銀騎士と…… (ダルジャン)
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銀騎士と閻魔さま

「……困りましたねえ」

四季映姫・ヤマザナドゥはふぅ、とため息をついた。

彼女の目の前には、一体の死者が立っている。

いや、そもそもソレ、あるいは彼を死者と呼ぶのは違うのかもしれない。

『白黒はっきりつける程度の能力者』である彼女が悩む程ややこしい存在なのだ。

「あなたは、魂。もう顕界には存在できない死者。

 ですから本当は、審判をするか、あるいは彼岸で待つか、

 そのどちらかであるべきなのでしょうがね……」

ああややこしい、とまたため息をこぼす。

「あなたの本体……魂の片割れは、未だあちら側に留まっています。

 半分だけの魂を裁くことは、いかな閻魔であっても出来ないでしょう。

 まったく……だからって何もこちらへ送らなくてもいいのに」

ぶつぶつと不満の声を小さく漏らしながら、目の前の彼に向き直る。

「あなたには、しばらく冥界に行ってもらうことになります。

 亡霊の姫君の住む屋敷の世話を手伝うこと。

 それが、あなたの片割れがこちらに来る日までに積める善行です」

話しかけられている彼は、ぴくりとも身じろぎをしない。

ただ、先程から青い瞳を持った右目をきょろきょろと動かしているだけだ。

その動きが何だかおかしくなって、映姫は微笑む。

「不思議なのですね、あなたの目に世界が映ることが。

 ……その右目は、あなたの片割れがかつて亡くした右目。

 ここで過ごすためには、必要になると思い、用意しました」

そう言われてから、彼は、西洋甲冑に似た体を動かし始めた。

手を、体を、周りを、ぐるぐると見回す。

まるで、『自分』を認識し始めたばかりの赤子のように。

「自我の芽生えも、見える目も、何もかも、あなたにとっては大変でしょう。

 さて、それでは冥界へ行きなさい。案内人を用意しましたから、彼女の指示にしたがうように」

示されるまま振り向けば、そこには赤い髪をした女性が立っていた。

「あー、あたしは小町だ。あんたを冥界まで案内するように言われた、よろしく」

小町という名の死神は、人懐っこく笑いながら手を差し出す。

だが、彼はぼんやりと首を傾げているばかり。

「えー、小町。彼は喋ることもできませんし、自我もほとんどありません」

「へえ。じゃあ、とにかく冥界まで届けてきますね。

 亡霊の姫様には連絡してるんでしょう?」

ぎゅっと彼の手を握って、小町は駆け出そうとした。

が、思う所があったのか、はたと止まって映姫の方を振り向く。

「映姫様、そういえばこいつの名前は?」

「……『銀の戦車(シルバーチャリオッツ)』です」

「シルバー……長いな、チャリオッツでいいですよね。

 さ、とにかく行こうか、チャリオッツ!」

彼女は手を引いて、彼を連れていく。

視界から銀色の光が消え去った後、映姫は誰もいない執務室で呟いた。

「本当は、審判の結果は決まっていたんですけどねえ」

視線をやった先。

罪を映す鏡に映るのは、かつて彼らが邪悪に立ち向かっていた瞬間。

「あなたは、『正しいことの白』でした。

 ……最期に、その身を『影』に染めさえしなければ」

人の精神を支配することは、許されることではない。

ましてや、彼の行動をきっかけとして死に至ったものもいるのだ。

「あなたがこちらでなすことも、審判の対象になります。

 頑張りなさい……シルバーチャリオッツ。

 その表面に、白も黒も映し出す銀色。突き進む戦車の暗示を持つ魂。」

 

彼は、ぼんやりとした頭で考える。

先程の女性と、目の前の女性の言うことを、身に刻む。

自分はこれから、冥界という場所へ向かうこと。

そこにある白玉楼という場所で働かねばならないこと。

西行寺幽々子と、魂魄妖夢という女性の指示に従うこと。

何故そうしなければならないのか、理由は理解できない。

だが、そうしなければならないのだということは分かる。

自我が芽生え始めたばかりの彼には、それが手一杯だった。

そして、もう一つ分かっていることがある。

女性は、女の子は、守らなければいけない、ということだ。

少女に、手を引かれて、その後をついていく。

この感覚に、覚えがあるような気がした。

ずっと昔にとても愛しかった記憶。今でも、愛しいと思う記憶。

その感覚は、シルバーチャリオッツに――ジャン=ピエール・ポルナレフの魂に――

深く深く刻み込まれているものであった。



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銀騎士と庭師

冥界の白玉楼へ向かう道には、長い長い階段がある。

一体何段あるのかは誰も知らないし、

実際目にした者は数えようという気も起きないだろう。

どこぞの九尾ならば知っているのかもしれないが。

「うへえ……」

その一番下で、小町はげんなりしていた。

見上げても果てが見えない階段は見るだけで疲れる。

とてもではないが上がっていく気がしなかった。

「あー……ま、ここまで案内すりゃあいいだろ」

パッと、握っていたシルバーチャリオッツの手を離す。

小町の温もりが薄らいでいく手を、シルバーチャリオッツは名残惜しげに眺めた。

彼のその行動には気づかず、小町はすっと階段の上を指差す。

「ここをまっすぐ上っていったら、お前が世話になるお屋敷につく。

 名前は白玉楼。多分見張りを兼ねた庭師がいるから、

 そいつに言って案内してもらってくれ」

それだけ告げて、ふわりと浮かび上がる。

「じゃあな、あたいはもう帰るよ。またその内に」

ひらひらと手を振って、何処へともなくその場を後にした。

おそらく、何処かで適当に時間を潰すつもりに違いない。

一人残された彼は、ただ押し黙り、階段をふり仰ぐ。

この先にあるという屋敷は、遠く霞んで見えない。

ひとまず上らなければいけないだろう、と階段に足をかけた。

かちゃり、と鳴る足音。足の裏に伝わる感触。

数段上がっていく内に、体のどこかがきしみ始める。

その痛みに足を止めた。

銀色の兜の内に響いてくるのは、遠い昔に聞いた声。

『逆に……たければ……足をあげて【階段】に……』

『その【階段】に……オレは……! 貴様は……!』

ダメだ、と彼の精神が警鐘を鳴らす。

階段に、足をかけて、上っては、いけない。

衝動に突き動かされるままほんの少しだけ宙へ浮かぶ。

足を動かすことなく、風に流される風船のようにゆるやかに階段を辿る。

上ったはずなのに、気づかぬ間に降りていたら嫌だ、と思う。

下にいたはずの誰かが、気づかぬ間に上ってきていたら嫌だ、と思う。

それはかつての恐怖の記憶。けしてぬぐえぬ記憶。

 

「……む? この気配は……?」

白玉楼の庭師、魂魄妖夢はこちらへ向かってくる奇妙な気配を察した。

冥界には本来幽霊以外は訪れない。

楽園の素敵な巫女や白黒の魔法使い、瀟洒なメイドなど一部の人間は、

以前主が起こした『とある事件』以来ときたま遊びに来るようになっていたが。

「幽霊でも、ましてや人間でもない……、妖怪の類、か?」

今まで庭を掃いていた箒を側にあった木に立てかけた。

背中の鞘から二振りの刀を手に取る。

右手には迷いを斬る刀、白楼剣を。左手には幽霊を斬る刀、楼観剣を。

「まあどちらでもいい! 斬れば分かる!」

意気込んで飛び出そうと、足元に力を込める。

「相変わらずね、妖夢……」

彼女の声を聞きつけ、部屋の奥から一人の女性が現れた。

この白玉楼の主、西行寺幽々子その人である。

何処か呆れたような声を出していることに、妖夢は気づいていない。

「あ、幽々子様! 今から怪しい奴を斬ってきます!」

たんっ、と地面を蹴り、勢いよく飛び出していく。

「んもう、人の話を聞かない子ねえ、相変わらず」

口元に扇を当てて、くすくすと笑いながら妖夢を見送った。

「まあ……面白いことになりそうだけど」

 

階段も半ば過ぎ、ようやく上が見えてきたか、という辺り。

シルバーチャリオッツは上から来る気配に身構えた。

咄嗟に右手に剣を具現させる。彼と同じ銀色をしたサーベルだ。

「……何だ、お前は!」

そこに現れたのは一人の少女だった。

色素の薄い銀の髪。蒼空の色をした瞳。

その色合いに、ほんのわずかシルバーチャリオッツは動揺する。

少女はその動揺を感じることなく、二振りの刃を持って彼を睨み付けている。

「幽霊? 妖怪? 人間じゃあないみたいだが……」

少女は怪訝そうに彼を見やった。気配を感じる限り、幽霊ほど薄くなく、

妖怪ほど濃くもない。しかし見た目では決して人間とは思えない。

「よく分からないけど斬る!」

なので、一番手っ取り早い方法で確認することにした。

まずは間合いを取った方がよさそうだ、と白楼剣を鞘に戻す。

楼観剣を振り被り、段差による高度の差を利用して上段から振り下ろす。

がきぃん、と音を立てて、チャリオッツは咄嗟にその刃を防いだ。

「中々やるな! この白玉楼に何用か!」

問いかけに返事はない。当然だ。彼は喋れないのだから。

「あくまで黙秘か! ではいい! 斬れば分かる!

 真実は目では見えない、耳では聞こえない。だから、真実は斬って知る!」

一旦距離を取り、再び振りかぶって打ち込んでくる。

今度はほぼ同じ高さにいるが、妖夢の方が背が低いため、

下から切り上げる形で剣を振るう。

早いが、反応できない速度ではない。

キィン、とぎりぎりの所で再び受け止めた。

「くっ……!」

全体重をかけて押しこむ妖夢。しかし体躯に見合った軽めの体重では押し切れない。

「重さでも速さでもダメ、ならば、技で!」

バッと後方へ飛ぶと懐から一枚のカードを取り出した。

何事か、と警戒を緩めず、チャリオッツは彼女の動きに注目していた。

「『魂魄 【幽明求聞持聡明の法】』ッ!」

カードが光を放つと同時に、彼女の傍らの半霊が一瞬で姿を変える。

「二人分の攻撃を、捌けますかっ?!」

彼女が刀を振り下ろす。彼女の姿をした半霊がそれに少し遅れて同じ動きをする。

本能的に、チャリオッツは妖夢の攻撃だけを防ぐ。

その判断は正解だったと思っていいだろう。

楼観剣は幽霊が鍛えた、切れぬものなどあまりない刀である。

比較的幽霊に近い存在であるチャリオッツ自身が受ければ、

相当深いダメージになっていたことが予測できる。

ただし、半霊の剣撃は彼の腕を切り裂く。

血こそ流れないが痛みはある。その痛みに耐えるように彼の目元が歪む。

詰め寄った妖夢は、そこで初めてまじまじと彼の目を見た。

青い瞳は、ただ困惑に揺らいでいるばかり。

おかしい、と思った。そもそも、こうやって斬りあえば分かるが、

彼の剣の腕は並大抵のものではない。

おそらく、自分と並ぶか……あるいは、それ以上。

だからおかしいのだ。本当に敵意があれば、もっと打ち込んでくるはず。

何故なら、彼の手にしている片手剣は、素早さを重視する際に使われるもの。

反面、長期戦に向いているとは言いがたい。

本当に敵対する意志があるなら、もっと速く、多く、打ち込んでくるはずである。

「……ひょっとして、攻撃の意志は、ない?」

そこに至ってようやく、彼女は自身の思い違いに気づき、刀をひいた。

術は時間切れとなっており、半霊はまた元の人魂に戻り傍らに浮かんでいる。

妖夢の言葉にチャリオッツは首を縦に振る。

「ええー、じゃあ何しに来たんですか?」

拍子抜けして、思わず叫んでしまった。

 

「私達の手伝いをしに、よ」

階段の上から、声がした。

「え? どういうことですか、幽々子様?!」

驚きながら、声の主に問いつつ、後ろを振り向いた。

チャリオッツもつられてその声がする方を見上げる。

桜色の髪をし、薄水色の衣装に身を包んだ女性がそこにいた。

女性――幽々子はにこにこと笑いながらチャリオッツに近づく。

「あ、危ないですよ! 何者かも分からないのに!」

「大丈夫よ、閻魔様から話を伺っているから。

 あなたが、シルバーチャリオッツね?」

こくりと頷き、手にしていた剣を腰に戻す動作をする。

「シルバーチャリオッツ? それがそいつの名前ですか?」

「ええ、そうよ。彼はスタンドというらしくて、

 分かりやすくいうと、あなたのソレと似たようなモノ」

扇の先で、すっと妖夢の傍らにある半霊を指し示す。

「生命エネルギーの具現、魂の像、精神の具現。それが彼」

「はぁ」

よく分からない、といった風に妖夢はあいまいな声を出す。

「彼の半身は、未だ外に留まったままらしくてね。

 しばらくウチに置いといてくれ、って頼まれたのよ」

「な、何でそれならそうとおっしゃってくれなかったんですか!」

「言う前にあなたが飛び出したんじゃないの」

「うぅ……」

二人の間で交わされる会話を、チャリオッツはただじっと聞いている。

「そうそう、彼は喋れないから問いかけてみても無駄だったわよ。

 まったく、あなたったらまだまだね」

「精進します……」

しょんぼりと落ち込む妖夢。チャリオッツはそんな彼女に近づいた。

金属で出来た手の平を、彼女の頭に乗せ、よしよし、と撫でる。

「ば、馬鹿にしないでください!」

思わずその手を払いのけて、見上げた。

「あ……」

その青い右目が、何処か寂しげに悲しげに揺らぐ。

「もしかして、慰めてくれようとしたんですか?」

「どうやらそうみたいねえ」

傍から見ていた幽々子はおかしそうに口の端を歪める。

一応、閻魔から彼の――厳密にいうと彼の半身の――生い立ちについては聞いている。

女性に……特に少女に優しくするのは、当然でしょうね、と心の中で呟いた。

「それじゃあ、とりあえず行きましょうか」

「あ、は、はい! あなたも、来てください!」

幽々子を先頭に、一行は階段を上っていく。

 

「じゃあ、改めまして。白玉楼へようこそ。ここの主、西行寺幽々子よ」

白玉楼の縁側に腰掛け、幽々子は微笑む。

「こっちが、魂魄妖夢よ。剣術指南と、あと庭師をやっているわ」

「先ほどは失礼しました……」

その隣で妖夢が慌てて頭を下げる。

それにつられてチャリオッツも頭を下げる。

「あら礼儀正しいわね。流石は騎士ね。で、あなたのこれからだけど。

 妖夢、あなたこれから彼と一緒に仕事をしなさい」

「はい! って、ええ?」

返事をしたものの、意表を付かれて素っ頓狂な声をあげる。

「彼は、戦う以外にあんまり出来そうにないからねえ。

 まあ、弱くもないし、あなたの訓練の相手にもなるからいいんじゃない?」

「わ、分かりました。ええっと、それじゃあよろしくお願いしますね」

妖夢にそう言われ、チャリオッツは首を縦に振る。

言葉を発せない彼はボディランゲージでしか意志を伝えられない。

「えーっとそれじゃあ私はこれからどうすれば」

「そうねえ……、ああそうだ。そこの木の枝がちょっと伸びてるから斬って」

「いやそういうことじゃなくて……」

幽々子の示したのは常緑樹と思しき低木であった。

ふと、シルバーチャリオッツは思い描く。

ここでお世話になるのだから、一つくらい特技を見せてもいいだろう、と。

ちゃきん、と音を立て剣を手にするとその木の横に立った。

「あの、シルバーチャリオッツ?」

彼女達に向けて一礼すると木に向き直った。

枝を、葉を瞬時に斬り落としていく。

「速い……ッ!」

その剣の速さに妖夢は目を丸くする。

本気で戦ったら勝てないかもしれない、と感じた。

一瞬の剣撃の後に、そこにあった木は

「あら可愛い」

ウサギの形になっていた。



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銀騎士と三月精

突然だが、日本の夏は高温多湿で、暑い。

それは常識と非常識の結界の向こう側である幻想郷も同じことである。

魔法の森も例外ではなく、照りつける日差しと、

騒がしいセミの鳴き声がその暑さを増長させている。

「「「あーつーいー……」」」

魔法の森にある大木の棲家の中で、三匹の妖精が声を上げた。

「いくら私が日の光で元気になるからって、こんなかんかんでりじゃあ……」

そう言って机の上に突っ伏しているのは、日の光の妖精サニーミルク。

「最近は夜になっても涼しくならないのよねえ」

巻き髪で覆われた首筋にパタパタと団扇で風を送るのは、月の光の妖精ルナチャイルド。

「これは、そろそろかしらねえ……」

黒髪のためか、一番暑がってそうに見えるのが、星の光の妖精サファイア。

「は! そうだわ、今年は考えてることがあったの!」

がたんっ、と勢いよくサニーミルクが立ち上がった。

二つ結びにした陽光色の髪がふわり、と跳ねる。

「そろそろって、幽霊狩りのことよね? でもこの暑さじゃなあ」

ルナチャイルドはかなりの高温であろう窓の外を見つめ、うへぇ、となる。

「あら、でもいつものあの廃屋だったら涼しいじゃない」

「ちっちっちっ。今年は、別の所へ行くの。

 それから、今度は秘密兵器もあるんだ。じゃーん!」

何か思わせぶりな表情で指を振るサニーミルク。

その腕には、いつの間にか瓶が抱えられている。

「その瓶なによ」

「博麗の巫女のとこからこっそり盗んできたの。

 あの巫女、去年はこの瓶に幽霊を捕まえてたんですって」

「卒塔婆より、ずっと見た目は可愛いわね。去年は結局飼いならせなくって、

 二、三日したら逃げていっちゃったし……」

何だかよく分からない文字が書かれた札が貼られた瓶を、三匹は眺める。

「それで、今年は何処へ捕まえにいくの?」

「へへ、それはね……!」

こしょこしょと二匹の耳元で耳打ちする。

「なるほど! 今年は行きやすくなってるものね!」

「あそこなら、きっと夏の今でも涼しいわ!」

「よーし、そうと決めたら早速、しゅっぱーつ!」

お気に入りの帽子を被って、三匹は勢いよく飛び出していった。

 

「……?」

ふと、何かの気配を感じ、『彼』は首を傾げた。

「どうしたんですか、『シルバーチャリオッツ』」

白玉楼の庭師、魂魄妖夢はそんな彼に声をかける。

彼は、ふるふると小さく首を横に振った。

何でもない、気のせいだ、とでも言いたいのかな、と妖夢は思った。

彼は言葉を発することができない。そのため、意志疎通は

身振り手振りと気配から推測するしかないのだ。

「何でもないんならいいんですよ。さ、じゃあいつものお願いします」

その言葉に、こくりと頷き、剣を構える。

銀の光が輝き、目の前のソレを切り刻んでいく。

一瞬の後に、そこにはウサギの形に切り込まれた木が残っていた。

「相変わらず見事な腕前ですね、チャリオッツ」

唯一光を捉えられる右目を覗きこむと、何処と無く嬉しげだ。

本来なら、彼の目は見えないのだ、と説明を受けていたのを思い出す。

彼の本体――魂の片割れ――が、無くしてしまった右目の視力。

それが今、彼の右目には宿っているのだという。とても綺麗な、青い色の瞳だった。

 

「トゥートゥートゥマシェリーマーシェーリー」

「トゥートゥートゥマシェリーマーシェーリー」

「トゥートゥートゥマシェリーマーシェーリー」

「「「トゥートゥートゥマシェリーマーシェーリー」」」

三匹の妖精は歌いながら冥界をふわふわ飛んでいる。

「ねー、これ歌う意味あるの?」

ルナチャイルドが歌うのに飽きたのか、ふと口にした。

「幽霊が多いと、精神をやられてしまうことがあるからね。

 それ対策として陽気な歌を歌ってるんだよ!」

えっへん、とサニーミルクは胸を張った。

「まあ……陽気な幽霊もいるから効果は分からないけどね。

 というかさっきからずっと同じとこばっか歌ってるわよ」

「実際、ここ以外の歌詞ってわかんないしねえ」

あっはっはと声を上げて笑う彼女に、二匹は嘆息した。

「……それより、結構幽霊の数が増えてきたわねえ」

スターサファイアが、辺りをきょろきょろと見回した。

見れば、あちこちには白い人魂が幾つも幾つも浮いている。

「うーん、涼しいと思ったらさすが冥界。幽霊だらけだ」

「どれを捕まえていこっかなー」

きゃっきゃと騒ぎながら、三匹は幽霊を見繕い始めた。

「まとまってるよりも、一匹でいる奴の方が捕まえやすいよね。

 スターサファイアー、一匹しかいない奴っているー?」

「えーっと……ちょっと待ってね」

スターサファイアは、意識を集中する。

彼女の能力は、『動くものを捕捉する程度の能力』で、要はレーダーだ。

「うーんと、あ、居た! あっちの木の下!」

「本当だ、よーし、こっそり近づくわよ」

サニーミルクの『光の屈折を操る程度の能力』で姿を消し、

ルナチャイルドの『音を消す程度の能力』で音を消す。

そうして、三匹はそろそろと一体だけの幽霊に近づいていった。

「(そーっと、そーっと、気づかれないように……)」

瓶の蓋を空け、幽霊の後ろから大きく振りかぶった。

「(今だ、えいっ!)」

「!!」

かぽり、と幽霊を捕まえると、瓶と同じように札が貼られた布で口を閉じる。

「(やったやった、捕まえたっ!)」

「(これで、今年の夏も快適に過ごせるわねっ!)」

「(さ、早く冥界の番人に見つからない内に戻らなくっちゃ!)」

三匹はひそひそこそこそと、しかし意気揚々と元来た道を戻っていく。

……瓶の中の幽霊が、人にも妖怪にも妖精にも聞こえず、

本来なら届くことのない悲鳴を上げていることに、気がつくこともなく。

 

「!!」

シルバーチャリオッツは、己の体が震えるのが分かった。

声が、聞こえた。助けを呼ぶ、悲鳴が、聞こえた。

「え、あ、どうしたんですかチャリオッツ!」

妖夢の声も聞かずに、彼は速度を上げて飛び出す。

声が呼ぶ方へ、心が震えるままに。

ちりり、と何処かが痛む。あの声を知っている。

「ま、待ってください! ああもう困ったなあ、今日はこれから、

 冥界の見回りをしようと思ってたのに……」

シルバーチャリオッツの行動の意味が理解できず、妖夢は眉をしかめた。

ここに多少は馴染んでいるはずの彼だが、未だにわからない部分が多い。

「……私、チャリオッツのこと、何も知らないんですね」

何だか情けなくなって、妖夢は一人ため息をついた。

「妖夢。今すぐチャリオッツを追いかけなさい」

声をかけられて妖夢は振り向く。

「幽々子様? 一体、どういうことですか?」

「あの子、いたずら妖精をこらしめにいったみたいよ。

 でも、あの子は加減が分からないからね……危なくなったら、止めなさい」

「は、はい……!」

主に命じられては仕方ない。妖夢は慌ててチャリオッツを追いかけていった。

「……Tout,tout pour ma cheri ma cheri」

一人と一体のいなくなった庭で、幽々子は歌を口ずさむ。

それは、外でかつて流行った歌の一節。

「『全て、全てあげる、愛しい人、愛しい人』って訳するんだったかしら」

扇で隠した口元に浮かぶのは、皮肉げな笑み。

「……『cheri(愛しい人)』ねえ」

もう見えなくなってしまった、銀の光を探すように、そっと目を細めた。

 

「うわああああん、何なのあいつうううう!」

「音も姿も消してるはずなのに、何で追っかけてくるのーっ!」

「ひゃああん、何かザクザク切ってるー!」

冥界の道を、三匹は幽霊の入った瓶を抱えたまま、全速力で飛んでいる。

だが、シルバーチャリオッツもそれに追いつかんと速度を上げているため、

その差は開くことはない。それどころか、徐々に縮まりつつある。

「ねえ、も、もう一回弾幕撃ってみない?!」

ぜえぜえと息を荒げながらのルナチャイルドの提案に、残る二人は首を横に振った。

「ダメだよ、さっき切られちゃったじゃない!」

先程、見えも聞こえもしないはずの自分達を追ってくる存在に気づいた彼女たちは、

スペルカードルールに則り、弾幕を放ったのだ。

しかし、銀の剣が一閃したとほど同時に、弾幕はいとも容易く斬り捨てられて霧消した。

故に、どうやら彼はスペルカードルールを守る意志はないらしい、と察し、

今の彼女達はただひたすら逃げの一手をとっている。

「も、もうだめ、やっぱり瓶が重いわ!」

「うう、仕方ない、幽霊はいつものとこで集めましょ!」

「あーん、せっかく遠出したのにーっ!」

三匹は、抱えていた瓶から腕を放すと、一目散に逃げ帰っていく。

空中に放り出された瓶の中では、幽霊がばたばたともがいている。

「シルバーチャリオッツ、ちょっと、待って……ああっ!」

その光景を見て、妖夢は思わず悲鳴をあげた。

あのままでは、瓶が割れて中の幽霊にも何らかの影響が出るかもしれない。

「!!!!」

シルバーチャリオッツは、今までよりさらに速く飛んだ。

そして地面に落ちる寸前、瓶を両腕でとらえ、抱きかかえた。。

どさり、と音がする。勢いあまって地面に墜落したのだ。

「だ、大丈夫ですかシルバーチャリオッツ!」

背中から落ちた彼に向かって、妖夢は慌てて声をかける。

片腕にしっかと瓶を抱え、もう片方を地面についてチャリオッツは身を起こす。

銀色の甲冑の表面は土に汚れ、小石などで小さな擦り傷を負っていた。

だが、自身のことなどかまうことはなく、じっと瓶の中身を見つめている。

「よかった、中身の幽霊は無事みたいですね」

ほっと妖夢は息をつく。彼は剣を振るうと、蓋になっていた布を切り裂く。

「……」

ようやく自由になれた幽霊は、ふわふわと瓶の中から浮かび上がってきた。

それを見て、安堵したようにシルバーチャリオッツも立ち上がる。

「この幽霊を、助けに来たんですか?」

妖夢の問いに、こくり、と頷く。

幽霊は戸惑うようにして彼の周りをぐるぐる回っていた。

シルバーチャリオッツは、ただじっと、その幽霊を見つめている。

「……? ……!」

その青い瞳に気づくと、幽霊は、はっとしたかのように震えた。

それから、その頬にそっと擦り寄っていく。

シルバーチャリオッツも、心底嬉しそうに、その幽霊に頬ずりをし返す。

知り合いだったのかな、と思いながらも妖夢は首を傾げた。

生前から彼の種族――幽波紋(スタンド)――が見えていたような魂は、

今の所、冥界には来ていないはずである。

「……あなたの言葉が分かったらいいのに」

何だか仲睦まじそうなシルバーチャリオッツと幽霊を見ながら、

妖夢は小さく口を尖らせた。

「あ、あれ?」

じっと見つめる内に、何だかおかしなものが見えて、妖夢は目をこする。

真っ白な火の玉の姿をしているはずの幽霊が、人の姿をとったように見えたのだ。

黒い髪と白い肌をした愛らしい少女。年の頃は十代後半だろうか。

「……みょんなものが見えました。とにかく、帰りましょう、チャリオッツ」

いつか、もっと彼のことを知りたい、と考えながら、

彼女はチャリオッツと幽霊を連れて、帰っていった。

……彼女は、いつか知る日が来るのだろうか。

彼と、彼の本体が命も青春も何もかも捧げて邪悪に立ち向かったことを。

きっかけが、彼の国の言葉で愛しい人を示す少女――cheri(シェリー)――を、

彼の妹を失ったことであることを。



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銀騎士とあか その1:『あかの館』

 

こつりこつりと、ローマの町を歩く黒い影。

その周りでは、『魂』が入れ替わったことによる狂乱が起こっていた。

人の魂の入った亀が、叫ぶ。いっそ泣き出しそうな声で。

あの影の本来の力は精神を入れ替え、さらなる生物へと進化させることだ、と。

地球上の生物の歴史を、全て変えてしまう、おぞましい所業。

 

「……やはり、許されないことですよね、これは」

幻想郷の閻魔、四季映姫がそう呟くと同時に、鏡に映っていたその光景は消える。

代わりに映し出されるのは、つい先日、妖精を追い回していたチャリオッツの姿だ。

弾幕ルールに従わず、ただ、守るべきものにだけ固執していた。

「これは些細ではあっても、暴走なんですよね」

はぁ、とため息を吐き、彼女は頭を抱え独りごちる。

「彼は……想いが強すぎて、脆すぎる」

映姫は考える。精神の具現であるスタンド。その活動には絶対のルールがある。

それ即ち、己の半身、スタンド使いの意志により動く、ということ。

自律型スタンドであっても、その活動は本体の意志に従う。

本体の意志に逆らった行動をする場合、スタンドは暴走しているということである。

今、シルバーチャリオッツは非常に稀な事情により、

擬似的に自律型スタンドと化している。

加えて、彼の自我は未熟であり、それ故に一つ思い込むとそれ以外目に入らない。

いわば、非常に暴走しやすい状態になっているのだ。

「今の所は問題ありませんが……もし、この件が本当なら」

かさり、と手元にある一枚の書類を握り締める。

こんこん、と執務室のドアがノックされた。

「入りなさい」

「失礼します」

姿を現したのは、黒ずくめの格好をした一人の男性だった。

その後ろから、小町が連れ立ってきている。

「失礼します。映姫様。私とリゾットをお呼びだと聴きましたが」

顔にいくらか冷や汗を浮かべながら、小町が尋ねる。

さてはまた後ろ暗いところがあるな、とちらりと思いながら、二人に告げる。

「ええ。……二人とも、実は早急にやってもらいたい任務があるのです。

 一つは、白玉楼への言伝を頼みたいのです」

「白玉楼……冥界、ですね」

リゾットと呼ばれた男が、確認のために問いかける。

「はい、冥界にある屋敷です。それから、もう一つは……」

二つの任務と言伝を聞くと、二人は連れ立って部屋を出た。

小町の距離を操る能力があれば、恐らく短時間で辿り着けるだろう。

それでも、映姫は嫌な予感が拭えないままだ。

強く握り締めたため脂汗が滲んだ書類。

それには、別の地獄で裁きを受けていた魂がいなくなったこと、

その魂が幻想郷のとある場所で見つかった、という報告が記されていた。

 

「あーあー、全く騒ぐだけ騒いで……」

その少し前の白玉楼。妖夢は、ぐちぐちと文句を言いながら庭を掃いていた。

昨夜、どこぞの白黒魔女と紅白巫女が冥界まで涼みにやってきてて、

酒を酌み交わしてどんちゃん騒ぎをし、うっかり弾幕ごっこに発展したりした後、

へべれけになって帰っていったのだ。

今は、その弾幕ごっこで荒れ果てた庭の後片付けをしているところである。

シルバーチャリオッツも、箒を持って少し離れた所を掃いていた。

「冥界に現世の人間がほいほい遊びに来るなってアレほど言ってるのに……ん?」

愚痴をこぼしていた妖夢は、ふと庭に落ちていた品に気づいた。

「何これ……本?」

拾い上げ、ぱんぱんと汚れをはたく。

表紙は何処かエキゾチックな模様が入っており、

幻想郷のものではなさそうだという印象を受けた。

ぱらぱらと中を捲ってみるが、ミミズののたくったような字でさっぱり読めない。

遠目からその行動を見ていたチャリオッツは、何事かと寄ってきた。

「ああ、チャリオッツ。これ、読めます?」

妖夢に差し出された本の中身に目を通す。

所々、見覚えがあるような気がする。この文字は、記憶にはある。

けれど自分は読めない。この手の文字はいつも『彼』が読んでくれていたから。

砂塵の舞う国で、よく見かけた文字と、その意味を教えてくれた『彼』。

思い出せば、ちりり、と胸が痛む。

「って、読めた所でどうしようもないですよねえ。

 うーん、多分あの魔女の忘れ物でしょうか、あ、でも外の本ってことは」

「紅魔館の魔女の本じゃあないかしら」

「う、うわっ! 幽々子様! 驚かさないでくださいよ!」

いつの間にか後ろに立っていた主に、びっくりして飛びのく。

「あー、妖夢。これ紅魔館までちょっと返してきなさいよ」

事も無げに幽々子は言い放つ。

「えー? 何でですかー」

「このまま持ってたら魔理沙の泥棒の片棒をかつぐみたいでいやじゃない。

 ちょっとチャリオッツ連れて散歩代わりに行ってきなさいよ」

扇でぺしぺしと頭を叩く。

「はぁ……、はいはい、分かりました分かりました。

 それじゃあ、ちょっと行ってきます。行きましょ、チャリオッツ」

「はぁい、行ってらっしゃあい」

幽々子は、それをにこにこと笑いながら見送った。

二人の背を見送った後で、部屋に戻る。

うるさいのいなくなったし、さてもう一眠り、と呟きながら。

 

散歩代わり、とはいうものの紅魔館までは結構な距離がある。

「そういえば、チャリオッツはこっちの方へ来るのは初めてでしたね」

妖夢はなんとはなしにそう呟く。

今まで、シルバーチャリオッツを連れて何度か人里へは訪れた。

最初は不気味がられたものの、今では子供たちによく懐かれている。

西洋風の姿をした彼が物珍しいからだろう。

チャリオッツも、子供の相手をするのはそんなに嫌いではないようだ。

特に幼い少女相手には、何処か優しげな目をしている。

今はどんな顔をしてるんだろう、と思って彼を見上げて、む?と首を傾げた。

「……チャリオッツ? どうかしたんですか?」

シルバーチャリオッツは、右の首筋の辺りをがりがりと掻いていた。

「虫にでも刺されたんですか? 帰り際に、人里で薬を買いましょうか。

 ってあれ? あなたに薬効くんですかね?」

うむむ、と眉をひそめながら、妖夢は歩いていく。

シルバーチャリオッツは、首筋に違和感を感じながらも、それに続く。

じくじくと、その部分が熱を持ったかのような感覚があった。

「あー。そういえば、紅魔館ってどんなとこか言ってませんでしたよね。

 えーっと、紅魔館は吸血鬼が住む館です」

何の気はなしに、妖夢はそう告げた。

がしゃん、と音を立てて彼の動きが止まる。

吸血鬼の住む館、そう聞いた途端、体が震えた。右の首筋が、酷く痛む。

咄嗟に、妖夢の手を握り締める。

「あれ、もしかして吸血鬼が怖いんですか?

 大丈夫ですよ私よりも幼い女の子の姿をしてますから。

 それに、いざとなったら私が守ってあげますよ!」

怖がってる彼が珍しくて、ついおかしくなって彼女は笑って胸を張る。

それが、怖いのだ。守られるのが、怖いのだ。

彼のそんな思いが伝わることはない。

「ほらほら、早く行ってとっとと帰りましょう、チャリオッツ!」

ぐいぐいと彼の手を引いて、彼女は進む。

その手の力強さに思う。怖いことなどないか、と。

もし怖いものが待つのであれば、自分が、彼女を守ればいい。

今度こそ、守るのだ、と。

 

「ごめんくださーい」

場面は再び白玉楼。小町は間延びした声をあげる。

「……っかしいなあ、留守のはずはないんだけど。

 いつもなら庭師が出てくるはずなんだがなあ……」

ぼりぼりと頭を掻いて怪訝そうにしていると。

「ふぁあーい……」

ようやく、奥から眠たげな声が返ってきた。

のそのそと、あくびをしながら幽々子が玄関へ顔を出す。

見慣れた女性死神以外の男性死神の姿を見て、少し慌てた様子だ。

「あら、嫌だ。殿方がいるなら先に言ってちょうだいな」

寝乱れた胸元を整えながらオホホと笑う。

「始めまして。分け合って死神をしているリゾット・ネェロだ。

 それで、今日は閻魔様から言伝を預かってきている」

「言伝……?」

「ああ。ここで世話になっているスタンドのことだ」

その言葉に、寝ぼけていた幽々子の顔がキリ、としまる。

「シルバーチャリオッツのこと? まさか、彼の半身がこちらへ?」

「いや、そうじゃあない」

男はふるふると首を横に振った。

「あいつを、決して紅魔館へやるな、って言伝さ。

 何しろ、あいつの因縁の相手が二人もあそこにいるらしくってね」

「紅魔館へ?」

普段からあまりよくない幽々子の顔色が、サーっと白くなる。

異変に気がついたらしいリゾットが問う。

「まさか、とは思うが、シルバーチャリオッツとやらは今ここにいなくて、

 なおかつ紅魔館へ行っている、というのではないだろうな」

びくり、と幽々子が身を震わせる。

「そ、その、まさかなのよ……」

「ええええ?!」

小町が驚きのあまり素っ頓狂な声をあげた。

「非常にまずいようだな。小町、すぐそいつらを追おう。

 お前の能力があれば追いつけるだろう」

「あ、そ、そうだね!」

小町とリゾットは、慌てて階段を降りて行く。

「映姫様に連絡を……」

「いや、そんな暇はない気がする」

小町の言葉をリゾットは遮る。

「嫌な予感がするんだ……俺のこういう勘は無駄に当たる」

「分かった、とにかく、急ごう!」

 

「ほら見えてきました。あれが紅魔館です」

湖の側を歩いていた妖夢は、その館を指し示した。

日本風の建物が多い幻想郷からはひどく浮いた西洋風の佇まいだ。

その言葉を、シルバーチャリオッツは半分聞き流していた。

意図して聞いていないのではない。先ほどから、ずっと右の首筋が痛むのだ。

この痛みを伝える術もないし、痛む理由も分からない。

そんな状況でおかしな行動をして、彼女を不安がらせたくない。

だからその痛みに耐えねばならない。故に彼女の言葉を聞く余裕がない。

「あら? 冥界の幽霊さんじゃないですかー今日はどんな用ですか?」

門まで辿り着くと、緑の服と帽子をまとった赤い髪の女性が話しかけてきた。

その帽子に星のマークがあるのを見て、シルバーチャリオッツの気が僅かに和らぐ。

星のマークは、彼にどこか安心を与える感じがあった。

「こんにちは。えっと、どこぞの魔女が落としていった本なんだけど、

 多分ここのじゃないかって思って届けに」

「あーはいはい、分かりましたー」

妖夢と門番が話している間、シルバーチャリオッツは館を見た。

ヨーロッパ風の建築。真っ赤な屋根が印象的だ。

一番目を引くのは大きな時計のはまった時計塔だろうか。

窓が少ないのは、日光を苦手とする吸血鬼がいるからか。

そう考えながら、数少ない窓の内一つに、目をやった瞬間。

びくん、と震えて右手にサーベルを具現させた。

「え、ど、どうしたんですかチャリオッツ?」

「うわわ、びっくりした。変わったもの連れてますねえ」

チャリオッツがいきなり剣を出したのに驚く妖夢。

門番――彼女の名は、紅美鈴という――は、改めてシルバーチャリオッツを見る。

「うーん、この気は『波紋』に似てるなあ」

「はもん?」

聞きなれない言葉に妖夢は首を傾げる。

「えーっと、外の世界の気の使い方の一つです。

 吸血鬼やゾンビを倒すためや、怪我の治療に使うみたいですよ」

「そんな力があるのか……そういえば、気は生命のエネルギー。

 そして、シルバーチャリオッツは生命エネルギーの像。似てるのかもしれませんね」

一人でうんうんと納得しかけたが、また訝しげな顔になる。

「でも、なんでいきなり剣を出したんでしょう?」

「結構腕が立つみたいですし、強者の気でも見えたとか?」

最近は主の妹もよく館をうろついているし、と美鈴は言う。

「あ、まあとにかく中に入ってくださいよ。私こっから離れられないんで、

 直接本は届けてください。場所は中で咲夜さんにでも聞いてくださいねー」

「了解。さ、物騒なものはしまってください、いきますよ、チャリオッツ」

妖夢の言葉に、チャリオッツは慌ててその後を追う。

しかし、一瞬足を止め、先ほど何かが見えた窓を見、また歩き出す。

彼の視線が絶えた後で、その窓の部分にぼうっと人影が浮かんだ。

紫色の髪をした少年の亡霊が、彼を見下ろす。

「アレ……どっかで見たような……?」

少年の亡霊は悩む。

「うーん、思い出せないなあ。そもそも、ボクはなんでこの館に……?」

生前の記憶無くした彼は、それを取り戻す手がかりを求め、

再び館の中を徘徊し始めることにした……。

 

「あら? 冥府の庭師さんが何の用かしら」

館の中を歩いていた妖夢とチャリオッツは、一人の女性に遭遇した。

紅魔館のメイド、十六夜咲夜である。

「こんばんは。こちらの魔女さんに届け物に来ました」

手元にある本を彼女に見せると、眉をしかめた。

「ああ……、これ、あいつの本ですね」

嫌なことでも思い出したのか、ため息をついた。

「あいつ?」

「お嬢様の客人でしてね。地獄から運命いじくって連れてきたとか」

そう言うと横に立っていたシルバーチャリオッツに目をやる。

「そいつみたいな不思議な使い魔? みたいなもんを連れてるんです」

「へえー……」

「手が塞がってるから、本持ってついてきてください」

成る程、彼女の手には紅茶の入った盆が握られている。

「はーい。ほら、行きましょチャリオッツ……チャリオッツ?」

呼びかけられて、彼ははっとする。

意識の大半を首筋の痛みに持っていかれかけていた。

「ここの妖気にでもあてられましたか? 早く終わらせて帰りましょう」

そう言って妖夢がどんどん先へ進むものだから、彼は後を追わざるを得ない。

もしここでこの痛みから逃げて、守れなくなったら、後悔してしまうから。

 

 

「ああそうそう、足元とか上とか注意してくださいね。

 フラン様の新しいおもちゃが落ちてたり落ちてきたりするかもしれませんから」

「どういうこと?」

「そっちもお嬢様が運命をいじくって連れてきたんですよ。

 何でも、死んでも死んでも死という真実に到達しない、って言ってましたね。

 壊れてもすぐ館のどこかに再生するんです。いいおもちゃですよ」

少女二人はそんな会話を交わしながら歩く。

シルバーチャリオッツは右手に剣を持ち、左手で首を抑えながらその後を追う。

その首に浮かんだ矢の形のアザにの周辺には、小さなヒビが入っている。

ヒビの中からは、コールタールのように真っ黒なオーラがうっすら滲み出ている。

だが、それに気がつくものは誰もいない。

この館に入ってからの身の痛みにシルバーチャリオッツは困惑していた。

これは肉体的な痛みではない。精神的な痛みだ。

ここに近づくたびに濃くなる気配。ずっと以前に感じたことがある。

出来るなら、二度と感じたくないの気配であった。

そんなはずはない、と自身に言い聞かせる。

あいつらは死んだはずだ、きっと、必ず、絶対。

死ぬところをその目で見たわけではないけれど、もういないはずだ。

だって、そうでなければ、自分は、彼は、何のために、戦って。

ぐるぐると思考が落ち込んでいくたび、ヒビが少しずつ深くなっていく。

そのことに、誰も気がつくことはない。

ただただ、長い廊下を歩いていく。

 

 

「ここが図書館よ」

がちゃり、と咲夜が古びた扉を開く。古びた本の独特の匂いが鼻をついた。

「えーっと、それで持ち主はどこに?」

「こちらに椅子とテーブルがありますから、恐らくそこですわ」

咲夜と妖夢は並んで歩く。その後をシルバーチャリオッツが追う。

嫌な気配が濃くなるばかり。そんなはずがないのに、と必死に言い聞かせる。

 

――ああそうだ、気のせいだ、気のせいのはずだ――

 

――そのはず、なのに、あの、黄金色、は――

 

シルバーチャリオッツの動きが止まる。

「あら? 冥界の庭師? どうしたのこんなところへ」

「どこぞの白黒魔女が盗んだ本を届けに」

「まあそれはご丁寧に。ほら、あんたも礼を言いなさいよ。

 あれってあんたの本でしょ? 外の世界の宗教の本だっけ」

紫の髪をした少女が、向かいに座っていた男に声をかける。

妙な持ち方で本を読んでいた男が、顔を上げた。

それとほぼ同時に、どさり、と音がする。

ボロボロになった男が何処からともなく落ちてきた。

赤みがかった髪には緑の斑模様。

上半身にまとっているのは、服なのか網なのか良く分からない代物である

「いたたた……くそ、何故俺がこんな目に」

「ひっ!」

死んでいるかと思った男がいきなり起き上がって、妖夢は思わずのけぞる。

「あんたねえ、もう少しフランとの付き合い方を考えなさいよ」

紫の髪の少女――名をパチュリー・ノーレッジ――は呆れたように彼に告げる。

黄金の髪の男は、名をDIO。神の名を持つ吸血鬼。

赤みがかった髪の男は、名をディアボロ。悪魔の名を持つギャングのボス(元)。

二人は、『彼』を知っていた。だから、呼んでしまった、その名前を。

「「シルバー……チャリオッツ?」」

「え、あなたたち、チャリオッツのことを知って……」

シルバーチャリオッツの思考が一気に悲鳴を上げる。

 

――何故ここにいる。何故ここにいる。何故ここにいる――

 

――『彼』を殺した奴、『彼』を殺した奴、守りたいものを壊した奴ら――

 

――ああ、ああああ、ああああああああ!!――

 

――守らなきゃ、守らなきゃ、守らなきゃ、守らなきゃ!!――

 

「チャリオッツ? どうしたんですか、チャリオッツ、チャリオッツ!」

妖夢は彼が身を震わせ出したのに気づいて、必死で彼の名前を呼んだ。

肩のアザの周りが大きくひび割れ、そこからどろりとした黒い何かが噴出した。

それは彼の身を覆い尽くしていく。

 

――守る、守る、守る、守る、守る――

 

青い右目は狂気に染まりながら、それでも妖夢を見据える。

守るべきものが、そこにある。討つべき敵が、そこにいる。

この力では足りない、このままでは、守れない。

だから彼は、己の身を変えていく。その身に残っていた『矢』の力を使って。

 

――変わらねば、変えねば、何も守れない!!――

 

「しまった、遅かったのか!?」

「ああもう、何が起きてるんだい!」

ようやく追いついてきたリゾットと小町もその情景に焦ったような声を上げる。

「ま、まずい! これは、あの時の!!」

その現象の正体に気づいたらしいディアボロは逃げようとする。

だが、体から力が抜けていく。それは彼にだけ起きた現象ではない。

「何これ、体の力が……」

皆がゆっくりと地に伏し、目蓋を閉じていく。

「これは……あなた、が……?」

シルバーチャリオッツに……あるいは、彼で『あった』何かに問いかけながら、

妖夢もゆっくりと目蓋を閉じた。

身を黒く染めた彼に、その言葉は届かない。

彼は、ゆっくりと歩き出し始める。

ただ、『守る』のだと。そのために『かえる』のだ、と。

その姿は、それは、不器用で一途な想いが成れの果て。

それは、不器用なたった一つの誓いを果たせなかったが故の、変貌。

名を、『チャリオッツレクイエム』

 

銀騎士とあか その1『あくまとかみのすむ館』

 

 

 



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銀騎士とあか その2:『あかのゆめ』

 

紅魔館の図書館。その中を、コツコツと足音を立て、チャリオッツレクイエムは歩む。

今の彼は、守るべき『矢』をもたない。だが、その代わり意志を持っていた。

『守りたい』と。その想いは、その身に僅かに刻まれていた矢の残滓と混じり、

『守るためには、全てをかえる』という実に奇怪な発想に変化している。

先程の異変を察した小悪魔が逃げ出そうとしたため、図書館の扉は開いてたまま。

その扉の向こうへ、歩み出す。館の外を目指して。

そんな彼をぼんやりと見送る影が一つ。

「やっぱり、あれ、見覚えあるなあ」

紫の髪をした少年の亡霊は、首を傾げた。

「でも、あれじゃあない。僕を呼ぶのは、あれじゃあないんだ」

開いた扉の中へするりと入り込む。

中の者が全て眠っているためか、あるいはそれが幻想郷の常識だからか、

デッドマンと化したものが部屋へ入るための『許可』は必要なかった。

高い本棚を通り抜けながら、彼は目的のものを探す。

幸いにして、それはすぐに見つかった。

倒れ伏し、寝息を立てる男。赤みがかった髪は、緑の斑模様に染められている。

「ああ、やっと、見つけた」

まるで親を見つけた子供のように、少年は微笑んだ。

「全部、思い出した。やっと、会えた」

すっとその指先を、男の体に伸ばす。

しかし、ばちり、と何かに弾かれたような音と痛み。

驚いて少年は指を引っ込める。

「あれ……?」

少年は困惑した表情を見せる。『彼』の魂が自分を拒絶することなどありえない。

「ああ、そっか。ココに、いないんですね」

納得して、きょろきょろと辺りを見回した。

辺りには、彼以外にも何人かの男女が倒れている。

「……ああ、そこに、いた」

目的の魂の入った『体』に近づき、すぅとその中に潜り込む。

その体は、一瞬だけ目を開く。

「あなたは、眠っていて、ください。全部、僕が、背負う、から」

心の底から嬉しそうに微笑んで、襲いくる睡魔にまた再び目を閉じる。

眠りの中で、少年の魂は、男の魂から、記憶をたぐる。

起きたらきっと、あれと戦わなければ、ならないから。

あれと戦って、この人を、守らなければならないから。

「ねえ、ボス」

まどろみの中、少年はそっと彼を呼ぶ。

 

「う、うぅん……」

時間にしておよそ半刻(一時間程)後。妖夢は目を覚ました。

「私は……? えっと、チャリオッツが、何故か、黒くなって……!

 そうだ、チャリオッツ! 何処ですかチャリオッツ!」

バッと身を起こすと、声を上げて彼の名前を呼ぶ。

「うぅ……」

「むぅ……」

「うーん……」

その声に、三人が目を覚ました。

「くっ、何だあれは、一体何があったというのだ」

銀の髪をしたメイドが、ばりばりと頭を掻きながら呟く。

「ああもう、何なんですか、妙に体が重い……アレのせいかしら」

金の髪をした筋肉質の男が、パンパンと汚れを叩きながら不満そうな声を上げる。

「眠ってたようね。さっきのアレ、一体何だったのよ」

赤い髪に緑の斑模様をした男が、口を尖らせる。

「「「は?」」」

三者は自分を見て、周りを見て、そして、悲鳴を上げる。

「ハアアアアアアアッ?!」

「え、あ、あの、どうしたんですか?」

理由が分からない妖夢は、素っ頓狂な声にびくりと身を震わせる。

「こ、魂魄妖夢! あんたはそのままなのね?!」

赤い髪の男が、ぐいっと顔を寄せてくる。

「ひぇえ、な、何なのさっきから!」

事情が飲み込めず、思わず剣を構える。

30過ぎたおっさんに詰め寄られたら、こんな反応にもなるだろう。

「ああもう! 私よ、パチュリー・ノーレッジよ!

 今はこいつの、ディアボロの体に入り込んじゃってるけど!」

ぎゃあぎゃあとわめく彼……もとい彼女の言葉に絶句する。

「は、入り込んだってそれはどういう?」

「眠っている間に、眠っているもの同士で、精神が入れ替わったのよ!

 ああもう、なんか気持ち悪いわコレ! 何でこいつ網着てるのよ!」

パニックを起こしたのか、文句が口からこぼれるパチュリー。

「精神を入れ替えるとは、何ておかしな能力でしょうかね……」

瀟洒なメイドである咲夜は、その状況にどうにか順応したらしい。

金髪の男の体の動かし具合や、能力が出せるかを確認しているようだ。

「時は、止められる。それも、随分と楽に……これは一体……」

ぶつぶつと、何か考え込むような素振りを見せる。

「……おい咲夜とやら。この服あちこち締め付けてキツいんだが。

 しかも、あれだな。胸の当たりに詰めも」

咲夜の体に入り込んだ男が、尋ねる途中で、殴り飛ばされた。

錐揉み状に回転して、近くにあった本棚を破壊する。

「き、貴様! このDIOに対して何をするだぁー!」

怒りを露に、男は、DIOは叫ぶ。

だがそれ以上の怒気が咲夜から発せられている。

「今度、そこについて何かおっしゃったら、例え私の体でも容赦しませんよ」

DIOは考えた。こいつは、やるといったらやる凄みがある。

だが、ここで逃げては帝王としての誇りが失われる。

どうするDIO、どうする!

 

「……言い争ってる場合じゃないでしょう」

そこに、声がした。パチュリーの声である。

「あ、ちょっとディアボロ! あんた私の体返しなさいよ」

そうやって掴みかかろうとして、違和感に気づいた。

「あんた……誰?」

気質が、違う、とパチュリーは思った。

ディアボロのものではない。もっと、若い、感じがする。

「僕の名は……ドッピオ。ヴィネガー・ドッピオです」

「小町、下がれ!」

突如、若い女性の叫びがする。声の主、小野塚小町が一人の男をかばうように立っていた。

彼女は、ドッピオと名乗った相手を睨み付けている。

「待ちなよリゾット、あんたどうしたってんだい」

黒い頭巾と黒いコートに身を包んだ男が、困惑して呼びかける。

「あれ、小町さん? ど、どうしてここに」

混乱しきっていた妖夢だが、先ほどまではいなかったはずの人影を見つけ、声をかけた。

「……あんたが、魂魄妖夢か」

話しかけた女性の方は、鋭い目つきで射抜くように彼女をにらむ。

その目は、いつもより紅く見えた。

「あー、こっちだよ。あんた以外は全員入れ替わってるみたいだ」

彼女の後ろにいた男が、あっさりと答えた。

「とりあえず、そこのドッピオ、だっけ? あんたは事情を知ってそうだねえ。

 詳しいこと、教えてもらおうか。……この現象が、誰の仕業なのかを、まずは」

その言葉にドッピオ、と名乗った人物は頷く。

「これは、『チャリオッツレクイエム』が起こした現象。

 僕は、僕達は、ローマでこれを体験しました。

 違う点を上げるなら、あの時は全員入れ替わったのに、

 彼女一人だけが、入れ替わっていないこと、そして眠っていた時間が短かったこと」

「チャリオッツ……そうだ、チャリオッツは、何処!」

「さっき、その扉を出て行きましたよ」

「つまり、あの鎧人形を止めればいいのね」

「ふん! このDIOに妙なことをしおって!

 やはり気に食わぬな、あの男のスタンドは!」

「一応私の体なんですから、無茶をしないでください!」

勢いよく床を蹴り、パチュリーとDIOと咲夜が宙に舞う。

「あら、何だか魔法の出具合がいいわ。これならすぐに追いつけそう」

パチュリーがぽつりと呟いた。

「待ってください、奴の能力は……!」

その後をドッピオが慌てて追いかける。

「チャリオッツ、あなたに一体何が……」

「とにかく、壊されちゃあマズい、あたしも映姫様に怒られる!」

「……俺達も行くぞ」

妖夢と小町、リゾットもそれに続く。

ただリゾットだけは、すぐ前を行くドッピオを睨みつけていた。

 

 

「見つけました!」

DIOの体に入った咲夜さ叫ぶ。

チャリオッツレクイエムは余り進んでおらず、ゆっくりと廊下を歩いていた。

その周りでは妖精メイド達が何だかあわあわしている。

「メイド達は邪魔にならないようその辺の部屋に入ってなさい!」

咲夜は自身の得物であるナイフを手に取ろうとして舌打ちした。

今彼女はDIOのボディに入っているため、ナイフが手元になかったのだ。

「DIO! 私の体のどっかにナイフが仕込んであるから渡しなさい!」

「このDIOに命令するな小むすm……睨むな」

拒絶しようとしたDIOだが、咲夜に睨まれて仕方ない、と舌打ちする。

ナイフを探そうと身を探り始めた。

「……ここではないのか」

真っ先に胸を探りそう呟き、またごそごそと体をまさぐる。

「後で日光の中に放り出してやる」

咲夜が小さく怨嗟の声をあげたのに、彼女以外は気づかない。

「よし、あった! やれ!」

太もものベルトからナイフを抜き出し、咲夜へ投げ渡す。

ナイフを受け取った彼女は、精神を集中させる。

「『ザ・ワールド』!」

叫び、自身の能力を発動させる。たちまちの内に、時間が停止する。

「これが、私の能力。もっとも、時間の止まっているあなたには、

 見えもせず、感じもしないでしょうけどね」

チャリオッツレクイエムの周りに、数多のナイフを展開させる。

「……そして、時は動き出す……」

時が動き出した瞬間、そのナイフは一直線にチャリオッツレクイエムへ向かう。

しかし、ある程度まで近づいた瞬間。きぃん、と音を立て床に落ちる。

あたかも、不可視の壁に弾かれてしまったように。

「な、何で!」

その光景に咲夜は困惑する。普通そういったことが起これば、

魔力か妖気の痕跡くらいはある。だが、今は全く何も見えなかったのだ。

「ふん、小娘。貴様がまさか、このDIOと同じ能力を持つとはな」

小バカにしたように笑いながら、DIOが歩み出る。

「目に焼き付けろ、あの程度、時間を止める程でもない。

 このDIOが真の『世界(The World)』を見せてやろう!」

黄色い人影がDIOの傍らに発現する。

「あなたのそれも、スタンドですか?」

追いついてきた妖夢が空気を読まずに問いかけた。

「そうだ。このザ・ワールドこそ最強のスタンドだ!

 WRYYYYYYYYYYYYYッ!」

そうして勢いよく殴りかかる。

ぐしゃり、と鈍い音がしてチャリオッツの腹部が、貫かれる。

「ッ! チャリオッツ!」

妖夢はその光景に慌てふためき、名を叫ぶ。

「ふははは、流石は、我がスタンド、このくらい造作も……」

「伏せて!」

余裕を見せて歩みよった彼を、とっさに咲夜が押し倒す。

チャリオッツを貫いたザ・ワールドがその拳をDIO目掛けて打ち込んだのだ。

「……気をつけて。チャリオッツレクイエムは、精神を支配する力を持ってます。

 迂闊に近寄れば、スタンドを逆に利用されますよ。

 うっ、げほっ、ごほ、ごほっ」

ようやく追いついてきたドッピオだが、その顔色は悪い。

「何、だ、これ、咳が、止まらな、それに、体が」

ひゅうひゅうと息を荒げる。

「あー、私体力ないからねえ。全力疾走したらこうもなるわ。喘息持ちだし」

パチュリーが彼の、厳密にいうと自身の体の背中をさすった。

 

 

「というか破壊されても困るんだけど」

「そ、そうですよ、チャリオッツに何するんですか、あなたは!」

小町の言葉に、妖夢が腹を立てながら続く。

ムッとした表情でDIOも反論する。

「だが、アレを止めなければこの状況は戻らぬのだろう。

 大体貴様は何故入れ替わっていない?」

「そんなこと、私にだって分かりませんよ」

DIOの問いに妖夢は明確な答えを持たない。

「ふぅん。ま、理由は後で考えるわ。今はアイツを止めるのが先。

 スタンドもナイフも、ダメ。弾幕ならどうかしら」

パチュリーは、すっと一枚のカードを取り出した。

「火符『アグニシャイン』」

彼女がそう呟いた瞬間、無数の炎がチャリオッツレクイエムへと殺到する。

「ま、待て、人の話を……ぐっ、げっ、ごほっ!」

ドッピオがイライラしたように叫ぶが、喉がついていかず、また咳き込み始める。

無数の炎は、皆チャリオッツの周りで動きを止め、掻き消えた。

「弾幕もダメか。ちょっとあんた、あれを止める方法を教えなさいよ」

「……あれは、精神の、影だ。だから、各々の背後にある、

 精神の、光を、破壊すれば。そうすれば、奴は消滅する」

そこまで告げて、ぎり、と奥歯を噛み締める。

「その、はずだが……どうもそれで倒せそうに、ない。

 違いすぎる、かつての、チャリオッツレクイエムと」

ドッピオは、幻想郷でチャリオッツがどんな日々を過ごしていたかは、知らない。

だから、気づけなかったのだ。チャリオッツ自身が、ある程度

自らの意志の下、その能力を操作している、という事実に。

それに、と心の内で舌打ちする。今の彼には、力が無い。

残っているのはエピタフのみであり、キングクリムゾンが使えないのだ。

「何だと、それでは打つ手なしではないか、この役立たず!」

DIOが腹を立ててドッピオへ向けて叫ぶ。

「おいおい、それ以前に破壊されちゃあ困るよ。

 あいつは閻魔預かりの特別な魂なんだからね」

ドッピオの物言いに、小町も眉をしかめる。

「っせえなあああ!」

ぶつん、と何かがキレる音と共に、ドッピオが叫んだ。

「じゃあてめえらは、あれを止めれるのかってえんだよ!

 てめえらお得意の弾幕もスタンドも効果ねえんだろうが!!」

「黙れ」

リゾットが発した冷たい声が、その場の動きを凍らせる。

「何か方法があるはずだ。そうぎゃあぎゃあとわめくな」

「うるせ、てめえは、だま、ぐっ、げほっ、ごほっ、ごほっ」

声を荒げすぎたためか、また発作を起こす彼。

「ああもう、私の体なんだから無茶しないでよ」

パチュリーが背中を不満げにその背中を撫でる。

「……第一俺は、お前の言っていることが本当だとしても、

 信じるつもりは、一切無い」

「何……?」

ぎろり、と二人の男の間で恨みの篭った視線が交わされ合う。

殺したものと、殺されたもの。その事実を知るのは、互いのみ。

 

 

そんな二人を横目にしながら、妖夢は思う。

今のチャリオッツは、妄執(まよい)に囚われた状態ではないか、と。

「お、どうやら気づいたみたいだね。あんたの刀なら、

 あれを止められるかもしれない、ってことに」

小町の言葉に、妖夢は剣を握り締める。

彼女が手にするのは白楼剣。魂魄家に伝わる迷いを斬る名刀である。

「でええやあああ!」

たんっ、と床を蹴り、一気に間合いを詰めていく。

この刀で迷いを斬る。そうすれば、チャリオッツは戻る。そう信じたのだが。

かきぃん、と鳴り響く金属同士がぶつかる音。

「な、何っ、あの女が二人いるだとっ?!」

眼前にした光景にDIOがうろたえる。

妖夢の振りかぶった刀を止めたもの。それは彼女の姿をとった半霊であった。

「スタンドだけじゃなくて、幽霊まで操れるとは……厄介ね」

パチュリーが冷静に分析し眉をひそめる。

妖夢は一旦距離をとって、チャリオッツと彼を守るように佇む半霊を見つめた。

それは自らの半身が利用されている、という驚きによるものだけではなかった。

「……今のは、一体……」

自分にだけ聞こえるような声で、疑問を口にした。

刀が交わった瞬間、彼女の中に、流れ込んできた光景。

一瞬であったはずなのに、もっと長い間、その光景の中にいたような気がした。

 

――小さな男の子が、赤ん坊に向かって指を差し出していた――

恐る恐る差し出された指を、赤ん坊は予想以上に強い力で握り締める。

男の子は、その強さに胸の中が熱くなるのを感じた。

『ぼく、きしになる。このこを、まもれるように』

銀色をした頭を、くしゃくしゃと撫でる手は、男の子の父のものだろうか。

優しくて、暖かくて、とても、幸せな時間だった。

 

「妖夢、危ない!」

小町に呼びかけられて、妖夢の意識は覚醒する。

屋敷全体が大きく揺れ、ガレキが彼女に向かって落ちてきていた。

慌てて跳び退いた彼女の眼前に、屋敷の一部だったものが落ちる。

「この感じ……お嬢様とフラン様の……!」

「フランのことだ。肉体と精神が入れ替わってパニックでも起こしたのだろう」

困惑する咲夜に向け、DIOが推測を話す。

「……ここはあなた方に任せました! 私達はお嬢様達を止めてきます!」

妖夢に向かってそう叫ぶと、DIOの首根っこを掴んで飛んでいく。

「おい待て! 何故このDIOがわざわ……そんな顔で睨むな!

 分かったから話せ! 首が、首が絞まる! 痛い!」

チャリオッツの横を走り抜けて、咲夜とDIOはその場から去る。

「そうだ、私が、私が、チャリオッツを止めなきゃ!」

その言葉にハッとした妖夢は、再び斬りかかっていく。

だが、またも半霊の振るう刀によって、それは防がれる。

そして再び、妖夢の中に光景が流れ込んできた。

 

――空っぽの鉢を抱えて泣く少女と、口を尖らせた少年――

『おにいちゃんがおこったああああああ』

まだ十にも満たないであろう少女が、わんわんと泣いている。

『だって、こいつが悪いんだ。こいつが連れてきた猫が、俺の熱帯魚を……』

『わざとじゃないもおおおん。おにいちゃんのばかあああああ』

少女はさらに激しく泣き出す。二人の母親らしい女性は、兄を叱りつける。

『だめでしょ、騎士様が守るべき相手を泣かせたりしちゃ。ほら、謝んなさい』

騎士を引き合いに出されては、少年は逆らえない。

『う、わ、分かったよ。ごめんな……』

しぶしぶだが、少年は彼女に、妹に、謝った。

 

「まただ……、何なんですか、これ、一体……」

ちらりと後ろを見る。死神達は彼女の動きを見守っている。

チャリオッツに対して打つべき手が無いからだろう。

魔女はぜえぜえと発作を起こす自らの体の介護に手一杯のようだ。

どうやら、誰にもこの光景は見えていないらしい。

「まさか」

自身の抱いた推測を確かにすべく、また斬りかかり、防がれる。

 

――少年が、銀の甲冑を纏った騎士と相対している――

『お前は、俺、なのか?』

騎士は言葉を知らない。故に、その問いには答えない。

だが、少年には分かったようだ。その騎士が、彼の一部であると。

『じゃあ、守ってくれるんだな! 俺と一緒に!』

ぱっと満面の笑みを見せると、その手をとった。

『名前、名前は……』

うーんと考え込む少年に、ふと天啓が降りてくる。

妹が学校の図書館から借りてきた占いの本に書いてあったカード。

そのイラストで一番かっこいいと思ったものの名前をつけよう。

『お前は、【チャリオッツ】。銀色の戦車、【シルバーチャリオッツ】!』

これからよろしくな、と少年は、また笑った。

 

ああ、と妖夢は切なげに息を吐く。やはり、と。

「これは、あなたの記憶なんですね、チャリオッツ」

背を向け、歩き続ける彼は、答えない。あの少年が、彼の本体なのだろうか。

守りたいと言っていた辺り、そんな感じがする。

「忘れろ、とはいいません。それでも今のあなたは迷っている。

 だから、あなたのまよいを、私は断ち切ります!」

今度こそ斬る、と勢いよく突っ込んでいく。

けれど、半霊は妖夢の半身。瞬時に反応して、斬撃を食い止めた。

 

――雨の降る、西洋の墓地。喪服を来た少年と少女とたくさんの人々――

『ママン、パパぁ……うっ、ひっ、ひっく』

兄の胸の中で、少女が泣いていた。

『あの車が突っ込んでこなければ……』

『可哀想に……まだ小さいのにねえ』

親戚らしい人々が、二人を見ながらひそひそと囁く。

棺が二つ、白い墓の中に納められる。

少年は、唇を強く噛み締め、妹を強く抱きしめる。

『お前は。お前は俺が守ってやるから。だから、泣くな。泣くなよ』

その目の端から大粒の涙が流れ落ちる。

 

「え……」

思わず体から力が抜ける。瞬間、勢いよく跳ね飛ばされる。

「ぐっ!」

体勢を崩したが、咄嗟に持ち直し、また斬りかかる。

 

――また、雨の日。青年は、居酒屋か何かにいるようだ――

『かーっ、降ってきやがった。やっぱシェリーに傘持たせといてよかったな』

ガラスのコップを磨きながら、青年は呟く。

『おい、お前宛に電話だぞ』

『へーい店長……もしもし?』

どうやら遠くと通信が出来る道具らしいそれに、耳を当てる。

『はい、はい。ええ、はい……え? 嘘、で、しょう?』

ざあざあと、雨音が一層強まったような気がした。

 

――暗く冷たい石造りの部屋。そこに安置された少女――

男の言葉が、耳に入って来ない。辱められた? 犯人は不明?

同行していた少女は重傷? 手がかりはない?

何を言っている。何を言っている。何を言っている。

そっと手を伸ばし、頬に触れる。冷たい。あちこちすりむいた傷が顔に残ってる。

『シェ、リー』

彼女の名前を呼んだ。反応はない。

『シェリー、シェリー、シェリー……』

男は、それでも名前を呼んだ。愛しい人、と名付けられた最愛の妹の名を。

たった一人残った家族の名を。誰より守りたいと願った者の名を。

『守、れな、かった』

絶望のまま、そう呟く。守れなかった、と守りたかったのに、と。

守らなくちゃいけなかったのに、と。

嗚咽まじりで、彼はひたすら目から涙を溢し続けた。

 

「う、そ……」

あまりに衝撃的な展開に、彼女は愕然とする。

そのまま、熱に浮かされるように刀を振るう。再び二つの刀が交わる。

彼の記憶が、流れ込んでくる。

 

――仇討ちのために、あちこちを巡った――

 

――吸血鬼に、その復讐心を利用された――

 

――強く優しく、気高い人達と出会って、また、笑えるようになった――

 

斬りあう。流れ込む。斬りあう。流れ込む。

 

――けれど、その人達も――

『危ない、ポルナレフ!!』

ガオン、という怪物の咆哮のような音がして。

友人の姿が、掻き消えた。目の前には、しゅうしゅうと音を立てる、彼の腕。

『どこだァーアヴドゥルーッ! どこへ行ったんだァーッ』

目の前に現れる、異形の化け物。

『アヴドゥルは……粉みじんになって、死んだ』

遺された腕も、食われて、消える。

 

『ちくしょう……俺の方が、生き残っちまった』

小さな子犬。ひねくれていたけれど、大切な戦友だった。

この戦いが終わったら、一緒に夕食を取ろうと、笑っていたのに。

『俺を助けるなと、言ったのに』

 

彼らを殺めた異形の怪物を、倒す。砂塵の国の夕暮れ空を見上げた。

その空に浮かんで見えた、彼らの魂。

『ア……アヴドゥル、イ……イギー!』

立ち上がって追いすがろうとするが、体がついていかない。

ずるり、と滑り、再び目を開いたときにはもうそこに彼らの姿はない。

『今の俺には、悲しみで泣いている時間なんかないぜ』

そういってヨロヨロと立ち上がる。

膝に置いた彼の手に、ポタポタと零れ落ちる、涙。

 

――そいつの親玉もどうにか倒した。友人はもう一人、死んだ――

 

――何年か後。久しぶりに訪ねた友人。彼は、赤ん坊を抱いていた――

彼の娘に、恐る恐る手を伸ばす。きゅっ、と力強くその指が握られた。

破顔一笑。そんな彼を、友人は何か言いたげな顔で見ている。

『まさか、お前が俺より先に結婚するとは思わなかったぜ。

 それもこーんな可愛い娘さんに恵まれるなんてよ』

ニコニコと笑って、その指の力強さに、胸に込み上げる懐かしさと悲しみをこらえる。

『ポルナレフ。……そっちは大丈夫なのか?』

その問いかけに、ふっと指を離す。一瞬真面目な顔になるが、また笑った。

『【お父さん】は娘がどこぞの馬の骨に持ってかれねえよう心配してりゃあいいんだよ』

おどけた顔で、こつん、と彼の額を突く。

『心配すんな。もうちょっとで核心まで迫れそうなんだ。

 そうなったら、ベイビーの夜泣きみてえに何時だって呼びつけてやるからな』

そう言って、また赤ん坊と戯れ出す。友人は、押し黙った。

 

妖夢は、その記憶、あるいは夢に浮かされたように、刀を振るっていた。

今、彼女に見えているのは、チャリオッツでも、己の半身でもない。

それは彼が今までに立ち向かって、抗って、斬ってきた、数多の敵だ。

こうなっているのには理由がある。幻想郷の幽霊は気質の具現である。

彼女の半身は気質の具現であり、また、友に刃を向けていることで精神的に弱っている。

故に、チャリオッツ自身の気質に、記憶に、に強く影響を受けているのだ。

彼女の精神は今チャリオッツの記憶と重なってしまっていた。

 

――追われる彼。追い詰められた波打ち際――

どれだけの追っ手を切り伏せてきただろうか。それでもなお、追跡はやまない。

電話、郵便、交通、マスコミ、警察、政治……社会全てが、彼を孤立させた。

目の前に立つ青年。それが、彼を追い詰めた張本人。

『シルバーチャリオッツ!』

具現した魂の像。剣先が、男を捕らえようとする。

『……キングクリムゾンを見た者は、その既にその時……』

貫かれる右の目。痛みの中、いつの間にか背後に回った男を見る。

『この能力は……!! 時を……ディアボロ……貴様!』

『もう、この世には、いない!!』

腕が、胴が、貫かれる。落下し、海から突き出た岩に打ち付けられる、体。

それでも……それでも、彼は生きていた。

 

――彼は待った。長い長い間。手に入れた矢の恐怖を伝えるために――

 

――その矢に託された秘密を、ディアボロを倒す希望を伝えるために――

 

――たった一人。ずっと、ただ、ひたすらに、何年も何年も――

 

――その傍らに、シルバーチャリオッツは佇み続けた――

 

「様子が、おかしくないか?」

剣の打ち合いを見守っていたリゾットが、違和感に気づく。

「幽霊の気質に影響されると、あんな感じになるわね」

妖夢を見たパチュリーが告げる。

「このままじゃ、マズそうだねえ」

小町が舌打ちをして、その能力を発動しようと意識を集中する。

 

――『守れ!』――

彼が叫ぶ。悪魔の名を持つギャングのボスと対峙し、その心の中で。

シルバーチャリオッツの右目に、『矢』が刺される。

その直後、貫かれる彼の身。過ぎる走馬灯。砂塵の国の旅路。

 

――『守る』――

どろどろと溶けていく体。意識を保てなくなる精神。

本体と切り離され、狂っていくその身。

ただその身に、心に刻まれた意志を、呪いのように、唱え続ける。

守る、守る、守る、守る、守る、守る、守る、守る……

 

 

ひたすら剣を打ち込んでいた妖夢の体が、誰かにぐい、と引っ張られた。

「妖夢、大丈夫かい、妖夢っ!」

声をかけられて、ようやく正気が戻りかける。

「え……あ……」

目の前に立つ、銀の髪の男。一瞬、彼かと思った。

「一体、どうしたってんだい?」

その言葉遣いから、違う、と判断した。

「あんまりぼーっとしてたから、あたいの能力であんたとあいつの距離を空けたよ」

小町の能力は、距離を操る程度の能力である。

彼女は、チャリオッツと妖夢の距離を広げ、彼女と妖夢の距離を狭めたのである。

「ったく、しっかりおしよ。お前さんだけが、あいつを止められるんだからね。

 ほら、正気に戻ったんなら、パパッと迷いを斬って……」

「……れない」

「あん?」

「斬れない……斬れない、だって……狂うのも、当然、だ……」

妖夢は、嗚咽まじりに泣き出した。

それは、少女が見るには、あまりに残酷な、夢だった。過去だった。

 

 

銀騎士とあかその2『あやかしのゆめ』

 



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銀騎士とあか その3:『あかになる』

 

紅魔館の廊下。遠くから地響きがするのは吸血鬼の妹が暴れているせいだろうか。

涙にくれる妖夢を見下ろしながら、小町はふとそんなことを思う。

「泣いてちゃわかんないよ。事情を説明しな」

小町の言葉に、嗚咽交じりに妖夢は答える。

「私、チャリオッツの過去を、見たんです」

俯いたまま、先ほど見た光景を思い出す。また、涙がこぼれた。

「守りたい、と願って。でも、守れなくて」

『守る』という思いは、『守りたい』という願いは彼女にはよく理解できた。

彼女にも守りたいもの――主、西行寺幽々子――がいるのだから。

その守りたいものを守れなかったら? 失ってしまったら?

そう考えると胸が張り裂けそうになってしまう。

「可哀想な、チャリオッツ」

しくしくと泣く彼女を、小町は睨むようにして見下ろす。

 「……で?」

普段の彼女からは想像出来ない程、冷たい声音。

「可哀想だ、って泣いて。それで、どうにかなるのかい?

 それで、あいつが止められるのかい?!」

膝を突いて、妖夢の顔を覗き込む。

妖夢は言葉に詰まり、涙を湛えた青い目をそらす。

「甘ったれたこと言ってんじゃないよ!」

パァン、と乾いた音がした。激高した小町が妖夢の頬を叩いたのだ。

「まるで、不幸なのがアイツだけだとでも言いたげだね。

 冥界に住んでるから、そんな狭い考えはしてないと思ったけど」

怒りを込めた目で彼女を見据える。

「よせ、小町。スタンド使い同士の戦いは彼女には未知のことだったんだ。

 混乱してしまっても仕方ないだろう」

リゾットがなだめるが、小町は止まらない。

「ただ哀れむだけってのは、死者に対する最大の侮辱なんだ。

 傍からみりゃあ不幸でもねえ、幸せだったって笑ってられる死者は大勢いる!」

数多の死人を見続けてきた死神が吼える。

「友を家族を師を殺され、ようやく結ばれた初恋の相手を生かすために、

 宿敵の頭抱えて海に沈んだ男だって、いる。そんな状況でも、笑って、死んだ」

 

小町たちから遠く、フランドールを止めんとする咲夜とDIOの胸が、不意に痛んだ。

その違和感に一瞬首を傾げる。しかし、レミリアとの戦闘では悩む暇などない。

飛んでくる弾幕を避け、反撃の機会を伺うことに集中した。

 

「火事で行方不明になった恋人の子を産んで、死の直前、娘を独りにしたくなくて、

 恋人を探して探して探して、それでも見つからずに、志半ばで死んだ女がいる!

 でも、彼女は笑っていたんだ! 娘が、父親に会えることを、

 幸福に暮らせることを、信じきって!」

「……笑って、たんだ」

ドッピオが心当たりに眉をしかめた。

感傷など、過去など捨てなければいけないのに、痛んだ胸が不快で。

「笑っ、て」

妖夢が、震える声で言葉を発した。

「そうだ、彼も、笑ってた。妹を殺されても、友を殺されても、

 それでも、彼、笑ってたんだ」

きっと、あの過去を知らなければ、フザけていると思っただろう。

けれど、今思い出しても、その笑顔に悲しみしか見出せない。

「笑っていた、か。強いな、そいつは」

「え?」

リゾットが口を開いたのに驚く。

「オレ、の、知り合い。そう、知り合いだがな。その知り合いも大切な人を亡くした。

 殺されたんだ。法で裁かれはしたが、命で償われはしなかった」

遠くを見るような眼差しに、憎悪がありありと燃えている。

「許せなかった。まだ、ガキだったから、復讐のために力が欲しいと思った。

 力を手に入れるためなら、修羅の道に落ちてもかまわない、と」

リゾットが語りだしたのを、小町は黙って聞いている。

その『知り合い』が一体誰なのかを、知っていたから。

「その男は、笑うのが苦手になってしまった。大切な人を亡くしたから。

 だから、笑っていられたというなら、あの、チャリオッツといったか、

 あいつの本体は……強かったんだろうな」

その言葉に妖夢はハッとした。

あの笑顔は、彼の強さだ、と。そう思えた。

次の瞬間、ずん、と大きな地響きが館を襲った。

「フランが能力を使い出したみたいね……館本気で壊れるかも」

パチュリーが若干顔色を青くする。

その言葉は下手をすれば現実になりそうだった。

天井の一部がぐらぐら揺れたかと思うと、が衝撃に耐え切れず落下した。

「あ……」

天井が落ちた先には、チャリオッツの姿があった。

がらがらと崩れるガレキの中に、チャリオッツの姿が消える。

「やったか?!」

「何てこと言うんですか!」

ドッピオが叫んで、妖夢は怒りも露に言葉を返す。

確かにガレキはチャリオッツの身をずたずたに壊していた。

がしゃり、と音を立ててガレキから這い出す。その歩みを止めはしない。

その体が修復しない内から、這うようにして前に前に進む。

「いつ、まで」

その姿に妖夢の声が震えた。

「いつまで、戦うんですか。もう、いいじゃないですか」

目元をぐいっ、と拭い、彼をその青い目にしっかと捉える。

「私が、止める」

もう戦わせはしない、と決めた。

「……出来るんだね?」

「やるんです」

小町の問いに、しっかりとした声で答えた。

「そう。やれる、と思うことが大事なのさ。力を使うのに大切なのは認識すること。

 その心の強さが、『幻想郷』では力になる!」

だん、と床を蹴って飛び出した妖夢の背中に小町が叫ぶ。

突っ込んでくる妖夢に対し、半霊が刀を構える。

けれど、常時より速く動いたため、反応できなかった。

その脇をすり抜け、刀を構える。チャリオッツが、その気配に振り向いた。

 

――あなたは、守りたいものを亡くした――

 

――半身と分かたれて、帰る場所も無くした――

 

――でも、私がいる! 幽々子様もいる! あなたの傍らに!――

 

――あなたの、帰る場所になるから! だから!――

 

「正気に戻れえええええ、『シルバーチャリオッツ』ゥウウウウウ!」

妖夢のその想いを乗せた刃が、チャリオッツの迷いを、叩き斬った。

人間でいえば額に当たる部分に、白楼剣の刃が当たる。

そこから、ぴしり、と音を立て全身にヒビが入る。

まばゆい銀の光を漏らしながら、そのヒビはどんどん大きくなる。

ぱりん、と何かが割れる音がして、一瞬の後。

そこには、呆けたように立ちすくむシルバーチャリオッツが残された。

「シルバー、チャリ、オッツ?」

二人の青い目が、視線を交わした。

「う……うわああああん、シルバーチャリオッツぅうううう!」

妖夢は握った刀を取り落とし、感極まってシルバーチャリオッツの胸に飛び込む。

「もう、戻って、来ない、かと、思ったっ」

わあわあと声を上げて、妖夢は泣く。

「あなたごと、斬ってしまったら、どうしようかと、思ったっ!」

シルバーチャリオッツは、そんな彼女の背中を、ただ優しく撫でるだけだった。

 

「あー、やっと戻れたわ」

その光景を見ながら、元の体に戻ったパチュリーがごきごきと肩を鳴らしていた。

「んもう。あんたが無駄に動くから体が痛いじゃない。 あーあー、明日は筋肉痛になるわね」

隣に座り込んでいる男に声をかける。

「ああ、戻った」

ぽつりと、男は呟く。自身の胸元で、ぐっと拳を握る。

「戻った、戻った、ここに、ここにいる……」

無くしていた、あの日捨ててきたものが、戻った。

男は、ディアボロは、奥歯を噛みしめた。

 

「……はれ? お姉さま? 咲夜? それにDIOも?」

別所では、金髪に異形の羽を持った吸血鬼の少女、フランドールが首を傾げていた。

「どうやら、元に戻ったみたいね。ああ、折角のセットが台無しだわ」

水色がかった髪の埃をはたきながら、紅魔館の主レミリアがため息をつく。

「はぁ、修理するのに何日かかりますかねえ。

 あなたも手伝ってくださいよ、あそこら辺の壁、あなたが壊したでしょう」

むっとしながら、咲夜がDIOを睨みつける。

「う、うむ」

彼は半ば上の空で返事をした。先ほどまで、咲夜の体だったのだが、

その時、妙な感覚があったのだ。歯車が、ほんの少しだけ、かみ合わないような。

『他人』の体で、全くかみ合わないというのは納得ができる。

だが、どうして『少しだけ』、かみ合わなかったのだろうか。

悶々と悩むが、その答えは今の彼女からは見出せそうになかった。

 

「終わった、ね」

小町が自分の体に戻ったのを確認しながらやれやれ、と息を吐く。

「早く戻って、映姫様に今後のことについて聞かねばな。

 これが、二度ないとは言い切れない」

「そっちはあたいがやっておくよ、だから、あんたはもう一つの仕事を」

それだけ告げると、ふわりと小町は浮かびあがる。

早く帰りたいのだろう。そのまま外へ向かって飛んでいった。

「『地獄の魂は地獄へ返せ』か」

託された伝言の内容を思い出しながら、リゾットはレミリアの下へ向かう。

彼女の客人であるDIOを、裁かれるべき地獄へ返すために。

 

白玉楼。そわそわしていた幽々子は玄関から聞こえた物音に慌てる。

玄関へ出た幽々子は、帰ってきた二人を見て、ほっと安堵した。

二人とも、随分とボロボロの姿をしている。

どうやら、やはり行った先で何かがあったらしい。

それを問うのは後回しにしよう、と思った。

自分が言うべき言葉は、一つだ。

「おかえりなさい、妖夢、シルバーチャリオッツ」

その言葉に、妖夢は微笑み、チャリオッツも何処か嬉しそうだった。

「ただいま!」

 

銀騎士とあかその3「あなたのかえる場所になる」

 

 



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銀騎士と彼

 

 

紅魔館の客室。館の主レミリアは、目の前の二人を見ていた。

一人は金の髪をした吸血鬼DIO。

もう一人は銀の髪をしたメイド十六夜咲夜。

「何だか、機嫌が悪そうねDIO」

「……ふん。このDIOが地獄などという場所に戻らねばならぬのだからな。

 機嫌も悪くなる、というものだ」

ぎろり、とDIOはレミリアを睨みつけるが、それで臆する彼女ではない。

「大体、貴様は運命を操作できるのではなかったのか」

口を尖らせたまま問いかけた。

「物事には何事も限度がありますわ。お嬢様のせいではありません」

空になったカップに紅茶を注ぎながら咲夜は告げる。

「そのヘーコラする態度、気に入らないな」

「口を謹んでください。お嬢様の前ですよ」

二人の間に、今にもバチバチと火花が散りそうな勢いでにらみ合う。

「はいはい、二人ともそこまで。……咲夜、お願いがあるのだけれど」

「えー……、はい、なんですか」

やや不満そうに、咲夜はレミリアの方へ向き直った。

「普段入らないで、と言ってる部屋があるでしょう?」

ちゃり、とポケットから一つの鍵を取り出す

「その部屋の机の一番上の引き出しの中身を持ってきてちょうだい」

「はい、分かりました」

「なるべくゆっくりしてきてね」

鍵を渡しながらの主の言葉に、咲夜は考えた。

これはおそらく、DIOと話があるから二人きりにしろ、ということに違いない。

「失礼します」

一礼すると、すっと部屋を出ていった。

「さて……ごめんなさいね、あの子が無礼で。元ヴァンパイアハンターだからかしら、

 あの子、私とフラン以外の吸血鬼にはちょっと手厳しいのよ」

DIOへ向けて、牙を見せながら笑った。

「ヴァンパイアハンター? あの女がか」

「ええそうよ。あら、言ってなかったかしら」

笑うレミリアを見て、DIOは眉をひそめる。

一体、この女は何が言いたいのだろうか、と。

「彼女ね、元の世界では吸血鬼退治をやっていたのよ。

 ……母親を、吸血鬼に殺されたから」

「ほお。それが今では、吸血鬼の犬か」

バカにしたように笑うDIO。レミリアはそれを気にせず話し続ける。

「私を殺そうとわざわざやってきたのよ。返り討ちにしてやったけど。

 それで色々聞いたわ。……具体的には、過去をね」

遠い目をしながら、どこか悲しげに微笑む。

「物心ついたころには、彼女には両親がいなかった。

 父親は不明。母親も彼女を生んですぐ行方不明になっていた。

 ……ある日、彼女の下を一人の男性が尋ねてきたそうよ」

 

男は、彼女に一つの懐中時計と一本の銀のナイフを手渡した。

それは彼女の両親の形見だ、と言われて幼かった彼女は言葉を失った。

彼女の母親は吸血鬼のエサとなったのだと男は告げた。

かつて、吸血鬼の部下であった男は、その罪滅ぼしのために、

エサとなった女性の家族に形見を返して回っているのだと言った。

彼女は、懐中時計を開いた。そこには一枚の写真があった。

父親の写真で、彼ももう既にこの世に亡いらしい。

それでも、彼女は嬉しかった。存在しないと思っていた両親を手に出来た、と。

男が尋ねて来ていた頃、彼女は親族に虐待されていた。

その身に発現した、時間を操る能力を気味悪がられたのだ。

化け物、と蔑まれていた彼女にとっては、生きた人間よりも

死んだ人間の方がよっぽど救いになったのだ。

どんなに罵倒されても、懐中時計の写真と銀のナイフが、心の支えになった。

やがて彼女は家を出た。母を殺した吸血鬼という種族が許せなかったから。

世界に密かに暮らしていた吸血鬼達を、片っ端から退治して回った。

そしてある日レミリアの下に辿り着いたが、こてんぱんに負けた。

だが、レミリアはその能力が気に入った。

そのため、部下にしようと運命を操作しようとした。

「……驚いたわよ。運命操作があんなに梃子摺ったのは初めてだったわ」

ここまで話し、レミリアは紅茶を口にする。

「梃子摺った、とは?」

興味が出てきたのか、DIOが問う。

「あの子に課せられた運命の力が、ひどく、強かったの」

ふう、とため息をついた。

「朔の夜、即ち、新月の夜にある男を押し上げるために集うべき、運命。

 私に出来たのは、それを猶予(いざよ)わせることだけ。

 朔の夜に出でるまでの猶予いの運命。故に、ここでのあの子の名前は、

 『イザヨイ サクヤ』」

「新月の、夜?」

わけのわからないことを言う、とDIOは眉をひそめた。

「……詳しくは、あなたも交えて話すわ。入ってらっしゃい」

レミリアが呼びかける。キィ、ときしみながら扉が開いた。

そこに、咲夜が困惑したように立ちすくんでいた。

「咲夜、頼んだものは持ってきてくれたかしら」

「は、はい」

咲夜は駆け寄ると、手に持っていた小さな箱を渡した。

「お嬢様、先ほどの話ですが……私に、覚えがありません」

眉をしかめながら、咲夜は疑問を口にする。

「運命を操って、忘れさせたから、よ。猶予わせるために、必要だったから」

箱の中身を取り出し、DIOに投げ渡す。

「その写真の男が、咲夜の父親よ」

受け取ったそこには、話の通り写真が貼られていた。

 

それは、外の世界でとあるギャング組織の若きボスが、

パスケースに入れているものと同じ写真。

即ち、DIO自身の写真であった。

「何……!」

思わず駆け寄った咲夜も、その写真を見て愕然とする。

「あらあら、感動の親子の対面に、言葉も出ないのかしら?」

くすくす笑うレミリアが、ぱさり、と羽ばたいて浮かびあがる。

「お嬢様、これは……」

呆然としている咲夜の左肩に、手を当てた。

「証拠なら、こっちの方が分かりやすいかもねえ。

 あなたと同じアザが、本当はこの子にもあるのよ?」

からかうように、咲夜の服をちぎり、そこを露にする。

「きゃあ! な、何をするんですかぁ!」

DIOはまた言葉を失った。そこにあったのは、星のアザ。

瞬間、DIOは咲夜が首から下げていた懐中時計を手元に引き寄せた。

「この、時計は」

カチ、カチ、と時計は音を刻んでいた。百年以上前から、変わらずに。

その主が、DIOではなく、JOJOだった頃と、同じように。

「私が、DIOの、娘?」

「咲夜が、このDIOの、子供、だと?」

絶句したまま、二人は見つめあう。

「……悪いんだが、時間切れだ」

そこへ声がした。黒ずくめの男が一人、佇んでいた。

「あら、無粋な死神さんね」

レミリアが不満げに口を尖らせる。

「一週間猶予を与えただけでも御の字だと思ってくれ」

その手に身の丈ほどもある鎌を具現させる。

「あるべき場所へ帰るだけ、全ては元に戻るだけだ。

 ディオ・ブランドー。お前には地獄に帰ってもらわねばならぬ」

「ふん、やるなら、とっととしろ」

怯えもわめきもせず、諦め切ったようにDIOは座っていた。

「いい心構えだ」

ぶん、と鎌が振り上げられる。

「あ」

咲夜が、震えた声を発した直後。

鎌が彼の体に触れて、一瞬で彼の姿はかき消えた。

「君の父親だったのか」

鎌を消しながら黒ずくめの男、リゾットが尋ねた

「さっき、知りましたけどね。……仇、とれなかったなあ。

 多分、あいつが母さんを殺したのに」

咲夜の表情は分からない。

「復讐なんて、止めた方がいい」

「そうよねえ、私もあの時、同じことを言ったのよ。

 だから……また、忘れてしまいなさいな」

トン、とレミリアが咲夜の額を突く。

途端に意識を失った彼女を、レミリアは抱きとめた。

「……忘れさせるなら、何故真実を教えたんだ?」

「ちょっとした気まぐれ。それ以上でもそれ以下でもないわ」

紅魔館の主、永遠に紅い幼き月は、そう言って笑った。

 

所変わって外の世界のイタリア。時刻は真夜中。

ココ・ジャンボと呼ばれる亀の背中には、豪奢な鍵がはめられている。

この鍵は、亀のスタンドを発動させる文字通りの鍵である。

その能力とは、亀の背中に部屋を作り出す能力。

今、この部屋の中には二つの人影があった。

もっとも、どちらも人間ではないのだが。

銀髪の男はジャン=ピエール・ポルナレフ。この部屋に住む魂である。

「……マドモワゼル・オノヅカ、あなたが今まで言ったことは本当なのか?」

赤い髪を二つ結びにした女性をまじまじと見つめながら問う。

「ああ、本当さ」

そう答えられて、ポルナレフは考えこむ。

ありのまま、今彼に起こったことを話すならば、

異世界から死神がやってきて、自分もその異世界へ行くように告げられたということ。

その理由は、既にそちらの世界に居る自らの半身のため。

半身は、『守る』ことに固執し過ぎてしまっている。

だからもう半身である彼がいないと、非常に不安定になってしまうらしい。

今はおとなしくしているが、ついこの先日も『暴走』したのだ。

事態を重く見た異世界の閻魔が、死神を遣わして彼を迎えに来た、

というのが、彼女が彼に説明した全てである。

「あと、あたしのことは小町って呼んでくれたらいいから。

 マドモワゼル、なんて柄じゃあないよ」

照れたように笑う年若い彼女が、死神だとはその鎌を見なければ信じられないだろう。

「で、どうするんだい?」

小町の言葉にしばし考え込む。

「……分かった。ご一緒させていただこう。拒否権は無いだろうしな」

「別れは告げなくていいのかい?」

「いや、いい。皆寝てるだろう」

ふるふると首を横に振って答えた。

「俺がいなくなっても、あいつらは立派にやっていくだろうよ。

 あの矢を、託しても大丈夫だと思えるし、心残りはそんなにない」

部屋の片隅にある矢に、ちらりと視線を送った。

心残りが無いわけではないが、半身を放ってはおけなかった。

孤独に過ごしてきた間も、自身を支えてくれた半身の元に行きたいと思った。

「それじゃあ、行こうか、ジャン=ピエール・ポルナレフ!」

差し出された小町の手を、ポルナレフは笑顔でとった。

「こんな別嬪さんの死神と一緒だなんてなあ、

 天国に行くんだか地獄に行くんだかわかんねえが、ラッキーだぜ俺は!」

「もー、何言うんだいあんたは!」

クスクスと笑い合いながら、二人の姿は風のようにかき消えた。

 

桜の舞う庭で、シルバーチャリオッツと妖夢は花びらを掃いている。

「ふう……キリがありませんねえ」

ひらひらと舞い落ちてくる桜を見ながら、妖夢はため息をこぼす。

桜の花は綺麗だが、こうも際限がないとちょっとだけ嫌になる。

「あなたもそう思いませんか、チャリオッツ?」

呼びかけて振り向くと、シルバーチャリオッツは桜を見上げている。

「……あなたはそう思ってないみたいですね」

何処か楽しげに桜を見る彼を見て、妖夢も笑みを溢した。

そこへ、誰かが来た気配がした。

「誰ですか!」

妖夢はとっさに手元の箒を構える。

「え……」

そして、言葉を失った。

銀色の髪。青い瞳。右目は無くしたのか、眼帯をはめている。

妖夢は、その男を知っていた。

「あなた、は」

男はきょとん、としたが隣に立つ彼を見て笑みを見せる。

「さすがだなあ、シルバーチャリオッツ。そんなカワイー子と一緒なんて」

呼びかけられ、シルバーチャリオッツは箒を取り落とす。

かしゃん、と金属音を立てて、彼の元へ向かう。

「……待たせたな」

笑みと共に伸ばされた手に、チャリオッツは己の手を重ねる。

男が目を閉じる。チャリオッツと男の姿は重なり、そしてチャリオッツの姿が消えた。

しばらくつぶっていた目を、男は開く。

「色々迷惑かけちまったみてえだな」

男は歩み寄ると、妖夢に向かって照れたように微笑みかけた。

「え、っと、あの……」

何を言えばいいのか分からず、彼女は困りきってしまう。

そんな彼女の横を通り過ぎて、一体の幽霊が彼に擦り寄った。

「……ああ、そうか」

その幽霊を見て、愛しそうに懐かしそうに、彼は目を細める。

「お前も、ここにいたんだったな、シェリー」

「覚えて、るんですか?」

恐る恐る問いかける。

「シルバーチャリオッツは、俺の魂の半身だ。

 あいつが戻ったから、あいつの記憶も全部、俺の中に入った」

とん、と自分の胸を小突く。

「チャリオッツは、消えちゃったんですか?」

「そうじゃあない。……芽生えた自我は消えてないみたいだ」

彼の隣に、再びシルバーチャリオッツが具現する。

「そう、よかった……」

妖夢は安堵の息を吐く。だが、はっとした。

「あの、あなたがここに来たってことは」

その質問の意図を察して、彼も頷く。

「ああ。これから俺は、閻魔様の審判を受けてくる」

「そう、ですよね」

それは、シルバーチャリオッツと二度と会えなくなるかもしれないということ。

その事実に気づき、妖夢は俯いた。

「……心配しねえでくれよ」

くしゃくしゃと頭を撫でながら、ニカッと笑う。

「俺はまあ、その、人は殺したがよ、間違ったことをやったとは思わない。

 俺はいつだって、正しいことの白の中にいた。だから、地獄には落ちねえ」

きっぱりと言い放ち、さらに言葉を続けた。

「そんでもって、天国も満員らしいから多分輪廻待ちって奴だろ?

 そしたらまた、ここに戻ってこられるじゃあねえか」

「でも……」

まだ不安げな彼女に、ちょっとからかうような笑みで彼は言った。

「それによお、シルバーチャリオッツの帰る場所は、『ココ』なんだろ?」

弾かれるように顔を上げて、妖夢は少し涙を滲ませながら笑った。

「はい! ……私、待ってます。あなたと、チャリオッツが戻って来るのを」

「うっし、じゃあとっとと言ってくるぜ、妖夢ちゃん」

「よ、妖夢ちゃん?!」

慣れぬ呼び方をされて、妖夢はさっと頬を朱に染めた。

 

それからしばらく後。白玉楼に新しい住人が増えた。

異国めいた顔立ちをした彼は、白玉楼の庭師、魂魄妖夢と仲が良く、

人里の人々ともその気さくさからすぐに親しくなった

二人の仲の良さは、まるで本当兄妹のようだと、人々は言い交わした。

またその居候は腕利きの剣士であり、冥界で害を為そうとしたものは、

二人だか三人だかによって切り伏せられるともっぱらのウワサであった。

まあもっとも、害を為そうとしたものが醜い妖怪などの場合に限って、である。

「ポルナレフ!! あなたまた、巫女や魔女と宴会してましたね?!」

白玉楼の庭に、妖夢の声が響き渡る。

「おいおい、綺麗な花にカワイコちゃんに美味い酒だぜ?

 誘いを断ったら、フランス人としての名が廃るってもんだ」

「そんな名など叩き斬る!!」

ぶんぶんと刀を振り回す妖夢と、それから逃げ惑うポルナレフ。

半ば恒例となったその騒ぎを、笑みを浮かべ眺める幽々子。

冥界は、今日も平和だった。

 

 

 





咲夜さんに関しては、うん、ちょっと思いついただけなんだ、すまない。
裏設定としては咲夜さんの中の吸血鬼の血を消すために、
母親の形見である銀のナイフの成分をパチュリーの協力で彼女の中に宿して、
髪の毛の色が変わった、というのがありましたが書けませんでした。
多分古いものとか珍しいもの集めたがるのもジョースター家の
研究者肌な部分の血が発現したからかもね、と適当こいてみる。


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銀騎士と白玉と糸 その1


今回からはポルナレフも一緒。
設定捏造楽しいぜいえーい。






 

 

 

「へぷしんっ」

冥界の白玉楼に、可愛らしいくしゃみが一つ響いた。

発したのは、誰あろうここの主、西行寺幽々子である。

幽霊であるが故に青白い顔が、今日はほんのりと赤く色づいている。

「大丈夫ですか幽々子様?」

彼女が寝ている布団の傍らで、魂魄妖夢は不安そうな顔をする。

この主が病で寝込むところなど、ここ数日で初めてみたのだ。

「んー、卵おじやとリンゴくらいしか食べられそうになーい」

「……昨日よりは食欲が出たようでなにより」

居候であるジャンピエール=ポルナレフが傍らに座りながらため息をつく。

タイミングよくリンゴと皿と爪楊枝の載った盆を持ってきたところだった。

「出来れば小さめに切ってちょうだいな」

「了解です、っと」

ぽん、と空中にリンゴを放る。彼の傍らで何かがきらり、と閃く。

彼の精神の具現、シルバーチャリオッツの手にした銀の剣の光であった。

常人には数度光の線が走ったようにしか見えない動きの後、

皿の上にパラパラと小さなウサギ型に斬られたリンゴが落ちた。

「相変わらず見事な腕ね。……あむ」

幽々子はその内一つに楊枝を刺し、口に運んだ。

しゃりしゃりとした触感と甘さが、痛む喉に心地よい。

「それにしても、まさか幽々子様がお風邪を召されるなんて……」

「亡霊が風邪ひくたぁ、思わなかったなぁ」

目の前で次々とリンゴを片づける幽々子を見ながら、

妖夢とポルナレフは揃って訝しげにしていた。

「んー、なんか、里の方でも大変になってるって新聞にあったわよー」

最後の一つを飲み込み、口元を拭いつつ告げる。

「永遠亭の薬師によると、なんか力の強いのばっかり、

 この病に罹患してるんですってー」

「ということは、紫様もですか? 道理で見かけないと思いました」

「あら、失礼ね」

「うおわっ」

話題に上げた途端に、当の本人である八雲紫が、虚空から姿を見せた。

スキマから上半身だけ出して、彼女達に向かって笑いかけている。

「はぁい、幽々子。あなたが風邪ひくなんて珍しいわね」

「永く死んでたら、そんなこともあるわよ。あなたは大丈夫なの?」

いつも通りの、常人にはやや理解しにくい会話をしながら旧交を温める二人。

しかし、紫は幽々子の問いかけに、少しばかり眉をしかめた。

「それがねえ、クシャミした拍子にちょーっと緩んじゃって」

「あらあら、大変」

「ゆ、緩んだってまさか……」

「妖夢。俺はあまりここは長くねぇけど、多分、君が考えているのとは違うと思う」

「でも、紫様も結構長いこと生きてらっしゃいますから……いひゃい!」

何やら勘違いしたらしい妖夢の頬を、紫はにっこりと笑ったまま捻り上げる。

しばし、ぎりぎりという音と妖夢の呻きだけが室内に響いた。

「こほん。で、話を戻すわね。どうも、結界が少し緩んだらしくて、

 ウチとソトとの時間がズレちゃったことがあったみたいなの」

「まぁ……」

結界とは、この幻想郷を覆う博麗大結界のことである。

結界の向こうは、『外の世界』と呼ばれており、その世界で幻想となったものが、

こちら側へ流れ込む、という形式を作ることで、幻想郷では、

数多の妖怪達がその存在を保つことが出来ている。

その結界を管理しているのが、博麗の巫女と、妖怪の大賢者、八雲紫であった。

「でねぇ……困ったことに、そのズレた時間から、

 どうも外の人間が紛れこんできちゃったらしくって」

ふぅ、とため息をつくが、本当に困っているかどうかは怪しいものである。

「それで。悪いんだけどジャンピエール、貴方に、その人間を保護してもらいたいのよ」

「え? 俺が?」

腫れ上がった妖夢の頬を撫でていたポルナレフは、突如話を向けられて首を傾げた。

なお、幻想郷でも相当上位の存在である彼女に対して、

彼がフランクな話し方をしているのは、どうにも妹と同じ年頃の少女にしか見えぬためである。

初めて会った時にそう伝えて以来、彼は少々気に入られて、

言葉遣いの無礼さを咎められたことは、今のところない。

「そ。……彼女達の居場所まで、送るわね」

ひょい、と彼の腕を掴むと、そのままスキマへ引きずり込んだ。

「あの、幾らなんでも、急過ぎるんじゃ」

呆気にとられながら妖夢が問う。

「いいからいいから。お姉さんを信じなさいって」

八雲紫はただ、いつものように胡散臭げな笑みを浮かべるばかりだった。

 

 

「……ここは……?」

その少女は、何時の間にか見知らぬ場所を歩いていることに首を傾げた。

日本、であることは間違いないのだが、見覚えがない。

祖母の家は、首都の住宅街にあり、こんな深い森など近くにないはずだった。

うっすらと暗い森の闇の中からは、妙な獣や鳥の声がした。

「まず、状況を整理しないと……」

少女は、自分がここに来るまでのことを思い出す。

まだ十にも満たない少女にしては、随分と冷静な思考だ。

恐らく、親に似たのだろう、という予想は本人が聞いたら複雑な顔をするに違いない。

「確か、グランマの家に来て……、父さんと電話で喧嘩して……」

後から必ず来る、と約束したはずの父が、

急な仕事が入って行けなくなった、と連絡を寄越した。

楽しみにしていたのに裏切られたような心持ちになり、

電話の向こうの父親へと酷いことを言ってしまった、と今更ながら少女はしょげかえる。

「アタシを愛してないんでしょう、なんて、ひどいことを言っちゃった……」

でも、と彼女は俯く。父親が、自分と母を本当に愛してるのかどうか、

未だに実感出来たことが一度もないのだ。

物心ついてから、父は仕事が忙しい、と家に帰る時間が大幅に減っていた。

母に似て寂しがり屋な、父に似て負けず嫌いな娘は、

その寂しさを、決して父へとぶつけることはなかった。

けれど、それが親子の、ひいては夫婦の間に決定的な溝を生んでおり、

このままでは、二人が離婚してしまうことを、少女は子供ながらに理解している。

「アタシが出来たから結婚したんだ、ってママ言ってた。

 ……そんで、アタシなんて、居なければよかった、なんて、思って」

小さな胸に湧いた、小さな棘。

どうにか打ち消そうと歩き回っていたが、それは深く深く彼女の心に刺さるばかりで、

その思いが、彼女をその場所へと導いていた。

少女が立つその場所の名は、『再思の道』。

己の生を疎み、断とうとした外の人間が迷いこむ場所であった。

「こんな風に悩んでても仕方ないわ。人の居る場所を探さないと」

ふるふると首を振って、少女はキッと前を向く。

今の少女の瞳には、どんな困難にも立ち向かおう、という強い光が宿っていた。

つい先日まで、吸血鬼の館の客人であったとある吸血鬼が見たならば、

さぞかし忌々しげに吐き捨てたことだろう。

 

なんと、あの男とあの女に似た瞳をしているのか、と。

百年以上前の記憶から、同じ瞳を引きずり出して。

決して忘れえぬ、宿敵の瞳を思い出して。

 

 

 

「ん……?」

しばらく歩いていた少女の耳に、森のざわめきとは異なる音が飛び込んでくる。

「いやぁあああ!」

「悲鳴?!」

それは、若い女性の悲鳴のようだった。何かに追われているのだろうか。

怖い、と一瞬だけ足が止まる。でも、と思いなおす。

今、自分が行かねば、きっと後悔してしまう、と。

少女は声のした方へ駆け出した。ややあって、森の中から一人の女性が飛び出してきた。

年の頃は、少女よりはやや上。十代の半ばごろだろうか。

明るい色の髪はボサボサに乱れ、服はボロボロに破けている。

恐怖に揺れる瞳。それでも、彼女は少女の姿を見ると、声を張り上げた。

「に、逃げるのよ、お嬢ちゃん! も、モンスターが……!」

そこまでが、彼女の限度だったらしい。へなへなと、全身から力が抜けて、座りこんでしまう。

「っ、大丈夫、お姉さん!」

少女は自らが羽織っていた上着をかける。

恐る恐る、彼女の出てきた森の中を見やる。

ぐるぐる、と喉を鳴らしながら、巨大な野犬のような化け物が、姿を見せた。

口元からは涎がボタボタと垂れている。赤い目は、二人を見つめていた。

「わ、私は、いい、から。あなただけでも、逃げて!」

がたがたと身を震わせながら、彼女は少女を見上げた。

「私は、生きてた、って、仕方ない、わ。き、きっと、あなたを助けるために、

 私は、ここに来たの、そういう、神のお導きで……」

「馬鹿なこと言わないで!」

震える彼女の手を、少女は握りしめる。

「生きたいんでしょう、お姉さん!」

その言葉に、彼女は目をそらす。少女の預かり知らぬことだが、

彼女は、信じていた人物に手酷い裏切りを受け、愛するものと己の操を失った。

そのショックから命を断とうとし、しかし、死にきれず彷徨う内に、ここへ迷い込んだ。

「生きたいんじゃなかったら、悲鳴上げて、逃げたりしないでしょう!?」

「え……」

思いもよらなかったことを指摘され、彼女は目を丸くした。

「っ、あっちいけっ、化け物!」

手元に落ちていた木の枝を拾うと、少女は怪物へ向けてそれを投げた。

「ぐおおぅ!」

くるくると回転しながら、それは怪物の目へと突き刺さる。

「やった! ほら今の内、早く、立って、逃げないと!」

ぐい、と少女に手を引かれて、彼女はよろよろと立ちあがった。

「えっと、多分、こっち!」

道に添うようにして、少女が手を引いて走り出す。

「あ、その……ありがとう、えっと、あの名前は」

よろめきつつ走りながら、ふと思い立って名前を問う。

「え? お姉さんの名前?」

「あ、ええ、そうね。私から、名乗るべきね。私は……、『ペルラ』」

「『ペルラ』、素敵な名前ね。アタシは……」

彼女を安心させよう、と振り向いて少女は笑った。

 

「徐倫(ジョリーン)。ジョリーン・クージョー(徐倫・空条)!」

 

ブロンドとブルネットの混ざった、不思議な色合いの髪を、

三つ編みとお団子頭を揺らしながら、少女は笑った。

 

 

「ぐわぁおおおお」

しかし、状況は何一つとして好転していない。

目を傷つけられた怪物は激昂し、怒りも露わに彼女達を追いかける。

更に悪いことに、彼女達が走っている方向は、人里とは正反対であった。

「ッ、嘘、行き止まり!」

隙間なく生え揃った木によって、進路が塞がれているのを見て、徐倫は悲鳴を上げた。

逃げる術、戦う術はないか、と後ろにペルラをかばうようにして辺りを見回す。

そうして、気がついてしまった。

「ちょっと……、冗談じゃないわよ」

立ち並ぶ石。それは明らかに人の手によって立てられた――墓石であった。

「ここ、もしかして」

ペルラもそれに気がついたらしく、おどおどと視線を動かしている。

「ぐるぅう」

彼女達の真正面から、怪物が睨みつけている。

だが、少女は諦めない。何か武器になるものを、と辺りを探る。

そうして、すぐ近くで、キラリ、と光るものがあった。

「あれは……矢?」

黄金色に輝く、古びた矢じりが、そこに落ちていた。

中途から折れたそれは、武器として使うにはやや頼りなさげである。

「でも、無いよりは、マシね……」

怪物からけして目をそらさずに、少女は、それを手にしようとする。

緊張のあまり、手の震えが治まらない。

「つっ」

その矢が、指先を掠める。たらり、と血が流れた。

「ぐるうぅおわぁああああ!」

血の匂いを合図に、大きく吼えると怪物が彼女らに向かって飛びかかる。

「き、来なさいよ、化け物っ、アタシが、相手に……!」

矢の柄を握りながら、叫ぶ声は震えていた。

目の前に迫る牙に、巨大な爪に、恐怖をこらえきれない。

 

――助けて、父さん!――

 

来てくれるはずがない、と思いながらも、心中で叫んでいた。

「ぐるぁあああおおおおおお!」

そして、信じられない光景を目の当たりにした。

今にも飛びかかろうとしていた怪物が突然血を噴き出して倒れたのである。

「え……?」

呆気にとられ、立ちつくす二人。

「大丈夫かい、マドモワゼル?」

声をかけられて、二人はそちらに視線をやる。

銀髪を逆立てた男が、心配そうに彼女達を見つめている。

「え、ええ、あの、大丈夫、です」

体の前を隠すように、上着をしっかと握りしめるペルラ。

「そうか……、ここは危ない。人里へ案内しよう」

男が、手を差し出す。びくり、と震えてペルラは後じさった。

「怪しいものではない。俺の名は、ジャン=ピエール・ポルナレフ。

 まぁ、その、この近くに暮らしているものだ」

再度手を差し出すが、ペルラはその手をとることはない。

とることが、出来ない。

「……初対面の女性の体に触れるのは、図々しかったな、すまない」

ポルナレフは、彼女の反応を見て手を引っ込める。

ちらりと見えた、ボロボロになった服。あれは、逃げる途中に引っかけたものにも、

ましてや、妖怪に襲われた故のものにも、見えない。

あんな近くまで近づいていたら、取り逃がすはずがないのだ。

作為的に裂かれたような服を着て、死を望んだものが迷い込む小道に居た少女。

ポルナレフは、勘付いてしまっていた。彼女に何があったのか。

だから、無理に男である自分が、彼女に近づこうとは思えない。

「ねえ、おっさん」

「……何だい」

もう一人の少女に呼びかけられて、少しばかり衝撃を受ける。

まあ、三十も半ばを過ぎたのだ、おっさんと呼ばれても仕方ないのだが。

「あの化け物……」

「あー、その、あれだ。信じてもらえないかもしれないが、

 俺は、ちょっとした超能力が使えてな。それで、倒したんだ」

嘘は言っていない。スタンド能力だって、超能力だ。

そう思いながら少女に笑いかけて、ふ、と妙な感覚に陥った。

彼女の顔を、何処かで見たことがあるような気がしたのだ。

「超能力? それじゃあ……」

そんな彼の困惑も知らず、首を傾げて、少女は倒れた怪物の隣を指差す。

「あの、『銀色』の人は、誰?」

「っ、見えるのか、シルバーチャリオッツが?!」

ポルナレフは驚く。幻想郷の中でこそ、一般人にもスタンドが見えるが、

外から来た彼女に、シルバーチャリオッツが見えるとは思わなかったからだ。

「うん、見える、よ、あの、銀、色、の……」

そう言いながら、徐倫は自分の体がカッと熱くなるのを感じた。

頭がふらふらする。舌が回らない。目が腫れぼったい。

とさり、と地面に倒れ込む。

「! 大丈夫か、しっかりし……!」

彼女を抱き起そうとしたポルナレフは、信じられないものを見た。

一つは、彼女が握りしめた金色の矢。ここに、あってはならないはずの物体。

「馬鹿な……、何故、これがこんな所に……」

そうして思い出す。この場所は、外ととても繋がりやすい場所で、

外の世界のものが、ここへ流れ着くことがある、と。

おそらく、その矢もそういった理由で流れ着いていたに違いない。

焦る。この矢は、適正のないものが触れれば、その身を爛れさせる猛毒となるのだ。

「それに、この、アザは……」

上着を脱いだ少女は、キャミソール姿であった。

故に、彼女の左の首筋にある、一つのアザが見えていた。

星の形のアザ。彼の友人か、彼の宿敵しか持っているはずのない、アザ。

「ジョリーン、どうしたの、ジョリーン、しっかりして!」

ペルラが、慌てて駆け寄ると彼女の体を揺さぶる。

「……名前……」

「えっと、私は、ペルラ。この子は、ジョリーンって言ってたわ!」

「ジョ、リーン?」

知っていた。その名前を。

「ジョリーン・クージョー……?」

「え、ええ。あの、貴方彼女のことを」

知っているの? とペルラが問う暇もない。彼女を抱えて、ポルナレフは叫ぶ。

「紫! 見てるんだろう、紫!」

「はーい、ゆかりんでーす」

呼びかけに答えるように、何も無い空間から、紫が現れる。

ひっ、と小さくペルラが悲鳴を上げる。

「頼む、今すぐ彼女を、永遠亭に連れていきたいんだ!」

「そういうと思ったわよ、ジャンピエール」

にっこりと笑いながら、日傘をくるくる回す。彼女の背後の空間が、裂ける。

中からは幾つもの目が覗いている。あまりに信じられない光景に、

張りつめていたものが切れて、ペルラが倒れた。

地面に落ちる前に、シルバーチャリオッツが彼女を抱きとめる。

「ありがとう……、俺は、この子を死なせるわけには、いかないんだ」

ためらいなく、その隙間の中へとポルナレフは徐倫を抱えて身を翻す。

ペルラを抱えたシルバーチャリオッツも、その後へと続いた。

 

 

畳の上に座って、男は一人カードを混ぜている。

日によく焼けた指先は器用に動き、とてもではないが、

ほんの少し前まで両腕がちぎれていたとは想像も出来ないだろう。

それぞれ別の暗示を持つ、二十二枚のカード。

男は、これを使った占いを生業をしていた。

カードの束を一旦置くと、上から順に三枚引き、

それを、左から右に並べ、捲った。

「『戦車』の正位置と『星』の正位置、それに『死神』の逆位置、か」

じっ、と男はその三枚を見て、意味を考える。

『死神』の逆位置は、再スタート、やり直し、復活。

これは恐らく、自分がこの場所で救われたことだろう、と推測する。

仲間を、否、友人をかばい、男は命を落としたはずだった。

しかし、気がつくと彼は竹林の中に倒れていたのだ。

傍らには、ちぎれた己の腕が転がっていた。

痛みに呻いていると、そこへ一人の少女が通りかかると、

その姿からは想像できないような力で男を抱えて、ここへ置いていった。

優れた能力を持つ薬師によって、どうにか一命を取り留めた男。

出来ることなら、一時でも早く彼は元の場所へ戻りたい、と願っているのだが、

ドクターストップをかけられ、未だにここで養生している。

占いに使っているカードは、ここの主である姫君が暇潰しの道具として、

たまたま持っていたものを、どうせ使わないからと譲り受けていた。

「ただ……戦車と星を、どう解釈したものか」

二枚のカードを見つめ、意識を集中させる。

ふ、と頭に浮かんだのは彼の友人の姿。

その二枚の暗示を持つ能力を持った、二人の青年。

「……どうして、居るんだろうな」

ほんの『数日』離れているだけの彼らの姿が、何故だが懐かしく思えて、

男は、口元に笑みを浮かべた。

彼らなら、きっとあの邪悪で強大な敵を、打ち倒しているだろうと信じて。

「……?」

突然、屋敷が騒がしくなったように感じる。

この屋敷には、急病人や怪我人が運び込まれてくることが少なくない。

今日もまた、その類だろうと思いつつ、男は立ち上がった。

男手が必要なことも、ひょっとしたらあるかもしれない。

患者とはいえ、何もせずに居座っては少々居心地が悪い。

声がする方向へ向かうため、障子を開けて縁側へ出る。

屋敷の中は入り組んでいて、突っ切るのには向かない。

縁側から、ぐるりと回った方が早いのだ、と兎の耳の生えた少女に教えてもらった。

玄関近くの庭へ至る角。誰かが叫んでいるのが聞こえる。

「頼む、先生、この子を死なせないでくれ! 俺の、大事な友人の子なんだ!」

「安心して任せてちょうだい」

角を曲がりつつ、男はそこに居るであろう永琳に声をかけた。

「先生、何か手伝うことはありませんか?」

声をかけられて振り向いた、銀髪を三編みにした女性。

彼女こそが、この屋敷に住む優秀な薬師、八意永琳その人であった。

「ありがとう。大丈夫よ」

新たな患者を受け取りながら、永琳は男に微笑みかけた。

そして、気がつく。男の視線が、自分を見ていないことに。

その視線の先に居たのは、患者を連れてきた、白玉楼の居候だ。

 

「あ……」

ポルナレフは、言葉を失った。

目の前に現れた男の姿を、信じることが出来なくて。

一方、男も驚いた。目の前に立つ彼に、見覚えがあったからだ。

しかし、同時に内心で疑問が湧き上がる。

記憶にあるよりも、目の前の彼は老けていたからだ。

だが、彼の父親は既に亡く、兄や、それに類する家族が居るとも聞いたことはない。

そもそも、彼の近しい親戚は皆亡くなったと聞いている。

だから、男は目の前に立つ彼の名を、呟いた。

「ポルナレフ……、お前、ジャン=ピエール・ポルナレフ、か?」

名を呼ばれ、ぽかん、としていた彼の、ただ一つ残った目に、涙が溢れる。

「アヴドゥル、あんた、なんだな? あんたなんだな、モハメド・アヴドゥル!」

サァ、と竹林を吹き抜けた風が、男の浅黒い肌を撫で黒い髪を揺らした。

ああ、とアヴドゥルは理解した。

タロットに現れた、『戦車』の暗示は彼のことか、と。

「そうだ。……元気そうだな、ポルナレフ」

にこり、と笑うと、ポルナレフも釣られて笑みを見せかける。

しかし、ハッとして、視線をそらす。

「悪ィ」

ぽつり、と呟く。

「?」

アヴドゥルは、言葉の意図が理解出来ない。

「……死んでるんだ、俺。折角、あんたにかばってもらったのに。ドジ踏んだ」

ごめんな、と眉をひそめ、彼には珍しいぎこちなさを伴って微笑んだ。

 

 



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銀騎士と白玉と糸 その2


前作で書いてない彼の特徴を指摘されて思い出しました。
大体、そのためだけの回です。下ネタにご注意ください。





 

 

永琳の処方した薬を飲んだ徐倫は、布団の中で少々汗をかきつつ眠っている。

その隣の布団では、気絶したままのペルラが、未だに目を覚まさない。

「肉体も精神もとにかく疲労しているわ、今はそっとしておくのが一番よ」

二人が眠る部屋の襖を静かに閉めるポルナレフに、永琳はそう告げる。

「それにしても、あのウィルスに感染した患者を、

 実際に見ることが出来るなんて思わなかったわ」

「ウィルス?」

永琳の言葉に、アヴドゥルが首を傾げた。

「ええ。私達は、『☆△×○□』って読んでるんだけど……、

 地球の人には、ちょっと難しい発音ね」

「はは、まるで宇宙から来たようなことをおっしゃる」

「うふふ、地球の人間だなんて名乗った覚えはないけどね」

永琳は、ニコニコしながら茶を啜った。

アヴドゥルも、それを冗談だと認識して笑っている。

「とにかく、彼女が感染したウィルスは、ある種の生命体に、

 特殊な力を与えるものなの。例えば……貴方の『炎』のような、ね」

「それはつまり、スタンド能力を?」

命を救われた直後に、アヴドゥルはスタンドについて彼女と助手の鈴仙には説明していた。

彼女達も並みの人間でないことは判っていたし、どうしてあんな場所に

倒れていたのかについての説明にも、必要だったから。

「ええ。……まあ、そっちの彼は知ってたみたいだけど」

胡坐をかいたまま、ジッと畳を見つめているポルナレフに、視線をやる。

「何、そうなのか、ポルナレフ?」

アヴドゥルが問う。ポルナレフは、答えない。

「おい、ポルナレフ、返事くらいしないか」

「え、あ、ああ、すまん……、それで、ジョリーンは大丈夫なんだな?」

「今のところは、薬でウィルスの進行を抑えてるわ。彼女の精神が勝てば、大丈夫でしょうね」

「そうか……、やっぱあんたでも、無理か」

ポルナレフは、またぼんやりと畳を見ていた。

いや、正確に言えば、何も見てはいないのだろう。

「……ポルナレフ、彼女は、一体誰なんだ?」

「そっか、あんたは知らないんだっけ」

ふ、と一つきりの目に寂しさを浮かべて、ポルナレフはアヴドゥルを見た。

「ペルラ、っていう子の方は、多分普通に神隠しにあった子だと思う。

 ただ、ジョリーンは……、承太郎の娘だよ、多分」

「何……? しかし、彼はまだ高校生じゃあないか」

アヴドゥルの問いかけに、ポルナレフは一瞬目を丸くし、

それから、一人納得したように頷いた。

「そうか、紫が言ってた、時間がズレたってのは、そういうことか……」

「時間が、ズレた?」

「ああ。俺の居た時間は、あの戦いから十年以上経った後だ」

「そ、そんな馬鹿な。私がこちらに来てから、まだ数日しか経っていないぞ」

「……この場所が特殊な場所だ、ってのは聞いてるだろ?

 ここの管理人の一人が、ちょっと能力の操作ミスをしたんだと」

予想外の展開に、アヴドゥルは驚いたが、同時に納得がいった。

それで、目の前の彼は自分が知る彼よりも老けているのか、と。

「積もる話があるみたいだけど、患者が寝てる隣でのお喋りは、

 ちょっとご遠慮願いたいわね」

「そう、だな。それじゃあ、私が今使わせてもらってる部屋にでも行こう」

 

 

部屋へ移動した二人は、向かい合う。

「十数年後から来た、というのが本当なら聞かせてもらえないか。

 私が、居なくなってから、何があったのか」

「……その前に、ちょっと、手、出してくれよ」

「?」

首を傾げながらも、アヴドゥルは手を差し出す。

ポルナレフがその手をとる。

「脈も、体温も、あるな」

「生きてるんだ、当然だろう」

「ああ、そうだよな……、あんた、生きてんだな……」

くしゃり、とポルナレフの顔が歪む。

その手を握ったまま、ほろほろと涙を溢し始めた。

「馬鹿野郎……、これで、二度目、じゃねえか……。

 二度も……、死んだと思わせて、泣かせる、なんざ、悪趣味だぞ……」

「……すまない」

宥めるようにその肩を叩こうとして、アヴドゥルは思い出す。

先程の彼の言葉を。

「お前は、もう、死んでいる、のか?」

「ああ。今の俺は、亡霊、って奴らしい。けどまぁ、転生待ちで、

 今は白玉楼っつー、冥界の屋敷に世話になってる」

握っていた手を離し、ポルナレフは、笑みを見せた。

その笑みに、かつてよりも深い悲しみを感じて、アヴドゥルは眉をひそめる。

「あっ、と悪い。話が逸れちまったな。あんたが、居なくなってから、だが……」

ポルナレフは、今までのことを話し始める。

アヴドゥルを攻撃したのは、ヴァニラ・アイスという吸血鬼であったこと。

そいつを倒したものの、イギーは彼をかばって死んだこと。

花京院も、DIOの手によって殺されてしまったこと。

それでも、辛くも承太郎によってDIOは倒されたこと。

故郷に帰ってから、『弓』と『矢』を追い始めたこと。

調査の途中である組織と敵対したために、何年も孤独だったこと。

ある邪悪と戦い、その結果命を落としたこと。

それでも、とある少年達に希望を見出し、託してきたこと。

「そうか……、大変だったな」

一度に聞いて少々疲れ、アヴドゥルは、ふう、と息を吐いた。

「悪ぃな、ホント。折角、あんたに生かしてもらったのに、

 あんまり、長く生きらんなくてよ」

「おいおい、そんなことで謝るんじゃあない。お前は、よくやったさ」

「いいや、駄目だよ。結局、死んじまったことを、承太郎には伝えられてねえし、

 俺一人で突っ走って、その結果出さなくていい被害も出しちまった」

納得がいかないらしく、ポルナレフは首を横に振った。

アヴドゥルは、そんな彼に少々苛立ちを覚えた。

何も、一人で全部背負いこんでしまうことなど、ないのに。

 

 

「……悪い、ちょっと手を洗いに行きたいんだが、どっちだ」

「ん? ああ、そこを出て左に行った突き当たりだ」

「分かった」

障子を開いて出ていった彼の気配が遠ざかってから、アヴドゥルはため息を溢した。

彼の感覚では、ほんの数日前でしかない、あの戦いの中。

ポルナレフの笑顔は、まだもう少し明るいものであったはずだ。

それが、今日見た限りでは、どうしてもその笑顔から悲しみの陰が消えていない。

確かに同じ人物のはずなのに、198X年のポルナレフと、

200X年のポルナレフの間の差異が、埋まらない。

時間の流れも、彼が背負った運命も残酷だ、と悲しくなった。

「のわぁっ?!」

そんな彼の耳に、突如として彼の間抜けな声が響いてくる。

「?」

さて何事か、と立ち上がり、トイレの扉の前まで歩みを進める。

「どうした、ポルナレフ」

「……アヴドゥル……」

どうしようもなく情けない声で、ポルナレフが呟く。

「雑巾……あるか? 足、滑って……」

言葉の意味を理解するのに必要だったのは、ほんの数秒。

 

――そういえば、ここは汲み取り式のトイレだった――

 

理解した途端に、思わず口から笑いがこぼれた。

「ふっ、くっ、ははっ、ははははは! なんだ、相変わらずか!」

「わ、笑うこたぁねえだろぉ」

扉の向こうで、ポルナレフの泣きそうな声がする。

「は、ははは、いや、すまんすまん! ちょっと探してくる」

「頼むぜ、ホント」

「ふ、くくく、それにしたって、お前」

笑いが止まらない。差異が埋まらない、など考えた自分が馬鹿馬鹿しい。

何年経とうが、彼は、彼の良く知るジャン=ピエール・ポルナレフなのだ。

「相変わらず、『トイレで災難に遭う』なぁ、ポルナレフ!」

「笑うな、ってんだよ、アヴドゥル!」

ぺしり、と扉越しに具現したシルバーチャリオッツが、彼の頭を叩いた。

 

 

 

 

 






……うん、この話を書かないといけないなって今更気付いたんだ。
汚い話でサーセン。でもまぁ、いいよね、ポルナレフだし。
なんか永遠亭なら水洗トイレどころかウォッシュレットまで完備してそうだけど、
まぁ、見た目古い日本家屋だし、ボットン便所でも、いいじゃない。
……彼女らにトイレが必要か? とか深く考えたら負け。


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銀騎士と白玉と糸 その3

 

 

『自分』をかばった人影。その人は言った。『いつだって、大切に思っていた』と。

視界が揺れた。目から溢れて止まらない涙のせいで。

今よりも少し大きな自分は、その喪失を越えて、戦った。

失ったものは、その人だけではなかった。

 

――失って、戦って、また失って、戦って。『アタシ』はどうなったんだっけ?

 

胸いっぱいの泣きたい気持ちを抱えたまま、空条徐倫は目を開いた。

見上げた天井は、父方の祖父母の家に似た日本風。

この天井はどの部屋のだっけ、とぼぅっと考えるが答えが出て来ない。

体中がふわふわと熱い。風邪でもひいたのだったろうか、と記憶を辿っていく。

父との口論。自分さえ居なければという悲嘆。迷い込んだ見知らぬ森。

助けを求める女性。見たこともないバケモノ。自分を助けてくれた人。

「ここ、どこ?」

そこが敬愛する祖父母の家ではないと結論づけて、徐倫は布団から身を起こした。

襖で区切られた部屋を見るに日本のどこかであることは間違いなさそうだが、

具体的には一体どこなのか、さっぱり判らない。

「目は覚めた?」

からりと襖が開いて、そこから一人の女性が姿を見せる。

赤と青の奇妙な服装をしている彼女に一瞬身構えるが、帽子の十字に警戒を解く。

それが病院関係の仕事を示すマークなのは、小さな子供でも知っていることだ。

「あなた、ナース?」

女性は優しく微笑みながらも首を横に振る。

「似たようなものだけど、少し違うわ。私は八意永琳。ここで薬師をやっているわ」

「クスシ?」

言われた言葉の意味が解らず、首を捻る。

「……医者だと思ってもらって構わないわよ」

しゃがみこむと、徐倫の手をとり脈を見る。

「うん、脈拍は安定してる……熱はまだ少しあるみたいね」

額に当てられた手の心地よさと寝起きでボーッとしていた徐倫は、

その言葉に意識を失う直前のことを思い出す。

「そうだ。アタシ、頭痛くなって、倒れたんだった」

体中を焼き尽くすような熱に意識を保っていられなくなり、倒れ込んだ時、

誰かが支えてくれたような感触があって、その人が自分を呼ぶ声が聞こえた気がする。

「あ! そうだ、あの、ペルラさんは」

一緒に怪物に追われていた女性の安否を尋ねる。

「大丈夫よ、隣の部屋で寝てるわ。……疲れたみたいだったから」

永琳が微笑む。彼女に真実を告げる必要はないだろう。

こんな小さな子供には、ペルラの身に起きたことはショッキング過ぎる。

その程度に空気を読むことは、何処ぞの龍の使いでなくても出来るのだ。

「よかった」

ペルラも無事と聞いて、徐倫はほっと息を吐く。

「ありがとうございます、ヤゴコロ先生」

「お礼なら、私じゃなくてここに運んできた人に言ってあげて。

 あなたのこと、心配してたみたいだから」

「え?」

徐倫は首を傾げた。運んでくれたのは、多分あの『銀色』を連れた人だろう。

しかしどうして、初対面のはずの自分を心配してくれるのか、解らなかった。

 

――あれ?

 

初対面、ではないような気がした。化け物から助けてくれる以前から

徐倫の記憶の中におぼろげながらも存在している。

街の中で見かけただけ、というレベルではない。

もっと、どこかずっと、身近な所で確かに彼の顔を見たはずなのだ。

記憶を辿る。大きな扉。開くと中には本棚があってびっしりと本が埋まっている。

読んでみてもちんぷんかんぷんな本や、綺麗な海や魚の写真集が主だ。

部屋の持ち主が滅多に帰らないため、埃が積もってしまったそこに一枚の写真があった。

「あ……」

そうして、思い出す。その写真の中に確かに、彼と同じ髪型をした青年が居たことを。

その写真の中で、普段滅多に感情を露わにしない父親が、何処か楽しげな顔をしていたことを。

「先生、ジョリーンの具合はどうです?」

開いたままになっていた襖の向こうからひょっこり覗いた顔は、

あの写真の中にあるのと同じ顔だ、と断定しながらも徐倫はまた首を傾げた。

そもそも、あの写真は一体いつ撮られたものだったんだろう、と。

 

 

「改めて名乗らせてもらおう。俺は、ジャン=ピエール・ポルナレフ」

徐倫が無事だと知るやいなや男の顔が安堵に彩られ、そのまま緩みっぱなしだ。

その人懐っこそうな笑顔に、徐倫の頬もつられて緩む。

「えっと、アタシは名乗ってなかった、よね。アタシは」

「ジョリーン。空条徐倫、だろ?」

ポルナレフが手を伸ばし、その頭をわしゃわしゃと撫でる。

「随分とまあ、大きくなって」

「……やっぱり、おっさん、じゃなくて、ポルナレフは、アタシのこと知ってるんだ」

訝しげに見上げると、その笑顔に寂しいものが混ざったように見えた。

「俺は、君の父さんと友達だった。君とは赤ん坊の時に会ったこともあるんだぜ?」

こんなちっこかったけどな、と親指と人指し指で示す。

そんな小さいわけない、と否定することもなく徐倫の顔が少し曇る。

「そっか、父さんの。……アタシ、父さんのこと何にも知らないのね」

彼女の父、空条承太郎はとにかく寡黙であった。

必要以上のことはあまり喋らない。笑顔を見た記憶もあまりない。

その眼差しはいつもどこか遠くを見ているようだった。

母と知り合う以前の父がどういう人間だったのか、一応周りの人間、

例えば少しボケてしまった曾祖父や明るく美人な祖母、

父と同じように寡黙な、しかし表情豊かな祖父に聞いてみたことがある。

口を揃えて、子供の頃は元気で優しい良い子だった、と言う。

……しかし、彼が十七歳になって以降のことは、ぱったりと皆、口を噤んでしまうのである。

古いアルバムの中にいる闊達そうな少年と、今の寡黙な父が繋がらない。

父は、母と自分に何かを隠している。それに纏わる不信感と不安が拭えない。

「帰ってから聞けばいいじゃないか」

そんな彼女の不安を掻き消すように、目の前の男は事もなげに答える。

「帰って……、そういえば、ここ何処なの?」

今更浮かんだ疑問を口に出せば、男は苦笑しつつ頭を掻く。

「ここは、『幻想郷』って場所なんだが」

さてどう説明したものか、と呟いてポルナレフはしばし黙りこむ。

「……あーまあ、なんつうか、モンスターとかフェアリーが住んでる、

 日本にある小さな隠れ里、かな」

子供だましみたいな説明、と心中で徐倫はやや口を尖らせた。

それからすぐに思い直す。『今』の自分はまだ子供じゃないか、と。

まるで、『大人だったことがあった』かのように。

「んー、アリスの不思議な国みたいなもん?」

「あー、そうだな、そんな感じで。でも不思議の国とは違って、夢じゃあないぜ」

とにかく、妙な場所だというのは理解して、ため息一つ。

「……やれやれ、だわ」

まさか自分がそんな場所に来るなんて、考えもしなかった。

現代のアメリカに暮らす彼女にとってモンスターやフェアリーなんて、想像上の生き物でしかない。

けれど、本当にいるんだ、と少しだけドキドキしたのもまた確かだ。。

ふと、記憶の片隅に追いやっていた光景が、脳裏を過る。

それは彼女は今よりもまだ幼かった頃の記憶。

温かな背中に寄りかかりうとうとしていると、なんだか不思議な気配がしてくることがあった。

そんな時にバレないようにこっそり目を開けるのが好きだった。

『誰も居ない』のに、自分に毛布がかけられたり、

ノートやペンや本がふよふよと空中に浮かんでいたり。

きっと目には見えない妖精がいて、『その人』を手伝っているのだと思っていた。

しかし小学校に入って、妖精なんてただのおとぎ話だとクラスの子達が話すのを聞いた。

だから、あれは寝ぼけた自分が見た夢だったに違いない、と記憶の底に眠らせていた。

今もその光景は薄ぼんやりと遠い。大好きだった背中が誰のものかも思い出せないくらいに。

 

 

「でも、アタシがどうしてそんな場所に?」

「――扉を管理するお姉さんのミスで、な。お姉さんだぞ、お姉さん」

何故か殊更お姉さんを強調するポルナレフ。

危機迫ったその表情に、ごくり、と唾を飲み下す。

「間違ってもっ、何があってもっ、『ミセス』だの『おばさん』だの言うんじゃあないぞッ!?」

「何があったんだお前は」

襖が再度開いて、そこからもう一人別の男性が姿を現す。

よく日に焼けた肌とエスニックな衣装の彼は、呆れたようにため息をつきながら、

ポルナレフの隣へと腰を下ろした。

「俺じゃねーって、ただそう言っちまったやつがよ……」

身震いするポルナレフ。彼が何を見たのかは定かではない。

「そうか……、まあ、それより。この子がジョリーン、だな?」

ジッと徐倫のことを見つめる。

その視線の強さに何だか居たたまれず、足がむずむずしだした辺りで、彼もまた微笑みを見せた。

「成程。顔立ちが承太郎やジョースターさんにそっくりだ」

その微笑みも記憶の中の写真にあったものと同じだ。

「はじめまして、ジョリーン。私はモハメド・アヴドゥル。君の父さんや曾おじいさんの友人だ」

しかし、いざ面と向かって言われるとやはり不思議な感じがする。

 

――父さんってどこでこんな知り合い作ったんだろ?

 

写真に写ってたのは、ガクセー服とかいう日本のハイスクールに通う生徒の服のはずだ、と

記憶の中にある写真をもう一度思い起こす。

そうすると、目の前の光景への違和感が湧き上がった。

「ねえ、ちょっと聞いていい?」

「ん、どうした?」

「どうして……、えっと、ポルナレフのほうが、老けてるの?」

「む?」

質問の意図を理解しかねているらしい彼の表情に、問いなおす。

「……父さんの本棚に、写真があったわ。若い頃の父さんと、アンタ達の写真」

今よりももう十は若い銀髪の青年が、今と全く変わらない褐色の男が写っていた。

「写真が、十年くらい前のなのに、アヴドゥルが全然変わってなくって、

 なのに、ポルナレフはきちんと歳をとってる気がして……」

質問に二人は揃って目を丸くし、ついで頭を抱える。

「まぁ、色々とあってなぁ」

徐倫は知らぬことだが、本人達さえつい昨日その事実を知ったばかりなのだ。

それを、どうやって説明したものか。あの戦いを知らぬであろう、少女に。

「……これだから大人ってやだ」

その答えに落胆し、徐倫は肩を落とす。

「父さんも、アンタらも、私が子供だからって、なーんも教えてくれないんだ」

「……そうじゃあない、けっして君が子供だから言わないのではなくてだね」

子供の扱いがあまり得意ではないらしいアヴドゥルが、少々慌てている。

その隣でポルナレフの表情が強張っていた。

「いいよ、ごまかさなくても。……アタシに教えない理由が、子供じゃないからって言うんなら」

先に言っておこう。この時に、彼女は説明されないことに落胆していた。

故に、その言葉が口を突いて出たのだ。先程まで見ていた夢のことは、最早記憶になかった。

 

「きっと、父さんはアタシが嫌いなんだ」

 

「そんなわけないだろうッ!」

 

反射的に放たれた悲鳴じみた大声に、びくり、と肩が跳ねる。

その肩に、ポルナレフの指が――造り物の小指を含めた十本の指が――食い込む。

「そんなことを、言うんじゃあ、ないッ!」

途切れ途切れに紡ぎ出される声は、震えていた。

「承太郎がッ、君を、嫌いだなんて……」

感極まって、ポルナレフの片方しかない目から、ほとほとと涙がこぼれ落ちる。

「そんなこと……言わないでくれ、頼むから……」

その指の力強さに、徐倫の中にはただ疑問が湧き上がる。

どうして、赤ん坊の頃の自分しか知らない人がこんなことを言って、泣くのだろうか?

肩に食い込む指はどれも冷たい。

 

――まるで、死体みたい。

 

どこか場違いに、そんなことを考えていた。

何故死体の体温を知っているのか、などと考えもしない。

冷たくなってしまった体に、『いつ』『どこで』触れたのかさえ、考えもしない。

ただただ、この状況に困惑するばかりだった。

 

 

 



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銀騎士と白玉と糸 その4

 

 

 「……よさないか、ポルナレフ」

ポルナレフの行動を咎めるように、アヴドゥルがその腕を掴んだ。

そうされてようやく、酷く力の入っている己の指先に気付いたらしい。

ポルナレフは慌てて手を離す。

「……すまない」

ぎこちなく笑って、ゆらり、と腰を上げた。

「何処へ行くんだ?」

「病みあがりの女の子の傍に、幽霊が長居するわけにもいかないだろ」

襖を開いた向こうに消えていく背中は、何か言いたげに見える。

しかし、徐倫にはそれが何なのかを掴むことが出来ない。

「……幽霊?」

サッ、と背筋に冷たいものが走る。

指先に一切の温もりが感じられない理由。それは彼が死んでいるからなのだ。

「ああ、心配しないでもいい。君も私も、死んではいないからね」

彼女の顔色が青ざめた理由を読み違え、アヴドゥルは優しげに微笑む。

「君は必ず家族の下に帰れる。安心すると良いさ」

節くれだった温かな手がくしゃくしゃと彼女の頭を撫でる。

「……うん」

曖昧な返事をして、徐倫は布団に潜りこむ。

「何かあったら、その辺りをちょろちょろしている兎に声をかけるといい」

それなりに働いてくれるから、と告げてアヴドゥルも部屋を出た。

人の気配が消えた部屋の中、徐倫は考える。

 

――帰りたい、と思えない。父さんに酷いことを言ってしまったから。

 

――きっと、父さんはかんかんに怒ってアタシを嫌いになるだろう。

 

「でも」

布団の中で小さく呟いた。

ポルナレフは言った。承太郎が徐倫を嫌いだなんてことは、『悲しいことだ』と。

承太郎が徐倫を嫌いだなんてことは、『有り得ない』とでも言うように。

 

「――空気は読むけど、空気になるのは悲しいものがあるわね」

「わわっ!」

布団に潜った彼女の隣で、永琳がそう言って苦笑するものだから、

徐倫の口からはつい素っ頓狂な声が漏れてしまった。

 

 

 

 「全く。自分の感情に素直過ぎるのは相変わらずだな」

永遠亭の縁側。アヴドゥルとポルナレフは並んで座っている。

「年とって、ちょっとは落ち着いたと思ったんだけどよ」

苦笑するポルナレフの視線は竹林へと向いたまま。

「にしたって、折角、元気でいる家族なのに、どーして仲良くやれねえもんかねえ」

「さて、こればかりはまだ親になったことが無いから解らん」

多少おどけて肩をすくめるアヴドゥル。

「……ああ、そっか、あんた、本当に生きてんだな」

その一言に、ふ、とまたポルナレフから笑みがこぼれる。

「おいおい、人を勝手に殺すんじゃあないぞ」

「ははっ、悪い悪い。まだ信じられなくてな」

まぶたを閉じずとも、今でもあの光景は思い出せてしまう。

彼を守るために突き飛ばした腕だけが、ごろりと暗闇に転がっていた。

あの光景は未だ生々しく刻み込まれている。

「多分、ここに来る前の俺があんたを見たらこう言っただろうよ」

自分のことは棚に上げて、と前置きして続きを言おうとし、

「うわあああああ幽霊だあああああああ!」

口にしかけたのとほぼ同じ内容の悲鳴に言葉を遮られた。

「……妖夢」

呆れたように苦笑いを浮かべて、悲鳴の主に視線を送る。

「え? え? 何で? どうして? だって、アヴドゥルはあの時、粉みじんになって……!」

視線の先で、妖夢はパニックを起こして刀を抜こうとしていた。

「妖夢。事情を説明するから落ち着け。アヴドゥルが間抜け面晒してるだろ」

「う、うむ。こほん。面と向かって幽霊呼ばわりは、あまり気分が良いものではないよ、お嬢さん」

ぽかん、と開いた口を慌てて閉じ、咳払い一つしてごまかす。

「あ、あわわ、ごめんなさい!」

自分が失礼なことを言ったと自覚して、慌てて妖夢は頭を下げた。

「私は魂魄妖夢と言います。彼とは同じ職場で働いてます」

「ほう。では私のことはこいつから聞いたのかな?」

「あ、いえ、その……」

妖夢は口ごもり、ちらりとポルナレフに視線を送る。

視線を受け、彼は頷く。

「……妖夢は色々あってな、俺の、っつーかシルバーチャリオッツの記憶を覗いたんだ」

 まず最初にそう告げて、ポルナレフはシルバーチャリオッツが

幻想郷に訪れてからのことを語り始めた。

 

 

 ポルナレフ達が妖夢と話している頃、徐倫が己と父の関係に悩んでいる頃、

ペルラは一人天井を見上げていた。

木と紙で出来ているらしい扉は案外遮音性は高いが、

それでも彼女を起こすには十分な音量を隣室から伝えたのだ。

「……生きてる……」

怪物に襲われた。悲鳴を上げた。走って逃げた。一人の少女と出会った。

それから――なにか、とんでもないものを見て、気絶した。

そうして、ジョリーンに言われた言葉を思い出す。

『生きたいんでしょう、お姉さん!』

『生きたいんじゃなかったら、悲鳴上げて、逃げたりしないでしょう!?』

その通りだと思う。自分は死にたくなかったのだ、と。

見上げる天井が滲む。ペルラは瞼を下ろした。

それでもなお後から後から涙がこぼれていく。

「ウェスは、もう、いない、のに」

暗闇に浮かぶのは、横たわった愛しい人の姿。

「兄さんに、裏切られた、のに」

自分を汚した男共は、兄の指図だとそう言ったのだ。

敬虔な神の信徒である兄は、彼女とその恋人の仲を許さない、と。

まだキスまでしかしていないような仲であっても、許さなかったのだ。

「なのに、私は……」

口を抑えて、横向きになる。

隣室の少女に聞こえないように、嗚咽を抑え込む。

「うっ、ぐっ、ひっ、くぅ……」

それでも涙とうめき声は、止まることなく彼女の中から溢れだす。

頬を伝い落ちるその涙は、彼女の名が示すように、『真珠』によく似ていた。

「……好きなだけ、泣けばいいんじゃないのかな」

彼女にそう声をかけて、その髪を優しく梳く手があった。

「泣いて、泣いて、泣き疲れて眠って、いいんじゃないかな」

語りかける声は年輪を重ねているようでも、幼いようでもある、不思議な声だった。

「辛かっただろうね、苦しかっただろうね」

まるで自分もそんな目に遭ったかのように、声は続ける。

「でも、生きていれば必ずイイコトもある。それを、保証してあげる」

穏やかな手と声に、彼女の心も落ち着いていく。

「……だから、今はまた、眠るといいウサ」

声がそう告げたのを聞いて、ペルラは再び眠りの底へと沈んでいった。

「……こういうのは、キャラじゃないんだけどなぁ」

永琳に頼まれてペルラの様子を見ていた彼女は立ちあがる。

彼女にしては珍しく、気遣うように足音を潜め、その部屋を出る。

廊下側へと抜けた彼女は、足元にすり寄ってきた兎を抱き上げて一撫でする。

気持ち良さそうに兎は目を細め、耳をぴこぴこと揺らす。

抱えて歩く彼女の頭でも、同じような耳が揺れている。

 

 『因幡の素兎』の逸話は、凌辱された女性のメタファー。

そういう解釈が、存在している。

 

 因幡てゐ、と呼ばれる妖怪兎は思う。

自分の能力の効果が彼女に出ればいいな、と。

『人に幸運を与える程度の能力』を持つ妖怪兎は、珍しく神妙な顔をして、そんなことを考えた。

 

 外の世界。大きな湖の畔。横たわる男の指先が、かすかに動いた。

 

 

 



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