艦隊これくしょん サヨナラの海に (Xn-i)
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1:行き先の無い海にて

 その始まりの日が、あまりにも現実感が無かった。

 

 二正面作戦。二つの方向にある敵を同時に叩く作戦の発動―――北方及び東方の敵根拠地を叩き、艦隊を殲滅。作戦はどちらも成功し、二つの作戦に参加した艦艇は半ば凱旋するような形で、自らの家へ、鎮守府へと戻った。

 

 その時に戻ってきた彼女達が見たものは、壊滅した鎮守府と、徹底的に叩かれた僅かな生き残り達の姿だった。

 

 主力艦艇が出払っている間に、敵の一大艦隊が鎮守府近海まで侵攻。

 非力な軽巡や駆逐艦達の文字通りの奮戦も焼け石に水。多くの艦娘達が犠牲となってしまった。

 

 傷だらけの彼女達を抱え、壊滅した鎮守府に戻った艦娘達は、文字通り意見が真っ二つに割れた。

 

 片方は撤退する敵艦艇を直ちに追撃し、弔い合戦をする主戦派。

 もう片方は壊滅的打撃を受けた以上、守りに入り戦力が充実するまで待つ防戦派。

 

 しかし、指揮官たる提督を失ってしまった彼女達の口論を遮るものはおらず、夜明けまで続いた激論の果てに少女達は真っ二つに別れた。

 人数、分配…結果的に僅かな艦娘達を残し、多くの艦娘は出撃した。

 

 そして出撃していった艦娘達は二度と戻る事は無かった。

 

 

 

 

 ぱち、ぱち、と音を立てる焚き火にかけられた薬缶から、白い湯気が出始めた。

 ああ、お湯が沸いたのかと気付き、のろのろと薬缶を掴もうとして――――その熱さに手を引っ込める。

 手に赤く痕がついていた。

 

「とてもじゃないが、手ぬぐい無しでは火傷するぞ」

 

 背後からそんな声と共に、手ぬぐいを挟んだ手が薬缶を持ち上げた。

「…日向さん」

「お湯が沸いたのなら有り難い事だ。隼鷹から分けてもらった焼酎がある。少しは温まるだろう」

 既に液体の入ったステンレスマグへ薬缶からお湯が注がれ、余ったお湯は別の水筒へと入れられた。子供っぽいシールの貼られたものだが、保温機能が高い新しい奴だ。

 この水筒の持ち主は確か、駆逐艦の子。

 

 いつしか彼女に大人の女性の振る舞いについて聞かれた事を思い出した。

 背伸びしたがりだけど、お姉さんであろうとして、いつも精一杯頑張っていて、まだ小さい子。

 

「榛名」

 焼酎のお湯割を一口飲んだ日向が再び口を開いた。

「今後の事について、翔鶴たちと今話してきた」

「今後の、事…」

「ああ、そうだ。お前がそんな状況なのでな。勝手に決めさせてもらった」

 そんな状況、と言われる。確かにそうだ。

 

 一月前のあの夜。

 榛名は姉達や長門といった戦艦、赤城に代表される多くの空母たち同様、直ちに仲間の仇を討とうと叫んでいた。

 なによりも彼女達を厳しくも優しく管理していた提督を喪ってしまった事が、多くの仲間達を無惨にも沈められた事が、榛名を完全に逆上させてしまっていた。

 誰よりも提督を慕っていた姉の金剛がそんな榛名の出撃を許さなかった理由は、今でもわからない。

 そして帰らぬ姉達の事を、今も待っている。

 待ち続けている。

 

「一月が経ったが、他の鎮守府からこちらの様子を見に来る気配も無ければ、連絡も無い。このまま待ち続けても資材は減るばかりだ」

「……それは、外に出る、という事ですか?」

「備蓄がまだあるうちに、どこかで戦力と資材を手に入れないとジリ貧になる。大淀もそう言っている」

「…………」

「情報も足りない。戦況全体がどうなっているかも解らないんだ。大井に少し様子を探ってきてもらおうかと考えているが…」

「そう、ですね」

「特に異論は無いか? では、大井たちには頼んでおく。それと、そろそろ夕食の時間だ」

 日向に促される形で、庭の焚き火から離れて食堂へと向かった。

 敵の攻撃で半分ほど崩れてはいるが、それでも今いる艦娘たちを収容するスペースはある。

 

 かつて厨房で腕を振るっていた間宮や鳳翔の姿はもう無い。

 代わりに、龍鳳と、先の作戦で新たに戦列に加わった春雨の二人が料理をしており、それを何人かの駆逐艦たちが配膳していた。

「あ、榛名さん、日向さん! もうご飯出来てますよ!」

 二人の姿を見て声を張り上げたのは、東方の作戦で戦列に加わった駆逐艦、清霜だった。

 戦艦に憧れていて、なにかと話題にする彼女から見れば、二人は身近な戦艦だ。もっとも榛名は彼女の問いかけにロクに返せないが、それでも彼女は榛名のことも慕っている。

「ああ、ありがとう。最上の奴はどうしている?」

「最上さんなら、阿武隈さんと一緒に網を引いてましたよ? なにか獲れるといいわね!」

 日向が席に座り、榛名はその隣りに座る。

 今夜の献立はホワイトシチューのようだ。身体が温まるものは嬉しい、と日向が呟くと、対岸の席に人影が姿を現した。

「榛名さん…もしかして、今夜も徹夜ですか?」

「榛名は大丈夫です」

 今の艦隊に残った数少ない正規空母である翔鶴は榛名の返答に「でも…」と小声で続けたが、何も言えずに席に座った。

 彼女は妹の瑞鶴と同様、主戦派ではなかったが、主戦派が出撃を決めた時、金剛が榛名に残るように告げると、代わりに行くと言い出し、了承した。

 しかし、その背中が辛そうだったのは、榛名も知っている。

 

 そう、残された艦隊の、なんと寂しいことか。

 今回の両作戦で戦列に加わったものもいるが、殆どが駆逐艦だ。

 

 戦艦は榛名と日向、空母は翔鶴の他に元は主戦派だった隼鷹と、龍鳳、戦列に加わった雲龍。ただし、艦載機はナシ。

 重巡は最上と鳥海、軽巡が大井、龍田を筆頭に阿武隈、阿賀野、そして大淀。

 駆逐艦は吹雪、睦月、時雨、雪風に戦列に加わった春雨、早霜、清霜、時津風、そして磯風。

 

 たったそれだけしか残らなかった。

 出撃していった艦娘たちがいつ戻ってきても迎えられるように、榛名は毎日のように海の近くで待ち続けていた。それだけで一日が終わる。

「……龍鳳、これも頼めないかな?」

 遠くの方で何かを引き摺る音が聞こえる。最上と阿武隈が戻ってきたのだろう。引き摺ってきた網には幾らかの魚がかかっていた。

「こっちは焼いて…残りは干物にしましょう。春雨さん、手伝ってくれますか?」

「後にしましょう。ご飯、冷めちゃいますよ」

 龍鳳が魚を仕分けている所へ吹雪が声をかける。

 せめて焼く分だけ、と焼く魚だけは串に刺して焚き火の側へ。

「じゃ、頂きましょう」

 いつの間にか榛名のもう片方の隣りへと座っていた鳥海が皆を確認する。

 数少ない艦娘達が、揃っていて、大きな声ではないが「いただきます」の声が響いた。

 

 榛名だけではない。相方の天龍を失った龍田は駆逐艦達の前では元気な顔をしているが、無理をしているのが見えていたし、大井も北上を失くしたためか、同様。

 それでも、食べなければ体は持たない。無理に食べている姿が、あちこちに見られる。

「…あの、吹雪さん?」

「なに、雪風ちゃん」

「…シチューってご飯にかけるものなんですか?」

 この空気を少しでも明るくしようと、雪風と時津風はよく他愛も無い話題を勝手に振ってくる。そして皆もそれに答えて、小さな笑いを出そうとしている。

「え? しないの? 小学校の給食で出たよ? ホワイトソースがけって感じの名前で」

「そういえば学校の食堂にありましたね」

 鳥海がそれに続いた。意外である。少なくとも榛名は聞いた事は無い。

「私は…聞いた事無いですね」

「どうです、試しに」

 翔鶴の返事に吹雪が差し出す、が翔鶴は「うーん」と返答。そこへ龍田が口を開く。

「でもあまりお行儀良くないわよぉ? おかずをご飯に載せるのって」

「トンカツとかチキンカツの時に載せてる人いたから、それと同じようなものじゃない?」

 大井がそれに反論、すると阿武隈がシチューの皿を手に取り。

「正直わかる。人前で食べると、恥ずかしいかも」

 

「だけど美味しいからやりたくなる。私も食べたことある」

 

 阿武隈の行動に、阿賀野が可笑しそうに笑った後で「どれ一口」とつまみ食い。

「あ、美味しい」

 ホワイトシチューも意外とご飯のおかずとして成り立つようである。一つ、勉強。

「おかわりありますよ。私も試そうかな……」

 春雨の言葉に、駆逐艦達が一斉に「おかわり!」と叫んだ。

「元気はいいねぇ」

 焚き火の近くで魚の様子を見つつ、焼酎を煽っていた隼鷹がそう答えた。

「隼鷹。もう一杯」

「あいよー。あ、もう無いわ」

 瓶を渡そうとした隼鷹が慌てると、龍田が思い出したように口を挟んだ。

 

「お酒なら、倉庫に響ちゃんが持ってたウォッカが――――」

 

 一瞬で、空気が凍った。

 龍田も自らの発言に気付き、顔が青へと変わる。

 

 主戦派として出撃していった艦娘の事はまだ話す事が出来る。

 だが、駆逐艦や軽巡の多くの事は話題に出せなかった。何故なら、彼女達の多くが轟沈してしまった。

 

「あ、あ、あー………そ、そう言えば阿武隈さん! 今日の網の中に、エビとか、入ってませんでしたか!?」

「え? ご、ごめん吹雪ちゃん! まだ確認してない!」

 吹雪と阿武隈がわざとらしい会話を繰り広げたが、多くの者が箸を止めていた。

 すると、磯風が席を立ち、春雨の前に立った。

 

「春雨。お代わりを頼む。大盛りだ。ご飯もシチューも、な」

 

 春雨が戸惑いながらも、すぐにご飯をよそい、その上にシチューをかけると、磯風は箸を取って食べ始める。

 いつもより数倍早い。

「うむ、美味い。吹雪はさすが、いい料理を知っている」

 ここで空気が腑抜けたのか、再び皆箸を動かし始めた。龍田はまだ遅いままだったが。

 

 

 夕食後、龍鳳と春雨を駆逐艦たちが手伝って食事の後始末と干物作りを始め、阿賀野と阿武隈は海岸近くまで向かい、目視で周辺の警戒を始めた。

 そして残りの艦娘は大淀を中心に焚き火の近くへ集まった。

「とにかく、さっきも決めたように、大井さんを旗艦に、偵察隊を出そうと考えています」

「…緊急時を考えると、火力はいるが足は早いに越したことは無いからなあ」

 隼鷹がそれに頷く。それを決めた話し合いに榛名は参加していなかったが、特に反対する理由も無い。

「…どの辺りまで進出するか、ですが…南西諸島海域でどうでしょう?」

「ボクは賛成。ただ」

 最上が一度言葉を区切る。

「鎮守府近海に、まだ敵がいないとも限らない。偵察隊の後に、ある程度の戦力を備えた後発が欲しいと思うんだけど、どうかな?」

「だが、あまり戦力を割くわけには……」

「近くに敵がいないかどうかを判断するんだ。いざという時に決戦戦力があるにこした事は無い」

 大淀の言葉に隼鷹がそう告げる。

「大井、誰を連れてく?」

「……吹雪と雪風を借りようと思うの。後発隊は?」

「アタシは行く」

 隼鷹の手がある。次の手が、上がらない。

 

「……行きましょう」

 

 榛名の声が漏れて、全員の視線が集中した。

「私が後発で行きましょう。大丈夫、戦力としてなら、充分です」

 沈黙が、異論は無いという証拠だった。

「隼鷹の護衛を、二人ほど連れて行きましょう」

 大淀がそう言葉を続け、総勢七隻が偵察へと向かう事になった。

 

 決定の後、それぞれ工廠へ向かったり、寮へと戻って行く中、榛名が再び海岸に向かおうとすると翔鶴が近寄ってきた。

「榛名さん。今夜は寝たほうがいいです」

「大丈夫です」

「偵察に向かうにしても、きちんと休まないと。今夜は阿賀野さんと阿武隈さんが見張ってますし」

「………」

「大丈夫、起こしてくれますよ」

 真面目で穏やかな人柄の翔鶴さんは、誰にでも取っ付き易い。

 駆逐艦の子たちにも慕われているし、提督からの信頼も厚かった。金剛も度々お茶会に誘っていたようで、たまに見かけることもあった。

 だけど、二人きりになると、意外と話す事は無い。

「そう、ですか」

「はい。だから、休みましょう…」

 翔鶴に背中を押される形で、榛名は久しぶりに自分のベッドに向かっていた。

 



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2:見たくない

「よく、眠れましたか?」

「ええ……」

 榛名が目を覚ましたのは、太陽が顔を出した直後だった。

 かつては霧島と共同で使っていた部屋だったが、今は一人で使っている、が昨夜は翔鶴が一緒にいたようだった。

 のろのろ、とベッドから身体を起こし、まずは着替え、そして部屋の隅に置かれた艤装をつける。

 翔鶴も着替えと艤装を置いていたのか、同じように身に付けた。

 

 上ったばかりの朝陽が眩しい、と考えながら外に出ると、龍鳳と春雨が朝食の準備を始めており、近くで吹雪と清霜が焚き火の番をしていた。焚き火にかけられているのは、昨日の残りのシチューのようだ。

「あ、おはようございます!」

「榛名さん、翔鶴さんおはようございます!」

「おはようございます、吹雪さん、清霜さん」

 翔鶴がそう挨拶をした後で、一度周囲を見渡した。

「吹雪さん、他の人たちは?」

「日向さんと最上さんはもう起きてましたよ? 阿賀野さんと阿武隈さんはまだ警戒してます。他の人はまだ…」

「あ、磯風がさっき日向さんと話してるのを見ましたよ?」

 どうやら日向はもう起きているようだ。榛名は曖昧に頷くと、近くを見回して日向の姿を探した。

 

 日向はすぐに見つかった。

 倉庫の近くで最上と時雨、磯風を指揮して資材を数えていた。

「ああ、君が寝起きの顔をするのは、何日ぶりだろうな」

「資材の様子はどのぐらいですか?」

「まあ、このペースならば、よほどの大損害を負わない限りは2ヶ月といったところか。遠征をしないなら、の計算だが」

 艦載機持ちがあまりいない為にボーキサイトの減りが少ないからな、と日向は続ける。

 悪気は無いのだろうが、翔鶴が少し顔を曇らせた。

「遠征をするにしても、遠征隊を編成しても安全かどうかも解らないですし」

「まあ、そうなるな。大淀が言うには、最悪の想定として全てのシーレーンが絶たれている可能性が否定できない、だそうだ」

「それを確かめるためにも、偵察が必要でしょう?」

 榛名の言葉に日向が「ああ」と頷く。

「敵の攻撃を受けたとはいえ、倉庫があまり被害を受けなかったのは幸いかな。おっと」

 最上がそう応えながら木箱に当たり、そしてそのままバランスを崩す。

「うへぇ!」

 誰かの悲鳴。

「磯風が埋まったよ!?」

「! 手を貸せ、早く!」

 数個の木箱をどかし、慌てて磯風を救助する。幸いにして怪我は無さそうだ。

「…っ。この箱はなんだ?」

 幾つもの箱をどかしながら救助された磯風が撫でた箱には何もかかれていない。資材ではないようだ。

「最上。この箱は調べたか?」

「ううん、まだだよ」

「あけてみましょう」

 翔鶴が力を込めて開く。確かにそれは資材ではなかった。

「…これは…三式弾に、徹甲弾じゃないか。底にも何かあるぞ?」

「ひっくり返そう」

 時雨が箱を手に取り、傾けると、さらに底からは爆雷投射機と四連装酸素魚雷が転がり出てきた。

「まあ、悪くは無いな」

 なかなかの成果はあったようだ。

 

 

 朝食の後、偵察隊の編成が改めて発表された。

 阿賀野・阿武隈の二人と駆逐艦たちは聞いていなかった話なので、それぞれ驚きはあったが反対意見は特になく、大井・吹雪・雪風の先発隊と、それに続く隼鷹・榛名の二人の護衛として磯風と睦月が行く事が決まった。

 何故この二人かというと、睦月は「吹雪ちゃんが行くから」という理由で、磯風は「ここで燻るより動いた方がいい」という理由だった。

 

「じゃあ、行くわよ」

 大井に吹雪、雪風が続く先発隊が抜錨し、それから1時間後に後発隊が続く事になった。

 

『大井より連絡。航路は順調。鎮守府周辺に敵影ナシ』

 三十分後に最初の連絡が入った。

 どうやら深海棲艦は鎮守府近海にはいないらしい。意外なものだ。てっきり、敵艦隊がたくさんいると思っていたが。

 榛名が拍子抜けしていると、日向が口を挟んだ。

「大井。潜水艦はどうだ?」

『敵の潜水艦も特に見つけてはいないわ。水中探知を持っている訳じゃないから、確実じゃあないけれど』

「そうか。吹雪、雪風にはそれぞれ左右の警戒を厳にするように頼む。それと、少し早いが後発隊を出そう」

『もう?』

「近隣に敵がいないからな。とにかく、鎮守府海域から南まで足を伸ばしてくれ」

『…南方海域はわからないわ。後発隊と合流していこうと思う。しばらく待機するわ』

「だ、そうだ」

 日向がこちらを振り向き、隼鷹が「おう」と頷いた。

「よし、行くぜ」

 隼鷹を旗艦にし、榛名が正面、睦月と磯風が左右に分かれた。

 高速戦艦の榛名だが、隼鷹にあわせて速度はさほど出さない。最も、大井たちもまだそう遠くに行ってはいないだろう。

 四隻が、抜錨する。

「どうか無事で」

「翔鶴さん」

 翔鶴の祈りのような言葉に口を挟んだのは阿武隈だった。

「大丈夫です、きっと、大丈夫」

 そうであってほしい、というただの願望でしかない。

 行き先はわからないのだ―――あの日と同じように。

 

 

 航路はぞっとするほど、静かだった。

 晴れた青空。海鳥が時折空を駆け、深海棲艦の黒い姿は何処にも見えない。

「静かですねー」

 睦月がそう呟く。恐ろしい程静か。

 そんな事を考えながら視線を上に向けると、遠くの方に黒い点。そしてそれは、小さな飛行機の姿へと変わった。

「…偵察機が帰ってきたぜ」

 隼鷹が顔を上げ、偵察機を迎える。

「大井達が近くにいる。敵影もナシ、だと」

「じゃあ、大井さん達と合流しましょう」

「合流した後、どうする? 他まで進出するか? それとも鎮守府周辺を長く捜索するか?」

「…それは大井たちと相談するべきだろう」

 隼鷹の問に、磯風がそう口を挟む。確かにそうか、と隼鷹が呟いた時、遠くの方に影が見えた。

 大井達だ。

「榛名さーん! 隼鷹さーん!」

 両手を振って雪風がこちらへ向かい、その後ろから吹雪と大井が続く。

「鎮守府周辺海域に敵影はナシ。どうします?」

「周辺をどの当たりまで調べた?」

 大井に対して磯風がそう声をかけると、大井は淡々と続ける。

「一通りは。まあ、すぐ見渡せる範囲は全部って所かしら」

「ふむ」

 ならばほぼ全域、というところか。

「……足を伸ばそう」

「でも、どこまで?」

「南方だ」

 磯風はかなり饒舌だった。

「吹雪が前に言っていた。鎮守府壊滅時に南方から敵が来た、と。ならば、そちらを見るのが賢明だ」

 確かにそうだろう。だが、南方は危険だ。あの二正面作戦の前から南方海域は敵の戦力が整った海域である。

 少数で進むにはあまり賢いとはいえない、が。

「……大井、どうする?」

 隼鷹の問に、大井は無言で頷く。吹雪、睦月、雪風は何も言わないが、反対は無いようだ。

「榛名は?」

「……進路を、南に」

 進まなければ、わからないものもある。それぐらい、榛名もわかっている。

 

 そうだ、進まなければならないのだ。そう、この先に。

 

 南方海域は島が多い。遠征や戦いの途中で上陸して休む事が出来るぐらいの島はある。

 足が速くなる。

 そうだ、皆たぶんそこにいるのだ。

 燃料が尽きて動けないで待っている、姉や仲間達がいるに違いないのだ。

 だから帰りを待ち続けても帰って来れなかった。ここまで静かなのは敵を見事に殲滅した。だけど燃料を使いすぎた。

 だから帰れない、帰って来れない。

 

 きっと皆驚くだろう。迎えが来た、と喜んで、長門や武蔵あたりが戦果を笑いながら喋って、赤城あたりが「お腹が空きましたね」といつものように笑っているに違いない。

 そうだ、きっとそうだ。

 

「榛名? おーい、速度早いぞ。幾ら高速戦艦だからって…」

「もうちょっと速度落としましょうよ」

 ふと気が付くと、背後から隼鷹の声と、吹雪からの窘める声。

「ああ、ごめんなさい」

「警戒を厳にしないとマズイですよ」

「でも、敵はいないじゃないですか」

 榛名の言葉に、磯風が首を左右に振る。

「わからないだろう。どこに潜んでいるのかも…」

「いないでしょう。きっと倒されたんですよ」

「倒されたって…」

「決まってるじゃないですか。長門さん達や赤城さん達が倒したに決まってます」

 何をおかしな事を言うのだ、と榛名はそう言葉を続ける。

 皆は怪訝そうな顔をしていた。なんでそんな顔をするのかわからなかった。まったく、せいぜい一月連絡が無かったぐらいでどうというのだ。

 潜水艦の皆はドイツまで行ったのだし、ビスマルクたちははるばるドイツから来たのだ。

 そうだとも、今まで何の連絡もないからって、別に心配するようなことではなかった。

 

 初めから皆、何らかの事情で帰って来れなくなっただけで――――。

 

「急ぎましょう、南方海域へ!」

「………」

 だから誰もが、奇妙な顔をするのが、逆に奇妙に感じた。感じていた。

 

 

 その瞬間まで。

 

 

「……何か浮いてる?」

 最初に気付いたのは睦月だった。

「どうした?」

「黒いものが浮いてます…でも、深海棲艦にしちゃ小さくて…」

 睦月が立ち止まり、指差す先に何か黒々としたものが、たくさん浮いている。小さい黒いもの。

「海草じゃないかな?」

「ゴミか何かだろう」

 吹雪と磯風はそれぞれ口を開くが、雪風が進み出た。

「確かめてきます!」

「雪風、注意するのよ」

 大井の言葉に頷き、雪風は黒い浮いたものに近づいた。

「…隼鷹さん! 隼鷹!」

 一つを掴むと、それを振りながら隼鷹を呼んだ。

「どうしたー?」

「これ……飛行機です……」

「なに!?」

 全員がそちらへ向かい、雪風が拾い上げたそれを見た。

「…烈風じゃないか…」

 隼鷹の呟きの後、大井が「まさか!」と呟いた。

 

「これ…全部…?」

 

 艦載機?

 そんなバカな、と榛名は見下ろした。だけどそれは確かに、折れた翼に描かれたマークも、千切れたプロペラも、間違いなく。

 空母達が積む艦載機だった。

「天山…流星もある…」

「嘘…じゃあ…」

 吹雪が青い顔で後退した時、軽い金属の音が鳴った。

「!?」

 

 吹雪の足元に、破壊された艤装が転がっていた。

 焦げ付き、大破しながらも、そのあまりにも特徴的な―――41センチ砲は、長門型のもの。

 

 がらがら、と足元が崩れ落ちると思った。

 どこにいる、どこにいるのだ。姉や仲間達はどこにいる?

 

 それとも、この海底に沈んでいる―――?

 

 榛名は周囲の海域に目を凝らす。

 だけど、散らばる艦載機、破壊された艤装はそこにもあった。あそこにもあった。

 

 そこら中にあった。

 

 見たくなかった。

 それ以上何も見たくなかった――――喉から迸るその絶叫を止めたくても止められないように、見たくなくても―――見える。

 

「――――――――ッ!!!!」



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3:幻

 あれも。

 これも。

 どれも。

 

 見覚えのある、艤装ばかり。破壊された、艤装。

 その主の運命は、問わなくても答えは出ている。それでも一抹の希望を求めて、中を探す。

「長門さんッ! 霧島ッ! 赤城さん!」

 返事は何も返ってこない。

 

 そして、見えるのは破壊の傷跡。

 

「嘘……嘘だ…」

 信じたくない、見たくない、信じられない、見せたくない。

 だがそこにあるのは、現実。

「どうすれば…ッ…!」

 提督を失い、そして仲間達を失ったという現実。

「榛名は…どうすれば…いいの…? 姉様…」

 呆然と立ち尽くす榛名。海面を見下ろしても、あるのは破壊された艤装と、やつれきった自身の姿。

 

 ああ、私はこんな姿をしていたんだと榛名は思った。

 

 その顔の奥に見えるのは、何だろう。海面に写る榛名の他に、失われた姉や仲間達がいるのだろうか。

 この深海のどこかに沈んでしまったの?

 それなら、どうして私も連れていってくれなかったの?

 

 どうして私だけ、置いていったの?

 

 手を伸ばしても、届くはずなどないのに。

 

「榛名さん! 榛名さん!」

 たとえすぐ近くで吹雪が何度も叫んでも、その呼びかけに答えない。

 

 手を伸ばして。手を伸ばして。

 手を伸ばしたって、届かない。

 

「榛名さん!」

 目の前に現れたのは、吹雪の顔。

「ね、姉さ」

「たぶん、これじゃ……」

 何を言わんとしたか理解したのか、吹雪は視線を一瞬だけ伏せた。

 

 強烈な平手。

 普段の彼女ならまずしないような行為、そして、戦艦の平手は吹雪の小さい体を吹っ飛ばすのに充分だった。

 盛大に水しぶきが上がる中、榛名は歩を進める。

 

 姉さまはどこ?

 

「金剛姉様…比叡姉様…霧島…」

 

 そうだ、どこにいる。認めない。認めるものか。認めてなるものか。

 その名前を呼ぶ。返事はどこにある。

 

 どれが現実?

 本当は待っているの? それとも…。

 

「榛名さん!!!」

 

 平手のお返しだった。

「………落ち着いて聞いてください」

 榛名の両肩を掴んだ、吹雪の真っ直ぐな瞳。

「榛名さん。こうやってただ、いつまでも幻を待ち続けるつもりですか」

「でも」

「どれだけ認めたくなくたって! 現実なんです! 今、ここにあるのが!」

 今、ここにあるのが現実。幻じゃない。

 嘘じゃない。これが本当。

「私だって信じたくないんです。皆、皆沈んで…それで、あの時見送った皆も帰ってこないなんて! だけど!」

 悲痛な叫びが、届く。溢れる涙の雫が、届く。

「もう…私たちしかいないんです…!」

 震える手が、榛名を掴んだまま。

 

「榛名さんは戦艦です…私よりも、ずっと…強い…だから、生きなきゃいけないんです…戦わなきゃ、皆を守らなきゃ…」

 

「だって! あなたは、皆の! 希望の火なんですから!」

 

 必死に叫ぶ吹雪の姿。

 榛名の頭の中で、血の気が引いて行く音がした。

 

 希望の火。

 暖かなその言葉が、今の榛名には似合わないように思えた。だけど。

 

 だけど、今、彼女達しかいないならば。

 戦艦と名のつくものは榛名と日向だけ。榛名がいなければ、日向しかいない。

 希望の火。

 なんと重い、言葉だろうか。だけど。

 

 目の前にいる小さな少女は、吹雪は、榛名よりも火力も装甲も劣る、駆逐艦。

 

 それなのに、その心の強さは彼女を遥かに上回る。

 

 それは導のような言葉。

 

「なんで……わたしには…」

 重すぎるその言葉を、拒否しようとしても―――――その重みが、彼女がそれを手放すことを許さない。

 必死な吹雪の思いが。今、目の前にある現実が、それを拒否させない。

「榛名さん!」

 もう一度、吹雪が叫んだ。

「辛いのは……失った事が辛いのは…みんな同じです…」

 

「皆と同じように! 司令官も! もう、いないんです!」

 

 ハンマーで殴られるよりも重たいその言葉がのしかかる。

 しかし、それでもそれは認めなければならない。そう、皆同じその重みが、抜けてしまっているのを。

「……ごめんなさい、私……」

 頭の中が、少しずつ冷静になっていく。そうだ、考え直せ。自分の役割を思い出せ。

 榛名が搾り出したその言葉に、吹雪は無言で微笑み、その手を取った。

「戻りましょう。皆が心配してます」

「ええ」

 先ほどよりもしっかりとした歩みで、二人は仲間達の下へ戻っていった。

 

「遅いぞー」

 隼鷹はさも何事もなかったかのように、明るい声を出した。

「ごめんなさい」

「…大丈夫です」

 大井がそれに答え、榛名は「ありがとう」と返答。

「吹雪、どうしたんだ?」

「なんでもないよ」

 磯風がしっかりと痣のついた吹雪を指差すが、吹雪は笑って首を左右に振った。

 大井と隼鷹はそれが解っていたが、何も言わずに、それぞれ視線を戻した。

「どうする? このあたりには……」

「敵の姿は無さそうですし」

「ええ……」

 引き返そう、と榛名は言葉を続けようとした、その時だった。

 

 磯風が、ふと雪風に「双眼鏡を」と双眼鏡を借りた。

「どうしたんですか?」

 雪風が不思議そうに聞くが、磯風は答えずにただ双眼鏡で南の海を見ている。

「隼鷹さん、偵察機で見たのは……」

「周辺だけだぜ。南の方は…」

 ふと、その意味に気付いた榛名がそう問いかけると、隼鷹もようやく気付き、慌てて偵察機を飛ばした。

 

 そしてその偵察機は、二分もしないうちに炎に包まれるのが彼女達からでも見えた。

 

「敵艦隊、発見!」

 

 周辺しか見ていなかったがゆえに、南から少しずつ近寄るそれを見過ごしていた。

「おまけに、数も多い! 来るぞ!」

「何がいますか?」

「空母と戦艦、ついでに軽母もいるし、水雷戦隊もいる!」

 六隻編成の艦隊が、何個もある。とてもじゃないが、七隻では間に合わない。

「全艦、とにかく後退! 後退です!」

 大井の叫びに、七人は慌てて鎮守府への道へと引き返そうとする、が。

 

「クソ、艦載機だ! 攻撃隊!」

 向こうには空母に軽母が数隻。こっちは軽空母が一人だ。制空権が取られるのは解っている。

「ボーキサイトを無駄遣いする訳には行きません、隼鷹さん止めて!」

 それでも艦載機を飛ばそうとした隼鷹を遮ったのは、吹雪だった。

「けど、どうする! やられちまう!」

「時間さえ稼げれば、なんとかなります」

 吹雪が淡々と告げる。その言葉の意味を―――理解したのは睦月だった。

「ダメだよ吹雪ちゃん! それならわた――――」

 そんな睦月の腹に、吹雪の鉄拳が刺さった。

 

 装甲や性能に劣る睦月型の睦月にとっては、その鉄拳で充分だった。

 

 崩れ落ちかける睦月を榛名に渡す。

「…ごめんね、睦月ちゃん。幻を追いかけてるのは、私もなんだよ」

 後半を榛名に言い聞かせるように、吹雪は呟く。

「撤退を。殿は引き受けます」

「吹雪さん!? 一人じゃ無理―――」

「雪風と磯風は隼鷹さんを守って」

「吹雪さん!」

 雪風の言葉に背を向け、迫る敵目掛けて吹雪は向かう。

 

 艦載機に機銃を放ち、徐々に敵の方へ。

 

 幻を追いかけている榛名を、現実へと解き放った吹雪は。自身はまだ、幻に囚われていたまま。

 

「……撤退です!」

「しかし!」

「クソ! 行くぞ!」

 隼鷹が真っ先に叫び、動き出す。気を失った睦月を抱えたままの榛名もまた続く。

「吹雪を見殺しに…」

「このまま残って犬死したいんなら残りなさいな! そうなれば吹雪も犬死よ!」

 磯風に大井はそう怒号を飛ばし、雪風も含めて三人が動き出す。

 大井の目に光る涙は、彼女もまたこの展開が許せなかったのだろう。

 

 

 幻を追いかけている。

 何度の夜を過ぎても、何度雪風の冗談に付き合い、何度も時雨とお互いをからかいあい。

 そして唯一生き残った親友の睦月の顔を見ても、それでもその幻は消えない。

 

 どこかで生きている筈だ、と叫んで願い続ける。

 叢雲。同じ吹雪型の、一人だけどこか違う雰囲気を纏った少女を。

 誇り高くて、何度も訓練を共にした戦友。肩を

 

 あの日、鎮守府が壊滅したあの日に、その血塗れの背中を見送ったのが最後の記憶。

 

 だけどきっと彼女はいる。どこかで生きている。生き延びている。

 そう信じて、彷徨っていた。

 

 きっとこの先で――待っている。

 

「うおおおおおおっ!!!!」

 連装砲が火を噴いた。戦艦の装甲は貫けなくても、注意を引き、目くらましには充分だった。

「当たれ!」

 一撃必殺の魚雷を放ち、少しでも敵の侵攻を食い止める。

 十数隻もの敵を一人で相手にするには困難だ。機銃で撃つより多い艦載機が次々と爆弾を落とし、それは吹雪の身体に大きなダメージを与える。

 火傷が身体を焼き、飛び散った艤装が突き刺さって血が溢れた。

「まだまだぁ!」

 それでも連装砲と機銃の手を止めない。譲れない。

 

 戦艦の主砲が直撃した。

 強烈な一撃だった。内臓が幾つか潰れたような音、骨の砕ける音。

「があああああっ!!!」

 連装砲ごと、腕が焼き付いた。使い物にならなくなった連装砲を捨て、生き残った機銃で反撃するが敵の足は止められない。

「はぁっ…はぁっ……」

 艤装ももう殆ど動いてないだろう。だが。

 

 唯一残された武器の魚雷を手に取る。

 

「深海棲艦達へ」

 

「この怒りは、深いよ」

 

 魚雷を抱えた吹雪は前へと進む。

 砲撃や機銃が飛んでくる中、全身の力を込めて、最後の一発を放り投げた。

 

 そしてその一発が海に沈む前に、艤装が炎上し――――彼女は、火柱に変わった。

 

 

 沈む、沈む、沈む。

 冷たい海に抱かれた彼女の視界に映るもの。

 

「……叢雲?」

 

 海の中で手を振る彼女は、導かれるように深海へ沈む。

 身体を壊し、その血肉を海の中に溶け合いながら、仲間へ手を伸ばす。

 

 再会した戦友は、共に行く。

 

 長い長い、旅路へ。

 永遠に終わらぬ航海へ、抜錨する。

 



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4:引きずり込まれる

 偵察隊を見送った後、残った艦娘達は自然と物資の整理や艤装の整備を始めていた。

 何が起こるかわからない。偵察隊が敵を刺激し、彼女達が逃げ戻ってきたら敵もくっついてきた、も有り得るのだ。

 救援を求められる可能性だってあるのだ。

「艦載機はどんな割合で積みましょうか?」

 もちろん、それは艦載機の編成だってそうだ。工廠に山積みされた艦載機を前に、雲龍が翔鶴にそう問いかけてくるのは決して変な事ではない。

 どんな割合で積むか、翔鶴は少し考える。

 あるだけ積み込む、とは言いたいが、鎮守府が一度半壊した故か、リスト上はあっても実際は破壊されてしまっているのも少なくない。

「なるべく戦闘機を多く積みましょう」

 少なくとも、制空権を取れるぐらいの戦闘機があればよい。制空権を奪われてしまえば、戦艦クラスの砲撃も当たりづらくなるし、駆逐艦達がすぐに沈められる。

 翔鶴のような空母でも敵の航空攻撃は弱点のようなものだ。

 

 戦艦、と言えば。

 榛名は大丈夫だろうか、と思う。昨日は眠っていたとはいえ、疲れもまだあるだろうし。偵察に行きたがっていたのも姉妹や仲間を探したかったのではないか、と思う。

 でも、実際に動いた方がまだ楽なのかも知れない。磯風だってそう言っていた。

 

「翔鶴さん?」

「え? ああ、すみません。考え事してしまって」

 雲龍にそう謝罪すると、雲龍も仕方ない、とばかりに声の調子を落とした。

「無理も無いでしょう」

 そう言ってから、近くの箱から戦闘機を掴み取り始める。

「辛い事は、解ってます。でも」

「?」

「どんなに辛いことでも、受け入れなければ引き摺りこまれる。……私だから言える事かも知れないですけど」

 壊滅する前の鎮守府を知らない、雲龍だから言える事。

「それって…」

「言った通りの意味です。だから」

 

「私でよければ、いつでも力になります」

 

 ああ、そうか。翔鶴は安心する。

 無神経に逆なでするようなことを言う訳ではないようだ。立ち上がらなければいけないのだ。その為に、手はあるのだから。

 

 ただ、既に引きずり込まれているものがいる事に、まだ気付いていなかったけれど。

 

 

「瑞雲も意外にあるものだな」

「そうだね」

 まだ水上機を漁る日向と最上を倉庫に残し、外に出ると太陽はだいぶ南に近くなっていた。

 あまりにもいい天気で、海は穏やかだ。こんな天気の日は、鍛錬したくなる、と前に加賀が話しているのを聞いた事がある。

「……」

 ああ、さっきの話からどうも思い出してしまうな、と翔鶴は首を左右に振って思考を中断する。

「とにかく、内訳を大淀さんにまとめてもらいます」

「はい。じゃあ、私と鳥海さんは見張りに…」

 龍鳳の言葉には手で答え、大淀の姿を探す。

 はて、どこに行ったか。部屋を幾らか探すが、部屋の方にはいないようだ。

 しかし彼女が食堂の方に行くのも考えにくい。

「大淀さん? いますか?」

 そう声をかけても、返事は無い。

 

 そんな事を考えながら、進んで行く。

 

 嫌な場所に来てしまった。提督の執務室だった場所。

 

 彼女達が戻ってきた時点で既に部屋の窓枠に砲撃が当たった痕があり、中の執務室はもう…。

 幾らかの壊れた家具だけが残った部屋。

 

 その光景が辛くて、誰も近寄らなかった。

 

 だけど、その中から微かに聞こえる嗚咽は、彼女のもの。

 

「……提督…提督…っ…」

「大淀さん」

「!?」

 かつて提督の執務室の中心だった机の残骸。未だに放置されたそれを抱く大淀の姿は、痛々しさしか感じなかった。

「翔鶴、さん」

「………」

 何を言おうか、と翔鶴は頭と喉が、どこかぐるぐると回りだす。何を言えばいいのか解らない。

 提督の残滓にしがみつきたいのか、それとも全てが夢でここに提督が本当はいるんじゃないか、とか。もしくはいつまでもそれにしがみつく彼女をひっぱたきたいのか。

「……偵察隊からの連絡はまだないです」

 やっと搾り出せた言葉が、それだけ。

「そう、ですか」

 眼鏡を外し、涙を拭う。彼女は戦列に加わる前より、この鎮守府が小さかったときより、ずっと提督の側にいた。

 提督を支えていた。秘書艦とは違うかたちで。

 

 だからこそ、本当は彼女もまた提督に頼りきっていたのだ。そう、提督に。

 

 それに気付いてしまった翔鶴の頭が、妙に冷静になってきた。さっきの言葉を、思い出せ。そうだ、今は泣いている場合ではない。

「ごめんなさい…そうだ、資材の…」

 涙を拭った大淀に、翔鶴は冷たく返した。

「受け入れなければ、引きずり込まれる」

「え」

「雲龍さんからの伝言です」

 そう告げて、資材について続ける。

「まだしばらくはあります。この前より少し減ったぐらいですね」

「ああ、はい……」

 どこか上の空な大淀はそう答えた。

「……」

「………本当に、どうしてこんなことに……」

「今、それを話しても」

「でも! あの時、無理に二つの作戦をしなかったら…誰かが残っていれば…」

 今更後悔しても遅い事だった。でも大淀は、涙を流して後悔だけを呟く。

 

 だが。

 

「でもその命令を持ってきたの、誰ですか」

 

 自分でも恐ろしくなるぐらいに、冷たい声だった。

「二つの作戦は厳しいけれどなんとかやりましょうと、その作戦を持ってきて、承認させたのは。司令部に反対意見や無理も言わずに、戦力を分割した」

「……!」

「その結果、小さい子達が何人も何人も」

 それは無意味な怒りだった。八つ当たりだった。自分でも解っていた、そんな事をしても既に意味が無い事を。

 彼女を責めても、何も変わらないし何の意味も無い事を。

「そして皆は! 誰も帰ってこない! 瑞鶴も、加賀さんも陸奥さんも金剛さんも!」

「……ひっ…」

 嫌な音と共に、一歩近づく。腰の抜けた大淀が、ぺたりと座り込む。

「それを認めたのは、その切っ掛けは、誰だったんでしょうね!」

「あ……」

 見下ろすように近づき、そしてその胸倉を掴む。

「提督を殺したのは―――――――」

 直後、肩を力強く掴まれた。

 

「そこまでです」

 

 雲龍だった。

「雲龍さん…」

 翔鶴が手を離した直後、二人の影が雲龍の後ろから出てきて、大淀をゆっくりと起こした。

 阿賀野と阿武隈だった。

「阿武隈さんが、心配して呼んできてくれて」

「ああ……」

 あれだけ声を荒げれば、流石に聞こえてしまうか。また迷惑をかけてしまった。

「大淀さん、少し休もう。ね?」

 阿武隈が大淀を支えるようにして連れて行き、阿賀野はタメ息をついた。

「翔鶴さん。あんな言い方はダメです」

「ええ……」

「誰だって信じたくないし、認めたくないです…私も。でも…」

「わかってます、わかってます」

 頭じゃわかりきっている事だ。それを拒むのは自分の弱い心なのだろうか。後悔しても、後悔しても。

 

 過ぎてしまった事は戻らない。

 起こってしまったことは、どうにもならない。

 

「今は力を合わせて、乗り切りましょう。頑張ろう、ね?」

 阿賀野は無理に笑っていた。その姿が、どこか龍田や大井にも似ていて、無理をしているようにしか見えなかった。

 力を合わせて、乗り切ろうにもそれに終わりがあるのなら乗り切ろうとは思えるけれど。

 でも、今では…。

「……」

 何も答えない翔鶴に、雲龍が息を吐く。

「釣りでもしましょうか。お昼ご飯代わりに」

 それは唐突な提案だった。

「釣り、ですか?」

「ええ。時雨が時津風に釣りを教えていたので。釣竿はまだある筈ですし」

 気分転換のつもりなのだろうか。まあ、気を紛らわすぐらいにはなるかも知れない。

 雲龍に半ば手を引かれる形で、再び外に出た。

 

 風が強くなっていて、潮の香りが目にしみた。

 

「時雨、どうですか?」

「あんまり、かな」

 艦娘の海への出入り口だった桟橋の近くで釣り糸を垂れる時雨は翔鶴と雲龍に気付くと、近くのバケツを振ってみせる。

 水の音は聞こえるが、魚の跳ねる音は微かにしか聞こえない。

「私たちも釣りをします」

「雲龍さんたちも? わかった、釣竿を取ってくるね。時津風、竿を見ててくれないか?」

 時雨が釣竿をそこにおいてから立ち上がり、倉庫の方へと走って行く。

 

 提督が釣り好きだったが、釣りと聞いて思い出すのは若葉の事だ。

 

 彼女は自由時間になればすぐに釣り糸を垂れていて、そのコツを他の艦にも話しているのを見た事が何度もあった。

 

 確かおかずが足りない事に悩んでいた赤城さんが若葉に師事していた事もあったが、若葉の言葉がアバウト過ぎて解らないと嘆いたこともあった。

 若葉もまた、この海のどこかに消えてしまったのだけれど。

 

「翔鶴さん、雲龍さん、お待たせ」

「ありがとう、時雨」

 戻ってきた時雨から釣竿を受け取り、差し出された餌は…。

「これは?」

 黒と灰色の欠片だった。

「若葉が、これが一番よく釣れるって言ってて……でもこれ、僕も知らないというか…」

「なんでしょう? 疑似餌ではないですし…」

「それ、たぶん」

 雲龍が首を傾げる中、時津風が口を開いた。

「深海棲艦、だと思う」

「え?」

「だって、乾燥はしてるけど色合いはそうだし、匂いもあんまりないし。なんかそれっぽい」

 時津風はさも当たり前のように言うが、翔鶴はともかく雲龍も頭がくらくらしているようだ。

「時雨、これどこで手に入れたの?」

「寮の裏で、若葉がよく日干しにしてた奴の残りで…」

 もしかして今までそれで釣りをしていたのだろうか?

 だが、実際のこれの正体は若葉しか知らないのだ。

「できれば深海棲艦だとは思いたくないですね…」

 今はそんな事は思い出したくない、今だけは。

 

 二人は餌を針につけて、思い切り遠くまで竿を振った。

 



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5:惑い

 釣り糸は、昼を過ぎても殆ど動かず、バケツには小さめの魚が10匹ばかりうろうろしているだけだ。

 ポイントが悪いのか時間が悪いのか、もしくは餌が悪いのか。それは解らないが、時雨の言が正しいとすればポイントや時間の方かも知れない。

「またダメですね…」

 雲龍が再び竿を上げるが、その先に魚はなく、餌はぶら下がったままだ。

「ええ。もう少し粘りましょうか」

「うー……」

 翔鶴がそう返事をした時、脇であまりの釣れなさに退屈になったであろう時津風が不満げな声を出した。

「少し位置を変えようか。もう少し、日陰になるところとか……」

 時雨がそんな時津風に声をかけた時、海の見張りをしていた鳥海がこちらを振り向いた。

「帰ってきましたよ! 誰か、他の皆さんも呼んできてください!」

「本当ですか?」

 偵察隊が帰ってきた。どんな情報を持ち帰ってくるかは解らないが、無駄ではない筈だ。

「行って来るね!」

 退屈してたであろう時津風がすぐに走り出し、声を張り上げて「みんなー! かえってきたってー!」と皆に報せている。

 翔鶴と雲龍は海岸へと急いだ。

 

 そこには七隻揃っている、筈だった。

 

 先頭を走るのは隼鷹、その次に誰かをおんぶする榛名の姿が見え、その次に大井。

 そして最後に、雪風を支えるように進む磯風。

 

「おんぶされているのは…睦月さん、でしょうか」

「吹雪さんがいない……」

 鳥海が呟き、龍鳳も言葉を続ける。翔鶴も目を凝らす。

 

 そのどこにも、吹雪がいない。

 

「戻ってきたか?」

 声が響き、日向と最上、次いで阿賀野と龍田に駆逐艦達、そして遅れて阿武隈と大淀も姿を現した。

 こちらに気付いた隼鷹が速度をあげ、榛名に手を差し伸べた。

「悪い、誰か睦月を寝かせてやってくれるか? 出来れば、そばにもいてやって欲しい」

 睦月は眠っているのか、或いは気絶しているのかは解らないが、阿武隈が「うん、いいよ」と答えて榛名の背中から睦月を受け取った。

 そして榛名と大井が海から上がり、最後に雪風と磯風。

「吹雪さんが…吹雪さんが……!」

「吹雪が、どうしたの?」

 涙を流す雪風に清霜がそう問いかけると、大井が答えた。

「殿になって……後は……」

 大井の言葉に、全員が言葉を失った。

「南方海域に敵はまだかなりいました。それと…………」

 

「艤装の残骸と、撃墜された艦載機がありました。艤装は長門型のものです」

 

 榛名が告げたそれは、大淀を卒倒させるのに充分な威力を持っていた。

 

「春雨、大淀を頼む。榛名、詳しく頼もう。食堂に移動して、善後策を――――」

「待って欲しい」

 日向は春雨にそう声をかけた直後、磯風がそれを防いだ。

「榛名。聞かせてくれ」

「…なんですか」

「…あなたは、吹雪を見殺しにするだけの価値がある人か?」

「見殺し!?」

 龍田だった。彼女がこれほど取り乱すのも珍しいが、他の面々もその言葉に動揺が走った。

「あの時、あなたがあんな風に独断で進まなければ。敵を刺激しなかったんじゃないか?」

「……否定できません」

「あの時あなたと吹雪が何を話していたのか解らない。でも、最後の言葉は聞いていた…あれには何の意味があるんだ? 幻を追いかけていたとはなんなんだ?」

 磯風の言葉に、榛名は少しだけ目を伏せた。

 

 そして。

 

「もう、皆はいない。吹雪さんは、私にそう言った。姉様の、皆の、生存を信じようとしていた私に。もう頼れないことを」

 

 艤装の残骸と撃墜された航空機が、その証明。

 頼りになるものがいないという事を示すだけ。

「でも、それを私に気付かせた吹雪さんが。それを信じたかった」

「どういう事なんだ」

「わかりません。でも…吹雪さんも、皆の事を…」

「当たり前だろう。答えになって」

「やめなさい」

 なおも言葉を続ける磯風を制したのは、雲龍だった。

「しかし」

「磯風。今はそれを話し合うべきではありません」

 雲龍の気迫に、まだ何か言いたげだった磯風はとうとう黙った。

「確かに。それを話し合う時ではありません。食堂に移りましょう…龍田さんは休んだほうが…」

「大丈夫」

 翔鶴が皆を促すと、龍田も立ち上がり、後に続いた。

 

 食堂に移った。

 

 日向、榛名を筆頭に、翔鶴、隼鷹、雲龍、龍鳳、鳥海、最上。

 そして大井、阿賀野、龍田が続き、雪風、時雨と、磯風、時津風、早霜、清霜。

 後は自室にいる大淀・睦月と春雨、阿武隈。人数的には吹雪が欠けたというのに、まるで何人も消えてしまったようにも見える。

 

「南方まで進出したのかい?」

 沈黙を破ったのは最上だった。隼鷹がそれに頷き、大井が言葉を紡いだ。

「ええ。そこで……南方海域に入って少しのところで、飛行機の残骸を見ました。艦戦、艦攻、艦爆…ひととおりは」

「航空機の残骸、というと撃墜されたあと? 廃棄されたものではなくて、ですか」

「はい」

 鳥海の疑問に大井は頷き、雲龍と翔鶴、そして龍鳳が自然と顔を合わせてしまった。

 撃墜された飛行機の残骸、そこで戦った艦娘がいるという事。

 

 赤城に加賀、蒼龍、飛龍を皮切りに、千歳・千代田に飛鷹もいた筈だ。

 それだけの航空部隊がいたにも関わらず、誰も戻らなかった。

 

 それに、長門型の破壊された艤装。

 

「なあ、榛名」

「なんですか、日向さん」

「お前はどうするべきだと思う?」

 意外な問いかけだ、と榛名は思った。今までずっと、榛名は海だけを見ていたから、日向が大淀たちと相談して決めた事を後から告げてくることが多かった。

 でも、今、初めて日向が榛名に意見の提示を求めた。

「それって……」

「その現場を、見てきたお前だから、聞きたいんだ。それに……吹雪が言った、それが今だとお前は知ったんだろう?」

 ああ、そうか。そうだった。

 吹雪が残した言葉。それは、現実へと引き戻した。そして、引き戻すだけで終わりじゃない。そこから何をするかだ。

 吹雪は榛名に言った。

 希望の灯、と。

 日向に頼り切ってはいけない。翔鶴や鳥海だって、大淀にだって出来ることの限界はある。

「必要な事は」

 

 だから、口を開く。

 

「他の鎮守府と連絡が取れるかどうかが最優先です」

 

 これ以上の戦力の低下は避けたい。それに、ここの鎮守府は弔い合戦に出撃したが、他の鎮守府はどうだろうか。

 鎮守府周辺の町も壊滅状態故に、人間がどこまで生きているかは解らないが、それでも健在な鎮守府はどこかにある筈だ。

「まだ資材の余裕はあります。敵が再度こちらに侵攻してこない限りは持つでしょう」

「だが、南方海域の現状から…南洋の基地はほぼ壊滅してると思うぞ」

 榛名の言葉に、日向はそう返す。

「けど、北とか…大陸側の方は無事かも知れないぜ。今回やつらは南から来たんだ」

 隼鷹がそう発言し、他の皆も頷く。

「そうだね。それなら誰か見つかるかも知れないし」

「確かに。戦力を増やすのが大事ですし」

 阿賀野が同意し、早霜がそれに頷く。

 

 だが、この期に及んで…まだ沈黙を保つ者がいた。

 

 磯風である。

 雪風の方は泣き止んで、皆の話し合いを見てどうしようという顔をしているが磯風は黙ったまま、視線を。

 

 龍田に向けていた。

 榛名ではなく、龍田だった。

 

 話し合いに加わっている振りをしてただ相槌を打つだけの龍田を見ていた。

 

「磯風」

「…ん?」

「ずっと龍田さん見てるけど、どうしたの」

 他の皆が気付かない、龍田だけを見ている磯風に声をかけたのは清霜だった。

「なんでもないさ」

「嘘だよ」

「嘘をついてどうするんだ、清霜」

「龍田さんが変なのは、大淀さんが倒れる前からだってのは気付いてる」

「いや、お前も気付いているなら心配ない」

 声の調子を落として、磯風はそう答える。

 

「危ないぞ」

 

 磯風は話は終わりだ、とばかりに首を左右に振った。

 清霜にはその意味が解らなかった。だが、その会話を聞いていた、聞こえていた榛名にはその意味が解りかけていた。

 

 誰もが限界に近いのだ。吹雪がそれを迎えてしまったように。

 

 龍田に視線を向ける。

 いつも浮かべているのは微笑だった彼女は、空虚な微笑を浮かべていた。

 

「通信機さえ使えればなんとかなるのだが」

 日向が忌々しそうに口を開いた。通信機も破壊されている以上、通信は出来ない。

「かと言って、足も無い。歩いて誰かを探すしかないでしょうね」

「歩くって…鎮守府周辺も壊滅してるのに? どこまで行けば…」

 雲龍の言葉に、阿賀野が不安げに答えると、雲龍はさらりと言葉を続ける。

「海軍だけが軍じゃないでしょう」

「あ…」

 今はもういないが、あきつ丸やまるゆが所属していた陸軍がまだある筈だ。深海棲艦と相対するのはせいぜい砲撃ぐらいとはいえ、それでもいないわけではないのだ。

 陸軍へどうやって連絡を取るか、と続きの議論をする、その時。

 

 激しい足音と、食堂が開かれる音。

 

「大変です!」

「春雨? どうしたの?」

「偵察機から…て、敵艦見ゆ! 鎮守府正面海域です!」

 慌てて全員が外に飛び出す。遠くの方に小さな点がぽつぽつ。

 外には既に阿武隈がいた。

「念のために偵察機を飛ばしてたけど…まさか、ここまで来るなんて」

「敵の編成は?」

「水雷戦隊だと思う…軽巡と雷巡、駆逐艦ってところ」

 偵察隊を追いかけてきたか、或いはこちらまでやってきたか。だが、どっちにしろ。

「…まあいいさ。久しぶりの実戦だ」

 幸いにも、まだ資材はあるのだ。日向がいつものように笑った。

「実戦経験を積むにはいいかも知れませんね」

 雲龍が一歩前に出た。先ほど艦載機を載せたばかりなのだ。

「大物を狙っていきたいところだけど」

 大井が魚雷発射管を確認する。その雷撃力はゆるがない。

「うん…やろう!」

 阿武隈が次いで前に出る。やるときはやる子なのだ。

 

「…そうですね、やりましょう」

「準備はいいですか?」

 

 榛名と翔鶴が進み出たのは、ほぼ同時。

 六隻がいる。それはもう、立派な艦隊。しかも戦艦も空母もいる。

 

「暁の水平線に…」「…勝利を!」

 

 六隻の艦娘は、一斉に海域へと飛び出した。

 

 あの時から。

 

 久しぶりの海戦が始まろうとしていた。



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6:しぶきをあげて

 海へと飛び出した六隻の艦娘は、日向を先頭に大井、阿武隈、榛名、そして雲龍と翔鶴という順の単縦陣で、迫る敵影へと向かった。

 真正面から迫る六隻の深海棲艦は雷巡、軽巡と駆逐で構成される。戦力的には負ける心配は無い。

 

 だが、と翔鶴は思う。

 あの時以来、海戦を彼女達は経験していないし、もう一人の正規空母である雲龍はまだ錬度が低い。

 故に後ろに翔鶴、前に榛名がついているのだが、久しぶりの海戦、特に榛名は持ち直したばかりなので不安要素は拭いきれない。

 

「艦載機を放って、突撃。行くぞ」

 

 日向はそれを打ち消すかのように、艦載機の瑞雲を空高く放つ。

 航空戦艦の名は伊達ではない。雲龍が手にした杖を振ると同時に、翔鶴は弓を引き絞り―――放った。

 敵に空母も軽母も無い。おまけに鎮守府真正面の海域、制空権が取れない筈はない。

 

 冷静に対処する。アウトレンジから航空攻撃の後、遠距離砲撃で弱らせ、雷撃で仕留める。

 いつも通りにやればそれで済んでしまう。いつも通りに、そう、いつも通りに。

 

「ギッ!」

 真っ直ぐに仕掛ける艦攻や艦爆機に対処するべく、敵の雷巡が顔を上に向けて対空砲火を始め、艦隊機動が僅かに乱れ始める。

 そこを逃す手など無い。

「日向さん、榛名さん、今です! 雲龍さん、直掩隊を動かして!」

「ええ!」

 榛名の艤装が動き、戦艦の主砲たる35.6cm連装砲が一気に火を噴く―――次いで日向の41cm連装砲も一斉射をはじめた。

 轟音と共に空を駆ける砲弾―――足を止めていた二隻の雷巡に見事な直撃弾が突き刺さり、哀れな一隻は文字通り轟沈した。

「一隻仕留めました! 流石です!」

「雲龍さん、気を抜かないで!」

 実戦経験が少ないゆえか、或いは今までの鬱憤なのか。嬉しそうにガッツポーズをとった雲龍をたしなめ、翔鶴は後続の敵艦に対処するための第二次攻撃を始める。

 敵はまだ五隻も残っている。

 

 

『敵の戦力が弱そうに見えても、最後まで敵は何をするかわからない』

 一航戦を支えた空母、赤城はある日の演習を眺めながら、そんな事を言った。

 その日、編成の変更があり、赤城と加賀のコンビから加賀と瑞鳳という編成へ代わった。理由としては演習相手の艦隊に空母がいなかったから、らしい。

 最大の搭載機を誇り、錬度も高い加賀の航空隊は敵の先陣を蹴散らすのに充分だった。

『流石は加賀さんですね』

 褒める翔鶴に対して、加賀の横でいつも戦っている赤城が前述の言葉を呟いたのだ。

 

 最後の最後まで気を緩めない、一隻沈めたところで敵はまだ残っている。

 そして余所見をしない。

 

 その時、加賀が瑞鳳の方へ視線を向ける、だがその時艦隊は輪形陣ではなく、加賀は視線を後ろに向けていた。

 加賀としては一瞬だろうが、それは相手艦隊の好機としては充分。加賀らしくないミスだった。

『ね?』

 敵の重巡の砲撃を喰らい、ペイント塗れにされる加賀の姿は初めて見た。

『油断せず、敵に攻撃をさせず、確実に沈めていく。獅子は兎も全力で狩る。これが大事です』

 

「っ…!」

 赤城に言われた事を噛み締めつつ、再び矢を放ち、第二次攻撃隊が猛攻を始める。

 それに榛名の砲撃が加わり、2隻目の雷巡と軽巡が一隻轟沈する。

 

 直後だった。

 軽巡と駆逐ほどしか残っていない敵の後ろから、更に黒い影が見えた。

「増援…?」

「…………敵影、確認だ!」

 日向の叫び通り、確かに後ろに四隻の敵艦が姿を現し、こちらへ接近していた。

 

 うち二隻は雷巡で、もう一隻は見慣れた重巡リ級。だが、その奥にある一隻は重巡クラスだろうか?

 

「新型に注意!」

 翔鶴が注意を飛ばした直後、二隻の重巡が反撃を開始。対空砲火で航空隊の一部が火を噴き、撃墜されていく。

「敵増援か! だが…」

 日向が前に出ようとするより先に、高速戦艦の名に恥じぬ速度で榛名が前に出た。

「勝手は榛名が許しません……沈めぇぇぇぇぇっ!」

 前に出た榛名は一気に艤装を展開、盛大な砲火を至近距離で放った。

「やったか!?」

「いいえ、まだです!」

 日向の問に答える榛名の言葉通り、至近距離での砲撃であるにも関わらず、直撃弾を受けた重巡リ級が火を噴くのに対し、もう片方の新型はその煙の中を抜けてきた。

 目の前に突出する新型。

 

 伸びた砲門からの、至近距離からの砲撃。

 

 敵にやったことをまさにそのまま返された形の榛名が爆炎に包まれる。

 

「榛名さん!」

「榛名は、大丈夫です! 第一砲塔をやられただけ!」

 炎を突き破った榛名は少しだけ後退、新型から距離を取ろうとする。

 まだ、機関は生きている。新型は追いつくよりも生き残りと合流する事を選んだのか、第1陣の軽巡と駆逐コンビへ向かおうとした。

 

 そこへ、大井の雷撃がぶち抜いた。

 

 放たれた魚雷は次々と駆逐と軽巡に吸い込まれ、駆逐一隻を残して二隻は火柱をあげて沈む。

 それを見た新型が足を止める。まさに、隙が出来ている。

 

 今しかない。

 

「主砲、一斉射!」

「全機、一気に畳み掛けて!」

「全機、目標に攻撃を集中!」

 

 日向の砲撃を皮切りに、翔鶴が放った艦攻部隊、そして雲龍隊も加わる空中と砲撃のツープラトン。

 砲撃の方は至近弾だったのか水柱が上がるが、新型の身体を覆い尽くして視界を奪う。だが、それはこちらも同じ事。

「突入します!」

「阿武隈、行きます!」

 水柱が上がった直後、榛名は再び突撃を開始し、続けてやってきた阿武隈もそれに続く。

 戦艦と快速の軽巡が大井の魚雷と艦載機部隊に援護されながらの突撃。決して悪くない、恐らく提督がいれば賞賛を送っていたであろう戦闘。

 

 それでも彼女達は拭いきれなかった、どこかにある不安を。

 

 それは的中する。目の前の海から現れた、更なる敵増援によって。

 

「ん?」

 前進し続ける榛名が急に足を止め、後続の阿武隈もそれに習う。

「どうしました?」

「…足元に、今なにかが…」

 阿武隈の問に榛名がそう答えた直後、大井が叫んだ。

「阿武隈、爆雷!」

「うそ、下!?」

 阿武隈が下を振り向くより先に、そいつらは現れた。

 

 こちらも新型だった。

 

 大きさとしては軽巡ほどだろうが、大きなグローブのような両手は無数の対空砲を備えている。それがダブル。

 そして、艦載機部隊は重巡を包囲しているが、この新手の軽巡はノーマークだ!

 阿武隈と榛名は慌てて現れた新型へ向ける、だが既に対空砲の嵐は艦載機に襲い掛かった。

「反転、回避を!」

「っ…! ダメです、まるでヤマアラシのよう…」

 翔鶴の隊ならともかく、錬度に劣る雲龍の部隊は対空火砲に晒され、次々と炎に包まれていく。しかし翔鶴の隊が無理に援護に入れば、その時は攻撃隊がいなくなる!

 どうする、どうする。

 だが迷っていては命取り。そんな事を気にしている暇はない!

「榛名さん! 少し下がってください! 雲龍さんの隊の損耗が…」

「できません」

 砲撃を放ちながら答える榛名。外した。榛名も少し焦っているかも知れない。

「ですが!」

「下手に下がると阿武隈さんの砲が届きません」

 艦隊は空母だけではない。翔鶴がはっと顔を上げると、日向が横に出ていた。

「私と大井が前に出る。榛名には対空に集中させよう」

「いえ、やれます。攻撃に集中です」

 それを遮ったのは雲龍だった。

「……フォローは出来ませんよ」

「構いません。私も空母です」

 ちらりと見る雲龍の横顔。焦りの無い、まっすぐな決意。

「榛名さん、突撃です! 一気に攻めます!」

 反撃開始。敵の新手にやらせはしない。

 

 再び矢を放った翔鶴の瞳に、再度突入する榛名の姿が映った。

 

 戦艦として、一気に攻めきる姿。

 その慎ましやかな性格から考えられない、荒々しい戦闘。

 

「勝手は!」

 

 火炎と砲撃。

 

「榛名が!」

 

 時に戦慄すら覚えさせる絶叫。

 

「許しません!」

 

 それは怒りか、それとも光か。誰にも解らない。

 

 最後まで生きていた新型軽巡の顔面に、日向と榛名の主砲が同時に直撃した。

 顔面を叩き潰された新型は文字通り体液を撒き散らしなが大の字に海に沈み、そして奥へと帰っていく。

 

 そして海上に、荒い息をつく六隻の艦娘が残った。

 

「……榛名さん」

 翔鶴が近づいて一歩声をかける。最前線で戦っていた彼女の艤装は半壊し、服もあちこちが破れ、出血も見える。

 致命的な重傷ではないが、入渠が必要だろう。

「大丈夫。この調子なら」

 彼女は振り返らずにそう答える。翔鶴もそれを聞いて、少しだけ微笑んだ。

 

 いつも通りとはいえない戦闘。だが、いつまでもこのままではいけない。

 

 少しずつでもいい、取り戻していくしかない。前のそのままにはならない事は解りきっている。だけど。

「……負けません」

 風が吹く中、まだ無数の硝煙が消えない中、翔鶴が呟く。

「……」

 同じ海を見つめながら、榛名は頷いた。

「私達は負けません。提督はいなくても……私達はまだいます!」

「……ええ!」

 背を向けて、仲間達の元へ帰っていく。だが、その中に炎は燃えていた。

 

 

 磯風は、その姿を鎮守府から見ていた。

「磯風。戦闘、終わったみたいだね」

「ああ……」

 後ろから清霜が声をかけても、彼女はまだ海を見ていた。

「まだ腑に落ちない顔してるけど?」

 清霜の問に、磯風は眼をそらさずに答える。

「ああ。消えないんだ」

 

「吹雪の後姿が消えない」

 

 あの時、一人で殿になった吹雪の姿が消えない。

 彼女は何を見ていたのか、幻とはナンなのか。磯風にはそれがまだ解らなかった。

 

「一人でも、誰かが消えるのは嫌だ……嫌なんだ…」

 肩を震わせるより先に、背後から別の声が響いた。

「それは誰だって同じ」

 一歩一歩、踏みしめながら近づく早霜は、磯風の前に手を出した。

「だから私達には私達に出来る事をやる……疑い続けては…何も、変わらないし進めない……」

「…」

 顔を逸らした磯風は、何も答えない。

 

 でも、それでも彼女達にも炎は燃えていた。

 違う色か、同じ色かはわからぬが。



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7:捻じ曲げる事のできない怒り

 久しぶりの戦闘から、五日の時が過ぎていた。

 あれ以来、敵の襲撃もなく、海は静かなままだ。だがしかし、決して事態は好転しなかった。

 

 五日前の戦闘の後、早急に陸軍基地と連絡を取り、他の基地と連携を取るべしという意思決定がなされ、阿賀野と早霜の二人が徒歩で出発した。

 それから五日目になるが二人はまだ戻ってくる気配は無い。

 そして何より、残された艦娘の間も微妙な空気が流れていた。

 

 それは吹雪の喪失から始まったもの。

 

 睦月、そして雪風はすっかり塞ぎこんでしまっており、大淀は口数がめっきり減って、翔鶴を避けている。

 磯風は榛名への不信を拭わず、それを清霜が見咎めては対立に発展しかけ雲龍に制止されの繰り返し。

 榛名は榛名でそんな磯風を刺激しないことにしたようで気にせず、日向もそんな榛名に何も言わずに作業に没頭し、それが大井には不満なのか苛立ちを隠さず。

 更には龍田は何をやっても身に入らない状態になってしまっていた。

 

「ご飯の時間なのに…」

 六日目の朝、龍鳳がとうとうそう零した。

 今朝のメニューは煮込みうどんのようで、お椀にそれぞれよそっているが、そもそも席にやってくる艦娘も少なかった。

 榛名や清霜に顔を合わせたくないのか、食事の時間をずらす磯風に、部屋に籠もりがちな睦月と雪風、龍田と大淀も顔を出すのが遅れがちになり、大井と清霜は不機嫌を隠さない。

「元気が出ないのは解るけど…でも…」

 春雨も気落ちしそうな声で、でも少しでも奮い立とうとしている。

「このままではバラバラですよ」

 龍鳳がもう一度呟くと、席にやってきた鳥海が口を挟んだ。

「最上さんが日向さんにその事で話しても、日向さんは何も言わないみたいです」

 榛名が姉達を待って海を見続けていた間、艦隊をまとめようとしていたのは日向だった。戦艦娘というだけではない、まとめようとする意思がしっかりとあった。

 だが、偵察の後、彼女は初めて榛名に意見を求めた。海を見続けていた榛名に決定した事を伝えたり指示をしていたとは反対に。

 そして大淀が塞ぎこんだ以上、榛名が艦隊をまとめているようにも見える。だが、それには不満がある者がいる。

 

 鳥海の言うとおり、バラバラになる。

 榛名や日向のように、刺激しないように気にしないでいる事が、余計に不満を持つ者達の不満を募らせている。ただでさえ叩かれた艦隊を、一つの意志にまとめなければならない。

 阿賀野と早霜が戻るのを待ってから再度話し合いをするか、或いは――――。

 

 翔鶴は、赤城と鳳翔から加賀が瑞鶴にきつく当たる理由を聞いた事があった。

 

『加賀さんは誇り高くて、自他共に厳しいです。そう、昔から、ね。だけど、誇り高さ故に、慢心してしまうことが昔からありました。瑞鶴さんも同様に、誇り高い』

『そして、慢心した失敗をしてしまう?』

 翔鶴の返事に、赤城が無言で首肯。すると、鳳翔が言葉を続けた。

『だからある意味、加賀さんから見て瑞鶴さんはかつての自分や今の自分がしてしまいそうな失敗を、時々目の前でやってしまう。でも、目の前でそれをするから自身の治すところも見えるし、何よりその治すべきところを瑞鶴さんも治せば完全に近い自分が二人になる』

『私達空母は、一人では戦えませんからね』

 赤城がそう締めくくる。

 加賀にとって瑞鶴は昔の自分、そして今の自分を映す鏡でもある。だからこそ、目の前である自身の過ちも見えてくる。そして、それは瑞鶴さんの過ちである。

 だから治して欲しい。そうすれば、欠けの無い二つの空母が出来上がる。

『でもお互いに誇り高くては、今日のように言い争いとかもしてしまうのでは?』

『そうですね。でも、だからこそああやってぶつかり合うことは大事だと思いますよ?』

『?』

『ぶつかり合うからこそ、解るものも出てきます』

『だけど誇り高い二人は本当は認めるなんていわないんじゃ…』

 翔鶴がもう一度疑問をぶつけると、赤城はタメ息をついた。

『確かに。まあ、あの二人は本当は認め合ってるから、できる芸当。でも、そうじゃない場合は本音をぶつけ合う事が大事でしょう』

 

『相手を知るには、その生の声を聞くのが一番ですから』

 

 名前の声を聞く。本音を知る。本音を引き出す。その為に、ぶつけるもの。

「衝突は必至ですね…」

 翔鶴は呟く。だが、今しかない。時間が経てば経つほど危険になる。

 何より、不満を持つ者たちを爆発させてはならない。そのためには……失敗すれば自身がバラバラにしてしまう事になる。だが、やるしかない。

「春雨ちゃん、全員そろうように伝えてください。えーと…うどんが伸びるとでも理由をつけて…」

「それで、出てきてくれるでしょうか?」

 春雨の不安げな問に、やってみるべきだとばかりに翔鶴は無言で促した。

「………はい。呼んで来ます」

 彼女の珍しく強い言葉に春雨は戸惑った顔ながらも、部屋の方へと向かっていく。

 

 

 阿賀野と早霜以外の全員が久しぶりに揃って着席する朝食も、箸が進まないものが目立った。

 でも、食事を終えたなら、繰り出そう。翔鶴はそう思って、箸を動かす。日向と榛名は資源の残りと阿賀野たちがどんなルートを使って行ったのだろうか?という話題に夢中。

 隼鷹が時々それに加わる。やがて、ようやく器が空になるものが出て来る。

 そろそろだ。

「榛名さん。一つ、言わねばならない事があります」

「…なんですか」

「あなたは謝るべきでは? 吹雪さんの事で」

 色んな意味で、温度が下がった。だが、構わなかった。

「それは」

「非常時だからそれを話すべきではない、と雲龍さんは言いました。でも、はっきりしなければ、納得できない子だっています」

「翔鶴さん」

 雲龍の言葉に、何も言わずに翔鶴は榛名だけを見る。榛名は。

「そう、ですね」

 箸を置いた。

「吹雪ちゃんは皆を支えようとしていた。そう、鼓舞して、元気付けて」

「ずっと明るくて、雪風たちの背中を押してくれて…」

 雪風が続けた。榛名は頷く。

「ええ。吹雪ちゃんのお陰で、保ってた子もいます。でも……本当は、吹雪ちゃんの中は、辛かった。私と同じように。私みたいに、表に出していなかった。出せなかった。他に守るべき子達がいたから」

「……」

「吹雪ちゃんも傷ついていた。そしてそれが、徐々に削れてった。でも、変わる人がいない。吹雪ちゃんの後に、引っ張る人がいる? でも、あの日……」

「待って下さい」

 翔鶴は思わず口を挟む。

 引っ張る人がいない?

 この中に?

「そんな、まるで皆が吹雪さんに頼り切っていたような……」

 

 だが、もう一度、今を振り返った。

 

 引っ張る人がいない?

 いいや、もう一度思い返せ。

 大淀はめっきり口数が減った。仲間達の喪失をつきつけられた現実で卒倒し、その前に提督の執務室で泣いていた彼女に翔鶴が八つ当たりをしてしまい。

 そう、翔鶴自身も大淀に八つ当たりをするようなことをしてしまっていた。

 龍田も無理をしている様子で、もとより失言が多く。

 それまで必死に明るく振舞おうとしていた雪風も、吹雪の死の後からふさぎ込んでしまった。睦月に至っては吹雪に頼りきりだ。

 新参の磯風ですら吹雪の死に怒りを隠せず、大井もそれに不満を持ったままで。

 日向はそれまで皆をまとめていたようだが、まとめていたというより積極的に意見を求めていただけのようだった。

 

 現にあの日の出撃までの間、私達は鎮守府に残っているだけだった。

 

 じゃあ、私達は。

 

「頼り切ってました。でも、いずれ限界を迎えてしまう。吹雪ちゃんもまた、私と同じように、皆が生きてる事を信じたくて信じたくて、でもそれが現実じゃないって解ってしまった……」

「だから…でも、そんな……」

「わかってます、わかってます。でもだったらもう、誰かが引っ張るしかない。まとめるしかない。本当に希望の灯になるしかない!」

 榛名の言葉に、黙り込む。

 そうだ、誰かが、誰かが引っ張って、誰かがまとめて。

 

 そんな希望に、誰がなるというのだ。

 

「榛名さんは」

 清霜が口を開いた。

「吹雪さんから、そう言われたの?」

「そうであれ、と」

 清霜の問に、榛名は頷いた。

「みんなの希望の灯だ、と。それを聞いた時から、引っ張っていくしかない、戦うしかないと」

 

「今を見て、それでもこれから戦わなきゃいけないと、私は決めました!」

 

 榛名の言葉に、もう誰も何も言わなかった。

「いつまでも、落ち込んでばかりもいられない。吹雪ちゃんはそれを教えてくれた」

 だから立つしかない、とばかりに榛名は立ち上がる。

 それで話は終わったうようだった。

 全員が全員、納得したかどうかは翔鶴には解らない。でも。翔鶴にとっては。

「解りました、榛名さん」

 

「なんでも相談して下さい。できることなら」

「ええ、翔鶴さん」

 

 そんな会話を交わした時だった。

 遠くの方から、走ってくるような足音。

「!」

「阿賀野さんと早霜さんでしょうか?」

 翔鶴がそう思いつつ、崩れかけた食堂から外へと出る。

「おーい! おーい!」

 片手を振りながら走ってくる阿賀野と、その後ろに早霜。そしてもう一人。

「あきつ丸だ」

 日向の言葉通り、陸軍の黒い制服を来た陸軍艦娘のあきつ丸が続いていた。

 懐かしい顔の再会だった。

 

 

 兎に角とばかりに、あきつ丸も食堂に招かれ、阿賀野と早霜の報告が始まった。

「残念な事に、海軍の殆どと連絡は途絶しております。そして湾内部から沿岸に上陸した敵部隊の攻撃で陸軍もかなり……沿岸防衛も行ってはいたのですが、やはり艦娘の力も無く、航空機の攻撃もあり、とても」

 あきつ丸はそう口を開いた。

「故に、私も提督殿の言葉通り、当初は陸軍の本営まで逃げたのですが、陸軍の方も状況不利と見て、市民の避難をさせつつ、本営より撤退。しかし、他の隊とも連絡を兼ねて私は残っておりましたところ、阿賀野殿と早霜殿がやって参りました」

「あきつ丸さんからも聞いたけど、鎮守府への連絡網も寸断されてるみたいで、返事もなくて」

「ここ同様に無線機が壊れている可能性もありますが…実は北方の鎮守府や基地からは交信途絶までの連絡が残っておりました」

 あきつ丸は淡々と告げる。

「それは、つまり…」

「北方はほぼ確実に壊滅。南はわかりませんし、舞鶴とも連絡は掴めておりません」

「………」

 皆は続々と黙り込む。やがて、鳥海が口を開いた。

「北方が壊滅しているという事は……津軽海峡や日本海側にも敵がいるのでしょうか?」

「佐世保とも連絡が無い以上、なんともいえませんがそう考えても不自然ではありません」

 あきつ丸の返答。

 すると、この国は完全に孤立していることになる。

 全ての補給路が寸断されているのだ。

「………ここと同じように、艦娘が残っている基地もあるかも知れません。探しましょう」

 榛名は、そう口を開いた。

「手分けして、北と南で回ってみるか?」

 日向がそう提案する。

「それがいいですね。ただ、ここの防衛も必要です」

 それは最もな事だ。

「それなら、考えがあるんだけど」

 最上が手を揚げる。

「先に北側。次いで南側。それでどうだろう? 戦力的に大きく減らさないで済むよ」

 同時に出撃するより、あえて片側同士で進ませる、か。

 榛名と翔鶴はそれぞれ考え込み、やがて同時に顔を見合わせた。

「私はそれでいきたいと思います」

「私もそう思います」

「よし、それでいこう。うまく班を分けよう」

 日向が手を叩き、それで決まった。

 

 少なくとも一人でも仲間が欲しいのだ。



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