力なら負けません。それだけです。 (中棚彼方)
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第一章 ~忘却と異端、それは始まり~
落ちた彼


 

 

現状把握。

 

 

 

変なとこに飛ばされた。チャンチャン♪

 

 

 

……泣いてもいいかな?訂正。もう泣いたわ心の中で。

 

 

 

「此処何処だし?」

 

 

俺が聞きたいし。つーか俺が言ったんだけど。

 

 

マジ死ねる。なはははは、こん畜生。笑いたきゃ笑え。

 

 

上体だけ起こして周囲を見渡せば、あるのは深い緑と茶褐色の二色が視界を埋め尽くしているだけの寂しい空間。首だけ動かして前を向けば木、左を向けば木、右を向けば木、後ろを向けば――ま、言わずもがな。

後は、ざわざわと擦れ合う葉と葉の間を掻い潜って落ちる、茜色の空の木漏れ日。それだけ。

 

――と、

 

 

「つぅッ…………」

 

 

その茜色を直視しようとして、僅かだが眼球に痛みが走る。痛みが眼を刺激して視界を曖昧にした。イテェ。周囲の木が遮光機になって暗いからそうなるわな。目がなれねぇんだ。

 

手でそれを遮断し、しかし目線はそのままで。

 

しばし考察。

 

 

(空は茜色……って事は、やっぱ時間的には正午で間違いないよな?それも日没寄りの。見渡せど見渡せどあるのはでかい木小さい木、形の変な不思議な草花――何かの本に似たようなのが載ってなかったっけ?確か題名は……『古植物学教本』?――、それから後は薄ら顔を覗かせる茜空だけ。生き物の姿はまだ見てない。声は聞こえるけど、何の動物かは不明。その他もろもろは不確定要素として一括りして、それをふまえて統合すれば…………)

 

 

ちょっと唸りますので失礼。

 

 

 

うーんうーんうーんうーんうんーうーんうーんううーんうーんうーんうーんうーんうーんうーんうーんうーんうーんこうーんううーんうーうーうーうーうーう――――あれ、うーんがゲシュタルト崩壊してる?

うーんってこんな字だっけ?あれ、あれれぇ?

 

 

 

そんなことはともかく、ひとまず今現在の結論が出た。

 

 

(要するに考えたって端的且つ明確な情報が少なすぎて正否云々の判断のつけようが無い。押しても引いても何とも言えん状況である――こんな感じか……て、ん?)

 

 

ちょっと待て、結局これって俗に言う八方塞がりって奴じゃないかな、ねぇ奥さん?帰りたいこと山の如しだよ奥さん?それと全く関係ないけど、俺、守備範囲の広さには定評があるんだよ奥さん?俺はノンケだって喰っちまうようなすいませんさすがにそれは無いですごめんなさい。

 

 

 

携帯電話で時間を確かめようとしたが、液晶が割れていて使い物にならなくなってた。高かったんだけどなぁ……。結構愛着があった分、これは少々くるものがある。舌打ちが漏れてしまうのはここでは大目に見てほしい。

壊れた要因は……あー、何となく分かった。光で目がやられて瞑ってたから微妙だったけど、あの時(恐らく俺が此処に来たであろう時)に背中に受けた衝撃は空から落ちた故の衝撃だったようだ。それもそこそこ高い位置から。ゴォーッて風を切る音が聞こえたし。

地面が俺を中心に陥没してんのもそれが原因だと言えば納得できる。んで、その際に携帯が壊れたと見て相違ない、かな。

 

 

因みに誤解を招かない為(誰に、とは言わない)に口を孕ませゲフンゲフン挟ませてもらうが、文頭の宣言どおり俺は此処に飛ばされたのだ。名も知らないこの未開の地に、だ。決して自ら足を踏み入れたその結果がこれだとか、若さゆえの過ちでは絶対無い。断じてない。

でだ、飛ば"された"って『あたかも第三者が当事者で、主な原因と黒幕はそいつである』かのような表現をわざわざ用いてるあたり、やっぱりそこには第三者の介入が含まれている訳で。

 

 

つまるところ、俺はそいつにこんな得体の知れない僻地に飛ばされた訳で。

 

 

しかも間接的に俺の携帯電話壊した犯人がそいつな訳で。

 

 

おまけに空から落とされた訳で。

 

 

全部悪いのはそいつな訳で。

 

 

そいつは今頃高らかに、見下すようにほくそ笑んでるわけだ(被害妄想)。

 

 

 

――よし、回りくどいのはよそう。これからやることを考えるとか腹減ったとか、そんなのは後回しだ。ったく、何の為の本能だよ?今はこの溢れんばかりの不完全燃焼な思いを形にすればいいんだ。ただそれだけなんだ。そうだそうしよううんうん。

 

 

えーと、あいつ名前なんだったっけ?初対面だったから忘れちまったな。美人でドレスなのは覚えてんだけど。

 

すまんがまたちょっと失礼。

 

 

うーんうーんうーんうーんうーんうーんうーんうーんウーウーウーウー――お、今回はわりかし早いな、うんうん。やっぱ印象強かったもんなあの魔性の美女は、うんうん。笑顔とかめっちゃきな臭い顔してたもんな、うんうん。もっと普通に笑えねぇのかお前はってな、うんうん。今度会ったときに指摘してやろう、うんうん。変な力使ってたしね、うんうん。

 

 

 

よーし、吸ってー、吐いてー、吸ってー、吐いてー。

 

 

思いっきり、吸ってー。

 

 

『声』に変えてー。

 

 

一言、名前でー。

 

 

せーのー

 

 

 

 

 

 

 

「っ――――――――――――――――ふぅざっっっっ!けんじゃあっっ!ねぇえぞこんの――――――

 

 

 

くそ少女臭がぁぁぁぁああアアアアああああアアアアアアアアアアアアアアアアああアアアアああアアアアああああアアアアアアアアああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああアアアアアアアアあああああああああああああああああああああああああ!!!!!??」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あら?名前で言ったつもりなのに。

 

 

なんだよ少女臭って。聞いたことねぇし。

 

 

 

ま、いいか。

 

 

 

 

 

 

そんな俺の、物語。

 

 

 





※あらすじで述べている通り、この小説の主人公は色々ズレています。


※その為、彼の言動には度々あれっ?と思われる不可解な部分が含まれている場 合がございます。


※それらも全て、『彼だからこそ』と認識した上で読んでいただければ幸いで  す。




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おかしいのは誰か?

文をまとめるのってこんなに難しいんですね。


なんか楽しいです、はい。


(―――――――「あなたに此処は相応しくない」―――――――)

 

 

その日、判で押したように漫然と変わらない生活を享受する俺の目の前に、自称『大妖怪』は何の前置きも前触れも無く、諺を引用すれば藪から棒に、擬音で修飾するならばぬるりと、現れた。

驚いた?いいや、あれはそんなチープな表現で述べれるものじゃない。

 

戦慄した。これが最も言い得て妙だろう。

 

で、俺と目が合って開口一番言った言葉が『八雲紫』という自分の名前と冒頭にある――――うん……まぁ、書いてる通りだわ。そんな事を初対面の美女に言われた。何か色んな意味(主にメンタル)で沈んだのは言うまでもない。ツーか誰だお前。

 

 

(―――――――「此処にいたら、あなたは間違いなくこの世から乖離する」―――――――)

 

 

恐ろしく流麗な金の長髪に、明眸皓歯を意のままに体現した艶姿。文句無しの容姿端麗玉肌美人だ。正直見惚れてもしょうがないと思う。当然俺はしょうがないの部類。

紫色のフリルの付いたドレスに、すらりと伸びた細い腕には白い手袋と扇子。いや何故に扇子?似合うけれども………。

後は特筆すべきところは無い。……いやないよ?うん。絶対無いさ間違いない。あいつの背後でガッパリ開いたゾワゾワ蠢く謎空間とそこから覗く眼光鋭い無数の眼なんて俺には見えないよ?あれにふれたら負けかなとか思ってないよ?だって見えないもん。

 

―――――――――――とか言いながらあの女がそこから出てくるところをおもっくそ見てしまったっていう。

 

 

(―――――――「雑踏に埋没し、反復する日常の惰性に呑まれて、自覚もなく霧散してしまうのよ」―――――)

 

 

そういえば今日弁当作って食材切らしてたっけとか妹もう先帰ってるかなとか学校の課題まだ終えてないやとか、果ては超ひも理論に基づき宇宙の姿やその誕生のメカニズムを解き明かし深く掘り下げようと考察しかけていや俺ひも理論そもそも知らねーだろと2秒足らずで匙を投げたりと、半ば自棄に現実(八雲紫)から逃避しようとネタを模索してた訳だが、彼女は口を動かすのをやめ(思考が右上ら辺でふわふわしてたから何言っていたのかは曖昧である。言っておくが後ろのアレと目が合うのを忌避して八雲紫の顔をガン見してたとかそんなことは一切無いです、はい)、何を思ったのか――本当に何を思ったのか甚だ疑問だが――俺に襲い掛かってきた。

勿論性的な意味では一切なく、襲撃とか奇襲の類で、だ。

それこそ戦慄したわ。

 

言っておくがこの時点で俺のSAN値は既に零の一歩手前である。

発狂しなかったのは奇跡としか言いようが無い。

 

 

(―――――――「あなたは、消えてはならない存在なの」―――――――)

 

 

びびった。今だから言えるけどあの時若干ちびってた。それだけあいつの攻撃は残酷で、震え上がるほど凶悪で、それでいて熾烈を極めた。

今までのこの17年の半生にも満たない短い生涯で、あんなに圧倒的且つ強大な猛者に会ったことはない。

恐らく、親父と同等か、或いはそれ以上だったかもしれない。

それこそ本気を出す暇すら与えられず、刹那のうちに畳み掛けられて瞬殺だったさ。瞬く間ってのはまさしくあの状況を指す俗語なんだろうな……。正直、悔しい。

 

つーか何だよあいつは?一本の直径が俺の頭のサイズから、等身の1.5倍はありそうな化け物光線を、有ろうことか数十本………いや、それ以上だ。目測だけで数十本以上なんだから本来の数なんて計り知れない。下手すれば数百本あったんじゃないか?

その矛先を全て俺に向けて、絨毯爆撃よろしく打ち出してきやがったんだ。いやいやお前鬼畜かよと。悪鬼羅刹はお前のことだったのかと。と言うより修羅だな今畜生――なんて、吼える間も無く叩かれた訳だが。

大妖怪の名は伊達じゃなかったってこったな。

 

…………いやー、事後だからこそ言えたもんだけど、ホント生きてて良かったです。

 

 

(―――――――「あなたにはもっと相応しい場所がある」―――――――)

 

 

ぼろ雑巾同然だった俺を前に、彼女は聞いてもいないのに自分の事を洩らし出した。自分は妖怪で、しかもとってもお強い大妖怪だという事実(まずこの世界に妖怪たる者が実在していた事実に呆けてしまった)や、自分が『境界を操る程度の能力』を有している事(後ろの空間もその能力の産物で、自身は『スキマ』と称してるらしい。……どうでもいいかもしんないけど『境界を操る程度』って何故謙虚な言い回しを使ってたんだ?)、後はその他諸々に分類。

 

『スキマ』についてだが、これは彼女自身が見た外の世界の「欲望が渦巻いている様子」と言うイメージの表れであるらしい。知らんがな。

 

…………因みに情景を掴みにくい方々に一応補足として付け加えておこう。現在この場所に有るのは俺と八雲紫、後は溢れかえる瓦礫の山。ええ、瓦礫の山です。敢えて語句を足せば焦土です……あれ?

 

後、言うまでもありませんが、この時にはSAN値はとっくに底辺です。いや寧ろ下限値突破してます。マントル大直下ですね、はい。

今はこうして精神的に落ち着いてますが、当時はガクブルでした。

 

 

(――――――― 「私の、『幻想郷』が――――――――――――」 ―――――――)

 

 

あっさりと、拍子抜けするくらいに。

 

 

八雲紫が一言そう切り出しかけたその直後、俺らは離別する。

 

 

気づけば俺の身体は高所から飛び降りた時の浮遊感と、それによる臓物が居場所をなくすような喪失感と不快感、そして吐き気に見舞われることとなった。

 

頭は何故か酷く冷静で、冴えていた。だからこそ俺の現状を客観的に理解することが出来た。

それにこの感覚は、何度も経験してる。

 

 

――ああ、落ちるな俺――って。

 

 

どうして落ちる?答えはすぐ出た、あいつだと。彼女の能力の産物『スキマ』と言う空間を使ったんだと。

どんな原理、仕掛けを用いてるのかは彼女の口からしか聞いてないから詳しくは分からんが、おおまかにはあれは能力で境界を操って離れた場所をつなげることが出来る代物だと言っていた。

それを使われたのだ。

じゃあ何故行使する?それもすぐ分かった。というより彼女の今までの――一部抜け落ちてるが――主張を鑑みれば誰でもわかる事だと思う。

彼女の口調からして最初は俺を殺そうとしてるのかと思ったが、もしそうなら問答無用で言葉も交わさず後ろから仕留めたって良かったはずだ。そっちの方が効率もいいんじゃないか。あいつにその考えが無かったなんて有り得ない。

でも、なのにあいつは敢えて俺の正面に立った。あまつさえ言葉を交えて。

 

……まあ、あいつが嗜虐的な思想を有していて、他者をいたぶる上での過程の一環に会話を含めるような高慢で残虐な快楽を求める性格なんだって言われたら口を緘せざるを得ないが、そんなことは……やヴぇ、ありそうで怖い。

 

で、彼女がそんな性格ではなかったと仮定して考察してみれば、どうやら俺を別の場所に拉致したいのではないかという推論が出来た。多分これは間違ってない、自信がある。主に「相応しい場所」云々で。

 

てことはだ。

 

これで落ちる先に、彼女の言う「相応しい場所」が待っているって事になる。どうしよう、帰ってこれるかな?妹になんて言おう?すぐ帰れるならいいけど、当分帰ってこれないなんて事になったら飯とか大変だ。あいつ料理以外の家事はそつなくこなせるのに、肝心の料理は致命的だから大丈夫だろうか?親父は戦闘以外は全て犬並みだから使いモンになんないし、ああ不安だ心配だ心残り

 

 

 

 

なんて考えてた所で、ようやく落ちた。

 

 

 

 

不思議なのは足場が消えてから落ちるまでのコンマ数秒の短い間にそこまで思考が行き着いた自分の思考回路の秀逸さだが…………まあ人は死ぬ直前とか自らに危険が迫っている際に脳が活性化するって言うし(走馬灯などはその作用の一つだ)、特段気にすることでもあるまい。

 

最後に見えたのは、この状況を作った当人である筈の彼女が顔を驚愕に染めている光景と。

 

 

 

 

その後に爆発するように拡大した、眩いばかりの視界を塗りつぶす、真っ白な光だった。

 

 

 

 

 

       ▼       ▼       ▼

 

 

 

 

 

――――以上で回想終了。気づいたら俺は空から落ちていたって訳だ。おぉ、怖い怖い。

 

 

うーむ、なにはともあれこうして『ここ』に降り立ってしまったのだが、考えれば考えるほど疑問の残る最後だった。

頭から落ちた筈がいつの間にか背中から落ちていたりとか、八雲紫の当事者とは思えない反応とか、スキマの中で見た真っ白な光とか。

 

あの光は八雲紫が説明してなかっただけで実際はああいう仕様だったのかもしれないし、落下の体勢だって目が機能してなかったから平衡感覚が狂って体勢が変わってたのに気づかなかっただけ、て言えば証明できるような些細な問題で通る。

 

 

だとしても。だったとしても。

 

 

あの彼女の表情だけはどうしても引っかかる。

 

 

どうして彼女があんな顔をする?行使したのは彼女だろう?俺が何かしたのか?そんな事、あのどうしようもない状況で何かしようにも無理がある。現に俺にはただその結果になった契機を考え廻らす程度しかできなかった。だとしたら、一体あれはなんだ?

 

………非常に、あの状況を顧みればなおのこと、有り得ない可能性であるが。

あの時…………もしかしたら彼女の予期せぬ何らかの作用が発生し、双方予想だにしない『何か』が起こったのかもしれない。それは超自然が起因して引き起こされた突発的なものなのか、或いは人為的意図が含まれたなものなのかは今は置いといて。

 

あくまで揣摩臆測、仮定に過ぎない。――こじ付けっぽい所もあるけれど、だとしても今のところ、それが一番有力で、それしか案が出てこない。駄目な頭だ。

数十分前の冴えた海馬は急速に衰退の一途を辿ってしまったようだ。

 

……うん、まあ――どちらにしろ、『ここ』にいるってことはつまり、彼女の目的は達成されているわけだが………。

 

 

あと、他にも問題はある。

 

目が回復して身体を見てみれば、擦過傷やら内臓破裂やら切創やら裂創やら、もっとあげれば打撲、挫滅創、爆傷、熱傷、刺創もしくは貫通銃創うんちゃらかんちゃら。

 

生きてることがおかしい筈の夥しい創傷が、全て綺麗さっぱり消えていた。

血が足りなくて貧血気味――何てことも無く、いたって良好。健康に関して何一つ害もなく、倒れる心配も無い。強いてあるとすれば背中に受けた衝撃が多少あるのみだ。

 

いやおかしいだろ?なんだこれ?

 

さすがに俺死を覚悟してたんだよ?描写分かりにくかったろうけど痛みの感覚無くなって来て本気でヤバイなこれって今後の運命悟りかけてたんだよ?いや確かに妹の事とか親父の事とか他のことも考えてたけどもさ。

 

それに、根本的疑点としてなぜ彼女は俺をここ――――『幻想郷』へ、無理やりにでも連れ去ったのか。

 

その理由は何なのか。俺を此処に置いておけば彼女にどんな有益があるか。俺が乖離するとか言っていたが、そもそも彼女はなぜ俺が知らない俺のことを存知であったか。

分からない、全く分からない。

いくらなんでも課題が多すぎる。頭がパンクしそうだ。

掘り下げれば掘り下げるほど埋もれてしまいそうで、抜け出せなくなる。まるで底なし沼、もしくは迷路だ。

 

 

……つーかさぁ、わざわざ話しかけたりするんだからここに連れてく了承の一つや二つとってくれてもいいじゃんさ。いや恐らく断っただろうけども、それでも俺だってあんな瀕死になる位の大怪我負うって知ってたら少しは考え変わってたかもしれないじゃん。それこそ、「お前断るとぼっこぼこだぞ分かってんなゴルァ?」ってあからさまに脅されてた方がまだ良かったわ。痛いのは嫌いなんだよ、だって俺人間だもの。

 

それなのにあいつときたら、問答無用で襲い掛かってくるわSAN値根こそぎもぎ取ってくわ体中ぼろっぼろにされるわ、おまけに『スキマ』は睨み付けてくるわ、こんの外道めっ!!

 

 

――――でも……それはこうも解釈できる。彼女は焦っていた、と。

 

 

何を焦っていた?何に焦っていた?何で焦っていた?当然そんなこと、俺は知らない。知る由も無い。

 

彼女は『私の』幻想郷と言っていた。

 

ならばここは彼女の私有地ということになる。

 

だったら。

 

 

またあいつに――――『八雲紫』に会えるかもしれない。

 

 

できればあんなキチガイになんて二度と会いたくない。あいつと一緒にいたら命がいくつあっても心許無い。

それでも、あいつを探し出して真意を問いただす必要がある。分からないままなのは嫌だ、俺はそんな人間だから。

…………本気で会いたくないが。うぅ、再会した時失神しなきゃいいけどなぁ……。

 

てなわけで、今は物事を考えるよりも前に進むのを最優先とすべきだ。だから、

 

 

 

閑話休題。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ほいで、現状把握。

 

 

 

大声出してちょっとだけ心が晴れたあの時から多分、数時間。なぜ確証を持てず曖昧な言い回しを使っているのかというと、第一にどこぞの少女しゅ(ryの所為で携帯電話が壊れてしまい時間が分からないことと、第二に茜色の夕暮れ時だった空が今は完全な闇と化していること、第三に腹時計。あー腹減った。

 

森の中だからしょうがないが、明かりと呼べる光源が月くらいしか存在しない。要は真っ暗だ。上下左右何処を向いても木しかなかった空間は、今となってはそれすらも存在しない漆黒の真中となってる。これは非道い。

 

で、俺はそんな暗闇でいったい何をしているのかといえば――――――――――――

 

 

「6978………6979………6980………6981…………………」

 

 

聞いて驚け?

 

 

星数えてる。

 

 

 

……………………みんなの蔑むような冷たい視線を感じるぜぃ。

 

 

いや、最初から本当にただひたすら星の数数えてただけじゃないんだよ?まだ明るかった時はちゃんと歩いて探索してたし、これからどうすべきか後のこともしっかり考えてたんだけども、生憎頭使って疲れてるし、腹減ったし、歩いても歩いても人っ子一人いやしない。

いるのは気色悪い生き物ばかりだし、有無も言わさず襲ってくるし、追い払うのに体力使うし……ねぇ?周りも暗くなってきたし、動いて無駄に体力すり減らしたって後々参っちまうだけだし――――今日の探索はやるだけ無駄かなーって。てへっ☆

 

…………いやだからその液体窒素みたいな凍てつく視線をやめろと。寒いじゃねぇかよ。

 

実際こうやって休みながらの方が能率的なんだって。今後のためにもさ?

明日だって明後日だって、下手すりゃそれ以上に時間食うかもしんないんだ。急ぐのは悪くないけど、急いては事を仕損じるとも言うし、急がば回れなんて諺もある。要するに休養は必須なんだよ分かるかな諸君?

 

 

てゆーかね、頭休めるためと思って始めたんだけど……いやはや、これが意外と落ち着くんだよね。腹は減るけども。

……ほら、だんだん頭が、ポワーンてなって……。

 

 

「7009………7010………7011………7012………………701……4……………7……うぁ…………ねむぅ…」

 

 

ポワーンてさ……ポワーンて………………ポワーン……………………ポォー………………。

 

 

 

あー………、このままー……………寝てーもー……………いーかもーなー。

 

 

 

なんて思ったりしながら。

 

 

 

 

瞼を閉じ

 

 

 

 

 

 

 

ドゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

て………………………ぇ?

 

 

 

 

「うわっひゃあ――――ぬぶぉっ!?」

 

 

 

 

びっくりした!めっちゃびっくりした!!びっくりしすぎて寝床の木から落ちてしまった!!!うわあああああああエクスクラメーション・マークのオンパレードだあああああああ!!!!(!←コレ)

 

なんだ、何だ今の爆発音は?此処からそう遠くなかったぞ?ていうかなんで爆発音が?超展開なのか、超展開来たのかコレ!?

 

 

「いや、待てよ?」

 

 

落ち着け俺のメンタル。こんなときに心を静める呼吸法は……ヒッヒッフー、ヒッヒッフー……あ、これ違うか。スーハースーハー……よし。

 

 

――コレは、チャンスかもしれない。この停滞した動きを見せない状況を打破するべき唯一の。

今は夜、一縷ばかりの星明りと月光が、頼りなく大地を照らすだけの闇の中。しかも周りは鬱蒼と茂る森の海、迂闊に動かない方がいいだろうさ。能率的だし。

だがしかし、言うなればこれは文字通りの超展開。事態の進展を図る最も有効な術なんだ。原因はこれから見に行けばすぐに分かること、そうだろう俺?ついさっき、ただ黙って待つより能率的なことが出来た、ただそれだけのことなんだよ。

それにもしかしたらさっきのは八雲紫からの俺に対するアクションかもしれない。来いって言ってるのか、或いは……。

 

兎にも角にも、あいつに接触できる可能性がたった今出来たんだ。罠とかどうとか関係なく、行くしかない。

 

それになにより、

 

 

 

(……いざ人が寝ようってうたたねして、気持ちいいなぁって時に起こされるなんて)

 

 

 

降ろしていた腰を上げ、諸悪の根源……もとい、諸悪の「音源」へ身体を向け、駆ける。距離は近い。

 

 

 

……うん、やっぱ俺は考えるよりも――――

 

 

 

 

 

 

 

「胸糞悪いッたらありゃしない!!!」

 

 

 

 

 

 

 

――――体を動かす方が、向いてるらしいな。

 

 

 

 

 

 

 

どうせ俺は脳筋だよこん畜生。

 

 

 

 

 




お分かりいただけただろうか。

この主人公が、彼の住む世界が異常だということが。


恐らく誰でも分かるようなことから、これは分からないのではないのかという無駄な自信を持ったものまで入れております。
ですが唯でさえ拙い文章なので、見つけるのは至難の業かと。ですから今は深く考えずにありのままを読んでいただければ幸いです。


あえてヒントを言うなれば――――うわ、ちょ、誰だおま、いや待っ、なにをするきさまらーっ!アーッ!




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飛び込み禁止、屍山血河

どうも、亀投稿に定評のある中棚彼方です。


今回は戦闘もあるんですが……描写きっつい。皆さんの想像力が私の糧です。


伏線だって入れないと……小説を書くときってのは小説家さん達の能力の高さに毎回脱帽する瞬間ですね、いやホントに。


現状把握。

 

 

体は光で出来ている、以上。

 

 

……あん?真面目に現状言え?面倒くさいじゃんそんな――あ、すんません冗談ですはい悪気は無いんですよって痛い痛い叩かないで暴力反対!

 

 

(……ん、音が大きくなってる……、近いか?)

 

 

闇夜を引き裂くように駆け抜ける。時には跳び、或いは飛びながら。

最初の超絶大音量のアラーム(体感型のおまけ機能つき)から、爆音は不規則且つ断続的に俺の鼓膜に刺激を伝達してくる。着実に近づいてはいるのか、轟音が大気を劈く度に足裏から伝わる地鳴りの間隔がどんどん短くなっていくのが分かる。

 

てかうるせぇ。

 

元々聴覚は良い方だから、最初のあれほどじゃないにしても音が聞こえるたびに足が竦んでめっちゃびびるんだけど。それにどんどん音大きくなってきてるし。八雲紫に会う前に感覚器官ショートして死ぬんじゃねぇの俺?

 

多分、元々そんな遠くはなかったのかもしれないな。今もまだ走り出して数分ってとこだし。

 

……でも、

 

 

(速く着きたいってのに走りづらい!月明かりが雲で隠れちまってただでさえ何も見えないってのに!)

 

 

その数分の刹那の内に月が隠れてしまったのはホントいい迷惑だ。おかげで前以上に視界が狭まってるような気がする。進みづらいったらありゃしない。

時折枝葉が顔や身体に当たり、土中から隆起した根っこが足を縺れさせる。地味にうざったくて煩わしい。

ま、別に?一々文句言ったってキリがない事は大人な俺が知らないわけないから(やめて、石投げないでっ)、邪魔な枝とかは手の届く範囲に入った瞬間叩き落とし、根っこは問答無用で蹴り飛ばす、または飛び越える事で突破していく。環境破壊?美味であった。アッパレアッパレ。

 

 

ツーか此処に来た瞬間から思ってたけど、ここってホント霊妙というかスピリチュアルというか、独自の雰囲気醸し出している空間だよな?植物は本で見たような奴――本の題名が『古植物学教本』というもので、全部何故か古代にあったとされる物ばかりだったのが引っかかる――がちらほらあるだけで、後は全然知らないような奇妙な形した草花や木ばかりだし、何よりでかい。根っこも幹も葉っぱも花も全て、だ。ファンタジー極まりないね。

俺が住んでいた街の近郊にあった山も充分幻想的で俗世間離れしてると思っていたが、これはその比じゃないぞ?

此処が本当にあいつの言う『幻想郷』なのだとしたら、その名前にまさしくぴったりじゃないか。名前負けしてない、寧ろ名前勝ちしてるな。ちょっと見直したぞ八雲紫。

……まぁ、気色悪い生き物が生息している点に限っては、相互で似通っているのだが……。そんなとこは似なくても良かったと俺は切実に思う。ちょっと見損なったぞ八雲紫。

 

 

――そういや、今までこうやって走っているのにあのキショイ生物が襲ってこないのはおろか、鼠一匹会っていないってのは一体どういうことだ?

いや、会わないに越した事はないんだけどさ?なんせ森の探索の際には不意打ちに突貫、急襲にごり押し、仕舞いにゃ飛来なんてのが四方八方から飛んできたんだ。だから今は飛来を警戒して高い位置を避けるようにわざわざ走りづらい下を選んでんだぞ?何かあんじゃないかって警戒するのは仕方ないことだろう?

しかも、この件に八雲紫が関与してるかもしれないってなったら、それこそ神経質にもなる。あれはもはや俺の中のトラウマだ。PTSDだ。一生の傷だ。もうお婿にいけない!

……まさかだとは思うが、さっきからあいつらに遭遇してないのとかドゴンバゴンうるさいこの爆発とか、このちょいとした二つの異変ってあの生物云々なんかが全て関係しちゃってんじゃねぇのかおい?うわ、すっごい有り得るわ。と言うより、もうそれしか考えられなくなったんだけど――――――――――――単に皆さん寝床でぐっすりご就寝中で俺なんて眼中無しって可能性も無くは無いが。それはそれで何か腹立つな、主に叩き起こされた身として。てかこんな中で寝れるモンなのか?寝れる奴は相当図太いな、将来は大物だ。

 

 

……はー、どちらにしてもまずは用心に越した事はない、か……。それが賢明だろう。特にこんな、『大昔にタイムスリップした時に最初に着く場所を思い浮かべてくださいと問われたら、恐らく過半数がこんな世界観をイメージするんじゃね?』てなっちゃうような空間ならば、尚の事だろうし…………て、あれ?俺もしかして今要らないフラグ立てちゃった?いや何のだよって?俺が聞きたいけどさ。

よし、念の為、一応(ここ大事)万が一のことを備えて、そんでもって自分の身の安全も考慮して必要ないとはいいつつもフラグを排除しとこう。生き残る上で最も大切なのは状況が変わる前での事前の危機回避だといつも相場は決まっているもんだ。

 

よーし、声に出してー。

 

せー

 

のー

 

 

で。

 

 

「だがしかし、そんなことは一切無か

 

『ドォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンンンッ!!!』

 

くぁwせdrftgyふじこlpいひゃいいひゃいいひゃいいひゃいいひゃい!!!?」

 

 

イテェええええええちっくしょうが舌噛んだじゃねぇかよバーロー!!もうちょっと空気読んで爆発しろってんだよなんでよりによって一際でかいのが今来るんだよバーカバーカお前の母ちゃんビッ《ピー!!(自主規制)》こんなの美味しくもなんもねーよ寧ろ血の味だよ鉄分豊富だなって何言わせてんだ土に還れ!!

 

 

ハァッ、ハァ―――――――――――――――て、ん?……今………何か………………?

 

 

 

(……?爆発以外に、何か聞こえる…………?)

 

 

これは――、

 

 

「――キヒョイ奴の……声と……………………人の声……?」

 

 

間違いない。五感がさっきから麻痺しかけてるし、一縷の水を掬うような微かな声量だったけど、確かに聞こえた。てかまだ舌痛いんだけど?いやいやそんなことよりも。

 

 

 

人だ。人がいる。

 

 

 

足を止め、目を閉じる。思考に不備が無いようにするためだ。

 

ゆっくりと、ゆっくりと、不純物を抜き去るように。熱湯が冷えていく光景をイメージしながら、神経を研ぎ澄ます。

 

 

そこからは速かった。

 

 

見知らぬ土地に拉致されてから初めて人間に会えるかもしれない事実に期待で胸を躍らせること、およそ一秒弱。

 

しかしもしかしたら八雲紫かもしれないという危惧に一瞬で萎えて恐れ慄くこと、およそ半秒。

 

それでも彼女に会う覚悟を決めようとして、しかし人の声と一緒に聞こえたあの獣の声が多数あるように聞こえた事に違和感を抱くまで、きっかり一秒。

 

そして。

 

 

爆音、汚物を撒き散らすような多数の咆哮、恐らくすぐそこにあるであろう音源、そして、『妙に緊迫し、切羽詰ったようなわずかな人の声』という幾つかの不確定要素から、一つの答えをはじき出すまで、約二秒足らず。

 

 

結論、人が襲われている。それも、一対多数で。

 

 

あくまで仮定。確定はできない。だから、後はこの眼で視認するのみだ。

 

 

(……上からの方が、状況の判別は効率がいい、か)

 

 

幽暗でほの暗い視界に、少量の白が混じる。目を開けて空を見上げると、満月が顔を覗かせていた。雲が空気を読んで退いてくれたようだ、助かる。

 

 

「…………あーもう……たく、ままならないなぁホンット!!」

 

 

ガシガシと頭を掻き毟る。

 

はー、そんな気はしてたんだよなぁ。こういうの何て言うんだっけ?王道?

とにかく、これで警戒って訳にもいかなくなっちまったようだ。ま、仕方ないか。俺が渇望した超展開なんだ、大目に見ようじゃねぇか。

多少明るくなった視界に映った、程好い高さの樹枝へ飛び移っておく。ふぅ、さっきまで空からの奇襲に備える的な発言してた数刻前の俺に謝りやがれ。

 

 

はぁ、もうどうにでもなればいいさ。

 

 

 

(人命救助、行って来ます………てかっ?)

 

 

 

なんてな。

 

 

 

 

バギィイイイイッッ!!!という裂けるような音が『後ろ』から耳に入る。

枝が折れてしまったようだ、環境破壊は罪悪感が湧いて仕方ないな……………どの口が言うんだって突っ込んだ奴はノーパンでブレイクダンスして来いやコラ。勿論外で。

―――――――――やべ、シリアス通そうとしてんのについいつものノリで変な事言っちまった、失敬。

 

てか高いな此処…………いやまぁ跳躍したんだから当たり前なんだけどさ?何かこの高所から下を見下ろしたり、空を漂遊する感覚が随分久しく感じる。時間的にはまだ此処に来て一日も経っていない筈なんだけどな………なんでだろ?自由に飢えてたのか俺?

一応どんな状況下なのか言っとくと、『普通』に空飛んでる。すぐ落ちるけど。

 

まぁ、いいか。そんなことは後で。

 

 

(いたっ、あれか!!)

 

 

上から見れば、鬱蒼と茂る森の中にぽっかりと空いた広い更地があった。…………て、ここって俺が落ちてきたあの場所じゃね?わざわざ戻ってきちゃったのかよ!?だらしねぇ………。

 

そして、やっぱりというか、テンプレートというか。

 

奴らはそこにいた、

読みは当たっていた様だ。同時に、何で俺が出会いがしらに襲われなかったのかも理解できた。

 

 

 

ドゴォッッッ!!!

 

 

豪快な音を鳴らし、地上に降り立つ。足の裏が若干痺れるが気にしない気にしない。

 

 

次いで、奴らが一斉に俺に気づいた。

 

 

(なんて数だよ!?)

 

 

一………十………無理、数えるのも億劫になっちまう。

 

そりゃあ遭遇しないわけだ、何体いんだよこれ?少なくとも百以上は密集してんぞ?やべぇ、想像以上に気持ち悪い。

何でこんな何も無いところに集まる?此処には余程の人気者がいるって事か?

 

 

《グルルルルルゥゥゥ!!!》

 

 

狼のような唸り声を、容姿は狼に似ても似つかない異形の生物が発する。同時に、周囲の似たような何かが一斉に犬歯をむき出しにして威嚇し始める。おぉ怖い。

 

 

思わず舌打ちが漏れる。

くっそ、邪魔くせぇ……………こちとら人命救助が最優先だってのに…………!

 

――――――しゃーねぇ、状況が状況だ。

 

あんまこういう事はしたくなかったんだけど、これじゃあ追い払うとかなんて手加減も出来そうにないしな。俺は不器用なんだから。腹括るか。

 

奴らを見据え、大きく深呼吸をする。

 

 

(……さっき、降りる直前にこいつらが特に群がっている場所があったように見えた。そして、そいつらが放射状に吹き飛んでく姿と、でっかい爆発も。恐らくそこが俺のゴールだ。そこにあの声の主がいると考えていいだろう)

 

 

あっちも、俺の存在に気づいてくれればいいんだが。まぁそこは心配ないかな?なんせ、この数の敵を相手にしていまだ戦い続けられるような奴なんだから、な。

それなりの実力を持ってはいる筈だ。というかそうでなきゃ困る。俺が追いつくまで、耐えていてくれよ?

 

 

「さて、と」

 

 

構える。といっても、前傾になっていつでも走れるようにしただけだが。まあ、充分だ。

 

野郎共も何かしらを察知したのか、姿勢を低く落とし、臨戦態勢に入る。

 

へっ、上等上等。威勢が良いのは嫌いじゃないぞ?

 

 

まとめて全部――、

 

 

 

「相手してやるよ」

 

 

 

瞬間

 

 

俺は銃弾と化した。

 

 

 

 

 

       ▼       ▼       ▼

 

 

 

 

(……迂闊だった……私としたことが………………っ!)

 

 

 

迫り来る『妖怪』の内の一体を、敵の密集した地点へ向けて右足を振り抜き、蹴り飛ばす。

 

 

《ブビャアッ!!!??》

 

 

加速した右足が相手の下顎に必中。形容の困難な忌避感をもたらす奇声を上げた。顎骨、顎下線がイカれたのか、粉砕された顎から溢れる唾液が血と混濁して飛沫となり、周囲へと撒き散らす。一撃で絶命した妖怪は肉の塊となって滑空していく。

 

悠長に手を下ろしてはいられない。それで動きを止めている場合ではない事は『彼女』が一番よく分かっている。

四面楚歌、止まれば死ぬ。それだけは絶対の事実だから。

 

 

弓に矢を番え、吹き飛ぶ異形に照準を合わせる。それが敵の溜り場へ突っ込んだことを確認し。

 

 

「はぁっっ!!」

 

 

射出。矢は霊力を上乗せした事で一条の光芒へと昇華し、吹き飛ぶ敵の倍の速度で音も無く頭部をもぎ取った。

 

そのまま矢の勢いは衰えを知らず、直線状にいた敵の体躯を次々に根こそぎ、抉り取る。敵は断末魔すら上げる猶予も与えられず、消滅の一途を辿る事となる。

 

そして、地表に着弾。

 

瞬間

 

 

 

 

ドォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンンンンンッッッッ!!!!!

 

 

 

 

瞬く閃光が周囲にあるものを巻き込み、轟音と共に爆ぜた。妖怪も、地面も、あらゆる有形全てを塵芥に変えて。

 

圧巻。しかし、それでも。

 

 

(何体、倒したのかしら……?キリがないわね………………いったい、どれだけ………くっ!)

 

 

 

倒した余韻に浸る間も無く横から飛び掛ってきた敵を、バックステップの要領で後方に飛び回避する。そのまま着地し、もう二三度後ろへ飛んでおく。すぐに詰められるだろうが、今は少しでも思考する時間が欲しい。

 

ある程度距離を離した位置で止まる。そして相手も警戒して必要以上に接近していないのを見計らい、呼吸を整える。もちろん背後の気配にも警戒は怠らない。

次いで、思考を巡らす。

 

 

(………空がいきなり強い明度を有した光を放射したと思ったら、今度は「光の中から『何か』が落ちたのを視た」と『月夜見』が言い出して、状況を掴めないでいたら次は『人為的に作り出したとしか思えない暴風』が街まで飛んできた、と。『月夜見』が言うにはその風―――――――どことなく『叫び声』のように聞こえたのは私の気のせいかしら―――――――も、落ちてきた『何か』が起因しているらしいから、調査の為にそれの落下した座標に来てみれば…………この有様。

…………これだけ展開が飛躍してしまうと、もはや清々しいわね?)

 

 

軽い鬱をない混ぜにした嘆息が、空気を揺らす。

 

多くの不確定事項が答えを求めて錯綜している。どこからどう問題を解き明かせばいいのか分からない。まるで、絡まる糸を元に戻そうとしてさらに縺れてしまう時の、あの感覚だ。

何故森のど真ん中にこのような更地が出来たのか、そしてそこに異形の群集が形成されていたのか。仮にも自分は民衆からは天才等と崇められる様な存在だ。故に、こうも分からないことばかりだと多少なりともプライドは傷つくし、悔しくもある。

 

加えて、眼前に広がるのは全て、妖怪、妖怪、妖怪、妖怪。後ろを振り向いても十中八九視界に映るのは、捕食を待ち侘び、血肉にしゃぶりつかんとする者達の吹き溜まりに違いない。現に背中に感じるぴりぴりとした数多の圧力は、距離があろうが明確に一つ一つ位置を特定できるほどだ。

 

活路を自ら造り出し逃走を図ることも考えた。だが、残党が都市まで追ってくる可能性も視野に入れると、即断で行動するには軽率に思えなくない。今奴等を都市に近づけるのはあまりに危険だ。隙を突けば撒く事は可能だろうが、今はまず無理だ。チャンスが来るまで待つしかない。

 

やはり一人で来るべきではなかったか?そんな思案が一瞬、頭をよぎる―――――が、それをすぐに隅へと追いやった。

 

例え最新鋭の武器を持たせ、訓練された選りすぐりの強者を何人同行させようが、今この場に人間がいれば間違いなく彼等は良くて五体不満足、悪くて死、最悪の場合は生きたまま五臓六腑をバラされ、そのまま糧にされてしまうだろう。

そうでなくても妖怪達の様子が今までのそれと決定的に違う。これまでに無いほどに高揚し、身体能力は著しく上昇している。加えて襲う相手にも見境が無くなっている。わずかにあった理性が喪失して活性化した、そう表現すべきなのかもしれない。

実際、本来であればこの程度の有象無象に彼女は苦戦することはない。彼女自身それは既知であるし、その上で自負もしている。

 

 

その彼女が苦戦を強いられている今、人類に入り込む余地など毛頭無く、有ってはならない。

 

 

(………やっぱり、空から落ちた何かが関係しているのは間違いない。妖怪達の活性も、以前は無かったこの不自然に空いた地形も…………いや、それはあの暴風が原因?どちらにしても外的要因からなる結果なのは確か。問題はその何かが何なのか、正体が分かっていない事、ね。

まさか、星でも落ちた?…………………いや、それでは奴等の力の増強が説明できない、か……。

まったく、私に分からない事があるなんて、腹立たしい――――――――っ!?)

 

 

迫る気配。

 

 

「後ろ!」

 

 

一度思考を打ち切り、後方へと意識を向ける。

振り向きざま。遠心力をフルに活用して回し蹴りを放つ。

 

グシャッ

 

肉を磨り潰す音。踵に浸透する感触。五感が告げる敵の絶命も、もう何度目か分からない。

 

 

《グヴァッッ!!!》

 

 

だが彼女は止まらない。止まれない。一つの化生が動いたのを皮切りに、再び彼女へと押し寄せる百の魑魅魍魎を目の前に、止まる選択肢は無きに等しい。

 

吹き飛ぶ妖怪と入れ替わりに、人の形をした巨躯がその爛れた脂肪を揺らしながら肉薄する。右手には棍棒。直撃すれば被害は免れない。さすがにやばいと天才の頭脳が警報を発すと同時に、舌打ちを交えながら彼女は動き出す。

 

巨人が棍棒を振り下ろす。それを視認しつつ人のボーダーラインを超克した身体能力と直感を生かし、横に跳躍してかわす。三つ編みに纏めた銀髪が月光を反射する姿は、闇夜の戦いの最中だろうと光り煌く。

 

破壊する筈の標的を見失った棍棒は空を切り、威力は変わらず地面へと叩き付ける。強烈なインパクトを受けた地面は粉砕。鈍い音が大気に弾けた。

後手後手に回っていては駄目だ、と彼女も動く。出来るだけ同じ場所に留まる事を控える為に。

カウンターとして弓に矢を番える。今度は四本。威力は落ちるが巨人の四肢を塞ぐには充分適してい――、

 

 

(――今のは……っ?)

 

 

ほんの一瞬、瞬きの間に捉えた気配。妖怪などの放つ禍々しい妖力や人間が持つ霊力とも違う、今にも消え入る灯のような、しかしそれと矛盾する毅然とした気配。

それが、徐々に近づいている感覚がして、そちらに意識が向かう――向かってしまった。

 

 

気づいたときには遅かった。反応も、判断も。

 

 

(ッ!?)

 

 

 

直後、空中から急降下した鳥型の化生が束となって、驟雨が如く降り注ぐ。

 

 

 

ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドド!!!

 

 

 

(やばいっ!)

 

 

無差別爆撃のような轟音と衝撃が連続して、彼女の肉体及び感覚器官を蹂躙せんとして襲い掛かる。地面は瓦礫へ変異し、砂塵が視界を奪い去る。

気配を感知し、時には稲妻状に飛び、時には打ち落とすなどして何とか凌ごうとする。

 

 

(油断はしていなかったのに……いや、それよりも)

 

 

彼女は自分の視覚、聴覚を疑った。

 

驚くべきことに今、自分は確実に罠にはめられた。恐らく、あの巨人の妖怪は『囮』だった。

本命はこの鳥たち。鈍重で図体がでかく、力のみが取り柄の『恰好の的になりかねない仲間』をわざと単体で行かせ、狙いをその一極に向かわせる事で、上への意識が向かないようにしたのだ。

稚拙で未熟だが、単純な分成功しやすい。

そして問題は、本能の赴くままに動いていると思われた妖怪たちが『策を使った』。

 

力任せではない、頭を使った攻撃。前例など無い。ある訳が無い。

 

自分の考えすぎかもしれない。確かに今は状況の所為で冷静になれなくて、神経が過剰に反応してしまうのは仕方ない。――が、にしても巨人の一撃から空からの奇襲まで、タイミングが絶妙すぎる。他に気を取られていたとはいえ、だ。

背筋が凍る感覚を、かわしながら彼女は恐怖から来るのだとすぐに理解した。

 

 

敵の追撃が止まる。数分にも満たないが、その破壊の連鎖は地上を瞬く間に瓦礫の山へ変えた。

 

 

「終わっ、た……?――ぐぅっ!」

 

 

体中の痛覚に刺激が走る。敵が周りを囲んでいるのに、身を丸めてしまった。

避けきった――とは、とてもじゃないが言える風貌ではない。

服は原型を留めてはいるものの、所々瓦礫が跳ねた際、または攻撃を回避しきれず掠った際に破けてしまい、玉のような白い肌が露になっている。その肌にも、直撃は免れたが避けられなかった擦過傷がいたるところに血を滲ませている。たった一度の攻撃でこれだ、今度やられたらひとたまりもない。

体力の方も、予想以上に消耗が早い。視界がぼやける。体に鞭打てばまだ動くことはできるだろうが、このまま続けていてはジリ貧だ。いずれこちらが先に屈してしまうだろう。

そうなった後の末路はおぞましい。想像もしたくない。

 

対して妖怪たちは、留まることを知らない。まさに妖怪変化。

先程より多少、数は減退したかのように見える。しかし、その数は未だ百は有らんという文字通りの百鬼夜行。活性化も誘因し、一体一体の妖力が跳ね上がっている。

数の暴力だけでは済まされない、混沌とする飢えた髑髏の処刑、捕食はターゲットを喰らい尽くすまで止まらない。

 

 

(このままじゃ……さすが、に……やばい……かし、ら……?)

 

 

弓を支えにして体を起こす。ギッ……と軋む音が横から聞こえた。

 

休んでる暇など無い。だが、この状況を打破する術を模索することもできない。

 

前方から再び迫る異形。後方からも聞こえる咆哮と、地面を蹴る音。挟撃する魂胆か。

 

動かなくては。脳が弛緩した筋肉に信号を送る。しかし、体が思うように動かない。止まった事で疲労が間欠泉のように湧き出てくる。

 

あと数メートルのレッドゾーン。避けなければ更なる追撃が待っているはずなのに。

 

危機感こそあるが、焦燥を感じない。諦観はないが、気力はある。いよいよ馬鹿になったかと心中で自嘲する。

 

 

(……私らしく、ない……。落ちた何かに、影響されちゃった、のかな――私も)

 

 

腕を上げる。が、それだけ。気休めにもならない。

 

虎のような様相の異形が跳躍、鉤爪を振りかぶる。来る、と頭では分かっていても、体は反抗する。心も酷使したくないと首を振る。

 

 

(全く………………ね――――――)

 

 

そして―――――――――

 

 

 

 

 

 

 

グシャッという、何度聞いたか分からない絶命を告げる音と、浮遊感を彼女は感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………………………………………………………………………………ぅん?」

 

 

奇妙な感覚だった。

 

確かに肉の潰れる音は聞こえたのに、体に現れる痛みが存在しない。あの爪で臓物をぶちまける筈だったのに、その兆候も無く、腹部の喪失感も無い。

 

痛覚が機能しない程の激痛?しかし、痛覚は感じないのに浮遊感を感じるのはおかしい。

 

 

(そういえば、何かに引き寄せられたような……)

 

 

徐々に意識が覚醒していくと、この状況に対して不信感が芽生える。

 

殴られた衝撃で?痛みも無いのに衝撃も何もないではないか。反射的に体が動いた?いや、疲労は続いている。それに眼を閉じてしまっていたから有り得ない。

 

 

それよりもさっきから胸に違和感を感じる。まるで何かに鷲掴みにされているかのような……。それに、暖かい何かが右半身に触れてる感覚が――

 

 

(――いや、そういえば私……………さっきから、『何に身を委ねているの』?)

 

 

閉じていた眼を開く。

 

 

そこははるか上空。霊力で飛ぶならともかく、単純な脚力だけでは到底到達できないような高み。地上より肌寒い風が髪をすくい上げる。

下を見下ろせば、まず自分の体が見える。特に異常は見られず、安堵した。次に見えたのは、先程の鳥妖怪。だがここからなら飛んでるそれらも見下ろせる。その下にはさらに小さくなった妖怪の大群が見えた。

 

左を見れば広がる山々に、永遠に続く森林、光り輝く満月。

 

つまり、右を見れば自分の居住地であり、人間の住処である都市が見えて――――

 

 

 

 

 

「ん?」

 

 

「……え?」

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――見えたのは、都市でもなければ森でもなく――――――

 

 

 

 

 

 

――それは。

 

 

 

 

 

 

瞳が印象的な、『何か異様な』少年の、横顔だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どこか遠い所で、カチリと、何かがはまる音がした。

 

 

 

 

 

 

 

 



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駆け逃げ撤退、暴風怒濤

 重なる世界のその舞台で

 

 

 平行線を辿る道筋は、確かに一つへと絡み合った

 

 

 

―――――――――――――――――――

 

 

 

 吹き上がる気流が落ちる力に反発し、髪を乱暴に振り回す。服から覗く血濡れの肌は、地上と異なる気温に加え、常時殴りつけるような風の暴挙に神経が刺激され、疼痛と寒気を及ぼした。

苦しい、傷口に響く。

 常人とは根本から異なる構造をした肉体を持つ彼女にも、慣れないそれは堪えるものがある。

 

 しかし。

 

 そんな状況でも、"彼"から眼を離すことはしなかった。

 

 

「……?」

 

 

 彼が首を傾げる。この状況に何の違和感も猜疑心も抱いてないかのような、泰然とした様子で。それが、そこはかとなく異質に感じた。

 

 第一印象という理念における基盤とは、容姿や体格などの視覚から認識し得た情報を統合し、そこから導き出した結果を基に相手を定めるもの――――以前から、彼女はそう考えていた。

 だから、最初に受けた印象はその後の関わりにも影響を与える。それが当たり前なんだと、彼女は思っていた。

 彼女は"霊力"や"妖力"、"魔力"といった、『一般的概念に反映されない固有の価値を持つ力』を見極め、操作も出来るという、常人が持たない一種のアドバンテージを有してる。

 生きとし生ける者全てが持つその力は、それぞれ一つ一つに異なる性質があり、相似することは数あれど、全くの同一は無二に等しい。

 

 そのスペックを行使することで、彼女は相手の性質を定め、かなりの広範囲で他者の本質や価値を限定することが可能であった。実際、今までそうやって初対面の相手を知る際にその方法を当てはめていた。いざとなれば戦闘にも、相手の位置の特定や気配の察知に転用してきた。

 とどのつまり、人並み以上に相手を『知る』ことに長けていた筈だった。

 

 その筈なのに、その事実が今、揺れている。

 

 

(……何、これ?)

 

 

 ()()()()()、彼が。目では見えているのに、その身は間違いなく人のソレなのに。

 

 容姿はおかしいところはない。肩まで伸びるアホ毛が一本の黒髪だとか、スラッと伸びた眉と優男の印象を受ける黒い双眸を持つ均整のとれた、幼げの残る容貌だとか、見たことも無い印を刻んだボタンを縦一列に並べた黒い服を着用しているとか、多少個性的ではあるものの特筆すべき点は一つも無い筈。

 

 では、どうして。

 

 

(どうして、そこにあるはずの力が『視えない』の?)

 

 

 五万と視てきたのに、何故か彼の深奥――力を視ようとした瞬間に"(もや)が掛かった"。もちろん、こんなことは今まで経験したことが無い。

 本来なら霊力妖力魔力問わず、隠匿するのは不可能。ましてや、自分の前では。

 確かに気配を曝さない為に意図的、人為的に隠すことは出来る。しかしそれもある程度距離を離隔しなければ効果は発揮しない。

 そもそも気配を曝さない為とあるが、少年からは隠れようという気など微塵も感じない。むしろ、彼は今自分を抱き寄せている。つまりは零距離、これでもかと曝け出している。

 本来の実力を隠しているという可能性もある。が、例えそれが出来たとしても、少なくとも今ここで隠す必要など無い。この状況を鑑みれば、もう既に彼は別の方面で隠すべき実力を露見してしまっている。空への規格外な浮上、妖怪が(ひしめ)く地上を掻い潜り、自分の下へ辿り着くという形で。

 その行為がどれだけ逸脱しているかを本人が自覚しているならば、隠す必要性の有無を知るなど造作もないだろう。

 ならば、この靄の正体は何なのか。だからこそ、分からない。一体、彼は――

 

 

「おい、大丈夫か?」

 

「――!」

 

 

 不意に聞こえた声に、思考が強制的に中断させられる。どうやら、ずっと視線を送る自分を不審に思い、話しかけてきたようだ。

 戸惑いを覚え、応答出来ずにいると、再び声をかけてくる。先程よりも柔和な声で。

 

 

「大丈夫か?」

 

「……ん、ええ。大丈夫、だけど……っ」

 

「本当か? 痛むんだろ。震えてんぞ、声」

 

 

 声色からして、本気で心配してくれているのだろう。

 もしかすれば、これが彼の見えざる性質の一端なのか。はたまた自分を騙す為の体裁か。気遣ってくれる相手に対して失礼だとは分かっていても、満身創痍のこの身体では思考がどうしても悲観的になるらしく、そんなことを考えてしまった。

 心を落ち着かせ、考えを改める。仮にも、この男は一時的とはいえ自分を窮地から救ってくれたのだから、と。

 

 

「……心配ないわ。それよりも――」

 

「?」

 

「――あなたには、聞きたい事が山ほどある。あなたが何者なのか、どんな力を使ってここまで飛んだのか、あの状況で、私をどうやって助けたのか。()()()()()()()()()()()とか、他にもたくさん、ね」

 

「……そりゃあ、いったい何の話――」

 

「後、状況が状況だったとは言えなんで私の胸をしっかり鷲掴みにしているのか」

 

「ブッフォッ!?」

 

 

 目にも留まらぬ速さで顔を朱に染め、慌てて左手を胸から腹部の辺りに置き換える少年。気づいてないようだが、実は妖怪の攻撃の際に胸の辺りの服が破れて霰もない姿になってしまっていた訳なのだが、そこをがっちり掴んでいたことを今伝えたらもっと大変なことになるのは明白だと判断し、黙っておくことにした。

 

 

「うへぇ……違うんだ、これは。不可抗力な訳で……決して狙った訳では」

 

「鼻の下が伸びてるのはこの際気にしないで置いてあげる、咎めてたらキリがないし、地面に落ちるのも時間の問題だから。でもその代わり、今から私がする最低限の質問に答えて」

 

「山ほどあるんじゃないのか?」

 

「言ったでしょう?時間が無いの。あとのは事後に聞かせてもらうわ」

 

「事後とかなんかエロいいや何でもありませんごめんなさい手の甲抓んないで痛たたた!」

 

 

 一拍置いて。

 

 

「ここから落ちた後、どうするの?まさか何も考えずに飛んで、このまま着地できずに肉塊になるなんてないわよね?」

 

 

 はっ、と。彼は一笑する。

 

 

「んなわけあるかってんだ。決まってんだろ? 脱出だよ脱出。あいつら全員張り倒すのも考えたけど、何かあいつら出遭った時より強くなってるし、あんた抱えたまんまあいつら全部倒すのはちときついんだよ。空飛んだとき都市も見えたし、逃げ道は確保してる」

 

「……張り倒すのも考えた、ね。でも待って。もし逃げるとしても、その際に下のアレを一緒に連れて行くってヘマをされるのは困るわ。都市には結界を張ってるから位置はばれてないけど、今の奴らなら近づいた途端結界を看破されかねない。そうなったら中の皆が危険に晒される」

 

「あー、結界だかパッパラパーだか知らんが大丈夫だ。|撒く自身はあるから。でも、もしかしたらあんたにも動いてもらうかもしんない。無理させるけどいいか?」

 

「それで皆を守れるなら、それでいい。でも、信じていいのね?」

 

「豪華客船に乗ったつもりでいればいいさ」

 

「……何でかしら? それだと何かにぶつかって沈みそうな気がして凄い心許ないんだけど……」

 

 

 そう言っても、彼はまた軽く笑うだけだった。それを見て口から軽く息が漏れ、つられてこちらも軽く笑む。

 

 

「あのさ、俺も一つ聞いていい?」

 

「? 何?」

 

「――『幻想郷』、それと『八雲紫』って単語、聞いたことある?」

 

「……? 聞いたことないわ。物覚えは良い方だとは思ってるけど……」

 

「……そっか。ホントに知らない?」

 

「大事なこと?」

 

「うん、まあ。それなりに」

 

「……ごめんなさい」

 

「いや、謝らなくて良いけど……そーかー、あの顔、そういう事なのかー、そーなのかー」

 

「恋人さん?」

 

「それはない」

 

「そう……」

 

 

 言葉と裏腹に、少年の顔は暗い。対して彼女は、それ以上触れなかった。

 

 

「質問はもう良いのか」

 

「……本当ならもう二、三個答えて欲しかったけど……これじゃあね」

 

 

 見下ろすと、そこは多くの魑魅魍魎の遍く叫喚地獄。その全てが今か今かとそのときを待っている。

 幸い、空を覆う妖獣の群れは先程の連弾からの疲労があるのか、襲う素振りはない――が、依然その数が増してるように見える。数えるのも億劫で、陰鬱になる。

 

 

(――なら)

 

 

 十中八九、彼は人の類から除外される人外。先程の口ぶり含め、この高さで着地を考えている時点でそれを物語っている。人間なのかも疑わしい。

 だから、彼の能力や素性云々を時間がない今聞くのは、愚の骨頂で時間の無駄。

 

 

「じゃあ最後に一つ、いいかしら」

 

「ん」

 

 

 

 

「あなたの名前を教えて」

 

 

 

 

「……俺の名前、ね」

 

「そう、あなたの名前」

 

「――んー、ちなみに何故?」

 

「今後のため、と言ったら?」

 

「…………」

 

 

 一度目線を逸らし、天を仰ぐ。

 そして、

 

 

 

「俺の名前は―――――――――――」

 

 

 顔を戻した少年は、笑んだ。月に負けない輝きをもって。

 

 

 

『宍戸相馬』

 

 

 

 シシドソウマ

 

 

 

 夜を覆う闇と、その闇を照らす月の下。彼女は確かにそう聞いた。

 

 

 

 

 

        ▼        ▼        ▼

 

 

 

 

 

「しっかり掴まってろよ。気づいた時には手元からすっぽ抜けてたなんて、笑えねぇ冗談だからさ」

 

「あら。もしそうなったらどうなるか、分かってるんでしょうね?」

 

「……どうなんだ?」

 

「……………………………………ふふっ」

 

「やばい、両手折れても落とせねぇぞこれ」

 

 

 ひざ関節を右手で持ち上げると、それは所謂お姫様抱っこ。これから来る衝撃が、少しでも彼女の負担にならないようにと、両足に力が入る。その力の源に少量の恐怖(主に黒い微笑を放つ彼女が誘因)がどろどろに溶け込んでいる事に、彼は分かっていても触れないようにする。

 

 

「……これ、結構くるものがあるんだけど……」

 

「安心しろ、俺も人生初体験なんだ。顔赤らめてる女性をお姫様抱っこなんて、未経験の俺にとっちゃ感極まって涙腺崩壊モノだよ」

 

「あなたって見た目に反して中々に弾けてるのね?」

 

「よく言われる」

 

 

 想像を実体に具現する。

 スポンジに垂らした水が浸透する様を。過程を。その結果を。

 猫が高台から着地する際に面の反作用を吸収する、その様を。過程を。その結果を。

 剛ではなく柔。筋肉を弛緩させ、かといってだらけきるのではなく、地面と足裏の接合の瞬間に緩んだ筋肉を一気に奮い起こし、威力を受け流す。

 たったそれだけ。動物が普段無意識に行うこと。

 しかし、今回は一人で飛ぶときと違い、人を抱えての試み。加わる重力加速度は計り知れない。彼女へ与えない分の負担はそのまま両足を通し全身へ加算することになる。油断はできない。

 

 

「準備は?」

 

「いつでも」

 

「うし、じゃあ――いくぞ!」

 

 

 時間にして数分に満たない程度の短い空中遊泳が、終わりを告げる。

 

 

「っ!」

 

 

 着地。

 

 音はしなかった。強いて言えばふわりと、風船が落ちたような有って無い感覚がそこには有った。彼女の驚嘆する声が相馬の耳に届く。

 

 

(ふぅ……つぅっ!?)

 

 

 彼女自身に影響はないらしい。"驚く声"からにじみ出る心身の余裕がそれを教えてくれる。束の間の安心からか、肺から重い何かが吐き出された。

 しかしその分、想像以上の苦痛が下半身全体、それから腕、肩、首の順に上半身に染み渡る。動けない程ではないにしても、何度も同じ行為を繰り返していたら肉体は耐え切れないだろう。

数瞬、耐え切れずに表情を歪ませる。

 

 だが。

 

 

(……どうってこと、ない……っ)

 

 

 自らを鼓舞し、すぐに戻した。不安を(さと)られないように。悲愴を生みださないように。

 

 

「っ……痛みはないか?」

 

「私は……でも、私よりあなたが――」

 

「問題ないよ。これくらい、今まで幾度となく経験してきたしな」

 

「分かりやすいのね、相馬? 取り繕ってるのが見え見えよ?」

 

「ホントに大丈夫だって」

 

「……存外――ううん。想像通り、あなたっていじっぱり――っ!?」

 

 

 なのね、と続けようとした彼女を遮り、動き出す。すぐ其処まで肉薄する『ソレ』目掛けて。相手は二人を待つ寛容的なキャパシティは(おろ)か、それを詰める脳髄すらあるのかも怪しい存在故に。

 だから、振向きざま――

 

 

(――――今更だけど)

 

 

 見切った。

 

 

(こいつらもあいつと同じ、妖怪って言うんだな――――ッ!!)

 

 

《グボァァアアアッ!!》《ヴェアッ!!》

 

 

 同時だった。

 後方、左方から二体の妖怪が咽喉笛を鳴らし飛び掛ったのと、相馬がまだ痛む右足を横一閃に振り抜いたのは。

 

 

《――――っ!!??》《ギ――――》

 

 

 静かな、しかし醜悪な音が響く。

 音を発した二つの物体は、そこにあるはずの胴をごっそり刈り取られ、『四つ』に分かれた。何をしたか? 答えは単純かつ明快。

 蹴り飛ばしたのではなく、()()()()()。それ、ただ一つ。

 最初に居場所を喪失した上半分が、次いで上半分を喪失した下半分が、ぼたぼたと崩れ落ちた。

 時間にして、刹那の間の出来事。

 やってのけた結果を目視し、相馬はごく平然と切り出す。

 

 

「さ、行くぞ?奴らは待ってくれない」

 

「――」

 

「どした?」

 

「――いえ、なんでもないわ……はぁ」

 

「? まぁいいけど、ちょっと動き激しくなるから酔っても文句言うなよ――っと、危ね!」

 

「きゃっ!?」

 

 

 周りが急に暗くなったのが見え、急加速。腕の中の彼女の悲鳴を置き去りにして前に飛び出し、回避する。直後、先刻まで二人のいた場所が『落ちてきた』肉の塊に踏み砕かれた。悲鳴を押しつぶす轟音と共に、大地が揺らぐ。

 まさかあんなデカブツが跳躍したとでも言うのかと、多少驚愕を露にする相馬。

 捻じ伏せるかとそちらに意識を向けようとして、しかしすぐに制止する。一つに集中する事は周囲を囲まれた状況においては自殺行為以外の何者でもないことを、相馬は誰よりも知っている。

 

 ならばどうするか? 少年は自分に問いかける。

 

 

(――決まってんだろ?)

 

 

 答えを待つまでもなかった。

 

 

「しっかり掴まってろよ!!」

 

 

 加速した両足を止めずにそのまま走り出す。別に何も全てに対処しようと考えなくてもいい。最優先は逃走。数を減らすのは体勢を立て直した次に備えればいい。

 縦横無尽に、しかし確実な道筋を探して疾走する。

 

 

(方角はこっちで合ってるはず、なら――っ)

 

 

 速度をそのままに、目の前で行く手を阻む成人の平均的体形三つ分を縦に繋げたような細長い群れの一体の、土手ッ腹へ飛ぶと同時に横回しに足を振るう。

 直撃。意識を刈り取るにはあまりに過充分な一撃が、突風を吹き鳴らして尚本体を貫いた。

 カフッ、と。くの字に変形した化生から吐き出された異臭が顔に当たる。

 相馬は露骨に眉を(ひそ)めた。

 

 直後、一時的に衝撃を内包した化生の肉体が、耐え切れずに内から弾け飛ぶ。

 それに重なるように、暴虐の限りを尽くさんとする衝撃の波が、皮を破って放射状に飛散した。

 

 膂力のみでは生み出せるはずのない常識を超越した莫大な衝撃波。まさに質量を持った暴風。周囲の大小問わない化生全てを薙ぎ倒し、吹き飛ばし、蹂躙する。地を抉り、余波でさえ受けた者は瓦礫へ突き刺さり、津波のように破壊の連鎖を巻き起こす。

 溢れていた目の前の群れが、ただの一蹴、それだけで消え去った。

 

 

「すごい……」

 

「ありがとさん。だが相手の数が減った気がしないのは俺だけか?」

 

「むしろ増えてるわね」

 

「骨が折れるわいな」

 

 

 「丸で老輩みたいな物言いね」と返す彼女を見据えた相馬は、軽く一言返しながら地上へ足を下ろした。そして再び飛躍。

 先のように過剰に標高を上げず、あくまで移動を最優先に。目下数メートルの低空で、今出せる最高速を維持して跳び、力強く飛ぶ。風を越すイメージを頭で重ねながら、上空の敵も充分に警戒して。

 足場を見つけながら着地と跳躍を反復し、絶え間なく襲い掛かる障害を両足を駆使して退ける。時には踏んで足場とし、時には重力を利用した上段から下段への振り下ろし――かかと落としで周囲を捻じ伏せ、時にはウェイトの大きい妖怪の足を払い敵の進行の妨げにする。

 着実に、確実に、目的へと距離を縮めていく。

 

 

「森に入ったとして、どれくらいで目標に着く?」

 

「歩けば多少掛かるけど、あなたの足ならすぐに着くはず」

 

「なら、このまま――」

 

「――? 待って……何か膨大な妖気が――――っ!?」

 

「――何? て、うおぁッ!?」

 

 

 あと少し。距離で言えば百メートル弱の残り間際で、それは起きた。

 地面に足が触れるか触れないかのコンマの変わり目に、突如として地面が急激に隆起したと同時、何かが硬い地表を突き破って現れた。

 人一人が丸ごと縦に収まりそうな巨大かつ強靭な大顎をもつ何かが、他者を圧倒する凄まじい声量を込めた咆哮を木霊しながら、二人を呑み込まんと口を裂き、天へと衝き上がる。

 

 

《ゴォオオオオオオオオオオオオオオアアアアアァアアアアアァァアアアアアアアア!!!!!!!!》

 

「ぐぬっ、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!?」

 

 

 反応に多少遅れるも、地盤を破壊した頭部が突き出る数瞬に相馬が上顎と下顎に足を突き出し大口の進行を阻止、足をつっかえ棒のようにして丸呑みを抑える。しかし大なる者は構わず、反抗する鼠を咀嚼しようと空へ二人を連れ去った。

 高く、雲を越しかねない高みへと上り詰めていく。

 

 長い胴体に蜥蜴(とかげ)の鱗を思わせる表皮を貼り付けたような形態は、固有名詞を借りて呼称すれば『蛇』とするのが最も的確と言える。

 だが、巨躯。

 あまりに巨躯。

 頭の直径だけで人の身を越しかねない超弩級。一体、胴を合わせれば全長はどれ程のものになるのか、全く以って計り知れない。これだけ大きい生物を見た経験など、そうそう無い。

 

 

「いやいや待て待て待て待てでか過ぎんだろおかしいだろおいこれまだ昇ってんぞどこまで行く気だドンだけ長ぇんだ!?」

 

狼狽(うろた)えてる暇じゃないでしょう!? ――でも、確かにこれはいくら何でも大き過ぎる……。今までこんな震え上がるほど強力な妖力と肉体を持つ妖怪や妖獣なんて、見たことも聞いたことも、気配を感じたことすらなかった。何で今になって? やっぱり今回の活性と何か関係が……それとも、それを巻き起こした全ての元凶である()()()()に、他の妖獣と同じように今まで身を隠していた妖獣も触発されて……いや、それとも――――」

 

「おいこら。あんたもあんたで自分の世界に逃避してんじゃねえよ、一人だけ逃げようたってそうは問屋が卸さねぇかんな!! ――て、何だよ。そんな俺の顔を見つめて。まさか惚れた?」

 

「『誰かさん』に疑念を持っただけ。それと、そういう台詞は胸を触った程度で顔を赤らめないくらいに成長してから言うものだと思うけど?」

 

「すいませんでした以後気をつけます自重しますむしろ自嘲します」

 

 

《ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!》

 

 

「ぬぉお!?」

 

「あっ――!?」

 

 

 雷鳴の如き怒号が会話を中断させる。次いで、『蛇』の顎の力が強まった。ミシミシと、強い力が両足を圧迫する。

 漏れた舌打ちを隠さない。させまいと、その足へさらに力を注ぐことで、それを防いだ。

 

 

(うかうかしてっと飲み込まれる、か。いっそ干物にして財布にしまってやろうかこいつ?)

 

 

 真偽の測れない表情で、そんな大言を心中(うそぶ)いた相馬の元へ、鼓膜を掻き乱すような不快な音色が新たに届いた。

 顔をそちらへ向ける――必要はなかった。

 それは二人の退路である空を覆い被さる様に、全方位を取り囲んでいたから。

 闇に紛れたそれ。月の光が照らすことでようやく見えた、目を見張る物的総量。真紅の眼光をぎらつかせ、今にも迫らんとするそれは……それらは――、

 

 

「――っ、あれは!?」

 

「いつの間に、だな。まあ、どう考えたってここは奴等のテリトリーだもんな」

 

 

 鳥。

 鳥の皮を被る異形。

 当初より数が数倍に膨れ上がっているのが目測で分かる。それが、今だ上昇を続ける二人を追うように、ぴったりと張り付いて離れない。

 二人が気づいたのが合図であるかのように、それらは意図せず動き出す。

 

 金属同士を擦り合わせた際の不快音にも似た叫声が、数十、数百と混ざり合い、大音量となって空を支配した。その波に乗って、化生は再びその身を刃へと変貌させ、急加速。全方位から獲物を求め押し寄せた。

 

 彼女の声が、焦りを含んで相馬へ届く。

 

 

「気をつけて! アレは――」

 

「分かってるよ。だからこそあんたに頼みがある」

 

「――?」

 

 

 訝しげに眉を下げる彼女。その間にも、刃は虚空を裂いて接近する。それが見えてはいるのだろうが、ただ超然と相馬は言う。

 

 

「この足場、ちょっとでいいから揺さぶること、できないか?」

 

「……それでこの状況を脱することが出来るのね?」

 

「言ったろ? あんたにも動いてもらう、そしたら助かるって」

 

「どんな方法でもいいの?」

 

「対処する」

 

「なら――」

 

 

 速度が緩和する。それはあと少しで臨界点に到達する事を意味する。

 つまり、『蛇』がただ上昇するだけで済んだ行為を終えて、次へと行動を移すのと同義。だから、される前にこちらが移す。

 彼女の手には、いつの間にか弓と矢が握られていた。

 

 

「……いつ出した?」

 

「乙女の秘密よ」

 

「……さいですか」

 

 

 もうすぐ距離を零にするであろう化生を彼女は顧みず、番えた弓の矛先を『大きく開いた蛇の口の中へ向けた』。

 どうするのか、相馬には察しがついた。が、敢えて聞く。何をするのかと。対して彼女は、決まってるでしょう? と答えた。

 続けて、簡潔に述べる。

 

 

「わざわざ柔い所を見せてくれてるんだから、小突くしかでしょう?」

 

 

 言えてると、相馬が思った矢先、彼女が射出。一直線に弓は『蛇』の中へ吸い込まれた。

 刹那。

 

 

《オオゴオオオオオオオオオオオオオオオオォォオオオオオ!?!?》

 

 

 遥か下方で響いた爆音と、それをかき消す悲鳴が混ざり合う。そして、『蛇』が痛撃に悶えるように、その身を大きく揺るがした。

 好機と、相馬が歓声を上げる。

 

 

「よっし!」

 

「きゃっ!?」

 

 

 弱まった顎の力をここぞとばかりに足で押す、というより踏み砕く。痛撃の重複に再度上乗せされた『蛇』の短い悲鳴。

 その隙を見逃さず、相馬は『跳んだ』。

 

 

「舌噛むなよぉっ!!」

 

 

 痛みで身を歪曲させた『蛇』の、地面にほぼ垂直な胴体に足を着け、滑り落ちるように加速度を上げる。

 或いは、ただ落ちるよりも速いかもしれない常軌を逸するフルスピードで、風を裂き、闇を裂き、彼女や化生から聞こえる声を全て引き裂いて、あっという間に地上が迫る。

 二人を狙い突貫する弾幕――鳥妖怪の身を投げ打つ弾幕が、『蛇』の胴に突き刺さるたび、後方から辛苦を吐き出す大音量の絶叫が、そこにある者の身体と精神を震撼する。

 降り掛かる弾幕は、彼女が弓の大量照射で凌ぎ、防ぎきれなかった分は相馬が身を捩る、器用に体勢を変えることで回避する。

 

 

(もうすぐ……っ)

 

 

分に満たない空中徘徊は終わりを告げ、地上が、もうすぐそこまで来ていた。しかし、思い出されるのはつい数刻前の着地の代償。またアレをこなすとなれば、アレ以上の激痛が全身を覆いかねない。

だから、伝える。風に掻き消されない声量で彼女へ叫び、意思を開示する。

 

 

「あのさ!」

 

「何!?」

 

「最初に謝っとく! 約束破ってすまん!!」

 

「!? それってどういう――」

 

 

了承を待たず、相馬は空を見上げる形で体ごと、重力を無視するように廻転する。

そして、

 

 

「ふんッ!!」

 

「待っ――――――!?!?」

 

 

 両手で抱え体を反らし、大きく振りかぶって、投げた。――上に。彼から見れば前に。

 声にならない悲鳴を、相馬は聞いた。

 一瞬顔が見える。が、すぐに目線を背後の地上に戻した。怨嗟に塗れた彼女の表情を、見るに堪えなかった所為である。

 それでも、彼女が予定通り滞空するのを確認した相馬は、人一人分軽くなったGと、可能となった両手の行使に意識を向け、再び体を回し、両手両足を広げる。

 

 

(負荷はもうない――今まで通りだ。なら!)

 

 

 衝撃を和らげる必要性は消失した。()()に、()()()()()やればいい。

 破砕音と礫を撒き散らし、獣のそれと違わない低い姿勢をした『怪物』が、地上に降り立った。足の痛みも腕の痛みも一切無い。二つが一つ減るだけで、こんなにも違うんだと、彼は改めて自覚する。

 見上げた先には彼女がいた。心臓が、血液が、躍動する。

 再び、彼女をこの腕で受け止めなくては。

 体勢を整える。それを待たず接近してきた妖獣の顔面を片目で捉え、手持ち無沙汰となった右手で捕縛し握り潰す。ぐちゃりと、忌み嫌う感触と凄惨な異臭が器官を這い回る。慣れたものだと諦観の意を込め、首を振った。

 こと切れた命なき塊を近くの化生に投擲、結末を見ずに駆ける。その先には、二人を圧殺しようとした巨躯の妖怪が相馬を睨み、道を阻害していた。

 そこへ、跳ぶ。狙うはその膨れ上がった頭部。その上。

 

 

《グピュッ!?》

 

 

 踏む。驚愕を交える奇怪な音が飛ぶが、知ったことではないと足裏のブヨブヨした土台ごと力任せに踏み抜いた。生み出された無意識の膂力が、ギリギリ形を成していたそれの原型を(ことごと)く破壊したが、構わず、空へと向かう。

地上から乖離した彼女が落ちてくる。それへ手を伸ばし――、

 

 

「あうっ!?」

 

 

 彼女が腕の中へ、声を上げて収まった。あるべき場所へ再び還って来た彼女が、自分を投げた張本人――元凶を、恨めしげに()め付ける。

 

 

「あなたという人は!!」

 

「分かってる、後でうんと謝るよ! だから!」

 

 

 

 今は、優先すべきことを善処する。

 降りた位置は、なぎ倒された大小異なる木々が特に散乱する、森と更地の境目。そこからさらに辿れば目標はもう目と鼻の先。

 

 

(だからこそ――ッ!)

 

 

 背後から響く咆哮、怒号、地を蹴る音、砂の擦れる音、這いずる音。

 全てを置き去りにして――、

 

 

「このまま、突っ切るぞ!!」

 

 

 彼等は、森の奥へと消えていった。

 

 

 

 

 

        ▼        ▼        ▼

 

 

 

 

 

 風が吹き荒ぶ。木々は葉と葉の摩擦で子の泣くような不気味な音を発し、清閑を妨げる者の不在な森に新たな音を交えた。

 しかし先程まで死屍累々を目の当たりにし、その中心を疾駆した二人には、心に安寧を送る(いとま)はない。

 進んだ先に小さく開けた空間を見つけ、相馬は足を止める。後方、上空にそれらしい追手の気配はない。どうやら追撃の回避には成功したようだ。

 ふぅ、と小さく漏れた息。自分が出したのだと気づいたのは、彼女に指摘されてからだった。 

 

 

「安心するのは早計よ? もうすぐ着くとは言ってもまだ後方の憂いは完全に消えてないんだから」

 

「 ……あぁ、そうだな。すまん……っ」

 

「?」

 

 

 彼女が訝しげに首を傾げる。が、相馬は応対しない。応対する力が、余裕が、意思が、決定的に欠けてる。むしろ、削がれている。

 幸い辺りは暗い為に本人には気づかれずに済んでいるが、それが精々今の限界。支える腕は倦怠感が襲い、足は枷でも付いてるように重く、全身に脂汗が滲み出る。辺りが明るければ、恐らくは青ざめている自分の表情もばれてしまうだろう。それに何より――、

 

 

(何、だ? 頭が、痛ぇ……っ?)

 

 

 唐突だった。

 隠密に、且つその状態で出せるトップスピードを算出する勢いで地上を走り、後ろから迫る不可視の脅威が大分遠のいたと感じた直後、後頭部を槌で殴られたような鈍痛が予想だにせず降り掛かった。その時は気づかぬ内に距離を詰められ不意打ちを受けたかと動揺したが、彼女の方を見ればこれといって特筆すべき変化はなかった。振向いても、あるのは木と葉のみ。空は月と星が照らすだけだ。

 それ以来、次第に身体は重くなり、視界はぼやけ、うなじ周辺が痺れだし、頭痛は増すばかり。そして、今に至る。

 

 

(攻撃を受けたから? 違う、それらしいのは……じゃあ、あの『蛇』が遅効性の毒を持っていたとか……っ)

 

 

 思考が望まぬ刺激で中断させられる。

 頭が回らない。

 ぐらぐら揺らされる脳に身体がついていかない。

 ついには吐き気を催し、食道が焼けるように熱くなる。込み上げる異物をぶちまけまいと歯を食いしばり耐える。しかし、それでも声が漏れてしまった。

 

 

「ぅ……」

 

「? どこか痛むの?」

 

「……いや――」

 

 

 大丈夫と言おうとした。平静を装い旨を伝えようとした。しかし、出来なかった。

 

 

「――っ!?」

 

「え? ぅあっ!?」

 

 

 突如、視界が暗転したかと思えば、バタリと、相馬は彼女ごと地面に前のめりに倒れた。何が起こったのか、彼女にも、倒れた本人にすら理解が及んでいない。特に今彼の中では、それ以上に深刻な事態が望まずして起きていた。

 

 

(なに、が……っ!? 何かが、溢れ――ぐぉぉぉぉッ!?)

 

 

 狼狽する彼女から這うようにして離れ、頭を抱え蹲る。

 身に覚えのない単語が、情報が、脳を苛む。

 詳細不明、正体不明の激痛と、得体の知れない膨大な情報量が彼のキャパシティへ毒となり無理やり浸透しようとする。脳に直接鉄球を打ち付けるようなそれに、逃避しようと身を捩る。が、それでも痛みは消えず、増すばかり。絶えず流れ込んでくる。

 彼女が消耗した身体を鞭打ち駆け寄って来る。

 

 

「ちょっと、どうしたの!? やっぱりどこか痛むんじゃ――」

 

 

 聞こえない。彼女の声が、内で湧き出る情報で塗り替えられ――――

 

 

(――かの、じょ……?)

 

 

 彼女とは誰だ? いや、それは知っている。目の前の女の事だ。何もおかしいことはない。なら、何故自分は疑念を持った?なぜ――――、

 

 

(俺は――彼女を知っている?)

 

 

 その時。

 ようやく、ようやっと。

 自分でも驚くくらい『不自然に度外視していた』彼女の様相へと、相馬の意識は向かれる事となった。暗闇でも、注視すればよく見える。

 

 三つ編結いの一つに纏めた艶やかな銀髪に、赤十字らしき記号の付いたナースキャップのような帽子。

 赤と青を基調にした奇抜な配色をした柄の、星座の刺繍が刻まれた服装。

 同年代に見える美麗な、()()()()()()()()()()()()()姿()

 

 分かる。彼女のことが、何故だかは見当も付かないのに、分かってしまう。比例して、痛みが身体を、頭を蝕んでゆく。

 限界。それでも、彼女へと問う。

 

 

「オマエ……、は、誰だ……?」

 

 

 唐突な言葉に眼前の、血に塗れた『少女』が戸惑う。構わず、問う。

 

 

「オマエの、名前……」

 

「……名前?」

 

 

 状況を掴めず少女が動転する。それでも、彼は構わず問う。

 否、答えた。

 

 

「オマエは――――

 

 

 

 

   ――――『八意**』……か?」

 

 

 今度こそ、少女はその大きな瞳を見開く事となった。ただただ、唖然とした。

 応答は、一言。

 

 

「あなたは、一体……?」

 

「俺、は――」

 

 

 返す言葉はなかった。返せなかった。

 直後。

 言葉を遮り、痛みが許容を超過した。

 

 

「――」

 

「!? 相馬!?」

 

 

 呼ぶ声が聞こえる。しかし、彼には届かない。もう何も、届かない。

 

 

 

 あっけなく、彼の意識は表層より深く、底へと沈んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どこか、すぐ間近で、フッと、何かが消える音がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




感想、アドバイスなどをしていただけたら幸いです。



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苛む違和感


やる事終わった!! これで勝つる!!


という訳でやっと、ホントにやっとの久々投稿です。やべ、4ヶ月ぶりだ、泣きそう。

今なら言える、あの一言。


も う 何 も 怖 く な い


はい、前書きはここまでにしといて、5話目です。どうぞ。


 ――――脆弱よ

 

 

 なんと鈍磨し錆びれた鉄崩れの諸刃の剣 聞いているか? まごう事なき、お前だ

 

 人の身にして人の間隙を爪弾きにされた、溺れ、藻掻き、抗う弱小の最たる者

 

 情けない 全く、情けない

 

 軌条は既に道程を定めた 後は辿るだけであろうに

 

 路傍を彷徨うなど許さない 断じて、許しはしない

 

 そも、お前が下した必然であろう? 流された? 否、これは選定したのだ 他でもない、お前自身が

 

 だのに、自身が程度の知れた辛苦に囚われのた打つとは何事か

 

 

 ――――弱小よ

 

 

 お前は柔く、度し難く、しかし何者よりも太く、折れない そうだろう?

 

 阻める者など無し あるとすれば、それはお前の怠惰と(ごう)のみだ

 

 いいか、留まるな 闊歩するのだ 淘汰し、踏破するのだ

 

 お前を蝕み這い回る蟲達は、糜爛(びらん)した外皮をものともせず肥大し、膿み、視界を覆うだろう

 

 だから進め 能動に、忠実に 時には躊躇なく踏み躙れ

 

 皆、それを渇望している 『彼女達』は、今も尚待ち望んでいる

 

 

 分かったなら目覚めろ、人まがい(宍戸相馬) 『彼女達』を待たせるな――――――――――――――――

 

 

 

 

 

       ▼       ▼       ▼

 

 

 

 

 

 現状把握。

 

 

 目を開けたら知らない天井が(ry

 どう見てもテンプレです本当(ry

 

 

(何だ、今のは…………、……夢?)

 

 

 不思議な事に、嫌悪感と親近感が同時に沸いた声だった。意味分からん。つーか謎の天の声さんに一方的に罵詈雑言を並べられた挙句勝手に人間やめてる発言されたワタクシめはこの行き場のない憤りをどこにぶつければいいのか誰かぷりーずてーるみぃ。

 

 いやね? 夢にドーコー言ってもそれだけなんだけど、にしても随分とまたリアリティーのある夢で、にしては言ってることが思春期真っ最中の夢見る中学生さんが持つ暗黒ノートに綴られてそうな、全身がくまなくむず痒くなるようなアイタタタな妄言だったなーって。

 

 二、三度瞬きをして感覚を確かめる。目がしょぼしょぼして鬱陶しい。寝てたんだろうか? 夢見たってのはつまりそういうことなんだろうけど。

 微妙に後頭部が痛い、首も鞭打ちしたときみたいに回らないし。想像以上に長い間寝てたのかもしれない。

 倦怠感もそこそこに、それでも何とか身体を起こす。

 で、気づいた。と言うより観点を戻した。

 

 

「何処、だ? ここ?」

 

 

 機械がごった返す空間。

 邪魔な肉削ぎとってよりスマートに説明すれば。

 機器がごちゃごちゃした部屋のど真ん中にコードやら何やら収束したゴツいベッドの上で俺ちょこん。

 …………おいこら、誰だ匙投げた奴。俺も混ぜろ。

 

 

「俺は…………俺、は――――――?」

 

 

 ようやっと理解したが、俺は俺が思っている以上に状況が掴めず混乱しているみたいで、落ち着いたとは頭の表面上では言ってても、その根底はグワングワンと揺さぶられていて立つ事もままならないらしい。割と比喩は用いてないと思う。揺れない震源地とはこの事か。

 とりあえず深呼吸をして落ち着く事にした。

 こういうときは考える事をやめ、交感神経の働きを休めるに限る。詳しい事は特段興味を持てなかったため覚えてないが、深呼吸にはそういう効果があるらしい。

 副交感神経の働きを強め、頭を寝ている時と似たような状態にする事で、気休め程度だろうと心の安定が取れるんだとさ。つまりはリラックスできる。まぁ、さっきまで寝ていたから副交感神経さんには二度手間となってしまうわけだが。

 因みに交感神経ってのは、身体が起きている、もしくは身体が動いている際の心身が活発になる状態に強まる神経を言い、副交感神経はその逆……だったか? 例えばさっき言ったみたいな寝てる時とかに強くなる神経がこれに当てはまる。

 生命の神秘、ここに極まれり。

 

 

「ハー、…………フゥ」

 

 

 幾分か――今度は奥の方の()()()()()も和らいだようだ。生命の神秘すげぇ。今日から先輩って呼ぼう。ごめんなさい嘘です。

 

 周囲をもう一度良く見渡す。

 

 何らかの用途があって使われてるのであろう大量に設置された機器の山々。その向こう側に白い壁があるのを辛うじて見る事ができる。

 下は色や太さのバラバラなコードが大量に張り巡らされ、足の踏み場もない。天井に目を向けることでどうにかここが白を基調としている部屋なのだと分かる。非常に雑多で狭苦しい印象を受けるが、その割りには埃臭くなく、清潔感を感じるあたり、この部屋の持ち主は特別物が片付けれないってのはないようだ。ただ単に置く物が多いだけなのだろうか。

 ……良く言えば集中治療室(ICU)をこれでもかってくらい豪勢にした印象。悪く言えばでかい悪趣味なおもちゃ箱って感じだ。

 

 

(窓一つない部屋、か。左側に外へ繋がってそうなドアがあるけど……)

 

 

 随分堅牢なデフォだことで。俺を外に出す気ねーだろ絶対。今のところ出る気は無いが。

 ……つーか少しずつ思い出してきたぞ。確か俺、『なんだったか』をして気絶したんだよそういえば。その一番重要な『なんだったか』がなんだったかはいまいち記憶がぼんやりしててしっちゃかめっちゃかだけども。

 

 

(どうする………………、……や、まず最初にどうするかは決まってるけども……)

 

 

 チラッ、と目を向ける。

 最初にする事。

 実に悩みどころだ。

 

 

 

「…………ん……ぅ」

 

 

 

「あらかわいい」

 

 

 俺が寝ていたベッドにもたれ掛かるようにして絶賛お休み中の永林を起こすか起こすまいか、そこが問題だ。

 因みに起きたときにいる事気づいてたけど気づいたら負けな気がした。あれなんかすごい矛盾した事言ってまあいっか別に。

 とりあえずほっぺ触ってやろうか。頭撫でてやるのもいいかもしれない。何時も被ってる――というより頭上に置いてるようにしか見えないナースキャップもなし。いっそそのたわわに実った胸を鷲掴みにしてやっても――――いかん涎が。

 時折頭を乗せる腕を動かしたり、寝言なのか声を漏らしたりしてる。そして彼女が動くたびに一緒に乗せる胸がいろんな形に歪んで――いかん鼻血が鼻腔をダイレクトに。

 いやー、いいわー。ええわー、これ。目の保養だわー眼福だわー生きてるって素晴らしー。てかその寝方って逆に窮屈じゃない? 主におっぱいがデュフフ(ゲス顔)。

 ――よし、決めた。

 

 

「おっぱい最高」

 

 

 右手を伸ばす。どこにって? 言わせんな恥ずかしいって思いっきり口頭で言ってたねごめんごめん。

 わきゃわきゃわきゃわきゃ。肉薄する。肉に向けて。

 わきゃわきゃわきゃわきゃ。ゴクリと唾を飲む。たまらん!

 わきゃわきゃわきゃわきゃああああああああ後数センチぃいいいいいいいいいいいいいい――――――、

 

 

 

 

 

 

 

 い?

 

 

(あれ――――ぇ……?)

 

 

 ちょっと待て。今更ながら頗るおかしいぞ?

 俺、こんな真似できる()()だっけ? 事故で胸掴んでただけのラッキースケベで顔赤らめてたんだぞ、俺? いや、違うそこじゃない。頭からおっぱい離せ馬鹿。

 

 ……そうだ、そうだよ思い出してきた。彼女に自己紹介はした。でも、彼女は? 何で彼女の名前知ってんだ? いやいや待てよ、なんで永琳ってのがこいつの名前だと前提にしてものを考えられるんだ? 何で目の前の少女を『当然のように知り合いだと位置づけれた?』

 ――――違うか。知り合いなのは間違いない。

 俺は……そう。俺と彼女は、あの群がる『妖怪』から逃げ切った。人生初のお姫様抱っこで。

 でも、それだけだろ?

 それなりのイベントだったけど、吊り橋効果にしたって知り得ない事を知りすぎだろ?

 自己紹介はした記憶はあっても、された記憶はない筈だろ?

 

 

(何してんだ、俺は?)

 

 

 てかいつまで手を淫猥な動きさせてんだおい。こんな真っ先に誤解生む光景この女の子に万が一見られてしまったら――――あかんこれフラグだええいこのノータリンがこういうときこそ頭を回らせロッテのお菓子っつーかやっぱ可愛い触れたい愛でたいおいこら何青臭いジャリボーイが塵芥如きの勇気すり減らしてナニやろうとがががががががががががががががががががががががががががががが

 

 

「アアアアアアアアアアアアアアア静まれ俺のリビドォォオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」

 

「…………ぁ、う? ……あれ、寝ちゃってたのかな私?」

 

「キェェェェェェアァァァァァァシャァベッタァァァァァァァ!!!」

 

「……はい?」

 

 

 

 

 結果オーライだと思いたい。予期せぬ事態に気が動転して俺がベッドの上でやったこともないブレイクダンスを披露しかけ頭から落ちるという奇行に至ったのも、彼女から汚物を見るような殺人的視線を向けられたのも、彼女を起こす為に必要な犠牲だったのだと思いたい。

 ……ていうか、本格的にどうしたんだ、俺よ。

 

 

 

 

 

       *       *       *

 

 

 

 

 

「『八意永琳』よ」

 

「いきなりどうした」

 

「私のことはそう呼べって言う事。要は私の名前よ」

 

「うん、知ってた」

 

「何だって?」

 

「うん、初耳です」

 

 

 あれから数刻。

 両手をグーパーしながらこちらを探るように見てくる八意永琳。頼むから目覚ましとかO☆HA☆NA☆SIとか称してビンタしてくんのはマジでもうこれっきりにしてください。もうあれはごめんです。等身のバランスが明らかに悪いだろってくらい腫れ上がった顔がそれを物語ってるよ。おかげで狂気に触れずに済んだけど。

 にしても往復ビンタは死ぬかと思った。

 

 んで、聞くところによれば、俺はそれはそれは長い間寝ていたらしい。何でも、太陽が二、三度回ってきたところで眼が覚めたんだとか。

 ……それってつまり、二、三日寝てたってことかね? どうりで気分が(ハイ)になったわけだ。

 

 

「そして顔が近いですぜ、お嬢様」

 

「嘗めないで。外見は確かにあなたの年齢と相違無いように見えなくもないかもしれないけど、これでも私はあなたより限りなく年上なんだから。もっと敬意を表しなさい」

 

「そうか、それは誠にすまなかった。そして顔が息かかるくらい近いですぜ、永琳様」

 

「それと、約束して。私の事はいつ如何なるどんな状況に置いても、絶対に八意永琳として接して(・・・・・・・・・・・・・)。いいわね?」

 

「ああ、分かった。そしてさっきから心臓めっちゃ踊り狂っててヤバイから察してくれや偉大なる我らが永琳様?」

 

「それと、あなたにはこれからいくつか聴取すべき事項がある。あなたの今後に関わる大事な質問よ。包み隠さず、ありのままを話して頂戴」

 

「会話がしたいです……、安西先生……」

 

 

 諦めたらそこで試合終了ですよ――――て聞こえた気がした。いや俺は試合じゃなくて会話のキャッチボールがしたくてだな……。

 と、ようやく意図を察してくれたのか、永琳が顔を離してくれた。最初からそうしろっての。

 

 

「ごめんなさい。あなた、ちょくちょく表情変えるからおもしろくて。今は顔パンパンでそれだけで抱腹絶倒ものだけど」

 

 

 前言撤回! コイツ策士かッ! ぬかったわ!

 クスッと、永琳が小さく笑った。

 可愛いじゃないか畜生め。狙ってやってんならこの上なくあざといぞコラ。

 

 

(……質問、ね。こっちも聞きたい事が山ほどあるわけなんだが)

 

 

 笑顔を向けてくれたあたり、それ程警戒してるわけでもないのかもしれない。……少なくとも、初対面のときよりは。今だって俺がごついベッドの上に座り、その隣に彼女が座っているのだから。距離感的に……ほら、なんか、ね?

 少なからず、彼女を助けるという行動は今後の動きにプラスへと働いたようだ。

 ……安心するのはまだ早いかな。

 

 

「ところで、ここはどこだ?」

 

「研究所。仕事場であって、我が家よ」

 

「研究……仕事場……科学者? それに、我が家ってのは?」

 

「……カガク? ……ふぅん……」

 

「何その某ちびっこ探偵さんばりのしたり顔は」

 

「気にしないで。それとさっきも言ったとおり、ここは私の家。とは言っても、ここは元々あった家の地下に併設させた後付に過ぎないんだけど」

 

 

 ニッと、彼女が口角を吊り上げる。先程見せた笑みとは異なる、黒いとまではいかなくとも、グレー位は妥当に見える、裏がありそうな嗤い。ちょっとゾクッていやなんでもない。

 つか、今彼女地下に併設って言ったか? だから窓が無いのね。

 それに併設ってつまり、一から穴掘り進めて部屋造ったって事だよな? 資金とか掘削にかかる費用とか半端なくない?

 

 

「あんた、どこぞの権力振り翳す誰かさんとか金持ちのボンボンだったりすんの?」

 

「さあ? もしかすればそうかも知れないし、それとはまた逆かもしれないし。あなたの言うどこぞの権力振り翳す誰かさんだとか、お金持ちのボンボンかも」

 

「そこではぐらかしますかい。……少なくともただの全うなお金持ちしてる奴が地下をわざわざ掘って怪しい機材を詰め込むような真似はしないと思う俺の知識は疎いのだろうか?」

 

「問答に応じてくれるならその疎い知識を使うまでもなく円滑に話は進む訳なんだけどね」

 

「……そうかい」

 

 

 喉まで込み上げたため息を、再び身体の中に押し込んだ。

 結局、彼女に応じる他に打開策はないらしい。多少暴力的な交渉も視野にはあったが、後がめんどくさいから却下。丸めてポイしよう。

 考えてみれば自分には隠すべき事情も匿うべき罪も何も無いのだから、そもそも問題などない。寧ろ、そこから協力を仰げるかもしれない。

 今、最も有効な情報源は彼女だ。

 虚偽を捨てて真摯に対応しようじゃないか。いつもの後先を全く考えない刹那主義をモットーにする俺らしく。

 

 

「分かった。従おう」

 

「……そう、後悔しないでね?」

 

「一気に後悔した」

 

「あら残念、後戻りは禁止なの」

 

「駄目だこりゃ」

 

 

 クスリと、笑う。

 今更ながら、彼女と会話する際は頭で考えて物言うよりも、インスピレーションで口に出す方が効果的なんだって気づいた。

 

 

「それじゃあ……そうね、まずは」

 

 

 さてさて、どんな質問が飛んでくることやら?

 

 

 

「率直に言って、私はあなたがこの世界の人間だとは思えない」

 

 

 

 …………………………………。

 

 

 うん。

 

 

「知ってる」

 

 

 

 

 

       ▼       ▼       ▼

 

 

 

 

 機械的な音を出し、銀色の扉が開閉する。

 その先の部屋――自室に、八意永琳は足を踏み入れた。次いで、近くに置いてあったアームチェア型の椅子に腰掛ける。

 そうして、浅く息を吐いた。周囲に露見する事はまずない、疲弊した表情。疲労と気だるさを綯い交ぜに、負の塊は淡く広がり、空気に溶けた。

 それらの大元の原因は今頃、地下の治療部屋でやっと解放されただの暇だ退屈だ早く外出たいなどと延々ブー垂れている頃だろう。

 それを想像し、身体が上からの圧に屈しそうになった為、早々に頭の中を振り払った。

 

 

(まさか、質問するだけでこんな疲れるとは思ってなかった……。何なのかしら、彼は?)

 

 

 何なのか、というのは別に彼の人間性云々に限っての事ではない。だからといってそれが当てはまらないのかと問われれば彼女は首を横に振る。

 まず結果として、彼は異世界の住人、もしくは違う星、或いは未来から来た所謂未来人辺り――現状に於いて考慮した上での可能性に過ぎるが――で、相違はないようだ。彼自身も異論はないようで、胸中を吐露している。まさか一言問いただした直後に満面の笑みで知ってると言われるとは彼女もさすがに予想やその他がぶっ飛んだ。

 

 聞けば、自分の住まう世界では他の星に移動する技術は既に賄われているらしい。しかし、その方法は関係なく、別の手段でやってきた(落とされた)と言っていた。そもそも来る気も無かったと後に付け足していたのには悪気はないと判っていたが貶された気がしてとりあえず()っておいた。

 ならばその手段を聴取した所、彼は永久(とこしえ)の憤怒に身を任せた悪鬼羅刹も泣いて黙るような怒りの表情でこう答えた。

 

 『八雲紫にしてやられた』

 

 スキマ妖怪と呼ばれるその大妖怪が突然目の前に現れたかと思えば、間髪入れずに急襲してきた挙句に『幻想郷』なる場所に連れ去らんとしたらしい。それで、実際に連れてかれてしまったものの、辿りついた先は森ばかりの辺境の地で、後に原住民(八意永琳)に話を聞いてみれば、ここは幻想郷でもなければ、八雲紫の所有地でもなかった。彼曰く、何らかのアクシデントがあって失敗したのでは……、とのこと。

 彼女にしてみれば、ただただ頭の痛い話でしかない。

 

 

(『言語を話し、理解する妖怪』なんてのは長い時間の中で一つとして事例はなかった。彼の言う彼女が単なる誇張ではなく、ありのまま伝えているのなら、それは『私たちにも似た類の妖怪』ということになってしまう。……そんな規格外が私や月夜見の眼に留まらない筈がない(・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 

 だからそれを見た場所にいた彼はこの世界の出身ではない、異邦人だ――――という正統とは言い難い結論が出来たのはいいが、しかしこれも都合の良いハリボテ――こじ付けに過ぎない。机上の空論を結果だけ言葉で彩ろうが、結局決め付けるには強引で、いまいち信憑性が欠如していて容易く首肯するには至れない。

 己が眼で直視せずに全てを語るのはおこがましい行為ともとれる。故に迂闊に信じれないのもある。こればっかりは件の『八雲紫』を直に見ない事にはウンともスンとも語れない。

 それに何より、根本的な問題は何も解決していない。

 

 

(彼がこちらに来た手段とかはいい。重要なのは『彼自身』がここで何を齎し、『彼等』にどのような影響を伝播したかに集約される)

 

 

 宍戸にはその後――『八雲紫』の襲来から八意永琳の景色を塗り替えるまで――についても細部に渡り漏らさず聞いた。

 その上で、彼女は――

 

 

(――彼は謎だ)

 

 

 そればっかりが湧いては消えず、溜まり、望まず反芻し、飲み込めずに喉元を縮める。それが不快で、不解で疲労に変わる。

 それだけの存在だった。宍戸相馬は。

 そしてそれは同時に、自分の気のせいは気のせいではなかったのだと教える要因ともなった。

 

 

『彼は自分の異常を自覚していない』

 

 

 途方もない高度から落ちる衝撃を「痛かった」 だけで片付け。

 

 声帯から発する音の波のみで森の一部を放射状に凪ぎ飛ばした事実を 「腹が立って鬱憤を晴らす為に叫んだ」 だけで片付け。

 

 光源が空から降り注ぐ月光だけの、遠近も視野もままならない世界――それも、周囲を木が覆う障害ばかりの道無き凹凸(おうとつ)の中を、たったの数分に満たない間で目的地にたどり着き 「走り辛かった」 だけで片付け。

 

その短時間でたどり着いた距離の(・・・・・・・・・・・・・・・)恐らくスタート位置であろう場所が(・・・・・・・・・・・・・・・・)山を二つ超えた(・・・・・・・)向こう側にある事も後の調べで分かっている(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 それを彼は 「でっかい音が聞こえたからそう遠くはないと思った」 と、何でもないように答えていた。

 

 

(彼が意識を手放した後日に万全の状態で再度調査に向かってみれば、あんなに溢れていた妖怪の群れは姿を消し、結局出所は掴めずじまい。そこから離れた所にはこちらに向かってくるように一直線に削られた山肌が見つかった。途切れ途切れだったけど、何かが意図的に切断したりねじ切ったり折れてたりえぐれてる痕跡があって……、それらは不規則に見えて、直線状に続いていた。それこそ、大きなものが通り過ぎたように。

……それが相馬だと思う私の知識は疎いのかしら? それとも聡い?)

 

 

 言うまでもないか、と永琳は呟く。

 そして、再度思う。

 

 

 『彼は自分の異常を自覚していない』

 

 

 彼は自分が異常である事が当たり前と思っている。

 彼は自分がその異常を持っている事が当然だと思っている。

 彼は自分の異常は他人にもある異常だと思っている。

 彼は自分と自分以外が皆同じ異常だと思っている。

 

 故に自分は正常だと思い込んでいる節がある。同じ場所に立っていると考えている節がある。

 前述した彼の言動が何よりの証拠だ。

 そして、彼は矛盾している。何せ、彼は自分以外の他人も同じ異常なんだと考えていながら、自分以外にも自分と同じことが出来るとは思っていない。

 山を蹴りだけで叩き割って 「ね、簡単でしょ?」 などとは言わない。他人の可能不可能を予測できる、本来人間の持つ常識を彼は持っているのだ。

 だからこそ、彼は矛盾していた。破綻している、といっても差し支えはないのかもしれない。

 

 要するに宍戸相馬は、自分の常識と一般的な常識が混濁していた。そして、彼自身が持つ常識は、酷く壊れている。

 それは彼がそもそもおかしいのか、違うとすれば彼のいた環境が狂っているのか、どちらかに尽きるが、どちらとも言えない。

 

 

(……でも、これもあくまで相馬の言動を一つ一つばらばらにして組み立てて導いた模倣の心象に過ぎない。それは最早相馬本人の性質ではなく、私が作り上げた理想論――願望にも似た形のない何かになってしまう)

 

 

 宍戸が自身を語る際、あまりにも自然に、且つ当然のように異常を常人の普遍の一端として認識し話すため、逆に彼の違和感が浮き彫りになっていた。そのバラバラのピースを紡ぎ合わせた一枚が、八意永琳の結論となったのだ。

 それに、と彼女は自ら考えを払拭し、

 

 

「彼は多分……いいえ。絶対、それだけじゃない(・・・・・・・・)

 

 

 声に出し、再認識する。

 本人は気づいていないが、今回の妖怪の活性には九分九厘彼の存在が関与しているだろう。能力なのか体質なのか、パーソナリティの特異な変質なのか、現時点では不明のままではあるが、いずれは解き明かせねばならない。

 そして、それだけじゃない(・・・・・・・・)

 

 思い出すのは、宍戸が自分を救い出した直後のこと。あの時放った言葉を、彼女は忘れていない。

 

 

《オマエは――――

 

 

 

 

   ――――『八意**』……か?》

 

 

 それは名前。

 『八意永琳の名前』

 知っているものは本人と、ある程度の信頼を向けている『月夜見』に、『綿月』の一部とその他少数のみ。それ以外の者には教えていない。たとえ教えたところで意味を成さないのも、彼女は知っていた。

 何故ならこの名は、一般では発音できないのだから。言葉云々ではなく、神格的な意味合いが含まれたそれは、簡単だとか困難だとか以前に、語れないのだから。実際、その事実はこの幾星霜に連ねる螺旋の如く流れ行く年月が証明している。

 それを、語った。この地ではない、異界の地から来たやも知れない唯一が。出会う事のなかった男が。

 

 説明だけでは説明しきれない。理屈だけでは心許ない。偶然だけで賄うにはそれこそ都合が良すぎる。

 当の本人は頭から抜け落ちているようではあったが、そんな事は今更もう遅い。

 知らなくてはいけない、彼を。宍戸相馬を。

 不可解な点も矛盾も違和感も、これから彼に話を今以上に聞く事でさらに知り得るだろう。身体を調べてみるのもいいかもしれない。

 心が躍る。研究意欲が駆り立てられる分、自分は生粋の研究者――彼の言葉を使えば、『カガク者』なのだろう。

 

 

(……他にもやる事は山積している。まずは彼の処遇かしら? とりあえず野放しにしとくには色んな意味で危険が付きまとってくるから、当面は大人しくしてもらうしかない。加えて結界の防備の強化に外壁の増強、妖怪の消失や活性の原因究明、『内側』の情報操作に漏洩の防止。無駄だとは思うけど、兵士の育成も。せめて自分の身は自分で守れるくらいには強くしないと、ね。それから――)

 

 

 椅子から立ち上がり、傍にある窓へ向けて歩を進める。

 手を翳し窓を開けば、そこは地上から遥か遠のいた高層。そこから見下ろせば、粒程に小さくなった人々が地上を行き交う光景が視認できた。

 様々な感情が流れ、生まれ、消えるこの色とりどりの喧騒が、八意永琳は嫌いではない。むしろ好ましい。

 喜怒哀楽の喜と楽、それから哀が反発せず溶け合い、フッと、小さく笑みに帰結する。威厳や品格の保持の為、自分を慕う者にも見せない、表層を取り繕わない感情を込めた笑み。

 そして、少し強めの冷たい風が――空気が、室内に入り込む。

 彼女は顔を顰める。

 

 

(――この、結界でも取り除けない『穢れ』に対する検討と対処も、早急に決めなければ)

 

 

 窓を閉める。気分を入れ替えようとしたのだが、やはり逆効果だったようだ。空が眩しい程の青天なのが幸いか。曇天ならば尚の事気落ちしたに違いない。

 

 『穢れ』は今も漂う。それは寿命となり、有限を創造し、枷となる。

 逃れるか、抗うか。目前まで迫る不可視の異変に、気づき始める輩も現れるだろう。

 実質的な長として、役目を果たさねば。

 

 

「……ふぅ」

 

 

 疲れに疲れを上乗せしたせいか、頭痛がする。少し仮眠を取るべきか。

 よし取ろう。彼女は即決した。思い切りの良さはトップに立ち、指揮する役には最適要素であると自分に言い聞かせて。

 近くのソファーに腰を下ろす。このまま寝ても良かったが、中途半端に寝るのは疲れが増すだけだと誰かが言っていたのを思い出し、横になる事に決めた。

 ゆっくりと、身を預ける。既に意識は虚ろだ。

 

 

(……そういえば、彼、最後まで自分の衣服が替わってることに気づいてなかったわね。調べたら色々あったから、質問をはぐらかした場合を考慮して、証拠品として付き付けるつもりだったけど。結局すぐ自分は違うとこから来たって認めたから、言えずじまいだったのよね……。まさか、気づいてて言わなかっ――――、ないか、相馬だし)

 

 

 気づいたら何て言うだろうか。勝手に脱がせただとか、許可なく解体したのかだとか、責任取れだとか言うのだろうか。

 その様を想像し、自然と頬が緩んだ。

 

 

(――それと、『罰』も……ね)

 

 

 それは二人の約束事。自分が抱えられていた時にした誓約。彼は破った。どうしてくれようかと思ったが、今は身体が睡眠欲に屈する寸前故に、考えるのをやめる。

 

 

「……ふふ」

 

 

 うとうとと、世界が優しく暗転する。

 そうして、八意永琳は静かに意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼女は見落としている事に気づかない

 彼の異常に没頭するあまりに視野が狭まり、自分にある異常に何一つ気づいていない

 自らの異変が、あって当たり前の『普通』として浸透しているから、気づけない。

 

 自分を慕う者にも見せない表情を、『彼』に見せていた事に『自覚していない』

 知らず知らずの内に、彼女が『彼』に近づこうとしてる事に『自覚していない』

 

 そして

 

 八意永琳は単なる興味だけではなく

 

 長の役目だけではなく

 

 彼女の胸中で不自然に発展し、熱を放つ何かが

 

 自分を少なからず突き動かしている事に対し、『自覚していない』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どこかで、ポトリと何かが落ちる音がした

 

 

 

 

 

 

 

 

 






上手く伝われば……とは言っても結構支離滅裂だな今回。
まぁ別に彼女の言う事が全てではないし。見当違いってわけでもないけど。とりあえず今回は彼女も彼も中々にって事が分かれば。

次回にはもうチョイ掘り下げれればいいなぁ……。

と思ってたら次回は…………。

大丈夫、キミワツヨイ。


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愛慕う違和感

しっかりフラグ回収することになってしまいました。

中棚彼方です。

もう前回の前書き紛いのことは絶対言いませんぜったいに。
そしてよくわからない心情で書いたのが今回。
結論、伏線投下は難しい。以上。


 現状把握ぅぅぅううううんんっっ!!?

 

「……ふんふん」

 

 ただ今ワタクシ宍戸相馬は傍若無人にして飽くなき探究心の超ドレッドノート級連合大隊ヤゴコロこと八意永琳元でェェェェァァァああああああんあッッッ!!?

 

「……へぇ、なら出力2割増しで…」

 

 検査という建前の元、滲み出る嗜虐趣向を意のままにゅぉぉォォオオホォオオッッ!?

 

「ちょ、マジ、タンマオウフンンを入れれれのおじさんんん頼むから本気ェエエ!!」

 

「はいちょっとチクッてしますけど痛くないですからねー」

 

「ピャアアアアアアアアアそこはらめなのぉぉぉぉおおおおおおおおおお!!!!!???」

 

「はい力抜いてくださいねー」

 

「GEEEYAAAAAAAAAA――――ひゅ」

 

 

 

 

 

 

 

 ――――少年夢遊中――――

 

 

 

 

 

 

 

 ……!?

 

 

「ヒヤリハットッ!?」

 

「お疲れ様、作っておいたから飲みなさい」

 

「へ? ……あぁ、はい。サンキュうぇ」

 

 ――死ぬ気で死ぬ覚悟を決める手前だった。

 

 なんか神秘的な河が流れてる世界にトリップしてた気がする。

 そこで赤い髪のでっかい鎌持った女が小舟で鼻提灯(はなちょうちん)出して寝てたのを見たら訳もなくイラッとしたから眉間に石投げた所で眼が覚めた。

 今思えばアレは俺にここを渡ってはいけない事を暗に身体張って教えてくれてたのかもしれない。そうに違いない。今度あったらお礼言っておこう、うん。

 

 そして覚醒早々差し出されたのはライトの光も反射しないくらい毒々しい色した液体が並々に入った容器。使用済みの湿布と絆創膏とガムテープ練り混ぜたようなスメルが良い塩梅を醸し出して……え、成り行きで手に取ったけど飲むのこれ――ってうわすッごい良い笑顔。後光が見えますよ永琳さん!

 当然そのニパー☆に勝てる見込み零もいい所の俺に選択肢はありゃしないんだけどね。

 

「うぼぁっ……、苦い……」

 

「言うと思った。安心なさい? 劇物とか殆ど入ってないから」

 

 殆ど? 眼から鱗の代わりに血涙出るわ。

 

「……微量は含有してると?」

 

「必要だから混ぜたんです。あなたの言うカガク(・・・)に基づくなら、悪い物を入れて調合したら必ずしも悪い物が生成されるとは限らないでしょうに。何よりも――」

 

 右手に持ったペンを器用にくるくる回しながら、彼女は言う。

 

「八意永琳特製の――、それも、『能力』を惜しみ無く活用した気付け薬に、不備があるとでも思って?」 

 

「――それもそうか」

 

 なら良し、と彼女は頷く。

 次いで、さらさらとカルテらしき用紙に文字を刻んでいく。

 

 俺が夢の世界に逝っていた間に(誤字にあらず)書いとけばよかったんじゃないかそれ? なんて思っていたがデスクがあった方に顔を向ければあら不思議。ホワイトなビル郡が悠々と建設されているではありませんか。まさかと思わなくとも全部紙の山ですね分かります。持ってきたのかあれ? あ、今の内に終わらせといた書類ですか、そうですかそうですか。え? アレ全部俺が寝てる間に? ええそうよって……そうですかそうですか。仕事できるタイプの女性なんですねハハッ。化け物め。痛い痛い打たないで下さいお願いしますあなただけには言われたくないって何それ意味不ぎゃああああそのどこから出したか分からない煌く弓矢をこちらに向けないでアーッ!♂

 

 

 

 

 

 

 

   ▼   ▼   ▼

 

 

 

 

 

 

 八意家に居候の身となり幾ばくか。

 

 郷愁心はホームシックと共に過去へ置いてきました。

 

 大丈夫、妹やパピーは幅広い分野で総じて強いから俺がいなくても……うん、胃がキリキリする。

 

 あの後――世間一般でいう事情聴取が終わった後、永琳が部屋を退出してから暫く経ち、うつらうつら頭が船を漕ぎ始めた頃に再び戻ってきた彼女だったが、その際紡いだ一言はなんと「ここに住みなさい」だった。

 テラ青天の霹靂である。藪から「アタイッタラサイキョーネッ!!」って連呼しながら飛び出てくる妖精とか「オマエハタベテモイイジンルイナノカー?」なんて聞いてくる●←コレ並みに唐突であ――――自分で言っててアレなんだけど何の事言ってるかさっぱりだ。

 ともかく、当然理由を聞いてみた。

 

 

『言ってなかったと思うけど、ここ《月の都》以外に、世界中のどこを探そうと、走り回ろうとも、私達やあなたと同じ意思の伝達方法をこなす(人の言葉を話せる)生き物は実在しないのよ』

 

『何故分かるか? 実際に()()()()()。私ではないけど、そういう《能力》を行使できる者がね。あなたを仮にとはいえ異世界人と認められたのは、その答えが主だってるもの。妖異幻怪は世界中に数有れど、八雲紫はおろか、言葉を話せる妖怪すら視た事例はなし。なのにそれが出来る者がいるとしたら、それはもう妖怪ではなく――まあ、今はこの話は置いときましょう』

 

『ここ? ここが他と違っているのは、時間に手を加えているから。《能力》でね。そうすれば進化の過程を二段三段飛躍して……どうしたの? 変な顔して。……あぁ。ま、気持ちは分からなくもないわ。なんせ外界と時間軸を分断して新たに時間軸を都合良く詰め入れるなんてね。本当はもっと色々ややこしい原理ではあるけど、今は割愛させてもらおうかしら? 説明してたら時間もあなたの頭の引き出しももったいないから。ほら、だから呆けてないで早く戻ってきなさい。さもないとうっかり手が滑ってあなたの脳髄をこれが貫いて――――』

 

『よろしい。聞き分けの良い人は優遇されるから覚えておくように(ウィンク☆)。能力とかも追々説明するとして――――ああ、そうそう。ここに住む理由ね。でも大体察してるんじゃない? え、分からない? これだけ言ったのに? ホントに?』

 

『はいはいごめんなさい。私が悪かったわよ。だから部屋の隅で拗ねてないでこっちにいらっしゃい。もう、仕方ないわね』

 

『いい、考えて御覧なさい? もしこのまま結界の外に出た所で、地上は妖怪だらけで周りに話の通じる者は一つとしていない。食料だって探せばあるだろうけど安定しない。そうじゃなくても今ここら一帯に蔓延る妖怪達は理由はどうあれ気が立ってて危険なの』

 

『確かにあなたは強い。でも、何が起こるか分からないのが何よりも危ないでしょう? これはあなたの事を思って言ってるの。あなたが万が一、億が一にもな場面に出くわしたとして、あなたはどうする? 距離が遠ければ尚更、どうしようもない。そうなった場合、()()()()は間違いなくあなたと手を切るし、助けようともしないでしょうね。残酷な話だけど、民の保守を率先するのは統制する者の責務。あなたを助ける為に危険をおかして軍を割くのは出来ないし、言い方は悪いけど、異邦人を守るに相応の絆や利益が不十分なのに負担を課していてはこちらもやってられないのよ』

 

『それよりなら、食料の供給も近辺の防備もあなたの手の届く位置にあった方が安定してると思わないかしら?』

 

『分かってくれた? ……そう、分かればいいのよ分かれば――え? なんでそんな必死なのかって?』

 

『……、』

 

『……あらあら、何かしらそのさめざめとした眼差しは? どこもおかしくは無い筈だけど? 私はわざわざあなたを現状の判断材料に組み込んであげて、それでも利害や打算を入れた上で最善を淡々と述べてるだけなのだから必死も何も――いやいや違うのよ? 別にあなたの肉体だとか生態だとか能力だとか住んでいた世界に興味なんて無いのよ? べ、別にあなたの身体弄繰り回そう何てこれっぽっちも――いやだから違……ああもう! とにかく、あなたはここに住むべき! いい!? 異論は認めませんけどね!!』

 

『ツンデレ!? 何のことか知らないけど多分断じて遍く違う!!』

 

 

 以上、世にも不条理なダイジェストでした。

 

 気づいたら理由聞くだけのつもりがなし崩し的に滞在する形で話が収拾してた件については大いに異論を唱えさせていただきたかったんだ。

 けどアイアンクローで体宙ぶらりんのまま振り回されてたなら仕方ないね♂

 

 でも、彼女の言う通り『月の都』に居座った方が外よりは楽なんだろうね。無駄な殺生はしたくないのさ。

 そんな風に自分へと陳弁努めて言い聞かせつつすぐ楽へ走ろうとするのは我らが人類共通の性なのだろーか。

 もういいや、そこは見ざる言わざる聞かざる我関せざるってことで。臭い物には蓋をしとこう。

 

 でもって、半強制とはいえ出るとこ出てらっしゃる知的系美肌お姉さんと、同じ屋根の下でキャッキャウフフな甘色ヌフフ生活が始まるとドキをムネムネさせてhshsしてた訳だったが、安心していい。そんな事はなかった。

 てか大体予想付いてた。

 ドジッ娘ツンデレーりんが身体弄くるとか自分の思惑ポロッと漏らしてたのを聞き逃さなかった俺に死角なんてないのです。そしてそれを聞き逃さなかった上で住むと決断した俺にマゾヒストのケは決して無いのです。

 

 そうして(どうして?)居候生活がスタートしたのはいいんだけども、しばらくは俺について色々聞かれた。やっぱ知りたかったんじゃんと思ったのは言うまでもない。

 俺としては永琳の顔がコロコロ変わるから見てる分にも話す分にも楽しかったけども。

 その際に俺の服装が学生服から手術衣みたいなのに変わってたのに気づいて一悶着あったが例の如くキングクリムゾン。痛い記憶はナース形態しまっちゃうお姉さんに(しま)われました。

 

 それからしばらく起床→飯→聴取→飯→聴取→飯→就寝の堕落サイクルが続いた後、彼女はこう告げた。

 

『頭と身体持て余してない?』

 

 はい、狼煙が上がったと直感で理解。

 永琳の瞳が少女漫画バリの星入ってて、傍目からでも分かる程ソワソワしてたらそりゃ鈍い奴でも気づいちゃうだろうね。

 私、気になります! 的な心情なのだろう。猫耳と尻尾があったらさぞ荒ぶるに違いない。

 

 で、何を強要させられてたかって言うと、今回のように八意家御用達の広大な地下施設の一端に移動した後、彼女の行う検査(全身にコードの付いたテープを余す事無く貼り付けられて電流流されるだけの簡単な拷問)に付き合ったり、新薬開発に貢献(ゲル状だろうが固形化してようが問答無用で喉に流し込まれるだけの容易な拷問)したり、勉学に励んだり(いとも容易く行われるえげつない行為)など。

 

 地下にあるとは思えない構造が甚だ疑問なドームの形をした部屋に連れてかれ、正方形の馬鹿でかい何かを殴ったりもした。永琳に聞いたら「耐久力の試験的な意味合いがあるから思いっきり奮っちゃって」とお許しもあったので、粉砕して玉砕して大喝采したら永琳顔真っ青になってました。

 だってしょうがないじゃん。周りに壁殴り代行さんが不在で毎日煮え切らないストレスが沸々募るのなら、自分が壁殴るしかないじゃん。擦り切れた理性で何とか力抑えただけマシだろうよ。

 

 上にまで被害が及んだとか地下なのに空が見えるのは何事かとか説教されたが後悔はしていない。そもそも思いっきりとか言ったの永琳じゃんと言ったら今度は顔を一転させ、顔真っ赤にしてドロップキックが飛んできたが尚の事後悔はしていない。寧ろあの赤青サインポール服の内側が拝めて万々歳だったね。黒とは誰が予想していたか。ある意味度肝ぬかれたわ。

 ツンデレーりんさん案外大胆なのね?

 

 ストレスもそうだけど、何よりも一番辛かったのはやっぱりというか、勉強だった。

 英語でスタディ。

 アゼルバイジャン語でÖyrənmək。発音が知りたい君はWebへゴーしてスタディなさい。

 

 主な内容は、ここの真上にドンと置かれた小規模だけど某学園都市も真っ青なエクストリーム入ってる超時空要塞都市(永琳から聞いた情報を総合した俺のイメージ。見たことなし。つまり地上に上がったことなし)のピンからキリまで。後、能力や度々耳にはしてた結界や妖怪についても少々。

 ここで言うピンとは即ち、都の歴史や特質に風土とか生活水準やらよくわかんないのに加え、官僚制にも似た政治体制とか幾つかに枝分かれした宗教組織やらはたまた民衆の階級に見合った住居区分ふぁーな感じで+αのやっぱりよくわかんない科目のdeathパレーション。

 キリはキリで、一つの食卓の平均エンゲル係数だの特産だの、やっぱりどーでもいいものばかり。ここ以外に人が住む街とかがないのに特産なんてあったもんじゃない。

 

 能力とかについてはまだ軽く触れる程度しか教えてもらっていない。永琳が言うには追々教えてやるとのこと。その前にここの事をしっかり頭に入れておきなさいとも言われた。

 

 んなこと言われたってもう正直、まったく頭に入ってない。

 

 以前から勉強に関して良い心当たりが乏しい自分にとっては、住んでる場所とは言えど、地上の()()()()を覚えるのはただただ右から来たのを左に受け流すだけ。流れ作業に他ならない。

 

 ……だが、コレを頭に詰める際に教鞭とってた永琳とのマンツーマン家庭教師はずばり、役得だったと言わせて頂く。

 めがねーりんまじ天使。

 

 

 後は……なんだろう? なんかあったか?

 他に目立った変化って言っても、精々行動範囲が最初の部屋から地下一帯まで拡大したとか、制服とポケットに入れてた機能しない携帯電話がどっか行っちゃったから、代わりに民族衣装みたいな奇抜な服着て生活してるとか、気になったのはそれくらいか?

 

 携帯電話に関しては永琳は関与していないらしい。制服を分解する際に中を物色したがそんなものは無かったんだと言うのは永琳の言葉だ。

 ……分解したり物色したりと我が道を突っ走るお構いなしの永琳ではあったが、そこは嘘じゃないと断言していたのは信じるに値するとは思う。

 

 んー、まあ、ね。壊れてたからそんな気にしてないけどさ。大方逃げてた時にでも落としたんだろうよ。

 そりゃあんな跳ね回ってたらポロポロどっかに飛んでっちゃうに決まってる。

 

 でも、これであっち側の世界を証明できる物は最早この身一つとなってしまってたわけだ。

 永琳の実験願望がこちらへ一極集中してしまってる故、これからもさらに実験は熾烈を極め、永琳の探求は激化することは確定的に明らかだ。

 ヒモ生活してるとはいえ、楽ではないな。

 

 以上が俺の近況報告であり、現状把握である。

 

 ……ま、思いの外充実した生活を送ってるって自覚はしてるつもりだ。

 順応とは実に恐ろしい。

 

 ――そして、実に好ましいものである。

 

 

 

 

 

   ▼   ▼   ▼

 

 

 

 

「能力……ねぇ」

 

「あらどうしたの、お尻なんかさすって」

 

「まれに見るすっとぼけだぞ永琳」

 

 一段落し、近くの椅子に腰掛け――ようと思ったが激痛が走ったから結局立つことにする。痔は不可避か。

 

「……にしても、不思議なもんだ」

 

 どんな薬も作れる……だっけ? 某スキマのおねーちゃん風に言えば『あらゆる薬を作る程度の能力』って所か。凄いのか凄くないのかの線引きはいまいち付けにくいとはいえ、効果を実証されればやっぱ秀でた物なんだなぁって思う。

 

「医者泣かせも大概だな。飲んで即効、効き目も絶大となれば匙もメスも投げちまうだろうよ」

 

「わざわざ切開して体の中掻き分けられるよりはよっぽど信頼性のある療法でしょ?それに私がいればそもそも医者が不在だろうと補えるし」

 

 ほんとだからおそロシア。

 しかもその能力に頼らずとも、それに勝らずとも劣らない効能を持った良薬を作り出せるのだからこのお姉さんはすんなり常識に収まろうとしない。

 

「だが忘れないでおいてほしい。その信頼性のある療法の安全性向上に、すべからく尊い犠牲がでていることを」

 

「あら、忘れてなんかないわ。これでもあなたには感謝してるのよ? 薬の効力を確かめるなら体で試飲するのが手っ取り早いもの。かといって、中途半端な肉体だともしもの場合に耐えられるのかって言ったら難しいし」

 

「自分で飲めばいいじゃんか」

 

「『ぽりしー』に反する」

 

「そう答えれば許されるとでも思ってるのかこの天才!」

 

 椅子に腰掛ける永琳の胸を鷲掴みしようとルパンダイブする。が、逆に頭を鷲掴みされた。強い。頭脳派えーりんは思いの外武闘派えーりんだったようだ。

 

「痛いよえーりん」

 

「やかましいわよ変態。全く……、前から思ってはいたけどあなた、出会った初めよりも行動が大胆になってる気がするんだけど?」

 

「そうか?」

 

「そうよ。最初なんて顔真っ赤にしてたじゃない。自覚ないの?」

 

 全く無いな。そこに胸があれば揉みに行くだろうに。当然のことだろ?

 

「全くもって当然ではありません」

 

「読心術か。腕をあげたな永琳よ」

 

「何でそんな達観した眼差しで私を見るのよ……はぁ」

 

 そうひとつため息をつくと、彼女はキリキリと俺の頭を締め上げにかかっていた右手を離す。またあの鼻提灯のねーちゃんが体張るところだったな、いかんいかん。

 

 ――八意永琳と共に過ごして分かった事がひとつある。彼女は天才だと言うことだ。

 この世界では流通していない言葉――《科学》や《ポリシー》等の意味をこちらから説明していないにも係わらず、明確とは言えないにしても理解し、知らず知らずのうちに使いこなしている。

 恐ろしいのはそれをどうやって理解したのか聞いた際、

 

『相馬がその言語を使った時の前と後の言葉や《いんとねーしょん》、それから表情やその言葉が使われた状況から、感情とか文章の大体の意味を予測するの。大抵はこれだけでも会話は成り立たせられるから問題はないと思ってるけど』

 

とか何でもないように言われた。さりげなく『イントネーション』なんて横文字をなんてこともなく使われたときには永琳の目を気にせず舌を巻いたもんだ。

 

 そしてやはり、頭がいい。聡明である。

 知力云々じゃない。もっと高位な何かが彼女のなかにはある。頭の良さだけで人間じゃないと思ったのは生まれてこの方永琳が初めてだ。

 

「……なあ、前に一度聞いたことあったけど、永琳絶対ただの権力振りかざす誰かさんとか金持ちのボンボンじゃないよな」

 

「あら、どうして?」

 

「――いや、何でもない」

 

 あまりにも白々しいが、これすらも彼女の頭脳と話術をもってすれば論破されそうだ。最早暗示の域だな。詐欺師も尻尾巻いて逃げ出しちゃうよ。

 ――これが、八意永琳。

 今思えば、俺は凄い人物と関係を持ってしまったんだな。

 

「さ、そろそろ次の段階にいきましょ。今度はさらに3割増しで」

 

「さっすが永琳! 俺達に出来ないことを平然とやってのけるッ!そこに痺れる(物理)憧れヌゥッ!!(否定)」

 

後悔後先たたず。しかし後悔はしていない。絶対にだ。

 

 俺はマゾじゃなあい!!

 

 

 

   ▼   ▼   ▼ 

 

 

 

「なあ永琳」

 

「何、相馬?」

 

 目が覚めたらただいま永琳の膝枕中。体が焦げ臭い、夢ではないようだ。なんか知んないがデレ入ってるってことで黙って太ももを堪能させてもらうことにしよう。そうだ、これは日頃の感謝を体現したに違いない。

 時たまに見せるデレーりんマジ天使。

 

「久々に外の空気が吸いたいんだが?」

 

「この地下の空気だって外から吸出したのをさらに洗浄した『くりーん』な空気なんだけど?」

 

 なんか今まで気にならなかった舌足らずな『くりーん』の言い回しにめっちゃ萌えた。そして会話しながらも前髪を撫でる永琳に俺のハートが鬼なっ――ええい煩悩退散!

 

「違うな永琳。こういうのは気分なんだよ。ここの地下は確かに広大だけど、それでも地上とは比べるまでもなく狭いだろ? 広い世界と狭い世界、言葉で聞くだけだったらどっちの空気が旨そうだ?」

 

 要するにシャバの空気を吸いながら町に駆り出したいだけなのです。ここ来てまだ一回も外でてないんだから無理もないでしょ?

 

「狭い世界ね」

 

「即答かよ」

 

「……でも、うーん」

 

 そう言うと、彼女は頭を撫でるのをやめて顎に手を当て考える仕草をする。絵になるが目の前の双丘が俺のレーザー光線を阻むフフフフ。

 そして、何かを決めたのか首を縦に動かした。ぷるんと目先で富士山が二つ揺れる。あかん! 地震や! 噴火してまう! 噴火してまう!

 

「分かった。この際街の教育もそろそろ終わるし、実物を見せるのも良い機会だし、『穢れ』についても」

 

「しゃおらぁ!!」

 

「きゃッ!」

 

 跳ね起きる。文字通り跳ね起きる。

 バイバイ太もも、俺は地上の星になってくるよ。

 

「今すぐ行こう永琳!」

 

「ちょっと待っ――」

 

「待てん!」

 

 機械式の自動扉を力任せに蹴破って廊下へ飛び出す。やってしまったと後々後悔するのは目に見えてる。が、今はすぐ先の退屈しのぎに目が離せないんだ! 堪忍な!

 

 ああ楽しみだ! 久々の外だ! 高まる、溢れるゥッ!

 

「待ちなさい! 話しはまだ終わってないから!」

 

「シャバが俺を呼んでるぅううううう」

 

 走り出した俺を誰が止められようか。

 

 そんなのいるわけ無いもんね!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「行っちゃった……、

 

 

 

外への行き方も知らないのに…………、はぁ」

 

 嬉々として実験室の扉を蹴り飛ばして出ていった青年が、そのまままっすぐ通路を突き進んで行くのを目で追う。

 相変わらず何を源にすればあそこまで溌剌とできるのかわからない行動力と馬鹿げた身体能力だ。もう背中があんなに小さくなって――あ、左に曲がった。そこ右なんだけど。

 ふ、と笑う。笑ってしまう。何度溜め息をだせども、最後はまた笑んで、気持ちを負の方角へ行かせようとしない。させてくれない。

 天真爛漫で純粋、無邪気な男だ。

 

 ーーそう、男。紛れもない、正真正銘完全無欠の雄。

 

「……、」

 

 太ももに残る感触は、確かにそこにいたという証である。

 だれが。宍戸相馬が。

 

 そして、自分は女。その理に辿り着くまでに幾つかの種の違いは垣間見えるが、それでも。

 八意永琳は紛れもない、正真正銘完全無欠の雌である。

 

「……、」

 

 いつからだったか。いつの間にだった。年を重ねるほどの時間も経ってなどいない筈。つまり、そんな短い時間の中で知らず知らず、自分でも知らず、こうなってた。

 

 自分は今頬を染めているのだろうか。心がむずかゆいこの感覚は……。

 

 研究対象はあくまで研究対象。だが、この疼きは、乾きは、焦がれは。

 最早、まごうこともなき――――

 

「……ふふ」

 

 それでも彼女は、笑う。

 立ち上がり、彼を追いかける。

 それ以上も、それ以下もない。

 彼女の普遍は、それで染まりきっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 どこか、遥か遠いどこかにて。

 

 大きな何かが、小さな何かに吸い寄せられた。

 

 

 

 

 




はい、掘り下げるもへったくれもありません。
次回は頑張る(小並感)


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