ。これはシャドウの関わる事件であり、帝国軍は何の関係もない。そう説明しようとするも、誰も話を聞こうとはしなかった。

 

 ──これが帝国軍のやり方か!

 ──絶対に、絶対に奴らを蜂の巣にしてくれる!

 

 ダムが決壊するが如く、四方八方から怒りの声が交わされる。最早リィン達に止める術もなく、この空間は怒りの念に覆い尽くされていた。

 

「な、何なの!? これ!?」

「飲まれるな! 彼らの知りうる情報と状況を考えれば当然の話だ」

「でも、だからって……!」

 

 まるで暴動でも起きた様な喧騒だ。内に溜め込まれた不満や怒りが吐き出され、反響する様に広がっていく。

 

 ……だが、それを収める存在がいた。

 共和国軍の司令官。彼が片手を上げると、ピタリと共和国軍に広がっていた喧騒が止む。

 

「これが、我らの置かれた状況だ。我らは帝国軍の手により危機的状況にある。──故に、手段を選んではいられない」

 

 共和国軍の銃口が一斉にリィン達へと向いた。下手な言動は許さないと言わんばかりの警告だ。

 

「一体、何を……」

「惚けても無駄だ。報告を聞いていた時の反応を観察させて貰った。──貴様らは何かを知っているな?」

 

 ──知っている? 確かにリィン達はシャドウに関してある程度知っており、旧校舎内部と言う異界の存在も経験している。

 だが、彼らの求める情報はそんな事じゃないのだ。この世界に現れた魔物については知っているが、脱出方法は知らない? こんな説明で納得して貰える程冷静じゃない事くらい、先の喧騒を見れば理解できる。

 

 この状況下でとれる最善の道とは何か。気取られない様に道を探すリィンであったが、時間は待ってくれない。共和国軍の司令が指示を下す、その寸前。

 

「も~、しょうがないなぁ」

 

 場違いな程にのうてんきな声が辺りに響き渡った。

 

「ミリアム? 何をするつもりなの?」

「何って、こうなったら方法なんて1つに決まってんじゃん」

 

 ミリアムはその水色の髪を揺らし、まっすぐ前へと歩いていく。

 眼前には無数の銃口。誰かの指先が少しでも動けば、鉛弾が彼女の脳天を貫くだろう。

 

 しかし、彼女は一切の恐れを感じない。なぜならば、

 

「強 行 突 破 ってね!」

 

 ミリアムのトリガーは既に引かれていたからだ。

 

 ──刹那、ミリアムの背中から現れたアガートラムがその腕を振り上げる。

 唐突な脅威に銃口がぶれるその一瞬。アガートラムの巨腕が地面を粉砕し、近場の共和国軍を吹き飛ばした。

 

「怯むな! 彼らから何としてでも脱出法を聞き出すんだ!」

「そんなの知ってる訳ないって! ──ガーちゃん、バリアー!」

 

 吹きあがる粉塵に向けて放たれた銃弾。

 だがそれは、アガートラムが生み出した不可視の障壁(アルティウムバリア)に阻まれる。

 

 幾つもの銃弾が地面に落ちる中、ミリアムは変わらぬ笑顔でリィン達へと振り返った。

 

「ささ、ボクがおとりになってるから、皆はあの2人を連れて逃げてよ」

「で、でも、それじゃミリアムが!」

「これくらい慣れっこだって! ボクも後から追いかけるからさ!」

「……ああ、後は任せたぞ」

 

 あまりに強引な手だが、戸惑っている時間はない。

 リィン達は共和国軍に背を向け、リリとトーマのいるテントへと走る。追おうとする共和国軍を吹き飛ばすミリアムを見る事なく、ただ全力でテントへと駆け出して行った。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ──裏ノルド高原、南部。

 無事2人を連れ出したリィン達は、湖畔のキャンプ地を離れ、追っ手や徘徊するシャドウから身を隠しつつも南へと向かっていた。旧校舎の異界とは異なり、ここは表のノルド高原に近い構造の空間となっているらしい。だからこそリリやトーマを連れている現状であっても共和国軍の目を掻い潜って進むことができていた。

 

「……ミリアムちゃん、大丈夫でしょうか」

「仮にもあいつは情報局の人間だ。あれくらい何度も経験しているだろう」

「ですが、彼女はまだ13歳ですし……」

 

 今、リィン達が向かっているのはゼンダ―門があったノルド高原の南端だ。

 共和国軍の報告では何もなかったそうだが、共和国軍のテリトリーである東へ逃げる訳にもいかない。せめて土地の理があるであろう場所を目指す為、A班の面々は広大なノルドの地を歩いて横断していく。

 

 ……だが、移動手段もなしにこの高原を歩くのは、予想よりも困難を極めた。

 大気は曇り、見晴らしもそれほど良くない異界のノルド高原。あまりに広すぎる為か進んでいる気がしない。いや、この世界が旧校舎と同じならば本当に進んでいない可能性すら考えられる。

 何も変わらない。見晴らしのきかない草原も、真っ白に曇った空も、何も変わらない。

 もし時計を持っていなかったら時間ですら曖昧になっていた事だろう。今更ながら、この空間が異常であると嫌でも認識させられる。

 

「……リィン、もうリリが限界だ。どこかで一旦休憩を取っても良いだろうか」

「そうだな。現実世界じゃそろそろ夜になる頃だし、夜営する場所も探さないと」

 

 こんな四方八方が開けた場所では休憩もままならない。せめて何処か隠れられる場所はないかと全員で探っていると、アリサが「あっ」と呟いてとある方向を指差した。

 ──リィン達の右方60アージュ先。そこの崖に身を隠せそうなくぼみが空いていたのだ。あそこなら身を隠せるだろう。不幸中の幸いだと、A班の表情にわずかな笑顔が戻る。

 

 ……だが、

 

(何だか都合が良過ぎないか?)

 

「どうしたの? リィン」

「……いや、何でもない。今行くよ」

 

 脳裏に過ぎった疑問を振り払い、リィンもまた崖際のくぼみへと足を踏み出した。

 

 と、その時。

 リィンのポケットから微かにクシャリと紙の音が聞こえて来る。

 

「──紙?」

 

 そんなものを入れてたか? 何気なくリィンはポケットに手を伸ばす。

 中から出てきたのはメモ用紙程度の小さな紙切れであった。ご丁寧に四つ折りされたメモを不思議に感じつつも開いていく。しかし、その紙に書かれていた文面を見た瞬間、リィンの目は大きく見開かれた。

 

 

 ──この世界に関する手がかりを見つけた。共和国軍の監視が緩む早朝に、ノルド高原北東部の石切り場で待つ。 ギデオン──

 

 

 一体いつの間に仕込まれたのか。

 それはあまりに怪しく、あまりに不自然で、同時に無視できない文章であった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ──

 

 ────

 

 

 ノルド高原の奥地にある石切り場。そこはかつてノルド高原に住んでいたとされる巨石文明の民が、建築資材の石を切り分け運び出す為に作られたとされる遺跡である。入り口は固い石材の扉で閉ざされ、苔の生えた階段状の建築物が広がる静かな秘境。……リリ達を探しに行ったあの時は、確かそんな場所の筈だった。

 

「──導力エネルギー充填」

 

 アリサが構えた弓の前方に導力の陣が生まれ、幾多の矢となって放たれる。

 ──ロゼッタアロー。赤熱した矢が直方体の石材に次々と命中し、轟々しい爆発を巻き起こした。

 

 後に残されたのは粉々になった破片が黒い霞となる光景。つまり、アリサが射抜いた石材はシャドウと言う事になる。

 

「あのメモの内容、どうやら本当だったみたいね」

 

 カーン、カーンと甲高い音が鳴り響く遺跡を見渡してアリサが呟く。

 

 そう、石切り場の遺跡内部は異様な空間へと変貌していた。

 岩を削る音とともに、独りでに壁の石材が削られていく。そうして切り出された石材には不気味な手足が生え、自立して外へと歩き始めているのだ。先ほどアリサが倒したシャドウもその内の1体。まるで悪夢の中にいる様な不気味さに、自然と鳥肌が立つのをアリサは感じていた。

 

(……でも、怖がってちゃいけないわよね)

 

 後方へとアリサは視線を移す。

 そこにはリィン達に守られる形でついて来たリリとトーマが、手を握り合って恐怖に立ち向かっていた。

 

「ううぅ~……」

「大丈夫かリリ。絶対に守ってやるからな」

「トーマ、今はお前も守られる側だ。あまり俺から離れない様にな」

「わ、分かったよ、あんちゃん」

 

 本来ならばどこか安全な場所に置いてくるべきなのだが、残念なことに安全な場所など何処にもない。ミリアムが未だに戻ってこない現状では戦力の分断もままならない為、リィン達は仕方なく彼らも連れていく事にしたのだ。

 

 ……しかし、今にして思えば、この方針はそれ程悪くなかったかも知れない。

 何故ならこの場には、もう1人護衛せねばならない人物がいたからだ。

 

「ふむ、この地に伝わる伝承が反映されたとみるべきか……」

 

 自身を学者だと言う灰髪の男、ギデオン。彼はくたびれた眼を細めて石切り場を注意深く観察していた。今の彼にとってこの異界も興味の対象でしかないのだろうか。まるでシャドウに恐怖を抱いていない様子を見ていると、何故だか得体の知れない不気味さを感じてしまう。

 

「ギデオンと言ったか。そろそろ説明して貰おう」

「何の事だ?」

「とぼけても無駄だ。何故リィンのポケットにあんなメモを仕込んだ? それに、共和国軍が見つけられなかったここを発見した事も不自然極まりない」

「フッ、何だそんな事か。──なに、私も諸君らと同じく知っている側の人間だと言うだけの話だ」

 

 知っている側。その単語が出た瞬間、リィン達の間に緊張が走る。

 

「クク、どうしたのかね」

「……ギデオンさん。あなたは一体?」

「それは前に一度言ったはずだが。──私は学者だ。それも、今は帝国で噂になっている”ある魔物”を研究している」

 

 ギデオンは、わざとらしく"ある魔物"と言うワードを強調した。恐らくは確認を兼ねての行動だろう。故にリィンも今まで控えていたワードをあえて口にする。

 

「"シャドウ"の研究を?」

「フッ、そう捉えてくれて構わん」

 

 シャドウの単語を聞いたギデオンは満足げにうなずき、「続きは進みながらするとしよう」と勝手に進んでいってしまった。残されたリィン達5名とリリ・トーマ。彼らは一瞬足を止めて考えた後、ギデオンを追って石切り場の奥へと走っていった。

 

 

 ……

 

 …………

 

 

 入り組んだ洞窟の内部。依然として不可思議な光景が続く中、ギデオンが唐突な問いかけをしてきた。

 

「……諸君らは、上位3属性についてどれだけ知っている?」

 

 流れを考えるに、これもシャドウに関するものなのだろうか。

 疑問に感じつつも、アリサは素直に答える事にした。

 

「上位3属性って、空、時、幻の導力魔法の事ですよね?」

「ふむ、一般人が知るのは所詮その程度か。……面倒だが仕方あるまい。導力オーブメントに使用される七耀石は四大元素である”地水火風”と、空間・時間・因果を司る”空時幻”の計7種類存在している。しかし、自然界に巡るエネルギーは地水火風の下位4属性だけだ。その矛盾を今まで不審に思った事はないか?」

「え? でも、それは当たり前の事で……」

「当たり前、か。──私も以前はそう思っていた」

 

 そう言いながらギデオンは懐から銃を取り出し、同時に小石を拾って空中へと投げた。次の瞬間、発砲音が1つ木霊する。ギデオンの導力銃から放たれた銃弾が小石を貫いたのだ。……だが、その後小石が落ちた音は聞こえてこない。銃弾が小石に接触した瞬間、謎の発光とともに小石自体が消滅した為である。

 

「消えた!?」

VANISH(バニッシュ)……。もしかして、ここは上位属性が働いているんですか!?」

 

 その事実に一番驚いていたのは意外な事にエマだった。

 いや、彼女の言葉を聞く限り、エマはこの異変について何か知っているらしい。四面楚歌の視線を浴びたエマはしまったと言った表情をした後、観念したのか今の現象について説明し始めた。

 

「今のはVANISHと言いまして、空、つまりは”空間”を司る力によって異空間に飛ばされる現象なんです」

「い、異空間!?」

「一時的に、ですけどね。上位属性の働いている場所は他にも時、幻の力が働いていて、時には因果を無視して死に至らしめる事もあるらしいです」

「なるほど。本当に委員長って物知りだな」

「えっ!? いや、その……、この前偶然本に書かれていたのを見つけまして……」

 

 慌てて弁明するエマ。明らかに何かを隠している様子であったが、今はそれよりもギデオンの話を聞くことが先決だ。シャドウのいる空間と上位属性。その因果関係を知らねばならないのだから。

 

「ギデオンさん。それで、この上位属性の働く空間がシャドウと何か関係が?」

「単純な話だ。──シャドウはこの上位属性と特段相性がいい。その為、奴らは上位属性が働く場所に集まり異界を形成していると言うのが、私の研究成果となっている」

 

 そのまま彼は詳細について説明し始めた。

 

 ──帝国各地に現れたシャドウ。奴らは通常兵器では倒せないにも関わらず、継続的な被害をもたらしている様子は見られない。それは何故か? ……答えは、シャドウが現実世界とは異なる世界へと移動していた為である。そもそも、空間・時間・因果の3種は人の心・認識に大きく関わってるとの説があるらしく、心と深く関わっているシャドウにも似た性質が見受けられるらしい。だからこそ、襲撃を終えたシャドウ達は上位属性のある場所に集い、異界を形成していると言うのがギデオンの話であった。

 

「つまり、このノルド高原に来たのも古代文明の遺跡があって、上位属性が働く場所がないか探していた、と言う事ですか?」

「フフ、まあそんなところだ」

 

 だとしたら、軍より先に見つけられてもおかしくはないのだろうか? 共和国軍に伝えなかった理由としても、リィン達と同じだとすれば説明もつく。他に考えることはないか?と思考を巡らせるリィンであったが、ふと、素朴な疑問が浮かんできた。

 

「この話が本当だとしたら、上位属性の働く場所を探せば効率的にシャドウ事件に対処できるんじゃないか?」

「多分それは難しいと思います。何せこの帝国には古代と関わるものが至るところにありますから」

「……そう言えば、ライ達のいるブリオニア島にも遺跡があるって話だったな」

「ええ、あそこにもノルド高原と同じような巨像があると聞いています」

 

 もしや、ライ達の方でもシャドウ関連の事件に巻き込まれているのか? そんな思考が過ぎったリィンはわざらしく頭を振って思考を散らす。ライの事だから本当になってしまいかねないとリィンの直感が訴えたが故の行動である。

 

 ……そうこうしている内に、リィン達は石切り場の最奥へと辿り着いた。

 ぽっかりと開けた洞窟内の空間。そこには遺跡の柱が乱立しており、苔に覆われた石が歴史を感じさせる。

 

「行き止まり?」

「そう、みたいですね」

 

 結局、この異界を生み出した原因とやらは見つからなかったと言う訳だ。

 少々の落胆を感じつつも、広場を見渡したリィンはギデオンに向かい直る。

 

「どうやらこの場所は外れの様ですが、まだ他に道があるかも知れない。ご同行願えますか?」

「了解した。……しかし、その前に1つ聞かせて欲しいのだが」

 

 ギデオンの視線がリィンの太刀へと向かう。

 ……もしや、リィン達の持つ力が気になっているのだろうか。確かにシャドウを殲滅できる力は研究者にとって無視できないものだろう。それに、あれだけの情報を貰っておいてリィン達だけ答えないと言うのも無礼な話だ。

 

 仕方ないか。

 リィンがペルソナについて話そうとした。

 

 

 ……だが、その時、

 

「そこまでだ」

 

 ユーシスの手が、リィンの視界を遮った。

 

 

「ユーシス? どうしたんだ?」

「フン、これだからお人好しな人間は。信用にたる人間かどうかは、もう少し慎重に選んだ方がいい」

 

 妙に刺々しい口調でユーシスはギデオンを睨み付ける。

 まるで確信を持ったかの如き、敵対的な視線だ。

 

「ギデオン。貴様、何故そこまで知っている?」

「答えるに値しないな。私の研究はまだ軍にも伝えていない。何もおかしくはないのではないか?」

「……いや、十分に不自然だ」

 

 ユーシスは直剣を抜いてギデオンに突きつける。

 

「シャドウが心の存在だと言う事実はここ最近になって発覚したものだ。軍への報告もしていない学者が、それを当然の事実として話すはずがあるまい」

 

 そう、仮にギデオンが独自に心の存在だと発見したのであれば、それも研究成果として口にしていなければおかしい。それをしなかったと言う事は、ライ達が軍へと報告した内容を知っているにも関わらず、故意に情報を隠していたと言う事になる。……そんな真似が通用する程、帝国は自由な国ではないのだ。

 

「貴様、普通の学者じゃないな?」

 

 ユーシスの刃先がギデオンの首元に伸びる。

 余計な真似は許さない。これは、その意思表示であったのだが──

 

 

「──ふむ、そろそろ潮時か」

 

 突如、真っ黒い何かが地面から吹き出し、ユーシスの剣を吹き飛ばした。その黒い何かとは即ちシャドウ。そう、シャドウがギデオンを守ったのである。

 

「ッ、本性を現したか」

「改めて自己紹介させて貰おう。──我が名はギデオン。革命の火種をまき、帝国に入り込んだ巨悪を打ち滅ぼさんとする者だ」

 

 ギデオンはシャドウを前にしながらも悠然と懐からあるものを取り出した。月の明かりが零れる青色の薬剤。それはまさしく、リィン達が追っていたあの薬である。

 

「……グノーシス。本当に、お前がこの事件の黒幕なのか? ケルディックの時も、セントアークでの一件も、お前が!?」

「ああ。その件に関しては感謝しているよ。お陰で私はまた一歩、かの世界について知識を深めることが出来た」

 

「かの世界? ……いや、そんな事はどうでもいい。ギデオン、今はお前の目的を聞く事が先だ!」

「目的? ああ、この地に来た目的ならば既に達成している。──実に単純な流れだった。帝国軍と共和国軍を引きはがし、お互いに偏った情報を信じる様に場を整える。たったそれだけであの有様だ」

 

 それではまさか、あの共和国軍の集団意識を作り出したのは彼が原因だったのか? 思わずリィンの太刀に力が籠るが、ギデオンの前に出現したシャドウは分厚く、容易な接近を許さない。

 

「無駄だ。このシャドウは仲間を召喚し続ける。そう言う願いを刻んでおいた」

 

「御託はいい。貴様が俺達をここに誘き寄せた理由を教えて貰おうか」

「ああ、その話か。それならば先ほど言った筈だが? 私はお前達に聞かねばならないことがあると」

 

 ……そういえば、ユーシスに止められる前にそんな事を言っていたか。

 

 ギデオンは一体何を聞くつもりだ?

 リィン達は武器を構えたまま、ギデオンの一挙一動に意識を払う。そんな中、彼は含みのある笑みを浮かべ、

 

 

「ペルソナ、と言ったか。──何故、お前たちが”かの世界”の力を振るえている?」

 

 

 そう、リィン達に問いかけた。

 

 

 

 

 




……済まない。3話で終わらなかったんだ。

なお、空時幻が人の思考と関わっていると言うのは軌跡にない独自設定となっております。詳しく知りたい方は哲学者のカントで検索を。ペルソナは何気に哲学の要素を多分に含んでいますので、シャドウが時空間を操れる理由はこれかなぁ?と考えながら読んでみると色々面白いです。

――とまぁ、そんな事より、遂にペルソナ5が発売しましたね!
私はこの話が書きあがるまでプレイしないと勝手に決めていたのでまだ開封していませんが、限定版のBGMを聞くだけでテンション上がります!
皆様も良いゲームライフを!


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57話「ウラ・ノルド(4)」

 ――かつて、とある日の夕方。

 緋色の煉瓦に染まった大都市の宿に1人の男が泊まっていた。

 

 彼は茜色の夕焼けが差し込む薄暗い部屋に座り込み、何十枚もの地図を古い木製のテーブルに広げている。その地図に引かれているのは何十何百もの線。余白を埋めるかの如く書き込まれた文字には、線を補足するかの様に時間が書かれていた。

 

「……深夜の交代を狙って……。……いや駄目だ。すぐに別地点の警備に囲まれてしまう」

 

 そう、男は都市の警備を何日もかけて調べつくしていた。目的は警備の穴を見つける事。しかし、何十時間、考えに考えを重ねていても答えは見つからなかった。

 カリカリと鉛筆の走る音だけが室内に響きわたる。……だが、しばらくするとその音は不安定になり、終いには鉛筆をへし折ってしまう。その心中にあるのは底のない焦りだ。いくら考えても答えが出ない。どれほど策を巡らせても力が足りない現状に、男は心底苛立っていた。

 

 窓の外からは何も知らぬ人々の声が聞こえてくる。

 平凡な生活を暮らしている誰かの声。男は集中したいのに、雑音が耳を騒がせて落ち着かない。苛立っていた男は歯を食いしばって耳を塞ぐ。

 

 

 ――だが、その騒音は唐突に消え失せた。

 

 

「……む?」

 

 しんと静まり返った室内。

 もしや、外で何かが起こったのか? 男は不審に思いつつも窓へと向かい――そして、我が目を疑った。

 

 帰りの最中だと思われる親子。

 導力自動車の仕分けをしている警備の男。

 

 それら全てが、時間でも止まっているかの如く静止していたからだ。

 

「な、なんだ、これは……!」

 

 男は2度3度と窓の外を見渡す。

 見間違いじゃない。確かに時間が止まっている。

 

 今日は何事もない普通の日だったはずだ。ならば今目の前にある光景は一体何なのか? 時間などそう簡単に止まっていいものではない。

 

 ……今は原因を探らねば。そう考えた男は急ぎ宿を飛び出す。

 ねっとりと重い空気を掻き分けて、静止した煉瓦の道路へと辿り着いた男は周囲を注意深く見渡した。

 

 街並み――変化なし。

 人々――まるで写真の様に静止している。

 空――夜空に染まり欠けた夕空に、1本の黒い線が伸びている。

 

 ……黒い線?

 それは、明らかに不自然な光景だ。

 

 男は目を凝らして上空を見つめる。

 空を両断し左右に広がっていく黒い線。男はある時、それが線ではない事に気がついた。

 

「……あれは、扉、なのか?」

 

 そう、黒い線、いや暗い線とは即ち扉の隙間。蜃気楼のように不確かな青い扉が、遥か上空に浮かんでいる。

 

 全容を把握した男はそれでも、眼前に広がる光景を疑った。

 無理もないだろう。雲より遥か上空――音もなく開かれていく青い扉は、空を覆い尽くすほどに大きく、まるで”世界”を隔てているかの如き威圧を放っていたのだから。

 

 

 …………

 

 ……

 

 

 彼にとって、それが全ての始まりだった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ――ノルド高原の異世界、石切り場最深部。

 ドーム状にぽっかりと空いた遺跡の奥地で、何体ものシャドウを従えたギデオンがリィン達に向け1つの問いかけを投げかけた。

 

「……かの、世界?」

 

 しかし、その問いはリィン達に答えられるものではなかった。

 "かの世界"とはいったい何なのか。それは全く身の覚えのない単語であったが故に、思わず口から反芻の言葉が漏れてしまう。

 

「おや、私が何かおかしな事でも言ったかね?」

「……ええそうね。平然と"かの世界"なんて言うなんて、小説の読みすぎなんじゃないかしら?」

「何を言う、シャドウとは即ちニュクスの断片。なれば、シャドウと性質を同じくするペルソナもまた、かの世界の力に他ならな――」

 

 ギデオンは何かに気づいたのかハッとした顔で言葉を止めた。そして少しの間考え込んでいたかと思うと、今度は嘲るような表情へと変貌する。

 

「ほう……そうか、これは実に愉快だ! まさか、かの世界に最も近い場所にいる者達が、自らの力の根源すら気づいていないとはな!」

 

 武器を構えたリィン達を前にして、尚も不用心に嘲笑うギデオン。その余裕はリィン達がシャドウを突破できないと踏んでのものか。その傲慢さはチャンスでもあったが、今は少しでも情報を引き出さなければならない状況であった。

 

「根源とは、集合的無意識のことか?」

「クク、それではせいぜい50点と言ったところだ」

 

 ギデオンは興に乗ったのか、まるで教鞭でも振るうかの如く言葉を続ける。

 

「我々の世界にも当然集合的無意識は存在している。だが、こことは別の世界に存在する集合的無意識は少々特別でね」

「特別? ……まさか、さっき呟いた”ニュクスの断片”とやらが?」

「ほう、よく聞いていたな。――ご想像の通り、かの集合的無意識には世界の死とも言える存在、ニュクスが封じられている。それこそがシャドウの根源。抑圧された感情が力を持つに至った原因だ。故にその因子を無意識に持たぬ我々がシャドウを生み出すには、少々面倒な手順が必要なのだよ」

 

 やれやれと、ギデオンは自身の苦労を伝えたいのか大げさに首を振る。そして、

 

「考えうる手順は2通りしかない。私の様に人為的にシャドウ因子を取り込ませるか、……もしくは、”直接かの世界の無意識に繋がる”かだ」

 

 暗く鋭い視線で、ギデオンはそう締めくくった。

 

 ――心当たりはないのか。

 彼がそう問いかけて来ているのは明白なのだが、生憎リィンには心当たりなどない。

 

 

 ……ない、筈なのだが、

 

(何で、何でここでライの姿が浮かぶんだ)

 

 いや、理由など分かっている。

 ペルソナの根源、繋がると言うキーワード。そのどれもが1人の人物に結びついてしまっている事にリィンは既に気づいていた。

 

 しかし、だからと言って素直に話す必要もない。

 

「……悪いが、俺は何も知らないな」

「そうか。――ならば、検証を次の段階へと移させて貰うとしよう」

 

 ギデオンは、予想していた回答だと言わんばかりにその手を振るう。それは合図だったのだろう。ギデオンの周囲に集まっていたシャドウが弾けるように動き出し、リィン達へと襲い掛かる。

 数は10、いや20を超えるくらいか。鎖をつけた獅子型のシャドウに、ランタンをぶら下げた鳥型のシャドウ。それら全てが弧を描き攻めてくる中、ユーシス達は即座に距離を取り陣形を組み直した。

 

「――ちっ! 話は終わりと言う事か!」

「ユーシス、戦術リンクを!」

「ああ、言われるまでもない!」

 

 リィンとユーシスの間に結ばれる戦術リンクの光。と、ほぼ同時に、獅子型のシャドウが大きな口を開け跳びかかって来た。

 

 迫り来る鋭い牙、ユーシスが咄嗟に直剣を構えて受け止める。

 ギリギリと火花を散らす刃と牙。だが次の瞬間、獅子の頭を一閃の斬撃が斬り飛ばした。そう、戦術リンクによって正確に状況を掴んでいたリィンの斬撃である。

 

 宙を舞い地に落ちる獅子の頭。黒い霞となったその向こうから、今度は羽根を羽ばたかせた2体のシャドウが飛来する。洞窟の暗がりに乗じた奇襲は前衛を突破し、向かう先には後方で守られていたリリの姿があった。

 

「……ぇ」

 

 状況に追いつけずうろたえるばかりの少女。今この場において、反射的に動けた人物は1人しかいなかった。

 

「――ぐっ……!」

「あんちゃん!」

 

 リリをかばう形で前に出たガイウスの腹部にシャドウの鋭いくちばしが突き刺さる。静止するシャドウ、だが、足にぶら下げたランタンに魔法の光が灯った事に気づいたガイウスは、シャドウを強引に掴み無理やり引き離した。

 

「……っ、アリサ!」

「ええ!」

 

 ガイウスの合図に合わせ、アリサは矢を解き放つ。シャドウの胴体を貫通する導力の矢。発動寸前に狙いをそらされたシャドウの火炎魔法(アギラオ)は、血を流すガイウスの数歩右側の空間を焼き尽くした。

 

 ……戦局は防戦一方だ。リィン達がシャドウを倒した今もシャドウは増え続け、ギデオンへの道は遠のいていく。多勢に無勢とはまさにこの事か。四苦八苦するリィン達を見て、ギデオンは満足そうに問いかけてきた。

 

「どうした、ペルソナとやらを使わないのか?」

「誘導しようたって無駄よ! この程度の数なんてペルソナを使うまでもないわ!」

「――ふむ、使えないのか? いや私の推察が正しければ……」

 

 そう、彼にとってこの戦いは実験と検証でしかない。戦いを長引かせる事すら悪手。その事に気づいたアリサは、弓を引きながらもリィンの元へと駆け寄る。

 

「リィン、不味いわよこのままじゃ」

「ああ。……こうなったらもう、ギデオンを直接叩くしかないかも知れない」

「で、でも、その為にはこのシャドウの群れを何とかしないと」

 

 津波が如く迫りくるシャドウの群れ。奴らを何とかする為には元凶であるギデオンを止める必要があり、ギデオンを叩くには間にいるシャドウを倒さなければならない。加えて、ギデオンは導力魔法の展開範囲をぎりぎり超える距離を維持している。矛盾する勝利条件。しかし、リィンの手の内には1つだけ可能性が残されていた。

 

(八葉一刀流、二の型を使えばシャドウを抜けられる。……けど)

 

 しかし、リィンには全力を出せない理由があった。

 リィン内に秘められた正体不明のなにか。己がシャドウを生み出したきっかけでもある制御不能の暴力。もし、二の型を使って暴走してしまった場合、何が起こるか分かったものじゃない。

 

 太刀を握る手に汗が滴る。何時からか胸にある傷跡が痛む。

 ……それでも、リィンの選択は決まっていた。

 

「方法は、……ある」

「本当?」

「ああ。でも、それには後少しだけ近づく必要がある」

 

 歯を食いしばって太刀を構えたリィンの姿を見て、アリサも覚悟を固めた。

 

「分かったわ。――エマ! 前方に導力魔法(目くらまし)をお願い!」

「はい、分かりました!」

 

 エマの周囲に展開される導力魔法の陣。その赤色の導力はシャドウ達の足元へと展開され、強烈な熱量へと変換される。――フレイムタン。地面から噴き出す灼熱の炎がシャドウを覆い尽くし、一時的ではあるがシャドウの視界を覆い尽くす。

 

 その炎の障壁を突き破ったのは一筋の矢であった。

 アリサの放った導力の矢はシャドウに当たり四散する。しかし、矢の軌跡をなぞる様に駆け抜けるリィンが、そのシャドウを斬り分け更に前へと躍り出た。

 

「ほう、防衛を金髪の青年に任せ、自身は決死の突撃か」

 

 ギデオンまで距離はまだ遠い。――だが、 八葉一刀流を修めているリィンにとっては、こんな距離0に等しかった。

 

(ここだっ!)

 

 ――二の型、疾風。

 

 ギデオンまで後10歩強の距離に迫った瞬間、リィンの像がぶれる。

 文字通り風を一体となったかの如き急加速を行ったリィンが、対処すら許さない速度でギデオンへと接敵した。暴走の気配はない。文字通り疾風と一体になったリィンの斬撃がギデオンへと迫る。

 

 ……しかし、リィン達は気づいていなかった。

 ギデオンにとってこの戦闘は、最早戦いですらなかった事に。

 

「――駄目! 罠だよリィン!」

 

 突如、ギデオンの上方にある天井が粉々に吹き飛んだ。

 現れたのは全長数アージュもあるかの如き巨大な石造の腕。明らかに人工物なその拳は、ギデオンへと接敵していたリィンへと振り落とされた。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「……リィンっ!」

 

 地面が砕かれ土埃に覆われる中、アリサは大声で叫ぶ。

 クレーターの様になってしまった地面を見てもリィンの無事は確認できない。それに加え、先ほど聞こえてきた声がアリサの思考をかき乱していた。

 

「あっちゃー、ちょっと遅かったかぁ」

 

 上空に浮かぶアガ―トラムから飛び降りた幼き少女、ミリアム。昨日から姿を見せなかったクラスメイトが前触れもなく現れたのだから。

 

「ミ、ミリアム!? いったいどこから――」

「へへっ、強いて言うなら空かな? ほんとはもうちょっと早く合流したかったんだけど、途中で”あんなもの”をみつけちゃってさ」

 

 言動はいつも通りの明るさだが、ミリアムはいつになく真剣な表情で前を見据えていた。油断をしている場合じゃないのだろう。そうである事は、崩れた天井の向こう側に存在する”あんなもの”を見れば一目瞭然であった。

 

 岩で出来た巨大な腕。人を思わせるシルエット。

 そう、リィンを押しつぶした腕の正体とは即ち、表のノルド高原で見たあの巨像であったのだ。

 

 アリサ、エマ、ガイウス、あのユーシスでさえ言葉を失った。あれはシャドウではなく、まして人でもない。正体不明、異形の”何か”がアリサ達を見下ろしている。その威圧感たるや、時間が止まったのではないかと錯覚するほどだ。

 

「クク、ハハハハ! 嗚呼、何とも愚かな結末だ。あと一歩のところまで来ておきながら、まさか自らの認知によって殺されるとはな!」

 

 しかし、ギデオンだけはそうでなかった。その言動はまるで喜劇を見た観客の様。リィンを罠にはめた当人としては、いささか他人事過ぎるのではないだろうか。

 

「何よ、その言い方……!」

「違うよアリサ。彼はなにも嘘は言ってない。あれはまちがいなく”ボクたちの心”が生み出したバケモノなんだよ」

 

 だが、そうではないのだとミリアムは告げる。

 その言葉にピクリと反応したのは、楽し気に嘲笑っていたギデオンであった。

 

「……ほう、昨日からこそこそ嗅ぎまわっていた様だが、どうやら確信に辿り着いたと見える」

「まぁ、このボクにかかればどうってことはないよ。――この世界ってさ。”共和国軍から見たノルド高原”と”リリやトーマにとってのノルド高原”。そして”ボクらやキミが経験したノルド高原”が混ざった世界なんでしょ?」

 

 正解だ、とギデオンはメガネに指をかけて答える。

 

「どういう事なの? ミリアム」

「えっとね、単純に言っちゃえば、ここは中に入った人たちの心によって形が変わる世界なんだ」

「……心?」

「うん。心の存在であるシャドウが生み出した心の世界。だから、ボクらが巨像を見て”動きそうだ”と感じちゃったから実際に巨像も動き出すし、共和国軍のひとが”ここは帝国軍の作った罠なんだ”と思っていると、ホントに”逃げられない罠”になっちゃう」

 

 心によって性質が変わる世界。それは耳当たりの良い言葉に聞こえるものの、実際のところ酷く理不尽な世界であった。罠だという認識と不安が脱出を不可能なものとし、恐れが敵となって現れる。現に昨日、目的を見失ったリィン達はどこにも辿り着けない状況へと陥ってしまっていた。

 

「つまり彼らは、自らの思い込みによって囚われてしまっていたのですか?」

「さっすがエマ! 話が早いね!」

「いえそんな。……でも、これで1つ分かりました」

 

 エマは確信を持った表情で、ギデオンに向けて導力杖を構える。

 

「旧校舎の様に脱出の道がなかったのは、共和国軍の方々がそう認識してしまっていたから。つまり、彼を捕まえ共和国軍の誤解さえ解ければ脱出も可能なはずです」

 

 そう、状況は至ってシンプルに纏まった。ギデオンを黒幕として突き出せば共和国軍の認識だって変わる。未知のアーティファクトで捕らえられたと考えるよりも、直接誘導されていたと考えるほうがよっぽど現実的だからだ。

 

「クク、全く持ってその通りだが、果たしてお前達にそれが可能か? 今しがた同胞が潰されたのを忘れた訳ではあるまい」

 

 しかし、解が分かったところでギデオンの余裕を崩すまでには至らない。

 依然として状況は劣勢。今だってリィンの安否を確認しに向かう事すら出来ていないのだから。

 

「ふざけないで! まだやられたと決まった訳じゃないわ!」

「まさか腕の向こう側に逃げ延びたとでも思っているのか? 残念ながら、私の側から確認しても彼の姿は――、――ッ!?」

 

 だが、状況は突如一転した。

 

 そのきっかけは、ギデオンが 地面へと突き刺さっている巨像の腕を視界に入れた事。

 今の今まで余裕の態度を突き通していた表情が崩れ、細い目を見開いて巨像の指先を確認している。

 

 アリサ達が見えない拳の反対側。

 ギデオンだけが見える指の一本が、刃で斬られたかの如き鋭さで両断されていたからだ。

 

「――馬鹿な」

 

 ギデオンは我が目を疑った。

 

 巨像の拳に人一人が入れる程の安全地帯が存在している。

 まさかあの学生!とギデオンが察したその瞬間。今度はギデオンの前に佇んでいたシャドウが真っ二つになった。

 

「何だ、何が起きている……!?」

 

 一閃。十閃。

 ギデオンの前後左右、様々な場所にいたシャドウが次々と両断されていく。

 余りの速さに姿が見えない。何かが動く暴風と、無差別に切り裂いていく斬撃だけが残されていた。

 

「――アアアアアアアアアアアアアッ!!」

 

 どこからともなく正気を失った青年の叫びが響き渡る。

 同時に斬り飛ばされる幾体ものシャドウ。最早、数の理など何の意味もなさない。

 

 間違いなくあの学生だとギデオンは即座に理解した。

 が、それでも既に状況は手遅れだ。

 

 視界に捉えられない程の速度。圧倒的な暴力。

 気が付けば、ギデオンの周囲にいた筈のシャドウは数えるまでに減っていた。

 

「クッ、失策だ! あの男だけでなく、貴様も”特別”だったと言う事か! ――だがっ!」

 

 斬撃の大嵐。その中心で恐ろしいまでの殺気を感じたギデオンは、とっさに懐へと手を伸ばす。

 漸く視界に捉えたリィンの姿。何故か白い髪へと変貌し、長い太刀を我が物として振るう彼に対し、ギデオンは寸前のタイミングで懐から”古い鏡”を取り出した。

 

「私とて、備えの1つぐらい用意している!」

 

 音すらも置き去りにして振るわれたリィンの太刀筋。

 それはギデオンの胸元、鏡に映った”リィン自身”を切り裂いた。

 

 ――血しぶきが舞い上がる。

 ただし、切り裂かれたのはギデオンでなく、斬りかかったリィンの方であった。

 

「リィンさん!」

 

 肩がぱっくりと割れ、リィンはエマ達の元へと吹き飛ばされる。数度バウンドして静止するリィンの体。真っ赤な血が流れる傷口を確認したエマは、大慌てで導力杖による応急処置を試みた。

 

「い、委員長……、俺は……」

「安静にして下さい! いま治療しますから!」

 

 柔らかな光がリィンへと降り注ぐ中、アリサやユーシスは2人を守る様に前に出る。

 先ほどまでのリィンはまるで別人の様に荒々しいものであった。しかし、アリサ達は既にリィンから”制御できない力”について聞いているのだ。今はもう普段通りの黒髪に戻っている事もあり、迷う事なくリィンをカバーする形になった。

 

 むしろ、この暴走に一番動揺していたのはギデオンの方だ。

 

「……正直、瀬戸際だった。まさか対共和国軍を想定し用意していた”物反鏡”が役に立つとはな」

「フン、反省したか? 他者を侮るからこう事になる」

「ああ、ああ反省した。お前達は研究対象として、いささか危険すぎる存在だとな……!」

 

 イレギュラーの存在。学生の身でありながら、この状況を逆転させかねない力。

 それらの要素から導き出せる要素はただ1つ。

 

「検証の続行はもはや望めまい。ならばせめて、苦痛なき世界へとお前達を送り届けよう」

 

 今までリィン達が無事だったのは一重にギデオンの目的が検証だったからだ。シャドウが一斉にかかってこなかったのも、認知の巨像をギリギリまで使わなかったのも、全ては適切な負荷をかけようとしていたからに他ならない。

 

 だが、それももう終わりだ。ギデオンは諦めた。

 

「――さあ、死出の旅へと向かうがいい!」

 

 天井に空いた穴の先から覗き込む巨像に向け、ギデオンは再び動けと命じる。今のリィン達を相手取るならばその一言だけで十分だ。

 苔の生えた巨像が、曲がる筈のない関節を動かして歩き始める。

 一歩。単に足を踏み出しただけで地は揺れ、天井の岩盤も粉々に崩れ落ちてくる。

 

 限られたスペースであるこの再奥地において、もはやリィン達に逃げ場はなかった。

 周囲に落ちる瓦礫の山。前方からは身長以上もある巨大な手が迫ってくる。虫を潰すような無造作な動きで、しかし確実にリィン達を殺さんとする無機質な手のひら。

 

 エマに治療されていたリィンは、朦朧とする意識の中でその光景を目にしていた。

 

 どうしようもないのか? と、リィンは血の足りない体に力を入れる。

 しかし、今の状態ではどうしようもない、とリィンの経験は答えを導き出してしまっていた。

 

 後できる事と言えば、止まってくれと女神に祈るくらいしかない。

 

 

 ――そう結論づけたからこそ、次の瞬間リィンは驚いた。

 

 

 後2秒と経たず襲い掛かってきたであろう巨像の手が、文字通り途中で静止していたからだ。

 

 周囲に落ちてきた岩盤も宙で止まっている。

 ギデオンも、リィンを治療していたエマも、ユーシスもミリアムもガイウスもリリもトーマも、全て動かない。

 

「……え? な、なにが起こってるの?」

 

 唯一リィン以外で動いていたのは弓を構えたアリサのみ。

 静止した世界で戸惑う2人であったが、更なる異変がすぐに起こった。

 

 ――真っ白にくらむ視界。その奥にそびえ立つ、世界を隔てる様に巨大な青い扉。

 

「あれ……は……」

 

 リィンはあの扉に見覚えがあった。

 かつてライと戦術リンクをした際に現れた扉。自身のシャドウが現れたあの建造物だ。

 

 しかし、扉の向こう側にいたのはリィンのシャドウではなかった。扉の向こう側に広がっていたのは無数の星々が浮かぶ空間。その中央には見慣れた灰髪の青年――ライが静かに浮かんでいた。

 

(……何なんだ)

 

 リィンはギデオンの言葉を思い出す。

 あれは、間違いなくライの事を言っていた。

 

(ライ……、お前はいったい……!)

 

 星々の海に浮かぶライはリィン達に向け右手を掲げた。

 その手には月の様な輝きを放つARCUS。傍には黄金の蝶を侍らせ、ライは共鳴の光を解き放つ。

 

 

 ――繋がれ(リンク)――

 

 

 突如、リィンとアリサの周囲に青い光が迸る。

 体の内側から溢れ出たそれは人の形となり、リィン達の背後に顕現する。

 

 訳が分からない。

 理解不能な状況だが、1つだけ確かな事もあった。

 

「……打ち破れ」

 

 そう、起死回生の一手はまだ、この手の中に。

 

 

 ――ペルソナ……!

 

 

 青い焔を伴ったリィンのペルソナが懐の剣を抜き放つ。

 

 一瞬、世界が切り裂かれたかの様な錯覚。

 単純に人体の数倍もある刃に裂かれ、リィン達を襲うはずだった巨像の腕は肘の辺りから分断される。

 

 と、同時に静止していた時が動き出した。

 

「みんな、ボクの後ろに――って、えっ!?」

「ペルソナ!? そんな、ど、どうして戦術リンクが!?」

 

 巨像の腕が吹き飛び、石切り場の壁に突き刺さる。

 今のは本当に時が止まっていたのか。それとも極限状態でそう感じたのかは定かではない。

 しかし、時が止まる瞬間に何かが起こったのは明白であった。

 

 突如としてリィン達全員のARCUSが共鳴の光を発している。

 時の静止を知覚しなかった他の面々も、その光を見て何かが起こったことを理解した。

 

「今よ、ソール!」

 

 腕が吹き飛ばされた巨像に向け、純白のドレスを身にまとったソールが太陽光の弓を引いた。

 その弓に矢はない。しかし、キィンと弦を鳴らしたその直後、巨像の頭上から何十もの矢が降り注いだ。

 

 豪雨の様な矢が巨像の肩、膝、ありとあらゆる部位に突き刺さり、その岩肌を容赦なく削り落としていく。

 頭がえぐれ、体中に穴が空いたとしても、巨像は逃れることが出来ない。

 リィン達を追い詰めたその巨体が仇となり、やがて岩の塊となってばらばらに崩れ落ちた。

 

「……空間、いや世界を超えて結びつける力。やはり私の推測は間違っていなかったか」

 

 残されたのは埃にまみれたギデオンただ1人。

 もう守りとなる戦力は残されていない。

 天井の穴から差し込む明かりの中佇むギデオンの肩に向けて、ユーシスが直剣を突き立てる。

 

「動くな。貴様には共和国軍の誤解を解くための材料になってもらう」

 

 共和国軍と再度話をつける為にはギデオンと言う黒幕の存在が必要不可欠。

 ギデオンは降参とばかりに両手を上げた。だが、その口は降参とは程遠いものだ。

 

「此度の検証は無事終了した。ややイレギュラーはあったものの大筋は予定通り。両国軍の関係は悪化し、あの男も国外に意識を向けざるを得なくなる。……これでまた一歩、盤上の駒が揃ったと言う訳だ」

 

 淡々と結果を述べるギデオンに対し、ユーシスの直感が何かあると叫ぶ。

 

 だが、全ては遅かった。

 ギデオンの手から零れ落ちる茜色の宝石。それは火炎魔法(アギラオ)を思わせる炎へと変わり、ギデオンの姿を丸ごと飲み込んだ。

 

「僭越ながらこの舞台からは退場させて貰うとしよう。ペルソナの仕組みを解明でき、同時にお前達を”共和国軍から引き離す”事にも成功した。危険分子を倒すまでには至らなかったが、ここまでの成果を得られれば前哨戦としては十分だ」

 

 炎の向こう側、ギデオンは懐から白い糸のようなものを取り出す。

 すると彼は光に包まれ、溶けるようにどこかへと消え去った。

 

 赤色の炎が消える。

 残されたのは、瓦礫がパラパラと降り落ちる石切り場。

 シャドウも消え巨像も崩れ落ち、ギデオンは捕らえられずとも脅威はなくなった。

 

 しかし、リィン達の心には渇きに似た危機感が渦巻いていた。

 

「……俺達を、引き離す?」

 

 もしかしたら、もう既に手遅れだったのではないか?

 そんな不安を抱えたまま、ノルドでの戦いが終わりを告げる。

 

 以上が、リィン達A班における”6月28日早朝”の出来事であった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「――共和国軍から引き離す? ギデオンと言う人物が本当にそう言ってたのか!?」

 

 近郊都市トリスタ、寮のロビーでリィン達の話を聞いていたマキアスが身を乗り出した。

 それによりリィン達の話も中断されてしまったが、マキアスの立場を考えれば無視のできない内容だ。特に諌める事もなく、ライ達もユーシスの返答に耳を傾ける。

 

「口惜しい事だが、奴の言葉は真実だ」

「いや待て、待て待て待て! 彼の目的は両国の軍を対立させる事だろう? だとしたらノルド高原は――!」

「あははは! マキアスってば心配しすぎ。ちゃんとボクの同僚が手を打ったから最悪の状況は回避できたよ」

 

 ミリアムが足をぶらぶらとさせながら気楽にのたまった。……しかし、他の面々は妙に沈み込んだ表情をしている。それを確認したライは、鋼の視線を動かしてリィンに続きを促した。

 

「ああ、そうだな。まずは続きを話さないと。――あの後俺達は、急いで共和国軍のキャンプ地に向かったんだ。けど、全てはもう遅かった」

「共和国軍は既に異界を脱出していたのよ」

 

 はぁ、と今朝の出来事を思い出して、ため息をつくアリサ。

 

「む、どう言う事だ。彼は共和国軍を閉じ込めようとしていたのであろう?」

「ラウラ、それは第一段階だったんだ」

「……第一段階、だと?」

 

 湖に辿り着いたリィン達が知ったのはギデオンが目論んだ本当の計画であった。

 彼は誰よりもあの世界の理について精通していた。中に入った者の心が影響する異世界。……そこに、"帝国軍が黒幕だ"と信じる共和国軍がいたらどうなってしまうだろうか。

 

「まさか、共和国軍の意識を誘導した理由は――」

「……ライも気がついたみたいだな」

「え、え? どう言う事?」

 

 エリオットが戸惑っている様だが答えは簡単だ。ギデオンの目的は先ほどマキアスが言っていた様に両国の対立。それを実現させるためにギデオンは”黒幕としての帝国軍”を直接作り出したのである。

 理屈はリィン達が出会った巨像と同じだ。変装などしなくとも、共和国軍の間に生じた認知――噂が偽物の帝国軍を生み出してしまう。

 後は共和国軍が想像したように帝国軍が襲い掛かり、共和国軍はそれを撃退した。そして、共和国軍が「黒幕ならば持っているであろう」と想像した通りに、追っていった先で異世界からの脱出装置を発見したのだろう。

 

「なるほどね。もし黒幕としての帝国軍を直接見たなら、これ以上の状況的証拠はないかも」

 

 フィーの言う通り、共和国軍は帝国軍への疑いを確信へと変えた筈だ。加えて異世界のものを現実世界に持ち帰れることを考えると、恐らく共和国軍は帝国軍の関与を示す物的証拠を持ち出したと見て間違いない。だからこそ、リィン達が湖の奥に隠された機械を通じて現実世界に戻ったとき、ノルド高原はいつ戦争が起こってもおかしくない程に危うい状況となってしまっていた。

 

「でもまぁそんな時にレクターがやってきてね~。共和国の上の方と交渉して衝突を抑え込んだんだ」

「えと、補足しておくけど、レクターって言うのはミリアムと同じく情報局の人間よ。赤い髪をしたちょっと年上の男の人なんだけど、共和国の人とパイプを持ってるみたい。それで、ひとまず通商会議の話を持ち出して衝突回避の方向に持っていくって言ってたわ」

 

 結果として問題は西ゼムリア通商会議の後まで持ち越し。

 ノルド高原は少なくとも2ヶ月の間、平穏な時間が約束されたのであった。

 

 ……そう、たったの2ヶ月。

 ギデオンの策が成功してしまった以上、ガイウスの故郷が戦火に飲まれる可能性も大いに残されている。

 

(……そういう事か)

 

 ライはリィン達から視線を外し、今はもう暗くなった寮入り口の扉を見つめた。――今この場にガイウスの姿はない。リィン達が2日目の話をし始めた頃、ガイウスはやや思いつめた様子で寮を出て行ったのだ。普段の落ち着いた様子との落差が引っ掛かったが、今ならばその訳も理解できる。

 

 以前、七耀教会で会った時の事を考えるに、恐らくガイウスが向かったのは教会だろうか。

 今までとは比較にならないほど深刻な問題だが、今出来る事は――

 

 

「――ねぇ? ねぇったら! 聞いてるのライ?」

 

 と、そこでライの思考は止められた。

 視線を元に戻すと、そこには不満げなアリサの瞳が。

 

「悪い」

「謝ったって事は聞いてなかったのね? ――っもう、何のために帰って早々話したと思っているのよ」

 

 困った表情でアリサは髪をいじっていた。……そう言えば、この話は”ライが何をしでかしたのか?”で始まったのだったか。ノルドの異界にギデオン、それに別世界の集合的無意識とまで話が膨らんでいたのですっかり忘れていた。

 

「ははは、は……。でも流石に心当たりはなさそうだな」

「それは最後のペルソナ召喚の事か?」

「ああ。帝国を挟んで反対側にいたのに戦術リンクしたり、果ては夜空の中を浮かんでいたり、どう考えても突飛な事だしな」

 

 やっぱりあれは夢や幻だったのかとリィンは自己完結していたが、改めて聞かされたライは内心固まった。

 

 宇宙に浮かぶライ。

 黄金の蝶。

 巨大な青い扉。

 距離どころか空間の壁すら越えた戦術リンク。

 

 ――そして、6月28日の朝と言う時間帯。

 

「……あ」

 

 すべてライの記憶と合致していた。あの空回る島で一度殺された後、気づいたら浮かんでいた宇宙。黄金の蝶から姿を変えたフィレモン。そのフィレモンが作り出した12の青い扉。そして逆転の戦術リンク。

 ……そう言えば、エリオット達に向け戦術リンクをしようとした時、他の扉も同時に開いてなかったか。まさかあの瞬間、ノルド高原の異界にいたリィン達にも戦術リンクは繋がっていた? それが偶然にもA班の危機を救ったと?

 

「ねぇ、今”あ”って言わなかった?」

「今日の朝に戦術リンク……ライよ、もしやそれは――!」

 

 じと~と睨み付けてくるアリサに、答えに辿り着いた様子のラウラ。

 B班の他の面々も次々と気づいた様子であり、加えてA班もまさかまさかと言った感じに見つめてくる。

 

「仕方ない。少し長い話になるが」

 

 話すとしよう。

 繰り返す6月28日。一度殺されてしまった事。ブリオニア島に現れた神と言う存在も含めて。

 

 それがリィン達を驚かせてしまった事は言うまでもあるまい。

 

 ――こうして寮の夜は更けてゆき、ロビーに明かりがついたまま日付が29日へと切り替わる。

 辛く困難だった3回目の特別実習は、かくして本当の意味で終わるのであった。

 

 

 




剛毅:スレイブアニマル
耐性:電撃耐性、疾風弱点
スキル:アサルトダイブ、電光石火
 リィン達が対峙した獅子型のシャドウ。タロットカードの剛毅に描かれている獅子が、鎖に繋がれた姿をしている。

隠者:ブラックレイヴン
耐性:火炎・疾風耐性、電撃弱点
スキル:タルカジャ、アギラオ
 リィン達が対峙した鳥型のシャドウ。足にカンテラをぶら下げたカラスの姿をしている。

-:認知存在 イニシエノ キョゾウ
耐性:-
スキル:-
 ノルド高原において守護者と呼ばれる巨大な人型の像。エレボニア帝国には『巨いなる騎士』と呼ばれる言い伝えがあり、焔を纏った巨大な騎士が戦を収めたとされているが……? なお、この巨像はあくまでリィン達の認知が実体化した存在であり、それ以上の力は持っていない。


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58話「変化する日常」

5/4 23:35 文章を追加修正いたしました。


 ――6月29日。つまるところ特別実習を終えた次の日。

 本来ならば振替の休日があってしかるべき状況……なのだが、生憎ここは歴史の長い士官学院だ。カリキュラムも相当に詰まっており、残念ながら休む暇などありはしない。

 

 ライ達VII組の面々は、全身に重い疲れを抱えつつも、午前の授業を受けていた。

 

 定期的に刻まれるチョークの音。

 それはまるで子守唄の様で。生徒達を安らかな眠りへと――

 

「ねぇ、実習の疲れが溜まってるのは分かるし、配慮したいのは山々なんだけど、……流石に気が抜けすぎ何じゃないかしら」

 

 チョークを持つ手を止めたサラがライ達を睨みつけてくる。すぅすぅと眠りこけるフィーはいつも通りだが、今回は昨晩の話し合いが原因でリィン達まで眠たそうに半目な状態だったからだ。

 普段通りなのはエマやガイウスと言った僅かな面々のみ。ライに至っては、片手で教科書をめくりつつ、もう片手で関係ない本を読み進め、加えて内職と思われる小さな機械を組み立てて、ついでに眠たいのか仮眠も行っていた。

 

「――って、ライ! ちょっと待ちなさい!」

 

 明らかに矛盾している筈なのにこなしているライの平行作業を無理やり止めた。

 

「何か?」

「何かって、むしろこっちが聞きたいくらいよ! 何で勉強サボリのオンパレードみたいなことやってるの! 明らかに人の処理限界超えているわよね!? それ!」

「目指せ、パラメータMAX」

「……もしかして、本格的に寝ぼけてない?」

 

 まるで話が噛み合っていない。

 どうやら、ライも他の生徒達同様に眠りかけていたらしい。

 

 はぁ、とサラは深いため息をこぼす。

 けれども次の瞬間、サラはライの行動の中に眠たさ以外に別の感情がある事に気がついた。

 

 ――まるで、久々の学校を心待ちにしていた学生の様に。この日常を楽しんでいる様な感情を。

 

「ああ、そういうこと……」

 

 サラは先日ライから聞いた話を思い出した。

 繰り返す1日。サラにとっては3日間の出来事だったが、当人からしてみれば本当に久々の授業なのだろう。

 そう考えてみれば、授業に集中してるとは言い難いライのことを怒る気にもなれない。

 

 ひとまずライの事を見なかったことにしたサラは、ふと、もう1人同じ境遇であったと思い返した。

 

 すやすやと眠りこけるフィー。彼女もまた何かあるのだろうか。

 個人的な興味が沸いたサラはフィーの寝顔を注視して、……そして1つの真実に到達する。

 

「――勉強なんて、なくなればいいのに」

 

 フィーはふて寝していた。

 まるで、長期休暇明けに憂鬱となっている子供の様に、むすっとした表情で机に伏している。

 

 休み明けの生徒が抱える鬱憤を目の当たりにしたサラは、一旦まぶたを下ろし、

 

「……さて、授業を続けましょうか♪」

 

 フィーも見なかったことにした。 

 

「あー! 今、露骨にスルーしたでしょ!」

「失礼ねぇ。私は生徒達9人全員にちゃんと目を配っているわよ」

「……あの、サラ教官、VII組は11名なのですが」

「と・に・か・く! さっさと授業に戻るわよ。こんな状態じゃ、また教頭になんて言われるか」

 

 エマのツッコミもどこ吹く風。

 無理矢理にでも授業を進めようとするサラであったが、

 

「サラ教官、授業中に失礼する」

 

 突如、教室の戸を開けたナイトハルトによってトドメを刺された。

 

「……あらナイトハルト教官。こんな時間にどのような御用件で? VII組の生徒達も至って真面目ですが」

「VII組? いや、此度は伝言を預かってきたのだが」

「あ、あぁ〜、なるほど。それで伝言とは?」

 

 どうやらVII組の管理不足を咎められた訳ではないとほっとするサラ。しかしその後、小声で伝えられた伝言を耳にした瞬間、サラの表情から余裕と言う二文字が消え去った。

 

「……分かりました。私もすぐに向かいます」

「ああ。私は他の教官にもこの旨を伝える。それでは」

 

 規則正しい足取りで教室を後にするナイトハルト。

 それを見届けたサラは、右手に持ったチョークで黒板に大きく”自習”と言う文字を書き記す。

 

「え、えと、教官。一体何があったんですか?」

「あ~、あなた達は気にしなくていいわ。教師の目が届かない内にゆっくり休んでなさい」

「それは大変助かるのですが、さすがに気になるといいますか……」

 

 教卓に並べられていた教材を片付けていたサラは、エマの心配げな声を聴いて一旦手を止める。

 

「まぁ、あれね。――ここからは私たち大人が頑張る番、って感じかしら」

 

 片手をひらひらとさせながら「それじゃ~、学生は学生らしく勉強してるのよ♡」教室から出ていくサラ。

 

 教室に残されたリィン達は、妙な予感を抱かずにはいられなかった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ――昼休み。

 あれからサラは戻ることなく終わりのチャイムが鳴ってしまった。ライは今、1人で教室を出て技術棟へと向かっていた。

 

(皆には悪いことをしたな……)

 

 眠気が覚めてきたのか、今更になって午前の惨状を省みるライ。授業中に堂々と副業をやっていたのもそうだが、リィン達が眠気に襲われていたのも、元はと言えば深夜にブリオニア島の話をしていたのが原因なのだ。

 後で詫びでも入れておこう。そう考えつつも、ライは懐から小さな導力機械を取り出す。――それは午前中に黙々と作り上げていた機械だ。不足した知識を補いつつも組み立てたこれはまだ未完成。だからこそ、機械に詳しい人物に見せる必要があった。

 

「後はノーム先輩に見せて――」

 

 と、方針を確認しつつも階段を下りたところで、ライはふと2人の女子生徒が話し合っている声が耳に入ってきた。

 

「あ、リンデの方も自習になったんだ」

「うん。途中でナイトハルト教官が来て、トマス教官が慌てて出ていっちゃって」

「そうそう。あたし気になっちゃって、こっそり聞いてたんだけど、どうやら”例の魔物”関係でお偉いさんから要請があったみたいなのよねぇ」

「こっそりってヴィヴィ!? もしかして自習中に抜け出して盗み聞きしてたの!?」

「えへへ♪ そんなの知~らな~い」

 

 ピンク色の髪をした双子――リンデとヴィヴィの何気ない会話。

 しかし、例の魔物、と言う単語を耳にしたライは思わず足を止めてしまう。

 

 午前中にあったサラの反応とシャドウ。歓談している彼女らには申し訳ないが、今は少しでも手がかりが欲しい状況だ。

 

「――済まない。その話、少し聞かせてくれないか?」

 

「えっ?」

「あ、えと、VII組のライさん……でしたっけ」

「ああ。例の魔物と言ってたのは本当か?」

 

 突然の割り込みに驚くヴィヴィとリンデ。

 だが、特に気分を害してはいない様子。

 

「んっと、多分そういって……、……あれ?」

 

 けれど、ヴィヴィは話の途中で唐突に言葉を止める。

 何かあったのか? ライが疑問に感じた次の瞬間、

 

「ごめん! あたし用事があるからもう行くわー!」

「あ、ああ」

「済みません。私ももう行かないと!」

 

 ヴィヴィとリンデは駆け足で廊下を駆け出していった。

 

(……?)

 

 何だったんだろう。今の反応は。

 不可思議な光景に首をかしげるライであったが、考えても思い当たる節はない。

 

 ――まあいいか。ライはひとまず技術棟に向かおうとするものの、

 

「あら、ライ君ではないですか~。そんなところで何をしているのですか?」

 

 今度はライ自身がのんびりとした声に呼び止められてしまった。

 振り返るライ。通路の奥から歩いてきたのは、屋内なのに麦わら帽子を被る女性だった。

 

 彼女の名はエーデル部長――もう1ヶ月以上前の記憶になるが、彼女の姿は記憶の姿とそう変わりない。ライは無意識に懐かしさを感じつつも、エーデルに返事をしようと口を開いた。

 

「……お久しぶりです」

「ふふっ、ライ君もですか?」

「も?」

 

 口元を隠してクスクスと笑う園芸部部長のエーデル。

 

「フィーちゃんといいライ君といい、まるで数か月ぶりに再会したみたいに接してくるんですもの。3日しか経っていないのにそんな反応をされたんじゃ、私も困ってしまいます」

 

 ね?フィーちゃん、とエーデルは後ろに視線を流す。

 そこにいたのは同じく園芸部員でもあるフィーであった。恥ずかしそうに視線を逸らすフィー。さっきエーデルが言ってた言葉と重ね合わせ、ライはようやく自身の言った言葉の問題に気がついた。

 

(……3日。そう言えば、”まだ”3日だったか)

 

 ライとフィーはあの孤島で数週間、いや1ヶ月を超えるかも知れない程の時間を過ごしていた。その時間のズレがまだ色濃く残っていることを、ライはようやく認識する。

 

「ライ」

 

 と、唐突にフィーがライの裾を引っ張ってきた。

 

「どうした?」

「放課後、時間ある?」

 

 そう聞きながら花壇のある方向を向くフィー。そう言えば、育てていた苗がそろそろ収穫の頃合いだった。

 

(放課後はフィーと過ごそうか?)

 

 軽く自問自答するライであったが、断る理由は特にない。

 

「ああ、分かった」

「約束」

 

 かくして、放課後の予定が決まった。

 ライとフィーは短く言葉を交わし、技術棟へと行くべく本校舎を後にする。

 

 …………

 

「……あら?」

 

 そんな光景を見て、エーデル部長は不思議そうに呟いた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ――放課後。

 茜色の西日が教室内を染め上げる中、授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響く。

 部活動へと向かう生徒たちの足音。そんなBGMを耳にしつつも荷物を片付けていると、先に下校していた筈のリィンが頭を押さえつつ教室に戻ってきていた。

 

「ライ、今度は何をしたんだ?」

 

 リィンは呆れた様子でそう問いかけてきた。

 今までを思えば仕方ないことだが、今回ばかりは身に覚えがない。

 

「もう少し情報をくれないか」

「……心当たりないのか? 他クラスの人たちが噂してたから、てっきり昼休みに何かしでかしたのかと」

「昼休み、か」

 

 思い当たる可能性があるとするならば、リンデとヴィヴィくらいだろうか。

 その内容を伝えようとしたところ、

 

「……遅い」

 

 突如、ライの背中から平坦な声が聞こえてきた。

 この場に残っているのは2人だと思っていたリィンとライは反射的に体が動く。

 

「フィ、フィー? なんでそんなところに……」

「ごめん。ちょっとライ借りてく」

「あ、ああ」

 

 戸惑うリィンをよそに、フィーはライを無理やり連れて教室を出て行った。

 

 

 

◇◇◇

 

 

「……妙に行動的じゃないか?」

「そう?」

 

 教室の外、廊下に出たタイミングでライはフィーにそう問いかけた。本人に自覚はないようだが、以前のフィーならまずライを連れだしたりなどせず、1人で先に向かっていたに違いない。

 一体何の影響なんだか、と歩きつつも考え込むライ。一方、前を歩くフィーはと言うと、そのまま中庭に面した窓を開けていた。

 

 ……窓?

 

「やっ」

 

 窓から外にジャンプするフィー。

 ここは本校舎2階。当然、重力に引かれたフィーは落下し、ライの視界から消え失せる。

 

 一歩遅れ、窓枠へと近づいたライ。そこから中庭を見下ろすと、中庭のど真ん中に立つフィーの姿があった。

 中庭と園芸部の花壇とは道を1つ挟んだ距離にある。このルートなら階段を下りるよりも早く着けるだろう。

 

「ショートカットか……」

「ライも早く」

 

 中庭からじーっと見つめてくるフィーは、当然ライも跳んでくるものと思っているらしい。

 ……まあ、別に間違ってはいない。ライも窓枠に手をかけ、そのまま上空へと躍り出る。

 

 一瞬の浮遊感。そして、全身に伝わる衝撃。

 

 中庭の石畳に着地したライは、着地時バネにした膝を伸ばし立ち上がった。

 

「30点。着地の音がすこし響いてた」

「手厳しいな」

「でも筋は良いかも。猟兵団に入ってみる気はない?」

「考えとく」

 

 そんな冗談を交わしつつ、ライ達は本校舎裏の花壇に到着した。

 少し先に見える花壇。花や植物が咲き乱れるそれは、ライとフィーにとって文字通り”久々”の光景であった。

 

 夕日に照らされた色とりどりの花。隅に置かれた鉢植えからは真っ赤に熟したミニトマトの実と、黄褐色に染まった麦が存在を主張している。……しかし、ライの視線を釘づけにしたのはそのどちらでもなく、フィーが育てていた花壇の1区画だった。

 

(そういう事か)

 

 ライはようやく、フィーが今日誘ってきた理由を把握した。

 中々育たなかったハーブの芽。フィーが以前に猟兵団の家族から貰ったというそれは、今や小さいながらも確かな葉を伸ばしていたからだ。

 

「やったな」

「ぶい」

 

 フィーの口元は、遠目から分かるほどに緩んでいた。

 

 現実世界で3日。けれど、体感では1ヶ月以上の時間をかけて手に入れた些細な未来。

 特別実習に向かう前は見ることのなかった光景を見れたライとフィーは、お互いに前に進んだのだと、確かにそう感じた。

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 ……その後、丁寧にハーブの水やりをしているフィーを他所に、ライは収穫の準備へと入っていた。

 

 右手のハサミでミニトマトの実を切断し、そのままさっと口に放り込む。

 口の中に広がる強烈な苦味。だが、何故だか食べていると気力が沸いてくる気がした。

 

「良し、プチソウルトマトと名づけよう」

「……あのぅ、一応言っておきますが、正式名称はちゃんとありますからね?」

 

 背後から聞こえるのんびりとしたツッコミ。

 気がつくと、いつの間にか来ていたエーデル部長がライの収穫を見つめていた。

 

「そうでしたか」

「ええ、それはリベール産の”にがトマト”です。ミニトマトサイズに品種改良したものみたいですが……」

「なるほど」

 

 とりあえずライは全てのプチソウルトマト――いやにがトマトを流れるように切断し、自由落下するそれらを袋でキャッチする。

 続いて今度は麦の収穫に移行。天へと伸びた黄褐色の茎を掴み、鎌で一気に刈り取った。

 

 刹那、ガキン、と言う金属音が鳴り響く。

 

 ……元気に育ちすぎてしまったらしい。

 針金のように硬く育った麦。まさか鎌の刃が欠けるとは思いもしなかった。

 

「こうも硬いと、食用には使えないな」

「それなら開錠用の針金がわりに使ったら?」

「その手があったか」

 

 ――命名、開錠ムギ。

 フィーの助言から納得いく答えを導き出したライは、満足げに収穫した麦をしまい込む。

 そして、最後に後片付けをすませ、後にはまっさらな鉢植えが残された。

 

「お疲れ様でした。どうやら無事に収穫できたみたいですね」

「ええ。ただ、お借りした鎌が……」

「消耗品ですので大丈夫ですよ。――それよりライ君、お詫びって訳じゃありませんが、少しお時間よろしいですか?」

「……? 別に構いませんが」

 

 何かあっただろうか? と首をかしげるライ。

 

「ここじゃ何ですから、向こうで話しましょうか」

 

 そう言って、エーデルは裏庭の奥にある池の方へと向かった。

 

 ――――

 ――

 

「まずは、フィーちゃんとの仲直り、おめでとうございます」

 

 池の近くに到着してすぐに、エーデルは両手を合わせて微笑んできた。

 

「昼間に2人の会話を聞いて驚いちゃいました。3日間であんなに変わるなんて、いったいどんな魔法を使ったんですか?」

「無人島で数週間くらい共に生活していたので」

「数週間? 無人島で、ですかぁ?」

 

 はてなマークを浮かべるエーデル。まあ、自分で言っててもおかしな内容だと思うが、真実なのだから仕方ない。

 

「……なるほど~。それなら納得です」

 

 と、思ったら納得していた。

 エーデルは思ってた以上に大物かも知れない。

 

「さて、もう1つお聞きしたいのですが」

「まだ何か?」

「はい。――ライ君、ヴィヴィちゃんに何かしましたか?」

 

 エーデルはちらりと裏庭の木を見て、ライにそう問いかけた。

 対するライもその方向へと視線を滑らせる。エーデルが見た木の陰には、隠れながらこちらをじっと見るヴィヴィの姿があった。

 

「昼間に少し尋ねましたが、それ以外は何も」

「本当ですか?」

「ええ」

「そうですか。……いえ、そうですよね。私の知るライ君はそんな人じゃありませんし」

 

 自問自答するエーデル。

 普段、温厚な彼女らしくない対応だ。

 

「部長は彼女から何か聞いてませんか?」

「それが本人もよく分かってないみたいなんです。ライ君を見たとき、何故だか嫌悪感に似た感情が湧いてきたみたいで」

「嫌悪感、ですか」

「ええ。それが何だかフィーちゃんのときと重なってしまって。……本当に心当たりないんですよね?」

 

 再三問いかけられるが、心当たりがないのだから仕方がない。

 そう口にしようとするライであったが、――その直前、そもそもエーデル部長は"こんな問いかけをする事自体が不自然である"と言う事実に気がついた。

 

「エーデル部長。その嫌悪感、もしかして今部長も感じていませんか?」

「えっ?」

 

 口を手で隠し、驚きの表情を浮かべるエーデル。

 その目を見るに、彼女自身も今気がついたと言った感じだ。

 

 その後、エーデルはやや申し訳なさそうに眉を下げて答えてきた。

 

「……そう、かも知れませんね。そう言われてみると、今日会った時から違和感を感じていた気がします」

「具体的には?」

「ライ君を見ている筈なのに、別の何かを重ねて見てしまってる、と言った感じでしょうか?」

「別の、何か……」

 

 エーデル自身もよく分かっていないようだが、その別の何かが嫌悪感を湧かせている原因なのだろう。……待て、この状況、前にもなかったか?

 

「ふふ、大丈夫ですよ。私はライ君がそんな人じゃないって知ってますから。多分これは私の思い込みでしょうね」

 

 考え込むライに対し、エーデルは向日葵の様に微笑みかけてきた。

 ライの問いかけによって自覚したエーデルは、自らの感情に対しうまく折り合いをつけたらしい。

 

 ――だが、ライとしては全然大丈夫ではなかった。

 

 原因不明の嫌悪感。

 別の何か。

 

 この症状とほとんど同じ状況をライは知っている。

 そう、初めて戦術リンクを行った、あの時のリィン達と酷似しているのだ。リィン達ほどの影響はないとはいえ、無視できる筈もない。

 

(ARCUSは……)

 

 ライは急ぎ懐のARCUSを取り出したが、戦術リンクの光は灯っていなかった。……いや、そもそもエーデル達と戦術リンクする事などあり得ないのだ。ライは2人と戦術リンクを行ったわけではないし、そもそもVII組でない彼女達はARCUSすら持っていない。

 

「ライ」

 

 と、そんな時、少し離れたところからフィーの声が聞こえた。

 

「フィーも聞いてたか?」

「ん。それよりもそこでじっとしてて」

 

 真剣なフィーの声を聞いたライは、彼女に言われるがままじっとする。

 すると、フィーはライの正面に立ち、ライ自身の顔を両手で押さえて覗き込んできた。

 

「まぁ!」

「えぇっ!?」

 

 園芸部のエーデルとヴィヴィが驚いているが無理もない。身長の違うライの顔を無理やり覗き込もうとした結果、2人の顔が急接近してしまったからだ。ライの視界全体に広がるフィーの大きく黄色い瞳。吐息が聞こえるくらいの距離ではあったが、2人の間に流れているのは甘い空気などではなく、むしろ真剣な張りつめた空気が漂っていた。

 

「……やっぱり、光ってる」

 

 ぽつりと、フィーは声を漏らした。

 それは以前、空回る島でフィーが言っていた言葉。あの時ライはそれをARCUSを指して言った事だと思っていたのだが、それは間違っていた。

 

「あの島のときと同じ。……ライの目が、青く光ってる」

 

 そう、ライの青い目は淡く輝いていた。

 月光の様な青色に。それはまるで、あの黄昏の羽根の様に……。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ――夜。

 フィーから目が発光するという謎の現象が明かされたライは、一足先に寮へと戻ってきていた。しかし、入口の扉を開けると、待っていたと言わんばかりにリィンの姿が。話を聞くと、フィーからARCUSを通じて連絡があったらしい。……何でリィンに?

 

「今更じゃないか?」

 

 そう言えば、部活見学の際も同じような感じだったか。

 サラ教官よりも教師に向いているんじゃないかってくらいの頼られ方であった。

 

「……それにしても、本当に光ってるな」

 

 対面のソファーに座ったリィンが、ライの目を見てそんな感想を漏らした。

 どうやら普段は気づかないくらいの明るさだが、今も光っている状態らしい。

 

「なあライ。月並みな感想だけど、これは詳しく調べた方がいいんじゃないか?」

「検査なら以前、ベアトリクス教官にしてもらったが」

「いや、トリスタじゃ設備も限られてるし、いくらべアトリクス先生とは言っても限界がある筈だ。それに、時間が巻き戻ったとはいえ一度死んでいる訳だし、正直なところ、もう一度調べてみた方がいいと思う」

 

 確かに、リィンの話にも一理ある。

 目の発光。例の超長距離リンク。加えて言うならば、あの時ラウラが異世界にこれた理由もまだ分かっていない。それら全てがライの死の後であると考えるならば、これは調べる他ないだろう。

 

 ……しかし、それには2つほど問題があった。

 

「問題は、どこで調べるかと、何時行くかか……」

 

 改めて言おう。ライは経歴不明の人間であると。

 まともな病院で受け入れてもらえる可能性は低く、また、シャドウ案件に関わっているとなると更に選択肢は狭まる。

 

 更に士官学院の生徒が休むのも簡単な話ではない。

 本当に緊急な状況ならば別だが、手続等でも相当な手間を有するだろう。

 

「こうなると、べアトリクス教官に伝手を聞くしかないか?」

「ああ、明日頼みに「――話は聞かせて貰ったわよ!」……サラ教官?」

 

 突如、入口の扉を蹴り破ってサラが突入してきた。

 少し酒臭い事を考慮するに、恐らくは若干酔っているのだろう。

 

「まったく水臭いじゃない♪ そんなトラブル抱えてるなら、まず教師である私に説明するのが筋じゃなくて?」

「……つまり調べる場所に心当たりが?」

「ええそうよ。今話をつけるから、ちょっと待ってなさい」

 

 そう言ってサラは懐から導力オーブメントを取り出し、早速どこかに連絡を取り始めた。

 

「あ、ナイトハルト教官? 済みませんが、明後日の会議に1名追加を。……ええ、アスガードを加えるよう伝えてください。……はい……生徒達は加えない方針でしたが、彼は本案件の中心人物。連れていく理由としてはそれで十分かと…………」

 

 酔っているとは思えないまともな口調で話を進めていくサラ。

 やがて、通信先のナイトハルトと話を纏めると、通話を止めてライに向き直った。

 

「と言う訳で、ライは明後日の授業を欠席。私と一緒に鉄道に乗ってもらうわ」

 

 どうやら問題は全て解決したらしい。

 

「今の会話、もしかして午前の件ですか?」

「ええ、急遽シャドウ案件に対して報告会議をすることが決まったのよ。会議の場所は《黒銀の鋼都ルーレ》。シャドウ対策の研究を行ってて最新鋭の設備も揃っているから、これ以上の場所はないんじゃないかしら♡」

 

 してやったと言う顔で問いかけるサラ。

 確かにこれ以上ない調査場所だと言えよう。

 しかし――

 

「突然の報告会議?」

「あー、やっぱりそこ気になっちゃうわよねぇ。……まぁ、一言で答えるなら、今回の会議は帝国正規軍が関わっていないって事よ」

 

 だから士官学院も予定外の会議を余儀なくされたと言う訳か。

 けれど、そうなったら今度は別の問題が浮上する。

 

 即ち、一体誰がシャドウ案件で招集をかけたのか。その答えは――

 

「そ。招集者の名はオリヴァルト・ライゼ・アルノール。現皇帝の第一子。要するに王子ね」

 

 想像以上のビッグネームであった。

 

 

 




GET:プチソウルトマト、開錠ムギ

――――――――
ペルソナ4に登場する野菜は異常だと思うんだ。

と、前置きはそれくらいにしておきまして、……長らくお待たせして申し訳ありませんでした! 最長でも1ヶ月と考えていたところ5か月近くも過ぎてしまった事を誠に申し訳なく思います。
また、このブランクで小説を書く感覚が曖昧になってしまっておりますので、文章についてご指摘がありましたらどうかよろしくお願いいたします。

……後、この5か月でゲームの新作も色々と発表されましたね。
switchのメガテン新作にストレンジジャーニーのリメイク。更には閃の軌跡2の続編である「閃の軌跡3」も! 2の2年後とか、クロスベルでも色々ある気しかしない! とまぁ、全て書くと長くなりすぎてしまいますので、このあたりで止めておきます。


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59話「放蕩皇子」

 ──帝都ヘイムダル某所。

 月が高くのぼる深夜、暖かな導力灯の明かりがついたとある執務室で金髪の男性が座っていた。その手には何枚もの報告書が握られており、時折、パサリと紙をめくる音が室内に響き渡る。そうした静かな時間が何分と、何十分と過ぎていく中。唐突に執務室の扉が開かれ、真面目そうな黒髪の男が入って来た。

 

「おや、ミュラーじゃないか。いつ帰って来たんだい?」

「つい先ほどな。……それより、またその報告書を読んでいたのか」

「あー、うん。明日の会議が始まる前にボクの考えをまとめておきたくてね」

 

 そう言って金髪の男は手にしていた報告書を机の上に放り投げた。

 黒髪の男──ミュラーは散らばった報告書の内1枚を拾い上げ、その内容を目に収める。

 

《ノルド高原にて発生した事件に関する緊急報告》

 

 タイトルにそう書かれたこの書類は、ゼンダー門の第三機甲師団が作成した報告書だ。共和国軍の失踪、帝国軍の対応、……そして、事情聴取を行なった"VII組の言葉"が記されていた。

 

(シャドウ)。そして”心が生み出す世界”、か」

「いやあ思い出すねぇ。リベールの異変が終わった後に起きた、あの《影の国(ファンタズマ)》での出来事を」

 

 そう、ミュラーと金髪の男性にとって、この記述は無視できないものであったのだ。

 

 この2人はかつて、とある異変に身を投じていた。

 空の至宝──輝く環(オーリオール)。遥か昔、人々の願いを無限に叶えていた願望器であるそれは、エレボニア帝国の南西部に位置するリベールにて復活し、大事件を引き起こした。影の国とは、そんな輝く環によって作り出された”人の想いによって変容する世界”。人々の願いを輝く環へと伝えるために設けられたサブシステムであった。

 

「……全く、だからこそ俺をクロスベルにいる《外法狩り》──いや《千の護り手》の元に行かせたのだろう?」

「まあそういう事さ。あの世界について聞くなら彼以上の適任はいないからね」

 

 "千の護り手"とは影の国事件の中心人物とも呼べる青年の二つ名だ。

 七耀教会に所属し、危険な古代文明の遺物──アーティファクトを回収するエキスパート。

 そんな身の上が彼を事件へと導いたのだが、……それは今この場で語るべき内容ではないだろう。

 

「それで結果は?」

「残念ながら、お前の推測は的外れだった。今回の件には影の国が関わっている可能性は限りなく0に近い。表面が似ているだけの全くの別物、と言うのが専門家の結論だ」

「表面が似ているだけ、か……」

「不満か?」

「んー、まぁ、そりゃそうさ。偶然で片づけてしまうにはちょっとばかし似すぎてるからねぇ」

「事情は分かるが、考え事はそれくらいにして休むべきだ。明日の会議、招集者が寝坊となると流石に不味いだろ」

「ああ、そうするよ」

 

 絶対だぞ、と念押ししてミュラーは執務室を後にした。

 

 ……

 …………

 

 壁にかけた時計の針は既に午前3時を回っている。

 金髪の男はティーカップへと手を伸ばして、冷めてしまった紅茶を口に入れた。

 

「日が真上に昇ったらもう会議か。例の青年も来るみたいだけど、……さて、どうしようかな?」

 

 まるで悪戯を考える子供のように口角を上げる男。

 彼が視線を向ける先には使い古された弦楽器。リュートが立てかけられている。

 

 ……こうして、帝都の夜はゆっくりと過ぎ去っていった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「──え?  招集者のオリヴァルト殿下はどんな人物なのか、ですって?」

「ええ」

 

 ──7月1日。

 ライとサラ、そしてナイトハルトの3名は朝早くに列車へと乗り込み、黒銀の鋼都ルーレに向かっていた。

 帝都ヘイムダルで乗りかえて北東に向かう路線へ。ナイトハルトは帝都で少し用事があると言って別れたため、今はサラとの二人旅だ。

 

「ま、ルーレに着くまで少し時間はあるし別にいいけど。……それで、オリヴァルト殿下の人物像だったわね? ちょっと待ってて」

 

 そう言ってライの対面に座るサラは、懐から士官学院のものとは異なる、無地のカバーを被せた手帳を取り出した。

 

「その手帳は?」

「ああ、気にしないで。前の仕事で使ってた仕事道具だから」

 

 ぺらぺらとページをめくるサラ。

 

(以前の仕事、か……)

 

 考えて見れば、サラの経歴に関してもライはほとんど知らない。唯一知っている事と言えば、バーベキューの夜に見かけた金髪の男が知り合いであると言う情報くらいだ。そう思ったライは、サラの手元にある手帳を注視した。

 

 カバーの隙間から、ちらりと本来の背表紙が見える。

 ──あれは、籠手の紋章だろうか?

 

「? どうしたの?」

「いえ。それより──」

「はいはい殿下の情報でしょ? 今見つけたから、しっかり頭に叩き込んでおきなさい」

 

 ライは先ほどの紋章を心に留めつつ話を先に進めた。

 手帳の1ページに視線を落としたサラは、そこに記述された内容を読み上げる。

 

「オリヴァルト・ライゼ・アルノール。27歳。現皇帝ユーゲント3世の長子……なんだけど、母親の関係で皇位継承権は放棄済み。趣味はリュートでの演奏と自由気ままな遊び生活。誰が言い出したのかは知らないけど、世間じゃ”放蕩皇子”なんて呼ばれているわね」

 

 放蕩──やることもやらず、自分の思うままに振る舞う事。

 確かに皇子の趣味とは噛み合っているが……どうも不自然だ。ライが持つ前情報とは明らかにかけ離れている。

 

「放蕩皇子がシャドウ会議の招集を……?」

「まあ、放蕩ってのも半分は昔のイメージなのよ。1年前のリベールの異変……だったかしら。それに関わった頃から割と真面目に活動することも多くなってきてね。むしろ最近じゃ、皇族の中でも1番露出が多いんじゃないかしら」

「リベールの異変。──七の至宝によって導力が停止した事件でしたか」

「あら、知ってたの?」

「例の島でフィーから聞きました」

 

 それなら話は早いわね、とサラは微笑んで、過去の記憶を思い出すように窓から見える空を眺めた。

 

「リベールで起きた導力停止事件。私が知ってるのはツテから情報くらいだけど、至宝の異変は帝国の南部まで届いていたそうよ。で、エレボニア帝国は"リベールの攻撃だ"と言い出してあわや戦争直前に。何だか色々と裏でキナ臭い動きがあったみたいだけど、オリヴァルト殿下の活躍もあって戦争は回避されたと聞いているわ」

 

 つまり、オリヴァルトはその戦争を回避する為の騒動で成長、もしくは方針を変えたと言う事なのだろう。しかし、ライにとって今の情報は別の意味で無視できないものであった。

 

「戦争を回避した方法について何か知ってますか?」

「残念がながら当事者じゃないからそこまでは知らないわよ。……って、よく考えたらこの事件、今のエレボニア帝国とカルバード共和国の関係に似てるわね。帝国の立場が正反対だけど」

 

 どうやらサラも気づいたらしい。

 そう、ノルドの事件とリベールの異変は、どちらも謎の現象が原因となって戦争の危機に陥ってしまっている。

 全く同じとは言えないが、何か解決に繋がる手がかりがそこにある可能性は高いだろう。

 

(……機会があれば聞くべきか)

 

 これでまた1つ、会議に行く理由が増えた。

 サラにお礼の言葉を述べたライは、窓の外へと視線を移す。

 

 ──黒銀の鋼都ルーレ。

 アリサの故郷にして、様々な導力機器の開発から製造、今では正規軍の依頼でシャドウの研究まで行われている重要拠点だ。そこで行われる身体検査と皇子主催の会議。だんだんと近づいてくる鈍色の街並みを見て、ライは静かに意志を固めた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「会議まで後1時間とすこし……ちょっと早く着いちゃったわね」

 

 黒銀の鋼都ルーレに到着してすぐ、サラは時計を取り出して現在時刻を確認する。

 辺りには工場に向かう社員の姿。彼らが眠たげな顔をしている事を見れば、まだ早朝の時間であるのは間違いないだろう。

 

「会議室で待ってるのも暇だし、一旦ここで解散しましょうか」

「サラ教官はどちらへ?」

「え~っと、ルーレにはちょっといいダイニングバーがあるって噂なのよねぇ……」

 

 重要な会議前にバーで酒でも飲むつもりなのだろうか。

「景気づけよ♡」とのサラの言い分を華麗にスルーしたライは、ひとまず周りを見渡した。

 周囲には黒い鋼で補強された立体的な外壁、そしてやや近代的な建物群。今までエレボニア帝国で見たどの景色とも異なる街並みを見渡したライは、最後に地図上におけるルーレの位置を思い返す。

 

 エレボニア帝国の北東。

 このルーレを超えた先には確か、例のノルド高原があった筈だ。

 

「ノルドの情報を集めます」

「あ~、そう言えばここはノルドに通じる路線もあったわね。……分かったわ。なら後でここで合流しましょう」

「了解です」

「後、今回の会議は内密のものだから、赤の他人に言わないようにね」

 

 そうライに念を押して、サラはルーレの上層へと通じる階段に乗った。

 すると、彼女の体はゆっくりと上へと運ばれていく。──導力により動く階段。ルーレらしい先進的な設備である。

 

(エスカレーターか)

 

 だが、何故だろう。ライは昔それをよく見ていた気がした。

 

「やあ、そこの麗しき月光の瞳をたずさえた青年よ。見たところルーレは初めてみたいだけど、そんなに導力エスカレーターが物珍しいのかな?」

「物珍しい? いえ、むしろ懐かしいような」

「おや、それはまた不思議な話だ。何せこれはラインフォルト社が実用化したばかりの新技術だからね。まさかキミは未来からやってきた旅人なのかい?」

 

 その発想は新しい。

 日本は未来国家だったのか?と新説が浮かび上がった段階で、ライはふと気がついた。

 

 ──今、いったい誰と話をしているのだろうか?

 

 ライは声の方向である頭上、街の上段に設置されている連絡通路を見上げる。

 逆光のためやや見えにくいが、金髪の男性が優々と通路の手すりに腰を掛けていた。彼は品位のある白いコートを身にまとい、弦楽器のリュートを片手に抱えている。

 

「おっと、漸く気づいてくれたみたいだね」

「貴方は?」

「人の名を聞くにはまず自分から──と、いつもなら言ってるんだけど、今回ばかりは話しかけたボクから名乗るべきかな。……ボクの名はオリビエ・レンハイム。風来の演奏家にして、美の真髄を追い求めし愛の狩人さ!」

 

 陽気な青年──オリビエは懐から真っ赤な一輪のバラを取り出して高らかに宣言した。

 キラキラとした笑顔を振りまき、妙に堂々としたポージング。……なるほど、大道芸の類か。

 

「そこに座ると危ないのでは?」

「フッ、心配は無用さ。ボクは高いところにいるのも大の得意だからね」

「いえ、そうではなく」

 

 ライはオリビエの座る手すりに視線を移す。

 急いで張られたと見える白い紙。風にでも煽られたのか反転してしまっていた紙には、こう書かれていた。 

 

 ”固定具が一部壊れています。危険なので寄りかからないでください”

 

「その手すりは「それよりキミは長旅で疲れているだろう? どうかな? 1つ、ボクの唄で癒されてみては」……」

 

 オリビエはそのまま優雅に演奏を始めてしまった。

 リュートの弦から奏でられる心地よい旋律がルーレの駅周辺に響き渡る。その音によってオリビエの存在に気づいたのか、他の旅行客、レストランに向かう最中の親子、仕入れ用の車を動かしていた運転手に至るまで、この周辺にいた人々は揃ってオリビエをあおぎ見た。

 

 ……その大半が、あんな場所で何やってるんだ?と言う呆れ顔だったのは言うまでもない。

 

「おいそこのあんた。そんな場所で何やってんじゃ」

 

 と、ここで新たな登場人物。スキンヘッドとゴーグルが特徴的な男だ。

 工具と固定具のスペアを持っているところを見るに、手すりを直しに来た整備員だろうか。

 

「申し訳ない匠の職人よ。今ボクは荒波に飲まれる若人のために、即興の演奏会を開いているところで──」

「んなもん関係ないじゃろうが! そこに張ってる張り紙も読めんのか!?」

「張り紙?」

 

 ようやく張り紙の存在に気づいたオリビエは、体を傾けて張り紙を覗き込もうとする。

 

 だが、その行為がいけなかった。

 ガコンと外れる固定具。手すり自体はセーフティのワイヤーで止まったものの、その上に座っていたオリビエは手すりの外へと投げ出されてしまう。

 

「「あ」」

 

 間の抜けたその声は一体誰のものだったか。

 いや、それはこの場にいる全員の総意だったのかも知れない。

 

 8mはありそうな高所から落下するオリビエの体。

 それを見たライは予め手を置いていた剣を反射的に抜き、オリビエのコートに目がけて投げ飛ばした。

 

「お?」

 

 コートを貫通した剣の刃が壁に突き刺さり、彼の体は一瞬支えられる。

 

 助かった?と言う表情をするオリビエ。

 しかし次の瞬間、貫かれたコートがびりっと破れ、オリビエの体は再び落下した。

 その先には商品を積んだ導力車。彼は「ぎゃふん」と声をあげてその荷台に墜落する。

 

 荷台には小麦粉が積まれていたのだろうか、辺りには白い煙が舞い上がっている。

 

((…………))

 

 しーんと静まりかえるルーレ市のホーム前広場。

 

 まるでどこかの三流喜劇でも見ているかのような展開であった。

 呆気にとられる周囲の人々。それら全ての視線が集中する中、車の荷台から真っ白な人影が姿を現した。

 

「けほ、けほっ」

 

 服どころか顔や髪まで真っ白になってしまったオリビエは、痛みに体を震わせながらも笑顔を崩さず歩み寄ってくる。

 

「やあ、旅の青年。心の疲れは癒されたかな」

「癒すべきは貴方の体では?」

 

 何だろう、この大道芸の男は。

 自らの主張を曲げない性格には妙な共感を覚えるが、無茶をするような場面でもないだろうに。

 

 と、盛大に"お前が言うな"と言われかねない思考をするライであった。

 

 

 ────

 ──

 

 

 あれから十分後、ライとオリビエは上段にあるルーレ大聖堂に訪れていた。

 周囲の人に病院の場所を聞いたところ、簡単な診断ならまずは七耀教会で聞いた方が早い。との助言を受けたからだ。未だに少し慣れない価値観だが、教会は教えを説く場所であるだけでなく、子供に知識を学ばせる学校であり、集会場であり、そして、薬の知識に長けた診断所でもある。このような案件は"まずは教会へ"と言うのが常識らしかった。

 

「背中に若干の打撲がありますが、他には怪我らしい怪我はありません。上手に受け身をとってたみたいですね」

 

 ルーレ大聖堂のシスターはオリビエの体を検診してそう答える。

 

「フフッ、レディに体を見られるなんて、なんだか気恥ずかしいね♡」

「……そう言えるならもう大丈夫でしょう。打撲用の塗り薬を調合しますから、少し待っててくださいね」

 

 シスターは呆れた様子で立ち上がり、奥の部屋へと歩いていく。

 音を鳴らして閉められた木製の扉。オリビエはこの部屋にライ以外の人物がいない事を確かめると、顔についた小麦粉の粉をタオルで拭い去った。

 

(顔を隠していた、のか?)

 

 そう言えば、手すりに座っていた際も丁度逆光だったとライは思い返す。

 もしやこの男、意外と顔の知れた有名人なのではないか? と、思い至るライに対し、金髪に戻ったオリビエは問いかけてくる。

 

「さて、命の恩人クン。キミには少々借りが出来てしまったね。お詫びと言ってはなんだけど、ボクに何かできる事はないかな?」

 

 お詫びと言いつつも、既定路線のような違和感を醸し出すオリビエの言葉。

 だが、ライ自身も"風来の演奏家"を自称するオリビエに聞きたいことがある為、あえてそれに乗る事にした。

 

「……ノルドについて聞きたい、か。申し訳ないけど、ボクは今日帝都から来たばかりでね」

「そうですか」

「あーでも、1つだけ話せることがあったかな。──キミは鉄道憲兵隊って知ってるかい?」

 

 鉄道憲兵隊。ケルディックで会った帝国正規軍の部隊だ。ライは静かに頷いた。

 

「鉄血宰相ギリアス・オズボーンが創設した鉄道憲兵隊。その車両がつい先日ノルド高原に向かったらしい」

「それはノルドの第三機甲師団を応援しに向かったのでは?」

「名目上はね。けど、ノルドに向かった鉄道憲兵隊は独自に動いて、その日のうちに戻ってきたらしいんだ。……どうだい? 変な話だろう?」

 

 確かに不自然な話だ。帝国の鉄道網を守護する鉄道憲兵隊が、いったい何の理由で辺境のノルド高原に向かったのか。オリビエの話を信じるならば、別の目的があるのは間違いないのだが、決定的に情報が不足しているライでは結論を導くことが出来ない。

 

(帝国正規軍の不自然な動き。……調べてみる必要があるか)

 

 とりあえずミリアムあたりにでも聞いてみるか、と考えこむライ。

 そんな学生の姿を眺めるオリビエの目つきは、何かを見定めるような鋭さを帯びていた。

 

「それにしても、キミは何で──」

 

 オリビエはその何かを確認するため、問いかけようとする。

 だが、しかし、

 

『この写真の男が教会に入ったのだな? ご協力に感謝する。ご婦人』

 

 窓の外から聞こえてきた屈強な男性の声を聴いたとたん、不味いと言った表情で硬直してしまった。

 

「どうかしましたか?」

「……すまない。どうやら迎えが来てしまったようだ。あのシスターにはキミの方から礼の言葉を伝えてくれるかな?」

「? ええ」

 

 ライが状況を把握するよりも早く、オリビエは懐からバラを取り出してライに向けて放り投げる。

 

「それではアディオ~ス! キミの未来に女神の加護があらんことを」

 

 最後にそんな捨て台詞を呟いて、オリビエはキメ顔で教会の外へと消えていった。

 

(結局、何だったんだろうか)

 

 ライは何気なくキャッチした、白い粉にまみれたバラを見て首をかしげる。

 嵐のように騒がしく、かつてない程にぶっ飛んだ変人であった。

 

 ライはそんな感想を抱きつつ、シスターに礼をして、サラの待つ集合場所に向かうのであった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ──ラインフォルト本社ビル。

 駅前広場でサラと合流したライは、会議があるというラインフォルト社のビルに訪れていた。

 モノトーンな色調のエントランスで手続きを済まし、社員の先導のもと、導力エレベーターに乗って会議室の前に到着するライとサラ。そして、開かれた扉の先に待っていたものは、

 

「ハハハ、また会ったね!」

 

 オリビエとの速攻の再会であった。

 

「どうも」

「う~ん、キミの驚く顔を期待してたんだけど、恐ろしいまでに冷静だねぇ」

「これでも驚いていますが」

 

 まさか演奏家もこの会議の参加者だったとは。

 どう言った経緯で参加することになったか聞こうとするライであったが、それは、サラにがっしりと肩を捕まれたため中断させられた。

 

「サラ教官?」

「ライ、あなた、いったいどこで、いつの間に知り合ったの?」

「先ほど駅前の広場で」

「……嘘でしょ」

 

 頭を抱えるサラ。彼女は「偶然? ……いえ、もしかすると意図的に」とぶつぶつ自問自答繰り返している。

 そんな異常な反応を示すサラの様子を見て、ライはようやくある事実に気がついた。

 

 風来の演奏家。手にしている弦楽器。そして、わざわざ顔を隠す必要があり、サラがうろたえる程の有名人。

 それら全ての情報が、ルーレに着く前の"とある人物"と完全に一致していた事に──!

 

「フッ、気づいてしまった様だね。──そう、何を隠そう愛の探究者オリビエ・レンハイムとは仮の姿。その正体とはエレボニア帝国の皇子、オリヴァルト・ライゼ・アルノール。つまりはこの会議の招集者さっ!」

 

 そう、彼がこの会議にいる事は意外でも何でもない。

 今、目の前で高々と宣言するオリビエ──いや、オリヴァルト。

 ルーレの駅前で死にかけた彼こそ、この会議を行おうと決めた皇子その人であったのだから。

 

 

「なるほど」

「本当に、恐ろしい程に冷静だね。ああ、エステル君の反応が懐かしいよ……」

 

 渾身のネタ晴らしをたった4文字で返されたオリヴァルトは、どこか遠くを見て誰かの名を思い出していた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「さて、少し遅くなってしまった事だし、早速会議を始めようか」

 

 オリビエ、いや、オリヴァルトが自らの正体を明かしてから数分後、新たに3名の人物が会議室に入り、広いテーブルの席についたタイミングで、オリヴァルトは堂々とそう宣言した。

 

「お前が無断で脱走しなければ、もう少し早く始められたんだがな……」

「ハハハ、それは言わないお約束さ。ミュラー」

「ナイトハルトを呼んでまでの大捜索だったんだぞ。少しは反省しろ」

 

 オリヴァルトの隣で苦言をこぼす護衛のミュラー。彼もライ達の後から会議室に入ってきた1人である。

 何故、護衛である彼がオリヴァルトから離れていたのか?と言う疑問は今の会話で分かるだろう。全てはオリヴァルトの突飛な行動が原因である。

 それに巻き込まれたらしいナイトハルトも心なしか疲れた様子だ。それを見たサラはにやける口元を手で隠して「ご愁傷様」と声をかけていた。

 

「──差し出がましい発言ですが、本題に移っていただけますか?」

 

 と、ここで、今まで沈黙を守っていた最後の1人が口を開いた。

 発言の主は遠くに座る金髪の女性。やや暗い眼鏡をつけ、白の藍色のタイトなスーツを身にまとった彼女は、この少人数の中でも異質な雰囲気を放っていた。

 

「これは失礼、イリーナ会長。ご多忙の中、時間と場所を設けてくれて感謝するよ」

 

 そう、彼女はラインフォルト社の会長にして、アリサの母親。イリーナ・ラインフォルト。 

 以前にインタビュー記事の写真でその姿を確認していたライは、イリーナの顔を見て目を細めた。

 

「謝辞は結構です。いくら皇子のお頼みとはいえ、時間が無限にある訳ではありませんので」

「ハハッ、これは手厳しい」

 

 イリーナの酷く冷淡な眼差しを一身に浴びるオリヴァルト。

 けれど、会議室の議長席に座る彼は冷たい視線にも慣れた様子だ。

 特に気分を害することもなく笑い飛ばすと、表情をどこか鋭さを併せ持ったものに変え、ライ達参加者を一望する。

 

「今回、私があなた方をお呼びしたのは他でもない。──このエレボニア帝国で広まっている"謎の噂"に関して、シャドウ事件の最前線に立つ者達と直に意見を交わしたかったからなのさ」

 

 一人称を私に変え、宣言する帝国皇子。

 

 ──かくして、オリヴァルトの主催の会議が始まった。

 議題は謎の噂について。ライ達が耳にした中で最も新しい噂と言えば、リィン達が聞いたノルド高原のものだろうか。

 

「そう言えば、リィン達が報告を聞いた限りじゃ、噂の原因ってはっきりしていなかったわね……」

 

 そんな、サラの呟きを聞いたライは、ノルド高原の噂について改めて考えてみた。

 

 思えば、その噂だけはノルドの事件において異質なものであった。

 不特定多数を巻き込みかねない噂は、ギデオンの目的から明らかにかけ離れている。

 もしあの状況で帝国軍も異世界に引きずり込まれていた場合、2国間の衝突という目論見は失敗してもおかしくなかったからだ。

 

 だとすれば、あの噂はギデオンが流したものではなかったと言う事か?

 

「フッ、その報告なら私も拝見させて貰ったよ。その噂も関係している話だが、あなた方に共有して貰いたい情報がある。……ミュラー。例の調査結果を配ってくれないかな?」

「承知した」

 

 オリヴァルトの指示を受けたミュラーは、無駄のない動きでライ達に数枚の資料を配り始めた。

 

 資料の表題は≪帝国内の噂について≫だ。

 中には噂の一覧と、その時期。加えて分布を記した地図も印刷されている。

 

「これは帝国内でささやかれている噂を集計したものだ。これを見て、是非とも貴殿らの意見を聞きたい」

 

 ミュラーの説明を聞いたライは資料を手に取り、一通り内容に目を通した。

 1203年の8月、"銀髪の兄妹が夜な夜な人影を殺害して回っている"という猟奇的な噂を始めとして、1204年の4月には"シャドウ様が願いを代わりに叶えてくれる"という噂。そして1204年の6月始め頃、リィン達が聞いた"午前零時に水面を見ると、異世界が映る"という噂などが記載されている。

 

 問題なのはその数と内容だ。

 ここ数か月の表記が、ずらっと複数ページに渡って縦に並んでいる。一目で分かるほどに異様な数の噂、それも都市伝説の様なオカルト的な噂ばかりである。

 

「私も結果を見て驚いたものさ。いつの間に帝国の国民性が質実剛健から噂好きに変わってしまったんだとね」

 

 シャドウ事件や貴族派と革新派の確執という問題の裏に隠れ、じわじわと広がっていた奇妙な噂。この資料を読んでると、まるで病原菌のように広がる異変の過程を見ているようだ。

 

「つまり、ノルド高原の噂は、この異変の一部だったってこと?」

「ふむ。シャドウの作る異世界は人の精神が反映される。子供達が巻き込まれたのも、噂によって異世界が変質したからかも知れないな」

「ちょっと待ってくださいナイトハルト教官。その理論が本当なら、他の噂もシャドウの異世界で実現されかねないと言う事では?」

「……そう言う事になる」

 

 ナイトハルトは苦い顔をして結論を口にした。

 シャドウの異世界は少なくとも街を生み出したり、巨像を動かしたり、想像上の人間を実体化させたりする程の無茶苦茶を実現させているのだ。旧校舎の異世界を調べていたサラ達としては、仮説だと切り捨てられるものではなかった。

 

 そんなサラ達の結論を、笑みのない真剣な表情で耳にするオリヴァルト。

 彼はわずかに眉をひそめると、静かに資料を読んでいたイリーナの方へと話題を振った。

 

「イリーナ会長。シャドウ研究に携わる者として確認したいのだけど、今の仮説をどう思うだろうか?」

「ふざけた理論、……と言いたいところですが、否定も肯定も難しいでしょう。今までの研究結果を纏めると、シャドウは至宝の卵と言ってもいい異常性を有しています。特に空間や時間・因果への干渉は無視できないレベルですので」

「──ありがとう。これで、私の方針も固まったよ」

 

 イリーナの返答を聞いたオリヴァルトは、一瞬目を閉じて呼吸を整える。そして、再び眉を上げたその時、彼は──

 

「オリヴァルト・ライゼ・アルノールとしてここに宣言しよう。事件の影で動いている妙な"動き"を、身勝手にでも追って行くとね」

 

 エレボニア帝国の皇子として言葉を口にしていた。

 

「オリヴァルト殿下、もしかして私達に協力をしろと?」

「ハハハハッ。いや何、宣言を聞いて貰いたかっただけさ。……革新派でも貴族派でもないあなた方にね」

 

 含みを持った言い方をするオリヴァルト。

 その言い方から察するに、彼は革新派でも貴族派でもない独自の勢力なのだろう。

 

「正直なところ、この動きが貴族派の仕業か、革新派の仕業か、それとも別の"何か"なのか分からない状況だ。シャドウの特性を活用できれば帝国内のパワーバランスを容易に変えられるからね。どこが裏工作をしていたとしても不思議ではない」

 

 だからこそ、オリヴァルトはこのメンバーを招集したのだろう。

 貴族派も、一見シャドウ討伐を主導している革新派も、疑う意識を持っているようにと。

 

 ……だが、それも杞憂と言うものだ。

 

「革新派も貴族派も関係ありません。俺はただ、全力で前に進むだけです」

 

 初めから敵は正体不明だったのだ。

 例え黒幕が帝国を支配する立場の者だとしても、例え国そのものが敵だったとしても、ライのやる事は何も変わらない。

 

「フフッ、なるほど。それがキミの本性か」

 

 ライの言葉を聞いたオリヴァルトは、まるで同士を見つけたかのように口角を上げる。そして、ならば話は早いと、オリヴァルトの指先がライの突き付けられた。

 

「なら、遠慮なく聞くとしよう。シャドウを倒すための手段について、キミなら何か答えを見つけられるんじゃないかな?」

 

 まるで推理でもしたかの如きポーズ。

 自信満々に問いかけるオリヴァルトの姿は、まるで状況を一変させる奇術師(トリックスター)のようであった。

 

 

 




お久しぶりです。
非常に長いこと待たせてしまいました。まさか夏に投稿して以降、閃の軌跡3が発売されるまで更新できないとは……。
完全に不定期な更新となってしまっておりますが、どうか気長に待っていただければと。

ああ、閃の軌跡3をプレイする時間が欲しい……。


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60話「追い求める者達」

「俺が、シャドウの討伐法を見つけられる?」

 

 窓が閉められたラインフォルト社の会議室にて、オリヴァルトから問いかけられた内容をライは反芻した。

 

 強大な力を持つエレボニア帝国において、シャドウが問題視されている理由は2つある。ペルソナ使い以外の討伐が不可能という問題。そしてグノーシスを使った噂――シャドウ様により、人がいる場所ならどこででもシャドウを呼べてしまうという問題だ。

 仮にどちらかの問題さえ解決出来れば、エレボニア帝国の既存兵力だけでも対処は十分に可能だろう。その為にラインフォルト社は5月初めからの約2ヵ月間、シャドウ研究を進めている。

 

 だからこそ、か。

 オリヴァルトの言葉に対し、真っ先に反論したのはラインフォルト社会長のイリーナであった。

 

「お言葉ですが、シャドウ討伐に関する問題はそう単純に解決する話ではないかと。――既存兵力の効果が無効化される理論の確立と、その対抗手段。更には一般化する為の技術と、必要な課題はいくつもありますので」

 

 そう、シャドウに関する問題は学生の提言1つで解決するものではない。

 表面上では新しく生まれているように思える新技術の数々も、実際にはいくつもの既存技術を応用し、積み重ねて生み出されているのが実情なのだから。

 

「だけど、こうも言えるんじゃないかな? 技術的な革新のきっかけは1%の閃きだと」

「その閃きを彼がもたらすと?」

「その通りさ! 何せ今日の朝、私は彼にその可能性を見せて貰ったからね」

 

 ……そんな可能性を見せただろうか?

 不思議に思うライに対し、オリヴァルトは片目でウィンクした。

 

「導力エスカレーターに教会の件、恐らく彼の価値観は"日本"と言う国に根ざしたものだ。――士官学院の報告によれば、対シャドウの特別機関があるそうじゃないか。例え記憶がなかったとしても、その国の価値観は大きな手がかりになるんじゃないかな?」

 

 オリヴァルトが自信満々に問いかけた根拠は、意外にも芯の通った内容であった。

 

 だがしかし、1つだけ彼が見逃している点がある。

 実際に旧校舎の異世界探索に参加していたサラは、片手を上げてオリヴァルトに反論した。

 

「残念ですが、日本も私達とそう変わらない状況かと」

「へっ? そうなのかい?」

「ええ、学生を戦力に加えてましたし。それに"アイギス"と呼ばれる意思を持つ人型兵器……。恐らく日本ではペルソナ能力を付与させる事で、シャドウに対抗しようとしたのではないかと」

 

 エレボニア帝国よりも研究が進んでいると思しき日本においても、シャドウの対抗手段はペルソナしか存在していない。それは、ライ達にとって暗雲のような事実であった。

 

 ――だが、本当にそれで良いのだろうか?

 

(日本ではシャドウの対抗手段はペルソナだけだった。……けど、それはこの世界でも同じとは限らないのでは?)

 

 逆に考えろ。

 

 日本にあった対応策を考えるのではない。

 日本にはなかった物にこそ、可能性が残されている。

 

 この世界の科学者にとっては"当たり前"だからこそ、気づくことのできなかった可能性を。

 

 ライは過去の記憶を思い返す。

 

 "……でも、何で電気なんて非効率なエネルギーを使っているのかしら"

 かつて旧校舎の異世界にてアリサが口にした言葉だ。

 

 導力エネルギーは自然回復する特性を持ち、更には7属性あるが故に様々な性質を与える事ができる。風を起こすのにプロペラは要らない。風の性質を与えるだけでいい。アリサの言う通り電気エネルギーは明らかに非効率的なのだ。

 それでも日本が電気を使っていた理由。――それは"日本に導力が存在していない"からじゃないのか?

 

「1つだけ、心当たりが」

「……ライ?」

 

 発想を逆転した先に見出した可能性。――導力。

 そのキーワードを前提として次々と過去の記憶が思い浮かび、ライの思考は1つの答えにたどり着く。

 

「一部の導力ならば、恐らくシャドウへの干渉が可能です」

 

 その答えとは、この世界において、余りに"当たり前な"ものであった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ライが意味ありげに当たり前の事を述べた後、当初の予定通りライ達は身体検査をするためにラインフォルト社の導力自動車に乗り込んでいた。

 向かう先は対シャドウの研究を行っているラインフォルト社の研究所。常識外の特性を持ったシャドウを研究するために様々な観測機器を取り揃えている事もあり、ライの体に現れた異変を検査するには病院よりもうってつけの場所であった。

 

 ルーレの街中を離れ、やや閑散とした街並みが流れる中、サラは小声でライに問いかける。

 

「ちょっとライ。さっきの啖呵はどういうつもりだったの?」

 

 サラの疑問も最もだろう。

 導力魔法が効かないという事実は、ライが初めて旧校舎に入った日から判明している事だ。

 しかし、そこに例外があったとしたらどうだろうか。

 

「過去に1回だけ、ペルソナ使い以外の攻撃がシャドウに有効打を与えた事がありました」

「え? それっていつ? 誰の攻撃が?」

「2回目の特別実習にて、エリオットの導力杖が放った戦技(クラフト)です」

 

 導力というキーワードからライが思い出したのはセントアークでの一件だった。

 あの時はそれどころでなかったが、エリオットの放った《ブルーララバイ》によって、バグベアーのシャドウは強制的に眠らされていた。

 通用しない筈の攻撃が通用した矛盾。そこには必ず理由がある筈なのだ。

 

 ライはその事を説明すると、サラはしぶしぶと言った様子で「把握したわ」と呟く。

 

「……そういう事なら、エリオットにも確認をとっておきたかったわね」

「なら、今から確認を取りましょう」

「えっ?」

 

 善は急げだ。何を言っているのかと戸惑うサラを他所に、ライはARCUSを取り出した。

 そして意識を集中する。あの島での出来事を再現するように。あの、世界を隔てるような青い扉を開くイメージで。

 

 ――リンク――

 

 開かれる扉を幻視したライは、扉の向こう側にいるエリオットへと戦術リンクを起動する。

 

《……うぇ? えええええっ!? ラ、ライ? そんな、今はルーレにいる筈じゃ?》

「ブリオニア島とノルド高原よりは近いだろ」

《そりゃそうだけど! なんでいきなり使いこなしてるのさ! それに突然戦術リンクをされる身にもなってよ!》

 

 どうやら向こうは昼食の真っ最中だったらしい。

 

 色々な意味で申し訳ないことをした。

 ライは一言謝り、次いで先ほどまでの状況をエリオットに説明する。

 

《――あの日の出来事……? ……う~ん、言われてみれば、ライの言う通りかも。ダメージは通ってなかったみたいだけど、眠らせるって効果は効いてたのは間違いないから》

 

 どうやらライの記憶違いではないようだ。

 ともに報告を聞いていたナイトハルトは、最後に1つ確認する。

 

「クレイグ。戦技を使ったのはペルソナ覚醒前で間違いないか?」

《は、はい。最初に接敵した時だったから、覚醒する前、だと思います》

「そうか」

 

 返答を聞いたナイトハルトは熟考し始める。

 

 無理もないだろう。

 ブルーララバイを起動する導力杖を開発したのラインフォルト社。

 当然ながら既に実験済みである可能性が高いのだから。

 

「こりゃ、思ったよりも大変な検査になりそうね……」

 

 当初はライの身体検査を行うだけだった筈なのだが、もはやそんなレベルで終わる話ではなくなってしまった。

 研究所に着いた後の事を考えて、サラは気が遠くなりそうな錯覚に襲われた。

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ――ラインフォルト社、対シャドウ研究所。

 僻地に設けられた真新しい建物に到着したライ達は、白服を着た2人の研究者に連れられ研究所の奥地へと歩いていった。

 多くの扉に分かれた通路を進むこと数分。途中でサラとナイトハルトは監視室に向かうと言う事で別れ、ライともう1人の研究者は研究用のシャドウが保管された実験室へと到着する。

 

 今回の実験は最低でもペルソナ使いでない人間が必要だ。

 案内人となっていた研究者は、そのまま導力杖を片手に参加者となるらしい。

 

《報告にあった戦術リンクの拒否反応に似た異変はありますか》

「ありますが軽微です。事前に把握していれば無視も可能かと思われます」

 

 監視室と繋がっている導力スピーカーと案内の研究者は会話しつつも、手慣れた操作で実験室のロックを解除する。

 

 目の前には分厚い鉄板で作られた壁としか言いようのない扉。それも2重の防護壁になっているらしく、ライと研究員が1つ目の扉をくぐり抜けた後、すぐさま出入り口は封鎖されてしまった。

 

《ただ今よりシャドウ収容室の第2隔壁を解放します。緊急時には防護用の隔壁を起動しますが、万が一に備え、一定の距離を維持するようお願いいたします》

 

 過剰にも思える監視室からの放送を聞いた直後、目の前の巨大な扉が音を立てて解放される。

 その先に見えたのは鉄板でコーティングされた武骨な作りの室内。導力灯の明かり以外装飾品がない空間の中央には、黒い半液体状のシャドウがうごめいているのが見えた。

 

《ブルーララバイを起動してください》

「はい」

 

 ライと共に入室した研究者が、導力杖を起動してエリオットと同じ戦技を発動させる。

 導力杖の先端から放たれた青色の泡。シャドウの体表に触れた瞬間、青い球体は弾け飛ぶが、エリオットの時のように眠くなる様子は見られない。

 

 その後、数回同じ実験は繰り返されたものの、ブルーララバイの効果はまるでなかった。

 

《やはり、効果はないみたいだな》

 

 スピーカーから聞こえてくるナイトハルトの声。

 今までも何十、何百と試してきた行為なのだ。もはやこの実験に期待している人物などそう多くはいないだろう。

 だが、

 

(……まだ可能性は残っている)

 

 例外が1つでもある以上可能性は0ではない。

 ならば、諦める理由など何もない筈だ。

 

《ライ、何をするつもり?》

「条件を”あの時”に近づけます」

 

 そうだ。思えばあの時、バグベアーのシャドウは”ある魔法”を使っていたではないか。

 ”お互いの状態異常に対する耐性”を下げるスキル。――淀んだ空気。

 あのスキルによって、眠りと言う状態異常に対しても耐性が下がっていたとするならば……!

 

 その仮説に行き着いたライは、心の中に存在する2体のペルソナカードを両手に出現させた。

 今のライには淀んだ空気を持つペルソナは存在しない。

 ならば、新しく作り出すまでの事!

 

「――2身合体」

 

 ライの足元に出現する8角の魔法陣。

 手元に呼び出すは”運命”と”剛毅”のアルカナ。

 その2つを重ね合わせ、膨大な青白い風と共に新たに”星”のペルソナを創造する。

 

「現れろ、キウン」

 

 召喚したのは星型の表面に厳つい男性の顔が張り付いた異形のペルソナ、キウン。

 新たにライが作り出したこのペルソナは、形が定まると同時に”淀んだ空気”を発動させた。

 青白い口元から吐き出された土気色の空気。

 それは瞬く間に室内に充満し、あの日の鍾乳洞と同じ状況を再現する。

 

「うげ、何なんですか、この腐ったような空気は」

《至急そのサンプルを収集してください。今後の重要な資料になります》

「は、はい、分かりました。……うげぇ」

 

 研究員は涙目になりながらも淀んだ空気を空き瓶に詰めた。

 それが終わったタイミングで、再度スピーカーから指示が流れる。

 

《では実験を再開します。導力杖の起動を》

「は、はい」

 

 再度、放たれる青色の球体。

 同じようにシャドウに衝突したのだが、先ほどとはやや反応が異なっていた。

 金色のシャドウの瞳が一瞬、揺らいだのだ。

 

《睡眠の状態異常、軽微ですが確認……! 再度実験を継続してください!》

「はい!」

 

 結果を確認できた。その瞬間、確かに研究所の雰囲気は変わった。

 淀んだ空気が流れる特異状況下での実験。研究者たちはその特異性に興奮が隠せないのか、即時にリストを作成し、導力を使用した様々な実験が長時間に渡って行われる。

 

 ……最も彼らに希望を与えた代わりに、実験の間、ライのキウンは延々と淀んだ空気を吐き続ける羽目になったのだが。

 

 

 ……

 …………

 

 

《時属性アーツ”ソウルブラー”による気絶の状態異常を確認しました。これで、効果が確認されたのは”睡眠、混乱、悪夢、気絶”の4種になります》

《火傷などは効かないか。主任、それらに何か思い当たる節はないか?》

《どれも”精神”に関わる状態異常ですが、明確な答えは何とも……》

 

 精神――また”心”に関する内容か。

 まさか、シャドウに物理攻撃が効かない理由もそれが関係しているのか?

 

《……しかし、淀んだ空気、でしたか。腐敗した空気にも似たガスをそのまま活用できれば良かったのですが、限りなく密閉した空間でないと一定時間で霧散してしまうのは残念でなりませんね》

《と言うよりライは大丈夫なの? たしかペルソナのスキルって、気力とか精神力とかを消耗するんじゃなかったかしら?》

「心配は無用です。プチソウルトマトを食べましたから」

《プチソウルトマト? そんな品種あったかしら……》

 

 実験が終わるまでの間、ライは収穫したプチトマトサイズのにがトマトをかじりまくって気力を補充していた。

 その代償として、ライの口内はにがトマトの果汁で満たされ、今も気絶してしまいかねない程の暴力的な苦味に襲われている。……何故にがトマトはこんなにも苦いのか。表面上は眉1つ動かさないライであったが、内側では哲学的な事を考えつつも歯を食いしばって耐えていた。

 

 ――何はともあれ、これでシャドウ研究が1歩前進したことは確かだ。

 僅かな達成感を感じたライは、とりあえず研究者に口直しの水を頼むのであった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ……その後、当初の予定通りライの身体検査へと移ったのだが、こちらはシャドウのように明確な進展はなかった。

 

 目に関する様々な検査の結果。――異常なし。

 血液検査。――異常なし。

 身体機能の検査。――異常なし。と言うより、健康すぎるレベル。

 胃腸内の検査。――にがトマトでいっぱい。

 

 他にも実用化前のレントゲンまで使用したのだが、まるで異常という異常は見つけられない。特に目の発光は明らかな異常事態であるにも関わらず、データ上は異変が何もないという不気味な結果となってしまった。

 

 先ほど実験に参加したした研究者も、どこかバツの悪い様子だ。

 

「アスガードさんのお力になれず、済みません」

「お気になさらず」

「いえ気にもしますよ。にがトマトをあんなにも食べながら協力してくれたのに……」

「お気になさらず」

「にがトマトは魔獣になったという報告もありますし、最悪、体内で魔獣化する可能性も……」

「……!?」

 

 にがトマト、恐るべし。

 

「ともかく、研究所の皆が助かったのは間違いありません。ご存知の通りアーツのアナライズですらエラーを示し、ほぼすべての観測機器は反応を示さない状況でして。対処法どころか計測すら難しい現状に、皆、方向性すら見失いかけていましたから。……終いには”あんな”主張をする研究者達も現れる始末で」

 

 あんな?

 妙な言い回しが気になったライは聞き返す。が、

 

「い、いえ、身内の話ですから、聞かなかった事にしていただけると助かります」

「分かりました」

 

 慌てて答える研究者に直接追求するのは難しそうであった。

 

 ……まあ、もっとも、その答えは直後に判明した訳だが。

 

 

「だから、シュミット博士! 今のシャドウ研究は明らかに宝の持ち腐れです!」

 

 

 休憩室と思しき部屋から木霊する若い男性の声。

 怒号にも近い叫び声を聞いた瞬間、ライの隣にいた研究者は一瞬「しまった」という顔となる。

 

 そんな研究者の表情を密かに見たライは、開かれた扉の先へと意識を移す。

 休憩室にいたのは白服を着た研究熱心そうな若い男性と、偏屈そうな老人であった。

 先の声色から察するに叫び声の主は若い男性で、シュミット博士とはあの老人の事だろうか?

 

「今までの研究結果と軍からの報告で、シャドウには空間・時間に干渉する能力があるのは明らかです! もしシャドウの力を利用出来れば、空間の制御、過去を改変する事でさえ夢じゃない! かつて女神エイドスが授けたと言われる七の至宝と同等のものが、我々の手で作り出せるのですよ!!」

「……くだらん」

 

 うっとおしそうに無視するシュミット博士に対し、新人研究者はまるで熱病にかかったかのように興奮した様子で、"如何にシャドウが素晴らしいか"を高々と演説している。

 正直、かなり危うげな状況だ。

 

「止めましょうか?」

「いいえ、今回その必要はなさそうです」

 

 だが、ライを案内していた研究者は落ち着いた様子でとある方向を顔で指示した。

 

 ――そこにいたのは、会議室で1度顔を合わせていたラインフォルト社会長、イリーナ・ラインフォルトだ。

 彼女は若い男性研究者の姿を見るなり、全てを察したのかコツコツとヒールを鳴らし、休憩室へと入っていく。

 

「そこまで」

 

 冷酷にすら聞こえる静止の言葉。

 イリーナの放つ一言によって、いきり立っていた男性の意識は一瞬で現実に引き戻される。

 

「イリーナ会長……」

「シャドウ研究の目的はあくまで対策。他の意図を持ち込むのは固く禁止していた筈よ」

「で、ですが、シャドウが社会にもたらす利益は!」

「自身の領分を超えた野望は身を滅ぼすだけ。特にこのような得体の知れないバケモノの場合、下手に手を出したら厄災を引き起こす原因になりかねないわ。――これ以上、何か反論があるなら言いなさい」

「……いえ。出過ぎた発言でした」

「それと、シュミット博士にはあくまで今回の件に助力していただいている立場だから、あまり失礼のないように」

 

 イリーナはそう言い残して、休憩室において1つしかない出入り口から外に出た。

 そうなると当然、ライ達と鉢合わせする訳で。

 一度は優先順位の関係から素通りしたイリーナであったが、今度はライの顔を見て足を止めた。

 

「ライ・アスガード、だったかしら?」

「ええ」

「研究への協力感謝するわ。殿下の勘と言うのも馬鹿にできないものね」

 

 そう言えば、オリヴァルトの推論は半分外れていたものの、結果として問いかけは当たっていたと言う事になるのか。

 鋭いのか、放蕩なのか、相変わらず判断に困る人物である。

 

 話は終えたと言わんばかりにイリーナは時計を見て、研究所の監視室に向けて歩き始める。

 だが、彼女にはもう1つ話題があったようだ。数歩歩いたところで足を止めると、振り返る事なくライに再び話しかけた。

 

「……シャロンから聞いたけど、不貞の娘が色々と迷惑をかけたそうね」

「いえ、アリサにはお世話になっています」

「そう。ならせいぜい仲良くやってちょうだい」

「言われなくとも」

 

 そっけない態度で、けれども確かにアリサの母親としての言葉を投げかけ、イリーナは研究所を去っていった。

 

 静寂が戻る研究所の廊下。シュミット博士はそんな空気の中をつまらなそうに出ていく。

 こうして、突如として起こった研究所内の騒動は幕を下ろした。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ――対シャドウ研究所。ロビー。

 サラとナイトハルトと合流する予定の場所に着いたライであったが、まだ2人の姿は見られなかった。

 恐らくは先ほどの実験の検証を進めている最中なのだろう。ライが見つけたのはほんのきっかけだ。まだまだ時間がかかりそうだと、ライはロビーの椅子に腰をかける。

 

(それにしても、さっきの騒動は何だったんだ?)

 

 案内人の口ぶりやイリーナが口にした禁止事項から察するに、これが初めてと言う事ではないのだろう。

 異界を作り出し、時間を巻き戻すことすら可能とする異常性は、直に触れる研究者にとって魅力的なのは想像に難くない。

 それはペルソナと言う力を活用しているライが意見できるようなものでもないし、イリーナに任せる他ない話である。

 

 ――だが、何故だろう。

 シャドウの利用と言う言葉に、妙な胸騒ぎを感じてしまうのは。

 

 

『……桐条グループの闇……――……』

『……――……? ――……』

『シャドウを用いた実験――…――時を操る神器を――……』

 

「――ッ!?」

 

 突然、ライの耳にかすれた声が聞こえた気がした。

 ライは反射的にソファーから立ち上がり、周囲を確認するが、どこにも声の主は見当たらない。

 

 今のは、幻聴だったのだろうか?

 

(……とりあえず、外の空気でも吸ってくるか)

 

 にがトマト、いやプチソウルトマトを食べ過ぎてしまった影響なのかも知れない。ライはサラ達が戻ってくるまでの間、気晴らしに研究所の外に出る事にするのだった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 場所は変わって対シャドウ研究所の屋上。

 数々のコンテナが積み重なる人気のない場所で、金と黒の髪をなびかせる2人の男性が会話をしていた。

 

「ミュラー、ラインフォルト社との交渉はうまく言ったかな?」

「導力喪失に対する対策の協力は何とか取り付けさせた。可能なら例の巡洋艦にも搭載させるそうだ」

「さっすがミュラー♡ お礼はボクの愛でいいかな?」

「ほざけ」

 

 皇子であるオリヴァルトを完全に切り捨てる護衛のミュラー。

 こんな場所で話をしているのは他でもない、ラインフォルト社の社員の前で話すような内容ではなかったからだ。

 しかし、傍から見てこれは、完全に怪しい悪役の密談であった。

 

「――殿下にヴァンダールさん。この様な場所で何を?」

 

 だからこそ、屋上の外側、ダクトの上に立つライからツッコミを貰ってしまった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「フッ、実は帝国を動かす程の秘密会議をね♪」

「はぁ……、ふざけるのも大概にしろ。それよりライ・アスガードと言ったか。お前こそ何故そんな場所に立っている」

「外で歩いてたら2人の姿が見えたもので」

 

 経緯は単純だ。研究所の外周を歩いていたライは、偶然にもコンテナ近くに立つ2人の頭を目撃していたのである。

 その後はペルソナの身体強化により、外壁の設備を足場にしてダクトの上へ。そうして先ほどのツッコミに繋がったのである。

 

 ダクトの上で一旦屈んだライは、フィーの動きを脳内で再現しながら跳躍し、ごちゃごちゃしたコンテナを潜り抜け、足場にしながらオリヴァルト達の近くに着地する。

 

「後、殿下には1つ確認した事が」

「ハハ、そんな他人行儀にしなくても結構さ! いつも通り愛をこめて”オリビエ♡”と呼んでくれたまえ」

「ではオリビエ殿下」

「おお、まさか混ぜてくるとは……」

 

 驚いているオリヴァルトに、ライはエレボニア帝国とリベールの戦争を回避した方法について問いかけた。

 話せる範囲で構わないから教えてほしいと伝えると、オリヴァルトは真剣な表情で数瞬考える。

 

「なるほどね……。……率直に言おうか。リベールでの事例をノルドで適応する事は難しい」

 

 だが、ライの求める可能性は、リべールにはなかった。

 

「あの時は空の至宝という明確な原因を、リベールの人間が解決する事で無実を証明したのさ。だが、今回の異変は核も分からない異世界。それも事件自体は解決してしまってると来た。これでは、犯人が名乗りでも上げない限り状況は変わらないだろうね」

 

 状況は似てるようで、実質全く違ったのだ。

 こうなったらもうギデオンと言う男が自ら名乗りでもしないと……いや、待て。

 

「逆に言えば、犯人が名乗り出れば状況は変わると?」

「変わる、だろうね。でも、それには犯人が再び表舞台に出たうえで、ノルド高原の犯人だと確定させなきゃいけない」

「ギデオンと言う男はこの状況を望んでいる。名乗らせるのは難しいだろうな」

 

 それでも可能性があるだけで十分だった。

 ギデオンが表に出てくるまで出来ることは少ないが、学生生活の中で準備を進めていく事は可能だろう。

 ――なら後は、いつも通りだ。

 

「ご助言、感謝します」

 

 ライはオリヴァルトとミュラーに頭を下げると、屋上の手すりを飛び越えて、今頃サラ達が戻っているであろうロビーに戻っていった。

 

 

 ……

 …………

 

 

「……いやぁ、末恐ろしいまでに行動的な青年だったね♪」

「お前がそれを言うか、お前が」

 

 再び2人に戻った屋上にて会話を交わす2人。

 いつもオリヴァルトの奇行に悩まされているミュラーは疲れたようにため息をつく。が、本題は先ほどまでこの場所にいた、鋼のような目をした青年の事だ。

 2人はライの事を警戒していた。

 性格もさることながら、かつペルソナに関して異常な特性を持つ青年。……2人が相手取る”あの男”ならば、いくらでも活用方法を考えられるような逸材を放置しておく筈がない。

 

「女神よ。願わくば、あの青年がボク達の脅威とならない事を……」

 

 そう呟いたオリヴァルトの一言は、茜色に染まるルーレの空に消えていった。

 

 

 




星:キウン
耐性:闇無効、物理弱点
スキル:テトラカーン、マハムド、マカジャマオン、淀んだ空気、マハガル、ジオ
 旧約聖書・新約聖書に登場する星の神。唯一神への信仰を忘れた異教徒が造り崇めた偽の神、邪神として語られており、旧約聖書においては神の怒りに触れたとされている。


――――――――

次回、ひっさびさの日常回


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61話「生徒会の仕事」

 ――7月6日。

 

 ルーレでの一幕を終えたライは、日に日に気温が上がる日差しの中、トールズ士官学院での生活に戻っていた。

 ライの目の発光や周囲に与える影響は何も変わらない。けれど、案外人は順応するものだ。嫌な雰囲気を醸し出す生徒がいると言うのも、少しずつトールズ士官学院における学院生活の一部となって来ていた。

 

「アスガード。この備品をグラウンドにある倉庫に運んでくれ」

「はい」

 

 生徒会の先輩から受けた指示に従い、ライはどっしりとした木箱を持ち上げた。

 そう、今は放課後。昼間も伸びてきたため空はまだ青みがかっているが、生徒会の仕事の真っ最中である。

 

 両手で何とか持てる大きさの木箱を抱えたライは、器用に人を避けながら学院反対のグラウンドへと歩いていく。

 

「あ、あれって噂の……!」

「ほんとだ。まるで噂話に狂ってる奴みたいだな」

「呆れるくらいに現実主義で冷たい奴っぽいよなぁ」

「え?」

「え?」

 

「…………」

 

 いつぞやの噂好きな2人組の傍を通り抜けてグラウンドへと続く階段を下りる。

 もはやこんな反応も日常だ。何故か嫌悪感を持たれる異変。――正確に言えば、自身の抑え込んでいた影をライに投影してしまっている状態か。……さて、どうしたものか。

 

(原因の当てはあるんだが……)

 

 フィーの話を聞く限り、この異変が起きた原因として考えられるのは2つ。ロゴス=ゾーエーによるライの死と、直後に見た夢のどちらかだろう。

 しかし、この状態を改善する方法になるとまるで八方ふさがりだ。

 シャドウ研究の最先端とも言えるルーレでも駄目だったとなると、残る手段は……。

 

 と、そんな考え事をしながらも荷物をグラウンドの倉庫に置くライ。

 すると、目の前に一瞬、不可思議な光が通り過ぎていった。

 

(――蝶?)

 

 青い光を鱗粉のように振りまく蝶は、まるでライを誘うようにして倉庫裏へと消えていく。

 

 何気なくライは蝶の後を追う。

 倉庫の角を曲がって、人気のない行き止まりへ。

 そこには蜃気楼のようにゆらめく青い扉がぽつんと佇んでいた。

 

「こんなもの、今まであったか……?」

 

 疑問の言葉を漏らすライであったが、脳内では直後に”否”と言う答えを出していた。

 家もなく扉だけが直立してるのは不自然だし、そもそも揺らめいている時点で怪しい事この上ない。

 

「……よし」

 

 とりあえず、入ってみよう。

 ライは遠慮なくドアノブに手をかける。

 

 開かれる青い幻想の扉。

 その向こう側が見えたと思った次の瞬間、ライの視界が光に包まれた。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ――ピアノの音が聞こえる。

 

 ふと気がつくと、ライは真っ青に染まるベルベットルームの中で座っていた。

 カタンコトンと揺れる列車内のような部屋。目の前にはいつも通り、イゴールが変わらぬ姿で微笑んでいる。

 

「フフ、ようこそベルベットルームへ。夢以外でこの場所に来るのは、これが初めてでございましたな」

 

 どうやら、あの不可思議な扉はベルベットルームへと繋がる道だったらしい。

 何でそんなものが士官学院の敷地内に現れたのだろうか。

 

「此度の試練を乗り越える際に、お客人の内に眠る”お力”が覚醒された様子……。それにより私めも、かの島よりお力添えをさせていただく事が可能となりました」

 

 空回る島からの力添え。……もしかしてそれは、ペルソナ合体の事を指しているのだろうか?

 

「左様。ペルソナ合体は本来ここベルベットルームにて行う事のできる行為でございます。お客人は自身に宿るお力によって、現実世界でもお使いできる様でございますな」

 

 ライは知らず知らずのうちにベルベットルームの機能を使っていたらしい。

 神を倒すために必要だったラウラとフィー、クロノバースト、それにベルベットルーム。ライは改めて、あの勝利が薄氷の上に成り立っていたのだと理解した。

 

「右手をご覧ください」

 

 イゴールの指示に従い、ライは右手を確認する。

 細長い手触り。ライの手の中にはいつの間にか、空回る島で渡された”青い輝きを放つ鍵”が握られていた。

 

「それはフィレモン様がお持ちになられていた4本の鍵の内の1つ。かつて哲学者カール・グスタフ・ユングの夢に現れる際にも使われていた、意識と無意識とを繋ぐ”鍵”でございます」

 

 ――状況把握。イゴールの言う”お力”とは、フィレモンから貰ったこの鍵の事なのだろう。

 それが”覚醒した”と言う事は、先ほど考えていた異変の原因もこの鍵と見て間違いない。

 この力を抑える事は出来ないのか?と、ライはイゴールに問いかけた。

 

「残念ながら、私めにはあずかり知らぬ事柄でございます」

 

 ならば、フィレモンと言う人物に会う事は出来ないか?

 先の言い方から察するに、イゴールはあの男の事を知っている様だが。

 

「それも出来ますまい。あのお方は私よりも遥かに高位の存在。真に必要な時になりましたら、おのずとあなた様の元に現れましょう……」

 

 そうか……。とライはしぶしぶ引き下がった。

 

「さて、このベルベットルームはお客様の運命と不可分の部屋。此度、扉を見つけられたのも偶然ではありますまい。……ペルソナ使いを手助けする役目を持つ者として、更に1つ、お力添えをさせていただきましょう」

 

 ライの前に、イゴールは1冊の本を出現させる。

 

「これはペルソナ全書。あなた様が手に入れたペルソナを記録する書物でございます」

 

 重厚な本の中身を読んでみると、ライが今まで召喚してきたペルソナが事細かに記録されていた。

 イゴールの説明によると、このペルソナ全書は対価を払う事で失ったペルソナを再度呼び出せるらしい。

 

 ――ペルソナ合体と、ペルソナの再召喚。

 幾多のペルソナを扱うライにとって、このベルベットルームは力を強化し整える場でもあったのだ。

 

「さて、如何なさいますかな?」

 

 せっかくだ。

 少し手持ちのペルソナを強化しておこう。

 

 過去2回のペルソナ合体によって手札が少なくなったライは、イゴールの持つペルソナ全書へと手を伸ばした。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ――学生会館。生徒会室前。

 再びこの場所に戻って来たライは今、無表情のまま内心反省していた。

 

(……時間をかけすぎた)

 

 そう、ペルソナ合体をやりすぎたのである。

 

 ベルベットルームでのペルソナ合体はまさに沼であった。耐性・スキルを考えつつ新しいペルソナを生み出していく行為はまるでパズルゲームだ。手持ちのペルソナを吟味して、合成して、再召喚して……。……気づいた時にはもう手遅れ。元の倉庫裏に戻ってみると、空はすっかり深紅に染まってしまっていた。

 

 今後はベルベットルームを使う時間も考えよう。と思いつつ、ライは生徒会室に入るためドアノブに手を伸ばす。……が、指が触れる直前、バタンと勢いよく扉が開かれた。

 

「――ッ?」

「っとと、すまないアスガード!」

 

 ライは条件反射で跳んで廊下の隅に退避する。

 その直後、生徒会室から1人の生徒がライに謝りつつも駆け出して行った。

 過ぎ去る彼の手元には十数枚の書類。……見たところ、彼はその資料を届けに行くようだ。

 

「あ、ライ君おかえりなさい」

 

 数秒遅れ、生徒会室の扉からちょこんとトワが顔を出す。

 

「ただ今戻りました」

「えへへ、ちょっと驚かしちゃったかな? ライ君が出ていった少し後に急な頼まれごとが来ちゃって、ついさっき一段落したところなんだ」

「またですか……」

 

 やはりベルベットルームで時間をかけたのは不味かったらしい。

 この生徒会は割と頻繁に急な案件が流れ込んでくるから、油断ならないのだ。

 

「それで、頼まれ事とは?」

「えと、それなんだけど……ライ君は夏至祭って知ってるかな?」

 

 初耳だとライは返す。

 

「そっかぁ。なら今のうちに説明したほうがいいかもね」

 

 エレボニア帝国――特に帝都の夏至祭は特別だから、とトワは1人でうんうんと頷いていた。

 特別な夏至祭。まあ、名前からして特別な点が1つある。

 

「そもそも夏至は6月下旬では?」

「あはは、国外から来た人はみんなそう言うね。……帝都ヘイムダルの夏至祭は1ヶ月遅れで開かれるの。獅子戦役の終戦記念日も兼ねてて、数日に渡って盛大に祝うことになってるんだ」

 

 要は内戦終結を盛大に祝うために、元々あった祭りの時期をずらしたと言う事なのだろう。

 トワによると、今年は7月26日から祭りが始まるそうだ。

 その間はトールズ士官学院も特別に休暇が設けられている。先の頼み事と言うのも、この休暇が関係しているらしい。

 

 ――と、こうして入口でトワと歓談をしていると、

 

「会長。新入生の夏服を支給するにあたっての書類に承認を頂きたいのですが」

「17日から始まる”軍事水練”に関しても、いくつか連絡事項があります」

 

 いつの間にか生徒会の生徒が2人、生徒会室に訪れていた。

 

「あ、うん! 書類に判子を押すからちょっと待っててね! 軍事水錬もこっちで幾つか書類を纏めてたから今準備するから! ――ごめんね、ライ君。もう仕事に戻らなきゃ」

「いえ。何か手伝える事は?」

「……ううん、これは生徒会長にしかできない仕事だから。気持ちだけ受け取っとくね」

 

 そう言い残すと、トワは生徒会の1人から判子を押す書類受け取って、ぱたぱたと生徒会室に戻っていく。

 

 ……生徒会長にしか出来ない仕事。

 確かにその通りではあるのだが、そもそも夏服の支給や軍事水錬の確認が生徒会長の仕事かと考えると微妙なところだ。

 そんなライの疑問に答えたのは、先ほどトワに書類を渡した緑制服の生徒会。1年上の平民クラスの生徒だった。

 

「あー、ほら、会長って俺らが言うのも何だけど優秀だからさ。教官方から手伝いを頼まれる事が多くって。特にサラ教官は色々と事務仕事を持ってくるみたいだね」

 

 急な案件が流れ込んでくる原因が判明した。

 

 それでいいのかサラ教官。

 いや、サラもシャドウ案件で忙しい以上、教官の業務がこなせない状況なのかも知れないが。

 

 ……まあ、そんな事より、トワの働きっぷりを改めて目にしたライの中には、1つの考えが生まれていた。

 

(俺より、ハーシェル先輩の方を心配すべきなんじゃないか?)

 

 ライが言うのも何だが、トワの仕事は少々度が越えた忙しさだ。割とハードな学業に加えて連日の生徒会業務。それを見た目10代前半の小柄な少女がこなしているというのだから、彼女の疲労は想像に難くない。

 

「会長って時々生徒会室で疲れて眠っちゃうらしいし、やっぱり心配だよなぁ」

「ええ。何か業務を減らす方法は……」

 

 ライは生徒会室の中をくまなく見渡す。

 印鑑を押すような書類業務はトワの言っていた様に生徒会長でしか出来ない仕事だ。

 生徒会としての意思決定が必要な事案もまた然り。

 かといって簡単な作業はと言うと、ライが既に2週間くらい先の分まで終わらせてしまっていた。

 

 他になにかないものか……。

 と、探すライの目に、ふと、1冊のバインダーが目に留まる。

 

「……これは?」

「ああ、それは生徒会に届けられた生徒や周辺住民の要望」

 

 要望……目安箱のようなものなのだろうか? と思いつつライは中身を確認する。

 

《珍しい香辛料の調達》

《鍛錬の相手を》

《悪質なストーカー行為を止めさせて欲しい》

《――…………》

《……》

 

 しかし、書かれていた内容は生徒会への要望ではなかった。

 

 内容は個人的な悩みが大半。

 それも手助けを頼む内容ばかりだ。

 

「まぁ、内容は遊撃士協会の依頼だね。今のトリスタには遊撃士がいないから、代わりにやる人間が必要なのさ」

 

 セントアークでは領邦軍が代わりをしていたように、トリスタでは生徒会が代行をしていたのだろう。

 こんな事までやっていては、生徒会の仕事が少なくなる筈もない。ライはこの依頼こそ忙しくなる要因の1つだと確信する。

 

「このバインダー、少し借ります」

「え? あ、ああ、分かったけど。……何をするつもりなんだい?」

 

 何やら嫌な予感を感じたのか、生徒会の先輩は恐る恐るライに問いかける。

 

 だが、もう遅い。

 ライは既に行動指針を見つけてしまったのだから。

 

「手始めに、人助けを」

 

 ……かくして、ライの《お悩み解決作戦》が開幕を告げるのであった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ――依頼(クエスト)

 それは民間の警護・調査を受け持つ遊撃士協会が行っているとされる民間支援のシステム。一言で言うなら何でも屋の仕事だ。ライ自身は遊撃士とやらをほとんど知らない状況であったが、そのシステムは特別実習の活動と似たものらしい。

 ならば、少しくらい勝手も分かるだろうとライは考えていたのだが……、

 

 ……現実問題、そう簡単にはいかなかった。

 

 ――――――――

 件名:珍しい香辛料の調達

 依頼者:学生会館の料理人ラムゼイ

 ――――――――

 

「お前みたいな輩に頼む依頼はない」

 

 開始早々バタンと閉められる調理場の扉。

 取り付く島もない。誰がどう見ても門前払いだ。

 

 そう、今のライには依頼において最も大切な事が欠けていた。

 

 即ちそれは依頼主との信頼関係。

 相手の嫌悪感を引き出してしまう今のライにとって、依頼は致命的なまでに相性が悪かったのである。

 強引に依頼を受けようとしても、更に溝を深めるだけだろう。

 開始早々、ライの作戦は崩壊寸前にまで追い詰められてしまったのである。

 

(どうしたものか……)

 

 ライは閉じられたドアの前で考え込む。

 諦めるなんて選択肢は初めからない。

 かと言って、面を合わせるとこんな状況だ。

 

 ならば、残る手段は……。

 

 

 ……

 …………

 

 

 ――第3学生寮。

 

「フィー、気配を消す方法を教えてくれないか」

 

 考え続けたライは、その晩フィーの元に訪れていた。

 

「ふぁ……、どうしたの?」

 

 彼女の部屋の入り口にて、あくびをしたフィーは問いかける。

 どうやらもう寝る予定らだったのか、彼女は私服に着替えていた。

 あまり長く引き留めるのも悪いだろうと、ライは手短に状況を説明する。

 

「そっか。例の影響で……。……治す方法は見つからないの?」

「探している途中だ。鍵の力とやらが原因らしいんだが、制御どころか実感すらない状況で」

「鍵……? ――――……」

 

 ライが鍵と言う言葉を口にした瞬間、フィーはライの身体を見つめて考え始めた。

 

「どうした?」

「……ううん。なんでもない。それより気配を消したいんだっけ?」

「ああ。顔を合わせられない以上、接触せずに依頼をこなすしかない」

 

 そう、このやり方こそライが導き出した解決法であった。

 直接接触せず、依頼人が気づいた時には既に解決した形に持ち込むと言う、もはや依頼の体をなしていないプラン。

 もしこの場にリィンやエリオットがいたならば、馬鹿げた考えだとツッコミを入れていただろう。

 

 しかし、

 

「ん、分かった。ぜったいライを一流の猟兵にしてみせる」

 

 今この場にストッパーはいなかった。

 何やらフィーの話がずれている気もするが、ライはこくりと頷く。

 

「頼んだぞ、師匠」

「任せて」

 

 お互いに親指を立てて、2人の共闘関係(coop)がここに成立した。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ――7月8日。異界、桐条グループ本社ビル。

 あれから2日間、ライは旧校舎の異界に潜りながらフィーから身のこなしのイロハを習っていた。

 

「自らの呼吸、手足の動きに注意を払って。後、相手の視線は常に確認しておくこと」

「了解」

 

 桐条グループのオフィス階層にて、ライは並べられた机の陰に隠れながらシャドウの様子をうかがった。

 

 きょろきょろと周囲を観察する手の形をした黄金のシャドウ。

 その周囲にある物陰を確認したライは、足音を出さぬよう動き出した。

 

 次の物陰。更に次の物陰へと。

 まるで音のない風にでもなったかの如く、素早い身のこなしで移動するライ。

 接敵まで後、12m、7m、6m、3m、そして――

 

 ライはシャドウの頭上へと跳躍する。

 影の特徴的な仮面を引きはがし、そのまま片手の剣で両断した。

 

「どうだ? フィー」

「60点ってところかな。動きのセンスは良いけど、ルート取りがまだまだ」

「漸く50点越えか……」

 

 先は長いと、ライは気を引き締める。

 元々の目的を忘れているのではないかと思われるくらいの本気っぷりである。

 

「待ってて。今、手本を見せるから」

 

 オフィスの端に出現した黒い影を見て、フィーもまた短剣を取り出してカバーアクションを開始した。

 しかし、彼女が向かう先はテーブルの物陰ではなく天井の梁。

 ネコの様な軽やかな身のこなしで壁を駆け上がったフィーは、そのまま梁を伝ってシャドウの頭上へと辿り着く。

 

 両手の短剣を構えるフィー。

 ――直後、急降下と共に2重の斬撃がシャドウを襲う。

 

 戦技スカッドリッパー。まさに一瞬の奇襲であった。

 両椀が切られたシャドウは何が起きたか分からず混乱している様子。

 その足元、音もなく着地したフィー周囲に、青い光の旋風が巻き起こる。

 

「これで終わり。……ディース!」

 

 ――ヒートウェイブ。

 シャドウの足元から召喚されたフィーのペルソナは、超近距離で熱波を放ち、シャドウを粉微塵に吹き飛ばした。

 

「流石だ」

「ん、もっと褒めて」

 

 変わらぬ無表情で言葉を交わすライとフィー。

 そんな2人を、共に乗り込んでいたラウラ、エリオット、リィンの3名は遠目から眺めていた。

 3人の手元にはオフィス内に置かれていた資料類の数々。何らかの情報になるかも知れないと言う事で、サラから収集を頼まれていたのだ。

 

「ふむ、中々に熱心な鍛錬だな」

「あはは、何で突然スニ―キングの練習を始めたのか分からないんだけどね」

「……なぁ2人とも。嫌な予感がするのは俺だけか?」

 

 感心している2人の後ろで、リィンだけが事の本質を捉えていたのだった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ――7月9日。

 歴史あるトールズ士官学院において、この日からとある異変が発生し始めた。

 

 ――――――――

 件名:珍しい香辛料の調達

 依頼者:学生会館の料理人ラムゼイ

 ――――――――

 

 事の始まりは学生会館1階の食堂。

 3日前にライを締め出してしまったライゼスが調理している場所だ。

 

(依頼を出した身でありながら、あの日はどうかしていた……)

 

 如何に妙な嫌悪感を感じてしまってたとは言え、道理もなく締め出してしまっていた事を、彼は少し気に病んでいた。実際のところ彼も”鍵”とやらの被害者でしかないのだが、そんな事を知る由もない。

 

 しかし、彼も料理人としての矜持がある。

 調理する料理に個人の感情は持ち込ませない。普段通りの味を生徒に振る舞うため、全ての雑念を払って料理に打ち込んでいく。そして、仕上げの一手間を加えようと調味料の棚に手をかけたその時、――ラムゼイは不自然な事実に気がついた。

 

「ん?」

 

 数分前にはなかった筈のビンが、棚のど真ん中に置かれていたのだ。

 

 気づかなかった? ――否。ど真ん中に置かれていたビンに気づかない筈がない。

 誰かが勝手に置いた? ――否。この調理場には誰も入ってきていない筈だ。

 

 ラムゼイの頬に冷たい汗が滴る。

 得体の知れない不気味なビン。

 ラムゼイはごくりと喉を鳴らし、恐る恐るそのビンを手に取った。

 

 中に入っていたのは真っ赤な粉末状の物体だ。

 それを揺らして注意深く確認したラムゼイはやがて気づく。

 

 ……これ、依頼で頼んでいた筈の香辛料だ、と。

 

「なんで、頼んでいたものがここに……?」

 

 とりあえず怪しい物体でなかった事に一息つくラムゼイであったが、今度は別の疑問が浮かび上がってきた。

 依頼で頼んでいたものとなると、ますますもって気づかなかった訳がない。不思議なものだ、とラムゼイはビンをくるくると回す。……すると、ビンの裏側に1枚のカードが貼り付けられている事に彼は気がついた。

 

《依頼の品 確かに納品しました ライ・アスガード》

 

 どこの怪盗だ、とラムゼイはカードに対して心の中で突っ込んだ。

 ”頂戴”と”納品”。意味合いはまるで逆であるものの、事態がミステリーに発展している事だけは確かだろう。

 

 

 ――そう、これが異変の始まりだ。

 結局この日、計3か所でこのカードが発見され、それぞれの依頼が音もなく達成される事となる。この事件こそ、後のトールズ士官学院7不思議の1つ、《依頼怪盗》が出現した瞬間であった。

 

 

 

 ……なお、出現した瞬間に正体が判明していたのは言うまでもない。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 一方その頃、生徒会室の方でも変化が起こっていた。

 

「あれ? 要望が減ってる?」

 

 生徒会に送られてきた要望を取りまとめていたトワは不思議そうに首をかしげる。

 仕事内容が減る事自体は別にいいのだが、依頼が突如として減ってしまっては「何か事件でもあったのかな?」と不安になってしまうのも無理はないだろう。

 

 そんなトワの疑問に答えたのは、ライに依頼の存在を教えた2年の生徒であった。

 

「あ、それ多分アスガードの仕業ですね」

「え? ライ君が?」

「はい。生徒会の業務を減らそうと頑張っているみたいです」

「……もぅ、ライ君も色々と大変なはずなのに」

 

 身に起きた異変やら、シャドウやら、トラブルに堪えないライには少しでも休んで欲しいと言うのがトワの意見である。

 けど、今回ばかりは今までと少々状況が異なっていた。

 

「でも……そっか」

 

 危険な事に関わるのではなく、限界を知らないのでもなく、ライはトワと同じく日常生活の中で頑張っているのである。

 その事自体をトワは否定しきれないし、何故だか嬉しくも感じてしまう。

 

 だからこそ、トワは決めた。

 

「それじゃ、わたしももっと頑張らないとね!」

 

 せめて、ライの負担を減らそうと、より一層の気合を入れたのである。

 

 

 

 …………

 

 ……そう、ライは1つ失念していた。

 トワは仕事が減ったからと言って、そのまま休むような人間ではなかったのだ。

 似たもの同士が引き起こす負のスパイラル。

 

 事態はライの想定とは真逆の方向へと進んでいった……。

 

 

 




魔術師:至高の手
スキル:逃走
耐性:物理耐性、火炎・氷結・疾風・電撃・光・闇無効
 黄金の手に仮面がついたシャドウ。ペルソナ使いを見るなり逃げだしてしまうが、その身には大量の経験値と、大量の金品が詰められている。……要はボーナスエネミーである。


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62話「ワーカーホリックの友人達」

 夜月が雲に隠され、真っ黒な空に覆われた7月11日の深夜2時。

 トリスタにある第3学生寮の倉庫に、小さな影がひっそりと足を踏み入れていた。

 

「えーっと、だれもいないよねぇ……?」

 

 その影の正体とは、VII組と帝国情報局に所属している少女――ミリアム・オライオン。

 彼女は情報局の技術を駆使して閉ざされた扉の鍵をこじ開けると、中の様子をうかがって恐る恐る倉庫の中へと入っていく。

 

 誰にも気づかれぬようひっそりと。

 一歩一歩、忍び足。

 

 この時間帯になると導力灯の明かりも弱められているため、1階に人がいる筈がない。

 だが、暗闇と言うものは「いない」と分かっていても、何かいるのではないか?と言う不安が湧いてしまうものだ。

 特に幽霊の類が苦手なミリアムにとっては、明かりのない倉庫は最悪のシチュエーションであった。

 

 けれども、ミリアムはここで引き返す訳にはいかないのだ。

 

「まったくも~。シャロンってば、夜にお菓子を食べると虫歯になります、なんて言うんだから……」

 

 ミリアムの目的とは夜食の確保であった。

 寮の管理人としてシャロンが来てからと言うものの、備蓄は彼女の元で管理されてしまっている。

 ふいに起きて夜食が食べたくなってしまったミリアムには、もう倉庫に忍び込む他の選択肢はなかったのだ。

 

 倉庫に置かれていた箱をアガ―トラムのパンチで破壊し、ミリアムは落下したアイテムを拾い上げた。

 

「……ニシシ、ミッション完了♪」

 

 紅茶によく合うシャロン特製菓子を手にしたミリアムはホッと息をつく。

 後は手早く片付けて自室に帰ろう。数分後に味わえる甘味を想像してワクワクするミリアムであったが……。

 

 

 びちゃ。

 

 

「ぇ……?」

 

 ロビーから唐突に水音が聞こえてきて、ミリアムの体は凍りついた。

 

 びちゃ。

 ぐちゃ。

 

 無人な筈のロビーに現れた不気味な水音。

 

 ミリアムの顔はしだいに青ざめていく。

 何かが、気配のない何かが無人のロビーを動いている。

 震える体をむりやり動かして、倉庫入口の隙間からロビーを覗くと、

 

 ――暗闇に、怪しく揺らめく2つの光が浮かんでいた。

 

「~~――――ッッ!!!!」

 

 ミリアムは声にならない悲鳴を上げた。

 不気味な光を放つ”お化けのような何か”は、今まさに川の底から這い出てきたかの如く、びちゃびちゃと音を立てて蠢いている。

 明らかに人でない光景。生理的嫌悪感すら感じてしまう音を耳にしたミリアムは思わず後ずさり、急いで倉庫の奥に身を潜めた。

 

 ミリアムは震える体を必死で抑えつつ、呼吸を小さくする。

 

 静寂の中、微かに尾を引きずるような音が聞こえてくる。

 隠れる際の物音を聞こえたのだろうか。

 そもそもアレは何なのか。溺死した幽霊なのか。深き水の奥底から這い出た化け物なのか。

 嫌な想像ばかりが頭に浮かび、まるで現実感のない恐怖がミリアムを襲う。

 

 ……そうして、どれ程の時間がたっただろうか。

 

 何時の間にか、あの異音が聞こえなくなっていた。

 もういなくなった?と、ミリアムが顔を上げた。

 

 その瞬間、

 

「どうした? こんな夜中に」

 

 すぐ後ろから聞こえてくる声。

 

「ひゃあっ!!」

「悪い、驚かせたか?」

「驚かせたって、……も、もしかしてその声……」

 

 バクバクする心臓を抑えつつ、ミリアムは後ろへと振り返る。

 

 青い光を放つ異常な目――であるのは間違いないが、毎日見ている人間の瞳。

 お化けの右手には長い釣り竿。左肩からのびる腰クーラーボックスには釣れたての巨大な魚が入っており、はみ出した尾がびちびちと辺りに水をまき散らしていた。

 

 ……もう言うまでもないだろう。ミリアムの目の前にいるお化けとは、釣り竿を片手に帰って来た級友――ライ・アスガードだったのだ。

 

「ライ、なの? お化けとかじゃなくって?」

「まだ生きてるつもりだ。……それより珍しいな。こんな夜中に起きてるなんて」

「それはこっちのセリフだよ! 釣り竿なんて持って何をしてたのさ!?」

「依頼」

 

 釣り上げた成果を見せてライは率直に答えた。

 夜釣りでもしていたのか。”爆釣”と、東方の言葉が刻まれた本格的なフィッシングベストを着用したライは、活きのいい魚を見て「大物だ」と満足げに呟いている。

 

 対するミリアムは、いつも通りなライを見て、生まれて初めての感情が芽生えつつあった。

 思わずアガ―トラムのパンチをぶっ放したくなるような、そんな感情。

 当然ミリアムは自身の衝動に抗うことなく「ガーちゃん!」と片手をあげて、

 

「……あらあらミリアム様にライ様? 御戯れは大変よろしいですが、今は深夜ですのでどうかお静かに」

 

 いつのまにか立っていたシャロンによって止められるのだった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「――って、事があったんだよ!」

 

 朝日が差し込む早朝。ミリアムは寮1階のロビーにて、むーっと頬を膨らませて机を叩いていた。

 それを対面のソファで聞いていたのはリィンとユーシスの2名。ミリアムの様子が変だと話しかけたリィンはともかく、ユーシスは完全に居合わせただけのとばっちりである。

 

 成り行きで聞く羽目になったユーシスは、ミリアムの話を聞いてこめかみを抑えていた。

 

「……リィン、俺は一体何から指摘すればいい?」

 

 ミリアムの体験談はツッコミどころが満載であった。

 深夜の倉庫侵入を自白した事を初めとして、情報局の技術を何でお菓子を盗むために使ってるのかとか、何で潜入中にいちいち箱を壊すのかとか。その他もろもろ。……いちいちツッコんでいては話が進まないレベルである。

 

「あー、えと、そうだな……。とりあえずミリアム。夜間の倉庫侵入は止めるようにな」

「えーっ! それじゃー夜におやつ食べられないじゃん!」

「おやつなら俺からもシャロンに頼んでみるからさ。それよりミリアムが言いたいのはライの事だろ?」

「っとと、そーだった。ライだよライ! 釣りが趣味って感じでもなかったのに、何で突然釣りなんかしてるのさー!」

 

 不満げに訴えるミリアムを見て、リィンは先ほどの話を思い返した。

 突如として本格的なフィッシングベストを着こんで、深夜2時まで夜釣りに勤しむライ。

 

(確か数日前には何やら”カードのようなもの”を作っていたっけか)

 

 いくら考えても脈絡のない奇行だった。

 いったい今度は何をやり始めたのかとリィンとミリアムの2人は考え込む。

 けれど、ただ1人、ユーシスだけは心当たりがありそうな様子で腕を組んでいた。

 

「恐らくは、この頃学院内で流れている噂が関係しているのだろう」

「噂? それって”不気味で醜悪な生徒がいる”っていう奴だっけ?」

「いやその噂はもう古い。今の流行りとやらは、”悩みを盗む怪盗”が現れた、と言うものらしいな」

「か、怪盗!?」

 

 ミリアムの目がキラキラと輝き始めたのを見なかったことにして、リィンはユーシスに詳細の説明を頼む。

 噂の詳細とは以下の内容であった。

 

 ――悩みを盗む怪盗。今のところ依頼怪盗だの怪盗Rだの各々勝手な名前がつけられている様だが、内容は単純明快だ。

 悩みを持つ者がトールズ士官学院の生徒会に依頼を出すと、人知れずに悩みを解決してしまう義賊がいるらしい。依頼人がその事に気づくのは全てが終わった後。……そのあまりにアウトローなやり方と、決まって怪盗めいたカードを残すことから、娯楽に飢えた青少年達の話題になるのは避けられない状況であった。

 

「本当に、本当に何やってんだ。ライ……」

 

 大人しくしてる事が出来ないのか、とリィンは項垂れる。

 

「あえて裏のある人物像を流布する事で、表の印象を”仮の姿”だと思わせる作戦だろう。――最も、権力側である貴族生徒にとって怪盗は悪そのもの。完全に逆効果だろうがな」

 

 貴族間の陰謀に聡いユーシスはライの意図をそう推測し、身分に疎い者が考える策だと結論づけた。

 一方リィンは”ライがそんな中途半端なやり方をするか?”と疑問に感じたものの、貴族生徒との関係に問題が発生してしまうと言う結論に関しては、同意せざるを得なかった。

 

(今にして思えば、嫌な予感はしてたんだよな)

 

 フィーと何やらカバーアクションの練習を始めたとき、その理由について聞いておくべきだったのかも知れない。

 リィンはそんな反省と共に、ライの部屋がある筈の方角をぼんやりと眺める。

 

「これはもう、直接話をするしかないか……」

 

 自らに言い聞かせるようにして方針を定めるリィン。

 ライの部屋は今日、早朝からもぬけの空であった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ――その日の放課後。

 何とかライを捕まえる事に成功したリィンは、人気のない屋上へと移動した。

 暖かな夏の風が吹きすさぶ屋上の手すり傍。広大な茜色の空の下、足を止めたライはリィンに問いかける。

 

「それでリィン、話と言うのは?」

「一応本人から話を聞いておくべきと思ったんだ。……”悩みを盗む怪盗”。例の影響を抑えるにしても、何でこんな方法を取ったんだ?」

 

 とりあえず、リィンはユーシスの立てた推論をライにぶつけてみた。

 何で余計な衝突を生みかねない搦め手をわざわざ選んだのか。それを聞きたかったのだが……。

 

「怪盗?」

 

 ライはまるで身に覚えない様子であった。

 

「(あれ?)……なあ、念の為だけど、最近何をしてたか教えてくれないか?」

「分かった」

 

 リィンはライからここ数日の出来事を聞いた。

 暖かな夏の風が吹きすさぶ屋上に、ライの淡々とした説明が流れる事数分。

 一通りの流れを聞いたリィンは目を閉じて内容を纏め始めた。

 

「つまり、ライはトワ会長の仕事を減らすために依頼をこなそうとして、……けど、直接顔を合わせると例の影響が出るから、影から解決するようにした、と」

「そうなるな」

 

 どうしてそうなった。

 

「いや”そうなるな”じゃないだろ! そこはほら、”依頼をこなす”って方針自体を見直すべき場面じゃないのか?」

「やるからには全力だ」

「決め言葉を理由にしないでくれ」

 

 真顔で親指を立てるライ。

 リィンは底知れぬ脱力感に襲われる。

 

 ……いやしかし、これはどうしたものか。

 リィンにとってもトワに休んで欲しいのは変わらない。けれど、厳しい士官学院のカリキュラムをこなしながらアウトローな依頼解決を行っていくのは更に無理があるのではないか?

 現に深夜2時まで釣りをしており、早朝から部屋を出てしまっている。このままでは不味いと感じたリィンは、心を鬼にして苦言を呈する事にした。

 

「――ライ、ここは一旦「そろそろターゲットが動く時間か」……は? ターゲット?」

「済まない。話はまた後で」

 

 そう言って、ライは屋上の手すりから身を乗り出した。

 え?とリィンが状況を把握した時はもう手遅れ。ライの身体はそのまま3階の高さに位置する屋上から中庭へと踊り出す。

 

 一歩遅れ、リィンは急ぎ手すりから中庭を見下ろした。

 

 重力に引かれ自由落下するライの身体。

 落ち行く先には1本の木が植えられており、彼はその木の枝に捕まって勢いを殺しながら1回転。

 まるで怪盗のように手際よく着地すると、そのまま敷地の奥へと走っていった。

 

「ああ……、これ絶対、フィーの影響だ……」

 

 これ即ちショートカット。

 目的地を選択してパッと移動する……訳ではないが、時間を短縮するために編み出された、便利な移動手段である。

 

 

 更に手が付けられなくなった友人の影を見て、リィンは1人がっくりと肩を下した。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 とある黒髪の青年が己の無力さを痛感したまさにその頃。

 少し離れた生徒会室でも、ちょっとした出来事が起ころうとしていた。

 

 白いバンダナを巻き、怪しげな笑みを長身の青年――クロウ。

 彼は小走りで学生会館の2階へと赴くと、遠慮なく生徒会室の扉を開けて中に入った。

 

「うっす。トワ、失礼するぜ」

「あっ、クロウ君。突然どうしたの?」

「いやぁ、ハインリッヒ教頭にちょいと目を付けられちまってさ。少しかくまって欲しいっつーか……」

「それってもしかしなくても単位の件だよね? ……も~駄目だよ? ちゃんと授業には出なきゃ」

「ははっ、まぁ何とかなるだろ」

 

 1人室内にいたトワに言葉を返しつつ、クロウは来客用のソファに腰掛ける。

 教頭の説教から逃れた安心感からホッと肩の力を抜くクロウ。彼は数秒間天井を眺めた後、ゆっくりとトワの”声が聞こえた”方向へと顔を向けた。

 

「……なぁトワ」

「どうしたの? 何かあったみたいに改まっちゃって」

 

 クロウの視界の先、生徒会長の机に積み重なった紙束が返答する。

 ……つまりは、クロウがそう認識してもおかしくない程に、大量の書類が積み重なっていたのだ。

 

「いやいや、いやいやいや! 明らかに何かあった感じじゃねぇか! ……ったく、また教師陣から急な仕事でも頼まれたんか?」

 

 幾らなんでも多すぎだろとクロウは愚痴る。

 だが、彼の推測は間違っていた。

 

「ううん、これはあたしが無理言って見繕ってもらった仕事だよ。生徒会がこれから請け負う予定の仕事を早めに分けてもらったの」

「はぁ?」

 

 激務の原因はトワ自身。クロウは我が耳を疑った。

 

「……おいおい、何でまた自分を追い込むような真似してんだよ」

「だいじょうぶだいじょうぶ! ライ君と比べたら全然無茶はしてないから!」

 

 小さくガッツポーズをしてトワは元気をアピールする。

 何故か妙にやる気満々だ。クロウはその理由を、突如話題に出た人物であると当たりを付けた。

 

「な る ほ ど。つまり、またライが事の発端って訳か」

「あ……」

「やっぱりな。――んで、今回はどんな事をやらかしたんだ?」

「えーっと、ね。やってる事は生徒会の仕事なんだけど、ちょっと頑張りすぎてるっていうか、ちょっと変なやり方になっちゃってるみたいで……」

 

 トワは言いづらそうに事のあらましを説明した。

 生徒会の業務を減らそうと依頼解決を始めたライの話。いつも通り無茶苦茶なやり方ではあったが、大雑把に見ればトワと同じく生徒会の仕事を多くこなしているとも言えるだろう。

 確かにそれじゃライを責められねぇよな、と納得するクロウであったが、同時に少し違和感を覚えた。

 

(いや、仕方ないって思ってるにしては、妙に明るい様な……)

 

「だからせめて、あたしも頑張って仕事を減らしておかないとって」

 

 はりきるトワの姿を見て、クロウは髪を掻きながら天井を仰ぎ見る。

 1年以上の付き合いから知っているが、こうなったら彼女を説得するのはまず難しいだろう。

 クロウはとりあえず傍観する事に決めてトワから目を離す。

 

「……ま、あんま無理すんじゃねぇぞ」

 

 トワもライも、これ以上根を詰めてやらなければ大丈夫だろう。

 そんな皮算用を頭に浮かべ、クロウは再びソファに深く身を預けるのであった。

 

 

 ……

 …………

 

 

 ――それから短い針が何周か回って、その日の夜。

 淡い月の光が差し込む生徒会室の中では、少女の規則正しい寝息が響いていた。

 

 生徒会の仕事をしたまま寝てしまったのだろう。

 椅子に座り、机に身を預けて瞳を閉じているトワ。

 

 そんな静寂に包まれたある時、扉を開け、ライが依頼の確認・報告をする為に室内へと入って来た。ライは作業中に寝てしまったトワを目にすると、慣れた様子で備品の棚からタオルケットを取り出して、そのままトワの背中にそっとかける。

 

「もう少し本腰を入れる必要があるか」

 

 タオルケットから手を放したライは、静かにそう呟いた。

 その輝く目に宿るは確かな決意。

 

 ……かくして、事態はますます悪化する。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ――5日後の7月16日。

 普通に学院生活を送るリィンの耳に入って来る怪盗の噂は、数も内容も日に日にエスカレートしていった。

 

 曰く、この世界にあるかも分からない理想的な素材をも手に入れて来るらしい、と。

 曰く、人だけでなくトリスタに住む動物の依頼すらこなし始めた、と。

 曰く、女性写真を盗撮する生徒を改心させてしまった、と。

 

 そんな事実とも分からない馬鹿げた噂話を耳にし続けたリィンは、遂にある決心をした。

 

 ライは5日前から授業以外で顔を合わせていない。

 授業後に話をしようとも、すぐに依頼解決へと向かってしまうため失敗続き。

 明らかに不味い方向に向かっていると確信したからこそ、もはや手段は選んでいられなかった。

 

 日が傾き始めた放課後。

 リィンは正面玄関前にて考え込んでいるクロウを見つけると、まっすぐ彼の元へと歩いていく。

 

「クロウ先輩」

「お、リィンか。丁度良かったぜ」

 

 マキアスの際も何だかんだで協力してくれたクロウなら、もしかしたら何か変わるかも知れない。

 そんな期待を胸に秘めてリィンは口を開き――、

 

「ライについて少し相談したい事があるのですが」

「トワの事でちっと相談したいって思ってたんだ」

 

 見事にはもった。

 

 

「「……え?」」

 

 

 数秒の間を置いて顔を見合わせるリィンとクロウ。

 無茶しやすい友人を持った2人の共同戦線が、今この瞬間結ばれるのであった。

 

 

 

 

 




皆さま、あけましておめでとうございます。

4月にあるペルソナ5、同時発売のP3DとP5D、早くも情報解禁された完結編(予定)の閃の軌跡IV!
今年も両作品に関して見逃せない展開が目白押しな一年となりそうです。
今年一年も何卒、よろしくお願い申し上げます。


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63話「対怪盗包囲網」

 ――ワーカーホリック。

 それは日常生活に支障がきたす程に多量の仕事を行う者達の総称である。

 

 あるいはそれは、トールズ士官学院の生徒会長であるトワ・ハーシェルの様に、心優しい性格であるが故に多くの仕事を引き受けてしまった結果か。

 あるいはそれは、経歴不明の青年ライ・アスガードの様に、己の信じる道をただひたすらに突き進んだ結果か。

 

 他にも仕事が趣味だとかいろいろと理由はあるだろうが、まぁ、いずれにせよ限界を無視した場合の結果は明らかだ。いずれその無茶は手痛いしっぺ返しとなって本人に返ってしまう。……最悪の場合、命の危険すらある程に。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ――7月16日放課後のVII組教室。

 窓の外から部活動の掛け声が聞こえる静けさの中、誰もいなくなった夕暮れの教室にて2人の生徒が座っていた。

 その生徒の名はリィンとクロウ。ワーカーホリックとなってしまったライとトワを止める為、この2人はあれやこれやと意見を出し合っていたのだ。

 

「……つまり、ARCUSでライの奴を説得する作戦は無理って事か?」

 

 クロウはライの席を雑に引っ張り出して、リィンの机の反対側からそう質問した。

 対するリィンはペンを持ってノートとにらめっこ。メモを書き連ねながらもクロウの問いに答える。

 

「概ねそんな状況です……だな。理由は知らないけど、ライのARCUSは5日前から音信不通になってるんだ」

 

 リィンは敬語をわざわざため口に直しつつ、ノートに書かれた”導力通信”に×印を書いた。

 敬語を止めた理由は率直に言うとクロウの提言だ。今回の話し合いを始めるにあたってクロウが初めに言ったのは「俺たちゃもう対等な関係なんだから敬語を止めようぜ」と言う一言。

 わざわざ理由づけしてはいたが、単純に柄じゃないだけなのだろうとリィンは推測していた。

 

「導力通信と、ついでエリオットのペルソナを使った通信も駄目と来たか。……っはは、あいつ本気で怪盗にでもなるつもりなんかね?」

「……それ、笑い事じゃないぞ」

「あー悪ぃ悪ぃ。理由があったらマジでやりそうだわアイツ」

 

 項垂れるリィンにクロウは軽く謝って、机のノートを改めて見返す。

 

「しっかし、どうしたもんかねぇ……。説得するにしたって、会えないんじゃスタートラインにすら立てないっつーか」

「それならトワ会長の方はどうなんだ?」

「あ~、言っとくがそっちも難易度くっそたけぇぞ。俺だって無理やりにでも止めさせようともしたんだが、気づいたらどっかから仕事貰ってきてたし」

 

 渋るクロウの顔を見て、リィンは分かりやすく驚いた。

 ライならまだしも、トワがそこまで厄介だとは思っていなかったからだ。

 

「言っとくが、トワを見た目通りに判断するのは早計だぞ。無駄に有能なのもそうだが、意外に強情っつーか、”これ”と決めたら折れねぇ意志も持ってるからなぁ。それに――……」

 

 トワの様子を思い浮かべていたクロウは、会話の途中で口を閉ざした。

 

 会話を急に止められたリィンは密かにクロウの様子を伺う。

 腕を組んで天井を仰ぎ見て「ん~?」っと悩みこんでいる姿。

 見たところ、自らが言おうとした内容に自信が持てない、と言った様子だ。

 

「それに?」

「……何つーか、アイツの事になるとやや過保護になってる気がしてな」

「単純に見逃せないんじゃないか? ライは傍から見てて色々危うい所があるから」

「まぁ、それもそうなんだが……」

 

 何か違和感を感じたクロウは少し良い淀む。

 けれど、その理由も分からず、そもそも何時からそうなったかも定かではない以上、結論は出る筈もない。

 結局、2人は曖昧にしたまま元の話し合いに戻るのであった。

 

 

 ……

 …………

 

 

 ……カチ、カチ、カチと、回り続ける時計の針。

 それからどのくらい経っただろうか。

 

 リィンとクロウの話し合いは暗礁に乗り上げてしまっていた。

 2人で出来る事を色々と考えてみたのだが、どれもこれも失敗が目に見えていたり、既に片方が似たような事をやっていたり。机上の空論――と言われればそれまでだが、この5日間で失敗し続けた経験は、足踏みさせるのに十分な影響力を与えていたのだ。

 

「「はぁ……」」

 

 夕日は既に地平線に落ちて、空は藍色に染まり始めている。

 ここまで長引いてしまっては、フラストレーションが溜まってしまうのは避けられないだろう。

 居ても立っても居られず、クロウはペンを放り投げた。

 

「ったくよぉ、何やってんだろうな俺ら」

「言わないでくれ……」

 

 リィンは机に頭を預けたまま返答した。

 放物線を描いたペンが後頭部にぶつかっても気にしない。

 カランと床に落ちる音だけが教室内に響き渡る。

 

「――っだぁぁもう! やってられっかぁ!!」

 

 そんな中、ダンッ、とクロウが音をたてて立ち上がった。

 

「クロウ、流石に自暴自棄はどうかと思うぞ」

「いやいや、そんなんじゃねぇって! このまま続けたって意味がねぇって事だよ!」

 

 勢いで吹っ切れたクロウの頭には、とある天啓が浮かびつつあった。

 ……それはある種リィンの言う様に、自棄(やけ)になったとでも言えるものであったが。

 

「まず現状を再確認すっぞ。俺達はそれぞれ手を尽くしてきたが、全て無駄に終わっちまった訳だ」

 

 その案を明確な形にする為、クロウはあえて過去の筋書きをなぞり始める。

 

「それで、次に取った手はと言うと、――ハイ、リィン君」

「……はぁ、お互いに協力を仰ぐことにしたんだろ?」

「その通り! ぶっちゃけ今でもその方針自体は間違ってねぇと思ってる。問題なのは、俺達”2人だけ”で対処しようとした事だ」

「だけって、他に誰が……。……あっ」

 

 2人だけ、と言う単語が強調されたことによって、リィンはようやくその意図を理解した。

 クロウが己の懐に手を伸ばし、ARCUSを取り出した、――その意図を。

 

「クロウ、まさかお前……!」

「フッ、漸く分かったみてぇだな」

 

 ククク、とまるで悪役の様に笑うクロウ。

 

 そう、彼の思いついた手は単純にして明快。

 1人で駄目なら2人。2人ですら捕らえられないならば、数の暴力で無理やりねじ伏せる。

 前回のバーベキューでライが使った手段を、今度は彼を追い詰める為に使うのだ。

 

「やるなら全力で、か。……上等じゃねぇか。やってやろうぜリィン! 俺達が集められる”最大戦力”で、あのバカをとっ捕まえるぞ!!」

 

 かくして、近郊都市トリスタに現れた怪盗をとらえる為、学生たちの共同戦線が築かれたつつあった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

『……そう言う事ね。話は分かったわ』

「悪いなアリサ、こんな事を頼んでしまった詫びは今度するよ」

『そんなの別にいいわよ。私もあいつの暴走っぷりがちょっと気になってたところだったし』

 

 真っ暗な窓の外を眺めながら、リィンはARCUSでアリサに連絡をしていた。

 VII組への協力要請。それこそがクロウから頼まれた最初のミッションだったからだ。

 既にエリオット達男性陣への連絡は済ませたリィン。今は5回目の状況説明を行ったところである。

 

『――うんうん! 怪盗を捕まえるならボクも協力するよ!』

 

 そんな中、突如、ARCUSからアリサ以外の元気な声が聞こえて来た。

 アリサと1対1で会話していたと思っていたリィンは一瞬固まる。

 

「……えっと、その声はミリアムか?」

『あ、ごめんなさい。何度も説明させるのも大変だと思って、途中からスピーカーの設定を変えてたの。ちょうど寮には他の女性陣(みんな)もいたし』

『まったくライもひどいよねー! 怪盗なんてオモシロそーな事するなら、まずはボクを通すのが筋ってものじゃない?』

 

 状況説明をするアリサの後ろで憤るミリアムの声。

 どうやら今は誘ってもらえなかった事を不満に思っている様子だ。

 正直、ミリアムを誘わなかった事だけはライに感謝しておきたいと思うリィンであった。

 

『えぇっと、ミリアムの話はともかくとして、私たちは情報を集めてくればいいのよね?』

「ああ。そうしてくれると助かる」

『任せて。……あ、それとシャロンから伝言。”冷めてもおいしい夜食を用意しておきますので、時間は気にせずお挑みください”って』

「ははは、は……。そっか、なら頑張らないとな」

 

 深夜までかかるのが前提か、とリィンは密かにツッコミをいれたものの、表面上は無難に礼を言ってアリサとの通話を切った。

 すると、タイミングを見計らっていたかの様に近づく足音が聞こえてくる。

 別の面々に連絡を取っていたクロウが、トリスタの地図を片手に近寄って来たのだ。

 

「どーやらそっちも話がついたみてぇだな」

「予定通り、VIIの皆には町中を偵察して貰える形になった。……別件の用事があるとかで、何人かには断られたけど」

「ま、こんな時間だしな。そりゃ仕方ねぇか」

 

 窓の外を見てクロウは肩をすくめる。

 時すでに夜の7時を回っている。いくら昼が長くなってきた初夏と言えど、とっくに月が昇る時間帯だ。

 

「でもまぁ、これでトリスタ全体はカバーできた訳だし、情報を集約すりゃ”星”の動向も分かるってもんだ」

 

 うしし、と悪い笑みを浮かべながら地図にペンを走らせるクロウ。

 

 ――そう、リィン達が行っているのは正しく包囲網の形成だ。

 導力通信が安定しているトリスタ内であれば、複数の情報をARCUSで受け取るのは容易。

 そして、怪盗などと言う目立つ行為を行っている限り、痕跡は必ずどこかに残っているものだ。

 リィンとクロウはそれらを集約し、トールズ士官学院で学んだ技術を活用して地図上にリアルタイムの状況を反映させていく。

 

「トリスタ市内で夏風邪が流行っている模様、と。これは関係ねぇか?」

「クロウ、ミリアムから情報が入ったんだけど、路地裏の木箱や屋根にライらしき足跡が残ってたみたいだ」

「――ッチ、あの野郎、やっぱ人目を避けて動いてた訳か」

 

 少しずつ、だが着実と集まっていくライの痕跡。

 それらが数十を超える量になった段階で、リィンは一旦情報の位置を地図上に纏め上げる。

 ……どうやら真新しいライの痕跡は、士官学院よりも駅側――つまりは市街地側に集中しているようだ。

 

(これは、捜索範囲を市街地周辺に絞った方が良いかも知れないな)

 

 と、そんな折、また1つ教室内に着信音が鳴り響く。

 音の発生源は机の上に置かれたリィンのARCUSであったが、生憎リィンは少し離れた場所で作業中だ。

 代わりにクロウがそれを拾い上げ、慣れた手つきでスピーカーを周りに聞こえるよう設定して通話のボタンを押した。

 

「――へい、こちら対怪盗対策本部」

『あれ? もしかして番号を間違えました?』

「おうその声は委員長か? 悪ぃ、今リィンは手が離せねぇんだわ」

 

 どうやらリィンのARCUSにかかって来たのはエマからの通信だったらしい。

 エマはクロウのクラスの委員長ではないのだが……まぁ、ツッコむのも野暮な話だろう。

 リィンは手作業を進めたまま、耳に意識を集中して2人の会話を伺った。

 

「そんで、委員長は何か手がかりを掴んだのか?」

『はい。……ただそれより、まずは聞いておきたい事がありまして』

「ん? どういう事だ?」

『セリ――私の友人が見かけたみたいなんですけど……、今回の捜索って”1年I組やII組の皆さん”も参加しているんですか?』

 

 …………I組やII組って事は貴族クラス? それも複数人?

 

 たっぷり間を置いた後、リィンはクロウの顔を見る。

 アンゼリカと言う貴族の友人がいるのは知っていたけれど、まさか他にも協力を頼んでいたの?と言う視線の問いかけ。

 しかし、クロウも身に覚え無いらしく、手を横に振っていた。

 

「……いや、俺達の方から頼んではいねぇぞ?」

『そうでしたか。それなら急がないと』

「あー急いでるとこ悪ぃんだが、せめて詳細を教えてくれねぇか?」

『あ、はい。友人の話ですと、貴族クラスの多くが、町中を走っていたみたいでして、それで――』

 

 エマは走っているのか、飛び飛びの言葉がARCUSから聞こえてくる。

 

『――それで、”怪盗をトリスタ駅に追い詰めた”と、言っていたそうなんです』

 

 ……え?

 

 リィンとクロウの時間が止まった。

 怪盗、つまりはライが、貴族クラスの生徒に、トリスタ駅に追い詰められた?

 それらの言葉の意味を把握した次の瞬間、

 

「「はぁ!?」」

 

 驚きの叫びが教室内に木霊した。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 エマとの通話が切れてすぐ、リィン達は士官学院を跳び出した。

 目指すはトリスタ駅。2人はまっすぐ続くレンガの道を駆け抜ける。

 

「どーなってんだよ! 貴族クラスまで怪盗探しなんて! これじゃあ生徒の殆どが怪盗を追ってる事になるじゃねぇか!!」

「多分理由は、”権力側である貴族生徒にとって怪盗は悪そのもの”、だからじゃないか? 前にユーシスが言ってたんだ」

「あーなるほど。ピカレスクも貴族にとっちゃただのコソ泥って訳か。――ってこんな話してる場合はねぇな! 急ぐぞリィン!」

「ああ!」

 

 2人は更にペースを上げた。

 遠くに見えるのは白服の生徒達がトリスタ駅を包囲する姿。更に包囲網の外側には、クロウが駆り出した庶民クラスの生徒達が野次馬の様に集まりつつあった。

 

 そしてもう視界に入ったのは闇夜を照らすスポットライトだ。どこから取り寄せたのかは知らないが、複数個用意されたスポット式の導力灯が、トリスタ駅の屋根――背を向けて立っている灰髪の男子生徒を照らしていた。着ている服はVII組の制服ではなかったが、その白と黒の中間の様な髪色は見間違う筈もない。

 

(間違いない。あれはライだ)

 

『――怪盗に告げる。貴様は我々が完全に包囲した。大人しく投降したまえ』

 

 取り囲む集団の中心に立つ生徒が、拡声器を通してライの背中に問いかける。

 まるで追い詰めた罪人に対し、チェックメイトをかけたかの如き堂々とした声だ。

 

『此度の怪盗まがいの行為の数々、我ら貴族に対する挑発と見て間違いないな? 大方、先月の実技テストに対する報復だろう。実に庶民らしい姑息な手と言ったところか。……しかしここは歴史あるトールズ士官学院の地だ。怪盗などと言う蛮行を見逃していては、貴族として、歴史を築いてきた先代に顔向けできまい』

 

(ああなるほど、彼らはライの行動を”そう”受け取ったのか。いや、もしかしたら例の嫌悪感によってそう思い込まされている可能性も……?)

 

 リィンはそんな推察を重ねつつも、ようやく野次馬の近場まで到着する。

 しかし、着いたは良いが、リィンにはこの状況をどう収集つけたらいいかまるで分からない。

 そう簡単に説得できるなら、I組とVII組の衝突も始めからなかったと言う話だ。

 

 何か糸口はないかと、リィンは包囲する貴族クラスの面々を後ろから見渡した。

 すると、その面々の中にいる筈の人物がいない事に気づく。

 

(ん? パトリックはいないのか?)

 

 実技テストの報復、と言う話ならば、いなければならない中心人物だ。

 それなのに、何故この包囲網の中にいないのか? リィンはその理由について考え始めたその時、

 

「リィンさん! それにクロウさんも!」

 

 後ろからエマの声が投げかけられた。

 リィンとクロウが振り返ると、そこにはエマを初めとして、アリサやエリオットと言った、リィンの捜索に協力してくれた面々が揃っていた。

 

「委員長、それに皆も……」

「私が皆を集めたんです。さすがにこの状況は1人でどうにもできませんから」

「まあ、そうだよな」

 

 改めて、リィンはトリスタ駅の屋根を見上げた。

 

 状況は刻一刻と変わっている。

 今は駅の2階バルコニーから梯子がかけられ、3人の屈強な男達が屋上に上りつつあった。

 一方屋上にいたライは、距離をと取るためかスポットライトの当たらない奥の方へと移動する。

 

『ふん、逃げようなどと思わぬ事だな。駅の周囲は我々に加え、我々が手配した者達が配備されている。――これが最終通告だ。大人しく投降したまえ』

 

 定型句の様な言葉で投降を促す貴族生徒であったが、その言葉に嘘はない。

 気配の読めるリィンには、この駅周囲に普段以上の人数が集まっている事が手に取るように分かった。

 

 建物の裏路地を塞ぐようにして待機している雇われ。

 他の逃げ場がないか入念に探索を続けている男子生徒。

 そして彼らをまとめる為に慌ただしく連絡を取り合う女子生徒。

 

 彼らのそんな姿を見たリィンは、まるで自分達を見ているようだと言う事に気がついた。

 

(ああ、そうだったんだな。彼らも怪盗を捕まえたい一心で……)

 

 普段はお高くとまっている貴族生徒。

 だが、今この瞬間は怪盗を捕まえるため、全身全霊をかけて動いていた。

 

 これだけの人員を集めるため、いったいどれだけの労力をかけたのだろうか。

 四大名門であるパトリックがいない以上、それまで多くの人を動かせる権限を持った者はいないだろう。

 それでも彼ら貴族生徒は、個人で動かせるできる限りの人員をかき集め、こうして怪盗活動を辞めさせる為にライを追い詰めたのだ。

 

 そう、これは最早リィン達だけの騒動ではない。

 リィン達VII組、クロウが集めた庶民クラス、そして貴族クラスまでもが《依頼怪盗》の為に動いていたのである。

 これではまるで士官学院全体が一丸となって挑む一大イベントである。

 

(いやいや、流石に大規模過ぎないか?)

 

 想定以上の規模のデカさにおののくリィン。

 だが次の瞬間、――事態は動き出した。

 

「……歴史に泥を塗ったのは詫びる」

 

 ここで初めて、ライが口を開いたのだ。

 背を向けているため表情は分からないが、言葉は素直にこの状況を生み出した非礼を詫びている様子だ。

 

 しかし、

 

「けど今は、ここで止まる訳にはいかない」

 

 捕まるつもりなど、あの男には毛頭なかった。

 

 屋上に上った者達の手が届く数歩前、ライは目元を手で薙ぎ払い、素早く振り返った。

 僅かに見える青い瞳、刹那、迫っていた3人の身体が硬直する。

 

(まさか、あの”嫌悪感”を利用した、のか?)

 

 例え武術の心得があろうと防ぎきれない嫌悪感。

 ライはそれを一瞬の隙を作り上げるのに利用したのだ。

 リィンがその行為を理解したのと同時に、ライは煙玉を服の裾から取り出し、地面に叩きつけた。

 屋根を覆い隠すように広がる白煙。スポットライトの明かりも完全に遮られる。

 

 だが、いくら視界を奪おうと、広く開けた屋根の上では隠れる場所はない。

 屋根の上には3人の確保要員。駅の2階も地面には取り囲む様にして目を光らせる貴族クラスの面々。

 変装技術でもなければ抜け出せないだろうと、中心となっていた貴族生徒は笑う。

 

 けれどそんな状況下、リィンの耳に微かに、”線路を走る車輪”の音が聞こえて来た。

 

(こ、この音ってまさか……)

 

 リィンの脳裏に1つの逃走経路がよぎる。――それは次の瞬間、現実となった。

 トリスタ駅を通過し帝都へと向かう回送列車。高速で走る鉄の塊が駅に差し掛かったその刹那、煙の中から1つの人影が跳び出したのだ。

 

 リィンはまるでスローモーションのように、背中から線路上空に躍り出るライを見た。

 

 月明かりを背にして浮かぶ、不敵な笑みを携えたライの姿。

 一瞬遅れてスポットライトが彼を照らし出す。

 

 それはまるで演劇のような光景であった。

 スポットライトの中、空中を華麗に回転しつつライは落下していく。

 そして落下する先には高速で走る回送列車。見事その上に着地したライは、多くの者の視線を独占する中、手をまっすぐ伸ばしたスタイリッシュなポーズを決めて帝都の方へと消えていった。

 

 ……一瞬の出来事であった。

 小さくなっていく列車を見送った者達の耳に、夏の虫が鳴く声がやけに大きく聞こえてくる。

 皆、帝都へと続く線路を見たまま、しばらく呆然としていた。

 

「……嘘だろ。そこまでやんのかよ」

 

 クロウの一言を皮切りにして、数々の混沌とした言葉が駅前に溢れかえる。

 

「い、今何が起こったんだ?」と状況が呑み込めない者。

「移動中の列車に乗るんじゃない!」と常識的な憤りを漏らすも者。

「そもそも最後のポーズは一体何なの?」と首を傾げる者。などなど。

 

 そんな喧噪の中、ふと夜空を見上げたリィンは、ゆらゆらと舞い降りる1枚のカードを見つけた。

 まるでリィンの元に狙いを定めたかのように降りてくる小さな紙。

 それをキャッチして見てみると、カードにはこう書かれていた。

 

 ”ちょっと帝都まで行ってくる”

 

 リィンは、魂が抜けていくような徒労感に襲われた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ――7月16日、午後10時。

 第3学生寮の食堂に座るリィンとクロウは、ぐったりとテーブルに身を預けていた。

 何と言うか、絆の力でも越えられないものもあると言う現実を教えられたみたいな気分だ。

 

「はあ……、なあリィン、これからどうすっかな」

「そうだな。帰りを待ってそこで捕まえるとかか?」

「いや無理じゃね? あいつの行動が読めねぇっつーか、次は路上でスケートやり始めてても不思議じゃねぇっつーか」

「ごめん、その例えはちょっと理解が追い付かない」

「……わりぃ、我ながらどうかしてたわ」

「…………」

 

 燃え尽き症候群、とでも言うのだろうか。

 止める方法を考え抜いた末に辿り着いたヤケクソの策すら失敗した。数日前から動いていたであろう貴族クラスですらあの様だったのだから、数で追い詰める方法は根本から見直す必要があるだろう。

 

 無論、諦めた訳はない……のだが、あの2人が止まるビジョンがまるで見えてこない。

 

(とりあえず、シャロンさんの作った夜食でも食べるかな)

 

 まずは気を落ち着かせよう。と、リィンは作り置きのサンドイッチに手を伸ばす。

 リィン達の内には未だ焦燥感がくすぶっていた。今はまだ大丈夫だが、何時ライやトワの限界が訪れるかも分からない。

 タイムリミットに追われる恐怖をサンドイッチと共に飲み込むリィン。

 

 ――と、そんな時、静かに食堂の扉が前触れなく開かれた。

 

「む、その声はリィンか?」

 

 食堂に入って来たのは、何冊もの本を抱えたガイウスであった。

 

「リィン、先ほどは断ってしまって済まなかったな」

「別にいいさ。また図書館で調べものをしていたんだろ?」

「……ああ」

 

 ガイウスは手に持った本を見つめ、表情を暗くする。

 

 そう、ノルド高原が緊迫状態になってから早半月。

 ガイウスはこうして学院の書物を読み漁り、ノルド高原の緊張状態を解くためのヒントを探し続けていた。

 何もせずにはいられないのだろう。リィンも偶に手伝っていたが、ガイウスの表情から察するに、未だヒントらしいヒントは見つかっていないらしい。

 

 けれど、ガイウスはすぐに表情を戻し、リィン、そしてクロウへと視線を動かした。

 今はその話をするべきじゃない。と言った真剣な表情だ。

 

「しかし、丁度良かった。2人に伝えておきたい事がある」

 

 これは図書館から出る際に聞いた話なんだが――と言う前置きを添えて、ガイウスは言葉を紡ぐ。

 

 

「――先ほど、生徒会室で会長が倒れたらしい」

 

 

 ガタッと、クロウが跳ねる様に立ち上がる。

 

「おい。それ本当か?」

 

 何時になく真面目な口調で問いかけるクロウ。

 それに対し、ガイウスは頷く事で答えた。

 

「小耳に聞いた話では、高熱を出して保健室に運ばれたそうだ」

「熱……ああ今流行ってるっていう夏風邪かよ」

 

 過労で免疫力でも落ちていたのだろうか。

 遂に恐れていた状況になってしまった。クロウは脱力するように椅子に座り込んだ。

 

「やっぱこうなっちまったか。だから休むよう言ったってのに……」

 

 はぁ、と深いため息をこぼすクロウ。

 そして共同戦線を張っていたリィンもまた、再びどっと疲れが押し寄せて来た。

 

(こうなったらもう、俺達が怪盗に頼みたいくらいだ)

 

 と、投げやりの感想を抱いたその時、リィンはハッとした表情になる。

 

「……あっ」

 

 もう1つ、見逃していた手段があった。

 ライを止めようとしていたからこそ気づけなかった、ある意味最も簡単な解決策。

 今なら間違いなく成功するであろう、逆転の一手。

 

 リィンは身体に力を入れなおし、クロウの元へと歩き始めた――。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ――7月17日、午前2時。真っ暗になった生徒会室。

 日も跨ぎ、静まり返った室内に、1組の足音が響き渡る。

 

 やや疲れた目をした灰髪の青年。

 彼はいつも通りの足運びで、依頼を纏められたバインダーを開く。

 すると、バインダーの間から1枚の紙が滑り落ち、青年の足元にパサリと落ちた。

 

「……これは?」

 

 青年は地面に落ちた紙を拾い上げる。

 折りたたまれた真っ白な紙。それは依頼が書かれたものの様だ。

 昼間はそんな依頼はなかった筈、と、青年は疑問に思いつつもそれを開く。

 

 ――――――――

 件名:医務室にて病人の看病

 依頼者:クロウ・アームブラスト、リィン・シュバルツァー

 ――――――――

 

 ……かくして、ワーカーホリックを心配する友人たちの願いは、1人の怪盗へと届けられた。

 

 

 



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64話「包囲網の裏側(前編)」

 話は一旦、リィンとクロウが手を組む日の5日前、ミリアムが盗み食いをしようとした日の夜まで巻き戻る。ミリアムを驚かせてしまい、シャロンに仲裁された後、ライは1人暗い食堂に向かっていた。

 

 その目的はライが釣った巨大な魚の後処理だ。

 肩掛けのクーラーから飛び出した魚の尾は今もなお軽快なスナップを刻んでいる。活きが良いのは結構だが、これから依頼の納品物として持っていく以上、早く楽にした方が良いだろう。

 

(魚の締め方は確か、エラから包丁を入れるんだったか)

 

 ライは、事前に調べておいた後処理の方法を思い出しつつ、魚をまな板の上に置いた。

 

 ──さて、腕の見せ所だ。

 全く根拠のない意気込みを胸に、ライは包丁を構える。

 

「ライ様」

 

 しかし、その刃は突然の声に止められてしまった。

 

 誰もいなかった筈のライの死角、それも至近距離から投げかけられた声。

 ミリアムなら跳び上がっていたかも知れない。が、ライは特に気にする事もなく、包丁を置いて振り返った。

 

「何か?」

「失礼しました。ライ様に1つ、お願いしたいことがありまして」

 

 そこには丁寧に頭を下げるシャロンの姿があった。

 

「手短なら」

 

 ライはそう言って手元を見る。

 びちびちと跳ねる釣りたての魚。あまり長くは置いておけないだろう。

 

「かしこまりました。──では率直に申し上げますが、ライ様のARCUSを暫しお預かりしたく存じます」

「俺のARCUSを?」

「ええ。先刻ラインフォルト社から『対シャドウ技術の開発に必要だから』との連絡がありまして」

 

 ──対シャドウ技術に必要?

 それならルーレに行った際に渡した方が良かったのでは?と不思議に思うライであったが、すぐに考えを改める。恐らくは研究に何らかの進展でもあり、ライのARCUSに記録されたログを細かく分析する必要が出てきたのだろう。……ならば、話は簡単だ。

 

「分かりました」

 

 ライは迷うことなくARCUSをシャロンの眼前に差し出す。

 

「……わたくしが言うのも何ですが、本当に渡しても宜しかったのですか?」

「何か問題でも?」

「いえ、個人的な疑問なのですが、ライ様の戦術リンクはVII組のペルソナ召喚に不可欠なもの。そう易々と手放すとは思っていなかったものでして」

「個人であれば召喚器がありますし、日常生活には必要ありませんので」

 

 ペルソナはあくまで力だ。旧校舎のような特別な環境でなければ、ライの日常にさして影響はないだろう。それに対し、対シャドウ研究は少しでも進めなければならない課題。その2つを天秤にかけたのなら、どちらに傾くかなど考えるまでもない。

 

(影響と言えば、導力通信も出来なくなるが……)

 

 元からトリスタ内でしか使えないし、なくとも何とかなるだろうと、ライは1人納得した。

 

「承知しました。ですが、万が一という事も考えられますので、ラインフォルト社には調査を終えしだい返却するように伝えておきます」

「よろしくお願いします」

 

 シャロンはライからARCUSを受け取り、厳重なトランクケースの中にしまい込む。

 

「……しかし、残念ですね。せっかく断られた場合に備えて交渉材料を用意していたのですが」

 

 ARCUSを収納したトランクを眺めて、ぽつりと独り言を漏らすシャロン。

 正直、かなりワザとらしい。もしかして彼女がARCUSをすんなり受け取らなかったのは、断られる展開を期待していたからなのだろうか。

 

(これは、聞いた方が良いか……?)

 

 何だか遊ばれているアリサを思い出す状況だが……、まあ、別に問題はないだろう。と、ライは判断した。

 

「因みにその交渉材料は?」

「ライ様が近頃行っている活動に役立つ道具(アイテム)でございます」

「アイテム、ですか」

「ええ。実は私の知人に”似たような活動”をしている者がおりまして、彼の行動を参考に、いくつか見繕わせていただきました」

 

 ……似たような活動。

 もしやそれは、風の噂に聞く”遊撃士”というものではないだろうか?

 

 だとしたらこれはチャンスかもしれない。

 依頼という仕組みは元々遊撃士が行っているものだ。しかしながら、今のエレボニア帝国では活動が出来ない状況に陥っており、ライからしてみれば”便利な団体だった”と言うくらいの知識しか持っていない。

 ここで遊撃士のノウハウを手に入れる事は、今後の活動──ひいては、トワの作業量を減らすのに役立つのではないか? と、ライは考えた。

 

「ふふ。どうやら目の色が変わったご様子。なら、これはARCUSをお渡しいただいた報酬という事で、お渡しいたしましょうか」

 

 そう言って、シャロンは机の暗い物陰から1つのスーツケースを取り出した。

 薄暗い導力灯の明かりを反射する鈍色のケース。物々しい雰囲気が辺りに漂う。

 

「どうぞ、お受け取りくださいませ♡」

 

 かくしてライは、深夜の食堂にてシャロンから道具を受け取った。

 その中身とは──……

 

 ──バラエティ豊かな衣服の数々であった。

 

「……服?」

 

 庶民生徒の緑色の制服を初めとして、旅行客が着ていそうな服や紳士服、果ては水着や湯着などなど。他にもカラーコンタクトや、即落とせるヘアカラー等も入っており、まるでコスプレでもするかの如きラインナップだ。

 

「これらは変装道具(コスチューム)です」

「変装道具、ですか」

「はい。いくら身を隠したとは言え限界はあると言うもの。そんな時は、変装して場に溶け込み、密かに活動していくのが定石かと存じます」

 

 どうやら遊撃士は変装するのが定石らしい。

 必要なら女装とかもするのだろうか。思ったよりも大変な職である。

 

(まあいいか)

 

 今は遊撃士の事を考えても仕方ないだろう。

 明日──いや、今日の授業が始まるまでにやる事は山ほどある。

 残された依頼の数々や、難易度の高い授業に遅れない為の予習復習。全てをこなす為には寝る間すら惜しい状況だ。

 

「それではライ様、いってらっしゃいませ。今後のご活躍を期待しております」

「ええ、任せてください」

 

 ……かくして、ライは変装道具と言う新たな武器を手にし、再び依頼をこなしに深夜の町へと戻っていく。

 同じ町にいる筈のライをリィン達が見つけられなかったのは、ある意味ではこれが大きな原因であった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

 ──時は戻って7月16日の放課後。

 太陽も沈み、薄暗くなったトリスタの街角にて、いくつかの依頼を終えたライは静かに本を読みながら佇んでいた。

 

 とは言ってもただ立っている訳ではない。依頼をスムーズに遂行するため、シャロンから貰った変装道具を用いて旅人を装っていた。手に持っている本の題名は「怪盗Bの軌跡」。近年話題になっているらしい怪盗に関する書籍である。

 

(クルーガーさんが言っていた知人、今にして思えば怪盗だったのでは?)

 

 今更だが、変装と言えば怪盗の代名詞の1つだ。時には変装を行って他者を欺き、時には奇想天外な手段を用いて警備を出し抜く……と、この本にも書かれている。

 だが、そうなると今度は、シャロンは怪盗の知人を持っている事になってしまう訳で。それはそれで変ではないかと、ライは頭を悩ませていた。

 

 ──と、そんな状態のライの横を、1人の青年が駆け足で通り過ぎていく。

 

 彼は制服を見るに貴族クラスの生徒だろうか。

 ライが本越しに視線を向けると、彼は道の先にある交差路にて、これまた貴族クラスの女子生徒と落ち合っていた。

 

「おい、奴は見つかったか!?」

「いえ、まだですわ。まだトリスタ内にいる筈ですのに」

 

 話を聞く限り、どうやら彼らは誰かを探している様子だ。

 普段は体面を気にしている彼らが、肩で息をする程に走っているなど珍しい。それこそ、士官学院の訓練以外ではまず見られないだろう。

 

「……今日、何かあったか?」

 

 ライは度の入っていない眼鏡の位置を直しつつ、不思議そうに呟いた。

 何か問題でもあったのなら、依頼として生徒会に出され、トワの負担になる前に解決しておくべきか。とりあえず、ライは自身の予定に依頼候補を1つ書き加える。

 

 ……しかしまあ、その予定は少し後に回すべきだろう。

 今、ライがわざわざ変装して道に立っているのは、何も本を読むためではないのだから。

 

 意識を切り替えたライは、本のページをめくり、挟みこんでいた依頼の文章を再確認した。

 

 ────────

 件名:息子の夏風邪を治して欲しい

 依頼者:ケインズ書房の店主、ケインズ

 ────────

 

 そう、今からこの依頼をこなす為、ライは情報収集を行っていた。

 

 依頼怪盗という大げさな噂を背負うライであったが、その実態はむしろ探偵の方が近いと言えるだろう。

 なにせ直接依頼主に依頼の内容を聞くことすら出来ないのだ。ライが手に入れられる情報と言えば、依頼文に書かれている件名と依頼者、後は補足として書かれた短い文章くらいなもの。後の情報は、地道に調査して取得する他ない。

 

 ライはパタンと本を閉じ、背にしている壁──正確にはケインズが住んでいる住居の窓へと意識を向ける。

 

『──それでは、薬は貰えないと言うことですか』

 

 室内では依頼主のケインズが、七耀教会から来たシスター服の少女に質問していた。

 少女の顔には見覚えがある。確か、同じ士官学院のロジーヌと言ったか。彼女は申し訳なさそうに眉をさげている。

 

『すみません。教会の薬を改めて確認したのですが、先日ルーディくんに渡したもので最後だったみたいです』

 

 どうやら、ケインズは夏風邪の薬について七耀教会に確認を取っていたらしい。

 ライはメモを取りつつ、彼らの会話に集中する。

 

『他の教会に備蓄は?』

『問い合わせてみましたが、今年は帝都でも流行っているみたいでして……』

『……そうですか』

『一応、今夜ベアトリクス教官が教会にいらっしゃる予定ですので、そこで薬の伝手がないか聞いてみますね』

『お願いします』

 

 そんな会話を最後に、ロジーヌは礼儀正しくケインズの家を後にする。

 

 ──ひとまず、状況は把握した。

 ライの手元にあるこの依頼は、教会の薬が尽きたと知ったケインズが出したものだろう。

 今回の依頼に必要なものは《夏風邪の薬》と言ったところか。

 

 情報は出揃った。なら後は、必要なものを用意するだけだ。

 トワが今も頑張っている以上、自分も休んではいられない。ライは即座にこの場を後にしようとする……のだが、

 

『げほっ、げほっ……。うぅ……』

 

 そんな声を耳にしたライの足は、いつの間にか止まっていた。

 

『お、おい大丈夫か? 何か欲しいものはあるか?』

『……み、水』

『分かった。今持ってくるから待ってろ』

 

 窓の向こう側では、ケインズの息子がベットに入っていた。

 額には塗れたタオル。茶色の髪は汗で顔にべったりと貼りついており、かなりの高熱であることが見て取れる。

 

 それを見たライは、改めて手元の依頼文を見た。

 

 ────────

 件名:息子の夏風邪を治して欲しい

 ────────

 

 短い、たった一行の文章だ。

 だがそれが今は、とても重く感じられる。

 

 ああ、きっとこれは、人に言わせればあり触れた出来事なのだろう。

 それにライからしてみれば、依頼はトワの負担を減らす為の手段でしかない筈だ。

 ……けれど、この短い文に込められた”願い”は、そんな単純な理屈で片づけていいものではない。

 

 そう思ったライは、即座に本の中から1枚のカードを取り出し、素早く短い文章を書きこんだ。

 

「その依頼、確かに引き受けた」

 

 窓の隙間から熱でうなされている少年の枕元に向け、ライは依頼受諾のカードを真っすぐ投げ入れる。

 それはまるで、その熱を根こそぎ奪って見せるという、”予告状”のようでもあった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ケインズ宅を後にしたライが次に向かったのは、第3学生寮の2階にあるライの自室であった。

 

 ここには旧校舎で手に入れたアイテムをいくつか保存してある。

 古びたどこかの鍵や滑らかな板といった一見使いどころの分からないものから、体力を回復する魔石やマッスルドリンコ。後は無人の店内から拝借した電子機器が主なところか。今ライが探しているのもその1つ。サトミ何とかという薬局店から拝借したアイテムだ。

 

(ディスシックは……これか)

 

 ライは壁に備えつけられた棚の中から、1つの薬を手に取った。

 その名はディスシック。病気を治すというかなり大雑把な薬である。

 

 正直なところこれが夏風邪に効くかは曖昧なところだ。しかし、旧校舎内のアイテムは心の世界から持ち出したが故に、認知によって多少変化するという不可思議な特性を備えていた。

 例えば先程の古びた鍵も、使えるという認知さえあれば実際の鍵として機能してしまう。桐条グループの資料によれば、特にその傾向が強いアイテムを「無の〇〇」と呼称していた様だが、今は関係のない話だろう。

 

 ……しかし、念のため専門家に確認した方が良いかも知れない。

 ロジーヌの話によれば、夜に医師であるベアトリクスが教会を訪れるとの事。ならば、向かう先は士官学院の医務室ではなく七耀教会か。

 

 方針を定めたライは、自室の窓を開けて向かい側の屋根に飛び移った。

 涼しくなった夜風が頬を撫でる。いつの間にか随分と時間が経っていたらしい。

 

「……──ねぇ、まだ尻尾を掴めないの?」

 

 と、その時、寮の物陰から見知らぬ女性の声が聞こえて来た。

 

「しっかりしなさいエマ。試練をあんな奴らに乗っ取られてたままじゃ、何時まで経っても使命をまっとう出来ないわ」

「でもセリーヌ? この3ヶ月様子を見ていたけど、彼の記憶喪失は本当なんじゃない?」

 

 ボソボソとした声で内緒話をしている2人の声。どうやら片方はエマの様だ。

 しかし、彼女がタメ口で話すとは珍しいな。と言う感想をライは抱く。

 クラスメイトにも敬語で話している事を顧みるに、セリーヌという女性とは相当仲の良い関係なのだろうか?

 

「それは警戒を緩める理由にはならないでしょ。今は記憶喪失で味方なのかもしれないけど、その前はどうだったかは分からない。もしかしたら、今の状況に落ち着く為に、自ら記憶を消した可能性も残ってるわ」

「記憶を……。それってもしかして姉さんが?」

「それはまだ分からないわ。記憶を消す方法なんて、それこそ頭をぶつけてもなる可能性がある訳だし」

 

 記憶喪失。もしや自分の事かと、ライは静かに耳を澄ませる。

 

「けど、彼が倒れていたタイミングと、異変が起きたタイミングが一致しているのは紛れもない事実よ。最初に旧校舎に向かった流れも不自然だし。おまけに経歴も不明。お目付け役として助言するけど、彼に気を許すのはどう考えても得策じゃないわ」

「……分かった」

「幸いリィンが起動者(ライザー)としての資格を持っているみたいだし、辛うじてだけど試練は機能してるみたいね。リィンのサポートをしつつ、事態の裏を探るのが当面の方針かしら」

 

 ……旧校舎の試練に使命、そしてライザーか。

 初めて聞く用語のオンパレードだ。

 

(エマは旧校舎について何か知っているのか?)

 

 それも、かなり深い関係があると見て間違いないだろう。

 これは問いただすべきか? ……いや、警戒されているらしい現状、下手に刺激するのは悪手かも知れない。

 今は様子を見ておくべきだろう。ライは結論づけた。

 

「……ねぇ、今屋根の方で何か動かなかった?」

 

 ──まずい!

 ライは反射的に身を翻し、七耀教会に続く裏路地へと飛び降りる。

 

 だが、最後にこれだけは確認しておきたい。

 屋根から落下する寸前、ライは横目で一瞬だけエマの姿を視界におさめた。

 

(……エマ1人だけ、なのか?)

 

 意外なことに、寮の物陰にいた人物はエマだけだった。

 

 もう1人のセリーヌと言う女性はどこに行ったのか。

 まだまだ知らない事だらけだな。と、路地裏に着地したライは胸に刻むのだった。

 

 

 ──

 ────

 

 

 ──ライが路地裏へと姿を消した後。

 寮の物陰にある木箱の上で、上品な毛並みの黒猫が屋根を見上げていた。

 すらっとした肢体を起こし、気難しそうな瞳がじっとライのいた場所を睨みつけている。

 

「あちゃあ、話を聞かれたかも知れないわね」

 

 そんな黒猫の口から紡がれたのは、可愛げな少女の声だった。

 

 誰がどう見ても摩訶不思議な光景だ。

 しかしながら、隣に立っていたエマは、さも当然のように人語を話す黒猫へと問いかける。

 

「セリーヌ、あそこに誰かいたのは間違いないの?」

「まぁ鳥や獣ならそれで良いのだけれど。念のため、アタシが後を追いかけてみるわ」

「それなら私も……」

「いえ、エマはここに残ってなさい。すぐお迎えがくるみたいだから」

 

 お迎え? と、疑問符を浮かべるエマをよそに、黒猫──セリーヌは木箱をぴょんと飛び降りた。次いで、彼女は大きな耳を動かして寮の入り口側へと顔を向ける。

 エマもつられてその方向を見ると、そこには1人の影が近づいてきていた。

 

「エマ、ここにいたのか」

 

 寮の角から顔を出したのは、堂々とした面持ちの少女、ラウラだ。

 エマは咄嗟に意識を切り替え、いつも通りの態度で彼女に答える。

 

「すみません。実は先ほど窓からこの辺りに物を落としてしまいまして、1人で探していたんです。何か用時でもあったんですか?」

「いやなに。今アリサがリィンと通話していてな。出来ればその内容をエマにも聞いて欲しいのだが」

「アリサさんが?」

 

 ラウラから予想外のお願いを聞いたエマは、蒼色の瞳を左右に揺らしつつ考え込む。彼女としては、先ほどセリーヌが言っていた何者かを追いかけたかった。しかし、

 

「……分かりました。今向かいますね」

 

 断る理由が思いつかないエマはラウラの誘いに応じ、彼女とともに揃って寮の中へと入っていく。セリーヌはそんな2人の様子を物陰から静かに見つめていた。

 

「エマの方はそう自由には動けないみたいね。やっぱりこれは、アタシの方でも動いてみる必要があるかも……」

 

 セリーヌは小さくそう呟いて、屋根から消えた何者かの後を追って路地裏の方へと消えていった。

 

 

 

 

 




コスチューム(閃の軌跡)
 旅を一味変わったものにする便利な一品。衣服の他にワンポイントを演出するアタッチアイテムもあるが、何故か私服は別料金との事。

予告状(ペルソナ5)
 出したらカッコいいBGMが流れ出す。……ような気がする。
 なお、手書きなのでやや不格好。絵心に優れた仲間を募集中。

サトミ何とか薬局店(ペルソナ1・2)
 常に電波ソングが流れ続けている薬局店。
 ラインナップが独特すぎるのも特徴。石化回復のディストーンとか普段誰が使うのだろうか。

古びた鍵(ペルソナ4)
 警官の姿をしたシャドウが落とすアイテム。
 とある田舎町では、おばあさんが欲しがっていたらしい。

――――――――――――――――――――――――――――
お待たせしております。
今回の裏側については1話で終わらせる予定でしたが、色々と突っ込んだ結果文字数が増えたため、2話に分割いたしました。

また、今回試験的に本編で出る機会のない補足説明を加えてみました。
もし邪魔でしたらご指摘いただけると幸いです。


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65話「包囲網の裏側(後編)」

 ──7月16日深夜のトリスタ礼拝堂。

 薄暗い明かりが揺らめく礼拝堂の中で神父、シスター見習いのロジーヌ、そして士官学院の保険医を務めるベアトリクスの3名が話し合っていた。

 

「……それで、薬について何か当てはありましたか?」

 

 小じわを携えた神父がおそるおそるベアトリクスに問いかける。

 今の彼女は一介の保険医だが、元は帝国正規軍に所属し ていた軍医だ。七耀協会とは異なるパイプを持っているからこそ不足した薬が手に入るのではないかと、神父は一縷の望みをかけていた。

 

「ええ、その件については、口頭で説明するよりもこちらをご覧になった方が早いでしょう」

 

 そう言ってベアトリクスは神父に1通の封筒を手渡した。

 

「これは?」

「つい先ほど届いた旧友からの返事です」

 

 神父はベアトリクスに促されるままに封筒の中身を取り出し、綴られた文字を視線で追う。

 

「なになに……”以前の戦役で貴女から受けた恩義に報いたい。ひいては私が運営する病院に薬を分けるよう申し伝えるので、同封した紹介状を──” ……こ。これは本当ですか!?」

「勿論です。帝都ヘイムダルにある病院の住所も書かれていましたので、そこに行けば薬も手に入るでしょう」

「おお、それはありがたい。これで子供たちの熱も下げられます」

 

 ベアトリクスからもたらされた吉報を受けて神父の顔が緩んだ。

 

「この巡り合わせも空の女神のお導きというものでしょうか。早速、薬を受けとりに──」

「……あの、パウル教区長」

「む、どうかなさいましたか? ロジーヌ」

「お喜びのところ大変恐縮なのですが……」

 

 妙に歯切れの悪いロジーヌの声を聴いて、神父パウルは手紙から視線を離す。

 喜ばしい情報である筈なのに暗いロジーヌの表情。それに加え真剣な顔で時計を見つめるベアトリクスの様子を見て、パウルはオルソラの言わんとする事を理解する。

 

「…………ああなるほど、最終列車の時間、ですか」

 

 そう、今の時間は深夜。

 列車の便は片道分しか残っておらず、今日中に薬を持って帰るのは難しい状況だ。

 状況を把握したパウルは、一転して苦い表情をしながら封筒をベアトリクスに返す。そんな彼の元に、昼間ケインズの息子を診ていたロジーヌが近づいて来た。

 

「ケインズさんの所のカイ君なんですが、症状が悪化していて今夜が山場になりそうなんです。何とか解熱剤を見つけないと……」

「……分かりました。万が一の可能性もありますし、改めて教会の備蓄を確認するとしましょうか」

「はい。戸棚の隅から隅までひっくり返すつもりで頑張ります」

 

 教会の2人はどうやら夜通し薬を探す覚悟を固めた様だ。

 薬棚のある部屋へと向かうロジーヌに追従しようとしたパウルだったが、途中で足を止めてベアトリクスに向き直る。

 

「ベアトリクス医師、そういう事なので申し訳ないですが今夜は……」

「別に構いませんよ。ひと休憩しましたら私の方でも探してみますので」

「ご厚意、心から感謝します」

 

 そう言ってパウルもまた、部屋の奥へと消えていった。

 

 

 ……

 …………

 

 

 1人になったベアトリクス。

 彼女は重々しく礼拝堂の長椅子に腰掛けると、ポツリと、こう呟いた。

 

「──さて、お待たせしてしまいましたね」

 

 彼女の視線が向かう先は天井近くの梁。

 その上に音もなく潜んでいたライを捉える。

 

(気づかれてたのか)

 

 これは降りた方が良さそうだ。

 ひとまずライは梁の上から飛び降りて、盗み聞きしていた事について謝った。

 

「済みません」

「謝る必要はありませんよ。人前に姿を出し辛い事情は把握してます。……それよりも、ここに来た目的が別にあるのではないですか?」

 

 流石の観察力と言うべきか。この一瞬で、ベアトリクスはライの目的を正確に把握していた。

 ライはスムーズに話を進められる事に感謝しつつ、彼女にディスシックを手渡して今回のあらましを説明する。

 

「あの異界で手に入れた、病気治療の妙薬ですか」

 

 手元の小瓶を揺らしてまじまじと眺めるベアトリクス。

 この薬が効けば、今苦しんでいるあの子も助ける事が出来る。ライはその可能性に賭けていた。……のだが、

 

「……誠に残念ですが、医師としてこの薬の処方を認める訳にはいきません」

 

 ベアトリクスの判断によりその可能性は潰えた。

 

「そう、ですか……」

 

 まあ当然と言えば当然の判断だ。

 異世界で手に入れた得体の知れない薬。それも子供への投与実績のないものである。医者として不許可の判断を下す可能性はライだって考えていた事だ。

 

 しかし、だからと言って止まる訳にはいかない。

 トワの仕事を減らす為。なにより、依頼を受けた身としてケインズ達の願いを無下には出来ない。

 

(──それに、まだ方法はある)

 

 正確には、ついさっき見つかったと言うべきか。

 パウル達が話し合っていた最終列車の件には1つ見落としがあった。

 確かに最終列車は往路も復路も1本のみで、片方に乗ればもう片方には間に合わないだろう。

 

 ……だが、エレボニア帝国行きの線路を走る列車は、何も人を乗せるものだけではない。

 

(回送列車だ。あれに乗り込めたなら、帰りの列車にも十分間に合う)

 

「ベアトリクス教官、失礼ですが先ほどの封筒をお借りしても?」

 

 ライの突然の提案を受け、ベアトリクスの目がやや丸くなる。

 

「一応ですが、理由をお聞きしましょうか」

「当然、薬を調達しに行く為です」

「そうですか……。……ふむ」

 

 何やら考え込むベアトリクス。

 しかし、すぐに答えが出たのか、彼女は手元の封筒をライに差し出した。

 

「どうやって、という問い掛けについては聞かないでおいてあげましょう」

「感謝します」

 

 ライは再度礼をして手を伸ばす。が、

 

「──ですが、その前に1つ対価をいただくとしましょうか」

 

 その手は途中で止められた。

 

 対価? 

 取引をしたいと言う事なのだろうか? 

 

「何、少し老婆のお小言を聞いてもらうだけですよ」

 

 ベアトリクスは少し茶目っ気交じりの笑顔で答える。

 まあ、その程度の対価なら問題ないだろう。ライは交渉成立と言わんばかりに封筒を手に取った。

 

「よろしい。では──」

 

 ベアトリクスは姿勢を正し、ライの顔を正面から見つめ、

 

「ライ・アスガード。貴方は自身の持つ”影響力”についてもう少し自覚するべきでしょう」

 

 はっきりとそう断言した。

 

「……影響力?」

「人間社会に所属している以上、人は誰しも影響を与え合って生きています」

 

 それは糸で織りなす布の様に、密接に絡み合ってます。と、ベアトリクスはハンカチーフを広げながら語る。

 

「ただ、その影響力は皆が皆同じ訳ではありません。庶民が日々何気なく行っている行動も、貴族や金持ち、有名人が行えば周りの人々を大きく動かしてしまう。──貴方の場合は特にそれが顕著と言えるでしょう。シャドウ事件の中心にいるという立場。ペルソナという力。そして他者の嫌悪感を引き出す異変。どの視点から見ても強大な影響力があると言わざる得ません」

 

 柔らかな表情で丁寧な説明を続けるベアトリクス。

 だが、その眼光だけは、一語一句聞き逃すことは許さないという気迫が込められていた。

 

「これ以上、下手な真似を続けていると、国中を巻き込むような大騒動に発展するかも知れませんよ。行動には責任が伴うもの。くれぐれも注意しておくように」

 

 ……国中を巻き込むは言いすぎな気もするが、彼女の言葉は確かに真実を告げているのだろう。

 

「肝に銘じます」

 

 今後はもっと周囲に気を配るべきか。

 ライはベアトリクスの言葉を胸に刻み込み、トリスタ駅へと向かっていった。

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 ……まあ、結論から言うと、その方針転換はまったく持って手遅れであった。

 

『──怪盗に告げる。貴様は我々が完全に包囲した。大人しく投降したまえ』

 

 トリスタ駅の周囲を囲む貴族クラスの面々に加え、野次馬の様に集まってくる庶民クラスの人達。

 彼らの近くには大型のスポットライトが備え付けられており、その強烈な光を屋根の上で一身に浴びるライは、まるで舞台に上がった俳優のような気分にさせられる。

 

 今にして思えば、昼間に貴族クラスの生徒達が躍起になって探していたのは、他でもないライ自身だったのだろう。

 

(この状況を無難に収めるには、俺が捕まるのが一番か)

 

 歴史を守ると言う貴族の立場を失念していたのは間違いなくライの落ち度だ。

 その責任を負うのが真っ当な流れである事も理解している。

 ……けど、

 

「けど今は、ここで止まる訳にはいかない」

 

 ライにだって曲げられない理由はある。

 その為なら彼らを敵に回しても構わない。無難など知った事か。

 

 迫りくる追手。ライは変装用の眼鏡を投げ飛ばし、彼らに相対する。

 かくして深夜の駅屋上にて怪盗の脱出劇が幕を開け、ライは無事、帝都行の回送列車に乗り込むことに成功するのであった。

 

 

 …………

 

 ……そして、手に入れた薬を届け終えた後。

 真っ暗な生徒会室にて。

 

「……これは?」

 

 地面に落ちた紙を拾い上げ、ライは友人2人からの願いを受け取った。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 ──

 ────

 

 ──深夜の医務室にて。

 もう1人のワーカーホリックであるトワは、ベッドの上で眠りについていた。

 

 時折苦し気に咳こむ小柄な少女。

 額には汗が浮かび、解かれた髪はシーツの上でぐしゃぐしゃに広がっている。

 寝巻代わりのシャツが肌にべったりと貼りついている様子から見ても、高熱にうなされている事は明らかだろう。

 

 そんな彼女の頬にある時、吹くはずのない風が通り過ぎた。

 

「…………ん、……う、ぁれ……?」

 

 うるんだ目が薄っすらと開いたトワは、枕に身を預けたまま、かすんだ視界を窓の方へと向ける。

 

 ──いつの間に開かれていた窓。

 その手前には、月明かりを背に、上着をなびかせた青年が静かに佇んでいた。

 

「……えっと、らい、……くん?」

 

 暗い灰色の髪を目にしたトワがおぼろげな意識のまま問いかける。

 それを聞いた青年は一歩歩み寄り、短く「ええ」と答えた。

 

「だめ、だよ。ここにいたら、ライくんにも風邪がうつっちゃう……」

「大丈夫です。侵入するついでに換気もしましたので」

 

 入ってきた窓に視線を向け淡々と答えるライ。

 普段のトワだったなら、きっと窓から侵入してきた事に疑問を覚えただろう。

 もしかしたら窓1つで予防した気になっている事を咎めたかも知れない。

 

 しかし、今のトワは高熱で頭がぼーっとしてしまってる為か、ライの主張を素直に受け取って頬を緩めた。

 

「そっかぁ、だったら安心だね……」

「ハーシェル先輩。熱の方はどうですか?」

「熱? ……うん、少しは下がったと思うけど」

 

 自分の額に手を当てて熱を確認する。

 今も苦しくて体が重い事には変わりないけれど、ほんの少しは楽になった様な、そうでもないような……。

 

 と、そんな自問自答をトワが繰り返していたところ、いつの前にかライが枕元まで近づいていた。

 

「えっ?」

 

 音もない接近に身を起こして目を丸くするトワ。

 そんな彼女の驚きを他所に、ライはコップとオブラートに包まれた粉を差し出した。

 

「これって……」

「薬です」

 

 くすり……薬?

 反芻して意味を理解したトワは内心戸惑う。

 ぼんやりとした記憶だけれども、薬は切らしているとトワはベアトリクスに聞いていた。

 そんな貴重なものを自分なんかの為に使って良いんだろうか? もっと必要な子の為にとっておいた方が良いんじゃないか? そう問いかけようと顔を上げるトワ。

 

 ──しかしその言葉は、ライの青い視線と合った瞬間、消え失せた。

 

 まるで月明かりを宿したかのように淡く光る瞳。

 一見無表情にも見えるが、その目はただただ真剣にトワの体を心配している者の目だ。

 そんな相手に"自分なんか"なんて言える筈もない。

 トワは一旦開いた口を閉じて、小さな手でライから薬を受け取った。

 

(そういえばライ君の顔、久しぶりに見たかも……)

 

 薬を渡せた事で安心したのか頬を僅かに緩ませるライ。

 トワはそんな彼の顔を眺めてながら、自身の心がぽかぽかと温かくなるのを感じる。

 

 思えばこの数日間、2人はお互いを想いながらも顔を合わせる事はなかった。

 2人に本当に必要だったのは、案外そんな単純な事であった……。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ……薬を飲んでから幾何の時が経った後。

 冷たいタオルを額に乗せたトワは、薬で幾分か楽にはなったものの、中々寝付けずにいた。

 

 暗い石造りの天井。

 体はぞくぞくと冷たく、逆にのぼせる程に熱い頭。

 シンとした静寂の中、時折ぺらり、ぺらりと紙をめくる音が聞こえてくる。……どうやらライは机で書類作業をしているらしい。

 

「もし眠れないなら、質問しても良いですか?」

 

 トワが眠れない事に気づいたのか、カーテンの向こうからライが声をかけて来た。

 

「うん、いいけど……」

「先輩はどうして俺に気をかけてくれるんですか?」

 

 ライの率直な疑問。

 それはトワにとって意外なものだった。

 

「私って、そんなにライ君を特別扱いしてたっけ?」

「ええ」

「そうかなぁ。……まぁ、そうかも?」

 

 トワ自身あまり意識してなかったけれど、確かに他の生徒より意識しているかも知れない。

 もちろん能力とかも考慮してはいるが、1年早々に生徒会へと誘うのは中々異例だ。

 特別実習のときだって毎回心配させられる。……まあそれは、毎回大変な目にあってるからってのもあるけど。

 

 どうしてそんなに気になるのだろう?

 曖昧な意識のまま、トワは自分の心に問いかける。

 そして──

 

「……それはたぶん、きっと、私がなんでもないライ君を知ってるから、なのかな」

 

 と、答えを出した。

 

「ライ君ってさ。入学式のあの日、この部屋で目覚めたんだよね?」

「そういえば」

 

 まるで他人事のようなライの返答を聞いたトワはくすりと笑う。

 そして、ベッドの中から天井を……恐らくあの日、目覚めたライが最初に見たであろう光景を眺めながら、今は遠い入学式の日に思いを馳せた。

 

 あの日は確か、新入生を出迎えるために朝早くから校門の前に立っていた筈だ。

 事前にクロウから”経歴不明の新入生”について聞いていたので、トワは初々しい新入生達に声をかけながらもライの事を探していた。

 しかし、待てども待てどもそれらしい人物は来ず、そのまま入学式が始まる事に。

 結局のところ、ライが昨夜の駅で倒れて医務室に運ばれていたと言う話が伝わってきたのは、リィン達のオリエンテーリングを見守っていた夕方頃であった。

 

「あのとき、実はけっこう緊張してたんだよ? だってライ君、経歴がほとんど真っ白だったんだから」

 

 ほぼ白紙のまま提出して受理されるなんて、まるで”自分を怪しんでくれ”とでも言いたげな経歴書だ。

 いったいどんな経緯で入学して来たのか。どうしてそれを隠そうともしないのか。医務室の扉を開ける手が少し重くなったのを、トワは今でも覚えている。

 

 ……けれど、そんな緊張は本人に会った時、本当にあっけなく解けた。

 

『あ、いたいたー! ライ・アスガード君、だよね。丸1日寝てたけど体は大丈夫かな?』

『ああ、君は?』

 

 医務室の隅で書類をめくっていた灰髪の青年。

 トワの声に反応して振り返った彼は、事前の予想とは裏腹に至って普通な人物だった。

 それは記憶喪失のせいかも知れないけれど、トワの見たライ・アスガードはどこまでも透明で、まるで数字の0の様な青年だったのだ。

 

 そんなライの印象を、トワは本人を前にありのまま伝えた。

 ぼんやりとした頭のまま、浮かんだ言葉をそのままに、懐かし気に呟く少女。

 

 しかし、その声色はある時、暗く沈み込んだ。

 

「……けど、その日の内にあの異変が起きて、ライ君は普通の男の子じゃいられなくなった」

 

 旧校舎の異変。ペルソナの覚醒。

 あの瞬間からライを取り巻く何かが変わった様にトワは感じていた。

 立場だけじゃない。ライ自身も、歯車が噛み合ったみたいにどこか変わってしまった。

 

「べつにライ君が悪いわけじゃない……けど、このまま前に進んでいったら、ライ君はいったいどうなっちゃうんだろうって、そう思っちゃうのも、たぶん、嘘じゃない」

 

 ペルソナに覚醒した後のライは、まるで”命の答え”でも知ったかの様に揺るぎない目をするようになった。

 

 道を定めたらひたすらに全力で、一片の躊躇なく進み続けるその生き様。

 例えそれが取り返しのつかない破滅の道だったとしても、例え自らの命を捨てる事になったとしても、彼は立ち止まったりしないだろう。

 

「それでも俺は──」

「うん、止まらない事くらい分かってるよ。……でもね? それならせめて、ライ君が体験するはずだった日々の事は忘れないで欲しいなって思うんだ」

 

 トワは目を閉じて、絞り出すような声を出す。

 

「ライ君はお父さんやお母さんの姿も、友達も、故郷の光景も覚えてないんだもん。だから、この士官学院が代わりになったらいいなって。ここが拠り所になったら嬉しいなって……。……そうじゃないと、ライ君はきっと、本当に後戻りできない場所に進んじゃう」

 

 そう呟くトワの声は震えていた。

 後戻りできない場所。決してトワの手が届かない場所。……端的に言えば”あの世”。

 実際に”似た”経験をしているのか、彼女の焦燥感は切実なものだ。

 

 ──と、その時、カーテンの向こう側から聞こえていた作業音がぴたりと止まった。

 

 不気味な程に静まり返った室内。

 その変化に驚いたトワが視線を横に向けると、そこには音もなく立つライの姿があった。

 

「…… ライ、くん?」

 

 恐る恐る問いかけるトワ。

 確かに目の前にいるのに気配を感じない。

 まるで先ほど思い浮かべたライの姿──幽霊でも見ているかのようで、ゾクリと冷たい汗が頬を伝う。

 

 けれど──、

 

「大丈夫です」

 

 そんな彼の口から紡がれたのは、短く、けれども温かみのある声だった。

 

「リィン達やクロウ、それにハーシェル先輩だって大事な仲間ですから。どんな道に進もうと、皆がいる限り、ここが俺の居場所です」

 

 トワの不安を解きほぐすように、一語一句ゆっくりと伝えるライ。

 その言葉を聞いたトワは安心したのか、体の力を抜いてベッドに深く身を預ける。

 

「そっか」

 

 さっきまで感じていた焦燥感はいつの間にか消えていた。

 何だか今なら眠れそう。そう感じるトワであった。

 

 ……が、今の会話に何か引っかかるものがあったのか、彼女の意識はぎりぎりのところで踏みとどまる。

 

「ぇ、あれ? そういえばライ君って、クロウ君のこと、名前で呼んでるんだ」

「──? ええ」

 

 そう、それはトワからして見れば見過ごせない変化だった。

 彼の文化圏がそうだったのかは定かではないが、ライは基本的に相手をラストネームで呼んでいる。そんな彼がクロウの事を名前で、それも呼び捨てで言っていたのだ。

 リィン達は同級生だから名前で呼んでるのはまだ分かる。

 しかしクロウは別だ。年齢だって同じだし、立場的にはむしろトワの方が近いくらいだ。

 

 そう思うと、心の底から疎外感のような寂しさが湧き出してくる。

 

「……ずるいなぁ。わたしだって、ライ君と会ったのは同じ日だったのに」

 

 思わずトワの口から零れ落ちた独り言。

 それは、図らずも静かな医務室内に響き渡る。

 

「なら同じように呼びますか?」

「え、あ、ごめんなさい。そんなつもりじゃなかったんだけど」

「遠慮する必要はないかと。ハーシェル先輩は同じ生徒会の会長ですし、それに──」

 

 ライが途中で言葉を区切る。

 何かを思い出しているのだろうか。彼は数瞬考え込み、そして改めて口を開いた。

 

「それに、病人は我がままを言うものです」

 

 病人は要望を言ってなんぼである。

 故にトワが遠慮する必要は何もない。むしろ遠慮などするなと、ライは視線が泳ぐトワに対しきっぱりと言った。

 

「……そーだね。なら、これからは”トワ”先輩って呼んでくれる、かな?」

「承りました。トワ先輩」

 

 トワ先輩と言う呼び名を聞いて、トワの頬が自然と緩んだ。

 

 再び訪れる深い眠気。

 この感覚に身をゆだねれば、きっと次に見るのはまばゆい朝日なのだろう。

 

「ねぇ、せっかくだから、もう1つ、わがまま言ってもいいかな……?」

「ええ」

「ありがと。それはね──……」

 

 まぶたが閉じていく中、ライにゆっくりと要望を伝える。

 そうしてトワは暖かな眠りへと落ちていった。

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ……

 …………

 

(──手をつないで欲しい。か)

 

 トワが眠りについてから暫く経った後。

 ベッド脇の椅子に座るライは、彼女の手を握りながらも先ほどの言葉を反芻していた。

 

 くしゃくしゃな茶髪に埋もれる様にして眠るトワ。

 ライの手に包まれた片手はとても小さく、どこからどう見ても幼い少女の様にしか見えない。

 けれど、そんな彼女がライに語った願いは、賢母のような慈愛に満ちたものだった。

 

「このままじゃ駄目、だよな」

 

 ライの脳裏によぎったのはトリスタ駅で起きた一連の騒動だ。

 トワに伝えた事は嘘ではない。……が、ここがライの居場所だと言うのなら、彼らとのいざこざを無視する訳にもいかないだろう。

 フィレモンの鍵や嫌悪感などは諦める理由にならない。

 トワの願いを無下にしない為にも、ただ前に進み続けよう。

 

 そう決意を新たにするライであったが、次の瞬間、唐突な眩暈が彼を襲った。

 ぶれる視界。ライは空いたもう片手で頭を支える。

 

(……流石に、5徹は少し不味かったか)

 

 少し仮眠を取った方が良いだろう。

 ライは椅子に座ったまま、静かに目を閉じる。

 

 かくして2人のワーカーホリックは、深夜の医務室にて深い眠りへと落ちていく。

 そんな彼らを見守るのは、ほの暗い月明かりだけであった。

 

 

 “我は汝、汝は我……。汝、新たなる絆を見出したり。汝が心に芽生えしは正義のアルカナ。誠実なるその絆が、汝の道標とならんことを……”

 

 

 

 

 




正義(トワ)
 そのアルカナが示すは平等や正しさ。正位置では誠実や均衡を示し、逆位置では偏向や一方通行を意味する。カードに描かれている剣と天秤を携えた女性は支配・公平を暗示しており、生徒会長であるトワもまた、誠実な上に立つ者としての在り方を体現していると言えるだろう。




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66話「それぞれの事情」

 ──トリスタ駅での大騒動があった翌日の7月17日。

 太陽も沈みかけた夕暮れの中、ライは第3学生寮への帰途についていた。

 

 正面玄関のドアノブに手をかけて寮内に入る。

 この経路を使うのも数日ぶりか。と、聞く人が聞いたら理解を拒みそうな考え事をしていると、入り口のすぐ隣、郵便受けが並べられている場所から声をかけられた。

 

「ライ、帰って来たのか」

 

 それは白い封筒を手にしたリィンだった。

 彼は普通に帰宅したライを見て、全てを理解した様に頷く。

 

「昼間は聞けなかったけど、どうやらトワ会長とはしっかりと話せたみたいだな」

「……ああ」

 

 リィンとクロウが出した依頼は、ただの看病だけでなく、微妙にすれ違ってた2人を対峙させる事を目的としていた。

 例えライ自身が止められなかったとしても、2人を正面からぶつけてしまえば負の連鎖はそこで止まる。リィンが気づいた攻略法は的を射ていた訳だ。

 

「迷惑をかけた」

「全くだよ。1つ貸しだからな?」

「勿論だ」

 

 そんな短いやり取りで一連の騒動を締めるリィンとライ。

 男同士の謝罪など案外そんなものである。

 

 まあ、そんな感じで一通り会話を終えたリィンは、手元の手紙へと意識を移した。

 嬉しいようで後ろめたいような複雑な表情だ。その理由が気になったライは遠慮なくリィンに問いかける。

 

「──それは?」

「ああ。これはエリゼからの手紙さ」

「エリゼ?」

 

 聞き覚えのない女性の名だ。

 

「あ、そう言えばライにはまだ伝えてなかったっけか。エリゼは俺の妹って言うか、シュバルツァー家の長女なんだ」

 

 リィンを引き取ったシュバルツァー男爵家。

 そこの子供であるのなら、妹とは言っても義理の妹なのだろう。

 ライは、妹がいたのか、とリィンの家族構成に関する情報を更新しつつ、話を続ける。

 

「実家からの手紙だったのか」

「ああいや、エリゼは今、帝都の聖アストライア女学院に通ってるから」

「帝都の? 案外近いな」

「あ、ああ、そうだな。……そうだよな」

 

 妙に言い淀むリィン。

 やはり実家とは確執でもあるのだろうか。

 

 もう少し話を聞いた方が良いか?と考えるライであったが、その瞬間、背後の正面玄関がバタンと大きな音が鳴り響く。

 

「ねぇねぇ! ライが帰って来たって本当!?」

 

 入口にいたのは大急ぎで帰って来たであろうミリアムの姿。

 肩から息をしており、大急ぎで駆けつけて来たのが一目で分かるだろう。

 ライの姿を見て目を輝かせるミリアムに対し、ライは何時のもペースで向かいなおった。

 

「本当だ」

「やったぁ! やっと捕まえられたよ!! ──それじゃあ、ライ? さっそく本題なんだけど、何で今回ボクを誘ってくれなかったのさ」

「誘う?」

「まったくライも薄情だよねぇ。隠密行動のスペシャリストであるボクをないがしろにするなんてさ。ライとボクの仲なんだから、怪盗なんて面白イベントを始めるならまずボクに相談するってのが当然の流れでしょ?」

「スペシャリスト?」

 

 マシンガンの様に畳みかけてくるミリアムと、頭に?を浮かべるばかりのライ。

 今回の騒動が単なるイベントだと思ってる彼女とのズレがありありと出ている状況だが、とりあえず仲間外れにされたのが不満である事だけは、今のライでも何とか理解できた。

 

 そう、即ちこれは──

 

「依頼か」

 

 一緒にやりたかったと言うミリアムの願い。

 ならば早速生徒会室に赴いて、適当な依頼を受けなければ……!!

 

 キラリと光る眼光。スイッチが入って動き出そうとするライであった。──が、しかし、それはリィンがライの肩を掴んだことで強制的に中断される。

 

「おい待て」

「……リィン?」

「ライ、今日はもう寝よう。な?」

 

 リィンの顔が笑っているのに笑っていない。

 

 何故だろう。

 今の「今日はもう寝ようぜ」という言葉に、ライは逆らえない気がした……。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ──パトリック・ハイアームズ。

 名門貴族フェルナン・ハイアームズ侯爵の3男であり、由緒正しい血筋を背景に貴族クラスI組に所属する彼は、近頃悩みを抱えていた。

 

「パトリックさん! 私達も怪盗捕縛に協力しましょうよ! この士官学院を我が物顔で蹂躙するなど許される筈がない。いえ、たとえ女神が許しても私達が許さない!!」

 

 第一学生寮のソファに座っていると、取り巻きの1人が熱心に勧誘してくる。

 しかし、当のパトリックはあまり乗り気ではなかった。

 

(奇妙な話だ。以前に会った際は底の知れなさはあったけれど、今ほどの強烈な嫌悪感はなかった。それにあの男から感じる印象……。あれは彼と言うよりはむしろ、1カ月前の僕自身じゃ──)

 

 嫌な記憶を思い出したパトリックは頭を振るい、重々しくソファから立ち上がる。

 

「えと、パトリックさん?」

「君達が参加する事には反対しないが、僕には私用があるので遠慮させてもらうよ」

「それなら私もお供を……」

「いや不要だ。1人にさせてくれたまえ」

「は、はい」

 

 狼狽える取り巻きを背にして、パトリックは第一学生寮を後にした。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 外に出たパトリックが何処に向かったかと言うと、意外な事に第三学生寮前の曲がり角であった。

 

 曲がり角の物陰に佇み、ちらちらと第三学生寮の入口を確認するパトリック。

 今が7月18日の自由行動日であるとは言え、こんな彼らしくない光景を見れる機会など早々ないだろう。

 偶にコホンと体裁を整えて第三学生寮に向かおうとするものの、すぐに考え直して物陰に戻り、こそこそと入口を確認することを繰り返す白制服の男。明らかに不審者な彼の背後から突然、抑揚のない声が投げかけられた。

 

「──いったい何を?」

「うぉあ!?」

 

 パトリックは驚き飛び上がる。

 心臓をバクバクさせながら振り向くと、貴族生徒達が探し求めた怪盗の顔がそこにあった。

 

「お、お前はライ・アスガード……」

「久しぶり」

「いやいや待ちたまえ。君と僕はそんな馴れ馴れしい挨拶をする間柄じゃないだろう?」

 

 1か月前のいざこざを感じさせない態度にパトリックは毒気を抜かれる。

 だがしかし、パトリックはこれでもハイアームズ男爵家の子息。いくら相手が奇々怪々な存在であろうとも、自らの在り方を曲げる訳にはいかない。

 何とかプライドで立ち直ったパトリックは、堂々とした佇まいに戻ってライの疑問に答える。

 

「いや何、これは敵情視察に来たのであって他意は「実のところ坊ちゃまは前回の武術教練で言い過ぎた事を気にしておりまして、特に酷い事を言ってしまったリィン様に謝るタイミングを、こうして探しておいでなのですよ」──おい、セレスタン!」

 

 が、その釈明は横から入った第三者の訂正によって遮られてしまった。

 その第三者とは、整った執事服を身にまとった眼鏡の男性。彼はライに向けて畏まったお辞儀をする。

 

「初めまして。私はハイアームズ家に仕えておりますセレスタンと申します。ライ様のご活躍はハイアームズ侯爵閣下より常々伺っておりますので、どうぞお見知りおきを」

「その節はどうも」

 

 そんなセントアークでの一幕を交えた挨拶を交わすと、ライは再びパトリックに意識を戻す。

 

「仲直りがしたかったのか?」

「ば、馬鹿を言うな! 僕ともあろう者がそう易々と頭を下げるなど「ライ様、少しよろしいでしょうか」──今度は誰だ!」

 

 パトリックの釈明は、またもや横から入った第四者の言葉によって遮られてしまった。

 この場に居合わせた4人目とはメイド服のシャロン・クルーガー。

 どうやら彼女はライに用事があったらしい。ライの視線が彼女に移る。

 

「急用ですか?」

「ええ、実は先ほど緊急の連絡が入りまして、ライ様にはエリゼ様を探す手伝いをして欲しいと」

「エリゼ……リィンの妹ですか。彼女がこのトリスタに?」

「はい。なんでも先ほどリィン様と言い争いになってしまったらしく、そのまま走り去ってしまったらしいのです」

 

 なるほど。と、何やら考え込むライ。

 パトリックとしてはこのままいなくなってくれた方が正直ありがたい。……のだが、彼の口から次に出た言葉は、かなり意外なものだった。

 

「ハイアームズ、1つ取引をしないか?」

「は?」

 

 

 ……

 …………

 

 

 短くも的確な言葉でパトリックは取引とやらの説明を受ける。

 

「──なるほど、彼の妹探しに協力する、か。確かにシュバルツァーに貸しをつくるのは悪くない考えだ」

 

 ライが提案した捜索への協力は、パトリックにとってまたとない機会だった。

 

 現状の問題は、パトリックは自らのプライドにより中々謝る事が出来ずにいる事だ。

 しかし、リィンに対して貸しをつくる事により、ある程度は対等の立場で話し合う事も可能だろう。

 加えてライが対価として要求するであろう内容についても、彼は大よその検討がついていた。

 

「そして君は、僕の一声で貴族生徒からの悪評を拭う事ができる。と言う訳か」

 

 先日も騒動があったと聞いている。

 ならばこれだろう。と述べるパトリックであったのだが、

 

「いや、それはいい」

「……何?」

 

 意外なことに、推論は否定されてしまった。

 

「ハイアームズには貴族生徒の依頼を受けるための仲介を頼みたい」

「依頼だと?」

「ああ。その後は俺が何とかする」

 

 まさかこの男、自分自身で貴族クラスの生徒達を攻略するつもりなのか?

 嫌われている相手に何の冗談だと思うパトリックであったが、本人の表情は至って真剣そのものだ。

 むしろ末恐ろしい程に淀みのない視線。それを見たパトリックは、心の何処かで何かが噛み合ったかの様な感覚に陥る。

 

「……分かった。その取引、受けようじゃないか」

「助かる」

「では、僕は士官学院の北側をあたるとしよう」

 

 いつの間にかパトリックは心の冷静さを取り戻していた。

 取引を終えた彼は片足を引き、そのまま士官学院への道を歩み始める。

 けれど、その途中で一旦足を止め、

 

「それと1つ、君に忠告しておこう。貴族にとって家名は特別な意味を持っている。僕の事は特別にパトリックと呼んでくれたまえ」

 

 と、ライに告げるのだった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ……一方その頃。

 トールズ士官学院の裏道を、見慣れぬ制服を着た黒髪長髪の少女が歩いていた。

 

 彼女の名はエリゼ・シュバルツァー。

 リィンの妹である彼女は、人目をやや避けつつも、見知らぬ学院の中を当てもなく彷徨っていた。

 

 事の発端はリィンがエリザに当てて出した手紙の内容だ。

 養子である事の後ろめたさか、実は疎まれているんじゃないかと言う不安か、はたまた将来の道に迷っている事の表れか。彼はエリザへの手紙に『いずれ家を出ていく』と付け足していた。

 無論それは養子が長男である事による諸問題を回避する意味もあったのだが、それに猛反発したのが他でもないエリゼだ。彼女は事前に一報を送った後、自ら列車に乗って士官学院に乗り込んできたのである。

 

 しかしながら、いざ屋上で話し合った時、リィンの行動が無意識だった事が判明。

 エリゼは自らを蔑ろにする兄に対し激しい感情をぶつけ、そのまま勢いに身を任せて屋上を走り去ったのだ。

 

「兄様のばか……」

 

 艶やかな黒髪を揺らし涙目になりながら、ふつふつと兄への不満を漏らすエリゼ。

 何故だか周囲に人影はない。少し変には感じるけれど、今はそれが心底ありがたかった。

 

 木々がざわめき、暖かな風が頬を撫でる。

 そんな中、エリゼはかすかな声を耳にした。

 

「──よし。人除けを済ませて見張りも寝かせたし、これで問題なく旧校舎まで行けるわね」

 

 そこそこ高い女性の声。

 ひとけのない中で聞こえた声が気になったエリゼはそちらを見る。……が、そこに人の姿はなく、綺麗な毛並みの黒猫がいるだけだった。

 

(あれ? 今のは空耳?)

 

 不思議がるエリゼを尻目に、黒猫は奥の方へと走り去っていく。

 元より目的地などないエリゼは誘われるようにして、その後をついて行くのであった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ……黒猫の後をついて行ったエリゼを待っていたのは、林の中に建てられた古い建物だった。

 暗色の石で作られた物々しくも神秘的な雰囲気を纏う建造物。エリゼはここが何なのか分からないまま、不安半分興味半分の心持ちで、舗装されていない土の道を歩いていく。

 

「これが異世界に繋がる門ね。心が関係してるなら魔女の術が有効な筈。不甲斐ないエマの為にも私が何とかしないと……」

 

 ふと、先ほども聞いた女性の声が耳に入る。

 声の主を探すエリゼだったが、聞こえて来た方向──建物の入口付近に見えたのは、またもや黒い猫と、不可思議に光る正面玄関だけだった。

 

(え、光る扉……?)

 

「おい、そこの君! そこで何をしているんだ!!」

 

 光る扉に驚いた刹那、エリゼの後方から大きな男性の怒号が飛んでくる。

 長いスカートを翻して振り返るエリゼ。自らが来た道を視界におさめると、そこには白い制服を着た金髪の青年が立っていた。

 

 青年はやや焦った様子で駆け寄って来る。が、エリゼの姿を見て表情を変えた。

 

「……おや、その服は聖アストライア女学院の制服? という事は、君は部外者だったのか」

 

 どうやら青年はエリゼの事を学院の生徒と勘違いしていたようだ。

 先ほどの怒号は同じ生徒に向けてだったようで、彼は若干目を泳がせていた。

 

「失礼、この旧校舎は現在立ち入りが禁止されていてね。生徒の立ち入りは厳しく制限されているんだ」

「そうだったのですね。……すみません。黒猫を追いかけていたらここに来てしまいまして」

「ああ、危険だから君は早くこの場を離れ──、いや待ちたまえ」

 

 話の途中で、青年は一旦待ったをかけた。

 改めてエリゼの姿をまじまじと眺める貴族の男。

 エリゼは少し身を引いて警戒しながらも、彼の次なるアクションを待つ。

 

「君はもしかして、エリゼ・シュバルツァーと言うのではないか?」

「え? ええ、そうですが……」

「僕はパトリック・ハイアームズだ。実は君を──」

 

 ──その時であった。

 旧校舎の入口から、余裕のない叫び声が聞こえて来たのは。

 

「嘘っ!? 逆干渉だなんて!」

 

 突然の叫び声に身構えるエリゼとパトリック。

 急ぎ旧校舎を視界に入れると、扉の光が膨れ上がるように変形していた。

 まるで爆発前を思わせる程の極光。

 それは即座に弾け、無数の手となって2人にも降り注ぐ。

 

「きゃっ!!」

「あ、危ない!!」

 

 パトリックは咄嗟に動こうとしたが、圧倒的に遅すぎる。

 なす術もなく光の濁流に飲み込まれるエリゼとパトリック。

 

 その数瞬後、まるで何事もなかったかの如く光が消え、元の姿に戻る旧校舎。

 しかし、そこに2人と黒猫の姿は残されていなかった……。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ……

 …………

 

 真っ白に染まったエリゼの視界が元に戻った時、周囲の環境は恐ろしい程に一変していた。

 

 ここは彼女が今まで一度も見た事のない世界だ。

 道路は継ぎ目のない石のようなもので舗装されており、読むことの出来ない文字や線がペイントされている。

 建物の間隔も狭く、道のいたるところに建てられた柱からケーブルが繋がっている光景は異様とすら感じられた。

 

「な、なな、何なんだここは……!!」

 

 一緒に取り込まれたパトリックも、腰が引けた姿勢を正す余裕もなく、おろおろとするばかり。

 そばの地面で周囲を見渡している黒猫と比べると情けない姿だが、無理もない話だ。

 

 肺に入る空気すら重い。

 夕暮れに染まる空もどこか違う。

 何とか状況を理解しようと努めるエリゼとパトリック。

 そんな2人の肌に、ズシン、ズシンと、重厚で巨大な足音の振動が届く。

 

「何か、来ます」

「あ、ああ。あれは……巨大な甲冑?」

 

 建物の影から近づいて来たのは、場違いな甲冑姿の魔物。

 頭部がなく、高さ5アージュを優に超えるその甲冑は明らかに人のそれでない。

 

 臆しながらも剣を構えるパトリック。

 人の身長ほどもある剣を構えた甲冑は、2人の前に来て足を止める。

 そして、

 

『ダ、ダ第四拘束、解除──……。コレ、コレヨリ、第一ノ試シヲ展開ス、スススル──……』

 

 と、壊れかけの機械を思わせる声を発し始めた。

 

『原因不明ノ、ノフ、不具合ガ発生──。修復不能。修復、不能。試シノ進行二、支障ガ、ガガガガガガ────…………』

 

 壊れかけの機械を思わせる声を発した甲冑は、そこで不自然に身じろぎし、動作を停止する。

 

 まさか、壊れたのだろうか?

 そんな考えがよぎった次の瞬間──胸部の装甲が突然、はじけ飛んだ。

 

「ひぃっ!!?」

 

 パトリックの足元に轟音とともに落ちる装甲。

 だが、彼らは甲冑から目を離すことは出来なかった。

 

 穴があいた甲冑の中。

 そこに見えたのは巨大な、生々しい”人間の目”だったからだ。

 

『──我らが、名を求め■さい』

 

 甲冑の内側、人が丸々入りそうな程に巨大な眼が2人に語り掛けてくる。

 

『我■が、至高の光…満…た、■らが名を求…なさい』

 

 同時に、側面から鎧を突き破りつつ伸びる4本の無機質な腕。

 その姿はまるで何かが甲冑の中に寄生しているかの様に無秩序。

 ノイズがかった声も段々と鮮明になっており、今もなお鎧を内側から侵食しているのは間違いない。

 

 そんな敵の姿を見て、誰かが息を飲む音が聞こえた。

 指先も足も震えが止まらない。圧倒的とも言える威圧感が場を支配する。その最中──、

 

『我ら■神……。我■が名はアントロー■ス=■■レシア。”人”として、”教会”として、今こそ人々に許しを与えましょう……』

 

 甲冑の中にいる”何か”は、まるで異形の天使が如く、4本の腕を広げるのだった。

 

 

 




皆さまに1つ報告があります。
フィーのアルカナについてなのですが、プロットと相談した結果、今更ですが女教皇から女帝に変更させていただきました。
当初、大人の女性を暗示する女帝とは合わないんじゃとも思ったんですが、実のところこっちの方がフィーに合ってるんですよね。

それに合わせてではありますが49話、52話を加筆修正しております。

話の流れ自体は変わらないので、とりあえず「フィーは女帝になった」とだけ覚えていていただけば幸いです。


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67話「許しを与える者」

 ──夕暮れに染まった士官学院の2階。

 ライはシャロンから聞いた伝言に従って、いつも勉学をしているVII組の教室に訪れていた。

 

 中に待っていたのは同じく連絡を受けていたエリオットだ。

 窓の外を見渡していた彼はライの姿を見ると勢いよく振り返り、ライの元へと駆け寄ってきた。

 

「あ、ライ! 待ってたよ!」

「待たせた」

 

 ライは腰のホルダーから召喚器を抜き取り、エリオットの手に乗せる。

 ARCUSがない今、ペルソナを召喚する術はこの召喚器しかない。

 

(召喚と言えば、あの島じゃカードを割って召喚できたが……)

 

 今は意識してもカードが現れる事はない。

 あの神がいた空間──心の海に座する空間だったか。そこが特別だったのかは今となっては不明だが、今後も召喚器に頼る事になるのは間違いないだろう。

 

 一方、召喚器を受け取ったエリオットは、未だに怖いのか少々不自然な動きで、銃口を自らの頭に当てていた。

 

「妹の探索は出来そうか?」

「正直なところ分からないかな。僕も士官学院の入口でエリゼさんには会ったんだけど、それほどしっかり人物像を覚えた訳じゃないから……」

「そうか」

 

 ライとのそんな会話で少し緊張が解れたのか、エリオットの表情が揺るぎないものとなる。

 そして、召喚器のトリガーを引き、己がペルソナを召喚した。

 

「──奏でて、ブラギ!!」

 

 パァンと言う発砲音。

 エリオットの頭から飛び散った青い光の欠片が吟遊詩人となり、彼の頭上で無音の旋律を奏で始める。

 言うなればそれはブラギから放たれたソナーだ。エリオットはマントの中でその音に耳を澄ませ、周囲の生命体、空間、その他さまざまな情報を、彼にしか分からない感覚として取得する。

 

 エリゼの特徴を条件として情報を絞り込み、広域探知を行う事、数分。

 彼の脳内で構成された空間に、合致する情報が浮かび上がった。

 

「……見つけた!」

 

 声をあげるエリオット。

 しかし、その場所は──、

 

「何処だ?」

「士官学院の北側……。え、でもこれって、もしかして旧校舎!?」

 

 ”この時間”に、いてはいけない場所だった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 その後、エリオットのARCUSを通して近場のVII組を呼び集め、ライ達は旧校舎へと急行した。

 近場で集まれたのはマキアス、エマ、そして先頭を走るリィンの3名。他の面々は遅れて到着する手筈となっている。

 

「──エリゼ!!」

 

 妹の名前を叫びつつ、リィンは旧校舎前に到着した。

 しかし、既に人の気配などどこにもなく、閑散とする広場があるだけだった。

 夏の風が木の葉を揺らす。変化などその程度しかない程に静かな空間を見渡すと、ライの内にある疑問が沸き上がる。

 

(……監視の軍人がいない?)

 

 この時間は正規軍主導の元、監視の目があった筈なのだが。

 

 しかし、今はそんな異変にかまけている時間はない。

 周囲の気配を確認したリィンは、すぐに引き返してエリオットの元に駆け寄ってきた。

 

「エリオット、エリゼは?」

「わ、分かったよ。今改めて確認するから」

 

 らしくない程に焦るリィンに気圧される形で、再びブラギを召喚するエリオット。

 人の気配だけでなく細かな痕跡に至るまで、即座に、かつ綿密に分析したのだが……。

 

「……えっ? 痕跡がここで途絶えてる?」

 

 その痕跡は、ここでばったりと途絶えていた。

 

「それって、もしかして異世界に入ってしまったんじゃないでしょうか」

「ま、待ちたまえエマ君! 異世界の門はもう閉じてしまっているんだぞ!? それなら彼女は今いったいどこに?」

 

 エマが出した推論に狼狽えるマキアス。

 そう、既に夕日は沈み、旧校舎の入口にあった光のベールは消えてしまっている。

 

 その間、異世界はどうなっているのか。

 行き来が出来なくなっているだけなのか。もしくは文字通り消滅しているのか。

 何一つとして分からない状態だが、彼女の身が危険であると言う一点だけは、確かな現実としてこの場にいる面々に重く圧し掛かる。

 

「くっ」

 

 リィンはいてもたってもいられず、走り出して旧校舎の扉を開けた。

 

 旧校舎の中は外と同じく暗い色の石で作られた広間になっている。

 異世界の痕跡など欠片もなく、ほこり臭い空気が漂っている中、リィンは駆け込んで声を張り上げた。

 

「エリゼ!! いたら返事してくれっ!!」

 

 リィンの声は旧校舎内に反響する。

 しかし、何一つとして返事はなく、ただほこりが舞い落ちるのみ。

 

 エリゼはここにいない。

 あの異世界で、帰る術もなく、シャドウの危険にさらされている。

 リィンは、その事実を否が応でも理解せざるを得なかった。

 

(リィン……)

 

 ──と、その時である。

 ライの眼前に、ひらひらと金色の蝶が飛んできたのは。

 

『何をしているのかね?』

 

 蝶から聞こえて来たのは男性の声。忘れる筈もない。あの島で聞いた、蝶の仮面を被った男の声だ。

 

(……まさかフィレモン?)

『彼は大事な家族と離され、今まさに運命の瀬戸際に立たされようとしている。……それを君は、己が無力だと断じ静観するつもりかな?』

 

 フィレモンはライに対し、まだ道はあると諭している。

 だが、通常の旧校舎内の探索は軍によってやり尽くされており、構造の変化こそあれど異世界に関わる発見は何一つない。

 既に日も落ちた今、他に一体どんな可能性があると言うのか。

 

(けど、異世界への道は……)

『それならば問題はない。希望への道筋は、今まさにこの場所へと近づいている』

 

 近づいている?

 

『後ろを向きたまえ』

 

 フィレモンの言葉に従い、ライは後方に振り返る。

 するとそこには、今まさに到着したであろうシャロン・クルーガーの姿があった。

 

「クルーガーさん?」

「アリサ様からお話はお聞きしております。つい先ほど到着したばかりですが、旧校舎に向かわれるなら、これが必要かと思いまして」

 

 そう言って、彼女は手に持っていた重厚なトランクケースを開けた。

 中にあったのはピカピカに磨かれたARCUS。そう、以前ラインフォルト社に貸し出したライのARCUSが返却されてきたのである。

 

 これが道筋?

 疑問に思うライの前に、金色の蝶が再び舞い踊った。

 

『その機械と繋がるは私の鍵。それはあらゆる”鍵”の原型であり、ありとあらゆる扉を開く力を持つ。……君は既に、その力を目の当たりにしている筈だ』

 

 その瞬間、ライの視界に過去の光景がよぎる。

 

 6月の特別実習。

 空回る島。

 あの時の光景を。

 

『かの神は、招き入れた人それぞれに異なる世界、異なる島を用意していた。だからこそ、君の中に眠るもう一人の君は、鍵の力で君を少女の世界へと運んだのだよ』

 

 そうだ。

 あの時、フィーと会うまでライはただ一人だけの島を探し回っていた。

 そこで突如、ヘイムダルが召喚され、前方を指さして、それで──。

 

『さあ、次は君自身が道標(ナビ)となる番だ……』

 

 あの日の出来事を思い出したライの眼前で、金色の蝶は溶けるように消えていった。

 

 後は自分でやれと言う事か。

 成すべき事を理解したライは、ARCUSを手に、肩を落とすリィンへと静かに歩み寄る。

 

「……リィン」

 

 ライの言葉に顔を上げるリィン。

 その顔に映るのは己が無力感と後悔。

 しかし、その表情はライの問いかけにより一変する。

 

「妹、エリゼの元に行きたいか?」

「──!! ああ、当然だ!」

 

 早すぎる程の即答。

 迷うことなど何もないと言わんばかりのリィンを見て、ライの口元はニヤリと笑う。

 

「分かった。なら、その道は俺が開く」

 

 そう言って、ライはARCUSを前に構えた。

 向ける先には誰もいない。虚空に向けて、ARCUSを駆動する。

 

 ──リンク──

 

 その瞬間、ライは異世界(イセカイ)と繋がり、リィン達を導く道標(ナビ)となった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ──旧校舎の異世界。

 

 不慮な事故により取り込まれたエリゼとパトリックは、建物ほどの巨体を持つ甲冑と対峙していた。

 そのサイズだけでも強大な威圧感を持っているが、今はそれに加え、胸に空いた穴から覗く巨大な人間の眼と、鎧内部から突き出した4本の腕が無秩序に動いている。

 

 明らかに普通の魔獣や魔物じゃない。

 少しでも気を緩めれば気絶してしまいそうな恐怖の中、パトリックはかろうじて剣を構え続けていた。

 

「ぼ、僕とて、誇りある貴族の末裔……。子女の身を守るためにも、こ、この場を退くわけには……!!」

 

 エリゼを庇うようにして、甲冑に剣先を向けフェンシングの構えを取るパトリック。

 だがしかし、甲冑内の眼と視線が合ったその瞬間、彼の動きはぴたりと止まってしまった。

 

「パトリック、さん?」

 

 異変に気付いたエリゼが問いかける。

 けれど、彼は声に反応を示さない。まるで信じられないものでも見たかの如く目を見開き、そして突如として叫び声をあげた。

 

「あ、ああああ、ああああああああ……。違う。違う違う違う。僕は、決して、あんな下劣な暴言を吐く人間じゃ……! ハイアームズ家に、父上に顔向けできない人間じゃあ……!!」

 

 ガシャンと、彼の剣が地面に落ちる。

 状況についていけないエリゼを他所に、彼は乱暴に頭を抱え、そのまま膝をついてしまった。

 そんなパトリックの元に、そっと怪物の腕が伸ばされる。

 

『それ■あなたの罪。あなたの後悔……。許しましょう。全て我らが許しま■ょう。さあ、あなたの罪を、我らが身の内に……』

 

「許す。ゆる、される……? 僕が? 僕の、罪が……?」

 

 顔を上げるパトリックの元に差し伸べられる一本の手。

 それはまるで、罪人に差し伸べられた救いの手であるかのようで。

 パトリックは操られるようにして、差し伸べられた救いに手を伸ばす。──が、その途中。エリゼの手によって、パトリックの顔は強くはたかれた。

 

「えっ? あ、いま、僕は何を……?」

「パトリックさん。大丈夫ですか?」

「あ、ああ」

 

 返事を返すパトリックだったが、地面に倒れたまま動けない様子。

 

 その事に気がついたエリゼは覚悟を決め、地面の剣を拾い構える。

 彼女も一応はシュバルツァー家の騎士剣術を学んでいる身だ。

 少しくらいの時間稼ぎならできるかもしれない。

 

(ただ今の異変、彼の身にいったい何が起きたんでしょうか?)

 

 前触れもなく叫び始めたパトリックの姿が脳裏に浮かぶ。

 何か見えにくい攻撃でもあったのかも知れない。そう判断したエリゼは、怪物の一挙手一投足に細心の注意を払った。

 

 ……だが、それも無意味であった。

 怪物の中の眼が動き、その瞳がエリゼの姿を写し出す。

 その瞬間、エリゼの視界が”懐かしい世界”に切り替わったのだ。

 

「え、おにい、さま……?」

 

 それは幼いころの光景だった。

 遊びに行った雪山の中で大雪に見舞われ、エリゼとリィンは真っ白な景色の中、急いで帰路についていた。

 しかしその最中、エリゼ達は大きな熊のような魔獣に遭遇してしまう。

 

「あ、あ……」

 

 エリゼの眼前に広がるのは、視界いっぱいの臓物と血。

 その少しは兄のもので、ほとんどは遭遇した魔獣のものだ。

 あの時、リィンはエリゼを庇い、そして突然人が変わったかのように魔獣を、その手に持った鉈で解体し始めた。

 

 もちろんその行為はエリゼを守る為だったのだと思うし、咎める要素などなにもない。

 しかし、全てが終わり我に返ったリィンが振り向いたとき、幼いエリゼはその惨状に身がすくみ、リィンから距離を取ってしまった。

 

「違う、違うんです。お兄様……!!」

 

 エリゼが距離を取った瞬間、兄は血に濡れた己の手を見て、そのままうずくまってしまった。

 そしてあの時以来、兄はのめり込んでいた武術から身を引くようになってしまったのだ。

 

 ……兄から逃げてしまった。拭えない罪悪感を植え付けてしまった。

 

 それがエリゼの罪。エリゼの後悔。

 以前から内に抱えていたそれが増幅され、濁流となって彼女の意識を飲み込んでいく。

 

『過去の過ち。兄自身が過ちと思わないが故に、贖罪の機会が与えられなかった後悔よ……。全て我らが許します。あなたの罪は、我らが引き受けましょう……』

 

 呆然自失となったエリゼに差し出されたのは、暖かな一筋の救いだ。

 

 救われたい。その手を取りたい。

 抗いがたい衝動がエリゼの身を蹂躙し、意識は深い安堵の中へと沈んでいく。

 

 そんな彼女が最後に目にしたのは、

 

「──エリゼぇぇぇ!!」

 

 無機質な腕を一刀のもと両断する、兄の姿だった……。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 異世界に突入したライ達を待っていたのは、地面に倒れ動けないパトリックと、黒い腕に囚われそうになっていたエリゼの姿だった。

 

 真っ先に動いたのは他ならぬリィン。

 彼は即座にペルソナとARCSUの身体強化をその身に宿し、暴風を身にまとって甲冑に突撃した。

 

「エリゼぇぇぇ!!」

 

 ──八葉一刀流弐ノ型、疾風。

 神速のスピードを持って相手を切り刻む絶技を用いて、リィンはエリゼに殺到する黒い腕を細断する。

 そして意識を失った彼女の体を抱えると、そのまま急ぎ甲冑の攻撃範囲から離脱した。

 

 ライ達の近くに戻り、エリゼを優しく寝かせるリィン。

 その隣にエマが即座に座り込み、彼女の容態を調べ始めた。

 

「委員長、エリゼは、エリゼは無事なのか!?」

「ええ、どうやら気絶してるだけみたいです」

「そうか。……良かった」

 

 ほっと安堵するリィン。

 だが、その刹那、すぐそばで銃声が鳴り響いた。

 

「リィン! 安堵するのはまだ早いぞ!!」

 

 地面に突き刺さる黒い腕。ショットガンを構えたマキアスが叫ぶ。

 そう、今まさにリィンへと飛来した腕をマキアスが叩き落したのだ。

 

「助かったよ、マキアス」

「気をつけたまえ! それよりエリオット、あれはなんだ!? あれもシャドウなのか?」

《ううん、外の甲冑は古い魔導兵器みたい。けどその中にいるのは……無数のシャドウ?  いや違う。なんなのこれっ!?》

 

 シャドウのようでシャドウじゃない不可思議な反応。

 未知の分析結果に混乱するエリオットだったが、ライにはその姿、いやその”腕”に見覚えがあった。

 

「あれは」

「知ってるのかライ!」

「ああ、でも奴は……!」

 

 ライの脳裏によぎるのは、最初に旧校舎に来て、脱出しようとした際に現れたシャドウ。

 トワやクロウを守るために立ち向かったあのシャドウの4本腕と、全く同じ色と形状をしていた。

 

 同型のシャドウなのか?

 一瞬考えたその時、鎧の中にあった眼がグルリと動いた。

 その先にいたのは銃を構えたマキアス。彼の姿が瞳に映る。

 

「なっ!?」

 

 目が合った瞬間、マキアスの顔が驚愕に染まった。

 唐突に停止する戦場。いったい何が起こったのか、混乱する場にエリオットの大声が木霊する。

 

《大変だよ! マキアスの精神が不安定になってる! 精神的な干渉? ……違う! 浸食を受けてるんだ!!》

 

「浸食だって!?」

 

 大声を上げるリィン。

 一方マキアスは銃を取りこぼし、信じられない表情で口をパクパクと動かしていた。

 

「ね、姉、さん……」

『それがあなたの罪、あなたの後悔』

 

「姉さん。ああ僕は、僕、は……」

『許します。あなたが苦悩する必要など、初めから存在しないのですから』

 

 マキアスがいったい何を見てるのか詳細は不明だが、非常に危険な状況である事だけは確かだ。

 

 鎧が取った次のアクションはエリゼの時と同様だった。

 マキアスを攫おうと伸ばされる黒い腕。

 だがしかし、先の反省を踏まえてか、その数は桁違いに増えていた。

 

 ――まずい!

 ライは反射的に駆け出して、マキアスの首根っこを掴んで後方に投げ飛ばす。

 

「ライ!?」

 

 背後からリィンの声が聞こえてくる。

 マキアスを捕えるはずだった数多の腕はそのままライの周囲に突き刺さり、まるで堅牢な檻のようになってしまっていた。

 退去は困難。ライは冷静にそう分析しつつ、リィンに言葉を返す。

 

「リィン、マキアスを連れて一旦下がれ」

「で、でもお前は」

「奴に隙を作る。とどめは任せたぞ」

「……ッ! ああ!!」

 

 リィンの足音が遠くなっていく。

 それを確認したライは、真っ黒な檻の中、前方に見える巨大な甲冑に対峙する。

 

『愚者の子。全てを忘却の彼方へと置いて来たものよ……』

 

 甲冑の中にいる”何か”は、ライを前にして今までとは別の反応を示していた。

 過去を失ったものに許しは与えられないとでも言うのだろうか。

 どうあれ好都合だ。エリゼやマキアスの状況を踏まえ、あえて眼から視線を外しつつ、ライは己が召喚器をこめかみに当てる。

 

「ペル──」

 

 引き金を引くまでコンマ数秒。

 たったそれだけの隙が、勝敗を分けた。

 

 周囲に展開された黒い腕の檻。

 その全ての側面に、隙間なく無数の眼が出現する。

 それら全てから目を逸らすなど不可能。抗う術もなく、ライと眼の視線が重なってしまった。

 

「しまっ……!?」

『まずは思い出しなさい。あなたの奥底に眠る、──”罪と罰”を』

 

 その瞬間、眼から眩い光が解き放たれる。

 真っ白に染まる世界。それが元に戻った時……。

 

 ライは、今までいた場所とは別の、コンクリートの町中に立ち尽くしていた。

 

 

 




■■:アントロー■ス=■■レシア
耐性:???
スキル:???
 その名が示すは人、そして教会。甲冑の中から覗く姿は今だ不完全であるものの、人々を苦しめる罪を許し浄化せんとする為、彼らは再び動き出した。


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68話「異聞録、巌戸台港区」

 巨大な眼が発する光に飲み込まれたライは、気がつくと何時もの辰巳ポートアイランドとは少し異なる市街の中に立っていた。

 

 ライは警戒しながらも周囲に視線を送る。

 巨大な甲冑の姿はない。他のシャドウがいるような気配もなく、代わりに黒い人影のようなものが街中を歩いていた。

 

(直近の危機はない、か?)

 

 あの眼がないなら目を合わせる危険性もない。

 警戒を1段階下げたライは、改めて周りの光景を確認する。

 

 紅葉になりかけの木々を見るに季節は恐らく秋ごろだろう。

 先ほどまでいた辰巳ポートアイランドよりもやや古く、アスファルトのひび割れや錆が目に付く。

 そして、遠景に見える巨大な橋。あれは確か、辰巳ポートアイランドと本土を繋ぐムーンライトブリッジと言ったか。

 

(だとしたら、ここは巌戸台港区か?)

 

 パンフレットの内容によれば、辰巳ポートアイランドは元々巌戸台の港区洋上に建造された人工島だ。

 それならば少々古いのも納得がいくと言うものだ。

 

 現状を把握したライは、自らの装備を確認する。

 武器、召喚器はある。しかし、次いで取り出したARCUSは動作せず、エリオットとの戦術リンクも出来ない状態となっていた。彼らとの連絡は困難。物理的に合流しようにも、やみくもに歩いてたどり着けるような場所でもないだろう。

 

(いや、そもそもここが現実かも分からないか)

 

 もしかしたら、今のライは夢や幻覚を見せられているのかも知れない。

 全ては胡蝶の夢。証明する手段などない。ならば、今はやれる事をやるべきか。

 

「……あの3人組を探そう」

 

 周囲を歩く人影を見るに、少なくともルールは旧校舎の異世界と同じらしい。

 ならば、この影が出現しているエリアの中心付近に、あの3人組がいるのだろう。

 

 そう結論づけたライは、昼間の太陽が照り付けるアスファルトの上を走り出した。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ――ライが想定していた通り、影達の中心付近で、他の人影よりも鮮明な影を2人見つけた。

 昼下がりの歩道を歩く友原翔と葵莉子。彼らは両手に買い物袋をぶら下げて、どこかに向かっている様に見受けられる。

 

『いやぁ悪いねぇ~。料理の練習がてら台所を貸して貰うことになっちまってよ』

『ううん大丈夫大丈夫。でも、ほんとうに私の家なんかでよかったの?』

『まぁな〜。オレん家は人呼んで料理できるほどの広さねぇし、ライは寮暮らしだからそもそもリコを呼べねぇし。文化祭で出す前に練習したかったから、ぶっちゃけ大助かりだよ。……むしろ、オレ達の方こそ頭下げなきゃいけないレベル』

『それこそ気にしないで! 人生初の友達ご招待でテンション上がってるくらいだから!!』

『そ、そか……』

 

 やけに食い気味な葵を前に若干引き気味な友原であった。

 彼女のボッチ話題は尽きる事がない。……だが、それも仕方のない事で。友原は手にもった袋を持ち上げて少し前の出来事を思い出す。

 

『けど、しっかしリコの体質も困ったもんだよなぁ。ほら、さっきの買い出しだって、店員さんの対応リコに対してだけ露骨に悪かったじゃん』

『……うん。本当にどうしてなんだろうね。身だしなみだって頑張ってるつもりなのに』

『第一印象って人間関係にめっちゃ関係するからなぁ。……いやでも、逆にギャップで戦うって手もあるんじゃね? ほら、不良が優しい事をするとすっげぇ良い奴にみえるってやつ』

『ギャップって例えば?』

『そうだなぁ。ふつうに良い事するだけじゃ意味ないレベルだし。こりゃもう義賊路線のインパクト重視で美少女怪盗にでもなるしか?』

『流石にそんなことする人はいないと思うよ?』

『だよなぁ……』

 

 適当に思い付きで喋っている友原と、小さな声で「自分で美少女とか恥ずかしいし……」と付け加える葵。

 

 そうこうしている内に、2人は人気のない交差点に辿り着いた。

 信号機もなく、一時停止の標識があるだけの、何の変哲もない交差点。だが、友原はその交差点に差し掛かるとその足を止めた。

 

『おっと、ここでライと待ち合わせの予定だったっけ』

『うん。月光館学園から備品を運んできてくれるんだよね。歩いてくるのかな?』

『いや実はあいつ最近――』

 

 友原が何かを伝えようとしたまさにその瞬間、彼らの前を1陣の風が通り過ぎた。

 その風の正体とは鈍色に輝く原付バイク。両輪を横に滑らせ停止したそれを運転していた男は、驚く友原達の前でヘルメットを脱ぎ、ニヤリとした笑みを浮かべる。

 

『――待たせたな』

 

 そう、彼こそ備品を運んできた頼城葛葉その人であった。

 

『いやほとんど待ってねぇし! つか、なんで原付でドリフトしてんだよお前っ!?』

『ウィリーの方が良かったか?』

『そういう意味じゃねぇっての!』

『へぇ~、原付免許取ったんだライくん』

 

 言い争いという名の漫才をやってる横で、葵がぺたぺたと原付を触っていた。

 原付免許の年齢制限は16歳未満。高校1年生である彼も、誕生日さえ過ぎていれば取得は可能なのである。

 ひとまず原付から降りる頼城。彼は原付のハンドルを手で押し、葵たちの横に並び立った。

 

『リコ、家までの案内頼めるか?』

『そうだね! すぐそこだから2人もついてきて!』

 

 かくして彼女を先頭に、いつもの3人組は葵の家に向かうのであった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ……数分後。

 葵の家に到着した友原の頼城の2人は、眼前の建物を呆然と見上げていた。

 

『え、なにこれ、えっ、マジ?』

『豪邸だな』

 

 ここが私の家だよと紹介された場所にあったのは、まさかの豪邸。

 庭付きの塀に囲まれ、古めかしい装飾が施された2階建ての大きな一軒家だった。

 入口で驚く2人を他所に、葵は正面の門をくぐって玄関の鍵を開ける。

 

『ささ、あがってあがって』

『いやいやいやいや! え、なに? リコって実はいいとこのお嬢様だったりするのか!?』

『あはは、そうじゃないって。お父さんがそこそこの研究者だからお金があるってだけだよ』

 

 そこそこのレベルじゃこの豪邸は建てられない気がするが、まぁそういう事もあるだろう。

 普通に納得し自然体で足を踏み入れる頼城の後ろを、友原がぎくしゃくした足取りでついて行く。

 重々しい扉を抜けて屋内へ。家の内側もアンティーク調の落ち着いた雰囲気で纏められており、見かけだけでない事は誰の目から見ても明らかだった。

 

『お、おじゃましまぁす……』

『大丈夫大丈夫、今は親もいないし緊張する必要なんてないよ』

『へ、そうなんか? ちなみにご両親はどちらに?』

『お父さんは仕事が忙しくてずっと家を空けてるんだ。お母さんは……覚えてないけど、小さいころに事故で亡くなっちゃったみたい』

 

 すこし遠い目をするリコを見て「しまった」と口を塞ぐ友原。

 気まずい空気が流れているのを察知した頼城は、手に持った調理器具をわざと揺らし、注意を引いて話題を変える事にした。

 

『リコ、台所は?』

『あ、うん。ダイニングはこっち』

 

 いつもの表情を取り戻した葵は頼城達を家の奥へと案内する。

 友原は状況を変えた頼城に小さく『サンキューな』と言い、急いで靴を脱ぎ始めるのであった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

『――器具はここに置いていいか?』

『うん。包丁とかも自由に使っていいから』

『助かる』

 

 ダイニングに到着した頼城達は、早速キッチンに移って調理の準備に取り掛かる。

 広い台所に所狭しと並べられた食材と調理器具。準備は万端だ。

 

『そんじゃ、オレ達の実力って奴を見せつけるとしますかね』

『ああ』

『がんばろ!』

 

 気分はまさにシャドウと対峙する直前だ。

 適度な緊張感とともに体の底から熱意が湧いてくる。

 こうして、ダイニングテーブルを料理いっぱいで埋めるべく、頼城達の調理訓練が始まるのであった。

 

 

 ……

 …………

 

 

 ……数十分後。

 和気あいあいとしていた筈のキッチンは、いつの間にか重い沈黙で満たされていた。

 

『マジかよ……。3人揃って料理下手とか、そんな展開ある?』

 

 テーブルの上に並べられたのは、モザイクをかけたくなる程に凄惨たる残骸の数々だ。

 

 1品目は友原が作ったぐっちゃぐちゃに崩れて焦げだらけの塊。卵らしき殻が見え隠れしている。

 2品目は葵が作った未知の色合いをしたデザート風の何か。なお、予定にデザートは1品も存在しない。

 3品目の頼城の制作物に至っては、完全に炭化した上に化学変化と思しき変化を起こしており、そもそも食べ物とすら呼べなかった。

 

 あまりに酷い。と言うかむごい。

 これを自分たちが作り上げたのかと、友原は自らの目を疑った。

 

『いや確かに、現代社会はインスタントや出来合い弁当が溢れてるし、正直オレもインスタントを作るくらいしかやった事なかったけどさぁ! 1人くらい出来てもいいじゃん!! さっきのはそういう流れだったじゃん!?』

 

 普通にド下手な自分のことを棚に上げて悲しむ友原。

 そんな彼に対し、残りの2人が反発する。

 

『失礼な。私の料理はちゃんと形になってるよ!』

『失礼な。インスタントラーメンなら前に爆発したぞ』

『リコのはゲテモノ創作料理になってんだよ! 見た目どころか料理の分類すら変わってんだよ! ライに関しては料理以前の問題だっつーの!!』

 

 ってか爆発ってなんだよ! と、友原は頭を抱えて崩れ落ちた。

 

 しかし問題の2人はと言うと、『レシピ通りとかつまらないし』と開き直っていたり、『ちゃんと3分に設定したんだがな……』と不思議そうにするばかりで反省の色はない。

 なんか根本的に駄目なんじゃないかと思う友原であったが、当の本人も普通に失敗している以上説得力は皆無。彼に止める術はなく、2人の会話はそのまま進行していく。

 

『現状一番成功しているのはリコか。教えてもらっても良いか?』

『任せて! レシピなんか見てても無意識に手が動いちゃうくらい、徹底的に葵流の料理術を教えてあげるよ!』

『頼もしいな』

 

『……なんかもう疲れた』

 

 とんでもない化物が生まれそうな気がしたが、見なかった事にする友原であった。

 

 ――と、その時。

 何の前触れもなくチャイムの音が家中に鳴り響く。

 

『あれ? お客さんかな?』

『誰か来る予定が?』

『ううん。特に予定はないよ』

 

 なら、新聞販売か何かか?と推測する頼城。

 とりあえず3人は料理を中断して玄関へと向かう。

 1度きりのチャイムの後、静まり返った玄関。葵は何げなくその扉を開けたのだが……、

 

『はい、どちら様です……か?』

 

 訪問者の姿を見た瞬間、彼女の動作は途中で止まってしまった。

 何故ならば、その訪問者とは想定外のビッグネーム。

 

『突然の訪問失礼します。少しお聞きしたい事がございまして。……おや?』

『た、探偵、王子……?』

『ええ。そうですが』

 

 中性的な服装を着た超有名な高校生探偵。

 探偵王子こと白鐘直斗、その人だったのだから。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

『ど、どうぞ、粗茶ですが……』

『ああいえお気遣いなく。事前のアポイントメントもなしに訪れた僕が悪いんですから』

 

 ガチガチに固まった葵にも動じずに対応する女性、白鐘直斗。

 彼女は今、葵の案内でダイニングにある客用のソファに座らされていた。

 

 そんな2人の様子を、やや遠くから眺める男が2人。

 

『なあライ。あの人ってあれだよな。髪とかは伸びてるけど、2年前に八十稲葉市の事件を追ってたってあの……』

『ああ。本人で間違いない』

 

 かつて八十稲葉市で起きた怪死事件に関わり、貢献したと言う高校生探偵。彼女は今回の事件についても、シャドウワーカーの依頼で調査に加わっている。

 頼城達はレポートを介してでしか知らないが、その詳細な報告書を見るだけでも、相当な切れ者であることは間違いないだろう。

 

 そんな彼女が遠路はるばる葵の家を訪れた理由。当然、それは葵も疑問に思っていた。

 

『それで、白鐘さんはどうして私の家に?』

『ええ実は、貴女のお父上――葵希人(やすと)さんの研究について確認したい事がありまして』

『え、父の? でも父は最近ずっと家に帰ってなくて。連絡取ろうにも仕事の話はしてくれないですし』

『……そうでしたか』

 

 どうやら白鐘は研究者である葵の父親に用事があったらしい。

 

『それなら、葵博士の研究について分かる書類などはありますか?』

『あっ、それなら父の書斎を見てみます?』

『書斎ですか。――ええ、是非ともお願いしたいですね』

『分かりました! 鍵を探してきますのですこし待っててください!』

 

 お役に立てる! と、葵は嬉しそうに小走りでダイニングを後にした。

 

 残された白鐘は無駄のない動作で粗茶を口にする。

 そしてカップを受け皿に乗せると、部屋の隅にいた頼城達に顔を向けた。

 

『貴方がたは、頼城葛葉さんと友原翔さんですね』

『へ? なんでオレ達の事を』

『貴方がたの話はシャドウワーカーから常々伺ってますよ。何でも高校1年の身でありながら、各地のシャドウ襲撃事件に尽力しているとか。僕も”このような”事件に関わり始めたのは高校1年だったので、何だか親近感が湧きます』

『このような……もしかしてあなたも?』

『ええ。ペルソナ使いです。――アマツミカボシ』

 

 白鐘がそう呟くと、彼女の眼前に現れたカードが砕かれ、背後にどこか虫を連想させる小柄なペルソナが出現した。

 そのペルソナは頼城達の前で軽く一回転して存在を示すと、そのまま何もせず消えていく。

 唐突な召喚であったが、そんな光景を目の当たりにしたら、ペルソナ使いである事に疑問を挟む余地などないだろう。頼城達は白鐘もまたペルソナ使いである事を理解した。

 

『それより、作業の途中に割り込んでしまい済みませんでした。見たところ文化祭の準備中でしたよね』

『あっ、いえ大丈夫っす。料理は一通り完成してたんで』

『え、料理?』

 

 どうやら彼女はテーブルの上に並べられた多種多様の劇物を見て、アート作品の製作途中だと思っていたらしい。

 ここに来て初めて表情を崩した白鐘は改めてテーブルを見る。

 料理と聞いてから見てみると確かに料理に見えなくもない。が、紫色の煙が立ち上るあれを食すのは、かなりの勇気が必要になるだろう。

 

『あの頃を思い出しますね……。僕の時は未然に防げましたが』

『何か?』

『ああいえ! なんでもありません』

 

 友の尊厳を守る為かは知らないが、慌てて否定する白鐘直斗。

 頼城と友原の2人はそんな彼女を不思議そうに見つめるのだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ……そうこうしている内に、時計の分針が90度近く移動していた。

 鍵を探しに行ったはずの葵はまだ帰ってこない。どうやら、捜索が難航しているようだ。

 

『――1つ、質問をしてもいいですか』

 

 今までの会話を区切り、頼城が白鐘に問いかける。

 

『ええ、僕に答えられる事なら』

『白鐘探偵は何故この家に来たんですか?』

『先ほど申した通り、葵博士の研究に興味があったからですが』

『本当に?』

『……』

 

 重ねて問いかける頼城の言葉に、白鐘は口をとじた。

 まるで疑惑の目を向けるような行動。それを隣にいた友原が慌てて諫める。

 

『お、おい、何言ってんだよライ』

『少し気になったんだ。アポイントなしに直接訪れた理由。それは恐らく、聞き込みのついでに”この家”を確認しておきたかったからだ。探偵がそこまでする理由なんて1つしかない』

 

 探偵が本腰をいれるなら、そこに事件があってしかるべきだろう。

 

『そりゃそうだけどさ、白鐘さんにだって言えない機密の1つや2つは抱えてるだろ? そこは踏み込まない方が良いんじゃねぇ?』

『けど、それに葵が関係しているなら、無視はできない』

『それは……まぁ』

 

 頼城の意見を前に友原は押し黙った。

 彼の言い分も間違っていない。けれど、友が関わってるのなら話は別だ。

 己が意志を通した頼城は、再び白鐘に問いかける。

 

『白鐘探偵、俺達も関係者です。可能であれば本当の理由を教えてくれませんか?』

 

 頼城は鋼のように強固な視線を送って白鐘に懇願した。

 

 ここからは彼女の判断に委ねるしかない。

 真剣な表情でそれを聞いていた白鐘は、何かを思い出した様に口元を緩めると、

 

『"真実を追い求める意志"ですか。……分かりました。少し場所を変えましょう』

 

 そう言って、頼城達を家の外――ひとけのない塀に囲まれた庭の一角に案内するのだった。

 

 

 ……

 …………

 

 

 ――木の葉が舞い落ちる芝生に覆われた庭の一角にて。

 周囲に人がいないことを確認した白鐘は、頼城と友原を相手に話し始める。

 

『まず確認ですが、お2人は桐条グループ本社で起きた襲撃事件の事は覚えておりますか?』

『え? ああ、あのでっかい4本腕のシャドウが現れた奴っすか?』

『ええ、その事件です』

 

 頼城達が初めて桐条グループ本社に訪れたときに起こった襲撃事件。

 あの時、葵を攫ったシャドウは屋上で殲滅する事には成功したが、それで万事解決とはならなかった。

 

『あの日、桐条グループに保管されていた"黄昏の羽根"が何者かに強奪されました』

『そういや結局あの犯人って見つからなかったんでしたっけ』

『はい。個人を特定するような手がかりは何も。――ですが、黄昏の羽根の保管場所について、知る者は限られています』

 

 シャドウワーカー。対シャドウを目的とした組織だが、世間一般には公表されていない。

 ペルソナやシャドウ等の技術に関するものについても同様だ。社外はおろか、桐条グループの社員であっても、その存在を知る者は少ない。

 

『なので僕は、これまで羽根の保管場所について知る者について調査してきました。当時のアリバイ、そしてシャドウ襲撃事件の分布。それらを総合的に分析した結果、浮かび上がってきた人物がいます』

『っておい、それってまさか、ここに来た理由って……!』

 

 ここまで言えば、友原も彼女が何を言おうとしているのか理解できた。

 今回のシャドウ事件における最重要容疑者。

 まだ黒幕かは不明だが、深くかかわっている可能性が高い人物。それ即ち――。

 

『ええ、そうです。万能細胞を用いたバイオノイド研究の第一人者にして、かつて桐条グループが抱えていたシャドウ研究施設エルゴノミクス研究所――通称《エルゴ研》の元研究者。……”葵希人”その人です』

 

 

 




運命;アマツミカボシ
耐性:???
スキル:???
 八十稲羽市の事件から1年後、とある事件調査の折に覚醒した白鐘 直斗のペルソナ。日本神話に登場する星を司る神であるものの、その記述は少なく謎に満ちている。


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69話「異聞録、容疑者」

『葵希人(やすと)……、リコの父親が、シャドウ事件の容疑者だって?』

 

 白鐘の言葉を聞いた友原が、心底驚いた様子で言葉を漏らす。

 ずっと追いかけていた犯人がこんな身近にいたとは思ってもいなかったのだろう。

 けれど、彼はすぐにハッと我に返り、まくし立てるように白鐘に問いかける。

 

『で、でも、リコの親父さんが犯人って、まだ決まったわけじゃないんですよね?』

『勿論です。現状では状況証拠から見て関わっている可能性がある、と言うだけですから』

『そうっすよね! ははは、はぁ……』

 

 ホッと胸を撫でおろす友原。

 そんな彼の様子を見て頼城は理解する。直接的なかかわりのない彼ですらこの驚きっぷりなのだ。もしこれが実の家族だと考えれば、そのダメージは計り知れない。

 

『場所を変えたのはこの為ですか』

『ええ。憶測だけで悪戯に動揺させるわけにはいきませんので』

 

 葵が来るかもしれない入口方向を確認しつつ、白鐘は率直に答える。

 

『なので、お2人も、この話はくれぐれも内密にお願いしますね』

『う、うす!』

 

 唇に人差し指をあてて、頼城達と約束を交わす白鐘。

 意外とおちゃめなところがあるらしい。

 

 けれど、そんな彼女の約束に対し、返事をしない人物が1人いた。

 

『って、ライ?』

『……いや、何でもない』

『そろそろ戻りましょうか。葵さんがせっかく鍵を見つけて来たのにもぬけの殻じゃ、それこそ驚かせてしまいますから』

 

 こうして、3人の密談は終わりを告げるのだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ダイニングに戻った頼城達だったが、幸いな事に葵はまだ戻ってきていなかった。

 お茶を入れなおしたり、頼城が自分の作った炭もどきを口にしてダウンしかけたりと、しばらく時間を潰す3人。

 そうしていると、ある時葵が慌てた様子でダイニングに戻って来た。

 

『ごめんなさい! 最近書斎使ってなかったから、鍵をどこにしまってたのかすっかり忘れちゃってて!!』

 

 古めかしい鍵を片手に勢いよく平謝りする葵。

 そんな彼女を白鐘は手のひらを見せながらやさしくなだめる。

 

『大丈夫ですよ葵さん。僕はぜんぜん気にしていませんから』

『ほ、本当ですか?』

『勿論です』

『ありがとうございます! それじゃ早速案内しますね!』

 

 嫌われると思ってたのか、葵は白鐘の言葉を聞いて元気を取り戻す。

 

『なあリコ、オレ達もついてって良い? ぶっちゃけ研究者の書斎って超気になるっつーか、なんつーか……』

『あ、うん。ショウ君達も大丈夫だと思うから、遠慮なくついてきて』

 

 先の密会があってか、友原も葵希人の事が気になっているらしい。

 ダイニングを出て階段を上がっていく葵、白鐘、友原の3名。

 1人ダイニングに残された頼城は、葵の揺れる灰色の長髪を後ろから見つめる。

 

『知る事と知らないままでいる事、どちらが正しいんだろうな……』

 

 そして小さく呟くと、3人の後を追うのだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ──葵希人の書斎。それは2階の隅の方に存在していた。

 3人の視線が集中する中、葵が古い鍵を鍵穴に差し込んで、ガチャリと扉を開く。

 

『さ、入ってください。別に見られて困るものもないと思うんで、ご自由にどうぞ』

『ええ、失礼します』

 

 明かりのスイッチを押した葵の許可を得て、白鐘を先頭に書斎に入る。

 中はまるで図書館を連想させるような本の山だ。左右の壁は天井まで本棚で埋め尽くされており、様々な装丁の本が並べられている。入口とは反対の壁にはカーテンで閉じられた大きな窓。その前には作業机と思しきテーブルと、休憩用のソファが並べられていた。

 

『へぇ~ここが研究者の書斎。オレ、もっとハイテクなパソコンとか大量の紙が散らばってる空間を想像してたわ』

『あはは、ここは研究室じゃなくて書斎だからね。主な役割は本と言う名の知識の保管場所。私も小さいころから買った本を置かせてもらってたし』

 

 だから葵はこの書斎の鍵を持っていたのだろう。

 父の書斎を間借りする幼い葵。親子仲は悪くないようだと思いつつ本棚を見渡す頼城は、ふと1つの本棚の前で足を止める。

 

『リコの本はここか』

『えっ? 何で分かったの?』

『何でって、丸わかりっしょこれ……』

 

 後方で友原も同意する。

 本棚に置かれた本のタイトルは《友達ができる100の方法》《好かれるためのイロハ》《愛されキャラのつくりかた》《誰でもできる第1印象アップのコツ》など、どれもこれも人間関係構築の本ばかり。

 今までも常々自爆ネタになっていたリコのぼっち逸話だが、ここまで来ると涙ぐましいと言わざるを得ない。

 

 頼城は取り合えず、次の本棚に移る事にした。

 

『生物学、人体解剖学、生体工学にバイオメカニクス。専門的な本ばかりだな』

 

 仰々しい本の数々。恐らく頼城が読んで内容を理解できる本はほとんどないのだろう。

 故にタイトルを流し読みする頼城であったが、それ故に、彼は置かれた本のある変化について気がついた。

 

『……途中から、分類が変わってる?』

 

 そう、整理整頓もせず並べられた本の内容に、途中から別の分類の本が混ざり始めたのだ。

 

 心理学、哲学、神話学。果ては認知訶学などという怪しげな学問の文献まで。

 途中から研究に関する方向転換でもあったのだろうかと推測を重ねながらも、頼城はその中の1冊に手を伸ばす。

 

『地域の民俗学、か』

 

 他の本よりほんの僅か前に出ていた書籍。

 それは御影町や珠閒瑠市と言った地方都市に根付いた逸話をまとめた本だった。

 

 頼城はその本をぺらぺらとめくり、恐らく葵博士が重点的に読んでいたであろう折り目のついたページで止める。

 書かれていたのはとある高僧の物語。邪鬼である”鳴羅門火手怖”と戦う高僧”比麗文上人”について、実際の石碑に書かれた文章を交えて解説されていた。

 

 その内容について読んでいると、彼の背中から、友原が興味半分で本を覗いてくる。

 

『うわ、難しい名前してんなぁ。ええとなになに? な、なる、……にゃるらと?』

『”なるらとほてふ”だな。もう一方の高僧は”ひれもんじょうにん"と言うらしい』

 

 どちらも、今まで聞いた事もないような名前だ。

 恐らくは狭い地域でのみ伝えられたマイナーな逸話なのだろう。

 友原が興味を無くしてからも読み進める頼城であったが、結局博士がなぜこの本を持っていたのかについて、終ぞ手がかりは見つからなかった。

 

 仕方ない。頼城は本を閉じて元の場所に戻そうとする。

 その時、本の隙間から1枚の紙が零れ落ちた。

 

『──っと』

 

 頼城は地面に落ちようとする紙をキャッチする。

 

 それはやや色あせた1枚の写真だった。

 写真の中にいるのは大人の男性と幼い女の子のツーショット。大人の方はくたびれた服を着た眼鏡の男性であり、胸にぶら下げた社員カードを見るに葵希人なのだろう。ならもう一方は幼いころの葵莉子かとも思ったが、その仏頂面な女の子は黒髪黒目。暗い灰髪と青い瞳を持つ葵とは明らかに別人だった。

 

『……リコ』

『え、なぁに? ライくん』

『お前に姉妹はいるか?』

『へっ? ううん、1人っ子の筈だけど……』

『そうか』

 

 なら、この黒髪の女の子は親戚か何かなのだろう。

 どこか葵の面影を感じる少女の写真を再び本に挟んだ頼城は、そのまま本棚に戻すのであった。

 

 

 ……

 …………

 

 

 ──それから暫しの時間が流れ、各々別の行動をする頼城達4名。

 依然として本などを読み調べる頼城と白鐘。葵は懐かしいのか人間関係の本を読みなおしており、友原は早々にリタイアしてソファに寝っ転がっている。

 そんな最中、暇を持て余した友原がふと思いついた疑問を葵に投げかけた。

 

『そういやさ、リコの親父さんの研究って結局のところ何やってんだ?』

『バイオノイド研究の事?』

『そうそう、そのバイオなんちゃらって奴』

 

 どうやら友原は聞き慣れない単語の解説が欲しかったらしい。

 葵に代わり、本を手にした白鐘が説明する。

 

『バイオノイドとはバイオニクスとアンドロイド技術を掛け合わせた技術の総称です。限りなく人体に近い構造を万能細胞で構築し、ほぼ人と変わらない生命体をつくりだす事ができます』

 

『ほぼ人と変わらない──って、それってつまり人造人間やクローンって事っすか!?』

 

 驚き起き上がる友原に対し、白鐘は「ええ」と肯定する。

 

『うわっマジかぁ。桐条グループのアイギスさんといい、ほんと未来行ってるっすね』

『最先端の研究とは得てしてそういうものですよ。僕らが普段享受するのは、安定化や量産性が確保された後の技術ですから』

『えっ? それならバイオノイド技術も……』

『ええ。人工的な手が加えられている為か、耐用年数、つまり寿命に課題が残されているようですね』

 

 そうしてバイオノイド研究の話題を続けていく白鐘と友原。

 研究者の娘である葵も本を閉じて話に加わる中、頼城はふと、誰かの視線を感じた。

 

 ──いったい誰だ? 室内全体に視線を動かす頼城。

 そして書斎の入口を視界に入れたその時、ドアの向こうに、一瞬だが暗い灰色の髪が消えていくのを目撃する。

 

『済まない。少し席を外す』

 

 この家に他の人物は誰もいなかった筈だ。

 それに髪が消えていった方向は1部屋あるだけの行き止まり。

 不審者を逃すわけにはいかないと思い、頼城は急ぎ書斎を後にした。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 書斎を出て、髪が消えていった方向へと警戒しながら歩いていく頼城。

 しかし、唯一身を隠せるであろう空き部屋の中を確認しても、それらしい人影は見つけられなかった。

 

『見間違い、だったのか?』

 

 念のため窓も確認するが、窓際に薄っすらと積もった埃に痕跡はなく、誰かがここを通った可能性は低いだろう。

 案外、さっきの髪は風で舞い上がったゴミか何かだったのかも知れない。

 そう考え、落ちているであろうゴミを確認しに戻る頼城であったが、丁度その時書斎から出てきた葵とばったり出くわしてしまった。

 

『あ、ライくんそこに何か用だったの?』

『少し探しものを。念のため聞くが、この家に隠し部屋とかはあるか?』

『あはは、からくり屋敷じゃあるまいし、そんなのないって』

『……だよな』

 

 やはり気のせいか。

 頼城は後ろ髪を引かれながらも、ひとまず保留とする事にした。

 

『それより白鐘さんから伝言。もう時間も遅いし、そろそろ終わりにしようって』

『もうそんな時間か』

 

 頼城は内ポケットにしまってあったスマホを取り出して時間を確認する。

 

 ……思っていた以上に時間が経ってしまっていた。

 料理の片づけにかかる時間も考えると、確かにそろそろ切り上げた方が良いだろう。

 頼城は葵と共に書斎に戻り、そして全員で玄関へと歩いて行った。

 

『──本日はありがとうございました』

 

 白鐘が家から一歩出たところで、葵に向けて頭を下げる。

 

『あのえっと、父の書斎はお役にたてましたか?』

『ええ、大変有意義な時間でしたよ。もしお父上に会いしましたらお礼を伝えておいてください』

 

 彼女はどうやら書斎の資料を通じて何か情報を手に入れたようだ。

 

 その手掛かりを書き留めたであろう手帳を再確認する白鐘。

 頼城は一瞬だが、《プトレマイオスからバシレイデ―スへ》という走り書きが、そこに書かれているのを目撃した。

 

 その隣に?の字も合わせて書かれていた事から、恐らくは書斎にあった文章を書き写したものなのだろう。

 白鐘は手帳を丁寧に仕舞い込むと、『それでは、また』と頼城達に一言残し、静かに去っていった。

 

 

 ……

 …………

 

 

『さぁて、オレ達は料理の片づけをするとしますかねぇ』

『あの残り物はどうする? 食べるか?』

『いや食わねぇよ! お前さっき自分のを食って瀕死になってたじゃねぇか!』

 

 白鐘を見送った頼城と友原は、そんな会話劇を繰り広げながらダイニングに引き返そうとした。

 しかし、そんな彼らの背中に向けて、葵がか細い声を投げかける。

 

『ねぇ、その前にちょっと良いかな?』

 

 いつになく真剣な葵の声。

 友原は不思議そうに振り返る。

 

『ん? どうしたんだよそんな改まって『白鐘さんと話してた内緒話って、なんなのかな?』……え?』

 

 まるで、時が止まったかのようだった。

 内密にしていた筈の話が漏れていたという事実に、友原は虚を突かれたように固まってしまう。

 このままだと致命的なボロを出してしまうのは想像に難くない。故に頼城が一歩前に出て、逆に質問を投げ返した。

 

『どうしてそんな質問を?』

『鍵を探しているときにね。窓のカーテンの隙間から、3人が外に出ていく様子が見えたの。……それって、私に聞かれたくない話、あったって事……だよね?』

 

 震える声で、か細く聞いてくる葵。

 彼女の顔は一目で分かるほどに不安そうで、隣にいた友原も思わず小声で頼城に相談してくる。

 

『な、なぁライ。これってどうしたら』

『分かった。全て話す』

『ってお前!』

 

 即、白鐘との約束を反故にした頼城に、友原は思わず大声を出してしまう。

 だが、当の頼城はと言うと、考えを変えるつもりは毛頭なかった。

 

『あの話は何も知らなかったらの場合だ。もし少しでも気づいたんなら、本人の意思を尊重すべきだと、俺は思う』

『そ、それは……』

『リコ、少しきつい話になるが、それでも聞きたいか?』

 

 これが正しい選択だったかは分からない。

 だからこそ、頼城は自分の信じる道を貫き通す。

 そんな彼の視線を間近で受けた葵は、数十秒じっと動きを止めて。そして、

 

『……うん。大丈夫だよ。私だってライくん達の友達だから。私も、本当の事を知って、2人と一緒に前に進みたい』

 

 覚悟を決めた表情で、はっきりとそう答えた。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ──葵が返答したその瞬間。

 まるでテレビの電源が唐突に切られたかのように、バツンと周囲の景色が暗闇に染まった。

 

 何の前触れもなく真っ暗な空間に投げ出されるライ。

 まるで霞のように消え失せた葵莉子の実家。彼らの物語を傍観していたライは、突然の変化に急ぎ周囲を見渡す。

 

「消えた……?」

 

 先ほどまであった景色は何もかもなくなっていた。

 しかし、よく目を凝らすと、暗闇の中に1人だけ影が残されている事に気がつく。

 

『……今にして思えば、あそこが最初のチャンスだった』

 

 それは頼城葛葉の影だった。

 後悔に満ちた表情で、微塵も身じろぎすることもなく、まるで罪の告白でもしているかの如くライに語り掛けてくる。

 

『あの時にヒントはあったんだ。気づいていれば、少なくとも"あの結末”だけは回避できたかも知れない』

 

 あの結末?

 影はいったい何を言っている?

 

『俺は無知だった。未来には無限の可能性があるのだと、前に進むのが正しい事なのだと、そう思っていた。……進み続けた先に待っているのが"絶対の終わり"だなんて、考えもせずに』

 

 戸惑うライを他所に、頼城の影は独白を続ける。

 過去の頼城は葵に対し前に進ませる選択を選ばせた。

 まるでそれが間違いだったのだと、彼は苦しそうな表情で懺悔する。

 

『思い出せ。全ての罪は俺の、いやお前の過去にある』

 

 そう言って、影はライに向けて手を差し出した。

 

 彼の手を取ればライは全ての過去を知る事ができるのだろう。

 ライは無意識でそれを理解する。

 

 あの手を取れば、頼城の影が何に後悔しているのかを知る事ができる。

 あの手を取れば、何故ライがたった1人でゼムリア大陸にいるのかを知る事ができる。

 あの手を取れば……。

 

 ライの足は自然と影の方へと歩いていた。

 

 頼城の影まで後3歩。

 2歩。……1歩。

 

 影の手に届く距離に辿り着いたライは、無意識に従って己が手を伸ばす。

 そして、

 

 

 ──反対の手に持っていた剣で、影の胸を貫いた。

 

 

『…………な、ぜ……?』

 

 剣に貫かれたまま、理解できないと言わんばかりに呟く頼城の影。

 

「確かに俺は思い出すべきなのかも知れない。……けど、今は」

 

 そんな頼城の影に突き立てた剣を、ライは片手で強引にねじる。

 

「お前の隙を作るのが、俺の進むべき道だ」

 

 刹那、周囲の黒い空間にひび割れが発生した。

 世界がまるでガラスの様に砕け散り、明るい昼間の光に包まれるライ。

 眼前には、剣が穴に突き刺さった巨大な甲冑が残されていた。

 

「──リィン!」

 

 即座に剣を離し、鎧を蹴った反動で離脱しながらライは叫ぶ。

 

 一気に甲冑から遠ざかるライ。

 その横を、灰色の疾風が一瞬にして通り過ぎる。

 

「斬り刻め! シグルズッ!!」

 

 その疾風、即ち片刃の剣を構えたシグルズ。

 ビルに囲まれた道路上空を疾走する騎士は、勢いを削ぐことなく己が刃を振り下ろす。

 

 ――鎧を真っ二つにする一撃。

 地面に突き刺さる刃。シグルズは剣を即座に返し、追撃の一太刀を叩き込む。

 リィンの怒りをその身に受けた甲冑は、刹那のうちに4分割され、一瞬の間を置いて轟音とともに崩れ落ちるのだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ……道路の上でバラバラになり、機械仕掛けの断面を見せる甲冑の残骸。

 そんな敵の屍を眺めるライの元に、エリゼの治療を終えたエマが駆け寄ってきた。

 

「ライさん! 大丈夫ですか!」

「ああ、問題ない」

 

 ライは立ち上がり、エマに無事をアピールする。

 精神浸食は受けたもののマキアス達ほどのダメージはない。

 ライには罪と呼べる過去の記憶がないと判断されたからか。それともペルソナ使いには効果が薄いのか。考察を重ねるライの視界に、ふと、エマに抱えられた美しい毛並みの黒猫が入りこむ。

 

「その猫は?」

「あ、この子はセリーヌって言いまして……」

「今回の件に巻き込まれたのか」

 

 何とも運のない黒猫だ。

 そう感想を漏らすライが気に入らなかったのか、黒猫はぷいっと顔をそむけた。

 

「それよりエリオット。あの甲冑の中にいた化物は──」

《反応は完全になくなってるよ。逃げた痕跡もないし、あの一撃で倒せたんだと思う》

「そうか」

 

 反応は消滅。

 未だ分からない事だらけだが、当面の危機は脱したらしい。

 ひとまずは精神浸食を受けたパトリック、エリゼ、マキアスの3人を医務室に運んだ方が良いだろう。

 ライは虚空にARCUSを向け、現実へと続く扉を開いた。

 

(……本当に、これで倒したのか?)

 

 異世界から出る直前、ライは甲冑の穴に突き刺さっていた剣を抜き取る。

 

 剣の先。

 巨大な眼があった筈の場所には、いつの間にか一冊の本が貫かれていた。

 

 本の内容は、先ほどライが見た光景を記した葵の日記だ。

 ライにはそれがまるで、あの化物が残した置き土産のように思えてならなかった。

 

 

 




比麗文上人(ペルソナ2)
 珠閒瑠市の石碑に刻まれた高僧の名。同じ地方都市の御影町にも同様の名前を持つ石碑があるが、詳細は不明。

鳴羅門火手怖(ペルソナ2)
 珠閒瑠市の石碑に刻まれた邪鬼の名。詳細不明。

GET:莉子の日記3

――――――――
バイオノイドについてより詳しく知りたい方は『PERSONA trinity soul』をご視聴ください。


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70話「許せない存在」

 ──エリゼ達を巻き込んだ騒動があった翌日。

 昼間の授業が終わった放課後、第3学生寮の物陰にて、エマが木箱の上に乗った黒猫を睨みつけていた。

 

「セリーヌ。私が言いたいこと分かってるでしょ?」

 

 怒ってますと全身で主張するエマ。

 しかし、黒猫──セリーヌは顔を背けたまま、目と口を閉じて押し黙っていた。

 

「セ、リー、ヌ?」

「あーはいはい分かってるわよ。迂闊に手を出したアタシが間違ってたわ」

「もう、そんな適当に……。あなたが巻き込んだ2人、それとマキアスさんも数日の療養を余儀なくされてるんだから」

 

 そう、あの眼と視線が合った者のうち、ライ以外の3人は相応の精神的ダメージを負ってしまっていた。精神干渉ではなく侵食。問答無用で心の内側に入り込む救いの手は、想定以上に強力だったという訳だ。

 その事はセリーヌも重々承知しているし、見通しが甘かったことも理解している。しかし、彼女は今回の行動を起こしたこと自体は間違ってなかったと、そう考えていた。

 

「でもね。なにも成果がなかった訳じゃないのよ。少なくとも2つ、新たな情報を得る事ができたわ」

 

 今回の騒動は、異常続きの旧校舎においても一際異常な事態だった。それ故にセリーヌが得た情報もまた特別なものだったのだ。

 

「情報?」

「1つ目は旧校舎における異変の元凶についてよ。”第1の試し”に憑りついてた奴は明らかに普通のシャドウじゃなかったわ。アレは恐らく元凶……その一端でしょうね」

 

 セリーヌは木箱をぴょんと飛び降りながら考察を続ける。

 

「第1の試しに一端が現れたという事は、恐らく最深部にある"第2の試し"に本体がいると考えるのが妥当」

「……だけど、それじゃあ」

「ええ。最深部に行くまで元凶を取り除く事は不可能よ。試練はこのまま続けるしかないわ」

 

 セリーヌの言葉を聞いたエマは深刻そうに眼を伏せる。しかし、覚悟を決めたのか、彼女はセリーヌに続きを促した。

 

「2つ目は?」

「あの男についてよ。エマも見たでしょ? 異世界の扉を開くあの力を」

「ええ……」

「アレ、旧校舎の入り口に現れる扉と同じものよ。似てるなんてものじゃない。完全に同一と言っていいわ」

 

 完全に同一。

 その意味を悟ったエマの顔が驚愕に染まる。

 

「もしかして、異世界の入り口を作ってるのって……」

「ライ・アスガート本人。と、見て間違いないわね」

「で、でも、ライさんは特別実習で時々トリスタを離れてて……」

「多分だけど、扉は開けっぱなしになってて、時間の影響でそれが表に出てるんでしょうね。……残念ながらこの仮説には他の証拠もあるのよ」

 

 セリーヌだって扉が同じってだけで疑ったりしない。他にも証拠があったからこそ、この結論に至ったのだ。

 

「エマ、ブリオニア島の事件について聞いた話、覚えてる?」

「日没時に異変が起きて住人が攫われたって話?」

「そう。話を聞く限りじゃ旧校舎の件と似てるけど、明確に違う点もあるの」

 

 エマの周りを歩きながら、まるで探偵の様にセリーヌは推理を披露する。

 

「それは導力消滅の頻度よ。ブリオニア島じゃ度々起こってたみたいだけど、このトリスタじゃ入学式当日の1回しか起こってない。──つまり、旧校舎にいる元凶が動いたのは、こっちから干渉した今回を除けば最初の1回だけだったって事」

 

 もし仮に、旧校舎の元凶がブリオニア島の神とやらと同じ動機だったとするならば、あの日、旧校舎に入ったクロウとトワが救済の対象だったのだろう。そして、意図してか無意識かは不明だが、一足遅れて旧校舎に向かったライが己の力で扉を開き、その扉が今日まで続く異世界への道となっている。そういう風に考えれば辻褄が合う。

 

(……ライ(かれ)の目的は元々最深部にいるやつを引きずり出すことだった? だったら、彼がここに入学してきた理由って…………)

 

「どうしたの?」

「ううん、何でもないわ。──って、噂をすればご本人の登場ね」

 

 タイミングが良いのか悪いのか。

 学生寮の入口を見ると、丁度ライがバスケットを片手に正面玄関を開くところだった。

 

「手に持ってるのはフルーツかしら?」

「マキアスさんの見舞い、かな」

「ふぅん。見かけによらず律儀なことで……」

 

 何にせよ、彼に対して気を許す訳にはいかないだろう。

 セリーヌは学生寮の中に入っていくライの背中を、静かに睨みつけるのであった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ──第3学生寮の2階。

 マキアスの部屋の前に赴いたライは、片手でドアを軽くノックした。

 

「む、入っていいぞ」

 

 ドアの向こう側から返事が聞こえてくる。

 どうやら起きてはいるらしい。許可を貰ったライはそのままドアを開いて中に入った。

 南側に面したマキアスの部屋は夕暮れの日差しが淡く差し込んでおり、壁掛けのダーツなど彼の趣味が色濃く反映された内装だ。

 そんな部屋の中、先ほど返事をした当の本人はと言うと、寝間着姿のままベッドの上に下半身を預けていた。

 

「ライ!? な、なんで君が」

 

 想定外だった来客を前に、大声を上げながら後ずさるマキアス。

 ベッドの上で後ずさってもすぐ行き止まりだろうに。そんな感想を抱きつつ、ライはフルーツ入りのバスケットを持ち上げて「見舞いだ」と答える。

 

「見舞い? でも、それなら僕よりも優先すべき人がいる筈じゃ」

「エリゼやパトリックの事ならリィンに任せた」

「そ、そうなのか。……む? 妹さんの事は分かるが、なぜあの傲慢な男も?」

「そう言う依頼だったからな」

「……?」

 

 不思議そうな顔をするマキアスにライは何でもないと答えた。

 リィンはエリゼ、パトリックとそれぞれ確執を抱えているが、今回の件できっかけは用意できた筈なので、後は任せて大丈夫だろう。彼ならばきっとライの与り知らぬところで解決しているに違いない。

 そんな根拠のない信頼を抱くライは、バスケットの中から皿とフルーツナイフを取り出して、貴族の話題から変えるべくマキアスに問いかける。

 

「何か要望はあるか?」

「……あ、ああ。それじゃあリンゴを頼む」

「分かった」

 

 要望通りにリンゴを取り出してカットを始めるライ。

 おぞましくも冒涜的な元リンゴがマキアスの前に差し出される。ほんの数分前の出来事だった。

 

 

 ……

 …………

 

 

 それから1時間程度。

 ライはマキアスの許可を得て、部屋の掃除などを行っていた。

 その間、マキアスはずっと下を向いて脱力している。やはりダメージが抜けていないらしい。

 

「……そう言えば、あの怪物について何か分かったのか?」

「いや。居合わせた2人は精神浸食を受けたからか、それ以前の記憶が曖昧らしい。大まかな流れは聞けたが新情報はなかった」

「そうか……」

「もう1人いたら話は別だったんだがな」

 

 そんな会話を時々交わしつつも、ゆっくりと時間が流れていく。

 

 少しずつ傾いていく陽光。

 まるで争いなど何もないかの如く平穏な空気が流れる中。

 

「……正直、僕はシャドウ事件の事を甘く見ていたのかも知れない」

 

 唐突に、まるで彼自身の内から零れ落ちたかの如く、マキアスの口から言葉が漏れた。

 

「どうした突然」

「旧校舎の異変に関わって分かった気になってたんだ。……でも、ブリオニア島での一件と、今回のあれを体験して理解した。シャドウは、帝国を脅かす脅威は、どうしようもなく危険な存在だ!」

 

 ベッドのシーツを握り、歯を噛み締めるマキアス。

 そう、マキアスは何の偶然か、1回目2回目ともにライとは別の班だった。故に、彼がシャドウ事件に直面したのはブリオニア島が初めてであり、その戦いにおいても蚊帳の外だったのは否めない。

 実質今回の騒動がマキアスにとっての初陣であったのだから、その衝撃はかなりのものだったのだろう。

 

「なあ、君は入学してから今までずっとシャドウと対峙してきたんだろう? 今までもこんな危険の中で戦っていたのか?」

「まあ割と」

 

 さも当然の日常であるかのように答えるライ。

 炎の中で戦ったり、谷を生身で飛び降りたり、毒ガス撒かれたり、頭を貫かれて死んだりと、思い返せば色々とあった気がする。

 

「そう、か……」

 

 ライの返答を聞いたマキアスは、重い息と共に言葉を吐き出して、シーツを握る手の力を緩める。

 そして顔を上げると──、

 

「君に1つ頼みがある。……僕と、再び繋がってくれないか!」

 

 ライの目を見て、前のめりになりながら頼み込んだ。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ──突然の展開に静まり返るマキアスの室内。

 夕焼けに飛ぶ鳥の鳴き声が聞こえてくる中、勢いだけで叫んだマキアスは、はっと我に帰る。

 

「ああいや済まない。今のは別に変な意味じゃ……」

「分かってる。戦術リンクの事だろ?」

「あ、ああ。分かってるならそれでいい」

 

 気恥ずかしそうに緑色の短髪を掻くマキアス。

 恐らくエマか誰かを通して、あの文芸部に住む魔物の情報が流れてきてたんだろうなと思いつつ、ライは確認のため口を開く。

 

「大丈夫か? 別に今やる必要性は──」

「いいや今やってくれ。僕はもう、ラウラ君達が命を賭して戦ってるのを遠くから眺めているのも、何もできず足手まといになるのも御免なんだ!」

 

 マキアスはベッドを手のひらで叩きつけ、思いのたけをライにぶつける。

 精神浸食の影響がまだ抜けていないにも関わらず、マキアスの意志は強固で揺らぎないものだ。眼鏡越しの眼を見てそれを理解したライは、追及を止めて懐に手を伸ばす。

 

「分かった」

 

 ──リンク──

 

 そして、ARCUSをマキアスの前で駆動し、2人は再び繋がった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ……気がつくと、マキアスは白に染まる空間の中、1人佇んでいた。

 

 ここでは現実でのダメージも関係ないようで、マキアスの足は光のような地面をしっかりと踏みしめ、全身に感じていた気だるさも感じられない。

 両手を握りしめてそれを確認したマキアスが次に意識を向けたのは、この空間の中で唯一存在感を放つ群青色の扉。

 城壁よりも大きいのではないかとすら思える扉を前に息を飲むマキアス。けれど、彼は意を決し、1歩前へと足を進めた。

 

 マキアスの意志と呼応するかの如く、ゆっくりと開き始める扉。

 その向こう側にいた存在とは、

 

 パンツ一丁で椅子に座り、猿ぐつわで口を塞がれ、全身を縄できつく縛られた半裸のマ──

 

「お前なんか僕じゃないっ!!!!」

 

 ──瞬間、パリンと世界が砕け散った。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「はぁ、はぁ……」

 

 茜色に染まるマキアスの個室にて、部屋の主は両手をついて肩で息をしていた。

 全身全霊の叫びっぷり。リンク失敗の最速記録である。

 

「大丈夫か?」

「もう一度だ!」

「そうか」

 

 マキアスに言われるがままARCUSを起動するライ。

 だがしかし……、

 

「こんなのが僕であってたまるかぁ!」

 

 何度やっても、

 

「認められる訳ないだろっ!!」

 

 マキアスは叫び声をあげ、

 

「いったい何の冗談だ! あれか!? 僕への当て付けなのかっ!!?」

 

 リンクを途切れさせてしまうのであった。

 

 

 ……

 …………

 

 

 ──日も落ち始め、部屋が薄暗くなってきた頃。

 そこには幾度となく挑戦し、そして全敗した敗北者(マキアス)の姿があった。

 ベッドに身を預けたまま片腕で顔を隠し、もはや疲れを隠せない程に息を荒げている。

 

「はぁ、はぁ、はぁ…………」

 

 その疲労は度重なる戦術リンク失敗によるダメージか、それとも単に叫び疲れただけなのか。

 どちらにせよ、かなりの根気を見せた彼に対し、ライは水を差しだしつつ問いかけた。

 

「まだ続けるか?」

「……当然、だ」

 

 マキアスはそう答え、ぐいっと一気に水を飲み干す。

 

「僕の父は帝都ヘイムダルの知事だ。僕は、帝都の為に心血を注ぐ父さんの姿をずっとそばで見てきた。……そんな僕が、帝都を危機に陥れかねない脅威を前にして、逃げる訳にはいかないだろ!!」

 

 まるで自分を鼓舞するかのように言葉を紡ぐマキアス。

 彼はまだ諦めてないし、ライも止めるつもりは毛頭ない。だが、このまま無策で繰り返したところで結果は見えているだろう。故にライは考える。

 

(ネックなのは、失敗した時に記憶を持って帰れない事だ。……なら)

 

 ここは、以前アリサが覚醒した際と同じ流れが有効かも知れない。

 幸いキーワードとなる手がかりは既に知っている。そう考えたライは、疲弊するマキアスの横で、静かに口を開いた。

 

「──”姉さん”」

 

 その短い単語を耳にしたマキアスの顔が驚きに染まる。

 

「ど、どうしてその事を……」

「精神浸食を受けた際にマキアス自身が言っていた言葉だ」

「……そう、なのか」

 

 明らかに様子がおかしくなるマキアス。

 

 出来ればこの話は避けたいと言った様子だ。

 しかし、そうは問屋がおろさない。

 

「あの浸食の過程は、今にして思えば戦術リンクと似ている。マキアスの影とも無関係じゃない筈だ」

 

 姉さんと言う単語が彼の心奥に突き刺さっている以上、シャドウとも無関係とは思えない。

 避けて通る術はない。だからこそ、ライはマキアスの目を捉えてこう言った。

 

「話してくれないか?」

 

 ただ一言、話して欲しいと。

 

 揺るぎない鋼の視線。

 迷いを抱えたマキアスも、これには根を上げざるを得なかった。

 

「……まいった。降参だ」

 

 相変わらず君は強引だなと言いつつ両手を上げるマキアス。

 こうして話の中心は、マキアスの心に潜む影、すなわち彼の過去へと移っていった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「──僕には、従姉がいたんんだ」

 

 彼の昔話は、そんな言葉から始まった。

 

「近くに住んでいた姉さんはとても気立てのいい理想的な女性でね。母を幼いころに亡くした僕にとって、彼女は憧れの存在だった」

 

 父子家庭であったレーグニッツ家は、そんな従妹に大変世話になっていた。

 おざなりだった男料理の代わりに美味しい食事を作ってくれたり、既に役人として成功を収めていて忙しかった父にコーヒーを入れてくれたり、まだ子供だったマキアスの相談に乗ってくれたり、まるで家族同然の関係だったとマキアスは懐かしそうに語る。

 

「でも、そんな姉さんにある時、恋人ができたんだ」

 

 理想的な女性と断言するマキアスの言葉は身内贔屓でもなんでもなく、実際従妹は周囲の男性からも大人気で引く手数多な状況だったらしい。そんな中、彼女の心を射止めた男性が1人現れる。

 

「その恋人は、当時父さんの部下として帝都庁で働いていた貴族生まれの青年だった」

「貴族……」

 

 今の話とマキアスの貴族嫌い。2つの線が1つに繋がる。

 マキアスは己が内に潜む憎悪を必死に抑え、あくまで冷静であろうと努めている様子だ。

 その証拠に、彼はライに対しその恋人をフォローする言葉を告げた。

 

「勘違いしないでもらいたいが、彼は典型的な貴族の傲慢さや尊大さは欠片もなかった。……けど、彼の実家である伯爵家は違った」

 

 眉間にしわを寄せたマキアス。

 彼の歪んだ口元から、強く噛み締めた音が聞こえる。

 

「どうやら彼に公爵家のご令嬢との縁談が持ち上がったらしい。その縁談を成功させるために、婚約していた姉さんに対し、伯爵家はありとあらゆる嫌がらせを行ってきた。……手紙を通しての脅迫。人を雇い、表面化しないよう手を尽くした上での嫌がらせ。圧力。……姉さん1人を対象とした、本当に露骨で悪意に満ちた嫌がらせの数々を」

 

 マキアスの従妹は嫌がらせが周囲にまで広がるのを恐れたのだろう。

 既にある程度の立場にいたマキアスの父にも相談せず、恋人にすら秘密にし、一身で全てを受け止める道を選んでしまった。

 

「結局、姉さんはただ1人で、ひたすらに耐え続けて、……そして最後に、自ら命を絶った」

 

 自殺の決め手となったのは、どうやら味方と思っていた恋人の一言だったらしい。

 

 ──愛妾として大切にするからどうか我慢してくれ。

 ライが察するに、それは恐らく実家と恋人との折衝案として提示したものなのだろう。

 だが嫌がらせの事実を知らず貴族の常識観に囚われたその言葉は、追い詰められていた彼女の心をひどく傷つけ、最悪の結末へと繋がってしまった。

 

「だから貴族を恨んでるのか?」

「当然だろう!? 自らの家のためなら、人1人の人生を潰しても構わない傲慢さ! 婚約者がいるにも関わらず横やりを入れて来た公爵家! 貴族さえなければ、僕の姉さんは死なずに済んだんだ!!」

 

 マキアスは怒りを露わにしてライにぶつける。

 確かに当然と言えば当然の怒りだ。露骨な悪意に満ちた伯爵家はもちろんの事、縁談を持ちかけた公爵家、果ては婚約者の無自覚な貴族特有の常識観。どれか1つでも違えていれば、マキアスの従妹は死なずに済んだかも知れないのだから。

 

 ──だが、本当にそれだけなのか?

 ライの思考に疑問が生まれる。

 

 今の話を聞いていたライは、何かが足りないと感じていた。

 違和感の根本は、そう、あの旧校舎で遭遇した怪物の言葉だ。

 

『それがあなたの罪、あなたの後悔』

 

 そうだ。今の話の中にマキアスが存在していない。

 彼の罪も、彼の後悔も出てきていない。

 

 ならばそこに答えがある筈だと、ライは心の中で当時のマキアスを思い描いた。

 従妹に対する嫌がらせを知らずに過ごしていたマキアス。全てが手遅れになって初めて現実を知ったマキアス。

 そんな彼の心情をシミュレートしたライの脳裏に、1つの答えが浮かび上がる。

 

(そういう事か……)

 

 分かってしまえば、当然の内容だった。

 貴族に対して以外は比較的温厚なマキアスが考えないはずのない後悔。

 貴族の制度だとか、従妹の恋人だとか、そんな他人よりも”身近な存在”に対し、抱いてしまうであろう感情。

 

「な、何か掴めたのか?」

「……ああ、覚悟して聞いてくれ」

 

 問いかけてくるマキアスを前にして、ライは改まった態度で説明を始める。

 

 これからライが話す仮説は、恐らくマキアスのアイデンティティと真っ向から対立する内容だ。

 故にライは言葉を慎重に選びつつ、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めるのだった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ──

 ────

 

 気がつくと、マキアスは何度目かになる白い空間に立っていた。

 

 彼がそう理解するのと同時に開き始める巨大な扉。

 向こう側から、もう1人のマキアスがあられもない姿を見せる。──が、既にその理由を知ったマキアスは否定する事なく、逆に彼の元へと歩いていった。

 

「……まったく笑える話だ。まさか僕が一番許せなかったのが、貴族なんかじゃなく”僕自身”だったなんて」

 

 そう言って、マキアスはもう1人の自分につけられた猿ぐつわを外す。

 すると影は縛られたまま体を揺らし、情けない声で叫び始めた。

 

『誰か僕を罰してくれ。姉さんが苦しんでいるのに気づかなかった僕を……。ずっと近くにいたはずなのに、何もできなかった僕を……!!』

 

 そう、縄で雁字搦めにされたあの姿の意味とは、すなわち自罰の象徴。

 自分を罰して欲しい。厳しく咎めて欲しい。

 そんなマキアスの感情が、あのみっともない姿を形作っていたのだ。

 

 外した猿ぐつわを手に、マキアスは静かにもう1人の自分を見つめる。

 そんな彼に対し影は大口を開けて喚き始めた。

 

『何かできた筈なんだ! 救えたはずなんだ!! 僕が気づいていたら、姉さんは助けられた……!!』

「……っ!」

『なんでその罪から目をそらす。貴族なんかよりもっと罪深い存在がここにいるのに、何故なんだ! マキアス・レーグニッツ!!』

 

 間近から糾弾を受けたマキアスの体は震えていた。

 奥歯は痛い程に噛み締められ、震えるこぶしからは血が垂れている。

 もう1人のマキアスの言葉を黙って聞いていた彼だったが、遂に爆発し、大声で叫び始めた。

 

「──ああそうだよ! 僕はずっと近くにいたのに気づかなかった! 何も知らずに姉さんの傍で笑ってたんだ!!」

 

 その叫びは、まるで懺悔のようだ。

 

「僕はその事実から目を逸らしたかった……! その罪悪感から目を逸らしたくて、貴族という分かりやすい敵を作って糾弾していた!」

 

 貴族に対して露骨に嫌悪感を出していたのは、自分自身がそう思いたかったからだ。

 貴族が悪いと表立って言えば言うほど、本当に相手が悪いんだと思えてきて、自分の罪悪感を心の奥底へと封じる事が出来る。怒りの矛先を逸らす事が出来る

 無論、彼らに対する怒りや憎悪が嘘だったって訳ではない。だが、貴族を恨む動機の1つに、自分の罪から目を逸らしたかったという防衛本能が働いていたのは、紛れもない事実だった。

 

「本当に罪深いのは僕だ。誰に咎められる事がなくても、僕が、悪かった……!」

 

 気がつけば、マキアスの目から大粒の涙が流れ落ちていた。

 膝から崩れ落ち、両手を地面につけて後悔の言葉を繰り返すマキアス。

 

 そんな彼の傍に、いつの間にかもう1人のマキアスが寄り添う。

 

『その罪、これからも背負っていけるか?』

「……ああ約束する。僕は君だ。僕の罪は、僕自身が背負うべきだ」

『その言葉、違えるんじゃないぞ……』

 

 もう1人のマキアスはそういうと、マキアスに向け手を差し伸べる。

 それを握り返した瞬間、世界は真っ白な光に包まれた。

 

 

 ──自分自身と向き合える強い心が、”力"へと変わる…………。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 マキアスの意識が戻ったその時、ベッドに座る彼の周りから青色の炎があふれ出した。

 

 まばゆい程の光が渦を巻き形を成す。

 現れた賢人は司法の衣を身にまとい、片手には黄金の天秤を、もう片手には銀色の本を携えている。

 その聡明な姿こそマキアスの分身ともいえる存在だった。

 

「──フォルセティ。これが僕のペルソナか」

 

 マキアスは己がペルソナ──刑死者《フォルセティ》を見上げ、感慨深そうにつぶやく。

 するとペルソナもマキアスの姿を一瞥し、そのまま淡い光となって消えていった。

 

「大丈夫か、マキアス」

「ああ。君には散々心配をかけてしまったが、今はもうなんともない」

「けど涙が出てるぞ」

「なっ!? そ、そんな訳ないだろう!?」

 

 ライの指摘を受けたマキアスは慌てて腕を使い涙を拭う。

 どうやら彼は気恥ずかしい様子だ。強引にこすったせいで赤くなった顔を逸らしつつ、マキアスは話題を変える。

 

「しかし、君は意外と相談役に向いているのかも知れないな。これも幾人もの覚醒に立ち会った経験なのか?」

「まあ俺自身、悩みが尽きない状況だがな」

「ははっ、君も言うじゃないか」

 

 そんな感じで談笑を交す2人の青年。

 マキアスの口元には、いつの間にか陰りのない笑顔が宿っていた。

 

 

 ──

 ────

 

 

 そんな彼らの様子を、扉を挟んで盗み聞きしている金髪の青年が1人。

 彼は一言も喋ることなく、ずっとこの場所で聞き耳を立てていた。

 

 その時、1階の階段から帰宅したエマが上がってくる。

 

「あれ、どうしたんですか? ユーシスさん」

「……いや、何でもない」

 

 不思議そうなエマを他所に、ユーシスは暗い真剣な面持ちで自分の部屋へと帰っていく。

 その手にあったの見舞いの品は、ついぞ病人に渡されることはなく、部屋の奥へと消えていった……。

 

 

 




刑死者:フォルセティ
耐性:祝福耐性、電撃弱点
スキル:アイオンの雨、ハマオン、ラクカジャ、治療促進・小
 北欧神話に登場する司法神。平和や真実を司る調停者であり、フォルセティの裁きを受けたものは判決に従う限り、平和に生きていけるとされている。

刑死者(マキアス)
 そのアルカナが示すは試練や直観。正位置の場合は奉仕や抑制を示すが、逆位置になると痩せ我慢を暗示する。別名「吊るされた男」と称されるように逆さ吊りの男が描れており、一見は刑罰を受けているようにも見えるが、穏やかな表情から男が望んで受け入れている事が暗示されている。即ちこの刑罰は通過すべき試練でもあるのだ。


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71話「狙われた夏至祭」

 ──ルーレ市内、対シャドウ研究所。

 一般市民には秘匿され、対シャドウの最前線とも呼べる研究を行っているこの研究所に、ある時、眉間にしわを寄せた高齢の男が訪れた。

 

 モノクルをかけたこの男の名はG・シュミット博士。

 帝国随一の頭脳とうたわれる希代の導力工学者である。

 帝国からシャドウ研究の協力を依頼されている彼は、そのまま検問を顔パスで突破。その足で真新しい通路を進み、施設の中心とも呼べる研究室に遠慮の欠片もなく入室した。

 

「入るぞ」

 

 シュミットが入った研究室は壁一面に巨大な画面が設置された分析用のエリアだ。

 部屋のあちこちに導力端末が設置されており、研究で取得した大量のマスデータを解析し、人の理解できる分析結果として日夜出力している。

 そんな部屋に偶然居合わせたのは1人の若い研究者だった。

 彼女はシュミットの声に反応して導力端末から目を離すと、急ぎ席を立って彼の元へと駆け寄ってくる。

 

「こんにちはシュミット博士。お茶でもお出ししましょうか?」

「いらん。そんなものに時間をかけるくらいなら、この設計図にでも目を通しておけ」

 

 研究者の親切を一蹴し、シュミットはカバンに入れていた紙束を乱暴に渡す。

 それを慌てて受け取る研究者。彼女はその設計図と思しき図面と文字の内容を理解するため、まず左上に書かれた表題を確認した。

 

「──シャドウ・ハーモナイザー?」

「ハーモナイザー、つまりは波長を調整する機構だ。我々とシャドウの波長を同調させ、位相のずれを補正するよう設計した」

「位相、ですか……?」

 

 意味が分からないとでも言いたげに、シュミットの顔を見る研究者。

 しかし、そんな奇想天外な図面を渡した当の本人はと言うと、そんな事も説明せねばいかんのかと深いため息をついた。

 シュミットは「仕方ない」と一言呟き、近場にあった適当な椅子に腰を下ろすと、理解が追い付いていない研究者に対して講義を始めた。

 

「そもそも何故シャドウに攻撃は効かないと思う?」

「そ、それはまだ原因不明で」

「ああ不明だ。だが、推測する事ならできる」

 

 推測するための情報ならば、この前訪れたペルソナ使いから計測したデータで十分揃った。

 シュミットはさも当然の様にそう述べる。

 

「恐らくシャドウはこの現実とは異なる位相に存在している。その位相──仮に精神世界とでも言うべきか。奴らはその精神世界にいるまま、現実世界に干渉して来ているのだ」

 

 精神世界。恐らくは現実よりも上位の次元に属する世界だろう。

 シャドウはまるで4次元から投影された3次元の影であるかの如く、上位にいながら下位の世界に直接干渉しているのだ。と、シュミットは推測していた。

 

「物理的接触が可能な以上、力学的な反作用として押し出すことは出来る。だが、上位の位相にいるシャドウに対し、形状変化、ダメージといった直接的な影響を与える事は不可能だ。本の中の住人が我々に危害を及ぼせんようにな」

「つまり、私たちが普段見て対峙しているのは、シャドウ本体から差し込んだ影に過ぎないと?」

「フン、ようやく飲み込めたか」

「ではペルソナ使いは……」

「ああ。彼らはペルソナを介して、自身を半ば精神世界に置いているものと考えられる」

 

 言わばペルソナ使いは半分シャドウと同じ存在になっているのだろう。

 現実世界に存在しながらも、精神世界においてもペルソナを介して存在している。

 だからこそ彼らは精神世界にいるシャドウに直接攻撃が出来るのだ。

 

 ……ならば、我々もその上位世界に身を置けばいい。

 シュミットが用意した設計図は、それを可能にする機構の基礎理論とも呼べるものだった。

 

「その設計図はまだ未完成だ。位相の波長を調整する事は出来るが、肝心の調整先がまだ特定できていない。……だが、手がかりがない訳でもない。精神世界の位置を特定するには、先の実験で判明した”精神に作用するアーツ”が鍵となる筈だ」

「あ、ありがとうございます! 早速、この設計図を所内で共有させます!」

 

 講義を受けた研究者は、その手にある設計図がどれほど画期的なものか理解したのだろう。

 途端に顔色を変え、図面のデータ化を行うため、急ぎ導力端末の前に戻っていく。

 そんな彼女の様子を後方から眺めるシュミット。忙しそうに動き回る彼女を慮る事もなく、彼は1つ質問を投げかけた。

 

「ところで例の青年が持つARCUSを取り寄せたらしいが、何か進展でもあったのか?」

 

 そう、彼がここに訪れた理由の1つに、自身が知らない情報の収集というものがあった。

 小耳に挟んだ最重要人物に関する新たな情報。それはシュミットにとって立場上、いや個人的興味の観点から見ても知っておきたい情報に違いない。

 

 ……しかし、その問いを投げかけられた研究者はと言うと、何故か返答に困っている様子だった。

 

「は? いえ、私たちはそんな要請をしていない筈ですが……」

 

 ──単なる誤情報だったか。

 くだらん人的トラブルだとシュミットは断じ、今の情報を脳内から切り捨てる。

 

 

 そんな彼が次いで興味を示したのは、研究室の大画面に奇妙な機械だった。

 円柱形のフォルムをした黒く巨大な物体。そして、地面に設置すると思しき台座と思しき装置。それらは何本ものケーブルで繋がれているようで、無骨ながらも異様な雰囲気を漂わせている。

 

「これは何だ?」

「ああそれですか。それはノルドの異界で見つかった転送装置らしき設備です。現実側の装置を取り外して、分析の為ここへと運ばれて来たんですよ」

「……ふむ」

 

 ノルドから運ばれてきた装置。

 以前、VII組の生徒達が見つけた現実世界に帰還する為の装置が、帝国軍の手でこの研究所へと運ばれていたのだ。

 興味深そうにその装置を眺めるシュミット。彼の目が、装置の隅に刻まれた謎の文章を捉える。

 

(D、V、A、SYSTEM……。デヴァ・システム、か)

 

 今まで見たことも聞いたこともない単語だ。

 この装置がいったい何なのか。シャドウ研究に対する義理を果たした博士の興味は、次第にこの装置へと移っていった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ──7月24日。

 ライ達VII組の面々はこの日、朝から列車に乗って帝都ヘイムダルへと向かっていた。

 理由は言わずもがな毎月恒例の特別実習。しかし、今回の特別実習は、今までのと少し異なる点があった。

 

「……にしても、これ、どういう事なのかしらね」

 

 向かい側の席に座るアリサが、懐から取り出した事前資料を怪しいものでも見るような目で確認している。

 その紙は2日前、問題なく実技テストを終えたライ達に配られたものだ。何時もならA班とB班のメンバーと実習地が書かれているのだが、今回は少しばかり事情が異なっていた。

 

────────

【7月特別実習】

 A班リィン、ラウラ、フィー、マキアス、エリオット(実習地:帝都ヘイムダル)

 B班ライ、アリサ、ミリアム、エマ、ユーシス、ガイウス(実習地:帝都ヘイムダル)

 ※なお、班構成は現場判断にて変更・分散を許可するものとする。

────────

 

 両班ともに実習地は帝都ヘイムダル。

 しかも、状況によって変更可能ともなれば、もはや班分けの意味も半ば形骸化しているようなものだ。

 

「実習地が同じだけでしたら、広い帝都を手分けして実習にあたれって事なんでしょうけど」

「……まあ、それはないだろうな。それでは但し書きの意味がない」

 

 エマとユーシスが話している通り、但し書きの内容が特に問題だった。

 

 2つの班が途中で合流するような状況。

 いくら考えても答えが出ないライは、行き先そのものに何かあるんじゃないかと考え始める。

 

「帝都に何かあるのか?」

「ふむ、俺も帝国内の事情には詳しくないからな。……そう言えば、ミリアムは帝都にある情報局の身と聞いたが、何か情報は掴んでないのか?」

「う~ん。ボクはもっぱら帝国各地を飛び回ってたからなぁ。あ、でも、この時期は夏至祭で帝国軍もいろいろ忙しいって、以前クレアから聞いた事あるよ! 皇族の人たちが帝都各地に散らばるから警備の配分が大変なんだって」

「夏至祭? 1月後れとは珍しいな」

 

 半月前のライと同じ疑問を抱くガイウス。

 ライはとりあえず、以前トワから聞いた情報を彼に伝える。

 

「……そうか。獅子戦役の終戦記念日を兼ねて、か。ならばノルドの民も無関係とは言えないな」

「そうなのか?」

「ああ。獅子戦役を終結に導いたドライケルス大帝、追放された彼が決起した場所こそノルド高原だ。大帝とノルドの民は良き友人関係であったと俺は聞いている」

 

 エレボニア帝国とノルド高原とを繋ぐ意外な関係性。

 両者は確かに国という枠組みとしては別だが、歴史からしてみれば密接な関係があったのだろう。

 もしかしたら、ガイウスがトールズ士官学院に可能性を見出したのも、その辺りが理由なのかもしれないな。と、ライは密かに推測した。

 

「──大帝の話はともかくとして、今回の特別実習が夏至祭に合わせて設定されたのは間違いない。サラ教官の思い通りになるのも癪だが、何が起きても良いような心構えは備えておくべきだろう」

 

 最後に、ユーシスが窓の外を眺めつつ、話の総括を行う。

 

 視線の先にあったのは緋色の壁で覆われた帝都最大のターミナル。

 即ち、何本もの線路が集結するヘイムダル中央駅が、段々と近づいてきていた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ヘイムダル中央駅にて列車を降り、別の車両に乗っていた班とも合流したVII組一同。

 前回の実習ではこのまま別の路線に乗り換えていたが、今回はここが目的地であるが故、彼らは揃って駅のホームを後にする。

 

 2階建ての建物をそのまま1階にしたかのように高い天井を有し、まるで巨大なドームを思わせる程に広々とした中央駅。その改札口は丁度ホーム正面の階段を上ったところにあり、そこには列をなす人々と、その列に対応する人数の帝国軍の兵士がたむろしていた。

 兵士はどうやら簡単な身体検査と持ち物検査をしているようだ。

 改札ゲートの数だけ列が存在し、検査が終わった人から帝都ヘイムダルの街中へと消えていっている。

 

「やけに厳重だな」

「まあ、あんな事があっちゃねぇ」

 

 不思議そうにするライの横をエリオットが通り過ぎ、そのまま慣れた様子で列に加わる。

 

 ……あんな事?

 疑問に思うライであったが、生憎だが言葉の主は先に進んでしまっている。

 後で聞けばいいかと思い、ライもまた、身体検査の列に並ぶのであった。

 

 

 ──

 ────

 

 

 そして、検査を終えて駅の正面玄関から外に出たVII組を待っていたのは、陽の光が差し込む広々とした駅前広場であった。

 駅前広場の向こう側には、霞がかってみえる遠方の宮殿まで続く直線の大通り。

 通りの左右には3~4階の建物が立ち並び、歩道には老若男女様々な人が往来している。

 

 更に特徴的とも言えるのが通りの中央に設けられた車道だろう。

 地方ではあまり見る事のない導力車が走っており、交差点には交通管理の兵士が在中。

 他にも公共交通機関である導力トラム──つまりは路面電車の姿も確認できた。

 

「わぁ……」

「相変わらず壮観だな。ここは」

 

 あまり訪れた事のないリィン達が感嘆の声を漏らすのも無理はない。

 自然が少ない大都市の街並みは旧校舎内で見慣れているとは言え、あそこには人の姿はないし、何より区画から建物まで統一の規格で整備された街並みは、ある種の芸術作品とも感じられるからだ。

 

 そんなエレボニア帝国首都の街並みを、ライもまた興味深そうに眺めていた。

 他所では見ることのない緋色の煉瓦に覆われた都市。だが、その統制された景色の中に何か所か、異物のようなものがある事に気がつく。

 

(……あれは、暗色のシートか?)

 

 建物のところどころ、それに遠方に見える宮殿の一部にも。

 まるで破損した箇所を覆い隠すかのように、黒色のシートが張られていた。

 

「あぁ、あれ? あれは前の爆破テロで壊れた場所だね」

 

 そんなライの元に、エリオットが近寄って来る。

 

「爆破テロだって?」

「ああうん。まだ直ってないから3月のやつだと思う。……これってマキアスの方が詳しいよね?」

「もちろんだとも。僕の父さんも後処理でてんてこ舞いだったからな。……確か、1回目は昨年1月の終わり頃で、2回目は今年の3月前半。どちらも日の入りの時刻だったか。突然広い範囲で同時多発的な爆発があったんだ」

 

 マキアスが言うに、どうやら本当に爆破テロがあったらしい。それも2回も。

 同時多発ともなれば計画性のある犯行だろう。

 

「犯人は?」

「今だ不明さ。だからああして、今も検問を張ってるわけだ」

 

 そう言って、マキアスは視線で先ほどの改札口を指し示した。

 

 つまりは再三の犯行を防ごうと躍起になっている訳だ。

 帝国軍も大変だなと、ライは他人事のような感想を漏らす。

 

「ねぇ、ライ? ちょっと素朴な疑問なんだけど……」

「どうした? アリサ」

「確かライって薬を取りに一度帝都に来てたわよね? 何で身体検査のこと知らなかったの?」

 

 確かに普通なら、1度帝都に来た段階で知っているであろう情報だ。……そう、普通なら。

 

「時間なかったから裏道使った」

「え? そ、それって大丈夫なわけ!?」

「さあ」

 

 あわあわと慌てるアリサを前にしても平常運転なライ。

 堂々としていれば犯罪ではないとでも言わんばかりのふてぶてしさである。

 

 ……しかし、そうは問屋が許さなかった。

 

「──その話。詳しくお聞きしてもよろしいでしょうか?」

 

 ライ達の後方から問いかけられる透き通った声。

 そこにいたのは、以前交易地ケルディックにてライ達を助けてくれた青髪の女性将校。即ち、鉄道憲兵隊所属のクレア・リーヴェルト大尉であった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「ひっさしぶりだねぇクレア! 元気にしてた?」

「ミリアムちゃんもいつも通り元気そうで安心しました。士官学院での任務は順調ですか?」

「順調順調! 旧校舎調査の方も少しずつだけど進んでるし。あ、それとこの前、調理部でケーキ作ったんだ! ボクはもっぱら食べる専門だったけどね」

 

 帝都市内を走る軍用車の中、助手席に座るミリアムが運転席のクレアと楽しく雑談をしている。

 その姿はまるで久々に会った親しい姉妹のようだ。

 

 しかし、中部座席と後部座席に座るB班の間には、乗るべきでない車に乗ってしまったかのような居心地の悪い空気が流れていた。

 

「ねぇ、これ本当に大丈夫なの? 到着した瞬間ライが投獄されるとかないわよね?」

「つまりこれは護送か。大物になった気分だな」

「なんでちょっと楽しそうなのよ……」

 

 車の中で足を組んでポーズを決めるライに突っ込みを入れるアリサ。

 そんな生徒達を横目でちらりと見るクレア。彼女は小さく「ふふっ」と笑うと、アリサの不安を拭うため、彼らの会話に加わった。

 

「大丈夫ですよアリサさん。今すぐライさんを逮捕する事はありませんから。……裏道については、後程じっくりと自供して貰いますが」

 

 最後に念を押し、クレアは運転へと意識を戻す。

 ライ達を乗せた2台の車が向かう先には、大きな帝都庁の建物が見えてきていた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ──帝都庁に到着したライ達11名は、クレアの先導に従い、入り組んだ通路の先にある会議室へと案内される。

 窓もない閉ざされた部屋だ。ここなら内部の情報が外に漏れる心配もない。恐らくは、内密な会議を行うためだけに用意された部屋なのだろう。

 

「リ―ヴェルト大尉、俺達をここに招待した理由は──」

「いや、君達をここに呼んだのは私だよ」

 

 ライの質問を訂正する聞き慣れない男性の声。

 いつの間にか、クレアの隣には格式高いスーツを身にまとった緑髪の男性が立っていた。

 ライはその男の顔に見覚えはない。……が、クレアがその男に対し礼を取っている様子。この帝都庁と言う場。そして何より、ライの後方で「と、父さん」と言葉を漏らすマキアスの面影がある事から、その正体は容易に想像できる。

 

「殆どの生徒達とは初対面になるかな。──マキアスの父、カール・レーグニッツだ。息子共々世話になるよ。VII組の諸君」

 

 そう、マキアスの父にして帝都ヘイムダルの知事、カール・レーグニッツであった。

 

「さて、立ったまま話をするのもなんだろう。適当な席に座りたまえ」

「あ、はい」

 

 カールに促されるまま、ライ達はそれぞれ会議室内に並べられた席に着く。

 そんな生徒達の様子を確認したカールはクレアと共に会議室に入室。大きなホワイトボードの横にある司会進行の席に腰を下ろした。

 

「ではまず最初に、君達の質問に答えようか」

「帝都知事閣下が課題等の幹事をしていただける……という訳じゃなさそうですね」

「それについては非常に残念だ。本来なら学院からの打診通り、君達らの前で課題を渡していたところだったんだがね」

 

 リィンの推測はどうやら当たらずも遠からずだったらしい。

 当初の予定なら前回までの特別実習と同様に、ライ達の宿泊先と課題を用意する予定だったとの事。

 ……だが、そうはならなかった。

 

「私達の方から要請して、今回だけ特例として変えてもらった次第だ」

 

 帝都庁側で何か緊急の事態が発生し、士官学院もそれを了承した。

 その結果があの但し書きに繋がったのか。カールの話はこうして本題へと移っていく。

 

「さて何処から説明したものか」

「知事、背景なら私の方から話します」

「……そうだな。大尉から説明して貰った方が、彼らも理解できるだろう」

 

 カールの許可を得て、説明の中心となったクレア。

 彼女はカバンの中から1枚の紙を取り出すと、マグネットを使ってホワイトボードに貼りつける。

 

「皆さん、特に前回の特別実習でノルドに行った方は、この顔に見覚えがあるのではないでしょうか」

 

 クレアは横にずれて紙の内容をライ達に見せる。

 そこに印刷されていたのは暗い人相をした眼鏡姿の男性。

 ライには見覚えのない写真だったが、ノルドの実習に行ったリィン達はその顔を見て目を丸くした。

 

「そ、その男は……!」

「やはり間違いないみたいですね。これはレクターさんが共和国の軍人から引き出した情報を元に、情報局が割り出した事件の犯人と思しき人物です」

 

 この男がリィン達の言っていた《ギデオン》と言う人物らしい。

 ライは自身と似た髪色をしているこの男の姿を、絶対に忘れまいと目に焼き付けた。

 

「──彼の名はミヒャエル・ギデオン。かつて帝國学術院で政治哲学を専攻していた元助教授です」

 

 クレアは事件の黒幕と思しき人物の素性について説明する。

 

「帝國学術院の元助教授……。あの日彼が名乗ってた名前と身分は、ほぼ事実だったんですね」

「恐らくもう隠すつもりはなかったのではないかと。実際、彼の足跡は3年前に途絶えていますし、懇意にしている友人や家族等もいませんでした」

「……今に繋がる痕跡は全て消したという事か」

 

 徹底しているなとユーシスが呟いた。

 まあ実際彼の言うとおりだ。情報局が途絶えていると結論を出している以上、過去から追跡は不可能なのだろう。

 そんな事が出来ているという事は、どこか強力なパトロンが後ろにいるのかも知れない。

 

「ですが、彼の人物像と過去の発言から、テロリストの目的を推測する事は可能です。……これも、別に判明してもいい情報なのでしょうが」

 

 そう言って、クレアはホワイトボードに何やら文字を書き始めた。

 

《革命の火種をまき、帝国に入り込んだ巨悪を打ち滅ぼさんとする者だ》

 赤文字でそう書き終えると、ギデオンの顔写真と線で結ぶ。

 

「それってあの時ギデオンが言った言葉ですよね」

「ええ。この彼が主張する”入り込んだ巨悪”についてなのですが、過去に彼は現政権──正確にはオズボーン閣下に対して似たような発言をしていたとの情報を得ています」

「えっ、それじゃあ、彼らの目的って鉄血宰相なんですか?」

「……少なくともギデオンの最終目標は、バルフレイム宮に居を構える現政府と見て相違ないでしょう」

 

 クレアは更に《現政府》を書き加え、裏に潜んでいた対立構造が分かりやすく示された。

 現政府に反発するテロリスト。こうして見れば結構単純な構造だ。

 

 ライの脳裏に浮かぶのは《シャドウという戦術級の武力》《鉄血宰相という標的》《ノルド高原にて作り出した共和国との緊張状態》の3つのワード。

 それぞれの点を線で結ぶと、奴らに関する新たな情報が見えてくる。

 

「──次の目標は、もしかして夏至祭ですか?」

「はい。帝国軍や帝都庁も同様の結論に達しています」

 

 クレアがライの独り言に肯定したその瞬間、会議室の机がバンと強く叩かれた。

 

 集中する皆の視線。

 勢いよく音を出して立ち上がったのは、帝都に実家を持つエリオットであった。

 

「ど、どうしてそうなるんですか!?」

「ノルド高原での暗躍は帝国正規軍の人員や物資をノルド高原に集中させるためのものでしょう。しかし、それだけでは宰相閣下まで手を伸ばすのは困難です。元々過去2回の爆破テロで人員は増やしていましたし、帝国政府があるバルフレイム宮には皇族警備の部隊が残っていますから」

 

 元々帝国正規軍は、貴族が持つ領邦軍との兼ね合いもあって、国境や帝都、そしてクレア達の鉄道憲兵隊しか部隊を展開していない。共和国軍との緊張状態を引き起こしたギデオンの目的は、その部隊配分を国境側に寄せる事だったのだろう。

 だがしかし、クレアの言う通り帝都内の兵力は未だに多く、身体検査をやる余裕すら残されている。

 それに暗躍したノルド高原にしても、硬直が長くなればなるほど正規軍側の補填が進み、折角空いた穴も塞がってしまう。

 

 ──総合的に見てみれば未だテロリストの分が悪い。

 だからこそ、彼らは動かなければならないのだ。

 

「……ですが1日だけ、帝都の防衛網を分散させざるを得ない日があります。それこそが──」

「夏至祭当日、と言う訳ですか」

 

 リィンが納得した様に言葉を紡ぐ。

 

「夏至祭は伝統行事で皇族が各地に散っている。加えて観光客も増えることから巡回警備も難しくなる」

 

 警備部隊は当然皇族たちについて行く事になるだろう。

 厳重だったバルフレイム宮の警備は手薄。テロリストにとって、この千載一遇の好機を逃す手はない。

 

「エリオット。焦る気持ちは分かるけど、どうやらクレア大尉の話は本当みたいだ」

「……うん。そう、みたいだね」

 

 心では当たってほしくないとは思いつつも、エリオットはゆっくりと席につく。

 そんな一幕を静観していたカール。彼もまたエリオットと同じ心持ちではあったが、帝都を守る立場として一切その感情を表に出さず、真剣な表情でライ達に語り始めた。

 

「ありがとう大尉。では、以上の背景を踏まえ、私達帝都庁が士官学院に要請した内容を伝えよう」

 

 ライ達VII組をこの会議室に招待した理由。それはもう明らかだ。

 

「才気あるVII組の諸君。現在帝国政府は、いや下手すると帝都全体はシャドウに襲われる危機に瀕している。──帝国において最もシャドウ事件に対峙した”専門家”として、どうか協力して貰えないだろうか」

 

 シャドウ退治の専門家としてライ達以上の適任は他いにいない。

 かくして、単なる学生であった筈のVII組は、夏至祭を介した騒動に巻き込まれていく事となった。

 

 

 




シャドウ・ハーモナイザー(オリジナル)
 元ネタは女神異聞録デビルサバイバーに登場するハーモナイザー。波長が異なる悪魔に対し、自身の波長を合わせる事で人間でも同等に戦えるようにする機能である。
 実際のところ、源流が同じためかシャドウと悪魔の設定はかなり似ている。女神転生IVによると悪魔は人の精神世界から生じたものとされ、悪魔の住まう魔界もまた、精神世界と物質世界の間に位置しているらしい。なので、原作ペルソナでは語られていないシャドウの通常兵器無効の原因について、本小説では悪魔と同じような理由であると設定する。

――――――――
4章もようやく特別実習に突入。
ここまで色んな意味で長かった……。



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72話「帝都1日目:準備期間」

 帝都庁にてテロリスト襲撃に関する説明を受けたVII組は、A班とB班に分かれて用意された宿泊先に向かっていった。

 

 クレアには行きと同じく導力車で送っていくと言ってくれたが、忙しい軍人に頼んでばかりはいられない。

 丁寧に断ったライ達は宿泊先の住所を貰い、それぞれ公共交通機関である導力トラムに乗って、帝都の東西へと移動する。

 

「……ねぇ、あの要請、受けて本当に良かったのかしら」

 

 導力トラムの中、流れゆく緋色の街並みを眺めながらアリサが呟く。

 

「知事が言ってた話も分かるのよ? 旧校舎の件もあって私たちが一番長くシャドウと接してるってのは、たぶん本当の事だし。でもそれは成り行きって側面も大きいし、そもそも私たち入学してまだ数か月の学生だし、いきなり専門家って言われても、期待に応えられるかって言われると、ね?」

「そうですね。私やユーシスさん、ガイウスさんはペルソナも使えないですし……」

 

 不安そうにするアリサとエマ。

 そもそも、特化クラスVII組は貴族と平民の枠を超えた実験的なクラスと言うだけであって、別に対シャドウに特化した専門機関と言う訳でもない。それこそライは入学当初からずっとシャドウ事件に関わっているものの、別の班である事が多かったエマやユーシスなどは経験豊富とは言い難い。

 しかし、話題に上がったユーシスはと言うと、特に臆する事もなく堂々と椅子に座っていた。

 

「何にせよ、他に適任がいない以上俺達がやる他あるまい。それとも貴様はこの街がどうなっても良いと言うつもりか?」

「そ、そんなつもりはないけど……」

「フッ、ならば気にするな。例えどんな結果になろうと、責任は一学生を起用した帝都庁側にある」

 

 一見突き放すようなユーシスの言葉だが、内容をよくよく聞いてみると「気負う必要はない」との意図である事が分かる。ここ3ヶ月級友をしているアリサは勿論それを察しているが、もう少し言葉を選べないのかと思わずにはいられない。

 

 ──と、そんな彼女の背中に、ミリアムがぴょんと飛びついて来た。

 

「あーりさっ!」

「ひゃっ!? ミ、ミリアム!?」

 

 バランスを崩しかけ、手すりに身を寄せるアリサ。

 彼女の背中にしがみついたミリアムはと言うと、慌てふためくアリサとは対照的に「ニシシ」と笑っていた。

 

「そんな深く考えることないって! ボクだって情報局で色々やってるけど、なんの問題もなく活躍してるし!」

 

 能天気な顔をしてアリサを励ますミリアム。

 正直なところ、”問題もなく”という部分に関してはクレアに要確認レベルの信用度ではあるものの、そんなムードメーカーの言葉はアリサの緊張を解きほぐす。

 

『まもなくヴェスタ通り前。ヴェスタ通り前。お降りの方は──』

「あ、ここで降りるみたいです」

 

 若干の揺れと共に停止する導力トラム。どうやら目的地についたらしい。

 到着を確認したアリサ達は順々に運賃を支払って降りていく。

 最後の方で降りようとするライ。しかし、動こうとしない友人に気づき、途中で振り返った。

 

「ガイウス、降りるぞ」

「……済まない。少し考え事をしていた」

 

 静かに考え事をしていたガイウスもまた導力トリムの降車口へと向かう。

 こうしてライ達B班は、目的地であるヴェスタ通り前の停留所に降り立つのだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 ──帝都ヘイムダル、ヴェスタ通り。

 都市の西側に位置するこの通りは、導力車や導力トラムが走る表通りとアーチを隔てた場所に位置する商店街だ。

 そこそこの賑わいを見せる歩行者優先の一画。なだらかなカーブを描く通りには多くの店が立ち並び、香しい匂いがあたりに漂っていた。

 

「あれ? この匂いは……」

「パンの匂いですね。近くにパン屋があるのでしょうか」

 

 焼きたての美味しそうな匂いが鼻腔をくすぐる。

 匂いの方向へと目を向けると、紙袋を抱えた主婦らしき女性が1軒の店から出てきていた。

 

「……ねぇライ? ボクとしてはあそこが怪しいと思うんだけど」

 

 ミリアムの視線が紙袋の中──焼きたてのパンへと注がれている。

 彼女の目的は明らかにパンだ。しかし、その気持ちも分からなくはない。

 立ち並ぶバラエティ豊かな商店の数々。そこに眠る掘り出し物を考えるだけで、思わず財布の紐も緩くなると言うものだ。

 

「これが都会の誘惑か……!」

「はいそこの2人、目的地はそっちじゃないからストップよ」

 

 商店街に繰り出そうとする2人を止めるアリサ。

 残念ながら、ライ達の目的地は商店街の方ではなく、すぐそばの階段を上った先にあるらしい。

 ライとミリアムは後ろ髪を引かれつつも、アリサ達3名の後に続くのだった。

 

 

 ……

 …………

 

 

「えっと、紹介された宿はここみたいですね」

 

 古ぼけた建物の前に来たエマが、手元の地図と見比べながらそう口にする。

 正規軍から紹介された建物は一見してここ暫く使われていないと分かる古物件だった。

 その大きさから鑑みて、恐らくは何らかの店か施設だったのだろう。窓などは一応拭かれているようだが、黄褐色の汚れが拭いきれていないところを見るに、管理が行き届いているとも言い難い。

 

 本当にここが宿泊地なのだろうか?

 B班の視線が右往左往する中、ユーシスがライに歩み寄る。

 

「入り口で手をこまねいていても仕方あるまい。確か鍵を預かっていたな?」

「ああ、今開ける」

 

 ライは預かっていた鍵を取り出し、玄関の鍵穴に差し込んだ。

 鍵を通して感じるゴリゴリとした感触。しかし、鍵自体は合っていたようで、ガチャリと鈍い音を立てて扉が開く。

 

 そうして建物の中に入るライ達B班。

 建物の中は受付のロビーと思われる広々とした空間になっていた。

 正面には横長のカウンター。部屋の隅には使われていないパーテーションが重ねられており、至る所に《帝都庁管理》と書かれた紙が貼りつけられている。

 

「ここって何の施設だったのかしら」

 

 ロビーをきょろきょろと見渡しながらアリサが呟く。

 もしここに帝都出身のマキアスかエリオットがいたのなら解説してくれたかも知れないが、このメンバーでは考察する他ない。

 それぞれ散らばって建物内を調べ始めるB班。その中でエマとガイウスの2人が、壁に立てかけられた紋章の前に立ち止まった。

 

「あ、この紋章は……」

「なるほど。ここは遊撃士協会であったか」

 

 2人が見つけたのは籠手と翼が描かれた紋章。それはどうやら噂の遊撃士協会のものだったらしい。

 帝国からいなくなったという遊撃士協会。確かに事前情報とも合致する。

 

(それよりあの紋章、確かサラ教官の手帳にも……)

 

「おい、探索も結構だが、今は今後について話し合うべきじゃないか?」

「え〜もっと調べようよ。お宝な情報とか眠ってるかも知れないしさー」

「ミリアムさん? 探索なら多分夜にも出来ますから」

「……は〜い」

 

 探索を中断し、入り口正面にあったカウンターの前に集まるB班。ライは鍵と一緒に預かっていた封筒を取り出し、その中身をカウンターの上に広げた。

 中に入っていたのは数枚の資料と帝都全域が描かれた地図だ。

 ライ達の視線が資料の1枚目──指令書の概要ページに集中する。

 

────────

7月24日:準備期間

7月25日:帝都市内の偵察(B班捜索範囲は別途地図を参照)

7月26日:バルフレイム宮周辺の警備

 ※以下、当日の配置について

 ライ・アスガード:──……

 ユーシス・アルバレア:──……

 …………

 ……

────────

 

 以下3日目、即ち夏至祭当日の配置について全員分の記載が続いていた。

 文章を読んだB班の間にしばし沈黙が続く。

 

「……思ったより大雑把ね。最終日以外」

「だな」

 

 一応2枚目以降の書類についても確認してみたが、正規軍との連携や禁則事項が事細かに書かれているくらいで、大筋は概要ページと変わらない。

 

 7月24日、つまりは今日の行動は準備期間。

 軍事行動におけるベースキャンプ設営と同じく、拠点の整理や武器の整備、備品の補充を行って、2日目以降の行動に支障をきたさない様に準備を行う期間だ。

 

 2日目は帝都市内を巡回してテロリストの事前工作が無いかのチェック。

 A班は帝都東部、B班は帝都西部と別れており、班分けの目的は主にここの担当区域を設定するためのものらしい。

 

 そして3日目の7月26日。

 テロリスト襲撃の危険が最も高いこの日は、バルフレイム宮を囲うようにして円形に警備する形となる。

 ブレインとしてエリオットとエマ、最終防衛と遠距離援護を目的としてラウラとアリサを宮殿内に置いて、他は外周の警備に当たるという2段構え。これならどの方向からテロリストが進行してきても、正規軍と協力して柔軟な対処が可能だろう。

 

 ……とまあ、詳細を見てみれば、ある程度理にかなった指令ではあるのだが。

 正直なところ、正規軍の一部として組み込まれる事を予想していたライ達からしてみれば、まるで遊軍のような扱いに違和感を感じざるを得ない。

 

「ふむ、これは一体どういう事だ?」

「断言は出来んが、おおかた正規軍の連中も扱いに困っているんだろう」

「そうなのか?」

 

 解を示したユーシスに問いかけるガイウス。

 彼からしてみれば、強大な帝国正規軍が一学生の扱いに困っているなど考えられなかったのだろう。

 

「以前ナイトハルト教官から伺った事があるが、ペルソナは戦車と同様に戦況を揺るがしかねない程の戦術的価値があるらしい。加えて元一般人であろうと最前線で戦えるほどの身体強化もある。一般兵と足並みを揃えていた場合の機会的損失は、もはや考えるまでもないだろうな」

「ま、ぶっちゃけ足手まといだよね~」

 

 歯に衣着せぬ2人がばっさりと説明する。

 正直ライはそこまで大げさなものか?とも思ったが、要するに帝国正規軍もペルソナ使いの効率的な運用法をまだ把握しきれていないという事なのだろう。

 

 加えて考慮するなら、敵は正規軍よりも何倍もシャドウについて熟知している事も考えるべきか。

 下手に通常の運用を行うよりも、慣れているライ達に”専門家”として一任した方が、対処しやすいと考えたのかも知れない。

 

 かくして指令書の内容を吟味したライ達B班。

 次なる行動は当然、指令書の内容を実施する事だ。

 

「それじゃ、早速準備を──」

「だったら今日はもう解散って事にしない? ガーちゃんには整備とか必要ないしさ~」

 

 だが、そこにミリアムが待ったをかけた。

 両手を頭の後ろで組んで気楽にのたまう少女。アリサはそんなミリアムをじとっとした目で睨みつける。

 

「そんな事言って、本当はさっき見かけたパン屋とかに行きたいんじゃないの?」

「ニシシ、敵情視察だよ。じゃあね!」

「あ、ちょっとまだ話は!!」

 

 アリサの静止も聞かず、ミリアムは勢いよくドアを開けて外へと駆けていった。

 

 鈍い音を立てながら閉まっていく扉。

 意図せず子守り役になっていたアリサは、はぁっとため息をつく。

 

「ああもう、また勝手に……」

「けどアリサさん。土地勘を養うのも悪くはないですし、今回は大目に見ても良いんじゃないですか?」

「まあ、それは一理あるかもね」

 

 ミリアムへの追及を諦めるアリサ。

 しかし、ミリアムが空けた団体行動の穴は、更なる影響をB班にもたらした。

 

「フン、そういう事なら俺も自由にさせてもらおう」

 

 ユーシスが椅子から立ち上がって、そのまま正面玄関の向こう側へと消えていく。

 こうなってはもう、なし崩し的に自由行動とならざるを得ないだろう。ユーシスの背中を見送ったアリサの口から「あちゃあ……」という言葉が漏れる。

 

 この状況どうしたら良いだろうか?

 辺りに微妙な空気が流れる中、唐突な着信音が室内に鳴り響いた。

 

(俺のARCUSか?)

 

 取り出して確認してみると、見慣れない番号から着信が来ているようだ。

 

「悪い、少し席を外す」

「あ、うん」

 

 ライは一言断りを入れて部屋の奥へと歩いていく。

 階段を上った先はベッドが並べられた宿泊部屋。その壁に背を預け、静かな空気が漂う中、ライはARCUSを耳に当てた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「もしもし?」

『あ、無事に繋がったようですね』

 

 ARCUSのスピーカーから聞こえて来たのは流水のように心地よい女性の声。

 

「その声はリーヴェルト大尉ですか」

『はい。先ほどは大変お世話になりました』

 

 通話をかけて来たのは帝都庁で別れたクレアであった。

 どうして彼女がこのARCUSに? と、ライが抱く疑問をクレアは機敏に察してくれる。

 

『帝都内には無線の中継器がありますから。ARCUSの周波数にも試験的に対応させましたので、帝都にいればどこでも通話できる筈ですよ』

「なるほど」

『今回通話させていただいたのは、通信のテストをしておきたかったのと、後は侵入の件について話を伺っておきたかったからですね』

 

 そう言えば、知っている裏道について話す手筈だったか。

 すっかり忘れていたライは一言謝り、薬を入手する際に見つけたルートを口で説明し始めた。

 

 ……

 …………

 

「──見つけたルートは以上です」

『情報提供、感謝します』

「このルートは封鎖する予定ですか?」

『ええ。僻地の監視に人員を割く余裕はありませんから』

 

 やはりノルド高原の影響は出ている様だ。

 

「お疲れ様です」

『ふふ、ありがとうございます。──それより、ミリアムちゃんについてなのですが、士官学院でも上手くやってますか?』

「ミリアム? 彼女ならいつも楽しそうにしています。VII組のムードメーカーにもなってますし」

『そうですか』

 

 クレアはほっと安堵した様な声を漏らす。

 鉄道憲兵隊と情報局。所属は違うものの、クレアとミリアムの間には密接な繋がりがあるらしい。

 クレアは鉄血の子供達(アイアンブリード)と呼ばれていたが、年齢から考えてミリアムもその一員なのだろうか。そう言えばミリアムについて何も知らないと、ライは自身の無知に気づく。

 

『ミリアムちゃんは複雑な身の上ですので、出来れば仲良くしてくれると助かります』

「当然です」

 

 即答するライ。

 

 ……しかし、複雑な身の上か。

 ライの脳裏に、セントアークで会ったオライオン姓の子が思い浮かぶ。

 

「そう言えばミリアムには姉妹っているんですか?」

『姉妹ですか?』

「ええ、以前アルティナ・オライオンと言う銀髪の子に会いまして」

『…………』

 

 アルティナという名前を聞いたクレアは何やら考え込んでいるのか、暫く沈黙が続いた。

 

『……その話は、直接あの子から聞いた方が良いでしょう』

 

 どうやら単純な姉妹と言う訳でもないらしい。

 複雑な身の上というミリアムの一端に触れたライは、真剣な顔で覚悟を決める。

 

「承知しました」

『どうか嫌いにならないでください。立場上秘密にしてることは多いですが、ミリアムちゃんの言葉や笑顔に嘘はない筈ですので』

 

 身内のフォローをするクレア。

 しかし、その不安は無用というものだ。

 ライの口角が僅かに上がる。

 

「分かってますよ」

 

 かれこれ数カ月クラスメイトをやっているのだ。今更な話だろう。

 そうクレアに告げて、ライはARCUSの通話を終えるのだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 クレアとの通話を終えたライが元の場所に戻ると、人の気配が更に減っていた。

 傾き始めた日の光によって空気中の埃がきらめく元受付ロビーの広間。そこの椅子に座って手紙を読んでいるガイウス以外の面々が見当たらない。

 

「他の面々は?」

「……ライか。アリサとエマなら備品の買い出しに行ったぞ」

 

 どうやら2人は自分達だけで指令書の内容を行動に移したらしい。

 まあ、空中分解したあの状況を考えれば妥当な判断だ。……ただ、そうなると逆に気になる事がある。

 

「ガイウスは行かなかったのか」

 

 彼の性格を考えれば同行しないとは考えにくい。

 そう考えるライを前に、ガイウスは丁寧に開けた封筒を見せて答える。

 

「2人には申し訳ないが、早朝に届いたこの手紙を読むために時間が欲しかったのでな」

 

 ガイウスが持っている封筒には送り主の名が書かれていた。

 ラカン・ウォーゼル。確かノルドの特別実習でリィン達が会ったというガイウスの父親だ。

 ならばこの手紙はノルドから来た久方ぶりの便りという事なのだろう。

 

「……ご家族は無事か?」

「ああ。トーマやシーダ、リリも元気にしているらしい。母は他集落との交易がやり難くなったとぼやいていたが」

 

 手紙に書かれていたのはガイウスの家族に関する近況であった。

 緊張状態であるが故に苦労も多そうだが、息災であるなら良い知らせだろう。

 ……しかし、それにしては、どうにもガイウスの顔が優れない。

 

「だが、近々エレボニア帝国とカルバード共和国の間で、密かに会談の場が設けられるとも書かれていた」

「会談を? けど、1ヶ月後に西ゼムリア通商会議がある筈……」

「"だからこそ"なのだそうだ。表面上は融和の道を探ってはいるが、その実、両国は自身に有用な手札を集めている。件の通商会議で有利な立場に立つためにな」

 

 ノルド高原の利権を主張するエレボニア帝国とカルバード共和国。

 貿易に関する通商会議が目前に迫っているからこそ、彼らは己の利益を最優先に行動しているのだろう。

 酷な話だ。ノルドの命運を握る彼らの目には、ノルド高原に住む人々の姿など微塵も映っていないのだから。

 

「会談が順調に進むならそれでいい。しかし、仮に破談した場合、多少の衝突もあり得ると手紙には書かれていた」

 

 前回の特別実習ほどではないにしろ、ノルドは危機的な状況に置かれているらしい。

 ガイウスの話を聞きながら状況を取りまとめるライ。

 

 しかし、その思考は、次なるガイウスの一言によって中断させられた。

 

 

「……ゆえに父は、夏至祭の期間中、トーマ達を旅行がてら帝都へと疎開させるそうだ」

 

 

 トーマ達、つまりはガイウスの兄弟が来ると言うのか。

 この夏至祭に……。

 

「よりによって、このタイミングか」

 

 不味い状況になったと、ライは思考を巡らせる。

 普通ならガイウスの父が下した判断は間違ってないのだろう。縁が深いという夏至祭への疎開。危険な地域を離れての良い休暇になるだろうし、トリスタも近いからガイウスと合流して夏至祭を楽しめる可能性だってあった。

 だが、今回の夏至祭ではそうは言ってられない。ノルド高原を危機的状況に陥れた元凶。シャドウ事件を引き起こしているテロリストが襲撃してくる危険性が高いからだ。

 

(どうする? 彼らの疎開を引き留めるか? いや、ノルドの方が安全だという保障もない)

 

 危険性で言えば帝都とノルドでそう大差ない。

 テロリストが来ると言うのも状況証拠の積み重ねでしかない以上、説得材料としても不確かだ。

 そもそも夏至祭が2日前に迫った今、返答の手紙が間に合う保障もない。ライ達のとれる手段はおのずと限られてくるだろう。

 

「ひとまず、危険性の高いバルフレイム宮周辺から遠ざけておくか?」

「……そうだな。トーマ達が来た際にそれとなく伝えておこう」

 

 後は巻き込まれない事を祈るしかない。

 思いつめた表情で手紙を見つめるガイウス。状況が状況なだけに仕方ない面も大きいが、押しつぶされてしまいそうで見ていられないと言うのが正直な感想だ。

 

(ここは話題を変えるべきか)

 

「その写真は?」

「む? ああ、同封された故郷の写真だ。良ければ見てみるか?」

「頼む」

 

 ライはガイウスの手にあった数枚の写真を受け取って確認する。

 

 写真に写されていた光景はこの世のものとは思えないような大自然であった。

 雲が海のように崖下を流れ、浮島のような大草原がその上に広がっている。恐らくは雲よりも高い場所、山の上に広がる野原なのだろう。正しく天上の景色。写真に写るまばゆい太陽ですら、地上のものとは違うように感じられた。

 

「これがノルド高原か。……この円環状の石柱は?」

「千年以上前からある巨石文明の遺跡だな。ノルドのあちこちに点在しているんだが……」

 

 ガイウスはノルド高原の写真を指差しながら解説を始める。

 何時もの調子に戻った穏やかな口調で、けれど、どこか誇らしげに感じられる語り口。

 本当に故郷が好きなんだろう。根無し草であるライは見知らぬ感覚に包まれながら、ガイウスの語りに耳を傾けるのであった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ……ガイウスの話を一通り聞いたライは、アリサ達に一足遅れて元ギルド支部を後にする。

 外はいつの間にか夕暮れ時。緋色の街並みを金色に染め上げる空の下、ライは人気の少ない周囲を見渡した。

 

(ひとまず商店街に行ってみるか)

 

 明日の偵察任務を行うためにも、夏至祭を前にした帝都の雰囲気を見ておく必要があるだろう。

 ライは先ほど通った階段を下っていき、夕方の商店街へと足を運ぶ。

 

「ねぇねぇ! 夜ご飯はパンがいい!」

「そうね。それじゃラフィッドで買って帰りましょうか」

 

 この時間の商店街は昼間以上の賑わいだ。

 ラフィッドと言う店名らしいパン屋に入る親子連れを始めとして、仕事帰りの人が立ち寄っているのか、社会人と思しき人々も往来している。正しく書き入れ時のタイミングなのだろう。

 

 ──そして、買い物客とは別にもう1つ。

 夏至祭ならではの光景だろうか。新たな出店の準備をしている面々が、道の隅で忙しそうに動き回っていた。

 

「おい、看板を持ち上げるから、そっちを持ってくれ」

「は、はい!」

「うっし、それじゃゆっくり持ち上げるぞ」

 

 2人掛りでの看板設置や華やかな装飾。

 祭りの気配を匂わせる準備を着々と進めていく人々。

 そんな彼らのもとにある時、兵士が1人近寄ってきた。

 

「帝都憲兵隊だ。屋台設置の許可証を見せてくれ」

「あ、はい。今出しますんで少々お待ちを……」

 

 屋台の準備をしている男の1人が作業を中断し、荷物の中をがさごそと探し始める。

 その様子を警戒しながらも静観する兵士。

 行為自体は規約に則ったものの様だが、その手にある銃を見ると物々しいと思わざるを得ない。

 

(なかなか厳しいな。これも警戒の一環か?)

 

 帝都に紛れ込んだ不審者がいないかチェックしているのだろう。

 市内の偵察任務。ライ達も明日参加する予定になっているのだから他人事ではいられない。

 

 少し観察して参考した方がいいか?と考えるライ。

 そんな彼の死角から、突如、強めの言葉がぶつけられる。

 

「──おい、そこの暴走列車」

 

 まるで剣を突き刺したかの如き鋭い声。

 振り向くと、そこには先ほど2番目に元ギルド支部を出たクラスメイトの姿があった。

 

「ユーシス?」

「暇を持て余しているなら、少し俺に付き合え」

 

 ユーシスは険しい顔つきのまま、顔で階段の上を指し示す。

 

 何か用事でもあるのだろうか。

 ライは疑問を抱きつつ、階段を上るユーシスに付いていくのだった。

 

 

 



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73話「帝都2日目:偵察任務」

 ──7月24日、特別実習1日目の夕方。

 ライはユーシスによる先導の元、ヴェスタ通り裏の道を歩いていた。

 

「ユーシス、この先に何かあるのか?」

「直ぐに分かる」

 

 前を歩いたまま微塵も答える気のないユーシス。

 どこか壁を感じる対応。……いや、実際に壁があるのか。

 思えばユーシスと行動を共にする機会は少なかったなとライは思い返す。

 

 しかしそれなら尚の事、ライに声をかけて来たのが不可解だ。

 この先にいったい何があるのか。疑問を抱きつつ曲がり角を曲がったところ、2人の子供が上空を見上げている光景が視界に入った。

 

「……あ、戻ってきた!」

 

 子供の内の1人、薄い金髪の少年がユーシスの存在に気づき声をあげた。

 どうやら彼らこそ、ユーシスがライをここに連れてきた理由らしい。

 もう1人の子供──どこかトワを思わせる茶髪の少年も、1歩遅れて駆け寄ってくる。

 

「その人が兄ちゃんの言ってた助っ人か?」

「ああ。それよりボールは落ちてないだろうな」

「う、うん……。あれからピクリとも動いてないよ」

 

 申し訳なさそうに上を見上げる少年。

 その先には、3階建ての屋根にすっぽりとハマっている1個のボールがあった。

 

「なるほどな」

 

 大体状況は理解できた。

 恐らく2人が遊んでいる最中にボールが飛んで行ってしまったのだろう。

 しかも厄介な事に、引っかかった建物はヴェスタ通りに面した商店だ。下手に落とそうとすれば人通りの多い通りに落ちてしまい、余計なトラブルを生みかねない。

 

「ミリアムに頼む手もあったんだがな。都合の悪い事に、いくら探しても見つからないと来た。──行けるか?」

「大丈夫だ」

 

 確かに少々危うい位置だが、依頼を受けていた際の経験を生かせば容易に登れるだろう。

 ライは三角飛びの要領で壁面を駆け上がると、スタイリッシュな動きでボールの元へと移動するのだった。

 

 

 …………

 ……

 

 

「サンキューな! 兄ちゃん達!!」

「次からは遊ぶ場所を選ぶ事だな」

「わーってるって!」

 

 ライからボールを受け取った子供たちは、手を振りながら街の奥へと消えていく。

 ユーシスはそんな様子に苦言を示しつつも、彼らが見えなくなるまでじっと見守り、安全を確認してようやく歩き出した。

 

「優しいな」

「フン、そう言う訳じゃない。何故か昔から子供に好かれるってだけだ」

「謙遜するな」

「くどいぞ」

 

 まあ、優しいかどうかは抜きとして、子供に好かれると言うのは確かなのだろう。

 ユーシスは言動こそ排他的だが、行動原理はむしろ優良な部類だ。身分などといった先入観がない分、大人よりもフラットな視点で見ているのかも知れないと、ライは静かに分析する。

 

 だがしかし、ユーシスはそんなライの分析が不服だったようで、ライから顔を背け歩き始めてしまった。

 

「……ライ・アスガード。貴様は高貴なる者の義務(ノブレス・オブリージュ)という言葉を知っているか?」

 

 背を向けたままライに問いかけるユーシス。

 

「ノブレス・オブリージュ?」

「”持つ者”に課せられる義務、いや責務と言った方がいいか。高貴な身となった者にもたらされるのは何も恩恵ばかりじゃない」

 

 貴族や皇族と言った特権階級は、一般の”持たざる者”からしてみれば羨ましい限りの存在だろう。

 豪華な服を纏い、美味な食事を口にし、大きな豪邸に住む。それ自体に間違いはない。……だが、貴族というものはそう良いものではないのだと、ユーシスの背中は語っていた。

 

「貴族として生まれた者は貴族として、社会の模範となるような振る舞いが求められる。身なりやしぐさ、食事の作法、言葉遣い、交渉術、弱者に対する無私の行動だってその1つだ」

 

 今の言い分から察するに、先の行動は彼なりに貴族の義務を果たしていたと言う事なのだろうか。

 

「その義務、果たさなかったらどうなるんだ?」

「明文化されてない以上罰則はないし、事実として義務を失念している貴族も多い。……だがな、義務を果たしていない貴族はいずれ失格の烙印を押される事になる。貴様もリィンの実家、シュバルツァー男爵家の話は知ってるだろう?」

「ああ」

「庶民に近い生活を行い、素性の知れぬ子供を家族として迎え入れる。一般庶民の感覚で言えば優良な部類になるのだろうが、貴族としての基準からしてみれば落第もいいところだ」

「そうなのか……」

 

 リィンを迎え入れた事で、シュバルツァー男爵家は貴族の社交界から爪はじきにされてしまった。

 一般には善行であってたとしても、貴族としての義務を放り出してしまったという事なのか。リィンもその事を思い悩んでいたが、貴族という世界は思ったよりも複雑で、無数のしがらみに捕らわれているものらしい。

 

 そして、義務と言う名のしがらみは、ライとて他人事ではなかった。

 

「……言っとくが、これは貴様も無関係な話じゃないぞ」

「俺も? けど俺は──」

「貴族ではない、か。確かに高貴な身分ではないだろうが、貴様は既に”持つ側”の人間だ」

 

 ユーシスが言うところの”持つ側”の人間。

 それが資金等でないのならば、丁度似たような話をライはトリスタの教会で聞いていた。

 

「俺が持つ影響力の話か」

「ああ。大いなる力には相応の責任が伴うものだ。本人が望む望まざるに関わらず、力を持たなかった者の代わりとなり、彼らが成しえなかった成果が求められる事になる」

 

 貴族という名の力と、ペルソナ使いと言う名の力。

 それらは明らかに別物ではあるものの、そこに義務が生じるという意味においてはよく似ている。

 仮にライが自分本位に振舞おうと咎める法はないが、それは傲慢で自分勝手な貴族と同じ事なのだと、ユーシスが言外に語っていた。

 

「今回の班分けだってそうだ。B班にペルソナ使いではない人員が固められている事くらい、貴様も把握しているだろう?」

「……そうだな」

「教官の事だから俺達の覚醒も期待しているのかもしれんが、それを抜きにしても、貴様は数人分の戦力としてカウントされていると言う訳だ。その意味を、よく考えておく事だな」

 

 そう言って、ユーシスは一旦口を閉ざす。

 

 ──もしかしたら、今の会話は彼なりの忠告だったのかも知れない。

 自身も貴族というしがらみに捕らわれているが故に、ライの現状を憂い、わざわざ自身の経験談を元に助言した。ならやはり彼は”優しい”のではないかと、そう確信したライの口元が思わず緩む。

 

「忠告助かる」

「……フン、俺は言いたかった事を言ったまでだ」

 

 照れ隠しでもしていたのか。

 結局ユーシスは一度も振り向くことなく、そのまま旧ギルド支部に戻っていくのだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 ──7月25日。まばゆい朝日が差し込む早朝。

 こんな朝早くだというのに外では既に住人が歩いており、ここが商店街近くだという事を加味しても、都会特有な朝の早さを実感せざるを得ない。

 

 そんな中ライ達B班はと言うと、2階ベッド近くのテーブルに集まり、導力回線でA班と連絡を取っていた。

 

「……それじゃ、昨日A班は2人のお宅訪問をしてたのね」

『まぁ僕としても姉さんに会いたかったしね』

 

 A班の話を聞いたところ、帝都出身であるエリオットとマキアスの家に訪れていたらしい。

 2日目以降は時間が取れないだろうと判断したとの事。帝都出身者のいないB班じゃ出ない発想だったが、準備期間と言うのは、つまるところ”所用は済ませておけ”と言う話だったらしい。

 

「フィー、マキアスの家はどうだった?」

『ん、コーヒーが出てきた。あと、家を出たところでちょっと勝気な女の子にもあったけど、確か名前は……』

『パティリーだな。まあ、近所の腐れ縁って奴だよ』

 

 どうやら中々に充実した初日だったようだ。

 しかし、本番はむしろここから。気を引き締めていかねばならない。

 

『……しかし、今日の偵察任務についてなのだが、そちらに何か案はあるだろうか』

「その話だが、俺達が探すべきはテロリストの事前工作だと思う」

『ふむ、その理由を聞かせて貰えるか?』

 

 ラウラの問いかけに対し、ライは先日見た憲兵隊の話を説明した。

 帝国内の不審者を見つけ出そうとする憲兵隊の動き。彼らが懸念しているのは、恐らくテロリストが潜ませた事前工作なのだろう。

 

『──承知した。本番が夏至祭初日であるのなら、確かに工作は警戒すべき対象だろう』

『けど、憲兵隊と同じやり方で調査しても効率が悪いんじゃないか?』

 

 リィンの疑問も最もだ。

 憲兵隊が既に動いている以上、同じやり方をしていては帝都全域をカバーできまい。

 ならばどうするか。ライは脳裏で思考を巡らせる。

 

「……1つ確認したいんだが、テロリストが明日の夏至祭を狙う場合、その手段は何になると思う?」

 

 そして、ライの口から議題が投げかけられた。

 

「手段なら、やはりシャドウを用いたものじゃないでしょうか?」

「ああ。それは間違いないと思う。けど異世界でもなければ、シャドウは無から呼び出せない」

『例のグノーシスとか言う薬の件だな』

 

 そう、テロリストは召喚するためにシャドウ様──正確にはグノーシスを用いていた。

 わざわざ噂を広めている以上、その過程に変化はない筈。ならば、彼らの取りうる手もおのずと限られてくる。

 

『考えられる手としては、薬を当日に服用するか、もしくは事前にシャドウを潜ませておくと言ったところか』

「でもマキアス、前者の対処って結局テロリストを見つけるしかないんじゃない? ほら、グノーシスってほんの数リジュの大きさしかない訳だし」

「不審者の捜索は既に憲兵隊の方でも行っている。無論、俺達も探してはおくべきだろうが、今は後者の可能性をつぶしておくのが先決だろう」

 

 ユーシスの言う通り、今のライ達が最も警戒すべきはシャドウを潜伏させている可能性だ。

 木箱の中。下水道。家屋。どこかに願いとともに潜ませておき、当日になったタイミングで暴れさせる。非常に危険で効果的なテロリズムである以上、事前に調査するのは急務だと言えるだろう。

 

「エリオット、帝都全域のシャドウ反応をスキャンできるか?」

『流石に帝都全域は無理だと思う。……でも、みんなを介してその周辺を調べることなら、うん、ちょっと大変だけど、大丈夫……かな?』

 

 スピーカーから聞こえるエリオットの声はやや不安げではあったものの、その言葉は十分頼りになるものだった。

 ライ達をビーコンとしてその周辺をスキャンする。全域をカバーするにはやや心もとないが、それでもかなりの範囲のシャドウ反応を調べることが可能だろう。

 

「なら今日は各自帝都市内に散開する作戦で行こう。皆もそれでいいか?」

「ええ」

『分かった』

 

 A班B班ともに了承し、偵察任務の方針が固まった。

 班ごとで帝都東西に分かれつつ、更に分散してシャドウ反応がないか調べ上げる。

 エリオットには長期戦を強いてしまうなと思いつつ、ライは早速行動に移し、旧ギルド支部の窓を全開にした。

 

 

「……おい、なぜ窓枠に足をかける」

 

 

 と、そこでユーシスから待ったがかかる。

 窓枠に片足をかけたライは、逆に意外そうな顔をしてユーシスに答えた。

 

「街は入り組んでるだろ? 屋根の上を跳んで行った方が効率的だ」

「阿呆か貴様は! 不審者を見つける側の人間が不審者になってどうする!」

 

 頭を抱えながら叱咤するユーシス。

 しかし、そんな彼の気苦労を知ってか知らずか、ライの元にもう1人、水色髪の白兎が駆け寄ってきた。

 

「へぇ面白そうじゃん! それじゃボクもやってみようかな」

「待てミリアム! まだ話は……!」

 

『ん、その手があった』

『フィ、フィー!?』

 

 刹那、旧ギルド支部から飛び出す2つの影。

 更に動力通信の向こう側でも約1名が窓枠を飛び越えて屋根へを降り立つ。

 

 かくして2日目の偵察任務は、属性が混沌(カオス)寄りな3名の出走により幕を開けるのだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ──帝都ヘイムダル市内。

 導力車の行き交う音が聞こえてくる日常の中、緋色の屋根瓦を蹴る影が1つ。

 幾多の屋根を音もなく疾走し、地上の光景を事細かに観察するこの男こそライ・アスガード。帝都庁に協力するペルソナ使いである。

 

《……イ? ねぇライ、聞こえてる?》

 

 景色と風が後方に流れていく中、ライの脳裏に声が鳴り響いた。

 

「エリオット、俺と会話をして大丈夫なのか?」

《うん。僕はみんなの周囲を俯瞰してみてる感じだから大丈夫。──って、それよりライの話だよ! もし憲兵隊にでも見つかったら……!!》

「問題ない。地上の視線をかわす事には慣れてる」

 

 地上を歩く人々の注意を観察し、その死角を移動するという高等技術。

 それをさも当然のように語るライにエリオットは《えぇ……》と呆れるばかりだ。

 

 ──と、そんな中、地上をつぶさに見渡していたライの視線が1点を捉えた。

 

「ん? あれは……」

《えっ? 何か見つけたの?》

 

 ライはその場で足を止めると、人気のない通りで地上に降り、怪しまれないよう人ごみに紛れる。

 向かう先は1つの屋台だ。ぱっと見では夏至祭に合わせて出店した他の店と同じだが、この店には他とは明らかに違う点があった。

 

「お客さん如何でしょうか? 年に一度の夏至祭、いつもの自分と別人になってみるのも乙と言うもの! さぁさぁ友達や恋人と一緒に特別な思い出をつくりましょう!」

 

 まるで歌い上げるように商品の売り込みを行う店主。

 そう、異なる点とは屋台の売り物だ。まるで王様のように煌びやかな衣装。古い民族衣装のようなフード、その他多種多様な仮装がところ狭しと並べられている。

 そんな屋台の前にたどり着くライ。彼はその鋭い目で店主を見据え、そしておもむろに言葉を発した。

 

 

「そのマント、1つください」

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ──帝都ヘイムダル市内。

 段々と活気にあふれてきた街の中、緋色の屋根瓦を蹴る影が1つ。

 購入した深紅のマントを早速身に着け、悠々と屋根を跳んでいるこの男こそライ・アスガード。恐らく帝都を守る側の人間である。

 

《ライ? 任務中に何やってるのさ》

「いや、つい……」

 

 露店を見て(あのマント制服に合ってるな)と思ったら、いつの間にか足が止まっていたのだ。

 つまりこれは不可抗力である。

 

《まったくもう、祭りで浮かれるのは分かるけどさ、皆も頑張ってるんだから真面目にやってよね》

「分かった」

 

 エリオットに促され、再び帝都のスキャン任務に戻るライ。

 大きな宿泊施設の屋根を駆け抜け、通りを挟んだ店の屋上に着地する。

 すると、下の方から人々の賑わいとともに商売文句が聞こえてきた。

 

「本日限定! 地方の民芸品が色々と揃っているよ!」

 

 どうやらこの屋台では色々な小物が売っているらしい。

 魔除けのお守りやアクセサリー、顔に着ける仮面などなど。

 非常に気になるラインナップだが、今は残念ながら任務中だ。ライは屋台に背を向け、急ぎその場を後にする。

 

 

「その仮面、1つください」

 

 

 そして、仮面を購入した。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ……帝都ヘイムダル市内。

 老若男女の声が都市を彩る光景の中、緋色の屋根瓦を蹴る影が1つ。

 仮面を顔に着け、マントを得意げになびかせているこの馬鹿野郎こそライ・アスガード。明らかに不審人物である。

 

《絶対祭りを楽しんでるよね!?》

「さて、不審な点は……」

《不審者だったらそこにいると思うよ》

 

 今のライはまるで物語に出てくる怪盗のような姿になっていた。

 もし仮に憲兵隊に見つかりでもしたら言い逃れはまず不可能なレベルの不審人物。

 エリオットの言葉が若干刺々しくなってることもあり、これ以上は流石に不味いかとライは反省する。

 

 これまでの遅れを取り戻すべく、エリオットから送られてくるマップの穴を埋めるように移動するライ。

 こうして2つの影は帝都市内の屋上を縦横無尽に駆けていくのだった。

 

 ……2つ?

 

「おやおや、こんなところで同業者に会うとは、数奇な運命もあったものだ」

 

 気がつくと、ライに並走する形で不審者が増えていた。

 類は友を呼ぶと言うべきか。その不審者は白いスーツとマントを身にまとい、顔は銀色の仮面に隠されている。

 赤と白、2つの目立つ影は顔を合わせながら、しかして地上の誰からも認識されずに会話を続けた。

 

「貴方は?」

「フフフ、よくぞ聞いてくれた! ──私の名は怪盗B! 美の探究者にして、世紀の大怪盗である! どうやら貴殿も同じ怪盗とお見受けしたが、如何かな?」

「まあ、そう呼ばれてはいます」

 

 この不審者の名は怪盗Bと言うらしい。

 まさか本で読んだ有名人と遭遇できるとは。ここは礼儀としてサインを求めるべきかと走りながら悩んでいると、怪盗Bの顔が愉快そうに笑った。

 

「丁度良かった。実は今、本業(ふくぎょう)の方が厳しく制限されていてね。暇つぶしがてら、後輩に1つ試練をプレゼントするとしよう」

 

 そう言って怪盗Bは3枚のカードをライに投げ渡す。

 カードに描かれていたのは3種の図形だ。1枚目には建物と思しきシルエットに黒いマーク。2枚目には何重もの円。そして3枚目には複雑な線がところ狭しと描かれていた。

 

「そのカードに描かれた場所に見事辿り着けたら褒美を与えよう! ……しかし、あくまで独力でだ。無論、”覗き見している者”の手助けもなしと心得よ」

 

 怪盗Bは仮面越しにライを介して覗き見していたエリオットを牽制する。

 まさか気づかれているとは思わなかった為、驚きのあまり《えっ!?》と声を漏らすエリオット。その声も聞こえていない筈なのだが、怪盗Bはエリオットの驚愕ににやりとした笑みで答え、そして空気に溶けるようにして消えてしまった。

 

 足を止めて周囲を見渡すライ。

 しかし、周りにあるのは青空と緋色の街並みくらいなもので、怪盗Bの姿形はどこにも見当たらなかった。

 

「……エリオット、一時的に俺との接続を切ってくれ」

《ええっ!? あの人の挑戦を受けるつもり!?》

「ああ。何か進展があったら連絡する」

 

 エリオットの通信が途絶え、静かな風がライの頬を撫でる。

 

 手元に残された3枚のカード。

 それを再度確認すると、ライは誰もいない屋上を後にするのだった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ……

 …………

 

 帝都中央にあるバルフレイム宮。

 皇族や帝国政府の重鎮たちが生活する帝国でもトップクラスの最重要拠点。その西端にある塔の上で、1人の兵士が警備に当たっていた。

 

 ここは普段誰も訪れない離れの塔だ。故に警備ランクは中央の宮殿よりも数段階は落ちるが、それでもバルフレイム宮の一部である事には変わりない。

 兵士は銃を片時も離さず、代り映えしない景色を監視し続ける。

 

 そんな日常の最中、彼の耳に聞こえる筈のない物音が微かに届く。

 

「──ッ! 誰だ!」

 

 即座に振り向き銃を構える兵士。

 その先には、仮面をつけた赤マントの青年が佇んでいた。

 

「……3枚あるカードの内、場所を示すのはこの1枚目だけだ」

 

 青年は兵士に向け、3枚の内1枚のカードを見せつける。

 それは建物のシルエットが描かれたカードであった。

 

「このカードに描かれいるのはバルフレイム宮のシルエット。けれど黒いマーク、いや破損部を隠す黒いシートが見えるのは、この西端の塔を除いて他にない。つまり目的地はこの塔という事になる」

「その制服はトールズ士官学院の者か!? ここは関係者以外立ち入り禁止だぞ!」

「しかし、場所が分かったとしても、この場所に来るのは容易じゃない。──だからこそ、2枚目と3枚目のカードが必要だった」

 

 銃を突きつけながら警告する兵士。

 しかし、青年は気にする様子もなく、残りの2枚を重ねて兵士に見せた。

 

「これは2枚で1つの地図。円は帝都の形を表し、無数の線は帝都の地下、恐らく中世に作られたであろう”無数の地下道"を示していた。つまりこの2枚は、侵入ルートについて描かれていた訳だ」

 

 青年──つまりライが兵士に伝えたのは、この警備が厳しい塔への侵入ルートだった。

 この帝都には忘れ去られた地下道が至る所に存在している。その所在を地図で知ったライは、塔への侵入経路を割り出し、誰にも気づかれずにここまで到達した。

 

「これで、合格ですか?」

 

 いつの間にか黙っていた兵士に向け、ライは問いかける。

 すると兵士は、突如として大きく顔を崩し笑い始めた。

 

「フ、フフ……、ハーハッハッハ!!」

 

 パチンと指を鳴らす兵士。

 すると彼の周りに光が溢れ、次の瞬間には世間を騒がす大怪盗の姿へと変貌していた。

 

「いや実に愉しませて貰った! やはり青い果実というものは魅力的だ! 依頼怪盗よ。ならば貴殿は、既に褒美についても当たりをつけているのだろう?」

 

 最後の挑戦状と言わんばかりに問いかける怪盗B。

 彼に対し、ライは再び2枚のカードを見せて返答する。

 

「そうだとも! その地図こそが報酬だ! 華麗なる大舞台の前には相応の準備が必要と言うもの。怪盗にとって、いや怪盗でなくとも”侵入ルートと撤退ルートの確保”は重要な意味を持っている。その事を、先達として教唆しておきたかったものでね」

 

 怪盗Bは楽しそうにネタ晴らしをしつつ、足先でトンと跳んで塔の手すりに着地する。

 そして、閉幕の合図として、ライに向け演劇めいた一礼を行った。

 

「では、これにて失礼。その地図は好きに活用したまえ」

 

 最後に一言残し、怪盗Bは手すりの向こう側へと落ちていく。

 ここは地上から数十メートルもある高所だが、あの怪盗Bの事だ。

 確認するまでもなく無事どこかへと消えていったのだろう。

 

 本に書いてある通りの大物だったなと思いつつ、ライは報酬である地図に意識を向けた。

 

(大舞台の前には準備が必要、か……)

 

 ライの脳裏によぎったのは2つの記憶だ。

 ノルドの状況を憂うガイウス。持つ者の義務について説いたユーシス。

 影響力を持つ身としてどう振舞うべきなのか。それを考えたライは、決心した表情でARCUSを取り出した。

 

「エリオット、聞こえるか?」

『ライ! そっちは大丈夫だったの!?』

「ああ、それより皆にも繋いでくれ」

 

 手元にある地図を目にしながら言葉を紡ぐライ。

 

「──今から話したい事がある」

 

 その眼には、とある明確なビジョンが浮かんでいた。

 

 

 




怪盗B(軌跡シリーズ全般)
 美しいと思ったものを盗み取る世紀の大怪盗。またの名を怪盗紳士ブルブラン。
 興味を持った相手に挑戦状を叩き込むという困った趣味も持っており、実は軌跡シリーズ皆勤賞の人物でもあったりする。



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74話「嵐の前の静けさ」

 帝都近郊に存在する深い森の中。

 辺りには背高い草が生い茂り、周囲の目を都合よく隠してくれる一画にて、数人の男が集まっていた。

 

 彼らの内、皆の視線を集めているのは眼鏡をかけた怪しげな男だ。

 かつてノルド高原で暗躍したギデオンと言う名の元教師。彼は周囲に立っていた男達に紙を渡し、その内容について的確な説明を行っていた。

 

「今後の計画に関しては以上だ。内容について他の面々に共有したら、書類は忘れず焼却処分しておけ」

「承知した」

 

 ギデオンの指示を受けた男達は、各自別方向に散開する。

 

 後は彼らがそれぞれのメンバーに伝え、明日の用意は万全となる。

 一仕事終えたギデオンは誰もいない森の中で作戦の再確認をしていると、背後から黒い影が歩いてきた。

 

「――同志《G》。計画は順調に進んでいるようだな」

 

 黒い影からくぐもった機械音が聞こえてくる。

 その姿を横目でちらりと見たギデオンは、すぐ視線を戻して返答した。

 

「同志《C》か。子細は予定通り進んでいるが、何か心配事でも?」

「例のペルソナ使いが帝都庁に協力していると聞いた」

「ああその話か。それならば私の耳にも入っている」

 

 ギデオンは分かり切っていた話だと言い切った。

 

「確かにペルソナ使いはシャドウの天敵となり得る存在ではあるが、何ヵ月も前から分かっていた事だ。今更語るまでもない」

「奴らを学生と甘く見ないことだ。並みの感覚でいると足元を救われるぞ」

「問題ない。奴らに対する対応策は既に打ってある」

 

 そう、ギデオンは初めからペルソナ使いの参戦を考慮して作戦を組んでいた。

 開示されてきた情報を考えれば、こちらの目的が伝わるのは時間の問題だろう。ならば、正規軍とも繋がりのある士官学院のVII組が動員されるのは当然の流れ。むしろ宿敵の情報収集能力を測るうえで良い判断材料になったとギデオンは考えていた。

 

「念のため、当日はVII組全体の所在を確認するよう指示し、奴らの顧問《紫電(エクレール)》についてもスポンサーを通して足止めしておいた。万が一など起こるまい」

「……警告はした」

 

 そんなギデオンの返答を聞いた黒い影は、最後に言葉を残し、薄暗い森を後にする。

 

 残されたのは暗い灰色の装束を身にまとったギデオンただ1人。

 彼は今後の行く末を計算し、そして静かに呟いた。

 

「フッ、何も問題はない。全てのピースは既に揃っているのだからな」

 

 ギデオンの独り言は誰にも届くことはなく、深い森の中に消えていく。

 彼の歪んだ目には、自身の計画に対する自信と、底のない憎悪の炎が宿っていた。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ……一方その頃。

 ライ達VII組はと言うと、クレアからの連絡を受けてサンクト地区にある聖アストライア女学院に訪れていた。

 

 昼間の捜索では結局シャドウの反応は1つも発見できず。

 やや徒労感もあるが、元よりこう言った状況は守り側が圧倒的に不利なのだ。事前工作の恐れがなくなっただけでも素直に喜ぶべき事だろう。

 

「しかし、女学院の中を歩くというのは……、なんというか、落ち着かないな」

 

 女学院の敷地内を移動する中、周囲の視線を感じたマキアスが居心地悪そうに感想を漏らす。

 

「ん? そんなに気になる?」

「そりゃフィー君のように女性なら気にならないだろうが、僕ら男性が乙女の花園に足を踏み入れるというのは、その……」

「気にしすぎ」

「ふふ、そうですね」

 

 挙動不審なマキアスをからかうフィーとエマ。

 そんな彼の前を歩いているライの元に、リィンがそっと近づき小声で話しかけてくる。

 

「……ライ、教えてもらった場所だが、確かに何ヶ所か人が通った形跡を見つけた」

「推測通りか」

 

 リィンの報告を受けたライは、納得した様子で言葉を返す。

 

「それで昼間に話していた最後のピースについてだけど、候補は見つかったのか?」

「いや、まだだ」

「サラ教官とか適任なんじゃないか?」

「一応確認したが、どうやら旧校舎の件でクレームが入ったらしく、その対応に追われてるらしい」

「……はは、それはまた大変だな」

 

 旧校舎の件、つまりはパトリック達が巻き込まれた事件の後始末に追われるサラを想像し、リィンは小さく苦笑いした。

 

 ――とまあ、そんな会話を歩きながら交わすライとリィンだったのだが。

 2人の後頭部にこつんと拳骨がぶつけられ、途中で中断させられた。

 

「はいそこ、この場所でそんな辛気臭い話はしないの。妹さんも困ってるでしょ?」

 

 中断させたアリサが、ジトっとした目で前方を指差す。

 そこにいたのはVII組の案内役となったエリゼの姿。彼女はリィンと似たような苦笑いを浮かべており、血は繋がっていないものの、確かに兄妹なのだと感じられた。

 

(まあ、アリサの意見も当然か……)

 

 ライ達を招待した、聖アストライア女学院にいると言う人物。

 今はその人の事に集中しておかねば失礼と言うものだろう。

 

 ライとリィンの2人はテロリストの話を一旦止め、エリゼの先導についていくのだった。

 

 

 ……

 …………

 

 

 女学院の校舎を迂回して奥地へと進むVII組の11人。

 普段、余所者が入ってこない場所だからか、進むごとに周囲の女子生徒から好奇の目が突き刺さってくる。

 しかしライに関してだけは、当然の事ながら真逆の視線が注がれていた。

 

「お隠れくださいミルディーヌ様! 他の方はまだしも、あの先頭にいる灰髪の殿方! あのお方と目が合ったりでもしたら何される事か!」

「……ふむ、左様でございますね」

 

 緑色の少女を庇うように決死の覚悟で前に出る女子生徒。

 本人はナイト役のつもりなのだろうが、相対してしまう側としては悲しい限りである。

 

「やっぱりライは距離置かれるみたいだねー」

「何時もの事だ」

「あはは、ドンマイ」

 

 ミリアムに背中をぱんぱんと叩かれながら慰められるライ。

 

 そうこうしている内に校舎を離れ、薔薇園と書かれた建物の前へとたどり着く。

 ライ達を招待した主がこの屋内庭園にいるとの事だが、いったいどんなビッグネームが待ち受けているのだろうか。

 身構えるVII組を他所に、エリゼは上品に扉を叩いて中の人物に呼びかける。

 

「――姫様、殿下、皆様をお連れしました」

 

 エリゼの言葉を聞いたVII組の誰かが「えっ」と驚きの声を漏らす。

 無理もない。姫様や殿下という言葉で呼称される人物は、帝国内でも限られているからだ。

 

 まさか……という予感を抱きながら薔薇園の中に入るライ達。

 その予感は、室内に入った瞬間に確信へと変わる。

 VII組を出迎えたのは舞い散る無数の花びら。その中心で、演劇の主役がごとく佇む少女と男が1人ずつ。

 

「ようこそお越しくださいました。トールズ士官学院VII組の皆さん」

「忙しい中、招待に応じていただき感謝するよ。これはお礼に1曲披露した方がいいかもしれないね」

 

 彼女らこそエレボニア帝国の皇女アルフィン・ライゼ・アルノール。

 そして、リュートを両手で抱えたオリヴァルト・ライゼ・アルノール。

 

 予期せぬ大物の登場と、ついでに大げさな演出を受けたVII組一同は目を丸くする。

 それはライとて例外ではなく、やや目を見開いてオリヴァルトの顔を見つめていた。

 

「おや、ライ君、流石のキミもこれには驚いたかな?」

 

 オリヴァルトはしたり顔でライに問いかける。

 

 確かに驚愕したのは事実だが、残念ながら理由はオリヴァルトの求めるものとは違った。

 ライが驚いたのは、彼の姿を見て”ある可能性”に気がついたからだ。まだそれが実現可能かどうか、了承されるかは分からない。けれど、その可能性に至ったライは不敵にほほ笑み、

 

「……ピースは、全て揃った」

 

 と、小さく呟いた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ――7月26日。夏至祭初日の11時半頃。

 一夜明け、テロリストの襲撃が来るというXデーになった為、ライ達VII組は予定通り別れ、それぞれ割り当てられた場所に移動していた。

 

「苦……」

《ライ、大丈夫?》

「……ああ」

 

 ライの担当は南西部の市街地だ。

 バルフレイム宮とは湖と見紛うばかりの大きな堀を挟んで反対側に位置しており、堀の向こう側を見てみると帝都憲兵隊の戦車が待機しているのを確認できる。

 ライはその堀を背にするように足を止める。それと同時に、脳内に透き通った声が聞こえてきた。

 

《――VII組の皆さん聞こえていますか? 鉄道憲兵隊のクレアです。本日は帝都憲兵隊との合同任務となりますので、総合司令部兼仲介役として、私が担当させていただく事となりました。本日はよろしくお願いいたします》

 

 声の主はクレア・ リーヴェルト大尉だ。

 今はブレイン役を務めているエリオット、エマとともにバルフレイム宮の臨時司令室で待機しており、こうしてブラギを通して連絡を取って来たらしい。

 

 ラウラ・アリサの内部待機班。並びにライ達外部待機班の返事を聞いたクレアは、真剣な口調で説明を続けた。

 

《平時はその場で待機し、周辺の監視をお願いします。皆さんは外部協力者という立場上強制はできませんが、有事の際は、私の指示に従っていただけると幸いです》

《承知しました。現在の状況を教えていただけますか?》

《まもなく皇族の方々を乗せたリムジンが発車する予定です。護衛隊も併せて移動しますので、行事が終了する夕方頃までバルフレイム宮は手薄になります》

 

 つまり、夕方まで守りきる事ができればライ達の勝利と言う訳だ。

 リィンの質問に答え終えたクレアに対し、ライは追加の問いを投げかける。

 

「リーヴェルト大尉、リムジンの内訳は?」

《1両目に皇帝陛下ご夫妻、2両目にセドリック皇太子とオリヴァルト皇子、そして3両目にアルフィン皇女の予定です。先日少し変更があったようですが……なぜこの情報を?》

「いえ、テロリストの狙いが違った場合を懸念したもので」

《……そうですね。その場合は逐一応援を指示します》

「…………」

 

 クレアとの連絡を終え、ライは再び周囲に意識を張り巡らせる。

 

 ここからは長丁場だ。

 気を引き締め、警備任務を開始するのであった。

 

 

 ……

 …………

 

 

 ――午後2時過ぎ。

VII組が警備を始めてから2時間以上経過した頃、ライは当初と変わらず警備を続けていた。

 

 周りは紙吹雪が舞い散る文字通りのお祭り騒ぎだ。

 老若男女さまざまな人間が楽しそうに食事をしたり、浮かれた様子で歓談したりしており、テロリスト襲撃の気配など何処にもない。

 

 しかし、監視している側からすると、こんな日常の風景ですら疑わしく感じてしまうのが実情だった。

 どこかにテロリストが紛れ込んでいるんじゃないか。あの笑いあっているカップルも実は偽装なのではないか。警備をするのも楽ではないのだと、ライは肌で感じていた。

 

「あ、ライ君だ!」

 

 その時、市道の方からライを呼ぶ声が聞こえてくる。

 

 今のはトワの声だ。

 視線を向けると、そこには導力バイクに乗るバイクスーツ姿のアンゼリカと、彼女の後ろでこちらに手をふるトワの姿があった。

 彼女らはバイクを降り、手押しでライの元へと近づいてくる。

 

「済みません。今は任務中ですので」

「あ、警備任務の情報なら、生徒会にも入ってきたから知ってるよ」

「そうだとも。それに人の集中力は2時間が限界、友人と言葉を交わすくらい不可抗力というものさ」

 

 そう返されると、昨日の件もあって断りにくい。

 

 悪い笑みを浮かべてライを懐柔しようとするアンゼリカ。

 ライは一応周囲に気を配りつつも、そんな彼女の提案に乗ることにした。

 

「お2人はその情報を受けてここに?」

「まぁそんな感じ。それに私の家も帝都にあるから色々心配だったんだけど、そうしたらアンちゃんが導力バイクを出してくれてね」

「ふふ、そういう事さ。これさえ使えば、40分で帝都までかっ飛ばせるからね」

「もぅ……、アンちゃんはもう少し安全運転を心掛けた方がいいと思うよ? さっきだって、ここに来るまでお尻痛かったんだから」

 

 トワは不満げにアンゼリカを睨むが、全く怖くない事も相まってか、アンゼリカはむしろ喜んでいる様子。

 

(しかし、導力バイクか……)

 

 この存在をあの晩思い出してさえいれば、駅での大立ち回りをしないで済んだのだが。……まあ、過ぎた話か。

 導力バイクのボディに手を伸ばすライ。そんな彼にトワは視線を戻した。

 

「そう言えばライ君って帝都西側の担当だったよね? 私の家ってヴェスタ通りで雑貨店を営んでるんだけど、もしかして立ち寄ったりした?」

 

 ヴェスタ通り?

 それはまた奇遇な話だ。

 

「丁度ヴェスタ通りの旧ギルド支部で宿泊してましたが、立ち寄っては……」

「そっか、それはちょっと残念」

「けど、トワ先輩に似た子供になら会いました」

「えっ? それってもしかしたら、従弟のカイ君かも」

 

 ユーシスと共に会った子供の片方。

 面影があるとは思ったが、どうやら本当に親戚だったらしい。

 挨拶の1つでもした方が良かったか。ライがそんな感想を抱いていると、アンゼリカが時間を確認してトワに話しかけた。

 

「トワ、そろそろ……」

「そうだね。アンちゃん」

 

 2人は頷き合うと、導力バイクを動かしてそれに乗り始める。

 

「それじゃあライ君。私たちはこれから市内の巡回をしてみるから」

「お願いします」

「そっちも頑張ってね。この時間は警備も緩みやすくなるから、もし攻めてくるなら、多分そろそろだと思う」

 

 最後にトワが真剣な顔でそう告げると、アンゼリカが操縦する導力バイクのエンジン音と共に街中へと消えていく。

 それを見送ったライは、己が武器を改めて確認する。

 

「さて、気を引き締めるか」

 

 気がつけば、先ほどまで感じていた精神的な疲労がなくなっていた。

 先ほどの雑談が良い骨休めになったのだろう。

 

 ライは2人に感謝しつつ、紙吹雪が舞い踊る夏至祭の監視に戻るのだった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ……

 …………

 

 その水面下で、彼らは着々と準備を進めていた。

 港の労働者として。道を歩くカップルとして。レストランの料理人として。地方から来た観光客として。

 表面上は一切怪しまれる行動は取らず、ただ静かに予定された時間を待つ。

 

 そして、帝都の地下道に潜むギデオンもまた、炎の明かりに照らされながら時計の針を睨み続けてた。

 

「……時間だ」

 

 その手にあるのは水路を通して流れて来た工作員からの言伝だ。

 彼はその紙を握りしめ、おもむろに立ち上がる。

 

「バルフレイム宮に入った4名と合わせ、VII組全員の所在を確認。これで障壁は全てクリアした」

 

 聞いている者など誰もいない言葉。

 けれど、彼はまるで地上にいる仲間たちに伝えているかのように、言葉を紡ぎ続ける。

 

「正規軍の奴らは、傲慢にもテロリストの脅威を把握したと考えているのだろう。……だが、奴らはシャドウの力を知らない。その驕りの代償を、今まさに支払う事となるだろう」

 

 バルフレイム宮へのシャドウを用いた襲撃。

 彼らはそれを警戒しているのだろうが、甘いと言わざるを得ない。

 ギデオンの口元がにやりと歪む。

 

「今こそこの緋き都に始まりの傷跡を刻む時。――同志たちよ、立ち上がれ!」

 

 刹那、時計の分針がカチリと動いた。

 

 ――

 ――――

 

 時は訪れた。

 各地に潜むテロリストの面々は動き出し、人気のない場所へと移動する。

 

「さあ、おいで下さいシャドウ様」

 

 各々取り出したるは碧き秘薬《グノーシス》。

 アクセサリーの中。時計の中。靴底。それぞれが隠し持っていた薬を取り出し、目の前に掲げる。

 

「我らが悲願、我らが怨念……」

 

 彼らは躊躇する事なく薬を飲みこみ、心の中で願いを唱える。

 

「その全てを、……今こそ、聞き届けたまえ!!」

 

 刹那、帝都全体が激しい光に包まれた。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「――なんだ?」

 

 異変は突然起こった。

 ライから見て建物の向こう側。

 そこが光ったと思ったら、突如、激しい轟音が辺りに響き渡ったのだ。

 

 敵襲か?

 身構えたライの耳に、エリオットの叫びが突き刺さる。

 

《大変だよみんな!! 帝都の至る所で急激にシャドウ反応が増えてる!!》

《なんだって!?》

 

 どこからともなく甲高い悲鳴が木霊する。

 逃げ惑う人々。直後、仮面のついた黒い影が細胞のように増殖し、帝都市内に巨大な壁をいくつも築き上げているのを目撃する。

 

「まさか……!」

 

 ノルド高原でもあったという、再召喚によるシャドウの増殖。

 それを見た瞬間、ライは自らの浅慮を理解する。

 

 戦場はバルフレイム宮周辺などではない。

 もはやこの都市に安全な場所など存在しない。

 この広大な帝都そのものが、奴らにとっての戦場であったのだと。

 

 同時多発的なシャドウ召喚による帝都の分断。

 

 

 ――そう、この瞬間。

 ”帝都全域”は、テロリストの手に落ちたのだった。

 

 

 




さあ、祭の始まりだぁ!



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75話「分断された帝都」

 バルフレイム宮に設立された臨時司令室は今、想定を超えた大規模襲撃に混迷を極めていた。

 

 帝都市内を分断するかの如く現れたシャドウの壁。

 その報告と指示を仰ぐ為の通信が、何重にも重なって司令室に鳴り響く。

 

『――こちらサンクト地区! 周囲をシャドウに囲まれ孤立しています! 指示を!!』

「全武器の使用を許可する。シャドウの進行を阻止しつつ、住民の安全確保を急げ!」

『ハッ!』

 

 帝都憲兵隊の司令が通信に対し指示を行っている。

 それに対しクレアは、自らの役目として大局に関する考察を急ぎ進めていた。

 

(帝都全域の分断。目的は間違いなく戦力の分散でしょう。なら、本命の攻撃が別に存在している筈……)

 

 次に来るであろう一手を推測するクレア。

 帝都各地に戦力の分散を行ったという事は、逆説的に最終目標がこのバルフレイム宮である事を示している。

 だとしたら、この場の戦力を削ぐのは悪手となる。しかし……。

 

「ク、クレア大尉! 僕たちも動かないとっ!」

 

(エリオットさんの言う通り、現状を打開できるのはペルソナ使いのみ。ならばここは……!)

 

 1手間違えれば致命傷となりかねない。

 そんな緊張感を胸に、クレアは決断を下した。

 

「外周部にて待機中のVII組の皆さん! 各自散開し、シャドウの掃討に当たって下さい! 非ペルソナ使いの方は避難誘導をお願いします!」

《はい!》

 

「エリオットさん、エマさんは皆さんのナビゲーションを。内部待機班のお2人は次なる襲撃に警戒しつつ、バルフレイム宮に向かうシャドウの対処をお願いします!」

「は、はい!」

《承知した》

 

 VII組への指示を行ったクレア。

 彼女は続いて帝都憲兵隊の司令に向けて指示を行う。

 

「憲兵隊はVII組のサポートを行ってください」

「承った」

 

 事前にペルソナ使いに関する概要を聞かされていた司令は、それを即座に承諾。

 急ぎ無線回線を全て開き、憲兵隊に対して指令を発する。

 

「――帝都憲兵隊全部隊に通告。現在市内を移動中の赤制服の学生、特化クラスVII組はシャドウに有効な攻撃手段を有している。総員、VII組の援護を行え! 繰り返す。総員VII組の援護を行え!」

 

 導力通信を介し、帝都全域に展開する憲兵隊へと指示が伝わる。

 

 かくして、分断された帝都を解放すべく、VII組と憲兵隊による共同戦線が構築されるのであった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ――オスト地区。

 帝都の東側に位置し、比較的貧しい人々が暮らすこの旧市街地にも、シャドウの脅威は迫っていた。

 

 四方八方を仮面のついた黒い壁に覆われ、訳も分からず逃げ惑う人々。

 憲兵隊の兵士たちが壁から離れたシャドウを銃で押し返しているが、倒せない以上いつまで持つか分からない。

 そんな兵士に守られている住人の中に、マキアス曰く腐れ縁の友人、赤髪をポニーテイルに纏めた少女パテュリーの姿もあった。

 

「チッ、なんなんだよ、こいつらはっ!」

 

 パテュリーは舎弟のカルゴを庇いつつ、見たこともない化物を見て叫ぶ。

 魔獣が突如大量に押し寄せて来るだけでも異常事態。戦う力を持たない一般住民にとっては命に関わる状況だ。

 だというのに、この化物は生物らしい質感を一切持たない、伝承の魔物としか思えない姿をしていて、しかも兵士の攻撃が全く効いていない。

 

 あるいは誰かの怨念でも宿っているのではと思う程に、強烈な憎悪を振りまく黒い怪物。

 もしかしてここで死んでしまうんじゃないかと、パテュリーは激しい銃撃音の中、自身の歯ががたがた震えている事に気つく。――その時であった。

 

「しまっ――」

 

 声を零す兵士。

 弾幕を掻い潜る1体の影。

 半流体の化物がその姿を変えながら迫りくるその刹那。

 

 幾多の銃弾が上から飛来し、化物を粉々に吹き飛ばした。

 

「……えっ?」

 

 直後、上空から1人の青年が片膝をついた状態で着地する。

 短く切り揃えられた緑髪。眼鏡をかけたその姿は、パテュリーがよく知るマキアスそのものだ。

 

 しかし、その在り方は彼女の知るマキアスを大きく逸脱していた。

 背筋が凍るほどの気迫が籠った表情。

 彼は即座にショットガンを構えると、常人離れした加速を持って、兵士たちが足止めしていた化物に突撃する。

 

 ――正面に1発。直後、左右に2発。

 流れるような動きで拡散弾を放ち、化物の集団を蹂躙するマキアス。

 そんな彼の元に、憲兵隊の兵士たちが駆け寄っていった。

 

「君が指示にあったVII組だな? 援護は我々に任せたまえ」

「お願いします」

 

 彼らが対するは帝都を分断する巨大な化物の壁だ。

 うごめく影に対し、兵士たちが一斉に掃射を始める。

 

 敵の注意を引く銃弾の雨。

 その中を、あろう事かマキアスは一切の躊躇なく駆け抜け始めたのだ。

 

「ば、馬鹿! マキアスっ!!」

 

 思わずパテュリーは叫んでいた。

 あの巨大な壁はさっきの有象無象とは規模が違う。

 どう考えても一個人が相手できる化物には見えなかったからだ。

 

 しかし、引き留めようとするパテュリーの瞳に、突如、マキアスを取り巻く光の暴風が映り込む。

 

「裁きを下せ。――フォルセティ!」

 

 マキアスの叫びと共に現れたのは、およそ人とは思えない程に巨大な裁判官。

 青き光を纏うその実体は、巨大な壁に向け、その手にある天秤を高らかにかざした。

 

 ――刹那、まるで神の祝福を思わせる光が壁の中心を包み込む。

 旋回する無数の札。光が強まったその瞬間、壁の核と思しき黒い化物は跡形もなく蒸発し、消えてしまった。

 

 残された壁の化物は散り散りに別れ、他の壁に向かって逃げていく。

 それを見たパテュリーは、呆けた顔で、思わずぺたんと座り込んでしまった。

 そんな彼女の元に、マキアスは武器を降ろして歩み寄ってくる。

 

「マキアス……? いま、でっかい人が出て、あれ、え?」

「まあ混乱するのも無理はないが、あいにく説明してる余裕はない。今は早く皆を集めて屋内に避難したまえ」

「お、おう。分かった」

 

 普段のパテュリーなら文句の1つでも言うところだが、混乱しきった彼女は素直に返答をしてしまう。

 一方、友人の無事を確認したマキアスは、小さく安堵の息を吐き、すぐ意識を切り替えた。

 

「エリオット、次はどこに向かえばいい?」

 

 通信機の類は見当たらないが、どうやら誰かと会話をしているらしい。

 

「――分かった。全速力でそちらに向かうよ」

 

 そう言って会話を終えるマキアス。

 彼は建物の天井を見上げ、僅かな苦笑いを浮かべた。

 

「まさか、僕までこのルートを使う羽目になるとはな」

 

 マキアスは超人めいた脚力で木箱を飛び移り、そのまま屋上に着地する。

 まるで物語の怪盗を思わせる身のこなし。パテュリーはまたしても我が目を疑う。

 

 呆然とした表情で、友人の背中を見送ったパテュリー。

 彼女は嵐のように過ぎ去った一連の出来後を思い出し、そして、

 

「なんだってんだよ。いったい……」

 

 ぽつりとそう呟いた。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 以前から危惧していた事もあり、必死な様相で帝都の地区を開放していくマキアス。

 そんな彼と同じく、決死の表情で任務に当たっている者が、バルフレイム宮の臨時司令室にも1人いた。

 

「うん、そう。壁の中央にいるシャドウを狙って。そいつが周りのシャドウを召喚し続けてるから、全滅は出来なくても増殖は食い止められる筈だよ」

 

 色々な機材が置かれた長テーブルの前にて、必死にナビゲーションをするエリオット。

 彼もまた、自身の故郷が危機に瀕しているからと、何時になく無茶な頑張りを見せていたのだ。

 

 そんな彼を心配そうに見つめるエマ。

 彼女もまた、エリオットから送られてくる情報をもとに半数のナビゲーションを行っていたが、それでも負担は圧倒的に彼の方が大きい。

 エリオットの頬を流れる汗。その疲労はついに形となって現れる。

 

「……っ! はぁ、はぁ…………」

 

 精神的な疲労によって体制を崩すエリオット。

 エマは慌てて彼の体を支えた。

 

「エリオットさん! 大丈夫ですか!?」

「う、うん……大丈夫だから、気にしないで……」

「ですが! エリオットさんは昨日からずっと広範囲のスキャンをやってて……!」

 

 エマの腕を抜け出し、エリオットは再びスキャンを再開する。

 童顔な彼の眉にはきつく力が籠められており、息はいまだ荒々しい。

 それでもなお、エリオットは自身を鼓舞するが如く言葉を紡ぐ。

 

「今は、今だけはやらなきゃいけないんだ……。僕たち以外にやれる人がいないんだから、やらなきゃきっと後悔する……。だから、今だけは”全力”で……!!」

 

 ライの姿を間近で見て来た影響か、エリオットの瞳の中にも揺るぎない鋼の意志が宿り始めていた。

 

 こうなってはもうテコでも動かない。

 それに、やらなきゃという焦りは、エマの内側にだって存在している。

 視線を右往左往させるエマ。そして彼女もまた、覚悟を決めた表情でクレアに向き直った。

 

「クレア大尉! 紙の地図とペンを用意してください!」

「え、はい、分かりました! すぐ手配します!」

「お願いします!」

 

 地図とペンを受け取ったエマは、エリオットの前にある長テーブルの上にそれを広げる。

 

「……委員、長?」

「私だってVII組の一員です。だから――」

 

 ペンを片手にエリオットへと視線を向けるエマ。

 

「エリオットさんはスキャンと通信に集中してください。……ナビゲーションは全て、私がやります!」

 

 彼女もまた、自らの役目を全うする道を選んだのだ。

 エリオットから送られてくる情報を書き込み、俯瞰した視点から、各地に散らばったVII組のルート構築を開始した。

 

(そして、これも忘れずにやっておかないと……)

 

 エマはポケットから取り出した紙切れに視線を向ける。

 

 それは今朝ライから預かった1枚の紙。

 ”とある人々”がいるであろう地区が書かれており、もしもの事があったら考慮して欲しいと頼まれていた。

 全ては彼女の手にかかっている。エマもまた、己が戦いに身を置くのであった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ――帝都南西側にある石畳の車道にて、ライはARCUS片手に疾走していた。

 

 路上に停められた導力車を掻い潜り、鋭い回し蹴りで道中のシャドウを蹴散らしていくライ。

 それと同時にARCUSの導力通信を起動させ、戦闘を続けながらも通信の向こう側、ガイウスへと個人的な連絡を取っていた。

 

「……今言った通りだ。念のため、エマにトーマ達の居場所を伝えておいた。ガイウスはエマの指示に従って家族の元に向かってくれ」

 

 そう、通信の内容は疎開してきたというガイウスの家族についてだ。

 襲撃に巻き込まれないようバルフレイム宮から離してはいたが、もし戦火に巻き込まれた場合、ガイウス自身がその場に向かえるよう取り計らって欲しいとエマに伝えていた。

 

 しかし、当のガイウスはと言うと、ライの提案に対し難色を示す。

 

『配慮をしてくれた事には感謝する。だが、皆が帝都の為に死力を尽くしている中、俺だけ私情を挟む訳には……』

 

 ライ達VII組は今、総力を挙げてシャドウ襲撃に対応している。その中で1人だけ身内の元へと向かうというのは、どうしても気が引けてしまうのだろう。

 ガイウスの考えも分かるし、きっと逆の立場ならライだってそう感じていた筈だ。

 しかし、ライはそれでもガイウスに語り掛ける。

 

「ガイウス、これはお前だけの私情じゃない」

『……ライ?』

 

 ライはシャドウを足場に跳躍し、前方に向けて剣を投げ飛ばす。

 

「俺はお前がノルドの為に頑張っている姿を見て来たんだ。だからもう、他人事じゃない。これは俺の私情でもある。――だから」

 

 ガイウスへと言葉を紡ぎつつ、召喚器を腰のホルダーから取り出すライ。

 その眼が睨みつける先にあるのはシャドウの壁。

 剣が切り開いた道を前に、ライは静かな叫びを放つ。

 

「お前が背負っているものを、俺にも分けてくれ」

 

 “我は汝、汝は我……。汝、新たなる絆を見出したり。汝が心に芽生えしは刑死者のアルカナ。名は──”

 

 ――ヤツフサ!

 木霊する銃声音。ライの前方に8つの宝玉を従えた白き霊犬が出現する。

 

 1度大きな遠吠えを上げ、剣が通った細い道を駆け抜けるヤツフサ。

 シャドウの壁に接敵したその霊犬は、赤き衝撃波ヒートウェイブを放ち、コアとなるシャドウを消し飛ばす。

 

『……かたじけない』

 

 壁が崩れ行く中、ガイウスの短い返答が耳に入る。

 どうやら提案を受け入れてくれたようだ。

 ARCUSの通信を切るライ。そんな彼の元に、1人の足音が近づいてきた。

 

「どうやら話は終わったようだな」

 

 その足音の主とは、近くの区画で避難誘導を行っていたユーシスであった。

 ここまで走って来たらしく、やや肩で息をしている様子。

 

「ユーシス?」

「時間がない。悪いが、今度は俺に付き合ってもらうぞ」

 

 その手にあるのは彼自身のARCUS。

 ユーシスはライにそれを見せつけ、それを駆動する。

 

 ――リンク――

 

 彼の行動に対しライが聞き返す間もなく、2人の感覚が繋がるのだった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 …………

 

 ……気がつくと、ユーシスの周囲は真っ白な景色に変わっていた。

 

 ここでもう1人の自分を受け入れればペルソナを得る事ができる。

 それを理解したユーシスは、ARCUSを持っていた筈の片手に視線を向けた。

 

(現状を打破する為には、1人でもペルソナ使いを増やす必要がある)

 

 ユーシスの脳裏によぎるのは、以前マキアスが第三学生寮で叫んでいた言葉だ。

 

《――僕の父は帝都ヘイムダルの知事だ。僕は、帝都の為に心血を注ぐ父さんの姿をずっとそばで見てきた。……そんな僕が、帝都を危機に陥れかねない脅威を前にして、逃げる訳にはいかないだろ!!》

 

 マキアスは旧校舎のダメージが残っているにも関わらず、何回もの失敗を乗り越えて、最終的に宣言通りペルソナを手に入れた。

 知事の息子として、彼はその責任を見事に果たしたのだ。

 だとしたら、ユーシスも責任のある立場として負ける訳にはいかない。

 ユーシスは何も持っていない片手を強く握りしめる。

 

 次いで、彼は前方に広がる巨大な扉へと意識を向けた。

 あの向こう側に受け入れるべき”もう1人の自分”が存在する。

 覚悟を胸に1歩前に進むユーシス。そんな彼に応じるが如く、群青の扉がゆっくりと開いていく。

 

『あは、あはは!』

 

 扉の向こう側にいたのは、椅子に座る女性の膝に乗って遊ぶ1人の子供だ。

 女性に身を預け、何1つ淀みのない笑顔で、女性の顔を見上げるユーシス似の男児。

 そんな彼が全幅の信頼を寄せる女性について、ユーシスは心当たりがあった。

 

(母上……)

 

 8年前病気で亡くなったユーシスの母。

 平民の彼女がまだ生きていた頃は、まだ普通の子供として生きていけた。

 その事を懐かしく思いつつも、ユーシスはその上に座るもう1人の自分に話しかける。

 

「おい、そこのお前」

 

 しかし、もう1人のユーシスはそんな声など気にする様子もなく、物言わぬ母親に楽しく話しかけているばかり。

 

 これが自分だと言うのか。

 ユーシスは思うところがありつつも、用意していた言葉を口にしようとする。

 

「お前は――」

『――俺だ。なんて言えば良いとでも思ってるの?』

 

 だがそれは、ギョロリと目が見開いた子供の一言によって遮られてしまった。

 

『無駄だよ。無駄無駄無駄。捻くれた大人みたいに口先だけの言葉を紡いだって、誰にも届きゃしないよ』

 

 まるでユーシスを嘲笑うかのように、もう1人のユーシスはケタケタと声を出す。

 

『そんなどうでもいい事よりさぁ、今は母上と戯れようよ。その方がぜったい楽しいって』

 

 ユーシスの行動をどうでもいいと断じる子供。

 あまりに自分勝手。あまりに傍若無人。

 流石のユーシスもこれには苦言を言わざるを得ない。

 

「お前は自分が何を言ってるか分かっているのか?」

『分かってるし、知ってるよ。でもどうでも良いだろ? 帝都の人間がどうなったってさ』

「なっ――!?」

 

 帝都がどうなったって良いと無責任にのたまう子供。

 ユーシスは目の前にいるのが一体なんなのか、心の底から分からなくなる。

 

『むしろ死んでくれた方が清々するよ! こんな世の中を肯定する大人なんて、全員ばらばらになっちゃえばいいんだ!』

 

 これが自分?

 こんな、虫を潰すが如く、笑顔で虐殺を肯定するような人物が?

 

「それが、人の上に立つ者の言葉か?」

『ノブレス・オブリージュ? ああ、大人のしがらみって奴。ほんっと貴族って下らないなぁ』

「…………!!」

『あのマキアスって男もずるいよなぁ。あんなに堂々と貴族を批判できるんだもの。本当は僕が声高らかに叫びたかったのにさぁ』

 

 ユーシスの怒りにも興味を示さず。

 もう1人の彼は貴族つながりでマキアスの事を話し始める。

 

『だから苛立ってたんだよね? 本当に貴族を嫌っていて、潰したいほど憎んでたのは自分の方だって。ああ羨ましい羨ましい』

 

 もう1人のユーシスは、マキアスの事を心の底から羨ましがっていた。

 本当は自分が言いたかった事なんだと。

 なのに、なんで自分は言えないんだと。子供の苛立ちはその原因へと矛先を向ける。

 

『貴族なんてなくなってしまえばいいんだよ! 薄汚い大人の世界なんてまっぴら御免だ! さあ君も、そんな下らない大人の殻なんか取っ払って、全部めちゃくちゃにしてしまおうよ!! 帝都も、故郷のバリアハートも、アルバレア公爵家も! 何もかも! 僕にはその正当な権利がある! だろ? もう1人の僕ッ!!』

 

 どこまでも自己中心的な叫びがユーシスの体を揺さぶる。

 

 ……もう、我慢の限界だ。

 母親の庇護の下、好き勝手言いまくる子供に対し、ユーシスは怒りを露わにする。

 

「ふざけるな! 貴様、貴様など」

 

 心の底から湧き上がる言葉。

 それはもう、自分自身で止める事すらできず。

 

「――俺ではない!!」

 

 もう1人の自分を否定する言葉が、真っ白な世界に木霊した。

 

 刹那、世界が悲鳴を上げ、怪しげな風がもう1人のユーシスと母を包み込む。

 

『……ふふふ』

 

 周囲に轟く赤い雷。

 暗くなっていく視界の中。

 ユーシスは、不気味に笑う子供の顔を目撃する。

 

 

 

 ――暗転。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ――薄暗い帝都の地下道にて、ギデオンは語る。

 

「奴らが行う覚醒の儀式。これは我々が行うシャドウ様の儀式と、ほぼ同一の流れを持って行われている」

 

 彼はペルソナの覚醒とシャドウ様との関連性について、誰よりも深い理解を示していた。

 ここ数カ月の調査・検証、特にノルド高原での一幕はギデオンに多くの情報をもたらし、それらがほぼ同一の過程。――即ち、集合的無意識との接続と、シャドウとの対峙を経ているのだという推論に至った。

 

「しかし、彼らの場合、己がシャドウを拒絶したとしても、シャドウが顕現する事はなかった。――それは何故か?」

 

 そうなると、気になるのは最終的な結果の差異だ。

 彼らはペルソナの覚醒もしくは失敗で終わり、シャドウ様は1度のチャンスしかない為か、総じて拒絶によるシャドウの顕現で終わっている。

 

 その差異についても、ギデオンは既に解を見つけていた。

 

「答えはただ1つ。彼らの儀式にはセーフティが搭載されていたからだ。彼らが失敗した際、シャドウが現れるよりも早く精神的な同調が崩れ、ARCUSのリンクが途切れてしまう。その結果としてシャドウの顕現が無効化されていた」

 

 そう、戦術リンクの特性による偶然のセーフティ。

 これがあるからこそ、VII組の儀式ではシャドウが顕現される前に強制終了されていたのだ。

 

「――ならば、戦術リンクに補正データを仕込み、数秒でもリンクを継続させた場合どうなるか。実に興味深い議題と言えよう」

 

 調査、推論とくれば、後は実証実験を行うのが自然な流れ。

 ギデオンはその手に持ったリモコンを操作し、とある信号を帝都の導力回線に乗せる。

 

「奴らの逆転は常に覚醒をトリガーとしていた。……それを、今回は利用させて貰うぞ」

 

 即ちそれは宿敵たるペルソナ使いへの対策。

 また1つ策を実行に移したギデオンは、不敵な笑みを浮かべるのであった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「――貴様など、俺ではない!」

 

 誰もいない車道の真ん中にて、ライはユーシスの叫びを耳にする。

 

 今まで何度も聞いた失敗の合図。

 残念ながら、今回はリンク失敗という結果で終わったらしい。

 そう思うライであったが、その時、僅かな違和感に気がついた。

 

(なんだ? この感覚は……?)

 

 ユーシスから送られてくる感覚に、突如として機械的な情報が混じったのだ。

 

 戦術リンクが途切れない。

 そうライが理解した次の瞬間、周囲に赤い雷が迸る。

 

(……赤い、光?)

 

 ライには見覚えがあった。

 セントアークで、グノーシスを服用した猟兵から放たれた光。

 それと同様のものが今、苦しむユーシスの体から止めどなく放たれている。

 

「ユーシス!!」

『そう! もう僕はお前じゃない! 僕は、僕自身だ!!』

 

 どこからともなく聞こえてくる、ユーシスとどこか似た子供の声。

 

 赤き雷が旋風となり、ユーシスの後方に集まりだす。

 ライは急ぎユーシスの手を取り離脱する。

 だが、光は一向に収まる気配はなく、やがて2つの像を結び、顕現した。

 

『我は影、真なる我……』

 

 現れたのは2体の巨大な人形だ。

 長い髪を垂れ流した、目が存在しない女性の人形と、その腕の中で大切そうに守られた子供の人形。

 どこかユーシスの面影がある子供の人形は、丸々とした目をギョロリと動かし、カラクリ仕掛けの口を動かす。

 

『見ててよ母上! 僕が、僕が全てぶっこわしてあげるからッ!!』

 

 人形のシャドウ。

 即ちユーシスの影と呼ぶべき存在が、高らかとその産声を上げる。

 

 帝都を渦巻く戦況は、今まさに混迷を極めていた。

 

 

 




刑死者:ヤツフサ
耐性:火炎吸収、疾風・祝福耐性
スキル:マハラギオン、ヒートウェイブ、素早さの心得
 江戸時代、曲亭馬琴によって書かれた読本《南総里見八犬伝》に登場する霊犬。里見家に怨みを抱く怨霊が宿る犬だったが、里見家の娘伏姫の読経によって浄化された。

皇帝:ユーシスの影
耐性:???
スキル:???
 青年は複雑な身の上であろうとも、良き貴族として在ろうと努力した。貴族の世界は熾烈であり、単なる親切心、疑いなき純真さは底のない悪意に平然と飲み込まれてしまう。故に彼は捨てねばならなかった。あの日、母と共に築きあげてきた穢れなき心を……。



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76話「共に戦う意志」

 帝都ヘイムダルの路上に現れたユーシスの影。

 地面に落ちていた剣を拾い上げたライは、母親人形に抱かれた不気味な子供人形とにらみ合いの状況に陥っていた。

 

(何だ、この状況は……)

 

 突如出現したシャドウを前にして、ライは現状把握に思考を巡らせる。

 あのシャドウは恐らくユーシスから現れたものなのだろう。

 出現の仕方は以前見たシャドウ様と酷似していた。しかし、ユーシスがグノーシスを飲んだ可能性はほぼ0と言っていい。

 

(可能性があるとすれば、俺のARCUSか?)

 

 ライは密かに己のARCUSへと視線を動かす。

 先ほど感じた戦術リンクの違和感。それが原因だと把握した次の瞬間、ライの周囲に突如として影が広がる。

 

「──ッ!」

 

 それは路肩に停まっていた筈の導力車だった。

 母親人形の長髪がまるで腕のように動き、ライに向け投擲された鉄の塊。

 ライは間一髪で横に跳び、それを辛うじて回避する。

 

『あはは! よそ見は良くないよ!』

 

 散らばる残骸。笑い声をあげるユーシスの影。

 ライは地面を転がりながら、刹那の間で思考を固める。

 

(ユーシスの意識はまだ戻らない。なら今は……!)

 

「──ザントマン!」

 

 片方の手足で体制を整えつつ、ライは三日月頭の怪人ザントマンを召喚する。

 

 砂が詰められた大きな袋を背負ったザントマン。

 飄々とした足取りで地を駆ける怪人は、子供人形の死角となる位置からユーシスの影に接近する。

 見たところ自意識があるのは子供人形の方だ。ならば、母親人形の方から攻めれば良いとライは考えた。だが──、

 

『ははっ! そんな小細工が通用するとでも?』

 

 母親人形の顔がぐるりと、人ではあり得ない角度に回った。

 金色の長髪に隠れていた両眼が露わとなる。

 

 ──イービルアイ。

 禍々しい眼光がザントマンの体を貫いた。

 貫通した光線が石畳を吹き飛ばす。その余波が頬を掠める中、ライはその眼を細めた。

 

(全身兵器か。……だが、射程距離には入った)

 

 青い結晶となり消えゆくライのペルソナ。

 しかし、消滅する前に、ザントマンはその手にあった袋の中身を全て子供人形へとぶちまけた。

 

『わぷっ! こ、これは睡眠魔法(ドルミナー)? そんなものが、僕に効く訳……、……!!』

 

 砂に含まれていた睡眠魔法の効果は不発に終わる。

 だが、砂が舞い落ちるまでの間、影の注意はその魔法へと逸らされていた。

 その隙こそライが狙っていたものだ。ユーシスの影が周囲へと意識を取り戻したその時、ライとユーシスの姿はどこにもなくなっていた。

 

 左右に作り物の顔を揺らし、その事実を確認するユーシスの影。

 すると、子供の顔から感情の色が消えうせた。

 

『……へぇ、そう。逃げるんだ』

 

 正しく人形の顔となった影から無機質な声が響く。

 そんな子供の言葉に応じるが如く、母親を模した人形もまた、がたりと体を揺さぶるのだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ──ユーシスを担いで戦線を離脱したライ。

 彼は今、建物に挟まれた路地裏にてアリサへと導力通信を行っていた。

 

「アリサ、聞こえるか?」

『どうしたの? こんな時に連絡なんて』

「俺のARCUSに何か仕掛けられた可能性がある。できれば知恵を貸してほしい」

『ARCUSに仕掛け? ……分かったわ。ちょっと待ってて』

 

 アリサは一旦ARCUSから耳を離したようで、声が遠のく。

 

『──ラウラ! 少しこの場を任せてもいい!?』

『ああ、仔細承知した』

 

 スピーカーの向こうから聞こえる戦闘音。

 どうやらバルフレイム宮近辺もシャドウ襲撃の対応に追われているらしい。

 ラウラの鋭い斬撃音が響く中、アリサは再びARCUSを通して話しかけて来る。

 

『お待たせ。それじゃあ詳細を教えてもらえるかしら?』

「ああ、戦術リンクを行った時なんだが──……」

 

 ライは先ほどあった違和感の件を手短に伝えた。

 

『……なるほどね。大体分かったわ。それなら多分、導力波を発生させる場所に補正用の部品が仕込まれているんだと思う。ライ、今から言う手順でARCUSの内部を確認してみて』

 

 アリサから一通りの手順を聞いたライは、ARCUSのカバーを剣で無理やりこじ開ける。

 完成されたアーキテクト。まるで芸術品のように組み合わされた導力回路が中から姿を現した。

 

 しかし、よく見るとアリサが指摘した箇所に、まるでノイズの様なチップが外付けされてる。

 位置もまさに導力波の発生個所。恐らく基幹回路に細工が出来なかった為、ここに増設させたのだろう。

 

(このチップが原因か)

 

 ライは外付けのチップを取り外し、絶縁テープを巻いてカバーを固定する。

 無理やりチップを外したせいかARCUSの通信が不安定になったが、この程度なら問題はない。

 ライはその眼を青く輝かし、異世界をも繋げるという《鍵》の力を用いて強引に通信を安定させた。

 

 これでユーシスの時と同じような異変は起きないだろう。

 

 ARCUSを懐に戻そうとするライ。

 その途中、突然ライの肩が何者かに強く掴まれる。

 

「おい、状況を説明しろ」

 

 それは、いつの間にか目覚めていたユーシスであった。

 彼からしてみれば、ライと戦術リンクをしたと思ったら狭い路地裏で寝ていたのだ。混乱するのも無理はない。

 

「ああ、実は──」

 

 説明しようと振り返るライ。

 しかし、ユーシスの方へと視線を向けた途端、ライは目を見開き口を閉ざす。

 ライの視線が向かうはユーシスの後方だ。ユーシスもまた自身の後ろに何かがある事に気づき、1手遅れて後方へと顔を向ける。

 

 ──ユーシスの後方、即ち路地裏の出口。

 そこには2体の巨大な人形がべったりと張り付き、ライ達を見下ろしていた。

 

 

『……見ぃつけた』

 

 

 作り物の目がライとユーシスを捉え、簡易な造形の口元がニタリと笑う。

 

「ユーシス! 掴まれ!!」

「あ、ああ」

 

 ユーシスの両手がライの肩を掴む。

 直後、棘状になり伸ばされる人形の髪。まるで剣山が如く殺到する棘を前に、ライは自身の頭を召喚器で撃ち抜いた。

 

 “我は汝、汝は我……。汝、新たなる絆を見出したり。汝が心に芽生えしは正義のアルカナ。名は──”

 

「──パワー!」

 

 現れたるは赤き甲冑を身にまとった黒羽の天使。

 パワーは迫りくる髪の棘を片手に持った盾で受け流すと、ライ達を背に乗せて飛翔。

 人形の真上を通り抜け、通りの反対側に位置する建物の屋上に降り立った。

 

 役目を終えて消滅するパワー。

 屋根に足をつけたユーシスがライに詰め寄る。

 

「おい! なんだあの人形は!」

「ユーシスから出てきたシャドウだ。俺のARCUSに罠が仕掛けられていた」

「俺のシャドウ、だと……?」

 

 ユーシスは懐疑的な目つきでシャドウを睨みつける。

 

 頭上を通り抜けた為か、ライ達を見失ったと思しき2体の人形。

 2階建ての建物ほどの大きさを誇る母親型の人形と、母親の手に抱えられた子供の人形。

 その内、子供の方を正確に認識したその瞬間、ユーシスは突如頭を押さえ、その場に崩れ落ちた。

 

「ぐっ、ぁ……」

「大丈夫か?」

「……ああ、僅かだが、思い出した」

 

 頭痛があるのか頭を押さえながらも、ユーシスはふらふらと立ち上がる。

 どうやらARCUSで繋がっていた際の記憶を取り戻したらしい。

 ユーシスは忌々しそうに歯を食いしばり、己が剣を抜いた。

 

「ライ。貴様はさっさと帝都解放の任務に戻れ」

 

 責任を感じているのか、ユーシスは剣を構えたままライに命令する。

 

「1人で戦うつもりか?」

「時間稼ぎくらいならできる。……それに忘れたのか? 貴様には果たさなければならない義務があった筈だ」

 

 ライが果たさなければならない義務。

 力を持つ者として、この事件を打開しなければならない責任。

 ユーシスから指摘された事は忘れていない。だからこそ、ライは──。

 

「そうだな。俺は、俺の果たすべき義務を全うする」

 

 ユーシスの隣に立ち、己が武器を構えた。

 

「……どういうつもりだ、ライ」

「悪いが、現状最も危険なシャドウは奴だ。壁のシャドウは召喚に注力してる影響か個々はあまり強くない」

「だが、それだとテロリストの思い通りになる。分からないのか!? 奴らの狙いは──」

「俺の足止め、だろ?」

「──ッ、分かっているのなら!」

 

 意見を変えようとしないライに対し、苛立ちを露わにするユーシス。

 彼の意見は間違っていない。テロリストがライのARCUSに仕掛けた目的は、VII組最高戦力をその場に留めておく事なのだろう。

 

「分かってたとしても、あのシャドウを無視はできない。……それにユーシス。お前の杞憂は無用だ」

 

 しかし、テロリストと、ついでにユーシスは1つ思い違いをしている。

 

 確かにライは特別な力を持ったペルソナ使いなのだろう。

 だが、今までの事件を解決したのは、何もライ1人の力ではなかった。

 

「VII組なら、きっと俺がいなくてもこの帝都を解放してくれる」

 

 彼らなら大丈夫だ。

 ライはそう確信し、通りに鎮座する巨大な人形へと駆けて行くのだった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ……一方その頃。

 避難誘導に当たっていたガイウスは、エマの指示のもと帝都の北側へと走っていた。

 

 取り残された住民を見つけたら安全な憲兵隊の元へと案内しつつ、トーマ達家族がいるであろう場所に最短距離で向かっていくガイウス。しかし彼の内心は今も尚、2つの心で揺れ続けていた。

 

(本当に、これで良いのか?)

 

 家族の安全は何としても確保したい。

 しかし、同時にこの危機的状況の帝都も見捨てられないと心が訴えていた。

 今のガイウスでは両者を取ることは難しい。そんなガイウスを追い立てるように、エリオットの通信を介してVII組の報告が飛び交っていた。

 

《オッケー! お願いされてた壁をぶっこわしたよ!》

 

 元気に障壁突破の報告をするミリアム。

 次いで、エマの指示が虚空から聞こえてくる。

 

《ミリアムちゃんはそのまま前進してください! 次にリィンさん! フィーちゃんがいるアルト通りにシャドウが集結しています! 至急応援をお願いします!》

《ああ! 今すぐ向かう!》

《ん、助かる》

 

 彼らは今、全身全霊をかけてシャドウ襲撃に立ち向かっている。

 ガイウスとてそれは同じ筈なのだが、どうしても後ろ髪を引かれる思いに駆られてしまう。

 

 本当にこのまま家族の元へと向かって良いのか。

 今すぐにでもリィン達と合流し、僅かでも手助けをするべきではないのか。

 だが、仮に逆の行動を取ったとて、家族を見殺しにするのかと、同じく後ろ髪を引かれてしまうのだろう。

 

 ノルド高原や家族への愛情。

 ガイウスの根幹を成す想いが今、降ろす事のできない”重石”となってガイウスの心に圧し掛かっていた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 …………

 

 ……ガイウスは内心の悩みを抱えつつも、トーマ達がいるであろう地区に到着する。

 

 戦火に巻き込まれる可能性は少ないだろうと思われていた地区。

 紙吹雪が地に落ちており、恐らくは盛大に夏至祭が開かれていたであろうこの場所にも、今は混乱と恐怖の悲鳴が木霊していた。

 

 遠方にはやはりシャドウの壁が存在し、再召喚によってまるで津波のようにゆっくりと迫って来ている。

 何も知らない一般市民からしてみれば絶望的な状況だろう。

 事実、周囲の人々はシャドウを見て慌てふためいており、憲兵隊がその対処に追われていた。

 

(トーマ達はどこだ?)

 

 ガイウスは混乱の最中を走り抜けながら、来ているであろう家族の姿を探し求める。

 

 民衆が集まっている広場。

 水路が流れる煉瓦の橋。

 そして、奥の曲がり角に差し掛かった時、ガイウスは道の隅で身を寄せる家族たちの姿を目撃した。

 

「あ、ガイウスあんちゃん!!」

 

 家族の内、最年少のリリがガイウスを見つけて駆け寄ってくる。

 どうやらとても怖かったようで、リリの大きな瞳は涙で滲んでいた。

 ガイウスは抱き着いてくるリリの頭を撫でながら、安心させるために優しく声をかける。

 

「リリ、もう大丈夫だ」

「うぅ……う゛ぅぅ~…………」

 

 頭を撫でられ、唸るように泣くリリ。

 そんな彼女とは対照的に、保護者としてついてきた母親のファトマが落ち着いた声でガイウスに話しかける。

 

「ガイウス、あなたも無事で良かった」

 

 ファトマは母としてガイウスの心配をしていた。

 そして、彼女の後ろには次女のシーダ、次男のトーマ、そして近所の子であるコタンが不安げな視線を向けてきていた。

 

「ガイウスお兄ちゃん。助けに来てくれたの?」

「……ああ、そうだ」

 

 僅かな望みに縋るようにして聞いてくるシーダに対し、ガイウスは一瞬の間をおいて返答する。

 その言葉に安堵するシーダとコタン。

 

 しかし、トーマだけは別の反応を示していた。

 

「……あんちゃん。もしかして、迷ってる?」

 

 まるでガイウスの内心を見透かしているように問いかけるトーマ。

 普段見ない弟の表情を前に、ガイウスは言葉をなくす。

 

「あいつらってさ。ノルド高原であんちゃん達が戦ってた奴らだよね」

「……そうだな」

「だったら、あの時みたいにVII組の皆さんも戦ってるんでしょ?」

 

 そう、トーマ達はあのノルド高原での戦いを目撃していた。

 シャドウに立ち向かうリィンやアリサ達の姿。リリはまだ理解できていなかったようだが、トーマはその危険性を十全に理解していたのだ。

 

「あんちゃんは戦わなくっていいの?」

「俺は……」

 

 答えに迷い、目を伏せるガイウス。

 それを見たトーマは、兄が迷っている理由にたどり着く。

 

「……あんちゃんが迷ってるのって、僕たちが、原因なのかな」

「それは違う」

「違わないって。僕らがいるから、あんちゃんは動けないんでしょ」

 

 トーマは壁に立てかけてあった鉄の棒を拾い上げる。

 そして1回転させると、まるで槍を持つかの如く両手で構えた。

 

「行って、あんちゃん……」

 

 それは、覚悟を決めた弟の言葉だった。

 

「僕だってノルドの民の一員だよ。……まだ、あんちゃんほど上手じゃないけど、それでも皆は守るくらいなら!」

 

 ガイウスを前に威勢を張るトーマ。

 その手は震えており、シャドウに立ち向かうには力不足である事は本人も分かっている。

 それでも兄の迷いを消し去るため、トーマは虚勢を止めはしない。

 

「だから行って! あんちゃんが背負っているもの半分は、僕が背負うから!!」

 

 その意志は、確かにガイウスの元へと届くのだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ──ガイウスは今、迫りくるシャドウの壁へと全速力で走っていた。

 片手に握った槍に迷いは一片もなく、正確に敵の方へと槍先を向けている。

 

 そして、もう片手にあるのは通信を起動させたARCUS。

 スピーカーからは戦闘音と共に、ライの声が聞こえてくる。

 

『どうした?』

「ライよ、1つ頼みがある」

 

 ガイウスはライに向け願いを告げる。

 

『……大丈夫か?』

 

 それを聞いたライから確認の言葉。

 何やら心配しているようだが、ガイウスには最早不要な心配だ。

 ガイウスは笑みを浮かべ、ライに対しこう答えた。

 

「案ずるな。──俺は既に、答えを得た」

 

 光を放つARCUS。

 ライが持つ《鍵》の力を介し、2人は再び繋がった。

 

 

 ──

 ────

 

 

 光に包まれる視界。

 気がつくと、ガイウスは白き世界に足を踏み入れていた。

 

 地と空の境界すらもあやふやな世界。

 その中で、途方もなく巨大な扉の向こう側をガイウスは見つめる。

 

『ああ、重い……。重い、なぁ…………』

 

 そこに存在していたのは、巨大な岩に押し潰されたもう1人のガイウスだ。

 巨岩には人の像が彫られており、トーマやリリといった家族の姿が象られている。

 

 ……まるで、彼らこそガイウスを苦しめている原因だとでも言わんばかりに。

 

『何故、何故こんな重荷を背負わなければならない……。ノルドの未来など、俺の肩には重すぎる』

 

 もう1人のガイウスは心底恨めしい表情で重石を睨みつける。

 その眼には、故郷や家族への愛など何も意味をなさない程の、深い怨みが満ち溢れていた。

 

「……それは、俺が決めた道の筈だ」

『だからどうした。誰が決めたからと言って重さが変わる訳じゃない。彼らが負担になっているは、紛れもない……事実、なんだ……』

 

 今にも圧死しそうな状況で、もう1人のガイウスは苦しげに声を絞り出す。

 

『いっそ、ノルド高原など戦争でなくなってしまえばいい。そうすれば俺は……この重荷から解き放たれる』

 

 故郷の破滅を願うもう1人のガイウス。

 それを見たガイウスの手は、いつの間にか固く握りしめられていた。

 

 ……そう、これこそかつて、ガイウスが否定してしまった影だ。

 自らが選んだ道である筈なのに、勝手にそれを負担に感じ、果ては逃れたいと考えてしまう自暴自棄な心。

 あまりに身勝手な感情だ。正当性など何処にもない。

 

 だが、今のガイウスは、以前とは異なる答えをその身に宿していた。

 

「……そうだな。お前の言う通り、俺は負担に感じていたのかも知れない」

 

 ノルド高原では知る事の出来ない外の世界を知ることで、1人ノルド高原に迫る脅威に備えようとしたガイウス。

 前回の特別実習を終えた後は、より現実味を増した脅威に対処するため、過去の事例を死に物狂いで探し回っていた。

 そこに重荷を感じなかったかと言えば、ないと断言する事は難しい。

 

「だが、それは重くて当然だ。愛する故郷、失いたくない家族……。それらが俺にとって大切であればある程、この身にかかる重さは増していくのだからな」

 

 ならば、ガイウスにとって必要だったのは、負担である事実を受け入れる事だった。

 負担や重荷になっている事を否定するのではなく、それ自体をあるべきものとして歓迎する。

 

 かつて早朝の教会にてライが言っていた「重いだけだ」という言葉は、ある意味真に迫っていたと言えるだろう。

 

『ならば、この重荷はどうすればいい……! 重い……重いんだ。このままだといずれ、潰されてしまう……』

「重さを分け合えばいい。幸い俺は、友人や家族には恵まれている」

 

 家族の元に連れていく為に行動してくれたクラスメイト達。

 先のトーマやノルド高原にいる父ラカンだって、ガイウスの重荷を分かち合おうとしてくれていた。

 

 1人では押し潰されてしまう重荷でも分かち合えば支え切れる。

 ガイウスはそれを証明すべく、もう1人のガイウスを押し潰そうとする巨岩の下に手をかけ、全力で持ち上げた。

 僅かながら隙間ができる巨岩。

 苦痛が薄れたもう1人のガイウスは、地に伏したままガイウスを見上げる。

 

「俺よ。この重荷を共に背負おう」

 

 ガイウスから伸ばされる手。

 それにもう1人のガイウスが応じた時、世界に再び光が満ち溢れる。

 

 

 ──自分自身と向き合える強い心が、”力"へと変わる…………。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 帝都の街中へと戻って来たガイウス。

 前方から迫りくるシャドウの波を前にして、彼は片手を前に伸ばす。

 

「飛び立て、──フレスベルグ!」

 

 刹那、ガイウスの後方から巨大な白き翼が広がった。

 現れたのは雄大な翼を生やした鳥人。人の箇所は薄い布のようなシルエットになっており、表面にはノルドの文様が描かれている。

 

 背後に召喚された隠者《フレスベルグ》はガイウスの体を包むようにして両手を回す。

 

 ガイウスと一体化したその姿はまるで聖職者や賢者の衣。

 翼を得たガイウスは地を蹴り、雪崩れ込むシャドウの上空へと飛翔した。

 

「風よ、薙ぎ払え!」

 

 フレスベルグの翼が一際大きく振るわれる。

 

 ──全体疾風魔法(マハガルーラ)

 発生した緑色の暴風がまるで嵐のように荒れ狂い、シャドウの波を丸ごと飲み込んだ。

 辺り一帯で蒸発する黒い液体。シャドウだった残骸をその眼に収めたガイウスは、帝都の上空で滞空しながら周囲を見渡す。

 

(この場は押さえた。ならば次の一手は……)

 

 一番近い戦場はガイウスのいる地点から東、マキアスがいるであろう場所だ。

 微かに聞こえてくる銃撃音。その位置を目視で確認したガイウスは、大きな翼をはためかせ、重力という名の重石から解き放たれたかの如く空を駆けた。

 

 空の冷たい風が体を横切る。

 下方の景色はまるで流れるように後方へと流れ、地上を走るマキアスの姿をその眼に捉えた。

 急降下するガイウス。その姿を見たマキアスは口を開けて驚く。

 

「な、なっ、ガイウス!? 何だねその翼は!?」

「これは俺のペルソナだ。それよりマキアスよ。遠距離射撃の心得は持っているか?」

「射撃? まあ、大型導力ライフルなどを扱った事はあるが……」

 

 ガイウスの問いを疑問に思うマキアス。

 だが、フレスベルグの翼を改めて見た事で、すぐにその意図を理解した。

 

「──なるほどそう言う事か。ああ問題ない。狙撃手の役目ならば任せたまえ!」

「では行くぞ」

 

 ガイウスはマキアスの体を抱え、そのまま上空へと急上昇する。

 

 低層の雲を超えて、更にその上へ。

 建物が小さく見える高度に達したガイウス達は、地上からはまず不可能な数のシャドウを一望できた。

 そんな彼らの耳に、クレアの声が木霊する。

 

《高高度からの狙撃ですか。ならば、射弾の補正計算は私にお任せを。マキアスさんは狙撃に集中してください》

「はい!」

 

 足場となるガイウス。

 観測手を引き受けたクレア。

 そして、狙撃手として、フォルセティを召喚するマキアス。

 

 狙撃に必要な3要素はここに揃った。

 フォルセティの周囲に出現する光弾。それらは正確な軌道を描き、遥か下方に存在するシャドウの群れを殲滅する。

 

 ──アイオンの雨。

 地上のシャドウからは正しく天からの攻撃にほかならず。

 成すすべもなく、一方的に消されていった。

 

 高々とそびえる壁を、更なる高みから叩き潰す。

 帝都の解放を賭けた戦いは今、ペルソナ使い達の方へと大きく傾くのであった。

 

 

 




魔術師:ザントマン
耐性:疾風耐性、電撃弱点
スキル:ドルミナー、ドルミンラッシュ、睡眠率UP
 ドイツの民間伝承に登場する睡魔。眠気を誘う魔法の砂が入った袋を背負っており、人の目に砂を投げ込んで眠らせるという。夜更かしをする子供を窘める習慣としても使われていた。

正義:パワー
耐性:祝福無効、火炎耐性、電撃・呪怨弱点
スキル:電光石火、ハマオン、スクカジャ
 キリスト教における能天使、別名エクスシア。天使の階級(ヒエラルキア)において第6位に位置している。最初に生み出された天使だと言われており、神の掟を正しく実行し、地獄の悪魔達との戦いにおいても最前線で戦う役目を負っている。

隠者:フレスベルグ
耐性:疾風耐性、火炎弱点
スキル:ガルーラ、マハガルーラ、アサルトダイブ、疾風ブースタ、火炎見切り
 北欧神話に登場する鷲の形をした巨人。ユグドラシルの頂き、天の北端から世界を見渡しており、フレスベルグが広げた翼から全ての風が生まれると言われている。

隠者(ガイウス)
 そのアルカナが示すは思慮や崩壊。正位置では思慮深さや思いやりを表すが、逆位置になると閉鎖性や悲観的な要素となってしまう。描かれているのは杖を携えた老人。反対の手には灯りを持っており、今だ旅を続ける後輩に向け、先人の導きを与えているとされている。ガイウスの学びもまた、いずれはノルドの人々を導く灯となる事だろう。


絶縁テープ(軌跡シリーズ)
 感電による導力魔法の使用不可状態(封魔)を直すために使用されるテープ。
 状態異常を治すアイテムを一通り揃えておく事は、実際大切。


────────
ガイウスの影を考えるのが個人的に1番難しかったです。
なんせ、寛容さが高すぎて普通に受け入れそうなんですもの、彼。

後、ペルソナ5に登場した真と双葉のペルソナはある意味革命だったと思います。
バイクになったり、UFOになって中に入れたり、一応人要素がある事は辛うじて残していますが、ペルソナの在り方についてより自由になったのは間違いない筈。



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77話「高貴なる者の義務」

 ──空を舞う複数台の導力車。

 石畳の車道にて荒れ狂うユーシスの影との戦闘は、依然として続いていた。

 

 母親人形は巨体であるにも関わらず操り人形のように不自然な挙動で動き回り、子供人形の指示に従って周囲のモノを無差別に吹き飛ばしている。

 それと対峙する気分は、まるでモンスターパニックものの映画に出演している様だ。

 嵐が如く車や露店が飛んでくる中、ライはARCUS片手にガイウスからかかって来た通信に応答する。

 

「どうした?」

『ライよ、1つ頼みがある』

 

 ガイウスからの頼みとは、戦術リンクを行いたいというものだった。

 この状況に陥った原因と思しきチップは取り除いたとは言え、まだ安全を確認した訳ではない。

 つまりは1度の戦術リンクで成功させる事が絶対条件。本当に大丈夫なのかと、ライはARCUS越しに問いかける。

 

『案ずるな。──俺は既に、答えを得た』

 

 しかし、ガイウスの返答は確信を得ているものだった。

 

 ならば後は信じるしかない。

 そうライが考えたその時、ユーシスの影がライに向け建物の外壁を投げつけて来た。

 

『僕の前で悠長に通信するとか、流石に失礼なんじゃないかなぁ!!』

 

 迫りくる煉瓦の壁。

 ライは咄嗟に後方へとジャンプし、衝突の威力を和らげる。

 

「それは、ごもっとも……!!」

 

 全身に衝撃を受けた瞬間、ライは更に壁を蹴って跳びあがる。

 地面と激突して砕け散る煉瓦の壁。

 ギリギリで巻き込まれる事を回避したライは、1回転しながらユーシスの隣へと着地した。

 

「阿呆か! 奴を無意味に刺激するな!」

「悪い」

 

 痛む身体。流石に強敵の前で通信は不味かった。

 しかし、エリオットに個別に対応する余裕がない以上、余裕がなくとも対応せざるを得ない事情もある。

 

 ガイウスとの戦術リンクは既に成立した。

 後は任せるしかない以上、ライは眼前で暴れているユーシスの影に注力すべきだろう。

 

「しかし、奴も滅茶苦茶にやってくれる」

 

 影から受けた傷を押さえつつ、ユーシスは人形の行動に苦言を呈す。

 

 影は周囲の物や建物を手当たり次第に破壊していた。

 その姿はまるで癇癪を起こした子供のようだが、被害は桁違いに大きい。

 このまま野放しにしていたら被害は広がる一方だろう。

 

 何としても止めねばならない。

 ユーシスは剣を構え、刃に青白い光を灯す。

 

「いい加減にしろッ!! 貴様の相手は俺達だ!」

 

 ──ルーンブレイド。

 魔力が込められし刃が振るわれ、民家を破壊しようとする髪の軌道を無理やり捻じ曲げた。

 地面に突き刺さる母親人形の長髪。

 狙いを外された影の目がユーシスを捉える。

 

『はぁ? なに子供の遊びを邪魔してるんだよ。これだから傲慢な大人は、空気が読めないんだから』

「……何だと?」

 

 影の周りに積み重なった残骸は、タイミング悪くここで乗り捨てられた一般人の導力車だ。

 人形が壊していた建物も一般住民の家。遊びと称して破壊するのは度が過ぎた行為だと言えよう。

 

『母上、あの不届きものをしばいてしまおうよ!』

 

 だが、子供に自省する様子はなく。

 母親人形へと命じて戦闘の姿勢を取った。

 

「上等だ。貴様のような危険なシャドウはここで食い止めてみせる」

 

 相手は大型のシャドウだ。

 それでもユーシスは物怖じせずに武器を握りしめる。

 

 このままだと、いずれ物だけでなく人にまで危害が及ぶだろう。

 責務をその胸に、ユーシスは1歩前に踏み出すのだった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 弾ける火花。

 巨大な人形の腕を剣の腹で受け止めるユーシス。

 後ずさる足元。ユーシスは剣の角度を斜めにずらし、腕の衝撃を上へと受け流す。

 

『なんで邪魔するんだよ!』

「当然だ! どんな理由があろうと、無辜の民の物を傷つけていい道理などない!」

 

 影の暴虐を止めるため、ユーシスは司令塔たる子供人形へと刺突を放つ。

 

『ひっ!』

 

 迫りくる刃を前に両手で顔を隠す影。

 しかし、その刃は母親人形の手によって防がれてしまう。

 直後、鞭のようにしなる長髪が、反撃としてユーシスの腹部に直撃する。

 

「かはっ……!!」

 

 吐き出される肺の空気。

 まるで紙屑のようにユーシスが弾き飛ばされる。

 

「受け止めろ! ──フォルネウス!」

 

 そんなユーシスを受け止めたのは、空を泳ぐエイのようなペルソナだった。

 

 母親人形から放たれる追撃の一撃。

 それに対しフォルネウスは全体氷結魔法(マハブフーラ)で応戦。

 球体関節の腕と共に、子供人形の半身を氷漬けにする。

 

『あ! ああぁっ!!』

 

 母親人形の腕はすぐに氷を突破するが、子供人形を巻き込んだのが結果として良かったのか、人形達は一旦ユーシス達から距離を取った。

 

 辛うじて手に入れた時間。フォルネウスはゆっくりと地上に降りていく。

 その上でせき込みながら酸素を取り込むユーシスの元に、召喚者であるライが駆け寄ってきた。

 

「無事か?」

「げほっ……く……、ああ、何とかな……」

 

 痛みを堪えつつ、上半身を起こすユーシス。

 一方、影の方はと言うと、母親人形の手に出現したスープを飲んで氷を融かしていた。

 

「チャウダーを飲んで回復しているのか……!」

 

 白いスープを口にした影の傷が、まるで時間が遡るが如く癒えていく。

 

 影が飲んでいたのはユーシスの母がユーシスの為に考案したキュアハーブのチャウダーだ。

 それを母親人形から手渡しで受け取って、美味しそうに食べるユーシスの影。

 正直なところ、大切な思い出を汚されたようで、見ていて心地よい光景ではない。

 

『ちくしょう、あの魚もどきめ! ぜったい消してやるっ!!』

 

 傷を治した影の声に応じ、母親人形の目が怪しげに光る。

 フォルネウスに向け放たれる呪怨に満ちた閃光。

 ペルソナに当たったとて消えるだけだが、その上にいるユーシスはそうはいかない。

 

 体勢を崩したまま両手で急所を守るユーシス。

 その前に、片手剣を構えたライが立ちふさがる。

 

「──ユーシス!」

 

 イービルアイの光線を剣で受けるライ。

 周囲に弾け飛ぶ光。攻撃を受け止められたと判断した母親人形の目に再び光が集まる。

 

「おい! 次弾が来るぞ!」

「それよりユーシス、1つだけ訂正しておきたい事がある。──ッ!」

 

 次なる光線もライは真正面から受けた。

 

 衝撃と熱。

 全身にダメージを受けながらも、ライは歯を噛みしめ会話を続ける。

 

「あそこにいるのは子供だ」

 

 今まさに命を奪おうとしている相手に対し、ライは子供と称した。

 危険なシャドウと考えていたユーシスは目を丸くする。

 

「子供、だと……?」

「ああ子供だ。敵だらけの環境に怯えて、最も近しい人間からも不要だからと忘れられた、ただの悲しい子供だ」

 

 2発目のイービルアイを受けきり、ふら付きながらも言葉を続けるライ。

 どうやら遠距離攻撃は効果が薄いと考えたらしく、母親人形は近接攻撃の構えを取る。

 それに対しライは召喚器片手に堂々と立ち向かう。

 

「ユーシス。高貴なる者として、お前ならどうする?」

 

 ライは正面を向いたままユーシスに問いかけ、巨大な影へと駆けて行くのだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 母親人形と近接でやり合うライの戦闘は熾烈を極めていた。

 

 丸太が如き腕の横なぎを蹴り上げで逸らし、追撃の髪を紙一重の宙返りで回避。

 ライは攻撃の余波でできた出血を無視し、着地と同時にヘイムダルを召喚する。

 大気ごと母親人形の頭を潰さんとうなる大槌。しかし、その腕が髪で拘束されてしまい、寸前のところで不発に終わった。

 

『くっそ、うっざいんだよ! ペルソナ使い!』

 

 子供人形の苛立ちに合わせ、周囲に赤い電撃が迸る。

 

 ──全体電撃魔法(マハジオンガ)

 その予兆を察知したライは、電撃弱点であるヘイムダルを急ぎ変更する。

 

「チェンジ──ホクトセイクン!」

 

 代わりに現れたのは、体を透き通った結晶で構成されたペルソナ、ホクトセイクン。

 電撃無効の耐性を得たライは、地面を砕くほど強烈な電撃の嵐を無視して跳躍。

 子供を守る母親人形に向けて剣を叩きつけた。

 

(あのシャドウが、ただの子供……?)

 

 そんな戦闘を後方から傍観するユーシス。

 ようやく立てるようにはなったが、まだ戦えるような状況じゃない。ユーシスはその事を歯がゆく感じつつも、先ほどライが言っていた言葉を確かめるため、影の姿をその眼におさめていた。

 

『なんで、なんでなんで電撃が効かないの!? お前ホントに人間かよ!?』

「一応、な!」

 

 母親人形に振り払われ、宙を舞うライ。

 後ずさりしながら着地した彼は、即座にホクトセイクンを前方に展開。

 拳を振りかぶった人形に対し、防御の構えを取った。

 

『さっさとくたばってよ! くたばって! くたばれぇ!! 僕は、僕だけは早くこの世界をめちゃくちゃにしなきゃいけないんだから!!』

 

 ホクトセイクンに向けて拳の連撃を放つ影。

 1発1発が導力車をスクラップにする程の威力。それを躊躇なく振るう姿は先ほども見た危険なシャドウそのものだ。しかし、ライの話を聞いた今となっては、力しか解決手段をしらない幼子の叫びのようにも聞こえた。

 

「周囲の物を壊したところで、世界は変えられない」

『そんな大人の理屈で納得するわけないっての! 母上と僕は、妾とその子供ってだけでアルバレア家からいないも同然の扱いをうけてきたんだ! 母上が病気になったときだって言葉の1つすらなかったんだよ!? 大貴族の力さえあれば病気を治すことすらできたかも知れないのに!! しかも僕は、爵位の違いってだけで実の父親に頼みこむことすらできなかった! 周りの人たちだって肩書だけみて距離をとって、そうじゃないのは叔父や兄上くらいで、味方なんてほとんどいなかった!!』

 

 貯めこんでいた思いが、決壊したダムが如き叫びととなって溢れ出す。

 

(恨みか……)

 

 影の言葉を耳にしたユーシスは、かつての記憶を思い出していた。

 

 母を病気で亡くしたあの頃。

 ユーシスは感情を表に出すことなく受け入れていた。

 あの時はすでに自らを取り巻く環境や、貴族としての振舞い方を理解していたのだ。

 

 ……一体いつからだっただろうか。

 貴族として相応しくないからと、あんな風に感情を表に出さなくなったのは。

 もっと昔だ。もはや思い出せないほど幼い頃から、ユーシスは”子供”じゃいられなくなっていた。

 

『──そんなに建前が重要かよっ! そんなに肩書が怖いのかよっ! 何で誰も僕達を見てくれないんだよっっ!!』

 

 そんなユーシスの代わりに憎しみをぶつけるユーシスの影。

 連撃を受け続けるホクトセイクン。遂にその頑強な体にピシリと、一筋のヒビが走った。

 

『こんな、こんな間違った世界、僕がこの手で変えてやる!!!!』

 

 渾身の一撃がホクトセイクンに叩き込まれる。

 周りの地面が陥没し、青い光となって消えるペルソナ。

 しかし、その先に召喚者たるライの姿はなかった。

 

『いない!? ──って言うとでも思った?』

 

 母親人形に抱えられているが故に死角が多いユーシスの影。

 しかし、死角は本人が把握していれば死角足りえない。

 

 影は自身の死角へとイービルアイを放つ。

 高速で移動する物体を貫通する呪怨属性の光線。

 だが、その物体は人ではなく、投擲された残骸に括りつけられた赤い布であった。

 

『え、赤い、マント!?』

 

 ご丁寧に仮面までつけられたデコイ。

 それを見た影の思考に一瞬の空白が生まれる。

 

 その刹那、道にできた瓦礫の山、ユーシスの影自身が作り上げた残骸の中からライが現れた。

 剣先を子供人形へと向け、全速力での疾走。

 影が気づいた時にはもう手遅れ。

 

「悪いな」

 

 鋼のような目が影を捉える。

 瞬間、全体重を乗せた剣が子供人形の胸を深々と貫いた。

 

『あ゛あああああ゛ぁぁっっ!!!!』

 

 痛々しい悲鳴を上げるユーシスの影。

 母親人形は慌てて跳び引き、チャウダーの皿をその手に召喚する。

 

 ……だがしかし、その隙はあまりに致命的だった。

 

「叩き潰せ、ヘイムダル」

 

 ライの前方に現れる光の巨人。

 先ほどは防がれた大槌を振りかぶり、無情にも母親人形へと振り下ろす。

 轟音。我が子にスープを飲ませようとした人形は、哀れにも頭を砕かれ地に伏した。

 

 散らばる破片。異変に気付いた子供人形が、呆然と声を漏らす。

 

『…………えっ、はは、うえ……?』

 

 影は痛みも忘れ、四つん這いになって母親人形の元へと近づいていく。

 しかし、母親人形は既に物言わぬ躯と化していた。

 動かない躯体にしがみつき、子供人形はその体を震わせる。

 

『母上! 母上っ!! 母上ぇぇぇぇ!!!!』

 

 そこにいたのは、泣きじゃくる無力な子供だった。

 

 脇目も振らず母の名を呼び続けるユーシスの影。

 一方で母親人形を破壊したライは、静かにその姿を見下ろすのみ。

 止めを刺すのではなく、声をかけるのでもなく、感情のない青い目で影を姿を見続ける。

 

 ……まるで、彼に寄り添うのは自分の役目じゃないとでも言わんばかりに。

 

「ライ、もう十分だ」

 

 そんなライを片手で遮るユーシス。

 彼は1人影の元へとゆっくり歩み寄ると、地面の落ちていた皿をそっと拾い上げた。

 中に入っていたのは半分になったキュアハーブのチャウダーだ。高熱を出したユーシスの為に母が作り出したオリジナルの料理。その香りを懐かしく感じながらも静かにしゃがみこんで、子供人形へとそっと皿を差し出した。

 

「飲むがいい。好物なんだろう?」

『えぐ、ひぐ……、──え?』

 

 チャウダーを見て泣き止む影。

 その姿を見たユーシスは口角を僅かに緩め、子供をあやすような声色で語り掛ける。

 

「俺は四大名門の一端アルバレア家の子息だ。その肩書は今後も変わる事はないし、兄上から教わった貴族としての在り方を変えるつもりもない。今後も複雑なしがらみの中で、恨みも悲しみも飲み込んで生きていく事になるだろう」

 

 ユーシスは幼い頃から貴族として正しい在り方を志していた。

 アルバレア家で唯一接してくれた兄ルーファス・アルバレアから作法を教えてもらい、高貴なる者の義務(ノブレス・オブリージュ)という信念もまたそこで学んだ。

 だが、その教えは大人の社会で生きていく為のもの。代償として子供のような生き方は出来なくなり、それは貴族として生きる以上変わる事はないのだろう。

 

 この子供を表に出すことはできない。

 だから、ユーシスにできるのはたった1つ。

 

「……だがな。お前という人間が俺の内にいる事くらいは覚えておいてやる。子供1人くらい背負えなくて、いったい何が誇りある貴族だ」

 

 この子供の一番身近な個人として、子供としての自分も背負って生きていく。

 もう抑え込まれた心にはしない。ユーシスは小さな子に対し、しっかりとそう宣言した。

 

『……約束、だよ?』

「ああ、貴族としての誇りと、お前という子を育ててくれた母上に誓って、約束しよう」

 

 ユーシスの返事を聞いた影は納得した表情で頷いて、光の中、その姿を変えていく。

 

 優雅なマントを羽織り、堂々とした佇まいで長槍を握る統治者。

 気品ある帽子を被ったそのペルソナの名を皇帝《オーディン》。これこそ先ほどまでの子供であり、ユーシスの内に目覚めた新たな力である。

 

 淡い粒子となりユーシスの体へ戻っていくペルソナ。

 体の芯がほのかに熱くなるのを感じたユーシスは、青い粒子を大切そうに握りしめるのだった。

 

 

 ──自分自身と向き合える強い心が、"力"へと変わる…………。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 影が消えた事によって平穏を取り戻した帝都南西部の車道にて。

 自らの影を受け入れたユーシスの元に、武器を仕舞い込んだライが歩いていった。

 

「何とかなったな」

「ああ、お前には世話をかけた」

 

 罠であったにせよ、結果としてユーシスが撒いた種をライが対処する形となったのだ。

 

 その恩を感じていたユーシスはライに対し素直に礼を述べる。

 口調も僅かながら柔らかくなっており、どうやら認めてくれたようだとライは口角を緩める。

 

「……しかし、結局のところ奴らの思惑通りになってしまったな」

 

 遠方の空を見上げながらユーシスが呟く。

 視界の先に見えたのは、遥か上空を飛んでいる鳥のような影。

 地上からは鳥にしか見えないが、あれはシャドウを殲滅する為に移動するガイウスとマキアスだ。

 

 彼らがいれば、分断された帝都はいずれ解放される事だろう。

 しかし分断の意図は恐らく陽動だ。VII組全員がシャドウ襲撃に対処している現状、テロリストの筋書き通りに事態が進んでしまっていると言っても過言ではない。

 

「どうする? 今からテロリストを追いかけるか?」

「いや、その必要はない」

 

 だがしかし、ライは特に焦る様子もなく返答した。

 

「俺達には、まだとっておきの切り札が残っている」

 

 不敵な笑みを見せるライ。

 それを見たユーシスもまた、その理由に思い至り「そうだったな」と言葉を返すのだった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ──淀んだ空気が流れる帝都の地下道。

 何百年前に作られ、今は人々の記憶からも忘れ去られた石造りの通路の中、久方ぶりに何人もの足音が響き渡っていた。

 

「急げ! 憲兵隊に追いつかれる前に離脱するぞ!」

 

 様々な服装を来た人々の内、意識のない者を担いだ男が声を出す。

 そう、彼らこそ帝都を窮地に陥れたテロリスト達だ。地上の混乱に乗じ、グノーシスを飲んで意識を失った仲間を連れてこの地下道まで撤退して来たのだ。

 

 なまじ正規軍の脅威を知っている分、予定通りに進行しているとは言え、彼らの危機感は深刻なものだ。

 慌てた様子で移動するテロリスト達。

 そんな彼らを諫めるように、指揮していたギデオンが口を開く。

 

「狼狽するな。帝都憲兵隊は今地上の対処に追われている。出入口に残った同志からの連絡もない以上、追跡の心配は不要だ」

「そ、そうか」

 

 ギデオンの言葉で落ち着きを取り戻すテロリスト。

 彼らは志を同じくする同志たちではあるが、こうした荒事のプロという訳ではない。

 上に立つものとして、ギデオンは有象無象の同志をまとめ上げる義務があった。

 

「まもなく計画は第二段階に移行する。その前に我らは帝都を後にするぞ」

 

 ギデオンの指示に従ってテロリスト達は地下道の奥へ、帝都の外へと繋がる道を歩いていく。

 彼らの背中を一瞥したギデオンもその後に続こうとする。

 

 しかし、その直前、ギデオンの視界に赤い花びらが舞い落ちる。

 

(……バラの花びら、だと?)

 

 この地下道にある筈のない異変。

 それを目撃したギデオンは目を見開き、反射的に振り返る。

 

「おや、気になる話をしているね。その計画とやらについて、良ければ僕にも教えてくれないかな?」

 

 花びらが落ちて来た先、通路の壁にある段差の上には2人の人物が立っていた。

 1人は重厚な剛剣を携えた紫衣装の男性。

 そしてもう1人は、深紅のバラをその手に持った煌びやかな金髪の男だ。

 

 ギデオンはこの2人を知っていた。

 特に後者は、この帝国で知らない人間などほとんどいないと言っていい有名人。その姿を見たギデオンは驚きを隠せない。

 

「馬鹿な。何故、放蕩皇子がこの場所に……!?」

 

 彼が驚くのも無理はない話だろう。

 今、目の前にいる放蕩皇子ことオリヴァルト・ライゼ・アルノールは、本来ならば行事に参加している筈の人物だ。それが何故この場にいるのか。

 

 理解できないと混乱するテロリストに対し、オリヴァルトは悪戯っぽくほほ笑むのだった。

 

 

 




魔術師:フォルネウス
耐性:氷結無効、電撃弱点
スキル:マハブフーラ、タルカジャ、マハラクンダ、マリンカリン
 ソロモン王が使役した72体の魔神の1つ。堕天使の軍団を率いる大侯爵であり、召喚時には海の怪物を象るとされている。言語に関するあらゆる知識を持ち、召喚者に授ける事ができる。

法王:ホクトセイクン
耐性:電撃無効、物理耐性、火炎弱点
スキル:ジオンガ、電撃ガードキル、ナバスネビュラ、衰弱耐性
 道教において北斗七星が神格化されたもの。死や悪運を司るとされており、人々を地獄に送る際の判決を下す神でもある。死を司る関係上、寿命を操るとも言われており、転じて長生をもたらす神としても信仰されている。

皇帝:オーディン
耐性:電撃耐性、疾風弱点
スキル:ジオンガ、マハジオンガ、雷鳴斬、電撃ハイブースタ
 北欧神話における主神であり戦争と死の神。神々の国でアース神族を統べており、高座にて世界を見渡している。知識の探究者であり魔術師でもあった彼は、戦死した勇士達を自らの宮殿ヴァルハラへと集め、来たるべき終末に備えようとしていた。

皇帝(ユーシス)
 統治や同盟、頑固さ等を意味するとされるアルカナ。正位置の場合は支配や責任感の強さなどを表すが、逆位置になると未熟や身勝手を示すものとなってしまう。アルカナに描かれているのは先見的な立場で人々を導く理想の指導者。皇帝の番号である4もまた偉大かつ完全な数字とされており、総じて揺るぎない権力者である事を暗示している。



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78話「テロリストとの戦い」

 ──帝都北西のサンクト地区にあるヘイムダル大聖堂。

 帝都最大級の教会であるこの場所は、本来ならば皇族も参加する行事が盛大に行われている筈であった。

 しかし途中でシャドウ事件が発生した事で聖堂内の状況は一変。

 この大聖堂は市民を守るための緊急避難場所となっていた。

 

 混乱する市民を誘導する帝都憲兵隊。

 それとは別に、皇族を守護する近衛軍の兵士が安全を守るために皇族達の待機部屋へと足を踏み入れる。

 

「セドリック皇太子、オリヴァルト皇子! 緊急時につき失礼します! 外は危険ですので、今しばらくこちらで待機を──、──!?」

 

 室内へと入った近衛兵の指示が途中で止まる。

 何故なら、待機室にいるであろう護衛対象の内、1人の姿がどこにも見当たらなかったからだ。

 

「セ、セドリック皇太子……。誠に恐縮ですが、オリヴァルト皇子は……?」

「えぇっと、兄上はちょっと用事があるからって、ミュラーさんと2人で出ていきました」

 

 申し訳なさそうに頬をかく弟のセドリック。

 

 護衛対象の不在。

 何時もの事とは言え、よりによってこのタイミングでの放蕩行為。

 それを知った近衛兵は口を大きく開けて、

 

「な、なな、何ですって!?」

 

 と、叫ぶのであった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 大聖堂の近衛兵を愕然とさせていた放蕩皇子。

 オリヴァルトは今、護衛のミュラーと共に、灯が揺れる地下道の中でテロリストのギデオンと対峙していた。

 

「どういう事だ……? 何処だ? 何処に見落としがあった!?」

 

 ギデオンは理解できない状況を前に混乱する。

 彼は今回の襲撃に対する準備は入念に行ってきた。ペルソナ使いを保有するVII組への対応策は当然として、顧問であるサラや鉄道憲兵隊のクレアと言った実力者の把握、更には外部から入ってくるイレギュラーを見つける為に出入口を監視するなど、日常の裏側で様々な対策を講じていた。

 

 しかし、場所が明らかな皇族の監視は流石にしていない。

 彼らは夏至祭の主役だ。近衛兵等の戦力を分散させる為に役立つことはあれど、こうして障害となるなど想定外にも程がある。

 

「フフッ、そこまで驚かれると説明しない訳にはいかないね。実は学院のOBとして後輩達に頼まれたのさ。この通路をテロリストが通るから、そこでちょっかいをかけて欲しいってね」

「後輩──まさか、VII組か!?」

 

 今まさに地上のシャドウ掃討に追われているトールズ士官学院の生徒達。

 自身の計画に沿って動いていた筈の子供達が、逆に罠を仕掛けていたとでもいうのか? と、考えるギデオンの脳裏に浮かんだのは、先日の同志《C》が言っていた言葉だった。

 

《奴らを学生と甘く見ないことだ。並みの感覚でいると足元を救われるぞ》

 

 ギデオンは苦々しく歯を噛みしめ、オリヴァルトに反論する。

 

「だが、奴らは計画について何も掴んでいなかった筈だ」

「それについては否定しないよ。シャドウを使った襲撃のパターンは余りに多い。その上、キミたちはそれを特定させない為に、決行までの痕跡を可能な限り消していたみたいだからね。──けど、撤退ルートだけは話が別さ」

 

 撤退ルートと言う単語。

 その言葉を聞いたギデオンは、自身の計画にあった唯一の穴に気がついた。

 

「──華麗なる大舞台の前には相応の準備が必要と言うもの。どこかの怪盗が言っていたようだけど、それは今回のテロだって同じこと。何せグノーシスを飲んだ人間は昏倒、最悪廃人になってしまうみたいだかね。彼らを連れて撤退するルートは限られていた筈だよ」

 

 そう、グノーシスを用いた襲撃は決行前こそ秘匿しやすいものであったが、飲んだ後の対処には制限があった。

 昏倒した同志たち。彼らを野放しにしていては他のメンバーへと繋がる手がかりを残してしまう恐れがある。しかも正規軍は裏の出入口を発見次第塞ぐように行動していた。こうなっては、テロリスト達は正規軍が知らない脱出路を事前に確保しておかなければならなくなる。

 

「彼らはその事に気づいていたのさ。故に帝都の外へと繋がる地下道を前日に調査し、キミたちテロリストの痕跡を発見した。後は悟られぬよう、自らは当初の予定通りに警備していたと言う訳さ。彼らもキミたちにマークされている事を理解していたみたいだからね」

 

 ギデオンはVII組を一方的に監視していたと思っていたが、それこそが罠だった。

 今までの事件からペルソナ使いが警戒されている事は想定できる。だからこそ、あえて自分達は動かずに、テロリストが想定していないであろう実力者をこの地下道へと配置した。ギデオン達テロリストは、学生達の罠にまんまとハマったのだ。

 

「……不服だが、認識を改めねばならないらしい」

「悪いがそういう事だ。貴様らは国家転覆の罪で拘束させてもらう。我がヴァンダールの剣を前に、逃れられるとは思わぬ事だな」

 

 身構えるギデオンに対し、オリヴァルトの横にいたミュラー・ヴァンダールが剣を構えた。

 

 大剣を片手で軽々しく扱うヴァンダール流剣術の1つ。

 代々皇族を守護する役目を負った武の噂は関係のないギデオンにまで届くほどだ。

 道具を取り出す時間など与えない。

 常人の反射神経では対応不可な速度で振るわれた刃が、致命傷にならない部位へと繰り出される。

 

 ──刹那、衝突する3種の武器。

 

 大剣の剣筋を塞ぐようにして構えられた蛇腹剣と大型のガトリング砲。

 通路の奥から登場した2人のテロリストによって、ミュラーの一撃はギデオンの目前で停止した。

 

「……助かった。同志《S》、同志《V》」

「あらあら、あれだけ自信満々だったのに追い込まれてるじゃないの?」

「《G》の旦那。この先で同志達が捕まっていた罠は解除しておいたぞ」

 

 ミュラーの攻撃を防いだのは眼帯をつけた妖艶な女性《S》と、熊のように頑強な巨体を持つ男《G》の2人だ。

 

 唐突な加勢により一旦距離を取るミュラー。

 戦局は2対3になったが特に焦る様子は見せない。

 逆に、数では優勢な筈のテロリストの方が劣性な様相を醸し出していた。

 

「ねぇ《G》。加勢しといてなんだけど、あの2人が相手じゃ3人がかりでも少し厳しいわ」

「分かっている!」

 

 猶予を手に入れたギデオンは懐へと手を伸ばす。

 ノルドで珍妙な道具を扱っていたとの報告を受けていた為、最大限の警戒を行うミュラー。

 しかし、今回ギデオンが手にした道具は、取り出す必要すらないものだった。

 

 何かを手に取った微かな音。

 ギデオンの目が一瞬青く輝いたその瞬間、周囲の地面から黒い水が噴き出した。

 

「──現れよ」

 

 ギデオンの周囲に出現した3体のシャドウ。

 例え比類なき武を修めた者であっても、ペルソナ使いでなければ討伐不可能なテロリストの切り札だ。

 

「長きに渡り研究を重ねたこの力。その身で存分に味わうが良い」

 

 ギデオンの周囲に現れた獣型のシャドウ達が一斉に襲いかかる。

 

 牙の奥から溢れ出す3色の魔法。

 決して倒す事の出来ない敵。

 一転して窮地に陥るミュラー。しかし、彼の後方からお調子者の声がギデオンの言葉を否定する。

 

「──その言葉、そっくりお返しするよ」

 

 ミュラーの後ろから放たれた光。

 それは6本に分かたれてシャドウの周囲に着弾。魔法陣を形成する。

 ──シルバーソーン。幻属性の導力魔法がシャドウに命中したその瞬間、3体のシャドウは動きを止めた。

 

「……馬鹿な」

 

 静止する戦場。

 その中で、導力魔法を放ったオリヴァルトは、1人無邪気な笑みを浮かべていた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「オイオイ、どう言うこった。何故シャドウにアーツが効いてやがる」

「キミたちがシャドウを研究していたように、ボクらもまた努力を重ねていたって訳さ。……力として使うためではなく、制すべき敵としてね」

 

 オリヴァルトが放ったのは精神に影響を及ぼす導力魔法だ。

 そして、地下道故に分かりにくいが、この空間には"淀んだ空気"が滞留しており、以前ルーレで実験した状況が再現されていた。

 

 特定状況下では精神に対する状態異常が有効となる。

 ペルソナ使いではないオリヴァルト達がテロリストに対抗する為、昨夜の内にライが用意した策だ。

 代償として、ライの胃が再びにがトマトで満たされる事になったが、必要な犠牲だったと言えるだろう。

 

「倒す事は叶わなくとも、"混乱"させる事くらいなら出来るんだ。さて、お手並み拝見ってところかな?」

 

 シャドウ達にかけられた状態異常は混乱。

 敵味方の区別が不可能になる状態にさせられたシャドウは、近場にいたテロリスト達へと襲いかかる。

 

「──チッ!!」

 

 これによりテロリストの切り札は一転、自らを追い込む強敵となった。

 迫りくるシャドウの牙を剣で止める《S》。

 その横で《V》が火薬式のガトリングを放つが、シャドウを傷つける事は叶わない。

 

「《G》の旦那ァ! セントアークで使ったというアレは使えねぇのか!?」

「悪いが、この帝都には異世界は形成されていない。脱出経路としての使用は不可能だ!」

 

 崩壊寸前の戦線。

 傷を負い、追い詰められたテロリスト達の頬に汗が滴る。

 

 ──その時である。

 この場にいない筈の、6人目の声が地下道に響き渡った。

 

「……やはりこうなったか」

 

 加工されたくぐもった男性の声。

 直後、天井を蹴った黒い影が一瞬にして《S》の近くに着地。

 その手に持った両剣で作り上げた斬撃によって、周囲のシャドウが飛沫となり蒸発した。

 

「シャドウを倒した、だと?」

 

 無視できない異変を目撃したミュラーは、新しく加わったテロリスト側と思しき男へと剣先を向ける。

 

 黒い装束を身にまとい、同じく黒いフルフェイスのマスクで顔を隠した不審な男性。

 表情を窺い知る事は出来ないが、その佇まいに隙はなく、明らかに他の3名よりも強敵だ。

 恐らく、奴こそがテロリストのリーダー。先の異変も踏まえ、ミュラーは男の一挙一動に神経を張り巡らせた。

 

「作戦の第二段階は既にこちらに向かっている。これ以上、ここで余興に付き合う必要はないだろう」

「しかし、ヴァンダールが相手ではいくら同志《C》と言えど──」

「ならば同志《G》、”あれ”を俺に使え」

 

 男の言葉を聞いたギデオンが驚きを露わにする。

 

「──! まさかあの推論を試すつもりか!? しかし、我が鍵にはかの世界と繋げる程の力は……」

「問題ない。覚醒の儀式なら既に済ませてある」

 

 奴らは何か逆転の一手を隠し持っている様子。

 ブラフによる誘い込みの可能性もあったが、このまま好き勝手させる訳にもいかない。

 ミュラーは懐に忍ばせていた小刀をギデオンへと投擲する。

 

 ──ミラージュエッジ。

 相手の行動を妨害する魔法が籠められた刃であったが、それは同志《C》と呼ばれた男が繰り出した飛ぶ斬撃によって叩き落される。

 同時に、ギデオンは先ほども使用した道具を掴み、今度は取り出して使用する。

 

(青い、鍵……?)

 

 その手にあったのは、まるで月の光を閉じ込めたかの如き青い鍵であった。

 ところどころ欠けているようだが、異様な気配を放つアイテム。

 それを見たオリヴァルトは嫌な予感を感じつつも、導力銃で援護射撃を行う。

 

 高速で銃弾を放つクイックドロウ。

 だが、銃弾が着弾する寸前、ギデオンの鍵が光を放ち、同志《C》の周囲に青い旋風が巻き起こった。

 

「切り裂け。──ジークフリード」

 

 男の前方に現れたのは青い甲冑を身に纏った巨大なペルソナ、ジークフリード。

 報告書で見たリィンのペルソナ《シグルズ》と似た形状をしたその騎士は、オリヴァルトの弾丸を全て粉砕し、同時に部屋の天井までも粉々に切り裂いた。

 

 壊された天井が崩落する。

 その位置は正しくミュラーとテロリスト達の中間。

 ミュラーは後方への撤退を余儀なくされ、テロリストの間に瓦礫の壁が築きあげられた。

 

 顔一つ分程の隙間から覗く同志《C》の仮面。

 今も尚崩落を続ける中、彼はオリヴァルト達に向けてこう言った。

 

「我らが名は《帝国解放戦線》。耐え難き怒りをその身で燃やし、この帝国を蝕む独裁者を打ち破らんと立ち上がった集団だ。……もしこの場を無事に切り抜けたなら、地上を駆け回っている者達にも教えてやると良い」

 

 その言葉を最後に、崩壊の向こうへと消えていくテロリスト達。

 

 均衡を崩した地下道は今も崩落を続けている。

 オリヴァルトとミュラーの2人は、巻き込まれないようこの場を後にするのだった。

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ……

 …………

 

 地下道の崩落から逃げ延びた2人は、静かになった地下道の曲がり角にて一息ついていた。

 石造りの壁に背を預けて座り込むオリヴァルト。

 今まで走って来た道を見返してみると瓦礫で完全に塞がれており、思っていたより危ない状況だったと空笑いが止まらない。

 

「……ははは。やれやれ、まさか向こうにもペルソナ使いがいたとはね」

 

 シャドウを倒した時から察してはいたが、テロリスト側にもペルソナ使いがいると言うのは悪いニュースだ。

 ペルソナは言わばコントロールされたシャドウのようなもの。

 シャドウよりも扱いやすい分、今後は一層の注意が必要だろう。

 

「呆けている場合ではないぞ。早く地上に作戦を伝えねば」

「ああ、そうだった」

 

 オリヴァルトは座ったまま導力端末を取り出す。

 ここは地上との連絡ができない地下だが、幸いな事にオリヴァルトは例外だ。

 彼が持つ古代遺物(アーティファクト)は距離に関わらず通信が可能になると言うもの。

 その力を用いて、オリヴァルトは地上の総合司令部へと通信を行った。

 

「もしもし? ちゃんと繋がってるかな?」

『──その声はオリヴァルト殿下!? なぜこの司令部に連絡を!?』

「細かい話はあとあと♪ それより、テロリストの計画について耳よりの情報があるんだけど、聞いてくれるかな?」

『は、はい! 今、リーヴェルト大尉にお繋ぎします!』

 

 通信に応じた通信士は狼狽えた様子で司令部のトップへと繋げる。

 

『……変わりました、殿下。それで情報と言うのは?』

「さっき野蛮な人達と武器を交えてのお茶会をしててね。そこでちょっと気になる話をしてたんだ」

 

 ──作戦の第二段階は既にこちらに向かっている。

 オリヴァルトの脳裏に浮かんだのは、先ほど《C》と呼ばれた男が言っていた単語だ。

 

「テロリストの本命は”外”からやってくると言っていたよ」

「外から、ですか? ……まさか!」

「ああ。シャドウの襲撃はバルフレイム宮から目線を逸らす陽動じゃない。ボクらの意識を帝都内に限定させる事こそ、奴らの狙いだったのさ」

 

 帝国解放戦線の本当の狙いは、このシャドウ騒動と事前の情報によって正規軍の目を帝都内に向けさせる事だった。

 帝都全域を巻き込む襲撃によって憲兵隊達の目をそちらに向け、クレア等の大局を見れる者達に対しても、あえて目的を晒す事でバルフレイム宮周辺に意識を集中させる。そうして薄くなった監視の穴、即ち帝都の外側から本命の一撃を加える事こそ、彼らの言う”計画の第二段階”なのだろう。

 

 そんな情報をクレアに伝え終えたオリヴァルト。

 彼は通信を切ると、眉間に皺をよせたミュラーと顔を見合わせて肩の力を抜く。

 

「ふぅ、ボクらの役目はどうやらここまでのようだね」

「……ああ、実に口惜しいが、後は地上の者を信じる他ないだろう」

 

 今から地上に出たとて、本命とやらに間に合うとは思えない。

 それに、テロリストは捕まえられなかったとは言え、オリヴァルトの目的は既に達成していた。

 

「ボクのノルマは無事達成。後はキミの頑張り次第だよ。……ライ君」

 

 先ほどから持っていた薔薇に手を伸ばすオリヴァルト。

 その中には、非常に小さなビデオカメラが仕込まれていた。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ──目まぐるしく動き回る帝都司令部内。

 オリヴァルトから情報を受け取ったクレアは戦局を見つつ、本命とやらの特定を急いでいた。

 

「観測班! 帝都周囲の上空に不審な影はありませんか!?」

『いえ、例のペルソナ使い以外は何も見当たりません!』

 

 空は快晴だ。

 仮に空からの襲撃があったとして、見落としている可能性は低い。

 

(だとしたら可能性が高いのは陸路。でも、帝都を囲う城壁を突破する兵器を隠し通すのは……)

 

 帝都の外から来るであろう攻め手を考察するクレア。

 幾つもの手を推測し、その果てに1つの解へとたどり着く。

 

「……なるほど、あえて私たちの主戦場を選んだ訳ですか」

 

 クレアが行き着いた答えとは、鉄道憲兵隊の主戦場である鉄道路線を用いた襲撃であった。

 

 鉄道網は元々鉄血宰相であるギリアス・オズボーンが強行的に整備していったものだ。

 その道中にあった土地は半ば強引に接収したものであり、テロリストからしてみれば現政権の罪の象徴だろう。

 

 鉄血宰相が作り上げた鉄道網が彼自身に牙を剥く。

 テロリスト達が好みそうな筋書きだと思いつつ、クレアは自身の憲兵隊へと連絡を取った。

 

『──こちら鉄道憲兵隊所属ミハイル・アーヴィング大尉だ』

「アーヴィング大尉! 帝国各地に展開中の兵に連絡を。鉄道路線をテロリストに利用されている可能性があります」

『なんだと? ……分かった。至急確認する』

 

 無視できない可能性を聞いたミハイルが一旦通信を切る。

 スピーカーを耳にしたまま返答を待つクレア。

 緊張する沈黙。彼女が待つ返答は意外とすぐにやって来た。

 

『当たりだ、リーヴェルト大尉。この混乱に乗じて外部との連絡網が遮断されていた』

 

 今回の騒動の影で、ヘイムダル中央駅にある鉄道憲兵隊の通信機に工作がされていたらしい。

 シャドウ騒動への対応に追われ発見が遅れてしまったのだろう。だが、判明した今となってはいくらでも対応策はある。

 

「それで、外部からの報告は──」

『緊急報告が届いている。クロスベルからの列車が1つ暴走状態にあるようだ』

 

 暴走状態の列車。

 もしや、それがテロリストの本命だと言うのだろうか。

 クレアは疑惑を深めつつ、ミハイルに問いかける。

 

「運転手からの応答は? クロスベルからであればレグラム方面への路線変更も可能な筈です」

 

 偶然の事故である可能性を追求するクレア。

 だが、次なる返答を聞いた彼女は、そんな思考を全部停止してしまう。

 

『応答はない。路線変更は、その、何と言ったらいいか。……ジャンプして躱した、そうだ』

「…………え?」

 

 ジャンプした?

 列車が?

 

『分岐点に到達した瞬間、先頭列車に影らしきものが融合し、車輪が足のように変形したらしい。それどころか、ありとあらゆる障害を破壊しながら帝都へと向かっているそうだ。──にわかに信じがたいが、この報告が真実なら可能性は1つしかない』

 

 テロリストの切り札。

 現実ではあり得ない変形。

 クレアもまた、その信じられない可能性を理解する。

 

「そんな……、シャドウが、列車と融合しているとでも……!?」

 

 物質とシャドウの融合。

 今まで1度も聞いたことがない事例だが、シャドウは未知数である以上、否定はできない。

 

 それよりも今は暴走列車への対処が急務だ。

 このままだとヘイムダル中央駅は確実。いや、報告が確かなら、駅を無理やり突破して直線のヴァンクール大通りへ、そのまま全速力の質量を用いてバルフレイム宮へと突撃するだろう。

 

『──この帝都への到着予測はおよそ16分後。それまでに対処せねば手遅れになるぞ』

 

 ヘイムダル中央駅からバルフレイム宮までを直線で繋ぐヴァンクール大通りは避難先の1つだ。

 推測できる被害規模は優に100人を超える。

 

 ペルソナ使いを終結させたとて、列車の大質量を止められる保証はない。

 

 迫りくる鋼鉄の銃弾を止める術を探すクレア。

 帝都の命運を賭けた戦いは今、最終局面へと移ろうとしていた……。

 

 

 




運命:ジークフリード
耐性:???
スキル:???
 ドイツの叙事詩《ニーベルンゲンの歌》に登場する竜殺しの英雄。黄金の柄を持つ剣バルムンクを振るい、邪竜を討伐して強靭な肉体を獲得した。北欧神話に登場する英雄シグルズとその根源を同じくする。


────────

実はジークフリードの設定はリィンのシグルズが決まった段階で決定してたんですよね。閃の軌跡IIIの情報出た時にめっちゃビックリしました。




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79話「帝都に迫る鋼鉄の弾」

『シャドウと物質の融合について』

 

 時空間への干渉など特異な性質を持つシャドウであるが、何例か物質と融合する事例が報告されている。

 特に顕著な事例として挙げられるのは2009年5月の巌戸台港区に出現したという《プリーステス》、そして同年8月に旧陸軍基地に現れたという《チャリオッツ》《ジャスティス》と呼称されたシャドウだろう。

 前者はモノレールと同化するという形で暴走させ、後者は基地に残されていた旧型の戦車と融合してペルソナ使い達と戦闘を行った。戦車に至っては砲塔が分離し、キャタピラが両手両足に変形するなど、物理的構造を無視した変形すら可能だったようだ。

 これらの特徴は、この現実世界そのものが集合的無意識がよって生み出されたものであると言う事実を示唆しており──……

 

────以上、葵希人の研究レポートより抜粋

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ユーシスの影という試練を乗り越えたライとユーシスの2名。

 今だその疲労が残っている彼らの耳に届いたのは、焦りが混じったクレアの声だった。

 

《VII組の皆さん緊急事態です! シャドウと融合した暴走列車が帝都に迫ってきています! 到着予定時刻は約16分後、近場の者は駅に向かってください!!》

「なんだと!?」

 

 16分後に衝突すると言う暴走列車。

 クレアの報告が確かなら、駅どころかバルフレイム宮にかけて甚大な被害が発生してしまうとの事。

 

(一番駅に近いのは俺達だ。けど、それでも時間が足りなすぎる)

 

 地図を脳内に浮かべたライは苦々しく歯を食いしばる。

 

 身体強化をして移動したところで、駅に到着するのはタイムリミットぎりぎりになるだろう。

 そうなっては暴走列車を前に正面から立ち向かうしか手は残されていない。

 一瞬の対敵になる。仮に倒せたとしても、列車の大質量による被害は避けられない。

 

 何か手はないか?

 周囲を見渡すライ。そんな彼の視界に、エンジン音を鳴らす小豆色のボディが入って来た。

 

「──おや後輩、こんな場所にいたのか」

 

 それは導力バイクに乗ったアンゼリカであった。

 

「ログナー先輩?」

「はは、私1人で失礼するよ。トワは今住民避難の指揮で忙しいからね」

 

 どうやらトワとは別行動をしていたようだ。

 

 いや、今はその事を考えている場合ではない。

 今はこの幸運をありがたく受け入れるべきだろう。

 

「先輩、その導力バイクをお借りしても?」

「どうしたんだい? そんなに焦るなんて珍しいじゃないか」

「緊急事態です」

「……分かった。存分に使いたまえ」

 

 アンゼリカから導力バイクを譲り受けるライ。

 かなりの重量を誇る大型バイクのシートに跨ると、バイクを降りたアンゼリカが声をかけて来た。

 

「手短に運転方法を教えようか。まず発進の方法だが──」

「いえ、大丈夫です」

「そうかい? なら機能だけ伝えるよ」

 

 旧校舎で見た光景から察してはいたが、ライはこう言った乗り物を扱った経験があったようだ。

 

 右手のアクセルとブレーキ。左手のクラッチレバー。

 そして足元のギアチェンジと後輪ブレーキ。

 多少勝手は違ったものの、アンゼリカから機能を聞くだけで体に馴染み、どのように操作すれば良いのか直感で理解できる。

 

 唸るエンジン音。

 ヘイムダル中央駅へと向かおうとするライの後ろに、ユーシスが肩を掴んで乗り込んできた。

 

「ユーシス?」

「俺も連れていけ。このまま足を引っ張ったまま終われるものか」

「そうだな。……けど、先に断っておく」

 

 何?と、疑問を浮かべるユーシスを他所に、ライは半分引いていたクラッチを元に戻す。

 

「俺の運転は荒いぞ」

 

 ──瞬間、導力バイクの車体が弾けるように急加速した。

 

 予めエンジンの回転数を高めていた事による超加速。

 慣性に従って浮かび上がる前輪。

 ライは前方に体重を寄せ、強引に車体を水平に戻した。

 

「……なるほど、これは、確かに獰猛なロデオだな!」

「このまま駅に直進する。体重移動を合わせてくれ」

「承知した──。──待て! その先は水路だぞ!?」

 

 疾風のように流れていく景色の中、ユーシスが警告する。

 

 前方に見えて来たのは帝都内を流れる広大な水路。

 だが、元々ライ達がいた車道は橋を通るために大きく迂回する形となっていた。

 そんな時間はどこにもない。ならば、取るべき道は1つ。

 

「このまま突っ切る!」

「何!?」

 

 石で護岸された水路が迫りくる。

 ライはアクセルを一切緩める事なく、左手を離して召喚器をこめかみに押し当てた。

 

「──フォルネウス!」

 

 前方にペルソナを呼び出すライ。

 フォルネウスは平べったいフォルムをしているが故、ジャンプ台として最適だ。

 

 落下防止の柵を目前に、フォルネウスの背を駆け上がり、2人を乗せたバイクが水路上空へと躍り出る。

 

 まさに命知らずのスタント行為。

 波のない水路を飛び越えたライ達は、その勢いのまま向こう岸へと着陸した。

 

「体重を右に!」

「──ッ!」

 

 無事着地したのもつかの間。

 直後にあった曲がり角を、速度そのままに体重移動で曲がり切る。

 車体が地面に倒れるんじゃないかと思う程のコーナリングを成し遂げたライとユーシスは、そのまま帝都南部の駅へと向けて、風を切りながらバイクを走らせるのだった。

 

 

 ……

 …………

 

 

 そんな2人の背中を見送るアンゼリカ。

 彼女はあまりに豪快なライの運転を見て、面白そうに笑っていた。

 

「ひゅう、中々の乗りっぷりじゃないか」

 

 1歩間違えれば大事故にも繋がりかねない危険運転。

 もし仮にトワがこの場にいたら、不安のあまりに卒倒していたかも知れない。

 

 けれど、アンゼリカ自身はライの運転に興味を示していた。

 導力バイクはまだ一般に流通していない試作段階のもの。しかし、旧校舎の異世界から得た情報によると、既に普及した世界も存在しているらしい。

 もしかしたら、ああ言った乗り方も広まっているかも知れないなと、未知の世界に想いを馳せるアンゼリカであった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ──導力バイクでの運転を始めてから2分ほど経った頃。

 ようやくライの運転に慣れて来たユーシスが苦言を呈してきた。

 

「お前の運転をロデオと称したのは訂正する。こんな馬鹿げた道を走る馬がいるものかッ!!」

 

 ユーシスが叫んだ瞬間、ライは細い塀の上にタイヤを合わせて着地。

 人が通れない建物の隙間をアクセル全開で爆走した。

 

「けど、これで10分前には到着できる」

「──ッ、それは否定しない。それとライ、到着後の作戦は本当にあの内容で行くんだな?」

「ああ、連絡を頼む」

 

 祭りの残骸の中を走り抜けながらも、ライはユーシスに暴走列車を止める手段について相談していた。

 

 その果てに出た答えはたった1つ。

 運転に集中するライに代わり、ユーシスが司令部へと連絡を行った。

 

「──リーヴェルト大尉、聞こえているか?」

《ええ、聞こえています》

「俺達は後2分ほどで駅に到着する。大尉には、鉄道憲兵隊の装甲列車を何時でも動かせるよう、手配を頼みたい」

《列車を、ですか?》

「ああ。俺達ペルソナ使いが暴走列車の内部へと乗り込み、直接暴走させているシャドウを叩く。危険など百も承知だが、これは俺達2人で決めた事だ」

 

 ライ達が立てた作戦は装甲列車に乗って帝都から離れ、暴走中の列車に直接乗り込むものだった。

 帝都の被害を0にするにはもうこの手しか残されていない。

 ユーシスは揺るぎない覚悟を胸に、司令のクレアへと提言する。

 

《……やはり、それしかありませんか》

 

 クレアもその事実には至っていたが、あまりに危険すぎる為、別の策を探していた。

 だがしかし、もう時間は残されていない。

 ユーシスの言葉を聞いたクレアもまた、覚悟を決めて決断を下す。

 

《分かりました。装甲列車は至急手配いたします。ユーシスさんとライさん、……どうか、ご武運を》

「任せろ」

「ええ」

 

 クレアからの許可を得たライ達はそのまま駅へと直行する。

 

 表通りに出た後はもう、舗装された道を正直に走った方が早い。

 周囲には人が乗った車もちらほらと見え始め、避難してきた住民の姿も増えて来た。

 主要避難先であったヴァンクール大通りが近づいて来たからだろう。

 しかし、住民達が避難する方向はライ達とは正反対だった。

 

「皆さん! 避難場所が変更となりました! 我々が護衛しますので移動をお願いします!」

 

 暴走列車の接近を受けて避難民の移動を始めている様だ。

 けれど、周辺に潜むシャドウを警戒しながらの為、タイムリミットまでに避難を終わらせる事は難しいだろう。

 

 失敗すれば逃げ遅れた人々の命はない。

 重い責任が己の肩にかかっているのを実感する中、ライは大通りへと続く道を全速力でかっ飛ばしていった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 唐突に空ける視界。

 それは帝都最大の主要道路、ヴァンクール大通りに到達した事を意味していた。

 

 駅からバルフレイム宮へと真っすぐ北に伸びた広大な道路。

 左右には大きな店舗が立ち並ぶ文字通りの中心街であり、夏至祭で増えた一般人を護衛する上で最適な場所でもあった。

 

 少しずつ人が減っていくその通りに到着したライ達は、タイヤを滑らせながら南に車体を向けて停止する。

 

 車体の先には小さく見えるヘイムダル中央駅。

 車道にはまだ多くの人が残されていたが、クレアが手配してくれたのか、バイクが通る道はしっかりと確保されていた。

 

「あそこが終着点だが──まあ、そのまま突っ込むだろうな、お前は」

「当然だ」

 

 ルートを定めたライは再びバイクを走らせる。

 

 全身に圧し掛かるG。

 周囲の群衆が初めて見る乗り物に驚愕する中、風と一体になったライとユーシスはそのままヘイムダル中央駅の中へと突撃する。

 改札口を飛び越して駅のホームへ。

ホーム上空で鉄道憲兵隊の装甲列車を確認したライとユーシスはバイクを乗り捨て、列車の上に着地する。

刹那、列車内部から広域放送による通信が響いた。

 

『ペルソナ使い2名の搭乗を確認しました!』

『承知した。至急発進せよ!』

『ハッ!!』

 

 ライ達が乗る列車がガクンと揺れる。

 特別製である為か恐ろしいほどの急加速を見せる装甲列車。

 慣性と風によって飛ばされそうになる体を、車体の凹みを掴むことで支える2人。

 そうしている内に列車はトップスピードとなり、気がつくと帝都から外に出ていた。

 

 後方を見ると、かなりの速度で遠ざかっていく緋色の外壁。

 今までの戦場を後にしたライ達に向け、再び広域放送が聞こえてくる。

 

『VII組の学生よ、こちらは鉄道憲兵隊所属のミハイル・アーヴィング大尉だ。今から最終ミーティングを行いたい。導力通信の周波数を指示の通りに合わせてくれ』

 

 ライとユーシスはミハイルという男の指示に従ってARCUSの設定を変更し、通信を開始する。

 

「VII組所属のライ・アスガードです」

「同じくVII組所属、ユーシス・アルバレアだ」

『報告書にあったアスガードとアルバレアの子息か。……先ほども伝えた通り、私はミハイル・アーヴィング大尉。クレア・リーヴェルト大尉と同じく鉄道憲兵隊の陣頭指揮を行っている者だ』

 

 ARCUSから聞こえて来たのは先ほど広域放送で語り掛けてきたミハイルの声。

 声だけでも生真面目な性格を窺い知る事ができる彼は、どうやらこの装甲列車の中からライ達に連絡を取っているらしい。

 

 周囲が自然あふれる景色に変わる中、ライとユーシスはミハイルとの通信を続けた。

 

『暴走列車との接敵までまだ時間がある。その間に一通りの情報共有を済ませておきたい』

「ええ」

『まずは列車の来歴についてだ。テロリストの手により暴走している列車は、クロスベル自治州から発車した旅客列車だと判明している』

「旅客列車? だとしたら中に乗客が?」

『ああ、取り残されている可能性が高い。しかも厄介な事に、乗車しているのがあの《ヘンリー・マクダエル》だとの情報まで入ってきている』

「──おい、それは本当か!?」

 

 眉間に皺を寄せて聞き返すユーシス。

 その剣幕から察するに、ヘンリー・マクダエルという人物は重要なポストにいる者なのだろうか。

 

「ユーシス、重要な人物なのか?」

「クロスベル自治州の自治州議会議長を務めている人物だ。確か、来月に迫った通商会議にもクロスベル代表の1人として出席する予定の筈」

『その通りだ。そして、本来ならば今晩バルフレイム宮にて開催予定の舞踏会に、来賓として参加する予定だった。テロリストはその列車を占領した形となる。……無論、偶然ではないだろう』

 

 テロリストはこの本命が迎撃された際の保険まで用意していた。

 もし駅にペルソナ使いを終結させる事ができれば迎撃も可能だろう。

 しかし、それでは列車内の乗客は助からない。エレボニア帝国は自治州の議長を見殺しにしたとして、カルバード共和国からの追及は避けられない状況になる。……どっちに転がったとて、彼らが敵対する帝国政府にダメージを与える事ができる訳だ。

 

『よってお前達に課せられた任務は2つ。先頭車両に融合したと思われるシャドウの討伐と、他の車両にいるであろう乗客の安全確保だ』

「無事であるとの確証は?」

『そんなものはない。だが、マクダエル議長も護衛は付けている筈だ。無事ならば比較的安全な後部車両に移動している可能性が高いだろう』

 

 つまり、先頭車両のシャドウと後部車両の安全確保。

 列車が帝都に到達するまでに、その双方のミッションをこなさねばならないと言う事になる。

 

『暴走列車と並走してから衝突までのタイムリミットは5分。その間にお前達は後部車両から侵入し、道中の雑魚を殲滅しながら先頭車両のシャドウを討伐してもらう。……我々も陽動の援護射撃を行いはするが、任務の成否はそちらの行動次第と言って良い状況だ。心してかかってくれ』

 

 失敗は許されない1度限りの任務。

 その重大な任務の成否を託されたのは、入学してまだ半年にも満たない学生2人。

 心なしか、説明するミハイルの声にも緊張が感じられる。

 

 この状況こそ、以前ユーシスが言っていた力を持つ者としての責務を果たすべき時だろう。

 ライとユーシスはお互いに顔を見合わせ、そして「はい!」と、力強くミハイルに答えるのだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ────

 

 ──周囲には街道しかない鉄道の中間地点に到達した時、ミハイルから緊急の連絡が入る。

 

『これより装甲列車を停止させる。停止後はすぐに運転方向を反転させて再発進させるので、振り落とされないよう備えておけ』

 

 どうやら接敵予定の地点に到着したらしい。

 ミハイルは内部の通信を先ほどと同じく広域放送につなげ、ライ達にも伝わるようにしてくれた。

 

『──今だ! 装甲列車、緊急停止!』

『装甲列車、緊急停止します!!』

 

 車輪と線路の間で響く金属音。

 快適さなど度外視な揺れと共に、ライ達を乗せた装甲列車は急停止した。

 

『前方機関車の機能を停止。続いて、後方機関車のオーバルエンジンを起動せよ!』

『……起動確認! 何時でも発進できます!』

『よし! 装甲列車、発進せよ!』

 

 今度は進行方向を反転し、帝都に向けて移動を開始する装甲列車。

 同時に、後方の遥か遠くからとんでもない速度で迫って来る1本の列車を視界に捉えた。

 

(あれが、暴走列車か……)

 

 暴走というだけあって、ほぼトップスピードで走る旅客列車。

 だが、それ以外の異変は特に見られず、事前情報がなければシャドウが融合しているなどと思いもしなかっただろう。

 

 ライ達を乗せた装甲列車は反転したばかりで加速中だ。

 

 現状、速度は向こうの方が上。

 段々と距離が近づいていき、そして並走するタイミングで速度が一致した。

 

『──総員! 先頭車両の車輪に向け砲撃を開始せよ!!』

 

 ミハイルの号令に従い、先頭車両へと至近距離で砲撃を浴びせた。

 

 耳をつんざく砲声。

 本来ならばそれで機関部の車輪を失い失速する事だろう。

 

 だが、この旅客列車は違った。

 車輪の根元が伸び、鞭のように砲弾を叩き落す旅客列車。

 さらに運転席の窓ガラスが上にスライドし、中から無数の仮面が装甲列車を見つめ返してきた。

 

 ──瞬間、紫の閃光が集中し、エネルギーの爆発が巻き起こる。

 中級万能魔法(メギドラ)。神の裁きを思わせる異様な魔法が放たれ、装甲列車の砲塔を吹き飛ばしたのだ。

 

(……今だ!)

 

 だが、それは陽動だった。

 シャドウが装甲列車に意識を向けているこの瞬間、ライは白き霊犬ヤツフサを呼び出し、後部車両の窓へと突撃させる。

 

 ガラスを粉々に割って道を作るヤツフサ。

 その後をライとユーシスも続き、窓から暴走列車の内部へと侵入。

 舞い散るガラスの破片の中を転がりながら、素早く車両内を見渡した。

 

 車両の後方には、ミハイルの予測通り人々の姿が確認できる。

 護衛と思しき黒服の男達。彼らに囲まれたヘンリー・マクダエルと思しき老人。そして──

 

「だ、誰っ!?」

 

 彼らを守るように立っていた長い銀髪の女性。

 薄紅色を基調とした衣服を身に纏う彼女は驚きつつも、突如侵入したライ達へと導力銃の銃口を向けてくる。

 

 帝都を巡る騒動は、こうして最後の幕を開けるのだった。

 

 

 ──衝突まで、残り5分00秒。

 

 

 




P3Mの第1章を視聴した時の感想。
「バイク乗りながらの召喚かっけぇ!!」

後、ミハイル・アーヴィングの階級については、クレアに合わせて少佐→大尉に変えてあります。
2年後は少佐なんですが、クレアより上と言うのもおかしな話なので、恐らく内戦などで昇級したのかなと推測しました。


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80話「タイムリミット」

「──答えて。あなたたちは何者なの?」

 

 暴走する列車の最後尾にて、突入したライ達へと銃口を向ける銀髪の女性。

 彼女は今までヘンリー議長を始めとした乗客をシャドウ相手に守って来たのだろう。

 そんな中、ライとユーシスはペルソナによる突撃と合わせて侵入してきた。警戒するのも当然だ。

 

(どうする? 彼らの安全を確認できた以上、ここに用はない。けれど……)

 

 女性は武器を降ろす気配はなく、特にライに対して警戒している様子。

 

 恐らく例の異変が原因か。

 何時もの事とはいえ、時間がない状況では最悪だ。

 下手に刺激しては逆に時間を取られてしまいかねない。

 

 そんな中、警戒されているライに代わり、ユーシスが女性に説明を始めた。

 

「俺達は帝国からの依頼でこの列車を止める為に来た者だ。そういう貴女は?」

「……私はエリィ・マクダエル。クロスベル警察特務支援課の1員です」

 

 ユーシスからの歩み寄りでやや警戒を解いたのか、銀髪の女性──エリィは銃を降ろして返答する。

 

(特務支援課? 確か、サラ教官が言っていた……)

 

 彼女が言ったクロスベル警察の部署について、ライは1度聞いた事があった。

 テロリストも使用している《グノーシス》を扱っていた組織を壊滅させた立役者。

 以前、ライも協力を仰げないかとサラに相談した組織の1員が、幸運にも目の前にいる。

 

 ──だが、今はそんな事を話している場合ではない。

 ライは協力を仰ぐという欲求を切り捨て、目の前の危機に意識を集中した。

 

「エリィ・マクダエルさん、乗客はここにいる方で全員ですか?」

「え? ええ、その筈よ」

「分かりました。そちらは引き続きこの場の護衛をお願いします。先頭車両の怪物は俺達が討伐しますので」

 

 ここは無用なパニックを起こさない為、あえてタイムリミットの話しないでおくべきか。

 ライは単なる救助者としての外面を装いつつ、彼女らに対し指示を行う。

 

「あなた達だけであの魔物を倒すつもりなの? だって、あなた達はまだ学生なんじゃ……」

 

 ライ達の制服を見て心配するエリィ。

 異変による根源的嫌悪感があるにも関わらず気遣いができるという事は、彼女が人として良くできた人間なのだろう。

 

「心配無用です。俺達はどうやら、専門家らしいので」

 

 ライはそんな彼女に一言残し、ユーシスと共に前の車両へと続く扉をくぐって行った。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ──残り、4分10秒。

 

 1つ前の車両に辿りついたライとユーシス。

 もうここまで来たら外面を取り繕う必要もないだろう。

 

「ユーシス、まずは……」

「フン、後顧の憂いを断つ、だろう? 出番だ、──オーディン!」

 

 ユーシスの背後に現れた統治者が、人が扱えない程に巨大な槍を大きく回転させる。

 雷を纏った薙ぎ払い。その切っ先が向かうは列車の連結部だ。

 

 甲高い金属音。

 分厚い連結部へと槍が深々と突き刺さり、その衝撃で全体に亀裂が生じる。

 そして遂に分断される金属。先ほどまでライ達がいた車両が段々と離れていった。

 

「ミハイル大尉、マクダエル市長を乗せた車両を切り離しました」

『分かった。引き続き、任務を進めてくれ』

 

 そう、ライ達は初めから彼らを切り離す予定でいた。

 機関車を持つ列車は、基本的に機関車が他の車両を牽引する形になっている。

 故にこうして連結部を切り離せば、後部車両は自然と減速していく。

 

 これで国際問題に陥る可能性はなくなった。

 後は、手段を問わず、この列車を止めれば任務完了だ。

 

「巻きで行くぞ、ユーシス!」

「言われるまでもない!」

 

 後ろを気にする必要がなくなったライ達は、急ぎ前の車両へと駆け出すのだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ──残り、3分50秒。

 

 車両の中には行く手を阻む馬に乗った騎士姿のシャドウ。

 それを前にしたライは足を止める事なく召喚器を取り出す。

 

 “我は汝、汝は我……。汝、新たなる絆を見出したり。汝が心に芽生えしは隠者のアルカナ。名は──”

 

「──アラハバキ!!」

 

 ライの前方から射出されたのは土偶型のペルソナ。

 車両内の半分を占める巨大な弾丸を前に、その手の槍で対抗しようとするシャドウ。

 しかし、槍がアラハバキに衝突しようとした瞬間、衝撃が180度反転して槍が粉々に砕け散った。

 

 物理反射。

 その名の通り、物理的衝撃を丸ごと反射する恐るべき特性だ。

 

 槍を持ったシャドウは己の力で武器を失い、直後アラハバキの突撃を受けて四散する。

 黒い水しぶきが飛び散る中、ライ達は次の車両へと向かうのだった。

 

 

 ──残り、3分40秒。

 

 3両目。

 今度は聖典を頭上に浮かべたシャドウが溢れかえる程の数で待ち構えていた。

 

「どうしても先には進めたくないらしいな。……だが、強引にでも通させて貰うぞ!」

 

 ユーシスが剣先をシャドウ達へと向ける。

 それは号令だ。ユーシスの背後に出現したオーディンはその指示に従い、辺り一帯にマハジオンガを解き放った。

 

 車両内に満ちた電撃がシャドウ達の体を引き裂いていく。

 その中をホクトセイクンに切り替えたライが跳躍。

 電撃を逃れたシャドウを剣で両断し、そのまま次の車両へと進んでいった。

 

 

 ──残り、3分20秒。

 

 外から断続的に轟く砲撃音。そして反撃の爆音。

 融合したシャドウの注意を引いている鉄道憲兵隊の戦いを揺れとして感じつつ、ライ達は邪魔な雑魚を蹴散らし踏破する。

 

 

 ──残り、3分10秒。

 

 そして、衝突まで3分を目前に迫った状況下。

 ライとユーシスは遂に先頭車両へと続く第2車両へと辿り着いた。

 

 先頭車両は狭い運転席があるのみで、その先は人が入り込めないエンジンが格納された先端部となる。

 故に融合したシャドウがいるとすれば運転席だと推測していたが、その考えは間違っていなかった。

 開きっぱなしになった運転席から伸びる生物的な配線の山。

 それらは中央にいるシャドウと繋がっており、更にシャドウは脈動する黒い球体を抱えている。

 

『アノ列車メ、邪魔ヲスルナ……。コノ子ハ私タチノ怒リダ。絶対、絶対二、アノ男ノ元ヘ……!!』

 

 装甲列車に苛立ちを隠せないシャドウ。問題なのは、奴が抱き着いている球体だ。

 球体の切れ目から漏れる異常な程のエネルギー。

 明らかな危険物。恐らくそれは──、

 

「爆弾か……」

「クレア大尉の推測が当たっているなら、バルフレイム宮を崩壊させる程度の火力があると見ていいだろう。……どうする? ここで爆破させたら俺達どころか鉄道憲兵隊すらタダじゃ済まないぞ」

 

 巨大な建造物すら破壊する危険な爆弾。

 下手な手を打てば大惨事は免れない。が、手をこまねいている時間がないのもまた事実。

 

「見たところあの爆弾もシャドウの一部だ。本体のみを攻撃し、爆発する前にかたをつける」

 

 幸いシャドウは鉄道憲兵隊へと意識を向けている様子。

 装甲列車の攻撃へと顔を向けるシャドウはライ達の接近に気づいていない。

 ライは依頼で培った技法を用い、音もなく刃を滑らせる。

 

 だが、その時、ユーシスの叫びが木霊した。

 

「──下がれ! ライ!!」

 

 その言葉を耳にした瞬間、ライは地面を蹴ってバク転でシャドウから距離を取る。

 直後、地面と天井がプレス機のように伸び、ライがいた場所周辺が一瞬にして潰された。

 

(ッ、列車の変形か!?)

 

 装甲列車とやり合っていた際に見せた物理構造の変更能力。

 シャドウは外の対応で忙しいが故に、ライ達を物理的に遮断する手段を取って来たのだ。

 

 更にこちら側の天井と地面が黒く変色していく。

 再度、跳び引いて変色の範囲外へと脱出するライ。

 次の瞬間。多数の柱が無秩序に生え、ライ達の行く手を遮る障壁となった。

 

「くっ、この期に及んで時間稼ぎか……。厄介な真似を」

 

 シャドウもこの状況を正確に把握しているらしい。

 後たった数分、外の砲撃とライ達の攻撃をしのぎ切るだけで、本懐を遂げられるという事を。

 

 ──残り、2分40秒。

 

 タイムリミットが刻一刻と迫る中、2人の顔に焦りの色が見え始めるのだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ──残り、2分30秒。

 ライとユーシスの2人は立ちふさがる柱の障壁に総攻撃を叩き込んでいた。

 

「タイミングを合わせるぞ!」

「ああ! ──ヘイムダル!!」

 

 ヘイムダルが豪快な横薙ぎで前面の柱を蹴散らした瞬間、オーディンが追撃の雷撃を放つ。

 迸る雷鳴。大きく抉れた障壁。

 更に止めと言わんばかりに、ユーシスが魔力を込めた剣でドーム状の結界を形成する。

 

「これで、どうだッ!!」

 

 ──クリスタルセイバー。

 剣で結界を切り刻み、崩壊の衝撃で内部の柱を四散させる。

 これがユーシスが出せる最大技だ。しかし、障壁の3分の2程を削り取ったと認識した次の瞬間、それを上回る速度で再び柱が伸び始め、即座に障壁は元の形に戻ってしまった。

 

「……チッ、何だこの再生速度は」

 

 攻撃は失敗した。

 同時に揺れる車体。

 どうやら砲撃がまた迎撃されてしまったらしい。

 

「ユーシス! 攻撃を続けるぞ!」

「ああ、承知した!」

 

 再生速度が減衰する事に一縷の希望を託し、攻撃を続けるライ達と装甲列車。

 激しい戦闘音が轟く中、ライは剣を振るいながら思考を加速させた。

 

(考えろ)

 

 考えなければ未来はない。

 ライ達だけじゃなく、駅、大通り、バルフレイム宮の命がかかっているのだから。

 僅かな道筋も見逃さないよう、ライは可能性を探し求める。

 

 ──残り、2分00秒。

 ライ達の攻撃で再度抉られた障壁。

 視認できる速度にはなったが、壁は再び修復してしまう。

 

(俺達の側を柱で塞いだという事は、同時に2方向の敵を相手取る事が難しいという事だ)

 

 柱の再生速度は僅かながら遅くなってきている。

 削られては再生する壁。本来ならば、敵としてもあまり頼りたくない手段の筈だ。

 しかし、それに頼らざるを得ない理由は、外の装甲列車にある。

 

(シャドウには通常兵器は効かないが、押し出す事は出来る。奴にとって砲撃は無視できない攻撃)

 

 ──残り、1分40秒。

 柱を削ったユーシスが、その再生速度を見てその突破時間を予測する。

 

「ライ、悪い情報だ。確かに再生速度は遅くなっているが、どう見積もっても後2分はかかる」

「……分かった」

 

 もはや正攻法での突破は不可能。

 最適解を考える時間すらない以上、今考えた状況から導く他ないだろう。

 列車の窓から隣の路線を見るライの脳裏に、1つの策が浮かび上がる。

 

(現状での突破は難しい。なら、構図そのものを変えてしまえば……!)

 

 成功率、安全性など考えている余裕はない。

 とある覚悟を決めたライは、ARCUSの通信を用いて装甲列車へと連絡を取った。

 

「ミハイル大尉、被弾を装って砲撃を止めて下さい」

『正気か? それでは、シャドウの注意がそちらに向くぞ』

「ええ、分かっています」

 

 ライはユーシスを交え、手短に策の内容を伝える。

 内容を聞いて了承するミハイル。

 通話が切れた後、ライはユーシスへと視線を向けた。

 

「……ユーシス、成功の成否はお前にかかっている。頼めるか?」

「フン、誰に言ってると思ってる」

 

 ユーシスに緊張の色は見られない。

 これなら行けるかもしれない。

 

 ──残り、1分10秒。

 帝都が刻一刻と近づいていく中、最後の攻勢が始まろうとしていた。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 シャドウが何発目かのメギドラを装甲列車を当てた時、戦局に変化が起きた。

 

『……止マッタ?』

 

 煙を上げて砲撃を止める装甲列車。

 これでバルフレイム宮へと向かう為の速度維持が容易になった。

 1つ憂いを断ったシャドウは、次なる障害を排除する為、障壁越しにライ達へと狙いを定める。

 

 一方、壁の向こう側にいるライはと言うと、車両の中心で魔方陣を展開していた。

 

 “我は汝、汝は我……。汝、新たなる絆を見出したり。汝が心に芽生えしは皇帝のアルカナ。名は──”

 

 ──トート。

 本を持ったヒヒの姿が描かれたタロットカードを浮かべるライ。

 更に、隣に魔術師ザントマンのカードを並べ、ペルソナ合体の儀式を執行する。

 

「現れろ、ヘカトンケイル!!」

 

 ──2身合体(ノーマルスプレッド)

 2体のペルソナを混ぜ合わせて召喚されたのは、幾多の顔と腕が不気味に融合した巨人ヘカトンケイル。

 しかし、召喚した時には既に、列車と融合したシャドウが攻撃を開始していた。

 

 ライ達の周囲に現れる恐ろしいほどのエネルギー。

 例え壁の向こう側であったとしても、車両と融合しているシャドウは攻撃可能なのだろう。

 ヘカトンケイルが行動に移すよりも先に、収束したエネルギーが膨大な力となってペルソナ使いを蹂躙する。

 

「──ッッ!!」

 

 粉々に消滅する車両の椅子。

 全ての窓ガラスが粉々に砕け散るとともに、攻撃を食らった苦痛な声が車両内に木霊する。

 命中した。そう確信するシャドウ。

 

 ……故に、見落としてしまったのだろう。

 

 依然として並走する装甲列車。

 その側面に捕まり、窓の外からシャドウに狙いを定めるユーシスの存在を。

 

 刹那、青き光の嵐とともに滑空するオーディンが、その神槍をシャドウへと投げつけた。

 

『──ギ、ァァァァ!!』

 

 正確にシャドウの体へと突き刺さる槍。

 一瞬遅れ、投擲が巻き起こした暴風が車両内の残骸を丸ごと反対側の外へと吹き飛ばした。

 

『ァ、ァァ…………!』

 

 そんな一撃を受けたシャドウの体から黒い血潮が噴き出す。

 致命傷を負い、消滅していく黒い柱。

 だが、シャドウはそれでも尚、己が怒りに従い気力だけで動こうとしていた。

 

『…………イ、ヤ。……コレハ、コノ怒リダケハ、無駄ニ、サセナイ……!!』

 

 光を強める爆弾。

 バルフレイム宮には辿り着けなくとも、せめてここ一帯は消し飛ばしてみせると言う最後の足掻き。

 車両内を満たすほどの爆発的エネルギーが解き放たれようとしたその瞬間、2つの影がシャドウへと殺到する。

 

「「──させるか!!!!」」

 

 シャドウの仮面に突き刺さる2本の剣。

 ライとユーシスが放った刃を受けたシャドウは、爆弾を解き放つ事もできずに消滅。

 合わせて彼の一部であった爆弾も水のように虚空へと溶けていった。

 

 カラン、と地面に落ちる剣。

 シャドウを倒したライの体が崩れ落ち、その体をユーシスが支える。

 

「おい、大丈夫か!?」

「……ああ、何とか”食いしばった”からな」

 

 ライが召喚したヘカトンケイルには、食いしばりと言うスキルが備えられていた。

 万能属性の魔法は、いかなる耐性や障壁を突破する文字通り万能の一撃だ。

 故に、致命傷を受けても辛うじて耐えきれるスキル《食いしばり》を用いて、全身をハンマーで殴られたような強烈な痛みを耐え、シャドウの意識を逸らさない為のデコイ役を全うしたのである。

 

 まさに肉を切らせて骨を断つ作戦。

 成功する確信はなかったが、まぁ何とかなったと、ライはボロボロの体でホッと息をついた。

 

 ……しかし、そんな彼らの元に緊急の放送が鳴り響く。

 

『──大尉! これ以上の並走は危険です! 緊急停止します!!』

『おい! お前達!! 呆けている余裕はないぞ! 早く列車のブレーキを!!』

 

 そうだ。

 まだ、列車は止まっていない。

 

 ──残り、30秒。

 ミハイルの警告を聞いたライ達は列車の運転席へと向かう。

 緊急停止する装甲列車。こちらも列車を止めなければこのままヘイムダル中央駅に衝突してしまうだろう。

 

 だが……、

 

「なっ、壊されているだと!?」

 

 運転席のブレーキはテロリストによって破壊されてしまっていた。

 根元から折れてしまっているブレーキレバー。

 直そうにも、最早そんな時間は残されていない。

 

 ──残り、20秒。

 

 もう、帝都がすぐそこまで迫ってきていた。

 2人を乗せたまま、暴走を続ける列車。

 

 最後の最後で、絶体絶命の状況に陥ってしまったこの状況下。

 その時、大きな叫びがライ達の脳内に突き刺さる。

 

《2人とも! 1歩後ろに下がれ!!》

 

 反射的に1歩後退するライとユーシス。

 刹那、側面の窓ガラスを割って、フレスベルグを纏ったガイウスが突入して来た。

 

「掴まれ!」

 

 ──残り、10秒。

 

 ライ達はガイウスの手を取って、そのまま列車を離脱する。

 その直後、無人となった列車の行く先で、1人の青年がARCUSを構えた。

 

「吹き飛ばせ、──フォルセティ!!」

 

 それは、線路の横で待機していたマキアスだ。

 彼の後方に悠然と現れた裁判官が、無数の光球を周囲へと浮かべる。

 そして列車が横切ろうとするその瞬間、解き放たれた雨が如き弾丸が列車を真横に吹き飛ばした。

 

 横倒しになって線路の外へと投げ出される旅客列車。

 それは地面をガリガリと削りながら突き進み、帝都の外壁に衝突。

 轟音と共に外壁が崩れ、その瓦礫に埋もれるようにして列車は停止した。

 

 

 ……

 …………

 

 

「終わった、のか……?」

 

 スクラップとなった列車を上空から眺めながら、ユーシスが呟く。

 

 衝突まで残り約5秒。

 危機一髪の状態ながら、危険な爆弾を消し去り、駅への衝突も辛うじて回避できた。

 その事実が、今になってようやく実感となって体に染みわたって来る。

 

 羽ばたくガイウスによって地上に降ろされるライとユーシス。

 緊張が解けたライ達の体にどっと疲労が押し寄せる。

 特に体力が1のライは重症で、その場から1歩歩くのも億劫な状況であった。

 そんなライに代わり、ユーシスがガイウスに質問する。

 

「助けてくれた事に礼を言おう。しかし、何故お前たちがこの場所に? 帝都はどうした?」

「ああ、それならば既に収束へと向かっている。皆の尽力のおかげだな。それで、マキアスがこの場に向かうべきだと提言してくれた」

「そうか、マキアスが……」

 

 ガイウスから話を聞いたユーシスは、やや遠くで列車の被害状況を確認しているマキアスの元へと歩いていった。

 

「おい」

「む? ああユーシスか」

 

 振り返ったマキアスはユーシスの姿を見て姿勢を正す。

 普段の関係を考えれば、憎まれ口の1つでも言われるかと思ったのかも知れない。

 だが、ユーシスの口から出たのは、それとはまるで正反対の言葉であった。

 

「お前が提言してくれたと聞いてな。正直なところ、助かった」

 

 素直な感謝の言葉。

 思わずマキアスの目が丸くなる。

 

「……何かおかしな事でも言ったか?」

「い、いや、何でもない。別に僕は、チェックメイトの状況を作り出すために必要だからやったまでで……その…………いや、やっぱり何でもない」

 

 調子が狂い、取り留めのない言い訳を並べた上で撤回するマキアス。

 彼は気恥ずかしいのか、頭を軽く掻いて、そのままユーシスに背を向けてしまう。

 

「……僕たちは、やり遂げたんだよな」

「ああ」

 

 帝都知事の息子としての義務。

 四大名門の子息としての義務。

 そして、VII組の仲間としての義務。

 

 それぞれが抱えた重荷に負ける事なく、己が役目を果たしたマキアス達は、ほっと肩の力を抜いて空を仰ぎ見た。

 

 夕焼け空には鮮やかな雲がのび、小さな鳥達がのんびりと飛んでいる。

 こうして、今回の薄氷を踏むような騒動は無事、静かな終わりを迎えるのであった。

 

 

 

 




隠者:アラハバキ
耐性:物理反射、火炎・氷結弱点
スキル:金剛発破、マハラクカオート、恐怖防御
 日本の東北地方を中心に縄文時代から信仰されていた客人神。文章による記録がなく、口承により伝わっていたため、今だ出自などの詳細は分かっていない。その名前から足の神だと捉えられ、旅人に崇拝された事例も存在している。

皇帝:トート
耐性:電撃・祝福無効、疾風・呪怨弱点
スキル:メギド、マハジオンガ、ミドルグロウ
 古代エジプトにおいて知恵を司る神。ヒヒもしくはトキの姿をしており、ヒエログリフの開発や時の管理、病を癒すなど、その逸話は多岐に渡る。その為、神殿で発見された古代エジプトの書物はトートの書と呼ばれた。

刑死者:ヘカトンケイル
耐性:呪怨無効、物理耐性、祝福弱点
スキル:電光石火、中治癒促進、食いしばり、メギド、ドルミンラッシュ
 ギリシア神話に登場する百腕巨人。ウラノスとガイアの息子達であるとされ、あまりの醜さから父によってタルタロスに封じ込められた。後に助け出された彼らは、ティタノマキアにおいてティターン族と戦う神々に加勢し、その後はタルタロスの看守を務めるようになったとされている。


皇帝:征服の騎士
耐性:???
スキル:黒点撃、???
 馬に乗った西洋の騎兵を連想させるシャドウ。皇帝のアルカナは男性権力者のイメージを持つが故、このような姿になっていると思われる。

女教皇:偽りの聖典
耐性:???
スキル:???
 女性の頭の上に本を浮かべたシャドウ。女教皇はカトリック教会において存在しない役職の為、頭上に掲げる聖典も偽りという事なのだろう。かつて暴走するモノレールを止めようとしたペルソナ使いに対し、足止めをせんと現れたシャドウの1体でもある。

女教皇:テロリストのシャドウ
耐性:???
スキル:メギドラ、コンセントレイト、???
 クロスベルから発車した列車と融合したシャドウ。分かりにくいが、元は女性だったと思われる。女教皇が示す暗示は秘密である事から、恐らくは内なる怒りを表に出すことができず、シャドウにまで昇華してしまったのだろう。ライ達にその詳細を知る術はない。


食いしばり(RPG作品全般)
 神スキル。即死する攻撃をHP1で耐える事ができる。高難易度のゲームや対戦などでお世話になった人も多いはず。


────────
合体と全書が解禁されたので使用するペルソナが増える増える。

本来ならば、この話で4章最後まで書ききる予定だったのですが、切りが良いのでこの形に。
次話は話を膨らませて日曜日ごろに公開するかと思いますので、引き続きよろしくお願いいたします!



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81話「戦いを終えて」

 ──暴走列車が帝都に迫ろうとしていた時。

 バルフレイム宮の執務室にて、1人の男性が窓の外を眺めていた。

 

 緋色と黒を基調とした長い装束を身に纏った威圧感のある立ち姿。

 眉間の皺が染みついた彼の後方で、何の前触れもなく1本の通信が鳴り始める。

 

「……私だ」

『宰相閣下! 現在テロリストの攻城兵器がこちらに向かってきています。念のため、北側への退避を!』

 

 それは総合司令部のクレアから来た緊急連絡だった。

 万が一の事態に備え、最重要人物であるこの部屋の主を可能な限り被害の範囲外に脱出させようと考えたのだ。

 正規軍としてその考えは間違っていない。しかし、連絡を受けた男性はと言うと、特に焦る様子もなく逆にクレアへと聞き返した。

 

「その攻城兵器とやらに、灰髪の青年は向かっているのか?」

『え? はい』

「ならば退避は不要だ。宮殿内の戦力は引き続きシャドウ掃討に尽力したまえ」

 

 男は端的な指示を残し、導力通信を一方的に遮断する。

 

 静寂に戻る執務室。

 窓際へと戻った男の口元から、ふと、誰にも届く事のない言葉が零れ落ちる。

 

「……呪いは更なる巨悪に飲まれ、史書の予言も紙屑へと失墜した」

 

 男性が見る窓の外には、自身をバルフレイム宮から出すまいと動きを変えた無数のシャドウ。

 下方では正規軍と2人のペルソナ使いが立ち向かっているが、それには興味を示さず。

 男は遠方──駅の方向を見つめて、そこにいるであろう青年に向け言葉を紡ぐ。

 

「逃れられぬ滅びの未来。その責を背負おうと言うのなら、この程度の試練は乗り越えて貰わねばな。……ライ・アスガード。外なる世界より来訪した”最後の人類”よ」

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 テロリストが仕掛けたシャドウとの戦いを終えたライ達VII班。

 作戦終了の通信を聞いた一同は、正規軍の送迎でバルフレイム宮の一室に案内された。

 

 大きな窓が1面に広がり、煌びやかな調度品が並べられた皇族御用達の客間。

 自由に使って良いと言われたVII組の生徒たちは、そこで思い思いの時間を過ごす。

 

「あぅ~、もう、流石に疲れたよ~……」

 

 何時もは明るいミリアムが上半身をテーブルに預け、溶けたようにぐったりしている。

 行動は皆それぞれだが、雰囲気はだいたい似たようなものだ。

 今回の騒動はVII組全員が死力を尽くす文字通りの総力戦となった。

 ペルソナ使いは総出でシャドウ討伐に当たり、ペルソナ使いでないエマについても、外周部のメンバー全員を同時に誘導すると言った高度なオペレーションを続けていたのだ。

 

 会話するのも億劫になる程の疲れで脱力するVII組の少年少女たち。

 どんよりとした空気が流れる中、唯一重傷を負ったライはと言うと、椅子に座ってアリサの治療を受けていた。

 

「──はい。これで応急処置は完了よ」

「助かった」

「まったくもう。敵の攻撃を真正面から受けたんですって? リィンじゃあるまいし、何でそんな真似したのよ」

「敵の目を車両内に留める必要があったからな。仮にユーシスの存在に気づかれてしまったら、窓方向にも壁を作られてしまう恐れがあった。そうなったら、全員の命は絶望的だ」

 

 つまり、失敗できないあの状況において、誰か1人をデコイにする必要があった。

 そうなると最も生存率が高いのは、当然手広い手段を持つライであろう。

 自己犠牲とか関係なく、全員が生き残る道を考えた場合、ライがおとりになるのが合理的な判断だった訳だ。

 

「……要するに?」

「全力で考えた結果だ。後悔はない」

「あっそ」

 

 結論、いつものライだったという事で、アリサは追及を止めた。

 

「それより、仕掛けられてたっていうチップについて聞いてもいいかしら?」

「ああ、これか……」

 

 ライは自身のARCUSを取り出した。

 ぐるぐる巻きのテープで強引に固定されたカバー。雑に修繕された為か固定も外れかかっていて、いつ使用不能になってもおかしくない状況になっていた。

 

「……修理に出さないと駄目そうだな」

「シャロンに頼んだらいいんじゃない? 仕掛けられたタイミングについてはどう?」

「手元から離した事は1度も……、……いや、1度だけあったな」

「あーそれってもしかして、ルーレの研究所に送ったって話?」

「ああ。仕掛けられるとしたらそのタイミングだ。輸送中か、もしくは研究所の内部か」

「後者でないことを祈りたいわね……」

 

 もしテロリストが仕掛けたのが研究所だった場合、シャロン経由で届いた要請事態が虚偽の罠だった可能性まで浮上する。

 そうなると要請を遅れたラインフォルト社全体に容疑が広がる訳で。

 アリサの言う通り前者である事を祈るばかりである。

 

 と、その時、客室の扉から軽いノック音が聞こえて来た。

 誰か来たのだろうか。リィンが力なく答えると、扉がガチャリと開く。

 

「──お疲れ様です。VII組の皆さん」

 

 入って来たのは総合司令部として活動していたクレアだった。

 

「あ、クレア大尉、事後処理の指示は終わったんですか?」

 

 同じ司令室にいたエリオットが問いかける。

 

「ええ大体は。今は帝都庁と合同で、帝都市内の巡回と被害状況の確認をしています」

「えっ? それって僕たちも手伝った方がいいんじゃ……」

「いえ、ここからは我々正規軍の仕事です。皆さんはもう、十分すぎるくらいに貢献していただきましたから」

「で、でも」

「お気持ちだけいただいておきます。皆さんのご活躍は勲章を与えるに値するのではないかと、正規軍内でも議題に出た程なんですよ。今はゆっくり療養してください」

 

 クレアは両手を合わせ、ライ達の功績を我が事のように笑顔で語る。

 ……勲章の話は置いておいて、休暇が貰えるのは素直にありがたい。先日の疲れも残っているライ達は、それ以上の反論を止め、素直にクレアの厚意を受け入れた。

 

「それとライさん、ユーシスさん」

「何か?」

「マクダエル市長が搭乗していた車両ですが、先ほど鉄道憲兵隊の本隊から、無事乗客を保護したとの連絡がありました」

 

 ライ達が切り離し、自然減速していった後部車両はどうやら無事だったようだ。

 ある意味切り捨てたような形になっていたので、その報告は素直に安心する内容だった。

 

「それは良かったです」

「今は鉄道憲兵隊の列車でこちらに向かっているみたいです。時間の都合上、到着したらそのまま舞踏会に向かう予定のようですが……」

 

 そういえば、元々マクダエル市長は夜の舞踏会に参加する予定だったと、ミハイルが言っていた。

 出来ればグノーシスを使っていた組織について聞いておきたかったが、それはまたの機会にするしかなさそうだ。今はそのきっかけを掴めただけでも良しとしておこう。

 

 かくして暴走列車の事後報告を伝えたクレア。

 彼女はVII組全員に向き直り、ここに来た本題を口にする。

 

「後、帝都庁からの伝言をお伝えします。明日明後日の2日間はシャドウが見つかった際に備えて、帝都内に留まって欲しいとの事です」

 

 帝都庁から来た追加の要請。

 それを聞いた瞬間、ミリアムがテーブルの上からガバリと上半身を起こした。

 

「それって、何もなかったら2日間自由時間ってこと!?」

「待ちたまえミリアム君。こういう場合、基本的に待機しておくものだと相場が……「いえ、要請がない間は自由に行動してて構いませんよ」……え?」

「やったぁぁぁぁ!!」

 

 クレアの許可を得たミリアムが疲れも忘れて飛び上がる。

 

「あはは、元気ねミリアム……。夏至祭が無事再開するかも分からないのに」

「だな……」

 

 疲れ知らずの子供のように振舞うミリアムを遠目で見るアリサとリィン。

 まあ、再開していないならいないで、復興の手伝いをすれば良いだけだろう。

 事実上の自由行動日とも言えるこの指示は、もしかしたら帝都庁なりの褒賞なのかも知れないと、ライは推測した。

 

「報告は以上です。最後に、改めまして帝都を代表してお礼させていただきます。本当に、本当にありがとうございました」

「いえ、そんな……」

 

 クレアは深々と頭を下げた後、姿勢を正して客室を出ていった。

 

 残されたVII組一同。

 ここからはもう客室に留まっている理由もない。

 僅かな間流れる沈黙。委員長のエマが代表して皆に提案する。

 

「それじゃあ、そろそろ夕食時ですし、外の状況を確かめつつ開いているお店でも探しますか?」

「委員長、ナイスアイデア」

「ふむ……」

 

 エマの提案に親指を立てて賛同するフィー。

 外は太陽も落ち、街灯の光が星のように輝き始める時間だ。

 確かにそろそろ食事にしたいと感じたライ達は、エマの案を採用して客室を後にするのであった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ──バルフレイム宮入り口。

 外に出ようと歩いていたVII組は、そこで護衛と共に帰還して来たオリヴァルトとばったり出くわした。

 

「おや、キミたちじゃないか。奇遇だね」

「1日ぶりです。オリビエ殿下」

 

 まるで友達のような気やすい態度で歩み寄るオリヴァルト。

 普通、皇族とこんな会話をするなど畏れ多いにも程があるが、そこは流石の放蕩皇子。

 警備している兵士も全く気にしていないところを見ると、いろんな意味で彼の人望を感じざるを得ない。

 

 オリヴァルトはそんな中、ほがらかな笑顔でライの元へと辿り着く。

 そして、周りの兵士に聞こえないよう密かな声で、悪戯っぽくライに語り掛けた。

 

「……キミとの取引は無事果たしたよ。けど、いくら相手がボクでも、皇子を最前線に送ったとなると立場が悪くなるからね。取引の件はここにいる面々の間での秘密という事にしておこう」

「感謝します」

「はは、キミに1つ借りを作れたのなら安いものさ」

 

 テロリストに対抗する為の切り札として、歴戦の経験があるというオリヴァルト達に頼んだ。が、やはり問題があったらしい。

 

 表に出さず反省するライ。

 彼は意識を切り替えてオリヴァルトに問いかける。

 

「それで、ギデオンという男はいましたか?」

「ああ、写真の男は見つけたとも。ほら証拠もばっちし♪」

 

 オリヴァルトは薔薇の中からビデオカメラを取り出し、ライ達に見せつける。

 それはライがオリヴァルトに渡したものだ。

 詳細を聞いていなかったアリサが、その小さな機械に驚き問いかけた。

 

「ねぇライ、あれって……?」

「異界で手に入れた物を導力用に加工したものだ。ブリオニア島で導力ラジオが役に立ったから、ノーム先輩に協力してもらって作成した」

「ああ……、そういえば授業中になんか作ってたっけ」

 

 小型カメラを見て納得するアリサ。

 近年の導力革命によって、ゼムリア大陸の技術レベルは驚愕の速度で進歩し続けている。

 それこそ端末で見る動画を撮影する機器なども開発されているが、速度が早すぎる為、構造の洗練がされているとは言い難い。

 

 そこで、長い期間をかけて改良していったであろう異世界の機械を参考にした。

 ビデオカメラの小型化。その目的はたった1つ。

 

「これで、証拠は手に入った」

 

 不敵に微笑むライ。

 その言葉に反応したのは、後方で佇むガイウスだ。

 

「ライよ、まさかそれは……」

「ギデオンがシャドウを操る瞬間を捉えた映像だ」

 

 そう、これは騒動の裏でライとオリヴァルトが交わした作戦だった。

 驚くオーディエンス達の前で、オリヴァルトが高らかとネタ晴らしを行う。

 

「フッ、ボクに託された役目は2つあったって事さ。1つ目はテロリストのに対する伏兵。2つ目はノルド高原で暗躍した男の正体を詳らかにする事。ギデオンは共和国軍とも接触していたから、彼がシャドウを操る光景さえ見せれば、共和国軍の誤解も解けるだろうね」

 

 通商会議が控えているにも関わらず、共和国との緊張状態が続いていたのは、向こうの主張を崩す証拠がなかったからだ。

 しかし、彼らの主張にあった民間人が黒幕だったとなれば状況は一変する。

 緊張状態は向こう側としても戦力を浪費する行為。これで、ノルド高原は今まで通りの状況までは戻せることだろう。

 

「……と、まあ、ここまでは作戦通りだったんだけどね」

「何かトラブルが?」

「あーうん。これはキミたちも無縁じゃないし、正規軍に伝える前に教えておこうか」

 

 そう言って、オリヴァルトは地下道であった出来事を一通りライ達に伝えた。

 

 帝国解放戦線というテロリストの組織名。

 ギデオンに加勢する《S》《V》と呼ばれた2人の幹部。

 ……そして、《C》と名乗る、黒い仮面をつけたペルソナ使いの存在を。

 

「て、敵のペルソナ使いだって!?」

「シグルズと似た姿のペルソナか。リィン、何か心当たりはあるか?」

「いや何も……」

「ふむ、仕方あるまい」

 

 ジークフリードの形から正体を特定しようとするユーシスであったが、リィンに心当たりはない様子。

 そもそも姿形を決める要素が明確に分かっていないのだ。現状での特定は不可能だろう。

 

 しかし、それよりも、ライにとって気になる点は他にあった。

 

 ライの裾をちょいちょいと引っ張るフィー。

 彼女も同じ気がかりがあったようで、黄色い瞳でライを見上げる。

 

「ねぇライ、青い鍵って……」

「似ているな」

 

 月のような光を放つ鍵。

 それはまるで、フィレモンから渡された”あの”鍵のようだ。

 だが、完全に同じであるとも考えにくい。かの世界と繋げる事が出来ないとの証言。ノルドでの話も加味すれば、ライの鍵はギデオンのものより強力だと推測できる。

 

「さて、それじゃそろそろお暇しようかな。ボクは”偶然にも”テロリストと対峙してしまったからね。色んな人からラブコールが鳴り止まないんだ」

 

 うきうきした様子でそう語るオリヴァルト。

 無理もない。何せ、これそこ彼が要求した対価なのだから。

 テロリストの幹部達と直に対峙したとなれば正規軍も無視はできまい。彼はようやく、帝都を動かすこの事件に真の意味で関われるようになったのだ。

 

 オリヴァルトはライ達VII班に別れの挨拶を告げようとする。

 

 ……その時であった。

 遠方から思慮深く、底の知れない声が聞こえて来たのは。

 

 

「──これはこれは。一同お揃いで」

 

 

 その声は不思議な重力を伴っていた。

 誰に合図されたでもなく、自然と皆の意識が声の方向へと向けられる。

 

 そこにいたのは威圧的なオーラを纏い、白髪混じりの茶髪を下ろした大柄の男。

 誰が見ても只者じゃないと理解できるその人物は、注がれる視線を気にも止めず、堂々とした足取りでライ達の元へと歩を進める。

 

(誰だ?)

 

 見覚えのない人物だ。

 しかし、その感想はこの場においてかなりの少数派。

 ユーシスやリィンなどは、驚きを隠せない様子で男の姿を見つめていた。

 

「まさか……」

「…………」

 

 一方でオリヴァルトは僅かに目を細め、近づいてくるその男へと声をかける。

 

「宰相殿。此度の襲撃、無事乗り越えられたようで何よりだ」

「ええ、これも女神の導きでしょう。死力を注いだ者達には礼を尽くさねばなりますまい」

 

 オリヴァルトが口にした宰相と言う単語。

 その肩書を持つ者は、この帝国においてただ1人しかいないだろう。

 

(彼が噂の鉄血宰相、ギリアス・オズボーンか……)

 

 テロリストが怨敵としていた相手。

 帝国の近代化を推し進めた功労者。

 そして同時に、多くの歪を生み出した元凶でもある。

 

 ブリオニア島でも耳にした帝国トップの姿を、ライは脳裏に刻み付けた。

 

「つまり貴方はその礼をしにここまで来たという事かな?」

「いえ、今は殿下と同じく、契約の遂行をしに参上した次第。それはまたの機会といたしましょう」

「……契約?」

 

 訝しむオリヴァルトから視線を外したオズボーンは、その深い目つきをVII組の中心、即ちライの方へと向ける。

 

「ライ・アスガード。春に交わした契約の通り、この帝国に蔓延る災厄の対処は順調に進めているようだな」

 

 突如の名指しであった。

 リィン達の顔がライへと向き、本人もまた、無意識に身構えてしまう。

 

(春に交わした契約? ……まさか!)

 

 入学して以降、ライはオズボーンに会った事は一度もない。

 だとしたか可能性は1つ。鉄血宰相はその内心を見透かしているが如く、言葉を紡いた。

 

「そう言えば記憶喪失であったか。……だが、関係あるまい。お前は私との契約に従い士官学院へと入り込み、己が役割を全うし続けた。その対価を受け取るのは当然の権利と言えるだろう」

 

 オズボーンの手から直々に渡される封書。

 

 かくして、試練を乗り越えたライは、ここに来て初めて自身の経歴を知る事となった。

 

 

 




これにて、色々と詰め込んだ4章が終了です。
次からは5章:交差する2つの軌跡。
ようやくずっと前に追加した「碧の軌跡」のタグが意味を成す事になりそうです。

また、もしお読みいただき面白いと思っていただけたのなら、無理のない範囲でご感想やここすきなどをしていただけると嬉しいです。
一言のご感想でも大変活力となりますので、よろしくお願いいたします!!



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5章 -交差する2つの軌跡-
82話「過去への手がかり」


 ──帝国解放戦線による帝都襲撃があった7月26日。

 帝都から遠く東の地、諸外国の交通の要所とも呼べるクロスベル自治州において、とある異変が発生していた。

 

「あっちゃあ、まただよ」

 

 多数の画面に囲まれた部屋の中で、1人の研究者がぼやく。

 ここはIBC《クロスベル国際銀行》の地下にある端末室。

 今はまだ研究段階だが、ゆくゆくは西ゼムリア大陸中の金銭情報が集まる事が期待されるここは、銀行の中でも最重要と言って良い場所だ。

 

 そんな場所を任されている彼が頭を悩ませるトラブル。

 同室にいた同僚も、コーヒー片手に同情的な声をかけて来た。

 

「また例の不具合?」

「そうそう、見てくれよ、これ」

「……あれま、稼働ログにぽっかり穴が空いてる」

「はぁ、原因は何なんだろ……」

 

 椅子に深く背を預け、技術者は深いため息を零す。

 目の前の稼働ログは最新情報処理システムの一時停止を示していた。

 原因は全くの不明。しかし、数日に1回と結構な頻度で起こっている為、担当者として無視もできない。

 

「ケーブルとか、ハード面の問題って可能性は?」

「一通りのチェックはしたんだけどね。念のため、もう一回最初からやってみるかな」

「今日も徹夜コース?」

「……ほぼ確定かな」

 

 再びのため息。もう数えるのも馬鹿らしくなる。

 目元の隈が取れない程に疲れ果てた研究者。

 そんな彼の元に、備え付けの通信機から音が鳴り始めた。

 

「はい、こちら地下5階端末室──、あ、マリアベルお嬢様? ……え、はい、分かりました。すぐ向かいます」

 

 通信の相手はIBC総帥の御息女マリアベル・クロイツだった。

 まだ10代と若い身でありながら、様々な事業に携わるやり手の事業家であり、研究者たちの上司に当たる人物でもある。

 

 ガチャリと戻される受話器。

 当然、同僚はその話が気になっている様子だ。

 

「お嬢様はなんて?」

「不具合が気になるから、今ある資料を全部持って来いってさ」

 

 いつまで経っても直らないから痺れを切らしたのかも知れない。

 研究者は気を重くしながらも、机の上に広げられた資料をかき集め、エレベーターの方へと向かった。

 

 特徴的な音を立てて自動的に開く扉。

 中に入り、マリアベルがいる上層の階を押した研究者は、そのまま側面の手すりに体重を預ける。

 

「はぁぁぁ…………」

 

 全面ガラス張りの豪華なエレベーター。

 地下から地上に出て、鮮やかな夕日の光景が目に入るものの、研究者の心は曇天のままだ。

 

 一体いつになったら不具合は直るのか。

 マリアベルに会ったら何を言われるのか。

 それらを乗り越えたとして、その後にも同じような日常が続くだけなんじゃないか。

 

「俺の未来、どうなるのかな……」

 

 未来への不安に押しつぶされそうになる研究者。

 そんな彼の眼前で、眩しい程に輝く夕日が地平線と重なった。

 

 

 ──

 ────

 

 

 一方、上層の階で仕事をしていたマリアベルは、一旦仕事を中断してエレベーターの前に来ていた。

 

「まったく、下の連中は何をしているのかしら」

 

 心の中に渦巻いているのは、研究者達の不甲斐なさへの憤り。

 しかし、資料を見なければ状況が掴めない為、それを表に出すかどうかは資料を見てからの判断になるだろう。場合によっては手助けの必要も出てくるかも知れない。

 

 地下5階の端末室から真っすぐ上がって来るエレベーター。

 その表示を黙々と待ち続けたマリアベルは、扉が開いた瞬間に中へと歩を進めた。

 

「ダビット。早く資料をこちらに──、──あら?」

 

 エレベーターに入ったマリアベルは目を丸くする。

 

 地面に散乱する資料。目的の階に到着した事を示す表示。

 先ほどまで人がいた痕跡を残し、研究者の姿は忽然と消えてしまっていた。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ──翌日7月27日。

 エレボニア帝国、帝都ヴェスタ通り。

 

 夏至祭初日の騒ぎが嘘のような平穏に満ち、小鳥のさえずりがコーラスを奏でる午前10時。

 ライは他のVII組と別れ、旧ギルド支部の椅子に腰かけていた。

 

 テーブルを挟んで向かい側に座るのはVII組顧問のサラ・バレスタイン。

 旧校舎のクレームを対処し、ようやくトリスタを離れる事ができた彼女に対し、ライは先日の報告を行っていたのだ。

 

「ありがとう。大体の状況は理解したわ」

 

 シャドウを利用する帝国解放戦線。

 その後に判明した鉄血宰相との関係。

 

 それらの事象を頭に叩き込んだサラは、やや下を向いて考えを巡らせる。

 

「……やっぱり、裏にいたのは宰相だったのね」

「事前に推測を?」

「そりゃまぁ、あんな白紙の経歴書を通せる人物なんて限られているもの。一応候補の1人ではあったわ」

 

 明らかに正規の手順ではない白紙の経歴書を受理させたとなると、無理を通せる程の地位を持つ人物か、学院内の重鎮とコネを持つ人物のどちらかだろう。

 該当する人物は何人もいたため特定には至らなかったが、オズボーンの名前もリストアップされていたらしい。

 

「オズボーン宰相は軍に在籍していた時ヴァンダイク学院長の部下だったらしいし、その伝手で無理やりねじ込んだってところかしら。……学院長に聞いたところで、はぐらかされるのがオチでしょうけど」

 

 サラは氷を入れた紅茶を揺らしながら入学の経緯を推測する。

 

「それで、宰相閣下から頂いたって封書の中身はなんだったの?」

「これです」

 

 ライは封の開いた封筒をサラに渡す。

 口で説明するよりも、この方が確実だ。

 

「なになに? トールズ士官学院の特別休暇許可書とクロスベルへの往復切符、それと……、何かの計測データ、かしら?」

 

 中に入っていたのは3種の紙であった。

 1枚目の特別休暇許可書はライを貴族生徒と同じ扱いにするものだ。

 どうやら士官学院では、領地運営を勉強するという名目で、貴族生徒の長期休暇が認められているらしい。

 

 そして、2枚目の往復切符。

 書かれている期間が"8月24日から31日の1週間"である事を踏まえると、これら2枚は、ライがクロスベルに行く為に用意されたものと見て間違いないだろう。

 

 問題は3つ目の計測データが書かれた紙の束。

 計測地と7種の数値、そして時刻が折れ線グラフとして綿密に纏められている。

 それを読み進めたサラは、次第に表情を硬くしていった。

 

「……ライ、これが宰相の言う”対価”と見て間違いないのよね?」

「今月に入ってからノルド高原の計測も追加されています。恐らく、鉄道憲兵隊を使って収集したものかと」

「そう」

 

 以前オリヴァルトから聞いた情報とも一致している以上、適当な場所から拝借したものではないだろう。

 わざわざ鉄道憲兵隊を動かしてまで計測を行った理由。

 恐らく、入学前のライが求めたであろう情報は、クロスベルと書かれた情報を見る事で推測できた。

 

「これって……」

 

 クロスベルの計測データを見たサラの目が止まる。

 他は微増減するだけだった折れ線グラフが、これだけは大きく異なっていたからだ。

 

「導力の数値が度々0になってます」

「それだけじゃないわ。異変は夕方の時間帯に限られてる。……これって、トリスタやブリオニア島と同じ…………」

 

 導力の喪失。ブリオニア島とは異なり時間はほんの一瞬だが、計測器は正確にその異変を捉えていた。

 

 ブリオニア島と同様の異変。

 だとすれば、原因もおのずと予測できる。

 

「トリスタも同様かは不明ですが、ブリオニア島の原因ははっきりしています」

「神を自称する存在ね。仮にクロスベルも同じなら、かつての貴方は神を探してたってことなのかしら」

「恐らくは」

 

 神を探してどうしたかったかは分からないけれど、記憶喪失前の行動を知れたのは大きい。

 かつてのライは宰相と何らかの取引を行い、宰相はデータの収集を、ライはトールズ士官学院に裏ルートで入学する形となった。

 まだ因果関係など不明な点も多いが、これだけ情報があれば調べる手段は格段に増えたと言えるだろう。

 

 手始めに用意された切符を用いてクロスベルに向かうべきか。

 その方針を伝えるライであったが、サラの反応はどうも芳しくない。

 

「サラ教官?」

「……悪いけど、その切符を使うのは反対よ」

 

 いつになく慎重なサラ。

 不思議がるライに向けて、彼女は指を1本立てる。

 

「理由は1つ。この件に関して宰相側の行動が信用ならないから」

「信用?」

「ちょっとは疑う事を考えなさい。このデータ収集が本当なら、宰相は入学式より前に情報を得ていた事になるじゃないの。それなのに、シャドウ事件の中心が正規軍に移った後も、その情報が降りて来た事は一度もなかった。──要するに、彼らは故意に隠していたのよ」

 

 ……確かに不自然だ。

 善意の協力と考えるのは早計。

 何らかの裏があると考えておいた方が良いだろう。

 

「それに、切符の日程も不自然ね。……ライ、復路の最終日とその前日にある出来事は覚えてる?」

 

 最終日とその前日、つまりは8月の30日から31日の2日間か。

 

「……西ゼムリア通商会議の事ですか?」

「そうよ。クロスベル自治州で開催予定の、大陸初の多国間国際会議。帰りの時間帯も夕方だし、日程は間違いなくこの会議に合わせて設定されてるわ」

 

 つまりライの目的とは関係なく、会議のある地区に留める為に切符を用意したという事になる。

 前向きに捉えるならば、会議にシャドウ関連の危機が迫った際の保険が欲しいと言ったところか。

 だが、そうならそうと言えば良いだけの話だ。わざわざ別の理由を被せる必要はないだろう。

 

(確かに、これは考える必要があるかも知れないな……)

「そういう事だから今は少し様子を見て、──って何かしら、この不安定な着信音は」

 

 支部内に響き渡るノイズ交じりの音。

 それは確かめるまでもなく、ライの懐にある壊れかけのARCUSから鳴っているものだ。

 

 ライはサラの許可を得て通信に応答する。

 短い言葉で会話を重ねて何事もなく通信を切ると、サラが興味深そうに聞いて来た。

 

「今の通信何だったの?」

「オリビエ殿下から、食事のお誘いを受けました」

「……今、なんて?」

 

 思わず聞き返すサラ。

 皇族からのお誘いと言うとんでもない状況を、さらりと答えるライであった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ──帝都中央付近に位置するレストラン。

 人払いが済まされた店内へと案内されたライは、そのままオリヴァルトが座るテーブルの反対側へと腰かける。

 

「フフッ、秘密の密会というのも、甘美な響きで心が躍るね♡」

「このような誘いは意中の女性にでもするべきでは?」

「そうでもないさ。ボクの愛は性別不問の普遍的かつ根源的な愛。キミとの逢瀬も苦労をかけるに値するものだよ」

 

 純白のテーブルを挟み、冗談を交わす2人。

 ここは早速本題に入るべきだろうか。

 

「今回は先日の件で?」

「まあまあ、今は食事を楽しもうじゃないか。話はそれからでも遅くはないさ」

 

 オリヴァルトは両手を広げ、眼前に広がる温かな食事を披露する。

 豪華な店内には似つかわしくない庶民派な食事の数々だ。

 恐らく、レストランの正規メニューではないのだろう。

 

「おや? もしかして豪華な方が良かったかな?」

「……いえ、こちらの方が口に合います」

「それは良かった。これは辺境の里アルスターでよく振舞われる料理でね。ボクも幼い頃からよく食べていたものさ」

 

 懐かしそうな顔で、スプーンを手に取るオリヴァルト。

 そのアルスターと言う地は彼にとって特別な場所なのだろうか。

 放蕩皇子と呼ばれる男の意外な側面を見たライは、彼に倣うようにしてスープに口をつけるのだった。

 

 

 ……

 …………

 

 

 そして、一通りの食事を済ませた頃。

 オリヴァルトはスプーンをカチャリと置いてライに問いかける。

 

「さて、まず最初に確認なんだけど、キミはボクと宰相の関係を知ってるかな?」

「聞いてはいませんが、良好でないのは察します」

 

 思い出すのは先日、オズボーンが現れた時にオリヴァルトが表に出した表情だ。

 一瞬ではあったが目を細めた真剣な表情。

 普段との落差を考えると、良好だとはとても思えない。

 

「……有体に言えばそうなるね。表立って対立はしていないけれども、ボクは宰相の企みに抗い続けている立場なんだ」

「企み、ですか」

「そんな折にキミと宰相の取引関係が判明した。だとすれば、ボクとしては改めて確認しない訳にはいかないだろう。──キミは今、どちら側に属しているのかな?」

 

 手を組んで真面目な顔で質問するオリヴァルト。

 下手なごまかしは不可能か。ライもまた、覚悟を決めて口を開いた。

 

「──分かりません」

「分からない、とは?」

「俺の行動原理は変わりません。派閥など関係なく、俺は俺の道を進むだけ。……ですが、裏に宰相が関わっていたとなると話は変わってきます」

「意図せずとも、革新派の立場になってるかも知れないと、そう言いたいんだね?」

 

 ライは静かに頷いた。

 そして、簡易ではあるが、宰相から渡された資料についても説明する。

 

「──ふむふむ、封書の中にそんなものが。……そうなると、かつてのキミが宰相と交わしたという契約をはっきりさせる必要がありそうだ」

 

 ライの主張を受けたオリヴァルトは、そう言って席を立つ。

 

「どちらへ?」

「バルフレイム宮さ。宮殿内の人なら、もしかしたら契約の話を耳にしてるかも知れないからね」

「なるほど、殿下なら宮殿も自由に動ける訳ですか」

「いいや。流石のボクでも、現政府の領域を我が物顔で歩き回るのは難しいよ?」

「──? なら、どうやって」

 

 矛盾したオリヴァルトの言動。

 疑問を覚えるライに向け、腰に手を当てた放蕩皇子はビシッ!と指を差す。

 そして──、

 

「なので、ここからはアウトローに行こうじゃないか! 頼りにしてるよ? 怪・盗・クン♪」

 

 悪戯好きな笑みを浮かべて、そう宣った。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

『──こちら愛の狩人。首尾は順調かい?』

「ええ」

 

 オリヴァルトが何時になくウキウキした声で通信してくる。

 それに密かな声で返答するライ。彼が今いる場所は、バルフレイム宮内部の帝国政府が使っているエリア、更に言えば通路天井付近の物陰だった。

 

(見つかったらタダじゃ済まないだろうな……)

 

 ライはここに来た経緯を思い返す。

 オリヴァルトが立てた作戦とは即ち、現政府の中でもオリヴァルトに協力的な人物に接触し、入学式より前の出来事について聞いて回るというものだった。

 しかし、馬鹿正直に向かったところで警備につまみ出されるのがオチだろう。

 そこで役に立つのが、人目を盗んでの行動に慣れて来たライと言う訳だ。

 

(警備が移動したか。今がチャンスだ)

 

 ARCUS越しに合図を送る。

 すると、後方の曲がり角に隠れていたオリヴァルトがひょっこり現れ、差し足忍び足で目的地の部屋へと移動。扉を僅かに開けて内部を覗き見し始める。

 

 上から見るとまるでゲーム盤を眺めているようだ。

 安全を確認したオリヴァルトが、天井付近のライに向けてグッド!のサインを送る。

 何だか楽しくなってきたライもまた、親指を立てて答えるのだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「済みません殿下。その者や契約について心当たりは何も……」

「そうか。仕事を邪魔して悪かったね、貴婦人(レディ)

「いえ、めっそうも! 立場上明言は出来ませんが、影ながら応援しています」

 

 頭を下げる女性職員に感謝の言葉をかけつつ部屋を後にするオリヴァルト。

 侵入自体は上手く行っているが、肝心の情報収集は難航していた。

 

 次の協力者に接触しても返答は似たようなもの。

 

「春頃にそのような来客は……」

 

 ライという人物が訪れた痕跡はなく。

 宰相が来客を迎え入れたという記録もなく。

 

「殿下、それより近衛兵から苦情が来ているのですが……」

 

 オリヴァルトが挙げた人物は、全て接触してしまうのだった。

 

 

 ……

 …………

 

 

「こうまで目撃情報がないだなんて、キミ、もしかして以前から怪盗まがいの活動をしてたんじゃないかい?」

「そんな気がしてきました」

 

 契約を交わしたという入学前の春頃、オズボーンがバルフレイム宮からあまり外に出ていない事は調査済みだ。

 それなら契約もバルフレイム宮で行ったと想定していたが、どうやら当てが外れていたらしい。

 

 帝国政府のエリアを抜け出したライ達。

 何の成果も得られなかった2人は、人工の滝が流れる屋内の翡翠庭園にて途方に暮れていた。

 

「今回分かったのは、昔のキミが交わした契約が正規の流れじゃなかったってことくらいかな」

「隙を見て外部で密会したか、それとも人伝で接触してたかと言ったところですか」

「もしくは、かつてのキミがすっっっっごく人見知りだったとか。何にせよ、これ以上はミュラーの力も借りないといけなさそうだ」

 

 状況を見る限り、過去の自分は我ながら怪しいと言わざるを得ない。

 いったいどんな生活をしてたらここまで痕跡を消せるのだろうか。

 在りし日のライに苦情をぶつけたい衝動に襲われる2人。そんな彼らの背後で、庭園に近づく軽快な足音が1つ。

 

「ああっ! ここにいらっしゃったのね、兄様!」

 

 可憐な声を上げたのは、ふわふわに広がる金髪を揺らした少女。

 まるで太陽のように煌めく彼女は2日前の女学院で会った為、ライもその名を知っていた。

 アルフィン・ライゼ・アルノール。オリヴァルトの異母妹であり、正当なる皇位継承権を持つ皇女だ。

 

「おや、これは我が麗しの妹君じゃないか。どうしたんだい?」

「まったくもう! 父様がずっとお探ししてらっしゃったんですよ? それなのに兄様ときたら、ずっと通話中のままなんですもの」

「ああ──……、……そう言えばずっとライ君の戦術オーブメントと繋いだままだったね」

 

 目を泳がせ、後半を小声で呟くオリヴァルト。

 一方で頬を膨らませながら追求しようとするアルフィン。

 しかし、ライという第3者の存在に気づいた彼女は、慌てて余所行きの態度に改めた。

 

「お見苦しい所をお見せいたしました」

「いえ」

「ライ・アスガードさん、お会いするのもこれで3度目……でしたよね。本日はどのようなご用件で?」

 

 アルフィンはペルソナ使いの話を知らない為、2人の組み合わせが純粋に気になったのだろう。

 どう答えるかと顔を変えずに悩むライ。

 だがその途中で、アルフィンが口にした言葉の中に不自然な内容がある事に気づく。

 

「……3度目?」

「あれ? 違いましたか? ……考えてみれば、3月にお会いした際は言葉の交流をした訳ではなかったですし、2日前もお兄様とすぐ場所を移してしまいましたし、本当の意味でお話しするのは今回は初めてでしたものね」

 

 忘れられていたと思ったのか、両手を合わせて気まずそうにするアルフィン。

 

 顔を見合わせるライとオリヴァルトの2人。

 そう、ライ達が探し求めていた人物は意外と身近にいたのであった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「──なるほど。記憶喪失でいらっしゃったと」

 

 現状を手短に伝えると、アルフィンは素直に納得してくれた。

 

「ついでに付け足すと、彼は人に嫌われやすくなる呪いにかけられているんだ」

「呪い……ですか。込み入った状況だったのですね」

 

 呪いとは……。

 いやまあ、理不尽な現象を端的に表すとそうなるのか。

 アルフィンも呪いに関しては半信半疑だったが、自身の受ける印象にも関係している事は確かだろうと、理解を示した様子を見せる。

 

「……事情はおおむね把握しました。わたくし、少し言いにくい話もあったのですが、この際ですから包み隠さずお伝えしますね」

「お願いします」

「ええ、ええっ! あれは確か、同時爆発事件の翌日だったから3月12日のことです。あの日、女学院から──」

 

 かくして、アルフィンによる3月の回想が始まった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ──3月12日。

 聖アストライア女学院の授業を終えてバルフレイム宮に戻ったアルフィンは、普段とは異なり、人気のない西の離れ方向へと散歩に出ていた。

 

 その原因は先日11日に起こった同時爆発事件だ。

 夕刻に突如、何の前触れもなく帝都の各地で発生した爆発。

 昨年1月にあった爆発事件と同じように、現場に爆弾や火属性の導力魔法を使った痕跡はなく、犯行声明も特にないらしい。

 

 しかも、今回はバルフレイム宮の一部すら崩落してしまった。

 そのため宮殿内の人々は大混乱。張りつめた空気の中、アルフィンも手伝える事はないかと聞いたのだが、言外に余計な事はするなと言われてしまったのだ。

 

(わたくしはまだ子供ですものね……)

 

 無力感を感じながら歩いていたアルフィンが会ったのはオズボーン宰相だった。

 

 ──気分転換に外の空気でも吸うと良いでしょう。

 彼の勧めで邪魔になりにくい場所を紹介された彼女は、断る理由もなくその場所へと赴いた。

 

 その時である。

 

「……あれ? あの殿方は?」

 

 塔の影になっている場所を、見覚えのない灰髪の青年が歩いている光景を目撃した。

 特徴のない衣服を身に纏った10代後半と思しき男性。アルフィンが気になったのは、横から見えた鋼のように冷たい目だ。

 

(瞳が月色に光ってる?)

 

 認識した瞬間、ぞくりとした感覚が背筋を走る。

 本能的な嫌悪感とも呼べる感覚。

 けれど、アルフィンはそれよりも好奇心の方が勝り、その青年の方へと小走りで駆け寄っていった。

 

「ご、ごきげんよう」

「…………」

 

 笑顔で挨拶をするアルフィン。

 しかし、対する青年はというと、軽く頭を下げるだけで一言も喋ることなく塔の中へと消えていった。

 

 その対応にアルフィンは思わずむっとする。

 人とコミュニティを築こうと一切考えていないような対応だ。

 時代が時代なら、これだけで拘束されてもおかしくない程の行為と言えるだろう。

 

(……でも、喋れないとか、何か事情があるかも知れませんよね)

 

 会話すら成立していない段階で決めつけるのは早いとアルフィンは考え直す。

 良くも悪くも、扉の向こう側への興味を持たざるを得ない。

 無意識に扉の方へと歩いていくアルフィン。

 すると、木製の扉越しに微かな声が聞こえて来た。

 

『──帰ってきましたか』

『ただいま』

 

 聞こえて来たのは幼い女性の声と、冷静な男性の声。

 状況を見て男性の方は先ほどの青年のものだろう。喋れない訳ではなかったらしい。

 気がつくと、アルフィンの耳は扉にくっついていた。

 

『それで、入学の書類は提出したんですか?』

『ああ』

『……本当にあれを出したんですね。一般常識と照らし合わせて、驚愕に値するかと』

 

 声だけでも、ジトっとした目でしゃべる少女の姿が目に浮かぶ。

 

『彼らに相談すれば、偽の経歴書くらいは作ってもらえたんじゃないですか?』

『いや、あれでいい。警戒された方が好都合だ』

『……あまりこの世界の住民とは関わらない方がいい、という話ですか』

『ああ。できれば入学もしない方が良いが……』

『──! それなら、今のまま活動しても』

 

 声色を変える少女。

 しかし、青年の声はどことなく沈んでいた。

 

『……これは賭けだ。倒すべき残り3組の神、奴らがこの世界のエネルギーで傷を癒せると判明した以上、今までのやり方じゃ間に合わなくなる。彼らが信頼できるか分からないが、今は帝国全土を調べる為の人手が必要だ』

『そう、ですね…………』

 

 少し言葉を濁した少女は、その様子を青年に悟られたくなかったのか、すぐに話題を変える。

 

『そう言えば、あなたが入学する予定の学院に、今年度新しく特化クラスを設立する噂があるみたいです』

『特化クラス?』

『ええ。なんでも帝国各地で演習するカリキュラムを盛り込むのだとか。……もし、そのクラスに編入されたら、ライさんはどうしますか?』

『そうだな……』

 

 少女の問いに悩みこむライと呼ばれた青年。

 彼は数秒の間黙り込んだ後。

 

『……恐らく、辞退するだろうな』

 

 と、答えるのだった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「──その言葉を最後に、2人の会話は聞こえなくなったんです」

 

 アルフィンの回想はこうして終わりを告げた。

 話を聞く限り、青年は入学前のライ本人と見て間違いない。

 一方で会話していた少女に心当たりはない。が、それより今は、言わねばならない事があるだろう。

 

「アルフィン殿下、無礼を働いた事をお詫びします」

「いえ、いいんです。それよりも今の話は参考になりましたか?」

「ええ勿論」

「それは良かったです!」

 

 我が事のように喜ぶアルフィン。

 見ているだけで癒されるような笑顔だ。

 

「ふぅむ、ボクとしても非常に興味深い話だったね。──アルフィン、ちょっと彼と2人で話し合いたいから、先に父上の元へと戻ってくれるかい?」

「……分かりました。兄様のことですから大丈夫だとは思いますけど、終わったら必ず来てくださいね」

「はは、分かっているさ」

 

 オリヴァルトの提案を素直に受け取って、アルフィンは素直に戻っていった。

 その背中を見送ったライは、ふと、素朴な疑問を口にする。

 

「……彼女、何も聞きませんでしたね」

「アルフィンだって皇族の1人という事さ。それより丁度周囲に人影はないし、今の内に済ませてしまおうか」

「ええ」

 

 表情を変えて真剣モードに切り替わるオリヴァルト。

 何時人が来るか分からない以上、手短に済ませた方が良いだろう。

 

 議題はレストランの時と同じく《かつてのライはどの立場だったのか》という問題。

 4ヵ月前の情報故に細かい箇所は違うかも知れないが、その答えはアルフィンの回想の中にあった。

 

「昔のキミはどうやら1人の少女と行動を共にしていたらしいね。その目的は神という存在の討伐。これは、キミがブリオニア島で対峙したっていう神と考えて良いのかな?」

「可能性は高いかと。この世界のエネルギーで傷を癒す。これが導力エネルギー消失の原因だとすれば、説明がつきます」

「何らかの過程で満身創痍になった自称《神》達が、各地に潜んで傷を癒そうとしていたって事なのかな。そのままだと完全な状態で復活してしまう。だから、かつてのキミは信用していない相手でありながらも、宰相と協力して神の痕跡を探そうとした」

 

 会話を素直に捉えるならそれで間違いないだろう。

 

「けど不思議な事もあるんだね。契約を結んでまで倒そうとしていた相手の内1組と、偶然にもキミはブリオニア島にて遭遇する事になるなんて」

「……偶然かと言われると、少し怪しい所ですが」

 

 ブリオニア島の出来事は何者かに誘導されたような痕跡があった。

 誘導した黒幕は不明だ。しかし、今回の情報と合わせて考えてみると、あれは《かつてのライが掲げていた目的を果たさせる為》に行われた行為だったのかも知れない。

 

 しかし、これは証拠もない陰謀論だ。

 今は確定した話に移るべきだろう。

 

「次に入学の件ですが……」

「そうだね。話を聞いた感じじゃ、トールズ士官学院への入学はキミの本意ではなかったらしい。恐らくこれは宰相から出された交換条件だったんだろう」

「……それに一体何の利点が?」

「ふむ、残念ながら皆目見当もつかない。現にキミが入学した事で旧校舎の異変に対処できた訳だけど、それが判明したのは入学初日だ。未来予知でもしない限り、宰相が交換条件として出すとは思えない」

 

 住民との関りを避けていたライは、宰相の思惑でトールズ士官学院に入学した。

 何故そうなったかは不明。情報が明らかに不足している。

 

(そもそも、関りを避けるというのもおかしな話だ……)

 

 旧校舎の話が事実だとするならば、かつてのライも今と同じワイルドの力を持っていた筈だ。

 人との関り、絆が力へと変わる特殊な力。

 それなのに関りを断つなど、今のライからしてみれば考えられない行動だろう。

 

「──とりあえず、分かったのはそんなところかな?」

「ええ。少なくとも、かつての俺は革新派とは別の立場にあった。今ならば”どちらでもない”と確信を持って言えます」

「それは良かった」

 

 ライの返答を聞いたオリヴァルトは、ほっと安心した顔になる。

 まるで今の今まで心配していたかのような様子。

 そこで初めて、ライはオリヴァルトにとって重大な心配事だった事に気づく。

 

「そこまで、俺の立場が重要ですか?」

「いやぁ、キミは真正面からズバッと聞いてくるね。……答えはもちろんYESだよ。シャドウ事件における重要性、キミ自身の行動力を合わせて考えると、エレボニア帝国の情勢をひっくり返しかねない程の劇薬と言っていい存在なんだ」

「…………」

「そんなキミが、貴族派(ロウ)でも革新派(カオス)でもなく、中庸の道(ニュートラル)を選んでくれるというのなら、第三の道を模索しているボクとしてはありがたい事この上ないのさ」

 

 恐らく、先ほどのレストランもその為に用意されたものだったのだろう。

 政界の戦いとでも言うべきか。ユーシスも苦心していたが、この戦場はシャドウよりも厄介と言わざるを得ない。

 

「フフッ、もしかして幻滅したかい?」

「いえ」

「繕わなくたっていいさ。正直ボクもあまり好きじゃなくってね。今も自由気ままに街を歩いて、道行く人々に愛の歌を振舞って回りたいとずっと思ってる。……でも、あの鉄血宰相と渡り合うと決めた以上、ボクもこのステージに立つしかないんだ。どんなに複雑で、危険で、後ろ暗い思惑が絡んだものであっても、ここがボクの戦場なんだからね」

 

 自身の覚悟を確かめるように、オリヴァルトはゆっくりと言葉を噛みしめる。

 放蕩皇子とも呼ばれた男の真意は恐らくそこにあるのだろう。

 そう感じたライは、自然と1つの提案を口にしていた。

 

「……なら、俺達も契約を結びますか?」

 

 提案を受けたオリヴァルトの目が丸くなる。

 

「ボクとキミとでかい?」

「ええ、宰相と同じように契約を結ぶんです。噂の究明という丁度いい理由もありますし」

 

 ルーレの会議でオリヴァルトが宣言していた《噂》の究明について、正式にライと協力関係(COOP)を結ぶという提案だ。

 

 そうする事で、実質的にオリヴァルトの立場は鉄血宰相と同じになる。

 ライ自身まだオリヴァルトの勢力に入ると決めた訳ではないが、これで革新派に寄っていた立場を中間程度には持っていけるだろう。

 

「──ハハハッ、それは妙案だね! けどボクを彼らと一緒にしないでくれたまえ。ボクならばもっといい条件を提示できると断言できるよ。……例えば、より情熱的な愛の伝え方とかね♡」

 

 人差し指を上にあげて妖しく笑うオリヴァルト。

 条件はともかくとして、これで2人は協力者となった訳だ。

 

「今後ともよろしく頼むよ。ライ・アスガード君?」

「ええ、こちらこそ」

 

 オリヴァルトと握手を交わすライ。

 今回は形ばかりの契約ではあるものの、定期的な連絡を行う旨の取り決めを交わす。

 それで満足したのだろう。オリヴァルトは満面の笑みを浮かべて、手を振りながら庭園を後にして行った。

 

(……さて、後は今後の方針だが)

 

 1人になったライは、宰相から渡された封書へと視線を移す。

 アルフィンからの情報で、クロスベルにいるであろう脅威の存在がはっきりした。

 傷を癒そうとする《神》の存在。きっと、このまま放っておけば、間違いなく手遅れの状態になるだろう。

 

「行くしかないよな……」

 

 例え宰相の思惑が潜んでいるとしても、行かないという選択肢はなくなった。

 

 手元にあるのはクロスベル行きの特別切符。

 自らの道を見定めたライは、力強くそれを握りしめるのであった。

 

 

 

 “我は汝、汝は我……。汝、新たなる絆を見出したり。汝が心に芽生えしは悪魔のアルカナ。かの者のトリックスターが如き振る舞いが、汝に新たなる道をもたらすだろう……”

 

 

 




悪魔(オリヴァルト)
 そのアルカナが示すは欲望や誘惑。正位置では堕落や悪循環などの悪い意味を表すが、逆位置になる事で覚醒・新たな出会い・生真面目などの良い結果へと転ずる。絵柄ついては悪魔の解釈によって大きく意味合いを変えると言えるだろう。通常、悪魔は訳がわからないものの象徴とされるが、一方で予期せぬ奇跡を起こすトリックスターであるとも考えられるからだ。世を変えるのは、得てしてそういう人物なのかも知れない。



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83話「士官学院の七不思議」

 ──8月15日、自由行動日。

 帝都での待機期間も無事に終わり、士官学院から別途出された5日間の特別休暇も満喫したVII組は、普段の日常に戻っていた。

 

 辺りは夏真っ盛り。

 サンサンと照り付ける太陽が地上を焦がし、熱を帯びた空気を吸い込むだけで体力を奪われる。

 心なしか風景が揺らめいで見える灼熱地獄の中、リィンは生徒会から受け取った手紙に従い、生徒会館2階のオカルト研究会へと訪れていた。

 

「ウフフ……、ようこそ”魔術師”の青年。今日はどんな占いをご所望かしら?」

「いや今回は生徒会の依頼で──」

「知ってるわ。七不思議の調査をしに来てくれたのでしょう? ……でも急ぐ必要はないわ。まずは、今日の行く末を占いましょう」

 

 底知れぬ不気味な微笑みを続けているのは、1年III組でオカルト研究会部長のベリル。

 今回、リィンがここに訪れたのは、彼女からの依頼を生徒会経由で請け負ったからだ。

 

 しかし当の本人は我関せず。

 テーブルの上にタロットカードを並べ、直近の未来を占い始めた。

 

「……、……そうなのね」

「えっと、何が分かったんだ?」

「これを持っていきなさい。きっと”彼”の役に立つわ……」

 

 めくったカードを確認したベリルは、懐のポケットから別種のカードを取り出し、テーブル越しにリィンへと渡す。

 

「これは?」

「スキルカードよ。今は名前さえ知っていれば十分……。それじゃ、依頼に話を移しましょうか」

「あ、ああ……」

 

 まるで何か別のものでも見えているかのように話を展開するベリル。

 その独特なオーラに翻弄されっぱなしのリィンであったが、持ち前の寛容さによって、何とか彼女に合わせる事ができた。

 

「そうね、まずは認識の共有をしておきましょうか。リィン君は学院に流れている七不思議はご存じ?」

「いやまったく……。でも学院の七不思議ってことは、良くある七不思議と同じように7つの噂話が一纏めになってるって認識で良いんだよな?」

「ええ、その通り」

「なるほどな。もしかして昔からあるものなのか?」

「それは違うわ。話ができたのはごくごく最近。それも、女子生徒達のグループで共有され始めたばかりの小さな噂たちよ」

 

 ベリルの話を聞く限り、噂は古くから伝わるものでも、シャドウ様のように何らかの思惑で作られたものでもないらしい。この暑い時期だからこそ冷ややかな体験をしてみたい。そんな、どこにでもある需要が生み出した噂のようだ。

 

「それじゃあ、今日はその詳細を知りたいって事で良いのか?」

「話が早くて助かるわ。私の方でもできる限り調べてみたから、このメモを手がかりにして噂の出どころを調べてくれるかしら」

 

 そう言って、ベリルはリィンに1枚の紙を手渡した。

 

────────

《路地裏に潜む多眼の化物》

《川底の怪》

《窓から見下ろす悪魔》

《倉庫裏のしゃべる人形》

《無人の演奏会》

《花壇に埋められた子供の死体》

《魔の鏡》

────────

 

 メモには丁寧な字で七不思議の一覧と、その詳細が書かれている。

 大まかな場所に関する情報も十分だ。これさえあれば、噂を知らないリィンであっても調査できるだろう。

 

「……うん、これなら何とかなりそうだ」

「期待しているわ」

「ははは……。まあ、精一杯頑張ってみるから、期待せずに待っててくれると助かるよ」

 

 噂という性質上、ベリルの期待に応えられるかは五分五分といったところ。

 リィンはベリルの怪しげな眼差しを背中に受けながら、オカルト研究会の部室を後にするのだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ──トリスタ市内。

 リィンはベリルから預かったメモを片手に、1つ目の七不思議の発生地へと赴いていた。

 

 1つ目の噂は《路地裏に潜む多眼の化物》と言うものらしい。

 その内容は以下の通りだ。

 

《……月の出ていない真夜中。人気のない路地裏から物音が聞こえたら気を付けて。そこには世にも恐ろしい多眼の怪物が牛耳る狩場。あなたもきっと食べられちゃうよ?》

 

 噂の内容を読むに、時間帯は真夜中で、場所は市内の路地裏だろう。

 ベリルの調査メモによると、本屋の店主が実際に目撃しており、そこから広まったらしいと書かれていた。

 

(多眼で牙をもつ怪物……。近くにそんな魔獣はいなかった、よな?)

 

 路地裏前に到着したリィンは、念のため、学生手帳を開いて中身を確認する。

 戦闘ノートと付箋が貼られた箇所には今まで遭遇した敵の情報が記録されているのだ。

 

 細かく目を動かして確認するリィン。

 その時、彼の耳元に子供の大きな声が聞こえて来た。

 

「いっけー兄ちゃん! これでコンプリートだ!!」

 

 コンプリート?

 何やら気になるワードを叫んでいた子供は、どうやら目的の路地裏方向にいるらしい。

 噂の究明にも繋がるかもと思い、手帳を閉じて足を運ぶリィン。

 建物の壁が邪魔になっていた場所で彼が見たものとは……。

 

 

 ……大量の猫を体に乗せたライと、何故か盛り上がっている男児の2人だった。

 

 

 見たところ猫たちはライに懐いている様子。

 足元にすり寄ったり、肩に乗ってにゃーにゃー鳴いていたり、頭の上を我が物顔で座ってたりしている。

 一方ライはというと、そんな猫たちを苦に感じる様子もなく、新鮮な魚を片手に1匹の黒猫と対峙していた。

 

「後はお前だけだ、セリーヌ。大人しくこの魚を食べろ」

「ふしゃー!! ふしゃ──!!!!」

 

 悪役っぽい言葉で黒猫に語り掛けるライ。

 普段の優雅さはどこへやら、全力で威嚇している黒猫セリーヌ。

 

 状況を整理しきれないリィンは、ふと我に返り、魚を持ったライへと問いかける。

 

「……な、何やってるんだ? ライ」

 

 その声でリィンの存在に気づいたのだろう。

 猫を身に纏ったライは平然とした様子で振り返った。

 

「リィンか。実は猫からの依頼で魚を与えていたら、いつの間にかこうなった」

 

 ……どういう事?

 

「…………えっと、済まない。聞き逃したみたいだ」

「猫からの依頼で魚を与えていたら、いつの間にかこうなった」

「はは、そっか、猫からの依頼で……」

 

 どうしよう、何1つ理解できない。

 何故猫から依頼を受けているのかとか。そこからどうして猫のアーマーを身に纏う事になったのだとか。セリーヌに対する言葉の説明になってないだとか。

 頭を抱えたくなる衝動にかれれるリィンの元に、興奮した様子の子供が駆け寄って来た。

 

「すげーんだぜ! この兄ちゃんが猫に餌与えてたらどんどん増えてって、今じゃトリスタの猫界を牛耳る首領(ドン)にまで上り詰めたんだ。もうほとんどの猫が兄ちゃんの配下なんだぜ? な、すげーだろ!?」

「へ、へぇ、そうなのか。それは凄いな……」

 

 本当に何やってるんだ、この男は。

 

 熱狂する子供とは対照的に冷静さを取り戻すリィン。

 腹を空かせた猫に魚を与えた後、とんとん拍子に事が進んでいって、終いにはこの子供というファンまで出来てしまったせいで止まれなくなったのだろう。

 トリスタ中の猫を懐柔し、残されたのはそこで威嚇しているセリーヌのみ。

 背水の陣にまで追い込まれた黒猫を哀れに思いつつも、リィンはとある事実に気がついた。

 

(ああ、なるほど。多眼の化物って──)

 

 猫のアーマーを身に纏ったライの姿、それこそまさに噂の化物である事を。

 噂の時間は真夜中だ。猫の瞳は明かりを反射する関係上、導力灯を当てると幾多の瞳が光って見えた事だろう。

 

 偶然にも原因を突き止めたリィンは、手帳を開いてこの事実を書き留める。

 

「──原因は、ライ、と」

 

 ぱたんと手帳を閉じるリィン。

 すると、視線の先で自身の顔をじっと見つめるセリーヌの存在に気づく。

 

(何か言いたげな様子だな……)

 

 まるで最後の望みを託すように、救いを求める目で見上げて来るセリーヌ。

 何かをリィンに期待している様子だ。

 彼女が一体何を求めているのか、リィンは少し考えこんだ後、ライに向けて1つの提言を行った。

 

「1つ言っておくけど、セリーヌは魚より牛乳の方が好きみたいだぞ」

「──! そうだったのか」

 

 日ごろからセリーヌに牛乳を与えていた事から、リィンは提示した餌が悪かったのではないかと考えたのだ。

 

 その言葉を聞いて絶望するセリーヌ。

 実際の所、彼女はライを止めて欲しかったのだが、言葉によるコミュニケーションを行えなかった以上伝わる事はない。

 

 1つ目の謎は、そんな悲しいすれ違いをもって幕を下ろすのだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 路地裏を後にしたリィンが次に向かったのは、トリスタ市内に流れる小川方面だ。

 

 2つ目の七不思議は《川底の怪》と呼ばれるもの。

 それが川の噂であるのなら、話を聞くのに丁度いい人物がいる事をリィンは知っていた。

 

「やあ、ケネス。やっぱりここで釣りしてたんだな」

「まあね〜。君の方はどうなんだい?」

「まぁ、ぼちぼちってところかな」

「真夏の釣りも乙なものだし、時間があったらやると良いよ。小川の近くって案外涼しいしね~」

 

 リィンと緩い口調で会話をしながらも、のんびりと釣り糸を垂らしているこの男の名はケネス・レイクロード。

 リィン達と同じく1年であり、釣具メーカーでもるレイクロード男爵家の次男、そして学生会館に部室を構える《釣皇倶楽部》の部長を務めている。

 そんな彼は釣りの布教活動も行っているようで、釣り経験のあるリィンに対して釣り竿の提供や釣りの景品交換など、色々とお世話になっている相手でもあった。

 

「ところで、ケネスに少し聞きたい事があったんだけど、今は大丈夫か?」

「うん、なんでも聞いていいよ」

「ありがとう。実は小川にこんな噂があって──」

 

 リィンはケネスに2番目の噂について説明する。

 

「──《川底の怪》ねぇ。川底っていうからには魚っぽい見た目なんだろうけど、あいにく僕は見たことないなぁ」

「そうか。だったら、最近なにか気になる事はなかったかな?」

「気になる事かぁ」

「ほんの些細な事でも良いんだけど」

「う~ん、そうだなぁ……。…………あっ」

 

 何かに気づいたようにケネスが声をあげた。

 噂のヒントになるかもしれない。リィンはケネスに対し、その説明を求めた。

 

「実はね。この前、ここの川に棲む”ヌシ”を見せてもらったんだ」

「ヌ、ヌシ……? この川ってそんなものまでいるのか?」

「そうそう。ソーディの変異種みたいなんだけど、丁度釣り上げるところに居合わせてね」

 

 川のヌシ。

 確かにそれなら噂になるかも知れない。と、リィンは考える。

 

「それで、釣り上げた人って言うのは?」

「君と同じVII組の生徒だよ~。ほら、最近いろんな人の依頼を受けてるっていう灰髪の人」

 

 ……今、なんて?

 

「先月だったかな? 彼が真剣に夜釣りをしてるところを見かけたんだ。珍しい魚影を見たから料理に使ってみたい!って依頼があったみたいでね。その為に道具一式を買い揃えたんだって」

 

 釣りをする人間に悪い人はいないとでも言いたげに語るケネス。

 その話の時期は恐らく先月の依頼怪盗が大暴れしていた時期だろう。

 間違いない、ヌシを釣り上げたのはライだ。

 

(……そう言えば、ミリアムの話にも出てきてたっけ)

 

 びちゃびちゃと跳ねる魚を寮へと持って帰って来たライの話。

 ミリアムが怯えた深き水底から這い出て来たような姿を、もしかしたら他の誰かも目撃したのかも知れない。内容と時期、どちらも一致している。

 

 ──結論。噂の原因はライ。

 そう手帳に記録するリィンであった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 3番目の噂は《窓から見下ろす悪魔》。

 これだけの情報だと何処の話か分からないが、そこはベリルが調べてくれていた。

 

 場所は本校舎の東側、学生会館を出たあたりの場所だ。

 会館1階の食堂を出たところ、向かいにある本校舎の窓から、世にもおぞましい何かが覗いていたらしい。

 噂ではより怖くする為に色々とぼかした表現になっていたが、ベリルは自身の調査により、窓の位置が本校舎2階の美術室である事を突き止めていた。

 

「あ、悪魔、ですか?」

「そうなんだ。ここの窓から見下ろしてるところを見たって人がいるらしくてさ。リンデは何か知らないか?」

 

 ベリルの情報を元に、リィンが会話している相手は美術部部員のリンデだ。

 最初は部長のクララという女性に話を聞こうとしたのだが、彫刻の作成以外に興味がないようで、悪魔についての情報は特に得られなかった。

 

「……あれ、そんな噂になってたんですね」

 

 しかし、リンデは何か心当たりがある様子。

 戸惑いぎみな声を漏らすと、絵筆を置いて立ち上がった。

 

「少しお待ちください。今持ってきますので」

 

 リンデは美術準備室の扉を開けると、中から1組の絵画と彫刻を運び出してくる。

 

「もしかしてそれが噂の悪魔なのか?」

「多分、ですけれど……」

 

 彼女の言葉を受けて、リィンはその芸術作品をじっくり眺める。

 絵画は不可思議な図形や線が組み合わされており、悪魔と言われても正直そうなのか分からない。

 もう1つの彫刻に関しても同様だ。しかし、こちらは見方によっては鋭い爪が生えた腕のように見えなくもない。

 

 本当にこれが噂の《窓から見下ろす悪魔》なのか?

 

「なぁリンデ、これって誰の作品なんだ?」

「5月初めに体験入部した方が作ったものなんです。技術自体はかなり荒いんですが、表現の独創性は評価できるという事で準備室の奥にしまっておりまして」

「5月初め……体験入部……」

 

 季節外れの体験入部。

 リィンの記憶に1つだけ、それに該当する出来事があった。

 

(それって、ライとミリアムが体験入部した時のもの、だよな……?)

 

 かつて2人が士官学院中の部活を体験して回ったという出来事。

 その痕跡が今、リィンの目の前に噂の元凶という形で姿を現したのだ。

 

「それで、この前準備室を整頓する機会があって、邪魔だからこれらの作品を窓際にどかしたんです。そしたら、気づいて、しまいまして……」

「気づいたって、何に?」

「この絵画、向きを変えると顔に見えてくるんです」

 

 絵画の向きを変えるリンデ。

 すると、絵画の図形が丁度目と口の位置となり、不気味な顔のようにも思える画へと変貌した。

 良く心霊写真として話題になる《木の影が顔に見える》のと同じような現象だ。

 

「言われてみれば……」

「そう思ったら何だかこわくなっちゃって、思わず絵画を裏向きにしちゃったんです」

 

 窓際に立てかけていた絵画を裏向きへ。

 つまりは窓の外へと絵が向けられてしまった。

 

 後はもうお分かりだろう。

 その時外を歩いていた何者かが、運悪くライの絵画と、ついでに腕っぽいミリアムの彫刻を目撃してしまったと言う訳だ。

 

(要するに原因はライとミリアムって訳か)

 

 己の行動が噂になってしまった事を恥ずかしがるリンデを他所に、リィンはこの噂をそう結論付けるのであった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ──士官学院グラウンド横、倉庫前。

 4番目の噂である《倉庫裏のしゃべる人形》を調査する為、リィンはグラウンド前の坂道を降りて倉庫へと向かっていた。

 

「この噂だけ何も分かってないんだよな。何か手がかりが残ってると良いんだけど……」

 

 恐らく、人形の裏に人か動物が隠れていたり、導力ラジオが捨てられてたりしたのだろう。

 リィンはそんな推測を重ねながらも倉庫裏へと辿り着く。

 

 そこで彼は、ある怪異と遭遇した。

 

 

〇✕(マルバツ)〇✕(マルバツ)〇✕(マルバツ)〇✕(マルバツ)〇✕(マルバツ)〇✕(マルバツ)〇✕(マルバツ)〇✕(マルバツ)〇✕(マルバツ)〇✕(マルバツ)〇✕(マルバツ)〇✕(マルバツ)〇✕(マルバツ)〇✕(マルバツ)〇✕(マルバツ)〇✕(マルバツ)〇✕(マルバツ)〇✕(マルバツ)〇✕(マルバツ)〇✕(マルバツ)…………」

 

 

 うわっ!?という声を辛うじて堪えるリィン。

 

 彼が目撃したのは、倉庫裏の物陰に立ったまま延々と呟くライの姿だった。

 何もない場所を見て、一切の身じろぎをする事もなく、機械のように〇と✕を繰り返しつづけるクラスメイト。

 

 遂に気でも触れてしまったのか。

 関わっていいのか迷いつつも、リィンは友人としてライの肩に手を伸ばす。

 

「お、おい……、大丈夫か?」

 

 恐る恐る肩を掴むリィン。

 すると、ライははっと我に帰ったかのように動き出し、そして──、

 

「理想の、スキル構成が……!!」

 

 悲痛な声とともに、膝からがっくりと崩れ落ちた。

 

「ラ、ライ……?」

「…………せっかく揃ったのに、また、やり直しか……」

 

 何やら悲しい出来事があった様子で、ライは両手をついて悲嘆に暮れている。

 

 もしかして、余計な事をしてしまったのだろうか。

 特殊な力を持つライの事だ。

 例えば、この場所に見えない部屋か何かがあって、ライはそこで作業的な何かをしていたのかも知れない。

 

 ライの反応からそう推測したリィンは、何故だか申し訳ない気持ちになって来た。

 

「な、なぁ……」

「……リィン? いたのか」

「ずっといたんだけどな。いや、それより、何か重要な事でもしていたのか?」

「大丈夫だ問題ない。また、やり直せば済む話だ……」

 

 まるで大丈夫じゃない言葉で返答しつつ、片膝に手を置いて立ちあがろうとするライ。

 リィンはその姿を見て、何かできる事はないものかと、自身の懐に手を入れる。

 

 かさりとした紙の感触。

 それを指で感じ取った瞬間、リィンは点と点が線で結ばれたような感覚に陥った。

 

(もしかして、そういう事なのか?)

 

 取り出したのは、ベリルから受け取ったスキルカードだ。

 彼女が言った《彼の役に立つ》という発言。そして、ライが口にした《スキル構成》という単語。

 もしかしたらベリルはこの状況になるのを予測していたのかも知れない。

 

「なぁライ、中断させたお詫びと言っちゃなんだけど、これを受け取ってくれないか?」

 

 リィンは己の直感に従って、手元のカードをライへと差し出した。

 

「それは?」

「詳しくは俺も知らないけどスキルカードって奴らしいんだ。もしかしたら、これが役に立つんじゃないかって思ってさ」

 

 ライはスキルカードを受け取り、直後、目を僅かに見開いてカードを凝視する。

 どうやら彼は、カードに込められた力を認識できたようで。

 

「……そうか。ランダムの時代は、もう終わったんだな」

 

 空を仰ぎ見て、寂しげな言葉を呟くのであった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「……結局、4つ目の噂もライだったと」

 

 ライからの感謝を受け取ったリィンは、彼と別れ、グラウンドの入り口で学生手帳を開いていた。

 今までの4つ全てに関わる男の存在。

 あまりにもあんまりな調査結果を見ていると、苦笑いを浮かべずにはいられない。

 

 ここまで来たら残りの噂も同じなんじゃないか。

 そう予感するリィンの推測は……結局、全て的中する事となった。

 

 

 

 ──5つ目の七不思議、無人の演奏会。

 調査場所:本校舎2階音楽室。

 聞き取り対象:1年II組、吹奏楽部のブリジット。

 

「ええ、その話なら良く知ってるわ」

 

 何人かの聞き取りを経て、リィンは事情を知る者を発見する。

 

「あなたは22日に開催予定の演奏会をご存じかしら?」

「その話ならエリオットから聞いてるよ。確か、七耀教会でやるんだったよな?」

「そうよ。私はピアノ担当でもう少し練習をしたかったんだけど、授業とかの兼ね合いで中々時間が取れなくて。そこで、パトリックさんからの紹介で、噂の依頼怪盗に頼んでみたの」

「……」

「そうしたらムギっぽい針金で音楽室の鍵を開けてくれてね。あまり大きな声で言えないんだけど、少し前まで密かに特訓してたのよ」

「ピアノの特訓を、か」

「ただ、この前ハインリッヒ教頭に見つかりそうになって、どうしようって思った瞬間、天井間際の死角に運んでくれたの。音もない一瞬の出来事だったわ。怪盗というのも、あながち嘘じゃないのかも知れないわね」

「…………」

 

 その結果が、無人の演奏会。

 リィンは己の手帳にまた《ライ》の名前を書き込んだ。

 

 

 

 ──6つ目の七不思議、花壇に埋められた子供の死体。

 調査場所:本校舎裏手の花壇。

 聞き取り対象:2年II組、園芸部部長のエーデル。

 

「花壇に子供ですかぁ。それなら多分、この野菜を見間違えたのかもしれませんね」

 

 そう言ってエーデルは花壇の隅に座り込み、そこに実った野菜を優しい手で持ち上げる。

 

 見たところ紫色の野菜だ。

 野菜の先は丁度4つに別れていて、確かに人と見えなくもない。

 

「それは?」

「分かりにくいですけどナスなんですよ~。これを植えたライ君は、呪いとかを受けてくれそうだって《ミガワリナス》と命名してました」

「…………」

 

 リィンは手帳に植えた者の名を書き込んだ。

 

 

 

 ──7つ目の七不思議、魔の鏡。

 調査場所:第1学生寮。

 聞き取り対象:1年I組、ラクロス部のフェリス。

 

「その噂でしたら、きっとこの寮に飾られてる鏡の事ですわね。前の鏡が不慮の事故で割れてしまいまして、そこで──」

「……ライに依頼した、とか?」

「あら、ご存じでしたの?」

「いやまぁ、はははは、はは…………」

 

 以下、省略。

 

 

 ……

 …………

 

 

 一通りの調査を終えたリィンは、再びオカルト研究会の部室へと足を運んでいた。

 

「…………はぁ……」

 

 無事、全ての噂を調べ終えたというのに、何故だろうこの徒労感は。

 

「お疲れ様。調査の結果はどうだったかしら?」

「なんていうか、その、この世のすべてが馬鹿らしく思えてきたよ……」

 

 いったいどんな生活を行っていたら、七不思議全てに関わるようなミラクルが発生するのだろうか。

 

 級友のトラブルメーカーぶりを再確認させられたリィン。

 彼は今、無我の境地に達しようとしていた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「……そう、噂の裏には”彼”の行動があった訳ね」

 

 リィンは気落ちしながらも、調査結果をベリルに報告した。

 

「クラスメイトとして代わりに謝らせてくれ。せっかくの七不思議だったっていうのに、こんなしょうもない結果になってしまって……。オカルト研究会としては残念な結果だっただろ?」

「フフフ……。いえ、むしろ興味深いとすら思えたわ」

「そうなのか?」

「愚者のタロットに描かれているのは若き旅人。常識に縛られず、非凡とも呼べる才能を有し、どんな道にだって進みうる可能性の塊。……ね? 彼の行動は、まるでそれを体現しているように思えない?」

 

 ベリルはタロットの山札から1枚を取り出して、テーブルの上へと乗せる。

 

 置かれたのは《愚者》のカード。

 数字の0が刻まれ、ライの在り方を示すアルカナでもあるものだ。

 

「ライからして見れば、出来るからやってるだけ、ってことなのか?」

「さあ? それは私にも分からないわ。単に日常を謳歌しているだけなのか。それとも、様々な体験を通して自身を磨こうとしているのか。……でも、そうね」

 

 ベリルはリィンから受け取った調査結果を再度見直す。

 そして、

 

「根拠はないのだけれど……。彼の行動は、どこか”定められた期日”への備えのように感じるわ」

 

 と、口にした。

 

「備えって、何の?」

「私には計り知れぬ事よ。でも、身近にいるあなたなら、きっと分かるんじゃないかしら?」

 

 ベリルの怪しげな視線がリィンを射抜く。

 

 定められた期日。

 その言葉が、リィンの中に棘として突き刺さった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ──七不思議の調査を行った日の夜。

 第三学生寮に戻ったリィンは、ベリルから言われた言葉が頭から離れず、授業の予習を中断して立ち上がる。

 

 ライの部屋は丁度リィンの向かい側だ。

 自室を出てそこに向かおうとしたリィンは、そこで偶然、ライの部屋前に立つ先客を目撃した。

 

「あれ、フィー? ライに用事でもあったのか?」

 

 その先客とは夏服を着たフィーだった。

 部屋に入ろうか迷っていた様子の彼女は、リィンの声によって振り返る。

 

「そういうリィンこそ」

「俺はライに聞きたい事があったんだ」

「……リィンも?」

「って事は、フィーも同じ目的だったのか?」

「ん、ライの行動、夏至祭が終わってからちょっと変だったから」

 

 どうやらフィーもライの行動が気になっていたようだ。

 空回る島で長い時を同じくしていた影響だろうか。

 彼女はライの細かな機敏を察していたらしい。

 

 それはともかく、2人の目的は同じ様子。

 その事実を確認したリィンは、彼女に代わってライの扉をノックする。

 

「──誰だ?」

 

 部屋の中から聞こえてくる声。

 幸いな事に、彼は今室内にいるらしい。

 

「俺だよ。入ってもいいか?」

「オレオレ詐欺?」

「何だよその詐欺は。──リィンだ。後フィーもいる。少し聞きたい事があって来たんだ」

「分かった。入ってくれ」

 

 かくして、ライの許可を得たリィン達2名は、扉を開けてライの部屋へと入っていった。

 

 

 ──

 ────

 

 

 ライの部屋に招かれたリィン達。

 2人の視界に入って来たのは、床に置かれた大きめのバッグと、机に並べられた道具の数々だった。

 

「……ひょっとして、どこかに行くのか?」

 

 畳まれた衣服を見たリィンが問いかける。

 この光景は明らかに遠出をする為の準備だ。

 そんな予定は聞いていないと、リィンは内心少し驚いていた。

 

「ああ。明日の早朝、クロスベルに向かう事にした。サラ教官の許可も取ってある」

「明日!? 確か、貰った切符は24日だったんじゃなかったか!?」

「念のためだ」

 

 荷物を鞄に入れつつ、ライは率直に説明する。

 オズボーンから受け取った切符には何らかの思惑が見受けられる事。

 その為、何があっても対処できるよう、サラと話し合って予定よりも早く現地に向かう事にしたのだと。

 

「幸い許可証に書かれているのは夏季の長期休暇についてだけ。細かな日時の指定はないからな」

「大丈夫なのか、それ。ライの立場が悪くなるんじゃ……」

「その可能性はある。けど、彼らが下手な介入をすれば、そこから裏を知る機会(チャンス)も得られる筈だ」

「そ、そうか」

 

 多少のリスクを負ってでも行動すべきという攻めの姿勢だ。

 もし仮に思惑が本当の事だったとして、ライを制御するのは大変そうだなと、リィンは他人事のようにそう思った。

 

 ……一方、リィンの後ろで静かに耳を傾けていたフィー。

 彼女はクロスベルに向かうというライの言葉を聞いて、ライの方へと近づいていく。

 

「クロスベルにも、あの”神”がいるって本当……?」

 

 問いかけるフィーの声は不安げに揺れていた。

 

 それは無理もない話だ。

 彼女の記憶には、無残な死体と化したライの姿が鮮明に刻み込まれている。

 内臓が飛び散る凄惨な状況だったのだ。島の特性によって《なかった事》にはなったが、次も同じという確証はない。

 

 本音を言えば、フィーはそんな神のいる場所に行くのは反対だ。

 戦術的な観点から言っても単身敵陣に飛び込むのはリスクが高すぎるし、何よりフィー個人の感情としてあんなのは二度と御免だった。

 けれど……、

 

「ああ。その可能性は高いと思う」

 

 揺るぎなく前を見ているライを前にしていると、どうしてもその言葉が出てこない。

 行かないで。と言うだけなのに、ぱくぱくと動かした唇から声が出る事はなく。

 結局フィーは諦めて「……そう」と短く返す。

 

「……だったら、これを持ってって」

 

 代わりにフィーが取り出したのは、腕に着ける1つの機械だった。

 

「それは?」

「ワイヤー射出機。ここを押すとアンカー付きのワイヤーが出てくる仕組み」

 

 フィーはそう言って実際に機械のスイッチを押す。

 すると、ヒュンという風切り音とともにワイヤーが射出され、やや離れた位置にある椅子の背もたれに引っかかった。

 

「──で、こっちのボタンを押せば回収」

「そんな装備もあったのか」

「入学式のオリエンテーリングで使ったんだけど、サラに切られちゃって。でも、ワイヤーの強度は改良したから、次はそんな事させない」

 

 そう、これはかつてフィーが使っていた猟兵の備品だった。

 入学初日に切られて以降、修繕用のワイヤーが中々見つからずに放置されていた秘密道具。

 この頃ようやく修理できたそれを、フィーは何の躊躇もなくライへと差し出す。

 

「……本当に借りても良いのか?」

「変わりに約束して。次は絶対死なないって」

 

 ある意味、これはフィーから提示した取引だ。

 クロスベルで待つものが何であろうと、自らの命を最優先にするという約束。

 

 ライはその取引を交わしても良いのか考え込んでいる様子。

 そこでリィンは、フィーに加勢する形でこう口にした。

 

「まあ、俺が言えた義理じゃないかも知れないけど、正直俺も同意見だな」

 

 もしかしたら、クロスベルにいる《神》は放っておくと大被害を生み出す存在かも知れない。

 だとしても、自らの命を優先して欲しいと思うのは、友人として当然の感情だ。

 

 フィーとリィンの言葉を聞いたライは、真剣にそれを受け止め、フィーの機械に手を伸ばす。

 

「分かった。死なないよう最善を尽くす」

「ん、3人の約束」

 

 ライの腕に装着される射出装置。

 こうして3人の取引は成立し、その後は流れでライの準備を手伝う事となる。

 

 机の上に置かれていたのは《8月16日クロスベル行き》の切符。

 遥か東の地での物語は、もう目前へと迫ってきていた……。

 

 

 




人の顔に見える現象
 人の脳は逆三角形型に配置された点等を顔として認識してしまう特性を持っている。これを専門用語でシミュラクラ現象という。

棒立ち(ペルソナ3、4、5)
 ベルベットルームへの扉はワイルドの力を持つ者にしか見えない。彼らがベルベットルームに訪れている間、現実世界に残された肉体はその場で棒立ちの状態となっているようだ。傍から見て極めて怪しい状態である。

〇✕(ペルソナ3、4)
 過去のペルソナ作品ではペルソナ合体時のスキル引継ぎがランダムであった。その為、理想的なスキル構成を目指すため、幾多のワイルド能力者が〇✕ボタンを繰り返し、合体結果画面とその前の画面を反復横跳びしていたとかいないとか。なお、現在は引き継ぐスキルが選択式になっており、スキルカードが実装された事も相まって、構成で苦労する事はなくなった。

ムギっぽい針金(ペルソナ4ザ・ゴールデン)
 ムギである。

ミガワリナス(ペルソナ4ザ・ゴールデン)
 八十稲羽市で栽培されている摩訶不思議な野菜の1つ。その名の通り、即死攻撃の身代わりとなってくれる。

────────

 ペルソナ主人公の日常って、他者から見てみると不思議だよねと言うお話でした。


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84話「とある少女の朝」

 ──8月16日、早朝。

 夏季休暇の特別許可書を提出したライは、日が昇り始めた時間にトリスタ駅へと向かい、そのままクロスベル行きへの旅客列車に乗り込んだ。

 

 人気のない車両の席にバッグを置いて隣に腰を下ろす。

 

 椅子を通して感じる列車の揺れ。

 耳元には線路を走る心地良い音が聞こえ、朝日が差し込む窓の外では、ケルディック周辺にある黄金の畑が美しい景色を形成していた。

 

(今の内に、クロスベルの情報を再確認しておくか……)

 

 目的地に着くまではまだまだ時間がかかるだろう。

 ほぼ初めての1人旅という事もあり、景色を楽しむという選択肢もあったが、ライはひとまず購入した本を読む事にする。

 

 バッグの中から取り出したのはクロスベルの紹介が書かれた雑誌。

 各地の案内を始めとして、簡単な歴史まで書かれていると本屋でお勧めされた逸品だ。

 足を組んで悠々と座るライは、片手で本を開いて中身を読み始める。

 

 ────

 

 ──クロスベル自治州。

 それは西ゼムリア大陸において丁度中心に位置する重要なエリアだ。

 ノルド高原と同様に、エレボニア帝国とカルバード共和国が領有権を主張しているものの、重要性はこちらの方が遥かに上。

 2国間の交通の要所であり、豊富な鉱脈資源まである為、昔から2大国の取り合いになって来たらしい。

 

 現在は自治州という名の通り、2大国を宗主国とする共同委託統治という形となった。

 要は両国の支配下として丁度中間の立場になった訳だ。

 

 そんな訳で国交の中継地点となったクロスベル自治州は、近年目覚ましい発展をとげているらしい。

 国際的な金融機関《IBC》や、その資本により建設された大型複合テーマパーク《保養地ミシュラム》を始めとして、歓楽街ではカジノや劇団《アルカンシェル》によるステージ演劇、中央には複合デパートやレストラン、南には新造されたクロスベル空港などなど、狭い土地にこれでもかと詰め込んだ場所になっているようだ。

 

(……近年は、市内中の導力端末をケーブルでつなぐ導力ネットワーク計画も進められている、と。インターネットまであるのか)

 

 本の内容を総括すると、クロスベルはかなり混沌とした技術革新の最中にあるようだ。

 その速度は帝都ヘイムダルを遥かに上回っていると言って良い。

 恐らくは、2大国がそれぞれクロスベルへの影響力を強める為、より積極的な技術投資を行っているのだろう。

 

 幾多の組織、資金、技術、思惑。

 それらを鍋に煮詰めるように詰め込んだその都市は、人呼んで《魔都クロスベル》。

 これから向かう場所は、西ゼムリア大陸の中でも1、2を争う程に厄介な場所のようだ。

 

「本で得られる情報はこれくらいか」

 

 パタンと本を閉じるライ。

 頭に叩き込んだこの情報さえあれば、現地に行っても迷う事はないだろう。

 

 窓の外、列車の進行方向には鋼鉄で覆われた巨大な要塞が見える。

 

 ──ガレリア要塞。

 クロスベル自治州がカルバード共和国に占領された場合に備え、境界線上に設置された要塞だ。

 士官学院で聞いた話によれば、あの要塞には《列車砲》なる超遠距離のカノン砲が常備されているらしい。

 

 住民への被害など度外視の殺戮兵器。

 その照準を常に向けられた魔都クロスベル。

 国という枠組みの業が形となった建造物を通り過ぎ、ライを乗せた旅客列車はクロスベルへと走っていった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ……

 …………

 

 

 視界を覆う程の砂塵が宙を舞う。

 

 空も地も砂に覆われた世界。

 砂漠に飲み込まれたビル群の中、砂を除き、動くものがたった1つ。

 

「…………ぇ?」

 

 それは幼い少女であった。

 彼女は今、自身の見ている光景を理解できないのか、呆然と辺りを見渡していた。

 

 辺りの砂漠は異様な光景だ。

 地表は昼間のように明るく照らされているというのに、空は真っ暗に塗りつぶされている。

 太陽はない。雲もなく、夜空かと思えば星々すらも見当たらない。

 空は真っ黒な”宇宙”に飲み込まれていたのだ。

 

 不可思議な景色を網膜に焼き付ける少女。

 ある時、彼女は砂の中にある”大事なもの”を目撃する。

 

「ぁ、ぁ……、ぁぁ…………」

 

 少女は狼狽え、短いスカートを穿いていることなど気にする余裕もなく、砂に埋もれた”それ”に向けて走り出す。

 

「ロイド──っ!!」

 

 それは少女が家族のように大切に思っている人物だった。

 砂に足を取られ、倒れこむようにして、ロイドと呼ばれた男性の元へと辿り着く少女。

 彼女は全身の力を使って、大きな彼の身体を何とかひっくり返す。

 

「ねぇ起きて! ロイド! ロイドっ!! キーアを置いてかないでっ!!」

 

 ロイドの身体を必死に揺らす少女、キーア。

 彼女の賢明な呼びかけにも関わらず、ロイドが目を覚ます様子はない。

 ……それはもう、ただの肉塊だ。

 

『──時は満ちた』

 

 その時、砂漠の世界を揺るがす神託が響き渡る。

 

 顔を上げたキーアは、真っ黒な宇宙の中にぽつんと、純白の何かが浮かんでいる事に気がついた。

 

 それは遥かな空。

 本来ならば捉える事すら難しい距離だったが、何故だかキーアは明確に視認できた。

 

 1つ目は円環状に浮かぶ4組の存在。

 まるでこの世の者とは思えない程に純白な、神としか形容できない異形。

 ……そしてもう1つ。神々の中央にて静止する1人の人間の存在を、月の瞳を携えた灰髪の青年の姿を、キーアはその目ではっきりと捉えた。

 

『汝が"秩序"の道を選んだ事を嬉しく思う。汝が献身により、人間、動物、植物、微生物、魔獣、聖獣、超越者……、生命と呼べるほぼ全ての存在はここに救済された…………』

 

 神々はその青年を高らかに讃えている。

 生命の救済という偉業はここに成しえたと。

 

 その言葉を聞いたキーアは、この惨状になった因果を理解する。

 

「どう、して……」

 

 キーアは無意識に声を出していた。

 喉は砂塵で痛めていたけれど、叫ばずにはいられなかった。

 

「どうしてなの!? せっかくみんなで乗り越えたのに! みんなで一緒に頑張ろうって約束したのに!! どうして……どうしてぇ…………!!」

 

 少女は涙を振りまきながら、この不条理を叫ぶ。

 けれど。

 

『さあ、救済者(ソーテール)よ。最後の役目を果たす時だ』

 

 彼女は既に舞台から零れ落ちた傍観者だ。

 いくら叫ぼうとも、舞台の役者に届く事はない。

 

「ねぇ!! 答えてよぉぉ!!!!」

 

 キーアの叫びは砂嵐に飲まれ、宇宙の青年は片手をかざす。

 

『──繋がれ──』

 

 青年の手から放たれた膨大な閃光。

 同時に、キーア自身の身体からも光が溢れ出し……。

 

 …………──……

 ……

 

 

 

 ──暗転。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

 ──クロスベル市内、中央広場の階段を下りた先に建てられたビル。

 クロスベル警察特務支援課にあてがわれた建物の一室で、夢を見ていた少女キーアは目を覚ました。

 

 机に置かれている《みっしぃ》というマスコットキャラクターの人形。

 窓の外から降り注ぐあたたかな太陽の光。

 ほのかに甘い自室の香り。

 

 そのどれもが平和な日常の1ページだったが、目覚めたばかりのキーアには、今にも壊れてしまいそうな薄氷のように思えてならなかった。

 

「……はぁ、……はぁ…………」

 

 キーアはバクバクと脈打つ胸を両手でぎゅっと押さえる。

 ベッドの上で身を縮め、心臓が落ち着くのをただ待ち続けた。

 

「また、あの夢……」

 

 下を向いて、呆然自失の状態で少女は呟く。

 

 ベッドの上にぽたぽたと落ちる水滴。

 キーアはここに来て初めて、自分が泣いている事に気がついた。

 

「……かお、洗わなくっちゃ」

 

 重い体を引きずってベッドの端へと移動し、そのまま飛び降りるキーア。

 彼女はそのまま、ふらふらとした足取りで洗面台の方へと向かっていった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 特務支援課の洗面台にて。

 キーアはバシャバシャと顔を洗って、鏡で自身の姿を見る。

 大きな目の周りは赤く腫れあがっており、齢9歳の幼心から見ても、ひどいと言わざるを得ない顔だ。

 

「あれ? キーア、もう起きていたんですね」

 

 そんな時、入り口から長い青髪を揺らした少女が顔を見せる。

 

「あ、ティオ。おはよう」

「──って、どうしたんですか! ひどい顔ですよ!?」

「えへへ……。ちょっとわるい夢をみちゃって」

 

 キーアの顔を見てわたふたしている少女の名はティオ・プラトー。

 14歳と、まだ子供と呼べる年齢だが、彼女はれっきとした特務支援課の一員だ。

 エプスタイン財団という組織から出向する形で加わった経歴を持ち、膨大な情報を超高速演算する力を持っている。

 

 とまあ、経歴だけを見ると凄い天才のようだけれども。

 彼女自身はちょっと大人ぶっているだけの女の子だ。

 今だって、5歳年上のお姉さんとして、悪夢を見た妹分にどう対応したらいいか必死で考えていた。

 

「とりあえず、そこに座って下さい。顔を洗った時の水が髪についてますよ?」

「うん……」

 

 ティオに促されるまま椅子に座るキーア。

 その背後にタオルを持って歩いて来たティオは、キーアのくりくりとした髪を優しく拭き始めた。

 

 マッサージのように優しい感触。

 キーアは髪を包むタオルの温かさに身を任せる。

 

「こうしてキーアの髪を拭けるなら、早めに帰って来た甲斐があるかもですね」

「……うん。キーアも、ティオに会えて嬉しいよ」

 

 しんみりとした時間が流れる洗面台前。

 ティオにより綺麗に髪を拭われたキーアは、2人で1階の広間へと向かうのだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ──特務支援課ビル1階。

 来客の対応をするだけでなく、日々の食事も行うダイニングも兼ねた生活の中心だ。

 そのなじみ深い場所へと辿り着いたキーアとティオは、そこで香ばしい匂いが漂っている事に気づいた。

 

「あれ、この匂いは……」

 

 思わず声を漏らすティオ。

 すると、台所の方から1人の男性が姿を現した。

 

「お、2人とも早いじゃないか」

 

 それはエプロンを付けた特務支援課のリーダー、ロイド・バニングスだった。

 朝の眠気を感じさせない爽やかで整った顔立ち。

 彼の片手には料理を乗せた皿がある事から、彼が料理をしていたのは明白だ。

 

 ロイドさんが朝食当番でしたっけ?

 ティオはそう口にしようとしたのだが、その役目は、2人の後から階段を下りて来た3人目に奪われる事となる。

 

「お、こりゃあ美味そうな匂いだ!」

 

 眠そうにあくびを携えて登場したのは赤毛のランディ・オルランド。

 特務支援課の中では、所長を除き最年長の男だ。

 

「──って、作ったのはロイドか。今日の当番はお前だったっけか?」

「いや特に決まってなかったけど、皆帰って来たばかりで疲れてるかなって思ったんだよ」

「とか言って、本当は料理できる系男子をアピールしたかったんだろ? この弟ブルジョワジーめ。抜け目のないこったな」

「はぁ、そんな訳ないだろ……」

 

 肘をロイドの肩に置いてウザ絡みを始めるランディ。

 ちと過剰な絡み方だが、これには事情があった。

 

 そう、今の会話で出て来たとおり、特務支援課の面々は先日までバラバラだったのだ。

 ロイドはクロスベル警察捜査一課で研修を積み、

 ランディはクロスベル警備隊でかつての事件の後始末を行い、

 ティオは一時出向元のエプスタイン財団に戻り、

 そして、今この場にいないエリィは、祖父のヘンリー・マクダエルの手伝いをしながら政界について学んでいた。

 

「あれ? お嬢はまだ戻ってきてないのか?」

「エリィならさっき連絡があって、これからセルゲイ課長と一緒にこっちへ向かうってさ」

「ほほう、つー事は、これで特務支援課再結成って訳か」

 

 ランディが部屋の隅に寝そべる大きな狼、番犬ならぬ番狼のツァイトを見ながらそう言った。

 

 ロイド、エリィ、ティオ、ランディ、キーア、セルゲイ、ツァイト。

 この6人と1匹が、解散前の特務支援課メンバーだ。

 元は血の繋がりもない赤の他人だったのだが、今ではまるで家族のように固い絆で結ばれている。

 

 そんな家族とまた一緒に生活できる。

 そう思うと、キーアの顔に自然と笑顔が戻っていくのだった。

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 それから数十分後。

 到着したエリィやセルゲイと共に食卓を囲んだキーア達は、ロイドの作った朝食に舌つづみしていた。

 

「はは、キーア、美味しいか?」

「うん! おいしー!!」

 

 満開の笑顔で朝食を食べるキーア。

 親しみのある味だったのも確かだが、皆と食べる食事というのは何にも勝る調味料となる。

 ロイド達と何気ない会話をして、温かい料理を口にして、笑顔で笑いあう。

 そんな大切な時間は、やがて朝食の終わりという形でやってきた。

 

「──さて、と。朝食を終えたなら、情報共有とかした方が良いんじゃねーか?」

 

 くたびれた顔つきの中年男性セルゲイ・ロウが、スプーンを置いて提案する。

 彼の主義は現場判断優先の放任主義。悪く言えば面倒くさがり。

 故に会議の主導権もロイド達に任されていた。

 

「そうですね。お互い積もる話もありますし」

 

 セルゲイの提案をエリィは承諾する。

 次いで彼女は、隣に座るキーアに顔を向けた。

 

「それじゃあ、少し込み入った話もするでしょうし、キーアちゃんは一旦自室に戻ってくれるかしら?」

「みんなと会うの久しぶりだから、キーア、ここにいたい。ねぇ、ぜったい邪魔しないから、だめ?」

「……そうね。分かったわ」

 

 キーアのわがままを笑顔で受け入れるエリィ。

 こうして、再結成初の会議はフルメンバーで行う事となった。

 

 

 ……

 …………

 

 

「……さて、皆の話はこんなところかな?」

 

 まず最初に分散していた際の近況を一通り話しあうロイド達。

 

 学んだ技術の話。警備隊で行っていたリハビリの話。等々。

 過去の話を共有した彼らは、次の話題に移行する。

 

「なら次は、直近の話題についてでしょうか」

「だな。まーつっても、話題はもう決まってるようなもんだが……」

「2週間後に迫った《西ゼムリア通商会議》の事だな」

 

 クロスベルにおける一大イベント。

 過去初めてとなる多国間の通商会議は、当然特務支援課にとっても重要な出来事だ。

 

「お嬢。先月に対峙したっつー黒い魔物について、改めて聞いてもいいか?」

 

 ランディがエリィに対し問いかける。

 そも、今回全員が予定を早めて合流したのは、一重にエリィから齎されたこの情報が原因だった。

 彼女が共有した話はそれほどの厄ネタだったのだ。

 

「エレボニア帝国の夏至祭に招待された際の話ね。導力銃や導力魔法の効果はまるでなかったわ。ボディガードの攻撃もまるで効いてなかったし、今までも色々な魔獣や魔物と戦ったけど、そのどれとも違う感じだった」

「確か、その魔物が貸し切りの列車を暴走させたんだったよな。──セルゲイ課長、エレボニア帝国から何か返答はありましたか?」

「何回か事情を聞こうとアプローチしたんだがな。あちらさん、だんまりを決め込んでやがる」

「そうですか……」

「けどまあ、流石に情報統制できる規模じゃなかったみたいだ。夏至祭に行ったクロスベル市民経由で色々と話を聞けたぞ」

 

 そう前置きして、セルゲイは仕入れた情報をロイド達に共有した。

 

 1つ、夏至祭初日のテロリスト襲撃において、エリィが遭遇した黒い魔物が使われていた事。

 2つ、帝都憲兵隊の兵士たちは魔物の存在を認知している様子だった事。

 そして3つ、兵士たちに混ざって学生と思しき人間が魔物と戦っていた事。

 

「おおよそエリィさんが言っていた内容と一致してますね」

「専門家を自称する学生、と。なんか特別な武器かなんか持ってんのかね」

「それは分からないわ。あの時は私たちのいる車両ごと切り離されたから……」

 

 特務支援課の得られる情報は限られていた。

 けれど、それでも分かる事はあると、ロイドが推理する。

 

「専門家の意味はまだ分からないけど、危険な魔物がテロリストの戦力として使われているのは間違いないみたいだな。しかも、マクダエル議長が乗った列車を乗っ取ったって事は、通商会議の前に、エレボニア帝国の対外的な評価を下げる意図があったはずだ」

「だとしたら、テロリストの敵は帝国の現政府って事ですよね」

「ああ。そして、その政府のトップは、今回の通商会議の主役の1人でもある。という事は──」

「──俺達も他人事じゃいられねぇって事だな」

 

 帝国現政府を狙うテロリストの存在。

 クロスベルとしては完全に巻き込まれる形だが、治安にも関わるし、無視もできない状況だ。

 

「ロイドさん、私たちに出来る事ってないでしょうか」

「そうだな……。この件は正直警備隊や捜査一課の範疇だと思うけど、市内に怪しい痕跡がないか見て回る必要はあると思う」

 

 通商会議の2週間前。

 テロリストが既に入り込んでいる可能性はあるし、他の勢力が何らかの動きを見せている可能性もある。

 

「そう言えば、以前要請していた追加人員についての話はどうなりました?」

「あーその件については大体メンバーが決まったぞ。今手続きやら何やら進めてるから、後2、3日すりゃ進展を伝えられるだろうな」

「分かりました」

「その事務手続きで忙しいから何時もの支援要請も一旦停止してる状況だ。市内が気になるってんなら、適当に回ってくるといい」

 

 そう言い残し、セルゲイは1階にある仕事場へと戻っていった。

 特務支援課の仕事は各方面からの依頼や要請、つまりは《支援要請》と呼ばれる仕事が主だ。

 しかし、それが一時とはいえ停止している以上、治安維持機関としての役割に専念するべきだろう。

 

「よし。それじゃあ俺達も行こうか」

 

 ロイドの号令で立ち上がる特務支援課の面々。

 キーアはそんな彼らを不安そうな顔で見上げる。

 

「ロイドたち、街中に行くの?」

「う、うん、そのつもりだけど……」

「キーアもついてっていーい? ……だめ?」

 

 巡回についていこうと椅子から飛び降りるキーア。

 ロイドにすり寄る幼い少女を、ランディとティオは1歩離れた場所で眺めていた。

 

「なんか、何時になく寂しがりやになってねぇか? キー坊のやつ」

「今朝すごく怖い悪夢をみてしまったみたいですね」

「あー、な~るほど。そういう事ね」

 

 悪夢の内容をティオ達が知る事はできないが、離れたくない様子から察するに、そう言う内容だったのだろうと推測する。

 

「──分かったよ。なら一緒に行こう」

「やったー!!」

 

 喜び跳ねるキーア。

 一方で、てっきり断るかと思っていたエリィは驚いた。

 

「え!? いいの? ロイド」

「元々関係各所への挨拶も必要だったし、裏路地や旧市街の危険な場所は明日以降に回せばいいと思う。それに、俺もキーアと一緒にいたかったしな」

「……まあ、それもそうね」

 

 一時とはいえ、しばらくこの少女を課長に任せて離れていたのだ。

 出来る事ならばロイド達だって一緒の時を過ごしたいと思っている。

 

 まあ、そんな思いが後押しして、特務支援課は1名を追加した状態で巡回をしに出るのであった。

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ──市内の巡回を始めて数時間後。

 ロイド達はクロスベルの中央広場を始めとして、西通り、住宅街、歓楽街、行政区、港湾区、東通りの関係各所に訪れ、また中央広場に戻ってきていた。

 一部のクロスベル住民から密かに《クロスベルマラソン》と称され親しまれている巡回ルート。

 そこを通って関係各所に再結成の挨拶を行い、ついでに黒い魔物に関する情報共有を行った。

 

「皆さん、お変わりない様子でしたね」

「うん! みんな元気そうだった!」

「警察本部と議会は大変そうだったけどな」

「まぁ、それは仕方ないかと。通商会議まで2週間あるとはいえ、必要な準備を考えるとあまり余裕はないでしょうし」

 

 ティオ、キーア、ロイドが挨拶した面々を思い返しながら会話する。

 歓楽街に本拠地を置くアルカンシェル。行政区の警察本部や自治州議会。東通りの遊撃士協会。

 その他にも西通りのパン屋や弁護士事務所、港湾区のクロスベル通信社などなど。

 

 地域に密着した特務支援課は、街を回るだけでも意外と重労働だ。

 

「一方で黒い魔物に関しちゃ、4月ごろから帝国内で発見例があったって事くらいしか分からんかったな」

「遊撃士協会は帝国から締め出されてるらしいし、ニュースを収集してただけでも流石と言うべきなんじゃないかしら」

「ま、それもそうか……」

 

 数歩後ろを歩きながら、深刻な話を交わすランディとエリィ。

 帝都ですら大被害を出したテロリストの手口だというのに情報が不足しすぎている。

 2人が感じている不安は最もなもので、故にロイドも振り返って会話に加わった。

 

「魔物の正体が何であれ、俺達は出来る事を精一杯やるしかない。今は僅かな痕跡や不審者を見逃さないよう気を引き締めていこう」

「だな」

「そうね」

 

 ロイドの掛け声で気を引き締めなおす特務支援課の面々。

 

 丁度その時、ロイド達からそこそこ近い場所にある屋台にて。

 色鮮やかな風船が1個、クロスベルに訪れた観光客らしき親子に売れていた。

 

「お買い上げありがとうございます。ささ、お坊ちゃん、これをどうぞ」

 

 屋台の販売員が括りつけていた風船を取り外し、子供の前にしゃがんで風船を手渡す。

 つたない手で受け取ろうとする少年。

 しかし、そこでトラブルが発生し、風船に付けられていた重石が取れてしまう。

 

「あっ、ふうせん!!」

 

 浮かび上がる風船に手を伸ばす少年。

 ロイド達の視線がそちらに向いた、その刹那。

 

 ──駅の方面から、深紅の影が飛んできた。

 

 それは1人の男だった。

 彼は片手からワイヤーらしきものを射出して近場のビルに固定。

 そのまま上空へと飛び上がり、見事、浮遊する風船をキャッチする。

 

「……いたな。不審者」

 

 明らかに一般人とは思えない身のこなしを見て呟くランディ。

 そして、ロイドの傍にいたキーアもまた、その人物を見て身構える。

 

 親に警戒されながらも子供に風船を手渡す10代と思しき青年。

 彼こそ、キーアが夢に見た、あの青年だったのだから……。

 

 

 



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85話「特務支援課」

 1人エレボニア帝国を離れ、遥か東の地クロスベル自治州へと訪れたライ。

 駅を出て右手側、WELCOMEと書かれたゲートを潜ったところ、早々にトラブルと遭遇した。

 

「あっ、ふうせん!!」

 

 大きな鐘のモニュメントが中央に置かれた広場。

 その端っこの方から、子供の大きな声が聞こえて来たのだ。

 声の方向に視線を向けると、上空に手を伸ばす子供と、ふわりふわりと浮かび上がる風船。

 その2つを認識した瞬間、ライはそちらの方へと駆け出していた。

 

(これを試すのにも丁度いいか)

 

 風を切る中、ライは右手の袖下に仕込んだ機械を起動する。

 フィーから預かったワイヤー射出装置だ。

 狙いは風船の上方、すぐ近くにあるビルの屋上へと定め、黒いワイヤーを解き放つ。

 

 ──アンカーが固定される感触。

 それを腕に感じた次の瞬間、巻き取りのギミックを起動し、ライの身体は風が如く上空へと引き上げられた。

 

 迫りくるビルの外壁。

 その途中で風船の紐を手に取ったライは、壁面に足をつけ停止。

 直後、アンカーの固定を外して地上へと飛び降りた。

 

 人のいない路上にスタっと着地する。

 我ながら、中々いい動きができたんじゃないかと、子供に風船を渡しながらも内心満足げなライ。

 そんな彼を待っていたものとは……。

 

「済みません。クロスベル警察の者です。少し時間を貰えますか?」

「あ、はい」

 

 警察の職務質問だった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ──クロスベル、中央広場。

 通行人の邪魔にならない場所に移動したライと警察を名乗る青年。

 この青年は真面目な性格なのだろう。ライに対して警戒しつつも、警察として丁寧な対応に努めていた。

 

「俺はクロスベル警察特務支援課所属、ロイド・バニングスと言います。失礼ですがクロスベルに来た理由をお聞きしても?」

「……特務支援課」

「あの、なにか……?」

 

 思わず青年──ロイドの所属を反芻するライ。

 接触しようと考えていた組織の人間だったが故の反応なのだが、今のは少々まずかった。

 心なしか警戒を強めるロイド。自らも身分を名乗るべきかと口を開くライだったが、その寸前に他の特務支援課と思しき近づいてくる。

 

「あっ! あなたは!」

 

 その内の1人。

 銀髪の女性がライの姿を見て声を上げた。

 エリィ・マクダエル。確か、先月の列車内でそう名乗っていた筈だ。

 

「お久しぶりです」

 

 ライは表情を変えずに返答する。

 すると、エリィの隣にいた赤髪の男が驚いて横を向いた。

 

「へっ? お嬢、あのスタイリッシュ不審者とお知り合いなわけ?」

「朝に言ってたでしょ? 彼が列車で会った”あの”学生よ」

「おいおい、って事は何か? こいつが黒い魔物に対抗する専門家って事かよ」

 

 なんつー偶然だよ、とぼやく赤髪の男性。

 どうやら彼らの方も自身の事を探していたのだと、ライは彼らの反応を見て察する。

 

「……これは、なおさら話を聞く必要がありそうだ」

 

 状況を見て小さく呟くロイド。

 合致する2者の思惑により、職務質問はより本格的な話し合いへと段階を移すのだった。

 

 

 ……

 …………

 

 

 ──特務支援課ビル1階。

 近くに拠点があるからとそこに案内されたライは、入り口のすぐ傍にある来客用のソファに座った。

 微かに感じる食事の匂い。恐らくここは単なる事務所ではなく、生活の拠点でもあるのだろう。

 

「お待たせ」

 

 しばらく待機していると、ロイドがペンと紙を携えて戻って来た。

 恐らくそれは調書と呼ばれるものなのだろう。

 

「では早速、尋問でもしますか?」

 

 悠然とソファに座りながら尋ねるライ。

 それはあまりにも堂々とした態度だった。

 ロイドは少しやりずらそうにしながらも、真面目な顔でライの問いに返答する。

 

「いや、ここはまず、お互いに改めて自己紹介を交わすべきかな」

「自己紹介?」

「特務支援課の名前を聞いた時の反応。それと、協力的すぎる行動を踏まえると、君も俺達と接触したいと考えていたんじゃないかと思ったんだ」

 

 ロイドはライの仕草から目的を推理したらしい。

 まさかそれを打ち明ける前に知られるとは。ライは少々驚きつつも、改めて口を開いた。

 

「その通りです」

「やっぱりな。……だったら、お互いに腹を割って話し合った方が良いはずだ」

 

 つまりは、お互いに協力関係を結んだ方が良いとの事なのだろう。

 気づけばロイドの口調も砕けたものに変わっている。

 距離を近づける為の戦略か。……いや、恐らくは天性のコミュニケーション能力なのだろう。

 

「……分かりました。俺の名はライ・アスガード。エレボニア帝国トールズ士官学院の1年です」

「俺の名はロイド・バニングス。さっきも伝えた通り特務支援課所属で、リーダーをやらせて貰っている」

 

 ライとロイドの間で自己紹介を交わす。

 次いで、ロイドは後ろにいる仲間を紹介し始めた。

 

「それで、こちらが──」

「おっとロイド。自己紹介くらいは自分でさせてくれや」

 

 ロイドの声を遮って歩いて来たのは、2周りくらい年上と思しき赤髪の男性だ。

 

「俺はランディ・オルランド。気軽にランディって呼んでくれや。お前さんの腕についてる機械、ひょっとして猟兵の備品じゃねぇか?」

「ええ、友人に猟兵がいまして」

「……そりゃまぁ、難儀な友人関係だな」

 

 ワイヤー射出装置を一目見て猟兵の持ち物と見破るランディ。

 その後の言葉も加味して、猟兵と何らかの因果関係があるのだろうか。

 

 と、そんな推測をするライを他所に、自己紹介は残りの女性陣へと移っていった。

 

「私も伝えるのはこれで2回目ね。エリィ・マクダエル。エリィで良いわ」

「ティオ・プラトーです。よろしく」

「それでこっちの子が……」

 

 エリィはこの場にいる最後の人物を紹介しようと振り返る。

 薄い碧色で、ふわふわと広がった髪の幼い少女。

 彼女は階段横の壁にしがみつきながら、唸るような目でライを睨みつけていた。

 

「キーアちゃん?」

「ううぅ~~…………」

 

 心配して声をかけるエリィに反応する事もなく、唸り続けるキーアと呼ばれた少女。

 まるでライから目を逸らすまいと必死に監視しているみたいだ。

 

「珍しいわね。あの子があんなに人を嫌うなんて」

 

 不思議がるエリィのみならず、特務支援課の全員が目を丸くしている。

 その光景から察するに、キーアは普段、人を嫌うような子ではないのだろう。

 

 ならば原因は1つしかない。

 と、ライは特務支援課の面々に説明する。

 

「お気になさらず。何時もの事なので」

「いや、何時ものって……」

「人に嫌われやすい体質なんです。皆さんも心当たりがあるのでは?」

「…………」

 

 お互いに顔を見合わせるロイド達。

 しかし、誰1人としてライの言葉を否定しない事から、皆一様に嫌悪感に似た感覚を覚えている事実を把握したらしい。

 彼らは半信半疑ながらも、何らかの異常がある事だけは受け入れてくれた。

 

「……いや、なんつーか、大変なんだな。お前さんも」

「いえ、慣れました」

「にしても、誰からも嫌われる体質ねぇ。うちのキー坊とまるで正反対だな……」

「彼女と?」

 

 ライはこちらを睨む少女へと目を向ける。

 正反対とはどういう意味だろうか。

 

「今のあいつしか見てねぇライには分かんねぇだろうが、普段のキー坊はほんと元気で人懐っこくてな。クロスベル市でキー坊を嫌ってる奴はいないんじゃねぇか?」

 

 つまり彼女は天真爛漫な性格で、クロスベル市民全員の妹や娘と言った感じになっていると。

 自身の呪いじみた異変とは違うが、確かに正反対と言えるかも知れないなと、ライは静かに考えた。

 

(けど、もしそれが俺と同じ特異体質なら、呪いと呼べるか……?)

 

 皆から好かれる特異体質。

 一見有利なだけに見えるが、作為的な異変と認識した場合、全ての好意が偽物に見えてしまうかも知れない。

 

 ……まあ、仮定の話をこれ以上考える必要もないだろう。

 そう結論づけたライは、改めて対面に座るロイドへと向き直る。

 

「──さて、本題に移りますか」

「ああ。それじゃまずは俺達の状況について説明させてもらうよ」

 

 こうしてライとロイド達はお互いの距離を1歩縮め、それぞれの深刻な情報を共有し始めるのだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ──情報共有に移り、時計の長針が1周回った頃。

 ライからの情報を受けた特務支援課は口数を減らして見上げていた。

 

「……シャドウ、それにペルソナ、ね」

「にわかに信じがたい話ですが……」

「こんな光景を見せられたら信じるしかねぇわな」

 

 ソファに座りながら自らのこめかみを撃ち抜いたライ。

 その後方には、大きく屈まなければ入りきらない程に巨大な影が、青い光を纏い佇んでいたのだ。

 

 それ即ちライのペルソナ、ヘイムダル。

 情報の真偽を証明するならこれが一番簡単だ。

 ライはそう思い、特務支援課の制止を受ける間もなく自身の頭をぶち抜いたのである。

 

「これが黒い魔物──シャドウへの対抗策って訳か」

 

 身の丈程もある巨大な槌をぺたぺたと触りながらランディが呟く。

 黒い魔物に対する対抗策の正体は、学生が持つ特殊能力だった訳だ。

 彼らからして見れば残念な結果だと言わざるを得ないだろう。

 

 しかし、ロイドは残念がっている場合ではないと、すぐに話題を切り替える。

 

「それよりも、今はクロスベルに潜んでいるかも知れないという、神を自称する怪物の話が気がかりだな」

 

「──!!」

 

 ロイドの《神》という言葉に反応するキーア。

 しかし、この場にいる誰も気づくことなく、話は進行していった。

 

「ティオ。この資料が間違いないか、念のため調べて見てくれないか?」

「分かりました、ロイドさん」

 

 ティオはライが持参した導力の数値データを持って、部屋隅に置かれた導力端末へと向かっていく。

 

 端末のキーボードを叩き始める10代前半の少女。

 すると、1分も経っていないにも関わらず、彼女は目的の情報を探り出した。

 

「──見つけました。資料と同じ時間帯に一瞬ですが、稼働ログに空白が発生しています」

「その時間に導力エネルギーが奪われたって事か?」

「はい。ネットワークに繋がった他の端末にもアクセスしてみましたが、皆同様のエラーが発生しています。誤作動の線は薄いかと」

 

 この僅かな時間でそこまで調べ上げたのか。

 恐ろしい程の情報処理速度だ。

 あの若さで特務支援課の1員と言うのは伊達ではないらしい。

 

「導力の奪取。水面下で何らかの異変が起こっているのは間違いない、か。……以前君が会ったという神についてもう少し聞かせてくれるかな? 特に現実の島で起こったという異変について詳細に」

「ええ。ブリオニア島では──」

 

 ライは特別実習で見聞きした情報についてロイド達に伝えた。

 現実側で起きていた出来事は大きく分けて3つ。導力の喪失。風景の変貌。そして住民の消失。

 

 この内、2つ目の異変である風景の変貌は起きていないと見ていいだろう。

 だが、1つ目の異変は起きている以上、3つ目の異変が発生していない保証はない。

 ロイドはクロスベルの地を守る身として、その懸念を深刻に受け取った。

 

「行方不明者の発生か……」

「ねぇロイド。私たちも戻って来て日は浅いし、警察本部に確認を取った方が良いんじゃないかしら?」

「そうだな」

 

 方針を定めたロイド達は、ティオのいる導力端末へと歩いていく。

 そして、導力ネットワークを通して警察本部の担当者フラン・シーカーに連絡を繋げるのだった。

 

 

 ──

 ────

 

 

 数分後。

 導力端末の前で待機していたロイド達の元に、折り返しの通信が届く。

 

『お待たせしました!』

「ありがとうフラン。それで、お願いした件はどうだった?」

『ロイドさんのおっしゃる通り、何件か行方不明者の届け出が届いていたみたいです。時間帯も全て夕方時ですね』

「いたって事は……」

『あ、はい。今は皆さん戻ってきているみたいです』

 

 懸念通り行方不明は発生していたものの、今は全員見つかっているとの事。

 ブリオニア島と異なり話題になっていないのはこの為か。

 一時的に行方不明となっていたものの、無事見つかった事で事件性はないと判断されたのだろう。

 

「フラン、念のため、その情報をこっちに回してもらえるかな?」

『分かりましたー! 今送りますので少々お待ちを!』

 

 それから少しの間を置き、導力端末の画面に3件の文章ファイルが表示された。

 

 書かれていたのは、一時行方不明となっていた人物のデータ。

 オルキスタワー建設の業務員、IBCの研究者、市の地下に広がるジオフロントのメンテナンス技師。

 それら3名の名前や経歴などの情報が事細かに纏められていた。

 

 その内容を警察手帳に書き写すロイド。

 3名の情報を手に入れた特務支援課は短く会話を交わし、ライのいるソファ近くへと戻って来た。

 

「これから俺達は行方不明になった人たちに話を聞きに行こうと思ってる。本件の情報提供者でもあるし、良ければライも同行してくれるかな?」

「荷物はとりあえずそこらへんにでも置いといてくれや」

「ええ」

 

 ソファを立ち上がり荷物を置きに動くライ。

 聞き込みに向け装備の確認をする特務支援課。

 いざ正面玄関から外に出ていこうとしたその時、最後尾に立つロイドの裾を小さな手がギュッと掴んだ。

 

「……キーア?」

「…………」

 

 ロイドを引き留めようと、幼い少女が両手でずっと掴み続けている。

 下を向いて、一言も喋ることなく、全身の身振りで不安を表して。

 そんなキーアに向け、ロイドはしゃがんで目線を合わせ、優しく頭に手を置いた。

 

「俺達は仕事に行ってくるから。キーアなら、ツァイトといっしょにちゃんとお留守番できるよな?」

「……うん」

 

 納得してくれたのか、手を放してくれるキーア。

 特務支援課の面々はキーアに向けて「行ってきます」と言い、ライを連れてビルを後にした。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ──クロスベル市、旧市街。

 提供された情報を元に、ライ達は市の南東に位置するこの区画へと訪れていた。

 

(この区画は他と比べて荒れているな……)

 

 特務支援課の数歩後ろを歩きながら、ライは周囲の街並みを確かめる。

 

 ここは一見して分かる程に古びた場所だ。

 地面の舗装は荒れていて、汚れた民家には割れた窓を塞ぐ為、木の板が打ち付けられている。

 長い間放置されている錆びたドラム缶。埃にまみれた木箱の山。

 

 こんな光景を見ればライにでも分かる。

 目まぐるしい発展を遂げるクロスベルの中で、ここだけは完全に見放された区画だった。

 

「この先にいるのは確か、オルキスタワー建設の従業員だったよな」

「ええ。資料によれば、建設の為に地方から移り住んで来たみたいね」

「ま、ここは家賃やすいもんなぁ」

 

 聞き込みの対象について会話を交わすランディとエリィ。

 

 彼らが口にしたオルキスタワーとは、クロスベル北側に建設中の超高層ビルだ。

 今月末の西ゼムリア通商会議の場となる予定であり、もうそろそろ完成する予定の大陸最大級の建造物。

 ある意味、この旧市街とは正反対の存在と言えるだろう。

 

「──ここだな」

 

 そんな旧市街の路地を何度か曲がり、ロイド達がたどり着いたのは、古い集合住宅の1部屋だった。

 錆びた手すりのある2階。呼び鈴の類すら見当たらない古い扉。ここに1度行方不明となった従業員が住んでいるらしい。

 

「ごめんください。クロスベル警察の者ですが、少しお話を聞かせて貰えませんか?」

 

 扉を軽く叩きながら室内へと呼びかけるロイド。

 しかし、いくら呼びかけても反応はない。

 

「……留守なのかしら?」

「いや待て。この嫌なニオイは──」

 

 その時、ランディの顔が険しく歪んだ。

 臭い。……そう言えば、扉の向こうから吐き気を催すような臭いが出てきているような。

 

「──ちっ、ロイド! ここを開けるぞ!」

「えっ?」

「緊急事態だ! 女性陣とライはここで待ってろ!」

 

 妙に慌てたランディの言葉を聞いたロイド達は臭いの正体を察する。

 

 ──腐乱臭。

 これは、人が死んで腐った時に出る臭いなのだと。

 

 急ぎドアノブに手をかけるロイド。

 鍵はかかっていない。

 扉を開け、ロイドとランディの2人は内部に突入する。

 

 明かりのない、カーテンが閉じられた室内。

 悪臭に満ちた空気の中で、彼らはある惨状を目撃した。

 

「こ、これは……!」

 

 "私は真実を知った"

 "未来を知った"

 "嫌だ"

 "消えたい"

 "あんな未来に行くくらいなら"

 "破滅だ"

 "希望なんてない"

 "嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ"

 

 部屋全体にびっしりと書き殴られた文字。

 地面に倒れた椅子。宙を飛び交う羽虫。

 

 ……そして、天井から伸びるロープ。

 

 狂ったとしか言いようのない部屋の真ん中で。

 1人の男性の、首つり死体を発見したのである。

 

 

 



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86話「事件を追って」

 クロスベル旧市街にて首つり死体を発見したロイド達は至急警察本部に連絡。

 簡易な現場検証を済まし、担当の者がここに来るまで、現場保持の為に全員入り口前で待機していた。

 

「ロイド、私たちも捜査の協力を──」

「……いや、止めた方が良いと思う。死んでから日が経っていたのか、酷い有様だったから」

「ああ、可能なら見ねぇ方が良いだろうぜ。見たらぜってぇ夢に出るぞ」

「虫が湧いてましたね」

「そうそう虫が──、……っておい」

 

 ランディが補足説明したライを睨む。

 しかしライは気にする様子もなく、1枚の紙をランディに手渡した。

 

「これ、俺の靴跡です」

「あ、ご丁寧にどうも。──じゃねぇよ。いつの間に侵入してやがった」

「お2人の後ろから」

「ったく、油断ならねぇ野郎だな……」

 

 普段の彼らならライの存在に気づいていたのかも知れないが、今回は現場の異様な光景を目にして後ろを見る余裕がなかったのだろう。

 

 それほどまでに恐ろしげな光景だった。

 腐敗した首つり死体もそうだが、異様なのは壁一面に書かれた文字だ。

 未来を知った。消えたい。その他無数に埋め尽くされた暗い言葉の数々。どんな心境で書いていたか想像する事すらはばかられる。

 

「……それで、現場はどうでしたか? 首を吊ってたみたいですが、他殺の可能性もあるのでは?」

「入り口も開いていたし断定はできない。……けど、あの部屋の状況を見るに、きっと、自殺……だと思う」

「そう、ですか……」

 

 ロイドから死亡状況を聞き表情を暗くするティオ。

 彼の言う通り、あの部屋の状況を見る限りは自殺と見て良いだろう。

 

「腐敗具合から見て、自殺したのは失踪から戻ってすぐ、って事なのかね」

「ああ。因果関係の証明は出来ないけど、タイミングから見てほぼ間違いないかな」

 

 ロイドが手帳を開きながらそう答える。

 送られて来た情報に書かれた日付と腐敗具合がおおよそ一致しているらしい。

 壁に書かれている文章が妄想の類でないのなら、行方不明中に何らかの情報を知ってしまい、それが自殺のきっかけになったと見るべきか。

 

 その結果、オルキスタワーの建設に従事していた男は自らの命を絶ち、今日まで発見されずに……、……いや待て。

 

「……何故、彼は今日まで発見されずに?」

「なぜって、そりゃこの周辺は人も住んでないからじゃねぇか? 独身者の場合、周りに人がいねぇと死体発見が遅れがちになるからな」

「いや、確かに不自然だ」

 

 ライの疑問にロイドが同調する。

 

「資料によると、彼は建設現場で行方不明になったみたいなんだ」

「……現場だと?」

「ああ。彼は行方不明になるまで仕事を続けていた。一時とは言え捜索願いが出ていたくらいだし、自宅で腐敗するまで放置されていたのは変じゃないか?」

 

 そう、孤独死するにしては、彼は社会との繋がりがあった。

 発見されてから自殺までの間隔が短いのなら、連絡がなくなった事で職場が疑問に思い、もっと早くに死体を発見した筈だ。

 だと言うのに今日まで死体は見つからなかった。それは何故か。

 

「……もしかしたら建設現場で何か起きてるのかも知れないわね」

 

 彼が勤めていた職場に何かあったのではないか。

 そう考えるのは自然な流れだった。

 

「だったら次はIBCに向かうべきかな」

「ディータ―市長に確認するのね? 午前の顔見せで会った時は、午後IBCの方に向かうと言っていたし」

「それにIBCのビル内でも1件行方不明事件が発生しているし、合わせて確認しよう」

「分かりました」

「あいよ」

 

 今後の捜査に関する方針を固める特務支援課。

 こうして自らの足で各地に赴くのが彼らのやり方なのだろう。

 

 そして、担当の者が到着して引継ぎを終えた後、ロイド達は北にあるIBCのビルへと向かうのだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 カルバード共和国の東洋文化が色濃く反映された東通りを通り過ぎ、広大な湖に面した港湾区へ。

 ここは《クロスベル通信社》と呼ばれる新聞社や《黒月貿易公司》と書かれた東方の貿易会社などが立ち並ぶビジネス街だ。

 

 IBC、クロスベル国際銀行はこの区画において最も北側の一等地に位置し、この街において2番目に高い本社ビルを構えている。

 ライはそこに向かう坂道を登りながら、これから会うディーター市長について特務支援課に聞いていた。

 

「おじさま──ディーター・クロイス市長は元々IBCの総裁を務めていた人物よ」

「元々はエリィとこのじーさまが市長だったんだけどよ。今年の5月にごたごたがあって、空いた議長席に座らざるを得なくなっちまったんだわ。で、代わりの市長を選ぶ選挙で当選したのが、これから会うオッサンってわけ」

 

 あん時は大変だったなぁと、腕を頭の後ろで組みながらランディが感想を漏らす。

 

「そんな経歴もあって、おじさまは経済に関してとても明るいわ。だから今回も関係各国に働きかけて、初の多国間通商会議を開く事にもなった訳だし」

「はは、実際すごいバイタリティだよな」

「そうでなければIBCの総裁は務まらないかと。オルキスタワーの建造にも出資してますし、導力ネットワークも──、っと、済みません」

 

 ティオが話を途中で止め、小走りでビルの方向へと走っていく。

 その先にいたのは初老の男性だ。彼はティオの姿を見て慌てて歩いて来ていた。

 

「や、やぁ、ティオ君……。本部から戻ってきてたんだね」

「はい。お久しぶりです。主任」

「少し支部を空けてた時に戻って来るなんて、びっくりしちゃったよ~。……あ、ごめんね? 別に連絡が欲しかったとか、そういう訳じゃ……」

 

 挙動不審な対応を取る男性と、うっとおしそうにしながらも会話を交わすティオ。

 初老の男は見たところ技術者っぽい姿をしているが、何者なのだろうか。

 

「あの人は?」

「IBC内にあるエプスタイン財団支部の主任。同財団から出向してるティオの現場監督だな」

「なるほど」

 

 つまり、彼はティオの上司に当たる人物なのだろう。

 やけにティオの機嫌を気にしている様だが、見たところ、子供へのかかわり方が分からないと言った感じだ。ロイド達が傍観している以上気にする事でもあるまい。

 

 そうして、短い時間が経った頃。

 会話を切り上げたティオがロイド達の元へと戻って来た。

 

「──お待たせしました」

「話はもう良いのか?」

「まぁ別に問題ないかと。それよりIBCの行方不明者について情報を得ました。どうやら、捜索願を提出したのはマリアベルさんだったようですね」

「えっ? ベルが!?」

 

 驚きの声を上げるエリィ。

 その後、ライが置いてきぼりになっている事に気づいた彼女は、すぐ補足説明をしてくれた。

 

「あ、ごめんなさい。マリアベルはおじさまの娘さんで私の幼馴染なの。彼女なら詳しく話を聞いて貰えるはずよ」

 

 総裁で市長であるディーターの娘。

 話を聞くべき相手が1人増えた特務支援課は、改めて大きな前面ガラス張りのビルへと歩いていくのだった。

 

 

 ……

 …………

 

 

 ──IBCビル16階。

 事前のアポイントメントがなかったにも関わらず、ロイド達はすんなりと総裁のいる最上階へと通された。

 

 ガラス張りのエレベーターを降りた先は、周囲を一望できる展望エリアだ。

 青く霞がかった雄大な湖。その向こう側に見える遊園地と白い砂浜は、噂の《保養地ミシュラム》なのだろうか。

 そんな素晴らしい景色に背を向けて、特務支援課+1名は総裁室へと入室する。

 

「ハハハッ、今日はよく会うね!」

「エリィにまた会えるなんて、ふふっ、今日は本当に素晴らしい日ですわね!」

 

 煌めく歯が眩しいやり手事業家のディーターと、お嬢様然とした態度のマリアベル。

 突然の訪問にも関わらず歓迎ムードなのは、総裁一家と親睦のあるエリィ。そして、特務支援課が築き上げて来た繋がりの結果なのだろう。

 

「それで、話ってのは何なんだい?」

「先ほど遭遇したのですが──」

 

 ロイドが自殺の件についてディーターに説明する。

 

「そうか。建設現場の従業員が……。市長として情報提供に感謝するよ。こちらでも状況を確認次第、謹んで追悼の対応をさせて貰おう」

 

 訃報を受け取ったディーターは真剣な声で答えた。

 末端の人物を顧みないタイプの人物、と言う訳でもないらしい。

 それならば、と、ロイドは話の続きを口にする。

 

「実はその従業員、以前に一度、建設現場で行方不明になった方なんですよ」

「……なんだって?」

「お亡くなりになったのも見つかってすぐのタイミングです。大変失礼なのですが、建設現場で何か不測の事態が発生しているのではないでしょうか」

「ふむ……」

 

 ディーターは腕を組んで深く考え込む。

 建設現場で起きた不測の事態。ロイドが指摘した事柄について過去の記憶を精査し、

 

「……1つ、心当たりがある」

 

 と、返答した。

 

「良ければ、お答えできる範囲で構いませんので、その心当たりについて教えていただけませんか?」

「もちろんだとも。心当たりと言うのはね。近頃増えている現場従業員の精神状況なのだよ」

「精神状況、ですか……」

 

 物理的な異変ではなく精神的な異常。

 ディーターが切り出した話題は、ややロイド達の予想と異なるものだった。

 

「明日に待っているのは破滅だけ。頑張ったところで何の意味もない。じき世界は終わるのだから。──人によって言い方はそれぞれだが、おおよそ似たような破滅論的思想が広まっている」

 

 世界が終わる。希望はない。

 どこか、あの部屋に書き殴られた文字と連想させる思想だ。

 

「私達もメンタリストを雇ったり職場環境を見直したりして対策に取り組んではいるのだがね。思想を抱える従業員はその原因を明かさず、その数は増えていくばかり……。オルキスタワー建設の人事担当もその対応で手いっぱいの状況らしい」

「その結果、現場に出てきていない者の確認まで、手が回らなかったという事でしょうか……」

「君の話と統合するとそうなんだろうね」

 

 自殺者の発見が遅れたのはそういう事なのだろう。

 ロイド達もお互いに視線を交わし、因果関係に問題がない事を確認する。

 ならば、話題は次に移すべきか。ディーターもそれは理解していた。

 

「さてと、なら次はIBC内で発生した行方不明の話だろう? マリアベル、彼らに説明してあげなさい」

「ベル、お願いよ」

「……エリィに頼まれたんじゃ断れませんわね」

 

 ディーターの隣でつまらなそうに話を聞いていたマリアベル。

 彼女は幼馴染であるエリィの懇願を受け、ツインドリルの髪を揺らして1歩前に出る。

 

「わが社の研究者が行方不明になったのは先月の26日ですわ。時間は、そうですわね……丁度夕日が地平線と重なったタイミングでしたわね」

「それって間違いないの? ベル」

「あの時わたくしは資料を受け取るためにエレベーターの前に赴いてましたの。その時目視で確認してましたから間違いありませんわ」

「そう……」

 

 失踪の時間帯は今まで《夕方》と曖昧な情報だったが、正確には《夕日が地平線と重なった時》だったらしい。

 

「研究者はそのエレベーターに乗っていたのよね?」

「地下5階の端末室から直通で上がって来ているのは確認したのですが、いざ到着したエレベーターの中はもぬけの空。研究者が持っていた紙の資料が床に散らばってましたわ」

「それで、行方不明の失踪届を提出したって事かしら。発見したのは?」

「夕刻に失踪してから1時間くらい経った頃、同じエレベーター内で発見されましたわ」

「──えっ? 1時間後?」

「ホント、はた迷惑な話ですわよね~。失踪していた間、どこで何をしていたのか聞いては見たのですが、彼は何も話してくれませんでしたし」

 

 届を出したものの、研究者は少し経って同じ場所で見つかった。

 それがIBCでの顛末。上位属性もなしに消失(バニッシュ)していたのは事実だが、ブリオニア島とは異なり失踪したままの人物は存在しない。

 

 一体どういう事なのか。

 考え込むロイド達に対し、ディーターは1つの提案をする。

 

「気になるのならオルキスタワーで聞き込みでもしてくるといい。通商会議前に第三者を入れる事は難しいが、私が特別に許可を出しておこう」

「ありがとうございます」

「クロスベル市民として当然の行動さ! ……ただ、代わりと言っては何だが、1つだけ約束をして欲しい」

「え? ええ、分かりました。俺達に出来るものなら」

 

 ロイドの返答を聞いたディーターは腕を組み、カリスマに満ちた顔でこう演説する。

 

「未来に不安を抱くと言うのは自然な感情だ。前の見えぬ状態で歩き続けるのは実に恐ろしい。そんな民に”正義”という名の道標を示すのが我々の役割であり、彼らがその不安に押しつぶされたのなら、それは一重に私の力不足が原因と言えよう。……故に、彼らの責任を問う事は止めて貰いたいのだ」

 

 彼の主義主張が混ざっていたが、要するに破滅的思考の者にも配慮をして欲しいとの事。

 

 ロイド達は当然だとして快く承諾。

 ディーター達に礼を述べ、IBCを後にするのだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ──それから数時間。

 青いシートで覆われたオルキスタワーに訪れた特務支援課は、そこで屋内装飾の設置作業を行っていた従業員達に聞き取りを行った。

 

 聞いた内容は2つ。

 オルキスタワーで失踪した従業員の話。

 それと、現場で広まっているという思想についてだ。

 

 その内前者については人の流動が多すぎると言う事で大した情報は得られず、後者に関しても……。

 

「現場で広まってる思想っすか。そーいや良く聞くっすね」

「その原因とかに心当たりはありませんか?」

「いや、ねーっすわ。……けどまぁ、そう思っちまう心境は何となく分かりますけどね。今はオルキスタワー建設で仕事はありますけど、この先どうなるかって考えると、しょーじき憂鬱っすよ」

 

 と言った感じで、特にこれと言った情報は見つからなかった。

 

 

 ……

 …………

 

 

 聞き取り調査後、円形に広がる中央広場にて。

 一通りの区切りを終えた特務支援課は一旦の休憩につく。

 

「何かが起こってるのは確実なのに……。手がかりが見つからないなんて、ちょっと歯がゆいわね」

 

 購入した紅茶を膝の上に置いて、エリィがぼんやりと呟く。

 オルキスタワーの中に神が潜んでいる可能性や、一時消失(バニッシュ)の原因となる上位属性が働いている可能性も考えたが、特にこれと言った痕跡は見つけられなかった。

 唯一分かったのは従業員達が抱える漠然とした悩みだけ。それも、特段異常と呼べるものではない。

 

「……未来への不安、か」

「みんな多かれ少なかれ抱えていますよね」

「ま、特にクロスベルは深刻だわな。仮に帝国か共和国のどっちかが何らかの理由で攻めてきたら、ここは戦場になっちまう。そうした際に今まで通りの生活ができるのか、生活資金は稼げるのか、そもそも生きてられるのか。……ここに住む誰しも、心のどっかで考えちまうはずだ」

 

 エレボニア帝国とカルバード共和国という2大国に挟まれた弱者と言う立場。

 帝国に住むライには分かりにくい事だが、左右から武器を突きつけられたクロスベル市民の心には、どうしても影が出来てしまうのだろう。

 

 そう考えると、オルキスタワーの思想も特に異変とは呼べないかも知れない。

 

 コミュニティの中で自然発生した破滅的思想。

 そう結論付けようとしたエリィ達の隣で、考え込んでいたロイドが唐突に立ち上がった。

 

「──そうか。エレベーターだ!」

 

 何かに気づいたようなはっきりした声。

 エリィ達は疑問符を浮かべた顔でロイドを見上げる。

 

「ど、どうしたの? ロイド」

「やっと分かったんだ。今回の事件で共通する重要な要素が」

「それがエレベーターって事か? わりぃ、順序立てて説明してくれ」

「そうだな。まず最初に、ブリオニア島で発生した事件との相違点なんだけど──」

 

 そう言ってロイドは警察手帳に書かれた内容をエリィ達に見せる。

 

 1、夕刻時に発生する導力の喪失と、風景の変貌

 2、住民の消失

 

「クロスベルでは風景の変貌は発生していない。けれど、夕刻時の消失自体は確かに起こってる。これら2点から考えると、恐らく今回の事件は”極めて局所的”に発生しているんだ」

 

 相違点から考えられる可能性。

 ロイドは次に、その条件について説明する。

 

「行方不明が発生したのは、オルキスタワー、IBC、ジオフロントの3箇所。理由は分からないけど、これらの場所に共通した設備が1つだけある」

「研究者が消えたというエレベーターね」

 

 納得した様子のエリィ達。

 しかし、クロスベルに疎いライは1つの疑問が生まれた。

 

「……ジオフロントと言う施設にもエレベーターが?」

「あそこには移動する為の昇降機があるんだよ。きっと、”上下する地面”って要素がキーなんじゃねぇか?」

「それと”夕日が地平線と重なるタイミング”が重要なんだと思う。その2つの要素が重なった時に、行方不明事件は発生するんだ。それは、人の移動が頻繁なオルキスタワーで異変が多くなっている事からも推測できる」

「ん? どういうこった? オルキスタワーの行方不明も1件だろ?」

 

 ロイドの推理に疑問を感じたランディが問いかける。

 

「失踪自体は他にも起きてたんだよ。人の流動が多い環境の中、一時的に人がいなくなったくらいじゃ、どこか別の場所に行ったと思うケースの方が多い筈だ。時間帯も重なったタイミングだとすれば頻度もまばらだっただろうし」

「他の奴らは失踪してる事すら気づかれず、いつの間にか戻って来てたって訳か。思想と行方不明が繋がってんなら筋は通ってるかもな……」

 

 今のところ状況証拠のみだが、ロイドの推論はあながち間違ってはなさそうだ。

 だとすれば、今後も2つの条件が重なれば失踪事件は発生し、最悪の場合自殺にまで発展してしまう。

 クロスベルに潜む危機。それを把握した以上、特務支援課の行動は決まっていた。

 

「──夕日が重なる時間はまもなくですね」

 

 空を見上げて条件の時間を確認するティオ。

 その言葉を聞いたロイドは、皆に向けて号令を放つ。

 

「ここから一番近い場所はジオフロントだ。これより特務支援課と協力者1名は条件に該当する場所に赴き、その原因を取り除く。皆もそれでいいか?」

「ええ!」

「んじゃ、行くとしますか!」

 

 立ち上がるエリィ達。

 ライもまた、自身の目的を果たすためにそれに続くのだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ──クロスベル地下、ジオフロント。

 特務支援課が向かったのは駅前通りの外れに存在する階段だった。

 外周部に築かれた巨大な壁を下って行った先にあったのは厳重な鉄の扉。

 ロイドは1本の鍵を取り出し、固い施錠をガチャリと開く。

 

 内部は円柱状に掘りぬかれた巨大な地下道だ。

 滑り止めの凹凸が彫り込まれた鉄板の道が設置され、多数のケーブルが奥へと続いている。

 爆撃すら防ぎそうな円形のゲート。ライは未知の領域としか言いようのない地下施設を見渡していると、ティオが補足の説明をしてくれた。

 

「ジオフロントは上下水道やごみ処理施設など、市のインフラ関係を纏める為に建造された場所です」

「なるほど……」

「まあ、今は見ての通り導力ケーブルを増設したり、実用化された導力車の為に地下駐車場を建造中だったりと、無造作な増設によって複雑怪奇な迷宮になってますが……。魔獣も出ますので、当然一般人は立ち入り禁止ですね」

 

 立ち入り禁止。……まあ、それもそうだろう。

 危険な魔獣が出る地下迷宮。ライ達みたいに戦闘訓練を受けていない者がいたら最悪生死に関わるのだから。

 

 そんな危険地帯を歩き、ロイド達は昇降機のある場所まで向かう。

 

 通路に響く鉄板の反響音。

 その最中、行く手の先に成人男性の背中が見えた。

 

「──あれ? あれは人か?」

「今日は工事やメンテナンスの予定はなかった筈よ。また誰か迷い込んだのかしら」

「だとしたら危険だな。確か近くに地上への梯子があった筈だし、時間はないけど案内しよう」

 

 ロイドは一足先に男性の元へと歩いていく。

 だが、しかし、

 

「……え?」

 

 男の顔を見たロイドは、呆然と立ち止まってしまった。

 

 その反応に違和感を感じて駆け寄る残りの面々。

 1足遅れて男の元へと到着した彼らは、ロイドが驚いた理由を嫌が応でも理解してしまう。

 

「……………嘘、だろ……? こいつは、確かに……死んだはずじゃ……!?」

 

 その男の顔を、ライ達は知っていた。

 導力端末で1度見ていた。

 

 ……ロイドとランディ、ライの3名は、腐敗してはいたけれど、本人と会っていた。

 

『嫌だ。嫌だ、いや、だ……』

 

 それは旧市街で自殺した男性だった。

 男はロイド達の接近にも反応せず、まるで亡霊のようにぶつぶつと独り言を繰り返している。

 

「みんな! 周囲を見て!!」

 

 直後、エリィの叫びがジオフロント内に響き渡った。

 明らかに動揺が隠せない声だ。

 ロイド達も急ぎ、周囲を確認する。

 

『明日も同じように暮らせるのか? いつかは来ると皆言うけど、いったいいつ離別が訪れるんだ』

『怖い。怖い……』

『女神は何も教えてくれない』

 

 周りにはいつの間にか、何人もの人間が佇んでいて、その全員がロイド達の方向を向いていた。

 

「チッ! なんだこいつら! 何時の間に現れやがった!!」

 

 反射的に武器のスタンハルバードを構えるランディ。

 しかし、人影たちは一切怯える様子もなく、独り言を続けていく。

 

『──だが、あの方は我らに教えてくれた』

『未来の真実を教えてくれた』

『明日に救いがない事を教えてくれた』

 

 1歩、また1歩と近づいていく人影たち。

 ロイド達は反対に少しずつ後ずさりを余儀なくされる。

 そもそも相手は、明らかに様子はおかしいが一般人の姿をしているのだ。

 反撃して良いのかすら分からない。

 武器を構えたまま、手すりの近くまで追い込まれる特務支援課。

 

 その時。ジオフロントの入り口方面から小さな第3者が突入して来た。

 

「ロイドぉぉ──!!!!」

 

 ロイドの身体に飛び込む小さな影。

 碧の長髪と振り乱したその姿は、特務支援課のビルで別れたあの少女だ。

 

「キ、キーア!?」

 

 自身の身体にぎゅっと抱きつく少女を見てロイドが目を丸くする。

 

「こんな所にたった1人で来るなんて危ないじゃないか! キーア、どうしてここに?」

「だって……! だって……!!」

 

 窘めようとするロイドだったが、キーアは服を握りしめる手に力を入れるばかり。

 どうして言いつけを破ってこの場に来たのか。

 残念ながら、それを問う余裕はこの場になかった。

 

「おいロイド! 今は話を聞いてる時間はねぇ! 早くこの場を離脱すっぞ!」

「幸い昇降機までの道は空いています! ロイドさんも早く!」

「ロイドっ!!」

 

 この人影たちに捕まったらどうなるか分からない。

 そう思ったロイドは、腰に抱き着いたキーアを抱えてそのまま走り出す。

 

 その最後尾、召喚器を取り出したライが途中で振り返り、人影たちを前にして立ち止まった。

 

 “我は汝、汝は我……。汝、新たなる絆を見出したり。汝が心に芽生えしは悪魔のアルカナ。名は──”

 

「足止めだ、──バフォメット!」

 

 現れたのは黒山羊の頭をした悪魔。

 カラスの翼を広げたバフォメットは、人影との間にある通路に上級氷結魔法(ブフダイン)を放つ。

 通路の上、道を塞ぐようにして出現した氷の柱。

 

 足止めの成功を確認したライは、先に行った特務支援課の後を追うのだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 退路を塞がれ、前進を余儀なくされた特務支援課とライ、キーアの合計6名。

 結果として予定通りの時間、即ち《夕日が地上と重なる時間》に、《上下する足場》への到達に成功した。

 

 今、目の前にあるのは、2つの車輪で駆動する大型の昇降機だ。

 成り行きでキーアを連れてきてしまった事は気がかりだが、いつまた人影が出現するか分からない為、ここに置いておく訳にもいかない。

 仕方なくロイド達はキーアも連れて昇降機へと乗り込んだ。

 

 昇降機奥の操作パネルを操作するランディ。

 直後、車輪が火花を散らしながら駆動し始め、ライ達の身体は下の階層へと運んでいく。

 

「これで条件は──、──うぉ!?」

 

 移動の中ほどに達した際、昇降機がガクンと揺れた。

 

 停止する車輪。

 バランスを崩したエリィは、膝をついた状態で周囲を見渡す。

 

「止まった、の……?」

「いえ、エリィさん! 昇降機の表示を見てください!」

 

 異変に気づいたティオが操作パネルを指し示す。

 先ほどまで上層と下層の表示さがされていた筈の場所。

 そこに書かれていたのは全く別の言葉だった。

 

《──七耀歴1204年8月16日──》

《ようこそ》

 

 今日の日付。そして、誰かがライ達に向けた歓迎の言葉。

 それを認識した次の瞬間、昇降機が車輪が再び稼働し始めた。

 

「きゃっ!?」

「うおっ!?」

 

 全身にかかる強大なG。

 昇降機の地面に倒れ伏したライ達は、昇降機が逆の動きを始めた事を理解する。

 

(──上昇し始めた!?)

 

 とても立つ事など不可能な揺れ。

 とんでもない速度で上昇を始めた昇降機。

 何とか体勢を整えようとするロイド達の眼前で、操作パネルの表示が次々と変化した。

 

《ようこそ。叡智なる世界へ》

《ようこそ。真実なる世界へ》

 

《我らは教える。汝らが抱える不安への解を》

《我らは伝える。汝らの旅路に待ち受ける試練を》

《我らは救済する。肉の檻に捕らわれし生命という存在を》

 

 とっくに元の階層があったと思しき高さは超えている。

 体感では既に地上を超え、地上数十階に達していそうな程の上昇。

 

 パネルはその階数の代わりに、日付の数字が恐ろしい勢いで変動していく。

 

《──9月13日──》

《──10月18日──》

《──11月24日──》

 

 そして。

 

《──七耀歴1204年12月31日──》

《ようこそ。我らは、汝らの来訪を歓迎する》

 

 数値は12月31日になった段階で停止した。

 

(今年の……12月!?)

 

 白い光に飲み込まれる視界。

 ライは最後にその日付を目に焼き付け、ぷっつりと糸が切れるようにして意識を失うのであった。

 

 

 

 ──暗転。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ……

 …………

 ……………………

 

 

 ……それから、どれくらいの時間が経ったのだろうか。

 ゆっくりと意識を取り戻したライは、重いまぶたをゆっくりと開けた。

 

「……──…………」

 

 視界は深い砂塵に覆われている。

 体の前面に感じる砂の感触。恐らく今、自分の身体は砂の上に倒れ伏しているのだろう。

 

 ライは両手に力を籠め、砂を握りしめた。

 

 体は何とか動く。

 ふらつく体に意識を集中し、ライはゆっくりと体を起こす。

 

「ここ、は……?」

 

 周囲の景色は一変していた。

 さっきまでいた筈の昇降機はなく、ロイド達の姿も見えない。

 代わりにあったのは地獄めいた光景だ。

 

 ……深い砂漠が延々と広がる黄色一色の景色。

 砂に埋まった廃墟と思しき朽ちた建築物。

 地上は明るいにも関わらず、真っ黒に染まった空。

 

 何1つとして生命が見当たらない、終末めいた世界が眼前に広がっていた。

 

 

 




悪魔:バフォメット
耐性:呪怨無効、祝福弱点
スキル:アギダイン、ブフダイン、炎上率UP、凍結率UP
 キリスト教において異端の者や魔女が崇拝するとされた悪魔。黒山羊の頭とカラスの黒い羽を持つ。この姿は19世紀に描かれた絵画が元となっており、現代における悪魔像の代表例とも呼べる存在となっている。


────────

推理に成功したのでDPが加算されます。


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87話「砂漠の未来」

「──ここは異界、なのか?」

 

 肩に乗っていた砂をはたき落としつつ、ライは周囲を確認する。

 意識を失う前に覚えている最後の記憶は急上昇する昇降機だ。

 その後、いつの間にか砂漠に移動していた事を考えると、空回る島と同じく神が支配する領域に入り込んだという事か。

 

(まずは探索だな)

 

 第1目標は離れ離れになったロイド達との合流。

 第2目標はこの異界に潜む神の討伐だ。

 

 もし以前と同じく異なる世界に飛ばされているのなら、鍵の力を用いて強引に移動すれば良いだろう。

 故に厄介なのは異界の構造よりも、この世界そのものと言って良さそうだ。

 

(何なんだこの世界は……。まるで全てが終わったみたいだ)

 

 上着の袖で口元を覆いながら、荒れ果てた砂漠を睨むライ。

 地上の楽園とも呼べた空回る島とは対照的な世界だ。

 口にできると思しき物体は草1本見つからず、水場は全て枯れ果ててしまっている。

 生命維持に役立つものなど砂混じりの空気くらいなもの。こんな場所じゃ、そう長い時間生きている事は難しい。

 

 ロイド達とは早く合流した方が良いだろう。

 特に、幼いキーアの体調が心配だ。

 

 かくして、ライは深い砂漠の奥地へと足を踏み入れるのだった。

 

 

 ……

 …………

 

 

 広大な砂丘に足を取られながらもライは進む。

 

 目的地は建物が密集しているエリアだ。

 砂漠に半ば埋まっているような形でビルの廃墟が群生している場所があった。

 他の場所は比較的視界が開けているので、もしロイド達がいるならそこだと考えたのだ。

 

 ビルの間に足跡を残し、周りの細かな痕跡も見逃さぬよう注意を払い、どこか見覚えのある街並みを歩く。

 

 そうして10分ほど経った頃だろうか。

 代り映えのない廃墟を移動し続けたライは、そこで特徴的なモニュメントを発見した。

 

「この鐘は……」

 

 広場と思しき空間の中央に埋まっている巨大な鐘。

 その周囲に建てられた建造物を含め、ライはこの場所に見覚えがあった。

 

 ──クロスベル市、中央広場。

 ジオフロントに行く前にいた広場と比べると酷く荒廃していたが、間違いない。

 だとしたらここは、この崩壊した世界は──!

 

「クロスベル……なのか?」

「……信じたくねぇが、そうみたいだな」

 

 独り言に対する返答がビルの物陰から聞こえてくる。

 そちらの方向を見てみると、瓦礫に足をかけたランディを始めとして、砂まみれとなったロイド、ティオ、エリィの4人がばらけて見えた。

 

「無事でしたか」

「そーいうお前さんもな。ところで、ここに来る途中キー坊は見なかったか?」

「いえ、周囲に注意を払ってましたが、手がかりは何も」

「そうかい……」

 

 この場にいないキーアの安否を心配するランディは、やや落胆したように背中を掻く。

 

 少し遅れて合流する残りの3人。

 見たところロイド達も周囲の確認をしつつ来たようで、ランディと合流次第、急ぎ情報共有を始めた。

 

「──ランディ、どうだった?」

「歓楽街方面から来たライも見てねぇみてぇだ」

「そうなのか……。キーア、いったい何処にいるんだ」

「早く見つけねぇとな。こんな砂塵の中じゃ、9歳の体力なんてすぐに奪われちまうぞ」

「そうだな」

 

 話を終えたロイドはライの方へと視線を向ける。

 キーアの捜索について説明したい様子。

 けれど、幸い今の会話は聞いていたので説明は不要だ。逆にライの方から提案した方が良いだろう。

 

「俺もキーアの捜索に協力します」

「ありがとう。助かるよ」

 

 ロイドに協力を申し出たライ。

 しかし、今まで通って来た道がクロスベルの北西方面にある《歓楽街》だとすら分からなかったように、土地勘がないのは明らかだ。

 

 ならば帝都でやったのと同じように、エリオットのアナライズに頼らせてもらうべきか。

 そう考え、ライは懐のARCUSを取り出した。……のだが、

 

(──戦術リンクが繋がらない!?)

 

 以前は異世界であろうと結び付けた長距離リンクに失敗してしまう。

 

 直した筈のARCUSの不調か? 

 ……いや、戦術リンクの機能自体は正常に稼働している。

 この失敗はむしろ、そもそも”接続先が存在していない”かのような──。

 

「ねぇ! 今、あの窓の向こうで何か動かなかった!?」

 

 ライの思考を遮るタイミングでエリィが何やら発見したらしい。

 彼女が指差す先にあったのは1棟のビル。

 この広場よりも1段下がった場所に建てられたあの場所は、ライの記憶にもはっきりと残っている場所。即ち、特務支援課のビルだった。

 

「あれって俺達のビルじゃねぇか」

「もしキーアが近場に飛ばされていたのなら、あそこに避難している可能性は高いか」

「だったら早く向かいましょう!」

 

 砂を蹴り飛ばしながら駆け足で走り出す特務支援課の面々。

 かくして、砂漠のクロスベルに飛ばされたロイド達は、廃墟となった特務支援課のビルへと向かい始めるのだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ビルの入り口は階段下に位置している。

 元々中央広場にあった階段は砂に埋もれ、今はやや急な砂の坂道。

 故にロイド達は、この坂道を滑り落ちるようにして下る事を余儀なくされていた。

 

「わっ!」

「──っと、大丈夫か? ティオ」

「は。はい、ありがとうございます。ロイドさん」

 

 バランスを崩したティオの体をロイドがとっさに支える。

 やはりこの砂漠はただの移動すら困難だ。

 ライは2人の様子から改めてこの世界の過酷さを感じつつ、斜面を難なく滑り降りた。

 

 5人全員の安全を確認した特務支援課はビルの前にたどり着く。

 彼らのホームとも呼べるその建物は、扉がなく、窓も割れ、見るも無残な状態となっていた。

 

「自称神が作り出した世界だと分かってても、正直、辛いもんがあんな……」

 

 ビル1階に入ったランディが砂まみれのテーブルを撫でて呟く。

 砂が盛大に入り込んだ1階は物悲しい空気に満ちていた。

 食事を交わしたであろうテーブルも、仕事に使っていた導力端末も、既に廃墟の一部として砂を被っている。

 

 ライもまた、自身が座っていたソファに手を触れる。

 するとその時、ライは1つの違和感に気がついた。

 

(……素材が劣化していない?)

 

 砂に覆われたソファはしっかりとした繊維を残していたのだ。

 比較的劣化が早い筈の布が劣化していない理由。

 もしかしたら、この廃墟は見た目に反し、崩壊してからまだあまり時間が経っていないのかも知れない。

 

 そんな考察をするライを他所に、ロイドは影を見たというエリィに問いかける。

 

「動く影を見た窓はどの辺りだった?」

「私の見間違いじゃなければだけど、3階にあるキーアの部屋だったわ」

「キーアの部屋か! なら、部屋を出ている可能性もあるし、声をかけながらそこに向かおう」

「そうね」

 

 影がいた場所がキーアの部屋という事で、やや希望の色を見せ始めるロイド達。

 けれど、その希望はキーアの名を呼びながら階段を上っていくごとに段々と陰りを見せ始めた。

 それほど広いとは言えないビルの内部。もしここにキーアがいるのなら、今すぐにでも向こうから反応がある筈だ。

 

 もしかしたら返事も出来ないような状況になっているんじゃないか。

 そんな不安を抱えたまま、ロイド達は3階に到着してしまう。

 

 3階廊下は窓割れも少なく、比較的まともな内装を残していた。

 どうやらキーアの部屋はこの通路の最奥にあるらしい。

 ロイドは部屋のドアノブに手をかけ、鈍い音を出しながら扉を開いた。

 

 ──9歳の少女らしい、人形が置かれたかわいらしい室内。

 その奥に置かれた勉強机の椅子に座り、入り口とは反対の方向をぼんやりと見つめる少女が1人。

 

「な、なんだ、いるじゃねぇかキー坊。体調も崩してないみたいで良かっ──」

「いや、少し待ってくれ、ランディ」

 

 部屋内にいる少女の元へと向かおうとするランディ達をロイドが留める。

 無論、ロイドとてキーアの姿を見れて安堵はしているのだろう。

 しかし、同時に彼は、椅子に座る少女の雰囲気に対し、何か違和感を感じずにはいられなかった。

 

「本当に、キーア……なのか?」

 

 静かに問いかけるロイド。

 その声でようやく振り返った少女の口元には、不可思議な笑みが浮かべられていた。

 

「……やっぱり、ロイドには分かっちゃうんだね」

 

 自嘲気味に言葉を漏らすキーアと瓜二つな少女。

 その言葉を肯定と受け取ったロイドは、続いてその少女に問いかけた。

 

「君はいったい……」

「わたしもキーアだよ? ただ、ロイド達の探しているキーアじゃないってだけ」

 

 キーアよりもどこか大人びた雰囲気を身に纏う”もう1人のキーア”とも呼ぶべき少女。

 彼女は困惑するロイド達に向け、彼女は今1番欲しいであろう情報を伝える。

 

「安心していいよ。ロイド達のキーアはちゃんと無事だから」

 

 キーアは無事だという、何の根拠もない言葉。

 しかしロイドは何故だか素直にその言葉を信じられるような気がした。

 

 そして次に感じたのはどうしようもない罪悪感。

 この寂しげな部屋に彼女が1人でいる事自体がとても恐ろしい事のように思えてきて。

 ロイドは無意識にもう1人のキーアへと3度目の質問を行っていた。

 

「君はどうしてこんな場所にいるんだ?」

「こんな場所、かぁ。ほんとにひどい光景だよね。……少し前まで人が普通に暮らしてたなんて、嘘みたいだよね」

 

 もう1人のキーアは椅子から飛び降りて、黒い空と砂漠に覆われた窓の元へと歩いていく。

 そして、この終末めいた光景について、ゆっくりと話し始めた。

 

「ここはね。12月31日の世界なんだよ。ロイド達にとっては4ヵ月後の世界。……そして、わたしにとっては、遥か昔の世界」

 

 彼女が言うに、ここは未来であり過去であるらしい。

 

 一体どういう意味なのか。

 混乱する5人に対し、もう1人のキーアは遠い目をしながら振り返る。

 

「ライなら分かるよね? キーアと似たような経験をしてる筈だから」

「……空回る島の事を言ってるのか?」

「うん。それが世界規模で起こったって考えれば、理解しやすいとおもうよ」

 

 時間の空回り。

 いや、正確には時間の逆行か。

 

 ライの脳裏に浮かぶ1つの解。

 それを肯定するかのように、もう1人のキーアは言葉を紡ぐ。

 

「ここは神が作り出した偽物でも、可能性としてあるIFの未来でもない。──これは実際にあった景色。ロイド達がいる世界はね。世界が滅びて、時間が巻き戻った後の世界なんだよ」

 

 それは、あまりに衝撃的な事実だった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「…………え? ど、どういう事なんですか? 時間が巻き戻ったなんて」

「そんなの、伝承にある時の至宝でもないと……」

 

 戸惑いの声を発するティオやエリィ。

 確かにライとて、空回る島での経験がなければ信じられなかったかも知れない。

 

「零の至宝の力……といっても、今のみんなには伝わらないよね」

 

 未来の証明って難しいと言わんばかりに肩を落とすもう1人のキーア。

 代わりに彼女は、ロイドに1冊の手帳を手渡した。

 

「これは……俺の警察手帳?」

「わたしにできる証明はこれくらい。信じてくれるかはロイドにまかせる」

「あ、ああ……」

 

 両手を後ろに組んで1歩下がるもう1人のキーア。

 左右からエリィ、ティオ、ランディの3名が覗き見る中、ロイドはボロボロになった警察手帳を開く。

 

「これは……確かに俺の文字だ。けど、ここから書かれている情報は……」

「特務支援課の新メンバーについて書かれてますね。ノエル・シーカーとワジ・ヘミスフィア……。ノエルさんは警備隊所属なので分かりますが、ワジさんは……」

「え? おじさまが通商会議でクロスベル独立宣言を!? 何なの、この情報は!?」

「おいおい、帝国の内乱とか、やべぇ内容ばっかじゃねぇか」

 

 手帳の中には、今より未来の情報がロイドの文字と文体で書き綴られていた。

 これが事実なのかは現状分からない。

 けれど、もしそれが実際に起きたとしたら、同じ文章を書くであろう事をロイドは直感で理解する。

 

「──分かった。これが事実かは分からないけど、今は君の、キーアの言葉を信じるよ」

「ありがとう、ロイド!」

 

 現実のキーアと全く同じ表情で礼を言う少女。

 その顔にやや複雑な引っかかりを感じながらも、ロイドは確信に迫る問いかけをした。

 

「それで、ここが4ヵ月後の世界だというなら、一体何が起こったんだ? 警察手帳には12月初めまでの情報が書かれているけど、この砂漠に繋がる内容は一切なかった。たった1ヵ月で世界はこんな状況になるものなのか?」

「たった1ヵ月じゃなくて、たった1晩で、だよ。1204年が終わろうとしていたあの日、たった1日で世界は終わったの」

 

 彼女が言うに、この世界はたった1日で変貌を遂げたらしい。

 室内でライが見つけた違和感とも合致する情報だが、本当なのだろうか。

 何が起これば、広大な世界がたった1日で砂漠の世界に?

 

「原因はそこにいるライだよ」

「俺が?」

 

 もう1人のキーアが大きな瞳で精いっぱいの睨みをきかせて来た。

 

「そう、ライが悪いんだよ。ライが神の秩序を受け入れたから、彼らが掲げる《救済》が成し遂げられてしまった」

 

 身に覚えのない罪状で咎められるライ。

 いや、そもそもライからして見れば未来の話なのだから当然と言えば当然か。

 

 もう1人のキーアは、続いて窓の外を指差した。

 

「空に見える真っ黒の空間が見えるよね? ロイドたちの、ううん、この世界に住むほぼ全ての魂は、あの空間に取り込まれてしまったの」

「やはりあれは空じゃなかったのか。あの真っ黒な領域は何なんだ?」

「宙に浮かぶ神々はあれを外宇宙(オグドアス)って呼んでた。この世界の外にある領域、この世のすべてがあるけれど、なにも存在しない無の領域。時間も空間も存在しない原初の集合的無意識……。彼らのいう救済ってのはね。肉体という檻から全生命を解放し、原初の宇宙に戻す事だったんだよ」

 

 肉体からの解放。

 つまりこの世界は、救済から取り残された物質という名の抜け殻だとでも言うのだろうか。

 いや、それよりも……。

 

「前に進むんじゃなく、原初に戻る? 何故、俺はそんな選択を……」

「あの時のライは、今よりもっと《秩序》よりなスタンスだった。前に進むことよりも、尊いと思ったものを守りたい。みんなの幸福を願う。……そんな、人間だった」

 

 その結果が外宇宙による全生命体の救済とは。

 ある意味、世界が変わっても行動力は変わらないのだと思いつつ、ライは1つの矛盾について指摘する。

 

「──だったら、この未来は変えられる」

 

 この世界のライは神による救済など受け入れる事はない。

 彼女の言い方に即するなら”スタンスが違う”とでも言うべきか。

 秩序に寄ってさえいなければ、後は記憶喪失前の方針通り神を倒すだけで回避できる筈だ。

 

 そう断言するライの言葉に、ロイド達も同じく同調した。

 

「ああ。俺達ならきっと壁を越えられる。この結末にならない未来だってきっと掴める筈だ!」

「ま、言い方はちと青臭いが、そういうこったな」

「それがロイドさんの魅力かと」

「ええ、そうね」

 

 砂漠の未来を見せられたところで諦める筈はない。

 今までだって何度も壁を乗り越えて来たんだと、ロイド達特務支援課はもう1人のキーアを説得する。

 彼女が未来のキーアだと言うのなら、彼女ごと救ってみせると言う宣言だ。

 

 時を隔てても断つ事の出来ない絆の繋がり。

 それを見せられたもう1人のキーアは、

 

「あは、は……」

 

 懐かしいようで、悲し気な笑みを浮かべていた。 

 

「……キーア、ちゃん?」

 

 そんな彼女を心配そうに見つめるエリィ。

 もう1人のキーアはその心配を嬉しそうに受け入れる。

 

「そうだね。未来はきっと変えられる」

「だったら!」

 

 そんな悲しい顔をせずにみんなで頑張っていこう。

 そう言おうとするロイドだったのだが……。

 

「……そう。みんなで頑張って、”未来は変わったの”」

 

 彼女がそんな言葉を紡いだ刹那、世界が大きく揺れた。

 

 ガタンと揺れる特務支援課のビル。

 ライ達は地面に倒れこみ、再び全身に強烈なGを受け始めた。

 

(──ッ!? これ、は……。世界そのものが上昇している!?)

 

 まるでこの砂漠の世界そのものが昇降機になったかの如き状況。

 それと同時に、周囲の世界が動画を早回しするように変化し始めた。

 

 砂漠の終末を超えて、人の賑わう1204年の1月へ。

 その後、結成したばかりのロイド達の姿も見え始め、そのまま春、夏へと時が急速に移り変わっていく。

 

「今と同じようにロイド達は宣言してくれた。神という脅威を全員で倒そうって頑張って、頑張って。……そして、遂に神は倒された」

 

 景色は8月を経ても止まることなく変わり続ける。

 9月。10月と。

 そんな光景を見て、ロイドはある事実に気がついた。

 

「……そういう、事か」

「おいロイド! こいつは何なんだよ!!」

「彼女は、もう1人のキーアは、世界が巻き戻ったのが1度なんて言っていない! きっと彼女は、既に何度も……!」

 

 Gに抗いながら推理を口にするロイド。

 彼の目の前で、特に影響を受けずに立っているもう1人のキーアは、その推理に答え合わせをする。

 

「──そう。もう、何度も頑張ったの」

 

 窓の外を見る幼い少女。

 彼女が見る先で、世界は砂漠とも異なる、真っ赤な色を放ち始めた。

 

「これを見て、みんな。これが神を討伐した後の世界。神の《秩序》を否定して勝ち取った《混沌》の世界」

 

 やがて12月31日になって制止する世界。

 窓の外にあったのは、真っ黒な雲の空。

 そして天に届きそうな程燃え盛る、炎に包まれた世界だ。

 

「爆炎の、未来だよ……」

 

 まるで終末戦争でもあったかの如き瓦礫の世界。

 もう1つの地獄が、今、ロイド達の網膜に強く焼き付けられるのだった。

 

 

 



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88話「爆炎の未来」

 寂しげな砂漠の世界から一変、騒々しい炎の音が木霊する爆炎の世界を目にする事となった特務支援課とライ。

 彼らは容易く命を奪い取りかねない劫火を前にして、本能的な危機感を感じずにはいられなかった。

 

「し、信じられません……。神が原因という砂漠の未来はまだしも、討伐した後にこんな状況が待ってるだなんて。特にあの消える様子のない炎は……、──っ!!」

 

 街を包み込む炎に意識を向けたティオが、酷く怯えた様子でしゃがみ込んだ。

 

「うっ……!」

「ティオちゃん!?」

「あの炎……普通じゃないです…………。とてつもない濃度の、怨嗟の念が、渦巻いていて……!!」

 

 ティオはライ達には認知できない何かを感じ取っているらしい。

 目と耳を塞いでうずくまるティオの元に、キーアがゆっくりと歩み寄って来た。

 

「あれは、世界を焼き尽くす呪いの炎って噂だからね。感応力の高いティオには、きっと辛いんだと思う」

(……噂?)

 

 気になるワードに反応するライ。

 一方で、外の光景を見渡していたランディが、突然大声を上げた。

 

「おい! あそこに人がいるぞ!」

「本当か!?」

「ジロンド武器商会の近くにいる……けど、不味いな。火の手に囲まれてやがる」

 

 ランディが指し示した先には、確かに1人の成人男性と思しき人影が確認できた。

 その周りには炎を纏う建物の残骸。

 彼は残骸の中央で、逃げ場をなくし右往左往している様だった。

 

 野放しにはして置けない。

 ライは窓を開け、縁の上に足をかける。

 

「俺が行きます」

「はっ? いや待て、辺りには火が──」

「耐性があるので大丈夫」

 

 ランディによる制止に返答しつつ、ライはビルの外へと躍り出た。

 キーアの部屋は3階だ。故にライは落下中に壁面を蹴り上げる事で勢いを殺し、そのまま炎のど真ん中に着地する。

 

「──ヘイムダル!」

 

 真っ赤な炎の中で巻き上がる光の結晶。

 火炎に耐性を持つヘイムダルが、片手の大槌を唸るように横薙ぎし、周囲の残骸を遥か遠方の壁まで弾き飛ばした。

 結果、炎に囲まれていた男性との間に、安全な道が形成される。

 

「無事で──」

 

 無事ですか、と話しかけようと歩み寄るライ。

 しかし、男性の容姿を視界に収めたその瞬間、ライの目が大きく見開かれた。

 

「──ッ!?」

 

 ライは反射的に飛び引き、ロイドが窓から見下ろす特務支援課ビルの近くまで撤退する。

 

「どうしたんだ!? 早く彼の安全確保を──」

「……いえ、その必要は無さそうです」

 

 炎で視界が遮られている窓からでは判別できなかったが、男性の姿は明らかに異常だった。

 

 土気色に爛れた肌。

 白濁化した眼球。

 そして決定的なのは、大きく抉られた首元。

 

「彼は、もう死んでいます」

 

 動き回る死体。

 ライが助けようとした男性とは、俗に言うゾンビだったのだ。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「……ァ──、ッッ──!!」

 

 ライの存在を認識したゾンビが、首の傷口から音なき叫びを漏らしつつ襲いかかって来た。

 対するライは剣で噛み付いてくる歯を受け止め、同時にヘイムダルを召喚する。

 

「焼き尽くせ」

 

 片手を掲げるヘイムダル。

 直後、ゾンビの身体を上級火炎魔法(アギダイン)の炎が包み込む。

 耐性があるライですら高温に感じる爆炎だ。

 ゾンビの腐肉は刹那の間に炭化。骨と炭の塊へと成り果て、バラバラになって崩れ落ちた。

 

(……あまり、気分の良い臭いじゃないな)

 

 人の炭化する臭いを嗅いだライは顔をしかめる。

 相手がゾンビとはいえ、人間を焼くなどそう何度も経験したくない。

 ライは灰となった死体に短い黙祷を捧げた後、ワイヤーを射出してキーアの部屋へと戻っていった。

 

 

 ──

 ────

 

 

「お疲れ様。災難だったわね」

「ええ」

 

 部屋に戻ったライをエリィが労う。

 まさか炎だけでなく、ゾンビまで闊歩する世界だったとは思いもしなかった。

 どうしてこんな世界になってしまったのか。

 申し訳ないが、再び彼女に問わねばならないだろう。

 

 ライ達はもう1人のキーアにこの異常事態の説明を求めた、のだが……。

 

「……ごめんなさい。キーアじゃこの状況をうまく説明できないの」

 

 キーアはロイド達の期待に応えられないと頭を下げる。

 

「もしかして、キーアにも分からないのか?」

「うん。こんな状況になる因果なんてどこになかった筈なのに、気づいたら全てが手遅れの状態になっちゃってた……」

 

 因果がない。つまりは原因がないのに爆炎やゾンビが発生したと言う事なのだろうか。

 確かに訳が分からない状況だ。

 ロイド達はせめて少しでも理解する為、キーアに詳しく話を聞くことにした。

 

「何か手がかりはないのか?」

「ない事もない、かな……。ロイド達はエレボニア帝国に伝わる《暗黒竜》の伝承は知ってる?」

 

 エレボニア帝国の暗黒竜。

 それは確か、セントアークに行く最中に聞いた伝承だとライは思い返す。

 だが、クロスベルに住む特務支援課の面々が知る筈もなく、首を横に振った。

 

「いや、初耳だよ」

「七耀歴400年頃の帝都に現れたという瘴気を身に纏った黒き竜。死者を眷属として蘇らせて操ってたみたい」

「……つまり、その暗黒竜が復活した、という事なのですか?」

「ううん。暗黒竜が蘇る気配はなかったよ。──でも、その瘴気が噴き出してるって《噂》は広まってた」

 

 実体のない噂。

 キーアが言うに、その噂は逼迫する時代の中でいつの間にか生まれたものらしい。

 単なる流行り病に尾ひれがついたのか。その時は単なる憶測による噂だった。

 

「けど、いつの間にかその噂は現実になったんだよ。生きてる人を食べる死体が帝都を中心に現われて、それから驚くくらい一気に大陸全土に広まっちゃった」

「生ける屍のパンデミックって訳かよ。ぞっとしねぇ話だな」

「この世界を包む炎だって同じ。世界の果てにある呪われた炎がこの暗い時代を焼き尽くすんだって噂が流れてた。他にも太陽が喰われて無くなったとか、大地が沈むとか、いろんな噂が流れ始めて……」

 

 続けようとして言葉を詰まらせるキーア。

 彼女とて荒唐無稽な話と思っているのだろう。

 だが、ここまで来たら嫌でも推測が出来る。

 

 暗黒竜の噂は現実になった。

 炎の噂も真実となり、実際に世界を焼き尽くそうとしている。

 だとしたら、他の噂も、きっと。

 

「太陽の消失も、大地の沈没も、実際に起こったって事、なのか?」

 

 恐る恐る確認するロイドの言葉に、もう1人のキーアが小さく頷いた。

 

「……………………」

 

 室内がしんと静まりかえる。

 もう1人のキーアの話が本当なら、あまりに多くの出来事が同時多発的に発生しているのだ。

 共通項と呼べるのは噂になっていたと言うだけ。神を討伐すれば回避できる砂漠の未来とは異なり、どこで何をすればいいかすら分からない。

 

 ゾンビは発生原因を突き止めれば良いのか?

 炎は世界の果てとやらに何か問題があるのか?

 太陽の消失は? 地面の沈没は?

 

 考えれば考えるほど深みにはまっていくロイド達。

 焦りにも似た空気が張り詰める中、唐突に、壁を叩く衝撃音が鳴り響く。

 その音を出したのは顔を伏せたランディだ。

 彼は拳を壁に叩きつけたまま、僅かに体を震わせていた。

 

「……つまりは、だ。俺達は神を自称する奴の一方的な救済を受け入れなきゃ、どっかの誰かが生み出した噂どおりに滅びちまうって訳かよ。…………ふざけんな! 何なんだってんだ……! この理不尽な状況は!!」

 

 この世界に残された時間はたったの4ヶ月。

 その先に待つのは神による救済か、混沌とした破滅か。

 どちらにせよ、人が人として生きていける道はない。

 

 この予言は、クロスベルを守るために日々尽力していた特務支援課にとって、今までの全てが無駄であると断じるようなもの。

 理解はしても、到底納得できるようなものではなかった。

 

「ランディ……」

 

 憤りを隠せないランディの叫びを聞いて、悲しげに顔を曇らせるキーア。

 今までの話した内容が全て本当ならば、彼女は滅びの未来にずっと挑み続けて来たのだろう。

 その辛さはきっと、ロイド達が感じているものとは、比べ物にならない程に強烈なものの筈だ。

 

 故に、そんな顔をする少女の体を、ロイドは前からそっと抱きしめた。

 

「えっ? ロ、ロイド?」

 

 もう1人のキーアは大きな腕の中で慌てふためくが、ロイドは気にせず少女の頭を優しくなで始める。

 

「よく頑張ったな、キーア……」

「う、ううん、違うよロイド。みんなだって、いつもキーアを助けてくれて──」

「それでも1番頑張ってるのはキーアだよ。こんなどうしようもない状況なのに、途中でくじけたっておかしくない状況なのに、キーアは進み続けたんだ。俺はそれを誇りに思う」

 

 何度も繰り返したという少女に向け、暖かな言葉を贈るロイド。

 すると、キーアは抑え込んでいた感情が溢れ出し、

 

「う、うぅ……、あぁああああ──…………」

 

 大粒の涙を零しながら、小さく泣き始めるのだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ──それから幾ばくかの時間が流れて。

 ひとしきり涙を流し終えたもう1人のキーアは、少し未練があるようなそぶりを見せつつも、そっとロイドの元から離れていった。

 

「ありがとう、ロイド」

 

 キーアは泣いたおかげか、すっきりとした笑顔を浮かべている。

 そして彼女の周囲に現れる光の粒子。

 段々と体が透けていく光景を見て、エリィ達は驚きを露わにした。

 

「キーアちゃん!?」

「心配しないで。キーアはもともと、この未来に残された残滓のようなものだったから」

 

 初めからこうなる事を知っていたのだろう。

 もう1人のキーアは戸惑う様子もなく、落ち着いた様子でロイド達に最後の言葉を残す。

 

「現実のキーアは百貨店《タイムズ》の屋上にいるよ。彼女も苦しんでる筈だから、支えてくれると嬉しい」

「ああ、約束する……」

「うん!」

 

 もう1人のキーアは最後に満面の笑顔を浮かべて消えていった。

 

 主のいなくなった室内に残された特務支援課とライ。

 外から轟轟と聞こえてくる劫火の音。

 しばらく少女が消えていった先を見つめた後、静かに振り返り部屋を後にする。

 

「……行くぞ。皆」

 

 先頭を歩くは特務支援課のリーダー、ロイド。

 彼の目には、揺るぎない不屈の炎が灯されていた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ビルの1階に戻って来たロイド達は、そこで夢遊病のように徘徊する多数のゾンビを発見した。

 砂漠の未来とは異なるが、1階ロビーは相当な破損具合だ。

 

 燃え盛る炎と、入り口付近に空いている大穴。

 恐らく、ゾンビは恐らくそこから入って来たのだろう。

 階段に築かれたバリケードがなければ、今頃3階まで登って来ていたかも知れない。

 

「こりゃ、こっから出ていくのは難しそうだな」

「なら裏口を確かめましょう。あそこもバリケードが置かれてるけど、このルートよりは移動しやすいかも知れないし」

 

 階段上にある裏口の扉を見ながら提案するエリィ。

 確かに試してみる価値があるかも知れない。

 なら、まずは裏口のバリケードをどかすべきか。

 

 男性陣3名が力を合わせ、扉の前に置かれた重厚なテーブルをどかす。

 そして、若干歪んだ扉をそっと開け、ロイドが裏口の外を静かに見渡す。

 

「……大丈夫だ。見える範囲に屍や炎は見えない」

 

 どうやら裏口の方はひとまず安全らしい。

 

「屍に遭遇したら俺が対処します。噛まれるだけでアウトな可能性もありますので」

「感染型の毒素でもあるって事ですか。確かに、ライさんを襲った屍は噛もうとしてましたし、増加速度を考えると可能性はありますね」

「分かった。その時は頼らせて貰うよ」

 

 ライの欠けた記憶の中にあるゾンビの感染条件。

 もし、この世界にいる奴らも同じだとすれば、接敵の危険があるロイド達の戦闘は避けた方が良いだろう。

 

 故に今、一番安全な戦力はライが持つペルソナだ。

 次いでエリィの導力銃、3番目にティオの導力杖と言ったところか。

 ロイド達は臨時の隊列を形成し、静かに裏口から外へと出ていくのだった。

 

 

 ……

 …………

 

 

 裏口から出た先は一般住人が住み、パン屋などもあったと言う西通り。

 そこから中央広場へと回り道をして戻って来たロイド達は、広場の北側に位置する百貨店の中へと突入した。

 

 内部は散乱した商品の残骸と、崩れ落ちたバリケード。

 そして店内をうろつく元クロスベルの住人達。

 

「ここから先、回り道は難しそうだな……」

 

 ロイドは悲惨な光景を目にしながらも、感情を殺して冷静な判断を下す。

 屋上に続く階段は幸いにして無事だ。

 階段自体も広い事から、恐らく駆け抜けるのが最善手だろう。

 ならば──、

 

「ペルソナで奴らを引き付けます」

「ええ、頼むわ」

 

 ライは徘徊するゾンビを階段から引きはがすため、新たなペルソナを召喚した。

 

「出番だ。──バグス!」

 

 現れたのは熊のぬいぐるみに似た姿をしたペルソナ、バグス。

 綿の代わりに子供の顔のようなものを詰め込んだ悪趣味なその妖精は、ゾンビの周りで奇妙に動き回り、彼らの注意を引く。

 

「──今だ!」

 

 ロイドの合図に合わせて一斉に屋上へと駆け出す特務支援課。

 その足音に気づいたゾンビにはもれなくバグスのパンチが炸裂し、無事5人は屋上の扉へと辿り着いた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ──百貨店《タイムズ》屋上。

 もう1人のキーアから聞いた場所に続く扉を開けたロイド達が目にしたのは、手すりに両手を乗せてぶら下がる幼い少女の背中だった。

 

「キーア……」

 

 哀愁を背負うその背中。

 ロイドは直感で、それが昇降機で別れた本人であると理解する。

 

「……ロイドたちも知っちゃったんだね」

「そう言うキーアこそ、この状況を理解しているんだな」

「うん。今まであいまいだったけど、ようやく全部思い出せたよ」

 

 悲しそうな顔で振り返るキーア。

 その顔はもう1人の彼女よりは若干幼く、けれど同じ目をしていた。

 

「キーアちゃん。私たちは、もう1人のあなたから全てを聞いたわ。4ヶ月後に待ってる滅びについて。本当に辛かったわよね」

「うん……」

「私たちは時が戻る前の記憶はありませんし、恐らく、次に記憶を引き継ぐ事もできないでしょう。……ですが、この時間軸にいるのは間違いなく私たちです。ここにいる間は、ぜったいに私たちがキーアの味方になって見せます!」

 

 エリィやティオがキーアに向けて必死の言葉を投げかける。

 ロイドがもう1人のキーアに言ったように、必ず支えてみせるのだと。

 まだ幼いキーアは、それを聞いて涙を滲ませた。

 

「ありが、とう……みんな…………」

「キーア。クロスベルに潜むという神はどこにいるんだ? 砂漠の未来を回避するためには、その存在を倒さなきゃいけないんだろう?」

 

 全てを思い出したというキーアに対し、確信に迫る問いかけをするロイド。

 そう、元よりライ達はこの領域にいる筈の神を倒すことが目的だった。

 過去であり未来の記憶を持つキーアなら知っているだろう。

 

 そう思うロイド達に対し、キーアは手すりの向こうを指差して答える。

 

「神だったら、最初からあそこにいるよ」

 

 彼女が指差したのは、崩壊したオルキスタワーだった。

 黒い煙がもくもくと立ち上るタワーの残骸。それ以外何も見受けられない。

 

「……本当に、あそこにいやがるのか?」

「今は上の次元から見下ろしてるから見えてないだけ。あそこにいるのは真理を司る神。神さまの中でもっとも公平な存在だから、求めたらきっと答えてくれるはずだよ」

 

 求めには応じると説明するキーア。

 すると、彼女の言葉を肯定するかのように、爆炎の世界に機械的な声が響き渡った。

 

『──左様』

 

 世界全体を震わせる神言。

 同時に、キーアが指差したオルキスタワーに異変が起き始める。

 

「なっ!?」

「オルキスタワーの残骸が、歪んで……!?」

 

 地面から突き出していた残骸が歪み、霧のように境界が曖昧となって、形を変えていく。

 やがて変化を終えて現れたのは巨大な玉座。

 数十mはあるかと思しき、現実にある筈のない真っ白な椅子だ。

 

『我らは伝えた。汝らが欲する未来を』

『しかし、汝らはかつてこの世界に来た者達とは異なる。汝らは、世界の行く末を選ぶ立場にある』

『故に我らは観る。汝らにその権利を持つに相応しき力があるのかを』 

 

 その椅子の上に神はいた。

 星々の周回を模した帽子を被る男女同体の神。

 身に纏った学士のローブの内側には球体の身体が浮かび、そこから伸びる2本の腕が頭を支え、残る2本が分厚い本を開いている。

 椅子に接した足も4本あり、内2本は丁寧な坐禅を組んでいた。

 

 あまりにも巨大すぎる存在。

 思わず圧倒されるロイド達に対し、神は抑揚のない言葉を紡ぐ。

 

『我らが名を名を求めよ。我らが、至高の光に満ちた、我らが名を求めよ』

 

 神を倒そうとするロイド達の意志に応じ。

 今ここに姿を現す純白の神体。

 その周囲だけ黒い雲が晴れ、穢れなき光が地上へと差し込む。

 

『──我らは世界の”真理”にして、宇宙の”理法”を定めしもの』

『名を、ヌース=アレーテイア』

『矮小なる人の子よ。この世の未知を否定し、幸福なる世界を求めし者達の”総意”として、今ここに神の試練を与えよう』

 

 神の顕現により、炎に染まった世界の理が書き換わっていく。

 赤から白へ。その偉業、正しく神の御業。

 

 かくして、混沌と秩序が混ざり合う未来の地にて、2体目の神との戦いが始まろうとしていた。

 

 

 




愚者:バグス
耐性:呪怨無効
スキル:ミラクルパンチ、エイガオン、マハスクンダ、マハタルカオート
 ウェールズ地方に伝わる妖精の1種。バガブー、バグベアなど名称を持っており、親の言う事を聞かない子供を食べてしまうと言われている。また、バグベアの名前から近年では熊の姿で描かれる事もある。


■■:ヌース=アレーテイア
耐性:???
スキル:???
 その名が示すは理法、そして真理。男女同体である事は即ち完全性の象徴である。かつて存在していたグノーシス主義において、叡智または真理を知る事こそ、魂を肉の檻から救済する手段だとされていた。




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89話「叡智なる神」

 ……欠けた記憶の奥底。

 いつかの時間、月光館学園であった保健の授業が蘇る。

 

「アブラ・カ・タブラ……、それでは本日は、人々が追い求めて止まない《完全なる存在》について話していきましょう」

 

 授業を行うのは保険医の江戸川という男。

 彼は首元に手を当て、耳に鉛筆を乗せた変人だ。

 

 現に今も、保健体育の授業でありながら、全く関係ない宗教や哲学めいた話を展開していた。

 

「《完全》というものは、失敗や欠点のある人間にとって非常に魅力的な概念です。しかし、これが厄介なものでして、例えば1つの失敗もしない存在がいたとして、それは《失敗》という概念を持たない不完全な存在とみなす事も出来る訳です」

 

 完全ならば何事も完璧にできる筈なのに、そうすると不完全になってしまう。

 明らかに矛盾する話を聞いた生徒たちは混乱する。

 

「……難しい矛盾ですよね。全能のパラドックスにも通じるものがあるでしょう。この矛盾に対する解として、例えば哲学者カール・グスタフ・ユングは完全とは即ち《無》であると考えています。全ての概念がある完全なものであるのなら、未来であり過去である。光であり闇である。生であり死である、と。……要は全ての対立する要素がある訳ですから、結局打ち消し合って《無》に見えてしまう、と言う訳ですね」

 

 つまり、完全な存在とは無という事なのだろうか?

 

「ヒヒ、あくまで一例ですよ。完全性の象徴については、他にも男女同体にあるとされる事例も多々あります」

 

 そう言って、江戸川は話題を横に広げていった。

 

「錬金術における両性具有(アンドロギュノス)やグノーシス主義における至高存在(オグドアス)。他にもヒンドゥー教の創造神である《アルダナーリーシュヴァラ》も、シヴァとパールヴァティ―が融合した男女同体だと言われています。子を成すには男女双方が必要という事で、片方の性を欠けたものと考えたのでしょう」

 

 完全な存在について説明を続ける江戸川。

 その複雑な講義を耳にしていた頼城の耳元に、後ろに座る友原がつまらなそうに声をかけて来た。

 

「──なぁライ。完全だなんだ言ってっけどさ。正直よく分かんなくね?」

 

 友原からしてみれば、完全なる存在そのものがあまり理解できなかったらしい。

 まあ、確かに概念上あるだけで、この世に存在しえないものだ。

 いまいちピンと来なかったとしても無理はないだろう。

 

「ヒヒヒ、確かに言葉を並べたところで、想像しにくいかも知れませんね」

 

 江戸川が友原のひそひそ話に同意を示す。

 どうやら、今の会話を聞かれていたらしい。

 友原が若干恥ずかしそうに姿勢を正す中、江戸川は彼の為にビジュアル面に関する話に移っていった。

 

「紀元前の哲学者、プラトンが残した《饗宴》という話の中にこんなものがあります。──かつて、原始の人間は2体1身だった。身体は背中合わせでくっついた球体。2方向の頭、4本の腕、4本の足を持っていて、それが引き裂かれたからこそ、人々は半身を求めるのだと」

「……なんだそれ。完全にモンスターじゃん」

「完全な存在とは現代には存在しえないもの。案外その姿は、異形めいたモンスターだったのかも知れませんね」

 

 球体から四肢と頭が伸びるモンスターを想像してげんなりする友原。

 江戸川はヒヒヒと奇妙な笑いを零しながら、世にも奇妙な保健の授業を続けていくのであった。

 

 

 ──幕間、終了。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 クロスベル地下のジオフロントから未来の世界に飛ばされたライと特務支援課。

 彼らはそこで行方不明者たちが述べる希望なき未来の意味を知り、遂にクロスベルに潜む神への謁見に辿り着いた。

 

 魔都に潜みし神の名はヌース=アレーテイア。

 男女2つの顔を持ち、2冊の本を持つ4本の腕と4本の脚。そして宙に浮かぶ球体の身体。

 全長数十mはあろうかと思われるその異形は、元はオルキスタワーであった玉座に座り込み、悠然とライ達に語り掛ける。

 

『我らは伝える。我らが至上命題は滅びを宿命づけられた生命を救済し、永遠なる幸福の世界へ導く事である。しかし、我らが救済は、物質界を肯定する者にとって肯定しがたいものである事も把握している』

 

 真理を自称するだけあってか、この神はライ達の立場にも理解を示していた。

 ランディはその言葉を聞き、強大すぎる気配に冷や汗を流しつつも、神に意見をぶつける。

 

「だったら、大人しくしててくれても良いんじゃねぇか?」

『我らは否定する。救済を断った先に待つものは、巨悪が描いた破滅の未来だ。汝らに抗うだけの力がなければ、救済による結末こそ、物質界を肯定する者にとっての次善の道である』

「そうかい……」

 

 炎に包まれた混沌の未来を回避する為、秩序の未来へと導こうとする神。

 皮肉な事に、この終末めいた光景こそが、彼らの言葉に正当性を与えてしまっている状況だ。

 

 しかし、ライ達からしてみれば、神の言う救済もやらも正直大差ない。

 自分たちの世界をあの砂漠の未来に変えようと言うのなら、ライ達の選択肢はただ1つ。

 ライと特務支援課はそれぞれ武器を構え、即時戦闘の体勢をとる。

 

「キーア、今は少しでも情報が欲しいんだ。あの神について知っている事を教えてくれないか?」

 

 トンファーを構えたロイドが、神から目を逸らさず問いかけた。

 しかし、背中に隠れているキーアからの返答はなく、少しの間を置いて、か細い声がロイドの耳元に届く。

 

「……ヌース=アレーテイアがいった理法は、この世の(ことわり)のことだよ。あの本には理を定義し直す力があるの」

「理を、定義し直す? それって──」

 

 曖昧な表現だったが故、聞き返そうとするロイド。

 

 だが、そんな時間は残されていなかった。

 玉座に座り、静かに語り掛けて来ていた神が、遂に行動を開始したのだ。

 

『──我らは分別する。時空連続体を歪ませ、万物を引き合わせる力。その理は手の内に』

 

 ヌース=アレーテイアは建物のように大きな本のページをめくりあげる。

 すると、爆炎に包まれた街並みに無視できない異変が発生した。

 

 崩壊した建造物。

 地面から切り離された全ての残骸が、突如として浮かび始めたのだ。

 神を中心として浮遊する大小さまざまな残骸。

 その光景を見たティオは、先ほど神が口にした言葉の意味を理解する。

 

「万物を引き合わせる力……、それってもしかして万有引力の事ですか!?」

「ばんゆー……なんだって?」

「凄く大雑把にいうと重力の事です!」

「はぁ!?」

 

 そう、神はこの瞬間、重力を生む主要な法則である《万有引力》の理を書き換えたのだ。

 周囲の炎も重力圏とは異なる挙動を見せ始める。

 巨大な建造物すら上昇する異常事態を前に、困惑を隠せないランディ達。

 

 直後、浮遊した残骸が再度、異常な動きを見せ始める。

 

「お、おい、あのビルこっちに来てねぇか……?」

 

 根元から折れたビルの残骸が段々と大きくなって来ていた。

 見た目上はゆったりとした変化だが、それはビル自体が巨大だからに過ぎない。

 

 この屋上に到達するまで、恐らく10秒もないだろう。

 それを理解した瞬間、ライは召喚器を抜いて叫んだ。

 

「皆、こちらへ!」

 

 その声を聞いた特務支援課の面々は急いでライの元へと駆け寄る。

 と、同時に、ライは躊躇なくペルソナを召喚した。

 

「──ヘイムダル!!」

 

 現れた光の巨人は、即座に大槌を投げ捨てて特務支援課の4人を抱え込む。

 

 彼らはこの屋上から脱出する装備を持っていない。

 だからこそ、ヘイムダルで片腕2名ずつ抱きかかえ、そして残された1番小柄なキーアは──、

 

「悪いが我慢してくれ」

「……っ!」

 

 ライ自身が抱えて、ヘイムダルと共に百貨店の下へと飛び降りる。

 

 一瞬遅れ、飛来したビルが衝突する轟音。

 ビリビリと空気を震わす衝撃を肌で感じながら、ワイヤーにより落下速度を落としたライとキーアは、無事に地上の路面上へと着地する。

 

 次いでヘイムダルも同じく地上へと降り立つ。

 腕の中から解放されたロイド達も、どうやら皆怪我もないようだ。

 

「き、危機一髪だったわね……」

「だな。本当に助かったよ。ライ」

「お構いなく」

 

 ライ達は先ほどまで立っていた百貨店の屋上を見上げる。

 そこは既に建物の形状を留めておらず、2つの建造物が衝突した残骸が宙に漂っていた。

 巻き込まれていたら命はない。それだけは誰の目から見ても明らかだ。

 

「……こんな攻撃が可能だなんて。世界を滅亡させたってのも、納得させられるわ」

「でも、キーアの話じゃ、過去の私たちはあの神を討伐できた……んですよね? 何か、突破口があるんじゃないですか?」

「全部キー坊だよりってのも何だがな……」

 

 ランディの感想も最もだが、今は先ほどロイドが言った通り、少しでも情報が必要だ。

 

 5人の視線がキーアの元へと集中する。

 唯一未来の情報を知っている少女は、目を伏せながら説明を始めた。

 

「…………あの神の身体は、まだ傷が癒えていない依代だから不完全なんだよ」

「不完全? あれでか?」

「うん。不完全だから、神の力はキーアたちの周りまで影響しないの」

 

 神の書き換えはライ達の周囲まで影響しない。

 それは、ここにいる面々が地面に立てている現状から鑑みても確かだろう。

 ライは足元にあった小石を地面へと落とし、重力が働いている事実を確認する。

 

「それと、神はあの場所から動くこともできない」

「傷が癒えていないから、か。……なるほどな。それが付け入る隙って訳か」

 

 完全に見える力に隠された不完全性。

 そう言えば、空回る島の神も、距離の限界という不完全性があったとライは思い出す。

 

 あの時とはやや状況が異なるが、周囲の理を書き換えられないのならば、何とか接近すれば勝機が見えるかも知れない。

 

 キーアの情報により、道筋と言う名の希望を得た特務支援課。

 その勝機を現実のものへとする為、周囲を見渡していたロイドがある物を発見する。

 

「──あれ、もしかして使えるんじゃないか?」

 

 ロイドが指差したのは、重力を無視して浮かぶ1両の導力車だった。

 シルバーのボディは炎で煤けているが、がっしりとした車体の機構は無事に見える。

 

「でも、空中に浮いているわ」

「キーアの話が本当なら、俺達があそこに行けば重力が戻る筈だ。……ライ、悪いけど、また頼らせて貰えるかな?」

「ええ」

 

 ライはワイヤーを射出し、浮遊する導力車の元まで飛び上がる。

 車のボンネットに足を乗せると、書き換えの影響から抜け出したのか車は自由落下。

 ライと共に、ロイド達のすぐ傍へと墜落した。

 

 タイヤが若干跳ねた後、着地して制止する導力車。

 内部には3列の座席が並んでおり、おおよそ8人は乗車できる大きさだ。

 ロイドは急ぎ運転席へと乗り込んで導力エンジンを起動する。

 

「どうだ? 行けそうか?」

「ああ。これなら動かせそうだ」

 

 エンジン他、アクセルやブレーキ、シフトレバーなどを確かめながらロイドが答える。

 

 神がいるのは行政区より北に位置する元オルキスタワー。

 中央広場から辿り着くには、足では明らかに遅すぎるだろう。

 故に今、必要なのは全速力のエンジンだ。

 

「──いくぞ皆! この車を使ってあの神に接敵する!!」

 

 車両に乗り込むロイド達とキーア。

 ライはその上に乗って迎撃の役割を受け持つ。

 

 かくして、唸るエンジン音とともに、ロイド達を乗せた導力車は爆炎のクロスベルを走り始めた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

「──ロイドさん! 残骸が落ちてきます! 右にハンドルを切って下さい!」

「分かった!」

 

 全力でハンドルを切って急旋回する導力車。

 それと同時に、寸前まで走っていたルート上に巨大な残骸が落ちて来た。

 

 衝撃で浮かび上がる車体の中、まるで嵐の中にいるかの如き揺れがランディ達を襲う。

 

「ちっ! く、そっ!! 周囲の影響がなくなるってのも考え物だな!! ──ライ! 振り落とされねぇよう気ぃつけろよ!!」

 

 ライ達が傍を通ると、浮かんでいた残骸は自重により落下をし始める。

 即ち、宙に浮かぶ残骸全てが、ライ達に牙を剥く質量兵器となっていた。

 これが神の言う試練だとでも言うのか。

 

 必死の顔でハンドルをさばくロイドの元に、再び神の神言が告げられる。

 

『我らは分別する。世界に満ちる磁気。即ち雷の力を』

 

 刹那、爆炎の世界に雷が溢れ出した。

 ライ達の周辺には影響がないが、電気エネルギーを生み出す理が変わったのだろう。

 雷鳴轟く世界へと変貌する中、納まりきらなくなったエネルギーがエリィ達へと殺到する。

 

「きゃっ!!?」

「吸収しろ! ──サンダーバード!!」

 

 急停止する導力車の上で、ライは雷の纏う鳥を召喚した。

 今回はライだけ電撃無効で守るだけでは駄目だ。

 この車にいるロイド達の身を守る為には、この雷自体を消し去る必要がある。

 

 だからこそ、ライは電撃吸収の特性を持つサンダーバードを召喚し、導力車の前方へと飛び立たせた。

 

 その様まさしく避雷針が如く。

 膨大な神の雷を吸収するサンダーバード。

 ライは全身全霊を持って、世界に満ちる雷を防ぎ続ける。

 

 ……故に見逃してしまった。

 空に浮いていた幾千もの残骸、その全てが地上に落ち始めると言う、決定的な予兆を。

 

『──重ねて分別する。幾千の時を経て零れし怨嗟。目に見えぬ呪怨の理を』

 

 雷を辛うじて吸収し続けるライの元に届く3つ目の神言。

 

 直後、雷の向こうから現れる赤黒い怨念の津波。

 即ち呪怨属性の膨大な攻撃が、無情にもライ達に襲い掛かる。

 

(しまっ──!?)

 

 気づいた時には全てが遅かった。

 

 とっさに両手で身を庇うロイド達。

 そんな抵抗もむなしく、導力車ごと膨大な呪怨のエネルギーに飲み込まれてしまった。

 

 

 

 ──暗転。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ……

 …………

 

 

 暗闇に落ちたライの意識が、ある時ゆっくりと覚醒し始める。

 

 全身に感じる痛み。

 精神に残る冷たい怨念の感触。

 そして、遠くから聞こえてくる、焦る男の声だ。

 

「……──ぃ! ぉぃ! しっかりしろ!!」

 

 どうやらランディが、目を覚まさないライの体を揺らしているらしい。

 ぼうっとする頭でその事を理解したライは、重たいまぶたをゆっくりと開ける。

 

 視界に入るのは赤髪を後ろで纏めた大きな男性の姿。

 ランディは目を開けたライを見て、ほっと体の力を抜いた。

 

「やれやれ、やっと目を覚ましたか」

「……ええ。…………っ」

 

 立とうとするライであったが、バランスを崩して再び倒れる。

 

(体に力が入らない……。サンダーバードの弱点を突かれた、のか)

 

 そう、神が繰り出した追撃は、正確にライが持つペルソナの弱点を突いて来ていた。

 まるでエリオットのアナライズをこちらがされたような気分だ。

 耐性が重要なペルソナの戦闘において、情報アドバンテージが何よりも重要なのだと、ライは改めて思い知らされる。

 

 まあ、それはさておき、今は現状の把握が重要か。

 

 ライは周囲を見渡す。

 恐らくどこかの屋内だろうか。それほど広くない空間で、ロイド達全員がすすけた姿で休憩を取っていた。

 

「ここは?」

「あの攻撃を食らった場所の近くにあった建物の中だ。この狭さなら室内全体が俺達の領域に出来るからな。ここなら少しは持つだろうって、キーアのお墨付きも受けてるぜ」

 

 どうやらランディ達は呪怨の津波を食らった後、車を乗り捨て。急ぎこの屋内まで退避したらしい。

 車が盾になってくれたからか、ライよりも比較的ダメージが少なかったようだ。

 

 恐らくその方針を示してくれたのも、神の特性を良く知るキーアなのだろう。

 

 ひとまず礼を言うべきか。

 そう思い、キーアの方へと意識を向けたライは、彼女の沈んだ顔を見て、ある可能性にふと気がついた。

 

「ライ?」

「済みません。少しだけ、彼女と話をさせて下さい」

「あ、ああ……」

 

 ライはふらつく体を無理やり起こして、隅に座り込むキーアの元へと歩いて行った。

 1歩1歩、室内を響かせながら近づいて行くも、キーアの顔は下を向いたまま。

 気づいていない訳じゃない。彼女はまだ、ライに対して敵意を持っているのだろう。

 

「キーア」

「──っ!」

 

 その証拠に、彼女の名前を呼ぶだけでキーアの体はびくんと跳ねた。

 

 だが、ライはそれでもなお語り掛ける。

 彼女の妙に消極的な態度。そして、神が持つマップ兵器に等しいあの力。

 それらから推測する可能性は、今確かめておかねばならない内容だったからだ。

 

「もしかして、以前の俺達は負けたんじゃないのか?」

 

 ライの推測を口にした瞬間、キーアの目が驚きで大きく見開いた。

 

「え? な、なんで……」

「キーアがずっと消極的だからだ。もし本当に勝機があるのなら、もっと積極的にその道筋を伝えていた筈だ」

 

 初めから神に勝つルートはなかった。

 そう考えれば、彼女の態度にも納得がいく。

 

「ちょ、ちょっと! いくら何でもその言い方は──!」

「いいの、エリィ。ほんとうの事だから」

「──えっ?」

 

 驚くエリィを他所に、キーアは前の戦いに関する真実を話し始めた。

 

「ライの言う通り、神を討伐したときのキーア達は、この戦いで1度敗走しているの」

「……そう、なのか」

「ロイド達が悪いんじゃないよ。単純に努力や運じゃ埋められない力の差があったってだけだから」

 

 かつてのライ達はヌース=アレーテイアの前に敗走した。

 全滅を前にして、ライが持つ鍵の力を用いて脱出。

 命からがら生き延びたライ達は、新たな戦力をかき集めて2度目の戦いに挑んだらしい。

 

「あの神がつかう本は2冊だけ。だから、多方面からの飽和攻撃を与え続ければ、本を使った書き換えを妨害できるの」

 

 申し訳なさそうに説明した内容は、今じゃ勝ち目がないと宣言するようなものだった。

 

 きっと、前回も可能な限り抗ったのだろう。

 それでも勝てなかった。勝つ道筋が見つけられなかった。

 

 だからこそキーアはこんなにも暗い顔をしているのだ。

 何とかなるかも知れないと僅かな希望を抱きつつも、それを塗りつぶす程の無力感が彼女を苛んでいる。

 

(脱出か。確かに現状、それが最善手だ……)

 

 狭い室内にまで追い込まれた状況だけ見るなら、鍵を使って現実世界への扉を開くのが確実な道だろう。

 この状況を説明し、遊撃士などの協力も貰ってリベンジを挑む。

 キーアの言う道筋は何も間違っていない。

 けれど……。

 

「……違う」

 

 ライはその道を否定していた。

 その根拠はただ1つ。神が口にしたあの言葉だ。

 

「えっ?」

「俺達の目的は神を倒す事だけじゃない。破滅の未来も回避しなければならない。これは、その可能性を示す試練なんだ」

 

 キーア曰く最も公平な神がそう言った。

 あれはきっと自身を正当化する為の詭弁などではなく、ただ真実を告げただけなのだろう。

 この程度の試練を乗り越えられなければ、破滅の未来は避けられない。

 神はそう言っていたのだ。

 

「確かに前回は負けたのかも知れない。けど、今は前とは異なる点が1つだけある」

 

 故にライは語り掛ける。

 折れかかった少女の心に。

 寄り添う者では言えないであろう、厳しい言葉を。

 

「キーア。可能性があるとしたらお前だけだ。失敗した世界の経験をしたお前だけが、前の世界を超えられる」

「…………!!」

 

 10歳にも満たない少女だけが、この窮地を脱する可能性である。

 我ながら情けない理論だと思いつつも、それをライは真正面から伝えた。

 ……その時だ。

 

『──我らは分別する。時空連続体を歪ませ、万物を引き合わせる。その力を』

 

 丈夫な造りの建物が揺れ、引力を書き換える神言が聞こえて来た。

 

 どうやらタイムリミットはすぐそこまで迫っているらしい。

 その事実を理解したライは、最後に1言キーアに伝える。

 

「俺の事が信じられないならそれで良い。けど、キーアはキーア自身を、何より寄り添ってくれる特務支援課を信じてくれないか? きっとそれが、可能性に繋がる筈だ」

 

 話すべき内容を伝え終えたライは、1人建物の入り口へと歩いていく。

 

「まさかアレを止めるつもりですか!?」

「そのまさかです」

「駄目です! それじゃあ死にに行くような……」

 

 死地に向かおうとする青年を止めようとするティオ達。

 けれど、ライは止まる気はなく、

 

「死にません。そう約束しましたので」

 

 不敵に笑って建物の外へと出ていった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 建物の外は、先ほども見た重力異常の世界になっていた。

 まるで紙切れのように空を舞う巨大な石や鉄の残骸。

 その中でも1際大きな塊が、何かの意志に支配されたかの如くこちらに向かってきていた。

 

 急接近する大型建造物。

 その陰にて相対するライは、怯える事なくペルソナを召喚する。

 

「──アラハバキ!!」

 

 選んだのは物理反射の特性を持つアラハバキだ。

 迫りくる質量兵器へと体当たりする古の土偶。

 膨大な余波が辺りの地形を破壊する中、反射するエネルギーによって一瞬の均衡が生まれる。

 

 直後、自壊する建造物。

 四散した瓦礫が花火のように舞う中、ライは次なる神の一手に備えようとしていた。

 

『重ねて分別する。寒と暖。移り変わる熱の理を』

(……次は火炎か? それとも氷結?)

 

 アラハバキの弱点は2つある。

 火炎と氷結。恐らく神の狙いはそのどちらか。

 

 瓦礫が落ちて開けた視界。

 その先に見えたのは──極寒の氷柱!

 

 ライは召喚器の指に力を籠める。

 氷柱が先か、ペルソナチェンジが先か。

 

 一瞬の時が生死を分かつ、その刹那。

 

 

「彼をまもって! ──アルコーン!!」

 

 

 後方より現れた白き神体が、ライの身を守った。

 

(──は?)

 

 突然の光景に、流石のライも思考を停止させる。

 氷柱からライを庇ったのは、人よりも遥かに大きな少女の現身。

 見間違う筈もない。

 これは、ペルソナだ。

 

 そして召喚者もまた、ライの後方に立っていた。

 

「キ、キーア、ちゃん? それって、まさか……」

 

 特務支援課が驚く中、1歩前に立っているキーアの周囲に青い炎が巻き起こっている。

 そうだ。彼女こそ、ライの身を守ったペルソナの持ち主。

 

「ごめんね。キーア、みんなにあれだけ言ってもらえてたのに、まだ本気になれてなかったみたい」

 

 キーアはキッと覚悟を決めた表情をしていた。

 もしかしたら、先ほどの言葉が伝わったのかも知れない。

 だが、それよりも今は、彼女を見た時に感じる胸の違和感にライは戸惑っていた。

 

(なんだ? この感覚は……、何かが、共鳴しているような)

 

 同じペルソナ使いであるリィン達には感じなかった謎の感覚。

 その意味を理解しきれていない状況の中、キーアは確かな足取りで前へと歩いていく。

 

「でも、これからはちがうよ。ロイド達がいるかぎり、キーアは諦めない。……だから、ライ。力を貸して」

 

 ライの隣に立つ碧髪の少女。

 彼女の手には、いつの間にか1冊の本が握られていた。

 青い装丁の分厚い本。それはライも知るあの本だ。

 

「──降魔(チェンジ)、セラフ!」

 

 ペルソナ全書。

 ベルベットルームで見た本を開いたキーアは、その中から”異なるペルソナ”を召喚する。

 

 現れたのは4つの顔を持つ熾天使セラフ。

 大きな6枚の羽根を持つその天使は、ライとロイド達へと眩い程の光を振りまく。

 ──メシアライザー。救世主の威光を浴びたライ達は、身体の傷が急速に癒えていくのを感じた。

 

 傷を癒す2体目のペルソナ。

 そう、彼女はただのペルソナ使いではなく──。

 

『我らは歓迎しよう。汝の意志が再び盤上へと戻った事を。──キーア・バニングス。幾重もの時を繰り返し、2人目の愚者()よ』

 

 ライと同じワイルドの能力者。

 0の数字を冠する愚者の使い手だったのだ。

 

 

 




星:サンダーバード
耐性:電撃吸収、呪怨弱点
スキル:マハジオンガ、タルカジャ、リベリオン、感電率UP
 インディアンの部族に伝わる神鳥。大きな鷲の姿をしており、自由に操る雷によって獲物を捕らえると言われている。

愚者:アルコーン
耐性:氷結耐性、祝福無効、呪怨弱点
スキル:マハコウガオン、マハラクカジャ、アサルトダイブ、祝福ハイブースタ、デクンダ
 ギリシア語で統治者を意味する言葉であり、グノーシス主義において物質世界を支配する「偽の神」を意味する名称でもある。その中でも最初のアルコーンは、世界の創造主。即ち、キリスト教の唯一神であると語られている。

正義:セラフ
耐性:火炎・祝福吸収、疾風・呪怨耐性、氷結弱点
スキル:神の審判、メシアライザー、マハラギダイン、大気功
 熾天使と呼ばれ、天使の階級において最上位に位置する天使の総称。神への愛によって常に体が燃えており、2枚の羽根により体を隠しているとされる。失楽園ではミカエルら4大天使も熾天使であるとされている。


愚者
 そのアルカナが意味するは夢想と愚行。あらゆる自由と可能性を持つ天才でありながら、逆位置になると軽率な落ちこぼれとなってしまう。アルカナに描かれているのは自由奔放な旅人。取り留めのない姿をしているようで、王冠を被っていると言う矛盾めいた描かれ方をしており、若さと可能性を表している。
 ペルソナにおいてこのアルカナを有しているのは、総じて可能性を持つものの0となってしまった人物だ。死を身に宿して心を0にされてしまった者。転校を繰り返して居場所を持たなかった者。冤罪によって全てを奪われた者……。本小説においてもそれは同様である。


────────────────

と、言う訳で、遂に碧の軌跡側の主人公が登場(?)です!




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90話「未来の記録」

 残骸と氷柱が地面に乱立する滅茶苦茶な光景の中、熾天使セラフの光を浴びる特務支援課の面々は戸惑っていた。

 

「アルコーンとセラフ……、キーアが、ペルソナ使いだったなんて…………」

 

 親しい家族とも言える少女が召喚した2体のペルソナ。

 それはライが召喚したものと同類でありながら、より強い力の波動を放っている。

 

 キーアを守るべき対象と捉えていたが故に、ロイド達の動揺は中々に大きい様子。

 一方、それに比べてライは驚きこそしているものの、彼らより冷静に考える余地が残されていた。

 

(今は時間が必要か)

 

 キーアが立ち上がった今、彼女の意思と方針を聞く事が何より重要だ。

 その為には、神の干渉を一時とは言え遮断しておく必要がある。

 ペルソナでそれを可能にする手段はただ1つ。ワイルドたるライとキーアは視線だけ動かし、それを確認し合った。

 

「……ライ、わかってるよね?」

「壁だろ?」

「うん。それじゃあ、合わせていくよ!」

 

 召喚器と本。

 2人はそれぞれペルソナ召喚の体勢を取る。

 

「──チェンジ、バフォメット!」

「──降魔、ブラックライダー!」

 

 出現したのは黒山羊の悪魔と、天秤を掲げた黒い死神。

 2体のペルソナは即座に氷結魔法を辺りに解き放つ。

 

 まるで吹雪が如く巻き起こる氷の粒。

 ライ達の周囲、乱立する残骸をも巻き込んだ氷結魔法の予兆は即座に変質。

 巨大な氷柱が組み合わさったドーム状の壁は、先ほどまでいた建物にも劣らない強固な障壁となって皆を取り囲んだ。

 

「これでよし、だね」

 

 溶ける様子のない透明な壁をペタペタと触り、キーアは安全を確かめる。

 そんな彼女の元に歩いてきたのは、度重なる新情報を何とか受け止めたロイド達だった。

 

 キーアは彼らの存在に気づくと、気まずそうな顔で目を逸らす。

 

「……あ、あのね? これは、えっと」

 

 彼女からしてみれば、先の突撃でペルソナを使わなかった負い目があるのだろう。

 けれど、ロイド達は気にしないと言わんばかりに、顔を横に振った。

 

「いや、いいんだ。あの時は過去に負けた時と重なって見えていたんだろ? 始めから失敗が分かっていたなら全力になれないのも分かるし、俺達に言えなかった心情も理解できるし……。……でも、そうか。今の力を使っても勝つのは難しかったんだな」

「うん。前の世界から引きついだペルソナがあっても、防戦を維持するだけで精一杯だったとおもう」

 

 不利な状況をはっきりと口にするキーア。

 内容は前回と同じ悪い情報だったが、彼女の瞳には光が宿っている。

 この現状を理解したうえで、それを覆す道を諦めていない。そんな顔だ。

 

「だから、これからは──『我らは分別する。寒と暖。移り変わる熱の理を』……っ!」

 

 キーアの声を神言が遮る。

 先と同じ熱に関する理の書き換え。

 だが、氷の向こう側で発生した現象は前回と異なり、街を燃やす炎が勢いを増していた。

 

 うねり狂う炎が氷を融かさんと迫りくる。

 冷気を纏う氷との衝突。

 融解の速度から見て、恐らくは数分持つだろうと思われた。

 だが、しかし……。

 

『重ねて分別する。絶えず流動する大気の理を』

 

 神は更に疾風の理を書き換えた。

 

 熱に加え、大気の圧力が氷壁に集中する。

 表面が融かされていた為か、ヒビが入り始めるドーム状の氷。

 一度始まった崩壊は止まる事なく、遂には分厚い氷の壁が粉々に砕け散ってしまう。

 

「──降魔、マザーハーロット!」

 

 直後、ドームの中から現れたのは赤い獣に跨る骸骨顔の女性だった。

 

 キーアが召喚したこのペルソナは大淫婦マザーハーロット。

 穢れた聖杯を片手に掲げ、殺到する火炎と疾風を、あふれ出る呪怨の力で押しとどめる。

 

 その一瞬の隙をついて崩壊したドームを脱出するロイド達。

 彼らが全力疾走で向かう先は神ではなく、建物が密集している場所だ。

 ロイドの腕の中、抱えられたキーアはその体勢のまま、隣を走るライに語り掛ける。

 

「さっきの話なんだけど、キーアに、キーアとロイド達の事を信じてほしいって言ってくれたよね」

「ああ、信じられそうか?」

「がんばってみる。……けど、1つだけ訂正させて」

 

 建物内で残したライの言葉。その内容に1つ訂正をキーアは求めた。

 

「こんかいはライの事も信じてみる。まだ怖い……けど。それでも、それがきっと、可能性につながる気がするから……!」

 

 ライの顔を真正面から見つめるキーア。

 この協力関係こそが、次なる戦略の構図であった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ──建物内に入ったライ達が行ったのは、隣り合う建物の壁をぶち抜いて突き進むという強引な手段だ。

 

 神の攻撃は遠方に限られている関係上、壁が多ければ多い程、ライ達の安全が確保される。

 しかし、神がいるオルキスタワー周辺には行政区の広場があるが故、この手は使えない。

 だからこそライ達が向かう先は神の元ではなく、クロスベルの北東方面であった。

 

「導力波はこのまま真っすぐ続いています! ライさんは道の作成を!」

「分かりました。──ぶち抜け、ヘイムダル」

 

 ティオの先導に従って、ライのヘイムダルが密集した建物の内部に豪快な道を作り上げる。

 こうなった理由は氷壁のドームが破壊される寸前にキーアが口にした言葉だ。

 ライは建物内を走りつつ、先の言葉を思い返していた。

 

 

 ──

 ────

 

 

『──前のライが、言い残した言葉だって?』

『うん。爆炎の未来でもライは味方じゃなかったけど、それでも神を討伐するために協力することがあったの。彼が別れるときにいった言葉があって、それは──』

 

 キーアは炎が壁を融かそうとしている中、手短に爆炎の世界で聞いたというライの言葉を伝えた。

 

 内容は至ってシンプルだった。

 自分は混沌の道を進むこと。そして、もし駄目だった場合には、今回の礼として”次への手助け”を残すと言っていたらしい。

 

『……次への手助け? ライさんも時を超えられるのですか?』

『ううん。時を遡ったのはキーアだけ、だとおもう。あの後は1度も会わなかったから、約束を果たせなかったとおもってたんだけど……』

 

 キーアの目がライを見上げる。

 唯一時を遡るキーアには届けられなかった約束の手助け。

 過去であり未来のライが残した言葉。その真意を理解できるのはただ1人。

 

『……心当たりなら、1つだけあります』

 

 疾風の理が書き換わる寸前、ライは確かにそう言った。

 

 

 ────

 ──

 

 

「……クッ、確かなんだろうな! その戦術オーブメントが”手助け”に繋がってるってのは!!」

 

 屋内に潜んでいたゾンビをハルバードで追い返しながら、ランディは問いかける。

 

「ええ。俺達の戦いはいつもARCUSが鍵になっていました。前の世界もそれが同じなら、これを道標にしている筈です」

 

 ライは何かと繋がっているARCUSを手に、そう伝えた。

 

 爆炎のライが約束したと言う”手助け”。

 過去にも遡れず、キーアにも届いてないのなら、言葉の意味はただ1つ。

 この爆炎の世界に何かを残したという可能性だけだ。

 

 それが何かは分からない。

 けれど、その場所を示す手段だけは、はっきりと分かっていた。

 

(この戦術リンクの先に、何かが……!)

 

 砂漠の未来では誰とも繋がらなかったが、この爆炎の世界ではたった1つだけ繋ぐ事が出来た。

 繋いだ相手は分からない。何の反応も示さない。

 けれど、繋がった事実だけは確かであり、導力波の流れを感じ取れるというティオの協力もあって、ライ達は迷うことなくリンクした方向へと突き進んでいたのだ。

 

 かくして爆炎の未来を突き進む特務支援課+2名。

 建物を跨ぐ彼らの元に、再び神々しい声が響き渡る。

 

『我らは分別する。広き宇宙を照らす波の粒子。即ち光の法則を』

「来るぞ! 皆、構えろ!」

 

 ロイドの掛け声を合図に防御の体勢を取る特務支援課。

 

「──降魔、ケムトレイル!!」

 

 その中心で、キーアは新たなペルソナを召喚する。

 3人の兵士が連なった煙のペルソナ、ケムトレイル。

 建物の隙間から迫りくる赤光の光線に対し、煙による拡散によって威力を拡散させる。

 

 地面や壁を焼く臭いが周囲を満たす。

 濃い煙に隠れたライ達は、お互いの無事を確認し、そのまま危険地帯を後にした。

 

「ねぇロイド、この先って……」

「ああ、目的地があそこだなんて、何だか不思議な気分だな」

 

 土地勘があるエリィとロイドは、このまま直進して行ったさきにある場所に心当たりがあった。

 クロスベル北東の端にある建造物。

 この異世界に突入する前にも訪れた、金融業における要所。

 

「……IBCビル、か」

 

 即ち、見るも無惨に崩壊したIBCビルの跡地こそが、ライ達の目的地だったのである。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 建物のトンネルをくぐり抜けてIBCのあった場所まで辿り着いたロイド達一行。

 昼間に見たガラス張りのビルは見る影もなく、地面に突き刺さる鉄骨と、割れたガラスが一面に散乱する廃墟が残るのみだ。

 

 ここに爆炎のライが残した何かが残されているのだろうか。

 ロイドはより詳細な場所を導く為、ティオに頼み込む。

 

「ティオ、詳細な分析をお願いできるか?」

「分かりました。──エイオンシステム、起動」

 

 ティオは導力杖を縦に構え、搭載された情報処理システムを起動する。

 これは彼女の特殊な感応能力と共鳴する事で、常人には不可能なレベルの超高速演算を可能にするものだ。

 この力によって、ライのARCUSから流れる導力の波を測定。ライの位置、微細な角度の変化を元に、繋がっている先の正確な位置を割り出す。

 

「……判明しました。導力波の移動先はこの位置から前方約18アージュ、下方約30アージュ。階に換算すると、地下5階の場所に対象物があると推察します」

 

 導き出した場所は地下5階。

 そこに戦術リンクを成立させた何かがあるらしい。

 

「地下5階って確か、でっかい導力端末があるフロアだったよな? エレベーターは……使える訳ねぇか」

「非常階段だったら使えるかも知れないわ。崩れてなければだけど」

「穴掘る訳にもいかねぇもんな。お嬢、大体の位置は分かるか?」

「……任せて。こんなに朽ちてしまったけど、ここは慣れ親しんだ場所だもの」

 

 エリィは悲しそうな顔を浮かべ、崩壊したビルの敷地内に入り込む。

 IBCビルの非常階段は建物の裏手側にあるらしい。

 迷う事なく歩いて行ったエリィは、やがて1枚の板で塞がった場所を指差した。

 

 煤だらけの板に手をかけるランディ。

 全身に力を込め、障害となっていた板をどかす。

 

「せい!っと、……階段は無事みてぇだな」

 

 板の向こう側は、下に続く薄暗い階段が続いていた。

 

 他の場所と比べて破損は少なく、導力灯もまだ機能している。

 まるで地下シェルターの入り口みたいだと、ライはそう思った。

 

「このまま目的の階まですんなり行けたら良いんですが……」

「ま、そう上手くは行かねぇわな」

 

 後ろを振り返ったランディが鬱陶しそうに武器を構える。

 1手遅れて振り返るロイド達。

 建物を貫いたのが原因か。はたまた神の差し金か。おびただしい数のゾンビがこちらに向けて迫って来ていた。

 

「あれの対処はキーアにまかせて!」

 

 ロイドの腕の中から飛び降りたキーアが、ペルソナ全書の中から1枚のカードを取り出す。

 多数のペルソナから選んだのは法王のアルカナ。それはキーアの手の中で燃え上がり、青い焔となって形を成す。

 

「降魔、だいそうじょう!!」

 

 召喚されたのは黄色の法衣を身に纏う即身仏の僧侶。

 既に骨のみとなったそのペルソナは、空洞の目で生ける屍たちを見定め、手元の鐘をからんと鳴らす。

 

 ──回転説法。

 正しき死が訪れない哀れな者達の周囲に、幾多の教えが浮かび上がる。

 それこそ死者をも救う祝福されし文言。

 衆生救済の為にその身を捧げた僧侶によって、ゾンビ達は文字通り浄化していった。

 

 迫りくる危機は脱した、そう思った次の瞬間、今度は肉体のない呪怨の津波が押し寄せて来る。

 これは間違いなく神の追撃だ。

 狙いはだいそうじょうを召喚したキーアか。

 最も早く動けたのは、前回津波を直接受けたライだった。

 

「皆、後ろへ! ──バフォメット!!」

 

 キーア達の前に躍り出たライは、呪怨無効となった自身の身体とバフォメットを盾にし、防波堤となって皆の身を守る。

 

 ようやく1つの波を乗り越えたライ達。

 だが、この襲撃で1つの問題が浮かび上がった。

 

「……このまま地下に向かっても良いのでしょうか」

 

 IBCの地下は行き止まりの袋小路だ。

 地下5階に向かった場合、必ず同じ道を帰って来なければならない。

 その際にゾンビが地上から入り込む可能性は高く、最悪の場合、飛来する建物によってそのまま生き埋めになる可能性すらあるだろう。

 

 ロイドは短い間で考えを巡らせる。

 この状況に至っては、危険性のない策などないだろう。

 ならばせめて、全員が最も無事でいられる道を考え、1つの方針を導き出す。

 

「ティオ、エリィ、ランディ。危険なのは承知だけど、3人で端末室まで行ってきてくれないか?」

「ロイドさんは?」

「キーアやライと共にここを守らせて貰うよ」

 

 ロイドはトンファーを構え、不安そうなティオに答える。

 神の攻撃に対処するには2人のペルソナ使いが必須なのは明らか

だ。

 加えて幼いキーア自身を守る為に、ボディガードが他に1名必要になる。

 

 地上を最小限の人数で守る場合、最適解は守りに特化したロイドを残し、地上で神やゾンビの攻勢を押し留める作戦が最適解。

 地上、地下、どちらも危険な作戦だが、これが今考え得るベターな作戦なのだと、エリィ達も理解した。

 

「分かったわ。キーア、ロイドをお願いね」

「うん!」

 

 エリィ達は地上に残る者達に声を残し、深い地の底へと向かっていく。

 

「──降魔、マタドール!」

 

 残された3人は入り口に背を向け、絶対死守の意志で武器を構える。

 あの神を相手に何時まで耐えられるかは分からない。

 かくしてキーア達は、1分1秒が生死を分ける、決死の戦いへと身を投じていった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ──IBCビル地下、非常階段。

 幸いな事に、非常階段の壁に埋め込まれた導力灯はまだ半数以上機能しており、薄暗いながらも歩く分には問題ない明るさが確保されていた。

 エリィ、ティオ、ランディの3名は、カツンカツンと鉄板の階段を急ぎ足で降りていく。

 その途中、彼女らは箱の周りに荒々しく散らばった、中身のない食料や水の数々を目撃した。

 

「……ここに、しばらく人がいたみたいね」

「地上はあんな有様だったんだ。おおかた、この地下で籠城していたんだろうぜ。…………だが、あの散乱具合は……」

 

 ランディは嫌な推測をし、口をつぐむ。

 あれは箱の中に食料や水がないかと、最後の望みをかけて漁ったものの荒れ方だ。

 つまり、ここに籠城した者達は飲み水にすら困ってたと言う事であり、その先に待っているものは……言うまでもないだろう。

 

 ランディは、エリィ達がこの真実に気づかない事を祈りつつ、人の気配がない階段を下りて行った。

 

 

 ……

 …………

 

 

 ──地下5階。端末室。

 途中、いくつか封鎖された階を通り過ぎたエリィ達は、ゾンビに出くわす事もなく目的の階まで到達した。

 

 IBCの地下に設置された大型導力コンピューター。

 ここはかつて、特務支援課もとある騒動で訪れた事のある場所だ。

 今後の金融業への活躍が期待され、研究が進められていた最新鋭のエリア……だったのだが。

 

「ここも一変してしまってますね……」

 

 もはや、未来への投資だなんだ言っていられない状況だったのだろう。

 端末室の中には、地上から慌てて持ってきたであろう荷物が雑多に置かれていた。

 

 寝巻として使ってたであろう汚れた毛布。

 蓋が空いた消毒液。そして、酸化した黒い血に染まった包帯。

 最新鋭の設備だった機械は、それら生活用品を置くための机に過ぎない。

 

「この端末室にキーアちゃんが言ってた”未来からの手助け”があるのよね?」

「ま、少なくともあの戦術オーブメントに繋がってるもんがある筈だ。手分けして探そうぜ」

 

 そんな会話を交わし、エリィとランディはそれぞれ左右の荷物を探し始める。

 残されたティオは中央へ。物悲しい雰囲気が漂う操作用端末の方へと歩いて行く。

 

 炎と動く屍から必死に逃げて来たのが見て取れる光景。

 平和とは言えないまでも、人々の活気に満ちたクロスベルがこんな惨状になってしまうなんて、ティオは今になっても半分信じられない心情だ。

 しかし、必死に平常心を保っていた彼女に、より辛い現実が待っているとは思ってもいなかった。

 

「…………え?」

 

 物陰に隠れていて気づかなかったが、導力端末の近くで成人男性の足のようなものが見えた。

 

 それは、ティオの良く知る人物だ。

 エプスタイン財団クロスベル支部の主任、やや気概に欠けるロバーツと言う名の男性。

 今日、現実でも会った知人が、木箱を背に座り込んでいた。

 

「しゅ、主任……?」

 

 ティオが恐る恐る声をかけるが、返事が返って来る事はない。

 ……いや、そんな事は初めから分かっていた。

 主任と呼ばれた男性の額から流れ落ちる血液。片手に握られた小さな導力銃。

 痩せこけた顔の彼は、既に自らの命を絶っていたのだから。

 

 既に手遅れと分かっていながらも、ティオは主任の脈を確認せずにはいられなかった。

 今までも数多くの死体を目撃したが、やはり身近な者の死は衝撃的すぎる。

 冷たくなった肌に触れ、気を落とすティオ。彼女はふらふらと後ずさりすると、偶然にも端末のキーボードに手を置いた。

 

 ──刹那、起動する導力端末。

 表示されるディスプレイを見て、ティオは目を丸くした。

 

『せめて後世に何か残せないかと思い、私、ロバーツはここに記録を記す』

「これ、は……」

 

 導力端末に残っていたのは、主任が残した未来の記録だった。

 恐らく、こんな状況になって不要になった導力端末を私的に使っていたのだろう。

 主任が残した声なき遺言。ティオは戸惑いながらも、その文章ファイルを読み進めていく。

 

『11月21日。数日前に大陸の西側から現れた炎と動く屍が、遂にクロスベルまで到達してしまった。もう既に多数の被害が出てしまっているらしい。市長の判断で、私たちはIBCの地下とジオフロントに移すことになった。ティオ君は特務支援課と共に、ジオフロントに避難した市民たちの方にいるらしい。心配だ』

 

 記録は主任がここに避難した日から始まっていた。

 彼はIBCのビルで働いていた為か、こちらに避難したらしい。

 爆炎の未来における特務支援課はジオフロント。きっと、キーアもそちらにいたのだろう。

 

『11月30日。避難生活が始まって10日が経過した。地上の炎はまだ消える事なく、様子を見に出ていった人も段々と戻らなくなって来ている。レマン自治州やカルバード共和国に避難していった部下たちが気がかりだ。最近、ここの導力端末でジオフロントの人と会話する事が唯一の楽しみになっている。機材のメンテナンスもしっかりしておかないと』

 

『12月4日。ジオフロントに逃げ込んできた人がおかしな話をしていたらしい。空に浮かぶ太陽が、まるで何かに食われたかのように無くなってしまい、炎のない場所は極寒の世界になってしまったと。以前からそんな噂は流れていたけれど、まさか本当になるなんて……』

 

『12月7日。今日も、悪い情報が伝わって来た。カルバード共和国が天変地異で海に沈んでしまったらしい。故郷のレマン自治州は無事なのだろうか』

 

 記録していた内容は、段々追い込まれていく状況が克明に書かれていた。

 地下の鬱々とした生活に加えて日々状況は悪くなっていく。

 そして、遂に地下生活にも変化が起きてしまったらしい。

 

『12月14日。警備隊所属で物資をかき集めてくれた人が帰って来なくなった。もうここに残されているのは怪我を負った人か無力な市民だけだ。私にはもう、ジオフロントに助けを求める事しかできない』

 

『12月18日。今日、ジオフロントとの連絡が取れなくなった。ケーブルが切れてしまったのかも知れない。いや、そうであって欲しい』

「主任……」

 

 そこから暫くは連絡の取れなくなったジオフロントを心配する言葉ばかりが書き連ねられていた。

 

 食事や水の補給もなく、ただ死を待つだけの状況。

 その現実から目を逸らしたかったのが分かり、ティオは読み進めるのも辛くなる。

 ……だが、その最後に1つ気になる記録が書かれていた。

 

『12月25日。驚くべき事が起きた。生きている人間がここを訪れたのだ。しかも、クロスベルタイムズでも見たあの有名人、ライ・アスガードである。彼は今では貴重になった水と食料を手に、滅亡したエレボニア帝国から歩いて来たらしい』

「え? ライさんが!?」

 

 崩壊したクロスベルに訪れていた1人のペルソナ使い。

 彼はキーアとの約束通り、クロスベルに訪れていたらしい。

 

『この青年は全ての物資を提供する代わりに、ある機械に細工をして欲しいと頼んできた。どうやら、遠い未来、これが誰かの助けになるらしい。真偽は確かじゃないが、久々に喜ばしい情報だ。未来に人が残っているのなら、もしかしたらこの記録も読んでくれるかも知れない』

 

 爆炎のライは主任に1つの頼み事をした。

 ある機械。それこそティオ達の探していた”手助け”だ。

 

『この記録を読んでくれる人よ。せめてもの助けに、彼と交わした最後の会話を記しておく。彼はこの滅亡した世界で、例え最後の人類になったとしても、抗い続けていくと言っていた。世界をこんな風にしてしまった元凶。彼から聞いたその名は──……、…………──……』

 

 肝心なところで破損した文章データ。

 それを見たティオの手は、いつの間にか握りしめられていた。

 未来の主任が残されていた悲痛な記録。これもまた、滅亡の未来から託されたもう1つの手助けだったのだ。

 

「──エリィさん! ランディさん! 手助けの詳細が分かりました!」

 

 ティオは振り返り、2人の仲間に情報を伝える。

 この行為こそ、命を絶った主任に対する弔いだったのだから。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ──その頃、地上にて。

 神やゾンビからIBC跡地を守るライ達の防衛線は、次第に神の方へと情勢が移り始めていた。

 

「お願い! マタドール!」

 

 キーアの叫びに応じ、赤い布を棚引かせた骸骨の闘牛士が空を舞う。

 迫りくるはもぎ取れた柱。かつてはクロスベル地下、ジオフロントの天井を支えていた大黒柱だ。

 マタドールはまるで闘牛を扱うが如く柱をいなし、敷地の外に落下させる。

 

 着弾し、吹き荒れる衝撃波。

 体が軽いキーアは、その衝撃で紙のように吹き飛ばされる。

 

「キーアぁぁ!!」

 

 そんな彼女を受け止めたのはロイドだった。

 続いて飛んでくる巨大な破片を片膝ついて防ぎ、そのまま後方へと衝撃を受け流す。

 

『我らは分別する。世界に満ちる磁気。即ち雷の力を』

「チェンジ、サンダーバード!」

 

 追撃の雷を、コンマ1秒で吸収するライ。

 状況は既に詰将棋と同じような形となっていた。

 最善手を繰り出し続ける事で、辛うじて維持されている戦線。

 ライ、キーア、ロイド。誰か1人でもミスをしたらその瞬間に全滅は免れない。

 

(後、何分持つ? 体力も、ペルソナの力も有限だ。手助けが何かも分からない状況で、考えられる手は……)

 

 ライは全力を持って神の試練をいなしつつ、思考をフル回転差させる。

 

 だが、相手は世界の理そのものを書き換える相手だ。

 状況を変える手はそう簡単に見つからない。

 剣を握る手にも力が籠る。その直後。

 

「──伏せて!」

 

 自身に向けて放たれた声に反応し、ライは即座に体を屈めた。

 

 頭を通り過ぎる銃弾。

 エリィの放った射撃が、雷に紛れて接近していたゾンビの頭を貫く。

 

 無事、エリィ達が地上に戻って来たのだ。

 それを見たロイドの顔に、安堵の笑みが浮かんだ。

 

「皆! 戻って来たのか!!」

「はい! 未来からの救援物資は確かに入手しました!」

「って訳だ。──ライ、こいつを受け取りな!!」

 

 ランディが、手に持っていたトランクケースをライへと放り投げた。

 

 爆炎の明かりを反射させ、中を舞う銀色の箱。

 その表面に、ライ自身の文字でこんな言葉が記されていた。

 

未来の記録(セーブデータ)を引き継ぎますか?》

 

 これはきっと、未来からの意思確認だ。

 この絶望的な未来を理解し、それでも戦い続ける事が出来るのか?

 

 ……答えは当然、ただ1つ。

 

「やってやる」

 

 ライは宙で開くトランクケースの中へと手を伸ばす。

 

 やっとの思いで掴んだ未来からの手助け。

 それは、片手に収まる程の戦術オーブメント。

 

 即ち、未来のライが使っていた、傷だらけのARCUSであった。

 

 

 




塔:ブラックライダー
耐性:氷結吸収、祝福・呪怨耐性、火炎弱点
スキル:マハブフダイン、マハムドオン、フラッシュボム、浮かない空
 ヨハネの黙示録に登場する4騎士の1つ。黒い馬に乗った姿をしており、3番目に現れて人々に飢饉をもたらすとされている。その手に持つ天秤は食料を厳しく制限する為のものである。


女帝:マザーハーロット
耐性:電撃反射、呪怨無効、祝福弱点
スキル:マハエイガオン、マハムドオン、呪怨ブースタ、呪怨ハイブースタ
 バビロンの大淫婦とも呼ばれる悪徳の魔人。穢れに満ちた黄金の杯を手にし、7つの頭と10本の角を持つ赤き獣に跨っている。ヨハネの黙示録において、数多くの民の上に君臨していたが、神の裁きによって滅ぼされてしまった。


死神:ケムトレイル
耐性:祝福・呪怨無効
スキル:フォッグブレス、溶解ブレス、エナジードレイン、ポイズンミスト
 空中に残る飛行機雲が有害な化学兵器であるという陰謀論。その目的として気象制御や人心操作、人口抑制などが挙げられており、信じる者にとっては死神そのものとも言える。


法王:だいそうじょう
耐性:祝福無効、物理耐性、呪怨弱点
スキル:回転説法、吸魔、メディアラハン、ハマ成功率UP
 病や飢饉に苦しむ衆生を救済する為、自らを即身仏へと変えた僧侶。生きたまま地中に埋まり、命尽きるまで瞑想と読経を続けた者である。死した後も決して朽ちる事なく、人々の為に祈りを捧げているとされる。


死神:マタドール
耐性:疾風無効、電撃弱点
スキル:冥界破、テトラジャ、マハスクカジャ、極・物理見切り
 荒れ狂う闘牛と赤い布1枚で渡り合う闘牛士。自らの命すら遊戯にし、1つのミスが死を招く状況すら観客を沸かせるスパイスとする。かつての剣闘士同様、死もまたエンターテイメントなのである。


────────────────

セーブデータを引き継ぎますか?

◆引継ぎ特典◆
・合体時のレベル制限の撤廃
・ペルソナ全書
・主人公のステータス
・ペルソナの可能所持数
・一部アイテム
・所持金


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91話「無限の力」

 ランディ達から届けられた未来のARCUSを受け取った瞬間、ライは未知の感覚に襲われた。

 

 愚者のペルソナ使いが持つワイルドの能力は「絆」によって育まれていく。

 だが、このARCUSには、ライの知らない絆が刻み込められていたのだ。

 

 ゆっくりと引き延ばされていく時間。

 白く霞んでいく視界の中。

 ライは薄っすらとした人の影を幻視する。

 

 

『私はこのままで良いんでしょうか』──悩む女教皇の絆。

 

『知らない、知らないよ……こんな気持ち』──困惑する戦車の絆。

 

『…………』──黙する死神の絆。

 

『例えこの関係が一時的なものであっても、感謝させて貰うよ』──信念を秘めた節制の絆。

 

『もう、あの頃には戻れないんですよね』──悲しげな塔の絆。

 

『お互い損な性格ね……』──物思いにふける月の絆。

 

『僕らは、僕らの道を進めば良いんですね』──決意を新たにする太陽の絆。

 

『──……』──そして、形さえ掴めない審判の絆。

 

 

 影たちはライの身体に入り込み、やがて異変は収束する。

 

 色を戻した視界に映るのは雷と呪怨の2重奏。

 サンダーバードで雷を吸収しようとも、呪怨の津波によって前回の二の舞になってしまう。

 キーアの助力も間に合わない。

 

 だが、立ち向かうための力は、既にこの手元にあった。

 

「……合体」

 

 ライが手元に浮かべたのは、自身の力で行使できる最大のペルソナ達。

 これ以上のペルソナ合体は不可能だった。

 だが、未来の力を受け継いだ今のライならば、限界を超えた合体が可能となる。

 

 ライを中心に巻き起こる膨大な力の渦。

 余波だけで周囲の残骸が崩壊する中心にて、白と黒、2色の神体が顕現した。

 

「蹂躙しろ。──ゼウス!!」

 

 その名をゼウス。

 雷を纏わせる白き右半身で神の雷撃を受け止め、黒き左半身で呪怨の波を薙ぎ払う。

 たった1体で神の連撃を受けきった天空の主。ゼウスは次いで右腕を前方、神がいるオルキスタワー跡地の前にそびえ立つ建物へと掲げる。

 

 ──瞬間、音を置き去りにした雷撃が建物の中心を抉り取った。

 

 残されたのは直線に伸びる大穴と、地面に迸る雷撃の残滓。

 ゼウスが放った雷撃──真理の雷によって、神へと続く道が形成されたのだ。

 

(これが、未来の力……)

 

 今までだったらコントロールするどころか召喚する事すら難しい規模の力だ。

 体の奥底からあふれ出る力。狂いそうになる程の高揚感。

 手綱を一瞬でも手放せば、きっと力に飲み込まれてしまうだろう。

 

「……これが未来からの手土産って訳か。こいつはなるほど、けったいな力じゃねぇの」

 

 ゼウスを虚空に戻したライの元に、ARCUSを運んできたランディ達が歩み寄って来る。

 

「あの……ゼウス、だっけか。あのペルソナさえありゃ自称神ともやり合えそうか?」

「……いえ、残念ながら」

「む? 随分と後ろ向きな意見だな」

「今のは相性が良かっただけですので」

 

 ランディの問いかけに対し、正直な分析結果を答えるライ。

 ペルソナの基礎能力は大きく向上したが、本質は何も変わっていない。

 重要なのは相性だ。相性さえ完璧なら、最悪初期の力であろうと神の力を受ける事すら可能だろう。

 逆に強靭なペルソナを有していようと、相性が悪ければ神に耐性の隙を突かれ、やられてしまう。

 

 ……だからこそ、このARCUSは逆転の鍵となり得るのだ。

 

「キーア、1つ質問がある」

「え? なに?」

「キーアが持っているそれは、ペルソナ全書、で間違いないか?」

 

 ライが指差したのは、キーアが大事そうに抱えている青く分厚い本。

 それがベルベットルームで見たペルソナ全書と同じものなのか。

 そう問いかけるライの言葉を受け、キーアは大きな目を本へと向けた。

 

「うん。そうだけど……」

「良かった。──聞いてくれ。1つ、最高に頭の悪い策がある」

 

 ライの脳裏で組みあがる1つの方程式。

 かくして、反撃の狼煙はこの瞬間、上げられる事となった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ──ペルソナ合体に必要な要素は2つ。

 1つは合体を行うライ自身のキャパシティ。

 もう1つは合体を行う際に必要となる2種以上のペルソナだ。

 

 前者についてはもう制限はなくなったものと考えて良いだろう。

 ならば、重要なのは後者。それさえ解決すれば、ライ達は文字通り無限に近しい手札を持つ事となる。

 

「神の攻撃が来ます! 属性は炎と……風です!」

 

 ゼウスが空けた道を通り、ヌース=アレーテイアの元へと全力疾走するライ達。

 彼らの足を止めんと、書き換えられた理法により、天変地異の火炎と疾風が迫りくる。

 炎の空。蛇のようにうねり狂う大気。何度見ても慣れる事はない過剰火力を前に、ロイドは腕の中にいるキーアに声をかける。

 

「キーア!」

「うん! ライ、これを使って!!」

 

 キーアはペルソナ全書から2枚のカードを取り出し、ロイド達の上方──盾となる位置に駆け上がるライへと投げ放った。

 

 眼前に迫る脅威から目を逸らさずにキャッチするライ。

 その直後、ライはその2枚を魔方陣の上で重ね合わせる。

 

「合体。──現れろ、ソロネ!」

 

 作り出されたペルソナは、車輪と一体化した黒き天使、ソロネ。

 疾風と火炎、双方に完全な耐性を持つソロネは、その身をロイド達を守る盾となり、書き換えられた理を一身に受け止める。

 

 今までは2人のペルソナ使いでやっとの防衛を、ライ1人で行ったのだ。

 つまりそれは、今まで防衛に回っていたキーアが自由になる事を意味する。

 ペルソナ全書から新たに取り出した1枚のカード。

 キーアはそれを両手で包み込み、新たなペルソナを召喚した。

 

「貫いて! ──ホワイトライダー!」

 

 無数の目を持つ白馬に跨った死神が、神に向け大きな弓を構える。

 

 放たれるは白光の矢ゴッドアロー。

 爆炎と疾風の隙間を貫いた閃光は、理の書き換えでは間に合わない速度で神の元へと迫る。

 

『我らは記す。世界を運営する理法。それ即ち、只人が侵しえぬ聖域である事を』

 

 対する神は、理の書き換えとは異なる手に打って出た。

 本から切り離される数枚のページ。

 祝福の文言が書かれた巨大な紙片が折り重なり、ホワイトライダーの射撃を完全に受け止めた。

 

「防がれたの!?」

「いえ、あれはキーア達と同じです! 恐らく、あれらの紙片には祝福無効の耐性が付与されているのかと!」

 

 防御ではなく無効化。

 ヌース=アレーテイアはライ達と同じく、各属性に対する防御策を持っているらしい。

 

 ……上等だ。

 神が自ら同じステージに降りてきてくれたのなら好都合。

 どちらが先に耐性の壁を越えられるのか、勝負しようじゃないか。

 

「──合体。粉砕しろ、オオミツヌ!」

 

 ライは手持ちのペルソナを合成し、十数mもある巨大な武者像のペルソナ、オオミツヌを召喚する。

 オオミツヌは1歩、地面を踏み砕きながら前進し、大質量に物を言わせた拳を放つ。

 巨砲の1撃と見紛う剛腕。

 だが、その攻撃は神に当たる寸前、幾多の紙片に纏わりつかれ、無効化されてしまった。

 

『我らは分別する』

 

 次いで、神は2冊目の本を使役する。

 書き換えられた理は疾風。

 しかし、今回神は風を違う形で使い始めた。

 

 遠方、クロスベル市内から吹き上がる幾つもの風柱。

 何百もの人型の影を巻き込んだそれは、渦となってライ達の元へと迫りくる。

 

「屍の竜巻ってか!? バラエティ多いなこの自称神様は!!」

「トルネードならぬゾンビネードですか」

「2人とも、言ってる場合!?」

 

 エリィに叱られた様に、正直洒落にならない反撃手段だ。

 

 弾丸が如く飛来するゾンビの数々。

 属性で言うならば疾風と物理の合わせ技。

 本の1冊を防御に回さなければならなくなった今、手数を増やす形で来た訳だ。

 

 牙を開けたまま突撃してくるゾンビを必死で躱すロイド達。

 せっかく詰めた距離を空ける訳にはいかない。

 オオミツヌで壁を作るライの後方で、キーアが新たなる力を顕現させる。

 

「降魔! ……アリス、おねがい!!」

 

 正念場で彼女が召喚したのは、青い服を身に纏う金髪の少女だった。

 真っ白な肌をして、下手したらキーアよりも華奢なアリスは、見た目に反して恐ろしげな言葉を呟く。

 

 ──死んでくれる?

 

 ニタリとした笑みで人差し指を上げたその刹那。

 幾千ものトランプ兵が上空に現れ、竜巻の中にいるゾンビ達を槍で貫いていく。

 その様は正しく虐殺。

 一度は死した屍を自らの仲間にすべく、トランプ兵達は残虐の限りを尽くす。

 そうしてゾンビを含む竜巻は、単なる疾風の攻撃へとなり下がった。

 

「合体、クー・フーリン」

 

 単なる竜巻となった僅かな時間。

 その隙を突くべく、ライは槍を構えた白装甲の戦士、クー・フーリンを召喚した。

 達人としか形容できない程に鋭い槍の一撃が竜巻に穴を空ける。

 

 今がチャンスだ。

 狙いを定めるライの横で、キーアも全書を構えて立ち並ぶ。

 

「ライ、合わせて!」

「ああ」

「──行くよ! 降魔、スカアハ!!」

 

 キーアが降臨させたのは空中で正座する武闘派の魔女スカアハ。

 

 2体のペルソナはタイミングを合わせ、竜巻に空いた穴を飛翔する。

 立ちふさがるは数多のページ。

 各種の耐性を持つ紙片を前にして、戦士と魔女は臆する事なく戦いを挑む。

 

 ──合体魔法(ミックスレイド)、闇と番犬。

 ケルト神話において師弟であったスカアハとクー・フーリン。

 まるでその神話を再現するかの如く、息のあったコンビネーションで紙片を切り裂いていく。

 

 突撃の勢いを殺された代わりに紙片の障壁は突破した。

 その隙を見逃すライではない。

 

「まだだ!」

 

 舞踏会を開いていたクー・フーリン達の影で、ライはワイヤーを射出していた。

 フックが絡みついたのはクー・フーリンの槍だ。

 引き戻されるワイヤーの力。そして槍を振るうクー・フーリンの腕力によって、弾丸の様に射出されるライの身体。

 

 急速に縮まる神との距離。

 接敵まで数秒とないタイミングとなった瞬間。

 神が使っていた巨大な本が壁として立ちふさがる。

 

 この速度、衝突するだけでミンチは免れないだろう。

 しかし、ライは既にこの展開を予測していた。

 

「合体、ランダ!」

 

 飛翔しながらのペルソナ合体。

 生み出されたのは物理反射の力を持つ鬼女ランダ。

 不気味な仮面を顔に付けた彼女は、衝突のダメージを丸ごと反射。

 壁の様に巨大な本を弾き飛ばす。

 

「──更に、合体!!」

 

 ヌース=アレーテイアの眼前にて、更なる合体の儀式を施行するライ。

 キーアから預けられたもう1体のペルソナは皇帝バロン。

 それをランダと組み合わせ、破壊を司る至高神を顕現させる。

 

「力を示せ!! シヴァ!!!」

 

 白き神ヌース=アレーテイアと、紫の肌を持つ至高神シヴァ。

 奇しくも4本の腕を持つ2柱の神は、至近距離にて膨大な力を衝突させる。

 

 ──プララヤ。

 インド神話において全宇宙の消滅を意味する一撃を受け、ヌース=アレーテイアの身体に明らかな損傷を与えるのであった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

『……我らは称賛する。ペルソナが持つ神話的文脈を重ね、合体魔法を成立させた事を。他者との共鳴。それ即ち個人の限界を超える1つの道筋なり』

 

 傷を受けた筈の神は、まるで何もなかったかの様に静かな言葉を紡ぎ始めた。

 神にとって自らの生死など大した問題ではないのだろう。

 それよりも、小さき子らが自らに届いた事を、心から称賛している。

 

『ならばそれに報い、神として最後の試練を与えよう』

 

 ……故に、神は残酷な言葉を宣言した。

 

(何、を……?)

 

 何やら不味い予感がする。

 急ぎ止めを刺そうとするライ。

 だが、それは致命的な程に遅かった。

 

「ライ! 足元っ!!」

 

 本の力を使っていないにも関わらず、ライの下方にある巨大な残骸が浮き上がっていた。

 

「なっ──!?」

 

 ライの身体は急上昇する残骸に巻き込まれる。

 自らの領域内に入っても天変地異は治まらない。

 神曰く《最後の試練》をその身に受けたライは、大小様々な破片に飲み込まれるのだった。

 

 

 ──

 ────

 

 

 気がつくとライは、高いビルの一室に座っていた。

 

(……ッ、これは)

 

 気を失っていた訳ではない。

 残骸に飲み込まれたと思ったら黒い煙に飲まれ、次の瞬間、部屋の中へと入り込んでいたのだ。

 

 ライは素早く視線を動かして情報を集める。

 宙を舞っているガラスの破片。それが重力に逆らう様にして移動。終いには窓の位置へと辿り着き、傷1つない窓ガラスの一部へと収まったのだ。

 その摩訶不思議な光景を目にしてライは理解する。

 

 時が急速に巻き戻っているのだと。

 崩壊後から崩壊前へ。

 故に残骸はオルキスタワーの壁へと戻り、巻き込まれたライはその内部へと取り込まれた。

 

(オルキスタワーが崩壊する前まで時間が戻ったのか。なら、次に起こる事は──!!)

 

 試練の意味を察したライは手足に力を入れて立ち上がろうとする。

 ここは崩壊する”寸前”のオルキスタワー。

 つまり、ここで時間の逆再生が止まったらどうなるか。

 

 答えはたった1つ。

 その推測に答え合わせをするが如く、ライのいる部屋は爆発とともに崩壊を始めるのだった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ──オルキスタワー前、広場。

 地上に残されたロイド達は、急速に修繕するオルキスタワーを驚きの目で見上げていた。

 急降下する浮遊感。周囲には後ろ向きで逃げ惑うクロスベル市民の影。

 過去2回経験した世界の時間が移り変わる現象。

 外にいるロイド達には、それがすぐに理解できた。

 

「まずい。早く彼を助け出さないと!」

 

 このままだとライはオルキスタワーの崩落に巻き込まれてしまう。

 助けに向かおうと足を踏み出すロイド。

 そんな彼の手を、キーアは両手を使って引きとどめる。

 

「……キーア?」

「大丈夫だよ、ロイド。ライはあんな試練じゃ、やられたりしないから」

 

 確信を持ってキーアは告げる。

 かつてのライはキーアの味方ではなかった。

 けれど彼は確かに、秩序の未来と混沌の未来へと辿り着かせた存在なのだ。

 ある意味、キーアはこの中で最もライの存在を理解していると言えるだろう。

 

 

 ──

 ────

 

 

 そう、ライはやられたりしない。

 彼の心の内には、クロスベルに行く前、交わした約束があるのだから。

 

《変わりに約束して。次は絶対死なないって》

《まあ、俺が言えた義理じゃないかも知れないけど、正直俺も同意見だな》

 

 フィーとリィン、2人の声が蘇ったその瞬間、ライは弾けるように走り出した。

 

 広々とした室内は既に大きく傾いている。

 降り注ぐ家具やガラス片をスライディングで回避。

 直後、折れた柱が迫る状況を視認したライは、傾いた壁へと退避。そのまま壁を駆け上がり、崩壊するタワーの外をひたすらに目指す。

 

「──ッッ!!」

 

 タワーの外まで、後、10m。

 

 脱出経路を目前にしたライの耳に届いたのは、無常なる神の宣告だった。

 

『我らは分別する』

 

 窓の外に見えるは表情を変えぬ男女の顔。

 ヌース=アレーテイアはライに向け、とどめの攻撃を行おうとした、その瞬間。

 神の書物に、突如として球体の魔方陣が出現した。

 

「捉えました! ロイドさん!!」

「ああ!!」

 

 それは導力杖を構えるティオが形成したものだ。

 導力エネルギーを収束させた爆弾のような魔方陣。

 それに向け、燃え盛る闘志(バーニングハート)を携えたロイドが突撃する。

 

 ──コンビクラフト、Ωストライク2。

 焔を纏うトンファーが陣に触れた瞬間、爆発的なエネルギーの奔流が発生。

 その力を借りたロイドの攻撃が、理を書き換えようとしていた神の行動を阻害した。

 

 これでライの脱出を阻む障害はなくなった。

 

 黒煙が渦巻く上空へと大きく跳び出すライ。

 近くの屋上には、別行動していたランディとエリィ、キーアの3名が見える。

 

「おい、こっちだ!」

 

 屋上の足に立つランディがライへと叫ぶ。

 彼の手に握られているのは縦に構えたハルバード。

 その意図を察したライは、即座にワイヤーをハルバードへと放つ。

 

 固定されるフック。

 ライの身体は、慣性に従って振り子のように上空を飛翔する。

 

「──エニグマ、駆動」

 

 同時に、エリィが駆動していた導力魔法がライへと放たれた。

 付与された魔法は、一時的に体をステルス状態にさせるホロウスフィア。

 ほぼ不可視の状態となったライは、そのまま神の眼前へと躍り出る。

 

 神からして見れば、迎撃は困難な状況だろう。

 取れる手は残されたページ無き本での無作為の攻撃。

 だが、その行動をキーアは許さない。

 

「いくよ、アルコーン!!」

 

 アルコーンから放たれた光の刃が神の本を吹き飛ばす。

 

 ──これで条件は全て整った。

 全ての妨害がなくなり、神の至近距離へと到達したライは、己が頭に召喚器を突きつける。

 

(これで、終わりだ)

 

 ライの心に、膨大な劫火が溢れ出す。

 これは未来に得た1つの可能性。

 いずれライ自身にも芽生えるかも知れない力。

 

 名を──。

 

「──スルト!!」

 

 ライの身体から出現したのは、炎の剣を持ち、黒い体となったヘイムダル。

 否、スルト。

 

 片手ごと燃やす剣を構えたそのペルソナは、神の頭に深々と突き立て、終末の炎(ラグナロク)で神を内側から焼き尽くす。

 

『──ァ──、──…………!!!!』

 

 崩壊し始めるヌース=アレーテイアの神体。

 かくして、神から与えられし試練を、ライ達6人は遂に成し遂げるのであった。

 

 

 

 

 




皇帝:ゼウス
耐性:電撃反射、祝福・呪怨無効、疾風弱点
スキル:真理の雷、奥義一閃、電撃ハイブースタ、ハイパーカウンタ、不屈の闘志
 ギリシャ神話における主神であり、宇宙や天候を司る天空神。混沌とした宇宙に秩序をもたらした神とも言われている。雷霆ケラウノスとアダマスの鎌を武器として有しており、秩序を乱す悪者に正義の鉄槌を下す。


正義:ソロネ
耐性:祝福反射、火炎・疾風無効、呪怨弱点
スキル:アギダイン、ハマオン、炎上率UP、火炎ハイブースタ
 座天使とも呼ばれる階級第3位の天使。物質的な体を持つ最上位の天使でもある。その名は車輪を意味し、唯一神の玉座を運ぶ役目を担っていると言われている。


戦車:ホワイトライダー
耐性:呪怨反射、火炎・祝福無効、氷結弱点
スキル:ゴッドアロー、マハンマオン、マハムドオン、精密射撃、マハスクカジャ
 ヨハネの黙示録に登場する4騎士の1つ。白馬に乗り、王冠を被った姿で1番目に現れるとされている。その手に持つ弓を用いて侵略し、世界の4分の1を支配する権限を持つ。


戦車:オオミツヌ
耐性:物理無効、疾風弱点
スキル:ゴッドハンド、攻撃の心得、不動心、リベリオン
 正式名称を淤美豆奴神(おみづぬのかみ)とする国引きの神。日本の各地に伝承を残すデイダラボッチとも同一視される。スサノオの子孫であり、山よりも巨大なその体を用いて、大地を引き寄せ島を作ったと言われている。


死神:アリス
耐性:呪怨反射、祝福弱点
スキル:死んでくれる? メギドラオン、コンセントレイト、ムド成功率UP、デクンダ
 英語圏では一般的な女性の名前。有名な存在としては不思議な国のアリスや鏡の国のアリスの主人公がいる。不思議な国のアリスでは、赤の女王率いるトランプ兵に追われる事となるが、この度召喚されたアリスはそれとはやや異なるものだ。とある異世界において、2人の悪魔に寵愛された少女の魂が影響している様だが、その詳細は誰も知らない。


星:クー・フーリン
耐性:疾風反射、祝福無効、物理耐性、電撃弱点
スキル:鬼神楽、死亡遊戯、マハタルカジャ、チャージ
 ケルト神話において代表的とも呼べる英雄。本来の名はセタンタだが、クランの番犬を殺してしまい、その代わりとなる事を誓ったためクー・フーリン(クランの猛犬)と呼ばれるようになった。ゲイボルグと呼ばれる槍を始め、いくつもの武具を持ち、影の国に住むスカアハの下で修業を行ったとされる。


女教皇:スカアハ
耐性:氷結反射、呪怨無効
スキル:マハガルダイン、死亡遊戯、攻撃の心得、コーチング
 ケルト神話の1つアルスター物語群に登場する武芸者。予言の力を持つ魔術師でありながら、多種多様の奥義を修めているとされる。なお、空中で正座している姿は、とある悪魔絵師が「武芸者なら正座しているだろう」という発想に基づくものである。


魔術師:ランダ
耐性:物理反射、火炎・呪怨無効、電撃・祝福弱点
スキル:電光石火、血祭り、エイガオン、ヘビーカウンタ
 インドネシアの島に伝わる魔女であり、奇怪な仮面を被った姿で表現される。悪を象徴する存在として、善なる象徴のバロンと終わりなき戦いを続けているらしい。その原点は、シヴァの破壊的側面を象徴する女神ドゥルガーとされている。


皇帝:バロン
耐性:祝福無効、物理・電撃耐性、疾風・呪怨弱点
スキル:ジオダイン、宣戦布告、電撃ガードキル、中気功
 インドネシアの島に伝わる聖獣。獅子の姿をしており、善なる側面としてランダと終わりなき戦いに身を投じる。その逸話から、あらゆる災害を防ぐ力を持つと信じられている。


審判:シヴァ
耐性:電撃反射、氷結・祝福・呪怨無効
スキル:プララヤ、ジオダイン、マハガルダイン、不屈の闘志、魔術の素養、エイガオン、電撃ガードキル、中気功
 ヒンドゥー教における主神の1つ。破壊と再生を司る神でありながら、芸術の神であるともされている。特に破壊神としての要素が強く、額にある第三の瞳から放たれる熱光線は、宇宙すら含めたあらゆるものを焼き尽くす。


死神:スルト
耐性:火炎・祝福無効、電撃弱点→電撃耐性
スキル:ラグナロク、ブレイブザッパー、火炎ブースタ、火炎ハイブースタ、攻撃の心得、電撃耐性、大気功、不屈の闘志
 北欧神話における終末である神々の黄昏(ラグナロク)において、最後に現れるとされる炎の巨人。その手に持つ炎の剣によって全てを焼き尽くし、世界樹ユグドラシルに支えられた9つの世界を海中に沈めると予言されている。



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92話「女神の予言」

 紆余曲折を経て、クロスベルに潜む神ヌース=アレーテイアに致命傷を与える事に成功したライ達は、息を整えながら神の最後を看取る。

 

 崩壊を始めた純白の神体。

 男性的な側面ヌースが燃え尽きる中、女性的な側面アレーテイアの崩壊は緩やかなものであった。

 

『我は感嘆する。小さき子らが、か細い勝利の糸を手繰り寄せた事実を。汝らは見事、我らが試練を乗り越えたのだ』

 

 アレーテイアは自身の消滅には意を介さず、神としてライ達の健闘を称える。

 

「潔いんだな」

『我らが本質は《無》である。死は生と共にある1要素に過ぎず、この体は不完全な依代に他ならない。我が内にあるのは、汝らに対する称賛のみである』

 

 人にとって絶対の死も、彼らにとっては1つの形態に過ぎないらしい。

 思えばロゴス=ゾーエーも似たような事を言っていた。

 話を聞けば聞くほど本質的に概念の異なる存在なのだと、ライは思わざるを得なかった。

 

『故にこそ我は伝えよう』

「伝えるって、何をですか?」

『汝らは静かに耳を傾けよ。これは、真理を司るものより、汝らに授ける予言である……』

 

 炎に包まれたアレーテイアは学者のローブを広げてライ達に告げる。

 

『フィンブルの冬、終わりの冬、黄昏の時は訪れる』

『この地は既に巨悪の盤上。破滅は人々の言葉より生まれ、この大地より、全ての生命は消えうせるだろう』

『秩序、混沌、そして第三の道ですら例外ではなく。いかなる道を進もうと、いかなる奇跡を産もうとも、終末から逃れる術はない』

『……心せよ。この地は既に巨悪の盤上。全ての行いは、嘲笑の声に呑まれるだろう』

 

 真理を司るものからの予言。

 それは一重に、ライ達の未来が絶対に破滅すると断言するものだった。

 その意図を読み取ったロイドは、神に反論する。

 

「本当にそれは避けられないものなのか? 今回みたいに皆の力を合わせれば、きっと新しい未来だって……!」

『汝らは力を示した。だが、巨悪は万物を嘲笑する。絆の力も、奴にとっては《自らの限界から目を逸らす愚かな行い》に過ぎない』

「一体何なんだ、その巨悪ってのは」

『巨悪とは、かの世界より来訪した悪意である。巨悪とは、人類が生み出した破滅の試練である。その名を──』

 

 巨悪の名を呟こうとしたその瞬間、空を切る音が世界を満たす。

 

 どこからともなく現れた何本もの黒い影。

 それが、神の身体をあらゆる方向から串刺しにしたのだ。

 

『──ッッ…………、……まだ、その名を明かす事は……許さぬか…………』

 

 崩壊が早まるアレーテイアの身体。

 唐突に表れた謎の攻撃を目にしたランディ達は、慌てて武器を構え、周囲を見渡す。

 

「どこだ! 今、どこから攻撃が来やがった!!」

「分かりません! 周囲に生命反応なし。周りには炎しかないのに、何で……!?」

 

 炎の向こうから何処からともなく現れた無数の棘。

 今まで影も形もなかった筈の脅威を前に、焦りを隠せないティオ達。

 だが、結局何の情報を掴む事も出来ず、棘は黒い靄となって消え始めた。

 

 強度を失い形を崩す影の棘。

 その形を凝視していたライは、ある可能性に気がつく。

 

(あの棘、もしかして触手、なのか……?)

 

 消えるほんの一瞬。

 真っ黒な棘はまるで海洋生物の触手が如くのたうち回っていた。 

 その意味は分からない。けど、ライはその冒涜的な光景を脳裏に焼き付ける。

 

『…………最後に、道標を残そう』

 

 一方、妨害を受けた神は消滅までの僅かな時間を使って、ライ達に語り掛けつづけた。

 

『9月の終わり。ここより西の大国にて、巨悪の種が芽吹こうとしている……』

 

 試練を乗り越えた者達への報酬として。

 アレーテイアは最後の言葉を告げる。

 

『噂を辿れ……。全ての因果は、そこに……ある…………』

 

 白い光となって形がなくなる巨大な神。

 残されたのは痕跡となる玉座と、炎が燃え盛る混沌のクロスベルだけとなった。

 

「……反応、消失しました」

 

 導力杖を構えて周囲の索敵を行うティオ。

 先ほどの棘が攻めて来る予兆もない。ロイド達は周りの廃墟に警戒を続けたまま、今の遺言について言葉を交わす。

 

「ロイド。さっきの言葉って、エレボニア帝国の事よね?」

「そうだな。──ライ、噂について何か心当たりはあるか?」

「ええ。それなら、1つだ、け…………」

 

 ライはロイドの問いに答えようとした。

 けれど、口が途中から動かなくなり、吐く息は声にならず消えていく。

 

(……なん、だ? 身体が、動かな…………)

 

 2重にぶれる視界。ロイド達が何か叫んでいるが聞こえない。

 急速に遠くなる意識の中、ライは足の力も失って地面に倒れる。

 ぼんやりとした地面と、炎の廃墟。虚ろな瞳でそんな光景を見たライは、次第にまぶたも閉じていって……。

 

 

 ……暗転。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ────

 

 ──暖かな太陽の日差しが、まぶたを通して視界に降り注ぐ。

 意識を取り戻したライが初めに感じたのは、爆炎の未来では失われた筈のぬくもりだった。

 

 鉛のように重たい右手に力を籠め、手の平で目にかかる日差しを遮る。

 そうして目を開けたライの視界に入って来たのは、隅に置かれた観葉植物と、真っ白なタイルの壁だった。

 

「ここは、病院……?」

 

 ライは体の上に乗っていた毛布を手にして、そう呟く。

 備え付けの固めな枕。壁に立てかけられた緊急用の通信端末。

 窓の外に見える光景は、深い緑の自然に囲まれた広大な敷地だ。その先に見える湖を見る限りクロスベルの近くではあるだろうが、草木の多さから察するに、郊外に建てられた大病院っと言ったところだろうか。

 

(爆炎の未来で倒れた後の記憶がない。その後、ここに運ばれたのか?)

 

 より詳細な情報を集める為、ライはベッドの上で上半身を持ち上げる。

 恐らくは数日寝ていたのだろう。体が思う様に動かない。……のだが、ライは特に気にする事もなく、ペルソナで身体強化をして立ち上がり、平然とした様子で病室の入り口方向へと歩き出す。

 

「あっ! 駄目ですよ! 起きてすぐに動いたら!」

「はい」

 

 そして案の定、タイミング良く入室した看護師の女性によって止められてしまうのだった。

 

 

 ……

 …………

 

 

 ライの行動を抑えた看護師の名はセシル・ノイエスと言うらしい。

 茶髪のウェーブヘアーを整えた彼女は見たところ20代前半くらいだが、ナース服の着こなしには貫禄があり、年齢以上の経験を積んでいそうな雰囲気を漂わせている。

 そんな彼女ならライの質問に答えてくれるかも知れない。

 ベットの上でそう考えるライの元へ、セシルは病院食を乗せたトレイを持ってきた。

 

「もし食欲がありましたら、この食事をゆっくりと食べてくださいね」

「ゆっくりと?」

「かれこれ4日間眠っていたんです。胃腸も弱まってますから、急いで食べると体調を崩してしまいますよ」

 

 セシルの言葉を受けたライは、自身の腕に残された注射跡に視線を向ける。

 恐らく静脈に直接栄養を入れていたのだろう。

 ライの認識では爆炎の未来から地続きだったものの、実際はそれだけの時間が経っていたと言う事か。

 

 ならば猶更、情報を聞かねばならないと、ライはスプーンを置いてセシルに問いかけた。

 

「クロスベルに来たばかりでして、この場所を含め、一通りの情報をお聞きしても?」

「まぁ……そうですね。それじゃあ、私が知っている範囲でお話ししますので、ライさんはお食事でもしながらお聞きください」

 

 セシルに促されるまま、ライは流動食をスプーンですくって口元へと運ぶ。

 

 ……味がうすい。

 が、まあ、体に良いのは確かだろう。

 

 無表情で食べ始めるライを確認したセシルは、安心した様子で説明を始めた。

 

「ここはクロスベル最大の医療機関である《聖ウルスラ医科大学病院》です。あなたは4日前……8月16日の夜、特務支援課の皆さんに運ばれる形でこの病院に搬送されました」

 

 8月16日は異世界に突入した日付だ。

 セシルの話を聞いた限りでは、あの後ロイド達は無事、異世界を脱出できたらしい。

 それは喜ばしい情報だと、ライは僅かに口角を緩める。

 

「それで、俺の症状は?」

「精密検査はしたんですけど、原因の特定までは至りませんでした。──あ、でも、ロイドにその話をしたとき、一緒にいたあの子が心配ないって言ってたのよね。何か知っていたのかしら……?」

 

 ライに対する説明の後、気がかりな記憶を思い出したセシルが独り言を漏らす。

 

 あの子とは、恐らくキーアの事だろう。

 確かに彼女なら何か知っている可能性は高い。

 

 何とかして話を聞けないものか。

 そう考えるライに向けて、セシルはとある提案をした。

 

「お話を聞きたいなら、私がロイドに取り次ぎましょうか?」

「ノイエスさんが?」

「ええ。何せロイドは私の可愛い弟……みたいなものですから」

 

 僅かな憂いを覗かせるセシル。

 彼女の視線は遥か遠く、クロスベル警察の方向を向いていた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ──セシルが病室を後にして暫しの時が経ち、太陽が傾き始めた頃。

 本を読んで時間を潰していたライの耳に、ふと、壁越しの話し声が聞こえて来た。

 

「遅くなってごめん、セシル姉」

「いえいえ。忙しい中で来てくれてありがとう、ロイド。そして特務支援課の皆さん」

「私達だって彼に話を聞きたかったものですから。それより、起きた彼の様子はどうでしたか?」

「う~ん、そうねぇ。寝たきりだったのがウソみたいに平然としてたわ。ああいうのがポーカーフェイスって言うのかしら」

「ははは……。相変わらずみたいっスね」

 

 通路の方向から、こちらに歩いて来る多人数の足音。

 足音から人数を割り出す、と言った高等技術は持たないが、今の会話を聞く限りロイド達が到着したのだろう。

 

 パタンと本を閉じるライ。

 そのタイミングと合わせて、病室の扉がガチャリと開かれる。

 

「失礼します」

 

 ロイドが礼儀正しく入室し、続いて他の特務支援課とセシルが入って来る。

 

 共に戦ったエリィ、ティオ、ランディ。

 正確には特務支援課ではないキーアの姿は見えないが、代わりに2人、見覚えのない男女の姿がそこにあった。

 

「は、初めまして! 私はノエル・シーカー。先日、警備隊より特務支援課に出向させていただきました。ライさんのご活躍は、皆さんからお聞きしております!」

 

 ビシッと敬礼して自己紹介する軍服に似た服装のノエル。

 年齢はロイドと同じくらいか。まだ学生でも不思議じゃない若さだが、規律正しい姿勢を見るに警備隊の訓練をしっかりと積んだ人物なのだろう。

 

 そんな彼女の元へと歩いていくのは、もう1人の追加メンバー。

 中性的な容姿とへそ出しファッションが特徴的の、ミステリアスな雰囲気を纏う青年だ。

 

「フフ……。いくら相手が帝国政府の関係者だからって、そこまで畏まる必要はないのに」

「へっ!? い、いえ! 別にそんな意図は──」

「冗談だよ」

 

 慌ててノエルは釈明するが、元々単なる冗談だったらしく、青年はそのまま己の自己紹介に移った。

 

「僕の名はワジ・ヘミスフィア。タイミング悪く大きなイベントに乗り遅れてしまったみたいだけど、ま、よろしく頼むよ」

 

 ワジはそっけないゼスチャーを交えて名前を告げる。

 彼らはライが意識を失っていた4日間の間に加わった新メンバーと見て間違いない。

 あの戦いに参加しなかったのは幸運だったのか、不幸だったのか。……まぁ、考える意味はないだろう。

 

(ノエルとワジ……。爆炎の未来で手帳に書かれていた名と同じか)

 

 ライ自身は手帳を見ていないが、特務支援課の会話から察するに、2人が追加メンバーになる事が書かれていたらしい。

 その記述をなぞる様に現実となっている様子は、分かっていたとしても気味が悪い状況だ。

 

「ええ、今後ともよろしく」

 

 ライは複雑な心境を抱えつつ、2人の自己紹介に答えるのだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ……

 …………

 

「なるほど。オリヴァルト皇子が噂の調査を……」

 

 新メンバーとの顔合わせを終えたライは、意識を失う寸前に話そうとしていた内容をロイド達に伝えた。

 

 エレボニア帝国内で密かに、出所の分からない噂が広まっている事。

 噂がシャドウに影響を与えてノルド高原などで異変が起きている事。

 そして、その事実に気づいたオリヴァルトが既に調査を始めている事。

 

 ロイド達がオリヴァルトを知っている様子だったのは想定外だったが、今は説明を省略できるのを素直に喜ぶべきだろう。

 

「……この件に関して、俺達が手を出すのは難しそうだな」

「そうね。既に動いているみたいだし、巨悪の芽については任せるしかなさそう」

 

 クロスベル自治州に身を置く特務支援課では関与できないと、ロイド達は結論づけた。

 

「なら、次の話題に移るべきですね! あっ、でもこの話は……」

 

 ノエルは気まずそうな顔でセシルの方を向く。

 これから話す内容は、外部の人間がいると不味いものなのだろうか。

 セシルもそれを察したらしく、率先して入り口の方へと歩いて行く。

 

「それじゃ、私は廊下の方で待ってるから、何かあったら呼んでね」

「ありがとう、セシル姉」

 

 礼を言うロイドに対して軽く手を振って、セシルは部屋の外へと出ていった。

 

 静まり返る病室。

 周囲の人目を確認したライは、初めに口を開く。

 

「ご配慮感謝します」

「良いって事よ。俺達だってお前さんの立場をいたずらに悪くしたい訳じゃねぇからな」

 

 帝都での騒動もあって一般人にも広まりつつあるが、ペルソナに関する不要な情報漏洩を禁ずると言う帝国政府のスタンスは今だ変わっていない。別に強制力のある指令ではないが、あまり無視すべき事でもないだろう。

 ……要するに、これから話す事はペルソナが関わっていると言う事だ。

 

「まず初めに、ライ、君が意識を失った原因に関して、キーアから言伝を頼まれてる」

「意識不明の原因……ノイエスさんの話では原因不明のようでしたが」

「まあ検査じゃ分からないだろうな。──意識を失った原因は、たぶん実力以上のペルソナを多用したからだ、ってキーアは言ってたよ。ライが使っていたペルソナはなまじ強大だった分、使用した精神力(SP)の量も多かったから、覚醒した時と同じかそれ以上の負荷がかかったんだろうってさ」

 

 覚醒時の負荷か……そう言えば、ヘイムダルに覚醒した時も気絶していたなと、ライは数ヵ月前の記憶を思い返す。

 それと同じような状況だったのだろう。精密検査では分からない筈だ。

 

「……それで、ですね。少し言いづらいのですが、高い負荷の影響を受けたものがライさんの他にもう1つあります」

 

 ティオはそう言って、布で包まれた機械をライの前に差し出した。

 それは爆炎の未来で手に入れたもう1つのARCUSだ。

 しかし、そのカバーは開けられており、内側がどろどろのチーズの様に金属が熔けて固まっていた。

 

「内部が、融解している?」

「一応修復できないか知り合いの技師に確認してみたのですが、融解した金属のせいで絶望的との事です」

 

 ライは壊れたARCUSを手に取って確かめる。

 負荷によって破損したと言うよりは、最後に召喚したペルソナ──スルトの劫火によって焼き尽くされたと考えた方が正しそうだ。

 神と対峙した際に感じられた絆は欠片も残っていない。

 もう、このARCUSを介して未来の力を得る事は難しいだろう。

 

(ハイパーモードは期間限定って訳か……)

 

 口惜しいけれど諦めるしかない。

 この未来からの手土産は、己が役割を果たし終えたと言う事なのだろう。

 

 無表情のまま感傷に浸るライ。

 そんな彼に向け、ワジがある問いかけをする。

 

「──それで、君はこれからどうするつもりだい?」

 

 彼の疑問は最もだろう。

 ライがクロスベルに来た目的はクロスベルに潜む神を倒す事だ。

 その目的を達成した以上、本来この魔都に留まる必要はない……のだが。

 

(帝国政府から提供された帰路は31日の夕方。通商会議でシャドウ襲撃が発生した際の保険として、この日付が設定された可能性がある以上、下手に帰る訳にはいかない、か)

 

 帝国政府が直接協力を依頼してこない事が気がかりだが、このクロスベルがシャドウ事件に襲われる可能性は見逃せない。

 出発日を早めた事で他の可能性を探る時間も確保できた。

 ならば、ライが取るべき道はただ1つ。

 

「調べたい事もありますので、通商会議が終わるまではクロスベルにいるつもりです」

 

 通商会議が終わる31日までの約10日間、ここで情報収集に当たる事だ。

 

「……ふぅん、なるほどね。これはちょっと都合が良すぎる展開かな」

「都合が良い?」

「こっちの話さ。だろ? ボス」

「ワジ、あのなぁ……」

 

 ワジは茶化した様子でロイドの事をボスと呼び、発言の説明を全部ロイドに丸投げする。

 代わりに会話の中心となったロイドは、しぶしぶライに1つの提案を切り出した。

 

「もし、このまま順調に退院できたらだけどさ。良ければ俺達と一緒にクロスベルを見て回らないか?」

 

 意外な提案を受け、ライは無表情のまま面を食らう。

 

 彼らはクロスベルの為に活躍する特務支援課だ。

 通商会議の前で忙しいこの時期に、いったい何の動機があってガイド紛いの提案を?

 

「そう深く考える必要はありませんよ。これはみんなで話し合って決めた事ですから」

 

 その疑問を感じ取ったのだろう。

 ティオが補足の説明を付け足した。

 

「ライさんが見てきたクロスベルは自殺現場を始めとして、砂漠に埋まってたり、爆炎に包まれたり、悲惨なものばかりだったと思います」

「まあ、確かに」

「流石にその認識のまま帝国に帰らせる訳にはいきません。クロスベルは確かに魔都と呼ぶにふさわしい場所ですが、素晴らしい場所だっていっぱいいっぱいあるんです」

 

 クロスベルを守り支援する立場として、神との戦いで協力した関係として、ライがこのままエレボニア帝国に帰ってしまうのは忍びないと考えたのだろうか。

 

 確かにライはクロスベルを知ってるとは言い難い。

 思えば先の戦いだって、ライはロイド達と比べれば傍観者的な立ち位置だった。

 

 自身が守った場所を知る事も大切、か。

 ライは考えを纏め、答えを口にする。

 

「分かりました」

 

 かくして、戦いを終えたライは、空いた時間でクロスベル観光と言う名の報酬を得るのだった。

 

 

 



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93話「クロスベル観光」

 ――ピアノの音が聞こえる。

 

 深いまどろみの中にいたライは、気がつくと青い内装1の列車内、即ちベルベットルームの椅子に座っていた。

 眼前には定位置に座るひょろりとした老人イゴール。

 やや久方ぶりとなるが、夢を介して彼に招待されたのだろう。

 

「これはこれは……、かの島に続きまた1つ、大きな試練を乗り越えられたようですな……」

 

 肘をついて座るイゴールは、まるで全てを見て来たかの如く先の戦いについて言及する。

 

「お客人が求めたものは過去へと続く手がかり。ですが、結果として得られたものは未来の情報とは……。これも因果でございましょうか」

 

 ……未来の情報。

 そう言えば時を繰り返すキーアもまた、ワイルドの能力者だった。

 イゴールは彼女の事を知っているのだろうか。

 

「ええ、存じておりますとも。彼女もまた我がベルベットルームのお客人……。最も、あなた様が列車が如き突き進む運命を背負うのと同じように、彼女もまた、時の迷宮に惑いし運命に捕らわれし御方。各々異なる物語を紡いでいる以上、このベルベットルームで出会うのは難しいでしょうな」

 

 つまり、キーアにはキーアのベルベットルームが存在しており、イゴールは彼女の手助けをしていると言う事なのだろう。

 何故彼女の事を知らせなかったのかとか、そんな野暮な事を聞くつもりはない。

 彼は客人の手助けをする存在。占いなどで道を示しはするものの、あくまで考え動くのはライ自身でしかないのだから。

 

「……この度、あなた様をお呼びしたのは他でもない。新たなる地にて得た因果により、このベルベットルームに僅かばかりの変化が起きたのでございます」

 

 そう言って、イゴールは細長い腕を宙にかざす。

 するとベルベットルームの空中に突如変化が起こり、どこからともなく現れた輝く紙切れが、空中を踊る様に舞い始めた。

 

 風のない車両内で動き回る紙は、やがてライの眼前にて静止する。

 紙に書かれていたのは日本語で書かれた文章だ。

 筆跡に見覚えがある。この紙は、異世界で度々見かける葵莉子の日記か。

 

「これは、あなた様の奥深くに眠っていたもの……。しかし、全てを失ってもなお残されている物があったとは。恐らくは、かつてのお客人にとって特別な意味を持つものだったのでしょうな」

 

 記憶を失う前のライ。

 神を討伐しようとしていたと思われるその人物にとって、特別な意味を持つ記録、か。

 

 ライはおもむろに浮かぶ紙へと手を伸ばす。

 触れる指先。その刹那、白い光がライの意識を飲み込んだ。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ――巌戸台港区。

 木枯らしが吹きすさぶ秋の昼下がり。

 私服を着た頼城はただ1人、葵の家へと続く道を歩いていた。

 

「…………」

 

 頼城は無表情と言う名の仮面を下で、近頃の葵について考える。

 

 以前、文化祭の練習で訪れた際に白鐘直斗から聞かされた事件の容疑者、葵希人。

 彼女自身も覚悟をもって聞いたとは言え、唯一の肉親が疑われているなんて平気な訳がない。

 現に学校で会った際の葵は「まだ連絡がつかないんだよね!」と普段通りを装ってはいたものの、それが空元気である事は頼城たちの目から見て明らかだった。

 

 最初、彼女に事情を明かすと決めたのは、他ならぬ頼城自身だ。

 本人からすれば余計なお世話なのだろうが、責任を感じずにはいられない。

 

(今は俺のやり方でフォローするしかない、か)

 

 頼城は大きな豪邸の敷地に足を踏み入れ、玄関の隣にあるインターホンを押す。

 ピンポーンと無機質な音が鳴り響き、しばしの静寂。やがてスピーカーの向こうから少女の声が聞こえて来た。

 

『……はい。葵……です…………』

 

 普段の彼女からは想像もつかない程に暗い声だ。

 

 これも気分が落ち込んでいる影響か。

 いや、そもそもこっちが本来で、自分達と会っている時の方が特別だったのか。

 頼城は答えのない自問をしつつも、葵の声に答える。

 

「俺だ。約束通り、料理を習いに来た」

『――えっ? あ、そう……だっけ?』

 

 事前にやり取りしていた筈が、彼女はすっかり忘れていたらしい。

 

「都合が悪かったら出直す」

『うん……あっ、ううん。だい……じょぶ、だと思う…………』

「そうか」

 

 家主の許可を貰った頼城は、重い正面玄関の扉を開ける。

 

 中にいたのは外向きの準備を全くしていない1人の少女だった。

 だぼだぼの部屋着を身に纏い、長い髪も荒れ放題。

 表情の半分は隠れてしまっており、最初に断ったのも納得の状態……いやむしろ、良く考え直してくれたなとすら思える姿だった。

 

「あ、入って?」

「……ああ」

 

 葵に促されるまま玄関に入り、外靴を脱ぐ頼城。

 以前と同じ家具の配置。床のカーペットも、天井からぶら下がる照明も変わらない。

 けれど頼城は、何か致命的な変化が起きているように思えてならなかった。

 

(リコ……なのか?)

 

 今までと大きく印象が異なる彼女を見て、頼城は思わずそんな感想を抱いてしまう。

 

 だがしかし、頼城はそこまで彼女の事を知っているかと言われると、顔を縦に振る事は難しい。

 人は様々な人格――仮面を無意識に付け替えながら生きている。

 今の葵は単に、突然訪れた事によって、別のペルソナを付けたまま変えられずにいるのだろう。

 

 頼城は自身の違和感にそう結論を付けて、俯いて前を歩く葵についていった。

 

 

 ――

 ――――

 

 

 広々としたキッチンにたどり着いた2人は、沈黙を保ったまま料理の準備を進めていく。

 

 頼城の存在が気になるのか、時折ちらりと頼城の方に視線を向けて来る葵。

 やはりと言うか、今の姿で他人と行動を共にするのは気恥ずかしいのだろうか。

 

「……あ、あの、ごめんね。私、気の利いた話、できなくて…………」

 

 ――と、頼城は考えていたのだが、どうやら違ったらしい。

 葵はこの沈黙を自分のせいと受け止めている様子だ。

 

(そう言えば、2人だけでいる機会は珍しかった、か……?)

 

 今まで頼城はあまり気にしなかったが、ムードメーカーな友原やシャドウワーカーの面々が傍にいた事が多いのは事実だ。

 彼女は彼らの代わりを努めようと意識しすぎてしまったのだろうか。

 頼城は僅かな時間でそう考察し、即座にフォローの言葉を口にした。

 

「別に、気の利いた話をしなきゃいけない訳じゃない」

「……でも私、いつも言葉が裏目に出ちゃってて」

 

 まあ、それは否定しないが。

 

「それだってリコの個性だ。下手に着飾る必要はない」

「え、えと……」

 

 キッチンの上にまな板と包丁を並べつつ、さも当然の様にそんな戯言を宣う頼城。

 一方で挙動不審な葵はオロオロと困惑するばかり。

 

 今の言葉が本心か、それとも建前なのか迷っているのだろうか。

 

「リコが口下手だって裏目に出たって関係ない。気遣いとか考えるな」

「…………」

「だってリコは俺の友人で……料理の師匠、だろ?」

 

 無表情のまま、頼城は食材を葵の手にそっと置く。

 目を丸くして野菜に視線を降ろす葵。暫くカチカチと時計の音が流れた後、彼女は表情をグッと決意に満ちたものへと変えた。

 

「…………うん、分かった。ご近所さんに現代の錬金術と呼ばれた葵家流の調理術……、レシピを見ても手が勝手に動くくらい、みっちり教えてあげるから……!」

「頼もしいな」

 

 まだ同じとは言い難いが、今までの葵に近い光が瞳に戻ったようだ。

 葵との仲が、また少し深まった気がした。

 

 

 ……

 …………

 

 

 ……これは何気ない日常の1ページ。

 大切な事は、いつも後になってから気づくものだ。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ――暖かな毛布の感触。

 まどろみの中から覚醒したライは、天井から吊るされている東方風の照明を見て、自身が眠りから目覚めた事を理解する。

 

 ここはクロスベル東通りにある宿酒場、龍老飯店。

 東方風――ライの知識で言うならば中華風の意匠で彩られたこの店は、大きな東方料理の食堂に隣接して、泊まる事の出来る部屋が用意されている。

 通商会議までクロスベルに滞在する事を決めたライは、退院後にとりあえず宿泊できる場所を探し、この場所に辿り着いたのだった。

 

(中華風の部屋。新鮮な感覚と言うべきか、懐かしいと言うべきか……)

 

 丸い窓に赤を基調とした室内は、恐らく日本という国が故郷であるライにとっては真新しい空間だ。

 しかし、入り口の上に飾られた額縁の《美食三昧⦆と漢字で書かれた文字は、日記に書かれた言語に近くて親近感を感じざるを得ない。

 

(最も、暴飲暴食はどうかと思うが)

 

 身支度して食堂にたどり着いたライは、そこにデカデカと掲げられた文字《暴飲暴食》を見て目を細めた。

 

 この食堂は見た目通り東方料理を専門に扱うところらしい。

 僅かに感じる油っぽい香り。今はまだ店の開店時間には早いのだが、料理人の人達は既に料理の仕込みを始めているようだ。

 そんな彼らと共にいる龍老飯店の看板娘が、部屋から出て来るライに気づき、パタパタと駆け寄って来た。

 

「おはよう、お客さん! 朝はここで食べてく?」

「おススメを1つ」

「なら炒飯ね! パパ~! 炒飯1人前、注文入ったよ~!」

 

 厨房の奥から「分かったよ! 少々待つよろし!」という癖のある返事が聞こえてきてから約10分。

 香ばしい湯気が立ち昇る炒飯が、正方形のクロスが敷かれたテーブルの上に置かれた。

 

 ぱらぱらとした黄金色の米をスプーンで口元へと運ぶと、口の中が油と香辛料のうま味で満たされる。

 お勧めというのも納得の美味。エレボニア帝国では味わう事の難しい中華料理、いや東方料理を一通り堪能したライの元に、再び看板娘の少女が歩み寄って来た。

 

「お客さん、これから特務支援課に行くんだよね?」

「ええ」

 

 ライの返事を聞いた看板娘は、後ろ手に持っていた包みを前に出す。

 

「それは?」

「お詫びの点心だよ。この前パパが特務支援課の皆を弟子入りの料理人と勘違いしちゃったみたいでね。よかったらだけど、これを持ってってくれない?」

「……ええ、構いませんが」

「ありがとう! お客さんも食べて良いからね!」

 

 看板娘はライの承諾を得るや否や、テーブルの隅に円柱型の包みをドスンと置いた。

 サイズから見て特務支援課の全員分、キーアも含めて量は十分にありそうだ。

 

(一般市民から物を受け取っても良いのだろうか……)

 

 ライは包みに対してそんな疑問を覚える。

 公務員が品を貰うのは賄賂に当たるのではないだろうか、という違和感。

 しかし、看板娘や料理人が何の疑問も覚えていない様子を見るに、クロスベルに賄賂罪の法律はないのかも知れない。

 

 むしろこれは、特務支援課と一般市民の近さを示すものと考えた方が良いか。

 ライはそう結論付け、ズシリと重い包みを手に、龍老飯店の店を後にするのだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ――クロスベル自治州、中央広場。

 赤を基調とした東通りを抜けたライは、朝の通勤で賑わう円形の広場に辿り着く。

 彼らが広場の周囲にある複合デパートやレストランへと足を運ぶ中、ライはすれ違うようにして階段を降り、特務支援課のビルへと向かった。

 

 行き止まりに位置する4階建ての古い建造物。

 その正面玄関を開けようとしたライの耳に、ランディの叫び声が飛び込んでくる。

 

「だ・か・ら! ライを連れてくならカジノに決まってんだろ!」

「……ランディさん。未成年をどこに連れて行こうとしてるんですか」

 

 次いでティオの呆れ声。

 

「ティオすけだってあいつの常人離れした直感とセンスは見ただろ? あーいった人種が賭け事をするとよ……でけぇのを当てるんだよ。なぁワジ?」

「フフ、ノーコメントで」

「はぁ……、それって要するに物欲じゃないですか。覚えてるんですか? 今回の案内は彼にクロスベルの魅力を伝える事ですよ?」

「いやでもティオすけの提案もどうかと思うぞ? 保養地のミシュラムに行ったって、クロスベルの事なんて分かんねぇだろ」

「でもミシュラムにはあの《みっしぃ》がいるんですよ! 魅力を伝えたいのなら、これ以上の適任はいないと思います!」

 

 どうやら彼らは白熱した会議の真っ最中らしい。

 音もなく扉を開けたライは、何気なくランディの元へと歩いていく。

 

「ところでみっしぃと言うのは?」

「ああそいつはな。猫っぽいマスコットキャラクターなんだが、鳴き声に妙な味があるって言うか、なんつーか……、――って、おい」

 

 説明を途中で止めたランディが質問者、つまるところライの方を睨みつける。

 そんな彼の手に、ライは片手の包みをぽんと置く。

 

「これは龍老飯店の看板娘から。先日のお詫びだそうです」

「あ、それはどうも。……つーか、またこのやり取りかよ。てめぇ、狙ってやったな?」

「それほどでも」

 

 やれやれと頭をかいて呆れ返るランディ。

 まぁ、それはともかくとして、会議の張本人が現れたとなれば先ほどの会議を続ける事は出来ないだろう。

 部屋の隅で静観していたノエルが、やや恥ずかしそうな様子で歩いて来る。

 

「なんだか見っともない光景を見せてしまいましたね……」

「いえ別に。今の会議は、今日の行き先を決める為のものですか?」

「あ、はい、そうです。皆でどこに行こうか話し合っていたのですが、皆さんそれぞれ別の意見を持っていて、中々これだってプランが決まらなくって……」

「なるほど。因みにシーカーさんは?」

「私ですか? 私のは趣味に走ってしまって言いずらいのですが……中央広場にあるオーバルストア《ゲンテン》です。あそこには最新の導力車や生活用の導力製品、それに導力車の部品なんかが並んでいて、見ていて飽きない場所なんです! ……まぁ、観光向けの場所じゃないとの事で、もう取り下げましたけれども」

 

 導力車に関する言及が2回あった事を鑑みるに、ノエルは導力車の事が好きなのだろうか。

 確かに彼女自身が言っていた通り、導力器専門店(オーパルストア)は観光向けの場所とは言い難い。

 しかし――、

 

(……大切な事は日常の中に、か)

 

 今朝の夢を思い出したライは、そう簡単な基準で切り捨てるべきではないと考える。

 ひとまず一通りの話を聞いてからでも問題ないだろう。ライは他の面々にも意見を聞いて回る事にした。

 

「俺はできる事なら西通りを案内したいな。俺が生まれ育ったアパートの近くなんだけど、美味しいパン屋があるんだ」

 

 ロイドはクロスベル西にあるベッドタウンの西通り。

 

「私の提案はレンゲ畑と蜂蜜で有名なアルモリカ村ね」

 

 エリィはクロスベル市街の東に位置する農村、アルモリカ村。

 

「ミシュラムは通商会議の警備人員を確保するために、近々休業する予定なんです。今を逃したら、みっしぃに会える機会は永遠にないかも知れませんよ」

 

 ティオは一見論理的な説明をしていたものの、みっしぃとやらを推したい感情が隠せていない。

 

「よぅ戦友。大人しく俺の提案に乗っとけや。そうすりゃ、大人の世界って奴を体験させてやるぜ?」

 

 ランディは怪しげな誘惑を行ってきて。

 

「僕は正直どうでも良いんだけどね。……でもまぁ、もし時間があったら、旧市街(ダウンタウン)のバーで1杯おごってあげるよ」

 

 ワジは何やら危険な香りのする場所を紹介され。

 

「そーいえばそろそろ”あれ”があったっけ。――キーアはね! アルカンシェルにいった方がいいと思う!」

 

 そしてキーアは、何やら気になる言葉とともにアルカンシェルを提案して来た。

 

(さて、どうするか)

 

 7つの選択肢が頭に浮かぶライ。

 ゲームの様にセーブなんて便利なものがない以上、選び直しなど不可能だ。

 皆の視線が集中する中、彼はやがて1つの答えに到達する。

 

「……決めました」

「へぇ、それじゃあ、今日の主役に意見を伺おうかな?」

 

 ワジの問いかけに対してライが出した答え。それは――、

 

「無論、全部です」

 

 とてつもなく強欲なものであった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ――クロスベル、歓楽街。

 特務支援課の所有する導力車に乗ったライ達は、煌びやかな建物が立ち並ぶ一角に辿り着く。

 

 ライがここに来るのは、正確にはこれで2回目だ。

 1回目は砂漠の未来。ロイド達の話し曰く、ライが目覚めたのはこの歓楽街だったらしい。

 しかし、全て砂に埋まってしまっていたあの光景とは比べるまでもなく、視界いっぱいに広がる劇場やその隣に建てられたカジノ、更には高そうなホテルまであり、歓楽街との名に違わぬ豪華絢爛なエリアとなっていた。

 

「最初は歓楽街ですか。……ランディさんの甘言に惑わされたとかじゃないですよね?」

「ええ。キーアの言葉が少し気になったもので」

「キーアの?」

 

 どうやらキーアの独り言は他の人に聞こえていなかったらしい。

 ティオは不思議そうな顔で後ろに座るキーアへと顔を向ける。

 

「もしかして、未来のお話ですか?」

「……うん。世界の危機ってほどじゃないんだけど、放っておくとアルカンシェルがちょっとたいへんな事になっちゃって…………」

 

 両手の人差し指を合わせて気まずそうに話すキーア。

 通商会議前という忙しい状況に加え、今日は貴重な時間を使って案内する予定だった為か、キーアは迷惑にならないよう密かにトラブルの種を取り除こうとしたらしい。

 

 まあ、要するにこの幼い少女は、いらぬ気遣いをしてしまったのである。

 そんな事を考えなくてもいいのにと、助手席のロイドは表情を緩めて話を取り纏める。

 

「ともかく、最初に憂いを断っておいた方が良いのは確かかな。ライもそれで良いんだよな?」

「ええ」

 

 直近の方針を決めたライ達は、街の隅に車両を止めて歓楽街の道に足をつける。

 前方に見えるのは豪華な衣装を身に纏った2人の女性が描かれたポスター。大陸中にその名を轟かせているとの噂の劇団、アルカンシェルの劇場へと向かうのであった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ゴシック調の豪勢な建物に入ったライ達の目に飛び込んできたのは、金色に彩られた吹き抜けのロビーだった。

 眩いシャンデリアが周囲を照らし、塵1つない地面には上品なカーペット。

 普段ならば高い倍率のチケットを買わねば入れない別世界だ。

 

「お待ちしておりました。特務支援課の皆様。イリヤさん達は劇場におりますのでどうぞお進みください」

 

 しかし、そこは流石の特務支援課。

 アルカンシェルのスター達とも顔なじみらしく、こうして突然のアポイントメントも喜んで受け入れてくれた。

 支配人と思しき男性に促され、正面の大きな扉を開け放つライ達。

 すると、幻想的な光景が彼らの目に飛び込んできた。

 

「ぁ……」

 

 誰かが発した感嘆の声。

 階段状の観客席、その先にある大きな舞台の上で舞う3人の舞姫達は、まるで重力から解き放たれたかのように空を滑り、流れるようなステップを踏んでいた。

 空を撫でる布を身に纏った彼女らの衣装は肌色が極めて多い。けれど、星々が如き美しさを感じてしまうこの舞は、1つの芸術として完成されていると言って良いだろう。

 

「――っと。リーシャ、シュリ、休憩にしましょう」

 

 そうして劇団のスター達が行う練習風景を眺める特務支援課であったが、踊りを止めた金髪の女性が口にした言葉によって、すぐに練習は中断されてしまった。

 

「え、もう?」

「シュリちゃん。皆さんが到着してますよ」

「……あ、ほんとだ」

 

 どうやらロイド達の到着を察して休憩に入る事にしたらしい。

 トップスターのオーラを身に纏う長身の女性に続き、豊満な肢体を持つにも関わらず影のような雰囲気を纏う黒髪の女性、そしてぶっきらぼうな表情をしたスレンダーな少女。

 彼女らは練習で汗ばんだ衣装のまま、親し気な様子で特務支援課に歩み寄る。

 

「やっほー弟君! 久しぶり――でもないわね。だいたい1週間ぶりかしら。どうしたの? ウチのリーシャに会いたくでもなっちゃった?」

「い、イリアさん!?」

「いやいや! いやいやいや! 俺は別にそんなつもりじゃ――」

 

 必死に弁明する弟君(ロイド)と黒髪の女性リーシャを見て愉しそうに微笑むトップスターのイリア。

 見たところ彼女は2人をからかって楽しんでいるだけのようだ。

 ひとしきり満喫したイリアはロイドから視線を外し、後方で傍観していたライへとその整った双眼を向ける。

 

「それで、この子が噂の協力者君って訳ね」

「ライ・アスガードです。よろしく」

「ふ~ん、なるほど……。顔は整ってるし体つきも良いけど、この雰囲気はエンターテイナーとして致命的かな~」

 

 いつの間にかアーティストとして値踏みされていたらしい。

 劇場の表にポスターが飾られる程の大女優がじろじろと眺め、鋼鉄が如く無表情な青年が堂々と佇んでいる。

 そんな様子を隣のリーシャは奇妙に感じつつも、話が先に進まないと割り込む。

 

「イリアさん、おふざけはそのくらいで……。ほ、ほら、まだ挨拶もまだですし」

「フフ、まあそうね。説明する必要はないかもだけど、あたしはイリア・プラティエ。特務支援課、特に弟君とは”とある縁”でヨロシクさせて貰ってるわ」

「私はリーシャ・マオと言います。イリアさん達と同じくアルカンシェルの劇団員です。それで、こちらの子が――」

「…………フン」

「――シュリちゃん?」

 

 リーシャがどことなくボーイッシュな見た目の少女シュリにバトンを渡そうとしたものの、シュリはツンと横を向いたまま話そうとしない。

 静まり返る劇場内。居たたまれなくなったのか、シュリは小声でリーシャに釈明をし始める。

 

「……だってさ、リーシャ姉。あいつすっごく嫌な感じするんだよ?」

「あは、は……。でもシュリちゃん、基本の礼儀ですし」

「わ、わかったよ……」

 

 リーシャに諭され、嫌々ながらもライの前に歩いて来るシュリ。

 

「……ども、シュリ・アトレイド……です」

 

 彼女はぼそっと自己紹介を済ませると、そそくさとリーシャの後ろに隠れてしまう。

 

 気まずそうにちらちらとこちらを覗き見するシュリ。

 まあ、何時もの流れだ。ここは話題を変えた方が良いだろう。

 ライは視線を横にずらすと、察してくれたロイドが軽くうなずき、1歩前に出てイリア達に話しかけた。

 

「ところで今の踊りは初めて見ましたが、新しい演目ですか?」

「ええそうなのよ! 西から面白い脚本が届いてね。《雪の女王》って言う演目なんだけど、せっかくだからシュリのデビュー作にしようと思って」

「シュリのデビュー作……」

「なんだよ。文句でもあるってのか?」

「い、いや、そういう訳じゃ……」

 

 シュリに詰められるロイドを他所に、ライは隣にいたキーアへと目くばせをする。

 このタイミングで練習し始めた新しい演目。もしかして、これがキーアの言うトラブルの種なのだろうか。そんな疑問に対し、キーアは顔をぶんぶんと縦に振る事で肯定する。

 

(なら、もう少し話を聞いた方が良さそうだ)

 

 そう考えたライは、無用な混乱を生まぬよう単純な興味を装って問いかける事にした。

 

「それで、雪の女王と言うのは? 確か、童話に同じ題名があったと記憶してますが」

「あら知ってたのね。――そう。元はどこかの国の童話みたいなんだけど、今回の劇には1つ特徴があってね。劇中に登場する雪の女王は特別な仮面を被って踊る演出があるの」

「特別な仮面……。良ければ見せて貰っても?」

「済みませんが、あれは割と貴重な品でして「別にいいわよ?」――イリアさん!?」

 

 断ろうとするリーシャの言葉を遮ってイリアが許可を出す。

 リーシャは慌てふためいているがイリアはそんな事を気にも留めず、「だいじょーぶだいじょーぶ」と手をひらひらとさせて劇団の衣装部屋へと歩き出す。

 

「まったくもう……」

「リーシャ姉、どんまい」

 

 アーティスト気質とでも言うのだろうか。

 振り回されるリーシャはやや不憫に感じつつも、今はイリアの判断に助けられた形となるロイド達は苦笑いを浮かべるしかない。

 

 かくして、シュリに慰められるリーシャに続いて、特務支援課もその後をついていくのだった。 

 

 

 ……

 …………

 

 

 ――アルカンシェル、衣装部屋。

 何十着もの衣装が所狭しとかけられたこの部屋は何も保管をする為だけの場所ではない。

 部屋の奥にはいくつものロッカーが立ち並び、その手前には視線を隠すカーテンの仕切り。つまりここは演者達が着替える更衣室でもある訳だ。

 

「えっと、どこに置いてたっけ」

「イリアさん。私も探すの手伝います」

「ったく、しゃーないなぁ」

 

 どうやら噂の仮面はこの部屋の中にあるようだ。

 3人の舞姫が揃って室内に入っていき、ライ達だけが扉の前に残された。

 今なら未来の話をしても問題ないだろう。

 

「キーア、トラブルの原因は仮面なのか?」

「う、うん。詳しくはキーアもわからないけど、仮面をかぶったらアルカンシェルが全部こおりついちゃうの」

「……文字通りの氷の女王ってか。確かに穏やかな状況じゃねぇな。キー坊、何か他に情報はないのか?」

「うぅ……、こめんなさい」

「仕方ないわ。未来の記憶があると言っても全部が全部知ってる訳じゃないんだから。今は何とか説得して仮面を回収する事を考えましょう」

「ですね」

 

 呪いなのか何なのかは不明だが、仮面を被る行為が起点であるのなら防げば良いだけの話だ。

 

 問題はどう説明したら納得してもらえるか。

 それについて話し合いを進めるロイド達であったのだが、その計画は即座にとん挫する事となる。

 

「そんなっ!?」

 

 扉越しに響くリーシャの叫び声。

 何か異変でも起こったのか?

 真っ先に反応したロイドが急ぎ扉を開け放つ。

 

「どうしたんだ!? リーシャ!」

「あ、ロイドさん……」

 

 リーシャ達は衣装部屋の奥、荷物が積み重ねて置かれている場所に固まって立っていた。

 見たところ彼女らは1つの厳重な箱を取り囲んでいるようだ。

 

 困惑したリーシャの隙間から覗く箱は開き、中にはスペースの空いた布のクッションだけが入っている。

 空いたスペースの形状はまるで顔のような形。

 しかし、入っていたであろう何かは何処にも見当たらない。

 ――ここまで来たらもう分かるだろう。

 

「まさかその箱って――」

「……見りゃわかるだろ。盗まれちまったんだよ。大事な仮面が」

 

 そう、シュリのデビュー作で使う予定の貴重品。

 そして劇場を凍り付けてしまう恐れのある危険物。

 色んな意味で決して見逃す事の出来ないアイテムが、忽然とその姿を消していたのだ。

 

 クロスベルの観光をする筈だったこの日は、思いもよらぬ方向へと進み始めていた……。

 

 

 




雪の女王(女神異聞録ペルソナ)
 ハンス・クリスチャン・アンデルセンが書いた童話であり、雪の女王に連れ去られた友を助けるために旅立つ少女ゲルダの物語。とある世界の地方都市にて、この童話の演劇が事件を引き起こした。


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94話「盗難事件を追って」

 クロスベルに拠点を置く劇団アルカンシェル。

 そこで新たに公演する予定だった演目の貴重品が忽然と姿を消した。

 シュリ曰く盗難にあったとの事。その事実に一番驚いていたのは、意外な事に未来を知るキーアであった。

 

「え、うそ……」

 

 目を丸くして呆然とする幼い少女。

 ライは現場から視線を逸らす事なく、キーアに小声で問いかけた。

 

「今までこの事件は起きなかったのか?」

「……いっかいも」

「そうか」

 

 他の未来では1回も起きた事のない事件……。

 何気ない行動が変化をもたらすバタフライエフェクトか、それとも未知の事象が関係しているのか。

 何にせよ、単なる盗難事件と考えない方が良いかも知れないと、ライは気を引き締める。

 

 一方、警察であるロイドはリーシャ達の元へと向かい、簡易ながら現場検証を行っていた。

 

「箱の鍵がこじ開けられてるな……。イリアさん、他に盗まれたものはないですか?」

「う~ん、そうねぇ。これ見つける前に色々と見つけたけど、無くなったものと言われても……」

「例えば金目のものとかは?」

「売るだけならもっと貴重なものはいくらでもあったわ。それこそ劇で有名になってプレミアがついてるものとか、この部屋のあっちこっちに置かれてるんだし」

 

 仮面より貴重で目立つ品が盗まれていない。つまり、金銭目的の盗難ではないという事だ。

 しかも仮面はまだ一般に公開されていない演目の備品。

 ロイドはその線から犯人を絞り込めないかとも考えたが、まだまだ情報は不足していた。

 

 そんな彼の元に、リーシャがおずおずと話しかけて来る。

 

「あの、ロイドさん……」

「ん? どうしたんだ、リーシャ。もしかして他に何か無くなったものでも?」

「そうではないのですが、1つ気になってる事がありまして」

「気になる事?」

「はい。朝に着替えた時と微妙になのですが、室内の物の配置が微妙に変わってるみたいなんです。今改めて確認したのですが、ロッカー内にも動かされた痕跡がありました」

 

 リーシャの情報を聞いたロイドは途端に表情を変えた。

 

「……リーシャ。1つ確認したいんだけど、仮面の保管場所って劇団の皆は知ってるのか?」

「細かな場所は知らないでしょうけど、大まかに置かれてるエリアだったら皆知ってる筈です」

「そうか。ありがとう、おかげで糸口が見つかりそうだ」

「ロイド、何か分かったの?」

「犯人が分かった訳じゃないけどな。ともかく、まずはロビーに戻ろう」

 

 そう言って、ロイドは踵を返して歩き始める。

 

 どうやらロビーに行けば何らかの進展があるらしい。

 彼の背中を追うようにして、ライ達も衣裳部屋を後にするのだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ──アルカンシェル、ロビー。

 劇場唯一の出入口に戻って来たロイド達を出迎えたのは、先も会話した支配人の男性だった。

 

「おや、お早いお帰りですね。何か用事でもありましたか?」

「そうですね。1つお聞きしたい事がありまして。実は先ほど──」

 

 ロイドは支配人に盗難事件のあらましを説明する。

 次第に表情をしかめていく紳士服の男性。

 それもまあ当然だろう。いつの間にか自身の劇場内で物が盗まれていたと聞いたのだから。

 

「なんと、そんな事が……」

「そこで1つお聞きしたいのですが、今日の朝から今までの間に、俺たち以外で外部から来た者はいませんでしたか?」

「今朝から、ですか……、まさかその中に犯人が?」

「まだ、断定はできませんが、可能性は高いと思います」

 

 先ほどリーシャが教えてもらった情報により、ある程度犯人を絞り込む事が出来るようになった。

 1つ目は犯行時間。彼女の言葉が正しければ、盗まれたのは練習を始めてから戻るまでの間。つまりかなり直近の犯行だ。

 2つ目は犯人の人物像。内部の犯行ならば無関係なロッカーの中まで調べる筈もない。よって外部の犯行だ。

 

「そう、ですか……。まさか彼らが? いやでも……」

「その言葉、何か心当たりがあるみたいですね」

「……ですが」

「勿論その方が犯人と決まった訳ではありません。人の目を盗んで侵入した可能性もありますし、あくまで参考人の1人ですから」

 

 ロイドは躊躇する支配人に対して説得を試みる。

 その効果があったのか、しぶしぶながら支配人は口を割り始めた。

 

「……実は、皆様と入れ違いに出て行かれた一団がおりまして」

「その一団とは?」

「その……大変申し上げにくいのですが──」

 

 とても言いずらそうにする支配人。

 そうして彼の口から出た言葉。それは、

 

「──クロスベル警備隊、の者達です」

 

 クロスベル自治州にとってスキャンダルは逃れられない組織の名前だった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ──クロスベル、歓楽街。

 リーシャ達と分かれたロイド達は、劇場を出たところで先の情報について意見交換を始めた。

 

「……ランディ先輩。さっきの話、どう思いますか?」

「危険物が持ち込まれたとの報告を受けたんで、調査のために2人の警備隊が入ったって話だったよな。危険物があるのは何も間違ってねぇし、通商会議前でビリビリしてっから調査される事自体は自然なんだけど……、……う~ん、やっぱ違和感あんな」

「ですよね! 普通こういったタレコミは警察の管轄ですし、警備隊がそのまま調査まで行ったって言われても、なにか違うって言うか……」

 

 違和感を抱えるノエルとランディ。

 

「警備隊だった2人が言うならそうなんだろうな。念のため聞くけど、偽物の可能性はどれくらいあると思う?」

「むしろそっちの方が高いと思うぜ」

 

 ロイド達の推測によると、劇場に現れた警備隊は偽物の可能性が高いとの事。

 クロスベル警備隊は自治州外周の警備に当たっている関係上、本物とかち合う可能性も低いだろう。

 管理人を納得させる立場を偽装するにあたって都合が良かったのだ。

 

「……それに、例の後遺症がまだ残ってる奴もいるしな。なおさら警備隊に取り締まる余裕なんざねぇだろうさ」

「? 警備隊に何が?」

「ああいやこっちの話。──ともかくとして、だ。この劇場から出た警備隊を探すのが得策じゃねぇか?」

 

 露骨に話題逸らしされたが、まぁどの組織にも触れられたくない話題があるものだ。

 とりあえずライは追及をせず、事の流れを静かに見守る事にした。

 

「それが良いかな。皆、ひとまず分散して情報を集めよう」

「ええ、分かったわ」

「リーダーの仰せのままに」

 

 かくして、休日だった筈の特務支援課は、本格的な調査に乗り出す事となった。

 

 

 ……

 …………

 

 

 特務支援課が周辺の聞き込みを始めてから暫しの時間が経った頃。

 目立つ警備隊の格好をしていると言う事もあってか、目撃情報は案外すんなりと見つかった。

 

 怪しい一団を目撃したのは歓楽街の西側──住宅街から歩いて来た赤紫色の髪をした商人ハロルド。

 どうやら特務支援課と顔なじみらしい彼は、警備隊の服を着た者達をここに来る途中で目撃していたらしい。

 

「──それで、彼らは通りをそのまま南に歩いていきました」

「なるほど。……因みにその警備隊の人相や持ち物等は分かりますか?」

「遠目だったので人相などは……。お力になれず済みません」

「いえ、ご協力ありがとうございます」

 

 礼を述べるロイドにハロルドも会釈で返し、そのまま東の方へと歩き去っていった。

 そんな2人の会話を後方で待っていた残りの面々。

 ロイドの聞き込みが終えたのを見計らうと、彼らはロイドの元へと集合する。

 

「住宅街の南って事は、西通りに向かったのかも知れません。……それにしても」

 

 ティオは言葉の途中で何か思いついたのか、何気ない表情でライの顔を見上げる。

 

「目的地はロイドさんが提案していた西通り。図らずもクロスベル巡りすることになりそうですね」

 

 かくして、特務支援課+αの面々は、急ぎロイドが生まれ育ったと言う西通りへと向かうのだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ──クロスベル、西通り。

 ここはベッドタウンとして開発が進められた区画だ。

 幾多の集合住宅が立ち並び、限られた土地の中で数多くの世帯が暮らしている。

 

 人通りもそこそこで落ち着いた雰囲気の街並み。何処かから聞こえる子供たちの遊び声。

 歓楽街のような派手さこそないものの、居心地のよい空気が流れているとライは感じていた。

 

「……本当は昼頃に来るつもりだったんだけどな」

 

 ロイドは小さくそうぼやくと、再び情報収集の為に周囲の人々へと聞き込みを始める。

 情報を得るには足で探すしかないとでも言ったところだろうか。

 徒労となる可能性の高い作業の繰り返しだが、彼らは苦に感じる様子もなく道行く人々に声をかけ続けていた。

 

「ふむ、警備隊か……」

「イアン先生、見覚えはありませんか?」

「見たと言えば見たが、それは街の出入口を監視する正規の警備隊だね。君たちの探している者達ではないだろう」

「……そうですか。ご協力ありがとうございます」

 

 途中、ロイド達の知り合いで熊のように大きな体躯の弁護士イアンとも遭遇したが、成果は得られず。

 歓楽街の時とは異なり、中々目撃情報が集まらない状況が続く。

 

「おかしくねぇか? この人通りなら1人くらい目撃してても良い気がするんだが」

「時間が経ちすぎていたのかしら」

「あと、ここに来る途中のどこかで、服装を別のものに変えたって線も考えられますね」

 

 どちらにせよ《2人の警備隊》と言うワードだけで調査を進めるのは限界が来ているのかも知れない。

 

 もう少し特定する為の情報はないかと考え込むロイド達。

 そんな彼らの元に、ある時風を伝って食欲を誘う匂いが届く。

 

(……パンの香り?)

 

 西通りには美味しいパン屋がある、と言う話題があらかじめ出ていたからだろうか。

 皆の視線が自然と匂いの方へと向かう。

 

 パンの香りを漂わせていたのは、口の空いた紙製の袋。

 焼きたての蒸気が出ているが故に封をする事すら出来ないのだろう。

 それほどまでの作り立て。材料である麦の匂いが食欲をそそる。

 

 そして、袋を抱えていたのは、ピンク色の髪にヘアピンを留めた少女だ。

 年齢はティオより少し上くらいだろうか。

 どこかの制服を身に纏った彼女は、るんるんとした満面の笑みで1棟の集合住宅へと歩いていた。──のだが、ロイド達の存在を認識した瞬間、目を丸くして立ち止まった。

 

「あああっ! ロイドさん! それに特務支援課の方々も!!」

 

 まるでファンが推しに出会ったかの如き大げさな反応だ。

 困惑を隠せない特務支援課の面々。

 しかしただ1人、ロイドだけは全く別の反応を示していた。

 

「ははっ、久しぶりだな、ユウナ」

「……ロイド、知り合い?」

「ああ。彼女はユウナ・クロフォード。同じ集合住宅に住んでた縁で、彼女とは家族ぐるみの付き合いなんだ。ここ最近は再結成や例の騒動とかあって会う機会はなかったんだけど……」

 

 どうやらロイドの個人的な知り合いだったらしい。

 しかし、最近会っていなかった事もあってか、彼はユウナの近況に関しての情報が抜けていた。

 ロイドはユウナの着ている制服を見て、やや驚いたような声をあげる。

 

「あれ? その制服……もしかして警察学校に入学したのか?」

「あっはい、そうなんです! 5月にあった教団事件! あれに関する記事を読んだ時から皆さんの軌跡をずっと追ってまして、……それで私も皆さんのようになれればと思って、警察学校に…………」

「ははは、そりゃまぁ、光栄なこって」

「ええそうね。──って、あれ? そう言えば警察学校って……」

 

 曇りなき憧憬の眼を前にして気恥ずかしそうにするエリィだったが、その途中である事実に思い至る。

 

「警察学校って西クロスベル街道の先にあったわよね?」

「そうだけど……、……ああ、なるほどな」

 

 犯人たちが向かった先の可能性として、街の外、歩き続ければエレボニア帝国のガレリア要塞へと辿り着く西クロスベル街道があった。

 そこは市内と比べると人通りも少ない場所だ。

 彼らが人目を避けて最短距離で向かったのならば、この西通りでの痕跡がなかなか得られないのも頷ける。

 

「ユウナ。まず1つ確認なんだけど、ついさっきまで警察学校に居たんじゃないか? 今日は警察学校も休みの日だし、家族のみんなに会うついでにパンを買ったってところか」

「えっ? あ、合ってますけど、でもどうして……」

「”どうして分かったのか”という疑問の答えは、単純に君が制服を着たままだったからさ。次に、”どうしてそんな事を聞いたのか”と言う疑問に対してなんだけど、それは──」

 

 ロイドは現在調査している大まかな流れについて、話しても問題ない内容に絞って説明した。

 

「……な、なるほど。事情は分かりました。あたしも協力させていただく事もやぶさかではないのですが……、でも…………」

 

 ここで初めて、ユウナは余所者であるライの方へと視線を向けて身構える。

 まぁ、ただの余所者だったのなら彼女もそこまで気にしないかも知れないが、そこは安定と信頼の嫌われ体質。

 事態は最悪スキャンダルに繋がりかねないもの。それ故か、こんな怪しげな人物も聞いている状況で話して良いのか?と、警戒心ばりばりの状態だ。

 

(特務支援課に説明して貰えば説得は出来そうだ。けど……)

 

 無理に説得したところで、話しちゃ行けないんじゃないかと無意識なセーフティをかけてしまうかも知れない。今は少しでも情報が欲しい状況だ。なら、ここは──。

 

「──俺はパン屋に行ってます」

「ありがとう。一通り話を聞いたら合流するよ」

 

 ロイドはやや申し訳なさそうな表情を浮かべつつもライの言葉に賛同してくれる。

 かくして、少々予定外の流れにはなったものの、ライは美味しいと話題のパン屋へと1人向かう事になった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 西通りのメインストリートに立地するパン屋《モルジュ》。

 店先に置かれているのはパラソルを立てたオープンテラスだ。この店はパンを買うだけでなく、ゆっくりと飲食を楽しむカフェでもあるらしい。

 

(彼らが来るまでここで待ってるか)

 

 折角だからこの唐突に出来た余暇を楽しむ事にしよう。

 そんな予定を組みつつも、ライはガラス張りの扉へと手を伸ばす。

 

 開いた扉の隙間から漏れ出す焼きたてパンの香り。

 次いで柔らかそうな食パンやマフィン等が目に入り、そして最後に──、

 

「おっ、そのめっちゃ嫌~な雰囲気。もしやお前がロイドの言ってたライって奴か!?」

 

 顔を合わせて早々に失礼な事を口にする店員が会計に立っていた。

 

「おっと挨拶がまだだったな。俺はオスカー、ロイドの幼馴染をやってるぜ」

「どうも」

「ここにあるパンはどれも美味しいから、バンバン買ってってくれよなー」

 

 軽快な営業トークをしてから会計に戻るロイドの幼馴染オスカー。

 

 今日は何かと特務支援課の知人と出会う日だ。

 宿屋の看板娘を始めとして、アルカンシェルの3人、商人、弁護士、警察学校の新入生、そしてパン屋。

 ロイドが元々クロスベル出身という事もあるが、特務支援課と枠組みで考えても中々に広い人間関係と言えるだろう。

 

 

 ──と、まあ。

 そんな事を考えていたからだろうか。

 幾度となく特務支援課の繋がりを見て来たライは、ここに来て更に1人、意外な人物と出会う事になる。

 

「……それにしても、初日に続きまた事件か。警察と言うものは事件に巻き込まれる運命なのか?」

「それはあなたも似たようなものだと推測しますが?」

「確かに……、……ん?」

 

 パンをトレイに乗せつつ独り言を零していたライに、疑問を呈する誰かの声。

 何気なく同意しかけたライであったが、その途中で、いつの間にか人が増えていると言う異変に気がついた。

 

 表情の動かないライの目が隣、正確には斜め下の方向へと向く。

 その先にいたのは不可思議な黒いスーツを身に纏う銀髪の少女だ。

 兎っぽいフードを被る眠たげな瞳の女の子。その独特な風貌にライは見覚えがある。

 

「お久しぶりですね」

 

 かつて旧都セントアークにて出会った1人の少女、アルティナ・オライオン。

 エレボニア帝国から遠く離れたこの地にて、想定外の再会を果たすのであった。

 

 

 



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95話「オライオン」

 クロスベルのパン屋にて謎の少女アルティナとの再会を果たしたライ。

 抑揚のない声で「久しぶりですね」と告げる彼女。確かに以前会ったのは2度目の特別実習だったから、おおよそ3か月ぶりと言ったところか。

 

 前は色々と助言をしてくれたが、相手は明らかに一般の女の子とは言えない風貌だ。

 こちらをじっと見つめて来る不可思議な相手に対し、ライは、

 

「久しぶり」

 

 と、呑気に挨拶を返すのだった。

 

 

 ……

 …………

 

 

 その後、挨拶を終えたライとアルティナは揃って会計へと向かい、2セットの皿とコーヒー、カプチーノを受け取る。

 向かう先は店の外にあるオープンテラス席だ。

 サンサンと降り注ぐ太陽光を遮るパラソルの下、木製のテーブルにアルティナ分のセットを置いて、反対側の席に自身の皿を置く。

 

 対面に座る灰髪の青年と銀髪の少女。

 他所から見ると無表情な2人が向き合う張り詰めた空間に見える事だろう。

 しかし一方で、ライの内心は緊張感とは無縁なものであった。

 

(もしかしてカップケーキは苦手だったか?)

 

 彼の意識が向いているのはアルティナの手前に置いたカップケーキだ。

 

 それは先の会計でライが購入したもの。

 ライ自身もよく理解できていないのだが、パンのラインナップを見た瞬間に《彼女の好みはこれだ》と、直感めいた感覚と共に手が伸びていた。

 

 しかし今、アルティナは手元のケーキには目もくれず、ただひたすらにライの顔を見続けている。

 そんなに興味がなかったのだろうか。

 

「……別のパンの方が良かったか?」

「? いえ、私もちょうどこれが食べたかったところですが」

 

 ライの悩みをキッパリと否定するアルティナ。

 お世辞……と言う訳ではなさそうだ。

 単純にライの思い過ごしだったらしい。

 

(そう言えば、彼女と腰を据えて話し合うのはこれが初めてか……)

 

 セントアークでは助言を2度もしてくれた謎のお助けキャラと言った感じだった。

 幸い嫌悪感は抱いていない様子なので、これを機にコミュニケーションを図るのも良いだろう。

 

 方針を定めたライは意識をアルティナへと戻す。

 微動だにしない細い体と無表情。しかし、尻尾のように伸びているケーブルだけは、どこか楽しげに揺れている。

 さて、そんな彼女に投げかけるべき話題は何か。

 ライは脳内にいくつかの選択肢を思い浮かべ、そして内1つを選んで口にする。

 

「──ご趣味は?」

「もう少しまともなアプローチはなかったんですか?」

 

 が、速攻でツッコミを食らった。

 

「お見合いじゃないんですから。逆に聞きますが、あなたのご趣味は?」

「……、…………チェンジと合体?」

「聞きようによっては最低ですね」

 

 何がとは言いませんが、とジト目で睨みつけて来るアルティナ。

 ただ、そんな言葉とは裏腹に、彼女の口元はやや楽しげだ。

 頭上に音符が浮かび上がるような雰囲気纏っているように感じたのは、果たしてライの気のせいだろうか。

 

「まったく……、私にこのような回りくどいやり取りは不要です。聞きたい事とかあるなら普通に質問して良いんですよ」

「いいのか?」

「ええ、今回は少し懐かしい気分になれましたので」

 

 懐かしい気分、か。

 今のようなやり取りを以前、誰かとやってたりしたのだろうかと、密かに考察するライ。

 

 まあ、今はそれより質問だ。

 正直に答えてくれる……とは言っていないけれども、質問できるチャンスは逃せない。

 聞きたいところは色々とあるが、今この場で聞くべき内容は……これか。

 

「何故アルティナはクロスベルに?」

「…………観光で訪れた。と言っても納得しては貰えなさそうですね」

「ああ」

「その理由をお聞きしても?」

 

 ライの質問に対して更なる質問で返すアルティナ。

 あまり回答したくない内容だったのだろうか。

 けれど、しらばっくれない辺り、絶対に答えられないと言う程でもない様子。彼女の問いかけにうまく答えられたら明かしてくれるかも知れない。

 

(彼女が観光でクロスベルに訪れない理由、か……)

 

 ライが「ああ」と答えたのは何もあてずっぽうではない。

 アルティナに関する情報を考えれば、何の思惑もなしに動くとは考えにくいからだ。

 

 彼女に関する数少ない情報。

 ライはそれをアルティナに提示すべく、過去の記憶を脳内で回想し始めた。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ──時は戻り8月上旬、トリスタにて。

 クロスベルに向かう日に備えつつ、パトリックから紹介された貴族生徒の依頼をこなしていたライは、時間の隙間を見つけて寮の3階へと足を伸ばしていた。

 

 向かう先はミリアムの部屋だ。

 以前、帝都にてクレアと電話した際、ミリアムの身の上に関して言葉を濁していた。

 オライオン姓を持つ幼くも不可思議な2人の少女。

 彼女らの身の上が気になっていたライは、それを訪ねる為にミリアムの部屋へと向かう事にしたのだ。

 

 3階の隅にある扉前に到着したライは、右手でトントンとノックする。

 

「ミリアム。聞きたい事があるんだが、今大丈夫か?」

『──ほへっ? その声はライだよね? うん、今入って来て良いよ~』

 

 部屋の主から許可を貰い、ライは1度周囲を確認した後に少女の部屋へとお邪魔する。

 

 何せ話がミリアムの内情に切り込むものだ。

 無用な配慮かも知れないが、外部に話が漏れるのは避けたいところ。

 手短に質問を投げかけ、拒むようなら素直に引き下がるべきか。

 

 そんな思考を巡らせていたライであったが、ミリアムの姿を見た途端、全ての予定は一旦白紙となった。

 

「むぐ、もぐ……。あれ、ライ? どうしたの?」

「…………」

 

 きょとんとした顔でこちらを見ながらも、お菓子をほおばるミリアム。

 

 問題は彼女の姿だ。

 ベッドの上にてだらんと足を広げ、菓子の袋に囲まれた水色の少女。

 夏場の暑さで汗でもかいたのだろうか。彼女は上着を脱いで薄いキャミソール姿となっていた。

 

(本当に入っても良かったのか?)

 

 世間一般の感覚で言えば、女性が他者を入れて良い状況とは言えないだろう。

 だと言うのに気にする素振りすらないとは……。

 ミリアムらしいと言うべきか、それとも年相応の情緒が育っていないと見るべきか。

 判断に困ったライは、ひとまず本来の目的を果たす事にした。

 

「……いや、何でもない。それよりミリアム、お前に齢の近い姉妹はいるのか?」

「しまい? どしたの、急に?」

「実は──」

 

 ライはセントアークで会った少女の話、そしてクレアから複雑な身の上だと聞いた事を素直に話した。

 

「なるほどね~。あの町でそんな事があったんだ」

「話しにくいなら無理に答えなくていい」

「えっとね、う~ん。……ま、オジサンにも止められてないし、別にいっか」

 

 ミリアムは思っていたよりもあっさり了承する。

 話したくないと言うよりは、単純に禁止されているのか思い出していた様子だ。

 本人の感覚ではあまり重要な話じゃない……と、言う事なのだろうか。

 

 ……だが、彼女の話す言葉は想定以上に重いものだった。

 

「姉妹がいるかって話だけど、たぶんいると思うよ? ボクは出荷された時に記憶消されてるから、そのアルティナって子が姉なのか妹なのかは断定できないけどね~」

 

 出荷。

 ミリアムは自身の事をまるで物のようにそう言ったのだ。

 

「……出荷、とは?」

「まあほら、ボクってホムンクルスだから。──って言ってなかったっけ?」

「1度も」

「そっかー」

 

 この少女、日常会話のような口調で唐突に、とんでもない新情報をぶっ放してきた。

 

(ホムンクルス……。確か、中世の錬金術師が作ったという人造人間の事だったか?)

 

 要するにミリアムは誰かによって製造され、文字通りの商品として出荷された存在らしい。

 オライオンとはそんな商品たちが名乗る姓であり、彼女らが幼い容姿でありながら高度な技術を身につけている理由でもある、と。

 確かに、クレアが複雑な身の上と語るのも納得の情報だ。

 

 しかし、色々な意味で物議を醸しそうな事実を前にして、ライはそれほどの衝撃を感じなかった。

 理由は恐らく、似たような情報を旧校舎で耳にしていたからだろう。

 

(人造人間、か……)

 

 偶然か、ライはバイオノイドと言う技術を耳にしていた。

 

 確かバイオニクスとアンドロイド技術を組み合わせたものだったか。

 万能細胞から人を生み出す技術があるのだから、身近に似た事例があったとしても不思議じゃない。

 ライはミリアムの来歴に対し、そう結論づける。

 

「あっ、そだ!」

 

 ──と、その時。

 唐突にミリアムの明るい声が室内に響いた。

 

「どうした?」

「そのアルティナって子がボクの妹なのか、それともお姉ちゃんなのかって話なんだけど、1つ確認するいい方法を思いついたんだ」

 

 ミリアム本人の身の上は分かったが、アルティナも同様の事情かは分からない。

 その問題を解決する妙案を彼女は思いついたとの事。その案とは、

 

「もしその子にまた会ったら僕の識別名を伝えてみて。──形式番号Oz73、そういったら分かる筈だから」

 

 自らの商品としての名を伝えるものだった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「──Oz73、ですか」

 

 ライの言葉を静聴していたアルティナが、ようやく声を発する。

 

「分かるか?」

「ええ。私はOz74ですので、そのミリアムという方とは1個違いになりますね。……姉と呼ぶのは断固として拒否しますが」

 

 1個違いのOz74……、つまりはミリアムの次に製造されたホムンクルスと言う事なのだろう。

 

「私たちが造られた存在という事に拒否感がありますか?」

「いや、それはない。むしろその技術に欠陥がないか気がかりだ」

「欠陥、ですか……」

「寿命が短かったりだとか、そう言ったリスクを抱えてたりはしないのか?」

 

 アルティナに対して技術的な質問をするライ。

 脳裏に浮かぶのは、あの異世界で聞いたバイオノイドに関する情報だ。

 

”人工的な手が加えられている為か、耐用年数、つまり寿命に課題が残されているようですね”

 

 旧校舎の異界で聞いた技術では寿命が人より短いと言う問題があったらしい。

 アルティナ達に使われている技術が同じとは限らないが、何らかの問題を抱えていたりはするのだろうか。

 ライはそんな漠然とした懸念を拭えずにいた。

 

 一方、そんな質問を受けたアルティナは視線を逸らし、しばらく考え込み始める。

 

「…………、……私も記憶が消去されているので、技術的な欠陥があるかは分かりません」

「そうか。答えにくい質問をして悪かった」

「お気遣いは不要です。それより今は、私の来歴が確定した事の方が重要かと」

 

 やや強引に話を戻すアルティナ。

 あまり続けたくない話題なのだろうか。

 まあ、自身の寿命はかなりセンシティブな内容だ。彼女の要望通り、話題を元に戻した方が良いだろう。

 

(アルティナの来歴はホムンクルス……。ミリアムと同じ場所に引き渡されたとは限らないが、判明した事もある)

 

「……君はミリアム同様のスペシャリストだ。それが通商会議の時期に現地へ赴いた理由として、観光である可能性は──」

「まあ、言うまでもなく0に近いかと。──ですが、そこまで言うのなら、私がここに来た目的も推測できるのではないですか?」

 

 まるで探偵に証拠を求める犯人の様な返しをしてくるアルティナ。

 それを聞きたかったのだが……と、答えるのは簡単だが、何故だかライはこの会話を続けたいような気分になっていた。

 

(それに、ヒントもくれたしな……)

 

 推測できるのでは?と言ったのならば、少なくとも彼女にとって推測できるだけの情報は渡したという認識なのだろう。

 つまり、ライの状況と全く関係ない理由によってクロスベルに来た訳ではないという事だ。

 それだけ分かればある程度範囲を絞る事ができる。

 

「そろそろ答えは出ましたか?」

「可能性の話でよければ」

「それで充分です」

 

 審判役のアルティナから許可を貰い、ライは脳裏に浮かんだ仮説を言葉にする。

 

「目的は、俺の監視……じゃないか?」

 

 ライが推測したのは自身の監視だった。

 

 これはクロスベルに来る前からいるだろうと考えられていた役割だ。

 通商会議におけるシャドウ襲撃の危険性。帝都での騒動でも証明したペルソナ使いの戦略的重要性。

 それらを加味して考えれば、ライが1人で誰の監視も受けずに動くことは出来ないだろうと、サラはそう言っていた。

 

「改めて考えれば、先の趣味に関する反応も不自然だ。俺の事情に詳しくなかったら、チェンジと合体の意味は分からなかったんじゃないか?」

「……まあ、そうですね」

 

 肯定するアルティナ。

 恐らく彼女の背後にいる組織からペルソナに関する情報を得ていたのだろう。

 そうでなければ、ライが持つペルソナ合体とペルソナチェンジについて思い当たる可能性はない。

 

 そこも含め、彼女がライに開示した情報なのだろう。

 ライはそんな推測も重ねつつ、自身の監視役であるアルティナに問いかける。

 

「君の背後組織は?」

「済みませんが、私にそれを答える権限はありません」

 

 素直に考えればライをクロスベルに行くよう促した帝国正規軍だが、逆にペルソナ使いを敵視するテロリスト側の可能性も高い。

 いや、他にも帝都の事件でペルソナを知った何らかの組織が送り込んだと言う線もあるか。

 何にせよ、アルティナの立場を探るのは難しそうだ。

 

「…………ごちそうさまでした」

 

 唐突に、考え込んでいたライの耳にそんな言葉が届く。

 いつの間にかアルティナはカップケーキを食べていたらしい。

 彼女の前に置かれていた皿とカップは空になっていた。

 

「では、私は監視任務に戻りますので、これで失礼します。今の情報でカップケーキの対価にはなったでしょうか」

「ああ」

「それは良かったです」

 

 アルティナは監視対象にぺこりと頭を下げて席を立つ。

 

 思えばこの構図も奇妙なものだ。

 今まで影すら見せなかった凄腕の監視役が、突如として監視対象に接触してきたのだから。

 

(もしかして、パンの匂いに誘われたのか?) 

 

 自然と足が運ばれるくらいに香ばしい匂いが漂っていたからなぁ。と、ある意味失礼な想像をするライ。

 そんな彼の内心を察してか、歩き出したアルティナが足を止め、自身の有能性をアピールするが如く最後の言葉を残す。

 

「……そうでした。あなた方が探していたクロスベル警備隊の者達ですが、あの服装は偽物ではありませんでしたよ」

「警備隊が、偽物じゃない?」

「そこから先はご自身でお考えください。それでは」

 

 ライに有用な情報を伝えたアルティナは、無表情の中にフフンと満足げな色を浮かべ、そのまま通りの角へと消えていった。

 

 残されたのは、1人でテラス席に座るライと、まだ温かさの残るパンとコーヒー。

 向かい席の皿がなければ、もう1人ここにいたなど誰も思わない事だろう。

 とりあえず皿に残された自分の食事に手を伸ばしつつ、ライは先ほどまでいた少女の姿を思い返す。

 

(……結局、今回も助けてくれたな)

 

 身の上は分かったけれど、依然として謎の多い少女。

 彼女の事を考えながら食べた食事は、どこか懐かしい味がした。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ──

 ────

 

 ライの元から離れたアルティナは、黒い傀儡に乗ってビルの屋上に降り立った。

 

 髪飾りで纏めた銀髪を撫でる高所の風。

 遥か下方ではパンを無表情でパンを食べてるであろう青年の背中が見える。

 アルティナはその姿を視界に収めると、手すりにぴょんと腰かけた。

 

「ふぅ……、それにしても、また、寿命について聞いてくるなんて……」

 

 彼女が思い浮かべていたのは先ほどライから受けた質問の内容だった。

 ホムンクルスの技術で寿命に問題がないかと言う質問。彼にとっては何気ない疑問だったのかも知れないが、アルティナにとってはとある可能性を示すものだったのだ。

 

「全てなくなってしまった訳ではないのでしょうか。……だとしたら、私は──…………」

 

 遠い目をするアルティナは、何気なく懐にしまっていたカップケーキを取り出す。

 あの場で食べきるのがもったいないと感じたからか、こうして密かに持ち出していたのだ。

 

 甘い香りのするケーキを小さな口元へと運ぶ少女。

 美味しかった筈のその菓子は、どこか悲しい味がするのだった……。

 

 

 



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96話「魔都に住まう人々」

 アルティナと別れてから幾ばくかの時間が経過した頃。

 西通りの店で買ったパンを食べ終えた後に1つの用事を済ませたライは、本を片手に悠々とコーヒーブレイクを満喫していた。

 

 そんな彼の元に歩み寄って来たのは一時別れていた特務支援課の面々だ。

 その先頭を歩くリーダーのロイド。彼はさりげない仕草で片手を上げて声をかけて来る。

 

「ごめん。待たせたかな」

 

 ……何と言うか、妙にこなれた言い方だった。

 顔に似合わず意外とプレイボーイだったりするのだろうか。

 そんな推測を内に秘めつつ、ライは本をパタンと閉じてそれに答える。

 

「いえ、十分堪能させてもらいました」

「謙遜……じゃないな。どう見ても」

 

 優雅にコーヒーカップを構えるライを見てロイドは曖昧な笑みを浮かべる。

 表情こそ何時もと変わらないが、その優雅な佇まいから楽しめていたのは誰の目から見ても明らか。

 むしろ初めての場所でよくそこまでくつろげるなぁ。と言うのが、ロイドの笑みの内訳だった。

 

 一方ライはと言うと、ややコーヒーを惜しみつつも皿に置き、盗難事件に話題を戻す。

 

「それで、あの少女から有益な情報は得られましたか?」

 

 そもそもライが単独行動していたのは、聞き込みに悪影響を及ぼす懸念があったからだ。

 あのユウナという少女は何か心当たりがあった様子。

 ロイド達の表情に陰りが見えない事も踏まえ、恐らく何らかの収穫があったんじゃないかとライは推測していた。

 

「ま、そりゃ気になるわな。……結論から言うとビンゴだ。犯人は街を出て西に向かっていったと見て間違いねぇ」

「分かりました。なら早速向かいましょう。情報さえ集まったのなら心強い専門家がいますので」

 

 専門家?と不思議そうに眼を丸くするノエル他数名。

 一方で、未来の情報で知っていたのか、キーアはこくりと頷く。

 

 まあ、お互いの情報共有は移動しながらで問題ないだろう。

 ライは急ぎ食器をパン屋に返し、特務支援課と共にクロスベル西の門へと急行するのだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ──西クロスベル街道。

 この市外道はそのまま西へと向かえばエレボニア帝国へと続くベルガード門に、途中で南の森へと向かえば警察学校に辿り着くらしい。

 それぞれの要所はバスによる交通網で結ばれているとの事。

 もし仮に犯人たちがバスに乗っていた場合、今頃エレボニア帝国に逃げおおせているか、捜索が困難な森の中に潜まれているかも知れない。

 

「──いや、バスを使っている可能性は低いと思う」

 

 街道に到着時、ライの視線がバス停に向かっている事に気づいたのか、ロイドが懸念事項を否定する。

 

「あの少女から得た情報ですか?」

「まあ、そんなところかな。詳しくは探しながら話したいところだけど……それよりまずは、専門家について紹介して欲しい」

「ええ、既に話はつけてあります」

 

 ライはそう言って懐からARCUSを取り出した。

 アルティナがいなくなった後、空いた時間を使って協力を取り付けた専門家。

 それ即ち──、

 

《あ、早速来た。って事は出番が来たんだね?》

 

 帝都でも大活躍したアナライズの使い手エリオット・クレイグである。

 

《人をスキャンするなら他と区別できるくらいの特徴が必要なんだけど、それは手に入れられた?》

「犯人たちの経路が絞れる程度には。それより、そっちは今大丈夫か?」

《ああうん。丁度実技テストも終わったところだし、サラ教官も適当な感じで許可してくれたよ。リィンとかは「また厄介な事に巻き込まれてるな……」って呆れてたけどね》

 

 ……今よりもっと危険で長距離リンクも出来ない戦いがあったと言ったらどんな反応を示すだろうか。

 まあそれはともかく、いつの間にか士官学院では実技テストの時期になっていたらしい。

 ならば今頃特別実習の行き先でも明かされている頃だろう。ライ自身は今回参加できそうにないが、近いうちにお互いの状況を話し合った方が良いかも知れない。

 

 そんな刹那の思考を紡ぐライ。

 一方で、近くにいたティオ達はそんなライの事を奇異の目で見ていた。

 

「……戦術オーブメントを取り出したかと思ったら、独り言を始めましたね。キーア、これはいったい…………?」

「エレボニアにいる人のペルソナ能力だよ。遠く離れた人と話したり、周りのスキャンをしたりできるの」

「へぇ、ペルソナ能力にも色々とあるんですね」

 

 キーアを通してペルソナ能力への理解を深める特務支援課。

 そうこうしている内に、ライはエリオットとの短い対話を終える。

 

「皆さん、犯人の情報を。それを元に犯人を見つけます」

「あ、ああ。ユウナの話だと、警察学校からクロスベル市に来る途中で、徒歩で街道を歩く2人組の男性とすれ違ったらしいんだ。なんでもユウナを見た途端、彼らは避けるように慌てて背を向けたから印象に残ってたと言っていたよ」

「背を?」

「ここからは推測だけど、彼らはユウナが身に着けている警察学校の制服を見て慌てたんだと思う。警察学校の近くには警備隊の演習場もあるから、警備隊を騙ってる身からしたら接触は避けたい筈だ」

「バスを利用していないって話も同じ理由ね。この市外はもう警備隊の管轄下。今は警備体制を強化してる事もあって、バス停には警備隊の人員がいるから」

 

 警備隊の姿で犯罪を行ったと言う事実に加え、ユウナを見て身を隠した事。そして街道を歩いて移動していた事から、犯人たちの心理を推測したのだろう。

 各所に点在する警備隊の監視を避けているのなら、それほど移動ペースは速くないだろう。

 ライはロイドとエリィから聞いた情報を元にスキャンできないかと、エリオットに問いかける。

 

「どうだ? エリオット」

《うーん……。けっこう近いんだけど、もう少し犯人像をはっきりさせないとダメそう》

「犯人像を定める追加の情報が必要、か」

 

 それなら、アルティナが教えてくれたあの情報が役に立つかも知れない。

 

「なら情報を追加しよう。犯人は警備隊を扮している訳ではなく、れっきとした警備隊の一員だ」

「──おい、そいつはどういう意味だ」

 

 ライが呟いた内容にランディが反応する。

 もしかしたら彼は警備隊の関係者なのだろうか。

 それなら今の情報を疑うのも当然だが、ライは何故か、アルティナから提供された情報に間違いはないと言う確信を持っていた。

 

「パン屋で偶然、情報提供を受けまして」

「だがそれが正しいかどうかなんて……」

《──ヒットしたよ! それじゃあ早速ナビするね》

「見つかったみたいです」

「……マジかよ」

 

 信じがたい情報を前にしたランディは自身の頭を掻き、何とか飲み込もうとしている様子。

 

 正規の警備隊がなぜ仮面を盗むに至ったのか。

 その謎が紐解かれる時が今、目前に迫ってきていた。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 警察学校へと続くノックス森林道。

 主要な道はきちんと整備されているものの、1歩道を外れると深い木々に覆われた大自然へと変貌する。

 

 どこからともなく聞こえてくる鳥の鳴き声。

 草木の合間に出来た獣道には明らかに人でない足跡が多数。

 そんな人の領域とは言えない森の片隅にて、2人の男性が武器を片手に膝をついていた。

 

「はぁ……、はぁ、……こんな時に限って魔獣と遭遇するなんて、ついてないなぁ」

「ここには魔獣除けの街灯もないんだ。仕方ないだろう」

「そりゃ分かるけどさぁ。よりよってこんな大物……」

 

 疲労困憊の男性が見つめる先にあったのは巨大な魔獣の死骸だ。

 突然変異か、それとも今だ知られていない生態系があるのか。時折この様に巨大な魔獣が出現する事がある。

 普段は《手配魔獣の討伐依頼》として戦闘の心得がある者達に依頼し、相応の装備を持って対処するのが常だ。しかし、今回は偶然にも森の中でばったりと出くわしてしまい、そのまま逃げる隙もなく戦う羽目になってしまった。

 

 不運を呪っていた男は荒れた呼吸を整える。

 そして、疲れた足に力を入れると、武器を構えなおして何とか立ち上がった。

 

「ふぅ……」

「切り替えられたか?」

「ああ。こんな場所で足踏みをしている訳にはいかないもんな」

 

 2人はより深い森の奥地、人が寄り付かないであろう場所へと進もうとする。

 

 ……だが。

 その足はその直後、再び止められる事となった。

 

「──何処に向かうつもりですか?」

 

 背後の死角から、突然声が投げかけられる。

 びくっと跳ねて振り返る男性。

 彼らの視線の先には、クロスベル市民であれば知らぬ者はいないであろう集団の姿が見えた。

 

「と、特務支援課!? どうして此処に!?」

「ったく、そりゃこっちの台詞だぜ、先輩方。まだ薬の後遺症も抜けきってないのに何してんすか」

「ランディ、それは……」

「おっとリハビリの為に演習してたって言い訳はなしだぜ。ここは警備隊の演習エリアを外れてるし、何より俺達はアルカンシェルから来たんでね」

「…………」

 

 アルカンシェルとの言葉を聞いた瞬間、男達は顔をしかめて口を閉ざす。

 そう、彼らこそ仮面を盗んだ警備隊の2人だったのだ。

 

 特務支援課の厳しい視線が注がれる中、男達は返答と言わんばかりに銃口を向けた。

 

「悪いが、言ったところで納得はしないだろう」

「……そうかい。ならまずは拘束させて貰うぜ。行くぞ後輩!」

「はい! ランディ先輩!!」

 

 男達に相対するは、同じく警備隊出身のランディとノエル。

 ノエルは拘束用の電磁ネット射出装置を構え、ランディは閃光手榴弾をその手に取り出す。

 そして閃光手榴弾のピンを取り外したその瞬間、警備隊同士の戦いが始まるのだった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ……

 …………

 

 

 ……まあ、結局のところ、男性達はあっさりと捕まった。

 

 実力差以前に、大型魔獣と戦って疲弊していたと言うのも大きいだろう。

 ロイド達が力を貸す必要すらなく、2人は武器を落として地面に座り込む。

 

「やっぱり駄目、だったか……」

 

 男達は観念したのか脱力して俯いている。

 そんな彼らの元に歩み寄ったのは、捜査官の資格を持つロイドだ。

 

「貴方方は初めから勝てない事を分かっていた。なのに何故、そうまでしてアルカンシェルの仮面を盗んだんですか? 下手をしたら警備隊の信用にも響きかねない真似までして」

「それは…………」

 

 男は言いづらそうに言葉を濁らせているが、やがて観念したのか、ぽつりぽつりと言葉を紡ぎ始めた。

 

「……俺達は同じ夢を見たんだよ」

「夢?」

「妙にリアルな夢だ。いいや、本当に夢だったのかもわからない。凍り付いた劇場で感じた突き刺さるような冷たさも、喉を焦がすほどに熱い爆炎の海も、忘れたくても忘れられないんだ……」

 

 それから男は今に至る経緯を自供する。

 最初はただの夢と思おうとしてた。けれど、肌に感じた感覚を忘れる事は出来ず、意識すればするほど、頭の中は悲惨な夢の光景でいっぱいになっていく。

 そんな状況に陥っていたからか、彼は同僚に相談した。するとどうだろうか。驚いた事にその同僚も同じような経験をしていたと言うのだ。

 

 以降、彼らは夢の内容について何度も話し合った。

 その結果、劇場が凍結した原因に仮面が関係しているのではないか?という推測が立ったらしい。

 人は常に因果関係を考えてしまうものだ。恐ろしい夢。凍結する劇場。炎に呑まれるクロスベル。実際の原因がそうであるかは分からないが、全ての根底に仮面があると信じ、彼らは無謀とも呼べる行動に打って出た。

 

「はぁ、笑うなら笑え。きっと薬の影響がまだ残ってるんだ。だから……」

「笑いませんよ。実は俺達もとある情報筋からその仮面の危険性を聞いてるんです。少なくとも劇場凍結の件に関して言えば、あなた方の懸念は当たっています」

「……本当か?」

「情報筋については明かせませんが、間違いない情報です。──そこで1つ提案なのですが、あなた方が確保した仮面を俺達に渡してくれませんか? 俺達の方で悲劇が起こらないよう適切に対処しますので」

 

 ロイドは座り込む男達へと手を差し伸べる。

 理解を得られないと思っていた警備隊の2人は、想定外のアプローチに戸惑っている様子だ。

 しばらく黙り込んだ後、片方の男がバッグへと手を伸ばし、その中から氷の意匠がついた白い仮面をロイドへと渡した。

 

「……確かに受け取りました。それで、あなた方の今後についてですが」

「大人しく出頭しよう。軍法会議は避けられないだろうが、それはもう覚悟してる」

 

 仮面の件が解決する以上、彼らはもう逃げるつもりもないらしい。

 ならばこの事件は9割方終わったようなものだろう。

 雪の女王の仮面を手にしたロイドは、特務支援課の元へと戻って来る。

 

「お疲れ様ロイド。これで一件落着ね」

「だな。それよりキーア、彼らが見た夢についてなんだけど」

「キーアも、よくわかんないけど……、たぶん未来の経験を夢でみたんだとおもう」

 

 彼らは爆炎の未来を夢で見て、それを何とかしようと今回の事件を引き起こしたという流れだった訳だ。

 キーアが今まで経験していなかったのもこれで納得がいく。しかし……。

 

「偶発的に未来の記憶を思い出すような事があるのか?」

「何らかの因果があると見た方が良いかも知れないね。そう言えば彼らは”薬”と言ってたけど、もしかしてあの事件に関わってたのかい?」

「はい。最近は病院での治療も終えて、この近くの演習地でリハビリをしてたのですが……」

 

 事件?

 もしや彼らの身に何かあったのだろうか?

 

 そんな疑問を覚えるライの様子に気づいたのは、感応能力を持つというティオだった。

 

「もしかして教団事件を御存じないのですか?」

 

 その言葉で状況の共有が上手く行っていない事に気づいたのだろう。

 ランディが頭を掻いて補足の説明をしてくれる。

 

「まっ、流石にエレボニア帝国までは届いてないわな。簡単に説明すっとだ。5月に《D∴G教団⦆ってカルト教団が当時の議員議長らとつるんで厄介な騒動を起こしやがったんだよ。その際に警備隊も《グノーシス⦆っつー薬を飲まされて奴らの傀儡に「ランディさん」──ん? どうした、ティオすけ?」

「機密情報をぺらぺらしゃべり過ぎではないですか?」

「良いじゃねぇの。こいつはもう他人って訳でもねぇんだから」

「……、……まぁ、それもそうですね」

 

 どうやらランディは喋りにくい情報まで伝えてくれたらしい。

 まあ、ティオも納得している辺り、そこまで厳重なものでもないのだろう。

 

(D∴G教団、それにグノーシスか……)

 

 教団事件と言う名称だけでは結びつかなかったが、ライはこの事件について過去に1度聞いていた。

 

 中間試験の後夜祭にてサラから伝えられた情報だ。

 グノーシスを広めていた組織を特務支援課が摘発したと言っていたが、それが教団事件の事だったのだろう。

 D∴G教団と言う名には聞き覚えはないが、帝国解放戦線と名乗るテロリストと何か関係はあるのだろうか。ライは得られた情報を静かに考え込む。

 

 一方で、ロイド達は警備隊の記憶に関して考察を進めていた。

 

「そう言えばグノーシスには感応能力を高める作用があったわよね。人の記憶を覗いたり、他者と精神を共鳴したり、本当かは分からないけど未来や過去の記録を読み取ったような発言もあった。もしかしたら彼らも……」

「彼らの飲まされた薬はそこまで強力なものじゃなかった筈だ」

「けど、グノーシスはまだ未知な部分が多いですよね。例えば複数人の精神が共鳴してたりして、感応能力が強化されてたのなら、キーアちゃんの記憶を読み取って夢として見てしまったりとか」

「……ノエルの言う通りだな。この場でいくら考えたところで分かる話じゃない、か」

 

 机上の空論で話し合っても意味はないと言う結論に至るロイド達。

 しかし、聞いたところグノーシスは想像よりもやばい薬の様だ。

 精神の共鳴、まるでそれは集合的無意識のような──。

 

「それよりリーダー、その仮面はどうするつもりかな?」

「あ、ああ、そうだな」

 

 ロイドは手元の仮面へと視線を移す。

 ぱっと見ただけではただの白い仮面だが、内に潜む厄災を知ってる身としては、持ってるだけで気味が悪いものだろう。

 

「……このまま盗まれたままにするって訳にもいかないよなぁ」

「ふふ、それなら七耀教会に渡すってのはどうかな?」

「え、七耀教会?」

 

 ワジが口にした予想外の提案にロイドは驚く。

 

「七耀教会は危険な古代遺物(アーティファクト)の回収・管理をやってるんだ。その仮面も危険性で言えば似たようなものだし、話せば適切に処理してくれる筈だよ」

「でも、そう簡単に分かってくれるかな」

「大丈夫さ。僕にはちょっとした伝手があるからね」

 

 ロイドの手から氷の仮面をひょいと奪い取るワジ。

 中性的な姿の彼は、仮面の橋に口をつけて妖しげに笑うのだった。

 

 

 ……

 …………

 

 

 ──クロスベル北西の郊外。

 警備隊を引き渡したロイド達は、ワジの提案に従って住宅街の先にあるクロスベル大聖堂へと向かった。

 

 ワジが自信ありげに「伝手がある」と言ったのも嘘ではなかったらしい。

 彼は1人聖堂内へと入っていくと、それほど時間も経たずにシスターと帰還。

 すんなりと仮面の回収に応じてくれた上に、アルカンシェルへの説明も七耀協会の立場からしてくれるとの事だった。

 

 かくしてアルカンシェルの盗難事件を無事解決した特務支援課一行。

 彼らは大聖堂からの帰路の途中、大きく背伸びをしながら空を見上げた。

 

「っしゃ、一時はどうなるかと思ったが、何とか丸く収まったぜ」

「本来は観光する筈だったのよね。結局いつもの仕事みたいになっちゃったけど」

「まあ、結果として各地を渡り歩いたわけですし、万事解決ですね」

 

 事件の緊張が解けたこともあり、ランディ達の気分は晴れやかだ。

 夕焼けに染まりかけた空も雲1つなく。まるで皆の心情を映しているようだろう。

 

 ……だが、彼らは1つ見逃していた。

 

「? まだ終わっていませんが」

 

 後ろを歩くライの言葉を聞いた全員の足が止まる。

 

「えっと、まだ何かあったかな?」

「まだ5か所、行ってない場所があります」

「…………え?」

 

 そう。

 彼らはライの在り方を理解しきれていなかったのだ。

 

 ロイド達は再び空を仰ぎ見る。

 既に昼はとうに過ぎ、夕方に差し掛かった事は間違いない。

 元よりきつめな日程だったのだ。それなのに彼は、さも当然が如くそう宣った。

 

「おいおい小僧、流石に今からは無茶じゃ……」

「諦めるにはまだ早いです。まだ、時間は残っています」

 

 諫めようとするランディの言葉も全て無意味だ。

 既にブレーキなしの暴走列車は走行を始めてしまったのだから。

 

「やるからには全力です」

 

 戸惑うロイド達を背に、ライはクロスベル市内へと歩き出す。

 

 かくしてクロスベル観光は超特急の展開を始めるのだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ──1ヵ所目、カジノ。

 再び賑わいのある歓楽街に戻って来たライ達は、そのままド派手な建物の内部へと足を踏み入れた。

 

 その建物とは歓楽街の目玉の1つであるカジノ。

 換金こそできないものの、スロットやポーカー、ルーレット等により、客は運の娯楽に身を委ねて時間を忘れる事ができる。

 いくつものゲームが立ち並ぶ中、ライが選んだのは運命の輪とも呼べるゲーム、ルーレットだった。

 

 眼前に広がるのは赤と黒、1から36の数字が書かれたボード。

 そして手元には積み重なったチップの山。

 

 まるで常連客が如く優雅に座るライの左右から、ランディとワジが熱心に声をかけてくる。

 

「ライ、上の列だ! ここまで上に偏ってるんだから次もここだろ!」

「確率の法則性なんてまやかしだよ。ディーラーの癖もまだ見えないし、この場面は2コラム2ダズンで様子を見るべきじゃないかな」

 

 悪い大人たちに囲まれる中、ライはチップを手に取る。

 そして堂々とテーブルの1点にそれを置いた。

 

「俺の選択は、これです」

「──なっ!? 数字にオールインだって!?」

 

 わいわいと楽しむ悪い人間3名。

 

「ティオ~? 前がみえないよぉ~?」

「見てはいけません。不健全です」

「ははは……」

 

 その後方では、ティオがキーアの目を塞いでいた。

 

 

 

 ──2ヵ所目、オーバルストア《ゲンテン》。

 ここは中央広場に位置する導力器の大型販売店だ。

 生活の質を高める最新の日用品を始めとして、ライ達にも馴染み深い戦術オーブメント、更には人々の注目を集める導力車の展示販売すら行っている。

 

 買い物というものは一種の娯楽と呼べるだろう。

 予め買うものを決めて商品を見るのも良いが、未知なるものとの出会いを求めて見て回るだけでも良いものだ。

 

 現に今、提案者のノエルは誰よりも目を輝かせ、導力車のエンジンにかじりついていた。

 

「見て下さい! これ!! ZCF社の最新式ですよ!!」

「何とビッグな……」

「高出力モデルですからね! これを積めば山地の荒道も難なく進める馬力があって、でも同時に静音性にも優れた新パーツがこの部分に──……」

「なるほど。シャドウを撥ねるのに使えそうですね」

 

 微妙に噛み合っていない会話をするノエルとライ。

 その後ろでは、

 

「ティオ~? なんでまた目を隠すの~?」

「キーアは見ないでください。変な道にすすんでしまいます」

「ははは、は……」

 

 またティオがキーアの目を塞いでいた。

 

 

 

 ──3ヵ所目、プールバー《トリニティ》。

 そこはワジが所属していたグループ《テスタメンツ》が経営するバーらしい。

 旧市街の階段を下った先に存在する、まさにアンダーグラウンドな店舗だ。

 薄暗い店内にはビリヤード台とカウンター席が並んでおり、大人な空間といった雰囲気を漂わせている。

 

「おすすめを1つ」

 

 暗い明かりの下、優雅にグラスを揺らす未成年、ライ・アスガード。

 顔には見せないがこの男、ノリノリである。

 

「警察官として聞くけど、ホントに初めてなんだよな?」

「ええ勿論」

「それなら良いんだけど……。それとワジ、彼が飲んでるカクテルって──」

「安心しなよ。ノンアルコールだから」

 

 ワジからノンアルコールとの確約を得てようやく安心するロイド。

 一方その隣では、

 

「ティオ~? またぁ~?」

「キーアにこの空間はまだ早いです」

「まぁ、そうよね……」

 

 またまたキーアの目が塞がれていた。

 

 

 

 ──4ヵ所目、アルモリカ村。

 クロスベルの東門を出て北東を目指した先にある農村地であり、エリィ曰くレンゲ畑と蜂蜜が有名な、自然あふれる場所らしい。

 普段は本数の少ないバスに乗って向かうらしいが、幸い特務支援課は最近導力車を手に入れたとの事。

 やや手狭ではあるものの、快適なドライブで緑に囲まれた街道を抜け、見晴らしの良い村へと到着する。

 

「ふぅ、ここの空気はいつ来ても美味しいですね~」

「そうね。レンゲ畑は暗くなったから少し見えにくいけど……これはこれで趣があるかも」

 

 運転を終えたノエルと提案者のエリィは白い柵に手を置いて、撫でるような風に身を委ねていた。

 

 柵の向こうに見えるのは、遥か遠くの山辺まで続く広大なレンゲの花畑だ。

 太陽も沈みかけた紫色の空の下。まるで1枚の絵画が如き光景が360度広がっている。

 今まで建物が密集した市内にいた事もあってか、この空間にいるだけでゆったりとした気分にさせられる場所だろう。

 

 それはライとて例外ではなく、柵を背にしながら村全体の風景を満喫していた。

 

(どことなくケルディックに似てるな……)

 

 思い出すのは初めて行った実習地ケルディックだ。

 あそこは金色の麦畑だったが、広大な畑という意味では似た感じかも知れない。

 そう言えばあの町で出会った商人マルコは今どうなっているのだろうか。と、ライは遠い地の知人について想いを馳せる。

 

「ティオ~? 目を……隠さないの?」

「やっと教育的な光景になりました……」

 

 因みにお姉さんなティオは別の意味でほっとしていた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ──最後の予定地、保養地ミシュラム。

 夜空の下、クロスベル市内の港湾区から出ている遊覧船に乗ったライ達は、そのまま湖の対岸にあるテーマパークへと足を踏み入れた。しかし……、

 

「到着したと思ったら閉園時間、か」

 

 ロイドがやや残念そうに口にしたように、もうテーマパークで遊ぶような時間は残されていなかった。

 元々このクロスベルをマラソンするような観光は、無理のある日程で進めてたのだ。閉園時間に間に合っただけでも健闘したと言えるだろう。

 

「それでも来た価値はありました」

 

 ライの視線が向かう先には、少女達の背中があった。

 

「キーア! みっしぃ、みっしぃです! 早くこっちへ!」

「うん!!」

 

 今まで後方にいたティオとキーアが率先して楽しむ姿。

 今までのティオは大人ぶった言動をしていたが、こうして見ると年相応の少女にしか見えないだろう。

 ……まあ最も、彼女らが駆け寄っている妙な猫型マスコット、「みしし」と変な鳴き声を発しているあのみっしぃとかいうキャラクターに思うところはあるのだが。

 

「まあ、確かに」

 

 それはロイドも同感だったらしい。

 

 彼はティオ達の姿を優しげな目で見た後、ライが経つ湖畔の一画に歩いて来る。

 ここはきちんと整備されており、周囲にはガス灯のような淡い導力灯、水面の向こう側にはクロスベルの明かりが見える穴場のようなスポットだ。

 それに他の面々はせめて何か買ってくると言って遊園地の奥へと消えている。

 この状況を加味すれば、彼の意図はおのずと読めてくるだろう。

 

「俺と話したい事でも?」

「ははっ、やっぱり鋭いな」

 

 元よりこのクロスベル観光はロイド達の発案だ。

 各地を回り終えたのなら、まあ当然話したい事もある筈だ。

 

「……ライはこのクロスベルを見てどう思った?」

「色々と詰め込まれてるな、と」

「あぁ……まぁそうなるよな」

 

 娯楽に満ちた歓楽街や最先端の中央もあれば、逆に取り残された危険な旧市街や自然の残るアルモリカ村も存在する。かと思えばパン屋のようにありふれた日常もある。

 最中に起きた事件等も加味すれば、こんな感想にもなると言うものだ。

 

「他にも北西には資源豊かなマインツ鉱山があったりするな」

「…………」

「2大国の緩衝地帯なだけあって厄介事も多いけど、それでもこれが俺達の住む街なんだ。劇団員として皆を楽しませたり、普通の店でパンを売ってたり、街を守る為に騒動を起こしてしまったり。今でこそ教団事件で少し有名になったけど、俺達特務支援課もそんな住人の1人、なんだと思う」

 

 ロイド達はそれぞれの立場こそあれど、クロスベルに住まう1市民としてこれまで戦ってきたのだろう。

 それこそ彼らの戦う意味。あの絶望的な未来にすら抗う理由だった。

 

(今回はそれを見せたかったと言う訳か……)

 

 故郷を持たないライとは異なる、自らの住まう土地を守りたいと願う者達。

 それをわざわざ見せてくれた以上、ライ自身も少しは身の内を明かすのが礼儀か。

 

 そう考えたライは懐からある物を取り出す。

 

「これを御存じですか」

 

 ライが取り出したのは月のように輝く1個の錠剤だ。

 

「──! その青い錠剤はグノーシス? なんでライが!?」

「エレボニア帝国でシャドウを用いるテロリストが用いたものです」

「テロリスト……」

 

 真剣な顔で考え込むロイド。

 そう、これは彼にとっても他人事ではない。

 

「シャドウを生み出すために使われているようです。詳細はまだ分かっていませんが、このクロスベルにいたというD∴G教団、もしくはその関係者が関わっている可能性があります」

 

 クロスベルで起きたという教団事件、そしてエレボニア帝国で以前として進行しているシャドウ事件は、必ずどこかに繋がりがある。

 

「……なるほど、俺達の敵はあの未来だけじゃなく一致してた訳か」

 

 2つの地域で起きている状況を把握したロイドは、落水防止の柵に両手を置いて満天の星空を仰ぎ見る。そして、とある単語をゆっくりと口にした。

 

「──例えこの関係が一時的なものであっても、感謝させて貰うよ」

 

 予め用意していたであろう文章。

 それを伝え終えたロイドは、改めてライへと顔を向ける。

 

「今日の案内が終わったらこう伝えるつもりだったんだ。……けど、事情が変わったな。共通の敵がいて、共に回避したい未来もある。今日でライの性格もある程度知れたし、これからも”仲良く”できたら良いなと思うんだけど、どうだろう?」

 

 ロイドはそう言って片手を差し伸べて来た。

 

 今までは神での共闘があったとは言え、ライの内が未知な事もあり、距離感を決めかねていたのだろう。

 けれど、今回の件でそれも解消された。

 対するライの返答については……まあ考えるまでもないだろう。

 

「ええ、今後ともよろしく」

 

 夜空の下、交わされる手と手。

 こうして通商会議が目前へと迫った8月下旬の遊園地にて、遠い地で織りなして来た2つの軌跡は固く結びつき、同じ方向を向く事となった。

 

 

 

 “我は汝、汝は我……。汝、新たなる絆を見出したり。汝が心に芽生えしは節制のアルカナ。調和を守りしその心こそ、汝が道を明らかなものとするだろう……”

 

 

 

 

 




節制(特務支援課)
 そのアルカナが示すは調整と管理。献身や自制、平等といった規則正しい意味を持つものの、逆位置となれば一転、不正や浪費といった乱れし内容となってしまう。混沌とした魔都クロスベルにて正しく貫き通せるのか。それは彼らの意思にかかっていると言えるだろう。他にも節制には象徴として錬金術が描かれているのだが、その因果が明らかになるのはもう少し先の話である。


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97話「西ゼムリア通商会議」

 ──8月30日。

 西ゼムリア通商会議が開催される前日の昼間、クロスベルは慌ただしい空気に包まれていた。

 

 通商会議に参加する諸国の重鎮を迎え入れる為、各種交通機関に厳重な警備を配置。

 市内には会議をリアルタイムで視聴できるよう、大型の導力画面を取り付けた車両を各地に設置。

 他にも会議を見に訪れる観光客やメディア関係者を期待してか、出店やレストランなど、一般市民も明日に向けた準備で忙しそうだ。

 

 そうした時間が少しばかり経過した頃、青いシートに包まれた高層ビルの前にある広場にて、もう1つ大きなイベントが始まろうとしていた。

 

「各国首脳の皆様、ようこそクロスベルにいらっしゃいました」

 

 西のエレボニア帝国、東のカルバード共和国、南のリベール王国、そして北のレミフェリア公国。

 各国の代表が一同に会する中、ディーター市長が大いに歓迎し、数多くのシャッター音の中、開会の宣言を述べていく。

 

 間違いなく今後の歴史に残るであろう会議。

 その始まりを告げるにあたり、彼はある催し物を擁していた。

 

「この記念すべき日を迎えるに当たり、少しばかり時間をいただきたい。──ご紹介申し上げます。これが大陸史上初の超高層ビル、オルキスタワーであります!」

 

 ディーターが高らかと宣言したその瞬間。

 シートが自動で開き、天にも届きそうな高層建築が姿を現す。

 

 クロスベルの新庁舎にして国際交流センター、そして明日の通商会議を行う舞台でもあるオルキスタワー。

 高さ250mもある高層ビルを見上げる各国首脳たちは、各々驚愕や感嘆の意を持ってそれを受け止めている。

 

 一方で、タワーには目もくれず、遠方から静かに開会宣言を観察する青年が1人。

 

(……事前の情報通り、今日は問題なさそうだ)

 

 イベントが予定通りに進行している事を確認したライは、オルキスタワーを見上げる住民達の間を通り抜け、警備の厳重な表通りに辿り着く。

 

「さて、と」

 

 通行人の邪魔にならない壁際に移動し、ARCUSをまるで通信するようなしぐさで口元へ運ぶ。

 

 他者から見れば普通に導力通信をしているようにしか見えないだろう。

 しかし、彼が起動したのは戦術リンク。鍵の力を用いて遥か西のエレボニア帝国へとの繋がりを生み出す。

 

「俺だ。今、大丈夫か?」

《うん。そろそろかなって思ってたよ》

 

 ライの脳裏に鳴り響くエリオットの声。

 この超遠距離リンクもだいぶ慣れてきた様子で、特に慌てる事もなく返事が返ってきた。

 

《情報共有だよね? ちょっと待ってて、リィンが変わりたいって言ってたから》

「分かった」

《──……、……ライ?》

「久しぶり」

《ああ、数週間ぶりだな。無事みたいで安心したよ》

 

 エリオットを通して聞こえてくるリィンの声。

 彼の声に安堵の色が滲み出ている事を鑑みるに、どうやら神の件で心配をかけていたらしい。

 もう少し早く連絡するべきだったかと反省しつつ、ライは久々の友人と会話を始める。

 

「そちらこそ、特別実習は無事に終わったのか?」

《まあな。俺達A班はラウラの故郷でもあるレグラムに行ったんだけど、湖の古城で少し魔物と戦ったくらいで異常事態はなかったかな。シャドウも出なかったし》

「そうか」

 

 今まで毎回事件に巻き込まれていた影響か、リィンの基準も中々にずれ始めていた。

 

《それより、そっちはどうだったんだ? 例の神は……》

「現地の協力もあって倒せた。病院のお世話にはなったが、大した怪我もない」

《……病院の世話にはなったのか》

「気絶しただけだ」

 

 気絶……なら良いのか? と、通信の向こう側で悩みこむリィン。

 まあ、今までの話についてはこれくらいで良いだろう。

 今はそれよりも共有しなければならない事がある。

 

「それより本題は明日だ。確かな情報筋からテロリストの計画が分かった」

《帝国解放戦線の計画……。それ、今言って良いのか? 確か所属不明の監視がいるってエリオットから聞いたけど》

「今は大丈夫だ」

 

 ライはARCUSから目を離して周囲を見渡す。

 

 至るところで目を光らせる警備の視線。

 ライは諸国の重鎮が来訪した事で更に厳重になった場所にあえて身を置き、自身の監視も難しくしていた。

 仮にあのアルティナが帝国解放戦線の関係者だったとしても、声を盗み聞きできる場所にはいないだろう。

 

《なるほどな。なら、行事が終わる前に早く共有した方が良さそうだな》

「ああ。奴らの狙いは──」

 

 ライはリィンに説明しつつも思い返す。

 今朝、特務支援課で聞いた未来の話を──。

 

 

 ──

 ────

 

 

 特務支援課のビル。

 窓を閉め切った部屋の中で、ロイド達は大きな机を囲い座っていた。

 真剣な顔で視線を集めるのは両手を膝に置いた少女キーア。

 

 そんな沈黙の中、ビルの2階から戻って来たランディとワジが報告する。

 

「うっす、とりあえず外部から覗かれる場所は全部閉めといたぜ」

「盗聴の類がないのも確認済みだよ」

「ありがとう2人とも。──それじゃあキーア、頼めるか?」

「……うん」

 

 今回集まった理由は直近の事件、西ゼムリア通商会議に関する対策だ。

 危惧されているシャドウを用いたテロリズムの危険性。

 幸いここには未来を知るキーアがいる為、より具体的な対策を講じる事ができる。

 

「えぇっと、まずね? ひとつ言っておきたいんだけど、キーアもすべて知ってる訳じゃないんだ。キーアはまだこどもだから、タワーに入れなくって、外から見てるしかなかったから……。その、ごめんね」

「謝らないで、キーアちゃん。誰だって1人で知れる範囲には限界があるし、だからこそこうして皆で集まったんだもの。ね、ロイド?」

「もちろんだ」

 

 優し気な顔で頷くロイド。

 キーアはその顔を見て緊張を緩めたのか、顔をやや明るくして喋り始めた。

 

「16時すぎ、だったかな。おひるも終わって、おじさん達がむずかしい話をしてたのがずっと中継されてたんだけど、いきなりタワーの近くにお船が飛んできたの」

「飛行艇か。それにテロリストが?」

「そーみたい。窓にいっぱい撃ってたんだけどダメで、お船はタワーの上に昇ってって、それで……」

「それで?」

「……帝国と共和国の人たちがみんなやっつけちゃったんだって」

 

 飛行艇がタワー屋上についてからの情報が欠けているようだ。

 まあ、外部の人がタワー内のいざこざについて知る事は難しいだろう。

 

「テロリストの侵入経路、そして時間帯が確定したかな。2大国が制圧したって話は少しきな臭いけど……」

「ワジはこれが帝国と共和国のマッチポンプだと思ってるのか?」

「さて、ね」

「どちらにせよ私たちのやる事は変わらないかと。航空網の警備を強化するよう提言して、それから「あ、それとね!」──えっ、まだあるんですか!?」

 

 今の情報から詳細を詰めようとしていたティオ達だったが、キーアはまだ情報を持っていたらしい。

 

「帝国の悪い人たちはもう1つおっきな攻撃をしてきたの。それは──」

 

 彼女が口にした帝国解放戦線の2面攻撃。

 その情報を聞いた瞬間、特務支援課の中に衝撃が走るのだった。

 

 

 ────

 ──

 

 

《ガレリア要塞の列車砲にもテロリストの魔の手が……!?》

「ああ。同時期に決行される筈だ」

《本当、なのか?》

「残念ながら」

《……》

 

 リィンは暗い声で言葉を閉ざす。

 仮に列車砲の砲弾が会議中のオルキスタワーに命中した場合、鉄血宰相が死ぬだけでは終わらない。

 各国首脳が纏めて殺されたとなれば全大陸規模の大混乱に陥るのは間違いないだろう。

 

 その先に待つのは全面戦争か破滅か。

 どちらにせよ、テロリスト達はそれすら無視して動こうとしているのだ。

 ……何としても止めるしかない。故にライは提案する。

 

「確かエリオットの父はガレリア要塞を警備する第4機甲師団の司令だった筈だ。その伝手で──」

《いや、その必要はないんだ》

 

 しかし、その提案は不要と却下された。

 

 何か他に良い手があるのだろうか? 

 疑問に感じたライの耳に届いたのは、予想外の事実だった。

 

《実は今回の特別実習は2段構成でさ。俺たちは今、B班と合流してガレリア要塞に来てるんだ》

 

 あまりにも都合が良すぎる展開。

 ライの脳裏によぎるのは、ワジが口にした言葉だ。

 

(まさか、本当にマッチポンプなのか……?)

 

 もしくはテロリストの作戦を秘密裏に掴んで、必要な人員を配置したのか。

 後者である事を願うばかりだろう。

 

《ひとまず教官に相談してみるよ。そっちは──「あっ、ライ君!」──……》

 

 通信の途中でライを呼ぶ声が聞こえた。

 ライは通信を中断し、声の方向へと視線を向ける。

 まあ最も、姿を見ずとも声だけで誰か分かるのだが。

 

「──トワ先輩?」

 

 そう、声の主とはトリスタにいる筈のトワだ。

 彼女は大きな鞄を手にし、こちらに向けて小走りで走って来ていた。

 

「やっぱりライ君だ! せっかくこっち来たんだし、会えたらいいなぁって思ってたんだよ」

 

 鞄を傍らに置き、異邦の地で会えた喜びを全身で表現するトワ。

 しかしライとしては、トワがクロスベルに来た理由が分からず、困惑の方が上回っていた。

 

「何故ここに?」

「あっ、そー言えば、話が来たのってライ君が出発した後だったっけ。……えっとね、大活躍だったライ君たちを差し置いて申し訳なくもあるんだけど、帝都での騒動で避難誘導した手腕が評価して貰っちゃって。今後の進路にも良いからって、随行団のお手伝いとして同伴する事になったの」

「随行団ですか」

「うん。主な仕事は政府代表のサポートってところかな。明日はあのおっきなタワーに上って、色々なお手伝いをさせてもらう予定」

 

 トワは青空に溶け込むようにして佇むオルキスタワーを指差す。

 要するに彼女は、今回の通商会議に帝国側として参加する事になったらしい。

 お手伝いとは言え国家代表の一員だ。流石にトワも緊張しているのか、肩に力が入っているように見えた。

 

(随行団……。そういう形もあったのか)

 

 彼らに加わる事ができればタワー内に入る事ができるかも知れない。

 そう思いライはトワにその旨を伝えた。

 

「ライ君も随行団に? ……う~ん、ちょっと難しいかも知れないけど、一応聞いてみるね?」

「あーその必要はねぇぜ。どうせ断られるに決まってるからなー」

 

 2人の横から、赤髪の男性が話に加わって来る。

 彼はへらへらと笑っているが、それが逆に不自然だ。

 鍵の影響を受けていない……いや、予め影響の事を知っているような表情。ライは内心警戒を強め問いかける。

 

「……あなたは?」

「オレはレクター・アランドール。一応は帝国政府の関係者さ。──こんだけ話せば分かるくらいの情報はアンタらの方に伝わってる筈だろ?」

 

 レクターと名乗る青年に質問を返されるライ。

 まあ、確かにその名をかつてライは耳にした事があった。

 

 あれはノルドの一件に関してリィン達が話していた時だったか。

 ミリアムと同じ情報局に所属し、緊張が高まったノルドを衝突回避まで持って行った人物だ。

 油断はできないな、と思いつつ、ライは短く返答する。

 

「ええ」

「いやー警戒されちまってんなー。まっ、そのくらい賢い方がオレもやりやすいけど」

 

 レクターは軽いノリでライの視線を受け止めつつ、先ほどの話を続けた。

 

「さっきの話の続きだが、随行団の審査はもうずっと前に終わってんだ。ほら、会議の近場にスパイとかが紛れ込んでたらヤバいだろ? ちゃんとした身の上なのかとか、過去に接触した人とか、色々と身辺調査も行われたわけ」

「……」

「つー訳で、だ。残念だろうけど、身の上真っ白なアンタの許可はまず下りないだろうなぁ」

 

 そう言われれば納得する他ない。

 ……が、それなら何故リィン達の誰かを参加させなかったのか。

 ライの内に新たな疑惑が浮かぶ。

 

「それよりそっちの嬢ちゃん。さっき随行団のトップが呼んでたぜ。そろそろ手配した宿に向かうってな」

「あっ、はい! ……ライ君ごめんね、もういかなくっちゃ」

 

 一方でレクターはトワに言伝を告げていた。

 慌てて鞄を持ち直したトワは、制服を揺らして元来た道を走っていく。

 ──と、思いきや、途中で止まると振り返り、

 

「ライ君! 立場上仕方ないかも知れないけど、自分の事もちゃんと大事にするんだよ! 絶対だからねー!!」

 

 最後に大きく叫んで去っていった。

 

 いつの間にかレクターも姿を消しており、影も形も見当たらない。

 残されたのはARCUSを手に持ったままのライただ1人。

 彼は披露されたばかりの真っ白なオルキスタワーを再び見上げ、鋭い目で未来の戦場を睨みつける。

 

(戦う理由がまた1つ増えた、か)

 

 その心中に拭いきれない不穏な予感を抱え込んで。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ──8月31日、通商会議当日。

 ロイド達特務支援課の面々は、クロスベル警察捜査一課に掛け合ってタワー内の警備に参加していた。

 時間は既に午後2時過ぎ。通商会議の開始時間まで1時間を切った今、タワー内は張り詰めた空気に包まれている。

 

「ダドリーさん、それでは手筈通りに」

「ああ。お前たちは手薄だった屋上の警護を行って貰う。……だが、本当なのか? テロリストが飛行艇を用いて襲撃して来るなど」

 

 捜査一課のダドリーは特務支援課から聞いた情報を精査すべく問いかける。

 この通商会議を警備する立場として、彼は情報の真偽について公平に見極める必要があった。

 ダドリーは一片の手がかりも見逃さぬ様、メガネ越しに特務支援課一人一人の表情を、そしてロイドが大事そうに抱え込んでいる巨大なトランクケースを睨みつける。

 

「確かな情報源なので、可能性として無視できないレベルです」

「…………なんにせよ、今回の会議では万全を期す必要がある。何かあれば連絡してこい」

 

 ケースから視線を外したダドリーは、手短にそう言い残し、彼の担当である34階へと戻っていく。

 

 今、ロイド達がいるのは36階の連絡通路。

 そこから見下ろせるようになっている35階の国際会議場では、各国の代表を迎え入れる為の最終チェックを行なっている状況だ。

 ロイドはそんな本日の表舞台に別れを告げ、仲間と共に非常階段へと向かっていった。

 

 

 ──

 ────

 

 

「……うまく切り抜けられた、のでしょうか?」

 

 オルキスタワー屋上。

 高所の風が髪を乱す中、ティオが小さく口を開く。

 

「どっちかって言うと見逃してもらったと言うのが正しいだろうね。彼だって飛行艇に対処する為には"切札"が必要だって事くらい分かるだろうし、リーダーの態度からあの場で言及しない方が良いって所まで推理したんじゃないかな」

「そいつはまぁありがたいこって。──それよりロイド。もう我らが切札を外に出しても大丈夫そうだぜ?」

「そうだな」

 

 ロイドはトランクケースを丁寧に置くと、ゆっくりとロックを外す。

 それにより外気に晒されたのは綺麗な碧色の髪と肢体。……つまりは身を屈めたキーアだった。

 

「あ、もういいのー?」

「ああ。ごめんなキーア、こんな形しか考えられなくて。キツくなかったか?」

「うん、だいじょーぶ! むしろなつかしい? ってかんじで快適だったよ!」

「そ、そうか」

 

 冗談なのか本心なのか判断しかねる感想を聞いたロイドは苦笑いを浮かべる。

 

「……飛行艇、それもシャドウを引き連れたテロリストに立ち向かうにはキーアちゃんが必要だと言うのは分かりますが、やっぱり心配ですよね」

「問題ありません。キーアは私たちの全てを賭けてても守りますから」

「ええ、傷ひとつつけないわ」

 

 まだ襲撃予定時間には早いにも関わらず、ティオとエリィはやる気全開だ。

 ティオは早速監視用の導力端末を起動させ、エリィも念入りに武器のチェックを行っている。

 

「襲撃予定までまだ4時間近くあるんだけどな……」

「ふふ、そういう君だって手に力が入っているようだけど?」

「えっ?」

 

 ワジに指摘され、ようやくロイドは自身の緊張に気づいた。

 

 キーアの話で2大国が対策している事は分かっているが、だからと言って大陸全土を混乱に叩き落しかねない襲撃を見逃す訳にはいかない。

 それに、先日の仮面窃盗事件のようにイレギュラーが発生する恐れもある。

 

 故に傍観する道は特務支援課にないのだ。

 ロイドは自身の手を見つめ、胸の内に燃え盛る闘志を灯すのだった。

 

 

 ……

 …………

 

 

 ──15時。

 下の会場ではそろそろ休憩時間に入っている頃だろうか。

 屋上の警備を受け持つことになったロイド達は他の警備と連携を取りながらも、ただひたすらに青空の警備を続けていた。

 

 果てしなく広い地平線。

 地上には作り物のように小さく見える街並みが続き、空には少しずつ形を変える雲が流れていく。

 その中に飛行艇の影はなく、今のところは順調と言った状況だ。

 

「……それにしても、来ないと分かってる警備を続けるというのも意外と疲れるね。今は本番に備えて休息に専念するべきじゃないかな?」

「ワジの言い分も分かる。……でも、俺達は仮にも屋上の警備を任された身なんだ。ここで目を光らせているだけでテロリストの事前工作を牽制できるかもしれないし、それに何も知らない人に見られたら無用な疑惑を受ける可能性だってある。ほとんど意味がなくたって仕事はしておかないと」

「警備はいるだけで意味があるって事か。オーケーボス、君の判断に従うよ」

 

 再び空へと視線を戻すワジ。

 ただ、世間話をするくらいならロイドの懸念にも該当しないと考えたのか、隣で設置式の機器にケーブルを繋いでいるランディに向けて話しかけた。

 

「ところで、我らがもう1人の切札はどこにいるんだい?」

「あーあの小僧の事か。あいつなら今頃タワーの地上付近にいるんじゃねぇか? 昨夜にビルに来たんだけどよ。どうやらタワーに入る許可を得られなかったらしい」

「おや意外だね。彼はその程度で引き下がるタイプには思えなかったけど」

「……その代わりと言っちゃなんだが、スモークグレネードやスタングレネードを幾つか拝借してったぜ。ったくあの野郎、一体何に使うつもりなんだか」

「それは……前言を撤回した方が良さそうだね」

 

 ワジはやれやれと首を振る。

 ライは今この場にはいないが、テロリストが襲撃する際には何らかの行動に移すらしい。

 

「……うぅ」

 

 襲撃の事を思い浮かべたのか、キーアが緊張で震えていた。

 それを見たロイドは彼女の手を優しく握る。

 もうすぐ訪れる避けられぬ戦いに備えて。

 

 

 ………………

 ……………………

 

 

 

 そうして、襲撃の時は訪れた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

『聞こえているか!? 今緊急の連絡が入った』

 

 ダドリーから入った緊急の連絡。

 その内容はロイド達が想定していたものだ。

 

『帝国、共和国方面に設置されていた対空レーダーが黒い魔物の襲撃を受けて全壊させられた。お前たちの情報通り上空からの攻撃だ! 総員、最大限の警戒に当たれ!!』

 

 レーダー網への攻撃。そして軍用飛行艇の侵入。

 ダドリーからの警告を受けた数秒後、2つの空飛ぶ兵器はロイド達の視界からも確認できた。

 

 ……だが、まだ遠い。

 空は彼らのフィールドだ。

 2組のテロリストはまず通商会議の会場に射撃を行い、続いて屋上に直接乗り込んでくる。

 この段階になるまで手出しは出来ない。

 

『──我々は帝国解放戦線、そして反移民政策主義の一派である。早速だが、諸君にはゼムリア大陸の正しき未来の為、尊い犠牲となっていただきたい』

 

 キーアの言葉通り、テロリスト達の乗った船は機関砲を会場へと向け、幾百もの銃弾を叩き込む。

 

 透明な窓に入る無数のヒビ。

 だが、防弾仕様の加工に阻まれ、全ての弾はガラスの半ばで停止した。

 

『《G》殿、ここからの突破は時間がかかるぞ』

『想定の範囲内だ。作戦を第2段階に移行する』

 

 2機の飛行艇は機関砲の駆動を止めると、屋上に向け上昇を開始する。

 それとほぼ同時に、ダドリーとティオの切羽詰まった声が届く。

 

『シャッターが降りただと!?』

「導力ネットワークシステムへのハッキングです! オルキスタワー各階層の隔壁が閉鎖。ですが逆に、屋上から会議場までの全セキュリティが解除されています!」

 

 タワー内部の警備は分断され機能不全。

 加えてテロリストは目標までほぼスルーパスの状態。

 

 ……本来ならば、彼らの計画通り事態は動いていた事だろう。

 

「今だ! ランディ!!」

「おうよ!!」

 

 だが、テロリストが降り立つ屋上には既に特務支援課がいるのだ。

 

 上昇する機影が視界に入ったその瞬間、ランディは設置した機器に導力を通す。

 刹那、屋上の各所から吹き出す多量の煙。

 瞬く間に屋上を埋め尽くしたスモークはまるで雲の様にテロリストの視界を遮る。

 

『な、なんだ!?』

『スモークだ。だがこの強風、そう長くは持つまい』

 

 屋上は常に強風が吹き荒れる環境だ。

 今は屋上が何も見えない状況だが、数十秒もすれば煙も薄れてくるだろう。

 カルバード共和国のテロリスト達は苦し紛れの時間稼ぎだと断ずる。

 

 しかし、エレボニア帝国側の反応は違った。

 

『警戒を怠るな! もし"奴ら"がそこにいるなら、数秒もあれば十分に……!』

 

 機銃を屋上へと向け、掃射の準備へと入る。

 だが、それよりも数瞬早く、煙の中に青い光が迸った。

 

「お願い、アルコーン!!」

 

 召喚の主は本を持ち、ガスマスクを被った幼き少女キーア。

 彼女の元から写し身が飛び立つと、煙を突き破り、テロリスト達の眼前にその可憐な姿を現す。

 

 ──マハコウガオン。

 両手を広げたアルコーンの周囲にて無数の光刃が像を結び、飛行艇の機銃を縦横無尽に切り刻む。

 

『き、機銃両機とも破損、稼働不可。 今のはアーツか!?』

『手始めに武器を狙うとは舐めた真似を……』

『ハッチを開けろ! 直接反撃する!』

 

 テロリスト達は慌ただしくも早急に体勢を立て直す。

 飛行艇下部のハッチが開き、姿を見せるは導力ライフルを構えた複数人のテロリスト。

 彼らは宙に浮かぶアルコーンに向けて一斉に射撃を開始する。……が、写し身は被弾の衝撃こそ受けているものの、まるで損傷は見られない。

 

 一方、事情を知るエレボニア側のテロリスト達は、屋上へと戦術オーブメントを向ける。

 

「ペルソナを狙うな! 狙うなら生身の召喚者を!!」

 

 だが、導力魔法を発動する寸前、1枚のカードが風を切り、彼の眼前で爆発した。

 体勢を崩す帝国解放戦線の兵士。

 それにより発動する筈だった導力は周囲に四散する。

 

「ぐっ……!」

「させると思ったかい?」

 

 駆動解除の技──トリニティカードを放ったのは煙に潜むワジだ。

 

「怯むな! 物量はこちらが上だ!」

「「了解!」」

 

 解除された兵士をカバーするようにして、複数のテロリスト達が即座に弾丸の雨を放つ。

 ワジは足音もなく煙の中へと消えたが、彼らは構わず銃弾をばらまき続けた。

 

 何も正確に狙いをつける必要はない。

 隠れる場所もない屋上。

 ペルソナの召喚者に防御が必要だと思わせればそれでいい。

 

「──ペルソナの消失を確認!」

 

 唐突に消えるペルソナ。

 同時に帝国解放戦線の兵士は目に意識を集中させる。濃く重たい煙。うねる渦の中で、微かに、青い光が再び灯る光景を目にした。

 

「11時の方向だっ!!」

 

 テロリストは引き金を全力で引きつつ思考を巡らせる。

 

 まずはペルソナ使いの足止め。

 続いて爆薬を用いて屋上を更地にし、その次は……。

 

 限られた時間を無駄にしない為の思考。

 だがそれは、煙の隙間に見えた光景により白紙へと戻る。

 

「……導力、灯?」

 

 見えたのは青く光る機械の残骸。

 

 彼は気づいてしまったのだ。

 今の状況が全て仕込まれた流れであった事を。

 情報が漏れていたどころの話ではない。まるで未来すら知られているかのように、ピンポイントの対策が組まれていた事を。

 

 テロリストが感じた戸惑いにより、射撃の波が乱れる。

 それを特務支援課側で最初に感じ取ったのは、常に二丁拳銃を構えて狙いを定めていたエリィだった。

 

「……攻撃の波が揺らいだ? ノエルさん、飛行艇の分析の方はどう?」

「彼らが乗っているのは両国で使用されている基本モデルです。既にロイドさんにも伝えています」

「そう。──なら、動くなら今ね」

 

 エリィは特殊な弾丸を銃に込め、2機の飛行艇目がけて発砲する。

 

 屋上に溢れる赤い光。即ち照明弾。

 テロリスト達の注意を一瞬集めると共に、これは合図にもなっていた。

 伝える相手は飛行艇下方。

 煙の中、密かに移動していたロイドと、彼の腕に抱えられたキーアだ。

 

「……合図だ。行けるか? キーア」

「任せて! ──降魔、トランペッター!!」

 

 キーアが全書に手を置くと、膨大な光の奔流が溢れ出し、天高くへと昇っていく。

 テロリスト達はその光に驚き銃を向けるが、ペルソナを目にした瞬間、思わず銃口を揺らしてしまう。

 

「……な、なんだ、あの不気味な天使は…………!?」

 

 光の中からテロリスト達を見下ろしていたのは、ラッパを口にした白き衣の天使。

 だが、その顔は髑髏で象られており、空洞の目で見下ろされると、まるで自らの命運が尽きたような錯覚に陥ってしまう。

 

 そして、彼らが感じた感覚は間違っていなかった。

 恐ろし気な調べを2度奏でる骸骨の天使。

 魔縁のラッパから響き渡った調べは飛行艇内部へと入り込み、無慈悲な即死級の災厄となり顕現する。

 

『緊急事態! 飛翔機関に異常発生! 反重力フィールド、維持できません!』

『クッ、それが狙いか!!』

 

 飛行艇を浮上させている導力機関への直接攻撃。

 ノエルの知識を元にその位置を割り出し、テロリスト達を空中というフィールドから叩き落す。

 それが、圧倒的に不利だった状況を覆すためにロイド達が立てた計画だ。

 

 トランぺッターによる攻撃を受けた飛行艇は火を吹き、タワー屋上へと墜落する。

 衝撃と暴風。ロイド達は飛行艇だったものの欠片が辺り一帯に飛び散る中、顔を庇う腕の隙間から墜落地点を見た。

 

 黒い煙を上げた2つの船、そしてうずくまる兵士達。

 今なら容易に確保できるかも知れない。

 特務支援課の面々は視線で合図し、テロリスト達の元へと向かっていった。

 

 

 ──

 ────

 

 

「──クロスベル警察特務支援課だ。通商会議襲撃の現行犯で拘束させてもらう」

「……ッ」

 

 その後、ロイド達は手分けしてテロリスト達の武装解除を行った。

 後ろ手に拘束した後、ランディやノエルが隠し持った武器や爆発物がないかチェックする。

 

「うし、こいつの武装も全部取っ払ったぜ。そっちはどうだ?」

「はい! こちらも武装解除完了しました!」

「順調順調。っはは、こうまで作戦がうまくハマるとはなぁ」

 

 もう少し手こずるかと思っていたランディは、やや拍子抜けと言った様子だ。

 一方、2人の会話を聞いていたロイドは逆に表情を暗くする。そんな様子をティオは訝しそうに見上げた。

 

「どうかしましたか? ロイドさん」

「……いや、少し順調すぎるのが気になったんだ。少なくともシャドウを使った反撃があるものと思っていたんだけど…………」

 

 いくら不意を打ったとはいえ、シャドウを放つ時間くらいはあった筈。

 タワー内の制圧をするために戦力を温存しておきたかった? それともシャドウは既に解き放たれた後なのか? 

 ロイドは幾つかの仮説を組み立てるが、どうにも腑に落ちない。

 

「ロイド、飛行艇内部への道は確保したわ。扉はロックされてたけど、キーアちゃんのペルソナならこじ開けそうだって」

「分かったよ。でも、飛行艇内部のテロリスト達はこじ開けた瞬間を狙って来るかも知れないから、細心の注意を払わないとな」

「そうね」

 

 特務支援課は違和感を抱えつつも、固く閉ざされた扉の前に集合する。

 

 内部から一斉射撃。

 爆発物。そしてシャドウ。

 複数の危険に備えるロイド達の中心にて、キーアが光の旋風を巻き起こす。

 

「──やっちゃって! レッドライダー!!」

 

 特務支援課の前方に現れたのは赤い馬に乗った死神だ。

 その手には人の身長を優に超える長剣が握られており、死神はまるで処刑人のように己の獲物を振り上げる。

 

 両断。

 分厚い扉をただの板切れに変えたレッドライダーは、静かに光へと還る。

 

 その先に待つのはテロリスト反撃か。

 ロイド達は身構えたものの、予想してた争乱は起こらなかった。

 

「……やられた」

 

 むしろ、飛行艇の内部は静寂に満ちていた。

 誰かが座っていた筈の操縦席、武器が立て掛けられていたと思しきハンガーラック、そして僅かな備品が入った木箱。

 人がいた痕跡はあるものの、生物の息遣いは何処にもない。

 

 そう、飛行艇内にいたであろうテロリスト達の本部隊は、忽然と姿を消していたのだった。

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ──爆炎に包まれた世界。

 真っ黒な空や地面がガラスのように割れ、今も少しずつ消滅している廃墟の中、武装した一団が移動していた。

 

「……《G》殿よ、感謝する。貴殿のおかげであの飛行艇から逃れられた」

 

 武装集団の1人、カルバード共和国で活動するテロリストのリーダーが口を開く。

 話しかけられた相手はノルドや帝都に現れた帝国解放戦線の同志《G》ことギデオンだ。

 

「我々が少しばかり幸運だっただけだ。クロスベルにも”異世界”が形成されていなければ、この手段は使えなかった」

 

 彼は謝辞を受けても感情を動かす事はなく、己の手に収まっている1本の鍵へと視線を向ける。

 

「ふむ、それが影を現す道標となり、異世界との扉を開く事すら可能にするという鍵か。……実に得難い力だな。大きな敵に立ち向かう身として羨ましい限りだよ」

「……私の持つこれはまだ小さなものだ。奴のもつ力と比べれば──……」

 

 まるで独白のように呟くギデオンを見て、リーダーは何か事情がありそうだと口をつぐむ。

 

 そのまま彼らは足場の悪いタワーの残骸を登っていった。

 下方に見える地上には歩く屍が歩いており、まるで地獄の1場面のような惨状だったが、兵士達の中でそれを気にする者は1人もいない。

 何故なら、ここにいる誰もがクロスベルで命を落とす覚悟で来ているからだ。

 元よりここは地獄の奥地。何を戸惑う余地などあるだろうか。

 

 ただ淡々と、彼らは上を目指し続け、そしてある地点でギデオンが足を止めた。

 

「此処まで来れば、会議場への扉を出すことが出来るだろう」

「……そうか。皆、覚悟は出来ているな? 総員、これより歴史を変えるぞ」

「「了解」」

 

 死地へと乗り込む準備を進める両国テロリストの兵士達。

 だが、ギデオンは何やら別の事を考えている様子だ。

 彼は思考を巡らせた後、全体に向けてある方針を告げる。

 

「扉は2つ開く。一方は会議場の死角に、もう一方は会議場手前の通路だ」

「……この期に及んで戦力分散だと?」

「どうしても止めねばならない相手がいる。全てを御破算にしかねない奴だ。……まぁ安心したまえ。足止めに行く人員は私1人。シャドウ含め、帝国解放戦線の全戦力はそちらに託そう」

「…………承知した。健闘を祈る」

 

 先も軍用の飛行艇を落とされる事態になった為か、カルバード側のリーダーもその提案を承諾した。

 

 武器を構え、突入の準備を固める兵士達。

 グノーシスを手にし、シャドウを生み出す贄となる覚悟を固める帝国解放戦線の人員。

 

 ギデオンもまた鍵を持ち、2つの扉を開く準備を進める。

 

 

「……ここは錬金術師が造り上げた人工の集合的無意識《D》の舞台。私の理論が正しければ、ここであれば私の鍵でも────」

 

 片手を口元へと運ぶ。

 その手には、紅く光るグノーシスが握られていた。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ……

 …………

 

 

 ……! ──……

 ──……、…………

 

 ………………

 ……………………

 

 

 ……それから、何が起こったのだろうか。

 ギデオンは自問自答する。

 

(…………なん、だ? 私は、何をして……)

 

 朦朧とする意識。断裂した記憶。

 2重にぶれる視界の中、いつの間にか自身がオルキスタワーの通路に立っている事を理解する。

 いつの間にか襲撃は実行に移されていたのか。

 どこかから聞こえる戦闘音を耳にし、ギデオンは頭が少しずつ晴れ始める。

 

 そんな不安定な彼の後方から、重い金属音交じりの足跡が複数近づいて来た。

 

「──はっ、まだ標的が残っていたかと思えば。酒飲みでもしてたのか?」

 

 聞こえて来たのは聞きなれない男の声だけ。

 

「……赤い星座。我らを処刑するため、帝国がわざわざ依頼した猟兵団か」

 

 だが、ギデオンは何故だかその声の主を知っていた。

 自身の口にした言葉に混乱するギデオンを他所に、声の主は返答する。

 

「へぇ、知ってたのか。どこでその情報を手に入れた?」

「…………」

「……まあいい。会議場から逃げ出した奴らは我らが戦鬼が向かっている。どうせハチの巣になるだろう同胞たちを、一足先に逝って迎えてやると良いさ。──殺れ!!」

 

 男の声を合図に、複数人の導力ライフルが構える。

 テロリスト達よりも遥かに洗練された動き。

 人に向けるにはあまりに大きすぎる大口径の銃口が火を吹き、ふらつくギデオンの身体へと凶弾を叩き込む。

 

 だが、

 

「………………あ?」

 

 それらの弾丸は、全て彼の手前で止まっていた。

 いいや、正確には、一瞬で生まれた透明で分厚い氷の中に封じ込められていたのだ。

 

「……理解した。これが、そうなのか…………」

「貴様、何をした!?」

 

 想定外の事態を前に動揺を見える猟兵の男。

 急ぎ油断を捨て、対強敵の作戦へと切り替えようとしたものの、その動きは未遂に終わる。

 

「あ、足が……!」

 

 気がつくと、自身の下半身が通路の空間ごと氷に飲み込まれていた。

 誰一人逃げる事は叶わない。指もトリガーごと凍り付き、抵抗の手段すら奪われている。

 混乱と焦りの声が木霊する中、ギデオンは静かに1歩前に踏み出す。

 

「始めよう。……──ロキ」

 

 その背後に、仮面をつけた巨大な影を従えて。

 

 

 




審判:トランぺッター
耐性:氷結吸収、祝福反射、呪殺無効
スキル:魔縁のラッパ、奈落の波動、精神耐性、勝利の息吹、ランダマイザ
 ヨハネの黙示録に登場する7人の御使い達。彼らが順番に奏でるラッパが合図となり、あらゆる災厄が地上を滅ぼすとされている。


塔:レッドライダー
耐性:呪殺無効、祝福弱点
スキル:レイズスラッシュ、ネガティブパイル、絶望率UP、不吉な言葉
 ヨハネの黙示録に登場する4騎士の1つ。鮮血が如く赤い馬に跨り、その手には大きな1本の剣を握っているとされる。2番目に現れ、地上から平和を奪い去ることで人々に殺し合いをさせる力を持つ。


道化師:ロキ
耐性:???
スキル:マハブフダイン、???
 北欧神話におけるトリックスターとも呼ぶべき知略の神。巨人の血を引きつつも、神の1員として幾多のトラブルを巻き起こしていた。しかし、バルドル殺害を契機とした騒動により幽閉。最終的にはラグナロクにて攻め入る巨人たちの先頭に立ち、門番神ヘイムダルと相打ちになった。


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98話「定められたレール」

 ──テロリスト襲撃の数刻前、西ゼムリア通商会議の休憩時間。

 前半の話し合いを終えた各国首脳に待っているのはメディア向けの写真撮影だった。

 クロスベル市街を一望する壁一面の窓を背に、主催のディーター市長やオズボーン宰相など、参加者全員が並んでカメラのフラッシュを浴びていく。

 

 そんな密度のスケジュールで会議が動いているのだから、随行団として参加していたトワも大忙しだ。

 

「ハーシェルさん。こちらの書類をクロスベルの警備に渡してきてください」

「は、はい!」

 

 当日新たに必要となった書類の数々。

 広報への対応やクロスベルや諸外国の各種関係者との調整。

 表舞台には上がらない裏方ではあるものの、やらなければならない仕事は山積みだ。

 

 ただ、そんな慌ただしい時間にも区切りはあるもので。

 撮影の時間が終わり、各国代表がそれぞれの控室に戻った頃、随行団にも本来の意味での休憩時間が訪れた。

 

(そろそろアンちゃんに連絡取ろっかなぁ……)

 

 トワは随行団用に用意された控室のソファに座り、暖かな飲み物を飲みながら一息ついている。

 けれども、彼女の休憩は思わぬ声によって中断させられる事となった。

 

「休憩中すみません。少々お時間よろしいでしょうか」

「あっ、はい。大丈夫です」

 

 それは随行団でトワに指示を与えていた女性だ。

 彼女はトワがティーカップを置くのを待つと、眉1つ動かさない態度でトワに告げる。

 

「実はこの度、休憩時間を使って貴女とお話がしたいという方がおりまして。お手数ですがご同行お願いいたします」

「──えぇと、この時間に、って事は、通商会議の関係者……なんですよね? いったいどなたがわたしなんかを……」

「オズボーン宰相閣下です」

 

 何気なく聞いた呼び出しの相手。

 

「…………え?」

 

 その名前を理解するまで、トワは暫しの時間を要した。

 

 

 ……

 …………

 

 

 ──オルキスタワー、オズボーン宰相待合室前。

 随行団の女性に連れられ、トワは厳つい帝国軍人が警備する部屋の前まで連れてこられる。

 

「ご要望の人物を連れて参りました」

 

 女性の言葉を聞いた警備兵は後ろにいるトワへと視線を向ける。

 その眼つきは友好とはとても言えず、トワの身なりを疑いの眼差しで確認していた。

 トワは警備兵の威圧的な態度に身を縮めながらも、はっきりとした口調で言葉を紡ぐ。

 

「えと、トワ・ハーシェルです」

「……わかった。宰相閣下がお待ちだ。くれぐれも粗相のないように」

 

 そう言って警備兵は扉の前から移動する。

 トワは彼らに促されるまま、恐る恐るオズボーン宰相が休憩する一室の扉を開けた。

 

(…………)

 

 扉の向こう側は青空を見渡せる角部屋。

 中にいるのは堂々とソファに腰掛け、机のチェスボードを眺めるオズボーンただ1人だ。

 

 護衛もいなければ、手伝いをする秘書などもいない。宰相お抱えの《鉄血の子供達》が潜んでいると言う可能性も……恐らくはないだろう。

 国のトップと言って差し支えない人物と1対1の対話を行うと言う状況。

 いくら士官学院の生徒会長を担っているとはいえ、未成年の少女が緊張もなく相対するなど無理な話だろう。

 

「──何時までもそこに立つ理由もあるまい。好きな場所に座りたまえ」

 

 そんなトワの緊張を見透かしてか、オズボーンは視線すら動かす事なくそう告げる。

 

「は、はい!」

 

 びくりと身を跳ねさせたトワは短く返事をすると、備え付けられたソファの隅に腰を下ろした。

 あまりに静かすぎる空間。鉄血宰相は悠然と座っているだけなのに、室内全体を押し潰しかねない程の重圧が漂っているようにトワの肌は感じていた。

 

「……この貴重な休憩時間の中、よくぞ呼び出しに応じてくれた」

 

 チェスの駒を1つ動かしてオズボーンは口を開く。

 

「本来ならば、噂に名高い特務支援課を招待する予定だったのだが、生憎彼らは手が離せん様子。代わりが欲しかったものでな」

「いえ、そんな……」

 

 どうやら、この休憩時間で話そうとしていた相手の都合が悪かったらしい。

 

 だが、本当にそれだけなのだろうか。

 気圧されているトワであったが、彼女の冷静な部分が違和感を訴える。

 

「……あの、それなら何で私なんかを?」

「フム……、私も元は士官学院で勉学に励んだ身。母校たるトールズ士官学院の生徒会長を見事に努め、先の帝都襲撃でも最適な避難誘導を行った将来有望な若人に興味が沸いた。それが理由では不満か?」

「そうじゃない……ですけど。今のお話にしたって、随行団の推薦にしたって、私よりも相応しい人がいるんじゃないかって思うんです」

 

 トワの中にあった疑問。

 それは奇しくもライが抱いたものと同じものだった。

 

「先月の襲撃で現れたあの黒い魔物のこと、勿論ご存知ですよね?」

「当然だとも」

「それなら、保険としても、私なんかより対処できる人を連れて来た方が良かったんじゃないかなって。ライ君は経歴上難しかったとしても、リィン君とか、マキアス君とか、随行団に入れても大丈夫な子はいた筈ですし……」

 

 帝都を襲撃するような過激なテロリストが、国際会議だからと躊躇するとは限らない。

 早くからシャドウ事件を認知していた帝国政府が、どうしてそんな分かりやすい危険性に対する対処をしていないのか。

 帝都襲撃の功勲としてはむしろリィン達の方が高いと言っていいので、随行させる理由付けなら幾らでも出来ただろう。

 それなのに、実際声がかかったのは避難誘導をしていたトワだった。

 

 彼女はライ自身も考えていたこの疑問を問いかける。

 けれど、オズボーンは答える事はなく、代わりに次の駒へと手を伸ばした。

 

「……時に、汝はチェスは嗜むだろうか」

「え? チェス、ですか?」

 

 突然の話題転換に戸惑うトワ。

 

歩兵(ポーン)騎士(ナイト)戦車(ルーク)……。簡易ながらも複数の才を使い分け、盤外から盤上を動かさんとするこの行為は、指揮を取るものの技量を問う遊戯だと言えよう」

 

 オズボーンは相手側の駒を1手進める。

 それなら次は、自陣の駒を1つ動かすのがチェスで定められた決まりだ。

 

「だが、現実はそうもいかぬものだ」

 

 少し間を置き、彼は胸ポケットから1つの駒を取りだす。

 

 その駒は何処かの民芸品か何かだろうか。

 チェスの意匠をあえて無視したような奇抜な造形であり、どの駒であるか推測すら難しい。

 

「因果もなき盤外から新たなルールを持ち込み、我が物顔でかき乱す。次がどちらの手順かも無視する者がいては、遊戯など成り立つ筈もない」

 

 オズボーンは盤外の駒をチェス盤のど真ん中に、マス目の境界すら無視した場所に置いた。

 

「……さて、この混沌とした盤面。栄えある生徒会長ならばどう対処する?」

「え、えと……」

 

 不自然な謎掛けを仕掛けてくる鉄血宰相。

 

(でも、話の流れをふまえるなら、これってライ君たちの事だよね)

 

 トワは駒を後輩に見立てて考える。

 一見無秩序に思える盤面であっても、彼らの行動ならばそこに何らかの意味がある筈。

 

「……わたしなら、まずルールを知るところから始めると思います」

「フッ、相互理解による調和を目指す、か。平時であれば、それもまた1つの解と言えよう」

 

 少女の考えを、オズボーンはまるで想定内と言わんばかりに受け止めた。

 

「この激動の時代において悠長な策は総じて手遅れになるものだ。悪意ある業火に焼かれるか、潤いなき砂漠の1粒となるか……。調和する相手すら失う策に、いったいどれ程の価値があるものか」

「…………」

「不服かね?」

 

 鉄血宰相の見定めるような視線がトワを貫く。

 そんな事はない……と当たり障りのない返答をする事は簡単だ。

 けれど、ここは多分踏み込むべきところだ。と、トワは口にむっと力を込めた。

 

「……それなら、宰相ならばどうしますか?」

 

 質問に質問で返すトワ。

 暫しの沈黙の後、オズボーンはやや愉快そうに答えた。

 

「確かに、他者の意見を否定するからには、代案を示すのが道理と言えよう」

 

 そう言って、オズボーンは盤上に幾つかの道具を置き始めた。

 

「相手が身勝手なルールを持ち出すならば、こちらは場を整え、その行く末を定めれば良い。──例えば、相手の視線を向けうる餌を用意する」

 

 まるで餌のように置かれた標的の駒を1つ。

 

「例えば、餌の前に障害を設け、歩みの速度を制限する」

 

 標的の前に壁を1つ。 

 

「……例えば、相手が餌を諦めぬよう、相応の理由を与える」

 

 人質のように置かれた小さな駒を1つ。

 結果として、身勝手に振舞おうとしていた駒は、障害を越えて標的に向かうと言う分かりやすい動きを取らざるを得なくなる。

 

「こうして設けるのだ。小手先の企み等では変えられぬ、運命と言う名のレールを……」

 

 その盤面を俯瞰する鉄血宰相の冷たい視線が、何故だかトワの目に焼きついて離れなかった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ……それから数時間後。

 通商会議が再開され、トワも随行団の一員として慌ただしくバックヤードの仕事をこなしていた。

 

 けれどある時、クロスベルの警備員が慌てて廊下へと移動するのを見た次の直後。

 スピーカーで増幅された声が屋外から響き渡った。

 

『──我々は帝国解放戦線、そして反移民政策主義の一派である』

 

 そう、テロリスト達によるオルキスタワーの襲撃だ。

 

(……帝国解放戦線っ! やっぱり来たんだ)

 

 トワは抱えていた書類を急いで机に置き、用意していた拳銃サイズの導力銃を両手で構える。

 今、この控え室にいるのは、ほぼ武器を握った事もない非戦闘員ばかりだ。

 仮にも士官学院に在籍している身として彼らを守らないと! トワはそう思い、こくりと唾を飲んで扉の影へと向かう。

 

 直後、窓の外から聞こえてくる轟々しい銃声音と振動。

 随行団の人の悲鳴とともに、トワは僅かな無線音を耳にした。

 

『──飛行艇の掃射による被害はなし! 対象は屋上に向かいました!』

(これって、警備員の通信?)

 

 丁度、扉の向こうで、警備員が防衛線を築いたらしい。トワは現状を把握するためにも耳を澄ませる。

 

『分かった。待機班は至急屋上への移動を──、──なっ、隔壁が!?』

『セキュリティシステムに異常発生!! 屋上までのルートを除く隔壁が閉鎖されました!』

 

 隔壁の遮断。

 恐らくテロリスト達による事前の仕込みだ。

 

『エレベーターも全機停止! 我々はどうしたら!?』

『慌てるな。屋上には特務支援課がいる。待機班はセキュリティ解除後の突撃に備え戦闘準備を、警備班は各フロアの防衛に注力しろ!』

『『「はっ!!」』』

 

 その通話を最後に、オルキスタワー内は静寂に包まれる。

 ただし、その静けさは張り詰めた緊張を伴ったもの。いつ戦場になっても不思議じゃない。己の呼吸音すら意識してしまう、重い空気が漂う寸刻。

 

 そんな無音を打ち破ったのは、またもや警備員の無線だった。

 

『──緊急事態!! テロリストの一団が突如会議場にしゅ、出現しました!!』

 

 大量の発砲音。

 混乱した警備員の声。

 

『どうした!?』

『……、……ぁ──、…………』

『おい! いったい何があった!! 早く報告を──』

 

 その直後、タワー全体がビリビリと揺れた。

 

(この揺れって、もしかして爆弾……!?)

 

 トワの頬を伝う冷たい汗。

 突発的な揺れが収まった少し後、応答を求める無線に応答が入る。

 

『…………ら、……こちら、会議場、聞こえますか!?』

『聞こえている! いったい何があった!?』

『何らかの奇術により出現した一団はA級遊撃士アリオス・マクレインらにより制圧。しかし、その直後、数人が隠し持っていた爆弾により自爆しました!』

『じ、自爆だと!?』

『幸い直前に察知したアリオス氏により爆弾の一部は斬り飛ばされましたが、会議場の出入り口を含めた一帯が崩落。テロリスト達は見当たりませんが、恐らく、爆発により生じた大穴や瓦礫に飲み込まれたものと────……』

 

 通信はそこで途切れた。

 

 壁1枚を挟んだ爆音。

 閉じられていた扉は衝撃でひしゃげ、トワの体が吹き飛ばされる。

 

「っぁ……!?」

 

 床に倒れ込む小柄な少女。

 視界に火花が散ったような衝撃を受け、体の 力が抜ける。

 けれど、この場で戦えるのは自分だけだと、トワは全身に意識を巡らせて前を向く。

 

 扉の向こう側にいたのは黒い液体状の繭だった。

 警備員の四肢が散らばる廊下。ドロリとした膜が地面へと広がり、中から焦燥した1人の兵士が姿を現す。

 

「死角……それも、至近距離からの奇襲だぞ? A級、遊撃士が……あそこまで化け物だったとは…………」

 

 中にいたのはテロリストと思しき人物だった。

 トワは目の前にいる男と先ほどの通信を照らし合わせ、1つの仮説を組み立てる。

 

(あの人を包んでたのは……シャドウ? もしかしてあれで爆風と滑落から身を守って……)

 

 自爆による下階層への滑落。

 本来ならば大怪我は免れない状況だが、シャドウを身に纏っていたのなら無事だとしても不思議じゃない。

 

「目的は潰えた。我らに生き延びる道もない……。なら、ならばせめて、後に遺す爪痕を……、……!!」

 

 失意の中にいたテロリストは半ばやぶれかぶれになっていた。

 乱暴に向けられた軍用導力銃。このままだと室内にいる人達が危ない。

 トワは倒れたまま落とした導力銃を探す。けれど、どうしても間に合わない。

 

『……──地上班より報告! 1名の布を被った人物が煙に紛れ警備網を突破! エレベーターの扉と天井を破壊し、そ、そのまま上昇していきました!』

 

 けれどその時、廊下に落ちていた無線から、馬鹿げた報告が飛んできた。

 

「…………ぁ?」

 

 不自然な報告に気を取られる兵士。

 その一瞬の間が、彼が認識する最後の時間となった。

 

 真横に飛んできた鋼板。

 いや、エレベーターの扉。

 

 理解すら追いつかない速度で飛んできた板がテロリストを廊下の奥へと弾き飛ばし、周囲のシャドウごと彼の意識を刈り取る。

 

 突如、脅威が消え去った控え室。

 隅で身を固めていた随行団の人々ですら呆然とし、扉のなくなった入口を見つめた。

 近づいてくる規則的な足音。部屋の前に現れたのは鈍色の布で体を隠した1人の青年だ。

 彼は地面に転がる警備員だったものを見て僅かに目を細める。けれど、すぐに元の無表情に戻ると、まるで日常のような冷静さでトワの方へと顔を向ける。

 

「無事ですか?」

 

 それは本来オルキスタワーに入る事のできなかった人物。ライ本人だった。

 今回の襲撃に備えていたのか、スモークグレネード等を布の下に括り付けており、先の通信で語られた人物が彼である事は間違いない。

 

 ……だが、

 

(これって、宰相の言ってた…………)

 

 彼がこんな形でタワーに来たのは、果たして彼の自由意志だったのだろうか。

 

 タワーに直接乗り込んできたテロリスト達、という名の餌。

 関係者以外立ち入りすら困難という障害。

 そして、トワ自身という人質。

 

 これら全てが、先ほど見たオズボーンの盤上と一致している。

 

 定められたレールを進むように戦場へと突入してきた後輩の姿。

 トワはその顔を見て、鉄血宰相の言葉と重ねずにはいられなかった。

 

 

 



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99話「オルキスタワー襲撃」

『──我々は帝国解放戦線、そして反移民政策主義の一派である』

 

 老若男女、数多の市民で賑わっていたクロスベル行政区の広場。

 通商会議の生中継を見に来ていた彼らの耳にも、拡声器によるテロリスト達の宣言は届いていた。

 

「え? なに? イベント?」

「おっ、おい上を見ろ!! タワーのてっぺんに飛行艇が!!」

「……ホントだ。あれって軍用機?」

 

 ざわざわと上空を見上げる一般市民達。

 どこか現実味の感覚で、一大イベントを見逃すまいと目を凝らすのも、まあ仕方のない話だろう。

 けれど、彼らのそんな余裕は、次なる展開によりあっさりと打ち砕かれた。

 

 大型の機銃による掃射音。

 晴天であるにも関わらず、まるで雷雨が如き爆音が降り注ぐ。

 

「きゃああ!!」

 

 何処からともなく女性の叫び声が木霊する。

 この行政区の広場は比較的タワーに近い場所だ。

 空から流れてきた薬莢が近場に落ちて来た事もあり、彼らは身の危機を理解せずにはいられなかった。

 

「落ち着いてください! どうか落ち着いて!」

 

 警備員達の静止も空しく、市民達は我先にと行政区から逃げ始める。

 そんな光景を間に当たりしたクロスベル警備隊の分隊長。彼の耳には複数の怒号が通信を介して飛び交っていた。

 

『──シャッターが降り……と!? ……──、────!』

「本部の指示を仰げる状況ではないか。……仕方ない。これより部隊を2つに分ける。A班は周囲の警戒を、B班は市民の誘導に専念しろ」

「はっ!」

 

 分隊長の指示を受け、行政区にいた警備隊は即座に行動を開始する。

 ……ただ1人の隊員を除いて。

 

「…………?」

「おい、どうした」

「……いえ、屋根の上に、なにかが…………?」

「そこには何もないぞ。それよりお前はB班だ。早く行動に移れ!」

「は、はい!」

 

 何か布のような見たような気がした隊員。

 結局彼は分隊長に急かされ、混乱する市民達の対応へと向かっていくのだった。

 

 

 ……

 …………

 

 

 さて、行動開始だ。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「何者だ! 止まれ!」

 

 オルキスタワー1階、エントランス。

 警戒度100%の意識で警備していた者達が目にしたのは、布を身に纏って飛翔する1人の影だった。

 死角からのワイヤーによる急接近。彼らは急ぎ銃口を向けて来るが、放たれた銃弾が貫いたのは襲撃者ではなく、布の影から放たれた1本の缶だ。

 

「す、スモークグレネード!?」

 

 弾痕から溢れ出す煙。

 視界を塞がれた警備員達は影に向けてトリガーを引くが、布の端を捉えるだけで精一杯。

 結局、煙が薄れた後、彼らの眼前に残されたのは、無理やり開かれたエレベーターの扉のみ。

 

「……──地上班より報告! 1名の布を被った人物が煙に紛れ警備網を突破! エレベーターの扉と天井を破壊し、そ、そのまま上昇していきました!」

 

 警備員はエレベーターの天井に出来た大穴を見上げ、報告する。

 地上にいる彼らが出来る行為は、最早これだけだった。

 

 

 ──

 ────

 

 

《2階上にシャドウ反応!》

「了解」

 

 ペルソナに掴まりエレベーターの通り道を急上昇するライの脳裏に、エリオットの通信が木霊する。

 シャドウが現れたのは会議場より下の階だ。

 即ち、ロイド達による侵入阻止は失敗に終わったらしい。

 

 ならば、猶予はもうないだろう。

 

「吹き飛ばせ、クラマテング!」

 

 敵がいるであろう階に到達したライはその手を離し、同時にペルソナへと指示を出す。

 翼を広げ急停止する妖魔クラマテング。

 法螺貝を吹き鳴らす音に呼応し、空気が1点に収束。

 無色の弾丸となり、閉じたエレベーターの扉を破壊する。

 

 開かれた侵入口。

 慣性で上昇したままのライは空中で姿勢を変え、壁を蹴り突入する。

 

《敵は吹き飛んだ扉の破片で倒せたみたい。……でも、この状況って…………》

 

 テロリスト襲撃により戦場となった通路は地獄のような光景だった。

 密閉空間での爆発でも起こったのだろうか。

 真っすぐな通路全体が焼け焦げ、ひしゃげ、人だったと思しき残骸が四散している。

 奥の方では天井が崩れており、戦場であると1目で分かる状況だ。

 

(ここの警備員は全滅、か……)

 

 もう少し早く辿り着いていれば……と、思わずにはいられないが、考えたところで現実は変わらない。

 ライは心の中で弔いを済ませ、瞬きの間に今へと意識を変えた。

 

 ここは随行団等の人達が待機するフロアだった筈。

 今は生存者について考えるべきだ。

 

 ライの目が向かう先は扉の壊れた一室だ。

 内部には身を寄せ合う随行団の人々。

 彼らに傷らしい傷はなく、ただ1人、トワだけが地面に倒れ伏していた。

 

「無事ですか?」

 

 トワの姿は制服やタイツに破れこそあるものの、外傷は見られない。

 

 ……だが、どうも彼女の様子がおかしかった。

 ライの顔を見て呆然と、ただ目を揺らし続けるばかりで、今の言葉に反応を示さないのだ。

 

「先輩? 何か──」

《ライ! 右にシャドウの反応が!!》

 

 しかし、ここはまだ、戦場のど真ん中。

 トワの異変を確かめる時間もなく、ライは即座に武器を構える。

 

(あれは、帝国解放戦線の兵士……?)

 

 僅かな瞬間、ライの目は敵の姿を確かに捉えた。

 崩落に挟まれたテロリスト、彼の周囲に吹き荒れる赤い光。

 

 そして出現する巨大な砲塔。

 

「──ッ!」

 

 ライは片足を軸に体をずらす。

 直後、ライがいた空間を何かが通り過ぎ、後方、通路の壁が木っ端微塵に吹き飛んだ。

 

「ら、ライ君!!?」

 

 我に帰ったトワの声が聞こえるが、返事をする余裕はない。

 今の攻撃は文字通り戦車の砲撃だった。

 戦車型のシャドウ。それが今、オルキスタワーの通路に出現したのだ。

 

(不味い。ここで、戦車の火力は)

 

 上空の風が吹き込む通路。

 今はまだ壁だけで済んでいるが、もしタワーの支柱を破壊されれば、タワー内の人々は全滅だ。

 自爆めいたテロリストの戦術を理解するライ。

 それと同時に、シャドウの砲塔内から、重い装填音が聞こえて来た。

 

「っ、ヘイムダル!!」

 

 召喚されたヘイムダルが大槌を振りぬき、砲塔の向きを無理やり捻じ曲げる。

 通路の窓側へと放たれる砲撃。

 窓のフレームが歪み、粉塵が通路内を満たした。

 

 パラパラと破片が床に落ちる中。

 シャドウは再びライへの砲撃を試みる。

 

『……?』

 

 だが、影の狙った先には既にライの姿はなかった。

 彼の場所はシャドウの真上。通路の天井。

 砲塔を向ける事が出来ない死角にて、ライは自身の頭を召喚器で撃ち抜く。

 

「速攻で終わらせる」

 

 再び召喚されたヘイムダルが一撃を下した。

 先ほどの砲撃にも負けない程の轟音が鳴り響く。

 その衝撃で通路が陥没し、戦車のシャドウは反撃も許さず霧に還った。

 

 一時、静まり返る戦場。

 歪んだ地面へと着地したライは、テロリストがいた瓦礫へと視線を向ける。

 シャドウを生み出した兵士は意識を失っている。だが、その他にも何名かの兵士たちが瓦礫を抜け出し、行動を再開しようとしていた。

 

(時間がない)

 

 再びシャドウを呼び出される前に殲滅する。

 ライが召喚器を構え直した、その刹那。

 

 凶悪な大斧が上階から現れ、纏めてテロリスト達を葬った。

 

「──! …………」

 

 声なき断末魔。壁に降り注ぐ鮮血の雨。

 瓦礫の山から抜け出した直後の兵士達はなすすべもなく、頭が原型をなくし、崩れ落ちる。

 そのような目を覆いたくなるような惨状を引き起こしたのは、深紅の燃えるような髪と髭を伸ばした大男だ。

 

「まったく、随分と派手に動きやがったな」

 

 大男は直前の惨劇を気に留めず、まるで日常の会話でも始めたかの如き自然さで、ライへと話しかける。

 唐突な援軍……と、安易に考えるには物騒すぎる出で立ちだ。

 ライは警戒を解かず、大男へと問いかける。

 

「貴方は?」

「…………」

 

 だが、男は答える必要はないと言わんばかりに斧を担ぎなおし、淡々と何処かへ向かう準備をし始めた。

 ここは静観すべきか、それとも無理にでも素性を問いただすか。

 限られた時間の中、思考を巡らせるライの元に、思わぬ助っ人がたどり着く。

 

「ライ君、怪我はな……い…………?」

 

 それはよろよろと室内から出てきたトワだった。

 彼女は戦車と戦うライの援護に来たのだが、待っていたのはグロテスクな死体の山。

 トワの思考はそこで一旦止まってしまう。

 

 けれど。彼女は見知らぬ大男を見てすぐに再起動。

 状況を把握した彼女は男に質問をする。

 

「……あ、あの、私はエレボニア帝国随行団のトワ・ハーシェルです。失礼ですがあなたは?」

 

 内容こそライと同じだが、彼女の立場が無視を許さない。

 この問いを無視すれば即ち自らも侵入者である事を認める事となるからだ。

 それを理解した大男は、仕方ないと言わんばかりに動きを止め、トワの方へと向き直った。

 

「俺は猟兵団《赤い星座》のシグムント・オルランドだ。戦鬼……と言っても伝わらんか」

 

 大男、シグムントは懐から書類を取り出す。

 

「俺達は帝国政府との契約により襲撃者どもを排除している。これが契約書だ」

「……本物みたい、ですね」

 

 書かれた内容を見たトワは一歩離れると、ライの顔を見て「今の話に嘘はない」とアイコンタクトする。

 帝国政府に雇われた猟兵団、赤い星座。

 フィーがいた西風の旅団とは別だが、確か有名な猟兵団だった筈だ。

 

(帝国は猟兵を雇っていた?)

 

 シャドウに対処可能なペルソナ使いをあえて無視し、外部の猟兵団を対テロリスト戦力として用意していた。

 彼らもライと同じくタワー内に侵入した立場かも知れないが、この対応差は明らかに不自然。

 帝国政府が何か企んでいるのは間違いない。

 

 ……だが、それを確かめる時間も最早残っていなかった。

 

 1つ上の階から鳴り響く多数の銃声音。

 ライ達のやり取りは中断され、戦況は次の段階へと移行する。

 

「今のは上の階?」

 

 不安げに天井を見上げるトワ。

 それとは別に、ライの脳裏にエリオットの通信が届く、

 

《……──ごめん!》

「エリオット?」

《ガレリア要塞にも襲撃があって、それで──》

 

 ガレリア要塞の襲撃。

 キーアの話通りに事態は進行している様だ。

 

「問題ない。エリオットはそちらの対応に集中してくれ」

《う、うん、ありがと。──って、そうじゃないんだよ! ライ、1つ上の階からとても強い反応があるんだ!!》

「強い反応? シャドウか?」

《それがはっきりしなくて……。でも、上の階で人の反応が減ってるんだ! 急いで!!》

 

 人の反応が減っているという情報。

 その言葉が意味する事は1つしかない。

 ライの会話を聞いて状況を察したのか、トワが導力銃を構えて歩み寄って来る。

 

「大丈夫だよ、ライ君。ここはわたしに任せて」

 

 かくして、この場をトワに任せ、ライは1つ上の階──即ち会議場のあるフロアへと向かうのだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 何故か開いていた非常階段で問題の階に辿り着いたライ。

 突入したその瞬間、エリオットの言っていた強い反応の意味を知る。

 

(何だ? この異常な冷気は……)

 

 フロアの通路は凍てつく空気に満ちていた。

 床も、窓も、天井も、……そして赤い武装を身に着けた兵士達も、全てが厚い氷の中に閉じ込められている。

 助かる可能性はもうないだろう。

 彼らは体内まで凍り付き、死の瞬間がそのまま保存されている。

 

 そんな中、只1人だけ呼吸をしている人物がいた。

 体調が優れないのだろうか。男が壁際で頭を押さえ、ゆらゆらと足元を見つめている。

 

(生存者か? ……いや。それにしては妙だ)

 

 男はこの極寒の地にいながら、氷の一片すら付着させていない。

 完全に氷結を無効化しているのだ。

 その異変から只者ではないと判断し、警戒を強めるライ。

 一方、顔色の悪い男は全く警戒するそぶりを見せず、おもむろに口を開いた。

 

「来たか、ライ・アスガード」

 

 男はライの事を知っている様子だ。

 ライは召喚器を片手に構えながら問いかける。

 

「お前は誰だ?」

「そういえば直接相対するのは、このタイミングが初めてか。──ギデオン。これだけ言えば分かる筈だ」

「……リィン達の会ったシャドウ事件の犯人か」

「正しく」

 

 ふてぶてしくも自らを犯人と自供する男、ギデオン。

 その言葉とほぼ同時。

 ライは目にも止まらぬ速度で腰の缶を放り投げた。

 

 ギデオンの眼前で放たれる閃光。

 スタングレネードの光に紛れ、滑走するヘイムダル。

 だが、大気を歪ませ繰り出した鉄槌は、ギデオンの数歩前で急停止する。

 

「全く、油断のならない男だ」

 

 空中に浮かぶ無数の亀裂。

 散らばる氷の欠片。

 ヘイムダルの攻撃は透明な氷壁に阻まれ、ギデオンまで届かなかったのだ。

 

(……やはり止められた)

 

 警戒する素振りすらない点から、何らかの策がある事はライとて分かっていた。

 

 しかし、問題はその手段だ。

 一瞬だがギデオンの背後に出現した怪人。

 下半身が海獣となった人型の姿は、ライにとって非常に馴染み深い雰囲気を纏っていた。

 

「ペルソナ、か」

 

 ギデオンのペルソナこそがエリオットが言っていた反応の正体。

 しかも氷壁の生成速度から鑑みるに、相当強力な仮面を宿していると見て良いだろう。

 

「仮面の力は貴様らだけのものではないという事だ。…………そろそろか」

 

 ギデオンは重い足を動かし、通路の奥へと歩いていく。

 

「私はここで失礼させて貰おう」

「……目標を前に退くのか?」

「確かに。我ながら可笑しな話だ」

 

 ギデオンは氷に閉ざされた扉を見て、自らの矛盾を嘲笑する。

 扉の先は通商会議の議場だ。テロリスト達が文字通り命を賭けた抹殺対象がそこにいて、強力なペルソナを持っていると言うのに、ここで何故引き返すのか。

 

「私とてこの地に骨を埋める覚悟をしていた。……だが、私は知った。全てを知ったのだ」

 

 拳を握り、独り言のような言葉を零すギデオン。

 彼が何を知ったのかは分からない。

 けど、肝心なのは、今ここにシャドウ事件の容疑者がいる事だ。

 

 分厚い氷壁を境に対峙するライとギデオン。

 ライは銃口を自身の頭に押し当て、トリガーに力を入れる。

 

「逃がすとでも?」

「逃がすとも。この言葉を紡ぎ終えた時、貴様は私を逃がさざるを得なくなる」

 

 ……だが、ライのペルソナが召喚される事はなかった。

 理由はただ1つ。ギデオンが予言を語り終えたその瞬間、緊急の通信がライの脳裏に響いたからだ。

 

《ライ!! ごめん! 話を聞いて!!》

「エリオット、どうし──《大変なんだ! 列車砲が、列車砲が2つともシャドウに呑み込まれちゃって! もうすぐ主砲がオルキスタワーに!!》──!?」

 

 オルキスタワーへと向けられた列車砲。

 キーアの予言を元にした対策も空しく、事態は最悪の方向へと進もうとしていた。

 

 

 




隠者:クラマテング
耐性:疾風吸収、火炎耐性、電撃弱点
スキル:マハガルーラ、烈風波、ブレインジャック、疾風ブースタ
 京都の鞍馬山に住むと伝えられている大天狗。多数の天狗を従えており、源義経に剣術や兵法を伝えたとされている。


────────
約半年も更新を行わず申し訳ありません。
遅々としていますが、今年も何卒よろしくお願いいたします。


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100話「列車砲」

 ──ガレリア要塞内部。

 オルキスタワーでの襲撃に並行する形で、リィン達もまたテロリストの魔の手と戦っていた。

 

 360度、全方向から飛来する飛行型兵器や機械仕掛けの魔獣。

 2門の列車砲を中心に防衛線を築く第4機甲師団内にて、武器を構えたサラとナイトハルトが状況を分析する。

 

「あらら、ものの見事に全部仮面を付けちゃってるわね。こりゃ奴らのシャドウに関する研究が進んでるって事なのかしら」

「協議すべき事項だが今は眼前の脅威を凌ぐぞ。──VII組総員! まずは各自持ち場にて、シャドウ掃討に当たれ!」

()()()()

 

 ナイトハルトの指揮の下、VII組のペルソナ使い達は帝都の事件と同じようにシャドウを殲滅していく。

 

「ガイウス、上空は任せたぞ!」

「承知した!!」

 

 猛烈な勢いで迫る機械の群れを前にして、剣を構えるリィン。

 空に飛び上がり、飛行型兵器の大群に相対するガイウス。

 2人はほぼ同時にペルソナを召喚する。

 

「剣を構えろ、──シグルズ!」

「何としても止めるぞ、──フレスベルグ!」

 

 地上兵器群を両断する一閃、そして飛行兵器群を叩き落す暴風。

 他方でユーシス達もペルソナを召喚し、それぞれ迫りくる兵器を破壊していく。

 

 こうしたVII組の奮闘が続き、加えて第4機甲師団の援護射撃もあって、辛うじて防衛線を維持していた。

 

 

 ……

 …………

 

 

 一方で、そんな彼らの様子を遠目から眺める人物が2人いた。

 

「やっぱり面倒ね、あの子たち」

 

 オレンジ色の長髪をなびかせる女性──同志《S》と、ガトリング砲を片手で担いた男性──同志《V》だ。

 同志《V》のもう片手には導力端末が握られており、彼はその画面を確認して口を開く。

 

「シャドウ兵器の残存は残り30%だ。想定より早い。……どこかから情報が漏れていたか」

 

 要塞に築かれた防衛戦線の陣形を見て眉をひそめる同志《V》。

 しかし、それとは対象的に、同志《S》は演劇でも見るかのように呑気な様子だ。

 

「心配はいらないわ。肝心なところは漏れてなかったみたいだし、このまま様子見といきましょう?」

 

 遠目に見えるのは全力で戦っている学生達。まだ若いというのに、何と勇敢な姿だろうか。

 

「さて、そろそろ眠り子が目覚める頃かしらね」

 

 眼帯に覆われた同志《S》の目には、次なる光景が映っていた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

《強い反応? シャドウか?》

「それがはっきりしなくて……。でも、上の階で人の反応が減ってるんだ! 急いで!!」

 

 ガレリア要塞に加え、オルキスタワーの簡単な分析まで行うエリオット。

 帝都と同じく周囲のサポートこそあるものの、彼に伸し掛かる負担は相当なものであり、それは汗を浮かべる表情から見ても一目瞭然だ。

 第4機甲師団中将でありエリオットの父でもあるオーラフとしては、

 

「はぁ、はぁ……」

「おおお、大丈夫か!? エリオット! この場のみならずタワーのナビゲートまで……。明らかにこの体制はエリオットの負荷が大き過ぎるではないか!」

「……、……それ、でも。僕だけ休む訳にはいかないよ。僕だって、VII組の一員なんだから……!!」

「──っ、……そうか! ならばその背中は我らが支えようぞ」

 

 オーラフは第4機甲師団の兵士達に指示を出し、無数のシャドウと対峙するVII組の負担を減らしていく。

 即席ながらも高度な連携を成立させる2陣営。

 

 ……成立させる程に、全力で戦っていたからだろう。

 列車砲を守る彼らは致命的な見落としをしていた。

 

「…………え?」

「どうしたの?」

「気のせい? ……ううん、違う。これってまさか……」

 

 初めに気づいたのは分析を行うエリオットだ。

 近くで援護射撃していたサラの質問に答える余裕もなく、彼は疲労も忘れてアナライズを繰り返す。

 

 その対象は皆が守る列車砲の内部。

 襲撃するシャドウは近づいてすらいない。

 ……だと言うのに、そこには間違いなく、脈打つ影の音が存在していた。

 

「──っ、みんな!!! 列車砲がっ!!!」

 

 逼迫した顔で叫ぶエリオット。

 防衛していた皆の視線が集中し、そして彼らは見た。

 

 巨大な列車砲の内部からあふれ出す黒い噴水。

 2門同時に現れたそれは、まるで粘液のように蠢き、瞬きの間に列車砲を覆い尽くす。

 エリオットの叫びに応じたリィン達の攻撃も間に合わず、列車砲はシャドウと一体になってしまった。

 

「……そう。シャドウによる寄生は、もうずっと前に終わってたのね」

 

 異様な風貌となった巨大兵器を前にして、サラの頬に汗が滴る。

 

 ガレリア要塞への襲撃は全て陽動だったのだ。

 全ては皆の意識、特にエリオットの意識を周囲に向けさせ、眠らせていたシャドウの発見を遅らせるため。

 その事実に気づかなかった時点で、列車砲の防衛失敗は決まっていた。

 

『ギ、ギギ……、コレヨリ、発射体制ニ、移行シマス』

 

 車輪は足に、砲塔は首に。

 もしこの場にライがいたのなら、ブラキオサウルスと言う単語が脳裏に浮かんだ事だろう。

 巨大な生物と化した列車砲達は歩き出し、首をゆっくりと伸ばす。

 

 ……その先には、遥か遠く、オルキスタワーが佇んでいた。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 かくして危機に瀕したオルキスタワー。

 エリオットの通信により、その知らせは即座にライの元へと届けられた。

 

《大変なんだ! 列車砲が、列車砲が2つともシャドウに呑み込まれちゃって! もうすぐ主砲がオルキスタワーに!!》

 

 大慌てで捲し立てるエリオットであったが、列車砲の危険性は既に想定済みだ。

 危機的状況である事を理解したライは急ぎ問いかける。

 

「列車砲の破壊は可能か?」

《みんな頑張ってるよ! でも……!》

 

 余裕のない通信の向こう側からは激しい戦闘音。そして喧騒。

 幾重にも重なる音の中から、マキアスとシャドウの声をライは捉えた。

 

《……っ! そ、その巨体で飛び跳ねるな! 列車砲なら、レールの上で戦いたまえ!》

《『ギギ、発射まで143、142、…………面倒ダ。98、97、96、──』》

《省略もするんじゃない!! ああもう、フォルセティ! …………》

《……、──!!、!!!》

 

 エリオットの答えを聞くまでもなく、猶予がない事をライは理解する。

 列車砲の発射まで残り1分と少し。

 着弾までの時間を加えても、2分もあればオルキスタワーは崩壊。

 タワー内にいる者はまず助からず、周辺の被害や各国の混乱、影響はもはや想像もつかない。

 

「だから逃がさざるを得ないと言っただろう」

 

 氷の壁越しにギデオンが話しかけてくる。

 彼には通信の声は聞こえていないだろうが、ライの様子から通信内容を推測したのだろう。

 平時であればその情報源を問いただしたいところだが、今はもう、会話を重ねている余裕はない。

 

(時間がない……!)

 

 ライは思考を切り替える。

 列車砲の被害を防ぐにはどうしたら良いか。

 脳裏に浮かぶのは、賭けとしか言えない可能性。

 だが、賭けるだけの価値はある行動だ。

 

「エリオット。全戦力を1門に集中させれば、片方は止められるか?」

《えっ!? でも! それじゃ、もう1門が!》

 

 ライは通信しつつヘイムダルを召喚した。

 砕かれる大窓。暴風が吹きこむ大穴へと走り出す。

 

「俺が直接止める」

 

 戦略兵器の攻撃をこの身1つで受け止める。

 残された道はもうそれしかなかった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 一方その頃。

 扉の向こう側、襲撃を受けた大会議場でも動きがあった。

 A級遊撃士アリオスによる護衛の元、警戒を続ける各国首脳たち。

 その中で鉄血宰相オズボーンが悠々と導力端末を取り出したかと思えば、そのまま通信を始めたのだ。

 

「…………ふむ、そうか……。承知した」

 

 オズボーンは何らかの連絡を受け取ると、そのまま静かに通信を終えた。

 そんな行動に対し、カルバード共和国の代表ロックスミス大統領が問いかける。

 

「おやおや、今は緊急事態ですぞ? 失礼ながら、どのような内容だったかお聞きしても?」

「……ガレリア要塞より連絡があった。どうやら、列車砲がテロ組織どもの手に落ちた様子」

「そんな!? 貴国の警備はどうなっておいでか!? いや、それより今はこの場から退避せねば……!」

 

 突然の凶報を受け、議場内の空気がざわめく。

 だが、当の鉄血宰相は落ち着いた様子で佇み、逃げるそぶりすら見せなかった。

 

「避難の必要などありますまい。我らはただ、この場で静観すればよい」

「なんと悠長な! 列車砲の威力はあなたもご存じの筈! 被害が及ばない根拠でもあるのですか!?」

「勿論……」

 

 オズボーンは銃弾がめり込んだ防弾ガラスを見上げる。

 

「既に、対策は済んでおりますので」

 

 その視線の先には、空を飛ぶ人型の何かがあった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ──クロスベル上空。

 ヘイムダルに掴まり飛翔したライは、オルキスタワーの西側へと移動していた。

 

《発射まで残り30秒! ほ、本当にやれるの!?》

「やってみせる。弾道のナビゲートは任せた」

《…………うん》

 

 強風の中、巨人の肩にて立ち上がるライ。

 360度見渡す限りの晴天。

 遠方に見えるガレリア要塞からは僅かながら煙が見えた。

 リィン達は今もそこで戦っているのだろう。

 

(残り20秒……)

 

 最後にライは地上を見る。

 米粒のように小さいが、今も多くの人でごった返している広場。

 1手間違えれば、彼らの命も潰える事だろう。

 

(守るんだ。この地を。彼らのように)

 

 脳裏に浮かぶは、この地で出会った特務支援課の背中。

 この小さくも広いクロスベルを守ろうとする彼らの意志。

 その軌跡を1つずつ思い浮かべ、ライはその手をかざす。

 

 “我は汝、汝は我……。汝、新たなる絆を見出したり。汝が心に芽生えしは節制のアルカナ。名は──”

 

(──セイリュウ)

 

 小さいながらも戦い続ける少女(ティオ)の意志を力に。

 更にライは手を動かす。

 

(──スザク)

 

 強さを内に秘めた(ランディ)の意志を力に。

 

(──ビャッコ)

 

 責務をその身に背負った女性(エリィ)の意志を力に。

 

(──ゲンブ)

 

 そして彼らを纏め、誰よりもこの地を守らんとした青年(ロイド)の意志を力に。

 

 背後に現れる巨大な陣。

 4身合体(クロススプレット)。十字に並べられた4枚のタロットカードを束ね、今こそ全てを守護する力を顕現させる。

 

「現れろ、──コウリュウ!!」

 

 一点に収束した光が爆発的に広がり、やがて奔流は黄金の龍となる。

 クロスベル上空に突如として現れた威光。

 この地を守らんとして現れたコウリュウは、一度咆哮すると、長い胴体を揺らし空を舞う。

 

 その頭に乗るは召喚者であるライ。

 彼の耳に、合図を告げるエリオットの声が木霊した。

 

《発射されたよ!! 弾頭は…………丁度、会議場に向かってる!!》

 

 ライは剣を抜き、照準として前方に伸ばす。

 この姿を間近で見るものがいれば、まるで御伽話の勇士とでも思う事だろう。

 そして相対するは暴虐の鉄塊。

 意思を持たぬ巨大な弾頭が大気を穿ち、恐ろしい速度で迫ってきていた。

 

《良く聞けアスガード。弾頭には広域殲滅用の榴弾が用いられている。爆発半径は40アージュ超、下手に近寄らせれば余波で欠片も残らんぞ!》

 

 ナイトハルト曰く、接近されれば骨すら残らぬ威力。

 失敗は1度も許されない。

 けれど、ライは僅かな焦りすらなく、その剣先で確かに弾頭を捉えた。

 

 

「──今だ」

 

 刹那、コウリュウの持つ4色の宝玉が極光を放つ。

 神話の一撃を思わせる程の上級祝福魔法(マハコウガオン)が放たれ、大空を埋め尽くす閃光となり、狙いの一点へと殺到する。

 

 一瞬の静寂。

 直後、大気を揺らす衝撃波が辺り一帯に広がった。

 

《……弾頭、消滅》

 

 青空に広がる黒煙の花火。

 コウリュウが解き放った幾重もの極光は、確かに弾頭の中心を捉えたのだ。

 

 そして、少しの時間をおいてエリオットから朗報が伝えられる。

 

《……──っ、やった! 列車砲を2門とも撃破! リィン達はまだ残ったシャドウを倒してるけど、もう砲撃の心配はいらないよ!》

「そうか……」

 

 臨戦態勢を解いたライは静かに剣を下し、オルキスタワーへと目を向ける。

 

 先ほどまでギデオンがいた通路には人影はなく、他の階層にも戦いの様子は見られない。

 屋上ではキーア達が手をふっており、どうやら向こうは無事なようだ。

 そうした光景を目の当たりにし、ライは此度の戦いが終わった事を悟るのだった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「……な、何なのだ。あれは……龍、なのか?」

 

 会議場にて、ロックスミスが呆然を空を見上げる。

 

 空中に浮かぶ人間。

 突如として虚空から現れた黄金の龍。

 そして、弾頭を撃墜した神々しい閃光。

 

 一連の出来事をここにいる全員が目撃していた。

 

「あれはペルソナ使いだ」

 

 彼らの疑問に答えるべく、鉄血宰相が口を開く。

 

「ペルソナ…………?」

「然り。彼こそが帝国に蔓延る影を葬り、そして今、帝国最強の兵器をも退けた」

 

 皆の注目が集まる中。

 ゆっくりと、耳に残る声で。

 

「我が国の、新たな《英雄》と言えよう」

 

 鉄血宰相オズボーンが放った言葉の先には、"今も繋がったまま"の中継設備が置かれていた。

 

 

 ……

 …………

 

 

 かくして、魔都クロスベルでの物語は幕を下ろす。

 鉄血宰相の言葉という、特大の置き土産をそこに残して。

 

 

 

 

 




節制:セイリュウ
耐性:氷結無効、電撃弱点
スキル:マハブフーラ、マハタルンダ、氷結ハイブースタ
 中国伝承に伝わる神獣の1柱。東方を守護し、五行における木を象徴している。河川や海底に住まい、成長をもたらすとされる。

節制:スザク
耐性:火炎無効、氷結弱点
スキル:マハラギオン、デクンダ、火炎ハイブースタ
 中国伝承に伝わる神獣の1柱。南方を守護し、五行における火を象徴している。一説では鳳凰の派生であるとされ、幸運をもたらす存在と伝えられている。

節制:ビャッコ
耐性:電撃無効、火炎弱点
スキル:マハジオンガ、ヘビーカウンタ、電撃ハイブースタ
 中国伝承に伝わる神獣の1柱。西方を守護し、五行における金を象徴している。邪を払う戦神であるものの、逆に災いをもたらす凶神としても扱われていた。

節制:ゲンブ
耐性:物理耐性、疾風弱点
スキル:ヒートウェイブ、アムリタシャワー、物理ハイブースタ
 中国伝承に伝わる神獣の1柱。北方を守護し、五行における水を象徴している。亀と蛇が合わさった姿は長寿と子孫繫栄を意味しており、4神の中で最も中心的な役割として信仰されていた。

法王:コウリュウ
耐性:電撃反射、祝福無効
スキル:マハコウガオン、メディアラハン、コンセントレイト、大気功、マハタルンダ、デクンダ、ヘビーカウンタ、アムリタシャワー
 中国伝承に伝わる4神の長。中央を守護し、五行における土を象徴している。古代中国では皇帝の権威を意味し、天帝が天に上る際に乗ったとも言われている。

────────
これにて2つの軌跡が交差した5章は終了となります。
この章は文字通りのターニングポイント。物語の到達地点が明かされた重要なものとなります。
更新が不定期かつ滞ってしまい大変恐縮ですが、今後もお付き合いくださいますと幸いです。

それはそうと、今回の話で100話到達!
プロローグ込みだと前回の話が100話でしたが、かなり遠いところまで来たなぁと感慨深いですね。
ここまでお読みいただいた皆様にはお礼申し上げます。本当にありがとうございます!

もし、面白いと思っていただけたなら、是非とも感想等をいただけますと嬉しいです。
返信が遅れてしまい申し訳ない状況ではありますが、皆様のコメントは常に拝見させていただき、活力となっておりますので、何卒よろしくお願いいたします!


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