ライフコッドへようこそ (標準的な♂)
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ライフコッドへようこそ

 ライフコッドは平和そのものだった。長閑な村であった。

 絹織物と木彫り細工の産地として知られるが、そこへ行くとなると、険しい山道を通る必要がある。これがなかなか、並々ならぬことであった。なにしろ、ライフコッドへ続く山道に出没する魔物は凶暴で、しかも身体が大きく、何より強かった。お陰でレイドック王国との交易も絶えて久しい。

 

 しかし、そんなライフコッドの平和が脅かされることになる事件が発生した。魔物の襲撃である。

 元より、ライフコッド周辺に出没する魔物は強い。しかし、大規模な軍勢を組織しての襲撃は、前代未聞だった。魔王がどのような命令を下したのか、何が目的であったのか、今となっては知る由もないが、ともかくその事件は発生した。

 

 最初に姿を見せたのは、斥候として動いていた二匹の魔物だった。

「あそこがライフコッドか」

 二匹はどちらも肥満に見える体格だったが、その実、全身のほとんどが筋肉であるという点で共通している。魔王軍でもその名が広く知られる力自慢が、この二匹だった。

「こんな村、俺様一人で十分だぜ」

 緑色の肌を持つ肥満の巨人が、愛用の棍棒を舐めながら、不遜な態度を隠さぬまま、大股で堂々と歩を進めた――与えられた任務は斥候だが、こんな村如き、自分一人で滅ぼせると確信していたのだ。

 ボストロールは棍棒を操る怪力の巨人で、おつむは少し足りないが、その怪力とタフさは類を見ない。戦っているうちに傷が再生するほどの生命力で、並みの戦士では仕留められない。

「チンケな村だ。俺達が出るまでもない」

 豚の顔を持ち、これも肥満体型の、厚手の鎧と兜に身を包んだ獣人。彼は己の実力に対するプライドから、かような村落を滅ぼすために、自分のような優れた戦士を導入することへの不快感を露にした。

 バーサクオークは呪文こそ身につけていないが、棍棒よりも洗練された打撃武器であるフレイルを操る。見た目に反し、かなりの技巧派だ。肥満体型と重武装に似合わぬ華麗なムーンサルトを披露し、敵を驚かせる身の軽さと、確実に敵を仕留められる場面では捨て身の攻勢に出る豪胆さを併せ持つ。

 

 一人の農夫が、魔物の存在に気付く。魔物も隠れたりはしない。もはやそうする意味がないからだ。 

「……たった2匹か?」

 農夫は畑を耕している。魔物の存在を前に、恐怖するでもなく、かといって戦いの構えをとるわけでもなく、己の仕事に専念し続けていた。

 当然、魔物としては面白くはないだろう。人間は魔物に恐怖しなければならない。果敢にも立ち向かってくるような身の程知らずの人間ならば、いかに己が無力であるかを思い知らせてやるのも一興だ。しかし、この農夫はそのどちらでもなかった。そんな態度が、魔物の怒りを招いたのは言うまでもない。

「死ね!」

 バーサクオークとボストロールが同時に襲いかかった!

 二方向からの同時攻撃。長年の相棒でもあったから、息もピッタリと合っている。もちろん、その威力は言うまでもない。

「たった2匹か。良かっただ」

「なっ!?」

 だが、ボストロールの棍棒と、バーサクオークのフレイルの両方を、彼は完全に防いでいた。右手は鍬、左手は鎌。ごく普通の農具だ。ボストロールの怪力や、バーサクオークの技に耐えられるだけの耐久性は無い――本来ならば。

 

「お前、一体――」

「ただの――百姓だよ」

「百姓だと!?」

 ボストロールが棍棒を振り上げる。彼は怒りに駆られていた。

「カマこうげき」

 鎌の刃の先端が、ボストロールの咽に押し当てられ――そして、一気に降り下ろされた。

「あ? あっあっあ、ああ、おええ……」

 ボストロールの腹部から内臓がこぼれ落ちた。出るものが大方無くなると、仰向けに倒れた。胸骨も切り裂かれており、まだ動いている心臓が見えたが、すぐに動かなくなったことが確認できた。

 

「なるほど……只の雑魚ではないな」

 ボストロールの喉から下腹部にかけての異様な切り口を見たバーサクオークは、一気に警戒のレベルを上げる。

 明らかに普通の技ではない。稲刈り用の鎌では、人間以上の大きさの生き物の体を、あんな風に解体することはできない。ましてや、分厚い筋肉と脂肪の鎧と、頑丈な骨格からなるボストロールの体に、あのような破壊をもたらすことは、破邪の剣のような業物でも不可能だろう。

 

 バーサクオークは後ろに大きく跳んで距離をとった。手足が短く、胴体が太い、豚のような体型に似合わず、身のこなしは羽のように軽かった。

 バーサクオークが選んだのは、得意技のムーンサルトではない、奥の手――スピードを最大限に活かして相手の懐に飛び込む、捨て身の攻撃だった。

 これは本来、確実に相手を仕留められる状況でなければ、絶対に使わない技だ。防御を捨てるため、反撃を許せば致命傷となるからだ。

 だが、今回は違った。理由は単純明快だった。そうしなければ勝てない。バーサクオークは初めて会う強敵の実力を、ボストロールの犠牲によって正しく認識した。

 バーサクオークの巨体が、一瞬で最高速度まで加速する。紫電の如き速さだった。未だかつて、バーサクオークにそうさせて生き延びた敵は居なかった。

「捨て身の攻撃か。だが――」

 守りを捨てたが故に、そして速さと重さと破壊力を全て備えていたが為に、寿命を縮める結果になった。

 だが、届かない。距離を見誤ったのか? 否、そうではなかった。彼はそのままの体勢で後ろに跳んでいた。バーサクオークがそれに気づいたときには、既に手遅れだった。

 

「クワこうげき」

 バーサクオークは悲鳴を上げる間もなく頭を粉砕され、仰向けに倒れた。原型を留めない肉の塊と化していた。凶器は鍬だった。シンプルなクワによる打撃である。

 バーサクオークはボストロールとは異なり、筋肉の鎧の上から更に厚手の鎧と兜を身に纏っている。それを上から力技で粉砕したのだ。

 

 

「畑の肥やしが増えただな」

 農夫は何事もなかったかのように、魔物の死体を鍬によって粉砕し、文字通り畑の肥やしとしたのである。

 だが、ボストロールとバーサクオークは、あくまで斥候であった。それが戻らないとあれば、明らかな異常事態である。それを察した魔物の軍勢も、より強い魔物を差し向けることは必定だった。

「……帰りが遅いと思って来てみれば、無様な姿を晒しおって」

 その魔物は明らかに他とは違った。武器は長柄の戦斧で、脚は四本。大きさを除き、概ね人型を保つ魔物が多い軍勢の中にあって、それは異質だった。何より、その顔つきの凶悪なこと!

「おかわりが来ただか」

 しかし、農夫は怯まない。それどころか、軽口を叩いて挑発した。

「ほう、恐れぬのか? この、ずしおうまるを」

 ずしおうまる。半人半獣の魔人である。それは人が恐れるのも無理はない魔物だった。恐ろしい顔つき、大柄な体格、騎兵の優位を再現する四本の脚、戦斧を巧みに操る技巧と怪力は、まさに戦いのために生まれた魔人と呼ぶにふさわしい。彼は魔王の軍勢の中でも、上から数えた方が早いくらいの強さの魔物である。彼の一族の中には、魔王城の警備を任される名誉を甘受する者もいるほどだ。そんな彼が、己の力に絶大な自身を寄せているのは、当然のことと言えた。

 

「魔物なんか怖かねえ。オラの敵は――」

 農夫は鍬を持つ右手を天に構え、鎌を持つ左手を地に構えた。

「天! そしてこの大地だよ。それに比べたら、殺せば死ぬ魔物なんて、大したことはねえだ」

 農夫の笑みは、凶暴な獣性を帯びていた。人間、それも長閑な村の農民という身でありながら、それは恐るべきずしおうまるにも通じるものがあった。そして、かの魔物も同様の笑みでもって応じた。

 

「面白い! 気に入った!」

 ずしおうまるは、長柄の戦斧を棒切れのようにめちゃくちゃに振り回した。一見すると、それは繊細さとは無縁の、とても技とは呼べない攻撃に見えるかもしれない。一見すると、速さだけに頼った乱舞である。しかし、絶妙なフェイントを折り混ぜながら、致命の一撃を確実に狙っている。達人にのみ理解できる、精妙の技だった。

 二匹の魔物を容易く屠った農夫も、この美技には手傷を負う。幸いにして、否、彼もまた繊細な動きで、全て致命傷を避けている。

 

「見たか、これぞ秘剣、五月雨斬り!」

 五月雨斬り。それは本来、一対他の戦いにおいて威力を発揮する奥義である。ずしおうまるが恐れられる所以だ。彼はこの技で、多くの敵を葬り去り、屍の山を築いてきた。

 単騎の敵であっても、その手数に撹乱され、致命の一撃を与えるための隙を誘い出すことができる。

「五月雨斬りなどのような小細工はもう要らぬ。次で終わりだ」

「確かに、次で終わりだな」

 農夫はそう言って、鍬と鎌のうち、より破壊力に優れる鍬を捨てた。武器としてはいささか頼りない、鎌だけを持っていた。

「クハハ! 勝負を捨てたか!」

「見せる、と言っただよ。これで良いだ」

 農夫は鎌を右手に持ちかえた。

「五月雨斬り。すげえ技だ。こっちも、イネカリ斬りを見せるだよ」

「……」

 ずしおうまるは身構えた。ボストロールとバーサクオークの実力は信頼している。自分には及ばないが、優れた武勇を誇る戦士だと理解していた。その彼らを屠った農夫の必殺技、イネカリ斬り――少なくとも、あの二匹を殺すほどの技であることは間違いないと、ずしおうまるは判断していた。

 

 農夫は跳んだ――ずしおうまるが戦斧を振り上げた、そのときであった。

 ずしおうまるの首は、胴体から離れていた。何処へいったのか?

 答えは、農夫の左手だ。彼は右手に鎌を、左手にはずしおうまるの首級を提げていた。

「イネカリ斬り――皆にも見せたかっただなぁ」

 イネカリ斬り。相手の頭を掴み、首を狩る。それは稲を刈るのと同じ作法であった。そして一撃必殺である。首と胴体を切り離されれば、殆どの魔物は死ぬ。

 

 だが、 農夫の希望通り、イネカリ斬りを見ていた者はいた。

「流石はイネカリ斬り。俺も負けてはいられねえな」

 覆面の男だった。首から下はものすごい筋肉質で、見ただけでそれは凶器であると同時に鎧であることがわかった。

 そんなあらくれの足下には、あちこち凹んだ鎧も転がっていた。てっこうまじんの死骸だ。凶器は素手のようだった。

 彼は老夫婦の織機を守るために奮戦し、そして魔物を殺害した。ライフコッドでは珍しくない。違うことがもしあるとすれば、いつもよりも少しタフだと感じただけであった。

 そう、珍しくなかった。誰もが武器を手に取っていた。あるいは、素手で魔物を殺していた。皆一様に、その表情に恐れはない。

 

 やがて、魔物達の総大将が姿を現す。四本の腕をもつ骸骨の戦士――この魔物だけは一匹しか居らず、他の魔物よりも明らかに強い。

 この骸骨戦士が姿を現したことが、戦いの狼煙の代わりとなった。本格的な襲撃が始まったのだ。

「今年は豊作だな」

 農夫の口元には、獣の凶暴性を秘めた笑みが浮かんでいた。



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