不意に東方のお話が書きたくなりまして、でも思いつく妖怪とかは大体二次創作で書かれてしまっているので何がいいかな~と考えて考え付いたのが蟹でした。
蟹の話。
精一杯蟹らしさを出していこうと思います。
その者が明確な自己を有して自身のことを蟹だと判断したのは、僅か半刻前ほどの話である。奇妙なことに蟹は生まれて数年経って自我というものが今現在このときに芽生え、初めて住処の沼のほとりから水面に映る自分の姿を確認し蟹だと判断したのだ。
姿形はまごうこと無き蟹そのもので、それも川や池で暮らす淡水の種であり、見栄を張っている大きな左の鋏と見劣りするようなこじんまりとした右の鋏、左右四対の脚に目天突きの蟹の最もそれらしい。甲殻類の一種として体は堅牢な殻で守られているのだが、その殻が同類の黒くくすんでいる赤色とは違い、体の所々にある黄色い斑模様を除けば墨よりも黒い真っ黒の殻なのだ。もう一つ同類との相違を挙げるとするのならば、他の同類は皆々右の鋏が大きい。この黒蟹は先述したように左の鋏が大きい。気にしなければ気にしない些細な違いではある。ただ、姿形にほとんど違いがない同朋たちの中にいるとその違和感は大きい。目立つのだ。この上なく目立つ。例えるのならば、白人の中に一人だけ黒人がいるようなものである。無論、黒蟹以外の同朋たちは自我すらも芽生えていないような蟹なので、一応同類である黒蟹のことをつまみ者にするほど仲間意識はない。所詮は畜生。それも蟲と同等の存在である。それ故、生まれてからの数年間同朋たちの中で生き残ることができた。しかも、その黒い外見は陰に隠れれば見つかりにくく天敵である鳥の類から逃れることが容易い。巨大な魚は脅威だが黒い色は食欲をそそらないようで、魚は皆赤い色をした同朋を狙う。幸運にも容姿に助けられている。恵まれている。同朋よりも一回り大きくなったのは天敵が少ないからかもしれない。
月の綺麗な夜。
黒蟹は自身の巣穴である石の隙間から横歩きで這いずり出て、沼の中ほどにある巨大な岩に登り、水面に写る三日月を眺めていた。
己が自己を得たのはほんの少し前のことだ。
今まで生きることしか考えられなかった本能的自我に、我とはいったい何者なのかという自問自答の悩みが生まれたのである。
その瞬間はいつだったかは覚えていない。随分前のことかもしれない。
ただ、自分が蟹だということを判断できたのはつい先ほどのことである。
すると今まで悩みに悩んで頭の中に渦巻いていた靄が綺麗サッパリと消えるような感覚を得たのだ。
水を得た魚、もとい答えを得た蟹。
解の虫――蟹。
これは中々愉快であった。
黒蟹は水面の三日月を見ながら思った。
同時にこうも思った、
悩みを解決するのは面白いと。
黒蟹は小気味よく左の大きな鋏を二回ほど鳴らすと、水面から夜空に目を向けた。
三日月の周りには自分の黄色い斑模様によく似た星がこれでもかというほど無数に広がっていた。
『黒星』
黒蟹はこれから自分のことをそう呼ぼうと、思った。
理由はない。
強いて言うのならば、それが自分に対する答えのような気がしたからである。
星は月に負けじと輝きを増すばかりである――
★ ★ ★
黒蟹が『黒星』と名前を付けてから、幾許かの時が過ぎた。
黒星は時の流れなど気にしていなかったが、既に十年近く経っている。
黒星は大きく育っていた、それこそ他のどの同朋たちよりも大きく遂には天敵である(?)魚たちよりも大きくなり、今では専ら捕食者となり沼における食物連鎖の頂点に君臨していた。
沼の主である。
大きく育った要因としてはやはり黒星がよく悩みよく考えたからに他ならない。
他の沼に住む生き物よりも頭を使ったのである。
効率のいい捕食、効率のいい巣穴、効率のいい生き方。
悩んで考え、学んで育つ。
それは外敵から身を守ることにも役に立ち、今まであった危機からも逃げ切ることができたのだ。
そんな考える蟹こと黒星の今の悩みは自分のその巨大ともいえるような体躯についてだった。
悠に五十センチは超えているだろう。最早巣穴に住むこともかなわず、沼の中ほどにある月の良く見える岩を自分の寝床にしている。
同朋達はある日を境に皆々ほとんど成長しなくなったし、中には寿命を迎えた者も出てきている。
しかし、自分はどうかと言われれば未だにその身を大きくし続けている。
もし、このまま一生成長し続けていくとしたら、何れはこの沼より大きくなってしまうのではないか。
有り得ないような不安を本気で考えてしまうぐらいには困っていた。
悩んでも悩んでも答えなど見つからず、黒星はそこで一旦自分の体躯については考えることを諦めた。
沼に住めなくなったら、その時また考え直せばいい。
約十年生きた蟹はこの頃、問題の先送りを覚えた。
気が付けばまた、夜空に月が昇っていた。
昼からずっと考えていていつの間にか日が暮れていたようだ。
自身の真上には満月が昇っている。
黒星はカチンと巨大な鋏を得意げに鳴らした。
夜はまた過ぎ去っていく――
★ ★ ★
更に時は流れ、黒星が自己を持ってから百余年が経過した。
黒星も年を数えていたわけではないが随分と長い時間を生きているな、としみじみ考える今日この頃。
黒星は更に大きく成長していた。最早、黒星を狙う外敵などおらずときには水を飲みにやってきた鹿や猪の類を捕食するまでになった。脚を広げればその全長は畳二つ分を超え、約五メートルにもなる。
寝床にしている岩が少々手狭に感じるようになった。
薄々気が付いていたが、五十年ほど前に黒星は自分が唯の蟹ではないと確信した。
蟹の化物と呼ばれても何らおかしくないほどに成長している。
同朋達はいつの間にかどこか違う場所へ引っ越したようで、黒星は一匹取り残されることとなった。
黒星がずっと悩んでいた自分の大きな体躯ではいずれ沼に住めなくなるのではという不安は、黒星が予想だにしない形で解決した。
三十年ほど前の話である、激しい嵐の夜であった。
黒星の住んでいる沼は近くの川から水が流れて形成されているのだが、嵐の後、どうやら付近の山を流れる川が決壊したようで新たな川の流れを造り黒星の住む沼に流れるようになったのだ。
ゆっくりと沼は水位を増していき、今では湖と呼ばれるほど深く大きく変わっていた。
いくら黒星の体躯が大きかろうがこの湖程にはならない。黒星は安心を得たのである。
最近の事であるが、黒蟹は友を得た。
齢三百を超える黒星程ではないが大きな体躯を持つ、名を『玄仙』という亀である。
甲羅の左端が少し欠けているのが特徴の黒い亀だった。
出会ったのは半年ほど前で、黒星が話をしてみたところどうやら西の方にある大きな大陸からゆっくりと海を渡ってきたようだ。
三百年も生きているため玄仙は広く深い知識と経験をもっており、黒星の一つの問いについてとことん探究する性格と馬が合い、二匹は出会えば一日中会話に花を咲かせていた。
例えば、ある日はこんな会話をした。
「蟹殿は“妖”という生き物を知っておるか?」
「妖ですか?それはどういった姿形をしているのでしょうか?」
「姿形は様々じゃよ。獣の形をしておるもの、魚の形をしておるもの、中には木や蟲の妖もおる」
「それでは普通の生き物と何ら変わりがないのでは?」
「然様。彼奴等は儂や蟹殿と大きな差はない。所詮は畜生じゃ。じゃがの、妖と呼ばれるものは皆特別な力を持っておる。それに、普通に生きる生き物よりもずっと寿命が長い。故に彼奴等は自然の中では頂点に立っている者も多い。ちょうどこの湖を統べておる蟹殿と同じじゃな」
「……私は別にそのようなことは――」
「分かっておるよ、蟹殿はそのような妖とは違う。でなければ、儂はとっくの昔に蟹殿に平らげられておるわい」
「私はそのようなことはしませんよ。絶対に。月に誓ってしません」
「かかか、そうじゃろうな。――じゃが、蟹殿。これだけは覚えておいてもらいたいのじゃ。今はまだこの湖は安泰じゃ。されど、いずれは妖などが現れてこの湖の魚や貝を食い荒らそうとしてくるかもしれん。強い力を持つものほど傲慢な奴が多い。この世を我が物と勘違いしているものも中にはおる。蟹殿はこの湖を荒らされたいかのう?」
「まさか。ここは私の住処であり生まれ育った故郷です。余所者の好きにはさせません。追い返してやります」
「何事も力をもって撥ね退けるというのは善くないことじゃ。蟹殿は己が故郷を守りたいだけかもしれんが、傍から見ればこの湖を支配しているように見えるかもしれん」
「では、もし力を持った妖がこの湖を求め攻めてきた如何すればよいのですか?」
「受け入れるのじゃよ。お互いに折り合いをつけて自然の恵みを分かち合うのじゃ。それでもなお湖を荒らすよう輩なれば、いよいよ武力をもって追い出すのじゃ。よいか、妖も儂も蟹殿も同じ生き物じゃ。生まれ生き方は違えどその本質は畜生じゃ。幾ら力が有れどその力を横暴に振るってはいかん。傲慢は身を亡ぼす。世界は広く、自然は厳しい。儂ら畜生は所詮木端な存在にすぎんのじゃ。故に共存する。儂は長いこと生きてきたがやはり孤独で生きるのは難しい。蟹殿に会うまでは何度も死にかけた。蟹殿も孤独になれば儂と同じような目に遭うかもしれんし、最悪命を落とすこともあるやもしれん。……もし、どうにもならないことがあったら儂を頼れ。いや、いつだってよい。些細なことでも良い。老いぼれの儂は力はないが知識はある。微力ながら蟹殿を助けられるやもしれん。蟹殿も儂のほかにももっともっと友を作れ。孤独に負けないようたくさん作れ。さすれば、儂よりも長く生きられるじゃろう」
等々。
玄仙は様々な至言と生き抜く知識を黒星に教えていった。
よくよく教えていたのは妖のことである。恐らくそれは、玄仙は黒星の正体を妖の類だと考えていたのだろう。黒星は気が付いていないが――というより知る由もなかったのであろうが、黒星は蟹の妖である。
妖が自身のことを妖だと気が付かないというのも奇妙な話ではあるが、今までただの蟹だと思って生きてきたのだから仕方がないと言えば仕方がない。
玄仙はただの長生きした亀だが、昔は妖の友もいたこともあってか黒星の妖としての力に気が付いたのだ。
故に玄仙はゆっくりと教えていった。
それは弟子に知識を授ける師のようで、また我が子を諭す父のような教え方であった。
大きな蟹と年老いた亀は月夜の下で静かに語り合う。
不意に蟹は自前である左の大きな鋏をゆっくりと鳴らした。
音は湖全体へ綺麗に響いていく――
★ ★ ★
黒星は五百歳になった。
その頃には黒星の体躯も成長を止め、結果として全長は十メートル程まで黒星は大きくなった。
黒星は妖としての力も使いこなし自由自在に自身の体の大きさを変えられるようにまでなっている。
玄仙が黒星にその正体が妖であると告げたのは約百年前のことだ。
理由は黒星にも多くの友が出来てきたからである。中には妖の者も大勢いる。
玄仙は黒星にこれから妖として生きていけるように教えることを決断したのである。
玄仙に迷いはなかった。
黒星は既に自制を覚え、友を頼ることを知り、助け合いを行うようになっている。
そもそも、黒星が知らなければいけないことを態々教えないということもないだろう。
同時に悟っていた。これが最後の教えになるであろうことも。
黒星は賢い。
知識に対しては玄仙よりもずっと貪欲である。
玄仙が経験したことは教えつくしてきたつもりだし、これからも恐らく黒星は己が問いの答えを求め続けるだろう。
修業という意味も含め、或いは免許皆伝と言ったところであろうか。
黒星に玄仙は黒星が妖だと伝えることしたのだ。
「何でしょうか、お話とは?」
「そう、大したことではない。なに、昔のように少しばかり教えを授けようと思っての」
「教えですか。是非お願いします」
「うむ。といっても、蟹殿も薄々気が付いていることじゃろう。蟹殿自身のことじゃ」
「私自身のことですか」
「そうじゃ。敢えて黙っていたわけではないのだが、蟹殿が先に気が付いてしまっているかもしれん。じゃが、それは確信が持てるとは言いがたいじゃろう。故に儂から話しておこうと思っての。――蟹殿、いや黒星。
お主は妖じゃ」
「そう、ですか。やはり。私は妖なのですね」
「然り。蟹殿は間違いなく妖じゃろう。恐らく鍛錬すれば白河や朱啼のように“妖力”という力が使えるかもしれん。残念ながら儂はただの亀。妖のことは彼ら妖に教えを乞いなさい。儂では力不足じゃ」
「……玄仙さんは――いえ、師匠はやはり師匠です。私の知らない知識を答えをたくさん教えてくれました。今日もまた私は一つ答えを知りました。だから、これからもよろしくお願いします」
「……蟹殿、困ったときは友を頼りなさい。昔から言っておるが、このことだけは忘れなさるな」
「はい、ご鞭撻ありがとうございます」
そこで、玄仙は大きく欠伸をした。
「達者でな、蟹殿」
それが玄仙の最後の一言であった。
次の日から玄仙は深き眠りについた。
蹲るように、苔の生えた甲羅を日に当てながら、湖の中ほどにある大きな岩――昔黒星が住処にしていた岩の上で、玄仙はその長い亀の生涯を終えたのである。
黒星が他の妖と共に湖を出る決断をしたのもこのときである。
玄仙と別れた黒星は、問いの答えを探しに友と旅に出ることにしたのである。
静寂に包まれた夜空には月は昇っていなかった。
ただただ、散りばめられた星がはかなく輝いている。
その星の輝きを拾うのは湖にポツンと浮かぶ岩。
その上にある満月は朧げに反射する。
鋏の音はもう鳴らない――
昔、沢蟹を二匹ほど貰って飼い始めたことがあったのですが、貰ったその日に水槽のふたを閉め忘れて逃走。
翌朝、家で飼っている犬の小屋の前に赤い殻のような物の破片と鋏が落ちていました。
犬って蟹も容赦なく食べるようです。
幼い頃だったので結構ショックでした。
個人的には蟹は好きですがあまり憧れる生き物ではないですね。
平べったいし、食いづらいし。
でも、見ていると和みます。
お粗末さまでした。
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壱話 妖怪道中
なんて、作者は妖怪ウォッチなど一度も見たことが無いのですが。
作者は鬼太郎派です。
第四期のアニメ世代ですね。
第五期も見ました。
妖怪と言えばやっぱり恐怖。
そんなお話が書きたいものです。
分け入っても分け入っても深い緑の生い茂る森の奥地に成人少し手前ぐらいの少年が歩いていた。
喪服で使われる墨染めされたように黒い着物を纏い凛々しくも何処か柔和な雰囲気を醸し出している少年である。
まだ子供らしさの抜けきっていない顔つきだが、それでも理知的な達観した瞳が光っている。
「お~い、そんなに先に行くなよ!!」
凛々しい少年に追いつくような形で十歳ほどの童が現れた。
頭にしょぼくれた帽子をかぶっており、着物も渋染めのようなみすぼらしい(?)色合いをしている。
少年と童は頭二つ分ほど身長差があった。
「お前はでかいからただでさえ歩くのが速いんだ。もう少しオイラ達に合わせてくれ。」
「済まない、このあたりの草木についつい目を奪われてしまってな」
「ずっと湖に暮らしていたもんな。気持ちはわからなくもないけれど、別に草木は逃げやしないんだからもっとゆっくり歩いてくれ」
「そうだな、配慮に欠けていた。新しいものなどを見ると抑制が効かなくてな……」
「ま、次からは同行者への気配りをしてくれよな」
「うむ、気を付けよう」
如何やら青年と童は気の置けない友のようで和気藹々と道中を共にしているようだ。
壮大な旅なのかそれとも散歩程度なのか……いや、このような深い森の奥地に入り込む時点で散歩ではないこと確かだが、とまれこうまれ二人の目的は不明である。
「そういえば、朱啼はどうした?」
「――うん?あ!忘れてた。しまった、置いてきちまったかなぁ……」
「……白川も他所のことは言えないな」
「痛いところを突くが、全くだ。どっこいどっこいってとこか?」
「で、どうする探すか?」
「うにゃ、待ってりゃ追いつくだろう。もし迷っていたとしても、アイツは空を飛べるんだから問題ないさ。オイラ達はこの辺で夕飯の食材でもとってんべ」
「朱啼が道に迷うこともないか……。そうだなそうしよう」
二人は周りの草木を物色し、野草や木の実やキノコそれに虫を採取し始めた。
慣れた手つきなところを見ると、今までもこうして食材を集めてきたようだ。
と、二人が徐々に食材を集めているところで顔の朱い、雉ほどの大きさの鳥が一羽バサバサと羽音を鳴らして近くに木の枝に着地した。
「……あなた方は私を放置して何をしているのですか?」
唐突にその朱い顔の鳥が話し始めた。
「お、やっと来たか朱啼。お前を待っている間にオイラと黒星で手分けして今日の夕食を採っていたところさ。」
「待ってって……。私を置いていったのはあなたでしょうに」
「それについては悪かったよ。この通り、謝罪の限りだんべ」
童は深々と頭を下げた。
「……全く、次からは気を付けてくださいよ」
「んだな」
「それで黒星は何処に?」
「あっちの方に小川があったから魚取りに行ってる。もうじきくんじゃねーか?」
「そうですか、では私は薪でも集めておきましょう」
「そうしてもらえると助かるべ」
しばらくすると、十匹近くの魚を五匹ずつ紐に通して両手にぶら提げた青年が戻ってきた。
「待たせたな。――朱啼も来ていたか」
「来ていたかじゃないでしょうに。元はと言えばあなたが勝手にどこかへ行ってしまったからでしょう」
「それについては済まない。この通りだ」
青年は童と同じように頭を下げた。
「はあ、黒星と白川は同じように軽々しく頭を下げるのですね」
「悪いと思っているから頭を下げているのさ。別に常にべこべこしているわけではない。」
「んだんだ。とはいっても、頭を下げるのはお前ら二人だけだがな」
「白川、あなた前に出会った森の主に頭下げまくっていたじゃない」
「あれは、特別だ。命の危機の前に矜持も誇りもねぇ」
「あなたの頭は軽いわね。恥ずかしくないのかしら?」
「殺されるよりはましだべ」
「……まあ、一理はあるわね」
お分かりだと思うが、この三体は全員が全員妖である。
まず理知的な風貌の青年は黒星が変化の術で化けている。
百年前までは殆ど妖力を扱えなかった黒星だったが、今ではこのような術を簡単に使えるようになっていた。
どうやらもともと素質はあったようだ。
残りの二体はどちらも黒星の友である。
付き合いが長く二体とは百年以上は一緒にいる。
出会ったのは黒星がもともと住処にしていたあの湖で、黒星と反りが合い今に至る。
童の方はかわうその妖である。名を白川おべべ。
変化の術で童の姿をしているが、元の姿は毛むくじゃらの丁度変化している童ほどの体格のカワウソである。
黒星が住んでいた湖から流れる小川の付近に巣穴を持っていて、川を遡って湖に訪れた際に偶然黒星と出会い、それ以来友としてつるんでいる。
明るく、明日の風は明日吹くといったような能天気な性格からか、黒星とも対立せずに直ぐに仲良くなっていった。水辺にすむ妖同士気が合うのかもしれない。少なくとも黒星にとっては初めて出会った大切な妖の友だ。
黒星に妖としての生き方や変化の術を教え、また今回の旅に誘ったのも白川である。
朱い顔の鳥は妖おんもらきである。名を朱啼鳳火。性別は雌。
彼女は変化の術を使えないため元の姿である朱い頭の鳥の姿で旅に同行している。
遠い地方から飛んできた彼女は羽休めのために湖に降り立ったところ、黒星と白川に出会い、多少の対立はあったものの今では気が置けない仲になっていた。
生真面目でしっかり者の彼女は少々気性が激しいところがあるが、基本的に自由奔放な黒星と白川を上手くまとめている。それ故に、振り回されて一番苦労をしているのも彼女である。
鳥の妖である彼女は旅の道中ではよくよく空から次の目的地までの方角を確認したりしている。
三者三様種族、見た目共に異なるのだが、まるで家族の様に親しく彼らは旅を続けていた。
「朱啼、火を頼めるか?」
訛りが混じる白川は集めた薪に火をつけてもらうよう朱啼に頼む。
「ええ、任せなさい」
心得たとばかりに朱啼は薪の近くに降り立つと、嘴を欠伸をしているかのように大きく開き、炎を吐き出した。
その炎はいとも容易く薪に着火し、すぐさま燃え広がる。
おんもらきである彼女はその特性から炎を吐くことができる。
それも自然の炎とは違い多少の風では吹き消されることもなく、どれだけ気温が低かろうと直ぐに燃え広がる。
言ってしまえば妖術の類であり、彼女は白川や黒星よりもその才能は高い。
「流石だな」
「んだな。いつ見ても綺麗だべ」
「当然よ。私の炎ですもの」
二体の賛辞に彼女は得意げに胸を張る。
その様子を片目に見つつ、白川は慣れた手つきで黒星がとってきた魚を適当な小枝に突き刺し、燃える薪の側へ並べていく。
黒星は黒星で適当な石とすり鉢のような形をしたお椀を使って、堅い木の実を砕いたり、川から汲んできた水を使って野草の泥を落としたりしている。
変化の術を使えずに鳥の姿である朱啼は手が使えないために手伝うこともできず、ただただ二人の様子を眺めているだけである。
彼女はそっと張った胸を元に戻した。
彼らはそこそこ良いトリオなのかもしれない。
調理を終えたときには日は山の向こうに沈み辺りは暗闇に包まれた。
朱啼の灯した火が辺りぼんやりと照らしているのみである。
「うん、そろそろ頃合いだ。食うべ」
「やっとね。もう完全に日が沈んでしまったわ」
「まあ、夕食なのだし問題はないだろう。まだまだ、薪も残っている。じっくり食べよう」
程よく焼けた川魚と茹でた野草に木の実汁の三品を三体は仲良く分け合って食べていく。
「それにしても黒星は魚を捕るのがうめぇな。オイラよりもずっと多く捕ってくる」
食事の最中に白川がそんな話題を黒星に振った。
「水の中は陸よりもずっと動きやすいからな。魚なんかよりも速く動ける。故に捕るのは容易い」
「オイラも水ん中は心地よくて好きだが、あのすばしっこい魚を捕るのは一苦労だべ」
白川は感心したように黒星の方を見る。
「私に至っては水辺なんて大嫌いよ。だって羽が濡れて重くなるもの」
朱啼は悪態を吐いた。
「雨の日はどうすんだ?濡れちまうべ」
そんな朱啼に白川は疑問を呈す。
「雨の日は大きな木の陰でひっそりと過ごすものよ」
「不便だな。私や白川にとっては絶好の日和だというのに」
「妖の種族的問題よ。水辺に住む妖と私のような鳥妖は全く違うのよ」
「オイラだって土砂降りの日は巣穴でじっとしてるべ」
「そうなのか?」
「お前と一緒くたにすんな。土砂降りの日は川の流れが強すぎるから泳ぐには向いてないんだべ」
「私からすれば土砂降りの雨の音が反響して楽しいのだが……」
「……流れに流されない黒星だけの特権よ」
呆れたように溜め息を吐きながら朱啼は言った。
そんなこんなで会話を交えつつ、食事は進んでいく。
とうとう十匹以上あった魚は残り四匹となった。
「残り四尾か。どう、別ける?」
黒星が残り二人に問う。
「オイラと朱啼が一つずつ。後の二尾は捕ってきた黒星が食べるべ」
「そうね、それがいいわ。」
こういったとき、他の妖怪ならば取り合いの喧嘩が始まるものなのだが、この三体は仲が良い。
まず取り合いの喧嘩をしないものだ。
「そうか、ではありがたく頂くとしよう」
と、そんなときである。
ゆらりと薪の火が揺れた。
「む」
「何だあ!?」
木々の隙間を縫って吹き抜けた風は、急に突風となり、薪で燃えていた火を吹き消した。
当然、辺りは暗闇に包まれ、いくら夜目が効く妖であっても急に明かりを消されてしまうと目がついていけない。特に鳥目である朱啼は全く見えないようで驚きふためいている。
慌てふためく中、一つの黒い影が暗闇に紛れて三体の方に駆けてくる。
「何者だ!」
視界に捉えた黒星は白川と朱啼を庇うように影との間に割って入る。
しかし、影は黒星の隣りを素通りしてさっさと行ってしまった。
「……今のは一体?」
「とりあえず明かりをつけるべ。朱啼頼む」
「分かったわ。それにしても、私の炎を消したということは恐らく妖の仕業ということね」
朱啼の吐く炎は自然の風では消えない。
しかし、妖術によって起こされた風では吹き消されてしまう。
朱啼も燃え移った火を消すときには妖術を使って風を起こしていたりする。
ただし、他者が別の者の妖術を掻き消すにはそれなりに妖力を籠めなければならない。
もっとも今回はそこまで強い火ではなかったので、大して強くなくとも消せたのだが。
「本当に何がしたかったのかしら?」
と、不思議に思いつつ朱啼は再び炎を吐いた。
薪に燃え移り辺りをぼんやりと照らしたところで、何が起きたのか一同はようやく理解した。
残っていた焼き魚が全て無くなっていたのだ。
「これは……見事な手際だな」
黒星は関心したように呟いた。
明かりを消された時の混乱に乗じて盗まれたのである。
「だから、何もせずに素通りしていったのか。なるほど、なるほど」
「何勝手に納得してるのよ!盗まれたのよ、夕食を!!」
「んだ!全部盗んでいったべ!」
落ち着ている黒星と対照的に朱啼と白川は憤慨していた。
「取り返しに行きましょう!」
「別によいだろう?もう、沢山魚は食べたわけだし」
「いんや、飯を盗まれるということは食べるという生きるための行為を邪魔されたのと同じだべ!許せないべ!!オイラ達を殺そうとしているのと同義だべ!!」
「……そこまで壮大なことか?」
「許せるわけないでしょう!私の誇りがボロボロだわ!」
「ちゃんと調理した焼き魚を取られたのは流石に我慢ならないべ!徹底抗戦だべ!食い物の恨みは怖いべ!!」
「ふむ、分かった。そこまで言うのならば取り返しに行こう」
「仕返ししましょう!!」
「お仕置きだべ!!」
そんなわけで、闇夜に妖が三体。
食い物の争奪戦へ参加することとなる。
★ ★ ★
深い森の中を流れるとある小川の岸辺に妖が一匹程よい大きさの岩を腰かけにして座っていた。その付近には串刺しになっている焼き魚が四尾。走ってきたのだろうか、妖の息は荒く額に汗をかいていた。
その妖の姿は全身が毛で覆われており、まるで猿のようなである。
この妖は猩々という。
大猿によく似た妖である。
「――はあ、はあ。ここまでくれば追手はくるまい。流石にあの三匹を相手取るのはこの俺でも無謀が過ぎるからな。全く、最近は本当に酷いものだ。この森の賢者である俺ですら得物を横取りされるし、他の妖共は皆々この森から離れっちまうし。くそ!!あの人間どもめ!!今度会ったらただじゃおかねぇ!!罠に嵌めて嬲り殺してくれる!!」
猩々は大声で怒声を夜空に向かって吐き出す。
「――舐められたものね」
その猩々に向かって何処からともなく声が響く。
「……だ、誰だ!!」
驚いて辺りを見渡すと、
――ふらり、と猩々の目の前に無数の火球が出現した。
猩々の周りを囲み、逃げ場を消す。
「こんな静かな夜に大声を出すとは態々襲ってくれと言っているようなものじゃない」
闇夜の空に一匹の鳥が空を舞っていた。
六尺ばかりもある様な巨大な翼を広げ、周りにはその鳥に従うように操られた火球が宙に浮いている。
「焼き殺しなさい」
そういって、鳥が翼をはためかせる。それだけの動作で猩々の周りを囲んでいた火球は一斉に猩々へと向かって飛んでいく。
「じょ、冗談じゃねぇ!!」
猩々は焼かれてしまってはたまらないので、慌てて小川に飛び込んだ。
もともと、猩々は猿に近いためあまり泳ぐのは得意ではないが、それでも深さが腰程度のこの小川ぐらいでは溺れない。
「流石に、川の中で火は焚けまい!」
「そうね、流石に無理よ。だから任せるわ、おべべ!!」
――そう、高をくくっていた猩々の首根っこを何者かが掴む。
「お前はオイラ達を怒らせた。他所の食い物を盗むなんて許しておけないべ!!」
毛むくじゃらの手が猩々の首根っこを掴んだまま川へと引きずり倒す。
「あば、あばばばばばばばば……」
訳も分からぬまま猩々は川底に押し付けられ、溺れされられる。
「苦しいべ?川にすら潜れないお前じゃあの魚たちは捕れない。だから特別に素潜りの特訓をさせてやるべ」
無我夢中で空気を求めてもがき続けた猩々はやっとのことで力強く掴まれていた首根っこの拘束を解き、正しく必死の思いで水面に顔を出した。
「――ぶはっ!手前ら何しやがんだ!!こんなことしてただじゃ済まねぇぞ!!」
「後は任せるべ、蟹の妖」
怒りに任せて大声を出している猩々の体がふわりと浮かび上がる。
「ぐ、がはっ!!」
それもそのはずである。
三メートル近い大柄な猩々の体躯は喉元を巨大な鋏によって挟まれて宙に掲げられている。
猩々が苦しみながらも下を向くと、そこには体躯が五メートル近くある巨大な蟹――いや、蟹の妖が立派な左の鋏を使い自身の体を水面から一メートル近く浮かせているのが見える。
「ふむ、訳も分からないままでは意味がないのでな一応これから起こることを告げておこう。お前はこの先にある滝の先から落とされることとなる。何、落差はほとんどない。精々全身が解体されるだけだ。運が良ければ死ぬこともあるまい。それに、その滝の滝壺には何体か肉をくらう魚の妖が住んでいるから、死んだとしてもしっかりと処理されるであろう」
蟹の妖は淡々と、容赦なく言い放った。
「ま、待って……くれ。あやま……る、謝る……がら、ゆる……じで」
息も絶え絶えに、猩々は言う。
その言葉を聞いて、蟹の妖は優しそうな口調で
「そうか」
と一言言って、
「もう遅い」
猩々を滝の上から放した。
「うぎゃあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……!!」
ボチャーン、と派手な音と断末魔のような叫び声をあげて猩々は滝壺に落ちていった。
「まあ、嘘だがな。この森にそんな巨大な滝や魚がいるわけがあるまい」
「お仕置き成功ね」
「んだ」
三体の妖怪は近くにあった焼き魚を拾い、静かに食べていく。
その晩は月は夜空に昇ることはない、新月の夜だった。
怖いですね~
食べ物の恨みは、自給自足の妖たちにとっては特に強いものです。
さて、次回は恐らく人間を出していきます。
東方キャラですか?
出てきますよ、多分。
まあ、妖怪かどうかは分かりませんが。
2015/06/17(水)誤字脱字修正
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弐話 壁の向こうに住まう者
蟹ノ鋏です。
毎回毎回連日投稿を目指して書き上げているのですが、厳しいもので、しばらくぶりの投稿となってしまいました。申し訳ありません。
さて、今回は人間の話です。
そしていよいよ東方キャラが登場!?
だいぶシリアスな感じになりましたが、気楽に読んでください。
多分、ハートフルな物語ですから。
蟹に心があるかどうか微妙なところですが。
――果たしてそれは深い森を抜けた先の平野に聳え立っていた。
「「「…………。」」」
それを見た三体の妖――黒星・白川・朱啼はただただ言葉をなくして茫然と立ち尽くすのみである。
黒星たちが抜けた森の先はだだっ広い平野となっていた。草原が繁茂し、あるところには花が咲き誇り、草食動物の群れがのんびりと歩いている。のどかな風景は数十キロ先まで広がっており、遥か彼方には地平線が見える。
特に黒星たちがいる場所は小さな丘となっていてその景色を一望できた。
そんな中、平野のほぼ中心に位置するようにそれはあった。
「何なのよ……あれ」
朱啼は信じられないものを見たとばかりに声を漏らす。
「……あんなもん、初めて見たべ」
白川はその見た目に圧倒され、口が開きっぱなしなっている。
「ふむ……巨大なものだな」
黒星は眉間に皺を寄せ、その未知に対して深い興味を持った。
――まるで切り立った崖で囲まれているようだな、あれは――
黒星はまじまじと観察する。
黒星は玄仙から様々なことを教え込まれており、この妖たちの中では最も博識だ。
故に、目の前に広がるそのものについて凡そ何であるか見当はついていた。
「――これは“街”だな」
――平野の中心に堂々と聳え立つそれは、周りを防壁で囲まれた半径二キロほどの巨大な街であった。頑丈そうな壁、見た目が整然としている家々、整備された道。当然、自然が作り上げた産物ではなく、又、妖などの者が作り上げたものでもなかった。
「“街”?なんだべ、それは?」
「街というのは集落や里が大きくなったもののことだ」
白川の疑問に黒星は淡々と答える。
「あんなモノ、一体どんな妖が作ったって言うの?」
「妖にあのような街を作る者などいない。たとえ、大きな集団で暮らしている妖たちであっても技術がない。あれは間違いなく人間が作ったものだ」
朱啼の小さな呟きに反応し、黒星は答える。
もともと、妖という存在は自然の動物たちの延長線上の生物である。普通の動物たちよりも生命力が強く寿命が長い。また基礎的な体力や妖力などの特殊な力も使うことができるため、生態系の中では最も上に君臨する。その反面個体数が少なく、群れるような真似もあまりしない。大多数は生まれてから死ぬまで一匹で生きていく。中には同じ種族同士で群れや集団を作り、住処を共有する妖もいるが、それもごくごく少数派だ。だから、里や集落を作るのは主に人間である。
また、妖は基本的には平野には住まない。その多くが山や森、種族によっては海や川、湖になど自然が深い場所に住処を持つものが多く、平野などは主に妖ではない生物たちの住処となっている。
これらのことを踏まえて、黒星はこの巨大な街を人間が作り上げたものだと判断した。
それは正しい。正解である。完璧な正当である。人間ぐらいしかこのような巨大な街は築くことができないであろう。
しかし、黒星はそんな自分の答えを信じられないでいた。
彼自身、ここまで巨大で進んでいる街を見たのは初めてなのだ。
玄仙から授かった知識の中に確かに人間の集落のこともあった。
また、旅の道中に白川と朱啼と共に何度か人里や集落を訪れる機会もあった。
ただ、これほどのものはなかった。
黒星たちは旅を初めて百年とは行かないが、少なくとも五十年近くは経っている。
山を登り、谷を越え、海を渡って様々な島へ行き、あるときは北の雪原を踏みしめ、あるときは南の熱帯の島を横断した。基本的に徒歩であるために、遠く離れた大陸には渡ることはなかったが、少なくともこの列島はほぼ網羅していたつもりである。
当然、出会ったのは妖だけでなく人間もいる。
出会った人間たちは洞窟や地面に穴を掘って作った家に住み、狩猟や採取を行って暮らしていた。
規模は大きくても30~50人程度の集落ばかりで、集落を囲う壁はどれも木で作られているようなものしかない。
技術が違い過ぎた。文明が進み過ぎている。人の家のその規模がおかしい。
黒星は得体の知れない恐怖を覚えた。
妖は人間よりも生物としてそのほとんどの能力が上であると断言できる。
生存競争も無論、種として優れている妖が勝つだろう。
しかし、目の前の“街”はその常識を覆しているといっても過言ではない。
黒星はこの様な“街”の存在を耳にしたことは一度もなかった。それはつまり、この街は少なくとも旅を始めてから出来たことになるのであろう。
だとしたら異常だ。この発展は有り得ないものだ。
これ程の進歩を前にして果たして妖たちは人間たちに太刀打ちできるのだろうか?
確かに妖は人間などよりもずっと強靭で能力が高い。
だがしかし、あくまでも個々に限った話であり、基本的に群れることの無い妖がこの街の様に進歩し続ける人間の集団と生き残りを賭けて競い合うとしたら恐らくは――
「――ほし、黒星!」
意識の外から聞こえてきた白川の声により黒星は思考の渦から現実へと戻る。
「どうした?難しい顔して?何を悩んでいるんだべ?」
もう、百年近く付き合っている友だけに表情を読み取るのも上手い。
それにもともと悩んだり考えたりして思考に耽り、意識が上の空になっていることの多い黒星を白川は近くで見ていることが多いので自然と気が付いてしまう。
「……これからのことを少し考えていた」
黒星は自分の抱いている恐れを隠しながら応えた。
「これから?」
朱啼も興味を示す。
「ああ、取りあえずだが……あの街には近づかないでおこう。嫌な予感しかしない」
黒星はそう言い切った。
彼だって好奇心が惹かれなかったわけではない。これほど巨大な街は生まれて初めて見たのだから。
それでも、いくら虎児を得ることができるからと言って友や我が命を危険にさらしてまで虎穴に入ろうとは思えない。
「んだな。オイラも正直行きたくない。あそこはなんか危ない気がする。微かに死の匂いも漂ってる」
「そうね。私も近寄りたくない。……遠目に見ているだけなのになぜか恐怖を感じるわ」
それは、奇しくも残り二体の意見と一致した。
旅の行き先を決めるとき、いつもは誰かしら反対したりするものだが今回は満場一致で即決だった。
蜂の巣はつつかない。
黒星は玄仙からよくよく危険は回避しろ教えられてきたものだし、白川や朱啼も黒星が危険だと言っている場所に態々近づこうとも思わなかった。
ただ、一つだけ黒星も忘れていることがあった。
いや、正しくは忘れているのではなく知らなかったである。
いくら物知りの黒星――その知識を与えた玄仙だとしても、ここまでの街は寡聞にして聞いたこともなかった。
だから目の前の巨大な街は、自然を切り開き、木々を伐採し、岩肌を削って、鉄やアルミを鎔かし、妖たちと敵対している人間の“都市”だということを知らない。
人間の彼らが妖のことをどう思っているのかなど分かるわけがない。
自分たちから接触をしなくても向こうからやって来るなどということを黒星たちは今はまだ知る由もなかった。
★ ★ ★
黒星たちが初めて人間たちの作り出した都市を見てから三日ほど経った日のことである。
彼らは人間の都市の周辺にある森――夕飯を盗もうとした猩々を懲らしめたあの森――の少し大きな池の辺に拠点を作って滞在していた。
あの人間の都市からすぐに離れるべきか否か、その決断を引き伸ばして三日目となっている。
彼らは三者三様に都市に対して危機感や嫌悪や脅威を感じたようで、意見が割れて判断を迷っていた。
『街に住まう人間をあのままにしておいてよいのか。』
主な議題はそこである。もちろん、黒星たちだけでどうにかなる様な議題ではないのだがそれでもじっとしてることも出来ず、だからといって何か行動に移すことも出来ず、故に話し合うことに帰結している。
概ね自分たちで太刀打ちできないのならば他の妖に協力を要請してみようという形で落ち着いてきてはいるのだが、黒星だけは頑なに要請することを否定し続けていた。曰く、『恐らく私たちが要請すれば、血気盛んな妖のことだ一も二もなく是と返してくれるだろう。しかし、あの人間の“街”は異常だ。最早私たちの常識は通用しないと言ってもいい。妖は人間より強いという常識は破綻しているだろう。あれだけ規模が大きい街となれば、人間の数も膨大なものになる。妖も頭数をかなり揃えねばならない。総力戦、すなわち大戦争が起こるだろう。巻き込まれたらただでは済まない。ここで呼びかけて敵前逃亡させてくれはずもない。当然、私たちもその戦争に参加することとなる。さすれば、無傷では済まない。もしかしたら、この中から死者が出るかもしれない。それは、嫌だ。友を失うのだけは私は阻止したい。だから、この場では動くべきではないと主張する。それに、このまま人間が規模を拡大していけば遅かれ早かれ妖たちと衝突するだろう。少なくともその時までは動くべきではない。今のままでは妖たちは油断して大きな被害を出すだろう。妖たちが人間たちに対して本当の脅威を抱くまでは、下手に煽動すべきではないはずだ。』
確かにもっともな話である。白川も朱啼も異論は挟めなかった。
しかし、結局黒星とは意見が合わず、翌日に白川と朱啼は協力者を集めに各地へと旅立つということなった。
黒星は説得するのは諦め、不承不承ながらもその旅に付き合い、せめて友が死なぬように護ろうと決意を決めていたのである。
日が山の向こうに沈みかけた夕暮れの時である。
口論をしたこともあってか、黒星は意気消沈とまではいかないものの僅かに気を落としながらも池の周りの木々から薪となる乾いた枝を集めていた。今日は白川が池で魚を取る分担である。
「……気が落ち着かない。やはり、無理やりにでも彼らを止めるべきなのだろうか?」
黒星は悩んでいた。
白川・朱啼、両者の考えることも間違っていない。尊重してやりたいし、既に彼らの旅に同行することを覚悟してもいる。しかし、本当の友ならばここはそれこそ喧嘩になっても止めるべきではないのだろうか。
黒星は薪を集めながらずっとそんなことを思っていた。
気が付けば周りに拾える枝は無くなり、両の手で持つことも困難なほどに集まっていたが、悩みに耽る黒星はそれでもまだ黙々と枝を拾い続けていた。
不意に、ポツリと黒星の鼻先に水滴が落ちてきて、滴り落ちる。
黒星は空を見上げた。
「雨か。白川が今夜は雨が降るとか呟いていたな」
鉛の様に重く圧し掛かる雨空は、自身と同じようで、少なくとも今夜一杯は晴れそうにもない。
「薪が濡れる前に戻るとするか」
黒星は両手に抱えた薪を雨粒に打たれぬように隠しながら来た道を戻る。
足取りは重い。
池のほとりに戻ると白川と朱啼が何やら話をしていた。
いや、声が大きいため口論をしているのかもしれない。
「――冗談じゃないわ!!なんで私が待ってなきゃならないのよ!!」
「朱啼、お前は確かに妖術の扱いに優れているが、それだけじゃ無理だべ。今まで生き延びてきた妖たちとは比べものにはならない」
「――どうしたんだ?」
黒星は間に割って入ることにした。
喧嘩は残りの者が仲裁に入るというのが暗黙の掟でもあったが、それ以上に何を話しているのかがとても気になったためでもある。
朱啼と白川は黒星を見た瞬間に咄嗟に“しまった!”という顔をしてばつが悪そうに眼を逸らした。
「……別に何でもないべ」
ぶっきらぼうに白川は言うが、あからさまに嘘を吐いているということが黒星には分かった。白川は特に隠し事をするタイプでもないというのも黒星は知っている。
何でもなくはないのだろう。
何かしらあって、だから朱啼が怒った。
そして恐らくは、自分にも深く関係している。
この場合考えるまでもない、これからの旅のこと――もっと言えば人間との戦争のことだろう。
「そうなのか、朱啼?」
「え……ええ、別に何でもないわ」
朱啼も話したくはないようで。
「そうか、何もないのならば。これまでということだな」
これ以上は言及しないと態度で伝え、黒星は傍らを素通りしていく。
「――なあ、私は君たちにとって頼れる存在なのだろうか?」
その途中で黒星は消えそうな声で呟いた。
しかし、その問いはまるで叫び声の様に聞こえた。
朱啼と白川にはそう聞こえた。
『……タス……テ……』
「「「――!!」」」
唐突に、叫び声が聞こえた。
助けを求める、恐らく少女のもの思われる声。
ともすれば、雨音に消されてしまうかもしれないような微かな声、それでも人間には聞き取れない音を聞き取れるほど耳が良い妖たちは聞くことができた。
「人間か!?」
黒星が静かに気配を探る。
「……ちょっと待ってろ。今、音を探る」
白川は目を閉じて耳を澄ました。
………………。
「……いたべ。ここから百間もない場所にいる。――マズいべ、妖たちらしき音も近くから聞こえるべ」
「方角は?私が飛んでいくわ!!」
「落ち着け朱啼、単体で言っても複数いる妖に対処できるわけがない」
「じゃあ放置するの?今の声は少女のものよ。幾ら人間だからと言ってあんまりよ!!」
「そういうわけではない、今考えるから少し待ってくれ」
どうすればいいのか。
必至で頭を働かせ最善の策を思考するが、時間がない。
「とにかく、全員で駆けつけてみ――」
考えるよりもまず行動するべきかと一旦思考を切ったときである、嫌な気配を感じて黒星は辺りを見回した。
不快な嫌悪感。
これは紛れもない殺意だ。
「どうしたんだべ?」
白川と朱啼が途中で話すのを止めた黒星を不思議そうな目で見やる。
空音。
「危ない!!」
咄嗟に黒星は庇うように前に出た。
瞬時に蟹の姿に戻り、飛来してきた物体を受ける。
ガイン、と鈍い音を立ててそれは弾き飛ばされた。
それは一尺半ほどの金属製の矢。
いや、どちらかといえば銛のようで刺さった獲物から抜けないように返しが付いていた。
明らかな攻撃。隠さぬ殺意。
「何者だ!!」
黒星は大気を震わせんとばかり大声をあげて、周囲を威嚇した。
すると、あまりの気迫に驚いたのか近くの茂みがゆれる。
黒星はそれを見逃さず、自身の巨大な左の鋏を茂みに突き出した。
黒星は体躯の大きさを自由に変えることができるために、伸びるようにして鋏が茂みに吸い込まれていく。
『ギャッ!!』
悲鳴が上がり、黒星が左の鋏を引き寄せてみると、弩(おおゆみ)を手に持ち丈夫そうなレインコートを着た人間が挟まれていた。
「くそ!!この“妖怪”が!!」
見るや否や、他の茂みに隠れていた同じように武装をした人間たちが一斉に現れ、黒星に向けて弩を弾こうとする。
「させないべ!!」
「させないわ!!」
しかし、白川と朱啼が妖術を使い、あるものは顔に水弾を浴び、あるものは弩ごと炎に包み、人間たちの攻撃を阻害する。
「ぐおわっ!!」
「熱いいイイぃい!!」
それでも軽傷ですんだ人間は懐から何やら怪しい拳大の物体を黒星に目掛けて投げつけた。
「木端微塵になれ!!妖怪どもめ!!」
危険を感じた黒星はふうっと息を吐いた。
すると、粘着質の水でできた泡がシャボン玉のように生み出され、投げ出された物体を包みこむ。
瞬間、その物体は派手な炎と共に爆裂するが泡の膜に阻害され衝撃が漏れ出すことはない。
「なっ!!」
その光景を見て驚き目を開いている人間に向かって黒星は躊躇なく右の鋏を振り下ろした。
肉塊が飛び散り、辺りを朱く染める。
他の人間たちも白川や朱啼によって屠られていく。
残ったのは黒星に挟まれたものだけである。
「畜生!!この妖怪が!!殺してやる!!」
挟まれている人間は仲間を殺されたことにより憤怒し、鋏の拘束を解こうとじたばたともがくが一向に外れる様子はない。
「一つ聞こう。何故私達を襲った?私達は君らを襲ってはいないし、もし出会ったとしても危害を加えるつもりはなかったのだが」
黒星は酷く冷たく問う。
「はっ!!嘘を吐くな“妖怪”!!貴様らはいつも我々人間を脅し、殺し、喰らってきたではないか!!それに先程一人少女が攫われた。お前らと同じ穢れた“妖怪”になあ!!だから殺す。“妖怪”は人間にとっての敵だ!!」
激流のような答えが返される。
「そうか」
黒星は静かに鋏を閉じた。
ブツリとそれは切断され、地面に落ちていく。
黒い鋏に着いた赤い血痕は雨に流され滴り落ちていくのだった。
「黒星、どうする?少女のことを探すか?」
黒星が人型になったあと、白川が話しかけてきた。
人間たちと争ったあと、少しばかり時間が経っていた。
少女の声が聞こえたのはかなり前だ。もう助からないかもしれない。
そもそも、話を聞いた限りでは人間は妖を敵と認識している。助ける必要はほとんどない。
「――一応、探そう」
黒星は力なくそう答えた。
無駄と無意味だと分かっている。
しかし、このままにしたいとも思えなかった――
★ ★ ★
人間たちが暮らす都市の付近に広がる森、その中の深いところに落差は余りない滝がある。
その滝の近くに一人の少女が打ち上げられていた。
長い髪に、理知的な顔つき。
レインコートの中に除く赤と青ツートンカラーという珍しい服装に、背丈を超えるような弓が傍らに落ちている。
本来、妖怪たちが縄張りを張っているこの森に人間が近づくことは滅多にない。
ましてや近付くどころか、中に入ることなど有り得ないことだった。
だが、最近になって妖怪にも効果的な武器とその戦い方が生み出された。
調子に乗った一部の人間は妖怪と敵対し出し、在ろうことか妖怪を襲う人間まで出てきた。
その大多数はあの壁の奥に住んでいる人間である。
この少女もまたその人間たちの一人だ。
彼女は別に妖怪に対して敵対をしようとは考えていない。
ただ、この森に生えている薬草を取るために森に入る人間たちと同行していただけである。
彼女は人間たちの中では強い方であった。
弓の技術は右に出る者はおらず、特殊な術も開発し誰よりも使いこなしていた。
何よりも誰よりも賢かった。
慢心していた。
故に、薬草採取で一人になったところを複数の妖怪に襲われ、攫われた。
命からがら逃げだすことはできたものの、雨によってぬかるんでいため川に落ち、滝壺まで流された。
溺れなかったのは運が良かったからだろう。
息も絶え絶え、というよりは死に体に近い。
(わたし、ここで死ぬのかな。)
動けない体で凍えるような雨に打たれながら、だんだんと薄れゆく意識の中少女はそんなことを考えていた。
これは、多分運が良かったからだろう。
偶々、偶然。
奇跡というよりはちょっとした幸運と不運のめぐり合わせ。
「――どうやら、まだ生きているようだな」
少女の体を黒い影が覆う。
その影の主は墨染めのような黒い着物を纏った凛々しい顔立ちの青年であった。
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参話 小さな溝は奈落のように
舞台の方の奈落で役者を迫り出したりする装置があるそうですが、結構高くて舞台によっては三メートル以上あるとか。
落ちると危ないですよね。
某刑事ドラマではその落差を利用して殺害するなどというシーンがあったり。
一説に、華やかな舞台の裏には常に嫉妬があり、それが怨念となった魔物が薄暗い舞台下に潜んでおり、時折これが悪さをするから舞台事故が起こるとかつては信じられていたことによるもの(ウィキペディアより引用)
とか。
まあ、人の怖さは奈落の様に本当に計り知れないですけれど。
妖怪よりも殺人犯のほうが怖い現代です。
人間が呼ぶ“妖怪”は厳密にいえば黒星たちのことを指していない。いや、黒星たちが妖怪でないという訳ではもちろんない。黒星たちからすれば自分たちは“妖”という種族なのだが、人間からすれば“妖怪”という言葉で一纏めにしているのである。
人間側の“妖怪”という定義は人知を超越した自然現象でもなくまた神の力でもない力を使う獣でもない怪異全て。それが“妖怪”である。
人間でもなく、獣でもなく、ましてや神でもない。それは確かに妖怪である。
だが、妖とは少し違う。多少のずれがそこには存在する。
人間ではない妖たちにすれば別段自分たちのことを特別視していない。
人間とは違うがそれだけで、彼らからすれば自然を超えているという感覚はない。者によっては自身を獣と思っている妖もいる。彼らはあくまでも自然の中に暮し、自然に流されるように生きて、自然と共に死んでいくだけ。自分たちが使う妖術の類も、自然現象と何ら変わりがない。
故に、“妖怪”ではなく“妖”。
怪異ではない。
彼ら自身は妖という自然に生きる種族である。
それでも、人間たちにとってすれば“妖”は“妖怪”と何ら変わりがない。それは間違いではない。
人間は人間であり妖ではないのだから、
――だから当然、そこに認識のずれが生じるのは仕方がないことだった。
それは人間か妖か、その視点の違いからくる考え方の齟齬にすぎない。
“妖怪”も“妖”も同じことを指しているのだから。
些細な認識の差違。
例えば、海沿いに生きるものと山中に暮らすものの生活観の違い。
例えば、温暖な島国の住民と寒冷な雪原の集落の価値観の相違。
例えば、飢えに苦しむものと食に困らないものの命の差。
言うなれば、それは溝である。
とても小さいものなのかもしれない。
何故なら、本質的なものは全く一緒なのだから。
偶然とか偶々とかその程度で生じた差なのだから。
敢えて取り上げる必要もないことなのだから。
当然のことを騒ぐ者などいない。
そ う い う も の は そ う い う も の。
だから、無視される。
誰もその小さき溝を埋めようとはしない。
時間は止まることなく過ぎていき、ゆっくり根幹は深くなる。
たとえ、溝に気が付くものが現れたとしても既に遅い。
溝は一人では埋められないほどに深く開かれてしまっているのだから。
★ ★ ★
――次に少女が目を覚ましたとき、それは朝日が昇り切った後だった。
目の前には知らない天井が広がっており、いつものふかふかする特注ベットの上で無く青臭いよく分からない葉をたくさん敷き詰めて作られた原始的な塒(ねぐら)の上である。此処がどこだかは分からないが、少なくとも使い勝手の良い自分の部屋や薬品の匂いが立ち込める研究室でもないようだ。
段々と覚醒していく頭は自分が意識を落とす前に起きた出来事をゆっくりと思い出させていく。
(そういえば、妖怪にさらわれて確か川に落ちた後、滝から落下して……)
その後、自分がどうなったのかは覚えていない。
一瞬、また別の妖怪に攫われたのかとも考えたが、原始的だが背中を痛めないようにと塒を敷かれていることや恐らく骨が折れている左腕に添え木されて簡単に怪我の処置が為されていることから、敵意のある妖怪に捕まったわけではないと結論付ける。
もう一度、落ち着いて自分の身辺の状況を確認する。
朝日が差し込んできてはいるが暗い、それに湿っていてヒンヤリとしていることや天井が土であることからここは如何やら洞穴か洞窟のような場所らしい。空間は人が二・三人は横たわれるだろう。奥行きはそこまでもない。出口がすぐそこに見える。今のところ自身を連れてきた存在も確認できない。外出しているのかもしれない。
体調は思ったより悪くない。怪我の処置が割と的確になされていたことや、何かしら薬草らしきものを塗られてているようで良好とまではいかないものの動ける程度に回復している。川に落ちたので風邪をひいていてもおかしくないのだが熱や体の倦怠感はない。疲れもとれているため、今から体を起こしても大丈夫そうだ。
自身の体調と状況を鑑みて、彼女は起き上がることにした。
このまま、完全に回復するまで待つというのも有りではあるが、未だ自分が悪意をもつ妖怪に攫われていないとは限らないのならば、この洞穴の主がいないうちに抜け出してしまった方がよいだろう。
そう考えた彼女は、音を立てないようにゆっくりと起き上り洞穴の出口を目指す。
武器になる様なものは辺りに何もなかったので気休めで握り込めるような小石を一つ携えて歩いていくと、丁度出口の付近に彼女が愛用している弓と矢筒が立てかけられており、触って確かめると問題なく使うことができるため、彼女はそれらを持っていくことにした。
(もしかしたら、同じ人間が私を助けてくれたのかもしれない。それも薬学と医学にかなり精通した人が。)
人であっても妖怪であっても助けられてはいるが、人間である彼女は人間である方が当然好ましい。
彼女は別に妖怪が嫌いという訳ではないがそれでも常識の様に妖怪と人間は敵対するものという構図が頭の中に入っている。
偏見ではないと思うぐらいには。
それはさて置き、彼女の『此処から早いうちに抜け出してしまおう』という目論見は結果的に失敗であった。
洞穴を抜けてすぐそこ。
その洞穴の主である一人の青年が、洞穴の目の前にある池の方を向いて居座っていたのだから。
しかも、墨染めのような黒い着物の上を肌蹴させて上半身が裸という状態で、だ。
☆ ☆ ☆
――私は困惑していた。
困惑というよりも混乱に近いかもしれない。
年齢的に言えばまだまだ未熟な小娘である私だけど一般的な大人たちに比べれば様々な経験をこなしてきている。だからよく大人扱いをされてきたし、デリカシーの無い人から老けているとか考え方が子供じゃないとかそんなことを良く言われてきたものだけれど、一応私だって乙女の年頃である。
それに、家柄はそれなりに良かったから生まれついてから蝶よ花よと育てられてきたのも原因かもしれない。
このように男性の裸を見るのは初めてだった。
思わずドキッとしてしてしまう。
薬学や医学を仕事としている私は老若男女問わず診察や解剖という形で見てきたけれど、それは仕事として臨んでいるからこそのことであって、不意打ちの様に仕事以外で見せつけられたのは初めての経験だ。
顔が熱い。
動揺が最高潮に昇る。
――しかし、そこでふと状況を思い出す。
おかしい。変だ。
急激に熱が下がり、頭が冴えていく。
恐らく私を助けてくれたのはこの人なんだろう。だけれど、ここは妖怪の縄張りだ。
男性の周りには武器になるようなものはない。無防備でこんな場所に人間がいるとは思えない。
素手でも妖怪を倒せるほどに強いか、能力持ちか、そのどちらかかもしれないけれどその可能性は低いだろう。
じっと、目を凝らして男性を観察する。
何やら作業をしているようで時折肩が動いている。
特に周囲を警戒している様子はない。
多分、いや確実にこの男性は人ではなく妖怪だ。
上手く人に化けている。
確か妖力が強い妖怪は人に化けることも可能ということを聞いたことはある。
思えば霊力の類は感じられない。
ならば、妖怪と断定して間違いはないだろう。
私は静かに矢をつがえてから弓を構えると、人に化けている妖怪の後頭部に狙いを定める。
左腕を折っているためにあまり強くは引けないだろうけれど、この距離ならば外すこともない。
いくら妖怪と雖(いえど)も、頭に矢が当たれば重症だろう。
逃げる隙ぐらいは生まれるはず。
私は静かに弦を弾き――
「――ようやく目覚めたか。少女よ。」
気づかれていた。
「動かないで!!動けば頭に穴が開くわよ!!」
しかし、背後を取っているのはこちらだ。
妖怪は振り向くか何かしらの行動をとらなければ私には襲い掛かれない。
それならば私の矢の方が速く放てる。
頭でなくとも足や腹部を狙うのは簡単だ。
「生憎と私は今、両手が離せないから君が矢で私の背後を狙っているのならば避けようも防ぎようもない」
不思議と妖怪の声は穏やかだった。
低く何処か理知的で、夜の月の光を綺麗に反射する水面の様に冷静だった。
「一つ君に忠告をしておこう。君のその左腕は損傷が激しかったから最低でも後一週間は動かさない方がいい。無理に動かしたり負荷をかけると直ぐに使えなくなる。――例えば弓を支えるなどという行為は控かえるべきだ」
諭すような声に何故か私は耳を傾けてしまう。
事実として左腕は鋭い痛みを発している。
何度も弓を弾くのは無理があるかもしれない。
この森を抜けるまでに何度も弾けるとは思えない。
沈黙が長く続く。
私は相変わらず妖怪の後頭部を狙ったまま、妖怪は私を気にせず作業を続けている。
「…………さてと、此方の作業も終わりだ。では、まず君に先に伝えておくことがある。私は君を襲ったりはしない。人間とも敵対する気もなければ、食料とすることもない。もちろん、そちらから襲ってきた場合はそれ相応の仕返しはさせてもらうけれどね。君みたいな少女が襲われていたら助けるくらいのことはする。しかしながら、人間の味方はしない。妖怪だからね、私は。人間が喰われようが憑かれようがしったことではないというのが本心だが、これまで様々な人と関わってきたし、その恩もあるから助ける人は助ける。気まぐれだが。――おっと、長く語ってしまって済まない。先に尋ねるべきことを失念していた」
黙々と作業を続けていた妖怪の手が止まり、ゆっくりと立ち上がった。
背丈は私よりも頭二つ分ぐらい大きい。長身だ。
背を向けたまま、語り続けてい妖怪は唐突にこちらに振り向いてきた。
このとき私は矢を放っていればよかったのかもしれない。
私は
もし、この場で矢を放っていれば。明確に敵対していれば。
思い悩むこともなかっただろうに。
「少女よ、君の名は何という?」
凛々しくも何処か幼さが抜け切れていない顔立ち。
つり目であるが攻撃性は感じ取れず、冷静で思慮深い印象を与える。
体格も細めではあるが決して華奢という訳ではなく筋肉質で引き締まっている。
「……へっ?」
口から今までに出したことの無いような気が抜けた声が出た。
見蕩れていた。魅了されていた。
有り体に言えば格好いい。
「ぬ!?」
「あ!」
肩すかしというか、不意を突かれたというか、どちらにせよ私は緊張が切れて思わず弦を離してしまった。
当然、矢は放たれて、狙いは定まっていなかったが彼の胸元へと吸い込まれるように飛んでいく。
しまったと、思ったがもう遅い。
「あぶな――」
危ない。そう、口に出すよりも速く彼の左腕は動き始め、飛来してきた矢を素手でつかみ取った。
彼は何も言わずに掴み取った矢を片手でへし折り、私の方を向いた。
殺される。素直にそう思ったが、彼の表情は変わらない。
「ふむ、その腕で弓を構えるのは辛いだろう。大丈夫か?」
どことなく温和な声で労わりながら、彼は私に近付いてくる。
そして、そっと私の左腕を支えた。
恐怖かそれとも他の何かによって私は放心に近い状態となり、握力が抜けて弓を落とす。
彼はそんな私の左腕を見て、怪我の状況を診断する。
「……うん、酷くはなっていない。順調に腫れも収まってきている。とあえず、薬を付け直すとしよう。――ああ、そういえば私もまだ名乗っていなかったね。私は黒星という。君の名を、良かったら教えてくれないだろうか?」
これが私と
目と目が合う瞬間に~♪
いや、まあ、まだ分からないですけれど。
そういえば、少女の名前を出す忘れていましたが東方に詳しい読者の皆様ならば前回のお話でお気づきなられたと思います。
彼女です。
手を振り上げて召喚する彼女です。
恐らく、最年長である彼女です。
まあ、この話では精神も肉体も乙女なのですが。
乙女らしい彼女を書いてみたいというのと、「~さん」とか言わせてみたいので。
単純に作者の願望と妄想全開というだけですが。
次回は蟹回です。
そういえば、鍋が美味しい季節になってきましたね。
蟹鍋とか……食べたことねえな。
まあ、蟹はたまに出るのが美味しい食べ物ですから頻繁に食べていたら飽きてしますね。秋ですし。
……応援よろしくお願いします。
感想もお願いします。
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四話 薬師
お久しぶりです。いつぶりなのかはっきりとはわかりませんがしばらくぶりであることは自覚しております。
更新が遅れ本当に申し訳ありません。
年末から新年開けるまでがいろいろありましてゴタゴタしてしまいました。
目標としては月一から月二ぐらいのペースを目指していますが、多分厳しい気がします。
本当にすいません。
「か、かわいい!」
城壁都市から少し離れた森の奥にある洞窟で十五歳ほどの少女が愛嬌のある声を上げていた。
少女の服装は青と赤の原色二色を左右交互に組み合わせた独特な色遣いをしており、着る人によってはその服自体の印象の強さに負けてしまいそうな格好だが、少女は圧倒的な色遣いの迫力さえも凌駕してしまうほどの美貌と長く艶やかな『白色』の髪が青と赤の原色の強烈さを上手く調和させて、結果老若男女問わず十人が十人思わず見とれてしまう様な容姿となっている。未だ幼さが残る顔つきと小柄な体躯だが十分将来有望なふくよかな体つきをして、あと五年もすれば絶世の美女として称え挙げられてもおかしくはないだろう。ただそれはしばらく先の話であり、今のままでも十分に美しいことは間違いはないのだが。
そんな少女が可愛らしい声を上げて――その場で聞いた者がいるのならば誰構わず癒されるであろう笑顔で――何をしているのかというと、右手に10㎝程の小さな黒く黄色い斑の甲殻を持つ蟹を手のひらに載せて戯れている。子犬や子猫や小鳥などを撫でて可愛いと声を漏らすのならばまだわかるが、年端のいかない少女が蟹を載せて可愛いと言うのは些か奇妙な光景である。
言わずもがなその蟹の正体は黒星だ。
「これが本来の姿なのでしょうか?随分と小さくてかわいらしいですね。黒星さん」
つんつん、つんつん。
好奇心旺盛な子供が海岸に打ち揚げられている海星をつつく様に、少女は黒星の甲殻を興味深く触っていく。
最初は大きな反応を見せていなかった黒星だが次第にうっとおしくなったのだろうか、両手の鋏をクワっと掲げて威嚇した後少女の手から逃げるように飛び降りてすぐさま人の姿へと変化をした。
「ふう、全く余りそう触られてはこちらも喧しさを感じざるを得ない。少しはただただいじられてるこちらの身にもなってくれ」
凛々しい顔つきの青年の姿へと変化した黒星は不愉快そうに顔を顰めて苦言を呈した。
いくらうら若き見た目麗しい少女だと言っても自身の体を十分近く弄られていれば不機嫌にもなるだろう。ましてや、黒星は蟹の妖である。そもそもの価値観が違うのだ。乙女の素肌に触れることができたからと言って興奮や歓喜の類は覚えることはない。
「……ああ。いえ、すみません。まさかあんなに小さくなるとは思ってもいなくて。ついつい好奇心が駆り出されてしまいました。元の姿は可愛らしいのですね」
名残惜しそうにしている彼女は名前を八意永琳と名乗った。
城壁都市の中に暮らしていて、薬や毒を専門として研究をしている学者らしい。
「いや、元の大きさはもっと大きい。少なくともこの洞窟では収まらないほどの大きさをしている」
現在、黒星の体躯は全長十メートルを超えていて尚成長し続けている。元の大きさに戻るというのは余程開けた場所でない限り彼はその大きさに戻ることはないし、そもそも人の姿から変わること自体珍しくなっている。何かと蟹の姿でいることは黒星にとっても、また周りの仲間たちにとっても不都合が多い。その弊害、というより利点なのだろうが黒星は人の姿を保つのがとても上手い。初めて旅先で訪れる人の集落では自分で妖と名乗っても信じられなかったぐらいには変化に長けている。ただ、時々蟹としての性質が出ることもあるため割とよく見破られることはあるのだが。
「まあ、これで分かっただろう?私は蟹の妖だ」
「ええ、妖怪だとは気付いていましたが、蟹の妖怪とは思いもしませんでしたよ」
「意外だったか?確かに初見において私のことを蟹だと分かった者は少ないな。妖も人も大抵は的外れな妖だと予想する。狐や狸というのが一番多い。変化には自信があるがそこまでではないのだがな」
「元の姿を見せなければ気づきませんよ。仕草だって人のそれに近いですし。それに博識で考えが深いですから。粗暴な妖怪とは中々結びつきません」
「妖が必ずしも粗暴という訳ではないのだが……」
「いえ、言葉の綾です」
――とは言っても、私も確かに妖怪は凶暴で人間の敵だとは教わってきましたし、そのことを疑ったこともなかったのですけれど。
永琳は申し訳なさそうに続けた。
妖怪と人との確執はほぼ全て年齢の人に伝わっていた。少なくともあの城壁都市では。
あの壁の向こうにいる人間にとっては妖怪という存在は極僅かの兵士たちを除けば未知なため、妖怪は怖い、妖怪は危険だ、妖怪は敵だという認識が覆されることが無い。もちろん、他の人間の集落でも妖怪という存在は似たようなものなのだが、永琳たちは少しづつではあるが妖怪に対抗する力を持ち始めているため敵対意識がより強くなっている。
もし、人間と妖怪とが共存するような集落を彼らが知ったら果たしてどんな顔をするのだろうか。
黒星は旅の途中で見つけた小さな集落を思い出して、ふと疑問を抱いた。
しかし、流石にあのような集落は珍しく、あそこはあそこで異質な場所ではあると直ぐに思い直したが。
「ふむ、しかしそれは仕方ないことだ。どうにもならないし、どうこう言うこともない。人と妖は常にそういう関係だ。君が気に病むことではない」
言外に下らないと、そう言って黒星はその場にドカリと腰を下ろした。そこにはつまらなそうな、不機嫌というよりは興味がないと言った表情を浮かべている。
永琳もつられるようにそっと腰を下ろした。その場には座布団の様に敷かれた草の塊があり、恐らくは黒星が永琳のために用意したものであろう。因みに黒星は着物に汚れが付くことも気にせずに地べたに座っている。
理知的な顔つきとは違いこういった庶民らしさというか妖怪らしさというか、外見に沿った高貴な振る舞いがない所は少しばかりもったいないような、そんなことを永琳は感じたが特に何かを言うことをしない。その野性的ともいえる行為も彼の容姿をすれば格好がつく様にもとれたのだ。……永琳が少しばかり盲目に陥っていると言えなくもないが、その点は余り言及しないでおこう。乙女心は内に秘めておく方が可愛らしい。
「しばらく、君はここにいなさい。その腕が治るまでは下手に出ていかない方がいいだろう」
黒星は永琳に向き直って口を開く。
「私が君の住んでいる街まで送って行くという手段もあるが、私が君たちのような人間の街へ依然と向かうわけにもいかない。昨日会った君の仲間の様に私に襲い掛かられるやもしれない」
「…………。その人たちはどうなりましたか?」
永琳は少し迷ってから聞いた。
「死んだよ。私や私の仲間が殺した」
黒星は淡々と告げた。殺したことを申し詫びることもせず。冷静に告げた。
「…………。」
永琳は何も言わなかった。悲しいと思うほど彼女は殺されたという彼らと親しいわけでもなく、又憤りを感じるような正義や倫理・道徳的感情は彼女には乏しかった。強いて言えば、少しだけ目の前の青年に対して恐怖した。人間とは、自分とは違うものだということを改めて理解した。実感した。体験した。
伝聞とは違う妖怪の恐怖。昨夜の様に妖怪に襲われることは彼女にとっては初めての体験だったわけだが、こうして自身とは価値観の違うどころか生物として種族や生き方が根本的に違う妖怪と話し合うことも初めてだった。
「あの中に君の友や家族がいたのならば謝罪しよう済まなかった。謝っても謝り切れないほどの罪を君に対して犯したことになる」
黒星は座ったまま深く頭を下げた。妖怪と雖も謝るときは頭を垂れるものだということは共通している。
もしかしたら、妖怪が伝えた礼儀なのかもしれない。
「い、いえ!!私の家族や友達はそこにはいません。そもそも、私には友達とかいませんし。そ、それに黒星さんが頭を下げることではないですよ。恐らく彼らが黒星さんたちに先に襲撃を仕掛けたのでしょう?黒星さんが人間を好んで襲うとも考えられませんし」
永琳は慌てて黒星に頭を挙げるように促した。
「それでも彼らは君を探していて必死だった。君を心配していた。もしかしたら、君と何かしら関係があったかもしれない。私はそれを考えると申し訳が立たない」
黒星は静かに述べた。彼らを殺したことに対する罪悪感というよりはその思いを関係を壊したことに対する罪悪感だった。彼にとっては誰かが死ぬというのはどちらかと言えば当たり前のことで、然程そこに悲しみや憤りや罪悪感を感じなかった。ただ、彼は友の死がどれほど寂しいものなのかということだけはよくよく知っていたし、教わっていた。故に彼は謝った。それは彼なりの死へ対しての弔いであったのかもしれないが。
「……分かりました。貴方の謝罪を受け入れます、黒星さん」
誠意ある謝罪を受け入れる。その程度には彼女は聡明である。
例えそれが妖怪であろうと、その内容が人殺しであろうと。
人間の観点から見れば彼女はどちらかといえば、異端な部類に入るのだろう。もっとも、彼女も自身が異端であることぐらい百も承知なのだろうけれど。
「そ、それよりも、黒星さんは先ほど一体何をなさっていたのですか?」
妙に重くなった雰囲気を払拭するために永琳は話題を変えて、黒星に質問を投げかける。
「ああ、少々手持ちの薬が心もとなくなってきたからいくつか補充しておこうと思ってな。いくつか薬草を採ってきた後それを磨り潰していたのだ。この辺は水辺もあるから、製薬をするには割と都合がよい」
それならば、この洞窟の中でではなく彼が池の畔にいたのも、弓を引く永琳に気づいていながらも向き直ることもせず黙々と作業を続けていたのも辻褄が合う。
「なるほど……あれ?それならばなぜ、ええと、その、上半身の服を脱いでいたのですか?」
永琳の言う通りわざわざ上着を脱いで行う必要はない。汗をかくわけでも、服が汚れるわけでもないのだ。それに寧ろ薬を取り扱っているのだから素肌に付着しないように服を着たほうが遥かに安全だ。流石に毒薬を作っているわけでもないのだから惨事に至るような危険性は少ないのだろうけれども、永琳の常識としては服を脱ぐ必要性など全く感じられなかった。
「君の看護に一晩つきっきりだったのでな、状態が安定したあと沐浴したから乾かしていたのさ。それにほどよく日差しも出ているものだから日光浴でもして甲羅を綺麗にしておこうと思ってな」
「はあ……」
日光浴をして甲羅の消毒をするのはどちらかといえば亀ではないのかという疑問を永琳は抱かずにはいられなかった。敢えて口には出さなかったが。
「じゃあ、先ほどこの腕に塗ってもらった薬は黒星さんが調合したものなのですか?」
永琳は黒星の行動については余り深く触れず、自身の腕を前に出して尋ねた。
「確かに、その腕に塗ってあるものは私が調合したものだ。薬のレシピ自体は別の人間の集落を訪れた時に教えてもらったもので、人や獣の類には効果があるが妖用のものではない。多少私の手を加えておるが、痛みを抑えるだけで治癒のような効能はない。ただの痛み止めだ」
「ありがとうございます。随分と痛みが引いていて楽になりました」
「礼を言われることでもないさ。さてと――」
食事の準備でもするか、と言いながら黒星は立ち上がり、洞窟の奥に置いてある鍋のようなものを取り出した。
「食事は外で摂る事にしている。作り終えたら呼ぶからしばらく寛いでいてくれ」
黒星は鍋の他にも食器や調理器具のようなものを器用に両手に抱えてそのまま外に向かって歩いていく。
「私も簡単なことならば手伝いますよ」
実際に料理というものをあまりしたことがない永琳に出来ることは本当に簡単なことなのだが、命の恩人に対しここまで至れり尽くせりというのは気が引けたため永琳はそう提案した。
「怪我人に料理を手伝わせるようなことはしないさ。気持ちはありがたいがゆっくりと待っていてもらったほうが私としては嬉しい。済まないがここでじっとしていてくれ」
黒星はにこやかというほどではないが、僅かに笑みを作りながら永琳の提案を断り、そうして歩いて行った。
永琳は素直に引き下がった。
黒星の邪魔になってしまうことは明確だったし、怪我人が近くにいるというのは余り気が落ち着かないだろう。
そう、自分に言い聞かせて彼女は諦めた。
自分が彼が見せた――あるいは魅せた、その笑みによって顔がほんのりと赤くなってしまっていることを彼に見せるのが恥ずかしかったという理由を飲む込むようにして自分を説き伏せていた。
八意永琳は齢十六に満たない乙女である。
この時はまだ、彼女と黒星はなにも特別な関係はなかった。
永琳も黒星もまだ若い時代のことだった。
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挿話 瞬く日々
蟹ノ鋏です。
という訳で、挿話ということで無理矢理一話を書いてみました。
本来、仄めかす程度にしか書かないつもりだった永琳とのシーンですが、このまま永琳を放っておくのもなんだか寂しいと感じたので急遽苦手な会話をどうにかしてひねり出して作ったものです。
いつもより短くてすみません。
次話のつなぎです。
あまり大切な話でもないので、原作キャラのイメージとかけ離れるのことに嫌悪を感じたり、そういう甘い話が嫌いな方はブラウザバックをお勧めします。
次の投稿はいつになるのか……。
ご迷惑をおかけして申し訳ありません。
「――黒星さんってこの森に住んでいらっしゃるのですか?」
ある日の昼下がり、食料調達と気分転換も兼ねて永琳と黒星は洞窟近くの小川で釣りをしていた。
もちろん、蟹の妖である黒星ならば釣竿を使うよりも元の姿に戻って魚を捕まえた方が手っ取り早い――手ではなく鋏を使う――のだが、のんびりと座して水面に糸を垂らし、あたりを待つのも一興と考え、永琳も誘いこうして釣りをしている。但し、永琳は左腕を痛めているために釣竿を持つことはなく、彼女自身はただ黒星の釣りの様子を眺めているだけである。
因みに釣り道具一式は全て黒星の手作りである。
蟹であるにも関わらず薬を調合したり、釣針のような細かい道具を作るとは奇妙なことだと永琳は思わずにはいられなかった。黒星の場合蟹の姿においてもそのような細かい作業が出来るため、永琳は何度か蟹が薬草をすり潰すといったシュールな光景を目の当たりにしていたりする。
それはそれとして、釣りを始めてから二十分ほどが過ぎた辺りで永琳は黒星に話しかけだした。
他愛のない会話である。
「いや、この森には一時的に留まっているだけにしか過ぎない。ついこの間までは大きな湖に住んでいたのだが、好奇心に駆られ旅を住処としているよ」
「旅を住処にですか、私には想像もつかない生活ですね」
「やはりと言っては失礼かもしれないが、旅の経験はないのか?」
「ええ、私はあの街の自分専用の広すぎる家で暮らす日々ですね。こうして外に出ているのも普段からではあまり考えられないことでした」
「外に出てみようと思わなかったのか?」
「ええ、なんだかんだで言って私の暮らしは充実していましたから。好きな実験も出来ましたし、欲しい物も実験の成果で得た財産でどうとでもなりましたから」
「そういうものなのか……」
黒星はふと遠い目をして視線を釣糸の先から空へと向けた。
青空は雲一つない快晴であり、透き通るように晴れわたっていた。
「八意、君は以前に友がいないと言っていたな。何故君は友を作らないんだ?君ぐらい賢く容姿に優れ気遣いもできるならば友が多くいても不思議ではないだろうに。」
黒星がそう尋ねると、永琳は少しだけばつが悪そうな顔をした。
「……友達なんて要りませんよ。私には必要ないです」
僅かに声のトーンを下げて答え、彼女は俯く。
何かしら言いたくない過去でもあるのか、その答えは黒星には分からないが永琳を慮って彼は一言だけ、
「そうか」
呟いて、数秒間だけ目蓋を閉じた。
「私は妖として未熟者の身なのだ。数年前に湖を出ることが無かったら、私はあの場所でただただ虚無な日々を送り続けていただろう。私は蟹として生まれた。自我を確立し自身を持った。本来ならばただそれだけで蟹として生涯を費やして朽ちていたところだった。だが、私はそうはならかった。私はそこで師に出会った。いや、正しくは私の師であり最初の友でもあった。師からは様々なことを教わったよ。あの湖では到底知りえることのできなかったことを師は教えてくれた。そして、初めて自分が妖であるということを知った。恥ずかしいことだが私は生まれて百年以上もの間自分の正体が妖だと気が付かなかったのだ。私は無知だった。愚かにも湖だけで自己を完結していた」
黒星は淡々と独白する。
永琳に聴かせるためなのか、自分に語りかけているのかは本人のみぞ知ることである。
「師と出会って暫くしてから、私は初めて妖と出会った。私にとって初めて目にする妖だった」
「黒星さんの師匠は妖怪ではないんですか?」
「さてな。私の師は大きな亀だった。言葉を巧みに話し、様々なことを良く知っていた。博識で思慮深い方だった。結局のところ師が妖なのかただの亀なのかは分からずに亡くなってしまったが」
「……お亡くなりになられたのですか、それは――」
「君が気にすることではないよ。命あるものはいずれ死ぬ。師もその摂理違わず、天寿を全うしただけさ。さて、そうその妖のことだが、初めて会ったときはお互い警戒していたのだがゆっくりと打ち解けていった。今では掛け替えのない友だ。そして、私を旅に誘ったのもまた彼らだった。思えば私は友に恵まれていたのだろう。そうでなければ、私は矮小で愚かな蟹であり続けていた」
そこで、黒星の持つ竿が大きくしなる。
竿の動きを直ぐ様感じ取った黒星は慌てることなく、しかし機敏な動きで立ち上がり竿を引き揚げた。
妖である黒星の腕力はとても強く、抵抗されることもなくいとも容易く魚影は水面から飛び出し、水飛沫を上げながら宙を舞い、黒星と永琳の丁度真ん中に落下した。
「きゃっ!!」
可愛らしい永琳の悲鳴が上がる。
地べたをのたうち回るその魚は三尺近い体躯を誇る大物であった。
「ふむ、鯰か。随分と大きく育ったものだな」
黒星は感心した様にその姿を見やると、そのまま永琳を見つめた。
「私は旅して様々なことを知った。こうして釣りができるのも旅から得た知識の賜物だ。私はな恵まれすぎている。師に出会い、友に出会い、旅を行う。これは奇跡と言っても過言ではない幸運だ。故に、私には君の立場など分からない。君の経験してきたことも君の日常も君の考えも何もかもが分からない。君にとって友が必要ないものだというのならばそれはそうなのだろう。私はそれを否定しようとは思わないし、君の考えが間違っているとは思えない。だから、これはただの私の我が儘なのだが――」
永琳もまた黒星のことを見上げていた。
永琳から見える黒星はとても大きくて頼もしく映った。
「もしよかったら、私の友人になってはくれまいか?」
永琳は思わず顔を逸らしそうになった。
そうでもしなければとてもではないが耐えられなかった。
黒星が浮かべていた表情は年頃の乙女である永琳を赤面させるようなものであったのだ。
「え、あ、あのっ!わ、私でよろしければ……」
「敬語は要らない。敬称も不要だ。私は黒星だ。よろしく頼む、永琳」
「はっ、はい!」
と、そこで釣り上げた大きな鯰が一際激しく飛び跳ねた。
「きゃっ!!」
「おっと」
黒星は事もなげにその身を避けたが、永琳は驚き腰を抜かす。
暫く一人と一体は茫然とし場には穏やかな静寂が流れた。
「ふっ、はははははははっ!!」
黒星は高らかに笑った。
ひたすら無邪気な、純粋な笑みとも言えよう。
そして、永琳に近付いて自身の右手を伸ばした。
黒星の手は野山で生活しているためかお世辞にも綺麗とは言えず、所々に傷痕がありごつごつとしていた。
それでも、掌は大きく頼りになる男らしい手をしていて、気になるどころか魅力となっている。
その手を見て、永琳もおずおずと自分の手を伸ばした。
怪我をしていない色白の綺麗な右腕は、汚れも傷もない無垢な手だ。
ただ、黒星に比べて非常にか細く力強く握れば折れてしまいそうなほど華奢な手であった。
黒星はその手をつかみそっと持ち上げる。
永琳はそのまま立ち上がり再び黒星の顔を見る。
漸く、永琳は気が付いた。
自身がどうして妖である黒星のことを忌み嫌わないのか。
初めから、出会ったときから永琳は分かっていたことなのだろう。
だから、永琳は自身の感情を正確に認識して、ほんの少しだけ前に進む覚悟を決めた。
彼の側に居たい。
でも、彼と一緒に旅をするのは無理だろう。
だったら――
「――黒星さん、いえ黒星。……もしよかったら、もしよかったならば私と一緒に暮らしませんか?」
透き通る青空には何もない。
ただただ、遥か向こうまで色鮮やかな空色と穏やかな日差しが降り注ぐだけである。
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五話 月夜(上)
五話目です。
正確には七話なのですけれど(こまけえこたぁいんですよ)。
遅れた理由は様々なのですが、一つに話を膨大にし過ぎてちょっと引っ込みと言いますか区切りがつかなくて書ききれなくて、挙句の果てに上中下に分けてもまだ厳しいという現状になり、四月に入ってこれ以上更新を放置するのもまずいので、いまさら投降することになりました。
上中下合わせて凡そ二万文字でしょうか。
他のサイトで三万近くまで書いて投降した時もありましたが、いくらなんでも一話に詰め込み過ぎた感じがあったので、今回は少なめに区切りました。
ストックもないですし。
一応、注釈を付けます。
※この作品は二次創作です。原作とはキャラや設定や話が違うのでご注意ください。
又、流血描写などといった残酷なシーンも含みます。(多分)
これらが苦手な方はブラウザバックをお勧めします。
黒星の話です。永琳も出てきます。
ただ、前の話と比べて随分とほのぼのがブレイクされていますのでお気を付けください。
最後に一言、永琳は可愛い。
八意永琳と黒星が同棲し始めて一ヶ月程が経過した。
永琳も黒星もお互いの種族の溝が浅い者たちなので、邪険な関係に陥ることはなく、寧ろ薬学について深い知識を持つ黒星に対して永琳は意気投合し、一緒に薬の調合や把握しているレシピを教え合ったりなどして友誼を深めていった。
黒星と永琳は僅か三十日程度の日数で友といえる関係になっていたのだ。妖怪と人間という間柄にも関わらず。
永琳の怪我の調子も処置が適切であったためかみるみる快方に向かい、今では日常生活を送るには支障がない程度にまで回復してきていた。
流石に弓を引くことは黒星が禁じていたし、永琳も自制をしている。
それでも十分な回復速度だろう。
それ故に二人が別れる日もそう遠くないことだった。
少なくとも永琳はそう思っていた。
★ ★ ★
雨上がり、雲が晴れた月夜の晩のことである。
黒星は塒(ねぐら)にしている洞窟から離れ、夕立のせいで水位の増した激しい濁流の流れる滝の上で一人佇んでいた。
何をするわけでもなく、ただ茫然と、星々の輝きを抑えて圧倒する満月を見上げながら、轟轟と唸る滝の瀑布を静に聴いていた。
「……はや一月か」
八意永琳と言う名の少女を助けてからそれだけの時間が経過したことを黒星はしみじみと想い耽る。
永琳は黒星が今まで出会ってきた人間の中では最も聡明で思慮深い少女である。
黒星の師である玄仙と同じか、こと分野を限ればそれ以上の知識を持ち合わせている永琳には様々なことを教えられている。
その知識は主に人間のことだ。
黒星は好奇心旺盛な妖である。もともと旅に出た目的も己が知識欲を満たすがためである。
故に自身とは違う人という生物にも底知れない興味関心をもっている。
旅の行く先々にある人の集落を訪ねては交流し、打ち解け、彼らのことを良く学んできた。
今回はあの街の中に入りこそしなかったが、永琳から中の様子を色々と聞き出していた。
八意永琳は生活環境が特殊なために多少の偏りがあると本人から前置きを受けてから拝聴したそれは随分と興味深いことであった。
今、その少女は洞窟の中で可愛らしい寝顔をみせている。
賢く気品もあり可憐で気遣いのできる少女も寝ているときは年相応の姿に戻る。
彼女ならば暫く音沙汰なしで街に戻っても上手く大人たちから疑念を躱すことができるだろうと黒星は確信していた。永琳ならば大丈夫だろう、と友である少女を黒星は信頼していた。
「……どうしたものか」
だから、黒星が抱く不安はそこではなかった。
八意永琳は自分のことを自分で完璧にこなすだけの器量を持ち合わせているし、黒星も永琳を送り返すことは難しいことではない。
黒星が考えていることは永琳個人のことではなかった。
今朝のことである。
黒星がいつものように日の出とともに起床し洞窟の中で静かに薬の調合を行っていると、一羽の鳩が洞窟の中に舞い降りてきた。まだ明けて間もない早朝のことだったので永琳も気が付くことなく鳩は黒星の側に近づいた。
その鳩はいわゆる伝書鳩であり、妖や稀に人同士ではよくよくつかわれる情報の伝達手段である。
鳩の足首には小さく丸められた木の葉が動物の毛のようなもので括り付けられており、黒星は一目見て差出人が誰なのかを察した。
白河と朱啼。
黒星の友である彼らは旅の道中を共にしていて、本来ならば今現在も三体で旅を続けている予定だった。
事の発端はあの壁に囲まれた人間の街を見たことである。
あの巨大ともいえる街は三体の危機感を煽るには十分に足りるものであった。
白河と朱啼はその街を見ていち早く他の妖たちに呼びかけこれに対抗すべきだと考えた。
黒星はそんな彼らとは違い、今下手に妖たちを煽動すべきではないと友のことを案じて反対したのだが、結局のところ二対一で黒星も彼らの旅に同行する予定だったのだ。
しかし、いざ旅立とうと決めた日の夜に彼らは人の襲撃に会い、そして妖に襲われている少女を助けることになった。
八意永琳。
彼女は壁に囲まれた街に住む少女であり、妖に襲われ川に落ち、滝から落下した彼女は片腕の骨を折り酷く衰弱していた。薬師であり多少なりとも医学の心得がある黒星はやむなく友との旅に同行することを断念し、単独で残り彼女の治療を専念した。
黒星も別に完全に友との旅を諦めたわけでなく、永琳を治療し終え街に帰した後で彼らの後を追うつもりでいた。
故に彼らと相談をして、目的の場所で落ち合うことを決めており、また各地で度々知らせを出すと約束していた。
もちろん、道中で手紙を書くことはしないだろうが、妖の集落に着けば適宜送る手筈だった。
黒星のいる地域から最初に赴く妖の集落はそう遠くない場所にあり、徒歩で三週間もすれば着く距離だ。
しかし、知らせが届いたのは出発してから一ヶ月の経過した今朝のことである。
黒星も様々なことから多少遅れるものだと思っていたし、一週間近くは待つつもりだったが、約十日過ぎても届くことの無い知らせに不安を掻き立てられていたところだった。
黒星はその小さく丸められた木の葉をゆっくりと丁寧に広げ、中身を見た。
白河も朱啼も字は書けない。
黒星だってほとんど使えないと言ってもいいぐらいにしか読み書きは出来ない。
人間もまだまだ字を使う文化は根付いていないのだから仕方がないと言えば仕方がないが。
故に、暗号の様に簡単な記号にそれぞれ意味を持たせて、上手くいっているかどうかを知らせることにした。
丸が書いてあればうまくいっている。一重丸はまずまず、二重丸ならば上出来。
逆に二重線は何かよからぬことが起きた、特に二重線の上から斜めに一本線が引いてあれば最悪な事態が起きていることを知らせる記号になる。
果たして、書かれていた記号は――
「――最悪なことが起きたか、知らせがこうして届いた分まだ命はあるやもしれぬが」
黒星は今朝のことを思い出して、思い悩んで、低く唸った。
友の身に危機が迫っている。いや、既に渦中に巻き込まれている。ともすれば、死んでいるかもしれない。
居ても立っても居られない不安感が募り焦燥を呼ぶが、しかしだからと言って永琳を置いて白河と朱啼の下に駆けつけるわけにもいかない。
朝方からずっと思い悩み、考えがどうどう巡って、しかし妙案が浮かぶこともなく、心を悶々とさせるばかり。
白河も朱啼もずっと旅をしてきたので余程のことが無ければ心配することもないのだが、そんな彼らが最悪な事態に陥ったと知らせを送ってきたのだ。つまりは余程のことが起きた。
彼らの手にも負えないような緊急事態が起きているとみて間違いはないだろう。
書き間違いであればいいのだが、と思わずにはいられない。
永琳を早く街へと届けて向かうという手段もあったのだが、森を抜けるのには永琳に合わせると半日以上はかかるし、今日は天気が優れないことを黒星は昨夜の夜空をみたときから分かっていたため、その手段は取り下げることとなった。
「やはり、明朝に永琳に理由を話して彼女を街に帰し、直ぐ様追いかけるしかないか」
事情を知れば悪天候でも街へ帰ると言い出しかねない永琳の性格を鑑みて、黒星は今日一日隠し通していたが、人との関わりが少ないだけで他人の感情に機敏な彼女ならば既に黒星が何か思い悩んでいると察しているかもしれない。
誠心誠意理由を話し、頭を下げて永琳に説明しよう、と黒星は考えていた。
諸々の感情が折り重なり、考えに詰まった黒星は、心を落ち着かせようと夜空を見上げた。
そこには神々しいばかりの大きな満月が居座っており、圧倒するような輝きが星々の光を奪うように見えなくしている。
白く純白な月は何故か黒星の平静を掻き乱し、彼は空を見るのを止めて暫く目を瞑り心を落ち着かせることにした。
かような、落ち着かない夜は思えば黒星にとっては初めてのことだったかもしれない。
――シャリン、とまるで璧が割れるような音が頭の中に響き黒星は目を開いた。
咄嗟に周りを見渡すがそこには目を瞑る前と同じように轟轟と流れる滝と静まり返った木々が立ち並ぶだけであった。黒星は何もないことを不思議に思いながらも、特に変わったことが無かったため気のせいかと自分を納得させる。
そんな黒星の意表を突くかのように唐突に黒星の眼前に一匹の黒い蝶が飛んできた。
黒星は突然現れた蝶を見て一瞬警戒し、しかしよくよく観察して顔を顰めた。
その蝶の姿は半透明で向こうの景色が透けており、あからさまに一般的な蝶から逸脱していた。
闇に溶けてしまいそうな黒色は透けているために影そのものを想起させる。
黒星はその蝶の正体を知っているため顔を顰めていた。
黒星の持ちうる知識からすればこの蝶はまず目の前に現れることのない蝶である。
だが、それが黒星の目の前に現れたということは――
「……永琳ではないな、何者だ」
と、思考に耽っているところで黒星は森の方から獣とは違う生き物の気配を感じた。
永琳とも違う、妖でもない、獣でもない、そして人間ではない。
「そのような膨大な気配を隠さずにこの森を通るということは受け答えをする知性ぐらいはあるだろう?」
「ええ、もちろん。ただ妖が問答してくるとは思いませんでしたので少し驚いておりました」
光が現れた。
そう表現されても仕方がない。それほどまでに強い輝きを纏った存在が森の奥から姿を現したのだ。
その光の中心には純白な衣を纏った人型が存在した。
背は黒星の人の姿よりも少しだけ低く、細身で繊細な体つきをしており、美男子や貴公子などと呼ばれるような容貌をしている。
「……いや、済まない。名乗るのならばこちらが先だな。私の名前は黒星という。見ての通り妖だ」
黒星は突然現れた美男子の方を向いて凛とした態度で名乗りを上げる。
「……星ですか。妖の分際で随分と大層な名前を名乗りますね。――失礼、名乗り返すのが礼儀というものですね、ツクヨミと言います。覚えてもらわなくて結構です」
黒星に対して柔和な笑顔を浮かべてツクヨミは名乗った。
そこには隠していない嘲りと高慢さが滲み出ている。
「こうして目の前に現れたということは何用かあるのだろうか?ツクヨミ殿」
「いいえ、用というほどのことではありませんよ。ただのついでです」
黒星は動揺もなく至って冷静にツクヨミのことを観察し、だらりと腕を下げた。
「ならば、一つだけ問おう。そのついでというのは初対面の相手に対し威圧の如く神力をまき散らし迫ることなのか?――三貴子(みはらしのうずのみこ)の一人月夜見命(つくよみのみこと)よ」
黒星のその言葉を受けて月夜見は一層笑みを深めた。
「妖にしては博識なことですね。しかし、どうでもよいことです。――だってここで死ぬのですから」
その瞬間月夜見の放出する神力が一気に膨れ上がった。
瞬間、黒星がいた場所が地面を抉るようにして吹き飛んだ。
水柱が揚がり腹底に響くような低く重い爆音が森中に広がった。
土埃が舞い、遅れて水飛沫なった川の水が雨の様に辺りに降り注いだ。
そうして、全ての水滴が落ち切ったところで土埃が収まり漸くその惨状を露わにする。
地形が変形したことで川の流れが変わり濁流が溢れ、連鎖的に滝の瀑布も変化する。
元の風景は消え、川の流れに飲まれ、石礫や川底の砂が散逸していた。
「おっと、今のを避けるなんて物凄い動きですね。まるで獣みたいだ」
「このような自然を後先構わず吹き飛ばすとは、貴殿には風情がないな月夜見殿。まるで荒神だな」
いつの間にか黒星は先程の月夜見の放った攻撃を避けて川を挟んで月夜見の対岸に立っていた。
「獣が風情などという高貴な情景を理解できているのですか?」
「何を言う、月夜見殿。風情を作るのは人や貴殿のような神ではない。自然の中で生きる私達畜生や自然そのものが風情を作るのだよ。貴殿のような神が自然によって生み出されたように、趣のある情景もまた自然が作り出したものだ」
黒星は下げていた両腕を胸の前で組み、左手を顎に付け思考するような仕草を取った。
「ふむ、それにしても月夜見殿。私は貴殿に殺されるような理由も因果もない筈なのだが。これはいったい何かの手違い、若しくは勘違いではないか?」
「神が妖を滅ぼすことに何か問題でもありますか?人を攫い、貪り喰らう邪な存在を許すわけがないでしょう」
「人を攫い、貪り喰らうか……。確かに私たち妖の大概は貴殿の言う様な存在だ。しかし、それは人食い虎と何ら変わりがなかろう。貴殿の言う通り私達は獣と遜色ない存在でもある。ある者は生きるため、ある者は自身の住処を守るため、またある者は妖や獣と異なる人間を外敵だと判断して殺すし、喰らう。それは摂理というものだろう。ごくごく自然なことだ。人も妖を敵と断じて殺すこともある。獣も妖に襲い掛かることもある。神だってその例外ではない。――だが、そんなことを行うのは理性も叡智も秩序もない愚かな一部の者だけだ。己が身に誇りを持ち、本能を統べる頭脳を持ち、風情を理解し、礼節をもって他者と向き合う――それができる者は、理由も無しにむやみやたらと誰かを襲う真似などしない。貴殿にだって理由はあろう?夜を統べる月の神よ」
そう言って、黒星は腕を組むのを止め見下しも見上げもせず、真っ直ぐと眼を月夜見の双眸(そうぼう)へと向け尋問でもするかのように表情を窺(うかが)った。
夜空を照らしていた月は少しずつ風によって流れてきた雲によって陰りを見せ、両者を影が覆い隠すように僅かな間薄暗い闇夜となった。
遥か彼方、雲の途切れには一際明るい星々が見え隠れしている。
「……そうですね。ええ、理由はりますとも。あやか――いえ、黒星殿」
長くない程度の沈黙の後、月夜見は今まで浮かべていた貼り付けたような微笑みを消して応えた。
「本来ならば私は貴方のような妖を殺す気も全くありませんでした。妖など掃いて捨てるほどこの世には存在しますし、私にとっては大した障害でもないですから精々脅して潰してそれで終わりでした。歯牙にもかけないどころか興味関心の対象外でしたから。危険な妖でしょうと人間たちに少し知恵を分けて退治に向かわせればそれで解決していましたし」
ゆっくりと雲は流れ次第にその影は取り払われていく。
両方の顔つきも段々と露わになっていく。
黒星は理知的で凛とした態度を崩さずに月夜見を見つめ、月夜見は笑みこそは浮かべていないものの神々しく毅然(きぜん)とした余裕のある様子で黒星を見つめ返していた。
「この間、私を崇拝する人々のとある集落から幾人かの者が森へ入ったまま帰ってこないという事案が起こりました。当然、捜索が行われましたが、生きているものは一人も見つからず森の中には帰還していない者たちの衣服や装備品のみが発見され生存はほぼ絶望的だと思われました。私も人のことは人に任せるつもりでしたが、帰ってこない人々の中に見過ごせない人間が一人いたのですよ」
「ほう、成程。そういうことか。合点がいった。」
「貴方なら言わずとも既に分かっておいででしょう?それだけ博識で礼儀を重んじるのであれば。彼女という人の有能さが。彼女という頭脳がなければ人々の発展と繁栄は望めず、彼女さえいれば凡そ他の人々は概ねどうととでもなる。故に――」
「――故に、貴殿が彼女を助ければ貴殿は妖にとらわれた少女を助け、人々の発展と繁栄を築き、より多くそれでいて深い信仰を得ることができるという訳か。理に適ってはいるだろう。しかし、いくらなんでも一月も間を空けるというのは遅すぎやしないか?」
月夜見の言葉を黒星が奪うようにして続けた。
未だに黒星はその眼を離そうとはしない。
「いえいえ、遅いどころか早すぎるくらいです。彼女の生死は把握していましたから。彼女の遺品が全く見つからなかったこともそうですし、森の中に真新しい人の痕跡も発見されており、尚且つ私が直々に力を使って探しましたから。ただ、この森に漂う妖力のせいか知りませんが彼女が何処にいるのかまでは正確な位置が特定できませんでしたし。私も捜索の時間は限られていますから後二日ほどは掛かると予想していたところです。捜し始めた本日中に見つかるというのはやはり私だからなのでしょうね」
「…………。」
黒星は月夜見の話を聞いて思うことでもあるのか、一旦考えるように俯いてほんの数秒間目を閉じた。
「貴方を殺すのはついででした。彼女は今頃別に付いてきた人々の手によって保護されているところでしょう。怖気づいて逃げ出すというならば見逃そうかとも考えてはいましたが――貴方は妖の中では危険すぎる」
「……そうか」
黒星は顔を上げ目をそっと開いた。
「しかし、私も生ある畜生の身として何の抵抗もしないままむざむざと死にたくはない」
ゆったりと黒星は歩き出した。
大きな歩幅で、急ぐことはせず、されど止まることもせず。
「それに今この時も私のことを待っている友がいる」
月夜見へと向かって行くその歩みは揺るがない。
自然のままの険しい岩も、雨により水嵩の増した激しい川の濁流も、大きく抉られた地面も、そして月夜見の放つ暴力的なまでの強大な神力でさえ、彼の者を止めることできやしない。
「――永琳も私が死ぬことを望んではいないだろう」
揺らぎなく、それでいて慎ましやかに。
一歩一歩着実でありながら、大胆なまでにゆっくりと。
「そちらが私を殺すことに対して理由があるように、私も死ねない理由があるのだ」
そうして、何事もなく。
「――どうした、月夜見よ。懐が空いているぞ?」
月夜見が反応するよりも早く、黒星は眼前にいる月夜見を人間の腕から姿を戻した左の巨大な蟹の鋏で横っ腹から力強く打ち付けた。
瞬きする暇も与えられず鋏を打ち付けられた月夜見は弾き飛ばされて宙に体が浮いている状況において、漸く自身が黒星に距離を詰められて殴り飛ばされたことを理解した。
「――がっ!?」
理解したところで月夜見は碌に受け身も取れずに川の上流の方へ突っ込む。
激しく上がる水飛沫。
視界に映る水面には月が浮かぶ。
苦しくなる息とともに、痛みによって打ち付けられた箇所が熱を帯びていく。
何が起きた?
月夜見がそのことを思えたのは川に落ちてからのことだ。
神力によって強化されている肉体は妖怪どころか荒神や格下の神では殆ど傷がつかないような強固さを誇るにも拘らず、まるで巨大な落石を素の状態で受け止めたかのような重い衝撃と激痛を月夜見は感じていた。
人間ならば気絶するどころか死んでしまっている一撃を受けて川に落ちても、月夜見は立ち上がり黒星の方を睨みつけた。
「妖!何をした!!」
珍しく声を荒げる月夜見に対し、黒星は動くこともせず冷静に月夜見の姿を観察していた。
神とまともに戦える妖怪はまずいない。
それは神の力が破邪の方へ向いているということだけではなく、圧倒的なまでに地力の差があるからだ。
神という存在そのものがもともと妖怪よりも力量が高く、破邪の力を持ち、何よりも信仰によって膨大な神力を引き出すことができる。
妖怪が神にとってとるに足らないというのはそういうことだ。
しかし、今現在の黒星はある意味最盛期ともいえた。
妖として若い彼は妖術の類を使えるわけではないが、身体能力は妖獣に一歩届かない程度に高く、蟹としての体は堅牢で大きく且つ人間の姿と使い分けることができ、能力を開花させており、冷静沈着で思慮深く博識。
黒星は数百年の間一つの湖において他の妖や八百万の神々にも排斥されることなく主として居座り続けられたのは、幸運や運命ではなく純粋な力からである。
彼は戦いを好みはしないが、それでも応戦しないわけではない。
今まで友を守り旅を続けてきた彼は弱肉強食の妖の世でこうして生き抜いてきたのだから。
「さてな。私はただ歩き、貴殿をこの鋏で殴りつけただけだ」
黒星は特に誇張することもなく淡々と応え、徐に左腕の鋏をカチンと一度だけ鳴らした。
月光は大地を怪しく照らしていた。
2015/06/17(水)誤字脱字修正
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五話 月夜(中)
別ける必要あったのかといわれると返す言葉もないのですが。
申し訳ない限りです。
早く次の展開に進みたいのですけれど……。
頑張ります。
◆ ◆ ◆
八意永琳は森を震わすような巨大な音を聞いて目を覚ました。
すわ、何事かと目を開き体を起こし、周りを見渡した。
――黒星さんが何処にもいない――
瞬間、彼女の脳は完全に覚醒し、そして現時点での事象の凡そを推測し、幾つかの過程を瞬時に考えた。
――手がかりは今のところ三つ――
一つ目は先程聞いた爆音のような地鳴り。いや、爆音そのものだろう。一般的に考えれば火薬かもしくは何らかの自然現象を疑うが永琳は微かに洞窟の外から神力が流れ込んでくるのを感じ取っていた。もちろん、永琳に神力を感じ取るような能力はない。しかし、その他の力――霊力や魔力や妖力など――とは違う。邪悪さや禍々しさと言う様な“穢れ”を発していない力となれば霊力又は神力が妥当。あれほどの地響きを鳴らし一般人である永琳でも感受してしまう様な強力なものとなると……。
――神力、それも相当高位なもの。となると少なくとも妖や人間の仕業じゃない。あの娘もまだここまで上手に能力を扱えてはいない。そこから考えられることは――
二つ目は黒星が居ないこと。彼は永琳が寝静まってから座るように、いつ外敵が侵入しても対応できるように壁に背中を預け入口側で寝ている。一ヶ月も同棲しているにも関わらず永琳は黒星の寝顔を見たのは片手で数え切れる程でしかない。(それでも寝顔をしっかりと見ているのは彼女の乙女心――というよりは愛とか執着心とかの代物だったりする。恋する乙女は強かである。)だから今までにも永琳が気が付かなかっただけで黒星が夜中外へ出かけていたかもしれないし、実際に永琳も黒星が夜中出かけていったであろう痕跡を何度か見つけていたりする。黒星自身別に隠しているわけでもなく理由を聞けば躊躇せずに答えてくれる。ただ、絶対彼女が目を覚ましたときにいなかったことはない。
――そう、黒星さんは私の意識があるうちは決して目を離さなかった。おかげで寝顔が全く見られなかったのだけれど――
黒星は永琳を信頼するとともに警戒もしていた。それは永琳が無能だからではなく有能で、場合によっては彼女一人で黒星の目をかいくぐりこの森を脱出しようとしかねないと考えたからである。無論、永琳からすれば杞憂と断ずることができる予測だが。
――黒星さんは少し心配がすぎるんですよ――
心の中ではそう非難しつつも自身の身を案じてくれる黒星のことを想うと嬉しさから彼女の口元がついつい綻んでしまうのは仕方がないことだろう。
――だけど、問題なのは黒星さんが外に出た理由よりも、この洞窟に戻っていないということ――
三つ目、それは黒星の様子が今日一日どことなくおかしかったことである。どこがおかしかったのかと問われると、永琳は答えに詰まるかもしれないが。彼女は黒星の態度に無視できないほどには違和感を感じていた。
――体調が悪いという感じではなかった。なんともいえないけれど、陰りがあったような――
隠し事や、考え事悩み事を抱えているような雰囲気が近い。
――隠し事というよりは、もう既に答えは出ていていつ伝えるかを迷っていたのかしら――
あくまでも推測の域を出ないのだが、彼女は確信にも似た自信を抱いている。
黒星と言う妖怪が決して人に頼らず信じず胸の内に隠すことはしないということを。
――彼は誠実だ。いつでも凛とした態度を崩さず、友情を最も大切にする――
これらのことを踏まえて彼女が導いた仮説はどれもこれも良くない状況を暗示するものばかり。
八意永琳は一旦目を閉じて思考を整理することにした。
――先ほどの爆音は人間や妖怪の起こしたものではない――
八意永琳と言う少女は聡明である。
――爆音の原因はあの方が起こしたものであることが最も可能性が高い――
それは人も妖も神すらも認め、一目置くほどだ。
――そして黒星さんがあの方と対峙していると考えてまず間違いない――
故に彼女は何時如何なる事態においても冷静沈着であり、決して安直な行動をしない。
――今私にできる最善策は――
永琳は直ぐ様立ち上がると壁に立てかけてある自分の矢筒と弓を身に着け、幾つかの薬品や道具を腰のポーチに入れ、靴ひもを結び直し颯爽と洞窟を飛びだした。
案の定、ここ一ヶ月使うどころか手に触れることすらしていなかった弓はしっかりと弦が張られ、矢筒には新しい矢が幾つか充填されており、いつでも使えるように誰かの手によってきちんと手入れをされていた。
焦燥感、一抹の不安、しかしそれに勝る様な彼の自身に対する心遣いを感じながら、八意永琳は月明かりの照らす夜の森へと分け入っていった。
★ ★ ★
「――おかしいとは最初から思っていた」
黒星は川辺に背を向けて独り言のように、しかし不思議と響きわたる静かな口調で唐突に呟いた。
「いくらなんでもあそこまで人の力で発展と繁栄をなし、技術を高め、あまつさえ妖に対抗しうる力をここ数十年程度でつけられるものなのか」
いつも通り凛とした顔立ちで、焦りや疲れは見えず、ギラリと瞳に強い意志を灯している。
「あれは個体差や土地の豊かさで説明が付く情景ではない。あの街は普通ではなく異常だと断言できる」
その視線の先には中性的風貌の美男子が神々しい雰囲気を放ちながら立っていた。
「そして、八意永琳。彼女の話だ。彼女は聞けば親しい友も頼りになる親族もいないそうだ。あれだけの才覚と気遣いのできる気質を持ちながら生まれてから年齢の近しいものとの交流や家族そろっての団欒を経験したことが無く、彼女のために与えられた建物の中で好きなように研究に勤しんでいたと言っていた」
決して激しい声ではない。
何か特殊な力を出しているわけでもない。
しかし、その言葉は重く。
それでいて、深い。
「あのような少女が、だ。二十もいかない少女が、一人も友を作らず、家族とも離れ、外に赴くこともせず、部屋に籠り若き時代の貴重な日々を己がためでもなく、思い入れも親しみもない他者のために費やしている。これが異様なことでないというのならば何が正しいのだ?街の繁栄だって同じことだ。あれは人々が望んだのではない。初めから望むように、繁栄を正とし反感や違和感を感じさせず、あのような少女を平気で発展の礎として利用し、自然に生きる妖や獣たちを脅かし、人が生き残ることのみを素晴らしいことだと思わせた。そう仕向けさせたのだろう?――月の神、月夜見命」
月光に照らされながら、天衣無縫とも思えてしまうほど強烈な意志をひたすらに隠し通すかのように冷淡な口調で眼前に君臨する一柱を臆することなく見下していた。
理知的な表情の裏には決して抑えきることのできない煮えたぎるような激情が存在することを何も知らない第三者が傍から見ていても察することができるだろう。
黒星は憤っていた。
分かりやすくキレていた。
薄々、その存在のことを感づいていたのだろう。
あの壁が囲む街の発展には妖さえも寄せ付けないような巨大な何者かが裏にいることを。
妖を寄せ付けないとなると、同じく妖でありながら強大なる力を持つものか、若しくは妖を超える力を有する神の類か。
間違っても人間だけでは成し得なかったで有ろう躍進。
もし、八意永琳のような才能溢れる者が大勢いたとすれば、とも考えなかったわけではないが、かのような人間が多数生まれていれば間違いなく現段階で妖たちがあの街を潰しに動いていただろう。
永琳ほど賢ければまず妖とはできるだけ敵対しない道を選ぶだろうし、急激な進歩よりも安定した日常を考えるだろう。
だが、神と言う存在が後ろ盾になっていれば話が別だ。
街は安心して開発を進め、妖とも敵対し、神の下にいる自身と周りの者を差別するだろう。
神のおかげで人は栄え、人の信仰心によって神の力は存在の格は上がっていく。
そこに生じる軋轢を度外視して――だが。
急激な発展の裏には破壊された自然があり、進歩を遂げた人間たちは次第に妖たちに危険視されていく。
遅かれ早かれ、たとえ白河や朱啼が動き出さなかったとしても、いずれ人と妖の大規模な戦争が起こることは明白であった。
そして、本腰を入れた妖に人間のようなか弱い生き物たちが抗えるとはとてもとても黒星には思えない。妖たちは人間たちに容赦をしないだろう。食料程度にしか思われていない人間は逃げることも隠れることも出来ずに食い尽くされて終わるだろう。これが妖に対して全く対抗する力を持っていない人間ならばすぐに村ごと逃げ出したりなどするが下手に力を付けてしまったあの街の人々は恐らく逃げもせずに敵対してしまう。月夜見という存在があるせいで。
「……つくづく、その賢さにおどろかされますね。妖ではなく私を信仰する人間だとしたらそれ相応の地位と力と名誉を授けたところでしたが」
不敵な笑みを浮かべ月夜見は言う。
「私にとってはどれも要らないものだ」
「ええ、妖風情には微塵も理解できないでしょう。神々を崇拝する高尚さや地位や力や名誉の重みなど」
「……解せないな。何故貴殿は妖と人を争わせるような方法をとる?貴殿ほどの神ならば妖に邪魔をされることなく人の信仰心を得ることも出来よう。人と妖の戦いの先などどうあがいても人に勝ち目はあるまい。戦争が起きれば信者を減らし、破滅へ導く神として語り継がれるだけだろうに」
「いえいえ、私は繁栄と発展を司る神だと伝説に残るだけですよ。貴方には分からないことでしょうがもう既に対策はとってありますので」
月にも生えるような微笑みを見せる月夜見のその瞳に狂気が映っているように黒星には見えた。
その瞳を見て、体中を這う得体のしれない不安を黒星は覚えた。
月夜見の態度から何かしら企てていることは察せたが黒星はその内容に(が)皆目見当もつかない。
現段階において、少なくともこの頃の黒星に月夜見の考えを予想することなどできもしなかった。
もし、黒星があの街の中に入るなり、永琳からもっと詳しく実験や技術の知識を聞いていれば或いは完全にとはいかないまでも概ね推測できたかもしれない。
ただこの場において黒星が月夜見という存在を危機感を持って認識できたおかげで幸か不幸か月夜見の思惑は外れることになる。
「そうか」
気が付けば、少なくとも月夜見の感覚では反応することも出来ず、再び目の前に近付いてきていた黒星が左の鋏頭上より振り下ろしていた。
しかし、完全に月夜見の意識の外を突いたその一撃は当たることなく、宙に浮いた半透明の丸鏡のような物が間に入ることによって防がれていた。
「……妖術なのかはたまた別の何かなのか私には分かりかねますが、私の認識を操るにしろ空間に作用させているにしろ、私が反応できないというのならば最初から守りを固めておけばいいのです。簡単なことですね」
笑顔で言い放つ月夜見を見て黒星は内心で冷や汗を垂らした。
黒星は自身の能力について十全ではないにしろできることはしっかりと把握して使いこなしている。今まで敵対してきた妖や荒神などは対応出来ずにいたのだが、あろうことかこの月神はただ一度受けただけで仕組みも理論も理解せぬままに対応してきたのだ。確かに常に防御を張っていればどのような不意打ちにでも耐えることはできるだろうが、黒星の振るう巨木をなぎ倒し岩も砕くような一撃から守りきるためにはどれ程の力を常時守備に回しているというのか。滲み出るほど余りある膨大な神力を持つ月夜見によってできる芸当だ。
下手な小細工など意中にも置かない強大な力を持つ者の戦い方である。
黒星は自身よりも余程化物じみていると感じた。
追撃を入れることはせず、黒星は大きく飛び退いた。
「あらあら、せっかく近づいたのに離れてしまっていいのですか?」
「――近かろうが遠かろうが距離そのものは余り意味をなさないようだからな。小手先の技では通用しないことも分かった。戦い方を変えさせてもらおう」
余裕を見せて挑発する月夜見の文言に黒星は態度を変えることなく淡々と応答する。
そうして黒星は人型の姿から本来の巨躯を誇る蟹の姿へと変貌した。
「随分と大きいですね。それが本来の姿ですか。やはり、妖は妖。実に醜い」
黒星の体は月光を遮り、辺り一帯を影で覆った。
言葉は無く、蟹の瞳が月夜見を睨みつけている。
「まあ、思うようにはやらせませんが」
先手を取って動いたのは月夜見である。
黒星の一撃を防いだ半透明の鏡を三つに増やしそれぞれの鏡から蒼白い光線を放った。
箒星の弧を彷彿とさせる光線は吸い込まれるように黒星の体の中心を狙って突き進む。
動く間も与えないような速度で影の覆う闇夜を引き裂いていく三本の光線は一筋一筋が金剛石すらも貫くような貫通力を持ち合わせている。いくら妖怪と雖もこの光線を身に受けて耐えられる者はいない。
だが、
――直撃する寸前、黒星の姿は一瞬にして消えた。
「消えた?……いや違う、これは――」
月夜見は眉を顰め困惑する。
黒星に当たることなく終わった光線は彼方の方向へ抜けていき、木々や岩を貫通し、遥か遠くで漸く消滅する。
辺りは静寂が再び支配し、激流の轟音が流れるのみで、生き物の気配など全くしない。
見渡す限りでは虫一匹すらも見当たらないが月夜見は警戒を解くことはしなかった。
されどどれだけ注視しようとも黒星の姿らしきものを月夜見は捕えることができない。
「……何処へ消えた。逃げたのでしょうか?」
月夜見の呟きを返すものなどおらず、煌々たる輝きを放つ満月によって濁流が流れる川は水面で乱反射が起こり明暗の差から眩しいほどの光と墨汁のような闇を見せていた。
川の底どころか中の様子など殆ど見えない。
灯台下暗しではないが、月夜見の視界に映る光景の中において最も死角となる。
カツン、と何処かで鋏がなる音が聞こえた。
轟々とした川の音に消されてしまったその音は月夜見の耳にも届くことはなく、場の静寂を打ち消すような音でもない。
ただ、その音を合図に川の水面(みなも)に小さな渦が五つ現れ、次の瞬間その渦の中から樹木のような太さの水柱が突如として上がり、それぞれが意志を持っているかのようにしなやかに曲線を描き激流の威力をそのままにして月夜見へと襲い掛かった。
くねらせながら進むその水流はさながら蛇の動きに類似しており、直線的ではなく蛇行しながら不規則に空を突き進む動きは予測しづらく避けづらい。厭らしい蛇そのものである。
言うまでもないことだが、この水流は黒星の仕業である。
種明かしをすれば何ということもないが、月夜見の放った光線が当たる寸前で自身の体を急激に縮小し、あたかも消えたかのように見せかけ、月夜見が姿を見失っている間に川へと潜り、妖術を使って水柱を作り出したのだ。
巧妙とまではいかないにしろ初見で見抜くのはほぼ不可能と言ってもいい偽装と隠形である。
黒星は身体的能力だけではとても月夜見を打ち破ることはできないと先ほどの応酬において即座に判断し、自分の苦手な妖術を使うための時間を稼ぐためにワザと一度巨大な元の姿へと変わり直ぐ様縮小し川へ隠れた。目論見は成功し黒星は時間を掛けて妖術を練り上げた。
黒星は自分が妖術が苦手であることを自覚しているが別段使えないという訳ではない。
確かに朱啼や白河に比べると未だ妖術を使い始めて日が浅いこともあり拙く劣っているのだが、実のところ単純な威力だけでは黒星の妖術は二体よりも格段に上である。技術や速度や多様性では朱啼に劣り、質や妖力の効率などでは白河に劣るのだが、シンプルな威力それも水を使った特に大技では二体では遠く及ばないほど優れている。
大雑把で粗雑で発動が遅く、細やか制御は出来ないのだが戦いにおいては有力な武器となる。まだまだ未熟で稚拙ではあるが黒星はそれを補うがために策を要し戦闘で使える段階まで引き揚げたのだ。
余談ではあるが黒星が大雑把であるのは何も妖術だけではなく日常生活でもそうだということを朱啼や白河の二名や、一ヶ月の付き合いである永琳も身に染みて分かっている。もっと言えば自らのことに対して黒星は幾分粗雑に扱っている面がある。永琳は特に無防備にも胸元を肌蹴させるのことは止めて欲しいとも止めて欲しくないとも思ったことが何度もあったそうだがここでは割愛する。
絡みつくかのごとく迫りくる水流を見て月夜見は防ぐことは困難だと判断し、咄嗟に自分の周りを包み込むように半透明な神力の膜を造り、左右上下から襲ってくる水流を遮断する。
「かなりの威力ですね。ここまでの妖術を扱えるとは、もしや大妖怪と同格の力を有しているのかもしれませんね」
言いながら神力を更に籠め、より強力な防御を構える。
ただの鉄砲水とは違い濁流を使っているためか土砂や木々の残骸が紛れ込んでおりその分重みと圧力が増している。自然災害よりも激しく厳しい攻撃がしかも四方向から絶え間なく襲い掛かってくる。
それでも、月夜見の体に傷の一つも付けることは叶わない。守りを崩せない。
神の中であってもより高位に位置する月夜見の格がありありと窺える。
この程度ならば容易に受け止められる。
余力を持つ者の思考が月夜見の頭をよぎったのとほぼ同時に、突如として辺り一帯が暗くなった。
そして気が付く、妖術によって作り出された水流は四方向からのみ、残りの一本は明後日の方向――上空へと延びていることに。
思い至ることと上空を見上げる動作は寸分たがわず一致した。
驚愕と恐怖によって月夜見は口を引きつる。
回避が間に合いそうにもないこともそこで悟る。
上空から、月夜見が先程見たときよりも更に一回りは巨大化した蟹の姿の黒星が左の鋏で月夜見を押し潰すよう落下していた。
文字通り大地を揺らしながら黒星は地面に激突し、強烈な破壊音が鳴り響いた。
戦いなどせずに黒星は逃げ出せばよかったのかもしれない。
もしくはもう暫く後に月夜見と対峙していたならば結果は変わっていたのだろう。
激情に駆られていたにせよ黒星は少々未熟だった。
考え方も、戦い方も、駆け引きも、思慮も、経験も、妖術も、何もかも未熟。
本来敵対しているのは神と妖ではないということを、彼は少しばかり失念していたのだった。
2015/06/17(水)誤字脱字修正
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五話 月夜(下)
最初の悲劇は、黒星の幾年にも亘る(わたる)因縁は、このとき引き金を引かれた。
◆ ◆ ◆
月明かりのみを頼りに夜の闇に包まれる木々に隠れながら、私は黒星さんが長大な体躯の蟹の姿からいつもの背の高く細身な人の姿に戻る様子を目の当たりにしていた。
私が黒星さんを見つけたのはちょうど蟹の姿へと変化した時だった。
洞窟を出てからほんの少し経ったときに黒星さんが巨大な蟹の姿を現したおかげで見つけることができたのは幸いだった。
案の定、黒星さんを見つけたときに黒星さんは戦闘行為を行っており、私はその一部始終を目撃することとなった。
私は初めてその姿を見たのだが、黒星さんの相手――つまり敵は妖怪や獣や人間でもなく、神力を放っていることから予想通り神であり、伝説から聞いた通りの容貌をしていることから恐らくは月夜見様なのだろう。
その神々しさは圧倒的で放たれる神力は人の精神では耐えられそうにもなく倒れてしまいそうになるほど。発展と繁栄、夜の守護だけでなく狂気をも司る月夜見様の姿を見ているだけで発狂しかねない不気味な雰囲気を醸し出している。
しかし、黒星さんはそんな月夜見様に対しても臆することも力劣ることもなく圧巻たる戦いを繰り広げていた。
黒星さんが何度か襲い掛かってきた妖怪たちを追い払っている姿は見たことがあったけれども、そのような小競り合いとは及び似つかない。それ程に黒星さんの全力での戦闘は凄まじい物だった。豪快で破壊的でありながらも謀略をもって追いつめていた。特に水を使った妖術は段違いだったであろう。
神と妖、しかもどちらも力のある者同士の戦いであったため辺りの地形は変化し、地面が抉れたり木々がなぎ倒されていたりと荒れに荒れていた。
戦いの激しさを悠々と物語っている。
勝者は黒星さんだ。
最後の上空から巨体で押し潰す一撃を月夜見様は避けることも出来ずに正面から受けていた。
あれほどの攻撃を受ければ神と雖も満身創痍には違いないだろう。
人型に戻った黒星さんには遠目から見た限りでは怪我を負ってようには見えない。
よかった、本当によかった。
心の底からそう思っている私がいる。
神、それも私たちが信仰している月夜見様があろうことか妖怪に敗れたにもかかわらず、暴力的な力を見たにもかかわらず、反感も恐怖も抱かずに私は黒星さんが無事だったことにただただ安堵していた。
自分が人間として異常であることがよく分かる。
それでもどうしてもこの思いは変えることができそうにない。
私は黒星さんのことを異性として好きなのだ。
愛しい初恋の男性であり、同時に憧れの先生とも言えた。
私に兄がいたら同じようなことを想うのかもしれないが生憎と私には妹のような存在がいるだけだ。
凛々しくも逞しさを兼ね備え、智的で見聞が広く様々な分野において深い知識を有している。勇武でありながらも優しく気遣いができ気性も穏やかで、だけども情熱的な心を持ち合わせている。偏見を持たず柔和な考え方ができ、何処となく達観しているのも私の好きなところだ。
何よりも私の人生観を変えてくれた恩人であり、掛け替えのない友人だ。
そんな彼が突然いなくなり胸が張り裂けそうだった。
別れが近いことは分かっていたがそれでも到底耐えられない感情が在った。
月夜見様と死闘を繰り広げている光景を見て彼が死んでしまうのではないかと恐怖した。
思えば神などよりもずっと偉大で重要な存在になっていた。
土煙の中、怪我一つない彼の姿を見てとてもとても安心した。
警戒を解かないでいる彼の鋭い眼差(まなざ)しを格好いいと思ってしまったのは内緒の話だ。
胸の内から熱い何かがせり上がってくるのを感じる。
目蓋の裏は大洪水が起きていた。
居ても立ってもいられなくなり私は彼の下へと駆け出した。
私の足音を聞いてか、彼はこちらを向いた。
大人びているがどことなく子供らしさの残る凛とした顔つき。
振り向いてもらっただけで私は喜びにあふれた。
彼の目が私を見つけて驚きの色を見せた。
唐突に飛び出してきた私を見て驚愕しているのだろう。
私が見つめられているということが純粋に嬉しかった。
そうして、彼は少し呆けたような顔をしてから困ったような笑みを見せた。
彼の笑顔はいつも私の乙女心を刺激する。
飛びついて抱き付こうと思った。
そして、そのまま一生離れないままでいたい。
ずっとずっと別れずに、永遠に生きていたい。
――そう思っていた矢先のことだ。
彼が笑みを崩しいきなり厳しい顔つきに変化した。
何事かと思考するよりも先に私の目は捉えた。
視界の先に私たちへと迫り来る鋭い銛が見えた。
それは私が遭難する前に苦心して設計した対妖怪用のクロスボウの特殊な矢であるということを場違いにも思った。霊力の使えない人間でも妖怪と対抗しうる力を持つことをコンセプトとして設計されたそのクロスボウは厚い鉄板を貫通する威力と一度刺さったら抜くことのできない形状の矢を発射することができる。
避けようと思ったがそれは無理なことだということは設計者の私は重々承知していた。
人よりも身体能力が高い妖怪に当てるために二人がかりでどうにか抑え込める反動と引き換えに常軌を逸した弾速を実現させている。
当然、人間では体を動かすこともできない速度だ。
声も上げることができず見つめることしかできなかった。
黒星さんが私のことを庇う光景を、漠然と見ていることしかできなかった。
★ ★ ★
残念ながら黒星は防ぎきることができなかった。
左肩口に一本、左手を貫通する一本、右のわき腹に一本、そして右手によって掴まれてはいるものの威力を殺しきれず右目を潰した一本、合計四本もの銛が黒星の体に突き刺さったことになる。
発射された銛の本数は十本近くあったが半数以上は明後日の方向へ飛んで行ったり、黒星の堅い蟹の甲殻に阻まれ地面へと落ちていた。
黒星は咄嗟に永琳の前へと立塞がり庇おうとした。
約一月前に人間たちに襲撃されたときの様に蟹の姿に戻り銛を跳ね返そうとした。
しかし、時間が余りにも足りなかった。
黒星は瞬きする間に蟹の姿へ戻り自由自在にその大きさを変えることができるが、それでも瞬きする程度の時間がなければ完全に元に戻ることはできない。
永琳が設計を手掛けたクロスボウの弾速はその変化速度すらも上回り、結果中途半端に蟹の姿へ戻りかけの黒星の体に突き刺さることになったのだ。
しかし、最低限の範囲を守りきることには成功した。
永琳を守るため首から下――胴体だけは堅牢な甲殻を張ることができたのだ。
今の黒星は鎧を着ている途中の戦士のようで人間の肉体の上に黒い蟹の甲殻が中途半端に覆い被さっている状態だ。
左の鋏が大きいことが影響しているのか左半身は完璧に包まれていたが、右半身は所々隙間があり、運悪く銛の一本がその隙間に突き刺さっていた。
「…………。」
黒星は痛みに呻くことものた打ち回ることもせず、じっとその場に立ち尽くしていた。
その背に隠れる永琳を守るために微動だにしなかったのだ。
黒星の傷口からは留めなく血が溢れだしており、特に深く突き刺さった左の肩口からの出血は地面に血溜まりを作るほどの量を出している。
黒星は右手に掴んでいた銛を目玉から引き抜き地面に捨て置いた。
頬を伝わり滴り落ちる血を着物で拭い、未だ光をともす左目で辺りを見渡す。
宵闇の包む森の中、微かに月明かりを反射する光があるのを黒星は見逃すことはなかった。
「永琳よ、怪我はないか?」
ひどく穏やかな口調で黒星は永琳に語り掛けた。
自身の怪我など、どうということのないかのように。
そこには痛みに耐えている雰囲気などなく、平常と何ら変わりがない。
「く、黒星さんっ!!傷が!いや、それよりも血――」
呆けるように黒星の背中を見つめていた永琳は漸く事態を把握できたのか顔を青ざめながら慌てふためいた。
「何、この程度ならば死にはしない。私の体は頑丈にできている。君の方もどうやら無事のようで安心したよ。」
「わ、私が飛び出してきたばかりに、黒星さんに――」
後悔の念を含んだ沈んだ声で話す永琳に、黒星は振り返り静に微笑んだ。
「気に病むことはないさ。私を心配してここまで来てくれたのだろう。済まないな、心配を掛けて。ありがとう。」
黒星は責めることをしなかった。
それでも、聡明な彼女は動揺しながらも自分のしでかした愚行を責められずにはいられない。皮肉にも彼女が設計した武器は彼の身を傷つけ、心配し彼の下に駆け寄った行動は彼に怪我を負わせる原因となったのだ。やることなすこと全てが裏目に出た結果に彼女は思わず泣き目になった。
そんな永琳の様子を見て黒星は困ったような顔をしながらも、右手に着いた血を拭った後、俯く彼女の頭を優しく撫でた。
「君は間違ったことは何もしていないさ。もし、私が君と同じ立場にいたのならば同じことをしていただろう。」
叱責も咎もなく、ひたすら謝る子供を優しくあやす親の様に――。
しかし、現実は待つことをしない。
背を向けた黒星に再び森の中から凶弾が発射された。
矢よりも速く風を切って進む銛は黒星の背中を目掛けて一直線に迫るが、黒星は後ろを振り向くこともせず自身の未だに銛の刺さる左手を薙ぎ払うように振るって飛翔する銛を叩き落とした。
そして、永琳の頭から手を離すと左手に突き刺さる銛を逆の手で引き抜き、僅かに月光を反射する森の茂みを目掛け血を流す自身の体を慮ることなく力強く投擲した。
投擲されたとは思えない速さでで進む銛はクロスボウを構えている射手を串刺しにし、射手の背後の樹木へと縫い付けた。
茂みに隠れる人間の兵士たちは恐怖からか動揺し、蠢いた。
それを見た黒星は肩口に深く突き刺さっている銛を力づくで引き抜くと同じように森の中へ狙いを付けて投擲した。
悲鳴も苦痛の声も聞こえず沈黙だけが森の闇を包んだ。
隠れている人間たちは動くこともできない。寸分でも動けば標的にされるだろうし、攻撃をしようものならば投げ返される。幾度も妖怪たちを屠ってきた歴戦の兵士もいたがここまで規格外な妖怪と対峙したことはなかった。
間違いなく殺される。
そう思うに十分な実力差を見せつけられた。
黒星はわき腹に刺さる銛を引き抜いてから静かに辺りを警戒する。
――パチパチパチ。
「対妖怪用に設計されたクロスボウとその矢を何本も体に受けながらも反撃するとは、凄まじい生命力ですねえ。」
乾いた拍手が辺りに響いた。
「見栄を張らない方がいいぞ月夜見殿。放たれる神力が揺らいでいる。」
黒星は拍手をする人物、いや神である月夜見の方を向いた。
「ええ、私も心身ともにボロボロの有様です。まさか妖程度にここまでやられるとは思いませんでしたよ。」
食えない笑みを浮かべながらも月夜見の体は満身創痍に近く、頭から血を流し、左腕が折れている。羽織っている衣はボロボロで神の気品はなくみすぼらしい。
それでも、その目には狂気が宿っていた。
「黒星、貴方は余りにも危険な妖怪です。何が何でもこの場で殺すことにします。」
言った後、一瞬にして神力が爆発した。
そう表現する他ないほどの凄まじい量の神力が月夜見を中心として台風の様に吹き荒れる。
「……これほどの神力を一度に使うとなれば、ここら一帯吹き飛ぶこととなる。八意永琳も森に隠れる貴殿の信者たちも纏めて消えるぞ、月夜見!」
珍しく声を荒げて黒星は叫ぶ。
焦燥の滲む声はしかし、月夜見には届かない。
「ええ、そうでしょう。これから放つのは山をも消し去るほどの神術ですから。それぐらいの結果になってくれなれば。貴方を殺すためならば、多少の犠牲は仕方がありません。八意永琳を失うことは非常に手痛いですが、貴方ほどの賢者を妖怪の勢力から減らすことが出来たとなれば差引は無くなります。」
狂気。
月夜見の犠牲を厭わない異常さは永琳の背筋をゾッと凍てつかせた。
月を司るこの神は同時に狂気すらも司る。
幻想的で蠱惑な見る者を狂わせる光。
夜に輝く星々を呑み込む強力な月光。
「そうして、一体どれほどの犠牲を生むのだ!!貴殿の求める先には妖との闘争と破滅の未来しか無い。貴殿のその狂気が果たして幾つの犠牲を出すと思っている!?」
「犠牲があってこそ繁栄があるのです。犠牲から人は学び成長していきますから。」
「貴殿の作る犠牲は貴殿の都合のいい駒でしかない!!妖との激突を増長するだけだ!!」
「今回の件で妖怪に対して人々はますます危険視するようになるでしょう。そして兵器を作るのに躍起になる。彼らが奮起すれば八意永琳の損失は遅かれ早かれ取り戻せます。」
「……最早、貴殿とは語り合うことも無いようだ。」
黒星が傷だらけにもかかわらず再び月夜見へと迫ろうとした。
「止めてください!!」
しかし、戦いに向かおうとした黒星の腰に永琳がしがみ付きその行為を妨げた。
必至で縋るように黒星を足止めする永琳の顔は今にも泣きそうだった。
「黒星さんの体はボロボロです!これ以上戦ったらいくら妖怪とはいえ死んでしまいますっ!!相手は、月夜見様は神なんですよ!……勝てるわけがないじゃないですか。逃げましょう。逃げてくださいっ!!」
言葉の途中で涙腺は決壊していた。
二十にも満たない少女の泣き顔は見ていて痛々しいものだった。
このまま永琳と共に逃げてしまおうか?
ほんの少しだけ黒星はそんなことを考えて、直ぐに取り下げた。
今までがおかしかったのだ。人と妖が共に暮らすどころか話し合うことですら本来は異常なのだ。
確かに旅の中では比較的妖怪に対しても友好的な里も在ったが、その心の中で警戒心を常に持っていることには気が付いていたし、座して語り合えるような友として笑いあえるような経験は黒星の中では無かった。
永琳がもし黒星と共に逃げ、旅に出るとなれば必ず苦労するだろう。
魑魅魍魎が跋扈する世界は人間にとっては過酷である。
だからと言ってこのまま永琳を置いていけば彼女は月夜見に利用され続ける一生を過ごすだろう。
永琳から話を聞いている黒星からすればあまりにも悲しすぎる。
黒星は一つ覚悟を決めた。
だが、
「余所見しているとは未熟ですねえ。」
その覚悟は遅かったと言わざるを得ない。
一筋の光線が黒星と永琳の左胸を貫いた。
この戦闘描写はまだ続きます。
次話くらいで切り上げたいところですが……。
頑張ります。
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六話 血は流れる
一ヶ月に一回は投稿すると述べておきながら誠に申し訳ありません。
こんな事ならばGW中にさっさと書き上げてしまえば良かったと非常に後悔しております。
五月ってGW明けてからが本番だということを身に持って実感したここ最近であります。
さて、今回の話で一応一区切り。チャプターの一つが終了します。
とは言っても大きな区切りはまだまだ先なのですが。……先が見えない。
いつになったら東方の可愛い少女たちを出せるのやら。
霊夢や魔理沙はずっとあとになるでしょうね。紅魔郷でマスタースパークに幾度となくお世話になっている私としては早い段階で出してあげたいところですが。
それと最近の話がシリアスシリアスし過ぎて単調な気もするので、暫くほのぼのを出していこうかと思います。この話のあとで、ですが。
その体は既に満身創痍であった。
体に受けた銛の傷口は返しが付いていたにも拘わらず無理に抜き取ったせいか深く抉れており、滴(したた)るように血が流れ出している。左腕は特に損傷が酷く、肩口から先に力が入らずにダラリと垂れ下がったまま。銛の先端が刺さった右目は光を失い、一番軽傷であるわき腹も銛の破片が欠けて埋まっているため早めに適切な処置をしなければ肉が腐り落ちるだろう。何よりも背後から月夜見より放たれた神力の光線が胸元を貫き、穿たれた風穴よりどぶどぶと溢れ出る血の激しい勢いは、たとえ医学の知識がない素人が見たとしても間違いなく致命傷だとわかるほどの深手である。妖怪であっても、神であっても、生物であるならば心臓を撃ち抜かれた時点で死は免れない。もちろん、心臓を貫かれていても直ぐに倒れ伏し息絶えるわけではない。妖怪ならば特にしばしの間は体を動かすことも出来るだろう。ただ、この時点で最早助かる見込みはない。ありとあらゆる医者が手を尽くしたとしても手遅れであることは明白だ。黒星は死ぬだろう。
――そして、目の前の少女、八意永琳も同じく死ぬのだろう――
永琳は黒星と共々月夜見の光線によりその身を穿たれた。永琳の小さな体躯に空いた拳二つ分ほどの大きな穴は黒星と同じく致命傷であり、流れる血の量からしても永琳は死ぬであろうと簡単に予測できた。断言できた。月の如く白い肌と白銀に煌めく髪を汚しながら血だまりに倒れ伏す少女の顔には既に生気はなく、青褪めて瞳孔が開き、体はピクリとも動かず活動を停止していた。即死ではない、その証拠にかろうじて掠れるような呼吸音が聞こえてくるがそれもそろそろ止まってしまうだろう。
あの聡明で気遣いのできる可憐な少女は見る影もなかった。
八意永琳は死ぬ。
それは覆しようのない圧倒的な事実であった。
――黒星を除いては。
黒星は永琳を死なせる気は毛頭なかった。
自分が死のうと永琳は必ず助けるつもりでいた。
友ゆえに。分かり合える仲間ゆえに。
だから、あっさりと彼女を助けることを決断した。迷いも躊躇いもなくいとも容易く、しかし決して曲げること無き覚悟の下に彼は何が何でも彼女を助けることにした。
動かすことのできる右手を使い懐に縫い付けて隠していた布袋を露わにし、歯を使って上手く剥ぎ取り、確認することなくその中身に入っている二つの丸薬を口の中で噛み潰す。倒れ伏せている永琳を仰向けにし、その頭を右手で静かに起こして支え、そしてそのまま――
永琳の唇に黒星自身の唇を口づけた。
そして止まることなく舌をねじ込むように口内へと入れて黒星の口の中で噛み砕いた丸薬を全て流し込む。
もちろんのこと、永琳に嚥下する意識も力も残っていないが、奥へ奥へと黒星は丸薬を舌で押し込んだ。無意識に生理作用で吐き出そうとする動きを抑え更に舌で押し込む。すると、根負けした様に意識もない状態で永琳の体は丸薬を唾液共々喉を“ゴクリ”と鳴らしながら呑み込んだ。それを確認した黒星はつぃーと唾液の糸を引く唇を離し、そっと永琳の頭を降ろした。
これでどうにかなるだろう。黒星は願望に近い確信を抱いた。
もし、完全に死に絶えてしまっていたのならば黒星がいくら尽力したところで蘇生することはできない。生き物が死ねば生き返らない。これは世の中を覆う覆せない真理である。死者は如何なる介入を受けたところで蘇ることはできない。例外はあるが、当然黒星にはできないことだ。しかし、今にも息絶えようとしているものを救う術はないかと言われればそうでもない。
言ってしまえば生きようとする力さえ持てばどんな生命でも生き残ることができる。たとえ心臓を破壊されようとたとえ脳を破壊されようと命尽きる前に再生できれば生き残ることは可能ではあるはずだ。
つまり、消えた生命力を元に戻すのではなく、消える寸前に生命力を継ぎ足して増加させてしまえばいい。
黒星が行ったことは薬による生命力の増加である。
その薬も本来人に処方するものではなく妖に使用するもので、劇薬ともいえるほど効能を発揮するため調合した黒星自身使用を禁じていた代物である。過去二回、猛禽の類に襲われ死にかけていた蟒蛇(うわばみ)と伝染病を患い湖の畔に流れ着いた牡鹿に投与したことがあったがどちらもあまりにも効きすぎてしまい、蟒蛇は巨木の如き大きな蛇へ、牡鹿は余りにも急激な生命力の上昇により力を持ち妖怪へと変化した。どちらもその命を救えたのだから後悔はないのだがむやみやたらに使うことは憚られた。旅の途中で会った霊魂の管理者に二度と使うなと釘をさされたことは余談である。
少なくとも、目の前の少女を救うことはできるだろう。彼女が望む望まないを関係なしに生かすことはできる。しかし、そのあと永琳がどのような変貌を遂げるかは黒星には分からないことであった。
無責任ともいえるだろう。それでも、どのような姿に変わることになろうとも黒星は永琳を死なせるわけにはいかなかった。たとえ彼女が妖怪へと変化しても彼は失いたくなかったのである。
身勝手で自分勝手な行動ではあるが黒星はそれほどまでに永琳を失うことを、友が死ぬことを恐れたのだ。
それが果たして、玄仙が死んでしまったことから起因するものかは黒星にもわからなかった。薬が完成したのも玄仙が死んだ後のことである。玄仙が死ぬ以前に薬ができていたとしても使ったかどうか。友を失いたくないと思うようになったのは旅を始めてからのことでもある。自ら使用を禁じていた薬を所持していたのも捨てられなかったのもあの二体の友の身を案じるゆえである。
彼はあの友を助けに行かなけらばならない。
彼らの身にも危険は生じているのだ。
だが、永琳をこのまま置いていくわけにはいかない。
月夜見の下に永琳を戻すわけにはいかなかった。
――さしあたって、するべきことは一つ。
「――随分としぶといですね。確実に心臓を貫いたはずですがまだ動けますか」
「…………。」
「貴方が何を行っていたのかは皆目見当もつきませんが、何をしたところで八意永琳は死にますよ。彼女は人間ですから、そこまでの大怪我を負って生きることなどできません。私の庇護下にいるので多少寿命が長くなってはいますが所詮は人間ですから」
「――月夜見よ、貴殿は私の力が分かるか?」
微動だにせずに月夜見に背中を向けたまま立ち尽くしていた黒星は唐突に呟いた。
その声は感情が篭っておらず平淡で聞き流されてしまいそうである。
「私の能力は実のところそこまで素晴らしい能力でもない。こと戦闘においては使い道に乏しい。とてもとても友を守れるような能力ではない。それに私が能力に気が付いてから気が遠くなるような時間が経ったが未だに全てを把握できていない、掌握できていないのだ。どうやら私には能力を使いこなすだけの才が無いようで、精々先ほどの小細工が精一杯なのだ。だが、これは恐らく私の性格に起因するのだろうが私の能力は大事を成すことは割と容易い。扱いづらいことこの上ないのだが、大雑把ではあるのだが、効能とでも言っておこうか、莫大な影響を与えることができる。あまり繊細なことはできないのだが、そうだな、神の一柱程度ならば問題なく効能を発揮できる」
気が付けば、いや、月夜見自身黒星の動きを見逃してはおらず警戒心を張って一挙一動を観察していたのだが、先ほど使われた黒星が小細工だと言い捨てた能力をほぼ全く理解できていない月夜見は警戒を高めていたのだが、それでも黒星は月夜見が反応することも出来ないままに目の前に現れ、怪我のない右手を蟹の鋏に変えて月夜見の首をはさみ、持ち上げていた。瞬間的に移動したのでも、幻術のようなものを使用したのでもなく、黒星が呟きながら月夜見へと歩いてくるのを見ていながらもまるで反応ができなかったのである。警戒心が少しも黒星を危険だと察知しなかったのだ。黒星が何か特別な行為を行ったわけでもない。ただただ、月夜見は見ているだけだった。
黒星が何をしたのかはやはり月夜見には分からなかった。
そして今から黒星が何をするのかも月夜見には分からない。
分からないまま、何も為せないまま――正確には今の月夜見は実のところ黒星に負けず劣らず満身創痍であり、かろうじて神力の残りで無理矢理体を動かしているにすぎない状態で、その決して軽くはない体躯を持ち上げられていた。
「貴殿の思惑と永琳の鎖を今ここで裁たせてもらおう」
黒星の姿は人型であった。にも拘らず月夜見が目にしたのは巨大な蟹の姿である。
その全貌は山と見間違えるほど、視界に収めきることは不可能。
この蟹の姿こそ幻でも蜃気楼でもなく本来の黒星の姿なのだと月夜見は直感した。
膨大で、豪壮な、神すらも超越しかねない。
容赦もなく黒星の右腕の鋏が月夜見の首を締め上げていく。
純粋で圧巻される『力』に月夜見は生物の本能に従い恐怖した――在りもしない死に慄(おのの)いた。
神にはあり得ない死への恐怖、しかしどうしようもなく生物であり命のある者には逃れられない死の恐怖。
感じたことの無い強烈な刺激に対し即座に月夜見の体は反応して、襤褸切れのような状態から急激に神力が籠められる。
死の瀬戸際の黒星と動くことすら儘ならない月夜見。
故に、
――ジョキン。
黒星の鋏が裁ち切るのと、
「止めろっ、妖!!」
月夜見が光線を放つのはほぼ同時であった。
グシャリ、と受け身も取らぬまま血溜まりの中に倒れ伏していく。
不思議な静寂が場を支配し、雲の隙間より覗く月と月光に負けず劣らず光を放つ星々が両者を照らす。
「……私は、生きているのか?」
首に手を当ててただただ茫然と立ち尽くしているのは月夜見の方だった。
倒れ伏した黒星は微動だにしない。
二度三度、月夜見は自身の首を触ってはその首が繋がっていることを確認し、漸く事態を掴めた。
「この妖は殺さねばならない。神力を使い果たすことになろうとも、今ここで!!」
満身創痍であり、生命力と同等である神力がほぼ枯渇しているにもかかわらず月夜見は持てる神力を振り絞り目の前に倒れ息すらもしていない黒星を殺すために、殺しきるために再び光線を放とうとした。
しかし、結果を言えば月夜見は黒星を殺すことはできなかった。
何が原因かと問われれば、果たして何であったのかは分からない。
それは必然とも言えれば偶然とも取れる。
決して有り得ないことではなかったが、奇跡的ともいえる。
強いて言えば月夜見には運がなかった。
雨によって増水した河川の水、何時間も前に雨は上がっているとはいえ水嵩はいつもの数倍。黒星と月夜見の激しい戦いは大地を揺らし、その振動が上流を落石によって少しの間だけせき止めたのだ。黒星と月夜見が戦っている間だけ。そして持ちこたえることが出来なくなり、決壊し、強烈な鉄砲水となり、丁度黒星の倒れ伏す周辺を、月夜見の目の前から掻っ攫うようにして、血も肉体も争いの後も全て綺麗さっぱり流していったのである。
まるで何者かが黒星を生かすためだけに起こした奇跡は、しかし、黒星も当然月夜見も他の誰の意図も介入していない。
自然の摂理に従って上から下へと流れは続くのみである。
既に闇夜の濁流に流されて見えなくなった黒星を月夜見はただただ見送ることしかできなかった。
神も人も妖も自然の理に流れていく。
段々と雲に覆われ、月も星々も闇に呑み込まれていくばかりである。
月夜見のことに関して幾つかの補足。
・男です。
・神ですが生物なので死ぬときは死にます。復活もしますが。
・古事記とか神話関係には基本ノータッチで。
・神力を使えますが霊力も使えないことはありません。
・神力は妖怪に対して効果抜群です。
・生物と違って回復・再生には神力が必要となります。
・趣味は天体観測です。あと占いも。
・この日を境に蟹を嫌いになったのは余談ですね。
(月夜見の出番がこの後ほぼなさそうだから補足したかったというのは内緒)
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幕間 目覚める各々
話自体は二話前あたりから考えてプロット大体書いていたのですが、文字に書き起こすと予想より進まない、文才がない、続かない。
そんなわけで気が付けば七月の終わりになってしまいました。申し訳ありません。
しかも幕間なので話自体は進まないです。ごめんなさい。
ただ、漸く二人目の東方キャラクターの登場です。
最強キャラを上げていくと上位の方にでてくるあのお方。
ミステリアスでビューティフルな彼女です。
できるだけ彼女らしさが書ければいいなと思います。
又、感想の方で会話文についてのご指摘を受けまして、会話文の最後の文における句点をほとんどすべて消去いたしました。これからも読みやすい小説を目指していこうと思いますので、もし読みづらい箇所がありましたら気軽にご指摘いただけるとありがたいです。
八意永琳は目が覚めると同時に洞窟ではない天井を目にした。
壁の向こう側である人間が住まう都市の所謂上流階級の者達が住まう中心街、その一角いや、二角から三角を占める巨大な高層住宅兼研究所に彼女の部屋はある。
慣れ親しんだ一人で暮らすにはあまりにも広々とした部屋には夜には五月蠅い羽虫も、地面を這うトカゲも、雨宿りに来る狸の一家も――当然彼もいない。
「……誰もいない」
実際に彼女の家ともいえるこの建物には実験動物を除いて彼女以外の生物はいない。親兄弟はもとより家事は自分でこなせること以外はロボットや機械に任せるため家政婦は雇わず、研究も助手が付いてこれるような生易しいことをこの建物の中では行っていない為存在しない。一日のほとんどを自室に籠り研究を行う彼女には友達は僅かにしかおらず、研究仲間と会うのも週に一日あるかないか。
永琳にとって日常は退屈でしかない。
彼女は大抵のことができた。
彼女は余りにも優秀すぎるがゆえに共同で研究することが無くなった。
好奇心からくる研究も失敗することはあるがほぼ大体が結果につながる。
年頃の乙女として買い物に出かけても買った衣装を見せる相手がいない。
縁談の話は幾度も有った。
様々な男性を見てきたが、どのような美男子でも破格の富豪でも高貴なお家の御曹司でも彼女の心が揺さぶれることが無かった。
いや、彼女には揺さぶられる心がなかった。
虚無。
すっぽりと風穴があいたかのように心は気が付けば欠落していたのだ。
「…………。」
――逢いたい。
永琳は切実にそう思った。
永琳は部屋の机の上に置いてあるデジタル時計の液晶ディスプレイに映し出される文字盤を見やった。
長いこと時間が経ったと思えるのは今日がちょうど一年だからだろう。
一年前、彼女は黒星と出会った。
そして凡そ十一ヶ月前に黒星と別れた。
あの時のことは鮮明に覚えている。
戻れることならば戻りたい。後悔しても悔やみきれない。
――私が探しに行ったばかりに黒星さんは――
脳裏に蘇るのは彼女を庇いながら何本もの銛が体に刺さり大量の血を流す黒星の後ろ姿である。
私が居なければ、余計なことをしなければ、そう何度も思い悩み、あの時の光景は未だに悪夢としてみることもある。
永琳は事の顛末が一体どのようになったのかは知らなかった。あの日の翌々日、目が覚めると病院のベットの上に寝かされており、聞けば永琳を探しに行ったグループが小川の近くで倒れているのを発見し病院に運んだのだという。その後月夜見に謁見を願い出て、委細の全てを尋ねようとしたのだが、月夜見はどうやらあの日以来酷く体を弱くして真面に人前に出ることすら困難になっているそうで、しばらく尋ねることはできないようだった。ならばと、自ら装備を整え再び森の中に入り探索を行いあの洞窟まで戻ってみたものの、中には黒星が薬草の調合などに使っていた道具などが幾つか残っているだけで、黒星本人は何処にも現れることはなかった。
ここ一年間でありとあらゆる手段を駆使して黒星の探索、せめてもの安否を調べていたのだが結果は芳しくない。有態に言えば何も見つかっていない。
いや、厳密に言えば発見したことというか気が付いたことは有った。黒星とは恐らく直接関係するものではないと思うがやけに森林の中にいる動物を多く見かけるようになったのだ。生物に関する分野にもある程度精通している永琳はそれが生態系の変化だということを瞬時に察知した。後から詳しい調査をしてみたところどうも草食動物――ネズミやノウサギなどの小動物――の数が増えており、それによって狼や鷹などの捕食者である肉食動物の活動領域が広がり数も僅かではあるが増えているようだ。そして、永琳が実際に森の中に入って実感した違和感。――前に比べて妖怪たちの妖力の気配――つまり妖気がほとんどといっていいほど感じ取れなくなったのだ。
――妖怪たちが居なくなった。それも力がある存在はほぼ皆無となったと考えられる。――
綺麗さっぱり邪魔をしてくる妖怪たちが居なくなったのだ。それこそまるで、
「神隠し……ね。まあ、恐らく違うのでしょうけれど」
この話については人々の間で、特に上層の人たちや学者たちなどは喧々諤々と議論を続けており、今のところ月夜見の力によって祓われたのではないかという論が多数派である。妖怪たちを退治したから月夜見が力を消耗し御隠れ(不吉な意味ではなく)になったのだと。
当事者である永琳は真っ先に否定したが。もちろん、表情や言葉に出すことなく内心でだが。
黒星と会って以来対人関係のコミュニケーション能力――というよりも空気を読むことが何故か上達している気がするのは永琳の謎である。
月夜見が妖怪たちを退治した。成程、それは辻褄が合う尤もな考えだ。しかし、黒星との戦いの一部始終を目撃した永琳からしてみれば月夜見が黒星との戦いの後に妖怪たちと戦うことができるほどの力を所持していたとは到底思えなかったのである。黒星と戦う前に殲滅していたのかもしれないが、そういった戦いの痕跡が全く見かけられなかったので妖怪たちが月夜見によって退治又は追い払われたというのは彼女からしてみれば支持できるものではなかった。
月夜見が力を消耗したのは間違いなく黒星との戦いで深手を負ったからだと、永琳は考えていた。
そこまでの思考に至った時に彼女はあの日のことを、黒星が目の前で傷ついたことを、何よりも自分のせいで二人とも致命傷を負ったことを思い出してしまう。
八意永琳は自分の心臓付近を軽く撫でる。
あの日、彼女が最後の光景として覚えているのは自分の体と目の前にいた黒星の体の真ん中、心臓付近に大きな穴が穿たれ黒星の血が自身に飛び散ったところまでである。
間違いなく致命傷。それでも彼女は生きている。
その後意識を失った永琳はどうして自分が生きているのかは知らないが、現在傷の無い自身の身体を診て恐らく人の医療では考えられない何かが起きて助かった、又は助けられたのだと推測した。
そして多分自分を助けたのは――
永琳は自分の机の上に置かれている薬師用の様々な道具を胡乱げな目で見つめる。
それを使っていた持ち主は行方が知れていない。
道具を慣れた手つきで使いこなす彼の姿が思い浮かばれる。
瞳から一筋の涙が頬を伝って零れ出た。
調査結果から推察するに黒星が生きている可能性は恐らく高い。
ただ、どうしても思ってしまう。
――もう二度と会えないのではないか、と。
永琳はスッと立ち上がって、部屋の片隅に置いてある殺菌ケースの中から医療用のメスを取り出した。
そしてためらいなくそのまま自分自身の左手首を大して力をかけずに切り裂いた。
人の体を切り開くのに最も適した刃物であるそれは、抵抗を見せることなく彼女の皮膚に傷をつける。
ドロリと流れる血液とじんわりと広がる痛み。
しかし、その血が肘に到達する前に左手首に付けられた切込みは消えてなくなるかのように再生した。
異常な治癒力、人の域をあからさまに超えている。
その血が床へと零れ落ちる前に永琳は舌を伸ばして舐めとった。
血生臭い、鉄の味。それでもなぜかその血の味に彼を感じるのだ。
不意に永琳は自分の唇に手を当てた。
あの日以来、自分の体が異常であることは直ぐに気が付いた。
最後の記憶は朧げ。ブラックアウトしていく意識の光景は殆ど覚えていないはず。
でも、何故かしっかりとした感触を体が、唇が覚えていた。
八意永琳は再びベットに寝転がった。
瞳を閉じても尚湧き上がる、意味不明で理解不能な興奮と幸福を抑えるために。
◆ ◆ ◆
――果たして、回顧するうちに私が自我を確立したのは一体何時のことだっただろうか。
最も思い出せる古い記憶は遥か彼方――凡そ百年前、まだ私が妖になる以前のことだ。いや、正確にはその時点でもう既に自我を持っていたのだから、自意識に目覚めることのできるような存在だったのだから、妖になっていたのかもしれない。――成っていたいのかもしれない。とても曖昧なことなのだけれども、私自身妖とそれ以外を区別する境界線なんて知らないし、それに私と同類である妖に遭ったことなんて一度もないから判断が付かない。付ける必要もないし。
私が覚えているのは周り色とりどり多種多様な同朋達が私を囲むように生えていたことである。太陽のような大きな花弁をこちらに向ける花々、空まで届いてしまいそうなほど育ち切った巨木、地べたに這い蹲るように生い茂る雑草たち。そのどれもが私と似通った形をしている同朋で、そのどれもが私とは違う存在だということを当時からはっきりと自覚していた。私はこのどの同胞たちよりも優れた種であるということを理解していた。だけれど、私が最初に覚えた感情は優越感ではなく色鮮やかで華麗な紅い花を咲かせるある同胞への嫉妬だった。血が滴るような真紅の花弁は未だに私の記憶に鮮明に焼き付いていて、劣等を通り越し屈辱すらも抱かせるほどの優雅さだった。だから私はその美しさを羨望した。自分を優美な姿にしたいという欲望、同時にその華美な姿を簒奪してしまいたいという願望があった。
――いとも容易く願いは自分の力で成し遂げられた。
二ヶ月もすれば周りに咲くどの花よりも美麗で悠々とした花を咲かせることができた。花が咲くよりも先に私の周りで咲いていた可憐な花は皆悉く枯れた。
私が知ったのは私に勝る同朋はいないということ。そして、同朋の命は私の意思で安易に消し去れるということ。
その時から私は美を求めるような真似は止めた。どうせ私より美しい同朋はいないのだ。同朋でない生物ならば私より美しいのかもしれないが、しかし比較するだけ無駄なことで別に嫉妬も羨望も心に浮かばなかった。
――以来、数年が経ったある日のこと。
私の前に同類が現れた。
直立し人と呼ばれる動物の形をとり、薄汚れた着物と様々な種類の植物の匂いを漂わせている妖がそこにいた。
私はその妖が私と同じ妖であることに瞬時に気が付いたが、その妖は私が同類だということに気が付いた素振りを見せずに私のすぐ前で屈んで花を見つめながらただ一言呟いた。
「……綺麗な花だな」
そして、立ち上がると振り返ることなどせずに静かに去って行った。
欲しい。
数年ぶりに私には欲望の感情が湧き上がった。
まずはその妖の姿を真似てみることにした。
忠実に再現しようと思ったが、あの姿はどうも優雅さに欠けていて、少なくとも私が成りたい姿ではなかった。
もっと華麗に、優美に、造形美でありながら悠然とした華やかさを求めた。
体は滑らかに曲線を持たせメリハリを魅せ、顔は整いながらも自然らしく、服はダボダボとしたものではなく身体に沿った上着と花びらのようにふわりとさせて、色は落ち着いた紅とそれに合う白。髪の毛は新緑を思わせる緑。ずっと日差しを浴びているのも辛いからおまけで少し濃い桜色の日傘を作った。
うん、完璧。欲を言えばもっと多くの色を使いたかったけれど、余りに色が多いと派手になりすぎて却って下品になる。
数十年かけて試行錯誤を繰り返し、漸く私は自分の姿に納得し本来の目的を達成しに行くために旅に出ることを決意した。
あの妖が欲しい。
何処にいるのかは分からないけれど、会えないことはないだろうという確信は在った。
ついでに風ならぬ花のうわさで聞く世界各地の植物を見て回ろうと思った。
――それが、だいたい三十年前のこと。
自我をもっても大したことをしなかった私は今こうして広い世界を旅している。
随分とあちらこちらに寄り道しながらも草木から情報を集めながら巡遊していたら、やっとのことであの妖らしき存在が現れた場所を知ることができた。あとはその痕跡や勘を頼りに追いかけるだけだ。
見つける日もそう遠くはないだろう。
焦ることも無く私は悠然として自らが作った花畑を後にした。
目指す場所はこの花畑に水を送る川の上流。
雨の次の日特有の爽やかな風が吹き抜けていく中を私はゆったりと歩いていく――
その場所は花畑からそう遠くはなかった。
いつもの散歩よりもずっと少ない時間で辿り着いたそこは確かに訪れたことが無い場所ではあったけれども今まで何故自分が訪れなかったのだろうと思うほどの近場。ここまで近いとは思わなかった。
ここまで近場にあって私がまるで気が付くことができないことに最も驚いた。
花畑の側を流れる小川を遡るように沿って歩いていった先の森の中にほんの僅か草木が分け入られて獣道よりもはっきりと形作られた通り道があった。それは何か巨大な生き物が強引に藪も茂もへし折りながら這い蹲ってつくられた跡のようにも見える。いずれにせよ不自然とまではいかないにしても興味というよりある意味での注意が湧いたのでその道を辿ってみることにした。傘が引っかからないように畳んでから奥へ奥へと姿勢を低くして通って少し経つとまるで風穴が穿たれたように草木の生えていない場所に抜けた。がらんどうな空間だけど周りの我が強い木々たちが我先にとばかりに光を求め空間全体を薄暗い影で覆っている。貉でも住んでいそうな陰気な雰囲気が漂っているけれどその手の類の小物妖怪が潜んでいることは如何やらなさそうだった。
初めに目に入ったのはありとあらゆる生物たちだった。熊、狼、鹿、猿、鼬、穴熊、獺、野兎、犬、猫、狐、狸、猪、栗鼠、鼠――そういった大小様々な獣たちから始まり、蛇や蛙や井守、矢守、蜥蜴に山椒魚、中には沢蟹や岩魚などの水辺の生物まで存在する。
所属も住処もてんでバラバラ。そんな動物たちが集う中心には二匹の妖怪が佇んでいる。
一匹は巨大な牡鹿。もう一匹は長大な蟒蛇。
鹿の毛並みは僅かに光を帯びていて、蟒蛇は双頭。
私には遥かに及ばないけれどそこそに力を持っていることが分かる。
しかし、その二匹の妖怪も中心ではない。
これらの生物は皆引き寄せられたにすぎないのだろう。
大きさは然程ではない、木々を組み重ねて作られたそれはかまくらのような形をしている。
問題はその中だ。
その中からこの場にいるどの生き物――私を含め――よりも圧倒的な存在感を発する何かがいる。
存在感の正体は妖力ともいえるし、生命力のようなものともいえる。
いっそ神々しいようにも思えた。
――そう、この場の雰囲気を喩えるならば信仰だ。人間たちが神を拝むかのようなそれに近い。
圧倒的な何かに縋りつように、祈るように。
ただ、私としてはどこか懐かしさを感じた。威圧とも圧迫とも違う穏やかな雰囲気。
しかし、そこに力強さがなかった。
存在しているだけで圧迫する、近くにいるだけで怖気づく。
でも、まるで死骸のような枯れ果てた巨木のような。
そこで私は周りを見渡してみて気が付く。
なるほど、これは強ち信仰という言葉は間違っていなさそうだ。
「……もっと正確に言うのならば、『生け贄』ね」
周りにいる生き物たち、そのどれもが弱弱しい。
年老いている熊、痩せこけた狼、手負いの猪……
どの生き物も死にかけている。
死んでしまってもおかしくない。
吹けば飛ぶようなか細い命。
私はその木でできたかまくらの中をのぞいてみた。
途中で蟒蛇と牡鹿が前を塞いできたので軽く傘で殴り飛ばしておいた。
邪魔をされるのは気に食わない。
かまくらの中は更に暗く、それでいて血と水の匂いがした。
「あらあら、これは……死んでいるのかしら?」
そこに置かれていたのは酷い有様の人間の男。
正確に言えば男の姿をした何か別の生き物。
私から見ても致命傷と思われるような怪我を負っている。
けれども、よく見てみると僅かに体が揺れている。
呼吸をしてるのかもしれない。
間違いなくこのままだと死ぬだろう。
だから、
「だから貴方たちはここへ集まったのね」
そう、私が呟くと一匹の蟹が横歩きしてきて不意に目の前で立ち止まり、ぐわりと両手の鋏を掲げて、静かに倒れた。
そのまま蟹は動かなくなった。
すると、その蟹の体から小さな白い光の珠がぼうっと浮かび上がり、かまくらの中へと入って男の胸元へと溶け込んでいった。
その蟹が合図だったかのように、今度は近くで兎が倒れ、光の珠を出した。
次は猿、次は蛇、次は狸、次は蜥蜴――
バタバタと倒れては光の珠を浮かび上がらせ、かまくらの中にいる男の下へ集まっていく。
倒れた生き物たちは二度と動くことはなく絶命した。
これは恐らく魂なのだろう。
彼らはきっと消えていく自らの命をこの男のために捧げたかった。
一つ二つでは頼りない小さな灯も百も二百も超えると眩い炎へと変わった。
蛍の淡い光が集まることで強い輝きを放つように。
その光はとてもとても幻想的でひどく儚かった。
気が付けば周りで倒れていないのは私と二匹の妖怪である、蟒蛇と牡鹿のみとなっていた。
「貴方たちは魂で無く妖力を与えてやりなさい。そうすれば早く回復するわ」
私がそういうと二匹の妖怪は目を閉じて濁った光を宙に作り出した。
蟒蛇は薄紫、牡鹿は黄緑。
二つの光もまた男の中へと吸い込まれていく。
それを見届けてから蟒蛇と牡鹿は静かに横たわった。
動物たちと違って死んではいない。
目を開けたまま、しかし立ち上がる気力は無いようだ。
私はかまくらの中へと入って、仰向けに倒れている男の下へと近づいた。
「ふふふ、よく眠っているわね」
先程までとは違いその男からは心臓の鼓動が聞こえてくる。
完治までは時間がかかるだろうが目を覚ますまではあと一息と言ったところ。
妖力を分けてあげようと思い、そこでちょっとしたことを思いついた。
せっかく見つけたのだし、どうせ私のものになるのだし。
小さく私はクスリと笑みを浮かべ、
「いただきます」
彼の唇に静かに口づけた――
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七話 太陽
というわけでお久しぶりです。蟹ノ鋏です。
二ヶ月、三カ月ぶりぐらいでしょうか?
皆さんはいかがお過ごしでしょう?
私はやることとやらなきゃいけないこととやるべきこととやりたいことに追われて忙しいです。最近のアニメ面白すぎますね。全く作業が進まない。
それはともかく、今回は新キャラの話。
前回では名前は出さなかったですが、感想の方では既にバレバレでしたね。
まあ、特に隠していたわけでもないのですが。
それに感想に於いて黒星の能力や何者かについて考察をしてくださっている方もいました。
能力の方は一応明確な程度の能力を設定しています。
ただ、黒星はモデルにした妖怪はいますけれど特に正式な妖怪というわけではありません。オリジナルです。
もっと言えばいいとこどりですね。
ベースは蟹です。蟹の妖怪は種類が少ないので別の妖怪要素も入れようかと考えましたがやめました。基本蟹です。蟹です。喰いづらい蟹ですね。蟹食べたい。
というわけで、久々の更新ですがあまり話は進みません。
次話かさらに次の話ぐらいから急展開ですかね。まあ、『予定は未定』ですが。
次回の更新ですが、取りあえず今年中に八話は投稿する予定です。
もしかしたら、間に挿話を入れる可能性もありますが。
そしたら、多分来年は直ぐには更新できないと思います。
三月とか、その辺りになるかもしれません。
遅筆、稚拙で申し訳ないです。
妖が生まれたのは果たして何時からだろうか?
明確な記録など何一つとして残ってはいない。
それは暗に人が生まれるずっと前から生き残ってきた種族であり、また自身の生きた証を残さない種族でもあることを表している。
何故妖は記録を残さないのか。理由の一つとしては彼らが群れを作らず、一個体が一種族であることが強いのかもしれない。妖は二つ以上同じ種族がいないと云われているほどその個体数が少ない。つまり、妖が死んだときに他の者が記録するということは基本的にできない。
たとえ記録する者がいないとしても文献はともかく他の形として痕跡を残すことすら妖はしないのだ。
まるで元からそこに居なかったかのように妖は自然に消えていく。
それを唯一観測し記録できるのは地球上に生きる生き物では精々人間くらいの物だろう。
だが、人も何代も時が過ぎていけば伝承にされていても忘れていく。
妖は辻褄合わせの様になかったことにされる。
彼らが本来そこに存在しなかったかのように世界は回って行ってしまう。
それは彼ら妖が残すものではなく残されるものだからに過ぎないのだ。
実のところ妖は死ぬことはない。
明確な始まりはある。もちろん妖自身その始まりを覚えているわけではない。ただ、漠然と生まれたこと妖は実感している。
しかしながら、妖には死というものがない。
少なくとも人間の記録には妖が死んだという記載は一つとして残っていないのである。
妖は痕跡を残さない。そこにいないかのようにそこで生きている。
妖の寿命はほぼ無限に近い。
妖とその他の生き物の絶対的な差異は断じて見た目や強力な力や妖術や価値観ではない。
寿命、もっと言えば生命力である。
妖は死なない。もとより死ぬことが終わりではない。通常の生命とは違い妖は死ぬために生きているわけではないのだ。
だからこそなのかもしれないが、総じて妖は繁殖力が低い。次の代へと引き継ぐことをしない。
自ら種を増やさない。
生命として異端であり、異常。
では妖は何故生きているのか?
生命としての目的は何なのか?
どうしてそのような生き物が誕生したのか?
理由は誰も知らない。
あの博識である黒星もその師である玄仙も知り得なかったことである。
ただ一つ言えるのは、妖は生き残るために生きているのである。
まさしく時代を超えて残る石碑や文献などの記録の様に。
世界を記録する媒体の様に――
妖は永遠の生き証人なのである。
★ ★ ★
「――永琳」
黒星が目を覚ましたときに初めて目にしたのは湿った洞窟の天井ではなく、水面が揺れる川の中でもなく、此方を覗き込んでくる双眸であった。
本来ならばここが拠点にしていた洞窟でもなく、また流れ着いた川辺や川の中でもない場所であり、永琳でもない女性が此方を覗いてくることから、黒星を運び何処かにある住処へと連れてきて寝かされたのだと、黒星は気が付くことができるのだが、未だにはっきりと覚醒しない意識では靄がかかったような思考しかできず、視界に広がる女性の顔すらもぼんやりとしか認識できていない。
「あら、目を覚ましたのね。でも、まだ寝ていなきゃ駄目よ。貴方の体は死にかけた上に妖力のほとんどを失っているのだから」
無理して妖術でも使ったのかしら?と、目を逸らすことをせずにずうっと見つめる女性が呟いたのを黒星は脳内で理解することも無くただただ漠然と聞いていた。
まるで太陽の如しだな、と黒星は女性の姿を見て思った。
そう表現するしか目の前の女性を表すことができなかったのである。
そこにいる女性はとても眩い輝きを放つ美貌を持つ女性だった。整った顔つき、キメ細やかな肌、新緑を思わせる緑の艶やかな髪。非の打ち所がないほどに綺麗であり、魅力的な美女だと黒星はぼんやりと思う。それも永琳のような何処か儚い秀麗さや、昔に出会った人食いである常闇の妖怪のような深みのある妖美さとも違う。永琳の美しさを喩えるのならばそれは雲がかかりぼんやりと辺りを淡く照らす月である。常闇の妖怪の美は新月の夜に吸い込まれてしまうほどに暗い夜空の闇だ。しかし、目の前の女性は違った。目の前の女性は圧倒する程輝きを魅せる。それは月や綺羅星程度では足りない。光量が違う。端的に言えば強い。彼女がいるだけで周りにいるどのような美人もかき消されてしまうだろう。日が沈んだ後でしか月が輝かないように。晴れ渡る空に星々が現れないように。目の前の女性はまるで太陽のような美貌である。
今の黒星の思考では当然そこまで考えることなどできなかったが、それでも彼は直感的に目の前の女性のことを感じ取っていた。
「……君は、実に綺麗だな」
小さく黒星が呟いた言葉を、女たらしような一言に、しかしそれを受け取る太陽の女性は顔色を変えずに、蠱惑的な笑みを浮かべながら応えた。
「そうよ。私は綺麗なのよ。――さて、貴方はもう一眠りしなさい。安心しなさい私が付いていてあげるわ」
女性はそっと黒星の目を手で閉じる。
黒星は女性の言葉を聞きながら、段々とまた深い眠りへ潜って行った。
「……ずうっとずうっと、未来永劫にね」
それから黒星が本当の意味で目を覚ましたのは暫く後のことだった。
「漸く起きられる程度には回復したわね。今までは食べ物どころか水すらも満足に飲めていなかったけれど、もう自分で食べられるでしょう?」
黒星を看病してくれている女性の話によれば黒星を拾いここまで運んできたのは二ヶ月も前のことだという。
「貴方を発見した時にはもう既にかなりの時間が経っていたわ。貴方が怪我をしてから、そうね、一週間以上は経過していたでしょう」
どうにも黒星はこの女性ではない他の妖怪や動物にその魂を分け与えられたらしい。
「分け与えたというよりも、持ちうるすべての生命力を譲渡したと言った方が正しいわ。ほとんど死にかけの動物ばかりだったけれど百や二百も集めれば仮初の魂ぐらいにはなるでしょう。因みに私は貴方に妖力を分けてあげたわ。それでも貴方は瀕死の状態だったけれど」
魂に損傷を負うほどの致命傷を受けていた黒星は自身の再生能力だけでは回復できなかった。妖特有の生命力があるために死ぬすれすれで持ちこたえてはいたが、それは死にきれていないだけであり再生しなければ徐々にその身を腐らせ朽ち果てさせるだけ。多くの動物たちの魂と妖怪から渡された妖力をもってどうにか再生するだけのエネルギーを得たが、それでも直ぐに治るというわけでもなく約二ヶ月の間黒星は意識が昏睡したまま床に臥せることになったのだった。その間この女性はずっと黒星のことを看病していてくれたらしい。
「一思いに膨大な妖力を流し込んで回復を促進させても良かったのだけれども、負担は大きいし下手に他の妖力を受け入れると暴走や拒絶を起こしかねないから見守ることにした。暇だけはあったから苦にもならなかったし」
そうして、初めて黒星が目を覚ましたのは一週間前。その後は起きたり眠ったりしながら半ば覚醒状態であり、うろ覚えの記憶が黒星の頭の中には残っていた。
「――それでは、君にはかなり世話になったようだ。ありがとう。この恩は必ず返す」
凡そ大体の現状を確認できた黒星は上体を起こしたまま静かに一例をした。
「ええ、期待しているわ」
女性はニコりと温かい陽だまりのような笑みを見せた。
「……そう言えば、一つ聞き忘れていた。私の名前は黒星というが、君の名前を教えてくれないか?」
「幽香よ。風見幽香。
――貴方と同類の妖よ」
風見幽香の話を聞いた後、黒星は上体を起こしたまま静かに目を瞑っていた。睡眠をとっているのではなく、考え事をしているのでもなく、ただひたすらに黙祷を捧げているのである。
黒星のこの行為に含まれる感情は果たして悲嘆かそれとも後悔なのか、若しくは罪悪感や虚しさにも似ている何かなのかは誰にも分からない。しかしながら、黙祷を捧げている対象が僅かな命をまだ生きながらえた命を黒星を生かすため、黒星へと生を繋げるために捧げた名前も知らなければ姿形も見たことが無い動物たちであることは風見幽香でも察することができた。
黒星の黙祷は長く続き、彼はそれこそ死んでいるかのように微動だにせず捧げ続けた。
「……随分と長く続けるのね。死んでしまった魂に敬意を示したところで死んだ事実が無くなるわけでもないでしょうに」
黒星の黙祷が終わり、彼が目を開けたところで、黙祷の様子を同じく静かに見ていた幽香は黒星に話しかけた。
幽香の顔は黙祷に対し感慨を受けるわけでも不愉快に思う訳でもなく、待っていたことに対する飽きと黙祷する理由が不可解であるという疑問の表情が浮かんでいた。
「確かに、君の言う通りだ。こうして、祈りを捧げたところで昔のことは何も変わらないのだからな」
過去は妖にも変えられない。
記録として記憶として残り続ける。
不変ゆえに不滅。
「無駄な行為かもしれないが私は祈らなければいられないのだ。君に命を助けられた恩を返さねばならぬように、私の命を救った、私に命を授けて消えていった者達に恩を返せないのならばせめて私の気持ちだけでも示さねばなるまい」
「ふうん、誠実なのね。黒星が係った死者には全て祈りを捧げるつもりなのかしら?」
「私はそこまで善き者ではない。私が係った命は千を遥かに超えている。中には私自ら命を奪った物もいる。生きるために、友を守るために。助けた命の数以上に私は生き物を殺めているのだろう。理由は様々あれどつまるところ私の我が儘でしかない。だから私が殺した命に祈りを捧げたところでそれはただの自己満足で自身を慰め正当化しているに過ぎない」
「生きるために、我が儘のために命を殺めるなんて当たり前のことよ。我が儘は生きている者に与えられた能力。どんな生き物だって我が儘をしても構わないわ。我が儘をして生きることがその生命にとって最も自分であるということを表す行いですもの。我が儘のせいで命を散らしてしまったとしてもそれは仕方のないことよ。能力の高い者が能力の低い者を蹂躙するのは自然の摂理。他人の好き勝手のせいで殺されてもそれは自分が愚劣であったという証拠に他ならないだけ。強い者が生き、弱い者は死ぬそれが弱肉強食というものね」
「酷く身勝手な理由だがな……」
黒星は否定することも肯定することもなく苦笑を浮かべて沈黙する。どうも幽香の言葉に何かしら思うところがあったようだが敢えて彼はそれを伝えようとはしなかった。
「そう言えば、先ほど君は自身のことを“同類”と呼んでいたな。それはいったいどういう意図があるのだ?まさか君が私と同じく蟹の妖というわけでもあるまい」
黒星は誤魔化すように頭(かぶり)を振ってから思い出したかのように幽香に尋ねた。
「ええ、黒星の言う通り私は蟹の妖ではないわ。そういう意味で私は“同類”と自分を称したわけじゃない。――ただ、その質問に答える前に私の名前は風見幽香よ。黒星が尋ねたのだから、名前で呼びなさい」
「む、それもそうだな。だが、別に私は君の――」
「風見幽香よ」
「…………。」
「幽香よ。ゆ・う・か」
「……幽香の名前を呼びたくなかったわけではない」
「なら今後一切私のことは幽香と呼びなさい」
「うむ、君が――幽香がそう言うのならばそうしよう」
「ならいいわ、黒星。……あら、そう言えば黒星、貴方って姓は付けていないのね。それとも私に言えない理由があるのかしら?」
何となしに幽香から伝わってくる圧迫感というか威圧が増したように黒星は感じ取った。
「前者の方さ。私には親も名づけの者も親戚もいない。姓は生まれたときから持ち合わせていない」
「じゃあ、風見黒星ね」
「ん?」
「風見黒星、私と黒星は同類。ならば別に同じ姓を名乗っても不思議ではないでしょう?」
「いや、私はき――幽香と私が何故同類であるのかを尋ねたのだが……」
「――簡単な話よ。黒星も薄々気が付いているのではないかしら?私は黒星を始めて見たときから気が付いて、直感的に感じ取ったわ。私と黒星は妖に成った生命ではなく、妖として生を受けた生命ということ」
「…………。」
黒星は再び沈黙を返した。
「黒星が親がいないということを知っているのは、親という存在を忘れているかのように思っているのは、そもそも親なんて私達には存在しないから。感じたこともあるでしょう?同胞と明らかに生まれた時点での潜在的能力が大きく違うことに。それは私達が私達と姿が似ている同胞とは違い妖として生まれたから。自我を持ったのではなく、そもそも自我を持っていたに過ぎない。妖に成るにはいくつかの条件がいるわ。例えば、長い年月を生きること。例えば、膨大な妖力を取り込むこと。そういった自然を超越する何かを成すことが妖へと成る条件。でも、私にはそんな経験生まれてから一度もないわ。自我を持つ前の記憶にもない。黒星もそうなんじゃないのかしら。私達は生まれて数年の時点で既に自然を超越した何かに成り果てていて、だからごくごく当たり前に生きているだけで勝手に自我が芽生え、いえ覚醒し、妖として自己を自覚するようになった――思い至る節が黒星にもないかしら?」
黒星は右手を顎にあて、深い悩みを考える男の様に思索を巡らせる。
「考えるのはいいけれど、こうも返事をされないと私が一人で話しているように見えて馬鹿みたいだわ」
「ん、ああ、すまない。確かに幽香の考えは思い当たることが多い。しかし、私や幽香のような妖ならば他にもいるだろう?同類という言葉は分からないでもないが姓を同じにするほど稀有な存在でもあるまい」
「黒星、貴方は本当にそう思っているのかしら?私はここ数十年百や二百じゃきかないほどの妖とあってきたけれどその全てが成り上がりものだったわ。私や黒星の様に生まれつきの妖はいない。少なくとも私は見たことがない」
「私は……」
朱啼や白川のことを思い出して、思いとどまる。彼ら二人は獣の身から妖へと成り果てた存在である。正確に言えばおんもらきである朱啼はもっと複雑な生い立ちではあるがそれでも黒星とは違い、妖の前に獣として生きてきたのは間違いがない。他の妖はどうだろうかと思い浮かべるが、少なくとも生い立ちを知っている妖はどれもこれも何かしらの妖となる前の生があり、明確に妖へと変わるきっかけもあった。
「そろそろ分かってきたかしら?私達がどれだけ稀有で異端なのかを」
「……成程、幽香が同類と言うは納得できるものがある」
「ええ、そうでしょう」
そこで、一瞬幽香は綺麗な笑顔を浮かべ、真面目な顔に直すと、黒星の側に近寄り、黒星の顔を両の手で捕まえた。
その美貌を触れてしまうほどに近づけて、決して目を離さないまま見つめ合った状態で幽香は告げる。
「ねえ、黒星。
――私と家族になりましょう」
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挿話 四季の花咲く病床
更新がかなり遅れたことをお詫び申し上げます。
詳しいことは後ほど活動報告にまとめますが、今年は去年よりも投稿が厳しくなりそうです。
それでもまだこの小説を打ちやめる気はないので最後まで書き上げる所存です。
気長にお付き合いいただけると幸いです。
本当にもし訳ありません。
穏やかな金色の化粧を一面に施す蒲公英の先、青と紫を交互に散りばめる紫陽花と白と黄を織り交ぜる菊の花が挟み込む道に沿って不規則に一輪ずつ生えている不思議と目に付く真紅を妖しく誇る彼岸花を越え、七分咲きの淡墨桜と儚い白色の花を若緑の葉と共に飾る梨の木の根元まで丘を登っていくと、陽だまりの海の様に絢爛としていてしかし決して下品さのない黄金の花を咲きほこらせる向日葵の花畑が見る者を呑み込むように圧倒する。その向日葵の海の中にぽつりと一軒の家が建っている。決して大きい家ではない。竪穴式の住居などではなく丸太を積み上げて組わせたシンプルな家である。釜戸を使用しているのか家からは白い煙が立ち昇っている。その家の周りは庭となっているようで楕円を描く様に芝が広がっており、蕾のままの朝顔や二分咲き程度に咲き始めた薔薇、頭を垂れる百合や今にも種を弾き飛ばしそうな鳳仙花などの花々が花壇や植木鉢に植えられて飾れている。簾が挙げられた窓枠には小さな鉢植えが三つ置かれており、しぼみかけた夜顔と紫の斑を花びらに浮かべる杜鵑草、もっとも目を引く色鮮やかな赤色の鶏頭がそれぞれ一輪ずつ植えられている。
「すまないが、御代わりを貰えないだろうか?」
四季折々の花々に囲まれるこの家は、
「ええ、構わないわ」
花を操る妖、風見幽香の拠点であり
「ありがとう、幽香」
同じく蟹の妖である黒星が月夜見との激戦によって負った深い傷を癒すための病床となっていた。
猪三頭、牡鹿二頭、猿二頭、狸四頭、岩魚八尾、山女魚六尾、粟と稗二合ずつ、その他種々の野菜を大籠二つ分。
驚くこと無かれ、これは黒星が今日一日において消費した食材の量である。
黒星はもともと小食であり魚や肉を食わずとも川辺の石や小さな沼に生えているような苔などを三日に一度掌にも満たないほどの量で食事は足りてしまうが、長い間固形物を食べておらずまた肉体の再生や妖力の回復が意識を取り戻したことによりより活発となり多くの食事を必要としていた。有態に言えば異常なほど腹が減るのだ。穴が開いている桶に水を灌ぐように黒星の体は食物を血や肉や妖力へと食べるたびに消化し変えていく。
「……君には迷惑を掛けてばかりで何も返せていないな」
石を積み重ねて作られた小さな釜戸の上に置かれた土器の中から木製の匙で雑炊に近い料理をよそっていた幽香に向けて黒星は謝罪するかのように言葉を放った。
「そうね。でも、いづれ返してくれるのならばそれでいいわ。急かすような事でもないもの」
幽香は茶碗を黒星に渡しながら言葉を返す。
「……どうにも私の体が治るのには時間がかかるようだ。食えども食えども物足りず、底なしの胃袋を持つ獣でも自身の腹の奥底に潜んでいるのかもしれない。せめて妖力を補給できる薬があればここまで食事をする必要はないのだが――」
「気にする必要はないわ。食材ならばいくらでもあるし、黒星のために作るのならば楽しいもの」
気に病んでいる黒星に対し、しかし幽香は特に何か思うことも無いようで当然のように接している。
それは気遣っているというわけではなく、気にしていない様子である。友達の様にお互いを助け合う関係でもなく、言うなれば無償でさも当たり前かのようにお互いを支え合う家族のようである。
黒星は幽香のことを測りかねていた。
状況としては彼が少女八意永琳を保護した時と似ているのだが、しかしそれは表面上であって少なくとも黒星が実感している体験している現状はかけ離れているように思えた。
相違点としては、黒星は生命の与奪権を風見幽香が握っているということである。
彼女は黒星が意識を取り戻してから一度として黒星をこの部屋の外へ出させようとはしなかった。それどころかこの病床から立ち上がることすら禁じている。過保護ともいえるのかもしれない。だが、黒星からすれば今まで出会ったことの無い者同士であり、互いに友情が芽生えているということなど到底ありえず、妖魔の類に対して気まぐれで治療するにしても傷を治すだけでなく食事の面倒までみてくれるというのは度が過ぎている。
黒星の見立てでは少なくとも今の状態では幽香に立ち向かうどころか逃げることすらできないと冷静に分析していた。長い年月を旅している黒星は友でもない妖に対して全く警戒しないということはない。黒星自身を殺そうとしているとまでは思ってはいない。命の恩人に対しそのような疑念を抱く不誠実さは黒星にはない。ただ、不思議に思うだけである。
永琳のときには黒星は多かれ少なかれ彼女を探しに来た同郷の人間たちを殺していることに罪悪感があった。それ故に彼女を手厚くとはいかないまでも誠実さをもって薬師としてしっかりと看病をした。もちろん、その間に永琳とも友情が芽生えたので友に対するような接し方に変化はしていった。
もう一つは彼女が黒星に対して何の情も湧いていないということだ。
友情も同情も慈愛も憐憫も何もない。だからといって機械的に黒星を看病しているというわけではない。
当たり前のように世話を焼いてくれている。
それが黒星には分からない。看病という行為には多少なりとも憐みに近い感情があってもおかしくないのだが、風見幽香からは全くそれらの感情が見出せない。
では何かしらの思惑や打算があるのかと考えてもみたが、どうにも企んでいたり隠し事をしている様子は見受けられない。むしろ、黒星の質疑に誠実に隠し事なく答えてくれている。これが演技かどうかは黒星にもわからないが、今までに逢ったこと無い幽香が黒星に何かを画策しているとは考えづらい。
堂々巡りのように考えることだけを繰り返し繰り返し結論など出ずに解を満たせない。
結局のところ幽香の主張する『家族になろう』という対価が黒星にはいまいち実感できていないのだ。黒星は友の素晴らしさを解説するほどに理解出来ていても、家族の尊さを理解も実感も今一つできないでいる。
実のところを言えば、玄仙に会うことが無ければ、白河と朱啼と友になることが無ければ、黒星は生涯孤独と共に独りで虚しさも悲しさも感じずに堂々とのうのうと生き続けていたかもしれない。
黒星という妖はそういった強さがあり、誰に依存せずとも生き抜くだけの力と賢さがある。七十年近く、自我が芽生えた当初は妖力も力もほとんどないに等しい唯の蟹であったにもかかわらず己の力のみで天敵から生き延びているのだ。玄仙から得た知識も戦う知識ではなく、しかしながら彼の住まう湖は他の妖怪や神、人間の侵略があったにもかかわらず奪われること無く守り抜いてきたのである。
そしてこれは断言しておくべきだろう、黒星は一人で戦うほうが強い。白河や朱啼と共闘するよりも、永琳を背にして守るときよりも、単独で月夜見を叩き潰したときの方がずっと強いということを。黒星自身は気づいていないかもしれないが。彼は力を振るう理由は何かを護るためであるが戦い方は協力も支援もなしに孤高に戦うほうが向いている。
考察しても一向に纏まらぬ結論に対してほうとため息をついて止まっていた匙を動かし黒星は食事を続ける。
「どうしたの?ため息なんてついて。食事に疲れたのかしら?」
それなりに目立ったのだろう。決して大きな音とはいえなかったため息に幽香は反応を示す。
「別に疲れたわけではないさ」
「それとも食事に飽きたのかしら?この辺で採れる食材なんてたかが知れているもの。ごめんなさいね」
「飽きたなどとんでもない。今まで食べてきた料理の中で最も美味しいくらいだよ。文句のつけようもないくらい。それにきみ……幽香に謝れては私の立つ瀬がない。今の私は碌に動けもせずに養ってもらっている身だ。私が謝りこそすれ幽香が謝ることはない。本当に済まないな。そして最高の食事をありがとう」
幽香に謝られたことに黒星はとても申し訳ない気持ちになった。料理を振る舞う本人の前でため息など失礼にも程がある。自身の軽率さを黒星は恥じた。
因みに黒星の料理の比較対象は白河と朱啼が作った焼き魚や山菜と木の実のスープが精々である。
「お礼はいいわ。ただ、この状況に後ろめたさを感じているのならば少しお話をしていただけないかしら?」
幽香は少しばかり癖のある緑色の髪を手で除けて、黒星の顔を見つめるようにして提案する。
「……話とは?私の事か?」
「ええ、そうよ黒星、風見黒星。あなたの事を語ってほしいの」
「それはこの怪我のことか?」
黒星の病床として設置された干し草の寝具の隣に置かれた木の板を蔓で固定して作られている椅子に座り、細くて白い形の綺麗な指を顎の下に組んで、美しさを通り越して何処か官能的で蠱惑な微笑みを浮かべる貌(かお)で幽香は黒星に語りかける。
「いいえ、それもあるけどそれだけじゃないわ。黒星が生まれてからここに至るまでのこと全部よ。別に今日で全てを話さなくてもいい。私の事も話したいし。お互いのことを知り合いましょう。私たちには履いて捨てるほど時間があるのだから、ね。――ああ、食事は続けたままでいいわ」
ゆったりとした時間が花畑の小さな小屋で流れていた。
◆ ◆ ◆
風見幽香は苛烈であり可憐でありそれでいて繊細である。短気や狭量といった直情的な性格ではないが、ほんの少しばかり天然なところを含めても基本は自身の意見を曲げることはせず興味関心を満たすためならば暴力を辞さないどころか過激なまでに蹂躙し、嗜虐性の強いこともあり、好んで争いを起こし、楽しんで虐殺をしてしまうぐらいに苛烈なのだ。ただでさえ平凡な妖怪共を寄せ付けないどころか震え怯えさせるようなまでの圧倒的な強さに加え、刃向かうものどころか逃げる者も怖気づくものも、徹底的に追い詰めて甚振って弄んで虐殺するその有り様は鬼に金棒の例えではないがこれ以上ない組み合わせであろう。
これほどに苛烈な彼女ではあるが別段荒々しく獣の様かと言われればそうではなく、理知的で思慮深く感性豊かで風情を理解する心を持ち花を愛で小動物を可愛がる可憐な乙女のような一面も持ち合わている。綺麗な花に水をやり囀る小鳥たちを微笑みを浮かべて眺める姿を見れば、太陽のように輝く容姿と相俟ってとても穏やかな箱入りのお嬢様だと誰もが思うことだろう。
もし彼女に苛烈な嗜虐性がなければただの花好きな妖怪として語り継がれただろうが、妖としての性なのか少なくとも怨嗟や憎悪によるものではないとしても暴虐を楽しむ彼女は悪鬼羅刹のように恐れられていくことになる。
しかし、いつもいつも殺戮を楽しんでいるわけではなく思慮深い彼女は妖として乙女としてのあり方に、自己に内在する苛烈さと可憐さに思い悩むときもある。自分の行いに対する後悔など微塵も覚えない彼女ではあるが、残虐な遊びに対しても品性を貶めないように考慮して行っているし、誰に見られるわけでもないが体付きや美貌や服装への美しさ怠ることもなく、小鳥の死体を見つければ墓を作り埋葬するこもあるし、大切に育てた花が病気で枯れればその夜に悲しみに耽ることもあり、極稀にではあるが自分の性格や容姿や力にコンプレックスのようなことを感じることもある。
言うなれば繊細さ。
人間くさいが、でもやはり本質は妖で妖怪で根本的には異なるが、何処か似通ったところのある、人間の少女のように、考え落ち込み悩んだりする。
こうして見ると妖怪も人間も同じように見え、どちらも同じ生き物であることを実感する。
そんな人間らしい妖――風見幽香は月明かり遮る雲のない丑三つの夜中に花畑の様子を見ながら物思いに耽っていた。長話を交わし再び回復のための睡眠へと落ちた黒星の病床である小屋から歩いて少しの場所である。
月明かりがあると言っても人間ならば足下が見えず歩くこともままならないだろう。幽香も月明かりが出ているならまだしも昼間のように見えるわけではない。それでも足下の小さな花を踏まず悠然と歩き回れるのだが。
幽香は余り睡眠を必要としない。全く寝ないわけではないが一晩中どころか一週間起きていても問題はないが夜は昼に比べるとせいぜい木っ端妖怪が増える程度で刺激も風情もなく、特別に用事がなければ昼に活動し夜は眠ったり屋内で花飾りを作成したりしている。
こうして夜風にあたりながら花畑の中を渡り歩いているのはそろそろ咲くであろう月下美人の様子を見るためであり、物思いにふけるのは歩きながらの方が考えが纏まりやすいと思ったからでもある。
考えているのは、悩んでいるのは死の淵からようやく雑談などの長話ができるまでに回復した彼ーー黒星についてである。
「それなりに長く生きてるとは思ったけど多分私の五倍近くは生きているのでしょうね」
黒星から聞いた話から考えるに千年はいかないだろうがその半分近くは生きているだろうと幽香はあたりをつけている。
沼が湖になり亀がその寿命を終え、蟹が山のような巨体になるまでに成長するには百年二百年ではきかないだろう。例え妖であったとしても、いや妖である故に元から巨大ならともかく成長して山のような大きさになるのはかなりの時間がかかるものだ。
「黒星もここ百年近くは元の大きさに戻ってないと言ってはいたけれど、どこまで大きいのかしらね」
本当に山のような大きさならば暮らすのが大変そうだと幽香は小さく笑う。
「聞けば聞くほどよくわからないわね」
黒星の話を聞けば聞くほど幽香と黒星は似通っているものだった。種族、生い立ち、価値観、そのどれもが黒星と幽香は同じではない。だか有り様は生き方は何処か通じているものがある。理屈を語ることはおそらくできないが直感で同類と判断できる確信めいた何かを幽香は抱いており、黒星もまた頷きこそしなかったがされど否定の言葉もなかったのだ。
どうしてか分からないけど、彼と同類であることを幽香はどうしてか分かった。
「だからまあ、分かっていないのは私のことなのでしょうけど」
ずっと悩んできていることである。
正確に言えば彼女は黒星について悩んでいるのではなく、黒星に関しての自分自身に対して悩んでいるのであった。
「多分、いえ、確実に私は黒星が好き」
相手のいない告白。自問自答の結果故に慌てふためいたり驚くこともない。納得の帰結。
「どうしてか、それが分からないのよね」
確かに幽香は黒星を初めて見たときに欲しいと強く思った。欲望が生じて探し求めるまでに執着した。
でもそのとき抱いたのは今のような恋愛感情ではなかったはずだと幽香は覚えている。綺麗な花を飾るように、美味しい食事を求めるように、物欲と同じものだと自覚していた。
では、黒星を見つけ看病している間に愛情が芽生えたのだろうか。
否、それも違う、と異を頭の中で唱えた。
確かに日を追うごとに愛は深まり重くなっていくのが彼女にも分かった。けれども、それは好きだから故に愛が強まったのだと幽香は思う。
自分の姓を付けて名前を呼ぶのも、家族になろうと提案したのも、死にかけの彼に口づけをしたのも、好きだったからのような気がする。
ますます幽香はわけが分からなくなった。
黒星を探す旅でただの物欲が恋愛に変わった、と仮説を立ててやはり直ぐに幽香は否定した。旅の中でそこまで思い寄せていたとは思わない。少なくとも今抱く感情は自覚どころか持ち合わせてもいなかったはずだ。
いったいどうしてなのか、物欲のように欲していた黒星を恋人して恋慕するようになったのは。
悶々として纏まらず、解は求められず、いつの間にやら黒星のことだけを考えていることは気がつかず、頭の中では黒星との記憶をあれやこれやと幽香は浮かべ続けている。
不意に風が吹いた。穏やかで涼し気な夜半の風だ。
幽香の前髪が顔にかかる。
それを払ったところで、目的の月下美人が視界に入った。
月下美人はすでに咲いていた。夜に咲く白く健気な花びらを咲き誇らせている。
「……綺麗な花ね」
『……綺麗な花だな』
黒星の言葉が聞こえた。
それは最初の言葉である。
幽香にとって始まりの言葉。
再び風が吹く。先程より少し強く、幽香は棚引く髪を抑える。
ちょっとの間呆然としたように目を開いたあと、口元を綻ばせてから目を閉じた。
「……存外、軽い女ね。私は」
なんてことはない。
最初からだったのだ。
理由はただの一言ある。
彼を追い求めたのは物欲であっているのだろう。
――ただ、出会って再燃しただけのこと。
ちっぽけなことで惚れてしまった自分に、そんなことで随分悩んでいた自分に、風見幽香は少し恥じた。
「さて、それにしても、随分と物騒ね」
「そうなのかしら?」
「ええ、縄張りを追われた哀れな獣みたい。満足に餌も取れなくて意地汚く涎を垂らして目を光らせるの」
「わはー。――あなたは食べてもいいみたいね。今わたしが決めたわ」
「明日は妖怪の炒めものかしら。食材が少なくて困っていてちょうどよかったわ」
静かな月夜に向かい合う二つの影は暗闇に包まれていく――
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八話 星に願いを、太陽に思いを、そして闇に――
お待たせいたしました。二か月もかかるとは。
初めて『文章は書けるのに終わりが見えない』という状況に陥りました。
所謂キャラクターの暴走。大分四苦八苦しましたが何とか書き上げました。
今回は割と平和です。
おしゃべりするだけの話かな(大体あってる)
次回からは勝ち抜きボスバトルです。イメージとしては。まあ、まだ平和ですから。
夜明けの日が昇り始めたころ、黒星はゆっくりと目を覚ました。緩慢な動作で体を起こし、欠伸を一つかみ殺す。
掌を二度三度握ってはひらくを繰り返して昨日よりも格段に力を取り戻していることを黒星は実感する。
――黒星が幽香に看病されるようになってから約一月が経過していた。
実際には運び込まれてから意識不明のまま二か月ほど寝込んでいたこともあるため少なくとも三か月近くは過ぎている。
そのうちのほとんどは起きては寝てを続ける日々で、しっかりとした食事を摂れるようになったのもつい四日前のことであり、談笑に興じるまでに体力が回復したのは昨日のことである。食事量が大幅に増えたことが要因としては大きいのだろう。食事を、固形物を消化できるようになるまで十分な栄養が取れず回復も遅遅としたものであったが、普段の黒星からすると過剰なほどの食事量――とくに肉を食べたことにより一気に快方へと向かったのだ。それはもはや再生や復元といってもいいほどの速度であった。
急速な回復に伴う反動として逃れられないほどの睡魔がここ数日毎日襲っていたが漸(ようや)く復調してきたといっていい具合になり、暫(しばら)くぶりに立ち上がることを行う。
若干の立ち眩みはするものの問題はなく、平生の調子と比べても大差はない。
「六割、いや六割五分と言ったところか。心臓を潰されたのが響いているか……」
八意永琳と別れたあの夜、黒星は月夜見と戦い心臓を貫かれた。より正確に言えば心臓の半分以上を消滅させられた。他にもいくつかの臓器と手足に重傷を負ったが、狙いすまされて的確に穿たれた心臓の修復は時間がかかり完全な治癒はまだ先のこと。蟹という種族の特性として手足の再生は早いが、臓器はその何十倍以上もかかる。それでも傷ついた程度ならば生命力の高い妖であればものの数日で元通りだが、黒星は傷を負ったのではなく消滅させられていたためより時間がかかる。加えて月夜見という神のそれも高位の存在による神力は再生が妨げられより深手となっていた。低級妖怪では塵も残さずに浄化してまう月夜見の神力は黒星ならばさほど効力を発揮しないとはいえ毒のように体内に残留し回復を阻害していた。
心臓を穿った傷は黒星の胸に痛々しい跡を残している。
おそらく一生消えることのない傷跡となるだろう。
黒星は辺りを見回す。
然程大きくないこの小屋は窓から差し込む日差しが唯一の光源となっており日が昇っていても薄暗い。
病床に臥しながら何度もこの部屋を眺めてはいたがよくできていると黒星は改めて感嘆する。
陰っていると湿りやすくなるものだが、うまいこと窓を設置しており風通しがよく湿度の不快感を感じさせず、しかしながら雨風を中に入れぬように雨戸がきっちり隙間なく閉じられるように作られている。
棚や釜戸も精巧に組み立てられており歪みやズレは一切なかった。
これを風見幽香一人で作り上げたというのだからその技術のすばらしさに黒星はただただ賞賛をおくっていた。
部屋の中に飾れている花々も彼女が育てたものなのだろう。
もしやすると、今ここに彼女がいない理由は花の世話をするために外に出ているからだろうかと黒星はあたりをつける。
「……外に出るか」
一か月以上ぶりの外出を黒星はこのとき決意したのであった。
★ ★ ★
風見幽香が漸く長かった夜の用事を終えて帰路に就いたときには夜が明けていた。
多くの妖怪変化にとっては日の光というものは疎まれるものであるが幽香にとって日差しは活力の源であり喜んで受ける心地よいものである。
「――んっ、ふぅ。今日もいい朝ね。穏やかな天気になりそう」
朝日を全身に浴びながら気持ちよく伸びをすると、きれいな朝焼けの空を見て幽香は呟いた。
遠くで小鳥のさえずりが聞こえる。
爽やかで涼しいそよ風がほんのりと漂う花の香りを運んでくる。
いつも通りの何の変哲もない穏やかな一日の始まり。
ただ、その日常に変化を見つけたのは桜の木の近くまで幽香が歩いていたときである。
その木によりかかり動物たちに囲まれて片膝を立てて座る黒い着物の青年の姿が見えた。
そばに仕えるように狼が座り、山猫が股座に居座り、鼬が片膝立ちしているその隙間から顔を出し、服の袖に蜥蜴がしがみつき、蛇が腕に絡みつき、栗鼠が肩の上でクルミを食べており、おまけに頭の上に百舌がのって歌をさえずっている。
ある種の幻想的なその風景の中心にいる男はどこを見ているのかわからないような眼で指先に黒い色をした半透明の蝶をとまらせている。
幽香にはその男が見覚えがあった。ていうか黒星だった。
「……小屋から出たのね。いえ、よくあの小屋から出ることができたわね、黒星。雁字搦めに囲っておいたはずなのだけれども」
「……む、幽香か。おはよう、今日はいい天気になるな。夕方過ぎに一雨降るかもしれないないが」
どうやら、声を掛けられて漸く幽香が近づいてきたことに気が付いた黒星は、指に蝶を乗せたまま幽香へと振り向き、どうにもかみ合わない言葉を返した。
「おはよう、黒星。確かに今日はいい天気ね。それで、改めて尋ねるけれど、問い詰めるけれど、どうやってあの小屋から抜け出したのかしら?私の記憶が確かなら小屋全体に内側と外側から雁字搦めに結界を張り巡らせておいたのだけれども」
「幽香が入ることが来たのならば出ることができない訳ではないだろう?それにしてもあの結界は緻密な術が苦手な私でも分かるほど繊細で強固な術だったが。私がかけたらおそらく暴発してしまうな、あれは」
「草の術式、根の術式、それに花と蔓、――あと触れられないように棘も付けたかもしれないわ。あれを破るのは黒星が全快であったとしても一月はかかるような強固さと修復機能を付与したのに。そもそもあれに触れた瞬間私が気付くように作ったのに。いったい何をしたらこうも簡単に出てこれるのかしら?」
「根?ああ、そういうことか。あれが地面から養分を汲み上げることで多少破損しても修繕されてしまうというわけか。それは最早結界ではないな。生きる現象だ。生命を持っているといっても過言ではないな」
「――質問に答えなさい、どうやってあの小屋から抜け出した」
近寄って日傘の先端を突きつけて答えを迫る幽香の気迫に恐れをなして黒星に纏わりついていた動物たちが一斉に逃げ出した。
ただ、一匹指先にとまる半透明な蝶だけは変わらず居続けている。
「私の能力といったところだよ。少なくとも結界では私は止められない。何処にでも行ける私は何物にも遮られない。――ところで幽香、頬に血をつけて帰ってきたが、昨夜は何処に行っていたんだい?」
黒星は幽香の剣幕に少しも動じることなく自身の能力のことをどうでもいいといった様子で告げると、話を変えるように幽香に問う。
「まだ私は納得していないわ。詳しく話しなさい」
「だから言葉通りの意味さ。私は何処にでも行ける。たとえ遮る壁があろうと私はすり抜けていける。いくら強固な壁であってもどれほど精巧な結界であっても私には通用しない」
そう言って、黒星は日傘の先端を避けて立ち上がり幽香の眼前へとすんなりと近寄って幽香の右頬についている血痕を手で触る。
「え?なっ……!」
「もう乾いているか、どうやら妖怪の血のようだが。争ったのか?」
目に見えているのに、ただ近寄っただけなのに、黒星の手が頬に触れられるまで反応をすることが全くできなかった。
動きを封じられていたわけではないわけではない。
反応ができなかった。
そこに来ているのに何もできない。
まるで認識をすり抜けられているような。
黒星が頬に触れてきたところで漸く一歩退くことができたが、その黒星の能力に目を開く。
「大したことはしていないし、大した能力でもないさ。おまけに使い手が未熟だ。細かいことをしようとするとかなり時間がかかる」
「――恐ろしい能力ね」
「そんなことはない。あまり使い道のないしょうもない能力だよ。この能力を使って幽香の結界を抜けたということだ、納得したかい?」
「……ええ、納得はしたわ」
理解はできなかったけれども、という言葉を幽香は呑み込む。
負け惜しみのような真似はプライドが許さなかったのだろう。
「――少なくとも今のままで閉じ込めておくことはできないようね」
黒星の能力に対する驚愕を握りつぶし、美しくも鋭い棘を持つ薔薇のような可憐で苛烈な視線で黒星を見据え、意識を身体を戦闘時のそれへと変化させていく。
「本当は手荒な行為をしたくはなかったのだけれども、こうしてここを出ていこうとするのならば仕方がないわ――ええ、分かったわ――戦争をしましょう。手足をもぎ取って茨の枷で雁字搦めに縛り付けてあげる」
一歩下がることで黒星の手の届く範囲から脱し、右手に傘を構え左袖から蛇ほどの太さを持つ蔓を五、六本蠢かせ剣呑なる面持ちで黒星に対峙する。
見せつけられた能力もさることながら幽香よりも長く生き、何よりも自身の同類たる妖である。いくら全快の調子ではないからと言って油断できる相手でもなければ余裕を保てるとも思えない。
――そう、判断し全力を持って半殺しにしてでも抑え込もうと本気で身構えた幽香だが、彼女の目に映るのは幽香よりも頭二つ以上背の高い黒星が地面に膝をつけまるで命乞いをするかの如く額を土に付けている姿だった。
流石の幽香もこの脈絡のない黒星の行為――土下座に面を食らったようで、黒星の能力の一端を垣間見たときとは違った驚きを目を丸くするという表情で表した。
「何のつもりかしら?油断を誘っているの?それとも私を侮っているのかしら?いずれにせよあの部屋から出てしまった以上私には一考の猶予もないし手心を加えるつもりもないわ。大人しく私に従うというのであれば手足は捥がないでいてあげるけれど」
顔を顰めつつも幽香は戦闘態勢を解かない。
しかし、黒星は言葉を返さなかった。
ほんの僅か、されど重い沈黙が場に訪れた。
風見幽香からすればその場しのぎの黙秘に思われた沈黙は黒星にとって幾重の思考の末に取らざるを得ない苦渋の決であることを知るのはまだ先の未来のこと。
「……頼みがある」
震えを含んだ微かな声だった。
「頼み?」
「ああ、どうしても君の力を借りたい」
「イヤよ。傷も治っていないにもかかわらず、小康状態で外に飛び出す愚か者に貸す力なんてないわ。部屋に戻って横になっていなさい」
「体力は大分戻った。今日中にでも元の調子と遜色ないほどになるだろう」
「死にかけていたのよ?いえ、死んでいたと言っても過言ではないわ。多少動けるようになったからって外出を許可するわけにはいかない。もしまた傷を負わせられた奴と対峙してみなさい。間違いなく死ぬわよ。絶対に死なせるわけにはいかないのよ」
「それ故にだ。精々動き回れる程度の今の私では明らかに力不足なのだ。君に於いてほかに私に頼れるものがいない。君しかいない、風見幽香――どうかお願いだ、何なら私の残りの生涯を全て君に捧げよう、私に、君の力を貸してほしい」
「黒星の事情なんて私にとっては知ったことではないし、どうでもいいの。黒星が何をしたいのかは聞く気もないわ。ただ言えるのは私はかけがえのないものを失いたくないの――黒星、貴方を失いたくないの。貴方が水を飲みたいというのならば私は川の上流の澄んだ水を汲んでくるわ。貴方が食事を所望するのならば果実を積み獣を狩り手料理をごちそうする。貴方が静かに眠りたいのならば安らぐ心地の良い寝床を用意しましょう。貴方が憎む相手がいるのならば私が代わりに滅ぼしてきてあげるし、貴方がもし愛を営みたいのなら私が心ゆくまで奉仕してあげる。貴方が望むことは私が叶えてあげる。――でもね、貴方が死を望むのならば私は決して許可しない。貴方は死なないの。未来永劫私と共に生き続けるの。大丈夫よ辛いことなんてないわ。私が隣にいるもの。不幸だって私と貴方なら必ず乗り越えられるわ。世界が破滅を迎えようと私と貴方は生き続けるの。ねえ、黒星、改めて言うわ、家族になりましょう」
真摯で健気なまでに真っ直ぐな言葉。
その想いが届かぬほど黒星は愚鈍ではない。
「……私はどうしようもないほどの愚か者だな。こうして君に言われるまで君の言葉の本意を君の想いを少しも分かっていなかったようだ。だから、今こうして君の想いに気付くことができたのだから、応えを返さねばなるまい」
「幽香よ、ちゃんと私のことを呼んで欲しいわ。貴方にだけはそう呼ばれたい」
「済まない、幽香。至らぬ所のある、目の前の幽香の想いにすら気が付けなかった未熟者の私ではあるが、かような私を望むというのならば、幽香の家族の中に入れてはくれないだろうか?」
「……ええ、喜んで。貴方を歓迎するわ」
万感の想いが恐らくその一言に集約されていたのだろう。先程まで煮えたぎる熱湯が腹の奥底に溜まっていたにもかかわらず幽香の体の中から湧き上がる歓喜と底しれない高揚感が自然とその美貌に太陽のように輝く笑みを浮かべさせていた。
漸く幽香は黒星に寄り添うことができたような気がした。
先の見えない深い峡谷のような溝はしかし気がつけば消えている。
黒星が気づけなかったその溝は幽香が踏み込めなかった隔たりでもあった。
無意識のうちに恐れていたのかもしれない。孤独に生きてきた彼らには喪失は重い。
だからこそ幽香はほんの少しだけ譲歩することにした。本音は伝えたけれど実のところ黒星が心に抱くものに悋気が湧き上がっていたのはささやかな秘密だ。
「ねえ、黒星。私今とっても気分がいいのよ。これまでにないほど、よ。だから、もしかしたら家族である黒星のお願い事なら少しだけ聞いてあげてもいいわ」
「っ!済まない、ありがとう!!幽香!!」
「ええ、少しだけよ。でも条件があるわ。――一つ、如何なるときでも私と離れないこと。例え戦闘になったとしても一緒にいること。二つ目は私を楽しませてほしいの。そうね具体的には――後で二人きりでゆっくりと旅行でもしましょう」
そう言って笑う幽香の顔は黒星が今まで見てきたどんなものよりも美しく幻想的な笑顔であった。
★ ★ ★
説明は要らないと幽香は告げていたが黒星はこれから自身が行うことの大きさから何も伝えぬわけにもいかず、包み隠さず何を行い何を為すのかを懇切丁寧説明した。
かいつまんで言えばこういう事になる。
黒星の友である朱啼、白川の両名から緊急事態を知らせる便りをもらったまま安否がわからないために彼らが向かったであろう場所へ彼らを探しに行く。
このことを人間が築き上げていた壁に囲まれた都市と人間の危険性、意見のすれ違いによる友との対立、人間の少女八意永琳を助けたこと及び彼女を助けたことによる友との別れと彼女から聞いた人間の住まう都市や妖怪への認識、そして自身が致命傷を負うことになった月夜見との対決まで踏まえて余すことなくすべて話し切ったのだが、それを聞いた風見幽香は彼女自身が言っていたように黒星が行うことへの理由や背景には一切興味を示すことなく黒星に密着して腕を絡めて黒星との触れ合いを楽しんでいるだけだった。
強いて言うならば人間の少女八意永琳の名前が出たときだけ筆舌しがたい奈落の底のような昏い瞳で真冬の太陽のような明るくも温かみを感じさせない冷酷な笑みを浮かべていたのを黒星は決して忘れることはないだろう。
「大体の話は分かったわ。それで月夜見はどこにいるの?」
傘を構えて軽く瞳孔の開いた眼を覗かせる幽香から直接肌を通して伝わってくる雪山のごとき寒さの殺気は黒星に冷や汗を掻かせるのに十二分のものだった。
「ま、待て!君は勘違いをしている」
「心配しなくてもいいわよ。ちょっと虐めるだけだから。とどめは黒星に残しておいてあげるわ」
「違う、そうじゃない!!」
違う、そうじゃない
「貴方が止めても私は殺しに行くわ。殺し合いをした相手を生かしておいてよいことなんて一つもないの。禍根は絶対に残るし理解や情であやふやになんてならないもの。それに相手は神よ?生かす必要なんてないと思うのだけれども」
「分かっていたことだが君は神をも恐れないのだな。……しかし、止めようが止めまいが今は奴を殺すのは不可能だ。私の感情やそんなことをしている猶予がないというわけでもなく、単純にいまこの世に月夜見はいない」
「……どういうこと?」
「私があの神と戦ったときに、最後の悪あがきとして奴と人間たちを少しだけ離縁した。その影響で信仰によって力を集め形作られている月夜見のような神は回復やこの世での現存に支障をきたすのさ。まあ私も土地神から聞いた話で具体的な影響は今一よくわかっていないが、信仰の急激な減少はそもそもこの世に留まらせることすらできなくしてしまう。消滅に至るほどは減らせていないだろうが。精々一、二割だが弱っているところに信仰の減少が重なれば直ぐには復帰できまい」
「じゃあ、この世にいないってどこにいるのよ」
「さてな。どこかにはいるのだろうがどこにもいないのかもしれん。少なくとも目視はできまい。信仰を失うとはそういうことだ」
「死んだわけではないのね」
「神は滅多なことでは死なないさ。ある意味妖怪なんかよりもずっとしぶとい」
凡その妖怪が思うことだが神という生き物ほど厄介で理不尽なものはいない。
妖怪にとっては神力という相性最悪な力を備えており、それでいてほとんどの神が不死身に近いのだ。
最も妖怪と神は必ずしも敵対するわけでもなく、仲良く暮らしている例も多々あるのだが。
「それにしても人の信仰を奪うなんてことができるのね」
「奪ったわけではないさ。無理矢理その御縁を引き裂いたのさ」
「随分と強そうな能力ね」
「いや、強くはない。強制的に引き裂けるものには限度があるし一時的なものだ。一生繋がりを途絶えさせるのは現状では不可能だ」
「一生はというとそれなりには切り離せるのね」
「ざっと百年ぐらいが限界だ。百年もたてば人は寿命を迎え、記憶や感情は曖昧なものになるがな」
「人間には有効かもしれないわね」
「まあ人間になど使ったところで仕方がないと言えば仕方がないが」
黒星が人間なんてどうでもいいと言ったところで、その様子を見ている幽香の目つきが再び剣呑なものへと変わる。
「どうでもいい、それは本当かしら?少なくとも一度は使ったんじゃないのかしら?――八意永琳に」
「…………。」
黒星は押し黙った。
答えるつもりはないようで口を固く閉ざしている。
「まあいいわ。終わった話というのならば聞く気はないわ。ただ、その力を私に使おうものならば貴方を殺して私も死ぬわ。それだけは覚えておきなさい」
「……了承した」
閑話休題
「……簡潔に言えば私の友を探すのを手伝ってほしい」
「それについては特に口を挟む気はないけれど、場所がどこなのかは知りたいわ」
「場所か……」
黒星は少し悩むような素振りをして直ぐに口を開く。
「私も正しい名前は知らないのだが私や友はその場所のことを“地ノ底”と呼んでいた。妖怪たちで常に溢れかえっているような場所だ。お世辞にも良いところとは言い難いが最も多くの妖怪がそこには住んでおり何よりも各地に蔓延る妖怪たちの長が集結する場所でもある。言うなれば溜まり場だな」
「もう少しまともな表現はあると思うけれど、概ね理解したわ。要はそこで貴方を守ればいいのね」
「そこでというよりはそこまでかもしれん。実際、あの地ノ底では争い事は厳禁だ。規律に五月蠅い天狗と争いごとに目がない鬼が住み着いている。口喧嘩までならともかく流血沙汰になればむしろ喧嘩をしている奴らが危ないのさ」
「天狗に鬼ね。――会ったことはないけれど強いのかしら?」
首を傾げる幽香には年若い少女の様なあどけなさがある。
「君と戦っても多少は持つかもしれないが、君なら歯牙にもかけないさ。極わずかの例外を除いてね。妖怪同士の戦いなんて強さや弱さは関係はないが」
逃げるのならまだしも幽香に立ち向かって勝てるどころか五体満足でいられるものはまずいない。黒星は幽香にはそれほどの力があると認識していた。
「強いものが勝つ、それが戦いでしょう?」
「妖怪変幻に関して言えば力や能力の優劣のような直接的な強さはあまり関係ない。死なない相手や倒せない相手も五万といる。大切なのは如何にして生き延びるかだ。死ななければ如何様にもやり直せる。妖怪にとって戦うというのは化かし合いみたいなものだ」
「ふうん」
と、相槌を打ったもののしっくりはきていないようではあった。
「絶対に敵わない相手や明らかに格上の相手と対峙すればすぐにでもわかるさ」
「私が敵わない妖怪なんているのかしら?」
「いる。少なくとも一体」
不遜で豪気な埒外の化物を思い出して黒星は言う。
月夜見よりも遥かに強いその妖怪は黒星が決して倒せないと思ったほどの傑物だった。
後にも先にも彼女以上に強いと思った妖怪はいない。
「それは楽しみね」
「……いや、会うと決まったわけではないのだが」
「そうかしら?黒星が強いと感じたのならばその相手も黒星のことを狙っているわ。なら、貴方のお友達がいると聞いて駆けつけない訳がないと思うのだけれども」
「…………。」
珍しく反論する言葉すら浮かんでこない言い返しを黒星は受けた。
確かに彼女ならばやりかねない。
それこそ正々堂々正面から待ち構えているだろう。
目に見えてわかるほど黒星はげんなりとした表情をした。
「……この際奴のことは置いておこう。出てきたら出てきたで対処するしかない。どのみち小細工が効く相手でもない。策を力技で打ち破るような相手だ。うん、諦めよう」
「弱気ね。私が付いているのだから貴方には指一本も触れさせないわ」
「これ以上ないほどに君の言葉は心強いのだが如何せん相手が相手だからな。とにもかくにも、正直なところ一番危険なのは地ノ底に着いてからではなく着くまでの間にいくつか妖怪の縄張りを越えていかなければならないことだ」
「縄張りねえ。私は気にしたことがないのだけれども」
「見つからないようにしていけばいいのだが天狗と鬼は見つかるとただでは済まない。強引に突破するには厳しい相手でもある」
天狗は空を飛ぶためこちらがすぐに捕捉されてしまうし、鬼に見つかるとまず逃げきれない。
昔それで一晩中追い掛け回されたのは嫌な思い出として黒星は記憶していた。
「要は天狗も鬼も蹴散らせばいいのね」
「極力避けるつもりではあるが……」
歯切れの悪い言葉を残すのは自信がないからだろう。
避けれないと分かっているからこそ幽香に頼んだのだろうが。
「なら丁度いいかもしれないわね。結局は荒事に巻き込まれる予定なんでしょう?貴方に見せておきたいものがあるの。盾代わりになるかもしれないわ」
そう言って、幽香は黒星に有無を言わせず引っ張って歩き出した。
降って湧いたような偶然ではあったがどうせ黒星には見せるつもりだったので予定調和ではあった。
幽香が精を出してきれいに整え世話をしている向日葵の花畑の一角、人の背丈を超えるほどに育った向日葵はその一角だけ軒並み倒され荒らされていてまるで大きな獣が荒らし歩いた後のように散らかっていた。
その中で黒星には奇妙な塊が目に入った。
一見すると緑色の塊である。
苔むした岩のように大きくでんと置かれている。
花畑に不釣り合いなほどに武骨なそれはしかし岩ではない。
植物の蔓や葉や幹が雁字搦めに絡みつき集まって形成された云わば檻のようなもの。
その檻の中心から金色の向日葵の花弁のようなものが見える。
段々と近づいていくにつれ黒星はその正体が分かった。
それは女性だった。
檻を形成している植物は皆その女性に巻き付き突き刺さり手や足を微動だにできないほどに封じている。
金色の花弁は向日葵のものではなくその女性の艶やかな金髪であった。
はっきりと見えてきたその女性の顔は有体に言って可憐で乱れた髪の隙間から覗かせる爛々とした紅い瞳は生血のように鮮やかで見るものを引きずり込む星のない夜空の闇のように一種の悍ましさを感じる美貌をしている。
そして黒星は過去に一度この顔を見ている。
金髪の女性は気が付いていたようでにんまりとした笑顔を向けながら近づいてくる黒星と幽香に対し第一声を浴びせる。
「――へえ~、これはこれは、懐かしい匂いがすると思ったらそういうことなの」
開かれた口から覗かせる鋭い犬歯。そして漂ってくる濃い血の臭い。
闇に生き、闇を漂い、闇を喰らう妖怪。
見通すことのできない暗闇に佇む姿からその通り名はつけられた。
『常闇の妖怪』
「――ねえ?あなたたちは食べてもいいわよね?」
人も妖怪も神も構わず食い殺してきた彼女は熱も光もない真冬の新月の夜空のように冷徹で鬼灯みたいに紅い瞳を携えて月光のように美しい髪を乱れさせながら三日月のように口を歪めて血も滴る凄惨な顔で嗤うのであった。
今回は小説を書いている中で一番の難産の話だったかもしれません。
筆が進むのが辛いという状況は本当につらい。
小説家というのはただ文章が書ければ良いというわけではないということを実感させられました。
凄いな~。
作家の皆さん(プロもアマも)よく完結まで持っていけますね。尊敬です。
次話からはバトルメインかな。会話が下手すぎて書くのが辛かったという要因もあるのでもう少し早くなるかも。今年中に超古代編終わるかな。無理かも。まあ、超古代が終わると割と淡々としていく予定ではあるのですが。頑張ります。
どうでもいい補足
黒星
蟹。五百年以上は生きている。百年間ぐらい旅を続けている設定。つまりは四百年間は湖に居た。
口から泡を吹ける。持ち歩いている竹筒に水の妖怪を飼っている(後で短編書く)。家族は知識として玄仙から教わってはいるが実態は知らない。
元の姿はシェンガオレン(モンハン)より大きい蟹。得意技はホーミングジャンプ。
永琳
乙女プラグイン。
風見幽香
登場の理由は花映塚の映姫さまのセリフ『少し長く生きすぎた』からの妄想。まあ旧作登場しているし、幻想郷に住んでいるしいいかな。花映塚のゆうかりんはちょっと丸くなったような。旧作プレイしていないんだけどね。
常闇の妖怪
紅魔郷一面ボス。
二次創作ではめちゃくちゃ需要あるよね。
最近出てきた『そうでは無い』と言う人と組ませたい。
そうなのか~。
この超古代と言われている時代って二次創作によっては一億年前とかあるけれど一億年前の生き物とかまず描写無理だから諦めた。許して。恐竜はともかくほかの小動物とかわかんね。
もしかしたら一億年前には人間がいたかもしれないし。それはないか。
まあ人間が現れるくらい前の話ということで。人間が認識して歴史だしね。
感想、評価、誤字報告感謝です。拙作ですが読んでいただきありがとうございます。
9/1 看病されている期間がおかしかったので修正
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幕間 争い事の始まり
この話は本来前のお話に書く予定だったのですが、前回が書きすぎてしまい一万文字を超えてしまうところだったのでこうして幕間として付け加えることにしました。
今回は七千文字ぐらいなのですが、当初の予定としては五千文字ぐらいで終わると高を括っていたのですが見通しが甘かったようです。
しかも、大分話を削っていたりします。
削ってしまった話はまた後で書こうかと思いますがそうするとまた幕間が増えることになると思うと少し書くことに抵抗があります。
話の本筋ではない話を幕間として書いているのですがあまり幕間ばかり増えるのもどうかと。
黒星が出ている話を本編としているのでやむを得ないのですが……。
本筋を進めるべきか、ディティールにこだわって閑話や幕間を書くべきか。
話の回転率的にもその辺りについて意見をもらえるとありがたいです。
深い森の奥、辺りを一望できる切り立った崖に十四尺ほどの体躯をもつ大猿が佇んでいた。巌の様な筋骨隆々とした巨体と木の幹のように太い腕は樹木を軽々とへし折る剛力を秘めており、怪力で名の知られている鬼にも匹敵する。地面をかける速度こそ狼や狐の様な妖獣には劣るが体躯に似合わず非常に身軽で、木々を足場に森のあちらこちらへ飛び回る軽業師でもある。少なくとも五十を超える妖怪猿を率いる実力のある妖怪である。欠点を上げるとするのならばまだ百と数十年程度しか生きていない若輩者であることと少々頭に血が昇りやすい激情家であるということであろう。ただ、百年を超えているのならば妖怪の群れの頭を務めるには十分な齢であり、そもそも感情に左右され易い妖怪にとっては激情に駆られやすいというのは珍しいことでもないため致命的な短所とは言えないものである。
経験不足のため相手の挑発にまんまと乗ってしまうこともしばしばだが。
それでも冷静さが欠如しているわけではないのがこの大猿の特徴であり若いながらも群れの頂点でもある理由である。
群れを率いる立場となって数十年、十数匹もの配下を増やし安定した暮らしを過ごせているのはこの大猿のおかげであった。
名を黄爪。
黄土色の毛並みに鬼の如き形相、冷徹で砂を操る妖術を使い剛腕のことを含めて『鬼猩々』とその戦う姿を恐れられている。
数日前に黄爪はとある決断を下した。
それは生まれ育ってきた故郷であるこの眼下に広がる森の縄張りを捨て去ることだった。
群れの反発がなかったわけではない。半数近くがその決断に反対した。慣れ親しんだ故郷を捨てることに反感を持たない者はそうそういない。しかし、残りの半数の説得により群れ全体の納得により全員で移り去ることに決めたのだ。
分かっていたのだ。森の賢者ともよばれることのある猩々である彼らはただの猿の集まりではなく一体一体が賢く思慮深い。怒りに身を任せて反論した者や悲しみに暮れて残ろうとする者も居たが最終的には諦めた。
皆分かっていたのだ。この森に留まっても既に未来がないことは。
始まりは仲間内の一体が人間によって狩られたことだった。森の外に住んでいる人間の集落に近い所で食料を調達していたところを狩られた。
それだけならば別にどうということではなかった。
外で生きている以上妖怪だけでなく様々な生物との生存競争を勝ち抜かなければならない。人間もまた敵であり妖怪に比べれば弱いが数で圧倒されるとやられることもある。
故に人間を憎む者もいたが大抵の者は事態を軽視した。油断したが故に殺されたのだろうと。殆どのものがそう考えた。
その一ヶ月後十体以上の仲間が襲われその内の七体が死んだ。生き残った者の話では百を超える人間の群れに追い詰められて射殺されたらしい。
軽々と受け止められる事柄ではなくなった。多くの者が人間に対し憎悪を持つようになった。特に身内や親しい者を殺された仲間達は怒り狂い、森を訪れる人間を意図的に襲うものも現れた。
猩々は好き好んで人間を喰う妖怪ではない。猩々からすれば猿と同程度には食べることを厭う生き物である。故に群れの長である黄爪からすれば人間を襲うことは利のない行為であり消極的だった。傍観し止めるでも勧めるでもなくただ容認しているのみに留めていた。
そうして良くも悪くも人間に対し警戒心を持ち被害もなく半年が経った頃、今度は子供たちが襲われた。
先日目を開いたばかりの赤子やその母親を含めた二十近い仲間が殺された。
感情を制する者はいなくなった。
傍観していた者たちも消極的だった者たちも皆怒りに呑まれた。
まずは森にいる全ての人間を殺した。
狩人はもちろんのこと今まで見逃してきた川に水を組みに来た程度の女子供も殺し尽くした。老若男女容赦なく。
そしてついに人間の集落に襲いかかった。
人間憎し、根絶やしにし恐怖を植えつけようと血気盛んに襲撃した猩々の群れはしかしながら、半壊した。
飛び交う人間の飛び道具が四方八方から猩々たちの頭を撃ち抜いた。
何人かの人間をその豪腕で薙ぎ払っても全く堪えた様子はなく無機質に猩々たちは殺されていった。
黄爪が生き延びられたのはただの偶然だった。
飛来した矢が黄爪ではなく黄爪の弟の喉元を貫いたから助かっただけのこと。
半壊し、規模を縮小した黄爪たちの群れは人間の住まう集落から離れるように森の奥へと移動せざるを得なかった。
人間たちは徐々に森へと侵略していった。
森の中では猩々などの妖怪のほうが圧倒的に有利なのだが人間はその規模が違っていた。
少なくなった群れで腕に自身のあるものも激減し、女子供もを護るので精一杯な黄爪の群れは戦うという手段は選びようがなく、生き残るために彼らは生まれ育ったこの森を破棄し逃げて何処かへと移り住むことにしたのである。
二ガキの木の皮を口に含んだような重く悲嘆に暮れる、何よりも屈辱な決断であることは語るまでもない。
黄爪は哀愁のこもった視線で自分たちの故郷である眼下に広がる森を見下ろした。
様々なことを思い浮かべ自身でも整理のつかない感情が浮かび上がってくるが現状の不幸を嘆くでも未来への不安を憂うでも煮えたぎる憤りに吠えることもせず、ただただ動かずにじっと見つめているのみであった。
――そして、不意に感じ取った第六感による危機察知によって反射的に体を動かす一歩手前で、黄爪は頭に強烈な衝撃を受け、何かを思う間もなく地面に倒れ伏せた。
黄爪はその頭蓋を鋭く太く長大なまるで銛のごとき一本の矢で貫かれ絶命した。
即死であった。
この一矢(いっし)が語り継がれることのない戦争の始まりであることを知る者は誰もいない。
少なくともこの時点で既に人間側取り返しのつかない状況まで事態を進行させており、戦火を逃れられない境界線を超えてしまったのである。
◆ ◆ ◆
その少女は自身の放った矢が標的を撃ち抜いたの確認すると同時に標的から目を離すことなく離脱体勢をとった。
弓道で言うところの残心に近い動作ではあるが彼女が構えているその弓はもはや弓とは言えないような代物で、その全長は成人男性の身長をやすやすと超えるほど大きく専用の台に固定して展開する超弩級の長弓である。本体は特殊カーボンに要所要所でしなやかで柔軟性の高い合金を用いた複合弓でフレームの重さだけで4kgを超え、特殊繊維を使われた竹尺を彷彿とさせる太さの弦と合わせると6kg強、それで1本約2kgの金属製の矢を放つ。地面に固定しなければ碌に照準を合わせられず、そもそも弦を引くにも1t以上を要するため普通の人間では、いや純粋な人間の身体能力だけでは引くことすらできない。
その強弓を少女――八意永琳は十全に使いこなす。
才能のある人間が扱うことのできる超自然的能力の一つである霊力によって本来は漬物石を持ち上げることすら困難な彼女の華奢な腕の腕力を格段に向上させる。人間の医学に精通している彼女は人間の身体構造を網羅し完璧に記憶しているため、漠然と霊力を腕に纏うのではなく筋肉の繊維一本一本に丁寧に付与し、また腕だけでなく弓を弾く上で体制の維持に使う体のあちこちの部位に負荷がかからぬようムラなく無駄なく強化を行っている。そこには計り知れないほどの集中力と技量、そしてただの天才では片づけられぬほどの圧倒的なまでの才能があり成り立っている技術である。永琳の霊力の制御技術の精密さは既に神と同等の水準に達している。それでいながら未だに成長途中というのが八意永琳の常軌を逸していることの一端である。まさに何百年に一度の逸材ともいえる凄さ(あるいは恐ろしさ)を語ればそれだけで短編が一つ書けてしまうほどのものだが、驚嘆すべきは彼女は別に戦士でも霊媒師でも狩人でもなくその本職は薬師であり研究者であるというところだろう。
八意永琳を特筆するうえで語るべきは霊力の技術云々ではなくその頭脳なのだ。
頭脳だけで見れば間違いなく彼女は神を超える。
それは別段彼女が全知であるということではなく一万年近く時代を先取りしたかのような理論や技術を発想し実現可能な段階まで組み立て上げてしまう。
彼女が住まう人間の街は彼女がいなければ成し得なかったであろう発展を遂げ、為政者でもなければ指導者でもない権力を持つ立場ではないにもかかわらず誰も彼女の言葉や動向を無視できないほどに影響力を持つ。崇拝に近い敬意や信頼を得ており、街の長よりも頼られているという異常な状況を生み出している。
彼女はその権力のような何かを存分に使い街を人間を繁栄させており、その集大成の一つが先ほど猿の妖怪を穿ったこの強弓であり、妖怪たちに対抗するために作られ今現在この森の中で待機している対妖怪用の部隊である。
いま彼女が使っている弓ほどではないが妖怪たちに有効で一般人でも多少の訓練をすれば扱えるようになる武具を大量に生産し、特に妖怪に対抗するための専門の部隊を組織し鍛え上げ、実際に攻め込んできた妖怪たちを追い返した実績を得るほどに強い戦力に仕立て上げたのである。
妖怪に対抗するための力をつけてしまったのだ。
「――目標の沈黙を確認、各員に撤退の合図を」
永琳は全く気を緩めず真剣な面持ちのまま静かに命令を下した。
すると近くに隠れながら待機していた部下の一人が了承の旨を告げ、森の中へとすぐに消えていった。
永琳はそれを見送ると今まで展開していた弓を撤収し始める。
目標は達成したので長居する必要はない、森の中は人間の領域ではないため余計な時間の消費は禁物だった。
「お見事です、八意様」
「流石です、八意様。この距離で僅かなズレもなく射貫くとはまさに神業。感激いたしました!!」
撤収作業をしている永琳の背後から二人の少女が近づいてくる。
永琳よりも若い二人の少女は姉妹であり、二人とも金髪で背丈も顔つきもほとんど変わらないのだが、幼いころから親戚として面倒を見ている永琳はともかく他の隊員にも区別がつくように妹のほうが後ろで髪を紐で縛りまとめていた。
姉のほうが綿月豊姫、妹のほうが綿月依姫という。
補佐という名目で永琳は彼女ら二人を傍らに置いてはいるが本音は永琳の身内贔屓が三割、残りの七割が上流階級の家柄の出であるこの姉妹を監視をつけずに自由にさせるのを恐れたからである。
特にこと戦場においては僅かな過ちが命取りとなる。なまじこの姉妹は霊力の扱いや持ちうる能力からして街の中でも上から数えたほうが早いほどの実力者ではあるのだが、年も若く経験が浅い。それ故に油断はなくとも慢心しやすい傾向にある。
永琳としてはできれば街の中へ、安全地帯である壁の中でぬくぬくとしていて欲しかったぐらいなのだが妖怪との抗争の激化でこの姉妹ほどの実力者を眠らせて置くこともできず、家柄の名誉を損なわないためにもこうして前線へと駆り出されることになっているのであった。
それこそ権力の笠を着てでもあるいは実力行使をしてでもこの姉妹も自分自身も家の中に閉じこもっていたかったのだが現状も世論もそうはせてくれない。
悩みぬいた結果が自分が対妖怪部隊の隊長となりその現場の最高責任者として指揮権と人事権を握り姉妹を補佐につけこれからのために経験を積ませながらも比較的安全な自身の身近に仕えさせることであった。
二人とも一兵卒よりもずっと優秀なのだが年若く自身でも未熟さを自覚している永琳から見てもまだまだ未熟なのだ。実際、年齢もまだ二人とも十五にも届いていないはずである。読んで字の如く跳梁跋扈する壁の外に連れ出すことでさえ永琳にとっては不安で仕方がなく、永琳自身が妖怪に拉致されたこともあり、家庭教師の真似事で二人を教えている間柄数ある他人の中では親しいこの姉妹に対していささか以上に過保護になっているのが真実でもある。
永琳自身にはあまり自覚がないことなのだが彼女はいったん仲良くなると大分甘くなるタイプであった。
それでいても甘やかしすぎず然りと指導をする姿は永琳には教師としての才能もあることの証明であった。実に多才である。
永琳は二人に声を掛けられたところで一度手を止めて、二人に気が付かれずに周囲を警戒すると真剣な面立ちで二人のほうへと振り返った。
永琳のほうが年上ではあるが、永琳は小柄なため姉妹と目線の高さはほとんど変わらない。
それでも多少なりとも永琳のほうが威圧的に見えるのは僅かな差だが年齢が上であるゆえの貫禄かそれとも立場上上司であることによる責任感からの風格か。
どちらにせよ綿月姉妹からしてみれば先ほど魅了された神業や任務を遂行したことからくる安堵によって浮つている自分たちとは違い微塵も気を緩めていない永琳に対して違和感を覚える程度には威圧されていた。
そして無言で姉妹に近づいた永琳は妹のほうである依姫ほうを向き予告も前触れもなしにその白く柔らかい頬を勢いよく平手で叩いた。
ピシャリと音が響く。
「――依姫、貴方の隠形が疎かになっていたわ。私が矢を放つ直前貴方の漏れ出した霊力を察知した標的がこちらに気づいて振り向きかけたわ。もし、ほんの僅かにでも私が標的を射るのが遅れていたら恐らく三人以上は犠牲者が出ていたでしょう。――貴方以外の誰かが。決して隠形を疎かにしてはいけないと再三教えたはずよね?気をつけなさい、貴方の不注意で貴方を助けるために何人もの被害が出るのよ」
それは部下に対する叱責の平手打ちだった。
拳ではなかったのは永琳が乙女であるがゆえに拳で殴るという選択肢がなかったが故かそれとも依姫が身内であるが故か。
どちらにせよ、叩くことに関しては全くの躊躇いも容赦もなかった。
依姫は叩かれたことに一瞬呆然としたが、続く永琳の言葉に先ほどまでの機嫌は何処やら、恥じるどころか顔を青ざめて意気消沈し、叩かれた頬を抑えていた。
決して痛くはない、音がしただけで霊力を纏わせていない永琳の素の腕力では腕に止まる蚊を叩いたとき程度のものである。
だが、痛み以上にその叩かれたことに対する衝撃と叱咤の重みが依姫の頬に残っていた。
「豊姫、貴方は待機場所を間違たわね」
間近で頬を叩かれ叱責された妹を見たため、豊姫は永琳に声をかけられたときに思わず怯えて身構えてしまう。
そんな豊姫の様子を見ても顔色一つ変えずに永琳は部下に向けて過失を糾弾する。
「隠形をしっかりとしていたからよかったものの、事の次第によっては貴方は真っ先に狙われていたわ。ちゃんとブリーフィングは聞いていたのかしら?」
どちらも大きなミスではない。
少なくとも永琳があえてその場で指摘しなくても対処できたような些細なミスである。
些細なミスが故に本来起こり得ない、当たり前のことなのだがこの二人はどうもそういった基礎というか根本的なことを疎かにする。
その原因は自身の才覚に対する自信と妖怪を軽視する差別意識からくる慢心であると永琳は考えていた。
才覚への自信はまだいい。そのあたりについては永琳自身が自らその過信を圧(へ)し折って教育してやったのだが、如何せん妖怪の差別意識は根が深いというか街中の人間全てが持つような常識となっている程無意識に抱く感情なのだ。
生まれや能力に関係なく妖怪を軽視する風潮は八意永琳であっても容易に解決できる問題ではなかった。
そもそも永琳自身も未だに妖怪に対する差別を払拭できていないこともある。
軽んじることはないが妖怪と上手く付き合っていくという手段を考えることができないことを永琳は自覚していた。
今回の作戦において近頃街付近の森を住処にする猿型の妖怪たちの頭目を打ち取り、その群れをほぼ壊滅状態へと追い込み、ここ半年は人間の街の安泰は保たれるという計算がたった。
猿型の妖怪との抗争は一部の人間が勝手に始めた余計なことではあったが、犠牲数十名ほどで森から妖怪の群れを追い出せたことは上出来のようにもとれる。
しかし、永琳の顔色はすぐれない。
永琳は知っている、この程度の武装では全く太刀打ちができないほどの強力な妖怪がいることを。
彼女は直にその妖怪に触れ一月ほど共に過ごしたのだから。
その強さも叡智も彼女は知っている。
もし、彼のような妖怪と敵対してしまったら――。
彼女はずっと恐れている。恐れていながら彼女には止める術がないことを悟っていた。
彼女の頭脳をもってしてでも妖怪との対立は避けようがない。
精々程度の低い妖怪に対抗できる武器を用意し、小手先の策略を練り、ほんの少しだけ最悪の事態を先延ばしにすることしかできない。
たが八意永琳は知っている、彼のような妖怪が敵に回れば人間たちは為す術もなく全滅することを。
しかし同時にそれほどに深刻な事態でありながらまた彼と巡り合えるのではないかという淡い期待を抱いてしまうあたり彼女の割り切れない精神性と忍びきれない一途な思いが窺える。
八意永琳はこうして思い悩むことになる。
人間としての立場、自分の本心における二律背反の苦悩に立ち向かうことになる。
ただ彼女の思いとは関係なしに時間は過ぎ去り事態は刻々と迫る。
街の中にいる人間にとっては予想だにしていないことだが、永琳が予測する最悪な事態は着々と人間たちの与り知れない処で進んでいた。
悲劇の幕は開いた。
もうすでに戦争は始まっている。
記録に残らず語り継がれることすらない、人間と妖怪の最初の大戦争が静かに近づいているのだった。
おまけ的な設定要素
黄爪
猿の妖怪である猩々。
外見は厳つい顔をした巨大な猿。
黄爪は群れの長であり能力を持っていて、『砂嵐を纏う程度の能力』を持っている。
砂の鎧ならぬ砂嵐の鎧を纏うことができある程度の防御とある程度の攻撃ができる。
強さ的には三面ボスぐらい。まあ、星熊勇儀が三面ボスだからあまり基準にならないかもしれないけれど。あれかな、めーりんとかとおんなじぐらい。
弱くはないけれど今回は相手が悪かったと言わざるを得ない。
綿月姉妹
あのチートと名高い姉妹。
悪名高いと言い換えたほうがいいかもしれないけれど。
今回の話を書く上でもっとも厄介だった人物。
作者は本を買ってないから知らないんですよね。
二人とも金髪にしたのは姉妹だし、最初は金髪で後々妹が髪の色が変わっていくみたいな裏話を妄想してのこと。なんか神を降ろすとか意味の分からない能力を持っているみたいなので反動で髪の色ぐらい変わっても不思議じゃないような気がして書いた。
おそらく今後出番はない。
出したくない。書きづらいんだもん。
需要があれば調べて書くけれど。
まあ、もしかしたら月面戦争辺りでまた出すかも。
永琳
乙女プラグイン。
まだまだ成長途中で晩成型。二十代でも背が伸びるタイプ。
そういえば永琳と綿月姉妹の年齢差ってどのくらいなんだろう。
親戚みたいなものだとは聞いたけれどよくわかんない。
ていうか、なんで月人だけパワーインフレが激しいんだろう?
神様が普通に登場する東方でそこまで強さに差別化を図る理由が知りたい。
別に同じぐらいの強でいい気もするけどな。
ちなみに銃火器を使っていない理由は臭いと音ですぐに居場所がばれるため。
森の中ではすぐに妖怪に囲まれてしまうので基本使わない。
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九話 全てを薙ぎ倒す嵐のように (一)
八月中に投稿すると言って遅くなってしまい申し訳ありません。
なんだかんだで急いで書いたので質が下がっている感が否めません。
後で多大に修正するかもです。
あと九話は長くなるので分割します。
「なるほどね。なるほどなるほど。ふうん、へぇ、そーなのね。わは、わはは――」
『ハハ、ハハハハ、ハハハハハハ、ハハハッハッハッハッ、ハハハハッハッハ、ハッハハハハッハ、ハハッハハッハハ、ハッハハハッハハ、ハハッハハ、ハハハッハハハハッハ、ハハハッハハハハハ!!――』
黒よりも暗い闇を纏う、常闇の妖怪である少女は呑み込まれるような錯覚を覚えさせるほどに妖艶に聞くものすべてを陥れるかのように超然に、大口を開けて喉を震わせ面相を崩しながら豪快に嗤う。
「……喧しいわね。置かれている立場が分かっていないのかしら?――黙りなさい」
すべてを見下すかのごとき嘲笑が癇に障ったのだろう。風見幽香は不機嫌によって顔を顰めながら常闇の妖怪を拘束し続ける茨の蔓の檻をきつく締め上げた。
痛みによって漏らしたくぐもった声を上げて嗤うことを中断し、しかし口の端を歪ませるようなニヤついた皮肉がこもった笑みを浮かべながら、鮮血のように紅い瞳で黒星と幽香のことを見上げる。
宙に浮くように両腕両足を拘束され首を前に突き出されるような形で締め上げられているので、直立している黒星達よりもその目線は自ずと低くなるのだが、その不遜極まりない態度はまるで彼女が優位に立っているかのように思わせるほど高慢なものである。
ごく自然なことだがこれを看過しておけるほど風見幽香は沸点は高くなかった。
幽香がまだ百年と三十年程度しか生きていない若輩者であるということを除いてもその性格から上に立つものを良しとしておけず、また非常に好戦的かつ残虐性が強い面もある彼女は、羽を毟られてもなお囀ることを止めないような小鳥を見逃すような真似はせず、慈悲どころか面倒さすら感じられないほどある意味では無心で、徹底的に心も肉体も磨り潰すように叩きのめす。
「そう、死にたいのね。分かったわ痛みに耐えられず殺してくださいと懇願するまで虐め抜いてから殺してあげるわ」
「殺す?あなたみたいな小娘がわたしを?わは、殺せるものなら殺してみればいいじゃない。四肢を捥いで腸をぶちまいて生肝を抉り取り首を搔っ切って頭を砕いてその中身を啜るのね――わは、とってもおいしそう!!そして気の済むまで刻まれ続けたわたしは痛みも恐怖も記憶も忘れて夜には再び元通りに甦るのね。さっきの夜のことを忘れたの?あなたがどれだけわたしを殺してもわたしは夜が来れば元通りになる。わたしは常に闇と共にある。闇があればいくらでも復活する。死ぬことへの恐怖すらわたしの力の糧になる。あなたの憤りもわたしにとっては食料でしかない」
焼き付ける太陽の如く目を煌々と燃え上がらせる幽香の殺意のみで構成された激烈なる言葉も、むしろ煽り焚き付け噴出された熱量すら呑み込んでしまう程に底知れず不気味さが漂う新月の闇夜のようなつかみどころがなくまた余裕を持った言葉で返されてしまう。
「……まずは騒々しい舌を引っこ抜くことにするわ」
瞳孔の開きかけた目で歩き出そうとした幽香を黒星は自身の手を幽香の前に翳(かざ)し、視線とともに進路を妨害することで僅かに動きを遅らせる。
「少し、落ち着け幽香。口車に釣られてしまうのは君らしくない。それに彼女は殺しても無意味な妖怪だ。いや、妖怪というよりは妖精に近い。生きているというよりは現象として存在しているようなもので、常闇の妖怪というよりは闇の化身と言ったほうがより近いのかもしれない。殺したところで特に何が起きるわけでもなく夜になったら甦るだけだ」
相性が悪すぎると黒星は正直に思った。
分かりやすく性質が真逆なのだ。
自分がやりたいように振る舞う幽香と自分がどうなろうが自由に行動する常闇の妖怪では一見同じように見えるが、全てを捩じ伏せてでも自身の思惑を優先する幽香と誰かの思惑に乗せられようとどこ吹く風で動き回るのが常闇の妖怪である。
幽香が主導権を握っている構図なはずなのにその実挑発に乗せられて踊らされている。
水と油とは相いれないものを表す言葉だがこの場合は火に油であり、しかも油は燃えカスが時間を経過すれば再び油として使えるという性質の悪い油である。もちろん現実にはそのような油など存在しない訳だが。
黒星の言葉を聞くだけの落ち着きはあったのかそれとも幽香自身相手にするだけ無駄だと思い直したのか、いずれにせよ幽香は未熟な青い果実を食べて苦みに顔を顰めるかのような表情で黒星が手で遮る先にいる常闇の妖怪を睨みつけながら踏み出した一歩をそのまま止めた。
幽香の三倍近く生きている常闇の妖怪は確かに幽香のことを小娘と呼んでも何らおかしくはないが、幽香は確かに未熟ではあるが小娘の呼称が相応しくないほどには肉体も精神も成長しているのも事実である。小娘呼ばわりに腹を立てたわけではないだろうがその挑発文句が決して低いわけではない幽香の沸点を超える一因にはなっていたのだろう。
おおもとの原因は身の自由を拘束されているにもかかわらず不遜な態度をとったことである。
小さな原因はその文句の言い方なのだろうと黒星は考えた。
他者の精神を揺さぶり苛立ちを募らせる巧妙な言葉回しに密かに黒星は賞賛を心の中で贈っていたりする。
まあ、内心で幽香の未熟さとそれを手玉に取る常闇の妖怪を冷静に分析しつつどちらに対しても正確な評価を付けているあたり黒星も中々に喰えない奴ともいえるのだが。そのあたりは恐らくこの中で最も齢を食っている黒星の経験勝ちなのだろう。
「……少し軽率だったわ。ごめんなさい黒星。私が連れてきたのに私が取り乱してしまって」
ここで素直に謝れるのは幽香が単に自己中心ではないということの表れだろう。我儘なところや傍若無人なところはあくまでも彼女の一面でしかあらず、礼儀に正しく場を弁える自律性も持ち合わせているほどに理性的でもあるのだ。ただ、一つ付け加えるのならば彼女の生来の天然さが素直という形で表れていることも踏まえておきたい。
「いや、謝るほどのことではない。本来幽香が捕らえたのだからその処遇も君が自由にしていいものだ。部外者が口を出すものでもない。私の打算で止めたというのが本音でもある。少し彼女に質問をしたくてね」
「貴方のそういう気遣いができるところにはとても好感が持てるのだけれど、今のは私の失態よ。私の非を帳消しにするのはありがたいけれど少し余計な気遣いよ」
「別に気遣ったわけではないさ。だが確かに余計なことだったかもしれん。済まない、幽香」
「それこそ別に謝ることではないわ」
「わは、何だコイツラ」
常闇の妖怪はよくわからないものよくわからないといった顔でよくわからずに目の当たりにした。
黒星と幽香のやり取りは傍から見ると少し以上に理解ができないものだった。
ていうか、わたしを拘束している目の前で仲良く会話を繰り広げてんじゃねーよと常闇の妖怪は心の内で呟いた。
「……で、質問って何?わたしから何が聞きたいのかしら?えーと、あれ?……ああ、そういえばあなたと話したことはあったけれど名前はお互い言ってなかったわね。わたしはルーミア、あなたは?」
ルーミアは思い通りに事が進むこと嫌って質問についてのことに触れず茶化してやろうと考えていたが、二人の会話を聞いているのがかなり苦痛だったために珍しく自分から話をふった。
見た目が悍ましい化物を見るより精神的にこたえるところがあったようだ。
有り体に言えばうざかった。
「私は――「風見」ほし……黒星という」
「何とも言えない顔でこちらを見ないでくれるかしら、黒星。私は別に何も間違えたことは言っていないわ」
幽香の横槍というよりは岩石を投げられたかのような唐突な割り込みに気まずいような非難するかのようなしかし責めることでもないようなといった複雑な感情のこもった目線を向けた。
風見黒星。
つい先ほど着いたばかりの風見の姓を黒星は当たり前だが慣れていない。
しかし、幽香は付け忘れることを看過できない程度には重大なことであった。
「こちらは幽香、風見幽香だ」
「ふうん、黒星ね。覚えとくわ。あなたが死ぬぐらいまでは」
ルーミアは基本的に幽香のことをスルーすると決めたようだった。
「それであたしに聞きたいことってなにかしら?答えるかどうかは別として話ぐらいは聞いてあげてもいいけれど」
「『なるほど』と言っていただろう。それが少し疑問に思ってね。何が成程なのか、私と幽香を見てなぜそう思ったのが知りたいんだ」
「ああ、そのこと。別に深い意味はないわ。納得したのよ。なんで五年もの間あれだけ大切にしていたお友達を無視していて、現れるどころか音沙汰もなく何処にいるかもわからず、誰もみていないのかを。新しいお仲間を作って楽しく暮らしていましたとさ。本当に滑稽よね。地ノ底じゃあ賭け事になっていたわよ?あなたが死んだんじゃないかって。あなたが死ぬような奴には思えないからわたしは生きているにかけたけれど。結局死んでるほうに賭けた大多数の妖怪と生きているに賭けた少数の鬼と天邪鬼と天狗の婆とで賭けの期限をいつまでにするかで揉めて大乱闘になったからおじゃんになったのよね」
「……今、五年と言ったか?」
「ええ、わたしは詳しく知らないけれど黒星を妖怪どもの長たちが呼び寄せてから五年ぐらい経ったって。天邪鬼から聞いたわ。その真実は今わたしの目の前にあるわけだけれども」
五年、さらりとルーミアが話したことに黒星は自身の耳を疑った。
しかしどうやらそれは聞き間違えではなく、そしてルーミアが虚言を述べているわけでもないようであった。
「……幽香、確か私を見つけたのがだいたい三月ぐらい前のことだと君は話していた」
「そうね、概ね三か月。黒星が死にかけているところを見つけたのはそれぐらい前のことよ」
白川と朱啼と別れて、永琳と一か月ほど過ごして月夜見と戦い瀕死の状態に陥り、川に流され意識を失った後幽香によって助けられた。
黒星からすればそれほど長い時間が経っているとは思っていなかった。
白川たちと別れてから四ヶ月、精々半年程度だと思っていた。思い込んでいた。
「……幽香、私を見つけたときの様子はどうだった?傷は壊死していたのか?それとも腐ってはいなかったか?いくら何でも五年もあれほどの怪我を負って生きながらえているはずがない。いや、だが、しかし――っ!!あの時の薬か!!確かにあの劇薬を口に含んでいたならば、もしかしたら数年は生きていられるかもしれん。だが、では、辻褄が合わん。いや、違うな辻褄は合う。私は意識を失った状態で五年近く生きながらえたのだ。筋は通っているが、しかし……」
黒星は決して凡愚ではない。
信じられないような現実を突きつけられてもそれを正しく考察し現状を理解してしまう程度にはその頭脳は優れていた。
月夜見との戦いのあと川に流されて意識を失ってから幽香と出会うまでの黒星自身も記憶にない空白の時間。
なんてことはない、話は至極単純である。
黒星は意識を失っていた間に五年近くの時間を過ごしていたに過ぎない。
時を速められたのでもなければ時間軸を跳躍して未来に跳んだわけでもない。
時間が過ぎたことに単に気が付かなっただけである。
そのことに黒星は僅かな質問とそこに含まれた謎、自身の記憶とそれらをつなぎ合わせられるだけの思慮の深さで思い至っただけに過ぎない。
「わは、なんかよくわからないけれど中々に滑稽ね!あなたのそんな狼狽える姿を見れるなんて」
目に見えて動揺し思考を全力で動かして自問自答する黒星の姿はルーミアはもちろん、幽香も初めて見る光景でありその様子を見て幽香自身も思わず驚いた。
「わ、私は五年もの間、友を待たせているというのか!?友が待っていると知っておきながら、私は五年も無為に過ごしてきたのか!?っ、……わ、私は、友を――」
「落ち着きなさい、黒星」
そっと寄り添った幽香の腕が黒星のこと優しく包んだ。
事実を突きつけられ真実に思い至り、友に対しての罪悪感と並行して湧き上がる事故に対する自罰的な怒り。
黒星を絞め殺すかのように纏わりついたそれらの感情を陽だまりのように暖かい幽香の両腕が抱きかかえた。
「落ち着きなさい。大丈夫よ。黒星が過ごしてきた日々は決して無為ではないわ。しっかりと傷を治して回復したんですもの。力を蓄えていたのよ。きっと大丈夫よ、私が断言するわ。――きっと大丈夫」
道理はない。
ただただ幽香は感情を並べたに過ぎない。
たが、その姿は赤子をなだめる母のような慈愛と優しさに満ちていた。
幽香にとって咄嗟的な行動であり具体的な考えや理屈はなかった。
考えるよりも先に体が動いたに過ぎない。
いや、幽香は黒星の家族として動かない訳にはいかなかった。
密着する幽香から黒星にその息遣いと鼓動が優しく響く。
静かで心地の良いその鼓動は黒星の激情をなだめるにはこれ以上ない薬だった。
「…………………………………………………これわたしいる?」
常闇の妖怪の呟きは穏やかな朝の風に呑まれて消えていった。
割とリアルが忙しいので次はいつになるかかなり未定です。
できれば今月中、遅くても来月の頭に次話を書き上げます。
最低限のクオリティを考えるとあまりペースも上げられないのが現状です。
ほんとうに申し訳ないです
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九話 全てを薙ぎ倒す嵐のように (二)
遅筆さと時の流れの速さを嘆くばかりです。
まじ早い。
次回は十月中できれば近日中に投稿をしたいです。
あと、時系列がわかりにくくなってきているので時間軸ごとに何が起きたのかをまとめた一覧表みたいなものを活動報告にでも載せようかと思います。
おまけみたいなものですが興味がある方はそちらもどうぞ。
連山の中の最も背丈が高く草木が生い茂るとある山に千年以上も前から妖怪たちが住み着いている場所がある。
妖怪たちは人間や獣ほど群れることはないがそれでも家族や仲間という認識は存在しており縄張りを作って一つの地域に住み着くことがある。
この山は妖怪の縄張りでは珍しくいくつかの種類の妖怪たちが纏まって住処にしており、他種族同士で共存するというあり方をとっていた。
「――それにしても、ただ待つというのはこうにも暇なもんかねぇ」
土砂崩れによって切り崩されポツリと一本だけ残った樹齢三百年を超える巨木の上で一体の妖が退屈気に言葉を漏らした。
「も少し天狗どもとじゃれてやるべきだったかな。やることがねぇや」
山吹色の布地に黒と赤の糸で袖や襟の部分に鉛色の布が縫い付けられており、落ち着いた色合いながらもどこか高貴な雰囲気を醸し出す羽織を吹き抜ける朝の風にたなびかせながら、妖は一つ欠伸をした。
「俺様の勘ではそろそろだと踏んでいるんだが、ま、どうせやることもねぇし気長に待つとするか」
遠くのほうで何某かの獣の遠吠えをしているのを聞きながら、妖は片手にぶら下げた濁酒を呷ろうとして空だったことに気づき小さく舌打ちをこぼす。酒の肴として持ち歩いていたたいして美味しくもない木の実も既に一つとしてない。
「もっと酒を持ってくるべきだったな。〝地ノ底"からもっとかっぱらってくるんだったな……そういえばやまなしを水に浸しておくと酒になるどうたらとかあいつが言っていたような。今度試してみるかねぇ」
妖が眺めるその景色は深緑の山々が日の出と共にその色を取り戻し始めているが、妖はただ一点だけを逸らすことなく見据えていた。
「人間の争い……はっ!!面白そうじゃねーか!!何なら神や妖怪どもも集めて大決戦としようぜ!!なあ、おい黒星。そん時いったいお前はどっちにつくんかな?かは、はははは、ハハハハハハハハハ!!」
清々しいまでの何も慮ることのない哄笑は山中に響き渡り、暫くの間続いた。
撒かれた争いの火種は少しずつ妖怪たちにも広がり始めていた。
★ ★ ★
黒星はルーミアから黒星が知らない五年間のことを聞いた。
五年間とは言うもののルーミアは一連の事柄の当事者ではなく噂半分に聞いたものばかりで情報としては多いもではない。
黒星の友である川獺と鳥――白川と朱啼が人間の集落を襲おうとして〝地の底″の妖怪たちに協力を求めてきたこと。
賛同するもの一考すらしないもの様々な反応があり意見が割れた。
一部の妖怪が先走ってその人間の集落を襲いに行って帰ってこなかったとき以来、事の重要性が上がり始めたようで仕舞には妖怪たちの長を集めて話し合いが行われた。
そして今、最も勢力が大きい妖怪たちがどうするかを決めあぐねている。
「そこで鬼の長が言ったらしいわ、話の元である黒星に聞けばいいってね」
「――少し待ってくれ。話がいつの間にか飛躍していないか?どうしてそこで鬼の長と私の名前が挙がるのだ?」
ルーミアの説明に相槌を打ちながら頷くだけだった黒星はそこで疑問を呈した。
ルーミアが語ったことは凡そ黒星が白川と朱啼と別れるときに想像していたことが起こったわけだが、なぜそこで鬼の長と黒星の名前が出てくるのかまでは心底分からなかった。
「確かに私はそのときあなたの名前を知らなかったわけだけれど大きな蟹の妖怪どうたらって話題に上がっていたからすぐに分かったわ」
「いや、そういうことを聞いているんではなくてだな……。話を持ち込んだのは私の友である白川と朱啼だというのに何故私の名前がそれも鬼の長から出てくるのだ」
実のところ名前を言っていたわけではないようだがそんなことは些末なことで、黒星の記憶が確かならばまず鬼の長ではなく大樹の主か獣の棟梁へと話を持ち掛ける算段であったはずだ。この二者は強い力と多くの妖怪を従えているだけでなく妖怪の中で群を抜いて理知的で何度か交流をしたこともあり比較的穏やかに事が進むだろうという考慮があってのことだ。間違っても実質妖怪の頂点と言えるほどの強さと無類の戦闘好きである鬼の長のところへいくという予定ではなかったはずだ。
「さあ?詳しくは知らないわ。私が知っているのはあなたのその大事な大事な友は囚われて牢に入れられているということだけよ」
「なっ!…………そうか、捕まっているのか」
嫌がらせを楽しむ子鬼のような笑みを浮かべて実際黒星に対する嫌がらせとして事実をルーミアは述べ、その思惑通り黒星は驚愕と共に顔を顰めた。
「話に繋がりが見えてこないのだけれど、とりあえずはその囚われている二体を助ければいいのね」
難しい顔をしたまま考え込んでいる黒星の代わりに言葉を発したのは幽香だった。
だが、それに対してルーミアは特に反応する素振りを見せない。
ルーミアにとって幽香は揶揄うには面白い相手ではあるのだが一度黒星と絡ませると惚気始めて面倒なことになると分かったので下手に反応を返さないほうがいいと考えた結果だった。
闇の中で生きる妖怪にとっては仲睦まじい様子は見せつけられると不快に思うような光景であり、嫉妬などではなく泥水をかけられたときのような生理的嫌悪と苛立ちが芽生えるのである。
ルーミアは言うなれば悪性の生物である。正しさを嫌い善性を忌み日の下に生きる者たちを疎ましく思う。
それに当てはめるならば黒星や幽香はどちらかと言えば悪性に近い。故に黒星のこと自体をルーミアは嫌悪しない。だが、その友情や誠実さを軽蔑し嘲笑いさえもする。幽香も同様に黒星と合わせるとルーミアの嫌いな仲の良い関係となる。これがたまらなくルーミアには不愉快で吐き気がしそうなほどだった。
「……そうだな、その通りではある。ただ、懸念として最悪なことに鬼の長と接触しなければならない可能性がある。正直に言えば避けるべきことであるし寧ろ逃げ出したいような状況だ」
長考を一度区切って幽香に返答する黒星の表情は曇っており、彼にしては珍しいことに弱音を吐いた。
慎重ではあるがどちらかと言えば気が強く強情な一面もある黒星にしては珍しい一言に対して白川や朱啼ならば驚きを見せたのだろうが、幽香とルーミアには付き合いが浅いこともあり驚愕よりも疑念の感情が湧くだけであった。
「弱いということはないでしょうけれど、神さえも打ちのめした貴方が鬼の長程度に恐れる必要があるのかしら、黒星?」
邪魔になるのならば敵対するのならば叩きのめせばいい、言外にそう意味を込めて幽香は黒星に問う。
「君は合ったことはないからよくわからないかもしれないが奴は神とは比べ物にならない。神は確かに強く我々に対して天敵ではあるがそれすら霞むほど奴は強い。間違いなく断言できるのは奴は私が出会った中で最強であるということだ」
「もしかして前に言っていた私が敵わない相手かしら?」
「……ああ、その通りだ。これ以上ないぐらいに嫌な状況ではあるが、直ぐにでも会いまみえるかもしれん」
噂をすれば影、こういった状況を指すその言葉を黒星が知るのは大分ずっと後の話である。
しかし、まあ彼にしてみれば意識を失って起きてみれば既に五年以上もの月日が過ぎ去っているという状況すら信じがたいというのに、凡そ関わることのないであろう鬼の長との邂逅が現実味を帯び、それでいて友を助けるために敵対する恐れがあるという冗談としても酒の肴には向かないような質の悪い予測がついてしまっているのだ。
黒星は天を仰ぎたい気分に駆られたが一つ溜息を漏らして抑制した。
悪い予感など外れてしまえと願うのは精神的には良いかもしれないが詮なきことである。どうにもこうにも為るようにしかならず、為らせたい方向へ努力して結果を変えるにしても今からでは遅い。そのことを黒星は五年という時間を代償にして悟った、悟らされた。
思えば随分と時間を無駄にしたものだと黒星は虚しさに浸るが、無為に潰してしまった時間を取り戻すためにも行動するべきだと気持ちを切り替えることにした。
「それで、わたしのお役目は御免ということでいいかしら?そこの花女がわたしとは気が合わないみたいだし、飽きてきたし、帰りたいのだけれども」
「駄目よ。肉壁として使うんだから逃がさないわ」
「わは、わたしを身代わりにする機会があったら多分全滅しているわ。わたしは元通りになるだけだけどあなたたちは獣の餌ね」
黒星は言い合う女性陣を見て相性も仲も悪いが個性を打ち消しあっているわけではないと密かに思った。
相反し相乗している。
そう言葉には決してしないが心の中に留めた。
「すまないが、ルーミアまだ聞いていないことがある。今、〝地ノ底″にはどの勢力が集まっている?鬼と天狗だけか?」
「うん?わたしが〝地ノ底″を出たのは大分前だけれども、その時には五つぐらいかなあ」
「獣と蟲か」
「――うん、あと冥界。珍しいわよね。いつもは引きこもっているあの世連中が出てくるなんて」
冥界――すなわち死後の世界に住まう者たち。
その言葉を聞いたとき黒星はより一層表情を暗くした。
波乱の波が破滅の音が虚妄だと断じれないほどに近づいているのを感じ取らざるを得なかった――
★ ★ ★
「――アタイら冥界は今回の騒動に対して静観する所存さね」
濃く暗い深緑の着物に黒白の二色のみで構成された一回り大きい型の羽織を纏う、枯葉のような深みのある茶色の髪をした女性が何かを思うことなく淡々と事務連絡をするかのように告げた。
「今までこうして出てくることのなかったそなたら冥界の勢が死神を使いにして伝えるということは何やら不穏な動きがあるとみてよいのかの」
薄く赤みがかかった八手の葉を形を綺麗に整え、霊山の樹木を漆で塗り持ち手を拵えた団扇で顔の下半分を隠す小柄の女性が、目線を向けることなく先程の意見を伝えた女性に言葉を返す。
団扇を持つ女性の背中から生えている混じりけのない色鮮やかな白い翼が心なしかほんの僅かに開きかけたように見えた。
「はんっ!冥界の連中が裏で何かしているなんていつものことだろーが!!言えば言ったなりの言わなきゃ言わないなりの腹積もりがあるんだろ?」
藍色の下地に白と紫で繊細な刺繍を施されている着物を着崩して、片膝をつきながら悪態を放つ年若き青年は不機嫌そうな表情で片方が千切れている獣の類の耳を頭を掻くようにして撫でた。
「あらぁ~、よくわかっているじゃない。まだ若いのに流石は棟梁ね~。冥界の者の性質である言ったことしか守らない・不要なことは言わない・言葉を曖昧にして濁すという薄汚さは有名よね~」
色鮮やかな紫色の布地に星々をちりばめたような白の斑点が印象的な衣装に、艶やかで手入れの行き届いた見事な長い黒髪を伸ばし、六本の腕を携えながら甘ったるいおっとりとした声で皮肉を言う妙齢な女性が何にも腰掛けることなく宙に寛ぐ様に座っていた。
「アタイに言われても仕方ないさね。思惑どころか建前の理由すらアタイのような下っ端には述べられていない。問い詰められても答えようがない」
「ふむ、ならば深くは問うまい。ただ一言告げて置く、いかなることがおころうと邪魔はせぬように」
「あいよ、上に伝えておくさね」
「ほんと煮え切らねえというか、どっちに転んでもいいようにコソコソしてるよなあお前ら(冥界の連中)。まるで臆病者の集まりだ。あと、そこの蜘蛛の婆、馬鹿にしてんじゃねえよ!!その枯れ木のような腕を喰いちぎるぞ!!」
「私なんてまだ千と百少しよ~。確かに百と少しも生きていない子狐ちゃんと比べたらそれはおばさんかもしれないけれど」
「誰が子狐だ!!枯れ木の婆!!」
「双方仲よくしろとは言わんが声を荒げるな。喧しい。騒ぐなら外にいたせ」
「それじゃあ、アタイは伝えることは伝えたし帰るとするさね」
「待たれよ。まだ鬼の長が来ておらぬ。奴の意見を聞かずに帰れば些か厄介なことになると思うが」
「はあ、もう三日も待ってるさね。来ない奴を待っても時間を存するだけだと思うんだけど」
「別に鬼の長だけを待っているだけじゃないわ~」
「あん?他に誰かいるのかよ」
「あらあら、忘れたのかしら?蟹の妖である彼がまだ来ていないのにお開きにはできないわ~」
「何年も見つかってない奴を待つだけ無駄さね」
「それがね~、私の僕(しもべ)が見つけたって報告してきたのよ~」
「ほう、それは真か蟲の頭目」
「ええ、こっちに向かってきてるみたいだし数日もせずに来るんじゃないのかしら~」
「……わかった、待つとするさね」
黒星がこの場に訪れる半日前の話であった。
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九話 全てを薙ぎ倒す嵐のように (三)
とうとう十二月です。師走です。遅くなってごめんなさい。
なんと気が付けばこの小説は初投稿から二年以上時間がってしまっているという事実。
驚愕です。
いつになったら完結するのやら。いや、絶対にさせますけど。それが目標ですし。
まあ、ただ今年中には絶対無理だと言っておきます。
あと一度二度くらいは今年中に投稿できると思いますがどうなることやら。
少し早いですが来年もよろしくお願いします。皆様に読んでいただけることが何よりの幸せです。
「水が欲しい」
黒星がそう一言発したことにより、ついに出発すると思っていた幽香とルーミアは肩透かしをくらいながらも、特に反対する理由もなく黒星の先導のもとで近くを流れる川へと向かっていた。漸く体を締め付けて肉に食い込んでいた茨の蔓の拘束から解放されたルーミアは抵抗らしい抵抗はせず従いながらも、なんでこいつ(黒星)は水なんかを求めているのか疑問に思った。別段、黒星は三重苦を背負った少女が家庭教師に発した言葉と同様に水が欲しいなどと言ったわけではなく(三重苦を背負った少女はそもそも水が欲しいとは言っていないが。当たり前だが黒星はそんな少女の話など知らない)、これから起こりうることに対して万全な準備を整えるために黒星は水を欲したに過ぎない。
黒星の妖術には水が入用である。
黒星は水を扱う妖術を得意としているがしかしながら水を操ることはできても水そのものを生み出すことはできない。大量の水を扱うには近くに川や湖などの巨大な水源がなければ不可能だが、竹筒に入れて持ち運べる程度の水量でも扱い方によっては有能な武器となる。
それに水を被らなければ生きていけない訳ではないが水生生物である黒星にとっては水は必需品だった。もっと言うならばけがの治療のため長く地上にいたことに対する本能的な反動が黒星を襲っていた。
いずれにせよ切迫したこの状況ではあまりのんびりしているわけにもいかず、黒星自身のもつ蟹としての生物的勘を頼りに最も近い位置にある川へと黒星は向かっていた。
そして目的の川の畔で流血しながら倒れている一体の猿の妖怪を発見したのは作為的なものではなくただの偶然である。
「――――」
最初に発見したのは黒星等のうちの誰だったのか、最初に言葉を発したのが誰だったのかを黒星はよく覚えていないが、最初にその血塗れの猿の妖怪へ駆け寄ったのは黒星であった。
黒星の根底には種族種類問わず生物を助けるような優しさあるいは慈愛のようなものがある。しかしまた、敵対するものや害するものを容赦なく排除するような冷酷な一面もある。襲い掛かってくるような者は躊躇なく殺すが地に伏して倒れているようなものにはわけ隔てなく手を伸ばす。誰をも助けるような善行と殺生を平然と行う悪行は矛盾し二律背反で言うなれば偽善的でエゴのようなものだが黒星にとっては善悪などなく公平であるのだ。助けたいから助けるし殺さねばならないから殺す、一種の狂気じみた短絡な考えだが化け物である彼にとっては特に悩むべきでもない精神性であった。
人間からすれば悍ましいことなのかもしれないがそもそも生物として違うのだから人間の尺度で測るべきではないのだろう。
「あら、やっぱり助けるのね。助けても仕方がないでしょうに」
幽香があきれたようにそういった。幽香は黒星とあまり長い時間を過ごしているわけではないがそれでも何となしにその精神性を理解し、だいたいの行動を予測できていた。
黒星のその優しさのような行為は幽香が好む黒星の特性の一つではあるが幽香自身では気まぐれで誰かを助けることはあってもまず倒れている者を助けるなどということはしないと思った。甚振ることはあるかもしれないが。
勘違いしてはいけないのは幽香はこういった黒星の美点のような行為や性格に好意を持ちこそすれど恋心を抱く理由ではないということだ。たとえ黒星が今のように誰かを助けずに見捨てても、剰(あまつさ)え無残に虐殺したとしても変わらずに黒星に恋慕しその愛を伝えるだろう。
行為でも性格でもましてや容姿でもない。では、外見も中身も理由ではないとするのならば何故黒星を愛しているのかと言えばこう答えるだろう――
『――存在全て――』
盲目ともとられかねないような言い分だが風見幽香らしいと言えばらしいのだろう。
彼女もまた自分のやりたいように生きているのだ。
「…………たるい」
妖怪を手当し始めた黒星を気怠そうな目でルーミアは見ていた。
おそらく黒星が助けようとしなければこの妖怪はルーミアの食事となっていただろう。
黒星とはまた違う意味でルーミアには区別も容赦もない。生まれながら捕食者として闇の中で生きてきた彼女には基本的に自分以外のすべての生物が捕食対象である。そこにあるのは美味いか不味いかの差であり、黒星も幽香もただの食材でしかない。幽香はあまりおいしそうではないと思っているが。同時に黒星は蟹であるから美味いだろうとも思っている。
ではどうして黒星と幽香をここで襲わないかと言えば単純な実力差の前に食べる気力がわかないからである。夜ではないため調子は落ちており、何よりも闇を好む陰の妖怪であるルーミアは恐怖や不安を抱くものを好むため無警戒でこちらに何の感情も抱いていないこの二体の妖怪を今すぐとって食べようという気にならなかったのである。食事をしたいときに食事をする。そういった生き方をしている彼女からすると黒星のやっている行為はつまらない――味気ない行為だった。
この三体は思考も性格もバラバラだが自分のやりたいことをやるという妙な共通点があった。
もっと言うなれば状況によって選択を選ぶのでなく自身の意思で選択をしているのである。
共に行動こそすれど自身の意思にそぐわないことであれば決してやらない。
温厚で誠実な黒星も優雅で超然な幽香も享楽で悪辣なルーミアも根本的には似通っている。
方向性の違いが生き方の違いを生み出しているのだろうが彼らがその類似点に気が付くことは恐らくないだろう。
なんだかんだでこの三者は他者の在り方を許容こそすれど意見や批評を申したり手本や憧れにしたり理解や共感を得ようとはしないのだ。他者に興味がないともいえるし、自身の在り方を確立していて揺るぐことがないとも言える。誰かから影響を受けることはないがしかし彼らの持つ強烈な個性は否応なく周りを巻き込む。巻き込まれたほうは堪ったものではないかもしれないし寧ろ良い刺激となるかもしれない。この三体が行動を共にしている状況は奇妙ではあるが案外理にかなっているのかもしれない。彼らはお互いに影響を受けることもなければ及ぼさない、一種の対等な関係が出来上がっているのだ。
★ ★ ★
倒れている猿の妖怪への治療はかなりの時間を要することになった。
黒星の見立てでは死んでいてもおかしくないほとんど致命傷を複数負っており、まず助からないだろうと予測できた。
そこで黒星はまともに治療を行うのをやめた。
「……幽香、次に言う花や薬草を用意できるだろうか?」
黒星はいくつかの植物の名前または特徴を挙げた。
黒星は幽香との一月を超える生活で幽香の能力を目にする機会があった。彼女の能力は花を操る程度の能力である。それを黒星に教えたりすることはなかったが隠しているわけでもなかった。目の前で堂々と花を咲かせてみたり種から植物を成長させてみたりと様々なことを看病がてら黒星の暇をつぶすために見せびらかしていたのである。それに対して黒星が賞賛し気分が乗ってしまった幽香が黒星が疲れ果てて眠るまで見せ続けたのはまた別の話。こうした経緯もあって黒星は幽香の能力を十全にまでとはいかないまでもある程度は把握していた。だから、黒星は幽香の能力を使って傷を癒すために使う薬草を用意してもらおうと聞いてみたのである。
「――できなくはないわ。どれも見たことのある植物でしょうし、これといって生やすのに難しい子たちでもない。でも、黒星のために私が力をふるうことは吝かではないけれど、その死にぞこないの猿を助けることは果たして必要なことかしら?別にその猿が死のうと関係ないでしょうし、助かったところで何の意味もないでしょう?」
幽香の一言は率直でなんの衒いもない言葉ではあるがしかし彼女の心境をよく表していた。
どうでもいいことをしたくない。
黒星が倒れていたなら一も二もなく助けて彼女の持てる能力を使って傷を癒しただろう。もしくは黒星の知り合いならば手助け程度ならば少しはしたかもしれない。黒星の邪魔をするわけではないが黒星以外を助けるような慈悲を持ち合わせているわけでもない。百歩譲って小鳥が怪我をして地に落ちていれば飛べるようになるまで手当てをすることはあるかもしれないが、図体がでかく醜い猿の妖怪を助けようと思うほどの価値はないと幽香は思った。
黒星はそれを聞いて少しだけ沈黙し、考え、答えた。
「……一つ気がかりなことがある」
黒星は先ほど手当をしたときに摘出した小さな石ころの破片のようなものを幽香に見せた。幽香は見たことがない形状をしていたが、薔薇の棘よりも鋭く、菱のようなそれは良く刺さりそうであると思った。実際のところ黒星が見せたものは矢じりであった。それも石ではなく鉄製であり、返しが付いていて一度刺されば抜くのは容易ではない。しかもそのうえ血を止まりにくくする類の毒が塗られている。
「これは恐らく矢じりだろう。石ではない何かでできていて、それでいて加工が細かい。まず間違いなく妖怪のものではなく、人間のものだ」
妖怪は武器をあまり使わない。己の肉体が石をも砕くような強靭さを兼ね備えていたり、あるいは強力な妖術を使うものがほとんであるからだ。それにたいていの武器は妖怪には通用しない鉄の刃程度では傷すら付かなかったり、そもそもまともな肉体を持たないような妖怪が多い。まだ丸太のほうが使い勝手がいいくらいである。一部の妖怪は自分の肉体に妖力を流し込み強化するのと同じように武器に妖力を纏わせるがそのような七面倒なことを行うならば殴ったほうが早いのが現実。特に飛び道具など石を投げつけることで済んでしまうわけで。弓矢を使う妖怪などは黒星は聞いたこともなかった。
「それで、人間だからどうしたのよ?人間に退治された妖怪なんて珍しくとも目新しくはないわ。ただ間抜けなだけ」
「この矢じりはかなりの技術がなければ作れない。少なくとも私はどうやってこの矢じりを作成したのかさっぱり分からない。そして毒がこの矢じりには塗られている。大したものではないが、妖怪にだって通用する毒だ。――つまり、この矢じりの持ち主である人間の集落は技術がかなり発展しており尚且つ妖怪に対する知識もそれなりにあるということになる――そして私は――」
そこで黒星は言葉にするのを躊躇った。躊躇う程度には確信していたのかもしれない。それでいて因果のようななにかを感じ取ってしまっていた。
「私はそれができる人間の集落を――人間を知っている」
「――それが、“エイリン”なのでしょう?なるほどね、黒星が悩んでいることは凡そ分かったわ」
そして黒星のためらいを見抜けるほどに幽香は鋭く聡く、遠慮をしない性格である。間髪入れずに繋げた言葉は図星であり、俄かに驚きを露わにしている黒星の表情を見て幽香はそれが事実だと断じた。
幽香は“エイリン”のことは聞いていた。名前は知っていた。他ならぬ黒星の口から零れ出た人間の名前であり。それが女の名であることも幽香は聞いてすぐに分かった。直感的に理解した。
「……概ね幽香が考えている通りだろう。私はこの者から聞き出したいのだ、この矢じりを受けた詳細を。欲している答えが出るとは限らないが、そもそも私が考えているのとはまた別の集落の人間が使っているのかもしれないが、聞くことができるのならば聞いておきたい。永琳のことを差し引いても得ておきたい情報であると私は思う」
黒星がこの妖怪を助けようとしたのは別段打算があってのことではなかった。血塗れで死にかけている妖怪を見つけて助かるのならば助けてみようと思ったからに過ぎない。黒星にできる範囲でやるつもりであったし、助からないならば諦めていただろうし、幽香の力を借りようなどと微塵も考えてもいなかった。それが治療をしていくにつれて変わっていった。状況も心境も。
幽香に助ける理由を問われたときに沈黙したのはその打算が原因であった。
打算を抱く自分の卑しさを恥じたからではなく、黒星のみに関係している事情を幽香に話すべきか否かを考え、話さないほうが自分でも許せないと結論に至り、それから話し始めたが故の沈黙であった。
人間の集落も八意永琳のことも黒星が考えるべき事案であって幽香とは無関係なものだ。彼にとっては幽香を巻き込んでしまうことが嫌で、しかし何も知らせずに蚊帳の外に追い出してしまうようなこともまた耐え難いものだった。黒星自身が経験しているため尚更に。誠実な彼が口を閉ざしかけるほどには深い葛藤があった。
「そう、……いえ、別に力を貸さない訳ではないわ。大した手間でもない。ただ、黒星は誰でも助けようとするでしょうし誰だって救おうと手を伸ばすのでしょうけれど、それでも自分の勝手のために誰かに手を伸ばそうなどしない――と私が勝手に思っていただけ。――だから疑問に思っただけ。ちょっと気になっただけよ。助からないなら助からないで手厚く葬ってあげるのかと思えば、私に頼ってまで助けようとするほどの価値が、その猿の妖怪にはあるはずがないもの」
幽香の洞察は黒星の性格を作り上げている根幹に近いものを見抜いていた。だから掘り下げたというのが幽香の考えだった。そもそも、黒星に頼みごとをされた時点で幽香は一も二もなく従うつもりでいたのである。ただ、気になっただけだ。黒星のことをその行為の真意を、そして名前が挙がった永琳のことを。
「ごめんなさい。意地悪をしたわね」
それでも、黒星には確かに打算があったのかもしれないが、純粋に助けたいと思っていたことに違いないと幽香も分かっていた。それを敢えて聞き出し、恐らくあまり話したいことでもない事情を聴きだしたのことにほんの少し罪の意識を持った。その卑しい自分を醜く思った。しかしながら後悔するほど愚かでもない。
「――私が勝手に迷惑をかけただけだ。謝ることではないし、寧ろ初めから悩むことなく理由を話せばよかった。私の落ち度だよ」
「なら、お互い悪くて痛み分けね。謝りあうのは馬鹿々々しいし止めにしましょう」
そういって幽香は優しく微笑んだ。
そんなこんなで治療は続いていったわけだが、やり取りを見ていたルーミアは終始あきれた様子だった。
『何でコイツらは確認作業でもするように話し合ってんだろう』と、そう疑問に思いながらもそれを口に出すことすら怠く感じていた彼女は、適当に川岸の岩に座りつつ素手で捕まえた鮎を頭から喰いちぎって食べていた。
それから一行が目的地である“地ノ底”に向かって進み始めたのは日が真上辺りに達した後であった。
時間が過ぎていくと果たして誰が得するのか。このときはまだ誰も分からなかった。時間に対して疎い妖怪たちは特に。
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九話 全てを薙ぎ倒す嵐のように(四)
「――魔砲」
幽香が傘を突き出し満開の花のように広げ、小さく呟く。
「『マスタースパーク』」
瞬間光が爆ぜた。強烈な閃光、その光源は幽香の傘から撃ち出される一筋の光線。しかしそれは黒星が過去に経験した月夜見が使っていたものとは異なり、木の幹よりも太く破壊力が段違いである。近くにいるだけでその衝撃の余波がビリビリと黒星の腹に振動として伝わり、肌に焚火にでもあたっているような熱を感じる。
時間にして二秒もない。
光が焼き付き離れない目でその光線が通った後を見てみればその絶大なる威力を確認できる。
破壊。
生い茂っていた木々はその熱戦によって焼き切れて薙ぎ倒され、一直線の道を作っている。
大蛇が通った後のように森の深くまで見通せる。
「――さて、これで通りやすくなったわね。行きましょう」
その光景を作り出した幽香は満足げに言った。
「……考えがあるとは言っていたが」
幽香の隣で見守っていた黒星はその考えの結果を見て呆然としていた。
ここまで暴力的な手段に出るとは黒星は思いもしなかった。
もっと平和的な方法を想像していた黒星は、花や草木を愛でる幽香を知っている分、いくら性格が苛烈だとは言え、このような突拍子もないやり方をするとは露も考えていなかったのである。
因みに、同じようにこの状況を見ていたルーミアは殆ど予想通り結末なり、それを引き起こした幽香はやっぱりどこか馬鹿だよなと心の中で思っていた。
事の発端は猿の妖怪の治療を終え、黒星が川から持っていた竹筒に水を汲み取り、さて“地ノ底”へ赴こうとしたときのこと、
「私、飛ぶのも走るのも得意じゃないのだけれど」と幽香の一言により、同じく飛ぶのが苦手な黒星が幽香を乗せて陸路を駆け抜けようとしたところ、行く手を阻むように伸びている木々を見て幽香が「良い考えがあるわ」と優しい笑顔で言ったことによるものである。
黒星はその笑顔を見て大丈夫だろうと判断したがルーミアは「コイツ絶対に何かやらかすつもりだ」と身構えた。
その結果がこれである。
自然愛護の精神など微塵もなく木を切り倒しても心が痛むことなどない黒星ではあるが、流石に限度というものはあり、これほどの破壊活動の惨状を見て、無邪気に虫をつぶしていた少年がふとその場に転がる多数の虫の死骸を見て自分の行為がいかに残虐だったかを省みて後悔と罪悪感に芽生えるように、やり過ぎともいえるこの光景に負わなくてもいい自責の念と木々に対する若干の哀れみが浮かんでいた。
「幽香、あれほど花々を大切の育ていたのにこんなことをして、その、幽香は大丈夫なのか?」
その疑問はもっともで、同時に黒星は幽香が実は心を痛めているのではないかと心配とも或いは期待のような何かを持ったが、
「ええ、大丈夫よ?私が育てている花ではないし、第一、邪魔よ。生き抜こうと必死に伸びている姿は逞しさはあるけれど綺麗ではないもの。それに高々数十本の木々が倒れた程度ならば十年ちょっともすれば生え変わるもの。むしろ周りの木々の糧になって丁度いいぐらいよ」
幽香にとっては生えてきた邪魔な雑草を引っこ抜く程度のものだったのだろう。彼女は花は好きで植物を育てるのを趣味としているがだからと言ってそれ以上深い思い入れはない。花が好きな妖ではあっても花のために生きている妖ではないのである。
あっけらかんとした幽香の返答に黒星は何とも言えない表情をして、幽香への評価を改めた。
率直に彼女に対して誤解をし、偏見を抱いていたのだと黒星は思い、誠実な性分ゆえにそれを恥じる。
何にせよ、黒星達一行は漸く旅路を開始したのである。
★ ★ ★
深い森の中を三つの影法師が通り過ぎてゆく。
「――それにしても、大分滑稽ね、それ」
影法師の中で先陣を切る黒星に所謂お姫様抱っこの形で運んでもらっている幽香は、後ろへ振り向いて、黒星の肩越しに見える別の影法師を指さして、唐突に話し出す。
「何?何か文句でもあるのかしら?運べと言ったのはあなたでしょう?」
残る影法師のうちの一つであるルーミアは、倒された木々によって開かれた道をかなりの速度で駆け抜ける黒星の後を追従しながら飛んでいる。鬼や妖獣ほどではないにしろ、身体能力が高い黒星が遮蔽物に邪魔されることなく大地を駆け抜けた場合かなりの速度が出るため、幽香や黒星に比べれば飛ぶのが上手いルーミアとはいっても着いて行くことは割と大変な行為である。それでも全くペースを落とさずについていけていることを鑑みると、妖怪としての性能の高さがわかる。幽香に敗れ、強制的に旅に加わったルーミアではあるが、幽香とまともに戦えるだけの強さを持つ彼女は妖怪の中でもかなり強い部類に入る。そんな彼女であるからこそ、天狗ならともかく一般的な妖怪では厳しい速度も楽にとは言えないが余裕をもってついていけているのである。
殺されても甦る不死性、妖術も飛行もそつなくこなし、身体能力もそこそこに高く、それでいて能力を扱える。妖怪すらも食料にする凶悪さもさることながら、妖怪としての素質、生き物としての強さも注目すべきなのだろう。
もっとも、そのルーミアでさえ黒星と幽香には敵わないということもまた事実ではある。
黒星には以前邂逅しときに軽くあしらわれてしまっているし、幽香には完膚なきまでに負け生きたまま捕まっている。
ルーミアは屈辱や恐怖を懐く性格ではないが自分では喰えないものがいることに多少のいらだちは感じている。今は無理だが、いずれ喰ってみよう。そう常々考えていたりする。
「文句なんてないわ。素晴らしいと賞賛でもしてあげるわ。そんな奇怪な作品なんて私じゃとても作れないもの」
そう言って面白そうに笑う幽香の視線の先にはルーミアの更に後ろからついてくる影法師の姿がある。
光を通さない暗い闇の球体、熊や猪程度なら収まってしまうほどの大きさの球体に猿の顔だけがポッカリと浮かんでいる。
言うまでもなく、これはルーミアの能力で作られた闇の球体であり、中には先程治療した猿の妖怪が収まっている。
黒星が幽香を運ぶとなったときに未だ意識の戻らない猿の妖怪を誰が運ぶかということになった。最初は黒星が蔓を使って背中に担ぐ形で運ぼうとしていたのを幽香が無駄な労力をかける必要はないと否定し、貴方ならできるでしょう?、とルーミアに押し付ける形で渡し、結果能力を使ってルーミアが運ぶことになりこのような珍妙な浮遊物が出来上がった。
「済まないな。私にはこういった時に役に立つ術がない。君に任せるに他ははない」
黒星はやりとりを聴いてか前を向きながら申し訳なさそうに言った。
「……はあ。なんていうか、なんとなくわかってきたけれどあなたはいつもそうなのね」
その言を聞いてルーミアは呆れたような態度をとった。その声音には不機嫌さが入り混じっているようにも聞こえる。
「いつもそう、とは?」
黒星は言葉の意図がわからずルーミアに尋ね返す。
「巻き込まれた形にはなったけれど、成り行きではあるのだろうけれど、曲りなりにはあなたは今この中で大将をやっているわけよ。だからさ――下手にまわってんじゃねーよ、やりづらいのよねそういう態度。高圧的になってもうざいけれど、一々気遣われるのもむかつくのよね。人間の真似でもしているのかしら?」
気おくれも躊躇いもなくルーミアは言い張った。
彼女は現状に対して怒りは持っていない。妖怪の世界は基本的には強者優位の格差社会で力で劣るものは強いものに従うのが道理である。ルーミアほど実力を持ち合わせていたとしてもその過去には力で屈し嫌々ながらも付き従っていたこともある。明確な社会を持たない妖怪たちにとって力とはそれそのものが地位になり身分になる。弱者は強者に従い生きながらえるか、ほかの妖怪たちとかかわらず孤独にひっそり生きるかのどちらかになる。
権力という曖昧なもので格差をつけている人間よりは単純で分かり易いが、単純が故に差が付きやすく覆すことも困難な身分制度ともいえる。どちらがいいとは一概に言えないが、しかしまあ見た目も生き方もまるで違う妖怪たちにとっては実力差というものは公平で安定した目安なのかもしれない。
そんな妖怪のしきたりの中で暮らしているルーミアにとって黒星のように弱者すら気遣いうようなやり方は寧ろ苛立ちを募らせるものになっていた。強者特有の余裕に対する妬みではない。そもそも黒星の気遣いはある意味無差別的な誰に対しても行う気質からくるものであって、それをなんとなくではあるがルーミアも理解している。気にかかっていながらも黒星に今までいちゃもんを付けなかったのは強者体質のそれかどうかを測りかねていたからである。幽香と黒星のやり取りなどを静観して黒星の性質を彼女なりに理解したルーミアはそこで苦言を呈した。
有体に言えば黒星の態度が気にくわなかった。
気持ち悪かったのである。
だから、感情の赴くままに言葉の思いつくままに伝えたのだった。
「……そうなのか。いや、そうだな。私にはどうも大将というのはむいてないのかもしれん。この性分ばかりはどうもな」
「あら、大将の在り方にケチをつける気かしら?私に手も足も出ずに地面に這いつくばった分際で。まだ虐められ足りないなら喜んで詰ってあげるわ」
ルーミアの率直な言葉に自省しだす黒星とは対照的に挑発的な態度と受け取った幽香はルーミアのほうを振り返りながら実に楽しそうな嗜虐的な笑みを浮かべた。
「言わない方が良かったかしら、緑の妖?」
しかしルーミアの態度は変わらない。その不遜さはとどまることを知らない。
「妖怪を助けようが人間を助けようが強い者の行動に従うのが私達妖怪だ。強ければどんな理不尽も屁理屈も通せるからこその強者だ。その強者がなんの真似か自身よりも弱い者に気を遣う。付き従っているの者に一々頭を下げる。は?なにそれ? 誠実なのはいい。素直なのもいい。別に理不尽を言えだとか高飛車に構えろとは言わない。それでも強者であるならば強者たる態度がある。上にたつならば覚悟を持て、仲良しこよしは家族でやってろ。妬まれ憎まれ恨まれ僻まれ嫌がられ貶され――それでもなお憧れる羨まれる畏れられる在り方をしろ!!」
幽香の顔から笑みが消えた。
それは珍しく、ルーミアの本心であった。
とらえどころない見通しの効かない、曖昧でぼんやりとした闇の妖怪である彼女の心の内。
それは嫉妬。それは憎悪。それは怨恨。
あるいは憧憬。あるいは羨望。あるいは畏怖。
闇を司る、闇を好む悪性の妖怪であるからこそ自信の心の闇に対して虚偽も見栄もなく吐露できる。
「……私はやはり愚か者だな」
少し間を置いてから黒星はポツリとこぼす。
「履き違えていた、勘違いをしていた。強かろうが弱かろうが在り方は変わらない同じように接しえると」
しかしそれは違う。
黒星は対等であろうとしていた。
強き者が弱き者と同じ立ち位置にいる。
しかしそんなことは有り得ない。
そんなことができるのはそれこそ家族ぐらいなもので。
なんの繋がりもない赤の他人には通用しない。
黒星は今まで身内とばかりつるんでいた。それは黒星のような群れを持たない集団で生きない妖怪には仕方ないことだ。たがら彼は知らなかった、無知で愚かだった。
強い者には覚悟がいる。強く在る覚悟が。
それを蔑ろにして弱者を気遣うのは弱者への愚弄である。
「……ここからは全力で急ぐ。ついて、これるな?」
黒星は振り返らない。
顔色を伺うのをやめる。
一つの成長であり、一つの決別。
「はっ、病み上がりに心配されるほど落ちぶれてないわ」
今までの倍速以上に黒星は加速し、それに金色の常闇が追従する。
高く上る日が三つの影法師を照らし出す。
この変化が何をもたらすのか。
ただ一つ言えるのは、黒星とルーミアはこれ以上関係が深くなることはない。
前回の投稿から二年ほどがたってるという事実に驚き、またこの拙作に対して感想を送って下さり感謝の念を感じるとともにほぼエタらせてしまい申し訳ない気持ちで押し潰されそうです。現状書き貯めはなく半年以上前に書いた拙いプロットが在るのみなので次の投稿がいつになるか確約できません。それでも未完にはせず書き続けていこうと思います。ここまで読んでいただき本当にありがとうございます。
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九話 全てを薙ぎ倒す嵐のように(五)
書き上げられたので投稿します。
なんか投稿できない詐欺みたいな感じになって申し訳ないです。
「ここから先は我らの領域。立ち去ってもらおうか、蟹の妖怪」
前人未到の森の奥、人を拒むのは生い茂る草木と獣たちだが、妖怪を拒むのは同じく妖怪である。
「烏天狗か、昔ここら一帯は君らの縄張りではなかったはずだが。どうやら私が眠っている間に随分と拡大したようだな」
道を急ぐ黒星たち一行は深い森のさらに奥、森林見下ろす一本杉が生える山の前で、背中から黒い翼を生やし鳥面で顔を覆い六角の鉄棒を手に持ち一枚歯の鉄下駄を履き巨大な岩に立って黒星たちの足を止めさせていた。
「…………。」
「無駄な話をしない、流石はカオナシか。更には鎧に太刀を二つも携える戦装束、天狗の団扇を持っていないだけまだマシなところか」
カオナシ、その名前は目の前にいる烏天狗の名前ではなく、その烏天狗の地位を表す。天狗は妖怪の中では珍しく縦型の社会を形成する集団である。単なる群れではなくそれぞれの個体が地位を持ち仕事を持つ。その中でもカオナシは特殊であり天狗の一般的な身分の外にある地位で、他の天狗と違い部下を持たず身分の高い天狗からの命令を受け付けない。その代わり群れの長からの命令によってのみ動く。言うなれば天狗の長直属の私兵のようなものであり、親衛隊や秘書や召使いなど多岐にわたる業務をこなす。その専らな業務は戦闘であり他の妖怪の集団と戦うときはいの一番に先陣を切るのはカオナシである。彼らはその身分を示すために仮面を着け無駄話を一切しない。
「それだけ警戒されているということよ。天狗からすれば黒星の存在は強大過ぎるもの。嵐が来ると分かっていて何も備えない馬鹿はいないでしょう。それにしても臆病な烏が嵐を前にとおせんぼなんて随分と頭が足りていないのね」
幽香が挑発の笑みを浮かべる。
「…………。」
しかしカオナシの烏天狗は何も喋らない。
「……鳥は私のような蟹からすれば天敵なのだが」
「あら、知らなかったの? 烏は泳ぐのは苦手なのよ。それによく空を飛ぶ鳥は雨に打たれ続けると飛びづらくなるものよ。嵐を前にして鳥はじっとやり過ごすしかできない」
「…………。」
「へえ、よく躾が行き届いているのね。関心するわ、何も言い返さない臆病ぶりには。素晴らしい主と褒めてあげる」
「ねえ、いつまで喋っているの? 別に三対一なんだから問答なんてまだるっこしい真似をしなくても殴って言うことを聞かせればいい。それとも邪魔者を殴れないほど甘ちゃんだったかしら?」
痺れを切らしたのかルーミアが手のひらに闇の塊を作りながら烏天狗に近づいていく。
「まあ、待て。この烏天狗は私たちの前に立った一体で現れた、しかも飛びながら警告するのではなく地面に降り立ち仁王立ちで私たちを止めている。天狗には千里眼をもつ者もいるという。そうでなくても私たちは派手に森の中を突っ切ってきた。天狗の哨戒に引っかかって当然だ。動向は知られていることだろう。なのに一体だけしか見張りをよこさない。しかもただの天狗ではなくカオナシときた。長が私たちを監視しているということだ。この烏天狗に手を出せば天狗全体との戦争になる。無視して領域に一歩でも足を踏み入れればそこら中から天狗たちが駆けつけてくるだろう。――天狗だから文字通り飛んで来る、かな?」
黒星はルーミアを止め辺りを見渡す。
深緑の木々、遠くから聞こえる水の流れる音、獣の鳴き声。
それらに隠れてこちらの様子を窺ういくつもの気配を黒星は感じ取っていた。
「天狗との戦争ね。……それはそれで面白そう。十回ぐらい死ねば食べ尽くすことができるかしら?」
「真っ向勝負をしてくれるほど天狗は甘くない。空高い位置から竜巻を起こされてはたまらない。空飛ぶ天狗になど追いつけるわけもない」
「だったら無視して突き抜ければいいじゃない。空飛ぶ鳥を打ち落とすことは困難でも木々に紛れてやり過ごすのは難しいことではないでしょう?」
「ああ。空高く飛んでいては足止めは意味をなさない。地面に足をつけ、柵となり壁とならねば足止めなどできんよ。故に突っ切ることは難しくはない。難しくはない、が――」
「嘗められているわね」
ルーミアと黒星の会話に幽香が割って入る。
「天狗程度の軍勢で黒星を止められると思っているのよ。長でもない、名の通った実力のある妖怪でもない。そんな雑魚をよこして立ち去れなんて、随分と不遜な対応ね。……二度と天狗が住めないような森にしようかしら?」
「君が脅しを言うとシャレにならないからやめてくれ、幽香。それに私は天狗の軍勢を相手にできるほどの実力はない」
「……脅しじゃないわ。黒星、神と拮抗するほどの力を持った妖怪が天狗程度で相手にできると思っているの?」
ジトっとした目線を黒星に向ける幽香は黒星の停止命令に背くことなく従い、裾から地面に向かって伸び始めていた茨のような植物の動きを止めて逆再生でもするかのように服の中にしまい込む。
風見幽香は植物の意思をくみ取りその成長を自由自在に操ることができる。植えたばかりの種をほんの僅かな時間で立派な果実の生る樹木へと成長させたり、枯れていた木々を深緑の若葉が生える大木へと戻したり、或いは悠久の時を育った生命力あふれる巨木を一瞬で枯れ木に変えたり、食料となるはずだった作物を毒の実がなる植物へと変貌させたり。幽香の持つ能力は純粋な戦闘には向きづらいがこと生存をかけた戦争になれば右に出る者はいない。作物を枯らし、毒ある植物を群生させ、穴倉だろうと精巧に作られた砦だろうと処かまわず大樹を生やして滅茶苦茶にする。黒星は療養生活をしているときに幽香の使う能力がいかに素晴らしく強大なものかを知っている。そして幽香は花を愛でる趣味はあっても花々を大切に扱おうとする気概はない。同族でもない――黒星ではない妖怪たちに慈悲や同情をかけることなど尚更ない。天狗の森を天狗の住めない程度の環境へと変化させたところで困るのは黒星に関係のない天狗たちである。そして幽香は脅迫などといった婉曲的な会話などしない。やると言ったらやるし、やらないと言ったらやらない。対話によって事を為すなどそもそも考えつくことすらない程に彼女は暴力や強さの扱い方に慣れていた。
黒星は未だに幽香の性質を掴み切れていない。
彼は他者の長所や良い点を感じ取る能力は高いが短所や悪性には著しく鈍感である。
敵にも味方にも鈍感であるのが黒星である。
「私は他の妖怪よりも神と相性がいいだけさ。上には上がいる、真に強い妖怪ほど真っ当ではないがね。いづれにしても私は天狗と戦うつもりはない。戦わずに済むのであればそれに越したことはない――故に問う、カオナシの烏天狗よ。私達一行はここを通り“地の底”に行きたいだけだ、歯向かうつもりは一切ない、貴公らの領域を通らせてもらえないだろうか?」
黒星は声を張って告げる。
黒星もまた、恐喝や脅迫を行う性質ではない。
それは黒星が誠実であることや駆け引きが得意ではないこともあるが黒星が強さを振るわない強者として振る舞わないからでもある。
戦いを避けるために、生きるために生きてきた黒星は戦わない知恵を多く身に着けている。
例えばそれは身を隠すこと、素早く逃げること、天敵と出くわさないこと。
弱者の知恵、弱い者の在り方。
それは一匹の蟹に過ぎない黒星が生き残るために身に着けたもの。
ただそれは年月が経ち黒星が成長していくとともに変化した。
いつしか黒星は岩のくぼみに身を隠し避けていた魚を捕らえて食らうようになっていた。
見たら一目散に水中に逃げ込む猿などの獣を自らの鋏で追い払うようになっていた。
夜に水底から出て天敵の鳥に出くわさないようにしていたが、気が付けば日中に小さき姿で湖岸に出て近づく鳥を掴み溺れさせて喰うたときもある。
黒星は弱者だった。
故に上を知り驕ることはない。
しかし同時にまた黒星自身よりも弱い存在を彼は知っている。
いつしか生まれの湖に近づいてくる妖怪や荒神どもを打ちのめすようになってから黒星は一つ学んだ。
戦いを避ける方法は言葉などではない。
「……ここから先は我らの領域。疾くと立ち去れ」
カオナシの烏天狗はそう答える。
いや、そうとしか答えられない。
それは長からの命令でありそれを順守することが当たり前だからだ。
天狗は上のモノに逆らわない。
他の妖怪と違い強いものに反旗を翻さない。
人が見れば忠誠心などというかもしれないその精神性はしかし妖怪の世界ではそんな高貴なものではない。
天狗は一般に傲慢である。それは彼ら有象無象の妖怪たちよりも強いからである。
強いゆえに傲慢は妖怪の中では当たり前だ。
そして天狗はその妖怪としての性質に従順なのだ。
ならば一度でもその強さを崩されればどうなるか。
「そうか……相分かった」
そういって黒星は一旦目を閉じた。
自然体になり、ゆっくりと目を開く。
「――ならば、引いてくれ」
黒星はただ天狗の領域に一歩を踏み出す。
「――っ!!」
「え!?」
「おおぅ!?」
黒星はただ踏み出しただけ。
ただそれだけのことしかしていないというにもかかわらず黒星の周囲にいる三体からは黒星が山をも越える巨大な蟹の姿になったように見えた。
「まやかし、ではない、のね」
幽香がじっと黒星の背中を凝視するが妖術の類を使っているようにはみえない。
「へぇ~、妖気も殺気もない混じりけのないただの威圧でここまでとは。流石大将」
ルーミアが笑みを浮かべながら嘯くが無意識のうちに彼女は周囲に漆黒の闇を固めて作り出した球体を浮かべ、両腕の爪をむき出しにして戦闘態勢をとっている。
黒星は何もしていない。
ただただそこに在るだけである。
それはつまるところ装うことも抑えることもしていないということ。
黒星の姿は相変わらず人のままだが、妖怪であることを取り繕うとしなければ隠そうとしなければその背中は天狗たちが守る山よりも遥かに巨大な蟹の姿にしか見えない。――そう見えさせる。
上を知る黒星は隠れ逃げ敵対しないようとするが、同時にまた下がいることを知る彼は周囲に自分がいることを示すことで敵対できぬように退けることもする。
「…………。」
カオナシの烏天狗は何も喋らない。
黒星が天狗の領域に入り踏み歩こうとも何も言葉を発さない。
否、喋れない。
「わは、気絶してるわ、これ」
ルーミアがその烏天狗の隣に立ちその鳥面の仮面をつつく。
「半分は鳥だから焼いたらおいしいかな?」
「――止めてくれ、ルーミア。私は天狗と戦うつもりはない。君が天狗を食べてしまえば流石に戦争になってしまう」
ルーミアのつぶやきを聞いていたのか十歩先以上前を言っていた黒星は振り返りその行動を止める。
「ちぇ、残念ね」
「さて、皆前に進もうか」
黒星はいつものようにそう言った。
「……ええそうね」
「……わかったわ」
それは黒星が天狗の領域に一歩を踏み出してから前に踏み出せていない――黒星に近寄れていない二体の妖怪の自尊心を少し抉った。
歩き始めた幽香とルーミアを見て黒星もまた前に向き直り歩き出す。
黒星の姿を遠くから千里眼を使い監視していた天狗にとっては山より巨大な蟹が爪を振り上げて威嚇するように見えた。
黒星の周囲に控えていた天狗たちは黒星の姿を見た見ないにかかわらず気絶するかのようにピクリとも動かず硬直してしまった。
傾きだした西日の輝く青空の下に蟹が目を振り上げている。
森の中は異様に静かであった。
「――よう、強え奴全員揃ったな?」
――山のように巨大な蟹の威圧を打ち砕くようにその少女は降り立った。
地面を砕き、少女を中心に蜘蛛の巣のような地割れを起こし、土ぼこりが舞う。
「久しぶりだな黒星」
土ぼこりを手刀を一閃横に薙いだだけで振り払い、黒星を見つけて少女は獰猛な笑みを浮かべた――
こうして嵐は降り立った。
次の話は間違いなく一万文字超えるので遅くなります。
7月終わりに投稿できれば……むりかな。
忙しさとモチベの調整ができましたら投稿すると思います。
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